多分次もグロテスクな表現があります。
カリオストロが兵士を伴いながら現場に遅れて駆けつけた時、事態は既に動きはじめていた。
まずガストンがラインハルトに抱きついたと思えば、瞬きする間に
そして少し離れた所で
掴まれた腕の先が黒々とした別の何かに代わりつつあるのと、その怪我人が愉悦を含んだ表情でエミリアを見つめているのを知覚した瞬間カリオストロは即座に魔法を実行。コンマ数秒のラグもなく地面から飛び出した土の杭が男の腕を貫き、顔の横っ面ごと彼を吹き飛ばした。
それはほんの数秒の出来事。しかしながら致命的な数秒である事には違いなく。
そこから更に秒を置いて、ようやく時が進みだしたかのように周りが騒ぎ出した。
「……!? ……?!」
「な……え……っ? はぁっ? ら、ラインハルト様が……?」
「ラインハルト様はどこに消えなさった!? 先程まで居た筈なのに……っ」
「お、おい……カリオストロお前……っ!」
「エミリア!」
「ッ、カリオストロ……っ! 一体、これって……く、ぅぅっ……!!」
場は混沌の一言だ。
一部を除き、誰も彼もが同時に進行した出来事に理解が追いついていない。
最も死から遠いと言われる実力を持つ、剣聖ラインハルトが眼の前で消えた。
カリオストロが重傷者であるリカードを、治療するどころか魔法の一撃で殺した。
エミリアの腕が半ばから、まるで節足動物の足のような別の何かに成り代わった。
このような状況を瞬時に把握出来る存在などどこにだって居ないだろう。
「エミリア、腕は平気か? そいつから一刻も早く離れるぞ」
「――っ、凄く……痛むけど、平気。それより、この人は一体……」
「説明はこいつ自身がしてくれるだろうよ、いいから離れろ!」
腕を抑えて顔を
リカードだったものが凄惨な音と共に一瞬で肉片へと成り代わる。辺りにぼたぼたと重たげな水音を出しながら、欠片が飛び散る様子は直視に耐え難い。どう見てもやりすぎだ。彼女らしからぬ死者に鞭打つ行為はしかし、カリオストロにとってはやりすぎだとは微塵も思っていなかった。
「……ぁ、ぁ、あ~……あぁ――っとぉ。……なんといいますか、随分と威勢のいい奴がいやがるもんですね?」
なにせ、それはまだ生きているのだから。
撒き散らされた1つの肉片がぼこぼこと盛り上がり、あれよと言う間に肉体を形作り始める。その姿は視覚的、聴覚的にもおぞましいの一言で。そうして出来上がるのは先程まで動かぬ死骸であった筈のリカード、その五体満足な姿だ。
彼は出来たての身体の様子を確かめるかのように首を傾けて鳴らしながら、体格に似つかぬ口調と共に先程の行為が何でもなかったかのように振る舞っている。
「あのですねぇ、せっかくの試練を邪魔しねーで貰えます? 予定外なのは剣聖だけでいーって話なんですよ」
「はん、お前の都合をこちらが飲む理由はない」
「はぁ? あるに決まってんじゃねーですかクソ肉が。アタクシが至上最も尊くて最も愛される存在であるならばお前達ヘド以下のクズ肉は涙を流して平身低頭してアタクシの願いを全力で叶えるのが普通だろ? 常識だろ? と言うかクズ肉ごときがアタクシの試練を拒むだなんておこがましいってどうして気づかねえんですかねぇ、あーもう、これだから――」
言い切る前に再度巨大な土槍が男の腹部を貫く。
男は口から大量の吐血をしてえづくが、すぐにその槍を手でへし折り、腹から抜いて投げ捨てた。
「――クソ肉は困るんですよ。人の会話中に攻撃するって、テメェは最低限の常識すらも持ってねえんですかねぇ?」
「聞くに堪えない妄言なんて聞く価値がねえだろうが」
大穴の空いた男の腹部はやはりと言うべきか、すぐに穴が塞がっていく。どういうトリックかは分からないが物理攻撃そのものは目の前の存在には効果は薄いのだろう。カリオストロは攻撃手段を模索しながらエミリアを庇い、ゆっくりと後退する。
「ラインハルトをどこへやった?」
「さぁ? アタクシが試練をすると知って
ケタケタとその狼顔を歪める眼の前の存在はこちらをあざ笑うばかり。もとよりまともに答えるとは思っていなかったが、それであればこちらが取る選択肢は一つしかないだろう。
「――兵士達、こいつらを囲むぞ」
眼の前の異常に呆けていた兵士達がカリオストロの一言で全員我を取り戻し、身につけていた剣を全員が抜き放ち、敵意を震わせて眼の前の存在を睨みつけ始める。年端も行かぬ少女の一言でどうして、とは全員が思わなかった。逆に歴戦の戦士の命令を受けたかのように彼らは心を震わせていた。
「んんー? なんつーか、無駄なのがまーだ分かってねえんですかね? 常識どころか知能すらないのは愚か通り越していっそ哀れなんですが」
「……物理攻撃は回復してしまうんだろうな。だが魔法攻撃だったらどうだ? 全員、魔法攻撃の準備! 出来るならゴーア系だ!」
「総員、ゴーアの準備!」
「「「「「はっ!」」」」」
数十人に及び兵士全員の片手に、人の頭程度の火球が浮かんだ。
カリオストロはもしかして、と考えていたが流石はラインハルト直属の部下達。魔法攻撃も出来なくはなかったようだ。あとは命令次第でいつでもこいつは火達磨、いや消し炭に出来る。
だと言うのに目の前の敵はわざとらしくため息をついて、やれやれと首を横に振るだけだった。
「やっぱりクソ肉はクソ肉でいやがりますね。刻んでも殺せねえから焼き殺す? 灰になったらアタクシを殺せるだろうなんて考える時点で浅はかなんですよねぇ」
「……聞くに値しねえ。いいか、オレ様の合図で撃つぞ」
「しかも折角の助言を無視! クズ肉ここに極まれりでいやがりますねぇ、どーして自分の愚かさをわざわざ露呈しやがるんでしょうか。っていうかテメェらアタクシに攻撃してタダで済むと思ってねえでしょうね? アタクシを愛するのは許してもそれ以外は許さねえですからね」
数十の火球に囲まれてもリカードはその平静を崩さない。逆にこちらに凄み返す余裕までもがある。それがハッタリなのか本当なのかは分からないが、カリオストロはこの攻撃の効き目もまた薄いように感じられた。
刻んでも駄目、焼いても駄目であるならばどうしたら殺せる。まさか本当に不老不死だとでも言うつもりなのだろうか。いや自分自身も不老不死に片足を突っ込んでいるものの、不老であれ不死であれ何事にも等価交換の法則が成り立っている事を悟っている。自分の
無から有を作れはしない。出来るのは有から有を作る事だけ。
故に、不死身と思える回復力の種は何かしらの供給源があると考えられるだろう。
今はその供給源を突き止めるヒントが欲しい。効果が薄かろうと今は行動を起こすべきだ。そう考えたカリオストロが合図の号令を今まさに放とうとした――その時だった。
「ま、すんなり行くとははなから思ってねーですけど……ほら肉共、出番でやがりますよ!」
「!?」
リカードが余裕の態度で手を叩いたと同時に、草原のどこから現れたのか、兵士の背後から商人と思しき存在達が一斉に襲いかかってきたのだ。
呪文詠唱の途中、背を向けた形で襲撃された兵士達が剣で、鈍器で、魔法で一斉に蹴散らされる。カリオストロやエミリアにも剣を持つ男達が襲いかかったが、カリオストロは間一髪で反応。逆に生成した土の盾で防ぎ、そしてそのまま男をシールドバッシュの要領で弾き飛ばした。
「いいですか、それじゃ当初の予定通り試練を続行しやがりますよ。お前達はこのゴミ共全員を駆除。アタクシは小生意気なクソガキとこの銀髪の雌肉を相手します、剣聖が戻ってきやがる前に片付けてやがってくださいねっ!」
混沌が始まる。
先程までの静寂が一転して阿鼻叫喚で満たされる。
リカードはそんな中、態勢を崩したカリオストロとエミリアを改めて狙いに定めると右腕を彼女らに真っ直ぐに向け――腕を黒い大蛇に変化させ、襲いかからせた。
二人は目を剥いて驚き、やはりカリオストロが即座に槍や剣を地面から生やして串刺しにしようとするが、蛇はしゅるしゅると攻撃を避けて大口で噛みつかんとする。今や蛇は目と鼻の先だ。
だがエミリアも負けてはいない。顔を苦痛に歪めながらも片手を蛇に向けると、手の先から冷気を放出。面を覆い尽くす冷気には流石に避けようがなく蛇はその身体を凍らされ、その直後カリオストロによる槍や武器が殺到。針のむしろのようにしてしまう。
「カリオストロ!」
「わかってる!」
「ぉ?」
腕を縫い付けたと言う事は行動を制限させたという事。腕をやられたと言うのに何の痛痒も受けていないリカードへと瞬きの合間に呼び出したウロボロス達が電光石火の勢いで襲いかかった。蒼と朱の龍の攻撃の前に男は避けることも出来ずにまんまと命中。男なんていなかったかのように龍達が通り過ぎた後には、左肩を胸ごと、そして右足を腰ごと
さしもの一撃にリカードの身体が前に崩れる。どう見ても致命傷ではあるもののカリオストロは容赦しない。油断なく両腕を向ければ極彩色の波動が男に殺到。彼の身体がまたたく間に粒子となって崩壊していく。
そうして場に残されたのは半ばからもげた、蛇となった男の腕だけだ。ここまでやれば普通は終わったと判断できるだろう。だがそれでもまだカリオストロは終わっていないと予感していた。
しかして今は襲撃を受けている最中である。
彼女は一旦死体から目を逸らし、エミリアと共に戦場を移動し始める。兵士はもとよりラム、そしてスバルは大丈夫だろうか。そして何よりも隣で自らの変化した腕をかき抱き始めているエミリアもだ。顔から脂汗を垂らして何かを堪える様は明らかに異常である。
「腕が痛むのか?」
「……ッ、へ、いき……っ、今はそれよりも、スバル達が」
「あぁ、悪いが腕の治療は後だ。兵士達に援護しつつ、スバル達を守るぞ」
彼女の腕は侵食こそ緩やかであるが刻一刻と虫のそれに変化している様に見える。カリオストロが手製のポーションを変化した腕にかけてあげるが治療されているようには見えず、まるでこの腕であることが正常であると言わんばかりだ。
以前のループでエミリアが身体を作り変えられたと思しき事件があったが、現実に遭遇すると身体のありようを自由に書き換えてしまうのは反吐が出る所業だ。思わずカリオストロもまたエミリアと同じように表情を苦々しい物にし、彼女を守りながら戦場を駆け回る。
「スバル! スバルどこにいやがる!?」
「ラム! ラム、どこにいるの!?」
自分らに襲いかかる商人はもとより、兵士達に襲う商人に攻撃を加えながら辺りを捜索する。
不意打ちを受けたといえど一方的な虐殺劇になっていないのは、流石はラインハルト直属の部下達と言うべきか。混戦と言えど彼らはなんとか態勢を取り戻しつつあるようだ。
だが商人達は全員がその理性を飛ばしていると言っていいほど死への頓着が薄い。怪我すら
「エミリア様!」
幸いにも彼女らは時間をかけずにスバルとラムに再会することが出来た。
こちらの声に気付いたのだろう。竜車の籠を背にし、ラムがスバルを庇うような姿勢で大声を張り上げていた。直後、ラムへと白刃を持って襲いかかる商人。だが、ウロボロスがすんでの所でその尻尾を
「ラム、スバル、平気だったか」
「えぇ、どうにか……それよりもエミリア様は大丈夫なのでしょうか」
「大丈夫、とはいい切れねえな。腕がこうなった以上、早急に治療しなきゃならねえんだが……如何せんその前にこの場を切り抜ける必要がある。それよりもスバルはどうしてここに?」
「お、俺は」
「緊急事態だというのにその場で突っ立っていたので、私がひとまずここまで連れてきたのです。――この場に我々を呼び寄せたのはバルスなのだから、最後まで責任持って引っ張って欲しいものだわ」
「――ッ」
ラムがひと睨みをしてもスバルは体を縮こまらせるだけ。どうやら一連の流れが全く理解出来ないのは彼も同じのようだ。カリオストロは彼のその反応を見て嘆息をつくと、気を取り直してこの場に居る全員へと指示を出し始める。
「まずは草原からどうにかして脱出する。ラム、この場にウロボロスを1体置いておく。エミリアとスバルを守りながら戦場を抜け出せるか?」
「カリオストロ! 私はまだっ……」
エミリアが自分はまだ戦えると叫ぶが、腕の痛みが強いのだろう、咄嗟に自らの腕をかき抱いて声が潰える。ラムはその様子を悲痛そうに見守りながら彼女の言葉を継いだ。
「……エミリア様はどうやら戦うには程遠い様子。畏まりました、カリオストロ様はどうするのです?」
「この場での一番の戦力がオレ様だ。となれば兵士らが立ち直れるように遊撃するしかないだろう。ただし、あの狼頭に気をつけろ。肉片になっても生きてる奴だからな」
「気をつけろ、ですか。具体的にはどう気をつけろと?」
「倒せる見込みは薄い、遭遇したら妨害に徹して逃げ回る事か。基本的に遭遇したら詰みだ。……なぁにウロボロスの目を通してオレ様も見ている、奴と遭遇したらすぐにそっちに向かうさ」
「……なかなかの難題のようですね」
でもやるしかないでしょう。と、ラムが強い眼差しをカリオストロに向けたと同時に作戦は開始となった。
カリオストロは蒼のウロボロスと共に兵士の援護の為に戦場へと踊り立ち、スバルがエミリアに肩を貸し、朱のウロボロスが先導、ラムが殿となって戦場を一直線に駆け抜ける。
背後でより一層激しい衝撃音と魔法特有の奇異な音が響き渡るのはカリオストロが活躍する音に違いないだろう。その一方で自分は……と、混乱と焦燥に駆られていたのはスバルであった。
今起こっていることが全て理解できない。
全滅したはずの商人がいたるところから現れ始めるのが。
リカードと呼ばれる存在が死んでもすぐに再生したことが。
そして何よりも――今肩を貸しているエミリアの腕がおぞましい形になっていることが。
以前に比べて、どうして展開がこんなにも逸脱したのだろう? エミリアとラムの行方不明然り、凍りついていない草原然り、予知出来る未来に対して自分は最善の策をとったつもりだった。策は順風満帆に進み、皆が笑顔を見せて自分を見直してくれる筈だった。
それなのにどうだ? 兵士はやられ、エミリアはこうして苦しんでいる。そして自分がこんなにもみっともなく縮こまり、お荷物となっている! 耐え難い無力感と屈辱感が同時に襲いかかってきて気分が滅入ってしまう。
スバルはそんな気分の中で必死に理由を探していくと……ふと視界に入ったエミリアの腕を見て心の片隅で薄い引っ掛かりを覚えた。
あのままカリオストロが妨害していなければ変異は腕だけで済んでいなかったように思える。そうした場合エミリアは何になってしまうのだろう? 他愛もない考えではあるが何かその考えの先にヒントがあるような気がしてならず、ちらりちらりとスバルは彼女の腕に視線を向けてしまう。すると、荒い息を零すエミリアがぽつりと呟いた。
「……ごめん、なさい。足手まといになってしまって……ッ」
「い、いやいや気にすることないって! こんな場所に連れてきちまって、こんな事になっちまってこっちこそ……!」
「うぅんそれこそ気にする必要は、ッ! ない、わ。これは、私があまりにも無警戒だったせい。じ、自業自得だもの……」
彼女の目尻が薄っすらと光っているのは、恐らく痛みのせいだけではないだろう。不意打ちによる驚愕、足手まといになってしまった事への後悔――そして、人に見せられぬ腕になってしまった事への羞恥。
黒光りする彼女の節だった腕が軋んだ音を立てて縮こまる。スバルはまるで腕を隠さんとするかのような動きを見て無遠慮に視線を向けていた事を恥じた。……自分は何をやっているんだ。
「……大丈夫、カリオストロがなんとかしてくれる。その腕だって彼女の力があればきっと元通りだよエミリアたん」
「そう、よね……」
「あぁそうさ。だから今は力を溜める時? えーっと、雌伏の時っつーの? コレを無事に切り抜けたら、こっちがやり返してやろうぜ!」
「……うん」
力弱くも少し安心を含んだ返答を聞いてスバルはようやく胸を撫で下ろす。
そうとも、この場にはカリオストロがついている。彼女がいるならば大概の困難などくぐり抜けられる筈だ。余計な不安は今は片隅に置いて脱出することに専念せねば、と脚に送る力を更に強めながらスバル達は突き進んでいく。
当然ながら道の傍らで、商人達が剣で、鈍器で、魔法で、敵対者を亡きものにしようと容赦なく襲いかかってくるものの、二対の護衛者、ラムとウロボロスがその全てを阻む。
身体のマナの巡りに問題があるラムは継戦能力に問題があるものの、上手いこと省エネを重視した戦いぶりを見せている。どこで習ったのか、瀟洒な立ち振舞を兼ね揃えた魔法と格闘技のコンビネーションはスバルの目から見て非常に美しく思えた。
対してカリオストロが託した朱のウロボロスといえば、まさしく八面六臂の活躍ぶりを見せていた。
剣で襲いかかろうとも、槌を振り上げようとも、槍で突き刺してこようとも、魔法で攻撃しようとも。全身を巧みに使った物理攻撃や魔法攻撃で他三人に群がる商人達をほとんど一撃でノックアウトしている。その様は無双の一言。撃墜比で言えばラムの3倍以上活躍ぶりを見せていたが、それでもまだこの竜には余裕があるように思えた。
「やっぱ強ぇ……! けど、何かカリオストロにしては優しいな……?」
「……?」
スバルは無双ゲーさながらのウロボロスの活躍を見ながら呟く。
そう。森での魔獣騒ぎで敵の肉片しか残さぬ苛烈な攻撃っぷりを見せたウロボロスだが、今回に至っては酷く優しい。一撃一撃の重さはあるのだが死ぬ程の重さには見えないのだ。その証拠に敵の身体の一部がもげたり血潮が大量に溢れるような光景が一切見られていない。
遠隔操作では本来の力が発揮できないのだろうか? と今尚商人を撃退するウロボロスに疑問を抱くスバル。だが彼女を深く知る人間なら、その理由について察しがついたであろう。
それは騎空団、ひいてはグランやルリア達団員の影響によるものである。
容赦なくこちらの命を奪おうとする人、魔獣、星晶獣を相手取る歴戦の騎空団、その団長であるグランの行動から、団内には暗黙の了解的に「可能な限り殺めない」という方針が出来ていた。
たとえ相手に殺されかけたとしても、相手には気絶あるいは動けない程度の怪我に留める。それは戦いの最中に手心を加えるのと同義。こちらが対等以上の実力を持つなら分かるが、相手が対等以上の実力でも実現しようとするのだから狂気の沙汰としか言いようがない。
だがグランはその狂気を尽く実行してきた。
だからだろうか、団員は自然とその指針を誰が言わずとも守ろうと努めている。
そんなおかしなルールが出来ているせいだろうか、団員は皆朗らかな笑顔を見せている。
余計な悔恨も残さず、気持ちよく空の旅を楽しめているからだ。
カリオストロもそんな彼らと少なからず苦難を共にする事で団の空気に段々と馴染み、その習慣が根付いていた。……無論、彼女は頑なに認めようとしないだろうが。(今回の件も何だかんだの理論武装を心の中でしている)
「エミリア様、後少しで戦場から抜けられると思います」
「……の、前にあの包囲網を抜けなきゃならないって感じだな」
移動して数分たっただろうか、三人と一匹が息を切らしながら前を見れば……そこにはずらりと並んだ商人達。武器を手に手に構えており、どう考えてもすんなりと通してくれるとは思えない。
「まあ、どれだけいようがウロボロスがいてくれれば……ゲッ!?」
過信するスバルの甘い考えを叩き伏せるかのように、通せんぼしている商人達全員が片手を掲げて、掌の上に火球を浮かべ始める。
よもやリカード相手にやろうとしたことをやり返される事になるとは! スバルもラムも顔色を悪くしてしまう。いくらウロボロスがいようとも、魔法による一斉攻撃を切り抜けられる確証はない。ウロボロスも慎重に出方を疑っているのか、その場から動こうとはしなかった。
だが結局のところ、彼らの火球がこちらに向けて放たれることはなかった。
「済まないね」
唐突に彼らを背後から剣で切り伏せる存在が現れる。
突然の乱入者は一人を切り伏せると、そのまま二人、三人と瞬く間に斬る。斬る。斬る。
剣は大振りに振っているのにまるでバターに振るっているかのように容易く身体を両断し、彼が移動するたびに死が撒き散らされる。
並べたピンがたちどころに倒れるように商人達はあっという間に殲滅に追い込まれ、残る数人も瞬きの合間にウロボロスによって退治されてしまった。
「――ラインハルト!」
「遅くなってしまい申し訳ありませんエミリア様。少し、遠くに飛ばされていたようです」
三人を助けた乱入者は先程唐突に姿を消した赤髪の騎士、ラインハルトであった。彼は事も無げに直剣を振るい、剣についた血を振り飛ばすとこちらに近づいてくる。
スバルはエミリアとラムを交互に見て喜色を表し、ラムも胸に手をついて大きく息をつき、安心を表した。
「ほんっと、いきなりどうしたかと思ったぞ!? 何の徴候もなく消えるなんて一体何が……」
「ガストンによる妨害です。脅されていた彼は空間移動するミーティアを持っており、それを使って私の体ごと強制転移したのです。どうやら僕をあの場から何とかして離したかったのでしょう。……それよりもエミリア様は大丈夫ですか?」
「――……っ、何とか、大丈夫……、凄く痛い、けど……ッ」
「気のせいでなければ腕の変化は広がりつつあるようにも思えます。早く治療しなければ」
「分かった、その辺りのことは僕に任せて欲しい」
ラムが深刻そうに告げればラインハルトが大きく頷き返す。その自信ぶりは本当に何かアテがあるのだろう。スバルはカリオストロと同じか、それに勝る安心感を彼に感じた。やはり同じ男として尊敬の念を禁じ得ない、いつか自分もこうなれれば……とその整った横顔を眺めていれば、ラムが嘆息と共に口出ししてきた。
「本当に助かりますラインハルト様。……それに引き換えバルスと来たら。まだ事は終わってないのだから気を抜かないで頂戴」
「う゛。わ、悪い……」
「謝罪が欲しいのではないの、先ず行動なさい。後少しで抜けられるけど緊張を解かないで。エミリア様を守れるのは私達しかいないのだから……それで、ラインハルト様、私達はこの後どうすれば?」
「そうだね。ではまずこうしよう」
ラインハルトはラムに言われると抜き身の剣、その剣先をもたげてラムの右胸へととん、と。突き刺す。そうしてそのまま貫いたと思えば勢いをつけて剣を縦に抜き降ろした。
抵抗もなく剣が身体から抜ければ遅れて辺りに水音が湧き立ち、ラムの足元に大量の血液と臓物が零れ出る。彼女は自分が何をされているのかが理解できずに唖然とした表情を見せたと思えば、数瞬後に口元から血を零し……目から力を失ってその場に倒れ伏した。
「
「……え?」
「は?」
スバルも、エミリアも理解が追いつかずに固まってしまう。
ラインハルトの行動も、眼の前のラムの惨状も何一つ意味が分からない。
唖然とする二人を見てラインハルトがにこりと笑うと、再び剣を二人に向け――、
突如、ラインハルトにウロボロスが飛びかかり――彼ごと地面に倒れ伏した。
「―――――――――!」
一番早く現状を理解したのはやはりウロボロスであった。
竜の牙はラインハルトの剣を持つ腕に大きく食い込み、続いて魔法による土の杭が男の手足を貫いてその場に縫い止めようとする。
「全く鬱陶しい……僕の邪魔をしないでくれるかな?」
だが、全身に負った傷などなかったかのようにラインハルトは杭を身体から引きちぎる。肉がちぎれることも厭わず、噛みつかれた腕ももぎ取って無理矢理ウロボロスの頭に手を触れさせた。
その瞬間、ウロボロスの身体が大きく跳ねる。
特徴的な竜の尻尾、その末端が崩れて豚の脚のようなのっぺりした何かが生えてくる。だが生成した直後に変化した部分が崩れ、また元の尻尾へと戻ろうとする。
「何だいこいつ、権能に逆らおうとしているのかい?」
ウロボロスは身体を苦しげに唸らせながらも彼を拘束しようと、腹部、頭部にも狙いを定めて石の武器達でウロボロス毎身体を貫く。その度にラインハルトは人としての原型を失うも、身体を別の何かに変化させながら竜の身体に手を触れさせ続け、何かしらの侵食行為を続けていく。
人ならざる存在同士の異形な戦闘が繰り広がり続ける。
金縛りにあっていたかのように動かなかったスバルとエミリアも、その戦闘を見てようやく現実というものを知覚したようだ。顔を真っ青に染めて広がる光景に右往左往し始めた。
「ら……インハルトじゃ、ない……!?」
「ラム……? ラ、ラム……嘘……嘘っ! ラム! ラム返事してっ……ラム!! スバルっ今すぐラムの元へ連れてって! ラムを治療するから!」
「……ッ!」
「スバルゥ!!」
半狂乱になったエミリアがスバルの肩越しに力なく横たわるラムへと必死に手を伸ばす。だがスバルから見てラムはどう見ても手遅れだ。身体をほとんど真っ二つにされ、中身の大半が零れてしまっている。
それに今もなお取っ組み合うウロボロスの旗色は悪いようにしか思えない。もしも竜が負けた時自分たちはどうなってしまうのか? そう考えると身震いが止まらず、スバルは彼女の悲鳴を無視して戦場を抜け出そうとしてしまう。
「スバル、そっちじゃない! そっちじゃないの! ラムはまだ……! まだっ……!」
「エミリアたん、ウロボロスが時間を稼いでる間に早く!」
「駄目なの! ラムはまだ生きてるわ、ラムを見捨てることなんて! スバルお願いだから!」
「っ、ラムはもう諦めるしか、ないんだ」
「いや、いやだ! いやぁ! スバル離して、離してぇっ! ラムはまだ、まだ生きてるからぁ!」
「エミリア! ラムはもう死んだんだ! 諦めろ!」
泣きじゃくりながらも必死にラムの元へと向かおうとするエミリアを無理矢理引きずって、スバルは草原を征く。背後ではウロボロスの抵抗の証か、何が起きているか想像もつかぬ奇妙な音が聞こえているが、その音もいつまで持つ事か。
童子のように悲しみを露わにするエミリアに感化されて自らの目尻にも熱い何かがこみ上げてくるが、泣いている暇は今はない。エミリアだけでも逃さなければ、という使命感がスバルの胸中に生まれ、脚が勝手に先を急ぐ。
しかして、不運な事にも志した使命がどうすることも出来ない程大きな壁であるとは、彼は微塵も考えていなかった。
スバルは今も尚ラムの元へと進もうとするエミリアの抵抗を身体全体に感じていたのだが、その抵抗が一気に増えたと思った瞬間、地面に倒れ伏していた。一体何が起こったかと考える前に急いで立ち上がろうとしたが、片手をいきなり革靴が踏みつけたせいで、それもままならなかった。
「すまないね、随分と時間がかかってしまったよ。キミ達の仲間は一体何者なんだい?」
そんなスバルに、喉奥から水がこぼれ出ているように不鮮明な言葉が投げかけられる。
彼が音の発生源に対して恐る恐る顔を上げれていけば――そこには恐れていた絶望が待ち受けていた。
顔の右半分は見る者を落ち着かせる優しい表情を見せているものの、もう半分はほとんど削り取られて脳胞が零れ出ており、身体の大部分は見る影もなく大穴が開いている始末。その上右腕は完全にもげかけて、皮一枚でぶら下がっているのだ。その姿を見て誰が彼だと断定できよう。
だと言うのに目の前の男はそんな事すら気にしていないかのように平然と二人を見下ろしているのだ。異常の体現者を前にして脳の理解が追いつかず、スバルもは言葉をなくして悲鳴をあげる他なかった。
「さぁエミリア様、試練を再開しましょう。
周りを包む宵闇は草原に回った火で飛ばされており、
今も尚周りでは兵士達と商人達が死に物狂いの戦いを繰り広げ、
草原の到るところには竜車の残骸、多種多様の死体が転がり、
怒号、爆発音、そして死を体現した悲鳴がところかしこで挙げられている。
絶望を体現した舞台を背景に異形の姿を見せているラインハルトが、微笑みと共にこちらを見下している。
その肉体は徐々に徐々に元に戻っていくのがこれまた現実感がなく、夢だと思わせてしまう。
エミリアも訳が分からないのか、泣き腫らした顔のまま見上げて叫んだ。
「こんな……っ、何なの、何なのこれは……何なのよあなたはぁ……っ! 試練ってなんなの……? どうしてこんな事しなくちゃいけないの……! なんでこんな……こんなっ、酷すぎる……酷すぎるわ!」
「けひっ、おやおやエミリア様、もしや試練の放棄ですか? だとしたら酷いのはそちらですよ? 折角我々がこうして屍を積み上げてお膳立てしたのにどうして喜んで試練に参加しようとしないのですか?
ラインハルトの顔をした悪意の塊が口元を歪めて心底楽しい物を見たと蔑み、笑う。嗤う。
げらげらげらと不快な声が草原に。
げらげらげらと不愉快な音が二人の耳に。
狂気が伝染しそうな表情と声にスバルはあのときの夜を思い出し、咄嗟にエミリアから手を離し、耳を塞いで体を縮こまらせてしまう。
もううんざりだ。もう耐えられない。もういやだ。こんなのは夢に違いない。悪夢なのだ、現実ではありえない。どうしてこんな事になる。どうしてこんな羽目にあう。俺はただ最善策を取っただけ。悪いことなんて何一つしていないっていうのに。何でこうなるんだ。早く夢から覚めてくれ。もうこの悪夢を終わらせてくれ。早く早く早く早く早く早く――!
自然と溢れる涙と震える身体を抑えるように身体を縮こまらせたスバルの耳にざきゅ、という音が聞こえたのは直後の事だった。
「きゃはははははっ、はい残念でしたぁ! 失格ですよぅ!」
「あぎっ!? 離、はなし――ぃ、や、やめ、やい゛、い゛い゛い゛ぃい゛い゛い゛ぃぃい゛ぃっ――!?!?」
そして重ねるようにすぐ隣から最も心惹かれた少女のものと思われる、とても人が出したとは思えぬ金切り声、そしてぎちぎちぎちぎちぎちぎちと、数百の蟲が一斉に這いずり回るような音が響き渡る。スバルは自分の意識の外で起こっている出来事に目を向ける勇気がなく、ただひたすらに身体を丸めて震えていた。
「いやっ、いやだ、いやっ、いやいやいやいやぁ――ッ!!
すぐ隣で、恩返しすると心に決めた少女の助けを求める声が聞こえる気がする。
だけどスバルは耳を塞ぎ続けた。一刻も早く夢から覚める、それだけを望み続けて。
「い゛や゛だぁ! たすけてパック、たすけてカリオストロ、い゛や゛だぁ、たすけて! カリオストロ! カリオストロ! かりおすとろ! かりおすと――」
スバルは自らがあらん限りの意味のない叫びをあげている事に気がついていなかった。
自ら悲鳴をあげることで聞こえてくる絶叫をシャットアウトしようとしていたのだ。
彼はどこまでも叫んだ。
近くで行われている地獄が遠ざかってくれることを願って、ただひたすらに。ひたすらに。喉が枯れんばかりに叫び続けたのだった。
叫び続けてどれだけたっただろうか。
永遠とも一瞬とも思える時間をひたすら絶叫し、もう喉は枯れ果てて、かすれ声しか出ていない。だが隣からは最も恐れた声は聞こえてこず、スバルはその事実にほっとしてしまう。
「……?」
悪夢は終わったのか?
もう怖い事は起きないのか?
スバルがゆっくりと顔を上げて周りを確かめようとすると――視界の先に、1m程の大きくて黒い蟲が居た。それはひっくり返った姿勢のまま毛むくじゃらの6本の脚をワシャワシャとバタつかせており、意味の分からぬ金切り声を上げ続けている。
その光景は兎にも角にも、生理的嫌悪感を煽る気色の悪さがあった。
小さく悲鳴をあげたスバルは虫から離れようとてゆっくりと尻もちをついたまま距離を取っていくのだが、
「おやおやおや、雌肉の騎士様はやっぱり見た目が駄目なら守れないって訳なんですかねー?」
――背中が絶望にぶつかり、それ以上距離を取ることができなかった。
「やっぱりそうでいやがりますよねぇ。見目がいいから寄り付く、媚を売る、愛を語る、接触したがる、貪りたがる。愛だの友情だの所詮見目を前提としたくっだらねぇ感情の一つなんですよ。
「ひ、い、いぃ…………」
「きゃははっ、思い通りのクズ反応してくれたお蔭でこちとらいい気分ですよ。大切な恋人?友人?まあなんでもいーや。それの危機をほっぽりだして自分の身を守ろうとするのは紛うこと無いクズのお手本ですねー。まあ当然なのは当然でいやがりますよね。こーんな虫になっちゃった存在なんて助ける価値ねーでしょうからぁー。流石魔女くせーやろーでいやがりますよ!」
背後にソイツが立っている。
ソイツはこちらと同じ高さまで身をかがめて耳元で呪詛を呟いている。
どす黒い意志を撒き散らしているソイツの次なる獲物は、自分だ。
眼の前で蠢く気味の悪い蟲が自分の未来なのだと、自然と理解が出来た。
だけど、もう言葉も挙げられない。身体も動かせない。何一つすべき手段がない。
スバルは自分の死を自覚し、それと同時に意識を手放した。
信じられるか? まだこれで全プロットの1/3くらいなんだぜ……
アッハイさっさと書きます。年内に完了するようにガンバリマス。