「ああ、休みも取れたのでね。当日は無理だが、近い内に顔を出すよ。ありがとう、アリアとロッテは元気にしているかな? そうかい、それなら良かった。ああ、またね。それでは」
通話を終え、携帯端末を閉じるとグレアムはふう、と吐息を漏らす。
「ふむ、お前の厳しい面が緩むのは何回見ても飽きないな、面白い」
「レジアス、貴様の娘が生まれた時にその自慢の髭を剃り落とした時と比べれば数段マシだと思うが」
やるのか? 構わんぞ? 陸と海を統括する両大将の鍔競り合い、士官学校時代から数えて三十年以上に及ぶ年季の入った睨み合いは周囲に威圧をばら撒く傍迷惑なもので、慣れていない人間は怯み、臆し、腰を抜かしてしまうものだが――
「グレアム大将、我々は大将の緩い顔を見に来たのではありません」
「レジアス大将、我々は大将のむさい顔を見に来たのではありません」
海側からクライド=ハラオウン中将、陸側からパラミシア=ノックノーツ中将が代表して仲裁に入る。横槍と言った方が正しい言い回しだったが、両大将は力を込めて互いを睨み合うとふん、と鼻を鳴らし姿勢を正した。彼らは別に犬猿の仲、という訳ではなく、むしろ親友と称して良い間柄であるが、同時に好敵手でもある。故に、いつまで経っても些細ないがみ合いをやめられないでいる。
「すまんな、個人的な事で時間を浪費した。早速だが、本題に入らせてもらう」
グレアムの宣言に会議室に集まった面々が少しばかり緩んでいた空気を一斉に均した。今回、地上本部最上階にある会議室に集められたのは陸、海に所属する将官職の面々から選抜された五十名。前線で功を成した者から外交や後方支援で名を馳せた者まで、その経歴は十色なれど将官職まで昇ってきた面々は、今回自分達が召集された理由を知らされていない。そのことが少なくない緊張感を会議室に漂わせる。
「三日程前から、第一級ロストロギア管理区域に何者かが侵入した形跡が確認されていた。昨日は機動二課を動員して警備に当たらせたが……抜かれた」
グレアムの発表に、会議室が衝撃に揺れた。海千山千の猛者達が一様に驚きを露にした。その理由は侵入された場所と、警備部隊にある。
第一級ロストロギア管理区域は、管理局では将官以上、又は特殊部隊に属する者、政府においては閣僚級の人物にのみ存在が伝えられるAAAクラスの機密であり、仮にそれが漏れた場合は国家転覆罪が適用され二週間の拘留の後、死刑が言い渡される。
そして機動二課は、攻撃に意識を傾けすぎている隊員達をキュリア=ナイトヘッド一佐が驚異的カリスマで纏め上げ、迎撃に特化させた運用で極めて高い実績を上げている部隊。
存在と警備、双方に高次の警戒を敷きながら突破された。この現状が齎す危機を、此処に集められた者達は瞬時に想像するだろう。なればこそ、彼らは座して待つ。
「結果、ベルカ起源の“夜天の書”、ロストロギア名を“闇の書”。それが、持ち去られた」
ガタッ! 何人かの将官が勢いよく立ち上がりグレアムを強い目で見る。濃淡はあれど、立ち上る気勢には荒々しいものがある。
「それは、真ですか」
「ああ、本当のことだ。幸いなのは、それ以外のロストロギアに手を付けた形跡がないこと。不幸なのは、持ち去られる前の二日間は何をしていたか分からない、ということだな」
部下の質問に、グレアムは努めて平静に応えた。所在が分からない以上、どう足掻いても後手を踏むことは確定している。他のロストロギアはともかく、夜天の書はそういうものだ。危機感を抱いていない訳では無い、ただ焦り猛ることを良しとしていない。それだけの話だ。
「犯人は、その足跡について何か情報は掴めているのですか?」
「夜天の書を直接警備していた人間は犯人の姿を見ていない。今も尚ミッドに留まっているのか否か、それすらも掴めていない。捜索にも人を割いているが、有力な情報は上がっていない」
グレアムに変わって答えたのはレジアス。機動二課は地上本部の管轄であり、事態を知った彼は即行動を起こし、警戒と捜索の網を敷いた。その際に幾つかの小物が網に引っ掛かったが、この場に於いてそれは些事だ。
「ではまた、あの男に後始末をさせる訳ですか」
これまで質問の役を担ってきた年嵩の将官の言葉に僅かな怒りが込められたことを、会議室の面々は敏感に感じ取る。嫌な空気が流れ始めた。
「フレディ一佐の投入は最終手段だ。管理局の威信や権威といったものを全て投げ捨ててでも解決しなければならない困難に直面した時、初めて選択肢として浮かぶ程のな」
「では、両大将は現時点では我々の力でも解決出来る見込みがある、そう判断されていると考えてよろしいですかな?」
「構わない。今はまだ奪われただけだ。何処で覚醒するか、どれほどの力を得て、何時発動させるかはまだ分からない。予断は持つべきではないが、先に挙げた三つの内どれか一つでも特定出来れば、我々の力でも十二分に対処は可能だと見ている。無論、我等二人も前線に出向くことを計算に入れた上でな」
両大将の出撃。半ば宣言とも取れるグレアムの説明に、会議室が驚きで揺れた。これまで場を静観していた四人の中将達も目を見開き、彼らに視線を送る。
「大将閣下が……出撃を? ハラオウン中将や、パラミシア中将閣下らでは不足だと?」
「不足ではない。だが、余裕を持てる相手ではない。圧倒出来るとは思わんが、真正面から戦い五分、いやむしろこちらが押すくらいでなければ、フレディ一佐に任せるのと大差が無い」
「我々が加わって足りるかは、その時にならねば分からぬがな」
グレアムの説明にレジアスが付け足した一言で、将官は再び言い募ろうとして、止めた。
「質問にお答え頂き、ありがとうございます。それと、場を乱しましたこと、お詫び申し上げます」
「構わん。今回の件における一佐の運用に関しては、他の者達も気がかりであっただろうしな、手間が省けた」
レジアスが皮肉気に笑うと、陸側の将官の一部が苦笑を漏らした。フレディの運用に関してはレジアスに一任されており、彼の行動に対する責任も負っている為に、問題を起こした際の火消しに奔走する様を知っている人間としては言葉の端々に疲労感が滲んでいるのがよく分かるからだ。
「現在は管理局が把握している次元世界を対象に索敵網を張っている。夜天の書程のロストロギアが現れれば、直ぐにでも分かるだろう」
「それと、機動二課には引き続き警戒に当たらせている。これほど鮮やかに事を起こしてくれたんだ、次があると決めて掛かる。内通者の存在も考慮して、君達にも情報の制限をする可能性があることも此処に宣言しておく」
「しかし、君達が独自に情報を得ることを制限はしない。この状況が抜かれている可能性も十二分にある。最期に事を終えられていればそれでいい、君達の才幹に期待する!」
中将、僅かに遅れて少将、准将の順に起立し、一斉に敬礼する。これを受け、大将二人は大きく頷いて返すと、礼を解いた将官達が部屋を後にする。足音が遠のき、静寂に包まれる会議室に残ったのは、着席したままの二人だけ。
「そういう訳だ、貴様の出番はないものと思っておけ」
虚空に向けてグレアムが話しかけると、視線の先に像が浮かび上がる。長方形を形作っていた机の内側、その中心で椅子に腰掛けニヤニヤと笑うフレディの姿が。
「ああ、別に構わんよ。元より、今回の覚醒で手を出す気は更々無かったしなあ」
「……竜二君か」
「分かってるなら聞くなよ」
「彼は、死ぬか」
「どうだろうなあ、今のままじゃ死ぬだろうなあ」
暢気な語り口で発せられた言葉に、グレアムは歯噛みする。息子同然に思っている男が死地に向かう。それが分かっていて、止めようと思うが、それを“しようと思わない”自分の存在に、苛立ちを覚えて。
「貴様は随分とあの青年を買っているな。モノになると、見ているのか」
「乗り越えればそうなるだろうよ。お前等がそうだったように」
「だそうだ、ギル」
「……つくづく嫌になるな、戦好きのクソ野郎な自分が」
「千尋の谷に突き落とす。竜二君の故郷には、確かこんな言葉があるんだろ?」
「お前は獅子ではなく別の何かだ。一緒にするな」
そうかい。ケケケと笑いながら、フレディの姿が掻き消える。ふう、と大きく息を吐いたグレアムは、そのまま瞑目して、言葉だけをレジアスに向けた。
「まだ早いと思う。が、これ以上は腐らせるだけか?」
「半端に強いからな、あの青年は。そしてそれが霞む程に頭が切れる。このまま年を食えば、頭の方ばかり成長してしまうだろう。強くなりたいのなら、今しかない。大事な時に頼れるのが己の頭だけでは、何かと困ることになる」
私達がそうだったようにな。懐かしさと、ほろ苦さの滲むレジアスの呟きは、静かな会議室によく響いた。
「どうしたんだい?」
「それは覚醒が間近なのだろう? 今更くべて、どうとなるものでもない筈だ」
「いや、そうでもないよ。今回のコレ、黒らしいからさあ」
「ならば尚更要らぬ作業だろう。既に塗れているのだから」
「いやいや、どんなものもね、なるべく新鮮なものがいいんだよ。沢山あれば尚良い。新鮮なものほど容易く澱む、元が酷ければ、それ以上に深くね」
「それは貴様の“心理”というやつか、狐」
「一般論だよ。ちょっと世の中を斜めに見れば簡単に分かることさ」
「仕向ける側に居たのなら、それはお前の手管ではないのか?」
「ハハハッ、仕掛けってやつはね、自分だけの手管なんて要らない。相手の頭の中に伏線を張るには、誰でも知っていることの方がいいのさ。経験が決断を後押ししてくれるからね」
「……お前が此処に居ることも、その内か?」
「んー、それは違うねえ。僕にはね、勝ちたいヤツが居るんだ。そしてコレは、僕が相手の土俵に上がる為のものだ」
「自分の土俵に上がらせるのが、交渉人の基本戦略、ではなかったか?」
「相手は僕の居る所なんて見ちゃくれないかね。それに、この思いは僕だけのもので、僕はチャレンジャーだ。チャレンジャーはチャンピオンのホームに乗り込む、どんな時でもね」
待っててね、フレディ=アイン=クロイツ。
To be continued...