「だ、大丈夫です。少し眩暈がしただけだから。しばらくしたら元に戻ります。」
自分の背中を擦りながら気を使ってくれる美月(仮)に、嬉しさと名残惜しさを感じるが、これ以上は自分の体調が悪化する(欲望が刺激されそうで)予感がしたため、美月(仮)と一定の距離を取る。
上半身に力を入れ、姿勢を正した後、改めて自分の名を告げる。先程の自己紹介はあまりにも情けないし、恥ずかしい…。
「先程は失礼いたしました。改めまして、吉田幹比古と申します。よろしくお願いいたします。」
ただ、緊張しまくっているので、初対面にする堅苦しいものとなってしまった。言った後で、しまったと思ったが時はすでに遅し。知り合ってかなり経っているのに、これでは不快に思うどころか、嫌われてしまう。幹比古は心の内で激しく動揺する。
去年のバレンタインの時、実家の道場の門下生達(女子)からチョコを大量にもらった事で、珍しく美月からジト目を向けられ、精神的に一番ショックを受けたのだ。あれを思い出すと、未だにその時のショックが蘇ってしまう。だから今年のバレンタインは門下生達には申し訳ないが丁重にお断りさせてもらったほどだ。
だから、美月から決して嫌われないように行動する事を誓っていただけに、何としても挽回したかった。
「あ、氏は吉田様ですね。…なら、お部屋を変えた方がよろしいですよね?」
「え、どうしてですか?」
幹比古の苗字を聞いて、妙に慌てだす美月(仮)の様子を不思議に思いながら尋ねる。敬語が抜けてないのは、美月(仮)が恭しい態度を取り始めたため、気を抜く暇が持てないからである。
「吉田様は武家の御出の方ですよね? そのような人がこのようなお部屋でお寛ぎされるには気を害されるかと思いまして…。」
「いや、僕は…武士ではないです。」
「え?…だって氏があります。それに雰囲気もどこか礼儀を重んじている方に似ていますし…。」
美月(仮)の言葉でようやく納得できた幹比古。町民や農民には身分が低い時代ではまだ苗字は持っていなかったという事を歴史関連の書物で読んだ事があった。それに幹比古の実家は代々の古式魔法師の家系であるため、日頃から鍛錬や古風な礼儀等は叩き込まれている。それ故に今上半身を起こしていても、熱があるというのにしっかりと佇まいを直して背筋を伸ばして起き上がっている様子と凛とした自己紹介をしたお蔭で格式高い身分のものだと勘違いしたのだ。
「違いますよ、武士ではないですけど、武芸はやっていますし、物心つき始めた時からそれなりに習い事などをしていたので、そう思ったんだと思います。
…はぁ~、あの、すみませんが気楽にしてもらってもいい?なんだか君に敬われるようなことはしていない訳だし、普通に話したいんだ。」
さすがに美月(仮)と堅苦しい話し方に限界が来た幹比古が削素話を持ち掛ける。美月はその提案をしばらく考え込んだ後、頷いて受け入れる。
「分かりました、吉田……さん?……とお呼びすればよろしいですか?」
「えっと……」
少しは気楽になった美月(仮)に呼び方を聞かれ、幹比古はどうするか迷う。エリカのように『ミキ』と呼ばれる事はないと断言できる。(逆にエリカが傍にいれば、天然な美月(仮)は信用して読んでしまうかもしれないが。)だが、いつものように『吉田君』と呼ばれるのはなんだか物足りなさを感じる。
脳裏で天使な自分が「いつもと変わらなくていいじゃないか。これから少しずつふれあって行けばいいんだから。」と、囁きかけてくるのに対し、悪魔な自分は「せっかくなんだし、ここは幹比古さんでもいいんじゃないか? 名を呼ばれたらキュンと来るのは必須。今の内に免疫力を高めておくのも悪くない。」と、語りかけてくる。
この脳裏の囁きによって、とうとう幹比古は、『幹比古さん』と呼んでもらう選択に出たのだ。
「それじゃ、幹比古と呼んでください。」
「はい、分かりました。」
「…ところで君の名を聞いていなかった。」
「私ですか?…私の名は」
やっと名を聞けると嬉しく思う幹比古の期待は大きかった。
「………申し遅れました、ミツと申します。」
美月(仮)がミツという美月とは違う少女だと知り、幹比古の勝手に抱いていた期待は吹き飛び、美月そっくりの目の前の少女を上から下まで首を動かして確認し、絶句するのであった。
(全くの別人だった……なんて……)
ええ~~~!! 美月じゃなかった!!
つまり幹比古は美月ではない少女にドキドキしていたって事になる…?
まずくないか?それ。