ボーイ・ミーツ・ガール   作:クレナイ

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彼の背中

「ほらほら、早く準備しなさいよ」と私はテキパキと準備をしている彼を促すように言いながら、右手にある缶ビールをグビリッと飲む。――かあああっ! 喉越し最高っ! 人間このために生きてるってものよね。

「わかってるよ」と彼は顎で使うようにしている私に不満の一つも見せずに「まだ、愛たちが来てないんだからほどほどにしておいてくれよ」と釘を刺すように言う。

 満開となっている大きな桜の木の下にブルーシートを敷いて、風で飛ばされないようにとその四隅を荷物の入っている段ボールで重石にしておく。連日社会人や大学生が我が物のようにして場所を占領しているので、特等席とは言えなかった。でも、ごみ箱が近いなどと、後片付けには困ることはない場所にこれからやってくる愛や友人、所属事務所の関係者たちが座っても十分すぎるだけのスペースを確保することができていた。

 これも昨夜から彼が確保のために動いてくれていたおかげだ。ありがとうって感謝しないとね。

 さぁて、準備も終わったし、あとは待つだけなのだけれど、なにもせずにいるのは退屈でがまんできない。

 私は「ひゃっほー」と気分よく声をあげながら、敷かれたブルーシートの上にダイビングを敢行する。うつ伏せのまま、またビールを一口。頑張ったあとのビールは最高ね。すると頭の上から彼が「あまりみっともないことしないでくれよ?」苦笑いを浮かべながら「引退しているとはいえ、君は元アイドルなんだからさ」と言う。

「わかってるわよー」抗議の意をこめた視線を投げながら、また一口飲む。まったく、十年以上の付き合いなんだから、そんな子ども扱いしなくてもいいのに。彼は変わらない。

 

                        ***

 

 私は専業主婦で、家事や趣味をこなしつつ、夫と娘が帰ってくるのを家で待つのが日課だった。アイドル日高舞のことを知らない人間はいないというほど人気絶頂のなか、引退をしてからあっという間に十年以上が経ってしまった。十五歳での妊娠というアイドルとしてのスキャンダルはもちろんのこと、倫理的な問題から当時の周りは敵ばかりだった。妊娠させてしまった当時のプロデューサーだった彼は周りから激しく責められた。私は身籠った子どもをおろし、しばらくの休みを挟んで再びアイドルとして活動するようにと言われた。そうでなくとも、普通の一人の女の子として過ごしてほしいと、両親のそれは懇願にも似ていたように思う。一人娘を思うならば、当然なのかもしれないけれど。

 私はもともとアイドルをやめるつもりだった。人気絶頂というけれど、日高舞を恐れさせるアイドルが他にいなかったのが理由だった。私は昔から退屈が嫌いだった。頂点に立ちたいけれど、孤高は嫌だった。

 それに子どもをおろすだなんてこと、絶対にしたくなかった。アイドルとプロデューサー――結ばれることは許されないとわかっていながら、私は彼のことを愛していた。愛する彼の子どもだからこそ、絶対に産みたいと思った。この手で抱きしめてあげたいと思った。普通なら女は子供をおろし、男は謝罪をして責任から逃れようとするだろう。

 でも、私はもちろん、彼は違った。そこはさすがトップアイドル日高舞のプロデューサーを務めた男よね。私が愛しただけはあるってものよ。

 彼のおかげで、私は愛のことをこの手で抱くことができ、今も幸せな家庭を築くことができている。

 そして「パパ、ママ、事務所のみんなといっしょに花見をしようよー」と元気な声で愛が言ったのがつい一週間前のことになる。

 

                        ***

 

「仕方ない……ちょっと待ってて」よっこらせというように、彼は重い腰をあげた。

 あと少しすれば愛が所属している事務所の者たちといっしょにやって来る。私にはそのあと少しがあまりにも長く感じられた。だから、持ってきていた缶ビールに手を伸ばしていたら――つい、うっかり全部飲み干してしまった。ブルーシートの上には、空になったビールの缶が転がっている。コンビニの袋にそれを集め、彼は買い出しに行ってくると言葉を残してその場を離れた。

 一人になり、途端に寂しさのようなものを感じた。私はそんなに弱々しくない。残り半分もないビールを喉に流し込む。おいしいけれど、さっきほどではない。

 私はゴロンッとブルーシートに寝転んで、満開の桜を見あげる。

 そういえばと、私は彼と初めての花見のことを思い出していた。

 

                        ***

 

 それは確か、私がアイドルとして二年目に入る年の同じ時期だ。

 当時所属していた事務所の者たちと花見に出かけた。

 大人たちは料理と酒を囲んで大騒ぎしているのを尻目に、私たちアイドルはアイドルでグループを作って料理をつまみつつ、談笑に花を咲かせていた。

 未成年ということもあり、アイドルのほとんどは日が暮れてくるとそれぞれの家に帰っていった。でも、私は空がすっかり黒に染まり、提灯がぼんやりとした明りで周りを照らしだしてもそこに残っていた。正確に言うと、彼のそばにいた。

 酔っていても、さすがにアイドルに、それも飛ぶ鳥を落とす勢いのある私に酒を強要する者は誰もいなかった。いたとしても、彼が止めてくれたと思う。代わりに、私はお酌をして回った。ある程度終えたところで、彼のそばに座った。大人数の大人に一人だけ囲まれる子どもというので気を遣ってくれたのかもしれない、彼のほうから話を切り出してくれた。ほんとうに他愛もない話で私たちは笑い合った。彼の笑顔を見るだけで、私も自然と笑顔になれた。

 自分に自信のあった私だったけれど、知らず知らずに気疲れしていたのか、いつの間にか眠ってしまった。目が覚めたとき視界に入ったのは、見慣れた自分の部屋の天井だった。カーテンの少しだけ開いた隙間からは、太陽のまぶしい日差しが差し込んでいた。もう朝なのだと気付いたのと同時に、どうして自分が今ここにいるのかに対して激しく疑問に思った。朝食の準備をしている母親に聞いてみると、私を負ぶさって彼が家まで連れてきてくれたみたいだった。

 一度部屋に戻った私はホッとしたと同時に、激しい後悔に見舞われた。そうとわかっていれば、彼と二人きりになれる瞬間を味わえたというのに……。次のアクションに移るまで、少しばかり時間が必要だった。

 

                        ***

 

 缶ビールがいっぱいに入った袋を両手で持ちながら、彼が戻ってきた。

 それからすぐに、愛や友人、事務所の関係者たちが現れ、にぎやかな花見が始まった。

 乾杯のあと、すぐに大人の子どもに分かれてそれぞれ花見を楽しむ。普段セーブをしている分、温存しているものを一気に解放したからか、周りの大人たちに負けじと私はビールに手を伸ばした。昼前から飲み続けているから、もう何本空けたのかすら覚えていない。山のように積み上げられたビールの空き缶を一瞥し、私は876プロダクションの石川社長と酒を交えて話をしている彼の背中に寄り掛かった。「さすがの日高舞にも、限界があるみたいね」とからかうように石川社長が言った。「すこし、ゆっくりさせてあげましょう」とやんわりと言ったのは彼だ。周りからは「うらやましい」などと、なにかに対する嫉妬や羨望の言葉が聞こえたけれども、いよいよ眠気には逆らえず、私はまぶたを閉じた。

 

                        ***

 

「う、うぅん……」

 五月とはいえ、まだまだ肌寒い日もある。日が暮れれば気温も下がる。

 不意に走った寒さに、私は身体を小さく丸くした。そのとき自分になにか布のようなものがかけられていることに気が付く。タバコのニオイと混じり合った、私の大好きなニオイだった。ゆっくりとまぶたをあげると、すぐそばで彼が熱燗を片手に、提灯の明かりを浴びている桜をぼんやりと眺めていた。

「あっ、起きたんだね」もぞもぞと起き上がると、彼が言った。

 周りを見渡す。ブルーシートが敷かれ、小さなコンビニの袋の中からのぞいている熱燗の瓶数本と未開封のつまみがあるだけで、あれだけ所狭しと置かれていた荷物がきれいさっぱりなくなっていた。それに愛や事務所の関係者たちの姿もない。遠くで相変わらず酒盛りをしているにぎやかな音が響いるだけで、私たちの周りは昼ごろとは打って変わって静けさが漂っていた。

「あれ、愛や石川社長たちはどうしたの?」眠気眼をこすりながら、私が尋ねる。

「舞が寝ている間に帰っちゃったよ」と空になった熱燗の瓶をシートに置き、彼が言った。

 横に並べられた数本の瓶。私が起きるまで、なにをするわけでもなく、ぼんやりと桜を眺めていたのだろうか。

「それと、今日愛は涼くんと一緒に絵里ちゃんの家に泊まりに行ったよ」

「そういえば、お泊りするなんて遠足前の小学生みたいに言ってたわね……」

 今頃はなにをしているかしら。年頃の女の子二人に男の子一人、か。なにか面白いことでも起きないかしらね。

「舞、君今なにかよからぬことでも考えなかったかい?」と彼が目を細める。

「さぁね。どうかしらね」さすが十年以上の付き合い。私の考えなんてお見通しってわけね。「僕は君のプロデューサーだからね」と珍しく彼は胸を張って言った。

「それじゃあ、今私がなんて考えているか――わかるかしら?」

 私は悪戯っ子が見せるような笑みを浮かべていた。

 

                        ***

 

 先に帰った愛たちがあらかた片付けをしてくれたのか、私たち二人がすることといえば、地面に敷かれたブルーシートを畳むことくらいだった。

 多くない荷物を持って、花見をしていた公園を後にする。二人で横に並びながら歩く。最近あまりこうすることがなかったので、初々しい昔のことを思い出す。

「よっと!」

「わわっ!?」

 不意を突く形で、私は彼の背中に飛び乗った。

 突然のことに彼は驚きの声をあげたけれど、私のことをしっかりと受け止めてくれた。

 愛が小さい頃、私に抱っこされることよりも、彼の背中でおんぶされることのほうが多かった。とても安心するようで、遠くに出かけた後などは、すっかり安心しきった寝顔を浮かべていたのを思い出す。私も今飛び乗ってみたわけだけど――確かに、愛の気持ちがわかる気がする。

「ねえ、私が今なんて考えているか――わかるかしら?」ううん……っと考えるようなそぶりを見せて「久しぶりに、舞のことをプロデュースしてみようかな」と彼は笑って言った。

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