コードギアス ~遠き旅路の物語~   作:アチャコチャ

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 踏み込んだ瞬間、世界が変わったのを感じた。

 比喩ではない。文字通り、世界そのものの変容。

 俗世は遠くに押しやられ、理は別のモノに置き換わり、時間すら、その意味を失う。

 そこは、静寂を越え、静謐を通り越し、唯々、寂寥にも似た神秘のみが横たわる終末の世界。

 神に最も近く、そして、神を殺せる剣の鞘。

 

 黄昏の間。

 

 この場所を知る者達からは、此処はそう呼ばれていた。

 

「ふふ………」

 選ばれし者のみが入れる神秘の世界観を肌で感じ、V.V.は優越に満ちた笑みを溢した。

 此処には何もない。そして、何も意味を為さない。

 煩わしいしがらみも、下らない欲望の淀みも、嘘が蔓延した世界の腐臭も。

 この身にこびりついた穢らわしさが、瞬く間に洗い流されていくようで、とても清々しい気分になる。

 いずれ、この世界が全てとなるだろう。

 嘘も争いも、その一切が押し流され、世界は新たに生まれ変わり、人はその先で永遠の安寧を得る。

 誰もが救われる、非の打ち所なんてない完全なる人類の救済。

 それを成せるのは自分達だけなのだという、使命感と優越感に酔いしれながら、V.V.は黄昏の間の長い階段の先に人影を見つけると、上機嫌に声を掛けた。

「やあ、シャルル。来ていたのかい?」

 その声に人影が、ゆっくりと振り返る。

 僅かな所作であっても漂う貫禄。此方を見つめる瞳には老いによる衰えなど微塵も感じさせない。

 その佇まいは、大きな体躯と相俟って、まるで古い巨木のよう。

 しかれど、V.V.にとっては、幾つになっても可愛く、愛すべき弟。

 ブリタニア皇帝、シャルル・ジ・ブリタニアは幼い兄の姿を確認すると大きく頷いた。

「兄さんこそ、最近はいつも此処にいるようですが」

「そうかな? ……うん、そうだね。多分、シャルルと同じじゃないかな。年甲斐もなくワクワクしているんだと思う」

 そう言いながら、シャルルの隣に立ち、彼と同じものを見上げるV.V.の瞳は言う通り、少年の輝きだった。

「随分かかってしまったけど、後少しでアーカーシャの剣が完成するんだと思うと、ね」

 しかし、その視線の先にあるものは、決してそんな瞳で見上げるようなものではなかった。

 世界の枠組みを壊し、人の在り方を根本から変えてしまう神殺しの剣、アーカーシャ。

 道を間違え、狂気に堕ち、歪んでしまった理想の集大成。

 その完成に長い年月を費やしてきたが故に、V.V.もシャルルも逸る気持ちを抑えられず、何度も此処に足を運んでしまっていた。

「後はC.C.のコードが手に入りさえすれば、ラグナレクの接続を始める事が出来るけど………」

 そこで、一度言葉を切る。そして、視線はそのままにV.V.はシャルルに向けて口を開いた。

「そっちは上手くいってるのかな?」

 その問い掛けに、シャルルは無言で首を横に振る。

「そう。……でも、C.C.は変わらずルルーシュの側にいるみたいだし、居場所が分かっているのなら、やりようはいくらでも――」

「――兄さんは」

 無邪気に語るV.V.の幼い声を遮るように、老練な声が静かに響いた。

「兄さんは、何かご存知ないですか?」

「何か……?」

 その質問の意味するところが分からず、V.V.は小首を傾げながら、シャルルの方へ向き直る。

「あの日、致命傷を負ったゼロが、その直ぐ後に戦いを仕掛けてこれた事。何故、生きていたのか。何故、助かったのか。それの意味するところ、つまり―――」

「―――ないよ」

 感情の絶えた無味な声が、今度はシャルルの声を遮った。

「君が考えているような事はないよ、シャルル。コードを持っているのは、今もC.C.だ。そう、僕のコードが告げている」

「では、あやつが生きておるのは、単に運が良かっただけでコードは一切関係ないと?」

「そうじゃないかな? 何にせよ、僕達に必要なのはコードで、持っているのはC.C.だ。他は関係ないよ」

 その言葉に、シャルルもV.V.の方へ向き直った。

 厳しい顔付きで、その発言が本当かどうか問い質すかのように強い視線をV.V.に向ける。だが、そんな視線を向けられてもV.V.は動じない。うすら笑いを浮かべて、シャルルの視線を受け流していく。

 そのまま、無言で向き合い続ける二人。

 身動ぎすらしない二人の代わりに、伸びた影法師が光の加減でゆらりと揺れた。

「………分かりました」

 睨み合いにも似たその時間は、シャルルのその一言で終わりを告げた。

 そして、それ以上口を開く事はせず、シャルルはV.V.に背を向けると黄昏の間の長い階段をゆっくりと降り始めた。

 暫し、その背中を笑顔で見送っていたV.V.だったが、シャルルの姿が遠ざかると表情を一変させた。

「そうさ、関係ない」

 呟きが零れる。

 それは短い呟きだったが、冷たく暗く、そして、ドロリとした感情が含まれた呟きだった。

 

 そう、関係ない。必要ない。

 

 必要なのはコードが一つだけ。それをC.C.が持っている。

 それを手に入れれば、それで良いのだ。

 だから、関係ないのだ。新しくコードが生まれた事実なんて。

 それを誰が持っていようが、自分達には関係ない、必要もない。

 だから、シャルルが知る必要もないのだ。

「シャルルが気付いてないようで安心したよ。……今なら、知らないままにしておける」

 自分達に必要ないのだから、存在しても意味はない。むしろ、邪魔だ。

 もう、これ以上余計な横やりはいらない。

 自分達の間に、誰かが割って入る事など許しはしない。

 二人だけで良い。自分とシャルルだけで良いのだ。

 だから―――…

「早めに手を打つ事にしようか。……万が一にも弟に変な虫が付かないように」

 その言葉に含まれた殺意とは裏腹に、とても楽しそうにV.V.はそう宣言した。

 

 

 明かりの落ちた廊下を、シャルルは護衛も付けずに歩いていた。

 世界を相手に宣戦布告をした大国の王にしては不用心だが、この場所は皇帝と極一部の人間しか知り得ない上に、ブリタニアという国の中心も中心。

 そんな場所まで暗殺に来れる気骨のある人間のいる国があるのなら、ブリタニアは最近まで不敗を誇ったりしていない。

 そして、付け加えるなら。

「どうだった?」

 護衛は付けずとも、剣が側にない訳ではなかった。

 ピタリ、とシャルルの足が止まる。

 ともすれば、風の音と勘違いしそうな程、軽やかな声だったが、シャルルは聞き逃しはしなかった。

 前を向いたまま、声が聞こえてきた暗がりに答えを返す。

「―――嘘を吐いた」

「あら、また? しょうがないわねぇ」

 コロコロと楽しそうな笑い声が暗がりから響いてくる。

 邪気の欠片も感じない笑い方は、まだ幼さを残す声質も加わり、無邪気過ぎて、逆に人間味を欠いているように感じられた。

「でも、これでハッキリしたわね。()()()()()()()()()()()()()()()

 V.V.はシャルルが気付いていないと思ったようだが、勿論、そんな訳がなかった。

 とうの昔に、V.V.はシャルルの信用を失っている。

 故に、V.V.の側近にはシャルルの息の掛かった人間が複数人、紛れ込んでおり、全ての情報は皇帝に筒抜けの状態にあった。

「どうやってコードを獲得したのかは分からないけど、……ふふっ、流石は私の息子ね。こんなにも親孝行に育ってくれるなんて」

 楽しそうに喋る人物が、暗がりの中で弾むように動いた。どうやら、くるくると踊っているらしい。

「あの子が来てくれれば、もうC.C.も用済み。……ううん、ルルーシュに入れ込んでいるみたいだから、ひょっとしたら一緒に来てくれるかもしれないわね。そうしたら、V.V.こそ用済みかしら?」

 決定事項を告げているかのように、自信に満ちた一言。

 しかし、そこに含まれるのは信頼ではなく、良く躾られた動物か手に馴染んだ道具に向けるそれに近かった。

「それで? あの子の迎えはどうなったのかしら?」

「幾度か機情を差し向けた。だが、その全てが消息を絶った」

 シャルルの答えに暗がりから、あら、と驚いたような声が聞こえてきた。

「皇帝直属の機密情報局を、此方に何の情報も漏らさせずに片付けるなんて、やるじゃない」

 機密情報局は、数ある諜報部隊の中でも選りすぐりの精鋭である。

 その特色から風通しが悪く、味方を内偵する事もあるので周りから煙たがられる事が多いが、その腕は確かで彼等が本気で自分達の正体を隠し、潜伏しようものならブリタニア軍ですら、見付け出すのは困難を極める。

 その彼等全てが外に一切の情報を持ち出す事も出来ずに処理されたとなれば、驚くのも無理はない。

 果たして、どのような手段を用いたのか。

 余程、鉄壁なセキュリティシステムがあるのか。その道に精通した手駒があるのか。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「あの子は貴方を誤解しているから仕方ないとしても、機情でも手が出せないなら裏工作は難しいわね。……う~ん、私が直接会いに行ければ、それで片は付くんだけど、()()()も忙しいみたいだし……。そういえば、最近、大分慌ただしいのだけど、知ってた?」

「俗事は、シュナイゼルに任せておる」

 知る必要もない、とばかりに一切の興味も示さず、シャルルは疑問を切り捨てる。

「所詮はラグナレクの接続が成されれば、全て解決する小事。ラウンズの扱いもビスマルクに任せておる。その程度の事ならば、それで十分よ」

「それもそうね。それに、騒ぎが続いた方が私達にとっては都合が良いか」

 何しろ、この騒ぎの中心にいるのは、当のルルーシュだ。

 つまり、この騒ぎが続けば、いずれ放っておいてもルルーシュの方から自分達に会いに来てくれるという事になる。

「いいわ。コードを持っている上にC.C.が側にいるなら、滅多な事にはならないでしょうし、今は息子の頑張る姿を見ながら、のんびりと待つことにしましょう」

 もう、未来は約束されたようなものなのだし。

 クスクス、という笑い声が響く。

 それが少しずつ小さくなるのと共に暗がりの中の気配も徐々に小さくなっていく。

「でも―――」

 それが完全に消えてなくなる直前。

 思い出したとでも言うかのように、再び暗がりから声がした。

 

 

「私からの呼び掛けにも応えないで、C.C.ってば何を考えているのかしら?」

 

 

 もう、何時だって死ぬことが出来る(願いを叶えられる)のに―――――?

 

 

 

 

「ん……………」

 ふと。

 誰かに呼ばれたような気がして、C.C.はうっすらと目を開いた。

 ぼんやりとしたまま身体を起こし、辺りを見渡すも周囲は静かなまま。少なくとも、眠りを妨げるような何かは存在しない。

「………………」

 気のせいか、と思いながら、窓の方に視線を向ければ、カーテン越しに見える外の明るさはまだ不十分で、その事からまだ夜明け前であると知れる。

 つまり、遅起きのC.C.が起きるには、余りに早すぎる時間だった。

「………まったく、人が良い気持ちで眠っていたというのに……………」

 ぶつくさ言いながら、再び横になり毛布を被り直す。

 眠りを邪魔された苛立たしさから、グイッと毛布を強引に引き寄せながら、寝返りを打つ。

 すると、ぽすん、と。

 不意打ちのような感覚に、眠気にとらわれていたC.C.は一瞬それを忘れ、ぱちくりと目を瞬かせた。

「………ふふ」

 それが隣で眠る男の背中だと気付き、C.C.はふわりと笑った。

 随分と身体に慣れてしまった温もり。

 少し前までは、近い将来、失われると思っていた背中の感触。

 でも、今はそんな心配はなくて。

 少なくとも、これがある限り、魔女は一人の夜に怯えなくても良い。凍える夜に終わりのない生に涙する事もない。

 

 だから、今のC.C.には死を願う理由なんてなくて……。

 

 ふぁ、と魔女の口から小さな欠伸が溢れる。

 遠い空の下で、かつての友人が今の自分の行動に疑問を感じているなどと露にも思っていないC.C.は、先程までの不機嫌さなど忘れた上機嫌さで、共犯者の魔王の背中にぐりぐりと頭を押し付けながら、ゆっくりと微睡みに落ちていった。

 

 そして。

 

 C.C.が、再度の眠りに落ちてから数秒後。

 おもむろに背中にピッタリと貼り付いてきた共犯者の魔女の寝息を聞きながら、はあ、とルルーシュは呆れたように溜め息を吐いて呟いた。

 

「……寒いのなら、もっと厚着をしろ」

 

 

 

 

 ――――――……

 

 

 そんな、一部の者達が、緩やかな時間を過ごす一方で。

 

 世界は、確実に、そして大きく変わり始めていた。

 

 一つ、例を上げよう。

 例えば、ナンバーズと呼ばれる存在。

 彼等は、一言で言ってしまえば、奴隷だ。

 それは、名誉ブリタニア人であっても変わらない。

 苛酷な状況、劣悪な環境、最低な条件の中で、ひたすらに行使され、使い潰され、棄てられていく。

 だというのに、使い潰す側は何も痛まない。

 端金で働かせても、誰にも文句は言われない。

 壊れても壊れても、直ぐに補充出来る消耗品。

 何より、どんな扱いをしても良心は欠片も痛まない。

 雇用する側にとっては、とても都合の良い労働力だった。

 そう。

 労働力なのだ、彼等は。

 そして、有名、大手の企業程、彼等を労働力として多く行使していた。

 軍需産業を筆頭に、各産業、各企業。

 ブリタニアのエリア政策が進むにつれ、年々、その傾向は強くなり、今日においてナンバーズという存在はブリタニアにとっては欠かす事の出来ない、重要な人的資源となっていた。

 だからこそ、今、彼等は困っていた。

 生きていく為に、ブリタニアに使われていたナンバーズ。

 どんな扱いを受けても、文句も言わずに働き続けてきたナンバーズが。

 ある日を境に、一人として働きに来なくなったのだから…………。

 

 ―――とある矯正エリア。レジスタンス支援組織が用意した仮設住宅。

 カチャ、と扉が開く音を聞いて、幼い子供をあやしていた女性がパタパタと玄関まで小走りで駆けていく。

 そこに、以前よりも顔の血色が良くなった夫の姿を見つけて、ホッ、と肩から力を抜いた。

「お帰りなさい」

「ああ、……ただいま」

 柔らかく微笑む最愛の妻に微笑み返し、男性は懐から薄い封筒を取り出した。

「今月の支給金を貰ってきた」

 大して多くはない、一粒種の子供と三人、何とかやっていける程度のお金だが、それでも、それを受け取った女性は嬉しそうに涙を浮かべ、封筒を胸に抱える。

 その姿に、男は自分の選択が間違っていなかったと確信した。

 

 自らの国が、エリアと呼ばれるようになった日。

 男は、家族を養う為に名誉ブリタニア人となる事を選んだ。

 周囲から裏切り者と呼ばれても気にしない。

 ナンバーズのままでは自分一人が食っていく事すら儘ならない。

 家族を生かす為には仕方ないのだと割り切り、男はブリタニアに服従する道を選んだ。

 勿論、だからといって、劇的に変わるという訳ではない。職にあぶれる心配が、いくらかマシになる程度だった。

 だが、そのいくらかで家族が生きていけるのだから、構わなかった。

 エリアになるまででは考えられない最低な賃金の職の中なら少しでもマシなものを探し、日々、食い繋いでいく為に働き続けてた。

 いや、それは働くなんて言い方で表せるものではなかった。

 ――戦いだった。

 僅かにでもミスをすれば殺される。僅かにでも遅れようものなら殺される。少しでも反抗的な態度が見られれば殺される。だからといって、何の反応も示さなければ、つまらないと殺される。

 機嫌が悪い、そういう気分、つまるところ、目に付けば殺される。

 顔馴染みなんて出来た試しがなかった。同じ顔ぶれで仕事をする日なんて一日とて存在しない。

 そんな地獄の中で生をもぎ取り続ける事を戦いと言わずに、何と言おう。

 そして、そうやって、毎月、地獄を切り抜けても手に入るのは一般ブリタニア人が数日働いた程度の額。

 それでも難癖をつけて、そこから額を更に減らされたりせず、毎月、給金が支払われるだけ、まだマシだと言えた。

 だから、男は地獄と分かっていても、そこから抜け出せなかった。

 此処で働けなくなったら、もう職にありつけないかもしれない。次の職場が、これ以上の地獄でないなんて保証はない。

 毎日のように、妻が泣く姿を見るのは中々に堪えたが、それでも自分も働くからと言う言葉に頷く事は出来なかった。

 分かっていたから。ナンバーズである妻を働きに出させてしまえば、最後。二度と会えないという確信があった。

 そうして一人、命を磨り減らすように働き続けた。

 国の事なんて考えられない。他人は元より、自分の命すら二の次に。

 ひたすら、家族を生かす為に。愛する者達を守る為に戦い続けた。

 だからこそ。

 何があってもしがみついてきたからこそ、それを手離すような選択をするのは、並大抵の覚悟ではなかった。

 事の始まりは、一月程前。

 レジスタンスを支援する組織を通して告げられた、この国の元国家元首の言葉を聞いた。

 彼は言った。

 ()()()()()()。だから、これから始まる戦いに協力してくれと。

 その言葉を聞いて、男は覚悟を決めた。次の日から、彼はブリタニアの下に働きには行かなくなった。

 いや、男だけではない。

 今、このエリアでブリタニア関連の仕事に働きに出ているナンバーズは一人としていない。

 このエリアだけではない。隣のエリアも、その隣のエリアも。

 エリアの枠を越えて、ブリタニアの傲慢に言葉と態度で訴えかける。

 超大規模ストライキ。

 それが、武器を取らなかった者達の、武器を取らないなりの戦いだった。

 

 思い切った事をしたものだと男は思う。

 自分も、――他人も。誰も彼もが。

 そもそも、ナンバーズのストライキなど上手くいく筈はないのだ。

 すげ替えれば、それで終わりな上に、雇用側が音を上げるより先に、彼等の方が参ってしまうからだ。

 今回、それが上手く機能しているのは規模が大規模であることと、彼等を支援する組織がいるというのが大きい。

 そう。収入の無くなった男を含めたストライキ中のナンバーズが何とか生活出来ているのは、毎月、今回の活動に協力してくれているレジスタンス支援組織から援助金が支給されているからだ。

 大した額ではない。働いていた時と変わらない額だ。それでも、妻を泣かせる事がなくなったと思えば、天と地ほどの差はあるが。

 しかし、それでも長く続けば、洒落にならない額になるだろう。

 いくら、国を奪還後、政府が負担分を支払うと約束しているとはいえ、果たされなければ、文字通り無駄金に終わる。

 それは、男達もそう。失敗すれば、もう生きていく事は出来ないだろう。

 それでも、皆が今回の戦いに参加するのを選んだのは、きっと。

 誰もが皆、こんな馬鹿みたいな、思い切った行動に出る覚悟を決められたのは、きっと…………。

「あなた、今日は、もう家に居られるのですか?」

 物思いに耽っていた男は、妻の声に我に返った。

「いや、今日は同僚連中とデモ隊に参加するつもりだ。……名ばかりのストライキでは、金を出してくれている連中に悪いからな」

 例え、僅かでも変えられるものなら変えてやろう。

 そう意気込む夫に、妻は心配そうにしながらも、健気に微笑んだ。

「いってらっしゃい。……どうか、無理だけはしないで」

「分かっている。程々で帰ってくるよ。……それに、そんなに心配しなくても大丈夫さ。何てったって、俺達には――――」

 

 ―――奇跡が付いているんだから。

 

 

 そうして、武器を持たぬ者達が戦い続ける一方で。

 当然、武器を持つ者達も戦い続けていた。

 

 領土拡大を行うブリタニアの最前線というべき戦場に、程近いエリア。

 その首都近郊に、大きな兵器工廠の施設群があった。

 数年に渡り続く激戦区を支援するという名目上の、そこに派遣される皇族や大貴族のご機嫌取りの為に、総督が無駄に金を費やして完成させた、軍需施設の都市と言っても良いくらいの大規模な施設群。

 その効果の程はというと、下心から生まれた案の割に絶大で、本国から遠く離れた戦地であるが故に滞りやすかった兵站の補給を十分以上に賄い、潤沢な物資に支えられ、ブリタニア軍は、数年に渡る戦いに後少しで決着を付けられるというところまで迫れるようになっていた。

 それ故に、この場所を狙う輩も多かった。

 このエリアのレジスタンス、戦場でブリタニアと敵対している国の別動隊。

 様々な勢力が、これを落とそうとした。

 しかし、その悉くは失敗に終わる。

 金に物を言わせた最新設備、最新のナイトメア。

 夜ですら、昼のように明るく、エリア政庁よりも鉄壁と思われる防衛網。

 自らの地位と栄誉を守らんとする野心は、これに挑まんとする全ての勢力を叩き落とした。

 誰がしても、何をしても、落とす事が出来ない。

 その不落・不夜の堅城を前に為す術を持たず、多くの者達が自分達の無力さを叩きつけられていた。

 だが、人のやる事に絶対はない。

 人の造り出した物に完璧はない。

 例えば、この工廠群の守備隊長。

 最前線を支える後方の最重要施設の防衛責任者という肩書きではあるが、やはりというべきか、彼も実力でその地位をもぎ取ったという訳ではない。

 このエリアに着任してきたばかりの総督に上手く取り入り、この地位を得たのだ。

 この経歴を見れば、もう分かるだろう。例に漏れず、全うな軍人ではないと。

 事実、彼は金を好み、称賛に飢え、酒と女、そして、何より勝てもしないのにギャンブルがとても好きだった。

 そんな彼が、人生に一度、有るか無いかというくらいの大勝ちをしたのが、五日前。

 そして、この数日、浮かれ気分だった彼が、その気持ちのままに、ちょっとした気紛れを起こしながら、再びカジノに赴こうとしたのが、今日だった。

 彼は、本当に良い気分に浸っていた。好きなギャンブルで大勝ちをして、その場にいた者達から限りない称賛を得たのだから、当たり前といえた。

 だから、彼は気紛れを起こした。

 いつもは、部下に仕事を押し付けて、一人カジノに向かう彼が、今日ばかりは部下達も連れていってやろうと。

 取り巻きの分隊長達、補佐官、それに自分が目を掛けている者達にも良い思いをさせてやろうじゃないか。

 そして、再び自分が大勝ちする姿を見せて、思いっきり称賛されようではないか。

 そんな浅ましい事を、彼は考えた。

 

 だがしかし、それが何だと言うのだろう。

 確かに、これは、チャンスではある。

 隊長勢を始め、上役は全員出払う事になる為、緊急時の対応は混乱を極めるだろう。

 上が仕事を放棄した事で、下の者達も緩み、監視やセキュリティのチェックも杜撰になるだろう。

 しかし、これは、一個人の気紛れから起こった偶然の産物である。

 スケジュールや習慣から読み取れるようなものではない。

 偶々、ギャンブルで大勝ちし、ふと、カジノに行こうと思い立ち、金に意地汚い男が、気分から金を散財してでも部下達を連れていこうと思い立っただけ。

 機会として活用するには、不確定要素が多く、突拍子も無さすぎる。

 まして、この地に集う僅かな反抗勢力だけで、難攻不落の軍事拠点を落とすとなれば、尚更。

 それでも、この機会を活かせるとすれば、それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 つまり………。

 

 工廠施設群の中央司令室の前に横付けされていた数台の黒塗りの高級車がゆっくりと走り出す。

 乗っているのは、この拠点の守備隊隊長と中隊長数名、その他諸々。

 これから繰り出す夜に思いを馳せ、喧しいくらいに騒ぐ彼等を乗せた車が、夜道の向こうに消えるのを、近くの森の中から、そっと覗く人の影があった。

「本当だ。……本当に全員いなくなった」

 ぽつり、と呟いたのは、この地に集うレジスタンスグループの中では最大の勢力を誇り、今作戦の纏め役に選ばれたリーダーだった。

「お、おい、早くやろうぜ。今がチャンスなんだろ?」

 隣で同じ光景を見ていた、違うグループのリーダーで今作戦の補佐を務める男が、興奮から震える声を隠さずに話し掛ける。

 それに、本当に起こった絶好の機会の訪れに呆然としていたリーダーは我に返ると、いや、と首を振った。

「ゼロから送られてきた作戦の概要には、突入時刻は今から127分後……、出ていった奴等が酒を浴びるように飲んで、完全に出来上がってからだ」

 手元にある作戦概要が書かれた資料に目を通しながら、リーダーの男が内容に従って指示を出す。

「だが、それまでにやらなければならない事は沢山ある。監視システムへの介入。警報装置の解除、各種防衛機構の機能停止。……大変だが、ここに書かれている通りにやれば大丈夫だ」

 ゼロから送られてきたその指示書には、必要な事は全て書かれていた。

 作戦の手順だけではない。

 拠点内部の正確なマップデータにセンサー、トラップの配置と数。

 セキュリティシステムへのアクセスコード。

 監視カメラの切り替え速度。警備兵の巡回経路、要所通過時刻。

 警備に使われているナイトメアの数に機種、更には暗証番号まで。

 もはや、敵以上に敵を知り尽くしているその内容に、戦慄すら覚えてしまう。

「俺……、ブリタニアにかける情けなんて持ち合わせちゃいないと思ってたけど、これ見た時は、思わずアイツ等に同情しちまったぜ」

「ああ。でも、同時に確信した。俺達の信じた奇跡は、嘘でも幻でもない。……日本の復活は起こるべくして起こったんだってな」

 そう言って、リーダーの男は通信機を取り出し、近くに潜伏している仲間と今作戦の協力者達に語りかけた。

「皆、聞いてくれ。ゼロの予見した通り、千載一遇のチャンスが巡ってきた。これより、俺達は、この巨大軍事施設群の破壊を行う」

 通信機の向こうからは、目立った返答はない。

 小さな息の音や、溜め息にも似た掠れた声だけ。

 緊張は伝わってくる。だが、同時に伝わってくるのは、覚悟よりも迷いの方が強かった。

 ゼロに対してとか、作戦の内容についてとかではない。

 彼等の迷いは、自信の無さ故のものだった。

 この地でブリタニアに抗う者は、この場所の堅牢さをよく知っている。

 何度も挑み、何度も破れ、仲間を失い、無力感に締め付けられながら、遠巻きに明かりの消えない、この野心と欲望の象徴を眺めなかった者等、一人としていない。

 だから、迷ってしまう。本当に勝てるのかと自分達を疑ってしまう。

 それは、リーダーの男もよく分かっていた。

 嫌と言うほど、分かっていた。

 それでも、彼は皆を鼓舞するように口を開いた。

「皆の気持ちは、よく分かる。俺も自分の無能さから仲間を沢山失った」

 もう十分と言う程に思い知った。

 正直、折れかけていた。抗う気持ちは尽き掛けていた。

 それでも、彼は此処に立っていた。

 何故なら――…

「でも、ブリタニアは不敗なんかじゃない。敗けを知らない絶対の存在じゃない。もう、俺達はそれを知ってる筈だ」

 鍍金は、既に剥がされている。

 ブリタニアに敵わないなんていうのは、それこそ幻想。

 彼等も敗ける。彼等も膝を折る。

 それを、教えて貰った。

 全滅寸前の状況を覆し、首都を取り戻して国を復活させた奇跡の一夜が、教えてくれた。

「だから、俺達もきっとやれる。大丈夫。俺達にも味方がいる。奇跡っていう大きな希望が」

 それに率いられた小さな島国の一組織は、国を取り戻すという偉業を成し遂げた。

 なら、自分達もとリーダーは己を奮い立たせる。

「俺達も続くぞ。俺達も自分達の手で自分達の国を取り戻すんだ。だから、迷わずに戦おう。そして―――」

 

 ――――勝とう。

 

 その日。

 このエリアの首都近郊で大きな爆発と、無数の炎が狂い咲いた。

 場所は言わずもがな、である。

 権力者が巨額を費やして育てた金のなる木は、その炎に巻かれて、燃え落ち、ブリタニアの最前線は重要な兵站補給線を喪失。

 それに支えられていた戦線は、更に後方の混乱によって勢いを落とし、そして、その隙を突いた敵の勢力に一気に巻き返された事で、遂には後退を余儀無くされるのだった……。

 

 

 神聖ブリタニア帝国が数多く抱える戦線の一つ。

 ブリタニアをして、激戦区と言っても過言ではない最前線の一つに派遣されたジノ・ヴァインベルグは、その前線基地の食堂で遅めの昼食を取っている同僚の姿を見かけて声を掛けた。

「エルンスト卿? 今日は随分と遅い昼食みたいですね」

 食後のコーヒーを飲みながら、手に持った資料に目を通していたドロテアは、その声にちらりと視線を上げた。

「ヴァインベルグか。そういう貴公も今からのようだが?」

「ええ。先日の戦闘で少しばかり機体に無茶をさせてしまいましてね。さっきまで修理に付き合ってたんですよ」

「程々にしておけよ。我等ラウンズには、今のナイトメアは脆すぎる。きちんと加減をして扱わなければ、あっという間に自機でスクラップの山が出来るぞ」

「いやぁ、一応、分かってはいるんですけどね。例の第七世代の実用化の目処が立てば、こんな苦労もしなくてすむようになるんでしょうけど。……こちら、座っても?」

 ああ、と答えるドロテアに、では失礼して、と返してジノは彼女の前の席に腰を下ろした。

「――と、私の理由はそんな訳ですが、エルンスト卿の方はどうして?」

「ん? ああ、そうだな。貴公の耳には早めに入れておいた方が良いか」

 そう言って、手に持っていた資料を置くと、改めてドロテアはジノに向き直る。

「今朝方、ヴァルトシュタイン卿から辞令が下った。私は近日中にここを離れ、エリア平定に赴く事になる」

「え? ……って、エルンスト卿もですか?」

 驚きから、食べようと口にパンを持っていった体勢のまま、口を開けて固まるジノ。

「私も、とはどういう事だ?」

「ああ、いや、……実は昨夜、アーニャ、――アールストレイム卿とプライベートで通信をする機会がありまして。彼女、本来なら此処に追加の援軍として派遣される予定らしかったんですけど、急遽予定が変わったとかで、エリア平定の任に就くことになったと」

 それを聞いたドロテアの顔色が僅かに変わる。

「初耳だな。最前線からラウンズを二人も、エリア平定に回すということか?」

 虎の子のラウンズが二人も、本来ならエリア総督だけで治めるべき、エリアの平定に回されるのだ。本来なら、大袈裟な措置と眉をひそめるべき采配と言える。

「前線にばっかり居るので、あまり情報は入ってこないですけど、今、各エリアは異常なくらい、反ブリタニアに染まっているそうですよ?」

「例のゼロの影響か……。ふん、弱者は直ぐに夢やら希望やらに尻尾を振りたがる」

 くいっ、とコーヒーを最後まで飲み干しながら、憮然とした表情でドロテアは深く息を吐き出す。

「あんまり、乗り気じゃなさそうですね」

 その様子に、サラダを口に掻き込んでいたジノは苦笑する。

「当たり前だ。私はラウンズだぞ。ラウンズとは皇帝陛下の威光を世に知らしめる剣であり、陛下の道を切り開く為に振るわれる存在なのだ。間違っても、雑魚の血を吸う為に存在しているのではない」

 命令でなければ誰がやるかとばかりに、渋面の顔にはありありと不満が表れていた。

「私は、結構楽しそうだと思いますけどね。エリアの戦場というのも。時折、面白い奴にも出会えるみたいですし。ほら、エリア11で暴れまわったっていう、グ、……グレ? グリン―――」

「グレンニシキだな。コーネリア殿下を追い詰めたという話だが、どこまで本当なのか」

「そう、それ。聞けば、例のランスロットのパイロットもイレブンらしいですし。いやぁ、面白そうだな、エリア11。行きたくなってきましたよ」

「………はあ。まったく、貴公らしいというか………」

 遠くの地にいるだろう強敵を思い浮かべ、うずうずと興奮しているジノに、一瞬、ドロテアは呆けたような表情をすると毒気を抜かれたように、やれやれと首を振る。

 それでも少しは気が紛れたのか。食事が済み、立ち上ろうとするドロテアの顔は先程よりも険が取れていた。

「………要らぬ忠告だと思うが、一応気を付けろ。此処は、本来ならラウンズを三人投入して片付けるはずだった戦場。まだ見ぬ強敵に現を抜かして、遅れを取るような真似だけはしてくれるなよ」

「分かっていますよ。私とて、ラウンズの端くれ。その名に懸けて、戦場に敗北は刻みません」

 なら、良い、と告げて、その場を後にするドロテアの背中を微笑しながら、手を振って見送ると、再びジノは食事に戻る。

 戦場にありながら、一流レストランのランチ並の食事を豪快に、しかし、どこか品を感じさせる姿勢で食べ進めていくジノ。

 その頭にあったのは、目の前の食事の事でも、この戦場の先行きでもなく、ドロテアの言う、まだ見ぬ強敵の事だった。

 ブリタニアの外で造られた異色のナイトメア。

 現在、最高峰とも言える第七世代相当の機体で、それを操るパイロットの腕前も一級品だという。

「どんな奴なんだか。……ひょっとしたら、女の子だったりするかもな」

 有り得ない話ではない。

 ラウンズを始め、将軍、総督、筆頭騎士。

 ブリタニアで頭角を現している女性の数を数えれば、全くないとは言い切れない。

「……何か、考えてたら、本気で気になってきた。此処が片付いたらエリア11への異動を申請してみようかな」

 そう呟いたジノの顔は、先程までとは打って変わり、ブリタニア最強の剣に相応しい自信に満ち溢れたものだった。

 

 

 ―――しかし。

 結論から言ってしまうと、ジノのその願いが叶う事は無かった。

 これより、この戦場はジノの予想を越える勢いでブリタニアに不利な方向に激化し、ラウンズの彼を以てしても戦線を維持するだけで手一杯な状況に陥ってしまうからだ。

 

 そして、それはジノだけではなかった。

 最強の騎士の称号を持つナイト・オブ・ラウンズは、狙ったようにブリタニアの広い戦場に散り散りとなり、時が経つにつれ、満足に動く事が出来なくなっていくのだった。

 

 まるで、そこから動く事は許さないと言うかのように。

 

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 長くなったんで、切ります。

 どっかの悪い皇帝サマの悪巧み劇場は、まだまだ続きます。

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