鉄火の銘   作:属物

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第三話【トロード・ザ・ホイール・オブ・フォーチューン】#3

【トロード・ザ・ホイール・オブ・フォーチューン】#3

 

「スゥーッ! ハァーッ! スゥーッ! ハァーッ!」浮浪者キャンプの一角、持ち主を失って久しいテントの中で特有の呼吸が木霊する。それはエネルギッシュでありながらも一切の荒れや乱れはない。波が寄せては帰すような、或いは潮が引いては満ちるような生命そのもののリズムを内包している。

 

その呼吸の主はフジキド・ケンジだ。ドラゴン・ゲンドーソー亡き今、彼と孫娘ユカノのみがチャドーの基本にして奥義であるチャドー呼吸を知るのだ。ロン先生の適切な治療とスシの栄養、そしてチャドー呼吸によりフジキドの傷は急速に癒えつつあった。数日もしないうちに問題なく動けるようになるだろう。

 

(((ユカノのことをたのむ)))フジキドの脳裏にドラゴン・ゲンドーソー最後の願いが流れる。ただ一人の孫娘、ただ一人の家族。ユカノを遺して逝くのはどれほどに心苦しかったか。家族を失ったフジキドにもその思いは痛いほどに理解できた。それだけに一刻も早く彼女を見つけねばならぬ。

 

焦る気持ちをチャドー呼吸で抑えながら、フジキドはひたすらに回復に努める。同時にフジキドはダークニンジャとのイクサの記憶を喚起し、イマジナリーカラテで脳裏に再現する。記憶を遡れば多くの反省点と改善点が見えてくる。つまり延びしろがあるということだ。

 

ならばそれを修正し改善し、更にカラテを研ぎ澄まし鍛え上げる。そしてラオモト・カンへと復讐のチョップを叩きつけるのだ! 故にフジキドはかつてナラク・ニンジャをゲンドーソーが封じた後のように、復讐のための復習を続ける。

 

「イッテ!」「これはキヨ姉ちゃん泣かした罰よ!」その耳に聞き覚えのある声と、覚えのない甲高い声が響いた。覚えのある声の主はカナコ・シンヤだ。どうやら一夜の宿とさせてもらった空きテントは彼の住居の近くだったようだ。声に喚起されてつい先ほどのイマジナリーカラテの記憶が蘇る。

 

(((カナコ=サンはほぼ間違いなく……ニンジャだ)))ドラゴン・ゲンドーソーの手でナラク・ニンジャが封じられた今、フジキドからニンジャソウル感知能力は失われている。だがイマジナリーカラテを通じ、フジキドはシンヤに対してニンジャの確信を得ていた。

 

(((ニンジャになってさほどもない、外観通りの年齢。モータル時代に確かなセンセイからカラテを学び、愚直に積み上げている。ジツは武器を生成するもので瞬時に使える程度には習熟。ただし実戦経験は僅少、咄嗟の判断が甘い)))ALAS! なんたるニンジャ洞察力による読心術めいたカラテ看破か!

 

だがそれは当然の話。カラテとは言語以上に雄弁なコミュニケート。イマジナリとはいえチョップを交わせば互いに様々な事が伝わる。ましてや幾多のイクサ経験を持つフジキドならなおの事多くが判る。緊張と恐怖に負けて考えもなくイマジナリーカラテを仕掛けたシンヤのウカツなのだ。

 

それのみならず、シンヤのウカツな判断ミスをフジキドは幾つも見つけている。例えば、フジキドが繰り出したメイアルーア・ジ・コンパッソに、同じ手段で対抗しようとした点。例えば、D・D・T寸前の首締めと回転に対して、重心を浮かして回転してしまった点。

 

ニンジャのイクサは気まぐれで変幻自在のオバケだ。それを捕まえるには十全な事前準備と十分な実戦経験が必要不可欠である。自身でも予期せぬイマジナリーカラテを仕掛けてしまったシンヤにはその両方が足らなかった。しかしそれは、逆を言えばその両方を得られるならシンヤにも勝機はあるという事だ。

 

ニンジャスレイヤーはブラックスミスのカラテを決して侮ってはいない。実戦経験不足な若い身でありながら、ブラックスミスはニンジャスレイヤーのカラテに抗って見せた。そのカラテはフジキドも始めて見るものだったが、同時にしっかりと体系付けられた確かなものであった。

 

その上、ブラックスミスがニンジャ身体能力にアグラせず、日々カラテを積んでいる事に間違いはない。成長の下地は十分以上だ。イクサの経験を得れば恐るべきカラテ戦士に化けるだろう。(((故にブラックスミス=サンは速急に殺すべし)))努力を欠かさぬ才ある若きニンジャならば尚の事殺さねばならない。

 

だが……(((カナコ=サンは本当にニンジャなのか?)))フジキドは迷っていた。イマジナリーカラテの中で、あえて選んだワンインチ距離の至近カラテ戦。実力差を理解させられながらも選択した理由は、フジキド同様にモータルであるロン先生の安全を考慮しての行動に間違いなかった。

 

それに、不安に駆られる姉へと虚勢を張って見せたのは、彼女の心配を解くためだったのだろう。その姿はフジキドの脳裏に失った家族の光景を浮かばせた。歯を食いしばり恐怖と敗北感を堪えて胸を張る様は、段差に躓き膝を擦りながらも「痛くないよ!」と涙を堪えて見せたトチノキの顔と重なって見えた。

 

「ちょっとシン兄ちゃん! 私の話、ちゃんと聴いてるの!?」「アッハイ、真面目に聴いております」そして今も耳に入る声は、気の強い妹からのお叱りを唯々諾々と言いている情景を容易く想像させる。多分、項垂れながら正座して神妙な顔で小言を聴いているのだろう。

 

顔見知りのモータルを慮り、不安がる姉のために空元気を見せ、怒れる妹がなすがままに叱り飛ばされる。どれもこれもフジキドの知るニンジャの姿から遠い。ニンジャという前提を除けば「若くして高いカラテを修めた家族思いの青少年」という方がよっぽど納得できるだろう。

 

だが、イマジナリーカラテを通して交わしたのは紛れもなくニンジャのカラテであった。(((ニンジャを殺す。全ての悪しきニンジャを殺す。だが、ニンジャでないなら?)))「フゥーッ!」チャドー呼吸を一時止め、フジキドは長い息を吐いた。何を迷う。後悔は死んでからすればよい。

 

確信は得たが確証はない。限りなく黒に近いが灰色だ。害がないなら放っておけばいい。だが、もしも彼がニンジャ性を露わにしたら? その時は、家族が泣いて縋ろうとその身を盾にしようと慈悲はない。カラテで叩き潰し、ハイクを詠ませ、カイシャクする。(((ニンジャ殺すべし)))それだけだ。

 

「じゃあこれから私達の分もキヨ姉ちゃんの手伝いすること! 判った!?」「ハイ、ヨロコン……待て」シンヤとその妹の会話は一方的なオセッキョから口喧嘩へと変化したらしい。バイオスズメの群れめいてやかましい声を背景音にフジキドはチャドー呼吸を再開した。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「これがそれで、それがあれで、あれが……どれだっけ? あ、これか」ブツブツとネンブツチャントめいた独り言を呟きながら、シンヤはノートをめくっては付箋を張り付ける。両手の数より多い付箋を張り付けられたノートは、パンクに髪を逆立てた背びれ豊かな恐竜めいている。

 

『説得用』と書かれたノートに一通り付箋を貼り付け、「よし」と呟いて閉じる。「それなぁに?」真横から幼い声がかけられた。顔を見るまでもなく妹のエミだ。返答代わりにタイトルを指さしつつ、隣に座るエミの質問に質問で返す。「ナンデここに?」「オジチャン、まだ仕事みたいだから」

 

膨れて拗ねた顔と併せて考えると、「ワタナベのテントに遊びに行ったが当人不在でしょうがないからシンヤが詰めている男衆のテントに遊びに来た」という処だろう。しかし、もう日も暮れてから随分経過し、浮浪者のほぼ全員がキャンプに戻っている時間帯だ。パトロールにしては些か帰還が遅い。

 

(((まさか……)))シンヤの脳裏に浮かぶのは、ウォーロックがワタナベを誘惑する『原作』のワンシーン。フジキドが姿を現した以上、それが起こるのは確実だ。だが、それはフジキドとワタナベが家族についての会話を交わし、そして翌日以降にヨージンボーのパトロール業務へと出た際の話。

 

フジキドが姿を見せたのは今日の話。余裕はないが時間はある。イマジナリーカラテとアキコのオセッキョで余計な時間を食ったが、まだ十分間に合うはずだ。理屈で焦りを押し殺しながらシンヤはノートと資料を黒錆色のバッグに収める。「ちょっとワタナベ=サン探してくる」「アタシも行く!」

 

立ち上がったシンヤが対酸コートをクナイ・スタンドから手に取った処で、横合いから甲高く幼い声が飛んできた。「俺の用事だからお前が行ってもしょうがないだろ」「アタシも用事あるもん!」バイオフグ並に膨れたエミの頬を眺めながら、シンヤは眉根を寄せて考え込む。

 

エミはワタナベに懐いているし、ワタナベはエミを憎からず思っている。エミに対する感傷を利用すれば、少なからずワタナベ説得の後押しになるだろう。しかし、家族を利用する事に強烈な抵抗感がある。それに家族を利用したという事実を知れば、寧ろワタナベは頑なになりかねない。

 

「シン兄ちゃん、行こ!」そんなシンヤの考えなど一片も気にする様子無く、テントから飛び出したエミは急げ急げと兄の腕を引っ張った。例え同行を拒否したところで、エミはワタナベの元へ向かうだろう。だったら利用やら説得やらはとりあえず横に置いて、目の届く所にエミを置いた方がいい。

 

「ハイ、ハイ」「ハイは一回!」幸い、説得内容は『真実』に触れるものではない。エミが聴いたところでワタナベが拒絶することはないだろう。ため息を吐き苦笑を浮かべるシンヤと、鼻息を噴き出し元気顔一杯のエミは、連れ添ってワタナベのテントへと向かい歩き出した。

 

幸いなことに二人が到着したとき、バッファロー革とビニールの複雑なパッチワークの隙間からは、タングステンボンボリの明かりが漏れていた。どうやら家人のワタナベは在宅らしい。「「ドーモ、オジャマシマス!」」「…………ああ、シンヤ=クンにエミちゃんか。ドーゾ、何か用かい?」

 

茫漠とした声音のワタナベは、二人のアイサツに随分と間を空けて答えた。余程集中していたのか、二人に気づいた今でもテントからは張りつめたアトモスフィアが発されている。想像外の張力が満ちた空気に、シンヤのニンジャ第六感が警告を囁き出す。

 

(((ニンジャスレイヤー=サンに負けてからビビりすぎだぞ!)))怯えているのだろうと自分を叱り飛ばし、シンヤは一礼してテントに入ろうと靴を脱ぐ。その横でエミが靴を蹴り飛ばす勢いで脱ぎ捨てている。シンヤの顔が呆れと苦笑いに微妙に歪んだ。「ちゃんと靴を揃えなさい」「ハーイ」

 

返事は適当でもちゃんと注意は聞いていたようで、エミは自分の靴を丁寧に並べ直した。シンヤも履き物を揃えると、ノレンを開けてワタナベのテントへと足を踏み入れた。「あれ?」エミが不思議そうに表情を変えて首を傾げる。モータルの幼子であるエミでも判る違和感がテントを満たしていたのだ。

 

モータルですら判る異常ならば、ニンジャには警報装置のベルを耳に当てられているに等しい。シンヤのニンジャ第六感は囁き声から金切り声へとボリュームを上げて、一秒でも早く戦闘態勢を整えろと叫び散らす。キアイを込めて抑えなければ、次の瞬間には黒錆色のニンジャ装束を纏っていただろう。

 

さらに皮膚感覚は岩めいた堅い超自然の触感を伝えている。緊張感もニンジャソウルの感触も、間違いなく出所はワタナベだ。だが、当人は一心不乱にテントの側面を見つめる目をちらりと二人に向け、直ぐに目線を元に戻す。訪ねてきた客に対して取るべき態度ではない。カナリ・シツレイだ。

 

そのワタナベが見つめる先の一点は、妻と娘だと自ら告げた写真一枚。その姿は二度と消えないように両目に焼き付けているようにも見える。最悪の想像がシンヤの脳裏を駆け抜けた。だが、エミにはそんなシンヤの内心など知る由もない。なので不思議さと好奇心に従いワタナベへと問いかけた。

 

「オジチャン、どーしたの? もしかしてオクスリの時間だったの?」コーゾやキヨミはワタナベと話し合い、子供たちにオハギ中毒は病気であり、オハギはその治療薬だと説明している。万に一つでも違法オハギや危険アンコに触れないようにするためだ。

 

「ゴメンよ、少し考え事をしていてね。それと……オクスリは要らない。もう、要らないんだ」返答のニュアンス、張りつめた雰囲気、穴が開きそうな写真への視線、そして脳裏に浮かんだ最悪の想像。全てを材料にニンジャ洞察力という一流カッポー・シェフの手が唯一無二の回答へと仕立て上げた。

 

(((ブッダム! 俺は何てウカツだったんだ……)))シンヤは絶望感と後悔に崩れそうになる表情を必死で押さえ込む。時既に遅し。シンヤの説得以前にウォーロックは動いていた。オハギ治療を餌にしてワタナベ、すなわちインターラプターにニンジャスレイヤーのテウチ(暗殺)を既に約束させていたのだ!

 

確かに『原作』でウォーロックの接触は、フジキドとの会話の後でパトロールの最中だった。しかしそれがどれだけの意味を持つのか。防衛隊の設立、テント区画の整理、避難訓練の実施。なによりシンヤ……ブラックスミスという『原作』に存在しないニンジャがここにいる。

 

ウォーロックはワタナベの現状を調べ上げていた。故にシンヤの存在と行動に注意を向ける可能性は十分以上にあった。フドウノリウツリ・ジツを駆使すれば気づかれることなく調査するなど容易い。そしてヒョットコ襲撃の妨害となる防衛計画の完遂より先に行動を始めたのだろう。

 

『原作』の被害を抑えようと自ら前提に手を加えておいて、なぜ『原作』通りに話が進むと思っていたのか? 自らのやらかしたウカツの余り、許しがあればセプクを望みかねないほどにシンヤは深く恥じ入る。だがシンヤは悔恨に歪むその目を堅く瞑り、心臓と同位置のオマモリ・タリズマンに拳を当てた。

 

イマジナリーカラテで手の内を晒し敗北まで植え付けられた? 自分勝手に『原作』を変革しておきながらその『原作』を前提に予定して動いていた? 確かに致命傷に等しい余りのウカツと言えるだろう。自分のバカさ加減に自嘲が溢れそうだ。

 

(((だが、それがどうした)))何が重要か、何が肝要か。それは家族だ。そして、家族はまだ傷一つ負ってはいない。これからも傷一つ負わせはしない。他人の台詞だが「後悔は死んだ後ですればいい」。絶望に打ちひしがれるのはサンズリバーの向こう岸で思う存分にするとしよう。今は行動あるのみ。

 

深呼吸一つで全ての迷いを吐き出すと、シンヤは覚悟を決めてワタナベからの呼びかけに返した。「それで、シンヤ=クンは何の用なんだい?」「そのオクスリと病気の件についてです」ワタナベの目つきが変わった。

 

【トロード・ザ・ホイール・オブ・フォーチューン】#3終わり。#4へ続く。


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