妹の名は一条悠。
その甲斐あって、悠は健やかに育ち、俺が危険視していた暗い子とは正反対の、明るくて笑顔の多い女の子に育った。
包帯とか眼帯とかはちょっと想定外だったけど。
そんな悠に、兄より早く青い春が訪れようとしていたとは…!
「おい、クロ」
「あ、ごめん。なんだっけ?」
いつの間にか思い出に浸っていたようだ。その声でやっと我に帰る。
敦也はため息をついて、自分の部屋なのに借りて来た猫のようにちょこんと座る優希君を親指で指差しながら、俺の意識が飛んでいる間のことを話してくれた。
「はあ、気持ちはわかるけどしっかりしてくれ。簡単に言うと、こいつは去年の冬、席替えで隣の席になった悠に惚れたんだと。それで話してみたら、カッコいいものが好きって言うから、影で練習してたらしい」
「へえ…。ん?去年から?」
「なんか引っかかったか?」
去年の冬。
確か敦也が悠と頻繁に遊ぶようになったのは秋くらいだったな。
あの時期からだよな。悠がカッコいいの好きになったのって。
「まあ、いいや。それで、いじめとかはなかったの?」
「ああ、毎日制服が汚れてたって言う姉の情報は、形から入ろうとして帰りに少しだけ秘密の特訓的なこととか無駄な徘徊とかしてたから、制服が毎日汚れたらしい」
「部活は運動部じゃないし自由参加だったので、あまり学校の人に見つからない早いうちにやろうと思って…。練習して、上手にできるようになったら一条さんに見せようと思ってたんですけど…」
真っ黒な服装も、下を向いてもじもじとした動きをするだけの今となっては、もはやカッコいいとは程遠いものとなっていた。
「やっていくうちに、クラスのみんなに知られたら恥ずかしいなって思うようになって、しかもこういう道具とか結構お金もかかるってのもあるし…。自己紹介だって、あんな長い文、覚えられる自信ないし…」
「ビジネス中二病か」
「どういうこと?」
「営業スマイルみたいなもんだ。作り笑いみたいなもんだ。愛想笑いみたいなもんだ」
例がスマイルばっかりなんだが。要するに中二病を無理して演じてるってことでいいのか?
「え、えっと。ならやめようよ。恥ずかしいんでしょ?」
「そうですけど…でも一条さんとはもっと仲良くなりたいし…」
「さっきも言ったけど、姉ちゃんも心配してるぞ?」
「お姉ちゃん…?確かに最近、やたら学校のこととか聞いてくるな。そうか、お姉ちゃん、僕のこと心配して…」
でもこれをやめたら一条さんとの接点が…。ぶつぶつと独り言を呟く優希君はもはや自分の殻に篭ってしまっていた。
つい先ほどまでの俺だったら迷わずに応援していたんだが、悠が相手となると…。
その時、ズボンのポケットが震える。
取り出して見ると、緑色のメッセージアプリアイコンの右上に①というカウンターが乗っていた。差出人は目の前にいる俺の親友から。
『流石は恋する中学生。ジレンマで判断が鈍っててめんどくさい。どうする?』13:58
『俺もさっきまでは応援する気満々だったけど、正直相手が悠となると…ごめん』13:58
こういう煮え切らない空気、きっと苛立ってるだろうな。敦也の顔色を伺うと、予想に反してその顔は笑っていた。
『いいよ。じゃあここは僕に任せてもらってもいいか』13:59
『ん?なんかあるの?』13:59
『まあ。一個だけ』13:59
どうやら敦也的模範解答が生まれたんだろう。
俺を見つめるその笑顔が何よりの証拠だった。
『じゃあ、悪いけどちょっと頼むよ』13:59
『おk』14:00
「…いや、でもお姉ちゃんにも悪いし…うーん、でも…ぁいたっ!」
「落ち着け」
敦也の放つデコピンで、優希君を現実に連れ戻す。
痛そうだ…。徐々に赤みを帯びる額を見つめながら、俺はそう思った。
「いたた…」
「とりあえず、お前がハルの気を引くために恥を忍んで無理して中二病やってることも、個人的にそろそろ限界近いし姉ちゃんも心配してるから中二病やめたいってのもわかった」
「ぅ、はい…」
「それでだ」
優希君の頭を掴んで、顔を上げる。
顔に貼り付けた笑顔は営業スマイルか、愛想笑いか、はたまた、作り笑いか。
片方だけ口角を上げてニヤリと笑いながら、敦也が続ける。
「一条悠との接点を持ったまま、中二病をやめて、姉ちゃんにも心配させない方法があるんだが…」
「ねえ、あんなに早く切り上げちゃってよかったの?」
沢渡家を出て、再び駅についたころ、道すがら涼香が尋ねる。
「うん。一応話はついたから。本当は話聞くだけだったから、もう少し早く終わるはずだったんだけど」
「ま、来週には、大体片付くと思うけどな」
大きく伸びをしながら、敦也がいう。
「時間、余っちゃいましたね」
シロが小さな腕時計を見ながら言った。
「いいや、余ってなんかないさ」
「え?」
「クレープ、食いにいくんだろ?」
「あ」
青い顔をしながら商店街の中にあるクレープ屋の看板を指差す。敦也の言葉に、シロが思い出したように短く発し、その隣にいた甘味狂の目が輝き出す。
「そうだった!あ、だから早めに終わらせたんだね!敦也くんさっすがぁ!」
敦也の言葉で思い出した涼香が一気にハイテンションになる。
不思議と誰も覚えていなかったようで、シロも俺も、涼香でさえも言われるまでは思い出さなかったそのイベントを、最もそれを忌み嫌うであろう敦也によって思い出させられたのは、皮肉なんてレベルじゃなかった。
「…」
涼香たちに聞こえないように、呆然と立ち尽くす敦也に耳打ちする。
「ねえ、もしかしてだけど黙ってたら食わなくて済んだかもしれなかったんじゃない?」
「…クロ」
真っ青な顔でも、敦也はわざとらしく笑ってみせた。
どう見ても今気づいたとでも言うような顔だ。
「疲れた頭には、甘いものが一番って、相場が決まってるだろ…!」
「…強がるなよ。顔に出てるぜ。失敗したって」
先に店に入った二人を追って店に入り、テーブル席に座っているシロの元へ向かう。
なにも言わずに腰掛けた敦也の姿は、リングの上で真っ白に燃え尽きたボクサーのよう。
「大丈夫、ですか?」
「大丈夫、問題ないよ」
「大丈夫じゃない、問題だ」
「どっちですか!?」
テンションの高いツッコミを受けても、敦也は笑顔ひとつ浮かべずに否定した。かく言う俺も、あんな劇薬レベルの甘さをもつあれを食べるのは実のところ罰ゲームにしか思えない。
大丈夫と言ったがあれは嘘だ。女の前でカッコ悪いところを見せたくないという自尊心、プライド、色々なものが後押しして出てきた建前に過ぎない。
「まあ、とりあえずなに食べるか決めよう。えっと、メニューは…」
「あ、涼香さんが私たちの分も頼んでくれてるみたいですよ」
「え?」
「お待たせいたしま〜した!」
その時、タイミングよく涼香が戻ってきた。
両手に何か、大きな物体Xを抱えて。
「は?なにこれ…」
「何って、クレープ」
「ま、じか…!」
涼香が置いたそれに視線を向けた敦也が固まる。
頭の悪い規格外の大きさのクレープを見て、青い顔が心なしかさらに青くなったような気がした。
「ちょっと待って、クレープって普通手に収まるサイズだよな?」
「いやー、お店の人がサービスしてくれてさ〜。いつも来てくれてありがとうって!みんなで食べてってさ♪」
どこをどうサービスしたらクレープ4人前が10人分はあるだろうキングサイズのクレープになるんだ?ここのクレープは、仲間が集まると合体するのか??
てかもはやこれクレープじゃない。幾重にも重なる生地に生クリームやら球状のアイスクリームやらがレイアウトもなにも考えずバラバラに配置された目の前の物体Xはケーキ、もはやそれ以上の何かに究極進化していた。
手渡されたフォークを持って、その瞬間を静かに待つ。
「…俺も頑張るから、覚悟決めようぜ」
「…ああ」
「わあ、大きいですね!」
「うん!じゃあ、食べよっか!いただきまーす!」
こうして地獄のような至福のひとときが幕を開けた。
そうだな、今の状態を中二病的に言うなら…。
やっぱり混沌としか言いようがないよ…。
「なんでもでかくすりゃいいと思いやがって…!」
敦也が一口を噛み締めて苦しそうに言う。
一難去ってまた一難。俺たちの戦いは、まだ始まったばかりだった。
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