僕にとって、彼女は忘れられない存在だ。僕と彼女は別に恋人関係では無く、ただの幼馴染だ。いや、正確には「だった」だ。
 小学校、中学校と同じだった僕らは、別々の高校に進学した。しかし、何かの縁なのかそれぞれの高校は近かった(僕は私立校、彼女は公立校だ)。だから、毎日同じ駅で待ち合わせし、共に登下校した。
 それが、僕にとってとても充足した日々だった。

 あの日が来るまでは。

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君の声を忘れない

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 夏、額を伝う汗を拭きながらも駅のホームへ向かう。今日は夏休み明け最初の登校日だった。

 特に授業も無いのに学校に集められ、そして炎天下の真昼に帰すなんて、何と酷な学校だろう。しかし生徒会長でも無い僕に、抗議する権限は無い。

 

 ホームへ続く階段を上りきると、目の前のベンチにいつもの人が座っていた。艶やかな黒髪を後ろで束ね、そして背筋を伸ばして本を読む姿は様になっている。

 僕はその人に話しかけた。

「やあ」

 その人は本から目を上げ、僕に話しかけた。そして曇りの無い笑顔を向ける。

「そろそろ来る頃だと思ってたよ、八坂君」

「相変わらずの読書家だね、三島さん」

 僕の名前は八坂 千裕(やさか ちひろ)、ごく普通の高校生だ。

 そして彼女は三島 由希子(みしま ゆきこ)、かなりの読書家だ。博識で、おそらく今後の人生ではあまり意味をなさないことまで知っている。彼女にそう言えば、三島さんに色々言われそうだが。

 三島さんは本を鞄に仕舞い、おもむろに立ち上がる。

「さて、そろそろ電車が来る頃だ」

 そう言うと、列車がホームに滑り込んできた。銀色のボディに青色のライン、いつも乗っている車両だ。

 

 この路線は夕方以外だとそれほど混むことはないし、ましてやお昼だとほとんど乗っていない。僕達は席に座り、列車が発車するのを待つ。

「にしても、今日は格段と暑いね」

「今日は連続6日目の真夏日らしいよ」

「地獄だね。全く、地球温暖化というのは恐ろしい」

 三島さんの口調は悟りきった老人みたいだ。しかし、話のネタがそこで尽きてしまった。なので、話題を変えてみる。

「そういえば、さっきは何読んでたの?」

 すると、三島さんは鞄から1冊のハードカバーを取り出し、それを僕に見せてくれた。表紙は黒く、真ん中には箱から顔を出す白猫のイラスト、上の方に金色の文字で「量子力学入門 ~そこに猫は存在したのか?~」と書かれていた。

「量子力学? 三島さん、文理選択は物理だっけ?」

「いや、私は文系だよ。でも、量子コンピューターというのに興味があってね」

「量子コンピューター? 何だっけ?」

「理論上、スーパーコンピューターの数百倍の計算力を持つ次世代コンピューターだよ。普通のコンピューターは、1つ1つの素子に流れる電流をオン・オフする事で計算するけど、量子コンピューターではそれを同時に行える。だから数百倍の計算能力を持てる。さすがにそれは無理だったらしいし、あくまでも『計算限定』だから、普通に使うには従来のコンピューターとつなぐ必要があるけど。ちょっと喋り過ぎたね」

「構わないよ。ところで、表紙の猫って一体?」

「『シュレディンガーの猫』って知ってるかい?」

「いいや、全く」

「そうか・・・・・・。シュレディンガーの猫というのは、例えばここに箱があるとしよう」

 そう言って、三島さんは手で四角形を空中に描いた。そして、僕は頭の中に箱を思い浮かべる。丁度段ボール箱が頭に浮かんだ。

 列車がトンネルに入り、騒音が大きくなる。

「そしてその箱には、蓋を閉じると一定の確率で毒ガスが発生する装置が付いているとしよう。そこに猫を入れる」

「え?」

 僕の頭の中に、猫が段ボール箱の中に入れられ、毒ガスで満たされる映像が流れる。そしてそれで猫が苦しみもがき・・・・・・駄目だ、止めよう。

「蓋を開ければ、猫が死んでるのか、生きてるのかが分かる訳だ。でも、開けていない間は、『猫が生きている世界』と『猫が死んでいる世界』が共存しているんだ。それがシュレディンガーの猫なのさ」

 と三島さんは簡潔に説明してくれた。しかし、まだピンとしない。

「まぁ、今の私達も同じ状態だよ」

「え? 何処が?」

「今、列車がトンネルの中を走っているよね? そして、このトンネルが何処へと繋がっているかは知っている。でも、本当にそれは合っているのか?」

 そう三島さんは問いかけ、僕の顔を覗きこむ。きっちりと開かれた三島さんの瞳は透き通った水色だ。一体彼女の血筋はどうなってるのだろう。しかし、一度も訊いたことは無い。

「合ってない、というのは?」

「いつもなら私達の下車駅に繋がっている。けど、もしかしたら全く違う世界に繋がっているかもしれないし、トンネルを抜けたら既に核戦争で世界が滅んでいるかもしれない。でもトンネルを抜けるまでは分からない、つまり今の私達もいくつかの可能性と共存している訳だ」

 そう三島さんは言い切った。

 そのタイミングで列車はトンネルを抜けた。そこにはいつもの街並みが窓の外に広がっている。

「見た所、私達はいつもの世界に出れたらしい。八坂君も本を読むべきだよ」

「フムン。機会があればそうするよ」

 

 やがて、列車はいつもの駅に到着した。

 

 

 

 2

 

 僕にとって、三島さんとはどんな存在なのだろうか。自問自答しても「幼馴染」という答えしか出てこない。僕の初恋の相手は別の人だし、今は誰にも恋してない。

 それでも、今のままでいいのかと思う事はある。結局何もしてないけど。

「それを恋って言うんだよ」

「そうなのか?」

「あのなぁ、恋っつーのは色々あるんだよ。相手と一緒に居続けたい、相手を独占したい、相手と子供を・・・・・・」

「飯の時間に言うんじゃない!」

 ここは僕の通う私立高校。まぁ、普通の男女共学校だ。ちょうど今は昼食の時間、僕達は教室で食べていた。

 さっきから恋について語っているのは井宮 海翔(いみや かいと)、最後に井宮を黙らせたのは櫛名田 姫代(くしなだ ひめよ)だ。二人は僕の友人で、井宮はかなり軽い奴、それに対し櫛名田はかなり手厳しい女史だ。

 井宮は、男子としては長い前髪を整えながら僕に言う。

「ま、一口に恋って色々あるんだよ。世の中そういうもんだし、好きな人が他の奴に取られても、それで幸せになるならいいってのも恋だ」

「出た、年上キラー」

 櫛名田がミニトマトを口に放り込みながら言う。

「別に俺は年上だけ狙ってるわけじゃねえ! 俺のストライクゾーンは13~43歳の間だ!」

「ああ、もしもし? ここに公然わいせつ犯が・・・・・・」

「やめろ! 何警察に電話してんだ!」

「嘘だって。そんなのマイケル=ジョーダンに決まってるでしょ」

「一体いつのジョークだ! あとこの前本気で警察と救急車を呼びやがったし!」

「え? だって、体育祭の打ち上げの帰りに、川原で『俺は人妻とJCが好きなんだー』って叫んでたじゃん? あの時はもう恥ずかしくて恥ずかしくて・・・・・・」

「そんなので白黒の乗用車と白いワゴン車を呼ぶんじゃない!」

「緑色の対放射能ブルドーザーの方が良かった?」

「何呼ぼうとしてたんだ!」

 何だかんだでこの二人は仲がいい。僕には、こんな仲の友人はこの二人以外、今はいない。三島さんとは、こんな馬鹿話なんてできない。彼女とこんな会話をしようものなら、こう言われるだろう。「八坂君、そんな話のどこがおもしろいの?」。いや、前は他にもいたんだ、三島さんと一緒にいて、色んな話をして、そして――。

 思い出したくない、あの人の事なんて。

 

 

 

 3

 

 そして、夏休み明け最初の授業日が終わり、僕は学校を出る。校門の前のバス停からバスに乗り、駅へと向かう。僕の通う私立校は駅から遠く、三島さんの通う公立校は駅のすぐ側だ。

 バスは駅前のロータリーに着き、僕はバスから降りる。そのまま改札を抜けて階段を昇ってホームへと出る。しかし、階段のすぐ近くにあるベンチには、いつもいるはずの三島さんの姿は無かった。辺りを見渡しても、ちらほらと人がいるだけで、三島さんらしき人影は無かった。先に帰ったのか、なら仕方ない、一人で帰ろう。

「やあ、八坂君」

 後ろから呼びかけられる。振り返ると、そこには三島さんがいた。

「三島さん」

「ちょっと学校で用事があってね。予想出来てたけど、まさか君の方が早いなんてね」

「これって三島さんにとって勝ち負けなの?」

「いんや、全く。ただ、何だか新鮮だなと思ってさ」

 そのタイミングで、ホームに列車が滑り込んでくる。そしてホームドアが開いた。三島さんは軽やかな足取りで列車に乗り込む。

「さぁ八坂君、帰ろうか」

 当然僕はそれに続いた。

 

 夕方だからか、列車の中は昨日よりも人が多かった。でも、僕達が座れる程の余裕はあった。

「でだ、八坂君」

「何? 三島さん」

「『変態ホルモン』というの知ってるか?」

 突然の話題に、僕はせき込む。いくら何でも初恋の人がテレマコス(ギリシア神話の英雄だ)で、まるで聖女のように異性との繋がりに興味を持たなかった三島さんの口から、こんな単語が出てきたら驚いてしまう。というより、そもそも公共の場で女性が口にしてはいけない言葉だと思うけど。

「三島さん、レディーとして言ってはいけないワードだよ・・・・・・」

「ふむ? そうなのか?」

 どうやら三島さんには、そんな思慮すら無かったようだ。本当に三島さんは物知りだけど、一般教養というものが欠落している。

「というより、君の口からレディーという言葉が出るとは」

「いや、冗談っぽく言ってみたんだ」

「まさか君が冗談を言うとは」

 そう言って三島さんは小さく笑う。あの人がいた頃と同じ笑い方だ。

「それで、変態ホルモンについてだが」

「え? ああ、そうだね」

「言ってしまえば、昆虫の幼虫が成虫になるために必要なホルモンさ。今日、生物の授業で出たんだが、やけに騒がしくてね、その理由が知りたかったんだ」

 そこまで考える必要は無いだろう。やっぱり三島さんは一般教養の他、常識も欠落している気がする。まあ、僕が言えた事ではないけど。

「三島さん、少なくとも公共の場での言葉遣いは覚えた方がいいよ」

「大丈夫、これでも『フ○○ク』は人前で言ってはいけないというのはわきまえているつもりだよ」

 もう言ってしまってるけど。本当、三島さんはどこか、というよりだいぶずれている。

「三島さん、今までどうやって生きてきたの?」

「君の知ってるとおりさ。本を読んで読んでの人生だよ」

 僕は何も言い返せない。

 

 しばらく無言だった。その間に、地元のターミナル駅に停まり、列車はぎゅうぎゅう詰めになる。

「そういえば、八坂君、乗車率って知ってる?」

「乗車率?」

 聞いた事はある。でも、具体的にそれが何なのかは知らない。ざっと列車の中を見渡すと、反対側が見えないほどの乗客で車内は満たされていた。そのほとんどが疲れ切ったサラリーマンだけど。

「じゃあ、八坂君。今の乗車率はいくつだと思う?」

 うーむ。難しいな。でも全ての乗客を数えるのは難しそうだが、かなり満員に近い状態だから。

「100%に近い?」

「残念。私も具体的な数は言えないけど、ざっと200は行ってると思うよ」

 200? 聞き間違いでなければ、それは計算間違いじゃないかと疑ってしまう。だって、パーセンテージは100を超える事は決して無いはずだ。

「呆気に取られてるようだね、八坂君」

「うん。だってパーセンテージって――」

「そう。本来は100を超える事は無い。でも、場合によっては超える事もあるんだよ」

 そう三島さんはほほ笑む。

「例えば乗車率。これは、座席に対する乗客の数の事。だから満員に近いバスや電車では100を優に超える。インドの電車では500%になる事もあるそうだよ」

 乗車率が500%、そんな数字になると想像が出来なくなる。いったい何をどうやったらそんな数になるんだろう。

「よい子は真似してはいけないけど、屋根に乗るんだよ。当然車内もぎっしりさ」

「何だかむさ苦しそうだな。それに、うっかり電線に触ったりしたら御陀仏じゃないか」

「インドだからね。それに、ニューヨークの地下鉄には時刻表が無いんだ」

「何と」

「ま、本を読めば世界のだいたいが分かるんだよ。細かく見ようと思えば、調べたり実際に見る必要があるけど、大ざっぱに見るには本が一番だ」

 三島さんはそう言う。確かにそうかもしれない。誹謗中傷や虚構で溢れるインターネットよりも確実だ。

 

 やがて、いつもの駅に列車が到着した。僕達は駅前の広すぎる広場で別れる。

「じゃあ、また明日、三島さん」

「うん、また明日」

 いくら小学校・中学校と一緒だったとはいえ、家があるのは全く違う方向だ。僕達は別れ、それぞれの家へと向かった。

 

 

 

 4

 

 翌朝、僕はいつも通りに駅へと向かった。そして自動改札を通り抜け、ホームへと階段を上る。いつも通り通勤するサラリーマンや色んな高校の生徒の姿がホームにあった。でも、三島さんの姿はそこには無かった。

 

 やがて、高校に着いた。朝のホームルームが始まる約20分前、いつも通りだ。

「おはよう。井宮、櫛名田」

「聞いてくれよぉ八坂ぁー!」

 教室に入るなり、井宮が泣き叫んでいた。

「どうしたんだよ、井宮」

「きょう、京子さんがあああ!」

 僕には全く分からない。京子さんって誰だ?

「ああああああ! 俺はただ貴方の事を想っていただけなんだああああ!」

 そう言って、井宮は床に倒れた。僕は櫛名田に訊く。

「一体何があったの?」

「振られたんだよ」

 櫛名田はうんざりそうに答える。

「振られた?」

「そう。それも人妻。そりゃそうだとしか言えないわ」

「そもそも人妻に恋する高校生って・・・・・・」

「同感。ま、フランスやロシアにはそういうテーマの小説はいっぱいあるけど」

「へえ。櫛名田も小説読むんだ」

「一応ね」

 井宮はまだ泣いてる。さすがにクラスメートたちは距離を取り始めた。

「俺はぁ! ただ京子さんの事を想ってぇ! 一生懸命! わぁぁぁぁ!」

 井宮が泣き叫ぶ。何だか聞いた事あるなと思ったら、数年前の某元県議員の謝罪会見に似ていた。

「こいつ、いつになったら止まるんだ?」

「都市公害だわー」

「振られたぐらいで普通ああなる?」

「門井、先生呼んできて」

「菊野、あいつを止めろ」

「やだよ、まだ死にたくない」

 クラスメートたちは思い思いに会話をする。

 

 

 

 その後、井宮は担任の先生によって執務室へと連行された。

「あいつ、思い余って自殺とかしないよな・・・・・・?」

 櫛名田が訊いてくる。

「さあ・・・・・・」

 

 その後、井宮がいないままで授業が開始された。

「この関数における漸近線の求め方は――」

 数学の授業だった。パズルが好きな僕にとっては苦ではないが、しかし耳に入ってこなかった。さっき櫛名田が言っていた「井宮が思い余って自殺するかも」という言葉が離れなかった。いや、あいつの身を案じている訳ではない。中学の時、同じ事があり、クラスメート、というよりは友人が屋上から身を投げた。

 あの時、学校にはたくさんのパトカーや救急車、そしてマスコミが駆け込んだ。どうしてマスコミは、人が死んでショック状態である人に、あんなに根掘り葉掘り訊くのだろう。当時はあれで、何人もの生徒が鬱になり、引き籠りになったのだ。僕は、それになりかけた。それを救ってくれたのが、三島さんだった。

「あんな連中、ハエだと思えばいいんだよ。気にしては負けだ」

 そう言って、僕を励ましてくれた。まるで、地獄へと垂らされた蜘蛛の糸のようだった。

 

 

 

「おーい、八坂ぁ。また上の空か。これで何度目だ?」

 気付けば、数学教師が僕の前に立っていた。本当に数学の先生かと思うほどの筋肉マッチョな先生だ。

「はい、すいません・・・・・・」

「その台詞は聞き飽きた。いい加減授業を聞け。でないと執務室へと島流しにするからな」

 最後のフレーズに、教室で笑いが起きる。

 

 放課後、帰宅部である僕は駅へと向かう。いつも通りの駅前、そして改札を抜け、ホームへと上がると、この時間帯でもそれなりに混んでいた。が、三島さんの姿は無かった。今日は休みだったのだろうか。

 仕方ないので、1人で帰ることにした。しかし、あの時の三島さんの悲しそうな顔が頭から離れない。そして、本当にただの休みなのか、そんな考えが僕の頭をよぎる。

 

 

 

 

 家の最寄り駅に着いた。電車を降り、改札を抜け、家の方へと歩く。

 すると、僕の側を1台の車が走り過ぎていった。一瞬だったが、その後部座席に三島さんが見えた。一体彼女に何があったのだろうか。

 

 

 

 5

 

 そして、三島さんとはもう2カ月も会っていない中、彼女の家族から手紙が届いた。それは、葬式のお知らせだった。僕はとても信じられなかった。

 

 三島さんは死んだ。それも病気でだった。2か月も会わなかったのは、それが理由だったのか。

 何も考えられない頭で出席した葬式が終わった頃、三島さんの母親から何かを渡された。それは白い封筒で、表には「私が死んだら八坂君に渡せ」と書かれていた。それは、間違いなく三島さんの字だった。

 家に帰り、そっと封筒を開く。中から便箋が出てきた。

[八坂君へ

 

 これが読まれているという事は、私はもうこの世にいないのだろう。突然の事ですまない。

 実は、私は中学を卒業する頃に重い病気を患った。病名を書いても、八坂君にはたぶん分からないだろう。とにかく、アメリカに渡って治療しないと助からないという病気だ。それも助かる確率は2割だという。そんなので私は八坂君と別れたくなかった。君には酷な決断だが、私は八坂君と話せて楽しかった。

 この手紙を読み、君はどう思うだろうか。この手紙を破り捨て、私を身勝手だと罵るだろうか。私もつくづくそう思う。けど、川北さんのように唐突に終わらせたくなかったんだ。

 最後に会った日、本当は伝えたかった言葉があったんだ。でも、私の羞恥心がそれを邪魔した。それに、伝えた所ですぐに別れる運命だったんだから、余計に八坂君を苦しめるだけだと思ったから伝えられなかった。

 

 言葉では伝えにくいが、文字だと素直に伝えられる気がする。

 

 私は、八坂君に恋をしていた。

 

 それだけを伝えたくて、この手紙を書いたんだ。君の心を酷く傷付けただろう。読み終わったら破り捨てても構わない。

 

  さようなら

 

       三島 由希子]

 

 僕はこの手紙を読み、ただ茫然としていた。一体僕は何なのだろう、あんな常識の欠片も無い彼女でも恋をしていたというのに、僕はそれに気付かないなんて――

 

 

 

 中学の時もそうだった。

「全く、あなたの会話にはついていけないよ・・・・・・」

「三島ちゃん、そんなんじゃ皆に馬鹿にされるよ?」

「周りの目を気にしていくような生き方をして、何のためになる? そんなのうわべだけじゃないか」

「けど、得は多いよ」

僕と三島さんと一緒に喋っていた川北 美穂、彼女はいつも明るく、笑っていた。死ぬ30分前でもだ。彼女は親の虐待を受け続けていて、あの日の前日には親が家を出ていってしまった。彼女は一晩中親の帰りを待ち続け、帰ってこないのが分かると、普通そうに登校し、普通そうに話し、普通そうに笑い、昼休みになると5階建ての校舎の屋上から身を投げた。

 当然即死だった。僕達は誰一人、彼女が抱えていた闇に気付かないまま、彼女は死んだのだ。

 僕達の学校では、8人もの生徒が鬱や引き籠りになり、僕もそれになりかけた。かろうじて学校に通っているものの、思考回路は止まっているような状態だった。

「まるで、ゾンビだな」

 三島さんは、僕を見るなりそう言った。そして彼女はこう言った。

「人が死んだ、それも親しかった友人がだ。落ち込むのも分かるよ、でも君はまだ生きている。どうして死んだように思考停止してるんだ?」

 三島さんは言い切った。僕にとっては、それは救いの言葉だったのかもしれない。

 しかし、その三島さんまでもが亡くなってしまった。

 もう2回目だと言うのに、どうして僕は気付かなかったのだろう。僕は、僕が嫌になる。

 

 

 

 6

 

「一々深く考え過ぎ。そして反省を全く生かしてない。だからそうなるの」

「・・・・・・、反省するよ」

「ほらそう言って。反省するのはいいけど、それを心の奥底に仕舞ったら意味無いでしょ?」

 彼女は僕の顔を覗きこんでくる。その大きな黒い瞳は、僕の心を見透かしているようだった。

「まず相手の仕草や言動は事細かくチェックする。そしてそれが不自然ならば、何故不自然なのか原因を探る。それが出来ないと」

 そう言って彼女は僕の胸を小突く。

「また同じ過ちを繰り返すよ」

「本当、詳しいんだね」

「そりゃそうよ。大学じゃ人間心理学専攻してたし、今も臨床心理士として働いてるし」

 彼女は僕の前をゆっくりと歩く。もう僕も彼女も25になった。僕は国土交通省で働き、彼女は臨床心理士として生活している。

「あーあ、折角八坂姓になったというのに、旦那のガールフレンドの墓参りとは」

「・・・・・・、すまない」

「すぐに謝らない。でないと反論できない恐妻家になっちゃうよ? それに、私はただあなたといればいいし」

 そう言い、彼女は川北さんのように笑う。彼女の旧姓は櫛名田だったが、つい2年前に僕と同じ八坂姓になった。つまり結婚した。

 今、彼女のお腹には新しい命が宿っている。もう6カ月だ。

 

 今日は11月8日、12年前に川北さんが、8年前に三島さんが死んだ。だから僕達は仕事を休んで墓参りに来ている。

 途中で三島さんの家族とすれ違い、挨拶をする。そしてある寺にやってきた。住職の案内で、墓地の中を進む。もう何度も来ていて道を覚えてしまったが、やはり住職がいた方が心強い。

 5分程度で辿りつく。住職は2つの墓に手を合わせ、念仏を唱える。そこには「川北家之墓」と「三島家之墓」が並んでいた。川北さんは、両親と連絡が取れなかったために祖父母の墓へと埋葬された。

 

 僕達は両方の墓に花を供え、線香を焚き、手を合わせる。

「全く、八坂君は奥さんがいるというのに律儀だな。ま、私にとっては嬉しいけどね」

「本当、八坂っちは変わってるよ。あたしが言えた事じゃないけど」

 僕は、声が聞こえた気がして振り返る。しかし、誰もいなかった。姫代が「どうしたの?」と訊いてくる。

「いや、何でも無い。帰ろうか」

「うん。ここまで歩いたからお腹ぺっこぺこ。焼き肉屋寄らない?」

「こんな昼間に? それに、お腹の子に悪いと思うよ?」

「へーきへーき。お医者さんもちょっとぐらいならいいって言ってたし」

 身重になっても変わる事の無い彼女の食欲に苦笑しつつ、墓地を後にする。

 

「さよなら」

 

 最後にこの言葉を残して。

 

 やっぱり、僕には彼女の声を忘れる事は出来ない。

 




 これは私が文化祭で出品した作品です。文化祭終わったので、投稿しました。

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