鉄火の銘   作:属物

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第四話【クエンチッド・ソウル・バイ・タービュランス】#4

【クエンチッド・ソウル・バイ・タービュランス】#4

 

ブラックスミス……すなわちシンヤが目を開けた先にあったのは、アドバンスショーギ盤めいた正方形が隙間なく並ぶ天井と、その背景に描かれた巨大なマンダラサークルだった。トモダチ園の天井は無地であり、ねぐらの廃ビル天井はコンクリート打ちっ放しだ。この天井にシンヤは見覚えがなかった。

 

周りを見れば、黒いゴミ袋が壁と積まれている。背中には湿ったマットレスの感触。どうやらゴミ袋の合間に敷かれたマットレスに横たわっているようだ。壁の隙間から射し込む光は、オレンジ混じりの夕方の色をしている。フラグメントとのイクサは日の暮れた後だったから、最低でも一日近く経過している。

 

意識を失っていた間に誘拐されたのでもなければ、ここはダイトク・テンプルのお堂の筈だ。(((意識を失っていた、か)))シンヤは自分の言葉に忍び笑いを漏らした。妙なサケ擬きを振りかけられた以降の事もしっかり覚えている。目を覚ますまで、シンヤは自らの内側にいたのだ。

 

隠されていたソウルを探し出し、獅子「心」中の虫であったクレーシャを打ち倒し……ニンジャとなった。パワだけを得ていた頃とは違う。自分は本当に人間とは別の生き物になったのだ。文字通り、新しく生まれ変わった気分だ。だが、それは自身の意志で行ったことだ。言い訳はない、一切しない。

 

(((俺はニンジャになった。そしてこれから家族を守るニンジャとなる!)))シンヤはマットレスから回転ジャンプで無言のまま立ち上がる。完全にニンジャとなった身には、この程度の動作にシャウトは必要ない。拳を握っては開くが、イクサの不出来を責め立て続けた痛みは全くない。

 

何カ所も折れていた肋骨も治っている。ニンジャ装束すら真新しい。再度のディセンションで傷は癒えたようだ。一点を除き体に不調がないことを確かめると、シンヤはデント・カラテ基本の構えを取った。本日入会したてのカラテ・ニュービーのように、ゆっくりとした丁寧なカラテパンチを宙に繰り出す。

 

足の位置、重心の動き、関節の角度、筋肉の収縮。シンヤは全感覚を持ってカラテと肉体のチューニングを行う。カラテパンチと共に微調節を繰り返し、体感と記憶が一つ一つ合一していく。同時に虚空を打ち抜くカラテパンチはギアを順番に上げ、徐々に加速していく。

 

蝿が留まる速度から、汗が飛び散る速度へ。モータルでも観察可能な速度から、ニンジャにしか認識できない速度へ。そして遂に肉体感覚とカラテイメージが完全に一つとなった。もう一度デント・カラテ基本の構えを取り直すと、シンヤは最終試験として全身全霊のカラテパンチを放った。

 

「イヤーッ!」空気を打ち抜く拳は音速を超え、鞭めいた破裂音がお堂に響いた。ただ一点を除き、全身余すところなくオールグリーン。調整を終え、今のシンヤはパワを手に入れた時すら比べものにならないほどに、完璧な状態にあった。(((これなら……!)))拳を握り直すシンヤの耳に声が届いた。

 

「ドーモ、トレーニングは終わったか? 夕飯だ。食べるといい」お堂の入り口にはシンヤのカラテ・チューンアップを待っていたボンズ擬きの姿。両手には市販のパック合成スシと、紙コップ入りのインスタント味噌汁を持っている。ゴミ袋の迷路を器用に通り抜け、シンヤに食事を手渡した。

 

「ウルサくしてスミマセン」一言詫びてシンヤは食事を受け取り、マットレスに腰を下ろす。ボンズ擬きもその前にアグラで座る。いただきますと食事前のアイサツを終え、パックからサンマスシを取り出し、口を付ける。「賞味期限越えの安物だ。その上、放置しておったから干からびておる。マズイぞ」

 

ボンス擬きの言葉は少し遅かった。シンヤの口中で乾ききったシャリが唾液を吸い取って、オカラスシめいてボロボロと崩れる。半端に水分を帯びたネタは、パサついた舌の上にベッタリと張り付いた。半乾燥スライムの食感から現れた味は、合成油で揚げた下等ネリモノにサンマの生臭さを足した代物だった。

 

口一杯に広がった不快感と不味さを取り除こうと、急いでインスタント味噌汁の紙コップに口に付ける。暖かな味噌汁が舌にへばりついた自称スシネタを胃袋に流し込む。だが、不快感はさらに増した。鼻を内側からカビ臭さが殴りつけたからだ。味噌汁と名乗っているくせに、オミソの旨味は何処にもない。

 

精々、カビ臭さの中に僅かにオミソの香りがするだけだ。ニューロンを塗りつぶす不味さの中でなんとか感じ取れた味噌汁の味は、塩化ナトリウムのそれだった。ケミカル合成栄養点滴を静脈注射した方が、苦痛がない分遙かにマシだろう。心の底からそう思わせてくれる食事だった。

 

「オイシイです」それでも空の胃袋に食事が入ってくる喜びは堪えられない。これは毒物だと主張する味覚と触覚を、消化器官の満ち足りた感覚が上書きしていく。全身に広がる栄養の暖かみが更なる悦びをニューロンに伝える。快楽に逆らうことなく、シンヤはスシと味噌汁を腹の中に詰め込んでいった。

 

再度のディセンションでイクサの傷は治ったが、それに費やしたカロリーが回復することはない。先日の消耗も相まって、シンヤの肉体は飢餓寸前だった。脱皮後のバイオタラバーガニは、栄養補給のため周囲の生態系を根こそぎ食い荒らすという。肉体を作り替えるとはそれほどのカロリーを要するのだ。

 

後半日も放っておけばシンヤは栄養失調で身動き一つとれなくなっていただろう。それだけにこの食事は本当にありがたかった。胃袋で処理され腸に送り込まれたスシと味噌汁から、ニンジャ代謝力が一つ残らず栄養を吸い上げる。冷め切っていた全身に熱量を帯びた暖かな血が回り出す。

 

シンヤは食い物かどうか怪しい代物を大喜びで貪り食らった。その姿をボンズ擬きは苦笑を込めた目で眺める。「これがウマイか。よほど、腹が減っておったようだな」その声にボンズ擬きが目の前にいることを思い出したのか、シンヤは食事の手を止めて頭を下げた。「何から何までスミマセン」

 

「よい。こちらの身勝手の詫びでもある」頭を下げるシンヤをボンズ擬きは片手で制する。ハンニャ・ウォーターを振りかけたのは感情のままの行いだった。いくら悪影響のない薬物といえども、イドを覗き込みすぎれば落ちる。ミヤモト・マサシのコトワザの通りに危険な行いだったのだ。

 

シンヤが最後のエビスシを、これまた最後の一滴となった味噌汁と共に胃袋に送り込んだ。「フゥー」人心地ついたと長い息を漏らす。シンヤが食事を終えたと確認したボンズ擬きは真剣な表情でシンヤと相対した。食後のリラックス状態だったシンヤも思わず姿勢を正す。

 

「して、オヌシは自分の中で何を見た? そして何をした?」ボンズ擬きは食い入るように問いかける。生きるも死ぬもせずにただ風化するに任せた自身の魂を蹴り上げたニンジャ。彼ならばあるいは己の問いに答えを返せるのか。だが、シンヤとしてはボンズ擬きの態度に困惑するばかりだ。

 

確かに自分のニューロンの内側で色々と有ったし会ったが、それは全部自分個人の体験にすぎない。ましてやボンズ擬きが知っているだろうニンジャについてはともかく、前世だの第四の壁だのについて話せるわけもない。シンヤはどう言葉にするか頭を捻った末に、ようやく口を開いた。

 

「自分の内に巣くっていたオバケと出会いました。そしてオバケに自分の醜さを突きつけられ籠絡されかけましたが、家族のお陰で打ち倒せました」別の意味にとれるように言ったが、決して嘘は言っていない。シンヤの答えが望むものでは無かったのか、天井を仰いだボンズ擬きは大きく諦めの息をつく。

 

「……やはり、助けがなくとも始めから立ち上がれたか。アタリマエの話よの」待ち望んだ答えは得られず、胸の内で燻っていた熾火は、諦念の灰の中に再び消える。だが灰色をした表情を、シンヤは苛立ちと不満を混ぜた顔で見つめていた。ボンズ擬きが納得する答えを出せなかったことは仕方ないだろう。

 

しかし、自分は家族のお陰と口にしたのだ。家族と『家族』の助けなくば、ニンジャ『コルブレイン』として手始めにボンズ擬きの首をチョップで刎ねていたかもしれない。それを、そんな物は必要なかったと言われるのは納得しかねる。そんなシンヤの思考が、思わず口から漏れ出ていた。

 

「一人では倒せない相手でした。家族の手助けがあって何とか勝てた。それにそもそもアナタがハンニャ・ウォーターをかけてくれなければ立ち向かうこともできなかった。皆のお陰です」お礼にしては少々皮肉が多いシンヤの言葉にも、ボンズ擬きの諦観が動く様子はない。

 

シンヤの方へと足を投げ出し、ブッダレストの体勢で横になったボンズ擬きは、つまらなそうに言葉を投げ捨てた。「助けを得ようとも勝てぬ者は勝てん。助けが無くとも勝てる者は勝つ。ワシはほんの一助にすぎん。オヌシが勝てる者だったから勝っただけのことよ。全ては自ずから然りと決まっておる」

 

横たわったまま懐から湿気ったオカキを取り出して口に放り込む。表面の緑はアオノリか、それともアオカビか。どちらにせよ、湿気ったオカキが旨いはずもない。それを噛み砕くボンズ擬きの耳に、煎りたてのオカキが砕ける音が届いた。音源はシンヤの手の中で、粉みじんに砕けたスシパック容器だ。

 

シンヤはクレーシャの誘惑の中で自らの矮小さと卑小さを思い知り、それを乗り越えた。しかし、だからといって、ネオサイタマの中で抱いていた怒りと憎しみを忘れたわけではない。何より『家族』との幸せな日々を唐突に奪われた理不尽を許したことなどない。

 

それだけに全ては運命と暗に言うボンズ擬きの台詞は、シンヤのカンニンブクロに火をつけた。青筋を立てたシンヤは感情のままにボンズ擬きに怒鳴りつける。「俺が勝てる者だとしたらその理由を皆で作ったからだ。最初から決まっていたわけじゃない。それともブッダが全部決めていたとでも!?」

 

お堂中に響くシンヤの怒号に、ボンズ擬きは思わず上体を起こしてマジマジと見つめる。シンヤの言葉はボンズ擬きのニューロンをキックし、かつての光景を脳内で再生させたのだ。それは交通事故で死んだ、ある労働者の息子の葬儀を終えた夜だった。若き日の自分はその子供の難病を必死に癒した。

 

だが、その全てはただ一台の暴走トラックで無駄になった。病を治して元気一杯のオジギをしてくれた子供は、父親の目の前でネオサイタマのありふれた悲劇に消えた。ブッダよ、なぜあの子はアノヨに行かねばならなかったのか? 杯に涙で波紋を作りながら、繰り返しブッダに問いかけた。

 

その問いに答えたのはブッダではなく師の声だった。「ブッダは運命など決める力はない。運命を決めるのはその人にこそにある」ブッダに理由を求めることすら許さぬ、余りに厳しい師の言葉。その時のボンス擬きはそれを受け入れることができなかった。

 

だが今、シンヤの叫び声をきっかけにその意味が腑の底に音を立てて落ちた。腹の底まで落ちた言葉は横隔膜を震わせ、気づけば呵々大笑となってボンズ擬きの喉から溢れ出ていた。「カーッカッカッカッカッ! そうか! 己を救える者は己のみ! アタリマエの話! ボディサットバにでもなったつもりだったか!」

 

勝ちも負けもは始めから決まっているのではなく、自ら決めるものだ。自らを救った人は救おうと決めた。だから自らを救えた。自分たちがやってきたのは、自らを救おうと決めた人の、自らを救おうと決めるための、その一助だったのだ。

 

ボンズ擬きの突然の大笑いに、理解不能のシンヤは引き吊った表情で僅かに後ずさる。自分が怒鳴り散らした途端、相手が腹を抱えて笑い出したのだ。揮発したハンニャ・ウォーターがキマってしまい、愉快痛快爽快な妄想で大爆笑しているのか。

 

こりゃヤバイと青ざめるシンヤを余所に、息も絶え絶えと笑い終えたボンズ擬きはニンマリと笑ってシンヤに呼びかける。「セッパ」「え?」不可解な行動に不可思議な台詞を追加され、シンヤはさらなる困惑に叩き込まれる。「セッパ、じゃ。そう答えい」「アッハイ。セッ、パ?」

 

何を言わされているのかと疑問を覚えるものの、ボンズ擬きの勢いに圧されるままにシンヤは答えた。『セッパ』とは『ソモサン』と対となる、いにしえのゼンモンドー・チャントである。その意味は『答え』だ。

 

ハンニャ・ウォーターを振りかけられた後の話をシンヤが知る由もないが、ボンズ擬きのゼンモンドーはこれで完遂されたのだ。ボンズ擬きはシンヤの返答に満足げに頷くと袂を探る。ボンズ擬きの墨色のカーシャローブからゴミやら埃やらと一緒に出てきたのは、オブシダンの色合いをしたブディズム・ロザリオ。

 

「こいつを持って行け。ワシにはもう必要のない物だ」長年の問いからの解放の表情のままに、ボンズ擬きはシンヤに突き出す。シンヤの目前に突き出されたのはオーガニック黒檀のジューズ・タリズマンだ。ボンズ擬きにとっては師が遺した数少ない思い出だった。だが、遙かに大切な事に気づけた。

 

そんな心情など知る由もないシンヤの困惑した視線が、どう考えても超高級品のジューズ・タリズマンとボンズ擬きの間で往復する。戸惑いを感じ取ったのか、ボンズ擬きはシンヤの手にジューズ・タリズマンを乗せた。

 

手の中のオーガニック黒檀は、金属めいて重くそれでいて自然物の暖かみを持っている。この御仁が自分の意志で渡そうとしている以上、拒む理由はない。ニンジャとなった今なら盗まれる心配もない。今はただ好意を受け取ろう。「……アリガトゴザイマス」

 

シンヤの深いオジギと共に懐にジューズ・タリズマンを納めた。「礼を言いたいのはこっちじゃ。三十年の問いに答えを得て、ようやくダイゴできた。アリガト」「イエイエ」シンヤの礼を手で制し、ボンズ擬きは深々とオジギした。シンヤも制止を無視してもう一度オジギする。その拍子に頭がぶつかった。

 

お互いの顔に苦笑が浮かぶ。「さて、ワシはこれから掃除の時間じゃが、オヌシはどうする? 家族の所に行くか、ここに残るか?」辺りをグルリと見渡し、ゴミ袋の数を勘定し始めたボンズ擬きがシンヤへと問いかけた。「家族の元に帰ります」返答に躊躇いは一つもなかった。

 

迷いなく答えたシンヤに、ボンズ擬きもまた迷いの晴れた顔で頷く。「そうか。では、カラダニキヲツケテネ」「アナタも。ではオタッシャデー!」黒錆色の風がお堂を駆け抜けた。ボンズ擬きはその残像が消えるまでじっと見つめていた。

 

【クエンチッド・ソウル・バイ・タービュランス】終わり


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