朝陽に照らされた集落の様子に息を呑んだ。
ただただ黒く、塗り潰された世界。
今日、この日を以って私の故郷は失くなってしまった。
はっきりとした現実として映し出される光景が胸を抉り、先行きの判らぬ不安が身体を震わせる。
でも、これだけは言っておかねばなるまい。
ありがとうございました、と。
心の中で呟き、少し先に待つチキナロさんの元に向かう。今日から何かと忙しくなるのだから。
* * * * * *
チキナロさんに最初に教わったのは呼び名だった。
旦那様かチキナロ様と呼ぼうとしていたのだが待ったをかけられた、理由はあまりに仰々しいからだ。
曰く幼い子供の容姿は相手の警戒心を緩める上で大いに役立つ、これは商いを営む際の大きな武器になるとのこと。
そして、堅い言葉遣いでありながらも主人を呼ぶ際は言葉に親しみを込める姿はいらぬ疑いを掛けられる心配を減らすことができるそうだ、つまりは人買いではないかという疑いを。
もちろん、場は弁えなければならない。
位の高い者や公の場で行えば逆に不審に映るだろうことは明白であり、使い分ける機会も勉強しておかねば。
もしかしたら変に気を遣わなくてもいいという理由のさん呼びなのかもしれないが……これは考え過ぎだろう。
これから向かうのは少し離れた場所にある集落への連絡、そして助力を乞うためのお願い。
あちらでも煙りや焦げた臭いを不審に思い、様子を観に使いが出されていると思われるので途中で合流できると予想を立てている。
辺境で暮らしていくうえで周囲の変化に気を配るのは生死に関わる問題なのでその点は疑うべくもない。
あとは亡骸を埋葬する手助けを願い出るつもりだが、これも心配はしていない、辺境の民は繋がりも強く助け合わなければ生きていけないことも判っている。
それに、死骸は腐敗する。
一つ二つならまだマシだが数が増えれば蟲や獣が集まってきてしまう、そうなれば疫病や獣害の可能性は跳ね上がり程近い集落にも影響がでるということもある、だから早めに対処してくれるはず。
噂をすればなんとやらか、一本道の先に慌ただしく進む男衆の姿を認めた。
歩調を早めて向かえばあちらは走ってこちらに向かってくるではないか、身支度を整える場所も物も無い私はそのままの恰好で歩いてきたが……もう少し身なりをなんとかするべきだったか。
「おぉ、クィゼンさんとこの娘っコでねぇかッ!」
慌ててがなり立てるおじさんに見覚えがある。何度か物々交換に来たり、父に手ほどきを受けて吹き飛ぶ姿が印象深い。記憶の殆どが父関連なのが悲しいところ。
「オメェさん、こげな汚れてどうしたんじゃ……」
「失礼いたします。まことに申し訳ないのですが早急にお隣りの村でお話ししたいことがあるのです、ハイ」
二度手間になることを避けてか、チキナロさんが話しを遮るように前へ出る。
興奮したおじさんは少し面食らったようだが、切り換えも早く、追いついたヒトたちも加えてすぐに村へ戻るよう声をかけている。
私は基本的に会話には参加していない、当たり前だが子供が大人の話に交じり意見することなど滅多にない。
話も纏まりとんぼ返りする男衆に続き、私とチキナロさんもその後を追う。
長閑な道を進むこと数刻、目的の集落ユタフへと辿り着いた。
私の住んでいた少人数の村とは違い、数軒の家と簡素な畑、そして蔵や川がある。
戻った男たちの出迎えなのか、次々と閉めきった戸が開き住人が姿を見せ、村を進む我々に合流していく。
終着点である長の家まで来ると中に入るよう勧められた。予め話が通してあったらしく私を含めて中に入れば、皺の深い真っ白な髪と髭の御仁が腰を据えている。
村長と思しきその人物は一同の顔を眺め、口を開いた。
「何が起きたのか、儂らにお話しいただきたい」
* * * * * *
話をしているチキナロさんと村長をよそに私は綺麗にされていた。
煤と血に汚れた姿を見た女性陣の男衆への風当たりは強く、この身は何の助けにもならずあれよあれよと運ばれ、清められ、身なりを整えられている真っ最中である。
酷いなりをそのままにしたのは同情心を引き、少しでも優位に話を進めることができるようにと、チキナロさんと話して決めておいたことだったのだが……辺境の女が強いということを計算に入れていなかった。
男衆にあまりひどくは言って欲しくはないと言ってはみたものの効果のほどは期待できないだろう。
髪を櫛ですられる傍ら、手に目を落とす。
熱を帯びた金属を握ったことでできた火傷が痛々しく、清潔な布に包まれている。
あの時は色々あり過ぎて全く気にしていなかったのだが落ち着いた今ではひりつく痛みに顔を終始しかめていて可愛げもなにもあったもんではない。しかし、痛いものは痛い。
見違えるように綺麗にしてもらい、ヒトが集まる場に顔を出すと鍬や鋤など各々が持てる道具を用意して出発に備えていた。
働き盛りは勿論のこと、大人と呼ぶにはまだ若い少年の姿もちらほらと見受けられる。現実を知るには良い社会勉強となるのだろう。
「すんなりと話は通りました、貴方さえ良ければすぐにでも出発できますよ?」
いつの間にか傍らにいたチキナロさんは普段と変わらぬ柔和な笑みを浮かべて私に尋ねる。
「ありがとうございます。私が何もできないばかりに……」
「何をおっしゃるやら。本来ならばラナヤさんぐらいの年であれば親に甘えたり遊ぶことが仕事なんです」
さぁさ、参りましょうと気にした様子もなく、歩いて行く。残された私はその背中を見て立ち尽くす。
不安定な記憶と精神で忘れがちだが私は数えで十にも満たないまだ子ども、できることなど殆どない。
それが現実なのだ。
ふと、頭の上に重みがかかる。
先を行くヒトたちを追う一人が私の頭を撫でている。
「怖かったよなぁ、無理せんでもええんだぞ?」
このヒトはたぶん、私が襲撃を受けた時を思い出して恐怖で動けなくなったのだと思っているんだろう。
普通の考えだとそうなるーー中身が私ではなければ。
「大丈夫です。お心遣い、感謝いたします」
私の言葉に何とも言えない変な顔をし、何かあれば気にせず言えよと念押しして去っていった。
それからも続くように何人ものヒトが頭を撫でるなり声をかけるなりして先へと進んでいく。なんだか撫でられ過ぎて御利益のある石かお地蔵様にでもなった気分だ。
不器用な心配の仕方が少し、痛い。
* * * * * *
燃え燻っていた残骸はあらかた打ち壊され、邪魔にならない場所へと移され、
それほど多くはなかった亡骸も埋葬まで済んでいる。
今は村の陽当たりの良い場所には簡素な石積みの墓。
この下には私が知るヒトたちが永い眠りにつき、起きることはもう無い。
静かに手を合わせて、奇跡的に残っていた少し焦げてしまったぐい呑みに酒を注いで墓に供えた。
心の中で次は酒菜も持ってきます、と言ってから酒を地面に染み込ませてからぐい呑みを仕舞い、踵を返す。
母と同じ墓に入った父は果たして喜んでくれただろうか、
ふと、墓に重なるように楽しそうに父に酌をする母の姿が見えた気がした、生まれた直後に亡くなられて顔さえ見たことがないのに……きっと気のせいだ。
とりあえず、気持ちの整理はついていないが一先ずは踏ん切りがついた、あとはこの先のことを進めるのみ。
「お待たせしました。まずはどうしましょうか?」
背後にいるであろう、そのヒトに声をかける。
「おや、流石はトモエさんとクィゼンさんの娘。血は争えないんですかね……まずはトゥスクルです、ハイ」
新たな目的地を以って私の弟子入り修行は始まる。