ファンファン、という緊急時のサイレン音が止まり、パトカーから二人の警官が降りてきた。
「通報では明かりが点いていたとあったが、…暗いな」
「ああ、それに静かだしな」
クロヴィスランドの正門から、中の様子を窺いながら警官達は口々にそう言った。
ここに彼等が来たのは通報があったからだ。
営業時間の終わったクロヴィスランドに明かりが点いて、何やら争う声がすると。
それだけなら、イタズラか何かだと無視するところだったが、さらには、銃声らしきものも聞こえたとあっては無視することも出来ず、彼等はこうしてここにやって来たのだった。
「どうする? やっぱガセっぽいが一応、中見てくか?」
「ま、せっかくここまで来たしな。どうせなら、噂のミラーハウス見ていこうぜ」
「夜中に男二人でか? ホラーにしかなんねぇよ」
軽口を叩き合いながら、二人が正門をくぐろうとした時だった。近くの茂みからガサリ、と音がした。
「誰だ!?」
浮わついた雰囲気を一瞬で霧散し、二人は銃とライトを構えながら鋭い声を飛ばした。
「ああ…、お疲れ様です」
束の間の静寂の後、現れたのは男だった。
人好きのする笑顔と、優しげな声。そして、見るからにブリタニア人と分かる人相に、警官達は警戒を解いて銃を下ろした。
「学生か? こんな時間にこんな場所でどうした?」
「いえ、友人宅からの帰りだったのですが、ここから何やら争う声がしたのを聞いて、気になってしまって……」
「とすると、君が通報してくれた市民かな?」
警官の問いに男は答えない。ただ、柔和な笑顔を浮かべるだけだった。
その沈黙を勝手に肯定と受け取り、警官が口を開く。
「そうか、ご苦労だったな。だが、もう夜も遅い。後は我々で調べておくから、君は帰りたまえ。家が遠いようなら送ろう」
「ありがとうございます。では、一つお願いしてもよろしいでしょうか?」
「ん? 何だ?」
警官達が男の顔を覗き込む。その二人の瞳に男の瞳が緋と輝いた。
「
男の声が静かに闇に溶ける。その言葉に、しばらく警官達は黙り込んでいたが、少しするとゆっくりと頷いた。
「……了解だ。ここに異常はなかった」
「ああ、戻ってそう報告しよう」
「ありがとうございます」
礼を言う男をその場に残し、警官達はパトカーに乗り込むと来た道を戻っていった。
「………………」
パトカーの明かりが完全に消えたのを確認すると、男は振り返り、夜の闇に浮かぶクロヴィスランドに視線を向けた。
先程までの騒がしさは完全に消えて、クロヴィスランドは夜の静寂に包まれている。
どうやら、中での戦いは収束を迎えたようだった。
ならば、もうここで男がすべきことはない。
早々に家路につき、後から帰ってくるだろう少女を待つだけだ。
だが……、
「―――――」
男は身を翻えさず、そのまま正門をくぐると、そのまま、園内の奥に消えていった。
夜も更けた深夜のクロヴィスランド。
ここに三人目の来場者が現れた。
一時忘れ去られていた呼吸が思い出され、必死に酸素を求め始める。
千々に乱れた呼吸を整えようとしながら、C.C.は未だ引き金に掛けたままの指を外そうとして、―失敗する。
完全に動きを忘れた指を、もう片方の手を使って解こうとするも、そちらも同じような状況らしく上手くいかない。どうにかこうにか、四苦八苦した挙げ句、ようやくC.C.の指が銃から離れた。
カシャン、とC.C.の手から滑り落ちた銃が音を立てた。
しかし、そちらを見向きもせず、C.C.はフラフラと今しがた自らの手で命を奪った存在の元へ近付いていく。
残り数歩というところまで近付くとそこで立ち止まり、C.C.は色の読めない瞳をマオに向けた。
そうして、実感が沸き上がる。自分がした行為の、家族のように思っていた存在の命を、二度もその手で奪ったのだという実感が。
「っ!」
思いきり唇を噛んで、込み上げてきた感情を押し殺す。
その胸に生まれた感情を発露させることをC.C.は自身に許さなかった。
悲しむことも、嘆くことも、――まして、涙することも許さない。
これが自分が選んだ道だと。自らの意思で選び取った結末だと、何度も自分に言い聞かせる。
呼吸の度に震えそうになる唇を押さえ込み、涙しそうになる瞳を瞬かせ、C.C.はその胸の内の感情が溶けて消えるのを待った。
「はぁ………」
照明の落ちた暗い天井を仰ぎ見ながら、C.C.は肺に溜まった空気を大きく吐き出した。
精神が落ち着きを取り戻し、思考力が戻ってくる。
いつもの冷静さが戻ってきたC.C.は、これからどうするか、と考え始めた。
(少しやり過ぎてしまったかな)
仕方がなかったとはいえ、やり過ぎてしまった感は否めない。クロヴィスランドの主電源を壊し、ミラーハウスもボロボロだ。どう考えても、自分の処理能力を越えていた。
(仕方ない)
困ったときの共犯者頼り。
C.C.はルルーシュに連絡を取り、協力を仰ぐことに決めた。
もっとも、事が結構大きくなってしまったのでルルーシュをしても、もみ消しには相応の労力が必要になってくるだろう。
ネチネチと小言を言われる覚悟はしておかないとな、と思いながらC.C.は携帯を取り出そうと自身の身体をまさぐり始めた。
見つからない携帯に何処にしまったか、とC.C.の意識が完全に他所に向いた、――時だった。
「ヒャアアァァァ!!」
凶器がC.C.の身体を薙いだ。
肉を斬られる感覚と、抉られる感覚を同時に感じながらC.C.の身体は床に転がった。
「しぃつぅ、……しぃぃぃつぅぅぅぅぅ!!」
暗闇にゆらり、と立ち上がる姿がある。
濁り、焦点の合わない瞳が、しかし、確実にC.C.を捉えていた。
「マ、オ……」
どうして、と思った。C.C.が放った弾丸は確実にマオの心臓を撃ち抜いていたはずだからだ。
疑問に思うC.C.だったが、ゆらゆらと揺れるマオの身体から落ちた機械の残骸にその答えを知る。
それはレコーダーだった。マオがC.C.の声を録りためていたレコーダー。
つまりはそういうことだった。マオに放たれた銃弾は心臓を貫く前にそれに当たってしまったのだ。
「アハアハ! やっぱり僕のC.C.だ! やっぱりC.C.は僕を愛しているんだぁぁぁぁ!」
肺を痛めたのか。可笑しな呼吸音をさせながら、マオがチェーンソーを振り下ろす。
ゴロゴロと床を転がり、凶撃を避ける。そのまま、転がった勢いを使って身体を起こした。
激しい痛みに意識が飛びそうになるのを堪え、C.C.は小部屋の外へ駆け出していった。
「ゴホッ!」
上手く出来ない呼吸の代わりに込み上げてきた血を吐き出す。
ミラーハウスの三階の片隅に隠れ、C.C.は傷の具合を確認した。
傷はかなり深かった。腹部は真っ二つに切り裂かれ、ドクドクと濃い色の血を流し続けている。左腕に至っては未だ腕がついているのが不思議と言える有り様だった。
感覚で分かる。かなり、危険な状態だった。このままではコードが傷を塞ぐより早く出血で意識を失ってしまうだろう。
どうにかしなければならない。だが、状況はC.C.に考える時間を与えてはくれなかった。
「C.C.ぅぅぅぅぅ!!」
ガシャン、と背にしていた鏡が割れる。振り返ろうとしたC.C.の背中に熱い、と錯覚する程に鋭い痛みが線を引くように走った。
ズキズキと痛み出す傷に耐え、距離を取ろうとするC.C.だったが、幾分もしない内に今度は右足に走った痛みに倒れこんでしまった。
倒れこみ、二転三転する視界に銃を構えたマオの姿が見えた。それはC.C.の銃だった。小部屋に置き去りにしてきた銃をマオが拾ったのだ。
視界の中で銃口が光った。今度は左足に痛みが生まれた。
もはや、満身創痍だった。
立ち上がることはおろか、出血と痛みにろくに身体を動かすことも出来なくなり、C.C.はついにその身をマオの前に投げ出してしまう。
「C.C.ぅ~、ああ、これでやっと一緒に行けるねぇ……」
ぜひゅー、ぜひゅー、と息を吐きながらマオが動けなくなったC.C.の側へ寄っていく。
「僕ね…、オーストラリアに家を買ったんだ。とてもキレイで周りに誰もいない素敵なところ。これから、一緒に行こうね? そして、ずっとずぅぅぅっとC.C.は僕といるんだ」
意識がぼやけ、視界も掠れてきたC.C.の耳にマオの妄執が貼り付いた。
「ね? 一緒に行こう?」
唸りを上げる凶器を携えて、マオが無邪気にそう言った。
その姿を瞳を閉じることでC.C.は断ち切った。そして、かろうじて動く右手で懐をまさぐる。
「そ、うだな。……一緒に、行こう」
ポツリ、と漏れた呟きを、しかし、マオは聞き逃さなかった。
満面の笑みを浮かべて、C.C.に詰め寄ろうとする。
「C.C.! ああ、僕のC.C.にもどってくれたんだね!?」
嬉しそうに喝采を上げるマオだったが、C.C.にはもう聞こえていなかった。
ただ、残った意識を右手にのみ集中する。
ごそごそと何かを探すC.C.。そのC.C.の指先にようやく目的の物が触れた。
「ただし……」
沈みゆく意識には、もう自分の口が言葉を紡いでいるのか分からない。それでも、C.C.は口を動かしながら、懐から取り出した物を掲げた。
「地獄の入口までだ」
カチリ、とスイッチを押し込む。
次の瞬間。
二人の身体は宙に投げ出されていた。
初めに爆音。次いで轟音が周囲に轟く。
それはC.C.の最後の手段だった。
本当に追い込まれ、打つ手の無くなった時の奥の手。
ミラーハウスを爆破し、自分ごとマオを倒壊に巻き込むという方法だった。
断続的に倒壊音が響く。やがてそれは少しずつ消えていき、しばらくすると再び静寂に包まれた。
しかし、その破壊音の中心地となったミラーハウスはというと、かつての面影を忘れ、見るも無残な姿に成り果てていた。
曇り一つなかった無数の鏡は悉く割れて砕け散り、きらびやかな城を思わせていた外見は、攻め滅ぼされ落城したかの如き哀愁を漂わせている。
そして、その瓦礫の山にC.C.の姿が見えた。
幸運か、それとも悪運か。
最上階の三階にいたためなのか、瓦礫の下敷きにならずに済んだのだ。
全身に酷い怪我を負っているが、息は止まっていない。弱々しいがその胸が小さく上下していた。
だが、彼女が無事だというのなら、彼女の近くにいた男もまた無事な可能性が高いということになる。
「く、……あ、……がはっ!」
果たして、それは現実のものとなる。
身体に覆い被さった瓦礫を避けて、マオがその姿を現した。
こちらも無事とは言えない姿だった。割れた鏡に全身を裂かれ、頭からも血を流している。建築に使われたであろう大きめのネジが肩に突き刺さり、片足もあらぬ方向に曲がっていた。
だが、その意識だけはハッキリとしていた。
血が入り、見えづらい視界にC.C.をおさめ、ヒョコヒョコと歩いていく。
「C.C.、……C.C.」
もう、彼の口からはそれしか言葉が出てこなかった。
無事な片手がC.C.に向かって伸ばされる。
自分を守ってくれる、自分を理解してくれる、自分を愛してくれる、自分だけのC.C.。
あの日、突然無くなってしまった温もりが、もうすぐ、また、自分のものになる。そんな幸福感にマオは酔いしれた。
だが、その願いが叶うことは永遠に来なかった。
「…………あ?」
いつから居たのか。いつ、現れたのか。
気付けば一つの影が、魔女の傍らに寄り添うように立っていた。
影が動く。音を感じさせない静かな動作で少女を抱き上げた。
「…まったく、詰めが甘すぎる。こういうのはただ爆破すればいいってものではない。爆発させる支柱や爆破のタイミングをきちんと計算しないと狙った効果を出すことなど出来ないのに、適当にやりすぎだ」
皮肉混じりに小言を言うのとは裏腹に、少女を抱く腕はとても優しい。血で汚れるのも厭わず、少女の肩口を抱き、胸元に顔を寄せさせるその仕草に少女への深い愛情を感じさせられた。
それは少女も同じで。
抱き上げられた瞬間から、まるで痛みを忘れたかのようにその顔が穏やかに、まるでうたた寝をしているかのように安らかなものになっていった。
そして、そんな光景を見せられれば不愉快に感じる人間が一人。
「お前ぇぇぇ! 触るな! 僕のC.C.に勝手に触るなぁぁぁ!!」
怒号が撒き散らされる。一人の少女の妄執に支配されていた思考に怒りが混じった。
影は答えない。そもそもマオを見ていない。その意識は腕に抱いた少女の安否にのみ注がれていた。
それがますますマオの怒りを煽る。
「ふざけるなよ、このガキ! お前みたいな頭でっかち、始末するのなんて、たや、……すい………?」
そこで気付く。
静かだった。何も感じない。いつもなら、耳を塞いでも嫌が応にも入ってくる声が今は何も聞こえなかった。
「え? ……え?」
「どうした?」
マオを見た。正面に向き直るために一歩踏み出した足に反応して、マオが後ろに下がろうとして、――折れた足でバランスを崩して尻餅をついてしまった。
何かがいる。目の前に何かが。
「何を怖れる必要がある?」
得体の知れない存在が語りかけてくる。いつの間にかマオの身体は小刻みに震えていた。
夜の闇を羽織り立つその存在に、マオは恐怖を覚えた。
「それはお前が魔女に求めたものだろう?」
逃げないと不味い。――だが、どうやって?
殺さないと不味い。――だが、どうやって?
本能が鳴らす警鐘に従って、マオは目の前の存在の排除ないし、逃亡を図ろうと考える。だが、動けない。どう動いたらいいのか、分からないのだ。
「コイツが向き合ったのだから、今更俺がお前に何か言う必要はないだろう」
カチカチ、と歯が鳴る。意味もなく首を横に何度も振る
何を思っているのか分からない。何を考えているのか分からない。何をしようとしているのか分からない。
何も、――分からない。
「だが、……そうだな。一つだけ言っておこう」
それが。
「C.C.は俺のものだ」
とてつもなく、――怖かった。
「誰にも渡さない」
――――比翼の緋鳥が闇に羽ばたいた。
ゆっくりと開かれた瞳に見慣れた天井が映る。
億劫に思いながら、首を動かして視線を彷徨わせれば、自分のすぐ隣、ベッドに腰掛けた共犯者の姿が目に入った。
「ル―――」
「寝てろ」
名前を呼びながら、起き上がろうとするC.C.だったが、その言葉に動きを止められた。
傷はコードによって回復したが、失った体力まで戻るわけではない。さらには、今回は精神的にも色々と消耗させられる場面が多かったC.C.の身体は、本人が思っている以上に休息を欲していた。
「マオ、は……?」
ともすれば、すぐにでも眠りに落ちそうになる意識を繋ぎ止めて、C.C.は掠れた声でルルーシュに問いかけた。
「死んではいない」
だが、もう二度と会うことはないだろう、というその言葉にC.C.は目を閉じた。
最終的にどうなったのかは分からない。だが、ルルーシュの言葉を信じるなら、概ね自分が望んだ通りになったということなのだろう。
ふう、と。安堵とも、溜め息ともつかない長い息を一つ吐いてからC.C.は再びルルーシュの方に視線を向けた。
いつもと変わらない姿だった。
だが、いつもと違う気配だ。
いつも感じる、どこか線を引かれているような気配とは違う気配。
ああ、私はこれを知っている、とC.C.は思った。
とてもよく知っている――…
当たり前だ。だって、ずっと共にあったのだ。
一緒に歩んで、寄り添ってきたのだ。
胸が苦しくなる。吐息も熱くて堪らない。
泣き出しそうになる気持ちのままに、C.C.は彼の名前を呼ぼうとした。
……でも、それより早くルルーシュの掌がC.C.の視界を閉ざしてしまった。
「るる、…しゅ?」
「眠れ。今は夢の中だ。起きたときにはいつも通りになっている」
だから、眠れ。そう、ルルーシュが囁いた。
じんわりとした温もりがC.C.に溶けていく。
その慣れ親しんだ体温にC.C.は微睡みに落ちそうになるが、愚図る子供のようにそれに抵抗する。
「今が、夢なら……、少しくらい、望み通りなことがあっても、いいだろう………?」
「………望みは何だ?」
「決まっているだろう…?」
思うことなら沢山ある。願うことも沢山ある。
でも、口にして望むことは一つだけだった。
「ピザ」
瞬間、ルルーシュの気配が呆れたものに変わった。
呆れたような、ではない。完全に呆れたものに。
「まったく、お前の頭にはそれしかないのか?」
「当たり前だ。他に何があるというんだ?」
「……俺はそろそろ、本気でお前の食生活を正すことを考えなければならないようだな」
「いや、待て。他にもチーズ君のこととかも、私は考えているな」
「どっちもピザだろうが」
「おい待て。それはピザにもチーズ君にも失礼だぞ。大体、お前は――」
軽やかな会話が続いていく。
それは、C.C.が睡魔に負けて再び眠りにつくまでの間、ずっと続いていた。
まもなく夜が明ける。
ほんの一時だった。
騒がしかった夜が明けるまでの、ほんの少しの夢現な語らい。
だけど、それが。それこそが。
魔女が自らの意志で勝ち取った『明日』だった。
C.C.がルルーシュの十八番の足場崩しをするっていうのは、C.C.で書きたいことの一つでした。相方とかの技を借りるって展開、割と好きです。
マオはこれで退場です。生きてますが、もう出てきません。どうなったか書こうかとも思いましたが、長くなりそうなのでカットしました。
次の話ですが、一気に学園祭のものとなります。そして、そのまま特区へ、という流れです。
――――――そろそろ、かな?