巨獣のセレナーデ   作:セミドレス

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 第七章 師弟 後編

 

 Ⅲ

 

 カール・ダンクは、大きな歩幅で歩いていた。

 クラナガンのオフィス街を走る大通りである。

 つい先ほど、中央プロレスの事務所を出て、アレクサンダーやミカヤと分かれたところだった。

 頭上に広がる空は、膜のような薄い雲に覆われ、霞みがかったように見える。

 どことなく忙しそうに見えるビジネスマン風の男たちが、次々カールとすれ違ってゆく。

 スーツの上に、コートやダウンジャケットを着込んだ姿の者が多い。

 それだけ、空気が冷たいのだ。

 しかし、カールはその冷たい空気の中を、ティーシャツの上から黒い革のジャンパーを羽織っただけの服装で悠々と歩いている。

 我慢をしているようには見えない。

 分厚い肉が、寒さを跳ね返しているらしかった。

 そんなカールの姿は、周囲から浮いている。

 異質なのだ。

 服装や体格といった、目に見える部分だけではない。

 身に纏う雰囲気が、周囲の人間とは違うのだ。

 それは、肉食の獣が発するものに近いかもしれない。

 カールとすれ違う人間は皆、一瞬だけカールの方へ視線を送り、慌てて前へ向き直るという動作を見せる。

 しかし、カールはそんな周囲の様子に気づいているのかいないのか、ペースを乱すことなく歩いている。

 その胸にあるのは、安堵であった。

 大丈夫だよ。会社(うち)は、お前を手放したりしねぇさ──

 お前を手放すほど、中央プロレスは馬鹿な団体じゃねぇよ──

 アレクサンダーに言った言葉だ。

 半分以上、嘘だった。

 最初、会社はアレクサンダーを切り捨てようとしていたのだ。

 アレクサンダーも言っていたことだが、傷害事件を起こした人間を置いておくことは、それだけで会社や業界のイメージダウンに繋がる。

 見過ごせば、損失を被ることは免れない。

 なので、中央プロレスはアレクサンダーを解雇することで、世間に対して()()()を付けようとしていたのだ。

 そんな中、カールは、中央プロレスがアレクサンダーを守る方向へ動くよう、様々な働きかけを行ってきた。

 そして、今日、アレクサンダーと向かい合って話をしたことで、ようやく自分の行動が実を結んだと実感できたのだ。

 そのことに対する安堵が、カールの胸を占めている。

 カールは、普通の師が弟子に向ける期待以上の思いを、アレクサンダーに託していた。

 それは、夢、である。

 リアルファイトでの強さを世間に認められるプロレスラー。

 そういう夢だ。

 そうなれるだけの才能がアレクサンダーにあると、カールは信じている。

 初めて出会った日からだ。

 アレクサンダーと出会った時のことは、今でも鮮明に思い出せる。

 それだけ、強烈な出会いだったのだ。

 もう二年以上も前になる、秋の夕暮れのことである。

 

 Ⅳ

 

 九月も終わろうというのに、まるで真夏のように蒸し暑い日だった。

 低い位置にある太陽が、ギラギラとした赤い光を地上にぶつけている。

 クラナガンにある繁華街の外れ、人通りの少ない寂れた区画──

 夕飯を食べるのに適当な店を探し歩いていたカールは、そこで物々しい声を聞いたのだ。

 

「出すもの出しゃあ、それでいいんだよ!」

 

 という怒鳴り声である。

 雑居ビルの合間にある、細い袋小路から聞こえてきたらしかった。

 カールはその隙間のような空間へ近寄り、興味本位に覗き込んだ。

 スーツを着た中年男性が、三人の若い男に詰め寄られていた。

 中年男性は壁に背を付け、今にも泣き出しそうな顔をしていた。

 男性に詰め寄る三人の若い男たちは、悪趣味な柄物のシャツと、やけに太いズボンを身につけていた。全員、年齢は二十歳になったかならないかというところだろうか。

 不良が気の弱そうなサラリーマンに因縁をつけ、金を脅し取ろうとしている──そういう状況に見えた。

 どうしたものかとカールは思った。

 あのように運の悪そうな中年男性を見捨てるのは、寝覚めの悪い思いをしそうである。

 しかし、今は腹が減っていて、面倒な話に首を突っ込むのは億劫な気分だった。

 それに、不良丸出しの若い男たちだって、正当な理由があって中年男性に詰め寄っているかもしれないのだ。

 二秒、迷った。

 結局、カールは首を突っ込むことにした。

 袋小路に入り、大股に歩を進めながら、カールは太い声で言った。

 

「おい、その辺にしとけ」

 

 ビクリと、中年男性と三人の若い男がカールの方へ振り向いた。

 

「事情は知らんが、雰囲気が物騒すぎるぞ?」

 

 そう言いながら、カールは三人の若い男を見下ろした。

 六つの眼には、驚きと、僅かな怯えが含まれていた。

 カールの肉体の大きさが、そうさせているのだ。

 身長百八十五センチ、体重百十二キロ。

 普通に生活している限り、中々お目にかかれない巨漢である。

 しかも、カールの肉体のスケールは、鍛えられた筋肉によるものなのだ。

 ただ立っているだけで、かなりの迫力がある。

 その迫力に、三人の若い男は怯んでいるのだ。

 

「誰だよ、おっさん」

 

 若い男の一人が、そう尋ねてきた。

 思いのほか高い声だった。見かけの年齢よりもずっと幼い、子供(ガキ)のような声である。

 そのことに滑稽さを感じながら、カールは、

 

「ただの通りすがりだよ。お前らが少し喧しかったんで、口を出させてもらった」

 

 と、答えた。

 すると、若い男は困ったように仲間と目配せをした。

 突然現れた、いかにも腕っぷしの強そうな親父を、どう扱えばよいのかわからくなっているらしい。

 かわいいものだ。

 そう思いながら、カールは若い男たちと中年男性との間に体を滑り込ませた。

 

「行けよ」

 

 カールが言うと、中年男性は無言で駆け出した。

 若い男たちがそれを追おうという動きを見せたが、カールは機先を制してその前に立ち塞がった。

 

「なんのつもりだ!?」

 

 先ほどカールに質問をした男が叫んだ。

 その声は、かん高い、完全に裏返った声だった。

 そんなことをなぜかおもしろく感じてしまい、カールは思わず吹き出した。

 男の顔が、ぱぁっ、と赤くなった。

 震えながら、尖った眼でカールを睨む。

 さらに突然、

 

「このオヤジ!」

 

 と叫びながら、右足でカールの股間を蹴り上げてきた。

 ぱしっ

 という音がした。

 カールが、睾丸を蹴り潰される前に、右手で男の足を掴んだのだ。

 三人の若い男たちは、信じられないものを見たような顔をしていた。

 なぜ、笑いながら突っ立っていたカールが、不意打ちの金的を掴み取るなんてことができたのか──

 そんなことを考えているらしい。

 

「いけないぜ、こんなことをしちゃあ」

「うわっ、とっ、とっ」

 

 カールに足を掴まれている男が、慌てたような声をあげた。

 カールが捕らえた足を脇に抱えるように持ちかえ、後ろに歩き始めたからだ。

 男は足を引かれるまま、()()()()で前へ進むことになった。

 一歩、二歩、三歩、四歩、五歩──

 どこか間の抜けた光景だった。

 男の仲間二人は、戸惑いも露わにこの間抜けな光景を眺めていた。

 そのまま、足を引かれる男が九歩目の()()()()を踏んだ時、カールが勢いよく体を捻りながら、横向きに倒れた。

 瞬間、

 

「ぎぃいっ!?」

 

 という短い悲鳴を、足を引かれていた男があげた。

 男は、カールの動きに巻き込まれるようにアスファルトの地面に倒れると、右膝を抱えながら呻き始めた。

 たった今、カールが行った、相手の足を抱えて勢いよく横に倒れるという動作のせいだ。

 投げ技の一種だった。

 ドラゴンスクリューという技だ。

 ただ足を抱えて投げるという技ではない。

 相手の膝を、筋力による抵抗ができない横方向に捻る技だ。

 かけられた側は、ヒール・ホールドを極められたような状態となり、膝の靭帯や半月板を破壊されるのだ。 

 

「へっ……」

 

 立ち上がったカールが、男を見下ろしながら笑った。

 先ほどまでの何かを面白がるようなものとは違う、獰猛な笑みだった。

 

「何をした!?」

 

 仲間の二人が、血相を変えて駆けよってきた。

 二人は、地面で呻きをあげる男を挟む形で、カールと向かい合った。

 

「ちょいと膝を捻ってやっただけさ」

「なに!?」

「どういうことだ!?」

 

 二人の男は、剣吞な表情でカールを問いただす。

 しかし、カールは質問に答えなかった。

 代わりに、地面で呻く男の頭を蹴り飛ばした。

 呻いていた男が、静かになった。

 二人の男が、ズボンのポケットからナイフを取り出した。

 折りたたみ式のナイフである。

 大きなナイフではない。刃渡りはせいぜい十センチ程度だ。

 それでも、首の大きな血管や、腹部のちょうどいいポイントに突き立てることができれば、十分に人を殺すことができる武器である。

 しかし、自らの命を狙ってギラつく刃物を前にしても、カールの表情に変化はない。

 相変わらず、獰猛な笑みを貼り付けたままだ。

 

「いつでもいいぜ。逃げやしねぇからよ」

 

 そんな挑発さえ、カールはやってのけた。

 若い男たちの眼に、怒りからくる狂気が宿った。

 不気味な沈黙があった。

 その沈黙は、いくつかの呼吸音を挟んだ後、奇声によって破られた。

 

「けやぁっ!」

 

 片方の男が、叫びながら前に踏み出し、右手に持ったナイフをカールの首に向けて突き出してきたのだ。

 カールはその刺突を避ける代わりに、ナイフを握る男の手を、ぱしん、と横に叩いた。

 それだけで、ナイフの軌道は大きく逸れて、カールの左肩の上を素通りすることになった。

 カールは、素通りした男の腕を、男が引き戻す前に左手で絡め取った。

 間髪入れず、思い切り捻りあげる。同時に、右の掌底を、男の右肘に向けて振り上げた。

 べきん、という軽い音に、絶叫が重なった。

 男はナイフを手放し、ドサリと地面に倒れ、わめき声をあげた。

 男の右肘が、本来とは真逆の方向に、九十度近く曲がっていた。

 そのショックと痛みに、男はパニックを起こしているのだ。

 わめき散らす男の頭を、カールは勢いよく踏み抜いた。

 静かになった。

 

「な……なんなんだおまえ!?」

 

 最後に残された男が、怯えを隠すこともできずに言った。

 しかし、カールは言葉を返さず、ただ前に踏み出した。

 残された男が、逃げるように退く。

 カールが前に出る。

 男が退く。

 前に出る。

 退く。

 何度かそんなことを繰り返すうちに、男の背中が、ビルの壁に当たった。

 袋小路だった。

 男が、恐怖の目でカールを見ている。

 仲間の腕が逆方向に曲がる光景が、よほど恐ろしいものとして目に焼き付いたらしい。

 男は、顔を白くして震えている。

 カールは自分から手を出さず、追いつめられた男を睥睨するばかりだ。

 男の震えは、次第に速く、大きくなっているようだった。

 恐怖と緊張が、凄い勢いで育っているのだ。

 限界が訪れるのに、大した時間はかからなかった。

 

「畜生! このハゲが! 死にやがれ!」

 

 男は罵声をあげながら、カールに向かって突っ込んできた。

 右手に持ったナイフを、滅茶苦茶に振り回している。

 振り下ろされてきたナイフを、カールは半身になって避けた。

 ナイフを持つ男の腕が、振り切られたところで一瞬だけ静止した。

 その隙を、カールは逃さなかった。

 ナイフを持つ男の右腕に、自らの右腕を絡みつかせる。

 さらに、するりと男の背後に回った。

 カールの右腕に絡め取られていた男の右腕が、背中で綺麗に折り畳まれた。

 その折り畳まれた右腕と、男のズボンのベルトとを持って、カールが男を後方に投げた。

 変則的なスープレックスである。

 人体がアスファルトと衝突する、生々しい音がした。

 カールがゆっくりと立ち上がった。

 男は仰向けに倒れたまま、立ち上がってこない。

 背中から後頭部にかけてを地面に叩きつけられ、意識を失ったのだ。

 男の右肩が、異様な形に膨らんでいた。

 右腕を畳まれ、関節を極められた状態で投げられたため、地面に叩きつけられた衝撃で派手な脱臼を起こしたのだ。

 肩の肉の中では、骨やら腱やら靭帯やらがバラバラになっているはずである。

 ナイフをぶんぶんと振り回すような真似は、もう一生できないだろう。

 そんな男の状態を見て満足したように頷くと、カールは袋小路の出口に向き直った。

 そして、驚いた表情を浮かべた。

 いつの間に現れたのか、巨大な人影があったからだ。

 

 Ⅴ

 

「こんばんは」

 

 その人物は、拍子抜けするほど柔らかな口調で挨拶をしながら近づいてきた。見かけによらず、高い声だった。

 かなりの上背を持つ人物である。

 大柄なカールよりも、さらに一回りは背が高い。

 それも、ひょろりと背が高いわけではないのだ。

 プロレスラーであるカールほどではないが、かなり厚い筋肉を纏っているように見えた。

 身長百九十五センチ、体重百キロ──

 数値としては、こんなところだろう。

 ジーンズを穿き、長袖の白いシャツを着ていた。

 明るい金髪を()()()()に切り揃えている。

 怪我でもしているのか、額を覆うように白い包帯がグルグルと巻かれていた。

 顔立ちは、若い。

 いや、若いというよりは、幼いと表現した方がいいだろう。

 十三歳か十四歳くらいに見える、少年の顔だった。

 でかい、立派な体の上に、少年の顔が乗っている光景には、妙なものがあった。

 カールの前に立った()()は、人懐っこい笑みと共に口を開いた。

 

「おじさん、さっきのなんですか?」

 

 そう、尋ねてきた。

 カールは、オウム返しに答えた。

 

「さっきの?」

「さっきやってた、酷いことですよ」

「酷いこと?」

「そう、酷いこと。膝を横に捻ったり、関節を極めたまま投げたりしてたじゃないですか」

 

 ほう、とカールは思った。

 目の前の少年が、カールがやったことを正確に理解していたからだ。

 この大きな少年に、カールは興味を抱いた。

 

「見てたのか」

「はい。最初から」

「そんなに酷いことしてるように見えたか?」

「ええ。だって、おじさん、わざと相手が大怪我するようにしてたでしょ?」

「まあな」

「ほら、酷いじゃないですか」

 

 少年の言い草に、カールは苦笑した。

 靭帯を千切ったり関節を砕いたりしたことを『酷い』の一言で片付けるのがおかしかった。

 しかし、少年は笑われたことも気にせず、カールに質問を重ねる。

 

「それで、あれって、なんなんですか?」

「さぁ、なんだろうな」

「意地悪しないでくださいよぉ」

 

 カールが答えをはぐらかすと、少年は唇を尖らせた。

 妙に可愛げのある仕草だった。

 体ばかりが大きい子供というと、どこか不気味なものがありそうだが、この少年に関してはそんなことはなかった。

 

「だいたい、俺がやったのが何かを知って、お前さん、どうするつもりなんだ?」

「習いに行きたいんですよ」

 

 カールの質問に、少年はどこか浮き世離れした口調で答えた。

 

「具体的な目的があるわけじゃないんですけど、最近、強くなりたいなぁって思ってて」

 

 その言葉を受けて、カールはちらりと、少年の額を覆う包帯に目をやった。

 

「喧嘩にでも負けたか?」

「そんなところです」

 

 少年は頷いた。

 

「喧嘩が強くなりたきゃ、ストライクアーツなりなんなり、普通に格闘技をやりゃあいいだろ」

「普通の格闘技じゃ、どうもやる気が出なくて」

「やる気が出ない?」

「頭突きは禁止だとか、目を突いちゃいけないだとか、股間を狙っちゃいけないだとか、そういう()()()()ことには、興味が無いんです」

「かわいいのが嫌ったって、仕方ないだろう。そういう制限を取っ払うと、殺し合いになっちまうからな」

 

 カールは、そう言いながら、肩をすくめた。

 しかし、少年は真面目な口調で言葉を返してきた。

 

「その近接戦闘における殺し合いの技術が、僕は欲しいんですよ」

「なに!?」

 

 少年の剣吞な言葉に、カールは眉をひそめた。

 冗談には聞こえなかった。

 

「あんまり物騒なことを言う奴にゃ、下手に技を教えられんな」

「それは、困りますね。仕方がない、じゃあ、ここで教えてもらいます」

「どういうことだ?」

「ここで僕が殴りかかったら、おじさん、何か技を使うでしょ? それを見て、覚えて帰ります」

 

 あまりにも身勝手で理不尽な少年の言い草に、カールは思いきり顔をしかめた。

 

「本気か?」

「ええ。手加減してくれるとありがたいんですが」

「約束はできねぇな」

「そうですか」

 

 少年が両手を拳に握り、持ち上げた。

 不細工な構えだった。

 格闘技の経験など一切ないことが丸わかりだった。

 

「じゃあ、行きます」

 

 少年が、踏み込みながら、ぶうん、と拳を打ち下ろしてきた。

 当てる気があるのかわからない、のろい拳だった。

 それをかいくぐり、カールは少年に組み付いた。

 背後(バック)を取り、押し潰す。

 うつ伏せに倒れた少年の背中にまたがり、両手で少年の顎をホールドした。

 後方へ引き絞る。

 キャメルクラッチ。

 非常にシンプルな関節技だ。

 背骨と首──つまり、人体の中では脳と心臓の次に大切な器官である脊椎を痛めつける技だ。

 かけられた者は、痛みとともに、背骨をブチ折られるかもしれないという恐怖を味わうことになる。

 並の精神力では、耐えられない。

 案の定、少年もすぐに悲鳴をあげた。

 

「くぁあああああああっ!?」

 

 という、悲鳴だ。

 カールがこれまでの人生で何度も聞いてきた、心が折れる時の悲鳴である。

 馬鹿なことを考えるからだ──

 そう思いながら、カールは技を解き、立ち上がろうとした。

 その時、信じられない事が起きた。

 カールよりも早く、跳ね起きるように少年が立ち上がったのだ。

 それだけでなく、まだ中腰のカールの顔面に向けて、膝蹴りを放ってきた。

 どうにか両腕でブロックしたが、それでも体勢を崩していた。

 ありえない、心を折ったはず──

 カールがそう驚愕するのと同時に、少年がカールの背後(バック)へと回り込んだ

 少年の腕が、カールの首に巻きついた。

 チョークスリーパーによる意識の遮断を狙っているらしかった。

 しかし、まともに入っていない。やり方が下手すぎた。

 カールは身をよじり、少年の脇腹に肘打ちを叩き込んだ。

 一発。

 二発。

 三発目で、少年の腕の力が緩んだ。

 別れた。

 向き合い、睨み合った。

 その時になって、カールは、少年の双眸の奥にある昏い炎に気づいた。

 粘液質の、へばりつくような炎だ。

 カールは無性に腹がたった。子供(ガキ)がそういう目をしているのが気に入らなかった。

 片脚タックルで少年を転がし、アンクルホールドを極めた。

 少年が悲痛な叫びをあげた。

 しかし、技を解くと、すぐに立ち上がってきた。

 カールは、ギリ、と歯を食いしばった。

 腹の中に、嫌な怒りが生まれていた。

 結局この後、カールは十五分ほどかけて、五十回以上も少年の関節を極めた。

 全身の、あらゆる関節を極めたのだ。

 その度に、少年はみっともない悲鳴をあげた。

 しかし、立ち上がり続けた。

 カールは、少年の関節を折らなかった。

 折ったり、締め落としたりして()()を終わらせるのは、自分の負けだと思ったのだ。

 意思力のくらべ合い──

 結局、カールはその勝負に負けたのだ。

 少年の異様な執念に、カールは白旗を揚げたのだった。

 

 Ⅵ

 

 あの時は大変だったなぁ──

 アレクサンダーは、カールと出会った時のことを思い出しながら、古びたアパートへと続く帰路を歩いていた。

 ジェイル・スカリエッティ事件が収束してから、一週間も経っていない頃のことであった。

 戦闘機人に敗北したアレクサンダーは、一方的な辞表を管理局に提出し、彷徨うようにクラナガンをうろついていたのだ。

 生きる指針であった上司のセプテム・シークを失い、途方に暮れていた。

 胸にあるのは、無力感と、戦闘機人に対する憎しみだけだった。

 フォルスに戻って、適当な部隊に配属され、セプテムの下でやっていたように毎日戦場を爆撃する──

 そういう気分には、とてもなれなかった。

 そんな時に、クラナガンの袋小路でチンピラをブチのめすカールを見かけたのだ。

 凄い──

 心の底からそう思った。

 ああも効率よく、鮮やかに人体を破壊できる技術が存在するなんて、思ってもいなかった。

 セプテムの教えに従って戦場で力押しばかりを行ってきたアレクサンダーにとって、カールが遊び半分に関節を砕いていく様は、あまりに新鮮な光景だった。

 これこそが、自分に欠けていたものだ。これこそ、自分がやるべき事だ。

 そう思った。

 今にして思えば、なんら論理的な思考を通していない、短絡的な決断である。

 もしかしたら、戦闘機人に打ちのめされた現実から逃げるため、ただ目に付いたものに縋っただけかもしれない。

 しかし、そのことが、自分とプロレスを結びつけたのだ。

 だから、カールに縋ってよかったのだと、アレクサンダーは思っている。

 あの後、カールの紹介で中央プロレスの練習生となった。

 道場で、どす黒い血の小便が出るまで扱かれる日々を送った。

 辛かったが、その辛い日々こそが自分に必要な事だったと今では思っている。

 あの時、血の小便と一緒に、体内に澱んでいた昏い感情の大部分を排出することができた。

 その結果として、プロレスという娯楽産業を新たな居場所にすることができたのだ。

 砂漠で装甲車やトーチカや人間をひたすら撃ち続けていた自分が、他人を楽しませるショービジネスを生業とすることができたのだ。

 だから、よかったのだ。

 そのようにアレクサンダーが自分の内部を走る思考を確認したのは、住居としているアパートがちょうど見えてきた時だった。

 

「あれは……」

 

 アレクサンダーは、思わず呟いた。

 アパートの前に、ある人影を認めたからだ。

 碧銀の長い髪を風になびかせる小さな影──

 アレクサンダーが顔をぐちゃぐちゃに潰してしまった少女、アインハルト・ストラトスである。

 アレクサンダーは、歩調を速め、アインハルトに近づき、声をかけた。

 

「こんにちは、アインハルトちゃん」

「あ……こんにちは」

 

 アレクサンダーの接近に気づいていなかったのか、アインハルトは医療用の覆面から覗く瞳にビックリした色を浮かべながら、ペコリと頭を下げたのだった。

 

 Ⅶ

 

「どうしたの? わざわざ僕に会いに来るなんて」

 

 古びたアパートの前に立つアインハルトは、アレクサンダーから、そう尋ねられた。

 アレクサンダーの顔はどことなくやつれているが、声は朗らかなものだった。

 その声に後押しされるようにして、アインハルトは緊張した様子で口を開いた。

 

「あの……ダイナさんには、私の無思慮な行動のせいで大変な迷惑をかけてしまったので、そのお詫びに……」

 

 そう言って、アインハルトは手に持っていた紙袋をアレクサンダーに差し出した。菓子折が入った紙袋だ。

 

「はぁ、ありがとうございます」

 

 アレクサンダーは、どことなく戸惑った様子で紙袋を受け取った。

 自分は犯罪の加害者であり、アインハルトは犯罪の被害者である──

 そういう意識を持っているらしい。

 しかし、アインハルトの中では、そうではなかった。

 自分の社会的な立ち位置を考えずに私闘を行った結果、相手のアレクサンダーの経歴に大きな傷をつけてしまった──

 そのような自罰的な考えが、アインハルトの中にはあった。

 だから、アインハルトは言った。

 

「私のせいで大変な事になってしまったと思いますが、もし何か私に協力できることがあれば、遠慮なく言ってください」

「うーん、協力ねぇ…… あ、そうだ。僕、アインハルトちゃんに教えて欲しいことがあるんだけど、いいかな?」

「何でしょうか」

「打撃」

「え?」

 

 アレクサンダーが発した『打撃』という短い単語に、アインハルトの思考は一瞬静止した。

 例えば、自分の発言を何らかのメディアに載せることで、アレクサンダーの社会的なダメージを軽減できるならば、絶対に協力する──

 そういった意味を込めて、アインハルトは協力するという言葉を使ったのだが、アレクサンダーには、やや違った意味合いで捉えられてしまったらしかった。

 

「古流の、キックとパンチの出し方と受け方を教えて欲しいんだけど……ダメ?」

 

 首をかしげるアレクサンダー。

 アインハルトは数秒間の黙考の末、静かに頷いた。

 すると、アレクサンダーは大げさに騒ぎ始めた。

 

「ほんとう!? いやね、ここ数ヶ月、打撃で怪我させられることが多くて困ってたんだよ。

 でもほら、僕、プロレスラーなわけだし、ストライクアーツのジムに通うのもなんか癪でさ。

 アインハルトちゃんが教えてくれるなら、本当に助かるよ!」

 

 アレクサンダーはアインハルトの小さな手を取り、ぶんぶんと振り回した。

 その稚気に満ちた仕草や笑顔に、アインハルトは狼狽した。

 あの雪の日に、一切の容赦なく徹底的に自分をぶちのめした男が、こんなに子供っぽい人間だったとは──

 そういう困惑だ。

 しかし、アレクサンダーはアインハルトの戸惑いなど気にも留めず、興奮した様子で、

 

「じゃあ、よろしくね、先生!」

 

 と、頭を下げた。

 こちらこそ、よろしくお願いします──

 騒々しくはしゃぐアレクサンダーに圧倒されるアインハルトは、上ずった声でそう返すのが精いっぱいだった。

 プロレスラー(弟子)古流武術家()──

 この日に結ばれた、二つ目の奇妙な師弟関係だった。

 




 昨日のViVid Strike!は賛否両論ありそうな内容でしたね。
 個人的にはリンネとジルの脳筋っぷりが愛おしいです。
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