竜(龍)蛇の王は、ヒーローの夢を見る   作:名無しの百号

4 / 10
格好良く主人公を描けているか心配です。
ワザとらしくならないように気をつけないと……


探偵と女好きな神サマ 下

 蛇。

 ギリシャ神話を始め様々な西洋宗教で邪悪と認定された生物である。

 救世主(イエス・キリスト)が謳ったキリスト教においては、人に智慧という大罪を与えた最も邪悪なるモノとされており、二十世紀が過ぎた今でさえも西欧諸国では蛇を嫌う人間は多い。

 余談ではあるが、雄治が倒したサマエルこそが、アダムとイヴに智慧の実を食べるように嗾けた蛇である、という説も存在している。……尤も、これはサタン説やルシファー説に比べると些かメジャーとは言い難いのは確かだが。

 話を戻すが、恐らく最も日本で有名なギリシャ神話における蛇の怪物と言えば、『メドゥーサ』を思い浮かべる人間が多いだろう。

 無数の蛇の髪を持った人間の姿をした化物。その眼を見た者は、おぞましさと眼に宿る魔力によって石化してしまうとか。

 幾人もの人間がその怪物の犠牲となり、勝利の女神アテナと伝令の神ヘルメスの加護を得た英雄神ペルセウスによって倒されてしまう。

 その時に用いられた武具が、ヘルメスより飛翔する靴(タラリア)とハルパーの鎌、身を隠すハデスの兜、そしてアテナより全てを跳ね返す(アイギスの)楯なのである。

 ペルセウスはこれらを使い、見事メドゥーサの首を切り落とした。

 多少描写や過程に差異はあれど、どれも結末は同じメドゥーサの首は必ず落とされる。有名な神話の一幕と言えるだろう。

 だが、その怪物の正体が、神々に翻弄された哀れな一人の娘だと知る人間になると途端に少なくなる。

 メデューサはアテナ、もしくはポセイドンの妻に呪われ、醜い怪物の姿へと転じさせられたと云う。

 その理由は諸説あり、メドゥーサが「私の髪はアテナよりも美しい」と傲慢に言い放ったが為に報いを受けた説や、ポセイドンとメドゥーサがアテナの神殿で密通していた事にアテナが激怒した説、ポセイドンとの密通をこの神の妻に知られ呪われた説等、様々な説が存在する。

 そのどれが正しいのかは判らないが、その醜い姿になった彼女を殺した男こそ、英雄神ペルセウスであり、彼女の首を刈り落とした武器こそ『ハルパーの鎌』なのだ。

 しかし。

(……おかしい)

 雄治は疑問に感じていた。

 ハルパーの鎌は、神話では片手で持てる武器とされていた筈だ。もう片方の腕にはアテナから借りたアイギスの楯があったのだから。

 実際、ハルパーとは鎌を意味しており、当時のギリシャにおいて鎌は「片手で引き斬る鎌」が主流だった。

 だが目の前にいるヘルメスが持つ『ハルパーの鎌』は、巨大な大鎌。首を刈るどころか人体を両断出来そうな巨大な刃を有している。

 普通ならば、この大鎌は『ハルパーの鎌』だとは思わないだろう。

 だが、雄治にはこの大鎌が『ハルパーの鎌』だという確信があった。

 何故なら、自身の内に在る二つの権能が激しく警戒するのを感じていたからだ。

 神話において特定の生物を殺した武器には、その生物に対して高い殺傷能力を持つようになる。要するに武器がその生物に対して特化した威力を発揮するようになるのだ。

 そして、神話において「ハルパーの鎌」が刈り取ったのは、蛇の怪物――メドゥーサの首である。つまりこの鎌には、『蛇』や『竜』を殺す――『竜蛇殺し』の能力が備わっているのだ。

 余談ではあるが、この神は海から生まれた女神(アフロディーテ)に男として恥ずかしい外道な迫り方をして子を産ませている。

 つまりこのヘルメスという神は――

「やっぱテメェ、《鋼》か!?」

 雄治はそう叫んだ。

 そんな仇敵の反応を楽しみ、朗々と詩を読み上げるようにヘルメスは言う。

「今更だな、神殺しよ!! 尤も、私とアテナが加護を与えたペルセウスこそが《鋼》であり、私はそのお零れを貰っているに過ぎんのだがね!!」

 それは言外に自分は《鋼》ではないが、《鋼》としての力を持っていると言っているようなものだ。だが、そんな事が有り得るのだろうか?

「よく言うよこの二枚舌が!」

 そう悪態を吐きながらも、最小限の動きで雄治はヘルメスの斬撃を避け続けた。

 確かに、視認出来ない高速での一撃は読み辛い。

 しかしその攻撃は一直線だ。射線上に入らなければ致命傷を受けることはない。

 言い換えれば、致命傷は食らわなくともダメージは蓄積されるという事なのだが。

 しかしそれでも、雄治はヘルメスの大鎌を操る腕に安堵を覚えた。そこまで脅威に感じないからだ。精々が一流、その程度と言えた。

 いくら神とはいえヘルメスは伝令神。疾く速く駆け抜け、情報を父なるゼウスに届けるのが仕事だ。

 戦闘に長けているとは間違ってもいえないだろう。

 確かに神話でヘルメスは、百目の巨人「アルゴス」を倒しているが、簡単に言ってしまえばアルゴスを眠らせてから首を刎ねただけである。要は暗殺のそれだ。

 《鋼》とは、古い地母神をまつろわせ、その神性を奪い貶める役割を持った鋼/刃金の武器を持った存在を指す。女にだらしなく節操が無いのも特徴だとパンドラは言っていた。

 ならば、このヘルメスは《鋼》だ。

 例え《鋼》ではないにしても、『竜蛇殺し』の力を持った鎌を持っているのだ。《鋼》の神と思って戦う方が後々の為になるだろう。

「ふははははははは!! いつまで避けられるかな!?」

 哄笑と共に振るわれるその斬撃をかわしながら、雄治は無視できない痛みと違和感を感じていた。

 避けたと思った攻撃が、徐々に身体に当たり始めたからだ。

 避けそこなった、ではなく。まるで移動する場所を予知していたかのように正確になってゆく攻撃。

 そのせいで現在の戦局は劣勢。徐々に追い詰められていると言っていい。

 まるで見えない糸に絡め捕られているようだった。

 もしくは、時間を止めるか巻き戻して当たるように軌道修正しているような……

(まさか……!?)

 その瞬間、雄治の脳裏に閃光が瞬いた。

 依頼人の家へ向かう前に調べたヘルメスに関連する話を思い出したのだ。

 元々ヘルメスという神は、ギリシャ神話においてトリックスターの役割を担う神だ。

 アポロン(太陽神)を欺き、叡智を得た神。

 人に様々な知恵や技術を与えた神。

 様々な女神と子を為した神。

 死後の世界へと自由に出入り出来る神。人を眠らせる事も殺す事も自由自在に出来たと云う。

 これらはヘルメスの逸話の一部だ。更に前述のアフロディーテの一件を加えれば、《鋼》に分類されるには充分と言えるだろう。

 だが、伝聞になるが魔術師を指して「ヘルメスの弟子」と呼ぶらしいのだ。

 古い女神をまつろわす《鋼》の神が魔術の祖だというのだろうか?

 確かにヘルメスは学問や錬金術の神とも呼ばれている。

 これらの疑問に関して、雄治は納得のいく答えを導き出せていない。

 だから、その事についてはもう考えないようにした。

 元々、この神について余り良い感情を持っていないのだ。

 権能を奪う事もそこまで重視しているワケでもない。大事なのは、この神を殺すという一点のみ。

 大の男が涙を流して依頼してきた以上、例え神だろうと始末してやると雄治は決意していた。人情話に弱い雄治にとって、それだけで神と戦う理由は充分だった。

 人妻に悪びれずに手を出すような節操無しな神など必要無い。例えどんな恩恵があろうと関係ない。

 この神を殺す事のみを考え、どう実行するのかが今最も重要なのだ。

 神の解析など、どこぞの学者共に任せておけばいい。

 依頼を果たす為の考察は大事だが、相手の来歴を解き明かせば勝負に勝てるような権能など持ち合わせていないのだ。

 どうやってあの竜蛇殺しの大鎌と高速で飛翔するサンダルを攻略するのか、それこそが今一番重要な問題と言えた。

(あの野郎は、文字通りのトリックスター(詐欺師)だ。あの大鎌が『ハルパーの鎌』の本性って事はまず有り得ない。必ずあの姿には何か理由がある筈だ……)

 全身を切り裂かれ、血を流しながらも決して諦めずに思考を巡らせる雄治。

(……そして、普通は有り得ない「時を止めた」ような攻撃軌道の変化……! 間違いねぇ)

 思い返せば、ヘルメスの父ゼウスの持つ「とある大鎌」と『ハルパーの鎌』は同一だという説があった筈だ。

 その大鎌の名は確かーー『アダマスの鎌』。

 地母神ガイアが夫ウラノスを去勢する為にゼウスの父クロノスに渡した"絶対に壊れぬ大鎌"だとか。

 クロノスの失脚後に子であるゼウスに継承された『時の翁の大鎌(アダマス・ハルパー)』は、クロノスが同名の時間神(クロノス)と習合されたが故に時間操作の概念を得てしまう。

 もしこちらの推測どおり、あの大鎌が「それ」ならば、時間を止めているのは最早確定事項だ。

 あれには『竜蛇殺し』の他に、『絶対に壊れぬ強度』と『時間操作』の能力があるのだろう。

 そしてヘルメスがこれ見よがしに左手に握っている二匹の蛇と翼の装飾のある短杖。

 これの名を『ケリュケイオン』と云うらしいが、その杖は神話によると、「眠らせる事」と「起こす事」を自由に操れる――つまり生き返らせる事と殺す事を自在に操る事が出来る恐るべき杖とあった。

 言うなればこの杖のせいで、依頼人は眠る度に死に近付き、依頼人の妻は目覚めなくなってしまったのだ。

 それを踏まえた上で、先程のヘルメスの発言を振り返る。

 まるであの短杖を奪えば、雄治の権能(どく)はヘルメスに通用する、と言っているようなものだ。

 だが、前述した『ケリュケイオン』に毒を治癒する能力は無い。

 ならばあの言葉は、

(ブラフか)

 そう断言してもいいだろう。

 寧ろあの大鎌にその効果はあると考えるべきだ。毒に侵しても、侵される前まで自分の身体の時を戻されては意味がない。

 そう考えると、あれは大鎌に必要以上の注意を向けさせない為の方便と考えるのが妥当。 そして意識させるモノを分散させる事で攻略法を見出させないようにする為なのだろう。成程、理に叶っている。

 だが、それと同時にある疑問が浮かんだ。

 もしあの大鎌がこちらが推測している「アレ」だとしたら、何故即座に時を止めてこちらの首を刎ねようとしないのだろうか?

 その疑問と同時にある仮説が思い浮かんだ。

 戦闘時、最も重要な事に気付けるその超直感は、神殺しにはデフォルトで備わっている。

 答えは単純で、恐らくは正式な所有者(ゼウスやクロノス)ではないからだ。

 だから時間を少し止めて軌道を修正するしか出来ないのだろう。

 ならば、いくらでも手はある。

 そしてその中で一番自分好みの選択は――

「まあ、本気出す以外に俺の選択肢は無いようなもんだがな」

 真正面から相手をすること。

「む?」

 その言葉にヘルメスは少しだけ距離を保ち、何が起きても対処出来る様に身構える。

 とても詐欺師や盗賊に崇められている神とは思えない行儀の良さだ。

 雄治はボロボロになったジャケットと中折れ帽を脱ぎ捨てた。

 そして、唱え始める。

 

「――我は蛇」

 

 その瞬間、雄治の気配が「変わる」。

 それは、神を屠った者の勝鬨。

 それは、神々を挑発する魔王の言葉。

 それは、手に入れた神の権能を掌握した男の宣言。

 それは、本能の底より溢れる苛烈なる意思を表していた。

「……貴様」

 初めてこちらに怒気の籠もった視線を向けるヘルメス。

 矮小なる人の子への嘲弄の混じった微笑を向けていたヘルメスが、初めてその顔を怒りで歪めたのだ。

 

「その身は怨み、その牙は毒、その眼は死、その角は敵対する全てを滅ぼす呪いの剣」

 

 神殺しの聖句。

 神より手に入れた権能を十全に扱う為に神殺しが唱える祝詞。

 

「我は縁を暴き、咎人の係累全てを滅ぼす者。怨み。恐れ。呪い。毒。我はそれらを以て敵に害為す古き蛇」

 

 この聖句は、雄治が夜刀の神の権能を本気で使う時のみ唱えるものだった。

 これは雄治が考えたオリジナルの聖句でもある。

 元々『常陸風土記』には、夜刀の神の簡単な姿の概要と、その能力しか記載されていなかったのだ。後は全て人に追い立てられる描写のみ。

 聖句にするには余りに短い。それ以上に神を描写している記述が少なすぎる。

 だから雄治は本能的にその文章を使う事を避けたのだ。

 これは、権能を快く寄越してくれた夜刀の神へのせめてもの配慮と言えた。無論、それはサマエルにも言える事ではあるが。

 そして、聖句が完成する。

 

 

 

「我こそは夜刀の神。毒と呪いの蛇神也!!」

 

 

 

 聖句の完成と共に、雄治の全身から凄まじい呪力が迸った。

 その気配は、まさに蛇神のそれ。

「――っ!?」

 今まで感じられなかった威圧感と圧迫感をヘルメスは感じ、先程まで雄治が「手加減」していた事を嫌でも悟ってしまう。

 そう、神殺しであろうと脆弱な人間風情が、見上げ崇めなければならない神を前にして、手を抜いていたというのだ。

 それを侮辱と取ったヘルメスは、その眉目秀麗な顔の全てを憤怒で歪めた。

「たかが人間風情が、偉大なるオリュンポス十二神の一柱に数えられるこのヘルメスを相手に随分と舐めた態度を取るものだな。その首、余程要らぬと見える」

 声を荒げないものの、そこに込められた怒気と殺意は隠しようもなく雄治に伝わっただろう。

 だが、雄治はそれに答えない。

 人では有り得ない鮮やかな赤い「蛇の眼」となった己が両眼に殺意を漲らせて、角の生えた蛇と化した右腕を構えるだけだった。

 その態度を不遜と感じたヘルメスは益々怒りを募らせ、短杖を再び腰に戻した。

 両手で大鎌を握り締め、先程よりも明確に雄治の命を狙おうとヘルメスは腰を落とし、膝に力を込めていく。

 雄治もまた、その腕に呪力と力を込めていく。ヘルメスのスピードには叶わないと判っているのだ。ならばカウンターを狙うしかない。

 そして二人は、たった一言を異口同音に言い放つ。

 

 

 

「「――死(に給え)ね」」

 

 

 

 その言葉と共に、再び二人は激突した。

 ヘルメスは黄金に輝く脚を踏み締め、砂漠の砂を後方に高く巻き上げながら疾走する。その速度はまさに神速と言えた。

 対して雄治は、その一撃から眼を逸らさないように身動きすらしない。接触するその一瞬で、逆に相手の命を奪おうと考えているからだ。

 そして、ヘルメスは横にステップを踏み――雄治の視界から消えた。

 

 

 

「浅はかだな、神殺しよ」

 

 

 

 そんな嘲弄の言葉が背後から聴こえてきた。ヘルメスが雄治の背後にまさに神速で回り込んだのだ。

 そう、この神は最初から雄治とまともに戦う気が無かった。精々目を付けた女を手に入れる為の多少手強い障害程度にしか考えていなかったのだ。

 だから相手を必要以上に格下と挑発し、雄治の挑発の意味を込めた聖句に激怒した『演技』をしてみせたのだ。そして一直線に来ると見せかけて、人が視認出来ない速度でステップを踏んで背後へと回り込む。

 真っ直ぐ迫る剛速球が、その速度のままに背後へと半円を描いて移動したようなものだ。常人では、何が起きたか理解する前にその首は刈り取られていただろう。

 そう、相手が雄治のような神殺しではなかったのなら。

 故に、軍配は雄治に上がる。

 背後より神速のスピードのままに振るわれる大鎌が雄治の首に到達するほんの少し前。

 ヘルメスは確かにその刹那に彼の言葉を耳にした。

 テメェがな、そう雄治は言ったのだ。全く慌てていないどころか勝利を確信しているような声音がヘルメスの耳朶を打ったのだ。

「なに――?」

 それに戸惑うよりも早く――ドスッ、と剣が人体を貫く音が聴こえてきた。ヘルメスが自分の胸元を見下ろすと、そこには夜刀の神の角が突き刺さっているではないか。

 右腕の蛇が神殺しの左脇下からその蛇体を延ばし、その角を背後に現れたヘルメスの胸に突き立てていたのだ。まるで背後にヘルメスが現れると確信していたかのような正確さで胸の中心を貫いているではないか。

 その突き刺さった角を介して“毒”と“呪い”がヘルメスの体内に流れ込む。それらは一瞬でヘルメスの全身に周り神の身体を滅ぼしてしまう。それを証明するかのように、この神の口から一筋の血が流れ――遂には吐血する。

 これが斬撃ならばまだ対処法はあった。斬られる前に即座に時間を巻き戻せば良かったのだから。

 だが角は突き刺さったままなのだ。例え肉体の時間を巻き戻したところで、角が突き刺さっている以上どうしようもないのだ。例え毒と呪いに侵される前に時間を巻き戻したにせよ、角が突き刺さっているという事実を変える事はヘルメスには出来ない。

 これで終わりか。

 それが解ったヘルメスが静かな様子で雄治に話し掛けた。先程までとは偉く違う雰囲気である。

「…………一つ訊きたい。何故、私が背後から貴様を狙うと判った……?」

 最早これでは助からぬ、それが解っているヘルメスは少量の賞賛の意味を込めて雄治に問い掛けた。

「テメェは産まれた時から嘘吐きって話だったからな。だったらその言動の逆こそが真実って事だろ。猪みたいに真正面からこっちに突っ込んできたから直ぐ解ったよ。何か裏があるってな。その靴のアドバンテージがあるのなら、背後から俺の首を刈るのが一番手っ取り早い。半分以上は賭けだったが、成功したから問題無いよな」

 そう言われ、ヘルメスは苦笑するしかなかった。つまり己の慢心が、この敗北を呼んだということだ。

 雄治は絶対に勝つ為に本気を偽り、ヘルメスは楽に勝つ為に感情を偽った、つまりそういう事なのだろう。

「成程。これでは負けるワケだ」

 勝利への飽く無き貪欲さ。それこそが勝敗を分けた。

 雄治にとって勝利とは「相手を叩き潰して生き残る」事であり、ヘルメスにとっては違っていた。

 彼にとって勝利、それは「万難を排して女性を手に入れる」事だったからだ。

 そう、彼は元々雄治を目的を阻む障害としか認識していなかった。例え相手が神殺しであってもだ。それが間違いだと死ぬ間際になって実感するのだから本当にどうしようもない。

 自嘲を込めた低い笑いをヘルメスがしているのを見て、雄治は思う。

 せめて最期くらいは派手に送ってやろう――と。

「最期だ。特別に俺の「切り札」の一つ、見せてやる」

 雄治はそう言って、身体を反転させヘルメスに向き直り、左の五指を蛇へと変えて相手の身体に巻き付け、締め付ける。そして牙より毒と呪いを流し込む。

 そのまま上空へとヘルメスの身体を運び、蛇より解放する。

 勿論それは次の攻撃への前準備。

 蛇と化した両腕を元の人の腕へと戻し、腰の横で引き絞る。まるで矢を番えた弓のように。撃鉄を起こされた銃のように。

 拳を堅め、頭上の神を見上げる雄治。

 その眼には、ただ「討ち斃す」という強い意志のみがあった。

 彼の意思を反映するかのように、彼の全身に呪力が迸り、地面には雄治の影が広がった。その影の中からは、無数の赤い眼光が覗いている。雄治が生み出す夜刀の眷属たちだ。

「……ぐぅ……ふふ、では見せて貰おうか。神殺しの「切り札」とやらを……!!」

 半ば意地でヘルメスは笑みを浮かべて、自分を殺すであろう男を見下ろす。

「ああ、見せてやろうじゃねぇか!!」

 そして彼は腕を勢い良く横に広げ、拳を開き――両の十指を大蛇へと変えた。

 

 

 

「――我は呪いと毒を持って仇敵を討ち滅ぼす者っ!」

 

 

 

 それら十の大蛇と、影より溢れ出た無数の蛇が、その身を伸ばしながらヘルメスへと襲い掛かる。

 

 

 

「――我は個にして群なる者! 我は角と牙を持ちし者!」

 

 

 

 頭の角で斬撃し、牙を突き立て、その巨体で体当たりを食らわせる。

 

 

 

「――我が呪いと毒、その全ては我が仇敵を滅す死の剣!!」

 

 

 

 これらの攻撃を、何度も何度も雄治はヘルメスに繰り返した。

 上下左右関係無く縦横無尽に繰り広げられる容赦の欠片も見当たらない攻撃。

 それによって嵐に煽られる木の葉のように、ヘルメスは空中で身動きする間も与えられずに攻撃を受け続けては吹き飛ばされていく。

 

 

 

「――我、眼前の仇敵を滅ぼすに一切の躊躇い無し!!」

 

 

 

 そして、雄治から溢れる呪力で影の中に在る全ての蛇が呪力に還元され巨大な大蛇へと姿を変えて、ヘルメスが打ち上げられたその更に上空から襲い掛かった。

 

 

 

「――喰らいつけ、夜刀の眷属っ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 口内に乱立する杭のような牙でヘルメスを喰らいつき、そのまま地上にいる雄治目掛けて突進する。このまま地面に叩きつける? いや、そうではない。

 斃すならば、自身の肉体で。

 それが彼の己に課した不文律。

 落ちて来る「それ」を見上げ、雄治は唱える。

 

 

 

「――変・()

 

 

 

 肉体の全てを「夜刀の神」へと変えた。

 この一連の攻撃こそが、雄治の『切り札』の一つ。

 巨大な蛇体を撓ませ、角に呪力を集約させる。

 呪力が漲り、まさに神殺しの剣に相応しい姿へと角は変わる。刀身《つの》が伸び、巨大な剣そのものに成った。

 毒と呪いによって形成された神殺しの剣。

 鼻先に伸びる剣は蛇の頭とも融合し、その姿はまるで蛇が纏う戦鎧。

 その鎧の中に在る蛇の赤い眼がギラリと輝った。打倒の意思に満ちた「蛇」には余り似合わない真っ直ぐな眼だ。

『これが俺の――』

 そして――跳躍する。

 身体のバネと、呪力による牽引と反発。イメージとしては『超電磁砲(レールガン)』のそれだ。

 速度を増しながら、その大蛇は空を昇った。文字通り、真っ直ぐに。

 切っ先は既に向けられている。

 

 

 

『切り札だッ!!』

 

 

 

 呪力で編まれた大蛇ごと、雄治はその角でヘルメスを貫いた。衝撃が全身を貫き、そして通過する。

 更に吹き飛ばされ、今度こそ地上に激突するヘルメス。辺りに砂が巻き起こった。

 そんな中、不思議と明瞭な男の声が聴こえた。

「…………ふん。負け、だな……」

 砂の向こうにいた血と砂に塗れた美しき神は、仕方が無いとばかりに嘆息する。

 納得は出来ない。

 だが、確かにこの身を貫かれたのだ。

 徐々に身体が消えてゆくのを感じ、己の力が自分の上空にいる大蛇へと流れ込んでゆくのが解った。

 こうなっては否定するのも馬鹿馬鹿しい話だ。

 ヘルメスは神殺しに敗北した、

 これは純然たる事実である。

「認めよう、名も知らぬ神殺しよ。貴様は確かに我等が怨敵だった」

 やはり謡うようにヘルメスは告げる。

「これは不確かな予言でしかないが、貴様はいずれ破滅する。その「二つ」の毒蛇の力、人の子には過ぎたモノだ。遠くない未来において貴様は狂うだろう。そうでなくても貴様はこの国で生きる以上いずれ逃れられぬ死が訪れよう」

 だが、と前置きしてヘルメスは続けた。

「貴様は既に人の身に余るその権能を己の所有物にしているな。……何故なのかは理解出来ぬが、どうやら納得して死んでいったようだな。彼等は」

 如何にも敗北する定めを持った竜蛇の神らしい。

 そんな嘲弄の言葉に雄治は何も言い返さない。

 真実どうでもよかったからだ。敗者の言葉などに勝者は耳を貸さない。

 忠告ならば聞きもするだろう。だが、嘲弄の言葉は何を言っても惨めなだけだ。既に負けているのだから。

「……ふん。まぁ、その竜蛇の権能を持った男に殺された私こそが、最も滑稽ではある、か」

 そう呟きヘルメスは嘆息する。

 やがてヘルメスは静かに頭上の大蛇を見遣った。

「名を教えて欲しい。未だ誰も知らぬ神殺しよ」

 言葉にはあるのは、末期の静けさのみ。

『……皆藤雄治だ』

 最期の頼みを無視するのは雄治としても本意では無かったので、普通に答えてやる。

「そうか。では皆藤雄治よ。このヘルメスより簒奪した権能を使い、現世を疾走せよ!! 疾く速く駆け抜け、そしていずれ来たる破滅に備えよ!! 貴様や他の神殺しが死ぬのはどうでもいいが、うら若き美しい女性が無為に死ぬのは私の本意ではないのでなぁ!!」

 そう言い遺して、ヘルメスは死んだ。

 地上に着地する瞬間に雄治は人の姿に戻り、

「最期まで女かよ。ブレねぇなぁオイ」

 そう言いながら雄治は呆れたように苦笑した。

 気に入らない神だが、あの女性そのものへの一途さは見上げたものだ。……だからといって複数の女性に無理矢理迫るあのやり方は気に入らないのも事実だが。現代社会でやれば刺されても文句は言えないだろう。

 ……まぁ、それもどうでもいい話だ。

「さぁて、さっさと戻るか」

 ボロボロのジャケットと帽子に付いた砂を落とし、再度着込みながら雄治は幽世を出て行く。

「新しい服も買わねぇとなぁ」

 そんな事を呟きながら帽子を被る。

 ボロボロの姿のまま、しかし一仕事を終えた晴れやかな顔をする雄治。傍から見る限りでは凶悪な顔に違いなかったのだが、それでも彼は満足そうに笑う。

 このまま依頼人に報告しに行こう。

 「もう奥さんは大丈夫だ」と。

 

 

 

 

 

 

 

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「有り難う御座います!!」

 そう言って沙耶宮浩一郎は目覚めた妻と共に雄治に頭を下げた。

「いえいえ。あ、それと結局相手はヘルメスを騙った人間の術者でしたよ。まぁ、ちょっと派手に暴れたせいで連れてくるのは難しいですが」

 実際は神そのものだったのだが、態々真実を教えて怖がらせる必要も無い。

 そう判断した雄治は、ヘルメスをただの人間の術者と嘘を吐いた。殺した事は事実なので、そこは依頼人に説明したのだが、そこはやはり四家の一つ沙耶宮の関係者。

 多少良い顔はしなかったが、殺さなければ自分が死んでいたと説明すると納得してくれた。やはり自分でヘルメスを殴りたかったようだ。

 眠らされていた妻からも犯人に言いたい事はあったが、ボロボロの雄治の姿を見て控えたようだった。

「では、依頼の報酬を……」

 そう言って浩一郎は五百万の入った封筒を雄治に手渡した。

 馴れた手付きで封筒を開け、中の札束を数えていく。

 百万……二百万……三百万……四百万……そして五百万。

 確かに五百万円入っていた。

「確かに。……それと、今回のことは内密にお願いできませんか?」

 雄治は浩一郎にそう頼んだ。

「……何故でしょうか?」

 浩一郎としては「沙耶宮とパイプを繋ぎたい」と言い出すかもと思っていたので拍子抜けする気持ちだった。

 とは言うものの、余り喋って欲しくないのなら、浩一郎としてもそれに従うのは吝かではなかった。

「一応表向きは探偵していますし、余り"裏"の仕事ばかり来るようになっても困るんですよ」

「ああ、成程」

「まあ、"表"の仕事だけで食べていけますし、そこまでガツガツしなくてもいいかな、と」

 もうすぐ三十ですし、少しは落ち着かないと。

 そんな雄治の発言に浩一郎夫妻は少し笑ってしまう。

「それじゃ、そろそろお暇しましょう。また御逢いする日まで」

 そう言って帽子を被る雄治に浩一郎は告げる。

「いえ、これで最後になります」

「……と言うと?」

 彼は妻の手を握り、言った。

「妻と話し合ったんです。東京を離れて田舎で暮らそうって。沙耶宮からも除籍するつもりですし、恐らくはこれっきりになるかと」

 雄治はキョトンとした顔をするが、浩一郎の顔が本気だと物語っているのが解って笑みを零した。

「……そうですか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「じゃ、お元気で」

 被った帽子で顔を隠し、しかし口元に笑みを浮かべてその探偵は静かに家を出て行った。

「……良かったの?」

 その後ろ姿を見送る亭主に妻はそう訊いた。何を言っているかは判っているだろう。

「うん。僕にはやっぱり沙耶宮の名前は大き過ぎるよ。市井に生きる術者の一人として君と生きた方がよっぽど充実して生きられると思うんだ」

「嘘ばっかり」

 そう言って妻は頬を抓る。

「ひててて……ふぁに?」

「私とこの子が心配だからでしょ?」

 自分のお腹に手を当てる妻。

「……」

 彼は何も答えられなかった。

 図星だからだ。

「……まぁいいわ。貴方と一緒なら、どこでだって生きていけるもの」

 本心だ。

 それが判ったのか、夫は自分を抱き締めると、

「……ありがとう」

 そう言ってくれた。

 だから自分もこう返した。

「どう致しまして」

 

 

 

 

 

 

 

 

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「さぁて、金も手に入ったことだし、美味いモンでも食いに行くか」

 そう呟いて、その男は姿を周囲の雑踏に紛れさせ――消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 私立探偵を営む青年、皆藤雄治。

 好きな物はオタク趣味と美味い食事。

 そんな彼には、師匠以外誰にも知られていない秘密があった。

 

 

 

 

 

 

 

「媛」

「何でしょう、御坊?」

「いい加減、あの方を舞台に上げる時期ではありませんかな? もうじき十年です。如何にあの方が表舞台に顔を出したくないとしても、その存在を隠しておく必要はありますまい」

「……はい」

「では、拙僧はスサノオ殿と共に彼を試す策を練ろうと思いますが……」

「その必要は無いと思います」

「……はて?」

「西より、雨と雷を纏いし古き翼持つ竜神が目を覚ます気配がしました。あの御方の御師匠殿によって幽世に追い立てられ、己の神域にて神性を取り戻された方が」

「成程、それは確かにお誂え向きですな。では、その件にてあの方の最後の裁定と致しましょう」

「……正直、此度のヘルメス様との戦闘で充分にあの御方の御気性は解ったかと思いますが……」

「確かに気性は解っておりますな。黒王子殿よりも傲慢で、すみす殿よりも秘密主義者で、古き侯爵殿よりも貪欲で、剣王殿よりも自由で、羅濠殿よりも理想に生きる御仁だと」

「でしたら」

「だからこそ、その裁定には慎重を期さねばなりませぬ。あの御方の奥の手、我等は見ておりませぬが、媛の見立てでは《鋼》すら滅ぼす力を有しているというのであれば尚更に」

「では、どうされるのですか?」

「何も知らぬ民草を巻き込むより、恩義あるかの御仁を巻き込んだ方が見定めるには妥当かと」

「……本気で御座いますか」

「無論」

 

 

 

 そして師である大吾以外では、日本を幽世より守護してきた三人の古老たちのみが、雄治の正体を知っていた。

 




 取得権能 【夜刀の神】【サマエル】【ヘルメス】←new! 


※雄治の技は、某機神拳継承者で修羅の王の最終奥義をイメージされると良いかと。それとウロボロスを使う某三下口調の緑髪の技も踏襲しています。

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