「「………」」
何コレ。
何この状況。
向かい合うは霊夢とアイリス。
ブルーシートに座りながら相対する様は非常にシュールじみていて、不穏な空気を遠慮なく垂れ流すことから、周囲に人間や妖怪の姿はない。本能が『近づいたらアカン』と囁いているのだろう。
料理担当から解放された俺は、若干白目をむきながら自作の飯をつまんで麦茶を煽る。二人も互いに視線を逸らさずに黙々と食べており、余計に気まずい空気を増長させるのだ。紫までも「師匠、一緒に料理でもお取込み中でしたね失礼しました」と早口に去っていった。
喉を潤すだけにコップを傾けて流し込みながら、俺は二人の様子を確認する。
片方は幻想郷屈指の妖怪絶対倒すウーマン、博麗霊夢。
片方は街屈指の暴走破壊女神、アイリス・ワルフラーン。
これに挟まれるとか何の罰ゲームですか?
神様は俺に何か怨みでもあるんですか? 神様目の前にいるけど。
「……それで、アンタは何のようで幻想郷に来たのかしら?」
「紫苑の居る場所が私の居る場所」
遠回しに「移住する」と仏頂面で呟くアイリスに、霊夢は苦虫を噛み潰したような、何とも言えない表情を浮かべる。出会いが出会いなだけに、尋ねるときの声色にも刺があったのは仕方のないことだろう。それを気にするような駄女神じゃないさ。
こんなん来られても困ると言いたげな霊夢を尻目に、始末書量産機は仏頂面で俺を見据える。
「紫苑、久しぶり」
「今それ言う? それ会ったときに言う台詞であって、出会い頭に切りかかる必要なかったよな? あのときヴラドいなかったら俺死んでたんだけど」
先日レミリアん家に逃げ込んできたときに、何を根拠に襲撃して来やがった目の前のアンポンタン。ヴラドが咄嗟に鎖でグルグル巻きにして、宴会当日まで地下室に放り込んでいてくれなかったら大変なことになっていただろう。食事なんかはこぁさんが持っていってくれたらしいが。
拉致監禁に見えなくもないが、この際はっきり言おう。
俺もコイツに同じように監禁されたことがある。
つまり俺は悪くない。
奴が文句言ってきたところで盛大なブーメランだし。
「あの程度じゃ紫苑は死なない。死んだとしたら紫苑の腕が鈍っていたから」
「……それで死んだら元も子もないでしょ」
「貴女には関係ない」
「「………」」
仲悪いなコイツ等。
睨み合ってる二人に溜め息をつきつつ、俺は自分で作った卵焼きを飲み込み、アイリスの方に向き直る。
「お前に
「私は部隊をクビになった」
「I beg your pardon?(もう一度言って?)」
親の顔よりも見た仏頂面で繰り返すアイリスに、俺は本気で頭の中が真っ白になった。
クビ? アイリスが? 部隊長を?
「オイオイオイオイ、冗談は言動だけにしてくれないか? 何をどうしたらお前が部隊長をクビになるんだよ。もしかして街の東方区域を更地にしたんじゃないんだろうな?」
「紫苑さん、流石にそれはないんじゃないかしら?」
「この脇の言う通り。そんな西条みたいなことはしない」
「前例があるの!? つか脇言うな!」
西条のクソババアの話は置いといて、ぶっちゃけアイリスの言ったことは信じられないことなのだ。んなことどーでもいいと仏頂面を崩さないアイリスを尻目に、俺は眉を潜めた。
頭がおかしいけどコイツは街でも屈指の実力者。というか火力面なら重奏メンバー並みの女神様で、部隊長なんて正直言えば反乱分子を制圧できるだけの力さえあれば馬鹿にでも勤まるのだ。書類仕事は他のやつらに任せればいいし、そもそも重奏最弱と謡われた俺が部隊長をやっていたこと事態がおかしいからな。
加えて、暗闇は『このアホに首輪をつける』意味合いでアイリスを任命させたはず。戦力的にも手放す理由がない上、んなことしたら要塞や土御門の姐さんが黙っちゃいないだろう。
どう考えてもアイリスがクビになる原因が理解できない。
「幻想郷に居る紫苑をなんやかんやしてこいって暗闇が言ってた。だから私は紫苑を守るために来た」
凄いこの子。憶測だが暗闇の『紫苑の――』の発言だけで、ここまで拡大解釈をしたんじゃなかろうか。
ちなみに後半部分の発言にツッコミはいれない。
昔の話だが、矛盾という言葉を再現するかのように、皮肉を込めて「最強の矛で最強の盾を刺したら、どーなると思う? お前の言動ってそれに近いんだよ」と尋ねてみたところ、
『最強の盾だから矛を通さない』
『それじゃあ最強の矛じゃないよな?』
『でも最強の矛だから貫通ダメージが発生する』
『貫通ダメージ』
『だから盾も砕けないし、矛もダメージを与える。つまり私の行動は全てにおいて正しい』
コイツの辞書に『矛盾』って世間一般の意味で書かれてないんだなって思いました。
だからコイツの思考回路が『守る=とりあえず出会い頭に襲う』を導き出したとしても、俺はもう不思議に思うことはないし色々と諦めている。
俺は深海よりも深いため息をつきながら立ち上がる。
それに霊夢が反応した。
「どこ行くの?」
「紫んとこだよ。コイツと兼定に関しての処遇を決めないといけないし、なんか結界がどうのこうのってマリーとも話をつけないといけないし。……おい、お前はついてくんなよ? 仕事が増える」
ちゃっかりついて来ようとしたアイリスを制止し、俺は頭を掻きつつ戦線を離脱する。一番の理由は、適当な理由をつけて離れたかっただけ。
暗闇も余計なことをしてくれたもんだ。もしかしてあの
♦♦♦
彼は私にとって
『……出来損ないの神か。何故ここに?』
私が生まれたのは偶然の産物だった。
神の大半は人の信仰心によって生まれた存在。所詮は
それは他の神話の神々だって同じだ。存在意義などなくとも、逸話の模倣をするのも然り、新たな生を謳歌するのも然り、どのような生き方をしようとも間違いなどはなかったのだろう。しかし、私が生まれたのは……否、
何故なら――私は
『生きてはいる、か。目は死んでるが』
他の神より生まれる時期が遅かったからか。
歪な空間で生まれたからか。
私には分からなかったが、とにかく私の身体は不完全な状態で地上に生まれた。当時の自分は何者かも理解できず、まるで記憶と思考を取り除かれたような人形のまま、どこか辺鄙な廃墟に放り出されたのだけは間違いなかった。
打ち捨てられた
手を動かす気力も……いや、そのような思考もなかった。
『暗闇から拾って来いとは言われたが……まったく面倒なことを』
目の前に映るのは一人の人間。
外套で顔などを確認はできなかったが、鋭い瞳がこちらを捉えているのは確かだろう。
その後、私は拾われた。自分の外套を剥ぎ取り、私の身体を包んで、彼は私の生みの親の元まで運んだ。
『――は?』
『だから、彼女のことは紫苑に任せるよ。ちょっとボクはこれから用事があるからココを離れるし、他に任せられる人がいないんだよねぇ。いやー、君が居てくれてホント助かったよ!』
『……コレはお前の残り滓なんだろう? 子守なんて管轄外だ』
『管轄内ならそれこそ驚くけどねー。あ、そういえば君は自分の名前は覚えてるかい?』
首を横に振る。当時の私に記憶はなかった。
そのうち自分の真名に気付いていくのだが。
『そっかー。ん? なら紫苑に名前を決めてもらおう!』
『は? 正気か?』
『紫苑も確か彼女の神名は知らないんだったよね? ほら、拾ったものには名前を付けるのが碇石なんだし、とびっきりキュートでチャーミングな名前をつけちゃいなよYOU! ふっふっふっ、紫苑のネーミングセンスが試されるぅ!』
今の紫苑なら「コイツ完全に面白半分でふざけてやがったな。……思い出しただけでもイライラしてきた。ちょっとアイツ殴り殺してくるわ」とか言いそうだが、当時の紫苑は何故か暗闇の言うことには忠実に従っていた。正確には上司の言うことには無理難題でも素直に従っていた。
考え込むように視線を彷徨わせ数分悩んだ後、ボソリと短い単語を口にした。
『――アイリス』
『ほうほうほうほう、アイリスちゃんか。君にしては上出来な名前をつけたじゃないか。……まぁ、アテナもアナトやアテネなんて多くの別名があるし、割かし近い名前なのに驚いたなぁ』
後半部分は何を言っているのか聞き取れなかったが、私にとっては『新しい名前』という響きに、記憶がないにも関わらず胸にくるものがあった。
名は体を表す――という人間の故事があるらしいけれど、この時名前を手に入れた私は確かに視界が開けたような感覚に見舞われた。今まで灰色にしか映らなかった目の前が、急に色彩がつけられた鮮やかな世界に変わったのだ。
今思うとそれは私――アイリスの始まりだったのだろう。
それが紫苑が『この前要塞が猫につけてた名前』だったとしても。
『OK、それじゃあ彼女の名前はアイリスだ。……おっと、フルネームじゃないと戸籍作れないじゃん。えっと……そうだなぁ……適当に「ワルフラーン」でいいかな』
密かにつけられた私と紫苑の繋がりを示す家名。
そこから私の全てが始まり、私は『暗闇という女神により生まれた残り滓』から『夜刀神紫苑の部下アイリス・ワルフラーン』に変わった。唯一無二の存在となった。
そこからだ。私が紫苑を守ると魂に刻み付けたのは。
自分に色彩を与えてくれた人……という理由も無論のこと含まれているけれど、彼の傍で生きているうちに感化された彼の在り方に動かされた。街の中では非常に脆弱な種族である人間の彼は、独自の信念を以て狭間の世界で生きてきた。
私にはそれが――脆くも美しく見えた。
『どんなに立派な存在だろうと、死ぬときはあっさり死ぬもんだなぁ』
『仲間を守るって信条が、弱者の寄せ集めによる下らない集団意識だって言うんなら……俺達は下らない集団で一向に構わん。少なくともアンタ等のように成り下がりたくはないね』
『数は力だぜ、アイリス。俺達は無双ゲーやってるわけじゃないんだ』
『戦ってのは始まる前で九割が決まる。数揃えて万全の準備を整えて、いざ戦ってのが理想的かつ効率的な勝ち方だ。要するに戦略が大事ってコト。……んな有利な条件で戦ったことが少ないから実感がないだろうけどさ』
『――全てだ。こっちに敵意向けてくる命知らずは全て殺せ。俺達に仇成す連中は老若男女関係なく一族郎党全員を皆殺しにしろ。心臓に獲物ぶっ刺せば大概の連中は死ぬからよ、理屈なんて細かく考えなくていい』
彼の言ったことは全て記憶に刻まれている。忘れることもあるけど。
紫苑は確かに弱い。けれども彼は自分達……仲間のためなら命すら賭けて私達を守ってくれた。知識と戦術を以て、彼は敵意と畏怖という重圧を一身に背負って生きてきた。あの化物共からの重圧というのはどれほどの重みだったのだろうか?
だから彼が隊を離れることに誰も苦情を言わなかった。むしろ皆が安堵した――「重圧で壊れる前に離れてくれてよかった」と。
故に私が解任されたときに皆に托された。
紫苑を守ってくれと。
現在、どっかの脇と一緒に酒を飲みながら、紫苑の去った方を向く。
いまの彼はとても楽しそうだ。
その楽しい彼を守ることが――私の役目。
I don't know why But you saved me.
So, I live only for you.
ヴラド「アイリスの出生の裏話か」
紫苑「他にぶっ込む予定がなかったから……」
ヴラド「それにしても最後の英文はロマンチックだな」
紫苑「だ が 字 は 書 け な い」
ヴラド「読めるけど書けない。日本人『薔薇』や『魑魅魍魎』ってのが良い例じゃの」
紫苑「ちなみに最後の英語は『何故だか分からないけど貴方は私を救ってくれた。だから、私は貴女の為だけに生きる』って訳」