ボーイ・ミーツ・ガール   作:クレナイ

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一本早い電車で

 午前六時三十分――。

 まだ太陽は空高くには上がりきっていない。近くの散歩コースには、早起きをしてウォーキングをしている人たちの姿が見える。腕時計で確認してみると、駅に電車が来る時間まで、まだ少し時間がありそうだった。駅のほうに向けていた足を回れ右させる。

 日中なら遊びに来ている子どもたちでにぎやかな公園に足を踏み入れた。朝早い時間帯なので、今は私以外に誰もいない。一瞬独り占めできると思ってしまった。いけない、いけない……。

ベンチにお菓子の入ったバスケットとバッグを置く。それから大きく伸びをして、空を見上げる。どこまでも広がり続けている空。まるで海との映し鏡のようで、じっと見つめていると、思わず吸い込まれそうな感覚になる。なでるような風が吹いて、木の葉が囀りのような音を立てる。その音も、公園にある静けさに溶け込んでいった。

 さて、どうやって時間をつぶそうか。公園を見渡してみる。

 そこにあるのは遊具と静けさだけ。高校生にもなって使えそうな遊具はブランコくらい。

 それは当然かと、苦笑いを浮かべる。もう一度大きく伸びを、今度は深呼吸も併せてする。朝の澄んだ空気が入り込んでくる。胸にあった嫌な気持ちがすぅーっと消えていくような気がした。

 チチチッとどこからか飛んできた雀が座っていたベンチに降り立った。お菓子の匂いにつられたのか、バスケットの近くをちょこちょこ歩いては小首を傾げる。――かわいい。

 ベンチの上を行ったり来たりしながら、時折チチチッと囀りをこぼした。その姿が、まるでステージの上で歌を歌い、ダンスを踊っている自分の姿と重なった。

「よしっ」と小さく気合を入れて、ゆっくりと言葉をつむぎ、歌い始めた。周りには余計な雑音がないので、自分の歌声が公園内に響いている。雀の囀りが、草花のこすれる音がバックミュージックとなって、楽しくなってきた。

 アイドルになる以前、オーディションに向けて一人で練習をしていたことを思い出した。レッスンを受けるのにはお金がないので、とにかく練習を重ねるしかなかった。何度失敗しても、歌を歌えば気持ちが楽になるような気がした。歌うことが好きだったから。そういえば小さい頃、お姉さんと一緒に歌った場所もここだったな。最近では初めてプロデューサーさんと出会ってスカウトされたっけ。この公園は、私にとってアイドルに関する思い出の詰まった宝箱なのかもしれない。

 歌い終わると、役目を終えたと思ったのか雀がベンチから飛び立っていった。うん。そろそろ駅に向かったほうがよさそうだ。

 

                     ***

 

 静かに迎えてくれる駅は、まだまだ目を覚ましたばかりのようだった。利用客は私以外に片手で数えられるくらいしかいなかった。バッグから定期券を取り出して改札口を抜ける。プラットホームに入ると、そこには普段よりも一本早い電車が停車していた。ボタンを押すと、ゴゴゴッと重低音を響かせてドアが開く。乗車して、すぐ近くの席に座ることにした。ふうっと一息ついて、背もたれに身体を預ける。

 ここに来る間にも、どうして今日はいつもより早く家を出たのか――そのことについて考察していた。いくら考えてみても靄がかかってしまう。ううん……わからない。その行動に打算的なものはなかった。ただ――早く出てみよう――突然フッと湧いて出た気持ちがあったのは確かだ。

 一度大きく電車が揺れ、慣性に従って後ろに引かれる感覚があった。ゆっくりと電車が動き出す。車窓から差し込む日差しは包み込んでくれる毛布のようで、ついウトウトッと眠くなってくる。フワッとアクビが出る。やはりいつもより早くに目が覚めてしまったからか、眠気がぶり返してきた。電車の乗り換えは終点の東京に着いてからなので、今は少し眠ろうか。まぶたを閉じるとスーッと意識が遠のくのがわかった。

 

                     ***

 

 東京に到着し、一度電車を降りてから別の線の電車に乗り換える。休日とはいえ出勤する会社員や遠出のための利用客でさきほどよりも車内は混雑していた。キョロキョロッと辺りを見渡して、どこかに座れる席がないかを探してみる。すると、同じ車両の席に見慣れたスーツ姿の男性を発見した――プロデューサーさんだった。いつもこの時間帯の電車に乗って通勤しているのかな。通勤途中なのに、手元には仕事で使う資料を出している。今はコックリコックリと舟を漕いでいるけれど、さっきまでは仕事をしていたんだろうな。

 私は足早に移動して、空いている隣の席に座った。キシッという小さな音に、眠りこけていたプロデューサーさんがハッとして目を覚ました。そのときの驚いた動物が見せるビクンッという仕草が可笑しかった。

 笑うのを堪えながら「おはようございます、プロデューサーさん」と元気にあいさつする。私の声に、プロデューサーさんはようやく隣に私がいることに気づいたようだ。

「は、春香じゃないか」突然自分の担当しているアイドルが現れたからか、驚いている。それにしても、驚き方が大袈裟すぎませんか。まるでお化けに会ったときみたいじゃないですか。

「いや、すまん、すまん」手を立てて謝罪してから「それにしても、今日はやけに早くないか?」

「えっとですね……今日は早く目が覚めちゃって。せっかくなので一本早い電車に乗ったんです」

「そうか、やる気があるのは感心だな」と満足げな笑みを浮かべる。「春香はアイドルとして、俺もプロデューサーとして二年目を迎えるのか」プロデューサーさんは、車窓から外を眺めながら感慨深そうにつぶやいた。

 

                     ***

 

 プロデューサーさんが来てから少しずつ仕事が入ってきて、アイドルらしくなったと思ったのも束の間。ランクが上がるに従って忙しさは右肩上がりになっていった。休む暇がほとんどなくて大変だけど、間違いなく私のアイドル生活は充実していた。

「その資料は新しいお仕事のですか?」視線を手元の資料に落として尋ねる。

 自分でもウキウキしているのがわかる。今のアイドルランクを考えれば仕事が入ってこないというのは普通あり得ない。忙しさと慣れで鈍感になっているのかもしれないけれど、やっぱり仕事が入ってくるのはうれしい気持ちになる。よし、頑張ろうと気合が入る。

 子どものようにはしゃぐ私を見て、プロデューサーはクスッと笑う。

「喜んでくれるのは、頑張って取ってきた甲斐があるってもんだ。詳しいことは事務所に着いてから、ミーティングで伝えるとして」

 プロデューサーさんがそこでいったん区切りを入れる。私もはやる気持ちを抑えるようにする。仕事の内容が気にならないわけじゃないけど、電車の中で話すのはさすがに憚られた。

「以前から売り込みをかけていた営業先直々のオファーなんだ。結構時間がかかったけど、足繁く通ってよかったと思うよ……フアッ」

 大きくアクビをこぼすプロデューサーさんの目元にはうっすらと隈が見えた。たった一人で私たちのプロデュースを一手に引き受けているから、その忙しさは倍以上だろう。ちゃんと睡眠をとっているのかさえあやしい。パシッパシッと顔を叩いてみるけれど、あまり効果はなさそうだ。

「プロデューサーさん」ポンポンと自分の肩を叩いて「到着まで少し時間があるので、眠ったらどうですか? 無理は禁物ですからね」

 さすがに電車で膝枕は恥ずかしかった。ならせめて、プロデューサーさんが眠りやすいようにと考えた結果が膝枕ならぬ、肩枕だった。最初は遠慮気味だったけれど「ほら、早くしないと着いちゃいますよ?」腕をグイッと引っ張って促した。

「すまないな。それにしても、アイドルに枕をしてもらうだなんて……俺は幸せ者だな」なんて大袈裟なことを言う。でも、プロデューサーさんが笑顔だと、私もつられて笑顔になる。いつも私たちのために頑張ってくれているもんね。少しくらいお礼をさせてほしい。それを言葉で伝えたとしても、きっとなにも求めてはくれないから。なら、こちらからするお礼くらいは素直に受け取ってほしい。

 肩越しに車窓から外を眺める。首を動かしたとき、髪の毛先が頬を突いてくすぐったかった。数秒もしないうちに、私の肩を枕にしているプロデューサーさんの寝息が聞こえてきた。美希にも負けない早さだ。よっぽど疲れていたのだと思う。プロデューサーさん、今はゆっくり休んでください。だから、起きたらまた一緒に頑張りましょうね。

 駅周辺に植えられている桜の木もすっかり満開になりつつあるようだ。風に乗って花びらがヒラリッと飛んでいく。始まりの春の季節。私のアイドル生活がまた新たに始まる。そんな初日をプロデューサーさんと一緒に迎えられるのはうれしい。

 一本早い電車に乗って、よかった――。

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