一抹の不安を私に抱かせた
これが十年という短くない時間を
「それで頼んでいた品だが……」
「こちらで御座いますです、ハイ」
するりと話をすり替えると、真面目な顔で差し出した掌には小さな包みがあり、大きさと形から推測するならば粉薬の包み紙のように見えた。
何かしらの貴重な品だということは判るが……御二方の表情から盗み取れる情報は何も無い、魑魅魍魎の蔓延る政の世界に住まう
そんな相手の内心を読み解くことなど今の私では到底無理な話である。
この品は確認だけなのかお互いに言うこともなく会話が途切れ、話も終わりかと思われた。だが、急に威風堂々とした表情が崩れ、焦りや怯えが透けて見える普通の男としての顔を覗かせた。
最初に抱かせた印象とはまるで違う、別人にすら見える。
「……娘の体調が思わしくない」
「それは……大変申し上げ難いのですが私ではお力にはなれませんです、ハイ」
「判っている。この件に関しては他に適任な者がいる、あの子の躰については心配していない」
「では、何をそんなに恐れているのです?」
瞑目し、
後に続く言葉が私には判っている、愛娘の幼い心の平穏が心配なのだろう。
実母の代わりに多くのヒトに愛情を注がれた姫君にとって誰よりも母として慕った相手がこれから消える。
これは幼い少女にとってなかなかに堪えることだろう。
今、私が感じている、ふとした切っ掛けで思い出しては引き裂かれるような気持ち、これを解決してくれるのは時間と家族ぐらいだ。
特に彼女はこの先何の答えも得られないまま何年も母の手掛かりを探し続ける、それが切っ掛けで彼を見つけたのだが……これは今は関係ないか。
「……貴様とこれ以上話すことはない」
質問に答えなかったのは親としての弱さを見せない為か、知人に弱みを見せることを嫌う見栄か、答えは彼ではない私では判らない。
そんなオボロ皇にチキナロさんは静かに退室を述べ、私を伴って
最後まで彼の視線は私の向こうに今は亡き妹、ユズハの姿を見ていたような気がする。
考えてみれば父と母を亡くし妹を支えに一族を纏め上げた男、それがオボロだった。
状況は少し違うが親を早くに亡くした幼い少女の姿が被ってしまったのだろう、見た目は全く似ても似つかない私に感傷を抱くほど娘のことが精神的に疲弊させているのだから……それほど想われている彼女のことが、少し羨ましい。
「申し訳ありません。お父上のこと、思い出させてしまいましたね」
背中しか見えないチキナロさんだが声に力がない、このヒトも父のことと私のことを少し気にし過ぎだ。
過去に何があったのか知らないが私が助かっているのだから誇ることはあっても気落ちするのは止めていただきたい、だって私には感謝しか言えないのだから。
「父上のことを思い出すのは私の勝手。チキナロさんが一々気に病むのは筋違いです」
「……貴方は本当に子どもらしくありませんね、ハイ」
大きなお世話ですよ、と口応えしつつ軽やかに前に進み出ると長い宮殿の廻廊から外へと飛び出した。
時刻は夕暮れ、日は落ちずとも夜の帳が落ちるまであまり時間がないように思える秋空。
果たして今日の宿がこんな微妙な時に見つかるのか?
* * * * * *
結果から言えば、そんな私の心配は杞憂だった。
本日の宿は孤児寮、宮殿からあまり離れていない場所にある少し大きめの家屋である。
日も暮れて灯りが照らす室内では様々な年齢の子どもが騒がしく過ごしている……恥ずかしながらこんなにも多くの子どもに囲まれたのは生まれて始めてで少し緊張している。
私の住んでいた集落に子どもは多くなかったし、父と一緒だと同年代との付き合いなど皆無だった。いや、同年代との会話など難易度が高くて私には手に負えない。
「どこからきたのー!」
「いくつー?」
「おなまえなんですかー」
「なにー?」
人見知りなど無いかのように矢継ぎ早に質問が飛んでくる、まるで早押し問題の解答者だ。
聞いてくるのは仕方がないがせめて答えさせてくれ、このままだと質問ばかりが溜まっていくじゃないか。
あと最後の子、何は私の台詞だ、なにーってなんだ。
懇切丁寧に子どもに対応している私を余所にチキナロさんは近くに居ない、子どもの相手は子ども同士でと言い残し姿を消した。
間違いなく、十中八九逃げ出したと思われる。
あの人に対する感謝の心に少しだけ、ほんのすこーしだけ怒りという黒い染みが滲む。
なにも私を囮に逃げるような真似をしないで苦手だからお願いしますぐらい正直に言ってくれれば良いのに。
変に誤魔化される方が余計に気になる。
だが、もしかしたら……私に言えないような場所に行ったのかもしれないと思うと少し気まずい。
堂々と色街に行ってくるなんて言われたら神経を疑うかもしれない、というか疑うし引く。
あの人もあれでいい歳なのだから付き合いのある女性だっているのかも、または馴染みの飲み屋の可能性も。
もしそうならば、日頃溜まった色々を思う存分に発散してきてくれば良い。
まぁ、生暖かく見守るくらいはしてしまうかもしれないが。
思考がやや飛躍して何とも下世話なことを考えてしまったが……私は一体何をして過ごせば良いのやら。
見知らぬ子ども達に囲まれて延々と質問に答え続けるのはかなりキツい、ならば特技か。
室内で披露できる特技など算術か武術ぐらいしかない。算術は明らかに子どもが喜ばないだろう、私だって好きなほうではないし退屈だ。
残るは武術、大人には敵わないが子ども相手ならば負けることはまず無い、圧勝する自信もあるから良さそうだが……いや、前言撤回、駄目だ。
室内では埃が立つし、何よりも大人げない。
結局、根掘り葉掘り聞いてくる質問口撃は夕餉の時間まで続いたのだった。
* * * * * *
「んゎ……ふぅ……」
気の抜けた声が鼻を抜けて室内に響く。
先程までの喧騒が嘘のように静まり返っていて気持ちが落ち着く、やはり風呂は湯船に限る。
複数人での利用を目的とした浴場は公衆浴場とまではいかないものの広く、淡く濁る湯水は薬湯で香りが辺りに広がっているが気にはならない。
天井付近を湯けむりがふわふわと漂う姿を目で追いながら足を伸ばす、石造りの風呂の底の少しざらつく感触が気持ちいい。
「いい湯……」
湯あたりするまで長湯を満喫するのだった。