あの日から、どれだけの時間が経っただろう。私が愛する人を、藤十郎を失ってから……。
「葵さま、氏康どのが遊び……もとい、何かお話があると来られてますよ」
「朔夜どのが?悠季、お通しなさい」
定期連絡と称して時折、葵の元を訪れるようになったのは北条家の面々。朔夜は戦の間に本当の戦いを経験した十六夜に家督を譲り、自身は隠居することとした。勿論、家中からは多くの反対意見も上がったがそれらを悉く無視して独行したというのだから驚きだ。
「葵ちゃんお久しぶりね~」
「お久しぶりです、朔夜どの」
ニコニコしながら手を振る朔夜に丁寧にお辞儀で返す葵。
「はい、これ十六夜からの定期連絡の文よ~。そ・れ・と、相模の地酒よ。今日の夜は満月だから一緒に酒盛りでもしましょうか」
「ふふ、お付き合いします」
……あの戦の後は大変だった。すぐに織田……剣丞どの、久遠姉さまと和議を結び戦の後処理に入ることになった。忙しい日々は続き、私や悠季は日々内政や各国とのやり取りで。綾那や歌夜、小波は各地に現れるようになった鬼の討伐にと、息をつく間もなく……そして、藤十郎の葬儀を行うこともなく日々は過ぎていった。
藤十郎の母である忠重どのは「私の愚息が、そう簡単に死ぬ訳がない。葵ちゃん……こほん、葵さまを置いて死んだなら私が地獄まで迎えに行くわ。というか私が殺す」と言って、断固として藤十郎の葬儀を水野家として執り行うことはなかった。
「……ふぅ、やっぱり月夜のお酒はおいしいわねぇ。葵ちゃんもいるからかしら?」
「ふふ、そんな……。でも、本当に綺麗な月……」
月光が庭を照らし、幻想的な雰囲気を醸し出している。同じ女性である私から見ても、朔夜は美しく妖艶に映る。……きっと、ここにもう一人いたならば私も心の底から楽しめたのだろう、と思う。
「……やっぱり、まだ整理はつかない?」
「……」
朔夜どのの言葉に私は何も返さない。違う、返せないのだ。きっと、徳川家当主として、何れは誰かと……とは思うのだけれど、やはりどうしても拒絶反応が出てしまう。それを知ってか、悠季も何も言ってこない。
「……朔夜どのは……」
「ん?」
「朔夜どのは、馬鹿な女だと思いますか?当主としての責務であるとは分かってはいるのです。でも……」
「葵ちゃんは馬鹿じゃないわよ?」
私の言葉を切るように断言する朔夜どの。顔を上げて朔夜どのを見ると、月を切なそうに見る彼女の姿が目に映る。
「……私は主人を亡くしてるからね~。……葵ちゃんを馬鹿だというのなら、私が成敗してあげるわ」
冗談めかして言う朔夜にふっと笑みが零れる。
「家中の誰も葵ちゃんに対してそういった進言をするのかしら?」
「……いえ」
「それならいいんじゃない?最後は徳川の御家としての判断になるだろうし、葵ちゃんはその家長なのだから好きにすれば」
「……いいんでしょうか、私の我侭で……」
「いいに決まってるわ。だって……藤十郎ちゃんが本当に死んだのかどうかは分からないのでしょう?」
……きっかけは、いくつかあった。ひとつは剣丞どののところにいた異人……反逆者であるはずの明智どのが別の存在として、この世界にいたということ。事情は分からないけれど、今は南光坊天海を名乗り鬼や世界について話をしてくれた。
外史。ひとつの可能性の世界。久遠姉さまが天下を取る世界があれば、久遠姉さまが討たれその仇をひよどの……秀吉が討つ世界がある。そして、私が天下を取る世界も。
また彼女は「全ての事柄には可能性があり、勿論吉野に全てを奪われてしまう世界も可能性としては存在している」と、そうも言った。藤十郎が漆黒の鬼となって、剣丞どのの刀で人に返らなかったことにも何らかの理由があるだろうと。
翌日、朔夜どのが娘たちが心配だからと相模へ帰還するのとほぼ同時に剣丞どの、久遠姉さま、公方さまが徳川を訪れる。
「葵、息災か?」
「はい、久遠姉さま」
戦の後、織田との和議の際に再び同盟を結び互いに東西を分け統治することを決めた。もし、織田が道を間違えれば徳川が、徳川が道を間違えば織田が互いを抑えることが出来るように。そのためには互いにまだ仲間へと引き込まなくてはならない相手が大勢いる。日の本を導くため、鬼を駆逐するため。勿論、徳川のほうに長尾や武田、今川がいることなど、問題は山積みではあるが今のところ大きな問題は生じていない。
久遠姉さまが来られたとき、よく藤十郎の話をする。
「それで、藤十郎は久遠姉さまのことを評価していたのです」
「ふむ、あやつからそんな感じは受けなかったが……あれほどの男に認められるのは悪くないな」
「ふふ、そんなことを言っては剣丞どのが拗ねてしまいますよ?」
「え!?そんなことないよ!藤十郎がいい男なのは俺も知ってるし!」
そんなことを慌てて言う剣丞どの。恐らく、戦の後大きく成長したのは彼。自らが藤十郎を倒したことが理由なのか、その後に藤十郎の部屋で見つかった剣丞どの宛の文を読んでなのかは分からないけれど、以前までの理想を語るだけの姿はなくなった。理想を語らないわけではないけれど、そのための手段や現実的にどれだけの被害が出てしまうかなど……個人の武ではまだまだかも知れないけれど、自分なりに出来ることを全力でやる姿勢は変わらずで。
「……剣丞どの、ひとつお伺いしてもいいですか?」
「ん、何かな?」
「藤十郎の文……私が聞いても大丈夫なら、何が書かれていたのかを」
「あぁ、そういえば話してなかったね。うん、いいよ」
剣丞どのに藤十郎がしたためた文には、これから戦う……事後であるから戦った相手である武田、長尾勢に対する謝罪や……考え方によっては挑発としか取れないような内容。
これに関しては長尾からは。
「きーっ!!何よあいつ!まるで自分が勝つって決まってるかのような書き方じゃない!!」
「いや、御大将実際に負けてるっすよ」
「……私たちもだけど」
「帰ってきたらぜーったいに倒してやるわ!!」
「……御大将、徳川家はもう同盟相手ですからね?」
ということがあったり。武田では。
「……生意気」
「で、やがりますなぁ」
「ふむ、拙は直接戦っておりませぬが……それほどの男で?」
「綾那に負けたのを思い出したぜ!!」
「粉ちゃん、徳川家はもう同盟相手だからね?」
など、宥めるのが大変だったらしい。
「もう一つが……」
「……それについては我から話そう」
剣丞どの宛ての中に、久遠どのに対する謝罪や今後についての提案が書かれていた。その内容が、今あるこの状況……徳川と織田の同盟や戦力などの二分化、そして互いに互いを支えること。その状況を長く保つことは不可能であるから、何れは徳川と織田、互いの血を混ぜ天下を治めていくことなど……遥か未来まで見通した内容であったという。
「勿論、藤十郎の意見だけを我が鵜呑みにしたわけではないが……剣丞や詩乃と相談してな。日の本の英雄たる藤十郎の案だ、それを現実にしていこうと決めたのだ。……あやつが帰ってきたときに、胸を張って自慢できるような世界を作らねばならんからな」
「久遠、姉さま……」
自然と溢れる涙。剣丞どのは気を遣かってか、庭の月を見上げる。そっと抱き寄せてくれる久遠姉さまの暖かさに今は身を任せ、藤十郎のことを想いながら涙を流した。
「そうえいば、まだ見せてもらっていなかったな」
「はい。剣丞どのも、よろしければ会ってやって貰えますか?きっと喜びます」
翌日、二人を連れて一つの部屋へと案内する。
「葵さまなのです!!」
「あら、綾那。また来ていたの?」
「えへへ~!ずーっと見てても飽きないです!」
「こら、綾那!静かにしないと起きちゃうでしょ!」
蕩けるような笑顔で私に声をかけてくる綾那と、声の大きさを諌める歌夜。
「おぉ!?剣丞さまもいるのです!」
「ご無沙汰しております、剣丞さま」
「うん、綾那も歌夜も元気そうで。……あの子が?」
「えぇ。……私と、藤十郎の子です」
赤子用の小さな布団でスヤスヤと眠るわが子。剣丞どのも、久遠姉さまも優しい表情で見る。
「名はなんといったか……」
「藤千代なのです、久遠さま!」
「藤千代か。よい名だな」
はじめは、私と同じ竹千代という幼名でという意見が多かったが悠季から「藤十郎どのの名から一文字頂いては?」といわれ、家中が同意したため藤千代となったという話もあるのだけれど。
「あぅ……」
私たちの声が聞こえて目が覚めたのだろうか、むずがるように声を上げる。私はそっと藤千代を抱き上げると私を見て笑顔を浮かべる。まるで私が母だとしっかりと認識しているかのように。
「……うむ、とてもよい目をしておるな」
「久遠ってよく相手の目を見てそういうこと言うよね」
「我は自分の目には自信を持っておるからな。あ、葵、その、だな」
チラチラと私と藤千代を交互に見る久遠姉さま。
「ふふ、優しく抱いてあげてくださいね」
そっと、藤千代を久遠姉さまに渡す。
「おぉ……!市のときは我も子であったから知らなかったが……こんなに小さいのだな……」
「だね。これからの日の本を担っていく子供たちだ」
剣丞どのが優しく頭を撫でると嬉しそうに藤千代は笑う。誰に対しても愛想のいい子ではあるけれど、あそこまで懐いた笑顔を浮かべるのは珍しい。
「あー!剣丞さまずるいです!藤千代の笑顔は綾那のものです!!」
「綾那!?す、すみません葵さま!」
「ふふ、別に構わないわ。綾那、よかったら私にも藤千代の笑顔は分けてもらえる?」
「わわ!葵さま、そんなつもりじゃなかったです!!」
慌てふためく綾那を見て部屋の全員が笑顔になる。……藤十郎、貴方が望んでいた景色は、きっとこんなものだったのよね?
―――夢を見ていた―――
それは、優しい夢だった。己は居ないが、愛する者たちや友が笑顔を浮かべている。……そう、これは俺が望んだこと。自分がその場に居ないことが寂しいことは否定しない。それでも、後悔はしていない。
『それが、俺の望みだったから』
何度も何度も、葵を、悠季を、綾那を、歌夜を、小波を。愛する者たちを殺す世界を見た。恐らくはこれが外史という可能性の世界なのだろう。意識が混濁すると、再び別の世界を垣間見る。気が遠くなるほどの時間、一人であらゆる世界を見た。その中で剣丞やエーリカが背負っていたものの一旦を知った。
『少し、眠くなってきた』
無限と思われるほどに繰り返される数多の世界。それを見せられるたびに自分の中の大切なものがなくなっていくような感覚を得る。はじめに名を、そして姿かたちを。そして……。
『俺は……誰だ』
最後に失うのは、自分か。そんなことをぼんやり考えながら目を閉じる。いや、閉じているのかどうかすら分からない。きっとこのまま意識とともに消えていくのだろう。それもまた、運命か……。
『本当にそれでいいのか』
誰かが俺に問いかける。
『こんなことが俺の望んでいたことなのか』
自分が望んでいるかどうかを俺に聞くな。
『俺はこんな結末を望んではいない』
だからといって何ができるわけでもない。それにとても疲れた。
『今、お前は何もしていない。ただ色々なものを見ただけだ』
もう何も覚えていない。自分が何者かも。何を求めていたのかも。
『もう一度思い出せ。お前が……俺が何を望んでいたのか』
突如現れたのは折れた刀の破片のようなもの。砕けていた破片が全て集まり強い光を放つ。まるで自分の意思で浮かび上がっているかのように俺の目の前で刀は止まる。
『
「ここは……?」
白黒のような世界。一体此処は何処だというのか。
『ねぇ、藤十郎?』
幼子の声がする。何処か懐かしく、何故か胸が締め付けられる感覚に陥ってしまうその声を聞いて、無意識に声のほうへと進んでいく。
『なに?葵ちゃん』
もう一つの幼子の声は男だろうか?こちらも何故か耳に馴染む。それに、初めて見る場所のはずなのに迷うことなく進むことが出来る。まるで身体が覚えているかのように。
『いつか、私は天下を平定するわ。あのね、だから』
『うん!なら僕が葵ちゃんを守るよ!ずっと、葵ちゃんが死ぬときが僕の死ぬときだ!』
声の聞こえる部屋へとたどり着く。そこにいたのは。
『……うん!約束だからね?絶対に……』
『絶対に、二人はずっと一緒に……』
……幼い頃の、俺と葵。
世界に色が戻る。それとともに全てを思い出す。
「そうか、俺は……死んだのか」
『死んでいるわけではない』
世界が再び何もない空間へと戻り、目の前にある刀が話しかけてくる。
「まさか、正宗……か」
『如何にも。俺は正宗であり藤十郎、お前自身でもある』
「俺自身……」
『最早時間はない。単刀直入に聞く、お前はまだ生きていく覚悟はあるか』
正宗の問いに力強く頷く。
「あぁ。まだ、約束を果たしていない。俺が死ぬときではない」
『そうだ。……だが、その為には対価を払わねばならない』
対価。それはそうだろう、俺には寿命も残っていないからだ。
「対価、か」
『そうだ。お前が現世に戻ることは可能だ。だが、それは人の領域を超えていくしかなくなる。……お前が見てきた可能性の世界。他の世界は全て消えてなくなる。そして、お前が行き着く世界がどの外史になるのかも分からない』
自分という存在を否定する代わりに生き返る。ただし、無数に存在する外史の中で、どの世界に行き着くのかは分からない。正宗はそういうのか。
「……」
『そして、選択の時間も残されていない。俺の力も、お前の魂も最早限界だ』
途方に暮れるほどの数の外史。その中から正解を……葵のいる世界を引けるかどうかは分からない。分の悪い賭けになる可能性が高いだろう。
「……それでも、俺は葵の元へ……皆の元へ帰る」
『……そうか。ならば何も言うまい。藤十郎よ、願わくばお前の行き着く外史に幸多からんことを』
強く明滅する刀。藤十郎は身体がその光に溶けていくように感じる。そして、次の瞬間藤十郎はこの空間から消え去っていた。
『行ったか。北郷一刀より始まりし外史。新田剣丞へと外史の鍵は移り変わり、その中で生まれた新たな外史の可能性。……これだから世界は面白い。さぁ……俺の役目はもう終わりだが。藤十郎だけでなく、全ての外史が幸せであることを願い続けよう』
刀がボロボロと崩れ落ちていく。光の粒子となった刀。
後の世に、その刀の存在が語られることはない。何故ならば、その刀は自らの全てを捨てて主を守ったからだ。存在が消えるのは藤十郎ではなく、とある外史において藤十郎の愛刀として生れ落ちた正宗であった。
その日は、何故か胸騒ぎがしていつもより早く目を覚ました。
「まだ、日が昇る前ね」
そっと隣を見るとすやすやと眠っている藤千代の姿がある。起こしてしまわないように静かに布団から出ると、部屋を後にする。部屋の傍に控えていた女中に藤千代を託すと、私は無意識に屋敷に居るときに藤十郎がいた部屋へと足を運ぶ。その部屋を目指して歩いているとき、いつもより藤十郎のことを強く思い出していた。幼い頃の約束、私に祝言を挙げようと言ってくれたこと。まるで昨日のことのように思い出す。
「ふふ、私も諦めが悪いわね」
きっと藤十郎は生きている。そして、きっと。襖を開けて藤十郎の部屋へと入ろうとして、床に落ちていた視線を上げる。
「……すまん、遅くなった」
ずっと、聞きたかった声。でも、きっと聞くことは出来ないだろうという覚悟をしていたその声を聞いた瞬間、何が起こったのか理解することが出来なかった。
「あ……」
私は、藤十郎が帰ってきたら言ってやろうと思っていたことなど全てが吹き飛んでしまう。私に出来たのは唯一つの行動。
「おっと」
飛びつくように胸元に飛び込んだ私を優しく受け止める藤十郎。そっと背中に回した手も私を包み込んでくれる。この匂い、この鼓動。あぁ、本当に藤十郎なんだと安心させてくれる。
「藤十郎っ……!」
「あぁ」
これまでに流した涙とは違う。嬉しくて、ただひたすらに嬉しくて。流れる涙は藤十郎の胸元をぬらす。痛いほどに強く抱きしめる藤十郎もまた、腕が震えている。
「葵……!」
私が顔を上げることを拒むかのように強く抱きしめる藤十郎。どれだけの時間、二人でそうしていたのだろう。藤十郎の腕の力が緩み私は顔を上げる。そこにあるのは優しい瞳をした、一人の荒武者。私は静かに瞳を閉じ、そっと背伸びをする。
触れ合う唇の感触。
互いを求め合うかのように、私たちは接吻を続けた。
「藤十郎……」
「葵……」
私は、ずっと言いたかった言葉をやっと口にすることが出来る。藤十郎がいなくなってから、ずっと言いたかった言葉を。万感の想いを込めて。
「藤十郎、おかえりなさい」
「!……あぁ、ただいま、葵。もう、放さないぞ」
此処に、一つの外史は終わりを迎える。
これは唯ひたすらに愛する者のために戦い続けた一人の武者の物語である。
その後の彼らがどうなったのか、それはまたいつかの機会に語るとしよう。
無事(?)最終回を迎えることが出来ました!
これも、ずっと応援してくださった皆様のおかげです!
この後は後日談になります!
徳川勢、桐琴や閑話で主役となった子たちの話しなども書いていきますので、
もう少しだけ藤十郎の物語は続きます!
甘々になると思いますので、苦手な方は頑張ってみてください(ぉぃ
それでは、長いようで短い間でしたが藤十郎の物語にお付き合いいただきまして、
本当にありがとう御座いました!!
※何かアクセス増えたな~と思ってランキングを開いたら日間29位になってました!?本当にありがとう御座います!