竜(龍)蛇の王は、ヒーローの夢を見る   作:名無しの百号

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二話目です。
少し独自設定がありますが、おかしくないか少し不安です……
あとオリキャラが出ますが、女性じゃありません。
オッサンです。


雄治の恩人

『……まさか我輩が、本当に人の子に討たれるとは、な』

 

 雄治に首を落とされたサマエルは驚きはしたものの、決して不快に思ったわけではなかった。彼の声音にあるのは、敬意と驚嘆。

 夜刀の神の権能を掌握し切れていないにも関わらずその少年は満身創痍になりながらも、敵を討ち破り、自分の脚で立っている。

 それにどうやら、相手の首を落としたからといって安心していないようだ。――もし、僅かでも気を緩ませたのなら、その隙を突いて最期の力を振り絞って相討ちに持ち込んだものを。

 そう内心で思い、その後に首だけとなった赤い竜は苦笑する。所詮それは仮定の話でしかないからだ。既に勝敗は決しており、自分は文字通り手も脚も出ない状態だ。既に己の四肢と尾と十二の翼はそれら全てが斬り落とされており、胴体は達磨と化している。その最後に首を落とされたのだ。

 こうなってしまった以上、サマエルとしては彼の勝利を認めるのは吝かではなかった。幽世にて出遭ってから幾度となくぶつかって来た好敵手が認めた男の眼前に自分はいるのだ。往生際が悪く、己の血や泥を被ろうとも最後には生きて勝利を掴む。その姿は、どんな金銀財宝よりも輝かしい人間の証明と言えるだろう。

 大半の神には真似出来ないような無骨で泥臭い戦いをする人間が、自分を斃したのだ。

 女神を堕とす《鋼》の英雄などではなく、誰かの笑顔を護るヒーローたちに憧れる少年に、自分は討たれた。

 なんと愉快。

 なんと爽快。

 なんと痛快。

 夜刀の神との勝負は流れたようなものだが、それを補って余り有る"愉しみ"をサマエルは見つけた。

 それは、彼の胸の奥底にある願望である。戦いながらサマエルは、少年の持つ子供染みた夢想を直感的に理解したからだ。

 だからこそ、叶わないと知りながら、思う。

 

 ――この少年のこれからを見てみたい。

 

 だがそれは、土台無理な話だ。既に己は敗北した身なのだから。

 敗者は勝者の糧となる。これは変えられぬ事実だった。

 満身創痍ながらも油断無くこちらを見据えている少年に己の力が流れ込んでいくのが解る。

 カンピオーネとまつろわぬ神が相対した場合、お互いに死力を尽くして相討ちになる事は往々にして『よくある事』だが、ただ今回がそうではなかったというだけの話である。

 それにも勿論理由があった。

 この少年は、サマエルと真正面から対峙し、あまつさえ『勝つ』と己に課していたのだ。決して正面からでは敵わないからこそ、神は神なのだというのに。故に人は、搦め手や騙し討ち、弱点を突く事で、やっと神に打ち克つ可能性を得られるのに、彼はその手段を選ばなかった。

 ただ愚直に、真正面から討ち破る。言葉にすれば単純だが、神を相手取ってそれを為せる人間がどれほどいるだろうか。。

 故に、如何に言葉で騙そうが、態度で油断を誘おうが、この少年はその五体を駆使して戦ってしまう。

 夜刀の神やサマエルといった竜蛇の神は生命力が強く大抵の怪我は問題無いのだと本能的に解っているのだろう。

 だからこそ、人の身でありながら神と真正面から削り合いが出来るのだ。

 しかし。

 そこにサマエルは危惧も抱いた。

 もし、一撃が致命傷になるような《鋼》に出遭ったならば、今のこの少年では太刀打ち出来ない。

 二柱の神を斃したとはいえ、その二柱はどちらとも竜蛇の神。

 《鋼》共にとっては自らの英雄譚を彩る敵役であり、必ず勝利する相手なのだ。連中にとって、今の雄治は多少手強いだけの餌でしかない。

 だから、それを踏まえた上で言葉を贈る事にした。個人的な心情としては夜刀の神と同じだったから二番煎じは詰まらないというのも理由ではあるが。

 

 

 

『我輩こそは、死を司る熾天使であり地獄を統べる大君主。「神の毒」、「神の悪意」、「毒を持つ輝かしい者」、「ローマの守護天使」、「エデンに棲む蛇」、「審判の天使」、「創造の天使」――様々な名があり、我輩は人間の魂を神の裁きの前に連れ出す者であり、火星を守護し十二宮の天使を生み出す者。……ククク、随分と仰々しい通り名ばかりだ。しかし、それらは同郷たる者共にとっては通じる名であれど、《鋼》共にとってはただの餌の名でしかない』

 

 

 

 忌々しさを隠そうともせずにサマエルは続ける。

 

 

 

『我輩は赤き翼持つ蛇にて赤き竜。「天にまします我らが父」の敵対者が寄越す祝福だ。少年――いや、皆藤雄治よ、心して拝聴せよ』

 

 

 

 そして、赤い竜は少年に告げる。

 

 

 

『――自由に生きよ』

 

 

 

 それは、幾多もの名に縛られるサマエルにとって決して望めない生き方だった。

 だからこそ、サマエルは自らを斃した雄治に、まつろわぬ神となりながらも抱いていた願望を託したのだ。

 

 

 

『そして、竜蛇の天敵である《鋼》を屠るくらいに強く在れ。――それと、これは我輩に勝った報酬よ。我が領域へと渡れる“鍵”だ。自由に使い給え。――ではな、少年。我が権能、己が自由の為に存分に振るうが良い』

 

 

 

 その言葉を遺してサマエルは息絶えた。その躯があった場所には竜を模した鍵が落ちており、恐らくこれが先程彼が言っていた鍵なのだろう。

 こうして、少年は一日の内に二度も神と対峙し生き残ったのである。

 あまつさえその両方の神を斃す事によって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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十年前、雄治は夜刀の神とサマエルという二柱の神を倒し神殺しとなった。その場に座り込み一息吐いていた彼に、パンドラは嬉しそうなしかし真剣な顔で告げた。

 この国には「最強の《鋼》」と呼ばれる王が眠っている――と。

 もう直ぐその神が眠って千年が経過する。起きるかどうか解らないが、寝た子を起こす必要もないから気を付けるように、とパンドラは言った。

 その神は全てのカンピオーネと竜蛇の神の天敵で、目を醒ませば雄治たちは全員死ぬ可能性が高いーーらしい。

 日光東照宮には日本で最も有名な「《鋼》の猿神」が括られているから、そちらなら倒しても問題無い寧ろ倒してしまえ、とパンドラは雄治にけしかける。

 そして最後に、出来るなら力を増して「最後の王」であっても倒せるようになれ、と発破を掛けられた。ああ、この女神サマは《鋼》に分類される神が嫌いなんだな、と逢って間もない雄治が理解するに充分な剣幕だった。

それからいくつか神殺しとしての注意事項を聞いて、彼は幽世を出た。死んだ二柱の神から幽界に住んでいた領域の所有権を示す呪具を貰ったので、雄治は思うだけで幽界に来れるのだ。無論、来れるのは所有権を貰った場所だけだが。どう有効活用しようか、と考えながら元いた場所に戻ると、バッグに入ったまま多少ヘコみはしたが無事だった携帯が着信音を鳴らしていた。

 最早「服」と呼べない布切れを脱いで比較的無事な服に着替えながら雄治は電話に出た。元の服には血や大きな穴が空いているのでもう着れないが、このまま捨てても警察沙汰は免れないのでバッグに入れながら用件を伺うと、相手の老婆は雄治が住む予定のアパートの大家だと言うではないか。

 その老婆は済まなそうに彼に言う。

 

 

 

「アパートが火事で焼けてしまったので、契約は無かった事にして欲しいんだよ」――と。

 

 

 

 その瞬間、雄治は愕然となった。

 アパートが焼けたから、ではない。いや確かにそれもショックだったが、それ以上に雄治には看過出来ない理由があった。

 新しい住居に今日の朝に到着している筈の彼の私物も、アパートが燃え尽きているのならば、同じように燃え尽きてしまっているだろう。

 総額すると三十万は容易く越すそれらを一瞬で失ってしまっても泰然としていられる程、彼は人間が出来ていなかった。

 幾ら暴力に満ちた人生を送っていそうな容姿をしており、それが七割事実だとしても、彼はまだ十八歳の少年なのだ。

(俺の、大事な漫画やゲームが全部、灰に……?)

 がっくりと膝から崩れ落ちる雄治。

 これまで様々な職場で働いてきた六年間の日々が、走馬灯のように脳裏を駆け巡った。

 しかしそんな雄治に、老婆は慰めの言葉を投げ掛けた。

「しかしアンタは運が良いねぇ。火に巻き込まれなかっただけじゃなくて、荷物まで無事だったんだからさ」

 その言葉を受けて、雄治は立ち上がる事が出来た。

 両手で携帯を握って身を屈めて電話の向こうにいる大家に事情を尋ねる。大柄な男がそうしているのは少しシュールだが、周囲には誰もいなかったので彼は気にしなかった。

 大家の話では、なんでも宅配業者側でトラブルが起きたので発送が遅れると連絡があった事を彼に知らせてくれた。

 それを聞いて大事な私物が無事だったことに喜ぶ雄治だったが、老婆は済まなそうな口調を変えずに話を続ける。

「そういう理由だから今日の夜九時から十時くらいにこちらへ配送されるその荷物を取りに来て欲しいんだよ。必要なら貸倉庫の手配もしてやれるけど、どうする?」

 そう親切心で言ってくれた老婆に、雄治は礼を言いながらも貸倉庫の件には断りを入れた。

 何故なら、今の雄治にはいくらでも荷物を貯蔵出来る『所有地』があるからだ。

 だから彼は嘘を吐いた。「こっちで知り合った親切な知り合いに倉庫を貸して貰えそうだ」と。

 その言葉を信じた大家は安堵し、何度も詫びながら電話を切った。どうやらこれから警察で事情聴取があるらしい。

 その後、雄治は銀行で貯金を下ろし、タクシーでアパートまで向かうことにした。甚だ余談ではあるがこの男、金を下ろしたのだから服を買ってから向かえば良かったのだが、一日の内に神などという怪物と二連戦したせいで身体と精神の両方に重度、いや極度の疲労が蓄積されており、思考が働かなかったのだ。一言で言えば、雄治は限界だった。

 だから彼は溜まったままの疲労に気付かないまま、目的地のアパート前に到着してしまう。

 そこには、焼け焦げた古いアパートの残骸だけが残っていた。

 既に消火活動どころか現場検証も終わっているようだ。

 周囲には警察ドラマでよく見る立ち入り禁止の黄色いテープが張ってあるものの、人の気配などどこにも感じられなかった。

 携帯に表示される現在の時刻を見ると、まだ到着まで時間はあったので、雄治は焼け跡の近くに移動して座り込み、寝る事で時間を潰す事にした。

 だが、そんな彼の安眠を遮る者が現れた。

 眠ろうとしている雄治の前で誰かが立ち止まったのだ。

 気配を感じた雄治が顔を見上げると、そこには三十代後半くらいの男がじっとこちらを見下ろしているではないか。

「こんな所で何してるんだ、お前?」

 そんなお決まりの文句でこちらに問い掛ける男。

 別に後ろめたい事など無い雄治は、九州から出てきた事と、こちらの不良に絡まれて服とゲームを台無しにされた挙げ句に金を盗まれた事を喋った。

 それからここのアパートに入居する予定だったのだが、火事で住む場所を失ったので宅配業者に運んでくる私物を引き取って安いホテルにでも泊まる予定だというところまで話した。

 その身の上話を聞いて、男は暫く考え込んでから、

「もし金が無かったら、ウチに来るか?」

 そう雄治に言ってくれた。

 勿論最初は断ったのだが、そんなボロ切れを着てたんじゃ浮浪者に間違われて面白半分に不良共に絡まれる、と忠告を受け車を持ってくると一端男は去っていった。

 それから三十分足らずで雄治の私物を乗せた業者のトラックがやってきた。業者は焼け跡となったアパートを見上げて唖然としていたがそこはプロ。

 言われてある通りにダンボールを焼け跡の前に降ろし始めた。

 業者に多少服がボロい雄治が近付くと、相手は「すわ浮浪者か!?」とばかりに距離を取ったが、免許証と印鑑を見せる事で本人だと認められて私物を全て受け取ることが出来た。

 人が体育座りしたら入りそうな大きさのダンボール箱二十個。これが雄治の私物である。

 その内の十九個が雄治が集めたライトノベルや漫画、ゲーム等の入ったダンボールなのは言わぬが華というヤツだろう。だがそれでも趣味人としてはまだまだ駆け出しと言わざるを得ないのだが。

 白物家電や家具はこちらで買う予定で、その手の品は一切ダンボールには入っていないのだ。

 すぐに別の業者が取りに来ると言う雄治の話を聞いて業者は、憐憫の眼差しを向けながら去っていった。

 そして、人気が無くなったのを確認した雄治は、二十個の内十八個のダンボール箱を幽世に送った。車を取りに戻ったあの男が戻ってきた時に不審がられないようにする為だ。

 雄治は全くあの男の言葉を疑っていなかった。寧ろ疑おうとすら考えられなかった。

 疲労が溜まっていたせいなのか、彼は直感的に「この人は本当に来てくれる」と、信じられたのだ。

 初めて逢った人間だったのだが、雄治はあの男の事が信用出来ると直感的に理解出来た。

 そしてその直感は正しかった。

 暫くすると一台のワゴン車がこちらにやって来るのが見えたのだ。

 運転席には先程の男が乗っているではないか。

「よお、待たせたな――って、随分ダンボールの数が少ねぇな。これならこの車借りてくる必要は無かったな。まぁいい。ほら、さっさと積み込むぞ」

 そう言いながら男は雄治を急かしてダンボールを後ろの荷台に載せるように指示した。手伝おうとする男に遠慮して雄治は自力で荷台に乗せる事が出来た。これも神殺しになった恩恵の一つだろう。

 積み込んだのを確認すると、男は雄治を助手席に乗せて走り出した。

 つい流れで乗ってしまったが、雄治はこの男に色々と訊きたい事が出来たので、訊くことにした。

 まず、この男が来てくれると何となく解っていたが、それでも雄治は疑問に思ったので素直に訊いてみた。

「なんで助けてくれるんですか」――と。

 そう訊くと男は、

「あ? そんなんただの気紛れだよ」

 そうぶっきらぼうに言って黙ってしまう。

 だが、理由は何であれこうして助けられているのは事実なのだ。

 だから雄治は一言、感謝の言葉を述べた。

「ありがとうございます」

「…………おう」

 返答はたった一言。だが、見間違いかもしれないが、男の口元が少々緩んだように雄治には見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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 そしてその男に連れられて雄治は三階建ての建物の一階にある喫茶店に入った。

 聞けばここはこの男が店長をしている店なんだとか。それどころかこの建物自体がこの男の持ち物だった。

 そんな話をしていると、雄治の腹から大きな音が響いた。

 それを自覚して雄治は漸く自分が空腹だと思い至った。

「あ、あらら……?」

 ふらつく頭を押さえる。

 明らかに血も栄養も何もかもが足りていなかった。

 それもその筈だった。

 雄治は、神と戦ったのだ。血も肉も失いながらにも何とか勝利したのだから、体内に貯蔵してある栄養が底を突いていても不思議ではなかった。

 そんな雄治を見て呆れた男は、しかしすぐさま調理場の奥にある食糧貯蔵庫から肉や野菜等の食材や、作り置きしていた料理等を取り出してはコンロにくべたり、電子レンジで加熱し始めたのだ。

 物の五分もしない内に、雄治の座っているカウンター席の前には様々な料理が置かれていった。

 それを見て涎を垂らしながらも手をつけようとしない雄治に、男は料理をしながら言う。

「食え」

 その一言を認識した瞬間――雄治は、流れるような自然な流れで手を合わせ、箸を掴み、一気にそれらを口に掻き込み始めた。

 バクバクガツガツムシャムシャ――!! といった擬音が聴こえてきそうな程の勢いと咀嚼量だった。

 水も大きめの水差しごと置かれてあり、それが三つあった。

 肉だろうが野菜だろうが塩っぱかろうが甘かろうが辛かろうが冷たかろうが熱かろうが――雄治は腹に入れていく。

 空腹。

 文字にすればたった二文字だが、その本当の意味を雄治は今日初めて理解した。

 食わなければ生きていられない。

 それは当たり前の事だったが、雄治は十八年生きてそれをやっと理解出来た気がした。

 生まれて初めての感情に浸りながらも、決して箸を置かない雄治。

 そんな雄治をおかしそうに見守る男。

 料理を出し終えると、煙草を懐から取り出して口に咥えて火を着けながら男は言った。

「お前、今日から上に住むか?」

 食べるという行為を止めようとはしないが、それでも驚いた様子で雄治は男を見た。

 ハムスターのように頬が膨らんでおり、それが咀嚼する度にモグモグと動く。

「ひいんえふあ?」

 いいんですか? と言っているらしい。

 それに男は躊躇わずに頷いた。

「おう。丁度上のフロアが空いてるんでな。それにそんなデカいガタイしてんなら、俺の昔やってた仕事の方を斡旋してやってもいいぜ」

「前の仕事……っすか?」

「おう」

 そこで男はニヤリと笑いながら、言った。

「探偵だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

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 それが、一階にある喫茶店の店長であり、この三階建てのビルの持ち主である結城大吾(ゆうきだいご)との出会いだった。

 元私立探偵で現喫茶店店主という異色の経歴の持ち主だが、それに輪を掛けて異色な特技を彼は持っていた。

 西洋風に言えば「魔術」であり、日本風に言えば「呪術」という――世の中の裏で色々と人知を超えた事件や事象を引き起こしたり巻き起こされたり捲き込まれたりしている傍迷惑な技術。それを大吾は使える人間だったのだ。

 そういった魔術や呪術を扱う者を裏の世界では「魔術師」や「呪術師」と呼び、名の知れた人物などになれば災害認定されるような魔獣や神獣等を単体で殲滅出来る者もいるのだとか。しかし大多数の魔術師たちには神獣の倒滅それは不可能な事であり、神獣(さいがい)と人の身を比較する等、自転車で自動車のレースに出場するような無謀と言えた。

 まあ、雄治という最も「有り得ないこと」をやらかしている人間がいるから簡単そうに思えるが、それは大きな間違いだ。

 そしてこの大吾という四十代後半の男は、余り国内外に知られていないが、日本に出現したとある神獣を退けた事がある強者(つわもの)なのだ。

 しかも「日本のMIB」と称される正史編纂委員会(せいしへんさんいいんかい)は、それを為したのが大吾だとは知らない。それ以前にそんな事があった事にも気付いていない。

 「古老」と呼ばれる者たちはこの男がこの国初となる「神殺し」となるのでは、と注視していたが、本人はもう前線で戦うのは無理だと自覚していた。

 神獣との一戦で身体はボロボロになってしまい、通常の生活やある程度の戦闘行為には耐えられるが、無理をすれば一気にガタがきてしまうようになってしまったからだ。

 だから男は引退し、喫茶店の店主になった。

 そんな一戦を大吾が繰り広げていた事に気付いていない日本の裏組織の元締めである正史編纂委員会だが、決して無能というワケではなかった。

 大吾は高い実力に加え、ある特異な術を持っていたのだ。

 彼が独自に考案し改良した「隠形術」である。

 この術は、ありとあらゆる存在から自身の存在を隠し通す呪術なのだ。

 元は忍術のそれだったのだが、彼は実家にあったそれらの忍術や呪術の書かれてある古文書を独学で解読し習得した。そして探偵業を営みながら彼はそれらの「術」を高めていき、高位の存在の眼でさえも誤魔化せるようになったのだ。

 これは日本呪術界だけでなく世界中の組織から見ても偉業と言えた。

 しかもこの術は高性能且つ魔力/呪力消費が少ない。

 デメリットは使用者の精神に依存するという特徴のみ。

 仮に使用者が恐怖の感情のままに「術」を使っても、術の効果は見込めない。

 彼の祖先であった名も知らぬ忍が使用していた術をベースとしているのだ。

 心が凪いでいなければ最高のパフォーマンスは発揮されないのは当然と言えた。

 これは気持ちが昂ぶっていても同じである。

 その為に必要な事は、「切り替えること」であった。

 感情に支配される事が悪いことではないのだが、この「隠形術」を使用する際は精神をニュートラルな状況にしなければならないのだ。

 その為に一旦感情をリセットし、心を落ち着かせる必要があった。

 この心の在り方は、ある副次効果を大吾に与えた。

 所謂"無我の境地"という様々な「道」の奥義とされる精神状態になれるようになったのだ。

 故に慌てず逸らず驕らずにいる事で、大吾は早死にする人間が多いこの業界にあって三十年を生き抜いていられている。

 「大騎士」と呼ばれるような人間やそれに準ずる実力を持つ者の中には、魔力を肉体に注ぎ込む事で若返った容姿の者もいるらしい。

 そしてこの大吾という男も、外見は四十後半であるもののやろうと思えばいつでも若返る事が出来た。

 そんな大吾が神殺しである雄治を拾ったのだ。

 彼は雄治自身から、彼が神殺しであると告白され、驚いた。

 驚いたのだが、彼は雄治を見てある事を考えた。

 神という理不尽の塊に勝利するような馬鹿が目の前にいるのだ。

 この男に自分の技術を叩き込んだらどうなるか、見てみたい――。

 

 大吾は、探偵としてイロハを彼に叩き込むのと同時に、自分の知る呪術や忍術を叩き込み始めたのだ。

 カンピオーネとは、本能で戦う獣のようなもの。

 それが裏の世界で生きる人間の通説であり、真実だった。

 しかしそれが事実でも、そこまでコンディションを素早く持って行く為のイメージトレーニングはするべきだと大吾は考え、雄治に実行させた。

 雄治は一般的にオタクと呼ばれる気質を持った人間である。

 オタクには、自分の好きな事の為ならば苦労を惜しまない人間がそれなりに多く、彼もその例に漏れずに努力を重ねられる人間だったのだ。だからこそ雄治は楽しんでそれらの技術を覚えていった。

 アニメや漫画、ゲームでしかお目に掛かれなかった技術を取得出来るかもしれないのだ。必死に覚えようとするのはオタクとして当然の事と言えた。

 神殺しとなる為に特別な才能はいらない――それは真理だが、特別な才能があって困るものではないのも確かだ。

 雄治自身に天才と言えるような才能があるワケというでは決して無いのだが、才能を補って余りある無尽蔵とも言える魔力で底上げされた体力と時間に縛られていない暇人同士だったお陰で、彼はたった一年で神すらも手玉に取れる可能性のある「隠形術」を習得出来た。

 こと戦闘における直観と閃きには師匠となった大吾をして唸らせる程のものを雄治は持っているのだ。倒した神の特性によるものか、大柄な体格でありながら酷く挙動が掴み難い。かと思えば海中に佇む巨躯の大岩のような重圧と樹齢千年を迎えた巨樹のような深い重心から繰り出される攻撃には全てが常人ならば一撃で殺してしまう威力が秘められていた。

 故に、大吾がまず手始めに覚えさせたのは「手加減」である。

 誰彼構わず殺していては、この男が倒した神から出された命題をこなせるとは思えない。それでは神の特性に性格が近付くと大吾は直感的に解ったからだ。

 神を殺した瞬間に寄越される祝福(のろい)は、神殺しのこれからの性格を決める要因の一つになり易いのだ。

 日本の呪術的特徴の一つに、「言霊(ことだま)」というものがある。口に出した言葉には"力"が宿るというものだ。

 そしてその祝福には神の特色が顕れ易い。

 雄治が倒した神は二柱とも、言ってしまえばまつろわされた、敗北した神である。

 夜刀の神もサマエルも、神話において主神や聖人の存在感を増すために不遇や不幸を受ける――言うなれば引き立て役であった。

 そんな神が末期に告げる祝福ならば、そういった負の感情による死や破壊を振り撒く"呪い"になる――筈だった。

 だが、雄治は現代の英雄(ヒーロー)になってみたい、そう彼等の前で口走ってしまう。

 彼等は雄治が思い浮かべたヒーローたちの情報を、半ば無意識ではあるが幽世を通して知った。知ってしまった。

 それは敗北した神である夜刀の神やサマエルにとって、黄金にも等しい願いと言えた。かつての自分たちがどのような神であったか、それすらも忘れてしまったまつろわぬ神には、それは眩く尊い願いに見えたのだ。

 だから彼等は賭けた。自分たちを討ち破ったこのちっぽけな人間に。

 こんな毒と呪いを以って死を振り撒く蛇神や竜神の力であっても誰かを救えると証明したくなったのだ。

 だから彼等は、神殺しが神より奪う権能(ちから)だけではなく、消えかかっている己に残された「全て」を雄治に注ぎ込んだ。真正面から神と向き合い、戦いの中でその魂を殺した神に認められたが故の強い権能の委譲。手に入れたそれらは無駄なまでに殺傷力の高い権能だった。使えば直ぐに神殺しだと気付かれてしまうだろう。

 だがそれは、雄治としては余り歓迎出来なかった。

 確かに自分は死にそうな目に立て続けに二度も遭った。だからといって何故魔王として生きねばならないのだ。

 パンドラの話だとノリノリで魔王をやっているらしい先達たちの真似事など、雄治は御免被りたかった。

 だからこそ、正体を隠す「隠形術」や「手加減」は必ず習得しなければならなかったのだ。それ以外にも大吾から呪術や忍術も教わったのだが、使う機会は少なかった。雄治がそれらの才能が無かったから――というのも多少はあるが、それ以上に手に入れた権能が便利だったことが大きい。

 教わった技術に手に入れた神の権能。人知れずにこれらの研鑽を積み上げたことと、手に入れた権能の利便性によって、雄治は十年経った今でも神殺しとして世に知られる事無く、市井のどこにでもいる私立探偵兼呪術師として日銭を稼いだり、出現する様々な小規模な怪異を倒したり――といった日常を送っているのだった。

 余談ではあるが、十年間の内数回ではあるが日本に到来した神や神獣は、その大半が雄治に出会った瞬間に幽世に引き摺り込まれ、真っ向から向かい合った末に彼の「奥の手」を受けて死んでいる。それ以外の神は神殺しに気付かずに幽世に隠遁していった。

 そこまで神と闘ったのなら権能も増えていて当然なのだが、日本に流れてきた神や神獣は、こちらへ来る前に神殺しか他の神によって傷付いていたので、権能を簒奪する事が出来なかったのだ。

 力を使い果たしているのであれば、傷を癒さんと考えるのは当たり前だ。これは人でも神でも変わらない。

 その為に様々な物を無差別に食い荒らしてしまうから始末に負えないのだ。

 だから雄治は、憎き神殺しや他の神へのリベンジに燃えながら人や呪力、獣や環境そのもの等を大量に喰おうとした者たちを、喰らっていた者たちを、卑怯者だと呼ばれようとも躊躇い無く殺していった。その度にパンドラから『今回もダーメっ』と両手を交差させたバツ印を貰ってしまうのだが、全く気にもせずに。

 

 

 

 

 

 

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「さて、と」

 二十八歳になった雄治はいつものように無精髭を剃り、髪の毛を全て後ろに流すようにワックスでセットし、緑の生地に赤い千鳥格子の模様の入ったワイシャツとダークグレーのズボンを履いて、黒いジャケットを羽織った。

 帽子掛けにはいくつかの中折れ帽子が掛けてある。その中の一つを手に取り、頭に被った。

 この商売、何だかんだ言って格好付けないと詰まらない仕事をしてしまう。大吾に教わった多くの事柄の中で、雄治が肌で実感した事の一つだ。

 ヒーロー然とした格好も嫌いじゃないが、フィリップ・マーロウやハンフリー・ボガードのようなハードボイルドな探偵に憧れない、と言えば嘘になる。

 だが、流石にあそこまで情を排した生き方は出来ない。所詮何だかんだ言っても自分は人情を信じる側の人間だとも理解しているからだ。

 勿論そんな主義のせいで痛い目を見たことは少なくないが、そういった阿漕な連中の殆どには報いを受けさせている。

 雄治は事務所を出て、一階の喫茶店に降りていく。

 依頼人とはそこで会うことになっているのだ。

 室内の階段を下りて一階に顔を出すと、カウンターで煙草を吹かしていた男がこちらに気付いた。

「おう、来たか。雄の字」

 店主の大吾である。雄の字、というのは雄治の愛称のようなものだ。

 雄治はそれに手を挙げて応えた。

「おう、ところでおやっさん。俺の依頼人はもう来てるかのい?」

 そう問い掛けると、「おやっさん」と呼ばれた大吾は指で奥の個室を指した。

 この「おやっさん」という呼び名だが、これは探偵として食えるようになった雄治が敬意を込めて大吾をそう呼び始めたのが最初だった。今ではこの店の常連の殆どが大吾をそう呼んでいる。

 大吾としてもその呼び方は満更ではないらしい。

「もう着てるぞ。なんだ、ワケありか?」

「ウチに来る依頼にワケありじゃなかった事ってあったかよ?」

 そう言われて大吾は煙草の紫煙に視線を向けて、ポツリと呟いた。

「ま、そりゃそうだ」

「そういうことだよ」

 そう言って雄治は個室の扉を開ける。

 中にいた依頼人に雄治は中折れ帽子を取って挨拶する。

「どうも。俺が、皆藤探偵事務所を取り仕切ってる皆藤雄治です。失礼ですが、再度お名前を御聞きしても?」

 野獣にしか見えない風貌だが、にこやかにそう問い掛ける雄治。

 依頼人であるその人物は、ゴクリと喉を鳴らして、名乗った。確かに予約を入れた人物だった。

 

 

 

「……それじゃあ、早速本題に入りましょうか? アナタを苛んでいる"呪い"の話を聞かせて下さい」

 

 

 

 実は皆藤探偵事務所では、表立ってではないが"呪い"に関する相談事も請け負っている。

 こちらの料金は表の一般的な料金に比べて酷く高額になるかタダ同然になるのだ。

 そして今回の依頼人はそれなりの額を支払って貰えそうだった。何せかの有名な四家の一つ沙耶宮の分家の人間なのだから。

 しかしそんな事はおくびにも出さずに雄治は話を聞いていく。

 これが今の彼の日常である。

 人から依頼を受け、それ達成して金銭を得る。

 真っ当とは言い難い事も多いが、それでも雄治はこれを一生の仕事にしようと決めていた。

 真面目に魔王をやっている同類たちよりも、遥かに楽しい人生を送っている。そう雄治は思っていた。

 ……まあ、他のカンピオーネもそう思っているのだが。

 

 

 




主人公の職を探偵にすると決めた時点で、恩人兼師匠である「おやっさん」は絶対出す予定でした。
まあ、渋くて格好良いオジさんが私に書けたかどうかいまいち判断がつきませんが、気に入って頂けたら嬉しいな、と思っています。

御意見・ご感想、お待ちしています。

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