明かりの落ちた大きめのホールに、恰幅の良すぎる男達が集まっていた。
指に幾つも嵌められた指輪は、そのどれもが宝石や細工の施された一流のものであるにも関わらず、品のない輝きを放っており、着ている服もとても見事な造りをしているが、肥えた肉から滴った脂と汗が染み込んで、とても着たいと思える代物ではなくなっていた。
その姿は、幸福という名の水を吸いすぎて腐った花か。権威という名の餌で肥えた家畜か。
そんな言い回しが似合う彼等こそが、ブリタニアに蔓延する、貴族という存在だった。
「まったく、何故、私がこんな目に……」
「ナンバーズごときが、私を誰だと思っている……!」
「そもそも、軍の連中が不甲斐ないから」
「所詮、皇族とはいえ、女に任せたのが全ての間違いだろう」
口を開けば、不満。不満。不満。
金と権力に恵まれ、生まれた時から、思い通りにならなかった事がなかった貴族達に、堪え性なんてものは存在しない。
ほんの少し、自由を締め付けられただけで、狂ったように不平不満をぶちまけ、誰彼かまわず、悪意を撒き散らかしていた。
「それにしても、何時までこんな所に待たせておくつもりだ」
「全くだ。無理矢理、我等を此処に連れてきたのはあの男だというのに……」
不満の矛先が変わる。相手は、自分達を呼びつけた人物。
自分達に、貴族にあるまじき生活を強いているその元凶とも言える男。
何時まで経っても姿を現さないその男に、貴族達は落ち着きなく動き回ったり、カタカタと貧乏揺すりをしていた。
「ふん、なんだかんだ言っても、所詮はナンバーズの頭でしかないと言う事よ。我等の不安を煽り、少しでも有利な条件を引き出そうという浅知恵が透けて見えるわ……!」
底の浅い人間は浅い考えしか出来ない。
自分達を呼びつけたのは、自分達の持つ富や権威が目当てに違いない、と貴族達は勝手に思い込んでいた。
「ふむ、成程。しかし、ならば、話は簡単だと言うもの。貧しく、卑しい連中が相手なら、少しばかり金を積んでやれば、直ぐにでも我等を解放するでしょうよ」
人とは、富と権力に従属するものである。
誰であろうと、その魅力に逆らえる筈もない。
それが、彼等の価値観だった。
実際、お金欲しさに誇りも尊厳も捨て去る人間は存在する。
金をちらつかせれば、四つん這いになって犬の鳴き真似をする人間がいた。
札束を落とせば、虫のように這いつくばって群がる人間がいた。
ゲットーのビルの天辺から、気紛れに金をばら蒔いた時などは、普段は支え合っている隣人を殴り飛ばして金を奪おうとする人間が沢山いた。
そんな姿を見て、彼等はよく笑ったものだった。
だから、これから来るであろう男も同じだと彼等は考えていた。
どれだけ綺麗事を口にしようと、一皮剥けば他の人間と同じ。
富と権力に目が眩み、それを得る為に直ぐにでも自分達を解放するだろう。
それこそが、人間の性だと彼等は信じていた。
「ふふ、皆さんには申し訳ないですが、先ずは私から解放させて貰うとしましょう。私には本国だけでなく、このエリア11にも蓄えがありますからね。今すぐに、目の前で札束の山を作ってやれば、一も二もなく頷くでしょう」
「ほお? しかし、私もサクラダイトの採掘権を持っておりましてね。相手がテロリストなら、サクラダイトは喉から手が出る程欲しいはず」
「ははぁ、皆さん、良い物をお持ちで。ですが、私も屋敷にナンバーズの女を数多く揃えていましてね。各エリアから選りすぐった様々な肌の女の味……。男なら、一度は味わってみたいと思うでしょう」
自慢するように自らを語る貴族達には、もう恐れも怯えも見られない。
しかし、それも当然と言えば当然である。
これから来る終わりを理解し、震え、恐怖しながら、出荷されるのを待つ家畜なんて居る筈もない。
そうして、遂にその時が訪れる。
下らない話を囀ずる彼等の耳に、カツン、と固い靴の音が響いてきた。
ようやく、来たか。
そう思いながら、貴族達は元から突き出た腹を更に突き出すように椅子の上にふんぞり返り、男が現れるのを待った。
カツン、カツン、カツン―――――。
聞こえる足音は一つ。他に音は聞こえない。気配もない。
ゆっくりと。
一定の調子で響く靴の音が、ホールに反響して、尾を引くように伸び、暗闇の中で、まるで不吉が忍び寄るかのような印象を帯びて、貴族達の耳に叩き込まれていく。
例えるなら、そう。
処刑台に至る階段のような………。
ぶるり、と知らず、誰かの身体が震えた。肘掛けに添えられた手のひらが汗で濡れている。
本能が危険を察知し、身体が警鐘を鳴らすが、煩悩に飼い慣らされた貴族達は気付かない。
気付かないまま、―――終わりを迎え入れた。
暗闇を固めたように、ぼんやりと人の輪郭が彼等の前に浮かび上がった。
それを見つけた瞬間、早速とでも言うかのように貴族の一人が口を開いた。
「おお、来たか! ああ、余計な事は言わなくても良いぞ。何が欲しい? 金か? 権利か? 女か? 何でも用意してやる。だから、とっとと――――」
そこまで言い掛けて、――――言葉が途切れる。
言葉に詰まった訳ではない。単純に理解したのだ。
暗闇に慣れた夜目が、闇に映える白い肌と暗闇を更に濃く染める黒髪と、その合間から僅かに覗いた瞳を見た瞬間に、此処にいる全員が悟った。理解してしまった。
悲しいかな、自らを肥え太らせる為に他者に取り入らんと磨いてきた欲望の目が、彼等に理解させてしまった。
―――コレは、
その認識は正しい。
悪魔とは取引きを持ち掛ける側であって、持ち掛けられる側ではない。
瞬間、身体が凍りついた。
コレが自分達を解放してくれるような生易しい存在ではなく、今、自分達がいるこの場所が断頭台の上だと今更ながらに気付き、這い寄ってきた恐怖に身体の自由と言葉を奪い去られた。
心が叫ぶ。このままでは不味い、と。
しかし、彼等にはもうどうする事も出来ない。目の前の存在は彼等の常識の埒外であり、故に彼等が誇ってきたものが通用する相手ではなかった。
コレに金は価値を持たない。コレに権力は意味を成さない。コレに涙は水でしかなく、命乞いは風よりも軽やかに過ぎ去っていくものでしかない。
理解させられる。悟らされる。分からされる。
相手は、闇の中に僅かにその姿を浮かべているだけ。
だというのに、それだけで無数に銃を突き付けられるよりも遥かに鮮明に、これから辿る命運を頭の中に刻み込まされた。
身体が震える。歯が噛み合わずにガチガチと打ち鳴り、知らず涙が溢れてきた。
ひぐ、と息を吐くのに失敗して蛙が潰れたような声がホールに漏れた。
異臭が立ち上る。誰かの股が湿り気を帯びた。
抜けた腰に気づかず、立ち上がろうとして椅子から転げ落ちた。
だけど、汗は冷えきったように一滴も流れない。全身を支配した恐怖が、身体から熱を奪っていた。
すっ、と男の右手が上がる。
静かに、ゆっくりと、目元まで上がっていく。
死神の鎌のように持ち上がっていくその手を見ながら、その場にいた貴族達は打ち寄せる圧倒的な恐怖からか、最後にらしくもない事を考えた。
――ああ、報いを受ける時が来たのか、と。
「コーネリア」
ポン、と肩を叩かれるような気安さで名前を呼ばれた。
場所は首都ペンドラゴン。多くの貴族と皇族が登城するコーネリアにとっては、実家と言っても間違いではない皇宮の一角。
あまり気持ちが良いとは言えない、粘ついた感情が込められた発言ばかりが耳に纏わりつくのが常の皇宮で、その声はとてもさっぱりとしており、コーネリアは反射的に後ろを振り返っていた。
「ノネット、……先輩!?」
「はいよ、お久しぶり」
ひらひらと手を振りながら、親しみのある笑顔を浮かべて立っていたのは、コーネリアの学生時代の先輩。
ナイト・オブ・ラウンズの第九席、ノネット・エニアグラム、その人だった。
「どうよ、驚いてくれたか?」
「ええ、まあ。……相変わらず唐突に現れますね、先輩は」
ふふん、と笑うノネットに困ったように微笑むコーネリア。
片や、皇族。片や、帝国最強騎士の一人。
共に軍属とはいえ、世界中が戦場と言っても良い昨今では、彼女達程に責任のある立場になると顔を合わせようと思っても中々合わせられるものではない。
だというのに、この型破りな先輩は、そんな事は自分には関係ないとばかりに毎回、ふらっ、と現れては、散々にコーネリアを振り回していくのだ。
やれ、開発中の最新鋭機と戦わせろ。
やれ、面白い敵がいるそうだから、私も戦場に出せ。
酒が飲みたいから付き合え、トレーニングに行くぞ、遊びに行こう等々……。
規律も立場も常識も無視して、コーネリアを引っ張り回すその無茶振りに、頭を抱えたのは一度や二度ではない。
それでも憎めないのは、彼女の人徳か。それとも、コーネリアの好意の表れか。
「―――――」
そんな先輩の所行を思い返しながら、ちらり、と隣のギルフォードに視線を移す。
すると、主君の考えを察したのか、ギルフォードは二人に頭を下げると、会話が聞こえない距離まで離れていった。
「帝国の先槍……、うん、やっぱり良い騎士だねぇ」
しっかりと主の意図を汲み取る騎士の模範のようなギルフォードの姿は、あまり騎士らしからぬ振る舞いが目立つノネットをして、感嘆させられるものだったらしい。
離れていくその後ろ姿を見ながら、うんうん、と何度も感心したように頷いていた。
「そうですね、少し融通が利かな過ぎるのが玉に瑕ですが……」
「そりゃあ、あれだろ? 普段は厳格でしっかりとしているけど、戦場に出ると先陣を切って一人で敵に突っ込んでいく破天荒な主のせいだろ?」
「…………その台詞、先輩にだけは言われたくないんですが」
「お? 言うねぇ」
皮肉を利かせても、少しも悪びれない。相変わらず過ぎるノネットの態度に、コーネリアは小さく肩を落とした。
「……良かったよ、思ったより元気そうだな」
「先輩?」
そんなコーネリアの様子を、飄々とした態度ながら注視していたノネットの、ぽつり、とした呟きに、コーネリアは意味が分からない、といったように相手の顔を見返した。
「ちょっとばかし、心配だったからね。自棄になってるんじゃないかってさ」
「あ………」
余計なお世話かもしれないがな、と苦笑しながら肩を竦めるノネットにコーネリアは彼女がペンドラゴンに居る理由を知る。
そもそもの話、何故、エリア11の総督であるコーネリアがブリタニア本国に居るのか。
答えは簡単。彼女は、もう総督ではないからだ。
あの夜から、暫く。今までにない敗戦に、浮き足立ったエリア駐留軍を纏めつつ、各地の混乱に対処していたコーネリアの下に、本国から総督の解任と転属命令が届いたのは記憶に新しい。
現在、各エリア並びに各戦線は激化の一途を辿り、混乱著しい。
対して、エリア11は当初の混乱から立ち直りつつあり、トウキョウ租界を占拠したテロリストも静観の構えを見せ、現状、戦局は膠着状態にあると判断し、有能な人材を遊ばせておくわけにはいかず、つきましては―――……、等と色々取り繕った文面やら言葉やらが命令書や通信で踊っていたが、コーネリアはその言葉の裏にある上層部の真意をしっかりと見抜いていた。
つまるところ、彼等はこう言っているのだ。
『コーネリアでは手に負えない』
「不服か? やっぱり」
その事を思い出し、憮然とした表情を見せたコーネリアにノネットが問い掛ける。
「遺憾ではあります。しかし、今の私は敗残の将。異議を唱える資格はありません」
屈辱ではある。怒りも覚えた。
お前では勝てないから、部下の仇を取る機会も雪辱を晴らす機会も捨てて、尻尾を巻いて逃げろと言われたようなものなのだ。コーネリアでなくとも、怒りの一つも覚えよう。
しかし、反論する事は出来ない。大々的に敗北を喫したコーネリアは、彼等の言い分を否定出来る材料を持ち合わせてはいなかった。
だから、コーネリアは不承不承ではあっても、命令を受け入れ、本国に戻ってきたのだ。
敵に囚われた妹を置いて…………。
「―――――ッ」
ギッ、と食い縛った歯が鳴った。
腹立たしかった。
反論出来ない事も、敗北した事も、そして、ユーフェミアを置き去りにしてしまった事も。
そんな現実を受け入れざるを得ない、無力な自分が恨めしかった。
「あまり自分を責めるな。お前はよくやったさ」
俯いてしまったコーネリアの肩を叩きながら、ノネットが慰めの言葉を口にした。
だが、コーネリアは答えない。そんな聞き飽きた気休めの言葉で吹っ切れるものなら苦労はないだろう。
ノネットとて、それは理解していた。だから、彼女の本題はこれからだった。
「ユーフェミア殿下だがな。元気にしておられるようだぞ」
「―――――――え?」
跳ねるように顔が上がる。
あまりに意外だったのか、珍しく厳しさが抜けた表情のコーネリアに、ノネットはにんまりと笑った。
「通信越しの映像でだがな。おそらく、エリア11にいるブリタニア人の不安を取り除く為と、暴動抑制の処置だろう。市民に呼び掛ける姿が、先日、エリア11で流れたらしい」
無事の報せを、コーネリアに伝える。
これを伝える為にノネットはコーネリアに会いにきたのだ。
本国に戻ってから、こっち。コーネリアの下にエリア11関連の情報が回ってこない事は、ノネットも知っていた。
規制、とまではいかないが、やんわりと情報が止められているのだ。
おそらく、エリア11の情勢が悪化した場合のコーネリアの反応を危惧した上層部の指示だろう。
今まで虐げてきた人々に捕らわれた姫君という状況。最悪も十分想定される以上、
だから、コーネリアはユーフェミアの安否を知りたくても、中々、情報が手元まで回ってこない為、知ることが出来ず、こうして、悪い先輩がこっそりと耳打ちしにきたという訳である。
「まあ、失敗したとはいえ、ユーフェミア様は特区を建設しようとするくらいイレブンに献身的だったからな。イレブンからの反感を買う恐れがある以上、下手に危害を加えたりしないだろうさ」
だから、安心しろ、と再度、肩を叩かれる。
少し強めに叩かれたその衝撃が切っ掛けになったのか。
ようやく情報を呑み込めたコーネリアの表情に理性が戻った。
同時に身体から力が抜けていく。抜け過ぎて、膝が折れそうになり、慌てて力を入れた。
自覚しているつもりだったが、どうやら、思っていた以上に余裕がなかったらしい。
「ひょっとして先輩、この為にわざわざ…………?」
「ついでだよ、ついで。私にも異動命令が出てたからね。移動がてら寄り道して、ちっとばかし先輩風吹かせてみようと思っただけさ」
だから、気にするなと言って笑うノネット。
まるで、大した事じゃないというかのように振る舞っているが、そんな訳がない事はコーネリアにも分かっていた。
現在、ブリタニアはその驕りから無駄に抱え込んできた各方面の戦線で後退を余儀なくされるまでに追い込まれつつあり、傲慢から圧政を敷いたエリアも、各地で超大規模ストライキや見違えるように洗練されたレジスタンス活動により、経済、統治両面に深刻な問題が出始めていた。
その火消しに追われ、各地で不眠不休の活躍を強いられているのが、ノネット達、ナイト・オブ・ラウンズだった。
圧倒的劣勢、破綻寸前の戦線やエリアの立て直しの為に休む間もなく、駆り出され続けるラウンズ。
本来なら、他人を気にしている余裕なんてないだろう。それなのに、ノネットはコーネリアを案じて、情報をかき集め、無い筈の時間を絞り出してコーネリアに会いにきたのだ。
それが、どれだけ大変な事だったのか。分からないコーネリアではなかった。
「………感謝します。エニアグラム卿」
「かしこまんなよ。恥ずかしいだろ」
姿勢を正して、頭を下げてきたコーネリアに、流石のノネットも照れを感じたのか、誤魔化すように軽口で答えた。
「まっ、お偉方の真意はともかくとして、お前が此方に回ってくれたのは助かるよ。ここに来て、更に面倒事が増えて、正直、困っていたからね」
「面倒事、……ああ」
少し思案したコーネリアだったが、思い当たる事があったのか、直ぐに納得したように頷いた。
それは、ユーフェミアの安否を探ろうとして、方々から情報を得ようとしていた時に耳に入ってきた話題だった。
「エリア11の貴族の件ですか?」
ノネットが頷く。その表情には僅かに苦々しいものがあった。
先日の事である。
トウキョウ租界で復活を宣言した日本政府が、エリア11に根付いていた貴族の暴虐非道を明るみにしたのだ。
戦争に敗けて、エリアになってからの八年間でブリタニアの貴族達がしてきた、その非人道的行為の一切を晒け出し、貴族とそんな存在を許すブリタニアという国を激しく批難した。
だが、それ自体は問題ではなかった。
ブリタニアの、特にエリアに居住する貴族達が、総督の目を盗んで、もしくは抱き込んで、倫理に悖る行いをしているのは今に始まった事ではない。
ナンバーズがそれを責めるのも同様だ。
戦争に敗けて以降、彼等のブリタニアへの敵愾心が何時までも消えないのは、軍と貴族の横暴によるところが大きい。そんな彼等が、貴族の所行に目を瞑っている筈もないだろう。
だから、問題は。
「ある程度、予測は付きますが、やはり……?」
「ああ。噂として聞くのと、実際に真実を目の当たりにするとじゃ訳が違うからな。……おかげで士気がガタ落ちだ」
頭が痛い、とばかりにノネットが頭を抱え、首を振る。
気持ちは分かる。コーネリアとて、聞いた時は頭が痛かった。
今日まで、ブリタニアが時に政治に疎い総督を頭に戴き、悪政の中、ナンバーズのレジスタンス行為に晒されても、エリアの支配を保てていたのは、情報を完全に制していた事が大きい。
例えば、先のシンジュクゲットーでの虐殺。
実際のところは、皇帝に極秘で非合法な人体実験を行っていたクロヴィス総督が、それが公になる事を恐れ、保身から証拠隠滅を図ろうとした事が原因で起こっている。
だが、ブリタニア国民が知る真実は違う。
彼等にとって、シンジュクゲットーでの虐殺の原因は、危険なテロリストが軍の研究所から毒ガスを盗み出し、それを使ったテロ計画を実行しようとしていた為となっている。それを軍は極力穏便に鎮圧しようとしたが、現地のナンバーズの妨害と追い込まれたテロリストが毒ガスを使用しようとしていた為、やむなく強行手段に踏み切ったから、虐殺が起きてしまったのだと、そう認識している、―――させられている。
真実をねじ曲げ、自分達に都合の良い真実をでっち上げる。ブリタニアの常套手段である。
軍が横暴を働こうが、民間人に犠牲が出ようが、誰の目にも映らない。
貴族が、どれだけ非道を重ねようが、罪を犯そうが、誰の耳にも届かない。
不都合を押し付け、情報を隠蔽、操作し、真実を脚色して、世間に浸透させる。そうやって、不条理を押し通してきたからこそ、ブリタニアは杜撰であってもエリアを支配してこれたと言えた。
だが、今回の一件で、それが覆された。
公にされた非道の数々を、貴族自らが認めた事で、ねじ曲げられていた真実が、ありのままの姿で国民達に届けられてしまったのだ。
それによって、人々の価値観は揺さぶられ、認識が変わる事となる。
今までは理解出来なかった。
何故、こんな虐殺に至るような過激なテロ行為を行うのかと。罪のない人々を巻き込んでまで、逆らい続けるのか、その理由が分からなかった。
名誉ブリタニア人になれば、一応の市民権は得られるのだ。敗戦国民となれば、多少は冷たい目で見られる事もあるだろう。だが、それは我慢出来ない程なのか、と疑問に感じてきた。
しかし、真実を知り、その考えは変化する。
時に見下し、時に不当に暴力を振るおうとも、恋人を持つ普通の男が、ナンバーズであろうと恋人を目の前でなぶられて、泣き叫ぶ男がいるという事実に眉をひそめない訳がない。
子供がいる普通の家庭を持つ親が、兄弟を殺し合わせ、それを見て笑う貴族に吐き気を催さない訳がないだろう。
今までは理解出来なかった。だが、今は理解出来た。
逆らい続けるナンバーズに『ここまでやる必要があるのか』と思っていた彼等の考えは、『ここまでやるのも当然だろう』という考えに変わっていった。
そして、それは一般市民だけではない。
多くが、腐り、堕落している軍の中にも真っ当な軍人は存在する。
国の為に、忠義故に、家族の為に。そう必死に言い聞かせ、親や妻と同じ年頃の民間人を殺す虐殺命令に涙ながらに従った軍人とて、きっといるだろう。
彼等は、こう思った事だろう。『こんな事をさせる為に、殺したのではない』と。
数は決して多くはない。だが、小さくとも否定的な意見はそれだけで集団に大きな影響を与え、足並みを乱すものだ。
事実、この出来事を受けて、ブリタニア軍は大きく士気を落とし、良識を持つ、罪悪感や同情を覚えた国民の間でぽつり、ぽつり、とある言葉が口に登るようになり始めた。
――――我々は、本当に
「加えて、更に問題があってな」
「と、いうと?」
件の問題を思い出し、難しい顔をしていたコーネリアは、続きがあると言うノネットの言葉に首を傾げた。
「日本政府がな、貴族が行った日本人への非人道的行為に対し、謝罪と賠償を請求してきたんだよ」
「それは………、受け入れられないでしょう、どう考えても」
日本の要求を受けると言うことは、ブリタニアが自らの非を認め、日本に頭を下げると言うことだ。行為を行った貴族達に謝罪させろ、と言うなら、ともかく。ブリタニアという国が、ナンバーズと見下してきた日本に頭を下げる事はないだろう。
「ああ。お前の言う通り、当然、お偉方は聞く耳持たずで、日本の要求を突っぱねていたんだかな……」
そこでノネットが言葉を切る。その顔に先程と同じようなものが過ったのを見たコーネリアは、まさか、と口を開いた。
「また、貴族ですか?」
その問い掛けに、ノネットは溜め息を吐きながら、おうよ、と頷いた。
「本国の貴族連中がな。あのまま、あの恥知らず共の口を開いたままにさせておけば、自分達の名誉と沽券に関わるから、とっとと回収しろと喚き散らしててな。上層部は頭を抱えている訳よ」
本当に頭が痛かった。日本からの要求に無視を決め込んでいるのに、どうやって貴族を解放しろと言うのか。
解放を求めれば、日本は先の条件を通そうとしてくるだろう。それに応えられない以上、正攻法での解放は不可能に近い。しかし、解放せず、手をこまねいていれば、本国の貴族達の不満を煽り、いらぬ摩擦が生まれかねない。いや、もう、生まれているかもしれない。
「お前が考えてるとおりさ。唯でさえ、にっちもさっちもいかない状況で、何もしない貴族が偉そうに騒ぐもんだから、上層部の印象も悪くなってきててな。空気が悪いのなんのって」
コーネリアの考えを読んだのか、ノネットが先んじて状況を教える。どうやら、すでに水面下では両者間に軋轢が生じてしまっているらしい。
「貴族の方も軍や政府は当てにならないと思ったのか、何やら勝手な動きを見せてるらしくてな。おかげで、そっちにも睨みを利かせなくちゃならなくなりそうだ」
「……まさか、態々ペンドラゴンまで来たのは、それもあって………?」
今、ブリタニアはラウンズを始め、名の通った者達は全て出払っており、本国の軍事力は薄い状態にある。
貴族が良からぬ事を考えているなら、この状況は好機だろう。だから、ノネットはわざわざペンドラゴンまで来る事で、貴族達の動きを牽制しようとしたのではないかとコーネリアは考えた。
「私がそこまで考えてる訳ないだろう? 言った通り、ついでだよ、ついで」
適当な物言いでノネットはお茶を濁す。だが、豪胆な性格の割りに、他人をよく見ているという先輩の性格を知っているコーネリアには、何が本当の事なのか、よく分かった。
ノネットもそれに気付いたのか。誤魔化すように、とにかく、と声を張った。
「そんな訳だ。あっちもこっちも面倒事でてんてこ舞いだからな。お前の活躍、当てにさせて貰うぞ、コーネリア」
「ええ、任せて下さい。活躍の場が多いというのであれば、私に文句はありません。むしろ、好都合です」
「頼もしいねぇ。ま、その調子でいっちょ頼むわ。んでもって、とっとと敗将の汚名を返上して、ユーフェミア殿下を助けに行ってこい」
コーネリアの頼もしい返事に、カラカラと笑いながら、ノネットはコーネリアに発破を掛ける。
それに、勿論です、と頷くコーネリア。その顔には、前と変わらない強気な笑みが浮かんでいた。
「よし! んじゃ、用事も済んだ事だし、私は行くな。先に行った奴等を待たせちゃ、悪いし」
コーネリアの様子に満足したのか、ノネットはスッキリしたようにそう言うと、バサリ、とマントを翻して、コーネリアに背を向けた。
「ありがとうございました、先輩。この借りは、いずれ」
「おう。また今度、落ち着いた時にでもお前んとこに邪魔しに行くから、そん時にでも頼むわ」
「…………はい」
言外に、はっちゃけに行くという破天荒な約束に、しょうがない、というような表情で微笑みながら、コーネリアは答えた。
振り返らないまま、ひらひらと手が振られる。
その先輩の姿を黙って見送ろうとしていたコーネリア、―――だったが。
「先輩」
気付けば、その姿に声を掛けてしまっていた。
「ん?」
まさか、引き止めれると思わなかったのか。ノネットは不思議そうな顔で振り返った。
コーネリアとしても、呼び止めるつもりはなかったのだろう。自分の行動に驚いたように目を丸くしている。
僅かな沈黙。数瞬の躊躇を経て、しかし、意を決したコーネリアはノネットに一言だけ、言葉を紡いだ。
「――――
それに今度はノネットが目を開いた。唯の社交辞令、唯の挨拶と一緒くたに出来ない響きがその言葉に含まれている事に気付いたからだった。
「それは、―――
「
誰に、とも、何に、とも言わない。忠告でありながら、忠告になっていない、……忠告。
もし忠告したのがコーネリアでなく、また受けたのがノネットでなければ、鼻で笑い飛ばして終わっていた事だろう。
この二人だったから、その忠告は意味を持った。
「……分かった。覚えておく」
小さく笑い、手を上げて、了承の意を示す。
そして、再び踵を返すと、今度こそ止まらずにノネットは去っていった。
ノネットが去っていった方向を、彼女の姿が消えてからも、コーネリアは見続けていた。
とはいえ、そこに何かを見出だそうとしている訳ではない。単純に考え事の真っ最中なだけだった。
考えるのは先程の事。思わず、口を衝いて出た、忠告と呼ぶには、あまりにもぼやけた曖昧な一言。
何故、言葉にならないまま、言葉にしてしまったのか。そう考えて、思い至る。
それは、きっと、先の会話に引っ掛かるものがあったからだ。
日本がしてきたという要求。未だ、部分的にしか国を取り戻せておらず、戦争状態にある敵国に謝罪と賠償を求めるなど、普通はしようとしないだろう。国家の運営に少しでも携わっていれば、深く考えずとも無意味と理解出来る。
だが、現実にはその無意味であろう行為のおかげで、ブリタニアは国の中枢で不協和音が発生し、新たに不穏の種を抱える事になった。
そのやり口に、コーネリアは覚えがあった。最近、嫌と言うほどに味わったばかりだった。
だから、だろう。あんな忠告をしてしまったのは。
今回の件が、本当に自分の推測通りなら、あの男の手はエリア11の外に伸びつつある。もし、そうなら、何処に、いや、
あるいは。
(いや、流石に疑心暗鬼が過ぎるか……)
用心深くなり過ぎている自覚はある。
あの夜に、散々に出し抜かれたせいか、どうにも物事を疑ってかかってしまうのだ。
とはいえ、何時までもこの調子では、忙しい合間を縫って元気付けに来てくれたノネットに申し訳が立たない。
「よし」
気合いを入れ直して、思考を散らす。
小さく首を振ると、話が済んだのを見たからか、いつの間にか傍に戻ってきていたギルフォードの姿が目に入った。
「すまんな。待たせた」
「いえ、お気になさらず」
随分、長いこと待たせていたのにギルフォードの顔には不満の一つも見当たらない。その事に気付き、少しだけ表情を弛めた。
「ノネット先輩の話だと、本国は随分と私に活躍の場を用意してくれてるらしい。忙しくなる、よろしく頼むぞ、我が騎士ギルフォードよ」
「イエス! ユアハイネス!」
向かう先は、銃火が飛び交う戦場か。それとも、隠謀渦巻く亡者の巣か。
敗北しても変わらぬ忠義を貫く騎士の返答を聞きながら、コーネリアは再起の為の一歩を踏み出した。
胸に感じる一抹の不安には気付かない事にして。
終わらなかった……!
今話で、一方その頃的な話を終わらせるつもりでしたが、全然話が進まなかった!
うーん、ちょっとこのままじゃ不味いかもです。完結のかの字も見えない。
とりあえず、次で、……いや、もう、何も言いません。