鉄火の銘   作:属物

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エピローグ【フォーチューン・ウィーブ・エピローグ・フロム・ティアーズ】#2

【フォーチューン・ウィーブ・エピローグ・フロム・ティアーズ】#2

 

「ドーゾ、お疲れさまです」「ドーモ」無色透明な液体をなみなみ湛えてきりりと冷えたコップを手渡す。キヨミから手渡された水を一息に呷った住職は口をへの字に曲げた。「なんだ、サケではないのか」姿は信心深い若ボンズだが、中身はゴミ山の中でカビ付きオカキをかじっていた時と変わりないようだ。

 

「一週間も経ってないのに生臭は早すぎますよ」「ショージンは遺族の仕事で、ボンズの仕事はアノヨまでの導きよ」ため息混じりのシンヤの台詞も、住職は呵々と笑って飄々と受け流す。(((遺族の悲しみを癒すのもボンズの仕事では?)))文句を言いたくもなるがこの破戒僧には馬耳東風。

 

小言など馬にネンブツ・チャントを唱えるようなものだ。尤もこの破戒僧ならネンブツにゼンモンドーで切り返しかねないが。追加のため息を吐きながら、シンヤはパイプ椅子の束を担ぐ。拍子に中古のブッダ像と目があった。くすんだ金の眼差しに何ともなしに見返すと防衛隊の集合写真が目に入る。

 

それが多くの遺影になると覚悟はしていたが、ほぼ全員が帰らぬ人となるとは想像できなかった。生き延びたのはシンヤとナンブの二人だけ。何かできたのだろうか、何ができたのだろうか。自分がジツにかからなければ。ワタナベ=サンのカイシャクができていたら。もし、他の転生者を想定できていたなら。

 

『たら』『れば』『もし』もう取り返せないIFが浮かんでは消える。「何を迷う」「過ぎたことを後になって悔いてるだけです」唐突な問いに振り返りもせずシンヤは答える。目の前の真鍮製ブッダが尋ねたと錯覚するほど声音は深く厚い。悩み惑い己に問い続け、ソンケイと功徳を積み重ねた者の声だ。

 

卑しい中身を豪奢な装束で覆い隠すことの逆。常の荒法師の様は他人を見定めるための物差しでもある。「ほう? ならばお主の救った者は皆無意味か?」「無意味など一つもありませんよ。意味を確かめる為のソウシキです」確かに喪った者は多く失った物は大きい。だからこそソウシキで犠牲者を弔うのだ。

 

それは死者を送り出す儀式であり、生者が歩き出す切っ掛けである。故人を思い返して喪失を受け入れ、再び人生を進む為に冥福を祈るのだ。ありもしないIFに溺れるつもりはない。「判っておるならよいわ」「お手数おかけします」振り返った先にはブッダめいて寝転び頬杖ついた不作法な後ろ姿。

 

「『もし』だの『たら』だの『れば』だの、下らんモージョーばかり書かれた色眼鏡はちゃんと外しておけ。人はボディサットバにはなれん。助けた者も、目の前も見えんぞ」「気をつけます」だがその声はやはり真摯に信仰を続ける一人の敬虔なボンズだった。寝ブッダの背中に深く一礼をするシンヤ。

 

その目にボストンバッグを担ぐ人影が写った。「モリタ=サン! もう出られるのですか?」「カナコ=サン、お世話になりました」ハンチング帽に草色のコートを纏う姿はフジキド・ケンジに他ならない。防衛戦で致命傷は更に深まったが、ニンジャ耐久力とリー先生の治療そしてチャドー呼吸が命を繋いだ。

 

それどころか一週間を経ずに日常生活を送れるほどに回復したのだ。驚くべきはナラク・ニンジャのソウルか、チャドー呼吸の力か。「タジモ村長には……」「キャンプの方々にはもうアイサツは済ませています。ではオタッシャデー」シンヤの言葉を切り捨てるようにフジキドは頭を下げる。

 

僅か一週間程度とは言え、世話になった相手に対して余りに伝法に過ぎる態度だ。しかし事情を知るシンヤにはその目に映る焦燥の理由が判っていた。命を捨ててフジキドを助け、死後までも導いてくれたドラゴン・ゲンドーソー。彼に託された孫娘ユカノの行方が知れぬままなのだ。

 

本来ならキャンプでのインターラプター戦の後、ワタナベ懇意の情報屋マイニチの調査結果を相撲バー”チャブ”にて手に入れる。そこからイッキ・ウチコワシに辿り着き、トットリーヴィルにて変わり果てた記憶喪失のユカノ……アムネジアとの再会を果たす。それが『原作』の流れだ。

 

だが現実にはフジキドとワタナベが酒を酌み交わす事はなく、ワタナベがマイニチにユカノの調査を依頼することもなかった。トライハーム、ウォーロック、そしてシンヤの行動の結果、繋がる筈の糸はブツギリとなってしまった。フジキドは目算の無いままにネオサイタマの闇に飛び出す他はない。

 

しかし、その糸の先を『原作』を知るシンヤは教える事ができてしまう。(((俺はどうすればいい?)))厳選した情報を伝えて『原作』に沿わせるべきか? 無関係の第三者として何も言わずに送り出すべきか? 『原作』を徹底的に崩しても全てを伝えるべきか?

 

『原作』に沿わせる利は、未来の情報をそのまま利用できる点だ。トモダチ園を守る為にもネオサイタマを襲う幾多の大波に先手を打てるのは大きい。だが、どうやって知る筈のない出所不明の情報を相手に信じさせるのか。運が良くとも妄言扱い、下手をすれば全ての情報を内蔵ごとぶちまける羽目になる。

 

それを恐れて黙っていればフジキドはネオサイタマの闇に帰る。当然ユカノの居所に当てはない。彼女を見つけ出せずとも『原作』第一部への影響は僅少だ。だが、フジキド無しならトライハーム来襲の時点で家族を喪っていた。恩人を助ける手段を持っていながら見捨てておいて家族に顔向けできようか。

 

ならばいっそ全てを伝えるか。そもそもウォーロックを殺した時点で決定的に『原作』から外れている。先行き不透明は今更の話なのだ。だが、それは未来を完全にケオスに叩き込むことでもある。巨大ニンジャ組織相手のイクサは全てが薄氷の勝利だ。『原作』を外れて勝てるのかはブッダも知らぬ。

 

既知の未来の利益を取るか、危険を冒さず無事を取るか、恩人への義理を取るか。時間感覚が遅延するほどの集中の中、シンヤはニューロンが焼き切れんばかりに思考を加速させる。重石を失ったヤジロベめいて脳内で三足の天秤が揺れ回る。

 

「何か?」「えー、その」シンヤの異常な集中と躊躇に気づいたのかフジキドの目が細まった。どう答えていいやらと視線を泳がし回るシンヤの目に留まったのは、フジキドの首筋から見える赤黒く汚れた包帯。そして、フジキドの向こう側で辿々しくパイプ椅子を引きずるオタロウの姿だった。

 

「……貴方の探し人の居場所についてです」言葉を絞り出した途端、空気がニンジャ圧力に一瞬で塗り潰された。「オヌシは何を知っている?」当然、圧力の出所はフジキドだ。足の裏から頭の先まで冷たい血の海に使っているかの如き感覚がシンヤを包み込む。

 

「彼女は思想的武装集団”イッキ・ウチコワシ”の元にいます」殺意とともに二重の意味を込めた問いかけをシンヤは意図的に無視して話を続けた。「どこで何を知ったかは知らぬが、それを信じるとでも?」ドライアイスのドリルめいた視線がシンヤの心臓に突き刺さる。

 

「判断は貴方に任せます」恐怖を堪えてリドルめいた台詞ではぐらかすシンヤ。(((俺は中途半端な卑怯者だ)))その胸の内は苦々しい気分で一杯だった。恩人への義理も家族を助ける未来知識も捨てきれなかったシンヤが選んだのは『原作』に沿わせるという玉虫色の回答だった。

 

「ならばオヌシの臓腑で裏付けを取るとしよう」そして優柔不断な八方美人が好かれる筈もない。ジゴクめいた声と共に空気が歪み殺意が収束する。最早カラテで無理矢理に自分の話を押し通すしかない。それを傷の癒えたニンジャスレイヤー相手にできるならばの話だが。シンヤは歯を噛みしめ気息を整える。

 

「シン兄ちゃんこれ何処に片づけるの?」その横合いから無邪気な声が二人を引っ叩いた。シリアスに傾いた空気を引き戻したのはリンゴ色のほっぺたしたオタロウだ。シンヤへと畳んだパイプ椅子を突き出している。「オタロウ、取り込み中だから後で頼む」何せ今から死に物狂いのイクサが始まる処なのだ。

 

「でもこれオネガイってキヨ姉ちゃんに言われたんだよ?」だが、お片づけに一所懸命なオタロウがそんなことを知る由もない。殺意を収束させすぎたせいで幼いオタロウにも危険が危ないと気づいてもらえてないのだ。シンヤとしては張った気力が緩んで分解しそうな心境だが、こうなった以上致し方ない。

 

「ああもう、判った判った。お堂裏の倉庫に置いといてくれ」「判った!」危ないからさっさと行けとひきつり顔で説明するシンヤに対し、元気一杯に全身で頷くオタロウ。「あれ? モリタ=サン、どっか行くの?」一刻も早い待避を願う兄の内心とは裏腹にオタロウはフジキドの存在に気づいたようだ。

 

「……ああ、そろそろオイトマさせて頂く処なんだよ」「そーなんだ。あっ、モリタ=サン! 助けてくれてアリガトゴザイマシタ!」キヨミの話を思い出したオタロウは礼儀正しく上半身全部でオジギした。赤黒のニンジャは彼だと教えられている。そして恩には恩を返すべきとも。つまりインガオホーだ。

 

「イエイエ、ドーモ」「ドーモ! じゃあね!」黙礼で返礼するモリタにもう一度オジギすると、オタロウはパイプ椅子をエッチラオッチラ引きずって倉庫へと向かっていった。その背中を見つめるフジキドからはもう凍える血風は吹いてはいない。オタロウとトチノキの歳は近い。色々と思い出したのだろうか。

 

「探し人がイッキ・ウチコワシとやらに居るというのは事実か?」「アッハイ、記憶を失ったユカノ=サンはそこにいます」唐突な言葉に慌てつつシンヤは何とか返せた。余計な情報を漏らしたような気もするが誤差ということにする。そうか、と対するフジキドは無色の声で応じた。

 

その目が見遣るのは、片づけやったよと胸を張るオタロウと、よくできたねとその頭を優しく撫でるキヨミの姿。どこにでもあるようなありふれた幸せな家族の光景。透明な静寂が空間を占める。「家族を大事にしなさい」不意にかけられたのは端的で平凡で、そして余りに重い戒めの言葉。

 

「ハイ。命に代えても」目の前で愛する家族を奪われ復讐鬼となったフジキドは、シンヤにもあり得た悪夢だ。その逆もまた然り。人間をやめてニンジャとなり果てようとも、家族を愛し家族を守る。己全てより大事な家族を失いニンジャとなったフジキドには、シンヤの姿はあり得て欲しかった夢物語だった。

 

「では改めて。オタッシャデー」「オタッシャデー」フジキドに向けて深くオジギし、シンヤは家族の元へと帰る。振り返ることなくフジキドはその場を後にした。先の光景と妻子の影が重なる。愛おしく狂おしい幸福な夢。だが夢は夢だ。三流ダイムノベルめいた夢想を振り払いフジキドは雑踏を抜ける。

 

ニンジャを目の前にしながらカラテ殺すこともインタビューで情報を抉り出すこともなく去る。ナラク・ニンジャが見ていたならば何たるセンチメントと声を上げて嗤うだろう。いや、呆れた惰弱ぶりに怒り狂うか。だが、カナコ・シンヤはソウカイヤに連なるものではなければ、邪悪ニンジャでもない。

 

誰を殺し誰を生かすか、全て己が決める。ニンジャ性に支配されはしない。ナラクに墜ちるつもりもない。(((これは、俺のイクサだ)))フジキドは、ニンジャスレイヤーは再びネオサイタマの漆黒へと帰った。

 

エピローグ【フォーチューン・ウィーブ・エピローグ・フロム・ティアーズ】終わり




BGMはバック・イン・ブラック

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