「だあああぁぁぁ……」
「ちょっと、小鳥さん。親父クサイですよ」
「むっ。乙女に対してその言葉はどうなんですか?」
「はいはい、失言でした」
「もう……、嫌いになっちゃいますよ?」
「それは困りますね。あ、ここも」
「あああぁぁぁ……。気持ちいぃ……」
* * *
数ヶ月前から私の土曜の夜には、カレによるツボマッサージが必ず予約されていた。朝から晩まで連日働き詰めの私にとって、悲鳴をあげるほどうれしいものだった。それに、お金をかける必要がないということもあり、非常に得をしていた。
小さなプロダクションということで、たった一人の事務員として朝から晩まで一日中パソコンを前にして作業をしていたり、電話の対応やその他雑務をこなしたりしていると、すっかり肩や腰といった部位が石のように硬くなってしまう。
マッサージを受けに行くたくとも、休日はどうしても家でゴロゴロッとしていたい気分になるなど、突発性出不精症候群が発症してしまう。結局一日中家にこもって、テレビを見ていたり、ネットサーフィンをして同人誌を漁ったりするなど、いい歳した女性の休日の過し方とはかけ離れていた。
* * *
お気に入りの薄桃色をしたセーターを着て、備え付けの柔らかなソファーに沈み込むようにして座る。まだまだ肌寒いため暖かい服装でいた。
ソファーの正面にあるテレビでは、クイズ関係のバラエティー番組が流れている。芸能人の一人が答えた珍回答に対する爆笑が、ゆったりとした空間の中で場違いに響いていた。
ソファーや最新式に近いテレビ、キッチンにある冷蔵庫や電子レンジといった各種家電製品が一通り備え付けられており、賃貸料金が安いということもあり、私のような小さなプロダクションの事務員の給料でも十分に間に合っていた。少し贅沢ではないかと、時々思ってしまう。
今まで一人暮らしだったから、余計にそう感じていたのかもしれない。私一人では余るほどの広さがあったのだ。
* * *
私の連日の疲れで石のように硬くなった肩に、大人の男性らしく大きな手のひらがそっと置かれ、ゆっくりと、力強く揉み始める。ゴリッゴリッというような、石をこすり合わせる音が聞こえてきそうだった。
「力加減はどうですか、お客様?」
にわか知識で、マッサージ師になりきっている。少しでも私のことをリラックスさせようと気遣っているカレの優しさがうれしかった。
* * *
私とカレがこのような関係になるきっかけがあったのは、確か高校時代の友人たちに誘われて参加した合コンで盛大に失敗した数日後のことだった。これまで何度もあったことだが、私以外の友人はその後交際が順調に進み、晴れて恋人関係になったと聞いた。どこにでもある話だが、意気消沈していた私を、プロダクションに所属しているアイドルのあずささんとカレが励まそうとしてなのか、仕事終わりの飲みに誘ってくれた。
「どうして私だけお持ち帰りされないのよーっ!?」などと、半ばヤケクソ気味になりながら、浴びるようにして自棄酒をした。
明日も仕事があるということで、先にあずささんは帰ったけれど、最後まで残ると言って聞かなかった私に、カレは最後まで付き合ってくれた。
私のマシンガンのごとく吐き出される愚痴に、カレは嫌な顔せず聞いてくれた。
「小鳥さんは魅力的な女性ですよ」
ありきたりな励ましの言葉だったけれど、カレが心から私のことを思ってくれているのはよくわかった。今までは仲の良い異性の同僚という認識でしかなかったけれど、酔いの影響も相まってか、無垢な子どもが浮かべるような笑顔から、いつの間にか眼を離せなくなっていた。
* * *
日曜日、つまり、週一で私たちはデートをしている。普通男性が女性を引っ張っていくことが多いだろうが、私たちの場合は、いつも私のリクエストでその日の予定が決められていた。
ある時は「今日はデパートに買い物に行きましょう」、またある時は「今日は封切りの映画を見に行きましょう」、さらについ先週は「日帰り旅行がしたいです」……などと年甲斐もなくはしゃいでいた。私も数日前から予定を立てているのではなく、本当に日曜日の朝になってからポンッと頭に浮かんだアイディアをそのまま決行に移すなど、突発的なものだった。
連日の仕事や土曜の夜の行為の疲れだけでなく、カレにだってデートに要求したいことはあるはずなのに、一度もそんな話を切り出してきたことはなく、いつも私のわがままに普段と同じ笑顔で付き合ってくれている。
そのことを話してみると「大丈夫ですよ。俺は小鳥さんと一緒に楽しめれば、それで満足ですから」と、私の不安を見抜いているのか、安心させるように大きな手のひらをポンッと頭に乗せて撫でてくれる。子ども扱いされているようだけれど、それだけで、その大きな手が吸引機のように、私の心にあった不安をきれいさっぱり吸い取ってくれるような気がした。ポワポワッと、温かさが胸に広がる。
* * *
少しずつ気になる異性となっていた。ある日、いつものようにアイドルたちが帰った後も、二人で残り残業処理をしていた時のことだった。
一日中パソコンの画面や資料の小さな文字とにらめっこしていたので目の疲れから、首周りや肩、同じ姿勢でいたので腰辺りに重い凝りを感じていた。グルングルンッと回して凝りをほぐしていると、同じくパソコン画面に視線を向けていたカレがそれに気付いた。
「あの、マッサージしましょうか?」
カレは他意のない善意からそう言ってくれたのだろう。でも、その時一瞬だけセクハラ目的なのではないかと、アイドルたちのいない事務所であったから、そう疑ってしまった。
そんな私の考えなど知る由もないカレは、相変わらず無垢な笑顔を浮かべながら、「共働きで、疲れている二人にしていた唯一の親孝行なんですよ」と昔のことを懐かしんでいた。席から立ち上がり、私のところにやって来て、その大きくて温かい手のひらを肩にそっと置いた。
ギュッギュッギュッ――凝りのある箇所を的確に突いた、専門家並の気持ちよさだった。
「あああぁ……。痛いぃ……、気持ちぃ……」
私はだらしなく顔を弛緩させ、その痛みを伴う気持ちよさに浸っていた。カレのマッサージの虜となるのには、そう時間はかからなかった。
* * *
ソファーに座った体勢で首周りや肩を揉んでもらい、それからうつ伏せに寝そべった体勢でカレが私の身体に跨る形で腰辺りを指圧でマッサージしてくれる。
凝っている箇所、ツボが刺激されると「あぁ……」とか「うん……」とか我慢していても思わず声が漏れてしまう。
「小鳥さん、声が漏れていますよ?」マッサージを続けるカレが耳元でそっと呟く。カアーッと耳まで顔が熱を帯びて赤くなる音を聞いた。クスクスッという小さな笑い声が心地よく聞こえる。
「仕方ないんですよ、気持ちいいんですから」子どものように頬を膨らませ、むくれる。
「そうなんですか?」
顔は見えていないけれども、声色からカレがいつもの無垢な笑顔の仮面の下でどんな顔を隠しているのか容易に想像できた。腰周りをマッサージしている途中、わき腹からわざと手を前に滑り込ませ、ソファーに沈んでいる私の胸に触れる。それはカレからの合図のようなもの。
「もう……そんな時間なんですか?」今度は別の意味で私の顔が赤くなる。
逃げるように顔も柔らかいソファーに埋める。真っ暗な視界に、広がるドーム。所狭しと埋め尽くされるようにしているファンとその拍手喝采。色鮮やかな光で彩られたステージ。その上に立つかわいらしい衣装に身を包んだ私。マイクを手に、歌い、踊り、魅せる。
カレは、ヒョイッと女性である私の身体を難なく持ち上げる。首と膝に手を添えて抱えている状態――所謂お姫様抱っこだ。これから私はカレに連れられて、ステージへと向う。
「プロデューサーさん……、今日も私のプロデュース、よろしくお願いしますね」
「ええ、任せてください」
土曜日のこの時間帯だけ、私はシンデレラのように魔法をかけてもらい、アイドルになることができる。カレのマッサージは、私にとって幸せの魔法なのだ。