ボーイ・ミーツ・ガール   作:クレナイ

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回送電車

 遠くで次の停車駅を告げる車内アナウンスが聞こえた。遠かったのは、俺がついウトウトと眠りこけていたからのようだ。疲れがたまっているのだろうか。朝から晩まで走り回るのが当たり前だったので、仕方がないのかもしれない。とはいえ、寝過ごしてしまえば降車駅を遥かに過ぎてしまう事態になりかねない。伸びをしながら、大きなあくびを一つこぼす。吐き出される息とともに、眠気も抜けていくような気がした。

 よく降るな――。

 車窓から外の景色に目を向けながらそう思う。夏の季節となり、昼が長くなってきたけれど、外は生憎黒い雨雲に覆われ夜のように薄暗い。雨足は強く、車窓を叩くようにしている。梅雨の時期にほとんど降らなかった分、ここにきて挽回しようというのだろうか。電車のシートに深く座り込みながら外の様子を眺めていると、電車のダイヤが乱れてしまうのではないかと心配だった。

 車窓から見える外の景色が目まぐるしく変化するほどの速度で走行していた電車が突如して速度を大きく落とした。どうやら急カーブに差し掛かったようで、安全運転のためだった。車体が大きく傾き、まるで外に引っ張られるような感覚があった。

 確か数ヶ月前にどこかで列車の脱線事故があったことを思い出す。運が良かったのか、帰宅ラッシュよりも前だった。それでも、その事故で何人もの人が亡くなっている。電車の安全運転の徹底は、その事故の教訓からのものなのだろう。

 まもなく、駅に到着するとのアナウンスが聞こえた。大きなカーブを抜けた先に停車する駅が見えた。カーブ手前で減速していた電車は、さらに速度を落としていく。プラットホームに入り、ゆっくりと停車した。

 時刻は夕方の五時半。学校や会社の終業時刻が重なるということもあり、駅構内は利用者で混雑していた。

 重低音を響かせながら自動ドアが開く。整然と列になって待っていた人々が、なだれ込むようにして乗車してきた。誰もが手に傘を持っており、しのぎきれなかった衣服は雨でぐっしょりと濡れていた。そんな彼らに対し、俺は濡れてもいなければ、傘も持っていなかった。ただ単に運がよかっただけなのだろう。

 ガタンッと電車が一度大きく揺れると、ゆっくりと稼動音を響かせながら走り出した。大勢の人が乗車したとはいえ、いくつも車両があるので密集するほどではなかった。誰もが疲れた身体を少しでも休ませようとして、シートに座り込んでいる。

 電車が再び走り出してから、またしばらく外を眺めていたけれど、次第に相変わらずの雨模様に飽きてきた。手持ち無沙汰になっていた俺に、突然横から声がかかった。

「あ、あの――」意識していなければ聞き逃してしまうほど小さな声。

 驚きのあまり、身体をビクッと震わせた。情けないことながら、今の自分をなにかにたとえるならば、恐怖におびえる小動物だろう。恐る恐るというように、慎重すぎるくらいにゆっくりと隣に視線を向けた。いつから横にいたのだろうか。確かに俺が座っているシートの隣は空いていたけれど、彼女はまさに音もなく現れた。失礼かもしれないが、一瞬幽霊ではないかと思ってしまった。

 そこにいたのは、黒い小さなリュックサックをひざの上に置いた少女だった。髪は小柄な彼女に似合うショートカットであるが、前髪だけが不揃いで右半分だけが顔を隠してしまうほど長かった。他の乗客と同じように、水滴のついたビニール傘が手にもたれていた。俺は彼女を――知っている。

「お疲れ様――――小梅ちゃん」

「は、はい。ぷ、プロデューサーさんも、お、お疲れ様……です」

 小梅ちゃんはそう言って、静かに笑った。彼女は――白坂小梅――俺が担当するアイドルの一人だ。

「そ、そうだ……。お、驚かせて……ごめん、なさい……」シュンッと肩を落とした

「いや、ボーっとしていた俺が悪いんだ。気にしなくてもいいよ」と、うつむき加減になっていた小梅ちゃんが顔を上げたのを見て、言葉を続けた。「今日は確か……ボーカルのレッスンだったよね」

「……は、はいっ」と、小梅ちゃんはうなずく。

 彼女のことをスカウトして、初めてレッスンを行ったときのことを思い出す。人付き合いが苦手で、内気な性格な彼女は、最初の声出しすら満足にこなすことができなかった。技術やダンス、ビジュアルとのコンビネーション以前に、最低限の声量を引き出させるまで、どれだけ日数がかかっただろうか。

 懐かしい思い出を振り返り、思わず頬が緩む。「小梅ちゃんは、本当に成長したよね」

「えっ……? あ、そ、そう……ですか?」と、パチパチッと瞬きしてから、恥ずかしそうに視線を逸らした。

「身長は変わらないけどね」彼女の頭を手でポンポンッとなでる。

「き、気にしてる、ことなのに……」

 パシッと頭を抱えるように手を置いて、にらみつけるように見上げてきた。プクーッと風船のように頬を膨らませている。素直にかわいいなと思った。

「あはははっ、ごめん、ごめん。つい、意地悪したくなったんだよ」と、両手を合わせて軽く謝罪を入れる。

「こ、心が……こもっていません」

 ブスッとして、不機嫌な様子は変わらない。ちょっとからかいすぎたかもしれない。

「でも、成長したっていうのは確かだよ。最初の頃なんて小梅ちゃん、恥ずかしがってばかりでぜんぜんレッスンにならなかったからね。そう考えると、今じゃあ堂々と人前に立って立派にアイドルをしているのは、大きく成長したってことだよ」

「そ、それは……みんなの、おかげ。も、もちろん……プロデューサーさんも、ね」

 成長したのは、小梅ちゃん自身が一生懸命努力したからだよ――と、心の中でつぶやく。もちろん、担当アイドルからお礼を言われてうれしくないはずがない。少しこそばゆいけれど――。

十分ほど前に駅を出発してから、電車は一定の速度を保ちながら、終着駅に向かって走り続けていた。ふと、小梅ちゃんとの会話が途切れたところで車窓から外を眺めてみた。 

 外では相変わらず雨が降り続けており、叩きつける雨水が車窓を流れ落ちる。なぜか胸に悲しみがこみ上げてきた。どうして雨模様を見ているだけで、こんな気持ちになるのだろう。わからなかった……。ぜんぜんわからなかった……。

 だから、空から雨がこぼれてくるように、口から雨ではなく、言葉がこぼれ落ちた。

「どうしてなんだろう」俺が疑問を口にする。

「なにが、ですか……」と小梅ちゃん。

「雨を見ているとね、なんだか悲しくなるんだ」

「えっ……、悲しくなる、ですか……?」

「どうしてなのかな……?」自問をしてみても、やっぱりわからなかった。「小梅ちゃんはさ、雨を見てるとどんなことを連想するかな?」

「わ、私……ですか?」小梅ちゃんは困ったように首をかしげる。「わ、私なら……涙、誰かが泣いているって……思い、ます」

「涙、泣いている……か。悲しくなるのは、泣いているからなのかな?」

 不思議なことに、彼女が言ったことが心にストンッと収まるなど、共感していた。“うれしい”から流す涙でも、“悔しい”から流す涙でもなく。雨が誰かが“悲しい”から泣いていて、流している涙であるということに俺は共感していた。

「あ、雨は……な、泣きたくても、泣けない人の……代わりに降っているんだと思い、ます」と小梅ちゃんが言った。

「泣けない人の、代わりに?」と俺は繰り返し尋ねてみる。

 小さくうなずいてから小梅ちゃんは「き、きっとみんな……とても悲しんで、ます」と、表情を曇らせてつぶやく。「だ、だから泣きたい……でも、泣けないんです」

「泣けない……? どうしてっ?」

「泣いて、いられないから……です。か、悲しんでいても……戻って、こないから」

「戻ってこない……、なにか大切なものでも失くしたのかな?」

「ぷ、プロデューサーさんも、大切な、ものを失くしたら……悲しくなります、よね?」

「確かにそうだ、な。うん、わかるな……その気持ち」

「うんっ……」

 それあと少しの間沈黙が漂い、バラバラになっていたパズルのピースが組み合わさっていき、一つの大きななにかが出来上がっていくような感覚を感じていた。それからふと小梅ちゃんを見ると――彼女は悲しそうに笑っていた。どうして、悲しそうに笑っているのだろう――一拍の間を置いて、俺も笑った。なんだか久しぶりに笑ったような気がした。笑ったら、胸にあった悲しみが和らいでいくようだった。

 それから打って変わって、二人の間に言葉のやり取りがなくなった。何度かなにか話題を振ろうとして、小梅ちゃんの様子をうかがったのだけれど、なにも言葉が出てこなかった。もっと色々話すこと――学校でのこと、友だちとのこと、事務所でのこと、レッスンでのこと、ライブでのこと――があるだろうに。

 二人の間にある沈黙とは反比例するように、線路を走る電車の走行音や窓を叩くようにしている雨音は相変わらずあった。そして、視線の先で見覚えのある建物が、大きくなってきた。その周りにある街頭の明かりで、終着駅がはっきりと見えてきた。電車の速度が落ち、ゆっくりと走行してプラットホームへと入っていく。停車しようというところで、小梅ちゃんが固く閉じていた口を開いた。

「――ご、ごめん……なさい」

「えっ、どうして?」

「だ、だって……ほら」

 彼女が指さすほうには、重低音を響かせて開くドアがあった。電車からは少なくなっていた乗客がぞろぞろと降車し始めていた。

「もう、到着……しちゃった」

「うん、そうだね」

「こ、今度……事務所のみんなと、お、大きなライブを……するん、です」

「うん……、そうだね」

「ぷ、プロデューサーが、わ、私たちのために……用意してくれ、た」

 彼女の言葉を聞いた瞬間、強く実感するのだ――俺は死んだということを。

 そう、あの日――今日のようにひどい雨模様だった。事務所をあげての大きなライブのチャンスをつかんだことに有頂天になっていた俺は、あの事故にあって命を落とした。電話で連絡するよりも、自分の言葉で伝えたいと思い、早く帰ろうと焦っていた。なかなかつかまらないのに痺れを切らさず、もう少し待って、いつも通りタクシーで帰れば、巻き込まれずに済んだのに。

 俺はいわば、幽霊のような存在だ。なにを未練に、未だこの世に留まっているのか。小梅ちゃんと話ができたのは、彼女に霊感があり自分の姿が見えているからだ。彼女は俺のことを見つけてくれてから、今日までこのように終着駅まで話し相手になってくれている。

「ま、また来ますね……。こ、今度は……ライブのお話、しましょうね」

 そう言って彼女は背を向け、電車を降りていった。プラットホームに下りてから、またこちらに振り返った。同時にドアが閉まる。二人を隔てるドアは、まるで生と死を分けている境界のようだった。回送電車へと変わる。乗っているのは運転手以外に自分しかいない。もっとも、彼らには俺のことは見えていないが。

 電車がゆっくりともと来た方向へと走り出す。こちらを見つめる小梅ちゃんが離れていく。俺が未だに成仏できない理由は、自分がよく知っている。降りる間際に小梅ちゃんが言った事務所をあげての大きなライブが気になっているからだ。

 俺が彼女たちのために用意することができた、初めての大きな舞台。その舞台でのシンデレラたちの成功を知ったら――――そうしたら、ようやく俺は成仏することができるう。

 その瞬間が来るまで、あと少し。それまで俺は、この回送電車で待ち続ける。

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