辺りは白く雪に彩られ、聞こえてくるのは
それら以外の音は雪に吸い込まれていくかのように静かで存在を主張するものは他にいない。
私たちは今、北の大地を進んでいる。
雪深くなる前にこの地に足を踏み入れて最初に目にしたのはこの雪景色。
温暖な山間で暮らしていた私には広大な大地が一面雪に覆われている世界など目にしたこともなく、感動に打ち震えた、のだが流石に四日も経てば飽きも出てくる。
今では稀にポツリと姿を現す獣の方が興味を惹く。
海峡を越え、見慣れた鱗姿の
しかし寒さは悪い面だけではない、物が腐りにくくなるという商人にとっては嬉しい側面もある。但し、輸送費が馬鹿にならないので結果として赤字を回避できるかどうかといった程度の儲けにしかならない。
世の中そんなに甘くは出来ていないということだ。
では何故、わざわざこんな所まで足を運んでいるかと言えば理由は二つある。一つは経験を積むため。
例えば馬車に注目してみよう。
見れば雪対策に幌屋根の傾斜が普通の物よりもキツくなっており、雪が積もらず落ちるように工夫が成され、車輪にしても藁を巻いて少しでも滑らないようになっている。
大したことのない備えに見えてもあるのと無いのとでは大違い。
そして、実践は更に段違いだということも思い知った。
知識は所詮、知っているだけで実際に車輪に藁を巻いたり、幌の皮に蝋を塗布する作業を行う手間など知らなかった。時間をかけ過ぎてしまい出発が遅れてしまったのだがチキナロさんは「初めはそんなものです」と言ってはくれたものの足を引っ張っている自覚もあり、完成しても手放しに喜べはしなかった。
そんなこんなで出発前に少しもたつく場面もあったが今は順調そのもの、籾殻と藁で作った即席の座布団を尻に敷き、未だ目的地の見えぬ路先を御者台から見つめている。
忘れかけていたが二つ目の理由だが……実は知らない。
チキナロさんだけが知っており、私は北へ行きましょうという言葉しか聞いていない。
荷台には少し多めの糧食類に酒や珍味といった嗜好品、そこから推測し贔屓にしている商店か料亭かとも思ったのだが進めど進めど目的地には着かず、とうとう海峡を越えて此処まで来てしまったあたりで考えるのを止めた。
そもそも物知りであったり頭の回転が特別早いわけでもない、限られたどころか殆ど知らない事ばかりな中で答えを見つけることなど到底私には出来そうになかった。
唄でも口ずさみ暇を潰そうかとも思ったが隣に誰かいる状態で意気揚々と唄えるほど図太くはないので鼻唄に留めている。
実を言うと鼻唄も恥ずかしい。だが話をするきっかけにでもならないかな、という期待を込めて始めたものの……アテが外れた。
想像していたよりもチキナロさんはしっかりと聞いてくれてその、困惑している。
簡単な出来合いの料理を手放しで褒められた時のような少し困る反応だ、表情は一切変わっていないが耳が時々小刻みに動いていることから評価は悪くない様子。
止め時を失った鼻唄は結局、ずるずると五曲は唄った所でやっと途切れた。
「おや、止めてしまうのですか」
少し残念そうな顔をこちらに見せられても悪いがこれ以上は勘弁していただきたい。
聴いてくれているからと頑張ったが、もう限界です。
「拙い唄ですから、軽く聞き流してくださればいいのに」
「いえいえ、聴いたことのない風変わりな曲でしたので実に興味深かったのですが、そうですか……」
劇中歌なら兎も角、主題歌は自重するべきでした。
余程気に入ってくれたのかチキナロさんの妙な期待の眼差しを感じるがここは話を変えさせて頂く。
「チキナロさんは楽、唄や楽器を嗜まれてはいないのですか?」
「楽器ですか。考えたこともありませんでしたよ」
「弦楽器……は保管が難しいですし、笛や鐘、
「それは嬉しいですねぇ、旅の楽しみが増えました」
大きく目を見開いた後、そう言うと私の鼻唄を真似た少し外れた鼻唄を鳴らしてみせた。
ああ、何度も繰り返せばある程度は覚えてしまいますよね、まさかこのまま各地に行商と一緒に唄が広まったりなんてしませんように。そんなことを願いつつ諦めてチキナロさんと一緒に鼻唄を唄いながら雪道を進む、チラチラと雪が降りゆく先にはまだ何も見えない。
当分はたった二人と二頭の音楽会となりそうだ。
* * * * * *
更に七日、方角を頼りに真っ直ぐ進む私たちの前にようやく村と思しき姿が薄っすらと目に入る。
あれから雪は次第に降り積もり、進めば進むほど負担が増し、何度も足止めを喰らいながらも無事に此処まで辿り着くことが出来たことを素直に喜びたい。
あそこまで行ければ頑張ってくれた
だからもう少しだけ頑張って欲しい、頼んだぞ。
そんな気持ちを汲み取るように
港町、というより漁師町や漁村といった小ぢんまりとした印象の村は冬のせいかヒトの姿が全くない。
当たり前だが冬場は遠くまで漁に出ることはできず、専ら内職に従事する者が殆どで尚且つ雪深いこの地で外へ出ていくのは雪かきの時ぐらいだろう。
そんなワケで人通りの無い寂しい道を奥へと進む。
本当に何処へ向かっているのやら。
「え、本気ですか」
まさしく唖然である。
漁村を進んで行けばとうとう村の敷地を抜け、海岸まで出てきてしまった。
もうこの時点で色々言いたいがまだ、我慢しよう。
さて、目の前のコレは何だろうか。
答えは船、しかも寂れた漁村に似つかわしくない立派な物で隠すように停泊している、もう駄目だ。
絶対に教えてくれなかった二つ目の理由が関わっている、間違いない。
案の定、馬車ごと乗船していく……此処も目的地じゃないんですね、まだ先があると。
脱力感に苛まれながら徐々に離れていく陸地を眺める。
さようならトゥスクル、初の行商人への奉公でまさか住み慣れた土地というか島ごと離れるとは予想外でした。
あぁ……どんどん陸地が遠くへ行ってしまう。
「チキナロさん、列島を離れるだなんて私聞いていませんよ」
「言っておりませんし。それに行商の旅ですから遅かれ早かれ離れる機会はある筈です」
でも、一言相談して欲しかったかな。
そんな不満が表情に出ていたのか、チキナロさんも苦笑で応える。
「依頼者からの希望でして、仕事の内容は内密とのことでラナヤさんでもお話出来ないんです、ハイ」
「目的地も駄目なんですか?」
「そうですね、目的地が近づいてきたら教えましょう」
かなり厳重に情報を明さない。いや、話せないんですかね……依頼者の監視の目があるとか、かなり地位のある御仁であるとか、どちらにしろ私は関わるのは御免なのでこの対応は有り難い。
列島抜けた時点で薄々、イヤな予感してましたし、これ以上の追求も藪を突付いて
これ以上の話を聞く気はありませんという意思表示にパタンと耳を閉じてみせる、聞か
「賢明です。場の流れを読んで利益を上げるのが商人ですからね、自分自身もまた一つの財産です、ハイ」
これはもしかしなくても首を突っ込むと危うい仕事もある、ということを実地で教えてくれたんでしょうか?
こんな風に自分で考えて経験を積み少しずつ成長しろと。
むむ、弟子入りして島を離れるわ、追求厳禁のほんのり黒いお仕事に連れて行かれるやらこれは中々キツいことになりそう。
そんな前途に不安を感じる私を乗せた船は早々と大海原を突き進む、次こそは目的地に着くことを願って。