震える体に喝を入れて、飛び出す。ああ、これで全部終わりだ。やっと私は、自由になれる。
『駅のホームから高校生が飛び出し、やって来た電車に轢かれて即死した』
さて、そのニュースを聞いて、人々は一体どう思うだろうか。痛ましい事件だと思うのだろうか、或いはまたかと思うのだろうか。それとも、電車を止めやがって、遅刻したらどうするんだ、と憤慨するのだろうか。
どのみち、どうせ、人々は思わない。その高校生に一体何があったのだろうか、とは。
死者にまで気を配る余裕はない。それよりも死を見たり聞いたりしたことの不快感が襲ってくる。かろうじて、興味本位と意味不明という恐怖からその高校生のクラスメイトが興味を示すくらいだろう。
担任教師から、その少女の報せを聞かされて、教室は静まり返っていた。
なぜ、どうして、そんな、ありえない。
皆が思うのは単純明解。少女こと加藤奈恵が死ぬはずがない、ということだ。
奈恵は、活発で明るく、天然で、しかし運動神経や学力は申し分ない。天才肌ではあるが、天然故に完璧ではなかった。しかし、そに天然っぷりは実に愛嬌があり、愛らしく、気難しい教師ですら奈恵の前では破顔する程だった。
「仕方がないなぁ、奈恵は」
そんなことをよく言われる。常に前向きで、常に周囲を盛り上げ、悩みなんて一切感じさせない少女だった。
そして、彼らはとある少年を問い詰める。奈恵の幼馴染で恋人でもあった少年、字華龍斗を。
龍斗は、奈恵の死の目撃者だった。
龍斗の目の前で奈恵は死んだ。最もショックなはずの龍斗に、どうして気付けなかったのかとクラスメイト達は無慈悲にも問い詰める。
「……俺が、殺したんだ」
絞り出すように漏らしたそれに、周囲は静まり返った。目の前に奈恵を殺したと言う少年に動揺をする。
龍斗は正直者という印象が皆にはあった。真面目という訳ではない。かなりの数トラブルを起こしていたし、少々素行不良だった。しかし、それは単純に龍斗が馬鹿正直なだけだった。
自らの正しさを信じ、真っ正面からぶつかって行く。後先考えず、当然間違えることもある。しかしその時は頭を下げて謝り、ダメなら地に額を擦り付けて謝った。
逃げず、無視せず、純粋に、馬鹿正直にぶつかっていった結果だった。そんな光景に誰しもが尊敬とある種の嫉妬を覚えていた。
故に龍斗の称号は馬鹿正直だった。馬鹿でしかし正直者。この称号を与えたのは奈恵だった。
そんな正直者の言葉を、だから彼らは素直に受け取った。龍斗が奈恵を殺したのだと、そう思った。そして、そんなことをするはずのない龍斗がどうして、と龍斗の次の言葉を待つ。待ち望む。
「俺と奈恵は秘密の共有者だった。お互いに秘密を抱えていて、それをお互いに共有していた。だけど、俺には奈恵の秘密をどうにかすることができなかった。それで、気が付いたら……」
そうしてそのまま泣き伏せた龍斗に同情と、そして安堵を覚える。龍斗は奈恵の死に責任を感じているだけで、実際に手を下した訳ではないと、クラスメイト達はそう認識した。よくはないがマシ。不幸中の幸い。このクラスに死者は出たが、犯罪者は出なかった。それは何よりの幸福といえるべきだろう。犯罪者と同じクラスなんて事実は、将来において負の要素しか生み出さない。建前だらけの世界で、そんな不祥事はあってはならないことなのだ。
結局、奈恵の死の理由は分からず。しかし、どうやら何か悩みがあってそれが上限を振り切ったらしいという暗黙の了解で、クラスメイト達もそれ以上掘り下げようとはしなかった。何より大きなショックを受けているであろう龍斗に気を遣ったのだ。
本来ならば、それでこの事故は終わる。ああ、不幸なことがあったと、机の上に花瓶でも置かれて、しかし一ヶ月もすればそれすらも煩わしくなって忘れ去られ、そうしてなかったことになる。クラスも平穏を取り戻し、いつもの通り、口の悪い者が死ねと軽率に言葉を漏らし、笑い合うだろう。
しかし、この事件はそうはいかなかった。
『自殺した少女の実態。人気者の顔をした――悪魔』。そんな見出しで書かれたとある週刊誌が発端だった。
曰く、少女は恐喝、暴行、集団リンチ、詐欺、売春の管理、薬、殺人教唆に、殺人の実行。あらゆる犯罪に手を染め、しかしその罪は絶対に奈恵の元には行かないように仕組まれていた。
まさしく、悪魔の所業だろう。その方法は一切開かされていないが、しかしそれは事実らしい。
その週刊誌が学校に広まった際に、実はと奈恵の悪魔の所業に参加させられた者達がぞろぞろと現れた。奈恵という毒の侵食はクラスメイトだけではなく、他のクラスや学年、教師や保護者にまで食い込んでいた。彼ら彼女ら全員が、何かしらの事情を抱えており、参加せざるを得ず、尚且つ自白することもできない状況に陥らされていた。奈恵の仕組んだことだと分かっていながらも、何も言えない。そんな状況に陥っていた。
狂気とも言えるその計算高さには、奈恵の天然らしさは一切なかった。――それはクラスメイト達とって恐怖だった。
奈恵の本性はどうやら、自分達の理解していたものとは違うらしい。
こぞって、少女の本性を知る者――つまりは被害者達に話を聞き、情報を組み立てていった。
しかし、それはどう考えても得策ではない。奈恵は死んでも、奈恵への怨みは残る。それが意識的にせよ無意識にせよ、奈恵の悪魔性を引き立ててしまう。ほんの少しの尾びれを多くの人間が付け足せば、奈恵の本性は分からなくなってしまう。
そしてそれに気付いた存在が一人。
「やぁ、龍斗くん。初めまして、僕は君の別のクラスの友達の友達なんだ。ちょっと例の件で話が聞きたいんだけど、いいかな?」
自称、『同級生』。記憶にその少年の顔はないが、自らそういうのだからそうなのだろう。同じ学校の制服を着ているし、まず間違いはない。とりあえず、そこまで判断して龍斗は答える。
「……ああ」
「みんな馬鹿だよね。どうして龍斗くんに聞かないのかな。普通に考えれば、被害者に聞くよりも龍斗くんに聞く方が早いのにさ。だって君は、――秘密の共有者だって言ってたもんね」
秘密の共有者。それをクラスメイト達は迷うことなく何か悩みがあったと考えた。故に奈恵の悪行と、奈恵の持つ秘密というものには結び付かなかったらしい。
「少し考えれば分かることだけど、つまりは少しも考えなければ気付かない。事実だけど真実じゃない。バカ正直の名は流石だね」
「…………」
「まぁ、つまり、龍斗くんは奈恵さんの悪行の共有者だった。その関係が、ただ知っているだけだったのか、被害者なのか、共犯者なのか――それとも、もしかしたらなら計画者だったのか、まぁ、真実は君だけが知っている訳だ。死人に口なしとはこのことだね」
「……っ」
徐々に、徐々に、同級生は龍斗を追い詰めていく。淡々と冷静に、知っている答えの穴埋めをしていくように。
「ともかく、これで奈恵さんの秘密は分かった訳だ。奈恵さんは表では人気者を演じ、裏では悪魔のような所業を行う二面性の持った悪女。――じゃあ、龍斗くんの秘密って、何なんだろうね」
「っ」
「これに関しては、本当に上手いと思うよ。分かっていても聞くことができない。そして彼女の悪行が広まれば、それはそれで掠れてしまう。うん、本当に上手く組み立てられた方法だ。だけど、まぁ、僕みたいに気の遣えない奴もいるんだ」
奈恵が死んだことに一番ショックを受けている、最も彼女に近い存在に迂闊に話ができるだろうか。悪行が広まって、被害者が現れてきたのだからそちらに気を取られてしまうだろう。
「さて、僕は秘密は厳守するタチだし、そもそもこの事件について警察とかにチクるつもりもない。人間の起こした事件なんざ、別にどう解釈されても興味が無いからね」
まるで自分が人間でなはないような言い方に違和感を覚えつつ、しかし次の言葉に龍斗は息を詰まらせる。
「僕が気にするのは、興味があるのは、真実だ。一体君らに何があって、何故、彼女を殺したのか。それだけが僕の興味で、それ意外に何か労力を費やすつもりはない。真実さえ教えてくれたなら、僕はさっさと退散し、これから一生君の前に姿を現さないと約束するよ。大丈夫、僕は
「……っ。…………」
沈黙。動揺。思考。そして決断。
「……分かった。……話す」
「決断ありがとう。それじゃあ、どうぞ?」
「……簡単な話だ。俺が――いや、私の心が、女性であるっていうだけ。私の秘密はたったそれだけのこと。だけど、私は普通じゃないから、それを彼女に利用されただけ」
「ああ、なるほど。バカ正直なのは、普通であろうとした結果って訳ね。自分が普通じゃないから、せめて行いだけでも、周囲の状況だけでも普通にしたかった。だから、あそこまで、バカ正直に男を演じ、普通を得たがった」
「彼女は天才だった。彼女の悪に気が付いた私は止めようとしたけど、無駄だった。それどころか私の本性に気付いて、それを利用した。私が女だなんて言ったって、どうせ偏見と侮蔑の目に晒される。だから私は、逆らえなかった。逆らえば、彼女が平然と私を叩き潰すと分かっていたから」
天才。生まれながらにして彼女は全てを持っていた。そして、それを彼女は独占した。
彼女の悪虐は狂気であり正気だった。狂気的に計画を立て、正気で相手を潰した。潰し、愉悦した。そして、その悪行に龍斗は付き合わされ、ときには責任も負わされた。素行不良の一部には、バカ正直にぶつかった結果に見える、ただの責任転嫁がいくつも転がっていた。
「……私は耐えられなかった。彼女とずっといれば、私は普通じゃなくなる。普通じゃない状態を肯定されてる気分だった。だから、殺したの。私には、耐えられない。自分が異常である状態なんて、耐えられない。私は普通でいい。異常になんか、縛られたくなかった。私は、ただ心と体の性別が違うだけで、他の人間と何も変わらない。――それなのに彼女はそれを違うと言い捨てた。私は特別だって、そんなことを言った。だから、殺したの」
「……確かにトランスジェンダーは、ちょっとした性的な誤差だ。それ意外の点じゃ、普通と何も変わらない。それを異質だ異常だなんて宣うのは間違っている。勿論、彼女の悪行も最低だ。だけどね、君はどうして最後にそんな手段を選んだのかな。バカ正直を貫いているはずの君が、どうして最後には、どうせぐちゃぐちゃになるから証拠も残らないだろうと、そうして彼女を突き落とすなんて、そんな卑怯な手を使ったのかな。――それじゃあ、君は、最後の最後に本質を見せたことになる。所詮、君はただの卑怯者で、自分の善を守る為にはどんなことだってするっていう最低の本性が」
「…………」
龍斗は何も言わない。そんなことは知っている。あの時、彼女を突き落とした時、たしかにこの目で見たのだ。
満面の笑みを見せながらこちらを見つめ、口を動かす少女の姿を。
――やっぱり龍斗は。
その言葉の先を龍斗は見ることができなかった。電車に潰され、視えなくなってしまったからだ。
それでも龍斗はその言葉の先を知っていた。
やっぱり龍斗はそうでなくちゃ。
奈恵ははっきりと見抜いていた。
龍斗は普通ではない。ひたすらに卑怯で、ひたすらに姑息な女であると。――そして、それが最も龍斗らしい生き方だと。
「結局、どんなことをしても君は奈恵には勝てなかった訳だ。このまま付き合わされても一緒、殺したって、君は卑怯だと突き付けられる。ああでも、絶対に勝てない相手に、それでもバカ正直に勝ちにいったのは、バカ正直と呼べるのかな?」
「……呼べないよ。私のしたそれは、無謀ってやつだった」
同級生は約束通り、誰にも言わず姿を消した。初めから存在しなかったかのように別のクラスを探しても彼は見当たらなかった。しかし、龍斗は出頭し、捕まった。
例え罪が暴かれなくとも、このまま卑怯でいるのが嫌だった。――せめてもの、奈恵への抵抗だった。
まぁ、よくあるトリックを使ってみたかっただけです。