「お、おぉ~」
爽やかな風を受けて青年は目を開き、飛び込んできた光景に感嘆の声を漏らした。
中世の異国のような街並みに巨大な宮殿のような建造物。およそ日本では絶対に見れないだろう景色が広がっている。
「これってホントにゲームの中なのか? いや、ゲームの中なんだけどさ」
と、広場の中央で青年が自問自答する。
青年の容姿は、長い黒髪をオールバックにしてうなじ辺りで紐で縛っている。その顔は少々目つきが悪いが軽薄そうな表情を浮かべているために近寄り難いとは言えない雰囲気を醸し出している。背は平均よりやや高めで、肉付も平均的と言えるだろう。
服装は白いTシャツに紺色のズボンだという簡素すぎる物だ。だが、このゲームでは初めてログインした者は皆同じ服装でこの世界に降り立つ。後は自分で調達しなければならない。
そんな青年が視界の端に見えるHPとその隣に刻まれている
レスカテが空を見上げると、雲の上に岩肌の天井が見える。それを見たレスカテはこのゲームの設定を思い出す。
ソードアート・オンラインは浮遊城アインクラッドという名前通り空に浮遊している石と鉄でできた巨大な城が舞台である。
その城は全百層という途方もない階層があり、更に一層ごとに数多の都市と小規模な街や村、森や草原などのフィールドが点在し、更には上下の階層へと通じる階段があり、そこは危険な怪物達が
そしてプレイヤー達は武器一つを頼りに進み、上層への通路を見つけ出して強力なボスモンスターを倒して白の頂きを目指すというのが主な概要だ。
更にこの世界はファンタジーな世界ではあるが、魔法は存在しない。それは己の体、己の剣を実際に動かして戦うというフルダイブ環境を最大限に感じさせるという製作者の意図が理由だ。
だからこそ、魔法が存在しないために
スキルは戦闘用だけでなく、鍛冶から細工、一般的に趣味と呼ばれるモノまで多岐に渡って存在し、広大なフィールドを冒険するだけでなく、文字通り『生活』する事が可能だ。
努力さえすれば自分の家を買い、畑を耕したり牧場を作ったりもできるのだ。
そういう事前情報が公表される度にゲーマーたちの熱狂は否応なく高まり、臨界値を突破しようとしていた。
だが、ここにいるレスカテはそういう事前情報はほとんど知らない。オンラインゲームどころかゲームそのものが初心者と言える程だ。なら何故レスカテがソードアート・オンラインを手に入れたのか?
それはお世話になっている人のおかげと言っても過言ではない。だからこそ、レスカテはこの世界で『生きている実感』を得るためにこのゲームを勧められるままに始めたのだ。
「…………」
レスカテは自らの両手を閉じたり開いたりした後、軽くジャンプしてからぐりぐりと右足で地面を踏みしめた。この仮想空間内で自分の体が動く事に顔が段々にやけてきている。
「くぅ~! っしゃあ~!!」
両腕でガッツポーズを取って歓喜の叫び声をあげる。それを聞いた周囲のプレイヤー達が何事かとレスカテの方をチラチラと訝しんで見ているが、その全てをスルーしてレスカテは一歩一歩を嬉しそうに踏み出しながら歩いていく。
「ホント、先生には感謝しねぇとな」
そう呟きながらこのゲームのスタート拠点であるはじまりの街を散策していく。
どこに何があるのか、そういう事前情報を知らないレスカテだからこそ、そういう事は必要だ。そして何より、自分の体を使って歩き回るという事自体がレスカテにとって嬉しい事なため、全然苦に思っていない。
まず、最初に向かったのがこのはじまりの街で中央広場並に目立つ巨大建造物――
メニュー画面のヘルプを参照すると、ここはHPが尽きてゲームオーバーになったプレイヤーが死に戻り――要は復活する場所らしい。
感想は何やら薄気味悪いところ。あまり長居はしたくない場所だったので、ある程度見て回ると即座に黒鉄宮を後にした。
こうしてレスカテはヘルプを参照にしつつ、はじまりの街を散策し尽した。
「さて、こっからが本番な訳だが」
はじまりの街を出るとそこは草原だった。ちゃんと人が歩くための道も用意されてはいるが、レスカテはその道沿いに行く気はない。
そもそも道は街と街同士を繋げるモノであって、このまま進めば別の街に着いてしまう。とりあえずこのゲームに慣れるまでははじまりの街を拠点としようと考えたレスカテは、この辺りを探索する気満々だった。
そんなレスカテも初めてログインした時とは少しばかり服装が変わっていた。
白いTシャツの上に胴体のみを守る事に徹した
これらは街を散策している最中に購入した物だ。本来は店売りなために耐久地が他と比べて低い物ばかりだが、そんな事レスカテは知らない。
「んじゃ、適当に適当にっと」
レスカテはそう呟きながら草原の中へと入っていく。こう
レスカテにとってはただ広大なフィールドを歩くだけで満足なのだ。
「お?」
しばらく歩いていると、前方にフゴフゴと鼻を鳴らしながらレスカテの方へと歩いてくる青いイノシシが現れた。
レスカテは即座にヘルプで習った、ターゲット状態へと移行させる。やり方は簡単、相手を注視するだけでいい。
するとイノシシの上に《
フレンジーボアがレスカテを捕えたのか、前足で地面を蹴り、いかにも突撃しますと言った体勢をとった。
「いいぜ、やってやんよ」
レスカテも初めての実戦という事でワクワクしながら腰に下げた剣を鞘から引き抜く。
フレンジーボアの猛烈な突進に合わせてレスカテも駆けだした。
結果的に言えば、完膚なきまでに叩きのめされた。
「…………」
レスカテが陰鬱な表情をして黒鉄宮から出てきた。つまり、死に戻りしたのだ。
レスカテは腕を組んで考える。何がいけなかったのだろうと。客観的に言えば全てがいけなかったと言ってもいいだろう。
フレンジーボアの突進に合わせてカウンターをしようと剣を振りかぶったのはいいのだが、異様に剣の振りが遅く、レスカテの剣が届く前に突進をもろにくらい吹き飛んでゴロゴロ地面を転がった。
カウンター狙いを諦めて、突進直後の硬直時間に攻撃を開始したがはっきり言って全然ダメージを与えられていなかった。
その事に戸惑ってるレスカテをフレンジーボアが待ってくれる訳もなく、フルボッコにされたのだった。
だが、ゲーム初心者のレスカテにはさっぱり皆目見当もつかない。ならば、と困った時に使うものがヘルプである。とりあえず戦闘項目について読み返す。
「あ」
そして気づいてしまった。自分が行った過ちに。
「俺、一つもスキルセットしてねぇ……」
自分の愚行に頭を抱えて膝をつく。そんな行動を人が多い中央広場で行うとやはり目立つ。他のプレイヤー達から好奇の視線に晒されながらもレスカテは立ち上がった。
「ま、終わった事は仕方ない仕方ない」
思いのほか切り替えが速かった。とりあえずスキル一覧を覗いてみる。
そこには片手剣、、両手剣、槍、斧、曲剣等と言った装備する物から索敵やら
レスカテは既に片手剣を購入してしまったため、まずは片手剣スキルを取得した。
「後一つ、か」
スキルスロットは全部で二つ。今は二つしかないがレベルが上がればスロットも増え、スキル熟練度が一定に達するとエクストラスキルと言ってスロットを消費しないスキルも手に入るため、後々スキルを増やしていけるだろう。
最後の一つは何にしようかとレスカテが
レスカテが気になっているのは索敵というスキルだ。いわばレーダーのようなものだろうと思っている。これは狩りに出るとき、モンスターの位置がわかるのだから効率よく狩ることも可能だろう。
最初はもう一つ武器を使えるようにしようかと迷った事もあったが、今は片手剣一本で十分だろうと自分を言い聞かせた。
「さて、じゃあリベンジと行きますか!」
結局、索敵のスキルを取得したレスカテは再び草原へと来ていた。そして索敵スキルを発動させて、視界にレーダーのようなモニターが浮かび上がる。その中に緑の点が幾つかと赤い点が数点存在していた。
緑は他のプレイヤー、そして赤はモンスター。この中で手つかずだろうモンスターまでレスカテは一直線に走っていく。
索敵スキルを使わずとも目視でモンスター――フレンジーボアを発見すると、そのまま勢いよく駆けて行き、抜刀。
相手がまだ捕えていない不意打ちによる一撃をフレンジーボアへと叩き込む。
先程のスキルをセットしていない緩慢な動きではなく、鋭く重い一撃がフレンジーボアの横っ面に叩き込まれた。
(よし! さっきと全然違ぇ! イける!)
フレンジーボアがこちらに反応する前に更に二撃目を斬り込む。たった二撃の攻撃だけでフレンジーボアのHPが半分をきった。
「そんでもってトドメェ!!」
フレンジーボアが突進するための事前行動として地面を蹴っている最中にレスカテが突進していく。その剣先が青い光に包まれて片手剣の最下級スキルが発動される。
「スラントッ!!」
フレンジーボアが突進を開始する前に、その横を通り過ぎる様に剣を横に薙ぎ払う。ゲーム内アシストによって半自動でスキルが発動し、スキルに身を任せるままにそのまま剣を振り切る。
切り裂かれたフレンジーボアは青い光の破片となって消滅した。
「よしっ!」
その光景を見たレスカテはとても嬉しそうにガッツポーズをとった。そしてその後に小躍りを始めて、周囲のプレイヤー達の奇異の視線を集めていた。レスカテ自身はまったく気にしていないようだが。
「さあて、このまま狩りまくろうか!」
一人でエイエイオーと剣を持った手を空に
あれから何時間経っただろうか。レスカテが一心不乱にフレンジーボアを狩り続け、今ではレスカテはレベル2になっていた。
(さて、そろそろログアウトして先生達に感想聞かせないとな。ホント、先生には感謝しなきゃな)
そう思い、おもむろにメニュー画面を見て動きを止める。
「あれ? ログアウトが見当たらんのだが……」
レスカテがスキルをセットし忘れてメニュー画面を開いた時には端っこの方に確かに存在していた。だが、今見てみるとログアウトボタンが全く見当たらなかった。
そこまで頭の中を整理し、もう一度メニュー画面を確認してみる。
やはり無い。
「おい運営!! どういう事だよ!?」
「ログアウトできねぇぞコラァ!!」
と、他の草原にいるプレイヤー達もログアウトが無い事に気付いたのか騒ぎ始める。どうやらレスカテだけでは無いらしい。
その時だった。
「なんだ!?」
リンゴーンリンゴーンと教会にある鐘が鳴っているような音と共に自分の体を鮮やかな蒼い光の柱が包み込む。
蒼い光の壁の向こう側で同じような状況になっている他プレイヤー達を視界に入れたところで急速に景色が薄れていく。
この現象は知る人ぞ知る、『
「一体どうなってんだ……?」
レスカテや他多数のプレイヤーが草原から姿を消す寸前にそう呟いたが、当然のごとく誰の耳にも入ることはなかった。
レスカテが目を開けると見覚えのある景色。はじまりの街の中央広場だ。何度もお世話になった場所なため――というよりつい数時間前まで居た場所なのだから見間違う筈もない。
その広場に大多数のプレイヤーが集結していた。いや、今もなお蒼い光と共に集まり続けている。その数は軽く見積もっても五千は軽く超えている。
「つまり俺たちは強制的にここへと集められたって事か」
レスカテは納得したように頷いて辺りを見回す。
ソードアート・オンラインの運営に肉声で抗議して怒鳴る者、ログアウトできない事に不安がる者、ただこの状況に着いていけなくて呆然とする者、その他にも色々な反応をしているプレイヤー達がいるが、そんな周りに囲まれて逆に頭が冷静になっていくレスカテ。
だが、知識が無いために考察や推論すら立てる事ができない。
故に、レスカテはただこの状況の流れるままに身を預ける事にした。
「あ、上を見ろ!」
不意にあげた誰かの声でレスカテを含む全員が上を見上げる。
百メートル程の上空に真紅の模様が浮かび上がっていく。よく見ればその模様は英文だった。
『Waraning』
と、ただ一文が真っ赤なフォントで綴られ、その後に――
『System Announcement』
という単語が読むことができる。まあ、要約すれば運営のアナウンスだ。どうやらこのログアウトができない事象についてという事だろうとレスカテは推察する。
だが、次の瞬間には赤い文字達がまるで血液を垂らしたようにドロリと垂れ、そこからまるで血溜まりのように広がり、血溜まりが一瞬にして紅い布へと早変わりした。
そしてそれが巨大な人型へと姿を変えた。大きさは優に二十メートルは超えているのではないかという巨大さだ。
フード付き真紅のローブを纏った巨人。だが、最も印象的なのは顔が無い事。フードによって顔が隠れているだけなのかとも思ったが、どう見てもフードの中身が空洞なのである。証拠に裏地の緑色の縫い取りまでしっかり見通せるのだ。
垂れ下がるローブの袖も中身は同じく暗い闇が広がるばかりだ。
「趣味悪ぃな」
眉をひそめてレスカテは呟いた。そんな彼の周りにも「あれってGM?」「なんで顔無いの?」等というささやきもちらほらと周りから聞こえる。
だが、それらの声を抑えるようにローブの袖が動いた。
『プレイヤーの諸君、私の世界へようこそ』
遥かな高みから実験動物でも眺めるような、そんな声音が辺りに響いた。
他プレイヤー達もレスカテも、意味がわからないと首を傾げたりしている。だがしかし、紅いローブの言葉に全員が納得せざるを得なくなる。
『私の名は
その名前を聞いた瞬間、プレイヤーたちが一斉に息を呑んだのがわかった。しかし、レスカテだけが「誰?」と言わんばかりに頭の周りに?を乱舞させている。
茅場晶彦――簡単に言えば、このVRMMORPGの根底を作った男。そう、ナーヴギアの基礎設計者にして完全ダイブを作り上げ、このゲーム――ソードア-ト・オンラインの開発ディレクターでもある男だ。
ちなみにナーヴギアとは、簡単に言えばプレイヤーは皆これを頭に装着する事でユーザーの脳と直接接続させる事で五感全てにナーヴギアはアクセスできるのだ。
それを利用して繋がる事で、プレイヤーはVRMMORPGと接続できるのだ。
『プレイヤーの諸君は、既にメインメニューからログアウトボタンが消滅している事に気付いていると思う。しかしゲームの不具合ではない。繰り返す、これは不具合ではなく、ソードアート・オンライン本来の仕様である』
「仕様……だと……!?」
茅場の後に驚愕を含んだ声を誰かが上げた。それはこの場にいる全員の代弁でもあった。
『諸君は今後、この城の
(この城ってなんだよ?)
茅場の言葉にレスカテが心の中でツッコミをいれる。だが、レスカテだけでなく、この場にいる全員が咄嗟にはわからなかった。
そう、この城とは全百層もあるアインクラッドそのものを指す。
『……また、外部の人間の手によるナーヴギアの停止、あるいは解除もありえない。もしそれらが行われた場合――』
淡々と事実だけを告げる茅場が初めて言うのを溜めた。そのせいか広場中にいるプレイヤー達が息を詰めた。途方もない重苦しい静寂の中、レスカテはその時点で何か嫌なことを言ってくるに違いないと何となくそう思った。
『――ナーヴギアの信号素子が発する高出力マイクロウェーブが諸君の脳を破壊し、生命活動を停止させる』
しかし、告げられた言葉はレスカテの予想を軽くぶっ飛んでいた。
脳を破壊――つまりは殺す、ということだ。
ナーヴギアの電源を切ったり外したりしたら、装着している者を殺す。そう茅場は告げた。
ざわざわと、広場のあちらこちらで騒がしくなり始める。
『より具体的には、十分間の外部電源遮断、二時間のネットワーク回線遮断、ナーヴギア本体のロック解除、または分解、そして破壊の試み――以上のいずれかの条件によって脳破壊シークエンスが実行される。この条件はすでに外部世界では当局およびマスコミを通して告知されている。ちなみに、現時点でプレイヤーの家族友人などが警告を無視してナーヴギアの強制徐装を試みた例が少なからすあり、その結果残念ながら既に二一三名のプレイヤーが、アインクラッド及び現実世界からも永久退場している』
更にざわめきををかき消す具体的な内容が告げられたため、プレイヤー達は冷や水を浴びせられたかのように静まり返り、茅場の言葉を理解した時、そこからともなく小さな悲鳴が聞こえた。
だが、それでも信じられないと言わんばかりに薄ら苦笑いを浮かべていたり、放心していたり、近くの人と嘘か真か議論している者達もいる。
(詳しい事はわからんが、これがもし本当の事だとしたら……俺はどうするべきだろうか)
だが、レスカテはこんな状況下にあっても微塵も揺らいでいない。むしろこれからどうするかを冷静に考えていた。
『諸君が、向こうに置いてきた肉体の心配をする必要はない。現在、あらゆるテレビ等のメディア機関は多数の死者が出ている事も含めてこの状況を繰り返し報道している。諸君のナーヴギアが強引に徐装される危険性は既に低くなっていると言っていいだろう。今後、諸君の現実の体はナーヴギアを装着したまま二時間の回線遮断猶予時間のうちに病院、その他施設へと搬送され、厳重な介護のもとに置かれる筈だ。諸君には、安心してゲーム攻略に励んでほしい』
「何を言ってるんだ! ゲームを攻略しろだと!? ログアウト不能の状況で呑気に遊べってのか!? こんなの、もうゲームでもなんでも無いだろうが!!」
茅場のあんまりな言葉にとうとう明確な反論が怒声混じりに入る。だが、その発言をした黒髪の美青年の言葉はこの場にいるほぼ全ての者の代弁であった。
『しかし、充分に留意してもらいたい。諸君にとってソードアート・オンラインは既にただのゲームではない。もう一つの現実と言うべき状況だ。……今後、ゲームにおいてあらゆる蘇生手段は機能しない。HPがゼロになった瞬間、諸君のアバターは永久的に消滅し、同時に諸君らの脳は破壊される』
そして更に爆弾発言をする茅場。もう広場内のプレイヤー達の士気とも呼べるものが根こそぎ無くなった瞬間だった。
レスカテは自分の視界に映るHPゲージを見る。すると430/430という文字も表示された。これがゼロになるとそのプレイヤーは死ぬ。
ああ、確かにこれはゲームなのだろう。本当の命のかかった
だがしかし、何故だかレスカテはすんなりとその事実を受け入れる事ができた。通常の神経ではない。
『諸君がこのゲームから解放される条件はたった一つ。先に述べた通り。アインクラッド最上部、第百層まで辿り着いてそこに待つ最終ボスを倒してゲームをクリアすればよい。その瞬間、生き残ったプレイヤー全員が安全にログアウトされる事を保証しよう』
茅場がそう告げるが、反応を返す者はほとんどいない。その全てに現実味がなく、そして事実だったとしたらあまりにも重すぎるからだ。
『それでは最後に、諸君にとってこの世界が唯一の現実であるという証拠を見せよう。諸君のアイテムストレージに私からのプレゼントが用意してある。確認してくれたまえ』
それを告げるやいなや、ほとんど自動的に全てのプレイヤーがメインメニューを開き、アイテム欄を確認する。
アイテム名は手鏡。オブジェクト化してレスカテが手に取ると、どう見ても普通の手鏡だった。正直、何のためのアイテムなのか予想がつかない。
「なっ……なんだ!?」
突然、周囲のプレイヤー達が白い光に包まれた。何事かと周りを見渡すレスカテも白い光に包まれた。
光は二、三秒ほど続いたが、光が収まった。だが、周囲の光景が様変わりしていた。
数秒前まではゲームらしい美男美女の人たちは形を潜め、明らかに普通の一般人に鎧や剣を装備したコスプレ集団にしか見えない。しかも男女比まで大きく変わっている。よく見渡せば女物の服を着たガリガリのおっさんの姿も見られる。
「なにこの地獄絵図」
そのおっさんを見て吐きそうになったレスカテは手に持つ手鏡で自分の姿を見る。
目つきが悪いのは相変わらずだが、前髪が鼻先まで伸びて隙間から覗かせる眼光のせいで恐ろしく見える。後ろ髪も腰辺りまでボサボサに伸びきっていて、全くと言って手入れをしている風には見えない。
全体的に細見で平均男性よりかは明らかに線が細い。女性っぽいのではなく、ただ病的にガリガリなだけだ。
しかし、先程までの彼とは違い、近寄り難い雰囲気が全身からあふれ出ている。
「現実の俺……?」
手鏡に映った自分の姿を見て愕然とする。現実ではまるで生きている実感のなかった時の姿をしているのだ。どうやって現実の自分を再現しているのかは正直言ってレスカテにはわからない。だからそれに関する思考は即座に放棄した。わからないものはわからないのだから。
だが、代わりにレスカテは疑問を浮かべる。何故、こんな事をしたのか。
『諸君は今、何故と思っているだろう。何故私はSAO及びナーヴギア開発者の茅場晶彦はこんな事をしたのか。これは大規模なテロなのか。あるいは身代金目的の誘拐事件なのか、と。だが、私の目的はそのどれらでもない。それどころか今の私はすでに一切の目的も、理由も持たない。なぜなら、この状況こそが私にとっての最終的な目的だからだ。この世界を創り出し、鑑賞するためにのみ、私はナーヴギアを、そしてSAOを創った。そして今、全ては達成せしめられた』
自分の目的を語った時、今まで淡々とした物言いに、少しだけ感情が込められている事をレスカテは感じ取った。その感情は子供が自慢げに自分のおもちゃを自慢する時のようなモノに似ていると、レスカテは思った。
『以上でソードアート・オンライン正式サービスのチュートリアルを終了する。プレイヤー諸君の健闘を祈る』
その言葉を残して茅場は上空に漂うシステムメッセージと溶け込むように同化し、広場から消滅した。茅場が消えた後直ぐに上空にあるメッセージも現れた時の逆再生のような印象を受けて唐突に消えた。
そして普段通りのBGMがフェードインしてきて中央広場が元の姿へと還っていく。しかし、仕様だけは以前とは様変わりしているが。
そしてこの時、茅場の告げた事実にプレイヤー達がもっともな反応を一斉にみせた。
「ウソだろ……おい、こんなのウソだろ、おい!!」
「ふざけんなよ! ここから出せよぉ!!」
「嫌だ!! 帰りたい!! 帰らせてくれぇ!!」
等々、様々な悲鳴、怒号、絶叫、罵声、懇願とプレイヤー達の大音量の声が広場中から聞こえ、レスカテの鼓膜を震えさす。
数々の聞き取れない声の中で。レスカテは静かに考える。
(このゲームの中から出ることはできず、そしてこの中で死ねば現実の俺も死ぬ?)
数々の負の感情が渦巻く広場の中でレスカテはニヤリと笑って踵を返し、泣き叫ぶプレイヤー達を避けて広場を抜ける。
(上等だ。どうぜ現実でも死んでるようなもんだし、なら俺はこの世界で精一杯生きて死んでやる! まあ、死なないのが一番いいけどよ)
そう思いながらもどんどんはじまりの街並みを抜けて行き、街の出口へとたどり着き、そのまま街を出る。
はじまりの街の門をくぐると、夕焼け空の光で草原が小麦色に輝いている。かなり幻想的な光景だ。
「こんな世界がまさか俺たちを閉じ込める檻になるとはなぁ。誰がんな事予想できるかっつーの」
綺麗な光景に溜め息をつきながら草原の中を歩きだす。レスカテがやろうとしてるのはとりあえずレベル上げ。死に難くなるにはレベルを上げるのが良いと判断したからだ。
まだ他のプレイヤー達は茅場の告白に立ち直れていないだろうから、この草原はレスカテの独壇場と化している。敵も何度も狩ったフレンジーボアだ。油断しなければ死ぬ事もないだろう。
「んじゃ、行きますか!!」
レスカテはパンッと両手で自らの頬を叩いて気合を入れて小麦色の草原を駆け廻った。
このデスゲーム開始から一カ月で約二千人が死んだ。
外部からの介入はおそらくこれからも存在しないのだろう。何の音沙汰もなかったのがその証拠だ。
だがしかし、これだけの犠牲と時間を消費しても、未だ一層すらクリアされていなかった。