ボーイ・ミーツ・ガール   作:クレナイ

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キーワード:スイーツ、傘 アイドル:三村かな子


傘の下

 ノートの上を軽快に走っていたシャープペンシルの芯が、唐突に折れた。見開きの大学ノート。丸みを帯びた文字の羅列。妙に尖った最後の一文字。来週の期末テストに向けての勉強。数式と文章による解答が見開きの左半分を埋めていた。さて、もう一息。そう思い、芯を出し直してみたものの、集中力が切れたのかペンが動かなかった。どうやら、折れた芯と一緒にどこかにいってしまったみたい。

 仕方なく、その一文字を書き直してからシャープペンシルを手から離す。大きく息を吐いて、椅子の背もたれに身体を預ける。ひとまず休憩。視線だけを天井に向ける。蛍光灯が明るく店内を照らしている。時々他の客の話し声が聞こえてくるだけで、基本的に静かだった。あとは外で降っている雨音くらいだろうか。私が喫茶店に来るまでは曇っているだけだったけれど、いつの間にか降り出していた。

 どうしよう、傘なんて持ってきてないよ――。降水確率が低かったから大丈夫だろうと高を括っていたのが裏目に出た。せめて折りたたみくらいは持ってくるんだったな、と今さら後悔しても後の祭りだ。左手首にある腕時計に視線を落とす。五時を少し回ったくらい。喫茶店を後にする頃には、多少落ち着いてくれれば、と思う。

 ホットカフェオレの入ったカップに口をつけたとき、玄関のほうから入店の鈴の音とにぎやかな声が聞こえてきた。チラリッと視線をそちらに向けると、違う高校の女子生徒たちの姿があった。傘を差してきたみたいだけど、着ている制服が雨で濡れていた。

「もう最悪、制服も髪もぐしょぐしょ。だから、雨なんて嫌いなんだよね」

「それには同意するけど、雨で体育のマラソンがつぶれたときに喜んでいたのはどこの誰なのかな?」

「雨もそうだけど、結局傘って役に立たないよね。手がふさがるし、足元は濡れるし」

 などと、入り口から席に移動しながら彼女たちが好き勝手話している。彼女たちの気持ちはわからなくもない。でも、そんな話をしたところでポンッと画期的な傘が開発されるわけでもないし、雨乞いとは逆に晴れるわけでもない。多くのことは、言葉にしたところで劇的な変化を生むわけじゃない。だって、言葉にする私たちが世界の中心にいるわけじゃないから。できるとしても、せいぜい自分の世界くらい。

 もう一口カフェオレに口をつけたところで、なにか甘いものでも食べようかな、という気持ちになった。テーブルの上にあるのは、広げられた勉強道具と空になったお皿一枚。お変わり自由なカフェオレと一緒に注文していたケーキは、勉強前に食べ終えてしまっていた。もう一品なにか注文しようか、メニュー表の上に視線を走らせながら悩んでいる。

 こんな時間帯だけど、店内はそこそこ混んでいる。私のように勉強している学生とか、さっき入店した女子生徒たちみたいなグループとか、子どもをつれた主婦とか。

 アルバイトの店員の手が空いたのを見計らい、ブザーのボタンを押した。すぐに注文用紙を携えて来た。ここの喫茶店は毎日オススメのスイーツが変わる。さっき食べたレアチーズケーキもその一つだ。今度はもう一つのオススメを食べようと思い、メニュー表のイチゴタルトを指差しながら注文した。少々お待ちください、と言葉を残して店員が立ち去る。さて、注文したイチゴタルトが運ばれるまでなにをしようか。途中で放り出されている数学の問題の続きをしようか。一度シャープペンシルを手にして、また手放した。折れた芯と一緒にどこかに行ってしまった集中力は、絶賛迷子中のようだ。それに、オススメと言うくらいだから、さっきのレアチーズケーキ同様おいしいんだろうな。期待で胸をわくわくさせながら待つことにした。けっして、勉強が億劫というわけじゃない。

 そして、しばらくしてからイチゴタルトが運ばれてきた。ちょうどよい焼き加減の生地、クリームをクッションにして鮮やかな赤色をしたイチゴが盛り合わせられている。それをジィーッと見つめて、私はふっと“恋は甘酸っぱくて、まるでイチゴタルトみたい”という言葉を思い出した。誰かから聞いたのだったか、恋愛小説で読んだのだったかは覚えていない。初めて知ったときには、どういう意味なのかさっぱりわからなかった。でも、今なら少しはわかる気がした。

 フォークを片手に、触れてみる。生地は硬すぎず、柔らかすぎない。でも、ちょっとした力加減を間違えると、たちどころに崩れてしまう。きれいに切り分けるには、微妙な力加減が必要になる。それはきっと恋も同じなのだと思う。好きだっていう気持ちは大切だし、それを伝えることも同様だ。でも、押し付けるようなのはよくない。気持ちを持ち続けるだけなのもよくない。結局、強すぎても弱すぎても駄目なのだ。そんなことを考えながら、私はイチゴタルトを切り分けていく。うん、それなりにうまくできたような気がする。一切れをフォークに刺して、口に運ぶ。生地のサクサクとした食感とイチゴの甘酸っぱさが口いっぱいに広がった。おいしい。

 名残惜しくも食べ終わってしまった。腕時計で時刻を確認してみる。時計の針は六時を大きく回っていて、高校生以下の門限の七時までほとんど時間がなかった。

 私は窓の外に視線をやる。相変わらず雨は降り続いていて、道を交う人たちの多くが傘を差している。門限を無視して待っていても、しばらく止みそうにない。仕方なく私は会計を済ませて店の外に出る。本当は嫌だけど、制服は濡れてしまうだろう。軒下から出ようとしたところで、突然「かな子じゃないか。どうしたんだ、こんなところで?」と、声をかけられた。

 その声のしたほうを向くと「ぷ、プロデューサーさん? プロデューサーさんこそ、どうしてここに?」そこにはスーツ姿のプロデューサーさんが、小さなビニール傘を身体を小さくして差していた。

「どうしてって、そりゃ仕事だよ」

「そうですよね。今日もお疲れ様です」

「うん。えっと、それよりかな子はどうして喫茶店に? 友だちとか?」

「いいえ。来週のテスト勉強をしていたんです。でも、雨が降って……。それに、今日は傘を忘れてしまって」

「なるほど。止むのを待っていたんだな」

 他愛のないやり取り。その間にも雨足は強くなり、プロデューサーさんの差す傘を強く叩き、地面を跳ねた水が足元を濡らした。

「小さくて窮屈かもしれないけど、ずぶ濡れになるよりだったらマシだろう?」そう言って、プロデューサーさんが傘の中の半分を開けてくれた。「女子寮まで、そう遠くないってわけじゃないけど、雨に打たれて風邪を引かれちゃ困るからな」

 多分なにを言っても、私を傘の中に入れようとするだろう。風邪を引かれちゃ困る。プロデューサーだからな。などと言って。「それじゃあ、失礼します」傘の中に入ると、やっぱり少し窮屈だった。

 私たちは人通りの少ない表参道を、一つのビニール傘の中に窮屈そうに収まりながら、並んで歩く。女子寮に向かう間、話していたのはほとんど、私の食べたスイーツの感想についてだった。私は喫茶店で食べたばかりのイチゴタルトの感触を思い出していた。あと、あの言葉も。

「“恋は甘酸っぱくて、まるでイチゴタルトみたい”」私が言うと。

「なんだ、それ? 恋愛小説のワンフレーズみたいだな」と、プロデューサーさん。

「イチゴタルトは生地が硬そうに見えて、意外と弱いんですよ?」

「へぇ、そうなんだ。でも、どうして“軟らかい”じゃなくて“弱い”なの?」

 少しだけ興味を示しているプロデューサーさんに、説明してあげる。

「イチゴタルトってその形を保つために、ある程度の硬さが必要じゃないですか。だから、外からの力にはちょっと弱い。切り分けようとして、ちょっとした力加減でうまくいかないことってよくあるんです」

「あっー、なんだかわかる気がする」

 ウンウンと、何度も首肯しながら、私の説明を聞いたプロデューサーが言う。でも、私がわかってほしいことは、本当はそこではないんだけどな……。ちょっと鈍感だから、これくらいじゃあ伝わらないんだろうな。それでも、悪い気分じゃない。むしろ、思わず笑い出したい気持ちだ。

 上を見上げる。相変わらず黒い雨雲が空一面を覆っている。今日いっぱいは降り続きそうだ。でも、透明なビニール傘を通して見えるのは雨空ではなく、光り輝いている星空のようだった。

 点々と着ている制服の袖に雨粒が降った跡を残していく。それを見たプロデューサーさんが「ほら、制服が濡れてるぞ」と言って、私のことを自分のほうに抱き寄せるようにした。

 非難を浴びている傘だけど、こういった役に立つ使い道もある。喫茶店で女子生徒たちが話していた傘の愚痴を思い出す。傘は確かに雨をしのぎきれないけれど、小さい傘だと今のようにピッタリとくっつくくらい近くにいられる。悪いことばかりじゃないんだなあ。

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