夢を見ている。
それは、もしかしたら在ったのかもしれない幸せな光景。
身体を休めて横になる優しげな女性と今よりも若く逞しい青年が産まれたばかりの赤子を抱きかかえ喜びを顕にしている。
「そんなに揺らしてはその子が驚きますよ?」
そう言いつつも女性の表情には笑みが溢れ、夫と娘の両方に向けた深い愛情が感じ取れる。そんな妻のやんわりとした優しい忠告に夫は直ぐさまーー
「確かに」
と、見事な動きで揺れなど起こすものかと腰を下ろした。愛娘の体調を慮った行動だがブレのないその動きは絡繰人形のようで少々滑稽である。そして夫婦二人に今も覗き込まれる赤子はといえば未だ見慣れない父母の顔を小さな瞳で見ては驚くように目を向ける。
座らぬ首で必死に全体を見るような目の動きはきょろきょろとし、まるで小動物のように落ち着きがない。
「ふふっ、落ち着きがないのはあなた譲りね」
「んん……そうだろうか?」
顔を寄せ合い、静かに話す二人の空気は温かい。
「そうだわ。あなた、この子の名前は?」
「ああ、この子の名はラナヤだ」
ラナヤ、ラナヤと女性は口に出すと花開くように微笑んで夫の手を握った。夫もまた想いやるように手を握り返す。
「
そう言うと天に翳すようにその子は抱え上げられーー
* * * * * *
「ーー父上っ!!」
幸せな夢から覚めた私は跳ね起き、涙の跡が残る頬を拭って周りを見まわした。場所は……焼け落ちた集落からあまり離れてはおらず煙の燻る空気と嫌な臭いがする。
いや、臭いは身体に染み付いてしまったのだろう。何度も行水でもしなければ抜けそうにない、それに加えて煤や汚れで酷い有り様なことに今更ながら気がついた。
そして……いつの間にか握られた父の得物。
三尺近い長さの鉄の棒に鍔に当たる部分には鈎が付いている、十手に近いといえば近い。血と煤に塗れて薄汚れたソレが目に入り、嫌でも思い出してしまった。
父がーー
血がどんどん地面に広がって。
不器用にーー
身体は熱を失い、冷たくなって。
笑って、そして死んーー
「おや、目が覚めましたか?」
聞いたことのない声が白くなっていた意識を現実に引き戻した。だが、妙な感覚が私を襲う。
この声に聞き覚えはない。しかし、声の主を何故か知っているような不思議な感覚だ……なんだろう、これは。
暗がりから姿を現したその人物は細面に狐を想わせる糸目の男性であり、身なりから察するに行商人だと思う。
柔和な笑みを絶えず浮かべ近づく男に自然と身体が強張った。
「顔色が先程よりだいぶ良くなっていますね、見たところ怪我をされている様子もない。不幸中の幸いですね、ハイ」
少しだけ覗いた瞳はどこか冷たい、ぶるりと身体が震え、後ずさる私に男は途端に落ち着きをなくして慌てだした。
「いえいえ! 勘違いなさらないでください! 私はラナヤさんが気を失っている間に一切お手を触れてはおりませんです、ハイ!」
何をそんなに慌てているのか判らないがそんなことより、今、聞き捨てならない言葉が聞こえた。
「……何故、私の名前をご存知なのですか」
「ええ、存じ上げておりますとも。ラナヤさんがお持ちのソレは私がお父上に融通させて頂いた逸品でして、覚えていらっしゃらないようですが実はかなり前にお会いしているのですよ」
「そう、なんですか?」
父の知り合い?
この行商人風の男がどういった経緯で父と知り合ったのか非常に興味があるが、今はまだ何かをする気力が湧いてこない。俯いて力無く沈む私の様子に男は眉をひそめる。
「この惨状です。お辛いかもしれませんが、何があったのかお聞かせ願えませんか?」
男の問いかけに無言で頷くと、ぽつりぽつりと説明をした。
何者かが襲ってきたこと、村に火が放たれたこと、住人が次々と殺されたこと、そしてーー父がもういないことを話した。
淡々と話し、疲れきった私に男は何も言わない。ただ、ため息を吐いて小さく「契約違反ですよ」と呟いたように聞こえた気がした。
「……分かりました。ラナヤさん、私の下に丁稚奉公にいらっしゃる、というのは如何でしょうか」
なんとも突飛な発案に私は面食らった、要するに彼は私の衣食住の面倒をみると言っているのだ。いくら父の知人だとしてもこれは……これに応じてはあまりにも図々し過ぎる。
有り難い申し出だが断わる他ないだろう。
「気持ちは嬉しいのですがーー」
「お気になさらず。これはお父上との契約だからです、決して同情や憐憫から言っているのではありません」
「契約、ですか?」
「そう、契約ですよ。常識や算学を私の下で学び。國を渡り見識を広げ
「そんな話……知らないです」
「勿論、本来ならばもっと先になるはずでした。しかし、このような状況に前金も頂いている以上は私も商売人。出来得る限りのお力添えをしたいのですよ」
そう口にする姿は少し哀しそうで、誠意が感じられた。なんとなくこの人を信用しても良い気がする……まあ、理由は判らないんだが。それに仕事として受けていると言われた方が相手に気兼ねなく接することが出来そうでいいのかもしれない。
そんな風に考えて私は一生を左右するかもしれない選択をほぼ直感で決めてしまった。
「あの……では、宜しくお願いします」
「いえいえ。此方こそ、どうぞ宜しくお願いしますです、ハイ」
深く頭を下げた私に男も丁寧に頭を下げる。どうやら礼儀に関しては少なくとも問題なく済んだようだ。そういえばーー
「ところでお名前をお聴きしていませんが?」
「これはこれは大変失礼いたしました。私、御注文とあらば人身売買以外はなんでも扱う、が信条のチキナロと申しますです、ハイ」
なるほど、会ったことがないのに会ったことがある気がしたのはこういう理由か。
そしてこれが、私と長い付き合いになる師にして行商人、チキナロさんとの出会いだった。