虫の声が響き渡る庭を眺めて、彼女は微かに聞こえるぐらい小さな吐息を零した。
満足げであり、幸せそうであり‥‥少し寂しげでもあった。
眺める視線の先で無邪気に花火を翳して遊ぶ家族の如何にも楽しげな様に、混ざるでもなくひとりでぽつり。
しかし決して、不満ではなかった。
たまにはこうして、少しだけ離れた場所で寂寥を味わうのも悪くはなかった。
或いは現世に生きる者ではない己の在り方を見つめ直すのに、必要な時間かもしれないとすら思っていた。
ある意味では陳腐なヒロイスティックな行為も、彼女の中では大事なものだ。
それは強いられたものでは決してなかった。
「‥‥混ざらんのかね?」
「‥‥」
背後から足音もなく忍び寄って来た、無粋な声。
む、と少しばかり眉を潜めるも、あぁ、まぁそういう男であったと苦笑も漏れる。
基本的にこの友人は、無粋であり空気が読めず、それでいて皮肉屋を気取りながら真に誠実で無骨な漢であった。
「いや、すまない。愚問だったか」
「なにがですか」
理解はしているつもりでも、したり顔で笑われては流石に気に障る。
何よりせっかく直ぐにでも離れられる心地の良い孤独に半身を浸していた意味がない。情緒を削がれる。
少しばかり剣呑な声と共に振り返れば、やはりニヤけた彼の顔である。
「君の気持ちは分かるが、やはり見てはおれんよ。浸るのなら、周りにだれもいない時にしたまえ。実に見苦しい」
「なにを、侮辱する気ですかアーチャー」
「怒るということは図星か。被虐の悦楽は甘美なものだが、周りに害があるなら配慮するのが大人というものだぞセイバー。そう寂しい顔をするな」
確かに彼の言うことには一理あった。
孤独を味わうという嗜好は被虐的なものだ。つまるところ、その出汁に他人を使うのは失礼極まる。そう言いたいのだろう。
「‥‥申し訳ない。私としたことが、浅慮でしたか」
「いやなに、謝ってもらうようなことではないさ」
一瞬だけ、優しげな声が聞こえた。
「つまりなんだ、退廃的な寂寥を愉しむならば、良いものがあるぞセイバー。周りからは楽しげに見えて、自らはムードというものが味わえる。最善の手段がな」
「ほぅ、貴方からそのようなことを聞くとは思いませんでしたね。どうぞ、そのアイデアとやらを拝領しましょうか」
いつもの笑みに、こちらも同じような笑みを以て対する。
親密かと問われれば否。敵かと問われても否。互いに互いをためすような、誘うような、頼むような、そんな微妙な距離感が心地よかった。
十まで気を赦すことはないが、互いに五は共有する。
不思議な、歪んだ、捻れた関係なのかもしれなかった。
「そら」
トン、と微かな音と共に縁側に置かれたのは、見目鮮やかなちらし寿司であった。
平たい皿に、一面に盛り付けられている。
具は紅色が鮮やかな鮭や、深い赤が目に映える鮪。細かく刻んだイカに、存在感を示す海老。その他諸々、とにかく豪華の一言に尽きる。
「言葉もなく、空気に埋没するには良い肴に良い酒と決まっているだろうさ」
「アーチャー、このような良いものを我々だけで頂くのは‥‥」
「気にすることはない。殆ど端切れのようなものさ。連中も目の前の遊びに夢中で、こちらには気づくまいよ。
それとも気を使って、分けてしまうかね?」
「むぅ‥‥! いえ、せっかくですから悪くならないうちに頂いてしまいましょう。えぇ、おれがいい。それがいいに決まっています」
意地悪な質問にぐぅの根も出ず、私はひったくるようにして箸を掴んだ。
成る程、確かに。色とりどりに鮮やかながらも、具の量はといえば大したことはない。
酒の肴ならば、然り、米に塗したように細かな具材があるのはありがたいことだった。
背から勿体つけて取り出された酒も、あぁ、申し分ない。
「おぉ‥‥!」
先ずは一口、アーチャーが盃に酒を注ぐ間に寿司を味わう。
悔しくも申し分のない味だった。魚には脂かよくのっており、絶妙に調整された寿司酢がその脂と調和している。
魚の脂と飯の酢が、どちらが強いということもなく、舌の上で混ざり合って高め合う。一切の喧嘩をしない配合だ。
「―――!」
悔しくなって無言で酒を注げば、これは堪らない。
口の中に海そのものが広がったかのような、芳醇な香り。鼻の奥、脳髄まで突き抜ける幸福感に、思わず吐息が零れる。
舌で踊る重厚な刺身から、味を損なわぬままに香りが抜け出る。何という至福の味か、ただ箸が止まらぬばかりであった。
「見事‥‥!」
彼の性格を鑑みるに、決して高いものではなかろう。それでいながら、これほどの満足感。
己が安くなったわけではあるまい。やはり此の弓兵、失うは惜しき者であると、騎士王は独りごちた。
無論その独白はしっかりと隣の戦友に、悟られてはいたのであるが。
「確かに君の云わんとするとも分かるがな。要は寂寥か、或いは満足か。どちらを主にするかで見目も変わろうよ」
七輪で炙った、河豚の干物。おそらくは北の方の名産であろう其れを齧りながら、季節にそぐわぬ黒装束の好敵手は一人零した。
「寂しさの中に楽しさがあるか、楽しさの中に寂しさがあるか。私はどちらにしても、その瞬間を楽しんでいるということに、違いはないはずだと思うわけだ」
「‥‥」
段々と赤みを帯びて来た横顔は、少し幼い面影を落とす。何処かで見たことがあるような、よく知っているような、純粋な表情だった。
「ならばせめて、精一杯楽しみたまえ。無理に孤独を背負う必要はあるまい。君には仲間が、いるのだから」
私が仲間だ、とは言わなかった。
ああ、だからこそ彼なのだな、とセイバーも思った。
互いに遠回しで、実に回りくどい。
だからこそ良いと、二人ともが思っていたに違いない。
―――その後は一切の言葉を交わさず、ひたすらに酒を酌み交わし続けた二人が歴史に名高い英霊が、翌朝二日酔いに悩まされることになったのは‥‥?
或いは格好つけ過ぎる二人への何者かからの罰であったのか。
とにもかくにも仲良く倒れる騎士たちが生暖かい目で見られることは、確定された未来であった‥‥。