鉄火の銘   作:属物

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第三話【イグナイト・ミクスチャー・オブ・マッドネス・アンド・オブセッション】#2

【イグナイト・ミクスチャー・オブ・マッドネス・アンド・オブセッション】#2

 

割れ砕けたネオン看板に、千切れて穴だらけのPVCノボリ。ハッカー・ドージョー”クワーティ”は紛れもなく廃墟だ。近づく人影もなく、重金属酸性雨に侵されながら朽ちる日を待っている。ならば漏れる光と音は何だ。そう、中には真っ当な人生から外れた誰かがいるの『TELLLLLL!』ブチッ!

 

……誰かがいるのだ。それが人を害する悪ならば、打ち倒して正義を示すのがニンジャスレイ『TELLLLLL!』ブチッ! ……ニンジャスレイヤーの使命『TELLLLLL!』ブチッ! ……使命に他ならな『TELLLLLL! TELLLLLL!』バキィッ!

 

青筋を立てたセイジはIRC端末を思い切り叩きつけた。(((人を害する悪を打ち倒して正義を示すのがニンジャスレイヤーの使命に他ならない)))コールに乱れたヘイキンテキを整えるべくコンセントレーション儀式を再開する。理想像(ヒーロー)が未だ成さぬ正義をこの手で果たす。自分が果たさなければならない。

 

武装を整え、カラテを鍛え、今こそ真のニンジャスレイヤーとな『TE、L……TEL、L』断末魔めいた着信音にマスクの下の表情が歪む。壊れかけた電話機を鳴らすのが誰かは判っていた。ドージョーのヤング・センセイ。病気をしてないか、ちゃんと食事は食べてるのか、ドージョーに顔を出して欲しい。

 

そんな益体もない理由で未だに電話をかけてくる。もう声をかける者も、期待をかける者もいないと言うのに。ニンジャスレイヤー活動を始めてから随分と時間がたった。学校に行ったのは何日前だったか。ドージョーに最後に顔を出してからどれだけの日が過ぎたのだろうか。もう覚えてもいない。

 

ひたすらに悪党を殴り倒し理想像(ヒーロー)の正義を示す毎日。だが未だにオリジナルの影も形も見えない。自分は何か間違えているのではないか? 「……ニンジャスレイヤーに過去は、ない。ニンジャスレイヤーに、慈悲はない」沸き上がる疑問と恐怖を消そうと、ネンブツめいた定義文を自身へと言い聞かせる。

 

「ニンジャスレイヤーに容赦はない……ニンジャスレイヤーに感傷はない……」自分の弱さを追い出すべくひたすらにニューロンに反復し、刻み込む。その姿はカルト教義に縋る狂信者に似ていた。差し出された救いの手を拒み、妄信と快楽に依存して破滅の坂を転がり落ちる。それは今のセイジそのものだった。

 

「ニンジャスレイヤーに恐怖はない……! ニンジャスレイヤーに敗北はない……!」惰弱な人間性を拒み、自作マントラを暗唱する度に内面へと狂気が注がれる。揺らいでいた精神が満ち溢れる狂気で固定されていく。或いは迫る現実からより強く目を逸らしたのか。どちらにせよ、それを告げる者はいない。

 

早鐘を打つ心臓が沸き立つ興奮を全細胞に送りつける。しかし脳髄はフラットな冷徹さに満ちている。燃えんばかりの憎悪に凍り付いた殺意。一切の慈悲も容赦も良心もない。廃墟から漏れる明かりが『忍』『殺』の二文字を照らし出す。「俺はニンジャスレイヤーだ! 俺が! ニンジャスレイヤーだ!!」

 

理想像(ヒーロー)と一つになったセイジ……狂人は怒れる足取りでハッカー・ドージョーへと踏み込んだ。『LAN直結以上』『打鍵して』『生身、よってスゴイ』壁の汚れと一体化したかつての標語ポスターが狂人を出迎える。荒れ果てたモットー回廊は廃墟に流れた時間の長さを告げるようだ。

 

それと比較すれば床の瓦礫は全くと言っていいほど少ない。しかも丁寧に掃き清められ、歩きやすく端に寄せられている。頭上の新品蛍光ボンボリ同様に、ここを住処とする誰かの手によるものだろう。その誰かは思いの外早く見つかった。赤錆に覆われた鋼鉄フスマに仁王立つ二つの影。

 

同じヤクザスーツをまとい、同じネクタイを締め、同じサイバーサングラスを身につけている。まるで双子めいている二人だ。否、『めいて』いるのではない。二人は完全な同一であった。全く同じ体格で、全く同じ顔形で、全く同じ遺伝子を持っている。タンを吐き捨てるタイミングまで全く同じだ。

 

裏社会に詳しい者ならば写し鏡としか思えない彼らの正体をすぐさま言い当てるだろう。そう、彼らはブッダをも畏れぬヨロシサン製薬が生み出した、狂科学の到達点『クローンヤクザ』なのだ! だがしかし、何故ヨニゲ済みの廃墟ドージョーに裏社会の新鋭商品がいるのか? 

 

(((そうか、ヨタモノがヤクザと手を組んでいるんだな)))半ばドロップアウトしているとはいえ、学生でしかない狂人がその疑問を抱くことはない。独りよがった脳内妄想に従い、独善の正義を成すだけだ。必殺のカラテを引き絞り、殺意を拳につがえる。「悪人どもめ、今すぐに叩き潰してやるぞ……!」

 

「何か聞こえましたね」「はい、何か聞こえましたね」青白い顔を合わせ鏡めいて見合わせる二人。警戒レベルを引き上げ、懐のチャカ・ガンに手を伸ばそうとする。だがそれは僅かに遅かった。「イヤーッ!」狂気と狂喜に目を光らせて、血染めの矢と化した狂人が飛びかかったのだ! 

 

「グワーッ!?」「死ね! 悪党め! 死ね!」「ザッケンナコラー!?」BLAM! BLAM! BLAM! 「グワーッ!」「スッゾオラ「イヤーッ!」グワーッ!」「イヤーッ! 死ね! イヤーッ! 死ね! イヤーッ! 死んでしまえ!」「「グワーッ!」」……

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

ドゲザするハッカー集団の耳に微かな音が届いた。聞き違いではない。自作の黄色い水溜まりにも振動の同心円が描かれている。「迷い込んだヨタモノか? ……いや、違うな」床に擦り付ける頭蓋の上で怪物が呟いた。常人の三倍では収まらない怪物の五感なら、何が起きたかを容易く聞き取れるのだろう。

 

しかしモータルに過ぎないハッカー達には、ただ願うことしかできない。この音の主が救いの手であってくれ。怪物に囚われた自分たちのヒーローであってくれ。神様、ブッダ様、オーディン様、ペケロッパ様。助けてくれるなら何でもいい。何にだって帰依するし信じる。だから助けて、お願いだから助けて。

 

祈りは届いたのか、物理的圧迫を伴う怪物の圧力が遠のく。恐る恐る顔を上げれば、怪物は致命的な殺意を込めて闇を睨んでいる。そして祈りと殺意を受けてそれは現れた。ナトリウム・ボンボリに照らされる血の色した影法師。メンポに刻む紋様は菱形正方形ではなく、紅蓮で描いた『忍』『殺』の二文字だ。

 

だが二人の違いはそれだけだった。双方はよく似た装束、よく似た頭巾、よく似たメンポを身につけている。そいつは怪物とまるで同じ、ニンジャの姿をしていたのだ! 「「「アィェェェ! ナンデ? ニンジャナンデ?」」」ハッカー達の悲鳴にも疑問の色が混じる。ナンデ? どうして? 二人もニンジャ?

 

それは二人も同じだった。「ニンジャ!?」「ニンジャスレイヤー=サン!?」互いにぶつけた驚愕を弾き合うように間合いを離す。ニンジャ反射神経に従い、玉髄めいた装束のニンジャは先んじて掌を合わせた。「ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン、フリントです。何故貴様がここにいる!?」

 

本物のニンジャスレイヤーならばアイサツと共に『状況判断』、或いは『通りすがり』とでも返しただろう。だが彼はニンジャスレイヤーでもなければニンジャでもない。本来ならNRS(ニンジャリアリティショック)で失禁しながら崩れ落ちる只のモータルだ。だが今はNRSを振り切る程に妄想を加速させた狂人でもある!

 

「ドーモ、俺がニンジャスレイヤーだ! イヤーッ!」アイサツ代わりに宣言を雄叫び、狂人が弾道跳躍カラテパンチで決断的に飛びかかった! 「イヤーッ!」驚愕覚めやらぬフリントは条件反射的チョップで迎撃を試みる。電灯に煌めく縞文様と闇に沈む赤黒が交錯する! して、結果は!?

 

「グワーッ!」言うまでもない。血の弧を描いて跳ね飛んだのは狂人だった。平安時代の日本をカラテで支配した半神的存在がニンジャなのだ。真っ正面からのカラテ勝負でモータルがニンジャに勝てるはずがない。シロオビがブラックベルトに負けるように、当たり前の事が当たり前に起きただけのことだ。

 

フリントはチョップの血と共に悪態を吐き捨てた。「ブッダミット! ニンジャマニアックが脅かしやがって!」「ニンジャじゃないナンデ?」「ニンジャ違うの!?」「検索しても出ないよぉ……」驚くドゲザハッカー達には違いが掴めない。だが、拳を交わしたフリントには判っていた。

 

カラテは雄弁なる無言のコミュニケーション。相手がモータルである事など一発で理解できる。「ファック!」そして、噂に悪名高いニンジャ殺しの狂人かと警戒した、自分の滑稽さもまた判る。恥をかかせてくれた分、この非ニンジャのクズをたっぷりといたぶり絶望させてやらないと気が済まない。

 

「ヌゥー」「ヘィ、カモン!」苦痛を堪えて立ち上がる狂人へ向けて、フリントは両手のファックサインで下品に手招きする。「ホーラ! ホーラ! ガンバレ!」ディセンション前から変わらない、下劣な品性と底意地の悪さが透けて見えるようだ。

 

「ヌゥーッ!」嘲笑を受けて声音が苦痛から屈辱を堪える色合いに転じた。湛えた恥辱が注がれて着火寸前のカンニンブクロが爆発する! 「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」右カラテパンチ! 左カラテアッパー! 左回転ケリ・キック! 右直線後ろ蹴り! 猛火の如き苛烈なカラテ4連撃だ!

 

ただし、それはモータル視点の話だ。「ワォ! カラテ!」WHIZZ! 拳が残像を貫き、蹴りが空を切る。玉髄めいたニンジャ装束に掠りもしない。弾丸を視認して回避してみせるニンジャ動体視力からすれば、モータルの拳など蚊が留まって血を啜れる程に遅いのだ。

 

「イヤーッ! 「ホラホラ!」イヤーッ! 「ホラホラ!」イヤーッ!」フリントは更なる連打を演技臭い大仰なパリングでわざとらしく捌く。一撃毎に嘲りの合いの手も忘れない。「ワー! スゴーイ! オジョーズ!」無傷なフリントの誉め殺しが狂人の神経をヤスリで逆撫る。

 

「ヌゥゥゥッ!」今すぐにでも撲殺したい! 否、してやる! だが、その時! 『また負けちまうぞ? そうやって簡単に熱くなるなよ、カラテ王子』記憶の奥底から、今はいない友がマッタをかけた。そうだ。感情任せに殴るためではなく、意志をもって倒すためにここにいるのだ。拳を握り直し、腰を落とす。

 

「スゥーッ、ハァーッ」腹の底で煮えたぎる熱が長い息に乗って吐き出される。記憶に残るセンセイの指導通りにデント・カラテを組み立て直す。お前はニンジャスレイヤーだ。感傷や感情に振り回されてはニンジャスレイヤー性を損なう。憎悪が滾っても殺意は凍っている。それが理想像(ヒーロー)なのだ。

 

「ヘー、ホー、フーン」急に冷静さを取り戻した狂人に、フリントは気のないそぶりで答えた。玄人気取りのカラテ演舞につき合わされる有段者めいたすげない態度。冷静になっても無意味との嘲笑的アッピールだろう。「スゥーッ、ハァーッ」狂人は婉曲的な挑発に答えない。ひたすらに深い呼吸を繰り返す。

 

授かった教えを一つ一つ解き直し、逸るカラテを静めていく。「スゥーッ、ハァーッ」『地に足を着けなさい。浮き足立てば子供の振り回す手と同じです』全身の中身を入れ替える程の深呼吸で、沸き立つカラテを沈めていく。「スゥーッ、ハァーッ」『カラテを考えなさい。しかし決断的でありなさい』

 

身体の奥底へと猛るカラテを鎮めていく。「スゥーッ、ハァーッ」『カラ、テを……己……に』ただ一つ解けない、死の床で授けられたインストラクション。秘跡の如く謎めいたコトダマをそのままに飲み下した。丹田でカラテが熱く堅く収束していく。それはカンニンブクロの中で点火を待つ殺意に似ていた。

 

そして、その時は訪れる。「イィィィヤァァァッッッ!!」BLAM! 銃声めいた踏み込み音と共に、ひび割れたコンクリートに足跡が刻まれる! 練り上げられたカラテが全エナジーを爆縮した核弾頭めいて放出したのだ! なんたるモータルの目には血の色した残映しか見えない程の圧倒的速度か! 

 

「ハハッ!」しかしニンジャの目には全て映っている。嘲笑いながら迫る拳を悠々と眼前で掴む。そのままベイビーサブミッションめいて捻り壊してやろう。その次は逆の手を砕いて、両足をへし折って、最後は股間を潰して殺してやる。非ニンジャのクズがニンジャに逆らった末路だ。格差社会を知るがいい。

 

そう、フリントの目には全て映っている。容易く掴み取った狂人の拳が映っている。「え」受け止めた筈なのに進み続ける拳が映っている。「え?」捻り砕くより速く顔面めがけて迫る拳が映っている。「エッ!?」首を反らしても避けきれずに頬にめり込む拳が映っている。

 

「グワーッ!?」拳を掴んだ自分の掌ごと殴り飛ばされてフリントは床を滑った。巻き上がった埃が移動経路の残像を描く。「ハァーッ」ザンシンもなく打ち抜いた体勢のまま、狂人は長い息を吐いた。拳に乗せきれなかった余剰のカラテが熱気へと転じる。逆光の中、輪郭は揺らめく陽炎を纏っていた。

 

「ウ、ウィザード!」「ブッダ!」「スゴイ!」神々しいまでの光景に迷信深いハッカー達から解放と随喜の涙が滴る。神秘を知るものは赤黒の影法師を悪竜の返り血に染まった英雄と重ねた。竜殺しの神話に隠された真実同様、もっとも新しい伝説の始まりとなっただろう。そう、もしも殺せていれば。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

ネオサイタマの片隅の、訪れる者無き廃墟で一つ奇跡が起きた。歴史に隠された真実を知る者ならば誰もが目を疑うだろう。死神を装った定命者(モータル)が、恐るべき半神(イモータル)を殴り倒したのだ。狂人は演じる神殺しの如くカラテを以て邪神を地に沈めた。それはまさに新たなる神話の始まり、とはならなかった。

 

狂人にはハガネ・ニンジャ討伐を成した狩人程の悪運は無かったからだ。「イヤーッ!」「グワーッ!?」突如響く怒りに満ちたカラテシャウトと同時に狂人は背中を蹴り飛ばされた。弓なりになって前へと吹き飛ぶ赤黒の影。その先には玉髄めいて煌めくニンジャが……いない!? 

 

それもその筈、背後からケリ・キックを叩き込んだのは()()()()()()()フリントだった。だが、どうやって? 「非ニンジャのクズがぁ! ブッコロッゾオラーッ!」「グワーッ!」答えは今見た通り。『跳躍し』『逆側に回って』『カラテ』だ。ただし枕詞に『常人の三倍のニンジャ瞬発力で』と付くが。

 

なんたる狂人の認識をも置き去りにするニンジャ瞬発力とニンジャ反射速度の超常的コラボレーションか! 狂人は鳩尾を突かれて真後ろに吹き飛「イヤーッ!」「グワーッ!」脇に膝を食らい真横に吹き飛「イヤーッ!」「グワーッ!」顎を掌底で打ち抜かれて真上に吹き飛「イヤーッ!」「グワーッ!」

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「グワーッ! グワーッ! グワーッ! グワーッ! グワーッ! グワーッ!」上へ! 右へ! 下へ! 左へ! 前へ! 後ろへ! バンパーに弾かれる3Dピンボールめいて人体が軽々と弾き飛ぶ! まだ死なない事が不思議な程の徹底的カラテ連打だ!

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」狂人は二度とスマートボールを遊ばないだろう。打ち回されるボールがどれほどアワレか身を持って思い知ったのだから。「イヤーッ!」「アバーッ!」それに、そもそもゲームセンターに足を運べる筈もない。たった今、回復不可能なレベルで脊椎を叩き折られたところだ。

 

「アバッ」狂人はうつ伏せに崩れ落ちた。もう二度と立ち上がれない。背中に乗った安全ジカタビが、ニンジャ筋力のトルクでめり込んでいく。CRAK! 「アババッ」CRAK! 「アバーッ!」CRASH! 「アババーッ!」背骨が音を立てて砕ける度、まな板のバイオウナギめいて痙攣でのたうった。

 

それは素人目にも判る致命傷だった。狂人が死んでないのは単にフリントが殺してないからだろう。「「「……ァィェー」」」縋る救い主が一方的に打ちのめされ弄ばれる様は、ハッカー達の精神に最後のトドメを加えた。既に膀胱の中身全てを失禁して恐怖も出し尽くした彼らは、ただの空虚と化したのだ。

 

無色のノウ・オメーンにはめ込まれたガラス玉の目が、何もない虚空だけを見つめる。彼らは幾多の表現者が求めてやまない『無』そのものを体現していた。その表情はフリントを存分に満足させた。キョートの奴隷オイランを思い出させる表情。格差社会の最底辺たる非ニンジャはこうでなくては。

 

だがその表情が曇った。「チィッ!」「ヌ、ゥ」頭巾と装束は血みどろに破れ、メンポめいたマスクも吹き飛んだ。だが踏みにじられる狂人の目には、未だ紅蓮に燃える殺意が宿っていたのだ! ALAS! 散々にニンジャの暴威を味わい、狂気を超える苦痛に打たれ、終いには背骨をもへし折られたというのに!

 

「フンッ!」「ヌグワーッ!」踏みつける力を増すが、絶叫の音量と視線の敵意が増すばかり。心折れるまで更に痛めつけるか? ダメだ、絶望させる前に死ぬ。でも、このまま死なせてはムカツク。ならどうする。思索を回すフリントの視界に入ったのは虚無で絶望を浮き彫ったハッカー達の顔だった。

 

「ホー、ホー、ホー」菱形正方形を刻んだメンポの下で、悪童と外道を足して2をかけた卑しい嗤いが浮かぶ。惚けてうずくまるハッカー達から一人を引きずり出した。「ァィェー? ……グワーッ!」腕を捻り上げれば、肩が、肘が、手首が音を立てて外れる。文字通りにベイビーサブミッションだ。

 

フリントは苦痛に呻くハッカーの耳元に二三言囁く。「え……グワーッ! ヨロコンデーッ!」腕をもう一捻りで彼は首を縦に振った。「サンッ、ハイッ!」「た、助けて……ヒーロー=サン、助けてェ……」「ヌゥーッ!」それは監督の悪意しか伝わらない、お遊戯会以下の素人劇。それで十分だった。

 

「タスケテー、オネガイします、タスケテ……こ、これでいいですか?」「ウン、ウン」怯えて振り返ったハッカーにニンジャ頭巾が深く頷いた。メンポ越しでも判る満足げな表情に、ハッカーもお愛想めいて弛緩した笑みを浮かべた。「イヤーッ!」その首が飛んだ。安堵したまま死ねたのは幸運だろう。

 

コロナビール瓶めいて首が吻ねられ、コロナビールめいて噴き上がる血が辺りを染める。「クッハハハハハハ!」「ヌグゥゥゥゥッッッ!!」動機はどうあれ人助けに来た相手へと、助けを乞わせた上で目前で殺す、なんたる悪意的三文芝居か! おお、ブッダよ! 貴方はまだ目を閉じているのですか!?

 

「ヤメテヤメテヤメテ……アバーッ!」「何でもします! 前後もします! ハッカーもやめます! だからタスケ……アバーッ!」「ァィェー……アバーッ!」助ける筈の人が目の前で殺されていく。唯一動く両手で必死に這いずるが小石めいて蹴り転がされる。殺さないよう手加減されて、死なさないよう弄ばれる。

 

「ザッケンナ! ザッケンナ! ザッケンナァァァッ!!」爪が剥がれるまで床を掻いて、歯がひび割れるまで食いしばって。それでも自分は何一つできない。苦痛と絶望、無力感と敗北感が涙と共に溢れかえる。歪んだ視界の中で新たな役者がギロチン台に据えられた。

 

「……ナンデ、助けてくれないんだよ?」新しい死刑囚は今までと少し様子が違った。皆が処刑忍に縋り、命乞い、助けを求めた。この一人だけが狂人だけを見つめている。憎悪にも似た惰弱さを、憤怒にも似た怯懦を湛えた目。理不尽に踏み砕かれた敗北者が、理不尽に踏みつけられた被害者が睨んでいる。

 

「お前は助けに来たんだろ!? ヒーローなんだろ!? なのにナンデ助けてくれないんだよぉ!」彼は自ら言葉の刃を赤黒のルーザーに突き立てる。「それとも偽物かよ! 期待したのに! 助かると思ったのに! バカ! バカ! バカ!」救い手だった筈の相手に、罵声の斧を振り下ろし、非難の鉈をねじ込んでいく。

 

CRAP! CRAP! 「クッハハハ!」想定以上のアドリブ劇に手を叩いて笑うフリント。ギロチン・チョップの手も緩もうものだ。英雄病末期患者の非ニンジャに相応しい中々な見物。さあ、もっとブザマを見せろ、俺を笑わせろ。存分に笑ったら? 決まってる、殺すのだ。

 

「エセヒーロー! ヒーローゴッコ! お前のせいだ! お前が悪い! ゴートゥー・アノヨ!」強大なストレスに晒された親ネズミは子ネズミを自ら食い殺す。理不尽に踏みにじられる弱者は、更なる弱者を踏みにじって苦しみから逃れんとするのだ! これが古事記に描かれたマッポーの光景なのか! ナムアミダブツ!

 

差し出した手を被害者にケジメされるが如き、裏切りのカタナが心をざっくりと切り裂いた。傷口から真っ赤な記憶が噴き上がる。血の色をした思い出に、目を逸らし続けてきた過去が映る。跳ね飛ぶ父の首。姉の胸に開いた大穴。母の両目にスリケンが生える。目の前で家族が虫けらめいて死んでいく。

 

その時『僕』は何をしていた? ……何もしてない。泣きじゃくりながら失禁して、怯え竦んで震えていただけ。あの日と何一つ変わらない。何のためにカラテを鍛えた? 恐怖(ニンジャ)に立ち向かう為だった。何のために理想像(ヒーロー)を真似た? 悪夢に打ち勝つ為だった。(((それで、このザマ?)))内なる声が嘲笑う。

 

(((お前はニンジャスレイヤーじゃない)))センセイの声で嘲笑う。(((お前はヒーローでもない)))友の声で嘲笑う。(((お前は何でもない)))家族の声で嘲笑う。(((お前は何も無い)))自分の声で嘲笑う。(((お前は無い)))喪った全てで嘲笑う。(((お前は無だ)))喪った全てが嘲笑う。(((無駄)))嘲笑う。

 

ピシリ、と幾つもヒビが走った。バキン、と音を立てて割れた。狂人は、救い主は、敗北者は……ヒノ・セイジは自分の心が砕け散る音を聞いた。砕けた精神から全ての血が流れ出てていく。空っぽの自分が血溜まりで死んでいく姿を幻視した。それはセイジの精神であり、数分後の運命だった。

 

「BHAHAHAHA!! HA-HA-HA!!」最高のオチに玉髄装束の腹を抱えて笑い転げる。散々に苛つかせた事も今なら許せそうだ。無論、殺すが。散々に笑い終えたフリントは斬首のチョップを高らかに構えた。ニンジャ不敬罪で死刑に処する。実際安い非ニンジャの人生もこれにてオシマイ。

 

その時だった。BLINK! BLINK! 不安定な電力供給にナトリウム・ボンボリが突然明滅した。橙の灯りが色彩を変えて濃い紅色の光を放つ。赤光はまき散らされた赤黒い血を、鮮烈な深紅に染め上げた。それはオーボンの後に咲く、不吉なるオヒガン・フラワーによく似ていた。ひどく、似ていた。

 

【イグナイト・ミクスチャー・オブ・マッドネス・アンド・オブセッション】#2終わり。#3に続く。


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