鉄火の銘   作:属物

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第一話【レイズマニー・フォー・オン・アイドル】#2

【レイズマニー・フォー・オン・アイドル】#2

 

「じゃあここで休憩ね!」「再会は十分後だよ!」「遅れないでくださいね!」「「「ミヅ! リヅ! ウヅ!! アリガトーッ!」」」長丁場のライブにはトイレ休憩が付き物だ。尤もこの短時間で長蛇の列を超えて用を足せる人間はほぼいないのだが。「便所行ってくる」「時間までに帰ってきてよ!」

 

「できたらそうするよ」休憩時間でもテンションを落としてたまるかとBGMに合わせてホロ投影とラインダンスを始めたモーターヤブを背後に、シンヤはバイオウナギめいて滑らかに人混みの中をすり抜ける。お手洗いに向かう人波に紛れてグラウンドを抜けると、ドーム内通路を音もなく進む。

 

目指すはライブ会場の裏手、スタッフオンリーのスペースだ。袖口に居たと言うことはそこに彼は進入している筈。『職員専門』『入門禁止』とステッカーの張られたドアは直ぐに見つかった。「「「ミヅ! リヅ! ウヅ!!」」」バリキ臭を漂わせたフーリガンが狂った目でドアを叩いていたから簡単だった。

 

「オイオイ……」予想外極まりない光景に思わず会ったこともないガンドーの口癖を呟くシンヤ。こんな事をしたところで応援するアイドルが喜ぶとは到底思えない。だがアイドルへ熱情をぶつける事が全てと化したフーリガンにはそんなことはどうでもいいのだ。ただ溢れる感情と欲望のままに暴走するのみ。

 

困惑するシンヤの前でフーリガンを押し出すようにドアが開いた。中から出てきたのはステージ脇にいた見覚えのある顔立ちと高級スーツの人物。彼は若々しくも渋い声音で礼儀正しく退去を促す。「ドーモ、シュンセダイのファンの皆さん。申し訳ありませんが関係者以外立入禁止です。お引き取りください」

 

だがそれで引き下がるような人間ならこんな事はしない。「「「ミヅ! リヅ! ウヅ!!」」」「皆様のご好意は有り難いのですがアイドルの迷惑となります。お帰りください」「「ミヅ! リヅ! ウヅ!!」」「ご退出ください。これ以上は警備員を呼ばせて頂きます」「ミヅ! リヅ! ウッ……!?」

 

気づけば声は一つまた一つと数を減らし、最後となったフーリガンが呻き声と共に気を失った。崩れ落ちたサポーターの背後には特徴らしい特徴のない学生ファンの姿。ただ、険のある目だけが外観離れした冷たい視線を放っている。「興奮のしすぎでしょうか、急に気を失ってしまいました」「アナタは?」

 

死んだ虫を語るような無感情な声色で欺瞞的台詞を呟くと、学生ファンは両手を合わせた。「ドーモ、モリタ=サン。お久しぶりです、カナコ・シンヤです」モリタ、カナコ・シンヤ。言われた側には聞き覚えのない名前だった。「初めまして、私はサンドリヨン企画プロデューサーのタケウチです」

 

「演技はもう十分です、モリタ=サン。何忍が潜んでいるんですか? 目的は何です? 所属組織は? キリステ紋はありましたか?」「スミマセン、何方かと勘違いをされておられませんか?」「だから演技はもう十分と……」シンヤは不意に気づいた。剽悍な顔立ちは驚くほど似ている。だが違う。

 

「も、もしかしてモリタ=サンではないと?」目が違う。全てを失ったフジキド・ケンジの目は死人のそれだが、目の前の御仁は情熱を秘めた生者の目をしている。「ハイ、私はプロデューサーのタケウチです。モリタ=サンなる方とは無関係です」欺瞞ではない。差し出された名刺にもそう書かれている。

 

「ド、ドーモ、スミマセン! 知り合いの方と非常に似ていたもので! タイヘン・シツレイ致しまして!」シツレイを雪ぐべく水飲み鳥めいた高速で頭部を上下させるシンヤ。恥じ入るあまりその顔は先日のアキコ同様の赤一色に染まっている。「いえ、お気になさらず。私どもとしても助かりましたので」

 

騒動になる前にフーリガンが取り除けた以上、タケウチは礼を言えども文句を言う気はない。しかし、シンヤからすれば無関係の人間をニンジャ絡みの騒動に巻き込む処だったのだ。「ご迷惑をおかけしました! オタッシャデー!」手早く気絶フーリガンを縛り上げるとシンヤは逃げる様にその場を去った。

 

角を曲がる瞬間、火照った額の内側に見えない爪が立てられた。しかし儚い一瞬の感触に気を向けるよりシンヤはその場を去ることを優先した。一陣の突風を思わせる速度で消えた学生ファンにタケウチは目を丸くする。その背後で小柄な緑のシルエットが扉の隙間から流れるように姿を現した。

 

「タケウチ=サン、もうダイジョブですか?」「ええ、チドリ=サン。親切な方のお陰でフーリガンは居なくなりました。回収に警備員を呼ぶ必要がありますが」拘束されたフーリガンにサイドオサゲのマネージャーは大げさに安堵の息を吐いた。「ああ、怖かった」「ご心配をかけたようでスミマセン」

 

「今後は直ぐに警備員を呼ぶように致します。彼女たちの安全が一番ですから」内々で処理するよう上からはお達しが来ているが、アイドルを守る事が第一だ。神妙に頷くチドリだが不意に拗ねた顔を作ってタケウチの袖口を引いた。「じゃあ、私は何番ですか?」「……答えにくい事を聞かないで下さい」

 

一方、糖質過多な波動を発する現場より離れ、肩を落としたシンヤは来た道を逆に回っていた。「ブッダム……」便所帰りの人波をすり抜ける動きに淀みはないが、吐き捨てる四文字は自己嫌悪に大いに淀んでいる。何せ証拠もないのにモーターヤブとフジキド似の人影を矢印で結んでしまったのだ。

 

『ヘビを映したオチャで死ぬ』『疑い出すとキリがない』『ビョーキは気分の問題』哲学剣士ミヤモト・マサシが幾多のコトワザに詠んだ様に疑心は暗鬼を生じるもの。ソウカイヤの影に怯えるシンヤは、オムラかヨロシサンかと言うだけでキリステ紋が脳裏に浮かぶ程だった。

 

枯れ尾花のユーレイに竦み、風の音にシャウトを聞く。恐怖というノロイは逃げ続ける限り決して逃れようはない。『コワイに勝ちたい』弟はそう決意を顕した。それを聞き届けた自分の何と情けないことか。だがその恐怖に立ち向かうと言うことはソウカイヤに挑むと言うことだ。

 

それはトモダチ園どころか家族一人一人の背景をも調べ上げているシンジケートに挑むと言うことだ。それはあのインターラプターすら手駒一つに過ぎないニンジャ軍団に挑むと言うことだ。全てを奪われた復讐鬼故に、ニンジャへの憎悪の化身を宿すが故に、ニンジャスレイヤーはソウカイヤを討てた。

 

それを守るべきを抱え込み、2流にようやく届いた自分が行う。夢はフートンに入って見るべきだ。(((『原作』に縋った挙げ句の他人頼り。何時まで俺は逃げ続けるんだろうか)))鬱々とマイナス思考に浸るシンヤ。だから見覚えのある人影が目の前に来るまで気づかなかった。

 

「タケウチ=サン? 何かご用で……え」違う、タケウチではない。彼は職員控え室にいた。控え室から離れるシンヤの前からは来ない。彼は高級なスーツ姿だった。NSTVの特派員ジャケットは着ていない。彼の隣にいたのはサイド・オサゲの事務員だ。コーカソイドのリポーターではない。

 

そして何より彼は死んだ目をしていない。「ドーモ、カナコ=サン。イチロー・モリタです。何故オヌシがここにいる?」その目をしているのはフジキド・ケンジ、すなわちニンジャスレイヤーだ。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「ドーゾ」「ドーモ、ありがとうございます」舞台袖から戻ったタケウチは、チドリからコールド・コブチャを受け取った。よく冷えた水気と塩気がライブの熱気を浴びて汗を滲ませた身に有り難い。関係者控え室備え付けのCRTディスプレイには全身全霊で歌い踊るシュンセダイの三人が映し出されている。

 

「ようやくここまで連れてこれました」鋭い目を柔らかく細めたタケウチが熱を帯びた言葉をこぼす。シュンセダイの三人は彼が靴底をすり減らして見つけだした原石だった。初舞台の失敗、グループ内の不和、上層部からの方針変更。幾つもの障害を乗り越えて今、彼女達は大舞台で存分に脚光を浴びている。

 

(((私、トップアイドルになりたいんです!)))名刺と交換に聞かせてもらった夢は、ネコネコカワイイが現れて以降少女達の誰もが諦めた夢物語だった。だが今、その夢に続く階段を彼女たちは力強く駆け上がっている。カイシャ名の通りに彼女たちはシンデレラストーリーを叶えたのだ。

 

感無量と目頭を押さえるタケウチに淡い緑のハンカチが差し出される。「タケウチ=サン、これまでご苦労様でした」「ありがとうございます、チドリ=サン。でもここからです。舞踏会はまだ始まったばかりですからね」「……いいえ、12時はもう過ぎたんですよ。魔法が解けて現実がやってくる時間です」

 

タケウチの詩的な台詞に返ってきたのは、同様に捻りを利かせていながらもぞっとする程に冷たい声音だった。驚いて見返した顔は常の柔らかな笑顔とは余りに異なっていた。ディスプレイに向ける目は出荷前の豚を見るような冷たい哀れみを帯び、薄衣のメンポに隠れる口元は他人の不幸に甘く歪んでいる。

 

「一体何を仰っているんですか? それにその格好は……」沸き上がる恐怖と想像を押し殺してタケウチは問いかける。その姿はまるでフィクションのキャラクターだ。シュンセダイがこんな仮装をした事も有る。だが放つ視線が、纏うアトモスフィアが、浮かべた冷笑が、これがリアルであると告げていた。

 

威容を露わにした彼女は頭を垂れてオジギした。「いい機会ですから改めてアイサツさせて頂きます。ドーモ、タケウチ=サン。シャイロックです」「アイェッ!?」恐るべき真実を前に押さえきれない悲鳴が喉の奥から漏れる。疑う余地は最早ない。そう、チドリは……否、シャイロックはニンジャなのだ! 

 

邪悪な神話的存在が目前にいる。無関係の人間ならばNRSに打ちのめされ、失禁と共に崩れ落ちていただろう。だがタケウチは意志力を総動員して脅え竦む肉体の手綱をとった。「……チドリ=サン、いえシャイロック=サン。先ほどの言葉の意味、改めて伺わせていただきます。どういう意味ですか?」

 

驚きに一瞬目を丸くしたチドリは、ワガママする子供に言い聞かせるように言い含める。「彼女たちは引退するんですよ。寿退社ですね。今日が最後のライブになります」「そんな話は一度も伺ってません!」シュンセイダイのプロデューサーである自分に彼女らの進退に関わる話が来ない筈がない。

 

恐怖をも超える激情のまま声を荒げるタケウチだが、チドリは凍える笑みを張り付けてカミソリめいて目を細めるだけ。「この後に彼らとの契約がありますし、これもいい機会ですね。我が社の本業についてもオハナシ致しましょう。タケウチ=サン、今回のライブ予算の大本はご存じですか?」

 

アイドル売り出しとCD販売がサンドリヨン企画の主要業務だ。四季報にも書かれている。それが出所の筈だ。「それはファンの皆様が……」だが口にするタケウチの言葉は自身でも信じきれない疑念を帯びていた。オムラ製暴徒虐殺兵器のバックダンサー、ネオサイタマでも一二を争う巨大ドーム貸し切り。

 

経理担当外のタケウチでも異常な予算が想像できる。幾ら熱狂的ファンからの課金があっても、今日のライブ予算一つにすら到底足りない筈なのだ。「それでは不可能だという事にアナタも気づいている筈でしょう?」「なら何で儲けているというんですか? それが彼女たちの引退話と何の関係があると!?」

 

「我が社ではアイドルを『売り出して』いるんですよ」婉然と笑みを深めて当然と告げた台詞。言葉だけならタテマエと何一つ変わらない。だがその一言でタケウチの顔が色と血の気を失った。「表向きには寿退社として、ね。今まで何人もいたでしょう? 今回はアナタが担当したアイドルだっただけですよ」

 

「じゃあ彼女たちは……」返答は嘲りと蔑みをたっぷりと含んだ邪悪な微笑だった。「私たちがマニーで女の子の夢を叶えて、代価に人生を売り払う。闇カネモチは青い果実を貪り、その売り上げで私たちがマニーを得る。正にWin-Winですね」「それのどこがWin-Winでグワーッ!?」

 

椅子を蹴倒す勢いで立ち上がったタケウチの喉笛をシャイロックが掴みあげた。たおやかな女ニンジャの細腕に長身で男性のタケウチが身動き一つとれない。「私はアナタを高く買っているんです。下らないことで失望させないでください」「グワーッ! ……どこが、下らない、ことですか! ……グワーッ!」

 

「ど こ が ? 叶いもしない夢を見て、与えられた成功に酔って、そして最期はこんなはずじゃないと泣き叫ぶ。そんな人間の末路を『下らない』以外の言葉で表現できますか?」「私は、その人生を、『尊い』と、表現します!」全身で嘲笑していたシャイロックの目が明確な苛つきに歪んだ。

 

苦痛に喘ぎながらもその目をタケウチは真っ直ぐ見据えた。DNAに刻まれた屈従を意志でねじ伏せて、思いを込めた言葉を叩きつける。「叶うと決まった夢はなく、一人だけで得られる成功などなく、思い通りに終わる人生もありえません! だからこそ、彼女たちの挑戦と努力は『尊い』のでグワーッ!」

 

180cmを超える長身が宙に弧を描き、叩きつけられた長机が砕けた。「綺麗事に縋って何ができますか!? 契約書一つでジゴクに落ちるアイドルに! 私の手一つ逃れられないアナタに! 惨めに泣き叫ぶ以外何かできるとでも!?」砕けた長机に沈むタケウチに激烈な怒気を孕んだ台詞が叩きつけられる。

 

か弱いモータルならそれで心臓を止める程の罵声。ニンジャの本気の怒りだ。「アイドルは歌う事ができます! 私たちは彼女たちを支える事が、できます!」だが、タケウチは吠えた。半神的存在を前にして一歩も引かずに信念を叩き返す。その言葉が、姿が、信念が、『チドリ』のカンニンブクロを点火した。

 

「黙れ……だまれっ! だまれっ! だまれっ! だまれーーーっ!!」「グワーッ! グワーッ! グワーッ! グワーッ!」何度も、何度も、何度も。溢れる感情のままブザマに拳を叩きつける。そこには一片のカラテもない。あるのはただ怒り狂った、或いは泣きわめく子供めいた姿だけだった。

 

「ハァーッ、ハァーッ、ハァーッ」気づけば握りしめた拳は返り血で汚れきり、CRTディスプレイに映るライブ映像は次の曲を披露していた。シャイロックは反射的にかつて長机であった残骸を探る。「アバッ……チド……セ……」幸運なことにニンジャの暴力に曝されて尚、タケウチには未だ息があった。

 

それはブッダの慈悲か、それとも『チドリ』の無意識が彼を生かしたのか。震える吐息が漏れる。その目は無数の感情に揺れていた。「闇医者を呼びました。それと闇カネモチにはビデオレターを送らせます」胸中に沸き上がる痛みと重体のタケウチから目を逸らして、シャイロックはIRC端末を懐に納めた。

 

「闇クリニックのベッドで、シュンセダイとその夢の末路を鑑賞なさい。アナタのオメデタイ頭でも少しは現実が判るでしょう」呻くタケウチに目を向ける事なく関係者控え室のドアに手をかける。意識のない彼に向けるのは悪趣味で残虐な実にニンジャらしい台詞。それは自身に言い聞かす様にも聞こえた。

 

【レイズマニー・フォー・オン・アイドル】#2おわり。#3に続く


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