「いらっしゃいませ~!」
「いらっしゃいませ! お二人様ですか?」
「ああ。ちょっと長旅してきたところでね~、悪いけどしばらく泊まらせてもらうよ!」
「くわ~~! もう足が漬物石のように重いっすわ~。もう疲れちまったっすよ~、兄貴~。」
「それは大変ですね。ではこちらへどうぞ。お部屋に案内させていただきます。」
ミツとミツの母親である女将が切り盛りする下宿に二人の若い男性が宿泊するためにやってきた。ここは下宿もしているが、その一方、宿屋もやっている。まぁ、どちらかというと宿屋の方が本業のようだが。
この下宿がある地は江戸の城下町で、その中の主に江戸にはるばるやってきた商人や旅人が多く集まる区画にある。だから、その人達に宿を提供して、切り盛りするのがミツ達の生業だった。
早速お客を部屋に案内する女将がちょうど廊下を拭き掃除していた幹比古に声を掛ける。
「幹比古さん、ここはもう結構ですから、宿屋の前を履き掃除してくれません?」
「あ、はい。分かりました。…いらっしゃいませ。」
幹比古は手拭を桶の中に入れ、すぐに片付けると女将の後ろにいる二人の男性客にお辞儀する。女将は笑顔で一度頷くと、御客を連れて、奥の部屋へと向かった。
ここでお世話になって、数日しか経っていないが、幹比古はあっという間にこの下宿に解け込んでいた。初めは宿中の掃除や壊れた屋根の修理(幹比古が落っこちた場所)をお願いされていたが、幹比古は隅々まで綺麗に掃除し、埃一つも見逃さずに熟した。掃除が終わった後は、新品のような家財が並び、きちんと整頓もされていた。これにはさすがに女将も驚いた。まだ幹比古が武士の家系だと内心思っていただけに、自分の力で掃除を仕切るとは信じられなかったのだ。
幹比古から見れば、当然の結果だったのだが。
幹比古は古式魔法師の家系。家は武家屋敷のような日本家屋であり、屋敷自体も広い。立派な屋敷である故、家屋に使われている古来の技術や建築に関しては父親からこの家を護るためにもと、兄と共に学んだのだ。…この家には神が棲んでいる。決して神の住まいを失わせてはいけないのだ、と。
そして、精霊と共に生きる吉田家は、いついかなる時も精神を清める必要があった。その方が精霊とのリンクがしやすいだけでなく、精霊を暴走させる危険性も減り、なおかつ古式魔法師として大事な自然の賜りを肌で感じ、より感覚が鋭くなり、神に仕えられるようになると信じられていた。そのために自分の身の回りの事は自分で行うよう、幼い頃から指導を受けていた。掃除もその一環で、掃除は自分の心を掃除する事と同じだと徹底的に教え込まれていた幹比古だった。
だから、女将が驚くほど、見事な掃除を成し遂げたのであった。
しかし、ここまでされると、せっかく与えた仕事があっという間に終わってしまう。そこで女将は、宿だけでなく、庭先や宿屋前も掃除するように頼むようになったのだった。今日もそのように、幹比古にお願いしたのであった。…他にもう一つ、理由があるのだが、それはまた次で。
「さて、次は外を掃くか。それにしてもこんなに充実した仕事ができて幸せだな~。良い精神修行になるよ。」
一人で納得し、にわかに汗を掻いているのに、清々しい笑顔を浮かべている幹比古は、桶に入った水を捨て、片付けた後、箒を持って宿屋の前へ歩いていく。
ちょうど自分の心にできた邪な恋心を清めるのに掃除ができてよかったと、女将に心の中でお礼をし、この掃除の術と心得を教えてくれた父親へ感謝を持つ幹比古は、この後ちょっとした騒ぎに巻き込まれる事になるとはこの時はまだ知らなかった。
理屈を述べてみた。これが自分にも言える事だとおもったな~。
…部屋が散らかっている部屋。……片付けるか。