Ⅳ
ようやく、勝ち筋に入った。
アレクサンダー・ダイナはそう考えながら、数メートル先で居合いの構えをとる女を見下ろした。
ミカヤ・シェベル。
目の前で散々悪どいことをやったというのに、ミカヤの唇は刃の笑みを描き、その紅い瞳には楽しそうな光が宿っている。
怒ったり怯えたりといった、精神的な動揺をほとんど見せない。
戦闘狂──強い相手と闘えることに喜びを覚える人種だ。それが、どんなにえげつない相手だったとしても。
厄介な相手だ。
おまけに、相性が悪い。
闘いには様々な相性があるが、アレクサンダーにとってミカヤは最悪の敵だった。
アレクサンダーはプロレスラーである。
格闘戦で使える技は、プロレスのものしか知らない。
ラリアット、ビッグブーツ、地獄突き等の、見栄えを重視した派手な打撃技。
バックドロップを初めとする数々の投げ技。
そして、テイクダウンを奪うためのタックルと、そこから派生する関節技。
しかし、これらは武器を持った相手と戦うための技術ではない。
ミカヤを相手に繰り出しても、当たる前に斬り伏せられてしまうだろう。
相性の悪い、厄介な相手だった。
百四十キロの体重を持つアレクサンダーは、その体格に相応しいタフネスを備えている。
例えば、並の格闘家の打撃なら、ボディのいいところにカウンターで当てられても、怯むことはない。
相手の攻撃を受けながらでも、強引にこちらの攻撃を当てることが出来るのだ。
しかしミカヤが相手ではそうもいかない。
この闘いが始まった時から、アレクサンダーは魔力による防護フィールドを展開している。
だが、ミカヤの抜刀居合には、それを突破し、一撃でアレクサンダーの意識を刈り取ってもおかしくない威力がある。
凄まじいタフネスを生み出す巨体が、ミカヤの前ではただの飾りになってしまうのだ。
だが、それもつい先ほどまでの話だ。
意識を失い、顔を血まみれにした老師範が、アレクサンダーの手中にある。
いかにミカヤといえども、この老人ごとアレクサンダーを斬れはしないだろう。
物理的にも、精神的にもだ。
なら、話は簡単だ。
「いくよ」
アレクサンダーはそう呟くと、老師範を盾に、ジリジリとミカヤに近づいた。
ミカヤは、居合いの構えのまま、その場でから動かない。
アレクサンダーもまた、前進を止めない。
アレクサンダーの爪先が、ミカヤの抜刀居合いの間合いの内側に、僅かに入り込んだ。
その瞬間、アレクサンダーは老師範をミカヤに向けて投げつけた。
老師範を避けるにしても受け止めるにしても、動けば、ミカヤに隙ができる。
そこにつけ込もうとしたのだ。
しかし、ミカヤは動かない。
居合の構えを解こうとしない。
老師範との衝突にその姿勢のまま耐え、次の瞬間に襲いかかってくるアレクサンダーを斬り捨てようと考えているらしい。
そんなミカヤを見たアレクサンダーは、ぐっと姿勢を落としながら地を蹴った。
地を這うようなタックル。
一匹の大蛇のようだった。
巨体からは予想できない疾さだ。
しかも、アレクサンダーのタックルは、普通のタックルとは違った。
通常なら、相手を抱え込むために肘を曲げた状態で構えられているはずの右腕が、ピンと前に伸ばされていた。
その、前に伸ばされたアレクサンダーの手が、老師範がぶつかるよりも早く、ミカヤの左の足首を握った。
この瞬間、ミカヤの驚きを、アレクサンダーは肌伝いに感じていた。
アレクサンダーが握った左足を引くと、ミカヤは容易くバランスを崩した。
当然だ。倍どころではない体重差──パワーの差があるのだから。
そこへ、失神した老師範の体が、どん、とぶつかった。
ぐらりとミカヤが仰向きに倒れていく。
そのミカヤの下半身に、アレクサンダーは流れるような動作で自らの四肢を絡めていく。
ミカヤの背が地についた時には、その形はできあがっていた。
ミカヤの右膝をアレクサンダーが両脚で挟み、ミカヤの右足を左脇腹に抱えるような形だ。
その状態からアレクサンダーは、ぐうぅぅ、と体を捻った。
「があぁああああああああ!?」
ミカヤが絶叫した。
聞く者が思わず耳を覆うような悲鳴だった。
アレクサンダーが仕掛けた関節技が、意思や覚悟ではどうにもならない、巨大な痛みを与えたのだ。
ヒールホールドという技だ。
この技は、多くの格闘技で禁止技に指定されている。
膝関節を、筋力による抵抗が出来ない横方向に捻るという性質上、靭帯や半月板を意図せず破壊してしまうことが多々あるのだ。
それをアレクサンダーは全力で、容赦なくやった。
ぶちぶちぶち、ばきばきばき。
ミカヤの膝関節の靭帯が、血管が、神経がちぎれてゆく音。
それをアレクサンダーは、直に感じていた。
アレクサンダーが動きを止めた時、ミカヤの左の爪先が、本来あるべき方向とは真逆を向いていた。
もう二度と、元には戻らない壊れ方だ。
手術をして、合金製のボルトやセラミックの部品を埋め込めば、歩くくらいはできるようになるかもしれない。
だが、そこまでだ。
一度完全に壊れた関節は、瞬発力を発揮することも、強い負荷に耐えることもできない。
剣士として一線に立つのは、もう不可能だろう。
天瞳流のミカヤ・シェベルは、死んだ。
ミカヤの両手から、刀と鞘がこぼれ落ちていた。
Ⅴ
「ごめんね、ミカヤちゃん。その脚、もう使い物にならないよ。
けど、ミカヤちゃんまだ若いんだし、身の振りようはいくらでもあるさ」
そんなことを言いながらアレクサンダーが立ち上がるのと、その周囲を天瞳流の師範たちが取り囲んだのは、ほぼ同時だった。
二人がミカヤと老師範の元にしゃがみ込み、三人がアレクサンダーを威嚇するように睨む。
「貴様……」
アレクサンダーの正面に立つ、髪を短く刈り上げた三十歳くらいの男性師範が、震えながら呟いた。顔が怒りのために真っ赤に染まっている。
それに対して、アレクサンダーは困ったような笑みを浮かべながら口を開いた。
「ちょっとちょっと、なに熱くなってるんですか?
ちゃんと見てたでしょ? 僕が独りで闘ったの。
それなのに、
それ、まずいですよ。今のミカヤちゃんの悲鳴で、門の所に人集まってきてますし。
だいたい、ノールールでいいって言い出したの、そっちじゃないですか」
そう言って、アレクサンダーは男性師範の横を無警戒に通って師範たちの輪を抜け、道場の門へと歩いてゆく。
そして門柱に立てかけるように置いていたバッグから服を取り出し、憎々しいほどゆっくりとした動作で着用し始めた。
師範たちは、怒りに震えながらそれを見ていた。
最後に、予備として持ち歩いていたらしいヘアバンドを額に巻いたアレクサンダーが、師範たちに向き直った。
「それでは皆さん、さようなら。
あ、仕返しをしたいからって、僕の後をつけても無駄ですよ?
今日は人通りの多いとこ通って帰るんで」
そう言って門の外へ出ようとしたアレクサンダーが、何かを思い出したように振り返った。
「いけない、忘れるところだった」
そう言って、老師範やミカヤの周りに集まる師範たちに向かって、腕を持ち上げ掌を向けた。
その掌の前に、光の玉が現れた。魔力の塊だ。
大きい。
並の魔力量ではない。
アレクサンダーの内部には、その巨体に見劣りしない魔力が宿っていたらしい。
攻撃の意思を持って放てば、砲撃と呼んで差し支えない破壊力を示すであろうそれを前にして、師範たちは動けなかった。
ミカヤと老師範がいるからだ。
師範たちは、仮にも一つの流派の中で、指導者の地位に立つ人間である。本来なら、撃ってくる事がわかっている砲撃魔法など、いくらでも対応できる実力がある。
しかし、今、師範たちの足元には、大怪我をしたミカヤと老師範がいる。
下手にアレクサンダーを刺激して、二人が撃たれるようなことは、なんとしても避けなければならない。
それで、師範たちは動けないのだ。
そして、相対するアレクサンダーも、なぜかはわからないが、魔力塊を維持したまま動かない。
そのまま、三分ほどの睨み合いがあった。
「僕、そこまで酷い人間じゃないですよ?」
不意に、アレクサンダーが、冗談めかした口調でそんなことを言った。
同時に、師範たちに向けていた掌を、別の方向に向けた。
直ぐ隣にある、道場の正門を支える柱だ。
抜刀術天瞳流 第四道場
そう記された看板が、外側に掲げてある門柱である。
アレクサンダーはその門柱に、掌にある魔力塊を擦りあげるようにしてぶつけた。
「なっ……」
師範たちが、驚きの声を漏らした。
門柱の、魔力塊をぶつけられた部分が、跡形もなく消滅したからだ。
イレイザー。
アレクサンダーが使ったのは、対象を消し飛ばす魔法だ。
かなり、高度な魔法である。
先ほどアレクサンダーが作り出した、三分間の不自然な睨み合いは、イレイザーを使う準備のためのものだったらしい。
三分間も準備時間が必要ということは、イレイザーそのものは実戦で使えるレベルではないだろう。
しかし、時間さえかければイレイザーを撃てるというだけでも、アレクサンダーが一定以上の魔法技術を持っていると考えて間違いない。
強さの見立てができない男だった。
支えを失った門扉が、大きな音を立てて地面に倒れた。
「道場破りに成功したら、看板を持って帰らなきゃいけないんでしょ?
でも、看板なんて部屋に置いといても邪魔なだけですからね、消し飛ばさせてもらいました」
師範たちを尻目に、今度こそ道場から立ち去ろうとするアレクサンダー。
そこへ、紺色の影が、もの凄い疾さで躍りかかった。
稽古を見学していた赤毛の少女だった。
彼女が、助走をつけた飛び蹴りを、アレクサンダーに向けて放ったのだ。
しかしアレクサンダーは、ひょいと持ち上げたショルダーバッグであっさりとその攻撃を受け止め、弾き返してしまった。
「ナカジマちゃん、やめるんだ!」
地面に倒れていたミカヤが、必死な声で叫んだ。
ナカジマ、というのが赤毛の少女の名前らしい。
鬼のような表情の少女を見下ろしながら、アレクサンダーは気まずそうに口を開いた。
「もしかして君、ミカヤちゃんの友達だったのかな?」
「ああ、そうだよ」
吐き捨てるように、少女が返した。低い、掠れた声だった。
「そっか。じゃあ、怒るのもしょうがないのかな。
でもね、僕は悪くないんだよ」
アレクサンダーはそれだけ言うと、少女に背を向け、今度こそ道場の敷地を後にした。
Ⅵ
騒々しい空間だった。
雑多な種類の人間で混み合う、昼下がりのファミリーレストラン。
その窓際の席に、大きな影が陣取っていた。
アレクサンダーだ。
その巨体によって、四人がけのテーブルの片側が完全に塞がっている。
アレクサンダーの手元には、背の高いコップと、紙袋に入ったストローが置いてあった。
コップの中身はコーラだ。氷の代わりに、丸いバニラアイスクリームの塊が浮いている。
アレクサンダーがストローを取り出し、コップに差してコーラを吸った。
一息で、コップの半分くらいまでコーラの嵩が減った。
レストランの壁に掛けてある時計を見ると、針は二時を指していた。
アレクサンダーが天瞳流の道場を出て、まだ二十分も経っていなかった。
ストローから口を離した時、アレクサンダーの体が、ぶるりと震えた。
その口元に、ぞっとするほど酷薄な笑みが浮かんでいた。
アレクサンダーは、ミカヤの脚を折ったことや、老師範の頭を踏み潰したことに、悦びを感じているのだ。
それは、憎い敵を倒した悦びだ。
道場にいる間はできる限り隠していたが、アレクサンダーは、ミカヤと天瞳流に対して、強い憤怒を抱いていた。
ミカヤがプロレスに対して、舐めた真似をしたからだ。
道場破りを行ったというだけでも許しがたいのに、それが師範代への昇格試験だったと聞いた瞬間には、殺意さえ覚えた。
プロレスラーであるアレクサンダーは、プロレスを舐めるものを許せない。
世間がプロレスに向ける視線に、コンプレックスがあるからだ。
プロレスは、プロレスを知らない連中から不当な扱いを受けている。
アレクサンダーは常々そう思っている。
プロレス、という単語の使われ方を見れば明白だ。
政治家が行う、水面下で決着がついている事柄に関するデモンストレーションとしての討論。
業界人同士が行う、炎上商法の一環としての抗争。
不法にカルテルを結んでいる企業同士が行う、見せかけだけの価格競争。
そういった茶番を揶揄する時に、プロレスという単語が使われることが多々ある。
違う。
そういったものとプロレスは違うのだ。
プロレスラーが試合に出るまでに、どれほどの汗を流していることか。
プロレスラーが試合の中で、どれほどの痛みに耐えていることか。
プロレスラーは、体を張っているのだ。
骨にヒビが入っただの、関節の靭帯が伸びただのはしょっちゅうだ。
中には、投げられた衝撃によって、首の中で骨や神経がバラバラになって死んでしまったレスラーすらいるのだ。
客を楽しませる。ただそれだけのために、己の肉体を削りながら、試合をこなしているのだ。
その辺のちゃらちゃらした連中とは、根本的に違う。
そう主張したいと、常々思っている。
だが、その思いを口にできたことはなかった。
プロレスには、そういった扱いを受けても仕方がない要素が、間違いなくあるからだ。
試合という
暗黙の了解の元に闘いを演じて金を稼ぐという意味では、そこらに転がる茶番と変わらない。
世間におけるプロレスの扱いに、感情は反発しているが、理性は納得しているのだ。
そのような矛盾が、心の内側から捌け口を求めている。
プロレスを舐められると、それが怒りや憎しみとなって噴出してしまう。
そんな屈折した性質が、アレクサンダーの人格の中には、多分に含まれているのだ。
アレクサンダーが、テーブルの端に置かれた長方形の籠に手を伸ばした。
籠の中にはステンレス製のスプーンやフォークが並んでいる。
アレクサンダーはスプーンを取り出すと、それでコーラに浮かぶアイスクリームを食べ始めた。
スプーンの先で小さく削りとっては口へ運ぶ。ちまちまとした食べ方だった。
アイスクリームを食べ進めるうちに、アレクサンダーが浮かべていた酷薄な笑みが、徐々に普通の笑みへと変化していく。
ふくらんだ風船から、ゆっくりと空気が抜けていくのに似ていた。
そのままアイスクリームを食べ終えた時。
「おい」
アレクサンダーに声をかける者がいた。
驚いたようにアレクサンダーが横を向く。
「君は……」
アレクサンダーが困惑したように呟いた。
そこには、ミカヤからナカジマと呼ばれていた、赤毛の少女がいた。
少女の金色の瞳が、まっすぐにアレクサンダーを捉えていた。
Q.ヒールホールドって言うほど禁止されてる?
A.昨年末のRIZINで長島☆自演乙☆雄一郎選手が普通に使ってましたね……
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