巨獣のセレナーデ   作:セミドレス

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 転章

 

 Ⅰ

 

 年が明けた。

 新暦七十八年、一月七日。

 新しい一年が始まってから、一週間が経っている。

 一つの区切りを終えて、浮ついていた世間が慌ただしい日常へと戻り終える時期だ。

 そんな潮目のような日の午後、アレクサンダー・ダイナは、樹脂製の椅子に腰をおろしていた。

 ダークグレーの地味なスーツに身を包んでいる。

 普段、額の傷痕を隠すために身につけているヘアバンドが、見当たらなかった。

 代わりに、肌色の布テープが額を覆っている。

 アレクサンダーがいるのは、時空管理局の地上本部内にあるラウンジである。

 広い空間だった。

 椅子とテーブルとが、ズラリと並んでいる。

 一角に、飲み物や軽食を扱う売店がある。

 地上本部に勤務する局員が、休憩したり、簡単な打ち合わせをしたりするために設けられたスペースだ。

 実際、三分の一ほど席が埋まった状態のラウンジを見渡すと、疲れた表情でコーヒーを飲む者や、数人で顔をつきあわせて言葉を交わす者たちが、そこかしこに見受けられた。

 アレクサンダーは、そんな空間の端で、巨体を縮こませるようにして座っているのだ。

 アレクサンダーがここにいるのは、面接を受けるためである。

 傷害事件を起こしたアレクサンダーが受けた、一年間の管理局勤務による社会奉仕という判決。

 その配属先が決まったので、この場所で担当責任者と会えという文書が、数日前に管理局から届いたのだ。

 時間と場所だけの、奇妙な指示だった。

 会わなければならない人物の名前も、その人物が所属する部署も記されていなかった。

 自分が受けた判決を知る何者かによる悪戯ではないか──

 そう考えたアレクサンダーは管理局に問い合わせた。

 すると、情報が伏せられているのは、アレクサンダーの配属先の責任者の希望によるものであるという答えが返ってきたのだ。

 アレクサンダーは戸惑った。

 普通のやり方ではない。

 どうやら、相当な変わり者の下で働くことになるらしい──

 ラウンジで椅子に座るアレクサンダーは、そんなことを考えている。

 うんざりしたような気持ちがあった。

 はぁ……

 ため息を漏らしながら、アレクサンダーは背もたれに体重を預けた。

 百四十キロの重みに、ギシリと椅子が軋んだ。

 左手に付けている腕時計に目をやる。

 午後二時四十五分。

 指定された時刻まで、あと十五分ある。

 売店で、コーラでも買ってこようか──

 そう考えたアレクサンダーが椅子から腰を浮かせようとした時、前方から声がかけられた。

 

「こんにちは、アレクサンダー・ダイナさんですよね?」

 

 優しげな、女性の声だった。

 アレクサンダーは、慌てて顔を上げた。

 航空隊の制服を着た、二十歳くらいに見える女性が立っていた。

 栗色の髪をサイドポニーにまとめている。

 瞳の大きな、可愛らしい顔をしていた。

 見覚えのある顔だった。

 

「あなたは……」

 

 アレクサンダーは、驚きも露わに呟いた。

 目の前の人物と、いつ、どこで会ったことがあるのかを思い出したからだ。

 二年と少し前、クラナガンの裏通りにある居酒屋だ。

 プロレスを馬鹿にしたビリー・タクトをビビらせるために、自分の耳を引き千切った時だ。

 あの時、怒ったカールからアレクサンダーを庇い、ちぎれた耳を拾ってくれた女性──

 今、アレクサンダーの前に立っているのは、その女性だった。

 

「久しぶり、大きくなったね」

 

 女性が、柔らかな笑みを浮かべながら言った。

 心の懐に()()()と入ってくるような、親しげな態度だった。

 

「あの時は、ご迷惑をおかけしました」

 

 アレクサンダーは焦ったように立ち上がり、頭を下げた。

 予想外の再開に、軽く混乱していた。

 

「あはは、何年も前のことだからいいよ。だけど、もうあんなことしちゃダメだよ?」

「はい、すみません」

 

 幼い子供を相手にするような口調で注意され、アレクサンダーは再び頭を下げた。

 そして、アレクサンダーが顔を上げると、女性は表情を改め、自己紹介をした。

 

「アレクサンダーさんが配属される予定の航空戦技教導隊第五班で班長を務めている、高町なのは一等空尉です」

「はい?」

 

 女性の言葉に、アレクサンダーはポカンと口を開けた。

 信じられない、絶対にありえないことが目の前で起きたかのような表情だった。

 女性──高町なのはは、そんなアレクサンダーを見て、楽しそうに笑った。

 

 Ⅱ

 

 高町なのは──

 管理局関係者の中では、かなりの知名度を持つ人物だ。

 不屈の翼。

 戦術の切り札。

 エース・オブ・エース。

 彼女を讃える文言は、枚挙に暇がない。

 その膨大な魔力と優れた判断力、そして高度な魔法技術によって、数々の難事件を解決してきた英雄である。

 二年前に起きた史上最悪のテロリズム、ジェイル・スカリエッティ事件においても、事件解決に大きな貢献をしている。復活した古代ベルカの超兵器、聖王のゆりかごの内部へ突入し、その生体コアを停止させるという信じられないような戦果をあげたのだ。

 異常なまでの才能を持って生まれた、天才的な魔導師である。

 また、その優れた容姿から、一般メディアへ露出する機会も多い。

 おそらく、時空管理局という組織の中では、一番のアイドルであろう存在である。

 そんな大物と、アレクサンダーはテーブルを挟み、二人きりで話をしている。

 プロレスについての話だ。

 

「で、カールさんが投げられかけて、ヤバっ!? って思ったんですけど、やっぱ上手いんですよその辺。空中で無理やり姿勢を変えて、ガンスタンで切り返しちゃって」

「返し技?」

「ええ、それもかなり力技の。いい歳して無茶しますよね、もう四十半ばだってのに。まぁでも、それで試合の流れが変わりましてね。場外にいた僕がジェイの奴を放送席へのパワーボムで()()てリングに上がってからは、決着まですぐでした」

「へぇ〜」

 

 アレクサンダーは、なのはに尋ねられるまま、自分がこれまで行ってきたプロレスの試合について語っていた。

 今のところ、なのはとはプロレスの話しかしていない。

 なのはが現れてから、既に二十分以上が経過しているのにだ。

 どういうわけか、傷害事件や天瞳流との抗争、管理局に勤めていた頃のキャリアについて、なのははなにも尋ねてこないのだ。

 目の前に座る年上の女性が何を考えているのか、アレクサンダーにはさっぱりわからなかった。

 しかし、不可解な状況ではあるが、居心地が悪いということはない。

 むしろ、コロコロと表情を変えながらプロレスについて様々な質問をしてくるなのはの相手をすることを、楽しいとさえ感じている。

 妙にリラックスした気分だった。

 気にかかる事はあるとすれば、官憲に対し、ケーフェイに則ってプロレスを語っていることくらいだ。

 ケーフェイとは、プロレスの作劇的な側面を隠す約束事のことである。

 つまり、アレクサンダーはなのはに対し、プロレスの試合には台本や事前の打ち合わせなど存在せず、常に真剣勝負をしているという体で話をしているのだ。

 嘘をついている。

 しかも、相手は治安維持組織の幹部である。

 いくらプロレスの()()()が公然の秘密とはいえ、一切問題のない行為とは言い切れない。

 それでもアレクサンダーは、高町なのはという人間に対して、プロレスを演劇ではなく、かっこいい闘争として語りたかった。

 そう思わせる不思議なものが、高町なのはに備わっているのだ。

 

「──で、ベルトを巻いて一礼したら、すごいキャプテンコールで。リングネーム変えて一月(ひとつき)は経ってるのに」

「お客さん達は、馴染みの名前で呼びたかったんじゃないかな?」

「そんなもんですかね。なんにせよ、初戴冠は泣きたくなるくらい嬉しかったです。まぁ、その三日後に事件を起こして剥奪されちゃうんですけど」

「あはは。やんちゃしちゃったんだから、しょうがないね。……うん」

 

 デビュー戦から最後の試合であるタッグ王座のタイトルマッチまで、まだまだ短いアレクサンダーのプロレス歴を語り終えたところで、なのはがぱちんと両手を打ち合わせた。

 

「じゃあアレク、来週から教導隊(うち)で働いてもらおうかな」

 

 頷きながら、なのはは言った。

 その言葉を受けて、アレクサンダーは夢から現実へと、急速に引き戻されるような感覚を味わった。

 胸の中に、むくむくと疑念が湧き上がる。

 

「高町一尉」

 

 アレクサンダーは堅い声でなのはに尋ねる。

 

「本当に、僕は教導隊で勤務することになったんですか?」

 

 至極、真面目な表情だった。

 戦技教導隊──

 非常に特殊な集団である。

 その任務は、他部隊へ赴いての技能訓練を始め、新型装備のテストや戦闘技術の研究・開発など多岐にわたる。

 どの任務にも共通して言えることは、高い能力を要求されるということである。

 必然的に、戦技教導隊はある種の天才やエリートのみが集う部隊となる。

 子供相手に傷害事件を起こした男が更生のために組み込まれるなんてことは、まずあり得ない。

 しかし、なのはは、

 

「うん」

 

 と、苦笑しながら頷いた。

 アレクサンダーの疑問を、当然のものと考えているらしかった。

 

「なぜですか?」

「推薦があってね」

 

 そう言うと、なのはは立ち上がり、誰かを探すようにラウンジの中をキョロキョロと見回した。

 数秒後、お目当ての人物を見つけたらしく、大きな動作で手招きをする。

 それに応じるように、一つの影がアレクサンダーが座るテーブルへと近づいてきた。

 

「君は……」

 

 アレクサンダーは呟いた。

 知っている人物だった。

 少女である。

 管理局の制服ではなく、グレーのパンツスーツに身を包んでいた。

 燃えるような赤毛をショートカットに切り揃えた、どこか少年的なものを感じさせる顔立ちの少女──

 ノーヴェ・ナカジマだった。

 

「ノーヴェが、面白い()()()がいるって話を持ってきてくれたの」

 

 なのはの言葉を受けて、アレクサンダーはノーヴェの顔を見上げた。

 ぶっきらぼうな表情でアレクサンダーの視線を受け止めたノーヴェは、ぷいっと顔を逸らし、なのはに話しかけた。

 

「なのはさん、コイツ、失礼な事を言ったりしませんでしたか?」

「そんなこと、全然なかったよ」

「そうですか」

 

 ノーヴェはほっとしたような表情を見せ、なのはは微笑した。

 そこへ、たまらずといった様子でアレクサンダーが尋ねた。

 

「ええと、お二人はどういった関係なんですか?」

「娘がね、ノーヴェにストライクアーツを教わってるの」

「へぇ……」

 

 アレクサンダーは、驚きを隠しきれない態度でノーヴェを見た。

 ノーヴェは不機嫌そうに顔をしかめた。

 それを見て、くすくすとなのはが笑った。

 アレクサンダーはノーヴェに対し、友達思いではあるが、非常に無愛想な少女であるという認識を持っていた。

 そんなノーヴェが子供と関わっているというのは、意外な事だった。

 

「でも、なんで君が僕を教導隊に推薦なんて……」

「借りがあったからな」

「借り……?」

 

 アレクサンダーは、ノーヴェが何を言っているのかわからなかった。

 助けを求めるようになのはを見ると、まだ笑っていた。

 アレクサンダーとノーヴェのやり取りは、なのはにとって、よほど面白いものらしい。

 アレクサンダーが狐につままれたような顔をしたのと同時に、なのはが口を開いた。

 

「じゃあ、私はそろそろいくね。アレクには、後から資料を送るから。ノーヴェも、今日はありがとう」

 

 そう言って、高町なのは軽い足取りで立ち去った。

 取り残されたアレクサンダーは、テーブルの横に突っ立っているノーヴェの様子を伺った。

 意図的にそういう表情を作っているのではないかというほどに不機嫌そうな顔をして、そっぽを向いていた。

 そんなノーヴェに可愛げにも似た妙なものを感じながら、アレクサンダーは尋ねた。

 

「場所を変えて、お茶でもどう?」

 

 じろり。

 ノーヴェの金色の瞳が、アレクサンダーを睨めつけた。

 断られるかな?

 アレクサンダーがそう思ったのと同時に、ノーヴェは答えた。

 

「そうだな。今日は、私の奢りでいい」

 

 態度と真逆の言葉である。

 そのあまりの落差に、アレクサンダーはポカンと口を開けた。

 

 Ⅲ

 

 なのはは、地上本部の広い通路を、上機嫌に歩いている。

 機嫌が良いのは、つい今しがた分かれたアレクサンダーに対し、ある期待を抱いたからだ。

 それは、アレクサンダーが、なのはでも知らない未知の技術を持っているのではないかという期待である。

 ふふん、となのはは得意気なリズムで通路の角を曲がった。

 事の発端は、十日ほど前に、ノーヴェがアレクサンダーの裁判に関する情報をまとめた資料を持ち込んできたことである。

 プロレスというものを知っていますか。打ち合わせ通りに試合をこなしながらも、時折、互いの実力を試し合う事がある。そういう連中に興味はありませんか──

 ノーヴェは、資料をなのはに手渡しながら、そんなことを言った。

 その発言と、資料の中身──アレクサンダーが受けた一年間の社会奉仕という判決を併せると、遠回しに戦技教導隊への引き抜きを勧めているとわかった。

 どのような意図があってノーヴェがそんなことを望んでいるのか、なのはにはわからない。

 しかし、ノーヴェが気紛れで行動するような人間ではないことは、なのはも知っている。

 プロレス──なのはの故郷である第九十七管理外世界発祥の娯楽文化だ。

 当然、なのははそれがどういう()()か理解している。

 体を分厚く鍛えたレスラー達が、格闘技()の試合を演じるショーだ。

 顎が長いおじさんの延髄切りはテレビ中継の終了時間ぴったりに決まるし、背の高いおじさんの十六問キックは相手の顔面を引き寄せる謎の吸引力がある──

 そういう()()だと思っていた。

 しかしノーヴェは、それだけではないと言う。

 セメント(真剣勝負)──

 そういうものがあると、ノーヴェは言う。

 ビリー・タクトというシューティングアーツの元プロ選手が、プロレスの試合中に、突然、本気の攻撃を仕掛けてアレクサンダーを潰そうとしたのを見たらしい。

 その際、アレクサンダーは相手の両眼を突いて苦境を脱したという。

 この時の眼突きは、寝技の攻防で揉み合ううちに、たまたまそうなってしまったという風に見えるようカモフラージュされていたらしい。

 偶然を装って眼を突く──

 よほどの実力差がない限り、その場のアドリブで出来ることではない。

 ある種の芸のための技術と、格闘技的な技術が入り混じった体系。

 そういうものが存在するのは間違いない。

 面白い。

 是非とも知りたいとなのはは思った。

 なのはは、新たな技術に対して貪欲だ。

 教導官である自分が新たな技術とその有効な活用法を修得することは、管理局に所属する戦闘要員全体の能力の底上げに繋がるとなのはは認識しているからだ。

 そしてそれが、なのはの知らぬ場所で助けを求める人々を救い、悲劇を防ぐことに繋がると信じているからだ。

 高町なのはは、控えめに言って、魔法の天才である。

 九歳の時、杖を片手に命の遣り取りすら含む実戦の世界へ足を踏み入れた。

 それから十年以上、幾重もの強敵とのぶつかり合いを乗り越え、今日まで生き残っている。

 世界を救ったのも一度や二度ではない。

 稀代の英雄である。

 しかし、その天性の才能を持ってしても救えなかった人が、これまでにたくさんいた。

 何度も何度も、悲しい分かれを体験してきたのだ。

 そして悟った。

 天才といえども、所詮は一人の人間なのだ。助けを求める相手に差し伸べられる腕は、二本しかない。

 個人ができることには、限界があるのだ。

 だから、なのはは、教導官になった。

 自分の魔法の才能を新たな戦術の開発に活かせば、あるいは、自分が持つ技術を不特定多数の局員に伝えることができれば──

 きっと、独りで頑張るよりも、多くの人を救うことができる。

 そんな考えを持つなのはだから、アレクサンダーに興味を持った。

 悲惨な生い立ち、フォルスであげた戦果、突然の転職、そして天瞳流との抗争──

 調べれば調べるほど、なのはを惹きつけるような情報が出てきた。

 特に、顔写真を見た時は本当に驚いた。

 二年前に出会った、自分で自分の耳を引き千切って上司に怒られ、ペコペコと謝っていた少年。

 あの子か──

 思った時には、なのはの心はほぼ固まっていた。

 あの狂気すら宿した少年なら、この二年間で、なにか凄い技を得ているのではないか──

 そう、直感した。

 それが今日、直接会って、確信に変化した。

 素直で、やや軽い人間──アレクサンダーは、そういう風にしか見えなかった。

 本当は、何人もの人間を再起不能に追い込んでいる凶悪な男であるはずなのにだ。

 底が見えない。

 それで、なのはの機嫌は良いのだ。

 

 Ⅳ

 

「師匠になったらしいな、ミカヤちゃんの」

 

 ノーヴェは、正面に座るアレクサンダーの巨体を見つめながら尋ねた。

 

「うん、頼まれちゃって。まぁ、どう鍛えるかは、まだ考えてる途中なんだけどね」

「そうか……」

 

 アレクサンダーの答えに、ノーヴェは相槌を打って俯いた。

 二人がいるのは、地上本部の近くにある喫茶店である。

 飲み物と、サンドイッチなどの簡単な軽食を注文することができる店だ。

 ノーヴェの手元ではコーヒーカップが湯気を立て、アレクサンダーの手元ではコーラの炭酸がシュワシュワと弾けている。

 午後三時三十五分。

 昼食を摂りに客が押し寄せる──そういう時間でもないはずなのに、店内は妙に混み合っていた。

 

「ねぇ、君……」

 

 不意に、アレクサンダーが口を開いた。

 

「名前、なんていうの? 高町さんからは、ノーヴェって呼ばれてたけど」

 

 そんなことを問うてきた。

 

「……ノーヴェ・ナカジマだ。名乗ったこと、なかったか?」

「うん。だから、気になってたんだ。よろしくね、ノーヴェちゃん」

 

 ノーヴェの答えに、アレクサンダーはニッコリと人の良さそうな笑みを浮かべた。

 

「ああ」

 

 対照的に、ノーヴェは俯いたまま、愛想の欠片もない返事を返した。

 機嫌が悪い──

 周囲からはそう見えるかもしれない。

 しかし、実状は違う。

 ノーヴェは、ただひたすらに困っていた。

 アレクサンダーと、というより、若い男と二人きりで茶なぞしばいているのである。

 死ぬほど恥ずかしい。

 そもそも、同年代の男と向き合うことからして、ノーヴェにとって、ほとんど初めての体験だった。

 ノーヴェがこれまでマトモに関わったことのある男性は、ジェイル・スカリエッティ(製造者)ゲンヤ・ナカジマ(おとうさん)だけである。

 ある意味、重度の箱入り娘なのだ。

 それなのに、そこそこ遊び慣れていそうな軽い男と二人きりなんて──

 一応、以前にも一度、アレクサンダーと二人でファミレスに入ったことがあるにはある。

 しかし、あの時はアレクサンダーのことがひたすら憎かったので、羞恥に囚われることはなかった。

 だが、今は違う。

 恥ずかしい。

 何を話せばいいのかわからない。どんな態度をとればいいのかわからない。

 服装や髪型におかしな部分はないか。一つ一つの動作がマナー違反になっていないか。

 普段は気にもしないことに関して、どうしようもない不安を感じてしまう。

 しかし、そんな情けない内面をアレクサンダーに知られるわけにはいかない。

 何を神経質になっている、こいつは敵だ、騙されるな──

 穏やかに微笑するアレクサンダーの顔を見上げることができないまま、ノーヴェは自分に言い聞かせた。

 アレクサンダーの外見は、ハッキリ言えば、かなり良い。

 体がデカすぎるのは考えものだが、額さえ隠しておけば顔立ちはハンサムな部類に入るし、身嗜みもキチンとしている。

 しかし、()()()に騙されてはいけない。

 一皮剥けば、目を覆いたくなるような暴力を表情一つ変えずに振るう危険な男なのだ。

 そんな相手に、何を恥ずかしがっているんだ。

 ノーヴェは眉間に皺を寄せ、眼光を鋭くし、思い切って顔をあげた。

 赤銅色の丸っこい瞳を、まっすぐに睨みつける。

 だが、アレクサンダーは、ノーヴェの凶悪な表情を気にした様子もなく、

 

「そういえばノーヴェちゃんさ」

 

 と、相変わらずの馴れ馴れしい口調で呼びかけてきた。

 その声には楽しそうな響きが多分に混じっていて、非常に腹立たしい。

 

「結局ノーヴェちゃんは、なんで僕のことを、高町さんに推薦したの? 借りって言ってたけど」

「闘った後、迷惑かけたろ」

 

 ノーヴェは、そっぽを向きながら、ぶっきらぼうに答えた。

 以前、市民センターの格闘技練習スペースでアレクサンダーと闘った際、ノーヴェは腹に地獄突きを受け、胃の中のものを全て吐き散らした。

 そして、その後始末は、動けないノーヴェに代わってアレクサンダーが行ったのだ。

 その借りを返すためにはどうすればよいかをノーヴェなりに考えて行ったのが、教導隊への推薦である。

 

「あぁ、あの時の?」

「そうだ。あの時の借りを返そうと思ってな。プロレスラーが教導隊に入れば、やり方によっては良い宣伝になるだろう」

 

 プロレスラーは、自分たちの強さを保証する何かを、常に求めている。

 局員の中でも選ばれたエリートしか入れない教導隊にアレクサンダーが組み込まれたという事実は、間違いなくプロレスにとってプラスの方向に働くだろう。

 

「ノーヴェちゃんってさ、実はすごい律儀な人?」

 

 目を丸くしながら、アレクサンダーは言った。

 

「さあな」

「ふうん……あっ!」

 

 アレクサンダーが、急に鋭い声をあげた。

 何かに気づいた──そんな表情をしている。

 

「ひょっとして、このお店の会計をノーヴェちゃんが持つって言ってるのも、借りを返すため? 前にファミレスで僕が驕ったから」

「そうだ」

「なるほどねぇ……」

 

 アレクサンダーは、顎に手を当て、何かを考えるような素振りを見せた。

 そのまま、いくつか呼吸できるくらいの間の後、

 

「じゃあ、今日も僕が奢るね!」

 

 と言った。

 

「なんでそうなるんだよ」

「え、だって、奢っておけば、またノーヴェちゃんをデートに誘えるってことじゃん」

 

 嬉しそうに笑うアレクサンダー。

 どうも、本気で言っているらしい。

 私みたいなのを誘って、何が楽しいんだ。馬鹿かよ、おまえ──

 アレクサンダーを罵倒しようとノーヴェは口を開いたのだが、言葉が出てこない。

 あからさまな好意を向けられて、ノーヴェは戸惑っていた。

 結局、ノーヴェは何も言えずに俯いた。

 そんなノーヴェの態度を肯定と受け取ったのか、アレクサンダーは、

 

「じゃ、決まりね!」

 

 と、破顔しながら明るい声で宣言した。

 その勢いに、ノーヴェは黙って頷くことしかできなかった。

 緊張しているせいだ──

 嬉々とするアレクサンダーを前に、ノーヴェは内心でそう毒づくことしかできなかった。

 混乱している。

 ただ、目の前の馬鹿みたいにデカい男が、どういうわけか自分をひどく気に入ったらしいことだけはわかった。

 不意に、手元のコーヒーカップから立つ湯気が、鼻腔をくすぐった。

 




 なのはさん登場、そして物語はここで一区切りです。
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