竜(龍)蛇の王は、ヒーローの夢を見る   作:名無しの百号

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次の更新も比較的早く出来ると思います。
時間が出来れば、今日の夜か明日くらいには。


探偵と女好きな神サマ 上

 さて、東京の片隅で生活する住居と日々の糧を得る為の職も得た雄治は、時間を見つけては幽世(かくりよ)に出入りしていた。

 この世界で過ごす内に気付いた――というよりも理解したことなのだが、現実世界のインターネットと同じように所有者が自身の"領域"に出入りする存在を特定することが出来るようなのだ。

 元々夜刀の神もサマエルも、お互いに雌雄を決したかったからか、他の神や神祖、魔術師たちの出入りを禁止していたのだ。横槍を警戒していたのだろう。例え誰であろうと二柱の領域に訪れることは不可能なように制限されていた。その制限はパンドラでさえ例外ではないのだが、彼女の場合は雄治という神殺しの生誕に立ち会うという名目があった事と、二柱の戦いに介入する気が無かったからこそ入る事が出来たのだ。

 広大な山河に樹海だらけの夜刀の神の世界と、熱風と灼熱の日差しに照らされた複数のオアシス以外は何も無い熱砂が広がるサマエルの世界。二柱の神が与えた鍵には、この二つの世界をある程度好きに改変出来る権限を保有しているらしかった。

 それを知った雄治は手始めに、夜刀の神の世界に広がる樹海の一角を切り拓いて住居施設としてオタク趣味を貯蔵する為の巨大な図書館のような建物を造り出した。ただ思うだけで勝手に建物が出来上がるのだ。自重という言葉は彼の中から消えていた。

 そうやって出来上がった巨大な建物の中に、雄治は夜刀の神の姿を模した「眼」となる無数の蛇の「式神」を生み出してダンボールを運ばせる事にしたのだ。蛇たちは雄治が思うだけで命令に従った。それらの蛇は器用に身体を使って棚に本やゲームを並べていく。カンピオーネという規格外の魔力に物を言わせての物量作戦である。然程時間は掛からずに私物の整理は終わった。

 それが片付いた後に、彼はサマエルの熱砂の世界へと赴き、自分に何が出来るのかを調べる事にした。手に入れた権能で出来る事を知っておく必要があると雄治は判断したのだ。

 突発的にまつろわぬ神と出遭った際、己の能力をきちんと知っていなければ勝てる勝負にも負けてしまう。

 そう雄治は思っているのだ。相手を知るよりも先に己の力量を正確に理解しなければまつろわぬ神には勝てない、と。

 やれば解る自己分析が出来ないような愚か者のままで雄治はいたくなかったのだ。

 だからこそ、被害が幾ら出ても本人感覚で「少し」呪力を込めれば元の景色に戻る幽世は有り難かった。

「さて、と……まずは「夜刀の神」からだな」

 熱砂の上にあって普段着のままの雄治だが、支配者は彼なのだ。強烈な太陽光も、熱されたフライパンのような砂も、吹き付ける喉を焼くような熱い風も。そのどれもが雄治にとっては「少し暑い」程度にしか感じられなかった。……これは余談ではあるが、砂の世界を変える事は出来ないが、雪を降らせ極寒の世界へとすることは可能である。

 意識を集中させ、自分の内に在る"力"を呼び起こす。

 ゆっくりと、しかし着実に。

 例えるなら蛇口を捻り、コップに水を注ぎ込んでいるようなものだろうか。

 自分という器を|呪力(みず)が満たし、更にそこから溢れさせる。

 本来人間は、決して器を越える水を扱えない。

 人の器より溢れ続ける「水」を許容し、それを操るからこそ雄治を初めとする神殺しは、神という天災にその身一つで立ち向かえるのだ。

 そして、今。

 溢れ出た呪力が雄治の肉体を変異させた。

 その右腕は、徐々に関節を無くしていき、碧色した蛇体のそれと化した。そして掌は蛇の頭となり、その蛇の頭には刀剣のような角が鼻先に向かって伸びているではないか。

 これこそが夜刀の神より譲り受けた権能(ちから)

 雄治は、夜刀の神の姿に自分の肉体を全体であれ一部であれ、自在に変化出来るのだ。

 しかし――

「うーん……」

 納得がいかない様子の雄治。

 確かにサマエル戦ではこの蛇と化した右腕が無ければ、自分は勝つ確率は低くなっただろう。

 しかしこの権能、本当に「肉体を蛇に変える」だけなのだろうか?

 まだ把握していない能力があるような気もするのだ。

 正確に言えば、気付いていない能力が。

 意識を権能に集中させる。本来現世において権能を理解するには少々時間が掛かるものだ。

 しかし幽世――精神世界(アストラル界)では世界全ての情報(アッカシックレコード)から情報を引き出せるので、比較的短時間で権能を把握出来る。勿論代償は存在するが。

 いくら神殺しでも、世界の情報を引き出すには慣れていなければ頭痛に苛まれてしまうのだ。

 意識を集中していて、ふと雄治は「ある事」に気付く。

 樹海に図書館を創造した際に、雄治は考えた。頭痛に苛まれながらも入手した自分の権能の情報。

 これ自体が権能を理解する為の鍵なのではないだろうか。

 「夜刀の神そのもの」になる。それが手に入れた権能の正体だが、それは一体どういう事なのだろうか。

 腕や全身を変える?

 たったそれだけなのだろうか? いいや違う。即座に否定の言葉が浮かぶ。

 雄治の脳裏には、「ある仮説」が浮かび上がった。

 神話において「眼」には魔力があると云われている。

 夜刀の神の毒は牙と角だ。ならば、死の呪いは? 恐らく蛇の眼に在るのではないだろうか。

 しかしそれなら、自分は夜刀の神の眼を見た時点で死んでいなければならない。だが直ぐに合点がいった。

 自身が理解した呪いの特性にそれは関係が在った。

 夜刀の神の呪いは、「恐怖」を伝播し増幅させる事で対象を死に至らせるというものだ。俗な物言いをすれば映画「リング」に登場する悪霊「貞子」のようなものと言えた。

 対象の抱える恐怖を読み取り、その恐怖を蛇の眼で認識し、相手を直視する事で呪いは発動する。

 しかもこの呪いは、受けた者の家族や友人知人に伝播するのだ。そして誰にその呪いを伝播させるのかも自由自在に選択出来る。後に知ったのだが、夜刀の神は見た者全てを死に至らしめる蛇神だったらしい。

 ならばその「呪い」は、人の縁を通じて伝播する呪いだったのではないだろうか。故に、この神を見た者の一族郎党は皆死に絶えたのではなかろうか。

 

 (つながり)を読み取り、呪いを伝播させる能力。

 

 死を振り撒く為の能力ではあるが、人捜しを生業とする者にとってこれ程重宝する能力もそうは無いだろう。

 人は縁で繋がっている。それは雄治も身に染みて理解しているのだから。

 つまり――

「俺の眼を「蛇眼」に変えれば、人の縁を読み取れるって事か?」

 今度試してみよう、そう結論付けて次を考える。

 そこでふと考えてしまう。「変えられるってのは、どこまでなんだ?」と。

 そう思い立ったので、即座に雄治は試す事にした。何故ならここは無人の世界。何に成功しようが失敗しようが現実世界に影響は出ないのだ。躊躇は無かった。

 まず変える部分は腕部。これは既に成功している。というか右腕をサマエル戦で蛇に変えていたのだし。

 その次は脚部。尾にも頭にも変化可能だった。

 更に今度は指一本。これも問題無く成功。

 最後は両の五指全てを同時に変化させた。――問題ではなかった。流石に五体の構造を無視した蛇の変化は不可能だったが、それでもこの権能の有用性は計り知れない。

 そして調べて解ったのだが、神話によると夜刀の神は群で現れたとの記述もあり、呪力で編んだ蛇を使役する事も可能だった。これは教わった呪術のお陰でもある。要は陰陽術における式神のそれである。つまり師匠から「式神」の作り方を教わる必要は無かったのだ。これを知ったとき、雄治は少々苦笑いを浮かべた。

 その姿は西洋の竜らしく、大きな身体に太く鈍重そうな脚と短い腕に四本指の手の蜥蜴の亜種のような典型的な赤いドラゴンのそれ。いくら十二枚の猛禽類のような雄々しい翼があろうとも、この姿は雄治個人の嗜好からすると余り格好良くはなかった。更に自前の眼は見えているがサマエルの眼は潰れているので、式神の眼を代用しなければ自分の姿が判らなかったのだ。

 盲目の竜のままでは拙いかもしれない。

「さて、どうする……ん?」

 そう思った瞬間だった。

「…………お、おお?」

 徐々に竜の姿が変わり始めたのだ。斃したサマエルの姿ではなく、自分が想像(もうそう)していた「サマエル」の姿へと。

 困惑する雄治だが、姿の変化には理由があった。元より神の姿というものは、人の伝承によって形作られる。

 サマエルとて同様だ。

 だが『人々の伝承によって形成されたサマエル』は雄治という一個人に斃された。それによって大多数の想像するサマエルよりも強い『雄治の思い描いたサマエル』へと権能が変わったのだ。

 勿論その変化にも最低限『神話を踏襲しなければならない』という制約はある。しかし神殺しの手に入れた『権能』は使用者にとって『最も望む"かたち"』に落ち着く。便利不便を超越し、本人が『こうである』と認識する“かたち”へと。

 そしてそれは、それ故に、

「眼が、見える……?」

 時折『神話』を超越してしまう。

 長い首と鋭角な印象を受ける頭部はそのままに。しかし潰れて血を流し続けている眼は変わった。サマエル自身の眼が無いのならば、雄治(じぶん)の眼を適応させればいい。そう無意識に彼は考えたのだ。

 それだけではなない。

 その竜の胸板は厚く、腹は引き締まり六つに分かれている。斃したサマエルよりも逆三角形の体型に変わっているのだ。

 尾を挟むような位置にある脚は強靭でしなやかな形状に変化した。例えるなら恐竜のそれだろうか。少なくとも鈍重そうな印象からはかけ離れていると言えるだろう。

 更に目を見張るのは腕だ。こちらは肩からまるで大猩々(ゴリラ)のような発達した筋肉に覆われたものになっていたのだから。しかも肩口から指の先端まで鎧のような鋼殻に覆われているのだ。その指先は鋭く、鈎爪と呼ぶに相応しい様相だった。

 最後に、十二枚の翼である。

 はっきり言うと、雄治はその翼は格好良いと思ってはいるが、十二枚は流石に多過ぎると思っていた。格闘戦を主眼に置いている自分にとって背中にある十二の翼は邪魔でしかなかった。

 だがサマエルは十二枚も翼を持っている。こればかりはどうしようもないサマエルの特徴であった。

 だから雄治は思ったのだ。『減らす事も小さくする事も出来ないのなら、身体から離してしまえばいい』と。

 無茶な考えである。

 だが、その無茶を雄治は実行してしまう。

 カンピオーネに常識を求める事が間違いだと雄治自身が実証したようなものだった。

 猛禽の翼が十二枚。赤い竜の背より少し離れた場所で浮遊している。

 これが雄治のイメージしたサマエルだ。ほぼ原型を留めているとは言い難い。

 これではまず初見でサマエルだと理解出来る者は少ないだろう。

 雄治としては戸惑い半分嬉しさ半分といった様子だったが、気を取り直して攻撃方法を調べ始めた。

 サマエルの力は『毒』と『死の呪い』。それらを武装と化し、身に纏う事で戦うらしい。その他にも剣や槍を取り出し操る事も出来るようだ。

 そんな自身を省みて、雄治は呟く。

『……これが、俺の考えたサマエルか』

 竜が腕を組み顎に手を当てて唸るその姿はとてもコミカルだった。

『まあ、いいか』

 格好良いし。

 そう思い雄治は開き直ることにした。

 更に彼は今までカンピオーネたちが考えようともしなかった「とんでもない事」を考え、それを実行に移してしまう。

「やっぱ、インペリアルとかオメガは格好良いよなー」

 そう上機嫌に笑いながら。

 

 

 

 ――その結果、神を殺す為の「奥の手(とっておき)」が誕生したのである。

 

 

 

 その威力は絶大で、人気のある場所での使用は厳禁しなければならなくなった。

 下手をすると周囲一帯が人どころか生き物が住めない「死と滅びの世界」と化してしまう。

 環境を好きに操作出来るこの幽世でなければ絶対に使用していけない程の禁じ手だった。

 真正面から食らえば、例え竜蛇の天敵である≪鋼≫の神といえども致命傷を負う事は避けられないだろう。

 これからは、この"力"を自由自在に操れるようになる事が今後の課題と言えた。

 こうして雄治は、二柱の神の力を文字通りの意味で自分の"力"にする事が出来た。

 彼は思う。

 「借り物の力」のままではいけない、と。その力の主人に本当の意味で成らなければ、いずれその"力"は持ち主を裏切るかもしれない。そう危惧しているからこそ、雄治は権能を自分が思うようにアレンジし、オリジナルから多少逸脱させたのだ。

 他のカンピオーネたちは本能的にこの事を理解していたからこそ、無意識に自己流のアレンジを施した上で権能を簒奪した。

 オリジナルに近い権能を得た神殺しは、だからこそ権能のアレンジが出来るのだ。

 そして権能は、"使う"のではなく"使いこなさなければ"ならない。権能に使われるのでは神殺しの意味がない。権能を本当の意味で掌握しなければ、倒した神にも失礼にあたるというものだ。

 サマエルの権能は、先程アレンジが完了した。

 夜刀の神の権能は、肉体を部分的に変化させる部分がアレンジした点だ。これは無意識にだが。

 権能(ちから)を本当の意味で制御する事が出来なければ、その者は巡り巡って最も危険な状況に陥る――そう雄治には思えてならなかった。

 だから雄治はこの無人の世界で権能への理解を深め続けるのだ。最も自分に見合う戦闘スタイルを身に着ける為に。その為には、漫画のような馬鹿げた訓練を行いもした。結果的に出来るようになったのだが。壁走りや水面走り、木に足の裏を呪力で張り付かせて歩行、空中で一時的な足場を呪力で作ってからの二段ジャンプ。こんな妄想染みた運動だろうと面白いように身体が追従してくれるのだ。面白くないワケがない。

 指一本で樹木を貫通する事も、手刀で岩を両断する事も、掌底で地面を陥没させる事も可出来るようになった。

 こうなってしまえば、漫画やアニメ、ライトノベルを片手に、雄治は馬鹿な訓練に身を費やし続けた。一端の格闘家や術者が見れば、非効率甚だしい鍛錬やあらゆる意味で有り得ない特訓を続ける雄治の姿は、狂人のそれだろう。

 しかしそこには雄治なりの意味があった。

 有り得ない"神の力"を手に入れたのだ。ならば、有り得ない訓練や鍛錬にこそ、権能や神殺しの肉体を使いこなす為のヒントがあると雄治は考えたのだ。言うまでも無く馬鹿の発想である。

 だが、そう結論付けた彼の意思は堅い。

 師匠である大吾も始めは呆れていたが、徐々にだが効果が出てきた事を理解してからは面白半分にそれを煽る次第だった。正確には、神殺しとしての身体の使い方を理解し始めた――と言うべきなのだろうが。

 今となっては頻度は下がっているが、仕事の無い日に雄治の鍛錬は例え短くとも必ず行われている。

 「全力」を出す事に心も身体も慣れておかなければ、神を倒す事など出来ない。

 それこそが、雄治がまつろわぬ神との戦いの中で学んだ経験の一つである。

 

 

 

 

 

 

 

 

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「私は、沙耶宮浩一郎(さやのみやこういちろう)という者です。お電話でお話しした通り、四家の一つ沙耶宮分家の人間です」

 電話の向こうでそう自己紹介した男が、今はこうして雄治と個室のテーブルを挟んで座っている。

「まずは、こうして話を聞いて頂き、真に有り難う御座います」

 杓子定規にそう言って頭を下げる依頼人。

「いえいえ。分家とはいえ名家の一族に連なる人間が、こうしてウチみたいな場所に来るなんて相当でしょう。それで、お話というのは?」

 男は少し俯き、写真を見せた。

「……これ、は?」

 そこには妙齢の女性の姿があった。寝巻きで寝ている姿を写したもののようだ。

「……妻です。つい先日、何者かによって目覚めないように呪いを掛けられました」

 男は怯えるように周囲を見渡して、

「私は、「ある呪い」を掛けられています。それは、眠る度に徐々に死に向かうという呪いです」

「……続けて下さい」

「誰かは解りませんが、妻と私にその呪いを掛けた者は、自らを「ヘルメス」と名乗りました」

 震える声で依頼人は言った。

「情報と旅人、商人の神ですね。そして盗賊の神でもある」

 頷く依頼人。ギリシャ神話でもメジャーな神だ。

「しかし、正史編纂委員会の東京分室を統べる我が沙耶宮本家次期頭首であらせられる(かおる)お嬢様が、武蔵野の媛巫女に霊視をお願いして頂けたのですが、「神の気配は感じられない」との事でした」

 武蔵野の媛巫女とは、関東一帯を霊的に守護する一団において上位の霊視能力を持った巫女を指す。

 

 その媛の霊視では神の気配は感じられなかったそうだ。……余談だが、もしこの霊視を、若くして媛巫女となった「とある茶色髪の少女」が行っていたとしたら、事態は急展開を迎えていただろう。しかしそれは「もしも」の話だ。

 武蔵野から「神ではない」と説明を受けた依頼人が、いくら腕の立つ呪術師や魔術師を呼び寄せても、一向に解呪することが出来なかった。

 そして、

「私は、眠る度にその神を名乗る男が顕れる夢を見てはこう言われるんです。妻を渡せ。渡さなければお前を殺して妻を奪う、と」

 ピクリ、と雄治の眉が動く。

「勿論、私とて術者の端くれ。この身に掛けられた呪力を逆探知しようとしましたが、相手はヘルメスを名乗るに相違ない凄腕らしく、私では見つけられませんでした」

 悔しそうにそう言う依頼人。

「もう、どうしようかと思っていた時に、この探偵事務所の噂を聞いたんです。失せ物に捜し人、呪い等に強い私立探偵がいる、と」

 間違いなくそれは雄治である。

 依頼人は両手をテーブルに突いて、頭を下げた。

「どうか! どうか妻を、助けて下さい。例え私はどうなってもいい。だから妻を……っ!!」

 涙を流して懇願する依頼人。

 そんな姿を見て雄治は思う。……こういった人情話、弱いんだよなぁ。

 だからこそ、返事は決まっていた。

「解りました。御力になれると思います」

 雄治は力強く快諾する。

 例え神であろうがそうではなかろうが、雄治にとってはどうでも良かった。

 どちらにせよ殴る事には変わりなのだから。

「おお……っ!」

 嬉しそうな声を上げる依頼人。

「ですが、もし相手方が手荒い方法を取ってきた場合、生きたままの捕縛は、難しいでしょう。それでも宜しいですか?」

「はい……! それはもう……!!」

 犯人は二の次。

 大事なのは妻だけのようだ。

「それと、荒事に捲き込まれるのですから、少々依頼金は高くなりますが宜しいですか?」

「はい、勿論です!!」

 一切迷い無く頷いた。

「では、報酬として五百万程頂きましょう。話を訊く限りどうやら骨が折れそうですし」

 慣用句的な意味でも、物理的な意味でも、だ。

「五百万、ですか……。いえ、これも妻の為。妻を目覚めさせてくれるなら、五百万円くらい痛くも痒くも無い……!!」

 強い眼差しは変わらなかった。

「……余程奥さんを愛しておられるようですね」

 そう感心すると、依頼人は照れた様子で教えてくれた。

「妻とは、お互いが大学生の時に出会いましてね。とても綺麗で、私なんかには勿体ないくらいの女性でした。それから七年付き合って結婚したんです。傍から見れば遅いでしょうが、お互い大事に想っていたので遅いとは思えませんでした」

 愛おしそうに薬指に嵌められている銀の指輪を見下ろす依頼人。

「そして、三日くらい前に彼女が言ってくれたんです。子供が出来た――って」

 男の眼にまた涙が浮かぶ。

「なのに……、彼女は目覚めない。僕はまだ、電話越しでしか彼女に感謝を伝えていないんです!! だから……っ! どうか僕に、彼女を返して下さい……!!」

 言うまでも無いことだった。

 雄治は立ち上がり、声を掛けた。

「……沙耶宮さん、行きましょう。他人(ひとさまの大事な|女《たから)を無理矢理奪うような真似した馬鹿に、モノの道理ってヤツを教えに」

 中折れ帽を目深に被り、そう依頼人を促した。

「……これからで、いいんですか?」

「ええ、こういった事は早い方が良い。……ああ、それと」

 そこで区切り、男はニヤリと悪役のように笑って言った。凶悪な笑顔を見て、依頼人の胸中には逆に頼もしさが浮かんでいた。

 

 

 

「報酬の準備、しておいて下さいね?」

 

 

 

 そんな雄治の言葉に、依頼人はしっかりと頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 場所は変わって東京某所の閑静な住宅街に雄治はいた。

 依頼人の家だ。

 既に仕込みは終わっている。

 寝室に寝かされている女性を視認して、

「……成程ねぇ」

 雄治は確信する。この呪いを掛けたのは、間違いなく「神」だ。

 流石盗賊や詐欺師の神なだけはある。騙しや誤魔化しは十八番のようだ。

「こりゃ五百万ってか、一千万くらい貰った方が良かったか?」

 そんな軽口を叩きながらも、雄治はその時を待った。

 家に入る前に、雄治は依頼人に「ある事」を宣言するように提案したのだ。

 それは、

「「ヘルメス」っ、僕と(みか)を賭けて勝負しろ!!」

 女と博打が大好きなギリシャの神にとっては最高の餌を投げつけさせたのだ。

 その瞬間、家に『声』が響いた。

 若い男の声だ。

『あーっはははははは!! いいだろう。その言葉を待っていた!!』

 そして、「何か」が顕現しようとするが――その前に何者かがその「何か」の腕を掴んだ。

『っ!?』

 驚いたのが息を呑む気配で解った。雄治は「隠形術」で姿を消していたのだ。

『きっ、貴様は――!?』

「依頼人、沙耶宮浩一郎の代理のモンだ。ちょっと付き合って貰おうか!!」

 そして、気配が二人分、家の中から掻き消えた。

「か、皆藤さん……!! 美果っ!!」

 声が聴こえた妻の寝室へと向かう。

 そこには、少々物が倒れている以外は普通の寝室に、まだ眠り続けている妻がいるだけだった。

 雄治もヘルメスを名乗る術者もいない。恐らくは、妻と自分に呪いを掛けた相手がいる場所に引き摺り込まれたのだろう。もしくは、雄治自身がどこかに自分ごとヘルメスを転移させたのだろうか。あまりそういう事が出来る術者には見えなかったのだが。

 相手が顕れればなんとか出来る。

 あの凶悪な顔の探偵の言葉は、嘘ではなかったようだ。

 

 

 

 

 

 

 

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「まさか神殺しにアストラル界へ招かれるとは……解らないものだ」

 目の前で髪の毛を弄っているのは、金髪の美丈夫。

 古代ギリシャで着られていたエクソミスと呼ばれる肩と手足を露出させた服装の男は、面白そうに熱砂の世界を見回している。

「まつろわぬ神のヘルメスだな。俺個人に怨みは無いが……まあ、他人の妻(ひとのもの)狙うような脳味噌が下半身と直結してそうな馬鹿は去勢してやるよ」

「ふん、どんな神から権能を簒奪したかは知らぬが、|貴様(かみごろし)風情に我が迸る「愛の疾走」を止められると思うな!!」

「なにが愛の疾走だ。ここは日本だ。テメェみたいな節操無しが自由に女を抱ける(他人の妻を奪える)場所じゃねぇって事を骨の髄まで教えてやらぁ!!」

 その言葉と同時に雄治は右腕を夜刀の神のそれにして、臨戦態勢に移行した。

 ヘルメスは翼の生えたサンダルと巨大な大鎌を持ち、腰には二匹の蛇が巻き付いた杖を差した姿で――雄治に向かって駆け出した。

 ほぼ眼では視認出来ない速度だ。流石伝令神。現代風に言えばパシリ神だろうか。

 背後へと回り込んだヘルメスは、その大鎌で雄治の首を刈り飛ばそうとするが、雄治の蛇眼が彼を注視しているのが見えたので、即座に離脱した。

「その眼……死を司る古き蛇の神より力を簒奪したか。恐らく貴様が扱えるのは、毒と呪い」

 ヘルメスの推測は当たっている。

 勿論それを態々言うつもりはないのだが。

「だが、悲しいな。毒はこの双蛇の杖がある限り私には効かない!! 死を与える呪いは、その眼を直視しなければ問題は無い!! 故に貴様は、我が杖(ケリュケイオン)かこの"ハルパーの鎌"にて冥府へと堕ちる以外に道は無いのだっ!!」

 まだ戦いは始まったばかりだというのに、随分と優越感を滲ませた顔をするものだ。

 もう話す言葉は無い。

 目の前にいるこの節操無しの下半身男は殺す。

 雄治はそう心に決めていた。

 依頼人が先程、師匠の店で話してくれたのはどこにでもあるような、しかし本人たちには真剣な安っぽい人情話だ。

 だが、だからこそ依頼人とその奥さんには、暖かい日常が似合う。雄治はそう思ったのだ。

 こんな商売をしていれば、陽の当たる場所で笑うべき人間が、神や神殺し等という「理不尽の塊」の被害に遭う事などザラだ。

 だからこそ依頼人は、名家と称される術者の一族、その分家の子として生まれながら、そういった存在から距離を取り、平凡な日常を望んだ。愛する妻を得て、彼は分家から自分の名を除籍する事さえ考えていた。在野の術者となり、愛する人と二人三脚で生きていこうと思っている矢先だった。

 空気の読めない馬鹿な神が顕れてしまったのは。

 二人の愛の巣を土足で踏み荒らし、今まさに愛する妻を奪おうとしている。

 それを赦してはいけない。

 神話では様々な女神との間に子供を作ったヘルメスだが、いい加減股間の節操無しを駆除する良い頃合いだろう。

 そう。

 雄治は本気でヘルメスの下半身のモノを去勢した上で倒すつもりなのだ。

 腕を伸ばし、蛇の頭(というか角の切っ先)をヘルメスに向ける。

「……?」

「手術の時間だ。(息子との)別れの挨拶は済ませたか?」

 そして、眼では追えない速度で蛇は伸びた。

 慌てた様子でそれを避けるヘルメス。

 あと少し速ければ、角の切っ先はヘルメスの大事な部分に直撃していた事だろう。要訓練である。

「貴様ぁ……っ! なんという恐ろしい事を……!? それでも貴様「男」か!?」

 声が裏返るヘルメス。

 だが、雄治は何も言わない。

「え、いや、あの、その、ちょ、ま――!?」

 何も言わせずに剣のような角は振るわれる。全て下半身に向けてではあるが。

 ガキン、ガチン、と大鎌と角がぶつかっては弾かれる。

 しかし角は徐々に目的の場所へとその切っ先を近づけていた。このままでは本当に切り落とされてしまう。

 その未来を幻視したヘルメスは本気で目の前の神殺しを斃そうと決意する。

「ちぃっ!! 図に乗るなよ神殺し風情が!!」

 その言葉と共に羽根付きのサンダルが黄金色に輝きだす。

 伝令神として本領を発揮するつもりなのだろう。威圧感が増していくのが解った。

「ここからは本気だ。二度と我が「溢れ迸る愛」には触れさせんぞ……!!」

 ヘルメスが一歩踏み出す。踏まれた地面は有り得ない深さで陥没し、その部分には金の粒子が舞う。気付けばヘルメスは雄治との距離をゼロにしていた。振るわれる大鎌を咄嗟に蛇の角でいなし、半歩下がって攻撃するが、その攻撃は避けられる。既にヘルメスは角の届かない距離まで離脱していたからだ。

 厄介だ。本気を出したヘルメスがここまで速いとは思わなかった。眼では追えない速度とはこの事だ。下手すればこちらが対応するよりも前に首と胴が泣き分かれになってしまうだろう。

 しかし、そんな状況下にあっても神殺しは――雄治は諦めるという選択肢を選ぶことは無い。そうでなければ神殺しになど成れるワケがない。

 ヘルメスは更に加速する。大鎌を振り被り最高速で一撃を見舞う一撃離脱攻撃。有り得ない事に徐々に速度が増しているではないか。このままでは何も出来ぬまま雄治の首は刎ねられてしまうだろう。

 残像すら見え始めたヘルメスの速さに翻弄されるがままの雄治だが、しかしその眼に絶望や恐怖、諦めの色は浮かんでいなかった。

 何故なら。

 神殺しは、諦める事を良しとしない「愚か者」のみが至れる境地なのだから。

 だからこそ、彼等は神殺し――カンピオーネ(おうじゃ)なのだ。

 

 




ちょっとコミカルになってしまいましたね。
こんなつもりじゃなかったんですがね……(遠い目

あ、サマエル(改造体)のモチーフは、某神を喰らうゲームに出てくる竜です。
主人公にこの姿をさせて戦わせたいと思ったので、こうしました。
要するに作者の趣味です(苦笑

追記:サマエルの描写を変更しています。

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