鉄火の銘   作:属物

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書きたかったシーンの一つがやっと書けた。


第七話【ザ・ブラック、ストップ・ヒズ・ランナウェイ】#6

【ザ・ブラック、ストップ・ヒズ・ランナウェイ】#6

 

カタナめいた風がカワラ屋根の上を吹き抜けた。真冬の冷気はジャケット越しに肌を裂くようだ。だが、シンヤがザゼンを崩すことはない。「スゥー……ハァー……」凍える空気を意に介さず、深く息を吸い、長く息を吐く。白く染まった息は黒錆色をバックに浮き立ち、そして瞬く間に吹き散らされていった。

 

ネオサイタマの象徴めいた重金属酸性雨も灰色の雪に変わる季節だ。四方を囲むビルの合間からはクリスマス商戦のイルミネーションが微かに見える。霞むネオンを遠く眺めながら、シンヤは自身の内なる熱を見据えていた。

 

「己のエゴ。俺はどうしたい、か」言い聞かせるように呟く。(((俺は自分自身すら知らない)))俺ならばどうする? 俺ならばどうしたい? その答えはもう判っていた。カラテ王子、ヒノ=サン、セイジ、『ニンジャスレイヤー』、ニンジャキラー、その全て。

 

すなわち。「友達を、救けたい」それが自分の望みだった。山ほどの理屈を積んで、海ほどの言い訳で押し流そうとした。だがどれだけ目を逸らしても、己のエゴはそこにあった。腹の底にあり続けた。それこそが答えだった。そして問題は……

 

「ヨイショ、ヨイショ」「アブナイよ」ザゼンのまま、声だけを後ろに投げた。窓から恐る恐る足を踏み出した音も、おっかなびっくりバランスを取る声も聞こえていた。だから僅かに腰を浮かして、万一でも即応出来るよう体勢を整えていた。ありがたい事にムダになりそうだ。

 

「ヨイショっと」柔らかな体温が隣に腰を下ろした。優しく寄り添った熱へ視線を向ける。「寒いね」「うん」見飽きそうなほどに見慣れて、それでも不意に見詰めてしまう顔。一番近しい、そして親しい、何より愛しい家族の顔だ。

 

不満があるとすれば浮かべる表情が笑顔でない事だろうか。心配気に伏せた目は最近の自分の行いを否応なしに思い起こさせる。「あー、その、なんだ、えー……そ、そろそろクリスマスだな、うん」「うん、そうだね」だからなのか、酷く不器用にシンヤは目と話題を逸らしにかかった。

 

「その、子供らのプレゼントどうしようかと思ってさ。去年とか全部手作りで済ませたし、今年ぐらいは欲しいオモチャとか買ってあげた方がいいんじゃないかと……」空中でロクロを回し、架空の粘土球を捏ね上げる。普段の質実剛健なるデントカラテとは比べ物にならないほど、その動きは不器用で粗雑だ。

 

それでも必死にわちゃわちゃと両手を回すシンヤを見て、キヨミはクスリと小さな笑みをこぼした。「そうね、お金にも余裕出てきたし、クリスマスくらいは好きなもの買ってあげようかな」シンヤの首が高速で上下した。胸の内で安堵の息をリットル単位で吐く。やっと笑った。

 

「そう! そうだよ、絶対喜ぶ。去年なんか色々作ったのに散々言ってたし」「全部黒で、素材も鉄と布だけだったからね。カラフルなの欲しい子にはちょっとね」「何色だって選べるぞ、『それが黒錆色である限り』」艶消し、光沢、木目風、縞模様。古臭いジョークと共に各種スリケンサンプルを並べる。

 

「黒だけだとどうしても、ね。シックにしても白が要るし、パステルは黒を使わないものだから」「黒一色もカッコいいと思うんだけどなぁ……」14歳病の後遺症が未だ治らぬシンヤには、オシャレ世界は理解しがたい。初期症状の兆候が見えるウキチや、山場を迎えたイーヒコと、中二同志がいる分余計だ。

 

「男の子は好きかも知れないけれど、他の色があった方が幅も広がるし、組み合わせでもっと黒を格好良くできるよ」「そーいうものかねえ」「そーいうものだよ」「そーか」「そーよ」理解不能なりに納得して、シンヤは傾げた首で首肯した。キヨミも神妙な表情を作って大仰に頷く。

 

「ククッ」「フフッ」二人は同時に吹き出した。ひとしきり笑って溢れた涙を拭った。風は冷たいのに気分は暖かい。「シンちゃん、なんだか塞ぎ込んでたみたいだけど、元気そうで良かった」「キヨ姉に心配かけたみたいでゴメン」迷惑をかけたくないと言った自分が、どれだけ心配をかけてきたのか。

 

「でも、ニンジャだからもうダイジョブさ」だからシンヤはいつもの調子で強がった。ニンジャは頑丈で、傷が治り易くて、死ににくい。だからシンヤが無茶苦茶に仕事しても、無理矢理にカラテしても、無闇矢鱈にイクサしたって問題ない。セイジを助けに行ったって、ニンジャだから誰も心配させない。

 

そう考えていた。なのに何故だろう。「………………」キヨミの言葉が止まった。視線は僅かに下を向き、その目は前髪に隠れて見えない。『見えない』が恐怖を煽る。想像力を食らって疑心暗鬼が育っていく。首筋を流れる汗が12月の重金属酸性雨より冷たい。無意識に唾を飲む。伏せられたキヨミの目が上がった。深く、重く、澄んでいる。

 

しかしその内訳は読み取れない。「あのさ、そのさ、ニンジャにはさ、ニンジャ耐久力とかニンジャ代謝力とかあってさ、怪我してもすぐ治るし簡単には怪我しないしさ、それに大怪我してもサイバネすればいいし、多少は無茶なサイバネ、できる、し……」みるみる内に言い訳の残量は底を突いた。

 

「オゥ、えー、ウェー、いや、アット……」自分でも最早何を口走っているのか判らない。譫言と喃語の合いの子を鳴き声めいて漏らすので精一杯だ。キヨミは答えない。ジッと目を見るだけだ。それだけなのに、口中に真綿を詰め込めてる気分になった。沈黙が質量を伴うほどに重い。冷や汗の生産量が増す。

 

「……いつも、そう」澄んだ目の輪郭が、一杯に湛えられた涙で歪んでいる。「ニンジャだからダイジョブ。ニンジャだから問題ない。ニンジャだから、ニンジャだから。いっつもシンちゃんはそればっかり」「いや、その、俺、ニンジャだし……」逃げ口上を吐くシンヤの顔を、キヨミの細い手が押さえた。

 

 

 

 

「ニンジャでも、家族でしょ?」

 

 

 

 

カラテのヒサツ・ワザでも、超自然のジツでもない。ただのモータルの、か弱い女の、家族の、言葉。なのに、どんな一撃より深く心臓を突き刺した。「私がシンちゃんのやってる事、やりたい事の役に立てないのは判ってる」膨れ上がった涙の粒が零れ落ちる。一つ。二つ。頬に透明な線を描く。

 

「でも、家族だから、一緒に背負いたいの」涙に濡れたその目は驚く程に美しい。朝露を弾くロータスめいて、強くしなやかな光を宿している。「迷惑なんかじゃない。迷惑をかけて欲しい。ワガママがあるなら聞きたい、聞かせて欲しい。それが私の望み」

 

前世で17年弱、今世で20年近く。二度の人生で歳はとうに超している。なのにこの人より、長く人生を歩んだ気がしない。違う。ナンブ=サン、タジモ=サン、コーゾ=サン、そしてキヨ姉。誰もが自分を生きている。シンヤより長く、それぞれの価値ある一生を積み上げているのだ。

 

(((二度目の一生で、俺はどうする? 俺はどうしたい?)))目を閉じる。深く息を吸い、長く息を吐く。目を開いた。視線の先には涙目の、しかし強い目をした最愛の家族がいる。「……ワガママを言わせてほしい」「うん」「友達がさ、居るんだ」

 

「そいつはバカで、バカで、大バカな奴なんだ。女の子からモテモテで顔も整ってて、カラテが強くてカネモチでカチグミなイヤミ野郎。そのくせヒーロームービーとカラテの話ばっかりするんで、ガールフレンドがまるで長続きしないんだ。誰かと話すときは基本上から目線でさ、友達作りがすごいド下手。

 

その上、死ぬほど負けず嫌いで、往生際は笑えるくらい悪いんだ。何べん殴り合っても自分が上だと言い張ってる。俺の方がもっと鍛えてるし絶対勝ってるし実際強い。けどアイツはそれでも挑んでくる……俺も、アイツに挑んでる。アイツは、友達なんだ。

 

でも、アイツはニンジャになっちまった。なんで成ったかよくは知らない。良くないことが有ったからとしか判らない。だからなのか、アイツはタガを外しちまった。目についた他のニンジャを次々に襲って殺してる。トモダチ園を襲ったヤクザ組織に、ソウカイヤにすら大喜びで手を出した。

 

もう、アイツを止められないのかもしれない。もう、止めても無駄なのかもしれない。だけど、アイツは、ヒノ=サンは、カラテ王子は、セイジは、友達なんだ。俺の友達なんだ。だから、助けに行く。そう決めた。アイツが望んでなくても、手遅れであっても、家族に……迷惑を、かけても。

 

キヨ姉、ゴメン。身勝手でゴメン、ワガママでゴメン。俺が動けばソウカイヤとコトを構える事になる。皆を危険に晒すし、当たり前の生活もできなくなるかもしれない。でも、俺は行く」

 

「アイツの処に、行くよ」返事は無かった。代わりに温かな感触があった。首に回された手、滑らかな頬、鼻をくすぐる髪、耳朶を息が撫でる。息は声に変わった。

 

「カラダニキヲツケテネ」それは凄絶なイクサに赴かんとするセンシへの、慈しみと手向けのコトダマ。それは友のためにエゴを噛み締めて命を賭けんとする家族へと、奥ゆかしく優しく背中押す言葉。

 

「アリガト、キヨ姉」不器用に細い肩へ手を回す。この細い肩でトモダチ園を支えてきた。家族を支える戦いを続けてきた。自分よりも大きな戦いを果たして来た。ソンケイとはこの肩のことを指すのだろう。回した手を通じて鼓動を感じる。掌から熱が伝わっていく。

 

掌から手首へ、手首から肘へ、肩へ、背骨へ、腰椎へ、丹田へ。熱が広がっていく。丹田から股関節へ、股関節から尾骨へ、屋根へ、大地へ。熱が流れていく。

 

「オーイ、お熱な処スマンがお電話じゃ」二人の世界に階下から声がかけられた。視線を向ければパントマイムの望遠鏡を向ける住職の姿がある。そしてその周りには出歯亀根性か身内のホットなシーンを眺める子供達がズラズラと。観客に気づいた途端、触れ合っていた熱が逃げ失せた。

 

腹が立つやら恥ずかしいやらで、キヨミの顔は耳まで真っ赤だ。シンヤ自身も似たような顔をしてるに違いない。いったい体温何度あるのだろう。「あー、それで、誰からですか?」「カイシャからじゃ。探し人が見つかったそうでな」一瞬で頭に上った熱が引いた。

 

冷たく冴えたニューロンの代わりに丹田がグツグツと煮え出す。「キヨ姉、早速だけど」「判ってる」「アリガト。イヤーッ!」3回転で飛び降り、電話機の元へ跳ね飛ぶ。センシの顔をした家族を見送り、火照った顔のキヨミはそそくさと部屋へと戻った。

 

「ハイ、モシモシ。カナコです……ハイ、目標が見つかったと……殺されかけた? ……落ち着いてください。もうニンジャはいません……ハイ、教えてください……『事が終わったら』……そう言ったと。それなら心当たりが……」電話からは恐怖の叫びと物騒な単語が度々漏れてくる。

 

聞き耳を立てる子供たちは顔を見合わせた。「どうしよう」「どうしよっか」なんか知らないけど、シン兄ちゃんは友達を助けに行きたいらしい。それは自分たちにとってもアブナイだそうで、シン兄ちゃんはそれを気にしていたみたいだ。あと今年のクリスマスプレゼントは買ってくれるらしい。やったぜ。

 

「じゃあさ、こうしようよ」「さんせー!」「あたしも!」「じゃぁぼくも」「私は反対!」「……まだ何も言ってないんだけど」喧々諤々な議論が唐突に始まり、あっという間に終わりを告げた。主な反対意見は感情で、主な賛成意見も感情である。納得すれば笑えるほど早い。

 

「あー、その、なんだ。皆ちょっといいか?」「いいよー」シンヤの電話が終わる頃には何をするか結論が出たようだ。「さっきの話聞いてたなら知ってるだろうが「知ってる!」……まぁいい、話が早い」妙に早い反応に面食らいつつも、シンヤは神妙な顔を作った。

 

「つまりだ、俺はこれから友達を助けに行く。そうすれば、今後皆が危ない目に遭うことになるかも知れない。けど、俺は行く」アキコ、イーヒコ、ウキチ、エミ、オタロ。その後ろにキヨミと住職。ダイトクテンプル全員の顔を眺める。これから自分の身勝手で迷惑をかける家族の顔を真っ直ぐに見詰める。

 

そして深々と頭を下げた。「すまん、コレは俺のワガママだ。俺に怒ってもいい。俺を嫌ってもいい。出てけと言われれば出て行く。だけど『行かない』はない。納得は出来ないだろうが、理解はしてくれ」

 

「それと、何か言いたい事があるなら今言ってくれ。全部聴く」頭を上げると子供らは何やら顔を見合わせていた。聞き耳を立てたとは言え、急に過ぎたのだろう。実感するのは実際危険になってからだ。そしてその時初めて、自分は本気で憎まれるのだ。シンヤは無意識に目を伏せた。

 

「「「せーの」」」だから子供たちが拍子を取って機を合わせてるとは気づけなかった。その後ろで優しく微笑むキヨミの表情にも、呑んで応援とサケを取り出した住職の姿にも気づかなかった。

 

「「「シン兄ちゃん、いってらっしゃい!!」」」子供たち全員からの元気いっぱい真っ直ぐなエール。言葉が出なかった。代わりに溢れそうになった。両目から溢れるものを堪えて、胸から溢れるものを噛み締める。滲む涙を見られたくなくて、感じ入るもののままに頭を下げる。無意識に腰は直角を描いていた。

 

「住職さん、アキコ、イーヒコ、ウキチ、エミ、オタロ……キヨ姉」大きく吐いて息を吸う。改めて全員を見る。命をかけて守るべき人達を、なのに危険に曝してしまう人達を、それでもいいと微笑んで送り出してくれた人達を。「行ってきます! イヤーッ!」彼らを背にシンヤは跳んだ。

 

一歩、塀を踏む。全身を黒錆色した闇が覆う。二歩、ビルを蹴る。吠え猛る声が赤錆のメンポへと転ずる。三歩、夜へと飛び込む。赤銅色を纏った拳を握り締める。そして走る! 奔る! 疾る! 一路、友の元へと! 

 

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黒錆色の風は瞬きより速く消え去った。赤錆と赤銅の残像も僅かに遅れて夜に溶けた。キヨミは胸元のオマモリ・タリスマンを両手に包み、独り夜を見つめる。もう見えない影を探すように、ネオンに滲むメガロシティを見つめている。

 

「コレ、そんな顔しとると子供たちが不安がるぞ?」「スミマセン。でも少しだけ……」気を掛けてくれた住職に頭を下げ、キヨミは手の中の『約束』を握り直した。その横で苔むした島岩に墨色の袈裟姿がどっかりと腰を落とす。

 

一日千秋(ワンデイ・スリーシーズン)な。待つ身は辛いものよの。どれ、ワシも付き合おうか」「スミマセン。ワガママに付き合わせてしまって」「なぁに、偶には良いじゃろう」そう言いながら住職は業物と思わしきマッチャワンに、躊躇なく安酒を注ぎ入れた。キヨミの目がじっとりと細まった。

 

「でもオサケは控えた方がいいですよ?」「なぁに、偶には良いじゃろう」堪えた様子もなく呵呵と笑ってマッチャワンを呷る。味も香りもへったくれもない、加水アルコールが腹を焼く。これがいい。混ぜ物で酒毒を謀るようなカクテルよりも、酔う以外何の役にも成らぬ般若湯こそ、サケにはふさわしい。

 

もう一杯と酒注ぐ姿に嘆息一つ吐くと、キヨミは改めて夜の闇に向き直った。月影に目を凝らすその背に向けて、そして月下を駆けるもう見えない影に向けて、住職はチャワンを掲げた。

 

「ナムアミダ・ブッダ。その一念が、思う誰かの一助と成らんことを」ブッダは死んだ。もう居ない。知っている。どれだけ願っても、どれだけ乞うても、何も帰って来たりはしない。判っている。それでいい。何の得にもならない祈願でいい。

 

見返りなどなくとも、想いが届かずとも、ただ信ずる。それこそが、祈りなのだから。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

……れが貴様のハイクか! 十を数えるより先に忘れてやろう! 誰にも顧みられる事なく死ぬがいい、センセイ気取りめが! 焼け死ねぇっ!」紅蓮の炎となって吹き上がる怒りが遠くに見えた。踏み込む脚に力を込めて加速する。走れ! 疾れ! 奔れ! 

 

「イヤーッ!」引き伸ばされた時間の中、火色の殺意が傷ついた“ヤングセンセイ”をゆっくりと振り下ろされる。速く! 疾く! 捷く! 粘つく一瞬を掻き分けるように進む。今だ、翔べ! 飛べ! 跳べ! 

 

燃え盛るチョップに焼き切り殺され、ヒラキめいた死体になる……そのコンマ一秒前。「イヤーッ!」「グワーッ!?」自身を質量弾とするデントカラテのヒサツワザ『弾道跳びカラテパンチ』が赤黒の顔面にめり込んだ。吹き飛ばされた曼珠沙華の赤が微塵と千切れ消える。

 

「貴方、は……!」「黙っててください」跳ね飛ぶ赤黒の影を尻目にシンヤは、ブラックスミスはヤングセンセイの傷を診る。深い。重症だけでも片腕切断、逆腕骨折、外傷気胸とア・ラ・カルトだ。手持ちの救急キットでどこまでやれるか。ともかくモルヒネで苦痛を鎮め、ヨロシサン製バイオジェルで傷を塞ぐ。

 

切り落とされた腕を継ぎ、叩き折られた骨を固定し、余りに広い傷口に包帯を巻きつける。手早く的確な応急処置だ。しかしその淀みない手つきに反して、意識は背後でゆっくりと立ち上がる影に向けられていた。いつ襲い掛かられても応じられるように、踵を浮かし、膝を撓める。

 

しかし赤黒のニンジャが襲い来ることはなかった。「ククク……クハーハッハッ!」代わりに哄笑がシンヤの背中に届いた。「なんたる僥倖! アブハチトラズとはこのことか! 諸共殺されに来るとはなんとも義理堅い! 望み通りに素っ首撥ねて儀式に使ってやろう! 喜べ、ブラックスミス=サン!」

 

「義理堅いのは確かだがね、アブハチトラズは大間違いだ。お前は全部を逃して枕を涙で濡らすのさ」かつて笑い合った時の様に、稚気を込めて太々しく笑う。振り返ればそこにはかつての思い出からかけ離れた姿形がある。それはかつて見た殺戮者を真似た姿形だ。

 

それはお前のじゃない。それはお前じゃない。お前は……「ドーモ、”ヒノ・セイジ”=サン。カナコ・シンヤです」赤錆色のメンポを崩し、黒錆色の頭巾を脱ぎ捨てる。その下にあるのはただの『カナコ・シンヤ』の顔だ。そしてシンヤは友に、カラテ王子に、『ヒノ・セイジ』に向けて両掌を合わせた。

 

一瞬の空白。真っ赤に焼け焦げた両目が発火点に至る。「違う! 違う! 違う!! ドーモ、ブラックスミス=サン! 俺は! 俺が! ニンジャスレイヤーです!!」手刀を振り回し、ひたすらに否定する。ニンジャスレイヤーに過去はない。友はない。師もない。だから全て消えて無くなれと、啼き叫ぶ。

 

「……ああ、そうかい。そんなに呼んで欲しけりゃ、呼んでやるよ」食いしばる歯を赤錆色が覆い、ニューロンが発火する頭蓋を黒錆色が包む。シンヤ、すなわちブラックスミスはデント・カラテ基本の構えを取った。一つ息を吐き、一つ息を吸う。再びのアイサツ。「ドーモ、ニンジャスレイヤー……

 

……モノマネ野郎(コピーキャット)=サン。ブラックスミスです」名前とは存在の定義文であり、それを誤ることは相手の実存を否定するノロイ行為だ。だから白手袋めいて名前間違いのタイヘン・シツレイを叩きつけた。それはお前のじゃない。それはお前じゃない。お前は……ニンジャスレイヤーの猿真似だと! 

 

「貴様ァッ!」「来い、バカラテ王子! 目ぇ覚めるまで、ぶん殴ってやる!」ガァンッ! ガントレットを打ち鳴らし、憎悪の気炎を吐く赤黒へとジェスチャーで告げる。ブッ飛ばしてやる、と。対する『ニンジャスレイヤー』は鎌首もたげる紅蓮で、ブラックスミスの赤熱する憤怒に応える。ブッ殺してやる、と。

 

歪んだ鏡写しのデントカラテを互いに構える。オールドセンセイの教えをそのままに、実戦と鍛錬を通して本義の殺人技術に練り上げたブラックスミス。ただ一度の記憶を頼りに、妄念と殺忍を通じて殺戮特化改善型に仕立て直した『ニンジャスレイヤー』。

 

二重のニンジャ圧力に曝されて場の空気が深海の水圧を超える。深傷を負ったヤングセンセイには呼吸すら難しいほどだ。いや、モータルがここに居れば誰であろうと人工呼吸器を必要としただろう。本気のニンジャが相対するならば、ただそれだけで世人の脅威に等しい。

 

死のヴィジョンがヤングセンセイの脳裏にチラつく。明滅するデス・オムカエの幻影が二人と重なり、溶け合い、そして……動いた! 「「イヤーッ!」」質量弾頭と化したガントレットとブレーザーが正面衝突し、イクサ開始のゴングが鳴り響く! 

 

【ザ・ブラック、ストップ・ヒズ・ランナウェイ】おわり。


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