第2章も終わり、少し番外編のようなものを書きたくなって。
シルバさんのちょっとした昔話を、書きました。
前後編に分かれております。後編は明日投稿します。
よろしくどうぞ。
前編
「……ふぅ」
弓を背中に仕舞った青年は、疲れの篭った溜息をついた。
目の前に倒れているロアルドロス。たった今青年によって狩猟され、息を引き取ったばかりである。
「なんとか一人でも、狩れたかな」
ジャギィシリーズに身を包んだ銀髪の青年、シルバは一人、そう呟いた。
新人は卒業した、と言える程度のハンター歴。一般的に成長が早いとも遅いとも言えない、「平均的なハンター」である彼は、自分の実力を試すためにも初めて一人でロアルドロスの狩猟に挑んだ。
結果としては危ない場面もあったものの、ネコタクシーを使うことも無く、制限時間内にロアルドロスを狩猟することに成功し、今に至る。
達成感や高揚感も特にはなく、あるのは疲れと命を奪った血の臭いと弓を引き絞る感覚だけ。さっきまで命懸けのやり取りをしていた遺骸にナイフを突き立て、皮や爪を剥ぎ取る。
モガの村から舟を使って向かう狩場、孤島。さんさんと照りつける陽射しが銀髪を照らす。
「……まぁ、平均的なハンターだな」
特に秀でた特技がある訳では無い。
天才的な狩猟センスがある訳でも無い。
はたまた、チームを牽引するカリスマも特には無い。
絶望から生き残れる強運も持ち合わせていない。
だからといって別段苦手なことがある訳でも無い。
シルバは、今の時期ならロアルドロスをソロでも狩猟できる、「平均的なハンター」なのだ。
だから、自分の身の丈に合わない狩猟はしない。
ベースキャンプから何かしらの信号弾が見えた。色は黒色。
「狩猟環境不安定。狩場に危険なモンスターが接近している」
黒色の信号弾の意味は確かそうだったはず。
この場合、その狩場に居合わせたハンターは、その新たに接近しているモンスターを狩猟するか、帰還するかの二択を選ぶことが出来る。
新たに接近しているモンスターは、何が来るか解らない。そのモンスターが自分の実力に見合わない強力なモンスターだった場合、無駄に命を落とすだけとなるので、余程の実力が無い限り、帰還することを推奨される。
シルバが選んだのは、勿論「帰還」だった。
「……流石に無理」
現在いる地点はエリア5。急いでベースキャンプに戻ろうとしたその時である。
「キョォァアアォォォ!」
空から聞いたこともないモンスターの咆哮が聞こえた。間違いなく乱入者である。
シルバが空を見上げるとそこには晴天の真夜中の空を思わせる美しい藍色。それがモンスターの体毛だと気が付くのに少し遅れるほど、美しい色をしていた。
まるで梟のような見た目をしたそのモンスターは、シルバの持っている知識の何処を探しても名前すら出てこない、「未知」のモンスターだった。
「っ!?なんだあいつ!?」
何も解らない。それは圧倒的な恐怖と不安を掻き立てる要素の一つである。シルバは踵を返し、全速力でベースキャンプへ向かって逃げ出した。
何せ自分はまだ新人からは卒業した、としか言えない歴の、平均的なハンターなのである。未知のモンスターを相手に立ち回れる技術も実力も運も持ち合わせていない。
「とにかく、逃げろ……!!」
「ハァ……ハァ……」
ベースキャンプ。命からがら逃げ出したシルバは、運良く無傷で逃げ切ることに成功した。
「ハハッ、その位の運は持ち合わせていたんだ、僕は」
自虐気味に笑いつつ、クエスト帰還の為の信号弾を放つ。とにかく早々にこの孤島という狩場を離れたかった。
舟を使い、モガの村まで到着した瞬間、シルバは恐ろしい疲れを感じた。
初めて観たモンスターから逃げたのだ、当然だろう。
だから、桟橋で同業者が倒れているのに気が付くのに一瞬、遅れた。
「!?だ、大丈夫ですか!?」
周りに人は居ない。この桟橋から行ける場所は孤島という名の狩場しかない、ハンター以外にこんな場所に来ることは無いだろう。逆説的にこの倒れている女性もハンターだとシルバは予想した。
ギザミシリーズの防具を身にまとった女性。顔は見えないが、確かこの防具の形は女性用だったはずだ。しかし武器は装備していない。女性は倒れたままピクリとも動かず、生きているのかすら解らなかった。
シルバは女性に近づき、肩を少し強めに叩く。反応は無い。
「あの!大丈夫ですか!?」
もう一度肩を叩く。ほぼ全力だ。ギザミ装備の女性はピクリと動き、呻き声をあげた。声を聞くとやはり女性だと解る。
「ぅう……ここは……?」
「大丈夫ですか!?」
「……貴方は、誰?ここは……思い出せない」
女性の声は酷く怯えていた。シルバはなるべく怖がらせないように語気を和らげ、安心させるように努める。
「僕はシルバと言います、貴方は?」
「……フローナ、です」
消え入りそうな声で女性はそう名乗った。震える手を動かし、頭の装備を取る。
兜から現れたのはプラチナブロンドの長い髪と、翡翠のように美しい目。誰もが美人と言うであろう、美しい女性だった。しかし、その美しい顔は恐怖と不安で歪められている。
「あの……ここは何処ですか?貴方は何故ここにいるんですか?私は貴方のことを……知っていますか?何も、思い出せないんです」
彼女には、名前以外の記憶が無かった。
「ここが、僕の家です。狭いですけど」
疲れとパニックで何も考えられなかった。
後に彼はこう言い訳することとなる。
記憶を失い、恐怖と不安に押し潰されそうになっていたフローナを放って置くことが出来なかったシルバは、彼女を自身の家があるユクモ村まで連れて行くことに決めた。
そしてユクモ村の村長にその事を報告すると、「シルバがしばらくの間面倒を見たらどうか」と笑顔で言われたのだ。
疲れとパニックで何も考えられなかった彼は、それが「男女がひとつ屋根の下」であることを考えておらず、オーケーを出してしまったのである。
その事に気付くのはこの日の夜なのだが。
「シルバさんは優しいんですね。何もわからない私を、助けてくれた」
取り敢えずずっと防具を着けておくのは大変だろう、とシルバの私服の中から女性が着ていても違和感の無いものを渡し、シルバが別室へ移動する。
「逆にあの状況で助けなかったら、後味悪いですからね。別段僕が優しいわけじゃないですよ」
そちらの別室でシルバも私服に着替える。
しばし、二人の着替えの際に聞こえる衣擦れの音だけがシルバの家を包んだ。
「……私は、ハンターというお仕事をしていたんですね」
扉越しに不安そうな声が聞こえる。
「恐らく。ハンター以外にモンスターの素材を使った防具を身に着ける人、居ませんし」
「……シルバさんも、ハンターなんですか?」
その質問にシルバは何故か詰まってしまった。
フローナが着けていた装備、ギザミシリーズの素となる鎌蟹、ショウグンギザミは今のシルバの実力では到底狩猟することが出来ない。記憶が戻る前の彼女はシルバよりも優秀なハンターなのだろう。
平均的なハンターでは無いのだろう。
その事実が、シルバの返答を詰まらせた。
「……ええ。僕もハンターをやっています」
「……ふふ、どうしてでしょうね」
「どうしました?」
「安心しました。貴方のような素敵な人がしている仕事なら、きっと、素敵なお仕事なんでしょう」
フローナの声は、心なしか嬉しそうに聞こえた。
対するシルバの心境はと言うと。恐ろしく複雑であった。
「……常に死と隣り合わせの、危険な仕事ですよ。でも……」
「でも?」
シルバの着替えはとうに終わっている。恐らく、フローナも終わっているだろう。
だが、シルバは何故か扉越しにしか話せない気がした。
そういえば僕はどうしてハンターになったんだっけ。
「……でも、素敵な仕事ですよ」
新人だった頃、何故ハンターに憧れたのか、何故か思い出せなかった。
「まぁ、美味しそうですね!」
夕飯の時間。シルバは基本的に自炊をしている。この日も台所に立ったのは彼だった。
作ったものはシチュー。温かい湯気と香りが食欲をそそる。
「味も美味しい、と思いますよ」
そう言いながら取り皿にシチューを分け、スプーンを二つ用意するシルバ。数時間、二人でいた為、二人共緊張感は薄れてきていた。
合掌し、シチューを頬張る二人。暖かな野菜達が口の中で踊る。
「美味しいです!」
「良かったです」
心底嬉しそうな表情でシチューを頬張るフローナの表情は、満ち足りた表情に溢れており、ひどく魅力的に見えた。そんな表情に見とれつつあったシルバは、誤魔化すようにシチューを口に運ぶ。
湯気が部屋を暖める。
「私考えてたんです」
「何を?」
「私、ハンターだったのなら、きっとそのお仕事をしていれば、いつか記憶が戻る気がするんです。シルバさんのお仕事、お手伝いしてもいいですか?」
シルバはフローナの翡翠の目を見た。彼女の目は真剣そのものである。
この世界において、「知らない」ということは最も愚かである。自分の記憶すら「知らない」彼女が「知る」為の手助けは、してあげたい。
「……いいですよ」
「ありがとうございます!私……助けてくれたのがシルバさんで良かったです」
温かいシチューを食べたからだろうか。フローナの顔は少し紅潮していた。
その表情は、少女のように可愛らしいものであり、同時に赤い頬がひどく扇情的で。
シルバはどう返していいものか解らなかった。
「……僕なんかよりいい人は同業者にもたくさんいますよ」
気付けば、そう口にしていた。
「何も出来ない訳じゃない。でも、何か出来る訳でもない。周りに胸を張れるほど経験も長くない。他人が羨む程の才能や技術も無い。きっと、記憶が戻る前のフローナさんの方がハンターとしての実力は上です。僕は……中途半端で何処にでもいるハンターその1なんです」
「そんなこと……」
「あります。いや、それ以下かもしれません。そんな中途半端な実力と精神力だから……俗に言う「天才」や、「才能」っていう言葉が嫌いで……そんな恵まれたものを持っている人が、とても羨ましい。とても妬ましい」
シチューはまだ鍋に残っている。
湯気はもう出ていない。冷めてきたのだろう。
「……私は」
倒れていた時のように手を震えさせながら、フローナがぽつりと話し始めた。
「私は……自分の名前しか覚えていません。貴方のことを知っていたのか、知らなかったのか……それすらも貴方から聞くまで解りませんでした。私は、自分の名前しか覚えていないんです。それ以外の事は……思い出すか、新しく覚えるしかないんです」
震える手を必死に止めつつ、しかし目だけはしっかりとシルバを見て話すフローナ。その雰囲気にシルバは気圧され、黙って話を聞くしかなかった。
「私は貴方のことを、とても素敵な人だと覚えました。それは「ついさっき」覚えたことです。だから忘れたことじゃないし、間違えようがないんです。貴方は、私にとって、とても素敵な人です。とっても」
「…………」
ふと、シルバは視界が揺らいだ。滲む目の前でフローナがビックリしておたおたし始める様子が見える。
その光景が、さっきまでの彼女とあまりにも違い過ぎて。
「……プフっ」
つい、シルバは笑ってしまった。
「シルバさん、私の前で初めて笑ってくれましたね」
「そうですか?」
「はい。そのくしゃっとした笑顔、私好きです」
二人の顔が少し赤くなる。シルバは誤魔化す為にシチューをかきこんだ。既にぬるくなってしまっている。
ふと、フローナの方を盗み見ると、彼女も誤魔化すようにシチューを食べていた。
短くて長い、二人の生活の始まりであった。