第4章ラスト。よろしくお願いします。
「ただいま、お姉ちゃん」
狩りを終えて、身体は疲れ切っている。
それでも、リーシャが家に帰る時は、必ず笑顔だった。たとえ死を間近に感じ、無双の狩人を相手にした帰りであろうと、今日も同じ笑顔で帰るのだ。
姉であるエイシャを、何があっても心配させない為に。
エイシャはすぅと寝息を立てて眠っていた。その寝顔はリーシャとよく似ていてとても無邪気だ。あまり苦しそうな表情をしていないところを見ると、今は少し安定しているらしい。
そんな姉の表情を見て少し安心したリーシャは、張っていた肩の力を抜き、静かに姉のベッドの傍に座る。本当はこのまま眠ってしまいたいが、今日はエイシャの為に旅芸人パノンが芸を見せに来る。客人が来るのに、リーシャが爆睡しているわけにはいかないだろう。
それでも、少しだけ。少しだけ、姉がゆっくり休んでいる間だけ。大丈夫、少し遅れるもののちゃんと薬も届くのだから……。
「……リーシャ?帰ってたの?」
「……お姉ちゃん、起きたの?」
突如、声を掛けられた。エイシャが目覚めたらしい。眠気は急に吹き飛び、ムクリと立ち上がってエイシャの顔を見た。顔色は悪くは無いが、体調が良いわけではなさそうだ。
「おかえり。聞いたよ、あんたが私の薬の為にジンオウガを倒しに行ったんだって?」
「うん、そうだよ」
「……ありがとね。でも、あんまり危ないことばっかりしちゃダメだからね?」
「……うん、解ってる」
脳裏に浮かぶのは、絶望的な状況に立たされ、一度生きることを諦めたあの瞬間。今回の狩りは、間違いなくリーシャの狩人人生の中で最も危険だった。
そして、そのことを、恐らく姉は気付いている。
「……ごめんね、リーシャ」
エイシャは布団の上で、目を伏せながらそう言った。
「……私を心配させない為に、私に何とか生きていて欲しいが為に、あんたが命かけて、無理してるんだもんね。お姉ちゃん失格だよ」
「そんなことないっ!」
リーシャは姉の言葉をかき消すように叫んだ。
「私ね、最初は、最初はお姉ちゃんの為にハンターになって、お姉ちゃんの為に狩りに行ってたよ?けどね、今は違うんだ。勿論お姉ちゃんの為でもあるけど、ハンターとして生きるのが楽しいんだよ。シルバさん、ヤマトさん、ディンさん……仲間が、友達が出来たし、皆といる時間はすごく楽しい。だから、だから」
疲れで頭が回らない。自分でも何を言っているのか解らない。何故か、じんわりと涙が込み上げてきた。
「そんなこと、言わないで?お姉ちゃんはお姉ちゃんだから」
疲れで頭が回らない。どうして、あの時私は命を手放しそうになったのだろうか。こんなにも、大切な仲間と家族がいたのに、どうして私は先に逝こうとしたのだろう。だめだ、今考えることが出来ない。
「……そうだね、ごめん。悪かった」
エイシャは、リーシャの泣き顔を数年ぶりに見た気がした。リーシャは、エイシャの前で泣こうとしないのだ。彼女なりに、エイシャに気を遣わせまいと振る舞っているのだろう。
こう言えば、「そんなことないよ」とリーシャは否定するだろう。だが、彼女の生を少なからず縛り付けてしまっているのはエイシャだ。少なくとも、彼女はそう思っていた。
だからこそ、彼女が涙目で「ハンターとして生きるのが楽しい」と言ったことが、エイシャは涙が込み上げてくるほどに嬉しいことだった。
「……でも、あんたはもう少し自分のことを考えてもいいんだよ。あたしに縛られないで……恋とかさ」
涙を浮かべていることを悟られたくなかったエイシャは咄嗟に茶化し、したり顔でリーシャに問いかけた。とは言えど、エイシャ自身も実際気にはなっていることなのである。姉のことを気にかけすぎているからなのか、リーシャ自身が子どもっぽく見えてしまうからなのか、或いは彼女がエイシャに話していないだけなのか、彼女の色恋事情の匂いがしないのである。
そんな姉の俗っぽい問いに対し、リーシャはきょとんとした顔をした。
「ほぇ?えっと……恋愛?」
「そうだよ、恋愛。あんただって子どもじゃないんだからさ、好きな人の一人や二人くらいいるでしょ?お姉ちゃんに教えなさいよ」
先程までの雰囲気はどこへやら、エイシャの表情は非常に悪戯っぽいものとなっていた。
何故かリーシャが思い出したのは、リオレイアと狩猟した後の居酒屋での打ち上げだった。あの時、リーシャは今のエイシャと同じような質問をシルバにした記憶がある。そしてその時のシルバの答えは「叶わぬ恋だけど」という前置きがついた、想い人の存在の告白。
少し、胸が痛くなった。
その感情は、今までのリーシャの知っているものではなかった。
思えば、今回のジンオウガの狩猟に向かうと決めた時。真っ先に自分について行くと手を挙げてくれたのは誰だっただろうか。子どものように泣きじゃくっていた私の頭を撫でてくれたのは誰だっただろうか。
思えば、彼女自身が生きることを手放そうとした時に、その命を繋ぎ止めるために命を懸けて飛び込んできてくれたのは誰だっただろうか。
銀色の彼のどこか儚げな笑顔が、脳裏に強く浮かぶ。その笑顔は、彼女には絶対に出来ない笑顔だ。何故そう思うのかは解らないが、何故かリーシャには最初からそう感じていた。
その笑顔が、脳裏に焼き付いて離れなくなった。自分には無いもの、欲しいもの。天才と呼ばれる彼女では、永遠に手にすることが出来ないもの。
そっか。
好きな人ってこういう人のことか。
「……うん、あのね」
リーシャは自分の中に芽生えた知らない感情に、否、芽生えていたことに気付けなかっただけの感情に、頬を赤らめながら姉に話をしようとした。
その時に思い返される言葉。
──うん、素敵な人だよ。……いつか、話してあげる──
シルバの中にある恋は、きっとまだ終わっていないのだ。
その恋の先は、私じゃない。
胸が痛い。
そっか、人を好きになるって難しくて、辛いことなんだ。
見つけた感情は確かにリーシャのものだ。しかし、その感情はきっと彼には届かない。
行き場を失うくらいなら、外に出す必要なんかないじゃないか。私が、私の中で完結させてしまえばそれでいいじゃないか。
今まで「天才」と呼ばれ続けた狩人の少女は、「凡人」の心を射止めることすら出来ない。
自身を天才と考えたことは無かった。彼を凡人と考えたことも無かった。ただ、今この一瞬だけは、「特別」な彼の中で、私が「特別」じゃないことに悲しみを覚えてしまった。
儚い笑顔は、きっと私は手に入れられない。
──だから、いつも通りの、天真爛漫な笑顔で姉に言葉の続きを紡ぎ出した。
「いない!ヤマトさんもディンさんも、かっこいいけど仲間だもん!」
そう言ったリーシャの顔は紅かった。少しの間が空いたその時に、頬だけでなく、瞳まで。雫は落ちていないが、姉には何か感じ取られるものがあった。
しかし、それを感じたからと言って、彼女に伝えるべきではないのだ。だから、天真爛漫な笑顔に騙されたふりをして、「そっか」と残念そうに笑う他ない。
「ちゃんと、彼氏出来たら教えろよ?私のお眼鏡にかなわなかったら認めないからね」
「えー!お姉ちゃんだって彼氏いないくせにー!」
「そりゃあ、私は病気だからしょうがないじゃん……ケホッ」
「お姉ちゃん大丈夫!?」
「大丈夫大丈夫……あんたが元気に帰ってきたことが一番の薬だよ」
今はきっと、まだその感情の出番じゃなかっただけ。
いつかまた、恋が出来た時は、願わくば両想いでありますように。
さよなら、私の初恋。
またね、私の素敵な感情。
次回から第5章に入ります。
今回は番外編挟みません!すぐ第5章です!