"スバルくん、では教えた通りに紅茶を淹れてみてください"
「任せろレム! レムの超絶テクニックには叶わねえが、将来は主夫もちょっと目指してる俺の腕をよく見ててくれよ!」
"期待していますスバルくん。
……あ、そこ違います。もっと慎重に注がないと香りが逃げてしまいますから"
レムが苦笑する。
警戒し、あれだけ距離を置いていた自分へまるで弟に対して接するかのように、親しげに。
"バルス、本当ダメダメね。今までどうやって生活してきたのかしら。
いい? こういう陶器や青銅器の掃除の仕方は――"
「そう言ってくれるなってラム、生まれてこの方陶器や青銅器なんて掃除した事ないんだからよ。
まあでもこれからの成長性は◎だぜ? 一度教わったら完璧にやり遂げて見せるって」
"戯言をいってる暇があれば手を動かしなさい。そう言う所が駄目駄目なのよ"
ラムが罵倒する。
ただ相手を貶めるためではなく、相手を慮っての罵倒で。
投げっぱなしではなく、懇切丁寧に指導してくれる。
すれ違いざまも。何気ない会話も。挨拶ひとつだけでも。
二人との距離が縮まり、感じられる険がなくなったと自負している。
この調子でいけば明日には更に仲良くなって。一週間立てばもっと仲良くなっていて。
一ヶ月、一年も立てばきっと、親友と呼ばれるレベルまでになる――根拠はないが、スバルはそう確信していた。
頼りになるが口うるさいカリオストロとも、初めて心奪われたエミリアとも、その保護者のパックとも、ツンツンしっぱなしのベアトリスとも、少し怪しげなロズワールとも。
時に少し辛くも、煩くも、楽しい異世界生活が送れるという希望があった。
あちらの世界で手に入らなかったものが、こちらの世界で手に入れられると信じていた。
"スバルくん"
"バルス"
呼び声がする。
音のする方へ振り返ると爽やかな昼下がりの庭に、二人が立っていた。
レムはこちらを見て、小さく手を振って笑いかけ。
ラムはこちらを見て、ふんと鼻を鳴らす。
「おぉ、今行くぜ」
俺も笑って、彼女達に近づくために芝生の上を踏み出す。
涼し気な風が頬を撫でる感触。
雲ひとつない空に高く上っている太陽が、燦々とこちらを照らす。
まばゆいばかりの陽光は逆光となって視界から姉妹の顔を隠した。
「さぁて次の仕事だな、レム、ラム。
この新人執事、ナツキスバルになんなりとご用命を!」
"そうですね。次のお仕事は――この屋敷から出ていって下さい"
「…………は?」
未だ逆光で顔の見えぬレムが発した指示は、理解出来ないものだった。
「……どういう、意味だ?」
"そのまんまの意味ですよ。屋敷から出ていってください。
邪魔なんです。目障りなんです。不愉快なんです。
私は貴方がこの屋敷に存在する事が許容出来ないんです"
「え。いや、待て……何で……何で?
だって、俺、俺が、俺は何かしたのか?」
唐突なレムの拒絶が理解出来ない。
自分が何をしたのかも、理由すらも分からない、突然過ぎた強い拒絶。
混乱している間にもあれだけ天高く上っていた太陽が、瞬く間に沈んでいく。
昼は夕方に、夕方は夜に近づき、白色の世界が鮮烈な赤色に染まり。血のように明るい空は瞬く間に黒ずみ、三人と庭を刻一刻と新しい色で染め上げていく。
レムの言葉を噛みしめる事もできず、食い下がる。
思い直してくれるように、必死に。無様に。目の前の顔の見えないレムの肩を掴み――
「き、気に食わなかったなら悪かった……!
何か俺が悪いところがあったら直す。だ、だからそんなこと言わないでく――れ?」
自分の右肩が、ずれるような感覚。
直後に、足元でびちゃ、と熟れた果実が潰れるような音がした。
視線が自然と下がり、そこにあったものを見た。
それは見覚えのある服に身を包んだ、自分の腕。
身体から離されたそれは、びくびくと独りでに蠢いていた。
「あ、ああ、ああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛―――っっ!!」
絶叫。
痛みが、頭の中を縦横無尽に走り抜ける。
なくなった腕を抑えながら痛みに転げ回る。
そしてその痛みと同じくらい、脳が疑問を発する。
痛い、痛い。痛い。痛い。痛い。
何で。何で。何で。何で。何で。
痛みと疑問が脳内でぐるぐるとループを繰り返す中、這いつくばった状態でスバルが顔を上げた先には、レムが居た。
彼女は頭部に角を生やし、感情を感じさせない冷たい目で、血に塗れた鉄球を振り下ろそうとしていた。
「ひ、い、――――ひいいいぃぃいいぃ!!!」
逃げる。
宵闇に染まる庭の上を、必死に逃げる。
自分の腕から温かい何かが絶えず溢れる感覚を味わいながら。
後ろを振り返る暇もない。
レムがゆっくりと追いかけて来るのが、見ずとも分かる。
必死に走っている筈なのに、その距離は縮まるばかり。
涙が溢れるのも、鼻水が垂れるのも構わず、恥も外聞もなく叫ぶ。
「誰かぁ! 助けてくれ、お願いだ! 誰かぁ!」
"スバル"
そうして気付いた時には金髪の少女が、スバルに背を向けレムに対峙していた。
スバルはその背を見た瞬間、心の底から安堵し……無意識に彼女の背に縋った。
この世界に来てから出会った、常に理性的で慎重で知識に長ける少女。馬鹿話をしながらも、一番信頼を重ねていた少女。
彼女が来てくれたからには安心だと、情けなくもカリオストロへと助けを求めた。
「あ、あぁぁカリオストロ! よ、良かった……助かった……!
レムが、レムが急におかしくなったんだ……頼む、何とかしてく……れ?」
急に、頬を温かい何かが滴ったと思えば――縋っていた彼女の、カリオストロの首が、無くなっていた。
結合部から真新しい血をびゅうびゅうと噴き出している彼女の身体は、力を無くして、前に倒れた。
「っひ、あ、ひ……っ」
叫ぶ事はもはや出来ない。考えることも出来ない。
ただその場で尻もちをつき、歯をガチガチとならし、絶望に浸るしかない。
だと言うのに、絶望は自身を休ませてはくれない。
首元を掴まれ自分の身体が急に引き上げられる感覚。
掴んだ存在のは――ラム。
自身の顔に間近にまで寄せられた彼女の顔に刻まれたのは、見たことがないほどの憤怒であった。
"お前がこの屋敷に来なければ良かったんだ!!
何でお前はこの屋敷に来た!? こうなったのは全部お前のせいだ!
お前のせいだ! お前のせいだ! お前のせいだ! お前のせいだ!!"
拳が振り上げられ、蹴りが叩き込まれ。投げられ、叩きつけられ。
傍らに倒れたカリオストロの遺体の横で、あらん限りの暴虐が彼を打ちのめす。
ひび割れ、磨耗した心が頼れるモノを求めて、この地獄から救い上げてくれる人を探して、声なき叫びをあげ続けるが、地獄は終わらない――――
"――――――"
ふと終わらぬ苦しみの中、不意に自分が温かいものに包まれたように感じた。
"――――――、――――――"
滔々と語りかけてくるような静かな音は……女性の物だ。
澄んだ音色は黒く赤く染まった世界を、穏やかな色合いに変えていく。
"――――――、――――――♪"
気付く。これが子守唄なのだと。
暖かな手が、優しく、愛おしそうに背を撫でてくる。
聞こえてくる誰かの鼓動の音に合わせるように、ゆっくり、ゆっくりと。
"――――――、――――――♪ ――――――♪"
あれだけ感じていた痛みが、苦しみが和らいでいく。
こびりついていた恐怖が、絶望が徐々に剥がれていく。
"――――――♪ ――――――♪ ――――――♪"
心を和らげる目の前の何かを逃したくなくて、自然と身体がソレに抱きついていた。
それは逃げる事もなく、自分を更に包み込み……そのまま、穏やかな眠りが自分を誘った。
"――――おやすみなさい、スバル"
§ § §
前回の死に戻りは重ねて言うが、カリオストロにとって最悪の回であることに違いなかった。ただ、ソレ以上に情報がぎっしり詰まった回であることに違いもなかった。
レムから生えた一本の角。
レムの魔女教への尋常ではない恨み。
レムのラムへの異常な程の愛情。
いずれも謎ではあるが、その情報が解決に繋がる糸であるとカリオストロは睨んでいる。
……前回スバルを殺害しようとした存在はレムであり、一回目の死因に関わっている可能性も高い。二回目の死でレムとラムへの悪感情も募りに募っているので、今すぐ感情に身を任せて亡き者にしてしまえば、という気持ちも多々あった。
だが、一回目の死をもたらした存在が別人である可能性は未だに残っているのだ。
情報を集めきり、全ての芽を詰み、可能性を考慮する。
故にカリオストロは、感情を殺してレムとラムを見極める。
研究者であり探求者であるカリオストロに妥協は、ない。
「我々姉妹がこの屋敷に来る切っ掛けは、確かに魔女教によるものです。
それ以前は村で密かに、レムと共に過ごしていました。
――が、ある日。私達の村は唐突に襲われました」
執務室、レムとラムの情報を求めたカリオストロはラムを説き伏せた後……観念した彼女は静かに、何かを押し殺すように語り始めた。
「襲われた理由は?」
「……はっきりとは分かりません。ただ推測は出来ます。
私達がある特殊な種族であるからかもしれません」
「特殊な種族、ね☆」
大体の推測はついているが、カリオストロは口を出さずにラムの言葉を待つ。
「はい。鬼族と呼ばれる種族です。
頭部に角を持ち、強靭な身体と強力な魔法を行使でき、その力は他の亞人族に比べ比類なき物を持ちます。
ただ種としての絶対数は非常に少なく……絶滅に瀕する種族でもありました。我々の村も数えるほどの人数しか居ませんでした」
「そして我々の村が鬼族、最後の村でした」と続けるとラムはカリオストロの前でおもむろに付けていたカチューシャを目の前で外し……頭部の髪を自ら掻き分け、あるものを晒した。
「……角、斬られたの?」
それは角の痕跡。頭部の中心に1つ、丸い出っ張りが存在していた。
ラムはカリオストロが確認したのを見るとすぐさま髪を正し、再度カチューシャを取り付けた。
「かの集団との交戦中の際に」
「ふうん。一騎当千、かどうかは知らないが。その種族の力を持ってしても、魔女教には耐えられなかったって訳なんだ☆」
「……夜更けの急な奇襲でした。集団で襲われ、気付いた時には村はほぼ全滅。
私も必死にレムを守ろうとしましたが……敢え無く」
「それで、絶体絶命なラムレムを救ったのが」
「私、といーう訳だぁね……さて、此処までの話でスバル君とレムやラムが関係なさそうなのは分かる筈だーけど?」
今まで静観していたロズワールが反応し、従者のプライベートを根堀葉掘り聞かれるのを嫌ってか、カリオストロへと投げかける。が、カリオストロは一蹴した。
「関係ないと判断するのはそっちじゃなくて、こっち☆
ラムには申し訳ないけど、納得するまで質問は続けるからね~☆
じゃあ次は……魔女教の奴らの出で立ちや特徴、教えてくれる?」
ロズワールは肩を竦めると、再度紅茶に口を着けて静観のスタイルに戻り、ラムも感情を殺して冷静に回答する。
「彼らは全身を黒装束で包んでいました。
手には小さな短剣なようなものを持ち、魔法を行使します」
「またベタな格好だね……でもそんな格好してる癖して、鬼族に勝ってしまうくらいには凄腕なんだ」
「一人一人の強さ自体は大したことはありません。
奴らの恐ろしい所は、死を厭わないこと。
死を怖れずに、時に味方ごと巻き添えにして我らを追い詰めたのです」
ベアトリスも言っていたが、魔女教徒はサテラに狂信と言えるまで信仰をしている。死兵と化し、そこそこの力を持つ存在が大量に襲ってくるのは……確かに厄介な事だろう。
カリオストロは内容を咀嚼するように紅茶を飲み、ふと新たな疑問が湧き上がった。
「……ん? 大したことないって、その時ラムは普通に戦えてたの? 結構幼い時だよね?」
「……昔の話ではありますが、ラムは村では神童とまで言われておりましたので。
しかしながら当時若かった私は、十数人程倒した所であえなくやれてしまいました」
誇らしげでもなく淡々と告げるラムに、神童の名は伊達じゃないなと関心する他ない。
「じゃあレムは当時、どうだったのかな?
本当ならレムに聞くのが一番いいのだけれども~☆」
「……おやめ下さいカリオストロ様。レムは私ほどあの一件に関して整理がついておりません。代わりに私が全てお答えします。
――レムは当時、魔法や戦うことそのものが苦手でした。
無理もない事です。起きたら村が火に包まれ、至る所で身内も倒れていたのですから。怯え切ってしまって、戦うことも、逃げることも出来なかった」
毅然とした口調でレムへ飛び火するのを避けようとするラムに、カリオストロは特に文句はない。
また、レムは当時そこまで戦闘力がなかったとのこと。
ならば逃げ遅れたラムが怯えるレムを助けるために戦ったのは想像に難くないだろう。
レムの行き過ぎた姉への愛情も、そこが根源なのかもしれない。
――これまでの質問で大体のことが掴めた。では最後に、とカリオストロが問うた。
「この屋敷に来たスバルを初めて見た時、どう思った?
隠すこと無く、心のままに伝えて欲しいな☆」
「……? 彼ですか」
質問の意図が分からず無意識に首を傾げるラムは、それでも律儀に彼女の問いに答えた。
「――そうですね。一言で言えば、頼りない。でしょうか。
エミリア様を命の危機から救ったと聞いたので、もっと頼れそうな身体をしているかと思ったのですが……あとは珍しい、と言えるんでしょうかね」
「珍しい?」
ぴく、とカリオストロが反応する。
「えぇ。あの服と言い靴といい……見たことがないものでした。
私達の知らない地方の服……そう、例えばカララギなどでは流行ってるのでしょうか」
「……分かった。ありがとうラム☆ それにロズワール☆
答えづらい事を答えてくれた事に感謝と、失礼の謝罪を」
(――スバルの魔女の残り香に気付けるのは、妹だけか)
これでカリオストロが得たい情報が全て手に入った。
あの夜、レムが見せた一本の角は鬼族のもの。仕組みは分からないが本気を出した時など、ああして角を見せるのだろう。
魔女教への深い恨みと、ラムへの強い愛情は幼い時に奴らに里を襲われた事から。
そこから推測される、あの庭での惨劇の真相は――魔女の残り香に過剰反応してしまったレムによる凶行の可能性が非常に高いだろう。
……最初から魔女の残り香を振りまくスバルを、レムは非常に警戒した事だろう。だが、そのまま過ごしていれば警戒のレベルは超えなかったのだ。
惜しむらしくはあの夜、自らが行ってしまった失態によりスバルの残り香が急に強まってしまい――彼女の警戒レベルを振り切れてしまった。
未だ過去に整理がつけられなかったレムは、激高し、監視中のスバルを殺めてしまったのだろう。そして自分はそのレムを殺め、異変に気づいたラムが自分を殺め――あぁなんて下らない。
もしこれが事実だとすれば――知らなかったとは言え、自らの失態の罪深さにカリオストロは頭を抱えたくなる程だった。……許されるか許されないかは分からないが、スバルには必ず謝罪しなければならないだろう。
「いえ。お気になさらず。スバル様の容態回復に繋がるのであれば」
「治療には全力を尽くすといーったからねぇ。
そーれで、知りたい情報は得られたかな?」
「大体はね☆」
「そーぅかい。それはそれは重畳。
……ちなみにこの話、ここだけにしておいて欲しいものだね」
「……無闇矢鱈に言いふらすような内容じゃないのは分かってるよ☆」
「頭の良いキミには過ぎた忠告かもしれなーいが、念のためさ。
事と次第によーっては、考えないといけないからねぇ」
カリオストロは返事をすることなく、天使のような微笑みをロズワールへと浮かべて部屋を後にし……スバルとエミリアが待つ部屋に戻っていった。
「……どう言う事でしょうか」
「さぁて、ね。キミ達狙いの、どこぞの差し金のようにも思えるが……見る限りはどーにもそうは思えない。彼女はスバル君の事を真摯に考えて行動しているようにも見える――たーだ、ねぇ」
「?」
「……スバル君が、何故レムとラムという名前を知っているのか。何故キミ達を見て怯えるのか……そこだけは非常に興味深いね」
ロズワールはラムを背に、執務室の窓から外を覗き見る。
そこに広がるのはどこまでも青い空と、広漠な森林。
更にロズワールは懐から黒く小さな本を取り出すと、それを愛おしげに撫でた。
「……彼がそうなんだろうね。きーっと」
その小さな呟きはラムには届く事はなかった。