「ゼロ、黒の騎士団やめるってよ」
音沙汰なくて、すみません。どうにか戻ってこれました。
とかく、若者という生き物はスリルを求める傾向にある。
それは、有り余るエネルギーがそれを発散しようとする先を求めるからか。半熟の精神が一足先に大人の世界を見ようと先走らせてしまうからか。
あるいは、もっと端的に若さ故に、なのか。
その原因は定かではないが、ともあれ若者という生き物は往々にして日常を退屈なものと捉えがちであり、刺激を求めて危険や背徳と背中合わせの非日常に走りたがる習性があった。
それに例えるなら、リヴァル・カルデモンドという少年も、決して例外ではないだろう。
尤も、根は健全で善良な少年であるところの彼は、そこまで人様に言えないような事に手を出す度胸も倫理の欠如もない。
だが、バイト先に高級なボトルが所狭しと並び、昼の時分にさえ非合法な賭けチェスが行われるバーを選んだのは、正しく若い衝動故にであろう。
読めずとも流麗な筆記体で記されたボトル。外部からの光を遮断し、人工の光と音楽で彩られた店内。そんな中で、制服をかっちりと着こなし、かっこ良くグラスを磨いていれば、それだけで大人の世界の気分を十分に味わえるし、時に膨大な額の金が揺れ動く賭けチェスは見るのもやるのも刺激的で、貴族が戯れに札束を積んだ時にはあらゆる意味で生唾が絶えず、ドキドキと心臓が煩かった。
……多分、自分は上手くやれていたのだろう。
時に授業をサボり、時に学校行事に精を出し、テストで頭を抱え、男友達と馬鹿をして、バイトをこなしつつ、時折起こる刺激的な
いじめも疎外感もない。ありふれているが、実に充実した学生ライフ。
その代わり映えのなさを退屈に思う事もあったが、逆に言えばそう思えるくらいにリヴァルの毎日は平穏で、そして、満たされていた。
だから、上手くやれていたのだ。
だけど。そう思っていた全てが色褪せた。
まるで、星の光を塗り潰す月明かりの如く。その日、他愛ない日常から気紛れに顔を出したものを、リヴァルは見た。
見て――……、魅入られた。
当人にとっては、つまらない出来事だっただろう。だが、平凡と退屈を持て余していたリヴァルにとっては、とても鮮烈で、とても刺激的で。出会ったその時から、リヴァルの日常は大きく色を変えた。
それが幸運だったのか、それとも不運だったのか。今はまだ分からない。
分かるのは、一つだけ。
恐らく、彼が最初だったということ。
親友でも、魔女でも、最愛の妹でもなく。
多分、きっと。リヴァル・カルデモンドこそが誰よりも早く、世間に紛れ、日常に埋もれていたルルーシュ・ヴィ・ブリタニアを見つけたのだ―――……。
「…………よし、と」
ナットをレンチで回し、緩みがないのを確認して立ち上がる。
そのまま、一歩後ろへ。
視界全てに、ピカピカに整備し終わった愛用のバイクを収めたリヴァルは、袖口で汗ばんだ額を拭うと満足気に頷いた。
生徒会御用達。一時は毎日のように乗り回していたこのバイクが、こうしてクラブハウスの片隅にしか姿を現さなくなってから、どれくらい経ったであろうか。
彼を振り回す、破天荒な生徒会長は、もういない。
忙しくも、賑やかな生徒会は、もう存在しない。
そして、女友達に嗜められつつも、頻繁にサイドカーに乗せて、一緒に悪い事をしていた悪友も、もうリヴァルの隣にはいない。
恐らく、この愛車が以前のように活躍するような事は二度とないだろう。
そう思いつつも、定期的に弄り回し、手入れをしてしまうのは習慣か、未練か。
どちらとも付かない気持ちを胸に、リヴァルは油に汚れた軍手を外すと、自分と同じようにかつての日常に置き去りにされたバイクに、そっと手を置いた。
「……………ッ」
風が吹いた。
気付けば、からりと晴れていた空は灰色に模様を変えており、涼風から寒風へと変わり始めた風が汗ばんだリヴァルの身体から瞬く間に熱を奪っていく。
条件反射のようにぶるりと身体が震え、リヴァルは慌てて広げていた工具を工具箱に押し込み、ハンドルに掛けていた制服を着込むと、最後に開けたまま放置していたホットコーヒーの缶を拾い上げた。
ちびり、と一口。身体を温めようと口に含む。
だが、温かかったコーヒーは既に冷たく。喉を通った冷気と舌に残る苦味に、リヴァルは苦しげに顔をしかめた。
飲み干したコーヒーの苦味が残る口内に、舌が張り付く。
表情筋ごと固まっていた口元を動かして舌を剥がし、唾で舌の乾きを誤魔化そうとするも、緊張と焦燥で唾液は一滴も出てこない。
なのに、身体はどこもかしこもびっしょりだ。額は何度拭いても汗が吹き出し、クーラーを効かせた室内にも関わらず、背中は汗でじっとりと濡れている。
止まらない汗が眉間を流れて目に入り、リヴァルはカチコチと煩い時計の音を聞きながら、揉むようにして目尻を拭った。
「良い加減、諦めたらどうかね?」
「ッ、まだ負けてない!」
耳に届いた粘つくような声に、反射的に返す。
もう何度目かになる問答。故に、問い掛けた方も答えは分かり切っていたのだろう。
ふぅ、とあからさまに溜息を吐くと、態度とは裏腹な愉しげな表情で、後ろに立つ従者が差し出したワイングラスに手を伸ばした。
「ならば、早くしたまえ。時間はもう数分とないぞ?」
「………ッ」
余裕綽々な態度が目を瞑っていても分かる。
擦れ切った集中力を更に削る対戦者の言葉に歯噛みし、リヴァルは力強く目を開ける。
暗闇から解放された視界に映るのは、木製のチェス盤。ゲームも半ばを越えた盤上は白の駒が目立ち、一目で黒が劣勢だと分かる。
だが、黒のキングはまだ詰められてはいない。つまり、まだ負けてはいないとリヴァルは己を奮起する。
尤も、まだ負けていないからといって、イコール勝ち目があるのかと言えば、それは全くの別問題になるのだが。
当たり前の話だが、チェスは一人では出来ない。
小さなマス目の盤を挟んで向かいに一人。二人いなければ、ゲームは始められない。
故に、賭場を訪れた一人身の客は、まず対戦相手を見繕う事から始めなければならないのだが、当然、いつも都合良く対戦相手を待っている客がいるなんて訳もなく、それがお高い貴族様となれば尚更である。
そんな時、客の相手をするのが店側、つまりはリヴァルの役目であった。
溢れた客の相手、素人の代打ち、あるいは劣勢になるとよく体調不良を訴える貴族の代わり。相手の腕前に差はあれど、実戦の機会という意味では数に困る事もなく、初めは本当に数合わせの素人だったリヴァルもゲームを重ねる内に腕を上げ、気付けば助っ人として真剣勝負の場に駆り出される事も多くなっていた。
要するに、自分の腕に自信があったのだ。
少なくとも、昼間っから火遊びを楽しみに来た貴族のぼんぼんをあしらえる程度には。
だから、その日、バーにやってきた貴族にも特に警戒を抱かなかった。温室育ちの遊び、スリルを楽しみたい金持ちの散財趣味と、賭け金の額を吊り上げようとする相手の口車に乗って、リヴァルは自分の支払い能力を超えた金額を提示してしまった。
その貴族にとっての火遊びが、金を賭けたゲームではなく、自分のような人間を嵌めて破滅させる事だと気付いたのは。
取り返しが付かない程に、ゲームの趨勢が決まってからの事だった。
(畜生……、どうする? どうすりゃいい?)
活路の見えない盤上を睨む。一見してまだ諦めず勝ち筋を見出だそうとしているように見えるが、リヴァルの思考は半ば盤上から離れていた。
(素直に敗けを認めて、床に額を擦りつけて謝ったところで許して貰えるとは思えないし、逃げるにしても身元が割れてちゃ……、払うにしたって………)
一瞬、脳裏に折り合いの悪い父親が浮かぶが直ぐに頭を振るい、その考えを切り捨てる。たとえ、唯一助かる方法だとしても、あの父親に頭を下げるのだけはごめんだった。
だが、このままでは、とリヴァルがもう一度、この状況を打開する方法を考えようとした時だった。
びしゃびしゃと何かが零れる音がして、リヴァルは音がした方――、対戦相手の方へ久しぶりに顔を向けた。
「ふむ……、少しは楽しめるかもと、こんな寂れたバーにやって来たのだが………、どうやら、私には動物を観賞する趣味はなかったらしい」
口を付けていたワイングラスを躊躇なく逆さに返し、濃い赤色の液体をバーの床にぶちまけていた相手の貴族が冷めた表情でリヴァルを見下ろす。
「
「ま、まだ、俺は―――」
「忠告しておくが」
しぶとく、それでも意味のない時間稼ぎをしようとするリヴァルの口を、先んじて貴族が制する。
「ここから先は発言に注意したまえ。もし、これ以上、無駄に私を不快にさせるようなら、君は賭け金を
「―――――――」
淡々と告げた貴族の言葉に息を呑む。
調子に乗って吹っ掛けた、今回のゲームの賭け金が、たかだか学生の身分に払えるものではないのは額を見れば誰でも分かる。
その上で、たかが学生のリヴァルに支払わせようとするなら、選ばないというその手段を想像する事は難しくない。
例えば、人身―――。
「理解したかな?」
ビクリ、と肩が震える。こっそりと相手の顔を窺うように覗き込めば、余裕を漂わせた表情の奥にある瞳が暗い光を放つのを見た気がした。
「ならば、言うべき言葉は分かるだろう? この局面で相手はこの私。もはや、詰んでいるゲームを無駄に長引かせて、自分の寿命を縮めるほど愚昧という訳でもあるまい?」
………終わった。
胸中に広がっていく気持ちに従うように、リヴァルはのろのろと視線を盤上に向ける。
局面は変わらず。目を背けたくなるくらい酷い有り様で、もはや手を動かす気にもなれない。
盤外戦術も同じく。一般人とは違う、危険な雰囲気を醸し出した貴族の脅しに口も思考も、もうまともに働かない。気分を損ねれば、生命が危うい。そう思うだけで心が萎縮し、命乞いも一か八か逃げ出そうという気も起きなくなる。
だから……、駄目だった。盤の内にも外にも、もう逃げ道はなかった。
「…………………」
「くふ………ッ」
絶望が広がり、泣きそうになりながら項垂れたリヴァルに、貴族が気味の悪い笑いを漏らした。
中々、どうして。萎えていた嗜虐心が鎌首をもたげ、快感が背筋を通り抜ける。
ああ、駄目だ。やはり堪らない。他者に奪われるのではなく、自らの意思で己を差し出す瞬間。断頭台に頭を乗せるように、処刑台の階段を昇るように、その先にある絶望を知りながらも、己の意思で希望を手離す瞬間が、堪らなく心地好い。
どんな美酒にも、美女にも勝る、最高の快楽。その決定的瞬間を今か今かと舌舐めずりしていた貴族は、逸る気持ちと勝者の余裕から、何てことはない、冗談めいた軽口を叩いた。
「まぁ、つまらなくはあったが、君の醜態は中々に無様で見事だったよ。もっとも、その往生際の悪さは頂けないがね」
それが、己にとっての、断頭台へ首を差し出す行為だと知る由もなく。
「こんな勝ちの目の欠片もないゲームにいつまでもこだわって……。もし、本当にここから逆転出来るんなら、犬の真似をしても良いくらいだ。負け犬らしく、三回回ってワン、とね」
「ほう? それは中々面白そうだ」
唐突に。妙に存在感のある声が、場の空気を支配した。
聞き覚えはない。
低く、愉悦を孕み、やたらと耳に残る。貴族への畏敬の欠片もない、あまりに堂に入った声に、顔を上げる気力もなかったリヴァルの顔が何かに引っ張られるように持ち上がった。
そして、絶句する。その姿に。
「平民を下々と見下すお偉様が、這いつくばって犬のように見上げてくれるんだからな。さぞや、見物だろう」
特に変わった格好という訳ではない。
見慣れた色。見慣れたデザイン。飽きる程に見慣れたその装いは、リヴァルにとっても馴染み深いものだ。
場所が違えば、気にも留めなかったであろう。口を挟んできた声の主は、その声とは裏腹に、この場においては誰よりも平凡で普通の姿をしていた。
「何だ? 学生か?」
だからこそ、際立つ。
声の主が嗤う。いきなり現れたそいつは、リヴァルの嫌う退屈な日常を纏いながら、だけど、闇に潜む獣のように獰猛に、ぞっとするほど冷酷に。
「何だ、―――――貴族か」
―――その日、リヴァルの日常に足を踏み入れてきた。
着なれた黒い学生服のボタンをきっちりと一番上まで留め直し、リヴァルは改めて目の前の扉に手を掛けた。
カチャ、と軽い音と共に重苦しい見た目の割に、軽快にドアが開き、隙間から流れてきた冷え切った空気が訪れたリヴァルを冷たく歓迎する。
中には誰もいない。蛍光灯の明かりが消えた室内は灰色で、人気を帯びていない空気は静かで、痛い。
「………分かっちゃいるんだけどさ………」
習慣から、ドア横のスイッチに伸びた手を途中で降ろし、リヴァルは自嘲気味に笑う。
そもそも、今現在、この場所に用がある人間はいない。当人達の事情を抜きに、リヴァルも含めて。
ミレイを筆頭とした生徒会の任期はもう終わっている。登校率が不安定になると同時にミレイから託され、それでも頑なに生徒会長代理として新規のメンバーを追加する事なく、無理と意地を通してきたリヴァルだったが、自身にも卒業の二文字がちらつき始めた頃、遂に重い腰を上げた。
後一週間もすれば、新しい生徒会メンバーも決まり、ここも活気を取り戻すだろう。
引き継ぎの準備も既に終えている。活動の全てを終えた旧生徒会メンバーがここに立ち寄る理由は、もうどこにもなかった。
なら、何故、来たのか?
それは。そんなのは………。
「…………………」
胸に去来する思いを曖昧なまま、部屋の中へと歩を進める。
一度伸ばしかけたスイッチに、もう一度手を伸ばす気にも空調を入れる気にもなれず、リヴァルは襟元を締めて灰色な室内をうろうろと歩き回ると、とある場所で足を止めた。
そうして、手を伸ばす。一瞬、触れるのを恐れるように躊躇われた指先が捉えたのは、生徒会の活動資料として棚に収められていたアルバムだった。
「………半分、私情が混じってるし。変なものが混ざってないか確認しといた方が良いかね」
誰ともなしに言い訳を溢し、棚から抜き出したアルバムを片手にパイプ椅子に腰を下ろす。
主にリヴァルやシャーリーが写真係を務めた、任期中のメンバーの写真を収めたアルバム。
だからだろうか。やはりと言うべきか、個別に撮った写真には特定人物への片寄りが見える。
多いのは、勿論、アッシュフォード学園一の色男。
突然振られたのか、少し困惑したように笑う写真。読書の途中で眠くなったのか、芝生に寝転がり無防備な寝顔を晒している写真。他にも後ろ姿だが、窓辺に立ち、燦々と差し込む太陽の光に溶けるように、儚げな様子で空を見上げている写真もある。
「カッコつけちゃって、まぁ………」
トントンと指先で件の写真を叩きながら、視線を移せば、一転して、顔に髭を描かれ、猫耳を付けられて困り顔で仲間達と一緒に写っている写真が目に入り、その落差に思わず吹き出してしまう。
「………こうやって見ると、唯の学生にしか見えないよなぁ……」
仲間達との思い出に思いを馳せながら、リヴァルはそう独り言ちる。ルルーシュだけではない。ミレイやシャーリーは元より、あまり人付き合いが得意ではないニーナも写真の中では割と表情豊かであるし、ブリタニア人に複雑な想いを抱えていたカレンも控え目だが穏やかに、学園でたった一人の名誉ブリタニア人として肩身の狭い思いをしていたスザクも、生徒会の皆といる時は年相応の顔付きで笑っている。
これを見たら、誰だって学生だと思うだろう。
いや、事実、学生なのだ。ニーナも、カレンも、スザクも、………ルルーシュも。
学園に来て、授業を受けて、部活をして、友達と遊んで、時々馬鹿をやって、他愛のない話で盛り上がって。
そうやって生きていて良い時期なのだ。そうしたって良い筈なのだ。
なのに。
どうして、誰も此処にいないのか。
どうして、自分だけが此処にいるのか。
「俺は…………」
自然と転がり出た言葉は、しかし、続く事なく静寂に消える。理性と感情と。堂々巡りを繰り返すジレンマに答えは曖昧に溶けて、リヴァルはその重みに潰されるように背中を丸めて、冷たいデスクに頬を押し付けた。
はぁ、と重苦しく垂れ流した溜め息が、デスクを一瞬だけ曇らせる。その様を見ながら、何となく何をする気にもなれなくなったリヴァルが、そのまま、いつものようにぼんやりと時間の流れに身を任せようとした時だった。
静寂を破って、生徒会室に備えてある電話が鳴り出した。着信音の設定からするに職員室からだろう。
何か用でもあるんだろうか、と心の片隅で思うも、もはや生徒会役員ではない自分には関係ない事だと無視を決め込む。
だが、鳴り出した電話はいつまで経っても止む気配を見せず、10回を超えたところでリヴァルは根負けして、とうとう受話器に手を伸ばした。
「……はい、こちら、生徒会室………、は? ラグビー部と馬術部が揉めてる? ………え、や、待って下さい。それでどうして園芸部と文芸部が出てくるん………、ちょ、水泳部が何ですって………、ああ、もう」
説明らしい説明もなく、矢継ぎ早に現状だけを告げて、電話は切れた。
良く分からないが、どうにも、良く分からない事が起こっているらしい。
「全く…………」
どうしたもんかと通話の切れた受話器で面倒そうに肩を叩きながらも、ちょっとだけ耳を澄ましてみる。すると遠く、――グラウンドの方から聞き慣れた喧騒が聞こえてきた。
野太い雄叫び。黄色い声の応酬。やけに甲高い悲鳴。妙に艶かしい男声。次いで、轟音、爆音、何故かキャタピラに似た重低音。
あまりに無秩序な乱痴気騒ぎ。首を突っ込めば、厄介事に巻き込まれる事間違いなしだろう。
けれど、それがどうにも懐かしくて。これこそがアッシュフォードなんだと、懐古に埋もれていた心にすとんと落ちてきて。
「………しょーがない」
任期を終えたとはいえ、この時期に後任の生徒会が決まっていないのには自分にも責任がある。
そう自分を納得させると、自ら鉄火場に乗り込むべく、リヴァルは生徒会室の扉に手を掛けた。
その顔には、かつての活気が少しだけ戻っていた。
「ちょ、ちょっと待てよッ、……待てって!」
勢い良く扉を開け放ち、叫ぶ。
光量が抑えられた室内から、一気に外に飛び出した為か、からっからの日差しは想像以上に眩しくて、目を開けていられなくなったリヴァルは目を閉じて、腕を目元に宛がった。
それでも呼び止める声だけは止めない。真っ暗な視界を相手がいるであろう方向へ向けて、興奮で上ずった声を張り上げた。
「何だ?」
興味の薄い返答が間近から返ってきた。漸く明るさに目が慣れ、リヴァルがゆっくりと目を開けると呼び止めようとした人物が無関心に目の前に立っていた。
「あ、いや………」
咄嗟に答えようとして口ごもる。無視されると思っていただけに意表を突かれたのもそうだが、興奮から冷めた頭が目の前の人物から受ける印象の落差に動揺していた。
先程とは違う。声音には自分の視線を引き付けた時のような引力はなく、表情にも心の臓を鷲掴みにするような冷たい笑みはない。少なくとも、今、目の前に立っている人物だけを見れば、覇気のない、何処にでもいる平凡な男子学生にしか見えないだろう。
尤も、そうであっても、美形には違いないのだが。
「どうした? 何か用があって呼び止めたんだろう?」
再度の問い掛けを、ぎこちない表情で受け止める。
それを勘違いしたのか、目の前の彼は少しだけ不機嫌そうに眉を寄せると大金の入ったケースを持ち上げた。
「ひょっとして分け前に不満でもあるのか? きっちり半分ずつ。一番角の立たない分け方をしたつもりだが」
「ち、違ぇって! そうじゃなくて、お礼をさ………」
僅かに鋭さの戻った瞳に睨め付けられ、慌てて手を振って否定する。
「その……、助けてくれてありがとな。正直、もう駄目かと思ってたから、すげぇ助かった。……その制服、アッシュフォード学園のだよな? 実は、俺も―――」
「知っている。リヴァル・カルデモンド、……だろ?」
「え? って、どうして、俺の名前……」
「学園に在籍している生徒の名前とプロフィールは全て把握している。本国からの入学生もいる以上、何処に落とし穴があるか分からないからな」
驚くリヴァルに構わず、良く分からない発言をすると、彼は用は済んだとばかりに踵を返す。
「礼なら必要ない。別にお前を助けようと思って助けた訳じゃないからな。ただ、偉そうな貴族に一泡吹かせる良い機会だと思っただけだ。大した事はしていない」
「大した事って……、何言ってんだよッ、凄かったじゃねぇかッ!」
思い出した瞬間、興奮がぶり返し、リヴァルは鼻息荒く訴える。
難敵を相手にほぼ詰んでいたゲームを逆転した事。それを大して持ち時間も使わず、ほぼノータイムで成し遂げた事。
何よりリヴァルを驚かせたのは、ゲームを始めたその前後。
半ば勢いに圧される形で席を代わった後、この男は自分に紙とペンを用意するよう言ったのだ。
その時は、そうする意味も何を書いたのかも分からず、ただ怪訝な顔をするだけだった。
分かったのは、勝負が付いた後。あり得ない展開に皆が呆然とする中、彼がリヴァルに預けていた紙の内容を読むように言った時である。
「な、なぁ、一体どうやったんだよ? さっきの始まる前にゲームの棋譜を書くやつ。まさか、本当に全部予測したのか?」
そう。そこに書いてあったのは一手も違う事ない、直後に彼と貴族が打ったゲームの棋譜。それを、彼はゲームが始まる前に、それも走り書きでもするように、さらりと書いてのけたのだ。
一体、どうやって。どうすれば、そんな手品みたいな事が出来るのか。
普通ならお目にかかれない芸当を目の当たりにして、リヴァルは抑えられない興奮のままに勢い良く相手に詰め寄った。
「さっきも言っただろう。あの貴族は手慣れているだけで素直過ぎる。真剣勝負での敗北を知らない……、温室栽培な貴族にありがちな接待ゲームで
「それだけって……、いや、お前さ、もうちょっと………」
あまりにどうでも良さそうな言い方に、今度はリヴァルの眉が寄る。
謙遜も謙虚も過ぎれば嫌味だ。当人とはいえ、手放しで凄いと思っただけに、それを馬鹿にされたような気分になったリヴァルは、少しだけ不愉快そうに背中を向けた彼の肩を掴み―――。
横顔から覗く、その瞳を見てしまった。
「……じゃあな。折り合いの悪い父親はともかく、母親をあまり心配させるなよ」
掌から細い肩の感触が抜け、背中が遠ざかっていく。
その光景を視界に収めながら、しかし、リヴァルは追いかける事なく、今しがた見た彼の瞳を思い出していた。
「……………は」
バイトとはいえ客商売に携わっていれば、相手の心の内くらい自ずと読めるようになってくる。
称賛を浴びたいのか。優越感に浸りたいのか。見下したいのか。態度こそ紳士的であれ、表情、――特に目はこういう時、口以上に物を語る。
だから、分かった。彼の言葉に嘘がない事が。
あれだけの事をやってのけて、貴族を歯牙にも掛けず一蹴して、尚、彼の目に色はなかった。
ただ、つまらないと。退屈に渇れ果てた瞳は、そうとだけ物語っていた。
まるで、自分のように。
なのに。
「は、はは………、ははははは……ッ」
それが堪らなかった。
喜びと愉快と。ドキドキとワクワクがごちゃ混ぜになって身体を駆け巡り、リヴァルは腹を抱えて笑い出す。
理屈ではなかった。本能でもない。敢えて言うなら、若者の、――スリルを求める男の性がシンプルに答えを弾き出した。
―――
「………おい! 待てよ、おい!」
笑い過ぎて目尻に浮かんだ涙を払い、リヴァルは遠ざかる背中に向かって、もう一度、駆け出す。
予感があった。アイツはきっととんでもない事をしでかすと。
もっとずっと刺激的で。今までに味わった事のないスリルに満ちた事を。
「~~~~~~~ッ」
見てみたい。味わってみたい。
アイツの側に居れば、それが叶う。平凡だけが取り柄な毎日がとんでもなく面白くなるに違いない。
「おーい! だから待てって!」
そんな感情と衝動のままに、リヴァルは声を張り上げる。
これから買う事に決めた、バイクのサイドカーに乗せるつもりのソイツの名前を聞くべく。
アスファルトが生む陽炎の彼方にいる、遠い背中に向かって……。
「ほい、それじゃ、解散! ちゃんと仲良くやれよー」
手に持った拡声器越しにそう声を張り上げると、先程まで争っていた学生達がやいのやいのと散っていく。
争っていた理由は……、果たして何だったか。
思い出すのも疲れるから記憶を掘り返す気にもなれないし、思い出したところで大した理由でもないだろう。
下らない理由でおっ始め、そして、お祭り騒ぎにしていくのは此処では日常茶飯事で、――敬愛する前生徒会長が作り出した光景だった。
「…………さて、と」
少しだけ感慨深く。騒がしい光景に肩を竦めると、リヴァルは教師達に事の顛末を報告するべく、その場を後にする。
「と、その前に、問題ないか見回っておいた方が良いか」
基本、育ちの良い連中の集まりであるから、備品や校舎を傷付けたりと度を越えて暴れてたりはしていないだろうが、万が一もある。軽く確認はしておいた方が良いだろう。
「とりあえず、手分けしてって………、ああ、そうか」
携帯を取り出し、元生徒会仲間であり同級生であるシャーリーに手伝いを頼もうとして、今日、彼女が学園に来ていない事を思い出した。
詳しくは知らないが、シャーリーはシャーリーで何やら色々と立て込んでいるらしい。時間があれば、顔を出すと言っていたが来ているだろうか。
「………ま、丁度、暇してましたし」
僅かな俊巡の末、ポケットに携帯を押し込む。一人で方々を巡るのは面倒に違いないが、どうせ何もなければあの生徒会室で時間が過ぎ去るのを待っていただけの身だ。動き回っている分、まだ建設的な時間の使い方だろう。
それに、何となく、今は学園内を歩き回りたい気分だった。
「これがモラトリアムって奴なんですかねぇ……」
愛しの女性が折に触れては口にしていた言葉を冗談ぽく口にする。当時は性別の違いからか、いま一つ理解に苦しむ話ではあったが、今なら彼女の気持ちが良く分かる。
特別なのだ。やはり、青春という時間は。
大人でもなく、子供でもなく。
大人ほど
きっと人生で一番馬鹿でいられる時間。人生で一番可能性に溢れている時間なのだ。
だから、眩しい。懐かしく、惜しみ、振り返らずにはいられない。キラキラと輝く宝石のように、その輝きを眺めずにはいられない。
それが、きっと青春というものなのだろう。
「アイツにとっては……、どうだったんだかな」
失いたくなかった、と、あの夜、彼は自分に言った。
彼の素性や生い立ちを考えれば、真っ当に青春時代を送れるとも送ろうとも思っていなかっただろう。
それでも、彼は自分にそう言ったのだ。
なら、少しは意味はあったという事なのだろう。彼の隣で何も知らず、ただヘラヘラと笑っていただけの自分の青春にも。
「……だったら、まぁ、………良いかな」
へらり、とリヴァルの顔に笑みが浮かぶ。諦めと悲しみと、少しだけ喜びがない混ぜになったような笑みを浮かべたまま、リヴァルは騒ぎの遭った場所の一つをチェックし終えると、よし、と小さく呟いた。
「特に問題なし、……と、急がないとヤバいかね」
時間を確認すれば、もう部活動も終わろうとする時間だ。ここの教員は生徒に負けず劣らず自由気ままなところがあるから、とっとと終わらせて報告に行かないと余計な問題を押し付けられかねない。
それだけは勘弁、とばかりに足早にその場を後にする。次の場所に向かう中、ちらりと周囲を見れば、部活動を終えた生徒の姿がちらほらと目に入った。
「ね? あれ、そうだよね? さっきの」
「あ、やっぱり? ちらっと見えただけだけど間違いないよね」
それと同時、周囲に視線を巡らせていたリヴァルの耳に、賑やかな声が入ってきた。
視線を戻せば、長い渡り廊下の向こう、同じく部活動を終えたらしい女子生徒が二人、並んで話しているのが視界に入った。
余程、話に華が咲いたのだろう。話に夢中な女子生徒達は向かいからやってくるリヴァルに気付く様子もなく、どんどんと近付いてきていた。
苦笑して、行く先を譲る。進行方向を僅かにずらし、女子生徒達の横をすれ違う、――時だった。
「だよね、だよね? チラッとしか見えなかったけど、アレ、絶対―――」
長い廊下を駆け回る。
時に左に、時に右に。自分でも何処を走ってるのか、分からなくなるくらいにひたすらに、がむしゃらに。
駆け抜ける耳に声援が届く。何処で聞いたのやら、視界の隅には野次馬根性の生徒が男女問わず、自分の事を応援する姿があった。
それに交ざって、野太い声。
自分の名前を口にしながら、背後より迫る体育教官は、そのイメージの通り、趣味としている筋トレで鍛えた筋肉を全力で躍動させ、さながら猪の如くリヴァルに向かって駆けて来ていた。
「……ッくしょーッ、何で俺の方に来ちゃいますかな………ッ!」
文句を吐きながらも、内心、自分で良かったと安堵する。
もし、体力に自信のない悪友の方に向かわれていたから、彼に逃れる術はなかったであろう。
尤も、悪知恵の働く相棒の事だ。こうなるよう状況を仕組んだ可能性は大いにあるが。
「どりゃ、しょ………ッ」
階段を勢い良く駆け降りる。途中、半分を過ぎたところでちまちまと降りる手間を省く為にジャンプ。無事に踊り場に着地したリヴァルは着地の衝撃に痺れる両足を休める事なく、すぐに駆け出そうとして―――。
「どわぁッ!」
すぐ目の前、階上から踊り場に一息に飛び降りてきた体育教官の存在に驚き、尻餅を付いてしまった。
「ここまでだな。全く、手間取らせてくれおって……」
着地のダメージもものともしない。
片膝を突いた体勢から、体育教官は平然と立ち上がると、じりじりと尻餅を付いたまま後ろに下がり続けるリヴァルに、教師とは思えない程にドスの利いた声を降らせ、何故か両の指を鳴らし始めた。
「ちょ、ちょちょ……ッ、体罰は流石になしというか、時代遅れではないでしょうか………!?」
その体格と相まって、威圧的に過ぎる姿から最悪の可能性を想像して、リヴァルは片手を突き出して弱々しく反論するが、返ってきたのは歯を剥き出しにして笑う、更に恐怖を煽る教官の姿だった。
「体罰……? 馬鹿を言え。誉れあるアッシュフォード学園の教師が、そんな前時代的な真似をするか」
その言葉に安堵するのも束の間、続く言葉にリヴァルは震え上がる。
「エリア11では健全な精神は健全な肉体に宿ると言われているらしいからな。それが本当かどうか、お前とランペルージには、これから俺が考案した生徒矯正用特別筋トレメニュー地獄版を受けて貰おう」
「響きが物騒なんですけど!?」
踊り場の壁際まで追い詰められ、どう聞いても体裁を整えただけの体罰っぽいメニューの名称に情けない声を上げるリヴァルとは対称的に、体育教官は先程までとは打って変わって、やたらと爽快感のある笑顔を浮かべると高笑いを始めた。
「ハッハッハッ! 何、心配するな、死にはせん。それに筋トレは良いぞ! お前達もきっとハマる。そうすれば、学校を抜け出して遊びに行こうなどという馬鹿な考えも―――」
「先生の趣味を否定するつもりはありませんが、それは遠慮しておきますよ」
「ッ、ランペ……ッ」
聞こえるや否や、踊り場がピンク色のスモークに包まれた。つい先日にも行われた、首謀者ミレイ・アッシュフォードによるゲリラお祭り騒ぎ。それに使用されて余り、生徒会が保管を任された発煙筒が獲物を追い詰めていた体育教官の視界を見事に奪う。
「チャ~ンス……ッ」
「ま、待て! カルデモンド!」
それを好機と見たリヴァルが四つん這いになりながら、教官の横をすり抜ける。気配に気付き、体育教官が声を荒げながらリヴァルを捕まえようとするが、彼が踊り場を脱出する方が早かった。
「すぐに戻ってきますから。勘弁してくれな、先生」
捨て台詞をスモークに煙る踊り場に投げ入れ、ようやく一階に到着したリヴァルは近くの窓に足を掛け、行儀悪く外に飛び出す。すると、待っていたと言わんばかりのタイミングでヘルメットが飛んできた。
反射的に受け取り、改めて前を向けば、そこには予め用意していた彼が愛用するサイドカー付きバイクと、一足先に定位置に辿り着いて、素知らぬ顔で乗り込んでいる悪友の姿があった。
「へへ……ッ、サンキュー」
「急げよ。最近、シャーリーがうるさいからな。午後の授業までには戻れるようにしたい」
「わーってますって」
返事を返しながら、受け取ったヘルメットを被り、バイクに跨がる。背後から、再び体育教官の怒鳴り声が響いてくるが、もう遅い。
「んじゃま、きちんと帰って来れるように……、たまには出してみますかッ、本気ってヤツを!」
にかり、と笑いながら、リヴァルは思いっきりアクセルを回す。
急発進するバイクは追ってきた体育教官を砂煙に巻き込むと勢い良く校舎の外に向かって、飛び出した。
「いやー、しかし、流石はルルーシュ君! 今回も見事なお手並みでしたなぁ!」
そして、その帰り道。
大型トラックや都市間バスも行き交う環状線を、リヴァルは行きよりものんびりとした速度でバイクを走らせつつ、サイドカーにて暇つぶしに本を読んでいたルルーシュに軽口を叩いた。
「相手がショボかったとはいえ瞬殺も瞬殺。クリアタイムの記録、更新したんじゃないの?」
「してないさ。51秒遅い。今回の記録は順番で言うなら三番目だ」
尤も相手がもう少し賢ければ、無駄に足掻かずに後三手は早く投了していただろうから記録を更新出来ていたかもしれないとルルーシュは続ける。
「へぇ~……、まぁ、俺は楽しかったし、おかげで安全運転で学校に戻れるから良いけど、さ」
そう言って、バイクを走らせていたリヴァルは一瞬だけ視線を外すと、ちらりとルルーシュの様子を窺う。
その様子は相変わらず。さして興味も無さそうな表情で風圧にぺらぺらと煽られる本を指先で器用に押さえつつ、ぺらりぺらりと一定のリズムを刻みながらページを捲っている。
「あー……、そういやさ」
視線を前に戻す。聞いているのかいないのか分からない友人の気配を探りながら、リヴァルは若干、口ごもりながらも何気ない風を装おって話題を切り出した。
「知ってるか、カレン・シュタットフェルトって? 何か身体が弱いらしくて、入学してから全然学校に来ていない女子生徒がいるんだけどさ」
「ああ」
「その子が、この間、少しだけ学校に来ててさ。俺も見に行ったんだけど、すげ~美少女でさ! 派手な紅い髪とは裏腹な儚げな感じが堪らないっていうか。あ、勿論、俺は会長一筋だけど、あのギャップにやられた男連中が今度のミス・アッシュフォードの最有力候補だって、すげぇ騒いで―――」
「へぇ」
興味なし。ワンストライク。年頃の男の子であれば、一も二もなく食い付くであろう極上の餌を見事にスルーされたリヴァルは、内心で呻きながらもめげずに次の話題を切り出した。
「美少女と言えば、シャーリーもだよな。噂だけどさ、最近、同じ水泳部員の先輩に告られたって話だぜ? そこら辺、どう思います? ルルーシュ君的に」
「どう思いますも何も、確かに魅力的ではあるからな、シャーリーは。告白の一つくらい、されても可笑しくないだろ」
「いや、まぁ、そうだけど、そうじゃなくてさ………」
呟かれた声は、風を切る音に紛れて弱々しく消える。
ツーストライク。ついでに、異性の友人の恋愛模様も、この様子ではあまり芳しくなさそうである。
「あ、じゃ、じゃあ、……そうだ! 今度さ、あるんだよ、大会!」
あまりの手応えの無さにたじろぎつつ、頭を回す。必死に記憶とネタを漁り、とっておきの情報を思い出したリヴァルは起死回生の思いでその話題を口にした。
「オオサカで、デカいチェスの大会が! 高校生でも参加可で優勝すれば賞金とさ、プロも参加する本国の大会への参加枠が―――」
「悪いが興味ないな。金を稼ぐだけなら、賭けチェスの方が効率が良い」
確かにリスクを度外視すれば、数回勝利して漸く賞金を得られる大会より、一回の勝利で金銭感覚の緩い貴族から金を巻き上げられる賭けチェスの方が遥かに稼ぎは良いだろう。
「それに、見世物になるのもゴメンだ。そういうのは、もっと健全かつ純粋にチェスをしている奴等でやっていれば良いさ」
「……………………そっすか」
スリーストライク。空振り三振。
掠りもしない興味のなさに、相づちを返す声にも落胆が混じる。
正直なところ、予想はしていた。理由は分からないが、この友人がどこか有名になる事を忌避している節がある事にはリヴァルも気付いていたからだ。だが、それでもあるいはチェスの大会ならばと思ったのだが。
「はぁ………………」
結果は敢えなく撃沈。
探り探りでとはいえ、ここまで手応えがないと流石に落ち込む。
信号でバイクを停めたリヴァルは、落胆を溜息に変えて吐き出すと、ハンドル部分にくたりと突っ伏した。
「どうかしたのか?」
「いんや~、別に………」
自分に原因があるとは露知らず。訝しげに声を掛けてきたルルーシュに適当に手を振って答える。
すると、そうか、とだけルルーシュは返すと再び本に視線を落とした。
色の無い、退屈に彩られた瞳を。
「………………」
その様子をこっそりと盗み見ていたリヴァルは、思わず目を逸らした。
出会った時と同じ瞳。出会った時と同じ虚無感。
それが、今のリヴァルには耐え難かった。
「なぁ~、お前さぁ………」
だからだろう。つい、聞いてしまったのは。
「何だ?」
「やりたい事ってないの?」
特に答えを期待していた訳ではない。このひねくれ者の友人が素直に答えてくれる程簡単な性格をしてるなら、リヴァルは今こんなにも悩んでいたりはしない。
ルルーシュと出会った事で、リヴァルの日常は変わった。
型に嵌まった平凡と、ちょっとしたスリルだけだった毎日が一気に面白くなった。
一緒に馬鹿をやってくれるのが楽しくて。目の前で繰り広げられる逆転劇が爽快で。鼻持ちならない貴族の鼻が明かされるのが痛快で。生徒会で振り回されるのが可笑しくて。何より気の置けない友人というのが最高で。
これこそが青春。これぞ若者と言える程、ルルーシュと出会ってからのリヴァルは愉快で刺激的で充実した日々を送る事が出来ていた。
だが、ルルーシュは?
自分と出会った事で、ルルーシュの日常に、青春に変化は訪れたのだろうか?
確かに、リヴァルがルルーシュと絡むようになったのは、彼がヤバくて面白そうな奴だと思ったからだ。
一緒に居れば、もっと刺激的で、ずっととんでもない事を体験出来ると思ったからだ。
だが、一緒に居れば関係性も変わる。関係性が変われば、相手に抱く感情も変わるようになる。
少なくとも、自分一人だけが楽しければ良いと、そんな風に思えなくなるくらいには二人の間柄は変化していた。
だって、そうだろう? 相手がどう思っているかは知らないがリヴァルにとってルルーシュは、ちゃんと―――。
「やりたい事、か………」
微かに届いた呟きに、悶々としていたリヴァルの思考と耳が傾く。
とはいえ、答えを期待しての事ではない。所謂、条件反射のようなものだ。
先程も言った通り、素直に答えてくれるなら苦労はない。そもそもからして、自分の事は妙に語りたがらない相手だ。どうせ、適当にはぐらかされるだろうとリヴァルは耳を傾けながらも、そう考えていた。
だから、一瞬、耳を疑った。
「―――――え?」
「信号、変わったぞ」
「うわッ、た、と………ッ」
指摘され、慌ててアクセルを回す。急発進にエンジンが唸りを上げ、驚きから加速し過ぎた車体が二人の身体を前後に大きく揺さぶった。
「おい、リヴァル…………」
「わ、わりぃ、それより、今、なんて………?」
ジト目で睨んでくるルルーシュに謝りつつ聞き返す。話を流されたくないからか、謝罪もそこそこに真剣な声音で問い掛けてくるリヴァルに、ルルーシュは文句を引っ込めて嘆息すると視線だけは本に戻しながら口を開いた。
「ある、と言ったんだ」
返る答えは端的に。
先程までと同じ、淡々としていて態度も素っ気ない。
敢えて違いを上げるなら、一瞬だけ空虚な瞳に昏い光が宿った事だろう。
だが、それに気付かないリヴァルは、ルルーシュが率直ながらもはっきりと言い切った事に驚き、絶句していた。
「―――――――」
正直に言って。
そんなものはないのだと思っていた。なにも、とそう答えるだろうと思っていた。
だって、今日に限らず、隙あらば色んな話題を振ってそれでもずっと空振りだったのだ。リヴァルからしてみれば、――いや、リヴァルに限らずルルーシュを知る者なら大なり小なり驚いた事だろう。
そう思うくらい、ルルーシュはあらゆる事に無関心で、無興味だった。
必死になるのは妹の事くらいで、何でも出来るのに何もかも適当で、そのくせ、退屈だけは持て余して。
――ひょっとして、やりたい事なんて何もないんじゃないか。
大人びているとかじゃなくて、夢とか希望とか、人並みに抱く想いを始めから持ち合わせていないのではないかと、そんな馬鹿げた不安を抱くくらいリヴァルから見たルルーシュは乾いていた。
だから、そんなルルーシュの口から素直にやりたい事があるという言葉が飛び出した事は、リヴァルにとってあまりに予想外で――
「―――はは」
あまりに嬉しい事だった。
「はは、はははは! そっか、あるのか、……そっかぁ…………!」
運転中にも関わらず、笑いが止まらない。何が可笑しいのか、堰が切れたように笑い続けるリヴァルに最初は怪訝な表情をしていたルルーシュだったが、やがて苛立ちが勝ったのか、ふん、と不機嫌そうに鼻を鳴らすと無視を決め込むように読書に戻ってしまう。
「悪い悪い、いや、別に馬鹿にしてるとか、そんなんじゃなくてですね」
「もう、言わん」
「だから、悪りぃって! でも、そっかぁ……」
はぁ、と思わず息が溢れた。まだ僅かに笑みを孕んだ息は熱く、改めてルルーシュの言葉を噛み締めるように一瞬だけ遠い空に視線を送ったリヴァルは、うん、といつもと変わらない調子で。
「なら、付き合ってあげますよ、それ」
何気なく、自分の気持ちを口にした。
驚きからルルーシュの顔が持ち上がった。
よっぽど意外だったのか、何の含みもない、まっさらな視線がゴーグル越しに運転するリヴァルの横顔を捉える。
リヴァルは何も言わない。何やら満足気な顔で、ちらりとも視線を向ける事なくバイクを運転している。
その横顔をルルーシュはじっと見つめる。何かを探るでもなく窺うでもなく、ただじっと見つめて――、盛大に息を吐き出した。
「………まぁ、気持ちだけ貰っておく」
「何だよ。気持ち以外もちゃんと貰えよ」
分かりやすいくらいに呆れたと言わんばかりの溜息を吐いて、折角の良い話を打ち切ろうとするルルーシュにリヴァルが口を尖らせて反論する。
「遠慮する。そもそも良く知りもしないで付き合う馬鹿がいるか」
「いるんだから、しゃーなしでしょ。というか、付き合うに決まってるじゃん? だってさ………」
付き合う理由なら沢山ある。スリルだとか退屈だとか言葉にすれば陳腐に色々と。
けど、結局はシンプルだ。大層な理由がなくても、何をやるのか知らなくても、たった一つ、けれど十分過ぎる理由がリヴァルにはある。
だって………
「友達でしょ? 俺達」
そう。
友達だ。
友達なのだ。
だから――――――
今、自分はこんなにも必死に走っているのだろう。
ぜぇ、ぜぇ、と息も絶え絶えになりながら、茜色に染まる廊下をリヴァルは必死になって走る。
元より部活動の揉め事に駆け出され、方々を走り回ったリヴァルの身体は既に限界で、途中、何度も足を取られては転び、強かに打ち付けた身体はどこもかしこもじくじくと痛い。
けれど、止まらない。転ぶ度に立ち上がり、真っ赤に染まる廊下を自分の影を追うかのようにがむしゃらに走り続ける。
生徒会室にはいなかった。クラブハウスにも気配はなかった。なら、後は………。
「畜生………」
知らず、吐き出す息と共に言葉が漏れた。
誰に対してなのか。何に対してなのか。無意識に零れ落ちた故に、リヴァルにもそれは分からない。
「畜生……、畜生、畜生、畜生………ッ」
いいや、そんなのは嘘だ。何を言いたいのか、何を叫びたいのか、それが分からないなら、こうして転がり走り回ってたりはしない。
だって、答えは最初からあったのだ。きっと百回問われても、百回その答えを答えるだろう。そんなたった一つでシンプルな答えが。
なのに―――。
「畜生……………ッ!」
吐き出す唇に力が入る。
息も絶え絶えだと言うのに、前歯が自らの呼吸を止めるように唇を噛む。
どうして、なのだろう。
あれ程スリルを求めていたのに。あれ程日常なんて退屈だと笑っていたのに。
どうして、肝心な時に馬鹿でいられないのか。
どうして、いざという時に賢しくあろうとするのか。
そんな自分が嫌だった。
いざ、この時になって、馬鹿な子供でいられない自分の小賢しさが、堪らなく嫌いだった。
――だけど、それが正しいのでは?
「うるせぇ………」
――友情の為なんて綺麗事の為に、人生を棒に振るのか?
「うるせぇ………ッ」
――テロリストになるかもしれないのに?
「ッ、うるせぇ………ッ!」
――人殺しになるかもしれないのに?
「うる、せぇッ! うるせぇっつってんだろッ!!」
――ただの学生でしかないのに?
「うるせぇッ! うるせぇうるせぇうるせぇ……、ッ、うるさいんだよッ!!」
―――――現実を見ろよ。
「うるさいッ!!!」
張っていた虚勢が剥がれ落ちる。癇癪はここが限界だった。
疲労にも耐えていた両足の動きが鈍り、遂には止まってしまう。
視界が溺れるように歪んだ。食い縛った唇が震え、行き場を失くした憤りが拳となって、掌に爪を食い込ませる。
「………………畜生」
結局、こうなのだ。
結局、自分は止まってしまうのだ。
現実なんて分かってる。何が正しいかも、あれもこれも何もかも分かっている。最初から全部分かっている。
だから、自分はこんな所にいるのだ。
分かっている。分かっている。分かっている分かっている分かっているんだ。
―――だけど。それでも。
「友達なんだ。友達なんだよぅ………」
「――――リヴァル?」
迫る夕闇に溶けるかのように、俯き項垂れるリヴァル。
そんなリヴァルの背中に問いかける声があった。
のそりと振り返った先、そこにいた一人の少女。夕日の茜に負けず劣らず、鮮やかな燈の髪色をしたリヴァルと同じ唯の学生。
「シャーリー…………?」
「………大丈夫?」
「ッ、あ、いや、ちょっと走り回り過ぎちゃってさ。目に汗が…………」
そこで今の自分の状態を自覚したリヴァルは誤魔化すように、慌てて瞳から流れ落ちているものを制服の袖でゴシゴシと拭う。
「っていうか、どうしたんだよ、シャーリー。今日は来れないって言ってなかったっけ?」
「うん。そうだったんだけど、ちょっと早めに先生方に相談しておきたい事があって。そしたら…………」
そこで途切れた言葉と共に、シャーリーの視線がリヴァルからリヴァルの背後、――その先に続く廊下へと向けられた。
その視線を追って、リヴァルも廊下の先へと視線を向ける。自分が向かおうとして、――止まってしまった廊下の先へと。
「…………行かないのか?」
ぽつり、と一言問い掛ける。脈絡のない問いではあるが、自分が此処にいて、シャーリーも此処にいるなら何が聞きたいかは決まっている。
「……うん。つい、ふらふらと来ちゃったけど………、行かないよ。………行けない」
「………そっか。…………そうだよなぁ」
ああ、と自分勝手な嘆きが聞こえた。同時に、ほっ、と胸を撫で下ろす音も。
それは余りに聞きたくない答えで、……余りに聞きたい答えだった。
だって、シャーリーだ。この学園で恐らく、誰よりも真剣にアイツの事を想ってきた少女だ。
その彼女ですら足を止めたのだ。なら、諦めもつく。所詮は住む世界が違ったのだと、暗く卑屈な正論で自分を諦めさせられる。
そんな風に自分を誤魔化そうとしたリヴァルが、へらへらと笑みを浮かべて、シャーリーに向き直ろうとした時だった。
「だって、今、会うと折角固めた決心が鈍っちゃうかもしれないし」
「え?」
朗らかに告げられた言葉に、反射的に首が動いた。
聞きようによっては、悪い方向に決心を固めたとも取れるかもしれない。
けど、そういう意味ではない事は、振り返った先のシャーリーの強気な瞳と笑みを見れば、一目瞭然だった。
「シャーリー………?」
「リヴァル、あのね、私、決めた事があるの」
そう言って、自分の決意を明かすシャーリー。
同じく、唯の学生の、同級生の、仲間の、恋する少女の秘めたる想いと決意。
それが、近い将来、リヴァルの選択にどのような影響を与えるのか。
今はまだ、当人を含め、誰にも分かっていなかった。
※リヴァルとルルーシュの出会いはドラマCDを参考に少々アレンジしております。
長らく放置してすみません。上手く書けずに筆が止まりかけていたところ、ご時世も重なり完全に筆が折れておりました。せめて生存報告くらいはとも思っていたんですが、いつ戻ってこれるか分からないのに変に期待させてもと思うと尻込みしてしまい……、いや、本当に申し訳なかったです。
相も変わらずの遅筆、亀更新となりますが、またぼちぼち書いていきますので、良ければ付き合って下されば幸いです。