ともあれ。毎回、沢山の感想、ありがとうございます。
それと、返信する前に運対されて、まともな返しが出来なかった方は申し訳ないです。今回、ちょっと多かったもので謝罪させて頂きます。
でも、感想にはきちんと目を通してあります。返信自体は時間のある時にじっくりと、と思っているので遅くなってますが、感想は速攻で読ませて頂いてます。
では。前置きが長くなりましたが、本文をどうぞ。
「カレンさん!」
声を掛けられたのは、席に着くのと同時だった。
おはよう、と控えめに挨拶したにも関わらず、教室の入口に矢鱈と集まった視線から逃れるようにそそくさと席に座ったカレンは、弾むような声音で声を掛けてきたクラスメイトの顔を見て、内心で首を傾げた。
その顔に見覚えはあったが、名前がどうにも思い出せなかったからだ。
「良かった。来られるようになったんだね」
「大丈夫なの? 今回は随分長かったけど……」
声を掛けてきた女子と一緒に、カレンの席の周りにやってきていた他の女子達も口々に声を掛けてくる。
そこでようやく、カレンは彼女達の名前を記憶から掘り起こす事が出来た。
彼女達は、カレンが生徒会に入り、そちらと行動を共にする事が多くなる前、休みがちなカレンを気に掛けて、時々、昼食を一緒にしようと誘いを掛けてきてくれた子達だった。
「ええ、おかげさまで。ありがとう」
きちんと一人一人と顔を合わせて、カレンがほわりと微笑む。
普段は跳ね上げた髪を下ろし、勝ち気に開いた眦を緩く落とした、見た目だけはまごうことなき深窓の令嬢の微笑みに、こっそりと盗み見していたクラスメイトの男子達が、ほぉ、と俗っぽい溜め息を吐いた。
ちらり、とそんな視線を送る男子達を流し見て、年頃の話題と最近の出来事で話に華を咲かせる女子達に愛想よく返事を返しながら、時折、教室内に視線を這わせる。
僅かに意味深な光を宿した空色の瞳に映るのは代わり映えのない光景。
壁際で談笑する女生徒。行儀悪く机に座り、昨晩のTVの話題ではしゃぐ男子の輪。他にも携帯を弄る生徒に、きちんと予習の為にノートを開いている生徒もいる。
以前と何ら変わらない光景。
誰の顔にも暗い影は見当たらず、空気に悲愴なものは感じられず、見知った日常はあの夜を越えても見知ったまま、平凡で、―――平和だった。
あの大一番の戦いから、しばらく。
トウキョウ租界が、再び東京という、かつての呼び名と響きを取り戻してから、季節を跨ぐ程度に時間が過ぎ去っていった。
長い時間と数多の血を捧げ、奇跡の後押しを受けて、ようやくその手に返った自らの故郷に、多くの日本人が喜びに沸いた。嬉しさに吠えた。
時に戦い、時に堪え忍び、数え切れない生命を見送ってきたその時間が報われたのだと、皆が涙を流し、感動に打ち震えた。
その一方で。
恐怖と不安に震えていたのが、置き去りにされたブリタニア人だ。
いや、当時の状況を思えば、恐怖と不安だけでは片付くまい。鎖の切れた狼の群れに置き去りにされた羊という分かりやすい構図。故にその末路も、一々語らずとも分かる顛末だ。
生きた心地などしなかっただろう。ある意味、自業自得とはいえ、「この先」を想像した時の彼等の心境は察するに余りある。
きっと、誰も彼もが最悪しか想像出来なかった事だろう。
だが…………。
「でも、ちょっとばかし驚いたわよねぇ」
「驚いた?」
そう呟かれた一言に疑問符を付けて繰り返しながら、カレンはその意味を問い返した。
場所は放課後、アッシュフォードの生徒会室。
一時は七人までいた人数が半数近い四人にまで減った事に危機感を覚えつつ、最大戦力たる副会長不在によって増えた仕事量にひーこら言っていた、この部屋の主の突然のぼやきはカレン以外の二人の興味も誘ったのか、三人の視線が一斉に彼女に集まった。
「んー、拍子抜けっていうか、肩透かし? ……意外?が、しっくり来るかな?」
うむむ、と自分の感覚に当てはまる言葉を探して、ミレイが唸り声を上げる。
「まー、とにかく、アレよ。もっと、こう、悲惨な状況を覚悟してた訳よ。私としては」
ビシリ、と突き付けられたのはメガホンのように丸められた書類の束。会長のチェック待ちの自分が苦心して提出した書類の無惨な姿に、カレンは渋い顔をする。
「悲惨って、会長……」
「でも、シャーリーだって思ったでしょ?」
今度は呆れたように口を挟んだシャーリーに、くるりと巻いた書類の先が向けられる。
「自分達で言うのもなんだけど、日本人のブリタニア人に対する評価なんてドン底な訳だし? 相応の扱いを受けるんだろうなぁって」
「それは………」
思わず口から言葉が出掛かったシャーリーだが、横にいるカレンにちら、と視線を送ると口を閉ざした。
気を使ったのだろう。
だが、それだけで彼女がどう思っていたのか、伺い知る事が出来た。というか、それが当然の反応である。
よっぽど頭がお花畑でもなければ、誰だって報復されると考えるだろう。軍は散り散りに逃げ出し、誰の庇護も得られない以上、虐げてきた人々の恨みを、怒りを一身に受けると思うのが普通だ。
でも、そうはならなかった。
「学園には普通に来れるし、遊びにもショッピングにも行ける。トウキョウ租……、じゃないわね。東京からの出入りに検問は敷かれているけど、基本、一般市民は素通りで問題なし。一番心配してた日本人からの当たりも黒の騎士団が目を光らせてくれているおかげで表面上は穏やか。つまり、総じて問題なし」
そう。最悪を覚悟していたブリタニア人ではあるが、予想に反して、彼等の生活が変化する事はなかった。
勿論、全てが今まで通りという訳ではない。あの夜からこっち、東京に流れてくる日本人によって一部の区画はブリタニア人の立ち入りが禁止になっているし、皇族であるユーフェミアや貴族に関しては、少なくない監視が付き、行動も制限されている。
何より変わった事と言えば、いなくなった軍の代わりに黒の騎士団の姿が見られるようになった事だろう。
治安維持の為に市内を闊歩する黒の制服に、時折、ブリタニア市民が複雑そうな顔をする時もあるが、概ね、取り残されたブリタニア人は今まで通りの日常を送る事が出来ていた。
「なら、良いじゃないですか。それより、手を動かして下さい」
予想だにしない展開に戸惑いを覚えるミレイ達の気持ちは分からなくもない。だが、問題がある訳でないのなら、カレンにとっては自分の横に積まれた書類の山の方が気掛かりだった。
「まぁ、そうなんだけどねぇ。確かに有り難い事なんだけど、有り難すぎて逆に不安になるというか、疑っちゃうというか……」
何もないなら、それに越した事はない。でも、無いならないで、何かあるのではと勘繰ってしまうのが人間である。
「そんな訳で黒の騎士団エース、
ずい、と机の上に身を乗り出し、今度は書類をマイクの代わりにしたミレイがそのにやけた顔をカレンに寄せた。
「ぶっちゃけ、何を企んでる訳?」
「何も企んでません」
ぴしゃん、と出来上がったばかりの書類を顔に押し付け、カレンはミレイを押し戻す。
「今は、世界中が日本の動向を注視してるんですよ。そんな状態で自分達を貶めるような行為、する訳ないじゃないですか」
ここで軍人でもない捕虜同然のブリタニア市民に暴行を振るうような事態を許せば、日本は人道的措置も満足に取れない癖に、他国の非人道的行為は容赦なく非難する。そんな国と思われてしまう。
これから国を立て直していこうというこの時期に、そのような風聞、誰も好んで広めようとは思わない。
とはいえ、理性と感情は別物である。
並べ立てられた御大層な理由に理性は納得出来ても、感情まで納得するとは限らない。黒の騎士団が警戒をしているとはいえ、それだけでは今の状況を作り上げる事は到底出来なかっただろう。
故に決定的な理由は別。日本人が愚行に走らない理由は唯一つ。
「何より、ゼロが許しません」
つまり、それ故に、である。
敵国の姫君をその身を挺して庇うという美談を携え、死の淵から甦る奇跡を纏い、一夜にして国を復活させる伝説を打ち立てた救世の英雄。
そこに正体が分からない事から来る神秘性も加わり、今や日本人がゼロに抱く感情は、期待や信頼を通り越して、崇拝や信奉に近かった。
だから、ゼロが否と唱えれば、日本人の大半は一も二もなく頷く。
仮に納得していなくても、頷くだろう。
ブリタニア人に思うことがあっても、まるで神話から抜け出してきたような存在を敵に回してまで、蛮行に及ぼうとは誰も思わないからだ。
「でもさぁ………」
「何よ」
そこで、黙ってカレンの話を聞いていたリヴァルが口を挟んだ。
お前まで何だ、というか働け、と言いたげなカレンの物言いと視線がリヴァルを射抜く。
お嬢様モードのカレンしか知らなかったリヴァルは、吊り上がった勝ち気な瞳に睨まれ、情けなく愛想笑いを浮かべるも、その口を閉ざす事はしなかった。
「いや、ちょっと気になると言うか……。一応さ、俺達って人質みたいなものなんでしょ? でも、一般市民は東京から出ようと思えば出られる訳で……。つまり、良いのかなって」
人質、いなくなっちゃわない? とリヴァルが続けた。
「それは、私も最初はそう思ったけど、でも、ゼロが言うにはこの方が都合が良いって」
ゼロが言っていた事を思い出しながら、カレンはそう説明する。
当たり前の話、情報というのはとても大事である。
それは戦いにおいても同じ。歴史を紐解けば、一の情報が百の兵、万の軍に勝る価値を示した事例は幾つもある。
だから、基本、情報とは秘匿するのが常道なのだが、それが如何なる時でも好手となるかと言えば、そういう訳でもない。
例として挙げるなら、今回がそれに当たる。
確かに、状況だけを俯瞰して見れば、ゼロの手は悪手に思える。
彼我の国力差は言うに及ばず。その状態で人質も情報も外に流出するような対応は常軌を逸していると思われても仕方ないだろう。
だが、今回の場合、完全に情報を遮断してしまうと、それを逆手にとって、ブリタニアが死人に口なしで事を済ます可能性が非常に高かった。
要は、敵味方全てを皆殺しにした後、いつものように真実をでっち上げるのではないかという事である。
何しろ、今のブリタニアには余裕がない。
各地の騒動は鎮まらず。対応は後手後手。ひっきりなしに湧いてくる問題の山に、国家という車に火が着き始めている状態だ。
そんな中で、もし、ゼロと日本を始末する事が出来れば、反ブリタニア勢力の勢いに盛大に水を掛ける事が出来る。
ならば、やるだろう。数万の犠牲もブリタニアの総人口を数えれば、端数でしかない。
それを避ける為に、ゼロはブリタニア市民の出入りを自由にして、真実を脚色される前に、先んじて真実を世間に流したのだ。
虐殺も暴行も私刑もない。大量に血が流れるような事は起こってないと他ならぬ捕まっていたブリタニア人に語らせる事によって、ブリタニアが下策に訴えてくるのを防いだ。
「だから、問題ないみたい。ブリタニア人も外には出ていくけど、そのまま逃げ出していく人は少ないって話らしいし」
「そうなの?」
意外、と言うようにシャーリーが目を丸くする。
「まっ、そうよね。不自由を強いられるならまだしも、今まで通りの暮らしが出来て、その上、何時でも逃げ出せるのなら、慌てて逃げようとは、あまり思わないわよね」
ミレイがそう言うのに、成程と頷く。
シャーリー自身は、父親が動かせる状態ではない為、――勿論、それだけが理由ではないが――留まらざるを得なかったが、確かに言われてみれば、こうして学園に通う中で見知った顔がいなくなったのは数える程でしかなかった。
「それに逃げ出すって言っても、最近は本国も物騒だって話みたいだしね。下手に逃げるより、此処の方が安全だって思ってる人も結構多いんじゃない?」
ふと溢れた言葉だったが、一理はあった。
エリアは勿論、本国すら物騒となれば、安全を求めて何処かに移ろうという気も起きないだろう。東京も敵地である以上、絶対安全とは言えないが、それでも弱者の味方を掲げるゼロのお膝元。他に比べれば、安心感の度合いが違う。
ブリタニアからしてみても、市民の安全を前面に押し出されては、東京を攻略しようとする意味も意欲も著しく損なってくる。ゼロを始末したいのは山々だが、強引な手段を封じられている中で、下手に刺激して藪をつつくような事になれば、東京のブリタニア市民や世論の反感を買う恐れもあった。
つまり、身体ではなく心。それも、恐怖ではなく安全、安心という受け入れやすい感情で縛る事でブリタニア市民を自主的に留まらせ、ゼロは門を開きながらも、東京の独立性を維持していた。
「こうして考えてみると、……
カレンの辿々しい説明から、その辺りの考えを察したミレイが苦笑と共に呟いた。
リアリストでありながらロマンチスト。
善意と思わせておきながら、何処かに打算を忍ばせ、きっちりと割り切っているように見えるが、他者への優しさがちらほらと見え隠れする。
正体が知れれば、成程、ゼロのやり口は実に自分達の知っている副会長らしかった。
「――――――――」
ピタリ、とその発言を切っ掛けに会話が途切れた。
各々の気配にぎこちなさが混ざり、唐突に途切れた会話を結び直せないが故に訪れた沈黙が、何とも言えない空気を生徒会室に醸し出していく。
「さて……、と」
それに耐えかねたのか、何気なさを装いながら、ガタリ、とリヴァルが立ち上がった。
「コ~ラッ! まだ仕事も片付いてないのに何処に行く気?」
軽く伸びをしたリヴァルの足が入口の方に向かうのを見たミレイが冗談めかして咎めた。
「いや~、ちょっと気分転換にバイクを弄ってこようかなと。ほら、書類仕事が一段落したら買い出しに走らなくちゃですし?」
苦笑いを浮かべながら、それっぽい理由を口にする。
そのまま、じりじりと入口に向かっていたリヴァルは扉に手を掛けると、伺うようにカレンの方に視線を向けた。
「……いいだろ?」
「……絶対に学園の敷地内から出ないで。それと、出来るだけ人気のある場所にいて」
「分かってるって。クラブハウスの入口んとこにいるよ。それなら問題ないだろ?」
返す手で再度の確認を求めてきたリヴァルに、しょうがないと言った風にカレンが頷く。
それに片手を上げて、悪い、と言葉と態度で示すと、リヴァルは宣言通り、バイクを弄りに生徒会室から出ていった。
「護衛役も大変ね。色々と気を遣って」
一連のやり取りを見ていたミレイが苦笑しながら言うのに肩を竦める。
元から、時間があれば学園に通うようにしていたカレンではあるが、この時期に再びアッシュフォードに通うようになったのは別に暇を持て余しての事ではない。
ゼロから、ミレイ達生徒会メンバーの護衛を指示されたからだ。
既に皇帝を始め、敵国の一部の人間にはゼロがルルーシュであると知られている。『前回』の事を考えれば、ミレイ達に皇帝達の手が伸びないとは言い切れない。
その事を危惧したゼロが、もう少し状況が落ち着くまでは誰かしら戦える者を護衛に付けるべきと考え、アッシュフォードに堂々と入れて、生徒会メンバーの近くに居ても怪しまれず、かつ彼女達の信用を得られる人物としてカレンに白羽の矢を立てた。
「それはともかく」
書面に走らせていたペンを止めて、カレンはリヴァルが出ていった入口の方を見やる。
「……やっぱり、リヴァルは納得いかないんでしょうか……?」
ミレイやシャーリーにもどことなく自然を装おうとしている感はあるが、リヴァルの反応は少しばかり過剰だった。
それも無理からぬ事であるとはいえ、仲の良かった二人の姿を知っているだけに、露骨に話題を避ける彼の反応に、カレンが落胆と悲壮が混ざった感情を抱いてしまうのも、また、無理からぬ事であろう。
勝手な想いだとは思う。でも、叶うなら、あまり拗れて欲しくないというのが、カレンの素直な心情だった。
「んー? あれはちょっと違うんじゃない?」
だが、沈んだ気持ちを露にするカレンに答えたミレイの声は実にあっけらかんとしたものだった。
思わず目を丸くして、驚きと共に振り返れば、訳知り顔で笑うミレイの視線とかち合う。
「ルルーシュがゼロだった事がどうとか、裏切られたうんぬんとか、そういうんじゃないわよ、きっと」
「そう、なんですか?」
よく分からないと首を捻るカレンに、ミレイはそっ、と自信たっぷりに頷く。
「だって、もしそうなら、バイクを弄りにいくなんて言ったりする筈ないでしょ?」
リヴァルが愛用するサイドカー付きのバイクは、生徒会御用達として活躍する以外では、悪友たるルルーシュと乗り回す事が殆どだった。
もし、リヴァルが本当にルルーシュを忌避しているなら、バイクにだって近付こうとは思わないだろう。
「だから、大丈夫。カレンが心配するような事はないわ。……あれでいて複雑なのよ、男心ってやつも」
勿論、女心も。
にんまりと笑いながら、そう締めくくり、ミレイもまた席を立つ。
「――って、会長まで何処に行く気ですか!」
「ナ・イ・ショ♪」
というか、仕事をしろ! と怒声を轟かすカレンに、人指し指を唇に当てたジェスチャーで答えると、ミレイはするりと半身を扉の向こうに滑り込ませる。
「まー、私もこのまま思い出にされるのは、ちょっと癪だからねぇ」
「会長?」
入口の扉から顔だけ出して、何やら意味深な事を言うミレイに、何の事かと疑問を浮かべながら、カレンとシャーリーは顔を見合わせる。
「そんな訳で、後はヨロシクぅ!」
「あ、ちょ………」
呼び止めようと、そちらにもう一度視線を向けるも時既に遅く。
意味もなく伸ばした手の先で、ひらひらと扉の隙間から生えていた手が引っ込むと、パタンと軽い音を立てて扉が閉じられた。
「………………」
「………………」
再び、沈黙。
奔放過ぎる生徒会長の行動に暫し呆然としていた二人は、やがて、どちらからともなく疲れたように息を吐き出した。
「まったく、もう。後はよろしくったって、会長が一度チェック入れないと処理出来ないものだってあるのに……」
鼻息荒く憤慨するカレンの横で、シャーリーもあはは……、と乾いた笑みを浮かべる。
「とりあえず、どうしようか……?」
後はよろしくと言われたが、もう二人しかいない以上、どれ程の事が出来る訳でもなし、カレンが言う通り、会長の指示がないと処理出来ない問題も多い。
正直、今日はこれ以上時間を費やしても意味がないように思えた。
それは、カレンも同意見だったのだろう。
しょうがない、と疲れたように言いながら、机の上に広げられた書類をまとめ始めた。
「とりあえず、急ぎのものがないかだけ確認して、後は整理して終わりにしましょ。私達だけ真面目に働くのも不毛というか、馬鹿みたいだし」
歯に衣着せぬカレンの直球過ぎる物言いに、シャーリーは苦笑しながらも頷く。
そして、かつてのおっとりとしていたカレンの姿からは想像出来ない、素早く机の上の書類をかき集める姿に内心でちょっぴり驚く。ちなみに物言いの方にはあまり驚かない。とある男の子の事について口論した時に、静かな口調ながら、割りとはっきり物を言うカレンの性格は分かっていたからだ。
「でも、私も少しだけ驚いちゃった」
「え?」
手を動かしながら、不意に零れた呟きにカレンが反応する。
同時にシャーリーも、ある男の子の事を考えてしまった為に頭に過った考えをうっかり零してしまい、あ、としたような表情をする。
そのまま、二人して黙る。
じっ、と言葉の続きを待っているカレンに、シャーリーは言うべきかどうか俊巡するが、ここで誤魔化した方が気まずくなると考え、思い切って口を開いた。
「その……、ルルだけじゃなくて、カレンも、その、……黒の騎士団だったなんて」
躊躇いがちなその言葉に、カレンは大きく目を見開き、そして、逸らすようにシャーリーから机の上の書類に視線を落とした。
「うんと、……あれだよね。ブリタニアの、同じ学校の、それも生徒会の中に二人もいたなんて。世間は狭いって、本当だね」
「…………そうね。といっても、私もゼロがアイツだって知ったのは、貴女達と殆ど同時だったけど」
「そうなの?」
「ええ」
投げたボールが壁にぶち当たって無造作に転がりながら返ってくる。
そんな印象をもたらすカレンの固い声に、シャーリーもこれ以上、何かを言う気にはなれず、口を閉ざす。
以降、共に口を開かず、黙々と作業に没頭する二人。
会話はない。――出来ない。
先程までならともかく。多分、今のカレンと普通に会話をする事は無理である。共に普通を演じる為に付けていた仮面が二人きりである事と、先の発言が原因で外れてしまったからだ。
だから、ただ、手だけを動かしていく。申請書類その他諸々の内容に目を通し、急ぎのもので処理出来るものがあれば処理し、会長の判断待ちのものは分けて置いておく。
会話がない分、作業効率は上がり、テキパキと仕事をこなしていく。
元より、割りと優秀であり、普段から会長の無理難題に付き合ってるだけあって、カレンとシャーリーが一連の作業が終えるのにそれ程時間は掛からなかった。
「………………よし」
最後の書類の確認を終え、トントン、と綺麗に整える。
カレンは、と思い、そちらを見れば、一枚の書類にペンを走らせている姿が目に入った。
「……えっと、手伝う?」
「平気。これで終わりだから」
書面から顔を上げずに返ってきた答えに、そっか、と応じる。
やることもなくなり手持ちぶさたになってしまったシャーリーだが、何故だか帰ろうとはしなかった。
単純にこの状況でお先に、と言えないのもあったが自分達の護衛として来ている以上、勝手に一人で帰るとカレンが困ると思ったからだ。
カレンが困れば、結果、後ろにいる彼も困る。だから、シャーリーはどうにも感じてしまう居心地の悪さに耐えながら、生徒会室に留まり続けていた。
(そういえば、リヴァルは………?)
気を紛らわそうとあちこちに視線を這わせ、シャーリーは、窓の外、橙の色が大分滲んだ風景を見て、はたと思い出す。
クラブハウスの入口でバイクを弄ると言って出ていった彼だが、あれから、そこそこ時間が経った今でもまだいるのか。
何となく気になり、入口の方を見ようと窓に駆け寄った時だった。
「………何で」
絞り出すような声が背中に掛かった。
「………何で、何も言わないの?」
苦しげに発せられる声に、振り返る。
そろそろ西日になろうとする陽の光に照らされた部屋の中で、それに負けじと映える紅い髪が、さらりと揺れた。
「…………何か、言いたい事、あるんじゃない? ………私に、さ」
「…………何か?」
思わず、繰り返す。言葉の意味を求めての事ではない。本当に、思わず、繰り返してしまった。
それが分かってるのか、カレンはそれ以上言わない。
僅かに振り返った紅い髪からはみ出た、綺麗で柔らかそうな唇は、何かを覚悟するかのようにキュッ、と閉じて開かれない。
先程と同じ。シャーリーが何かしら言うのを、ただ待っている。
だから、シャーリーも覚悟を決める。……というのは、少し大袈裟過ぎるが、緊張して心臓が煩いなら、勇気は必要だ。
すぅ、と息を吸って、吐き出す。
余計な事は言わない。
答えだけを簡潔に。
出来るだけ、ハッキリと。出来るだけ、―――笑顔で。
「――――――ないよ?」
告げる。
簡潔に返された一言にカレンの喉が震え、合わせて身体もほんの少しだけ震えた。
「私が、カレンに、言いたい事、なんて、特にないよ?」
もう一度、繰り返す。
意識して、声が震えないようにした為、短い言葉はぶつ切れで、辿々しい。
それでも、きちんと届いたのだろう。固く結ばれていたカレンの唇から力が抜け、その隙間から細い声が紡がれた。
「―――――嘘」
それは信じられないという意味か。それとも、分かりやすい嘘を言うなという意味か。
紡がれた言葉はか細く、そこなら感情を読み取る事は出来なかった。
でも、それが何にしても、シャーリーの返す答えは変わらない。
「嘘じゃ、ないよ?」
「―――――――ッ」
困ったように笑うシャーリーから見えない位置で、カレンの手が、ぎゅう、と握り締められた。
「だって――――」
「そんな訳ないじゃないッ!!」
バンッ、と机を叩く音と共に、鋭く、まるで、責めるような声が響いた。
勢い良く立ち上がった事で、座っていた椅子が煩く音を立てて、二人の間で倒れる。
「私は黒の騎士団でッ、紅蓮に乗っててッ、あの時、ナリタにいて……ッ、だからッ、だから……ッ、アンタの…………ッ」
抑え切れなくなった感情のままに吐き出された言葉が、そこで途切れる。
いっそ睨んでいるのでは、と思うくらいに厳しい色を見せていた瞳は、徐々に滲む苦悶の表情に曇ると、苦しげに背けられた。
これは正しい感情ではない。
心の中で、暴発してしまった自分をカレンは激しく責め立てる。
シャーリーに落ち度は全くない。むしろ、責められるのは自分であって、間違っても彼女ではない。
だというのに、彼女が返す答えが意外過ぎて、八つ当たりのように激昂してしまった。責められなくてはならない、そんな身勝手な感情から来る衝動をカレンは抑えきれなかった。
顔を背け、拳を震わせ、歯を食い縛って、生まれた激情が鎮火するのを待つ。
――――いや、違う。
ただ、堪えているだけだ。何故なら、カレンは納得していない。己の言動は間違っていると思っても、彼女の答えに納得はしていない。
父親を殺されかけたのだ。その引き金を引いた人物が目の前にいるのだ。
なのに、何故、何も言うことはないなんて言える――――?
「…………だって」
納得出来ないまま、収まらぬ衝動に身を震わせるカレンに声が掛かる。
事ここに至っても、その声に怒りが滲む事はなく。彼女の声は、残酷なくらい穏やかだった。
「だって、…………駄目でしょ?」
何が駄目なのか。
意味が分からず、それを問うように逸らした視線を、もう一度、彼女の方に向ければ、逆光の陰の中で本当に、――本当に心の底から困ったような表情で笑うシャーリーの顔が目に入った。
「私ね、カレン。……許したの」
ぽつり、ぽつり。
ゆっくり、静かに。少しずつ語られる自分が傷付けてしまった少女の独白に、カレンは黙って耳を傾ける。
「正体が分かって、お父さんをあんな目に遭わせた人だって分かって、……ね? それでも、私、許しちゃったの」
誰の事を言っているのか。そんな不粋な事は問わない。この少女がそこまでの感情を向ける相手が一人しかいない事くらい、付き合いの短いカレンにだって分かった。
「なら、カレンの事だって許さなくちゃ、でしょ? あの人は好きな人だから許して、この人は違うから許さないなんて、…………そんなの」
自分の感情一つで、父親を殺されかけた罪を許したり許さなかったり。そんな浅ましい真似はしたくないし、そんなのは誰に対しても不誠実だとシャーリーは思う。
「だから、許すよ。カレンの事も。……許したいと思う」
果たして、その台詞を吐くのに、どれ程の勇気が必要だったのか。
己の感情の善し悪しのみで、他者を傷付けた罪をどうこうするなど、確かに不誠実だろう。人によっては、傲慢と取るかもしれない。
だが、だからといって、父親を殺されかけた罪を許すと言える女の子がどれだけいよう。
「だから、ね。カレン」
すっ、と手が伸ばされる。それが、握手を求めるものだと分かるのに、そんなに時間はかからなかった。
「協力して? カレン。私がカレンを許せるように」
「シャーリー……」
つまり、仲直り。と言って良いかは分からないが、とにかく、今まで通りの関係でいようとシャーリーは言っているのだ。
今まで通り、生徒会の仲間として一緒に頑張ったり、会長の無理難題に頭を抱えたり、時に勘違いから口論したりする、そんな友達のような関係でいようと。
そんな想いを込めて、手を差し出してくるシャーリーに、しかし、カレンは答える事が出来ないでいる。
「……良いの? 本当に。私は黒の騎士団、……貴女達にとってはテロリストよ。知人の父親を殺しかけた事なんて、本当は何とも思っていない、最低な人間かもしれないわよ?」
脅すように、自らを貶めるようにそう言うカレンにシャーリーは答えない。代わりに、少しも崩れない笑みが何よりも答えを物語っていた。
「全く、……
カレンの表情から力が抜ける。強張りが解れ、笑みが浮かんだ。疲れたような、呆れたような、そんな笑みが。
「今までのようにいられるかは分からないけど……」
そう前置きして、彼女も手を差し出す。
「でも、努めるわ。アンタが許せるように、そう思ってくれるように。それだけは約束する」
その言葉と共にカレンはシャーリーの手を取った。ギュ、と握り締め、上下に一度、軽く揺する。
「うん。改めて、よろしくね。カレン」
「こちらこそ。……よろしく、シャーリー」
そう言って、笑みを交わしあう。普通に友達に向けて浮かべる、普通の笑みを。
心の内は分からない。蟠りはあるかもだし、複雑な感情もあるだろう。
だが、少なくとも、今、この時、浮かべられた笑顔にはそんな心の陰りは少しも見当たらなかった。
「でも、そっか。二人とも黒の騎士団だったからだったんだ」
「? 何が?」
安堵したようにそんな事を言うシャーリーに、カレンが疑問を浮かべながら、聞き返す。
「いや、ほら? 私、誤解してたでしょ? 二人が付き合ってるんじゃないかって」
かつて、シャーリーは二人だけで話をしたり、キスをしているのではと思う程に密着する姿を遠目に見たこともあって、ルルーシュとカレンの仲を誤解した事があった。
結果、その事はカレンが直接否定したのと、カレンよりも強力なライバルが現れた事で、気にする事もなくなっていたが、それでも納得していた訳ではなかった。
「付き合ってないならどうしてって、ずっと不思議に思ってたけど、そっか。二人でこそこそしていたのは黒の騎士団関係の話をしてたんだ」
うんうん、と何やらスッキリした顔で頷くシャーリー。
だが、それも束の間。怪訝な顔で口を挟んだカレンの一言に、直ぐ様凍りつく事になる。
「いや、黒の騎士団は関係ないわよ?」
「…………え?」
「さっきも言ったじゃない。私もアイツがゼロだって知ったのは、最近の事よ」
「……………あ」
先程交わした会話を思い出し、シャーリーは間の抜けた声を上げた。
「え、え? ……じゃあ、アレって」
「知らない。でも、アイツとは何でもないってのは本当だから。また、変な誤解しないでよね」
わたわたと慌て出したシャーリーに、溜め息混じりにカレンが答える。
「全く……、あんな男のどこが良いんだか」
「カレン?」
呆れたように呟かれた一言。
だが、言うほどに呆れが混じっているように感じられない一言に、シャーリーの勘が嫌な予感を告げてくる。
こう、厄介な敵の出現みたいなものを。
「カレ―――」
「さっ、私も片付いたし、帰るとしましょ」
報告もしなくちゃならないし、と言って机の上を整理して、片付けを始めるカレンを、シャーリーは見つめる。
その仕草に、別段、変なところはない。いつも通りで、今まで通り。
だが、シャーリーには分かった。分かってしまった。
凡人は誤魔化せても、鍛え抜かれた恋する乙女のセンサーを誤魔化す事は出来なかった。
前言撤回。もとい、修正。
今まで通りになりたいと思った。元の関係でいたいと思った。
でも、恋のライバルとしての関係に戻るのだけは勘弁して欲しい。
そんなしょうもない事を切に願い、でも、きっと叶わぬ願いとして終わるんだろうなぁ、と肩を落として嘆きながら、彼女もまた帰途につく為に手を動かし始めた。
複雑な男心リヴァル。恋する大天使シャーリー。アップを始める悪逆会長。
……はい、東京は今日も平和です。
そして、また出てこなかったルルーシュ。ごめんなさい、本当はルルーシュが出てくるところまで書こうと思ってたんですが、後半ちょっと熱が入ってしまって。
そんな訳で次こそ!次こそは必ず出しますので、どうかご勘弁を。