Game of Vampire (のみみず@白月)
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Prologue
1話


 

 

忌々しい明かりだ。

 

空に三日月が輝く夜。屋敷のバルコニーに立ち、遥か遠くに見える人間どもの町を眺めながら、アンネリーゼ・バートリは苛々と背中の翼を揺らしていた。

 

人間どもが闇夜を恐れ、我々が紅く染まる黄昏の空を、黒く沈む夜の森を自由に飛び回っていた時代は確かにあったはずだ。気まぐれに獲物を狩り、ヤツらの抵抗をせせら笑いながら見下ろしていたあの栄光の日々が。……そう、我々吸血鬼の時代は確かにあったのだ。

 

それが今やどうだろうか。嘗て在った名門はその殆どが姿を消し、低俗な半端者たちが我が物顔で『吸血鬼』を名乗っている。数えるほどの本物の吸血鬼たちも、人間どもの光が届かぬ場所でひっそりと身を潜めている始末だ。

 

まあ、無理もないか。誇り高き我がバートリ家ですら、数人の使用人と一匹のしもべ妖精が残るだけなのだから。であれば他の木っ端どもに期待したところで何の意味もあるまい。

 

「ふん。」

 

鼻を鳴らしてバルコニーから屋敷の中に戻り、自室へと向かうために廊下を歩きながら思考を回す。このままではいけない。下等種族どもがうじゃうじゃと、その数を増やし続けるのは最早止めようがないだろう。しかし、我々が歴史の闇に消え去るというのはどうにも我慢ならないのだ。

 

「そういえば……。」

 

コツコツという靴音の合間にふと言葉が漏れ出る。そういえば、あの姉妹はどうしているのだろうか? あの傲慢な姉と狂った妹。紅い館の吸血鬼姉妹。

 

最後に顔を合わせたのは確か……まだ彼女たちの父も、私の父も生きていた頃のはずだ。『狩り』の獲物を取り合って、姉の方と大喧嘩をしたんだったか。お互いの半身をふっ飛ばすほどの喧嘩になった挙句、苦笑するそれぞれの父に引き摺られながら別れたのが最後だったはず。

 

そもそも同格の吸血鬼が群れることなど滅多にない。プライドの高い吸血鬼は各々に広大な縄張りを持ち、基本的に同種に対しては不干渉を貫く。中立の場所で行なう定期的な社交こそあれど、日常的に家同士の付き合いを持つというのは珍しいことなのだ。

 

しかし、父上とスカーレット卿は血を分けた兄弟だった。そも父上はバートリ家への入婿で、スカーレット卿はその兄。そのため何十年かに一度は顔を合わせる程度の付き合いがあったわけだ。

 

だが、バートリ家もスカーレット家もほぼ同時期に起こった当主の死という混乱から、それどころではなくなってしまった。風の便りで姉の方が当主に収まったとは聞いているものの、あれ以来直接の連絡を取り合ったことはなかったはずだ。

 

ちらりと横にある窓に目をやってみれば、セミロングの真っ黒な髪に真っ赤な瞳、おまけに真っ白な肌。窓に映った自分の姿が見えてくる。……ふむ、手紙でも送ってみようか。シルバーブロンドの彼女のことを思い出すのと同時に、窓の中の私がくすりと微笑んだ。

 

よしよし、思い立ったら即実行。到着した自室のドアを開けて、父上から貰った最高級人皮張りの椅子に座りながら置いてあったベルを鳴らしてやれば、パチンという音と共に我が家のしもべ妖精たるロワーが現れた。

 

「御用でしょうか? アンネリーゼお嬢様。」

 

「手紙を書こうかと思ってね。準備を頼むよ。封筒と便箋はとびっきりのを持ってきてくれたまえ。」

 

「すぐにご用意いたします。」

 

言いながらロワーが指を鳴らすと、一瞬のうちに必要な物全てが机の上に用意される。薄緑色の肌に、大きすぎる瞳と長すぎる鷲鼻。最初はその醜い見た目が気に食わなかったが、いざ使ってみると手放したくなくなるほどに優秀ではないか。

 

「大変結構。もう下がっていいよ。」

 

「では、失礼いたします。」

 

こちらが指示した瞬間、ぺこりとお辞儀をしながらロワーが姿を消す。余計なことは言わず、打てば響く。優秀な使用人ってのはこうでなくっちゃな。

 

うんうん頷きながら机に向き直り、さあ書くかと羽ペンを手に取ったはいいが……そういえばまだ何を書くかを決めていなかった。彼女たちの父親が死んでからもう十年は経っているし、さすがにお悔やみの手紙を書くには遅すぎるだろう。当主就任のお祝いとか? うーん、何か違う気がするな。

 

羽ペンをくるくる回しながら考えるが……まあいいさ、書いているうちに何か思い付くだろう。何れにせよ書き出しは決まっているのだ。視界の隅で踊っていた黒髪を耳にかけ、瞳を細めて悪戯な笑みを浮かべながら羽ペンを走らせる。

 

《 親愛なる我が従姉妹 レミリア・スカーレット殿

 

  嘗ての別れからどれほどの歳月が流れたのでしょうか。あの勝負に勝った、輝かしい瞬間を今でも思い出します── 》

 

書き進めるにつれて、どんどん羽ペンの進みが滑らかになっていく。それと同時に、ぼやけていた思い出も鮮明になってきた。

 

同時期に生まれた私たちは、多くのことを競い合ったものだ。身長、腕力、狩りのスピード、翼の美しさ、魅了の強さ、妖力の扱い。多くの勝利と、それと同じくらいの敗北。妹のフランドールが物心付いた後は、外に出られない彼女のために、あの真っ赤な館の地下室で三人一緒によく遊んだっけ。

 

「んふふ。」

 

父親たちの目を盗んでレミリアと一緒に初めての吸血をした時、慣れないストレートの血に酔っ払った結果、飼っていた人間を殺してしまったことを思い出して笑みが零れる。あの時は服を血だらけにした所為でひどく怒られちゃったな。幼い頃の微笑ましい失敗というわけだ。

 

《 ──の返事を心よりお待ちしております。

 

  貴女の従姉妹にして偉大なる夜の支配者 アンネリーゼ・バートリ 》

 

うーむ、『偉大なる夜の支配者』はさすがに傲慢すぎるか? ……まあ、レミリア相手ならこれくらいが丁度良いだろう。書き終わった手紙を封筒に入れた後、封蝋を垂らして我が家の紋章で封を施す。そのまま自分の身体の一部をコウモリに変えて、手紙を持たせて部屋の窓から外に放った。なんだか楽しい気分になってきたぞ。

 

久し振りにあいつと遊ぶのもいいかもしれない。何たってもう二人ともあの頃とは違うのだ。お互い当主になって色々なことを学んだし、力の使い方なんかも上手くなっているだろう。だったらあの頃とは違う、もっと壮大で、もっと派手な遊びが出来るんじゃないか?

 

雲一つない夜空に浮かぶ美しい三日月を眺めながら、アンネリーゼ・バートリは自分の口元が笑みの形に歪むのを感じるのだった。

 

 

─────

 

 

「あの傲慢コウモリ! 性悪の悪魔! ペタンコ吸血鬼!」

 

深夜の紅魔館中に響き渡るお嬢様の怒鳴り声を聞いて、紅美鈴は思いっきり顔を引きつらせていた。なんてこった、お嬢様がおかしくなっちゃったぞ。よもや自分で自分を罵倒し始めるとは……とうとうストレスでぶっ壊れてしまったらしい。

 

門前から声の出所たる二階のお嬢様の執務室を見上げつつ、仕方なしに館の玄関へと歩を進める。関わりたくないのは山々だが、一応確認しておかねばなるまい。お嬢様の頭がおかしくなったとなれば、この紅魔館で『まとも』なのは自分だけになってしまうのだから。お嬢様と私を除くと、ちょっと気が触れている妹様とお馬鹿な妖精メイドたちしかこの館には居ないのだ。

 

エントランスを抜けて二階への階段を上っている最中にも、お嬢様の罵声は止まることなく聞こえてくる。内容がやけに具体的なのがより一層の狂気を感じさせるな。怖すぎるぞ。

 

「大体、あの時の勝負は私の勝ちだったでしょうが! おまけに昔のことをネチネチと……ああ、イライラするわね!」

 

そのまま二階の廊下を進んでたどり着いたお嬢様の執務室のドアを、嫌々ながらも恐る恐るノックしてみると……先程まで聞こえていた罵声がピタリと止んだ後、数秒の沈黙を挟んでから入室を許可する声が飛んできた。

 

「入りなさい、美鈴。」

 

「……失礼しまーす。」

 

まさか妹様みたいにいきなり襲い掛かってきたりはしないだろうな? 慎重にドアを開けてみれば、恐らく頭を無茶苦茶に掻き回したのだろう、自慢のシルバーブロンドがくしゃくしゃになったお嬢様の姿が執務机の向こう側に見えてきた。そして机の上には高級そうな封筒と、強く握り締めた所為か哀れにも皺だらけになった便箋が載っている。

 

「それで、用件は? また妖精メイドが何かやらかしたの?」

 

機嫌の悪そうな雰囲気を纏ったままで聞いてきたお嬢様に、執務机に歩み寄りながら答えを返す。ふむ? 思ったよりもまともっぽいぞ。どういうことなんだ?

 

「そんなのいつものことじゃないですか。……それより、頭は大丈夫なんですか? お嬢様。」

 

「どういう意味よ!」

 

「いやぁ、その……自分で自分に罵声を浴びせかけていたようだったので、とうとう妹様の狂気にやられちゃったのかなと思いまして。」

 

「違うわよ、失礼ね! こいつに怒ってたの!」

 

『こいつ』? 顔を真っ赤にして怒るお嬢様は、私に向かって皺だらけの便箋を突き出してくる。それを受け取って伸ばしながら流し読んでみると……なるほどな、これはお嬢様が怒るわけだ。

 

そこには『小さなレミリア』だとか、『フランの方が当主に向いている』、『相変わらず上手く血を吸えないのか?』といったお嬢様を小バカにするような言葉が、無駄に上品な表現で延々と書き連ねられていた。

 

文面からして差出人は親しい人物のようだが、お嬢様にそんな相手が居たっけか? 一体どんなヤツがこんな無謀な手紙を出したのかと名前を探してみると──

 

「えーっと、『貴女の従姉妹にして偉大なる夜の支配者 アンネリーゼ・バートリ』って……お嬢様に従姉妹とかいたんですね。知りませんでしたよ。」

 

「なーにが夜の支配者よ、バカバカしい。あいつが支配できる闇なんてクローゼットの中くらいじゃないの! ……リーゼは昔からこうだったわ。いっつもニヤニヤ笑いながら私のことをチビだの威厳がないだのってからかってきて! そっちだって大して変わらない癖に!」

 

コウモリのような翼をバタバタと椅子にぶつけながら怒っているお嬢様の言葉を聞いて、思わず笑みが浮かんでくる。このところ沈みがちだったお嬢様には良い気付け薬になったようだ。口ではとやかく言いつつも、何となく嬉しそうに見えるぞ。

 

「ちょっと嬉しそうですね、お嬢様。」

 

「そんなわけないでしょうが! ええい、意味不明なことを言ってないでレターセットを取って頂戴。あいつに私の怒りを思い知らせてやるわ!」

 

「はいはーい。」

 

いやはや、お嬢様がこんなにも感情を表に出すのはいつ以来だろうか。父親であるスカーレット卿が倒れ、下克上を狙う同族や眷属たちから妹様と館を守り抜き、人間たちから姿を隠すために奔走する日々の中で、お嬢様は否が応でも成長せざるを得なかった。いつからか威厳に満ちた言葉を選ぶようになり、感情を隠すようになったお嬢様が子供のように怒っているのを見ると……うむうむ、なんだか安心するな。

 

一つ頷きながら備え付けの棚からレターセットを出して、それを執務机に置いたところでふとした疑問が頭をよぎる。私が雇われた直後に起こった当主の座を巡る戦い。仲の良い従姉妹が居るんだったら、どうしてあの時助力を請わなかったのだろうか?

 

「そういえば、そんなに親しいんだったらどうしてあの時助けを求めなかったんですか? 従姉妹さんも吸血鬼なんですよね? かなりの戦力になったと思うんですけど。」

 

「助けを求める? 私が? あいつに? 冗談じゃないわ。そんなことをするくらいなら日光浴をしながら炒った豆でも食ったほうがマシよ。それにまあ、何と言うか……向こうも同時期に当主が死んで大変だったらしいからね。別にそれとは関係ないけど。」

 

「妹様といい、従姉妹さんといい、愛情の向け方が歪んでますよねぇ、お嬢様は。」

 

こういうのを不器用って言うんだろうな。しみじみと言ってやると、猛烈な勢いで手紙を書いていたお嬢様がジト目で睨め付けてきた。おっとマズい、からかいすぎたか。

 

「……ご飯抜きにされたいらしいわね。」

 

「あーっと、それはちょっと困りますね。ほらほら、当主としての懐の深さを見せてくださいよ。」

 

「懐の深い悪魔なんているわけないでしょ。アホなことを言ってる暇があるなら、フランにもリーゼから手紙が来たって伝えてきて頂戴。」

 

「りょうかいでーす。」

 

にへらと笑って返事をした後、明確な『ご飯抜き宣言』を食らう前に小走りで部屋を出る。先程上ってきた階段を一気に飛び下りて、地下通路に続く階段がある方へと一階の廊下を歩き始めた。

 

しかし、一階の廊下はやっぱりお掃除が必要だな。二階のお嬢様の生活スペースとエントランス周辺だけはなんとか綺麗に保てているが、このボロボロの廊下もいつかは片付けねばなるまい。……当然、私がやることになるわけだ。妖精メイドたちに期待するほど耄碌しちゃいないさ。

 

でも、面倒くさいなぁ。ため息を吐きながら廊下の突き当たりにある階段を下りて、薄暗い地下通路へと足を踏み入れる。こっちはまあ、許容範囲だ。同じようにボロボロだし、お世辞にも綺麗とは言い難い有様だが、基本的に石造りな所為であんまり気にならない。

 

だからセーフ。これもまた雰囲気作りの一環なのだ。内心で自分に言い訳をしつつ、通路の最奥にあった鋼鉄製のドアをノックしてから名乗りを上げた。

 

「妹様、美鈴でーす。」

 

「……はいっていいよ。」

 

鈴を転がすような綺麗な声と、それに似つかわしくない平坦な話し方。許可に従って重いドアをゆっくりと開けてみれば、人形の……というか、人形だったモノの散らばる床にぺたりと座り込んでいる小さな女の子が見えてくる。

 

うわぁ、ヤバいぞ。いきなり不機嫌モードじゃないか。輝く金髪をサイドに纏め、可愛らしい小さな口元を真一文字に閉じた妹様は、ぺちぺちと地面を叩きながら入ってきた私を睨み付けてきた。

 

これが初めて会った者であれば、キュートな少女が拗ねているとしか思わないのだろうが、残念ながら私はこの少女が凄まじい力を持った吸血鬼であることを知っているのだ。おまけにちょっと気が触れているとなれば、これはもう普通に命の危機なのである。

 

落ち着け、私。こういう時の妹様にはとにかく話しかけるのが肝要だ。少なくとも会話が続いている分には『きゅっからのドッカーン』はない……こともないが、確率的には多少マシになるのだから。

 

「妹様、朗報ですよ! お手紙! お手紙が来たんです!」

 

とりあえず明るい表情で話題を投げかけてみると、予想に反していきなり妹様の放つ威圧感が増してしまった。どうやら虫の居所が悪いらしい。

 

「手紙ぃ? まさかフランにってわけじゃないんでしょ? アイツに手紙が来たからってなんでフランの所にわざわざ知らせに来るの? ……ひょっとして、自慢? 地下室で延々お人形ごっこをしてるフランに自慢しに来たってこと? 頭のおかしいフランと違って、自分にはお友達がいるんだって! 壁に話しかけてるようなフランとは違うんだって! そうやって自慢しに来たんでしょ!」

 

わお、怖い。妹様が長台詞モードになっちゃってる。こうなると一方的にこちらに対して文句を言い募った後に、ドッカーンが来ちゃうのだ。それを防ぐためには話の流れを変える必要があるわけだが……そういえば例の従姉妹さんと妹様は仲が良いのだろうか? もし仲が悪かったとすれば、手紙の送り主を伝えたところで火に油を注ぐだけだぞ。

 

とはいえ、最早どうしようもない。いざとなればお嬢様に全部押し付けて逃げてしまおう。額に冷や汗が滲むのを感じながら、文句の合間に地面をぶん殴っている妹様へと口を開く。

 

「うー、嫌い、嫌い! アイツはいっつもそうなんだ! どうせ上ではフランのことを嗤ってるんだ! どうせ、どうせ──」

 

「あの、アンネリーゼ・バートリさんからのお手紙だったんです!」

 

背水の覚悟で長台詞に割り込んでみると、その瞬間にビックリした顔で妹様が喋るのを止めた……かと思えば、いきなり満面の笑みでこちらに問いかけを送ってきた。どうやら当たりを引いたらしいが、これはこれでちょっと怖いな。

 

「リーゼお姉様からのお手紙? なんて書いてあったの?」

 

「えっとですね……なんか近況報告と、お嬢様を小バカにする内容が半々くらいでしたよ。」

 

「ざまあみろ、いい気味だね。それで? 遊びに来るとは書いてなかったの? フランのことは?」

 

「遊びに来るとは書いてませんでしたけど、妹様のほうが当主に相応しいだとか、可愛いフランに会いたいとかっては書いてましたよ。」

 

矢継ぎ早に飛んできた質問に答えを返してみると、妹様はご機嫌な様子でニコニコ笑い始める。当主云々の辺りは本気で書いていたようには見えなかったが、そんなもん構うまい。私は自分の身の安全が一番大切なのだ。

 

「えへへ、さすがはリーゼお姉様だね。物事を正しくニンシキしてるよ。美鈴もそう思うでしょ?」

 

「そうですねぇ、そう思います。」

 

イエスマンに徹して同意を放つ。長いものにはぐるぐる巻かれるべきなのだ。私の肯定で更に気を良くしたらしい妹様は、地面に仰向けに寝転がりながら従姉妹さんについてを語り出した。

 

「リーゼお姉様かぁ、私も久しぶりに会いたいな。……そうだ! 美鈴、アイツにリーゼお姉様をお招きするように言ってよ。そしたらそしたら、何して遊ぼうかな? 一緒にアイツをぶっ飛ばすのがいいかも! それともきゅうけつ鬼ごっこ? うーん、悩むなぁ。」

 

どうやら妹様の中では、既に従姉妹さんが遊びに来ることは決定済みらしい。……まあ、私もちょっとだけ興味があるな。お嬢様はライバル視しているようだし、妹様はよく懐いているようだ。果たしてどんな吸血鬼なのか。

 

「分かりました。お嬢様に伝えてきますねー。」

 

了承の言葉を返してから妹様の部屋を出て、伝書コウモリの如くお嬢様の執務室へと戻りながら考える。もし従姉妹さんをお招きするとなれば、お嬢様はこの館の惨状を是とすまい。あれだけ対抗心を燃やしていたのだから、見栄を張って完璧な状態を見せたがるはずだ。

 

そうなると私が馬車馬のように働く羽目になるのだが……反面、従姉妹さんを招かなければ妹様の機嫌は地の底だろう。そうなった場合に煽りを食うのも同じく私なのだ。

 

どちらにせよ自分が苦労する未来が見えるのに、紅魔館の門番兼メイド長兼庭師兼復旧担当である紅美鈴は深いため息を漏らすのだった。

 



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2話

 

 

「相変わらず悪趣味な館だな。」

 

彼方に見えてきた月明かりに照らされる建物を眺めながら、アンネリーゼ・バートリは呆れた声色で呟いていた。あれこそがスカーレット家が誇る本拠、『紅魔館』である。昔は紅くてカッコいいとか言っていた気がするが、その度に父上は複雑な顔をしていたものだ。今ならその気持ちが理解できるぞ。さすがに真っ赤に染めるのはやりすぎだ。

 

「あれ? 門前に誰か居ますね。」

 

「ふむ、門番かな。」

 

連れてきた使用人が言うのに、翼をはためかせながら返答を送る。誰も付けずに訪問するのはプライドが許さなかったので、一応世話役として連れてきたのだ。おっとりとした見た目の、父上の代から我が家に仕えている忠誠心抜群のハーフヴァンパイア。……まあ、ちょっとおっちょこちょいなのが玉に瑕だが。

 

単純な世話役としてはしもべ妖精の方がよっぽど使えるのだが、彼らは残念ながら飛ぶことが出来ない。着陸後にロワーを呼び出すってのは……うん、やっぱりダメだな。供を付けずに飛ぶなんて格好が悪いのだ。

 

しかし、門番だと? そんなものが居るとは生意気じゃないか。うちの屋敷には居ないぞ。レミリアに負けるってのは癪に障るし、こっちでも早急に雇う必要がありそうだ。

 

内心で決意しながら門の前に着陸して、赤い長髪の奇妙な格好をした門番に顔を向けた。人間……ではないな。かといって吸血鬼でもない。大陸の方の妖怪か? 少しだけ警戒する私たちへと、件の門番が歩み寄りつつ声をかけてくる。

 

「どーもどーも、ようこそ紅魔館へ。門番の紅美鈴と申します。」

 

「これはご丁寧にどうも。こちらがバートリ家のアンネリーゼお嬢様です。今日はよろしくお願いしますねー。」

 

なんだその呑気なやり取りは。私の連れてきた使用人と同じく、どうやらこの門番……紅美鈴とやらもちょっと抜けているヤツのようだ。やけにふわふわした使用人同士の会話を尻目に、懐かしき紅魔館へと目をやった。

 

ふむ、記憶よりもやや古ぼけた感じだな。見栄っ張りのレミリアが手入れを怠っているということは、やはりスカーレット家も順風満帆とは言い難いらしい。おまけにここからでもフランの狂気が感じられるぞ。これでは尋常な存在は生きていけないはずだ。

 

「それじゃあ、お嬢様のところにご案内いたします。こちらへどうぞ。」

 

「ああ、頼むよ。」

 

お決まりのやり取りを終えたらしい門番に頷いて、先導するその背に続いて門を抜けてみれば……ほう、やるじゃないか。庭は綺麗に整っているな。ここだけは昔の紅魔館よりも美しいくらいだ。

 

夏の花々が咲き誇る庭を見物しつつ進んで行くと、大きな玄関の前に仁王立ちする小さな少女の姿が目に入ってきた。肩にかかるかかからないか程度のシルバーブロンドに、私と同じ真紅の瞳。薄紅色のドレスを着ながら、顔には懐かしい勝気な笑みを浮かべている。

 

言わずもがな、彼女こそがレミリア・スカーレットだ。私の幼馴染で、スカーレット家の現当主。記憶の中の彼女よりも少しだけ大人びた、幼きデーモンロードがそこに立っていた。

 

薄く微笑みながらの私がレミリアに近付くと、先んじて彼女の方から挨拶を投げかけてくる。うーむ、相も変わらず可愛らしい声だな。その所為で威圧感が半減だぞ。

 

「久し振りね、リーゼ。」

 

「また会えて嬉しいよ、レミィ。相変わらず小さくて可愛らしいね。お人形さんみたいだ。」

 

皮肉げな口調で返してやれば、途端に私とレミリアの間の空気が凍り付く。おお、怒ったか? 私の方が身長が高いのは純然たる事実だぞ。

 

「……あんたと違って私は伸び代を残してるのよ。そっちこそ昔と一切変わってないペタンコ具合ね。一瞬洗濯板の妖怪が訪ねてきたのかと思ったわ。」

 

「どんぐりの背比べという東方の諺を知っているかい? レミィ。私が洗濯板ならキミは壁だね。壁妖怪さ。」

 

「あのね、私は身長に対しての大きさの話をしてるの。私が壁な分には収まりがいいけど、あんたの場合は貧相さが目立ちまくりよ。」

 

突如として始まった罵り合いに、うちの使用人はオロオロしているが……おやまあ、レミリアのとこの門番は笑ってるな。大した度胸じゃないか。悔しいが、使用人のレベルは向こうが上らしい。

 

「ところで、最近の紅魔館では客を外に立たせておくのかい? 随分と失礼な当主じゃないか。スカーレット卿も地獄で嘆いているだろうね。」

 

「うちでは客を選ぶのよ。……まあいいわ、寛大な私に感謝するのね。入りなさい。」

 

「記憶が確かなら、私は招かれたはずなんだがね。」

 

苦笑を浮かべながらレミリアに続いて館に入った瞬間、いきなり身を包む狂気が強くなった。敷居を跨いだ瞬間にこれということは、狂気を封じ込めるために何らかの結界を張っているのだろう。我ら吸血鬼の未来と同じように、フランの病状も悪化の一途を辿っているようだ。

 

「おいおい、フランは大丈夫なんだろうね?」

 

思わずレミリアに問いかけてみると、前を歩いていた彼女はバツが悪そうな表情で振り返ってくる。

 

「大丈夫ではないわね。一刻も早く狂気を改善するための方法を探す必要があるわ。」

 

……強がりもなしか。なかなか切羽詰まっているようだ。想像していた以上に深刻な返答に顔を顰めつつ、再び歩き始めたレミリアへと言葉を放った。

 

「私にとってもフランは妹同然だ。もし助けが必要なのであれば、ここだけは意地を張らないでくれよ?」

 

「そんなこと分かってるわよ。……そもそも、今日はそのことを話したくて呼んだの。」

 

「ふぅん? なるほどね。」

 

やけに素っ気なく言ってきたレミリアに相槌を返して、記憶より小さく感じる階段を上っていく。翼がぷるぷるしているのを見るに、どうやら照れているようだ。分かり易いのも相変わらずか。

 

しかしまあ、随分と飾られている絵が減ったな。私の屋敷と違って、昔の紅魔館には壁という壁に絵画が飾られていたのだが……さすがに絵までは直せなかったらしい。当主交代の際の騒動はそれなりに大きかったわけだ。

 

私が細やかな変化に考えを巡らせている間にも、たどり着いた部屋のドアをレミリアが開いた。二階東側の一室。昔はスカーレット卿の執務室だった部屋だ。二人でこっそり忍び込んだ結果、後で怒られてしまったことを覚えている。

 

記憶を掘り起こしながらドアを抜けてみれば、大きな執務机や応接用の真っ赤なソファ、マホガニーのセンターテーブルなんかが見えてきた。備え付けの棚の一部には本や地球儀などの小物が置かれ、残るスペースは訳の分からん大量のガラクタで埋め尽くされている。スカーレット卿が使っていた頃は本だらけだったはずなんだがな。

 

「座って頂戴。」

 

レミリアがさっさとソファに座りながら言うのに、やれやれと首を振りながら対面のソファへと腰を下ろす。客より先に座っちゃうのはどうかと思うぞ。そのまま脚を組んで話の口火を切ろうとしたところで、ドアの方からカラカラという音が聞こえてきた。

 

チラリとそちらに目をやってみれば……おや、門番? 私たちの後ろを付いて来ているもんだと思っていた門番が、ティーセットの載ったカートを押して部屋に入ってきている。おいおい、いつの間に準備しに行ったんだ? 私が気配を読み違えるとは、つくづく想像を上回るヤツだな。ちょっと欲しくなってきたぞ。

 

「あげないわよ。」

 

ニヤリと笑ったレミリアの言葉に、肩を竦めながら苦笑を返す。残念、先手を取られたか。

 

「んふふ、いつから心を読めるようになったんだい?」

 

「あんたの場合は顔に出やすいのよ。」

 

そうかな? そんなこと初めて言われたぞ。首を傾げる私に対して、レミリアはこれでもかってくらいの得意げな笑みを浮かべている。考えを言い当てられたのと、部下自慢のダブルでご満悦らしい。なんとも憎たらしい表情ではないか。

 

「どうぞ。えーっと……なんとかティーです。つまりはまあ、紅茶です。」

 

なんだそりゃ。私の前にカップを置きながらの門番が謎の説明を口にしたところで、レミリアの笑みが大きく引き攣った。どうやら紅茶の銘柄を忘れてしまったらしい。うーん、有能なんだか抜けてるんだかよく分からんヤツだな。

 

「ああもう! 下がってなさい、美鈴!」

 

「はーい。」

 

「キミも下がってていいよ、エマ。」

 

「はい、それじゃあ失礼しますねー。」

 

レミリアの指示で門番が出て行くのに合わせて、私も連れてきた使用人を下がらせる。二人ともどことなく雰囲気が似ているし、門番に任せておけば問題ないだろう。一つ頷きながら用意された紅茶に口を付けてみれば……むう、美味いじゃないか。銘柄不明なのが残念だな。

 

 

 

「それで、フランのことだけど……。」

 

そしてお互いの近況報告が一段落したところで、レミリアがやおらフランの話題を切り出してきた。いよいよ本題ってわけか。ソファに深く座り直して聞く姿勢になった私を見て、レミリアも少し前屈みになりながら話を続けてくる。

 

「年々強くなるあの子の狂気に対して、現状有効な手立ては一切ないわ。そもそもお父様ですらどうにも出来なかったんだから、いきなり解決策が見つかる訳ないしね。」

 

「まあ、それはそうだろうね。私たちに思い付く程度のことはスカーレット卿がもう試してるはずだ。」

 

納得の頷きを返した私へと、レミリアはテーブルにずいと身を乗り出しながら提案を放ってきた。

 

「だからこそ、思い切って着眼点を変えてみるべきなの。お父様が選ばなかった道こそを辿ってみる必要があるわけよ。……時代は移ろっているわ。嘗ては生まれていなかった者たち、姿を隠していた者たちが力を付けてきている。そういう連中だったら、私たちが知らないような方法を知っているとは思わない?」

 

「まさかとは思うが、人間を頼るつもりじゃないだろうね? あの蛆虫どもがフランの問題を解決できるとは思えないぞ。」

 

矮小で、目障りで、忌々しい存在。数だけがどんどん増える人間のことを考えるとイライラしてくる。組んだ脚を小刻みに揺する私に対して、レミリアは背凭れに身を戻しながら肩を竦めてきた。

 

「そうね、私たちは強い。あんな連中よりも遥かにね。……だけど、この国を見渡してごらんなさいよ。何処も彼処も人間だらけじゃないの。連中は次々と未知を既知に変え、その短い寿命で何かを生み出し続けているわ。貴女だって本当は分かっているんでしょう? リーゼ。私たちは負けたのよ。……負けつつあると言うべきかもね。」

 

諦観か、達観か。悟ったような微笑みでレミリアが言うのに、鼻を鳴らして返答を放る。……ふん、分かっているさ。レミリアの言う通り、我々は強すぎたのだ。その強さ故に進歩を拒んでしまった。私たち吸血鬼が種族的優位にかまけて停滞している間にも、人間たちはその矮小な命の限り闇夜を照らす努力を重ねてきた。その結果がこれなのだろう。

 

「理解はしているさ。だが、それでも認めることは出来ないね。我々は吸血鬼。ヤツらの恐れる夜そのものなんだ。……私たちは畏れなくして生きていけない。巷で吸血鬼と呼ばれているあの半端者ども。あいつらのように人間に擦り寄って生きろとでも? 冗談じゃないね。それを選ぶくらいなら、私はバートリの吸血鬼として誇り高く死ぬことを選ぶよ。」

 

「分かってるわ、貴女はそういう存在だものね。……でも、私はフランの為ならなんだってやってみせる。連中の靴を舐めてあの子が狂気から解放されるなら、迷わず這い蹲って舐めてやるわよ。」

 

レミリアの真っ直ぐな宣言を聞いて、熱くなっていた議論が急速に冷めていくのを感じる。……羨ましいことだな。フランはちゃんと理解しているのだろうか? 自分がこんなにも想われていることを。

 

「……まあ、キミの愛情の深さは理解したよ。大したもんだ。脱帽さ。しかし実際のところ、人間どもが何かの役に立つとは思えないね。狂気に当てられて狂うだけじゃないか?」

 

「そりゃあ、普通の人間には無理でしょうけどね。連中の中でもとびっきりの異端者たち……魔法使いならどうかしら?」

 

「一応聞くが、どっちの魔法使いのことだい?」

 

私の知る限り、魔法使いと呼ばれる生き物は二種類存在するはずだ。棒きれを振り回しながら呪文を唱えている間抜けな連中と、文字通り人間をやめた種族としての魔法使い。私の問いかけに対して、レミリアは間髪を容れずに答えを返してきた。

 

「分かり切ったことを聞かないで頂戴。『本物』の方に決まっているでしょう?」

 

「ま、そりゃそうだ。人間やめてるくらいじゃないと狂気の解決なんか夢のまた夢だろうしね。……とはいえ、そうなると今度は別の問題が出てくるぞ。あのイカれた連中が易々と知識を渡すと思うのかい?」

 

魔法使いってのは等価交換を重んじる存在だ。フランを狂気から救うほどの方法に相応しい対価を用意できるとは思えないし、そも取引に応じるような魔法使いが居るかも微妙なところだろう。ヤツらは他者とは関わらず、山奥に籠って一人で研究しているのが大好きなのだから。わざわざ厄介な問題に首を突っ込んできたりはすまい。

 

私の示した懸念を聞いて、レミリアはピンと人差し指を立てながら自身の策を語り始めた。

 

「だから魔法使いに至る前の人間に話を持ちかけるのよ。至ることが出来そうな、人外になれる素質を持った人間にね。手取り足取り面倒を見てあげた後、然るべきタイミングで負債を徴収するってわけ。……どう? 良い考えでしょ?」

 

「迂遠だね。なんとも迂遠な方法だ。かなりの時間がかかるぞ、それは。」

 

「幸いにも時間だけは有り余ってるわ。私たち吸血鬼は特にね。……それに、運命が見えたの。この方法を選んだ先に、あの子が外で楽しげに遊んでいる姿があるはずよ。」

 

『運命を操る程度の能力』

 

いつからか宿っているレミリアの力。私からすればひどくあやふやな力だが、少なくとも行動方針にするくらいには信用できる。そのことは長年の付き合いで学習済みだ。

 

「ふぅん? ……にしたって、至れる存在とやらをどうやって探すつもりだい? まさかその辺を歩いている人間を教育するつもりじゃないだろうね?」

 

「そんなわけないでしょ。紛い物の中から探すのよ。原石はそこにあるはずだわ。」

 

紛い物? ……ああ、なるほど。棒きれを振り回してる方か。確かにその辺を当てもなく探すよりはマシだろう。それにしたって苦労はするだろうが。

 

「まあ、話は概ね理解できたよ。それで? 私に何か手伝えと言うんだろう?」

 

「『私にとっても妹同然』なんでしょ? 当然働いてもらうわよ。」

 

おっと、言質を取られていたわけか。……いいさ、あの発言は別に冗談で言ったわけじゃない。フランを狂気から解放してやりたいというのは紛れもない本心なのだ。

 

「んふふ、仕方がないから手伝ってあげるよ。具体的には何をすればいいんだい?」

 

「そうこなくっちゃね。用意した資料があるから、先ずはそれに目を通して──」

 

私の質問を受けたレミリアが立ち上がって執務机の方に向かおうとした瞬間、館をビリビリと揺らす振動と共に階下から凄まじい轟音が響いてきた。なんとまあ、起こす癇癪のレベルも昔とは段違いだな。

 

二人揃って地面に視線を送った後、上げた顔を見合わせて苦笑を交わす。

 

「どうやら、詳しい話の前に地下室に行った方がよさそうね。フランに会ってあげて頂戴。」

 

「そうすべきみたいだね。」

 

箱入り娘どのの催促には逆らえんな。くつくつと笑いながらソファを離れて、幼馴染の背に続いて地下室へと歩き出す。レミリアの話はまだ長くかかりそうだし、紅魔館が廃墟になる前に可愛い妹分との再会を果たすことにしよう。

 

 

 

「リーゼお姉様っ!」

 

地下室の扉を抜けた途端に突っ込んできた金色の塊を、年長の意地でなんとか抱き止める。普通の女の子がやる分には可愛らしいかもしれんが、フランがやるとバカにならない衝撃だな。一瞬息が詰まったぞ。

 

「やあ、フラン。久し振りだね。また会えて嬉しいよ。」

 

「うん、フランも会いたかったよ! 今日はね、今日はね、リーゼお姉様が遊びに来るからってずっと起きて待ってたんだ! ねえねえ、何して遊ぶ? 今日は泊まっていくの? 泊まっていくよね? それじゃあずっとフランと──」

 

「フラン、はしたないわよ。少し落ち着きなさい。」

 

私に抱きついたままで捲し立ててくるフランへと、背後に続くレミリアが注意を放つが……うーむ、これは良くないな。狂気の所為なのか、姉妹仲がかなり悪化しているようだ。フランはいきなり冷たい表情に変わって文句を返した。

 

「うっさいなぁ、オマエは呼んでないよ。上で当主ごっこでもしてればいいじゃん。勝手に入ってこないでくれる?」

 

「スカーレットの家人としての礼儀作法は教えたでしょう? いくらリーゼが相手でも、きちんとした淑女としての振る舞いを──」

 

「うるさいってば。誰かさんがこんな場所にユーヘーするもんだから、使う機会がないんだよ。いいから出てって。ジャマだから。」

 

いやはや、レミリアの愛情を知っている身としてはもどかしくなってくるやり取りだな。フランの取り付く島もない返事を受けたレミリアは、ちょっとだけ悲しそうな苦笑で部屋を出て行く。

 

「まあいいわ。私は執務室で書類を片付けてるから、しばらく二人で遊んでおきなさい。」

 

「べーっだ! もう二度と来なくていいからね! ……それで、えーっと、なんだっけ? そう、お人形! 美鈴に大きなお人形を用意させたから、これを二人でバラバラにして遊ぼうよ!」

 

くるりと表情を変えて提案してきたフランへと、部屋の隅に転がっているチェスセットを指差しながら返答を送る。せっかく準備してくれた門番には悪いが、ひたすら人形をバラバラにするくらいならチェスでもやった方が百倍マシなはずだ。

 

「それも魅力的だが、私としてはチェスをやりたいな。フランがどれだけ強くなったのかを見せてくれないかい?」

 

「んぅ、リーゼお姉様はチェスがいいの? んー……分かった! じゃあチェスにしよっか。」

 

自分と同程度の背丈の人形をぞんざいにぶん投げたフランは、私の手を引いて部屋の中央に置かれたベッドの方へと誘導し始めた。ソファもテーブルも無いのか。……というか、フランが壊しちゃったようだ。その残骸らしき木片が壁際に転がっている。

 

 

 

「それでね、美鈴ったらアジアの妖怪だからってみんなから仲間ハズレにされちゃってさ。アイツの側に付くしかなかったんだって。運が悪いよねぇ。」

 

……マズいな、今回は負けそうだぞ。ベッドの上で行われるチェスももう三戦目。疎遠だった時間を埋めるように語り合いながら試合を進めていたのだが、ここにきて初めて劣勢になってしまった。物凄く強くなってるじゃないか、フラン。

 

姉貴分としては負けるわけにはいかないと焦り始めた私を他所に、フランは当主交代の際の騒動についての話を続けてくる。

 

「昼も夜もうるさくって眠れなかったよ。いろんな音がして楽しそうだったのに、フランはここから出られないしさ。気付いたら全部終わっちゃってたの。つまんなーい!」

 

「なるほどね。」

 

かなりの劣勢だったのだろうに、レミリアは地下室に敵を入り込ませなかったらしい。涙ぐましい努力だが、肝心のフランには一切伝わっていないようだ。クィーンを動かしながら報われない姉を思って苦笑する私へと、フランは腕を組んで受け手を考えつつ質問を寄越してきた。

 

「リーゼお姉様の方はどうだったの? 楽しかった?」

 

「いや、私の方は手間も時間もかからなかったよ。残念ながら私自身の力じゃないけどね。父上のお陰さ。」

 

晩年、病によって自分の命が燃え尽きようとしていることを自覚した父上は、遺言を伝えるという名目で当時屋敷にいた実力者たちを自室に集めたのだ。そして、最後の力を振り絞って私以外の全員を皆殺しにしてくれた。後は好きに生きろとの言葉を遺して。

 

だからまあ、家の支配を確立するのは大して苦労せずに済んだ。残った反抗的な木っ端どもを誅殺すればそれで終わりなのだから。うむ、父上には感謝しきれないな。地獄で母上と一緒に優雅に過ごしていてくれれば良いのだが。

 

「チェックだよ、フラン。」

 

バートリ家のお家騒動の時を思い出しながらも、フランの悪手に付け込んでチェックをかける。よしよし、どうにか勝てそうだな。もうフランとチェスはしない方が良さそうだ。次やったら負ける自信があるぞ。

 

「うぅー、ここもダメだし、ここも、ここもダメ。フラン、また負けちゃったみたい。やっぱりリーゼお姉様は強いね。……ねね、もう一回! もう一回やろうよ!」

 

「すまないが、そろそろレミリアの所に戻るよ。お仕事の大事な話があるんだ。」

 

おやおや、くるくると表情が変わるな。途端に不機嫌そうな顔になってしまったフランへと、頭を撫でてやりながら言葉を繋げた。さすがにその反応は予想済みなのだ。

 

「その代わり、また近いうちに遊びに来るよ。次はきちんとお土産も持ってくるから、それで許してくれないかい?」

 

「んぅ……ホントに? ホントにまた来てくれるの?」

 

「ああ、約束だ。バートリの名誉に懸けて誓うよ。」

 

真剣な表情で頷いてやると、フランは抱き付いた私の胸に頭をぐりぐりと擦り付けながら口を開く。

 

「……わかったよ。フランは良い子だから、また来てくれるなら許してあげる。お土産はおもちゃがいいな。二人で遊べるやつ!」

 

「了解したよ。とびっきりのを探しておこう。」

 

名残惜しげなフランのおでこにキスした後、ベッドを下りて鋼鉄製の重苦しい扉へと向かう。いつかこの子が地下室から出れるようになったら、レミリアと三人で自由に夜空を飛び回りたいもんだ。

 

「それじゃあね。また来るよ、フラン。」

 

「うん……絶対、ぜーったいまた来てね! 約束だよ!」

 

扉の先で振り返って挨拶を放つと、ベッドの上のフランは両手で大きく手を振ってきた。……うーむ、後ろ髪引かれるな。今ならフランの魅了にかかってしまうかもしれない。

 

後戻りしたい気分をなんとか振り払いながら薄暗い地下通路を抜けて、一階への階段を上がったところで……何してるんだ? こいつら。熱心に階段の手すりを見つめる奇妙な二人組が目に入ってくる。門番と、我が家の使用人だ。

 

「ほらほら、このクリームを使うと木材がピッカピカになるんです! これでお掃除なんか楽勝ですよ!」

 

「わあ、凄いですねぇ。……でもなんか、色が変わってきてませんか? ひょっとして強すぎるんじゃ?」

 

「あっ、ヤバい。……まあほら、それだけ凄いってことですよ。見方によっては白くて綺麗になったとも捉えられますし。ね?」

 

ニスが剥がれてるようにしか見えんぞ。どうやら門番から掃除用品についてを教えてもらっているようだが……私の屋敷では絶対に使わせないからな、そんなもん。物事には加減というものがあるのだ。

 

呆れた表情で近付く私へと、先んじて気付いた門番が声をかけてきた。優秀なポンコツか。なるほどレミリアが好きそうな人材じゃないか。なにせ当の本人がそうなわけだし。

 

「ありゃ、従姉妹様。妹様とはもういいんですか?」

 

「フランとは充分遊んだが、レミィとの話が残ってるんだ。もうちょっとの間だけうちの使用人をよろしく頼むよ。」

 

「はーい、了解でーす。」

 

『従姉妹様』か。面白い呼び名を考えるもんだな。素直に頷いた門番と慌ててお辞儀してきた使用人の間を抜けて、エントランスの階段を上って二階の執務室に戻ってみると、部屋の主人が執務机で羊皮紙の束に向き合っているのが見えてくる。

 

「あら、ノックもなし? 貴女もフランと一緒にマナーを勉強すべきね。」

 

「我々の間に壁はないのさ。……フランはチェスが強くなってたよ。キミが教えたのかい?」

 

先程居たソファに座り込みながら問いかけてみれば、レミリアは苦い表情で首を横に振ってきた。

 

「多分、一人遊びをしてるうちに強くなったんでしょ。私とはもうチェスなんかやってくれないでしょうしね。……お父様が死んだから、地下室から出してもらえると思ってたらしいの。私が封印を解かないもんだから裏切り者扱いされちゃってるのよ。」

 

「なるほどね、姉妹仲が悪くなってたのはその所為か。」

 

「いずれ分かってくれる日が来るわ。……きっとね。」

 

草臥れた表情で執務机を離れたレミリアは、手に持っていた羊皮紙の束を私の前のテーブルに広げてくる。二十枚ほどのそれには顔写真や肖像画、それに人名と簡単な経歴なんかが載っているようだ。履歴書か何かか?

 

「何だい? これは。」

 

「見所がありそうな魔法使いのリストよ。『魔法省』とかいう政治機関の人間を何人か美鈴に攫わせて、私が魅了をかけて調べさせたの。国外のやつもいるわよ。遠すぎる場所のはさすがに入手できなかったけど、ヨーロッパ圏の有望株は大体揃えたわ。」

 

「ふぅん? 頑張ったじゃないか。」

 

手に取ってよく見てみると、ちらほらと中の人物が動いている顔写真があるぞ。これが魔法か。ちょびっとだけ面白いな。興味深い気分で写真の中の魔法使いを突っつく私に、レミリアが束の中から三枚の羊皮紙を選び取って差し出してきた。

 

「運命を覗いたところ、『本物』に至れそうなのは三人だけだったわ。アルバス・ダンブルドア、ゲラート・グリンデルバルド、そしてパチュリー・ノーレッジ。……この三人よ。」

 

どれも若いな。快活そうな雰囲気の鳶色の髪の少年、怜悧な目付きでこちらを睨むブロンドの少年、俯いて暗い顔をしている紫の髪の少女。つまり、この三人の中の誰かがフランを救う鍵になるわけか。

 

羊皮紙に貼り付けられた三者三様の写真を見て、アンネリーゼ・バートリは薄っすらと笑みを浮かべるのだった。

 



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3話

 

 

「まさかこんな場所があったとはね。普通の人間……『マグル』と呼ぶんだったか? にはバレないのかい?」

 

左右に立ち並ぶ店々と、騒がしく歩き回るローブ姿の魔法使いども。ロンドンのど真ん中とは思えないその光景を前に、アンネリーゼ・バートリは連れてきたロワーへと問いかけていた。

 

「隠蔽魔法によってマグルたちからは隠されているのでございます。」

 

「ふぅん? 紛い物どもも中々やるじゃないか。」

 

我が家のしもべ妖精が返してきた答えに頷いてから、雑踏の中を歩き始める。屋敷しもべ妖精は魔法使いにとってはメジャーな存在のようだし、ロワーはこちらの世界に詳しいということで供にと連れてきたのだが……周りを見渡す限り、引き連れてるヤツは一人も居ないぞ。本当に大丈夫なんだろうな?

 

今日訪れているのは『ダイアゴン横丁』。イギリスにおける魔法使いたちの商店街だ。ロンドンの中心部から程近い場所にあったのも驚きだが、この賑わいっぷりも予想外だな。高が人間が作ったものだと思いつつも、ふつふつと湧き上がってくる好奇心を感じる。

 

久々に紅魔館を訪れたあの日、レミリアから詳細な話を聞いた後、私たちはお互いの役割を決めた。フランが居る紅魔館から動けないレミリアは手紙でのやり取りで魔法使いの政治機関とのパイプ作りを。そして私は直接目標に接触して見極めることになったのだ。

 

まあ、適材適所ってことだな。真昼を生きる人間に接触する分には、私の生まれ持った能力が大いに役立つことだろう。

 

『光を操る程度の能力』

 

吸血鬼に有害な日光を緩和し、夜闇を際立たせる私だけの力。普通の吸血鬼とは違って、私にとって陽の当たる場所を闊歩するのは難しいことではないのだ。……いやまあ、夜行性の身としては無論楽しい気分にはなれないが。

 

ただし、残念ながら私はこの力を十全には使い熟せていない。レミリアしかり、フランしかり、どんなに大仰な能力を持っていても使い熟せなくては肩透かしになるだけだ。能力の細やかな制御が出来ないのは吸血鬼の特性なのかもしれんな。

 

とにかく、三人のうち二人はイギリスにある『ホグワーツ魔法魔術学校』とかいう学校の生徒らしい。もう一人が他国の人間だということもあり、とりあえずはアルバス・ダンブルドアとパチュリー・ノーレッジに接触することが決まったのだ。

 

となれば、先ずは『魔法界』の常識を学び、溶け込む必要があるだろう。人間が吸血鬼に対して友好的なはずもないし、いきなり討伐対象になるのは御免だ。そんなわけで光を操って翼を透明にして、バカバカしいローブを身に纏った姿でこの場所に居るわけだが……成る程どうして面白そうな商店街じゃないか。

 

私の知る魔法使いという存在は自分の知識やら素材やらを軽々しく他人に渡すような連中ではなかったはずだが、学校があることといい、この商店街の様子といい、どうやらこちらの魔法使いどもは随分とオープンにやっているらしい。

 

古来よりの伝統も形無しだな。呆れ半分、感心半分くらいの思いで通りを歩いていると、ふと視界の隅に奇妙な店が映り込む。

 

「……『箒屋』? おいおい、まさかあれに乗って飛ぶんじゃないだろうね?」

 

ショーウィンドウにどうだと言わんばかりに多種多様な箒が置いてある店を見ながら、一歩後ろを付いてくるロワーに聞いてみれば、忠実なしもべ妖精はやたらハキハキとした口調で返答を寄越してきた。

 

「その通りでございます、お嬢様。魔法使いたちは箒に跨って空を飛ぶのです。質の良い箒は、ともすれば家よりも高いのでございます。」

 

なんてアホな連中なんだ。そんなもん座り心地は最悪だろうに。他にもふくろうショップだの、魔法植物専門店だのといった普通の街では絶対に見られない店の間を歩いて行くと、道の先に一際目立つ大きな建物が見えてくる。

 

「おっと、あれが銀行……グリンゴッツだったか。」

 

「はい、小鬼たちが運営している魔法界の銀行でございます。」

 

ロワーと話しながら白一色の建物に入ってみればいるわいるわ、あれが小鬼というわけだ。屋敷しもべ妖精から愛嬌を抜いて、十倍くらい神経質にしたような生き物だな。見るからに意地が悪そうじゃないか。

 

左右の台の上で忙しなく働く小鬼たちを横目に、奥にある受付らしき場所へとひた歩く。何をするにせよ、先ずはこっちの通貨を手に入れなければなるまい。人間……じゃなくて、マグルの通貨は使える場所が限られているらしいのだ。

 

監視するかのようにこちらを見てくる小鬼たちにうんざりしつつ、たどり着いた最奥のカウンターの前に立ってみれば、やたら背の高い椅子に座っている小鬼が声をかけてきた。

 

「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」

 

「換金を頼みたいんだ。これをこっちの通貨……ガリオンとやらに換えてくれ。」

 

「かしこまりました、少々お待ちください。」

 

持ってきた金塊をいくつか出してやると、小鬼はさして驚くこともなくそれを秤に載せ始めた。小娘が懐から金塊を出すってのはこっちじゃ珍しくもないらしい。ちなみに、金塊は私の自前とレミリアから経費としてぶん取ったものが半分ずつだ。

 

「この量と質ですと、こちらの金額となります。よろしいでしょうか?」

 

小鬼が大量の金貨と、少しの銀貨、銅貨を押し出してくるが……そんなことを言われてもこっちの世界の金相場なんてさっぱりだぞ。というかまあ、そもそも通貨の価値すら知らん。来る前にレミリアに聞いておけばよかったな。

 

とはいえ、バートリ家の淑女が狼狽えてはならないのだ。ちんぷんかんぷんな内心を隠して、自信満々に答えを放つ。損をしたところで大した金額ではないわけだし、ロワーの説明によればそれなりに信用のある銀行なはず。問題ないだろう。多分。

 

「ああ、それで構わないよ。」

 

「貸金庫をお持ちでしたらそこに入金することも出来ます。もしまだ金庫を持っていらっしゃらないのであれば、すぐに開くことも出来ますが……如何いたしましょう?」

 

ふむ、貸金庫か。正直こんな場所よりも自分の屋敷の方がよほど安全だと思うのだが、よく考えたらこの量を持ち歩くのは面倒だ。レミリアが取引に使う可能性もあるし、一応借りておくか。十分の一ほどの金貨だけをこちらに引き寄せて、残った山を指差しながら口を開いた。

 

「それなら頼むよ。こっちは金庫に入れといてくれ。」

 

「かしこまりました。では、こちらにお名前をご記入ください。金庫を確認していかれますか?」

 

「すぐ見れるのかい?」

 

「地下にございますので、トロッコを使って移動することになります。」

 

なんだそりゃ。何が悲しくて鉱山労働者の真似事をしきゃならんのだ。無言で首を横に振ってから、差し出された羊皮紙に署名する。本名で問題あるまい。人外だったらともかくとして、人間どもには名前が広まっていないはずだし。

 

「……確認いたしました。こちらがバートリ様の金庫の鍵となります。紛失しても再発行は出来ませんのでご注意ください。」

 

「はいはい、覚えておくよ。」

 

適当に返事を返した後、小鬼が渡してきた大振りな鍵を受け取ってカウンターを背に歩き出す。そのままグリンゴッツの玄関を抜けながら、ロワーに向かって質問を放った。

 

「金貨一枚で他の通貨何枚になるんだい?」

 

「1ガリオン金貨が17シックル銀貨、1シックル銀貨が29クヌート銅貨となっております、お嬢様。」

 

「……考えたヤツは余程の捻くれ者だったみたいだね。」

 

複雑にも程があるぞ。ショーウィンドウに飾られた商品の値段を見る限り、取引には主に銀貨が使われているようだ。そりゃそうか。銅貨では嵩張るし、金貨では細かいところに手が届かない。当然の結果と言えるだろう。

 

さて、次はどうしようか。魔法界とやらの文化を知るとなれば……うーむ、杖でも買ってみるか? あの棒きれが何かの役に立つとは思えないが、周囲の様子を見るにここでは持っておくのが常識らしい。

 

「ロワー、杖を買うとしたらどこで買えばいい?」

 

「でしたらオリバンダーの杖屋がよろしいかと。あそこは紀元前から続く杖作りの名家でございます。」

 

「ふぅん? なら、その店に案内してくれたまえ。」

 

「かしこまりました。」

 

紀元前とは驚いたな。二千年近く続いてるってのはちょっと凄いぞ。私の祖父が現役だった頃から代々杖を作り続けていたわけか。……ふむ、人間にしてはやるじゃないか。

 

僅かな感心を覚えながらもロワーの案内に従って通りを進み、やがて古ぼけた一軒の建物へとたどり着く。『紀元前382年創業』と確かに書かれている店の入り口を抜けてみれば、見渡す限り杖だらけの店内が見えてきた。

 

壁に掛かる説明文付きの杖や、カウンターに並ぶ杖、そして壁を埋め尽くす棚には長方形の箱がギッシリと詰まっている。もちろんあの中身も杖なのだろう。賭けてもいいぞ。

 

中々にインパクトのある店内の光景を眺めていると、店の奥から出てきた神経質そうな老人が話しかけてきた。あれが店主か。一目で分かる職人の面構えだな。もっと愛想の良い店員を雇えばいいだろうに。

 

「いらっしゃいませ。杖をお探しですかな?」

 

「ここは杖屋なんだろう? 当然、杖を買いに来たんだ。」

 

「尤もですな。では、こちらへどうぞ。……杖腕はどちらでしょうか?」

 

杖腕? ああ、利き腕のことか。どうやら魔法界では杖を持つことが言語にまで影響するほどの常識らしい。内心でちょっとだけ呆れつつも、店主に向かって右腕を突き出す。

 

「右だよ。左も人並みには使えるけどね。」

 

「少々測らせていただきます。」

 

言いながら店主がメジャーを取り出すと、そいつが独りでに私の腕だの身長だのの長さを測り始めた。店主はその数値を真剣な表情で羊皮紙に書き込んでいるが……体型と杖とに何の関係があるんだよ。奇妙な店だな。

 

暫くの間されるがままで退屈していると、大きく頷きながらふむふむ言い出した店主が店の奥の棚からいくつかの箱を選び取る。どうやら謎の計測は終わったらしい。

 

「こちらを握ってみてくれますかな?」

 

持ってきた箱の一つから店主が出した杖を、手を伸ばして握ろうとするが……何なんだよ、一体。指先が触れただけで取り上げられてしまった。

 

「なるほど、なるほど。これは違いますな。となるとこれも、これも違う。……ふむ、こちらはどうでしょう?」

 

「……握ればいいんだね?」

 

「おっと、もう結構。これも違うようです。」

 

「キミね、今のは触れてすらいないぞ。」

 

本当に大丈夫なのか? この店。私が触ってすらいない杖を箱に戻した店主は、再び店の奥の棚に移動して箱を選別し始める。何が行われているのかはさっぱりだが、時間がかかりそうだってのは何となく分かるぞ。

 

そんなやり取りが延々続き、時たま挟んでくる杖の原材料やら、杖作りの薀蓄やらにも飽きてきた頃……やおらオリバンダーが一本の杖を差し出してきた。杖先が鋭く尖った、象牙のように真っ白な杖だ。美しいじゃないか。

 

「まさかとは思いますが……どうぞ、こちらをお試しください。」

 

その真っ白な杖を握った瞬間、身体からするりと妖力が抜けていくのを感じる。同時に杖先から小さな蝙蝠が無数に飛び出してきたのを見て、店主が落ち窪んだ目を見開いた。

 

「おお、なんと。白アカシアにドラゴンの心臓の琴線、25センチ。気まぐれで悪戯好き。六代に渡って買い手が見つからなかったのですが……よもや私の代で見つかるとは。」

 

ふぅん? 店主によればかなりの年代物らしいが、純白の杖は美しい光沢を保ったままだ。うむうむ、気に入ったぞ。さっきまでの棒きれとは違って高貴な感じだし、これならバートリの当主たる私に相応しいだろう。

 

「不思議ですな、実に不思議です。その杖は人間が使うには不向きなはずなのですが。」

 

『人間向き』じゃない? 六代も買い手がいなかったのはその所為か。そもそも何だってそんな物を置いていたのかは甚だ疑問だが、私は人間じゃないので気にしない。手に入れた杖を手の中で転がしつつ、店主に向かって言葉を放った。

 

「何にせよ気に入ったよ、買わせてもらおう。ついでに手入れの道具と……そうだな、ホルダーも貰おうか。」

 

杖掃除セットと、腰に着ける杖用のホルダーも一緒に購入して店を出る。んふふ、子供の頃にオモチャを買った時のような感覚だな。知らず口角が上がっちゃうぞ。

 

 

 

そのまま上機嫌でダイアゴン横丁の店をいくつか回った私は、レミリアとフランへの土産を買った後、最後の目的地である本屋を目指して歩いていた。フランには偶々見つけた人形店に置いてあった随分と出来の良い人形を数体と、こっちの世界のボードゲームを一つ。そしてレミリアには魔法薬の店で見つけたドラゴンの血だ。……帰ったら処女の生き血だとでも言って飲ませてやろう。どんな反応をするのか実に楽しみじゃないか。

 

しかし、あの人形は素晴らしかったな。荷物は買ったそばからロワーに屋敷に運ばせたので手元には無いが、人形に然程興味のない私から見ても見事な出来栄えだった。店の場所も覚えたし、フランが気に入るようならオーダーメイドで作らせてもいいかもしれない。

 

考えながらも角を曲がり、見えてきた本屋へと歩を進める。ホグワーツのこと、魔法界のこと、魔法使いのこと。情報を手に入れるには本が一番だ。レミリアからも頼まれているし、最後に良さげな本を買い漁って帰るとしよう。

 

買うべき本を脳内にリストアップしながら、店先にまで大量の本が積み上げられている書店に入ってみると……驚いたな。大した能力じゃないか、レミリア。ダイアゴン横丁に来る日を指定したのも、本を買うようにと言ってきたのもこういう意味だったのか。店の奥で紫色の髪の少女が佇んでいるのが目に入ってきた。

 

「……ロワー、キミはここで待っていたまえ。ちょっと『お仕事』をしてくるから。」

 

「かしこまりました、お嬢様。いってらっしゃいませ。」

 

さてさて、それじゃあ声をかけてみるとするか。ロワーに指示を出して入り口で待機させつつも、アンネリーゼ・バートリは物憂げな表情を浮かべている紫の少女に歩み寄るのだった。

 

 

─────

 

 

「はぁ……。」

 

どれもこれも読んだことのある本ばかりじゃないか。ホグワーツから届いた指定教科書のリストを眺めながら、パチュリー・ノーレッジは大きなため息を吐いていた。

 

魔法界。この世界にうんざりし始めたのはいつのことだったか。最初は良かった。周りには無数の未知が溢れ、読んだことのない本が数え切れないほどにあったのだから。しかし、来学期からホグワーツの四年生となる今、たった三年間で既に未知は既知へと変わり出している。

 

そもそも、ホグワーツの生活だってもううんざりだ。四つある寮のうち、英知を求めるというレイブンクローに選ばれたものの、本気で『英知』を求めている者など私は見たことがない。私の知る限り、英知とはテストの点数ではなかったはずだぞ。

 

そして、私にコミュニケーション能力が欠如していたことがさらなる悲劇を呼んだ。自寮に友人など居ないし、そうなると当然他の寮にも居ない。元々上手く会話が出来るような人間ではなかったのに、レイブンクローの独立気質がそれに拍車をかけたのである。

 

憂鬱だ。あまりにも憂鬱だ。教科書のリストにある唯一知らない本は、マグル学の教科書である『マグル界におけるコミュニケーションの基礎 ~正しいファッションセンスとマナー~』だけだが……魔法界でだってダメなのに、何が悲しくてマグル界のコミュニケーション技能を磨かなくちゃいけないんだよ。

 

ジメジメした気分で書店の棚を巡るが、この忌々しいタイトルの本は中々見つからない。そして残念ながら、私には向こうで忙しそうにしている店員に質問する勇気などないのだ。もし面倒くさそうな表情でもされてしまったらと思うと、怖くて怖くて──

 

「何を探しているんだい?」

 

「ひゃっ。」

 

びっくりした! いきなり背後から声をかけられた所為で、妙な声が漏れてしまう。恥ずかしさで真っ赤になりながら振り向いてみれば、信じられないほどに可憐な少女が立っているのが見えてきた。

 

美しい黒髪に、ルビーのような真紅の瞳。肌なんて冗談かと思うほどに透き通った白だし、顔のパーツはどんな芸術家でも表現できないような完璧なバランスを保っている。私が口をパクパクさせながらどうしようかと迷っていると、少女が小さな口を開いて話しかけてきた。外見通りの綺麗な声だ。

 

「おっと、すまないね。驚かせちゃったかな? キミが困っているみたいだから、声をかけてみただけなんだよ。」

 

「あっ、いや……ええと、大丈夫。ちょっと本が、見つからなくて。それだけなの。」

 

死にたい。何だこの返答は。こんな可愛い子が心配して声をかけてくれたんだから、もっと気の利いたことは言えないのか、私。頭の回転には自信があるのに、どうして口を通すとこうなっちゃうんだろうか。

 

「おや、だったらキミの探し物を手伝おうじゃないか。どうせ適当に見て回ってたんだ。目的があったほうが楽しそうだしね。」

 

「あっ、ありがと、ぅ。」

 

うーむ、背伸びした喋り方が実に可愛らしいな。こんな子が学校に居れば目立つ筈だし、察するにホグワーツの入学前なのだろう。歌劇のような口調がよく似合っている。そして、対する私はまるで蚊が鳴いているようだ。我ながら情けなくなってくるぞ。

 

自己嫌悪に沈み始めた私へと、少女が首を傾げながら問いかけてきた。

 

「それで、どんな本を探しているんだい?」

 

「えっとね、それは──」

 

いや待て、マズい。ここでタイトルを言ってしまえば、まるで私はコミュニケーション能力だのファッションセンスだのを磨きたいヤツみたいじゃないか。いやまあ、実際のところ磨きたくはあるが……これは学校の指定教科書だから仕方なく買う訳であって、いくら本の虫とはいえ、普段の私はこんな本をわざわざ探してまで買ったりはしないのだ。

 

「あの、これよ。このマグル学の教科書。別に興味はないんだけど、指定教科書だから。つまり、仕方なく買うの。」

 

誤解を与えないために、ホグワーツからの手紙を開いて突き出す。だけど、余計気にしてる感じになっちゃったのは何故だろうか。これは前言撤回すべきかもしれない。どうやら私にはこの本が必要だったようだ。

 

「ふぅん? それじゃあ探してみようか。キミは上段を、私は下段を。それでいいかな?」

 

「え、えぇ。」

 

上下で分けるのか。不思議な分担だと疑問には思うが、もちろん突っ込まないで同意の頷きを送る。そこに突っ込めるほどの会話技術がないし、小さな子供のやることだ。年長としてここは流しておくべきだろう。

 

指示に従って書棚の間を歩き始めると、少女が私の後ろに続きながら質問を寄越してきた。……なるほど、そういうことか。上下の分担なら話しながら探せるわけだ。でも、既に私は一杯一杯だぞ。もう一日分の会話量はとっくに超えてしまっている。

 

「教科書を探してるってことは、キミはホグワーツの学生なのかい?」

 

「そうね。えっと、九月から四年生よ。」

 

「なるほどね。……しかしまあ、ホグワーツでは妙な本が教科書になってるみたいじゃないか。『マグル学』を学んでるってことは、魔法界の生まれなのかい?」

 

「いいえ、マグルの生まれよ。その、両親とも。」

 

魔法族から見たマグルのことを知りたかったし、空き時間があっても談話室で居辛い思いをするだけだからなるべく多くの授業を取ったのだ。脳内で台詞を補完する自分を情けなく思ったところでふと気付く。この子が純血派だったらどうしよう。スリザリンの能無しどもに罵倒されるのにはもう慣れたが、こんな少女に言われたらさすがに堪えるぞ。

 

そんな私の心配を他所に、少女は大して気にした様子もなく会話を続けてきた。

 

「それなのに学年首席ってことは、キミはよほどに優秀な学生らしいね。」

 

「へ? どうして……。」

 

どうして私が首席だってことを知っているのだろうか。もしかして同級生の妹か何かだとか? 兄か姉に言われて、『根暗のノーレッジ』をからかいに来たのかもしれない。顔に疑問の表情を浮かべる私へと、少女は微笑みながら答えを教えてくれた。

 

「んふふ、さっきの羊皮紙の上のほうに書いてあったよ。学年首席のパチュリー・ノーレッジさん。」

 

その言葉を受けて、安心すると共に罪悪感が湧き上がってくるのを感じる。杞憂だったのは良かったが、罪もない少女にあらぬ疑いをかけてしまうとは……そういうところがダメなんだぞ、私。

 

「しかし、ちょっと残念だね。ダイアゴン横丁には初めて来たんだが、この程度の本しか置いてないとは思わなかったよ。」

 

「そ、そうね。ホグワーツの図書館はもうちょっとマシなんだけど、ここはその……あんまり品揃えが良くないのかも。」

 

「きっとパチュリーは沢山読んだんだろうね。でなきゃ首席になんてなれないだろう?」

 

おおう、名前を呼ばれるなんて久々だ。ちょっとドキッとしたのを隠しつつ、少女に向かって首肯を返す。

 

「別に自慢できることじゃないんだけど……えっと、有用そうなのは大体読んだわ。私、読書が好きだから。」

 

そう言ったところで、不意に前に回りこんできた少女が私の瞳を覗き込んでくる。真っ赤な瞳だ。深くて、美しい。他人と目を合わせるのは苦手だったはずなのに、何故かその瞳から目が離せない。まるで意識が吸い込まれるかのような──

 

「キミは知りたくないかい? もっと深い知識を、もっと強い力を。」

 

蕩けるような気持ち良さが全身に広がって、頭の中がぼんやりしてきた。書店の風景が徐々に薄らぎ、少女の真っ赤な瞳だけが視界に残る。……ああ、何て綺麗な瞳なんだろうか。もっと見て欲しい。もっと見ていたい。

 

「……知りたいわ。もっと多くの真理を、もっと熱中できる本を。」

 

「おや、知るだけで充分だと? 使わなくていいのかい? 力があれば、欲しいもの全てが手に入るかもよ?」

 

「私は……知りたいだけ。知って、調べて、集めて、そしてそれを管理したい。永遠にそうしていたい。」

 

少女の声を聞く度にぞくぞくとした歓喜が背筋を走り、徐々に吐息が荒くなってくる。見て欲しい。もっと見て欲しい。もっと私を気持ち良くして欲しい。この瞳の為なら、私は何だって──

 

「ふぅん? その名の通りという訳だ。『ノーレッジ』ね。」

 

 

 

明るい。照り付ける日差しにパチパチと瞬きをしながら、慌てて周囲を見渡す。……あれ? 私は何をしてたんだっけ? ダイアゴン横丁の喧騒を見ながら呆然とする私に、歩み寄ってきた少女が話しかけてきた。そうだ、書店に来学期の教科書を買いに来て、この子に本を探すのを手伝ってもらってたんだっけ。

 

「どうしたんだい? ぼんやりしちゃって。」

 

「いえ、あの……ごめんなさいね。いきなり明るい場所に出てちょっとクラっとしちゃったのかも。」

 

やけにスムーズに出てくる言葉に満足しながら、手の中の本を持ち直す。そうそう、本を見つけて会計を済ませて、もう家に帰るところなんだった。どうしてそんな簡単なことを忘れていたんだろうか?

 

忘れっぽい自分に呆れながらも少女にお礼を言おうとしたところで、目の前に一冊の本が差し出された。……えーっと、どういうことだ?

 

「ほら、これが例の本だよ。読み終わったら感想を聞かせて欲しいな。」

 

「えっと……『例の本』?」

 

「おいおい、本当に大丈夫かい? 私が持ってるって話をしたら、キミがどうしても読みたいって言ったんじゃないか。だから今うちのしもべ妖精に持って来させた。そうだっただろう? ……私の住所はここに書いておいたから、読んだら感想と一緒に送り返してくれたまえよ。」

 

……その通りだ。今日の私はどうかしてるぞ。曖昧だった記憶が明確になるのを感じつつ、少女から本と羊皮紙の切れ端を受け取って口を開く。

 

「そ、そうだったわね。……ありがとう。手伝ってくれた上に、本まで貸してくれるなんて。」

 

「構わないさ。もう読んじゃった本だしね。」

 

なんて良い子なんだろうか。それに、本の貸し借りだなんて初めてだ。密かに憧れていた『友達っぽい』やり取りに笑みを浮かべていると、少女は挨拶を放つと共にしもべ妖精を連れて歩き始めた。

 

「それじゃあね。感想待ってるよ。」

 

「あっ、あの……本当にありがとね。」

 

慌てて背中に声をかけると、少女はくるりと振り返って悪戯げに微笑みながら手を振ってくれる。うう、可愛いな。おずおずとこちらが手を振り返すと、少女は満足そうな様子で今度こそ人混みの中へと消えていった。

 

うん、今日は良い日だったな。買った本をカバンに仕舞った後、少女から借りた本を見つめて一つ頷く。さっそく読んでみて、感想を書くことにしよう。……しかし、何だって今の今まで忘れちゃってたんだろうか? 私はどうしても、どうしてもこの本が読みたかったはずなのに。

 

真っ黒な革表紙の分厚い本。金色の飾り糸で『七曜の秘儀』とだけ書かれている本をカバンに仕舞った後、パチュリー・ノーレッジは幸せな気分で帰途に着くのだった。

 



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4話

 

 

「それで、首尾はどうだったの?」

 

ダイアゴン横丁のショッピングから数日後。再び訪れた紅魔館の執務室で、アンネリーゼ・バートリは部屋の主人に返答を放っていた。もう能力で分かってるくせに。わざわざ聞くなよな。

 

「会えたよ。キミの予想通りにね。」

 

「予想じゃないわよ、そういう運命だったの。」

 

向かいのソファで胡散臭く嘯くレミリアに鼻を鳴らしながら、出会うことが出来た紫の少女に関しての報告を語る。パチュリー・ノーレッジ。人間にしては面白いヤツだったな。目的なく知識を求める女。

 

「魅了をかけて望みを聞いた後、我が家に残ってた魔導書をくれてやったよ。可哀想に、家に帰った後でひどく混乱しただろうね。魅了はその日のうちに解けたはずだから。……ひょっとしたら、まだ混乱してるんじゃないか?」

 

「魔導書? ……あんたね、なに考えてんのよ! フランのための大事な人柱なのに、死んじゃったら元も子もないでしょうが!」

 

「魔導書の一冊や二冊で死ぬような人間だったら、そもそも魔女になんか至れやしないさ。心配するだけ無駄だよ。」

 

とはいえ、渡した魔導書は『それなり』の部類に入る代物のはずだ。前の持ち主は狂った挙句、自分の両腕をボリボリ食って死んだんだったか? いや、もしかしたら脚だったかもしれんな。

 

魔導書の逸話を記憶から掘り起こしている私へと、レミリアは一つため息を吐いた後で質問を飛ばしてきた。

 

「まったく、悪戯も程々にしなさいよね。……それで? 見所はありそうだったの?」

 

「まだちょっと話しただけじゃないか。決め付けるだけの判断材料がないよ。」

 

私がダイアゴン横丁で買った杖を弄りながら答えたのを見て、レミリアは少し呆れたような表情で口を開く。そういえば、杖はどのくらいの頻度で掃除すればいいのだろうか? 杖屋で聞いておけばよかったな。

 

「随分と気に入ってるようじゃないの。棒きれだ何だって罵ってたのは誰だったかしらね。」

 

「その呆れ顔をやめたまえ、レミィ。どんな道具も使う者次第だということさ。……それよりもだ、魔法省だったか? そことのパイプ作りはどうなったんだい?」

 

「何人かに魅了をかけて、何人かを金で転ばせて、ってな具合ね。まあ、それなりの情報を引き出せるようにはなったわ。下準備としては充分でしょ。」

 

「大いに結構。これで一歩前進というわけだ。……次はどうする? ノーレッジの方は向こうからの反応待ちだぞ。」

 

赤髪の門番……美鈴が用意した紅茶を一口飲んでから問いかけてやると、我が幼馴染どのは自分の髪を指に巻き付けながら答えてきた。昔はもっと伸ばしていたんだがな。ふむ、短い方が似合っている気がするぞ。もちろん口には出さんが。

 

「そうね……ダンブルドアは承認欲求の塊みたいなヤツらしいから、折を見て手紙でも送ってみましょうか。そういうタイプは適当に煽ててやれば木にも登るでしょ。もしくはノーレッジ経由で接触してもいいしね。同学年らしいわよ? あいつら。」

 

「ふぅん? グリンデルバルドだけ仲間外れってわけだ。」

 

そっちは『ダームストラング専門学校』とかいう、大陸の辺鄙な場所にある学校で学生をやっているらしい。魔法学校とやらにもいくつか種類があるわけだ。よくマグルから隠しておけるな。

 

「グリンデルバルドの方はこっちの魔法界からだと関係が持ち難いのよ。ダームストラングは生意気にも独立独歩の気質でやってるらしくてね、情報が殆ど入ってこないの。」

 

「何にせよ、しばらくは様子見ってことか。そうと決まればフランの部屋にでも行ってくるよ。ダイアゴン横丁で色々とお土産を買ってきたんだ。」

 

応接用のソファから立ち上がり、フランの部屋へ向かおうと一歩を踏み出すが……その背中にレミリアが待ったをかけてきた。

 

「今日はやめておきなさい。満月よ。」

 

「……そうだったね。残念だが、次の機会にしておこうか。」

 

満月。人外に力を与え、その対価として理性を奪う日。私たちであれば多少そわそわするくらいで済むのだが、常日頃から狂気に囚われているフランがどうなるかなど言わずもがなだ。土産を渡すのは今度にしておいた方がいいだろう。

 

苦笑しながらソファに戻ったところで、懐から小瓶を取り出してテーブルに置く。土産といえば、こっちもあったんだった。ちょうど良いタイミングだし渡しちゃおう。

 

「そうそう、フランへのお土産で思い出したんだが、キミにも買ってきてあるんだよ。ほら、最高級の処女の生き血さ。ダイアゴン横丁の裏通りで偶々見つけてね。さあ、グイっといってくれたまえ。」

 

「血? あそこはそんな物まで売ってるの? ……へぇ、随分と真っ赤な血ね。私に相応しいわ。」

 

うーむ、相変わらず変なところで素直だな。全く警戒せずに小瓶の封を切ったレミリアは、嬉しそうな表情で一気に飲み干す。可愛いヤツめ。

 

果たしてドラゴンの血は……やっぱりマズかったようだ。レミリアは赤い顔で勢いよく咳き込み始めたかと思えば、テーブルをバンバン叩きながら私に文句を繰り出してきた。

 

「んぐっ、ぇほっ、ぐぇぇ……何よこれ! にがい! 騙したわね、リーゼ!」

 

「んふふ、騙される方が悪いのさ。ドラゴンの血だよ。結構な値段だったんだぞ。」

 

「要するにトカゲの血じゃないの! めーりーん! 水! 水持ってきて!」

 

ふむふむ、ドラゴンの血は苦いのか。また一つ勉強になったな。ぺっぺと血を吐き出しながら美鈴を呼ぶレミリアを横目に、アンネリーゼ・バートリはクスクス微笑むのだった。

 

 

─────

 

 

「ああもう……。」

 

ヤバい。何がヤバいって、この本がヤバい。焦るあまりに語彙力を失いながらも、パチュリー・ノーレッジは自慢の頭脳をフル回転させていた。

 

あの日、四年生用の学用品を買いにダイアゴン横丁に行ったあの日。両親と死別して以来一人ぼっちになってしまった我が家に帰ってきた後、いつものように紅茶を淹れて読書の時間に入ろうとしたところでふと気付いてしまったのだ。……自分が得体の知れない本を読もうとしていることに。

 

『七曜の秘儀』

 

何だこの本は? いや、分かってはいる。あの少女から借りた本だ。それは理解できるのだが……私はこんな本を読みたいと思ったことなんて無かったはずだぞ。そもそも存在を知らなかったし、何故借りる流れになったのかが全く思い出せない。

 

唯一思い出せるのはあの真っ赤な瞳。少女の瞳がやたら美しかったという記憶だけだ。……マズいな、良くない魔法をかけられたらしい。こういう時のために必死で閉心術を覚えたというのに、全然役に立ってないじゃないか。

 

いやいや、そうじゃなくて。何より問題なのは目の前にあるこの本だ。受け取ってしまってから数日が経った今、私を取り巻く状況はこれ以上ないってほどに悪化してしまった。

 

どうしても、どうしてもこの本を読みたくなってしまうのだ。

 

『読みたいなぁ』なんていう可愛らしい感情ではない。『読まなければならない』だ。寝ても覚めてもこの本のことが気になっちゃうし、昨晩なんて寝ながら読もうとしていた。片付けるのが面倒で、床に置きっ放しだった別の本に躓いて目が覚めたため事なきを得たが、あの時は背筋が震えたぞ。

 

いやまあ、読んでみたいってのは否定しない。そこに本があれば、読みたくなるのがパチュリー・ノーレッジという魔女なのだから。……問題なのは、この本が『読んだら死んじゃう系』の本である可能性が非常に高いという点である。

 

ホグワーツの図書館の閲覧禁止区画にも腐るほどある類のものだが、この本はそれらとは別格の雰囲気を漂わせているのだ。言語化するのは難しいものの、一度開いてしまえばロクなことにならないのだけはひしひしと伝わってくるぞ。

 

本来ならば魔法省に連絡を入れて、対策チームをダースで回してもらうところだが……心の奥底にある何かがそれを止めてくるのだ。本の力ではなく、私自身の感情が。

 

この停滞した生活を打ち破るきっかけになるのではないか。また新たな未知を探究できるのではないか。そんな思いがどうしても頭から離れてくれない。

 

だが、無策で本を開いてしまえば先にあるのは絶望だけ。そして、最早タイムリミットは目前に迫っている。このまま手をこまねいているだけでは、近いうちにあの本を開いてしまうだろう。そうなれば私に待つのは良くて聖マンゴでの入院生活だ。

 

「うぅ……。」

 

進退窮まった状況に頭を抱えながら、本の横に置いてある羊皮紙へと目をやった。本と一緒に渡された一切れの羊皮紙。そこには例の少女の住所と、そして名前が記されている。

 

『アンネリーゼ・バートリ』

 

全ての元凶たる少女の名前を恨めしい気持ちで見つめながら、焦る内心を抑えて思考を回す。あの少女は一体全体何を思ってこの本を私に渡したのだろうか? 私の命を狙って? それとも誰でも良かったとか?

 

頭の中にぐるぐると考えが巡るが……本当はもう分かっているのだ。魔法省でも、聖マンゴでもない選択肢はあの少女だけ。だったらそれを選ぶ他ないだろう。

 

ノロノロとした動きで文机に向かう。自ら泥沼に入り込むようで気が乗らないが、手紙を送るからには気合いを入れて書かねばなるまい。口頭での会話は厳しくても、文章なら人並み以上にやれるはずだ。

 

しかし、何を書けばいい? 文句を言う? 助けを乞う? ……うーむ、悩んでも正解が見つからないなら、いっそのこと正直な気持ちを伝えてみようか?

 

うん、そうだな。変に考えずに、要点だけを纏めて伝えればいいのだ。私が今一番知りたいことを、簡潔な分かりやすい文章で。……それでダメそうなら魔法省に手紙を書こう。今日は自分をベッドに縛り付けて寝ればいい。

 

 

 

ひどく短い文章を書き終わり、封筒に入れてから飼っているふくろうに持たせて窓から離す。真昼の空を飛んで行くフクロウを見上げながら、さすがに要点を纏めすぎたかとパチュリー・ノーレッジは後悔するのだった。

 

 

─────

 

 

「んふふ、面白いじゃないか。」

 

秋が顔を覗かせ始めた日の夕暮れ、アンネリーゼ・バートリは屋敷の自室で手紙を読みながら微笑んでいた。いいぞ、パチュリー・ノーレッジ。この手紙は私好みだ。

 

茶色のふくろうが運んできた手紙には、宛先と差出人の署名がある他にはたった一文のみが記されている。

 

『この本はどうすれば読めますか?』

 

たったこれだけ。真意を問うこともなく、責めるわけでもなく、ただ本を読む方法を知りたいという。実に面白いじゃないか。ユニークなヤツは好きだぞ。

 

「ロワー、出かけるぞ! 煙突なんちゃらを準備しろ!」

 

座っていた椅子から立ち上がり、ドアを抜けながらロワーを呼ぶ。煙突……煙突飛行だったか? あれは便利だ。レミリアが鼻薬を嗅がせた魔法省の役人に用意させたものだが、今や紅魔館との行き来はその方法で行なっている。

 

屋敷のエントランスの中央にデンと置かれた暖炉に向かうと、既にロワーが緑色の粉の詰まった袋を持ちながら待機していた。

 

「準備は出来ております、お嬢様。」

 

「ああ、キミも来たまえ。」

 

短く指示を出してから、ロワーが粉をひと掴み投げ入れた暖炉に入る。緑色に変わった温かい炎が身体を擽るのを感じつつ、目的地たる場所の名前を口にした。

 

「紅魔館!」

 

言い終わった瞬間、身体がもの凄い勢いで引っ張られる感覚と同時に、視界がぐるぐると回り始める。……一瞬で移動できるのは便利だが、これだけは好きになれんな。もっと穏やかにするのは無理なのか?

 

そのままボスンという音と共に紅魔館のこれまたエントランスに設置されている暖炉に到着すると、箒でチャンバラごっこをしている妖精メイドたちの姿が目に入ってきた。こいつらが働いてるところを見たことが無いんだが、レミリアは何のために雇ってるんだ?

 

「あ、従姉妹様だー。」

 

「ほんとだ。従姉妹様もあそぶー?」

 

「悪いが、今日は仕事で来たんだよ。レミィが何処に居るか分かるかい?」

 

「地下室だよー。」

 

ふむ? 地下室か。……というか、私の呼び方は『従姉妹様』で定着しちゃったみたいだな。間違いなく美鈴の影響だろう。暢気すぎる口調の妖精メイドたちに頷きを返してから、パチリと現れたロワーに対して指示を送った。しもべ妖精に煙突飛行は不要なようだ。

 

「ロワー、この前買ったフランへの土産を渡してくれ。キミは地下室に行けないから……そうだな、妖精メイドの遊び相手をしててくれるかい?」

 

指を鳴らして土産を出現させたロワーに言ってやると、彼は珍しく困ったような雰囲気で曖昧な頷きを返してくる。どうやらこの出来たしもべ妖精にとっても、妖精メイドの遊び相手というのは中々の難題らしい。

 

「……かしこまりました。」

 

「おおー、遊んでくれるの?」

 

「よっしゃあ! 食器フリスビーしよう!」

 

まあ、精々頑張ってくれ。ロワーに纏わり付く妖精メイドたちを尻目に、土産を持って地下室へと歩き出す。……うむ、背後から響く何かが割れる音は聞かなかったことにしておこう。

 

 

 

そしてたどり着いた地下室のドアを開けてみれば、そこには仏頂面で食事をしているレミリアとフランの姿があった。題を付けるなら……そうだな、『冷めた夕食』だろうか? いかん、捻りが無さすぎるぞ。

 

「あっ、リーゼお姉様!」

 

「フラン? 食事中よ。きちんと座りなさい。」

 

部屋に入ってきた私を見た途端に駆け寄って来ようとするフランへと、レミリアが厳しい口調で注意を飛ばすが……おっと、その隙に給仕をしているらしい美鈴が盗み食いをしているぞ。強かなヤツだな。

 

「フランはね、オキャクサマをお迎えしてるの。それが礼儀ってもんでしょ? オマエみたいに無視して食べてるほうがおかしいでしょ?」

 

「ごきげんよう、リーゼ。何か進展があったの?」

 

フランをまるっきり無視してレミリアが聞いてくるのに、肩を竦めながら挨拶を返す。そういうことをするから嫌われるんだろうに。ほら、フランが怒りのあまり地団駄してるじゃないか。

 

「おはようレミリア、おはようフラン。……ノーレッジから手紙が届いたんだよ。一応キミにも見せておこうかと思ってね。」

 

「お手紙? 誰の? リーゼお姉様に? フランも見たい!」

 

話に割り込んだフランが興奮した様子でおねだりしてくるのに、苦笑しながら近寄って手紙をテーブルに載せる。これだけ簡潔な内容なら見せても問題ないだろう。もう食事どころじゃないみたいだし。

 

「見てもつまらないと思うけどね。これだよ。」

 

「んぅ……なぁに? これ。何かの暗号?」

 

可愛らしく首を傾げるフランに続いて、食事を切り上げたレミリアも手紙を覗き込む。

 

「ふーん? なるほどね。廃棄するでもなく、通報するでもなく、貴女にこれを聞いてくるってことは、どうやらノーレッジは正解を引いたようね。……教えてあげてもいいんじゃない? この際三つの方法でやってみましょうよ。ノーレッジには積極的に関わり、ダンブルドアは誘導するに留め、グリンデルバルドは放任。これでどう?」

 

レミリアはそれらしく言っているが、グリンデルバルドに関してはもう面倒くさくなったのだろう。悪い癖だぞ。美鈴が勝手に下げた料理を美味しそうに食べているのを横目にしつつ、面倒くさがりの幼馴染どのへと返答を放った。

 

「まあ、私は別にいいけどね。ノーレッジは人間にしては面白いヤツみたいだし、優しく教えてあげることにするよ。」

 

「愉しむのは結構だけど、壊さないように気を付けなさいね。」

 

と、そこでこちらを見ていたフランが涙目になって文句を言い始める。爆発寸前だな。蚊帳の外なのが気に食わないらしい。

 

「……フラン、つまんない! 二人ばっかり楽しそうにしちゃってさ! フランだって遊びたいのに!」

 

ダンダンと踏みしめる足下の石畳にはヒビが入っているが……うーむ、大したもんだな。すぐさま修復されているのを見るに、スカーレット卿が作った結界は今なお正常に動作しているようだ。

 

その見事さに感心している私を他所に、レミリアがフランに対して言葉をかけた。困ったような苦笑を顔に浮かべながらだ。

 

「フラン、これは貴女がお外に出るためにやってることなのよ? リーゼはそれを手伝ってくれてるの。」

 

そんなレミリアの台詞を疑わしそうに聞いた後、こちらを見てきたフランに首肯してやると……バツが悪くなったのか、金髪の妹分はつま先で丸を描き始める。やれやれ、ちょっと可哀想だし、この辺で慰めるための切り札を使ってみるか。

 

「そうだ、今日はフランにとっておきのお土産を持ってきたんだよ。この前約束したからね。二人で遊べる新しいボードゲームと……それにほら、とびっきりのお人形だ。」

 

「わあぁ……スゴいスゴい! とってもかわいいお人形さん! ありがとう、リーゼお姉様!」

 

私が土産を差し出すと、フランは飛び跳ねながら機嫌を回復させていく。ご機嫌レベルが急上昇だな。気に入ってくれたようでなによりだ。

 

うんうん頷きつつそれを眺めていると……おや、どうした? はしゃいでいたフランがピタリと動きを止めて、人形を抱きしめながら視線をレミリアと私の間で彷徨わせ始めた。

 

「あのね、あのね、フランもリーゼお姉様のお手伝いをするよ。その……オマエのお手伝いも。早くお外に出たいもん。」

 

むう、これは困ったぞ。チラチラとこちらを見ながら言うフランの気持ちを無下にするのは気が引けるが、現状では彼女に手伝いを頼めるような作業がないのだ。レミリアの方を見ると、そちらも参ったと言わんばかりの様子で苦悩している。

 

「それとも、フランじゃ役に立てないかなぁ? フランはちょっとオカシイから……。」

 

マズい、何とかしなければ。レミリアと私が今世紀最大の危機に陥ったところで、意外なところから助けの声が飛んできた。ずっとつまみ食いをしていた美鈴だ。

 

「だったら、妹様はお二人の疲れを癒してあげればいいんですよ。二人とも仕事ばっかりで遊ぶ時間がないなーって愚痴ってましたから。」

 

そんな愚痴を言った覚えはないが、今日のところは許してやろう。やるじゃないか、美鈴。紅魔館の残飯処理係なんて思ってて悪かったな。その言葉を受けて、レミリアも我が意を得たりとばかりに大きく頷く。

 

「そうね、その通りよ! ほら、えーっと……今私たちは三人のそこそこ優秀な魔法使いを育成しようとしてるんだけど、必要なのは一人だけで二人余るから、そいつらを戦わせて三人で遊びましょう! 一緒に遊べば疲れも吹っ飛ぶわ!」

 

おいおい、なんだそりゃ。何やら無茶苦茶なことを言い出したレミリアだったが、フランの瞳が輝くのを見てますます調子に乗っていく。……もう知らないからな、私は。

 

「つまり、代理戦争よ! カッコいいでしょ? フラン、貴女は参謀役ね! フランと私、リーゼと、えー……美鈴! 二チームで代理戦争といきましょう!」

 

「それ、すっごく楽しそう! ……でも、チーム分けは私とリーゼお姉様ね。リーゼお姉様もその方がいいでしょ? 二人で美鈴とアイツをボコボコにしちゃおうよ!」

 

あーあ、フランが乗り気になっちゃってるし、やっぱりやめますとはもう言えないぞ。……まあいい、私にとっても中々に魅力的なゲームだ。人間を駒にした『代理戦争』か。力ある高貴な者のゲームって感じがする。何となくだが。

 

「ああ、そうだね。私もワクワクするよ。……ただまあ、ゲームを始めるためには先ず三人のうちの必要な一人を決めておく必要があるんじゃないか? 人柱役のヤツが死んだら困るだろう? フランだって、お外に出られるチャンスをフイにしたくはないはずだ。」

 

レミリアとフランを交互に見ながら言ってやると、スカーレット姉妹は揃って同意の頷きを返してきた。今のところ私はノーレッジにしか接触できていない。見所はあると思うが、至れるかと聞かれればまだまだ未知数なところがあるのだ。

 

私の示した懸念に対して、レミリアは少し悩んだ後に提案を寄越してくる。

 

「そうね、それなら四年後……いえ、グリンデルバルドだけ年齢が違うから五年後ね。連中が全員学校を卒業した後に判断を下しましょう。大まかな方針はさっき決めた通りよ。ちょっと短いかもしれないけど、人間の寿命なんて高が知れてるんだから、成人すればある程度運命が収束するでしょ。そこを私の能力で読めばいいわ。」

 

五年か、私たちにとっては瞬き程度の僅かな時間だ。フランもそれくらいなら待てるだろう。つまり……そう、準備期間ってところか。紅魔館を動けないレミリアは魔法界への繋がりを深め、自由に動ける私はノーレッジの世話をしながら直接介入できる、と。

 

いやはや、面白くなってきた。そうだ、これこそが私の望みだったはずだ。力ある吸血鬼による壮大なゲーム。生きた駒を使うってのは楽しそうだし、この姉妹と遊べるなら退屈はすまい。

 

真っ白な杖を取り出して、見つめながら思考を回す。……よし、先ずはノーレッジに呪文を習うとするか。対価として魔導書の読み方を教えるなら嫌とは言うまい。私にとっては不要な力でも、連中にとっては大事な武器だ。操る以上、詳しく知っておく必要があるだろう。

 

始まった吸血鬼たちのゲームに想いを馳せながら、アンネリーゼ・バートリは愉快そうに目を細めるのだった。

 



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パチュリー・ノーレッジと賢者の石
トランクの中の小部屋


 

 

「それで、あー……どうなんだい? 君の研究の進捗は。」

 

落葉樹が葉を落とし、微かに冬の匂いがしてきたホグワーツの中庭で、パチュリー・ノーレッジは困った表情を浮かべていた。

 

目の前に立っているのはアルバス・ダンブルドア。ホグワーツきっての秀才で、誰にでも分け隔てなく接する『人気者』。そんなグリフィンドール寮の有名人が、人当たりの良さそうな笑みで急に話しかけてきたのだ。

 

しかし、研究の進捗? 何のことだかさっぱり分からないぞ。一瞬だけ脳裏に黒い革表紙の本のことがよぎるが、まさかそのことではないだろう。あの本のことは誰にも話していないわけだし。……『人間』には、だが。

 

「えっと、何のことかしら?」

 

微妙に目を合わせないようにしながら疑問を言葉に変えると、ダンブルドアはバツが悪そうな顔で説明してくる。

 

「いやまあ、大した意味はないんだけどね。僕が懇意にしている魔法省の友人に論文を送ってみたら、手紙で感想が返ってきたんだ。『ホグワーツの四年生は豊作だな。君といい、パチュリー・ノーレッジといい。』ってなことが書かれた手紙が。だから気になって声をかけてみたんだよ。……君も論文を送ってみたりしてるんだろう?」

 

何だそれは。魔法省に知り合いなど居ないし、当然論文なんて送ったことがない。私はそんなアクティブな人間ではないのだ。

 

「あの、私は論文なんて書いたことも送ったこともないわ。だからその、もしかしたら成績のことなんじゃないかしら? ……ほら、私は学年首席だったし。」

 

自分から口にするのは自慢しているようで嫌だが、事実なのだから仕方がない。それに、本当にそのくらいしか覚えがないのだ。仮にあの本の件であれば『ホグワーツは豊作だ』とは言わないだろう。『アズカバンが豊作だ』とは言うかもしれないが。

 

ダンブルドアを見ながらか細い声で弁明すると、彼は首席云々の辺りで苦々しそうな表情に変わってしまった。ああ、これは自慢と取られたかもしれないな。これだから嫌なんだ。会話ってのは私に向いていないぞ。

 

「そうだね、そうかもしれない。……ただ、手紙の送り主は僕の論文を随分と評価してくれてた人だったんだ。だから並んで書かれてる君のことが気になっただけなんだよ。急にすまなかったね。」

 

「いえ、別に気にしてないから。」

 

ひょっとして、嫉妬? あのダンブルドアが、いつも集団の中心にいるホグワーツの人気者が、『根暗のノーレッジ』に? ……まあ、あり得ないか。バカバカしい考えを振り払いながら、去って行くダンブルドアの背中を眺める。だけど、万が一そうなんだったら面倒くさいことになりそうだな。取り巻き連中に陰で罵られる未来が見えるぞ。

 

 

 

そして午後最後の薬草学の授業も終わり、大広間で手早く夕食を済ませた私は自室へと戻るために歩いていた。通り慣れた西塔への階段を上り、談話などしたこともない談話室の入り口にたどり着く。

 

そのまま鷲の形をしたドアノッカーからの謎かけに答えてドアを抜けてみれば、一瞬だけ視線がこちらに集中した後、すぐさま興味を失って離れていった。……私はこの瞬間が大っ嫌いだ。はいはい、入ってきたのがあなたたちの友人じゃなくてすみませんでしたね。内心で悪態を吐きつつも、なるべく急いで自分の部屋へと向かう。

 

女子寮の廊下を進み、自分の部屋のドアを開けてみると……よかった、ルームメイトはまだ帰っていないようだ。そそくさとベッドの周りを備え付けの青いカーテンで仕切り、中が見えないようにする。これで明日の朝まで私を気にする者は居ない。

 

次にナイトテーブルに立て掛けてあったトランクを持ち上げ、ベッドの上に置いてそっと開いてみれば……トランクの中には下に降りるための梯子と、薄暗い石造りの通路が広がっていた。よしよし、今日はちょっと早めに行けそうだな。

 

中に入って蓋を閉めて、梯子を降り切ってから杖を抜いて明かりを灯す。

 

ルーモス(光よ)。」

 

呪文で生み出した青白い杖明かりを頼りに、静かな通路をひたすら奥へと進んで行くと、もはや見慣れた鉄製のドアが現れる。表面に本を掴む蝙蝠が描かれたそのドアの、正確な場所を正確な順番で叩いてやると……招き入れるかのように独りでにドアが開き、カーペットに暖炉、ソファにティーテーブル、そして隅には様々な小物が置かれた居心地の良さそうな小部屋が見えてきた。

 

「おはよう、パチュリー。」

 

「ひぅっ。」

 

ああもう、またか! 小部屋に入った瞬間、不意に背後から声をかけられた所為で、びっくりして床にへたり込んでしまう。どうしてこの吸血鬼はいつもいつも人を驚かせてくるのだろうか? 今回はわざわざドアの陰になる場所に立って待っていたらしい。

 

「……驚かせないでよ、リーゼ。もう来てたの?」

 

「んふふ、実はさっき起きたところなんだよ。慌てて来ようとしたら、逆に早めになっちゃったのさ。」

 

「でも、もう夜よ?」

 

「キミね、私は吸血鬼なんだぞ? ようやく一日が始まるところじゃないか。」

 

あの日から始まった奇妙な関係。手紙を送ったその日の深夜、いきなり私の家を訪ねてきたリーゼと一つの契約を交わしたのだ。どうしても魔導書が読みたかった私は、この幼い吸血鬼の出した条件に頷いてしまった。

 

結んだ契約の内容は単純明快。私が杖を使った呪文を教える代わりに、リーゼから魔導書の読み方を習うという内容である。九月以降にホグワーツでの生活が始まった後は、この不思議なトランクの中の小部屋で『授業』を行うようになった。二、三日おきという高頻度で行なっている所為で、今や愛称で呼ぶことを許されているほどだ。

 

しかし、このトランクは凄い。使われているのは間違いなく単純な拡大呪文ではないだろう。リーゼが煙突飛行で来れるように『煙突ネットワーク』が繋がっていることといい、呪文で爆発しても即座に修復される壁といい、かなり高度な呪文がいくつも使われているようだ。

 

ただまあ、リーゼが作ったというわけでもないらしい。入り口のドアを作るときも私にやらせていたし、ちょっと前までは単純な浮遊呪文すら使えなかったのだから。

 

とはいえ、目の前の少女を侮るつもりは毛頭ない。強大な吸血鬼であることは身を以て学習済みだ。……理由は思い出したくも無いが。

 

「それじゃあ、早速始めようか。今日こそは『月の章』を突破したいもんだね。」

 

リーゼが笑いながら言ってくるのに、情けない表情で頷きを返す。月の章というのは魔導書を構成する七つの章のうち、一番最初にある章のことだ。つまり、私は未だ一つ目の章すらまともに読めていないのである。

 

言い訳をさせてもらえば、この魔導書はそこらの本と違って簡単に読めるような代物ではない。読み手によって変わる複雑な暗号文で構成されており、おまけに所々に罠が潜んでいる。水中でしか見えない文字や、特殊な蝋燭の火にしか反応しないページ、挙げ句の果てには破かなければいけないページなんてのも存在する始末だ。酷すぎるぞ。

 

しかもそれを間違えるたびに、本から毒のトゲトゲが生えてきたり、聞くと錯乱状態になる金切り声を上げたりするのだ。悔しい事実だが、リーゼが居なければもう五十回は死んでいるだろう。

 

「……今日こそは突破してみせるわ。」

 

覚悟を決めて言い放ってから、椅子に座って魔導書を睨み付ける。……そういえば、前よりもスムーズに喋れている気がするな。リーゼが相手だと特にだ。吸血鬼との秘密のレッスンは、私のコミュニケーション能力をも向上させているらしい。

 

その奇妙な効果に気付いて内心で苦笑しつつ、対面に座ったリーゼへと口を開く。

 

「じゃあ、今日は警戒呪文を教えるわ。簡単な目くらましにもなるし、敵が近付けば術者に警報が聞こえる呪文よ。拠点防衛なんかに使われることが多いわね。」

 

最初に一つ呪文を教える。それが授業を繰り返すうちに出来た約束事だ。杖を取り出してから、標的は……よし、隅っこの木箱でいいか。真っ暗じゃないと読めないページの時に、私が押し込まれたやつ。

 

カーベ・イニミカム(警戒せよ)。」

 

私が呪文を唱えた途端に杖先から飛んだ青い閃光は、木箱に吸い込まれるようにして消えていった。当然ながら何も起こらない。ここには私にとっての『敵』が居ないからだ。……意地悪な吸血鬼は居るが。

 

「杖の振り方はこうやって……こうよ。呪文のアクセントにも注意してね。ちょっと特殊だから。」

 

「『カーベ・イニミカム』だね? よしよし、やってみようじゃないか。」

 

目を細めてこちらの動きを観察していたリーゼが、暖炉に向かって警戒呪文を放とうとするが……残念、失敗だ。杖先からは何も出てこなかった。ただまあ、リーゼは一回あたり一つの呪文を確実にマスターしているし、今日もそのうち成功させるだろう。ホグワーツの他の生徒に比べれば雲泥の差だな。

 

「発音は正しいけど、最初の振り方が少し違うわね。……こうじゃなくて、こうよ。」

 

「なるほど……こうだね? こっちはこっちで練習しておくから、魔導書に殺されそうになったら声をかけてくれたまえ。」

 

そう言ったリーゼは立ち上がって、本格的に呪文の練習をし始めた。……さてと、それなら私も魔導書に向き合わねばなるまい。頰を叩いて気を引き締めてから、テーブルの上の魔導書へと手を伸ばす。とにかく即死だけは避けないとな。そればっかりはいくらリーゼでもどうにも出来ないだろうし。

 

 

 

数時間後。新たなページに突入した途端に魔導書が燃え上がり、私のローブが焦げてボロボロになったところで、休憩がてらふと思い出したことをリーゼに向かって問いかけてみる。

 

「……そういえば、アルバス・ダンブルドアって知ってる? 知らないわよね?」

 

もちろん期待せずに聞いてみたわけだが、受けたリーゼは悪戯げな笑みで頷いてきた。

 

「もちろん知っているとも。ようやく接触があったみたいだね。」

 

「ちょっと待って、どういうこと?」

 

……どうやら何か心当たりがあるらしい。ダンブルドアは魔法省の友人が云々とか言ってたが、もしかしてリーゼが関係しているのだろうか? もはや完璧となった警戒呪文を放ちつつ、リーゼが私の疑問に答えを寄越してくる。

 

「カーベ・イニミカム。……なぁに、ちょっとしたゲームだよ。無視してくれても一向に構わないが、適当に煽ってくれればこっちとしては助かるかな。」

 

「いやいや、冗談じゃないわよ。もしダンブルドアに目の敵にでもされたら、あいつの取り巻き連中が黙ってないわ。今でさえ灰色の学生生活なのに、ドブ色になりかねないでしょうが。」

 

「そこまで人気があるヤツなのかい? ……まあ、私としてはどうでもいいさ。そっちの担当じゃないし、ダンブルドア本人にもあんまり興味がないんだ。キミの好きなように対処してくれたまえ。」

 

『担当』? どうやらこの性悪吸血鬼の他にも、何か悪巧みをしているヤツがいるらしい。というか、その台詞からするとリーゼは私の担当というわけだ。

 

「あのね、ダンブルドアがどうなろうと知ったこっちゃないけど、私には迷惑かけないでよ?」

 

「そこまで心配しなくても大したことにはならないさ。精々嫉妬されるくらいだよ。……今はね。」

 

その嫉妬されるってのが問題なんだろうに。それに、『今は』っていうのはどういう意味なんだ? まさか将来的にはもっと状況が悪化するんじゃ……やめよう。吸血鬼の言葉をまともに受け止めてはならないのだ。そのことはこの数ヶ月で嫌ってほど学んだぞ。

 

うん、先ずは魔導書に集中すべきだな。問題を沢山抱えるのは良くないし、地道に一つずつ片付けていこう。焼け焦げたローブのことも、ダンブルドアのことも見て見ぬ振りをしながら、パチュリー・ノーレッジは焦げ跡一つない魔導書に向き直るのだった。

 

 

─────

 

 

「意味ないなー、これ。」

 

夕暮れ時の紅魔館の雪掻きを切り上げて、紅美鈴はうんざりした気分で呟いていた。こんなもんやるだけ無駄なのだ。この館に歩いてくるヤツなど居ないし、どうせ明日にはまた雪が降る。春になれば勝手に溶けるさ。

 

内心で言い訳をしながら、シャベルをぶん投げて館に戻るために歩き出す。こんなことをしてるくらいなら、妖精メイドたちの教育でもしてた方がまだマシだ。冬の間は趣味の庭いじりも出来ないし、つくづく嫌な季節だな。

 

忌々しい冬に怨嗟の念を送りながら、身体に付いた雪を払って玄関を抜けてみると……エントランスの暖炉に使われた形跡があるのが見えてきた。どうやら従姉妹様が来ているようだ。

 

アンネリーゼ・バートリ。お嬢様と同じくらい傲慢で、同じくらい悪戯好きで、同じくらいぺったんこな吸血鬼。お嬢様は何だかんだで信頼しているようだし、妹様は言うまでもない。かくいう私も結構好きなタイプの人……じゃない、吸血鬼だ。

 

それに、この前なんかはお菓子を分けてくれた。噛むと悲鳴を上げるガムや、口の中で爆発する飴なんかは例外として、他は概ね満足できる味だったのだ。また買ってきてくれないかな。

 

今日もお土産があることを期待しつつ、とりあえず二階への階段を上ってみる。従姉妹様の目的地として有り得そうなのは、二階のお嬢様の執務室と妹様が居る地下室の二つだ。先ずは執務室に向かいがてらその辺の妖精メイドに聞いてみるとしよう。

 

階段を上りきり、二階の廊下を進んでいると……おお、ロワーさんだ。妖精メイドと遊んでいるしもべ妖精の姿が目に入ってきた。『遊んでいる』というよりかは、『遊ばれている』の方が正しいかもしれない。同じような名前なのに、なんとも対照的な存在だな。

 

「やー、どーもどーもロワーさん。ご苦労様です。」

 

「これは美鈴様、お邪魔しております。」

 

きゃーきゃーはしゃぐ妖精メイドたちに纏わり付かれながらも律儀に一礼してくるロワーさんは、ひょっとしたら私を様付けで呼ぶ世界で唯一の存在なんじゃないだろうか? 慣れない所為でムズムズしてくるぞ。

 

「お嬢様たちは執務室ですかね?」

 

「その通りでございます。」

 

「ふむ、了解です。……それじゃ、頑張ってくださいねー。」

 

やっぱり執務室か。別れ際のロワーさんはなんだか助けを求めているようにも見えたが、妖精メイドたちにとってこのしもべ妖精と遊ぶのは今一番熱いブームなのだ。邪魔をするのは悪かろう。

 

そのままたどり着いた執務室のドアをリズミカルにノックしてみれば、お嬢様から入室の許可が飛んでくる。それに従ってドアを開けてみると、応接用のテーブルの上のチェス盤を挟んでお嬢様と従姉妹様が向かい合っている光景が見えてきた。駒が勝手に動いているのを見るに、魔法使い用のチェスで遊んでいるらしい。盤面は……僅かにお嬢様が優勢っぽいな。多分だが。

 

「やあ、美鈴。今日もキミは美しいね。」

 

「どもども、従姉妹様。美の女神みたいな従姉妹様から言われると照れちゃいますねぇ。」

 

いつものように軽口を叩き合ってから、これまたいつものようにお嬢様の後ろへと移動する。紅茶は既に用意されているようだ。ロワーさんがやってくれたのかな?

 

「何しに来たのよ、美鈴。庭の雪掻きはどうなったの?」

 

「いやー、例の計画の進捗が気になったもんですから。……っていうか、雪掻きはもう諦めましょうよ。なんかの刑罰をやってる気分になってくるんです、あれ。ひたすら土を掘って、埋めるみたいな。意味ないですって。」

 

「景観の問題よ。雪が積もっちゃうと紅さが薄れるでしょう? それじゃあ紅魔館じゃなくて白魔館よ。」

 

お嬢様の返答を受けて、思わず呆れた表情が顔に浮かぶ。そんなアホな理由でやらされてたとは思わなかったぞ。労働者の権利を守るため、ストライキも視野に入れる必要があるかもしれない。妖精メイドたちは簡単に味方に出来るだろう。何せ年がら年中ストライキをやっているような連中なのだから。

 

私が『紅魔館労働組合』の成立を目指し始めたところで、文句を喚くポーンを動かした従姉妹様が口を開いた。黒の歩兵どのは犠牲にされるのが気に食わないらしい。

 

「まあ、壁には雪が積もらないからね。最悪でもピンク魔館ってところだよ。」

 

「嫌に決まってるでしょうが、そんなの! ここはスカーレット家の格式高い館なんだから、そんないかがわしい名前なんて以ての外よ!」

 

「可愛らしいと思うけどね、ピンク魔館。桃魔館でもいいんじゃないか? ついでにサキュバスの求人でも出せば完璧さ。」

 

「淫魔なんか雇うわけないでしょうが! フランの教育に悪すぎるわ。もしあの子がそんな風に育っちゃったら……ちょっと待って、目眩がしてきたかも。」

 

うーむ、見事な盤外戦術だ。お嬢様の悪手に付け込んで、従姉妹様のビショップがルークを殴りつけて粉砕する。……しかしまあ、勝手に駒が動いたり、たまに返り討ちにあったりするのはボードゲームとしてどうなんだろうか? 魔法使いは変なものを創り出すもんだな。

 

「ぐぬぬ……それで? ノーレッジの様子はどうなのよ。昨日も会ってきたんでしょう?」

 

盤面が優勢からイーブンに戻ったのを見て、お嬢様が新たな話題を切り出した。ノーレッジの話に気を取らせようという魂胆らしい。あまりに露骨な話題転換だったが、従姉妹様はさして気にした様子もなく答えを返す。

 

「ああ、思った以上に頑張ってるよ。もう三章を突破したところだ。かなりペースが上がってきてるし、今のところ順調だと言えるだろうね。」

 

どうやらノーレッジは頑張っているらしいが……そういえば、その魔導書とやらを読んだら何だというんだろうか? まさか読み終わった瞬間に真なる魔法使いに変身するわけではあるまい。

 

「えーっと、その魔導書を読むとどうなるんでしたっけ? 本物の方の魔法使いにするのが目的なんですよね?」

 

生じた疑問を口に出してみれば、従姉妹様が返答を放つと同時にお嬢様がジト目を寄越してきた。むむ、その目は知ってるぞ。バカを見る目だ。仕方ないじゃないか、私は術師じゃなくて武術家なんだから。

 

「読んで、理解して、実践できれば魔法使いに至れるだろうね。あの本には賢者の石の製造方法も書いてあったはずだし、少なくとも不老を手に入れることは出来るさ。そしたらじっくり人間やめればいいんだよ。」

 

「じゃあじゃあ、ノーレッジの方は順調として、他の……ダンブルブル? とグリンデルバールはどうなんですか?」

 

私の質問に対して、お嬢様がバカにする目線を強めながら訂正してくる。あれ、違ったっけ? もっと短くて覚えやすい名前にすべきだと思うぞ。

 

「ダンブルドアとグリンデルバルドよ。ダンブルドアのほうは人を通してニコラス・フラメルと接触させたわ。今頃熱心に手紙を送りまくってるでしょうね。フラメルは高名な錬金術師だから。それとグリンデルバルドの方は……まあ、元気にやってるでしょ。恐らくだけど。」

 

「キミね、放任主義もいい加減にしておきたまえよ? ……しかし、ニコラス・フラメルか。不完全なものとはいえ、人間のクセに賢者の石を作り上げたヤツだろう?」

 

フラメルとやらに従姉妹様が興味を持ったようだが……賢者の石? さっきも聞いた単語だな。不老になれるんだったか? 私の疑問を汲み取ってくれたのだろう、従姉妹様が詳しく説明をしてくれた。

 

「フラメルの賢者の石にはちょっとした欠陥があるみたいでね。老化を完全に止められるわけじゃないし、一定期間毎に使い続けなきゃいけないらしいんだ。とはいえ、私やレミィよりも歳上だったはずだよ、あの老人は。」

 

「もう殆ど人外じゃないですか。そいつを魔法使いにするんじゃダメなんですか?」

 

「錬金術師ってのは既存のものを組み合わせるだけだからね。魔法使いのようにゼロから創り出す存在じゃあないのさ。」

 

よく分からんが、ダメらしい。まあ、お嬢様が運命を読んで決めたようだし、結局のところあの三人に期待する他ないのだろう。私が曖昧な頷きを返したのを見て、従姉妹様は大きく伸びをしながら話を締めた。

 

「さてさて、パチュリーは既に深淵に片足を突っ込んでいるわけだが、ダンブルドアはここから巻き返せるのかね。楽しみじゃないか。」

 

「ま、精々頑張ってもらわないとね。フランのためだもの。」

 

吸血鬼たちのチェスも、魔法使い育成計画も、白熱の様相を呈してきたようだ。そんな『計画』のことを今夜の食事のメニューと同じくらいには気にしつつ、紅美鈴はお嬢様の茶菓子をこっそり口に放り込むのだった。

 



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北の学校

 

 

「むきゅうぅぅ……。」

 

頭を抱えながら妙な声が漏れてしまうが、そんなことを気にしている余裕などない。五年生へと人生の駒を進め、フクロウ試験を間近に控えたパチュリー・ノーレッジは、利用者が一気に増えたホグワーツの図書館で苦悩していた。

 

当然のことながら、試験について悩んでいるわけではない。フクロウレベルの試験内容などとっくの昔にマスターしている。周囲の閲覧机で必死に試験勉強をしている同級生たちとは違って、私の頭を悩ませているのはあの魔導書のことだ。

 

リーゼとの出会いからもうすぐ二年。トランクの中の授業の所為で睡眠時間が削られるのにも慣れ、私の知っている呪文のストックが切れかかった頃、遂に魔導書を最後まで読むことが叶ったのだ。……しかし、それで万々歳とはいかなかった。

 

つまりはまあ、内容がさっぱり理解できないのである。訳の分からない法則やら、知りもしない素材がポンポン出てくるどころか、時に単純な物理法則まで無視する有様だ。私が今まで必死に学んできた常識は邪魔にしかならず、もはやお手上げ寸前だぞ。

 

だが、私にはどうしてもあの本を理解しなければならない理由が出来てしまった。魔導書を読破した記念すべき日にリーゼが言ったのだ。『その本に書かれている賢者の石を作ることが出来たなら、今度はうちの図書館に入れてあげるよ』と。

 

聞けば、その図書室とやらにはあの魔導書のような本が大量にあるらしい。数え切れないほどの珍しい古書や、異国の呪術書も。おまけに賢者の石があれば不老となり、ひたすら本を読む生活だって夢ではないと言われてしまったのだ。

 

残念ながらそんな魅力的な誘惑に打ち克つ方法を私は知らない。だから目の前に吊るされたニンジンを食べるために、今まさに必死な努力を続けているというわけだ。

 

とはいえ、賢者の石の製作は非常に難しい。たった一つの素材の入手だって困難な上に、材料の材料を作るための調合ですらも月単位で時間がかかるのだ。リーゼが手伝ってくれるから牛歩の速度で進んではいるものの、さすがにうんざりしてきたぞ。

 

先達であるニコラス・フラメルは製法を完全に秘匿しているし、数少ない情報を比較してみた結果、同じ賢者の石でもまったくの別物だということが分かった。本人が知っているかは不明だが、どうやらフラメルの方の石は完全なものではないらしい。

 

偉大な錬金術師を頼れないという苦悩と、フラメルよりも先に進めるという僅かな優越感。その合間で頭を悩ませる私へと、やたらハキハキとした声が飛んでくる。……またこいつか。

 

「おっと、ノーレッジ。君も試験勉強かい?」

 

振り向かずとも分かるぞ、ダンブルドアだ。どうもこいつは本格的に私をライバル視し始めたようで、今年に入ってから随分と突っかかってくるようになってしまった。去年も首席だったからなのか、『友人』たちから私の名前が出るからなのかは知らないが、もう勘弁してくれないだろうか。

 

「……ええ、そんなところよ。」

 

振り向かないままで適当に流す。数え切れないほどに沢山の友人がいて、顔もハンサムでガールフレンドは選り取り見取り、口が上手くて機転も利く。その上学業でもトップじゃないと気が済まないのか、こいつは。なにも性格が悪いわけじゃないが、私とは致命的に相性が悪い存在だな。

 

「やっぱりか。フクロウ試験は将来のための大事な試験なんだし、お互い頑張ろう。今回は僕も負けるつもりはないよ。」

 

「そうね、お互い頑張りましょう。」

 

素っ気なく返事を返してから、机に積まれた本の一つを開いた。話は済んだんだから、もうどっかに行ってくれ。大体、フクロウ試験は自分の学力を確かめるためにあるはずだ。勝負の場じゃないぞ。

 

そんな私の『忙しいですよアピール』も虚しく、ダンブルドアは勝手に向かいの席に座り込みながら話を続けてくる。……うう、面倒くさいな。あからさまに拒絶すると角が立つし、やんわりと受け流すような会話技術は持ち合わせていない。これだから人付き合いってのは苦手なんだ。

 

「あーっと……それで、実は少し相談したい事があってさ。時間ないかな?」

 

「……読みながら聞くわ。」

 

これが妥協点だ。それなら目を合わさずに済むし。私の返答を聞いたダンブルドアは、苦笑して頷きながら小声で相談とやらを切り出してきた。

 

「今僕はとある物について研究してるんだけどね、どうにも上手く進まないんだ。それで、視点を変えるためにも誰かと共同研究ってことにしてみたいんだけど……どうかな? ホグワーツの中だと、このテーマを一緒に研究できるのはノーレッジくらいなんだよ。」

 

「貴方のご友人には著名な研究家たちが山ほどいるんでしょう? こんな無名な小娘じゃなくって、その人たちと共同研究でもなんでもすればいいじゃないの。」

 

何の研究だかは知らないが、今の私は手一杯なのだ。すげなく言ってやると、ダンブルドアは困ったように頰を掻きながら首を横に振ってくる。

 

「いや、論文として発表するつもりはないんだ。だからちょっと気が引けてね。それにさ、些か荒唐無稽とも言える題目なんだよ。君は興味ないかな? その……賢者の石に関する研究なんだけど。」

 

……何だと? 今こいつはなんと言った? このタイミングでその名前が出てくるってのは、何とも作為的なものを感じるぞ。具体的に言えば、黒髪の吸血鬼による作為だ。

 

「賢者の石?」

 

思わず本から顔を上げた私に、ダンブルドアが更に声を潜めて捲し立ててくる。

 

「そう、賢者の石。永遠の命を齎す水を生み、鉄屑を黄金に変える錬金術の秘儀だよ。ニコラス・フラメルと手紙のやり取りをする機会があってね、それで興味が出たんだけど……君なら分かるだろう? ノーレッジ。僕たちのような人間には、人生は短すぎるんだ。」

 

黄金には興味ないが、人生云々って部分には同意できるな。しかし悲しいかな、私はフラメルの賢者の石が不完全である事を知っているのだ。……まあ、目の前で瞳を輝かせるダンブルドアに教えてやるつもりは毛頭ないが。

 

しかし、こいつとの共同研究だったら何かヒントを得られるかもしれない。ダンブルドアと関わるのは億劫だが、その知性と発想力は本物だ。どうせ行き詰まっていたところだし、研究に付き合ってみるのも悪くないだろう。

 

「そうね……いいわよ、手伝いましょう。私も少し興味があるわ。差し当たりどこまで研究が進んでいるのかを教えてくれる?」

 

「そうか、良かった! ええっと、フラメルからの手紙にあった僅かな情報を鑑みるに、賢者の石は属性と反属性の調和が──」

 

悪いが踏み台にさせてもらうぞ、アルバス・ダンブルドア。勿論それなりの情報は対価に渡すから、後で恨まないでくれよ? 等価交換だったら文句はあるまい。これはお互いに利益のある取引のはずだ。……多分。

 

 

 

そして学期末のフクロウ試験も終わり、ようやく訪れた夏休み。居心地の良い我が家に帰ってきた私は、食事の準備をするためにキッチンに立っていた。さて、今日の夕食は何にしようか? 今から買いに行くのは面倒だし、ある物で済ませなければ。

 

ちなみにダンブルドアとの共同研究は今なお続いている。更に言えば、この関係は私にもメリットがあることが明確になった。目指す地点が類似しているのなら、道筋が違っても共通する部分はあるらしい。……話していると妹の愚痴が頻繁に出ることは少々鬱陶しいが。

 

一応ダンブルドアのことをリーゼに話してみたら、ご機嫌な様子で『精々利用してやれ』と言っていた。自分の思考回路があの吸血鬼に似通ってきていることに愕然としたが、研究が進歩を見せたことで私も気分がいいし、今回は目を瞑っておくべきだろう。

 

軌道に乗り始めた研究を思って鼻歌交じりに夕食の準備をしていると、いきなり背後から挨拶が投げかけられる。

 

「おはよう、パチュリー。いい夕暮れだね。」

 

「あら、来てたのね。こんばんは、リーゼ。」

 

不意打ち気味の呼びかけだったが、さすがの私ももう慣れたぞ。一切驚かずに挨拶を返した私を見て、リーゼはちょっと残念そうに苦笑してきた。ざまあみろだ。

 

「いやあ、ちょっと聞きたいことがあってね。お邪魔させてもらったんだ。」

 

「私としては呼び鈴を鳴らして欲しいんだけどね。……まだ作ってる途中よ。出来たら食べさせてあげるから待ってなさい。」

 

「んふふ、それなら大人しく待つとしようか。」

 

勝手に摘み食いをするリーゼに注意をしてやると、彼女はダイニングの方へと引っ込んでいった。相変わらず自由なヤツだな。料理の量を増やすために材料を追加しつつ、欠伸をしている黒髪吸血鬼へと質問を送る。ひょっとして寝起きなんだろうか?

 

「それで、聞きたいことっていうのは?」

 

「『ダームストラング専門学校』についてさ。ちょっと行く必要が出来ちゃってね。ホグワーツとは交流があるんだろう?」

 

椅子に座りながら聞いてきたリーゼに、脳内の知識を引っ張り出して答えを返す。……動く度に揺れる黒髪がさらっさらだな。なんとも羨ましいぞ。私も少しは気を遣うべきなのかもしれない。

 

「正確には交流が『あった』ね。魔法学校同士の対抗試合は大昔に廃止されたし、今じゃ闇の魔術に力を入れた学校ってくらいしか知られていないわよ?」

 

「ふむ、ホグワーツ側の情報もそんなもんなのか。……いやなに、場所がいまいちはっきりしなくてね。大陸の北の方ってのは当然知ってるんだが、入ってくる情報はその程度なんだよ。」

 

そりゃあそうだろう。あの学校が校舎の場所を厳重に隠匿しているのは有名な話だ。後ろ暗いところがあるのかは知らないが、マグルはともかく、魔法使いたちにまで隠す必要はあるんだろうか?

 

「主流の推測はスウェーデンかノルウェーの山奥らしいけど、本当かどうかは判らないわ。ドイツだとか、オーストリアだって噂もあるしね。訪れた魔法使いに忘却術をかけることを同意させてるくらいだし、いくら貴女でも見つけるのは難しいかもよ?」

 

手早く完成させたリーキと鶏肉の炒め物を皿に盛って、スープと一緒にテーブルまで運ぶ。リーゼはダイニングテーブルに置いてあったパンを食べながら待っているようだ。基本的にはお嬢様っぽい立ち振る舞いなのに、変なところで行儀が悪いな。

 

「ふぅん? ……考えるだけで面倒くさいが、出身者を探して聞き出すしかなさそうだね。」

 

どうやって聞き出すのかは知らないが、その出身者とやらは不幸なことだな。少なくとも酒を奢って、なんて生易しい方法でないことは確かだろう。もしかしたら魅了を使うつもりなのかもしれない。

 

「そもそも、ダームストラングなんかに何の用があるのよ? 闇の魔術の研究でも始めるの?」

 

「会わなくちゃいけないヤツが居てね。まあ、どうにかしてみるさ。……それより、冷めないうちに食べちゃおうじゃないか。」

 

「私のセリフよ、それは。」

 

そして始まる吸血鬼との夕食。なんとも不思議な気分だ。昔と同じ家なのに、ただのマグルだった頃の私では想像も付かないような光景じゃないか。……でもまあ、そんなに悪い気はしないな。少しだけ、ほんの少しだけ両親が生きていた頃を思い出すぞ。

 

遠い昔の日々に想いを馳せながら、パチュリー・ノーレッジは不思議な友人との夕食を楽しむのだった。

 

 

─────

 

 

「やれやれ、やっと見つかったね。」

 

同行している美鈴にそう呟きながら、アンネリーゼ・バートリはやれやれと首を振っていた。この忌々しい旅路もようやく一段落付きそうだな。私の生涯の中でも、中々に厄介な『探し物』だったぞ。

 

最初に捕まえたダームストラングの卒業生は学校の場所を忘却しており、次のヤツはまったく関係のない場所にあると思い込んでいて、その次のヤツなんか存在自体を忘れていた始末だ。お陰でノルウェーの森を彷徨い、スウェーデンの山中を飛び回る羽目になってしまった。

 

「いやー、本当に疲れましたね。さっさと終わらせちゃいましょうよ。」

 

うんざりした声で美鈴が言うのに、深々と頷いて同意に代える。護衛兼付き人にとレミリアが付けてくれたはいいが、行く先々で美味しい食べ物を探し出す以外にはまだ役立っていないぞ。……まあ、退屈しないのは助かっているが。

 

二人で薄く積もった雪の上を歩いて行くと、遠くに巨大な建物が見えてきた。これがダームストラング専門学校か。四階建ての長方形の校舎で、のっぺりした飾り気のない外観だ。明かりが全く漏れてないことが不気味さを増しているな。

 

苦労してこんな場所まで来たのは、もちろんグリンデルバルドと接触するためだ。さすがに放っておきすぎたレミリアに、様子を見てきてくれと頼まれてしまったのである。ここまで面倒だと知ってれば引き受けなかったんだけどな。

 

「それじゃ、消えるよ。」

 

「はーい。」

 

能力を使って自身と美鈴の周囲の光を操り、空間に溶け込むようにして姿を消す。最近では主にレミリアやパチュリーを驚かせるために使っている技術だが、残念なことにレミリアには気付かれてしまうし、パチュリーはあんまり驚かなくなってしまった。ちなみにお互いの姿は視認できるようにしてある。

 

さてさて、どうやってグリンデルバルドを見つけ出そうか? 校舎以外の建物はポツポツとしか見当たらないが、ヒントなしで探す分にはこの学校の敷地は広すぎる。……学校自体を探す苦労に比べれば全然マシだけどな。

 

「んー、あっちに大量の気配がありますねぇ。そこから見てみます?」

 

ほう、驚いたな。ここに来て始めて美鈴が役に立っているぞ。私でも認識できないような、遥か遠方の気配を読み取るとは……つくづく忘れた頃に有能さを示してくるヤツじゃないか。

 

「なら、行ってみようか。」

 

薄暗くなってきた空を眺めつつ、陰気な校舎の方へと歩き始めた。頼むからそこに居てくれよ、グリンデルバルド。もう何かを探すのはしばらく御免だ。

 

 

 

そして美鈴の案内に従って校舎の中を進んでいくと……ふむ、どうやらここは食堂のようだ。まるで訓練中の軍隊の如く、学生たちが黙々と食事を取っている。学校なんだよな? ここ。兵舎じゃなくて。

 

「おっ、居ましたよ。生きててよかったですねぇ。」

 

美鈴が小声で言いながら指差したテーブルを見てみれば、そこには写真よりちょっとだけ大人びたゲラート・グリンデルバルドが座っていた。周りと同じように食事を取っているが、他の生徒よりも量が多い気がするな。

 

しばらく観察していると、同じテーブルの生徒たちはグリンデルバルドの様子を窺いながら食べているようだ。どうやら彼はこの小さなコミュニティで上位に君臨しているらしい。食事の量が階級を表すとは、まるで刑務所みたいだな。

 

「これをヤツのポケットに入れてきてくれ。」

 

「了解でーす。」

 

美鈴に指示を出しながら、待ち合わせの場所と短い一文だけを書いた羊皮紙の切れ端を渡す。レミリアが読んだ運命によれば、グリンデルバルドはこの言葉に反応してくれるはずだ。一から十まで読めるならもっと楽なのに、こういう部分的なところしか読めないらしい。楽は出来ないということか。

 

『死の秘宝』

 

そう書いてある羊皮紙を、美鈴がグリンデルバルドのポケットにそっと差し込む。よしよし、あとは書いておいた場所で待つだけだな。指定したのは視線が隠れる校庭の隅っこだ。延々待つには辛い場所だし、早く気付いてくれることを祈っておこう。

 

 

 

そのまま待ち合わせ場所で美鈴と話しながら待っていると、一時間もしないうちにグリンデルバルドが現れた。一人で辺りを窺いながら、杖を構えて慎重な様子で向かってくる。……この際だし、ちょっと驚かせてみるか。

 

足音を忍ばせて美鈴と一緒に背後に立ち、姿を現しながら声をかけた。

 

「ごきげんよう、ゲラート・グリンデルバルド。」

 

対するグリンデルバルドの返答は……ほう、やるじゃないか。凄まじい勢いで振り返ったかと思えば、無言呪文の赤い閃光をこちらに飛ばしてくる。杖魔法の技術は私より上のようだな。ハンデがあるとはいえ、ちょびっとだけ悔しいぞ。

 

私が苦笑している間にも、即座に前に出た美鈴が閃光を握り潰した。一応護衛役という自覚はあったらしい。

 

「んん? なんかピリピリしますね、これ。」

 

なんとまあ、気の抜けた台詞だな。そんな反応に僅かに驚きながらも、グリンデルバルドは二の矢、三の矢を放ってくるが、美鈴はその全てを難なく叩き落としている。

 

「落ち着きたまえよ、グリンデルバルド。私たちは話をしにきたんだ。遥々こんな辺鄙な場所までね。」

 

美鈴に呪文の対処を任せながら話しかけてみると、グリンデルバルドは呪文を放つのを止めるが……ふん、生意気だな。油断なくいつでも杖を振れるように身構えたままだ。どうやらダームストラングはホグワーツよりも『実践的』な教育をしているらしい。

 

「さて、改めてごきげんよう、矮小なニンゲン。偉大なる吸血鬼と話せることを光栄に思いたまえ。」

 

私が背中の翼をパタパタさせたのを見て、グリンデルバルドの眼差しが一層鋭くなる。うーむ、こういう視線も良いな。嘗ての時代を思い出すぞ。

 

「まあまあ、そう緊張しないでくれよ。有能な人間に悪魔が契約を持ちかけるってのは珍しいことじゃないだろう?」

 

大仰に両手を広げながら言ってやれば、グリンデルバルドは一切警戒を解かずに返事を寄越してきた。大魔王ごっこだ。結構楽しいじゃないか。

 

「……何が目的だ? 何処で俺のことを知った?」

 

「んふふ、私は何でも知っているのさ。なんたって悪魔だからね。例えば……そう、死の秘宝のこととかも。」

 

私の言葉を聞いて、グリンデルバルドの表情が僅かに歪む。死の秘宝とやらが何なのかは知らないが、適当にそれっぽく喋ればいいだろう。

 

暫く疑わしそうにこちらを眺めた後、グリンデルバルドは目を細めながら問いかけを放ってきた。

 

「……ニワトコの杖の在り処も知っているのか?」

 

「勿論だとも。ただし、教えて欲しいなら有能さを示してもらおうじゃないか。」

 

杖? 伝説の魔法使いの杖とか、そういうのだろうか? 私は自分の杖があるから要らんが、レミリアが欲しがるかも知れないし、フランにあげるのも良さそうだな。後で調べておくか。

 

考えながらも懐から手のひらサイズの本を取り出して、グリンデルバルドの足元へと放り投げる。

 

「そら、こいつを使い熟してみたまえ。話はそれからだ。」

 

パチュリーに渡した物より数段落ちる魔導書だ。これだったら読んだだけで死ぬということはないだろう。中身は人間と他の生き物をくっつけて、より強力な存在にする方法とか、そんなことがつらつらと書いてあったはず。

 

かくしてグリンデルバルドが足元に落ちた本に視線を走らせた瞬間、すぐさま自分と美鈴の姿を消す。一度やってみたかったんだ。視線を外した瞬間、居なくなってるやつ。美鈴もこちらの意を汲んで、含み笑いをしながら気配を消してくれた。

 

「……レベリオ(現れよ)。」

 

グリンデルバルドはこちらが消えたのに驚いて周囲を見回した後、暴露呪文で慎重に本を調べていたが、結局は手に取って校舎の方へと消えて行く。……まあ、とりあえずはこんなところかな。

 

 

 

「これでようやく帰れるね。」

 

「そうですねぇ。帰ってしばらくゴロゴロしてたいですよ。」

 

透明な状態のままで敷地の外に出てから、姿を現しつつ美鈴と頷き合う。あの本を上手く使えば、人外への一歩目を何とか踏み出せるだろう。これでグリンデルバルドもスタートを切れたわけだ。是非とも他の二人に追いついてほしいもんだな。

 

「それじゃあ掴まってくれ、美鈴。とりあえず姿あらわしで近くの街まで戻ろうじゃないか。」

 

「いいですけど、今回は大丈夫なんですよね? また腕だけどっかに行っちゃうのは嫌ですよ?」

 

「なぁに、今回は上手くいくさ。」

 

失くしちゃったら生やせばいいじゃないか。不安そうな表情で腕を掴んでくる美鈴にウィンクを送った後、アンネリーゼ・バートリはホルダーから抜いた杖を振り上げるのだった。

 



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学ぶ吸血鬼ちゃん

 

 

「一応忠告しておくが、あー……かなり気持ち悪いぞ、それ。」

 

六年生ももう終わりが見えてきた春の日、リーゼが心底嫌そうな表情で声をかけてくるのを、パチュリー・ノーレッジは大人の靴ほどもあるゴキブリをすり潰しながら聞いていた。そんなもん私だって分かってるさ。だけど、必要なことなんだから仕方ないじゃないか。

 

「やってる当人が一番気持ち悪いわよ。でも、魔導書に書かれてる材料はとっくの昔に絶滅済みなの。現存する中ではこの……忌々しい虫をすり潰したものが一番近いってわけ。」

 

すっかり通い慣れたトランクの中の小部屋は、今や多種多様な実験器具で埋め尽くされている。至る所で鍋がユラユラと湯気を昇らせ、厳重に封が施されている素材棚はガタガタ動き、秤は勝手に材料を量り続けているような状態だ。正に『実験室』って感じだな。

 

部屋の変化に鼻を鳴らしながらも、すり潰し終えて液状になったそれを慎重に鍋に投入すると……それまで緑色だった液体が、一瞬にして明るいオレンジに変わった。よしよし、こっちの材料でも何とかなりそうだな。

 

リーゼが何とも言えない表情でこちらを見るが、こんなもんまだまだ序の口だぞ。トロールの脳みそを刻んだときは、さすがの私も吐きそうになったものだ。あれは酷い臭いだった。

 

「まあ、順調そうで何よりだよ。それを材料にして作る石ころには触りたくないけどね。」

 

「吸血鬼が何を言ってるのよ。気持ち悪がってる暇があるんだったら、こっちの月下タンポポを刻むのを手伝って頂戴。」

 

真夜中に禁じられた森まで出張って採集してきたタンポポだ。ダメにされたら今度はリーゼに入手を頼むことにしよう。真っ暗な森の中で泥だらけになるのはもう御免だぞ。

 

つまり、私は遂に賢者の石の製作に入っているのである。魔導書を丹念に読み込んだ結果、既に理論は構築できた。となれば残るは実践だけなのだが……素材を熟成させる期間を加味しても、もしかしたら卒業までに完成させられるかもしれないな。

 

反面、ダンブルドアの研究は行き詰まってしまったらしい。私としてはもはやメリットを感じられない状況になってきたので、去年の冬に『製作は不可能である』ということを小難しく纏めてダンブルドアに提出してある。ダンブルドアは諦め切れないようで何度も説得を仕掛けてきているが、別の研究があると言って適当にあしらっているのが現状だ。

 

「虫けらをすり潰す以外の作業なら大歓迎だよ。茎を2ミリ間隔だね? 任せておきたまえ。」

 

「葉っぱは取り除いてね。不要だから。」

 

「はいはい、了解だ。」

 

石の製作が始まってからというもの、リーゼは思ったよりも真摯に手伝ってくれている。前に疑問に思って聞いてみたのだが、こういう作業をするのは初めてだから楽しいらしい。手先はちょっと不器用なものの、吸血鬼らしく人並み外れた力があるし、助手としては文句なしだ。

 

この前なんかは大掛かりな作業のための人手が足りないということで、しもべ妖精とエマさんという使用人を連れて来てくれた。前からお嬢様だとは思っていたが、しもべ妖精に加えて使用人だなんて……私にとっては物語の中の世界観だな。

 

しかしまあ、公表できないだろうし、するつもりも無いが……これが完成したら物凄い偉業なんじゃないだろうか? そうリーゼに聞いてみたところ、『こっちの世界じゃ大したことないよ』という涙が出そうなほどありがたいお言葉を頂いた。私は単なる人間なんだから、『こっちの世界』とやらの生き物と一緒にしないでくれ。

 

「……ねえ、どうしてここまで良くしてくれるの?」

 

牛食いガエルの体液を鍋に垂らしつつ、目を逸らし続けてきた疑問をポツリと呟く。

 

リーゼは吸血鬼。つまり正真正銘の悪魔だ。最初は呪文と引き換えの契約だったが、それだって対等とは言い難いものだった。それなのに、とうの昔に呪文を教え終わったのにも関わらず、こうして今なお私の研究を手伝ってくれている。賢者の石が目当てなのかとも思ったが、黄金も長寿も彼女は既に手にしているようだし、こんなに手間暇かけてまで欲しがるようなものではないだろう。

 

だとすれば、対価は何だろう? 正直なところ、私はリーゼに深く感謝している。四年生になる前のあの色褪せた日々に比べて、今の生活のなんと充実していることか。賢者の石を作り終わったら、リーゼの図書館で飽きるほど本を読ませてもらう約束だが……まあうん、ある程度満足した後だったら魂を渡したって構わないと思っているくらいだ。

 

そんな私の問いかけに対して、リーゼは遠くを眺めるような表情で答えを寄越してきた。……珍しい表情だな。どことなく切なげな雰囲気を感じる。

 

「実はちょっとした頼みがあってね。私の従姉妹に吸血鬼の姉妹がいて、その妹のほうが少々……何と言えばいいか、『問題』を抱えているんだよ。全部終わったら対価としてその問題の解決に手を貸してもらおうかと思ってたんだ。」

 

「そういう事情ならもちろん協力させてもらうけど、リーゼにどうにも出来ない問題を私が解決できるとは、その……思えないわ。」

 

「なぁに、大丈夫だよ。私たちには時間があるし、キミだってもうすぐ手に入れる予定だろう? だったらいつかは解決できるさ。」

 

そう言われても全然自信は湧いてこないが……うん、それが対価だと言うなら精一杯やるだけだ。何だかんだで色々と世話になってるんだし、受けた恩にはきちんと報いなければ。

 

「それなら……ええ、約束するわ。それが対価だって言うのなら、どれだけ時間がかかっても必ず何とかしてみせる。」

 

私がしっかりと頷くと、リーゼは見たこともないほどに可愛らしい微笑みを返してきた。そういうシュミはないはずなんだが、それでも見惚れちゃうような表情だ。

 

「んふふ、頼りにしてるよ、パチュリー。……それじゃ、未来のためにも先ずは石の製作をどうにかしようじゃないか。茎は刻み終わったよ。次はどうする?」

 

「えーっと、そうね……だったら刻んだ茎を、そこの秤で岩石豆一粒と均等になるように量ってくれる?」

 

リーゼに返答を放ってから、私も気合を入れて鍋をかき回す。うむ、やる気が出てきたぞ。対価をきっちり支払うためにも、リーゼの言う通り先ずはこの研究を終わらせちゃおう。一つ一つ集中して、順番に。それが私のモットーだったはずなのだから。

 

 

 

そしてホグワーツ六年目の生活も終わり、夏休みが中盤に差し掛かったある日の午後、私はロンドン郊外の墓地にある両親の墓に花を供えに来ていた。オレンジのガーベラ。母が好きだった花だ。父にはダイアゴン横丁でファイア・ウィスキーを買ってある。魔法界のお酒なんて当然飲んだことないだろうし、きっと喜んでくれるはず。……ちょっと強すぎるかもしれないが。

 

リーゼと二人で頑張った結果、ホグワーツの卒業ギリギリで賢者の石が完成する目処がついたのだ。卒業式を終えたら石を使い、そのままリーゼの屋敷に移り住むことになっている。今まで住んでいた家は残す予定だし、もう来ないということもないだろうが、暫くは忙しくて戻ってこられないだろう。

 

墓を念入りに掃除した後、祈ろうとしたところでふと動きを止めた。吸血鬼と契約した人間が神に祈っても大丈夫なのか? リーゼにでも聞いておけばよかったな。

 

吸血鬼の友人が出来たと聞いたら、両親はどんな反応を示すのだろうか? 頭の心配をされるか、教会にでも連れて行かれるかもしれない。……益体も無い考えにかぶりを振って、少しだけお祈りをしてから墓を後にする。

 

大丈夫だ。私はもう一人ぼっちで本を読む『根暗のノーレッジ』じゃない。ついぞ人間の友人には恵まれなかったが、油断できない奇妙な吸血鬼と出会えたのだから。

 

夏の高い青空を見上げながら、パチュリー・ノーレッジはゆっくりと一歩を踏み出すのだった。

 

 

─────

 

 

「これはもうノーレッジで決まりかしら? ……まあ、そもそも条件がアンフェアだったしね。宜なるかなって感じよ。」

 

紅魔館の執務室の椅子に深く腰掛けながら、レミリア・スカーレットは部屋の掃除をする美鈴に話しかけていた。リーゼからの報告によれば、ノーレッジは想像以上の速度で偉業を達成しつつあるようだ。我が幼馴染どのも随分と入れ込んでるみたいだし、このまま順当な結果で終わりそうだな。

 

「そうですねぇ。意外性はあんまりなかったですけど、スムーズに進んでるのは良いことなんじゃないですか?」

 

美鈴の返事に頷きながら、他の二人の方に思考を移す。ダンブルドアは史上最年少でウィゼンガモットの青年代表とやらに選ばれて有頂天らしいが、残念ながらそれは我々の興味を引く類の功績ではない。そしてグリンデルバルドに関しては去年の接触以降ノータッチだ。リーゼは二度と行きたくないと言うし、美鈴一人で向かわせるのは……うーむ、不安すぎるな。やめておいた方がいいだろう。

 

何にせよ、二年後に私の能力で運命を読めばどれが当たり札なのかは明らかになる。計画を始めてから三年は瞬く間に過ぎた。となれば残る二年も一瞬だろう。のんびり待てばいいさ。

 

万が一遅れている二人の中から人柱を選んだとしても、至らせるまでに必要な時間は十年そこらで済むはずだ。ダンブルドアやグリンデルバルドも人間の中ではぶっちぎりで優秀な部類なのだから。そこからフランを外に出すための研究を始めたとして……そうだな、全員でやれば百年前後で方が付くだろう。館の中限定で出歩くのであればもっと早まるはずだし、一番深みに嵌っているノーレッジを選んだのであれば更に期間を短縮できる。

 

おまけに残った二人で戦争ごっこをすれば、フランの退屈を紛らわせることまで出来るというわけだ。うむうむ、考えた私は天才なんじゃなかろうか。

 

頗る順調ではないか、私の計画は! カリスマ溢れる自分が怖くなるくらいだ。今はちょっと反抗期なフランも、狂気が治まって外に出られるようになれば私を尊敬しだすに違いない。

 

「……お嬢様、何一人で笑ってるんですか? 怖いんですけど。」

 

「うっさいわね! フランのところに行くわよ!」

 

よし、そうと決まれば地下室に行こう。最近のフランは代理戦争のためだとか言って、外の世界のことを勉強するのに夢中なのだ。いい傾向なのかもしれないな。壁を破壊する頻度が減った気がするし。

 

美鈴と共に執務室を出て階段を下り、地下通路へと向かいながら館の状態をチェックする。廊下、良し。シャンデリア、良し。妖精メイド……は労働者として雇ったわけではなく、ただの賑やかしだ。だから良しとしておこう。

 

徐々に改善されてきた館に満足しながら、たどり着いた地下室の重たい扉を開けると、我が愛すべき妹がベッドで『お夜寝』している姿が見えてきた。美鈴にジェスチャーだけでカメラを持ってこいと伝えた後、音を立てないようにそっと近付く。

 

うーん、可愛い。姉の贔屓目を抜きにしても、もしかしたら世界で一番可愛い存在なのではないだろうか? 外に出すために頑張ってはいるが、もし悪い虫がついちゃったらどうしよう。……いやまあ、その時は相手をぶっ殺せばいいだけか。

 

ニマニマしながらフランの寝顔を観察していると、どこか呆れた表情の美鈴がカメラを持って戻ってきた。もちろん魔法使いどものカメラではなく、普通のやつ。写真の中の人物が動くというのは面白かったが、どんなタイミングで撮っても写真の中のフランは私を睨み付けてきてしまうのだ。壁一面のフランが睨んでくるというのはさすがに勘弁願いたい。それはそれで可愛いけど。

 

「あのー、やめませんか? 盗撮っていうんですよ、それ。」

 

「失礼ね、妹の成長記録を撮ってるだけよ。これは姉の義務なの、権利なの。」

 

慎重にカメラを構えて……ここだ! フラッシュの音でフランが起きてしまうが、写真は手に入った。後はこのカメラを無事に部屋から出すだけだ。すぐさま美鈴にカメラを押し付け、背中を叩いて走らせる。行け、めーりん走るのだ! 私のフラン写真集のために!

 

「ぅう……きゅっ!」

 

焦った表情で扉へと走る美鈴に、寝ぼけ眼のフランが能力を使う。その小さな手のひらを握りしめた瞬間、哀れにもカメラは爆発四散してしまった。おのれ美鈴、何故その身を盾にしなかったんだ。後でお仕置きだからな。

 

『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』

 

物体のもっとも緊張している場所……フランは『目』と呼んでいたか。それを自分の手の中に移動させて、握り潰すことであらゆるものを破壊できるらしい。いやはや、我が妹ながら恐ろしい能力ではないか。強くて可愛いだなんて反則だぞ。

 

とはいえ、フランも私やリーゼと同じように自身に宿る能力を完全には使い熟せていない。そもそも使い熟せているのなら、とっくの昔に地下室を破壊して外に出ているだろう。リーゼも昔嘆いていたが、吸血鬼には能力に対する種族的な制限でもかかっているんだろうか?

 

「おい、なにしてた?」

 

寝起きでいつもより低い声のフランが、これまたいつもより少ない言葉数で聞いてくる。いやぁ、こういうフランも良いな。ギャップが魅力を増してるぞ。

 

「……はい、妹様! 私は止めました! 私は無実です!」

 

粉々になったカメラの破片を投げ捨てながら、青い顔の美鈴がピンと挙手して無実を主張し始めた。一瞬で裏切るとは何事だ、紅魔館の獅子身中の虫め。今日は夜食抜きに決定だからな。

 

「おはよう、フラン。……姉が妹の成長記録を撮って何が悪いのかしら? 貴女は知らないかもしれないけど、お外じゃあこれが常識よ。」

 

伝家の宝刀、『お外の常識』を抜く。どうせフランには確かめる術がないのだ。今まで数多の危機を救ってきた切り札よ、今回も頼んだぞ。

 

「オマエにはもう騙されないよ。この前読んだ本に書いてあったけど、こういうのってギャクタイって言うんだってさ。ジンケンを無視して閉じこめたり、嫌なことを無理矢理するのってハンザイなんだよ。」

 

何てこった、伝家の宝刀はいつの間にかなまくら刀にすり替わっていたらしい。おのれ、余計なことを。一体誰がこんな無駄な知識をフランに……言われるがままに本を買い与えた私のせいじゃないか!

 

「フ、フラン? 騙されちゃダメよ。それは人間の常識であって、吸血鬼とは違うの。」

 

「吸血鬼のジンケンも守られるべきだって予言者新聞に書いてあったもん! オマエみたいなのを、異常なセーハンザイシャって言うんだってさ! このセーハンザイシャ!」

 

マズい、マズいぞこれは。何とかしなければ妹から性犯罪者呼ばわりされることになってしまう。そんなの幾ら何でも耐え切れる自信がない。美鈴は……ダメだな。うんうんそうですね、といった具合に頷いている。裏切り者め、この恨み忘れんからな。

 

「ち、違うわフラン、そんな嘘つき新聞を読んじゃダメよ。えっと、その……そう、リーゼに聞いてみればいいわ! リーゼもそんなの嘘だって言うなら信用できるでしょ?」

 

「リーゼお姉様が? んぅ……そうかもね。でも、オマエは信用できないもん! 出てってよ、セーハンザイシャ!」

 

「ちょ、ちょ、ちょっと待ってなさい。今リーゼを呼んでくるから。すぐに呼んでくるから!」

 

急いで地下室を出て、全力疾走でエントランスへと向かう。急げ急げ。このままじゃ妹からの性犯罪者呼びが定着しちゃうぞ。そんなもん悪夢だ。早く煙突飛行でリーゼの屋敷に飛んで、引き摺ってでも連れてこなければ。

 

連れてきたリーゼが悪戯な笑みで誤解に拍車をかけることを知る由もなく、レミリア・スカーレットは煙突飛行粉を投げ入れた暖炉へと飛び込むのだった。

 



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賢者の石

 

 

「はい、それまで。羽ペンを置きなさい。」

 

教壇に立っている試験官の言葉を受けて、ようやく終わったのかとパチュリー・ノーレッジはため息を吐いていた。数十分前に解答欄は埋まっていたが、途中退席が禁じられているので退屈していたのだ。どうせなら論述のスペースをもっと設けてくれれば良かったのに。

 

これで最後に残った変身術の筆記が終わり、ようやく卒業間際のイモリ試験も終了となる。フクロウ試験の時よりもだいぶ減った他の受験者たちが感想を言い合うのを他所に、手早く荷物を片付けて教室を後にした。……そういえば、試験結果はちゃんとリーゼの屋敷に届くのだろうか? まあいいか、魔法界で就職しない私にとっては大した意味を持たない代物だし。

 

七年間のホグワーツでの生活も、一週間後の卒業式で遂に幕を下ろすわけだ。充実した学生生活だったとは口が裂けても言えないが、私に新たな世界を示してくれたのは間違いなくこの学校だし、ここを離れるのが寂しくないと言えば嘘になる。……まあうん、私にとっても偉大な母校だったということなのだろう。

 

感傷に浸りながらもたどり着いたレイブンクローの談話室を抜けて、女子寮にある自室のドアを開いた。ルームメイトをちらりと見てから自分のベッドに移動した後、いつものようにカーテンを閉めてトランクの中へと入り込む。結局、ルームメイトとまともにお喋りすることはなかったな。業務連絡のような会話が精々だ。

 

こんなヤツとルームメイトだってのはさぞ迷惑だったことだろう。そう考えると申し訳ないことをしちゃったかな。自嘲しながら梯子を降りて通路を進み、見慣れた鉄扉をいつもの手順で開けてみれば……そこにあったのは実験器具の山でも、居心地の良い空間でもなく、小さな台に置かれた手のひらに収まる程度の石ころだけだった。

 

ゆっくりと台に歩み寄って、その不思議な石を眺める。見る角度によって七色にその色を変える美しい石。これこそが私の……『私たち』の研究の成果、賢者の石だ。

 

ニコラス・フラメルが作ったものとは違って、この石は命の水を生み出したりはしない。当然だ、この石はそのまま呑み込むことで不死になれるのだから。

 

ただまあ、その時のことを考えるとちょっと不安になってくるな。喉に詰まったりしないだろうか? ……うーむ、こんなことならもう少し小さく作ればよかった。不老のための石を喉に詰まらせて死ぬなんて恥ずかしすぎるぞ。『元も子もない』の代表例として辞書に載るかもしれない。

 

実際に石を使うのは卒業式の直後にリーゼに見守られながらこの場所で、ということに決まっている。私たちにとって全てが始まった場所といえばあの本屋かもしれないが、幾ら何でも本屋で不老になるための儀式を行う気にはなれない。何より、ここが二人で最も多くの時間を過ごした場所なのだ。だったらここで行うのが一番だろう。

 

四年間の集大成を目の前にして、私の心は不思議なことに平静を保っている。不安もなければワクワクもしない。ただ、いよいよやるのだという気持ちがあるだけだ。

 

一週間後。一週間後に私の新しい人生が始まる。目の前の賢者の石を見つめながら、静かな小部屋の中で立ち尽くすのだった。

 

 

 

「──であるからして、この学校で学んだことは君たちの人生において大きな糧となってくれるだろう。それでは卒業生諸君、ホグワーツ最後の夜を大いに楽しんでくれたまえ! ……卒業おめでとう!」

 

その声が大広間に響き渡るのと同時に、歓声を上げながら卒業生たちが被っていた三角帽子を放り投げる。私も一応投げてみるが……うん、全然飛ばなかった。慣れないことはやるもんじゃないな。ちょっと恥ずかしいぞ。

 

教員席の中央に立つ校長の挨拶も終わり、周りの卒業生たちは豪勢な料理を食べながらそれぞれの友人と話し始めている。別れを惜しんだり、再会の約束を交わしたりしているのだろう。前までなら下らないやり取りだと一蹴していたかもしれないが、リーゼのことを考えると彼らの気持ちも少しだけ分かるようになった。

 

とはいえ、私の友人はここには居ない。それに私にとっての『卒業式』が行なわれるのはこの場所ではないのだ。だから人の居ないうちにと急いで自室に戻ろうとしたところで、意外なことに誰かが声をかけてくる。

 

「卒業おめでとう、ノーレッジ。」

 

振り返ってみれば、鳶色の髪が特徴的な青年の姿が目に入ってきた。言わずもがな、アルバス・ダンブルドアだ。その深いブルーの瞳を細めて、顔には嬉しそうな笑みが浮かんでいる。どうやら彼は悔いのない学生生活を送れたらしい。

 

「……あら、ダンブルドア。貴方もおめでとう。こうして話すのは久々ね。」

 

「最近はイモリ試験対策で余裕がなかったからね。だけど、君にも一言挨拶しておきたくてさ。例の共同研究は結局実らなかったけど、いい経験になったよ。……君はやっぱり研究職になるのかい? 神秘部に就職するとか?」

 

「まだ決まってないけど、ある場所で司書になる予定よ。貴方は?」

 

当然、それが吸血鬼の屋敷だとは口に出さない。秘密にしろと言われているわけではないが、堂々と喧伝するようなことでもないだろう。

 

「僕はまだ決めかねていてね。とりあえずエルファイアスと一緒に卒業旅行にでも行こうかと思ってるんだ。世界の魔法界を巡ってみる予定なんだよ。」

 

「それは楽しそうね。じゃあ、えーっと……貴方の未来がより明るくなることを祈っておくわ。」

 

「ありがとう。僕も君の未来が素晴らしいものになることを祈っておくよ。……もしかしたらまた共同研究のお願いをするかもしれない。その時はよろしく頼むよ、ノーレッジ。」

 

「ええ、その機会を楽しみに待っておくわ。それじゃあね、ダンブルドア。」

 

私がぎこちない笑顔で会話を切り上げた瞬間、友人であろう卒業生や在校生たちに囲まれてしまったダンブルドアに背を向けて、大広間の扉に向かって歩き出す。また会うかどうかは望み薄だろうが、何故か今はもうダンブルドアのことを苦手とは思わない。私も成長したってことなんだろうか?

 

考えながらも人気のない城の廊下を進み、鷲のドアノッカーの問題に答えてドアを抜けてみれば、そこには人っ子一人居ない閑散とした談話室の光景が広がっていた。

 

静寂が支配する、空虚な談話室。まるでたった一人でここに戻ってきた自分を表しているみたいじゃないか。ジメジメした考えが頭をよぎったところで、談話室のソファに突如としてリーゼが現れる。わざわざトランクから出てきて私を待っていたようだ。

 

「んふふ、ホグワーツの卒業おめでとう、パチュリー。……さてさて、それじゃあ次は人間からの卒業式といこうじゃないか。準備は出来てるかい?」

 

青いソファに我が物顔で腰を落ち着けながらリーゼが言うのに、思わず顔に苦笑が浮かぶ。いやはや、空虚だったはずの談話室が彼女の存在で一変しちゃったな。

 

「……ありがと、リーゼ。準備は万全よ。行きましょうか。」

 

 

 

そして訪れたトランクの中の小部屋。私の目の前には七色に煌く賢者の石がある。ふと目線を上げてみれば、石が置いてある台の向かいに立っているリーゼが微笑みながら促してきた。

 

「ほら、グイっといっちゃいなよ。焦らさないでくれたまえ。」

 

「わ、分かってるわよ。喉に詰まったら助けてよね。」

 

緊張で鼓動が速くなるのを感じつつ、ゆっくりと手を伸ばして目の前の石を掴む。熱いようで冷たくて、硬いようで柔らかい。何とも不思議な感触だ。ゴクリと喉を鳴らしながら口元へと運び、舌に石が触れたところで動きを止めた。この際原材料については考えないようにしておこう。

 

そのままえづきそうになるのを我慢しながら口に含んで、意を決してそれを……ゴクリと呑み込んだ。呑んじゃった! 遂に呑んじゃったぞ!

 

喉元を異物が通過していくぞわりとした感覚の後、直立不動で変化を待つが……あれ? 何にも感じないな。まさか、失敗? 冗談じゃないぞ。不安になってリーゼに話しかけようとした瞬間──

 

「……っ!」

 

熱い! 胸が灼けるように熱い! 思わず地面に膝を付き、胸の辺りを掻き毟る。胸からお腹に、下腹部に、四肢に。痛いほどの熱さが全身に広がっていく。まるで身体の中で溶岩が暴れ回っているようだ。

 

ぜえぜえと息を漏らしながら、身体中を掻きむしりたい衝動にひたすら耐える。目の前がチカチカと七色に光って、頭の中がクラクラしてきた。最悪の気分だ。もしかしたら失敗して、私はここで死ぬのかもしれない。

 

目尻に涙を滲ませながら、ぼんやりした頭で苦しんでいると……いつの間にか苦痛が綺麗さっぱり消えていることに気付く。知らず瞑っていた目を開けてみれば、視界いっぱいに心配そうな表情のリーゼが映った。どうやら膝枕された状態で覗き込まれているらしい。

 

「……リーゼ?」

 

かすれた声で呼びかけてみると、リーゼの顔が嬉しそうな笑みの形に変わる。彼女に一番よく似合う、もはや見慣れた吸血鬼の笑みだ。

 

「おはよう、パチュリー。そしておめでとう。人間からの卒業式も無事成功だ。」

 

……成功? クスクス微笑むリーゼの言葉を受けて辺りを見回してみると、小部屋の宙空に漂う色取り取りのモヤモヤが目に入ってきた。なんだこれは?

 

「あ、ありがとう、リーゼ。これで成功なの? 何て言うか……いろんな色のモヤモヤしたのが見えるんだけど。」

 

「多分、その辺に浮かんでいる魔力が見えてるんじゃないかな。色は属性を表しているはずだ。君は七つの属性と反属性を備えた石を呑み込んだわけだからね。」

 

「ああ、そうね。そうだったわ。……これが、そうなのね。」

 

まさに見える世界が変わってしまったわけか。リーゼに支えられながら立ち上がってみれば、心なしか身体も軽い気がする。何だかふわふわした気分だ。

 

「先ずはその力を制御するのが課題だね。沢山の絵の具をぶっかけたような世界で生活するのは嫌だろう? それが終わったら、次は魔力を操る練習かな。見えているなら操るのは難しくないはずだ。」

 

やることが盛りだくさんだが、今日はさすがに疲れたな。それを見て取ったのか、リーゼは苦笑しながら肩を竦めてきた。

 

「まあ、今日はゆっくり休んでおきたまえよ。明日は駅まで迎えに行くから。」

 

「……ん、そうさせてもらうわ。」

 

ありがたい。何にせよ成功したんだから、細かいことは後で考えればいいだろう。リーゼに支えられながらヨロヨロと部屋を出て、トランクの出口目指して薄暗い通路を歩き出す。

 

レイブンクロー寮最後の夜はぐっすり眠れることになりそうだなと思いつつも、パチュリー・ノーレッジは『偉業』の達成感に身を委ねるのだった。

 

 

─────

 

 

「はあ? ……グリンデルバルドが退学? なんでよ!」

 

ご立腹の様子で執務机をバンバン叩いているレミリアを、応接用のソファに座るアンネリーゼ・バートリは呆れた表情で眺めていた。どうやらグリンデルバルドが晴れてダームストラングを退学になったらしい。一体何をやらかしたんだ?

 

美鈴に淹れてもらった紅茶を片手に持ちながら、手懐けたイギリス魔法省の職員から届いたとかいうその手紙を覗き込んでみれば……おやまあ、派手にやったみたいじゃないか。

 

どうもグリンデルバルドは魔法生物をバラバラにして人間にくっつけるという、かなり楽しそうな『実験』を繰り返していたようだ。イギリスにはようやく情報が伝わってきたところだが、向こうでは春になる前に退学どころか指名手配までされているらしい。ひょっとしなくても私が渡した魔導書のせいだろうか?

 

「危ない目付きのヤツだったからね。いつかはやると思ってたよ。」

 

「こいつが実行犯なら、あんたは教唆でしょうが。……まあいいわ、もう運命を読んじゃいましょうか。ある意味では卒業でしょ、これも。」

 

それでいいのか、レミリア。……まあ、問題ないか。どうせパチュリーで決まりだ。既に不老を手に入れているわけだし、私が育てたんだから間違いあるまい。

 

「私は別にいいけどね。もう決まってるようなもんだし。」

 

「それじゃあ、早速始めましょう。めーりーん! タロットカード持ってきて! タロット!」

 

「おいおい、前はタロットなんて使ってなかったはずだぞ。とうとう能力が劣化したのかい?」

 

「うっさいわね、雰囲気作りよ。占いのことはよく知らないけど、小道具があったほうがカッコいいでしょ?」

 

正気かこいつは。入室してきた美鈴も心なしかうんざりした表情でタロットカードを片手に近付いてきた。それを受け取ると、レミリアはうんうん唸りながら裏返したカードをぐちゃぐちゃに混ぜ始める。占いには詳しくないが、絶対に使い方を間違えているのだけは分かるぞ。

 

「むー、ダンブルドアは……これよ!」

 

程よく混ざったカードの中から、レミリアが一枚のカードを選び取った。本当に能力を使っているんだろうな? 適当にやってるようにしか見えないぞ。疑わしい表情で表になったカードに目をやってみれば、どうやらロープで逆さまに吊るされた男が描かれているようだ。絵の下の文字は……そのまんまだな。『吊られた男』と書いてある。

 

「いまいちパッとしないわね。……よし、次はグリンデルバルドよ!」

 

レミリアが次に引いたのは、王冠を被った老人が硬そうな玉座に座っているカードだ。下の文字は……ふむ、『皇帝』か。さっきのよりかは迫力があるな。

 

「んー……皇帝、皇帝ねぇ。悪くはないんだけど、何か違う気がするわ。」

 

「あのあの、どんな意味のカードなんですか? お嬢様。」

 

「そんなもん知るわけないでしょ。私くらいになると感覚で理解できるのよ。……最後はノーレッジね。」

 

なんだそりゃ。美鈴の問いに肩を竦めて答えたレミリアは、さっさと三枚目のカードを選び始めた。これが占い師だったら苦情の嵐だろうな。呆れ果てる私を他所に、最後にレミリアが引いたのはローブを着た若者のカードだ。目の前の机には棒、剣、杯、それに金貨が置いてある。絵の下の文字は……『魔術師』か。

 

「あら、魔術師だなんて……これで決まりね。パンパカパーン! 栄えある魔法使いレースの勝者は、パチュリー・ノーレッジに決定!」

 

「キミね、さすがに安直すぎないか? ……まあ、私の一押しに決定なんだったら文句はないよ。これでようやく計画が先に進むね。」

 

「……それでいいんですか? お二人とも。」

 

あまりにも滅茶苦茶な占いだが、こいつが能力を使ったと言うのであれば信用できる……はずだ。多分。何はともあれ、パチュリーに決まったのであればそれでいいさ。

 

「さて、それなら明日の昼にキングズクロス駅まで迎えにいく予定だったわけだが……先にここに連れてこようか? 小さなレミィがおねむで無理そうなら夕方でもいいけどね。」

 

「はあ? 昼更かしくらい余裕なんですけど! 明日の昼に連れて来なさい! 今まで会ってた吸血鬼がいかに小物かを思い知らせてやるわ!」

 

「あのー、ホントにホントに、これで決まりなんですか? ……何だかなぁ。」

 

「しつこいわよ、美鈴! それよりちゃっちゃと掃除しちゃいなさい。来客にナメられないようにね!」

 

腑に落ちない表情の美鈴に指示を出すレミリアを横目に、ソファに戻って考える。残すべき人物が決まった以上、次は本格的にゲームの準備を始めなければなるまい。どっちの駒を選ぶかはフランに決めさせてあげよう。『吊られた男』と『皇帝』。どちらを選んでも楽しくなりそうじゃないか。

 

充実してきた日々のことを思いつつ、アンネリーゼ・バートリはパタパタと背中の翼を動かすのだった。

 



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紅き館と月下の屋敷

 

 

「ごきげんよう、パチュリー・ノーレッジ。私が紅魔館の主にして至高なる紅き支配者、レミリア・スカーレットよ。」

 

吸血鬼の世界には大仰な自己紹介をしなければいけない決まりでもあるのだろうか? 薄い胸を張りながら尊大に振る舞う可愛らしい吸血鬼を前に、パチュリー・ノーレッジは内心ちょっとだけ呆れていた。

 

視界に広がる色取り取りのモヤモヤに対する興味が薄れ、何なら多少鬱陶しいとすら思い始めた頃、キングズクロス駅に迎えに来たリーゼにいきなりこの館へと連れてこられたのだ。会わせたい吸血鬼が居るとか何だとかって。

 

詳しく聞いてみれば、前に言っていた従姉妹のうちの姉に会わせたいとのことだった。そして駅から煙突飛行で直接この巨大な館に連行された私は、人間にしか見えない赤い髪の変な妖怪にリビングまで案内されて、今まさに吸血鬼の自己紹介を受けているという訳だ。我ながら激動の二十分間だったな。

 

「あー、初めまして。もう知ってるみたいだけど、私はパチュリー・ノーレッジ。ええっと……ただの魔女よ。」

 

「ふーん? 賢者の石を呑み込んだ人間が『ただの』魔女ね。随分と謙虚なヤツみたいじゃないの。」

 

そんなことを言われても、まだ全然実感が湧いてこないのだ。物語に出てくる強大な魔女になったという気分ではないし、何か特別な魔法が使えるようになったわけでもない。

 

どう返したらいいのかと困っていると、苦笑しながらのリーゼが助け舟を出してくれた。

 

「もう少し柔らかく接したまえよ、レミィ。大事な協力者なんだから。」

 

「おっと、そうだったわね。……妹の問題を解決するために協力してくれると聞いてるわ。だったら私も敬意を払いましょう。この館を我が家と思って寛いで頂戴。」

 

うーむ、現金なもんだな。途端にスカーレットさんは穏やかな態度で微笑んでくるが……まあ、長いものには巻かれておくべきだろう。私がぺこりとお辞儀をするとスカーレットさんは満足したようで、真っ赤なソファに座るように手で促してきた。

 

「はい、どうぞー。」

 

「あの、ありがとうございます。」

 

私が座った途端に紅茶を用意してくれた赤髪の妖怪……美鈴さんだったかな? にお礼を言ってから、おずおずと一口飲んでみる。美味しいな。どうやら高価な茶葉を使っているようだ。館の規模を見るに、別に意外でもなんでもないが。

 

温かい紅茶で一息ついたところで、この館に入ってからずっと気になっていた疑問をテーブルに放った。

 

「この館の中、何と言えばいいのか……禍々しい? ような雰囲気が凄いのだけど、吸血鬼の館はみんなそうなのかしら?」

 

感覚的なことなので言語化するのは難しいが、この館に入った瞬間から頭をかき回すような空気……というか、気配? に包まれているような感じがするのだ。首を傾げる私に対して、スカーレットさんがよくぞ聞いてくれたとばかりに返答を寄越してくる。

 

「それこそが我が妹、フランドール・スカーレットの抱えている『問題』なのよ。危険だから連れて行くわけにはいかないけど、この館には地下室があってね。あの子は狂気に囚われているために、そこから出られないような状態になっているの。」

 

「正確には『閉じ込めている』だね。あの子を外に出したが最後、たちまち討伐隊が結成されるだろうさ。いくら我々吸血鬼が強大な種族だとしても、目立ちすぎればいつかは敗れる日が来る。だからさっさと狂気から解放してあげて、フランには吸血鬼としての生き方を教える必要があるんだ。」

 

スカーレットさんに続いてリーゼが補足してくるのに、頭の中で噛み砕きながら頷きを返す。……なるほど、これで私のやるべきことが分かったぞ。討伐隊が組まれるほどの吸血鬼を囚えている、この館中に蔓延するほど強い狂気とやらをどうにかすればいいのだ。同じくらい強力な吸血鬼が二人がかりでどうにも出来なかったらしいが、賢者の石を呑み込んだ私にかかればちょちょいのちょいだろう。

 

……そんなわけないだろうが! 出来もしないことを約束してはいけない。また一つ賢くなれたな。学ぶのが少し遅かったようだが。

 

「まあ……うん、約束したからね。前にリーゼに伝えてある通り、私に出来ることなら協力させてもらうわ。」

 

「素晴らしい返答ね。頼りにさせてもらうわ。……それにまあ、何も今すぐどうこうしろとは言わないわよ。先ずはリーゼの屋敷で色々と勉強しておきなさい。詳しい話はそれからにしましょ。」

 

よかった、猶予はあるらしい。吸血鬼の寿命から考えるに、タイムリミットはかなりの長さだろうし、この四年間の進歩を考えれば不可能ではない……はずだ。今はそう信じておこう。

 

ほっと胸を撫で下ろす私へと、テーブルの中央にあったクッキーをいくつか頬張ったリーゼが声をかけてきた。立ち上がって大きく伸びをしながらだ。

 

「さて、それじゃあ行こうか、パチュリー。」

 

「へ? もう帰るの? ゆっくりしていけばいいじゃない。」

 

「いくら賢者の石を呑んだといっても、この狂気の中じゃまだキツいだろうからね。完璧に耐えられるようになってからまた来ればいいさ。大体、今日は顔合わせだけだって話だったろう?」

 

おっと、どうやら私はのんびり紅茶を飲んでる場合じゃないらしい。自覚症状はないが、そう言われるとなんだか怖くなってきたぞ。早くリーゼの屋敷に行ったほうが良さそうだ。

 

「ま、そうね。それならまた今度にしましょうか。……ゲームの話をしたいから、貴女は近いうちにまた来て頂戴、リーゼ。」

 

「はいはい、了解だ。そうさせてもらうよ。」

 

ゲーム? 何か企んでいるようだが、好奇心は魔女をも殺す。関わらないでおくのが正解だろう。今の私は積み重なる問題で手一杯だ。

 

「貴女も準備が整った頃にまた来てね、ノーレッジ。」

 

「ええ、その……またお邪魔させてもらうわ。狂気のことに関しても調べておくから。」

 

スカーレットさんに別れを告げてから、リーゼと共に何故かエントランスに設置されている暖炉へと向かう。見送りに来てくれた美鈴さんに私がさよならを言ったところで、一緒に暖炉に入ったリーゼが行き先を口にした。

 

「ムーンホールド。」

 

 

 

昔からあまり好きではない煙突飛行を終え、煤を払いながら暖炉から出ると……ここがリーゼの屋敷、『ムーンホールド』か。紅魔館と同じくらい豪華な屋敷だが、より重厚な雰囲気が漂っている。向こうの館から遊びをなくして、威厳を増したような造りだ。落ち着いたホグワーツって感じだな。

 

「先ずはキミの部屋に案内しよう。トランクもそこに置いてあるよ。」

 

トランクは駅で屋敷しもべ妖精に渡したのだが、彼が先に送っておいてくれたらしい。今まで住んでいた家の荷物は、ホグワーツの物と纏めてトランクの中の小部屋に入れておいたのだ。賢者の石の製造から引越し作業まで。つくづく便利なトランクである。

 

先導するリーゼに続いて、辺りをキョロキョロと見回しながら廊下を進む。調度品の一つ一つが高価そうだなと思ってしまうのは庶民的すぎる感想なのだろうか? 紅魔館は絵画の類が多かったが、この屋敷ではあまり飾られていないようだ。

 

しかし、紅魔館の時も思ったが……ここまで広いと『家』という感じがしないな。ホグワーツに居る時のような、ある種の公共施設を歩いている感覚になってきちゃうぞ。

 

キョロキョロと視線を彷徨わせながらも二階に上がり、一つの部屋の前にたどり着く。リーゼがドアを開けると……広い。寮の部屋の三倍はありそうだ。あちらが三人で一部屋だったことを考えれば、生活する上で広すぎることは間違いないだろう。

 

「ここを使ってくれ。家具は一通り揃っているが、足りない物があったらロワーに……うちのしもべ妖精に言ってくれればいい。それから──」

 

説明しつつも部屋の奥へと移動したリーゼは、いくつもあるドアの一つをコツンと叩きながら微笑んできた。ちょっと悪戯げな表情だ。

 

「んふふ、このドアを開けてみたまえ。きっと驚くぞ?」

 

これ以上何に驚けというのか。豪華すぎる部屋に戸惑いながらも、部屋の隅にあるリーゼが示したドアを開けてみれば……これはまた、言葉も出ないな。この屋敷の中でも一番素晴らしい光景が広がっていた。

 

「どうだい? ドアを取り付けて、ここと直通にしてみたんだ。その方が便利だと思ってね。」

 

ドアの先に見えてきたのは、白を基調とした美しい図書館だ。どうやら最上階までの吹き抜けになっているようで、一階部分を見下ろせばズラリと多種多様な形の本棚が並んでいる。鎖で本を吊るしている棚や、木箱にしか見えないような入れ物、金庫みたいな鉄製の箱まで置いてあるぞ。

 

「私の父はかなりの読書家でね。まだ本なんて物が貴重だった時代から集めていたから、少々、あー……乱雑になっているんだよ。」

 

「素晴らしいわ、リーゼ。最高の部屋よ。」

 

言いながら今度は上を見上げてみれば、バルコニー状になっている各階の張り出しに本が堆く積まれているのが目に入ってきた。本棚に仕舞われていない、未分類の本も大量にあるわけか。あれを読んで、分類して、整理することを考えると胸が躍る。楽しい日々になりそうだ。

 

一歩外に出れば本の山。そんな夢みたいな新居に感動している私へと、リーゼが頬を掻きながら肩を竦めてきた。

 

「ただまあ、ちょっと整理が追いついていなくてね。ヤバめな魔導書もあるから、ロワーや使用人たちに触らせるわけにもいかないんだよ。もし雑多なのが気に食わないんだったら、私が適当に片付けを──」

 

「私がやるわ。やらせて頂戴。」

 

「それなら……うん、キミに任せるよ。ただし、修行や狂気の対策なんかも忘れないでくれると助かるかな。」

 

やる気が漲っている私に、ちょっと引いた感じでリーゼが頷く。もちろんそっちもきちんと進めるさ。力の制御に、本の整理、それが終われば狂気の対策。この屋敷での日々はえらく充実したものになりそうだ。

 

胸躍る生活のことを考えながら、パチュリー・ノーレッジは満面の笑みを浮かべるのだった。

 

 

─────

 

 

「いらっしゃい、リーゼお姉様!」

 

紅魔館の地下室の中、隣のレミリアを完全に無視したフランに抱き着かれながら、アンネリーゼ・バートリは持ってきた紙袋をフランに差し出していた。気に入ってくれればいいんだけどな。

 

「やあ、フラン。今日はお土産もあるよ。」

 

「ふわぁ、やったー! スゴいスゴい、美鈴そっくりのお人形さん! お散歩ごっこに使うよ。ありがとう、リーゼお姉様。」

 

「えぇ……妹様にとってはペットみたいな感じなんですか? 私って。」

 

どうやら満足してくれたようだ。フランのはしゃぎっぷりに頷きながら、最後に部屋に入ってきた美鈴が何とも言えない顔をするの横目にしていると、姉バカ吸血鬼が毎度お馴染みの無駄な抵抗をし始める。

 

「ねえ、フラン? 私にはいらっしゃいしてくれないの? 抱き着いてもいいのよ?」

 

「リーゼお姉様、今日は遊びに来てくれたの? そうだなぁ……ナイフで的当てでもしようよ! 美鈴が的ね!」

 

「ちょっ、違いますよね、従姉妹様! 話があって来たんですもんね? ね?」

 

どうも最近のフランは、罵倒するよりも無視したほうがレミリアへのダメージが大きいことに気付いたらしい。情けない表情を浮かべるレミリアを尻目に、苦笑しながら口を開く。この門番が本気で避けようとするのであれば的当ても楽しそうだが、今日はもっと楽しめそうな話があるのだ。

 

「それも面白そうだが、今日は別の用事があるんだよ。……フランは前に話した代理戦争のことを覚えているかい?」

 

「うんっ、もちろんだよ! フラン、そのために色々ベンキョーしてたんだ。なんたってリーゼお姉様のサンボー役だからね。」

 

「おや、それは頼りになりそうだね。……それでだ、ようやく必要な一人の選別が終わったから、フランにゲームで使う駒を選んで欲しいんだよ。」

 

部屋にあるテーブルに着くように促すと、フランは元気いっぱいの様子で椅子に飛び乗った。そんなフランに必死に話しかけているレミリアも座ったのを確認してから、私もゆっくりと席に着く。いつまで姉妹漫才をやってるんだよ。

 

「レミィ、いいから書類を出してくれたまえ。フランも無視はいけないね。ゲームの対戦相手には敬意を払うべきだよ?」

 

「んぅ……わかったよ。ほら、早くショルイを出しな。」

 

「なんか納得いかないわね。……まあいいわ、この二人が今回のキングよ。どっちがいい? フランに先に選ばせてあげる。何故なら私は優しい姉だからね!」

 

レミリアがダンブルドアとグリンデルバルドの履歴書もどきを机に置くと、それを見たフランはうんうん唸りながら比較し始めた。美鈴から紅茶を受け取りつつそれを眺めていると……おっと、どうやら箱入り娘どのは自分の使う駒を決めたようだ。

 

「こっちにする! 名前も、見た目も、こっちの方が強そうだもん!」

 

ふむ、グリンデルバルドか。となれば、先ずは現在の居場所を特定する必要がありそうだ。中々苦労しそうだな。指名手配されてるわけだし、簡単に見つかるような場所には居ないだろう。

 

「ってことは、私と美鈴の駒はダンブルドアね。そうと決まれば……えーっと、どうしようかしら?」

 

「始める前にルールを決めるべきだろうね。例えば、私が直接ダンブルドアを殺しに行けば一瞬でゲームが終わっちゃうだろう? それはさすがに詰まらないよ。」

 

苦笑しながら提案してみれば、スカーレット姉妹は二人揃って悩み出す。顎に手を当ててるところなんかそっくりだぞ。何だかんだいってもやっぱり姉妹だなと感心していると、レミリアがルールの基盤となる条件を提示してきた。

 

「そうね……大前提として、相手のキングに対する直接の妨害は禁止にしましょう。私たちは脚本家であって、演者ではないわ。そこさえ理解しておけば無様な劇にはならないはずよ。」

 

「だったら魅了もキンシね! 全部思い通りなんてつまんないもん!」

 

「つまり、あくまでも駒を誘導するに留めるわけだ。……それにしたって、直接ヒントをくれてやるくらいは許されるだろう? でなきゃ脚本家どころか観客に成り下がっちゃうぞ。」

 

三人で騒がしく話し合いながら、ゲームの詳細を詰めていく。武器や情報の供与は可、ただし強力すぎるものは不可。直接敵勢力を殺害するのは禁止、ただし木っ端だったら何人かオッケー。正直穴だらけのルールなわけだが……まあ、身内で遊ぶだけなら問題あるまい。何か不都合な点が出てきたらその都度調整すればいいだけだ。そんな感じで話を進めていると、やおらフランから根本的な部分に関する疑問が放たれた。

 

「ねーねー、そもそもさ、この二人ってどうやって戦わせるの?」

 

フランの純粋な問いを聞いて、一瞬思考が止まる。思わずレミリアの方を見てみれば、向こうも私を見つめた状態で思考停止しているようだ。うーむ、すっかり忘れていたな。その問題があったか。

 

「あー、そうだな……どうする? レミィ。そこだけ頭を弄ってみようか?」

 

「それは美しくないわ。適当に誘導して接触させたら、いきなり犬猿の仲になったりは……しないわよね、やっぱり。」

 

まあうん、その可能性はかなり低いだろう。……これは悩ましいな。適当に憎しみを植え付けるのだって勿論可能だが、頭がパーになってしまう可能性もあるし、レミリアが言ったように美しくない。どうせ戦わせるならもっとドラマチックな理由を切っ掛けにすべきだ。

 

「むうぅ……オマエはなんか思いつかないの? 美鈴。」

 

「私ですか? そんないきなり言われても……じゃあじゃあ、家族を殺させるってのはどうでしょう? ありきたりですけど、古来からの伝統ですよ?」

 

フランからの無茶振りを受けた美鈴の答えを聞いて、腕を組んで思考を回す。ふむ、『家族を殺させる』か。……仮にやるとすれば、ダンブルドアの家族になるな。グリンデルバルドの方はもう遠い親戚しかいないようだし、顔も知らんような親戚を殺されたところで仇を討とうとするタイプじゃないだろう。対するダンブルドアは母、弟、妹が存命のはずだ。

 

レミリアもそこまで思い至ったようで、一つ頷いてから提案を寄越してくる。

 

「悪くないわね。妹は可哀想だから、グリンデルバルドにダンブルドアの弟か母親を殺させましょう。ヤツが卒業旅行とやらに行ってる間にやればいいわ。」

 

そうなると、ダンブルドアの家がある……ゴドリックの谷だったか? そこまでグリンデルバルドを誘導する必要があるな。

 

「だが、グリンデルバルドはどうやって誘導する? ダームストラングでの態度を見るに、探し当ててゴドリックの谷に行けと言ったところで素直に聞きはしないと思うよ。」

 

「だったらあれはどうですか? 前にほら、グリンデルバルドに会った時になんか……杖? の在り処を知っているのかとか聞かれたじゃないですか。」

 

ああ、ニワトコの杖か。あの後軽く調べたところによれば、死の秘宝とやらの一つで『最強の杖』と呼ばれている代物らしい。魔法界のおとぎ話に登場する杖みたいだが、パチュリーは本物が何処かにあると睨んでいるようだった。グリンデルバルドもそのクチなのだろう。

 

「なるほど、それでいこうか。ゴドリックの谷にニワトコの杖があると言えばいい。パチュリーによればあの谷には色んな逸話が残っているらしいから、説得力は一応あるだろうしね。」

 

「決まりね。それじゃ、ゲームを始める前に二人を因縁付けちゃいましょう。私はダンブルドアの家族のことを探るとして、リーゼと美鈴はグリンデルバルドを探し出して頂戴。フランは……どうやってグリンデルバルドに殺させるかを考えておいてくれる?」

 

「ん、わかった。」

 

レミリアがそれぞれの動きを指示するのに、フランがぶっきらぼうに答える。レミリアの言う通りにするのは癪だが、役割を貰えるのは嬉しいらしい。ちょっと可愛い反応だな。

 

しかし……うーん、今度は人探しか。ダームストラングを探した時ほど面倒なことにならなきゃいいんだが。チラリと美鈴の方を見てみれば、彼女もうんざりした表情を浮かべている。探しに行く道中で美味いものでも奢ってやるとするか。

 

再び始まった面倒な『捜索作業』のことを思って、アンネリーゼ・バートリは疲れたような気分でぬるくなった紅茶に口を付けるのだった。

 



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ゴドリックの谷へ

 

 

「久し振りだね、グリンデルバルド。元気にしてたかい?」

 

デンマークの山奥にある小さな村。ようやく見つけ出したグリンデルバルドの背中に声をかけながら、アンネリーゼ・バートリはうんざりした気分で翼を震わせていた。周囲を見渡せば山、雪、そして申し訳程度の針葉樹。地獄の方が百倍マシみたいな場所じゃないか。探し当てるのには骨が折れたぞ。

 

「っ! ……お前か、吸血鬼。」

 

「如何にも、吸血鬼さ。逃亡生活を楽しんでいるようでなによりだよ、犯罪者さん。」

 

杖を構えながら素早く振り向いてきたグリンデルバルドだったが、どうやら今回は呪文を放つ気はないようだ。無駄な抵抗をしない程度の脳みそはあるらしい。

 

「犯罪者になったのはお前のせいでもあるんだがな。」

 

「おいおい、私は将来有望な青年に『軽い読書』のための本を渡しただけだぞ? 大体、よく言うだろう? 見つかる方が悪いのさ。次からは見つからないようにやりたまえ。……それで、どうだった? あの本は気に入ってくれたかい? ゲラート。」

 

「名前で呼ばないでもらおうか。お前と友人になった覚えはない。……あの本は確かに興味深かった。自分で試す気にはならなかったがな。」

 

うーむ、残念。まだ友人にはなれないらしい。シャイなヤツだな。含み笑いをしながらも、さっさと本題に移るために話を進める。ここは寒すぎて長居したくないのだ。

 

「何はともあれ、キミはあの本を使い熟せたわけだ。だったら対価を渡そうじゃないか。私は約束を守る吸血鬼だからね。」

 

私がそう言うと、グリンデルバルドは構えを解いて興味を露わにしてきた。死の秘宝への関心は未だに薄れていないようだ。

 

「……ニワトコの杖のことか?」

 

「その通りさ。まだそこにあるかは分からないが、少なくともヒントは残っているはずだ。キミもよく知ってる場所にね。……心当たりはあるかい?」

 

適当なことを言いながら焦らしてやると、グリンデルバルドは苛々した様子で先を促してくる。なんか、こいつには出任せばっかり言ってる気がするな。そりゃあ友人になれないわけだ。

 

「勿体ぶらずにさっさと言ったらどうなんだ、吸血鬼。」

 

「んふふ、そう焦らないでくれたまえ。……『ゴドリックの谷』さ。かの透明マントの所有者だったとされる、イグノタス・ぺべレルが眠る地。どうだい? それらしい場所だとは思わないか?」

 

「……そこには前から目星を付けていた。目新しい情報じゃないな。」

 

おっと、既に知ってたか。まあいい、話が早くなるだけだ。それなら場所の説明はしなくて済むな。

 

「だったら、私の助言をいい切っ掛けとして受け取っておきたまえよ。ゴドリックの谷にはキミの大おばが住んでいるんだろう? そこを頼ったらどうだい?」

 

「どうやら、俺のことを随分と調べたようだな。……前にも聞いたが、何が目的なんだ?」

 

「んふふ、残念ながらそれはまだ秘密なんだ。然るべき時が来たら話してあげるから、それまでは我慢しておいてくれたまえ。……キミには期待してるからね? ゲラート・グリンデルバルド。精々私を愉しませてくれ。」

 

カッコよく台詞を決めた後、能力を使って姿を消すが……いや待て、ヤバいぞ。雪に足跡が付くから歩いて離れられないじゃないか。カッコつけて消えたのに、去って行く足跡が残っちゃうのは恥ずかしすぎる。

 

透明な状態でずっと背後に潜んでいた美鈴に目線で指示を送り、彼女が掴まった後で雪が動かないようにそっと飛び上がった。……危ないところだったな。そんな生暖かい目で見るなよ、美鈴。奢ってやらないぞ。

 

そのまま残されたグリンデルバルドを空中から眺めていると、彼は少しの間だけ辺りを警戒していたかと思えば、杖を振って姿くらましで消えていく。

 

「これで素直にゴドリックの谷に向かってくれると助かるんだけどね。……ちょっと怪しすぎたかな?」

 

「んー、そりゃあ怪しいでしょうけど、悪魔なんてそんなもんですよ。大丈夫じゃないですかね。」

 

「まあ、ダメならダメで別の方法を使うさ。……それじゃ、早く帰ろう。暖かい場所に戻ってブラッドワインで一杯やりたいよ。キミもどうだい? 美鈴。」

 

「いいですねぇ、ご馳走になります。こんなに面倒くさかったんだから、ご褒美くらいあって然るべきですよ。」

 

全くだな。ワインはレミリアの秘蔵のものを拝借しよう。あいつも少しは苦労すべきなのだ。後で美鈴から隠し場所を聞こうと決意しつつ、アンネリーゼ・バートリは姿あらわしのために杖を取り出すのだった。

 

 

─────

 

 

「んん? つまり、ダンブルドアは卒業旅行には行ってないの?」

 

エントランスに運び込んだ椅子に腰掛けながら、レミリア・スカーレットは暖炉に浮かぶ顔に向かって話しかけていた。暖炉に首を突っ込んで、煙突飛行で顔だけを『送身』しているらしい。あまりにも度し難い使い方だが、魔法使いどもにとってはこれが電話の代わりになっているようだ。

 

内心で呆れている私の問いかけを受けて、暖炉に浮かんでいる金で雇った魔法省のネズミは額に汗をかきながら口早に説明してくる。

 

「ええ、その……母親が事故で死んだとのことでして。弟のほうがホグワーツに戻ってしまうと、病気の妹の世話をする人間が居なくなってしまうので、ゴドリックの谷にある家に残っているようなのです。妹の病気は精神的なものらしく、母親の死もそれが間接的な原因になっているとか。」

 

ふむ、おかしくなった妹のために家を離れることが出来なくなったというわけだ。どこかで聞いたような話じゃないか。妹想いなのは評価できるが、卒業旅行が取り止めになった以上、計画に多少手を加える必要が出てきてしまったな。

 

「大まかな事情は理解したわ。本人の様子はどうなの?」

 

「はい、母親の件で調査に出ました魔法事故調査部の友人によりますと、随分と気落ちしていたようです。どうも、何と言うか……母親の死がショックなのに加えて、将来を悲観していたようでして。」

 

「なるほどね、ご苦労様。いつも通り報酬はマグルの株券で渡すわ。」

 

「はい、はい! ありがとうございます。では、これで失礼させていただきます。」

 

ペコペコと首だけでお辞儀をしながら消えていくネズミを、アホらしい気分で見送ってから席を立つ。……しかし、ダンブルドアがゴドリックの谷に残ったままってのは厄介だな。

 

病気の妹を殺すのは論外として、これで残る標的は弟のみ。その弟にしたって次の長期休暇まではホグワーツの中だ。まさかホグワーツでグリンデルバルドに殺しをさせるのは不可能だろうし、そうなると休暇で弟が帰ってきている短い期間中にどうにかして殺させる必要がある。難しいぞ、これは。

 

考えながらも一階の廊下を進み、リビングルームのドアを開けてみれば……ソファに座ってワインを飲んでいるリーゼと美鈴の姿が見えてきた。いつの間にやらグリンデルバルド探しの旅から帰って来たらしい。

 

「やあ、レミィ。お邪魔してるよ。」

 

「いらっしゃい、リーゼ。どうやらグリンデルバルドは見つかったようね。こっちにも進展が……ねえ、ちょっと? それってもしかして、私が大事に取っておいたワイン? そうよね? そうじゃないの! どういうことよ!」

 

もう殆ど製造されていないブラッドワインの、しかも当たり年のやつ。ちゃんとリーゼに見つからないように、ワインセラーの隠し棚の中に仕舞っておいたはずなのに。

 

私の怒声に対して、リーゼは余裕綽々の態度で笑っているが……おまえか、美鈴! 門番妖怪は焦った表情を顔に浮かべながら、取り上げられる前にと言わんばかりにゴクゴク一気飲みし始めた。おのれ裏切り者! 一度ならず二度までも!

 

「こら、あんたね……ええい、飲むのをやめなさいよ! 私のワイン! あんたが隠し場所を教えたんでしょ、美鈴!」

 

「んぐっ、毒を食らわば皿までです。どうせ怒られるなら、全部飲んでから怒られます!」

 

なんてヤツなんだ。居直りおったぞ、こいつ! リーゼがグラスに入っていたワインを優雅に飲み干すのを横目に、ようやく美鈴から瓶を取り返すと……もう五分の一ほどしか残っていないじゃないか! ぐぬぬ、盗人どもめ。どうしてくれようか。

 

「まあまあ、そう怒らないでくれよ、レミィ。後で代わりに何か買ってくるから。それより、進展ってのは? ダンブルドアに動きでもあったのかい?」

 

……生半可なものじゃ許すつもりはないからな。そのことを態度で示しながら、さっき得た情報をリーゼに伝えるために口を開く。美鈴には後で禁酒令を出しておこう。酒好きのこいつにとってはさぞ堪えるはずだ。

 

「母親が死んだ所為で卒業旅行が中止になって、妹の世話のために今もゴドリックの谷に残ってるらしいのよ。標的の選択肢が弟だけになっちゃったってわけ。」

 

「ふむ、面倒な事態だね。グリンデルバルドにはゴドリックの谷のことを伝えてあるわけだが……なんか勝手に出会っちゃいそうじゃないか? これ。あの町はそんなに広くないだろう?」

 

「まあ、別にそれでもいいんだけどね。事前に関係を持ったんだったら、それを捻じ曲げちゃえばいいのよ。」

 

「とにかく、弟を殺させるんであればクリスマス休暇か夏休みを待つ必要がありそうだね。……どっちにしろ微々たる時間だよ。その程度ならフランも待てるだろうさ。その間に殺させる方法を考えようじゃないか。」

 

そうする他ないだろうな。ちょびっとだけ待つことにはなったが、大元の計画では来年開始する予定だったわけだし、そんなに大した問題ではないのかもしれない。……フランをあやす必要はありそうだが。

 

「うーん、開始前からこんがらがっちゃったわね。分かってはいたけど、中々計画通りには進んでくれないみたいじゃない。」

 

「んふふ、それが楽しいのさ。駒が生きてるからこそのトラブルだよ。ゲームってのはこうでなくっちゃね。」

 

まあ、その通りだ。思い通りにいかないからこそ、今回のゲームはやり甲斐があるものになるだろう。頭の中で計画を組み直しながら、レミリア・スカーレットは静かに微笑むのだった。

 

 

─────

 

 

「何と言うか……まさに悪魔の計画ね。」

 

ムーンホールドでも徐々に夏の匂いがしてきたある日、パチュリー・ノーレッジは図書館の本を整理しながらリーゼの話に相槌を打っていた。代理戦争か。とんでもないレベルで悪趣味な『ゲーム』じゃないか。

 

「そりゃあ私たちは悪魔だからね。……止めなくていいのかい? グリンデルバルドはともかくとして、ダンブルドアはキミにとっても顔見知りだろう?」

 

新しく設置した閲覧机の上に腰掛けるリーゼに対して、分類作業の手は止めずに答えを返す。この本は……何語だ? これ。見たことない文字だぞ。象形文字ってことが分かるくらいだ。

 

「同情はするし、私が言ってやめるんだったらそうするけどね。言ってもやめないでしょう? 貴女たちは。」

 

「んふふ、もちろんやめないとも。むしろやる気が出てくるね。」

 

「だったら諦めて本の整理に集中するわよ。今の私には貴女たちを説得してるような時間は無いしね。」

 

この屋敷での生活には非常に、非常に満足している。夕方起きて本を読み、夜食を食べた後に本を整理して、朝食を取ったら研究に時間を割き、そして眠くなってきたら寝るわけだ。まさに夢のような生活じゃないか。

 

未分類の本の山と、見たこともない言語の翻訳作業、それに加えて手に入れた力の研究。そんな忙しい日々を送っている私には、ダンブルドアだのグリンデル何某だのに構っている余裕などない。精々ホグワーツ同期の好でダンブルドアの勝利を祈っておくくらいだ。

 

私の素っ気ない返答を受けて、リーゼはカサカサと逃げ出そうとする本を捕まえながら話を続けてきた。あの本は『拘束棚』行きだな。

 

「まあ、そんなわけで二人はゴドリックの谷で出会いを果たしたわけだが……どうもダンブルドアとグリンデルバルドは仲良しこよしになっちゃったみたいでね。やれ魔法界を変えるだの、マグルを支配するだのって二人で意気投合しているわけさ。困ったもんだよ。」

 

「そんなこと言われてもね。……本屋の時みたいに魅了を使えばいいじゃないの。あの時の私だったら、貴女に命じられれば親でも殺すわよ。」

 

「んー、出来ればそれは避けたいんだ。最終手段としては有り得るかもだけどね。そういえば、ダンブルドアの弟はどんなヤツなんだい?」

 

「アバーフォース・ダンブルドアだったかしら? 残念ながら、私はよく知らないわ。三学年も下だし、寮も違ったしね。……ただ、兄弟仲はあまり良くないみたいよ? 大広間ではいつも離れて座ってたから。ダンブルドアと共同研究をしてた時も全然話に出てこなかったの。」

 

兄弟で同じ寮だったのにも関わらず、あの二人をセットで見かけた覚えは殆どない。かといって喧嘩をしている場面も見たことがないのだ。兄弟がいない私にはよく分からない関係性だな。

 

「ふぅん? ……ま、どうにかしてみるさ。ちょっとした計画も進めてるしね。キミの力の制御の方はどうなんだい?」

 

「そっちは順調よ。苦手だった杖なし魔法も簡単に使えるようになったわ。『見えるなら、操れる』。貴女の言った通りだったわね。」

 

ホグワーツでは詳しく習わなかった技術だが、杖なし魔法というのはかなり便利だ。手は塞がらないし、大仰な動作も必要ない。もちろん杖を使った魔法にもそれなりの利点はあるのだが、リーゼが棒きれだのと馬鹿にしていた理由がようやく理解できたぞ。

 

「それと、触媒に使うための賢者の石をいくつか作っているところよ。こっちに関しては……うん、単純に人手不足ね。図書館の本の整理を怠るわけにはいかないし、ロワーさんやエマさんには屋敷の仕事があるわけだから、延々手伝ってもらうわけにもいかないわ。」

 

今は私が呑み込んだ石とは少し違う、それぞれの別の属性を強く持っている賢者の石を作っているのだ。ベースとなる製法が確立しているからまだマシだが、それでも大変な作業であることには変わりない。

 

「人手? ……それなら適当に使い魔でも召喚すればいいじゃないか。木っ端悪魔だったら今のキミでも簡単に支配できると思うよ? やり方が書いてある本はここの図書館に山ほどあるだろう?」

 

「それも考えたんだけどね。『体験談』を読む限りでは、悪魔を使役した人間はロクな死に方をしてないらしいじゃないの。さすがの私も地獄で永遠に苦しむようなことになるのは御免よ。」

 

「そりゃあ、並の人間ならそうだろうがね。キミはもう『並』とは言えないだろう? 今度試してみようじゃないか。……なぁに、ヤバそうなヤツが出て来たら私が何とかしてあげるよ。」

 

リーゼが乗り気になっちゃってるし、とうとう私は悪魔召喚にまで手を染めることになりそうだ。これはもう地獄行き決定かもしれない。吸血鬼と契約したあたりで既にアウトだったのかもしれないが。

 

「まあ……そうね、その時はよろしく頼むわ。」

 

「ああ、任せてくれたまえ。……さてと、それじゃあ今日も紅魔館に行ってくるよ。ダンブルドア・グリンデルバルド革命同盟の対処を進めるべきだろうしね。」

 

言うと、リーゼは閲覧机から飛び降りて歩き始めた。うーむ、今や私は『吸血鬼側』の立ち位置に居るわけか。なんとも言えない気分だな。……ただまあ、ゲームの駒になるよりかは幾分マシな状況だろう。ダンブルドアはご苦労なことだ。

 

思考もそこそこに、本の分類作業に戻る。残念ながら、新米魔女たる私の腕は彼らを助けられるほどには長くない。現状ではこの場所で自分の幸せを掴み取るので精一杯だ。ダンブルドアたちには自力で頑張ってもらうとしよう。

 

心の中で鳶色の髪の青年にちょびっとだけエールを送りながら、パチュリー・ノーレッジは次なる本へと手を伸ばすのだった。

 



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三つ巴の決闘

 

 

「さて、ようやくこの日が訪れたわけだけど……まさかもう不測の事態は起こらないでしょうね?」

 

紅魔館のテラスから忌々しい日光に照らされる庭を眺めながら、レミリア・スカーレットは隣に座るリーゼへと問いかけていた。美鈴のヤツ、また無駄なスキルを習得したみたいだな。現在進行形で庭に見事なフラワーアートが出来つつあるぞ。

 

「いやぁ、それはさすがに勘弁してほしいところだね。準備もきちんとしてあるわけだし、大丈夫だと信じようじゃないか。」

 

「そうね。……それにしても、フランも良い方法を考えついたものだわ。」

 

ゴドリックの谷で運命の出会いを果たしたダンブルドアとグリンデルバルドは、どうやらその若き情熱を魔法界の改革に捧げることに決めたらしい。日がな一日『革命』についてを語り合い、今や断金の間柄といったところだが……残念なことに、彼らにとってゴドリックの谷は狭すぎたわけだ。

 

妹を重荷に感じながらも見捨てることの出来ないダンブルドアと、それを歯痒い思いで見ているグリンデルバルド。そんなギリギリのバランスを保っている二人の下に、夏休みに入ったダンブルドアの弟……アバーフォースが帰ってくるのである。そして三人が一堂に会した瞬間、ダンブルドアの家と紅魔館の地下室を『繋げる』というのが今回の計画のあらましだ。

 

もちろん物理的に繋げるわけにはいかないが、フランの狂気を漏れ出させる程度ならどうにかなるだろう。そのための仕掛けは三ヶ月も掛けて慎重に構築したし、綿密なシミュレーションだって何度も行った。

 

ダンブルドアからの手紙である程度の状況を把握しているアバーフォースは、兄を妙な道に誘うグリンデルバルドのことを疎ましく思っているらしい。ダンブルドアとしてはそんな弟の誤解を解きたがっているようだし、グリンデルバルドは親友の『重荷』を邪魔くさく感じているようだ。その辺は私たちが介入したわけではないが、勝手にいい感じに仕上がってくれている。

 

だから後は私の能力で三人が揃う日を調べるだけでよかった。やけに複雑に絡み合っていた所為で読むのは非常に難しかったが、三人が顔を合わせるのは今日この日……つまり、アバーフォースがホグワーツから戻ってくる正にその日であることを特定してある。

 

しかしまあ、自分の狂気を計画に組み込むとは……うむうむ、素晴らしいぞ。フランは可愛い上に賢く育っているらしい。これは姉の教育の賜物に違いないな。

 

トラブルに備えてリーゼがしもべ妖精を連れて現地に向かうことになっているし、狂気の調整のために私と美鈴は地下室に詰めておく予定だ。私が脳内で計画のおさらいをしていると、隣のウッドチェアに座っていたリーゼが立ち上がって話しかけてきた。

 

「さて、そろそろ行こうかな。もうちょっとでレミィが読んだ時刻になるしね。」

 

「タイミングの調整は任せたからね。それじゃ、私も地下室に向かうわ。……美鈴! めーりーん! 行くわよ!」

 

リーゼが杖魔法で姿を消すのを見送ってから、フラワーアートを完成させた美鈴と共に地下室へと移動する。フランも早くゲームを始めたがっているのだ。成功してくれなきゃ困るぞ。

 

計画が無事に進むことを祈りつつ、レミリア・スカーレットは紅魔館の廊下をひた歩くのだった。

 

 

─────

 

 

「いやはや、相変わらずのど田舎だね。」

 

夏の緑色に染まったゴドリックの谷を見渡しながら、アンネリーゼ・バートリはポツリと呟いていた。隣に立っているロワーの返事は聞かなくても分かるぞ。『そうでございますね、お嬢様』に違いない。

 

「そうでございますね、お嬢様。」

 

そら見たことか。優秀なのは頼もしいが、もう少し遊びがあっても良いんじゃないだろうか。……いやまあ、何も美鈴ほどとは言わないが。

 

いつも通りの反応に苦笑しながらも、姿を消した状態でダンブルドアの家を目指して歩き出す。私がここに居た痕跡を残すわけにはいかないのだ。レミリアが読んだ時間まではあと二十分ほど。のんびり歩いても問題ないだろう。

 

 

 

そしてダンブルドアの家の前に到着すると、早速とばかりに中から言い争う声が聞こえてきた。そっと裏手に回って窓からリビングを覗き込んでみれば……おやまあ、兄弟喧嘩の真っ最中らしい。

 

「何を訳の分からないことを言ってるんだよ、兄さん! アリアナのことはどうするつもりなんだ? 血を分けた妹よりも、その親友とやらの方が大切だって言うのかい?」

 

「そうじゃない。そうじゃないんだ、アバーフォース。これはアリアナのためでもあるんだよ。……お前はアリアナを一生家の中に閉じ込めておくつもりなのか? アリアナのような魔法使いを救うためにも、僕たちはより大きな善のために──」

 

「またそれか! 『より大きな善のために』。まるで新手の宗教じゃないか! ……僕は兄さんが何を目指そうが構わないさ。兄さんが僕なんかよりも遥かに優秀で、僕やアリアナのことをお荷物にしか思ってないってことは分かってるからね。でも、そのためにアリアナを蔑ろにするのは認められない! 兄さんがアリアナの面倒を見れないって言うなら、僕はもうホグワーツには戻れないよ!」

 

声を荒ぶらせるアバーフォースに対して、ダンブルドアは静かな声で説得を続ける。どうやらグリンデルバルドと計画している『革命』のことを話しているようだ。

 

「違うんだ、アバーフォース。僕はお前たちをお荷物だなんて思ってないし、アリアナを蔑ろにするつもりもない。アリアナの世話はもちろん続けるさ。ただ、ほんの僅かな時間……三日に一度くらい、たった数時間家を空けるようになるかもしれないってだけなんだよ。」

 

「その『たった数時間』が問題なんじゃないか。……兄さんはアリアナが去年の夏にやったことをもう忘れちゃったのかい? 今はアリアナを一人にすべきじゃないんだよ。ご大層な革命とやらをしている間に、アリアナに何かあったらどうするつもりなのさ!」

 

うーむ、二人の議論は平行線を辿っているらしい。病気の妹を優先すべきだと言う家に居ない弟と、実際に世話をしている自由な時間が欲しい兄。部外者の立場からしても難しい話し合いじゃないか。そうこうしているうちに、通りの向こうからグリンデルバルドが歩いて来るのが見えてきた。よしよし、これで役者は揃ったわけだ。

 

グリンデルバルドが玄関に近付くのを確認しながら、隣に立つロワーに確認の目線を送ってみると、我が家の優秀なしもべ妖精は間髪を容れずにそっと頷いてくる。私の指示で彼が開始の合図をレミリアに送る手筈になっているのだ。

 

そんな私たちのやり取りなど当然知る由もなく、グリンデルバルドの何度目かのノックで喧嘩に夢中だった二人が来客に気付く。

 

「お前が思っている以上にこの問題は大きなものなんだ。僕たちはアリアナのような、マグルの無理解に晒された魔法使いたちの未来のために……ああ、ゲラートが来たみたいだ。僕は二人が、あー、友達になれるんじゃないかと思って呼んだんだが……そうだな、今日のところは帰ってもらうよ。もうそんな空気じゃなくなっちゃったしね。」

 

「構わないさ、入ってもらいなよ。僕もその人には聞きたいことがあるんだ。」

 

「それは……分かった、この際誰かに間に入ってもらった方がいいかもな。」

 

個人的には絶対に悪手だと思うが、ダンブルドアは本気でそう思っているようだ。家のドアを開けてグリンデルバルドと小声で話すと、そのままアバーフォースが居るリビングまで案内してきた。

 

そして彼ら全員が部屋に入った瞬間、私の指示を受けたロワーがパチリと指を鳴らす。途端に漏れ出る微かな狂気の気配を感じながらも、気を引き締めてすぐに介入できるように身構えた。今日死んでいいのはアバーフォースただ一人だ。ゲームの駒たる二人を死なせるわけにはいかない。

 

窓の外で緊張する私を他所に、グリンデルバルドとアバーフォースはぎこちない雰囲気で挨拶を交わしていたが……徐々に強くなってきた狂気に当てられたのだろう。次第にやり取りが物騒なものになり始める。いいぞ、その調子だ。

 

「──なのは余計なお世話なんだよ、『より大きな善のために』教の大司教様。僕たち家族のことは放っておいてくれないか? 頼むから兄さんを変な道に引き込まないでくれ。迷惑だ。」

 

「嘆かわしい。お前は何も分かっていないようだな。俺たちが成そうとしていることがどれだけ偉大なことなのかを。……この期に及んで自分が兄の足枷になっていることに気付けないのか? 優秀な兄ではなく、無能な弟が妹の世話をすればそれで解決のはずだ。俺たちにはお前のような凡人に構っている暇は無いんだよ。」

 

「よせ、二人とも。落ち着いてくれ。……頼む、落ち着け!」

 

ダンブルドアが止めようとしているが、二人の言い争いはどんどん熱を帯びていく。そして……おっと、グリンデルバルドがとうとう杖に手を伸ばしたぞ。抜きざまの無言呪文を受けて、アバーフォースが吹き飛ばされてしまった。

 

「アバーフォース! やめろ、ゲラート!」

 

堪らず杖を抜いたダンブルドアがグリンデルバルドに赤い閃光を撃ち出すが、グリンデルバルドは素早い杖捌きでそれを防いだ。ダンブルドアが選んだのは武装解除術か? 少なくとも兄の方はまだ僅かな冷静さを残しているらしい。

 

「このっ、ステューピファイ(麻痺せよ)!」

 

だが、すぐさま立ち上がった弟が失神呪文をグリンデルバルドに放ったのを皮切りに、事態はもはや止めようもないほどに悪化していく。アバーフォースに応戦するグリンデルバルドと、二人を止めようとするダンブルドア。三つ巴の決闘の始まりだ。

 

そしてここでいくつか、私にとっても予想外の出来事が起こった。

 

一つ目の予想外は、ダンブルドアとグリンデルバルドの戦闘が想像していたものよりも数段激しいことだ。二人の流れるような杖捌きに従って、呪文の閃光が凄まじい勢いで行き交っている。思い返してみれば、魔法使い同士の本気の闘いを見るのは初めてかもしれない。ここまでのものとは思ってなかったぞ。

 

二つ目は、アバーフォースがなんとかそれに食らいついていることだ。一瞬でやられるかと思ったら、この歳下の弟もダンブルドアに負けず劣らずの才能を持っていたらしい。適当にグリンデルバルドの魔法で失神したところを殺してやれば、ヤツの所為だということになるかと思っていたが……中々どうして耐えるじゃないか。

 

二つの予想外に顔を引きつらせながらも、ダンブルドアとグリンデルバルドに直撃しそうな呪文だけを妖力の結界を使ってひたすら逸らす。二人の実力なら放っておいても問題なさそうではあるが、ここまで閃光の量が多いと正直判断が難しい。疑わしきは逸らせ、だ。

 

しかし……ふむ? ここから観察していると分かるが、どうもダンブルドアがアバーフォースを庇っているみたいだな。庇っている本人からも攻撃されているというのに、なんとも健気なことではないか。

 

そして闘いが白熱してきたところで、三つ目の予想外が起きた。私にとっても、闘いを繰り広げる三人にとっても予想外の出来事が。……ダンブルドア家の末妹、アリアナ・ダンブルドアがリビングに乱入してきたのだ。

 

「やめて!」

 

アリアナが叫びながら魔力を暴走させた瞬間、部屋中の物が吹き飛ぶと同時に飛び回っていた閃光の軌道がズレる。ええい、厄介なことをしてくれるじゃないか。舌打ちをしつつも何とかダンブルドアとグリンデルバルドに当たりそうだった閃光を逸らしてやれば……おいおい、どうなったんだ? 杖を下ろして呆然と立ち尽くす三人と、倒れて動かなくなっているアリアナ・ダンブルドアの姿が目に入ってきた。

 

私が慌ててロワーに狂気を止めさせている間にも、いち早く立ち直ったダンブルドアが杖を放り投げて横たわる妹へと駆け寄っていく。

 

「ア、アリアナ? ……アリアナ!」

 

一拍置いてからアバーフォースも近付いて、必死の表情で治癒呪文を唱え始めるが……ピクリとも動かないぞ。まさか、死んだのか? またしても予想外だな。

 

「俺は……違う。違うんだ、アルバス。俺は、お前の家族を説得しようと思って。それで──」

 

グリンデルバルドが真っ青な顔で何かを呟いているが、二人にその言葉が届いているとは思えない。彼はしばらく立ち尽くした後、何かに気付いたような表情になったかと思えば慌てて家を出て行った。自分が指名手配されていることを思い出したらしい。この後起きる面倒のことを考えれば、自分はここに居るべきではないと考えたようだ。ジェスチャーでロワーに指示を出してその後を追わせておく。

 

そんなグリンデルバルドの動きを無視して、アバーフォースは倒れ伏す妹に必死で呪文を唱えていたが……暫くした後、憔悴しきった様子のダンブルドアにそれを止められた。

 

「もういい、アバーフォース。もう無駄なんだ。アリアナは……アリアナは逝ってしまったんだよ。」

 

「違う、そんなわけない! ……そうだ、早く聖マンゴに連れていかないと。癒者たちなら何とかしてくれるはずだ!」

 

「もう遅いんだ。アリアナは……彼女は、死んでしまったんだよ。」

 

青い瞳から一筋の涙を流しながら、アリアナの目を閉じようとするダンブルドアのことを……アバーフォースが不意に突き飛ばす。どうやら彼の悲しみは怒りに変わったらしい。

 

「ふざけるなよ、アルバス! お前が……お前の所為だ! 何が革命だ! 何がアリアナのような魔法使いを救うだ! どうして、どうしてこんな……もうお前を兄とは思わない。離れてくれ。離れてくれよ! アリアナから離れろ!」

 

「すまない、アバーフォース。本当にすまない。僕はただ、お前に分かってほしかったんだ。僕の夢を理解してほしかったんだよ。それだけだったんだ……。」

 

ああくそ、嫌な形でケリが付いてしまったな。勿論ながら私としては妹が死んだことなどどうでもいい。精々入れ込んでいたレミリアが悲しむくらいだろう。……問題なのは、ダンブルドアには自責の念だけが残り、グリンデルバルドは後ろめたさを抱えてしまったという点だ。

 

まあ、起こってしまったことはどうしようもない。『復讐』という感じではなくなってしまったが、何にせよ因縁付けることは叶ったのだ。今後も仲良しこよしってのはさすがに有り得ないだろう。考えながらも窓から離れて、ロワーの気配を探してみれば……居た。町の外れまで移動しているらしい。

 

姿を消したままで空に浮かび上がり、気配を感じた方向へと移動する。レミリアには悪いが、ゲームはもう始まった。だったら先ずは傷心のグリンデルバルドを焚き付けに行くとしよう。

 

 

 

そのまま町はずれの森に到着すると、倒れた木に座り込んでいるグリンデルバルドの姿が見えてきた。どうやら落ち込んでいるらしい。こいつにもそんな感情があったんだなと感心しつつ、近くに下り立って口を開く。この男にとってもダンブルドアの存在は特別だったわけか。

 

「やあ、ゲラート。随分と落ち込んでるみたいじゃないか。どうしたんだい?」

 

毎度のように背後から声をかけた私に対して、グリンデルバルドはいつもの俊敏さを見せずにノロノロとした動きで振り返ってきた。うーむ、これは重症だな。

 

「……お前か、吸血鬼。悪いが今はお前に構っている気分じゃない。それに、名前で呼ぶな。」

 

「おいおい、まさかお友達の妹を殺したぐらいでご傷心なのか? ダームストラングが誇る悪の魔法使いが? なんとまあ、お笑い種だね。」

 

「お前……お前が何かしたのか?」

 

一転してこちらを睨みつけながら立ち上がったグリンデルバルドに、肩を竦めて話を続ける。元気が出てきたようじゃないか。

 

「おっと、人の所為にするのは良くないぞ、ゲラート。私は見ていただけで何もしてないさ。……んふふ、中々に楽しめたよ。魔法使いの決闘を見るのは初めてだったしね。」

 

「黙れ。黙って、さっさと消えてしまえ。お前に名前を呼ばれる度に虫唾が走る。俺の目の前から消え失せろ、吸血鬼!」

 

「別にそれは構わんがね、本当にそれで良いのかい? このままだとキミが残す悪名は母校で気持ちの悪い実験をやったってのと、病気の少女を殺したことだけになってしまうよ?」

 

ふむ、よく考えたらどっちも私の所為じゃないか。こいつの怒りにも多少の正当性がありそうだな。ゆっくりとグリンデルバルドの周囲を回りながら語る私に、『皇帝』どのは怒り心頭の顔で杖を抜き放った。

 

「黙れと言った! その悪名とやらに忌々しい吸血鬼を殺したことを加えてやってもいいんだぞ!」

 

「んー、出来もしないことは言わない方がいいと思うよ。そもそも吸血鬼を殺すってのは世に誇れる善行なわけだしね。……なあ、ゲラート。正直なところ、キミの目的なんてのはどうでもいいんだ。『より大きな善のために』? 大いに結構。キミは以前私の目的を聞いてきたね? その問いに今答えるとしよう。……私の望みは変革だよ。大いなる変化と、それに付随する血みどろの戦い。キミにはそれを引き起こすための駒になって欲しいのさ。」

 

グリンデルバルドの瞳を覗き込みながら訥々と話す。もちろん魅了は使っていない。ルールで決めたことだし、私としてもその方が面白いからだ。そんな私の言葉を聞いて、グリンデルバルドの瞳からは怒りの色が薄れ、代わりに疑いが顔を覗かせ始めた。

 

「それを信じたとして……駒になる? 冗談じゃない。誰が好き好んで吸血鬼の駒とやらになることを選ぶ?」

 

「いやまあ、この前契約した人間は自分の望みを手に入れて満足してたんだけどね。……よく考えてみなよ、ゲラート。私の望みと、キミの望みは相反していないだろう? キミが魔法界を変え、私はその過程を楽しむ。そのためには力が必要なはずだ。大きな力が。」

 

「信用できると思うのか? 死の秘宝にしたって結局まともに見つからなかったぞ。……それと、何度言ったら分かるんだ? 俺を、名前で、呼ぶな。」

 

怒っているようにも、疑っているように見えるが、吸血鬼としてのカンはもう少しだと囁いている。だったらもっと揺らしてみることにしよう。

 

「だが、この谷に来たのは正解だったろう? ある意味でキミの人生における『秘宝』は見つかったはずだ。まあ、最後はキミ自身の所為で滅茶苦茶になっちゃったけどね。……無駄な探り合いはやめようじゃないか、ゲラート。ゲラート・グリンデルバルド。聡いキミなら分かっているはずだよ。キミに残された選択肢はもう多くはないんだ。さあ、この手を取りたまえ。それとも、『より大きな善のために』自分を犠牲にすることは出来ないのかな?」

 

手を伸ばして五秒、十秒……しかし、グリンデルバルドは手を取らない。差し出された私の手を見つめていたかと思えば、やおらこちらに問いかけを放ってきた。

 

「一つだけ、一つだけ聞かせろ。この手を取れば、俺は魔法界を変えられるのか? マグルどもから身を隠し、惨めに隠れ潜んでいる魔法使いたちを救うことが出来るのか? そのためなら俺はどんなことでもする覚悟がある。たとえそれが……悪魔との契約であってもだ。」

 

「約束しよう、ゲラート。この手を取ればキミの願いは叶うよ。」

 

私が迷わず頷いたのを見て、グリンデルバルド……ゲラートが私の手を握る。もちろん約束してやるよ、ゲラート。吸血鬼が約束を守るかは約束できないけどな。

 

とはいえ、少なくとも力を得ることは出来るはずだ。私に勝利をもたらすためにも、こいつにはもっと強くなってもらわないと困るんだから。それをどんな方向に持っていくかは自分次第だろう。

 

「んふふ、これにて契約は成ったわけだ。……では、早速行動に移ろうじゃないか。マイキュー・グレゴロビッチを知っているかい?」

 

「当然だ。世界で三本の指に入るとまで言われている杖作りだろう?」

 

「その通り。それで、そのグレゴロビッチが最近自分の店を喧伝しているらしくてね。曰く、『自分はニワトコの杖の所有者で、その技術を杖作りに取り入れている』ってな具合に。……馬鹿なヤツだよ。わざわざ自分が所有者だと言い触らすとは。」

 

「……店の評判のための虚言じゃないんだろうな? もう無駄足は御免だぞ。」

 

「その心配はないさ。うちに居候している魔女に確かめてもらったんだ。私が頼りにするほどの魔女だからね。間違いないと思うよ。」

 

パチュリーをあの図書館から連れ出すのには苦労した。おかげで大英図書館からパチュリーが読みたい本を何冊か盗み出す羽目になったくらいだ。だが、その甲斐あって本物のニワトコの杖であることは確認している。

 

「彼女は所有権が云々だから、使う本人に盗み出させたほうが良いと言っていたんだが……意味は分かるかい?」

 

「杖の忠誠を手に入れるためには、使う本人が元の所有者を打ち破る必要がある。『魔女』とやらはそのことを言っているんだろう。」

 

「ふぅん? ま、何でもいいさ。とにかく行ってきたまえよ。場所は私のしもべ妖精に案内させるから。……ロワー、任せたぞ。」

 

「お任せください、お嬢様。」

 

それまでずっと後方で待機していたロワーに指示を出してやると、彼は深々とお辞儀をしながら了承の返事を寄越してきた。ロワーは杖を調べに行った際にも連れて行ったし、道案内は任せられるはずだ。私からすれば地味で古ぼけた杖にしか見えなかったが、ゲラートは随分とご執心らしい。だったら持たせておいた方がいいだろう。

 

「それじゃ、また連絡するよ。詳しい話はその時にしようじゃないか。キミは早く杖を手に入れたいんだろう?」

 

「……まだ完全に信用したわけではないぞ。そのことは覚えておいてもらおうか。」

 

うーん、中々懐いてくれないな。ロワーに続いて姿くらましするゲラートを苦笑しながら見送った後、私も紅魔館に戻るために杖を取り出す。レミリアに結果を説明しに行かないとな。弟じゃなくて妹のほうが死んだと言ったらあの姉バカは怒るだろうか? ……まあ、所詮は人間のことだ。大した問題はあるまい。

 

最後に夏の陽光が照り付けるゴドリックの谷を一瞥した後、アンネリーゼ・バートリは杖を振って姿を消すのだった。

 



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たのしい悪魔召喚

 

 

「あああ、イライラするわね! 何だってあの男は教師生活をエンジョイしてんのよ!」

 

紅魔館の執務室に響き渡るレミリアの怒声を肴に、アンネリーゼ・バートリはゆったりとワインを楽しんでいた。

 

あの三つ巴の決闘からは数年が経過しているが、ダンブルドアは未だに動き出す気配すら見せていないようだ。レミリアが必死にイギリス魔法界に働きかけてダンブルドアを矢面に祭り上げようとしているものの、その動きは悉く失敗しているらしい。

 

対してこちらの陣営は順風満帆といった具合だ。愛しのニワトコの杖を手にしたゲラートは北欧を中心として勢力の地盤を固め、『より大きな善のために』というスローガンを掲げながらそのカリスマで狂信者たちを作り出している。時期が来ればヨーロッパ大陸へと殴り込みをかける予定だとか。

 

レミリアはダンブルドアを煽る傍ら、大陸側の魔法界とのパイプを構築してその動きに対応しようとしているようだが……残念ながらヨーロッパ諸国の魔法コミュニティの繋がりは蜘蛛の糸よりも細いらしい。あまり上手くは進んでいないようだ。

 

「苦労しているみたいじゃないか、レミィ。」

 

「ええ、そうよ! 苦労させられてるわ! 無能な変身術の教師さんと、頭の固い各国魔法省の馬鹿どものお陰でね!」

 

「まあ、私とフランにとっては嬉しい展開だよ。……ワンサイドゲームなのは少々退屈だがね。」

 

「ぐぬぬ、今は精々勝ち誇っていればいいわ。最後に勝つのは私たちよ! そうでしょ? 美鈴!」

 

レミリアに声をかけられた美鈴を見てみると……おお、これは凄いな。立ったまま寝てるのか? かっくりかっくりしながら目を瞑っている。

 

「おいこら、起きなさい! そしてさっさと向こうの陣営の情報を集めてくるのよ!」

 

「んぁ、ぇえ? 何ですか? お嬢様。何か言いました?」

 

「あんたね、寝惚けてる暇があるのかしら? とっととグリンデルバルドが次にふざけたお祭りを起こす場所を探ってこないと、お気に入りの庭を吹っ飛ばすわよ。」

 

「ちょっ、行きます! 行きますから!」

 

相変わらず元気な連中だな。紅魔館主従のコントを眺めつつ、ソファから立ち上がってドアへと向かう。レミリアたちも頑張っているようだし、私もそろそろ働くとするか。

 

「それじゃあ私も失礼しようかな。我が頼もしい参謀どのと作戦会議をしてくるよ。キミも頑張りたまえ、レミィ。」

 

「今に見てなさい! 逆転して吠え面かかせてやるから!」

 

ありきたりな台詞が返ってきたのに苦笑しながら、執務室のドアを抜けて地下通路へと歩き出す。……まあ、レミリアが焦るのも仕方がないだろう。こちらの陣営が着々と力を付けているのに対して、ヨーロッパ魔法界はどうも危機を認識すらしていないようなのだから。

 

この前なんて、ゲラートの危険性を知らせる手紙の返答として聖マンゴの誇大妄想科への受診を勧めてきたくらいだ。いやはや、あの時のレミリアは見ものだったな。思い出すだけで元気が出てくるぞ。

 

そのまま一階の廊下を進んでいると、妖精メイドたちからロワーは来ていないのかと聞かれてしまった。彼は今連絡員としてゲラートに付けているので、しばらくは顔を出さないと伝えてやれば……おやまあ、大人気じゃないか。何事にも拘らない妖精メイドたちにしては珍しくガッカリしているぞ。

 

我が家のしもべ妖精の意外な人気っぷりに驚きながらも、地下通路へと下りて最奥の扉を開くと、地下室の中央に置かれた巨大な机の上に座り込んでいるフランの姿が見えてくる。あの机の上にはヨーロッパを中心とした大きな地図が貼ってあるはずだ。

 

「あ、リーゼお姉様! どうだった? アイツの様子。悔しがってた?」

 

「ああ、随分と焦ってるみたいだったよ。無理もないけどね。」

 

そう伝えてやれば、フランは飛び回りながらきゃーきゃー喜び始めた。レミリアに勝っていることがそこまで嬉しいのか。本人に伝えたら泣くかもしれないな。

 

「えへへ、やったね! 私たちの勝利はもうカクテーだよ! えっとえっと、この辺は全部手に入ったから、次はこの……ポーランド? だね!」

 

「そうだね。……そういえば、ポーランドには『吸血鬼』を名乗ってる半端者たちの村があるらしいよ。ついでに潰しちゃおうか。」

 

ゲラートからの報告によれば、ポーランドには『魔法界における吸血鬼』の村がいくつか点在しているらしい。種族名が吸血鬼ということで、ゲラートは一応こちらに連絡してきたようだが……ふん、あんな連中と私たちを一緒にしないで欲しいぞ。必要なら遠慮せずにぶっ潰せと伝えておいた。

 

「ハンパモノ? 私たちとは違うの?」

 

「全然違うさ。連中は木の杭を心臓に打ち込まれた程度で死ぬみたいだし、銀にも弱いそうだ。おまけに……これが一番間抜けな点だが、ニンニクが苦手らしい。一体全体何だってそんな生態になってるんだろうね。」

 

私の説明を聞いて、フランは目をパチクリさせながら驚いている。うむうむ、気持ちはよく分かるぞ。私だって最初に聞いた時は驚いたもんだ。ジョークにしたって意味不明じゃないか。

 

「ニンニク? ニンニクが苦手だなんて、大変そうだねぇ。んー……だけど、フランもそんなのと一緒にされるのはイヤかなぁ。」

 

「だろう? まったくもっていい迷惑だ。せめて呼び名を変えて欲しいね。紛らわしすぎるよ。」

 

「じゃあさ、じゃあさ、グリンデルバルドが魔法界をシハイしたら変えちゃおうよ! そうだなぁ……ヒル人間! ヒル人間はどう?」

 

うーむ、どうやらフランのネーミングセンスは姉に似てしまったようだ。悲しいような、これはこれで面白いような、何ともいえない微妙な気分になるな。

 

「ま、その辺はフランの好きにしてくれたまえ。頼りにしてるよ、私の可愛い参謀さん。」

 

「うん、任せて! 私がリーゼお姉様を勝利に導くよ!」

 

しかし、実際のところフランは優秀な参謀っぷりを見せている。語彙が少ないために言葉足らずになってしまうが、よくよく聞いてみればかなり堅実な計画を立てることが分かった。レミリアのように無駄な優雅さを重んじることはなく、私のように余計な遊びを入れるわけでもなく、いかにこちらが多数の状況を作るかを重視しているらしい。ゲラートがフランの立てた計画をいくつか戦略に取り入れたくらいだ。

 

そのことを伝えて褒めまくったら、次の日にはとうとう兵站の本を読み始めてしまった。……この子はどこに向かっているのだろうか? ちょっと失敗したかもしれないな。

 

何にせよ、現状は大満足と言っていいだろう。可愛くて頼りになる参謀、優秀な駒、狂信的な兵隊。ゲームのオープニングは頗る順調に進んでいるわけだ。……頼むから巻き返してくれよ? レミリア。このまま終わりってのは盛り上がりに欠けるぞ。

 

順調なのを喜ぶ私と、対戦相手の頑張りを願う私。自分の中に潜む相反する感情を自覚しながら、アンネリーゼ・バートリはポーランドの詳細な地図を机に広げるのだった。

 

 

─────

 

 

「……むう。」

 

ムーンホールドの中庭にも雪が積もり始めた頃、パチュリー・ノーレッジは空き部屋の床に描かれた巨大な魔法陣を前に緊張していた。

 

なんたって、これから悪魔召喚の儀式を行うのだ。これで緊張しないようなヤツはどうかしてるぞ。……いやまあ、隣の楽しそうな吸血鬼は例外だが。

 

「本当の本当に大丈夫なんでしょうね? リーゼみたいなのが出てきたら、陣に閉じ込めておける自信は無いわよ?」

 

「心配しすぎだよ、パチェ。この程度の陣で呼び出せるヤツなんて高が知れてるさ。精々インキュバスでも呼び出しちゃって、キミが真っ赤になるくらいじゃないかな。」

 

「な、ならないわよ。……それじゃ、始めましょうか。」

 

うーむ、愛称で呼ばれるのにはまだ慣れないな。家族以外ではリーゼが初だぞ。ムズムズする気持ちを隠しながら、本を片手に詠唱を開始すると……応じるように床の魔法陣が虹色に輝き始めた。『この程度の陣』とリーゼは言っていたが、今回の魔法陣でも直径が私の身長の二倍はある。おまけに陣の中は複雑な図形や謎の言語でビッシリと埋め尽くされているのだ。

 

正直なところ、私はこの魔法陣に関して半分も理解できていない。殆どリーゼに任せっきりになってしまったのは悔しいが、構成する要素があまりに多すぎるのだ。準備中に難しすぎるとリーゼに愚痴ってみたら、苦笑しながら東方の魔術師には都市一つを魔法陣に見立てたヤツがいると教えてくれた。凄まじいもんだな。魔法使いの頂はまだまだ高いらしい。

 

さて、もうすぐ詠唱が終わるぞ。口では呪文を唱えつつも、手の中の賢者の石を握り締める。いざとなればこいつに貯め込んだ魔力を解放してぶつけてやるつもりだ。リーゼが対処するまでの目潰し程度にはなればいいのだが。

 

考えている間にも詠唱が……終わった! 最後の一節を唱え切った瞬間、灰の混じった黒い煙のようなものが魔法陣から噴き出てきた。徐々に煙が人のカタチを作り出し、その肌が、髪が、翼が形成されていく。

 

「おいおい、これは──」

 

リーゼの思わず漏らしたという感じの呟きを聞いて、内心の緊張がさらに増す。まさか失敗? それとも『ヤバい』のを呼び出しちゃったとか?

 

だけど、もう止められないぞ。私が焦り始めたところで、召喚された悪魔はその姿を形成し終えたらしい。赤いロングの髪に、小さな翼を生やしたワンピース姿の少女。一見する限りは可愛い小悪魔といった具合だが、私は見た目に騙されてはいけないことを隣に立つ吸血鬼で学習済みだ。

 

「こんにちは、召喚者さん。私は魔界より生まれし悪魔の一柱。さあ、契約の内容を……あれぇ? なんか、物凄いのが横に居るように見えるんですけど。もしかして私、エサにされちゃう感じですか?」

 

前半部分をちょっと気取った感じで、後半部分を絶望の表情で言った悪魔の視線を辿ってみれば……心底呆れたという表情のリーゼが見えてきた。どういうことなんだ?

 

「パチェ、送還しちゃおう。こいつはダメだ。小物すぎて使い物にならないと思うよ。」

 

「ちょちょっ、待ってください! 召喚の順番待ちの列に並ぶのはもう嫌です! 私は、えーっと……そう、お料理! お料理が得意ですよ! お裁縫も出来ますし!」

 

なんだそりゃ。一気に緊張感が霧散しちゃったな。どうやらこの悪魔に関しては、見た目通りの存在と思って問題ないようだ。拍子抜けしている私へと、リーゼが肩を竦めながら助言を送ってくる。

 

「間違いなく低級悪魔だね。下の下だよ。さっさと送還作業に入ろうじゃないか。全然役に立たないだろうし、こんなのを使役してたら他の魔女に侮られちゃうぞ。」

 

「わー、待ってください、偉大な悪魔様! 私はお役に立ちますよ? ほら、お掃除とか! あとあと、お洗濯だって!」

 

「えーっと、落ち着いて頂戴。申し訳ないんだけど、ちょっとだけ待っててくれるかしら? こっちに居る吸血鬼と話があるの。」

 

涙目で主張してくる悪魔に一言断ってから、リーゼに小声で話しかけた。奇妙な状況になってきたな。

 

「リーゼ、どういうことなの? 私の認識だと、低級悪魔にしたってもう少し迫力があるもんだと思ってたんだけど……この悪魔がとびっきりの小物だってこと?」

 

「残念ながら、その通りだ。悪魔もピンキリなのさ。多分、生まれて五十年も経ってないような若い悪魔なんじゃないかな。長く生きてる人外特有の雰囲気がないからね。」

 

つまり、悪魔の新入社員というわけだ。チラリと魔法陣の方を見てみれば、件の悪魔は不安そうな表情でこちらを窺っている。契約を取れるかが心配なのだろう。保険会社の外交員みたいだな。

 

「でも、悪くないんじゃないかしら? そりゃあ弱そうには見えるけど、別に誰かと戦わせるわけじゃないもの。むしろ安全そうで良いと思わない?」

 

「いやいや、あんなのでいいのかい? あれだと人間を雇うのと大差ないよ? 下手すると人間の方が役に立つくらいだ。」

 

「それはまあ、ちょっと残念すぎるけど……だったら、とりあえず契約の対価を聞いてみましょうよ。見合わないようだったら送還しちゃえばいいでしょ?」

 

「……まあ、キミの使役する悪魔だからね。パチェがそう言うなら反対はしないよ。」

 

よし、決まりだ。声を潜めた話し合いを切り上げ、再び悪魔へと向き直った。対する悪魔は期待の瞳でこちらを見つめている。何というか……捨てられた子犬みたいだ。

 

「えっと、私が必要としているのは図書館の管理と実験の手伝いよ。それと……そうね、身の回りの世話もお願い出来るのであれば尚良いわ。」

 

「出来ます、任せてください! 魔界では家事手伝いをやってたんです!」

 

悪魔が家事手伝い? 変な世界観だな。契約を取るのに必死なようだし、もしかしたら魔界は就職難なのかもしれない。内心で益体も無いことを考えつつ、今度は対価の話を切り出す。

 

「それで、対価はどうなるのかしら? 契約期間は私が死ぬまででお願いしたいのだけれど。」

 

これは事前にリーゼと決めておいた作戦だ。それなりに強力な悪魔じゃないと、一見しただけでは私が不死であることを見抜けないらしい。だからこう言っておけば少ない対価でかなり長い期間使役できるのだとか。昔からある『裏ワザ』だとリーゼは言っていた。

 

「死ぬまでですか? そうですねぇ、それなら寿命三十年とか? もしくは二十年? ……ああいや、冗談です! 十年! 十年で!」

 

たった十年ぽっち? 私たちが少なすぎて呆気にとられているのを、悪魔の方は不満を感じているのだと受け取ったようだ。三十年でさえ信じられないほど『お得』だというのに、三分の一まで減らしてくる。思わず隣のリーゼを見てみれば……おお、笑ってるな。ここまで来ると呆れよりも面白さが勝ったらしい。

 

何にせよ、私からすれば破格の契約だ。アンフェアすぎる状況にちょっと申し訳なく思いつつも、悪魔に対して承諾の返答を送る。

 

「十年でいいのね? それなら契約したいんだけど……。」

 

「ほ、本当ですか? よかったぁ、これで私も一人前の悪魔になれます!」

 

「あー……うん、良かったわね。それじゃあ、さっさと結んじゃいましょうか。」

 

言って、リーゼが用意してくれた高級そうな羊皮紙に契約の内容を書き込む。それに私の血を一滴だけ垂らした後、嬉しそうにガッツポーズする悪魔に渡してやると……彼女はその内容をじっくりと確認してから、満面の笑みでムシャムシャ食べ始めた。食べるのか。

 

「んっ、んぐっ、ご馳走さまです! これにて契約は成りました。何なりと命じてください!」

 

ニコニコ笑いながら言ってくる悪魔に、リーゼが悪意たっぷりの笑みで話しかける。どうやら種明かしの時間が始まるようだ。

 

「おめでとう、低級悪魔。これでキミは永遠に仕えられるご主人様を得られたわけだ。良かったじゃないか。」

 

「へ? 永遠に? ……まさかっ!」

 

素早い勢いでこちらを見たかと思えば、悪魔は何かを探るように私を凝視するが……結局見ただけでは分からなかったようで、おずおずと私に質問を投げかけてきた。

 

「あのですね、つかぬ事を伺いますが……ご主人様は不死とか、そういうタイプの人間なんですか? 違いますよね? お願いだから違うと言ってください。」

 

「不死ではないけど、不老ではあるわ。……その、ごめんなさいね。」

 

「うぐっ、だっ、騙しましたね! この悪魔!」

 

うーむ、悪魔に悪魔と罵られるとは思わなかったぞ。不老にはなってみるもんだな。貴重な経験が出来たと感心している私を他所に、目尻に涙を浮かべている悪魔へとリーゼがクスクス笑いながら言葉を放つ。この吸血鬼の辞書には容赦という単語が存在していないようだ。

 

「キミも悪魔の端くれだったら生まれた時から知ってるはずだ。騙される方が悪いのさ。諦めたまえ。」

 

「そんなぁ。それならせめて、寿命三百年くらいは貰っておけばよかったです……。」

 

これはまた、見ていて可哀想なほどに落ち込んでるな。リーゼはともかく、私の心には罪悪感という感情ががまだ残っているのだ。

 

「ええっと……それで、名前は何て言うのかしら? まだ聞いてなかったわね。」

 

「パチェ、このレベルの悪魔には名前なんてないよ。もっと上位の悪魔じゃないと、固有の名前なんて持ってないもんさ。」

 

「うう、その通りです。私はまだ名前を持ってないんです。」

 

そうだったのか。しかし、そうなると呼び難いことこの上ないぞ。名前を付けてやろうかと口を開きかけたところで、それを見越したらしいリーゼから注意が飛んできた。

 

「先に言っておくが、名前は付けないように。悪魔って存在は名前を持つとその力を増すんだ。無害なままで使役し続けたいのであれば、適当に……そうだな、『小悪魔』とでも呼んでおきたまえ。弱っちい方が安心なんだろう?」

 

「あのあの、ご主人様! 名前を付けてくれてもいいんですよ? 力を得ても謀反なんか起こしませんから! ……たぶん。」

 

……うん、リーゼの言う通り名前は無しにしたほうが良さそうだな。発言の最後で目を逸らした小悪魔へと、苦笑しながら声をかける。

 

「それじゃあ、小悪魔と呼ばせてもらうわ。これからよろしくね。」

 

「うぅー、今日はきっと厄日です。……分かりました。よろしくお願いしますね、ご主人様。」

 

案外素直に挨拶を返してくれたな。諦めの境地だろうか? とにかく、これで助手が必要な実験も進められそうだ。小悪魔は何だかんだいってよく働きそうだし、安全性抜群なのだから召喚は大成功と言えるだろう。……私にとっては、だが。

 

早速リーゼにからかわれ始めた小悪魔を眺めながら、パチュリー・ノーレッジはうんうん頷くのだった。

 



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白昼夢

 

 

「それじゃあ、二十世紀に乾杯!」

 

私の音頭でグラスを掲げた面々を見ながら、レミリア・スカーレットは手に持ったワインを一気に飲み干していた。記念すべき二千年紀の最初の日、紅魔館で身内だけの小さなパーティーを開いているのだ。

 

「いやー、西暦もあとたった百年で2000年代に突入ですか。早いもんですねぇ。」

 

料理に手を伸ばし始めた美鈴がしみじみと語っているが、実のところ私はこいつの正確な年齢を知らない。雰囲気から察するに私より長く生きていることは間違いないとして、三国時代の話を『体験談』として語っていたことから、最低でも千七百年以上は生きていると睨んでいる。

 

「私にはまだその感覚が分からないのだけれど……。」

 

そんな年齢不詳の大妖怪に対して、新米魔法使いのパチュリーがそう返した。私が名前で呼ぶようになった頃、彼女は紅魔館に漂う狂気への耐性を身に付けたらしい。今では普通にリーゼと一緒に館を訪れている。無論、未だ地下室に入ったことはないが。

 

リーゼによればかなりの勢いで魔女として成長しているようで、最近は修行の合間に狂気への対策にも取り組んでくれているようだ。うむうむ、何とも頼もしいことではないか。

 

「まあ、長く生きてれば嫌でも分かるようになるさ。」

 

笑いながら言うリーゼに自覚があるかは分からないが、彼女は人間に対する態度が柔らかくなってきているように感じる。少なくとも前のように『蛆虫』扱いはしていないだろう。私もそうだが、ゲームで深く関わる間に評価を変えたようだ。

 

特にパチュリー相手だと『過保護』と言えるほどの対応っぷりだ。数年前など、木っ端悪魔を召喚するだけだというのに最高級の契約書を私から買い取っていった。余程に新顔の魔女のことを気に入っているらしい。

 

「くうぅ……美味しいですねぇ。これに比べれば魔界のワインなんか泥水同然ですよ。あんなの汚水です、汚水!」

 

その時契約したとかいう小悪魔が、美味しそうにワインを飲みながら小さな翼を震わせている。最初は何かの冗談かと思ったくらいの低級悪魔だが、話を聞くと中々どうして便利なようだ。悪魔としての強大さと家事スキルは関係ないということか。……そりゃそうだな。

 

他にも各所で妖精メイドたちが慌ただしく給仕をしている……というか、給仕をするフリをしながら遊んでいるみたいだな。まあいいさ。そもそも期待なんかしてなかったし、今日は無礼講といこうじゃないか。

 

ここにフランが居れば完璧なのだが、残念ながら我が愛すべき妹は未だに地下室から出られない。……うん、二十一世紀のお祝いは全員でやれるように頑張ろう。このまま順調に計画が進めば充分可能な願いのはずだ。

 

それに、フランとは後でリーゼと美鈴を連れて四人でお祝いをする予定でいる。今はそれで我慢してもらおう。記念のプレゼントも買ってあるし、きっと満足してくれるはず。

 

フランのことを考えていると、リーゼがこちらに近付いて話しかけてきた。

 

「やあ、レミィ。あまりワインが進んでいないようだね。」

 

「ん、ちょっと考え事をしてたのよ。……しかし、随分と賑やかになったもんね。十年前じゃ考えられない光景だわ。」

 

「んふふ、そうだね。……それにだ、もう少しすればフランも参加できるようになるだろう? そしたらもっと賑やかになるぞ。」

 

どうやらリーゼもフランのことを考えてくれていたらしい。あの日、リーゼを館に招いたのは正解だった。仮に私に何かあったとしても、リーゼがフランの面倒を見てくれるだろう。もちろんそう易々と死ぬ気は無いが、保険があるというのは大事なことだ。

 

「そうね、是が非でもそうなってもらわないとね。……そういえば、フランへのクリスマスプレゼントのお礼を言っておくわ。かなり気に入ってるみたいよ?」

 

「ああ、そうだろう。あれは私から見ても出来の良い代物だったからね。ああいう品を入手できるようになったのも計画のお陰かな。」

 

数日前、リーゼはフランへのクリスマスプレゼントとして人形のセットを渡したようだ。フランは今まで人形を『憂さ晴らし』に使うことが多かったのだが、今回プレゼントされた人形は信じられないほど丁寧に扱っている。余程に気に入ったのだろう。

 

「魔法界で買ったのよね? 確か……『マーガトロイド人形店』だったかしら? 随分前から贔屓にしてるみたいじゃないの。」

 

「初めてダイアゴン横丁に行った時に見つけたんだよ。その頃からフランのお気に入りでね。オーダーメイドも頼めるからよく利用しているんだ。」

 

「ふぅん? 今度私もプレゼントしてみようかしら。」

 

頭の片隅に人形店の名前を書き込んだところで、もう酔っ払っている様子の美鈴が絡んできた。息が酒臭いぞ。

 

「おぜうさまー、飲んでないじゃないですか。ささ、どうぞどうぞ。美鈴めがお注ぎしますよ。」

 

「ちょっ、溢れてる! 溢れてるでしょうが! ああもう、この酔っ払い!」

 

ぺチリと頭を叩くと、酔っ払い妖怪はうへへと笑いながら今度は小悪魔へと絡み始める。長い年月をかけても酒癖は改善できないということか。私も気を付けることにしよう。

 

嫌がる小悪魔を抱き上げている美鈴と、それを見て笑うリーゼ、ちびちびとワインを飲むパチュリー。苦笑しながらそんなパーティーの様子をぼんやり眺めていると、ふと何処かの光景が視界と重なる。畳と、日本酒? それを飲み交わす人間と人外たち。木造の……ダメだ、もう見えなくなってしまった。

 

でも、不思議な光景だったな。私の能力がこれを見せたのだろうか? 遥か昔、まだ人間と妖怪の距離が近かった頃のような……そう、おとぎ話の中みたいな『幻想的』な光景だった。

 

その不思議な幻視に想いを馳せながら、レミリア・スカーレットは手元のワインに口を付けるのだった。

 

 

─────

 

 

「ふぅん? これが『ヌルメンガード』か。中々壮大な要塞じゃないか。」

 

オーストリアの山中に聳え立つ、滑らかな石造りの要塞。ようやく半分ほどが完成しつつあるその要塞を見上げながら、アンネリーゼ・バートリは隣のゲラートに話しかけていた。建設中でも大した迫力だが、ちょっと陰気なのはいただけんな。もっと陽気な建物にすればいいのに。

 

建設者に似たかと嘆く私へと、ゲラートは少し自慢げな表情で説明してくる。いつもは無感動なこの男も、手ずから造り上げた本拠地に対しては愛着を感じているらしい。

 

「魔法使い対策として強固な防衛呪文を重ねがけしてある。そして、マグルどもに対してはこの城壁が機能することだろう。拠点としては上々の出来だと言えるはずだ。」

 

二十世紀も数年が経った頃に建造を始めたこの要塞が形になってきたように、ゲラートもすっかり大人の男性になってしまった。何というか……風格が増した気がする。こういうところに関してだけは人間が羨ましいな。私はあと二、三百年くらいは『少女』のままだし。

 

「まあ、私から見てもいい拠点だと思うよ。……戦況の方はどうなんだい?」

 

「しもべ妖精経由で伝えた通りだ。もはや大陸の三分の一は手にしたも同然だし、残りも時間の問題だろう。マグル界が最近きな臭いらしいが、大した問題にはなるまい。」

 

どうやらゲラート率いる狂信者たちと、ダームストラング仕込みの『軍隊式』な統制は相性が良かったらしい。横の繋がりの薄い各国魔法界を席巻し、もはや大陸では敵なしなのだが……一人だけゲラートが恐れている相手が居るのだ。我らが本拠地、イギリスの魔法学校に。

 

「それじゃあ、イギリスは?」

 

ニヤニヤ笑いながら聞いてやると、途端にゲラートは端正な顔を歪ませて返事を寄越してきた。嫌なことを聞くなと言わんばかりの表情じゃないか。

 

「まだイギリスに攻め入る時期ではない。大陸の支配が終わってからだ。」

 

「ま、いいけどね。いつかは戦う相手だよ。そのことは覚えておきたまえ。」

 

「……分かっている。」

 

精強な軍隊を手にして、ヨーロッパどころか全世界にまで悪名が響き渡っているというのに、ゲラートは未だにダンブルドアを恐れているようだ。過去の後悔がそうさせるのか、それとも単純にその実力を恐れているのか。何れにせよイギリスには手を出そうとしていない。

 

レミリアはそのことを逆手にとって、『英雄』アルバス・ダンブルドアを祭り上げるのに必死だ。……ただまあ、ダンブルドア当人としては迷惑しているみたいだが。ホグワーツから動こうとしないのを見るに、ダンブルドアの方もゲラートと杖を交えるつもりはないらしい。こっちもこっちで妹のことがトラウマにでもなっているのか?

 

ちなみに、そのレミリアも魔法界では知る人ぞ知る存在になってしまった。ゲラート・グリンデルバルドの危険性を早くから警告し、的確にその計画を妨害する。しかし人前に姿を現すことはない謎の存在、レミリア・スカーレットというわけだ。アホみたいな話じゃないか。正体は姉バカ吸血鬼だぞ。

 

着々と支配圏を拡げているゲラート、その対抗軸として影響力を増し続けるレミリア、そんなレミリアの催促を無視し続けるダンブルドア。奇妙な関係になってきた三人のことを考えつつ、ゲラートに向かって口を開いた。

 

「さてさて、要塞の様子も見れたことだし、そろそろ失礼するよ。渡した魔道具は好きに使ってくれたまえ。」

 

「ああ、いつも助かっている。有効に使わせてもらおう。」

 

「おっと、今日はやけに素直じゃないか。雨でも降るのかな?」

 

「黙れ、吸血鬼。さっさと消えろ。」

 

おやおや、相変わらず懐いてくれないな。くつくつと笑いながら杖を取り出して、姿くらましでヌルメンガードを後にする。今回も屋敷に転がっていた魔道具をいくつかゲラートに渡したのだ。私にとってはガラクタ同然の魔道具でも、杖持ちの魔法使いたちにとっては役立つ代物らしい。精々有効に使ってもらおうじゃないか。

 

 

 

そのまま数度の姿あらわしでムーンホールドのエントランスに戻ると、珍しいことにパチュリーが私の帰りを待っていた。彼女が図書館から出てくるとは……いよいよ雨の可能性が増してきたぞ。ひょっとしたら季節外れの雪かもしれない。

 

「待ってたわ、リーゼ。相談したいことがあるの。」

 

うーむ、良くない雰囲気だな。目の下に濃い隈が出来ている上に、やけにテンションが高い。こういう状態のパチュリーには要注意だ。突拍子もないことを言ってくる可能性が高いのだから。

 

「あー……どうしたんだい? パチェ。」

 

「図書館に新しい魔法をかけたいの。とにかく一緒に来て頂戴。」

 

言うや否や、パチュリーは私の手を引いて図書館へと歩き始めた。予想通りに厄介な事態のようだ。パチュリーが『早足』ってのは滅多にないぞ。

 

「おいおい、落ち着いてくれよ。話はちゃんと聞くから。」

 

「落ち着けないわ。魔導書を整理してたら『凄いの』を見つけちゃったのよ。あれに書かれていることを実現したいの。って言うか、すべきなの。しなきゃいけないの。」

 

まさかフランの狂気に当てられちゃったんじゃないだろうな? 鬼気迫る表情だぞ。不安を感じながらも図書館にたどり着くと、必死な表情で何かを準備している小悪魔の姿が見えてくる。被害者は私だけではなかったらしい。

 

「こあ、あの本を持ってきて!」

 

「へ? ……は、はい、パチュリー様!」

 

小悪魔というのはさすがに無個性的すぎるということで、最近は『こあ』と愛称で呼ばれている小悪魔が一冊の本をパチュリーに差し出した。パチュリーはその本を猛烈な勢いで捲っていたかと思えば、一つのページを開いてこちらに突き出してくる。……読んでみろということか。

 

受け取って読み進めてみると……なるほど、パチュリーが顔色を変えるわけだ。そこには世界中で作られた本を自動で複製し、収集するとかいう図書館にかけるために編み出されたらしい魔法が載っていた。

 

「これは……難しいと思うよ。パチェ。私にだって理解しきれないほどの大魔法だ。」

 

「分かってるわ。それでも実現させたいの。」

 

これはまた、一見しただけでも凄まじく複雑な魔法だと分かってしまうな。小悪魔が主人を止めてくれという目線でこちらを見てくるのは、この魔法を構築するに当たっての苦労が予想できてしまうからだろう。

 

「それに、狂気の対策も行き詰まっていたところなの。この魔法が実現すれば、世界のあらゆる知識が集まってくるはずよ。少なくとも新規に作られた本は全て手に入るわけだしね。狂気の研究にも役立つとは思わない?」

 

理論上はそうだろうが、魔導書の類はこの魔法では集まらないはずだ。強力な魔本には大抵の場合複製を防ぐ魔法がかかっているものなのだから。しかし、それを伝えたところで最早パチュリーは止まらないだろう。顔を見れば一目瞭然だぞ。決して諦めないという感情が透けて見えている。

 

「……まあ、分かったよ。協力しようじゃないか。」

 

私の返答を受けて嬉しそうな顔をするパチュリーに、ピンと人差し指を立てて続きを語る。これほどの大魔法を実現させるのであれば、先にやるべきことがあるのだ。

 

「ただし、先に捨虫、捨食の法をマスターしておきたまえ。捨虫の法に関してはキミにはもう不要かもしれないが、本物の魔女として認められるためには覚えておくべきだ。この大魔法を実現させるためには睡眠なんぞに時間を割くのは勿体無いしね。」

 

不老を手にする捨虫の法と、睡眠や食事の必要がなくなる捨食の法。本物の魔法使いたちはこれを修得しているかどうかを一つの判断基準にしているらしい。単純に便利でもあるわけだし、学んでおいて損はないはずだ。

 

「うっ……それもそうね。結果的にはその方が近道でしょうしね。分かったわ、先にそっちを進めてみる。」

 

ちょっとだけ残念そうにしながらも、パチュリーは納得してくれたようだ。彼女の言う通り、急がば回れということだな。

 

パチュリーがまた一歩人外に近付くのを感じつつ、アンネリーゼ・バートリはいつか来る大魔法構築の日を思ってうんざりするのだった。

 



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囚われのお姫様

 

 

「……まったくもう。」

 

どうやらマグル界の乱痴気騒ぎはようやく終息を迎えたようだ。写真がピクリとも動こうとしないマグル界の新聞を読みながら、レミリア・スカーレットは鼻を鳴らしていた。あんな小さな火種がここまで盛大に燃え上がるとは……国際政治ってのは難しいもんだな。

 

数年前に始まったマグルどもの小競り合いは、誰も予見できなかった規模の戦争に発展してしまった。結果としていくつかの国は解体され、国境線も新たに引き直されたらしい。巷で囁かれる『世界大戦』なんて呼び名も大袈裟じゃなさそうだ。

 

そして、このヨーロッパを中心としたマグルの大戦は魔法界の戦争にも大きな影響を及ぼした。各地の魔法省やそれに類する機関が魔法界の存在を秘匿するために慌しく駆け回っていたまさにその時、突如としてグリンデルバルドが大規模な攻勢に出たのだ。終戦を祝うバカどもに、ヨーロッパは悪い魔法使いに支配されかけているぞと教えてやりたい気分だな。

 

かくして大きな勝利を収めたグリンデルバルドは、いよいよヌルメンガードを中心とした支配体制を確立し始めたらしい。対する私は残念ながら後手後手に回っている。おまけにあの忌々しい教師は未だに動く様子を見せない有様だ。

 

うーむ、厳しい状況だな。今やこちらの手札は多くないぞ。必死に抵抗を行なっているヨーロッパ各地のレジスタンス、ようやく現状を認識し始めたイギリス魔法省、アフリカのワガドゥ魔法学校を中心とした独立自治体。有用そうなカードはそれくらいだ。

 

新大陸は対岸の火事だと言わんばかりの態度を崩さず、アジア圏の魔法使いどもも静観を決め込み、ロシアの連中は自国の争いで手一杯。全く以って使えん連中ではないか。……吸血鬼である私が反グリンデルバルドの急先鋒であることは後世喜劇になるかもな。よしよし、その時は愚かな魔法界を皮肉る内容にしてやろう。

 

「めーりーん! 来なさい!」

 

痛む頭を押さえつつ、大声で美鈴を呼び出す。ここで悲観していても仕方がない。先ずは大陸各地のレジスタンスを一箇所に集めることにしよう。一網打尽にされる可能性もあるが、このままでは飛び回るハエのように一匹一匹潰されていくだけだ。

 

「はいはーい。……何ですか、お嬢様?」

 

「この手紙を届けてきて頂戴。」

 

私が差し出した十通ほどの手紙の束を見て、美鈴はうんざりした表情で愚痴を放ってきた。

 

「えぇー、またですか? ふくろうかコウモリに運ばせればいいじゃないですか。めんどくさいですよ。」

 

「大陸ではふくろうなんかもう安全じゃないし、コウモリを使いにしたら吸血鬼だってバレバレでしょうが! いいから行ってきなさい!」

 

「うえぇ……分かりました。行ってきますよ。」

 

私が執務机をバンバン叩きながら言ってやると、美鈴はトボトボと手紙を持って部屋を出て行く。いくらなんでも美鈴から手紙を奪い取るのは不可能だろう。これで確実に届きはするはずだ。後は素直に纏まってくれれば助かるんだけどな。

 

考えつつも立ち上がって、部屋を出て足早に地下室へと向かう。お次は敵情視察といこうじゃないか。敗色濃厚になってきた忌々しいゲームだが、一つだけ嬉しい変化も生まれた。フランがこのところご機嫌なのだ。

 

最近は癇癪を起こさずにいつもニコニコしているし、この前なんて私のことを久々に『お姉様』と呼んでくれたくらいだ。その時の声を再生しながら地下室へと続く階段を下りて、地下通路の奥にある鋼鉄製のドアをノックする。

 

「フラン、私よ。入っていいかしら?」

 

「んー? ちょっと待って。」

 

心なしか応対の声も柔らかい気がするな。何かを片付けているようなガサゴソとした音を聞きながら、ドアの前で三十秒ほど待っていると、ようやくフランから入室の許可が飛んできた。

 

「もう入っていいよ。」

 

「それじゃ、失礼するわね。……ごきげんよう、フラン。いい子にしているかしら?」

 

「ん、イイコにしてるよ。見ればわかるでしょ?」

 

フランは地面に寝転がってお気に入りの人形を抱きしめているが……むう、我が妹ながら反則級に可愛いな。駆け寄って撫でてやりたい気持ちを懸命に堪えつつ、ポーカーフェイスを保ったままで質問を送る。

 

「そう、よかったわ。それで……そっちの陣営は随分と順調のようね? こっちとは大違いみたいじゃないの。」

 

ゲームの話を持ち出してみると、フランは途端に笑みを浮かべて起き出してきた。どっかで見たようなニヤニヤした笑みだが、まさかリーゼの真似だろうか? 教育に悪いじゃないか。今度会ったら注意しておこう。

 

「んん? ふーん? 探りに来たんだ? 負けそうなお姉様は、賢いフランのところに情報が欲しくて来たんでしょ? ……でも残念、情報なんてあげないもんねー! べーっだ!」

 

ふむ、珍しいポーズだな。今のフランは踏ん反り返って喜色満面になっている。目に焼き付けておかなくては。……しかし、これで満足してはいけない。ゲームのために情報を手に入れる必要があるのだ。

 

「そんなことを言わないで頂戴。このままだと私は何も出来ずに負けちゃうわ。……この哀れな姉に情報を恵んでくれない? ちょびっとだけ、特に重要じゃない情報で構わないから。」

 

「んー? どうしよっかなー? フランはこのまま勝っちゃってもいいんだけどなー?」

 

「ねえ、フラン? 何もタダでとは言わないわ。……これでどうかしら?」

 

言いながら近付いて、懐に仕舞っておいた小さな人形を取り出した。噂の人形店に手紙を送ってオーダーメイドで作らせた、フランそっくりの人形だ。ちなみに私そっくりの物は既にプレゼント済みなのだが、今は部屋の片隅で磔にされている。おまけにちょっと焦げているではないか。火焙りごっこにでも使ったらしい。姉は悲しいぞ。

 

「うぅ、フランのお人形? でもでも、リーゼお姉様から教えちゃダメだって言われてるもん。だからダメ……だよ。」

 

おのれリーゼ、余計なことを。とはいえ、悩んではいるらしい。ならばもう一押し。どう考えてもリーゼは情報を漏らしたりなどしないのだから、フランから手に入れるしかないのだ。

 

「それにほら、このままストレート勝ちになっちゃうと面白くないでしょう? フランが強すぎて私たちには勝ち目がないのよ。強者の余裕を見せて頂戴?」

 

「フランたちが強すぎて? ……えへへー、そうだね。フランとリーゼお姉様が強すぎるのかもね。仕方ないなぁ、いいよ。教えてあげる。」

 

よし、かかった。我が妹ながらチョロすぎて心配になるが、今だけはありがたい。人形を手渡してやると、フランは嬉しそうにそれを弄りながら計画の一端を教えてくれた。

 

「えっとねー、近いうちにフランスの……学校? を襲撃するんだってさ。グリンデルバルドも参加するらしいよ。邪魔するヤツらがそこに集まってるから、イチモーダジンにしちゃうんだって。」

 

フランスの学校? ……なるほど、ボーバトンか。確か現在はレジスタンスの拠点として使われていたはずだ。ギリシャやブルガリアの支援団体なんかも合流しているはず。

 

これは思ったよりも大きい情報かもしれないぞ。ノコノコやってきたグリンデルバルドを仕留めるか捕らえるか出来れば、一発逆転も夢ではないのだ。

 

知らず浮かんできた悪どい笑みを妹に隠しつつ、レミリア・スカーレットは魔法界の友人たちに手紙を書くため歩き出すのだった。

 

 

─────

 

 

「……まーた捕まったのかい? 一体何をやっているんだ、ゲラートは。」

 

ムーンホールドの図書館までロワーが持ってきた報告を受けて、アンネリーゼ・バートリは呆れ果てた気分で呟いていた。後方で踏ん反り返っていればいいものを、わざわざ前線に出て行くからそういうことになっちゃうんだぞ。

 

改善の兆しを見せていたスカーレット姉妹の仲をドン底まで叩き落とした、忌まわしき『情報お漏らし事件』からは既に五年以上が経過している。あの時のボーバトン攻防戦で珍しく大敗したゲラートは、一時的にレジスタンス側の魔法使いに捕縛されてしまったのだが、スイスの魔法使いが起こした不手際のお陰で何とか逃げ果せることが出来たのだ。……厳密に言えば、私が魅了をかけて不手際を『起こさせた』わけだが。レミリアだって卑怯な盤外戦術を使ってきたわけだし、それに関しては文句を言わせんぞ。

 

とにかく、その際スイス魔法省を痛烈に批判していたのが新大陸を牽引するアメリカ合衆国魔法議会、通称『マクーザ』と呼ばれる政治機関なのだが……今回はそのマクーザとやらが『旅行中』のゲラートを捕らえたようだ。少なくとも紙面上ではそういうことになっている。

 

ところが、ロワーの報告によれば実情はちょっと違ったらしい。詳しく聞いてみると実際にゲラートを捕らえたのはアメリカではなく、我らがイギリスの魔法使いなんだとか。

 

何でもオブスキュリアルなるものに拘って手痛い失敗をした挙句、単なる魔法生物学者に負けて拘束されたそうだ。史上最悪の魔法使いの名が泣いてるぞ、ポンコツ皇帝め。

 

まあ、捕まったこと自体はもはやどうしようもない。問題なのはゲラートが捕まっている場所である。神秘の薄い新大陸は、人外にとってあまり足を踏み入れたいような土地ではないのだ。

 

しかし、ゲラートめ。私の忠告を聞かないからこういうことになるんだぞ。私はきちんと伝えたはずだ。新大陸の魔法界なんてどうでもいいし、ヨーロッパの支配を完全なものにしてからでも遅くはないと。だが、ゲラートは頑なにアメリカ行きを主張した。

 

自ら顔を変えてまで潜入した結果がこれではさすがに笑えんぞ。毎回肝心なところで躓くゲラートを思ってため息を吐く私に、閲覧机で書き物をしているパチュリーがポツリと話しかけてくる。

 

「ご苦労なことね。」

 

「……冷たいじゃないか、パチェ。慰めてはくれないのかい?」

 

「所詮他人事だもの。大体、悪い魔法使いが捕まったのは喜ばしいことでしょ。悲しむことじゃないわ。」

 

素っ気なく言ってくるパチュリーにジト目を送るが、彼女は我関せずと書き物に戻ってしまった。我が家の司書どのは既に捨虫、捨食の法を修得し、最近では件の図書館魔法にかかりっきりだ。極悪人グリンデルバルドの逮捕なんぞに構っている暇はないらしい。……いや、待てよ? パチュリー、パチュリーか。

 

私がジッとパチュリーを見つめていると、彼女はどうやら厄介事の気配に気付いたようだ。羽ペンを横に置いて警戒し始める。

 

「何よ? 言っておくけど、私はこの屋敷を出るつもりはないからね。ほら、研究も途中なんだし。」

 

「なあ、パチェ? 私たちは親友だろう? ちょっとした、ほんの小さな頼みごとがあるんだが……。」

 

「い、嫌だからね! アメリカに行けとか言うつもりなんでしょう! あそこは魔女狩りが流行ってた場所なのよ? 野蛮な土地だわ!」

 

私以外にゲラートを脱獄させることが可能な者で、私が自由に動かせるのはパチュリーだけだ。最近は魔女として力を付けてきているし、今の彼女には新大陸ごときの牢獄など障害にもならないだろう。何より私は新大陸なんぞに行くのは御免蒙る。

 

「なぁに、新大陸の『魔女狩りブーム』はヨーロッパほどじゃなかっただろう? 大丈夫、大丈夫。ちょっと行って、ささっと世紀の大犯罪者を脱獄させてくるだけだよ。」

 

「そんなの嫌に決まってるでしょうが! 絶対行かないからね! ……こあ、ご主人様の危機よ! 早く助けなさい!」

 

「ひゃっ、巻き込まないでくださいよぅ……。」

 

逃げようとする小悪魔を盾にしつつ、断固拒否の姿勢をとるパチュリーだったが……無駄だぞ。私は魔女の働かせ方というものをよく知っているのだから。相応しい『対価』を用意すればいいだけだ。

 

「ふむ、どうしてもダメなのかい? 残念だな。そろそろパチェにあの魔導書を渡そうかと思っていたんだが……。」

 

「魔導書? ……卑怯よ、リーゼ! 貴女まだ魔導書を隠し持ってたの? もうこれで全部だってこの前言ってたじゃない!」

 

「んふふ、悪魔ってのは嘘を吐く生き物なのさ。そうだろう? こあ。」

 

パチュリーにウィンクしてから小悪魔に問いかけてみれば、新米悪魔はふるふると首を横に振ってくる。……まあ、小悪魔だってあと数十年も経てば嘘を吐きまくるようになるさ。それが成長というものだ。

 

「ぐっ……分かったわよ。行くわ。行けばいいんでしょう? だけど、準備はそっちでやってよね! 脱獄幇助なんて当然初めてなんだから。」

 

「何事にも初めてはあるもんさ。」

 

不服を全身で表現しているパチュリーへと、肩を竦めて軽口を叩く。さて、これで『実行犯』は決まったわけだし、後は細かい計画を練るだけだ。紅魔館に行ってフランと話し合うことにしよう。

 

救い出した後に行うゲラートへの説教の内容を考えながら、アンネリーゼ・バートリはエントランスに向かって一歩を踏み出すのだった。

 

 

─────

 

 

「あー……初めまして、ゲラート・グリンデルバルド。」

 

面倒くさい旅路の元凶である魔法使いに話しかけながら、パチュリー・ノーレッジは異国の監獄を見物していた。噂に聞くアズカバンよりは幾分清潔なようだが、あまりにも無個性的だな。見た目だけなら本で読んだマグルの牢獄と大差ない気がする。

 

ただまあ、無個性なのは何もここだけの話ではない。この国に入ってからというもの、一事が万事この調子なのだ。言うなれば……そう、量産品の国って感じ。リーゼが嫌うのもよく分かるぞ。

 

うーむ、不思議だな。私は機能的なものが嫌いじゃなかったはずなのだが、いざ目にしてみると何となく好きになれない。結局私もイギリスっ子だったということか。どうやら私には『ごちゃごちゃ』しているイギリス魔法界がお似合いだったようだ。

 

「誰だ、お前は。」

 

内心の思考に決着を付けた私へと、鎖で雁字搦めにされているグリンデルバルドが傲然と言い放ってきた。その格好でよくもまあ威張れるもんだな。

 

「貴方がよく知る吸血鬼の友人よ。どうして来たのかは……まあ、説明しなくても分かるでしょう?」

 

端的に伝えながら、複雑な呪文が重ねがけされている牢を調べる。中々厳重なようだが、もはや私にとってこんな封印は有って無いようなものだ。杖なし魔法でサクサクっと解呪していると、苦い表情に変わったグリンデルバルドが頷きを返してきた。

 

「そうか。……また世話をかけたようだな。」

 

「まったくね。ヨーロッパに帰ったらリーゼに怒られるといいわ。手ぐすね引いて待ってるみたいよ?」

 

その言葉を聞いてグリンデルバルドの顔が更に嫌そうに歪むが、私としてはいい気味なだけだ。こいつの所為で大事な図書館魔法の研究を中断する羽目になったのだから。解呪が終わった牢のドアを開いて、そのままグリンデルバルドを縛る鎖も外してやれば、彼は立ち上がって身体をほぐし始める。これで私も犯罪者の仲間入りか。初犯にしては大それたことをやっちゃったな。

 

「感謝する、若い魔法使いよ。」

 

「こう見えて同世代なんだけどね。貴方の一個上よ。」

 

肩を竦めて言ってやると、グリンデルバルドは驚いたようにこちらを見つめてきた。こいつはまだ見た目でものを判断しているらしい。未熟者め。……というか、これって言っちゃっても大丈夫なんだろうか?

 

「同世代? それは……つまり、お前もあの吸血鬼と何らかの契約を結んだのか?」

 

「ま、そんなところよ。……それより、さっさとこれを飲んで頂戴。ポリジュース薬よ。さすがにヨーロッパまでひとっ飛びとはいかないから、少し街中を歩くことになるわ。付いて来なさい。」

 

グリンデルバルドにポリジュース薬の入った小瓶を渡してから、持ってきた小さめのスーツケースを床に置いて開く。すると中にはニューヨークの路地裏の風景が広がっていた。外にある別のスーツケースと繋がっているのだ。

 

自作の魔法が正常に動作していることを確認しつつ、ひょいとスーツケースの中へと飛び込む。ぐるりと視界が一回転するような感覚の後、先程見えていた路地裏へと飛び出した。

 

「パ……じゃなくて、魔女様! 成功したんですね!」

 

「ええ、大丈夫みたい。グリンデルバルドもすぐ来ると思うわ。」

 

私が出てきたのを見て、こちら側のスーツケースを見張っていた小悪魔が安心したように近付いてくる。『魔女様』か。一応グリンデルバルドの前では名前で呼ぶなと言っておいたのだが……そのまんますぎるぞ。別にいいけど。

 

「……驚いた。見事なものだな。」

 

ポリジュース薬の効果で無個性な男に顔を変えてスーツケースから出てきたグリンデルバルドは、不思議な魔道具に興味津々のようだ。しかし、残念ながら向こう側のスーツケースは回収できない。だから証拠を残さないためにも破壊するしかないと伝えてやると、グリンデルバルドは勿体無いと言わんばかりの様子で頷いてきた。これを使った悪巧みでも考え付いていたのか? 危ないところだったな。

 

「そっちもあの吸血鬼の協力者か?」

 

「この子は私が契約している悪魔よ。……何? その顔は。」

 

「いや……何でもない。」

 

私が他の悪魔とも契約していると聞いて、グリンデルバルドは異常者を見るような目付きでこちらを見てくる。失礼なヤツだな。お前だって同じようなもんだろうが。

 

「魔女様、グリンデルバルドさん、早く行きましょう。脱獄に気付かれたらさすがに面倒ですよ。」

 

「そうね、さっさと行きましょうか。」

 

小悪魔は私の魔法で翼を隠しているし、グリンデルバルドは顔を変えている。服装はちょっと奇抜かもしれないが、そこまで目立ちはしないだろう。……極悪人に悪魔に魔女か。よく考えたらふざけた集団だな。正義のヒーローが来ないといいのだが。

 

雑多なニューヨークの街中を歩きながら、リーゼに指定された場所へと向かう。実に混沌とした街だ。こんなに沢山の人を見るのは久しぶりかもしれない。歩いてるだけでクラクラしてきちゃうぞ。

 

「それで、どうやってヨーロッパまで戻るんだ? 姿くらましも煙突飛行も無理だろう? 船を使うのか?」

 

「『普通』の魔法使いには無理でしょうね。でも、私を一緒にしないで頂戴。」

 

グリンデルバルドと話している間にも、私たち奇妙な一行はビルの隙間に立つ一軒の店にたどり着く。店頭にはカラカラに乾いたイモリだとか、ヤギか何かの頭蓋骨が吊るされているような……つまりはまあ、ノクターン横丁によくある類の店だ。

 

「お邪魔するわよ。」

 

曇りガラスのドアを開けながらカウンターに居た店主らしき女性に声をかけてみると、彼女は悪戯げな笑みを浮かべて挨拶を返してきた。少し緑がかった髪が特徴的な、不思議な雰囲気を漂わせている若い女性だ。

 

「ああ、いらっしゃい。あのコウモリ娘から話は聞いてるよ。」

 

普通の人間にはそうとは分からないだろうが、今の私はこの店主の危険性が理解できてしまう。リーゼ曰く『イカれた悪霊』であるこの店主は、リーゼのお父様の友人らしい。もうその時点でかなりのヤバさだ。

 

「えっと、ミマさん? で合ってるわよね? リーゼから話を聞いてるならご存知でしょうけど、今日は暖炉を借りに来たの。」

 

リーゼの説明によれば、基本的には気の良い嘘つきだが、決して悪霊と呼んではいけないとのことだった。よく分からない説明だったが、勿論わざわざ呼んでみたりはしない。私には虎の尾を踏む趣味はないのだ。

 

「おう、奥にあるから好きに使ってくれ。暖炉なんか何に使うんだか知らんがね。」

 

「感謝するわ。」

 

店主にお礼を言ってから、店内に山積みにされているガラクタの山を崩さないように慎重に奥へと進む。グリンデルバルドは店に入った時から押し黙ったままだし、小悪魔は店主を見ながらぷるぷる震えている。悪魔から見ると彼女の実力は一目瞭然らしい。

 

壁際に設置されているやや大きめの古ぼけた暖炉にようやくたどり着いて、リーゼから渡された魔道具の操作に四苦八苦していると……背後から話し声が聞こえてきた。

 

「なんだい? 欲しいんだったら遠慮せずに持っていきな。下手に使うと死ぬけどね。」

 

「これは……本物の十二面鏡なのか? てっきりおとぎ話の存在かと思っていたが。」

 

どうやらグリンデルバルドがその辺に置いてあったガラクタに興味を惹かれたようだ。勘弁してくれ。好奇心旺盛なのは結構だが、この店は店主からして危険なのだ。商品に触るのはやめておいた方がいいぞ。

 

「余計なことをしないで頂戴、グリンデルバルド。それに店主さん、貴女もよ。売り物なんでしょう? タダで渡してどうするのよ。」

 

「いやぁ、実は近々遠い場所に引っ越す予定でね。どうせ全部は持っていけないから、あらかた処分する予定だったのさ。」

 

それを聞いて手を伸ばそうとするグリンデルバルドを睨め付けて、有無を言わせずこちらに呼びつける。準備は出来た。ならばとっととおさらばすべきだ。

 

なおも後ろ髪引かれる様子のグリンデルバルドを暖炉に押し込み、小悪魔が飛び込むような勢いでグリンデルバルドの隣に収まったのを確認してから、御暇の挨拶をするため店主に向かって口を開く。

 

「それじゃあ、これで失礼させてもらうわ。ご協力どうもありがとう。」

 

「おいおい、本当に暖炉を使うだけなのかい? ……まあいいさ、あのコウモリ娘によろしく言っといてくれ。」

 

「伝えておくわ。」

 

店主に答えながらも、暖炉に設置した魔道具を起動させる。お腹の真ん中を引っ張られるような一瞬の浮遊感の後、目を開けてみればそこは既にヨーロッパにあるグリンデルバルドの要塞……ヌルメンガードだったか? その一室の中だった。魔道具はきちんと動作してくれたようだ。

 

妙な場所に飛ばされなかったことに安心しながら、暖炉から出て煤を払っていると……部屋の中央に置いてあるソファから声が投げかけられた。リーゼだ。隣にはロワーさんの姿もある。

 

「お疲れ様、私の可愛い魔女さん。こあもご苦労だったね。それに……おや? これはこれは、私の忠告を無視して新大陸旅行に行ったマヌケが見えるぞ。ごきげんよう、ゲラート。監獄に宿泊するだなんて中々センスがあるじゃないか。言い訳を聞かせてもらえるかい?」

 

うーむ、私の試練は終わったようだが、グリンデルバルドにとっては今からが本番らしい。皮肉を浴びせかけられる哀れな極悪人の顔を横目にしつつ、パチュリー・ノーレッジはいい気味だとこっそりほくそ笑むのだった。

 



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アリス・マーガトロイドと秘密の部屋
私の幸せな一日


ここから未改稿となっております。文体は徐々に落ち着いてくると思いますので、ここから先も楽しんでお読みいただければ幸甚です。


 

 

「ふむ、相変わらずいい仕事をするようだね。」

 

アンネリーゼ・バートリはマーガトロイド人形店でフランへのお土産を選んでいた。この店の店主である老人は、何年経っても見た目の変わらない私に余計なことを言うわけでもなく、買い手と売り手の関係に徹してくれている。故に私も一定の節度を持って接しているわけだ。

 

ゲラートの『楽しいニューヨーク旅行』からは十年程が経過している。ヨーロッパに戻り、ロシアの魔法コミュニティをほぼ支配下に収めた彼だったが、結局イギリスに攻め入ることはなかった。

 

ヨーロッパ各地のレジスタンスはレミリアの援助の下で組織的な抵抗力を手に入れ、ゲラートの軍隊に対してゲリラ活動を行なっている。その対処に忙しいことが海峡を渡らない理由らしい。怪しいもんだ。

 

結局現在は遅々とした速度で自身の支配力をヨーロッパに根付かせつつ、秘密警察まがいの弾圧に力を入れている。つまり、戦況は膠着状態に陥ってしまったわけだ。

 

「こちらはどうでしょうか? 私の孫が作った物でして。贔屓目を抜きにしても中々の物でしょう?」

 

考えながら飾られた人形を眺めていると、店主が声をかけてくる。受け取ってみれば……なるほど、いい出来だ。丁寧な作りなのは共通しているが、店主の人形が写実的なのに対して、孫とやらはファンシーな人形を作るらしい。

 

「まだ九歳なのですが、人形には随分と関心があるようでして。息子はこの店を継いでくれませんでしたが、私の技術は孫が次代に継いでくれそうです。」

 

九歳でこれか。ゲームの戦況が凍りついている間にも、人間は着々と成長しているようだ。ゲラートに聞かせてやりたいな。

 

「ふむ、じゃあその人形と……これも貰っていこう。」

 

「はい、いつもありがとうございます。」

 

店主の人形と孫が作ったという人形を一つずつ買う。フランにどっちが好きか聞いてみるとしよう。

 

そんなことを考えながら店主が人形を包むのを待っていると、店の奥から一人の少女がこちらを見ているのに気付く。

 

金髪の肩まである髪に、青い瞳。肌の白さも相まって、まるで等身大の人形のようだ。あれが件の孫だろうか?

 

「……こんにちは。」

 

「こんにちは、お嬢さん。」

 

私が目線を送っていることに気付いたのか、少女はおずおずとこちらに近付きながら話しかけてくる。

 

「あの、わたしの人形を買ってくれるんですか?」

 

「ああ、いい出来だと思ったからね。」

 

やはりこの子が孫だったらしい。人形のような少女が人形を作っているわけか。童話の中の世界観だな。

 

「大事にしてくれますか?」

 

「あー、これは贈り物でね。まあ、贈る相手も人形が好きな子だから心配ないと思うよ。」

 

正直気に入らなければバラバラにされるだろうが、純真そうな少女に伝えるべきではないだろう。賢い私は人間相手にも気を遣うことを学んでいるのだ。

 

「よかった。」

 

安心したように少女が言う。作った人形の心配をするとは、多感な時期ということだろうか。

 

「ああ、申し訳ありません。孫の相手をしてくださったようで。包み終わりましたよ。」

 

店主から包みを受け取り、いくつかの金貨を払って礼を言う。少女に手を振って別れを告げると、遠慮がちに振り返してきた。

 

店のドアを開けて、通りに出たところで紅魔館へと姿あらわしすれば、エントランスは何故か妖精メイドだらけだった。これは……紅魔館中の妖精メイドが集まっているのではないだろうか。

 

「従姉妹様だ!」

 

「従姉妹さまー、遊ぼう?」

 

ワラワラと集まってくる妖精メイドを捌きながら何が起こっているのか見回してみれば、美鈴が必死に妖精メイドに何かを教えているのが見える。

 

「何をしているんだい? 美鈴。妖精メイドに教育しようとしているんじゃないだろうね?」

 

だとすれば、これほど無駄な行為はないだろう。ヒッポグリフに謙虚さを教えるようなものだ。

 

「あ、従姉妹様! 従姉妹様からも言ってやってくださいよ! ほら、埃飛ばしゲームですよー。楽しそうでしょう? ね?」

 

どうやら美鈴は遊びと偽って掃除をさせたいらしい。悪くない着眼点かもしれないが、残念ながら妖精メイドたちはあまり興味を惹かれていないようだ。

 

「えー、つまんないよー。」

 

「めーりんセンスないなー。」

 

「いやいや、じゃあこっちはどうです? じゃーん、モップかけ競争! ほら、競争ですよ?」

 

アホらしい。美鈴の無駄な努力を尻目に地下室へ向かう。なんたって、結果は分かりきっているのだ。妖精メイドはたとえそれが遊びだったとしても、すぐに飽きてどこかへ別の遊びを探しに行ってしまうのだから。

 

地下にある鋼鉄製のドアをノックして声をかける。フランはもう起きているだろうか?

 

「フラン、私だ。入っていいかな?」

 

「リーゼお姉様? いいよー。」

 

どうやら起きていたらしい。ドアを開けると、フランはベッドに寝転がりながら本を読んでいた。最近のフランは読書家だ。お陰でパチュリーはレミリアに姉が活躍するような本を探せとせっつかれている。

 

部屋を見渡せば、以前よりも物が増えていることがよく分かる。人形たちのために美鈴に作らせた小さな家や、山と積まれた世界各地のボードゲーム、水彩画の道具に、あれは……拷問器具に捕らわれたレミリア人形が心なしか悲しそうな瞳でこちらを見ている。なまじリアルに作られている分ちょっと怖い。

 

あの忌まわしき『情報お漏らし事件』以降、レミリアへの当たりが一気にきつくなった。どうもフランは自分がうまく乗せられたことに気付いてしまったらしい。レミリア必死のご機嫌取りも、あの人形を見る限りでは効果を見せていないようだ。

 

「いらっしゃい、リーゼお姉様。あのビビりヤローはまだイギリスに来ようとしないの?」

 

悲しいことに、フランの口はどんどん悪くなっていく。半分は美鈴のせいで、もう半分は予言者新聞のせいなのだろう。まあ、ゲラートがビビり野郎なのには同意するが。

 

「残念ながら小さなゲラートはお強いダンブルドアが怖いらしいね。未だに海峡を渡ろうとはしていないよ。」

 

「ふん、こんなんじゃあ、いつまで経っても決着がつかないよ。もう殆ど勝ってるのに……つまんなーい!」

 

全くだ。このままゲラートかダンブルドアが寿命で死ぬまで決着がつかないなんてことはないだろうな? 幾ら何でもそんな終わり方は興醒めだ。

 

「ま、もう少し待ってみようじゃないか。……それより、今日は新しい人形を買ってきたんだよ。」

 

手に持った包みを開けながらフランに言うと、飛び起きてこちらに近寄ってくる。

 

「わぁ、今度はどんなお人形? お家を美鈴に増築させたから、いっぱいのお人形で遊べるようになったんだよ!」

 

包みから二体の人形を取り出して並べてみると、片方の人形にフランの目が釘付けになる。どうやら勝負の軍配は若き人形師に下ったようだ。

 

「ふわぁぁあ……スゴいよ。この子、この子、すっごくかわいい!」

 

人形を高い高いしながらフランが部屋の中を飛び回る。とんでもない食いつきっぷりだ。

 

「かわいい、かわいい! リーゼお姉様、これまででいっちばん嬉しいよ!」

 

「それは良かった。その人形はいつも行ってる人形店の孫が作った物なんだ。店で会う機会があったけど、まだ小さな女の子だったよ。」

 

「他には? 他にはその子が作ったお人形はなかったの?」

 

どうなのだろうか? 買ってきた物にしたって店主から勧めてきたはずだ。どう見ても出来は問題ないが、子供が作ったということでまだ店頭には置かせてもらえないのかもしれない。

 

「ふむ、今度行った時に聞いてみるよ。何か希望はあるかい? あるなら頼んでみよう。」

 

「この子のお友だちが欲しい! ダメかな? リーゼお姉様。」

 

人形を抱きしめながらフランが聞いてくる。ダメなものか。今度店主に聞いてみるとしよう。

 

しかし、フランがここまで気に入ってくれるとは思わなかった。あの少女が人形作りを続けてくれれば良いのだが……そういえば、名前を聞き損ねたな。

 

紅魔館の地下室で、アンネリーゼ・バートリは人形のような少女のことを思い返すのだった。

 

 

─────

 

 

「あの、それで、ここがフリルになっているんです。この上からレースを羽織らせると……ほら! 模様が浮き出るんです!」

 

お気に入りの人形に服を着せてみながら、アリス・マーガトロイドはたった一人のお得意様に話しかけていた。

 

初めて会ったのは一年ちょっと前だったか。このお得意様の従妹だという人が、私の作る人形を気に入ってくれたらしい。

 

作った人形を誰かに売るのはあまり好きではなかったのだが、こうして人形たちのために洋服やアクセサリーを定期的に買っていってくれるのを見るに、きちんと大事にされているようだ。それなら私としても文句などない。

 

隣のお得意様を見れば、私よりも少しだけ年上に見える横顔の真っ赤な瞳が興味深そうに細まっている。アンネリーゼさんという名前らしい。ううむ……私の平凡な名前がみすぼらしく思えてしまう。

 

とにかく、どうやら興味を持ってくれたようだ。お父さんに怒られてまで夜遅くまで作業した甲斐があった。

 

どう見ても私とあまり変わらない年齢にしか見えないこのお得意様は、お爺ちゃんが言うには『自分の髪がまだ白くなかった頃』からのお得意様らしい。本当なのだろうか?

 

お爺ちゃんは詳しく話を聞くつもりは無いようだ。隣の庭を覗くべきじゃないのさ、なんて言っていた。私はちょっとだけ興味があるのだが、それを聞いて来なくなってしまったらと思うと、怖くてなかなか言葉に出来ないでいる。

 

「ふぅん? 面白いね。きっとあの子も気に入るよ。貰っていこう。」

 

「ありがとうございます!」

 

無事、お眼鏡に適ったようだ。よかった、これでお小遣いが増える。ようやくピカピカ光る魔法の糸が買えそうだ。

 

「そういえば、今年からホグワーツに入学するらしいね。」

 

「はい、そうです。……あっ、でも、人形作りは続けます!」

 

「んふふ、安心したよ。七年間も新しい人形が届かないと聞いたら、あの子の癇癪が爆発しちゃうからね。」

 

「えへへ、光栄です。」

 

実はホグワーツに行くことは、私にとってあまり嬉しいことではない。お父さんやお母さんと離れて暮らすのは嫌だし、友だちが出来るかも心配なのだ。おまけにこの店で人形作りを楽しむことも出来なくなる。向こうに持っていける道具を選び出すのを考えると、今から億劫なのだ。

 

それでもなんとか人形作りは続けるつもりでいる。こうして待ってくれる人もいるわけだし。それこそが職人の誉れだ、とお爺ちゃんなら言うだろう。

 

「しかし、ホグワーツねぇ。……ダンブルドアはいつになったら動くのやら。」

 

アンネリーゼさんがポツリと呟く。ダンブルドア? あの、アルバス・ダンブルドア先生のことだろうか?

 

なんでも、大陸の方ではグリンデルバルドとかいう物凄い悪い魔法使いが暴れ回っているらしい。そいつと戦っているスカーレットという人が、悪い魔法使いを倒せるのはダンブルドア先生だけだと言っているらしいのだ。

 

アンネリーゼさんもそう思っているのだろうか? でも……ダンブルドア先生にはホグワーツを守って欲しい気もする。ううむ、難しい。

 

眉を顰めて考え込んでいると、アンネリーゼさんが微笑みながら声をかけてくる。

 

「おっと、ごめんごめん。キミが気にするようなことじゃないさ。ホグワーツでは色々と楽しんでくるといい。」

 

「はいっ!」

 

アンネリーゼさんのこの優しい微笑みは大好きだ。こういう顔を見ると、やっぱり年上なんだなぁと実感する。

 

しかし、アンネリーゼさんもホグワーツの卒業生だったりするのだろうか? さっきダンブルドア先生のことを呼び捨てにしてたし、もしかして同世代とか? どうしよう、聞いてみようかな? お爺ちゃんの話が本当だとすれば、有り得ない話ではないはずだ。

 

「あの……ダンブルドア先生のことを知っているんですか? ホグワーツで一番の教師だって聞いてるんですけど。」

 

「ん? ああ、私の友人が同学年でね。まあ……魔法使いとしては優秀なんじゃないかな。残念ながら、教師としてのダンブルドアはよく知らないんだ。」

 

「そうだったんですか。」

 

あのダンブルドア先生と同学年だなんて、色々と比べられそうだ。私だったら落ち込んじゃいそう。その友人さんも苦労したのかな?

 

聞いてみると、アンネリーゼさんが笑い出す。目に涙を浮かべて笑いながら、その友人さんのことを教えてくれた。

 

「んふっ、むしろ、落ち込んだのはダンブルドアのほうだったかもね。ホグワーツに行ったらその世代の学年首席を調べてみるといい。私の友人の名前がズラリと並んでいるはずさ。」

 

凄い! ダンブルドア先生よりも優秀な成績だったらしい。それなら落ち込むなんてこととは無縁だったろう。私もそのくらい優秀な成績を取れたらいいなぁ。そしたらお父さんもお母さんも夜更かしに文句を言わなくなりそうだ。

 

「その人ってやっぱりレイブンクローだったんですか? それとも……グリフィンドール?」

 

「その子はレイブンクローだったよ。グリフィンドールにはダンブルドアがいたらしいね。……寮が気になるかい?」

 

「はい……その、ハッフルパフだったらどうしようと思って。お父さんはハッフルパフもいい寮だって言うんですけど、そんなこと言う自分はグリフィンドールだし。」

 

お爺ちゃんとお母さんはレイブンクローだったらしい。私だけハッフルパフやスリザリンだったらと思うと不安になる。

 

「まあ、あまり関係ないと思うよ。そうだな……これは内緒の話だよ?」

 

言うと、アンネリーゼさんはこちらに顔を近づけてくる。なんだろう?

 

「今世間を騒がせている、グリンデルバルドってのが居るだろう? 実はあいつは一度捕まっていてね。捕まえたのはハッフルパフ寮の出身者なんだよ。残念ながら、その後アメリカの魔法使いたちが取り逃がしちゃったけどね。」

 

驚いた。とっても凄い魔法使いがハッフルパフには居たらしい。噂の悪い魔法使いを捕まえるだなんて、ダンブルドア先生と同じくらい凄いということだろうか。

 

「とにかく、結局寮なんてのは当てにならないのさ。ハッフルパフにも優秀なヤツは居るし、レイブンクローにもお馬鹿は居る。スリザリンにもマグル好きが……まあ、居るかもしれないだろう?」

 

「えへへ、最後のは想像つかないですね。」

 

二人で笑い合って、ちょっと気分が楽になった。きっと気にしないほうがいいのだ。

 

「アリス、そろそろ出かける準備を……ああ、いらっしゃいませ。どうも作業に集中しすぎていたようでして、お出迎え出来ず申し訳ありません。」

 

「ああいや、キミの孫が代わりに持て成してくれたよ。お陰であの子にお土産もできたしね。……それじゃあ、そろそろ失礼させてもらおうかな、お代はここに置いておくよ。」

 

店の奥から出てきたお爺ちゃんに、アンネリーゼさんが声をかけてから立ち上がる。慌てて私も立ち上がった。お見送りをしなければ。

 

店の外で姿くらましするアンネリーゼさんをお爺ちゃんと見送って、急いでお出かけの準備をする。思ったよりも長いことお喋りをしていたらしい。

 

今日はお父さんとお母さん、それにお爺ちゃんと私、全員揃ってレストランにお出かけする予定なのだ。私の入学祝いということで、とっても高いところを予約してくれたらしい。どんな料理があるのかな? 今から楽しみだ。

 

アンネリーゼさんも来てくれたし、四人で食べる夕食はきっと美味しいはずだ。今日はとってもいい日になる予感がする。

 

急いでお気に入りの服に袖を通しつつ、アリス・マーガトロイドは微笑むのだった。

 



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選択

 

 

「……彼らは我々にとって良き隣人であり、良き友であり、良き同僚でした。彼らのような幸せな家族がいなくなるのは、我々にとって大きな──」

 

雨の降りしきる墓地で、アリス・マーガトロイドは俯いていた。お父さんの同僚が弔辞を読んでくれているが、全然頭に入ってこない。まるで遠い世界の言語のようだ。

 

あの日、レストランでの食事の後、私たちは四人で歩いて帰ることになった。お父さんが酔い覚ましに少し歩こうと言って、大通りから少し外れた道を歩きながらホグワーツのことについてを楽しく話していたのだ。

 

しばらく歩くと、暗がりから二人組の男が飛び出してきた。杖を私に突き付けながら、金を寄越せと脅してきたのだ。見たこともない顔になったお父さんは、彼らに落ち着けと言いながら懐からお金の入った袋を取り出そうとした。それで、それで?

 

思い出せない。思い出そうとすると、頭の中がぐちゃぐちゃになる。赤い閃光と、緑の閃光。お母さんの悲鳴と、初めて聞くお爺ちゃんの怒声。そしてお父さんの……。

 

気が付いたら魔法警察の人が居て、私に大丈夫かと聞いてきた。何のことか全然分からなくて、どうしたの? と聞いてみると、悲しそうな顔で毛布を私にかぶせてきた。

 

よく知らない建物に連れて行かれて、椅子に座ってココアを飲んでいると、お父さんの友人がやってきて私を抱きしめて泣いていた。その後、親戚はいないかと聞かれたり、何があったのかと聞かれたような気がするが……どう答えたのかは覚えていない。

 

気付けばこの場所にいた。葬式? 家族の? 全然現実感がない。誰かが冗談だと言ってくれるのをずっと待っている。そして、そんな私を集まった人たちが悲しそうに見ている。

 

棺が三つ。どうして四つじゃないのだろうか? 私だけ仲間外れになるのは嫌だ。

 

……本当は分かっている。何が起きたのか、どうしてここに居るのか。でも、認めてしまえばもう後戻りが出来なくなるようで怖いのだ。足元に大きな穴が空いているような感覚が続く。頬に何かが伝っている。もしかして、私は泣いているのだろうか?

 

 

 

葬式が終わっても、私は墓の前に佇んでいた。遠くでは魔法省の人が私を待ってくれている。申し訳ないとは思いながらも、ここから離れられる気がしない。

 

ふと近付いてくる足音が聞こえる。振り向かずにそのまま墓を見つめていると、足音の主が話しかけてきた。

 

「辛かろう、アリス。きちんと泣いたかね?」

 

優しい声の主を見上げれば、予言者新聞で見慣れた顔がそこにあった。ダンブルドア先生だ。

 

「分かりません。……多分泣いたと思います。」

 

「そうか。……我慢すべきではないよ? 君には大声で泣く権利があるのだから。我々にそれを抱きとめる義務があるようにね。」

 

「よく分かりません、先生。」

 

ダンブルドア先生は青い瞳に労わるような感情を浮かべながら、私のことを覗き込んでくる。そういえば、私はホグワーツに行けるのだろうか? 変だな、こんな時にこんなことを心配するだなんて。

 

「先生、私は……ホグワーツに行けますか?」

 

「おおアリス、君が心配するようなことは決して起こらないよ。君がそれを望んでくれるのであれば、ホグワーツは君を受け入れるだろう。私が約束するよ。」

 

「そうですか。……私は、行きたいです。お父さんもお母さんも、お爺ちゃんも。それを望んでいましたから。」

 

四人での会話を思い出す。楽しそうに母校の話をしていたあの瞬間を。私はまだホグワーツに入れるらしい。三人は喜んでくれるだろうか?

 

「でも私は……親戚がいません。もう、帰るところがないんです。」

 

「アリスよ、ならばホグワーツが君の家になろう。あの城は少々騒がしいかもしれないが、きっと退屈はしないはずだ。」

 

私の肩に手を置きながら、ダンブルドア先生が優しい声で続ける。

 

「魔法省にはそう話しておこう。君は何も心配する必要はないよ。ただ……きちんと悲しみを受け止めなさい。そして発散するのだ。決してため込んではいけないよ?」

 

ダンブルドア先生の話を聞いていると、もう一つの足音が聞こえてくる。魔法省の人かと思ってそちらを向くと……誰だろう? 紫色の髪をした、綺麗な人だった。隣のダンブルドア先生を見れば、驚いたような顔でその人を見つめている。

 

「ごきげんよう、ダンブルドア。四十年振りくらいかしら? そして……お悔やみ申し上げるわ、アリス・マーガトロイド。」

 

「まさか、ノーレッジ? ……本当に久し振りだね。君は、変わらないな。当時のままだ。」

 

紫色の髪の……ノーレッジさん? が挨拶してくる。私も一応ぺこりと頭を下げておいた。お父さんかお母さんの……いや、四十年振りということは、お爺ちゃんの友人なのかもしれない。

 

「そっちは随分とショボくれたわね、ダンブルドア。ああ、これ。貴女のお得意様から預かってきたわ。」

 

言うとお墓に花を供えてくれる。お得意様……アンネリーゼさんだ! もしかして、この人がレイブンクロー出身の秀才さんなのだろうか。ダンブルドア先生は立ち尽くしながら、未だ呆然とした表情でノーレッジさんを見つめている。

 

「まさか君は、賢者の石を? ……いや、何でもない。忘れてくれ。」

 

「あら、別に教えてあげてもいいのよ? まあ、今の貴方にはあまり興味が無いのでしょうね。昔と違って、力を嫌うようになったらしいじゃない。」

 

一瞬ダンブルドア先生に悲しげな表情がよぎるが、気付けば元の表情に戻っていた。興味深そうにそれを眺めていたノーレッジさんはこちらに向き直り、今度は私に声をかけてくる。

 

「さて、貴女のお得意様からの伝言を伝えるわ。もし貴女が望むのであれば、彼女の屋敷で暮らしても良い、だそうよ。勿論そこからホグワーツに通うことも出来るしね。」

 

アンネリーゼさんの屋敷にですか? と聞こうとすると、ノーレッジさんが人差し指を口元に持っていく。名前を言ってはいけないということか?

 

「えっと、あの方の屋敷に私が住めるんですか? ……その、ご迷惑なんじゃ?」

 

「自分で言うのもなんだけど、私も居候させてもらってるの。結構快適よ? まあ何と言うか、パトロンってやつね。少なくとも彼女は貴女の人形をそのくらい評価しているみたいよ。」

 

パトロンだなんて、昔の貴族みたいだ。アンネリーゼさんはやっぱり凄い家のお嬢様だったらしい。考えていると、話にダンブルドア先生が割り込んでくる。

 

「ノーレッジ、待ってくれないか。『彼女』とやらは信用できる人なんだろうね? 無論、アリス本人が望む場所に行けるのが一番だが。」

 

「もちろん信用できるわ。と言いたいところだけど、こっちを見せたほうが早いわね。……ほら、この人が共同で後見人になってくれるわ。」

 

ノーレッジさんがダンブルドア先生に突き出した羊皮紙を覗き込むと、レミリア・スカーレットという名前が見えた。まさか、あのレミリア・スカーレット? 悪い魔法使いと戦う、大陸の英雄?

 

「これは……なるほど、この方が後見人であればどこからも文句は出ないだろうね。少なくとも魔法省は納得するはずだ。」

 

「貴方はどうなのかしら? アルバス・ダンブルドア。『イギリスの英雄』さん。」

 

「やめてくれ、私には……荷が重いよ。」

 

「いつまでそんなことを言っていられるかしらね。……同期の好で忠告してあげるけど、どうせ貴方は戦うことになるのよ。逃げても無駄なら、きちんと立ち向かいなさい。」

 

何やら大事な話のようだ。しかし、私の中ではぐるぐると考えが回っている。アンネリーゼさんの屋敷に行くかどうか。どうすれば良いだろう? もう私には相談する相手はいないのだ。

 

ふと、お爺ちゃんの言葉を思い出す。『自分の作った物を、望む人がいる。それこそが職人の誉れだ。』……その通りだ。自分の屋敷に住まわせてくれるほどに私の人形を望んでくれているのなら、それに応えたい。私が考えを纏めている間にも、ダンブルドア先生とノーレッジさんの話は続いている。

 

「君は……変わったな。見た目ではなく、心が。昔よりも大きく見えるよ。」

 

「貴方も変わったわ、ダンブルドア。見た目も、心もね。学生の頃は貴方を眩しく思ったものよ。……今はあの頃より霞んで見えるわ。」

 

「今では私が君を眩しく思うよ。……老いたかな?」

 

「気張りなさい、ダンブルドア。後ろばかり見ていては、老いがすぐに追いついてくるわよ。……さて、アリス・マーガトロイド。答えは出たかしら?」

 

どうやら二人の話は一段落したようだ。私はノーレッジさんの目を見ながらはっきりと話し出す。

 

「はい、決まりました。あの方の屋敷にお邪魔させてもらいたいです。」

 

「そう、よかったわ。それじゃあダンブルドア、失礼させてもらうわね。あそこにいる魔法省の役人への説明は任せたわよ。」

 

「人使いが荒いな、そういう所は相変わらずだ。何と言うか……会えて良かったよ、ノーレッジ。またいつか会おう。アリス、君にも会えて良かった。ホグワーツで待っているよ。」

 

前半を苦笑しながら、後半を柔らかい笑みで言ったダンブルドア先生が、魔法省の人の方へと歩いて行く。ぺこりとそちらにお辞儀をしてノーレッジさんへと向き直ると、彼女は杖を持ちながらこちらに手を差し出してきた。

 

「さて、行きましょうか。手を取って頂戴。」

 

一度だけ墓を見つめてから、ノーレッジさんの手を取る。付添い姿くらましで移動する瞬間、なんだか家族の笑顔が見えた気がした。

 

 

─────

 

 

「分かってるよ、パチュリー。」

 

本日何度目かの同じセリフを口に出しながら、アリス・マーガトロイドは9と3/4番線のホームに居た。

 

目の前ではパチュリーがホグワーツでの注意事項を繰り返している。この数ヶ月で分かったことだが、この魔女は意外と世話焼きなのだ。

 

「いい? 特殊な魔法をかけたから心を覗かれることはないけど、閉心術の練習は続けること。それと、授業で分からないことがあったらすぐ手紙を送りなさい。あとは……緊急時の連絡法は覚えているわね? 渡したガラス球を強く握りしめながら──」

 

「心の中でリーゼ様の名前を唱える、でしょ? もう百回は聞いたよ。心配性すぎるよ、パチュリーは。」

 

この数ヶ月は私にとって『激動』と言えるほどに多くの出来事があった。リーゼ様の屋敷に着いたその日に、リーゼ様が吸血鬼であることや、私の人形を気に入ってくれている従妹も吸血鬼であること、噂のスカーレットさんはその姉で、勿論ながら彼女も吸血鬼であること……とにかくイギリスには案外吸血鬼が多いことが分かった。

 

おまけに目の前にいるパチュリーは不老で、えーっと、種族としての魔女らしい。この辺は複雑すぎてあんまり理解出来なかった。とにかく凄い魔女だと思っておくことにしている。

 

驚きと共に始まったムーンホールドの生活だったが、リーゼ様もパチュリーも随分と良くしてくれた。最初はちょっと怖かったが、出てくる食事は美味しいし、勿論血を吸われることもない。一度聞いてみたら、吸って欲しいと言われなきゃ身内からは吸わないよ、と苦笑しながら言われた。なんでも吸血される瞬間は物凄く気持ちいいらしい。ちょっと興味があるが、まだ怖いのでやめておいた。

 

ちなみに屋敷の主人ということで、リーゼ様と呼ぶようにしている。私がこの呼び方をすると、本人はくすぐったそうな笑顔になるのだ。パチュリーのこともパチュリー様と呼んでいたが、そんな畏まった呼び方はこあだけで充分よと言われたので今は普通に呼んでいる。

 

リーゼ様はスカーレットさんと色々なお仕事をしているらしい。そのため秘密が多いということで、閉心術を学んでいるところだ。残念ながら欠片も習得できなかったので、応急処置として今年はパチュリーに魔法をかけてもらった。来年までには頑張ろう。

 

「ああちょっと待って、服が乱れてるわ。……うん、これで良し。」

 

パチュリーが服の乱れを直してくれる。お母さんみたいだ。なんだかくすぐったい。

 

ホームに汽笛の音が響く。どうやら出発の時間が来たようだ。トランクを手に取り、列車のドアへと向かう。

 

「それじゃあ、頑張ってきなさい。色々と学んでくるのよ?」

 

「うん、手紙を書くよ。行ってきます、パチュリー。」

 

「行ってらっしゃい、アリス。」

 

パチュリーにさよならの挨拶をして、列車に乗り込む。隣にコンパートメントの並ぶ通路を歩きながら、空いている場所を探す。……おっと、誰も使っていない席があった。

 

コンパートメントに入り、荷物を上の収納に仕舞って、窓からホームを眺める。パチュリーは……居た。手を振ってくれている。手を振り返すと、汽笛と共に列車が動き出す。パチュリーが見えなくなるまで手を振ってから、窓からそっと顔を離した。

 

「ええと、ここは空いてるかな?」

 

びっくりした。いつの間にか、コンパートメントの入り口に少年が立っている。手を振り終わるのを待っていてくれたようだ。ちょっと恥ずかしい。リーゼ様から教わった、『レディの話し方』を肝に銘じて返事をする。

 

「ええ、私だけだから。もちろん空いているわ。」

 

「よかった。もうあまり空いていそうなコンパートメントがなかったんだ。君も……新入生だよね?」

 

「そうよ。貴方も?」

 

「ああ、僕はリドルだ。……トム・リドル。自分の名前はあまり好きじゃないから、リドルと呼んでくれると嬉しいな。」

 

言いながらこちらに手を差し出してくる。黒髪の、賢そうな整った顔立ちだ。しかし、名前が嫌い? 別に悪くない名前だと思うが。

 

「私はアリスよ。アリス・マーガトロイド。私は……まあ、好きに呼んで頂戴。よろしくね、リドル。」

 

握手を終えると、リドルは荷物を仕舞いながら話しかけてくる。

 

「えーっと、マーガトロイド、君はその……こっちの世界の人なのかい? 僕は魔法使いの血筋なんだけど、ちょっとした手違いでマグルの世界で育ったんだ。」

 

「ええ、そうよ。両親は、まあ、もういないのだけれど。二人とも魔法使いだったわ。」

 

「それはつまり……すまない、妙なことを聞いて。でも、凄い偶然だね。実は僕も両親がいないんだ。」

 

労わるように笑うリドルも、どうやら似たような境遇らしい。マグルの世界云々というのは、その所為なのだろうか?

 

悪いかなと思いつつも慎重に聞こうとすると、コンパートメントのドアがノックされる。ガラス窓の向こうでは、笑顔のよく似合う少女がこちらを見ていた。

 

招き入れると、元気いっぱいの声で捲し立ててくる。

 

「いやー、入れてくれてありがとね! どこも満員でさ、ようやく座れそうなとこを見つけられたよ。」

 

蜂蜜色の髪によく似合う、元気な様子で喋る少女に、胡乱げな目付きで見るリドルの代わりに話しかける。

 

「ええ、その、ここは空いてるわ。」

 

「やー、助かるよ。私はテッサ・ヴェイユ! 今年からホグワーツなんだ。二人は?」

 

「私はアリス・マーガトロイド。貴女と同じ新入生よ。」

 

「リドル。トム・リドルだ。リドルと呼んでくれるとありがたい。それに……僕も新入生だよ。」

 

荷物を片付けると、私の隣にテッサが座る。

 

「二人はやっぱりイギリスの人? 私はフランスに住んでたんだけど、向こうはもう危ないからってホグワーツに入学させられたんだ。」

 

「そうなの? 私はダイアゴン横丁で育ったのよ。今はちょっと離れた所に住んでるんだけれどね。」

 

「へえ、リドルは?」

 

「僕もイギリス育ちだよ。あー、ちょっとした事情で、今は……マグルの孤児院に住んでいる。」

 

「ありゃ……なんか悪いこと聞いちゃったかな? ごめんね。私、頭より先に口が出るってよく言われるんだ。」

 

花が萎れるように元気を無くしながらテッサが言う。それを見たリドルが慌てたように、気にしないでくれと言葉をかけた。

 

「うーん、それならグリンデルバルドのことも知らないんだよね? ちょっと待ってて、この中に……あった!」

 

元気を取り戻したテッサが、自分のトランクを漁って新聞を取り出す。何をするのかと眺めていると、やおらその中の一ページを開いてリドルに突き出す。

 

「ほら、こいつがグリンデルバルド。史上最悪の魔法使いで、こいつのせいで私はフランスにあるボーバトンに通えなくなったんだ。パパの友達もこいつに殺されちゃったんだって。」

 

デカデカと新聞に掲載されている写真の中のグリンデルバルドが、不敵な笑みでこちらを睨みつけている。その背後にはこの男の代名詞にもなった、三角の中に丸と棒が入った紋章が刻まれた壁がある。

 

「こいつが……ええと、どんな悪い事をしたんだい? まあ、見た目からして善人じゃなさそうだけど。」

 

「沢山の魔法使いと、もっと沢山のマグルを殺しまくったんだよ。パパが言うには、恐怖政治で新しい魔法界を作り出そうとしてるんだって。大陸の方じゃあ、抵抗してるのは猫の額ぐらいの地域だけだよ。」

 

「そんなに凄い魔法使いなのか……。イギリスは? ホグワーツは安全なのかな?」

 

二人の会話を聞きながら新聞を読む。そういえばスカーレットさんってどんな人……じゃない、吸血鬼なんだろう? リーゼ様が言うには、自分より小さくて可愛いらしい。そんな方がこの男とやり合っているのは……うーむ、想像が付かない。私がまだ見ぬレミリアさんの姿を想像している間にも、二人の話は進んでいく。

 

「ホグワーツは安全だよ。だからこそ私が放り込まれちゃったわけ。なんたってホグワーツにはダンブルドア先生が居るし、レミリア・スカーレットもイギリスに居るらしいしね。」

 

「ダンブルドア先生……あの人か。えーと、レミリア・スカーレットってのは?」

 

「グリンデルバルドがヤバい奴だってかなり前から言ってた人なんだ。でも、昔の魔法省とか連盟の人たちは全然信じてなかったらしいよ。それでもヤツの計画を暴いて知らせてくれたり、危険な場所に警告を送ってくれたりし続けてるんだって。パパは彼女の言葉に最初から従っておけば、大陸がこんなになることは無かったって言ってた。」

 

そんな人と友人のリーゼ様はやっぱり凄い。言っちゃダメだと言われているが、それが無ければ大声で自慢したいくらいだ。

 

「へぇ……もうちょっと読んでみてもいいかい? その、あんまり見たことがないんだ、こっちの新聞は。」

 

「もちろん! 好きに読んじゃってよ。なんなら、グリンデルバルドの顔に落書きしてもいいよ。」

 

言うテッサに苦笑しながら、リドルが新聞を読み始める。彼女はそれを横目にして、今度はこちらに話しかけてきた。

 

「ねえアリス、アリスはどの寮に入りたいかもう決めてあるの?」

 

「そうね……入りたいのはレイブンクローだけど、特に拘ってはいないわ。」

 

「えー? 私は絶対グリフィンドールがいいなぁ。勇敢な魔法使いはみんなそこ出身だって聞いてるよ。」

 

「まあ、どこであろうと学ぶ内容は変わらないはずよ。そういう意味では、正直どこでもいいんじゃないかしら。」

 

リーゼ様と同じような会話をした日を思い出してしまう。瞑目して、考えを振り払う。今は考えるべき時じゃない、忘れよう。

 

「んー、まあ、そうだけどさぁ……。リドルは? 寮については知ってる?」

 

「ん? ああ、四つの寮に別れているってのは知ってるよ。ただ、詳細はよく知らないな。」

 

「教えてあげるよ! えっとね、まずはグリフィンドール。勇猛果敢で、恐れを知らぬ者が属する寮。次にレイブンクロー。英知を求める、頭のいい魔法使いが多い寮。」

 

指折り数えながら、テッサがリドルに説明していく。

 

「そんでもって、ハッフルパフ。温厚で優しい、協調を重んじる寮。それと最後にスリザリン。機知と狡猾さを纏った、団結主義の寮。この四つだよ!」

 

思ったよりも公平な説明だ。魔法使いの家庭で育つと、大体どこかの寮を悪く言うものだが。他国から来たからなのかもしれない。

 

ちなみにパチュリーの説明ではこうなる。向こう見ずで馬鹿なグリフィンドール、頭でっかちの陰険レイブンクローに、間抜けで事なかれ主義のハッフルパフ、最後に被害妄想で純血狂いのスリザリンだ。テッサの説明と比べると天と地だ。

 

「ふむ……その中だと、そうだな、レイブンクローかスリザリンがいいかな。」

 

「ありゃー、人気ないのかなぁ、グリフィンドールって。」

 

「そんなことないわよ、件のダンブルドア先生もグリフィンドールだしね。」

 

パチュリーが言うには、学生時代のダンブルドア先生は気取り屋で自信過剰だったらしい。まさか嘘を言っているとは思わないが、少々信じ難い話だ。

 

「まっ、今日の夜には決まるわけだしね。心配しても仕方がないか。」

 

「えーっと、もしかしてテストみたいなのが有るのかい?」

 

心配そうに聞くリドルにパチュリーからの情報を伝えてやる。

 

「なんでも、公開精神鑑定みたいなことをするらしいわ。特に準備は必要ないんだって。」

 

「テストじゃないのは良かったが……公開精神鑑定?」

 

「一緒に住んでる卒業生が言うにはね。まあ、ちょっと皮肉屋な魔女だから……そこまで酷いことにはならないはずよ。」

 

残念ながらリドルの不安は払拭されなかったようだ。むしろ、さっきよりもひどくなっている。

 

 

 

教科書の内容について三人で話していると、コンパートメントのドアがノックされて声が聞こえてくる。

 

「車内販売です。よろしければいかがですか?」

 

すぐさまテッサが反応し、ドアを開いて物色を始める。隙間から覗き込んで見るが……お菓子ばっかりだ。

 

「おおー、イギリスのお菓子も美味しそうだねぇ。これと……これも下さい。」

 

買いまくるテッサを横目にリドルを見れば、彼も案外興味がありそうだった。お菓子云々ではなく、魔法界の物が珍しいのかもしれない。

 

テッサが私を見たので、瓶入りの水だけを買う。どう見ても小悪魔さんが用意してくれたお弁当のほうが美味しそうだ。リドルは奇妙な色の飴の詰め合わせを一つだけ買ったらしい。

 

猛然とした勢いでお菓子を食べ始めるテッサを見ながら、お弁当を開く。小悪魔さんは私の大好きなベーコンとトマトのサンドイッチを詰めてくれたようだ。取り出してみれば何かの魔法がかかっているのか、まだ温かくてパリパリだ。サンドイッチを頬張ると……やっぱり美味しい。

 

リドルを見れば、駅の構内で買ったのか、紙袋に包まれてべちゃべちゃになったハムサンドを頬張っている。彼の孤児院は、どうやら弁当を持たせてくれるような場所ではないらしい。

 

少し迷った後、おずおずとランチボックスを彼のほうに差し出す。

 

「お一つどうかしら? 嫌いでなければだけど。量が多くて、食べ切れなさそうなの。」

 

「あ、ああ……ありがたく頂くよ。」

 

リドルは驚きながらも一つ掴み取って口に運ぶ。目を見開いているところを見るに、お口に合ったようだ。

 

「美味しいな。マーガトロイドの……えっと、親戚? 孤児院ではないんだよな? その人は料理が上手いんだろうね、羨ましいよ。」

 

「ええと、メイドみたいなものかしら? とにかく私を引き取ってくれた人は凄いお嬢様で、その家の使用人の一人が作ってくれたの。その人に美味しく食べてもらえたって伝えておくわ。」

 

「何というか……複雑だね。マーガトロイドもそのお嬢様? に仕えてるとか?」

 

「仕えてるという感じではないんだけど……そうね、職人として雇われている感じかしら?」

 

言ってはいけないことが多すぎて、いまいち説明が難しい。さっさと話題を切り上げたほうがいいかもしれない。

 

「職人? なにかを作っているのかい?」

 

「ええ、ちょっと待って……これよ。」

 

トランクから人形を取り出す。最近作った中では一番いい出来だ。従妹さんにあげようかとも思ったが、次の人形の参考にするために取っておいてある。

 

「これは、凄いな。」

 

「うっわ、何それ? すっごい可愛いね。」

 

一心不乱にお菓子を食べていたテッサが、私の取り出した人形に反応してくる。

 

「私の実家は昔から人形を作ってた家系なのよ。そういえば……フランスの血も入ってるらしいわよ。」

 

「うっそ? じゃあ、私とアリスは遠い親戚かもね。まあ、今じゃ血の繋がりがない相手を探す方が難しいだろうけど。」

 

「見事な技術だね。それで、そのお嬢様に雇われてるわけだ。大したもんだよ。」

 

リドルは人形の可愛さではなく、技術的な面で感心してくれているようだ。男の子なんてそんなもんだろう。ともあれ、屋敷の話題からはうまく方向を逸らすことができそうだ。

 

 

 

その後もくるくると話題を変えながら、アリス・マーガトロイドは列車がホグワーツに到着するまで二人と話し続けるのだった。新たな学校生活に想いを馳せながら。

 



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灰かぶりとのクリスマス

 

 

「アリスからの手紙が届いたわよ、リーゼ。」

 

ボソリと目の前の本に呟き、パチュリー・ノーレッジは読書を再開した。声はリーゼの耳元まで飛んでいくだろう。そうなれば、ブーメランのようにリーゼ本人が飛んで来るに違いない。

 

本に目を通しながら机の上のペンを魔法で操り、魔法陣に修正を加える。妹様の……すっかり美鈴の言い方が移ってしまった。妹様のための結界は、ようやく完成に近付いている。

 

問題はこの結界を以ってしても、妹様が紅魔館の中から出ることは叶わないという点だ。先日ついに図書館魔法を完成させ、リーゼからは『動かない大図書館』などと揶揄されるほどに図書館に籠りっぱなしで作業しても、この問題を解決する糸口すら見つからない。

 

まあいい、きっと段階を踏むべきなのだ。少なくともこの結界は今のものより強力だ。内側も、外側も。これさえ完成すれば、不測の事態に備えてスカーレットさんが紅魔館に常駐する必要はなくなる。そうなれば、取り得る選択肢は大幅に増えるはずだ。

 

「パチェ、手紙が届いたんだって?」

 

リーゼが優雅に歩いて来るが、背中の翼がパタパタと動いているのが見える。本人は知らないようだが、これはリーゼが嬉しい時の癖だ。長い付き合いの中で発見した。無論本人には教えてやらない。面白いからだ。

 

「ええ、ほら……これよ。」

 

本に目を向けながら、届いた手紙をリーゼの手元に飛ばす。当然未開封のままにしてある。以前先に読んだら、しばらく拗ねていたのだ。子供か。

 

「ふむ……自寮にも他寮にも友達がいるらしいね、どうだいパチェ? 現時点でキミの学生生活を追い抜いたようだよ?」

 

「……そのようね。まあ、当然でしょう。どこかの吸血鬼さんと違って、あの子は性格が良いもの。」

 

くつくつと笑いながら、リーゼが読み終わった手紙を差し出してくる。目を通すと……まあ、悔しいがリーゼの言う通りだ。私などよりよっぽど学生らしい生活を送っているらしい。

 

「クリスマス休暇には帰ってくるみたいね。」

 

「今年のパーティーはこっちで開ければいいんだがね。紅魔館にはアリスが行けないし、こっちにはレミィが来られない。ままならないもんだ。」

 

「そうでもないかもよ。」

 

言って机の上を指し示せば、リーゼが驚いたように魔法陣を確かめる。

 

「おいおい、もう完成しかけてるじゃないか。やるな、パチェ。さすがは私が育てた魔法使いだ。」

 

「いびった、の間違いね。こあ! 貴女も読みたいでしょう?」

 

リーゼと軽口の応酬をしつつ、遠くで本の整理をしていた小悪魔を呼ぶ。あの子も手紙が気になっているはずだ。アリスにはよく、お姉さんぶって世話を焼いていたのだから。

 

「あっ、リーゼ様、お疲れ様です。」

 

ふよふよとこちらに飛んで来ながらリーゼに挨拶をした後、手紙を受け取る。嬉しそうだ。やはり気になっていたらしい。

 

「これでレミィも自由に動けるようになるわけだ。盛り上がりなく延び延びになっているゲームにも、ようやく方が付くかもしれないね。」

 

「っていうか、まだ続いてたのね。」

 

正直リーゼは飽き飽きしているようだ。もうこっちの勝ちでいいじゃん、という気分らしい。しかし、残念ながらスカーレットさんは未だに敗北を認めないでいる。キングが残っていれば、他に駒が全てなくなっても負けてはいないと主張しているようだ。

 

「かなり譲歩したんだがね、どうしてもダンブルドアと直接闘わせないと気が済まないらしい。まあ、レミィの今までの努力を思えば涙ぐましい要求だよ。」

 

「運命、だったかしら? それを読んでみるのは無理なの? せめて闘いが実現するかどうか分かれば、まだマシなんじゃない?」

 

「嘘か真か、『実現する』とレミィは主張しているがね。時期も、場所も、勝敗も、個人か集団かも不明だよ。フランは時間稼ぎだと言っているし、美鈴もそう思っているらしい。」

 

「あら? 貴女はどうなのかしら? その言い方だと、リーゼはスカーレットさんのことを信じてるみたいね。」

 

聞くと、リーゼは苦笑しながら答えてくれる。

 

「そうあって欲しい、という感じかな。このままズルズルと終わるくらいなら、たとえ負けてもいいから壮大なラストが私の好みなのさ。」

 

壮大なラスト、ね。大軍のぶつかり合いか、もしくは死力を尽くした決闘あたりがリーゼの望みなのだろう。

 

「ま、私には関係ない話ね。とにかく、この魔法陣が完成すれば状況は動くでしょう。ゲームも、妹様もね。」

 

「そうだね。キミだけが頼みの綱だよ、私の魔女さん。」

 

「そのお軽い口もどうにかしてあげましょうか?」

 

気障な台詞をばっさり切り捨てて小悪魔の方を見れば、ニコニコ顔で手紙を読んでいる。

 

「嬉しそうね、こあ。」

 

「はい、パチュリーさま! アリスちゃんが帰ってくれば、また楽しくなりそうですから。」

 

「おや? 普段の我が屋敷は、偉大なる小悪魔殿にとっては退屈な場所なのかな?」

 

「ひゃっ、そんなことありません! 言葉の綾です!」

 

リーゼが標的を変えて小悪魔を苛め始める。どうやら、あの子にはまだリーゼの軽口は荷が重いらしい。助けてやった方がよさそうだ。

 

「私の使い魔をあまり苛めないで頂戴。ほら、こあ、作業に戻りなさい。リーゼと話してると性格の悪さが移っちゃうわよ。」

 

「はいっ! あの、失礼します!」

 

「キミも段々と口が悪くなっているよ? 気付いてないのかい? パチェ。」

 

なんということだ、既に私は感染済みだったらしい。そういえばそんな気がしないでもない。

 

「ま、まあ、別にいいでしょ。私は誰と話すわけでもないんだから。」

 

「ふーん。まあ、アリスに嫌われないように気をつけるんだね。」

 

捨て台詞を残してリーゼが図書館を出て行く。アリス? そうか、あの子がいたか。アリスに邪険にされているところを想像してみる……むう、これは心にくるな。

 

そっと目の前の本を閉じながら、パチュリー・ノーレッジは先達の知識に助けを求めるため、役立ちそうな本を探しに歩き出すのだった。

 

 

─────

 

 

「ただいま、パチュリー。」

 

駅のホームでアリス・マーガトロイドは目の前に立つパチュリーにそう告げた。

 

ホグワーツの生活もそろそろ四ヶ月になりそうな冬の日、クリスマスの休暇をムーンホールドで過ごすためにロンドンに帰ってきたのだ。

 

「ええ、お帰りなさい、アリス。行きましょう、リーゼが待ちくたびれてしまうわ。」

 

言いながら歩き出すパチュリーに続いて、私も駅に設置してある暖炉へと向かう。

 

結局、レイブンクローに組み分けされた私のホグワーツでの暮らしは、中々充実したものになってきたところだ。ルームメイトとも気軽に話せるようになったし、グリフィンドールのテッサやスリザリンのリドルとの交友も続いている。

 

クリスマスプレゼントに何を送ろうかと考えながら、パチュリーの後に続いて暖炉に入った。

 

「ムーンホールド!」

 

煙突飛行ですぐさまムーンホールドに到着する。ホグワーツ特急なんかよりこっちの方が早いのに。まあ、このご時世だ。侵入経路に過敏になるのは当然かもしれない。

 

「アリス、お帰り。」

 

「お帰りなさい、アリスちゃん!」

 

ムーンホールドの暖炉の前ではリーゼ様と小悪魔さんが待っててくれていた。挨拶を返しながら、みんなでリビングへと向かう。

 

「さて……それで、どうだい? ホグワーツでの生活は?」

 

「はい、楽しいです。 お友達も沢山できました!」

 

リビングのソファにゆっくりと座り、お茶の用意を始める小悪魔さんを眺めながら聞いてきたリーゼ様に答える。色々と苦労することもあったが、授業も寮生活も概ね満足している。

 

「そうか、それは良かった。パチェとは雲泥の差のようでなによりだよ。」

 

「しつこいわよ、リーゼ。アリス、授業のほうはどうなの? 何か分からなかったことがあるなら教えるわよ?」

 

「えーっと……実は、魔法薬学が苦手で。あんまり上手く作れないの。パチュリー、教えてくれない?」

 

他の授業では上位の成績を取れているのだが、魔法薬学だけは何故か上手くいかないのだ。大体、教科書に書いてあることが曖昧すぎる。『種を弱めの力でゆっくりと潰す』なんて書かれても、抽象的過ぎてよく分からない。

 

おまけに、スラグホーン先生がそれにも増して抽象的な説明をしてくるのだ。いくら優秀な先生だと分かっていても、あれにはうんざりしてしまう。

 

「魔法薬学ねぇ……ま、いいわ、教えてあげる。いくつか役立ちそうな本もあるしね。」

 

その役立ちそうな本とやらには正確な分量が載っていることを祈りつつ、小悪魔さんの淹れてくれた紅茶に口をつける。ホッとする味だ、やっぱりホグワーツの物よりおいしい。

 

「他の授業はどうなんだい? 杖での魔法なら私が教えてあげられるよ。」

 

「貴女に魔法を教えたのは私だけどね。」

 

リーゼ様に鋭い突っ込みを入れたパチュリーが睨まれているのを見ながら、どうしようかと思考する。杖を使った呪文は今のところ完璧だが……リーゼ様は自分も何か教えたさそうだ。無下にするのも何か悪い気がする。

 

「ええと……それなら、先の呪文を予習しておきたいです。」

 

「ああ、任せておいてくれ。私が完璧にマスターさせてあげよう。」

 

胸を張るリーゼ様の翼がパタパタと動いている。それを見たパチュリーが急に笑いを堪え始めた。どうしたんだろう?

 

「どうした? パチェ。気でも狂ったのかい?」

 

「な、なんでもないわ。それより、クリスマスの予定を教えてあげなさいよ。」

 

「変なヤツだな……まあいい。アリス、クリスマスにはレミィ……レミリア・スカーレットが来る予定なんだ。小さなパーティーをするから、そのつもりでいてくれ。」

 

なんと、有名人がクリスマスパーティーに来るらしい。友人なのは知っていたが……どうしよう、ドレスローブなんて持ってない。

 

「分かりました。あの、でも……私、フォーマルな服は持ってません。」

 

「ん? ああ、いつもの格好で構わないさ。アリスが思っているほど大したヤツじゃないからね。……ただまあ、一着くらい持っておくのは賛成だ。そのうち買いに行くとしよう。」

 

「その時はついでに私の研究材料もよろしくね。」

 

「さすがは『動かない大図書館』だね。太るよ? パチェ。」

 

「お生憎様、もう体型は変わらないわ。永遠にね。」

 

リーゼ様とパチュリーの会話を聞きながら、小悪魔さんと目線を合わせてくすくす笑い合う。家に帰って来たのだという実感が湧いてきた。

 

体がポカポカと温かくなるのを感じながら、アリス・マーガトロイドは笑みを顔に浮かべるのだった。

 

 

─────

 

 

「さあ、行くわよ美鈴! はやくはやく!」

 

テンション爆上げのお嬢様の声を聞きながら、紅美鈴は久々に取り出すお嬢様のお出かけセットの準備に手間取っていた。

 

もう夜になるから日傘は抜いて、日焼け止めクリームも要らないし……なんだこれ? 葉巻まである。しかし、このセットを引っ張り出すのは少なくとも半世紀振りのはずだ。葉巻って期限とかあるのだろうか?

 

「めーりーん! まだなのー?」

 

ええい、置いていこう。どうせ従姉妹様のパーティーに出るだけなのだ。幼児退行したかの如くはしゃぐお嬢様の限界は、そろそろリミットを迎えるはずだ。

 

「今行きますよー!」

 

大声でエントランスに向かって叫んでから部屋を出る。パチュリーさんの結界が完成して、一番喜んでるのは間違いなくお嬢様だ。もっとも、結界の強度を確認したら妹様を館の中限定で部屋の外に出せるようになるらしいので、そうなれば妹様が首位を奪うことになるだろう。なんたって四百年くらい地下室生活なのだ。出られるのが館の中だけでも大喜びするはず。

 

エントランスではお嬢様がぴょんぴょん飛び跳ねながら待っていた。これは……本気で幼児退行してるんじゃないか?

 

「おっそいわね! さ、行きましょう。」

 

後ろにはエントランスにわらわらと集まって、ハンカチを振っている妖精メイドたちが見える。悪ノリをさせれば彼女たちに敵う存在はいない。

 

「はいはい。それじゃあ、行きましょうか。……行き先を叫ぶんですからね?」

 

「そのくらい知ってるわよ! とっとと先に行きなさい!」

 

蹴り飛ばされて暖炉の中に入れられた後、煙突飛行粉で炎を緑色に変える。……なんか順番が違う気がするが、まあ構いやしないだろう。

 

「ムーンホールド!」

 

ぐるんぐるんと回りながらムーンホールドの暖炉へ一瞬で移動する。私は実はこの移動法が好きだ。……残念ながら従姉妹様もパチュリーさんも同意してはくれなかったが。

 

ムーンホールドの暖炉に出ると、従姉妹様にパチュリーさん、小悪魔さんに……あれがアリスちゃんか。全員が勢揃いだ。後ろにはエマさんやロワーさんの姿もある。

 

思わず手を振ろうとすると、いきなり頭上からお嬢様が降ってきた。

 

「ぐえっ。」

 

「ふぎゅ!」

 

転んでしまったではないか。頭に激突したお嬢様が変な声を出したのを聞きつつ立ち上がる。身体中灰だらけだ。

 

「うぐぅぅ……おいコラ、美鈴! 痛いじゃないの!」

 

「お嬢様のせいですよ! 普通はもっと時間を置くんです!」

 

私の名誉のためにもお嬢様に反論しておく。続けて煙突飛行をする時は、間を空けるのが魔法界じゃ常識だ。

 

「しっ、知らないわよそんなの! ぇほっ、灰が舞うから、ぇほっ、動かないでよ!」

 

「くふっ、レミィ、私を、ふふっ、笑い殺すつもりかい?」

 

従姉妹様がお腹を抱えて笑っている。当然だ、こんなもん私でも笑うだろう。パチュリーさんは顔を背けているが絶対笑っているだろうし、小悪魔さんとアリスちゃんは必死に俯きながら堪えているのが見える。

 

「失礼いたします。」

 

トコトコとロワーさんが歩いてきて、指をパチンと鳴らすと私とお嬢様の纏っていた灰が消え去る。というか、ロワーさんは無表情だ。あれを見ても表情を変えないとは……使用人の鑑である。

 

「ふふっ、残念だったね、レミィ。灰だらけのままだったら、王子様が迎えにきてくれたかもしれないのにね?」

 

「うっ、うるさいわよ! ……んん、っこほん、ご機嫌よう。お招きにあずかった、レミリア・スカーレットよ。」

 

お嬢様が何事もなかったのように言い始めるが……いやいや、いくらなんでも無理があるだろう。パチュリーさんはとうとう突っ伏して、声を殺して笑っている。

 

「あ、案内はどうしたのかしら? リーゼ、リーゼ? おいコラ! いつまで笑ってんのよ!」

 

「しっ、失礼したね。んふっ、では行こうか。」

 

先導する従姉妹様と一緒にその場の全員が歩き出す。妖精メイドにもこれを練習させるべきだろうか? まあ……無駄か。

 

パーティー会場はこじんまりした部屋だった。身内だけのパーティーだからだろう。いや、それでも充分広いが。

 

「さて、グラスも行き渡ったみたいだし、始めるとしようか。今日は無礼講だ。好きに飲んで食べてくれたまえ。では……乾杯!」

 

従姉妹様はお嬢様と違って、長々とした挨拶はしないらしい。私としてはこっちのほうがいい。呪文みたいな挨拶をされても、お腹は膨れないのだ。

 

それぞれに歓談しているのを眺めながら、とりあえず手当たり次第に食いまくる。『腹が減っては何も出来ぬ』。昔とある大妖怪に聞いた言葉だ。座右の銘にしている。

 

大きなローストチキンにそのまま齧り付いていると、従姉妹様がアリスちゃんを連れてやって来た。

 

「やあ、満足してくれているかい? 美鈴。知っているだろうが、この子がアリスだ。アリス、こっちは紅美鈴。紅魔館の……あー、管理をやっている妖怪だ。」

 

「アリス・マーガトロイドです。よろしくお願いします。」

 

「んぐっ、はいはい、話はよく聞いてますよ。紅美鈴です。よろしくお願いしますね。」

 

肩口までの金髪をさらりと零しながら、アリスちゃんがぺこりとお辞儀してくる。対する私はローストチキンを片手に持っての挨拶だ。食いしん坊キャラとして認識されてしまったかもしれない。

 

「あの、美鈴さんはとっても長生きな妖怪さんなんですよね? やっぱり凄くお強いんですか?」

 

「んー、西暦が始まる前から生きてはいますけどねぇ……上には上がいるもんですよ。妖怪なんかは種族差も大きいですからね。」

 

答えるとアリスちゃんはびっくりしている。まあ、長生きしたからってどうということはないのだ。実際、お嬢様や従姉妹様と本気でやり合ったら負けちゃうかもしれない。

 

「西暦が始まる前、ですか。なんだか、スケールが大きすぎて実感が湧かないですね……。」

 

「おいおい、そこまでとは思わなかったよ。普通に大妖怪じゃないか。」

 

「大陸だと珍しくないんですけどねー。私が生まれた頃から大妖怪って呼ばれてるのもいますし。」

 

「ま、あまり畏まらずに接することだよ、アリス。正直なところ百年くらいを区切りに、そこから先はあんまり年齢を当てにするもんじゃないのさ。」

 

それには私も同意する。長く生きすぎると色々と忘れちゃう上に、あんまり成長しなくなっていくのだ。確かに最初の百年くらいが区切りかもしれない。

 

「そ、そういうものなんですか。」

 

「そうですねー。長生きってのは、実はそんなに自慢にならないんですよ。私を見れば一目瞭然でしょう?」

 

どう反応すればいいのかと困っているアリスちゃんの後ろから、ロワーさんに傅かれてご満悦なお嬢様がやってくる。

 

「あら、リーゼ。可愛い人形師さんに、私のことも紹介してくれないかしら?」

 

「ああ、そうだね。アリス、こっちが我が愛しのコウモリ友達、レミリア・スカーレットだよ。」

 

「あっ、はい。アリス・マーガトロイドです。よろしくお願いします。」

 

「ええ、妹が貴女の人形をとても気に入っているようなの。伝言を頼まれていてね。『いつも可愛いお人形をありがとう』だそうよ。」

 

最近の妹様は常にアリスちゃんが作った人形を連れて歩いている。間違いなく実の姉よりも大切に思っているだろう。本人には言わないが。

 

「それは……とっても嬉しいです。今作っている子が完成したら、すぐに届けますね。」

 

「それはありがたいわ。きっとあの子も喜ぶことでしょう。……それと、今日は貴女にちょっとした頼みがあるのよ。」

 

「はい、何でしょうか?」

 

お嬢様が懐から一枚の手紙を取り出す。胸がないと、ああいう場所に仕舞うのに苦労しなさそうだ。

 

「これをアルバス・ダンブルドアに渡して欲しいの。」

 

「ダンブルドア先生に、ですか? そのくらいなら勿論構いませんけど……。」

 

「普通に送ればいいじゃないか。別に問題ないだろう?」

 

従姉妹様の言う通りだ。普通にふくろうで送りつけてやればいいのに。まさかダンブルドアがふくろう恐怖症ということはあるまい。

 

「貴女が……というか、ホグワーツの生徒が渡すことに意味があるのよ。」

 

「えっと、渡すだけなんですよね?」

 

「ええ、普通に渡せばいいだけよ。」

 

どうもまた何かを企んでいるらしい。ゲームのことだろうか? まあ、あのゲームが終わってくれるなら、私としても喜ばしい限りだ。伝書ふくろうみたいな真似をさせられるのは、もううんざりなのだ。

 

「おいおい、アリスを妙なことに巻き込まないでくれよ?」

 

「心配性なのね、リーゼお母さん?」

 

「やめてくれ、レミィにそんな呼び方をされると鳥肌が立つよ。」

 

お嬢様と従姉妹様のやり取りを眺めつつ、テーブルの上にある食事に向き直る。そうだ、話などしている場合ではない。この量だとどうせ余ってしまうだろう、それなら私が食べたほうがきっと料理たちも幸せなのだ。

 

話を楽しむ面々を尻目に、紅美鈴はひたすら料理を口に運び続けるのだった。

 



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スラグ・クラブ

 

 

「んー……。」

 

ホグワーツの生活も二年生の春に突入し、新たに難易度を上げて襲い来る魔法薬学の宿題と、アリス・マーガトロイドは激戦を繰り広げていた。

 

パチュリーに貰った『より正確な』魔法薬学の参考書を持ってしても、私にはこの学問を克服することはできなかったのである。

 

大体、起こる物事に規則性がなさすぎるのだ。同じ材料が全く違う薬に使われたり、材料の刻み方ひとつで結果が変わるなど、私には到底理解できない。

 

……ダメだ、これ以上一人で悩んでいても解決しそうにない。パチュリー曰く、こういう時は図書館に頼るべきだ。

 

談話室の柔らかなソファに別れを告げて、図書館へと向かって歩き出す。ホグワーツの珍妙な廊下にももう慣れた。いつまでも動く階段に惑わされる私ではない。

 

図書館のドアを開け、空いている席がないかと見回すが、試験を控えた五年生や七年生で埋め尽くされている。閲覧机の間を縫いながら席を探していると……リドルだ。

 

いつもの取り巻きに囲まれつつ、リドルは何かを調べているようだ。魔法薬学の教師であるスラグホーン先生が、優秀な生徒を集めて作った『スラグ・クラブ』とやらに入ったリドルは、いつからか取り巻きを従えるようになった。

 

ちなみに私は誘われていない。魔法薬学の成績を見るに、当然のことだろう。

 

さすがにあの中に入っていく勇気はない。諦めて他を探そうとしたところで、こちらに気付いたリドルが話しかけてきた。

 

「ん? やあ、マーガトロイド。君も何か調べものかい?」

 

「ええ、こんにちは、リドル。えーっと……魔法薬学の宿題に手を焼いててね、本の助けを借りようと思って来たの。」

 

「それなら、僕が手助けできそうだ。こっちに座りなよ、これでも魔法薬学は得意なんだ。」

 

誘われてしまったのだから行くしかあるまい。こちらを見てくる取り巻き連中の間を晒し者の気分で通りながら、リドルの向かいに座る。ちなみに先に座っていた上級生らしき人は、リドルの合図で退かされている。側から見ていれば滑稽で面白いかもしれないが、自分のせいだと気まずいだけだ。

 

「ありがとう、リドル。えっと、ここなんだけど……。」

 

「……ああ、そこは確かに難しいね。ここは、先にスズヨモギの葉っぱを刻んで入れればいいんだよ。」

 

「そうなの? 後から入れろって書いてあるけど。」

 

「スラグホーン先生によれば、教科書のほうが間違ってるらしいんだ。僕も実際やってみたけど、上手くいったよ。」

 

だったら授業でそう言ってくれ。どうやらスラグホーン先生は、自分のクラブだけに秘密の指導をしているらしい。迷惑な話だ。

 

私の呆れ顔を見て取ったのか、リドルが慎重な口調で話しかけてくる。

 

「その、君もスラグ・クラブに入らないかい? 僕の推薦なら問題ないだろうし、君の学力はそれに値するものだ。スリザリン生ばかりと思うかもしれないけど、クラブには他の寮生もたくさんいるよ?」

 

「あー、ありがとう、リドル。でも……やっぱりやめておくわ。他の授業ならともかく、魔法薬学はやっぱり苦手だもの。」

 

スラグ・クラブに入ったとして、上手くいくビジョンは見えてこない。誘いはありがたいが、残念ながら私には向いていないのだ。

 

「そうか……それは残念だよ、本当に。」

 

本当に残念そうな顔をするリドルに、ちょっと罪悪感が湧いてくる。申し訳なさそうな私を見かねたのか、リドルが話題を変えてくれた。

 

「そういえば、ダンブルドア先生が君に興味を持っているように思えてならないんだが……何かあったのかい?」

 

「ああ、去年の冬に手紙を渡して以来、ずっと観察されてるみたいなのよね。まあ、理由は分からなくもないんだけど。」

 

「手紙? 誰かから頼まれたとか?」

 

リドルはどうやら興味を持ったようだ。別にスカーレットさんからだということは口止めされていない。グリンデルバルドの勢力下ならともかく、ホグワーツでなら話しても問題ないはずだ。無論、吸血鬼云々は抜きだが。

 

「スカーレットさんから手紙を渡して欲しいって頼まれたのよ。内容は勿論見てないんだけど、色々と聞かれちゃったわ。」

 

「スカーレット? レミリア・スカーレットかい? それは凄いな、知り合いだったとは思わなかったよ。」

 

「前に話した、私を引き取ってくれた方がお知り合いなの。それでちょっと頼まれちゃったってだけよ。」

 

「直接会ったってことだろう? 羨ましいよ、僕にとって話をしてみたい人の一人なんだ。」

 

リドルはスカーレットさんに憧れているクチなのだろうか? 私には『灰かぶり事件』のイメージが強すぎて……いや、凄い人だというのは分かっているが。

 

とはいえ、スカーレットさんについて根掘り葉掘り聞かれるのはあまり良くないはずだ。どこまでが話していいラインなのか分からない、さっさと話題を閉じよう。

 

「その、スカーレットさんのことはあまりおおっぴらには話せないのよ。ここだけの話にしておいて頂戴。」

 

「ああ、勿論だ。重要な人物のことだしね、約束するよ。しかし……君のお嬢様とやらにも会ってみたいな、きっと凄い人なんだろうね。」

 

「ええ、とっても凄い人よ。それに……とっても優しいし、綺麗だし。」

 

「まったくもって羨ましいよ。僕の住んでいる忌々しい孤児院とは雲泥の差だね。」

 

リドルの孤児院は当初の想像通り、あまりいい場所ではないらしい。去年のクリスマスはもちろん帰らなかったらしいし、夏休みの時もホグワーツに居られないかとディペット校長に必死で交渉していた。

 

自分の境遇と少し重なるからなのか、可哀想に思えてならない。……そうだ、せめて夏休みにちょっとだけでも招けないだろうか? リーゼ様に聞いてみようかな。もし大丈夫そうなら、テッサも招いてみようか。

 

「ねえ、リドル? まだ私の保護者に許可を取ったわけじゃないから、もしもの話なんだけど……よければ夏休みに遊びに来ない? もちろん、テッサも一緒に。」

 

「それは……それは、その、嬉しいよ。いや、そうなったら最高だよ。君のお嬢様が許してくれるのであれば、是非お邪魔させてもらいたいな。」

 

予想以上の喜びっぷりだ。リドルがこれだけ喜んでいるのは初めて見るかもしれない。

 

「それは良かったわ。それじゃあ、テッサにも伝えてこないとね。ああ、その前に屋敷に手紙を送らなきゃ。……もし許可が出なかったらごめんなさいね?」

 

「いや、提案だけでも嬉しかったよ。勿論、許可が出るのが一番だけどね。」

 

笑顔のリドルに別れを告げて、手紙を出すためフクロウ小屋へと向かって歩き出す。

 

そういえば、リドルの取り巻きたちは彼を誘ったりはしないのだろうか? 彼らであれば、夏休みの間ずっと家に置いてくれと言っても承諾しそうなのに。

 

リドルに別れを告げた時の、私を見る無感情な瞳の群れを思い出して、アリス・マーガトロイドはちょっとだけ背筋を震わせるのだった。

 

 

─────

 

 

「ちゃんと消えてるかい?」

 

本日何度目かの問いをパチュリーに投げかけつつも、アンネリーゼ・バートリは自分の背中を気にしていた。

 

「しつこいわね、消えてるわ。見事に背中も胸も真っ平らよ。」

 

一言余計なパチュリーを睨みつけながら、翼はきちんと隠せているらしいことに一安心する。これならアリスの友達とやらが来ても問題なさそうだ。

 

当のアリスはダイアゴン横丁でショッピング中だ。そこで待ち合わせて、少し買い物を楽しんだ後にこの屋敷に来る予定らしい。

 

「それで、そろそろ来るんだろう? えーっと……トム・リドルとテッサ・ヴェイユ、だったか?」

 

「ええ、そうよ。何度も何度も聞かないで頂戴。ボーイフレンドを連れてくるわけでもあるまいし、緊張しすぎよ。」

 

「ボーイフレンドだったら歓迎なんかしないだろうに。変なことを言うなよ、パチェ。現実になったらどうするつもりだ。」

 

「アリスは美人だから、このまま成長すればさぞモテるでしょうね。その時は相手を殺さないように我慢しなさいよ?」

 

アリスが誰かを連れてきて、これが私のボーイフレンドです、と言っている場面を想像する……ダメだ、我慢できそうな気がしない。

 

「それは無理だな。」

 

「貴女ねぇ……頑固な父親じゃあるまいし。アリスは人間なんだから、そういう日もいつかは来るのよ?」

 

「ぐむ……まあ、まだまだ先の話だ。あの子はまだ十三歳だぞ。」

 

「私たちにとっては、瞬く間でしょうに……。」

 

私たち、か。パチュリーもすっかり魔女としての考えに染まってきたようだ。……待てよ? アリスも本物の魔法使いへと誘ったらどうだろうか?

 

「貴女の考えが何となく読めるんだけど、決めるのはあの子よ? 提案はまあ……私もしようかと思ってたけど。」

 

「それは分かっているさ。あの子が人間としての一生を選ぶのであれば、それを尊重するつもりだ。だが……こちら側を選ぶのであれば、キミが導いてやりたまえよ? 『先輩』さん。」

 

「ま、あの子に自分の全てが懸けられるほどの願いがあればいいけどね。目指す場所がはっきりしてないと、魔女になんか至れないわ。」

 

自分を作り変えることをも辞さないほどの、強い願い。パチュリーにとっての『知識』であったそれを、アリスは見つけられるだろうか?

 

思考の海に沈んでいると、使用人の鳴らしたノックの音で浮上する。どうやらお客人御一行が到着したようだ。

 

パチュリーと共に応接室へと歩き出す。出不精なこの魔女がきちんと挨拶に向かおうとしているところを見るに、やっぱりパチュリーもアリスの友達が気になっていたらしい。人のことを言えないじゃないか。

 

応接室のドアは使用人に開けさせる。こういうのは第一印象が大事なのだ。そのことはレミリアが身を以て教えてくれた。

 

「ごきげんよう、アリスの友人たち。私がこの屋敷の主人、アンネリーゼ・バートリだ。」

 

アリスの友人を招くに当たって、最近は外に出られるのが余程嬉しいのか、頻繁に遊びに来るレミリアとも一応話し合ったが、まあ別に本名で挨拶して問題ないだろうという結論に達した。

 

一応向こうのキングであるダンブルドアとはあまり関わらないように気を付けているが、その生徒まで気にしていては何も出来ない。幾ら何でも自分の生徒に片っ端から開心術をかけたりはしないだろう。

 

私の挨拶を受けて、まずは黒髪で整った顔をしている少年が立ち上がって挨拶を返してくる。恐らくこいつがリドルだろう。

 

「こんにちは、バートリさん。トム・リドルと申します、訪問の許可を頂けたこと、本当に嬉しく思っています。」

 

セールスマンみたいなやつだな。まあ、この歳でここまで礼儀正しいのは珍しいかもしれない。リドルの挨拶が終わると、蜂蜜色の癖っ毛を波立たせながら、隣の少女が続いて挨拶をしてくる。こっちがヴェイユか。

 

「えっと、テッサ・ヴェイユです。お邪魔して……させてもらっています!」

 

こっちは敬語に慣れていない様子だ。見た目通りのわんぱく娘なのだろう、アリスの話からもそれは知っている。

 

「まあ、あまり畏まらないでくれ。アリスの友人であれば、私にとっても友人さ。それと、こっちの魔女はパチュリー・ノーレッジ。この屋敷の……あー、司書だ。」

 

「どうも、パチュリー・ノーレッジよ。今日はゆっくりしていって頂戴。」

 

さすがに居候と言うのはやめておいた。感謝しろよ、パチュリー。

 

使用人が淹れた紅茶を飲みながら、ホグワーツの生活について聞く。一応はホストなのだから、きちんと話題を回さねばなるまい。

 

「それで、ホグワーツでの生活はどうなんだい? 二年生も終わったことだし、もう慣れたんだろうが……来年からは教科が増えるらしいじゃないか。」

 

「はい、僕は数占いとルーン文字学を取ろうと思っています。」

 

「私はまだ決めてないなぁ。魔法生物飼育学には興味あるんだけど……他のは小難しそうで。」

 

「私はマグル学とルーン文字学にしました、リーゼ様。」

 

三者三様の答えが返ってくる。リドルは優等生タイプ、ヴェイユは……『典型的グリフィンドール生』のようだ。パチュリーがよく使っている言葉である。

 

「占い学以外から選ぶのは賢明な選択だわ。あの授業は取っても意味ないもの。」

 

「パチェ、何か嫌な思い出でもあるのかい? 本に潰されて死ぬって予言されたとか?」

 

「違うわよ、バカね。ただ……不明確なのよ、あの学問は。」

 

それはさぞお嫌いだったことだろう。不明確、パチュリーが大嫌いな単語だ。

 

「えーっと、ノーレッジさんは上級生……じゃあないですよね? もしかして、ホグワーツの卒業生ですか?」

 

ヴェイユが我慢できないとばかりに聞いてくる。確かにパチュリーは学生にも見える見た目だ。賢者の石を飲んだ頃から変化がないというか、ちょっと若返っている気さえする。

 

「パチュリーはダンブルドア先生と同期だったんだって。レイブンクローじゃ知る人ぞ知る伝説の寮生よ。何たって、ダンブルドア先生ですら首席を奪えなかったんだもの。」

 

アリスの自慢気な解説に二人が驚く。レイブンクローじゃそんなことになってたのか。卒業してからようやく尊敬されるというのも、なかなか可哀想な話だ。

 

「その見た目は……若返り薬ですか?」

 

「あんな不健康な薬より、もうちょっと高尚な物よ。まあ、魔女の秘密ってことにしておいて。」

 

パチュリーの言葉の後も、リドルの興味が薄れる様子はない。おいおい、その歳で不老に興味があるのか? 探究心の豊富なことだ。

 

とはいえ、もう聞ける雰囲気ではなくなった。未だ気になっているリドルを他所に、話題は学生時代のダンブルドアに移る。

 

「それじゃあ、やっぱりその頃から人望があったんだ……。やっぱりダンブルドア先生は違うなぁ。」

 

「いつも人に囲まれてはいたわね。快活な秀才、そんな感じだったわ。」

 

どうやらヴェイユはダンブルドアをよほど尊敬しているようだ。私はゴドリックの谷の事件以来見ていないが、アリスの家族の葬儀で話す機会があったパチュリー曰く、『老いたが、謙虚になった』らしい。

 

「快活な、ですか。今のダンブルドア先生からは想像ができませんね。今の先生は……何というか、落ち着いた雰囲気ですから。」

 

「同い年なのにキミとはえらい違いだね、パチェ。老成して落ち着きを手に入れたダンブルドアと、老いない代わりに皮肉屋になってしまったキミ。面白い比較だと思わないか?」

 

「皮肉屋云々はともかく、精神は見た目に左右されるものなのかもしれないわね。貴女を見ていてもそう思うわ。」

 

リドルの言葉を切っ掛けにパチュリーをからかうと……やはりリドルは不老の話に興味があるようだ。今度は矛先がこちらに向かってくる。

 

「あの、その言葉から察するに、バートリさんも見た目通りの年齢ではないのですか?」

 

「んふふ、まあ、その通りだよ。少なくとも、パチュリーやダンブルドアよりは歳上だね。……不老に興味があるのかい?」

 

「その、あります。人並みには。」

 

「ふぅん? まあ、魔法界じゃあ長生きなのは珍しくもないだろう? それと似たようなものさ。それに、詳しく知るには基礎知識がないとね。まずはホグワーツで勉学に励むといいよ。」

 

驚くべき早さでたどり着いたパチュリーでさえ、成人までかかったのだ。十三歳の少年に理解できるとは思えない。勿論理解できたとしても教えてやるつもりもないが。

 

「はい、分かりました。」

 

 

 

それからはとりとめのない話題を肴に、五人での談笑が続いた。それは夕食を終えて別れの挨拶をするまで続いたが、結局その間中リドルの瞳から不老への興味の色が消えることはなかった。

 



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破れぬ誓い

 

 

「今日はそんな話をしに来たんじゃないんだ、ゲラート。」

 

リーゼがグリンデルバルドの話を遮りつつ、苛立ったような口調で言うのを、パチュリー・ノーレッジは黙って聞いていた。

 

ヌルメンガードのグリンデルバルドの自室。石造りの薄暗い部屋の中には、私、リーゼ、グリンデルバルド、ロワーさんの四人がいる……じゃなくて、三人と一匹がいる? いや、人間はグリンデルバルドだけだから……やめよう、これ以上は言語学者の仕事だ。

 

私がアホなことを考えている間にも、リーゼのイライラした声は続いている。リーゼのこういう声色は、あまり聞く機会がないから少し興味深い。

 

「やれレジスタンスの拠点がどうのだの、やれインドへの侵攻予定だの、そんな事はどうでもいいんだ。私が何を言いたいか分かるだろう?」

 

「それは……分かっている。しかし──」

 

「時期ではない、か? 聞き飽きたよ、その台詞は。私たちには人間よりも多くの時間がある。だからこそキミの戯言をこれまで聞き続けてきたんだ。だがゲラート、何事にも限度というものがあるんだよ。」

 

リーゼが椅子に座って足を組みながら、コツコツと地面に着いている片足を鳴らす音が部屋に響く。吸血鬼のお説教は怖いらしい。

 

「イギリスの重要性は承知している。だからこそ準備に時間をかけているんだ。」

 

「それで? 後何年かけるつもりだ? このまま行けば、キミが死ぬほうが早いだろうさ。……そんなにダンブルドアが怖いのかい?」

 

「黙れ、吸血鬼。」

 

「黙らないさ。ヨーロッパで暴虐の限りを尽くす史上最悪の魔法使いさんは、どうやら学校の教師が怖いらしいからね。……どうしたんだい? 震えているじゃないか、お強いダンブルドアの事でも考えているのかな?」

 

「黙れと言った!」

 

グリンデルバルドは怒りで震えている。リーゼの煽りのセンスはともかく、彼ももう少しポーカーフェイスを磨くべきだろうに。

 

杖を抜きそうなグリンデルバルドに対して、座ったままのリーゼはなおも言い募る。

 

「ゲラート、有耶無耶にされるのはもう御免だ。キミはダンブルドアに勝てないと本気で思っているのかい? これほどの影響力を手に入れ、優秀な部下たちに囲まれているのにも関わらず、まだなお彼には届かないと?」

 

冷静な声色に戻ったリーゼに覗き込まれたグリンデルバルドの顔が歪む。何かを噛みしめているような顔だ。

 

「ああ……ああ、そうさ! 俺は怖い! 笑わば笑え! だが……だが俺はあの男にだけは、アルバスにだけは勝てる気がしないんだ。理屈じゃない、それでもそう思ってしまうんだ。」

 

絞り出すような声だった。この男のこんな声を誰が想像するだろうか? 少なくとも今だけは、目の前の男がヨーロッパを恐怖で支配するような人間だとは、誰からも思われないはずだ。

 

グリンデルバルドは言い切るとよろよろと椅子に倒れこむ。自嘲しているような、何かを諦めているような表情だ。

 

「……兵隊どもを使おうとは思わないのか? ダンブルドアがいくら強力な魔法使いとはいえ、今のキミなら方法はいくらでもあるはずだ。」

 

リーゼの声に、グリンデルバルドは伏せていた目を上げる。リーゼの目を真っ直ぐに見つめながら、彼はゆっくりと語りだした。

 

「それは出来ない。……出来ないんだ、吸血鬼。たとえ負けると分かっていても、俺とアルバスは直接闘わねばならないんだ。そうでなければ納得できない。お前にも居ないか? 雌雄を決するのであれば、余人を挟むことは出来ないという相手が。俺にとっては……それがアルバスなんだ。」

 

言葉を受け止めたリーゼの目が少しだけ開かれる。何となく分かる、きっと銀髪の吸血鬼のことを考えているのだろう。もしあの吸血鬼と闘うことになったとしたら、リーゼもきっと私の手出しを許すまい。最後は自分たちだけで決着を付けるはずだ。

 

「そうか……そうだね、私にもそういう相手は居る。」

 

言うとリーゼは懐から一通の手紙を取り出して、それをグリンデルバルドの目の前に置く。

 

「これは?」

 

「読んでみたまえ。キミの運命が書かれているから。」

 

訝しみながらもグリンデルバルドが手紙の封を切って、読み始める。一瞬目を通すだけでいいはずだ。何せあの手紙にはたった一文しか記されていないのだから。

 

「1945年の夏? これは一体何のつもりだ、吸血鬼。」

 

「言っただろう、運命だよ。キミと、ダンブルドアとの。」

 

「予言者にでもなったつもりか? まさかこの日に俺たちが闘うとでも?」

 

「残念ながら、予言というほど大仰なものじゃないよ。ただ……この手紙の主は運命を読めないことがあっても、読み違えることはないんだ。」

 

「それで? 俺がそれを信じるとでも思ったのか?」

 

まあ、そりゃそうだ。いきなりそんなことを言われても、はい分かりましたと信じるヤツはいないだろう。

 

「信じないだろうね。だからこそ、今日はこの魔女を連れてきたのさ。」

 

やれやれ、ようやく出番か。久し振りに杖を取り出して、グリンデルバルドとリーゼの間に立つ。

 

「私が結び手をやるわ。」

 

「何を……正気か? 破れぬ誓いを結べと?」

 

私の言葉にグリンデルバルドが目を剥いてこちらを見てくる。提案者に聞けとリーゼの方を目で示すと、問いかける前に説明を始めてくれた。

 

「安心してくれ、別に正確な誓いを結ぼうというわけではないよ。ただ、そうだね……もし機会が来たなら、闘ってくれればいい。私にとってはそれで充分なのさ。何故なら、そうなる運命だからだ。」

 

グリンデルバルドは理解できないという顔をしていたが、やがて諦めたようにため息を吐きながら、自分の手をリーゼの方へと伸ばした。

 

「正直言って欠片も信じてはいないが、それでお前の気が済むなら結ぼうじゃないか。……本当に『機会があれば』でいいんだな?」

 

「文言はキミに任せるよ。何もしなくてもその時はやって来るんだ、この誓いはキミの心の準備のためにするのさ。破れぬ誓いを結んでおけば、幾ら信じていないとしても……少しは準備をしておこうと思うだろう?」

 

からかうように言いながら、リーゼが伸ばされたグリンデルバルドの腕を握る。グリンデルバルドが応えるようにリーゼの腕を握ったのを見て、杖をそっとグリンデルバルドの手の上に乗せた。実はちょっと楽しみなのだ。なんたって、この呪文を使うのは初めてなのだから。

 

二人の腕に光の鎖が絡み合ったのを確認して、グリンデルバルドに誓いの確認をする。

 

「それじゃあ、ゲラート・グリンデルバルド。貴方は来たる1945年の夏に、もしもアルバス・ダンブルドアと闘う機会が来たと貴方自身の心が認めたのならば、ダンブルドアに勝利するために全力で闘うことを誓うかしら?」

 

「誓おう。」

 

グリンデルバルドがそう言った瞬間、絡み合っていた鎖が炎を纏ったように赤く光りながら消えていった。

 

「んふふ、これでキミは誓いを破れば死ぬことになったわけだ。」

 

「破れぬ誓いに反すれば、結んだ二人ともが死ぬはずだ。」

 

「ゲラート、こんなちゃちな契約で私が死ぬと思わないで欲しいな。私の種族名を思い出してみるといいよ。」

 

イタズラが成功したように、楽しそうに声を弾ませながらリーゼが言う。そんな事だろうと思ってた。大体、私でもどうにかなる契約なのだ、こんなもんでリーゼを殺せるわけがない。

 

「ふん、まあいい、何れにせよ破るつもりはない。あと四年半か……心には留めておこう。」

 

「ああ、楽しみにしておくといいよ、ゲラート。この長い……長かった戦いのフィナーレなんだ、楽しまなきゃ損だというものさ。」

 

肩の荷が下りたような表情で二人が話している。リーゼはともかくとして、グリンデルバルドも何だかんだでスッキリしたらしい。吸血鬼のカウンセリングか……まったく、冗談にもならない。

 

何度目かになる下らない思い付きに蓋をしつつも、パチュリー・ノーレッジは早く帰りたいなぁ、と心の中でため息を吐くのだった。

 

 

─────

 

 

「マーガトロイド先輩!」

 

またか、と心の中でため息を吐きつつ、アリス・マーガトロイドはゆっくりと声の主に振り向いた。

 

「こんにちは、ハグリッド。……また宿題で分からないところがあったの?」

 

「はい、マーガトロイド先輩。そのぅ……魔法薬学でさっぱり分からねえとこがありまして。」

 

この見上げるほどの巨大な一年生と初めて会ったのは、三年生が始まってすぐの学校の図書館でのことだった。大きな身体を窮屈そうに閲覧机の椅子に収めながら、困ったようにしている彼に、何となく声をかけてしまったのだ。

 

それ以来、事あるごとに宿題の手伝いを頼まれるようになってしまったというわけだ。どうもこのルビウス・ハグリッドという後輩は、グリフィンドール寮にあまり馴染めていないらしい。本人は原因が自身の生い立ちにあると思っているようだが、私は安全とは言い難い魔法生物をやたらと談話室に持ち込むからだと睨んでいる。

 

「自分ではきちんと調べたんでしょうね? それでも分からなかったのなら、手伝ってあげるわ。」

 

「へぇ、一応調べはしたんですが……どうにもさっぱりで。」

 

「それじゃあ、図書館にでも行きましょう。……まさかまた、ニフラーをポケットに入れてないでしょうね?」

 

「今日は入れてねえです、マーガトロイド先輩。あいつはこの前怒られて以来、図書館を怖がるようになっちまって……可哀想に。」

 

私はさっぱり可哀想とは思わないが。何せこの前ハグリッドがポケットに潜ませていた時は、あのカモノハシもどきが図書館にある本の留め金を集めまくったせいで、私まで司書さんに怒られたのだ。パチュリーの図書館だったら間違いなく殺されている。

 

「ねえ、魔法生物とはもう少し距離を置いたほうがいいんじゃないかしら? グリフィンドールの人たちは、貴方の『お友達』が点数を減らすから怒っているんだと思うわよ。」

 

図書館へと歩きながらハグリッドに伝えると、彼が信じられないという瞳でこちらを見てくる。

 

「そんなことはできねぇです、マーガトロイド先輩! あいつらは……あいつらはまだ小せえんだ、放っておいたら死んじまいます。」

 

ハグリッドにとっての『小さな赤ちゃんたち』がやってきた悪事を思い返すに、どう考えても禁じられた森の中で放っておくべきだと思うのだが……まあ、私の寮はレイブンクローだ。そのことにそれほど関心はない。

 

と、前方から関心がありそうな人が歩いて来た。グリフィンドールの数少ない私の友人、テッサ・ヴェイユだ。

 

「アリス、こんにちは! それに……ルビウス、また騒ぎを起こしてないでしょうね?」

 

「起こしてねえです、ヴェイユ先輩! おれは、ただマーガトロイド先輩に宿題を教わろうと思っちょるところです。」

 

「こんにちは、テッサ。ハグリッドは無実よ、少なくとも今日はまだ、ね。」

 

テッサはハグリッドの世話を焼く、数少ないグリフィンドール生の一人だ。残念ながら、その努力は未だ実ってはいないらしいが。

 

「あのねえ、ルビウス。アリスだって暇じゃないんだよ? 三年生は課題が増えて大変なんだし、それでなくてもアリスは他にもやらなきゃいけないことがあるの。ほら、宿題なら私が教えてあげるから。」

 

「それは、申し訳ねえとは思っちょりますけど。でも、ヴェイユ先輩はすぐ怒鳴るんで、その……教わりにくいって言うか、何と言うか。」

 

「ちょっとルビウス! どういう意味よ!」

 

確かにテッサは教師役には向かなそうだ。どうして分かんないのよ! なんて怒鳴ってる姿が目に浮かぶ。

 

だがテッサの言う通り、他にやらなければならないことがあるのも事実だ。実はパチュリーからちょっとした課題を出されているのである。

 

曰く、人生を懸けられるほどの目標を見つけなさい、とのことだ。あまりに抽象的で壮大すぎる宿題だが、このことを話すパチュリーの顔は真剣なものだった。どうも将来の進路という意味ではなく、もっと根源的な望みを見つけろということらしい。

 

真っ先に頭に浮かぶのは人形のことだ。どんなに忙しくても日課の人形作りをサボったことはないし、それを苦に思ったこともない。

 

となると……完璧な人形を作ること? うーむ、そもそも何を以って完璧とするのか、それが決まらなければ考えようがない。

 

いつもそこで躓くのだ。『完璧な人形』とは何だろうか? 私は人形に何を望んでいるのだろうか? 何度も考えた疑問がぐるぐると頭を回る。

 

「……アリス! ちょっと、聞いてるの? アリスったら!」

 

「へ? ああ、ごめんなさい、ちょっと考え事をしてたの。」

 

「それならなおのこと図書館に急ごうよ。私もルビウスの宿題を手伝うことになったから、アリスはゆっくり考え事してていいよ!」

 

いつの間にかテッサが一行に加わったようだ。三人で図書館へと歩きながら、ふとテッサとハグリッドに件の疑問を問いかけてみる。他人の意見を聞いてみるのも大事かもしれない。

 

「ねぇ……『完璧な人形』って何だと思う?」

 

「どしたのよ、急に。さっき悩んでたのはそのこと?」

 

「ええ、そうなのよ。何て言うか……ずっと答えが出ないの。」

 

私の問いかけにテッサとハグリッドが考え込む。二人とも、私の趣味が人形作りなのは知っているはずだ。その辺から生まれた疑問だと分かってくれたらしい。

 

「うーん……単純に造形の問題じゃあないんだよね? 何だっけあれ、黄金比? とか、そういうのじゃなくて?」

 

「そうね、それも一つの答えなんでしょうけど、私が知りたいのはもうちょっと……概念的な意味での完璧さかしら。」

 

「概念的ねえ? うーん、難しいなぁ。頭のいいアリスが悩むのも分かるよ。」

 

やっぱりそう簡単に答えは見つからないか、とガックリしていると、悩んでいたハグリッドが徐に口を開いた。

 

「そのぅ……おれには難しいことは分からねえですけど、友達になれるような人形が作れるなら、そりゃあ凄えことだと思います。一緒に遊んだり、勉強したりとか……たまに喧嘩するのも悪くねえ。」

 

それは……それは人形とは言えるのだろうか? そこまでの存在となると、最早それは──

 

「ちょっとルビウス、それじゃあ人間と変わらないじゃないの。アリスが悩んでるのは人形の話なの!」

 

そうだ、それはもう人間と同じだ。感情を持ち、自分で考え、自分で行動する、自律的な……自律的な?

 

それは……それは素晴らしい人形なのではないか? 可能不可能は置いておくとして、そんな人形が目の前にあれば、少なくとも私は狂喜乱舞するだろう。今日あったことを話したり、辛い時には慰めてくれる存在。ポケットの中の小さな友人。

 

足りなかったピースが嵌ったような感覚がする。そわそわと心が浮き立つのを感じながら、こうしちゃいられないと二人に声をかける。

 

「ハグリッド、貴方は天才だわ。ごめんなさい、二人とも。急用ができちゃったの、宿題は二人で片付けて頂戴。」

 

「へ? そりゃあ、ありがとうごぜえます。そんなこと言われたのは初めてです。」

 

「ちょ、ちょっと、どうしちゃったのよアリス! どこ行くの?」

 

二人の声に背を向けて、フクロウ小屋へと走り出す。先ずはパチュリーとリーゼ様に相談しなければなるまい。

 

ホグワーツの廊下を駆け抜けながら、アリス・マーガトロイドは久方ぶりに自分の心が沸き立つのを感じていた。

 



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マッチポンプ

 

 

「会うのは初めてね。ようやく顔が見れて嬉しいわ、アルバス・ダンブルドア。」

 

ホグワーツの教職員塔にあるダンブルドアの私室の中で、レミリア・スカーレットは優雅に一礼していた。

 

「ええ、その通りですな。そして……先にお詫びを申し上げておきます。長年貴女の期待に応えられず、本当に申し訳なかった。」

 

どうやら詫びる気持ちはあるようだが、結果が伴わなければ意味がないのだ。そのことを態度で示すべく、声色を変えて話し出す。

 

「へぇ……私は手紙が届いていないのかと心配だったのだけれど、どうやらふくろうたちは職務を全うしていたらしいわね。」

 

「無論、貴女の手紙の内容については熟考を重ねました。しかし……私にその役目が相応しいとは思えなかったのです。」

 

「本心で話して欲しいわね、ダンブルドア。今日は詫びを聞きに来たわけではないのよ? ……とりあえず、座っても構わないかしら?」

 

「おお、これはとんだ失礼を……どうぞ、お座りください。」

 

応接用と思われるソファに身体を預けながら、そういえばこの男が私の容姿に驚いていないことを思い出す。まあ、こいつも並みの魔法使いではないのだ、そうそう驚いたりはしないか。

 

ダンブルドアが杖をひと振りすると、目の前にティーカップいっぱいの紅茶が現れる。カップといい、部屋の内装といい、どうやらこの男は独特のセンスを持っているようだ。……悪い意味で。

 

口を付けてみると案外美味しかった紅茶をソーサーに置き、ここに来た用件を話すべく口火を切る。

 

「さて、先ほども言った通り、今日は貴方の本心を聞きに来たの。もう……二、三年前になるのかしら? アリス・マーガトロイドに持たせたあの手紙、その返事を聞きに来たというわけよ。」

 

手紙の話題を出すと、ダンブルドアの顔が戸惑いの感情を表す。しかし、しわくちゃになったもんだ。人間というのはすぐ見た目が変わるので、覚えておくのに苦労する。

 

「あの手紙……俄かには信じられない内容でしたが、何か根拠がお有りなのですかな?」

 

手紙の内容から定型文を抜いて要約すると、貴方が戦わないと生徒やその両親がたくさん死にますよ、という内容だったはずだ。いや、実際の手紙は勿論もっとお堅い表現なわけだが。

 

「1945年の夏、その日に貴方は自分の運命と闘うことになるわ。貴方が信じようと、信じまいとね。」

 

「それは……何というか、予言のようなものですか?」

 

「あんな胡散臭いものと一緒にしないで欲しいのだけれど……まあ、似たようなものだと思ってくれればいいわ。」

 

完全に疑っているダンブルドアに、ゆったりとしたリズムで話を続ける。自分の能力ながら、説明が難しい。

 

「つまり、グリンデルバルドが遠くない未来にイギリスへ攻め込んでくるのは分かっているでしょう? そして、貴方抜きで戦った場合に多くの犠牲者が出てしまうことも。」

 

「それは、そうかも知れませんが……。しかし、私がいたところで事態が大きく変わるとは──」

 

「いいえ、変わるわ。貴方にとってグリンデルバルドが特別なように、グリンデルバルドにとっても貴方だけは特別なのよ。……分かるでしょう? ダンブルドア。」

 

ダンブルドアの年老いた顔が歪む。彼には理解できているはずだ、でなければああいう結果にはならないのだから。

 

「貴方がグリンデルバルドと闘うことを選べば、彼はきっと一対一で勝負を決めると思わない?」

 

「貴女はそう思っていると、そういうわけですかな?」

 

「違うわ、私が知っているのは結果よ。何を思ってそう決めたのか、どうしてそうなったのかは分からない。ただ……貴方と彼がその日に闘うと知っている、それだけよ。」

 

「禅問答のようですな。」

 

今や彼の顔からは疑いの色が薄れ、諦観の色を帯びてきた。しばらく考え込んでいたダンブルドアが、徐に顔を上げる。

 

「話の筋は理解できました。確かに、彼がイギリスに攻め込んでくるのであれば、犠牲を減らすために私は決闘という手段を選ぶかもしれない。しかし……彼はこれまで海峡を渡ろうとは決してしなかった。それなのに、それがなぜ1945年に起こると分かったのですか?」

 

「ここが一番の不思議な部分でね、確かに私がグリンデルバルドに対して、その日に闘いが起きるように小細工をしたのは認めるわ。でも、そもそもそれは運命を知っていたから行ったことなのよ。」

 

そこで一度話を切って、ダンブルドアのブルーの瞳を覗き込みながら続きを話す。

 

「……どう? 不思議でしょう? 闘いが起きると知っていたからそれを起こそうと行動して、その結果闘いが起きるということよ。鶏か卵か……貴方も興味深いと思わない?」

 

「もしも貴女が小細工とやらをしなかったのであれば、闘いは起きないのでは?」

 

「もしも、なんて話はないのよ、ダンブルドア。結果を知っていて、結果そうなる。それだけの話よ。」

 

一度紅茶で喉を湿らせながら一息つく。時計の針は戻らない……こともないが、まあ結果が確定したのは事実だ。

 

「さて、本題に入るとしましょう。闘うからには、勝ってもらわなければ困るのよ。今日私が聞きたいのは、貴方がグリンデルバルドに勝てないと思っているのは本心からのことなのかということよ。」

 

「それは……。」

 

押し黙るダンブルドアに質問を重ねる。リーゼにも話したが、どちらが勝利するかまでは読めなかった。ここまで頑張ってきたのだ、勝利の可能性を少しでも上げるためにも、迷いがあるなら払ってやらねばならない。

 

「それとも、アリアナ・ダンブルドアのことが関係しているのかしら?」

 

「……何故そのことを?」

 

「見くびらないで欲しいわね。これまで誰がグリンデルバルドと戦ってきたと思っているの? 彼のやったことについて詳しいのは当たり前でしょう? 当然、ゴドリックの谷での事件についても知っているわ。」

 

「なるほど、道理ですな。」

 

「話してもらうわよ、ダンブルドア。貴方の代わりに戦い続けた私こそが、この世界で最もその話を聞く権利を持っているのだから。」

 

私がそう言うとダンブルドアは瞑目し、懺悔するかのように話し始めた。

 

「そうですな……その通りだ、貴女にはその権利がある。私は……私は怖いのですよ。グリンデルバルドが怖いのではない、あの日の真実を知るのが怖いのです。」

 

言いながら、ダンブルドアが窓際の机の上へと視線を向ける。視線を辿ってみれば……写真立ての中で、アリアナ・ダンブルドアが悲しげに微笑んでいた。

 

「あの日、私には誰の呪文の所為で妹が死んだのか分からなかった。弟のアバーフォースにも分からなかったと聞いています。だが彼は……ゲラートはもしかして知っているのではないか、そしてそれは私なのではないか、そんな考えが頭から離れてくれないのです。」

 

「つまり、貴方は妹を殺したのが自分かもしれないと思い悩み、それを指摘されるのが怖くて闘いを避けていたと、そういうこと?」

 

「随分と女々しい理由だと思いますかな?」

 

「思うわね。何故なら貴方は、アリアナ・ダンブルドアを殺してはいないのだから。」

 

驚きに目を見開くダンブルドアに、持って来ていた一枚の書類を差し出す。

 

「あの事件の後、貴方たちは魔法事故惨事部の魔法使いに杖を一度預けたでしょう? 彼らは調査のために、直前呪文を使って杖を調べたのよ。その結果がここに書かれているわ。」

 

ダンブルドアは震える手で書類を取り、恐る恐るそれに目を通している。やがて放心したようにその長身を椅子に預けると、たった一言だけを呟いた。

 

「プロテゴ。」

 

「その通り、貴方の杖から最後に発せられた呪文は守りの呪文だったのよ。アバーフォースは癒しの呪文を妹に使いまくっていたし、グリンデルバルドの杖は調べられなかったから、結局犯人が誰かは分からないのだけど……。貴方が呪文を放ったのは、咄嗟に妹に向けたものが最後だったと証言したらしいじゃない。それなら、少なくとも貴方は妹を守ろうとしたということよ。」

 

ダンブルドアの瞳から一滴の涙が流れる。長年の肩の荷が下りたのだろう、しばらくはそれを拭うことも忘れて、ただ虚空を見つめていた。

 

しばらくすると彼はハンカチで涙を拭って、アリアナの写真をチラリと見てからこちらに向き直った。

 

「スカーレット女史、私は貴女に大きな借りができてしまったようですな。この事を伝えてくれたこと、本当に、本当に感謝しております。」

 

「そうね、それならこれまで代わりに戦っていたことも含めて、1945年の夏に返しなさい。私にここまでやらせたのだから、負けることは許さないわよ。」

 

「もはや迷いはありません。その日がきたら、死力を尽くしてゲラートを打ち倒すと約束しましょう。」

 

よし、それでこそここまで来た甲斐があったというものだ。これでようやく、長かったゲームも終わりを迎えられる。

 

「結構、素晴らしいわ! それじゃあ、私は失礼させてもらうわよ。」

 

ソファを飛び降りて、ドアの前で一度だけ振り返った。視界に映るダンブルドアは、部屋に入ってきた時よりも一回り大きく見える。

 

「備えなさい、ダンブルドア。杖を磨き、呪文を鍛えるのよ。貴方の敗北はイギリスの敗北であることを自覚なさい。」

 

「必ず勝ってみせましょう。」

 

短い返事に背を向けて、ホグワーツの廊下を歩き出す。勇者の迷いを払って道を示すだなんて、今日の私はカリスマに溢れているのではないだろうか?

 

 

 

しかしレミリア・スカーレットは知らなかった。この後帰り道が分からなくなり、無礼なポルターガイストにからかわれることを。

 

 

─────

 

 

「だめ、全然分かんないよ。」

 

ムーンホールドの図書館で、アリス・マーガトロイドは机に突っ伏しながら白旗を上げていた。

 

私が去年決めたテーマは、パチュリーをして『めちゃくちゃ難しい』と言わせるほどのものだったらしい。

 

『完全自律人形』

 

ハグリッドの言葉で思い付いた時は、絶対に作ってやると奮い立ったものだ。しかし今となっては、自分がどれだけ無謀なことを考えていたのかがよく理解できてしまう。

 

目の前に堆く積まれた本には、自意識を扱った魔法哲学の本から、動く絵画の作り方まで手広く揃っている。だが、その全てに同じ答えが書かれているのだ。

 

曰く、完全にゼロの状態から自律する意識を作り出すのは不可能である、らしい。

 

一応、似たようなことは出来るようだ。例えば、ある人形を作ったとして、その生い立ちから死ぬまでのある程度詳細な人生をインプットすれば、それに沿った形での受け答えを自動でする人形が出来上がるらしい。

 

しかし、それでは手の込んだ人形劇をやっているのと変わらない。私が作りたいのは、所有者とともに成長できるような人形だ。

 

目の前の本を睨みつけながら思考に耽っていると、小悪魔さんがそっと紅茶を差し出してくれた。

 

「どうぞ、アリスちゃん。あんまり考え込んじゃうと、変な方向に向かって行っちゃうものですよ? 一息ついてください。」

 

「ありがと、小悪魔さん。……そうね、ちょっと休憩しようかな。」

 

気を遣わせてしまったようだ。確かに少しリフレッシュしたほうが良いのかもしれない。一緒に出されたクッキーをかじってみると、糖分が頭に染み渡っていく気がする。

 

「やっぱり魔導書に手を出すべきなのかなぁ。」

 

「んー、危険なのは分かりますけど……そうですね、パチュリーさまもアリスちゃんくらいの頃に読み始めたらしいですし、いけるんじゃないですか?」

 

さすがに私の目標への道筋が、その辺にある本には載っていないというのはもう理解している。そろそろ手を出すべきだとは分かっているのだが……。

 

「リーゼ様が許してくれない以上、どうにもならないよ。」

 

アリスにはまだ早い、と言われてしまってはどうしようもない。ちなみにそれを聞いたパチュリーは、私の時は洗脳してまで読ませようとしたくせに、と憤慨していた。リーゼ様のことは尊敬してるが、それはちょっと擁護できない所業だ。

 

「過保護なのよ、リーゼは。」

 

声に振り向くと、パチュリーがふよふよ浮きながら近づいて来ていた。最近のパチュリーは図書館の中を歩くことすらやめている。いくら不老不変だとしても、さすがに健康に悪いんじゃないだろうか。

 

「まあ、パチュリーさまも似たようなもんですけどね。」

 

「こあ、お仕置きされたいのかしら?」

 

「そんなぁ、言論弾圧反対です! 悪魔の人権を守れ!」

 

「悪魔に人権があるわけがないでしょうに。」

 

二人の漫才じみたやり取りを眺めながら、やっぱり過保護なのかなと考える。うーむ、ちょっとだけ迷惑かもしれないけど、やっぱり嬉しさが勝る。

 

「ま、リーゼの過保護問題に関しては、これで解決できるわ。」

 

いつの間にか漫才を終えたパチュリーが、机の上に分厚い本を置く。普通の本にしか見えないが……。

 

「尋常じゃない数のプロテクトをかけた魔導書よ。そうね……補助輪付き魔導書といったところかしら。これだったら、レタス食い虫の飼育よりも安全なはずよ。」

 

「ほらー、そんなのを作るなんて、やっぱりパチュリーさまもリーゼ様のことをとやかく言えないじゃないですか。」

 

「黙らないと口を縫い合わすわよ、こあ。」

 

二人の声を聞きながら、目の前の本をそっと触ってみる。こんな物を作るだなんて、大変だっただろうに。宙に浮かぶ先輩魔女の顔を見ながら、感謝の気持ちを込めてお礼を言う。

 

「ありがとう、パチュリー。とっても嬉しいわ。」

 

「べ、別に大した手間じゃなかったしね。研究の片手間に作っただけよ。」

 

赤く頬を染めるパチュリーに微笑みながら、早速リーゼ様に見せてこようと立ち上がる。

 

「リーゼ様に見せてくるね!」

 

二人のいる図書館を後にして、胸に魔導書を抱きしめながらリーゼ様の執務室へと走り出す。

 

リーゼ様も、パチュリーも、小悪魔さんも、私のことを心配しながら手を貸してくれている。報いるためにも頑張って自律人形を完成させなければなるまい。

 

決意を新たにしながら、アリス・マーガトロイドはムーンホールドの廊下を走るのだった。

 



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赤ちゃん蜘蛛

 

 

「ハ、ハグリッド? それはさすがに……マズいんじゃないかしら?」

 

ホグワーツの生活も五年目に突入したばかりの秋、試験に向けて心機一転して頑張ろうと張り切っていたアリス・マーガトロイドは、ハグリッドが胸に抱く巨大な蜘蛛を前に、早くも今年の学生生活に障害が現れたことを悟っていた。

 

テッサと一緒に昼食を取ろうと大広間に向かう途中、ハグリッドに声をかけられた時点でちょっと嫌な予感はしていたのだ。

 

森の近くまで連れてこられてみれば、木箱に入った巨大な蜘蛛にこんにちはというわけだ。

 

「こいつは生まれたばっかりの赤ちゃんなんです、マーガトロイド先輩。おれは、その……放っておくことはできねえもんで、それで……。」

 

「それで、学校に連れて来ちゃったってわけ? ルビウス、あんた退学願望でもあるの?」

 

さすがにテッサの言葉に同意せざるを得ない。アクロマンチュラという種類であるこの赤ん坊サイズの蜘蛛は、成長すれば馬車馬ほどのサイズまで大きくなるらしい。おまけにその牙には猛毒があり、パチュリーの薬品棚の分類によれば、『間違いなく死んじゃう毒』の棚にカテゴライズされている。

 

「でも、家に置いてくるわけにもいかなかったんです。おれが居ないとキィキィ寂しそうに泣いちょって、それが可哀想で……。」

 

確かにキィキィ鳴いてはいるが、どう見ても威嚇しているようにしか見えない。なんたって、頬擦りするハグリッドの顔を、腕の先に付いている鋏で挟みつけているのだから。このサイズでも人間の耳くらいならちょん切れそうだ。

 

「ねえ、ハグリッド? 現実的に考えて、それ……その子を寮で飼うのは無理でしょう? 他の寮生のペットを食べちゃうだろうし、下手すれば飼い主も食べられちゃうわ。」

 

「アリスの言う通りだよ、ルビウス。少なくとも私は……そんなのがウロウロしてる談話室で、お喋りを楽しむ気分にはならないかな。」

 

私たちの説得に対して、ハグリッドはギュッとアクロマンチュラを抱きしめながら首を振る。しかし、巨大なハグリッドが巨大な蜘蛛を抱きしめている光景は中々に現実離れしている。夢に出そうだ。

 

「地下牢の空いてる部屋で飼うつもりなんです、それならみんなにも迷惑をかけねえで済む。お二人に頼みてえことは、その部屋にちょこちょこっと呪文をかけて欲しいってことでして。ほら、急に人が入って来たら、アラゴグが驚いちまうでしょう?」

 

「驚くのは人間の方だと思うけどね。」

 

なんでそんなことが分からないんだと言わんばかりのテッサを横目に、それくらいなら構わないかと結論を出す。この蜘蛛を地下牢に閉じ込めておくのは、ホグワーツのためにもなるだろう。幾ら何でもグリフィンドール寮に放り込むよりはマシなはずだ。

 

「まあ、それくらいなら協力させてもらうわ。……ただし、絶対に世話は手伝わないからね。」

 

「そいつはありがてえことです。ほれ、アラゴグ、おまえもありがとうしなさい。」

 

こちらに差し出されたアクロマンチュラは、八本の腕を振り回しつつギューギュー鳴いている。かなり好意的に解釈しても、お前をバラバラにして食ってやる、という感じだ。

 

「まあ、アリスがいいんなら構わないけどさ……。じゃあ、さっさと行こうよ! 今なら昼食時だから生徒も少ないだろうしね。」

 

テッサの言葉を合図に、三人で地下牢に向かって歩きだす。アクロマンチュラはハグリッドがローブの下に隠しているのだが、中から布を引き裂く音が聞こえている。急がないとハグリッドのローブがボロ切れになってしまいそうだ。

 

地下通路にたどり着き、見つからないように慎重に歩いていたのだが……マズい、前からスリザリン生の集団だ。トラブルの臭いを感じつつハグリッドの前に出るが……どうやら大丈夫そうだ。先頭を歩いているのは、見慣れた顔の友人だった。

 

「ごきげんよう、リドル。」

 

「やっほー、リドル。」

 

「やあ、マーガトロイド、ヴェイユ。こんな場所で会うとは奇遇だね。」

 

リドルは今や最優秀の名をほしいままにしている、ホグワーツ期待の秀才だ。取り巻きの数も随分と増えている。

 

「ちょーっとした用事があってね。そっちはこれから昼食?」

 

「ああ、宿題を見せ合っていたら遅くなってしまってね。しかし、用事? こんな場所にかい?」

 

「えーっと、ほら、魔法薬学の……あー、あれだよ!」

 

テッサに嘘を吐く才能は皆無らしい。別にリドルなら知られても問題ないとは思うが、ハグリッドが不安そうな顔で見ている以上、適当に誤魔化す必要がありそうだ。

 

「大したことない用事よ。それより……リドル、貴方ひどい顔色よ? 具合が悪いなら医務室へ行くべきだわ。」

 

話題を変えようと思って咄嗟に出てきた一言だが、リドルの顔色が悪いのは本当だ。よく見れば……化粧で誤魔化している? かなりのクマがあるのだろう、強引にそれを消しているのが分かる。

 

「ああ、少し……寝不足なだけだよ。医務室に行くほどじゃないんだ、心配かけて悪かったね。」

 

自分の顔色を隠すように俯いたリドルは、そのまま大広間へと向かうことにしたようだ。チラリとハグリッドのことを見た後、私とテッサに声をかけてきた。

 

「……それじゃあ、もう行くよ。もしスリザリン生に誰何されたら、僕の名前を出してくれ。それでどうにかなるはずだから。」

 

「そりゃ凄いね。有効に使わせてもらうとするよ。」

 

「またね、リドル。体調に気をつけて頂戴。」

 

手を振りながら遠ざかるリドルと、それに付き従う取り巻きたちを見送る。顔色が悪かったのが少し心配だが……後にしよう。今は火急の問題があることを思い出して、三人で地下牢の奥へと急ぐ。

 

立ち並ぶ空き部屋の中から、一番目立たない部屋を選ぶ。ホグワーツには使われていない部屋が腐るほどあるのだ。地下牢の奥まった場所には、その類の部屋が大量に隠されている。もしかすると、文字通りの地下牢として使っていたのかもしれない。

 

そんな部屋の一つに、テッサと協力して保護呪文をかけていく。私だって巨大な蜘蛛がホグワーツを徘徊するようにはなって欲しくないのだ。

 

ありったけの保護呪文をかけたら、そこにアクロマンチュラを放り込んでミッション達成だ。これで後輩と大蜘蛛の愛の巣ができあがった。

 

「ま、こんなもんでしょ。」

 

部屋中をガサガサと這い回るアクロマンチュラから、決して目を離さないようにしながらテッサが言う。気持ちは分かる。目を離すと襲いかかってきそうで怖いのだ。

 

「そうね。あとはこの壁を、あの子が破壊できないことを祈るだけよ。」

 

馬車馬ほどの大きさになったアクロマンチュラを想像してみる……儚い望みかもしれない。

 

アクロマンチュラを追いかけ回しながら喜んでいるハグリッドを、テッサと共に引きつった顔で眺めつつ、アリス・マーガトロイドは今後の騒動を思ってうんざりするのだった。

 

 

─────

 

 

「あれは魔王ごっこというか、ただの虐殺ね。」

 

妖精メイドたちを追い立てながら楽しそうにピチュらせていく妹様を眺めつつ、パチュリー・ノーレッジは呆れた声でそう呟いた。

 

遂に部屋の外へと出ることが許された妹様は、ご機嫌な様子で毎日遊び回っているらしい。『妖精メイド狩り』が最近のお気に入りなようだ。

 

レミリアと……結界の改良の後、こう呼ぶのが許されるようになった。彼女は外出できるようになったのがよほど嬉しかったらしい。

 

とにかく、レミリアとリーゼ、そして私と小悪魔による慎重な調査の結果、改良型の紅魔館を覆う結界の機能は、予測通りであることが確認された。……ちなみに美鈴は役に立たなかった。

 

結果として妹様は館の中限定の自由を手に入れたわけだが、それでは問題の根本的な解決に到っていないのだ。

 

それを話し合うためにリーゼに連れられて図書館から引きずり出された私は、紅魔館のリビングで吸血鬼たちと額を突き合わせているというわけである。

 

「まあ、妖精メイドたちも楽しんでいるようだし、いいんじゃないかな。……しかし、あの連中は本当に何を考えて生きているのかね?」

 

「何も考えてないんでしょ。そんなことはどうでもいいのよ、話を戻しましょう。フランの狂気に対しての仮説、だったわね? 聞かせてくれないかしら、パチュリー。」

 

フランの方を微笑みながら見ていたレミリアが、真剣な顔に戻ってこちらに問いかけてくる。

 

「そうね、あくまで仮説であることを念頭において聞いて頂戴ね?」

 

前置きで予防線を張り、頭の中を整理しつつゆっくりと話し始める。

 

「まず、妹様は能力を使用する際に物体の最も緊張している点……つまり、『目』を認識しているらしいじゃない?」

 

「その通りよ。あの子はそれを手に移動させて、握り潰すことであらゆるものを破壊することが出来るわ。」

 

補足してくれたレミリアに頷きを返しつつ、続きを口にする。

 

「その『目』を認識するというのが問題なのではないかと考えているのよ。『目』とやらを視覚化するにあたって、凄まじい量の情報が妹様の頭の中で計算されているのではないかしら。私もちょっと試してみたのだけど、外部の演算装置を大量に使っても、『目』を視覚化するのは不可能だったわ。もしもあの計算が頭の中で行われたとしたら……まあ、良くて廃人でしょうね。」

 

「つまり……能力を発動するための計算のせいで、狂気に囚われるようになったということかい?」

 

質問してきたリーゼに対して、言葉を選びながら慎重に訂正する。言葉で説明するのが非常に難しい。頭の中を見せられたら楽なのに。

 

「計算というか、情報の密度が問題なのよ。あの能力はこの世界を構成する情報の、かなり深い場所にまで介入しているわ。結果として妹様は、密度の高い情報を直接認識してしまっているというわけ。」

 

「ふむ、難しいな。……とびっきり危険な魔導書を開いてしまって、到底理解できない内容を大量に頭に突っ込まれるようなものか?」

 

「近いわね。そう考えるとどうかしら? 頭がおかしくなりそうでしょ?」

 

リーゼとの話し合いの間も黙って考え込んでいたレミリアが、ふと顔を上げてこちらを見てくる。

 

「つまり、能力を使わせなければ狂気から解放されると言うこと?」

 

「残念ながら返答はノーね。妹様は常に『目』を認識しているらしいのよ。である以上、それを移動させて握り潰す行為を禁止したところで、現状と何も変わらないでしょうね。」

 

「結局、『目』を認識することをやめさせなければならないというわけね。だとしても、それは可能なの?」

 

「恐らくだけど……不可能だと思うわ。妹様にとっては、私たちが目でモノを見るくらいの普通の行動なのよ。私たちが目を開きながらモノを見ないことができないように、妹様も『目』を認識することを止められないんじゃないかしら。」

 

私の言葉に、諦観の表情をしたレミリアが脱力してソファへ深く座り込む。リーゼも同じように厳しい顔で黙り込んでいるが……私は魔女だぞ、解決策ぐらい準備している。

 

「ちょっと、話は終わってないわよ。あくまで今の仮説が原因だったらの話だけれど……それなら何とか出来るかもしれないわ。」

 

言い切った瞬間レミリアが飛び起きて、慌てたように私に言葉を投げかける。

 

「ほ、本当? 何とかなるの?」

 

「要するに、情報を処理するための補助装置を持ち歩けばいいのよ。私のときは失敗しちゃったけど、曲がりなりにも処理しきれていた妹様であれば、多少は改善するはずよ。」

 

「素晴らしい、素晴らしいわパチュリー! それで? その補助装置とやらはどれくらいで完成させられるの? 必要な物は? 場所は?」

 

「落ち着きなよ、レミィ。パチェはもやしっ子なんだ、そんなに揺すったら死んでしまうよ。」

 

私の肩を掴んで揺すりながら質問していたレミリアをリーゼが止めてくれる。酷い目に遭った、頭がくらくらする。それと、私はもやしっ子じゃないぞ。繊細な乙女と呼んで欲しい。

 

「ええっと、演算装置にはとりあえず賢者の石を使おうかと思ってるわ。材料もあるし、慣れてるから作成自体も難しくないしね。まあ……ちょっと期間はかかるんだけど。」

 

「素晴らしいわ……貴女は最高の魔女よ、パチュリー! いや……パチェ! 私のことはこれからレミィと呼んで頂戴!」

 

「前から思ってたけど、キミって案外ちょろい女だよね、レミィ。」

 

これはリーゼの言う通りかもしれない。感動のあまりテンションがおかしくなっているらしいレミリアにちょっと引きつつも、実はちょっとした問題が残っていることを二人に伝える。

 

それを聞くと表情を真剣なものに戻した二人に向かって、説明を始める。いや、本当に大したことではないのだが。

 

「何というか、その……賢者の石だと数個じゃ足りないのよね。手のひらサイズのものだと十個か、十五個くらいを常に身に付けなきゃいけなくなるのよ。」

 

言うと二人は妙な表情になった。おそらく首からジャラジャラと石をぶら下げている妹様を想像したのだろう。

 

「ま、まあ……新しい感じのファッションではあるんじゃない?」

 

「……まあ、なんだ、些細な問題さ。」

 

遠くから聞こえる美鈴と妖精メイドたちの叫び声を背に、パチュリー・ノーレッジはこの奇妙な沈黙をどう片付けようかと思い悩むのだった。

 



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毒蛇の王

 

 

「監督生の指示に従い、決して一人では行動しないように! それと、もしも何か異変を感じたなら躊躇わずに教師へ報告しなさい!」

 

ディペット校長の声が大広間に響き渡るのを聞きながら、アリス・マーガトロイドは不安に怯える後輩たちを慰めていた。

 

どうやらハグリッドの大蜘蛛事件は、今年の災厄の始まりに過ぎなかったらしい。春の匂いが消えてきたホグワーツは、代わりに未知の怪物への恐怖に包まれていた。

 

『秘密の部屋が開かれた』

 

一体誰が言い出したのかは分からないが、どうやらそれは真実だったようだ。三月に二人の生徒が石化したことで急速に広まった噂だったが、新たに三人目の犠牲者が出た今となっては、もはやそれをただの噂だと笑うものは居なくなった。

 

今や教師たちもピリピリとした雰囲気を隠すことはなくなり、生徒たちは不安に怯えている。秘密の部屋に隠されていたという、未知の怪物についての話ばかりが聞こえてくるような状態だ。

 

そんな中、スリザリンに多い純血派の連中は声高にマグル生まれがどうたらと叫んでいる。本当にロクなことをしない連中だ。下級生を怖がらせて一体何が楽しいんだ、まったく。

 

家に帰りたいと泣く一年生をどうにか泣き止ませて、寮に戻るためレイブンクローの監督生の背中を追おうとすると、グリフィンドールの集団から抜け出してきたテッサが近付いてきた。

 

「アリス、ちょっと来て。」

 

何故か小声のテッサに引っ張られて大広間から出る。

 

「ちょ、テッサ、どこ行くの?」

 

「いいから、見つからないようにね。」

 

他の生徒や教師に見つからないようにこっそりと空き部屋に入れば、そこには既にハグリッドの姿があった。

 

「さて……アリスも連れてきたわよ、ルビウス。約束通り説明してもらいましょうか?」

 

「ちょっと待ってよ、テッサ。一体何の話なの?」

 

いきなり連れて来られて、訳の分からない私のことも考えて欲しい。テッサとハグリッドを交互に見ながら聞くと、ハグリッドが恐る恐るといった様子で口を開いた。

 

「そのぅ……秘密の部屋の怪物について、ちょっと考えがありまして。それで、二人にも聞いてもらえねえかと思ったってわけです。」

 

「アリスと私にしか話せないらしいのよ。それでアリスをここに連れてきたってわけ。……それじゃ、勿体ぶってないで話してよ、ルビウス。」

 

テッサが促すと、ハグリッドがゆっくりと話し出す。

 

「ええと、その、アラゴグが怖がっとるんです。何かあいつにとって怖いもんが、城をうろついてるっちゅうことらしくて。食事も喉を通らねえほどなんです。」

 

「あー、それは……可哀想ね。何というか、私も心が痛むわ。」

 

礼儀として一応慰めておく。正直あのアクロマンチュラが餓死したところで、私の心には何の感情も浮かばないだろうが。

 

「ちょっとルビウス、まさかそれだけじゃないでしょうね?」

 

「ち、違います、ヴェイユ先輩。続きがあるんです。」

 

焦ったようにテッサに答えたハグリッドが、続きを話し始める。

 

「それで、アラゴグに少しでも美味い食いもんをやろうと思って、鶏小屋に行ったんですが……その、鶏がみんな殺されちまってたんです。それを見て、もしかしたら怪物ってのは……その、バジリスクなんじゃねえかと思ったっちゅうわけです。」

 

「んん? ちょっと待ってよ、鶏が殺されてるのと、怪物の正体がバジリスクってのがどうやったら繋がるのよ。」

 

「バジリスクは、雄鶏の鳴き声を恐れるんらしいです。それに、蜘蛛が逃げ出すのはそいつが来る前触れだそうで。魔法生物の本を読むのは大好きなんで、それに書いてあったのを覚えてたっちゅうわけです。」

 

バジリスク? 確かパチュリーの薬品棚にそんな感じの名前があったはずなのだが……ダメだ、思い出せない。

 

「バジリスク……でっかい蛇だっけか? でもあれって、睨まれると死んじゃうって聞いたことがあるような。」

 

「まだ小せえバジリスクなら、距離さえありゃ石化するに留まるらしいんです。」

 

そうか、思い出した! 『毒蛇の王』だ。確か中世に飼育が禁止されたせいで、牙が入手し難いってパチュリーがボヤいてたんだ。……だからなんだというのだ。我ながら、どうでもいい情報を思い出したものだ。

 

というか、ハグリッドは何故それを私たちに話すのだろうか。教師の誰かに話せば、それで万事解決ではないか。毒蛇の王だかなんだか知らないが、まさかホグワーツの教師総がかりでどうにもならないということはないだろう。

 

「ハグリッド、それならすぐにでも先生方に話すべきよ。」

 

「そいつはおれも考えました、マーガトロイド先輩。でも、バジリスクに気付いた切っ掛けはアラゴグじゃねえですか。その事を話しちまったら、アラゴグはおれから引き離されちまうでしょう?」

 

どうやらハグリッドにとっては、ホグワーツの安全よりもアクロマンチュラのほうが大切らしい。犠牲になった三人には聞かせられない話だ。

 

テッサも同じようなことを思ったらしく、目を吊り上げながらハグリッドに怒鳴りつける。

 

「なにアホなこと言ってんのよ! それならあの蜘蛛のことは適当に誤魔化せばいいでしょ? 雄鶏と石化の話だけでも取り合ってくれるかもしれないじゃない!」

 

「それはその、おれは口が上手くねえですから……だから先に、お二人に相談したってわけです。」

 

こちらを窺いながら、ハグリッドがそう言って話を締める。確かに話の筋は通っているように聞こえる。それに、この状況では少しの情報でも貴重だろう。

 

「そうね……じゃあ、蜘蛛以外のことを先生に伝えましょう。」

 

「そうだね、さっそく校長室に……アリス、校長室ってどこにあるの?」

 

テッサの問いに、その場は沈黙に包まれる。そういえば、校長室なんて見たことがない。ハグリッドのほうを向いてみれば、どうやら彼も知らないらしい。

 

「そういえばディペット校長のことなんて、大広間でしか見たことないわね。」

 

「この城は本当に……もう! 何だって何もかもが複雑なのよ!」

 

テッサの怒りには同意するが、こうしていても始まらない。となれば他の教師に伝えるしかないが……。黙り込む私たちを見ていたハグリッドが、恐る恐る提案してくる。

 

「あのぅ、ダンブルドア先生はどうですか? あの人なら頼りになると思うんですが……。」

 

ダンブルドア先生か。確かに、実力も人柄も申し分ないだろう。テッサも激しく頷いて同意している。

 

「それじゃあ早く行きましょう、二人とも。そんな不安そうな顔しなくても大丈夫よ、ルビウス。私たちがちゃんと話すから。」

 

「お二人にお任せしときます。おれが話しても、ロクなことにならなさそうですし。」

 

「でも、グリフィンドール寮に居るのかしら? それとも、教職員塔の部屋?」

 

走り出しそうなテッサに、慌ててどこへ行くのかを聞いておく。ダンブルドア先生はグリフィンドールの寮監だ。生徒を引率した後に、寮に留まっているかもしれない。

 

「えーっと、とりあえず寮に行ってみようよ。それで居なかったら、教職員塔に行けばいいしね。」

 

テッサの言葉で目的地は決まった。三人で空き部屋を出て人気のない廊下を歩き出す。

 

しばらく歩いていると、テッサがニヤリと笑いながら私とハグリッドに話しかけてきた。

 

「ねね? もしこれで解決したら、私たちヒーローだよ? ルビウスのことをバカにしてたヤツら、どう思うかな。」

 

「私たちって言うか、殆どハグリッドの功績だしね。そうなればグリフィンドールの子たちも、貴方を見直すと思うわ。」

 

「そいつぁ……そうなりゃあ、嬉しいことです。」

 

テッサはもう解決した気になっているようだ。でもまあ、確かにハグリッドにとっては良い切っ掛けになるかもしれない。私もリーゼ様やパチュリーに褒めてもらえるかもと思うと、ちょっと楽しみになってきた。

 

「ねえ、なんか変な音がしてない?」

 

ムーンホールドで二人に褒めてもらう想像をしていると、テッサがいきなり立ち止まってそう尋ねてくる。耳をすますと……確かに、ズルズルという妙な音が聞こえる。

 

「本当ね、何の音かしら?」

 

「何かを引きずってるみたいな……ちょっと、嘘でしょ?」

 

何かを見つけたらしい前を歩くテッサの声に、視線をそちらに向けようとすると、急にテッサが振り返って私とハグリッドの頭を強引に下げてくる。

 

「ふ、二人とも、絶対目線を上げちゃダメ。向こうのトイレのドアのとこに、その、でっかいヘビがいる。」

 

聞いたこともないような緊張した小声で、私たちの頭を押さえながらテッサがそう言う。顔を上げたくなるのを懸命に堪えながら、耳を頼りにテッサが言った方向を探ると……近付いてきてる? 近付いてきてる!

 

慎重に安全圏まで顔を上げれば、泣きそうな顔でこちらを見たまま凍りついているテッサが見えた。隣のハグリッドは荒い息で震えている。

 

落ち着け。パチュリーも言っていたのだ、魔女は常に冷静たれ。ゆっくりと近付いてくるズルズル音を背景に、恐怖で足が砕けそうになるのを耐えながら、小声で二人に作戦を伝える。

 

「あ、合図をしたら、適当にその辺の壁を吹き飛ばして頂戴。そしたら全力で逆方向に逃げるの。」

 

「うん、分かったけど、でも、それで逃げ切れる?」

 

「逃げ切るのよ、絶対に。ハグリッド、貴方も大丈夫?」

 

「わ、わかりました、やってみます。」

 

杖を構えて、震える手で握りしめる。大丈夫、大丈夫、絶対に上手くいく。必死で自分を励ましながら、合図のために口を開く。

 

「今よ! ボンバーダ(粉砕せよ)!」

 

コンフリンゴ(爆発せよ)!」

 

レダクト(粉々)!」

 

どの呪文がどこに当たったかは分からないが、廊下に大きな破砕音が響き渡る。それを聞いた瞬間、脇目も振らず背後へと走り出した。

 

テッサとハグリッドはどうなったかと斜め後ろを慎重に見ると……大丈夫、ちゃんと走っている。足が震えて転びそうになるのを堪えながら必死に走る。今の騒ぎできっと誰かが来てくれるはずだ。

 

希望が湧いてきた瞬間、ハグリッドが前方に吹っ飛ばされていくのが見えてしまった。

 

「やだっ、アリスっ!」

 

後ろからテッサの悲鳴が聞こえる。反射的に振り返ると、巨大な蛇に押さえつけられているテッサが必死にこちらに向かって手を伸ばしていた。

 

「に、逃げて、アリス! 私は大丈夫、大丈夫だから!」

 

蛇はテッサに喰らい付こうとするのに夢中で、こちらを見ていない。どうする? どうすればいい? 見捨てて逃げるなんて、出来るわけがない。

 

咄嗟に頭をよぎる呪文の中から、一つを選択する。魔法に耐性のある生き物なら、単純な呪文のほうが効果があるはずだ。お願いだから効いてくれ!

 

フリペンド・マキシマ(最大の衝撃を)!」

 

テッサにのしかかっていた大蛇が、ほんの僅かだけ押し退けられる。その瞬間、黄色い目が私を……。

 

咄嗟にポケットの中のガラス玉を握りしめて、リーゼ様に心の中で助けを求める。動けたのはそこまでだった。体が凍り付くような感覚と共に、視界が真っ暗になっていく。

 

アリス・マーガトロイドの目に最後に映った光景は、何かを叫びながらこちらに走ってくるテッサと、その背後でこちらを見つめる一対の黄色い瞳だった。

 



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医務室にて

 

 

「ふざけないで頂戴。私は石化の経験を積ませるために、この子をホグワーツに通わせているわけではないのよ。」

 

パチュリー・ノーレッジはホグワーツの医務室で静かに怒っていた。

 

今日の昼間、アリスに持たせた緊急連絡用の魔法具が発動したのを知った私は、すぐさまホグワーツに向かった。当然リーゼも姿を消した状態で付いてきている。

 

そこで目にしたのは、石化して医務室に運ばれたというアリスと、隣で泣き喚くヴェイユの姿だった。ちなみに、この時点でリーゼはホグワーツの教師陣を皆殺しにするところだったのだ。止めた私に感謝してほしい。

 

そこに居たダンブルドアとディペット校長を問い詰めると、何やらホグワーツでは不愉快な事件が起きており、アリスはその犠牲になったということを知らされたのだ。

 

そして現在、ディペット校長を八つ裂きにしようとするリーゼを止めながら、ダンブルドア共々責任を追及しているというわけである。

 

私のイラついた感情をたっぷり籠めた言葉を受け取って、ダンブルドアが目を伏せて話し出す。

 

「すまない、ノーレッジ。全て我々教師の責任だ。」

 

「大体、三人も犠牲者が出ているんだったら一度子供たちを帰すべきだとは思わなかったのかしら? ホグワーツの教師の質は随分と下がっているらしいわね。この分だと来年にでもトロールが赴任するんじゃない?」

 

優先順位を考えるべきだろうに。死体に向けて授業をするつもりなのか、こいつらは。

 

「いや、本当に申し訳ございません。校長として、私も早い判断をすべきだったと反省しております。」

 

ありきたりな言い訳をする校長を冷たい目で睨みつける。まあ、無能どもを責めたところで何にもならない。リーゼも多少は落ち着いてきた様子だし、さっさと治療を始めるとしよう。

 

「もういいわ、アリスは治療して引き取っていくから。……まさか、文句はないでしょうね?」

 

「ノーレッジ、申し訳ないことだが、石化治療薬はここにはないんだ。材料のマンドラゴラはもう少しで育ちきるから、それを待ってもらうことになる。」

 

「ダンブルドア、私を見くびらないで頂戴。ホグワーツとは違って、石化の治療薬くらい常備しているのよ。」

 

私の言葉に驚いた様子のダンブルドアに背を向けて、アリスの寝ているベッドに向かう。しかし、石化で済んで本当に良かった。これでアリスが死んでいたら、私はリーゼを止めはしなかったぞ。

 

「ぐすっ、ノーレッジさん、アリスは治るんですか?」

 

ベッドの横で話を聞いていたらしいヴェイユが、こちらに潤んだ瞳を向けてきた。私の学生時代にはこんな友達はいなかった。羨ましいものだ。

 

「安心しなさい、ヴェイユ。このくらいならすぐに治せるわ。」

 

「アリスは、私を庇って、それで……だからこのままだったらどうしようって、それが怖くて……。」

 

「ほら、涙を拭きなさい。大丈夫、アリスが起きたら礼を言えばいいだけよ。」

 

しかし、何だってバジリスクはヴェイユを見逃したのだろうか? 本人はアリスのお陰だと思っているらしいが、話を聞く限りそうとは思えない。まあ……私の詮索するような問題ではないか。先ずはアリスの治療だ。

 

ヴェイユを落ち着かせながら、胸元の小瓶を取り出す。常に携帯している万能治療薬だ。石化くらいならこれで治せるだろう。

 

小瓶の液体を一滴だけアリスの口元に垂らすと……みるみるうちに硬くなっていた身体がふにゃりと弛緩していく。当然だが、効果があったようだ。透明になっているリーゼも、安心したように吐息を漏らした。

 

柔らかさを徐々に取り戻していくアリスを見たヴェイユが、感極まったように抱きついているのを眺めていると、後ろで見ていたダンブルドアから声がかかる。

 

「ノーレッジ、もし良ければ他の生徒にも分けてやってはくれないだろうか? 彼らも石化したままでは辛かろう。」

 

「そんな義理はないんだけど……まあいいわ、ほら、一度に一滴で充分よ。」

 

構わないだろう、別に貴重な薬ではないのだ。ダンブルドアに小瓶を投げると、彼はそれを器用に受け取って他の犠牲者に与えに行った。

 

「しかし、死者が出ていないのはラッキーだったわね。誰か死んでいたら大問題だったところよ。」

 

慎重に生徒に薬を与えるダンブルドアを横目に、ディペット校長にそう言葉を投げかけると、彼は無言で居心地悪そうにしている。ちょっと待て、まさか……。

 

「ちょっと? 死者は出ていないんでしょう?」

 

「いえ、その、残念なことになってしまいまして。ミス・マーガトロイドたちが運ばれた直後に、その、レイブンクローの生徒が一人……。」

 

どうやら事態は最悪の状況にまで進んでいたらしい。母校から管理不十分で死者が出たわけだ。まったく、卒業生としては情けない限りである。

 

「貴方ねえ……はぁ、もういいわ。さっさと何処へでも行きなさい。やる事は山のようにあるのでしょう?」

 

「はい、この度は本当に申し訳ありませんでした。……では、失礼させていただきます。」

 

ディペット校長が医務室を出て行く。どうやら彼が校長でいられるのも長くはなさそうだ。呆れた気持ちで彼が出て行ったドアを見ていると、背後から声がかかった。

 

「あの人は……根はいい人なんだが、決断力があまりないんだ。」

 

「トップとしては致命的だと思うわね、それは。」

 

全ての犠牲者を治療し終わったのだろう、言いながらダンブルドアが小瓶を返してくる。

 

「本当に助かったよ。ありがとう、ノーレッジ。」

 

「別に構わないわ、アリスのついでよ。」

 

「それでも、だよ。」

 

やっぱりこの男は苦手かもしれない。何というか、真っ直ぐすぎるのだ。リーゼやレミィのような皮肉が効いた言葉のほうが、どうやら私には合っているらしい。

 

ダンブルドアと少し話しながらそんなことを考えていると、慌てた様子のディペット校長が再び入室してくる。忘れ物でもしたのか? そこまでの無能だとは思いたくないが。

 

「ダンブルドア、犯人が分かったぞ! そこに寝ている大柄な男の子だ!」

 

後ろに生徒を……リドルか? リドルを従えた校長が、興奮した口調で捲し立ててくる。

 

「その子がバジリスクを招き入れたんだ! 捕まえて魔法省に──」

 

「違います、校長先生! ルビウスは私たちと一緒に、バジリスクが怪物の正体だって伝えに行こうとしてたんです!」

 

校長の声に対して、アリスの手を握っていたはずのヴェイユが立ち上がって必死にハグリッドとやらを弁護する。しかし、そこにリドルが割り込んできた。おいおい、何だこの状況は。訳が分からない。

 

「ヴェイユ、君は騙されていたんだ。そこの半巨人が危険な魔法生物を好んで飼育しているのは周知の事実だったはずだ。そんな彼が、好奇心からバジリスクの飼育に手を出したとしても……どうだい? おかしくはないだろう?」

 

「違うよ、リドル! ルビウスはそんな人じゃない! 確かに魔法生物絡みのトラブルは多いけど、本当に危険なことはやったりしないよ!」

 

「アクロマンチュラを飼育しているのにかい? あの化け物の飼育は、『本当に危険』な部類に入るはずだよ。」

 

「それは……何で、それを?」

 

アクロマンチュラの飼育? どうやら今のホグワーツにはぶっ飛んだ生徒がいるらしい。確かにあれは安全な生き物とは言えないだろう。

 

「分かっただろう? そこを退くんだ、ヴェイユ。君とマーガトロイドが騙されていたことは分かっている。勿論罪に問われたりはしないはずだ。」

 

犯人であるらしい男の子が寝ているベッドに向かおうとするディペット校長とリドルに……おっと、ヴェイユが杖を抜いて立ちはだかった。

 

驚愕の表情を浮かべたリドルと校長が、口々に彼女を説得し始める。

 

「……正気か? ヴェイユ。自分が何をしているか分かっているのか?」

 

「分かってるよ! でも、でもルビウスが犯人だなんて絶対に間違ってる!」

 

「ミス・ヴェイユ、君は混乱しているのだ。落ち着いて、杖を置きたまえ。」

 

「できません、校長先生。私はルビウスを信じています。それに、こんなこと絶対におかしいです!」

 

一歩も退かないと言わんばかりのヴェイユに対して、しびれを切らしたのかリドルが杖を抜く。あたりに緊張感が漂うが……柔らかい声がそれを霧散させた。

 

「大丈夫だから落ち着きなさい、テッサ。それに……リドル、そしてアーマンド、君たちも落ち着くべきだ。」

 

ゆったりとした歩みで三人の間に割り込んだダンブルドアが、それぞれの目を見ながら話しかける。一瞬で雰囲気が弛緩した。なんとも見事なもんだ。ああいう話術はどこで学べるんだか。

 

空気を落ち着かせたダンブルドアは、リドルと校長の方に向き直ってゆっくりと口を開いた。

 

「アーマンド、リドル、君たちが間違っているとは断言しない。だが、テッサの言葉を蔑ろにすべきではないと感じているのは私だけかな? 心配せずともルビウスは逃げたりしないよ。彼が目覚めてからゆっくりと話を聞いてみてはどうだい?」

 

「お言葉ですが、ダンブルドア先生、バジリスクは今も校内をうろついているのですよ? そこの半巨人を尋問して、ヤツの居場所を聞き出すべきでしょう。」

 

「リドル、その言葉を使うべきではないな。ルビウスの血筋がどうであれ、今はそのことは関係ないはずだ。」

 

「論点を逸らさないでいただきたい。少しでも可能性があるのであれば、それを試してみるべきです。既に死者が出ているんですよ?」

 

驚いた。あのダンブルドアに真っ向から食い下がるとは、リドルも中々やるじゃないか。妙なところに感心していると、またしても別の人間から横槍が入った。

 

「リドル、貴方が頭のいい人なのはよく理解しているけれど、今回ばかりは間違っているわ。」

 

アリスだ。どうやら目が覚めたらしい。私の他には見えていないだろうが、リーゼに支えられながらベッドから身体を起こして話している。

 

「実際、ハグリッドはバジリスクに殺されかけていたのよ。あの場にいた私には、彼が本当に怖がっていたことが理解できるわ。」

 

「アリスの言う通りだよ! あんなに震えてたルビウスが犯人だなんて有り得ない。絶対に別に犯人がいるはずだよ。」

 

ヴェイユがアリスの言葉に勢い込んで同意するが、リドルはどうやら考えを翻すつもりはないらしい。冷静な声で反論してきた。

 

「法整備がなってないのをいいことに、彼がどれだけの危険生物を飼育してきたか知らないからそんなことが言えるんだよ。ホグワーツの安全のためにも、彼を捕らえるべきなんだ。」

 

どうやらアリスは犯人が別にいると確信しているようだ。裁判ごっこも楽しそうだが、そろそろこの言い争いもお開きにすべきだろう。アリスの体調が心配だし、リーゼもアリスの安眠を妨害する連中にイライラしてきている。

 

「あー、ちょっといいかしら?」

 

声を上げると部屋中の視線が私に集中する。まったく、何だって私が調停役をやらなきゃいけないんだ。

 

「このままここで話していても平行線でしょう? 件の……ハグリッド? とやらが起きてから話を再開すべきね。当人なしでは纏まる話も纏まらないわ。」

 

「ですが、バジリスクを野放しにはできません。」

 

「分かってるわ、リドル。それは私が何とかしてあげる。面倒くさいし、やりたいわけじゃないけどね。」

 

「それは……そんなことが可能なのですか?」

 

「少なくとも、これ以上の被害者が出ないことは約束しましょう。」

 

蛇避けの魔法を城中にかけまくって、ついでに雄鶏を大量にばら撒けば、それで充分すぎるはずだ。無論、後片付けのことは考えていない。少しくらい教師たちも苦労すればいいんだ。

 

「それは助かるよ、ノーレッジ。度々すまないね。」

 

「ふん、どうせこうなることを予測してたんでしょ? この狸。」

 

にこやかに言うダンブルドアに、冷たく言い放ってやった。こいつならもっと早く場を収められたはずだ。アリスのために乗ってやったが、次は御免だからな。睨みつけると、トボけた顔で肩をすくめやがった。やっぱりコイツは嫌いだ。

 

しばらく私とダンブルドアとを交互に見ていたリドルだったが、どうやら矛を収めることにしたらしい。彼は身体から力を抜いて、ゆっくりと口を開いた。

 

「……分かりました。ですが、彼が目を覚ましたら事情を聞かせてもらいます。魔法省には先に連絡しておきましょう。それでいいですよね? ディペット校長。」

 

「ん? ああ、そうだな、君に任せよう。」

 

校長が生徒の傀儡か、世も末だな。……さて、私も約束を守らねばなるまい。アリスのもとへ歩み寄り、頭を撫でながら声をかける。リーゼはここを離れるつもりはないようだし、アリスのことは彼女に任せておけば大丈夫だろう。

 

「それじゃあ、私は城に呪文をかけに行ってくるわ。アリス、ちゃんと寝ているのよ?」

 

「分かってるよ、パチュリー。」

 

はにかむようなアリスの返事を背に受けて、医務室を出て歩き出す。適当に蛇避けの魔法を城中にかけて回りながら、雄鶏を大量に呼び出しまくる。

 

滅多に使わない種類の魔法を連発しながら、パチュリー・ノーレッジは久々のホグワーツでの散歩を楽しむのだった。

 



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分かたれた道

 

 

「まあ、おれに学生生活ってのは向かんかったっちゅうことです。それに……お二人とダンブルドア先生がおらんかったら、森番としてホグワーツに残ることも出来んかったでしょう。」

 

新たに建てられた禁じられた森の近くにある小屋で、アリス・マーガトロイドは二人の友人とお茶を楽しんでいた。

 

「私は全然納得できないけどね! あのくそったれの冷血野郎とおまぬけ校長閣下め! 絶対に後悔させてやるから。」

 

「落ち着きなさいよ、テッサ。ここで怒ってもどうにもならないでしょう?」

 

五年生のあの事件は、私たちの生活に大きな変化をもたらした。

 

あの医務室での言い争いの後、私たちの必死の抗議も虚しく、ハグリッドには退学に加えて杖を折られるという重い処分が下された。

 

ダンブルドア先生がホグワーツの森番という職を斡旋してくれたからよかったものの、ハグリッドは魔法使いとしての人生を失ったようなものだ。

 

当然テッサはリドルを忌み嫌うようになったし、リドルも私たちと距離を置くようになった。私だって、今はリドルとまともに話す気にはならない。

 

どう考えてもまともな処分ではなかったのだ。直接事件に関わっていない学生の中でも、勘のいい者はハグリッドがスケープゴートにされたことに気付いている。

 

それでも大々的に文句が出ないのは、事件の犯人が必要だったということなのだろう。あの後すぐに襲撃が止んだのが、その論調に拍車をかけたのかもしれない。

 

私たちが黙り込んで考えているのを見て、ハグリッドが元気付けるように話しかけてくる。我ながら情けないことだ、これじゃあ立場が逆ではないか。

 

「おれなんかのために怒ってくれるのは嬉しいですけど、お二人は勉強に集中してくだせえ。去年だってあの騒ぎでフクロウ試験はきちんと受けられなかったって聞いちょります。」

 

「あら? 私のほうは問題ないわよ。」

 

「魔法薬学以外は、でしょ?」

 

テッサの突っ込みで仏頂面になってしまう。むう、悔しいがその通りだ。いいではないか、他は全部優か良だったのだから。

 

「そういうテッサだって、可がいくつかあったんでしょう?」

 

「私は端っからそうなんだからいいのよ。やり直したって同じ結果になるもんね。」

 

「そういう問題じゃないと思うけどね……。」

 

リドルとの距離が離れてしまった代わりに、テッサとの距離は近くなった気がする。それだけが、事件の結果で唯一よかった点かもしれない。

 

「ほれ、お二人とも、もう戻ったほうがいいんじゃねえですか? 午後の授業が始まっちまいます。」

 

ハグリッドの言葉を受けて壁の時計を見ると、思った以上にお喋りを楽しんでいたらしい。あと十数分で授業が始まってしまう時間だった。

 

「へ? ……やっば。行こう、アリス!」

 

「そうね、紅茶美味しかったわ。また来るわね、ハグリッド。」

 

私が立ち上がってハグリッドに別れを告げると、先にドアを開いてこちらを急かしていたテッサも、手を振って彼にさよならをする。

 

「じゃあねー、ルビウス。」

 

「はい、またいつでも来てくだせえ。」

 

ハグリッドの声を背中に受けながら、彼の小屋から出て二人で急いで城へと走る。次の授業であるルーン文字の教室は一階だ、なんとか間に合うだろう。

 

湖の大イカが日向ぼっこしているのを眺めながら、城の大きな玄関へと小走りで駆けていく……ううむ、テッサには余裕があるのだが、私は息切れすること甚だしい。ちょっとは体を鍛えるべきかもしれない。

 

城に入ったところで、何やら人集りがあるのが見えた。何かと思って目を凝らすと、スリザリン生を中心とした集団……『リドル軍団』のようだ。彼の取り巻きは年々増え続け、今や他寮の生徒をも取り込んで、ちょっとした規模の集団になっている。

 

テッサもそれを発見したらしく、案の定嫌そうな顔で口を開く。

 

「ちぇ、嫌なもん見ちゃったよ。」

 

「行きましょう、見つかっても気まずくなるだけよ。」

 

離れた位置を通り過ぎようとするが……ダメだ、見つかった。おまけに無視すればいいものを、人集りの中からリドルが出てきてこちらに向かってくる。どうなるかは分かっているだろうに、何だって近付いてくるんだ。

 

リドルは取り巻きを目線だけで下がらせて、ぎこちない笑顔で話しかけてくる。

 

「やあ……二人とも。その、元気そうで何よりだよ。」

 

「そっちも元気そうね、冷血人間。大好きなホグワーツ特別功労賞のトロフィー磨きはもういいの?」

 

案の定テッサは硬い声でどぎつい皮肉を返す。ほら見ろ、こうなった。私は止めてやらないぞ、リドル。

 

多少怯んだ様子のリドルだったが、苦笑しただけで辛抱強くテッサに話しかけ続ける。

 

「ヴェイユ、君がまだ怒っているのはよく分かったよ。ただ……これだけは覚えておいてくれ、僕は信念に従って行動しただけなんだ。」

 

リドルが何か弁明しているが、テッサの顔を見れば効果がなかったことは一目で分かる。むしろ彼女は怒りを増したようで、冷たい声でリドルに対して怒りをぶつけ始めた。

 

「リドル、私は勿論ルビウスに対する処分の件に関してだって怒ってる。でも、一番気に食わないのは……あんたはルビウスが犯人だとは本気で思ってないってことよ。」

 

テッサの言葉に、リドルが驚いたような表情に変わる。テッサの放った言葉は私にもよく理解できるものだ。

 

リドルが本気でハグリッドを犯人だと思っているならまだよかったのだ。それなら私たちは、友達として頑張って説得していただろう。しかし……彼がそう思っているとは、とてもじゃないが思えない。

 

「ルビウスが無実だって知ってたくせに、あんたは彼を退学に追い込んだのよ。私はそれが気に食わないの。」

 

「そんなことはない、僕は本気で彼が犯人だと思っているよ……今でもね。」

 

悲しそうな顔で言うリドルだったが、それが演技であることが私には理解できた。テッサも同様だろう。何年友達をやってきたと思ってるんだ。

 

「テッサの言う通りだわ、リドル。貴方がそんなつまらない嘘を吐き続ける限り、私たちは貴方と話す気にはなれない。」

 

「マーガトロイド、僕は……。」

 

何かを言いかけたリドルだったが、結局それを言葉にすることはなく、苦笑しながら別の台詞を口にした。

 

「分かった、どうやら声をかけたのは失敗だったらしいね。それじゃあ……失礼させてもらうよ。」

 

取り巻きを引き連れるリドルが離れて行くのを見ながら、テッサに声をかけようと横を向くと、彼女は悲しそうな顔でリドルの背中を見つめていた。

 

彼女はしばらく去っていくリドルを見つめていたが、やがてこちらに向き直ると、悲しそうな表情でポツリと呟いた。

 

「……友達だと思ってたんだ。でも、それは私だけだったのかな? よく分かんなくなっちゃったよ、アリス。」

 

「私も……分からないわ。」

 

テッサの手をギュッと握りしめながら言葉を返す。何を言えばいいか分からなくて、結局答えは出せなかった。

 

弱々しく握り返される手のひらにテッサの温かさを感じながら、アリス・マーガトロイドは授業のことも忘れて、遠ざかって行くリドルの背中をずっと見つめていた。

 

 

─────

 

 

「うぅー……やだ!」

 

本日何度目かの却下を受けているレミリアを眺めつつ、アンネリーゼ・バートリは己のラフ画に修正を加えていた。

 

本日、二つの吸血鬼の住処に住む人外たちが紅魔館のリビングに勢揃いしているのは、他でもない、あの大問題の解決のためであった。

 

『賢者の石、ダサすぎ問題』である。

 

当初首飾りとして作る予定だったそれは、完成図を見たフランの強硬な反対によって没案となってしまった。まあ、気持ちは分かる。誰だってあれを身に着けて歩き回りたくはないだろう。

 

想像してみて欲しい、十数個の手のひらサイズで色とりどりな石ころを、首からジャラジャラと下げているフランの姿を。

 

フランの言葉を我儘だと断じることが出来なかった我々は、こうして無難なアクセサリーを考案すべく、この紅魔館へと集結したというわけだ。

 

しかし、事態は混迷の様相を呈している。指輪案は首飾りよりも酷いことが小悪魔によって証明されたし、パチュリーの出したベルト案はフランにはゴツすぎた。

 

美鈴の洋服に取り付けるという発想は悪くなかったように思えたが、実際にダミーで試してみると、珍妙な宝石の妖怪みたいな見た目になってしまったのだ。

 

そして今、レミリア渾身のマント案も却下された。確かにあれはダッサいし、何より邪魔だろう。絶対に引っかかって転んでしまう。

 

私も一応バングルのような形のものを書いてはみたのだが……腕を覆う武器のようになってしまった時点で破却した。あれを見せるなんて私のプライドが許さない。

 

「うぅ……フラン、一生こんなのを着けて生活するの?」

 

哀れなフランが首飾りの試作品をつまみながら嘆いている。私なら絶対に嫌だ。

 

「だ、大丈夫よ、フラン! 私がカッコいいのを考えてあげるから!」

 

「あっそ。」

 

フランを励ますレミリアがいつものように無視されているのを尻目に、美鈴がパチュリーに話しかける。

 

「もうこれ、賢者の石やめちゃったほうがいいと思うんですけど……それかもうちょっと小型にするとか。」

 

「あのね、これでもかなり小型に改良してあるのよ? これ以上小さくすれば演算能力が足りなくなっちゃうわ。」

 

「じゃあ……逆にでっかくして一個に纏めるとか?」

 

「そうすると、妹様は大岩みたいなのを背負いながら生活することになるわよ。大体、並列演算のために数を多くしてるって理由もちゃんとあるんだから、この大きさでこの数っていうのは決定事項なの。」

 

「じゃあもう無理じゃないですかぁ……。諦めましょうよ、妹様。」

 

弱気に提案する美鈴を、フランが睨み付ける。絶対に譲る気はないらしい。

 

「ヤダもん! 絶対にイヤ! もしそうなったら、紅魔館の制服を同じのにするからね。」

 

「それは……嫌ですね。」

 

顔を引きつらせる美鈴の後ろで、フランの言葉に真っ青になったレミリアが猛然とペンを走らせ始める。余程に嫌なのだろう、その表情は真剣そのものだ。

 

紅魔館の危機に直面しているレミリアを眺めつつ、私も何か提案しないとなとペンを持ち直していると、視界の隅でうんうん唸っている小悪魔が目に入った。

 

「こあ、何か思い付いたのかい?」

 

「うーん、リーゼ様、これってどうなんでしょう? 魔界じゃ結構流行ってたんですけど……。」

 

小悪魔が差し出してきたラフ画を見ると……フランの翼に、賢者の石が垂れ下がっているような絵が描かれている。片方につき七個ずつ。確かにこれなら必要数に届くだろう。

 

それに……ふむ、悪くないように思える。こうして見ると、普通のアクセサリーだと悪趣味に思えてしまう色とりどりの賢者の石が、むしろ神秘的に見えるほどだ。

 

これはいい案かもしれない。……というかもう決まって欲しい。私の絵心の無さを露呈させたくはないのだ。

 

「いいんじゃないかな、これは。お手柄かもしれないよ、こあ。」

 

「えへへー。妹様も気に入ってくれればいいんですけど。」

 

私が笑顔で肯定してやると、自信がついたらしい小悪魔はフランの是非を問うために、ラフ画を彼女の下へ運んで行った。しかし、魔界じゃこれが流行っているのか。あっちの流行は相変わらずよく分からん。

 

「ぉお……。かわいいかも! これならヘーキだよ!」

 

聞こえてくる声を聞く限り、フランはどうやら気に入ったようだ。これでようやく解決かと思っていると、意外なところから横槍が入ってくる。

 

「ダメ、絶対にダメよ! こんなの……不良のファッションだわ! フランがグレちゃうじゃない!」

 

レミリアだ。おバカな姉的には、あれは不良のファッションらしい。ピアス的な感じなのだろうか? 喚き散らすレミリアを冷たい目で見ながら、フランが氷のような声で言い放つ。

 

「うっさいなぁ、もう決まったの。バカみたいなマントより百倍マシだよ。」

 

「ああっ、フラン、そんなに口が悪くなっちゃって。……ちょっと小悪魔! フランを不良に導くのはやめて頂戴!」

 

「ひゃあぁ、私にそんなつもりはありませんよー!」

 

レミリアが手を上げて威嚇しながら小悪魔を追いかけ回す。フランは小悪魔を応援して、パチュリーは呆れ、美鈴はケラケラ笑っている。

 

慌ただしくなってきたリビングを眺めながら、自分の絵が吊るし上げられる危機を救ってくれた魔界の流行とやらに、アンネリーゼ・バートリは深く感謝するのだった。

 



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得難き友と

 

 

「防衛術の実技でちょっとだけ失敗しちゃったんだ、大丈夫かなぁ?」

 

不安そうに聞いてくるテッサを励ますために、アリス・マーガトロイドはそっと口を開いた。

 

「大丈夫よ。あれはそもそも、いくつか失敗するようになってる試験なんだと思うわ。そうじゃないとあまりに難しすぎるもの。」

 

イモリ試験が終わった後、二人で答え合わせをするためにハグリッドの小屋へと向かう途中で、テッサが不安そうに話しかけてきたのだ。

 

「そうなのかな? ……うん、そうだよね! 守護霊の呪文なんて、大人の魔法使いでもそうそう成功しないもんね。」

 

励ましが功を奏したのか、ホグワーツの廊下を歩くテッサの足音が少しだけ元気になった気がする。私が成功していることは内緒にしておいた方が良さそうだ。

 

長かったホグワーツでの生活もそろそろ終わりを迎えることになる。一年生の時に苦しめられた動く階段を感慨深く眺めながら、気になっていたことをテッサに聞いてみることにした。

 

「そういえば、試験が終わったら進路のことを教えてくれるって言ってたわよね? それで……テッサは何を目指してるの?」

 

「わ、笑わないって約束してくれる?」

 

上目遣いで聞いてくるテッサに、自信を持って言い切る。

 

「笑うわけないでしょう? 私のこと、信じられない?」

 

「もちろん信じてるよ! ただちょっと、私には似合わないかもって思ったから……。」

 

何だろうか? 全く予想がつかない。緊張している様子で躊躇っていたテッサが、意を決したように口を開く。

 

「その、ホグワーツでね、教師になりたいなって思ってるんだ。」

 

それは……なんとも予想外だ。でも、もしそうなったらとっても素晴らしいことだと素直に思える。贔屓目を抜きにしたって、テッサならいい先生になるだろう。

 

不安そうな顔で私の答えを待つテッサに、とびっきりの笑顔で言い放つ。

 

「素晴らしいと思うわ、テッサ。貴女が先生だなんて、教わることのできる生徒たちが羨ましいくらいよ。」

 

「えへへ、褒めすぎだよ、アリス。でも……とっても嬉しいな。」

 

はにかむように笑うテッサが、一歩前に出てこちらを正面から見つめてくる。

 

「あのね……私、ホグワーツに来れてよかったよ。色んなことがあったけど、それでもこの学校に通えて本当によかったと思ってるんだ。」

 

一度そこで言葉を切って、急に私を抱きしめてくる。私の肩口に顔をうずめながら、テッサがゆっくりと続きを口にした。

 

「その中でも一番よかったことは、アリスと出会えたことだよ。ずっと、ずーっと友達だからね? アリス。」

 

少し驚いた後、そっとテッサを抱きしめながら、私も気持ちを込めて返事を返す。

 

「当たり前よ、テッサ。おばあちゃんになっても、一緒に遊ぶんだからね?」

 

しばらくお互いの気持ちを噛み締めてから、そっと離れて笑い合った。どうやら、私は得難い友を得ることができたようだ。

 

「なんか照れちゃうね。本当は卒業式に言うつもりだったんだけど、我慢できなかったんだ。」

 

「やっぱりせっかちね、テッサは。二十年後くらいにこのネタでからかってあげるわ。」

 

「意地悪だなぁ、アリスは。」

 

ちょっと赤い顔を見られたくなくて歩き出す。こういうことを素直に言えるのは、きっとテッサの長所なのだろう。内心の照れを悟られたくなくて、話題を逸らすために前を向いたまま彼女に話しかける。

 

「ほら、きっとハグリッドが待ってるわよ。試験のことが気になって、また手慰みにロックケーキを大量生産されたら堪らないわ。早く行きましょう。」

 

「うへぇ、それは嫌かなあ。ルビウスの作る他のお菓子は美味しいけど、あれだけはちょっと苦手だよ。」

 

きっと以前歯を折ってしまったのを思い出したのだろう、テッサの歩く速度がちょっとだけ速くなる。しかし、どうやったらあんなケーキが出来るのだろうか? 名前通り岩のような硬さなのだ。

 

そのまま玄関を出て、森の方向へと試験のことを話しながら歩いて行くと、湖のほとりにダンブルドア先生が佇んでいるのが見えてきた。

 

テッサもそれを見つけたらしく、不思議そうな表情になりながら小声で話しかけてくる。

 

「あんなとこで何してるんだろ? 考え事かな?」

 

「そう見えるわね。邪魔しないようにしましょう。」

 

声をかけずに通り過ぎようとすると、ゆったりと振り返ったダンブルドア先生がこちらを手招きしてきた。ううむ、音は立てていなかったはずなのだが……さすがはダンブルドア先生だ。

 

近付いて挨拶してみると、ダンブルドア先生は微笑みながら挨拶を返してくれた。

 

「こんにちは、アリス、テッサ。君たちなら心配はないだろうが、試験はどうだったかね?」

 

「えーっと……まあ、手応えはそれなりにありました。」

 

「私も、それなりに上手くできたと思います。」

 

テッサに続いて返事を返すと、ダンブルドア先生は自分のことのように喜んでくれる。

 

「結構、結構。君たちのような優秀な生徒を卒業まで導けたのは、ホグワーツの教師として非常に嬉しいことだよ。」

 

そこで一度言葉を止めて、ハグリッドの小屋がある方向を見ながら続きを話し始める。

 

「願わくばルビウスにもそう言いたかったが……残念なことだ。」

 

「でも、ルビウスは森番になれたことを喜んでましたよ。いつも言ってます、ダンブルドア先生には感謝してもしきれねえ、って。」

 

ハグリッドの声色を真似ておどけるように言ったテッサを見て、ダンブルドア先生の表情から憂いが晴れた。彼は柔らかく目を細めながら、私たちにゆっくりと語りかける。

 

「君たちが友達でいてくれることが、ルビウスにとってどれだけ助けになっていることか。私からも感謝させてもらうよ、本当にありがとう。」

 

「それは……感謝されるようなことじゃありません。私たちだって、ハグリッドにいつも助けられていますから。」

 

また不意打ちだ。慌てたように言う私を優しげな瞳で見ながら、ダンブルドア先生が思い出したようにテッサに向き直る。

 

「そういえば、テッサ。君の進路についてだが……いや、もちろん詳しいことは試験の結果が出た後になるが、どうやら君の望みは現実のことになりそうだよ。」

 

「ほっ、本当ですか? それは……とっても嬉しいです!」

 

顔を輝かせて喜ぶテッサに、私も嬉しくなる。これはお祝いをしないといけないな。いい考えがないか、ハグリッドに相談してみよう。

 

「まあ、そう意外なことではないだろう。君の成績は優秀と言っていいものだし、何より君たちは五年生の時に自らの資質を示したからね。それが報われたというだけのことだよ。」

 

「あのっ、ありがとうございます、ダンブルドア先生!」

 

興奮状態でぴょんぴょん飛び跳ねるテッサを横目に、ダンブルドア先生が今度はこちらに話しかけてきた。

 

「アリス、君も随分と頼もしくなったね。初めて会った時からは想像も付かないよ。」

 

「パチュリーに鍛えられましたから。」

 

「ノーレッジか……なるほど、頼もしくなるわけだ。」

 

苦笑しながら、先生は遠い目で湖を見つめる。学生時代を思い出しているのだろうか? しばらくそうしていたが、やがて瞳に強い光を宿しながら口を開いた。

 

「ああ、そういえば、一つ伝言を頼まれてくれないかね?」

 

「それは、もちろん構いませんけど……ちょっと待ってください、今メモを──」

 

「いや、たった一言でいいんだ。スカーレット女史に、『準備は出来ている』とだけ伝えてくれればいい。」

 

「それだけ、ですか? ええと、分かりました。そのくらいならお安い御用です。」

 

私が引き受けると、ダンブルドア先生は少しだけ校舎の方を見た後、私たちに向き直った。

 

「それでは私は失礼するよ。あまり引き止めるのもルビウスに悪かろう。」

 

「はい、伝言は必ず伝えます。」

 

「そうだった、ハグリッドが待ってるよ! ダンブルドア先生、話せてよかったです。ありがとうございました!」

 

ダンブルドア先生と別れて、元気一杯になったテッサに手を引かれながらハグリッドの小屋へと歩き出す。

 

小屋の近くに着くと、ロックケーキが焼ける匂いが漂ってくる。テッサと顔を見合わせて苦笑しながら、アリス・マーガトロイドはそっと木彫りのドアをノックするのだった。

 

 

─────

 

 

「お帰りなさい、アリス。そして……卒業おめでとう。私も誇らしいわ。」

 

ホグワーツ特急の赤い車体を背景にしながら、七年間ですっかり成長したアリスに声をかけつつ、パチュリー・ノーレッジは人知れず感慨に耽っていた。

 

「ありがとう、パチュリー。それと、ただいま。」

 

あの小さくて頼りなかった姿を昨日のことのように思い出す。長生きすると停滞する、か。今のアリスを見ていると、リーゼの言葉が身を以て実感できる。

 

「さて、行きましょうか。友達とのお別れは済んだ?」

 

「うん、大丈夫だよ。」

 

アリスを伴って歩き出しながら、私の時はリーゼが迎えに来てくれたことを思い出す。そういえばその直後、初めて紅魔館に連れて行かれたんだったか。

 

あれが半世紀近く前の出来事だなんて、とてもじゃないが信じられない。そして現在、今度は私が魔女の卵を迎えに来ているというわけだ。実に感慨深いものがある。

 

暖炉にフルーパウダーを投げ入れて、アリスと一緒に入り込む。

 

「ムーンホールド!」

 

久しぶりの暖炉飛行をうんざりしながら終えて、ムーンホールドの廊下を歩き出す。さて、アリスにも心の準備をさせておいたほうが良いだろう。内心を隠した冷静な声で、隣を歩くアリスに話しかけた。

 

「アリス、これから貴女のことをリーゼの執務室に連れて行くわけだけど、そこでとても大事な質問をされるわ。」

 

「大事な質問?」

 

「まあ、リーゼも同じことを言うだろうけど、私からも伝えておきましょう。いい? アリス、自分の心に正直に答えなさい。どんな答えを出しても、私たちはそれを受け入れるわ。」

 

「ちょっと、パチュリー、なんだか怖いんだけど……どんな質問なの?」

 

「それは直接リーゼから聞くべきね。……ほら、着いたわよ。」

 

執務室のドアをノックして、返事を聞いてから部屋に入る。リーゼは行儀悪く机の上に座りながら、翼をぷるぷると震わせて待っていた。緊張しているな、あれは。

 

リーゼの姿を認めたアリスは、満面の笑みでただいまをする。

 

「リーゼ様、ただいま帰りました。」

 

「お帰り、アリス。そして、卒業おめでとう。今日はお祝いだね。」

 

「ありがとうございます、リーゼ様!」

 

リーゼは手で私たちに座るように示してから、ストンと机を下りて対面の椅子に座る。そのまま目を細めながらアリスのことを眺めていたが、やがてゆっくりと口を開いた。

 

「さて……お祝いの前に聞いておかなくちゃいけないことがあるんだ。どうせ世話焼きの先輩から聞いているんだろうが、一応言っておくよ。アリス、自分の心の望むままに答えてくれ。」

 

リーゼの言葉に、アリスが緊張しながら頷く。私も少し緊張してきた。久々の感覚だ。リーゼはアリスの瞳を真っ直ぐ見つめながら、ゆっくりとした口調のままで話し出した。

 

「私やパチェが、長い時間の中を生きているのは知っているだろう? キミに聞きたいのはつまり……私たちと同じ時間を生きたいか否かなんだ。」

 

目を見開いたアリスが、少し悩んだ後に答えようと口を開くが、リーゼの言葉がそれを遮る。

 

「慎重に考えるんだ、アリス。もし私たちと共に生きるなら、キミの友人たちとは別の時間を生きることになる。恐らくその死を看取っていくことになるだろうし、今の関係が壊れてしまうかもしれない。」

 

リーゼの言う通りだ。こっちの世界を選べば、根本的な部分で別の考え方をするようになる。私はもしかすると成るべくして魔女になったのかもしれないが、アリスの場合は人間としてでも上手くやっていけるはずだ。

 

リーゼの言葉に、アリスは何かを思い出すように目を瞑る。少しだけそのままでいた後、決意を秘めた表情で口を開いた。

 

「私は、リーゼ様やパチュリーと同じ時間を生きます。」

 

短く言い切ったアリスだったが、どうやら迷いはないようだ。よかった。ホッとして息を零すと、リーゼも同じように安堵しているのが見える。

 

そんな私たちの様子を見たアリスが、柔らかく微笑みながら言葉を紡ぐ。

 

「自律人形を完成させたいですし、リーゼ様たちと一緒に生きていきたいんです。それに……私の一番大切な友達は、そのくらいじゃ離れていきません。それは断言できます。」

 

脳裏に蜂蜜色の髪が浮かぶ。まあ、確かにあの子なら大丈夫だろう。柄にもなく、ほんの少しだけ羨ましくなってしまう。

 

「そうか……よし、お祝いをしようじゃないか。こあがキミの好物をたっぷり作って待っているよ。」

 

「ふふ、とっても楽しみです。」

 

言いながら立ち上がったリーゼに続いて、三人でリビングへと向かう。

 

前を歩く二人を見ながら、脳内でアリスの授業計画を組み立てていく。まずは……捨食の法からやっていくか。時間が増えるに越したことはないはずだ。

 

頭の中で新米魔女の育成方針を決めつつも、パチュリー・ノーレッジは朝よりも自分の足取りが軽くなっているのを自覚するのだった。

 



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ゲラートとアルバス

 

 

「覚悟は決まったようだね。」

 

石造りの壁に寄りかかり、遥か下では黒ずくめの魔法使いたちが慌ただしく準備しているのを見下ろしつつも、アンネリーゼ・バートリは後ろに立つゲラートに声をかけた。

 

ヌルメンガードの上層、自室の椅子で静かに沈黙していたゲラートは、私の声にゆっくりと顔を上げる。

 

「ああ、もう決めた。ならば……あとは実行するまでだ。」

 

ゲラートの手には、幾たびも読み返されたせいで、くしゃくしゃになってしまった手紙がある。

 

一年前にダンブルドアから送られてきたらしい、一通の手紙。私はその内容を知らないが、それを受け取ってからというもの、ゲラートは何度もその内容を読み返していた。

 

そして今日、唐突にイギリスへの侵攻を伝えられたのだ。何を思ってそれを決めたのかは分からないが、その顔には確かに覚悟の表情が浮かんでいる。

 

「奇しくもお前の予言通りの日になりそうだ。気に入らんが……一応感謝しておこう。お陰で準備は出来ている。」

 

「んふふ、随分としおらしい態度だが、まさかもう負けた気でいるんじゃないだろうね? 勝ってもらわなければ困るよ?」

 

「勝つさ。アルバスに打ち勝って、この魔法界を在るべき姿に正す。今まで俺がやってきたことを無駄にしないためにも、負けることは許されないんだ。」

 

ゲラート・グリンデルバルド。大きすぎる理想を持ち、それと現実との乖離が許せなかった男。『より大きな善のために』という言葉は、この男の覚悟であり、そして言い訳でもあるのだろう。

 

許されざる呪文を多用しながらも、彼は本気で魔法使いの未来のために行動しているのだ。この男が自らの利益を度外視していることを、長らく見てきた私はよく知っている。

 

哀れな男だ。理想を求めるあまり、史上最悪の魔法使いとして歴史に名を残すことになる。たとえゲラートの革命が成功したとしても、彼の悪名が雪がれることはないだろう。

 

思考に耽っていると、ゲラートがこちらを見ながら静かな声で言葉を発した。

 

「一度だけ言うぞ、吸血鬼。お前には……感謝している。お前の魔道具や情報が無ければ、ここまで来られなかっただろう。」

 

ゲラートの言葉で思考を打ち切り、彼のほうを見る。この男から真っ直ぐな礼を言われる日が来るとは……何というか、不思議な気分だ。内心の動揺を隠して、戯けるように口を開く。

 

「そういう契約だっただろう? 礼を言われるようなことじゃないさ。」

 

「ふん、一応言っておこうと思っただけだ。大した意味などない。」

 

そっぽを向いた彼に苦笑する。まあ……五十年の付き合いなんだ、こういう日もあるのかもしれない。あの賢しらなガキも、今じゃあ皮肉屋のおっさんか。時の流れってのは早いもんだ。

 

妙な空気になったのを変えるべく、話題を前に進めることにする。

 

「さて……ゲラート、キミが遂に覚悟を決めてくれたのは喜ばしいことだ。ダンブルドアと闘うにあたって、何か必要なものはあるかな?」

 

「特にないな。……強いて言えば、邪魔が入らないようにして欲しいぐらいだ。」

 

「ま、そのくらいならお安い御用さ。端からキミたちの闘いを邪魔させるつもりはないし、邪魔するつもりもないからね。……そういえば、場所は決まっているのかい?」

 

私の問いに、ゲラートは何かを懐かしむような顔をしながら一つの地名を口にする。

 

「ゴドリックの谷だ。あの場所こそが俺たちの戦いに相応しいだろう。」

 

「ああ、なるほどね……。始まりにして、終わりの場所というわけだ。んふふ、運命的じゃないか。なかなか良いチョイスだと思うよ。」

 

「アルバスには手紙を書く。あいつなら……それで来てくれるはずだ。」

 

「ふむ……それなら、手紙は私が届けよう。検閲にあうのは嫌だろう?」

 

私の言葉に、ゲラートが虚をつかれたような顔になった。

 

「それは……お前は、アルバスに会いたくないのかと思っていたんだが。」

 

「共通の知り合いがいるのさ。彼女なら私の情報が漏れることはないし、ダンブルドアにも直接会えるはずだ。」

 

「お前の手は、俺が思っていたよりも随分長いらしいな。全くもって恐ろしいものだ。」

 

今度はゲラートが苦笑しながらも、懐から一通の手紙を取り出した。飾りっ気のない封筒には、ダンブルドアの名前だけが書かれている。

 

「それなら、頼んでおこう。」

 

「ああ、必ず届けよう。」

 

差し出された手紙を懐に仕舞い込む。レミリアに頼めばいいはずだ。彼女もダンブルドアと話したいことがあるはずだし、一石二鳥というものだろう。

 

窓の外に浮かぶ、高くなった夏の雲を見ながらゆっくりと口を開く。

 

「さて、それでは失礼させてもらおうかな。……ゲラート、当日は闘いを観に行かせてもらう。無様な姿は見せないでくれよ?」

 

私がニヤニヤ笑いながら言うと、ゲラートもニヤリと笑いながら傲然と言い放つ。

 

「楽しみにしていろ、吸血鬼。その日、地に横たわるのはアルバスの方になるはずだ。」

 

こちらを見ながら覇気を漲らせるゲラート・グリンデルバルドは、歴史に残る魔法使いに相応しい、堂々たる姿で不敵な笑みを浮かべるのだった。

 

 

─────

 

 

「おお、これはスカーレット女史。お久し振りです。」

 

ホグワーツ城の最も高い塔、その天辺で黄昏ているダンブルドアを驚かそうとしていたレミリア・スカーレットは、自身の悪戯が失敗したことを悟った。

 

いきなり声をかけてやろうと思ったのに。後ろに目でもついているのか、全く驚いた様子もなく振り返ったダンブルドアに苦笑しながらも挨拶を返す。

 

「ええ、お邪魔しているわ。中々いい場所じゃないの、ここは。」

 

隣に並んで下を覗き込んでみると、ホグワーツの周辺が一望できる。しかし、本当に辺鄙な場所にあるらしい。ホグワーツ城を除けば、人工物は駅舎と……遥か彼方のホグズミード村だけだ。

 

「そうでしょう、そうでしょう。私はこの風景が大好きなのですよ。」

 

青い瞳を細めながら言うダンブルドアに、懐から一通の手紙を取り出した。

 

「グリンデルバルドからよ。」

 

差出人に一瞬驚いた様子だったが、すぐに立ち直ったダンブルドアはそれを受け取ると、丁寧な手つきで封を剥がして中身を読み始めた。読み進めるのを見ていると……彼が苦笑しながら口を開く。

 

「ゲラートは変わらず自信家のようですな。決闘を挑まれてしまいました。魔法界を賭けてゴドリックの谷で闘え、だそうです。」

 

「何とも皮肉な場所を選んだものね。それで……受けるのでしょう? アリスからの伝言は聞いているわ。」

 

「さよう、準備は出来ております。これがゲラートとの、最後の闘いになるでしょう。」

 

先程までのやわらかい雰囲気が消え、覚悟を秘めた表情でダンブルドアが言う。やはり心配する必要はなかったようだ。これならそうそう負けたりはしないだろう。

 

「それを聞いて安心したわ。そういえば……グリンデルバルドに手紙を送ったそうじゃない? ヤツはそれを見て闘いを決意したそうよ。挑発でもしたの?」

 

「よくご存知ですな。例の運命といい、貴女は色々なことを知っているようだ。」

 

「あら、レディの秘密は探るべきじゃないのよ? とんでもないしっぺ返しを食らうことになるわ。」

 

「それは恐ろしい話ですな。それで……そうそう、手紙の話でしたな。大したことではありませんよ。ただ、アリアナのことを恨んではいないと知らせただけです。」

 

それは……予想外だ。本心から言っているのだろうか? ダンブルドアの瞳を見つめるが、深いブルーのそれからは負の感情は読み取れない。

 

「本気でそう思っているの? というか、何故グリンデルバルドはその手紙を受け取って闘いを決意したのかしら?」

 

「本気で思っておりますよ。自責の念から解放された後、誰かを恨む感情は残っていませんでした。ゲラートは、彼は……負い目を感じていたのではないでしょうか。それが無くなったからこそ、闘うことが出来るようになったのでは?」

 

あのゲラート・グリンデルバルドが負い目を感じていた? なんともまあ、想像するのが難しい話だ。

 

「大陸じゃ人を殺しまくったのに? それとも、貴方の妹だから特別なのかしら。」

 

「こんなことを言っても誰も信じないでしょうが、ゲラートは本質的には殺人者ではないのだと、私は思っております。望んで行なっているのではなく、必要だから行なっているのでしょう。」

 

「目的じゃなく手段ってこと? 殺された側としてはさぞ迷惑でしょうね。」

 

「無論、弁護しているわけではありません。彼が行ったことは許されるべきではない。……ゲラートは、自らの理想に溺れているのです。自分の罪を自覚するほどに、後戻りが出来なくなっていく。」

 

ダンブルドアの予測通りなら、なんともまあ歪んでいる男らしい。理想のために人を殺して、それを無駄にしたくないからもっと殺す。そんな行いを繰り返した結果が、現在のヨーロッパというわけだ。

 

「雪だるまが転がっていくかのようね。彼の負債はどんどん大きくなっていくだけじゃない。」

 

「さよう。故に止めなければならないのです。ゲラートに引導を渡してやることこそが、私が彼に出来る最後のことなのでしょう。」

 

未だダンブルドアは彼に友情を感じているのかもしれない。そしてそれは、恐らくグリンデルバルドも同様なのだろう。

 

結果として起こるのが一対一の決闘か。なんとも報われない話だ。

 

まあ、何にせよ私に出来るのは見届けることだけだ。景色から目を離し、ダンブルドアに別れを告げる。

 

「ま、精々頑張って頂戴。貴方の勝利を祈っておくわ。」

 

「お任せいただきたい。大陸のためにも、イギリスのためにも、そして……ゲラートのためにも、私は必ず勝利してみせます。」

 

悠然と言い放ったアルバス・ダンブルドアは、柔らかくも強大な、こちらを安心させるような雰囲気を纏っていた。

 



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伝説の決闘

 

 

「さて……いよいよ決着がつくね。」

 

隣に座る美鈴に声をかけつつ、アンネリーゼ・バートリは民家の屋根上から、あの日と同じように緑に染まったゴドリックの谷を見下ろしていた。

 

美鈴の手にはパチュリーが作った魔道具がある。これを通して、紅魔館にいるレミリアやフランもこの風景を見ているはずだ。

 

当然ながら能力で姿を消している。加えて気配もきちんと消しておけば、幾らあの二人でもそうそう気付けないだろう。

 

「どっちが勝ちますかね?」

 

「正直言って、予測がつかないな。それに……多分誰に聞いても同じだと思うよ。今現在、あの二人よりも強力な魔法使いはいないだろうしね。」

 

「パチュリーさんなら余裕で勝てそうですけど。」

 

「それは別枠だよ。パチェも今や立派な人外じゃないか。」

 

美鈴と話しながら待っていると、先ずはダンブルドアが町の中心にある広場に姿あらわししてきた。

 

「おっと、選手入場ですね。」

 

それを見た美鈴がジャーキーを齧りながら声を上げる。……野球観戦じゃないんだぞ、こいつ。足元を見ればファイア・ウィスキーまで用意している。緊張感のないやつだ。

 

ため息を吐きながらもジャーキーを一個ぶん盗る。責めるような視線の美鈴を無視して、それを齧りながら返事を返した。

 

「順当だろうさ。ゲラートは相手を待たせるタイプの人間だしね。」

 

「物凄い無駄情報じゃないですか、それ。」

 

ダンブルドアは辺りを見回した後、広場のベンチにゆっくりと座り込んだ。うーむ、この場面だけだと日向ぼっこしている老人にしか見えないな。

 

「余裕ありますねー。」

 

「ご老体には立ちっぱなしが辛いんだろうさ。……おっと、ゲラートも到着したようだよ。」

 

広場から少し離れた場所にゲラートが現れる。広場にダンブルドアの姿を認めると、一直線に歩き出した。

 

ダンブルドアもどうやらゲラートに気付いたようで、ゆっくりと立ち上がって彼に近付いて行く。会話をするのには少し遠すぎる距離でお互いに立ち止まり、しばらくそのまま見つめ合う。

 

やがて先にダンブルドアが口を開いた。顔には困ったような笑みを浮かべている。

 

「久しぶりだな、ゲラート。随分と……老けたじゃないか。」

 

対するゲラートはニヤリと笑って、応えるように言葉を発する。

 

「それはこっちの台詞だ、アルバス。覚悟は出来ているんだろうな?」

 

「とうに出来ているよ。言葉を交わすつもりは……無いようだね。」

 

ニワトコの杖を抜き放ったゲラートに、ダンブルドアも自身の杖を抜いた。それを片手に持ちながら、二人はゆっくりと近付いて行く。

 

「もはや言葉は不要だろう? あの頃とは違う、本気の決闘だ。勝たせてもらうぞ、アルバス。」

 

「私には話したいことがあったんだが……止むを得まい。残念だが、私も負けるつもりはないんだ。全力でいかせてもらおう、ゲラート。」

 

眼前に杖を立てた後、さっと振り下ろしてからお辞儀をする。そのまま後ろを向いて、ゆっくりとお互いの距離を離すように歩き出した。

 

「へえ、魔法使いの決闘って、こんな感じでやるんですね。」

 

「静かにしておけ。立ち止まったら始まるぞ、美鈴。」

 

ある程度距離が離れたところで、二人が示し合わせたように振り返って杖を構える。それぞれの目が合った瞬間、ゲラートの杖から猛烈な勢いで炎が噴き出した。

 

炎はいくつもの弧を描いてダンブルドアに襲いかかるが、彼が杖を一振りすると大量の水が現れて自身を覆い、炎の鞭からその身を守る。

 

炎と水の激突で生じた激しい水蒸気でダンブルドアが見えなくなるが、構わずゲラートは浮き上がらせた小石を槍に変えて更なる追撃を行った。

 

槍が凄まじい勢いでダンブルドアが居るであろう場所に向かっていくが……突如として吹き荒れた豪風が水蒸気と槍を纏めて吹き飛ばした。豪風の発生地から無傷のダンブルドアが飛び出し、ゲラートに向かって大量の閃光を撃ち出す。

 

それを見ていた美鈴が、ウィスキーが零れているのにも気付かずに半笑いで呟いた。

 

「いやぁ……これは、凄くないですか?」

 

「ああ……これはちょっと、思っていたよりもかなり派手だな。」

 

まさかここまで大規模な闘いになるとは思っていなかった。精々大量の閃光が行き交う程度だと思っていたのだが……。呆然とする私と美鈴が話している間にも、戦況はどんどん変化していく。

 

閃光を捌ききったゲラートが短距離の姿あらわしで距離を取るが、ダンブルドアも合わせるように位置を変えながらゲラートの近くの地面を吹き飛ばす。

 

吹き飛ばされた小石がぶつかるのを無視して、今度はゲラートが攻勢に出た。街灯を折り曲げてダンブルドアの動きを妨害すると、すかさず杖から生み出した鎖でダンブルドアを拘束する。

 

見事に捕らえられたように見えたダンブルドアだったが、杖先を光らせると鎖に縛られている身体は煙になって消え、本人は離れた位置に現れた。

 

煙はそのまま動物に形を変えてゲラートに襲いかかるが、彼がくるりと杖を回したかと思えば一瞬で霧散して消えていく。

 

それを見たダンブルドアが、肩を竦めながらゲラートに声をかけた。

 

「腕を上げたな、ゲラート。」

 

「当然だ。お前こそ……教師なんぞをしているから鈍ってると思ったんだがな、なかなかやるじゃないか。」

 

ぶっきらぼうに言い放ったゲラートに、ダンブルドアが苦笑する。

 

「鍛錬を欠かしたことはないさ。それなら……これはどうかな!」

 

今度はダンブルドアが炎を操る番らしい。彼の振った杖先から、炎で形取られた美しい鳥が飛び出してくる。無数の鳥たちは意志を持っているかのような複雑な軌道を描き、四方からゲラートに襲いかかった。

 

「ナメるなよ!」

 

言い放って白い閃光で鳥たちを迎撃しつつ、ゲラートはダンブルドアに怒声を浴びせかける。

 

「アルバス! お前に俺を止める権利があるのか? 優秀な人間が愚者たちを導く、それこそが正しい在り方だと、お前もそう同意したはずだ!」

 

複雑な杖捌きで炎の鳥を操りながら、手を休めることなくダンブルドアも叫び返す。

 

「思想ではなく、方法の問題だ! 何故こんなやり方を選んでしまったんだ、ゲラート! 我々が望んだのは改革による変化だったはずだ! 力による弾圧ではない!」

 

「ヌルいやり方ではいつまでも変わらんぞ! 魔法使いたちはいつまでドブネズミのように隠れて暮さねばならない? いつまで弱いマグルどもを恐れねばならない? こんな間違いをいつまで放っておくつもりだ! 答えてみろ、アルバス!」

 

言葉と共に特大の白い閃光が鳥たちを吹き飛ばす。まるでゲラートの怒りを込めたようなその一撃は、勢いを失うことなくダンブルドアへと襲いかかった。

 

「ぐぅっ……。」

 

赤い閃光を杖先から放って、襲いかかるそれを抑えつけるダンブルドアだったが……いいぞ、ゲラート。押しているようじゃないか。私と同じように笑みを浮かべたゲラートが、閃光を放出している杖へと更に力を込めながら口を開く。

 

「俺はニワトコの杖を持っているんだ、単純な力比べでは勝てんぞ!」

 

「では……趣向を凝らすとしよう。」

 

汗をその顔に浮かべながらも、ダンブルドアはニヤリと笑って言い放った。彼が杖を持たない手を掬い上げるように動かした瞬間、地面の一部が盛り上がって鬩ぎ合う閃光へと激突する。

 

生じた衝撃に吹き飛ばされた二人だったが、先んじて立ち上がったダンブルドアが杖を振った。途端にゲラートの周囲に水が現れ、今度は彼の方を包み込んでいく。

 

捕らわれた形のゲラートだったが、不敵に笑って杖を一振りすると、水が弾け飛んで拘束が解かれた。

 

「無駄だと言ったはずだ! この程度で俺を捕えられはしないぞ!」

 

「私も言ったはずだよ。趣向を凝らす、と。」

 

応えるように笑いながら、ダンブルドアが杖を振る。すると先程吹き飛ばされた水が氷へと姿を変えて、四方八方からゲラートに襲いかかった。

 

舌打ちをしながらそれを捌くゲラートだったが、ダンブルドアが杖を振る度に数を増すそれに耐えかねたらしく、強引に自分の足元を吹っ飛ばして土煙で姿を隠す。

 

その土煙を払おうとダンブルドアが杖を振り上げた瞬間、彼の隣に建っていた家がメキメキと音を立てて倒れ始めた。

 

倒れこんでくる家を避けたダンブルドアと、土煙の中から飛び出してきたゲラートの目が合う。二人は同時に杖を振り上げるが……その瞬間、ゲラートの振り上げた腕に、僅かに残っていた氷が縄となって巻き付いた。ダンブルドアだけが杖を振り下ろし、赤い閃光が驚愕の表情を浮かべたゲラートを撃ち抜く。

 

吹き飛ばされたゲラートの手を離れた杖が、クルクルと宙を舞ってからダンブルドアの手に収まった。これは……おいおい、負けた? 嘘だろう?

 

あまりにも唐突に訪れた決着に、隣の美鈴も呆然としている。

 

「えーっと……ええ? ひょっとして、ダンブルドアの勝ち、ですか?」

 

「……ああ、そのようだ。そしてレミリアの勝ちでもある。」

 

ゲラートは仰向けに倒れたままだ。……そうか、負けたか。最終回で逆転負けとは、我ながら情けない結末だ。とはいえ、負けは負け。残念だが、受け入れるしかあるまい。

 

激発しそうな内心を、理性の力で抑えつける。昔なら怒り狂って暴れていたかもしれないが、もうガキではないのだ。強く握りしめすぎたせいで血が出てきた拳をゆっくりと開いて、美鈴に悟られないうちに再生を終わらせる。

 

二人の方に視線を向ければ、仰向けに倒れるゲラートへと、杖を下ろしたダンブルドアが歩み寄っていくところだった。その顔には勝者の喜びは無く、静かな瞳でゲラートを見つめている。

 

「俺の負けだ、アルバス。」

 

倒れたまま空を見上げつつ、ゲラートが静かに呟いた。気絶したわけではなかったのか。

 

「ああ、私の勝ちだ、ゲラート。」

 

勝ち誇る様子は一切なく、ダンブルドアの声色はむしろ沈痛さを帯びている。

 

ゲラートは立ち上がる素振りも見せず、仰向けのままでゆっくりと語り出した。

 

「……俺は、今でも自分が間違っているとは思わない。全ては『より大きな善のために』行ったことだ。」

 

「君の理想が間違っていたとは言わない。だが……君は手段を間違えたんだ。革命を起こしたいのであれば、力ではなく言葉を以って行うべきだった。」

 

「ヌルいな、ヌルすぎるぞ、アルバス。……ふん、まあいいさ。俺は負けたんだ、今更ジタバタはしない。しかし、俺の熾した火は消えないぞ。いずれ必ず同じようなことを起こすヤツが出てくる。」

 

「ならば、何度でも私が止めるさ。」

 

二人の話し合いを見ながら、美鈴に目で帰るぞと促す。内容はちょっと気になるが……ダメだ、悔しくてやる気が出ない。

 

「あれ、見なくていいんですか? なんか大事そうな話してますけど。」

 

「なんだか……どっと疲れてしまったよ。それに、フランが癇癪を起こしていないか心配だ。早く行かないと紅魔館が半壊するかもしれないぞ。」

 

「げ、そりゃそうですね。行きましょうか。」

 

それを片付けるのが自分だと気付いたのだろう。一転して焦り出す美鈴に苦笑しながら杖を取り出す。

 

美鈴と一緒に紅魔館へと姿あらわしする直前、二人の姿が最後に目に入る。闘いを終えた二人は旧友とそうするように、ただ穏やかに話し合っていた。

 

 

─────

 

 

「うぅー……でも、でも! フランは勝ってたもん!」

 

腕をぶんぶん振り回しながらそう主張する妹様を見て、パチュリー・ノーレッジは自分と小悪魔を包む障壁の強度を若干上げた。

 

リーゼが戻ってきたお陰でかなり落ち着いてきたが、未だに妹様の怒りは燻っている。油断すべきではないのだ。

 

半壊した紅魔館のリビングには、引きつった笑みで項垂れる美鈴、駄々を捏ねる妹様と、彼女に目線を合わせて諭しているリーゼ、片腕を失いながらそれを見て苦笑しているレミィ、そして私の後ろで遺書を書いている小悪魔が居る。全くもって混沌とした状況だ。

 

ダンブルドアがグリンデルバルドを打ち倒した瞬間、妹様の怒りが爆発したのである。恐らく予期していたのだろう、すぐさまレミィが反応したのだが……どうやら、妹様の怒りはレミィの予測を上回っていたらしい。

 

吸血鬼二人の姉妹喧嘩と言うには少々激しすぎるそれを見て、私は即座に障壁を張ってそこに引き篭もることを決めた。あんなのを止めようとするほど私はバカじゃないのだ。

 

結果としてレミィが二回目に腕を千切られたあたりでリーゼと美鈴が到着し、何とか妹様の怒りを収めつつあるというわけである。

 

「負けは負けだよ、フラン。きちんとそれを受け入れるのが、一人前のレディというものだろう?」

 

「でも、でもっ……リーゼお姉様は悔しくないの?」

 

「もちろん悔しいさ、喚き散らしたいほどにね。だが、そんなことをする私のことをフランは見たいかい?」

 

「それは……ヤダかも。」

 

「だろう? それを堪えて、敗者なりに堂々と振る舞うのさ。」

 

「むぅ……んぅう、分かった。フラン、頑張ってみるよ。」

 

ぺたんと地面に座り込んだ妹様から、先程までの圧力が消えた。やれやれ、とりあえず命の危機は去ったらしい。障壁を消してため息を吐く。

 

「落ち着いたようね、フラン。まあ、何はともあれ、決着がついてよかったわ。勝ち誇るような雰囲気じゃなくなっちゃったけどね。」

 

苦笑するレミィが腕を再生しながら二人に歩み寄る。一番の被害者は彼女だろう。とはいえ、ぐちゅぐちゅと再生しているそれは、正直言ってかなり気持ち悪い。

 

「いやはや、終わってみると呆気ないものだね。……そういえば、後片付けはどうする?」

 

リーゼの言葉を受けたレミィが考え出す。ニュアンスからしてこのリビングの後片付けではなく、グリンデルバルドの残党やら魔法省への対応についてだろう。リビングの担当は向こうで現実逃避をし始めた美鈴のはずだ。

 

「そうねぇ、リーゼに関しての記憶は消しといたほうがいいかしらね? もしくは、口を開けなくするとか。」

 

「ゲラート以外にはあまり知られていないはずだ。連絡は全てロワーを通したしね。ゲラートもペラペラと喋るようなヤツではないから……いや、真実薬があるか。」

 

リーゼの言う真実薬というのは、つまり魔法界の自白剤だ。マグルの物よりも数段強力なそれは、本人の意思に関係なく秘密を暴くことができる劇薬である。まあ、対処法も星の数ほどあるのだが。

 

「さすがに殺すのは気が進まないな。ふむ……パチェ、どうにか出来ないか?」

 

リーゼがこちらに問題をぶん投げてきた。まあ、予測はしていたことだ。頭の中で組み立てていた考えを口に出す。

 

「リーゼのことを伝えられなくすればいいんでしょ? 強めの契約魔法を使えば、そんなに難しいことじゃないわ。物理的に喋れなくしたり、心を閉ざせれば真実薬も意味ないしね。」

 

その話題になるたび心を読めないようにするとか、舌が動かなくなるとか、幾らでも方法はある。どうにでもなるだろう。

 

私がそう言うと、二人は納得して次の話題に移る。今度は魔法省への介入の件を話しているらしい。隣に座る妹様がむくれながらも一応その話を聞いている。あっちは落ち着いたようだし、自分の部下を心配してやるか。

 

「こあ、大丈夫?」

 

「こっ、怖かったです、パチュリーさまぁ。」

 

吸血鬼の悪巧みを適当に聞きながら、緊張から解放されて腰砕けになっている小悪魔の背をさすってやる。何年経ってもこの子が小心なのは変わらない。いやまあ、さっきのは私も怖かったが。

 

「でも、よかったですねぇ、ダンブルドアさんが勝って。パチュリーさまの同級生なんでしょう?」

 

「何度も言ってるけど、私は誰が勝とうがどうでもいいのよ。」

 

「そんなこと言っちゃってー。ダンブルドアさんがピンチの時、手をぎゅって握りしめてましたよ?」

 

「そんなことない……はずよ。」

 

私がダンブルドアの心配をしていた? ううむ、あり得ない。小悪魔の見間違いに決まってる。

 

「素直じゃないですねぇ、パチュリー様は。」

 

「黙らないと、この場所を直す美鈴の手伝いをさせるわよ。人手が増えると聞けばさぞ喜ぶことでしょう。」

 

「それはちょっと……。」

 

美鈴は未だ立ち尽くしたまま、ブツブツと何かを呟いている。哀れな姿だが声をかけるわけにはいかない。同情したが最後、修復を手伝わされるに決まっているのだ。

 

リーゼたちの話し合いが一段落したのを聞きながら、パチュリー・ノーレッジは哀れな門番に憐憫の視線を送るのだった。

 



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ゲームの終わり

 

 

「失望したか? 吸血鬼。」

 

イギリス魔法省内の一室で、手枷と鎖に繋がれたゲラートを見ながら、アンネリーゼ・バートリは薄く微笑んでいた。

 

いきなり現れたわけだが、残念ながら驚いてはくれないらしい。多少気落ちしつつも部屋の隅にあった椅子をゲラートの前に置いて、そこに腰掛けながら口を開く。

 

「自分でも驚いているんだがね、失望はしていないんだ。」

 

これは事実だ。悔しい気持ちはあれど、この男を責める気にはなれない。

 

「意外だな。てっきり、いつものような口煩い説教が飛んでくるのかと思ったが。」

 

「キミが全力で闘ったのが分かっているからかもしれないね。そうでなければ、破れぬ誓いに反したせいで死んでいるはずだ。もしくは……同情? 長い付き合いで情が移ったのかな? 自分でもよく分からないんだ。」

 

私がそう言うと、ゲラートは苦笑した。本当に丸くなったものだ。……お互いに。

 

「俺は負けた。そしてこの上足掻くつもりはない。これまでの負債を回収しに来たのなら、急いだ方がいいぞ。魔法省の連中が俺を骨までしゃぶり尽くす前にな。」

 

「まあ、私もキミの望みを叶えてやれなかったわけだしね。負債を回収するつもりはないさ。ただ……私のことを喋られると困るんだ。」

 

私の言葉を聞いたゲラートは、静かに笑いながら目を瞑る。

 

「ならば殺せ。俺の意思に関係なく、俺の口を開く手段は少なくない。それが一番確実だ。」

 

「早合点しないでくれよ、ゲラート。私を誰だと思ってるんだい? もっと簡単な対処法があるのさ。」

 

懐から一錠の薬を取り出して、ゲラートの口元まで運ぶ。パチュリー謹製の……そうだな、閉心薬とでも呼ぶか。ある特定の事柄について、他人には決して伝えられなくするという代物だ。

 

「私のことについて強く考えながら、この薬を飲み込んでくれ。」

 

「……副作用はないんだろうな?」

 

「残念なことに至極安全な薬だよ。ひと思いに死ねなくって残念だったね。」

 

ニヤニヤ笑いながら口元に押しつけると、嫌そうにしながらもゲラートがそれを飲み込んだ。

 

「俺を唆したのは凶悪な吸血鬼だ。……喋れるようだが?」

 

「その当事者には話せるのさ。しかし、凶悪な吸血鬼ね。……そんな風に思ってたなんて悲しいよ。」

 

「ふん、自覚がないというのは恐ろしいな。」

 

今度は私が苦笑しながら、ゲラートの目を見つめてゆっくりと問う。

 

「それで、本当にいいんだね? キミが一言頼むなら、私はキミを自由にできるんだよ?」

 

「不要だ。無様に落ち延びるつもりはない。全てを決する、あれはそういう決闘だったんだ。」

 

「まあ、その通りかもしれないね。しかし……そうか、それならここでお別れか。結構長い付き合いだった気がするよ。」

 

細めた私の目に、ゲラートが同じような表情をしているのが映る。長い時間を生きる私にとっても、本当に長いゲームだった。

 

「そうだな……お前に初めて会った時はまだ世を知らぬガキだった。今や俺は世紀の大犯罪者だ。」

 

「んふふ、結構楽しかったよ。見ていて危なっかしくもあったけどね。」

 

戯けるように笑いながらそう言うと、ゲラートもほんの少しだけ笑ってくれる。ダンブルドアとの決闘の前では考えられなかったような表情だ。

 

「さて……それじゃあ、お別れだ。長々とした別れなんて、私たちには似合わないだろう?」

 

「ふん、その通りだ。では、次に会う時は地獄かもしれんな。」

 

「残念だが、私はキミよりもっと深い場所に落ちるだろうさ。」

 

言い放ってから部屋のドアに向かってゆっくりと歩き出す。ドアを開けて外に一歩だけ踏み出したところで、背後のゲラートから声をかけられた。

 

「さらばだ、アンネリーゼ・バートリ。」

 

こいつ、私の名前をちゃんと覚えていたのか。顔に苦笑を浮かべながら、ドアが閉まる直前にゲラートへと向き直る。その瞳をみつめて、微笑みながら声を放った。

 

「さようなら、ゲラート・グリンデルバルド。」

 

パタリと閉じたドアを少しだけ見つめた後、ゆっくりと杖を取り出す。自分の心にほんの少しだけの惜別の感情を認めながら、ムーンホールドへと姿あらわしをするのだった。

 

 

 

ムーンホールドのエントランスに到着し、自分の部屋へと歩き出そうとすると、その前に声をかけられてしまう。

 

「アンネリーゼお嬢様、少々お時間をいただけないでしょうか?」

 

「ロワー、どうした?」

 

振り返ると、ゲラートとの連絡役の任を解かれて屋敷に復帰したばかりのロワーだった。いつも以上にパリッとしたような執事服を身に纏い、礼儀正しく一礼してから話し出す。

 

「はい、実はお嬢様にお願いしたいことがございまして。」

 

「お願い? キミがかい? 珍しいこともあるもんだね。言ってみるといい。」

 

お願い、だなんて初めて聞いたかもしれない。驚きながらも続きを促すと、ロワーはゆっくりと丁寧に話し始めた。

 

「お暇を頂きたいのです。私は……もう老いました。大きな仕事も一段落つきましたので、このままお仕えして無様を晒すよりも、優秀なしもべとしてここを去りたいと思っております。」

 

「それは……そうか、残る気はないんだね?」

 

一瞬引き留めようとする考えが頭をよぎるが、しもべ妖精にそれをするのはむしろ酷だろう。これまでの忠勤に報いるためにも、ここは了承すべきだ。

 

「はい、お許しをいただけるのであれば、引き継ぎを終わらせた後に出て行こうと思っております。」

 

「……キミの気持ちは分かったよ。これまでよく働いてくれたんだ、最後くらいは好きにするといい。」

 

「ありがとうございます、アンネリーゼお嬢様。お嬢様にお仕えできて、ロワーめは幸運でございました。」

 

ペコリと一礼するロワーに対して、できる限りの感情を込めて言葉を放つ。

 

「ロワー、キミの仕事で不足を感じたことは一度もない。歴代のバートリ家の使用人の中でも、キミほど優秀なヤツは他にいないだろう。そのことを誇りに思いたまえ。」

 

「身に余る光栄でございます。」

 

床に頭がつくほどのお辞儀をしてから、ロワーが去っていく。どうやら、今日は別れが多い日のようだ。

 

エントランスの窓から夏の夕焼け空を見上げつつ、アンネリーゼ・バートリは静かに瞑目するのだった。

 

 

─────

 

 

「何故ですか! 僕の成績には問題はないはずです!」

 

ホグワーツの廊下を歩くパチュリー・ノーレッジは、自身の目的地であるダンブルドアの私室から響く怒声に眉をしかめていた。

 

今や大人気のダンブルドアに、怒声を浴びせかけるような根性のあるヤツがいるとは思わなかった。ちょっと面白そうだ。そろりとドアに近づいて、耳を澄ませてみる。

 

「リドル、これはディペット校長も同意してくれたことだ。残念ながら君は防衛術の教師にはなれない。」

 

「ヴェイユは教師に採用されたと聞きました。僕の成績は彼女より上のはずです!」

 

「成績の問題ではないのだ。君がイモリ試験で驚くほどの好成績を残したことはよく知っている。しかしこれは……適性の問題なのだよ。」

 

どうやら怒鳴っているのはリドルらしい。道理で聞き覚えのある声だと思った。しかし……教師か。アリスの話を聞く限り、確かに向いてはなさそうだ。

 

「ハグリッドのことですか?」

 

「それもある。しかし、それだけではない。」

 

「他にも理由があるとでも?」

 

一瞬の沈黙の後、ダンブルドアがゆっくりと話し始める。

 

「リドル、ホグワーツの……いや、あらゆる学校で、教師となるのに必要な資質が何か分かるかね?」

 

「教えるのに相応しい知識と、そして生徒が納得するような実績でしょう?」

 

「それは最も大事な資質ではないな。……愛だよ、リドル。生徒を愛する心こそが、教師として欠けてはならないものなんだ。」

 

「……またそれですか、貴方お得意の言葉ですね。魔法使いが持つべきものは愛! 最も強い力は愛! そして教師に必要なのも愛! 聞き飽きましたよ、その言葉は!」

 

リドルの怒りが大爆発しているようだ。だが、ダンブルドアの言葉は真実の側面を突いている。時に愛が凄まじい力を持つことを、私は本を通じて知っているのだ。

 

ダンブルドアはきっと人間を通してそれを知ったのだろう。しかし、リドルはまだ若すぎる。それを理解するのは難しいはずだ。

 

「テッサは自らが他者を愛する力を持っていることを、五年生の時に証明したのだ。君と校長の前に立ち塞がってまで友を守ろうとした。その行いのなんと勇敢なことか。」

 

「そして退学に追い込んだ僕は間違っていたと、そう言いたいわけですか?」

 

「君はあの行いが正しいことだったと、そう本気で信じているのかね?」

 

「信じていますよ、今でもね。……どうやら、話は平行線のようだ。僕は失礼させていただきます。これ以上は無駄な時間になるだけでしょう。」

 

こちらに近づいてくる足音に、ドアから少しだけ離れる。別に聞いていたこと自体を隠す必要はないだろう。なんたってその方が面白そうだ。

 

怒った顔でドアを開いて出てきたリドルが、私を見つけて驚愕の顔に変わる。

 

「っ、これは、ノーレッジさん。お久し振りです。」

 

「ええ、久し振りね、リドル。それと、残念だったわね。」

 

「聞いていたんですか?」

 

リドルはこちらを責めるような顔だが、知ったことではないのだ。外まで聞こえるような大声で話しているのが悪い。四十年前ならともかく、今の私はそんな顔では揺らがないぞ。

 

「まあね。それじゃあ、失礼するわ。ダンブルドアに用があって来たの。」

 

なおも責める顔を崩さないリドルを放って、ダンブルドアの部屋へと入る。部屋の主人はこちらを見ると、疲れたように苦笑した。

 

「今度は君か? ノーレッジ。少し疲れているんだ、手加減してくれよ?」

 

「失礼なヤツね。今日はいい話を持ってきたのよ。」

 

疑わしいと言わんばかりのダンブルドアを無視して、持ってきたカバンから小さな石を取り出す。

 

すると、ダンブルドアの顔が驚きに染まった。当然ながら、ただの石ころだと思って驚いたわけではないだろう。これの貴重さを理解できているのだ。

 

「レミリア・スカーレットから、戦勝祝いの贈り物よ。火消しの石。貴方なら貴重さが理解できるでしょう?」

 

「これは……確かに貴重だ。初めて目にしたよ。」

 

「時に使用者を闇に隠し、時に使用者を導く灯火となる。正直、貴方には似合わないと思うんだけどね。レミィによると必要とする時が来るらしいわよ。」

 

「例の、運命というやつかい? ふむ……それなら、ありがたく貰っておくとしよう。」

 

ダンブルドアはレミィの運命をあまり疑ってはいないようだ。勿論、無条件に信じるわけでもないだろうが。

 

「まあ、私からもお祝いを言っておくわ。決闘の勝利おめでとう。」

 

「ありがとう、ノーレッジ。どうにか生き延びることが出来たよ。」

 

面映げに笑うダンブルドアに、昔の面影が重なる。しわくちゃになったが、その本質は変わっていないらしい。

 

紅茶を出そうとするダンブルドアを止めて、一つだけ質問をする。元々長居するつもりは無かったのだが、彼の顔を見ていたら気になっていたことを思い出したのだ。

 

「ねえ、貴方はレミィのことをどこまで信じているの?」

 

この男はその辺にいる馬鹿な魔法使いたちとは違う。レミィの行動に違和感を感じていてもおかしくはないはずだ。

 

「スカーレット女史が吸血鬼だということかな? それとも、自分でゲラートを倒さなかった理由の方かね?」

 

まあ、そこまでは気付いているわけか。しかし、それなら尚更不可解だ。

 

「他にも違和感はあったはずよ。それなのに、貴方はレミィに一定の信頼を置いている。違うかしら?」

 

グリンデルバルドが捕まった後の対応にしたって、ダンブルドアはレミィと連携を取っていた。ヨーロッパで大きな混乱なく残党の処理が進んでいるのもそのせいだ。

 

私の問いに、ダンブルドアは何かを思い出すようにしながら答えを口にする。

 

「理由は二つある。彼女には大きな借りがあるんだ、それに感謝しているというのが一つ目。そしてもう一つは……。」

 

「もう一つは?」

 

「カン、だよ。魔法使いとしてのカンさ。」

 

呆れた。悪戯が成功したように笑うダンブルドアに、思いっきり鼻を鳴らしてやる。

 

本気にせよ冗談にせよ、もう聞く気が失せてしまったのは確かだ。久々にこの男にやり込められてしまったらしい。

 

「全く、いつまで経ってもガキのままね。……分かったわ、今回は私の負けよ。」

 

「君から一本取れるとは、私もまだまだ捨てたもんじゃないようだね。」

 

苦笑しながらドアへと向かう。用事は済んだのだ、愛する図書館に帰ろう。そう思ってドアを開けたところで、後ろから声がかかった。

 

「またいつでも来てくれ、ノーレッジ。同世代の友人は減っていくばかりなんだ。」

 

「それまでに貴方がおっ死んでなかったらね。」

 

肩越しに言い放ってドアから出る。言ったはいいが、あの男はしばらく死にそうにないな。

 

懐かしいホグワーツの廊下を歩いていると、昔苦しめられた仕掛け扉が目に入る。……どうせなら、この校舎にちょっとした悪戯をしてから帰ろうか? きっとこの城の意味不明な仕掛けは、そうやって増えてきたのだろう。

 

これから行う悪戯の内容を考えながら、パチュリー・ノーレッジは足取り軽く歩き出すのだった。

 



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卒業旅行

 

 

「やっぱり凄いよ! さっすがダンブルドア先生だね!」

 

列車の中でテッサのはしゃいだ声を聞きながら、アリス・マーガトロイドは答え難い話題に苦笑していた。

 

テッサの持っている新聞の一面には、ダンブルドア先生と捕らえられたグリンデルバルドの写真がデカデカと載っている。見出しには『イギリスの英雄、史上最悪の魔法使いを破る』、と大きな文字で書かれていた。

 

別にダンブルドア先生が勝利したことが嬉しくないわけではないのだ。私だってあの先生には恩義を感じているし、グリンデルバルドに勝ったと聞いてホッとしている。

 

私が苦笑しているのは、この闘いがリーゼ様とスカーレットさんの『ゲーム』であることを知っているからだ。

 

ムーンホールドの夕食の席で、その事をさらりと聞かされた時にはとても驚いた。……というか引いた。まさかリーゼ様とグリンデルバルドに繋がりがあるなんて思わなかったし、スカーレットさんだって本気で彼と戦っていると思っていたのだ。

 

おまけにアメリカで脱獄させたのはパチュリーらしいし、この決闘にもリーゼ様たちが大きく関わっているらしい。予想以上の悪行の数々に、さすがの私も顔を引きつらせたくらいだ。

 

反面、私がリーゼ様たちと同じ場所を選んだから聞かせてくれたのだと思うと、ちょっと嬉しい気になったのも事実だ。まあ、少し想像以上の世界だったが。

 

とにかく、この記事の裏側を知っている私にとっては、素直に喜べる記事じゃないというわけである。事実を知っていると、なんだか二人が可哀想に見えてくるのだ。

 

「いやー、パパもホッとしてたよ。各地で反攻作戦が起きてるんだってさ。ようやく避難所から出れるって手紙で喜んでたよ。」

 

もちろんテッサに事実を伝えるわけにはいかない。隠し事は心が痛むが、幾ら何でも事が大きすぎる。ごめんね、テッサ。

 

複雑な内心を隠して、喜んでいるテッサに笑顔で返事をする。

 

「よかったわね。フランスには一旦帰るんでしょう?」

 

「うん。この旅行が終わったら、顔だけ出そうと思ってるんだ。きちんと就職先のことも伝えたいしね。」

 

テッサはホグワーツの教師になれることが正式に決まった。来学期からは見習い教師として、ホグワーツで生活することになるらしい。

 

そのお祝いも兼ねて、二人で卒業旅行にやって来たというわけだ。魔法界と同じようにマグルの世界でも大戦があったらしく、行き先を探すのには苦労したが……苦労の甲斐あってなかなかいい場所を見つけることができた。

 

列車が速度を落とし始めると、イギリスでは考えられないような景色が見えてくる。テッサも窓に張り付きながら、大口を開けて呟いた。

 

「おお……着いたよアリス。すっごいねえ。」

 

「そうね、イギリスとは全然雰囲気が違うみたいね……。」

 

目の前には巨大なビルが立ち並び、隙間を縫うように小さな店が軒を連ねる、なんとも混沌とした風景が広がっていた。この場所こそが、悪名高き香港特別魔法自治区である。

 

かつてイギリス魔法省が自国の植民地に起こしたこの街は、東方、ロシア、インド、南方、果ては新大陸の魔法使いたちをも巻き込む形で、凄まじい勢いで成長していった。

 

結果として今はイギリスから独立し、魔法界では一つの国家に近い影響力を持っている。ありとあらゆる魔法界の文化がちゃんぽんになった、混沌とした不夜の都市。それが香港特別魔法自治区なのだ。

 

列車から降りて駅を離れ、出店の間を縫って歩き出す。呼び込みやら話し声やらで耳に届く音が忙しない。

 

「うわぁ、見てよアリス、空飛ぶ絨毯がたくさん売ってるよ。」

 

「こっちには呪符が売ってるわ。大陸のかしら? それとも日本?」

 

売り物に統一性がなさすぎる。狼やらヤギやらの生首を売っている店の隣に、かわいらしい看板のペットショップがある始末だ。それにあれは……鬼のパンツ? あんなもん誰が買うのやら。

 

しばらく忙しなく視線を動かしながら歩いていると、テッサが空を見上げながらいきなり立ち止まった。

 

「大燕だ! マホウトコロじゃあれに乗って学校に行くんだよ。でっかいねえ。」

 

「本当ね……。こうして見てみると、本当に魔法界というのは地域差があるのが分かるわ。」

 

空を飛ぶ巨大な燕は、背中に人を乗せているようだ。イギリスじゃ想像もできない光景である。人間を一息に呑み込めそうな大きさだ。

 

しばらく大燕を二人で見上げていたが、やがて立ち直ったテッサが首を振りながら話しかけてくる。

 

「あーもう、目移りしちゃって進めないよ。先にホテルに荷物を置きにいかない? 本腰入れないと絶対回りきれないって。」

 

「その方が良さそうね。えーっと……あっちかしら? いや、違うわね。駅がこっちだから……。」

 

ホテルの場所を示した地図を見るが……全然分からない。あまりにも店が多すぎるせいで、遠くまで見渡せないのだ。

 

「ちょっと待ってね、方角だけでも……ポイント・ミー(方角示せ)。よし、こっちが北だから、ホテルはこっち!」

 

テッサが元気よく指し示した方向には店が立ち並んでおり、どう見ても通れそうもなかった。微妙な沈黙が二人を包んだ後、彼女は頭を掻きながら半笑いで口を開く。

 

「迂回しないとダメそうだね。」

 

「じっとしてても始まらないわ。とりあえず向こうに抜けられる道を探しましょう。」

 

どうやらホテルにたどり着くのにも苦労しそうだ。まあ、それも旅の醍醐味なのかもしれない。人混みを掻き分けながら、不思議な品々への誘惑になんとか耐えて、テッサと二人で歩き出した。

 

 

 

「あれぇ……こっちも行き止まりだよ。」

 

「何で道路のど真ん中に壁があるのよ……。」

 

結果として私たちは迷った。いや、別に私やテッサが方向音痴だというわけではないのだ。この街があまりにも不親切なのが悪いのだ。

 

直線の道など全くないし、店々はどうやら道路を侵食してその数を増やしているらしく、道の先が店で塞がれているのはここでは当然の風景らしい。

 

この壁もどうせなにかの店で、逆側に入り口があるのだろう。何にせよ、ここは通れないということで間違いあるまい。

 

「ってことは、さっきの分かれ道に戻らないとダメだね。迷路みたいな街だなぁ……。」

 

「駅で案内人が客引きをしてたのはこういう訳なのね。雇っておけばよかったかしら?」

 

「時既に、ってやつだよ。とにかく戻ろう。」

 

テッサの言葉に従い、二人でトボトボと来た道を戻っていると、ビルの隙間から何やら声が聞こえてきた。

 

「はぁ……何度言ったら分かるのかしら? 知らないのよ、私は。」

 

「嘘をつくんじゃねえ! お前が盗ったんじゃないなら、誰が盗ったって言うんだ!」

 

「貴方のような貧乏臭い人から財布を盗るほど、私は困窮してはいませんの。ほら、分かったらさっさと消えてくれないかしら?」

 

「てめぇ、女だからっていい気になるんじゃねえぞ!」

 

怒鳴る男性と冷たい女性の声だ。どうやらトラブルらしいが、ちょっと物騒だ。脳裏に七年前の光景が蘇る……止めに行こう。今の私はあの時とは違うのだ。

 

隣を見れば、テッサは既に杖を抜いている。二人で頷き合って、声の方向へと駆け出した。

 

「あらまあ、物騒な物を持ってるのね。ちゃんと使えるの? 手が震えてるみたいだけど。」

 

「ふざけやがって! 後悔するなよ!」

 

ビルの隙間の角を曲がり、ようやく声の主たちが目に入るが……男が女性に向かって銃を構えている! 咄嗟に杖を振り上げて、武装解除の呪文を放った。

 

エクスペリアームス(武器よ去れ)!」

 

ステューピファイ(麻痺せよ)!」

 

隣のテッサは失神呪文を選択したようだ。二つの閃光が男を撃ち抜き、吹っ飛んだ後にピクリとも動かなくなった。男の手から離れた銃がカラカラと地面に転がったところで、女性がゆっくりとこちらに振り向く。

 

「あら、かわいい正義の味方さんたちね。」

 

そう言って優雅な所作でこちらに近付いてくる女性は、何というか……凄い美人だ。穢れを知らぬ少女のようにも見えるし、妖艶な大人の女性にも見える。不思議な感じの人だった。

 

私とテッサの近くまで来ると、その長い金髪をさらりと揺らして、綺麗な所作で一礼してくる。

 

「ありがとう、かわいい魔女さんたち。お陰で助かったわ。」

 

「えっと、どういたしまして。無事なようで何よりです。」

 

見惚れて大口を開けているテッサの代わりに返事をすると、彼女はくすくす笑いながら経緯を説明してくれた。

 

「あの方が財布を失くしてしまったようで、ちょっとした勘違いから絡まれてしまったの。とっても怖かったわ。」

 

言葉とは裏腹に、全然怖くなさそうな様子で彼女が言う。なんかちょっと胡散臭いな。というか……この気配、リーゼ様や、たまに屋敷に遊びに来る美鈴さんに似ているような気がする。

 

物凄く小さな違和感程度だが、吸血鬼の屋敷で暮らしているのは伊達ではないのだ。自分の感覚を信じて、少しだけ警戒心を持って話しかける。

 

「それは災難でしたね。ここはちょっと危ないかもしれないので、表通りまで付き合いますよ。」

 

「ふふ、優しいのね。それじゃあ、お願いしようかしら。」

 

テッサの手を引いて女性と一緒に歩き出す。いつまで放心しているんだ。お尻を抓ってやると、妙な声を上げてこちらを睨んできた。

 

それを適当に流しながら歩いていると、歩きながら女性が声をかけてくる。しかし、歩く動作まで無駄に優雅だ。結構なご令嬢なのかもしれない。

 

「お二人はこっちの人じゃないのよね? 綺麗な発音の英語だし、イギリスの方かしら?」

 

「そうです! 卒業旅行で観光に来たんですけど、ホテルを探して迷っちゃって。」

 

「それも仕方ないかもしれないわね。此処はちょっと……複雑な街だから。」

 

テッサに答える女性の声に、ちょっとどころじゃないと心の中でツッコミを入れる。世界で一番複雑な街と言ってもいいくらいだ。

 

「それなら私が案内しましょうか? 此処にはよく買い物に来るの。これでも結構詳しいのよ?」

 

パチリとウィンクしながら言う女性に、どうやって断ろうかと言葉を探す。人間なのか人外なのかは分からないが、疑わしきは人外だ。少なくともパチュリーはそう言っていた。

 

「それはとっても助かります! お願いできますか?」

 

だが、私が言い淀む間にテッサが了承の返事を返してしまう。残念ながらこれを覆すのは不自然すぎるだろう。厄介なことにならなければいいが。

 

「ええ、任せて頂戴。何てホテルかしら?」

 

テッサがホテルのことを説明している間に、横から女性を観察する。畳まれた日傘に、紫色のワンピース。服装にも違和感はないし、一見すると人間なのだが……やっぱりほんの少しだけ人外の気配を感じる。悪魔か、妖怪か。何にせよ、悪い存在でなければいいのだが。

 

ポケットに手を入れて、パチュリーから持たされた護身用の魔道具があることをそっと確かめる。『物凄いヤツだからなるべく使わないように』と言われている魔道具だが、人外相手ならパチュリーも文句は言うまい。

 

有事にはすぐに使えるように手の袖口に仕込んで、説明が終わったらしいテッサに促されて歩き出す。

 

「いやー、お陰でようやくホテルにたどり着けそうです。ありがとうございます、えーっと……。」

 

「紫よ、八雲紫。八雲が苗字で、紫が名前ね。」

 

「八雲さん、ですね! 私はテッサ・ヴェイユです。それでこっちがアリス・マーガトロイド。」

 

テッサが自己紹介をしてしまう。名前を握られたらヤバいタイプだったらどうしよう。……ええい、なるようになれだ。

 

「アリスです。よろしくお願いしますね、八雲さん。」

 

「よろしくね、二人とも。それで……卒業旅行ってことは、ホグワーツの卒業生なの?」

 

「その通りです。イギリスの学校のことなんて、よくご存知ですね。」

 

「こっちでも最近話題になってるのよ。とっても凄い方が先生をしている学校らしいわね。」

 

ダンブルドア先生のことはこちらでも知られているようだ。まあ、グリンデルバルドのやったことを思えば当然なのかもしれない。

 

テッサはダンブルドア先生のことを知っているのが嬉しいらしく、元気な様子で答えを返す。

 

「ダンブルドア先生のことですか? 私たちもその人に教わったんですよ!」

 

「そう、その人。そんな先生に教われるなんて、素晴らしい学生生活だったのね。」

 

「はい、とーっても充実した学生生活でした! ……八雲さんはもしかして、マホウトコロの卒業生さんなんですか?」

 

「んー、残念ながら違うわ。私は魔法使いじゃないのよ。家族に似たようなのはいるんだけどね。」

 

テッサの質問に、八雲さんは苦笑しながら答える。似たようなの? まさかパチュリーみたいな存在じゃないだろうな?

 

こちらの疑念を他所に、八雲さんは目をキラキラと輝かせつつも、ダンブルドア先生とグリンデルバルドのことについて聞いてきた。

 

「それより、例の戦いについて詳しく聞きたいわ。こっちじゃ断片的な情報しか手に入らないのよ。」

 

「もちろん構いませんよ。そうですね……まずグリンデルバルドという魔法使いがヨーロッパに現れて──」

 

ヨーロッパ魔法界の大戦について思い出しながら言葉を紡ぐ。勿論、リーゼ様たちのことは話さないように気をつけないといけない。

 

その後も八雲さんの質問に私たちが答えるという形での会話は、ホテルに到着するまで続いたのだった。

 

 

─────

 

 

「あー、びっくりした。」

 

思わず口に出してしまいながら、八雲紫は自身の作り出したスキマから我が家の自室へと足を踏み入れた。

 

私は昔から冬の間中を眠って過ごすのだが、その際に夢と現の境界を操って、世界中の様々な場所を覗き見ているのだ。

 

そんな私の最近のお気に入りが、イギリスに住むかわいい吸血鬼たちなのである。ここ数年は、彼女たちの生活を覗き見るのが冬の楽しみとなっている。

 

そして今日、その吸血鬼と一緒に住んでいる人間の女の子と偶然にも出逢ってしまったのだ。いやはや、路地裏で顔を見たときにはびっくりした。

 

「らーん! かわいいゆかりんが帰ってきたわよー!」

 

頼れる式神を呼びつつ居間へと歩き出す。しかし、まさか覗いてるのに気付かれてはいないだろうな? アリスちゃんはなんか警戒してたみたいだし、ちょっと心配だ。

 

「藍? いないのー?」

 

「はいはい、今行きます、紫様。」

 

台所の方から返事が聞こえてきた。夕食の仕込みをしていたらしい。戸棚から煎餅を取り出して、座布団に座りながらそれを頬張る。

 

「御用ですか? ……間食をすると太りますよ。」

 

「いーんですー。今日はいっぱい歩いたんだもん。それより聞いてよ! 今日、リーゼちゃんのとこにいる人間に会ったのよ!」

 

「りーぜちゃん? ああ、紫様が最近覗き行為をしている吸血鬼ですか。」

 

「ちょっと! 人聞きの悪い言い方をしないで頂戴!」

 

私はただ、ちょっとだけ観察しているだけだ。許可を取っていないだけで、何にも悪いことはしていない。

 

興味なさそうな様子の藍だったが、ふと呆れた顔で話しかけてきた。

 

「まさかイギリスまで行ったんですか?」

 

「友達と香港の魔法街に来てたのよ。なんでも、卒業旅行で来たんだって。それで偶然にも暴漢から襲われそうになってる私を見つけて、助けに来てくれたってわけ。」

 

「それはそれは、その子は暴漢とやらの命を救ったようですね。」

 

「ちょっとは主人の心配をしたらどうなの? ゆかりんとっても怖かったのよ?」

 

そう言うと、藍が馬鹿を見る目で見てくる。失敬な。花も恥じらう乙女だぞ、私は。

 

やれやれと首を振っていた藍だったが、台拭きでちゃぶ台を拭きながら口を開く。最近の彼女はこういう所帯じみた動作が随分似合うようになってしまった。昔は結構尖がっていたのだけど……。

 

「まあ、それはともかくとして、すごい偶然ですね。世の中は案外狭いということでしょうか。」

 

「ちょっと興奮しちゃったわ。映画の登場人物に会ったみたいな感覚ね。」

 

人間と積極的に関わろうとするあの吸血鬼たちは見ていて楽しいのだ。『ゲーム』とやらにも随分と楽しませてもらった。今日は当人たちに近い視点から話を聞けたし、大満足である。

 

「まあ、それは何よりですが……頼んでいたお買い物はどうなりましたか?」

 

「あっ……。」

 

忘れてた。そういえば買い物に行ったのだった。最近運動不足だから私が行くわ、と高らかに宣言したのを思い出す。

 

「忘れたんですね? はぁ……まあ、仕方がないでしょう。紫様もいい歳ですからね。」

 

「ちょっ、ボケてないから! まだぴっちぴちの私はボケてないから!」

 

藍が呆れたように肩を竦めながら台所へ戻っていった。どうしよう、夕食からおかずが減ってしまうかもしれない。

 

ちゃぶ台に突っ伏して落ち込みながらも考える。……ふむ、あの吸血鬼たちを何とかしてここに招けないだろうか?

 

人間とあれほど深く関わっているあの子たちならば、この場所の人外たちの考えに変化をもたらしてくれるかもしれない。

 

ゆっくりとスキマを開き、愛しい幻想郷の風景を眺めつつ、八雲紫は薄く微笑む。今日の私は冴えているではないか。その脳内では思いついた素晴らしい考えが、既に計画として完成しつつあった。

 



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ノクターン横丁にて

 

 

「ボージン・アンド・バークス? それはまた、リドルには似合わない場所ね。」

 

卒業から一年半が経過したある冬の日、アリス・マーガトロイドは友人のテッサとお茶を楽しんでいた。

 

ホグワーツがクリスマス休暇だということで、教職員にもちょっとした休暇が訪れたらしい。そこでダイアゴン横丁のカフェで落ち合い、二人で買い物に行くことになったというわけだ。

 

テッサによると、どうやらリドルはノクターン横丁の小さな古物商に就職したらしい。あそこはあまり良い噂を聞かない店なのだが……どうしてそんな店を選んだのだろう? 彼ならもっと良い選択肢が腐るほどあったはずなのに。

 

「魔法省からの誘いは全部断っちゃったんだってさ。何考えてるんだか。」

 

呆れたように言うテッサだが、本当は少し心配しているのだろう。五年生の事件以来疎遠にはなってしまったが、それでも事あるごとにリドルの話題を出すのは、きっと未だ友人だと思っているからなのだ。

 

「あの辺の店は闇の魔術にどっぷりらしいし、大丈夫なのかしら。」

 

「うーん、そうだねぇ。……ねえ、ちょっと行ってみない? 遠目から姿を見るだけなら、リドルにも気付かれないだろうし。」

 

「ノクターン横丁に? まあ、別に構わないけど。」

 

子供の頃はお父さんに、『絶対近寄っちゃいけないよ』とよく言われていたものだ。今となっては当然の忠告だったことがよく分かる。あの場所には闇の魔術に関わる物が多すぎるのだ。

 

「じゃあじゃあ、早速行ってみよう!」

 

いつものように元気いっぱいで立ち上がったテッサに続いて、急いで紅茶を飲み干して席を立つ。そのまま店から出てダイアゴン横丁の大通りを歩きながら、隣を歩くテッサに質問を飛ばした。

 

「でも、見るだけ? 声はかけないの?」

 

「んー……やめとくよ。気まずいことになっちゃうだろうしね。」

 

仲直りはしたいのだが、ハグリッドの件に納得できていない、といったところか。その気持ちはよく分かる。何たって私も同じなのだから。

 

箒屋の店先にクリーンスイープの新型が飾られているのを横目に、ノクターン横丁の入り口へと足を進める。

 

通りに足を踏み入れると、途端に店の雰囲気が変わるのが分かった。怪しげな出店が並び、薄暗い道が続く。

 

「うっわぁ、こんなの絶対違法じゃん。何で魔法省は捕まえないのかな。」

 

「分からないけど、ここは昔からこんな感じよ。そして多分これからもね。」

 

露店で売られている人間の心臓にしか見えないものを指差しながら言ったテッサに、昔を思い出しながら口にする。少なくとも私の物心ついた頃からこうなのだ。魔法省にとっては、この通りの惨状は目に見えないモノらしい。

 

「じめじめしてるなー。生徒は絶対近寄らせないようにしなきゃ。」

 

「下手に注意なんかすると逆効果なんじゃない? 悪戯好きな子が突っ込んで行くだけよ。」

 

「ほんと、難しいよね。なってみて初めて教師の苦労が分かったよ。まあ……まだ見習いなんだけどね。」

 

テッサはまだ授業を任せられてはいないようだ。雑用ばっかりだよ、という愚痴をよく聞く。

 

「テッサならもうすぐ授業を持たせてもらえるわよ。ダンブルドア先生もそう言ってたんでしょ?」

 

「そうだけどさぁ……。そういえば、アリスのほうはどうなの? 研究と人形作り、上手くいってるの?」

 

「かなり順調よ。パチュリーが丁寧に教えてくれるし、人形作りは使用人のエマさんって人が手伝ってくれてるの。」

 

最初に習得するべきとパチュリーに言われた捨食の法は、大凡の概念を理解できている。習得は遠からずできるだろうし、そうなればもっと研究の時間が増えるはずだ。

 

人形作りのほうは、今はむしろ制作よりも改良に時間を割いている。組み込んだ命令を自動で実行できるとこまでは完成したが、その先がちょっと難しそうなのだ。最近はエマさんに人形作りを教えながら、ゆっくりと術式を改善している。

 

「はー、羨ましいなあ、もう! 私も早く……ちょっと、あれってリドルじゃない?」

 

テッサの指差す方向に顔を向けると……確かにリドルだ。雰囲気がちょっと暗くなっている気がするが、学生時代とそこまで変わってはいない。並んで歩くふくよかな高齢の女性に対して、笑みを浮かべながら何かを話しかけている。

 

「こっちに来るわね。」

 

「ちょっ、アリス、隠れよう!」

 

テッサに手を引かれて露店の一つに潜り込む。店主が迷惑そうな顔になるが、テッサがシックル銀貨を弾いて渡すと、途端ににっこり顔で黙認してくれた。現金なもんだな、まったく。

 

「ちょっとテッサ、なんで隠れるのよ。」

 

「だって、反射的に隠れちゃったんだもん。それより静かにしないと。近付いてくるよ。」

 

露店のカウンターの下にある狭いスペースでテッサとくっつきながらも、息を殺して耳を澄ます。

 

「──ということですのよ。それであたくし、褒められてしまいましたの。あなたはどう思うかしら? トム。」

 

「素晴らしいことだと思います、ヘプジバさん。貴女には驚かされてばかりですね。」

 

リドルの平坦な声に、クスクスと甲高い笑い声が続く。板の隙間から覗いて見ると……手を組んでいる? 私が言うことじゃないだろうが、女性の趣味が悪すぎないか?

 

そのまま通過するのかと思ったら、ちょうど私たちが隠れている露店の前で立ち止まった。リドルがやんわりと手を振りほどき、ヘプジバさんとやらに正面から向き直っている。

 

「それよりも、あの話を聞かせていただけませんか? ほら、金庫にかける特殊な魔法の話を。」

 

「あら、そんなつまらない話より、もっと面白い話題がありますわよ?」

 

「実は、私の店では丁度防犯の見直しをしているんです。ヘプジバさんの魔法ならば、とても参考になるのではと思いまして……。」

 

「まあ、お上手ね、トム。そうね……それなら、今から私の家に来ればいいわ。実際に見せた方が分かりやすいでしょう?」

 

それを聞いたリドルの瞳が、一瞬赤く光ったように見えた。気のせいだろうか? 少なくともヘプジバさんは気になってはいないようだ。

 

「それは素晴らしい。是非お邪魔させてください。」

 

「あらあら、そんなに焦らなくてもいいのよ。それじゃあ行きましょう。エスコートしてくださるのでしょう?」

 

「お任せください、ヘプジバさん。」

 

再び腕を組んで歩き出す二人を見送り、露店から這い出してテッサと顔を見合わせる。なんというか、微妙なものを見てしまった気分だ。テッサのほうも何とも言えない顔をしている。

 

苦い顔をしているテッサが、気まずそうに口を開いた。

 

「あー……まあ、元気そうではあったね。」

 

「そ、そうね。リドルはああいう女性が趣味だったのかしら?」

 

「それで学生の頃はガールフレンドとかがいなかったのかもねぇ……。いやぁ、なんというか、長年の謎が解けたよ。」

 

もの凄く微妙な気分を引きずりつつ、ダイアゴン横丁に戻ろうと二人で歩き出す。確かに、整った顔のリドルにガールフレンドが出来ないのは不思議だと思っていた。それにこんな理由があったとは……まあ、他人の趣味にとやかく言うべきではないだろう。

 

テッサも同感のようで、妙な空気を変えるべく、話題をこちらに投げかけてくれる。

 

「とにかく、リドルの様子は見れたことだし、買い物しに行こうよ。まずは……本屋でいいかな? 教科書の予備を買ってこいって言われちゃってるんだ。」

 

「ええ、分かったわ。こんな通り、さっさと出ちゃいましょう。」

 

ダイアゴン横丁に通じるちょっとだけ明るくなってきた道を歩きつつも、アリス・マーガトロイドはかつての友人の趣味の悪さを思い、内心でちょっとだけ苦笑してしまうのだった。

 

 

─────

 

 

「ダメ、全然上手くいかないわ。」

 

アリスの嘆きを耳にしながら、パチュリー・ノーレッジは目の前の人形を観察していた。

 

ムーンホールドにある研究室の机の上に横たわる人形は、ピクリとも動き出す気配を見せない。アリスの試みは悪くはなかったと思うのだが、どうも失敗に終わったようだ。

 

「やっぱり糸が細すぎるのかもしれないわね。流れる情報量に対応しきれていないんじゃないかしら。」

 

「でも、これ以上強度を増すなら透明にするのは無理だよ。魔法使いの人形劇なのに、糸が見えちゃうなんて興醒めじゃない?」

 

「となれば、本数を増やすしかないわ。指一本につき糸五本まで増やしてみましょう。」

 

私の提案にアリスの顔が引きつる。左右で合計五十本の糸を操るのは、彼女にとっても難しいことのようだ。

 

何故こんなことをしているのかと言えば、妹様の翼飾りが完成したお祝いのパーティーにアリスもお呼ばれしたからだ。いつも自分の作った人形で遊んでくれている妹様のために、ちょっとした人形劇を見せたいらしい。

 

当初は普通に魔法で動かすという大したことのない内容だったのだが、魔女二人で改良していくにつれて、思ったより大規模な人形劇になっていった。

 

どんどん複雑になっていく人形の動きに対応するために、彼女たちの可動域を広げたわけだが……残念ながら命令を伝える糸の方が持たなかったというわけだ。

 

「五十本はさすがにキツイかなぁ。そもそも、操るのはこの子だけじゃないんだよ? 五体も動かせば二百五十本……頭がおかしくなりそうだよ。」

 

もっともなアリスの言葉だったが、指の一本一本にまで拘って動かそうとするからだろうに。人形に対してのこの子の情熱は、時折行きすぎることがあるらしい。

 

「はぁ……難しいなぁ。何か他に方法はないかな?」

 

「あるいは、ある程度の部分は自動で動くようにすべきかもね。細かいところまで一々動かそうとするから、操作量が多くなるのよ。」

 

「それはそうなんだけど……やっぱり機械的な動きになっちゃうんだよね。」

 

アリスは人形がぎこちなく動くことをかなり嫌がる。私にはよく分からないが、人形師としては何か許せないものがあるようだ。まあ、私にとっての本への拘りだと思うと、納得できる気がする。

 

「貴女の拘りは分かるけどね、時には妥協も必要よ? 自律人形の研究も進んでいるんだから、昔ほどひどい出来にはならないのでしょう?」

 

アリスの卒業からは既に三年が経とうとしている。既に彼女は捨食の法を見事に習得し、捨虫の法もそろそろ形になってきそうなところだ。私の指導があったとはいえ、素晴らしいスピードで魔女に至りつつある。

 

完全自律人形の方も勿論研究を続けており、副産物として産まれた半自律人形も最近のはかなり滑らかな動きをしていたはずだ。

 

「んー、そうだね。間に合わなかったら元も子もないもんね。」

 

「今回の課題は次の機会に挑戦してみればいいのよ。なにせ、時間はたっぷりとあるんだから。」

 

未練を残している様子のアリスに、慰めるように声をかける。この子もそろそろ不老を手に入れるのだ、もはや時間には困らないだろう。

 

「でも、フランドールさんってどんな方なの? 小悪魔さんは怖い人って言うし、リーゼ様はかわいい、美鈴さんはワガママ、人によって全然違うんだもん。」

 

「そうね、一言で言えば……危険な吸血鬼、かしらね。」

 

私にとっては、以前あったリビング破壊事件のイメージが強い。大人しくしている分には確かにかわいいのだが、怒り出すと手がつけられない。つまり……物凄い力を持った子供なのだ、妹様は。

 

「ワガママで怖くって危険だけど、かわいい吸血鬼? うーん……全然想像できないよ。」

 

「実際に会えば分かるわよ。……さあ、お喋りはもう充分でしょう? 練習再開よ。」

 

アリスを促しつつも、私も魔力の糸を作るために集中する。ちょっとくらい出来の良いやつを作らなきゃ、先輩としての面目が立たないのだ。

 

ムーンホールドの研究室の中で後輩魔女と仲良く作業をしつつ、パチュリー・ノーレッジの夜は更けていくのだった。

 



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それぞれの変化

 

 

「ふらーん! 大丈夫なのよね? それ、大丈夫なのよね? ねっ?」

 

紅魔館のリビングで、紅美鈴はお嬢様の慌てっぷりを眺めていた。いやぁ、確かにあれはびっくりするだろう。

 

アリスちゃんの人形劇までは完璧なパーティーだった。長く生きた私をして見事だと思わせる出来だったし、妹様もちょっと引くレベルで喜んでいたのだ。

 

問題は、いよいよ翼飾りを妹様に取り付けるという段階で発生した。パチュリーさんが魔法を使いながら慎重に取り付けると、妹様の翼がみるみるうちに変化していったのだ。

 

今や骨の間についていた飛膜は無くなり、まるで枯れ木に色とりどりのプリズムがぶら下がっているような見た目になってしまっている。

 

「うっさいなぁ、大丈夫だよ。なんか、ちょっと体が軽くなった気がするけど……。」

 

「本当ね? 本当に大丈夫なのね? ……ちょっとパチェ! どういうことよ!」

 

妹様の返事で安心したのか、心配から怒り顔へと変わったお嬢様がパチュリーさんに食ってかかった。しかしパチュリーさんにも予想外の出来事だったらしく、珍しく慌てたように困惑している。

 

「ええっと、こんな事が起きるだなんて想定してなかったのよ。一応、害があるわけじゃないと思うんだけど……。」

 

「フランのかわいい翼が変になっちゃったじゃないの! ああ、フランが他の吸血鬼にイジめられちゃうわ!」

 

正直言って妹様がイジめられるだなんて想像がつかないが、姉バカなお嬢様にとっては心配なようだ。うーむ、イジめてる場面なら容易く想像できるのだが。

 

「ちょっと落ち着きなよ、レミィ。……それで、フラン? 体調に何か変化はあるかい?」

 

従姉妹様がお嬢様を落ち着かせつつ、妹様の目を覗き込みながら質問した。妹様はちょっと困惑しているようで、ポツリポツリと返事を返している。

 

「んー、なんか、頭がスッキリしてるかも。それに……こう、視界が広がったって言うか、なんかそんな感じがする。」

 

「悪い感覚ではないんだね?」

 

「うん、イイ感じ。リーゼお姉様がはっきり見えるようになったよ!」

 

はっきり見える? 視覚的というよりかは、感覚的なものなのだろうか? なんにせよ、妹様にとっては翼は大した問題ではないらしい。

 

「フラン! 私は? 私もはっきり見える?」

 

「オマエは変わんない。」

 

「なっ、どうしてよ! ちょっとフラン、意地悪しないで頂戴!」

 

姉妹漫才を横目に、パチュリーさんが翼を慎重に調べている。隣ではアリスちゃんが記録を記述しているようだ。

 

「妖力はきちんと伝導しているわね。伝導率は……予想以上だわ。」

 

「えっと、むしろ改善されてるってこと?」

 

「ええ、その通りよ。もしかしたら、賢者の石に適応する形に翼が作り変わったのかしら? なんにせよ、興味深い反応ね。」

 

「だとしたら途轍もない適応速度だよ。吸血鬼特有の反応なのかな?」

 

議論に熱中する魔女二人の会話を聞く限り、なんだか悪いことではなさそうだ。そう思って改めて翼を見ると、まあ……神秘的で綺麗に見えないこともない。

 

姉妹漫才を苦笑しながら見ていた従姉妹様が、パチュリーさんに話しかける。

 

「つまり、成功だと思っていいんだね?」

 

「その通りよ。あとは翼を使っての情報処理を練習すれば、妹様は狂気から解放されるわ。」

 

従姉妹様の質問に、パチュリーさんが胸を張って答えた。いやぁ、終わり良ければ全て良しだ。お嬢様を放って目をパチクリさせている妹様にお祝いを言う。

 

「妹様、おめでとうございます。もうちょっとでお外に遊びに行けますよ?」

 

「お外? そっか、お外に出られるんだ。」

 

窓から見える夜空を見上げながら少しだけ放心していた妹様だったが、やがて実感が追いついてきたのか、満面の笑みで喜び始めた。

 

「やったー! フラン、お外にいけるんだ! リーゼお姉様と飛び回ったり、パチュリーやアリスちゃんと買い物に行ったり、それにそれに、美鈴と雪合戦したり出来るんだ!」

 

ぴょんぴょん飛び跳ねながら喜びを爆発させる妹様に、みんなが微笑む。

 

「フ、フラン? 私は? 私としたいことはないの?」

 

間違えた、お嬢様以外が微笑む。慌てて突っ込む彼女を無視して、妹様が腕を振り上げて高らかに宣言した。

 

「よぅし、ジョーホーショリの練習をしないと! フラン、頑張るよ!」

 

「ああ、それが終わったら、みんなで何処かに遊びに行こう。きっと楽しいよ。」

 

「うん! 絶対絶対、そうしようね!」

 

うんうん、なんとも素晴らしい光景ではないか。従姉妹様に飛びついて喜ぶ妹様を見ながら、紅美鈴は安心してパーティーの残り物を食べ始めるのだった。

 

 

─────

 

 

「アリス……なんか、若返ってない?」

 

懐かしい母校の中庭で、テッサの鋭い質問にアリス・マーガトロイドは苦笑していた。確かに最近ちょっとだけ年齢を巻き戻したのだ。

 

テッサには毎年会っているからそりゃあバレるとは思っていたが、最初にその質問が飛んでくるとは……。

 

「あー、まあ、ちょっとだけね。」

 

「羨ましいなぁ。その見た目だと、学生の時のアリスみたいだね。」

 

そう言うテッサも美しい女性に成長している。快活な性格はそのままだが、年相応の落ち着いた雰囲気も出てきているようだ。

 

さすがに見た目がそのままなのはおかしいだろうということで、数年前にテッサには私の秘密を話している。もちろん掻い摘んでの説明だったが、『アリスはアリス。私の大切な友達のままだよ』と言ってくれたのは嬉しかった。

 

お陰で私は一番の友人を失うことなく、卒業から十年が経過した今でも、こうやって時たま会って二人で楽しむことが出来ているというわけだ。

 

「テッサも充分綺麗じゃない。それに気づくようなカンのいい人はまだ現れないの?」

 

「残念ながら、だね。教員に同世代はいないし、ホグワーツで生活してると出会いがないんだよ。」

 

苦笑しながら答えるテッサは、今や立派な呪文学の教師だ。数々の優秀な教え子を輩出しているのを見るに、彼女が教師になったのは大正解だったらしい。

 

「それで? 今日は用事があって来たんでしょ?」

 

「ええ、ダンブルドア先生……もう校長だったわね。ダンブルドア校長からパチュリーに手紙が来たのよ。曰く、彼女の『悪戯』のせいで校舎に厄介な部屋ができちゃったみたいで、そのお詫びと解決に送り込まれたってわけ。」

 

「厄介な部屋? あー……三階にある試しの部屋か。問題に正解しないと一晩閉じ込められちゃうんだよね、あそこ。」

 

「いくつか作ったって言ってたから、他にもあるんでしょうけどね。」

 

まったく、妙なところで積極性を発揮しないで欲しい。おまけに自分では解決に来ようとはしないのだ。『動かない大図書館』の名は伊達ではないということか。

 

二人でホグワーツの廊下をあれこれ話しながら歩いていると、前から若いキリっとした女性がこちらに向かって駆けて来る。目標はテッサだったらしく、近づくと彼女に話しかけてきた。

 

「ヴェイユ先生、ここにいらっしゃったんですか。校長先生がお呼びでしたよ? 何でも、先生の友人が訪ねて来るとのことで……。」

 

「ああ、ミネルバ。行き違いになっちゃったみたいだね。こっちがその友人の、アリス・マーガトロイドだよ。」

 

ミネルバと呼ばれた女性が、こちらを見て困惑したように首を傾げる。

 

「えっと、同級生の方だと聞いていたんですが……。」

 

そりゃあそうなるだろうな。きっとこれからも度々聞かれる質問なのだろうと内心で苦笑しつつ、説明するために口を開いた。

 

「見た目はこうだけど、一応テッサとは同い年なの。アリス・マーガトロイドよ、よろしくお願いするわ。」

 

「これは……失礼しました。ミネルバ・マクゴナガルと申します。ホグワーツで変身術の教師になったばかりです。」

 

丁寧にお辞儀するマクゴナガルに、テッサが隣から補足を入れてくる。

 

「すっごい優秀な子なんだよ。学生の頃から頭一つ抜けてたんだ。」

 

「ヴェイユ先生のご指導のお陰です。それに……結局フリットウィックには勝てませんでした。」

 

「決闘では、でしょ? 繊細な呪文じゃミネルバに勝てる人はいなかったんだから、もっと胸を張りなよ。数少ないアニメーガスの一人でしょうが。」

 

それは確かに凄い。テッサの言葉に照れたように笑うマクゴナガルだったが、何かに気がついて慌てたように口を開く。

 

「ああ、マーガトロイドさんだけではないんです。もう一人、リドルさんという方も面談を希望してきたとのことで。会いたいのなら校長室まで来て欲しいとのことです。」

 

意外な名前が飛び出してきた。リドルか……十年近く前にノクターン横丁で見かけたっきりだ。今は何をしているのだろう?

 

横のテッサにとっても唐突な事だったらしく、神妙な表情をしている彼女をマクゴナガルが困ったように見ている。

 

「あの……もし会いたくないのなら、時間を置いてから来て欲しいともおっしゃってましたけど……。」

 

「いや、会うよ。伝えてくれてありがとう、ミネルバ。」

 

「はい。では、その……私はこれで。」

 

私とテッサに一礼した後、心配そうに一度振り返ってからマクゴナガルは歩いて行った。

 

「アリスはどうする?」

 

恐る恐る聞いてくるテッサに、なるべく柔らかい声で返事をする。

 

「私も行くわ。もしリドルに会うのなら、二人できちんと会うべきよ。」

 

「そうだね……。もういい大人なんだから、きちんと会って話そうか。」

 

真剣な顔で一歩を踏み出すテッサに続いて、校長室へと歩き出す。その通りだ、いつまでも引きずっているわけにはいかないだろう。

 

 

 

先程までの楽しい雰囲気はなくなり、緊張した空気を纏いつつも校長室の前まで到着すると、ちょうど入り口を守るガーゴイルが動き出したことろだった。

 

誰が出て来るのかと像の前で待ち構えていると……黒いローブを着た長身の男がゆっくりと螺旋階段を上がってくる。あれは……リドルか?

 

かつてのハンサムな顔は見る影もなく歪み、青白い肌にはヒビ割れのように血管が浮き出ている。黒かった目は血走ったように赤みがかっており、全体として見るとまるで……青白い爬虫類のような雰囲気だ。

 

「リ、リドル?」

 

呆然と彼を見るテッサの声に、リドルが応えるようにゆっくりとこちらを見た。

 

「ヴェイユか? それに……マーガトロイド。これはこれは、久し振りだな。」

 

「リドル、あんた……どうしちゃったの? 何か悪い魔法をかけられたとか? それとも、病気なの?」

 

「ああ、この姿か? 大したことじゃない、ただ……進化したんだよ、俺は。」

 

皮肉るような声色でテッサに答えたリドルは、私の方を見ながら話を続ける。

 

「貴様も同じようなものなんだろう? マーガトロイド。随分と『お変わりない』ようじゃないか。」

 

「生憎だけど、私にはいい教師がいたのよ。貴方にはいなかったようね、リドル。」

 

リドルの纏う雰囲気が人間のものから離れている。どうやら、なんらかの外法に手を出したらしい。

 

「ふん、羨ましいことだな。だが……たどり着いた場所は俺の方が上だぞ? それに比べればこの姿など、些細な問題に過ぎない。」

 

「どうかしらね? 上には上があるものよ。自分が井の中の蛙だって、自覚したほうが身のためじゃない?」

 

「いずれ分かるさ。俺がどんな力を手にしたかがな。」

 

パチュリーにとってのリーゼ様が、私にとってのパチュリーが、リドルにはいなかったのだろう。力に溺れる、そんな表現が頭に浮かんだ。

 

隣に立つテッサが、泣きそうな顔でリドルに話しかける。

 

「リドル、何かあったなら、私が助けになれるよ? 色々あったのは確かだけど、私は──」

 

「貴様が俺を助ける? この俺を? 冗談が上手くなったな、ヴェイユ。それとも……力の差も理解できないのか?」

 

「そんな……何があったの? この十年何をしていたの?」

 

「話す必要はない。貴様には関係のないことだ。」

 

冷たく言い放ったリドルは再び私に向き直って、私の目を覗き込みながら口を開く。この感覚……開心術か? 随分と上手くかけるようだが、あまり舐めないで欲しい。私に心の守りかたを教えたのはパチュリーだぞ。

 

「とはいえ、マーガトロイド。貴様の選んだ『方法』にも興味はある。やはりあの屋敷の住人たちに教わったのか?」

 

「残念ながら乙女の秘密よ。それに、私は貴方の『方法』には興味ないしね。わざわざ劣化版を選ぶ人はいないでしょう?」

 

「言葉を選んだほうがいいぞ、後悔することになる。」

 

「あら、試してみる? 自分がどんなに狭い世界で生きているかを実感することになるわよ?」

 

リドルがこちらから目を離さず、ゆっくりとした動作で杖に手を伸ばす。それを見て、私も服の下にある人形に魔力の糸を繋ぐ。戦闘は得意じゃないが、これでも魔女だ。やるなら負けるつもりはない。テッサへの言動を後悔させてやる。

 

リドルの手が杖に触れて、私が人形を動かそうとした瞬間、テッサの大声で二人の動きが止まった。

 

「やめてよ! 二人とも、落ち着いて!」

 

リドルの動きから目を離さないようにしながらも、ゆっくりと肩の力を抜く。彼も同様に、こちらを見たままでそっと杖から手を離した。

 

「まあ……いいさ。機会はまたあるだろう。」

 

「あら、そうかしら? 私にはそうは思えないけど。」

 

しばらく無言で睨み合っていたが、やがてリドルが興味を無くしたように口を開く。

 

「ふん、それでは失礼する。もはやここには用はない。」

 

「リ、リドル! 待ってよ、話を聞いて!」

 

歩き出すリドルにテッサが慌てて声をかけるが、彼は振り返ることなく歩いて行ってしまった。

 

大きく息を吐いて緊張を解くと、テッサが悲しそうな声でこちらに話しかけてくる。

 

「リドル、どうしちゃったんだろう? どうしてあんな……あんな姿になっちゃったの?」

 

「何か良くない魔法を使ったみたいね。その副作用でしょう。」

 

「どうにか出来ないの? ……そうだ、ノーレッジさんなら!」

 

「本人がそれを望まない限りは無理よ。そして、今のリドルは……。」

 

それを望まないだろう。テッサにもそれが分かったようで、がっくりと項垂れて暗い顔になる。

 

もう見えなくなったリドルの背中を思い返し、アリス・マーガトロイドはもう一度大きなため息を吐くのだった。

 



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新たなる命

 

 

「ここも狭くなってきたわね。」

 

パチュリー・ノーレッジは本から顔を離して、ポツリと呟いた。ムーンホールドの図書館は巨大と言って問題ない大きさなのだが、最近では本棚の占める面積が少々大きくなりすぎている。

 

「今更だよ、パチュリー。」

 

近くの机で羊皮紙とにらめっこしていたアリスが声を返してきた。なんでもヴェイユが結婚したらしく、頼まれた結婚式でのスピーチを考えるのに必死なのだ。

 

数年前にはリドルの『進化』で落ち込んでいたと聞いたのだが、どうやら癒してくれる人を見つけたらしい。結構なことだ。

 

「貴女もいつまで考えてるのよ。参考になりそうな本なんて、腐るほどあるでしょう?」

 

「でも、テッサにとっては一生に一度の大事な式なんだよ? 適当な例文に習うんじゃなくて、ちゃんと心を込めたスピーチにしないと。」

 

「一生に一度ならいいけどね。」

 

「またそういうこと言って。皮肉屋だなぁ、パチュリーは。」

 

アリスに睨まれてしまった。うーむ、この屋敷の主人に毒されてきたか? 朱に交わればなんとやら、だ。

 

ちなみに、アリスの話では苗字はヴェイユのままらしい。あの快活な女性は、フランスではそれなりの名家の生まれだったようだ。婿養子とは……相手は苦労するだろうな。

 

唸りながら羊皮紙にペンを走らせるアリスから目を離し、読書に戻ろうとすると……何かが崩れる音と、小悪魔の悲鳴が図書館に響いた。

 

「あら、また小悪魔が生き埋めになったみたいね。」

 

「なにのんびりと言ってるのよ。助けに行かないと、小悪魔さんがかわいそうだよ。」

 

立ち上がったアリスに続いて悲鳴の聞こえた方向へと向かうが、そう言うアリスだってさほど驚いているようには見えない。当然である、なんたって日常茶飯事なのだから。

 

「助けてくださいー、パチュリーさまぁ。」

 

現場に近づくと、倒れた本棚と本の山が見えてくる。小悪魔は……姿も見えないほどに完璧に埋まっているらしい。

 

アリスと一緒に魔法で本を浮かせてみると、ようやく小悪魔の姿が見えてきた。髪はぐしゃぐしゃで翼が萎れている。哀れな。

 

「うぅー、ひどい目に遭いました。」

 

「大丈夫? 本棚にぶつかったりとかしてない?」

 

「大丈夫ですよ、アリスちゃん。ありがとうございます。」

 

アリスと小悪魔のやり取りを聞きながら、本棚を元の位置に戻し、その中に本を仕舞っていく。最近はこんな事故が多発しているもんだから、もう慣れたものだ。

 

なんとか立ち上がった小悪魔が、私に懇願するように声をかけてきた。これも毎回繰り返されている光景だ。何を言うかが大体分かってしまう。

 

「パチュリーさまぁ、やっぱり本棚に本棚を乗せるのは危ないですよー。」

 

「仕方がないでしょう? 場所が全然足りないのよ。」

 

厳密に言えば、本棚の上に本棚を乗せ、その上に更に本棚を乗せているのだ。図書館魔法で本がどんどん集まってくるせいで、これだけしても仕舞う場所は足りていない。

 

「ねえパチュリー、本を減らすのは……無理よね。」

 

「無理ね。本に関しては増やせど減らさずってのが、私という魔女なのよ。これは死んでも治らないわ。」

 

アリスの提案は尤もだが、こればかりは許容できない。私の存在意義に関わることなのだ。

 

「それじゃあ、リーゼ様に他の場所を使わせてもらうのは? このままだと、小悪魔さんが潰されちゃうのも時間の問題だよ。」

 

「お願いします、パチュリーさま。私はパチュリーさまと違って、本に潰されて死ぬのなんてイヤです!」

 

「あのね、私だって本に潰されて死ぬのは御免よ。しかし……そうね、リーゼに頼んでみようかしら。」

 

失礼なことを言う小悪魔を睨みつけつつも、アリスの提案には頷かざる得ない。図書館から本を離すのは嫌だが、物理的に収まりきらないのなら仕方がないだろう。

 

潤んだ瞳で縋るようにこちらを見つめてくる小悪魔を見て、ため息を吐いて頷いてやる。部下の労働環境を守るのも上司の大事な仕事なのだ。

 

「わかったわよ。リーゼのところに行ってくるわ。」

 

「ありがとうございます、パチュリーさま!」

 

「じゃあ私は……スピーチの原稿に戻るわ。」

 

礼を言う小悪魔と終わらない原稿に戻ったアリスを尻目に、リーゼの執務室へと歩き出す。しかし、リーゼはいつもあの部屋で何かをしているが……何をしているんだろうか? 紅魔館にも執務室があるし、吸血鬼というのは案外デスクワークが多いのかもしれない。

 

益体も無いことを考えながらリーゼの執務室へたどり着く。ドアをノックすると、すぐさま返事が返ってきた。どうやら今日もここに居たらしい、ご苦労なことだ。

 

「失礼するわよ。」

 

部屋に入ると、疲れた顔をしたリーゼが椅子にもたれかかっている。何かあったのか?

 

「ああ、パチェ。トラブルの報告でないことを祈るよ。もう今日は手一杯なんだ。」

 

「何かあったの? 随分と疲れているようだけど……。」

 

「フランがまた、『ちょっとした』トラブルを起こしてね。レミィと一緒に、必死で火消しをしてきたところなんだ。」

 

どうやらまたしても妹様がその猛威を振るったようだ。最近ようやく賢者の石を使っての演算をマスターした妹様は、外に出る度になんらかの問題を起こしている。

 

確かに狂気はほとんど感じられなくなったのだが、妹様の性格はどうやら素であんな感じだったらしい。社会適応への道は長そうだ。

 

「それはまた、ご苦労様ね。安心して頂戴、トラブルってほどじゃないのよ。ただ、本を空き部屋に置かせて欲しいの。」

 

「本を? そりゃあ構わないが……なるほど、またこあが生き埋めになったのかい?」

 

「その通りよ。さすがに無理がありそうだし、図書館からちょっと本を減らそうと思って。」

 

私の頼みに苦笑したリーゼは、疲れたような笑顔を浮かべつつ許可を出してくれた。

 

「空き部屋はいくらでもあるんだ、好きに使ってくれ。」

 

「感謝するわ。……それじゃあ、早速移動させてくるわね。」

 

「ああ。私はしばらく休憩させてもらおう。今回のはさすがに骨が折れたよ。」

 

どうやら、妹様は思った以上の大事件を起こしたらしい。リーゼのここまで疲れた表情は結構貴重なのだ。また橋でもぶっ壊したのだろうか?

 

執務室を出て、図書館へと戻りながら考える。一時的には本が減るだろうが、これも結局根本的な解決にはならない。いずれ解決策を考える必要があるだろう。

 

ムーンホールドの廊下を歩きながら、パチュリー・ノーレッジは己の大事な図書館のことを想い、その思考を速めるのだった。

 

 

─────

 

 

「ち、小さいわね。触っても大丈夫なの?」

 

アリス・マーガトロイドは、目の前の小さな生命を恐る恐る観察していた。なんとも頼りない見た目だ。小さな瞳を見開いて、私のことをじっと見ている。うーむ、全てのパーツが小さい。私の人形みたいだ。

 

「そりゃあ、産まれたばっかだからね。抱っこしてみる?」

 

「ダメよ、怖いわ。それに私……赤ちゃんを抱っこしたことなんてないのよ?」

 

テッサの声に、必死で首を振る。とてもじゃないが自信がない。

 

一昨年ついに結婚したテッサは、めでたく長女を出産したのだ。そしてその赤ちゃんを見せてもらっているわけだが……おお、動いた。テッサの腕の中から、こちらに手を伸ばしている。

 

「ほら、この子もアリスに抱っこして欲しいってよ? 手をこの形にして……そうそう。渡すよ?」

 

「わっ、こうよね? これで大丈夫なのよね?」

 

「うん、首を支える感じで……うまいじゃん、アリス。」

 

腕の中に収まった赤ちゃんを覗き込むと……不思議そうに私を見ている。やはりお母さんとの違いが分かるのだろうか?

 

「こっちをじっと見てるわ。ど、どうすればいの?」

 

私が慌ててテッサに聞くと、彼女は大きな声で笑い出した。目に涙を浮かべながら、お腹を抱えている。

 

「あははっ、アリスのそんな慌てた姿、初めて見たかもしれないよ。大丈夫、初めて会ったから気になってるだけじゃないかな。」

 

「失礼ね。仕方がないでしょう? しかし……本当に小さいわ。」

 

こんな小さな生き物が私たちみたいになるなんて、なんとも信じられない気分だ。万感の思いで覗き込んでいると、突然声を上げてむずがり始めた。

 

「テ、テッサ! 泣いちゃうわ!」

 

「ありゃー、お腹空いちゃったかな?」

 

慎重にテッサの腕の中へと戻して、大きく息を吐く。緊張した。どうやら私にはベビーシッターの才能はないらしい。

 

赤ちゃんが必死な様子で母乳を吸っているのを見物していると、テッサが穏やかに声をかけてくる。

 

「ねぇ、アリス? お願いがあるんだけど……。」

 

「何かしら? この子に関すること?」

 

「うん。あのね、アリスに名付け親になって欲しいんだ。……ダメかな?」

 

名付け親。馴染みのない言葉にちょっとだけ混乱するが、ゆっくりと理解が追いついてくる。つまり……私が名前を付ける? この子の?

 

「それは……光栄だわ。でも、私でいいの?」

 

「当たり前だよ。夫とも相談したんだけど、男の子ならあっちの友人、女の子ならアリスに頼むことになったんだ。いい名前を考えてあげてね?」

 

テッサの言葉に、未だ母乳を飲んでいる赤ちゃんを見る。パチュリーの図書館に人名事典はあるだろうか? 個性的すぎない名前で……いやいや、没個性的すぎるのもいけないか。頭の中でぐるぐると考えが回る。これは中々の難題らしい。

 

「まあその、そんなに悩まなくっても大丈夫だよ? ピンと来た名前を選んでくれれば……。」

 

「いいえ、そんなんじゃダメよ。任せて頂戴、テッサ。必ず相応しい名前を考え出してみせるわ。」

 

「うわぁ……すっごいやる気だね。」

 

ちょっとテッサが引いているが、構うものか。この子の一生を左右する問題なのだ。全力で取り組まねばならない。

 

しばらく母乳を吸う赤ちゃんを微笑んで眺めていたテッサだったが、やがて穏やかな口調で話し始めた。

 

「でも、これで安心できたよ。私に何かあっても、頼りになる名付け親さんがいれば大丈夫だね。」

 

「ちょっと、縁起の悪いことを言わないでよ。」

 

「えへへ、ごめんごめん。……でもやっぱり、親になったからなのかな? もしもの時のことを考えちゃうんだ。この子が一人残されたらって思うと、すごく怖いの。」

 

頭の中に、お父さんとお母さんの顔が浮かぶ。二人もそんなことを考えていたのだろうか?

 

「そんなもしもは起こらないわ、絶対にね。だけど、もし私が約束してテッサが安心してくれるなら……約束しましょう、この子は私が守るわ。そもそも名付け親なんだもの、当然のことでしょう?」

 

私が真剣な顔で約束すると、テッサは安心したように微笑んだ。

 

「よかったぁ。……ほら、この子も笑ってるよ。」

 

「きっとお腹がいっぱいになったからよ。」

 

「えー、違うよ。アリスの言葉が嬉しかったんだよねー?」

 

応えるように腕を振りながらきゃっきゃと笑っている。うーむ、急に可愛さが増した気がする。私も現金なヤツだな。

 

赤ちゃんの笑顔を見ながら、アリス・マーガトロイドは絶対にいい名前を付けなければならないと、内心で固く決意するのだった。

 



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幻想郷

 

 

「それはまた……随分と思い切ったね、レミィ。」

 

アンネリーゼ・バートリは、紅魔館の執務机に座るレミリアの言葉に驚いていた。可能不可能でいえば可能だろうが、問題点が多すぎる気がする。

 

「あの子には常識を学ぶ場所が必要だわ。そして、残念ながら紅魔館はそれに適していないの。」

 

「その通りだが、しかし……ホグワーツが適しているとも思えないぞ。」

 

レミリアはどうやらフランをホグワーツに通わせたいらしい。なんとも突飛なことを考えつくもんだ。

 

そもそもの発端は、外に出られるようになったフランの『奇行』にある。どうやら四百年の地下室生活というのは、私たちが想像していたものよりも問題があったらしい。

 

初めて外に出たその日に、レミリアが目を離した隙にマグルの村を半壊させたのだが、今ならそんなの些細な問題だと言い切れる。

 

みんなでパリ旅行に行った時には『ちょっとした間違い』で列車を脱線させ、最近ではムーンホールドの近くの小山で火遊びをした結果、山からは木がなくなった。

 

レミリアがヨーロッパでの影響力をフルに使ってフランの事件を揉み消さなければ、今頃は暢気に話など出来ていなかっただろう。

 

始末が悪いのは、フランに悪気がないことだ。むしろ良かれと思ってやったことが、結果的に大災害へと姿を変えることが多い気がする。

 

「ダンブルドアには貸しがあるわ。あの子は翼を隠せない。それでも入学できるのはホグワーツだけよ。まさかマグルの学校に行かせるわけにはいかないでしょう?」

 

「そりゃあそうだがね……。あの子が卒業するまでに、ホグワーツが原型を留めていられると思うのかい? それに、日光はどうする? 吸血は?」

 

そう聞くと、レミリアはバツが悪そうになりながら黙り込む。他にも色々と問題はあるが、七年間でホグワーツが瓦礫の山にならないだなんて誰も同意しないだろう。

 

「アリスかパチェが教えるんじゃダメなのかい?」

 

私やレミィはともかくとして、あの二人は元人間だ。それなりに常識的だし、少なくとも現状よりはマシになるはずだ。当然のことながら美鈴は候補には入っていない。

 

「パチェはもう考え方が魔女に染まってるでしょ。アリスは……一見かなり常識的なんだけど、肝心なところでぶっ飛んでるのよね。」

 

レミリアの返事に、今度は私が黙り込む。確かに最近は時たまぶっ飛んだ発言があるのだ。この前など、パチュリーの素材棚にあった妖怪の皮を使って人形を作ろうとしていた。着々と立派な魔女になりつつあるようだ。

 

「もはや私たちは人間に関わらざるを得ないのよ。これからの世界を生きるためにも、彼らの常識を学ぶ必要があるわ。丁度中間に位置している魔法使いの世界は、入門編としては適していると思わない?」

 

「まあ、同意はするがね。しかし、そうなると結局最初に戻るわけだ。ホグワーツに通うあの子を想像してごらんよ、私には大量の生徒たちの死体が見えてくるよ。」

 

レミリアは眉を寄せて難しい顔をした後、こちらに向かってある提案をしてきた。

 

「あの子の力を制御する枷を嵌められないかしら? なにも人間並みにとは言わないわ。この前みたいに、デコピンで相手をふっ飛ばさないくらいには出来るんじゃない?」

 

枷、か。物理的ではなく、魔術的な封印のことだろう。しかし……難しそうだな。フランの身体能力は吸血鬼から見ても別格なのだ。二人の魔女と協力したところで、丁度いいものが出来るとは思えない。

 

「難しいな。」

 

「はぁ、そうよね。分かってはいたんだけどね。」

 

レミリアと二人で項垂れつつも、さすがにホグワーツは諦めたほうがいいと言おうとした瞬間、部屋に女性の声が響き渡った。

 

「私が協力しましょうか?」

 

その刹那、レミリアが声の主に紅い槍を投擲し、私は無数の妖力弾を撃ち込む。

 

「ひゃ、ちょっ、話をしに来ただけよ! 落ち着いて頂戴!」

 

私とレミリアの攻撃が空間の裂け目に飲み込まれたのを見て、警戒の度合いを一段上げる。おいおい、並みの大妖怪レベルの雰囲気じゃないぞ。

 

金髪に紫のワンピース。顔は焦っているような表情だが、とてもじゃないが本心だとは思えない。感じる妖力は父上やスカーレット卿と同レベル……いや、少し上かもしれない。

 

私とレミリアが警戒を緩めずに隙を窺っているのを見て、妖怪が慌てたように言葉を続ける。

 

「いや、本当に話をしに来ただけなのよ! 確かにいきなり入り込んだのは無作法だったけど、これは癖みたいなものなの!」

 

チラリとレミリアに目線を送り、会話は任せて警戒を続ける。ここは紅魔館だ、ならばレミリアが対応すべきだろう。

 

いつの間にか妖怪の後ろで気を纏って警戒している美鈴に合わせて、三人で逃げ場を無くすように妖怪を囲む。……というか、美鈴は本当にいつの間に来たんだ。全然気付かなかった。

 

「それで? どんな理由で私の館に忍び込んだのかしら? 無礼な妖怪さん。返答次第じゃ生きて帰すつもりはないわよ。」

 

冷たい声色に変わったレミリアに対して、妖怪はにへらと笑いながら口を開く。

 

「えーっと、まさかこんな感じになるとは思わなくって……。こほん、いきなり声をかけたのは謝罪するわ。私は八雲紫、日本のかわいい大妖怪よ。」

 

言葉と共にウィンクをしてくる。ふざけた返事だが……八雲紫? 香港でアリスにちょっかいをかけてきたヤツか。となれば、場合によってはここで殺す必要がありそうだ。

 

レミリアは冷たい表情を崩さずに、威圧を増しながらそれに答える。

 

「その大妖怪が何の用? まさかお茶をしに来たってわけじゃないんでしょう?」

 

「正にその通りなのよ。今日はお茶のついでにちょっとした相談をしに来たの。えーっと、座ってもいいかしら?」

 

余裕たっぷりの表情で応接用のソファを指差す。虚仮威しじゃないとすれば、この三人相手でも余裕だというわけだ。

 

「……いいでしょう。美鈴、紅茶を出してあげなさい。」

 

「へ? 本当にお茶するんですか?」

 

「そうよ。いいから持って来なさい。」

 

ソファに座った八雲を横目に、レミリアに視線で問いかける。正気か? どう考えてもこの妖怪は胡散臭い。

 

私の疑問を受け取ったレミリアは、ため息を吐きながら説明してくる。

 

「じっくり見てたら思い出したわ。昔、こいつのいる景色を見たことがあるのよ。貴女、パチェ、小悪魔、美鈴やフラン、それに……その時はまだ会ってなかったアリスも居たわ。この妖怪と一緒に宴会をしてたの。」

 

「運命か?」

 

「多分ね。こいつを信用するわけじゃないけど、少なくとも害する意思がないのは本当なんじゃない? でなきゃ一緒に宴会なんてしないでしょ。」

 

なるほど。一応それらしい根拠はあるわけだ。レミリアに続いてソファに座りつつ、それでも警戒心は解かないでおく。何というか……とにかく胡散臭いのだ、この妖怪は。

 

こちらの話を聞いていたらしい八雲が、興味深そうにレミリアへと話しかけてくる。

 

「へぇ? 『運命を操る程度の能力』ってやつかしら? 未来視のようなことまで出来るなんて、とても便利な能力なのね。」

 

「私のことをよくご存知のようじゃないの。一体どうやって調べたのかしら?」

 

レミリアの詰問に、八雲はこれまた胡散臭い笑みを浮かべながら説明してくる。

 

「私の能力もとっても便利なの。『境界を操る程度の能力』と呼んでいるのだけれど……そうね、例えばさっき攻撃を吸い込んだスキマは空間の境界を操って開けたものよ。」

 

言いながら、自身の隣に小さな裂け目を作った。見れば、裂け目の中には異形の目がギョロギョロと蠢めいている。なんとも趣味の悪いヤツらしい。

 

「それに、貴女たちのことを知っているのは、私が眠っている間に夢と現の境界を操って貴女たちを観察していたからなの。」

 

概念レベルの事象にも干渉できるのか? それはまた……反則じみた力だ。強弁すれば、境界を持っていないものなどこの世に存在しないだろうに。どうやらこいつは、ちょくちょく耳にするような『反則級』の妖怪らしい。余裕があるのも頷ける。

 

「ふん、どこまで本当なんだか。……それで、具体的な用件は何なの? 覗きが趣味の大妖怪さん。」

 

「覗き云々はさて置いて、先程も説明した通り、今日は相談があってお邪魔したのよ。えーっと、どこから説明すればいいかしら……。」

 

八雲がそう言ったところで、美鈴が紅茶をトレイに載せて入室してきた。三人にティーカップを配り終わると、彼女は私とレミリアの後ろに立って微動だにしなくなる。こういう時は頼もしいな。

 

八雲は躊躇わず紅茶に口をつけて、満足そうな表情をしながら語りだした。

 

「先ずは……幻想郷について説明するわ。レミリアちゃんが見たのは、おそらくその場所での景色よ。」

 

レミリアちゃん、の辺りでレミリアが眉を吊り上げるが、八雲は無視して話を続ける。いい度胸してるじゃないか。

 

「簡単に言えば、人外と人間が共存している場所よ。勿論、外界……つまりこの場所からは隔離しているわ。私たちが作り上げた、私たちの理想の場所。」

 

「俄かには信じ難い話ね。人外と人間が共存? あんたの力で抑え付けてるの?」

 

「今は、ね。そして私はそれを変えたいと思っているのよ。私が介入しなくとも、人妖のバランスが取られるようにしたいの。」

 

幻想郷? 聞いたことはないが、八雲の能力が本人が言う通りのものであれば、確かに創り出すのは難しくないだろう。

 

「それで、その為のルール作りへの協力をお願いしたいというわけ。詳しく話すと長くなるから端的に聞くわ。……幻想郷に移り住む気はないかしら?」

 

「……妙な話ね。そんなことをして私たちにメリットがある?」

 

レミリアの質問に対して、八雲は指を一本一本立てながら答えを返す。

 

「第一に、幻想郷ではフランドールちゃんが普通に遊べるような存在が珍しくないわ。第二に、こちらの世界のように人間から隠れる必要がなくなる。第三に、かわいいゆかりんにいつでも会える。どうかしら?」

 

三番目は無視するとして、他は確かに魅力的かもしれない。フランも同格の存在ならば気兼ねなく付き合えるだろうし、大手を振って夜空を飛び回れるのも気分が良さそうだ。

 

反面、アリスは友達と離れるのを嫌がるだろうし、八雲が言うルールとやらも面倒なものになりそうな気がする。そもそも八雲が信用できるかは未知数なのだ。

 

黙考するレミリアと私に、八雲が妥協案を口にする。

 

「まあ、いきなりこんな事を言われても困るでしょう? こちらも準備があるし、何も今すぐどうこうという話じゃないのよ。先ずはフランドールちゃんをこっちの学校に通わせてみて、どうしても適応できなさそうなら考えてみてくれないかしら?」

 

「随分と私たちに都合のいい話ね。」

 

「それだけ期待しているということよ。貴女たちはそれなりの力を持っているけど、同時に人間と深く関わっている。幻想郷にルールを定めるきっかけとしては最適だわ。」

 

「それで、フランの問題はどうやって解決するつもりなの?」

 

レミリアの質問に、八雲は顔の横で指をピンと立てながら戯けた様子で答える。動作の一つ一つが胡散臭いヤツだな。

 

「簡単よ。人間と吸血鬼との境界を弄ればいいの。調節は効くし、部分的に人間に近づけることも可能よ。」

 

「何でもありね。」

 

呆れ果てたようなレミリアの声を聞いた八雲は、紅茶を飲み干してから立ち上がると、空間に例の裂け目を開いてから振り返る。

 

「今日のところはこの辺で失礼しましょう。色々と考えることがあるでしょうし、返事はまたいずれ聞きに来るわ。」

 

「次は玄関から入ってもらうわよ。」

 

「努力はしますわ。」

 

どこからか取り出した扇で口元を隠し、くすくすと笑いながら八雲は裂け目に消えていった。最後の最後までふざけたヤツだ。

 

裂け目が完全に消えてから、レミリアが私と美鈴に向かってポツリと呟いた。

 

「さて、どう思ったかしら?」

 

「とりあえず、一つだけ確かなことがあるよ。」

 

「私もですねぇ。」

 

抽象的なレミリアの質問に、私と美鈴が答える。確実に言えることが一つだけあるのだ。三人で顔を見合わせて、同時に言葉を口にする。

 

「胡散臭いわね。」

 

「胡散臭かったね。」

 

「胡散臭いですね。」

 

揃った答えに苦笑しながら、アンネリーゼ・バートリは未だ見ぬ幻想郷について考えを巡らせるのだった。

 



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そして運命の世代へ

 

 

「学校? フラン、学校に通えるの?」

 

紅魔館のリビングに響くフランの驚いた声を聞きながら、レミリア・スカーレットは慎重に言葉を選んでいた。

 

「条件があるわ、フラン。それを守れるのであれば、の話よ。」

 

「条件?」

 

見たところフランはこの提案に乗り気らしい。口調にはいつものトゲがなく、興味津々といった様子だ。まあ……無理もない。アリスにホグワーツの話を聞かされた時から、ずっと学校というものに憧れていたのだ。

 

「いくつかあるの。まず一つ目、人間を殺さないこと。」

 

途端にフランの顔が曇る。別に殺したいというわけじゃなく、手加減ができないのだ。数々の失敗を経て、フランは自信を失っているらしい。

 

「これに関してはちょっとした考えがあるわ。問題はそれを心がけることが出来るかどうかよ。どうかしら?」

 

「んぅー……頑張ってみる。」

 

あの後、私たちは八雲紫の提案に乗ることを決めた。もちろん幻想郷とやらに移り住むのは未定だが、試しにフランをホグワーツに通わせてみるのは悪くない考えだろう。もしフランがホグワーツで大量虐殺をやらかした時の為の亡命先にしようと思っているのは内緒だ。

 

数度の話し合いを経て、八雲紫の能力には確かに効果があることを確認している。害されないまでも害さない、というレベルに調節することは可能なはずだ。能力がそのまま使えることは不安だが……一応の自衛用として残しておく予定でいる。

 

「二つ目、他人から血を吸わないこと。吸血用のボトルを持たせるから、血はそこから摂取するの。出来る?」

 

「簡単だよ!」

 

これに関しては問題ないだろう。フランは元々吸血衝動が薄いし、そもそも吸血鬼というのはそんなに頻繁に血を吸わない。

 

「三つ目、校舎を壊さないこと。何か大きな事故を起こしたら、その時点で学校とはさよならよ。」

 

「うぅ、わかった。できる……と思う。」

 

ここが一番心配な点となる。自動で修復されるのが当たり前な地下室で育ったフランは、物を壊すことに躊躇がないのだ。願わくばそのことも学んできて欲しい。

 

「最後に、きちんと勉強をすること。学校は遊びに行く場所ではないわ。スカーレット家の家人として、それなりの成績は取ってもらうわよ。」

 

「頑張る!」

 

元気いっぱいに両手を握りしめるフランだが……ああ、心配だ。正直言って成績についてはどうでもいい。みんなと一緒に勉強する、という社会性を身につけて欲しいのだ。

 

「本当に約束できるのね?」

 

「絶対、ぜーったい、約束する! ……フラン、そしたら学校に行けるんだよね?」

 

「はぁ……。不安だけど、そうよ。ホグワーツについての詳しい話はアリスかパチェに聞きなさい。もうちょっと先の話になるけど、今のうちから知っておいたほうが良いでしょう。」

 

「やったー! 学校、学校! 友達ができる!」

 

はしゃぎ回るフランを見ながら、ますます心配になってくる。友達など出来るのだろうか? 狂気の制御にも関わっていたため、結局翼を隠すことは叶わなかったのだ。それでも近付いてくる人間がいればいいが……。

 

「それじゃあ、私は用事があるから行くわね。美鈴とでも遊んでいなさい。」

 

フランには聞こえていないようだが、一応声をかけてから部屋を出る。さて……ダンブルドアを説得しに行かねばなるまい。あの男は種族で差別するような人間ではないはずだ。フランがホグワーツを必要としているなら、説得は難しくないだろう。

 

ダンブルドアへの同情を誘う文言を考えながら、レミリア・スカーレットは紅魔館の廊下を一人歩くのだった。

 

 

─────

 

 

「こんにちは、アリスさん。」

 

ダイアゴン横丁のカフェテラスで、おずおずとした様子で挨拶する少女を眺めるアリス・マーガトロイドは、この子の性格はテッサに似なかったなと内心で独りごちるのだった。

 

「こんにちは、コゼット。元気そうでよかったわ。」

 

コゼット・ヴェイユ。十年前に数日間寝ないで名前を考えた赤ちゃんは、今や立派な少女に育っている。

 

髪色は父親に似た銀髪で、ヘーゼルの瞳はテッサ譲りだ。顔は……大人しいテッサ、といった感じになっている。中々の美人さんになった。

 

「ほら、なんだって恥ずかしがってるのよ。アリスには何度も会ってるでしょ?」

 

「うん、そうだけど、アリスさんは綺麗だから……。」

 

「あら、お母さんはどうなのかしら? 随分と失礼な言い草じゃない?」

 

「そ、そんなつもりじゃないよ!」

 

親子の会話に、知らず微笑みがこぼれる。テッサも立派にお母さんをしているもんだ。そういえば……初めてリーゼ様に会った私は、こんな感じだったかもしれない。年齢もこれくらいだったはずだ。

 

「ところで、やっぱり旦那さんは来れなかったみたいね。」

 

テッサの旦那さんは魔法省に勤めているのだが、最近はどうも忙しいらしい。今日も一緒に買い物をする予定だったのだが、どうやら仕事から抜け出せなかったようだ。

 

私の声に顔を向けたテッサが、呆れたように話し出す。

 

「そうなのよ。例の『なんちゃら卿』がまたなんかしたらしいの。ほんっとにいい迷惑だよ。」

 

近頃世間を賑わせている、ヴォル……ヴォルデモート卿? まあそんな感じの変な名前のヤツが、またしても騒ぎを起こしたらしい。馬鹿みたいな名前だし、馬鹿みたいに騒ぐのは仕方がないかもしれない。

 

「残念だけど、仕方がないわね。まあ、諦めて買い物に専念しましょう。」

 

「そうだね。んじゃあまずは、本屋かな? この子に教科書を買わないといけないんだ。」

 

おっと、忘れる前にフランのことを話しておこう。今日はそれを伝えるつもりだったのだ。

 

仲良くなって名前で呼び合うようになった小さな吸血鬼のことを、テッサとコゼットに説明する。友達になれればいいのだが。

 

「そうそう、私も同じような買い物があるのよ。私の……えーっと、知り合いの子も、今年からホグワーツなの。」

 

「うっそ? ってことは、コゼットと同級生なんだ。よかったね、コゼット。友達が出来るかもよ?」

 

「うん……あの、どんな子ですか? 乱暴な子だったら、ちょっと怖いかもしれないです。」

 

ちょっとだけ期待した瞳で聞いてくるコゼットに、残念な情報を伝える。いずれバレるのだ、ここで伝えておこう。

 

「まあ、優しい子なんだけど……吸血鬼なのよね。」

 

テッサは驚いて目を丸くして、コゼットは……ダメそうだ。ぷるぷる震えている。

 

「吸血鬼って、あの吸血鬼? 血を吸ったり、ニンニクが嫌いな?」

 

「いや、ニンニクは別に嫌いじゃないわ。血は……ちょっとは飲んだりするけど、無理矢理吸ったりはしないのよ?」

 

聞いてきたテッサにではなく、震えっぱなしのコゼットに説明する。なるべくここで良い印象を与えるべきだ。

 

「コゼット? 無理にとは言わないわ。でも、その子は友達が欲しくて学校に通おうとしているの。とってもいい子だから、出来れば怖がらずに友達になってくれないかしら?」

 

震えながら私のことを見つめていたコゼットだったが、やがて決意を感じる表情で答えてくる。

 

「ア、アリスさんがそう言うなら……私、頑張って話しかけてみます。」

 

震えたままだったが、目にはしっかりとした力がある。こういうところはやはりテッサの娘だな。

 

「ま、ダンブルドア校長が許可したんなら問題ないでしょ。ちゃんと気にかけてあげるんだよ? コゼット。」

 

「うん、わかった。」

 

「テッサにもお願いするわ。ダンブルドア先生にも頼んだらしいんだけど、他にも気にかけてくれる教師がいればあの子もやり易いでしょう。」

 

「任せてよ。どんな子だろうと、ホグワーツは受け入れてみせるから。」

 

胸を張って答えるテッサに、ホッと安心の息がこぼれる。信じてはいたが、それでも悪い反応じゃなくてよかった。

 

「それじゃ、早く本屋に行こうよ。その後は魔法薬学の道具と……あとはなんだろ?」

 

「お母さん、杖も買ってくれるんでしょ?」

 

「ああ、そうだった。オリバンダーの杖屋にも行かないとね。」

 

コゼットがメモを取り出してチェックしている。しっかり者に育っているらしい。……反面教師というやつかもしれない。

 

歩き出す親子の後に続いて、私もゆっくりと足を踏み出した。

 

 

 

他の必要な物を買い終わり、ようやくオリバンダーの店にたどり着いた。ドアを開けて三人で店に入ると……先客がいるようだ。入学シーズンだし、仕方がないのかもしれない。

 

「ありゃ、ミネルバ。新入生の案内かな?」

 

「これは、ヴェイユ先生。その通りです。そちらは……ああ、娘さんの杖を買いに来たんですね。」

 

見たような顔だと思ったら、マクゴナガルだった。キリッとした雰囲気はそのままに、随分と貫禄が出てきている。相手も私に気付いたらしく、こちらに向かって挨拶をしてきた。

 

「マーガトロイドさんも、お久しぶりです。何というか……お変わりないようで。」

 

「ええ、久しぶりね、マクゴナガル。噂はテッサから聞いているわ。立派な教師になったって。」

 

「わー、そんなこと言わなくていいから! 私たちは隅っこで待ってるよ。ほら、行こう?」

 

照れたテッサに腕を引かれて、店の隅っこにある椅子に座らされる。私には教え子自慢をしてくるくせに、本人に言うのは照れるらしい。

 

コゼットを見れば、初めて来る杖屋に興味津々のようだ。壁にかかっている曰く付きの杖を、一つ一つ目を丸くしながら確かめている。

 

マクゴナガルが案内しているという一団を見れば……なるほど、マグル生まれの女の子らしい。きちんとスーツを着ている両親を見れば一目瞭然だ。魔法使いなら完璧に着れるわけがない。

 

かつて見たスーツを上下逆に着ていた魔法使いのことを思い出していると、隣に座るテッサがオリバンダーを見ながらポツリと呟いた。

 

「しっかし、オリバンダーも老けたねぇ。時の流れを感じるよ。」

 

「まぁ、そうね。私たちが杖を買った頃は、まだ成人したばかりだったものね。」

 

今代のオリバンダーは杖作りの名人として、かなりの評価を受けている。私の杖も若かりし頃の彼が作ったものだ。テッサもイギリスの学校に通うということで、この店で杖を買ったらしい。

 

「いやになっちゃうよ。自分の歳を自覚させられるみたいでさ。」

 

「私が言うのもなんだけど、テッサはかなり若々しく見えるわよ? 贔屓目抜きで……三十代前半ってとこね。」

 

「それなら嬉しいんだけどね。あんまり年寄りがお母さんだと、コゼットがかわいそうかなーって。」

 

「あのね、さすがに気にしすぎだわ。まだ四十になったばかりでしょうに。」

 

実際のところ、テッサが若々しく見えるのは事実だ。快活な雰囲気がそうさせるのかもしれない。

 

それに……こういうことを言われると胸がチクリと痛む。いつか来る別れが近づいてくる気がして怖いのだ。考えるな、アリス。まだまだ先の話なんだから。

 

「そうかな? それならいいんだけど。……おっ、あの子、杖に出会えたみたいだよ。」

 

テッサの声にマクゴナガルたちのほうを見れば……ちょうど女の子が握っている杖先から、美しい蝶の群れが飛び出したところだった。どうやらいい相棒に出会えたらしい。

 

「おお、お見事ですな。26センチ、柳にユニコーンの毛。振りやすく、呪文術に最適。良い杖に出会えたようで何よりです。」

 

「ありがとうございます。」

 

オリバンダーの説明に、女の子が嬉しそうに応えた。そのままマクゴナガルたちは次の買い物に向かうらしい。ペコリと一礼するマクゴナガルに礼を返して、コゼットを呼んで杖選びを始める。

 

オリバンダーは私を見ると少し驚いたようだったが、すぐさま私の杖を見て顔を緩めた。さすがに高名な杖職人だけある。人間にはさほど興味がないらしい。

 

「おお、お久しぶりです、マーガトロイドさん。ブナノキに不死鳥の羽根、24センチ。繊細だが悪戯好き。大事に使っていただけているようですな。」

 

「ええ、手入れは欠かしていないわ。」

 

これは本当のことだ。杖なしの魔法をよく使うようになった今でも、キチンと手入れはしている。ちなみにパチュリーも同様だ。魔女としての癖のようなものなのかもしれない。

 

「それに……ヴェイユさん。イトスギにユニコーンの毛、29センチ。勇敢で忠実。こちらも見事な状態ですな。」

 

「一応教師だからね。手入れしてなきゃ格好がつかないってわけ。」

 

テッサは答えながらもコゼットをオリバンダーの方へと押し出す。コゼットは緊張しているようだ。

 

「今日はこの子に杖を買いに来たの。とびっきりの出会いをさせてやってね?」

 

「おお、お任せください。必ずや、最高の出会いを見出してみせましょう。」

 

やる気を出したオリバンダーは、メジャーを取り出してコゼットの腕の長さを測り始めた。乗せるのがうまいな、テッサ。

 

測り終えると、早速とばかりに数本の杖をコゼットに試させるオリバンダーを眺めつつも、フランの時はどうしようかと考える。

 

リーゼ様はこの店で普通に杖を買ったらしいが、それは八十年くらい前の話だ。今代のオリバンダーも吸血鬼に杖を売ってくれるだろうか? ……まあ、売ってくれるか。さっきの対応を見る限り、誰に売るかではなくどれを売るかにしか興味はなさそうだ。

 

ぼんやりとフランのことを考えていると、コゼットが一本の杖を握った瞬間、杖先から花びらが出てくるのが目に入ってきた。どうやらきちんと出会えたらしい。

 

「おみごと、おみごと。ナシにユニコーンの毛、27センチ。優しく、安定している。ナシの杖は悪しき魔法使いを決して選びません。お嬢さんはきっと、素晴らしい魔法使いになることでしょう。」

 

「は、はい!」

 

なかなか良い杖のようだ。近寄ってテッサと一緒に頭を撫でてあげながら、お祝いを口にする。

 

「よかったわね、コゼット。おめでとう。」

 

「いやぁ、ナシの杖なんてお母さん鼻が高いよ。やったね、コゼット。」

 

「ありがとう、お母さん、アリスさん。」

 

テッサがオリバンダーさんにお代を払い、三人で礼を言って店を出る。やっぱり誰かが杖と出会う瞬間は感動するものだ。フランの時が楽しみになってきた。

 

三人でダイアゴン横丁を歩きながら、アリス・マーガトロイドは小さな友人の杖との出会いに想いを馳せるのだった。

 



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フランドール・スカーレットと不死鳥の騎士団
その男の名は


誤字報告ありがとうございます。


 

 

「わぁ……かっこいいね!」

 

9と3/4番線のホームで、フランドール・スカーレットは真っ赤なホグワーツ特急に感動していた。

 

かっこいい。フランスで見た列車は変な形だったが、こっちのは中々いい感じだ。大体フランスの列車はすぐ壊れるのがいけない。対してこっちのは頑丈そうだ。

 

周りには人間がウジャウジャといる。昔は『目』の光が強すぎて、『目』の少ないリーゼお姉様や美鈴のような存在しか判別がつかなかったが、パチュリーが翼飾りをつけてくれてからは顔の違いが分かるようになった。

 

おまけにイライラすることも少なくなったのだ。前は時折何もかもをぶっ壊したくなるような衝動があったのだが……今はなくなった。頭の中が実にスッキリしている。

 

辺りを見回していると、見送りに来てくれたアリスが声をかけてきた。

 

「これに乗って行くのよ。荷物は……あるわね。日焼け止めクリームは塗った?」

 

「紅魔館を出るときにアイツに塗りたくられたよ。そのせいで体がベタベタになっちゃった。」

 

アリスの言葉に苦い顔で答える。フランは自分で塗れるって言ったのに。それでも、学校に行くために我慢した。……最後に殴っちゃったけど。

 

「体の調子も大丈夫なのね? 違和感はない?」

 

「ちょっと身体が重いけど……全然ヘーキだよ!」

 

あの紫色の胡散臭いおばさんがかけた術はうまく動作しているらしい。出発前にアイツをぶん殴った時には、全然吹っ飛ばなかったのだ。

 

「ギリギリに着きすぎたかしら? テッサたちが見当たらないわね……。」

 

フランの答えを聞いて安心したらしいアリスは、誰かを探しているようだ。確か……コゼットちゃん! アリスのお友達の子供で、私と友達になってくれそうな女の子。その子を探しているのだろうか?

 

「大丈夫だよ、アリス。フラン、列車の中で探すよ!」

 

まっかせて欲しい。なんたって、フランはもう子供じゃないのだ。女の子一人探し出すくらい簡単だろう。

 

「そ、そう? うーん……そうね、そうするしかないわね。参ったわ。知り合いがいるから引率役に選ばれたのに、失敗しちゃったわね。」

 

苦悩している様子のアリスだったが、ひとつため息を吐くと立ち直って話し出す。

 

「それじゃあ、そろそろ出発だから乗り込んで頂戴。レミリアさんとの約束は覚えてるわね?」

 

「うん。殺さない、壊さない、吸わない!」

 

「それとお勉強も頑張ること。きちんと守るのよ?」

 

「大丈夫だよ。シンパイショーだなぁ、アリスは。」

 

フランが苦笑して言うと、アリスは何故か何かを懐かしんでいるような顔になる。やがてフランのことを眩しそうに眺めると、笑顔で送り出してくれた。

 

「そうね、フランなら大丈夫だわ。行ってらっしゃい、フラン。」

 

「うん! 行ってきます、アリス!」

 

トランクを持って列車の中へと入る。ズラリとコンパートメントが並ぶ通路を歩きつつ、聞いている特徴の女の子を探す。

 

銀髪に、ヘーゼルの瞳の内気そうな女の子。一つ一つのコンパートメントを覗き込みながら通路を歩いていると、すれ違う子たちがフランの翼を見てギョッとする。

 

ううむ、もしかしたら邪魔なのかもしれない。なるべく小さく折り畳んで、邪魔にならないように気をつける。これで大丈夫なはずだ。

 

いくつかのコンパートメントを調べていると、列車の汽笛が鳴ってゆっくりと車体が動き出した。マズいかもしれない。このまま見つからなかったらどうしよう?

 

ちょっとだけ不安になりながら、それを堪えて捜索を続けていると……いた! 銀色の髪をした女の子が、一人で不安そうにコンパートメントの中で座っている。

 

見つけた途端に緊張してきた。こういうのは第一印象が大事なんだって、リーゼお姉様が言っていたのを思い出す。よし、優しい感じの笑顔でいこう!

 

コンパートメントのドアをノックすると……ありゃ、ドアが壊れちゃった。フランがノックした所だけがべコりと凹んでいる。響いた音にコゼットちゃんらしき女の子は飛び上がり、怯えた顔でこちらを見てきた。

 

「ひゃっ、な、なんですか?」

 

「ち、違うの! ノックしようとして、それで……。」

 

やっちゃった。最悪の第一印象かもしれない。女の子はぷるぷる震えていたが、チラリとフランの翼に目を向けると、決死の覚悟を感じる表情でゆっくりと話しかけてきた。

 

「あの、もしかして、アリスさんの知り合いの……フランドールちゃん?」

 

「そうだよ! フランは、フランドール・スカーレット。貴女はコゼットちゃんだよね?」

 

「はい、コゼット・ヴェイユです。あの……ここ、空いてます。一緒に使いませんか?」

 

未だぷるぷるしているコゼットちゃんだったが、フランと一緒にいてくれるようだ。心にじわじわとあったかいものが広がるのを感じながら、なるべく慎重にドアを閉めて席に着く。

 

……座ったはいいが、どうしよう。何を話せばいいのか全然わかんないや。コゼットちゃんを見れば、向こうも困ったような表情で口を開けたり閉じたりしている。

 

ええい、黙っていても仕方がない。アリスによれば共通の話題を出すと話が弾むそうだから……学校のことだ! どの年齢の血が美味いかと聞くよりかは、いくらかマシな話題になるだろう。

 

「あのね、コゼットちゃんはホグワーツのことよく知ってるの? フランは、まだあんまり知らないんだよね。」

 

「う、うん。私のお母さんが先生をやってるから……家で色々話してくれるんです。」

 

「じゃあ、じゃあ、フランに教えてくれない? えーっと……そう、どんな授業があるの?」

 

フランの質問に、コゼットちゃんはぶんぶん頭を振りながら頷いてくれる。大丈夫かな? フランなら気持ち悪くなっちゃいそうだ。

 

「わ、わかりました。えっと、まずは呪文学っていうのがあって……基本的な呪文を学んだりする授業なんですけど、お母さんはずっとこの授業で先生を──」

 

コゼットちゃんの話を聞きながら、この話題は正解だったと内心でガッツポーズする。どうやら話せることはたくさんありそうだ。

 

ホグワーツ特急の走る音を背景にしながら、フランドール・スカーレットは目の前の友人候補とのお喋りを成功させるために、一言も聞き漏らすまいと耳を傾けるのだった。

 

 

─────

 

 

「フランは大丈夫かしら? どう思う?」

 

紅魔館のリビングに響く数えるのも億劫になるほどに繰り返された質問に、紅美鈴は生返事を返していた。

 

「大丈夫じゃないですかね。」

 

「心配だわ。上級生にいじめられてないかしら?」

 

むしろホグワーツ特急の心配をすべきだと私は思う。あの列車が形を保ったままホグワーツにたどり着けるかは、私が思うに半々くらいの確率だろう。

 

「ちょっと聞いてるの? ねえ、私がいなくて泣いたりしてないかしら?」

 

「妹様なら大丈夫ですよ。」

 

嬉し泣きはしているかもしれない。今朝ぶん殴られたばかりだというのに、よくもまあそんなことが言えたもんだ。

 

いい加減止めてくれないかなと、一緒に妹様を見送った従姉妹様を見ると……こちらを無視して新聞を読んでいる。素晴らしい対応だが、見捨てられた私は堪ったものではない。巻き込んでやる。

 

「従姉妹様からも言ってやってくださいよー。」

 

「んん? ああ……それより、面白いヤツが載ってるぞ。」

 

言うと、従姉妹様は新聞を開いてこちらに見せてきた。話題逸らしだとしてもここは乗るべきだ。多少オーバーな演技で覗き込んでみると……なんだこいつ? トカゲの妖怪か? 掲載されている写真には、爬虫類と人間の合いの子みたいなヤツが笑っているのが見える。

 

「なんですか、こいつ? 妖怪?」

 

「分からんが、どうもイギリスの田舎を騒がせているらしいね。名前は……ヴォルデモート卿? おいおい、レミリアのセンスといい勝負だな。」

 

「うーん、いい勝負ですけど……ギリギリでこの爬虫類マンのほうが勝ってますよ。」

 

私と従姉妹様の会話を聞きつけたのか、窓辺でホグワーツの方向を心配そうに見つめていたお嬢様が怒った顔で近付いてきた。

 

「ちょっと、何の話よ! ……ヴォルデモートぉ? こんな変な名前、私なら絶対に付けないわよ!」

 

ハン、と鼻を鳴らしながら勝ち誇るお嬢様を無視して、従姉妹様にこいつが何をしたのか聞いてみることにする。活字を読むのは嫌いなのだ。彼女の要約のほうが百倍分かりやすいだろう。

 

「それで、何したんですか? こいつ。」

 

「取り巻きを従えて、特に理由もなくマグル生まれの魔法使いを殺しまくったらしいね。純血主義者の親玉ってわけだ。」

 

「へぇ。グリンデルバルドとはまた方向性が違いそうですね。」

 

「おいおい、こんなのとゲラートを一緒にしないでくれよ。彼がやったのは革命、こいつのは虐殺だ。このトカゲ男のほうが、理由も数段劣るしね。」

 

従姉妹様はグリンデルバルドの話になると、彼を擁護するスタンスを取りがちだ。結構気に入っていたのかもしれない。

 

しかし、今回に限ってはそう間違ったことは言ってなさそうだ。グリンデルバルドはあくまでも魔法使いの地位向上のために戦っていたわけだし、必要最低限の殺ししかしていなかった。まあ……必要最低限の数値が大きすぎたわけだが。お陰でヨーロッパの魔法使いは随分減ったのだから。

 

しかし、新聞を読む従姉妹様は実に興味深そうだ。写真で高笑いしている爬虫類マンのことをじっと見つめている。まさか……。

 

「まさか、こいつを使って次のゲームを、とかって言い出しませんよね?」

 

恐る恐る従姉妹様に聞いてみる。どうも吸血鬼はそういうことが好きらしいが、私としては疲れるだけなのだ。あと百年くらいは勘弁して欲しい。

 

多少迷っていた様子の従姉妹様だったが、横から覗き込んでいたお嬢様に新聞を渡すと、肩を竦めて首を振った。

 

「うーん……ちょっと小物すぎるね。イギリスにはダンブルドアが居るし、勝負にならないんじゃないかな。」

 

安心した。確かにダンブルドアの相手にはならなさそうだ。そもそも、この見た目じゃあ駒にしたくはないだろう。ヌルヌルしてそうだし。

 

私が従姉妹様と話していると、新聞を黙って読んでいたお嬢様がポツリと呟く。その顔はちょっとだけ引きつっている。

 

「ねぇ……ひょっとして私、また頼りにされたりしないかしら? 面倒くさいんだけど。」

 

「そりゃあ、連絡はあるだろうさ。キミは『ヨーロッパの英雄』なんだから。」

 

「うわぁ……正直興味ないんだけど。」

 

口ではあんなことを言っているが、頼られればお嬢様はきっと手を貸すのだろう。自分のことが書かれた新聞を切り抜いて保管していることを私は知っているのだ。自らの名声の為なら、お嬢様は努力を惜しまないのである。

 

そして、その時はきっと私が動く羽目になるのだろう。今からイギリス各地の飯どころを調べることを決意しつつ、紅美鈴はちょっとだけ項垂れるのだった。

 



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組み分け帽子

 

 

「おぉ……大っきいねぇ。」

 

目の前に聳え立つ月下のホグワーツ城を見上げながら、フランドール・スカーレットは隣に立つコゼットちゃんに話しかけた。

 

ホグワーツ特急での出会いは成功に終わったはずだ。少なくともコゼットちゃんはフランを見てぷるぷる震えることはなくなったし、到着する頃には敬語も出てこなくなった。

 

それに、駅からここまでの道中では手を繋いで歩くことまで出来たのだ。フランが夜目の利く種族でよかった。

 

そのコゼットちゃんも、目をまんまるにしてホグワーツ城を見上げながら呟く。

 

「うん、大きなお城だね。」

 

「これなら間違えて壊しちゃわないで済みそうだよ。」

 

私の言葉に、コゼットちゃんの顔がちょっと引きつった。むむ、また何か失敗したか? 反省のために聞き出そうとするが、案内してくれた大きなおじさんの声で遮られてしまう。

 

「よぉし、全員揃っちょるな? それじゃ、城ん中に入るぞ。」

 

言うと大きなおじさんは城の玄関ホールに入って行った。集団から離れないように気をつけながらついて行くと……奥の方から優しそうなおばちゃんが現れる。蜂蜜色のふんわりした髪が特徴的だ。

 

「ご苦労さん、ルビウス。今回は溺れた子はいなかった?」

 

「舟を修理したんで大丈夫でした、ヴェイユ先輩。きちんと全員揃っちょります。」

 

「そりゃあ良かった。ミネルバが怒らないで済みそうだね。」

 

苦笑しながら言ったおばちゃんは、私たちの方に向き直ってから大きな声で叫ぶ。

 

「……さて、新入生のみんな! ここからは私が案内するよ! 着いて来て!」

 

どうやら案内人が変わるようだ。でも、ヴェイユ? ってことは、あの人がコゼットちゃんのお母さん? チラリと隣のコゼットちゃんを見ると、私の疑問を察したのか軽く頷いてくれた。

 

そのままコゼットちゃんのお母さんに案内されて進んでいくと、大きな扉の前で整列させられる。壁には騎士の石像がずらりと並び、隙間には絵が敷き詰められて、その上ではユーレイたちがこちらを見ている。なんというか……賑やかな城だ。ムーンホールドを騒がしくした感じ。

 

ざわざわと話をする新入生を纏め終わると、コゼットちゃんのお母さん……ヴェイユ先生は、これから何をするのかを説明してくれる。

 

「うん、こんなもんかな。それじゃあ、今から大広間で組分けの儀式よ。簡単な儀式だから緊張しなくても大丈夫。それじゃあ行くわよ? ついて来て!」

 

大きな扉がゆっくりと開いていくと……すっごい! とっても長いテーブルが四つ並んだ大広間の中では、そこに座っているたくさんの生徒たちがこちらを見ていた。何よりあの天井! 屋根の代わりに満天の星空が輝いている。幻想的で、凄く綺麗だ。

 

「ふわぁ……。」

 

思わず立ち止まって見上げてしまうと、コゼットちゃんが慌てて手を引いてくれる。紅魔館もこうすればいいのに。今度美鈴に頼んでみよう。

 

そのまま前へと進んでいくと、一つだけ横向きになっているテーブルの前にポツンと小さな椅子が置かれているのが見えてきた。よく見えないが、何かが載っているようにも見える。

 

横向きのテーブルには大人の人間が並んで座っていた。あれが先生たちかな? その中にいるながーいヒゲのお爺さんが、フランのことを見て微笑んできた。笑顔で手を振ってみると、一瞬驚いたようにしながらも手を振り返してくれる。なかなかいいヤツみたいだ。

 

と、ヴェイユ先生の声で私たちが歩みを止める。何が起こるのかと辺りを見回していると……いきなり誰かの歌が聞こえてきた。

 

 

さあさあ良く目を開いてごらん?  歌っているのはこの私

 

よれよれ帽子の声だけど  きっと誰もが聴き惚れる

 

あなたの望みを嗅ぎ分けて  私がきちんと振り分けよう

 

勇気と名誉を望むなら  きっとあなたはグリフィンドール  赤く輝くあの寮で  輝くメダルを手に入れる!

 

知識と理性を望むなら  きっとあなたはレイブンクロー  青く静かなあの寮で  深い景色を見るだろう!

 

慈愛と友誼を望むなら  きっとあなたはハッフルパフ  黄色くきらめくあの寮で  真なる友を得るだろう!

 

機知と力を望むなら  きっとあなたはスリザリン  緑に染まるあの寮で  新たな正義を知れるはず!

 

あなたの望みが知りたけりゃ  私をそうっと被ってごらん

 

迷いに迷うその心  私が断じてみせましょう!

 

 

歌が終わると、拍手が大広間を包んだ。大した歌じゃなかったと思うが、フランも一応やっておこう。

 

ペチペチと適当に拍手をしながら、隣に立つコゼットちゃんに話しかける。

 

「変な歌だね。フランのほうが上手いよ。」

 

「そういうことじゃないと思うけど……。」

 

どうやらあの、ポツンと置かれた椅子の上にある帽子が歌っていたらしい。歓迎の歌だろうか? もっと上手い人を雇えばいいのに。

 

「さて、一人ずつ名前を呼ぶから、呼ばれた子はそこの椅子に座って帽子を被るように!」

 

ヴェイユ先生の声で、慌てて椅子に向き直る。あの歌はそういう意味だったのか。……ばっちい帽子を被るなんて、ちょっとヤダな。

 

一人、二人と組み分けされていくが、どうもかかる時間にバラつきがあるらしい。というか、吸血鬼もちゃんと寮に入れるのだろうか? アリスやパチュリーが何も言ってなかったことを思えば……うーむ、大丈夫だとは思うが……。

 

「エバンズ・リリー!」

 

「あっ、あの子……。」

 

ヴェイユ先生の声で前に進み出た女の子に、コゼットちゃんが何かに気付いたような声を出す。

 

「どうしたの?」

 

「あの子、私が杖を買いに行った時に店にいた子なんだ。」

 

「お話しした?」

 

「ううん。見かけただけ。」

 

コゼットちゃんとひそひそ話している間にも、その子はグリフィンドールへと組み分けされていった。歓声とともにグリフィンドールのテーブルへと迎えられている。

 

そこから次々に組み分けされ、寮のテーブルへと向かっていく新入生たちを眺めていると……どうしよう、緊張してきた。

 

オマエは吸血鬼だから出て行け、なんて言われたらどうしよう。……よし、決めた。その時はあの帽子をズタズタに引き裂いてやろう。

 

そんなことを考えていると、遂にフランの名前が呼ばれる。

 

「スカーレット・フランドール!」

 

名前が呼ばれた瞬間に、大広間にざわめきが広がる。そしてフランが椅子へと進み出ると、それは更に大きくなった。

 

なんだろう? 何か間違えたのかとヴェイユ先生の方を見ると、微笑みながら頷いてくれている。大丈夫そうだ。

 

ゆっくりと帽子を手に取り、椅子に座って被ってみると……頭の中で囁くような声が聞こえてきた。

 

『フム、これは珍しい。君は人間ではないね?』

 

ぐぬぬ、やっぱり人間じゃないとダメなのかな? 帽子を引き裂いてぐちゃぐちゃにすれば、有耶無耶になったりしないだろうか?

 

『おっと、それはやめておくれ。大丈夫、人間でなくとも私には関係のないことだよ。私の仕事は正しく組み分けをすることだけなのだから。』

 

心が読めている? なんにせよ、ここで退学にはならなさそうだ。

 

『フム、フム。……難しい、非常に難しいな。心の奥には純粋な残酷さがあるが、同時に人を思いやる心も持っている。』

 

残酷さとは失礼な。フランはとっても優しい子だって、リーゼお姉様もアリスも言ってくれているのに。

 

『ウーム、勇敢さもある、そして時には狡猾で、類稀な頭脳もある。しかし……君が友人を望んでホグワーツに来たのであれば──』

 

「ハッフルパフ!」

 

帽子から響く大声に、大広間は一瞬沈黙に包まれる。しかし、やがてパラパラとした上級生の拍手を皮切りに、ハッフルパフのテーブルから大きな拍手が沸き起こった。

 

慌てて立ち上がってハッフルパフのテーブルへと向かうと……恐る恐るといった様子だが、みんなが歓迎の言葉をかけてくれた!

 

とっても嬉しい気分でテーブルに着くが、まだコゼットちゃんの組み分けが残っている。ヴェイユ先生はグリフィンドールだったらしいし、コゼットちゃんもそうだったらどうしよう。

 

「スネイプ・セブルス!」

 

黒髪の男の子がスリザリンに組み分けされたのには目もくれず、コゼットちゃんと一緒の寮になれますようにと祈っていると……コゼットちゃんの名前が呼ばれた!

 

「ヴェイユ・コゼット!」

 

帽子を被るコゼットちゃんを見ながら、手を組んでひたすら祈る。どうかハッフルパフに選ばれますように。

 

一瞬にも永遠にも感じられた沈黙の後、帽子が口を開いて大きく叫んだ。

 

「ハッフルパフ!」

 

やった、やったぁ! 立ち上がって全力で拍手をすると、コゼットちゃんが小走りでフランの元にやってきた。

 

「コゼットちゃん! やったね、おんなじ寮だよ!」

 

「うん! 改めてよろしくね、フランちゃん!」

 

思わず抱きついて、慎重に力を込めて抱きしめる。お友達と同じ寮になれるなんて、今日のフランは幸運みたいだ。

 

二人で並んでテーブルに着いて、最後の一人がレイブンクローに組み分けされたのを見届ける。するとお髭のお爺ちゃんが立ち上がって、その大きな声を大広間に響かせた。

 

「結構、結構。今年も無事に組み分けが終わってなによりじゃ。それでは、食事の前にちょっとばかりお知らせを聞いてもらおうかのう。」

 

言うと、先生たちが座っているテーブルの中の、ひときわ小さな男の人が立ち上がる。

 

「今年からヴェイユ先生に代わって呪文学を受け持ってもらう、フリットウィック先生じゃ。言わずと知れた決闘チャンピオンであり、その杖捌きは見事の一言に尽きる。」

 

紹介されたフリットウィック先生が、ペコりと一礼して再び席に着く。しかし、そうなるとヴェイユ先生は? 他の生徒たちも心配なようで、大広間に囁き声が広がっていく。

 

「おっと、心配そうな顔は無用じゃ。ヴェイユ先生には闇の魔術に対する防衛術の授業を受け持ってもらうことになった。このところ不安定な授業となっておったが、ヴェイユ先生ならばこの問題を見事に解決してくれることじゃろう。」

 

お爺ちゃん先生の言葉で、不安そうなざわめきも収まった。その様子に大きく頷きながらも、お爺ちゃん先生は再び話を続ける。

 

「他にはいつもの注意事項じゃな。夜には出歩かないこと、みだりに呪文を使わないこと、危険な魔法薬を作らないこと……詳しくは、管理人室の掲示板に張り出されておる。」

 

ううむ、たくさん決まりがあるようだ。それに夜には出歩けないらしい。地下室を出て以来、月光浴は密かな楽しみだったのだが……。

 

隣のコゼットちゃんを見れば、きちんとメモを取っている。真剣にペンを走らせている様子がなんだかかわいい。フランがコゼットちゃんに気を取られている間に細々とした話は終わったようで、お爺ちゃん先生が一際大きな声で言い放つ。

 

「さて、そろそろ我慢も限界を迎える頃じゃろう。難しい話は終わりにして、そーれ、食事じゃ!」

 

その言葉と共に、テーブルの上に無数の料理が現れた。ローストチキンに、スクランブルエッグ、大きなソーセージと、お肉たっぷりのパスタ。他にも色々とあるが……人肉ステーキはなさそうだ。ちょっと残念。

 

「すごいね。……食べようか、フランちゃん。」

 

「うん!」

 

好物はなかったが、友達と一緒ならきっと何でも美味しいだろう。

 

天井の星々に照らされながら、フランドール・スカーレットはホグワーツでの初めての夕食を楽しむのだった。

 



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ハッフルパフの小さな騎士

 

 

「また私の友達をいじめて! ぶっ飛ばすよ、メガネ!」

 

雪が積もってきたホグワーツの中庭で、フランドール・スカーレットはハッフルパフの同級生たちを背に庇いながら、いつもの四人組と対峙していた。

 

メガネ、気取り屋、ヨレヨレ、オドオドのグリフィンドール四人組だ。こいつらは事あるごとに他の寮生に絡んでくる。他の寮ならともかく、ハッフルパフが狙われたなら黙ってられない。

 

飛び出したフランに対して、メガネが怒鳴り声を上げてくる。

 

「またお前か、スカーレット! 今日こそその薄気味悪い羽を毟ってやるぞ!」

 

「酷いことを言わないでよ、ポッター!」

 

後ろに立つコゼットが怒ってくれるが、こいつの言うことなんか気にしない。杖を取り出そうとしたので、その前に脇腹を殴ってやった。

 

「ぐうっ……。」

 

「ジェームズ! こいつ、やったな!」

 

メガネが倒れ込んだのを見て、気取り屋が杖を抜いた。オドオドはオドオドしてるし、ヨレヨレは呆れたように見ているだけだ。

 

タラントアレグラ(踊れ)!」

 

気取り屋が何かの呪文を放ってくるが、そんなもん効くわけがない。無視してこいつの脛を蹴っ飛ばしてやる。

 

「あぐっ……。」

 

脛を押さえて蹲る気取り屋から目を離して、残った二人に向き直った。二人は痛そうに蹲っているが、手加減はもう覚えたのだ。骨すら折れていないだろう。

 

「ふん、そっちの二人はどうするの? やるんならヨーシャしないよ。」

 

「あー……僕はやめておくよ。勝てない勝負はしないんだ。」

 

「ぼ、僕も!」

 

腕を振り上げて威嚇しながら言うと、ヨレヨレは肩を竦めながら、オドオドはオドオドしながら、それぞれ返事を返してくる。この二人は多少賢いようだ。

 

「次にハッフルパフに手を出したら、こんなもんじゃ済まないよ!」

 

四人組に脅しをかけてから振り返ると、コゼットたちが集まって来て心配してくれる。

 

「だ、大丈夫だった? フランに呪文が当たったように見えたけど。」

 

「ヘーキだよ、あんなの。ほら、ピンピンしてるでしょ?」

 

その場で飛び跳ねてみれば、ようやく安心してくれたようだ。庇ったハッフルパフの同級生たちが口々にお礼を言ってくる。

 

「ありがとう、フランドールちゃん。私、怖くて何もできなくって……。」

 

「いつもごめんね、スカーレット。僕は男の子なのに……。」

 

むむぅ、落ち込んでしまっているらしい。ここは元気付けなければなるまい。胸を張ってみんなに言い放つ。

 

「大丈夫だよ、みんな! フランは強いから、ハッフルパフを守ってみせるよ!」

 

私が高らかに宣言すると、みんなは安心してくれたようだ。そのままみんなで寮に戻ろうとすると、向こうからマクゴナガル先生が小走りでやってきた。マズいぞ、ハッピーエンドにはならないかもしれない。

 

「何があったのですか? ポッター、ブラック、それに……スカーレット! また二人をノックアウトしたんですか!」

 

顔を真っ赤にして怒るマクゴナガル先生に、ハッフルパフのみんなが口々に説明してくれる。

 

「違うんです、マクゴナガル先生! フランドールちゃんは私たちを助けるために……。」

 

「そうです! またポッターとブラックが絡んできたんです!」

 

わいのわいのと騒ぐハッフルパフの生徒を、マクゴナガル先生はこめかみを押さえながら落ち着かせていく。

 

「分かりました……分かりました! またいつものような展開があったと言うわけですね。」

 

大きなため息を吐くと、マクゴナガル先生はメガネたちの方へと向き直った。四人組はバツの悪そうな顔をしている。ふん、怒られればいいんだ。

 

「ポッター、ブラック、グリフィンドールからそれぞれ五点減点します。それと……ルーピン、ペティグリュー、貴方たちも見ていないで止めなさい。それぞれ一点減点です。」

 

ざまあみろ! 落ち込む四馬鹿を見て笑っていると、マクゴナガル先生はこちらにも注意を飛ばしてきた。

 

「それと、スカーレット。貴女の行いはいささか暴力的すぎます。残念ですがハッフルパフから三点を引かざるを得ません。」

 

何だって? マズいぞ、これ以上点数を引かれるわけにはいかない。ただでさえ色んなものを壊しちゃっているせいで、そこそこの点数を失っているのだ。

 

「でも、でも、アイツらがフランの友達をいじめてたんだよ! 黙って見てるなんて出来ないよ!」

 

「お友達を救おうとするのは素晴らしいことです。しかし、力ではなく言葉で解決すべきでした。」

 

そんなこと言われたって、アイツらは何度言ってもやめないじゃないか。ぐぬぬ、きっとグリフィンドール出身だから贔屓してるんだ。

 

なおも言い募ろうとするフランを目線で止めて、マクゴナガル先生はその場の全員に言い放った。

 

「ルーピン、ペティグリュー、二人を医務室へ連れて行きなさい。ハッフルパフの生徒たちも寮へ戻ったほうがいいでしょう。外に居ては風邪をひきますよ。」

 

メガネと気取り屋を引きずって、ヨレヨレとオドオドが医務室へと歩いて行く。マクゴナガル先生も何処かへと歩き出すが、フランは未だ茫然と立ち尽くしていた。

 

どうしよう。このまま点を減らし続けていたら、みんなに嫌われてしまうかもしれない。ウンウン唸っていると、コゼットがフランの手を握りながら声をかけてくれる。

 

「フラン、落ち込むことなんてないよ。マクゴナガル先生はきっと、あいつらのしつこさを知らないんだよ。」

 

コゼットの言葉に、みんながそうだそうだと励ましてくれる。嬉しい。ちょっと元気が出てきた。

 

「うぅ……ごめんね? また点数を引かれちゃったよ。」

 

「それなら、私たちが取り返すよ! フランがみんなを助けたんだから、今度は私たちがフランを助ける!」

 

コゼットの言葉を聞いて、その通りだとみんなが同意してくれた。とびっきりの笑顔でありがとうを言う。

 

みんなで寮へと戻りながら、フランドール・スカーレットは自分も授業で点を取ってみせようと、一人決意を固めるのだった。

 

 

─────

 

 

「それで、フランは上手くやっているかしら?」

 

そろそろクリスマスを迎えるホグワーツの校長室で、レミリア・スカーレットは目の前に座るダンブルドアに問いかけていた。

 

今日はダンブルドアの方から面会の依頼があったのだ。十中八九ヴォルデモートの件だろうが、フランのことも気になっていたのですっ飛んで来たというわけである。

 

私の問いかけに、ダンブルドアはクスクス笑いながらフランの学校での様子を語ってくれた。

 

「いやはや、同級生の間では『リーダー』として頼られているようですな。本人も中々面倒見が良いようで、その愛くるしい外見とも合わさって、ハッフルパフでは人気の的ですよ。」

 

「それはまた……予想外ね。」

 

人気の的? フランが? そりゃあフランはかわいいが、吸血鬼であることはもう知れ渡っているはずだ。私の疑問を汲み取ったのか、ダンブルドアが説明してくれる。

 

「吸血鬼だということは、もちろん当初は怖がられていましたが……本人の物怖じしない性格が功を奏したようでして、今ではちょっとしたマスコット扱いになっておりますよ。」

 

恐れられることを是とする吸血鬼がマスコットか。微妙な気分だが、フランが幸せなら文句はない。

 

「何かを壊したりはしなかった?」

 

「多少はありましたが……まあ、彼女に悪気がないことは一目瞭然でしたし、今では随分と手加減が上手くなったようですな。最近ではそういったことも無くなりました。」

 

どうやら紅魔館では百年あっても覚えられなかったことが、ホグワーツでは数ヶ月かからずに習得できたらしい。やはり学校に通わせたことは正解だったようだ。

 

多少悔しくも思いながらも、ソファに深く身体を預けて口を開く。

 

「そう……。安心したわ。でも、苦労をかけたみたいね。もちろん壊した物はこちらに請求して頂戴。」

 

「なぁに、大した被害はありませんよ。それに、そういったことを学ばせるのもホグワーツの仕事なのですから。」

 

ダンブルドアはキラキラした瞳でそう言った。しかし、この男は前にも増して穏やかな雰囲気になったな。もはや貫禄だけでいえば、そこらの上級妖怪よりよっぽどあるくらいだ。

 

「それじゃあ、安心したところで本題に入りましょう。あのトカゲ人間の話なんでしょう?」

 

私の言葉にダンブルドアは虚を突かれたようにポカンとした後、苦笑しながら口を開く。

 

「トカゲ人間、ですか。本人に言ったら激怒するでしょうな。」

 

「見たままを言ってるだけよ。傍迷惑なことをしているわけだし、遠慮する必要はないでしょう?」

 

「まあ、そうかもしれません。しかしながら……そう笑えない事態になっておりまして。彼は巨人や狼人間を味方につけて、その力を増しているのです。」

 

巨人に狼人間ねぇ。純血主義を掲げているくせに、行動に一貫性がないもんだ。

 

「貴方が危惧するほどの問題だと?」

 

「さよう。下手をすれば、ゲラートより危険かもしれません。」

 

グリンデルバルドよりも? 脳内でヨーロッパの戦いを思い出すが……そんなことが有り得るか? 見た目はヤバそうな感じだが、さすがに信じられない言葉だ。

 

「ちょっと、幾ら何でも言い過ぎでしょう? グリンデルバルドを超える敵になるってこと?」

 

私の疑問に、ダンブルドアは慎重に言葉を選びながら自分の考えを語り出す。

 

「私はそう思っております。ゲラートが行ったのは理性ある戦争だったが、彼がやっているのは理性なき虐殺です。魔法省は情報を制限しておりますが、既に多くの人間が殺されています。……魔法使い、マグルに関わらず。」

 

「殺すことそのものが目的だと?」

 

「そういうことではないでしょうが……彼は恐怖によって支配力を強めようとしているのです。故に殺し続けている。ゲラートにとって恐怖は手段でしかなかったが、彼にとってはそれこそが目的なのでしょう。」

 

それはまた、随分な異常者らしい。恐怖そのものが目的か。主義主張も相まって、かなり過激なことを考えているようだ。

 

「まあ、そいつの危険性は理解したわ。それで? 私に何を望むのかしら?」

 

「協力を。私は彼に対抗するための組織を作っております。貴女が協力してくれるのであれば、これほど頼もしいことはないでしょう。」

 

ダンブルドアの言葉に、脳内で思考を巡らせる。フランがこの学校にいることと、協力することで生じる面倒を天秤にかければ……簡単に決まった。フランが優先だ。

 

「いいでしょう。フランのこともあるし、それなりの協力は約束させてもらうわ。」

 

「これは……安心しました。恥ずかしながら、なかなか緊張していたのですよ。」

 

大きく息を吐いているダンブルドアを見る限り、どうやら本当のことらしい。

 

しかし……随分と積極的に動くじゃないか。グリンデルバルドの時とは大違いだ。この様子だと、魔法省よりも先行して動いているんじゃないか?

 

「しかしまあ、熱心に動いているようじゃない? 『イギリスの英雄』としては放ってはおけないってこと?」

 

「いえ……そうですな、話しておきましょう。これは身から出た錆なのですよ。何故なら……彼はホグワーツで私が教えた卒業生なのです。」

 

後悔を滲ませる口調でダンブルドアがそう言った。教師としての責任というわけか。

 

「ふぅん。まさかその頃からこんな馬鹿げた名前だったわけじゃないわよね? 本名は何てヤツなの?」

 

興味本位で投げかけた質問に、ダンブルドアははっきりとした口調で一つの名前を口にする。

 

「トム・リドルです。」

 

ホグワーツの校長室に響いたその名前を、レミリア・スカーレットは確かに耳にするのだった。

 



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望み

 

 

「私、リドルを止めます。」

 

ムーンホールドのリビングに響くアリスの決意を滲ませた声を聞きつつも、アンネリーゼ・バートリはやっぱりこうなったかと内心でため息を吐くのだった。

 

レミリアから『なんちゃら卿』の正体を聞いた時にはもう予感していたのだ。アリスに伝えてみれば、案の定な反応が返ってきたというわけである。

 

「まあ、そう言うとは思っていたよ。」

 

「リーゼ様たちには迷惑をかけません。どうか許可をいただけないでしょうか?」

 

「分かった、私も手伝おう。」

 

「私は……へ? あの、いいんですか?」

 

私が許可しないとでも思っていたらしいアリスは、拍子抜けしたような顔で聞いてきた。

 

「キミはこの屋敷の一員だろうに。そりゃあ手伝うぐらいのことはするさ。」

 

「あの、てっきり反対されるのかと思ってました。」

 

「そもそもレミィはダンブルドアに協力するらしいしね。そっちからも頼まれたし、端から介入する予定だったんだよ。そうだな……まあ、第二のゲームってところかな。今回はレミィとの協力プレイだ。」

 

正直言って最近退屈してたのだ。この分ならすぐに決着がつきそうだが、多少の暇つぶしにはもってこいだろう。

 

私の言葉を受けたアリスは、引きつった笑みで口を開いた。

 

「ゲ、ゲームですか……。まあ、その、ありがとうございます。」

 

「レミィ、私、アリスにパチェ、ついでに美鈴とダンブルドア。幾ら何でも戦力過多だが、まあ構わないだろう。」

 

「ちょっと、私も数に入っているの?」

 

部屋の隅で置物のようになって読書をしていたパチェから突っ込みが入る。素直じゃないヤツめ。そちらを向いて、からかうように声をかけた。

 

「おや? パチェはアリスを手伝ってあげないのかい? 随分と冷たいじゃないか。」

 

「手伝うわよ! 別に手伝わないとは言ってないでしょう?」

 

「だ、そうだよ? よかったね、アリス。」

 

アリスに話を振ってやると、彼女はクスクス笑いながらも嬉しそうにお礼を言う。

 

「ふふ、ありがとうね、パチュリー。」

 

「た、大したことじゃないわ。」

 

赤い顔を本で隠したパチュリーを眺めつつ、レミリアから聞いている計画を二人に伝える。

 

「レミィによれば、ダンブルドアの作っている……あー、騎士団? とかいう組織と協力してことに当たるそうだ。レミィ、アリス、パチェはそっちと接触してもらうことになるかもしれない。」

 

「リーゼと美鈴はどうするのよ。」

 

「美鈴は未定だが、私は表に出るつもりはない。その組織がどこまで信用できるかは分からないんだ。見えない腕が一本くらいは必要だろう?」

 

「お似合いの役で何よりね。」

 

パチュリーの皮肉に肩を竦めて返す。裏切り者が出ないとも限らないのだ。手札を全て見せてやることはないだろう。

 

「えーっと……今からリドルの所へ行って、捕まえるわけにはいきませんか?」

 

アリスからもっともな意見が出てきた。実際問題、この三人なら不可能ではないだろう。というか、私一人でお釣りがくるくらいだ。

 

とはいえ、それをするにはちょっとした問題がある。

 

「リドルの居場所が分からなくてね。とりあえず騎士団から情報を吸い上げながら、適当に下っ端を捕まえて居場所を吐かせる予定なんだ。」

 

「なるほど、分かりました。」

 

真実薬でも飲ませれば簡単に吐くだろうし、魅了を使えばなお容易い。短期決着で終わりそうだ。

 

「ま、すぐに終わるだろうさ。アリスはリドルへの説教の内容を考えておくといい。」

 

「まあ、そうなりそうですね。井の中の蛙だって、ちゃんと忠告してあげたんですけど……。」

 

「アリスの助言を無下にした罰だよ。近いうちに身を以て理解することになるだろうさ。」

 

トカゲになってまで力を求めた結末、吸血鬼の一団から身柄を狙われるわけか。リドルもなかなか救われないヤツだ。

 

椅子に寄りかかって天井を見上げながら、アンネリーゼ・バートリはかつて見た少年の不幸を嘆くのだった。

 

 

─────

 

 

「おぉ?」

 

夜の帳が下りたホグワーツの廊下で、フランドール・スカーレットは昼には見かけなかったはずのそれにゆったりと歩み寄っていった。

 

深夜のお散歩はフランの日課になっている。それほど長く眠る必要もないし、ホグワーツには色々な物があって面白いのだ。鬱陶しいポルターガイストにさえ気をつければ、なかなか楽しめるお散歩コースなのである。

 

近寄ってみると、大きな……鏡? フランの記憶が確かなら、昼間はここには置いてなかったはずだ。

 

そうっと覗き込んで見ると……おお、フランがたくさんのお友達とお外で遊んでいるのが見える。リーゼお姉様とアリスに、パチュリー。コゼットやハッフルパフのみんなもいるし、端っこにはアイツと美鈴が立っているのも見える。

 

楽しそうに遊ぶ鏡の中のフランが羨ましくて、じっと鏡を見つめてしまう。未来の風景を映す鏡なのだろうか? そうなら嬉しいのだが……。

 

「君には何が見えたのかな?」

 

「ひゃっ。」

 

びっくりした。声に振り返ると、お爺ちゃん先生が微笑みながら立っていた。ヤバい、夜に歩き回っているのがバレてしまった。

 

お爺ちゃん先生はあのダンブルドアなんだそうだ。グリンデルバルドと戦っている時とは別人すぎて、一目見ただけでは分からなかったが……確かに見覚えがあるような気がする。

 

「あのね、フランはお散歩してただけで……。やっぱり、減点されちゃう?」

 

「本来ならそうなのじゃが……ふむ、吸血鬼は夜に生きる種族だと聞いておる。多少の散歩は大目に見るべきかもしれんのう。……もちろん、悪さをしてはいけないよ?」

 

「しないよ……じゃなくって、しません!」

 

よかった、減点されずに済みそうだ。ハッフルパフのみんなは、上級生も含めてフランの減点を笑って許してくれるが、これ以上減らされるのはフラン自身が許せない。

 

「この鏡は見た者の望みを映す鏡なのじゃ。もし良ければ、この老人に何が見えたのか教えてはくれんかのう?」

 

「えっとね、フランがみんなとお外で遊んでるとこが見えたんだ。でも、未来を映してるんじゃなかったんだね……。」

 

どうやらフランの望んだ光景を映していただけのようだ。がっくりと項垂れていると、お爺ちゃん先生が優しい笑顔で慰めてくれる。

 

「素晴らしい、なんとも素晴らしい望みじゃ。安心しなさい、フラン。君がそのために努力するならば、きっとその願いは叶うよ。」

 

「そうかな? そうだといいな!」

 

頑張って叶えなければいけない。ホグワーツに来てからはたくさんお友達が出来たのだ。無謀な願いではないと信じたい。

 

お爺ちゃん先生はぎゅっと両手を握って決意するフランのことをニコニコ眺めていたが、やがて何かを思い出したかのように声をかけてきた。

 

「そういえば、お姉さんのことを随分と嫌っているそうじゃのう? しかし、彼女は君のことを心配していたよ?」

 

「アイツは私のことを地下室に閉じ込めてたんだもん! アイツの父親から閉じ込められてた分も合わせれば、450年以上なんだよ?」

 

「それはまた……なんとも、気の遠くなるような話じゃな。」

 

お爺ちゃん先生はドン引きしているらしい。そりゃあそうだ。お外に出られるようになって分かったが、この広い世界でもぶっちぎりでイカれた所業なのだから。

 

しばらく顔を引きつらせていたお爺ちゃん先生だったが、何とか気を取り直したらしく、優しい笑顔に戻って話しかけてくる。

 

「ふむ、まあ……お姉さんの方にも理由があったのではないかな? そうでなければ、君のことをあんなに心配したりはせんよ。」

 

「そりゃあ、フランはちょっとおかしかったかもしれないけど……。」

 

本当はちょっとだけ分かっているのだ。今のフランはともかく、かつてのフランは……まあ、ちょっとヤバい奴だったかもしれない。

 

それでも素直に許す気にはなれないのは、あの生活が本当に辛かったからだ。地下室で450年暮らせば分かるだろう。今でも外に出られない悪夢をよく見るくらいなのだから。

 

お爺ちゃん先生は何かを思い出すようにしながら、その瞳を細めて私に話しかける。

 

「少しでいい、歩み寄ってあげてはくれんかのう? わしにはお姉さんの苦しみが少しだけ分かってしまうんじゃ。」

 

「んぅ……どうして?」

 

「わしにもかつて妹がいたのじゃよ。あの子も……もしかしたらわしのことを窮屈に感じていたかもしれん。それでも、わしはあの子を愛していた。そしてそれは、君のお姉さんもきっと同じはずじゃ。」

 

「んー……むぅ、分かったよ。ちょっとだけ考えてみる。」

 

ちょっとだけだ。クリスマス休暇で戻った時もグチグチうるさかったし、本当の本当にちょっとだけだ。それでもお爺ちゃん先生は柔らかい笑顔を浮かべ、自分のことのように喜んでくれる。

 

「おお、それは嬉しいのう。きっとお姉さんも喜ぶはずじゃよ。」

 

「でも、最近はアイツも忙しいみたいだし、フランに構う暇なんてないかもよ?」

 

クリスマスは毎年開いているパーティーも無かったくらいだ。リーゼお姉様やアリスも忙しそうにしてたし、また何か暇つぶしにやってるのかもしれない。

 

「うーむ、それはわしの所為かもしれんのう。お姉さんにはわしの仕事を手伝ってもらっているんじゃ。」

 

「お仕事って?」

 

「何と言ったらいいか、悪い魔法使いと戦っているんじゃよ。」

 

「フラン、そいつのこと知ってるよ! ヴォル……ヴォルなんとか卿! ハッフルパフのみんなも、悪いヤツだって言ってたんだ。」

 

魔法省に親がいる子たちは、みんな嫌ってるヤツだ。コゼットのお父さんもそいつのせいでクリスマスに一緒にいれなかったらしいし、きっと嫌なヤツに違いない。

 

「うむ、うむ。その『なんとか卿』のことじゃよ。ふむ、彼は……彼なら、この鏡に何を映すかのう? 永遠の命か、はたまた限りない力か。」

 

なんだそりゃ? そんなものより、もっと欲しいものがあるだろうに。

 

「人間はそんなのが望みなの? つまんないなぁ。友達がいたほうがよっぽどいいのに。」

 

私の言葉を聞いたお爺ちゃん先生が、痛快そうに笑い出す。変なことを言っただろうか?

 

「ほっほっほ。その通り、まさにその通りじゃ。君は彼よりもよっぽど賢いようじゃのう。」

 

「えへへ、そうかな?」

 

「さよう。君は最も大事なものがなんなのかに気付いておるのだよ。彼はそのことに気付くことができなんだ。」

 

「最も大事なもの?」

 

「……愛じゃよ、フラン。」

 

愛? よく分からない。私が不思議そうな顔をすると、お爺ちゃん先生は微笑みながらゆっくりと語りかけてきた。

 

「君ならすぐにでも理解できるだろう。君はどうしてグリフィンドールのわんぱく小僧たちに立ち向かう? どうしてハッフルパフのために必死に勉強する? それこそが……それこそが、答えなのじゃ。」

 

「んー? よく分かんないよ。」

 

「今はそれでいいんだよ、フラン。きっといつかわかる日が来る。」

 

お爺ちゃん先生が私の頭を柔らかく撫でてくれる。見た目は全然違うのに、リーゼお姉様やアリスに撫でられた時と同じ感じがする。

 

「さて、わしはそろそろ失礼しよう。君なら鏡に魅入られる心配はないじゃろうが、もうこれを気にしてはいけないよ?」

 

「うん! フラン、自分で叶えるんだもん!」

 

「うむ、うむ。それではおやすみ、フラン。夜の散歩も乙なもんじゃが、ルームメイトを心配させない程度にするんじゃよ?」

 

「はーい。」

 

お爺ちゃん先生が歩いて行くのを見送って、鏡には目もくれずに歩き出す。

 

月明かりに照らされるホグワーツの廊下を歩きながら、フランドール・スカーレットは気分良く鼻歌を奏でるのだった。

 



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不死鳥の騎士団

 

 

「テッサ? その怪我はどうしたの?」

 

ロンドンの一角にある古アパートの一室で、アリス・マーガトロイドは親友の元へと駆け寄っていた。

 

部屋の中には本を読んでいるパチュリーと、帽子のことを熱心に話しているディーダラス・ディグル、それを苦笑いで聞いているフランク・ロングボトムがいる。

 

今日は『不死鳥の騎士団』の第一回目の集会だ。ダンブルドア先生がリドルに対抗するために結成した組織である。メンバーの顔見せも兼ねているこの場にテッサが来ることは知っていたが……右手に包帯を巻いているのなら話は別だ。

 

血相を変えて近づく私に、テッサは苦笑しながら言葉を放つ。

 

「いやぁ、ちょっとした事故でね。まあ、大したことじゃないよ。」

 

「いいから見せてみなさい。」

 

懐からパチュリーに持たされている薬を取り出しつつ、包帯を解いて右手を見ると……酷い。鋭い刃物で切られたような傷だ。未だ治っていないところを見るに、魔法でもどうにもならなかったらしい。

 

凍りつく心を必死に励まして、パチュリーの薬を一滴垂らすと……よかった。みるみるうちに傷が治っていく。

 

「おお、凄いね……。さすがはアリスだよ。ポピーの薬でもダメだったのに。」

 

「そんな呑気なことを言ってる場合じゃないでしょう? どうしたのよ、どうしてこんな……。」

 

「あー、ちょっと死喰い人どもとやり合ってね。厄介な呪文を喰らっちゃったんだ。」

 

死喰い人。リドルの信奉者で、純血主義を掲げる集団だ。趣味の悪い仮面と黒いローブを身につけた犯罪者ども。つまり、この騎士団が戦うことになる相手である。

 

「もう戦うようなことになってるの? それならどうして私を呼んでくれなかったのよ。」

 

「本当に偶然だったんだよ。偶々マグルを襲っているところに出くわしちゃってさ。夫と二人で追い払ってやったんだけど……油断したかな? 一撃貰っちゃったんだ。」

 

私がその忌々しい連中のことを考えていると、テッサと一緒に入室してきたらしいハグリッドが口を開く。テッサに夢中で気付かなかった。

 

「きっとリドル先輩……ヴォルデモートの呪いのせいです。あいつのせいで、防衛術の教師には不幸が訪れちまう。マーガトロイド先輩からも言ってやってください。ヴェイユ先輩はあの職に就いてちゃならねえんだ。」

 

「あのねぇ、ルビウス。偶然に決まってるでしょう? そんなバカバカしい呪いなんて存在しないのよ。」

 

「でも、でも現に次々に辞めていってるじゃないですか。もしもヴェイユ先輩に何かあったらと思うと……俺は……。」

 

ハグリッドはそのコガネムシのような瞳を潤ませて必死に頼んでいる。しかし……呪い? テッサにアイコンタクトで説明を求めると、彼女は苦笑しながら口を開いた。

 

「ほら、私たちが最後にリドルに会った日があるじゃない? あの時、リドルは防衛術の教師になりたくて来てたんだってさ。それで……まあ、ダンブルドア先生は当然断ったんだけど、それに腹を立てて『職』そのものに呪いをかけたらしいんだよね。」

 

なんだそりゃ。ふざけた話だ。ただの八つ当たりではないか。

 

「ほんっとうにロクなことをしないわね! やっぱりあの時、痛い目に遭わせてやればよかったわ。」

 

私が怒っているのを見て、テッサは苦笑を強めながら話を続ける。

 

「まあ、それで大抵の教師は一年持たないで辞めていくんだけど……さすがにこのままじゃいけないでしょ? 私が前例を作ってやろうと思ってさ。」

 

「でも、大丈夫なの? その怪我だって……。」

 

「なぁに、全然平気だよ。リドルの呪いなんかに私が負けるはずないでしょ? そのことを証明してやるんだ。他の誰でもない、私の役目なんだよ。だからダンブルドア先生にもお願いしたの。」

 

鼻を鳴らしながら言うテッサだが……心配だ。縋るような思いでパチュリーのほうを振り返ると……彼女はため息を吐きながら読んでいた本を閉じて、ゆっくりとこちらに近付いてきた。

 

「はいはい、私がどうにかすればいいんでしょう? まったく、リーゼといい、アリスといい、私のことを便利な女扱いしないで欲しいわね。」

 

何だかんだとボヤきながらも、パチュリーはテッサのことを調べていく。やっぱり頼りになるではないか。身内の頼み事に弱いのだ、パチュリーは。

 

しばらくテッサを観察していたパチュリーだったが、やがて面倒くさそうな顔になると、ぺちんとテッサの背中を叩いて席に戻っていく。えぇ……今ので終わり?

 

「ちょっと、パチュリー? もういいの?」

 

「多分大丈夫でしょ。実際のところ、大した呪いじゃないわよ。強引に私の魔力で上書きしてやっただけ。」

 

「そんな力技でいいの?」

 

「アリス、貴女はそろそろ気付いてもいい頃よ。魔法ってのは案外適当なものなの。……どう? 思い当たる節は腐るほどあるでしょう?」

 

確かにある。ホグワーツで誰もが学ぶ真理の一つだろう。席に着いたパチュリーは、本を開きながらポツリと呟いた。

 

「真面目に考えるとバカを見るわよ。リドルだって大真面目に呪いをかけたわけじゃないでしょう。色々な偶然が重なって、思い込みの力でそれが強くなっていただけよ。」

 

それを聞いていたテッサが、おずおずとパチュリーに話しかけた。

 

「それじゃあ……その、もう防衛術の教師は安全なんですか?」

 

「どうかしらね? 貴女が五体満足で十年も勤めれば噂も立ち消えるでしょうし、その前に何かあればまた復活するかもね。そういう呪いなのよ、これは。」

 

「あー……なるほど?」

 

テッサの気の抜けた返事がよく分かる。理解できるような、よく分からんような、微妙な話だ。そもそもダンブルドア先生がリドルの呪いを放っておくはずがない。パチュリーの言うように、もっとこう……抽象的な呪いなのかもしれない。

 

とにかく、テッサに何かあるだなんて有り得ないのだ。この件はこれで解決だろう。テッサとハグリッドと共にテーブルに着いて、他の面子が到着するまでお喋りを始める。

 

「まあ、とにかく解決よ。……頼むから無茶はやめてよね、テッサ。」

 

「あはは、ごめんごめん。それより、他に誰が来るのかな? ホグワーツからは私とルビウス、ダンブルドア先生だけだよ? ミネルバも参加するんだけど、ホグワーツの守りに残ってるんだ。」

 

「俺は闇祓いのブリックスが参加するって聞いちょります。それにボーンズ家のエドガーも。二人とも頼りになる魔法使いです。」

 

聞いていると、思ったよりも人数は多そうだ。ダンブルドア先生の人脈を思えば当然かもしれない。

 

「私、パチュリー、レミリアさんも参加するわよ。」

 

私がそう言うと、テッサとハグリッドの顔が驚愕に染まった。

 

「うっそ? レミリア・スカーレット? ひゃー、大物が出てきたねぇ。ノーレッジさんも凄いし、百人力だよ。」

 

「そいつは頼もしいこった。それに……聞けばジェイミー・ネルソンも勧誘中だそうで。グリフィンドールの卒業生で、高名な魔法戦士です。」

 

話している間にも、ドアが開いて誰かが入ってきた。鋭い目つきのその男はぐるりと部屋の人間を見回した後、鼻を鳴らしてから部屋の隅に立つ。誰だろう? 見たことのない顔だ。

 

私がその男を観察していると、テッサが呆れたように声を放った。

 

「アラスター、こんにちはくらい言えないの?」

 

「ふん、ここには友人ごっこをしに来たわけじゃないんでな。」

 

「まったく、相変わらずの無愛想っぷりね。」

 

テッサの呆れた声に、ハグリッドも苦笑している。どうやら二人は知っているようだ。

 

「誰なの?」

 

私に短い疑問に、テッサがやれやれと首を振りながら答えてくれた。

 

「アラスター・ムーディ。闇祓いだよ。信じられないくらい優秀な教え子なんだけど……天は二物を与えずってやつだね。愛嬌と礼儀が欠落しちゃってるの。」

 

「信用できるの? まあ、ダンブルドア先生の人選なら間違いないでしょうけど……。」

 

「性格はあんな感じだけど、信用はできると思うよ。少なくとも闇の魔術を毛嫌いしてるしね。何というか……闇祓いになるべくして生まれた、って感じのヤツだもん。」

 

なんとも奇妙な人物像だが、問題はないらしい。その後も話をしている間に、次々と人が入ってくる。

 

ダンブルドア先生の親友であるエルファイアス・ドージさん、プルウェット家のギデオンとフェービアン兄弟、キリッとした格好のエメリーン・バンス。

 

見知った顔には挨拶を放ち、知らない顔とは自己紹介していると、再びドアが開いて……おっと、主役のご登場だ。ダンブルドア先生とレミリアさんが入ってきた。

 

ダンブルドア先生は部屋の面子を見渡すと、にこやかな顔で口を開いた。

 

「うむ、結構。今日集まれる者はこれで全員のはずじゃ。」

 

ゆったりと頷いてそう言うと、皆をテーブルに着くように促してから自分も椅子へと座る。

 

全員が座ったのを確認してから、ダンブルドア先生は来れなかったメンバーのことを説明してくれた。

 

「今日来れなかったのは、そこにいるフランクの妻であるアリス・ロングボトム、そしてジェイソン・ブリックス、二人とも闇祓いじゃな。そして……ミネルバ・マクゴナガル、ドーカス・メドウズ、エドガー・ボーンズも既に騎士団の一員じゃ。」

 

ダンブルドア先生はそこで一度言葉を切って、集まった皆を見渡した。

 

「未だ決して多いとは言えん人数じゃが、なんとも頼もしい仲間たちじゃ。まずは集まってくれたことに感謝をしよう。ありがとう、皆。」

 

全員が口々に返事を返すが、パチュリーは黙って本を読んでいるし、ムーディはムスッっとしているだけだ。どうやらムーディのコミュニケーション能力は、パチュリーのそれと同レベルらしい。

 

ダンブルドア先生は大きく頷いた後に、隣に座っているレミリアさんのことを紹介する。

 

「そして……この方が有名なレミリア・スカーレット女史じゃ。何を成した方かは説明する必要がないじゃろう。」

 

ダンブルドア先生の紹介を受けて、レミリアさんは座ったままで悠然と自己紹介の言葉を放った。

 

「ごきげんよう、みなさん。私がレミリア・スカーレットよ。……ちなみに、この翼は自前なの。なんたって吸血鬼だもの。」

 

ニヤリと笑ってピコピコ翼を動かすレミリアさんに、皆の反応は……まあ、驚いている。無理もないだろう。『ヨーロッパの英雄』が十歳にしか見えない少女で、おまけに吸血鬼なのだ。

 

さほど驚いていないのは私から色々と聞いているテッサと、未だ表情を変えないムーディだけだ。もちろん私とパチュリーは除外してある。

 

驚愕のせいで起こった沈黙を破ったのは、意外にもこれまで黙っていたムーディだった。

 

「ふん、吸血鬼だろうが何だろうが構うまい? こいつはグリンデルバルドに対抗できた女だろうが? ぇえ? だったらヴォルデモートとやらにも一泡吹かせてくれるだろうさ。」

 

つまらなさそうに言い放ったムーディに、全員がおずおずと頷く。実績は充分すぎるほどにあるのだ。ムーディの声に苦笑しながらも、レミリアさんが口を開いた。

 

「まあ、厳密に言えばあなたたちが知っている『吸血鬼』とは別の生き物よ。ちなみにもう少しで五百になるわ。子供扱いしたら後悔することになるわよ。」

 

微笑と共に放たれた冷たい威圧に全員の顔が引きつる。一瞬の圧力だったが、これで間違いなく逆らう者はいなくなっただろう。

 

「アリス、ノーレッジさん、スカーレットさん。どうやら騎士団内では、見た目で判断しないほうが良さそうだね。」

 

テッサが引きつった笑みでまとめると、苦笑しながら頷いたダンブルドア先生が話を続ける。

 

「なかなか愉快な仲間たちになりそうじゃな。……とにかく、騎士団のメンバーは信用できるとわしが断言しよう。お互いの背中を守り合いながら、ヴォルデモートに対抗するのじゃ。」

 

「魔法省とは連携を取るのですか?」

 

フランク・ロングボトムの質問には、隣に座るレミリアさんが答えた。

 

「どうかしらね? グリンデルバルドの時の対応を見るに、頼れる存在ではなさそうよ? ……まあ、私とダンブルドアで働きかけてはみるわ。」

 

レミリアさんの返事に頷いたロングボトムに代わり、今度はディーダラス・ディグルが口を開く。

 

「実際の活動はどんなものになるのですかな?」

 

「恐らくマグルの保護や、死喰い人を捕らえる活動が主になるはずじゃ。無論、安全には最大限の配慮をすることを約束しよう。」

 

今度はダンブルドア先生が答えて、ディグルは納得した様子で頷いた。どうもダンブルドア先生とレミリアさんが中心となりそうだ。

 

その後もいくつかの細かい質問を捌ききった後、ダンブルドア先生がゆっくりと全員を見渡しながら口を開く。

 

「厳しい戦いになるかもしれん。避難することを望むのであれば、わしはそれに応じるつもりじゃ。よいか? 決して無理はしないように。危なくなったら他の団員に助けを求めるのじゃ。全てが終わった後、再び全員で集まって祝うと約束しておくれ。」

 

ダンブルドア先生の言葉に、全員が杖を掲げて諾の声を上げる。怯えている者は一人もいない。……まあ、パチュリーは本を読んだまま片手間に掲げているし、レミリアさんは腕を組んでうんうん頷いているだけだが。

 

その光景を満足そうに眺めたダンブルドア先生は、大きく頷いてから言葉を放った。

 

「うむ、うむ。それではここを仮本部として……不死鳥の騎士団、これにて結成じゃ。」

 

古アパートに響くダンブルドア先生の言葉を聞きながら、アリス・マーガトロイドはこの場の全員が生き残れることをそっと祈るのだった。

 



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深夜の小さな冒険

 

 

「またハズレか。」

 

薄暗い山荘の中で従姉妹様が苛立ったようにそう言うのを、紅美鈴は死体を突っつきながら聞いていた。

 

「ヴォルちゃんはいませんねぇ。」

 

「これで四度目だぞ。今回は魅了まで使ったんだ、情報が間違ってるとは思えない。……妙だな。」

 

その通り。既にこの、あー……死喰い人? とかいう連中への襲撃は四回目だ。そして今回の有様から分かるように、その四回ともが失敗に終わっている。

 

別に襲撃自体が失敗しているわけではない。そこには確かに死喰い人たちが居て、従姉妹様と私で皆殺しにしているわけだが……肝心のヴォルちゃんが見つからないのだ。

 

「情報漏れじゃないんですよね?」

 

「今回は騎士団を経由していない。知っているのはアリス、パチェ、レミィ、そして私たちだけだ。偶然漏れることも、聞き出されることも有り得ないよ。」

 

まあ、それは有り得ないだろう。とすると、またしてもヴォルちゃんは偶然逃げ延びたわけだ。何とも運がいいらしい。

 

「私たちと敵対した不運と、逃げられる幸運。結構バランス取れてますよね。」

 

「アホなこと言っている場合じゃないぞ、美鈴。これはさすがに不自然すぎる。」

 

私としては、このまま殺しまくっていればいつかは終わると思うのだが……まあ、それは確かにめんどくさそうだ。従姉妹様が解決してくれるのを期待しよう。

 

イラつく従姉妹様が死体の腕を踏み潰しているのを見ていると、背後から呻き声が聞こえてきた。生き残ってるヤツがいるとは、幸運なのか不幸なのか。

 

声のした方を見てみれば、棚の陰で倒れていた女がゆっくりとこちらに顔を向けるところだった。お、目が合った。

 

「ッ! アバダ・ケダブラ(息絶えよ)!」

 

「おっと。」

 

飛んできた緑の閃光を手のひらで受けると……おお、こりゃ凄い。手首の辺りまでが黒く萎びてしまった。魔法ってのも案外バカにできないもんだ。

 

適当に気を巡らせて再生すると、女は驚愕の表情で呆然としている。びっくりしたのはこっちだよ、まったく。

 

「ば、化け物め。」

 

「まー、化け物ではありますねぇ。」

 

杖を持つ手を握り潰してやると、女はしばらく苦しんでいたが……やがて狂ったように笑い出した。なんだこいつ、壊れたか?

 

「なんだ美鈴、壊しちゃったのか?」

 

「いやぁ、腕を潰しただけなんですけど……。」

 

近付いてきた従姉妹様と二人で見下ろしていると、女はピタリと笑いを止めて、呂律の回らない口調で叫び始める。ホラームービーみたいだ。ちょっと面白い。

 

「おまえ、お前たちは後悔することになる! あのお方の恐ろしさを! あのお方の力を! 我々を殺したことをこっ、後悔するぞ! バケモノどもめ! むざんにっ、無惨に死ぬことになる! あの方がきっと! きっとお前たぢぁ……ぅぎっ……。」

 

話の途中だったみたいだが、従姉妹様は無表情で女の喉を踏み付けると、そこに体重を乗せてニヤニヤ笑い始めた。おお、大魔王ごっこ再びだ。

 

「んふふ、他力本願なのはいけないね。ほら、足掻いてみたまえよ。このままだと喉がミンチになっちゃうぞ?」

 

「がぁ……ぎっ……。」

 

「ほらほら、頼りのトカゲちゃんはまだ来てくれないのかい? ふーむ……そうだ、腕の印で呼んでみたらどうかな? こわぁいバケモノが私を虐めるんだって伝えてみなよ。」

 

ああ、何だっけ? 闇の印とかいうやつか。どうやら死喰い人の連中は、主人のためなら喜んで焼印を受け入れているらしい。家畜扱いなのに不満はないのだろうか?

 

従姉妹様が少しだけ足の力を緩める。おかげで喋れるようになった女は、咳き込みながらも勝ち誇ったように話し出した。

 

「げほっ、ざ、残念だったな! この印はあのお方からの一方通行だ!」

 

嬉しそうに言ってるが……それはどうなんだ? 従姉妹様も同感らしく、ニヤニヤをやめて呆れたような顔になる。

 

「つまり使い捨てにされているわけじゃないか。何を勝ち誇っているんだか。」

 

「違う! 我々はあのお方の手足なのだ! お前たちがいくら手足を捥ごうとも、あのお方にはたどり着けない!」

 

「まあ、確かに逃げ回るのが上手いのは認めるよ。……ふむ、趣向を変えてみようか。」

 

何かを思いついたらしい従姉妹様が、女の顔を覗き込んだ。む、瞳が赤く光っている。魅了をかけるらしい。

 

「私の眼を見ろ。」

 

「何を……はい。」

 

「お前はこれから仲間の元に戻って、隙を見てヴォルデモートを殺すんだ。いいな?」

 

「はい。仲間の元に戻り、隙を見てヴォルデモートを殺します。」

 

「よし、腕は治してやる。エピスキー(癒えよ)。」

 

杖魔法で女の腕を治療する従姉妹様に、気になったことを聞いてみる。

 

「トカゲちゃんは捕らえるんじゃないんですか? アリスちゃんが悲しまないように、そうするって言ったのは従姉妹様じゃないですか。」

 

「こんな小物に殺されたりはしないだろうさ。ちょっと反応を見るだけだよ。もし死んだら……うん、その時はその時だ。」

 

「適当ですねぇ……。」

 

腕が動くようになった女は、従姉妹様に命じられて姿くらましで消えていった。それを見て腕を組んで伸びをした従姉妹様が、疲れたように呟く。

 

「それじゃ、帰ろう。」

 

「はーい。」

 

従姉妹様の肩を掴むと、彼女が杖を振って付添い姿あらわしで紅魔館へと移動する。何にせよ敵の数は減ったのだ。それなりの働きをしたと信じたい。……でなきゃやってられないぞ、まったく。

 

二人が消えた後の薄暗い山荘には、死喰い人たちの死体だけが残っていた。

 

 

─────

 

 

「何してんのさ?」

 

満月に照らされるホグワーツ城を背に、フランドール・スカーレットは一人足りないグリフィンドールのいじめっ子たちを問い詰めていた。

 

二年生も半分が過ぎ、夜の散歩も日常となったある日、校庭をこっそり歩いている人影を見つけたのである。

 

気になって近付いてみると、そこには暴れ柳のほうをこっそりと窺う、メガネ、気取り屋、オドオドの三人が居たというわけだ。

 

私の呼びかけに驚いた様子の三人だったが、真っ先に立ち直ったメガネがフランに話しかけてくる。

 

「ス、スカーレット? お前こそ何をしてるんだ?」

 

「フランは散歩してるだけだもん。それより、ヨレヨレは? オマエらが三人のとこは初めて見たよ。」

 

「お前には関係ないだろう? 夜に出歩くのは校則違反だぞ。」

 

「フランは吸血鬼だからしょうがないって、ちゃんと許可を貰ってるもん! オマエらこそ校則違反だよ。先生を呼んできてやる!」

 

フランが城へと向かおうとすると、気取り屋が慌てたように止めてくる。

 

「待ってくれ! 頼む、スカーレット。見逃してくれないか? これはリーマスのためなんだ。」

 

「んぅ……ヨレヨレの?」

 

「そうだ。あいつは何か問題を抱えているらしくてな。本人は病気の母親がどうだとか言ってるけど、絶対に様子がおかしい。だから……それを確かめようと思って後をつけて来たとこなんだ。頼む、先生には言わないでくれ。」

 

うーむ、こいつらのことは嫌いだが、瞳にはヨレヨレへの気遣いが見える。友達のためにやってることなら……むうう、仕方ない。見逃してやることにしよう。

 

「ん……分かった。友達のためだって言うなら、見逃してやるよ。」

 

フランの言葉に、三人は安心したように息を吐く。ヨレヨレのことはちょっとだけ気になるが、フランの心配するようなことじゃないだろう。城に戻ろうとすると……暴れ柳の方から、微かに獣の声が聞こえてきた。

 

「ん? なんか、唸り声がする。」

 

「な、なんだよ、スカーレット。怖がらせる気か?」

 

「違うよ、本当だもん! 吸血鬼は人間より耳が良いんだよ。暴れ柳の方から聞こえてきたんだもん!」

 

メガネの非難するような声に反論すると、気取り屋が慌てて口を開いた。

 

「暴れ柳の方から? マズいぞ、あそこにはリーマスが入っていった!」

 

「入っていく? どこにさ。」

 

「暴れ柳の根元に扉があるんだよ! クソっ、助けに行くぞ! ジェームズ、ピーター!」

 

暴れ柳に走っていく気取り屋に続いて、メガネとオドオドが走り出すが……うん、ダメそうだ。暴れ柳の振り回す枝に阻まれて、全然近付けないらしい。

 

無視して城に戻ろうとも思ったが……まったく、世話のかかるヤツらだ。友達のためだと言うし、フランはお姉さんだから助けてやるか。

 

暴れ柳に近付いていくとフランにも枝が襲いかかってくるが、こんなもんどうにでもなる。適当に捌いて根元に近づくと、なるほど確かに扉があった。

 

「扉はここだよ。早く来なよ、三馬鹿。」

 

「何でそんなに平然と、くそっ、枝が邪魔で近付けないんだ! その辺に何かないのか? リーマスが通った時は大人しかったんだ!」

 

枝を避けながらメガネが叫んでくるが、そんなこと言われてもフランには分からない。能力でへし折ってやってもいいんだが、それはさすがに怒られそうだ。

 

「そんなこと言われてもわかんないもん! なんかヒントはないの?」

 

「リ、リーマスは、石を根元のどこかに当ててた! その辺に何か仕掛けがあるはずだよ。」

 

遠くからオドオドが教えてくる。というか、アイツだけ枝の範囲外でオドオドしている。実にグリフィンドールっぽくないやつだ。

 

とりあえず根元の辺りをぺちぺち叩きまくってみると……おお? 節の一つを叩いた瞬間、急に暴れ柳が大人しくなった。

 

「止まった、のか?」

 

「フランに感謝しなよ?」

 

「それはリーマスを助けた後だ!」

 

大人しくなった暴れ柳を見上げている気取り屋が感謝する前に、メガネが急いで扉の中へと入っていく。立ち直った気取り屋もそれに続き、オドオドも少し遅れて入っていった。つまり、フランは取り残されてしまった。……ありがとうくらい言えないのか。

 

ため息を一つ吐いて、フランも仕方なく扉の中へと進んでいく。ここまでやったなら最後まで付き合おう。

 

しばらく薄暗い通路を走っていくと、杖明かりと共に前の三人の背中が見えてきた。私に気付いたメガネが、振り返って話しかけてくる。

 

「おい、本当に聞こえたのか? この通路……すっごい長いぞ。」

 

「聞こえたもん!」

 

フランが反論した瞬間、応えるように通路の奥から獣の唸り声が響いてきた。これはさすがにこいつらにも聞こえただろう。杖明かりに照らされる三人の顔が途端に引きつったのが見える。

 

「おいおい、何の声だ? リーマス! いるなら返事してくれ!」

 

「行こう! 一本道なんだから、この先にいるはずだ!」

 

ヨレヨレを呼ぶ気取り屋に、メガネが応じて再び走り出す。フランも残りの二人に続いて走り始めた。

 

時折唸り声が響く通路をしばらく走っていると……ドア? のようなものが見えてくる。明らかに人工物だ。どうやら目的地に到着したらしい。

 

メガネにもそれが見えたらしく、声を潜めながら言葉を放ってきた。

 

「ドア? リーマスはあそこか? よし、杖を構えろ。明かりは……消しておこう。ノックス(消えよ)。」

 

メガネの合図で二人が杖を構える。フランも……いや、素手のほうがマシか。悲しいことだが、フランの呪文学の成績はお世辞にも優秀とは言えないのだ。

 

「開くぞ?」

 

杖を構えたままのメガネが恐る恐るドアを開く。目の前に広がるのは……どうやら、ボロボロの廃屋の一室らしい。広さはあるが、人が住めるとは思えない惨状だ。

 

「暗いな。明かりをつけるか?」

 

「いや、何がいるか分からないんだ。このまま行こう。」

 

メガネと気取り屋が小声で相談して、中へと入っていく。オドオドは情けないことにドアの前で立ち尽くしている。それを無視してフランも中に入った。

 

目を細めながら辺りを見回していたメガネだったが、何かを思いついたかのようにフランに話しかけてくる。

 

「全然見えないぞ。……そうだ、スカーレット、お前は見えるか?」

 

「見えるけど、どの部屋もボロボロなだけだよ。少なくともヨレヨレはここにはいないんじゃない?」

 

「わかった、奥へ進もう。何か見つけたら教えてくれ。」

 

「ん。」

 

メガネに返事を返してゆっくりと三人で歩き出す。そういえば、獣の声がピタリと止んだな。

 

そのことを二人に聞こうとした瞬間、頭上からいきなり影が襲いかかってきた。唸り声を上げながらメガネに襲いかかったそれを、グーパンチで殴りつける。うーん、イイ感じの手ごたえだ。影は犬みたいな悲鳴を上げて、部屋の隅へと吹っ飛んでいった。

 

「なっ、なんだ?」

 

「オマエが襲われそうだったから、フランが助けてやったのさ。ドン臭いなあ、まったく。」

 

びっくりした顔のメガネを放って、影の方へと歩き出す。そいつの姿を見てみると……うーん、犬? というか、犬人間? 奇妙な見た目の生き物だった。

 

杖を構えて警戒しながら、気取り屋がフランに声をかけてくる。

 

「スカーレット、その、そいつはノックアウトされてるのか? 暗くて見えないんだ。」

 

「ノビちゃってるよ。明かりをつければ? もう大丈夫でしょ。」

 

「ああ、分かった。ルーモス(光よ)。」

 

私の声に応じて気取り屋が明かりをつける。ゆっくりとこちらに歩いてくると、犬人間を見て驚いたように口を開いた。

 

「これは……ウェアウルフか?」

 

「うぇあ?」

 

「ウェアウルフ、狼人間だよ。何だってこんな所にいるんだ?」

 

狼だったのか。ううむ、まあ、犬と似たようなもんだろう。フランが考え込んでいると、メガネがおずおずと声をかけてきた。

 

「あー、スカーレット、その……さっきはありがとう。」

 

「別に。大したことじゃないよ。」

 

「いや、お前が……君がいなきゃ大変なことになってたよ。だからその、感謝してる。」

 

「……ん、分かった。」

 

うう、なんだかやり難い気分だ。フランとメガネが微妙な沈黙に包まれているのを、気取り屋の慌てた声が救い出した。

 

「そうだ、リーマスは? こいつに襲われたんじゃなのか?」

 

「そうだ! 探さないと!」

 

騒ぐ気取り屋とメガネを背に、狼人間の口元を確かめてみる。一応爪も確かめるが……大丈夫そうだ、血の匂いがしない。

 

「ん、大丈夫そうだよ。血の匂いがしないもん。」

 

「血の匂い?」

 

「フランは吸血鬼だよ? 血の匂いには敏感なんだ。」

 

「そ、そうなのか。まあ……良かった。リーマスは無事ってことだ。」

 

気取り屋がちょっと引いたように言う後ろから、オドオドがようやく合流する。話を聞いてはいたのか、ゆっくりと狼人間を指差すと自分の考えを話し始めた。

 

「あの、もしかして、こいつがリーマスなんじゃ?」

 

オドオドの言葉に全員の視線が狼人間へと集まる。こいつがヨレヨレ? まさか、本当に?

 

誰一人として言葉を発さない中、フランドール・スカーレットは毛むくじゃらの狼人間を、信じられないような気持ちで見つめていた。

 



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動物もどき

 

 

「ネルソンが死んだ?」

 

ロンドンの一角にある不死鳥の騎士団の仮本部で、アリス・マーガトロイドは団員の訃報を耳にしていた。

 

「そんな、確かなのか?」

 

信じられないというように聞くフランク・ロングボトムに、ディーダラス・ディグルが怒りの表情で詳細を語る。

 

「自宅でズタズタに引き裂かれていたらしい。死喰い人のクソったれどもめ! 彼を拷問して殺したに違いない!」

 

「なんて酷いことを……。」

 

椅子に倒れこむように座ったフランクを見ながら、私もこめかみを押さえつける。ついに騎士団の中から死人が出てしまった。

 

一瞬でケリがつくと思われていたこの戦争は、残念なことに未だ勝負がつかないでいる。

 

それどころか状況は悪くなるばかりだ。日々リドルの手下どもが誰かを殺し、それに対抗するために魔法省はバーテミウス・クラウチの元で強引な捜査を進めている。

 

対して騎士団は後手後手に回らざるを得ない。なんたって人が足りないのだ。

 

あの結成以来、騎士団の団員は遅々とした速度で増えている。若きウィーズリー夫妻、ダンブルドア先生の弟であるアバーフォースさん、マーリン・マッキノンに、キャラドック・ディアボーン。

 

他にも何人か勧誘をしているようだが、現状ではこれで全員だ。未だ騎士団を名乗れるような人数じゃないし、死喰い人や魔法省の無能どもに対しては少なすぎる。

 

「それに……ブリックスとも連絡が取れないんだ。幾ら何でも長すぎる。もしかすると、もう……。」

 

ディーダラスの言葉で思考から覚める。今日はひどい知らせばかりのようだ。

 

更に沈み込んでしまったフランクを元気付けようとした瞬間、室内にけたたましく警報が鳴り響いた。どうやら警戒魔法が発動したらしい。

 

「襲撃だ!」

 

ディーダラスの声が部屋に響く。さすがに場慣れしている三人だけあって、アイコンタクトだけで考えを一致させた。ここは逃げるべきだ。この場所には守るべきものはない。居場所がバレたのであれば、拘る必要はないのだ。

 

「私が止めるわ。先に行きなさい。」

 

「危険です、マーガトロイドさん。」

 

「煙突飛行を追跡されるほうが危険よ。貴方たちが飛んだら、暖炉を壊すわ。大丈夫、私は私で移動手段があるから。」

 

止めるフランクに言い放ちながらも人形を取り出す。姿あらわしを妨害できるのは便利だが、こういう時は恨めしい。

 

「……わかりました。でも、ちゃんと逃げてくださいよ? 貴女に何かあったら、妻にひどく怒られる。」

 

「同じ名前の好かしら? 心配しなくても大丈夫よ、引き際は心得ているわ。」

 

頷いて暖炉に飛び込んだフランクを見ながら、残ったディーダラスに話しかける。

 

「ダンブルドア先生に伝えてね。ここは放棄しないと危険だわ。」

 

「ああ、心得た。気をつけろよ、マーガトロイド。」

 

ディーダラスの返事とともに、階下から騒々しい声が聞こえてくる。どうやら招かれざる客が上がってきたらしい。

 

「行きなさい! 奴らが来たわよ!」

 

「健闘を祈る!」

 

緑の炎と共に消えていったディーダラスを確認して、爆破魔法で暖炉を吹っ飛ばす。これで追跡はされないはずだ。

 

暖炉の破片が床に落ちる間も無く、室内にドタドタと死喰い人たちが入ってきた。おっと、見知った顔もあるようだ。別に嬉しくもなんともないが。

 

ボサボサ髪で黒尽くめの魔女が、不気味な笑みを浮かべながらこちらを見ている。悪名高き、ベラトリックス・レストレンジだ。既に何度かやり合ったことがある死喰い人の幹部で、あの時のテッサの怪我もこいつのせいらしい。

 

「おぉやぁ? 逃げ遅れたのかい? 人形使い。」

 

「あら、ごきげんよう、レストレンジ。ひょっとして……整形した? 醜い顔が貴女のご主人様そっくりよ?」

 

「強がりはやめな!」

 

言葉と共に放ってきた呪文を、盾を持たせた人形で防ぐ。他の子たちも周囲に浮かせて臨戦態勢を取らせた。

 

未だ完全な自律人形は完成させられていないが、半自律人形の質は上がり続けている。その中でも自信作であるこの七体の人形は、こちらの指示がなくともある程度自動で戦える、私の自慢の子たちなのだ。

 

「すぐに逃げようかとも思ったのだけど……どうしようかしら? 貴女が相手なら逃げる必要もないかもね。」

 

「ほざけ、人形使い! おまえたち、捕らえるんだよ! あの方のご命令だ!」

 

激昂したレストレンジに命じられた死喰い人たちが呪文を放ってくる。えーっと、五人ってとこか、防御に集中すればギリギリなんとかなるだろう。危なくなったらパチュリーの魔道具で逃げればいい。

 

しかし……捕らえろ、ね。リドルは未だ私の『方法』に興味があるのだろうか? まあ、リーゼ様やパチュリーを狙うよりかは賢い選択なのかもしれない。

 

何にせよ、余計なことを考えるのは後だ。無言呪文をイカれ女に撃ち込みつつ、ニヤリと笑って言い放つ。

 

「そう、それなら……ちょっとだけ付き合ってあげるわ!」

 

七体の人形たちに背中を預けながら、アリス・マーガトロイドは杖を振りかぶるのだった。

 

 

─────

 

 

「あにめぇがす?」

 

ホグワーツの空き部屋の一室で、フランドール・スカーレットは後ろにいつもの仲間を引き連れたジェームズにそう聞き返した。

 

去年の狼人間騒動から一年。共通の秘密を持った四人組とは、それまででは考えられないくらいに仲良くなった。

 

イジメてた子たちにはきちんと謝ったみたいだし、ジェームズやシリウスからはそれまでのような傲慢さが消えている気がする。聞いてみると、『大人になったのさ』なんて言ってた。フランにはよく分からん。

 

結局あの後、朝日が昇るまで待っていると、狼人間はリーマスの姿に戻っていった。彼は秘密を知られれば友人を失うと思っていたらしいが、ジェームズもシリウスもそんなことを気にしている様子はなかった。ピーターはまあ……ちょっとビビってたが。

 

むしろ二人は満月の夜に一緒にいるべきであると主張し、数週間の説得の末、リーマスにそのことを了承させたのだ。フランにもちょっと気持ちは分かる。独りぼっちで閉じ込められるのはつらいはずだ。

 

そしてフランが何故こんなに仲良くなっているかというと、リーマスのつけた条件が関係している。曰く、『僕を押さえられるような人と一緒なら』とのことだった。まあ……つまり、フランのことだ。

 

四人から必死に頼まれたフランは、友達のためだということで仕方なく了承し、月に一度は理性を失ったリーマスをノックアウトする生活が始まったというわけである。

 

しかしジェームズはそんなフランを不憫に思ったのか……もしくはノックアウトされるリーマスを不憫に思ったのかもしれないが。とにかく、フラン以外の手段も用意すべきだと、去年の暮れから調べものをしていたのだ。

 

そんなジェームズが遂に見つけ出した方法こそが、『アニメーガス』なのだそうだ。ふむ……なんだそりゃ。

 

フランの疑問に、興奮した様子のジェームズが説明してくる。

 

「アニメーガス、動物もどきだよ! 自分を動物に変える魔法さ!」

 

意味が全くわからない。そんなフランを見て、捲したてるジェームズの隣にいるシリウスが苦笑しながら補足してくれた。

 

「大型の動物に変身できれば、リーマスが変身しても押さえられるだろう? それに、多分人間がいると興奮しちゃうんだよ。フランドールと二人の時は大人しかったじゃないか。」

 

「大人しいって言うか、怖がってる感じだったけど……。」

 

呟いたピーターを睨みつけつつ、なるほどそれなら何とかなりそうだと納得する。でっかいクマとかになれれば、狼人間なんか怖くないだろう。

 

「ふぅん。いいんじゃない? さっさと覚えちゃいなよ。」

 

フランの提案に、四人ともがなんとも言えない顔をした。なんだ? フランは至極真っ当なことを言ったはずだが。

 

顔を見合わせた四人の中から、代表してジェームズが話し出す。

 

「あー、それがね、滅茶苦茶難しいんだよ。大人の魔法使いでも使えるのは数人しかいないくらいなんだ。」

 

「ダメじゃん!」

 

「いや、諦めるのはまだ早い。ホグワーツの図書館にアニメーガスの詳しい本があるらしくて、それを見てからでも遅くはないと思ったんだが……。」

 

「どうせエツランキンシなんでしょ。あそこの本は全部そうだもん。」

 

「その通りだ、フランドール。」

 

ジェームズの横から、完全同意と言わんばかりにシリウスが割り込んだ。

 

あの図書館は利用者に本を読ませる気なんてないのだ。フランが面白そうだと思った本は、軒並みエツランキンシなのだから。人間の皮で出来た本なんてとっても面白そうなのに。

 

「じゃあ、やっぱりダメじゃんか。」

 

フランがつまらなさそうに言うのを聞いたジェームズが、ニヤリと笑って背後に隠していた何かを突き出してきた。

 

「そこで……これさ!」

 

ジェームズが持っているのは……布? サラサラと重さを感じさせない銀色の布だ。まあ、とっても綺麗ではあるけど、この布が何だというんだ。

 

「布なんか何に使うの?」

 

「まあ見てろよ、フランドール。こうして……どうだ、凄いだろう?」

 

フランの疑問を聞いたジェームズが、布を身体に巻き付けると……おおぉ、巻き付けたとこだけ透明になった。リーゼお姉様の能力みたいだ。

 

首だけになったジェームズが、得意げに計画を説明してくる。ううむ、こういう妖怪を図鑑で見たことがある気がする。

 

「透明マントっていうんだ。これを使って閲覧禁止の棚に忍び込むのさ! 口煩い司書だって、さすがに見破れやしないだろう。」

 

その横からシリウス、リーマス、ピーターの順で口々に補足を入れてきた。

 

「俺、ジェームズ、フランドールが透明マントで侵入するのさ。この三人なら余裕でマントに収まるはずだ。」

 

「一応、僕とピーターが外で騒ぎを起こす予定だよ。マントがあれば充分だとは思うが、念には念をって言うだろう?」

 

「その為に悪戯グッズをたくさん用意したんだよ。爆発花火とか、投げると増えるかんしゃく玉とか、そういう気を引けそうなやつ。」

 

輝く笑みを浮かべている四人だったが……むぅ、これは言わないほうがいいだろうか? しかし、無駄な労力をかけるよりはマシだろう。うーん……言おう。意を決してフランの反応を待つ四人に向かって口を開いた。

 

「あのね、すっごい計画だとは思うんだけど……その本、多分私のお友達が持ってるよ。」

 

パチュリーなら絶対に持っているだろう。残念ながら、フランには彼女が持っていない本など想像できない。

 

フランの言葉にあんぐりと口を開ける四人を見ながら、フランドール・スカーレットは顔に覚えたての苦笑を浮かべるのだった。

 



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杖の誓い

 

 

「こんなことは有り得ないだろう? 何かが起こっていることは間違いないんだ。」

 

紅魔館のリビングに響くリーゼの苛立った声を聞きながら、レミリア・スカーレットは静かに瞑目していた。

 

リドルが一向に捕まらないことに辟易していたリーゼだったが、アリスが怪我をしたことで我慢の限界を迎えたらしい。ソファに座るその姿は、私でも滅多に見たことのないレベルで苛立っているのが分かる。

 

しかし、アリスの怪我でこれほどまでに感情を動かすとは……リーゼも随分と変わったもんだ。以前なら人間など家畜以下にしか思ってなかっただろうに、今では同格として認めている節すらある。

 

ちなみに怪我自体は大したことはない。軽く腕の骨を折った程度なのだから、パチュリーの薬があれば一瞬で治るだろう。

 

片目だけを開いて黒髪の従姉妹を見つめていると、彼女はこちらを睨みながら声をかけてきた。

 

「情報が間違っているんじゃないだろうな? レミリア。」

 

おっと、愛称じゃなくてレミリア呼びか。私の想像以上に苛立っていたらしい。普段なら滅多に見れない姿だ。もう少し見ていたい気もするが……まあ、そろそろ限界か。

 

リーゼの瞳を真っ直ぐに見ながら、ゆっくりと口を開く。説明は難しそうだが、長い付き合いのリーゼなら理解できるはずだ。

 

「恐らくだけど、そういう運命なのよ。リドルを打ち倒すのは私たちではないということね。そしてそれはきっと、凄まじく強固な運命なの。……私でも覆せないほどの、ね。」

 

「……今回ばかりは信じられんな。そんなことが有り得ると本気で信じているのか? 私たち吸血鬼が人間一人を殺せないと? 冗談じゃないぞ、レミリア。」

 

「冗談を言っているつもりはないわ。現に貴女と美鈴の襲撃は尽く失敗し、向こうの襲撃はパチェや私がいない場所にばかり訪れる。苦労して見つけ出した敵の拠点には、木っ端死喰い人しかいない始末よ。……どう? 偶然だと思う?」

 

私が冷静な声で語りかけると、リーゼは一度息を吸って、頭を押さえながら大きくため息を吐いた。思う所はあったのだろう。襲撃の回数は既に二桁に突入しているのだ。それなのにリドルはおろか、幹部クラスの死喰い人でさえ仕留められていない。

 

実際のところ異常すぎる。最初はともかくとして、最近では私もリーゼも手加減をしていない。リドルがどんなに優秀だったとしても、逃げ切れるはずなどないのだ。

 

冷静さを取り戻したリーゼが、自分の考えを整理するように私に話しかけてくる。

 

「……私たちが大きく介入出来ないことが、仮に運命で決まっていたとしよう。だとすれば誰ならリドルを殺せるんだ? ダンブルドアか? ヴェイユか? それとも……アリスか?」

 

「それが分からないのよ、リーゼ。この運命はあまりにも……そう、複雑すぎるの。無数の糸が絡み合い、それを解きほぐして一本一本丁寧に確かめていく。今私はそんな作業をしているところよ。」

 

私の能力をして、この運命を操るのは容易ではない。まるでこれは……そう、私たちの物語ではないと言わんばかりの抵抗を見せてくるのだ。

 

「お手上げだと、そう言いたいのか? レミィ。」

 

「いいえ、時間が欲しいのよ。レミリア・スカーレットの名に懸けて、この運命を読み解いてみせるわ。ただ、それにはもう少し時間が必要なの。」

 

リーゼを真っ直ぐに見つめて言い放つ。どんなに強固な運命だったとしても、私に解けないはずはない。私はレミリア・スカーレットだぞ? 意地でも読み解いてみせる。

 

私の言葉にしばらく考えこんでいたリーゼだったが、やがて疲れたように今後の方針を語り出した。

 

「実にクソッたれな話だな……分かった、方向を変えよう。私と美鈴は木っ端を殺しまくって足止めをする。アリスとパチェは騎士団に常駐させよう。少しでも被害を……ああ、ダメか。仮本部は吹っ飛んだんだったな。」

 

「アリスが吹っ飛ばしたんでしょ。あの子も見た目によらず、派手なことするわよねぇ。」

 

「ふん、襲ってきたバカどものせいだろう? 何人か逃げたらしいが、そいつは私が必ず殺す。」

 

「はいはい、お好きなように。しかし……本部については考える必要があるわね。ダンブルドアも悩んでるみたいよ?」

 

忠誠の術だって万能ではないのだ。堅固な場所……ふむ。思い付いた場所をリーゼに言おうとすると、彼女も同時に口を開いた。

 

「ムーンホールドはどうかしら?」

 

「紅魔館はどうだい?」

 

空気が凍る。紅魔館を使わせるなんて絶対嫌だ。館が人間臭くなったらどうするんだ! 絶対に阻止すべく先んじて口を開く。

 

「ここには妖精メイドがいるのよ? 騎士団の本部にあんなおバカどもがいるなんて、格好がつかないじゃないの。」

 

「いい弾除けになるじゃないか。言っておくがムーンホールドを使わせるつもりはないぞ。あそこは誇り高きバートリの本家なんだ。人間を入れるなんて、先祖に申し訳が立たないだろう?」

 

「あのね、そもそもバートリはスカーレットの分家でしょう? 大体、パチェやアリスは入れているじゃないの。」

 

「父上が婿養子だってだけで、歴史自体はバートリのほうが長いだろうに。それに、パチェもアリスも魔女だ。人間じゃない。」

 

睨み合うが、リーゼは一歩も引く気はないようだ。私だってここを使わせる気はない。しかし、始めた以上はゲームに負けるのは御免だ。騎士団はただでさえ人数が少ないのだから、大事な駒は保護する必要がある。

 

ふむ、そうだ。ポーカーフェイスを決めながら、脳内ではじき出した解決策をリーゼに伝えるために口を開く。

 

「そうね、それならジャンケンで決めましょうか。」

 

「ふざけるなよ、レミィ。キミが能力を使ってインチキするのは知ってるんだぞ。」

 

っち。さすがに付き合いが長いだけある。一瞬でバレてしまったようだ。

 

他に方法がないかと考えていると、リーゼが何かを思い付いたらしく、ニヤリと笑って口を開いた。

 

「それなら……ほら、八雲の言っていた決闘方法はどうだい? あの『弾幕ごっこ』とかってやつ。あれで白黒つけようじゃないか。」

 

なるほど、弾幕ごっこか。フランの境界を弄る際に、八雲紫が説明していった決闘方法。まだ未完成らしいが、あれなら対等に闘えるだろう。少なくとも普通に殴り合うよりかは被害が出ないはずだ。

 

「いいでしょう。ルールはきちんと覚えてる? 物理的に避けられない弾幕はなしで、芸術性を持った弾幕にすること。それと……何だったかしら?」

 

「弾幕に名前と意味を持たせて、宣言とともにそれを放つこと、後は……スペルカードとやらは未完成らしいし、私たちでやるなら殺傷能力も気にする必要はないだろう。ってことは……ふむ、結構ルールが曖昧だな。」

 

「まあ、交互に撃ち合って先に当たったほうが負け、ってことでいいんじゃない? お試しでやるなら充分でしょ。」

 

別に八雲紫の正式なルールに従うことはないだろう。そっちは幻想郷とやらに行くことになったら考えればいいのだ。

 

「ま、そうだね。それじゃあ……早速やってみようじゃないか。」

 

不敵な笑みを浮かべたリーゼが、窓から夜空へと飛んでいく。私もそれに続いて夜空へと浮かび上がり、十分に距離を置いてリーゼと正対した。

 

「先攻は?」

 

「キミに譲ってあげよう。最近鈍っているだろう? ありがたく受け取っておくといい。」

 

「後悔するわよ、リーゼ。」

 

余裕たっぷりのリーゼに、こちらも笑みを浮かべて言葉を返す。彼女とこういうことをするのは久々だ。心が沸き立つのを自覚しつつ、実は八雲紫に話を聞いていた時から考えていた弾幕の名を、夜空に向かって高らかに宣言した。

 

「スカーレットマイスタ!」

 

言葉と同時に放った紅色の弾幕をリーゼが避けていくのを見ながら、レミリア・スカーレットは久方ぶりの闘志に身を委ねるのだった。

 

 

─────

 

 

「あのね、ジェームズ。それ、すっごいキモいよ。」

 

三年生の春を迎えたフランドール・スカーレットは、目の前の鹿人間に呆れたように語りかけていた。

 

パチュリーからアニメーガスについての本を送ってもらうまでは順調だった。しかし、現実は本の通りには進まないらしい。それを表すかのように、現在のジェームズの様子は酷い有様になっている。

 

頭部と左手は鹿なのだが、残りの部分は人間のままだ。控えめに言ってもめちゃくちゃキモい。フランの言葉に、鹿の頭部が哀れな鳴き声を上げた。実に悲しそうな鳴き声だ。

 

「ジェームズ、そっちは……ダメそうだな。」

 

言いながら近付いてきたシリウスも酷い有様だ。両腕が犬みたいになってるし、口元が変な形に伸びている。狼人間のほうがまだ愛嬌があるかもしれない。

 

ちなみにピーターは、まだネズミのようなヒゲと尻尾を生やすところまでしかいっていない。大型の動物に適性がなかったらしい彼が、皮肉にも一番まともな見た目をしている。

 

悲しそうな鳴き声を上げるジェームズに、パチュリーが本と一緒に送ってくれた薬を飲ませてやる。すると徐々に人間らしさを取り戻した彼は、困ったように礼を言ってきた。

 

「ああ、ありがとう、フランドール。しかし……この薬があって本当に良かったよ。鹿の化け物としての生涯なんて御免だしね。」

 

「フランドール、俺にも飲ませてくれないか? 我が可愛らしい肉球は、どうも物を掴むには向いていないらしいんだ。」

 

ジェームズに続いて情けなく頼んでくるシリウスにも薬を飲ませてやる。しかし、フランは挑戦しなくて本当によかった。変身術が得意な二人でさえこうなのだ、フランがやったら未知のバケモノになることは間違いないだろう。

 

人としての腕を取り戻したシリウスが、それに頬擦りしながら口を開いた。

 

「ああ、人間の腕ってのはいいもんだな。こうなるとありがたさが分かるよ。」

 

「全くだ。蹄じゃなんにも出来やしない。指ってのがどんなに偉大かが理解できたよ。」

 

アホなことを言っているジェームズとシリウスに、現実を思い出させてやることにする。

 

「もう、バカなこと言ってる場合じゃないでしょ! 全然変身できないじゃん! リーマスもなんとか言ってやりなよ!」

 

「いやぁ、僕は……頑張ってくれるだけでありがたいかな。」

 

「ふん、そんなこと言ってると、次の満月にはヨーシャしないからね。またキャンキャン言わせてやるんだから!」

 

「勘弁してくれよ、フランドール。」

 

冷や汗を流し始めたリーマスを無視して、次は苦笑いで見ていたピーターに向かって言い放つ。

 

「オマエもだよ、ピーター! 次にヒゲと尻尾以外の変化がなけりゃ、そのヒゲ引っこ抜いてやるから!」

 

「や、やめてくれよ、フランドール。あれ、すっごい痛いんだよ。」

 

ぷんすか怒るフランに危機を感じたのか、ピーターがリーマスの陰に隠れる。まったく、全然進歩がないんだから!

 

それを見て苦笑したジェームズが、取り成すように話題を変えてきた。

 

「まあ、この術は本当に難しいんだよ。……それよりさ、昨日いい事を思いついたんだ。僕らの呼び名を決めないか? 仲間内だけで通じる暗号みたいに。どうだ? カッコいいと思わないか?」

 

ジェームズの言葉に四人が考え込む。暗号か。確かにちょっとカッコいいかもしれない。シリウスも同感だったらしく、笑顔で賛成の言葉を口にした。

 

「いいな、それ! そうだな……変身後の姿を捩るのはどうだ?」

 

「まあ、別に構わないけどね。狼人間だってバレないようなのにしないとな。」

 

リーマスは消極的な同意、ピーターは……困ったように頷いている。まあ、ネズミじゃあカッコいい名前にはならなさそうだ。

 

みんなで名前を考えていると、真っ先に思いついたらしいシリウスが口を開く。

 

「俺は『パッドフット』にしよう。我が愛くるしい肉球を表してるのさ。」

 

それを聞いたジェームズが、ニヤリと笑って応える。

 

「いいな。僕はそうだな……『プロングス』だ。鹿といえばやっぱり角だろう?」

 

続いてリーマスも自虐的な表情で話し出す。

 

「僕はそうだな、『ムーニー』にしよう。満月でおかしくなる僕にはピッタリだ。」

 

最後にピーターがオドオド笑いながら口を開いた。

 

「ぼ、僕は『ワームテール』にするよ。ミミズみたいな尻尾だからね。」

 

決め終わった四人がフランの方を見てくるが……フランは変身なんてしないぞ。困った顔で四人を見ると、ジェームズが笑いながら話しかけてくる。

 

「まあ、秘密って感じではなくなるけど……フランドールは元から吸血鬼だろう? その特徴を捩ればいいのさ。」

 

「むぅ……んー、良さそうなのが思いつかないなぁ。それに私、コゼットにもネーミングセンスがないって言われるんだ。みんなで考えてくれない?」

 

彼女の猫に名前を付けようとした時は、ハッフルパフのみんなから猛反対を受けたのだ。実におかしな話である。……毛玉ちゃん。いい名前だと思ったのに。

 

フランの言葉を受けて、四人がウンウン唸りながら考え始めた。しばらく沈黙していたが、やがてリーマスが口を開いた。

 

「そうだな……その翼か、赤い瞳、キバとかを捩るのがいいかもね。」

 

それにピーターが自分の考えを述べる。

 

「瞳は名前と被っちゃうよ。『スカーレット』なんだから。」

 

するとシリウスが選択肢を絞りこんだ。

 

「翼もダメだ。綺麗な翼だが、些か特徴的すぎるだろ? 何て言うか……もっと捻るべきだ。」

 

それを聞いたジェームズが、我妙案を思いついたりと言わんばかりに笑顔で言い放つ。

 

「それなら、『ピックトゥース』はどうだ? コミカルでいいじゃないか。」

 

むう、歯間ブラシみたいな名前だ。しかし……まあ、悪くはない。怖さもあんまりないし、ちょっとかわいいくらいだ。折角考えてくれたんだからそれでいこう。

 

「うん、じゃあ……それにするよ! ありがとね、みんな!」

 

フランが笑顔でそう言うと、みんなも笑顔になってくれた。仲間だけの名前か。なんだか嬉しい気持ちになる。

 

するとジェームズが急に立ち上がって杖を目の高さに掲げた。何をするのかと見ていると、彼は笑顔を浮かべながら口を開く。

 

「我プロングスは誓う。我ら五人、決してお互いを裏切らない!」

 

おお、杖の誓いだ! 本で読んだことがある。昔の偉い魔法使いたちが友情を確かめるためにやった儀式。フランもちょっと憧れてたやつだ。

 

それを見たシリウスも、ジェームズのやろうとしていることに気付いたのか、ニヤリと笑って彼の杖と自分の杖を合わせた。

 

「我パッドフットも誓う。我ら五人、決して『良い子』にはならぬ!」

 

苦笑しながらリーマスも立ち上がって杖を合わせた。

 

「我ムーニーも誓おう。我ら五人、苦難には全員で立ち向かうと。」

 

ピーターが慌てて杖を取り出して、それを三人と合わせて口を開く。

 

「我ワームテールも誓う。我ら五人、死してもお互いを守り抜く!」

 

フランも頑張って腕を伸ばして杖を合わせる。

 

「我ピックトゥースも誓う。我ら五人……えっと、ずっと友達だよ!」

 

重なり合った五本の杖を見上げながら、フランドール・スカーレットは満面の笑みを浮かべるのだった。

 



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古き友

誤字報告ありがとうございます!


 

「まあ……うん、失敗だわ。」

 

紅魔館の門前に虚しく響く、パチュリーの決まりが悪そうな声を聞きながら、アンネリーゼ・バートリは傍らのアリスと共に苦笑していた。

 

結局レミリアとの弾幕ごっこに敗れた私は、ムーンホールドを騎士団に貸し出すことを決めた。……言い訳させてもらえば、レミリアの弾幕は目に悪すぎるのだ。赤一色でチカチカする。

 

とはいえ、負けは負けである。諦めて貸与しようとしたとこで、新たな問題が浮上してきた。パチュリーの図書館だ。

 

ダンブルドアら騎士団のメンバーがどれだけ優秀かは知らないが、パチュリーの図書館にある本はそれでも危険すぎる。あの場所に容易く他人を入れるわけにはいかない。

 

もちろん使用人や私は紅魔館へと一時避難するわけだが、さすがに図書館を移動させるのはそう簡単ではなかった。

 

迷惑そうな顔をするパチュリーとの協議の結果、魔法を使って紅魔館のすぐ隣に転移させることが決まり、今日まさに大規模な転移魔術を実行したというわけなのだが……。

 

「わっ、私の……私の紅魔館が! おいこら紫もやし! 紅魔館が半壊してるじゃないの!」

 

「あー、まあ、正確には四半壊ってとこでしょう? うーん……座標が間違ってたのかしらね?」

 

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょうが! っていうかこれ、直るの? 直るのよね?」

 

「さぁね。でも、図書館が無事でよかったわ。」

 

「よし上等だ陰湿魔女! 今日こそ性根を叩き直してやるわ!」

 

キャットファイトを始めたレミリアとパチュリーの言い争いからも分かるように、隣に転移させるはずが……なんというか、くっついちゃったのだ。

 

正面から紅魔館を見ると、左にパチュリーの図書館が激突してきたような見た目になっている。まあ、ど真ん中じゃなかったのはせめてもの幸運だろう。今ならなんとか紅魔館がメインと言える見た目だ。

 

隣に立つアリスが、魔女と吸血鬼とは思えない低レベルなキャットファイトと、それを必死になって止めようとしている小悪魔を眺めながら呆れたように口を開いた。

 

「これ、大丈夫なんでしょうか? その……色々と。」

 

「いい気味だよ。ムーンホールドだけが犠牲になるなんて、不公平というものだろう? これで釣り合いが取れたわけだ。」

 

「なんとも嫌なバランスの取り方ですね……。」

 

顔を引きつらせながら言うアリスは、もう怪我をしたことなど微塵も感じさせないほどに回復している。安心した。怪我をしたと聞いてた時には、背筋がゾッとしたもんだ。

 

怪我のことを考えながら見つめている私の視線に、困ったように縮こまったアリスだったが、ふと何かを見つけて呟いた。

 

「あっ、美鈴さん……。」

 

アリスの視線を辿ってみれば……美鈴が呆然と膝をついている。哀れな。片付けをするのが自分だと気付いたのだろう。以前のリビング破壊事件がピークだと思ったが、上には上があるらしい。

 

「目を合わせちゃダメだぞ、アリス。縋り付いて手伝いを頼んでくるに決まってる。」

 

「いやぁ……私は手伝ってもいいんですけど……。」

 

「手伝ったが最後、今度は美鈴がサボり始めるんだ。いい性格してるよ、まったく。」

 

「それはなんとも、美鈴さんらしいです。」

 

アリスの瞳からは同情の色が消えている。それが正しいのだ。美鈴はそういう生き物なのだから。

 

沈んでいく夕日を眺めながら、アンネリーゼ・バートリは紅魔館に刻まれた新たな歴史を、アホらしい気持ちで眺めるのだった。

 

 

─────

 

 

「キレちゃいそうだよ、フラン。」

 

目の前に積み上がった膨大な量の宿題を見ながら、フランドール・スカーレットは諦め半分に呟いていた。

 

ハッフルパフの談話室で宿題を片付けようと決意したまでは良かったが、いざ目にしてみるとその決意はポッキリと折れそうになってくる。

 

呪文学と天文学は問題ない。フリットウィック先生はいつも丁寧に教えてくれるし、シニストラ先生はフランが間違えても、あらあら仕方がないわねと優しく笑うだけだ。

 

魔法史と魔法生物飼育学もなんとかなる。魔法史は暗記するだけだから楽勝だし、飼育学のケトルバーン先生はフランに甘い。というか……吸血鬼に興味があるらしく、質問に答えてやれば簡単に成績が上がるのだ。

 

マグル学はマグルの新聞に書いてあることを適当に写せばどうにでもなるし、飛行術にはそもそも宿題がない。つまり、問題なのは残りの教科である。

 

防衛術のヴェイユ先生は優しいが、宿題を忘れるととっても怖いのだ。それは変身術のマクゴナガル先生も一緒だし、魔法薬学は単純に訳がわからない。

 

途方に暮れているフランを見兼ねたのか、隣で宿題をやっていたコゼットが話しかけてくる。

 

「フラン、私も手伝うよ。えーっと……先ずは、魔法薬学から片付けちゃおうか。」

 

「うん……。いつもごめんね?」

 

「謝ることなんかないよ! ハッフルパフじゃ、みんなで助け合うのは常識でしょ?」

 

コゼットの言う通りだ。この談話室では、困っていれば必ず誰かが声をかけてくれる。フランはそんなハッフルパフの談話室が大好きだった。

 

ジェームズたちと全ての寮に忍びこんでみたけど、どう考えてもハッフルパフが一番だった。グリフィンドールはゴチャゴチャしすぎだし、スリザリンは椅子が固そう。レイブンクローは……みんなが黙々と書き物をしていて、フランにはちょっと怖かったのだ。パチュリーがいっぱいいるみたいだった。

 

シリウスは『グリフィンドールが一番だったな』なんて言っていたが、絶対ぜーったいハッフルパフのほうがあったかくて、居心地がいいのだ!

 

フランが自慢の談話室のことを考えながら宿題を片付けていると、後ろから三人組の下級生が声をかけてきた。

 

「あの、スカーレット先輩! これ、みんなで作ったんです。よかったら食べてください!」

 

差し出された手の上には、小さな袋に入ったクッキーがある。おお、コウモリの形でとってもかわいい。

 

「うん! ありがとう!」

 

お礼を言ってはむはむ食べていると、下級生たちはきゃーきゃー言いながら喜んでくれた。ううむ、フランの人徳の為せる技だろうか? 自分のカリスマが恐ろしい。

 

「フランの食べる姿はかわいいからねぇ。」

 

隣のコゼットがよく分からないことを言うが、そんな理由ではないはずだ。フランはかわいいのではなくカッコいいのだから。

 

「うむ、んぐ。……とっても美味しかったよ!」

 

食べ終わったフランの言葉に、下級生たちはお礼を言って去っていく。周りの同級生や上級生たちの視線が妙に生暖かいが……まあいい、それより宿題だ。

 

談話室の柔らかなソファに座りながら、フランドール・スカーレットは憎っくき魔法薬学の宿題に挑みかかるのだった。

 

 

─────

 

 

「見事な月時計じゃのう。」

 

月光に照らされたムーンホールドの中庭で、ダンブルドアが興味深そうにそう呟くのを、パチュリー・ノーレッジは静かに聞いていた。

 

中庭の中央に設置されている、月の光を利用する時計。私はこういった物に詳しくはないが、それでも確かに見事な出来栄えだと思える。機能も、装飾も。

 

ゆったりと振り返ったダンブルドアが柔らかく口を開く。しかし、本当に歳をとったな。自分と同い年だと思うと、なんだか悲しくなってくる。

 

「この屋敷の主人にもお礼を言いたかったのじゃが……。」

 

「残念ながら、人前に出るのが嫌いな方なの。貴方が感謝していることは私が伝えておくわ。」

 

現在のムーンホールドは騎士団の拠点として機能し始めている。部屋数も充分にあるし、人里からも遠く、なにより堅牢なのだ。『ホールド』の名前は伊達ではない。

 

ダンブルドアにはリーゼの存在をやんわりとだけ伝えてある。レミィが表に出始めて、私とアリスが騎士団に、そして奥の手として別の吸血鬼が動いている。そんな感じの説明だったが、ダンブルドアも理解してくれたらしい。伏せ札の重要性は理解しているようだ。

 

「まっこと、見事なお屋敷じゃ。この場所を提供してくださった方にも、仲介してくれたスカーレット女史にも、感謝しきれんよ。」

 

「それなら行動で示すべきね。リドルの軍勢は勢いづいているらしいじゃない?」

 

「リドル、か。もはやその名で呼ぶ者は多くはないのう。誰もが今や『ヴォルデモート卿』と呼んでおる。」

 

憂鬱そうに言うダンブルドアに、鼻を鳴らして言い放ってやる。

 

「私はそんなバカみたいな名前を口にするつもりはないわ。アリスも、レミィもね。」

 

「ほっほっほ、豪気なものじゃ。……だが、誰もが君たちのように強くはない。今やヴォルデモートという名前は恐怖の対象になっておる。嘆かわしいことじゃ。」

 

「『名前を呼んではいけないあの人』ってやつ? バカバカしいわね。恐怖から逃れようと、目を逸らしているだけじゃない。」

 

「さよう。しかし、無理もないことなのじゃ、ノーレッジ。それだけのことをトムは仕出かしたのだから……。」

 

ダンブルドアの顔に浮かんでいるのは……後悔か? まったく、いつまで経っても成長しないヤツだ。全てを自分のせいにする悪癖は、この歳でも治ってはいないらしい。

 

「あのねえ、ダンブルドア。リドルがこうなったのは、貴方の責任ではないでしょうに。ウジウジ悩むのはやめなさいよ、みっともないわね。」

 

私の言葉に虚を突かれたような顔をしたダンブルドアだったが、やがて苦笑しながら口を開いた。

 

「君に元気付けられるとは……そんなに酷い顔をしていたかね?」

 

「ひっどい顔だったわ。シャンとしなさいよね、ダンブルドア。私やレミィがついてるんだから。リーダーの貴方がそんなんじゃあ、こっちが困るのよ。」

 

「なんともまあ、その通りじゃな。……どうも、君の前では気が緩んでしまうのかもしれん。」

 

遠い目をしながら、ダンブルドアが続きを口にする。

 

「今では誰もがわしを頼るのじゃ。もうわしは誰のことも頼ることができん。少々歳を取りすぎたのかもしれんのう。」

 

そう語るダンブルドアは、年相応の老人にしか見えない。……もう! なんだか私まで悲しくなってくるじゃないか! 似合わない役だと自覚しながらも、元気付けるために口を開く。

 

「それだけの実績を積み上げてきたんでしょうが。まぁ、その……私は貴方の同級生なんだから、少しは頼ってきなさい。貴方の悩みなんか、私にかかればチョチョイのチョイよ。」

 

私の言葉を受けたダンブルドアは、柔らかく微笑みながらも目に光を取り戻す。世話のかかるヤツめ。

 

「うむ、そうじゃな。昔から君は優秀な魔女じゃった。わしなんぞの悩みなど、どうと言うことはないかもしれんの。」

 

「そうよ。ほら、徘徊老人ごっこは終わりになさい。リドルの計画をぶっ壊すためにも、先ずは会議よ。」

 

「ほっほっほ。どぎつい皮肉も昔のままじゃな。では行こうか、ノーレッジ。」

 

月明かりの庭をダンブルドアと共に歩き出す。むう、顔がちょっと赤くなっている気がする。だから嫌だったんだ。もう二度と慰めたりなんかしないぞ。

 

虫たちの鳴き声を背景にしながらの老人と少女の奇妙な掛け合いは、リビングに到着するまで続くのだった。

 



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狂いだす魔法界

 

 

「こらっ、プロングス! またスネイプをイジメてるのっ!」

 

ホグワーツにある湖のほとりで、フランドール・スカーレットは友人を怒鳴りつけていた。

 

どうやらまたしてもスリザリンの同級生にちょっかいをかけているらしい。隣で呆れた顔をするコゼットを置いて、現場へと全力で走り出す。

 

「こらぁ! ぶっ飛ばすよ、プロングス!」

 

「ピックトゥース? おい、待ってくれ、お前のパンチは痛すぎっ、ぐぅぅ……。」

 

慌ててこちらに向き直ったジェームズの脇腹をぶん殴って、石化呪文をかけられているスネイプを助けるために杖を取り出す。

 

フィニート・インカンターテム(呪文よ終われ)!」

 

フランが解呪してやると、ようやく動けるようになったスネイプがよろりと立ち上がった。そのまま頭を振りながら、フランにお礼を言ってくる。

 

「ありがとう、スカーレット。その、助かったよ。」

 

「別に大したことないじゃないよ。それより……プロングス!」

 

ぷんすか怒るフランを引きつった顔で見たジェームズが、焦った顔で弁解を話し出す。言い訳タイムの始まりだ。

 

「落ち着けよ、ピックトゥース! こいつと僕が犬猿の仲なのは知ってるだろう? それに、今日はきちんと一対一だったぞ!」

 

「『今日は』でしょうが! いつもはパッドフットも一緒でしょ? ヒキョーなやり方はフランが許さないよ!」

 

もう四年生になったというのに、今年に入ってからジェームズたちの『悪癖』が復活したのだ。スネイプ限定だったが、シリウスと二人でイジメているのをよく見るようになった。

 

コゼットにそのことを相談したところ、『悪いことを止めてやるのも友人だ』という助言を貰ったのだ。それでフランは一向に止めようとしないリーマスとピーターに代わって、馬鹿をするジェームズとシリウスを止めているというわけである。

 

フランの怒声を受けて怯んだ様子のジェームズだったが、今日はいつもと違って反論を口にし出した。

 

「それに今日はスニベルスのほうからふっかけてきたんだぞ! こいつ、僕の背中に呪文をぶつけてきやがったんだ!」

 

なんだと? 驚いてスネイプの方を見ると、彼はバツが悪そうな顔に変わる。

 

「僕だってやられっぱなしじゃいられないんだ。ささやかな反撃をする権利くらい、こっちにだってあるはずだろう?」

 

まあ、それはそうかもしれないが……もう! なんだってこの二人はこんなに仲が悪いんだ! イライラと足を踏み鳴らしながら、二人に向かって言い放つ。

 

「もういい加減にしたらどうなの? そもそも何が切っ掛けで、こんなこと始めるようになったのさ。」

 

フランがそう言うと、二人は途端に黙り始めた。まーたこれだ。この話題になると、どちらも絶対に口を開こうとはしないのだ。

 

ため息を吐いて首を振っていると、追いついてきたコゼットが苦笑しながら沈黙を破った。

 

「エバンズが原因でしょ? もうみんな気付いてるよ……まあ、フラン以外は。」

 

「エバンズ?」

 

リリー・エバンズのことか? グリフィンドールの同級生で、フランが図書館で魔法薬学の宿題に悩んでいると、たまに手伝ってくれる優しい子だ。あの子が関係している? どういうことだかさっぱり分からん。

 

訳がわからないフランだったが、ジェームズもスネイプも図星を突かれたような顔をしている。つまり、コゼットの言葉は正解らしい。うーむ、悩んでいても仕方がない。彼女に聞いてみるために口を開く。

 

「ねえコゼット、それってどういうことなの? フラン、全然わかんないよ。」

 

「うーん、フランにはちょっと早いのかもね。なんて言うか……大好きなものは他人に取られたくないんだよ。」

 

んー? ますます分からん。フランなら大好きなものはみんなで分けたいのに。その方が楽しいに決まっているのだ。

 

「二人で半分こすればいいじゃん。」

 

「あはは、それはちょっと……無理かなぁ。」

 

苦笑するコゼットに首を傾げていると、ジェームズが我慢できないとばかりに口を開いた。頬に赤みがさしている。

 

「やめてくれよ、当人がここにいるんだぞ。……分かった、分かったよ! 僕はもう行くから、その話は僕のいないとこでやってくれ!」

 

言い放つと、今や顔を真っ赤にしたジェームズは城へと走っていった。それを見たスネイプも、慌てて立ち上がると口早に言葉を投げかけてくる。

 

「ぼっ、僕もこれで失礼するよ。その……そういうことじゃないから。勘違いしないでくれ、ヴェイユ。」

 

コゼットの返事も聞かず、スネイプも城へと早足で歩いていく。彼の顔も真っ赤だった。どういうことだろう?

 

二人が去って行くのを見ていたコゼットが、頰を掻きながらポツリと呟いた。

 

「あー……ちょっと悪いことしちゃったかな?」

 

「二人とも怒ってたのかな?」

 

「ううん、違うと思う。……そうだなぁ、ちょっとこっちで座って話そうよ、フラン。」

 

コゼットが湖のほとりに座り込むのを見て、フランも隣に座る。しばらく二人でキラキラした水面を眺めていたが、やおら彼女が語り出した。

 

「例えばさ、私にフランより仲のいい友達が出来ちゃって、そっちにばっかり構ってたら……フランはどう思う?」

 

コゼットの言ったことを想像してみる……うーん、それはちょっと、かなり嫌かもしれない。考えただけでちょっと泣きそうになる。

 

「そんなの……ヤダよ。」

 

「えへへ、ありがとう、フラン。もちろん例え話だからね? つまり……ポッターとスネイプはそれが嫌だから仲が悪いんだよ。」

 

「友達を取り合ってるの?」

 

「ううん、友達じゃなくて、ちょっと別のものかな。んー、フランは男の人を好きになったことはない? ……ちなみに、友達としてじゃないよ?」

 

友達としてじゃなく? うーん、どういう意味だろう? 腕を組んでうんうん悩んでいると、コゼットはフランの頭を撫でながら優しく言葉をかけてきた。

 

「フランにはやっぱり早いみたいだね。」

 

「むう、フランはもう大人だよ?」

 

「そうだけど、うーん……きっとフランはまだ出会ってないんだよ。でも、ポッターとスネイプは出会っちゃったんだ。だから二人とも譲れないんじゃないかな。」

 

謎かけみたいだ。ジェームズとスネイプにとってはエバンズが友達と同じくらい大事なもので、それを取り合って喧嘩している?

 

「三人で仲良くするのは無理なの?」

 

「うん。エバンズが選ぶのは一人だけなんだ。それがどっちかは分からないけど、両方ってのは良くないことなの。」

 

「うぅ……難しいねぇ。」

 

「そうだねぇ。」

 

コゼットが優しい笑顔でコクリと頷く。……彼女にもそんな相手がいるのだろうか? よくわからないが、そうだったらちょっと嫌かもしれない。

 

「ねぇ、コゼットにもそんな人がいるの?」

 

フランが聞いてみると、コゼットは顔を真っ赤ににして首を振る。むむ、ジェームズやスネイプと同じ反応だ。怪しい。

 

「いっ、いないよ! 私はそういうのは苦手だからっ!」

 

「んー? なんかおかしいよ? コゼット、慌ててるでしょ!」

 

「違うよ! ただ……その、やっぱりなんでもない!」

 

立ち上がって逃げていくコゼットを、小走りで追いかける。今の彼女はなんだかかわいい。追いかけたくなる雰囲気だ。

 

友人とのささやかな追いかけっこを楽しみつつ、フランドール・スカーレットは後でエバンズにも聞いてみようと決心するのだった。

 

 

─────

 

 

「あの人、トカゲちゃんよりもヤバくないですか?」

 

魔法省の役人たちの死喰い人に対する尋問を隠れて眺めながら、紅美鈴は隣の従姉妹様に囁いた。

 

あのクラウチと呼ばれている男は、どうやらかなりのタカ派らしい。死喰い人の情報を得た従姉妹様に連れられてこの廃屋にたどり着いた時には、既に彼と役人たちがこの場所を制圧していた。

 

出遅れた私たちは、姿を隠してその尋問を眺めているわけだが……確かあれって法律で禁じられている魔法じゃなかったか? バンバン使っているように見えるんだが……。

 

「何故黙っている? 口を開けば楽になれるんだぞ? そぉら、クルーシオ(苦しめ)!」

 

ほら。横の従姉妹様を見てみれば、彼女も呆れたような顔をしている。私の顔に口を近づけて、あのヤバい人のことを説明してくれた。

 

「バーテミウス・クラウチ。魔法法執行部の部長だよ。最近随分と影響力を上げてきているらしい。過激さには過激さを、ってことみたいだね。」

 

「あれって大丈夫なんですか? 使うの禁止されてたんじゃないですっけ。」

 

「法改正をごり押したのさ。『暴力には暴力を』ってのが彼のモットーらしいよ。私は分かりやすくて好きだが、ダンブルドアは眉をひそめているみたいだね。」

 

確かにあのお爺ちゃんはいい顔をしなさそうだ。とはいえ、現実問題としてこういう手段が必要なことは理解できなくもない。魔法省としても苦肉の決断なのだろう。

 

「魔法法執行部ですか……あれ? ムーディもおんなじ部署じゃ?」

 

「犬猿の仲らしいけどね。ムーディをリーダーにした闇祓いの一団と、クラウチを首魁にした役人どもが争っているらしい。部内の小さな闘争ってわけだ。」

 

まあ、捕まえた死喰い人の数ではムーディが圧勝だろう。私から見ても頭がおかしいあの男は、ぶっちぎりのスコアで収監数を稼いでいるのだ。

 

私たちがお喋りに興じている間にも、クラウチらの苛烈な尋問は続く。

 

「いい加減に吐いたらどうだ!『なんちゃら卿』はどこに隠れている? アズカバンが怖くて家から出られないのか? それともお前はそれすら知らない下っ端なのか? ……なんとか言ったらどうだ! クルーシオ! 話せば慈悲をかけてやるぞ?」

 

くるーしおとかいう呪文で息も絶え絶えの死喰い人だったが、いきなり目を見開いてクラウチのことを糾弾し始めた。

 

「法を盾にして我々を残虐に殺しまくっている貴様が慈悲を語るのか? お笑い種だな! イカれた殺人鬼が!」

 

「何を……なんの話だ?」

 

意味が分からないといった様子のクラウチだったが、まあ……うん、多分私と従姉妹様がやってる『お掃除』のことだろう。クラウチのせいになっているのか。

 

従姉妹様と顔を見合わせて、お互いに苦笑する。イカれた殺人鬼ってのはなかなか正鵠を射ているかもしれない。なんたってほぼ皆殺しにしているのだ。殺人鬼というか吸血鬼と妖怪だが。

 

「知らないとは言わせないぞ! いずれ後悔することになる! あの方を前にしてもそんな余裕を保っていられるか、地獄の淵で見ていてやるよ!」

 

狂ったような笑みで言い放った死喰い人は、目を見開いたまま動かなくなった。あちゃー、死んじゃった。毒か何かを仕込んでいたのだろう。ちゃんと確認しないからああいうことになるのだ。どうやら拷問に慣れてはいないらしい。

 

慌てて死喰い人のことを確かめるクラウチたちだったが、どうやら死んでいることに気づいたようだ。舌打ちをして撤収の準備に取り掛かった。

 

それを眺めながら、隣の従姉妹様に話しかける。

 

「あんまり情報得られませんでしたねー。」

 

「まあ、別に期待もしてなかったけどね。しかし……クラウチのせいになってるのは都合が良いかもしれないぞ。次は『魔法省万歳』とでも死体に刻んでみるか?」

 

「従姉妹様って、知り合い以外の人間には残酷ですよねぇ……。」

 

「ふん、下等種族に一々情けをかけてやる必要はないだろう? まあ……多少の例外はあるが。」

 

残念ながら、死喰い人や魔法省は例外とやらには入っていないらしい。アリスちゃんやグリンデルバルドに対する態度の違いを見ていると、実に興味深いものがある。

 

私たちが話している間に、どうやらクラウチたちは準備を終えたようだ。死体を袋に乱暴に詰め込んだ後、行儀よく順番に消えていった。

 

気配は……完全に消えたな。隠れていたせいで固まった筋肉をほぐしながら、従姉妹様に向かって口を開いた。

 

「うーん、あの人たちも派手にやってるみたいですし、死喰い人が劣勢じゃないのっておかしくないですか?」

 

「人狼、巨人、亡者。手駒は腐るほどあるんだろうさ。私たちが殺したヤツを思い返してごらんよ、普通の死喰い人はあんまりいなかっただろう?」

 

思い返してみるが……正直気にしていなかった。どいつもこいつも一瞬で死ぬのだから、私にとっては違いが分からん。

 

「えーっと……ああ、でっかいのがいたような、いなかったような……。」

 

「キミは本当に……まあいい、とにかくこれも『運命』ってやつの補正なのかもね。味方に回すと便利だが、敵に回すと鬱陶しいことこの上ないな、まったく。」

 

イライラと首を振って従姉妹様が言う。私としてはあんまり信じていないのだが、最近の従姉妹様はお嬢様の言葉を信じているらしい。

 

「ゲームは難しい方が云々、じゃないんですか?」

 

「そりゃあ簡単に終わるのもつまらんが、ここまで上手くいかないとイライラが勝るのさ。」

 

「難しいですねぇ。」

 

「まあいい。何処まで逃げられるのか、高みから見物させてもらおうじゃないか。騎士団、魔法省、死喰い人。んふふ、見るべきものはたくさんあるんだ。」

 

従姉妹様の真紅の瞳が弧を描くのを見ながら、紅美鈴は確かにそうだと納得するのだった。楽しもう、それが妖怪というものだ。

 



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良き隣人の死

「元気出して、コゼット。」

 

五年生のクリスマス休暇が間近に迫ったハッフルパフの談話室で、フランドール・スカーレットは必死に友人を慰めていた。

 

クリスマスには帰ってきなさいと言われているが、こんなコゼットを放ってはおけない。後でアイツ……レミリアに手紙を送っておこう。

 

「ぐすっ、お父さんが死んじゃうなんて……そんなの、そんなのおかしいよ。」

 

「コゼット……あのね、フランはここにいるから。大丈夫だから。」

 

涙を流すコゼットを、慎重にぎゅっと抱きしめる。こういう時にどんな言葉をかければいいのかわからない。自分の経験のなさを、これほど恨めしく思ったのは初めてだ。

 

二人でツリーに飾り付けをしていたところ、憔悴しきった様子のヴェイユ先生が悲しい知らせを持ってきたのだ。コゼットのお父さんは悪い魔法使いと戦って、その……死んでしまったらしい。

 

ヴェイユ先生は一頻りコゼットと悲しみを分かち合った後、気丈に振る舞いながら何処かへ向かっていった。そのときフランは頼まれたのだ。コゼットをお願いね、と。

 

でもどうしたらいいか分からない。何とか元気になって欲しいのだが、何と声をかければいい? 不用意なことを言ってしまえばコゼットの悲しみが増すような気がして、結局口からは言葉が出てこないのだ。

 

「クリスマスは一緒にお祝いするって言ったのに! なんで、なんで……。」

 

「コゼット……。」

 

死喰い人とかいう連中のせいに違いない。よく聞こえなかったが、ヴェイユ先生の口からも出ていた単語だし、紅魔館に帰った時にもよく聞く名前だ。みんな詳しいことはフランには教えてくれないが、アリスが怪我をしたのもソイツらのせいだってフランは知ってるぞ。

 

確かヴォルデモートの手下で、たくさんの魔法使いを殺している悪いヤツらだ。予言者新聞にも載ってたし、ハッフルパフでも怖がっている生徒をよく見る。

 

絶対にフランがぶっ殺してやる。コゼットを泣かせるなんて許せない! 決意を固めていると、コゼットが顔を上げて口を開いた。

 

「私、怖いよ。このままお母さんもいなくなっちゃったらどうしよう? 校長先生でも止められないなら、それじゃあ……。」

 

「大丈夫だよ、コゼット! フランが、フランがぶっ飛ばしてやるから!」

 

両手を握って言い放ってやった。元気付けようとしたのだが、コゼットはますます不安な顔になってしまう。うう、失敗しちゃったらしい。

 

「ダメだよ! そんなの危ないよ! お願いだから無茶なことはしないで、フラン。」

 

「でも、フランはとっても強いんだよ? 死喰い人なんかに負けたりしないよ!」

 

「フラン、お願い。そんなことしないって約束して。お願いよ……フランまで死んじゃったら、私……。」

 

マズい。再び泣きそうな顔になってしまった。慌ててコゼットに声をかける。

 

「わっ、泣かないで、コゼット。わかったよ、約束する。約束するから!」

 

リーゼお姉様も吸血鬼は人間なんかに負けたりしないって言ってたし、フランが負けるとは思えないが……今はコゼットが優先だ。

 

言いながら背中をさすってやると、ようやく安心したらしい。フランの服をぎゅっと掴みながら、コゼットが静かに口を開く。

 

「ありがとう、フラン。私、ちょっとベッドで横になるね。……ちょっとだけ一人にさせて。そしたら、また元気になれるから。」

 

「……うん、わかったよ。」

 

ヨロヨロと立ち上がったコゼットが部屋に向かう。ハッフルパフのみんなが心配そうに見つめる中、彼女は部屋に続く階段の奥へと消えていった。

 

それを見送った後で、勢いよく立ち上がって談話室を出る。向かうのはフクロウ小屋だ。フランが直接やれないなら、リーゼお姉様に頼んでみよう。必要なら……レミリアに頭を下げたっていい。手段を選んではいられないのだ。

 

ホグワーツの廊下を荒々しく歩いていると、それを見つけたいつもの四人組が追いかけてきた。

 

「おい、ピックトゥース! そんなに急いでどうしたんだ? ……いや、それよりほら! 例の『地図』の件で話があるんだ。あれを──」

 

「後にして! それどころじゃないの!」

 

興奮したように捲したてるジェームズを遮ると、隣のシリウスが心配そうに声をかけてくる。

 

「おいおい、どうしたんだよピックトゥース。何かあったのか?」

 

「コゼットの……コゼットのお父さんが殺されたの。死喰い人とかいうクソ野郎どもにね!」

 

フランの言葉を聞いて、四人が驚愕の表情を浮かべた。立ち止まってしまった彼らを放って歩いていると、リーマスが慌てて足並みを揃えながら話しかけてきた。

 

「それは……ヴェイユは? 大丈夫なのかい?」

 

「大丈夫じゃないよ! だからフランは怒ってるの!」

 

「すまない、当然だね。でもピックトゥース、何処へ行こうとしてるんだい? まさか例のあの人をぶん殴りに行こうってんじゃないだろう?」

 

「それが出来ればやってるもん! フクロウ小屋に行くんだよ、手紙を書くんだ。」

 

リーマスと話していると、今度はジェームズが左手に追いついてきた。

 

「手紙? ……スカーレットさんか! そうだよ、あの人ならどうにか出来るんじゃないか? なんたってグリンデルバルドを抑え込んだんだ、例のあの人なんかイチコロだよ!」

 

「そんなのよりもっと頼りになる吸血鬼がいるの。死喰い人とヴォルデモートをぶっ殺してもらうんだもん!」

 

「スカーレットさんより? そりゃあ……凄いな。」

 

驚いて立ち止まってしまったジェームズを放って、猛然と足を進める。リーゼお姉様なら簡単に決まってる。死体はフランが貰って、バラバラに引き裂いてやろう。

 

ホグワーツの廊下を鼻息荒く歩きつつ、フランドール・スカーレットは怒りを燃やすのだった。

 

 

─────

 

 

「バカだよねぇ。マグルを庇って死んじゃったんだってさ。本当にもう……バカだよ。戦いなんてできる人じゃなかったのに。」

 

口調とは裏腹に涙を流すテッサを前に、アリス・マーガトロイドは立ち尽くしていた。

 

騎士団の本部となったムーンホールドは、今は悲しみに包まれている。テッサの夫はマグルを守るために、死喰い人五人に立ち向かったらしい。

 

戦いに向いていない人だというのは私も知っている。細やかな気配りのできる人で、いつも押しの強いテッサに困ったような笑みを浮かべていた。

 

偶然マグルの家族をいたぶっている死喰い人に遭遇して、勇敢にも彼らを守ろうと立ち塞がったのだ。ムーンホールドで知らせを受けたウィーズリー夫妻が急いで現場に到着した時には、もう全てが終わった後だったようだ。……全てが。

 

「すみません、ヴェイユ先生。私たちがもっと早く駆けつけていれば……本当にすみません。」

 

悲痛な表情で言うアーサーの隣では、モリーが顔を覆って泣いている。責任を感じているのだろう。

 

「んーん。アーサーたちのせいじゃないってことは、ちゃんと分かってるよ。」

 

泣き笑いの表情でテッサが言う。……ダメだ、見ていられない。思わず抱きしめて口を開く。

 

「テッサ、いいから。無理に話さなくていいから、泣きなさい。」

 

「変だよね。覚悟はしてたはずなのにね。どうしてだろう……どうして……。」

 

ただ強く抱きしめる。泣くべきなのだ、彼女は。今だけは余計なことを考えさせてはいけない。

 

部屋の中には、しばらくの間テッサとモリーの泣き声だけが虚しく響いていた。

 

 

 

「おお、アリス。テッサの具合はどうかのう?」

 

テッサをベッドに無理やり寝かせた後、ムーンホールドのリビングに向かうと、そこにはダンブルドア先生とマクゴナガルが心配そうな表情で待っていた。

 

「ベッドで休んでいます。……寝れるかどうかは分りませんが。」

 

「そうか……なんとも、なんとも残念なことじゃ。また一人善良な魔法使いが逝ってしまったのう……。」

 

青い瞳に深い悲しみを宿らせて、ダンブルドア先生が俯きながら椅子に座る。マクゴナガルも疲れ果てたように椅子に座り込み、額を押さえながらゆっくりと口を開いた。

 

「マグルの家族は助かったそうです。唯一の良い知らせですね……気休めにもなりませんが。」

 

「そう……それで、下手人は?」

 

「一人はアーサーたちがその場で捕縛しましたが、残りの四人は……魔法省も追いきれなかったようです。」

 

「肝心な時には必ずと言っていいほど役に立たないわね。クラウチは昼寝でもしてたのかしら?」

 

無能の集団め。内部にスパイを抱えるどころか、まともに捜査も出来ないらしい。お得意なのは拷問だけか、まったく。

 

イライラと指で太ももを叩いていると、ダンブルドア先生がこちらを見ながら心配そうに声をかけてきた。

 

「アリスよ、君も少し休んだほうがいい。」

 

「無用です、ダンブルドア先生。私に睡眠は必要ありません。これから下手人を追いかけるつもりです。」

 

逃してなるものか。復讐の無意味さは理解しているつもりだが、私は泣き寝入りをするような女じゃないのだ。そのことを死喰い人の連中に理解させてやる。

 

言葉を受けたダンブルドア先生は、立ち上がって私の肩に手を置いてくる。困ったように笑いながら、やんわりと首を振って口を開く。

 

「アリスよ、肉体の疲労ではない、心の疲労が問題なのじゃ。どうも君の負けん気の強さはノーレッジに似たようだが、今の君は危なっかしくて見ておれん。少し休みなさい。」

 

反論しようと口を開いたところで、リビングに別の声が響き渡った。

 

「そのジジイの言う通りよ、アリス。少し休みなさい。私たちにだって休息が必要なときはあるわ。」

 

パチュリーだ。ふよふよと浮きながら、いつものように本を片手にこちらに近付いてくる。いつも通りな彼女を見ると、なんだか少し心が落ち着いた。

 

「ジジイとは酷いのう。それを言ったら君はババアじゃろうに。」

 

「ぶっ飛ばすわよ、ダンブルドア。レディに年齢の話をしちゃいけないって、その歳になるまで学ばなかったのかしら?」

 

「おお、なんとも不公平なことじゃ。そうは思わんか? ミネルバ。」

 

いきなり話を振られたマクゴナガルが、慌てて二人の顔を見比べた。どうしたらいいか分からないのだろう、その顔には焦りがありありと浮かんでいる。マクゴナガルのあんな顔、ホグワーツの生徒たちは想像もできないだろうな。

 

私が苦笑しているのを見て、パチュリーが滅多に見せない微笑を浮かべた。

 

「ちょっとは元気が出たかしら? それなら、少し休みなさい。大丈夫、下手人とやらはあの二人が追ってるわ。」

 

あの二人、美鈴さんとリーゼ様のことだ。あの二人が追っているのであれば、私なんかよりもずっと頼りになるだろう。安心したら力が抜けてきた。

 

「そっか……分かったよ。少し休むね、パチュリー。」

 

「ええ、安心して休みなさい。」

 

パチュリーに声をかけた後、ダンブルドア先生とマクゴナガルにも挨拶をしてから自室へと歩き出す。

 

明日はモリーと一緒に朝ごはんを作ろう。少しでもテッサを元気付けてあげなければなるまい。……コゼットは大丈夫だろうか? フランが支えになってくれていれば良いのだが。

 

ムーンホールドの廊下を歩きながら、アリス・マーガトロイドは小さくため息を吐くのだった。

 



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レミリア・スカーレットの肖像

 

 

「つまり、何を言いたいのかしら?」

 

ウィゼンガモットの評議員たちを前に、レミリア・スカーレットは傲然と言い放った。

 

人前に出るようになってからしばらくが経ったある日、各国の政治機関と連携を強めようと動いていたところで、イギリス魔法省から呼び出しがかかったのだ。場所は格式高きウィゼンガモットの大法廷。実に大仰なことである。

 

しかし……全くもって話の迂遠な連中だ。呼び出しを受けて来てやったはいいが、これじゃあ話が進みやしない。回りくどい会話を終わらせるべく、法廷の中央に置かれた椅子に座ったまま魔法大臣を睨みつけてやると、何故かその隣に座るクラウチが口火を切った。

 

「つまり我々としては、多少の問題があるのではと危惧しているわけです。その……貴女は吸血鬼なのでしょう?」

 

「あら? かのご高名な魔法法執行部部長さんは、人間至上主義者に鞍替えしたのかしら? それならヴォルデモートの下に行くといいわ。同じような思想なんだし、喜んで受け入れてくれるでしょう。」

 

「そういうつもりで言っているのではありません。しかし、分かるでしょう? 我々が人間である以上、貴女のことを信用できない者が出てくるのもまた事実なのです。」

 

「ご自分がその筆頭、というわけ? 迂遠な話は結構よ。結論を言ったらどうなの?」

 

私の冷たい口調にも一切怯むことなく、クラウチは表情を崩さないままで口を開く。

 

「貴女がホグワーツの校長に情報を提供しているのは知っています。それをこちらにも流して欲しいだけなのです。我々は専門家なのですから、こちらを通したほうが効率的でしょう?」

 

「その『専門家』さんたちはグリンデルバルドに対して何をしたんだったかしら? 私の記憶が確かなら、この建物で右往左往していただけだったと思うのだけど。」

 

他の評議員はバツが悪そうな顔に変わるが、クラウチは未だ顔色を変えない。なかなか面の皮の厚いヤツらしい。

 

「時代は変わっているのです、スカーレット女史。もはや弱かった魔法省はもう無い。貴女は今の魔法省を信じられませんか?」

 

「聞く必要があるかしら? この建物にヴォルデモートのスパイがウロウロしているのは、誰もが知っている事実でしょう? 答えはもちろん信用できない、よ。」

 

「逆にご自分が『なんちゃら卿』の味方ではないと言い切れますかな? 彼の一団には吸血鬼も混じっているそうですが?」

 

「そして人間も混じっているらしいわね。種族単位で疑うのであれば、貴方たちのほうがよっぽど信じられないとは思わない?」

 

厳密には向こうの『吸血鬼』と私たちは全く別の種族なのだが……まあ、それを説明しても無駄だろう。

 

私とクラウチが睨み合っていると、フランスから出向している外交員が口を挟んできた。

 

「クラウチ氏、スカーレット女史への謂れもない非難はやめていただきたい。彼女がヨーロッパにどれほど貢献したか、イギリスはもう忘れてしまったのですかな?」

 

同時にスイスの外交員も、顔を真っ赤にして口を開く。

 

「彼女の種族で差別しようとは情けないとは思わんのかね! イギリスの諸兄はご存知ないのかもしれんが、彼女はヨーロッパの盾としてその身を賭けて戦ったのだぞ!」

 

全然この身を賭けてはいなかったが、擁護してくれているのに文句を挟むつもりなどない。なめるなよ、クラウチ。私はお前がガキの頃からヨーロッパと深い繋がりを保ってるんだ。今のイギリス魔法省はお前の庭かもしれないが、私の庭はヨーロッパ魔法界なんだよ。

 

さすがに他国との関係には配慮しているようで、多少勢いをなくしたクラウチだったが……おっと、まだやる気があるらしい。一瞬瞑目した後、再び舌戦を挑んできた。

 

「これはイギリスの問題なのです。今や我が国は危機に陥っている。グリンデルバルドの時にそうしたように、今度はイギリスに情報を渡してはくれないのですか?」

 

「それを受け取った貴方は何をするのかしらね? 拷問? 吸魂鬼のキス? それとも残虐に殺すのかしら? 私の耳には貴方の悪行が届いてるのよ。そんな貴方をどうして信用できるの?」

 

もちろん残虐に殺しているのはリーゼと美鈴だが、利用できるもんは利用すべきだ。大魔王ごっこを楽しんでいるあの二人に感謝しよう。

 

「……虐殺などしてはおりません。敵の巧妙な情報操作ですよ。」

 

「そうかしらね? 予言者新聞の写真は見てないの? 胸に『魔法省万歳』なんて書かれた死体が、この建物の庭先にぶら下がっていたらしいじゃない。装飾としては些か……悪趣味じゃないかしら?」

 

「その件と魔法省とは無関係だと声明を出したはずです! 余計なことを掘り返さないでいただきたい!」

 

「その『余計なこと』が原因で貴方たちを信じられないと言っているのよ。一度精神鑑定でもしてみたら? 貴方ちょっと……異常よ?」

 

今やクラウチの顔からは余裕が消え、紫色の顔は怒りに染まっている。ふん、ようやく面白くなってきたじゃないか。

 

劣勢に立たされたクラウチはどうやらやり方を変えるようだ。今度はダンブルドアのことを矛先に挙げてきた。

 

「あの老いぼれが率いる自警団のほうが魔法省より信用できると? 学校の校長は犯罪者に対処するような職業ではなかったはずですが?」

 

「その『老いぼれ』が何をしたか覚えていない? グリンデルバルドを打ち倒してイギリスを救ったはずだったのだけど……私の記憶違いだったかしら?」

 

「ですから状況が違うのです! 今は我々が魔法省を主導し、あの忌々しい死喰い人たちに対処している。少しは協力しようとは思わないのですかな!」

 

「何度も言っているでしょう? 思わないわね。私は無能を助けているほど暇じゃないの。貴方の権力闘争に関わっている時間はないのよ。」

 

堂々巡りだ。こんなことをしているより、フランの成績を確認したいのだが……ふくろう試験は上手くいったのだろうか? 一時はヴェイユの件で随分と落ち込んでいたから、成績は甘めに見てあげねばなるまい。

 

私がフランのことを考えている間に、クラウチはもはや怒りも隠さずに私を糾弾してきた。

 

「貴女が我々を信用できないように、我々も貴女を信用できない! それでは強硬な手段に出ざるを得ませんぞ!」

 

「へぇ、強硬な手段? 何をしろと言うのかしら?」

 

「……真実薬で証言していただきたい。『なんちゃら卿』の一味ではないということを。」

 

途端に法廷がざわめいた。各国の外交員はもはや怒りを隠さずにクラウチに罵声を浴びせかけ、イギリスの評議員たちは居心地悪そうに沈黙している。確かにそれは『強硬な手段』だな。犯罪者扱いではないか。

 

内心どうあれポーカーフェイスを保って、クラウチに冷たく問いかける。

 

「随分と思い切ったことを言うわね。誰に何を言っているのか、本気で理解しているのかしら?」

 

「無論ですとも。貴女が吸血鬼であることは、それほどに大きな問題なのです。どうですか? 出来ませんかな?」

 

出来ないと思っているのだろう。そもそも本気で言ってるのか怪しいもんだ。大方『レミリア・スカーレットが証言を拒んだ』という成果が欲しいだけなのだろうが……ふふん、私を甘く見たな、クラウチ。

 

「いいわよ、証言しましょう。今ここで、ね。」

 

ニヤリと言い放ってやると、クラウチは驚愕の表情で言葉を返してくる。

 

「それは……本当によろしいのですかな? もちろん開心術師も同席しますぞ。」

 

「いいと言っているでしょう? さっさと連れてきなさい。」

 

バカが。吸血鬼に真実薬やら開心術やらが効くと思うなよ。ついでにパチュリーの薬も飲めば完璧だ。適当に、『イギリスを憂うヨーロッパの英雄』を語ってやればいい。それで私は大衆の支持を手に入れることができるのだ。

 

全員の視線が外れた一瞬の隙に、パチュリー特製の閉心薬を飲み込む。グリンデルバルドで効果は確認済みだ。必要ないとは思うが、念には念をというわけである。

 

多少気後れしながらも開心術師たちを呼びつけるクラウチに向かって、ニヤリと笑って言い放った。

 

「これで私の潔白が証明されたら……覚悟はできているんでしょうね?」

 

「……当然です。」

 

「結構よ。」

 

慌ただしく入ってきた開心術師たちの一人から、小瓶に入った透明な薬を渡される。

 

「三滴だけ口に含んでください。」

 

彼の言う通り全員の目の前で薬を口に含む。味は……しないな。色といい、つまらん薬だ。昔パチュリーに聞いた効果によれば、使用者はちょっとぼーっとするはずだ。一応そんな感じで演技しつつ、質問の時を待つ。

 

「ではいくぞ? レジリメンス(開心)!」

 

開心術師たちの呪文とともに、心に侵入されるような感覚がしてきた。拒まずに慎重にそれを誘導して……よし。後は英雄ごっこを楽しむだけだ。

 

コツコツとした足音と共に、クラウチが私に近づいてくる。私の様子を少し確かめた後、慎重に言葉を選びながら質問を始めた。

 

「それでは、スカーレット女史。貴女は例の……ヴォルデモート卿に協力していますかな?」

 

「いいえ。」

 

この時点でクラウチは苦々しい表情だが、怯みながらも質問を続ける。

 

「では……本当にイギリスのために行動していると?」

 

「その通りよ。イギリスを守るために、この身を賭して戦っているわ。」

 

「そうですか……。では、情報を規制しているのはあくまでもイギリスのためだと?」

 

「もちろんだわ。私心など一切なく、魔法界を守るために最善の選択をしているつもりよ。」

 

クラウチが開心術師たちを見るが、彼らは黙って頷くだけだ。その目は『もうやめようよ』と語っている。

 

それでも諦められないらしいクラウチは、矛先を変えて質問をしてきた。

 

「それでは……そう、吸血鬼として、人間をどう思っていますかな?」

 

「良き隣人でありたいと思っているわ。その為にこんなにも努力しているのに、差別されるのはとても悲しいわね。」

 

もちろん嘘だ。とはいえ評議員たちは心を打たれたらしく、先程以上に居心地が悪そうにしている。外交員たちは今にもクラウチに呪文を放ちそうだ。

 

「そう、ですか。では──」

 

「もういいのではないですかな? これ以上は彼女の権利への侵害でしょう! まだ続けるというのであれば、外交問題になることを覚悟していただきたい!」

 

まだ何か質問しようとしていたクラウチを、外交員たちが止めにかかる。そりゃそうだ。開心術師たちもクラウチの指示を待たずに杖を下ろしている。

 

「それは……分かりました。彼女に解呪薬を。」

 

クラウチの指示を受けた開心術師が慌てて持ってきた解呪薬を飲み干して、頭を振ってから大きく伸びをする。それっぽいかな? ……大丈夫そうだ。周りは誰も疑っていない。

 

きょとんと首を傾げながらクラウチに声をかける。ニヤニヤ笑うのはもうちょっと先だ。

 

「それで……どうだったかしら? 私はアズカバンに引っ越すべきだった?」

 

「いえ……問題はありませんでした。貴女は潔白だ。」

 

「あら、そう? 潔白なのにどうして真実薬を飲まされたのかしら? どうも私は常識を知らないらしくて、誰か説明してくれない?」

 

評議員たちを見渡すと、誰もが俯いて目をそらす。『無知なレミィちゃん』の演技を続けながらクラウチの顔までたどりつくと、彼は苦虫を噛み潰したような顔で話し始めた。

 

「どうやら、その……無用なことをしたようです。謝罪いたします。」

 

「ふぅん? 謝罪、ね。いつから魔法省は謝罪すれば他者の権利を侵害していいようになったのかしら? 教えてくれない? バーテミウス・クラウチ。」

 

「我々はただ、疑いを晴らそうとしただけです。そして貴女の疑いは晴れた。」

 

「それじゃあ、私の不愉快な気持ちはどうなるのかしらね。吸血鬼相手なら何をしてもいいってこと?」

 

どす黒く染まったクラウチの顔は、形容し難い形になっている。いいぞ。そんな顔を見たかったんだ。

 

「それは、本当に申し訳ありませんでした。」

 

「大法廷で尋問、ね。イギリスの私に対する態度はよく分かったわ。……それじゃあ、失礼させてもらうわね。茶番はもう終わったのでしょう?」

 

無言で歯を食いしばっているクラウチに代わり、お飾り魔法大臣が慌てた様子で返事を返した。

 

「はい、もう退廷していただいて構いません。」

 

鼻を鳴らして立ち上がり、もう一度評議員たちを見渡してからドアへと向かう。もちろんワザとゆっくり歩く。ふん、明日の予言者新聞を楽しみにしておくんだな。きっと首を吊りたくなるぞ。

 

ドアを開けて廊下へと出ると、アーサー・ウィーズリーとフランク・ロングボトムが待っていた。二人は椅子から立ち上がると、勢いこんで結果を聞いてくる。

 

「スカーレット女史! どうでしたか? 先程開心術師たちが入っていきましたが……。」

 

「まさか、尋問を受けたのではないでしょう? クラウチだってそこまでは……。」

 

捲し立ててくる二人に苦笑しつつ、首で合図して歩きながら詳細を話す。

 

「真実薬と開心術のフルコースで持て成されちゃったわ。お腹いっぱいよ。」

 

「そんな……クラウチめ! とうとうイカれたか!」

 

フランクは激怒し、アーサーは言葉を失っている。クスクス笑いながら続きを話してやることにした。

 

「ま、当然無実だったわ。あの時のクラウチの顔……見れなかったのは残念だったわね。」

 

「権力の亡者め、少しは反省すればいいんだ。」

 

ムーディ派のフランクはどうやら彼がお嫌いらしい。アーサーも好きではないようで、せいせいしたとばかりに口を開く。

 

「どうやら明日の朝刊を取っておくべきですね。我が家に貼り出すとしましょう。子供たちのいい反面教師になる。」

 

「早めに買っておいたほうが良さそうよ。明日は予言者新聞が飛ぶように売れるでしょうから。」

 

三人で苦笑しながらエレベーターへと入る。ボタンを押したフランクが、ニヤリと笑って口を開いた。

 

「しかしこれで、魔法省内でも動き易くなりますね。クラウチの信者どもも少しは大人しくなるでしょう。」

 

「そうなって欲しいわね。そうじゃなきゃ、こんな苦労をした甲斐がないもの。」

 

少なくともムーディは大喜びだろう。これで大手を振ってイカれた捜査をできるようになったのだから。『英雄尋問事件』を免罪符に、好き放題するに違いない。

 

頭の中で魔法省への影響力を伸ばすことを考えながら、レミリア・スカーレットは紅魔館にも新聞を貼り出そうと決意するのだった。

 



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隠し通路の小戦闘

 

「いいから見てくれ、ピックトゥース。」

 

ホグワーツの廊下で呼び止められたフランドール・スカーレットは、ジェームズの突き出す地図を目を細めて眺めていた。

 

地図自体はもちろん見慣れたものだ。なんたってフランも作るのに協力したのだから。

 

『忍びの地図』と名付けたこのホグワーツの詳細な地図は、五人組で協力して作った悪戯好きのための強い味方だ。普段はボロボロの羊皮紙にしか見えないが、合言葉を唱えながら杖を置くと、ホグワーツにいる人の配置がリアルタイムで映し出されるのだ。

 

ちなみに仕組みはさっぱりわからん。フランはパチュリーの図書館から本を調達したり、歩き回ってホグワーツを調べるのを協力しただけだ。

 

専らフィルチを欺くために使われているそれには、特におかしな点は見当たらない。精々ピーブスがスラグホーン先生の薬品庫で悪戯をしているくらいだ。つまり、いつものホグワーツである。

 

フランが何か言う前に、隣にいたコゼットがうんざりしたように口を開いた。

 

「ポッター、フランをまたトラブルに巻き込む気なの? この子の純真さにつけ込むような真似はやめてよね。」

 

最近のコゼットはハッキリとものを言うようになった気がする。彼女はあの日……お父さんの訃報を聞いたあの日以来、呪文の鍛錬を欠かさないようになった。フランが聞いても、笑顔で『用心のためだよ』としか言わないが……なんだかちょっと心配なのだ。

 

そんなコゼットはジェームズたちを怪しんでいるらしい。この前スネイプに大怪我させたときには、滅多に使わないような言葉で罵っていた。まあ……あれはフランもやり過ぎだったと思う。本人たちも同様らしく、しばらく沈み込んでいたくらいだ。

 

「違うんだよ、ヴェイユ。いや……まあ、違わないんだけど。悪戯の相談じゃないんだ! ほら、ホグズミードに通じてる隠し通路を見てみろよ!」

 

ジェームズの言葉にそこを見てみると……ラバスタン・レストレンジ? 聞いたことのない名前が見える。他にも見知らぬ二人の名前がそいつと一緒に蠢いていた。

 

「誰なの? こいつら。」

 

フランの疑問に、ちょっと緊張した様子のシリウスが答えを放つ。

 

「死喰い人さ。レストレンジってのは我が忌々しい実家の親戚なんだ。あの家には生粋のクソ野郎しかいない。間違いなく死喰い人だ。」

 

死喰い人。その単語を聞いたコゼットが固まるのが分かった。フランも少しだけ緊張してくる。なんたって、リーゼお姉様ですら梃子摺る悪いヤツらなのだ。

 

それを見たジェームズが、声を潜めてフランとコゼットに話しかけてきた。

 

「きっとホグワーツを探りにきたんだよ。ここはダンブルドア校長の拠点だからね。だから……こいつらを僕たちでやっつけてやらないか? そうすれば、僕たちも騎士団とやらに入れてもらえるかもしれないだろ?」

 

ジェームズとシリウスは校長先生の組織に入りたくてたまらないのだ。六年生に入ってから何度も直談判しているのだが、未成年では入れないの一点張りらしい。

 

コイツらを倒して認めてもらおうってことか? ううむ、地図にある名前は三つだけだ。やってやれなくもなさそうだが……。

 

「ダメに決まってるよ! すぐに校長先生に知らせないと!」

 

案の定コゼットは猛反対してくる。彼女は今にも校長室に走り出しそうだ。

 

それを見て慌てたジェームズが、コゼットの肩を掴みながら捲し立ててきた。

 

「待ってくれよヴェイユ! 君だってコイツらが憎いだろ? それに……君も本当は騎士団に入りたいはずだ。そのためにいつも空き部屋で呪文の練習をしてるんだろ?」

 

「そうだけど、でも、こんなの危ないよ。もし負けちゃったら死んじゃうんだよ? 本当に分かってるの?」

 

「それは騎士団の人たちだって一緒だろう? それでも戦うのが彼らなんだ。僕たちはその覚悟を示そうとしてるんだよ。」

 

未だ迷っている様子のコゼットだったが、走り出す気配はなくなった。葛藤している彼女の手を握って、下から覗き込みながら話しかける。

 

「あのね、コゼット。フランはコゼットの考えに従うよ。」

 

「フラン……。でも、フランも来るんでしょう? 怪我しちゃったら大変だよ。」

 

「うーん、コゼットはフランが怪我するところが想像できる? フランは……まあ、できないかなぁ。」

 

呪文はそもそも効かないし、肉弾戦だって余裕で勝てる場面しか浮かんでこない。それでも不安そうにしていたコゼットだったが、やがてゆっくりと頷いた。

 

「うん……わかった。六人でやっつけよう。そうすればきっとお母さんも……。」

 

「よし! そうと決まれば早速行こう。隠し通路だったら何度も通ってるんだ、地の利はあるぞ!」

 

勢いよく言ったジェームズに続いて、隠し通路の入り口へと走り出す。入り口は五階の大きな鏡の裏だ。階段を飛ぶように駆け上って、鏡の前にたどり着いた。

 

杖を抜いて構えながら、リーマスが緊張している様子で口を開く。

 

「プロングス、連中の位置は?」

 

「ちょっと待て……かなり城まで近づいてるな。何処で待ち受ける?」

 

「ここはどうだ? ほら、真ん中に大きな柱があるちょっとした広場だよ。岩でゴツゴツしてるし、隠れるのも楽じゃないかな。」

 

リーマスの指した地点を覗き込む。なるほど、あそこか。確か、岩だらけで歩き難い場所だったはずだ。ピーターが転んで擦り傷を作っていたのを思い出す。

 

「よし、行こう。早く行かないと連中が先に着いちまう。」

 

シリウスが獰猛に笑いながら隠し通路に入っていくのに続いて、他の五人も後を追う。ジェームズとコゼットは緊張しながらも杖を握りしめ、リーマスは油断なく辺りを見回している。ピーターは……おお、震えながらもきちんと杖を構えているみたいだ。

 

薄暗い通路を杖明かりを頼りに歩き続けると、一際大きな広間にたどり着いた。中央にはフランが三人がかりでも抱えきれない太さの石の柱が聳え立っている。

 

「よし、僕とパッドフットは正面に隠れる。ムーニーとワームテールが左、ピックトゥースとヴェイユが右だ。僕の合図で一斉に呪文を放ってくれ。」

 

ジェームズの作戦に、リーマスが補足を加えた。

 

「初撃を防がれても二人組を崩さないようにね。片方が攻撃、片方が防御だ。防衛術で習った通りにいこう。」

 

全員で頷き合って、配置についてから明かりを消す。真っ暗になった広間は耳に痛いような沈黙に包まれた。

 

ちょっとだけドキドキしていると、隣に隠れるコゼットが緊張した表情で囁いてくる。

 

「私が攻撃するから、フランは防御をお願いね。……危なくなったら自分のことを優先するんだよ?」

 

「大丈夫だよ、コゼット。フランがぺチッてやれば、呪文なんか簡単に弾けるもん。」

 

「油断しちゃダメだよ。約束して? 自分を優先するって。」

 

「ん、わかった。」

 

嘘である。もちろんコゼットが優先だ。フランのほうがお姉さんなんだから、コゼットが優先なのは当たり前なのだ。

 

しばらく黙りながら待っていると、通路の奥から物音が聞こえてきた。

 

「くそっ、面倒な通路だな。」

 

「静かにしろと言っているだろうが。面倒だろうが何だろうが、ここはいい侵入経路になるぞ。」

 

「まあ、そうだな。あの老人もここには気づいてないらしい。」

 

話し声とともに、コツコツという足音が近づいてくる。フランもちょっと緊張してきた。コゼットは蒼白になりながらも、杖をぎゅっと握りしめている。

 

少し待つと、杖明かりを灯した黒尽くめの三人組が見えてきた。小男、大男、猫背。全員揃って人相が悪い。……先入観かもしれない。

 

大男が広間を見て口を開いた。

 

「ほう、見事な広間じゃないか。俺好みだ。」

 

「お前の趣味なんかどうでもいいんだよ、レストレンジ。まだ歩くのか?」

 

「ふん、ここまでかなり歩いたんだ。もうそろそろ着くだろう。」

 

足元を見ながら先頭の大男が近づいてきた瞬間、ジェームズの声が広間に響き渡った。

 

「今だ! ステューピファイ(麻痺せよ)!」

 

同時に全員が呪文を放つ。フランも一応失神呪文を放った。……変な方向に飛んでいったが。

 

「敵だ!」

 

短く叫んだ大男はジェームズとシリウスの呪文を捌ききったらしい。リーマスとピーターの呪文も小男が防ぎ、コゼットの呪文は猫背が素早い動きで避けてしまった。全然倒せてないじゃん!

 

「なめるなよ! ガキ!」

 

飛び出したコゼットに猫背が呪文を放ってくるのを、前に出て慌ててはたき落としながら周りを見る。ジェームズとシリウスは見事な連携で大男を抑え込み、リーマスとピーターは……劣勢だ。二人で防御に回っている。

 

「このっ、エクスペリアームス(武器よ去れ)!」

 

「はん、呪文ってのはこう使うんだよ! クルーシオ(苦しめ)!」

 

コゼットが一発放つ間に、猫背は三発は撃ってくる。これならフランが突っ込んでぶん殴ったほうが早そうだ。そのことをコゼットに伝えようと口を開いた瞬間、広場にリーマスの絶叫が響き渡った。

 

慌ててそちらを見てみると、倒れ伏したリーマスの隣でピーターが吹き飛ばされていくのが目に入ってくる。

 

「ムーニー、ワームテール! 貴様!」

 

慌てて援護に向かうシリウスの怒声を聞きながら、妙に冷静になった心で決断する。能力を使おう。みんなに怖がられてしまうかもしれないが、友達の危機なのだ。迷っている暇はない。

 

左手でコゼットを守りながら、右手をそっと前に向ける。クリアになった景色の中、猫背の『目』を手のひらに移動させた。

 

「きゅっとしてー、」

 

「何のつもりだ! ガキ! インペディ──」

 

「ドッカーン!」

 

言葉と共に右手を握った瞬間、猫背の右半身が吹き飛んだ。それを確かめる間もなく、次はシリウスと戦っている小男へと腕を向ける。

 

「んー……きゅっ!」

 

こちらを見る間もなく小男の上半身がなくなった。最後にジェームズが相手取っている大男は……おっと、半分になった小男を呆然と見ていた隙に、ジェームズの呪文が直撃したらしい。杖を放して吹っ飛んでいくところだった。

 

再び静寂の訪れた広間に、ジェームズの呟くような声が木霊する。

 

「これは……君がやったのか? ピック……後ろだ!」

 

後半を叫び声に変えたジェームズの言葉に、驚きながらも背後を見ると……猫背が残った左手で杖を振り上げている! 視線の先にいるコゼットはこちらを見ていて気付いていない。

 

全てがスローモーションに見える世界で、ゆっくりと猫背の腕が振り下ろされる。能力は間に合わない。それなら……こうだ!

 

足元にあった大きな岩を、猫背のほうへと思いっきり蹴っ飛ばした。

 

「アバダ・ケ、ぎぃっ……。」

 

岩が激突した猫背は妙な声を上げて、風船のように弾け飛ぶ。危なかった……危なかった! 思わず地面にへたり込んでしまう。

 

「……終わった、んだよな? ……そうだ! ムーニーとワームテールは? 無事なのか?」

 

真っ先に立ち直ったジェームズが二人の元へと走り出す。シリウスがそれに続き、フランも立ち上がろうとしたところで、近付いてきたコゼットが血相を変えてフランの身体をペタペタ触りだした。

 

「フラン! フランは怪我してない? 痛いところは? 何か変な感じはない?」

 

「く、くすぐったいよ、コゼット。その……怖くないの? あれをやったの、フランなんだよ?」

 

半分こにされた小男と岩の染みになった猫背を指差す。それを見たコゼットはちょっとだけ怯んだ様子だったが、フランの目を真っ直ぐに見ながら口を開いた。

 

「フランは助けてくれたんでしょう? 怖がるわけないよ!」

 

「ホントに? フラン、まだコゼットと友達でいられる?」

 

「当たり前のことを聞かないの! フランは私の大事な友達なんだから!」

 

ちょっと怒った顔のコゼットを見て、胸の中がぱあっと明るくなる。よかった、本当によかった。

 

安心したところで、倒れた二人を見ていたジェームズが二人の無事をこちらに大声で知らせてくれる。

 

「二人とも無事だ! 気絶してるだけらしい!」

 

どうやら誰も大怪我しないで済んだらしい。……こちらは、の話だが。残った大男は、シリウスが杖からロープを出して縛りつけている。

 

インカーセラス(縛れ)。よし、こいつは校長に突き出そう。他は……あー、このままにしとこうか。誰も触りたくないだろ?」

 

シリウスの言葉に、ジェームズが顔を引きつらせながら答えた。

 

「絶対に嫌だね。しかし……凄いな、ピックトゥース。こんな技を持ってたのか。」

 

「うん……引いた?」

 

「まあ、ちょっとだけ。でもお陰で助かったわけだしな。なんというか……頼りになるよ。」

 

肩を竦めて言うジェームズに、シリウスが合わせるように口を開く。

 

「そうだな。もっと早く教えてくれればよかったんだ。そしたらフィルチの部屋を爆破する時だって、あんなに苦労しないで済んだのに。」

 

二人もあんまり気にしてないようだ。怖がられるかもなんて、もしかしたら余計な心配だったのかもしれない。

 

「それより、早くルーピンとペティグリューを医務室に連れていこうよ。大丈夫かもしれないけど、念には念を入れるべきじゃない?」

 

コゼットの言葉に三人で頷いて、みんなで急いで準備をする。リーマスとピーターはジェームズとコゼットが杖で浮かせて運び、大男はシリウスが呪文で運ぶことになった。フランはその見張りだ。

 

「パッドフット、擦れちゃってるよ?」

 

「別に構いやしないだろ? ちょっとくらい頭を打てば、コイツもまともになれるかもしれないしな。」

 

シリウスは丁寧に運ぶ気はないらしい。ちょっとというか……ガンガンぶつけているが。まあ、フランだって気にしたりはしないのだ。

 

そういえば、当初の目的は達成できたのだろうか? 前を歩くジェームズに向かって問いかけてみる。

 

「ねえ、プロングス、これで騎士団に入れるの?」

 

「うーん……ちょっと予想してない結果になったかな。こっちは半壊だし、むこうは文字通りの『半壊』だからなぁ……。」

 

「でもでも、ちゃんとやっつけたよ?」

 

「いやぁ、なんだ、この分だと……ちょっと怒られるかもしれない。」

 

苦笑するジェームズに、コゼットとシリウスも苦笑いで頷く。なんてこった、怒られちゃうらしい。

 

薄暗い隠し通路を歩きながら、フランドール・スカーレットはやっぱり半殺しで止めとけばよかったと、今更ながらに後悔するのだった。

 



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小さな一歩

 

 

「信じらんないよ、まったく! コゼットがあんな事するなんて!」

 

ホグワーツの校長室でソファに座りながら、アリス・マーガトロイドは激怒する友人を宥めていた。

 

ホグワーツの生徒たち六人の『大冒険』は、どうやらテッサには刺激が強すぎたらしい。現在はぷんすか怒るテッサとマクゴナガルを、苦笑する私とダンブルドア先生で宥めているところだ。

 

ちなみに生徒たちは既に寮に帰されている。一人につき五十点減点を見事に食らった彼ら彼女らは、意気消沈した様子でトボトボ去っていった。フランなんかは見たこともない顔になってたし、余程にショックだったらしい。

 

「はぁ……大方、ポッターたちが唆したのでしょう。無謀にも程があります。」

 

マクゴナガルの疲れたような声に、テッサの怒り声が続く。

 

「本当だよ! 大きな怪我がなかったなんて、奇跡みたいなもんなんだから!」

 

「まったくです。未成年が死喰い人と戦うなど、危険すぎます!」

 

どうやらこの二人は共鳴するように怒りのボルテージを上げていくようだ。ダンブルドア先生と顔を見合わせて苦笑しながら、鎮火させるために口を開く。

 

「まあ、あの様子ならしっかり反省したんじゃない? 本人たちもどれだけ無謀なことをしたのかは理解できたようだし、その辺で許してあげなさいよ。」

 

「そうじゃな。それに……騎士団の情報を秘匿しすぎたのは失敗だったかもしれんのう。ジェームズやシリウスの言葉に、きちんと応えるべきだったのかもしれん。」

 

ダンブルドア先生の言葉に、マクゴナガルが血相を変えて反論する。

 

「あの子たちはまだ未成年です! 騎士団に参加させることは出来ません!」

 

「分かっておるよ、ミネルバ。ただ……もう少しきちんと説明すべきだったのじゃ。撥ね退けるのではなく、導いてやるべきじゃった。この歳でこんな失敗をするとは、なんとも情けないのう。」

 

意気消沈するダンブルドア先生を見て、テッサも怒りを鎮めて呟いた。

 

「私も……コゼットにちゃんと説明するべきだったかも。あの子が関わっちゃうのが怖くて、騎士団のことは話題に出せなかったんだ。」

 

そして私もフランに説明すべきだった。あの子がリドルのことをやたらと気にしていたのは、きっとコゼットの為だったのだろう。……そういえば、このことをレミリアさんに伝えるのは私なのか? うーむ、嫌だなぁ。

 

先程までの怒りは消え失せたが、代わりに疲れた空気が校長室を包む。子供を導くというのは随分と難しいものらしい。教師にならなくて本当によかった。

 

四人で反省していると、ノックの音が沈黙を破る。ダンブルドア先生が入室を許可すると、フリットウィックが小さな足を動かしながら入ってきた。

 

「校長先生、隠し通路とやらを確認してきました。あー……その、彼らの言う通りの惨状でしたな。」

 

キーキー声の報告を受けて、ダンブルドア先生が私に確認をしてくる。十中八九フランの能力についてだろう。

 

「ふむ。吸血鬼としての力ではないということじゃったが……フラン個人の持つもの、ということなのかな?」

 

「そうですね、フランだけが使える力です。一応制御はできているみたいですけど……まあ、手加減はまだ難しいようで。」

 

「なんとも凄まじい力じゃのう。彼女たちが普通の吸血鬼とは違う存在だと、改めて理解した気分じゃ。」

 

「あの、出来れば……あまり怖がらずに接してあげてはくれませんか? フランは怖がられるのが嫌で、今まで頑張ってきたんです。」

 

私の言葉に、四人の教師たちは迷うことなく力強く頷いた。テッサ、フリットウィック、マクゴナガルの順で、心強い返事を返してくれる。

 

「あったり前でしょ? コゼットたちの恩人……恩吸血鬼? なんだから!」

 

「お任せいただきたい! それに、生徒を怖がっていては教育などできませんからな。心配無用です!」

 

「正しくその通りです。ホグワーツの教師はそんなことで生徒を見捨てたりはしません。必ずスカーレットを卒業まで導いてみせましょう。」

 

三人の言葉を聞いたダンブルドア先生が、優しい笑顔で口を開いた。

 

「ほっほっほ。どうかな? アリス。わしの集めた教師たちは頼りになるじゃろう? この老体の数少ない自慢なのじゃ。」

 

「ええ、どうやら余計な心配だったみたいですね。生徒たちが羨ましくなっちゃいます。」

 

無用な心配だったらしい。私の母校は随分と良い学校になっているようだ。安心してソファに身体を埋めていると、ダンブルドア先生が真剣な表情になって話し出す。

 

「なんにせよ、このホグワーツにも危機が迫っているようじゃな。これまで以上に防衛を強化せねばなるまい。……ミネルバ、石像たちの具合を確かめておくれ。いざとなれば彼らは生徒のために戦う必要がある。」

 

「お任せください。」

 

一礼したマクゴナガルが校長室から出ていくのを見ながら、ダンブルドア先生は今度はテッサとフリットウィックに話しかける。

 

「テッサ、君には防衛魔法の点検をお願いしよう。歪んでいる箇所があれば整えてやってくれ。フィリウス、君は各教師にこのことを伝えてから、絵画たちにも注意を促すのじゃ。生徒を守るための目になってくれるじゃろう。」

 

「はい!」

 

「了解しました!」

 

テッサとフリットウィックも校長室から出ていった。ダンブルドア先生は最後に私に向き直り、真剣な表情のままで口を開く。

 

「アリス、君は教師ではないが、協力をお願いできるかな?」

 

「当たり前です。ここは私の学んだ場所なんですよ? 死喰い人なんかに手は出させません。」

 

「うむ、うむ。それでは、城の防御のために新たにいくつかの術をかけようと思う。それを手伝って欲しいのじゃ。」

 

「分かりました、行きましょう。」

 

歩き出したダンブルドア先生に続いて、校長室から出てホグワーツの廊下を進んでいく。この学校には大切な思い出がたくさんあるのだ。絶対に守ってみせる。

 

胸に決意を秘めながら、アリス・マーガトロイドはホグワーツの廊下を歩き続けるのだった。

 

 

─────

 

 

「ダメ、ぜんっぜんダメだわ。」

 

紅魔館の執務室で、アンネリーゼ・バートリはレミリアの情けない降参宣言を聞いていた。

 

「『レミリア・スカーレットの名に懸けて、この運命を読み解いてみせるわ』……誰の言葉だったかな?」

 

「うるさいわよ、性悪! 本当に難しいんだから!」

 

あの弾幕ごっこの夜から三年が経ったが、未だにレミリアはリドルの運命を読みきれないでいる。今日はそれを催促に来たというわけだ。いい加減こっちもうんざりしているのだから。

 

「まったく、何がそんなに難しいんだい? このままだと本当に負けかねないんだよ? 吸血鬼が人間に負けるだなんて……憤死するかもしれないね、私。」

 

戦況は膠着どころか、むしろ不利ですらある。魔法省はクラウチの失態で機能停止状態。騎士団にも数名の犠牲者が出ているし、順調なのはムーディだけだ。あいつは一人でアズカバンの部屋を埋め尽くしつつある。

 

「全然運命が繋がらないのよ! 必死に辿っていくんだけど、ある地点からいきなり消えちゃうの。まるでまだ決定していないみたいにね!」

 

「じゃあ、決定していないんだろうさ。」

 

「有り得ないわ! ボヤけることはあっても、完璧に見えなくなることなんて今までなかったもの。」

 

抽象的すぎてよく分からないが、レミリアにとっては有り得ないことらしい。決定していない、か。つまり……。

 

「つまり、今存在している人間じゃないとか? これから生まれるヤツに繋がっているとかはないのか?」

 

「ふん、なめないで頂戴。その程度で見えなくなったりはしないわ。生まれていないからといって……ふむ? 生まれていない……。」

 

勢いよく喋っていたレミリアが、急に黙り込んだ。おっと、どうやらヒントになったらしい。邪魔しないように黙って見つめていると、やがてレミリアは自分の考えを整理するように話し始めた。

 

「そうね、生まれていないのよ。リドルを殺せる相手がじゃなく、運命そのものが生まれてないんだわ。……というか、未確定なのよ。」

 

「いつにも増して、とびっきりの分かり難さだね。もっと噛み砕いて説明してくれ。」

 

「んー……つまり、リドルの運命はまだ誰にも繋がっていないの。それはきっとまだ存在していない相手に繋がるはずなのだけど、その相手というのが確定していないのよ。」

 

「全くもって……面倒な話だな。その相手とやらは絞り込めないのかい?」

 

私の言葉を受けたレミリアは、少し考え込んだ後、瞑目しながら口を開いた。

 

「難しいけど……不可能ではないはずよ。」

 

「ようやく一歩前進だね。吸血鬼にとっての偉大な一歩、というわけだ。」

 

「あのね、分かってるの? まだ生まれてないってことは、これからアホみたいに時間がかかるかもしれないのよ?」

 

それは……その通りだ。幾ら何でも赤ん坊がリドルを殺すのは厳しいだろう。ヤツもそこまで貧弱ではないはずだ。

 

うんざりした気分で計算する。仮に今生まれたとしても、使い物になるのは十年後……十五年は見ておいたほうがいいか。生まれるのがまだまだ先なら……考えたくもない。

 

「はぁ……最悪だ。我が身の不幸を呪うばかりだよ。」

 

「こっちのセリフよ! なんだって私は毎回毎回、馬鹿げた戦争を支援しなきゃならないのよ! しかも毎回負けてる側でね!」

 

喚き散らすレミリアを冷たく見据えて、無言でドヤ顔レミィちゃんが写っている予言者新聞の方を向く。クラウチをやり負かした時の新聞だ。紅魔館の至る所に貼ってある。

 

私が何を言いたいのか察したらしいレミリアは、ちょっとだけバツの悪そうな顔で目を背けた。なんだかんだ言いつつも楽しんでいるのだ、こいつは。

 

しばらくジト目で見つめてやると、レミリアは話題を逸らすために話を変えてくる。

 

「ま、まぁ? とにかく運命の件は前進したわけじゃない? 後は騎士団が崩壊しないように頑張ればいいのよ。適当に手を抜いてね。」

 

「アリスがやる気なんだ、なかなか手を抜けないよ。パチェも何故かやる気を出してるみたいだし、サボるのが難しいんだ。」

 

相変わらずよく分からんとこでやる気を出す魔女だ。今は紅魔館の図書館とムーンホールドを行き来して、似合わぬことに精力的に働いている。私と美鈴がだらけていると、ジロリと睨みつけてくるんだから堪らない。

 

「フランもやる気みたいだしね……来年卒業してきたら、せっつかれるに違いないわ。」

 

「そういえば、結局いもり試験は受けさせるのかい?」

 

「やめとくわ。あの子のふくろう試験の成績は……まあ、吸血鬼に学校の成績は不要よ。」

 

無理もない、去年の試験結果は惨憺たるものだったのだ。細かな妖力操作が苦手なフランは、杖魔法が頗る苦手らしい。丸暗記系はかなり良い成績だったが。

 

本人はきちんと努力しているらしいので、まあ……大目に見るべきだろう。なんだかんだで私もレミリアもフランには甘いのだ。

 

内心で苦笑していると、窓の外からふよふよと人形が飛んできた。アリスの『お手紙ちゃん三号』だ。彼女はフクロウよりも自分の人形を信用しているらしい。ちなみに一号は鳥に突かれて大破し、二号は配達中に行方不明になった。うーむ……現状ではフクロウのほうが上かもしれない。

 

手紙を受け取って読んでみると……なるほど、どうやらフランはとびっきりのトラブルを起こしたようだ。……おいおい、私がレミリアに伝えるのか? これを?

 

「アリスからでしょ? 何かあったの?」

 

「あー……まあ、ちょっとしたトラブルがね。」

 

お手紙ちゃん三号は、私が受け取ったのを見るとすぐさま飛んでいった。アリスめ、謀ったな。

 

報せを聞こうと待つレミリアを前にして、アンネリーゼ・バートリは大きくため息を吐くのだった。

 



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ちいさな善行

 

 

「それでさ、リリーに似合うと思って買ったんだが……どう思う? ピックトゥース。」

 

フランドール・スカーレットは、友人のノロケ話をイライラした気分で聞いていた。何度同じ話をすれば気が済むんだ、こいつは!

 

「だから、似合うって言ってるでしょ! 次に同じ質問をしたらぶっ飛ばすよ、プロングス。」

 

ホグワーツの空き部屋には、他にもコゼット、シリウス、リーマス、ピーターといういつものメンバーが居るが、誰一人としてジェームズに関わろうとはしない。彼の『病気』は今に始まったことではないのだ。

 

七年生が始まった頃に付き合い始めたジェームズとリリーだったが、微笑ましかったのは最初のうちだけだった。いもり試験も近付いた今となっては、もはや勉強の邪魔者でしかなくなっている。

 

試験を受けないフランが対応しているわけだが……フランの我慢にだって限界があるのだ。次にふざけた質問をしたら、本当に殴ってやるからな。

 

「なんだよ、ちょっと聞いただけだろ? しかし……うーん、リリーは赤毛だからな。どうだろう? ちょっと派手すぎたか? どう思、ぐぅっ……。」

 

脇腹を殴ってやった。当然フランを責める者などいない。シリウスはよくやったとばかりに親指を立てているし、リーマスも拍手をしている。ピーターでさえコクコク頷いているのだ。

 

「なっ、なにするんだよ!」

 

「『リリー病』を治してあげたんだよ。いいからプロングスも勉強するの! 成績が悪かったら、騎士団には入れてもらえないんだよ!」

 

一応はそういう約束になっている。あまりにしつこいジェームズたちに、ヴェイユ先生やマクゴナガル先生もとうとう折れたらしい。いもり試験で実力を証明すれば騎士団の見習いとして活動できるようだ。

 

「それは……そうだな。分かったよ、勉強するから手を下ろしてくれ。」

 

「ふんっ。」

 

脅しのためのファイティングポーズを解いて、コゼットのほうに歩いていく。ジェームズに構うのは時間の無駄なのだ。どうせ十分もすればまた病気が再発するのだから。

 

コゼットの隣に座って見ている本を覗き込んでみれば……魔法史の勉強をしているらしい。うんうん唸っている彼女だったが、フランが近くにいると気付いて声をかけてくる。

 

「ねぇ、フラン? ヌルメンガードの建設時期っていつだっけ? 教科書に載ってないのよ。」

 

「二十世紀初頭だよ。詳しい時期は不明だって、ユーレイ先生が言ってたもん。」

 

本当は正確な時期を知っているが、あのゲームのことは内緒だとリーゼお姉様と約束している。懐かしいなぁ……グリンデルバルドは今もそこで繋がれているのだろうか?

 

「あー、だから正確な日にちが書いてなかったんだ……ねえ、フランもいもり試験を受けてみれば? 成績のいい教科も多いじゃない。」

 

「フランはいいや。めんどくさいし。」

 

「羨ましいなぁ、もう。」

 

疲れたように微笑むコゼットは、あまりジェームズに文句を言わない。なんたって自分もボーイフレンドが出来たからだ。本人は隠している様子だったが、レイブンクローの監督生をしているアレックスに違いない。アイツにだけヴェイユ先生の当たりが強いのだ。

 

ふくろう試験じゃ、十二科目合格とかいう意味不明な成績を収めた秀才だ。どうやってそんなに授業を受けているのだろうか? どう計算しても時間が足りないと思うのだが……。

 

「アレックスと一緒に勉強しなくていいの?」

 

「なっ、彼は関係ないよ! その……あんまり二人でいると、お母さんが、ね?」

 

どうやらヴェイユ先生は娘に集る悪い虫を許せないらしい。いいぞ。フランも応援している。

 

そんなピンク色の七年生だが、フランには未だにそういう関係が理解しきれない。なんというか……複雑すぎるのだ。コゼットとリリーの二人がかりの解説も、残念ながら効果がなかった。

 

「と、とにかく! 今は勉強するの!」

 

ちょっと赤くなったコゼットが慌てて本に向き直る。……なんだかモヤモヤするな。今度アレックスを見たら泥団子をぶん投げてやろう。

 

しかし……ヒマだ。勉強なんて好んでやりたくはないし、邪魔するのも心苦しい。またピーブスでもからかって遊んでこようかな?

 

フランが遊びに行こうかと考えていると、ドアが開いてリリーがひょっこり顔を出した。……ジェームズが途端に髪型をクシャクシャにし出す。あれがカッコいい髪型だと信じて疑わないのだ。控えめに言ってバカみたいだが、本人に何を言っても効果はない。

 

リリーはジェームズを引きつった目で見た後、彼を見てオエッとしているシリウスを無視して全員に話しかけてきた。

 

「こんにちは、みんな。えーっと……ちょっとスラグホーン先生に手伝いを頼まれちゃって、応援を要請しに来たんだけど……勉強中みたいね、他を当たるわ。」

 

「リリー、僕に任せて、ぐっ……。ピックトゥース、僕の脛に何か恨みでもあるのか?」

 

元気よく立ち上がったジェームズの脛を蹴っ飛ばして、腰に手を当てて睨みつける。

 

「あんたは勉強するんでしょうが! お手伝いはフランが行くよ。どうせヒマだったんだもん。」

 

なおも食い下がろうとするジェームズをリーマスとシリウスが押さえつけているのを尻目に、リリーの手を取って部屋を出る。

 

「ほら、行こう、リリー。」

 

「うん。じゃあね、みんな。」

 

リリーですらジェームズを気にも留めていない。どうやら病気にかかっているのは片方だけらしい。

 

地下の薬品庫に向かって歩いていると、リリーが苦笑しながら話しかけてきた。

 

「ありがとね、フラン。それと……ごめんね? ジェームズが色々うるさいでしょ?」

 

「リリーのせいじゃないよ。まあ……確かに、プレゼントの相談を百回はされてるけど。あれはちょっと鬱陶しいかなぁ。」

 

「あはは……今度ジェームズにキツく言っておくから。」

 

お陰でフランはホグズミードに売っているアクセサリーに関して、めちゃくちゃ詳しくなってしまったのだ。行ったこともない店に詳しくなって一体何の役に立つのやら。

 

リリーは苦笑を納めた後、指を唇に当てて何かを考え始めた。

 

「うーん……私もジェームズに何かプレゼントした方がいいのかな? 貰ってばっかりだよ。」

 

「ほっぺにチューでもしてあげれば? プロングスなら、きっとガリオン金貨の山より喜ぶよ。」

 

「フランはおませさんだなぁ。」

 

むむ。コゼットといい、リリーといい、同学年の女の子はやたらとフランを子供扱いしてくる。低学年の頃はそんなことなかったのに、なんだってこんなことになったんだろう?

 

「フランはリリーよりもお姉さんだよ?」

 

「えへへ、そうだねぇ。」

 

リリーは言葉とは裏腹にフランの頭を撫でてきた。むうぅ、全然分かってないな。更に訂正を加えようと口を開いたところで、前からスネイプが歩いてくるのが見えてきた。

 

「おー、スネイプだ。」

 

「へ? わっ、フラン、違う道を行こう。」

 

慌てて道を変えようとするリリーだったが、その前にスネイプがこちらに気付いてしまった。向こうも気まずそうな顔をしている。二人は仲が良かったと思ったのだが、喧嘩でもしたのだろうか?

 

とはいえ反転して歩き出すのは不自然に過ぎると思ったのだろう。スネイプは気まずそうな顔のまま、すれ違う時に声をかけてきた。

 

「やあ、スカーレット。それと……リリーも。」

 

「やっほー、スネイプ。」

 

「……久し振りね、セブ。」

 

微妙な沈黙だ。フランを挟んでお互いに目を合わさないようにしている。ぬぅ……どういう状況なんだ、これは。打開のためにフランから口を開いた。

 

「えっと、喧嘩?」

 

途端に二人が居心地悪そうにモジモジしだした。ええい、煮え切らない二人だ。

 

「むー、仲直りしないの?」

 

「私からはしないわ。セブが私のことを……その、あの言葉で呼んだのが悪いのよ。」

 

「あの言葉?」

 

「だから……穢れた血って。」

 

何だって? スネイプを睨みつけてやると、慌てて目を逸らされた。友達に向かってなんてことを言うんだ、こいつは。

 

「スネイプ? ごめんなさいしないとダメだよ! それってとっても酷い言葉なんだから!」

 

「いや、スカーレット、色々と訳があるんだよ。」

 

「スネイプ?」

 

フランのグーが出るぞ。握った手を振り上げて威嚇してやると、スネイプは顔を引きつらせた後、一度俯いてから本気で後悔している様子でリリーに声をかけた。

 

「リリー、その……すまなかった。もちろん本気じゃなかったんだ。ただ、色々と思うことがあって、それで……本当にすまなかった。」

 

リリーにも本気で後悔しているのが伝わったのか、それとも彼女も早く仲直りしたかったのかもしれない。彼女はちょっとだけ笑顔になって口を開く。

 

「うん……許してあげる。もうあんな言葉使っちゃダメだよ?」

 

「ああ、約束する。」

 

二人は微笑んで頷き合った。おお、フランは仲直りを成功させることが出来たらしい。嬉しくなって翼をパタパタさせてると、ちょっと明るくなったスネイプがこちらに声をかけてきた。

 

「スカーレットも、その、ありがとう。君にはいつも助けられてばかりだね。」

 

「ふふん、いつか返してよね、スネイプ。」

 

「分かった、いつか返すよ。……それじゃあね、リリー、スカーレット。」

 

先程よりも軽い足取りで、スネイプの姿が遠ざかって行く。リリーも笑顔になっているし、よかったよかった。

 

リリーと共にホグワーツの廊下を歩きながら、フランドール・スカーレットはまた良いことをしてしまったと、心の中で自分を褒めるのだった。

 

 

─────

 

 

「ああああ、もう! 本、本、本! このままだと紅魔館が埋まっちゃうわ!」

 

紅魔館にくっついた自分の図書館で本を読みながら、パチュリー・ノーレッジは館の主人の上げる悲鳴を聞いていた。

 

ふむ、無視しよう。大体、館が本で埋まったとしたら、それは幸せなことのはずだ。私の図書館魔法に感謝して欲しいくらいである。

 

「あの、いいんですか? レミリアさんが激怒してますけど。」

 

「こあ、覚えておきなさい。問題というのは常に後回しにすべきなのよ。」

 

「えぇ……。」

 

意味が分からないという様子の小悪魔を無視して、再び自分の世界に……入れなさそうだ。レミィの足音が図書館に近づいてくる。

 

図書館のドアを勢いよく開け放ったレミィは、そのままの勢いで私に怒鳴りつけてきた。

 

「おいこら、紫なめこ! 私のカッコいい館が本まみれになっちゃってるじゃないの! どういうことよ!」

 

「仕方がないでしょう? 図書館の体積は有限なの。余った本は外に置くしかないのよ。」

 

「捨てなさいよ! あんたみたいのがゴミ屋敷を作り出すのね。まさか身を以て理解するとは思わなかったわ。」

 

「ムーンホールドじゃあ空き部屋に置けてたんだけど……ひょっとして、紅魔館って狭いのかしら?」

 

私がそう言うと、レミィの顔色が真っ赤に染まる。彼女はたとえ建物一つでもリーゼに劣るのは嫌なのだ。……もちろんリーゼの方も同様である。

 

「そんなわけないでしょ! 紅魔館は広すぎて困っちゃうくらいなのよ? あんな古臭い屋敷なんて小屋みたいなもんよ! 小屋!」

 

「じゃあ問題ないわけね。」

 

「そっ、そういう問題じゃないのよ。あー……そう、品格の問題なの! そこら中に本が散らばっている館なんて、格好がつかないでしょう?」

 

「最高の館だと思うわ。死ぬにはいい場所ね。」

 

願わくば死ぬ時は本に囲まれて死にたいものだ。……地獄にはちゃんと本があるのだろうか? むむ、心配になってきた。今度調べておく必要がありそうだ。

 

「そんなのあんただけでしょうが! ……埒があかないわ。小悪魔、貴女はどう思うかしら? 私に賛成よね? 賛成だと言いなさい?」

 

「ひっ……その、えっと、黙秘! 黙秘します!」

 

レミィに猫撫で声で脅しをかけられた小悪魔は、私と彼女を見比べた後、言いながら本棚の陰に隠れてしまった。相変わらずのダメダメっぷりだ。

 

「ええい、それなら美鈴! めーりん! めーりーん!」

 

今度は大声で美鈴召喚の術を使い出す。無視して本を読んでいると、やがて慌ただしい足音と共に土まみれの美鈴が図書館に入ってきた。おいおい、なんて格好をしてるんだ。慌てて注意をするために声を投げかける。

 

「ちょっと、本に土でもつけてみなさい、足先から腐っていく呪いをかけるわよ?」

 

「ちょ、呼ばれて来たんですけど。酷くないですか? この扱い。」

 

「こあ、あれを近寄らせないように。」

 

「いやぁ、私もちょっと酷いと思いますけど……。」

 

抗議してくる二人だが、本は命よりも重いのだ。それが私の図書館の法である。破れば死刑だと決めているのだ。

 

「また庭いじりをしてたの? ……そんなことより、貴女はどう思うかしら? 本だらけの紅魔館なんて嫌でしょう?」

 

ビシりと指差して問いかけるレミィだったが、美鈴はよく状況を理解していないようだ。首を傾げながら適当そうに返事を返す。

 

「あー、よくわかんないですけど、どうでもいいです。……それじゃ、庭に戻ってもいいですかね?」

 

「……貴女に図書館の増設作業を命じてもいいのだけど?」

 

「お嬢様に同意します! 要らないものはきちんと捨てる! これは大事なことですよ、パチュリーさん!」

 

レミィの言葉を聞いた美鈴は、途端に元気よく彼女の味方をし始めた。そんなに増設作業が嫌なのか。しかし、マズいな。小悪魔が棄権票を投じた以上、このままでは二対一だ。

 

状況をなんとか打開すべく、ゆっくりと口を開く。困った時は強硬手段に限る。

 

「本を捨てたら呪うわよ? ほら、これなんかどうかしら? 足の裏が痒くて堪らなくなる呪い。」

 

「おっ、脅しには屈しないわ! 大体、そういう陰湿なことを言ってるから、いつまでもジメジメした雰囲気が治らないのよ!」

 

「あら、こっちの方がお好み? 額から指が生えてくるんですって。興味深いわね……試してみようかしら?」

 

「なんて恐ろしい女なの! 行きなさい、美鈴! あの紫もやしに分からせてやるのよ!」

 

「嫌です、怖いです。」

 

賢い美鈴は撤退を選択したようで、ジリジリと出口の方へと下がっていく。それに怒り出すレミィを眺めながら、脳内では確かにそろそろ解決策を考えるべきだと結論を出した。

 

紅魔館の品格とやらはどうでもいいが、本は本棚にしまうのが一番美しいのだ。

 

頭の中でいくつかの魔法を候補に出しながら、パチュリー・ノーレッジはとりあえず友人をからかうために、ニヤリと笑いながら再び口を開くのだった。

 



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ホグワーツ特急の戦い

 

 

「はぁ……コゼットも卒業かぁ。」

 

ムーンホールドのリビングで、アリス・マーガトロイドは何度目かになる親友のため息を聞いていた。

 

「おめでたいことじゃない。あんなに小さかったコゼットが、今や立派な成人よ? 私も名付け親として鼻が高いわ。」

 

「そりゃあ、卒業は素直に嬉しいよ? でも、騎士団に入るだなんて……。」

 

いもり試験の成績次第と話してはいるが、ダンブルドア先生はコゼットたちを騎士団に入れるつもりでいるらしい。目の届かない場所で無茶をされるよりは、騎士団に入れた方がよっぽどマシだと考えたようだ。まあ、私もそう思う。

 

テッサもかなり渋ってはいたが、自宅よりもムーンホールドのほうが安全であることを認めざるを得なかったようで、最後にはちょっと嫌そうにしながらも同意していた。していたのだが……。

 

「危ないよ。やっぱりあの子にはまだ早いんじゃないかな? どう思う?」

 

この有様だ。コゼットたちはもう卒業式も終えて、今まさにホグワーツ特急で帰途に着いているというのに、未だにうじうじしているのだ。苦笑を顔に浮かべながら、心配性の友人に柔らかく声をかけた。

 

「もう、今更悩んだって仕方がないでしょう? 私たちできちんと守ればいいだけじゃないの。」

 

「……うん、そうだよね。」

 

『私たち』の部分が嬉しかったらしい。現金なヤツめ。妙に機嫌が良くなったテッサがようやく吹っ切れたところで、ドアからムーディが入ってくる。

 

「む、ヴェイユ、マーガトロイド。お前たちだけか。」

 

「アラスター、あんたに礼儀を教えられなかったのは、私の教師としての失敗の一つね。」

 

傍若無人な挨拶に、テッサが首を振りながら答えた。とはいえ、呪文学の教師としては最高の生徒だったことだろう。杖捌きでいえばダンブルドア先生に次ぐほどの実力者なのだ。

 

死喰い人の収監スコアでもトップを独走している。ただし、その対価として顔には傷跡のない箇所が見当たらないし、先日は片目を失ってしまった。今はその代わりとして……実に薄気味悪い義眼をはめ込んでいる。

 

呆れているテッサの肩越しに、青い義眼をぐるんぐるんさせているムーディに声を投げかけた。

 

「ごきげんよう、ムーディ。義眼の調子はどうかしら?」

 

「ああ、見事なもんだ。元あった目よりも数段調子がいい。ノーレッジには感謝すべきだな。」

 

パチュリー特製の義眼は調子がいいようだ。ちなみに、あれにはかなり複雑な透視の魔法がかかっているらしい。お陰で騎士団の女性団員の中では透視を防ぐ魔道具が大流行りだ。ムーディ本人は憮然としてたが。

 

行儀悪く逆向きに座り直したテッサが、背もたれに寄りかかってため息まじりに口を開いた。

 

「私ならそんな気持ち悪い義眼はゴメンだけどね。それで? 今日はどんな陰謀の報告に来たの?」

 

「油断大敵! 疑うことこそが最大の防御だ。魔法省のシュレッダーに読みとり魔法が仕掛けられている疑いがある。情報が筒抜けじゃあ困るだろうが?」

 

「それで? この前みたいに、いきなり爆破したりはしてないでしょうね?」

 

「無論既に破壊した。ここのシュレッダーも調べに来たんだ。」

 

どうやらムーディはシュレッダーを破壊して回っているらしい。些か以上にイカれた趣味だが、彼に残念な知らせを伝えねばなるまい。

 

「ムーディ、ここにはシュレッダーはないわ。書類は燃やして廃棄しているの。」

 

「む、そうか。さすがに魔法省とは出来が違うな。燃やすのが一番安全だ。」

 

満足そうに頷くムーディにとっては、シュレッダーの有無が組織の価値を測る基準の一つのようだ。騎士団は及第点をもらえたらしい。燃やしてるなら暖炉を破壊すると言われなくてよかった。

 

「そういえば、魔法省はどうなのさ? クラウチはまだ功績探しに必死なの?」

 

テッサの質問に、ムーディが唸るような声で答える。

 

「ふん、あの能無しは他人を蹴落とす方向に舵を切ったぞ。今は騎士団の粗探しに必死のようだ。」

 

なんとも迷惑なことだ。本質的には敵じゃないのだから、大人しくしててくれればそれでいいのに。

 

「消極的なお荷物から能動的なお荷物になったわけね。不愉快な話だわ。」

 

「スカーレットの件でよほど腹が立っているらしいな。吸血鬼憎けりゃ騎士団まで憎し、だ。」

 

「自業自得という言葉を学ぶべきね、クラウチは。」

 

呆れた口調で言うと、二人も同意するように頷く。吸血鬼に舌戦を挑むほうがバカなのだ。リーゼ様もレミリアさんも正攻法で戦うような相手じゃない。卑怯なやり方で相手取るべきであって、まともな方法で挑んだ時点で負けなのだ。

 

「まあ、シュレッダーがないなら構わん。他を回るとしよう。」

 

ムーディが憎っくきシュレッダー殺しの旅に出ようとしたところで、再びリビングのドアが開いた。今度はフランクだ。まさか彼もシュレッダーを探しに来たのではあるまいな?

 

走ってきたらしき彼は、荒い息を整える間もなく私たちに言葉を放った。

 

「ホグワーツ特急が襲われている! すぐに来てくれ!」

 

聞いた瞬間、杖を抜いて走り出す。他の二人も同様だ。エントランスまで走り抜け、先行するフランクが暖炉飛行で飛んで行ったのを確認して、私も暖炉へと飛び込んだ。

 

「9と3/4番線!」

 

この時間ならもうロンドンに近付いているだろう。つまり、一番近いのは駅の暖炉だ。正確な位置が分からない以上、そこから飛翔術で飛んでいくことになる。

 

ダンブルドア先生を恐れているらしいリドルが、ホグワーツ関係の場所を襲うのは予想外だった。堅牢な守りを有するホグワーツ城はともかく、あの列車には防御手段が多くはない。

 

暖炉飛行のグルグルと回るような感覚に耐えながら、アリス・マーガトロイドは久方ぶりの焦りを感じていた。

 

 

─────

 

 

「なんか……遅くなってない?」

 

卒業式を終えたフランドール・スカーレットは、ホグワーツ特急のコンパートメントで友人たちとのお喋りを楽しんでいた。

 

片側にはジェームズ、シリウス、リーマス、ピーターがぎゅうぎゅう詰めになり、もう片方にはフラン、コゼット、リリーが座っている。

 

ジェームズとリリーのことをみんなでからかっていたところ、窓を見るコゼットが急に声を上げたのだ。釣られて窓を見てみると……ふむ、確かに景色の流れが遅くなっている気がする。つまり、列車の速度が落ちているということだ。

 

「おいおい、事故じゃないだろうな?」

 

「ホグワーツ特急がかい? 有り得ないよ。」

 

自分のスペースを得ようと両脇を押し始めたシリウスの声に、絶対に譲るまいとするリーマスが答える。確かに有り得ない。魔法の列車は事故とは無縁のはずだ。

 

「ちょっと外を見てくるよ。」

 

ジェームズがコンパートメントから出ようと立ち上がった瞬間、轟音と共に車内が大きく揺れた。一緒にぐらんぐらんするフランを、コゼットとリリーが両脇から支えてくれる。

 

「何が──」

 

「死喰い人だ!」

 

ピーターが何が起こったのかと呟いたのを、窓を見たシリウスの声が遮る。慌ててみんなで窓を見ると……なんだこれは? 無数の黒い影のようなものが、ビュンビュンと列車の周りを飛び回っている。死喰い人? あれが全部?

 

窓を見ていたリーマスが呆然と呟く。

 

「多すぎるぞ、これは……。」

 

その通りだ。去年は三人相手であんなに苦戦したのに、あんなにいっぱいだなんて……どうすればいい? どうすれば……。

 

「下級生を守るんだ!」

 

真っ先に杖を抜いて言い放ったジェームズに、その場の全員がハッとなって杖を抜き放った。そうだ! フランたちは七年生なのだ。下級生を守らなくちゃいけない!

 

コンパートメントを出てみると、他にも上級生たちが出てくるのが見える。グリフィンドール生たちは杖を持って列車の入り口へと向かい、レイブンクロー生たちは車体に保護呪文をかけまくっている。ハッフルパフの知り合いたちは下級生を誘導しているようだ。驚いたことに、数人のスリザリン生たちも戦う姿勢を示している。

 

通路を進んでいくと、聞いたことのある声が聞こえてきた。

 

「下級生を列車の中央に集めるんだ! 上級生たちは前後を固めろ! ヤツらを車内に入れさせるな!」

 

「アレックス!」

 

一際大きな声で誘導しているレイブンクロー生に、コゼットが慌てて駆け寄っていく。アレックス。コゼットのボーイフレンドだ。

 

「コゼット? 危険だよ。コンパートメントの中にいるんだ。」

 

「私だって戦うよ! ホグワーツのみんなを守らなきゃ!」

 

「それは……分かった。君たちは列車の後方に向かってくれ。まだそっちは人が少ないんだ。」

 

「わかった! ……怪我しないでね、アレックス。」

 

「こっちのセリフだよ、コゼット。」

 

イチャイチャしちゃって。フランたちがジト目で見ていると、赤くなったコゼットはみんなを後方車両へと追い立ててきた。

 

「ほら、そんなことしてる場合じゃないでしょ!」

 

「まあ……そうだな。よし、出入り口を潰しながらいくぞ! 守っていれば校長がきっと来てくれる!」

 

シリウスの号令で列車後方へと走り出す。道すがら上級生には協力を要請し、下級生には中央へ走れと声をかける。

 

いくつかの車両を駆け抜けたところで、窓の外から閃光が飛び込んできた。

 

「窓からだ! プロテゴ!」

 

先頭を走るジェームズに続いて、全員で車体に隠れながら盾の呪文を唱える。フランはどうせ当たってもなんともないのだ。無視して窓から外を見てみると……飛び交う影から呪文が発射されているのが見えてきた。

 

「こらっ、フラン! 隠れないとダメ!」

 

と思ったらコゼットに押さえ付けられてしまった。フランは頑丈だって知ってるくせに。心配症は卒業しても治らなかったらしい。

 

押さえられながら前を見ると、ジェームズとシリウスは隠れながらも隙を見て攻撃を加えているようだ。

 

ステューピファイ(麻痺せよ)! くそっ、ステューピファイ! ダメだ、全然当たらない。」

 

「軌道を狙うんだ! ステューピファイ! ……ほらな?」

 

シリウスの攻撃で影が一つ墜落していくが、途端に十倍くらいの閃光が降ってくる。ニヤリと笑っていたシリウスの笑みが引きつった。

 

「おっと、怒ったらしいな。」

 

「言ってる場合か! エクスペリアームス! これじゃあ動けないぞ。」

 

ジェームズの言う通りだ。列車後方からは激しい戦いの音が聞こえてくるのに、そこに向かうにはこの閃光の雨をどうにかする必要がある。

 

全員で閃光を防いでいると、耐えかねたようにリリーが強行策を提案してきた。この子もなかなか物騒な性格をしているらしい。

 

「盾の呪文を唱えながら、一気に走り抜けましょう! 早く行かないと侵入されちゃうわよ!」

 

全員で頷き合い、先頭のジェームズが号令をかけた。

 

「一、二、三、今だ! プロテゴ!」

 

全員で固まって前へと全力疾走する。フランも走りながらコゼットとリリーに飛んできた呪文はペチペチして弾く。ついでにコンパートメントのドアをもぎ取ってぶん投げてやれば……快音とともに影が一つ吹っ飛んでいった。ざまあみろ!

 

そのまま後方車両に突入してみると、そこでは既に激しい戦いの真っ最中のようだ。近くにいたグリフィンドール生が、ジェームズの姿を認めて声をかけてきた。

 

「ジェームズか? 気をつけろ! もう中に入られてるぞ!」

 

コンパートメントの椅子を運び出し、それに隠れながら戦っているらしい。倒れた数人の死喰い人と、その倍ほどの生徒の姿が見える。気絶しているだけならいいのだが……。

 

「おのれ!」

 

倒れた生徒を見て激昂したシリウスが最前線に突っ込んでいくのを皮切りに、ジェームズとリーマスもそれに続く。少し迷っていたピーターも覚悟を決めた顔でそれに続き、リリーとコゼットは負傷者を守りながらこちら側のコンパートメントに運び出すことにしたようだ。

 

フランは……同じ轍は踏まないぞ。もう迷わずに、能力を使うため集中する。まずは先頭のヤツだ。

 

「きゅっとしてー……ドッカーン!」

 

「マグル生まれは殺せ! 顔は頭に入っているな? それなあ゛っ……。」

 

ムカつく台詞を吐いていた先頭の死喰い人が吹っ飛んだ。動揺が広がるその周辺から、次の標的を選び出す。

 

「いいぞ、ピックトゥース! ステューピファイ! そのままやっつけてやれ! エクスペリアームス!」

 

先頭で獰猛に笑うシリウスが、呪文を放つ間に声をかけてくる。もちろんそのつもりだ。『目』を移動させて、手のひらへと──

 

「貴様がやったのか、ガキ! アバダ・ケダブラ(息絶えよ)!」

 

別の死喰い人が放った緑の閃光が、フランの右手に当たってしまう。ふん、こんなもん……あれ? 痛い……かも? 右手を見れば、当たった場所が黒ずんでいるのが見えた。むむ、あの呪文はフランにちょっとだけ効くらしい。

 

再生すれば済む話なのだが、それを見たシリウスが激昂してしまう。

 

「ピックトゥース! おのれ、許さんぞ! インペディメンタ(妨害せよ)フリペンド(撃て)!」

 

「パッドフット、出過ぎるな! くそっ、エクスペリアームス!」

 

シリウスを助けに前に出たジェームズに続き、他の生徒たちも攻勢に出始めてしまった。ヤバい、早くやっつけないと。急いで右手を再生していると、今度は死喰い人の背後から……なんだありゃ? 突然車内に突っ込んできたヤバい顔の人が、猛烈な勢いで死喰い人たちを攻撃している。

 

「ガキを相手に苦戦してるのか? ぇえ? 何とか言ったらどうだ、クズどもが!」

 

巨大な杖を振り回し、青くてでっかい左目がグルグルと辺りを見回している。どう見ても悪人なのだが……死喰い人を攻撃してるってことは、味方?

 

戦うのも忘れてポカンと見ていると、彼に続いて複数の白い影が車内に突入してきた。……ヴェイユ先生の姿もある! 先生たちが来てくれたんだ!

 

「私の生徒に手を出すな!」

 

普段からは考えられないほどの杖捌きで、ヴェイユ先生は次々と死喰い人たちをノックアウトしていく。音に気付いてふと窓の外を見れば……凄い。白い影と黒い影が空中で呪文を撃ち合っている。物凄い空中戦だ。

 

慌てて外に逃げていく死喰い人たちに追撃を加えつつ、ヴェイユ先生が顔の怖い人に声をかけている。

 

「アラスター、ここは任せるから! 私は前方に……コゼット!」

 

「お母さん!」

 

こちらを見たヴェイユ先生が、コンパートメントから顔を出したコゼットに気付いた。二人が抱き合うのを見てホッとしていると、顔の怖いおじさんが急に大声を出す。

 

「油断大敵! まだ敵はうろうろしとるだろうが! 安心してる場合か? 吸血鬼!」

 

こちらには背中を向けてるのに、何で分かったんだろう? 何にせようるさいおっさんだ。文句を言うために口を開く。

 

「うっさいなぁ。フランは油断なんかしてないもん! ……ほらね?」

 

窓から飛び込んできた閃光を握り潰してやると、おじさんはこちらに振り向いて傷だらけの顔でニヤリと笑った。

 

「ふん、さすがはスカーレットの妹だな。吸血鬼というのは伊達ではないらしい。」

 

「フランのほうが強いけどね。」

 

「その言葉が嘘でなければいいがな。……行くぞ! クズどもに好き放題させるわけにはいかん!」

 

「フランはもう終わりだと思うけど。ほら、外を見てみなよ。」

 

空中戦を繰り広げる影たちの下に、一組の人影が現れたのだ。老人と紫の少女。ダンブルドア先生とパチュリーだ。

 

パチュリーが面倒くさそうな顔でゆったりと手を振り上げた瞬間、凄まじい暴風が列車の周囲に吹き荒れた。何故か列車自体や白い影はその影響を受けていないようだが、黒い影は抵抗しきれずに四方八方へと吹き飛んでいく。

 

それを見た隣に立つダンブルドア先生が、杖から閃光を撃ち出して翻弄されている影たちを的確に撃ち落としていく。どう考えても終わりだ。フランと同じことを思ったのだろう。戦意を無くしたらしい黒い影たちは、フラフラとした軌道で四方に別れて逃げていった。

 

「馬鹿馬鹿しい力だな、まったく。死に損ないを拘束するぞ! そら、ばらけろ!」

 

鼻を鳴らしながら言った怖いおじさんが、号令を下しながら列車の外に出ていった。残った人たちも死喰い人を拘束するために動き出す。

 

「ピックトゥース! 大丈夫なのか? 死の呪文を……。」

 

立ち直ったらしいシリウスがこちらに走ってくるが……マズいな。それを聞いたコゼットが、ヴェイユ先生の元を離れて小走りでフランに近付いてくる。顔が真っ青だ。

 

「フラン? し、死の呪文? 死の呪文だなんて! 大丈夫なの?」

 

「大丈夫だよ、コゼット。ちょっと黒ずんじゃったけど……ほら、もう治ったもん。」

 

「黒ずんだ? 黒ずんだですって? 見せて! ああもう、何て無茶を!」

 

物凄い勢いでフランの手を掴み、癒しの呪文を唱え出す。必要ないのだが……うん、話を聞いてくれそうな表情じゃない。

 

なんか昔のレミリアに似ている反応だ。もしかしたら……アイツもフランのことを心配してたのかもしれない。

 

心配顔のコゼットに身体中を弄られながら、帰ったらちょっとだけ優しくしてあげようかな? と、フランドール・スカーレットは姉の顔を思い浮かべるのだった。

 



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戦いの後で

 

 

「ふらーん! 無事なのね? 怪我してないのね?」

 

ホグワーツ特急での戦いを終え、紅魔館のリビングに到着したフランドール・スカーレットは、ちょっとだけ気まずさを感じていた。思わず駆け寄ってくるレミリアから顔を背けてしまう。

 

部屋に居たリーゼお姉様や美鈴は、レミリアのことを呆れたように見ている。つまり、これがいつもの反応なのだが……。

 

うーむ、やはりコゼットやリリーの反応とそっくりだ。身体中をペタペタ触りながら怪我の有無を確認してきた。フランは怪我なんかしないって知ってるくせに、こんなに慌てているところもよく似ている。

 

……認めよう。本当は名前で呼び始めた五年生の頃から気付いていたのだ。レミリアはフランのことを心配している。ダンブルドア先生の言うとおり、フランを家族として愛しているのだ。

 

地下室に閉じ込めていたのもフランのためなのだろう。ホグワーツの七年間を経て、前までのフランが家から出せないなんてことは重々理解した。

 

それならどうする? 今までごめんなさいだなんて、恥ずかしくって言えないぞ。……呼び方を変えるか? 昔のように、レミリアお姉様? ダメダメ! こっちも恥ずかしすぎる。

 

「死の呪文がどうたらってヴェイユが言ってたけど……どこなの? どこに当たったの?」

 

「もう治ってるよ……うるさいなぁ。」

 

「後遺症があったらどうするのよ! 美鈴と違ってフランは繊細なんだから!」

 

「えぇ……ナチュラルに悪口を言いますね、お嬢様。」

 

美鈴の横槍で再び思考を回す。彼女はお嬢様と呼んでいるが……いやいや、ダメだろう。それを言ったらフランだってお嬢様だ。

 

呆れたようにレミリアを見ていたリーゼお姉様が、未だフランのことを診察している彼女を止めにかかる。

 

「レミィ、お医者さんごっこはその辺にしときなよ。魔法警察に捕まるよ?」

 

「ちょっと、変質者扱いはやめて頂戴! 私は心配しているだけよ!」

 

レミィ。リーゼお姉様もパチュリーもそう呼んでいるが……これもなんか違う気がする。妹じゃなくて、友達の呼び方って感じだ。

 

黙考するフランを余所に、リーゼお姉様とレミリアの話は続く。

 

「しかし、パチェが直々に出るとはね。死喰い人たちも不運なことだ。」

 

「面子を見る限り、死喰い人の中でも過激な連中が起こした事件みたいね。大方『ご主人様』の慎重な姿勢に業を煮やしたんでしょうけど……かなりの数を拘束されたもんだから、リドルも激怒してるんじゃないかしら?」

 

「マグル生まれを『間引く』ってわけか。発想は良かったが、ホグワーツに手を出すのはマズかったらしい。あそこの卒業生は粒揃いだからね。」

 

「その筆頭二人がご登場しちゃったってわけね。ご愁傷様だわ。」

 

言って執務机の上に座り込んだレミリアは、疲れたように首を振りながら口を開く。

 

「何にせよ、クラウチが勢いづくのは間違いないわね。鬼の首を取ったかのように批判してくるに違いないわ。」

 

「ここにあるのは吸血鬼の首だけどね。」

 

リーゼお姉様の微妙なジョークには誰も笑わなかった。彼女のことは大好きだが、時たま変なジョークを言うのは反応に困る。シリウスが冗談を言うときに似ている感じだ。

 

反応がないのが気に入らなかったのだろう。やれやれと肩を竦めたリーゼお姉様は、まとめるように話し出す。

 

「とにかく、後始末をするべきだろう。レミィは盛りのついた執行部部長さんを抑えてくれ。私と美鈴は……ふむ、やることないな。なんか食べにでも行こうか?」

 

「行きます! 行きましょう!」

 

元気よく手を挙げた美鈴に苦笑しながら、レミリアが机から降りて口を開く。

 

「取り敢えずムーンホールドに行ってくるわ。ダンブルドアと話し合わなければならないでしょうしね。……フランはどうする? ヴェイユの娘も多分いるわよ?」

 

コゼットがいるなら否はない。フランも行くよと返事しようとしたところで……ふむ、一度言葉にしてみるか? 物は試しだ。覚悟を決めて口を開いた。

 

「フランも行くよ、えっと、レミリア……お姉様。」

 

うえぇ、なんか気持ち悪い。やっぱり変だ。フランが後悔していると、聞いたレミリアが硬直しているのが見えてきた。

 

リーゼお姉様が興味深そうにそれをツンツンしているが、まったく反応を返そうとしない。

 

「おーい、レミィ? ……ダメだな、これは。」

 

ため息を吐いて再起動を諦めたリーゼお姉様を見ながら、フランドール・スカーレットはやっぱりこの呼び方はやめようと心に誓うのだった。

 

 

─────

 

 

「同乗していた教師たちは……残念です。」

 

ボロボロのホグワーツ特急を背にしたフランクの報告を聞きながら、パチュリー・ノーレッジは大きくため息を吐いていた。

 

生徒たちは既に避難を終えている。ロンドンへと順に送り返された彼らは、今は家族との再会を喜んでいるはずだ。

 

しかし、それが叶わなかった者もいる。生徒九名、教師二名。駆けつけた癒者たちによる必死の治療の甲斐なく、十一名もの命が奪われた。

 

敵の量に対して死者が少なかったのは、同乗していた教師二人が緊急用の防護魔法を起動させたからだろう。勿論、上級生たちの迅速な行動も影響している。よくやったぞ、後輩。

 

ダンブルドアは既に遺族への説明に向かっており、残された私が後片付けの指揮を取っているというわけだ。意気消沈している彼に、さすがの私も嫌とは言えなかったのである。

 

「そうね。でも、悲しむのは後よ。列車が速度を落とした原因は分かったの?」

 

「内側に協力者がいたようです。つまり……その、恐らく生徒の中に。」

 

言い辛そうに言葉を発するフランクに、一度目を瞑って深く頷く。覚悟はしていたことだ。父や母に死喰い人を持つ生徒だっているのだから。

 

「分かったわ。それじゃあ、一応痕跡を調べておいて頂戴。……この様子だと望み薄かしらね。」

 

「なんとか見つけ出してみせます。」

 

力強く言って歩いていくフランクだったが、車体は酷い有様なのだ。痕跡を探すのは難しいだろう。

 

気を取り直して拘束した死喰い人たちのほうに歩いていくと……おっと、トラブルのようだ。ムーディとクラウチが睨み合っている。いつの間に到着していたんだ?

 

「今更ノコノコやって来て、主導権は寄越せだ? 連絡はとっくの昔に送ったはずだがな。随分と都合のいい話だとは思わんか? えぇ?」

 

「ムーディ、この件が我々の管轄下に置かれることは既に決定事項なのだ。死喰い人の尋問は我々で行おう。闇祓い諸君は帰ってもらって構わんよ。」

 

「功績漁りのハイエナめが! たまには自分で戦ってみればどうだ!」

 

ムーディに従う闇祓いたちと、クラウチに従う執行部職員たちも杖を手に睨み合っている。私ならムーディが勝つ方に全財産つぎ込んでもいいくらいだが……不本意ながら、騎士団の責任者は私だ。止めねばなるまい。

 

「ちょっと、何をしているのかしら?」

 

投げかけた声に、その場の全員が振り向く。ムーディは鼻を鳴らして一歩下がり、クラウチは怪訝そうな顔で話しかけてきた。

 

「君は? 残った生徒かね?」

 

「騎士団のメンバーで、一応この場の責任者らしいわね。」

 

「未成年にしか見えないが? 騎士団は人員不足なのかな?」

 

「これでもダンブルドアと同い年よ。年上に対する礼儀を教えてあげましょうか? 僕ちゃん。」

 

怯んだように驚くクラウチを見ながら、なるほどレミィが虐めたくなるようなヤツだと納得する。反応が面白そうだ。

 

「それは……なるほど。では、団員をまとめて撤収していただきたい。ここからの捜査は我々で行います。」

 

「あの列車はホグワーツの私物で、つまりはダンブルドアの管轄下にあるのよ。どうして魔法省が出てくるのかしら?」

 

「事件だからですよ。『なんちゃら卿』の対処は我々の仕事では?」

 

「ホグワーツは独立自治を認められているはずよ。魔法法を勉強し直すべきね。」

 

厄介な相手だと認識を改めたのだろう、クラウチは顔の表情を消しながらも、再び食い下がってくる。

 

「そちらこそ、緊急時の特別措置法をご存知ないようですな。有事の際、魔法省はホグワーツに介入する権利を有しているのです。」

 

「有事の際? 周りを見てみなさい。どこかで死喰い人が暴れ回っているかしら? 既に解決しているのよ。」

 

「解釈を婉曲したに過ぎませんな。」

 

「そちらこそ、過大解釈が過ぎるのじゃなくって? 心配しなくても犯罪者どもはきちんとそちらに送るわよ。そうでしょう? ムーディ。」

 

もちろん情報を抜き取ってからだが。チラリとムーディを見て問いかけると、彼はニヤリと顔を歪めながらクラウチに言い放った。

 

「無論だ。どこかの無能どもと違って、我々は職務を全うできるんでな。」

 

「あまり噛み付くな、ムーディ。私は君の上司なんだぞ?」

 

「貴様の脅しに何か効果があると思っているのか? 俺の半分も仕事ができるようになってから言ってみろ。」

 

しばらく私とムーディを順に睨みつけていたクラウチだったが、やがて鼻を鳴らすと身を翻して歩いていく。……おっと、捨て台詞が来るようだ。

 

「明日の朝刊を楽しみにしておくんだな。この事件の責任は追求させていただく。」

 

「えっと、別れの挨拶はさようなら、よ? 一つ賢くなれたわね、クラウチ。」

 

その釈明をするのはレミィとダンブルドアなのだ。私は痛くも痒くもない。熾烈な朝刊バトルなど知ったことではないのだ。

 

姿くらましで消えていくクラウチたちを尻目に、パチュリー・ノーレッジは再び望まぬ後始末の作業に戻るのだった。

 

 

─────

 

 

「疲れたわね……。」

 

ムーンホールドのリビングにある大机に寝そべりながら、アリス・マーガトロイドはため息混じりに呟いた。

 

隣には同じように疲れた様子のコゼットと、ローブの焦げつきを点検しているアーサーがいる。列車前方の戦いは酷いものだったのだ。

 

テッサはコゼットをここに運んだ後、遺族への説明のためにすぐさま出て行った。守護霊の報せを受けて駆けつけてくれた他の騎士団員たちも、後始末や報告やらでここには居ない。

 

「参ったな、またローブが使えなくなった。モリーは怒るだろうな……。」

 

首を振るアーサーを慰めるために、机に寝そべったままで言葉を投げかける。

 

「生徒たちを守るためだったんだから、モリーだって煩く言わないわよ。」

 

「まあ……そうかもしれないんですが。モリーはこのところ子育てでピリついてるもんで、すぐ怒鳴りつけられてしまうんですよ。」

 

「お子さんが多いと大変ね。まあ……自業自得よ、アーサー。」

 

「そりゃあ、そうですが。ああ……でも、マーガトロイドさんの人形のお陰で随分と助かっていますよ。モリーにもお礼を言うように言われてたんです。」

 

私の作った『子育てちゃん二号』は役に立っているらしい。当然である。あの子はオムツ変えとミルクを作るのに加えて、なんと自動いないいないばあ機能まで付いているのだ。一号の尊い犠牲は無駄ではなかった。

 

隣でぼうっと聞いていたコゼットが、呆れたように口を開く。

 

「アリスさん、そんなのまで作ってるんですね……。」

 

「コゼットにも作りましょうか? ほら、アレックスだったかしら。相手はいるんでしょう?」

 

「なっ、やめてくださいよ! そんなんじゃないんです!」

 

コゼットは顔が真っ赤だ。ちなみに、もちろん冗談である。実際にそんなことになれば、テッサと私が黙っていないだろう。もうちょっと歳をとってからにすべきだ。

 

赤い顔をぶんぶんと振るコゼットを見て、アーサーが微笑みながら口を開く。

 

「初々しいもんだ。私とモリーにもこんな時期があったはずなんだが……今やこうだよ。」

 

「貴方たちのほうが余程ドラマチックでしょうに。駆け落ちだなんて、今時そう聞かないわよ?」

 

「いやぁ、まあ、若かったんですよ。二人とも、ね。」

 

照れたように言っているが、かなりの波乱万丈があったらしい。今でこそモリーの実家とも仲直りしたようだが、当時は『アーサー』の名に恥じぬ大立ち回りをしたとテッサが言っていたくらいだ。

 

お陰で夫婦仲はすこぶる円満だ。子供をポンポン産んでいるし、最近では双子が誕生した。どうやらウィーズリー家は彼の代で一気に発展しそうだ。

 

「わぁ。駆け落ちだなんて、何があったんですか?」

 

コゼットはアーサーの武勇伝に興味があるらしい。さすがは年頃の女の子だけある。恥ずかしそうに話すのを躊躇っているアーサーの顔を見て、ニヤリと笑って言い放つ。

 

「話してあげなさいよ。貴方と『かわいいモリウォブル』のお話を。」

 

「勘弁してください、マーガトロイドさん。」

 

降参して話し始めるアーサーの姿を見ながら、アリス・マーガトロイドはひと時の休息を楽しむのだった。

 



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結婚式

 

 

「──なリリーはとっても優しいし、ジェームズは凄く勇敢です。だからフランはこんなにお似合いな夫婦はいないと思います。だから、ええっと……結婚おめでとう!」

 

ムーンホールドの中庭で、フランドール・スカーレットは新たなる夫婦に向けての祝辞を送っていた。最後はちょっとど忘れしちゃったけど……まあ、概ね成功だ!

 

聞いていたみんなは拍手をしてくれているし、きっと問題ないだろう。ぺこりとお辞儀して、壇上から降りる。

 

「我々が忘れてしまった純粋さというものを思い出させてくれる、素晴らしいスピーチだった。それじゃあ次は──」

 

礼服が信じられないほど似合わないシリウスが司会として式を進行させるのを聞きながら、コゼットの隣の席にひょいっと座った。

 

それを見たコゼットが、顔を寄せて小声で話しかけてくる。

 

「とっても良かったよ、フラン。私のときもお願いね。」

 

「まっかせてよ、コゼット。」

 

ホグワーツを卒業して半年とちょっと。コゼットもアレックスとの仲が順調なようだ。彼女はジェームズのプロポーズをロマンチックだと思っているらしいが、フランはジェームズがムーディの無くなった片足を見て結婚を決意したことを知っている。両足が残っている間にと思ったらしい。

 

周りを見渡すと、今日ばかりは騎士団の面々も笑顔を浮かべている。最近は色々な事件があったから、こんなに和やかなのは久しぶりだ。

 

安全面からこの場所での式となってしまったが、みんなで準備した会場は美しく飾りつけられている。ドージお爺ちゃんは季節はずれの花畑を作り出したし、ディーダラスの用意した真っ白な天幕はキラキラ光ってとっても綺麗だ。

 

「それでは、誓いの言葉を。」

 

何人かの祝辞が終わった後、シリウスの言葉でダンブルドア先生が壇上に上がった。慈愛に満ちた瞳で二人を交互に見つつ、柔らかな声で語り出す。

 

「新郎、ジェームズ・ポッター。汝は彼女を妻として、幸せな時も、困難な時も、富める時も、貧しき時も、病める時も、健やかなる時も、愛し、慈しみ、貞節を守ることを杖に誓うかね?」

 

「誓います。」

 

ダンブルドア先生は真っ直ぐな瞳で言い放ったジェームズに嬉しそうに頷いて、今度はリリーに問いかける。

 

「新婦、リリー・エバンズ。汝は彼を夫として、幸せな時も、困難な時も、富める時も、貧しき時も、病める時も、健やかなる時も、愛し、慈しみ、貞節を守ることを杖に誓うかね?」

 

「誓います。」

 

満面の笑みで言ったリリーにダンブルドア先生はニッコリと頷き、差し出された二人の重なった左手にそっと杖先を置いた。

 

「それでは、アルバス・パーシバル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドアの名において、今この二人に愛の誓いが成されたことを証明しよう。」

 

そう言った瞬間、二人の手を優しい光が包み込み……それが収まった時にはそれぞれの薬指に美しい指輪が嵌っていた。

 

ジェームズは誇らしげに、リリーはちょっと恥ずかしそうにその手を上げてこちらに見せてくる。途端、中庭に大量の拍手の音が響き渡った。フランも頑張って拍手する。手が千切れたって構うもんか!

 

二人がキスをすると、更に拍手の音が大きくなった。ムーディでさえ顰めっ面で拍手している。

 

「あー、素晴らしい誓いだった。我が悪友が自由を失って……悪かった! 呪文を撃つのをやめてくれ、お嬢さん方。えー、素晴らしい新婦を得たところで、早速ご馳走に移るとしよう。モリーたちが腕を振るって作ってくれた料理だ。それじゃ、盛大にやろう!」

 

シリウスの言葉と共に、テーブルの上に色とりどりの料理が出現する。口々にお祝いを言いながらグラスを掲げているみんなに続いて、フランも食べようと皿を取った。

 

「ホグワーツのよりも美味しそうだねぇ。」

 

「うん! イチゴのプティングがあるよ。コゼットの分も取ってあげる!」

 

「えへへ、ありがとう、フラン。」

 

コゼットと一緒に食事を楽しんでいると、参列者に挨拶して回っている新郎新婦が近づいてきた。うんうん、ジェームズはちゃんとエスコートできているらしい。みんなで練習した甲斐があるというものだ。

 

「やあ、ピックトゥース。スピーチありがとうな。最高だったよ。」

 

「とっても嬉しかったわ、フラン。コゼットもお祝いしてくれてありがとう。」

 

幸せいっぱいの二人にコゼットと一緒におめでとうを言うと、ジェームズが料理を見ながら声をかけてくる。

 

「ピックトゥース、そのローストビーフを取ってくれないか? 新郎ってのはメシも食わせてもらえないみたいなんだ。」

 

「服が汚れたらどうするのさ。我慢しなよ、プロングス。」

 

「清めの呪文を使えばいいだろ? 頼むよ、お腹がペコペコなんだ。」

 

コゼットと話しているリリーが苦笑しながらも頷いたので、仕方なくローストビーフを取ってやる。それを美味そうに食べるジェームズを見ながら、気になっていたことを聞いてみることにした。

 

「ねぇ、プロングス。」

 

「美味いなこれ……なんだ?」

 

「赤ちゃんはもうできたの?」

 

「んぐっ、げほっ……な、何を聞いてくるんだよ、ピックトゥース!」

 

あーあ、やっぱり服が汚れちゃった。しかし、何を驚いているんだ、こいつは。さっきチューしてたじゃないか。

 

「チューしたらできるんでしょ? それなら、もうすぐ出来るんじゃないの?」

 

「いや、その……リリー、笑ってないで助けてくれよ。」

 

ジェームズの視線を辿れば、リリーが何故か爆笑している。隣のコゼットを見れば、こちらもお腹を押さえて俯いていた。なんだ? 何かおかしなことがあったのだろうか?

 

首を傾げていると、近づいてきたシリウスがニヤニヤ顔でジェームズに話しかけた。

 

「ピックトゥースに教えてやれよ。知らないままじゃ可哀相だろ?」

 

「お前が教えるべきだな、女たらし。経験豊富なんだろう?」

 

「おお、なんたる罵詈雑言。清いこの身には、少々難解すぎる質問なのさ。」

 

シリウスを睨みつけていたジェームズだったが、やがてニヤリと笑ってフランに声をかけてきた。

 

「……そうだ! ピックトゥース、ムーディに聞いてみろよ。あいつなら詳しく話してくれるぞ。」

 

その提案を聞いたシリウスも、笑いを噛み殺しながら同意してくる。

 

「そいつは最高の提案だ。……カメラを借りておくべきだな。聞かれてるムーディの顔を収めて、ここのエントランスに貼り出そう。」

 

なんだかよく分からないが、ムーディなら教えてくれるらしい。ふむ、聞いてみよう。

 

「わかった! フラン、聞いてくるよ!」

 

ムーディは……いた! 毒が入ってないかを慎重に確かめながら料理を食べている彼に、駆け寄って質問を飛ばしてみる。

 

ムーディの顔が見たこともない引きつりかたをするのを見ながら、フランドール・スカーレットは友人に一杯食わされたことにようやく気がつくのだった。

 

 

─────

 

 

「つまりなんだ? 他人が予言するのを、キミが予言するわけか?」

 

紅魔館のリビングで、アンネリーゼ・バートリは呆れ果てた口調で友人に言葉をかけていた。迂遠にすぎるだろう、それは。

 

「仕方がないでしょ! 1980年の春、誰かからダンブルドアが予言を聞くの。それでようやく運命が確定するのよ。」

 

怒ったように言うレミリアを眺めながら、その予言された予言が別の予言を予言するものではないことを祈る。……ややこしいな。

 

「つまり、来年か。ムーディのパーツがまだ残ってればいいがね。」

 

「どうせ無くなるならクラウチを殺してから無くなって欲しいわね。忌々しいったらありゃしないんだから。」

 

魔法省でのパワーゲームは未だ続いているらしい。とはいえ、最近ではさすがに手を組むことも増えてきた。幾ら何でも味方同士でいがみ合っている状況ではないのだ。

 

もはやリドルの勢力は『とりあえず反体制』みたいなのを巻き込みまくって、訳の分からない集団になりつつある。指揮を取れているのかは甚だ怪しいもんだが、厄介なことに変わりはない。

 

「なんとも上手くいかないもんだ。待ちの一手じゃないか。」

 

「そうだけど……最近は久々の優勢に立ちつつあるわよ。向こうの陣営でも若干のバラつきが出てきたの。」

 

「バラつき?」

 

「組織が急激に大きくなりすぎたんでしょう、内部で意思の統一がされていないのよ。」

 

レミリアは、右手の人差し指をピンと立てながら続きを話す。

 

「一つは、リドルに『忠実』な死喰い人と少数の人狼を中心とした集団よ。最後にリドルが姿を現した時から、戦争の開始まで……空白の十四年で集めた精鋭たちね。リドルの慎重な計画に従っている連中。」

 

恐らくレストレンジ、ドロホフ、ロウル、ロジエールあたりのことだろう。要するに死喰い人の中でも特にクソッたれな連中のことだ。次に、レミリアは左手の指を立てる。

 

「もう一つは、ホグワーツ特急を襲ったような『急進派』の集団。ダンブルドアを警戒するリドルに面従腹背の連中よ。巨人や亡者なんかもこっちに多いらしいわ。」

 

最後に、レミリアは両手を広げながら肩を竦めた。

 

「それでもって、最後は恐怖によって服従している集団よ。秘密を握られていたり、家同士の付き合いなんかで従わざるを得なかったようなバカども。……この三派閥がそれぞれ歩調をズラしているのよ。」

 

「基本的には無法者の集団だしね。そうなるのも宜なるかなってとこさ。」

 

「何にせよ、ようやく私たちにも幸運が微笑み始めたわ。あとは運命が確定するまで、このまま凌ぎきればいいだけよ。」

 

そりゃあそうだが……お互いに内部闘争をしていると思うと、なんともアホらしくなってくる。

 

ため息を吐きながらなんとはなしに部屋を見回すと、一枚の写真が目に入ってきた。あれは……騎士団の写真か? 気になって近付いてみると、どうやら集合写真を撮ったようだ。ムーンホールドの一室で、騎士団のメンバーが並んで微笑んでいる。

 

こちらに気付いたレミリアが、薄く笑いながら説明してくれた。

 

「ああ、それ? 騎士団のメンバーで写真を撮ったのよ。なるべく人が多い時に撮ったんだけど……任務に出てる人は写ってないのよね。」

 

端っこにはパチュリーとアリスもいる。レミリアはど真ん中で踏ん反り返っているし、フランはヴェイユの娘と手を繋いでいるようだ。

 

「そういえば、フランの境界はそのままにしておくのかい? 危ないんじゃないか?」

 

「私もそう言ったんだけどね……あの子が強く主張したのよ。もう少しだけこのままでいさせて、って。友人たちと離れるのが嫌なんでしょう。」

 

「今のフランなら大丈夫だと思うがね。」

 

「日光の問題もあるでしょ? 戦争が終わるまでは、なるべく一緒に居たいんですって。八雲紫にも話は通してあるわ。」

 

本当に成長したもんだ。自分の力を抑えてまで、友人との付き合いを優先するとは。フランを変えてくれた写真に写る彼女の友人たちを眺めつつ、思わずポツリと呟いた。

 

「何人残るだろうね。」

 

何故か大きく響いた気がする言葉に、レミリアが小さくため息を吐く。

 

「どうかしらね。まあ……多少情も湧いたし、なるべく生き残らせてみせるわよ。」

 

「是非とも頑張ってもらいたいもんだ。私もアリスやフランが悲しむ姿は見たくないしね。」

 

「貴女も頑張るのよ。」

 

「結構頑張ってはいるんだけどね。」

 

実際よく働いている。特に巨人相手にはかなりの戦果を挙げているはずだ。魔法族では相手をし難いだろうということで、美鈴と二人して優先的に潰しているのだ。

 

反面、死喰い人とはいよいよ出会えもしなくなってきた。あの胸糞悪い仮面どもに会いたくなる日が来るとは……現実とは中々に奇妙なものらしい。

 

ため息を一つ吐いていると、窓からフクロウが入ってきた。そのままレミリアの下に手紙を落とすと、休みもせずにパタパタと飛んでいく。

 

怪訝そうに手紙の封を切るレミリアだったが……読み進めていくうちに、口が笑みの形へと変わる。良い知らせだったようだ。

 

「朗報ね。ノッティンガムで小鬼の一家が殺されたそうよ。」

 

「それのどこが朗報なんだい? キミは小鬼に何か恨みでもあったのか?」

 

「重要なのはそこじゃないわ。この事件が切っ掛けで、立場の不鮮明だった小鬼たちが完全に味方についたのよ。これは大きいわよ、リーゼ。」

 

小鬼、ねえ。グリンゴッツで見る限りでは、戦闘に向いている種族には見えなかったが……いや、そういえばかなり前に人間に対して反乱を起こしたんだったか。

 

「そんなに大事なのかい?」

 

「魔法省の連中は小鬼の動向には敏感なのよ。小鬼連絡室ってあるでしょ? あそこって、結構なエリート揃いなのよ? でも……これで背後を気にせずに戦えるようになったわ。」

 

「ふぅん?」

 

正直さっぱり分らんが、こちらがまた一つ優位に立てたのならなによりだ。ガッツポーズをしているレミリアを見ながら紅茶を口に含んでいると、妖精メイドたちの遊び声が聞こえてくる。

 

何かと思って窓から庭を見てみれば、美鈴の植えた花を抜きまくっているのが見えてきた。きゃーきゃーと狂喜乱舞しながら夢中で引き抜いているその姿からは、脳みその存在を感じられない。

 

「いやはや、紅魔館は平和だね。」

 

呆れたように呟くと、レミリアも近付いてきて顔を引きつらせる。

 

「最近思うんだけど、妖精って世界で一番幸せな種族よね。」

 

「全くもってその通りだ。この世の真理の一つだね。」

 

リドルも騎士団も魔法省も、彼女たちにはどうでもいい話なのだろう。世界の始まりから終わりまで、ああして遊んで過ごすに違いない。

 

スコップをぶんぶん振り回して妖精メイドたちを追いかける美鈴を見ながら、アンネリーゼ・バートリは初めて彼女たちを羨ましく思うのだった。

 



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初めての人形作り

 

 

「大丈夫かなぁ?」

 

フランドール・スカーレットはムーンホールドのエントランスで、やきもきしながら友人たちの到着を待っていた。暖炉からは未だに彼らが帰ってくる気配は感じられないのだ。

 

「心配いりませんよ、フランドール。ジェームズたちは優秀なのですから。」

 

隣に立つエメリーン・バンスはそう言うが、彼女の顔は余裕のある表情ではない。まるで自分に言い聞かせているような感じだ。……無理もないだろう。本当は二十分前には到着している予定なのだから。

 

「やっぱり応援を……リリー!」

 

エメリーンに提案しようとした瞬間、暖炉からリリーが飛び出してきた。怪我してる! 彼女は血の流れる右手を押さえながら、慌てた様子で口を開く。

 

「すぐにジェームズたちが来るわ!」

 

急いで暖炉から離れたリリーをエメリーンが治療するのを手伝っていると、ジェームズとフランクが同時に暖炉から飛び出てきた。こちらも怪我をしているらしい。

 

「ジェームズ! 荷物は?」

 

「無事だよ、リリー。あー……僕より荷物が心配なのかい?」

 

苦笑しながら言うジェームズの片手には、きちんと荷物が収まっている。彼らの任務は、騎士団の協力者からこれを受け取ることだったのだ。

 

エメリーンが治療を切り上げ、その荷物を持って暖炉へと入っていく。

 

「後は私が責任を持って届けます。……魔法省!」

 

言うとエメリーンは緑色の炎と共に消えていった。それを横目で見送りながら、三人の治療を手伝う。まあ……フランはちょっとだけ呪文が苦手なので、包帯を巻いたりする程度だが。

 

フランクが自分の足の火傷を治療しながら、吐き捨てるように呟いた。

 

「死喰い人どもが待ち伏せてたんだ。エバン・ロジエールの姿もあったよ。……くそっ、全然治らないな。」

 

「私がやるわ。エピスキー(癒えよ)。」

 

フランクが匙を投げた足の傷を、リリーが見事に治していく。相変わらず見事な癒しの腕だ。その上からフランがパチュリー特製の傷薬を塗っていくと……ううむ、治りすぎじゃないか? 赤ちゃんの肌みたいになってきた。

 

どうやらフランクも同感だったらしく、引きつった笑みで口を開く。

 

「ノーレッジさんの傷薬は……まあ、ちょっと使うのを控えたほうがいいかもね。効き目が強すぎるみたいだ。」

 

「あはは、そうね。でも、肌荒れにはよさそうかも。使ってみようかしら?」

 

リリーのちょっとズレた感想を横目に、自分の治療を終えたジェームズが、疲れたように息を吐きながら床に仰向けに横たわった。

 

「まったく、厄介な相手だったな。さすがはムーディと何度もやり合ってるだけのことはある。」

 

「でも、無事でよかったよ。とっても心配だったんだから。……フランも一緒に戦いたいのに。」

 

憮然として言うフランを、リリーが優しく撫でてくれる。このところ騎士団からも何人かの死者が出ているのだ。ジェームズたちがそうなったらと思うと、フランはどうしようもなく不安になってくる。

 

「フランはここを守ってくれてるんじゃない。だから私たちが安心して帰ってこれるのよ?」

 

「そうだぞ、ピックトゥース。お前は僕たちの中で一番頼りになるんだから、一番重要な任務を任されてるのさ。」

 

慰めてくれるリリーとジェームズに頷いておく。もちろん納得はしていない。絶対にみんな子供扱いしているのだ。フランを前線に出すべきだと主張してくれたのは、ムーディだけだった。結構いいやつなのかもしれない。

 

「それに他の騎士団のみんなも、フランドールがここにいると安心するのさ。君は見ていて和むからね。」

 

フランクの言葉に舌を出してやると、三人は揃って笑い出した。むう、失礼なやつらだ、まったく!

 

卒業から一年以上が経過したが、今なお戦争は続いている。そして幸運なことに、フランの友人たちは未だ五体満足で生きているのだ。

 

ジェームズとリリーは数度の危機を迎えつつも、その度にそれを打ち破ってきたし、シリウスも数人の死喰い人を捕らえている。

 

リーマスは職を探しながら各地を転々と連絡役として回っており、ピーターは偵察任務をよく任されているようだ。多分変身して任務をこなしているのだろう。あの姿のピーターはそうそう見つからない。

 

そしてアレックスと結婚したコゼットは、夫婦で闇祓いとなった。結構な激務らしく、ムーディの愚痴をよく聞かされる。先週末には飲み物を携帯するようにと通達が出たそうだ。出される物には毒が入っていると思い込んでいるらしい。

 

フランだけが全然活躍できてないのだ。モリーやアリス……ロングボトム夫人の方だ。彼女たちの料理を手伝ったり、プルウェット兄弟と書類の整理をしたりしている。騎士団っぽくない仕事ばっかりだ。

 

フランの内心の不満を読み取ったのか、リリーが苦笑しながら話しかけてきた。

 

「フランはほら、秘密兵器なのよ。いざって時に備えて秘匿してるの。どう? カッコいいでしょ?」

 

「んぅ……秘密兵器?」

 

秘密兵器か。ふむ、それは確かにカッコいいかもしれない。バーンと登場して、ヴォルデモートをドッカーンしてやるのだ。ふふん、そうなったらみんなフランを見直すに違いない。

 

「うん、それなら我慢するよ! 今バレたら警戒されちゃうもんね!」

 

「うんうん、細かいことは私たちに任せておけばいいのよ。」

 

笑顔で同意すると、それを見ていたジェームズとフランクが微妙な顔になっている。苦笑しながら頰を掻いていたフランクが、思い出したように口を開いた。

 

「やばい、家に連絡しないと。終わったら連絡しろって言われてたんだ。」

 

慌てて守護霊に伝言を伝えるフランクを見ながら、ジェームズに向かって話しかける。そういえばダンブルドア先生への報告はいいのだろか?

 

「ねぇねぇ、ダンブルドア先生に報告しなくていいの? 心配してるんじゃない?」

 

「へ? ……やばい、リリー! 急いで行こう!」

 

「安心して忘れちゃってたわ。それじゃ、フラン、ちょっと行ってくるね。」

 

慌てて暖炉にフルーパウダーを投げ入れているジェームズを見ながら、やっぱりフランがいないとダメだなぁ、とフランドール・スカーレットは重々しく頷くのだった。

 

 

─────

 

 

「ああもう! 頭がどうにかなっちゃいそうだよ。」

 

目の前で頭を抱えるフランを見ながら、アリス・マーガトロイドは苦笑していた。

 

事の発端は、リリーとロングボトム夫人の妊娠にある。アーサーからしつこく話を聞いていた両夫妻は、私に『子育てちゃん』の製作を依頼してきたのだ。

 

それを聞きつけたフランが、『リリーの分はフランが作るよ!』と胸を張って主張したのがひと月前。そして現在、彼女はその言葉を後悔しつつあるらしい。

 

「ほら、そこを縫っちゃうと、腕が動かなくなるわよ?」

 

「あれ、ほんとだ。……アリスはいつもこんなに複雑なことをしてたの?」

 

「そりゃあそうよ。人形っていうのは手間がかかるものなの。でも、手間をかければ人形はそれに応えてくれるのよ? 例えばこの上海人形なんかは、内部のギミックを作るのは一年以上時間がかかったんだけど、その甲斐あって……ほら? 凄いでしょう? こんな風に各部が連動して動作するから、少ない魔力で長時間動作できるのよ。それに、蓬莱人形だって──」

 

「分かったよ、アリス。お願いだからその話をするのはもうやめて。フラン、ノイローゼになっちゃうよ。」

 

失敬な。まだまだ話すべきことはあるのにも関わらず、毎回フランは話を打ち切ってくるのだ。パチュリーが本のことを話している相手と似たような反応だが、人形の話は本と違って面白いはずなのに……実に不思議だ。

 

憮然とした顔をしていると、人形に目を落としながらフランがポツリと呟いた。

 

「これ、間に合うのかなぁ?」

 

「余裕で間に合うわよ。予定日は来年の七月か八月なのよ?」

 

「なっがいよねぇ。赤ちゃんが産まれるのにそんなに時間がかかるだなんて、フランは全然知らなかったよ。」

 

そういえば、吸血鬼は違うのだろうか? というかそもそも、吸血鬼というのは親から産まれてくるものなのか? だとすると凄まじく長いスパンで世代交代をしていることになるが……。

 

リーゼ様やレミリアさんなんて、五百年近く生きているのにまだ少女なのだ。となれば……子供なんて千年以上先の話になるだろう。

 

ダメだ。あまりに壮大な生態で理解が追いつかない。……フランに一応聞いてみようか?

 

「ねえ、フラン? フランは両親のことを覚えてる?」

 

フランは人形作りに集中しているらしく、手元の人形に針を走らせながら口を開いた。

 

「んー、お母様は私を産んだときに死んじゃったらしいから、全然覚えてないけど……お父様は覚えてるよ。」

 

「見た目はどんな感じだったの?」

 

「そうだなぁ……今のジェームズよりちょっと若いくらいで、顔はレミリア……お姉様によく似てたよ。」

 

やはりかなりの若さだったらしい。いやまあ、吸血鬼目線での話だが。実年齢は千五百を超えていたのだろう。

 

しかし……レミリアさんに似ていた? かなりの美形だったようだ。リーゼ様、レミリアさん、フラン。私の知る吸血鬼ってのは美形ばっかりだが、そもそも美形の種族なのかもしれない。魅了とかもするし。

 

「その、フランのお父様のお父様については知ってる? つまり……フランのお祖父様。」

 

「会ったことはないけど、紅魔館に肖像画があるよ。ほら、一階の廊下にある大っきなやつ。あれがお祖父様なんだってさ。」

 

記憶を辿ってみると……あれか。ギラついた目つきの若い男性で、よく妖精メイドたちにイタズラ書きをされていた。偉大な吸血鬼だったのだろうに、なんとも哀れなもんだ。

 

待てよ? そうなると、スカーレット家は余裕で紀元前から存在しているというわけだ。つまり……うん、やめよう。美鈴さんだって二千年以上生きてるらしいし、考え始めたらキリがない。私は魔女であって、歴史学者ではないのだから。

 

「へえ。……まあ、スカーレット家が物凄いってことは分かったわ。レミリアさんが自慢するわけね。」

 

「フランはあんまり興味ないけどね。」

 

どうでもよさそうなフランに苦笑しつつ、気を取り直して人形に向かい直す。私のほうは八割方完成しているが、この子には機能を追加するつもりなのだ。その名も『自動昔話機能』である。これまでの乳幼児向けとは一線を画すべく、新たに挑む幼児向けの新境地だ。

 

「しかし……昔話はどんなのにすべきかしらね? なるべく子供受けするのを選ばないといけないわ。パチュリーにでも相談してみようかしら?」

 

「フランは、アリスが変な方向に進んでるのが心配だよ。」

 

呆れたように言うフランをジト目で睨みつけてやる。仕方がないではないか。私は人形師なのだから、人形を改良するのは当然のことなのだ。

 

二人の縫い物の音が響くムーンホールドの一室で、アリス・マーガトロイドの午後は静かに更けていくのだった。

 



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予言

 

 

「『一方が他方の手にかかって死なねばならぬ』ね。大した予言じゃない、まったく。」

 

ホグワーツの校長室で、レミリア・スカーレットは部屋の主人へと静かに語りかけていた。なんともイラつく内容だ。予想通り、リドルを殺せるのは私たちではなかったということか。

 

頭を押さえる私を見て、目の前に座るダンブルドアは重々しく頷いた。

 

「さよう。本来なら会う気もありませんでしたが、貴女の言葉もあったので面接に応じてみたのです。すると──」

 

「実際に予言をやってのけた、と。」

 

「その通りですな。いやはや、驚きました。」

 

私が運命で見た通り、ダンブルドアは予言者と出会えたらしい。シビル・トレ……トレローニー? とかいうアル中だ。そんな人間に得意分野で先を越されたと思うと、なんとも悲しくなってくる。

 

今日はその内容を聞くためにホグワーツの校長室を訪れたというわけだ。

 

「内容を整理しましょう。一つ、その子はリドルに三度抗った両親から産まれる。二つ、産まれる時期は……『七つ目の月が死ぬとき』、つまり七月の末という意味かしら?」

 

「恐らくそうでしょう。その子はトムに無い力を持ち、そしてトムはその子に自らに比肩する者としての印を残す……ふむ、ここだけは難解ですのう。」

 

「そう? 私にはなんとなく理解できるわ。つまり……誰が予言の子になるかは、リドル自身が決めることになるのよ。『印』とやらを残すことでね。」

 

ここが一番イラつく点だ。主導権がリドルにあるというのがなんとももどかしい。指で膝を叩きながら、話を進めるために口を開く。

 

「何にせよ、先ずは絞り込みましょう。リドルに三度抗った人間というのは、残念なことに多くはないわ。……騎士団にも候補がいるわね。」

 

現在妊娠中で、七月末に産まれそうなのは二人だ。そして、その二人ともが条件に当てはまる。ダンブルドアにもそれは分かっているのだろう。彼はその名前をゆっくりと口にした。

 

「ロングボトム家、そして……ポッター家ですな。」

 

「どちらにせよ、リドルは狙ってくるでしょうね。」

 

私が睨みつけると、ダンブルドアは申し訳なさそうに俯いた。この男はどうやら予言のことを死喰い人に聞かれたらしい。ホッグズ・ヘッドなんかで面談するからそうなるのだ。

 

「いや、まったくもって申し訳ない。……ただ、前半部分しか聞かれていないはずです。アバーフォースが途中で追い出したので、『印を残す』から先は聞かれておりません。」

 

「一番重要なとこを聞かれてるじゃないの! ……とにかく、狙ってくることは間違いないわ。彼らの安全を確保すべきよ。」

 

赤ん坊の状態で殺されるのは論外だ。妊娠中の妻二人は既に任務からは外れているが、こうなったら夫二人も家に籠らせる必要があるだろう。その上で……。

 

「忠誠の術ですな。」

 

「その通りよ。」

 

忠誠の術。秘密を人間に閉じ込める呪文で、閉じ込められた人間……『守人』しか秘密を伝えることが出来なくなるのだ。よく建物を守るために使われる呪文で、ムーンホールドもこれによって守られている。

 

勿論ながら欠点も存在する。まず、秘密の対象となる人間は守人にはなれない。例えばムーンホールドを利用する騎士団員は、ムーンホールドの守人にはなれない。

 

つまり、守人本人は忠誠の術で守ることは出来ないのだ。更に、一人が複数の秘密の守人になることも出来ない。それができれば誰もがダンブルドアに頼むだろう。

 

私と同じく黙考していたダンブルドアが口を開く。

 

「ムーンホールドは……残念ですが、危険すぎますな。」

 

「術が破られることは有り得ないけれど……そうね、人が多すぎるわ。」

 

ムーンホールドの守人はリーゼだ。秘密が漏れることは絶対にないと保証できるが、団員が服従の呪文をかけられないとも限らない。死喰い人を招き入れることはできなくとも、操られる本人は入ることができるのだ。暗殺の危険性がある以上、ムーンホールドに置いておくのは危険だろう。

 

「守人は本人たちに選ばせるべきでしょうな。そしてわしらも知るべきではない。」

 

「それが一番ね。例外を作るのは危険だわ。」

 

忠誠の術を使うにあたって、もっとも気をつけることは守人の秘匿だ。秘密自体は守人しか伝えられないが、守人が誰であるかは簡単に伝えられるのだ。

 

そのため、慣例として守られる本人が選ぶことになっている。今回もそうするべきだろう。信頼ではなく、沈黙こそが最大の防御なのだから。

 

話が一段落ついたところで、ダンブルドアが紅茶で喉を潤してから口を開く。なんとも疲れた表情だ。

 

「しかし、情けないことですな。これから産まれてくる赤子に頼らねばならんとは……。」

 

「はぁ……その通りね。なんとも厄介なことになったもんだわ。今後十年くらいは子供を巡っての攻防戦? 冗談にもならないわよ、まったく。」

 

大魔法使いと吸血鬼が子守の相談か。思えばバカバカしい状況になったもんだ。グリンデルバルドの時がいかに『まとも』な戦いだったかがよく分かる。

 

「とにかく、ジェームズとリリー、フランクとアリスにはこの事を伝えなければなりませんな。その上で隠れさせ、時期を待ちましょう。」

 

「そうね……そうと決まれば早速行きましょうか。ほら、シャンとなさい。貴方が不安そうにしてたら彼らが困るでしょう?」

 

「ほっほっほ、ノーレッジにも同じことを言われました。そうですな、精々見栄を張ることにしましょう。」

 

二人で立ち上がって暖炉へと向かう。頭の中では予言について考えながら、ダンブルドアがフルーパウダーを投げ入れるのを眺める。

 

『彼は、闇の帝王の知らぬ力を持つ』か。フランみたいな能力じゃなきゃいいが。いや……むしろそうだったら、早めにことが決まるか? 子育てする両夫妻は地獄だろうが。

 

益体も無いことを考えながら、レミリア・スカーレットは忌々しい暖炉飛行に身を投じるのだった。

 

 

─────

 

 

「いないいない……ばぁ!」

 

ムーンホールドの一室で、フランドール・スカーレットはベビーベッドに眠る二人の赤ちゃんをあやしていた。ハリー・ポッターとネビル・ロングボトムである。二人ともかわいいが、その反応は対照的だ。

 

ハリーはフランのことをグリーンの瞳で興味深く見つめているが、ネビルはちょっと怖がっているみたいだ。そして、そのどちらもが小さな手をにぎにぎしている。うーむ、面白い。

 

「いくよー? いないいないー……ばぁ!」

 

おっと、あまりやり過ぎないほうが良さそうだ。ハリーはこちらに手を伸ばそうとしてベッドから落ちそうになってるし、ネビルはそろそろ泣き出しそうになっている。

 

ハリーは勿論ジェームズとリリーの息子で、ネビルはロングボトム夫妻の息子だ。それぞれ一日違いで無事に産まれてきた。

 

ちなみに、産まれる時はこの屋敷が大混乱だった。安全を考えてムーンホールドでのお産となったのだが、夫二人は何の役にも立たないし、痛みにうめくリリーの声でフランはちょっと泣きそうになったのだ。モリーが騎士団員だったことに、あれほど感謝することになるとは思わなかった。

 

シリウスによれば、団員たちの中では『地獄の二日間』と呼ばれているらしい。ハリーが産まれた後は、みんな屍のように疲れ切っていたのだから無理もない。

 

慎重にハリーを落ちない場所へと寝かせ直していると、ドアが開いてリリーが入ってきた。

 

「フラン、ありがとうね、子守を任せちゃって。」

 

「全然ヘーキだよ。それより、プロングスの話はもう終わったの?」

 

「ええ。それで……今度はフランにも話があるんですって。私たちの部屋にいるから、聞いてあげてくれない?」

 

「おっけー。じゃあ行ってくるよ!」

 

ハリーとネビルにばいばいをして部屋から出る。リリーはちょっとやつれているみたいだ。交代で世話をしてるとはいえ、やっぱり夜泣きが大変なのだろうか? 早く話とやらを終わらせて、お手伝いに戻る必要がありそうだ。

 

決意を固めてポッター夫妻の部屋に入れば、ジェームズと……何故かシリウスが椅子に座って待ち構えていた。ジェームズはフランが入ってきたのを見て、真剣な表情で話しかけてくる。

 

「ピックトゥース、ドアはきちんと閉めてくれよ? かなり大事な話なんだ。」

 

ジェームズの言葉を聞いて、ドアが閉まっているかを確認する。こんなに張り詰めた彼は久しぶりだ。シリウスも珍しく真面目な表情だし、フランもちょっとだけ緊張しながら、リリーの使ってるベッドに座り込む。

 

「ピックトゥース、忠誠の術については知ってるか?」

 

いきなりのジェームズの質問に、脳内でぼんやりした知識を思い出しながら答える。

 

「うん。ムーンホールドにもかかってるやつでしょ? 誰かに秘密を閉じ込める……みたいな術?」

 

「まあ、そんな感じだ。とにかく、それでハリーを……ヴォルデモートから隠す必要があるんだ。」

 

「ハリーを? あいつ、とうとう赤ちゃんを狙い始めたの?」

 

フランの質問に、ジェームズは苦々しい顔をしながらも頷いた。

 

「ちょっとした……予言があってね。僕には信じられないんだが、ダンブルドア先生も君のお姉さんも信じているらしい。そうなるとさすがに無視できなくて、こうやって対策を練っているってわけさ。」

 

予言? よく分からんが、後でレミリアお姉様に聞いてみよう。とにかくその忠誠の術とやらの話なのは分かったが……。

 

「フランにその術のことが分かると思う?」

 

そんなもん分かるわけないだろうに。フランの言葉に、ジェームズが半笑いで口を開いた。

 

「いや、術に関しての相談じゃないんだよ。守人を誰にするかってとこで意見を聞きたいんだ。」

 

「秘密を閉じ込める人でしょ? そりゃあ……パッドフットなんじゃないの?」

 

五人組の中でも、ジェームズとシリウスはかなり仲が良い。それを思って言うと、これまで黙っていたシリウスがニヤリと笑って言い放つ。

 

「ほらみろ! 俺の言った通りだろう? ピックトゥースでさえもこう思うんだ、他の奴らも同じことさ。」

 

「違うの?」

 

フランが問いかけると、ジェームズは苦笑しながら頭を掻いた。

 

「いや……まあ、参考になったよ。他人の意見を聞いて、ようやく決心がついた。」

 

なんだそりゃ。随分と真剣な顔をするもんだから、もっと重要な話なのかと思ったのに。

 

「それだけなの? もう、それならリリーのお手伝いに戻るからね!」

 

「ああ、ありがとうな、ピックトゥース。今は話せないんだが……全部終わったら驚かせてやるよ。ハリーを守る、とびっきりの秘策があるのさ。」

 

シリウスも得意げな表情で頷いている。秘策? 二人で考えたのだろうか?

 

フランが首を傾げていると、シリウスが得意げな表情で話し出した。

 

「まあ見とけよ。真実を隠すべきは、宝箱の中じゃないってことさ。」

 

「ふぅん? よく分からないけど、参考になったならよかったよ。んじゃーね。」

 

意味がさっぱり分からんが、ハリーを守れるというなら大賛成だ。首を傾げながら赤ちゃんたちの部屋に戻ると、リリーがハリーとネビルを抱っこしてあやしていた。またしても泣き出してしまったらしい。

 

「ただいま、リリー。片方はフランが抱っこするよ。」

 

「あら、おかえり。それじゃあ、ハリーのほうをお願いできる? この子、貴女の翼がお気に入りみたいなの。」

 

なんだって? ハリーを抱っこしてから、試しに翼をパタパタしてみると……おおお、嬉しそうに手を伸ばしている。きゃっきゃと笑う姿は何とも愛くるしい。

 

それを見て微笑んでいたリリーだったが、再びむずがり始めたネビルの声で、慌ててゆらゆらと揺らし始めた。

 

「アリスと交代でこんなに大変なのに、一人で育てるなんて想像もつかないわ。モリーさんは凄いわね。」

 

「モリーが抱っこするとすぐに泣き止むもんね。何かコツがあるのかなぁ?」

 

「うーん、教えて欲しいねぇ。」

 

モリーがゾロゾロと子供を連れながらムーンホールドを歩いている光景はよく見るが、彼女は熟練の羊飼いのように子供たちを制御しているのだ。

 

たまに双子が群れからはぐれても、その度に素晴らしいスピードで引き寄せ呪文を唱えている。うーむ、子育てというのは大変そうだ。

 

考えながらハリーを揺らしていると……む、どうやら眠いらしい。欠伸をしながら目を閉じかけている。

 

「リリー、ハリーが寝ちゃいそうかも。」

 

「ネビルもおねむさんみたい。ちょっとだけ休憩できそうね。」

 

リリーと顔を見合わせて微笑みながら、赤ちゃんたちを再びベッドへ戻す。慎重にその小さな身体を寝かせてやりながら、フランドール・スカーレットは彼らが幸せな夢を見れることを願うのだった。

 



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ハロウィン

 

 

「随分とお腹が大きくなってきたわね。」

 

ムーンホールドの一室でコゼットのお腹に手を当てながら、アリス・マーガトロイドはそこに確かな命を感じていた。

 

ハリーとネビルが生まれて一年。戦争は未だ続いているが、それでも生まれてくる命があるのだ。自分が名付けた女の子が母になるんだと思うと、なんとも感慨深いものがある。

 

当然ながらアレックスとの子だ。結婚もしないうちに妊娠の報告に来た二人に、テッサはカンカンに怒って大変だった。フランだけは跳ね回って狂喜乱舞していたが。

 

ちなみにそのフランは、今日はゴドリックの谷にお出かけ中だ。ジェームズやリリー、そして小さなハリーの様子を見に行っているらしい。自分で縫った子供服を片手に出て行ったが……袖口が三つあるように見えたのはご愛嬌だろう。

 

私の言葉を受け取ったコゼットは、はにかみながらも口を開いた。

 

「えへへ、もう性別が分かったんですよ。女の子らしいんです。」

 

「ってことは……三代続いて婿養子になるかもね。ヴェイユ家が女系家族と呼ばれる日も近いんじゃない?」

 

「あー……まあ、これから弟ができるかもしれませんし。ね? アレックス。」

 

遠くでテッサと話していたアレックスが、コゼットの質問で慌てふためく。目の前のテッサとジト目の私を交互に見ながら、困ったように口を開けたり閉じたりしている。あれが婿養子の苦労というわけだ、哀れな。

 

「えっと、そうだね。その、そういうことはきちんと考えているので……睨まないでください、ヴェイユ先生。怖いです。」

 

「あーら? 義母に対して怖いだなんて、いい根性してるじゃない。」

 

「いやぁ、そういう意味ではなくて……助けてください、マーガトロイドさん。」

 

蛇に睨まれたカエルが助けを求めてくるが、プイと顔を背けてやった。弱い男はコゼットには相応しくないのだ。自分で乗り越えたまえ。

 

進退窮まった様子のアレックスを尻目に、それを見ながら苦笑しているコゼットに向かって話しかける。

 

「ねえ、本当に臨月まで働く気でいるの? ムーディでさえ休んでいいって言ってるんだから、家でゆっくりしてたほうがいいんじゃない?」

 

コゼットはギリギリまで働く気でいるのだ。アレックスも私もテッサも猛反対しているのだが、残念ながら彼女の決意は固いらしい。今もほら、困ったような顔をしながらも、首を縦には振ろうとしない。

 

「うーん、そうなんですけど……もちろん現場に出る訳じゃないですし、大丈夫ですよ。書類仕事だけだったら座って出来ますから。」

 

「それでも心配だわ。」

 

「お母さんもギリギリまで教師をしてたって聞きましたし……むしろ周りに人がいる分、家で一人でいるより安全ですよ。今は人員不足ですから、一人増えるだけでも大分違うんです。」

 

そりゃあそうかもしれないが……心配なもんは心配なのだ。ムーディにきっつく言っておく必要があるだろう。

 

何度目かの説得を諦めてため息をついていると、婿イジメに飽きたらしいテッサがこちらに近付いてくる。彼女は私の隣の椅子に深く座り込むと、コゼットの方を見て目を細めながら話しかけてきた。

 

「しっかし、私もおばあちゃんになるわけか。なんて言うか……信じられないよ。」

 

「本当ね。コゼットが赤ちゃんだったのを、昨日のように思い出せるのに。」

 

「時の流れってのは早いもんだよねぇ。気付けばもうこれだもん、参っちゃうよ。」

 

「私たちも歳を取ったってことね。」

 

テッサと二人して感慨に浸っていると、私たちに見つめられていたコゼットが呆れたように口を開く。

 

「もう、二人ともまだまだ若いんだから、年寄りみたいなこと言わないの。ひ孫まできちんと見てもらうんだからね?」

 

「うーん、ひ孫はどうだろう? ギリギリいけるかな? まあ……アリスは大丈夫だろうから、いざって時は任せるよ。」

 

「そんなこと言ってると、ひいお婆ちゃんは嫌なヤツだったって教えちゃうわよ? それが嫌なら長生きなさい。」

 

弱気なことを言うテッサにニヤリと言い放ってやると、彼女は両手を挙げて苦笑しながら降参の返事を返してきた。うむうむ、それでいいのだ。

 

「分かったよ、長生きしますよ。イジワルだなぁ、アリスは。」

 

「よろしい。」

 

いつものやり取りで微笑み合っていると、這々の体だったアレックスが立ち上がって、コゼットに向かって声をかけた。

 

「おっと、そろそろ検診の時間だよ。聖マンゴに行かないと。」

 

「あれ、もうそんな時間? 準備しないと。」

 

「大丈夫、こっちでやるよ。先に庭へ行っててくれ。」

 

慌ただしく準備を始めたアレックスに苦笑しつつ、コゼットを見送るために三人で庭まで歩き出す。妊婦に煙突飛行は良くないし、ポートキーなど以ての外だ。苦肉の策として、庭の一部で姿あらわしを可能にしているのである。

 

それだって心配なくらいだが、残念ながらムーンホールドは山奥すぎるのだ。人里からは道路どころか獣道すら繋がっていないし、現状ではこれが一番マシな方法だろう。

 

庭の隅に移動して杖を構えたコゼットと、荷物を持って慌てて走って来たアレックスに向かって、テッサが優しく声をかけた。

 

「それじゃあ、気をつけて行くんだよ。アレックスもこの子をお願いね。」

 

「任せてください、お義母さん。」

 

「大丈夫だよ、お母さん。それじゃあ行ってきます。」

 

挨拶と共に二人の姿がかき消える。うーむ、やはりちょっとだけ心配だ。何らかの移動手段を構築したほうがいいかもしれない。

 

日光に照らされる月時計を見ながら考えていると、こちらを振り返ったテッサがニヤリと笑って口を開いた。

 

「ねえ、ちょっと飲まない? 良いワインが手に入ったんだけど……。」

 

「あのねえ、まだ真昼間よ?」

 

「誰にもバレやしないって。へーきへーき。」

 

悪戯気に笑うその顔は、かつてのおてんば娘を彷彿とさせる。変わらない友人に苦笑しながら、肩を竦めて返事を返した。もう、ちょっとだけだぞ?

 

「仕方がないわねぇ、付き合ってあげるわ。」

 

「そうこなくっちゃ! ほら、最近は色々忙しかったから、あんまり二人でお喋りできなかったじゃない? 実は結構寂しかったでしょ? アリス。」

 

「そんなわけないでしょうが。自分が寂しかったんでしょう?」

 

「またまたー、強がっちゃって。」

 

肘で突っつき合いながらリビングに向かって歩き出す。まあ……うん、たまにはいいだろう。魔女にだって、旧友と語り合う時間が必要なのだ。

 

廊下へと続くドアを開きながら、アリス・マーガトロイドは脳内でおつまみは何にしようかと考えるのだった。

 

─────

 

 

「んー? 今はフランだけだよ。」

 

ムーンホールドのリビングで涎掛けを縫いながら、フランドール・スカーレットは部屋に入ってきたヴェイユ先生に返事を返した。

 

もうすぐにでも産まれそうなコゼットの赤ちゃんへ贈ろうと思ったのだが……うーん、歪な形になってしまった。最初から作り直したほうがいいかもしれない。

 

「あっちゃー、マズいなぁ。スカーレットさんも居ないとなると、誰に報告したらいいのやら。」

 

どうやらヴェイユ先生は何かしらの報告があるようだが、残念ながらレミリアお姉様はフランスで政治ゲームの真っ最中だ。なんでもヴォルデモート対策の話をするために呼び出しを受けてしまったらしい。

 

困ったように考え込んでいる彼女に、別の選択肢を提示してみる。

 

「ダンブルドア先生じゃだめなの? ホグワーツにいるんでしょ?」

 

「それが、今は会議でスイスに行ってるんだよね。二人とも居ないとなると……ノーレッジさん?」

 

どうやら政治ゲームをしているのは、レミリアお姉様だけではないようだ。ヴォルデモート対策の一環として最近はヨーロッパを巻き込むことに力を注いでいると、この前訪れたアーサーが言っていた。そのせいかもしれない。

 

「パチュリー? 自分の図書館にいるんだと思うけど、急ぎの報告なの?」

 

「まあ、大したことじゃないんだけどね。ホグワーツの防衛に使ってる魔道具が一個壊れちゃったんだ。ピーブスがやったに決まってるよ。なんだってあのポルターガイストは、毎回毎回余計なことをするかなぁ……。」

 

「よっぽど緊急じゃないなら、パチュリーの読書を邪魔しないほうがいいと思うよ。ネチネチ文句を言ってくるんだもん。明日にはレミリアお姉様も帰ってくるんだし。」

 

「ま、それなら明日まで待つことにするよ。アクシオ、バタービール。」

 

さほど迷うことなく諦めたヴェイユ先生は、バタービールを呼び寄せながら椅子に座る。どうやらちょっと休憩していくらしい。サボりだなんて、悪い教師だ。

 

「いいの? 今夜はハロウィンパーティーでしょ? フラン、あれって先生たちが準備してるんだと思ってたけど。」

 

「いーのよ、フィリウスがめちゃくちゃ張り切ってるんだもん。彼の仕事を取っちゃうのは可哀想でしょ?」

 

「フランは別にいいけどね。……でも、ホグワーツが羨ましいなぁ。最近はここに来る団員も減っちゃって、退屈な日が多いんだ。」

 

ジェームズやリリーはゴドリックの谷だし、ロングボトム夫妻もロンドン郊外の隠れ家で身を潜めている。シリウスとピーターは最近何をやっているのかあまり顔を出さないし、リーマスはイングランド北部で任務中だ。

 

他の団員も仕事やら任務やらで離れていることが多い。昔はこんな退屈へっちゃらだったのだが、今のフランには少し寂しく感じられてしまう。

 

そんなフランを見たヴェイユ先生が、柔らかく微笑みながら頭を撫でてくれた。

 

「うーん……今夜だけホグワーツに来ちゃう? こっそり混ざるなら平気だろうし、フランを知ってる子たちはむしろ喜ぶんじゃないかな。」

 

「いいの? フラン、ハロウィンパーティーに行ける?」

 

「多分平気だよ。そういう事情ならミネルバも煩く言わないだろうし、他の教員も許してくれるって。オーロラなんかはめちゃくちゃ喜ぶよ。」

 

そいつは嬉しい提案だ。翼をパタパタさせて喜びを表現しつつ、ニヤリと笑っているヴェイユ先生にお礼を言う。

 

「えへへ、ありがとう、ヴェイユ先生! フラン、これで楽しいハロウィンを過ごせるよ!」

 

「うんうん、それは何より。」

 

ぴょんぴょん跳ね回りながら喜んでいると、ドアからアリスが入ってきた。テンションの高いフランを見てちょっと驚きながら、席に着いて何があったのかを聞いてくる。

 

「何か良いことがあったの? レストレンジ一家が疫病で死んだとか?」

 

「それなら私も跳ね回ってるよ。フランをホグワーツのパーティーに誘ったの。この子もちょっとくらい息抜きしないとでしょ?」

 

「ああ、そういえば今日はハロウィンだったわね……うん、いいんじゃない? 留守番は私がやっておくから、楽しんできなさいな。」

 

アリスも笑顔で許可を出してくれた。うーむ、これは今からお腹を空かせておく必要がありそうだ。かぼちゃのプリンに、蜂蜜クッキー……考えていると涎が出てきてしまう。

 

ワクワクしているフランを眺めながら、アリスが懐かしむように話し始めた。

 

「しかし、ハロウィンパーティーか。なんとも懐かしいわね。寮対抗で大食い大会をやった年があったっけ。」

 

「あー、そんなこともあったねえ。あの時かぼちゃパイを食べ過ぎたせいで、今でもちょっと苦手だよ。」

 

「そうそう。そのせいでテッサはお腹を壊しちゃったのよね。」

 

「いやぁ、あの時は苦しくってさあ。医務室から薬を持ってきてくれたリドルが……あー、ごめん。余計なこと言ったね。」

 

楽しそうに話していたのに、ヴェイユ先生の顔が急に曇った。アリスを見れば……彼女も神妙な顔をしている。何かあったのだろうか?

 

フランが二人の顔を交互に見ながら心配していると、それに気づいたヴェイユ先生が悲しそうな顔で微笑んだ。

 

「あー、大丈夫だよ、フラン。ちょっと……ちょっとだけ昔のことを思い出してたんだ。」

 

「ヤなことがあったの?」

 

「うーん……嫌なことっていうか、そう、後悔かな。後悔してるんだ、私は。」

 

「何か失敗しちゃったの?」

 

フランの質問に、ヴェイユ先生は重々しく頷いた。

 

「そうだね。私はもっと……真っ直ぐぶつかっていくべきだったのかも。でも、それが怖くて距離を取っちゃったんだ。その結果がこれなんだもん、情けないよ。」

 

どういう意味だろう? 悲しそうな声で言うヴェイユ先生に、アリスが真剣な表情で声をかける。

 

「テッサの責任じゃないわ。彼が選んだ道なのよ。ダンブルドア先生も貴女も、彼に……リドルに手を差し伸べたじゃない。それを振り払ったあいつの責任だわ。」

 

「うん……でも、最近ちょっとだけ思うんだ。リドルが独りぼっちにならなかったら、もっと違った結末もあったんじゃないか、って。」

 

「そうね。……でも、そうはならなかったのよ。だから私たちは騎士団にいるんでしょう? テッサは充分すぎるくらいに頑張っているじゃない。私がそれを保証するわ。誰にも文句なんて言わせやしないんだから。」

 

アリスの力強い言葉に、ヴェイユ先生はちょっと元気を取り戻したらしい。悲しそうな雰囲気のままだが、それでも笑顔で口を開いた。

 

「うん、ありがとね、アリス。……ごめんね、ちょっとだけ弱気になっちゃったみたい。」

 

「元気出しなさいよ、テッサおばあちゃん。もうすぐかわいい孫が産まれるんだから。」

 

「おっと、そうだったね。カッコいいおばあちゃんでいないとダメだよね。」

 

戯けたように言うアリスに、ヴェイユ先生も同じように返事をする。なんだかよく分からんが、元気が出たならなによりだ。

 

場を仕切り直そうとフランが声を上げようとした瞬間、部屋にキツネの守護霊が飛び込んできた。エメリーンの守護霊だ。守護霊はアリスの側まで飛んでいくと、彼女の声で短い報告を叫ぶ。

 

『魔法省に襲撃です! 援軍を!』

 

思わず凍りついた思考が、悲鳴のようなアリスの声で動き始める。

 

「コゼットが!」

 

そうだ、魔法省には臨月のコゼットがいるのだ。背筋が凍りつくような感覚に耐えながら、既にドアへと走り出した二人に続いて立ち上がる。今回ばかりはムーンホールドで待っているわけにはいかない。誰が止めようがフランも行くぞ。

 

エントランスに向かってムーンホールドの廊下を全力で駆けながら、フランドール・スカーレットは不安で潰れそうになる自分の心を必死に励ましていた。

 



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魔法省の戦い

 

 

「ステューピファイ!」

 

暖炉から出た途端に飛んできた閃光を迎撃しつつ、アリス・マーガトロイドは応じるように呪文を放った。

 

「エクスペリアームス!」

 

吹っ飛んでいく死喰い人を横目で見ながら、魔法省のエントランスを見渡すと……ひどい状況だ。美しかったアトリウムは所々が抉れているし、そこら中に倒れ伏した人影が見える。

 

極めつけは魔法省ご自慢の大噴水だ。ボロボロになったその上には、大きな闇の印が浮かんでいる。明日の予言者新聞の一面はあの写真に違いない。

 

「アリス! 二階へ!」

 

フランと共に暖炉から飛び出してきたテッサの声に続いて、気を取り直してエレベーターの方へと駆け出す。先ずはコゼットの確保が最優先だ。彼女の言う通り地下二階に急ごう。

 

アトリウムを抜けてエレベーターの前に到着するが……ダメだ、壊されているらしい。扉はひしゃげ、その向こうにはシャフトの闇だけが見えている。

 

後ろから追いついてきたフランが、さらに奥を指差しながら私たちに声をかけた。

 

「階段で行こうよ!」

 

「そうね、こっちよ!」

 

フランの提案に従って階段を駆け上がる。階段にもチラホラと倒れている人の姿があるが……申し訳ないが今は構っている余裕がないのだ。無事であることを祈りながら通り抜けるしかない。

 

途中何人かの死喰い人を片付けながら地下四階まで上ると、どうやらここは激戦区らしい。派手な音と共に魔法の閃光が行き交っているのが見えてきた。

 

「突っ切るわよ!」

 

言い放って、人形を動かしながらそこに飛び込んでいく。上りの階段は通路の向こうだ。迷っている暇などない。

 

死喰い人たちがこちらに気付いたらしく、標的を私たちに変更してくる。名前が売れるのも考えものだな、まったく!

 

「人形使いだ! 殺せ! アバダ・ケ──」

 

「邪魔よ! 上海!」

 

最も付き合いの長い人形に指示を出すと、相手が呪文を放つ前に、持っていたランスでぶん殴ってノックアウトさせた。なんとも頼りになる子だ。これが片付いたら新しい服を縫ってあげよう。

 

「インペディメンタ! マーガトロイドさん? 上に行くなら気をつけてください! 二階が一番の激戦区です! ステューピファイ!」

 

「分かったわ! アーサーも気をつけて!」

 

廊下で戦っていたアーサーが呪文の合間に警告を発してくれる。少し怪我をしているらしいが……死なないでくれよ。私は悲しむモリーの姿なんて見たくないぞ。

 

しかし、やはり二階を優先して狙ってきたか。あの階には恨みをダースで買っている、クラウチやムーディがいるのだ。おまけにすぐ上には魔法大臣も居る。そして私たちにとって何より重要なのは、コゼットとアレックスが居ることだ。

 

走りながら後ろを見ると、テッサは呪文を放ちながらピッタリとついてきているし、フランも適当な死喰い人を『ドッカーン』しながらきちんとついてきている……どうやらまた一人吹っ飛ばしたらしい。ざまあみろだ。

 

上り階段にたどり着き、そこを再び駆け上がると……どうも二階の入り口を挟んで戦闘を行なっているようだ。上ってくる私たちに気付いた死喰い人が、仮面の仲間たちに警告を発した。

 

「後ろから来たぞ! ……クソが! 人形使いだ!」

 

「あら、ご挨拶ね、ウィルクス!」

 

死喰い人の中核メンバーの一人だ。人形を操って攻撃を防ぎつつ、隣で戦うテッサに声をかける。

 

「ちょっと多いわね……時間がかかるかも。」

 

「うん、逆側に回ってみる?」

 

焦りを抑えながら話していると、フランが割り込んできて言い放った。

 

「フランが突っ込むから、援護して!」

 

へ? 言うや否や猛然と突っ込んで行くフランを援護するため、慌てて杖を振り上げた。なんて無茶をするんだ、あの子は! 腕を振り上げながら走る彼女を当然死喰い人たちが攻撃するが、なんとか私とテッサでそれを打ち落としていく。失神呪文や妨害呪文はともかくとして、死の呪文はフランに効くのだ。なるべく人形で受けてやらないといけない。

 

しかしまあ、何とも言えない光景だ。死の呪文さえどうにかなれば、フランをどうにかするのは至難の業らしい。次々に死喰い人をぶん殴っている。

 

「何だこのガキは! 殺せ! 死の呪文だ!」

 

「フランを殺す? 分かってないなぁ、オマエが……コンティニューできないのさ!」

 

言葉と共に思いっきり殴られたウィルクスが壁に激突して沈黙した。結構苦労させられた死喰い人なのだが……うーむ、首が変な方向に曲がっている。さすがに相手が悪かったようだ。

 

「何が……騎士団か。」

 

倒れた死喰い人たちを抜けて二階の入り口に向かってみれば、杖を構えたクラウチが呆然と声をかけてきた。どうやら逆側で戦っていたのは彼らだったらしい。いつも整えられている髪はほつれ、ローブは焼け焦げだらけになっている。この男にとっても厳しい戦いなのは同様か。

 

さすがにいがみ合っている状況ではないと分かっているのだろう。彼は気を取り直して、いつもの嫌味抜きで状況を説明してくれる。毎回こうなら苦労せずに済んだのに。

 

「逆側はムーディたちが防いでいる。そっちの援護に向かってくれるか? どうもそっちが本命らしい。」

 

「分かったわ。こっちは任せたわよ!」

 

「無論だ。」

 

短いやり取りを終えて二階の廊下を駆け出す。逆側の階段に通じる角を曲がると、通路を挟んで戦っている闇祓いたちの姿が見えてきた。残念ながら階段は突破されてしまったようだ。

 

隣を走るテッサが、集団に向かって声を投げかける。

 

「ムーディ! コゼットは? 無事なの?」

 

「む? ヴェイユ、マーガトロイド! もちろん無事だ! 非戦闘員と一緒に部屋の中にいるぞ!」

 

こちらに振り向いて叫ぶムーディは、子供が見たらトラウマになりそうな見た目になっている。鼻は削がれており、おかげで顔中血塗れだ。ズタボロになりながらも一歩も引かず指揮を執っているらしい。

 

そして戦況は……劣勢だ。こちらに対して、見えているだけでも敵は二倍以上の数がいる。ベラトリックス・レストレンジ、エバン・ロジエール、アントニン・ドロホフ。幹部の中でも有名どころが勢揃いだ。くそったれめ。

 

「もう一回フランが突っ込む?」

 

「ダメよ。さすがに数が多過ぎるわ。」

 

ふんすと鼻を鳴らして突っ込もうとするフランを慌てて止めた。今のフランは力を抑えられているのだ。さすがにあの数から死の呪文を受ければ、ちょっとマズいと思うのだが……どうなんだろう?

 

吸血鬼が凄まじい再生能力を持つことは知っているが、実際にそれを見たことはない。リーゼ様によれば『四分の一残ればどうにでもなる』らしいが、力を抑えられているフランがどこまでやれるかは未知数なのだ。今試そうとはとてもじゃないが思えない。

 

悩んでいると、前線で戦っていたアレックスがフランに気付いて声を放った。

 

「フランドール、『あれ』で天井を崩してくれ! 時間が欲しい!」

 

「分かったよ! んー……きゅ!」

 

フランが能力で天井を崩すと、瓦礫で戦場が封鎖された。すぐに退かされるだろうが、確かに時間稼ぎにはなるだろう。魔法省の防護魔法もフランの能力には通用しなかったようだ。

 

生じた時間で闇祓いたちが治療をしているのを尻目に、ムーディが珍しく焦った様子でこちらに近付いてくる。ここまで緊張した彼の顔を見るのは初めてかもしれない。

 

「この場所が突破されるのは時間の問題だ。非戦闘員たちを向こうの階段から逃がせんか?」

 

「さっき突破してきた時に粗方片付けたけど……他の階でも戦闘中なのよ? かなりの数が入り込んできてるみたいだし、危険すぎるわ。」

 

「それでも、ここに置いておくよりはマシだろう。部隊を分けて護衛に回す。残った者は……決死隊としてここで連中を食い止める。向こうにはクラウチも居るんだろう? あいつでも多少は役に立つはずだ。」

 

やむを得ないかもしれない。ここに残っていては時間の問題なのだ。頷いてから口を開く。

 

「分かったわ。当然、私は残らせてもらうわよ?」

 

「私も残るよ、アラスター。どうせあんたも残る気なんでしょ?」

 

私とテッサがニヤリと笑って言うと、ムーディも珍しく笑って頷いた。

 

「どうやらヤツらに目にもの見せられそうだな? ぇえ?」

 

決まりだ。話を聞いていた闇祓いの一人が頷いて非戦闘員を誘導しに向かう。それを見ながらバリケードを魔法で補強していると、フランが両手をぎゅっと握って話しかけてきた。

 

「フランも残る! アイツらをやっつけるよ!」

 

「フラン、貴女はコゼットたちを守ってあげて。これはとっても大事な役目なのよ? できる?」

 

「コゼットを……分かった! 絶対絶対守ってみせる!」

 

フランはここでは最高の戦力だ。コゼットの守りに向かわせるべきだろう。私がフランを説得するのと同様に、隣ではテッサがアレックスを説得している。

 

「でも、お義母さんを放って行くなんて出来ません!」

 

「貴方はコゼットを守るのよ。他の何よりもそれを優先するの。結婚の挨拶に来た時に誓ったでしょ?」

 

「それは……分かりました。でも、僕はコゼットに怒られるのは嫌ですからね? 絶対に生きて戻ってくださいよ?」

 

「私を誰だと思ってんのよ。あんたみたいなひよっこが心配する必要なんてないの。コゼットは任せたからね?」

 

真剣な表情でアレックスが頷いたところで、数人の非戦闘員と共にコゼットが出てきた。かなり辛そうな表情だ。

 

「お母さん! アリスさんも! それに……フラン? 何でフランがここに?」

 

大きなお腹を抱えながら、苦しそうな表情で問いかけてくる。怪我はないようだし、まさか産気づいているのか? 色々と聞きたいが、残念なことに時間がない。急いでここから離れさせなければいけないのだ。

 

焦る内心を何とか隠して、説明のために口を開く。

 

「コゼット、貴女は下に逃げなさい。フランとアレックスも一緒だから、二人から離れないようにね?」

 

「でも、アリスさんは? それにお母さんも。一緒じゃないんですか?」

 

不安そうに聞いてくるコゼットに、隣のテッサがぎこちない笑顔で語りかけた。ああもう、そんな表情じゃ余計に心配させちゃうぞ。

 

「私とアリスはここで足止めをするの。心配しなくても、一人も通さないから大丈夫よ。」

 

「そんなのダメだよ! 敵は凄い数なんでしょう?」

 

どうやら懸念が当たったようで、コゼットは涙目で私とテッサに縋り付いてきた。そんな彼女をテッサがやんわりと引き離し、目を合わせてゆっくりと語りかける。

 

「あんたが心配すべきなのは赤ちゃんのことでしょ? それに、私とアリスがめちゃくちゃ強いのは知ってるでしょうに。死ぬ気なんかないわよ。……約束するわ。」

 

じっと覗き込むテッサの視線に、コゼットは一度自分のお腹を見下ろして、泣きそうになりながらもしっかりと頷いた。

 

「わ、わかった。絶対死なないでね。絶対だよ?」

 

「うん、約束するよ。」

 

テッサと抱きしめ合った後、コゼットは私に向き直って抱きついてきた。ぎゅっと抱きしめてから、きちんと目を見て話しかける。

 

「大丈夫よ、コゼット。テッサは私が守るわ。」

 

「アリスさんも無事で帰ってきてくださいね? お願いですから……。」

 

「ほら、泣かないの。かわいい顔が台無しじゃない。」

 

涙を拭いてやってからチラリとアレックスを見ると、彼はしっかりと頷いてくれた。これなら大丈夫だろう。後は連中をここに釘付けにすればいい。

 

数人の闇祓いたちに守られながら、非戦闘員たちは急いで逆側の階段へと向かっていく。最後にもう一度振り返ったコゼットとフランにしっかりと頷いてから、瓦礫を破壊する音がしている背後へと向き直る。

 

「よし! お互いに守り合え! 足止めと言ったが、全員やってしまっても構わんからな!」

 

ムーディの気合のこもった号令に、残った闇祓いたちが杖を高く上げる。誰一人として怯えている様子はない。どうやらベテランたちが志願して残ったようだ。

 

私とテッサも一度顔を見合わせて頷き合い、ゆっくりと杖を構えてその時を待つ。そして残った僅かな瓦礫が……爆破魔法で吹き飛んだ! それを開戦の合図として、両陣営から閃光が発射される。

 

「アリス! 防御任せるから!」

 

テッサの声に従って、七体の人形を全て防御に振り分ける。彼女たちが閃光を防いでいる間に、私も杖を振るって呪文を飛ばす。

 

「人形使いがいるよ! 狙いな!」

 

耳障りな声と共に攻撃の圧力が増した。ボサボサ髪のイカれ女、ベラトリックスだ。人形だけでは間に合わないそれに杖を振るって対処しつつ、忌々しい馬鹿女に声をかける。

 

「あら、ベラトリックス! 貴女のご主人様は来てないの? こんな日にまでお留守番だなんて、お外が怖くて出られないのかしら?」

 

「黙りな、人形使い! その皮をひっぺがして人形に作り変えてやるよ! そうなりゃお前も本望だろうさ! アバダ・ケダブラ!」

 

「あら、気を遣わせちゃって悪いわね。でも結構よ。貴女は裁縫が苦手そうだしね。」

 

虚勢を張ってはみたが、中々にキツイ戦いだ。闇祓いたちも奮戦してはいるが、あまりにも数が違いすぎる。しばらく呪文を防ぐのに必死だったが、戦場に響いた声で状況が変わり出した。

 

「そぉら! 油断大敵! どうした? こんなもんか? 何とか言ってみたらどうだ!」

 

ムーディだ。言葉の合間に無言呪文を撃ちまくっているムーディが、バリケードを越えて前線に飛び出したことで状況が動く。物凄い量の攻撃が彼に集中することで、余裕ができた他の味方たちが攻撃に転じたのだ。

 

「上海、蓬莱!」

 

私も古参の人形二体を敵陣に突っ込ませる。あの子たちはある程度自己判断で動けるはずだ。残った五体のうち二体をムーディの援護に向かわせ、最後の三体で周囲の味方を守りながら杖を振る。複雑な操作に頭がパンクしそうだが、そのために必死で練習したのだ。集中すればいけるはずだぞ、アリス。

 

杖を振ってムーディを援護しようとしたところで……マズい、ロジエールがムーディを無視して爆破呪文をバリケードに連射し始めた。闇祓いたちと共に必死で防ぐが、すり抜けてきた一発がバリケードに命中してしまう。

 

「くっ……。」

 

生じた衝撃で倒れ込む。舌打ちと共に急いで立ち上がると、隙を突かれたムーディに呪文が直撃するのが見えてしまった。これは……覚悟を決めたほうがいいかもしれない。

 

私が忍び寄る死の気配を感じるのと同時に、好機とばかりに突撃してきた人狼が闇祓いたちに襲いかかった。グレイバックだ。何発か呪文が当たっているようだが……ダメだ、構わず突っ込んでくる。

 

「くそ、ヤツを──」

 

「私がやる!」

 

「待て、ルーファス! 無茶だ!」

 

闇祓いたちの声がするのと同時に、猛然と走り出した一人の闇祓いがグレイバッグに覆い被さった。そのまま足元に爆破呪文を放って、自分ごと階下へと落ちていく。

 

彼の自己犠牲で何とか崩れずに済んだが、それでも状況は頗る不利だ。テッサを探して辺りを見回すと……ベラトリックスとドロホフを一人で相手取っている。急いで援護しなければ!

 

「ヴェイユ! さっさと死んだらどうだ! アバダ・ケタブラ!」

 

「おっと、ハズレ。衰えたんじゃない? ドロホフ。まあ、元からか。杖の振り方にクセがあるって、ちゃんと教えたはずなんだけどね。」

 

「黙れ! いつまでも教師ヅラをしていられると思うなよ!」

 

テッサの口調とは裏腹に、その表情にはあまり余裕がないように見える。慌てて人形へと繋がる魔力の糸を手繰るが……数体から反応が返ってこない。さすがに呪文を受けすぎたようで、何体かはやられてしまったようだ。

 

それなら自分でやればいい。テッサを援護するために呪文を放とうとした瞬間、死喰い人の背後から膨大な量の紅い光弾が湧き出した。紅い洪水のようで目がチカチカする。まるで意思を持つかのように飛び回るそれは、死喰い人だけに的確に襲いかかっていく。

 

何が起こったのかと発生源を見てみれば……ああ、どうやら助かったようだ。向こうの階段から歩いて来ているのは、レミリア・スカーレットその人だった。

 

「いい夜ね、死喰い人の皆さん。今夜はアズカバンが盛り上がるわよ? 貴方たちも旧友に会いたいでしょう?」

 

嘲るように言い放ったレミリアさんは、私ですらゾクゾクするような威圧感を放ちながら、まるで臣下の間を歩くかのような堂々とした様子で死喰い人の間を歩いている。

 

必死に攻撃する死喰い人たちの呪文は彼女に当たることはなく、空中で紅い光弾に迎撃されていく。あまりにも頼もしいその姿に力が抜けて、思わず笑みが──

 

「アリス!」

 

「……え?」

 

それがいけなかった。まるで全てがスローモーションのように進んでいく。紅い光弾に撃ち抜かれる瞬間、必死の表情で私に呪文を放ってくるベラトリックスとドロホフ。そして一つを迎撃しながら私を突き飛ばすテッサ。引き伸ばされたような時間の中で、緑の閃光が彼女を貫くのが見えた。

 

「テッ、サ?」

 

私に覆い被さるように倒れたテッサに、震える手を伸ばす。そんな筈はない、そんな筈はないのだ。何故か身体に力が入らない。テッサを起こさなくちゃいけないのに。

 

周りの喧騒が遠ざかっていく中、ピクリとも動かないテッサにどうしても触れることができない。大丈夫、大丈夫だ。そんなはずは無いのだから。それなのに、何故か怖くて堪らないのだ。

 

「ねえ、テッサ?」

 

自分が呟くのをまるで他人事のように聞きながら、アリス・マーガトロイドは自分の世界が歪むのを感じていた。

 



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逆転時計

 

 

「我々が足止めする! 走れ!」

 

必死に呪文を防ぐクラウチの怒声を聞きながら、フランドール・スカーレットはコゼットの手をぎゅっと握っていた。

 

この手を離してはいけない。それだけを固く決意しながら、闇祓いたちの先導に従って階段を下っていく。後方からの敵は護衛についてきてくれたクラウチたちが足止めすることになったらしい。

 

背後に気を配りながら階段を下りていくと、地下八階と書かれた扉の先から戦いの音が響いてきた。ここが目的地だったはずなのだが……。

 

「くそっ、アトリウムで戦闘が起こっているらしい。ちょっと待っててくれ、様子を見てくる。」

 

先導していた闇祓いが杖を構えて扉を抜けていくのを見ながら、辺りを警戒しているアレックスに声をかけた。

 

「アトリウムからじゃないと出られないの?」

 

「その通りだよ。防衛のための仕組みだったんだが……今回は裏目に出たね。」

 

余計なことをするもんだ。設計者を見つけたらぶん殴ってやろう。固く誓いながらしばらく待っていると、闇祓いが戻ってきて神妙な顔で口を開いた。いい知らせではなさそうだ。

 

「かなりの激戦になっている。死喰い人どもが退路の確保をしようとしているようだ。この人数を護衛しながら暖炉までたどり着くのは……正直、厳しいかもしれない。」

 

意気消沈する面々を尻目に、闇祓いたちは集まって相談をし始めた。隣のコゼットは……苦しそうだ。そっとお腹をさすると、彼女は辛そうに微笑んだ。

 

「ありがと、フラン。ちょっと楽になったよ。」

 

「本当に? もうちょっとだから頑張って、コゼット。」

 

「うん、大丈夫。大丈夫だから……。」

 

全然大丈夫そうじゃない! どうしよう、どうしよう。フランが突っ込んだらどうにかならないかな? でも、そうすればコゼットから離れることになってしまう。アリスがいれば答えを出してくれるのに、フラン一人じゃどうしたらいいか分からない。

 

泣きそうになるのを堪えながら必死にコゼットを励ましていると、闇祓いたちは方針を決めたようで、全員を集めながら説明してくる。

 

「更に下に移動しよう。危険を冒して無理に突破するよりは、神秘部で隠れているほうが良いはずだ。大丈夫、時間さえ稼げば援軍が来る。」

 

この下の……神秘部? とやらに移動するらしい。コゼットのことを考えればあんまり嬉しくない選択だが、アレックスの顔を見る限りそれが唯一の選択肢のようだ。

 

「アレックス、本当に大丈夫なの? コゼットがすっごい辛そうだよ?」

 

「死喰い人どもは神秘部なんかには興味がないはずだ。目指すのは上の階だろうし、下側は手薄だと思う。大丈夫だ……もう知らせは各所に届いてるだろうし、援軍はすぐに来るよ。そしたら急いで病院に連れて行けばいい。」

 

自分に言い聞かせるように言うアレックスと二人でコゼットを支えながら、更に階段を下っていく。九階の入り口まで着くと、再び先頭の闇祓いが偵察に向かった。

 

フランも耳を澄ませてみるが……うん、音は頭上からしか聞こえてこない。死喰い人たちがこの階にいなければいいが。

 

「よし、静かなもんだ。行こう。」

 

偵察を終えた闇祓いを先頭に九階の廊下を進む。他の階層とは雰囲気が違って、ホグワーツの地下通路のような石造りだ。ゆらゆらと揺れる松明の明かりがなんとも頼りない。

 

頭上からの戦闘の音だけが響く中、ゆっくりと慎重に進んでいく。半分ほども廊下を進んだところで……突然先頭の闇祓いが閃光に貫かれた。敵だ! 一見しただけでは分からないが、少なくともこちらよりは多い。

 

アレックスが私とコゼットの前に出ながら、狼狽える集団に向かって声を放つ。

 

「くそっ! そこのドアへ入るんだ! 闇祓いたちはドアを守れ!」

 

アレックスの声が響く間にも、曲がり角から死喰い人たちが飛び出して来るのが見えてきた。突っ込んで行きたいのを堪えながら、集団に飛んでくる呪文を弾くのに専念する。ヨロヨロと歩くコゼットを放っておくわけにはいかないのだ。

 

なんとか全員がドアに入ったのを確かめて、闇祓いたちに大声で言い放った。

 

「通路を壊すから退いて!」

 

ドアの向こうの天井にある『目』を、右手で思いっきり握り潰す。途端に崩れて瓦礫になったそれは、多少の足止めにはなるだろう。頼むからそうであってくれ。

 

「奥へ行くんだ!」

 

残った闇祓いの声に従って奥へと進んで行くと、円形の部屋にたどり着いた。いくつもの扉がズラリと並んでおり、最後尾の闇祓いがドアを閉めた途端、壁が動いてどのドアから入ってきたかが分からなくなってしまう。

 

「なにこれ?」

 

「神秘部には忌々しい仕掛けが多いんだ。構うもんか、先に進もう。」

 

アレックスに同意するかのように、闇祓いの一人が適当なドアを開けて中へと入って行く。フランたちもそれに続くと……不思議な部屋だ。中央に巨大な石造りのアーチが置かれている。結構な広さの部屋なのに、その他には何も置かれてはいない。

 

「行き止まりか?」

 

アレックスが悲壮な声で呟くが……フランには奥にドアがあるのが見えている。薄暗いせいで気付いていないのだろう。

 

「あっちにドアがあるよ。」

 

フランの声に従って、集団が恐る恐る歩き出す。フランもコゼットの手を引いて歩き出そうとするが、彼女はじっとアーチの方を見て動かない。苦しそうに荒い息を吐きながらも、魅入られたようにアーチの方を見つめている。

 

「コゼット? どうしたの?」

 

「うん……声が聞こえない? 囁くような声。聞いたことがあるような気がするんだけど……。」

 

耳を澄ませてみるが……声なんて聞こえないぞ。そもそもあんなアーチに関わっている暇などないのだ。アレックスもそう思ったようで、コゼットに急かすように声をかけた。

 

「コゼット、今はそんなことどうでもいいだろう? 早く行かないと。」

 

「うん、そうなんだけど……。でも、声が……お母さん?」

 

なおも気になっている様子のコゼットだったが、アレックスと目線でやり取りして強引に引っ張っていくことにする。頼むから不安にさせるようなことを言わないでくれ。今だってフランは泣きそうなのだ。

 

後ろ髪引かれているような彼女の手を引いてドアを抜けると……今度は凄まじく天井が高い部屋だ。ギッシリと部屋に立ち並ぶ棚には、埃っぽいガラス玉のようなものが敷き詰められている。

 

「寒いな、大丈夫か? コゼット。」

 

アレックスが心配そうにコゼットに声をかけるが、コゼットは返事を返さない。妙に思って彼女の方を見てみれば、額に脂汗をかきながら片手をお腹に当てていた。

 

「コ、コゼット? 大丈夫なの?」

 

「うん……ちょっと、きつくなってきたかも……ごめんね、フラン。」

 

「いいから、いいから休んで! ほら、そこの壁際で──」

 

「いたぞ! ステューピファイ!」

 

壁際までコゼットを運ぼうとしたところで、部屋に男の怒声が響き渡った。死喰い人が追いついてきてしまったらしい。

 

「プロテゴ! 逃げろ、逃げるんだ!」

 

闇祓いたちが応戦するが……ダメだ、敵の方が勢いがある。散らばったガラス玉が騒音を立てて砕ける中、集団は混乱しながら四散していった。

 

「インペディメンタ! フランドール、コゼットは動けなさそうか? プロテゴ!」

 

「フランが運ぶ!」

 

コゼットを抱っこして持ち上げる。力を抑えられてたって、これくらいなら何とか持ち上げられるのだ。それを見たアレックスが戦いながら声を放つ。

 

「僕が守るから、あのドアまで走るんだ!」

 

「うん!」

 

なるべく揺らさないように気をつけながら、全力でドアまで走り出す。急げ、急げ。なんとかドアへと飛び込むと、アレックスが続いて飛び込みながらドアを閉める。

 

「よし、コロポータス(くっつけ)! プロテゴ・トタラム、プロテゴ・ホリビリス……。」

 

後ろでアレックスがドアを魔法で補強している音を聞きながら、部屋を見渡せば……この階は変な部屋ばっかりだ。壁には無数の時計が隙間なく並んでおり、中央にはガラス張りの戸棚がポツンと置かれている。中には砂時計を形取ったらしい首飾りが収まっていた。

 

「フランドール、すぐに──」

 

ドアを補強し終わったアレックスが振り向いて何かを言いかけるが、中央の首飾りを見て何故か黙り込んでしまう。コゼットはもう喋るのも辛そうな表情だ。

 

「行こう、アレックス! 逃げないと!」

 

フランの言葉にも反応を示さず、アレックスは黙って首飾りを見つめている。やがて意識が朦朧としているコゼットを見ながら何かを決意したような顔になると、ガラス棚を叩き割って首飾りを取り出した。

 

「何してんのさ! 急がないとコゼットが!」

 

「フランドール、僕の話を聞いてくれ。時間がないから一度しか言えない。だから、絶対に聞き逃さないようにね。」

 

フランの眼を見ながら覚悟を感じる顔で話し出すアレックスに、思わず黙って頷いてしまう。

 

「これから君たちを過去に逃がす。それなら死喰い人も手を出せないだろう。だけど……誰にも連絡を取ってはいけないよ? あまりに大きく歴史を変えてしまえば、君たちは時間の隙間に取り残されることになるんだ。」

 

「ど、どういうこと? フラン、そんなこと言われても分かんないよ!」

 

過去? 時間の隙間? 全然わかんない! それなのにアレックスは真剣な顔のまま、フランに言い聞かせるように説明を続けてくる。

 

「君たちは、そうだな……三時間前に戻ることになる。そしたら、誰とも話さずに、誰にも連絡せずに、真っ直ぐ聖マンゴに向かうんだ。姿あらわしは……無理か。それならアトリウムから煙突飛行をすればいい。」

 

「そうすれば、そうすればコゼットは助かるの?」

 

フランがそう言った瞬間、ドアに何かを叩きつける音が響いた。アレックスはチラリとドアの方向を見ると、フランとコゼットに首飾りをかけながら話を続ける。

 

「その通りだ……うん、やっぱり二人が限界だね。いいかい? フランドール。決して誰にも連絡してはいけないよ? 歴史を歪めるのは途轍もなく危険なことなんだ。それだけは約束してくれ。」

 

「誰にも話さない、誰にも連絡しない。聖マンゴにコゼットを運ぶ。……これでいいの?」

 

「完璧だ。任せたよ、フランドール。」

 

「アレックスは? アレックスはどうするの?」

 

もはやドアは破られる寸前だ。首飾りの砂時計をひっくり返しながら、アレックスは柔らかく微笑んで口を開いた。

 

「コゼット……愛しているよ。フランドール、頼んだぞ! いいか、真っ直ぐ聖マンゴに向かうんだ! 誰にも襲撃があることを話してはいけな──」

 

ドアが破られる音と共に、目の前で叫んでいるアレックスの顔が歪む。まるで物凄いスピードで後ろ向きに飛ばされるような感覚の後、急に現実感が戻ってきた。

 

……静かだ。時計のカチカチという音だけが響く部屋の中は、アレックスが壊したはずのガラス棚がそのまま置いてあるし、ドアも閉じたままになっている。

 

過去? 三時間前にフランは飛んだ? 全然理解が追いつかないが、目の前で荒い吐息を漏らす苦しそうなコゼットを見て、自分のやるべきことを思い出す。

 

誰にも話さず、誰にも連絡しない。泣きそうになりながらも、それだけを心の中で唱えながら部屋を出る。誰にも話さず、誰にも連絡しない。

 

「コゼット、大丈夫だから。大丈夫だから。」

 

もう反応を寄越さなくなったコゼットに呟きながら、彼女を揺らさないように気をつけて歩き出す。ガラス玉の部屋を抜けて、アーチの部屋を抜けた。急げ、急げ。

 

円形の部屋にたどり着くと、集中してどのドアを試したかを見極めながら通路に出るためのドアを探す……これだ!

 

三度目でようやく引き当てたドアに飛び込み、小走りで通路を歩き出した。すれ違ったローブの男がフランを怪訝そうに見てくるが、それを無視して横を通り抜ける。誰にも話してはいけない!

 

階段を駆け上がり、アトリウムへの扉を潜ると……さっきとは違い、アトリウムは美しいままだ。行き交う人々は平和そうに喋っている。襲撃があるぞと叫び出したい気持ちを抑えながら、暖炉に向かってひた歩く。絶対だめだぞ、フラン。アレックスが言っていた通りにするんだ。

 

「フラン、赤ちゃんを……。」

 

急にコゼットが目を開いて話し始めた。その視線は……虚空を見ている。ゾクリと背を伝う感覚に怯えながら、泣くのを必死に我慢して耳元でなるべく優しく声をかけた。

 

「コゼット、もうすぐ病院だよ。大丈夫だから。喋らなくっていいから。」

 

「お願い、フラン。赤ちゃんを、お願い。」

 

「わかってるよ、コゼット。絶対大丈夫だから。」

 

頬を涙が伝う感覚を自覚しつつ、暖炉の横にかかっているフルーパウダーを乱暴に掴み取って投げ入れる。すぐさま緑になった炎に飛び込んで行き先を叫んだ。

 

「聖マンゴ病院!」

 

煙突飛行のぐるぐるした感覚が最高に恨めしい。なるべくコゼットが揺れないようにと全神経を集中させてそれに耐えていると……着いた! 清潔そうな白い壁と、木の椅子が並んだ大きな広間が見えてくる。急いで受付らしき場所に座っている女性に歩み寄り、コゼットがよく見えるように突き出した。

 

「あら? どうしたのかしら?」

 

どうしよう? 話しかけてもいいのだろうか? こんなに苦しそうなんだから見て分からないのか、コイツは! 仕方ない、なるべく少ない単語で伝えよう。イライラしながら短く言葉を放つ。

 

「赤ちゃんが産まれそうなの!」

 

フランの怒声に眼をまん丸にした女性は、フランとコゼットをゆっくり見比べてから、慌てた表情に急変して大声で癒者を呼ぶ。

 

「っ! 誰か! 急いで来て頂戴!」

 

駆けつけてくる癒者たちを見ながら、フランドール・スカーレットはコゼットの無事を必死に願うのだった。

 



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パラドックス・ベイビー

 

 

「整理しましょう。」

 

紅魔館の執務室にレミリアの苛立ったような声が響くのを、アンネリーゼ・バートリは瞑目して聞いていた。

 

予言者新聞が名付けた『悪夢のハロウィン』からは二日が経過している。不眠不休で事態の収拾に動いてたレミリアと、ようやく話せる時間ができたのだ。

 

部屋には他にもパチュリーと美鈴がいるが、二人とも神妙な顔で押し黙っている。重苦しい空気が漂う中、レミリアの声だけが静かなリビングに響く。

 

「まず、魔法省とホグワーツに襲撃があった。魔法省は死喰い人、ホグワーツには多種族の連合軍ね。」

 

その通りだ。報せを受けた私たちは、虚報に気付いてパリから戻ってきたレミリアを魔法省に、ホグワーツにはパチュリーと私、それに美鈴を振り分けた。魔法省には戦闘員がそもそも居るだろうし、ホグワーツにはダンブルドアが居なかった。戦力の割り振りとしては悪くなかったはずだ。

 

結果としてホグワーツの戦いは殆ど被害なく終わった。戦闘どころか、一方的な蹂躙が行われただけだ。生徒を避難させていた教師たちが拍子抜けしていたほどだった。私と美鈴はともかくとして、パチュリーに野戦を挑むのは無謀だったらしい。大規模魔法は彼女の得意分野なのだから。

 

私が瞑目したまま頷いたのを見たのだろう、レミリアが話を続ける。

 

「そして、そのどちらもが陽動だった。本命はポッター家とロングボトム家への襲撃ね。リドルは随分と予言を重く見たらしいわ。」

 

ここが二番目にイラついてる点だ。つまり、吸血鬼が雁首揃えて見事に引っかけられたということである。ポッター家はシリウス・ブラックの裏切りで、ロングボトム家は守人に服従の呪文を使って、それぞれ忠誠の術を破ったらしい。

 

騎士団の見張りは当然ながら魔法省に駆けつけていた。まあ……無理もあるまい。あんな大規模な襲撃を陽動だと誰が思う? くそったれのトカゲ野郎は、私たちよりもなお予言を重く見たようだ。

 

しかし、ここでどうやらリドルにも予想外の事が起きた。昨日聞いた話を思わず呟く。

 

「結果としてポッター夫妻は死亡。でもその後……リドルも死亡。赤ん坊だけが生き残った、か。」

 

何とも不可思議な結末だ。状況を見ればそうとしか思えないのだが、あまりにも意味不明すぎる。赤ん坊の額には稲妻型の傷が刻まれていたらしいし、リドルが何かをしたのは間違いないが……何がどうなって返り討ちにあったのかが全く分からないのだ。

 

「ロングボトムの方はどうなったんですか?」

 

さすがにふざけた様子を見せない美鈴の質問に、レミリアが首を振りながら答えた。

 

「磔の呪文でおかしくなっちゃったみたい。赤ん坊は無事だけど、両親は聖マンゴ行きよ。クラウチのバカ息子のせいでね。」

 

ロングボトム家を襲撃したのはクラウチの息子だったようだ。予言者新聞はそのことも騒ぎ立てているが、私にとってはどうでも良い問題である。問題なのは……。

 

「そして、魔法省の襲撃でヴェイユ家が全員死亡。フランは再び地下室に閉じ籠り、アリスは部屋から出ようとしない。くそったれな結末ね。」

 

レミリアの言う通り、くそったれな結末だ。母親の方はアリスを庇って死に、娘の方はフランが連れて行った病院で治療の甲斐なく死んだらしい。お陰で二人は沈み込んでいる。それが一番イラついてる点だ。

 

「正確には、コゼットの子供は生きてるわよ。」

 

パチュリーが冷静な声で訂正を加えるが、当然何の救いにもならない。レミリアが大きなため息を吐きながら、今回の戦争を一言で纏める。

 

「勝ったけど、負けたわね。」

 

レミリアの言葉が重くのしかかる。確かにリドルは死に、死喰い人たちはその核を失った。おまけに幹部は軒並みアズカバンへと引越し中だ。戦争自体は勝利と言っていいだろう。

 

お陰で魔法界はお祭り騒ぎの真っ最中だ。誰もがリドルの死を喜び、『生き残った男の子』を称えている。ハロウィンの悪夢を忘れ去ろうと必死なのかもしれない。

 

だが、アリスは長年の親友と娘同然の存在を失った。特に、自分の油断が親友の死を招いたことが許せないらしい。部屋に閉じ籠って塞ぎ込んでいる。

 

フランは五人の友人を一気に失い、おまけに一人は裏切り者だ。そのショックは計り知れないだろう。コゼット・ヴェイユの死を受け入れられないうちにポッター家への襲撃を知り、そしてピーター・ペティグリューの悲劇が畳み掛けるように起きたのだ。

 

「リドルは本当に死んだのかしら?」

 

ポツリと呟いたパチュリーに、三人の視線が集中する。確かにそうだ。実に奇妙な状況だし、もし生きているのならきちんと殺す必要があるだろう。この上生かしておく理由など欠片もない。

 

「キミは生きていると思っているのかい?」

 

目を開けてパチュリーに問いかけると、彼女は神妙な面持ちで頷いた。

 

「現場には古い……とても古い魔法の形跡があったわ。厳密に言えば、恐らくリドルを退けたのはリリー・ポッターよ。『一方が他方の手にかかって死なねばならぬ』、なんでしょう?」

 

「つまり、リドルは『自分に比肩する者として印す』の段階を終わらせただけだと言うことかい? 参ったね。終わりじゃなくて、始まりなわけだ。」

 

忌々しいことに、何一つ終わってはいないらしい。しかし、そうなると一つの疑問が生じる。

 

「それじゃあ、トカゲちゃんはどうなったんですか?」

 

美鈴が私の疑問を代弁してくれた。問いかけられたパチュリーは、何とも嫌そうな表情で答えを語り出す。

 

「選択肢が多すぎるから、仮説を話すのは嫌なんだけど……まあ、とにかく『まとも』な状態じゃないことは確かね。現場の惨状を見る限りでは、少なくとも肉体は失っているはずよ。」

 

霊魂のような状態なのだろうか? だとすれば、追うのは難しいだろう。矮小すぎる存在というのは、時に厄介な隠れ蓑にもなるわけだ。

 

「痛み分けで休戦ってわけだ。情けなくて涙が出てくるね。」

 

言い放ってからソファに深く身を預けた。疲れた。綺麗な結末じゃない分、ゲラートの時より不満が募る。あの戦いがいかに見事な結末を迎えたかがよく分かる気分だ。

 

「とにかく、私はもう一度ダンブルドアと話し合ってくるわ。今度はパチェも来て頂戴。」

 

イラついたままの表情で部屋を出るレミリアに、ため息を吐きながらのパチュリーが続く。

 

さて、私もアリスとフランを元気付けに行かねばなるまい。美鈴に目線でついて来いと伝えながら、疲れた身体を動かして立ち上がる。

 

紅魔館の廊下を歩きながら、アンネリーゼ・バートリは二人への慰めの言葉を探すのだった。

 

 

─────

 

 

「時間が歪んでいる?」

 

ダンブルドアへの質問を口にしながら、パチュリー・ノーレッジは目の前の赤ん坊を調べていた。

 

レミィと一緒に今回の後処理、そして今後の展開についてダンブルドアと話しに来たわけだが、一段落ついたところでダンブルドアが相談してきたのだ。

 

曰く、コゼットが命をかけて産んだ子供が、妙な事になっているらしい。アリスや妹様のこともあるし、赤ん坊のことを調べ始めたわけだが……時間が歪んでいるとはどういう意味だ?

 

私の質問に、ダンブルドアは困ったような顔で返事を寄越す。

 

「さよう。聖マンゴの癒者たちも不思議がっておった。所謂、瞬間移動のようなことが頻繁に起きるらしいのじゃ。それで詳しく調べた結果……。」

 

「『時間が歪んで』いたと? よく意味が──」

 

再び質問しようと口を開いた瞬間、私を不思議そうに見ていたはずの赤ん坊が、一瞬にして体勢を変えて眠りについていた。

 

「──なるほど。確かに妙なことになっているわね。」

 

同じくそれを見ていたレミィが、赤ん坊を覗き込みながら口を開く。

 

「逆転時計を使ったことが影響しているのかしら?」

 

「有り得る話ね。何たってこの子は、時間軸的にはコゼットがまだ生きている時に産まれたんだもの。この世に生まれ落ちた瞬間、同時に母親のお腹の中にも存在していたわけよ。」

 

レミィに返事を返しながらも、脳内では考えを巡らせる。パラドックスの落とし子というわけだ。実に興味深いものがある。

 

眠っている赤ん坊をレミィと二人で観察していると、横からダンブルドアが声をかけてきた。

 

「この子をお願いすることはできんかのう?」

 

お願いする? それはつまり……育てろと? あまりに唐突な言葉に、レミィと顔を見合わせた。向こうも驚いているらしい。見たこともないような顔になっている。

 

私たちの驚愕を知ってか知らずか、ダンブルドアはなおも言葉を続けた。

 

「ハリーはマグルの親戚の家へ、ネビルは祖母の家へ、それぞれの行き先が決まった。しかし、この子は未だ決まっておらぬのじゃ。」

 

「この子にも親戚がいるでしょうに。」

 

「アレックスの両親は既に他界しておる。ヴェイユ家は名家だけあってさすがに残っているのじゃが……殆どがフランスの魔法使いなのじゃよ。この子どころかコゼットのことすら知らぬ。」

 

「そういえばヴェイユ家のルーツはフランスだったわね。」

 

かなり遠い親戚ということか。それだと確かに抵抗があるだろうし、向こうもいい顔はすまい。悩んでいる私たちに、ダンブルドアは説得を続ける。

 

「モリーが引き取っても良いとは言っておるが……どうじゃろう? アリスやフランにもいい影響があればとも思ったのじゃが。」

 

ダンブルドアの言葉を受けて、レミィも私も再び考え始める。そもそも、私やレミィに子育てが出来るとは思えない。リーゼと美鈴、妹様も同様だろう。アリスと、かろうじて小悪魔に可能性があるくらいだ。

 

アリスを引き取った時とは違うのだ。彼女は聡い子供だったから殆ど手がかからなかったが、今回は正真正銘の赤ん坊である。

 

となれば、やはりアリスに話を通す必要があるだろう。彼女と妹様が諾と言うなら私は文句などない。興味深い研究対象にもなりそうなのだ。

 

レミィも同じ答えにたどり着いたらしく、ダンブルドアにそんな感じの答えを返す。

 

「ふむ……そうね、アリスとフランに話を聞いてみるわ。二人が引き取りたいと言うのであれば、赤ん坊一人くらいどうにか出来る甲斐性はあるつもりよ。」

 

「おお、それは有り難い。二人が辛そうでなければ、どうかお願い致します。」

 

安心した様子のダンブルドアに、レミィが肩を竦めて話しかける。

 

「しかし、吸血鬼に赤ん坊を託すだなんて……貴方もおかしなことを考えるものね。」

 

「ほっほっほ。種族など関係はないのですよ。重要なのは愛せるかどうかです。」

 

愛か。リドルを退けた原初の力。奇しくもダンブルドアの言う通りになったわけだ。そしてそれを理解出来なかったリドルは、それに敗れた。

 

「ハリーは幸せに暮らせるかしら?」

 

ポツリと漏れ出た言葉に、ダンブルドアが難しい顔で答えた。

 

「少なくとも、安全ではあるはずじゃ。リリーの残した魔法は恐らくそういう仕組みなのじゃから。幸せに暮らせるかどうかは……信じるしかないじゃろうな。」

 

「願わくばそうあって欲しいわね。いつか過酷な運命に晒されるんだもの。」

 

力ある吸血鬼が、英雄と呼ばれた大魔法使いが、そして私たち魔女ですら出来なかったことを、彼がやる事になるのだ。さすがの私もほんのちょっと可哀想になってくる。子供の頃くらい幸せに過ごせればいいのだが。

 

「そうじゃのう。願おうではないか、子供たちの幸せを。せめてひと時の安らぎを得られんことを……。」

 

ダンブルドアの言葉に応えるように、再び赤ん坊が目を開く。こちらに手を伸ばしたかと思えば、突然位置を変えてベッドの端に出現した。慌ただしいもんだ。

 

不思議な赤ん坊を眺めつつも、パチュリー・ノーレッジはこの子を引き取る事になった時の苦労を思い、ほんの少しだけため息を吐くのだった。

 



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そして長いプロローグは終わった

誤字報告ありがとうございます。いつも助かっております。


 

 

「今日は妹様の好きなデザートも用意したんですよー?」

 

紅魔館の地下通路で、紅美鈴は必死に目の前のドアへと言葉を投げかけていた。

 

再び地下室に引き籠った妹様をなんとか外に出そうというわけだ。今日は食事をエサに釣りだそうとしているのだが……私じゃあるまいし、ちょっと無理があったかもしれない。

 

カートに山と積まれたご馳走を見ながら反省していると、ドアの向こう側から声がかけられる。

 

「いらない。私、お腹空いてないから。」

 

『私』か。あの事件の後、妹様はまるでそれまでの自分とは決別するかのように、突如として話し方を変えた。舌足らずな雰囲気はもはや無くなり、令嬢としては合格点な喋り方になっている。

 

とはいえ、お嬢様も従姉妹様もそれを喜んではいない。私だってそうだ。みんな、あの快活な妹様に戻って欲しいのだ。

 

「でも、食べないとダメですよ。ちょっとだけ……ちょっとだけでいいですから、食べてくれませんか?」

 

部屋から出ないどころか、妹様は殆ど食事を取らなくなった。そりゃあ吸血鬼なんだから、しばらく食べなくても死にはしないだろうが……それでも心配なもんは心配だ。

 

「……そこに置いておいて。」

 

「わかりました。置いておくから、食べてくださいね?」

 

梃子でも出てくる気はないらしい。仕方がない、せめて食べてもらえることを祈ろう。食事の詰まったカートを固定して、その場から去ろうとすると……去り際の背中に妹様から声がかかった。

 

「ねぇ、美鈴? コゼットの赤ちゃんは元気にしてる?」

 

「めちゃくちゃ元気ですよ! 今日はみんなで名前を考えてるんです。妹様もどうですか? いい案ないです?」

 

紅魔館の新顔となった銀髪の赤ちゃんは、毎日お嬢様と従姉妹様を翻弄しているのだ。あの歳で吸血鬼二人を手玉に取るとは、なんとも将来有望な子である。

 

妹様が出てきてくれるかもと期待を込めての質問だったのだが……。

 

「私は……まだ会えない。合わせる顔がないよ。」

 

ダメだったらしい。肩を落として返事を返す。

 

「……そうですか。それじゃ、私は上に戻りますね。」

 

「うん、良い名前を付けてあげてね。」

 

「まあ、努力はしてみます。」

 

再び身を翻して地下通路を歩き出す。問題なのはお嬢様のネーミングセンスだ。彼女がろくな名前を考え出すとは思えない。

 

一階に上がり、リビングへと向かって歩いていると、目的地の方向からお嬢様の大声が聞こえてきた。どうやら心配は現実のものとなったようだ。

 

「なんでよ! ぴったりな名前じゃないの!」

 

リビングのドアを開けてみると、ベビーベッドに寝かされた赤ちゃんを庇うように立っているアリスちゃんと、それを指差しながら喚いているお嬢様が見えてきた。ソファには苦笑する従姉妹様と、興味なさそうに本を読むパチュリーさんが座っており、小悪魔さんは……赤ちゃんをあやしているらしい。

 

「そんなの男の子みたいじゃないですか! 絶対にダメです!」

 

「ぐぬぬぬ……それじゃあ、アリスはどんな名前ならいいのよ! 提案してみなさい!」

 

お嬢様とアリスちゃんの論戦を聞きながら、従姉妹様の側へと向かう。どうやらアリスちゃんは愛しい赤子のために一歩も引かず戦っているようだ。

 

アリスちゃんはこのところ精力的に赤ちゃんの世話をしている。一時は部屋に閉じこもっていたのだが、この小さな命を目にした瞬間に何か心境の変化があったらしい。一度だけ従姉妹様に縋り付いて大泣きした後、今ではまるでそれが自分の使命だとでも言うかのように、献身的に子育てに取り組んでいるのだ。

 

今でも時たま悲しそうな顔をしている時があるが、少なくとも表面的には回復しているように見える。下手に掘り返さずに、時間の流れを頼ったほうが良い。それが従姉妹様の決定だった。

 

何にせよ、そんなアリスちゃんはお嬢様の命名が気に入らなかったようだ。お嬢様の挑戦を受けた彼女は、懐から数十枚の羊皮紙を取り出し、それをビシリと突きつけた。羊皮紙には隙間がないくらいに名前の候補が書かれているが……いやぁ、多すぎないか?

 

「これです! 厳選した候補を書き出してみました!」

 

「えぇ……うん、厳選されてるわね。千個くらいはありそうだわ。」

 

お嬢様が勢いを無くしながらドン引きしている。私も引いたし、従姉妹様の顔も引きつっている。千個どころじゃないぞ、あれは。

 

部屋にパチュリーさんの本を捲る音と、小悪魔さんと『子育てちゃん六号』のいないいないばあという声だけが虚しく響く中、アリスちゃんがキョトンとした顔で口を開いた。

 

「……あれ? なんですか、この空気?」

 

首を傾げて面々を見回すアリスちゃんに、従姉妹様が立ち上がってフォローに向かう。

 

「あー……その、なんだ。ちょっと多すぎるかもしれないね。命名辞典が作れそうな量じゃないか。」

 

「でも、これでも厳選したんです! 後はここから候補を絞り込んで……。」

 

壮大な計画を話すアリスちゃんを、従姉妹様がやんわりと止めた。

 

「そんなことをしていたら、この子は一生を自分の名前選びで終えてしまうよ。この子がジェーン・ドゥとして生きるのは、キミだって望まないだろう?」

 

「むう……それじゃあ、リーゼ様は何かいい考えがあるんですか?」

 

ちょっとむくれた様子のアリスちゃんに促されて、従姉妹様が無難な名前を口にした。

 

「普通に、テッサ・コゼットじゃだめなのかい? イギリスじゃあそういう命名も珍しくないだろう?」

 

吸血鬼にしてはマトモな案だ。もしかしたら、スカーレット家のネーミングセンスだけが異常なのかもしれない。

 

「ダメよ、そんな安直な名前は! スカーレット家で育つなら、もっとカッコいい名前じゃないと許せないわ!」

 

「どういう意味ですか、レミリアさん! 二つとも良い名前じゃないですか!」

 

猛反対するお嬢様に、アリスちゃんが食ってかかった。どうやら命名戦争は未だ始まったばかりらしい。

 

仲裁している従姉妹様を眺めながらパチュリーさんの方へと近付いてみると……おや、読んでいるのは命名の本だ。別に興味がないわけではなかったのか。

 

「何か良い名前が載ってます?」

 

「命名の本はたくさんあるわ。先ずは全部読んでみてからよ。」

 

ダメだ、こっちも役には立たなさそうだ。ため息を吐きながらソファに座り込み、名無しになりかけている哀れな赤ちゃんが小悪魔さんの翼を引っ張っているのを眺めていると……お嬢様が矛先をこちらに向けてきた。

 

「ああもう! 美鈴! 貴女は思いつかないの? それぞれ考えておくって約束だったでしょ?」

 

ふふん、よくぞ聞いてくれた。実は私も頑張って考えていたのだ。思いついた会心の名前を全員に向かって言い放つ。

 

「十六夜咲夜。ふふん、どうです? 結構いいと思いませんか?」

 

言った途端に全員の顔が引きつった。あれ? もっとこう、『その名前があったか!』みたいな顔になると思ったのだが……。

 

しばらくリビングを沈黙が包んでいたが、立ち直った様子のお嬢様、アリスちゃん、従姉妹様の順で勢いよく文句を言ってきた。

 

「なんで東洋式なのよ! イギリス人でしょうが!」

 

「それに、なんで苗字まで考えてるんですか! しかも全然関係ない苗字を!」

 

「美鈴……レミリアに毒されたのかい? キミも中々のネーミングセンスじゃないか。」

 

あれぇ? いい名前だと思ったのだが……ひょっとして、変なのか? マズいぞ、このままでは私まで変な名前を付けるやつだと思われてしまう。自尊心を守るためにも反論せねばなるまい。

 

「だってほら、苗字はヴェイユ、スカーレット、バートリ、マーガトロイドでどうせ喧嘩になるでしょう? それならいっそ、全然違うやつにしちゃおうかと思いまして……。」

 

「あまりにも無関係すぎるでしょうが! それに苗字はスカーレットよ。これは決定事項だわ。」

 

ふんすと鼻を鳴らしながら言ったお嬢様に、再びアリスちゃんが食ってかかった。おっと、戦争再開だ。

 

「なんでですか! ヴェイユに決まってます! 百歩譲ってバートリです。スカーレットは有り得ません。」

 

「ちょっと人形娘! スカーレットの何が不満なのよ! カッコいいし、箔もつくでしょうが!」

 

怒鳴り合う二人を他所に、何かを考え込んでいたパチュリーさんがポツリと口を開いた。

 

「悪くないかもね。新月と満月を表しているのでしょう? あの子の矛盾を良く表しているわ。」

 

パチュリーさんは賛成してくれるらしい。まあ……出来ればもう少し早く言って欲しかったが。もはや誰も聞いていないのだから。

 

今度は小悪魔さんの髪を引っ張り始めた赤ちゃんを眺めながら、紅美鈴は自分のネーミングセンスについて、もう一度客観視することを誓うのだった。

 

 

─────

 

 

「つまり、決心してくれたのね?」

 

執務室のソファに座る胡散臭い大妖怪に、レミリア・スカーレットは肯定の頷きを放った。

 

リーゼとの何度かの話し合いを経て、幻想郷に移り住むことは決まった。アリスの楔は図らずも砕かれてしまったし、フランにとって人間が脆すぎたこともよく理解した。

 

そして、執務室を再び訪れた大妖怪にそのことを伝えたわけだが……移り住む前にやる事が残っている。

 

「でも、今すぐにとはいかないわ。やり残したことがあるのよ。」

 

トム・リドル。あの男をこのまま放っておくのは私のプライドが許さない。このレミリア・スカーレットを虚仮にしたことを後悔させてからでないと、イギリスを離れることは出来ないのだ。

 

「『ヴォルデモート卿』だったかしら? 随分と苦労なさっているようね?」

 

お見通しなわけか。八雲紫は扇で口元を隠しつつ、その瞳で弧を描いている。苛つく女だ。

 

「そうよ。この件に決着をつけてからの話になるわ。」

 

「それはもちろん構いませんけど……私がお手伝いしましょうか? 一瞬でケリが付きますよ?」

 

「不要だわ。これは私たちのゲームなの。もし余計な手出しをしようと言うのなら……。」

 

威圧感を放って言葉に代える。これは私たちの戦争なのだ。邪魔をしようというのなら容赦するつもりはない。八雲紫にもその意味は通じたらしく、戯けたように身を竦める。

 

「あら、ゆかりん怖いわ。まあ……心配しなくっても邪魔はしないわよ。見物はさせてもらうけどね。」

 

「ふん、勝手にしなさい。……それと、フランの境界も戻しておいて頂戴。あの子はもう自分の力を制御できるでしょう。」

 

望まぬ形だったが、フランは確かに成長した。悪戯に物を壊すこともなくなったし、人間に価値があることも知ることができただろう。その結果再び地下室に戻ることになろうとは……なんとも皮肉なことだ。

 

「それじゃあ……はい、これで元通りよ。」

 

チラリと地下室の方向を見ながら境界を弄ったらしい八雲紫は、苦笑しながら話を続けてきた。

 

「しかしまあ、見ていた私もちょっと……やきもきする結果になったわね。元気なフランちゃんはかわいかったのだけど。」

 

「時間が癒してくれるでしょう。……そう思わないとやってられないわ。」

 

「うーん……ヒントだけでも要らないかしら? 私はハッピーエンドが好きなのよ。その為ならちょっとくらいはいいんじゃない?」

 

「くどいわよ、八雲紫。機械仕掛けの神は不要だわ。大体、貴女だってそんなつまらない決着は嫌でしょうに。」

 

言い放つと、八雲紫は珍しく取り繕わない苦笑を浮かべた。困ったような感じの美しい微笑だ。そっちの方が好感が持てるだろうに、なんだっていつも胡散臭い表情を作ってるのやら。

 

「正しくその通りね。……それじゃあ、こっちは移住の準備を進めておくわ。」

 

裂け目がソファに開き、そこに八雲紫が落ちていく。なんとも派手な退場だ。ため息を吐こうとすると、裂け目から声が響いてきた。

 

「応援していますわ、かわいい吸血鬼さんたち。どうか素晴らしい結末の訪れんことを。」

 

「言われずともそうなるわ。」

 

短く返すと、今度こそ裂け目は閉じていった。そうしてみせる。私は二度の敗北を許すほど我慢強いほうではないのだ。

 

……認めよう。今回はこのレミリア・スカーレットの負けだ。リーゼでも、アリスでもないし、ダンブルドアでも魔法省でもない。『運命』という自分の得意とする舞台で負けた私こそが、今回の一番の敗因だろう。

 

故に二度目はない。私は運命を操る吸血鬼なのだ。この上再び負けるようなことは、私の矜持が許さない。

 

トム・リドル、ハリー・ポッター、アルバス・ダンブルドア。今度こそ操りきってみせよう。もはや駒に不足はない。あとは……チェックメイトまでの手筋を考えるだけだ。

 

いずれリドルは戻ってくるだろう。その時までに地盤を整える必要がある。今回の敗因の一つは、イギリス魔法省との対立だ。クラウチは息子の不始末で勝手に退場したことだし、操りやすい無能を大臣に据えるのもいいかもしれない。

 

より多くの腕が必要なのだ。私やリーゼ、パチュリーや美鈴は強力な駒だが、いかんせん数が少なすぎた。一人の吸血鬼よりは百人の魔法使いだ。次はもう少し雑兵にも気を配る必要がある。

 

ハリー・ポッターは……まあ、今のところは心配ないはずだ。私たちがリドルを殺せなかったように、残った死喰い人たちもハリーを殺せまい。リドルは彼を予言の子に選んだのだから。

 

最初は……そうだな、死喰い人どもの裁判に介入するか。減刑をエサに何人かこっちに転ばせることができるかもしれない。大半は戦争など終わったと思っているのだ。ペラペラ情報を喋ってくれることだろう。

 

音の消えた自身の執務室で、レミリア・スカーレットはゆっくりと最初の駒を動かし始めるのだった。

 



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Interval
子育て奮闘記


 

 

「つまり、紅魔館とムーンホールドを『くっつける』わけだ。」

 

アンネリーゼ・バートリは紅魔館のリビングで、目の前に立っているレミリアにそう語りかけていた。

 

あのハロウィンからは二年の歳月が流れている。ハリー・ポッターは隣家に潜ませているスクイブの報告によれば、無事にスクスクと成長しているらしい。まあ……あまり幸せな生活ではなさそうだが。

 

そんな中、幻想郷への移住に備えて、私たちの住処を統合するという提案が成されたのだ。

 

実際のところ私は戦争中は紅魔館に入り浸りだったし、パチュリーの図書館は未だ紅魔館にある。転移に備えて建物を一つにするのは賛成だが……。

 

「当然、ムーンホールドが主体になるんだろうね? 面積からいってもそうなるはずだよ?」

 

「紅魔館が主体に決まってるでしょうが! 古臭い屋敷を塗り直してあげるわ。感謝なさい。」

 

こうなるわけだ。私は自分の住処が真っ赤なのは嫌だし、レミリアは地味な色合いなのが嫌なのだろう。我が幼馴染の『紅』に対する拘りは病的なのだ。

 

かといって、それぞれの様式を残しておくわけにもいかない。ちぐはぐなフランケンシュタインみたいな建物なんて御免だ。

 

窓の外に広がる夕日に染まった空を指差しながら、ニヤリと笑って言い放つ。

 

「また弾幕ごっこで決めるか?」

 

「あら? あの敗北をもう忘れたのかしら?」

 

やる気満々なレミリアと睨み合うが……まあ、良い機会かもしれないな。両手を挙げてソファに倒れ込みながら、肩を竦めて口を開いた。

 

「……ま、表は紅魔館でいいよ。ムーンホールドは裏手に回してくれ。言っておくが、真っ赤には塗らないからな。そこだけは譲らないぞ。」

 

あっさり引いた私に、レミリアはキョトンとした顔になって言葉をかけてくる。コウモリが豆鉄砲食らったような顔だな。

 

「へ? ……ちょっと、どうしちゃったのよ、リーゼ。具合でも悪いの?」

 

「二回の戦争を通して学習したんだよ。私はどうも……裏方が好きらしくてね。反面、キミは表でブイブイ言わせるのが好きだろう? 役割分担しようじゃないか。」

 

ゲラートの時も、二年前の戦争も、私は表には出なかった。裏から手を回す大魔王ごっこが好きだし、魔法省の無能どもとお喋りなんかしたくないのだ。

 

そしてレミリアは真逆の方法を採っている。前回も今回も表に出て、政治によってその影響力を増していた。そのためなら無能どもの親睦パーティーにだって出席してたし、バカバカしい呼び出しにもきちんと対応していたのだ。

 

幻想郷でどんな生活になるかは分からないが、この分ならレミリアを顔役にしたほうが効率よく過ごせるだろう。それに……うん、何より私が楽なのだ。そのためなら表側を紅魔館にするくらいは我慢できる。いや、すっごい嫌なのは確かだが。

 

さすがに付き合いの長いレミリアには私の言わんとしていることが分かったようで、苦笑しながら頷いてきた。

 

「まあ、そうね。それに……ムーンホールドは場所がバレちゃってるわ。騎士団の団員が悪事を働くとは思えないけど、そっちを移しちゃったほうが安全かもね。」

 

「その通り。それじゃあ、接合部をそれらしく加工したら、パチェに頼んで転移魔法を組んでもらおうか。もちろん今回は慎重に、ね。」

 

「そこが一番大事な部分ね。もう二度と激突しないように言っておかなくちゃ。次は美鈴が首を括るわよ。」

 

間違いない。あの時の美鈴は泣き笑いのような表情で怖かったのだ。まあ、パチュリーも反省してたみたいだし、さすがに今回は大丈夫だろう……大丈夫だよな?

 

お互いにちょっと不安な顔を見合わせていると、部屋のドアがいきなり開いて焦った顔の小悪魔が突っ込んできた。びっくりしたじゃないか。

 

小悪魔はキョロキョロと部屋の中を見渡した後で、焦った顔のまま私たちに向かって声をかけてくる。

 

「咲夜ちゃんを見ませんでしたか? またいなくなっちゃったんです!」

 

「またか……いよいよパチュリーに結界を張らせたほうがよさそうだね。」

 

思わず呆れた口調になってしまった。なんたって、これで今週八回目の逃走なのだ。さっきまでそこにいたのに、気付いたら館の反対側にいるのだから堪らない。最近ドアの取っ手に飛びついて開けることを覚えた咲夜は、今日もまた紅魔館の探検に精を出しているらしい。

 

アリスなんかは人形を総動員して見張りにつけているのだが、残念ながら効果はなかったようだ。私たちから見れば瞬間移動なのだから、宜なるかなというものである。

 

私が小さな冒険家のことを考えて苦笑していると、隣のレミリアが血相を変えて慌て始めた。ほらきた、親バカ吸血鬼のご登場だ。

 

「探すのよ、小悪魔! 怪我なんかしたら大変じゃない!」

 

「はい!」

 

真剣な顔で頷きあうと、止める間もなく二人は廊下へと飛び出していった。やれやれ、毎日が騒がしいもんだ。

 

ちなみに、名前は結局『咲夜』に決まった。幻想郷は日本語が公用語だということで、よく馴染めるように日本式の名前にしたというのが一つ。もう一つの理由はレミリアお決まりのポンコツ予言だ。猛反対していた彼女だったが、能力を使った直後に美鈴の案に賛成し始めたのである。リドルを殺す方法は分からんくせに、命名診断はできるらしい。相変わらず振れ幅の大きい能力だな。

 

そして苗字は……まあ、決まらなかった。ホグワーツに入学するまで決めればいいということで、後回しになってしまったのだ。

 

お陰でアリスは隙ある毎に『ヴェイユ』の名前を教え込み、対抗するレミリアは『スカーレット』だと洗脳まがいに囁きかけている。

 

そして意外なことに、美鈴も『十六夜』を諦めていないようだ。咲夜の子供服にこっそりと、無駄に緻密な『十六夜咲夜』という刺繍を入れている。彼女の無駄技術は裁縫にまで及んでいたらしい。

 

「……ん?」

 

終わりの見えない命名戦争のことを考えながら、静かになった部屋で紅茶を飲んでいると……なんというか、揺らぎ? のようなものを感じ取った。覚えのある感覚に、思わず笑って口を開く。

 

「んふふ、咲夜かい?」

 

「リーゼおぜう!」

 

いつの間にか目の前にいた咲夜が、万歳をして抱っこの要求をしている。ビンゴだ。私の能力と彼女の能力はどうも相性が良いらしい。説明が難しいが、近くで彼女が時間を止めようとすると……波? というか、空気の揺らぎのようなものを感じ取れるのだ。まあ、現状ではそれだけのことだが。

 

時間と光との関係性について考えながら、両脇を持ってソファの上へと上げてやる。すると満足そうにぽすんと座り込んだ咲夜は、目を閉じて眠り始めてしまった。うーむ、自由すぎる子だ。

 

「咲夜、ここで寝ると風邪をひくよ?」

 

「んー、へーき。」

 

「まいったね、どうも。」

 

まあ……二歳児を説得しても仕方がない。諦めて苦笑しながら上着をかけてやると、咲夜はそれに包まってすやすや寝息を立て始めた。

 

何とも忙しない子だ。思わず微笑んでさらさらの銀髪を撫でていると、部屋のドアが開いて……おや、今度はアリスだ。彼女も慌てた表情で息を切らしている。幼女捜索の任務を遂行中らしい。

 

「リーゼさ──」

 

「おっと、静かに。咲夜ならここで寝てるよ。」

 

「ね、寝てる?」

 

素っ頓狂な声を上げたアリスは、そっとこちらに近付くと、眠る咲夜を見てため息混じりに呟いた。

 

「もう、心配かけて……。」

 

安心したように言った後、アリスは自分の胸にそっと手を当てる。あそこにはヴェイユの杖が提げられているのだ。形見として受け取ったそれを、彼女は常に身につけている。

 

出そうになったため息をなんとか抑えながら、咲夜を見て微笑むアリスに話しかけた。

 

「今は段差なんかを上手く上れないからこれで済んでるが……このままだと数ヶ月後には地獄を見そうだね。対処法を考えたほうが良さそうだ。」

 

「おっしゃる通りです。美鈴さんに柵でも作ってもらいましょうか?」

 

「動物園じゃないんだぞ、アリス。」

 

「いやいや、違います! 階段とか、窓とかを塞ぐ感じで。檻っぽい感じじゃなくてですね!」

 

慌てて弁明してくるアリスだったが……つまりは紅魔館を監獄にする気か。相変わらず突飛なことを考え付く子だ。まあ、確かにそれくらいやらないと咲夜は止まらないだろう。常に『目を離している』状態だと思った方がいいくらいなのだ。

 

目の前で『紅魔館アズカバン化計画』を話しているアリスを眺めながら、アンネリーゼ・バートリはパチュリーの結界のほうがマシだと結論を出すのだった。

 

 

─────

 

 

「いやぁー、そういえば共食いになっちゃいますね。」

 

目の前で能天気に語るアホ門番を睨みつけながら、レミリア・スカーレットは足をダシダシ踏み鳴らしていた。リビングの飾りが一つ落っこちたが……構うもんか! それもこいつに直させればいいのだ!

 

「どんだけおバカなのよ! 咲夜が人肉ステーキなんか食べるわけないでしょうが! 今後は咲夜の食事に関わるのは禁止よ!」

 

金輪際咲夜の食事には触れさせないからな! 食事は全てエマかアリスに頼もう。このアホアホ門番に任せると何が起こるか分からんぞ。

 

怒る私にへらへら笑っている美鈴は、困ったように頰を掻きながら口を開いた。

 

「えーと、そうなると私、咲夜ちゃんと一切関われないんですけど……接近禁止令も受けてますし。」

 

「自業自得よ!」

 

美鈴の言葉通り、彼女はアリスと小悪魔から咲夜への接近禁止令を受けている。理由は五十メートルほどの『高い高い』をしたからだ。正気の沙汰とは思えんぞ。

 

激怒したアリスは、人形を使って美鈴の接近を禁じているのだ。近付こうとすると警告なしで攻撃してくるあたり、彼女の親バカ加減も相当だろう。ちなみに小悪魔も餌付けした妖精メイドを使って各所に見張りを立てている。役に立つかは知らんが。

 

美鈴を見張っているランスを持った人形を見ながら考えていると、当の本人が何にも反省していない顔で口を開いた。

 

「でも、咲夜ちゃんは喜んでましたよ?」

 

「四歳児なんだから判断がつかないだけよ! 次やったら門前に磔にしてやるからね。」

 

「それはちょっと嫌ですね……。」

 

顔を引きつらせる美鈴に鼻を鳴らしながら、銀髪の我が子について考える。咲夜はあと数ヶ月で五歳の誕生日を迎えるのだ。

 

かなり理性的なお喋りが出来るようになった咲夜は、今日もまたパチュリーの『尋問』を受けているらしい。パチュリーは咲夜の能力について興味津々なのだ。

 

これまで苦労して聞き出した内容によれば、あまり長くは時間を止めることは出来ないとのことである。……いや、もちろん咲夜の主観ではの話だが。私たちから見ると一瞬なのだ。

 

唯一の例外として、リーゼは百メートルくらいの範囲内であれば時間が止まったことを認知できる。かといって干渉することは出来ないあたり、咲夜の能力はかなり強力なものだと言えるだろう。ちょびっとだけ羨ましい。

 

今は停止した時間の中で他者を動かす練習中だ。正直言って、止まった世界というのにはかなりの興味がある。パチュリーやアリスは当然として、リーゼや小悪魔ですら習得の日を楽しみに待っているのだ。まあ、本人は悪戦苦闘しているらしいが。

 

難しいよと涙目で駆け寄ってくる咲夜を思い出してニヤニヤしていると、美鈴が呆れた顔で時計を指差しながら口を開いた。

 

「どうせ咲夜ちゃんのことを考えてるんでしょうけど、いいんですか? ダンブルドアと約束があったんじゃ?」

 

「へ? そういえばそうだったわね……行ってくるわ。」

 

もうそんな時間だったか。何となく美鈴を一発叩いてから、抗議の声を無視してエントランスへと歩き出す。ダンブルドアとは数ヶ月に一回程度の連絡会を設けているのだ。彼もまた、再び起こるであろう戦争を予期している人間の一人なのだから。

 

残念ながらリドルの復活を信じている人間は多くはない。『ダンブルドア教』のマクゴナガルとドージ、アリス経由で説得されたハグリッドと、陰謀論者のムーディくらいだ。つまりは元騎士団の人間だけである。

 

数年だ。僅か数年で他のバカどもは平和ボケしている。ヨーロッパ大戦の時だってもうちょっと緊張感が続いたぞ。

 

イライラしながらエントランスの暖炉に到着すると、緑の粉を投げ入れて行き先を叫ぶ。普段は封鎖されているが、今日はダンブルドアが煙突ネットワークを開いてくれているはずだ。

 

「ホグワーツ魔法魔術学校!」

 

初回の失敗以来、大嫌いになった煙突飛行を終えると……なんだここは。どうやらあの老人は校長室へ直通にしてくれなかったらしい。目の前にはガランとした無人の教室が広がっている。

 

「……もう!」

 

ダスンと足を踏み鳴らしてから、仕方なく校長室へと歩き出す。あのボケ老人め、校長室に着いたら文句を言ってやるからな!

 

道行く生徒たちが怪訝な顔でこちらを見てくるのを無視しながら、ホグワーツの古臭い廊下を歩いていると……中庭で人集りが出来ているのが見えてきた。

 

中央ではオレンジのメッシュが入った派手な髪の少女と、利発そうな黒髪の少女が睨み合っている。おやおや、ガキの決闘ごっこか。見たところ一年生か二年生といったところだ。残念ながら派手な闘いは期待できまい。

 

「やっちまえ、スナイド!」

 

片方の『応援団』から放たれる野次を背に、無視して廊下を進む。上級生なら見物しても良かったんだが……待てよ、スナイド? どっかで聞いたような名前だな。

 

ぼんやりした記憶を辿っていると、背後からいきなり声がかかった。

 

「スカーレットさん?」

 

振り向けば……ウィーズリーの長兄だ。ムーンホールドに出入りしていた頃に何度か会ったことがある。確か名前は……ウィリアムだったか?

 

「久しぶりね、ウィリアム。」

 

「あー……『ビル』でお願いします。その名前はどうも、ありきたりすぎて。」

 

「ビルも充分ありきたりだと思うけどね。」

 

肩を竦めて言うウィリアム……ビルに、私も同じようにして返す。お互いに苦笑し合ったところで、彼が歩みを合わせながら話しかけてきた。

 

「今日は校長先生にご用ですか?」

 

「その通りよ。あのボケ老人がふざけた場所に煙突ネットワークを繋げたおかげで、ホグワーツを散歩することになっちゃったわ。」

 

「そりゃまた、ご苦労様です。しかし、校長先生をそんな風に言うのは世界でスカーレットさんだけですよ。……ああ、ノーレッジさんもですね。」

 

顔を引きつらせて言うビルは、私のお散歩に付き合ってくれるらしい。ちょうど退屈してたとこだし、ありがたく話し相手になってもらおう。

 

「しかし……もう三年生だったかしら? 随分と背が伸びたわね。」

 

「お陰さまで未だに伸び続けてますよ。ママは洋服がすぐ合わなくなるって文句ばっかりですけど。」

 

「貴方の弟たちは苦労しそうね。モリーは絶対にお下がりで済まそうとするわよ。」

 

「もうそうなってます。でも、一番可哀想なのはジニーですよ。男物の服を着せられちゃって……。」

 

ああ、確かに末娘は一番苦労するだろう。上を見れば男ばかりなのだ。色々とストレスが溜まることは想像に難くない。

 

私が末娘に内心で同情を送っている間にも、道行く生徒たちはビルに一声かけていく。彼は結構な人気者のようだ。対応を見る限り、アーサーの人当たりの良さとモリーの積極性を受け継いだらしい。モリーは出来のいい息子にさぞご満悦なことだろう。

 

そのままウィーズリー家のことや旧騎士団員のことを話している間にも、校長室の前へと到着する。結構巧みな話術だったせいで、退屈とは無縁でたどり着けた。こいつは社会に出ても上手くやっていくタイプだな。ウィーズリー家の将来は明るいようだ。

 

「付き合わせちゃって悪かったわね。」

 

「いえいえ、スカーレットさんに失礼したとなれば、パパとママに怒られちゃいますから。お役に立てたならなによりです。」

 

うーむ、やはり十四歳にしてはしっかりしているような気がする。モリーに教育論を習うべきかもしれない。主に咲夜のために。

 

丁寧に別れを言うビルに手を振って、ガーゴイルへと合言葉を告げて階段を下って行く。しかし……『糖蜜ヌガー』? もし気に入ってるんだとしたら糖尿病で死ぬぞ、ダンブルドア。

 

校長室のドアをノックしながら、レミリア・スカーレットは老人の体調をちょっとだけ心配するのだった。

 



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小さなメイド見習い

 

 

「ぬぅ……。」

 

目の前の惨状を眺めながら、咲夜は己の無力を嘆いていた。キッチンテーブルに並ぶ料理は無残な姿になっている。

 

もう七歳になったというのに、未だに成功より失敗の方が多い始末だ。みんなは笑って許してくれるが、これでは優秀な使用人になどなれないだろう。

 

キッチンに焦げた匂いが充満する中、項垂れつつも口を開く。

 

「ごめんなさい、エマさん。」

 

教えてくれていたエマさんに謝ると、彼女は微笑みながら頭を撫でて慰めてくれた。

 

「仕方がないですよ。まだ咲夜ちゃんには難しい料理なんですから。」

 

「でも、食材を無駄にしちゃいました。……ごめんなさい。」

 

「あーもう! 食べれないわけじゃないんですから、そんなに落ち込んじゃダメです。ほら、クッキーは上手く出来たじゃないですか。」

 

確かにクッキーは珍しくコゲついてはいないが……隣のエマさんが作った物と比べると、ちょっと形が歪んでいる。ダメダメだ。

 

「変な形になっちゃったから……これも私が食べます。」

 

項垂れながら回収しようとすると、エマさんは慌てて私を止めながら綺麗な小袋を取り出し始めた。

 

「いやいや、皆さま絶対に喜びますから。私が保証します。持っていってみてください。」

 

「本当に……?」

 

「絶対です。リーゼお嬢様に誓ってもいいですよ。」

 

むむっ……それなら持っていってみようかな。エマさんと一緒に包みに小分けにしてから、なるべく綺麗にリボンで結ぶ。うん、とりあえず見た目は悪くなくなった。

 

「それじゃあ、行ってきます!」

 

「はい、行ってらっしゃい。」

 

クッキーの袋をカバンに詰め込み、笑顔で見送ってくれたエマさんにバイバイをして、先ずは外へ出て正門へと向かって走り出す。美しい庭を眺めながら正門にたどり着くと、美鈴さんが門に寄りかかってお昼寝をしていた。

 

口から涎を垂らしている美鈴さんの正面に立って、腰に手を当てて大声を放つ。

 

「めーりんさん! 寝ちゃダメです!」

 

「んぅ? おっと、咲夜ちゃん。……寝てませんよ? これは相手を油断させるためにこうしてるんです。」

 

なんだって? つまり……かなり失礼なことを言ってしまったらしい。恥ずかしくって赤くなってしまった顔をぺこりと下げて、美鈴さんにごめんなさいをした。

 

「そ、そうだったんですか。すいません、失礼なことを言っちゃって。」

 

さすがは紅魔館の門番だけある。誰もいないときでもそんな芝居をしているだなんて、とっても大変なお仕事みたいだ。

 

私が謝ると、美鈴さんは優しい笑顔で許してくれた。

 

「うむうむ、構いませんよ。私はとっても心が広いですからね。」

 

「お詫びってわけじゃないですけど。これ……差し入れです! ちょっと不恰好だけど、味は問題ないと思うので。その、よかったら食べてください!」

 

カバンからクッキーの袋を差し出すと、美鈴さんは嬉しそうにそれをパクつき始めた。反応は……いい感じだ! 食べ終わると、ニコニコしながら感想を教えてくれる。

 

「ふむ、とっても美味しいですよ。ありがとうございます、咲夜ちゃん。」

 

「はい! よかったです!」

 

「これで気持ちよくねむ……じゃない、見張りが出来ますよ。」

 

喜んでもらえたみたいだ。私が内心でガッツポーズを決めていると、美鈴さんは再び門に寄りかかって目を瞑った。おお、敵を油断させる体勢に入ったらしい。

 

「それじゃあ、他の皆さんにも配ってきますね!」

 

「あいあい。きっとみんな喜びますよー。」

 

目を瞑ったまま手をヒラヒラさせる美鈴さんを尻目に、次は図書館へと走り出す。途中の廊下で妖精メイドたちとかけっこ勝負になってしまったが、なんとか勝利することができた。ちょっとだけ時間を止めたのは内緒にしとこう。

 

北館の大きなドアを頑張って開くと、そこには本で埋め尽くされた景色が広がっていた。本棚、本棚、本の山、そして本棚。信じられないほどの量だが、ここの主人は未だに満足していないらしい。私なら一生かかっても読み切れなさそうだ。

 

本棚の間を進んでいくと、パチュリーさまと小悪魔の姿が見えてきた……おお、アリスもいる!

 

みんなでお茶をしているらしいテーブルに走り寄っていくと、アリスが気付いて話しかけてきた。

 

「咲夜? 本を借りにきたの?」

 

「ううん、あのね、クッキーを作ったの! みんなに食べてもらおうと思って。」

 

私がカバンから三つの袋を取り出すと、アリスと小悪魔は笑顔で受け取ってくれた。パチュリーさまは……いつもの無表情だ。三人が包装を解きながら口に運ぶのをドキドキしながら見守る。

 

「うん、とっても美味しいわ。」

 

「そうですねぇ。咲夜ちゃんは小さいのに、凄いです。」

 

アリスと小悪魔は笑顔で喜んでくれたが……反応のないパチュリーさまを恐る恐る見てみると、彼女はちょっとだけ顔を赤くしながらも感想を言ってくれた。

 

「ん……まあ、悪くないんじゃないかしら?」

 

目を背けながら言う様子は、ちょっと微妙な感じだ。本当は美味しくなかったのかもしれない。

 

「あの……無理しないでくださいね? お口に合わないなら、残してもらってもいいですから。」

 

ちょっと悲しい気分で言うと、慌てた様子でアリスと小悪魔が声をかけてくる。

 

「もう! 大丈夫よ、咲夜。パチュリーは素直になれない病気なの。長年外に出てないもんだから、ちょっとおかしくなってるのよ。」

 

「そうです! パチュリーさまは照れてるだけです! 咲夜ちゃんのクッキーはとっても美味しかったんですから!」

 

二人の言葉に、パチュリーさまが更に顔を赤くしながら反論する。

 

「どういう意味よ! 美味しくないとは言ってないでしょ? 美味しかったわよ!」

 

「ありがとうございます!」

 

おお、良かった。ニッコリ笑ってお礼を言うと、私を見たパチュリーさまは本で顔を隠して縮こまってしまう。む、どうしたんだろう?

 

「あの、大丈夫ですか? 私、何か失礼なことをしたんでしょうか?」

 

不安になって聞いてみると、またしてもアリスと小悪魔が返事を返してくれた。

 

「気にしないでいいのよ。しかし……咲夜はパチュリーの天敵かもね。皮肉屋は純真さに弱いってことかしら?」

 

「そういえば昔はアリスちゃんに対してもこんな感じでしたねぇ。子供に弱いんですよ、パチュリーさまは……って危ない!」

 

小悪魔に持っていた本をぶん投げたパチュリーさまは、私の頭をぎこちなく撫でながら口を開く。

 

「と、とにかく、美味しかったわよ、咲夜。ありがとうね。」

 

「えへへ、じゃあ、お嬢様方にも渡してきます!」

 

よかった。成功だ! いい気分のまま元気よく走り出すと、後ろからアリスの注意が飛んできた。

 

「走っちゃダメよ、咲夜。また転んで擦りむくのは嫌でしょう?」

 

「うん、わかった!」

 

アリスに声を返してから、早歩きに変えて執務室へと急ぐ。途中にあった怖いおじさんの絵には、またしてもラクガキがされていた。誰だか知らないが、なんとも可哀想なもんだ。

 

二階に上がって執務室の部屋をノックすると、中から気の抜けたような返事が返ってくる。

 

「んー? めーりん?」

 

「咲夜です。入ってもよろしいでしょうか?」

 

「ぬぁっ……コホン、入りなさい、咲夜。」

 

いきなりキリっとした声に従って入ってみれば、レミリアお嬢様とリーゼお嬢様がソファで紅茶を飲んでいるところだった。慌てた様子で身嗜みを整えるレミリアお嬢様を、リーゼお嬢様が苦笑して見ている。何かあったのだろうか?

 

「やあ、咲夜。どうしたんだい?」

 

リーゼお嬢様が優しく聞いてくるのに、カバンからクッキーを取り出しながら答えを返す。

 

「あの、クッキーを作ったんです。よろしければ、その、食べていただきたくって。」

 

「おや、それは嬉しい提案だね。ちょうどお茶請けが無かったんだ。有り難くいただくとしよう。」

 

リーゼお嬢様の声に従ってテーブルの上に袋を置くと、レミリアお嬢様は美しい所作で包装を解いて口に運んでいく。リーゼお嬢様も豪快だがどこか優雅さを感じるような食べ方だ。ううむ、私ももっと動作を磨かなければならないな。

 

「うん、美味しいね。見事なものだよ、咲夜。」

 

「そっ、そんなレベルじゃないわよ。その辺のパティシエなんか目じゃないわ! 咲夜、貴女は天才よ!」

 

「レミィ、キミは……もうダメだね。ダメダメだよ。」

 

わなわな震えながら言うレミリアお嬢様に、リーゼお嬢様が呆れたようなツッコミを入れる。確かにちょっと褒めすぎだ。顔が赤くなってきた。

 

「何がダメなのよ! あり得ない美味しさじゃない! 恐ろしい子ね……咲夜。その歳でこれだけの物を作るだなんて……。」

 

「親バカってのはこういうのを言うんだろうね。キミは本当にチョロい女だよ、レミィ。」

 

「えっと……あの、ありがとうございます。」

 

驚愕の瞳で見つめてくるレミリアお嬢様に、お辞儀をしながらお礼を言った。リーゼお嬢様も満足してくれたようだし、嬉しい限りだが……うう、顔が熱くなっているのを感じる。

 

とにかく、次に行こう。お嬢様方に次なる目的地を告げるために口を開く。

 

「それじゃあ、次は地下室に行ってきます。」

 

「ああ、フランも喜ぶだろう。行っておいで、咲夜。」

 

「そうね。ああ……ついでにこの写真を渡してきて頂戴。」

 

レミリアお嬢様に渡された写真には……男の子? グリーンの瞳が印象的な男の子が、猫に囲まれながら居心地悪そうにしているのが写っている。ひょろっちくて弱そうだ。

 

「えっと、分かりました。何かお伝えすることはありますか?」

 

「見せれば分かるわ。ただ渡してくれればいいの。」

 

ふむ? まあ、渡せと言われたなら渡せばいい。それが使用人というものだ。余計な質問は抜きにしなければ。

 

「はい、それでは失礼します。」

 

お嬢様方に一礼して、所作に気をつけながら部屋を出る。そのまま階段を下りて、更に下の地下室へと向かってひたすら歩く。

 

地下室に住んでいる妹様は、この館で一番不思議なお方だ。神秘的、と言ってもいいかもしれない。

 

みんなも妹様のことが好きみたいだし、妹様だってみんなのことが好きなのに……何故か滅多に地下室から出てこないのだ。一年に一度、私のお誕生日パーティーの時だけリビングに上がってくる。

 

かといって、入ってくる者を拒絶したりはしない。お嬢様方はたまに地下室でお茶会を開いているし、アリスと人形を縫っている時もあるのだ。うーむ、謎多きお方だ。

 

薄暗い地下通路を進んで行くと、見慣れた鉄製のドアが鎮座していた。昔はこの通路が怖かったものだが、今ではもう慣れたのだ。もうおばけなんか怖くないぞ。

 

ドアをノックしてみると、鈴の転がるような声が誰何してきた。

 

「だぁれ?」

 

「妹様、咲夜です。入ってもよろしいでしょうか?」

 

「うん、入っておいで。」

 

入室の許可を聞いて、全体重でドアを押し開ける。見た目通りの頑丈さだし、それに見合うだけの重さがあるのだ。苦労しているのを見兼ねたのか、苦笑しながら妹様が手伝ってくれた。

 

「やっぱり咲夜には重いよね。作り変えようかな?」

 

「す、すみません、妹様。お手数をおかけして。」

 

「ふふ、いいんだよ、咲夜。今日は遊びに来てくれたの?」

 

私の銀髪を愛おしそうに撫でる妹様に、カバンから取り出したクッキーの袋を渡す。妹様は私の髪がお気に入りなのだ。ここに来るとよく弄られてしまう。

 

「クッキーを作ったんです。よろしければどうでしょうか?」

 

「クッキーを? うん、嬉しいよ。それじゃあ一緒に食べようか。」

 

私の手を引いてベッドへと座らせた妹様は、机を取りに行こうとして……思い直したように傍の杖を手に取った。

 

「アクシオ、机よ。」

 

机はゆっくりと浮き上がって、ベッドの前に音も立てずに着地した。見事な呼び寄せ呪文だと思ったが、妹様は何故か苦笑している。私の疑問顔に気付いたのだろう。彼女は何かを懐かしむように口を開いた。

 

「昔はね、苦手だったんだ。今更上達しちゃったんだよ。」

 

「でも、凄いです! 私も……私も、早く使ってみたいんですけど……。」

 

「十一歳になれば杖を渡してあげるよ。それまでは我慢してね。……ダメかな?」

 

ルビーのような瞳で私を覗きこみながら、優しく言葉をかけてくる。そんな風に言われたら、嫌だなんて言えるわけがない。

 

「はい、我慢します。」

 

「うん、いい子だねぇ、咲夜は。」

 

妹様が私をぎゅーっと抱きしめてくれる。昔から何かあると、彼女はこうやって私を抱きしめてくれるのだ。ちょっと恥ずかしいけど、すっごく安心する。

 

だから失敗しちゃったり、アリスに怒られちゃった時なんかはいつも地下室に来ているのだ。しかし……なんでこんなにいい匂いがするのだろうか? ちょっぴり羨ましいな。

 

その後、二人でお喋りしながらクッキーを食べていたのだが……忘れてた。慌てて写真を取り出して、妹様へと渡す。彼女はキョトンとそれを見ていたが、やがて目を細めて微笑み出した。

 

「大っきくなったなぁ。ジェームズそっくりの顔に、リリーの瞳。本当に……大きくなっちゃって。」

 

「あの……その子、誰なんですか? 見たことない場所みたいですけど……。」

 

「ふふ、『生き残った男の子』だよ。」

 

「えっと……?」

 

よく分からなくて首を傾げていると、妹様が再び私を抱きしめてきた。そのまま耳元で柔らかな声で囁き始める。うあぁ、耳に息が当たってくすぐったい。

 

「大丈夫、すぐに分かるよ。だから、今は気にしなくていいの。」

 

そのままベッドに押し倒されてしまった。チラリと妹様の横顔を見れば……気持ち良さそうに微睡んでいるみたいだ。私はどうやら抱き枕にされる運命らしい。

 

妹様は急にこうやって寝てしまうことがある。こうなると脱出は困難なのだ。諦めて私も寝てしまった方がいいだろう。

 

「だから、安心して……コゼッ──」

 

微睡んでいる妹様の微かな寝言を聞きながら、咲夜はそっと目を瞑った。妹様の纏う甘い匂いに包まれながら、自分も夢の世界へと落ちていくのを感じるのだった。

 



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最悪の提案

 

 

「……ふむ。」

 

実験用のマウスが塵になって消滅していくのを眺めながら、パチュリー・ノーレッジは実験の失敗を悟っていた。

 

これで二十一度目の失敗だ。まあ、予測されていたことだけに、あまりショックはない。無論嬉しくもないが。研究室に広げた結界を解きながら、今回の失敗について羊皮紙に記述する。酷い火傷の後、塵になって消滅、っと。

 

ハロウィンの夜、ハリー・ポッターとトム・リドルの間に起こった現象について調べているのだが……うむ、なかなか上手くいかないな。そろそろ現場の再現は諦めたほうがいいかもしれない。

 

第一に、リリー・ポッターの使った魔法を完全に再現するのが不可能なのだ。原初の魔法というのは単純な分、小細工でどうにかなるものではない。息子を想う母親が命懸けで使った魔法なのだ。私が再現するのは難しい。

 

第二に、リドルが死を逃れた方法がさっぱりわからん。思いつかないわけではなく、選択肢が多すぎるのだ。自身の種族を作り変えたのかもしれないし、命を別の場所に保存しているのかもしれない。何らかの魔道具を使った可能性もある。より取り見取りで目移りしちゃうぞ。

 

リドルが何処まで知っているかは分からんが、あの姿を見る限りそう浅い場所にはいないだろう。深みを覗けばそれこそ無数にある選択肢の中から、彼が選び取ったものを特定するのは容易ではないのだ。

 

そういえば、死の秘宝なんてものもあったか。三つ集めると死から逃れられるとの謳い文句だったはずだ。ニワトコの杖はダンブルドアが持っているし、透明マントも……ん? あの男、全部持っているのではあるまいな? さすがに蘇りの石は持っていないと思うが……。

 

マズいな、興味が出てきてしまった。レミィから特定を急かされているのだが、毎回この調子で中断してしまうのだ。

 

咲夜の能力、転移魔法の構築、リリー・ポッターの魔法、そして死の秘宝。ああもう、どこから手をつければいいのやら。魔女としては幸せな限りだが、紅魔館の一員としては実に悩ましい。

 

……よし、決めた。先ずは転移魔法をちゃちゃっと片付けて、次にリリー・ポッターの魔法だ。死の秘宝はどうせダンブルドアが研究しているだろうし、ヤツの研究が進んだところで成果を掠め取ってやればいい。あの男はああいった物が大好きなはずだ。

 

咲夜の能力はそれからにしよう。あの力はあまりにも謎が多い。『時間を停止させる』というのは、並大抵のことではないのだ。

 

例えば逆転時計あたりは大したことがない。あれは使用者を過去に送っているのであって、世界そのものの時間は通常通りに進んでいる。

 

だが咲夜の能力は違う。使用者に影響しているのではなく、『それ以外の全て』に影響しているのだ。つまり咲夜が能力を使っている間は、世界中で彼女だけが動いていることになる。わざわざ海外に出向いて行った実験でそれを確認した時は、思わず背筋が震えたもんだ。

 

有り得ない話なのだ。狭い範囲ならともかく、任意にリスクなく世界中に影響をもたらす? 絶対に不可能なはずだ。それはもう、一人の人間が持っていて良い力ではない。

 

かといって咲夜だけが『停止した時間』に入り込んでいるわけでもないはずだ。『停止した時間』に入り込むには、そもそも時間を停止させる必要があるわけで、そうなると話が最初に戻ってくる。時間は連続して進んでいるのだから、それを停止させるには相当の──

 

「あれ? 居たんだ、パチュリー。」

 

研究室に入ってきたアリスの声で我に返った。……やめよう。やはりこれは後回しにすべきだ。あの子の『矛盾』は今に始まったことではないのだから。

 

リーゼやレミィだって言ってたではないか。『反則級』は珍しくもないのだと。あの吸血鬼たちの言によれば、そういうぶっ飛んだ能力は珍しくもないらしい。まあ、話に聞く八雲紫もそんな感じだし、私が思うより大したことないのかもしれんが。

 

脳内に広がった思考の残滓を奥底へと仕舞い込みながら、何やら図面を手にするアリスに返事を返す。部屋が薄暗くなっているのを見るに、結構な時間考え込んでいたらしい。

 

「ええ、ちょっと考え事をしてたのよ。その図面は?」

 

「ムーンホールドと紅魔館の図面だよ。そろそろ真面目に転移魔法のことを考えないとでしょ?」

 

ふむ、アリスがやる気なんだったら渡りに船だ。さっさと面倒な大規模転移を片付けてしまおう。

 

「そうね、適当に終わらせちゃいましょうか。」

 

「そんなこと言ってると、またレミリアさんに怒られちゃうよ?」

 

脳裏に激突した図書館が浮かんで……そして無表情で私を見る美鈴の顔が浮かんできた。うん、真面目にやろう。もうあの顔は見たくないのだ。無表情な美鈴というのは、満面の笑みのムーディ並に怖いのである。

 

図面を机に置いて二人で座標の計算を始める。二つの建物の距離と、それぞれにかかっている防衛魔法を考慮して……ああ、移動先の地形も考慮せねばなるまい。

 

面倒な計算を二人で進めていると、アリスが羽ペンを走らせながら口を開いた。

 

「そういえば、何の実験をしてたの? 残骸っぽいものがあるけど。」

 

「ああ、あれは……忘れてたわ。」

 

研究室に入ってきた当初の目的を思い出して、思わず自分に呆れてしまう。またしてもトカゲ人間の秘密は忘却の彼方へと飛んで行ってしまったようだ。

 

うーむ……まあ、いいか。ダンブルドアあたりも調べているだろうし、レミィには後で候補をビッシリと書き連ねた羊皮紙でも突きつけてやろう。

 

さすがにヒントが少なすぎるのだ。魔女に答えを創り出して欲しいなら、先ずは材料を持ってきてもらわねばなるまい。こうなってくると魔女ではなく探偵の領分なのだから。

 

疑問符の浮かんだアリスの表情を見ながら、パチュリー・ノーレッジは言い訳の言葉を考え始めるのだった。

 

 

─────

 

 

「嫌だ。絶対に嫌だ。」

 

紅魔館のリビングで、アンネリーゼ・バートリは強硬に主張していた。

 

幻想郷への移住に備えるために、紅魔館とムーンホールドを『くっつけて』から早一年。ようやくその境目が目立たなくなってきたところで、レミリアがある提案をしてきたのだ。

 

曰く、ハリー・ポッターを保護するために、ホグワーツに人員を送り込む必要がある、との事らしい。まあ、それには確かに同意する。同意はするが……。

 

「私にガキどもと一緒に学生ごっこをしろと? 喧嘩を売っているのかい? レミィ。」

 

それが私である必要などないはずだ。もう五百歳になろうというのに、十代の馬鹿なガキどもに混じって暮らすだなんて……想像しただけでもゾッとする。アズカバンでバカンスでも過ごしたほうが百倍マシだ。

 

私の反対を受けたレミリアが、ニヤニヤ笑いながら口を開く。ぶん殴ってやりたい顔だな。

 

「消去法よ。アリス、パチェ、フランは卒業済みだし、私は顔が売れすぎている。美鈴は……言う必要がないわね。」

 

「こあがいるじゃないか。」

 

「小悪魔がリドルを退けられると思う? 思うなら小悪魔でもいいけど。」

 

無理だ。ぷるぷる震えている姿しか想像できない。……とはいえ、私がホグワーツの新入生? 頭がどうにかなりそうだ。何としても阻止する必要があるだろう。

 

「ハリー・ポッターは運命によって守られているはずだ。私たちが人間一人殺せなかったほどなんだぞ? 護衛の必要があるとは思えないね。」

 

「そりゃあ階段から落ちて死んだりはしないでしょうけどね、リドルの企みの範疇なら死ぬ可能性だってあるのよ? あの馬鹿トカゲの行方が掴めない以上、殺される可能性はゼロじゃないわ。」

 

「ダンブルドアだけじゃ不十分なのかい? 英雄殿だけでは頼りないと?」

 

「確実性の問題よ。より近い視点から見守れる者がいたほうがいいわ。それに、貴女だってリドルに負けるのはもう御免でしょう? 我儘を言っている場合じゃないのよ。」

 

言うじゃないか、レミィ。イラつく内心を表情に変えて、身を乗り出して睨みつける。

 

「我儘? なるほど、我儘か。どうだろうね、レミィ? 糞爆弾を投げて遊んでいるような連中に交ざりたくないというのは我儘なのかな? 礼儀も知らないガキどもと暮らしたくないのは? どうだい、我儘だと思うかい?」

 

想像するだけで死にたくなる気分だ。いい大人が子供と仲良く足し算のお勉強か? 胸に杭でも打ち込む方がマシだろうが!

 

「私は何をしてでも勝ちたいわ。あの屈辱を二度も味わうのは御免よ。貴女はどうなのかしら? アンネリーゼ・バートリ。……泥水を啜る覚悟はないと?」

 

ニヤニヤを引っ込めて真剣な顔で言うレミリアに……クソったれめ! 不承不承頷いた。想像するだに死にたくなるが、負けるのはもっと嫌だ。アリスとフラン、そして咲夜の為にも勝たねばならないのだ。

 

苦々しい顔の私に、レミリアが苦笑しながら説明を始める。

 

「結構よ。ハリー・ポッターが入学するのは一年後だし、準備期間はまだあるわ。ダンブルドアにも話を通しておく必要があるでしょうしね。」

 

「そういえば……私は吸血鬼として学生ごっこをするのか? それとも人間として?」

 

「そこを悩んでいるのよね。貴女はリドルに顔が割れているわけだし、普通に吸血鬼として振舞っても問題ないと思うのよ。むしろいい威圧になるでしょう。」

 

「ダンブルドアには? 私は面識がないぞ。」

 

「へ? ……そういえばそうだわ。こんなに長い付き合いなのに、ダンブルドアと会ったことは一度もないのね。」

 

私は何度か直接見たことがあるが、もちろん向こうは知らないだろう。第一のゲームでは敵のキングということで接触を避けていたし、前回の戦争では騎士団の内通者を警戒して姿を見せなかった。

 

「偶然とはいえ、なんだか勿体無くないか? 伏せ札はあまり無いんだろう?」

 

「うーん……正直言って、もはやダンブルドアに伏せる意味はないのよね。これが終わったらイギリスとはおさらばだし、ダンブルドアが敵に回ることは有り得ないでしょう。むしろリドルに対して伏せておきたかったわね。」

 

「まあ、仕方がないだろう。さすがにあのガキがイカれたトカゲ人間になるとは思わなかったんだ。大体、知ってたらあそこで殺してたよ。」

 

「反面、私はリドルと直接の面識はないわけね。なんともまあ、ままならないものだわ。」

 

とはいえ、新聞なんかを通じて顔は割れているだろう。間にいるパチュリーも知られているわけだし、私との関係にも気付いているかもしれない。魔法界と館の住人の関係図を頭に広げていくと……。

 

「そういえば……美鈴は地味に伏せ札になってるな。リドルもダンブルドアも知らないし、元騎士団員も元死喰い人も知らないぞ。出会ったヤツは全員殺してたからね。」

 

「唯一知っているグリンデルバルドは喋れないしね。うーん……一応、覚えておきましょう。何かに使えるかもしれないわ。」

 

まあ、一応の伏せ札は残っているらしい。何だかんだで有能なヤツだし、有事には頼りになることだろう。……なるかな?

 

脳裏ににへらと笑う門番の顔を浮かばせながら、ソファに深く身を埋めて疲れた気分で口を開く。

 

「しかし……学生か。違和感があるのは間違いないぞ。今更ガキのフリをするのは御免だからな。」

 

『リーゼちゃん十一歳』を演じろと言われるならさすがに死を選ぶぞ。それはレミリアにも分かっているようで、苦笑を強めながら返事を返してきた。

 

「さすがにそこまでは期待してないわよ。二年差で咲夜も入学するわけだしね、あの子がフォローしてくれるでしょう。」

 

まあ、そうだな。レミリアの親バカ補正を抜きにしても、咲夜は並外れて優秀だ。実際のところ彼女がいればかなりの助けになるだろう。

 

何故か紅魔館の使用人を目指している彼女は、今日もまたエマに給仕の仕方を習っている。少なくとも同世代のバカ娘どもに比べれば天と地だ。アリスの教育が良かったに違いない。つまりはアリスに対する私の教育が良かったのだ。

 

心の中で自分の教育を褒め称えながら、咲夜のことを考えてニヤニヤしているレミリアに向かって口を開く。

 

「ま、それが唯一の朗報だね。しかし、あと二ヶ月早く生まれてくれてればな。一年差まで縮まったんだが……。」

 

「そしたら咲夜はここにはいなかったでしょう? 諦めなさいな。」

 

「そりゃそうだ。」

 

そしてヴェイユの娘は生きていただろうし、彼女が育児で魔法省にいなければ、ひょっとするとヴェイユも生き残れたかもしれない。……やめよう。もしもの話を想像するのも楽しいが、まずは未来の話を終わらせるべきだ。

 

「とにかく、ダンブルドアには話すんだね? 他の教員には? 出来れば自由に動けるようにして欲しいんだが。」

 

「微妙ね……マクゴナガルあたりは上手く振る舞えそうだけど、ハグリッドなんかは……まあ、その辺も含めてダンブルドアと話し合いましょう。」

 

何にせよ、最悪七年間に渡っての『収監』を余儀なくされるわけだ。頭が痛くなってきた。

 

執務室のソファに深くもたれ掛かりながら、アンネリーゼ・バートリは己の不幸を嘆くのだった。

 



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アンネリーゼ・バートリと生き残った男の子
そして物語の幕は上がる


 

 

「本当にもう! 忌々しい連中ね!」

 

アリス・マーガトロイドは嵐の海に浮かぶ小舟の上で、イライラと足を踏み鳴らしていた。揺れ始めた小舟を、同乗しているハグリッドが必死に押さえつけている。魔法をかけてるんだから沈みやしないぞ。

 

事の発端はハリーを引き取ったマグルの親戚にある。いよいよホグワーツへの入学案内が送られたのだが、彼らはどうやらハリーをホグワーツに入れたくないらしい。手紙攻勢を無視したばかりか、夜逃げを敢行したのである。

 

プリベット通りの一軒家に人気がないことを確認した私とハグリッドは、こうして訳の分からないど田舎までハリーを追いかけてやってきたわけだ。

 

「ハリー・ポッターをホグワーツに入れたくない人間がいるとは思わなかったわ。」

 

撥水魔法で雨粒を防ぎながら吐き捨てると、ハグリッドが恐る恐るという様子で言葉をかけてきた。

 

「まあ、そいつはそうですけど……でも、もうすぐハリーに会えますよ? 俺が最後に見たのは小せえ赤ン坊の頃だった。楽しみで仕方がねえです。」

 

「……そうね、もうすぐ日が変わるわ。そしたら飛びっきりの知らせでお祝いしてあげましょう。」

 

こんな場所で誕生日を迎えるとは……つくづく可哀想な子だ。私たちの持っていく知らせが、いいプレゼントになればいいのだが。

 

ちなみに、私が同行しているのはダンブルドア先生の気遣いである。まあ……ハグリッドだけに任せるのが心配だったのかもしれない。プリベット通りでは呼び鈴の存在を知らなかったらしく、危うくドアを破壊するところだったのだ。何にせよ先生の選択は正解だったと言えるだろう。

 

魔法で動く小舟は、やがて海に浮かぶ大岩に到着した。てっぺんには今にも崩れそうなボロ小屋がある。こんなところまで逃げるとは、どうやらフィッグが『病的な』マグルだと言っていたのは真実だったようだ。

 

降りしきる雨に耐えながら上陸して、ゴツゴツした岩肌に注意しながらボロ小屋に向かって歩き出す。ほんっとうに忌々しい連中だ! なんだってこんな目に遭わなければならないのやら。

 

ドアの前まで苦労してたどり着くと、ハグリッドがそのドアをノックするが……反応がない。かなり大きな音だったのだ、聞こえていないはずはないのだが。寝てるのか?

 

ハグリッドが二度目のノックしたところで、中からようやく男の声が聞こえてきた。

 

「誰だ、そこにいるのは。言っとくが、こっちには銃があるぞ!」

 

銃? だからなんだというのだ。どうするかと目線で問いかけてくるハグリッドに、大きく頷いて許可を出す。

 

「ぶっ壊しちゃいなさい。」

 

「任せてくだせえ。」

 

後で直せばいいのだ。ハグリッドが強めにドアを叩いた途端、ドアが吹っ飛んで中の景色が見えてきた。ボロボロのカーペットと更にボロボロのソファ。神経質そうな女が叔母で、無謀にも銃を構えているのが叔父だろう。些かふくよかすぎる見た目なのが従兄で、そして、ああ……間違いない、あれがハリーだ。

 

ジェームズにそっくりの顔に、リリー譲りのグリーンの瞳。何故か床に座り込みながら、こちらを驚愕の顔で見つめている。

 

安心させようと微笑んで声をかけようとするが、その前にハグリッドがハリーに駆け寄っていった。

 

「オーッ、ハリーだ!」

 

おいおい、ハリーが怖がっているじゃないか。そりゃあ大男が自分の名前を叫びながら突っ込んできたら怖いだろう。ドアを修復してからハリーに語りかけているハグリッドを止めようとすると、叔父がハグリッドに銃を構えながら騒ぎ出す。

 

「今すぐお引き取りを願いたい。家宅侵入罪ですぞ!」

 

「エクスペリアームス。申し訳ないけど、ハリーに話があるのよ。」

 

適当に武装解除で銃を吹っ飛ばしてから、ゆっくりとハリーの目を覗き込む。その瞳には驚愕と、そして微かな希望が見てとれる。

 

なるべく優しい声を意識して、先ずはお祝いの言葉を口にした。

 

「何はともあれ……ハリー、誕生日おめでとう。」

 

「おお、そうだった! おめでとうハリー。ほれ、ケーキもあるぞ。」

 

ハグリッドが言いながら取り出したケーキをまじまじと見つめた後、ハリーは恐る恐るといった様子でこちらに話しかけてきた。

 

「あの、あなたたちは誰?」

 

そりゃそうだ。ハグリッドと顔を見合わせて苦笑した後、それぞれに自己紹介をする。

 

「私はアリス・マーガトロイド。貴方のご両親の友人よ。……まあ、こう見えて六十を超えてるわ。」

 

「俺はルビウス・ハグリッド。ホグワーツの鍵と領地を守る番人だ。」

 

ハグリッドが言いながらハリーと握手するのを横目に、暖炉に火をつけて部屋を暖める。ここはちょっと寒すぎるのだ。

 

それを見てついでとばかりにソーセージを取り出し始めたハグリッドに呆れつつ、未だ状況が掴めない様子のハリーに声をかけた。

 

「それで、ハリー? ホグワーツのことは知ってるわよね? 私たちは貴方を案内しに来たのだけど。」

 

「あの……いいえ。」

 

へ? 思わずカクリとよろけてしまった。知らないのか?

 

「し、知らないの? えっと、私たちの世界のことは知ってるわよね?」

 

「僕、あの……ごめんなさい。」

 

わお、信じられない。あの馬鹿マグルどもはハリーに何一つ教えていないらしい。手紙を取り上げたばかりか、魔法界のことすら知らされていないとは。つまりハリーは……マグルとして育てられていたということか?

 

「本当に何も知らないの? その、全くなんにも?」

 

「えっと、少しは知ってます。あの……算数とか、そういうことなら。」

 

ハリーの返答に目眩がしてくる。ソーセージを焼きながら聞いていたハグリッドが、天井に引っかかった銃を取ろうとしている叔父に怒りをぶつけ始めた。

 

「ダーズリー! きさま、ハリーに何にも教えておらんのか!」

 

「教える必要などない! それ以上何も言うな、小娘!」

 

「黙っちょれ! 忌々しい腐れマグルめが!」

 

喚き散らす叔父を無視して、懐から手紙を取り出してハリーに渡す。何も言うなだと? 彼にはこの手紙を読む権利があるはずだ。

 

「読みなさい、ハリー。貴方は魔法使いなのよ。」

 

「僕が、何? これは……。」

 

「いいから読んでみなさい。」

 

戸惑っているらしいハリーだったが、私の声に促されて手紙を読み始める。時間をかけてそれを読み終わると、更に戸惑いを強めながら口を開いた。

 

「あの……これ、ふくろう便での返事を待つっていうのは?」

 

最初の疑問がそれか。思わず苦笑してから、叔父を威嚇しているハグリッドへと声をかける。

 

「ああ、そういえばそうね。フクロウに手紙を持たせて連絡するんだけど……ハグリッド、お願いできる? まさかコートの中で死んではいないでしょうね。」

 

「勘弁してください。ちゃんと生きとります、マーガトロイド先輩。」

 

ハグリッドがヨレヨレのフクロウを取り出した。まあ、ギリギリ死んではいなさそうだ。イライラと彼の指を突っつくところを見るに、幸せな旅ではなかったらしいが。

 

ハグリッドがダンブルドア先生へと報告の手紙を書いている間に、ハリーに向かって首を傾げて質問を促してみる。この分なら聞きたい事は山ほどあるだろう。

 

応じて口を開こうとしたハリーだったが、またしても叔父が待ったをかけた。

 

「ハリーは行かせんぞ!」

 

「いいえ、行くのよ。ハリーがそれを望むのであれば、彼にはホグワーツに入学する権利があるわ。」

 

「行かせるものか! こいつの両親が吹っ飛んだ時に決めたんだ。二度とそんな訳の分からんものには関わらんとな! 魔法使いだと? 全くもって忌々しい!」

 

喚く叔父に反論しようとしたところで、横のハリーがポツリと呟いた。

 

「吹っ飛んだ? 自動車事故で死んだんじゃないの?」

 

一瞬頭が凍りつく。自動車事故? 自動車事故だと? この子は両親の死因さえも捻じ曲げて伝えられていたのか? ……ここにいるのがフランじゃなくて良かった。あの子がいれば今頃叔父は肉片に姿を変えていただろう。私でさえはらわたが煮えくり返っているのだから。

 

とりあえず軽めの麻痺呪文で叔父を喋れなくしてから、呆然としているハリーに説明を始める。

 

「ステューピファイ! ……ハリー? よく聞きなさい。貴方のご両親は自動車事故で死んだんじゃないわ。」

 

「あの……それじゃあ、何があったんですか?」

 

「そうね……貴方が生まれた頃は、魔法界では戦争の真っ最中だったの。リド……ヴォルデモートという悪い魔法使いの所為でね。ジェームズとリリーは彼に対抗するための組織に所属していたのよ。私やハグリッドとはそこで知り合ったの。」

 

「お父さんとお母さんが、戦争に?」

 

「そう。そしてその終盤に……ヴォルデモート本人が貴方たちが居る家を襲ったの。ジェームズとリリーは貴方を守るために戦い、そして……死んでしまったのよ。」

 

話しながら、『ヴォルデモート』という単語に震えているハグリッドを睨みつけてやる。あんな馬鹿馬鹿しい名前にビビることはないのだ。まったく、情けない! テッサが見たら嘆くぞ。

 

しばらく考え込んでいたハリーだったが、やがて疑問の表情を浮かべながら口を開いた。

 

「……でも、僕は生きてます。どうして僕だけが?」

 

「それは……そうね、そこでとても不思議なことが起こったのよ。誰もが予想していなかったことがね。」

 

リリーの魔法に関しては、ダンブルドア先生から話さないようにと言われている。理由は分からないが、何か考えがあるのだろう。内心でそのことを思い出しながら話を続ける。

 

「ヴォルデモートは最後に赤ん坊を殺そうとして、そしてそれに失敗した。それどころか彼はそのまま消滅していったのよ。魔法界ではそのことを称え、その赤ん坊を英雄だと祭り上げたものよ。……もう分かるでしょう? 生き残った男の子、ハリー・ポッター。貴方のことよ。」

 

真剣な表情で言う私に、ハリーはポカンと大口を開けて驚愕の意を示した。……まあ、仕方があるまい。いきなりこんなことを言われても理解できないだろう。

 

しばらく呆然と何かを考え込んでいたハリーだったが、やがて私の目を見て呟いた。

 

「でも、僕、何も覚えていません。だいたい僕が魔法使いだなんて……その、有り得ません。」

 

ジェームズとリリーの息子がこんなことを言うだなんて、なんとも悲しくなってきた。ハリーをこの親戚に預けたのは、ダンブルドア先生の数少ない失敗だったのかもしれない。この様子だとリリーの魔法の分を足してもマイナスになるぞ。

 

「あのね、ハリー? 本気でそう思ってるの? 貴方が怒った時、悲しかった時、怖かった時、何か変なことが起こらなかった?」

 

「それは……起こったかも。」

 

「それなら貴方には充分に資格があるわ。細かい使い方はホグワーツで学べばいいのよ。」

 

と、部屋の隅で転がっていた叔父が、ぷるぷる震えながら立ち上がった。弱めに魔法をかけたせいでもう起きてきてしまったらしい。そのまま何をするのかと見ていると、こちらを指差しながら大声で喚き始めた。

 

「行かせんと言ったはずだ! まぬけのきちがいじじいが小僧に魔法を教えるのに、わしは金なんか払わんぞ!」

 

その瞬間、私の魔法が叔父に、ハグリッドの魔法が従兄に激突した。ダンブルドア先生への侮辱に怒ったのは私だけではなかったらしい。

 

見れば従兄の方は……尻から尻尾が飛び出している。何の魔法だ? ちなみに叔父はタップダンスを踊り続けている。朝まで止まることはないだろう。……もしかしたら昼までかもしれないが。

 

「あー……ハグリッド? 何の魔法を使ったの?」

 

「豚に変えてやろうと思ったんですが……どうも、最初から似すぎてたみたいでして。変えるところがありませんでした。」

 

「まあ、あのくらいなら大したことはないでしょう。」

 

タップダンスをしながら息子を引っ張っていく叔父と、それに続いて隣の部屋へと引っ込んで行く叔母を眺める。治してやる必要は……ないな。私はそこまでお人好しじゃないのだ。

 

それを見たハグリッドが、バツが悪そうな顔でハリーに話しかけた。

 

「あー……ハリー? その、俺が魔法を使ったことは誰にも言わんでくれるとありがたいんだが。俺は厳密に言えば魔法を使っちゃならんことになっとるんだ。」

 

「どうして魔法を使っちゃいけないの?」

 

「まあ、何というか……ホグワーツを退校処分になってな。その時に杖を折られたんだ。つまり、魔法を使うのを禁じられたっちゅうことだ。」

 

「どうして退学になったの?」

 

ハリーの質問に、横から返事を返す。思い出すだけでもイライラする事件だ。今だから分かるが、バジリスクを操っていたのは間違いなくリドルだろう。

 

「冤罪よ。ハグリッドは、くそったれの能無しに罪を被せられたの。」

 

「えっと……その罪っていうのは──」

 

「そこまでよ。明日は朝から買い物になるわ。疑問は色々あるでしょうけど、今日はそろそろ休みなさい。」

 

なおも質問を重ねようとするハリーを止めてから、ハグリッドへと向き直る。私の役目はこれまでだ。ハリーの様子も見れたし、あとはハグリッドに引き継ごう。

 

ハグリッドの隣まで移動して、ハリーに聞かれないように小声で話しかける。

 

「ハグリッド、ハリーを頼むわよ? それと……まあ、その、『リーゼちゃん』もね。」

 

「マーガトロイド先輩、頼むから一緒に来てください。リーゼちゃ……あの方にどう接したらいいのか分からねえんです。」

 

物凄く困ったように言うハグリッドだったが、これに関しては絶対に嫌だ。目を逸らしながら断固拒否の返事を返す。

 

「そんなの私だってそうよ。大体、私は一緒に住んでるのよ? 気まずすぎて無理だわ。」

 

「そんな……スカーレットさんと同世代なんでしょう? なんか失礼があったらと思うと……やっぱり俺には無理です。」

 

「ハリーと接点を作るための大事な仕事でしょうが。いい? それらしく振る舞うのよ? 変に萎縮しちゃダメだからね。」

 

そう言って、返事も聞かずにドアへと歩き出す。私は絶対についていかないぞ。リーゼ様に敬語を使わないなんて無理なのだ。

 

縋るようなハグリッドの視線を無視して、ドアの前から最後にハリーに声をかける。

 

「それじゃあ、明日はハグリッドが案内してくれるわ。分からないことがあったら彼になんでも聞きなさい。私はこれで失礼するわね。」

 

「行っちゃうんですか?」

 

「色々とやる事があるのよ。それに……きっとまた会うことになるわ。だから、おやすみハリー。また会いましょう。」

 

「あの、おやすみなさい。それと……ありがとうございました。」

 

うんうん、きちんとお礼を言えるなんていい子じゃないか。ハリーに微笑みかけてから外へと出る。多少は収まってきたようだが、未だに嵐は続いているようだ。

 

杖を取り出して紅魔館へと姿あらわしをしながら、アリス・マーガトロイドはハリーの幸運を祈るのだった。……それとまあ、『リーゼちゃん』の幸運も。

 



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お買い物

 

 

「文句があるのかい?」

 

漏れ鍋のカウンターで、アンネリーゼ・バートリは何か言いたげなバーテンダーを睨みつけていた。

 

ギロリと睨んでやると、バーテンダーはすごすごと店の奥へと消えていく。こちとらファイア・ウィスキーでもひっかけないとやってられない気分なのだ。放っておいて欲しい。

 

もう少しすればハグリッドがハリーを連れてくるはずだ。そうすれば、『新入生のリーゼちゃん』は一緒にダイアゴン横丁で買い物をしなければならない。今ぐらい飲んだくれててもバチは当たらないはずだ。

 

チビチビとウィスキーを口に運んでいると、魔法界側の入り口から奇妙なターバンの男が入ってくる。彼は店内の客を見回して……私に目を止めると驚愕の表情に変わった。なんだ? 知り合いではないはずだが。あんなバカみたいな格好の男を忘れるはずはない。

 

しばらく私を見つめて硬直していたが、やがてこちらに近付いて話しかけてきた。何故かニンニクの匂いをプンプンさせている。香水にしては趣味が悪いぞ。

 

「き、君のような子供がおさ、お酒なんか飲んでは、い、いけませんよ。」

 

「無用なお節介はやめてもらおうか。キミだって香水の趣味をとやかく言われたくはないだろう?」

 

「いいえ、わた、私はホグワーツの教員なん、なんです。子供を導くひつ、必要があります。あ、貴女はどうしてこんな所にいるん、いるんですか?」

 

おっと、教師だったのか。ダンブルドア、ハグリッド、マクゴナガル、そしてスネイプは私のことを知っている。ダンブルドアが秘密を明かす人間を選んだのだ。

 

そしてそれから漏れたらしいこの吃り男は、少なくとも私の正体を明かせるほどの信頼を得てはいないらしい。となれば、適当に誤魔化す必要がありそうだ。

 

「待ち合わせだよ。ウィスキーを飲んでるのは……そう、我が家の伝統でね。魔法界には奇妙な家訓がたくさんあるだろう? 私の家にもそんなのがあるのさ。人を待つときはウィスキーと決まっているんだ。」

 

我ながら滅茶苦茶言っているが、魔法界のアホみたいなしきたりは今に始まった事ではないのだ。というかまあ、考えるのも面倒くさい。今は真面目に付き合う気分にはなれん。

 

「まち、待ち合わせ? 誰とですか? いった、一体なんの──」

 

しつこいターバン野郎が何かを聞こうとしたところで、急に漏れ鍋の店内が騒がしくなった。どうやら『生き残った男の子』が到着したらしい。

 

騒ぎの中心に目をやってみれば、大男を中心とした人集りが出来ているのが見える。人垣に隠れて見えないが、どうやらハリーはあそこだ。大人気じゃないか。

 

同じように目線をそっちに送っているターバン野郎に、肩を竦めて言い放つ。

 

「どうやら相手が到着したらしい。失礼しても構わないかな?」

 

「ハ、ハリー・ポッターですか。なかなかのゆ、有名人と待ち合わ、合わせをしていたようですね。しかし……そ、その背中の飾りはは、外したほうがよろしい。あま、あまり趣味のいいものと、とは言えませんね。」

 

「飾り? ああ、翼のことかい? 残念ながら……ほら、これは自前なんだ。」

 

言葉と共にパタパタしてやる。結局翼は隠さないことに決まったのだ。何たって現在のイギリス……というかヨーロッパでは、『羽根つき』の吸血鬼の印象はすこぶる良い。レミリアの印象が強いのだ。『羽根なし』とは別の種族であることも今では周知されている。

 

私の言葉を聞いたターバン野郎は、顔を引きつらせてからポツリと呟いた。

 

「きゅ、吸血鬼?」

 

「如何にも、吸血鬼だよ。」

 

答えてやると、ターバン野郎は顔を真っ青にした後に魔法界側の入り口に駆け出していく。なんなんだ、一体。呆然とそちらの方を見ていると、後ろから誰かが声をかけてきた。

 

「あのぅ……その、アンネリーゼ……さん。お待たせしたようで。えーっと、そう、こっちがハリーです。ハリー・ポッター。」

 

演技のド下手なハグリッドだ。明らかに子供に対する態度ではない。ギロリと彼を睨みつけてから、こちらを見てキョトンとしているハリーに声をかける。

 

「ごきげんよう、ハリー・ポッター。私はアンネリーゼ・バートリ。キミと同じ……あー、新入生だよ。今日は一緒に案内してもらうことになるらしい。よろしく頼むよ。」

 

第一印象は……まあ、こんなもんだろう。ちょっと不健康そうに痩せているし、メガネはつるが折れているが、少なくともアホっぽい感じではない。

 

ハリー・ポッターは私の差し出した手を握りながら、おずおずという様子で名前を名乗った。

 

「えっと、ハリー・ポッターです。その……よろしく、バートリさん。」

 

「リーゼと呼んでくれたまえ。私もキミをハリーと呼ぼう。……ダメかい?」

 

「いや、そんな! もちろん構わないよ、その……リーゼ。」

 

ちょっと強引だが、ハリーは嫌がってはいないようだ。何というか……昔のパチュリーっぽい反応だな。友達いないのか? こいつ。

 

「あー、よし! 仲良くなったみたいだな! そんじゃあ……ほれ、行こうか。ハリー、アンネリーゼ……さん。」

 

ダメだこりゃ。ハグリッドの言葉を聞いて、こいつに演技させるのは早々に諦める。適当な理由を考えて『さん付け』を正当化したほうがマシだろう。後でダンブルドアには文句を言ってやる。必ずだ。

 

キョロキョロと辺りを見回すのに夢中なハリーに続いて、魔法界側の入り口となるレンガの壁に向かう。残念ながら魔法族には自動ドアを作る脳みそはないのだ。百年前から一切変わっていない。

 

「よし、えーっと、俺の傘はどこいった?」

 

「私がやろう。」

 

分厚いコートを弄っているハグリッドに代わり、仕掛けレンガを杖で叩く。途端に現れたアーチの向こうへと一歩を踏み出し、くるりと振り向いてから口を開いた。

 

「ようこそ、ダイアゴン横丁へ。」

 

生き残った男の子はグリーンの瞳を見開いて、大口を開けながらコクコクと頷くのだった。

 

───

 

グリンゴッツでハリーの買い物資金を引き出し、ハグリッドが『石ころ』を回収した後に、一行はマダムマルキンの洋装店へとたどり着いた。間違いなくマグルは入らないであろう古くささだ。『流行』って単語をどこかに置き忘れてきたらしい。

 

この道中でハリーの私に対する緊張も解けてきたし、ハグリッドが畏るのは私がいいトコのお嬢様だからだと納得させることもできた。まあ、嘘は言っていない。バートリがいいトコじゃなかったら、この世に『いいトコ』など存在しないのだから。

 

ハグリッドがトロッコで失った元気を回復するために漏れ鍋へと向かったのを見送り、二人で洋装店へと入ると……先客か。青白いお坊ちゃんといった見た目の少年が、ローブの丈を直しているのが見える。

 

「あら、あなたたちも新入生? さぁさぁ、こちらへいらっしゃい。全部ここで揃いますよ。」

 

「私はもう揃ってるんでね。こっちの男の子のローブをお願いするよ。」

 

声をかけてきた愛想の良い魔女にそう答えて、店の隅にある椅子に座り込む。ハリーが縋るような視線を送ってくるが……肩を竦めてウィンクすると、諦めたように踏台へと向かっていった。

 

私のローブはアリスに頼むことに決めているのだ。なんたって翼の部分に空ける穴は、かなりデリケートな作りじゃないと痛くなるのだから。ありがたいことにフランが学生時代にそれを証明してくれた。

 

ハリーと先客の少年が喋っているのをボンヤリ見ながら、さっさと終わってくれと祈る。私も漏れ鍋に行けばよかった。どうもこの店は暇つぶしには向いていないらしい。

 

自動折り畳みローブに、風が無くともはためくローブ。カップル用の相合マフラー……首に巻きつき、決して離れられません? ノクターン横丁で売るべきだな、これは。

 

まんじりともせず座っていると、ハリーが目線で助けを求めているのに気付く。……まったく、子守が必要な歳じゃないだろうに。立ち上がって近くに寄っていくと、どうやら先客の少年をどうにかして欲しいようだ。

 

「君は自分の箒は持っているのかい? クィディッチは……おや、君も新入生の子かな?」

 

近寄ってきた私に気付いたらしい少年が声をかけてきた。体勢はそのままに、横目で私を見ている。ハリーは助かったと言わんばかりの表情だ。人付き合いの経験値が無さすぎないか? 今までどんな生活をしてきたんだ、こいつは。パチュリーじゃあるまいし。

 

内心でため息を吐きながら、返事のために口を開く。

 

「如何にも、その通りだよ。」

 

「それは素晴らしい。今ちょうどクィディッチの話をしてたんだ。君も好きだろう?」

 

「あー……残念ながら、然程興味はないね。」

 

実際は然程どころか微塵もない。精々フランがちょびっと話題に出す程度だ。ジェームズ・ポッターはいい選手だったようで、在学中にはよく観に行っていたらしい。

 

私の返答が気に食わなかったのか、少年は眉をひそめながら私を直視するが……その瞬間、顔が驚愕に染まった。

 

「その翼……まさか、スカーレット家の?」

 

「まあ、親戚みたいなもんだよ。……ふぅん? 随分と慌てているじゃないか。」

 

少年は明らかに動揺している。レミリアの名前でこの反応ということは、どうやら後ろ暗いものがある家の出身らしい。

 

んふふ、いいオモチャを見つけてしまった。ニヤニヤ笑いながら顔を覗き込んでやる。

 

「おやぁ? 口数が減ったじゃないか。どうしたんだい? 自己紹介をしようじゃないか。」

 

「いや、僕は……その……。」

 

少年を追い詰めていると、横から店主の声がかかった。タイミングの悪いことだ。

 

「さあ、終わりましたよ、坊ちゃん。」

 

「ああ! それじゃあ、失礼するよ。」

 

むう、オモチャを取り上げられてしまった。逃げ去っていく少年に鼻を鳴らしていると、未だメジャーに纏わりつかれているハリーが話しかけてくる。

 

「助かったよ、リーゼ。僕、なんにも知らないから……どう答えたらいいか分からなくて。」

 

「まあ、今日魔法界を知ったばかりなんだ。知らないことがあっても仕方がないだろうさ。」

 

「それなら、ちょっと質問していいかな?」

 

ハリーに頷いて質問を促す。どうせやることもないんだ。撥水ローブとやらを眺めているよりかは、まともな暇つぶしになるだろう。

 

「えっと、じゃあまず……スカーレットって? それにその翼は? 魔法の世界なんだからそういうものかと思ったんだけど……その、さっきの子は驚いてたから。」

 

「スカーレットってのは、ここ百年くらい悪の魔法使いと戦ってるやつの名前だよ。私の知り合いで、そして……私と同じ吸血鬼なのさ。」

 

ニヤリと笑って言い放つと、ハリーは驚いた顔になる。そうそう、そういう反応が正しいのだ。もっと怖がらせたくなる反応だが、適当にフォローしておいたほうがいいだろう。私は友好関係を築きに来たのであって、ビビらせに来たわけではないのだから。

 

「まあ、そんなに怖がらなくても大丈夫さ。何たって、キミの両親を殺したヤツとは敵対してるんだしね。敵の敵は、ってやつだよ。」

 

「ヴォルデ……『例のあの人』と?」

 

「名前で呼ぶべきだね、ハリー。ヴォルデモートだなんてバカバカしい名前、怖がる必要なんてないのさ。」

 

「でも、ハグリッドが名前で呼ぶなって……。」

 

図体がでかいくせに臆病なもんだ。大体、リドルとは学生時代に会っているだろうに。アリスを見習ったらどうだ。

 

「ま、個人の自由だけどね。私としては、名前なんぞを怖がるのはバカみたいだと思うよ。」

 

「あー……うん、覚えておくよ。」

 

微妙な顔で頷いたハリーだったが、気を取り直すと新たな質問を放ってくる。

 

「えーっと、クィディッチっていうのは?」

 

「そうだな……サッカーとバスケットボールを合わせたようなスポーツだよ。まあ、箒に乗って空中でやることを考えれば、あんまり似てないかもしれないけどね。」

 

よくマグル生まれがクィディッチの説明に使うセリフだが、私の見る限りでは両方掠りもしていないぞ。精々球技って部分が共通してるだけだ。

 

「スポーツだったのか……。それじゃあ、ハッフルパフっていうのは?」

 

「ホグワーツの寮の一つだよ。グリフィンドール、レイブンクロー、ハッフルパフ、スリザリンの四つの寮があるんだ。」

 

ハリーが更に質問をしようと口を開いたところで、店主の魔女が採寸の終わりを告げた。

 

「はい、坊ちゃんも終わりですよ。」

 

「え? あ、はい。」

 

ハリーが店主に声を返すのを聞きながら、すぐさま店の外へと出る。実につまらん時間だった。残念ながら、二度とこの店に入ることはないだろう。マフラーで誰かを絞め殺したくならなければの話だが。

 

店の外ではハグリッドが待っていた。その巨大な両手には、小さなアイスクリームが二つ収まっている。どうやらハリーの分だけでは不自然だと思ったらしい。アイスを買ってもらう子供か……情けなくて涙が出そうだよ。

 

気まずそうな大男へと一歩を踏み出しつつ、大きなため息を吐くのだった。

 

───

 

「ほれ、ここがオリバンダーの杖屋だ。杖っていやあここだと決まっとる。」

 

細々とした買い物を終え、私たちは最後にハリーの杖を買うことになった。道中では私の杖を羨ましそうに見ていたハリーは、ハグリッドの声に続いて意気揚々と店内に入っていく。

 

しかし……百年前から全然変わらん店だ。店内に入ってもその感想は変わらない。いや、壁にかかっている杖の量が増えたか?

 

「おや、いらっしゃいませ。杖をお探しですかな?」

 

店主の挨拶まで変わらんとは。内心で苦笑しながらハグリッドに対応を任せて、店内を眺めながら歩き出す。まあ……ここは洋装店とは違って暇つぶしには困らなさそうだ。壁にかかっている杖には詳細な説明が書かれているのだから。

 

一つ一つ見ていくと、私のものと同じような白い杖を見つけた。どっかの偉大な魔法使いが使っていたヤマナラシの杖らしい。自分のものを取り出して比べてみると……ふん、明らかに私の杖のほうが美しい。勝ったな。

 

「おや? その杖は……。」

 

無言で満足していると、ハリーに巻尺をけしかけていたはずのオリバンダーが声をかけてきた。

 

「ん? 私の杖だが。この店で買ったものだよ。」

 

「おお……白アカシアにドラゴンの琴線。25センチ。狡猾で強大。まさかお目にかかれるとは。」

 

おいおい、百年前に売った杖まで知っているのか? こいつ、あの時の店主のクローンじゃないだろうな?

 

「知っているとは驚きだね。キミの先代……の先代くらいか? 百年前に買ったものだよ、これは。」

 

手渡してやると、オリバンダーは目を細めながら細部まで見ていく。実に嬉しそうな顔だ。

 

「伝え聞いてはおりましたが、再びこの店に戻ることになろうとは。素晴らしい。眼福ですな。」

 

オリバンダーは私に杖を返すと、うんうん頷きながら再びハリーの元へと歩いて行った。結局翼のことも年齢のことも聞かれずじまいだ。フランが杖を買ったときもあんな感じだったらしいし、今代のオリバンダーは中々の変人らしい。……今代『も』、かな。

 

しかし、魔法界ではイカれたヤツほど高い能力を示す気がする。ダンブルドアはちょっとおかしいとこがあるし、ゲラートも大きな矛盾を抱えていた。リドルは自分をトカゲに作り変えたし、ムーディなんかは頭のおかしいヤツの筆頭だ。パチュリーとアリスは……まあ、ちょっと変なところがある。

 

オリバンダーもその一員なのだろう。杖作りの家系に生まれ、杖作りにしか興味がない。なんとも幸せな人生ではないか。

 

益体も無いことを考えていると、ハリーの握った杖から煤けた煙が出てくるのが見えてきた。どうやら苦戦しているようだ。

 

……ふむ。この隙にハリーに誕生日プレゼントでも買ってこようか? 贈り物をされて嬉しくないヤツはいないだろう。……バジリスクの卵と勘違いしてぶっ壊したヤツはいたが。ハリーはあの変人とは違うことを祈ろう。

 

ハグリッドに目線で伝えてから店を出る。まあ、上手く伝わったかは知らない。ちょっと困っていたような気もするが、ちゃんと戻るのだから心配あるまい。

 

ダイアゴン横丁を歩きながら、左右のショーウィンドウを覗くが……ふむ、何を買えばいいんだ?

 

アリスなら人形制作の道具だし、フランなら人形そのものかオモチャだった。今のフランは……編み物セットか絵の道具かな? パチュリーは当然ながら本で、小悪魔と美鈴は菓子でも買っていけば喜ぶ。レミリアには処女の生き血でも持っていけばご満悦なのだが……まさかハリーがそれで喜ぶとは思えない。

 

というか、今のハリーなら『魔法関係』の物ならなんでも喜びそうだ。ある意味悩む必要はないのかもしれない。そうすると……うん、実用品だな。フクロウはハグリッドが買ってやったみたいだし……よし、あれにするか。

 

決めたからにはさっさと買ってこよう。本屋へと歩き出しながら、ついでに咲夜にも何か買っていこうかと考えるのだった。

 

───

 

オリバンダーの店に戻ると、ちょうどハリーの杖から赤と金色の火花が流れ出したところだった。オリバンダーとハグリッドが歓声を上げているところを見るに、ハリーの杖は決まったらしい。

 

随分と長くかかったもんだ。呆然と自分の握っている杖を見つめるハリーに近づいていくと、杖を包むための箱を持ってきたオリバンダーがぶつくさ呟き始めた。

 

「不思議じゃ……不思議じゃ……。」

 

「あの、何がそんなに不思議なんですか?」

 

何というわざとらしい呟きか。ハリーが堪らず質問すると、オリバンダーは長ったらしく説明をし始める。どうでもいい話だろうと適当に聞いていたが……ほう? 中々に面白い話じゃないか。

 

どうやらハリーの杖とリドルの杖は同じ不死鳥の尾羽根を使っているらしい。そしてアリスに聞いた話が確かなのであれば、その不死鳥はダンブルドアが飼っているはずだ。実に運命的な話じゃないか。レミリアの好きそうな話だ。

 

話を神妙な顔で受け止めたハリーが、呆然としたままで代金を払って店を出る。私もその背に続くと、店の前で肩を叩いた。

 

「まあ、気にしすぎないほうがいい。キミはキミ、ヴォルデモートはヴォルデモートさ。」

 

適当に放った慰めだったが、ハリーの心には響いたようだ。はにかんで頷きながら返事を返してくる。

 

「そう、だよね。……なんだか変な気分なんだ。僕はなんにも知らないのに、みんなは僕のことを知っている。何か僕に偉大なことを期待してるみたいだけど、そんなの出来るはずないのに。」

 

「すぐに慣れるさ。周りも、キミもね。」

 

出来るさ、ハリー。やらせてみせる。私はそのためにこの場所にいるんだよ。内心を隠して肩を竦めて言ってから、買っておいた本を渡す。

 

「ほら、誕生日プレゼントだ。ちょっとは元気が出ればいいが。」

 

「誕生日プレゼント? それは……その、ありがとう! 僕、同世代の友達からのプレゼントなんて初めてだよ。でも……『苦痛を伴う呪い ~初めての拷問~』?」

 

顔を引きつらせてタイトルを読むハリーに、ニヤリと笑って言い放つ。

 

「キミには意地悪な従兄がいるんだろう? 次に余計なことをしてきたら、そいつを読み上げてやればいいのさ。向こうは魔法が使えないことを知らないんだ。きっと顔を青くして逃げていくぞ?」

 

贈り物の趣旨を理解したらしいハリーは、満面の笑みになって口を開いた。今日一番の笑顔なところを見るに、私の想像より酷い暮らしをしているようだ。

 

「それは……それは、最高の提案だよ! ダドリーは顔を真っ青にするに違いない! ありがとう、リーゼ。人生最良のプレゼントだよ!」

 

後ろでハグリッドにプレゼントされた白フクロウが抗議の声を上げるのを聞きながら、アンネリーゼ・バートリは初接触の大成功を確信するのだった。

 



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アスレチックコース

 

 

「ただいま、咲夜。」

 

ダイアゴン横丁の買い物から戻ったアンネリーゼ・バートリは、出迎えてくれた咲夜に声をかけていた。いやはや、駆け寄ってくる咲夜を見ていると、買い物で消耗した精神が癒される気分だ。

 

「お帰りなさいませ、リーゼお嬢様!」

 

咲夜は私の荷物を受け取ると、さりげない仕草で後ろにつく。うーむ、見事な立ち振る舞いだ。美鈴やエマのそれが微妙なことを思うに、この子の自己流なのかもしれない。

 

レミリアは使用人など以ての外だと考えているらしいが、私としては大賛成だ。吸血鬼の館にいるんだから、好きなことを好きなだけやればいい。パチュリーもアリスもそうしてるんだし、美鈴なんかその筆頭じゃないか。

 

レミリアの執務室へと歩きながら、懐からお土産を取り出す。本屋に向かう途中で良さげな物を見つけたので買っておいたのだ。

 

「ほら、お土産だよ。」

 

「わぁ! 開けてもいいですか?」

 

「勿論だ。」

 

袋を受け取った咲夜は荷物を手首にかけて、器用に包装を開いていくと……よしよし。キラキラした瞳を見るに、満足してもらえたらしい。

 

「おお、カッコいいナイフです。ありがとうございます、リーゼお嬢様!」

 

「喜んでもらえたなら何よりだよ。」

 

咲夜はナイフをコレクションしているのだ。一体全体誰の影響なのかは分からんが、中々にヤバめな趣味を持ってしまった。レミリアやアリスが喜ぶ咲夜に買いまくってくるせいで、既に彼女の自室には壁一面にナイフが飾られている。どうしてこうなった。

 

最近では庭先で美鈴にナイフ投げを教わっているのをよく見かけるくらいだ。吸血鬼と暮らすと、ちょっと変に育ってしまうのかもしれない。

 

早速とばかりに試し振りしている咲夜に苦笑しているうちに、レミリアの執務室へと到着する。ノックをせずにドアを開くと、部屋の主人は熱心に書き物をしていた。

 

レミリアは私の姿を見て何かを言いかけるが、後ろに咲夜がいることに気付くと急にキリッとした表情に変わる。こいつ……本当にダメダメだな。姉馬鹿の上に親馬鹿らしい。

 

「あら、『かわいいリーゼちゃん』。ハリーとの接触は終わったのかしら?」

 

ニヤニヤ笑って言ってくるが……いい度胸じゃないか。この件に関しては反撃を容赦するつもりはないぞ。冷たい微笑を浮かべて、四百年前を思い出しながら口を開いた。

 

「次にふざけたことを言ったらキミの失敗談を咲夜に話すよ? ……そうそう、五十歳くらいの時にキミが間違えてスカートを──」

 

「わかったわ! 謝るから!」

 

顔を真っ赤にして立ち上がったレミリアに鼻を鳴らしつつ、ソファにゆっくりと腰を下ろす。彼女の失敗談など腐るほどあるのだ。幼馴染に勝負を挑むからそういうことになる。

 

「ま、いいけどね。ハリーとの接触は成功だよ。……ハグリッドの大根役者っぷりを除けばだが。」

 

「それは重畳。仲良くなって頂戴よ? 彼にはリドルをぶっ殺してもらわなくちゃならないんだから。その為には色々と誘導しなくちゃいけないわ。」

 

言いながらレミリアがソファに座ると、目の前にいきなり紅茶が現れた。咲夜は能力の使い方を着々と学んでいるらしい。……私も少しくらい練習したほうがいいかもしれない。

 

日光への耐性に、透明化、色を変えたり、闇を見通したり……なんか大したことないな。ビームでも撃てれば面白いんだが。このままだと名前負けすること甚だしいぞ。

 

内心で自分の能力について考えていると、紅茶を美味そうに一口飲んだレミリアが口を開いた。

 

「それで? どんなガキだったの? 今にもリドルを殺せそうなら嬉しいんだけど。」

 

「そんな十一歳は怖いだろうに。まあ……少なくとも度し難い無能ではなかったね。あの年齢にしてはマシなほうだろう。」

 

変な主義主張に染まっているわけでもなく、何度も同じ質問を繰り返したりもしなかった。多少卑屈すぎる感じもあったが……まあ、許容範囲だろう。

 

レミリアも安心したようで、小さくため息を吐いている。

 

「ダンブルドアやグリンデルバルドほどとは言わないまでも、少しはまともな駒になりそうで何よりだわ。」

 

「それは比較対象が悪いよ。ああ、そうだ……キミ好みの逸話があるぞ。」

 

「へぇ? どんな話?」

 

身を乗り出したレミリアに、オリバンダーがぶつくさ言っていた話を掻い摘んで伝える。

 

「ハリーが出会った杖は、リドルのそれとは兄弟杖なんだそうだ。しかも芯にはダンブルドアの飼ってる不死鳥の尾羽根。どうだい? 中々に運命的だろう?」

 

私の言葉を受けて、レミリアはニヤリと笑みを浮かべた。どうやらお気に召したらしい。

 

「いいじゃないの。バックストーリーとしては充分すぎるほどの逸話だわ。」

 

ふんすか鼻を鳴らしながら言ったレミリアは、再び紅茶を飲んでから大きく伸びをした。翼までぷるぷるしてるのがなんか間抜けだな……うん、私は気をつけよう。

 

「んー……まあ、しばらくは何もないでしょ。一年生っていえばパチュリーやアリス、フランでさえも大人しく過ごしていた時期よ。ハリー・ポッターに何かがあるとは思えないわ。」

 

「そりゃそうだ。十一歳のガキがやれることなんて高が知れているだろうしね。まあ、しばらくは学生ごっこを楽しむさ。」

 

もちろん皮肉だ。『ホグワーツ幼稚園』での暮らしを思うと、実際は今から考えるだけでも憂鬱になる。

 

暫しの退屈な生活を想像しながら、アンネリーゼ・バートリはゆっくりと紅茶に口をつけるのだった。

 

 

─────

 

 

「リーゼは無事に接触できたらしいわよ。」

 

もはや見慣れたホグワーツの校長室で、レミリア・スカーレットは椅子に座るダンブルドアに話しかけていた。

 

「素晴らしい。あの親戚の件で一時はどうなることかと思いましたが……結果は上々ですな。」

 

「ハグリッドの演技にクレームがあったけどね。」

 

私がそう言うと、ダンブルドアは苦笑しながら肩を竦める。

 

「あの男はどうにも素直すぎるようで。まあ、確かに良い人選ではありませんでしたな。向き不向きというものでしょう。」

 

そう言いながらも、ダンブルドアはハグリッドを重用している。騎士団の頃からそれはずっと変わっていないのだ。

 

もしかしたら……私にとっての美鈴のようなものなのかもしれない。色々と抜けているが、便利なのだ。そう思うと納得できてしまう。

 

「そういえば、『石ころ』はどうなったの?」

 

「石ころ? ……ああ、賢者の石ですか。なんともまあ、ニコラスが悲しみそうな呼び方ですな。」

 

「パチェが二十四色セットで持ってるんだもの。色鉛筆じゃあるまいし、一体何に使うんだか。」

 

この前聞いたら、属性がどうだの魔力の伝導がどうだのと、訳の分からない話をし始めたのだ。結局何が言いたいかはさっぱりだったが、とにかくパチュリーにとっては必要なものらしい。

 

ダンブルドアは呆れたように苦笑いしながらも、賢者の石について説明してくれる。

 

「ニコラスにはもはや不要だということでしたのでね、計画に組み込んでしまおうと思ったのですよ。」

 

「計画に? どういうことかしら?」

 

「恐らくトムは狙ってくるでしょう。それならば……いっそくれてやろうかと思いまして。」

 

悪戯小僧のように笑うダンブルドアに、一瞬思考が停止する。くれてやる? リドルに? それはまた……なんとも意味不明な一手だ。利敵行為ではないか。

 

私のポカンとした顔に満足したらしく、ダンブルドアはクスクス笑いながら全貌を話し出す。

 

「わしの生きているうちに片をつけたいのです。その為にはトムには実体を持ってもらわなくてはならない。今の彼は……まあ、ノーレッジの予想では実に捕らえにくい形をしているのでしょう?」

 

先程までのクスクス笑いは鳴りを潜め、今のダンブルドアは真剣な表情になっている。

 

「わしはもう長くはないでしょう。実に長く生きた。死ぬのを恐れてはおりません。しかし……ハリーにトムのことを背負わせたままでは死ねないのです。故に、あと十年以内には決着をつける気でおります。」

 

「なんともまぁ……思い切った手段を取るわね。敵に塩を送ることになりかねないわよ?」

 

「賢者の石はそれほど万能ではありませんよ。ニコラスと共に研究した私はそれを知っています。トムの実体を取り戻す手助けにはなっても、彼をより強力にしたりはしますまい。」

 

確かに亡霊のままウロウロされては殺しようがないだろうが……ふむ、短期決着に持っていくつもりか? しかし、ハリーはまだピカピカの一年生だ。リドルをぶち殺すどころか、杖に明かりを灯すことさえできないだろう。

 

十一歳の少年が死の呪文を撃っている場面を想像しながら、首を振って言葉を放つ。さすがに有り得ん光景だ。

 

「まあ、実体があったほうが対処し易いのは同意するけど、ハリーがリドルに勝てるようになるのはまだまだ先よ?」

 

「だからこそ、ホグワーツに石を移したのですよ。まあ……ギリギリのところでしたが。」

 

言いながらダンブルドアが机に乗せた新聞には……おやおや、グリンゴッツに銀行破りか。小鬼どもは面目丸潰れだな。今頃は怒り狂って犯人探しをしてるに違いない。

 

そして侵入された金庫は、『石ころ』が入っていた番号の金庫だ。私たちが動いているように、敵もまた動き始めたらしい。

 

私が話の流れを掴んだのを見て取ったのか、ダンブルドアがその続きを口にする。

 

「金庫から出された今、賢者の石がホグワーツにあるとは思っていますまい。仮に辿りついたとしても盗み出す準備に暫くかかるでしょうし、盗んでも利用するのは容易くないのです。あれを理解し切れているのはニコラス、わし、ノーレッジだけでしょう? トムが思いつくのは……まあ、精々命の水を飲むことくらいでしょうな。」

 

「それじゃあダメなの?」

 

「延命と蘇生には天と地ほどの差があるのです。単に命の水を飲むだけでは、何一つ物事は解決しませんよ。この辺のことをトムが理解してるかどうかは怪しいものですな。詳しいことは……そう、ノーレッジに聞けば教えてくれるでしょう。賢者の石は彼女の専門分野なのですから。」

 

「聞くと長くなるからやめとくわ。放っておくと三日は喋り続けるわよ。」

 

三日で済むか怪しいもんだ。私の言葉に苦笑いで納得の頷きを放ってきたダンブルドアを見ながら、彼の計画について考える。

 

……ふむ、悪くはないな。ホグワーツに石を移したことを知る者は多くはない。リドルが今どんな状態なのかは知らないが、計画から実行に移すのはそれなりに時間がかかるだろう。あの男はホグワーツを恐れているのだ。ダンブルドアのお膝元な以上、軽々に物事を進めたりはすまい。

 

短期決着も望むところだ。あの胸糞悪いトカゲ人間が消滅するなら、それだけ咲夜の学園生活も安全になるのだから。ハリー・ポッターが死ぬのは困るが、咲夜が傷つくのはもっと困る。

 

それに、ダンブルドアが死ぬまで身を潜められるのは堪らない。言われてみて気付いたが、それは想像したくないほどに厄介な一手だ。

 

影響力も実力も。こちらにとって最強の駒抜きで戦うなど考えたくもない。それなら多少早めに復活してもらった方がまだマシだ。

 

「そうね。ま、ホグワーツのことは貴方に任せるわ。……ああ、あのバカバカしい仕掛けもその為だったのね。」

 

そういうことなら、あの『アスレチックコース』のことも理解できる。真面目に石を守る気はそもそも無かったらしい。

 

「なかなか愉快な仕掛けでしょう? トムをおちょくるにはもってこいの仕掛けなのですよ。」

 

パチリとウィンクしながら言うダンブルドアは、再び悪戯小僧の顔に戻っていた。何が『私が死ぬまでに』だ。あと数十年は死にそうにないではないか。

 

「はいはい、お見事ね。それじゃ、しばらくは校長業務に専念してなさい。私も大人しくしてるわ。」

 

肩を竦めて言った私に、ダンブルドアが思い出したかのように質問してきた。

 

「そういえば……咲夜は元気ですかな?」

 

「頗る元気よ。コゼットそっくりに育ってるおかげで、アリスとフランが猫可愛がりしてるわ。目だけがアレックスの青ね。」

 

「ハリーとは逆ですな。何にせよ、コゼットたちは喜んでいることでしょう。貴女たちに託したことは間違っていなかった。ようやく肩の荷を一つ下ろせそうです。」

 

「再来年には咲夜もホグワーツに入れるから、その時はよろしく頼むわよ。あの子もここで多くのことを学んでくれることでしょう。」

 

パチュリー、アリス、フラン。なんだかんだでホグワーツには世話になってるもんだ。ちょっとだけ心配だが……まあ、リーゼもいることだし、問題はないだろう。問題があったら怒鳴り込んでやればいい。

 

「お任せいただきたい。その日を楽しみに待っておきましょう。」

 

目を細めながら言うダンブルドアに頷いて、レミリア・スカーレットは満足そうに微笑むのだった。

 



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いざ監獄へ

今回長くなっちゃいました。申し訳ございません。


 

 

「もしかして……ハグリッドはきちんと説明していないんじゃないか?」

 

9と3/4番線のホームで問いかけてくるリーゼ様を見ながら、アリス・マーガトロイドは顔を引きつらせていた。

 

いよいよ九月一日となり、嫌そうなリーゼ様を励ましながらこの駅までやって来たところ、ハリーがいつまで経っても現れないのだ。

 

刻一刻と出発の時間が迫るにつれて、さすがにおかしいと思ったらしいリーゼ様が問いかけてきたわけだが……うん、実に有り得る話だ。

 

引きつった顔をなんとか立て直しつつ、名推理を放ったリーゼ様へと返事を返す。

 

「まあ、ハグリッドならやらかしそうですね。さすがにチケットを渡し忘れてはいないでしょうから……いないですよね?」

 

言いながら心配になってきた。ハグリッドでもさすがにそれはないか? ……いや、ありそうだ。容易くその光景が想像できる。リーゼ様も同感らしく、苦笑いで私に声をかけてきた。

 

「一応、マグル側のホームを見てきてくれるかい? 翼を消してもいいんだが、あまり人前で能力を使いたくないんだ。」

 

「わかりました、行ってきますね。」

 

頷きを返して、マグル側の世界に繋がる入り口へと歩き出す。ここには基本的に煙突飛行で来るので、あまりこっち側の入り口を使ったことはない。大昔にテッサと『冒険』した時以来だ。

 

入ってくる人にぶつからないように慎重に通り抜けると、魔法の匂いが一切ないキングズクロス駅が広がっていた。実に新鮮な光景だ。

 

スーツ、ジーンズ、パーカー。色とりどりのマグルの服装には、ほんのちょっとだけ羨ましさを感じてしまう。対する私の服は……うーむ、ちょっと古くさいか? なんか恥ずかしくなってきた。さっさとハリーを探そう。

 

慌ただしく働いている駅員を横目にしながら、ぐるりと周りを見回してみると……いた、ハリーだ。心細そうな表情でチケットを確認している。どうやらハグリッドを叱りつける必要がありそうだ。

 

「ハリー、こっちよ。」

 

ハリーに声をかけてやると、彼の心配そうな表情が安堵へと変わる。そのままカートを押して近付いてくると、嬉しそうに私に話しかけてきた。

 

「マーガトロイドさん! 僕、ホームの場所が分からなくて。それで、どうしたらいいかって……。」

 

「落ち着きなさい、ハリー。私がちゃんと案内するわ。」

 

一緒にカートを押しながら、入り口がある柱へと歩き出す。そりゃあヒントがなければ分かるまい。魔法使いというのは何だってこう、とんちを効かせるのが好きなんだろうか?

 

「ほら、ここよ。十番線の一個前の柱。あれがホームへの入り口なの。」

 

「えっと、あれは……壁ですよ?」

 

「魔法で隠されているだけよ。大丈夫、私も一緒に行くから。」

 

不安そうなハリーと一緒に入り口へとゆっくり歩き出す。手前でそっとマグルから見られていないことを確認して……よし、今だ。

 

ホームの中へと入ると、ハリーは興奮しながら辺りを見回し始めた。なんとも微笑ましいもんだ。かつて私がパチュリーに連れてこられた日を思い出しながら、ハリーをそっと誘導する。

 

「ほら、前を見て歩かないと危ないわよ?」

 

「……あ、はい。」

 

生返事を返したハリーをリーゼ様の元へと誘うと、彼女を見つけたハリーが笑顔になって声を放った。どうやら関係は良好だ。……魅了を使ってはいないよな?

 

「リーゼ! 待っててくれたの?」

 

「その通りだよ。そして、良いことを教えてあげよう。レディを待たせるもんじゃない。気をつけたまえ。」

 

「あー、ごめん。でも、レディっていうか……いや、なんでもないよ。」

 

ハリーの失礼な言葉を視線で封じたリーゼ様は、私に向き直って口を開いた。

 

「ご苦労だったね、アリス。ハグリッドには私から言っておこう。」

 

「あはは、まあ……お手柔らかにお願いします。」

 

親しげに話している私たちを見て、ハリーの顔には不思議そうな表情が浮かんでいる。まあ、別に隠すようなことではないのだ。話してしまっても構わないだろう。

 

「私とリーゼ様は一緒に住んでるのよ。何というか、リーゼ様は私の……雇い主? みたいな感じなの。」

 

「な、なるほど?」

 

よく分からんという様子のハリーだったが……ま、構うまい。ボンヤリ理解してくれれば充分だろう。

 

リーゼ様が小さなトランクを手に取りながら、ハリーに向かって話しかけた。

 

「さて、それじゃあ乗り込もうか。ホームはこれからうんざりするほど見ることになるんだ、席を取ることを優先すべきだろう?」

 

「そうだね。それじゃあ……ありがとうございました、マーガトロイドさん。」

 

ぺこりとお辞儀をしたハリーに、微笑んでから返事をする。

 

「ええ、行ってらっしゃい、ハリー。リーゼ様もお気をつけて。」

 

「ああ、行ってくるよ。」

 

乗り込んで行く二人に手を振って見送る。悲しいことに、リーゼ様の顔は諦観の表情に染まっていた。お務めに向かう囚人のようだ。

 

内心で苦笑しながら一応出発まで見送ろうかと考えていると、背後から聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

「こら、フレッド、ジョージ! 余計なことはしないでちょうだい!」

 

声の方向を見てみれば……凄いな、赤毛の集団だ。言わずもがな、モリーとその子供たちである。ムーンホールドを闊歩していた子供軍団は、どうやら立派な少年たちに育ったらしい。

 

ゆっくりと歩み寄って、今度は一番小さな男の子に注意を飛ばし始めたモリーへと話しかけた。

 

「モリー、久しぶりね。」

 

「ロン、はぐれないように……あら、マーガトロイドさん! お久しぶりです。なんともまあ、お変わりないようで。」

 

「よく言われるわ。しかし、実に大変そうね。」

 

苦笑しながら言うと、モリーは呆れたように捲し立ててきた。

 

「本当にもう、腕が二本じゃ足りませんよ。双子の相手だけでも六本は必要だっていうのに、アーサーは何にも手伝ってくれないんですもの!」

 

「あら? 『かわいいモリウォブル』への愛が薄れちゃったのかしらね? 天地がひっくり返っても有り得ないと思うのだけど……。」

 

「やめてください、マーガトロイドさん!」

 

顔を真っ赤にしたモリーに微笑んでいると、それを見ていた双子のどちらかが話しかけてきた。小さい頃も瓜二つだったが、残念ながら今なお見分けをつけるのは難しそうだ。

 

「おいおい、ママをやり込めるなんて、あんたは何者なんだ?」

 

「こら、ジョージ! 口の利き方に気をつけなさい! その方は貴方の大先輩ですよ。」

 

意味が分からないというようにポカンとする赤毛の子供たちに、いつもの自己紹介を放つ。最近はなんだかこんなことばっかりだな。

 

「ご機嫌よう、ウィーズリー家のみなさん。私はアリス・マーガトロイド。これでも六十を超えてるお婆ちゃんよ。」

 

「うっそ。そんなに綺麗なのに?」

 

ポツリと呟いた最も年下の……ジネブラだったか? その可愛いことを言ってくれた女の子の頭を撫でていると、真っ先に驚愕から立ち直った双子から物凄い勢いで質問が飛んできた。

 

「すげえな。マクゴナガルよりも年上なんだ……ですか。若返り薬とか? それとも何かの魔法?」

 

「バカ言うなよフレッド。きっと長命薬だぜ。そうなんですよね? あー……俺たちにもほんのちょっとだけ分けてくれませんか? 悪用はしないので。」

 

なるほど、この子たちの相手は確かに腕が六本必要そうだな。私が何か返す前に、モリーの怒鳴り声がその場に響く。なんとも忙しない家族だ。

 

「いいから準備をなさい! もうすぐ出発なんですよ? ああ、パーシー、先に行きなさい。監督生ですからね、お仕事があるでしょう。」

 

ひときわ真面目そうなメガネの子が、モリーの言葉を受けて先に列車へと入って行く。私に一礼してから行ったことを見るに、双子とは正反対の性格らしい。

 

その後も慌ただしく息子たちを送り出したモリーが一息つく頃には、既に出発の時間になっていた。最後に今年入学らしい息子に声をかけたモリーは、動き出す列車を見ながら私に声をかけてくる。

 

「はぁ、ようやく終わりました。毎年こうなんですから、堪ったもんじゃありませんよ。」

 

「ご苦労様、モリー。お母さんは大変ね。」

 

「ありがとうございます。……そういえば、今日は何故ここに? 新入生にお知り合いでもいたんですか?」

 

「まあ、そんなところよ。それに……ハリーも今年からホグワーツだしね。見送りに来たってわけ。」

 

私からハリーの名前が出ると、途端にモリーの顔が歪む。彼女はあのハロウィンの日、子育てに忙しくて事件には関わっていない。その事を悔やんでいるのだ。ジェームズやリリー、テッサたちの葬式では泣きながら謝っていたのを覚えている。

 

子供たちを守ることが一番大切なのだ。それを全うしたモリーに責任など一切ないのに、優しすぎる彼女は責任を感じてしまったらしい。なんとも救われない話だ。

 

遠ざかるホグワーツ特急を見て目を細めながら、モリーがポツリと呟いた。

 

「そうですか……そういえばもう十一歳なんですね。一目会いたかったです。」

 

「あの子……ロンだったかしら? ハリーと同学年になるのでしょう? それならきっと友達になってくれるわよ。二人とも多分グリフィンドールでしょうしね。」

 

「そうなれば良いんですけど……ああ、ロンに言っておけばよかった。ハリーはきっと心細いでしょうに……。」

 

「大丈夫よ。ジェームズとリリーの息子なんだもの。きっと上手くやっていけるわ。」

 

こちらを見ながら何の話かと首を傾げるジニーを撫でながら、小さくなった赤い車体を眺める。

 

生徒たちを詰め込んだホグワーツ特急がカーブに消えていくのを見て、アリス・マーガトロイドは新入生たちの幸せな学生生活を祈るのだった。

 

 

─────

 

 

「あの、ここ、空いてるかな?」

 

赤毛のノッポくんがおずおずと聞いてくるのにジェスチャーで応えながら、アンネリーゼ・バートリは買っておいた予言者新聞を取り出した。

 

この新聞に書いてあるのは五割がゴシップで四割が大嘘だ。なんの価値もない紙切れに近いが、残念ながら魔法界の情報媒体はこれ一つしかない。週刊魔女だのは情報媒体とは呼べないのだ。

 

「あー……ありがとう。」

 

ゆっくりとハリーの隣に座ったノッポは、新聞を読んでいる私と、それを向かい側から夢中で見ているハリーに戸惑っていたが……やがて意を決したように私たちに話しかけてきた。

 

「あの、僕、ロン・ウィーズリー。新入生だよ。」

 

「アンネリーゼ・バートリ。……新入生だ。」

 

この言葉は私にダメージを与えるのだ。あまり使わせないでくれ。

 

「僕は、ハリー・ポッター。僕も新入生だよ。」

 

ハリーがぎこちない笑みで自己紹介を放った途端、ウィーズリーは目をまんまるにしながらハリーを指差す。そら、始まった。生き残った男の子はガキにとっても有名人か。

 

「ハリー・ポッター? あのハリー・ポッターかい? それじゃあ……その、額には傷跡が──」

 

テンプレートな反応を示したウィーズリーから、新聞へと視線を戻す。どんなやり取りかは聞くまでもないだろう。しかし……ウィーズリー? どこかで聞いたような名前だな。

 

一頻り傷跡なんかを調べ終わったウィーズリーは、今度は私に質問を飛ばしてきた。

 

「その、バートリは吸血鬼なのかい? その翼、スカーレットさんのとおんなじだ。」

 

同じじゃない。私の方が艶があるし、ちょっとだけ大きいのだ。レミリアは自分の翼の方が形が綺麗だと主張しているが、どう考えても私の翼の方が美しい曲線を描いている。

 

……まあ、翼談義を仕掛けても仕方がない。吸血鬼相手なら嬉々として乗ってくるだろうが、人間相手じゃ引かれるだけだ。肩を竦めながら適当な返事を返す。

 

「如何にもそうだよ、ウィーズリー。最近はレミリアも表に出ていないってのに、よく知っているね。」

 

「僕の家のリビングにスカーレットさんの新聞が貼られてるんだよ。パパもママも凄い人だって言ってる。……ちょっとウンザリするくらいに。」

 

ああ、思い出した。アーサーとモリーのウィーズリー夫妻。確か騎士団の一員で、熱心な『レミリア信者』だったはずだ。新聞を貼り出すなんてバカな事をするのが、レミリア以外に存在することに驚いた記憶がある。

 

私の内心の呆れを他所に、ウィーズリーはちょっと気まずそうな表情で口を開いた。

 

「あー……それと、僕のことはロンって呼んでくれないかな。兄が三人もホグワーツにいるんだ。ウィーズリーだと誰だか分かんなくなっちゃうんだよ。」

 

「ああ、それなら私もリーゼでいいさ。」

 

「僕もハリーでいいよ。」

 

本音を言えば良くはないが、我慢できないほどでもない。私だって外面を取り繕うことくらいは出来るのだ。

 

私たちの返答に気を良くしたらしいロンは、ニッコリ頷きながら懐から……あー、ネズミか? ネズミを取り出した。どうしたんだコイツ。ペスト菌でもばら撒くつもりか?

 

ドン引きする私とちょっと引いているハリーに気付くことなく、ロンは笑みを浮かべたままネズミをこちらに突き出してくる。

 

「こいつ、スキャバーズって言うんだ。僕のペットさ。……まあ、お下がりなんだけど。」

 

「へぇ、そうなんだ。」

 

ハリーが曖昧な返事を返すが……うん、それ以外答えようもないな。今にも死にそうなほどにショボくれてるね、とはさすがに言えまい。私も適当な返事を口にしようとしたところで、目が合ったネズミが猛然と暴れ始めた。なんだよ、吸血鬼はネズミを喰ったりはしないぞ。

 

「うわっ、なんだよスキャバーズ。落ちつ……落ち着けよ!」

 

必死になって押さえつけたロンは、ネズミをカゴに詰め込みながら気まずそうに口を開く。

 

「あー……いつもはもっと大人しいんだ。何でだろうな? リーゼがいるから緊張してたのかもしれない。」

 

「私が? ネズミに嫌われるような覚えはないぞ。……多分ね。」

 

自信がなくなってきたぞ。ネズミなんか飼ったこともないし、これから飼う予定もない。ああでも、パチュリーの研究室に数匹いたな。無論過去形だが。

 

「そういうことじゃなくって、スキャバーズはスカーレットさんのファンなんだよ。新聞に載ってるのを見つけると、何でか知らないけどよく見たがるんだ。妹はきっと新聞を読んでるんだよなんて言ってたけど……有り得ないよな。」

 

「んふっ、なるほど。レミィのファンか。んふふっ、それはいいことを聞いたよ。本人に伝えてあげないとね。」

 

これほどバカバカしい話が他にあるか? ネズミのファン。んふふ、最高のからかい文句じゃないか。よくやったぞ、ロン! お陰でクリスマス休暇の楽しみが出来た。

 

脳内でネズミとにこやかに握手しているレミリアを想像していると、今度は話を聞いていたハリーが私たちに質問を飛ばしてきた。

 

「スカーレットさんってそんなに凄い人なの? リーゼからちょっとは聞いてるけど……。」

 

「ちょっと待って……ほら、この人だよ。悪い魔法使いとずーっと戦い続けてる人……っていうか、吸血鬼なんだ。『例のあの人』とか、グリン……なんとかとも。」

 

「グリンデルバルド。ゲラート・グリンデルバルドだ。」

 

蛙チョコレートのカードをハリーに渡しながら言うロンの言葉に訂正を加える。嘆かわしいもんだ。イギリスではゲラートよりも『妖怪トカゲ男』のほうが有名らしい。

 

しかし……レミリアのやつ、とうとう蛙チョコカードの一員に加えられたのか。カードの写真に映るレミリアは、ドヤ顔でふんぞり返っている。なんかムカつくな。

 

興味深そうにカードを見つめるハリーの横から、レミリアの写真を杖で突っつきまくってやる。執拗に突き続けていると……ふん、写真の中のレミリアは頭を抱えて逃げていった。ざまぁみろだ。

 

「いなくなっちゃった。」

 

「あー、まあ、そのうち戻ってくるんじゃないかな。何枚も持ってるし、それは君にあげる。これから集めるといいよ。」

 

驚いたように言うハリーに、ロンが苦笑いで答える。未だハリーはカードが気になっているようだったが、ロンが新たな話題を繰り出してきた。

 

「そういえば、寮はどこになると思う? 僕は多分グリフィンドールなんだ。家族全員がそうだからね。」

 

「えっと、四つの寮があるんだよね。どうやって決めるのかな?」

 

「勇敢なのがグリフィンドール。頭がいいのがレイブンクロー。それと、フレッドとジョージ……僕の双子の兄だよ。そいつらが言うには、ハッフルパフは間抜けで、スリザリンは嫌な奴が入るらしいよ。」

 

なんとも『グリフィンドール的』な説明だな。ホグワーツの寮の説明の仕方で、ある程度の人柄が分かるというのも頷ける。パチュリーよりはマシで、アリスよりは恣意的という感じだ。

 

「じゃあ僕、きっとハッフルパフだ。」

 

落ち込みながら言うハリーに、元気付けるように声をかける。ハッフルパフを貶すと後が怖いぞ。あそこには凄まじい卒業生がいるのだから。

 

「ハッフルパフだって良い寮じゃないか。それに、私はグリフィンドールに賭けるがね。キミの両親はどちらもグリフィンドールだよ?」

 

「そうなの? どうしてそんなことを?」

 

「アリスに聞いたのさ。……まあ、絶対ではないが、その可能性は高いと思うよ。」

 

というか、マズくないか? 別々の寮になったら任務の遂行に支障が出るぞ。スリザリンは百パーセントないにしても、他の三寮はどれも有り得そうな話だ。

 

グリフィンドールだよな? そうだとは思うが……ダンブルドアもレミリアもこの問題に気付かなかったのか? マヌケの集団か! 私たちは。

 

そう思うと、どんどん不安になってきた。バートリの頭文字はBだ。アリスによればABC順で組み分けされるらしいから、Pのポッターは私の後になる。

 

「ちょっと失礼するよ。」

 

寮談義に夢中な二人に一声かけて、コンパートメントから出て守護霊の呪文を使う。

 

「……ダンブルドア、ハリーと同じ寮になれるように小細工をしておくように。私は無駄な七年間を過ごすのは御免だからな。」

 

伝言を託したコウモリの守護霊を、ダンブルドアの元へと送り出す。ふくろうよりは早く着くはずだ。

 

ま、これで問題なかろう。一息ついてコンパートメントに戻ろうとすると、廊下の先から凄い勢いで見知らぬ少女が歩いてきた。

 

私の目の前で急ブレーキをかけた少女は、ビシリと私の杖を指差しながら口を開く。

 

「それ、守護霊の呪文だわ。」

 

「あー……これは杖だよ。そしてさっき使ったのが守護霊の呪文だが、それが何か?」

 

栗色の癖っ毛が特徴的な女の子は、守護霊が飛んで行った方向を見ながら話を続けてくる。距離的に伝言は聞かれていないはずだ。つまり、守護霊そのものについての話だろう。

 

「貴女……その、上級生? ……ですか?」

 

「……新入生だが。」

 

頼むからやめてくれ。私は何度新入生だと自己紹介しなければならないんだ。

 

「でも……貴女、守護霊の呪文を使ったわ! とても難しい呪文なのよ? 本で読んだもの!」

 

「そういうヤツもいるだろうさ。たまたまだよ。」

 

「でも、でも、守護霊の呪文なのよ? そんなのおかしいわ!」

 

何なんだ、一体。レミリアならドヤ顔で誇っている場面だろうが、私としてはいい大人が算数の問題を解いたことに驚かれているようでなんとも居心地が悪い。適当に声を放ってからコンパートメントに戻るが……ついてきたぞ、こいつ。勘弁してくれ。

 

「えっと、誰だい? その子。」

 

ロンが疑問を放ってくるが、私だって知らないのだ。席に戻りながら口を開く。

 

「知らないよ。勝手についてきたんだ。」

 

私のせいじゃありませんよと全身で表現しつつ答えると、それを見ていた少女が高らかに自己紹介を放った。

 

「ハーマイオニー・グレンジャー、新入生よ。……それより、貴女! 貴女の名前は?」

 

「バートリだ。アンネリーゼ・バートリ。」

 

「吸血鬼なのね? レミリア・スカーレットと同じ。人間を守る『翼付き』の吸血鬼! 私、本で読んだわ!」

 

人間を……何だって? ジョークにしては趣味が悪いぞ。その本とやらを書いたやつは、間違いなくレミリアから金を握らされているな。そうでなきゃ聖マンゴの錯乱科病棟にでも入れてやった方が身のためだ。

 

内心の呆れをよそに、少女はなおも捲し立ててくる。

 

「吸血鬼だと呪文を使い易いとか? それとも、守護霊の呪文に適性があるの?」

 

「あー……そんなところだよ。」

 

そんなわけないが、適当にそう言っておこう。守護霊の呪文はレミリアもフランも使えるのだ。嘘を言ったところで誰も困らない。

 

「やっぱり! おかしいと思ったのよ。新入生が使えるような呪文じゃないもの! 私、ホグワーツのことを知ってから色々と勉強したのよ。ああ、私は普通の人……つまり、マグルの生まれなんだけど、それでも──」

 

どうやら彼女はここに居座ることを決めたらしい。ハリーもロンもその長台詞に圧倒されている。

 

何というか……アクティブなパチュリーだな。鬱か躁かの違いはあれど、本が大好きな点は共通している。それとまあ、他人との距離を測るのが苦手なところも。

 

「──だから、私は早く呪文を試してみたくて仕方がなかったの。でも、列車で試した分は全部上手く使えたわ! 例えば……ルーモス。ほら、上手くできたわ。」

 

杖に明かりを灯した少女は、胸を張って誇らしげだ。一周回って面白くなってきた。食い入るように見ているハリーはともかく、ロンはそうは思わなかったようで、ウンザリした様子でグレンジャーに声をかけた。

 

「あー、僕はロン・ウィーズリーだ。興味があるかは知らないけどね。それにそっちは──」

 

「貴方、ハリー・ポッターだわ! その傷跡、例のあの人がつけたんでしょう? 私、本で読んだもの!」

 

実にたくさんの本を読んでいるらしいグレンジャーは、今度はハリーに標的を変えた。矢継ぎ早に質問を繰り返すのをしばらく眺めていたが……おっと、ロンが再びそれを遮る。どうやらこの二人は相性が悪いようだ。

 

「それより君、何しに来たんだい?」

 

「……そうだわ! ネビルのカエルを探してたの! 見ていない? 大きなヒキガエルらしいんだけど。」

 

ヒキガエル? そんなもんを見かけたら窓の外に捨てているはずだ。当然ながらハリーやロンにも心当たりはないらしく、全員がキョトンとしているのを確認すると、グレンジャーは再びコンパートメントの外へと飛び出していった。

 

「私、探してくる!」

 

台風のようなグレンジャーが過ぎ去って、コンパートメントが静けさに包まれる。ロンは清々したとばかりの表情だが、私はまあ……面白くはあった。四六時中一緒にいるのは嫌だが、側から見てる分には楽しめるタイプの人間だ。

 

ハリーと顔を見合わせて苦笑していると……おやおや、またしてもご来客らしい。ドアがノックされた直後に、返事も聞かずに開かれた。

 

「やあ、君たちは……間違えたよ、失礼する。」

 

洋装店で見た青白い顔の少年だ。私の顔を認めると慌てて引き返そうとするが……腕を掴んでコンパートメントへと引っ張り込む。逃げる者を追いたくなるのは吸血鬼の本能なのだ。今決めた。

 

「いやぁ、ゆっくりしていったらどうだい? あの時は結局自己紹介も出来なかったじゃないか。」

 

「いや、その、結構だ。コンパートメントを間違えたんだよ。離してくれ。」

 

ぐいぐい腕を引きながら逃げようとするが、折角向こうから来てくれたのだ。歓迎せねばなるまい。

 

「私はアンネリーゼ・バートリだ。……ほら、礼儀も知らないのかい? 返礼してくれよ。」

 

なおも逃げようと足掻いていた少年だったが、ついて来たはずの大柄な二人が姿を消しているのを確認すると、諦めたかのように口を開いた。

 

「……ドラコ・マルフォイだ。」

 

「おっと、マルフォイ、マルフォイか。ルシウス・マルフォイの息子というわけだ。どうやらキミは父には似なかったようだね? キミの父は逃げるのが上手かったらしいじゃないか。」

 

レミリアから聞いている名の一つだ。証拠不十分で逃げ切った『絶対死喰い人なヤツ』の一人。つまりは敵だ。ニヤニヤ笑いながら言ってやると、マルフォイは顔を青くしながらも反論してきた。

 

「父上への侮辱はやめてもらおうか。マルフォイ家は由緒ある純血の家系だぞ。」

 

「由緒ある、ねえ。バートリに比べたら塵芥だと思うよ? しかし……純血主義なのかい? 実にヴォルデモート的な考え方じゃないか。」

 

「お前、あの方の……闇の帝王の名前を言った。」

 

リドルの『芸名』を聞いたマルフォイは蒼白になって呆然としている。ふむ、怒りじゃなくて恐怖か。熱心な支持者というわけでもないらしい。

 

「闇の帝王? ふむ、些か誇張が過ぎるね。彼も迷惑がってるんじゃないかな?」

 

「しっ、失礼する!」

 

肩を竦めながら言ってやると、今度こそマルフォイはコンパートメントからの逃走を見事に決めた。オモチャがなくなってしまったらしい。つまらん。

 

まあ、別に本気でやり合おうという気など欠片もない。十一歳のガキにムキになるほうがどうかしている。だからまあ、精々オモチャにして遊ぶ程度だ。

 

残念そうに席に座り直す私を見て、ヴォルデモートの名前で固まっていたはずのロンが話しかけてきた。

 

「マルフォイ家はパパも悪い魔法使いの家だって良く言ってる。だから、いい気味だよ。いい気味だけど……あー、リーゼは結構キツい性格みたいだね。」

 

失礼なことを言うロンに睨みを利かせ、再び新聞を手にして読み始める。そろそろ静かに読ませてもらいたいもんだ。

 

アンネリーゼ・バートリのささやかな望みは、車内販売のノックの音で泡へと消えていくのだった。

 



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ホグワーツ魔法魔術学校

 

 

「バートリ・アンネリーゼ!」

 

マクゴナガルが私を呼ぶ声を聞きながら、アンネリーゼ・バートリは教員席に座るボケ老人を睨みつけていた。

 

ホグワーツ特急を降り、小舟に乗って湖を渡るとかいう忌々しい儀式をさせられた後、新入生たちはようやくホグワーツへとたどり着いた。フランは境界を弄られてたから平気だったかもしれないが、湖を渡るというのは吸血鬼にとっては拷問だぞ。

 

その他の道中はまあ、大したことはなかった。精々ハグリッドが終始私に対してオドオドしていたくらいだ。対するマクゴナガルが堂々と生徒扱いしているのを見るに、今後も彼には期待しないほうが良いだろう。

 

そしてそのまま、結局なんの知らせもない状態で組み分けの時間を迎えてしまったのだ。本当に対処してあるんだろうな、ジジイ。

 

声に従って組み分け帽子が置かれている椅子へと歩み出る。新入生たちの列から抜けてよく見えるようになると、私の翼を見た在校生たちから微かな騒めきが生じるが……んん? ハッフルパフのテーブルだけは何故か黄色い歓声を送ってきた。吸血鬼に歓声か。いよいよ訳が分からんぞ。

 

ニコニコ笑っているダンブルドアを睨みつけながらも、小さな木の椅子に座ってツギハギだらけの帽子を被る。するとアリスやフランが言っていたように、頭の中に微かな声が響いてきた。ちなみにパチュリーはそうなる間も無くレイブンクローに決まったらしい。そりゃそうだ。

 

『おや、おや。君は吸血鬼だね?』

 

如何にも、その通りだ。ダンブルドアから話は通っているんだろうな?

 

『フム。君はグリフィンドールへと組み分けしろとのことだが……。』

 

ちゃんと対処していたらしい。痴呆老人になっていないようで何よりだ。これでレミリアは魔法界の老人ホームを探さなくて良くなった。

 

『しかしながら、キミはスリザリンに向いていると思うよ? 類稀な狡猾さ。目的のためなら手段を選ばず、何より身内を重んじる。実にスリザリン向きの素質だ。』

 

そいつはどうも。……だが、余計なことはするなよ? 帽子。私はここに生徒としてやって来たわけじゃない。ふざけたことをしたらお前を引き裂いてやるからな。この先もバカバカしい歌を歌いたいなら、グリフィンドールと叫ぶんだ。

 

『なんとも、何処かで聞いたようなセリフだね。吸血鬼というのは短気でいけない。……フム、本当にグリフィンドールでいいんだね? スリザリンならば君は偉大な人物になれるかもしれないよ?』

 

どれだけ短気かを教えてやろうか? ここには偉大な人物になりにきたわけでも、友達ごっこをしにきた訳でもないんだ。『仕事』をしにきただけなんだよ。だからさっさと終わらせてくれ。

 

『実に不本意だが……仕方がない──』

 

「グリフィンドール!」

 

帽子の声に、グリフィンドールのテーブルから歓声が沸き起こる。最初からそうすればいいんだ。帽子を椅子に投げ捨てて、鼻を鳴らしてからゆっくりとグリフィンドールのテーブルへと歩き出した。

 

向かう先のグリフィンドールのテーブルでは、絶対にウィーズリーだと一目でわかる赤毛の双子が騒いでいる。『吸血鬼を取ったぞ!』か。何がそんなに嬉しいんだ。

 

逆に隣のハッフルパフのテーブルでは、何故か生徒たちが落ち込んでいるのが見える。……まさかフランが関係してはいないよな? あの子が卒業したのはだいぶ前だぞ。

 

内心の疑問に顔を引きつらせながらもグリフィンドールのテーブルへと到着すると、在校生たちが歓迎の言葉を放ってきた。

 

「ようこそ、グリフィンドールへ!」

 

「ああ、この寮に選ばれて光栄だよ。」

 

上級生からの挨拶に作り笑顔で返しつつも、新入生用に空いてる席に着いて組み分けを見守る。帽子の話から考えるに、ダンブルドアはハリーがグリフィンドールだと確信しているらしいが……大丈夫なんだろうな?

 

数人の組み分けが終わり、グリフィンドールへと分けられた新入生を適当に拍手して迎えていると……おっと、グレンジャーだ。

 

「グレンジャー・ハーマイオニー!」

 

マクゴナガルの呼びかけに意気揚々と応えた彼女は、待ち切れないとばかりに帽子を被る。僅かに時間がかかった後で……帽子は高らかに叫びを放った。

 

「グリフィンドール!」

 

ふむ? レイブンクローだと思ったんだが、グリフィンドールか。おっと、組み分け待ちの列の中でロンが嫌そうに呻いている。ご愁傷様。彼のグレンジャーに対する苦手意識は、思ったよりも強いらしい。

 

グレンジャーは上級生たちにニコニコと挨拶を返しながら、私の隣に座り込んだ。

 

「アンネリーゼ! よろしくね!」

 

「ああ、よろしく、グレンジャー。」

 

「ハーマイオニーでいいわよ。これからは同じ寮の一員なんだから。」

 

「そりゃあ嬉しい提案だね。」

 

適当に答えると、ハーマイオニーは堰を切ったように組み分け帽子がレイブンクローと悩んだという話をし始めるが……それよりハリーだ。適当に聞き流しながら彼が呼ばれるのを待つ。

 

その後はしばらくどうでもいい組み分けが続いたが、やがて知っている名前がマクゴナガルの口から飛び出してきた。

 

「ロングボトム・ネビル!」

 

おや、ロングボトムの息子だ。何というか……リドルがこっちを選ばなくてよかったな。オドオドとした雰囲気はなんとも頼りないし、一見しただけでダメそうな匂いがプンプンする。

 

「グリフィンドール!」

 

ハーマイオニーよりも更に時間をかけた組み分けは、結局グリフィンドールへと決まった。あの帽子、ひょっとして迷ったらグリフィンドールにしてないか? ……怪しいもんだな。

 

何にせよ、手紙でフランやアリスに教えてやろう。赤ん坊の頃を知っている彼女たちにとっては、ロングボトムの成長は嬉しかろう。

 

二人の喜ぶ顔を想像しながらその時を待っていると……呼ばれた。ついにハリーの番だ。

 

「ポッター・ハリー!」

 

生き残った男の子の名前にざわめく大広間を余所に、グリフィンドールと叫べと帽子を睨みつける。他寮だと酷く面倒なことになるぞ。組み分けの結果を待って沈黙に包まれた大広間だったが……あまりに長いそれを見て、徐々にざわめきが広がっていく。ロングボトムよりも更に長いな。

 

隣のハーマイオニーがそれを興味深そうに眺めながら、顔を寄せて囁いてきた。

 

「ハットストールだわ。組み分け困難者なのよ。」

 

「賭けてもいいぞ、こうなったらグリフィンドールだ。キミも、ロングボトムもそうだったろう?」

 

ハーマイオニーの解説に肩を竦めて返すと、ようやく帽子の叫びが大広間に木霊した。

 

「グリフィンドール!」

 

よしよし、それでいいんだ。ちょっとだけ気持ちを込めた拍手を送りながら、ハリーをテーブルへと迎え入れる。上級生に揉みくちゃにされながらも、ハリーは私の方へと向かってきてハーマイオニーとは逆側へと座り込んだ。

 

「リーゼ! よかったよ。その、一緒の寮で。」

 

「私も実に安心したよ。随分と時間がかかったじゃないか。」

 

私の言葉に少し顔を曇らせたハリーは、周りに聞こえないように小声になって囁いてきた。

 

「実は……その、帽子がスリザリンと迷ってたんだよ。これって言わない方がいいよね?」

 

「奇遇だね。私もしつこくスリザリンを勧められたよ。言わない方がいいだろうが……まあ、気にすることはないさ。あの帽子はちょっとおかしくなってるんだよ。」

 

スリザリンだと? 内心では結構驚いたが、なんでもないように慰めてやれば、ハリーはホッと息を吐いて笑顔になった。お仲間を見つけて安心したらしい。

 

しかし……ハリー・ポッターがスリザリン? 実際おかしくなってるんじゃないだろうな? 後でダンブルドアにクレームを入れるべきかもしれない。もしくはゴドリック・グリフィンドールの墓に石でも投げつけてみるか?

 

その後はロンが当然のようにグリフィンドールに組み分けされたくらいで、特筆すべきこともなく組み分けは終わった。マクゴナガルが教員席へと下がっていくのと同時に、ダンブルドアが立ち上がって大広間へと響き渡る大声を放つ。

 

「おめでとう、新入生たち! 歓迎会を始める前に、二言、三言、言わせていただきたい。では……いきますぞ? そーれ、わっしょい、こらしょい、どっこらしょい! 以上!」

 

ダンブルドアの独特なユーモア溢れる挨拶……つまりはボケ老人もかくやというたわ言の後、テーブルの上に大量の食事が現れた。当然ながら人肉ステーキは置いてない。非常に残念だ。

 

ミネストローネと……パンでいいか。適当に口に運びながら咲夜の料理を懐かしんでいると、コーンスープを口に運んでいたハーマイオニーが話しかけてくる。ちなみに、逆隣のハリーは首の取れかかったゴーストに絡まれているようだ。ゴーストと一緒の食卓か。愉快な城だな、まったく。

 

「ねえ、アンネリーゼ? 貴女はどのくらい予習したの? 私、教科書は何度も読み返したんだけど……心配だわ。上手くできるかしら?」

 

「私は、あー……そう、家庭教師から色々と習ったから、さほど心配はしていないかな。」

 

今思いついた設定だが……ふむ、中々の妙案じゃないか。わざわざ出来ないフリをするのも嫌だし、誇らしげにするのは恥ずかしい。どうせご令嬢設定でいくのだから、家庭教師くらい珍しくもないだろう。

 

私の返答を受けたハーマイオニーは、手に持っていたスプーンを取り落としながら絶望の表情を浮かべる。『明日この世は終わりますよ』と言われたような表情だ。

 

「そんな……それって魔法界じゃ普通のことなの? どうしよう。私、落ちこぼれになっちゃうわ!」

 

「いやいや。あまり聞かない話だし、そこまでショックを受ける必要はないさ。入学前からキミほど勉強しているヤツはそういないと思うよ。」

 

「そうかしら? でも、少しはいるのよね? ……もっと勉強しないといけないわね。」

 

うーむ、実に面白い反応だ。これまで接したことのないタイプである。

 

パチュリーもアリスも『天才』と言って問題ないレベルの才能があったし、勉強に苦労していたような印象はない。……まあ、アリスは魔法薬学だけは苦手だったが。

 

フランはそもそも杖魔法にあまり興味がなかったし、身の回りで努力型なのは……強いて言えばレミリアあたりか? あとはまあ、咲夜もそうかもしれない。学習速度から見るに、彼女もいわゆる天才なのかもしれないが。

 

ブツブツと呪文を呟きながら復習しているハーマイオニーを横目に、パンをミネストローネに浸していると……ん? 教員席のほうから誰かが私を見つめている。

 

感じた視線を辿ってみれば……いつかのターバン野郎じゃないか。私がジロリと睨み返してみると、途端に目を背けて俯きだした。何なんだ、一体。首を傾げていると、向かいに座っている赤毛の真面目そうなメガネが説明してくれる。こいつも絶対にウィーズリーだ。

 

「ん? ああ、クィレル先生だよ。防衛術の先生なんだけど……その、吸血鬼が苦手らしいんだ。どこかの森で襲われたみたいでね。」

 

「それはまた、今のイギリスじゃ珍しいね。」

 

「間違いなく『翼なし』の方だろうけどね。まあ、それでも怖いものは怖いらしいよ。……うーん、君とはあまり相性が良くないかもしれないね。」

 

なんとも個性的な教師ではないか。赤毛に礼を言ってから食事に戻る。どうやら防衛術の教師の質はヴェイユ以降下がり続けているらしい。アリスが聞いたら悲しみそうな話だ。

 

その後も適当な雑談をしながら食事を続けていたが、全員の食事が終わったあたりを見計らって再びダンブルドアが立ち上がって声を響かせた。

 

「さて、大いに食べ、飲んだことじゃろう。ベッドに向かう前にほんの少しだけ話を聞いておくれ。まずは……構内の森へは立ち入り禁止じゃ。何人かの生徒には特に注意しておこう。」

 

ダンブルドアは明らかにウィーズリーの双子を見ているが、当の本人たちは知らん顔だ。中々にいい性格をしているじゃないか。

 

ほんの少しだけ苦笑しながらも、ダンブルドアは話を続ける。

 

「それと、廊下での魔法は原則禁止じゃ。詳しい禁止事項に関しては、管理人室の前の掲示板に貼り出されておる。あとは……そうそう、今学期のクィディッチ予選は二週目に開催される。寮のチームに参加したい者は、フーチ先生に連絡するように。」

 

ダンブルドアはそこで一度言葉を切って、僅かに声を潜めてから続きを話す。

 

「最後に……とても痛い死に方をしたくない生徒は、決して四階の右側の廊下には入らないように。」

 

少数の笑い声が聞こえるが、双子を除けばほとんどが新入生の笑い声だ。魔法使いの死因のトップは好奇心。ホグワーツではその常識をきちんと教えているらしい。これならそうそう突っ込んでいく生徒はいないだろう。

 

「真面目に言ってるんじゃないよね?」

 

「大真面目だと思うね、私は。」

 

囁いてきた隣のハリーにそう返すと、彼の顔が引きつった。頼むからやめてくれよ、ハリー。キミはリドルを殺す大事な武器なんだ。三頭犬のエサじゃない。

 

その後は校歌斉唱の時間となった。ダンブルドアが魔法で浮かべた歌詞を見て絶対に歌わないことを決めた私は、着席したまま口を閉じて抗議の意を示す。悪しき伝統は止めるべきなのだ。

 

残念ながら他には立ち向かう者はいなかったようで、双子のひときわ遅い歌い終わりをもって生徒たちは寮へと戻ることになった。

 

監督生とやらだった赤毛メガネに続いて大広間を出ると、廊下を歩きながらハーマイオニーが小声で話しかけてきた。

 

「ねえ、アンネリーゼ? あんまり、その……派手にやらないほうがいいと思うわよ? 黒髪の先生が貴女を睨んでいたわ。」

 

「あの校歌に眉をひそめなかった者だけが、私に石を投げる権利があるのさ。それに……スネイプは私じゃなくて、隣のハリーを睨んでいたんだと思うよ。」

 

まあ、フランの話を聞く限りでは、そうするだけの理由はあるのだろう。なんとも難儀な状況に陥っている男だ。別に同情したりはしないが。

 

私の言葉を聞いて質問を返そうとしたハーマイオニーだったが、頭上から響いてきた大声でそれを遮られる。おや、レミリアが忌み嫌っているポルターガイストじゃないか。彼女は以前からかわれたことを未だに根に持っているのだ。以前というか……五十年前の話だが。

 

赤毛メガネと言い争いを始めたポルターガイストを見ていると、横でロンと話していたハリーが誰ともなしに呟いた。

 

「どうしてあんな事をするんだろう?」

 

実に哲学的な疑問だな。それは鳥が何故飛ぶかとか、魚が何故泳ぐかに近い疑問だ。思わず苦笑を浮かべながら、ネビルから杖をぶん盗ったポルターガイストを指差して口を開く。

 

「ポルターガイストってのは本質的に騒がしいものなのさ。まあ、私の知っている連中はもっと品があったけどね。実に素晴らしい演奏家だったよ。」

 

昔父上に連れて行ってもらったコンサートでは、不覚にも心を揺さぶられたものだ。後にも先にも、音楽に感動したのはあの時だけだった。……ふむ、あのポルターガイストたちはまだコンサートを開いているのだろうか? 今度咲夜を連れて行ってみようかな。

 

私がその場所を思い出している間にも、どうやら赤毛メガネはポルターガイストを追い払うことに成功したらしい。つまり、監督生というのは対ポルターガイストに関してはレミリアに勝るわけだ。我が幼馴染ながら情けないぞ、レミィ。

 

そのまま動く階段とかいう面倒くさい仕掛けを抜け、肖像画が喧しい長い廊下を突破したところで……やっとか。一行はようやく目的地であるらしい、些かふくよかすぎる女性の肖像画の前にたどり着いた。

 

「ここがグリフィンドール寮への入り口だ! 合言葉が必要だから、決して忘れないように! 閉め出されると悲惨だぞ! 今週の合言葉は『カプート・ドラコニス』だ!」

 

赤毛メガネの声に、新入生たちが真剣な顔で頷く。なんとも奇妙な仕掛けだが、いちいち問題を出されたりするよりかはマシだろう。レイブンクローじゃなくてよかった。

 

結構趣味のいい談話室を通り抜け、すぐさま女子寮の部屋へと向かう。監督生が何か説明しているが、まずは部屋の確認だ。部屋は……四人部屋か。あまり他人に寝顔を見られるのは好きではないのだが……。

 

何にせよ確認は終わった。憂鬱な気分になりつつも談話室へと引き返すと、そこにまだ残っていたハリーが話しかけてきた。

 

「あれ、リーゼ? 寝ちゃったのかと思ってたよ。」

 

「部屋を確認してきただけだよ。ロンは?」

 

「もう寝るんだってさ。僕も今日は疲れたよ。それじゃあ……おやすみ、リーゼ。」

 

「ああ、おやすみ、ハリー。良い夢を。」

 

目をトロンとさせているハリーに挨拶を返して出口へと向かうと……今度はハーマイオニーから待ったがかかった。

 

「アンネリーゼ? もう寝るんじゃないの?」

 

「用事があってね。少し出てくるよ。」

 

「ダメよ。夜間の出歩きは禁止されてるのよ? 貴女がさっさと部屋に歩いて行っちゃった後に、監督生の人が言ってたわ。」

 

「その監督生はご存じないらしいが、吸血鬼は特例として許されているんだ。そも夜行性の種族だからね。月光を浴びたりしないとキツいのさ。」

 

実際は別にそんなことないが、特例として許されているのは本当だ。フランに適用された規則は今でもまだ残っているのである。

 

「そ、そうなの? ……まあ、そういうことなら仕方ないわよね。それじゃあ、私は先に寝るわ。おやすみ、アンネリーゼ。」

 

「おやすみ、ハーマイオニー。」

 

首を傾げながら言うハーマイオニーに返事を返して、談話室を出て歩き出す。別段目的地はないが、これから過ごす場所なら探索しておくべきだろう。

 

これからの『楽しい学生生活』を今だけは考えないようにしながら、アンネリーゼ・バートリは薄暗いホグワーツの廊下を歩き出すのだった。

 



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魔法薬学の教師

 

 

「素晴らしい! グリフィンドールに一点をあげましょう!」

 

死にたい。フリットウィックの拍手を聞きながら、アンネリーゼ・バートリは顔を真っ赤にして俯いていた。

 

ルーモスとノックスを成功させただけでこれだ。初めて挑んで成功させたハーマイオニーが誇らしげなのは微笑ましいが、『新入生のリーゼちゃん』が褒められるとなれば話は別である。恥ずかしい。恥ずかしすぎて頭がどうにかなりそうだ。

 

「さすがね、アンネリーゼ!」

 

ペアを組んだハーマイオニーがハイタッチを求めるのに、力なく応じてぺちりと鳴らす。これを七年間? 地獄だ。想像よりもはるかに深い地獄だ。

 

私はこれほどまでの罪を犯しただろうか? ……まあ、犯したか。犯しまくってるな。内心で生まれて初めての懺悔をしていると、フリットウィックの声でようやく授業が終わりを告げた。

 

「それでは、今日はここまで!」

 

ため息を吐いてから、次の授業へと向かうために立ち上がる。先日行われた変身術はまだマシだった。マクゴナガルは事情を知っているし、当然褒め称えて加点などしてこない。

 

薬草学もさほど辛くはない。そもそも土弄りなどしたことがないので、自然な状態で授業を受けられるのだ。そして魔法史のビンズはそもそも生徒に関心がない。ハリーはつまらないと思っているようだが、私にとっては心休まる時間の一つだ。

 

最悪なのが天文学と防衛術である。天文学のシニストラはどうやらフランのイメージに引きずられているらしく、私が何を言っても猫可愛がりをやめないのだ。事ある毎に膝の上に乗せようとしてくるし、幼児でも分かるような問題に答えただけで有り得ないくらい褒めてくる。お陰で私は天文台から飛び降りようかと真剣に悩む羽目になった。

 

防衛術のクィレルはその逆だ。私が小指を動かしただけでも怯えた声を出す始末で、授業の際は部屋の隅っこから動こうとしない。常に私の一挙手一投足に反応していて授業にならないのだ。あの調子じゃまともな授業が受けられる日は絶対に来ないぞ。

 

何にせよ、次の授業は魔法薬学だ。スネイプは私のことを知っているし、マクゴナガルと同じような反応になるだろう。……そうなって欲しい。

 

考えながら廊下を歩いていると、ハリーが後ろから声をかけてきた。隣にはすっかり仲良しになったロンの姿も見える。ちなみにハーマイオニーは誰よりも早く教室へと向かっていった。

 

「リーゼ、次は何の授業だっけ?」

 

「スリザリンと一緒に魔法薬学だよ。好みが分かれる授業らしいね。」

 

私の返答に、ロンが嫌そうな顔をして口を開いた。

 

「スネイプの授業だ。パーシーの言うことが確かなら、とびっきりのスリザリン贔屓だって話だぜ。」

 

「僕も……あの先生は苦手だな。その、何となくだけど。」

 

ハリーもお嫌いのようだし、スネイプはグリフィンドールに嫌われる星の下にでも生まれたのか? 無愛想な陰気男に多少の憐憫を送りつつ、憂鬱そうな二人に声をかける。

 

「まあ、初めての授業なんだ。そう酷いことにはならないだろうさ。」

 

適当に言い放って、三人で地下通路へと歩き出す。スネイプだって初回からフルスロットルではこないだろう。大した事態にはならないはずだ。

 

───

 

「さよう。ハリー・ポッター。我らの新しい……スターだね。」

 

どうやら前言を撤回する必要があるらしい。授業が始まった瞬間に軽いジャブを放ったスネイプは、魔法薬学がどんなに素晴らしい学問かの大演説を終わらせた後、ハリーへと集中口撃を繰り出した。

 

「ポッター! アスフォデルの球根の粉末に、ニガヨモギを煎じたものを加えると何になるか?」

 

意味不明だ。ハリーは隣に座っている私とロンを交互に見て、二人とも白旗を上げていることを確かめると、震えた声で答えを返した。

 

「……わかりません。」

 

「なるほど? 有名なだけではどうにもならんらしい。」

 

そんなもん分かるヤツが……いるな。ハーマイオニーが高らかに手を上げている。残念ながらスネイプの視界には彼女が映っていないらしく、再びハリーに向かって質問を放った。

 

「ポッター、もう一つ聞こう。ベゾアール石を見つけてこいと言われたら、どこを探すかね?」

 

べぞ……何? 再び意味不明だ。ハーマイオニーは関節がどうにかなりそうなほどに手を上げている。ハリーはそちらに目を向けた後、スネイプにアイコンタクトが通じないことを理解したようで、蒼白になりながら返答をした。

 

「わかりません。」

 

「クラスに来る前に教科書を開いて見ようと思わなかったわけだな? ポッター。」

 

いやはや、中々に見所のある光景じゃないか。マルフォイは笑いすぎて死にそうになっているし、ハーマイオニーは腕を上げすぎて指先の血行が悪くなっている。ロンは手助けをしようと必死に教科書を捲り、ハリーはスネイプを睨みつけたままで震えている。

 

喜劇なら及第点かもしれないが、授業としては微妙なところだ。……おいおい、スネイプは未だ満足していないのか? 既に死に体のハリーへと追撃を放ってきた。

 

「ポッター、モンクスフードとウルフスベーンとの違いはなんだね?」

 

ハーマイオニーがとうとう立ち上がって、天井に届かんばかりに手を伸ばす。ちょっとこいつが好きになってきたぞ。そのままふわりと浮いてくれれば完璧だ。

 

とはいえ、さすがの私もうんざりしてきた。別に授業がどれだけ遅れようが知ったところではないが、このまま延々と喜劇を観ている気分じゃないのだ。ぷるぷる震えるハリーが口を開く前に、ニヤニヤ顔でスネイプへと言い放つ。

 

「ハーマイオニーが知っているようだよ? 聞いてみたらどうだい、スニベリー?」

 

聞いた瞬間、スネイプの顔が土気色に変わった。油の切れたカラクリ人形のような動きで首を回し、もはやハリーなど目に入らないと言わんばかりにこちらを睨みつけてくる。おお、怖い。しかし、吸血鬼に向かってそんな目をすべきじゃないな。余計に悪戯をされることになるぞ。

 

「自分がやられて嫌だったことを他人にすべきではないね。そう思わないかい? スニ──」

 

「黙れ、バートリ。」

 

私の言葉を遮ったスネイプは……んふふ、今にも死の呪文を撃ってきそうな表情じゃないか。フランの『思い出話』を聞いた甲斐があるってもんだ。

 

「では授業を続けたまえよ。キミが良い教師でいる限りは、私も良い生徒でいようじゃないか。」

 

「……結構。」

 

人を殺せそうな眼光に肩を竦めて返すと、スネイプは黒板に今日の授業内容を出現させてから説明を始めた。

 

「今日は簡単なおできを治す薬を調合してもらおう。材料、手順はここに全て書かれている。ペアを作って正確に行うように。……どうした? 急げ!」

 

怒声に飛び上がってペアを組み始めた生徒たちを尻目に、ハーマイオニーの方へと歩き出す。彼女なら喜んで全部やってくれるだろう。間違いなく私は楽をできるはずだ。

 

私の『度胸試し』にちょっとだけ引き気味なハーマイオニーの調合準備を眺めていると、ハリーが近付いてきて話しかけてきた。

 

「リーゼ、ありがとう。助かったよ。」

 

「構わないよ。いい大人が一年生をいじめてるってのは……まあ、些か以上に虚しい光景だったしね。」

 

「でも……スニベリーって? それに、リーゼは大丈夫なの? 目をつけられたんじゃ……。」

 

「私は問題ないさ。それより……その単語をスネイプの前では言わないようにしたほうがいいね。キミの場合は殺されかねないよ?」

 

今日の態度を見る限りでは、磔の呪いくらいなら使いそうだ。私の言葉に顔を青くしたハリーは、コクコク頷いてロンの元へと帰っていった。

 

「もう! アンネリーゼ、ちょっとは手伝ってくれない? それを3ミリ幅に刻んで頂戴。」

 

おっと、楽はできないらしい。頰を膨らませるハーマイオニーに苦笑しつつ、ナイフを片手に刻み始める。

 

こうしていると……パチュリーとトランクの中で行った調合を思い出すな。あの頃に比べると、実に賑やかな暮らしになった。一日の長さが段違いだ。

 

騒がしくなってしまった我が家を想いながら、思わず微笑を浮かべて干イラクサを刻み終える。

 

「ほら、終わったよ。」

 

「へ? ……完璧ね。随分と慣れてるみたいじゃない。これも家庭教師に教わったの?」

 

「まあ、なんだ、昔取った杵柄ってやつだよ。」

 

「ふーん?」

 

意外なところで意外な技術が役に立つもんだ。少なくとも今回の材料は走って逃げたりしないし、こちらを食い殺そうと襲ってきたりもしない。賢者の石製作に比べれば実に楽な作業だ。

 

適当に手伝いながらも調合を進めていると、スネイプが生徒たちを睨め付けながらウロウロし始めた。獲物を探す狼のような動きだ。緊張させるだけだと思うんだが……。

 

片っ端から注意を投げかけているスネイプだったが、お気に入りらしいマルフォイには何も言わず、私とハーマイオニーには寄り付きもしない。どうやら彼は、私に対しては積極的な無視へと舵を切ったらしい。

 

まあ、文句はない。私は楽だし、集中を乱されないハーマイオニーは自分の調合が上手くいく度に嬉しそうだ。スネイプもイライラしないで済むし、これぞ三方一両得である。

 

「あぁっ!」

 

しかし、この教室内の幸運の総数は決まっていたらしい。そして割りを食ったのはロングボトムのようだ。悲鳴の方へと目を向けてみれば、ロングボトムのいた場所が緑の煙に包まれていた。

 

「おっと、ハーマイオニー、椅子に上がった方が良さそうだよ。」

 

「へ? 何が……そのようね。」

 

煙の発生源らしき液体が、教室の石畳を伝って足元に流れてくる。私とハーマイオニーは距離があったため避難が間に合ったが、何人かの生徒が靴をダメにしたようだ。

 

「バカ者!」

 

普通に焦っている感じなスネイプの慌てた声と共に、彼の魔法で事態が収束していく。下手人であるロングボトムは……ふむ、真っ赤なおできが身体中を覆っている。新種の妖怪のような見た目だ。

 

スネイプは妖怪おでき少年になったロングボトムのことを目を細めて観察した後、素早く原因を導き出す。

 

「大方、鍋を火から降ろさないうちに山嵐の針を入れたんだろう?」

 

それだけでこれか。成る程アリスが嫌うだけのことはある。実に理不尽な学問だ。

 

「医務室へ連れて行け。」

 

シクシク泣いているロングボトムをペアの……というか、被害者のシェーマス・フィネガンに任せると、スネイプは全く関係の無いハリーに冷たい声で言い放つ。

 

「ポッター! 何故針を入れてはいけないと教えなかった? 彼が間違えれば自分の方がよく見えるとでも思ったか? グリフィンドールから一点減点。」

 

悲しいかな、息子ほどの年齢のガキへと八つ当たりをしているらしい。ジェームズ・ポッターへの憎しみは想像よりも深いようだ。

 

「液体のかかった者は名乗り出るように! 解毒薬を処方してやろう。他のものも調合に戻りたまえ! 授業終了時までに提出できなければ、課題をやってきてもらうことになる。」

 

ロングボトムに気を取られていたハーマイオニーが急いで薬へと向き直った。他の生徒たちも課題は嫌なようで、慌てて薬を調合していく。

 

───

 

それから一時間ほどで授業は終わった。かなり余裕を持って完成させた私たち……というかハーマイオニーはともかくとして、他のグリフィンドール生にとっては楽しい授業ではなかったらしい。まあ、一部を除くスリザリン生にとってもだ。大半が課題をやる羽目になってしまったのだから。

 

ちなみにハリーとロンのペアは、残念ながら完成直前でスネイプに薬を消されてしまった。課題の内容をメモした後、ハリーは意気消沈した様子で私に向かって話しかけてくる。

 

「ねえ、リーゼ? 授業の前にハグリッドからお茶の誘いがあったんだ。リーゼも一緒に行かない?」

 

「あー、申し訳ないが遠慮しておこう。ちょっと用事があるんだ。ハグリッドにはよろしく伝えておいてくれ。」

 

「そう? 残念だな。……それじゃあ、ロンと一緒に行ってくるよ。」

 

「ああ。」

 

昼食に誘うハーマイオニーにも同様の返事をした後で、椅子に座ったまま教室から生徒がいなくなるのを待つ。最後にスリザリン生が出て行ったのを確認してから、片付けをしているスネイプに向けて声を放った。

 

「少々大人気ないんじゃないか? 十一歳のガキだよ、彼は。」

 

スネイプは片付けを進めたまま、背中越しに返事を返してくる。

 

「理由はご存知でしょう? バートリ女史。貴女は私の学生時代をよくご存知のようだ。」

 

その通り、よく知っている。夏休みやクリスマス、紅魔館に帰ってきたフランは楽しそうに学校生活のことを話してくれたものだ。あの頃の彼女の笑顔がどうにも懐かしく思えてしまう。

 

変わってしまった妹分にほんの少しの寂寥を感じながらも、未だ背中を向けるスネイプへと言葉を投げた。

 

「あの頃のフランは学校であったことを嬉しそうに話してくれていたからね。キミとジェームズ・ポッターの『確執』についても聞いているのさ。」

 

「それなら尚更お分かりのはずだ。そもそも、貴女にとやかく言われることではありませんな。これは私の授業で、私の問題です。」

 

「見るに耐えないと言っているんだよ。……そんなにジェームズ・ポッターが憎いのかい?」

 

私の質問にピタリと動きを止めたスネイプは、やがてゆっくりと振り向きながら答えを返してくる。

 

「憎いです。できればこの手で殺したかった。」

 

私を真っ直ぐに見つめるその瞳には、確かな憎悪が渦巻いていた。いやはや、思った以上に真っ直ぐな感情だ。かなり根深い問題らしい。

 

思わず浮かびそうになる苦笑を抑えながら、はっきりとスネイプの目を見て口を開く。

 

「だが、あれはハリーだ。」

 

「分かっていますよ。父親そっくりの顔に、リリーの瞳。だからこそ……だからこそ、許せないのです。」

 

「なんとも迷惑な話だろうね。身に覚えのない話で責められるだなんて。」

 

「八つ当たりであることは重々承知しております。それでも、放っておいていただきたい。任務に支障はきたしません。」

 

ダメだな。自分でもどうにもならない問題らしい。本人が気づいているかは知らないが、今のスネイプの顔は苦悩に染まっている。

 

ため息を吐いて立ち上がり、教科書を片付けながら言葉を投げかける。

 

「そういえば、フランからの伝言だよ。『忘れるな』だそうだ。」

 

この男が予言をリドルに伝えた元死喰い人なのだ。そしてその標的がリリー・ポッターであることを知ると、スパイとして騎士団のために戦うことを決めた。

 

リリー・ポッターのためにリドルを裏切り、結局は守ることのできなかった男。そして、今度は憎い男と想い人との間にできた息子を守ろうとしている。なんともまあ、悲劇的なことじゃないか。なかなかに壮絶なストーリーだ。

 

フランの伝言を聞いたスネイプは、一瞬だけ顔を歪ませた後で、決意の滲む表情に変わって口を開いた。

 

「スカーレットに伝えてください。私は自分の罪を忘れてはいないと。そして……今度は間違えないと。」

 

「分かった。」

 

短く返してドアへと歩き出すと、背後からスネイプの声が待ったをかける。

 

「……それと、すまなかったと伝えていただきたい。」

 

「それは自分で言いたまえ。それが筋というものだろう?」

 

「……その通りですな。余計なことを言いました、忘れてください。」

 

今度こそドアの外へと歩き出す。因果なもんだ。レミリアの言う『絡み合う運命』というのが、少しだけ理解できた気がする。

 

薄暗い地下通路を歩きながら、アンネリーゼ・バートリは小さくため息を吐くのだった。

 



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思い出せない思い出し玉

 

 

「上がれ。」

 

ホグワーツの飛行訓練場で、アンネリーゼ・バートリは忌々しい棒切れにブチ切れる寸前だった。

 

「上がれ!」

 

飛行術の最初の授業である。まずは地面に転がっている箒を手に収めるという段階なのだが、私の横に転がっている棒切れはピクリとも動こうとしない。

 

「あ、が、れ!」

 

壊れてるに違いない。ギロリと隣で一発成功させたハリーを睨みつけ、顎をしゃくって私の箒で試させてみると……何故だ。ハリーの場合は一発で浮かび上がった。

 

やってしまったという顔になったハリーが、箒を地面に戻しながら恐る恐る聞いてくる。

 

「あー……その、リーゼ? 怒ってるのかい?」

 

「怒る? 私がかい? そんな訳がないだろう。こんな下らないことで……上がれ!」

 

再び地面に置かれたそれが微動だにしないのを見て、ハリーが物凄く気まずそうな顔になった。面白いじゃないか、棒切れ。このアンネリーゼ・バートリに刃向かうつもりか?

 

「次に上がらなかったら、お前をバラバラにして焚き付けに使ってやるからな? ……上がれ!」

 

動かない。私の呟きを聞いていたハリーとロンが顔を引きつらせて避難していくのを横目に、忌々しい棒切れに然るべき処置を行うべく拾い上げる。

 

「いい度胸だ棒切れ。あの世で後悔するんだな。」

 

「バートリ! 何をしているんですか!」

 

おっと、見つかってしまったらしい。飛行術の教師が驚愕の顔で走ってきた。

 

「処罰だよ、ミス・フーチ。このクソったれの棒切れは、自分の命が惜しくないらしいからね。」

 

「気でも狂ったんですか? 箒に感情なんて……折ろうとするのをやめなさい。やめなさい!」

 

……ふん、命拾いしたな。棒切れをぶん投げると、ドン引きしているグリフィンドールとスリザリンの同級生たちに鼻をならして、訓練場の隅へと歩いて行く。

 

「何処へ行くんですか、バートリ!」

 

「私は見学していよう。なんたって自前の翼があるもんでね。その虫酸の走る棒切れに頼らなくとも、私は空は飛べるのさ。」

 

「それは……はぁ、分かりました。それでは一応見学しているように。」

 

呆れ果てたようなフーチの声を背に受けながら、草を蹴っ飛ばして日陰へと向かう。二度とやらないぞ、こんなこと。翼の偉大さを再認識した気分だ。

 

愛しい翼をパタパタさせながら、後で箒置き場に行ってあの棒切れをへし折ることを誓っていると……おっと、ロングボトムがロケットみたいに飛んで行った。

 

「あああぁぁぁ!」

 

ふむ? 叫び声を聞く限りでは、楽しくって仕方がないという感じではないな。どうも制御しきれていないようだ。

 

「アッ……。」

 

最後に墜落して儚い声を上げた彼は、どこかの骨を折ったらしい。フーチが残った生徒に決して飛ぶなと脅しつけてから、慌てて医務室へと運んでいくのが見える。そら見たことか! やっぱり箒なんてロクなもんじゃないんだ。

 

一人でうんうん頷いていると、フーチがいなくなったのを確認したマルフォイが何かを拾い上げながら声を上げる。

 

「ごらんよ! ロングボトムのバカ玉だ。あいつには、思い出し玉を思い出すための思い出し玉が必要だね。」

 

早口言葉のようなことを見事に言い切ったマルフォイは、それを周囲に見せびらかすように高く掲げた。思い出し玉? そういえば大広間でロングボトムが持っていたような気がする。

 

思い出し玉がなんなのかを思い出している私を他所に、悪役を楽しんでいるマルフォイに一人の少年が立ち塞がった。

 

「それをこっちに渡せ、マルフォイ。」

 

生き残った男の子、ハリー・ポッターである。うーむ、どうもあの二人は相性が良くないな。さほど接点はないのにも関わらず、既に犬猿の仲といったところだ。

 

「それなら取り返してみたらどうだ? ポッター。……ここまで来れればの話だけどね!」

 

言いながら空へと飛び上がっていくマルフォイに、それを追おうと箒に跨るハリーだったが……予想通りハーマイオニーが止めに入った。無理もあるまい。彼女にとって、教師の言葉とは十戒よりも重いのだから。

 

「ダメよ! フーチ先生が言ってたでしょう? 飛んだら退学よ! それに、減点されちゃうかもしれないわ。私たちみんなに迷惑がかかるのよ?」

 

至極真っ当な意見だったが、ハリーはマルフォイを追うことを選択したらしい。緊張した表情でゆっくりと浮かび上がっていく。一応杖を抜いて墜落に備えるが……ふむ、心配なさそうだ。箒飛行の才能は遺伝するのだろうか? 今度パチュリーに聞いてみよう。

 

そのまま空中で何やら言い争いをしていたハリーとマルフォイだったが、やがて焦ったような表情になったマルフォイが何を思ったのか、私が未だにどんな機能かを思い出せない思い出し玉をぶん投げた。

 

それを見たハリーが凄まじいスピードで飛んでいき……おっと、見事なダイビングヘッドキャッチを披露する。グリフィンドール生からの拍手と共に、輝く笑顔でハリーが戻ってきた。

 

「凄いぞ、ハリー! あんなの見たことないよ!」

 

ロンは両腕を千切れんばかりに振り回しながら喜んでいるが、しかし……残念ながら私には見えていた。ハリーの愉快なキャッチを目撃したのは、教員塔のマクゴナガルも同じだということを。窓の向こうに見えた彼女は、なかなかに面白い表情をしていたのだ。

 

予想通り、ほんの少しするとマクゴナガルがすっ飛んできた。彼女は大声でハリーを呼んだ後、グリフィンドール生たちの反論を適当にあしらいながらも何処かへ連れて行く。……まあ、退学はないだろう。これで退学ならフランは百回は退学になっているはずだ。

 

遠ざかるハリーとマクゴナガルをぼんやり眺めていると、ハーマイオニーが近付いていてきてぷんすか怒り始めた。

 

「いい迷惑だわ! 少しは反省すればいいのよ! でも……退学はないわよね?」

 

前半は怒っていたが、後半は心配そうだ。んふふ、不器用な子は嫌いじゃないぞ。安心させるために、肩を竦めて答えを返す。

 

「安心したまえよ。こんなくだらないことで退学になったりはしないさ。誰かが死んでたらともかく、ね。」

 

「そ、そうよね。うん……ちょっとは反省するといいけど。」

 

「まあ、実に『スリフィンドール』的な事件だったね。二寮の間じゃあ、日常茶飯事だろうよ。」

 

話している間にも、フーチが戻ってきて再開を宣言した。戻って行くハーマイオニーに手を振りながら、私は再び退屈な時間へと戻る。この授業には暇つぶしのオモチャを持ってくるべきだな。例えば……クィレルとか。

 

益体も無いことを考えながら、飛行術の時間をなんとかやり過ごすのだった。

 

───

 

「シーカー? シーカーだって? 凄いよハリー! 最年少の選手だぞ!」

 

飛行術の授業が終わり、夕食時の大広間。興奮してちょっとおかしくなっているロンを横目に、ハリーへと目線で説明を求める。どうやら彼は……シーカー? とかいうものに選ばれたらしい。ロンの反応を見る限り悪いことではなさそうだが。

 

私のアイコンタクトを汲み取ったハリーは、説明のために口を開く。

 

「クィディッチのポジションの一つだよ。あの後マクゴナガル先生にグリフィンドールのキャプテンのとこに連れて行かれて、試験をすることになったんだ。その……だから、厳密に言えばまだ決まったわけじゃないよ。」

 

「決まったようなもんさ! 君のあのキャッチには、そのくらいの価値があったんだ。ハリーがシーカーか……応援旗を作らないといけないな。」

 

ちょっとだけ自信のなさそうなハリーを余所に、ロンはもう決まったつもりでいるようだ。羊皮紙の切れ端を取り出して、応援旗のラフ画を描き始めた。

 

なんにせよ、私にはどうでもいい話だ。今日一日で箒が大っ嫌いになった私は、当然クィディッチにもシーカーとやらにも興味はない。持ち込んだ肉で作ってもらったステーキを頬張っていると、ハリーが声を潜めて話しかけてきた。

 

「ねえ、リーゼ。そういえば、キミは新聞を読んだ? グリンゴッツに侵入者があったってやつ。」

 

「ん? ああ、あったね。……それがどうかしたのかい?」

 

「あれ、僕たちがダイアゴン横丁に買い物に行った直後なんだよ。それに……侵入されたのはハグリッドが小包を取り出した金庫なんだ。」

 

どう思う? という無言の問いかけに、脳内で思考を回す。普通に喋ってしまってもいいのか? これ。

 

別にあれが賢者の石で、リドルがそれを狙っていると知ったところでどうにかなるわけでもないと思うが……その辺はレミリアとダンブルドアの担当だ。私が不用意に話すべきではないだろう。

 

「さてね? 金庫を間違えたか、はたまたハグリッドが何か重要なものを運んでいたのか、私には分からないよ。」

 

「多分、ハグリッドはホグワーツに『それ』を移したんだよ。きっと校長先生の命令だったんだ。でも、一体なんだと思う? 小さな小包だったけど……。」

 

「まあ、私たちが心配するようなことじゃないさ。そんなことより、明日の授業の心配をすべきだね。」

 

なおも気になっている様子のハリーだったが、私に話しかける前に横槍が入った。マルフォイだ。後ろにはいつものバカそうな二人を従えている。

 

マルフォイは決して私を視界に入れずに、あくまでハリーと話していますよ、という態度で口を開いた。涙ぐましい努力じゃないか。

 

「おや、ポッター? 最後の夕食を楽しんでいるところかい?」

 

「黙れ、マルフォイ。ハリーは退学になんかならないぞ。それどころか、ハリーは最年少のシーカーに選ばれたんだ! 手助け感謝するよ、青白ちゃん。」

 

ロンの説明がマルフォイは気に入らなかったらしい。憎々しげにロンを見つめた後で、ハリーに向かって言い放つ。

 

「一年生は選手になれないはずだ。卑怯だぞ、ポッター。有名人の特権というわけか?」

 

「僕は実力で選ばれたんだ、マルフォイ。君もその辺を飛び回ってみたらどうだい? あの様子じゃあ、選手なんて夢のまた夢だろうけど。」

 

ハリーもなかなかキツい台詞を吐けるじゃないか。お互いに睨み合っていたが、しばらくするとマルフォイがビシリとハリーを指差して口を開いた。

 

「決闘だ! 今日の真夜中、トロフィー室で決着をつけよう。まさか逃げたりはしないだろうな?」

 

ハリーは困惑している様子だったが、先んじて隣のロンがそれに答える。

 

「いいだろう! 介添人は僕がやる。そっちは?」

 

「……クラッブだ。逃げるなよ? ポッター、ウィーズリー。」

 

ニヤリと笑った後にスリザリンのテーブルへと戻って行くマルフォイたちを見ながら、ちょっと顔を青くしたハリーがロンへと問いかけた。

 

「決闘って? 僕、何を受けちゃったの?」

 

「魔法使いの決闘だよ。まあ……心配しなくても酷いことにはならないはずさ。いざとなれば素手でぶん殴ってやればいい。」

 

かわいらしい決闘になりそうだ。精々が杖先をピカピカさせたり、火花を散らせるくらいだろう。ダンブルドアとゲラートの決闘を見た私としては、見る価値もないと言わざるを得ない。

 

「介添人っていうのは?」

 

「キミが無残に殺された時に、代わりに闘うヤツのことだよ。……ああ、遺書はきちんと書いておくように。それがマナーってものだ。」

 

私の答えに顔を蒼白にしているハリーに、慌ててロンが正しい説明を始めた。それを横目に再びステーキへと向き直ったところで……今度はグリフィンドール生から横槍が入る。規則の守護聖人、ハーマイオニーだ。

 

「ちょっと? 聞かせてもらったんだけど、まさか本当に行ったりはしないでしょうね? 今度こそ減点されちゃうわ。何度も幸運は続かないのよ?」

 

これを迎え撃ったのは、未だ顔の青いハリーではなくロンだった。

 

「余計なお節介はやめてくれ、グレンジャー。これは僕とハリーの問題なんだ。」

 

「それと、グリフィンドールのね。減点されたらみんなに迷惑がかかるのよ。私とアンネリーゼが苦労して取った点を、貴方たちが台無しにするってこと?」

 

ちなみにこの『アンネリーゼが苦労して取った点』というのは、八割がシニストラの加点である。あの馬鹿女は私が何をしても加点してくるのだから堪らない。この前の月をスケッチする授業の時なんて、私が『綺麗な真ん丸』を描けたからという理由で加点してきたのだ。

 

是非ともそんな不名誉な点数は消し去って欲しいと考える私に応えるように、ロンがハーマイオニーに胸を張って返事を返す。

 

「見つかるようなヘマはしないさ。放っておいてくれよ、これは男と男の闘いなんだ。」

 

ロンの返答に呆れたように首を振ったハーマイオニーは、今度はハリーへと話しかけた。諦めるつもりはないようだ。

 

「ハリー? 貴方もそんなバカみたいなことを考えてるの? 本当に退学になっちゃうわよ?」

 

「あー、でも、受けちゃったんだから逃げたくないんだ。」

 

「呆れた! アンネリーゼ? 貴女は反対よね?」

 

おっと、矛先が飛んできた。咀嚼していたステーキを飲み込んでから、端的に答える。

 

「どうでもいいよ。……まあ、マルフォイが素直に現れるとは思えないけどね。」

 

ロンもその可能性に気付いていたらしく、少し怯んだような顔をしたが……やがて鼻を鳴らしながら口を開いた。

 

「ふん、その時はマルフォイが後悔することになるさ。決闘から逃げた臆病者だって言いふらしてやる。」

 

その台詞で説得を諦めたらしく、ハーマイオニーはぷんすか怒りながらも立ち上がった。

 

「もう知らない! 後で後悔すればいいんだわ!」

 

乱暴にバケットを一本掴み取ると、肩を鳴らして歩き去って行く。ちょっとだけ心配そうなハリーが、その背中を見ながら口を開いた。

 

「本当に大丈夫かな? もしフィルチに見つかったら……。」

 

「大丈夫だよ。それよりリーゼ、そのステーキは何処から取ってきたんだい? すっげえ美味そうだ。」

 

適当に答えたロンが、テーブルを見渡しながらステーキの在り処を聞いてくる。ふむ、黙って食べさせてやるのも面白そうだが……まあ、やめておいてやろう。私にも良心というものがあるのだ。ちょびっとだけ。

 

「持ち込んだ肉だよ。まあ、人間向きの肉じゃないことは確かだね。……それでも食べるかい?」

 

「あー……いや、やめとくよ。僕はこっちの豆スープで充分みたいだ。」

 

ブンブン首を振るロンを笑いながら、アンネリーゼ・バートリはちょっとだけ冷めたステーキを完食するのだった。

 



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ストレス犬

誤字報告ありがとうございます!


 

 

「何でハーマイオニーとロングボトムまでいるんだい?」

 

深夜のお散歩の途中で、アンネリーゼ・バートリはトロフィー室から飛び出てきた四人にそう問いかけていた。

 

一応ハリーとロンの様子を見ておこうと寄ってみたところ、そこで二人と一緒にいたのはマルフォイ一派ではなくロングボトムとハーマイオニーだったのだ。……四人でマルフォイを袋叩きにでもしようとしたのか? そこまで恨んでいるとは思わなかったが。

 

勢い良くトロフィー室から出てきた四人の中から、件の二人が私に向かって口を開く。

 

「閉め出されちゃったのよ! 二人を止めようと思って、それで……。」

 

「僕、合言葉を忘れちゃったんだ。一人ぼっちじゃ心細くて、それでついてきたんだけど……。」

 

口々に説明するハーマイオニーとロングボトムを押し退けて、ハリーが背後を気にしながら言葉を被せる。何かに追われているような雰囲気だ。

 

「そんなことよりフィルチが来るぞ! ミセス・ノリスに見つかったんだ。早く逃げないと!」

 

ミセス・ノリス? ……ああ、フィルチの飼い猫か。状況を見るに、どうやらマルフォイは現れなかったらしい。予想通りじゃないか。

 

脳裏に浮かぶ策士マルフォイのドヤ顔を振り払いながら、肩を竦めて話しかけた。

 

「わかったわかった。足止めをしといてあげるから、さっさと談話室に戻るといい。」

 

「でも、リーゼは? 平気なの?」

 

心配そうに聞いてくるハリーに、ひらひらと手を振りながら返事を返す。

 

「私は夜に出歩くのが許可されてるんだよ。フィルチが知っているかは分からんが、そう酷いことにはならないはずだ。」

 

「すっげえ。フレッドとジョージが羨ましがるぞ。」

 

驚くロンを無視して、ハーマイオニーが全員に向かって言い放った。

 

「それなら、早く行きましょう! アンネリーゼ、気をつけてね!」

 

言った途端に走り出すハーマイオニーに続いて、他の三人も口々に礼を言いながらその背を追う。その姿が曲がり角に消えていった瞬間、背後からフィルチが息を切らして走ってきた。

 

「校則違反だ!」

 

「愉快な挨拶をどうも。正確には、こんばんは、だね。」

 

「もう逃げられないぞ。夜間の出歩きは禁止されている。校則違反だ!」

 

「オウムかい? キミは。それにほら、この翼が見えないのかな? キミはフランのことも知っているんだろう?」

 

私が翼をパタパタさせてやると、それを見たフィルチは憎々しげな表情に変わった。おいおい、親の仇を見るような目じゃないか。フランは一体何を仕出かしたんだ?

 

「スカーレットの同類か。あの小娘は夜中に騒ぎを起こしまくったもんだ。あの忌々しい四人組と一緒にな! お前も同類だろう! 私の部屋を爆破したり、廊下をスキー場にしたり……ああ、忌々しい!」

 

どうやらフランは特例を盾にして、その小さな猛威を振るっていたらしい。さすがは私の妹分だ。権利の使い方というものをよく知っている。

 

「私は善良な吸血鬼だよ。そんなことを言われるだなんて心外だな。」

 

「黙れ、ついてこい! 先生方に突き出してやる!」

 

聞く耳持たずだ。まあ、別に構うまい。実際何もやっていないし、足止めにはなっているのだ。両手を上げて戯けながらついていこうとすると……おっと、通路の先から今度はスネイプが歩いて来た。こいつも深夜のお散歩か? 夜のホグワーツは大賑わいじゃないか。

 

自分を見ているフィルチと私を前に、スネイプは面倒ごとに遭遇したという顔を隠さずに話しかけてきた。

 

「どうかしたのかね? フィルチ。」

 

「スネイプ先生! コイツです! この吸血鬼が何か悪さをしたんです!」

 

「……バートリは夜の出歩きを許可されているはずだが。」

 

「あの金髪の小娘と同じなんです! 何か悪さをしようとしているに決まっている!」

 

捲したてるフィルチと、呆れた顔でそれを見ている私を見ながら、スネイプはため息を吐いて口を開いた。

 

「なるほど、理解しました。後は吾輩に任されよ。然るべき処置をいたしましょう。」

 

「しかし、それでは──」

 

フィルチが食い下がろうとした瞬間、廊下に耳障りな声が響き渡る。

 

「一年生が出歩いているぞ! 呪文学の教室の前だ!」

 

ピーブスだ。どうやらハリーたちは逃げ損ねたらしい。聞いたフィルチは途端に血相を変えて、陸上選手並のスピードで走っていった。なんともまあ、ご苦労なことだ。ホグワーツの用務員は足腰が命だな。

 

それを冷たい目線で見ていたスネイプが、私に向かって話しかけてきた。

 

「なるほど。貴女がフィルチに構っていたのは、ポッターが原因だからですかな? どうやら親子揃って『冒険』がお好きらしい。」

 

「まあ、その通りだ。とはいえ、残念ながら今日の冒険は失敗に終わりそうだね。」

 

「ふん、少しは痛い目を見たほうが良いでしょう。動物と同じですよ。罰がなければ学習しない。」

 

なかなかに辛辣な台詞だ。多少は同意するが、ホグワーツの教師としては落第点だな。少なくともお優しいダンブルドアは同意すまい。

 

「それより、キミは何をしていたんだい? まさか月光浴ってわけじゃないだろう?」

 

「例の部屋の点検ですよ。あの忌々しい三頭犬が、最近爪研ぎにハマっているようでしてね。部屋を破壊する勢いなのです。」

 

「なんともまぁ……バカバカしい話だね。」

 

「まさしくその通り。結果として、我々教師が交代で修理させられているのですよ。実に迷惑な話でしょう?」

 

ストレスなんだろうか? 前に見た限りでは、犬小屋としては狭すぎる部屋だった。そもそも室内飼いには向いてない大きさなのだ。そのうち自分の尻尾を食い始めるかもしれない。

 

尻尾を追ってくるくる回っている三頭犬を想像しながら、スネイプに向かって話しかける。

 

「ふぅん。……どうせ暇だし、私もついていこう。まさか嫌とは言わないだろうね?」

 

「嫌ですが、ついてくるのでしょう?」

 

「ご明察。」

 

やれやれと首を振って歩き出したスネイプに続いて、二人で四階の廊下へと歩き始めた。そういえば……コイツはフランのことをどう思っているんだろうか? 前回の会話を思うに、嫌っているという雰囲気ではなかったが。

 

「キミはフランも苦手なのかい? ジェームズ・ポッターとは仲良くしていたらしいが。」

 

疑問を言葉に変えてみると、スネイプは珍しく苦笑を浮かべながら答えを寄越してきた。

 

「スカーレットは……よく私を庇ってくれました。あの見た目の彼女に庇われるのが少々情けなくはありましたが、感謝しておりますよ。それに……。」

 

「それに?」

 

「彼女のお陰でリリーと仲直りできたのです。あれが無ければ、リリーとは喧嘩したままで……別れることになるところだった。」

 

言いながら、スネイプの顔は悲しみに染まっている。ダメだな、あまり良い話題ではなさそうだ。僅かに残っていた良心に従って、会話の話題を変えるべく口を開く。

 

「ふぅん。……しかしまあ、ダンブルドアも愉快なアトラクションを作ったもんだね。全部終わったら障害物レースでも開けるんじゃないか?」

 

「犬コロとトロールは除外すべきでしょうな。ハグリッドもクィレルも、あれを制御できているとは思えない。」

 

「生き物を飼うのは難しいってことさ。彼らは一つ学習できただろう。」

 

「少なくともハグリッドは学んではいないでしょう。同じ失敗を半世紀も繰り返しているのですから。」

 

もの凄くどうでもいい話をしている間に、目的地へとたどり着く。スネイプがドアを開けようとするのを見ていると……おや? 彼は開けずに辺りを調べ始めた。この男がブツブツ言いながら錠前を調べていると、どうにも疚しいことをしているようにしか見えないな。

 

「どうしたんだい? コソ泥ごっこをするなら場所を選びたまえよ。」

 

「ご忠告感謝しますが、私はコソ泥ごっことやらをしているのではありません。……何者かが侵入したようです。だから言ったのだ、もっと強力な呪文で封じるべきだと。」

 

「どうやらダンブルドアを叱りつける必要があるね。」

 

呪文の痕跡を調べ終わった後、中に入れば三頭犬がバリバリと爪研ぎの真っ最中だ。ふんふん鼻を鳴らしているのを見るに、少し興奮しているらしい。

 

私とスネイプのどっちを喰おうかと三つの頭で喧嘩している内に、スネイプが懐からオルゴールを取り出した。彼が開いたオルゴールの音を聞いた途端、犬コロはうつらうつらと船を漕ぎ始める。しかし……きらきら星? どういう選曲なんだ。

 

床に置かれたかわいらしいオルゴールのことを微妙な気分で見ていると、床の仕掛け扉を杖でコンコンしていたスネイプが口を開く。

 

「仕掛け扉は……無事のようですな。」

 

「どうやら犬コロは役目を果たしたらしいね。ふむ、オヤツを差し入れるべきかもしれないよ?」

 

「腕ごと喰おうとしなければいいアイディアだったかもしれませんね。生徒は襲わないように躾けられているらしいですが、教師の命を守るつもりはないようですな。」

 

音楽を聞くとスヤスヤ眠るが、人を喰うのには躊躇いがないわけだ。メルヘンなんだか、スプラッタなんだか、いまいち決めかねる生き物だな。

 

もはや熟睡の域に入った三頭犬をちょんちょん突っついていると、スネイプが仕掛け扉を開く。目線で問いかけてやると、嫌そうな顔で口を開いた。

 

「一応、石の安全を確認してきます。……ついてきますか?」

 

「やめておこう。普通に面倒くさいよ。」

 

「羨ましいことで。」

 

飛び降りていったスネイプを手を振って見送り、談話室に戻るために歩き出す。なんだかんだ言いながらも真面目なヤツだ。苦労人なタイプだな。

 

途中で出会ったポルターガイストを妖力弾でからかいながら、アンネリーゼ・バートリは薄暗いホグワーツの廊下を歩くのだった。

 

 

─────

 

 

「ヒマだわ。」

 

紅魔館のリビングで呟くレミィを見ながら、パチュリー・ノーレッジは我関せずと本を読んでいた。

 

ハリーやリドルに動きはないし、ダンブルドアも待ちの一手を選んだ。おまけにリーゼが不在となれば、やることがまったくないのだ。

 

美鈴は輝く笑顔で庭いじりを楽しんでいるし、アリスは人形作りに夢中だ。咲夜は妹様と一緒に『ピコピコ』を楽しんでいる。珍しく妹様がおねだりしたせいで、レミィが八雲紫に頼んで取り寄せてもらったらしい。……私も今度触らせてもらおうかな。なんたって、妹様のハマり具合は常軌を逸しているのだ。

 

ともあれ、私はいつも通りの読書だし、小悪魔も私たちにお茶を淹れた後に本を……『転職のススメ』? こいつ、生意気にも転職を企んでいるのか?

 

興味津々とばかりにそれを読んでいる部下に、ちょっとだけ眉を吊り上げながら話しかける。

 

「ちょっと、こあ? なんでそんな本を読んでいるのよ。」

 

「やだなぁ、パチュリーさま。他意はありませんよ。ただちょっと……自分の能力を確かめておこうと思いまして。悪魔にもキャリア形成が必要な時代なんです。」

 

「相変わらず悪魔の社会は意味不明ね。」

 

キャリア形成? やはり悪魔の社会には謎が多い。どうでもいいものにやけに拘ったり、わざわざ苦労する方を選んだりするのだ。小悪魔はかなり『まとも』な部類だが、たまにおかしなことをやり始める。

 

「ヒマだわ。」

 

レミィが再び呟くが、当然無視だ。小悪魔も聞こえないフリをしている。

 

「そうだわ! ねえ、パチェ?」

 

「弾幕ごっこなら嫌よ。何回もやったでしょう?」

 

先んじて断ってやると、多少怯んだ様子のレミィだったが、諦めずに説得を仕掛けてきた。

 

「幻想郷に行ったら必要になる技術なのよ? 八雲紫からも練習しておくように言われてるんだし、ちょっとだけやりましょうよ。」

 

「あのね、そっちの弾幕は撃っても疲れるだけでしょうけど、私の場合はリソースが必要なの。賢者の石だって無限じゃないのよ。」

 

魔力の使い方には色々あるが、私の場合は魔道具を用いることが多い。そうなると当然使った魔道具は消耗するわけで、消耗したなら補充しなければならないのだ。貴重なストックを遊びで一々減らすのは勿体ないのである。

 

私の理性的な反論に苦い顔をしたレミィは、やがて何かを思い出したかのように口を開いた。

 

「そりゃあそうかもだけど……そういえば、フラメルの賢者の石じゃリドルは復活できないのよね? ダンブルドアがそんな感じのことを言ってたけど……。」

 

んん? そんなことはないと思うが……ダンブルドアの勘違いというか、どちらかといえばレミィの理解不足か? 何にせよ訂正しておく必要がありそうだ。

 

「別に復活できないってことはないと思うわよ。ただ……そうね、簡単じゃないわね。」

 

パタリと本を閉じてから、本格的な説明のためにレミィへと向き直る。彼女はしまったとばかりの顔をするが……失礼なヤツだ。聞いてきたのはそっちだろうに。

 

「そもそも、延命と蘇生の違いを理解すべきね。ユニコーンの血、長命薬、そして命の水。この辺の有名所は全て、現状を『維持』するための代物よ。現状を『改善』するようなものじゃないの。」

 

「あー……よく分かったわ! もう充分よ、パチェ!」

 

「いい? 例えば私は賢者の石を飲み込んで永遠の命を得たわ。でも、不滅の命を得たわけじゃないの。変化しないだけであって、不死になれるわけじゃない。フラメルの不完全な賢者の石ならなおさらね。」

 

「もういいから! 分かったから!」

 

必死に私の話を止めようとするレミィを無視して続きを話す。やめないぞ。こうやって何かを説明するのは大好きなのだ。なんたって、自分の知識を再確認する良いきっかけになるのだから。

 

「反面、リドルの状況を考えてみましょう。十一年前の現場を見るに肉体が消滅していることは確定なんだから、彼は先ずそれを取り戻そうとするはずよ。グリンゴッツに強盗が入ったことでそれがより確かになったわ。彼は賢者の石を得ようとした。つまり今の彼は、肉体なしの思考あり、そして何者かへと命令を下せる程度の力も残っているということね。そうなると……何かに憑依しているとか? リドルの特性を考えれば、蛇とかかしらね? 」

 

だんだんと賢者の石から思考が逸れてきているのを自覚しながら、リドルに関しての考えを組み立てる。

 

ただ存在することにしたってエネルギーを使うのだ。肉体を持たぬ状態よりかは、何かに憑依しているほうが効率よくエネルギーを摂取できるはず。

 

「となればリドルは──」

 

顔を上げて続きを話そうとするが……おい、誰も居なくなっているじゃないか。レミィも、小悪魔も居ない。目の前には無人のリビングが広がっているだけだ。

 

「……。」

 

よしよし、前言撤回しよう。弾幕ごっこに付き合ってやる。たっぷりとな! 懐からとっておきの触媒を取り出しながら、無礼な吸血鬼と悪魔をとっちめるために歩き出す。

 

「レミィ? こあ? 出てきなさい。怒ってないから。」

 

久々にやる気になりながらも、パチュリー・ノーレッジはにこやかな笑みを浮かべて二匹の獲物を探すのだった。

 



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トロール・ハロウィン

 

 

「私たちの考えるようなことじゃないだろう? キミはクィディッチに集中すべきだね。」

 

朝食が並ぶ大広間のテーブルで、アンネリーゼ・バートリはハリーの質問をあしらっていた。

 

どうやらあの日、犬コロの部屋に入り込んだのはハリーたちだったらしい。談話室に戻った私はそのことを聞かされて、実に面倒な気分になったものだ。詰まる所、彼らは探偵ごっこを始めたのである。

 

グリンゴッツの事件、ハグリッドの小包、四階の三頭犬。推理を巡らせる名探偵ポッターをはぐらかす私を救ったのは、意外にも棒切れを使ったスポーツだった。

 

マクゴナガルから贈られた箒を手にしたハリーは、ロンの言葉が真実ならば見事な才能を発揮したようだ。シーカーになることが正式に決まってからは、ウッドとかいうクィディッチ狂いの行う練習に忙しいようで、探偵ごっこをするのを取りやめたのである。

 

そんな感じで一ヶ月ほどは大人しかったハリーだったが、最近余裕が出てきたせいで推理熱が蘇ってきたらしく、石についてちょくちょく問いかけてくるようになったのだ。勘弁してくれ。

 

「そうだけど……でも、リーゼは気にならないの? あの小包の中身。」

 

「ならないね。どうせ大したものじゃないのさ。キミなら大事な物をハグリッドに運ばせるかい?」

 

「それは、まあ、しないかもしれないけど……。」

 

ほらみろ、ダンブルドア。キミの行動はハリーから見ても異常みたいだぞ。ハグリッドが信用できないとは言わないが、多少……というか、かなりのおっちょこちょいなのは事実なのだ。

 

未だ納得しかねる様子のハリーを横目に、中途半端になっていた朝食を再開する。ブラックプディングを切り分けながら考えるのは、銀髪の小さなメイド見習いのことだ。咲夜は誕生日プレゼントを喜んでくれただろうか?

 

今日はハロウィン。つまりは咲夜の誕生日である。紅魔館ではバースデーパーティーがあるはずだ。参加できないのが非常に悔やまれるが、せめてプレゼントだけは送っておいた。高級ナイフ研ぎセットだ。

 

被らないようにきちんと相談したし、ナイフ関係なら外れはあるまい。ニヤニヤと咲夜が喜んでいる様子を想像していると、大広間に入ってきた眠そうな顔のハーマイオニーが隣に座る。

 

ハーマイオニーは真っ先にサラダへと手を伸ばしながら、私に向かって話しかけてきた。肉を食うべきだぞ、ハーマイオニー。芋虫じゃないんだから。

 

「おはよう、アンネリーゼ。貴女はいつも早いわね。同じ部屋なのに、ベッドに寝ているところを見たことないわ。」

 

「おはよう、ハーマイオニー。吸血鬼は睡眠が短いのさ。」

 

「羨ましいわ。……私も同じなら、もっと勉強の時間がとれるのに。」

 

まあ、実際は寝顔を見られるのが嫌なだけだが。最近は持ってきたトランクの中の小部屋で眠るようにしている。パチュリーが昔使っていたやつだ。

 

「キミは充分勉強しているだろうに。キミ以上に優秀な成績の一年生はいないじゃないか。」

 

「それは……まあ、そうだけど。」

 

ハーマイオニーと話していると、食事に夢中だったロンが横槍を入れてきた。間違いなくハーマイオニーに喧嘩を吹っかけるはずだ。深夜の大冒険以来、この二人は険悪ムードなのである。

 

「ガリ勉もそこまでいくと病気だな。先に友達を作る勉強をしたらどうだ? 君、女子たちからも嫌われてるぞ。」

 

そらきた。中々に強めの罵倒を食らったハーマイオニーだったが、フォークで私を指しながら澄ました顔で口を開く。

 

「余計なお世話よ。友達ならアンネリーゼがいるわ。」

 

「リーゼも迷惑してるさ。そうだろう?」

 

言ってやれとばかりにロンが話を振ってくるが……やめて欲しいもんだ。ハーマイオニーは少し不安そうにしているし、ハリーは気まずそうにベーコンを弄っている。

 

「別に迷惑はしていないよ。それに、ハーマイオニーは四六時中棒切れの話をしてきたりはしないしね。」

 

「うっ……。でも、ニンバス2000なんだ! 本当にわかってるのかい? リーゼ。」

 

「分かってるよ、ロン。キミの恋人の名前だろう? 私が棒切れを嫌っていることは知っているはずだ。キミのことは嫌いじゃないが、これ以上その話をするなら実力行使に出るよ。」

 

このところのロンは、気でも狂ったかのようにハリーの箒の話をしてくるのだ。本人も多少は自覚があったらしく、バツの悪そうな顔に表情を変える。

 

「あー……まあ、確かにちょっとしつこかったな、うん。もうやめるよ。」

 

「結構。我々はこの先も友人でいられるらしいね。何よりだよ。」

 

一件落着だ。ロンはもう棒切れの話をしないだろうし、ハーマイオニーは私の返事に安心した表情になっている。ハリーもぐちゃぐちゃになったベーコンを口に運んで満足そうだ。ベーコンも自分のバラバラ死体が無駄にならずに嬉しかろう。

 

「……でも、グレンジャーが嫌われてるのは本当だぞ。小言がうるさいってラベンダーが──」

 

「私、先に行くわ!」

 

ダメだ、落着していない。ロンの言葉を受けて、ハーマイオニーは我慢できないとばかりに立ち上がって去って行く。頭を抱えたくなる気分でそれを見送った後、元凶に向き直って口を開いた。

 

「キミはレディの扱いを学ぶべきだね。三年後くらいにこの事を思い出して、ベッドの中で悶える羽目になるよ。」

 

絶対にそうなるぞ、ロン。私はレミリアではないが、キミがうーうー唸りながら足をバタバタさせている運命が見えるのだ。

 

残念ながら私の忠告はロンには届かなかったようで、彼はさほど気にしていない様子で返事を返してきた。

 

「僕、本当のことを言っただけさ。」

 

「まあ、いいけどね。三年後を楽しみにしておこう。」

 

忠告はしたからな。首を振ってから立ち上がって、次の授業へと向かうことにする。次は呪文学だ。つまり、『マシ』じゃない方の授業である。

 

ひとつだけ小さなため息を吐いて、もう見慣れた廊下を歩き出した。

 

───

 

「ウィンガーディアム・レヴィオーサ。」

 

今日の内容は浮遊呪文だった。『かしこいリーゼちゃん』は一発で成功させて、ペアを組まされたハリーの手伝いをしていたわけだが……あのペアはないだろう、フリットウィック。

 

視線の先ではハーマイオニーが見事に呪文を成功させ、隣のロンに向かってドヤ顔を放っているのが見える。今日はフリットウィックがランダムにペアを組ませたのだが、ハーマイオニーとロンがペアになってしまったのだ。運命とはかくも悪戯な存在である。

 

うーむ、もはやロンはイラついた表情を隠そうともしていない。どうもハーマイオニーに間違いを指摘されるのが我慢ならないようだ。それに気付いているのかいないのか、ハーマイオニーがなおも指導を続ける声が聞こえてきた。

 

「ウィンガーディアム・レヴィオーサー。」

 

「違うわ、ロン。貴方がやってるのは『ビュン、ビューン』よ。正確には……こう、『ビューン、ヒョイ』だわ。それに、最後は伸ばさないのよ。『サー』じゃなくて『サ』ね。」

 

悪夢だな。本人は善意で教えているらしいが、ロンからすれば煽っているようにしか聞こえまい。今や彼はぷるぷる震えながら顔を赤くしている。

 

私が悲しいすれ違いを見物しているのを他所に、隣で呪文を練習していたハリーが声を放った。

 

「ウィンガーディアム・レヴィオーサ……やったぞ! 見て、リーゼ。ようやく成功したよ!」

 

「ああ、見事だハリー。見事だが……あれを見てごらんよ。悪夢のような光景だ。」

 

自分が浮かせた羽を指差して無邪気に喜んでいたハリーだったが、ハーマイオニーとロンの方向を見た途端に引きつった顔に変わる。彼にとっても愉快な光景ではなかったようだ。

 

「あれは……酷いね。ロンが茹でダコみたいになってる。」

 

「どうやら、二人が仲直りする切っ掛けにはならなさそうだ。上手くいかないもんだね。」

 

授業が終わる頃には、ロンのストレスはピークに達していた。そして、それは教室から出た瞬間に爆発したらしい。ハリーと私に向かって、ハーマイオニーに対する罵詈雑言の嵐を吹きかけてきたのだ。

 

「何だってあんなに煩いんだ? 僕のママが物静かな存在だと思えたのは初めてだよ! 本当にもう、悪夢みたいなヤツさ!」

 

その罵声が廊下に響いた瞬間、後ろからハーマイオニーが……おや、泣いている? 教室から出てくる生徒たちを押し退けて、泣きながら廊下の先へと走っていった。

 

それを見た私とハリーが無言でロンを睨みつけると、彼はバツの悪そうな顔で口を開く。

 

「いや、別に……構わないだろう? 本当のこと、だよ……。」

 

「でも、泣いてた。ちょっと言い過ぎたんじゃないかな?」

 

ハリーのやんわりとした警告にも、ロンは考えを翻す気はないらしい。その辺のガキなら微笑ましいが、我が身に関わることとしては迷惑極まりないぞ。なおも睨みつける私に、ロンは目を逸らしながら口を開いた。

 

「でも、僕、酷い目に遭ったんだ。見てただろう? 拷問だよ、あれは。」

 

「多少は理解できるがね。ハーマイオニーは善意でやってたんだと思うよ。」

 

「それは……そうかもしれないけど。」

 

「それに……ロン、覚えておいたほうがいい。女の涙ってのは途轍もない武器なのさ。このままだとグリフィンドールの女子たちから突き上げられるぞ。彼女たちがハーマイオニーを嫌っているかどうかは、この際問題じゃないんだ。」

 

肩を竦めながら言ってやると、ロンはさすがに後悔し始めたようだ。そんな彼を背にして廊下を歩き出すと、背中に向かってハリーが声をかけてきた。

 

「リーゼ、何処へ行くの? 次の授業は……なるほど、飛行術だもんね。」

 

「その通り。私は大広間で暇つぶしをしていよう。あの馬鹿げた授業は時間の無駄だからね。」

 

振り返らずに言い放ってから、大広間へと足を進める。適当に空きコマになっている上級生にチェスの勝負をふっかけよう。いい暇つぶしになるはずだ。

 

───

 

パーシーが四回目のリザインを宣言したところで、ハリーとロンが大広間に入ってきた。これ見よがしに逃げ去っていくパーシーに鼻を鳴らして、二人の側へと歩いて行く。

 

私が来た時には中途半端だったハロウィンパーティーの飾りは、チェスに夢中になっている間に完成したようだ。辺りにはカボチャやら骸骨やらが所狭しとぶら下がっている。頑張ったじゃないか、フリットウィック。

 

入ってきた時には何故か憂鬱そうな顔の二人だったが、飾り付けを見た瞬間にそんな気分は吹っ飛んだようで、笑顔で席に着きながらどんな料理が出るかの話をしている。

 

「やあ、ハリー、ロン。ハーマイオニーとは仲直りできたかい?」

 

隣に座りながら聞いてみると……おっと、未だ仲直りには至っていないようだ。私がハーマイオニーの名前を出した途端に彼らの顔が再び曇った。ロンが言い辛そうに、ゴニョゴニョと言い訳を放ってくる。

 

「あー……その、ハーマイオニーは授業に出てこなかったんだよ。まあ、その、次に会った時に謝るから。」

 

ハーマイオニーが授業に出ない? 想像以上にショックを受けているようだ。天地がひっくり返っても授業には出ようとする子だというのに。

 

「ま、談話室に戻ったら謝るんだよ? 私が間に入ってあげるから。」

 

「うん、まあ……そうした方が良さそうだ。悪いね、リーゼ。」

 

「悪いと思うなら喧嘩なんかしないでくれよ、まったく。」

 

「努力はするよ。」

 

肩を竦めて言うロンを睨みつけながら、とりあえずはパーティーの開始を待つ。ハーマイオニーは談話室で落ち込んでいるのだろうか? 別にパーティーに興味などないし、そっちの様子を見に行こうかと思いついたところで、ダンブルドアが教員席に座ったのが見えた。

 

ふむ。生徒たちも集まっているし、この分ならすぐに開始するだろう。せめて料理だけでも持って行ってやるかと開始の宣言を待っていると……大広間のドアが勢いよく開け放たれる。そこから必死の形相で中へと入ってきたクィレルが、大広間に響き渡る叫びを放った。

 

「地下室にトロールが! お知らせしないとと思って、それで……。」

 

おっと、セリフの途中でパタンと倒れたぞ。こいつ……本当に防衛術の教師なんだろうな? そもそもトロールはお前の得意分野じゃなかったのか。

 

残念ながら呆れているのは私と教師陣、数人の上級生だけらしく、下級生を中心とした生徒たちはパニックに陥っている。

 

「落ち着くのじゃ! ……落ち着けい!」

 

騒つく生徒たちを静めるダンブルドアをアホらしい気分で眺めていると、スネイプが急いで何処かへ歩き出して……そうか、四階か!

 

「監督生たちは自分の寮の生徒を引率して──」

 

生徒がダンブルドアの話に集中している隙に能力で姿を消し、急いで私も大広間を出る。小走りのスネイプに追いつくと、姿を現して声をかけた。

 

「ごきげんよう、スネイプ。」

 

凄まじい速さで杖を抜き放ったスネイプは、声をかけたのが私だと確認すると、うんざりした様子を隠そうともせずに口を開く。びっくりしちゃってまあ、かわいらしい反応じゃないか。

 

「ッ! バートリ女史ですか。驚かせないでいただきたい。呪文を放つところでしたぞ。」

 

「どうせ効きやしないさ。それより、陽動だと思うかい?」

 

「可能性は十二分にあります。確認しておくべきでしょう。」

 

二人で四階まで駆け上がって、ドアを調べるスネイプを横目にしながら辺りを窺うが……誰かがいたような形跡はない。ドアも無事だったらしく、スネイプは辺りを丹念に調べてから報告してきた。

 

「問題ありません。無事です。」

 

「内側からトロールが通った形跡もないのかい? アトラクションの一つにあの汚物を使っていただろう?」

 

「見当たりませんな。そもそも、あの脳なしどもが介護無しで外に出られるとは思えません。外部からの侵入でしょう。」

 

「偶然にしては奇妙な話じゃないか。はぐれトロールが誰にも見られずホグワーツに侵入した? 有り得ないよ。」

 

まともにドアを開けることすら出来ない連中なのだ。姿を隠してホグワーツに侵入するほどの知能があるとは思えない。スネイプも同感のようで、頷きながらも言葉を返す。

 

「石を狙っての行動なのか、はたまた別の目的があるのか。詳細は分かりませんが、何者かが介入しているのは確かでしょうな。」

 

「ヴォルデモートだと思うかい?」

 

「どうも奇妙に思えます。グリンゴッツの一件といい、今回の騒ぎといい、無用に警戒心を強めるだけでしょう。帝王は緻密な計画を好む人間です。しかし、この騒動はあまりにも……杜撰すぎる。」

 

「人手が足りないのかもね。馬鹿騒ぎしてたお仲間は、みんなアズカバンの中だ。おまけに本人はゴミ屑のような存在なんだろう?」

 

『ゴミ屑』の辺りで苦笑しながらも、スネイプは慎重に自分の考えを述べた。

 

「何にせよ、ホグワーツの内側に協力者がいる可能性がありますな。そやつは石を狙っているが、さほど優秀な人間ではないのでしょう。生徒か、あるいは……。」

 

「教師か、だね。……しかし、ダンブルドアの計画はボロボロじゃないか。石の在り処を特定されているばかりか、向こうは既に行動に移しているわけだ。ヴォルデモートは焦っているのかね?」

 

「かもしれません。我々の想像以上に凋落しているのでしょう。プライドの高い帝王には我慢できなかったらしいですな。」

 

トロールをホグワーツに入学させようとしたイカれ野郎の犯行でないとすれば、リドルの打ってきた一手なのだろう。予定では賢者の石を奪いにくるまでに多少の時間が稼げる予定だったが……これだと微妙だな。ハリーが成長する前にリドルが復活するというのは、あまり嬉しくはない誤算だ。

 

「ふむ、ダンブルドアと話し合うべきだね。」

 

「そのようですな。計画に修正を加える必要があるでしょう。」

 

二人でため息を吐いてから階下へと歩き出す。厄介な動く階段を下ろうとしたところで……おや、クィレルが階段を上がってくるのが見えてきた。

 

「私は消える。」

 

短く言って姿を消す。スネイプは小さく頷いた後、こちらに気付いていないクィレルに向かって声を放った。

 

「ここで何をしているのかね?」

 

ほう? クィレルは先ほどまでは堂々と歩いていたくせに、声をかけられた途端にいつものオドオドした様子に変わる。実に怪しい仕草ではないか。

 

「ひっ、セ、セブルス? 私はただ、トロ、トロールを探しにきっ、来ただけです。」

 

「奇妙な話だ。地下室で目撃したのだろう? 何故四階に来たのかね?」

 

「地下し、地下室には校長先生がむ、向かいましたので、私は別のば、場所をと思ったのです。」

 

四階と地下室は正に天と地だ。この場所に向かう理由としては弱すぎる。同じく怪しんでいるスネイプの耳元で、クィレルには聞こえないように小さく囁く。

 

「泳がせよう。対処するのはダンブルドアと話し合ってからだ。」

 

なんとも面倒な話だが、リドルを殺すには彼が『死に易い』形を得る必要がある。ここでクィレルを殺したところで、再びリドルが姿を晦ませてしまえば意味がないのだ。

 

今賢者の石を手にされるのはちょっと困るが、スッパリ諦められるのはもっと困る。取り敢えずは適当に泳がせながら、どう対処するかを考える必要があるだろう。

 

「ふむ? まあ、ここにはトロールがいないことは私が確認しました。階下へ向かいましょう。……まさか嫌とは言いますまいな?」

 

「い、いないのなら何よ、なによりです。それでは下へい、行きましょう。」

 

スネイプに続いてオドオドとクィレルが歩き出す。……一応私もついていくか。幾ら何でも有り得ないと思うが、クィレルがスネイプを攻撃する可能性もあるのだ。リドルの部下だとすれば、服従の呪文くらい使ってくるかもしれない。

 

姿を消したままで歩き続けると、階下から何かが壊れる轟音が響いてきた。顔を見合わせて走り出した二人に続いて走っていくと……女子トイレ? 女子トイレの中で騒ぎが起こったらしい。

 

反対側から走ってきたマクゴナガルの背中越しに覗いてみれば、何故かハリー、ロン、ハーマイオニーの三人と、ノックアウトされたトロールが見えてきた。つまり……あれか? どうやらハリーは私の知らないところで死にかけたようだ。

 

この任務の難易度を再確認しながら、アンネリーゼ・バートリは大きくため息を吐くのだった。

 



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「どうする? クィレルに魅了を使うか?」

 

ホグワーツの校長室で、アンネリーゼ・バートリは部屋の主人に向かって問いかけていた。

 

しかし……相変わらずごちゃごちゃした部屋だ。本棚が壁を覆い、その中には本や小物がズラリと並んでいる。シンプルな装飾が好きな私としてはあまり真似したいとは思えない。

 

ダンブルドアは椅子に座りながら執務机を挟んで私と向き合っている。私の言葉を受けてしばらく考えていた様子の彼だったが、やがてゆっくりと首を横に振りながら口を開いた。

 

「反対ですな。話を聞く限り、それでは服従の呪文と何ら変わりないではありませんか。正しい手段を用いなければ、正しい結果は得られますまい。」

 

「実に生温い言葉じゃないか、ダンブルドア。私は最短の手段を提案したつもりなんだがね。」

 

「最短と最善とは違うのですよ。私はそうした選択をして、道を誤ってきた魔法使いを数多く知っております。」

 

そりゃあニコニコ顔で賛成してくるとは思わなかったが、その表情は想像よりも険しいものになっている。つまり、かなり強く反対しているようだ。いやはや……この数ヶ月で理解したことだが、私とダンブルドアは相性が悪い。

 

この男を見ていると、どうしてもゲラートのことを思い出してしまう。そして、ゲラートなら私の提案に諸手を挙げて賛成してくれたであろうことも。

 

迂遠だ。ダンブルドアは迂遠な方法を好みすぎるのだ。愛、友情、信頼。私にとってはさしたる意味を持たないものを、この男はやけに重視する。

 

……ふん、まあいいさ。石に関しての担当はそっちだ。多少気に食わないながらも、矛先を納めるために口を開く。

 

「ま、別に拘りやしないさ。……ハリーに危険がないならばの話だが。」

 

「心配しなくとも監視はつけますよ。それに、ハリーは運命とやらに守られているのでしょう?」

 

「おいおい、当てにしていると痛い目に遭うぞ。運命ってのはレミリアが言うよりもあやふやなものなんだ。」

 

「ほっほっほ。信じてはいますが、甘えてはおりませんぞ。無論、手を抜くつもりは毛頭ありませんよ。」

 

ニコニコ言うダンブルドアだったが……本当に大丈夫なんだろうな? この食えない男は何をどこまで本気で言っているのかが掴みにくいのだ。レミリアやパチュリーには分かるのだろうか?

 

「そうあって欲しいね。」

 

鼻を鳴らす私に苦笑いを浮かべながら、ダンブルドアが話題を変えてきた。

 

「ハリーの様子はどうですかな? ホグワーツでの生活を楽しんでいるのなら嬉しいのですが……。」

 

「なんとも充実しているようだよ。ハロウィンの一件で、ハーマイオニーとも仲良くなったらしいしね。今日もクィディッチの試合を楽しんでいるだろうさ。」

 

朝食での様子を見る限りは微妙な感じだったが……まあ、飛ぶのは好きなようだし、試合に入れば吹っ切れるだろう。一度言葉を切って、首を振りながら続きを話す。上げたら落とす、だ。

 

「とはいえ、あの『探偵ごっこ』はいただけないな。どうやらハリーは好奇心旺盛なタチらしい。」

 

「ジェームズと似ていますな。あの子も、まあ……いわゆる『問題児』でしたから。」

 

「矛先を逸らす私の身にもなって欲しいよ。……それと、ハグリッドにはよく忠告しておくように。あの男は石のことをペラペラ喋りかねないぞ。」

 

痛いところを突かれたという表情で、ダンブルドアは申し訳なさそうに苦笑する。

 

「いやはや、根はいい男なのですが……秘密を守るのには向いていないようで。ご迷惑をおかけします。」

 

「『根はいいヤツ』って言葉ほど信用できないものはないね。ハグリッドが善良なことは分かるが、適した仕事に使うべきだと思うよ。」

 

私の言葉にダンブルドアが苦笑を強めていると、入り口の階段が動き出す音が室内に響いた。ドアの方を二人で見れば……スネイプだ。試合は終わったのか?

 

私とダンブルドアのことを確認すると、スネイプはうんざりしたように口を開く。よく見るとローブの一部が焼け焦げている。何かあったらしい。

 

「どうも、校長、バートリ女史。先程クィレルがポッターを殺しかけましたぞ。クィディッチの試合中に堂々と呪いを放って、ポッターを箒から振り落そうとしたのです。」

 

「おいおい、ハリーは生きてるだろうね?」

 

「残念ながら、五体満足ですよ。」

 

本気で残念そうに言うスネイプに、思わず苦笑が漏れる。こっちが暢気に相談している間にも、クィレルは強硬手段を選択したようだ。先日の一件で怪しまれたとでも思ったか?

 

ダンブルドアも額を押さえながら、疲れたような表情で口を開く。

 

「防いでくれたのじゃな? ご苦労じゃった、セブルス。……しかし、そのローブは?」

 

「グレンジャーです。私が反対呪文を唱えているのを……どうも勘違いしたようでして。恐らくポッターを救おうとしたのでしょう。私のローブに火を点けてきたのですよ。」

 

「んっふっふ。何とも報われない話だね。日頃の行いが悪いから、そういう勘違いをされるのさ。」

 

なんとも言えない話だが、ハーマイオニーが勘違いするのも仕方がないだろう。ハリーを憎んでいるのは誰の目からも明らかなのだ。そのスネイプがブツブツ呪文を唱えていたら、犯人と勘違いしてもおかしくはない。

 

スネイプにも自覚はあるようで、バツが悪そうな顔になりながら続きを話し出した。

 

「まあ、私の下へ来る際にクィレルにぶつかったようで、結果的に奴の呪文を妨害することにもなりました。現在はマクゴナガル教授が監視しております。」

 

「では、これ以上面倒が起きない内に一仕事するとしようか。適当に魅了してやって、二重スパイに仕立て上げよう。」

 

私が立ち上がりながらさらりと言うと、ダンブルドアが慌ててそれを止めにかかる。うーん、残念。そりゃ止められるか。なんたって数分前にやめると言ったばかりなのだ。

 

「お待ちください、魅了は使わないと言ったはずです。」

 

「確かに言ったが、『ハリーに危険がないなら』とも言ったはずだよ? 箒から振り落とされるってのは、充分に危険の範疇に入るはずだが?」

 

「それでも反対です。トムと同じような手段を使っていては、同じような結果を生むだけでしょう? もっと別に──」

 

「黙ってもらおうか、ダンブルドア。私は提案しているんじゃない、決定を伝えているんだ。」

 

譲る気は無いぞ、ダンブルドア。可能性は低いとしても、万が一ということがあるのだ。こんなところでハリーに死んでもらっては、全てがぶち壊しなのだから。

 

私と睨み合うダンブルドアも、一歩も引かぬという様子で口を開く。

 

「貴女は些か性急すぎますな、バートリ女史。選び得る選択肢は他にあるはずですぞ。」

 

「そしてキミは迂遠すぎるね、ダンブルドア。もしハリーが死んだらどうするつもりだい? 彼はリドルを殺すための大事な武器だろう?」

 

「ハリーは武器ではない。一人の人間です。彼を物として扱うような真似はやめていただきたい。」

 

「分かっているさ。ハリーは『ただの』武器じゃない。大事な大事な銀の杭だ。リドルに打ち込むまでは、無事でいてもらわなきゃ困るだろう?」

 

しばらく二人で睨み合うが……ふん、時間の無駄だな。くるりと身を翻して、ドアへ向かって歩き出す。

 

「お待ちくだされ、まだ話は──」

 

「悪いが、キミとの議論は時間の無駄だ。私は私のやり方でハリーを守らせてもらおう。」

 

肩越しに言い放ってからドアから出ようとすると、かなり居づらそうにしていたスネイプが声を放ってきた。

 

「あー、恐らく自室でしょう。お気をつけて。……まあ、無用の心配でしょうが。」

 

「その通りだ、スネイプ。」

 

肩越しに返事をしてから階段を上る。そのまま教員塔まで真っ直ぐ進み、クィレルの私室へと向かうと……おや、マクゴナガルが猫の姿で監視していた。何となくだが、その辺の猫よりも神経質そうに見える。

 

私が近付くと、耳をピクリと揺らして振り向いた後、人間の姿に戻って話しかけてきた。

 

「バートリ女史、クィレルは中です。対処策は決まったのですか?」

 

「その通りだ、後は任せてくれたまえ。……しかし、猫の動物もどきなのはバレてるんじゃないのかい?」

 

「変身した方が音が聞こえやすいのです。それに、素早く身を隠すこともできますし、意外と便利なのですよ。」

 

「なるほどね。」

 

猫の五感か。かなり興味はあるが、今はクィレルの件に集中しよう。マクゴナガルが再び猫の姿で角に隠れたのを見てから、クィレルの部屋をノックする。

 

「ひっ……だ、誰ですか?」

 

怯えたような……もしくはそんな演技をしているクィレルの誰何に、声色と口調を変えて返事を返す。演技だとすれば大したヤツだ。私なら四六時中こんな演技をしてたら頭がおかしくなるぞ。

 

「あー……クィレル先生? 質問があってきたんですけど。少しよろしいでしょうか?」

 

「し、質問? わか、分かりました。どうぞ。」

 

ドアを開けながら魅了の準備をして、開けた瞬間……よし、目が合った。これで仕事は完了だ。驚愕の表情となったクィレルに……驚愕の表情? 違和感が脳裏で警報を鳴らす。思わず動きを止めていると、慌てて部屋の隅に移動したクィレルが口を開いた。

 

「バッ、バートリさん? も、申し訳ありま、ありませんが、吸血鬼はにが、苦手なのです。質問は他のせ、先生にしてくれま、ませんか?」

 

魅了がかかっていない。クィレルの様子からもそれは明らかだ。しかし……抵抗された? 有り得ない話ではないが、この男はそれほどの魔法使いなのか?

 

魅了に抵抗するには、確固たる自意識と強固な精神力が必要だ。例えばダンブルドアなら抵抗できるだろうし、閉心術を得手とするスネイプも可能かもしれない。

 

しかし、隙を突けばマクゴナガルあたりでもギリギリかけることは可能なのだ。今のは完全に隙を突いてみせたはずだぞ。とすると……私の想像以上に強力な魔法使いなのか?

 

脳内で警戒のレベルを上げつつ、無表情を意識して口を開く。

 

「いやぁ、防衛術に関しての質問だったもんでね。どうしてもダメかい?」

 

言いながらもう一度試すが、クィレルにかかった様子はない。くそっ、面倒なことになったな。

 

「すみ、すみませんが、他の先生におね、お願いします。」

 

「ふむ、残念だね。それなら失礼することにしよう。」

 

警戒心を保ったままでドアへと向かう。情けないが、一時撤退だ。作戦を練り直す必要があるだろう。

 

廊下に出てから小さくため息を零すと、マクゴナガルが心配そうに近付いてきた。……まあ、猫のままなので本当に『心配そう』なのかは定かではないが。

 

「残念だが失敗だ。見張りを継続してくれ。」

 

小声で端的に伝えると、コクリと頷いてお座りのポーズに戻る。うーむ、中々にコミカルな光景だ。アリスあたりに覚えさせたらかわいいかもしれない。

 

余計な考えを振り払いつつ校長室へと歩き出す。ああまで啖呵を切って出てきた手前、無様に戻るのは非常に恥ずかしいが……仕方あるまい。

 

もう一度ため息を吐きながら、アンネリーゼ・バートリは教員塔の廊下で一歩を踏み出すのだった。

 

 

─────

 

 

「つまり、放置すると? 安全は確保してあるのでしょうね?」

 

ホグワーツの校長室に響くレミリアお嬢様の声を聞きながら、咲夜は棚の小物に興味津々だった。

 

勝手にくるくる動く天体模型に、煙を吐き出すドラゴンの像、カゴに入っている炎の鳥。興味深いものが盛りだくさんだ。無理を言ってまで連れてきてもらった甲斐があった。

 

とはいえ、ここにはレミリアお嬢様の従者として付いてきている。無様を晒すわけにはいかないのだ。目線は下げながらも、薄く微笑みを浮かべて……えーっと、なんだっけ?

 

エマさんから教わった使用人の極意を思い出していると、レミリアお嬢様の言葉を受けた校長先生が話し出す。しかし、凄いお髭だ。手入れが大変ではないのだろうか?

 

「ハリーにはバートリ女史が付き、クィレルは教師陣が交代で監視を続けております。多少の危険はあるでしょうが、これは十年ぶりに掴んだトムへの手掛かりなのです。この機を逃したくはありませんな。」

 

リーゼお嬢様のことを話してる! ホグワーツでは不便なく過ごせているのだろうか? 誕生日プレゼントのお礼を直接言いたいし、今日は会えると嬉しいのだが……。

 

聞き耳を立てている私を他所に、お嬢様と校長先生の話は続く。

 

「リドルへの接触を待つってこと?」

 

「さよう。クィレルは何らかの方法でトムと連絡を取っているはずです。それを探れば、トムの居場所を見つけ出せるかもしれません。それと同時にセブルスからも探りを入れさせます。こちらは望み薄でしょうが……トムは未だ彼を味方だと思っている可能性がありますからな。クィレルは口を滑らせるかもしれません。」

 

「ふむ……悪くないわね。だけど、油断は決してしないように。魅了が効かないというなら、クィレルはその辺の木っ端魔法使いではないはずよ。」

 

「重々承知しております。」

 

どうやらクィレルとかいう悪い魔法使いのことを話しているらしい。お嬢様方を敵に回すなんてバカなヤツだ。とっても偉大で、とっても賢い方たちなのに。

 

お嬢様方の『ゲーム』についてはあまり聞かされてはいない。知っているのは、ハリー・ポッターとかいう少年を使って、ヴォルデモートとかって魔法使いを殺そうとしているということだけだ。

 

そして、その少年は私と一年ちょっとしか離れていないらしい。……それなら私に命じて下さればいいのに。そうすればもっとお嬢様方と一緒にいられるし、成功すればきっと褒めてくれるのだから。

 

私がお嬢様方からなでなでされる場面を想像していると、校長先生が私に声をかけてきた。

 

「しかし……大きくなったのう、咲夜。ハリーもそうだったが、子供の成長は早いものじゃ。わしのことは覚えておらんかね?」

 

むむ、そんなこと言われても、校長先生に会ったことなど覚えていない。困惑しながらも首を傾げていると、レミリアお嬢様が苦笑しながら取り成してくれた。

 

「何ボケ老人みたいなことを言ってるのよ。まだ一歳にもなってなかったんだから、覚えているはずないでしょう?」

 

「ふむ、実に残念なことじゃ。……咲夜よ、もっと近くで顔を見せてくれんかね?」

 

どうすればいいかとレミリアお嬢様を見ると、苦笑したままで頷いている。恐る恐る校長先生の近くに寄ってみれば、深いブルーの瞳を優しそうに細めながら話しかけてきた。

 

「コゼットの顔に、アレックスの瞳じゃな。しかしながら強気な顔つきは……テッサにそっくりじゃ。アリスとフランはかわいくて仕方がないじゃろうな。」

 

「ふふ、その通りね。フランはよく抱き枕にしてるし、アリスなんて擦り傷一つで大騒ぎよ。」

 

私のお父さんとお母さん、それにお婆ちゃんの名前だ。みんな勇敢な魔法使いだったらしい。お婆ちゃんの話はアリスが、お母さんとお父さんの話は妹様がよくしてくれる。

 

当然ながら全く覚えてはいないが、それでも写真を見る度に胸が騒ぐのは確かだ。毎年きちんと墓参りもしている。……いつか実感が得られる日が来るのだろうか?

 

私が困ったように一礼するのを見て、校長先生は柔らかい笑みのまま口を開いた。

 

「聞くまでもないじゃろうが、幸せに暮らせているかい? 咲夜。」

 

「勿論です。」

 

刹那も迷わずキッパリと答える。私にとっての幸せは全て紅魔館にあるのだ。校長先生は満足したように頷いてから、ゆっくりと背凭れに身を預けて口を開いた。

 

「素晴らしい。分かってはいたが、それでも君の口から聞けると安心するよ。」

 

しわくちゃの顔を嬉しそうに綻ばせて言う校長先生に、レミリアお嬢様が呆れたように言い放つ。

 

「老人ぶってると、またパチェに活を入れられるわよ。」

 

「ほっほっほ。それは恐ろしい。……とにかく、安心しました。後はトムの件を片付けるだけですな。」

 

「その通りよ。糸を千切られないようにね、ダンブルドア。リドルの居場所と現状が掴めるなら、かなりのアドバンテージになるわよ。」

 

「そうなって欲しいものです。」

 

よく分からないが、話は纏まったらしい。となれば、後はリーゼお嬢様に会いに行くだけだ。

 

頷き合うレミリアお嬢様と校長先生を見ながら、咲夜はそわそわと次の話題を待つのだった。

 



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みぞの鏡

 

 

「絶対に聞いたことがあるわ! きっと読んだ本に載ってたのよ!」

 

ふんすと鼻を鳴らしながら言うハーマイオニーを見つつ、アンネリーゼ・バートリは心の中でハグリッドを罵っていた。

 

どうやらあの男の口は風船よりも軽かったらしい。あの小包の中身がニコラス・フラメルに関係するものであることを、ハリーたち三人にわざわざ教えてやったのだ。

 

お陰でハーマイオニーはクリスマス休暇で帰るための列車の中でさえ、本を捲って調べものに勤しんでいるというわけである。

 

ちなみに私も『出所』が許された。ホグワーツに残るハリーの護衛は、一時的にダンブルドアへと引き継いでいる。クィレルがどれほどの魔法使いかは知らないが、ハリーに専念するあの男の守りを抜けるほどの存在ではないだろう。

 

「ねぇ、アンネリーゼは本当に気にならないの?」

 

コンパートメントに響く何十回目かの質問に、何十回目かの同じ返事を返す。

 

「ならないね。私の興味をそそるような話じゃないのさ。」

 

私の気のない返事に眉をひそめたハーマイオニーは、パタンと本を閉じてもう一つの『事件』についてを話し始めた。

 

「分かったわ。ニコラス・フラメルのことは置いておきましょう。……それなら、スネイプ先生の一件はどう思う? ハリーを競技場の染みにしようとしたわけだけど。」

 

こちらも何十回目かの質問だ。そして言わずもがな、何十回目かの同じ返答を返す。……私は時空の狭間にでも迷い込んだのか? 同じ時間を繰り返しているみたいな気分になってきたぞ。

 

「ハグリッドも言っていたんだろう? スネイプは反対呪文を唱えていただけで、むしろハリーを守ろうとしていたんだよ。」

 

「アンネリーゼは現場に居なかったからそう言えるのよ。あれは絶対に殺そうとしてたわ。そういう目だったもの。」

 

どんな目だったんだ。残念ながらスネイプの誤解は未だに解けていないらしい。まあ、これに関しては……自業自得だな。クィレルに突っかかっていかれるよりはマシだし、私としてはどうでもいい。

 

鼻息荒く主張するハーマイオニーから目を逸らして、窓の外を見ながら口を開く。ロンドンが近付いてきた。つまり、ようやく時空の狭間から抜け出せるようだ。

 

「それより、そろそろ到着だよ。着替えなくていいのかい?」

 

「へ? ……そうだわ、着替えなきゃ!」

 

言うや否やドアに鍵をかけて着替えを始めるハーマイオニーを尻目に、私もカバンを下ろしておく。私の場合は煙突飛行なので着替える必要はないが、彼女はマグル側の交通手段を使うのだ。ローブのままでは悪夢だろう。

 

やがてハーマイオニーの着替えも終わり、彼女がローブを片付け終わったあたりで列車はキングズ・クロス駅に到着した。二人で列車を降りると、私を見つけた咲夜が走ってくるのが見える。ちょっとフォーマルな感じの黒いワンピース……小悪魔の趣味だな。今日の『およふく係』は彼女だったようだ。

 

「リーゼお嬢様、お帰りなさいませ!」

 

「ああ、ただいま、咲夜。出迎えご苦労。」

 

うーむ、よく懐いた仔犬のようだ。尻尾があったらぶんぶん振っているだろう。頭を撫でてやりながら返事をすると、嬉しそうに目を細めている。パチュリーなら有り得ない光景だし、アリスが一年生の頃ともちょっと違う。アリスの場合は顔を赤くしながらモジモジしている感じだった。

 

新鮮な反応を楽しんでいると、咲夜の後ろから件のアリスが近付いてきた。顔には優しげな苦笑を浮かべている。

 

「お帰りなさい、リーゼ様。」

 

「ただいま、アリス。……なんというか、新鮮な感じだね。」

 

いやはや、いつもは出迎える側だったんだがな。アリスにも私の感じる違和感は伝わったようで、頰を掻きながら頷いている。顔を見合わせて苦笑していると、隣のハーマイオニーがポツリと呟いた。

 

「分かってたつもりだったけど……アンネリーゼって本当にお嬢様だったのね。」

 

咲夜とアリスを交互に見ながら、ちょっと呆然としているような感じだ。様付けに違和感があるのだろう。

 

「まあ、それなりにね。魔法界じゃあ珍しくもないよ。」

 

普通に珍しいだろうが、適当にそう言っておく。ハーマイオニーはちょっと怯んだように頷いた後、気を取り直してアリスと咲夜に自己紹介をし始めた。

 

三人のやり取りをなんともなしに眺めていると……おや? 向こうから『マグルっぽさ』全開の夫婦が歩いてくる。間違いなくハーマイオニーの両親だろう。真面目な雰囲気がそっくりだ。

 

「ハーミー!」

 

「パパ! ママ!」

 

呼びかけられた途端に、ハーマイオニーが母親らしき人物へと駆け出して行く。さすがに親の前じゃ年相応の女の子だな。微笑ましい光景をなんとなく眺めていると、父親の方がこちらに挨拶してきた。

 

「こんにちは。ええと……ハーミーのお友達かな?」

 

「その通り。娘さんにはお世話になっているよ。」

 

お世話をしているとはさすがに言わない。実際授業じゃ助かってるし、その程度の社交性は私にも残ってるのだ。

 

私が余所行きの笑みを浮かべて頷くと、グレンジャー氏は安心したような表情で口を開く。

 

「それは安心したよ。あの子はちょっと……あー、頭でっかちな部分があるからね。友達が出来るかは心配だったんだ。お父さんかお母さんは来ていないのかな? ご挨拶しておきたいんだが……。」

 

父上に会いたがる人間なんて初めて見たぞ。大抵は十字架でもかざしながら泣き叫ぶもんだが……ちょっと面白いな。とはいえ、残念ながら父上は地獄でバカンス中だ。湧き上がる苦笑を隠しながら、適当な誤魔化しを口から放つ。

 

「残念ながら忙しくてね。貴方がよろしく言っていたことは、私から伝えておこう。」

 

「なんというか……しっかりした娘さんだ。これからもハーミーのことをよろしく頼むよ。」

 

グレンジャー氏は苦笑いでそう言うと、ハーマイオニーの下へと戻っていく。私の『独特』な口調どころか翼にも怯んだ様子はなかったし、中々肝の据わった人物のようだ。

 

ハーマイオニーに軽く手を振ってから、咲夜とアリスに目線で合図して歩き出す。咲夜がフルーパウダーを投げ入れた暖炉に入って紅魔館へと飛ぶと……ああ、ようやく帰ってこれた。伸びをしながら大きくため息を吐く。なんだかどっと疲れた気分だ。

 

「従姉妹さまー、おかえりー!」

 

「おかえりおかえりー!」

 

妖精メイドのバカっぽい挨拶すら、今の私には嬉しく感じられてしまう。ホグワーツでの生活は自覚以上に心労となっていたらしい。

 

「ああ、ただいま。ほら、飴をやろう。」

 

車内販売で買っておいた飴をぶん投げてやると、妖精メイドたちはきゃーきゃー言いながらそれに群がっていく。実に紅魔館らしい光景ではないか。蟻とどっちが頭が良いのかを考え始めたところで、アリスと咲夜が暖炉から出てきた。

 

「お待たせしました。みんなリビングで待ってますから、行きましょうか。」

 

飴玉を賭けての戦いを始めた妖精メイドたちをチラリと見ながら、何事もなかったかのようにアリスが言う。彼女も随分と紅魔館に毒されてきているようだ。

 

「ああ、行こうか。」

 

咲夜と手を繋いでリビングへと歩き出す。……よし、クリスマス休暇の間はダラけていよう。それが許されるくらいの働きはしているはずだ。

 

紅魔館の廊下を三人で歩きながら、アンネリーゼ・バートリは久々の安寧を噛みしめるのだった。

 

 

─────

 

 

「あの、ここでお散歩するんですか?」

 

薄暗い夜のホグワーツの廊下で、咲夜は隣を歩く妹様にそう問いかけていた。

 

誰かからの手紙を読んだ妹様が、突然お散歩に行くと言い出したのだ。私は妹様が紅魔館を出たところなど見たことがない。その彼女がいきなりそんなことを言い出したもんだから、慌ててついて行きますと言ったわけだが……まさかホグワーツに来るとは思わなかった。

 

正直言って非常に怖い。煙突飛行から出た時の真っ暗な見知らぬ教室も怖かったが、夜のホグワーツというのは昼とは全然違う雰囲気だ。

 

私がぷるりと震えたのに気付いたのか、妹様は私の手を取りながら問いの答えを寄越してくれる。

 

「うん、そうだよ。」

 

「その……お嬢様方に黙って出てきて大丈夫なんでしょうか? 心配してるんじゃ?」

 

「へーきへーき。すぐ帰るから大丈夫だよ。」

 

妹様は軽い感じで言ってるが……これは、俗に言う不法侵入ってやつじゃないのか? 私がちょっとだけ不安になってきたのを他所に、妹様は勝手知ったると言わんばかりの足取りで、どんどん先へと進んで行く。

 

「これって、犯罪じゃないですよね?」

 

「ふふ、咲夜はどう思う?」

 

ダメだ。妹様は悪戯気に微笑んでいる。こうなると彼女は謎かけめいたことしか言わなくなるのだ。……いざとなったら私が校長先生にごめんなさいしよう。優しそうだったし、きっと許してくれるはず。

 

私の決意を知ってか知らずか、そのまま妹様は懐かしそうにホグワーツの廊下を歩いていたが……突然何かを見て目を見開いた後、優しげな微笑みを浮かべて囁いてきた。

 

「咲夜、ちょっとだけ隠れててくれる?」

 

「隠れる? あの……はい。分かりました。」

 

妹様から小声で命じられた謎の指示に、なんとなく声を潜めて返事を返す。よく分からないが、やれと言うならやるだけだ。時間を止めて物陰に隠れると、突然妹様が前方の広場に声を放った。

 

「そこにいるのは、だぁれ?」

 

しばらく沈黙が続いたが、やがて大きな鏡の前の虚空から一人の男の子が現れる。身に纏っていた……布? のようなもので透明になっていたらしい。

 

男の子は妹様を見てしばらく困惑していたが、やがて意を決したように口を開いた。

 

「あの、僕、ハリー・ポッター。君は?」

 

「ふふ、鏡を見にきたの?」

 

男の子の質問には答えずに、妹様は悪戯な微笑みを浮かべながら近付いていく。あれがハリー・ポッターか。そういえば、昔写真で見た顔だ。……ふん、私の方が強そうじゃないか。

 

「うん、そうだけど……君はグリフィンドールの生徒じゃないよね? それに、その翼。吸血鬼なの?」

 

「鏡には何が映った? 栄誉? 財宝? それとも……ジェームズとリリー?」

 

なおも質問を無視して話しかける妹様に、ポッターの顔が驚愕に変わる。それを見た妹様は、嬉しそうな顔で頷いた。

 

「そっか。それなら心配いらないね。」

 

「君は……君は誰なの? どうしてパパとママのことを?」

 

「さて、誰だと思う? ……この鏡はね、見た人の望みを映す鏡なんだ。」

 

クスクス笑いながら妹様が鏡の前に立つ。鏡を見た妹様は、ほんの少しだけ悲しそうな顔をして、そっと小さな手を表面に当てた。何故かは分からないが、とても幻想的な光景に見えてしまう。ポッターも同感のようで、質問を止めてその姿をじっと見ている。

 

しばらく鏡を見つめていた妹様だったが、やがてポッターの方に向き直って口を開いた。その瞳からは……涙? 一筋の涙が伝っている。

 

「私にもジェームズとリリーが見えたよ。それに……他のみんなも。」

 

言いながら浮かべたのは……ゾッとするくらいに綺麗な微笑みだ。人間では絶対に有り得ないような美しさ。吸血鬼だけに許されたかのような、幻想的な表情を浮かべている。

 

ポッターは怯んだように何度か口をパクパクさせた後で、急に丁寧な口調になって言葉を放った。

 

「あの……貴女はパパとママの知り合いなんですか? だから貴女は、その、そんなに悲しそうにしているの?」

 

「うん、正解。ジェームズとリリーは私の大事な……とっても大事なお友達だったの。」

 

そう言うと、妹様はポッターの頰にそっと手を当てた。そのまま顔を覗き込みながら、ゆっくりと口を開く。

 

「ジェームズの顔にリリーの瞳。……聞き飽きてるかもしれないけど、本当にそっくりだよ。」

 

「その、よく言われます。……それより、パパとママの話を聞かせてくれませんか? 僕、知りたいんです! だって、だって何にも知らない。自分の両親のことなのに、何にも知らないんです!」

 

勢い込んで言うポッターから離れ、妹様は再び鏡の前に立つ。目を細めて鏡を見ながら、何かを懐かしむように語り始めた。

 

「ジェームズはとっても勇敢な人だったよ。自分の危険よりも、仲間が傷つくことを恐れてたんだ。それに、最高のシーカーだった。私はハッフルパフだったから、いつもクィディッチの試合じゃ……ふふ、応援席からブーイングしてたよ。グリフィンドール相手だと全然勝てなかったからね。」

 

目を細めて言う妹様に、ポッターは興味津々だ。彼女はそれをチラリと見て微笑みながら話を続ける。

 

「リリーは魔法薬学の天才だった。私はちょっと苦手な授業だったから、いつもリリーに教わってたんだ。嫌な顔一つせずに教えてくれて、全部終わるとお菓子を私にくれたの。とっても優しい人だったんだよ?」

 

「二人ともグリフィンドールだったんですよね? パパとママはずっと仲が良かったんですか?」

 

「んーん。最初は喧嘩ばっかりだったかな。ジェームズの片想いで、リリーがそれを跳ね除ける感じ。……でも、七年生の頃に付き合い始めたんだ。そして──」

 

言いながら妹様は懐から何かを取り出し、それをポッターに渡す。

 

「ほら、結婚式の写真だよ。とっても幸せそうでしょ? この頃にはもうラブラブだったんだ。ジェームズの『熱病』にはみんな頭を抱えたもんだよ。」

 

ポッターは写真を食い入るように見ている。そんなポッターの頭を撫でながら、妹様は優しく語りかけた。

 

「その写真はあげるよ。だから、もうここに来ちゃダメだよ? この鏡に魅入られて、悲惨な目にあった人は山ほどいるんだから。それに……もうすぐ撤去されちゃうしね。だから約束してくれない? もう鏡を探したりしないって。」

 

写真と鏡を交互に見ていたポッターだったが、やがてゆっくりと頷きながら返事を返した。

 

「分かりました。……写真、ありがとうございます。でも……その、もっと聞かせてくれませんか? 僕、もっと色んなことを聞きたいんです。」

 

「ふふ、それもいいけど……時間切れかな。」

 

妹様がそう言いながら指差した先には……校長先生? 全然気付かなかった。いつの間に立っていたのか、柔らかく微笑みながら二人を見ている。

 

「ほっほっほ。残念だがその通りじゃな。ハリー? もうお休みの時間じゃよ。ベッドにお戻り。」

 

「ダンブルドア先生? あの、僕、すいません。」

 

「夜の散歩のことは目を瞑ってあげよう。……今回だけじゃよ? 良い出会いもあったようじゃしな。だからほら、早く戻って夢を楽しみなさい。アーガスに見つかると厄介なことになるよ?」

 

「は、はい。」

 

ダンブルドア先生に頷いたポッターは、妹様に大きなお辞儀をしてから歩いて行った。それにクスリと微笑んだ妹様は、何かを思い出したかのように去り行くポッターへと声をかける。

 

「ハリー、忘れないで。あなたは自分で思っているほど一人じゃないよ。あなたの幸せを願っている人は、たっくさんいるんだから。」

 

「あの……はい。」

 

キョトンとした顔でもう一度お辞儀をしたポッターは、再び夜の廊下を歩いて行った。それに手を振って見送った妹様は、私に向けて手招きをしてくる。どうやらもう出てもいいらしい。

 

おずおずと歩いて行くと、妹様は校長先生に向き直って声をかけた。

 

「お手紙ありがとうね、ダンブルドア先生。お陰でハリーと話せたよ。」

 

「うむ。わしも君の姿を見られて安心したよ。それに、両親のことは君から話した方が良いかと思ってね。どうやらそれは正解だったようじゃな。」

 

「ふふ、そのために鏡をここに置いたんでしょ? だから……うん、ありがとう。」

 

「ほっほっほ。老人の企みなどお見通しというわけじゃ。お見事、お見事。……しかし、実に成長したのう、フラン。無理をしてはいないかね?」

 

心配そうに見る校長先生に、妹様は悲しそうな微笑みで返事を返した。

 

「大丈夫だよ。……この子もいるしね。」

 

そう言って私の頭を撫でてくれる。目を細めて受け入れていると、ダンブルドア先生は奇妙な表情で頷いた。悲しそうにも見えるし、嬉しそうにも見える。

 

「そうじゃな。……フランよ、君が鏡に映す景色はどうやら変わってしまったようじゃのう。わしはそれが少し悲しい。」

 

「『フラン』の望みは叶っちゃったからね。今は『私』の望みを映してるみたい。」

 

そう言って少しだけ鏡を見つめた後、妹様は私の手を取って歩き出す。

 

「それじゃあね、ダンブルドア先生。ハリーのことを頼んだよ。」

 

「ああ、任せておきなさい。さらばじゃ、フラン、咲夜。また会える日を楽しみにしているよ。」

 

手を引かれながら校長先生にぺこりと一礼して、妹様と一緒に歩き出す。ホグワーツの廊下を歩きながら、何とは無しに質問を飛ばしてみた。

 

「あの鏡には何が映っていたんですか?」

 

声に出してしまってから、もしかしたら無作法な質問だったかもしれないと思い直す。恐る恐る妹様の顔を窺ってみると……よかった、優しそうな笑顔だ。

 

「紅魔館のみんなと、私のお友達。みんなで一緒にお茶をしてる風景だよ。……それだけ。」

 

「私は……何が映るんでしょうか? 見ておけばよかったです。」

 

「ふふ、気にしないのが一番だよ。望みなんてものは、心の中に秘めておくのが一番なんだから。」

 

「……なるほど?」

 

曖昧に頷きながらも、暖炉に向かって廊下を歩く。一度通った道なのに、なんだか違う風景に見える。さっきまで怖かったのが嘘だったように、優しい暗闇に見えるのだ。

 

妹様の手を握りながら、咲夜は窓の向こうに浮かぶ月をゆっくりと見上げるのだった。

 



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勇気あるものが住まう寮

 

 

「ふぅん? 透明マントねぇ。」

 

談話室の真っ赤なソファに座りながら、アンネリーゼ・バートリは銀色の布を眺めていた。この薄さじゃ、少なくとも防寒具としては使えなさそうだな。

 

クリスマス休暇から戻ってきた私とハーマイオニーを待っていたのは、ハリーがマントを使って夜の冒険を繰り返していたという知らせだったのだ。ダンブルドアめ、何も今返すことはないだろうに。

 

とはいえ、私にとってはその部分は重要ではない。重要だったのは、ハリーが『神秘的』な吸血鬼と遭遇したという点である。

 

私の見知らぬ吸血鬼でないとすれば、間違いなくフランだろう。残念ながらレミリアは『神秘的』とは言えまい。ポンコツな吸血鬼となれば彼女だろうが。

 

「信じられないわ! ハリー? 夜出歩くのは校則違反なの。校則違反! 何度言ったら覚えてくれるの?」

 

ぷんすか怒るハーマイオニーに、ハリーは苦笑いで謝罪の言葉を口にした。

 

「ごめんよ、ハーマイオニー。でも……意味はあったんだ。パパとママのことを知れた。下らないと思うかもしれないけど、僕にとってはとても重要なことなんだよ。」

 

「そりゃあ……下らないだなんて思わないわよ。」

 

ちょっとだけ寂しそうに言うハリーに、さすがのハーマイオニーも怒れなくなってしまったらしい。モゴモゴ言いながら引き下がった彼女を横目に、ハリーが私に話しかけてくる。

 

「ねえ、リーゼ? 金髪で、宝石みたいな翼の吸血鬼を知らないかな? 見た目は小さかったけど……多分、ずっと歳上なんだと思う。何というか、雰囲気が大人っぽかったんだ。」

 

おいおい、私はどうなる? 大人っぽくはないということか? 内心で自らの雰囲気とやらに危機感を感じながら、慎重に言葉を選んで返事を返す。

 

「スカーレット家の次女だね。彼女はあまり表には出ない吸血鬼だから、知る者はそう多くないはずだよ。」

 

問題はフランのことをどこまで話していいのかだ。あの子が自分の正体を教えなかったのは、ただの悪戯か、はたまた壮大な計画か。今のあの子の内心を推し量るのは非常に難しい。そして、もし計画があったなら邪魔をすれば怒られてしまう。今のあの子を怒らせるのは……よろしくない。よろしくないぞ、リーゼ。

 

「スカーレット家の? パパとママはそんな人と知り合いだったんだ……。名前は? なんていう人……っていうか、吸血鬼なの?」

 

「フランドールだ。フランドール・スカーレット。」

 

名前くらいは問題ないはず……だよな? 何にせよもう遅い。放った言葉は戻ってこないのだ。今や紅魔館で一番怒らせてはいけない存在になったフランを思って戦々恐々としている私を尻目に、ハリーはなおも質問を放ってくる。もうやめてくれよ。

 

「それじゃあ、連絡は取れたりする? 僕、きちんとしたお礼の手紙を書きたいんだけど……。」

 

「あー……残念ながら、難しいね。なんと言うか、俗世とはあまり関わらない吸血鬼なんだ。神秘的な雰囲気はそのせいだろう。」

 

地下室に引き篭もって、レミリアから買ってもらったピコピコで遊んでいる吸血鬼を神秘的と言えるかは怪しいが、ハリーにとっては納得の一言だったようだ。残念そうにしながらも頷いている。

 

「そっか……仕方ないね。」

 

気落ちするハリーを慰めるように、ロンが話題を変えてきた。

 

「しかし、吸血鬼ってのは見た目じゃ判断つかないよな。リーゼは十一歳で、スカーレットさんは少なくとも百を超えてるんだろ? どっちも同じくらいの歳に見えちゃうよ。」

 

そりゃあほぼ同い歳だからな。私の内心の呆れを他所に、ハーマイオニーがピンと指を立てながら言葉を放つ。

 

「人間の価値観で考えちゃダメよ、ロン。とっても長命な種族なんだから、私たちとは全然違うのは当然でしょう? 物語のエルフみたいな存在なのよ、きっと。」

 

「エルフ? ハウスエルフのことかい? あれとは全然違うと思うけど……。」

 

「そうじゃなくって、マグルのファンタジーの……もういいわ。とにかく人間基準で考えてたら痛い目を見るってこと。」

 

マグル文化と魔法文化の擦り合わせを諦めたハーマイオニーは、ぼんやりとした結論を言い放った。偉大なトールキンの名前も魔法界には届いていなかったようだ。

 

私がマグルの本を魔法界に持ち込んだら一稼ぎできるんじゃないかと考えていると、透明マントを折り畳んでいたハリーが思い出したように口を開いた。

 

「そういえば、クリスマスプレゼントありがとうね、リーゼ。僕、友達に贈るだなんて考えてなくって。お返しできなくてごめん。」

 

「ん? いやいや、気にしないでおくれよ。我が家は色々と社交に煩くてね。まあ、癖みたいなもんさ。」

 

ハリーの言葉を聞いて、ロンとハーマイオニーも慌てて同じような言葉を放ってくる。この三人にはそれぞれクリスマスプレゼントを贈っておいたのだ。金よりも社交。それがバートリの教えなのだから。金で友情ポイントが稼げるなら安いもんだ。

 

「ああ、そうだった。ありがとう、リーゼ。クィディッチ観戦の双眼鏡が欲しいって言ってたのを覚えててくれたんだな。これで今度からスネイプを見張れるぜ。」

 

「そうだわ! 私、一応お返しを持ってきたの。ここに……これよ!」

 

笑顔で喜んでくれたロンに対して、ハーマイオニーはバッグの中から……歯磨きセットか? 意外な物を差し出してきた。

 

「パパとママにはこの前会ったでしょう? 夫婦で歯医者をやってるのよ。それで……吸血鬼なら歯が大事なのかなぁ、と思って。パパに聞いて一番いいやつを詰め込んでもらったの。これ、フッ素濃度が高いのよ。」

 

「ふっそ? ……まあ、ありがたく使わせてもらうよ。見たことない物ばっかりだね。」

 

ふっそとやらが濃いらしい謎の歯磨きジェルを見ていると、ハーマイオニーが品物を指差しながら次々に説明を放ってきた。

 

「これが電動歯ブラシで、これが歯間ブラシよ。それでこっちが……あら、マウスウォッシュも入ってるのね。パパったら、私にプレゼントを贈る友達ができたからって、張り切って詰め込んじゃったみたい。」

 

「でんどう歯ブラシ? ビリビリしないだろうね?」

 

機械っぽい見た目の歯ブラシを慎重に箱から取り出す私を見て、ハーマイオニーはクスクス笑い始めた。失敬な。初めて見たんだから仕方がないだろう。

 

「マグルの世界でもまだあんまり広まってないんだけど、とっても便利なのよ? ちょっと待ってね、ここに電池を入れて……。」

 

でんどう歯ブラシのセッティングをするハーマイオニーを、いつの間にやらハリーとロンも興味深そうに見ている。ハリーはその存在を知った上で興味深いという感じだが、ロンはかなり胡乱な目つきだ。

 

「パパが言ってたぜ。マグルは歯を削ったり無理矢理抜いたりするんだって。気をつけろよ、リーゼ。そういう道具かもしれないぞ。」

 

「失礼ね! これはそうしないための道具よ!」

 

歯を無理矢理抜く? それは……拷問の手順じゃないか。私は父上にそう教わったぞ。ちょっと不安になって事情を知るであろうハリーに目線を送ってみると、彼は苦笑しながら説明してくれた。

 

「大丈夫だよ。ハーマイオニーの言う通り、歯を守るための道具なんだ。電動歯ブラシだなんて、バーノンだって持ってないぞ。きっと羨ましがるよ。」

 

何だかわからんが、マグルにとっては羨ましがるほどの品物らしい。それならまあ、文句はない。高貴な私に相応しいはずだ。

 

帰ったらレミリアに自慢してやろうと思いながら、ブィーンと鳴き始めたでんどう歯ブラシとやらを恐る恐る試すのだった。おお、ブルブルするぞ。

 

───

 

そして一ヶ月経ち、二ヶ月経ってもクィレルは動きを見せなかった。いつものようにオドオドしているだけだし、スネイプの揺さぶりも梨の礫だ。

 

反面、ハリーたちの探偵ごっこは進展を見せた。ハグリッドの大ヒントを執拗に調べ回っていた彼らは、遂に小包の中身が賢者の石だと当たりをつけたのである。お見事、大正解。

 

まあ、だからといって何が変わるわけでもない。私が必死に誤魔化していたのを嘲笑うかのように、ハリーたちの探偵ごっこはそこで行き止まりを迎えたのだ。

 

むしろ今ではスネイプの『殺人未遂』の方が彼らにとっては大きな問題となっているようで、冤罪を被せられた陰気男を警戒するのでそれどころではないといったご様子なのである。いやはや、スネイプ様様だな。

 

そんなこんなで私の退屈な学生生活は後半戦へと突入し、今は変身術の授業の真っ最中なわけだ。

 

「この呪文さえ使いこなすことが出来れば、少なくとも自分で変身させたものを自分で戻せなくなるということはなくなります。そして私は、そんな間抜けに変身術を教えるつもりはありませんからね。」

 

眠い。春の近付いてきたホグワーツでは、教室の気温は午睡に適した温度へと変わっている。マクゴナガルの念仏みたいな説明も相まって、気持ちのいい微睡みに落ちて──

 

「アンネリーゼ、寝ちゃダメよ。」

 

む。隣に座るハーマイオニーが肘で突いてきた。マクゴナガルの念仏を書き取りながら教科書を捲り、おまけに私の睡眠妨害か。キミのマルチタスクには感服するよ、ハーマイオニー。

 

私がハーマイオニーをジト目で見ている間にも、マクゴナガルが脅し混じりの説明を終える。

 

「いいですか? 杖の振り方はこうですよ……レパリファージ。これを習得出来ない者はこの先へは決して進ませませんからね! では練習開始!」

 

マクゴナガルの号令と共に、生徒たちがいつもよりちょびっとだけ真剣な表情で杖を振り始めた。可愛らしいヒヨコたちには充分すぎるほどの脅しだったようだ。

 

ご苦労様だとボンヤリ眺めていると、ハーマイオニーが私のことを急かしてくる。ゆさゆさしないでくれよ、翼が背凭れに擦れてるぞ。

 

「ほら、やりましょうよ。この先に進めないだなんて、考えただけでも恐ろしいわ!」

 

「はいはい、わかったよ。」

 

勉強が出来ない恐怖に震えるハーマイオニーと一緒に、はるか昔にパチュリーから習得済みの呪文を唱えれば……そりゃ成功だ。鉄製の大きなマグカップはショットグラスへと姿を変えた。

 

隣のハーマイオニーは……お見事。彼女のピンクッションはハリネズミへと戻っている。哀れな実験動物が逃げようとするのを捕まえながら、ハーマイオニーは満面の笑みでハイタッチを要求してきた。魔法界じゃ動物愛護は流行らんな。

 

「やったわね、アンネリーゼ!」

 

「ああ、やったねハーマイオニー。」

 

もう何も言うまい。この数ヶ月で学んだ諦めの笑みを浮かべながらハイタッチしたところで、生徒の間を練り歩いていたマクゴナガルが声をかけてくる。

 

「お見事です、グレンジャー。グリフィンドールに三点をあげましょう。」

 

ニッコリ微笑んだマクゴナガルに加点されて、ハーマイオニーはいつもの満足気な表情を……あー、浮かべていないな。どうしたんだ? マクゴナガルも心配そうに見つめているぞ。

 

ハーマイオニーが教師に褒められて喜ばないだなんて、ダンブルドアが磔の呪文を楽しむくらいに有り得ない光景だ。マクゴナガルが同じことを考えたかは定かではないが、彼女は『それ、クルーシオじゃ』と言っているダンブルドアを見るような表情でハーマイオニーへと話しかけた。

 

「どうかしましたか? グレンジャー。」

 

しばらく何かを迷っている感じのハーマイオニーだったが、やがて意を決したように口を開く。

 

「あの、マクゴナガル先生! アンネリーゼも成功しています。どうして毎回、彼女だけに加点してくれないんですか?」

 

おおっと、それは……嫌な展開になってきたぞ。マクゴナガルも物凄く気まずそうな顔になっている。まさか『五百歳だからです』と言うわけにはいかないだろう。

 

そして残念なことに、もはや適当に言い訳できる感じの状況ではない。なにせ教室中が注目しているのだ。『あの』ハーマイオニーがマクゴナガルに文句を言った。それはグリフィンドールや一緒に授業を受けているハッフルパフの生徒たちにとっては、充分すぎるほどに注目すべき事態らしい。

 

注目を一身に受けているハーマイオニーはそれに気付くことなく、『言っちゃった』みたいな感じの表情に変わっているが……一度喉を鳴らした後、再びマクゴナガルに言い募ってきた。

 

「ア、アンネリーゼも頑張ってます! もしも彼女だけ加点が無いなら……私も点数は受け取れません!」

 

震える声色だったが、ハーマイオニーは最後まで言い切った。おいおい、随分と格好のいいところを見せてくれるじゃないか、ハーマイオニー。

 

思わず浮かんできた微笑みのままハーマイオニーを見ていると、マクゴナガルも同じ表情に変わって口を開く。

 

「……その通りですね、グレンジャー。バートリにも三点。そして……貴方の友人を想う勇気に五点を差し上げましょう。今の言葉にはそれだけの価値があります。」

 

言い終わると、グリフィンドールとハッフルパフ生たちから拍手が沸き起こった。真っ赤な顔で座り込んでしまったハーマイオニーに、そっと耳元で声をかける。

 

「ありがとう、ハーマイオニー。キミがレイブンクローではなくグリフィンドールに入った意味が、今はっきりと分かったよ。」

 

「うぅ……い、いいのよ、アンネリーゼ。友達でしょう?」

 

もちろんマクゴナガルも私も同意の上でのことだったわけだが、知らぬハーマイオニーは本気で抗議してくれたわけだ。

 

正直言って、ハーマイオニーがこんなことをするとは夢にも思わなかった。教師に、それもマクゴナガルに食ってかかるとは……この子にとってはさぞ勇気の要る行為だったろうに。

 

「リーゼだ。」

 

「へ?」

 

「リーゼでいいよ。なんだか機を逃してそのままだったわけだが、長ったらしい名前は呼び難いだろう? 今後はリーゼと呼びたまえ。」

 

「そ、そうね。それじゃあ……リーゼで。」

 

真っ赤な顔をパタパタと扇いでいるハーマイオニーを見ながら、アンネリーゼ・バートリは久方振りの偽らぬ笑みを浮かべるのだった。

 



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報われない男

 

 

「気をつけてね、ハリー。危険を感じたら合図して頂戴。私たちがスネイプに呪文を撃つから。」

 

選手控え室へと向かうハリーに緊張した様子で声をかけるハーマイオニーを見ながら、アンネリーゼ・バートリは欠伸を一つ噛み殺していた。

 

今日行われるのはクィディッチの趨勢が決まる大事な一戦である。……まあ、私以外にとってはだが。なんでも今日グリフィンドールが勝てば、優勝杯を手にできる可能性は限りなく大きくなるらしい。

 

とはいえ、ハーマイオニーが気にしているのはそこではない。なんと悪しき殺人鬼スネイプが、この試合の審判に立候補したのだ。

 

結果としてハリーの危機を感じたハーマイオニーとロンは、友のために杖を手にして立ち上がったというわけである。心意気は見事だが、私から見ると悲しいすれ違いにしか見えない。スネイプが審判をやるのは間違いなくクィレル対策なのだから。

 

「うん、すぐに試合を終わらせるよ。スネイプが妙なことをしてこないうちに。」

 

決意の滲む表情で控え室へと入って行ったハリーを見送り、三人で観客席への階段を上り始める。

 

「リーゼも覚えておいてね? ロコモーター・モルティスよ。スネイプが怪しい動作をしたら、すぐに撃ち込むの。」

 

「足縛り術かい? ……まあ、覚えておこう。」

 

かわいらしい妨害方法に苦笑しながらも階段を上りきると……おやおや、学校中が観戦に来ているんじゃないか? クィディッチ競技場を囲む観客席には、所狭しと生徒たちがひしめいているのが見えてきた。

 

実のところ、クィディッチの観戦に来るのは初めてなのだ。クィレルの一件の後も、ハリーの試合は雨が続いたせいでスネイプやマクゴナガルに護衛を代わってもらっていた。まあ、仕方があるまい。吸血鬼に雨はご法度なのだから。

 

そんなわけで観客席からの風景を見るのも初めてなわけだが……めちゃくちゃ高いな。そりゃあここから落とそうとしたとなれば、スネイプを警戒するのも仕方あるまい。……しかし、なんだって地面は芝生なんだ? 安全に配慮するならもっと柔らかい素材でもいいだろうに。

 

最前列から遥か下を見下ろして考えていると、私の贈った双眼鏡を覗いていたロンが教員席の方を指差しながら言葉を放った。

 

「ダンブルドアだ! 校長が観戦に来てるぜ!」

 

何? 顔を上げてそちらを見れば……確かにダンブルドアがのほほんとした様子で座っているのが見えてきた。なんだよ、私が来る必要は無かったんじゃないか。

 

トランクの中でゴロゴロしてれば良かったと後悔する私を他所に、ハーマイオニーとロンは安心したように頷き合っている。

 

「これならスネイプは手出しできないわ! 幾ら何でも、校長先生の前じゃハリーを殺すなんて無理よ。」

 

「ざまあみろだ。後はグリフィンドールが勝てば万々歳だな!」

 

そしてクィレルも何も出来まい。ハリーの側にスネイプ、教員席にはダンブルドアと、石を狙っていることは知らされているフリットウィック。実況席にはマクゴナガルで、ここには私だ。リドルだってこれを抜けないだろうし、クィレルの場合は夢のまた夢だろう。

 

私がハリーの無事を確信したところで、選手たちがフィールドへと浮かび上がってきた。赤いのがグリフィンドールで、黄色いのがハッフルパフ。そして……ハリーがシーカー。私の知る情報はそれが全てだ。

 

「……ん? シーカー以外は何をするんだい? 相手のシーカーを殺そうとするとか?」

 

「それは反則だよ、リーゼ。まあ……やろうとしたヤツはいっぱいいるけど。ウッドがキーパーで、あの三人がチェイサー。チェイサーがクアッフル……赤茶色の球ね。をゴールに入れると十点。そしてビーターの兄貴たちはブラッジャーを制御して相手を妨害するんだ。ブラッジャーってのは黒い──」

 

「ロン、要点を教えてくれ。ハリーがスニッチを取るとどうなるんだい?」

 

長々と続きそうなロンの解説を遮ると、彼はちょっと残念そうな表情で結論を口にした。

 

「百五十点入る。そしてそこで試合終了だ。点差がそれ未満だったら、取ったチームの勝利だよ。」

 

「解説どうも、クィディッチ博士さん。」

 

つまりスニッチはゴール十五回分なわけだ。パチュリーが欠陥スポーツだと罵っていたのはこれが理由か? ……いや、自分の運動神経の無さが理由の可能性もあるな。

 

そうこうしている間にも、試合は箒が死ぬほど似合わないスネイプのホイッスルでスタートした。うーむ、むしろスネイプが墜落しないかを心配すべきかもしれない。青白い顔は、私以上に日光の下が似合っていないのだから。

 

「さあ、プレイ・ボールだ! ……なんだよ、マルフォイ!」

 

楽しそうに開始の宣言をしたロンは、忍び寄ってきたマルフォイに小突かれて後ろを振り返った。

 

「ああ、ごめんよ、ウィーズリー。頭が燃えてるのかと思って、消そうとしただけなんだよ。」

 

マルフォイはいつも通りに二体の仔トロールを従え、いつも通りに私を視界から外しながら、いつも通りに馬鹿にしたような口調で話し出す。……キミの視界から消えたとしても、私はここにいるんだぞ。本当に分かってるんだろうな、コイツ。

 

「この試合、ポッターはどのくらい箒に乗ってられるかな? 誰か賭けないか? ウィーズリー、君はどうだい?」

 

完全にロンが無視したのと同時に、スネイプが笛を鳴らして……なんだ? 双子のどっちかを指差しながら何かを喚いている。

 

キョトンとしている私を見兼ねたのか、指を組んで祈っていたハーマイオニーが解説してくれた。

 

「ペナルティを食らったのよ。スネイプはやっぱりハッフルパフを贔屓するつもりなんだわ。ハリーに手出しできなくなった腹いせかしら?」

 

「そうかもね。私は単にグリフィンドールが嫌いな方に一票を入れるが。」

 

腹いせかはともかくとして、確かに公平なジャッジとは言えなさそうだ。再開から三十秒も経たないうちに、スネイプは笛を吹いて再びペナルティを与えているのだから。

 

ハリーは何をしてるのかと探してみれば……おや、遥か上空で大きく旋回している。あの距離からスニッチを見つけ出せるのか? というか、そもそもスニッチはどの範囲を逃げるもんなんだ?

 

疑問をハーマイオニーに聞こうとするも、試合に夢中でそれどころではないという様子だ。ロンは……こっちもダメだな。いつの間にか参戦したロングボトムと一緒に、二人でマルフォイ一派と睨み合っていた。

 

「グリフィンドールの選手がどうやって選ばれてるか知ってるかい? ……気の毒な人が選ばれてるんだよ。ポッターは両親がいないし、ウィーズリー家はお金がない。ロングボトム、君もチームに入るべきだね。だって君には脳みそがないから。」

 

上手いこと言うじゃないか。スリザリンに十点。とはいえロングボトムはそうは思わなかったようで、ぷるぷる震えながらもマルフォイに反撃を繰り出した。

 

「そ、それなら君もスリザリンのチームに入ったらどうだい? だって君には……分別がない。」

 

「いいぞ、ネビル! 言ってやれ!」

 

まさかロングボトムから反撃を食らうとは思わなかったのだろう。マルフォイはちょっと頰を赤らめながら何かを口にしようとするが……その前にハーマイオニーの叫び声が響き渡った。

 

「見て、みんな! ハリーが!」

 

また墜落じゃないだろうな。慌ててハーマイオニーの指差す方を見てみれば、ハリーが凄い速度で急降下しているのが見えてきた。ちゃんと制御しているみたいだし……スニッチを見つけたのか?

 

「運がいいぞ、ウィーズリー! きっとポッターは地面にお金が落ちているのを見つけたんだ!」

 

おっと、ロンがキレたぞ。いきなりマルフォイに馬乗りになると、思いっきりお坊ちゃんをぶん殴り始めた。仔トロールたちがマルフォイを助け出そうと騒ぎに加わり、ロングボトムも意を決したように突っ込んで行く。うーむ、どっちの『試合』を観るべきか判断に迷うな。

 

そんな私の悩みを晴らしてくれたのは、ハーマイオニーの気が狂ったかのようなハグだった。ハグというか……タックルに近いぞ。彼女は満面の笑みで私に突っ込んでくると、耳元で歓喜の叫びを放つ。鼓膜がどうにかなりそうだ。

 

「取ったわ! ハリーがスニッチを取ったわ! グリフィンドールが首位よ! 首位!」

 

「あー……なるほど。良かったね、ハーマイオニー。少し落ちつ──」

 

「首位だわ! ハリーがやったのよ! 首位!」

 

しゅいしゅい言いながら狂喜するハーマイオニーは、吸血鬼もかくやという力で私を抱き締めてくる。他の生徒も騒いでいるのを見るに、どうやら試合は終わりのようだ。

 

うーむ、結局よく分からないスポーツだったな。五分くらいで終わったし、ルールも把握し切れなかった。楽しめそうなら咲夜をプロゲームの観戦にでも連れて行こうかと思ったのだが……うん、判断は先延ばしにする必要がありそうだ。

 

チラリと振り返ってみれば、ロンも鼻血を流しながら両手をぶんぶん振り回して歓声を上げている。ロングボトムは……おや、こっちもボロボロだが嬉しそうだ。仔トロールを見事に退治したらしい。ちょっと見直したぞ、ロングボトム。

 

「談話室が騒がしくなりそうだね。」

 

この様子だと、絶対に戦勝パーティーが開かれるはずだ。肩を竦めて言った私に、ようやく落ち着いてきたハーマイオニーがウィンクしながら言葉を放つ。

 

「今日ばかりはリーゼも参加してもらうわよ。ハリーをお祝いしてあげなくっちゃ!」

 

「そうだよ、リーゼ! 君がクィディッチ嫌いなのは知ってるけど、今日くらい騒いでもバチは当たらないはずさ!」

 

ロンも大賛成のようだし……ま、そうだな。今日くらいは付き合おう。雰囲気を壊すのはさすがに可哀想だし、これも社交の一環だと思えば苦ではない。

 

「あー、分かったよ。そうだね……ハリーも頑張ったんだ。みんなで祝ってあげようじゃないか。」

 

苦笑いで返事をして、三人で談話室に戻るために歩き出す。ワインでもあればいいんだが……まあ、今日はバタービールで我慢するか。

 

───

 

談話室に戻ると、そこでは既にお祭り騒ぎの真っ最中だった。赤い横断幕を高らかに掲げながら、誰もが嬉しそうに笑っている。選手がちらほらと戻ってくると騒ぎが大きくなり、ウィーズリーの双子が山ほどもある料理を何処かから調達してきたあたりでその騒ぎはピークを迎えた。

 

ソファに座ってローストビーフをつまみながら、ロンの熱を帯びたクィディッチ談義を適当に聞き流していると、ハーマイオニーが怪訝そうな顔で問いかけてくる。

 

「ハリーが戻ってこないわ。どうしたのかしら?」

 

「そういえばそうだね。今日のヒーローだってのに、どこで道草を食っているのやら。」

 

他の選手は戻って来ているようだし、どうも遅い気がする。ふむ、一応探しに行っておくか。まさかクィレルに襲われてはいないだろうが……。

 

「……一応探してくるよ。」

 

ちょっとだけ不安になりつつも談話室を出ると、ハーマイオニーとロンもついてくる気のようだ。私の左右に並びながら、キョロキョロと辺りを見回している。

 

「ウッドに絡まれるのが嫌で逃げ出したのかもな。今のあいつなら、ハリーにキスしかねないぞ。」

 

まあ、ロンの言う通りかもしれない。喜びすぎて気絶する人間というのを私は初めて見た。奇声を上げながらパタリと倒れた時には、誰もが興奮しすぎて死んだのだと思ったはずだ。

 

「何をバカなことを言って……ハリー! いったいどこにいたのよ? みんな貴方のことを探してるわ!」

 

言うハーマイオニーの視線の先を見てみれば、ハリーが廊下をテクテクと歩いてくるところだった。その顔には喜びの色はなく、困惑と不安に染まっている。ふむ、何かがあったのは確からしい。

 

ハーマイオニーの質問に答えることなく、ハリーは私たちを近くの空き部屋に引っ張ってから、声を潜めて説明を始めた。

 

「スネイプは賢者の石を狙ってるんだよ。箒を置きに行った時、クィレルを脅しているところを見たんだ。三頭犬がどうだとか、他の守りがどうだとか……よく聞こえなかったけど、四階のことを話してたのは間違いない。」

 

実に喜劇的な話だ。事実とは真逆なところがなんとも面白い。スネイプはどうやら殺人に加えて、窃盗犯の汚名を着せられたらしい。

 

私の内心の呆れを余所に、ハリーは真剣な顔で説明を続ける。

 

「きっと先生たちの作った仕掛けが石を守っていて、スネイプはクィレルからその対策を聞き出そうとしてるんだよ。他の先生より……なんというか、簡単だと思ったんだろう。」

 

「それじゃ、賢者の石が安全なのは、クィレルがスネイプに対抗している間だけってこと?」

 

絶望的な顔で言うハーマイオニーに、ロンが同じ表情で答えた。

 

「それじゃ、三日ともたないな。石はすぐになくなっちまうよ。」

 

「それだけじゃないんだ。スネイプが……あいつのことを口にしてた。闇の帝王がどうこうって。つまり──」

 

ハリーはそこで言葉を区切り、一度喉を鳴らしてから強張った顔で続きを話す。

 

「スネイプはヴォルデモートのために石を手に入れようとしているんだ。」

 

衝撃を受けているロンとハーマイオニーを見ながら、アンネリーゼ・バートリはちょっとだけスネイプに同情するのだった。

 



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ドラゴン

 

 

「平均十秒くらいね。」

 

咲夜から古めかしいストップウォッチを受け取りつつ、パチュリー・ノーレッジは羊皮紙にタイムを書き込んでいた。

 

言わずもがな、咲夜の能力についての検証である。図書館の机に広げられた羊皮紙を見る限りでは、彼女が時間を止められるのは平均して十秒間だけだ。無論、彼女にとっての十秒間だが。

 

短いか長いかは人によって意見が分かれるだろうが……世界で自分だけが動ける十秒間。私からすれば長すぎるくらいだ。

 

「しかし、昔はもう少し長かったと思うのだけど……理論立てて考えすぎたせいなのかしらね?」

 

羊皮紙を見ながらの呟きを聞いて、頭上から咲夜が疑問を寄越す。

 

「ってことは、まだ伸び代があるんですよね? 練習すればもっと長くなりますか?」

 

「ええ、恐らくね。検証で色々分かってきたことだし、効率的な練習方法、を……。」

 

答えながら頭を上げてみれば……咲夜がたらりと鼻血を流していた。ヤバい。今回の検証では前例の無いほどに連続して能力を使用したのだ。その副作用だとすると……。

 

「こあ、来なさい! すぐによ!」

 

焦りによって速くなった鼓動を感じながら、大声で小悪魔を呼びつける。同時に懐から取り出した魔道具をそっと咲夜に当てた。

 

「あの、パチュリー様? どうしたんですか?」

 

「いいから、動かないの。」

 

先ずは脳だ。モノクル型の診断用魔道具を覗き込んで丁寧に調べていくと……よし、異常無し。思わず安堵の吐息を漏らしながら一応身体中を調べているところで、慌てて走ってきた小悪魔が近寄ってきた。

 

「ど、どうしたんですか? 珍しく本気で焦って……わー! 咲夜ちゃん!」

 

鼻血を流す咲夜に気付くと、小悪魔は素っ頓狂な叫び声を上げながら慌ててハンカチを押し当てる。ハンカチを当てられたことでようやく咲夜も自分の状況に気付いたようだ。

 

「あれ? 私、鼻血を……?」

 

「ほら、横になってください! トントンしますから! トントン!」

 

「その対処法、間違ってるわよ。」

 

困惑する咲夜に対して凄い勢いで首筋にチョップを決め始めた小悪魔に忠告しながら、脳内ではぐるぐると思考を回す。

 

やはり能力を使い過ぎたことが原因か? そもそも咲夜は少し間隔を空けないと連続して能力を使えないし、それでなくとも一回毎に数分間の休憩を挟んでいたのだが……短かったのかもしれない。しくじったな、パチュリー。

 

そうなると、十秒間というのは無意識のストッパーが働いている可能性がある。……いやいや、それなら赤ん坊の頃にもっと長く止められたのはどういうわけだ? 咲夜はまだまだ子供なんだから、成長に従って多くの身体機能は向上しているはずだぞ。当然ながら処理能力だって今の咲夜の方が上だろうに。

 

……ああもう、意味不明! 困惑顔で小悪魔に膝枕されている咲夜を見ながら、頭をぐっしゃぐしゃに掻き回したい衝動を必死に堪える。落ち着け、落ち着け。整理するんだ、パチュリー・ノーレッジ。

 

「こら、パチュリーさま! 咲夜ちゃんに無茶させたんですね? アリスちゃんに言いつけちゃいますよ!」

 

告げ口悪魔を無視して考える。現在判明しているのは三つ。一つは自分以外の生物と止まった時間を共有できないことだ。例えアリンコ一匹でさえも、咲夜の世界を共有することは出来なかった。紅魔館の面々はこのことを非常に残念がったものだ。……もちろん私も。

 

「ちょっと! 聞いてるんですか? パチュリーさま! 私は怒ってますよ!」

 

「えっと、私は大丈夫だよ? どこも痛くないし。」

 

「そういう問題じゃないんです!」

 

もう一つは、停止した世界では何かを『破壊』することはできないということ。……ここは非常にあやふやな点だ。実験用のマウスにナイフを刺すことは出来なかったが、紅茶をポットからカップに注ぐことは出来た。妖精メイドを抱えて動かすことは出来るが、コップを割ることは出来なかった。

 

これに関してはいまいち分からん。咲夜が呼吸出来ていること、歩いた際に生じる摩擦、空間の体積の変化。光、音、重力。考えれば矛盾点が多すぎるのだ。非常に悔しいが、この件についてはとっくに匙を投げている。私が停止した時間に入れない以上、咲夜が自分で検証出来るようになるまではどうにもならないだろう。

 

「ちょっと? パチュリーさま? 無視するなら考えがありますよ! 下克上しちゃいますからね! 革命ですよ!」

 

最後の一つは、止まった時間の中で動いているのは咲夜の周囲にある物だけだということだ。例えば咲夜が思いっきりナイフをぶん投げれば、一定距離離れた時点でベクトルを保存して停止する。先程のストップウォッチにしたって、机に置いて少し離れれば針の動きを止めるのだろう。

 

難しいな……今度大きなプールの中で時間を停止させてもらおうか? その場合周囲の水はどうなる? 咲夜が移動した場合は? ううむ、気になってきた。早速美鈴に頼んでプールを──

 

「ちょあぁ!」

 

「むきゅっ! ……何のつもりよ! こあ!」

 

何なんだ、一体! いきなり小悪魔がチョップをかましてきた。おのれ小悪魔、上司にチョップをするとはいい度胸じゃないか。

 

「パチュリーさまが全然話を聞かないからじゃないですか! もう怒りましたからね……アリスちゃーん! パチュリーさまが咲夜ちゃんを実験動物にしてますよー! モルモット扱いですよー!」

 

「待ちなさい、こあ。それはいけないわ。」

 

ぷんすか怒りながら過保護な人形技師を呼び始めた小悪魔を、必死の思いで押さえつける。レミィはスヤスヤ寝ているだろうし、妹様の地下室までは声が届くまい。アリスさえどうにかすれば『鼻血事件』は闇へと葬れるのだ。

 

「むー、むー!」

 

「静かになさい。」

 

小悪魔の口を押さえつけて耳を澄ませば……あ、ダメだこれ。バタバタとアリスが走ってくる音が聞こえてきた。

 

勝ち誇った顔の小悪魔をぐりぐりしながらも、パチュリー・ノーレッジは今日一番の思考速度をもってアリスへの言い訳を探すのだった。

 

 

─────

 

 

「……は? ドラゴン?」

 

思わず朝食の目玉焼きがフォークから落下するのも構わずに、アンネリーゼ・バートリはそう聞き返していた。

 

ハグリッドがドラゴンを飼い始めたと聞こえたのだが……いやいや、そんなわけがない。内心で馬鹿馬鹿しい思考を蹴っ飛ばした私に対して、ハリーが返答を口にする。

 

「そうだよ、ドラゴンを育ててるんだ。」

 

なるほど。私は耳医者に行く必要はないらしい。蹴っ飛ばした思考を引き戻しながら、ハグリッドをアズカバンに送ろうかと真剣に考え始める。……ダメだな、アリスに怒られるか。

 

つまり、最近妙に大人しかったのはこれが原因なわけだ。ちょっと前までは石について調べまくっていたというのに……妙だとは思っていたが、ドラゴン? そりゃあ賢者の石に構っている余裕などないはずだ。

 

呆れ果てている私に、ロンがうんざりしたように口を開いた。

 

「言いたかないけど、ハグリッドは狂ってるぜ。自分のことをママだって言って猫可愛がりしてるんだ。」

 

「……法に触れることは知っているんだろうね?」

 

「知っての上さ。それでもかわいいノーバートちゃん……ドラゴンの名前だ。を引き離すことは出来ないんだってよ。」

 

頭を押さえてため息を吐く私に、ハーマイオニーが『悪夢』の続きを話す。

 

「日に日に大きくなってるのよ。このままだとハグリッドの小屋が炭になるのは時間の問題だわ。ハグリッドはリーゼには言わないでって言ってたんだけど……もう私たちじゃどうしようもなくって。何かいい方法を思いつかない?」

 

「ふぅん? 私に内緒にして欲しいわけだ、あの男は。」

 

「その……ロンのお兄さんに頼むって手もあるのよ。ただ、誰にもバレずにやるのは難しそうなの。ハグリッドには悪いと思ったんだけど、相談出来そうなのはリーゼしかいなくって。」

 

いい度胸だな、ハグリッド。ハーマイオニーは申し訳なさそうにしているが、そんな表情をする理由などないのだ。ツルツルなお口のハグリッドが他人に文句など言えまい。

 

内心に浮かんだ選択肢から、迷わず一つを掴み取る。アリスに言おう。ダンブルドアだとどうせ甘々な感じで終わらせるに違いないが、アリスならきちんと叱りつけてくれるはずだ。ドラゴンの対処はそれからでいい。

 

潰れた目玉焼きが乗った皿を押し退けながら、立ち上がって口を開く。

 

「私に任せておきたまえ。ハリー、ヘドウィグを貸してくれるかい? 連絡を取りたい人がいるんだ。」

 

「そりゃあ、構わないけど。どうにかなるの?」

 

「どうにかするのさ。」

 

言い放ってから、すぐさまふくろう小屋へと歩き出す。ただでさえ問題が山積みだってのに、ドラゴンなんかに構っていられるか! 早急に解決する必要があるだろう。

 

アリスへの手紙は多少脚色しようと決意しつつ、大広間を抜けて荒い足取りで歩くのだった。

 

───

 

「おお、お前さんたちか。入れ入れ、ノーバートもよろ、こ……ぶぞ。」

 

二日後の昼休み。ニッコニコでハリーたちを招き入れようとしていたハグリッドは、私の顔を見ると途端に硬直してしまった。ふむ、罪の自覚はあるらしい。

 

「やあ、ハグリッド。いい天気だね。」

 

「あー……こりゃ、アンネリーゼさん。ええと、そうですね。最高の天気だ。」

 

どんよりした曇り空を見ながら言うハグリッドに、和かな笑みで小屋を指差す。

 

「私も入っていいかな? 珍しい生き物を飼い始めたそうじゃないか。私にも見せておくれよ。」

 

「そりゃ、その……ちいっとばかしごちゃごちゃしてるもんで。アンネリーゼさんを招けるような場所じゃねえんです。」

 

「構わないさ、ハグリッド。私は寛大な吸血鬼なんだよ? そんな小さなことで怒るわけがないだろう? 私が怒るとすれば、そうだな……ドラゴンを飼い始めた時とか? つまり、有り得ない話だよ。」

 

ニッコリ笑って言ってから、引きつった顔のハグリッドを押し退けて小屋へと入ると……暑っついな、おい。暖炉の火力をマックスにした上で、完璧に小屋の中を閉め切っているようだ。

 

そしてサウナのような小屋の中央には、ギャーギャー喚く件のドラゴンが鎮座していた。なんというか……産まれたての鳥みたいだ。つまり、非常に醜い。

 

「……なるほど、かわいいね。」

 

当然皮肉だ。少なくとも私に続いて入ってきたハリーたちにはそれが通じたようで、然もありなんとばかりの苦笑を浮かべている。

 

しかし反面、この小屋の主にはそれが通じなかったようだ。嬉しそうに私の前に躍り出ると、コクコク頷きながら捲し立ててきた。

 

「その通りです! ノーバートは人懐っこくって、全然害はない子なんです! 見ててくだせえ……ほら、ノーバート! ママでちゅよー!」

 

なるほど、ロンの説明は物事の本質を射ていたな。ハグリッドは間違いなく狂ってる。おまけにギャーギャー鳴きながらハグリッドに噛み付いている姿は、どう見たって獰猛な猛獣にしか見えない。

 

そんなことは御構い無しに、ハグリッドは嬉しそうな顔で『ほらね?』みたいな目を向けてくるが……コイツ、本当にバジリスクの件は無罪なんだろうな? アリスの言葉といえども疑わしくなってきたぞ。

 

私が戦慄の光景を眺めていると、もう慣れたとばかりにハーマイオニーがお茶の準備をし始めた。ハリーとロンも椅子に座りながら平然としている。つまり、このホラームービーのような光景は、日常的に行われているようだ。

 

「ハグリッド、牙には毒があるんだからね。」

 

「大丈夫、甘噛みしとるだけだ。」

 

ハリーの忠告も梨の礫だ。グルルと唸りながら噛みついている姿は、どう見たって甘噛みじゃない。本気で食い殺そうとしているぞ、そいつ。

 

もう何も言うまいと椅子に座る私に、ハグリッドがウルウルと目を潤ませながら話しかけてくる。うーむ、隣でビタンビタンと尻尾を打ちつけて威嚇してくるドラゴンがいなければ、ほんの少しは同情に値する表情かもしれない。

 

「お願いします、アンネリーゼさん。こいつにはママが必要なんです。離れ離れにさせないでくだせえ。まだ小さな赤ん坊なんだ。」

 

「安心したまえ、ハグリッド。私は何も言うつもりはないよ。」

 

「そいつぁ……そいつぁありがてえ!」

 

私は、だがな。私の返答にハグリッドが顔を輝かせた瞬間、小屋のドアが荒々しくノックされた。そら、怒れる先輩のご到着だ。

 

「ハグリッド! 開けなさい!」

 

アリスの怒鳴り声が響くと、ハグリッドは部屋の隅に移動してプルプルし始める。肩を竦めながら代わりにドアを開けてやれば……ご愁傷様、ハグリッド。久々に見る激怒モードのアリスが立っていた。

 

「リーゼ様、ハグリッドは……ハグリッド!」

 

私に話しかけながら小屋を見回したアリスは、どうやら標的を見つけたらしい。ズカズカと小屋に入ってくると、テーブルでお茶を飲んでいる三人も目に入らぬ様子で説教をし始めた。

 

「貴方ね、自分が何をしているか分かってるの? ダンブルドア先生にどれだけの迷惑がかかるかは? 本気で理解できているんでしょうね!」

 

「マーガトロイド先輩、でも、俺は──」

 

「それに何より、テッサにどう言い訳するつもりなの? 貴方を止めてくれてた彼女の努力を無に帰すつもりなんだったら、私は本気で怒るわよ!」

 

ダシダシと足を鳴らしながら言うアリスに、ハグリッドはショボショボと萎れていく。さすがにヴェイユの名前は効いたようだ。

 

「貴方が『ヤバい』生き物を飼おうとした時に、いつも止めてくれたテッサはもう居ないのよ? もう自分で考えて、自分で責任を取らなくちゃならないの。貴方がドラゴンを飼ったせいでアズカバンに行ったとなれば、彼女がどんなに悲しむか分からない?」

 

ほんの少しだけ悲しそうな表情で怒るアリスに、ハグリッドは大きな手で額を覆った後、絞り出すようにポツリポツリと話し始めた。

 

「俺は……俺は、そんなこと考えもしなかった。マーガトロイド先輩の言う通りです。そんなことになったら、ヴェイユ先輩に顔向けできねえ。俺は大馬鹿野郎だ……救いようがねえ、大馬鹿だ。」

 

随分と小さくなってしまったハグリッドに、アリスは一つ大きなため息を吐いた後、勢いを緩めて語りかける。

 

「ドラゴンについては何とかなるわ。ダンブルドア先生がスキャマンダー氏に連絡を取ってくれたの。彼のお弟子さんが、責任を持って面倒を見てくれるんですって。……あの方の紹介なら安心して預けられるでしょう? 魔法生物じゃ世界一の人よ。」

 

さすがはアリスだ。この短時間で既に受け入れ先まで見つけているのか。……しかし、懐かしい名前が出てきたな。ニュート・スキャマンダー。曲がりなりにもゲラートを打ち破った男だ。

 

別にそのことは関係ないだろうが、ハグリッドにとっても納得の人選だったようで、大きく頷きながら了承の返事を口にし始めた。

 

「そいつぁ、ありがてえ。ダンブルドア先生にも迷惑をかけちまったようで……情けねえです。」

 

「後できちんと謝るのよ? ほら、このトランクにそれ……その仔を入れて頂戴。拡大呪文がかかってるから、不便はしないはずよ。多分。」

 

「わかりました。でもその前に、色々詰めてやらねえと。ノーバートは寂しがり屋なんです。」

 

恐らく想像よりも大きかったのだろう。ちょっと自信なさげに言うアリスに従って、ハグリッドがボールやら犬用ガムやらを詰め込み始めた。寂しくないようにとテディベアも入れているが……おっと、首を噛み千切ったぞ。

 

ハグリッドが慌ててテディベアの惨殺死体を取り上げようと奮闘し始めたあたりで、ようやくアリスは室内に居るハリーたち御一行に気付いたようだ。ちょっとバツの悪そうな顔で挨拶を口にした。

 

「あら、ハリー、ハーマイオニー、ロン。びっくりさせちゃってごめんなさいね。」

 

「いえ、その……助かりました。あれには凄く困ってたので。」

 

とうとうテディベアの綿を引き摺り出し始めた『あれ』を指差すハリーに続いて、他の二人も口々に礼を言う。ハリーとハーマイオニーはともかく、ロンとも顔を合わせていたのか。

 

「おや、ロンとも知り合いだったんだね。」

 

「ええ、初日の駅でちょっとだけ顔を合わせたんです。モリーに声をかけたときに紹介してもらいました。」

 

私がアリスの意外な交友関係に感心している間にも、ハグリッドの準備は着々と進んでいく。元テディベアのボロ雑巾、血抜きされた鶏、元クッションのボロ雑巾、ブランデーの入った給水機、元何かのボロ雑巾。……雑巾には絶対に困らんな。何かを拭き取るような知能があるかはともかくとして。

 

ようやく全ての準備を終えたハグリッドは、ドラゴンと別れを惜しむかのように抱き合った。

 

「あら、ノーバートもハグリッドと別れるのは寂しいのかしら? 尻尾を巻き付けてぎゅっと抱き締めてるわ。」

 

「絞め殺そうとしているんだと思うけどね、私は。」

 

夢のある解釈をするハーマイオニーに現実を教えてあげたところで、ハグリッドはウルウルと目を潤ませながらドラゴンをトランクの中へと押し込む。凄まじい声を上げながら抵抗する猛獣をグイグイと奥に入れると、蓋を閉じながらポツリと声をかけた。

 

「バイバイ、ノーバートちゃん。寂しくなったらママの所に戻ってくるんだよ?」

 

「僕、ノーバートが寂しくないように夜な夜な祈るよ。戻ってこられちゃ堪んないもんな。」

 

「シッ、ロン。」

 

ロンとハリーのコソコソ話を他所に、パタリと閉じた蓋に魔法で厳重なロックをかけたアリスは、絶対にそれが開かないことを確認してからトランクを手に出口へと歩き始めた。

 

「もう行っちまうんですか? マーガトロイド先輩。お茶でも……。」

 

「残念ながら、すぐに『これ』を運び出す必要があるのよ。誰かに見つかるわけにはいかないでしょう? お茶はまた今度の機会にしておくわ。」

 

言いながらドアに手をかけたアリスは、ゆっくりと開きながら振り返る。

 

「……いい? ハグリッド。これで最後にしてよね? 次はアズカバン行きを止めたりはしないわよ。」

 

「分かっちょります、マーガトロイド先輩。ご迷惑をおかけしました。……ノーバートのことをお願いします。」

 

「任せておきなさい。それじゃあ、ハリー、ロン、ハーマイオニーも元気でね。リーゼ様は……その、頑張ってください。」

 

その場の全員に挨拶してから、アリスは小屋を出て行く。……ああ、頑張るよ、アリス。私の精神が保つかは保証できないが。なんたってまだ七分の一も終わってないんだ。

 

アリスを目にしてほんのちょっとだけ元気が出たのを自覚しながら、アンネリーゼ・バートリは大きくため息を吐くのだった。

 



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ハリー・ポッターと賢者の石

 

 

「傷跡が疼くんだよ。今までも時々こういうことはあったけど、こんなにずっと続くのは初めてだ。」

 

ホグワーツにある湖のほとりに座り込みながら、アンネリーゼ・バートリはハリーの傷跡をじっと眺めていた。

 

学期末試験が終わり、生徒たちは開放感に包まれている。誰もが嬉しそうに苦行の終わりを祝う中、何故かハリーだけは沈んだ顔をしたままだった。その理由をロンが聞いた結果、返ってきたのが傷跡の話だというわけだ。

 

あの『ノーバートちゃん事件』以来、ハリーたちは数日おきに四階の廊下を調べている。ドア越しに三頭犬の無事を確認する度に胸を撫で下ろしていたのだが、試験が始まってからはさすがに気にしている雰囲気はなくなった。

 

しかし、それはロンとハーマイオニーだけだったらしい。てっきり試験の不安で落ち込んでいるのだと思っていたが、ハリーは未だに石のこと……というか、リドルのことが気になっていたようだ。

 

思い詰めた様子のハリーを見て、ハーマイオニーは問題用紙と睨めっこをするのをやめて心配そうに声をかけた。

 

「その、偶然じゃないの? 医務室に行ってみたら?」

 

「違う、そういうのじゃないんだ。説明が難しいけど……これは警告みたいなものなんだよ。僕には分かるんだ。」

 

警告、ね。これがその辺のガキなら思春期特有の妄想だと断じれるが、ハリーの場合はそうもいくまい。あの傷はリドルが残した『印』なのだ。有り得ない話ではないように思える。

 

ハリーの真剣な表情に少し怯みながらも、芝生に寝転がっていたロンが、元気付けるように無理やり明るい声を放った。

 

「心配しすぎだぜ、ハリー。クィレルはピンピンしてるし、フラッフィーも元気に唸ってただろ?」

 

「うん、それはそうなんだけど……。」

 

ロンの励ましにもハリーは落ち込んだままだ。しばらく傷跡をさすっていたハリーだったが、やがて何かに気付いたように目を見開く。

 

「……ハグリッドはどうやってドラゴンの卵を手に入れたんだろう? その辺に転がってるものじゃないはずだ。……そうだよ、ハグリッドのところに行かないと!」

 

ふむ? それは……確かにその通りだ。卵を目にしたあの男が、何か『口を滑らせて』いてもおかしくはない。

 

急に立ち上がったハリーに続いて、四人でハグリッドの小屋に向かおうとするが……一歩足を踏み出した瞬間、タイミングよく後ろから声がかかった。

 

「バートリ! 来たまえ。」

 

スネイプだ。ハリーたちは一気に緊張を強めるが、私は別の意味で気を引き締める。なにせスネイプの顔はいつにも増して強張っているのだ。つまり、クィレルに何らかの動きがあったのだろう。

 

「ハリー、キミたちはハグリッドの所へ行きたまえ。スネイプの相手は私がしよう。」

 

「危険だよ、リーゼ。僕たちも一緒に行ったほうがいい。」

 

「周りを見てみなよ、ハリー。生徒たちがうじゃうじゃいるだろう? さすがにスネイプもこんな場所で無茶をしたりはしないさ。」

 

多少迷っていた様子のハリーたちだったが、一つ頷いてから走り出した。それを尻目にスネイプの方へと向かうと、彼は小声で報告を伝えてくる。

 

「クィレルを見張っていたフリットウィック教授が倒れているのを、マクゴナガル教授が教員塔で発見しました。今の居場所は不明です。」

 

「フリットウィックを? ふぅん、決闘チャンピオンを下すとは、クィレルも中々やるじゃないか。」

 

「不意を突かれたのでしょう。それよりも、どうするのですかな? もはや取り繕う気もないということなら、今にも行動に移すはずです。ポッターか、それとも石か。」

 

「ダンブルドアは……そうか、不在か。これもクィレルの……というか、リドルの作戦だったわけだ。」

 

ダンブルドアは他国に出張中だ。恐らく虚報だったのだろう。……こういう手はリドルの常套句だな。あの老人め、何度騙されれば気が済むんだ?

 

何にせよ虚報であるのはスネイプも同感のようで、頷きながらも口を開く。

 

「指示を頂きたい。石のことはともかく、ポッターに関しての責任者は貴女です。」

 

「……キミはどっちを狙ってくると思う? クィレルと接触の機会が一番多かったのはキミだ。何か思い当たるような節はないか?」

 

問いかけてやると、スネイプは顎に手を当てながらもゆっくりと自分の考えを話し始めた。

 

「恐らく石を狙ってくるはずです。私はポッターの守りがいかに堅固なのかを繰り返し伝えました。そして石の守りがさほど強力ではないことも。私の言葉を信じるかは微妙なところですが……可能性としては石が大きいと思います。」

 

まあ、確かにそうだな。私がハリーの側にいることは重々承知の上だろうし、石の守りが単なるアトラクションなことも掴んでいるはずだ。簡単な方を狙う可能性のほうが大きいだろう。

 

脳内で骨子を組み立てつつ、口に出しながらそれに肉付けしていく。

 

「ふむ……そうだね、予定通り石をくれてやろうじゃないか。何年も身内にスパイを抱えるのはお断りだろう? 半年だってうんざりなんだ、これ以上付き合いたくはないね。」

 

「つまり……石を奪ったクィレルを追跡するのですな?」

 

「その通り。今まで尻尾を掴ませなかったが、石を手にしたら間違いなくヴォルデモートに渡しに行くはずだ。それを追跡する。」

 

計画は多少前倒しになるが、この忌々しい状況が何年も続くよりかは遥かにマシだ。ぐるぐると思考を回しつつも、スネイプに向かって指示を出す。

 

「キミはレミィに連絡を取りたまえ。姿くらましや煙突飛行、ポートキーに飛翔術。どんな手段で逃げるかは知らないが、魔法省に協力を要請する必要がある。レミィなら『傀儡大臣』に話を通せるはずだ。」

 

「ポッターはどうします?」

 

「マクゴナガルに引き継ぐ。私は石の所に向かおう。姿を消せる私が追跡に当たるのが一番だしね。……まあ、予言通りならクィレルにハリーは殺せないはずさ。」

 

肩を竦めて言うと、スネイプは疑わしいと言わんばかりの目つきをしてきた。どうやら彼は予言を完全に信じているわけではないらしい。

 

「クィディッチの試合中には殺しかけましたが?」

 

「キミが救ったじゃないか。……ま、疑うのも分かるがね。私やレミィがヴォルデモートを殺せなかったように、死喰い人どももハリーを殺せはしないのさ。保険としてマクゴナガルを付けておけば充分だろう。」

 

あのイラつく『運命』のことを考えるとうんざりするが、それは同時にハリーを守る盾にもなるはずだ。……たぶん。

 

未だ納得しかねる様子のスネイプだったが、それでも頷いて了承の返事を返してきた。

 

「まあ……指示には従いましょう。スカーレット女史とマクゴナガル教授に連絡を取った後、私は追跡の準備を進めておきます。」

 

「結構。マクゴナガルには何かあったら守護霊を飛ばすように言ってくれ。それじゃあ私は……アスレチックを楽しんでくるよ。」

 

「なんともご愁傷様ですな。」

 

無表情で言うスネイプに鼻を鳴らして、四階の廊下へと歩き出す。ようやく行動に移ってくれたんだ、精々利用させてもらおうじゃないか。

 

───

 

来ない。

 

私がここまで来る道中にも姿は見なかったし……くそったれのクィレルめ、一体何を手こずっているんだ? 石造りの薄暗い部屋の中には、姿を消した私と鏡だけ。物音一つ聞こえやしない。暇つぶしの道具を持ってくるべきだった。

 

もうかなりの時間を待っているんだぞ。……まさかハリーの方に行ってやしないだろうな? 連絡用の守護霊は飛んでこないし、大丈夫だとは思うんだが……ここまで遅いと心配になってくる。

 

というか、あの男はこの鏡を突破できるのだろうか? ダンブルドアの言葉通りなら、『石を望みはすれど、使おうとしない者しか手にできない』はずだ。クィレルがリドルに渡そうとしているのなら問題ないとは思うが……。

 

暇つぶしも兼ねてそっと鏡の正面に立つ。別に石ころなんぞ望んじゃいない私にとっては、ただの望みを映す鏡のはずだ。滑らかな表面に向き合ってみると……能力を使っているのにも関わらず、鏡には私が映っている。そしてその周囲には真っ赤な──

 

「分かっております、分かっております、ご主人様。」

 

おっと、クィレルの声が微かに響いてきた。同時に一つ前の部屋でスネイプの仕掛けが動作して、道を塞ぐ炎が立ち上る音が聞こえてくる。ようやくご到着だ。そっと部屋の隅へと戻り、クィレルが仕掛けを解くのを待つ。

 

「これは? セブルスか……忌々しい仕掛けだ。……お待ち下さい、ご主人様。すぐに解いてみせます。」

 

独り言……だよな? 足音は間違いなく一人だし、気配を探ってみてもそれは同じだ。しかし、ご主人様? 何らかの通信器具でリドルと連絡を取っているのかもしれない。

 

脳内で電話を掛けているトカゲ人間を想像しながらクィレルを待つが……遅い! もう余裕で五分が過ぎようというのに、一向に部屋に入ってこようとしない。スネイプの論理パズルはクィレルには難しすぎたようだ。

 

「ひっ、申し訳ございません、ご主人様! ……この小瓶ですか? かしこまりました。」

 

クィレルがイカれた二重人格者でなければ、やはり誰かと連絡を取っているらしい。何者かの助けを得た彼は、ようやく仕掛けを突破して部屋へと入ってきた。

 

「鏡? 鏡です、ご主人様。どうして鏡が? 石はどこに?」

 

ブツブツと疑問を連発するクィレルは、鏡をペタペタと触り始める。おいおい、こいつ、石を使おうとしてるのか? それともダンブルドアの魔法が過大解釈をしているのだろうか?

 

「分かりません、ご主人様! 私がご主人様に石を渡しているところが見えるのです! でも、どうすれば石を手にできるのか……。」

 

くそ、これだから魔法ってやつは嫌いなんだ! どうやらクィレルがリドルに石を渡すことは、『使おうとする』の範疇に入るらしい。あのジジイめ! いい加減な魔法をかけやがって。

 

哀れなクィレルはオロオロと右往左往している。守り手も無能なら、盗人も無能か! 喜劇をやってるんじゃないんだぞ!

 

実にバカバカしいことに、このままではクィレルはアスレチックを楽しみに来ただけになるし、私が長時間待っていたことも無駄になる。

 

……捕らえるか? 魅了が効かないにしても、真実薬や開心術を駆使すれば情報が引き出せるかもしれない。ぶっ壊れる危険性がある以上、せっかくの情報源には使いたくないが……仕方あるまい。ゆっくりと一歩を踏み出したところで、再びスネイプの仕掛けが発動する音が聞こえてきた。

 

「……ご主人様、誰かが来ます。」

 

途端に声を潜めて杖を取り出すクィレルだったが、こっちとしても想定外だ。スネイプかマクゴナガルか? 何か不測の事態があって応援に来たのかもしれない。耳を澄ませて気配を探ってみれば……おいおい、最悪だ。

 

「すごいわ! これは魔法じゃなくて論理よ。パズルだわ。大魔法使いといわれるような人って、論理のかけらもない人がたくさんいるの。そういう人はここで永久に行き止まりだわ!」

 

ハーマイオニーの興奮した声が響いてきた。『論理のかけらもない魔法使い』代表のクィレルは、憎々しげに顔を歪めている。どうやらあの男にも聞こえたらしい。

 

気配からみるにハリーも一緒だ。マクゴナガルは居眠りでもしてるのか? 事情はさっぱり分からないが、とにかくマズい。舌打ちを堪えながらクィレルを無力化しようとするが、別の声を聞いて再び動きが止まる。

 

「いいぞ……ポッターだ。俺には分かる。待つのだ、クィレル。ポッターを待つのだ。」

 

何だ? 明らかにクィレルの声ではない。音域が全く定まっていない、なんとも耳障りな声だ。

 

「ご主人様、分かりました。ポッターを待ちます。」

 

「そうだ、クィレル。杖を抜いておけ。ポッターを使うのだ。そして殺せ!」

 

声の出所はターバンの中だが、そこに通信器具を仕込んでいるのか? それともまさか……。

 

有り得ないと自嘲しながら、瞑目して気配を探るために集中する。昔、若きゲラートを探す旅の途中で暇つぶしに美鈴から教わった技術だ。妖力でもなく、魔力でもなく、気で探ってみれば……おやおや、ようやく会えたじゃないか。

 

思わず満面の笑みが湧き上がってくる。間違いない、トム・クソったれ・リドルだ。まさかクィレルのターバンに潜んでいるとは思わなかった。意表をつくという一点では、これ以上の場所などないだろう。どこの誰が、『例のあの人』がターバンに隠れているのを想像できる?

 

いいぞ、いいぞ! 最高じゃないか! この場所には私が居て、リドルが居て、そしてハリーが居る。上手くやれば殺せるかもしれないのだ。背筋を伝う歓喜を自覚しながら、思考を落ち着けるためにゆっくりと息を吐く。

 

「わかったわ。一番小さな瓶が、黒い火を通り抜けるための薬よ!」

 

ハーマイオニーが見事にパズルを解いたのを聞きながら、急いで計画を組み立てる。リドル……というか、クィレルを無力化するのは私がやればいい。問題はハリーがどうやってリドルを殺すかだ。

 

魅了でも使って死の呪文を使わせるか? ……ダメだ。それではハリーを『使って』、私がリドルを殺しているのと変わらない。ハリー自身の意思で事を決する必要があるはずだ。

 

……思ったよりも難しいかもしれないな。ハリーが喜んで人を殺すタイプの人間じゃないことは確かだし、十一歳の少年に致死性の魔法が放てるとは思えない。妖力で補助してみるか? ハリーが主体なら問題ないと思うが……。

 

「幸運を祈っているわ。気をつけてね!」

 

悩んでいる間にもハーマイオニーの気配が遠ざかっていくのを感じる。先に進める薬は一つだけだ。ハリーが進み、ハーマイオニーは戻ることになったのだろう。それは予想通りだが……くそ、ハリーが炎を抜けた。即興でやるしかなさそうだ。

 

恐る恐る部屋に入ってきたハリーは、そこに居たクィレルを見て呆然と呟いた。

 

「ク、クィレル先生? そんな……あなたが? てっきり、スネイプだとばかり……。」

 

「セブルスか? あの男は確かにそんなタイプに見えるからな。……だが、私だ。ポッター、君にはここで会えるかもしれないと思っていたよ。」

 

言いながらクィレルが杖を振り上げた瞬間、首と杖腕を掴んで壁へと押し付ける。そのまま姿を現しながら、ニヤリと笑ってご挨拶だ。

 

「ごきげんよう、クィレル。」

 

「ぐっ……バートリ!」

 

「その通り。アンネリーゼ・バートリだよ、吃りのクィレル先生。今日は随分と調子がいいみたいじゃないか。」

 

杖腕をへし折り、落ちた杖を足で踏み折る。片手でクィレルの首を押さえながらハリーの方を見てみれば、彼は大口を開けてポカンとしていた。まあ、予想通りの反応だ。

 

「リ、リーゼ? どうしてここに? 談話室に居なかったから、てっきりスネイプに……その、攫われたのかと思ってた。」

 

なんだそりゃ。……そういえばスネイプに呼び出された後、そのままここに来たんだったか。ハリーたちは妙な勘違いをしていたらしい。

 

結局最後まで誤解されっぱなしのスネイプを思って苦笑しつつ、パチリとウィンクしながら声を放つ。

 

「ピンピンしてるよ、ハリー。おまけに気分は最高だ。長年の恨みを今日晴らせるかもしれないのさ。……そうだろう? リドル。」

 

「リドル?」

 

ハリーの短い問いに答えたのは、私でもなく、窒息しかけているクィレルでもなかった。

 

「……久しいな、アンネリーゼ・バートリ。忌々しい吸血鬼めが!」

 

とうとう白目を剥きだしたクィレルの腕が動き出し、頭を包むターバンを解いていく。ガクガクと不気味に動くその腕は、明らかにクィレルが動かしているものではない。出来の悪い人形劇みたいだ。アリスを見習うべきだな。

 

最後に折れた腕で叩きつけるように残った布を落とし、ベキベキと骨が折れる音を鳴らしながら首を回転させれば……おやおや、歪んだもう一つの顔が見えてきた。ミスター・後頭部のご登場だ。

 

トカゲの頃よりさらに歪んだその顔は、私を睨みつけながら耳障りな声で話し始めた。

 

「貴様には随分と手こずらされた。前回の戦争の時も、そして今回の一件でもな。」

 

「それは嬉しいお言葉だね。キミの不幸は最高の甘味だよ。しかし……なんとも落ちぶれたじゃないか、リドル。トカゲの次は後頭部かい? 趣味が悪すぎると思うがね。」

 

「黙れ、下等なコウモリ風情が! 勝ち誇っているところを悪いがな、貴様に俺は殺せんぞ。俺はもう貴様らでも手の届かぬ場所にいるのだ。」

 

尊大に喋る醜い顔に近付いて、湧き上がる笑みを隠さずに口を開く。分かっていないなら教えてあげようじゃないか。今の状況が何を表しているのかを。

 

「ああ、トム・リドル。分からないのか? そんなことは問題じゃないんだよ。あの戦争の時、私はキミの影さえ踏むことが出来なかった。だが……ほら、見てごらんよ! 私はキミに触れてるぞ! 本当に理解できていないのか? もう運命はキミだけの味方ではないんだよ!」

 

「それがどうした? 高がそれだけのことに随分と喜んでいるようだな! 強がりはよせ、吸血鬼!」

 

「高が、ね。んふふ、私の喜びを分かって欲しいな、リドル。僅か一年。ハリーが関わってから僅か一年でこれだ。ようやく我々に手番が回ってきたのさ。ああ、この一年……いや、この二十年の苦労が報われる気分だよ。まともに参加することも出来なかったゲームに、ようやく私も参加できる。」

 

前回は十年かかってローブの端さえ見られなかったというのに、ハリーが関わった途端にこれだぞ。いやはや、最高の気分じゃないか、リドル。もう運命は私を拒絶してはいない。つまりハリーを介している限り、私はこのゲームに直接参加できるわけだ。

 

「貴様に──」

 

何か喋ろうとした醜い顔をぶん殴って黙らせてから、戸惑っているハリーに声をかける。実にいい気分だ。殴れるってのは素晴らしいな。

 

「ハリー? こいつがキミの両親の仇だよ? 何か言いたいことはないのかい?」

 

「そいつが……そいつが、ヴォルデモート?」

 

「その通りだ。死喰い人の親玉にして、今は惨めな後頭部マンさ。笑ってあげなよ、ハリー。これほど醜い存在は他にないよ?」

 

もうクィレルが死んでいることは明らかだが、リドルは平然と口を開く。殴ったダメージも一切ないようだし、どうやら宿主の状態は関係ないようだ。

 

「『生き残った男の子』か。お笑い種だな。貴様には何の力もない! 俺を打ち倒すことなど出来はしないのだ! ……お前の両親を殺すのは容易かったぞ? 父親は足止めも出来ずに死んでいった! 母親は惨めに命乞いをしていた! 脆弱で、愚かな魔法使いたちだったぞ!」

 

「黙れ!」

 

叫ぶハリーの瞳は、憎しみの感情に染まってきた。いいぞ、その調子だ。もっと憎め、ハリー! 愛が力を持つように、憎しみもまた大きな力になるのだから。

 

「ハリー、杖を取れ。呪文は私が教えてあげよう。この男に引導を渡すんだ。」

 

「無駄だぞ、バートリ! 今の俺を『殺せる』者などいない!」

 

「黙っていたまえ、リドル。試すだけならタダだろう? ……ほら、ハリー! この男の死は魔法界の誰もが望んでいることなんだ。十年前にキミがやり損ねたことを、今日ここで達成したまえ。」

 

私とリドルを交互に見ながら、未だ戸惑っている様子のハリーだったが……ゆっくりと杖に手を伸ばすと、それを握りしめて近付いてきた。いい子だ、ハリー。それでこそ『友達』になった甲斐があるというものじゃないか。

 

「ど、どうすればいいの? リーゼ?」

 

「大丈夫だ、ハリー。私がちゃんと手伝ってあげよう。ゆっくりと杖先をこいつに向けて……そうだ。そしたら──」

 

その瞬間、ブチリという音と共にクィレルの首が千切れ、有り得ない挙動でハリーへと襲いかかった。

 

咄嗟にハリーが床に叩き落としたが、彼が触った部分から徐々に顔が崩れていく。クィレルの顔は目を見開いて絶命しているが、リドルの顔は勝ち誇るように笑っている。こいつ……。

 

「残念だったな、バートリ! 俺はここで失礼させてもらおう。」

 

逃げる気か。ダメ元で妖力弾を放ってみるが……くそっ、顔が吹き飛ぶだけでリドルはなおさら愉快そうに笑うだけだ。

 

「言っただろう? バートリ。俺を殺すことはできないのさ。この世の誰にもだ! お前たちがどれほど強力な種族かは知らないが、殺せない者に果たして勝てるかな?」

 

一度大きく息を吸い……そして吐く。自分が完璧な無表情になっていることを自覚しながら、ゆっくりと口を開いた。

 

「……いいだろう、リドル。今回はキミの勝ちだ。その虫けら以下の身体で、何処へなりとも逃げるがいい。だがな──」

 

思いっきり首に顔を近付けて、半分ほどになったリドルと目を合わせて語りかける。

 

「覚悟はしているんだろうね? キミが敵に回したのは、夜そのものなんだ。沈まぬ太陽がないように、いつかキミにも夜が訪れるのさ。その時を精々怯えて待っていたまえ。……アンネリーゼ・バートリの名において、必ずキミを殺すと約束しよう。」

 

今や凄惨な笑みに変わったであろう私に一切怯むことなく、リドルもまた僅かに残る顔を狂ったような笑顔に変えて口を開いた。

 

「やってみろ、バートリ。俺は超えたぞ! お前も、スカーレットも、ダンブルドアも、そしてマーガトロイドも! 死は既に俺の敵ではないのだ! 足掻くがいい、吸血鬼! 俺を……俺様を殺せる者などどこにも居はしないぞ!」

 

胸糞悪い返事と共に、リドルの顔が完全に崩れ去る。残された黒い粒子のようなものが、素早い動きでどこかへ飛んでいった。正にゴミ屑だな、クソったれめ。

 

「リーゼ、逃げちゃうよ!」

 

「ああ、そうだね。」

 

「放っておいていいの? どうにかして捕まえないと!」

 

「無駄だよ、ハリー。あれは矮小すぎるんだ。あまりに小さすぎるから、捕らえることもできないのさ。」

 

握りしめすぎて強張った手を、ゆっくりと解いてから大きく息を吐く。失敗した。失敗したが……少し前進もした。

 

どうやらリドルは、自分を殺せないことに絶対の自信があるらしい。調べる必要があるだろう。もしかしたら私たちが思っている以上に、リドルは死に難い存在になっているのかもしれない。

 

いつも通りにパチュリーへとぶん投げようと考えていると、ハリーがおずおずという様子で声をかけてきた。

 

「その、リーゼ?」

 

「なんだい?」

 

「ヴォルデモートは君を知っているみたいだった。敵対してるのは分かるんだけど、その……君は、何者なの? それに、前回の戦争って?」

 

そりゃそうだ。少なくともホグワーツの一年生には見えなかっただろう。ゆっくりと杖に手を伸ばしながら、ニッコリ笑って口を開く。

 

「ああ、私は五百年を生きる残虐な吸血鬼なんだよ。人間とかを殺しまくってる、ね。そしてリドル……ヴォルデモートを殺すために、キミを利用しようとしているのさ。キミはただの道具で、私たちのゲームの駒なんだ。」

 

「五百年? 駒? でも、リーゼは僕と同じ一年生で……ど、どういうことなの? 全然分からないよ。」

 

「いいんだよ、ハリー。キミはまだ何も知らなくていいんだ。だから……今は忘れてくれたまえ。」

 

「何を──」

 

困惑するハリーに向かって、杖を向けながらそっと囁く。私はここには居なかったし、ハリーは何も聞いてはいないのだ。石を守った英雄にしてあげるから、今日のところはそれで満足してくれたまえ。

 

オブリビエイト(忘れよ)。」

 

ボンヤリした表情でゆっくりと目を瞑ったハリーを見ながら、アンネリーゼ・バートリは皮肉げな微笑を浮かべるのだった。

 



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帰るべき場所へ

 

 

「つまり、クィレルはリドルと連絡を取っていたわけじゃなく、後頭部にリドルを貼り付けてたってこと?」

 

ホグワーツの校長室のソファに座りながら、レミリア・スカーレットは呆れ果てていた。それは確かに意表を突いた一手かもしれない。なんたって、誰一人としてそんなバカみたいなことは考えつかないだろうから。

 

対面のソファに座るリーゼは、私と同じ表情を浮かべながら返事を返してくる。ちなみに出張から大急ぎで帰ってきたダンブルドアは医務室だ。ハリーたちの様子を見に行っているらしい。

 

「その通りだ。それでリドルを殺す好機だと思ったんだけどね……残念ながら、失敗しちゃったよ。」

 

ちょっと情けない感じで言うリーゼだが……まあ、今回は責められまい。何十年振りかにようやく訪れた好機だったのだ。それを掴もうとしたのは悪くない選択だった。

 

若干落ち込んでいる幼馴染に向かって、勝手に淹れた紅茶のカップを弄りながら口を開く。

 

「貴女はリドルを殺し損ね、マクゴナガルは透明マントでハリーに出し抜かれ、スネイプは過去の憎しみから誤解を招き、ダンブルドアは鏡の仕掛けに拘りすぎた、ってとこかしら? 全員の失態が重なり合って妙な結果を生んだわね……ああ、ハグリッドは言うまでもないでしょう。」

 

「結果としてリドルは再びゴミ屑に逆戻りだ。いい気味だが、これでまた行方を追えなくなったね。」

 

「本当にもう、ままならないもんだわ。殺そうと思っても上手くいかず、生き返らせようとしても失敗する。悲しくなってくるわね。」

 

同時にため息を吐いて、顔を見合わせて苦笑する。さすがのリドルも、もう石を狙ってはこないだろう。これで再び盤面は元に戻ったわけだが……それでも僅かな情報を手にすることはできた。

 

カゴの中で眠そうに目をしょぼしょぼさせている不死鳥を横目にしながら、ニヤリと笑って言葉を放つ。

 

「しかし、ハリーが関わればリドルに手が届くのを知れたのは僥倖だったわね。運命の女神にようやく手が届いたわ。まあ、まだ袖口だけって感じだけど。」

 

「んふふ、そのまま服を引っぺがしてやろうじゃないか。……それに、もう一つ手がかりが得られただろう? 不死への異様な自信だ。」

 

その通り。リーゼによれば、リドルは自身の不死性に絶対の自信を持っているとのことだった。人間ごときがそこまで強固な不死を得られるとは思えないが……。

 

「リドルが選んだのは、そう単純な方法じゃあないのかしら?」

 

問いかけてみれば、リーゼは真剣な表情で返事を返してきた。

 

「かなりの自信がありそうだよ。どんな方法かは知らないが、頗る厄介なのは間違いないさ。」

 

「ふむ……ま、その辺はパチェとアリスに任せましょう。リドルがどれだけの方法を見つけ出したのかは知らないけど、あの二人よりも深い場所にいるとは思えないわ。」

 

「その通り、知恵比べは魔女の仕事さ。吸血鬼は悪巧みをしようじゃないか。」

 

一転して悪戯な笑みを浮かべるリーゼに、やれやれと呆れて首を振っていると……おっと、校長閣下のご帰還だ。部屋のドアが開いてダンブルドアが入ってきた。

 

ダンブルドアは執務机へと向かいながら、安心したような表情で『小さな英雄達』の容体を説明してくる。

 

「ロンの怪我は大したことがないようです。ハリーとハーマイオニーも軽傷ですし、何とか大事にはならずに済みそうですな。」

 

「まあ、クィレルは死んだけどね。」

 

どうでも良さそうに言うリーゼにちょっと苦い顔を向けながらも、ダンブルドアは椅子へと座り込んで口を開く。どうやら反省会の仲間が増えたらしい。

 

「哀れな男です。利用された挙句、使い捨てにされるとは……。」

 

「文字通りの尻尾切り……というか、首切りだったからね。まあ、別に同情はしないが。」

 

リーゼの言う通りだ。私は会ったこともない人間だし、どんな死に方をしようが知ったことではない。残念そうなダンブルドアを放っておいて、清々したとばかりのリーゼに向かって問いを放つ。

 

「そういえば、ハリーの記憶はどうなってるの? それらしい記憶を植えつけたんでしょう?」

 

私の問いかけを受けて、リーゼは皮肉げにニヤリと笑いながら口を開く。

 

「んふふ、クィレルと戦って石を守りきったことになってるはずだよ。当然、私はそこには居なかったしね。私はその時間、スネイプの罰則を受けていたのさ。」

 

「結局最後までスネイプは悪役だったわね。なんともまあ、ご苦労なことだわ。」

 

今年の『頑張ったで賞』はスネイプで決まりだな。後でトロフィーでも作ってやることにしよう。

 

バカなことを考えている私を他所に、厳しい表情に変わったダンブルドアがリーゼに向かって言葉を放った。

 

「しかし、バートリ女史、記憶の修正もそうですが……ハリーに死の呪文を使わせようとしたのはいただけませんな。彼が取るべき手段は別にあるはずです。」

 

「おいおい、最終的にはハリーがやらねばならないことだろう? 棍棒で殴り殺すとか、ナイフで滅多刺しにするよりかはいくらかスマートな方法だと思うがね。」

 

「彼が重い運命を背負っているのは事実です。しかしながら、ハリーはまだ十一歳の少年なのですよ? いや……そうでなくとも、許されざる呪文など使わせるべきではありません。」

 

「ふん、ヌルいな、ダンブルドア。リドルは穏便に失神呪文なんて使ってこないんだぞ。事を成すには力も必要なんだ。あの戦争でそのことを学ばなかったのかい?」

 

なんともまあ、まるでダンブルドアとグリンデルバルドの言い争いじゃないか。ヌルメンガードにグリンデルバルドが死んでいないかを問い合わせる必要があるな。リーゼに乗り移っている可能性があるぞ。

 

正しさと過程を重んじるダンブルドアと、効率と結果を優先するリーゼ。決着がつかなさそうな言い争いを止めるため、テーブルを指で叩きながら口を挟む。

 

「はいはい、そこまで。ダンブルドアはのんびりしすぎだし、リーゼは急ぎすぎね。ハリーはこの学校で然るべき対処法を学ぶはずよ。時間はあるんだから、それを待てばいいの。」

 

「その通り。闇に落ちずとも、闇に対抗することは出来るのです。ハリーならこの学校でそのことを学び取ってくれるでしょう。」

 

自信たっぷりのダンブルドアに、リーゼは両手を上げて矛を収めながら頷いた。

 

「まあ、構わないさ。そのためにも、次の防衛術の教師には後頭部に何も貼り付いていないことを期待しよう。」

 

皮肉たっぷりの言葉に、ダンブルドアは頰を掻きながら返事を返す。

 

「いやはや、それに関してはわしの失策でしたな。しかしながら……今ではあの職を望む者は多くないのです。去年集まった中ではクィレルが一番優秀だったのですよ。」

 

「一応聞くけど、他にはどんなヤツがいたの?」

 

私の質問に、ダンブルドアの顔がかなり苦々しい表情に変わった。

 

「なんと言えばいいか……作家や、元犯罪者、それにスクイブの方が数名ほどでしたな。」

 

それはまた、想像を絶する答えだ。それなら確かにクィレルの方がマシに聞こえる。胡散臭いターバンを巻いていようが一応教員経験はあるし、何より魔法が使えるのだ。

 

リーゼにとっても予想外だったらしく、ため息混じりに言葉を放つ。

 

「どうやら、まずは防衛術の教師を探すべきだね。言っておくが、今年の一年生は何一つまともなことを学んではいないぞ。このままだとハリーは色付きの火花でリドルに対抗する羽目になるよ。」

 

悪夢のような話じゃないか。死の呪文対カラフル火花か。リドルが爆笑のあまり呪文を唱えられなくなる可能性もあるが、私としてはあまり選びたくない選択肢だ。

 

ダンブルドアもそれは同感のようで、しっかりと頷きながら口を開く。

 

「ご安心を。来年の教師には心当たりがあります。そして話を受けてくれれば、テッサ以来の名教師になってくれることでしょう。」

 

クスクスと微笑むダンブルドアを見ながら、レミリア・スカーレットは本当かよと眉をひそめるのだった。

 

 

─────

 

 

「こっちだ、リーゼ!」

 

ぶんぶんと手を振るロンに苦笑しながら、アンネリーゼ・バートリはいつもの三人の近くの席へと歩み寄っていた。今日は一際テンションが高いが……ま、無理もあるまい。

 

なんたって学期最終日の大広間は赤い獅子の旗で飾りつけられているのだ。どうやらグリフィンドールは予定通りに、今年の寮杯を手にすることが出来たらしい。

 

クィディッチの勝利が最も大きかったのは明らかだが、ハリーたちの小さな冒険にもささやかな加点がされている。おかげでこのところのロンはマクゴナガルのチェスを破った話で大忙しだった。

 

つまり、彼らが愉快なアトラクションを突破して石を守ったということは『秘密』になっているのだ。今じゃ知らないのはビンズぐらいなものである。

 

私がハリーとハーマイオニーの間に座り込むと、ハーマイオニーが腕を組みながらここ数日で何度も聞いた言葉を放ってきた。

 

「しかし……罰則だなんて、スネイプ先生は余計なことをしてくれたわよね。リーゼがいれば仕掛けを抜けるのにもあそこまで苦労しなかったでしょうし、私たちがあんなに焦ることもなかったわ。」

 

何度目かの怒りを燃やすハーマイオニーに、いつも通りの返事を返す。すまないね、スネイプ。キミの誤解は解けたが、好感度は元には戻らなかったようだ。……いやまあ、最初からストップ安かもしれないが。

 

「過ぎたことさ。石はキミたちの活躍で守られたし、寮杯と優勝杯はグリフィンドールの物だ。私も友人が活躍できて鼻が高いよ。細かいことは気にせずに、今日は祝おうじゃないか。」

 

「その通りだ、アンネリーゼ。今日はどんちゃん騒ぎが義務付けられた日なんだぜ? 文句は夏休みの宿題が出たときに取っておけよ、ハーマイオニー!」

 

私の言葉に続くように、横から割り込んだ双子の片割れが元気よく言い放つ。ハーマイオニーが宿題に文句を言わないことは明白だが、彼にはそんなことは関係ないようだ。どこからか持ち出したラッパを吹きながら大騒ぎしている。

 

ロンがもう片方の双子に渡されたクラッカーを鳴らしつつ、肩を竦めて口を開く。

 

「珍しいことにフレッドの言う通りだよ、ハーマイオニー。今日くらいははっちゃけてみるのが正解さ。」

 

「まあ……そうね。うん、楽しみましょう。」

 

困ったような微笑を浮かべるハーマイオニーを見ていると、隣に座るハリーがそっと囁いてきた。

 

「あのさ、リーゼ。君はスネイプの罰則を受けてたんだよね?」

 

「その通りだよ、ハリー。……何か気になることでも?」

 

おいおい、修正は上手くできたはずだぞ。何を疑問に思ってるんだ? 内心でちょっと不安になりながら問いかけてみると、ハリーは首を振りながら返答を寄越してきた。

 

「あー、うん、やっぱり気のせいだね。ヴォルデモートと戦った時のことは、なんでかボンヤリとしか思い出せないんだけど……リーゼが居たような気がしてさ。僕を助けてくれたような気がするんだ。変だよね。」

 

助けた? ……よく分からんが、悪印象でないなら気にすることもあるまい。記憶の修正が変な方向に働いたかな?

 

「残念ながらそれは叶わなかったね。でも……次に何かあれば私も一緒に戦おうじゃないか。だってほら、私たちは友達だろう?」

 

ニヤリと笑って囁いてやると、ハリーは笑顔で頷いた。そうさ、ハリー。私たちは友達なんだ。そういうことになっているのさ。

 

「うん、そうだね。……これからもよろしく頼むよ。」

 

「ああ、長い付き合いになりそうだね。」

 

話している間にも、生徒たちが集まってくる。スリザリンのテーブルから飛んでくる憎々しげな視線を楽しんでいると、ダンブルドアが立ち上がって大広間に声を響かせた。

 

「また一年が過ぎた。今年も実に充実した日々じゃった。それでは──」

 

ダンブルドアの演説を聞きながら、思わず小さくため息を吐く。その通りだ。今年はあまりにも充実し過ぎていた。来年はもう少し退屈な日々になるといいのだが……。

 

───

 

揺れるホグワーツ特急の中、ハーマイオニーの宿題計画が発表され尽くした頃に、ようやく車窓から見える景色は文明の色へと変わってきた。

 

慌ただしくロンがトランクを下ろしている隣では、徐々にハリーの顔が憂鬱そうに変わっていく。大抵の子供は夏休みを嬉しがるものだが、ハリーにとっては幸せな期間ではないようだ。

 

「家に帰るのが嫌なのかい?」

 

分かりきったことを問いかけてやれば、ハリーはうんざりしたように頷いた。

 

「勿論だよ。リーゼもバーノンたちと暮らしてみれば分かるさ。三日もすれば、ホグワーツが天国に思えてくるよ。」

 

吐き捨てるように言いながらも、ハリーはノロノロとトランクを下ろし始める。アリスの話を聞く限りでは確かに楽しい暮らしではなさそうだ。ハグリッドに育てさせたほうがマシだと言うあたり、相当酷い環境なのだろう。

 

列車が速度を落とし始めると、薄っすらと駅のホームが見えてきた。それを窓越しに眺めながら、ロンがハリーの肩を叩いて声をかける。

 

「僕の家に遊びに来いよ、ハリー。手紙を送るからさ。まあ……あんまり広い家じゃないけど。」

 

「最高の提案だよ。どんな家だろうと、ダーズリー家よりは遥かにマシに違いないさ。」

 

ロンの提案で少しだけ元気を取り戻したハリーは、トランクを引っ張ってコンパートメントを出る。それに続いてハーマイオニーの荷物を運ぶのを手伝いながらホームへ出ると、迎えに来たらしいアリスが小走りで駆け寄ってきた。

 

笑顔で駆け寄ってくるアリスは……ふむ、いつもと違ってマグル寄りのちょっとお洒落な服装だ。この前ハグリッドの小屋で顔を合わせた時といい、なんか最近のアリスは小洒落た格好をするようになったな。何か心境の変化でもあったのだろうか?

 

「リーゼ様、お帰りなさい。」

 

「ただいま、アリス。」

 

疑問を脇に避けて挨拶を返すと、アリスは私から荷物を受け取りながらハリーたちの方にも声をかけた。

 

「それから、ハリー、ロン、ハーマイオニーもお帰りなさい。色々と大変だったみたいね。」

 

「はい、あの……ただいま、マーガトロイドさん。」

 

ハリーが照れたように挨拶を返すのと同時に、ハーマイオニーとロンも言葉と共に一礼する。それに笑顔で頷いた後、アリスはホームの奥を指差して口を開いた。

 

「ほら、あっちにグレンジャー氏がいるわよ。それと……モリー、こっちよ!」

 

呼びかけた先には……あれがモリー・ウィーズリーか。ふくよかな体型の、世話好きそうな中年の魔女が駆け寄ってくる。正に『母親』って感じだな。

 

「ロン、そっちに居たのね! 助かりました、マーガトロイドさん。……どうして貴方たちは別々に出てくるのかしら? どうせ同じ場所に帰るんだから、揃って出てきてくれれば楽なのに。」

 

モリーはブツブツと呟きながらロンへと駆け寄ったが、その隣のハリーを見た瞬間、目を見開いて押し黙ってしまった。赤ん坊の頃に会っているだろうし、思うところがあるのだろう。

 

「あの……えっと、ロンのお母さんですよね? クリスマスのセーター、嬉しかったです。ありがとうございました。」

 

戸惑ったようにハリーがお礼を言った途端、モリーは思いっ切りハリーを抱きしめた。うーむ、素晴らしいスピードだ。動物の捕食シーンを思い出す。

 

「ええ、喜んでくれて嬉しいわ。ああ……こんなに大きくなって。」

 

「ちょっとママ、ハリーが窒息しちまうよ。早く離してやらないとグリフィンドールのシーカーがいなくなるぜ。」

 

双子の……ジョージ? が止めるとようやくハリーを解放して、そのまま彼の顔を見ながら話し始める。

 

「黙ってなさい、フレッド。私にはハリーを抱きしめなきゃいけない義務があるんです。……ああ、お父さんそっくりね、ハリー。でも目だけは──」

 

「ママの瞳。みんなそう言います。貴女もパパとママを知っているんですね?」

 

フレッドだったか。これで六戦四敗だ。名札でも首から下げてくれないと見分けがつかん。

 

ジェームズとリリーのことを話し始めたモリーは放っておいて、二人の再会を嬉しそうに見つめるアリスに向かって話しかける。

 

「そういえば、咲夜は来なかったのかい? あの子がお出かけの機会を逃すのは珍しいね。」

 

「あー……その、能力を使ってちょっとした騒ぎを起こしまして。外出禁止にしてるんです。」

 

「騒ぎ? なんとも珍しいもんだ。聞き分けの良いあの子が……反抗期か?」

 

「うーん、そういう感じではないんですけど……まあ、紅魔館に戻ったらお話しします。」

 

どうやら紅魔館ではまたしても騒ぎが起こったらしい。この分なら帰っても退屈とは無縁で済みそうだ。微妙な顔をするアリスに苦笑していると、両親と話していたハーマイオニーが近付いてきた。

 

「リーゼ、私たちはもう行くわ。パパが人と会わないといけないんですって。休み中も手紙を書くから。」

 

「ああ、ハーマイオニー、良い夏休みを。」

 

「貴女もね、リーゼ!」

 

ハーマイオニーはハリーとロンにも一声かけて、マグル側の出口から出て行った。彼女がゲートを潜る頃にはモリーの話も一段落したらしく、私とアリスに一声かけてから赤毛の集団を連れて暖炉へと歩いて行く。それに続くロンが手を振りながら声を放ってきた。

 

「じゃあな、ハリー、リーゼ! 絶対に手紙を書くよ!」

 

「ああ、キミも良い夏休みを過ごしたまえ。」

 

「楽しみに待ってるよ、ロン!」

 

暖炉の方へと消えていくウィーズリー家を見送ったところで、ハリーがちょっと寂しそうな表情で話しかけてくる。私とは真逆だな。ハリーは今から『収監』されるようだ。

 

「それじゃあ、僕も行くよ。バーノン叔父さんが向こう側で待ってるんだ。……あんまり待たせると置いてかれそうだしね。」

 

「……ふむ。挨拶していくかい? アリス。」

 

ニヤリと笑って問いかけると、アリスにも意図は伝わったらしい。身内だけに見せる意地の悪い笑みで頷いてきた。

 

「あー……やめたほうがいいと思うよ。嫌な思いをするかもしれないし。それに、翼は目立つんじゃないかな。」

 

「大丈夫、一声かけるだけだよ。翼は……まあ、仮装の範囲内さ。今日はふくろうを連れているヤツがうろうろしてるんだ。マグルだって一々気にしたりはしないよ。」

 

ちょっと出て脅してくるだけだ。能力を使うまでもないだろう。戸惑うハリーの背中を押して、ゲートを潜って外へ出ると……あいつらか。実に『マグルらしい』見た目をしている。

 

「小僧、ようやく……あの時の小娘も一緒か。」

 

「久しぶりね、ダーズリー。元気そうで残念だわ。」

 

早速口撃を始めたアリスを尻目に、子豚のようなガキの方へと歩いて行く。アリスのことは怖がっているらしいが、自分より背の低い少女にビビるのは嫌なのだろう。ハリーの従兄は拳を握りしめながら睨みつけてきた。

 

「やあ、キミが……えーっと、ダドリー? だったかな?」

 

「な、なんだよ? 変な羽のガキめ!」

 

「いやぁ、ちょっとした忠告をしておこうと思ってね。……ハリーはキミを殺すための魔法を練習してたよ? だから、休み中はあまり挑発しないほうがいい。私は友人を殺人犯にはしたくないんだ。」

 

神妙そうな顔で言ってやると、途端にダドリーの顔は恐怖に歪む。なんとも純真なガキではないか。ここまで上手くいくと、可愛げすら感じられてくる。

 

「そ、そんなの嘘だ! あいつにそんなこと出来っこないさ!」

 

「ふぅん? まあ、忠告はしたからね? ああ、それと……。」

 

「なんだよ? まだ何かあるのか?」

 

「しばらく踊っていたまえ。」

 

軽く魅了をかけてやれば、ダドリーはボックスを踏み始めた。うーむ、中々にキレのある動きだ。もしかしたら才能があるのかもしれない。

 

「ダドリーちゃん!」

 

アリスの方を見ていた叔母が悲鳴を上げながら、キレッキレのボックスステップを踏むダドリーへと駆け寄って行く。

 

いやはや、我ながら大人気ない行為だが、別に考えなしでやっているわけではない。こうすればダーズリー家は魔法界をより憎み、ハリーのこともより疎ましく思うはずだ。そうなればハリーは更にホグワーツに依存し、ひいては私との関係もより深まるだろう。……うん、善意でやっているアリスには絶対に言えないな。

 

ぎゃーぎゃー騒ぐ叔母を尻目にアリスの方へと戻ると、こちらも用事は済んだらしい。叔父の顔は恐怖と怒りが混ぜこぜになっている。私とパチュリーから皮肉の英才教育を受けたアリスは、その能力を十全に発揮したようだ。

 

二人で顔を見合わせて頷き合ってから、笑いを堪えているハリーへと声をかける。

 

「んふふ、結構面白かったよ。ハリー、もし休み中にちょっかいをかけてきたら、杖を取り出して脅してやるといい。」

 

「うん、そうするよ。……バーノンたちは魔法を禁止されてることを知らないしね。」

 

後半を小声で言ったハリーは、踊るダドリーを愉快そうに見ている。どうやら憂鬱は吹き飛んだようだ。

 

「それじゃあ、また新学期に会おう。キミの夏休みがちょっとはマシになることを祈っておくよ。」

 

「そうね。あの叔父にはキツく言っておいたから、そう悪くない休暇になるはずよ。」

 

私とアリスの言葉に、ハリーは満面の笑みで頷いた。

 

「ありがとう、リーゼ、マーガトロイドさん。お陰で夏休みが楽しくなりそうだよ。」

 

ダドリーを必死に引っ張って行く叔父と叔母、そしてその後ろをクスクス笑いながら歩いて行くハリーを見送った後、人目の当たらないホームの隅へと歩き出す。……たまには姿あらわしで帰ってみよう。少なくとも煙突飛行よりは快適なはずだ。

 

アリスと一緒に杖を構え、アンネリーゼ・バートリは自分の帰るべき場所を想いながら、ゆっくりとそれを振るのだった。

 



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アリス・マーガトロイドと帝王の日記帳
追憶


 

 

「むむぅ……。」

 

夕日に照らされる紅魔館の廊下で、咲夜は眉を寄せて唸っていた。どうやらまたしても失敗してしまったらしい。目の前の廊下はぐにゃぐにゃと曲がっている。

 

事の始まりは五日前の『リーゼお嬢様、お帰りなさいパーティー』にある。張り切って料理や飾りつけを準備していた私は、ふと思いついたことを実行してみたのだ。

 

昔パチュリー様に言われた『空間の操作』である。彼女の言によれば、『時間が操れるのなら空間にも干渉できるはず』らしい。当時の私には完璧に意味不明で、今の私にも殆ど意味不明だが、リーゼお嬢様に成長したところを見せたい一心で試してしまったのだ。

 

結果的には……うん、失敗だった。部屋を広くしようとしたのだが、なんというか……歪んでしまったのだ。この廊下のように、ぐにゃんぐにゃんに。

 

その後は怒ったアリスに外出禁止を告げられ、パチュリー様からは質問の嵐、美鈴さんは修復を嫌がってストライキを起こすという散々な反応だった。

 

とはいえ、使い熟せれば非常に有用だというお嬢様方の判断により、今はその練習をしているというわけだ。わけなのだが……。

 

「ふむ、全然ダメね。」

 

「うう……申し訳ありません。」

 

手伝ってくれているパチュリー様の言う通り、全然ダメなのだ。何回やっても上手くいかない。落ち込む私を尻目に、謎の器具で何かを測定していたパチュリー様が口を開いた。

 

「まあ、一朝一夕で上手くいくようなものじゃないのでしょう。先ずは小さな箱とかから練習すべきかもね。」

 

「もっと早めに言って欲しかったです。この廊下……どうしましょう?」

 

「制御できるようになったら直せばいいでしょ。別に通れないわけじゃないんだし、誰も気にしないわよ、こんなの。」

 

パチュリー様はどうでも良さそうだが……気にならないかな? 騙し絵みたいになってるのだ。通る時に気持ち悪くならないだろうか?

 

アリスに怒られるかもしれないと絶望していると、パチュリー様が私の手を引いて歩き出す。

 

「ほら、いいから練習を続けるわよ。箱を用意するから、その辺の部屋で試してみましょう。」

 

「あの、パチュリー様はどうしてそんなに急ぐんですか? お嬢様方はゆっくりでいいって……。」

 

「図書館のためよ。拡大呪文が図書館魔法と干渉する以上、もっと『物理的』な手段であの場所を広げる必要があるの。野晒しになっている本たちを救い出すためにも、一刻も早く習得してもらう必要があるわ。」

 

納得の理由である。パチュリー様の本にかける異常なまでの情熱は、紅魔館なら誰もが知っている常識だ。妖精メイドですら本への悪戯はしないほどなのだから。

 

確かお嬢様方から何かを頼まれていたと思うのだが、この様子だとそれも後回しになっているらしい。……いいのかな?

 

抵抗を諦めて引っ張られていると、北館の方からアリスが歩いて来た。後ろにはゾロゾロと人形の行列を引き連れている。薄暗い廊下も相まって、ホラームービーのワンシーンのような光景だ。

 

「あら、パチュリー、咲夜。なにしてるの?」

 

「こっちのセリフよ。行軍ごっこでもしているのかしら?」

 

「量産型の子たちの歩行機能をチェックしてるのよ。ズレがあったら操り難いんだもの。」

 

アリスが止まると、人形たちもピタリと止まる。行軍ごっこというのもあながち間違いではなさそうだ。魔女の日常というのは、私にとっての非常識に満ちているらしい。

 

一糸乱れぬ人形たちの動作を見て、パチュリー様はちょっと顔を引きつらせながら口を開いた。

 

「しかし……増えすぎじゃない? いつの間にそんな量を作ったのよ。」

 

「自律人形のことを考えるうちに、手慰みに作っちゃったの。気付いたら結構な量になってたわ。」

 

パチュリー様の質問にアリスはあっけらかんと答えるが……ううむ、明らかに『手慰み』という量ではない。一体一体の造形も見事なものだし、よく見ればホクロの位置や顔つきが違っている。

 

話す二人を横目に先頭の人形の脇を抱えて持ち上げてみれば、くすぐったそうに身を捩り始めた。アリスはまだまだ未完成だと主張しているが、私から見れば感情があるようにしか見えないぞ。

 

「そんなことより、そっちは何をしていたの?」

 

「咲夜の訓練よ。早く能力を自分のものにしてくれないと、私の本たちが可哀想でしょう?」

 

本たち云々のあたりで、アリスは頭を押さえてため息を零した。どうやら状況を理解してくれたらしい。止めてくれるようにと祈る私の願いが通じたようで、彼女はパチュリー様に呆れたように話しかける。

 

「あのね、パチュリー。咲夜はまだ十歳なんだよ? 急ぎすぎたら危ないんじゃない? それにほら、この前のことだってあるでしょう?」

 

「もうあんな失敗はしないわ。きちんと計画を立ててるもの……それに、咲夜の能力は貴女の人形にも有用だと思わない? 内部のギミックが増やせるのよ?」

 

あ、ダメだ。アリスの目が興味の色に染まっている。その顔は完全に『いいじゃない』の表情に変わった。

 

「へぇ……いいじゃない。そういうことなら私も手伝うわ。何を準備すればいいの?」

 

終わった。こうなった魔女は決して止まることがないのだ。『実験』の相談をするパチュリー様とアリスに両手を掴まれながら、ずるずると紅魔館の廊下を引き摺られていく。

 

魔女二人に連れ去られる少女と、後に続く人形の集団。新たな非日常を体験しながら、咲夜は諦めて自分の足で歩き出すのだった。

 

 

─────

 

 

「やっぱり生徒たちがいないと少し寂しいわね。」

 

人気のない夏休み中のホグワーツの景色を眺めながら、アリス・マーガトロイドは隣を歩くマクゴナガルに話しかけていた。

 

休み中のホグワーツを訪れるのは初めてではないが、何度来てもこの雰囲気には慣れそうにない。普段の賑やかな城を知っている分、寂しげな雰囲気が助長されるのだ。どうにも空虚な感じがしてしまう。

 

姿勢良くコツコツと靴音を鳴らしながら、マクゴナガルは苦笑混じりに返事を返してくる。

 

「そうですね。でも、教師たちは点検やら授業の準備やらで大忙しです。気がつけば休みなんて明けてしまいますよ。」

 

「なんともまあ、ご苦労様ね。」

 

どうやら生徒たちが夏休みを満喫している間にも、残った教師たちは働きづめのようだ。知ってはいたが、やはり大変な職業らしい。

 

今日はダンブルドア先生の呼び出しを受けてやって来たわけだが……やっぱりこの学校は交通の便が悪すぎるな。姿あらわしは出来ないし、煙突飛行も許可がなければ繋がらない。来る度に陸の孤島だと実感してしまう。

 

防衛の観点から見れば大正解だが、訪問する分にはなかなか面倒くさいものだ。ちなみに今日は手紙に同封されていたポートキーで来ている。煙突飛行より優しい移動方法なあたり、ダンブルドア先生は気を遣ってくれたようだ。

 

歩きながらふと夏の匂いを感じて中庭を見てみれば、美しい噴水が目に入ってきた。……懐かしいな。天辺にある銅像の足元には、『A.M. and T.W. was here』と彫られているはずだ。銅像にやけに厳重な保護魔法がかかってたせいで、三日もかけて掘り込む羽目になったんだっけか。

 

目を細めて彫り込んでいる二人を幻視しつつ、ポツリと言葉を漏らす。

 

「しかし、この城は本当に変わらないわ。パチュリーでさえ同じ感想なんだから、なんともゆっくりと時間が動いてるみたいね。」

 

「ええ、本当に。私が勤め始めたのがつい昨日のように思い出せます。……まあ、顔ぶれは随分と変わってしまいましたが。」

 

私と同じように中庭を見ながら、マクゴナガルが少し悲しそうな顔で言う。きっと同じ顔を思い浮かべているのだろう。蜂蜜色の髪で快活に笑う、彼女のことを。

 

「そうね、変わってしまったものもあるわ。」

 

「……ほら、行きましょう、マーガトロイドさん。早く行かないと校長先生が居眠りをしてしまいますわ。最近はいつも眠そうにしているんですもの。」

 

戯けたように言うマクゴナガルは……うん、無理して言っているのが丸わかりだ。冗談を言うタイプじゃないのに、慣れないことをさせてしまったらしい。……いやはや、気遣ってくれる人がいるというのはなんともありがたいことだ。

 

「うん、行きましょう。……ありがとう、マクゴナガル。」

 

「お、お礼を言われるようなことはしていません。」

 

ちょっと早口で言い切ったマクゴナガルに続いて、校長室に向かって再び歩き始める。かわいいところもあるじゃないか。いつもそうしていれば生徒ウケもいいだろうに。

 

クスクス笑いながらその背に続いていると、やがて校長室を守るガーゴイルの前へとたどり着いた。

 

「クランベリー・クッキー。」

 

マクゴナガルが放った合言葉に、再び笑いが浮かんでくる。リーゼ様やレミリアさんは呆れているようだが、私はダンブルドア先生の決める合言葉が大好きだ。小難しい単語なんかよりよっぽどいい。

 

現れた階段を下りていけば、見慣れた校長室のドアが見えてきた。この城を体現しているかのような年季の入ったオークのドアだ。マクゴナガルがノックして名乗ると、招き入れるようにゆっくりとそれが開く。

 

前回より少し物が増えたような気がする校長室の中では、ダンブルドア先生が柔らかな雰囲気を纏ってソファに腰掛けていた。うーむ……この人がそこに居るというだけで、何故か安心感を感じてしまう。これも一種のカリスマなのだろうか?

 

「おお、ご苦労じゃった、ミネルバ。それに……アリス。急に呼び出してしまって申し訳ないのう。」

 

おっと。ダンブルドア先生がソファから立ち上がろうとするのを、マクゴナガルと二人で慌てて止める。いくつになっても礼節を失わない人だ。パチュリーなら絶対に座ったままだろうし、リーゼ様やレミリアさんなら言わずもがなだろう。

 

応接用のテーブルに近付きながら、ダンブルドア先生に話しかける。

 

「私はそこまで忙しいわけじゃありませんし、ホグワーツを歩くのはいい気分転換になりますから。気にしないでください。」

 

「それはありがたいことじゃ。さあ、二人とも座っておくれ。今お茶を用意しよう。」

 

私とマクゴナガルがソファに座るのと同時に、ダンブルドア先生が杖を一振りして紅茶とお茶請けを呼び出した。品のいいお皿に載っているのは、クッキー? ……おそらくクランベリーのクッキーだろう。微笑みながら一口頂くと、甘いクッキーと甘酸っぱい果肉の味が広がっていく。

 

「美味しいです。合言葉といい、最近はこれがお気に入りなんですか?」

 

「ほっほっほ、その通り。昔は苦手な味だったのじゃが、この前食べてみたら非常に美味でのう。昔のわしはセンスがなかったようじゃな。」

 

「そういえば、パチュリーから聞きましたよ。昔は女の子からよくお菓子を貰っていて、食べきれないのを押しつけられたもんだ、って。」

 

私の言葉を受けたダンブルドア先生は一瞬ポカンとした後、苦笑しながら口を開いた。

 

「おお……それはまた、なんとも懐かしい話じゃ。しかしな、アリス。何だかんだと文句を言いながらも、ノーレッジはきちんと受け取っていたんじゃよ? 特にマカロンを貰った時には、わしが渡す間も無く奪われたものじゃ。」

 

悪戯げな瞳で言うダンブルドア先生の言葉に、思わずクスクス笑ってしまう。パチュリーがマカロン好きなのは百年前から変わっていないらしい。

 

その後しばらくは元騎士団の仲間の現状や、昔話に花を咲かせていたが……話題が一段落したところでダンブルドア先生が本題を切り出してきた。

 

「昔話も実に楽しいものじゃが、今日来てもらったのはそのためではないのじゃ。アリス、君にちょっとした頼みがあってのう。」

 

「頼み、ですか? 私に出来ることなら、喜んでやらせてもらいますけど……。」

 

なんだろう? マクゴナガルの方を見てみるが、彼女も聞いてはいなかったようで、キョトンとしながらダンブルドア先生の言葉を待っている。

 

「単刀直入に言おう。防衛術の教師を引き受けてはくれんかね? 一年だけでもいいのじゃ。……無論、長く続けてくれるのなら喜ばしい話じゃが。」

 

予想外の頼みに、一瞬思考が停止する。教師? 私が? それはまた……どうなんだろう。自分では向いていると思えないのだが。

 

困惑する私を他所に、マクゴナガルは手を叩いて大きく頷いた。

 

「素晴らしいご提案です! 能力も、人格も、経験も申し分ありません。どうして今まで考えつかなかったんでしょう!」

 

大賛成のマクゴナガルを困ったように見つめていると、ダンブルドア先生が優しげな口調で語りかけてきた。

 

「本当はずっと前から考えていたのじゃが……テッサのこともあったしのう。君の重荷になるかもと思うと、どうにも言い出せなかったんじゃよ。」

 

一度目を瞑り、小さく息を吐いた後で、ダンブルドア先生は真っ直ぐにこちらを見ながら続きを話し出す。

 

「しかし、今の君なら心配あるまい。ハリーのこともあるし、来年度の教師はとっておきを用意したいのじゃ。君に断られると……なんというか、非常に不本意な人選をすることになるのじゃよ。」

 

後半を苦笑いで言い切ったダンブルドア先生は、一枚の紙をこちらに見せてきた。首を傾げながら受け取ってみると……なんだこりゃ。

 

おそらく履歴書のつもりらしいその羊皮紙には、びっしりと自分の『英雄譚』が書き連ねられている。その他にもシャンプーの開発がどうだとか、チャーミングスマイル賞がどうだとか……おっと、著書の欄には『バンパイアとバッチリ船旅』という文字がある。リーゼ様やレミリアさんに教えてみたら面白そうだ。

 

隣から覗き込むマクゴナガルも読み進めるうちに険しい顔になっていき、文末にド派手なサインがあるところまで読む頃には、見たこともないほどに引きつった顔に変わっている。

 

「ロックハートは卒業後も変わらないようですね。」

 

「うむ。非常に活躍している卒業生ではあるが……教師には向いておらんようじゃ。作家としては一流らしいがの。」

 

取ってつけたようなフォローを入れるダンブルドア先生に、恐る恐る質問を飛ばす。

 

「ええと……その、私が断ったら、この人が防衛術の教師に?」

 

「まあ、言わんとすることは分かるがのう。彼はどうも『奥様方』に人気があるようで、推す声もなかなかに強いのじゃ。」

 

書類一つで人を判断したくはないが、この履歴書はあまりにも……あまりにもなのだ。どうやら逃げ場はないらしい。頭を押さえながら降伏の言葉を口にした。

 

「わかりました、お受けします。」

 

あからさまにホッとするマクゴナガルを見ながら、ダンブルドア先生が苦笑いで口を開く。

 

「いやはや、押しつけてしまったようで申し訳ないのう。わしらも全力で手助けすることを約束するよ。」

 

「なんとかやってみますけど……一年だけですよ? それ以上はとても自信がありません。」

 

「ほっほっほ。君ならいい教師になれるよ。わしが保証しよう。」

 

嬉しそうに笑うダンブルドア先生と、胸を撫で下ろしているマクゴナガルを見ながら、頭の中で必死に計画を立てる。前年までの授業内容を調べて、学年ごとの授業計画を……そうだ、教科書も決めないと。

 

切っ掛けがなんにせよ、生徒たちにとっては大事な一年なのだ。下手な授業をやるわけにはいかない。受けたからには頑張らねばならないだろう。

 

胸元の杖へと手を当てながら、アリス・マーガトロイドはそっと決意するのだった。

 



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なつやすみ

 

 

「いい度胸じゃないか、ハリー。私からの手紙を無視するとはな。」

 

リビングのソファへと身を埋めつつ、アンネリーゼ・バートリはコツコツとテーブルを叩いていた。……ソファの柔らかさではグリフィンドール談話室に軍配が上がるな。買い換えるべきかもしれない。

 

まあ、ソファはどうでもいいのだ。問題なのはハリーである。誕生日プレゼントも送った。手紙も送った。それなのにハリーからの返信がないのだ。別に楽しみにしているわけではないが、こうまで無視されるとイライラが募ってくる。

 

コツコツが二十回を超えたあたりで、逆側のソファで寛いでいた美鈴がどうでも良さそうに声をかけてきた。

 

「嫌われてるんじゃないですか? 従姉妹様。」

 

……そうなのか? 一応信頼関係らしきものは築けたと思ったのだが、もしかしてそれは勘違いだったのだろうか?

 

マズいな。今後の展開に支障をきたす可能性がある以上、放っておくのは問題だろう。なにより、アンネリーゼ・バートリの手紙を無視するなど許されることではないのだ。長い吸血鬼生のなかでも初めての経験かもしれない。

 

「よし……美鈴、アリスから『お手紙ちゃん八号』を借りてきてくれ。不在なら勝手に持ってきて構わんだろう。」

 

「いいですけど……どんなのでしたっけ? 私には全部同じに見えるんですよね。」

 

「黒い郵便局員の服を着て、腰にゴム製の棍棒を提げてるやつだ。『刑務官ちゃん』と間違えないように気をつけるんだぞ。同じような服装だが、あっちは鉄製の棍棒だからな。」

 

「アリスちゃんって……いや、まあ、行ってきます。」

 

ちょっと引いてる様子で部屋を出て行く美鈴を尻目に、手紙を書くために羽ペンを呼び寄せる。お手紙ちゃん八号には返信催促機能が搭載されているのだ。ハリーが無視しようものならゴム棍棒で滅多打ちにしてくれるだろう。

 

内容などどうでもいい。私の手紙を無視するとどうなるかを知らせることが大事なのだ。適当に近況を聞く内容を書いたところで、お手紙ちゃんを抱っこした美鈴が戻ってきた。

 

「アリスちゃんは留守でしたよ。……それなのに人形置き場から話し声が聞こえたんですけど、本当に自律人形は未完成なんですよね?」

 

「勝手にお喋りする機能でもつけたんだろうさ。アリスの人形に疑問を持つとちょっとしたホラーになるぞ。深く考えないほうがいい。」

 

「えぇ……なんか怖くなってきました。」

 

ブルリとその身を震わせる美鈴から人形を受け取って、手紙を持たせてから声をかける。

 

「いいか? プリベット通り四番地にいるメガネの男の子に届けるんだ。豚みたいな方じゃないぞ。それと、返信を受け取るまで撤退は許されないからな。」

 

ビシリと見事な敬礼をした人形を窓から離すと、凄い勢いで目的地に向けて飛んで行った。どうやら最新型のお手紙ちゃんはふくろうよりも速そうだ。

 

まあ、ハリーもお手紙ちゃんを無視することはできまい。満足して頷いていると、窓枠に頬杖をついて遠ざかるお手紙ちゃんを見ていた美鈴がポツリと呟いた。

 

「ハリー・ポッターを殴り殺したりはしませんよね? あれ。」

 

「さすがにないさ。……ないよな?」

 

ないとは思うが、たまにアリスはぶっ飛んだ人形を作るのだ。先日も『ガーデニングちゃん』が狂ったように花を毟りまくるという誤作動を起こしていたし……ううむ、心配になってきたぞ。

 

私と同じように心配そうな顔になっている美鈴と顔を見合わせながら、一応アリスに聞いてこようと決意するのだった。

 

───

 

しかし、お手紙ちゃんは一向に戻ってはこなかった。もう三日目だというのに、返信を携えてくる気配はない。

 

ソファに横たわってぼんやり窓を眺めていると、今日もまた向かいのソファでのんびりしている美鈴が声をかけてくる。……私が言えることじゃないが、コイツはいつ仕事をしてるんだ? 最近は庭いじりをしてるかここでゴロゴロしてる姿しか見てないぞ。

 

「お手紙ちゃんがハリーを殺したか、ハリーがお手紙ちゃんを壊したかだと思いますね、私は。」

 

美鈴のアホな予想にも笑えなくなってきた。ハリーが人形に殴り殺されていたら笑い話にもならないし、人形が壊れていたとしてもアリスが怒る。マズいな。ちょっと強硬策を取りすぎたか。

 

一応アリスには安全であることを確認しているが……何を基準とした安全なのかを聞き忘れていた。吸血鬼や魔女基準だとすればちょっと危ないかもしれない。

 

「……様子を見に行ったほうがいいかもね。」

 

「行ってらっしゃいませー。」

 

ソファに寝そべりながらどうでもよさそうに言う美鈴を睨みつけていると、眠そうなレミリアが入室してきた。髪がぼっさぼさじゃないか。どんな寝方をしてるのか知らんが、爆発したみたいになってるぞ。

 

「うぅ……おはよう、りーぜ、めーりん。」

 

「酷い髪だぞ、レミィ。咲夜に整えてもらわなかったのかい?」

 

「咲夜はまだ寝てるわ。私ももうちょっと寝るつもりだったんだけど……こいつが部屋の窓に激突してきたのよ。」

 

目をしょぼしょぼさせながら取り出したのは……お手紙ちゃん八号! ボロボロの姿からは、確かな戦いの後が見て取れる。

 

「お手紙ちゃんじゃないか! 貸してくれ。」

 

レミリアから受け取って机に置いてみると、お手紙ちゃんは何かを訴えるように机をペチペチ叩き始めた。……本当に自我はないのか? こいつ。

 

「ハリーを殺しちゃいないだろうね?」

 

恐る恐る問いかけてみれば、お手紙ちゃんはブンブン首を振って否定してきた。一安心である。バカバカしすぎる理由でゲームに負けないで済みそうだ。

 

「ちょっと、リーゼ? どういうことなの?」

 

「待ってくれ、レミィ。……それじゃあ、どうしてそんなにボロボロなんだい?」

 

怪訝そうな顔で聞いてくるレミリアを置いてお手紙ちゃんに聞いてみると……うん? よく分からんジェスチャーをし始めた。

 

「あー……目が大きくて? 耳が、長い?」

 

「とんがってるってことじゃないですか? それに……小さい?」

 

「お辞儀をしてるわね。謝るってこと?……違うの? それじゃあ……えーっと、礼儀正しい? おっと、当たりね。」

 

私、美鈴、レミリアでなんとか解読していくと……。

 

「屋敷しもべ妖精かい?」

 

導き出した答えを口に出してみれば、お手紙ちゃんは嬉しそうにコクコク頷いた。どうやら正解のようだ。しかし……屋敷しもべ妖精と戦ったってことか? 意味不明すぎる展開だな、それは。

 

レミリアも状況を理解したらしく、首を傾げながら呟いた。

 

「ハリーに手紙を送ったら、屋敷しもべ妖精が人形と戦った? いやいや、意味が分からないわ。」

 

「事実そうなってるんだから仕方ないさ。しかし……ダーズリー家が屋敷しもべを雇っている可能性は皆無だろう。翼を賭けてもいいぞ。」

 

「誰も雇ってるほうに賭けないから意味ないでしょ。えーっと、手紙はハリーに届けられたの?」

 

困惑気味のレミリアがお手紙ちゃんに聞くと、お手紙ちゃんは口惜しそうに足を踏み鳴らしながら首を振る。かなり人間らしい動作だ。やるじゃないか、アリス。

 

それを興味深そうに見ていた美鈴が今度は質問を飛ばす。

 

「まさか、奪われたってことですか? 屋敷しもべに?」

 

お手紙ちゃんは美鈴をビシリと指差して、『正解だ!』と言わんばかりに大きく頷いた。

 

屋敷しもべが手紙を奪う? それはまた……うん、奇妙な話だ。他の二人も同感のようで、どう反応したらいいのかという微妙な顔になっている。

 

「その屋敷しもべの雇い主が、ハリーへの情報を遮断しているということか? 屋敷しもべが自発的にそんなことをするのは……少々考え難いだろう?」

 

奇妙な事件への考察を口にしてみれば、レミリアが同意の返事を返してきた。

 

「まあ、そうね。そういう種族じゃないわよね。しかし……誰がそんなことを? ハリーが無事なのは、隣のスクイブの報告からも確かなのよ?」

 

リリー・ポッターの遺した守りと、元騎士団員の監視がある。あの家は安全なはずだ。だからこそハリーはあそこに住んでいるわけで、それが無ければモリーかフランあたりが引き取ることを主張しただろう。

 

そもそも手紙の遮断をしたからなんだというのだ。さすがにリドルの一手としてはショボすぎるし、やってることがただの嫌がらせにしか思えない。石ころを逃した腹いせか?

 

……何とも意味不明な事件だが、知ったからには対処すべきだろう。魔法界の手紙なしであの家に缶詰だとすれば、ハリーの性格が歪みかねない。聞いた限りではあり得ない話ではないはずだ。

 

「まあ、一応どうにかしたほうがいいだろう。妖精狩りでもするかい?」

 

「うーん……とりあえず、ウィーズリー家にでも避難させようかしら? モリーはめちゃくちゃ喜ぶでしょうし、しもべ妖精を狩り出すのは一苦労よ? あの連中は人間なんかよりもよっぽど強力な種族なんだから。」

 

その通りだ。本能としてヒトに仕える種族だが、魔法力で言えばヒトよりも遥かに上だろう。ロワーを見れば一目瞭然だ。本当に優秀な使用人だった。

 

「そういえば、去年駅で誘ってたしね。それで良いんじゃないか? しもべ妖精に関しては一応ダンブルドアに報告しておけばいいだろう。」

 

同意してやると、レミリアは執務机に着きながら手紙を書き始めた。

 

「それじゃ、私がダンブルドアとモリーに連絡するわ。そっちはウィーズリーの……ロン? にでも話を通しといて頂戴。」

 

「そうしよう。」

 

短く返して、私も手紙を書くために羊皮紙を一枚取る。しかし、そろそろ魔法界も紙を一般化してくれないだろうか? 今度レミリアを通して要請を出してみるか。

 

どうでもいいことを考えながら、アンネリーゼ・バートリは隠れ穴への手紙をしたためるのだった。

 

 

─────

 

 

「それで? 魔法がかかった車で突っ込んで行ったというわけ?」

 

アリス・マーガトロイドは隠れ穴のリビングで、モリーの作ったパンケーキを食べながら呆れ果てていた。どうやらロンたちは、かなりの『強硬策』に打って出たらしい。

 

予定ではもう少し穏便な方法でハリーを連れてくるつもりだったのだが、ハリーに公式警告が送られたことで焦ってしまったようだ。何らかのトラブルを予想したロンと双子の三人は、空飛ぶ車で友人を救出しに向かったのである。

 

「本当にもう、あんなに心配したのは初めてです! もし墜落でもしたらと思うと、今でもゾッとしますよ。」

 

呆れている私とは違い、モリーとしては心配の色が強いようだ。まあ……無理もないだろう。少なくとも私には、アーサーが改造した空飛ぶ車に乗る勇気はない。なんたって彼はエンジンやらブレーキの原理を知らないのだ。

 

「一応聞くけど、全員無事だったのよね?」

 

「奇跡的に、ですけどね。罰として庭の掃除をさせています。ハリーはゆっくりしてていいのに、あの子たちを手伝っているようで。本当に優しい子。」

 

チラリと窓の外を見れば、その『優しい子』が庭小人をぶん投げているのが見える。悲鳴を上げながら二十メートル近く飛んでいった小人を眺めていると、モリーがうんざりしたように口を開いた。

 

「とはいえ、ハリーの状況も酷かったみたいで……監禁されていたらしいんです。窓に鉄格子が嵌められて、食事は缶詰一つだけ。外に出られるのは朝夕のトイレの時間だけだなんて! アズカバンだってもう少しまともな生活をさせますよ!」

 

「それは……マグルでも犯罪なんじゃないかしら?」

 

アズカバンよりまともかはともかくとして、想像を絶する状況だったのは確かのようだ。ハリーは刑務所並みの生活をさせられていたらしい。あれだけ脅してやったのに、叔父たちは一切反省していないのか?

 

「今度会ったら絶対に文句を言ってやらないと! ……あの子をここで引き取るわけにはいかないんですか? あまりにも酷い扱いです。」

 

ぷんすか怒っていたモリーだったが、後半は切実そうな表情に変わっている。

 

「可能なら今すぐにでもお願いしたいくらいだけどね……リリーの残した守りは、血縁が無ければ効果がないのよ。ハリーにとっての『家』はあの場所である必要があるわ。」

 

顔を見合わせて、二人でため息を吐く。刑務所同然の場所だとしても、安全には代えられないのだ。

 

ちょっと暗くなった気分でパンケーキの最後の一欠片を口にする。すぐさまお代わりを準備しようとしたモリーを慌てて止めていると、上の階からジニーが下りてきた。

 

「あれ? マーガトロイドさん、こんにちは。」

 

「こんにちは、ジニー。」

 

ジニーはこちらに近寄ってきて、私の隣の椅子に座り込んだ。どうもこの子には懐かれている気がする。まあ、もちろん悪い気はしない。なんたってかわいい盛りの年頃なのだ。

 

「ジニーもパンケーキをお上がりなさい。今作ってくるから。」

 

返事も聞かず台所へと向かっていったモリーを尻目に、ジニーに話しかけようとそちらを見ると……ふむ? 窓越しにハリーのことをジッと見つめている。

 

「ハリーが気になるの?」

 

「へっ? いや、その……はい。でも、内緒にしておいてください。」

 

ジニーは頬っぺたをちょっと赤くして、モジモジしながら頷いた。なんとも可愛らしいものだ。この年頃だと……初恋かな? 思わず微笑みながら話しかける。

 

「ふふ、わかったわ。……ほら、それなら髪のハネを直したほうがいいわね。」

 

言いながら櫛を取り出して梳いてやると、ジニーはされるがままでポツリポツリと話し始めた。

 

「あの、こういうのって変なんでしょうか? 私、兄たちには聞けなくって……。」

 

「変なわけないじゃない。とってもステキなことだわ。」

 

よく考えれば兄妹の中で一人だけ女の子なのだ。色々と苦労があるのだろう。ウィーズリー家の男女比について考えていると、ジニーから意外な質問が飛んできた。

 

「マーガトロイドさんは恋人とかっていないんですか?」

 

「んー……そうね、いないわ。どうもそういうことに向かない性分みたいなのよね。」

 

生まれてこのかた恋愛経験は一切ない。……なんかちょっと悲しくなってきた。そんな私の内心も知らず、ジニーは滅多にできないのであろう『恋話』を継続することにしたようだ。

 

「それじゃあ……初恋は? チャーリーが初恋は叶わないものだって。そうなんでしょうか?」

 

「あー……うん、初恋ね。」

 

誰にも言っていない秘密だが……私の初恋はリーゼ様だ。なんというか、尊敬と親愛が重なってそうなったのだと思う。当然ながら今は家族としての親愛しか抱いていないが、今思うと我ながら倒錯した感情だった。思い出すだけでも顔から火が出そうになる。

 

初恋の秘密は墓まで持っていこうと決意しつつ、ジニーの綺麗な赤毛を弄りながら口を開いた。

 

「まあ、一般的には叶わないことが多いのでしょうけど、もちろん例外だってあるわよ。私の初恋は……うん、叶ったような叶わなかったような、微妙な感じね。」

 

「微妙な感じ? それってどういうことですか? それに、どんな人が相手だったんですか?」

 

ぬう、マズいな。興味津々ではないか。カッコいいお姉さんでいるためにも、話題を逸らす必要がありそうだ。

 

「えーっと……まあ、黒髪で年上の人だったわ。そんなことより! 今はハリーの話よ。しばらく一緒に住むわけなんだし、チャンスは沢山あるでしょう?」

 

「……ハリーはきっと私なんて目にも留めません。服も安いやつだし、持ってる物はお下がりばっかり。」

 

「あのね、貴女は充分にかわいいわ。もしハリーが見向きもしなかったとしたら、彼のセンスがおかしいだけの話よ。」

 

なるべく優しく言葉をかけてみると、ジニーはちょっと元気を取り戻したようだ。仕上げにお気に入りの香水を取り出して、ほんのちょっとだけ香りを移す。

 

「ほら、これで完璧。立派なお姫様だわ。」

 

「そ、そんなこと言われたの初めてです。ジョージもフレッドも、私のことブスだって……。」

 

「あの双子にはお灸をすえる必要がありそうね。」

 

年頃の女の子になんてことを言うんだ、まったく。人形をけしかけてやろうかと考えていると、ジニーが振り向いて上目遣いでお礼を言ってきた。

 

「ありがとうございます、マーガトロイドさん。香水なんてつけたの初めてです。とってもいい香り。」

 

「アリスでいいわよ。……今度良さそうなのをプレゼントするわ。女の子にはオシャレが必要なんだから。」

 

私の言葉に、ジニーははにかみながら嬉しそうに頷く。なんというか……普通すぎて新鮮な反応だな。フランはオシャレなど気にしないし、咲夜も香水よりナイフの方を欲しがるだろう。

 

楽しい気分でジニーの頭を撫でていると、モリーがパンケーキを持って戻ってきた。

 

「ほら、食べなさい、ジニー。マーガトロイドさんもいかがですか?」

 

「残念ながらお腹いっぱいよ。貴女の料理は美味しすぎるのがいけないわね。ついつい食べすぎそうになるわ。」

 

「あらまあ、お上手。」

 

クスクス笑いながらジニーにパンケーキを取り分けるモリーに、そういえば伝えていなかった本題を口に出す。

 

「そうそう、今日はハリーの様子を見に来たのもそうだけど、この家にちょっとした魔法をかけに来たのよ。」

 

「どんな魔法ですか?」

 

「しもべ妖精避けの魔法ね。ハリーにこれ以上ちょっかいをかけられるのも面倒だし、かけさせてもらっていいかしら?」

 

ちなみにパチュリーの自作魔法だが、流行ることは絶対にないだろう。使い道が限定的すぎるし、しもべ妖精を嫌う人間などそういないはずだ。

 

「しもべ妖精を、ですか……。まあ、そもそも我が家にはかかってそうな魔法ですけど、是非ともお願いします。ハリーのためですもの。」

 

案の定モリーは残念そうな顔で同意してくる。子供がたくさんいる家庭なら、しもべ妖精は欲しくてたまらないものなのだろう。苦笑しながらも杖を取り出し、パチュリーに貰った紙を見ながらめちゃくちゃ複雑な魔法をかけ始めた。……私でも手順を書いた紙がないと出来ないぞ、こんなの。

 

「……これでよし。もちろん解決したら解きに来るわ。迷惑をかけるわね、モリー。」

 

「いえいえ、ハリーの安全には代えられませんわ。わざわざご苦労さまでした。」

 

「大したことじゃないわよ。……それじゃ、そろそろ行くわね。」

 

残った紅茶を飲み干してから席を立つと、モリーが慌てたように声をかけてくる。

 

「まあ、もう行くんですか? ちょっと待っててください、ハリーたちを……。」

 

「お構いなく。それに、新学期になったら嫌でも顔を合わせることになるんだもの。」

 

「新学期になったら? どういうことですか?」

 

「ふふ、それはもうちょっと先のお楽しみよ。……それじゃあね、モリー、ジニー。」

 

悪戯な笑みを浮かべて、フルーパウダーを投げ入れた暖炉に入る。慌ててさよならを言ってくるジニーに微笑みながら、我が家の名前をハッキリと口にした。

 

「紅魔館。」

 

忌々しい煙突飛行の感覚に耐えながら、アリス・マーガトロイドは帰ったら香水のカタログを取り寄せようと決意するのだった。

 



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サイン会

誤字報告ありがとうございます!


 

 

「つまり、歯をドリルで削るのかい? キミの両親を馬鹿にするつもりはないが、それはちょっと……猟奇的だよ。」

 

ダイアゴン横丁のカフェテラスで、アンネリーゼ・バートリはマグルの治療方法に戦慄していた。完全に拷問ではないか、それは。

 

向かいに座るハーマイオニーは、慌てたように説明の続きを話し出す。

 

「違うの、リーゼ。麻酔をかけてるから痛みはないのよ? 悪いところだけを削って、予防のために詰め物を入れるの。」

 

「だが……ドリルなんだろう? 想像しただけで鳥肌が立ってくるよ。」

 

脳内には巨大なドリルで歯に穴を空ける光景が映し出されている。うーむ、正直マグルを侮っていたかもしれない。私ならそんな状況には耐えられないはずだ。

 

神妙な顔で考え込む私を前に、ハーマイオニーはアイスティーをストローでかき回しながら口を開いた。

 

「貴女がどんな想像をしてるかはわからないけど、間違いなくそれよりはずっと穏やかな治療よ。」

 

「……ダメだ。ヤバめの光景しか思い浮かばないよ。」

 

「あー……うん、機会があったら見せてあげるわ。魔法族に説明するのは難しいものね。」

 

ハーマイオニーは言葉での説明を諦めたらしい。しかし……ドリルか。凄まじいことを考えつくものだ。おまけに詰め物? 全然想像ができないぞ。

 

今日はウィーズリー家とハリー、グレンジャー家と私で一緒に買い物をする予定なのだ。合流の時間まで暇つぶしにお喋りをしていたわけだが、実に興味深い話を聞けた。ドリルか……。

 

ちなみに件のグレンジャー夫妻は魔法の商店に興味津々のようで、今もウィンドウショッピングを楽しんでいる。私としては彼らの職業のほうがよっぽど興味深いのだが。

 

猟奇的な治療方法から抜け出せないでいる私に、ハーマイオニーが呆れたように声をかけてきた。

 

「そんなことより、二年生の予習はどこまでやった? 呪文学と変身術は完璧だと思うんだけど……防衛術が心配だわ。どんな人が教師になるのかしら?」

 

「その点は心配ないさ。今年が『当たり年』なのは確定だ。」

 

アリスなら間違いなく上手くやるだろう。本人は自信がないと言っているが、彼女は理性的で子供の扱いも上手い。能力も充分あるし、何一つ心配はいらないはずだ。……まあ、レミリアには親の欲目がどうたらと言われたが。今度鏡をプレゼントしてやることにしよう。

 

「誰が先生になるか知ってるの?」

 

「知ってるが、秘密にしろと言われてるんでね。新学期のお楽しみに取っておこうじゃないか。」

 

「それって……凄く気になるわ。」

 

ニヤリと笑って肩を竦めてやると、ハーマイオニーは小さくため息を吐きながらも矛先を収めてくれる。まあ、別に意味があって秘密にしているわけではない。その方がなんとなく楽しいからそうしているだけだ。

 

普段は飲まないミルクティーで一息ついたところで、遠くから見覚えのある巨体が歩いてくるのが見えてきた。

 

「おや、ハグリッドのご登場だ。」

 

「へ? ……ほんと。ハグリッドは遠くからでもすぐに……あら、ハリーもいるわ。ハリー!」

 

ハーマイオニーの言葉に、再び目をそちらに向けてみると……確かにハリーだ。赤毛集団と一緒のはずなのだが、何がどうなったらハグリッドと一緒にいることになるんだ?

 

急いでアイスティーを飲み干したハーマイオニーに続いて、私も彼らの方へと歩いて行く。

 

「ハリー、久しぶりね! ハグリッドも!」

 

「やあ、ハリー。元気そうでなによりだよ。牢獄に居たと聞いてたからね。」

 

「久しぶり、二人とも。手紙を返せなくってごめんね。リーゼはプレゼントまでくれたのに……。」

 

開口一番で謝ってくるハリーに、首を振りながら返事を返す。

 

「キミの遭遇した『小さな』トラブルについてはロンから聞いてるよ。気にしないでくれたまえ。」

 

無論、お手紙ちゃんを送り込んだことなどおくびにも出さない。知らない方が良いこともあるのだ。例えばそう、ゴム棍棒で殴りつけられそうになったこととかがそれに当たる。

 

「そうよ。それに私、とっても心配だったのよ? 貴方が宿題を出来なかったんじゃないかって。」

 

「あー……うん、あんまり出来なかったかな。でも、ロンの家で終わらせたから大丈夫だよ。」

 

ハーマイオニーがちょっとズレた心配をしているのを横目に、オドオドと私を見ているハグリッドに話しかける。そんなにビクビクするなよ、ハグリッド。イジメたくなるじゃないか。

 

「それで? 何故キミがハリーと一緒にいるんだい?」

 

「あの、ハリーが煙突飛行に失敗したみたいでして。俺が保護したっちゅうわけです、はい。」

 

「保護? ダイアゴン横丁に似つかわしくない言葉だね。」

 

「あー……ノクターン横丁にいたんです。」

 

それはそれは、確かに保護すべき状況だ。アリスが毛嫌いするあの場所は、少々『愉快な』店が多すぎる。

 

「ファインプレイじゃないか。ご苦労さん、ハグリッド。キミがどうしてノクターン横丁にいたかは聞かないでおこう。」

 

「いやぁ、その、肉食ナメクジの駆除剤を買いに行っただけです。それとまあ、ちょこちょこっと買い物を……。」

 

聞いてもいないのにハグリッドは言い訳らしきものを口にしだした。『ちょこちょこっと』の部分に問題があることは明らかだが……ま、今回は追求しないでおいてやろう。あの場所をハリーがうろついたままだったら厄介なことになっていたのは間違いないのだ。

 

そのまま四人で通りを歩いていると、人混みの向こうに赤毛の集団が見えてきた。拷問好きのグレンジャー夫妻も一緒だ。向こうは向こうで合流していたらしい。

 

「ハリー! 無事だったのね!」

 

モリーがこちらに突っ込んでくるのを避けながら、ロンや双子と挨拶を交わす。どうやら騒がしい買い物になりそうだ。

 

───

 

グリンゴッツで金を下ろした後は、本屋で教科書を揃えることになった。私の場合はパチュリーの図書館で揃うが、ウィーズリー家はなんとも大変そうだ。末娘は哀れにも大半をお下がりで済まされようとしている。

 

とはいえ、アリスは基本呪文集以外の教科書を指定しなかった。他の教科も前年度の物を継続して使うことが多いし、買い物はすぐに終わるはずだったのだが……。

 

「本物の彼に会えるんだわ!」

 

ハーマイオニーの恍惚とした声が店内に響くが、誰一人として気に留める者はいない。なんたって大半が同じような声を上げているのだから。キャイキャイと甲高い声が店内を包んでいる。

 

迷惑なことに、どこかのアホが本屋でサイン会を開いていたのだ。それだけだってうんざりなのに、ハーマイオニーやモリーはそのアホの大ファンらしい。残念ながら長い足止めになりそうだ。

 

洗脳されてるんじゃないかと思うくらいにはしゃいでいる二人を見ながら、隣で呆れた表情を浮かべているロンへと話しかける。

 

「それで……誰なんだい? 大スター様の正体は。」

 

「あれを見てみろよ、リーゼ。デカデカと書いてるぜ。」

 

言うロンの目線を追ってみれば……ギルデロイ・ロックハート? ド派手な赤の横断幕に、紫の光る文字で名前が書いてある。もうあれだけでもお腹いっぱいになる光景だ。

 

しかし……どこかで聞いたような気がする名前だな。どこだったかと記憶を探っていると、脳裏に呆れた顔で話すアリスが蘇ってきた。

 

そうだ、あの馬鹿げた本の作者だ。『バンパイアとバッチリ船旅』。一般的な吸血鬼と私たちの差が実に分かりやすく表現されていた。おまけによく燃えるというオマケ付きだ。着火剤としては実に優秀な本だった。

 

「ロックハートは人気のようだね。しかし……悲しいことに私の感性は少々ズレているらしい。サインが欲しくなってこないんだ。」

 

「安心しろよ、リーゼ。君が正常なことは僕が保証する。ママもハーマイオニーも頭がおかしくなってるんだ。」

 

残念ではあるが、ロンの言葉を否定できそうにない。目をキラキラさせている彼女たちはちょっと怖いのだ。まあ……他人の趣味に文句は言わないでおこう。

 

「私は外で待ってるよ。これ以上ここに居ると、反射的にあの横断幕を燃やしてしまうかもしれないからね。」

 

「僕もだ。フレッドとジョージはとっくに悪戯専門店に逃げ出しちまったし、僕たちもそっちに行けばよかったかもな。」

 

至極残念そうに言うロンと共に店先へと向かうと……おや、こちらでも『イベント』が開かれているようだ。アーサーがハリーとジニー、グレンジャー夫妻を背にして、金髪で悪趣味なローブの男を睨みつけている。いい歳して口喧嘩をしているらしい。

 

「どうやら魔法省は残業代を出し渋っているようですな? ……この有様では大変でしょう。」

 

末娘の古ぼけた教科書を振りながら、金髪がアーサーを挑発する。おおっと、よく見れば隣に立つのはトロール飼育の天才、ドラコ・マルフォイではないか。つまり……あの男がルシウス・マルフォイなわけだ。

 

「私の家庭の問題だ。君には関係ない。」

 

「心配しているのですよ、私は。これでは魔法界の面汚しになった甲斐がないでしょう? 今日もそんな穢れたマグルどもと一緒に──」

 

グレンジャー夫妻のほうを見ながらルシウス・マルフォイがそう言った瞬間、アーサーが彼に殴りかかった。知らぬこととはいえ、拷問好きのドリル夫妻にそんなことを言うとは……恐れを知らんヤツだな。

 

勢いのまま本棚に激突した二人は、本を撒き散らしながら熾烈な……まあ、当人の間ではおそらく熾烈な殴り合いを始めた。どうも杖に慣れると運動不足になるらしい。お世辞にも洗練された殴り合いとは言えない有様だ。

 

「いいぞ、パパ! やっちまえ!」

 

図鑑らしきものがルシウス・マルフォイの右目にクリーンヒットするのに、ロンが両手を振って歓声を上げるが……ここまでだな。騒ぎを聞きつけたハグリッドが、魔法生物関係の本棚からこちらに走ってくるのが見える。

 

「やめんか! おまえたち、やめんかい!」

 

ハグリッドは体格の差というものを存分に発揮して、あっという間にアーサーとルシウス・マルフォイを引き離した。未だ憎々しげに睨み合っていた二人だが、やがてルシウス・マルフォイはまだ手に持っていた末娘の教科書を乱暴に突き返すと、捨て台詞を吐いて歩き去って行く。さすがは親子、そっくりだ。

 

「ほら、チビ、君の本だ。君の父親にしてみればこれが精一杯なんだろう。孫の代まで大事に使うんだな。」

 

遠ざかるマルフォイ親子の背中を眺めていると、ロンが悔しそうに口を開いた。

 

「クソったれのマルフォイどもめ。あいつら、親子揃って腐りきってるぜ。」

 

「まあ……よく似ていることは同意しよう。キミたちの赤毛といい、マルフォイ家の高慢といい、魔法族の遺伝子は仕事をしているようだね。」

 

「ハリーにしもべ妖精をけしかけたのもアイツらに決まってる。ハリーもそう思ってるんだってさ。」

 

「へえ? マルフォイがねぇ……。」

 

有り得なくはないが、ちょっと微妙な感じだ。息子はともかくとして、父親がそこまで後先知らずのことをするとは思えない。

 

どの世界においても旧家というのは慎重に事を進めるものだ。評判が全ての世界なのだから、バカバカしい失敗をすることは許されないのである。嫌がらせにしもべ妖精を使うなど評判ガタ落ちだろう。

 

まあ、息子の方が暴走した可能性もあるか。まだ十二歳のガキなのだ。何をやってもおかしくない。

 

雑踏に消え去るマルフォイ親子を眺めながら考えていると、書店の中から怒りの声がアーサーへと放たれた。

 

「アーサー、何をしているんですか! ギルデロイがどう思うか!」

 

ロックハート教の熱心な信者、モリー・ウィーズリーだ。アーサーに降りかかった災難は未だ序章に過ぎなかったらしい。

 

烈火のように怒るモリーを見て苦笑しながら、アンネリーゼ・バートリは可哀想な父親の幸福を祈るのだった。

 



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ルーニー

 

 

「あんた、吸血鬼だ。」

 

九月一日のホグワーツ特急の中。いきなりコンパートメントに入ってきた少女を前に、アンネリーゼ・バートリは困惑していた。

 

見覚えのない、シルバーグレーの瞳が特徴的なブロンドの少女だ。顔は整っているのにも関わらず、巨大なタンポポの髪飾りがそれを台無しにしている。ハグリッドでピッタリのサイズだぞ、それは。

 

「あー……その通りだ。私もよく知ってるよ。なんたって、自分のことだしね。」

 

翼をピコピコさせながら言ってやると、カクリと首を傾げながら少女は別の質問を放ってきた。

 

「いい吸血鬼? それとも悪い吸血鬼?」

 

なんともまあ、抽象的な質問ではないか。早めに到着してしまったのでハリーたちのためにコンパートメントを確保していたわけだが……うん、妙なのに絡まれてしまったな。

 

「いい吸血鬼さ。稀に見るレベルで、ね。」

 

実際は極悪吸血鬼だが、とりあえず適当にそう言ってみると……おいおい、居座るつもりか? 少女は向かいの椅子に座り込んでしまった。と思えば立ち上がってぺこりとお辞儀をし始める。何なんだ、一体。いよいよ混乱してきたぞ。

 

「先に座っちゃダメなんだった。……こんにちは、私はルーナ・ラブグッド。」

 

「……アンネリーゼ・バートリだ。キミは新入生かい?」

 

「ウン、そうだよ。もう座ってもいい?」

 

「あー……多分私の友人たちが来るが、それでもいいなら構わないよ。」

 

少女……ルーナは、コクリと頷いてから再び椅子に座り込む。しかし、『ルーナ()』か。良い名前だが、この分だと『ルーニー(狂気)』の方が近そうだ。

 

今までに会ったことのないタイプに困惑していると、ルーナがまたしても唐突に話しかけてきた。何というか……予備動作の少ない子だな。お陰でやることなす事が唐突に感じられてしまう。

 

「アンネリーゼはレミリア・スカーレットを知ってる?」

 

「ああ、知ってるよ。」

 

「なら気をつけたほうがいいよ。レミリア・スカーレットは本当は悪い吸血鬼なんだもん。グリンデルバルドとダンブルドアを影から操ってたんだ。」

 

は? コイツ……今なんと言った? 警戒心を一気に上げて、ルーナの一挙手一投足に注目する。誰にも気付かれていなかったはずの情報を、何故この小娘が知っているんだ?

 

緊張を強める私を他所に、ルーナはトランクから雑誌のようなものを取り出しながら話を続けた。

 

「でも、誰も信じてくれないんだよ。……ほら、これに載ってる。この号を出した時は吼えメールがいっぱいきたんだ。魔法省からも厳重注意を貰っちゃって、パパが悲しんでたよ。」

 

言いながら差し出されたそれを慎重に受け取ってみれば……『ザ・クィブラー』? 表紙にはデカデカと、『レミリア・スカーレットの真実』という見出しが書かれている。

 

パラパラと流し読みしてみれば……ふむ? ちょっとズレたゴシップ誌のようだ。この雑誌によれば、レミリアはグリンデルバルドを操っていた影の黒幕で、ヨーロッパの大戦は自分の権力を強めるための壮大な芝居だったらしい。おいおい、ほぼ真実じゃないか。

 

他にも『人間を食料にしている』だとか、『太古から生きる吸血鬼で魔法界の支配を企んでいる』、『あの姿は仮のもので本当は老婆の見た目である』といった、見当外れのものから真実を射抜いているものまで様々なことが書かれている。

 

「これは……実に興味深い雑誌だね。初めて見たよ。」

 

「パパが編集長をしてるんだけど、最近はどこの書店にも置いてくれないんだ。みんな嘘つき雑誌だってバカにしてる……でも、本当のことしか書いてないよ?」

 

少なくとも私はバカにはできない。他がどれだけイカれた内容だろうと、少なくともレミリアの一件では真実の側面を突いているのだ。狂人こそが世の真理を知っているものなのかもしれない。

 

……まあ、何にせよ警戒する必要はなさそうだ。他の記事も滅茶苦茶な内容だし、この様子なら誰も信じてはいないだろう。警戒心に蓋をして、肩を竦めながら口を開く。

 

「そうだね、私はいい雑誌だと思うよ。……定期購読してみようかな。」

 

「それって、スッゴイいい考えだもん。アンネリーゼはやっぱりいい吸血鬼なんだね。」

 

ニコリと笑うと年相応のかわいい女の子なのだが……いきなり無表情に戻るのはいただけないな。『コロコロと』というよりかは、『カクカクと』表情が変わっている感じだ。うーむ、観察してると面白い。

 

そのまま雑誌に載っている未確認生物たちについて話していると、私を見つけたらしいハーマイオニーがコンパートメントに入ってきた。ようやく一人目のご到着か。

 

「久しぶり、リーゼ。席を取っててくれたのね。ホームで探しちゃったわ。それと……初めまして。ハーマイオニー・グレンジャー。二年生よ。」

 

前半を私に、後半をルーナに向けて言ったハーマイオニーがトランクを仕舞って席に座る。……ドリル夫妻も来ているのだろうか? なんか気になるな。

 

窓から拷問官たちを探し始めた私を尻目に、ワンテンポ遅れてルーナが自己紹介のために口を開いた。

 

「こんにちは。私はルーナ・ラブグッド。新入生だよ。」

 

「あら、新入生だったのね。分からないことがあったら何でも聞いて頂戴。」

 

早速お姉さん風を吹かせ始めたハーマイオニーだったが、チラリと私の読んでいる雑誌を見て眉をひそめると、呆れたように口を開く。どうやら彼女はこの雑誌を知っているようだ。

 

「ちょっとリーゼ、貴女なんてもの読んでるのよ。みんな言ってるわ。ザ・クィブラーってクズよ。」

 

おおっと、マズいぞ。チラリとルーナの方を見てみると、冷ややかな目でハーマイオニーを見つめている。レタス食い虫くらいならギリギリ殺せそうな視線だ。

 

「ハーマイオニー、ここを読んでみたまえ。きっと窓から飛び降りたくなるぞ。」

 

ため息を吐きながら雑誌の後ろに書いてある編集者の名前を指差してやれば、ハーマイオニーは一瞬で青くなってルーナに謝り始めた。いやはや、近年稀に見る気まずい状況じゃないか。

 

「あの……私、知らなくって。ごめんなさい!」

 

「別に。」

 

おお、怖い。端的な言葉と共に、ルーナは体育座りで拒絶の意思を示す。更にあたふたし始めたハーマイオニーは中々に面白いが……まあ、ホグワーツに着くまでこんな空気なのは御免被る。私の安寧のためにも、場を取り成すためにルーナに向かって声をかけた。

 

「ま、好みはそれぞれさ。ハーマイオニーには後で言っておくから、機嫌を直してくれないかな? ルーナ。」

 

「……うん、わかった。」

 

ふむ? 今気付いたが……なんかこう、この子は昔のフランに似ている気がする。脈絡のない行動といい、本質的な素直さといい、狂気に囚われていた頃のあの子にそっくりだ。

 

そう思うとなんだかかわいらしく見えてきた。在りし日のフランを思い出して目を細めていると、申し訳なさそうなハーマイオニーが再び謝罪の言葉を放つ。

 

「あの、本当にごめんなさい。私、よく余計なことを言うって言われてるのよ。」

 

「ン。もういいよ。」

 

体育座りを解いたのを見て、ハーマイオニーがホッと息を吐いた。どうやら最悪の空気で旅をするのは免れたようだ。安心して座席に背を委ねたところで、出発直前の汽笛が鳴り響く。……ちょっとまて、ハリーとロンが来てないぞ。

 

「おいおい、ハリーとロンは乗り損ねちゃいないだろうね?」

 

「大丈夫よ、ほら。」

 

ハーマイオニーが指差した窓の先を見ると……赤毛の集団が慌てて列車に乗り込んでいるのが見えてきた。ギリギリ間に合ったらしい。ハリーとロンの姿は見えないが、あの集団と一緒に来ていることは間違いないのだ。

 

彼らが乗車し終わったところで、もう一度の汽笛と共に列車が動き始める。つまり、今年もまた収監生活が始まるわけだ。……まあ、アリスがいる分去年よりはマシだろう。少なくとも苦労を分かち合うことはできる。

 

哀愁を感じながら遠ざかるホームを見つめていると、ハーマイオニーが思い出したように問いかけてきた。

 

「そういえば、防衛術の先生は誰になるの? そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」

 

本当は歓迎会でビックリさせたかったのだが……まあいいか。ちょっとだけ自慢気にハーマイオニーへと答えを放つ。

 

「アリスさ。」

 

「マーガトロイドさん? それはまた……予想外だわ。」

 

目をパチクリさせるハーマイオニーに満足していると、ルーナがいつの間にか手にしていた別号の雑誌から顔を上げて、ほんの少しだけ驚いたように口を開いた。

 

「アリス・マーガトロイド。七色の人形使いだ。」

 

「七色の……?」

 

「人形使い。たくさんの死喰い人と戦った人だよ。マッド・アイとかと一緒に。」

 

首を傾げるハーマイオニーに向かって、ルーナがちょっと得意げに解説する。この世代はあまり知らない情報のはずだが、彼女は色々とご存知のようだ。編集長とかいう父親から聞いているのかもしれない。

 

「凄い人だったの?」

 

「よくわかんないけど、死喰い人の裁判の時はよく名前が出たんだって。死喰い人はみんな嫌ってたから、つまりは活躍したんだよ。」

 

「へぇ……知らなかったわ。近代ももうちょっと勉強すべきかも。」

 

今だって勉強過多だというのに、ハーマイオニーはまだ範囲を広げるつもりなのか? ……まあ、確かに裁判の時はよく名前が出ていた。パチュリーと違って前線に出ることが多かったアリスは、それなりに顔が売れていたのだ。

 

とはいえ、騎士団の中で一番多く名前が出たのはムーディだろう。ムーディを殺せるなら、リドルたちは裸でブレイクダンスだって踊ったはずだ。あの被害妄想の狂人はそのくらい恨まれていた。

 

イカれたグルグル目玉について考えていると、ハーマイオニーが通路の方を気にし始める。

 

「ハリーとロンが来ないわね。見つけられないのかしら?」

 

「双子のほうにくっついていったのかもね。彼らは男の子のハートを掴む方法を知っているのさ。」

 

例えばトイレの便座を爆破する、とかだ。ハーマイオニーも納得したようで、ため息を吐きながら通路から目を離した。

 

「まあ、クィディッチの話でもしてるんでしょう。降りる時にどうせ会えるし、放っておきましょうか。」

 

「それが賢い選択だよ、ハーマイオニー。私はロンからあのバカバカしい球遊びの話を聞くのは御免なのさ。……ルーナ、他の号も見せてくれないか?」

 

後半をルーナへと言うと、彼女は頷いてトランクから雑誌の山を取り出す。何だってそんなに大量に持っていくのかは知らないが、お陰で退屈しないで済みそうだ。この雑誌は中々面白い。

 

「いっぱいあるから、好きなのを読んでいいよ。」

 

「ありがとう。それじゃあ……先ずはこれにしよう。」

 

『伝説の魔法生物の謎に迫る!』を手に取って読み始める。フィクションとして読むならロックハートの本より百倍マシだし、ノンフィクションとして読んでもこちらに軍配が上がるだろう。吸血鬼は絶対に船旅などしないのだから。

 

ハーマイオニーの宿題談義に生返事を返しつつ、アンネリーゼ・バートリの旅は退屈とは無縁に過ぎていくのだった。

 

 

─────

 

 

「トラブルの申し子ね、ハリーは。」

 

歓迎会の終わったホグワーツの教員用休憩室で、アリス・マーガトロイドは向かいに座るマクゴナガルに苦笑していた。歓迎会は途中からの参加になってしまったが……まあ、自己紹介はできたのだ。問題ないだろう。

 

ハリーが列車に乗っていないとのリーゼ様からの報告を受けて、それどころではなくなってしまったのだ。歓迎会を放って慌てて行方を探していた私たちに届いたのは、スネイプからの冷ややかな報告だった。

 

曰く、空飛ぶ車でホグワーツへと飛んで来た後、暴れ柳に激突する形で到着。そして歓迎会が開かれている大広間へと忍び込もうとしていたらしい。何がどうなったらそうなるんだ。

 

そして、最悪なことに空飛ぶ車はマグルに目撃されていた。今頃アーサーは詰問会の真っ最中だろう。……大事になっていなければいいが。

 

「信じられないような事態ですね。私の教師生活の中でも、こんな事件は初めてですよ。」

 

マクゴナガルは呆れ果てたとばかりに首を振っている。そりゃあ初めてだろう。こんなことが何度もあったんじゃたまらない。

 

「怪我が無いのは本当に幸運だったわね。それに、ダンブルドア先生が校長だったことも。別の人なら退学になっていてもおかしくなかったわ。」

 

「危うく彼らの両親に顔向けできなくなるところでした。本当にもう……勘弁して欲しいです。」

 

珍しいマクゴナガルの白旗宣言が出たところで、部屋にイライラした様子のスネイプが入ってきた。今の彼には絶対に生徒は近付くまい。

 

「暴れ柳の修復はなんとかなりそうです。それと……バートリ女史には知らせておきましたが、次からはマーガトロイド先生に行っていただきたいですな。」

 

「あら、からかわれたのかしら?」

 

薄く笑いながら問いかけてやると、スネイプはピクリと顔を引きつらせて鼻を鳴らす。正解か。リーゼ様はこの能面男をおちょくるのが気に入ったようだ。

 

ちなみに私はこの男をあまり好いてはいない。ジェームズとリリーが死に、ロングボトム夫妻が拷問されたきっかけはスネイプにあるのだ。その後の働きから見て信用してはいるが、深く付き合おうとは思えない。

 

スネイプは部屋の片隅にある暖炉でお湯を沸かしながら、報告の続きを話し始める。

 

「駅のホームには確かに細工の跡があったようです。が、残念ながら痕跡を追うことは不可能でした。誰が何の目的でやったのかは不明です。」

 

「誤作動ではないってこと? ……まあ、あれに干渉するのは難しいことじゃないわ。どこかの愉快犯の仕業かもね。」

 

別にそこまで複雑な魔法がかかっているわけではない。やろうとするヤツがいないだけで、駅のゲートに細工するくらいなら誰でも出来るだろう。

 

マクゴナガルも同感のようで、頷きながら口を開く。

 

「愉快犯であることを祈りますよ。去年は大変だったんです、今年は面倒事があって欲しくはありませんね。」

 

「全くですな。」

 

言いながら紅茶を淹れたスネイプは、私たちにもカップを差し出してくる。一口飲んでみると……悔しいが、美味いじゃないか。

 

内心で唸りながら紅茶を飲んでいると、スネイプは杖を振ってクッキーを出しながら口を開いた。こいつ、意外と気が利くタイプなのか? 外見とのギャップが凄まじいな。

 

「罰則はどうします? 私にお任せいただければ、相応しい罰を与えてみせますが。」

 

そうしてくれと言わんばかりのスネイプに、マクゴナガルが苦笑しながら答えを放つ。

 

「まあ、しばらくは雑用をやらせましょう。心配しなくても軽い罰にする気はありませんよ。これだけのことを仕出かしたのだから、反省させるためにも厳しい罰を与えるつもりです。」

 

「是非そうあって欲しいですね。明日には『英雄』扱いする愚か者どもが出てくることでしょう。勘違いさせてはいけませんぞ。」

 

冷たく言い放つスネイプだが……まあ、今回ばかりは彼の言う通りだ。二度とこんなことが起きないようにしなければならない。

 

「列車に乗り遅れたときの対処法を周知すべきかもね。少なくとも空飛ぶ車での登校は禁止すべきだわ。」

 

「ポッターとウィーズリー以外に、そんな馬鹿げた選択肢を選ぶ魔法使いはいないと思いますがね。」

 

「油断大敵、よ。ホグワーツでは『馬鹿げた事』が日常でしょう?」

 

ムーディの口癖を真似てやると、スネイプは嫌そうな顔をしながらも頷いた。この男はムーディが苦手なのだ。前回の戦争でスパイとして働くことが決まった際に、髪の毛の一本一本まで調べられたらしい。それは確かに嬉しくない経験だろう。

 

何にせよ、教師生活のスタートとしては珍妙な事件だった。リーゼ様のためにも、今後は平凡な一年が送れることを祈っておこう。

 

無駄に美味しい紅茶を飲みながら、アリス・マーガトロイドは自分も紅茶を淹れる練習をしようと決意を固めるのだった。

 



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盾の呪文

 

 

「賭けてもいいがね、その杖を使うとロクなことがないぞ。」

 

ポッキリ折れた杖をテープで補強しているロンを見ながら、アンネリーゼ・バートリは本心からの忠告を送っていた。

 

ハリーとロンの楽しいドライブ旅行からは一夜が明けている。そして現在修復中であるロンの杖は、『樹身事故』を起こした際に折れてしまったらしい。……まあ、かなり幸運だったと言えるだろう。杖じゃなく、首か背骨あたりが折れていてもおかしくなかったのだから。

 

何にせよロンは諦めるつもりはないようで、朝食も食べずに哀れな棒切れをスペロテープとかいう胡散臭い代物でぐるぐる巻きにしている。

 

「そんなこと言われたって、ママが新しい杖を買ってくれるわけないだろ? どうにかしてこれを……くそっ、ハリー、もっとスペロテープを取ってくれ。」

 

「うん……でも、これって本当に意味あるの? ただのテープにしか見えないけど。」

 

「パパが自動巻き釣竿を直した時は効果があったんだよ。……よし、これで多少はマシになったはずだ。試してみよう……スコージファイ!」

 

テープの節くれができた杖を自分のローブに向けて、ロンが清めの呪文を唱えると……ふむ、実に興味深い。ローブが洗剤まみれになってしまっている。どうやら杖というものは釣竿よりかは繊細なようだ。

 

オートミールに洗剤がつかないように避難させつつ、ハリーが微妙な表情で口を開く。

 

「あー……まあ、一応呪文の効果はでてるね。」

 

「この、役立たずめ。こんちくしょう!」

 

賭けは私の勝ちだな。杖をバシバシとテーブルに叩きつけるロンに鼻を鳴らした後、私の隣でだんまりを決め込んでいるハーマイオニーに話しかける。彼女はハリーたちが空飛ぶ車を移動手段にしたことを怒っているのだ。昨日はイライラと文句を言っていたが、朝食の席では無言での抗議を選択したらしい。

 

「ハーマイオニー、もう許してあげたらどうだい? 今のロンはどう見ても幸せな状況だとは思えないよ? ……洗剤オバケになるのが好きではなければだが。」

 

「ダメよ、リーゼ。退学になるかもしれなかったのよ? 怒る時はきちんと怒るの。」

 

「なんともまあ、キミはいい母親になれそうだね。」

 

『ハーミーママ』に向かって肩を竦めてから、残ったスクランブルエッグを片付けようと皿に向き直ったところで……おっと、ふくろう便の時間か。頭上に大量のふくろうが飛び交い始めた。

 

有り得ない量の忘れ物を受け取るロングボトムを見ながら、定期購読している予言者新聞をキャッチする。トップニュースは……ビリーウィグに刺されて一週間空中を漂っていた男が帰還? 今日も魔法界は平和だな。

 

この分では他のニュースも大したことはあるまい。ため息を吐きながら新聞を置いて食事に戻ろうとすると、荷物に紛れてふくろうそのものが降ってくるのが見えてきた。窓に激突でもしたのか?

 

「おっと。」

 

そのままふくろうはハーマイオニーの横にあった水差しに緊急着陸を果たして、中に入っていたミルクを周りに撒き散らす。私は咄嗟に新聞を盾にしたが、周りは酷い有様だ。最も大きな被害を受けたハーマイオニーは顔中がミルクまみれになっている。

 

「エロール! ……大変だ!」

 

「スコージファイ。大丈夫よ、まだ生きてるわ。」

 

若干イラつきながらも自分の顔を呪文で綺麗にしたハーマイオニーが、ふくろうを水差しから救い出したロンに向かって言うが……おそらくロンが大変だと思っているのはふくろうのことではない。墜落と同時にロンの目の前に落ちた封筒。あの特徴的な真っ赤な封筒には見覚えがあるぞ。

 

「どうしたの?」

 

「これ、吼えメールだ……。」

 

ハリーの質問に、呆然と封筒を見ていたロンが呟いた。その通り、吼えメールだ。在学中のフランが夏休みで帰ってきた時、開けないとどうなるのかを紅魔館の空き部屋で実験した結果、その空き部屋は使用不能になったという代物である。ちなみに使えなくなったのではなく、使いたくなくなったのだ。

 

「へ? ちょっと、どうしたのよ、リーゼ。」

 

「いいから離れるんだ、ハーマイオニー。……開けたまえ、ロン。それを放っておくとどうなるかはキミも知っているだろう?」

 

何がなんだか分からないという様子のハーマイオニーの手を取って後退りしながら、未だ嫌そうに封筒を見ているロンに言葉をかけた。吼えメールに気付いた数人のグリフィンドール生たちも席を立って逃げる準備をしている。

 

「うん、でも……。」

 

「開けた方がいいよ、ロン。昔ばあちゃんに送られた時、開けなかったら……酷かったんだ。」

 

机の下に避難しているネビルの体験談で、ようやくロンは決心がついたらしい。既に煙が噴き出している封筒をゆっくりと開けると……。

 

「ロン・ウィーズリー! 車を盗みだすなんて! 退校処分になっても当たり前です! 首を洗って待ってなさい、承知しませんからね! 車が無くなっているのを見て、私とお父さんがどんな気持ちだったか!」

 

凄まじい音量でモリーの怒声が大広間に響き渡った。この距離だと耳がどうにかなりそうだ。全てのテーブルから視線が集まる中、ロンの顔は既に真っ赤になっているが……残念ながらモリーはそこそこ長めのお説教を吹き込んだようで、彼への拷問は未だ終わりそうにない。

 

「ダンブルドア先生から話を聞いた時、私とお父さんは恥ずかしさで死ぬかと思いました! 私はお前をこんな風に育てたつもりはありません! まかり間違えば、お前もハリーも死ぬかもしれなかったんですからね!」

 

ハリーの名前が出た瞬間、本人の顔が蒼白に染まった。……うーむ、ロンと並ぶと赤と白でおめでたい顔色だな。ちなみに彼らの肩越しに見えるスリザリンのテーブルにいるマルフォイは、今にも喜びの舞を始めそうな表情に変わっている。

 

「お父さんは役所で尋問を受けたんですよ! 今回ばかりは愛想が尽きました、今度ちょっとでも規則を破ってごらんなさい? お前をすぐに家までひっぱって帰りますからね!」

 

ようやく封筒が静かになって燃え尽きたころには、ロンとハリーは死の宣告を受けたような表情になっていた。モリーの選んだ手段は彼らに反省を促すことに成功したらしい。

 

頭を振ってキンキンする耳を治しながら、呆然としたままの二人へと声をかける。

 

「まあ……これで一番の罰は終わったと思いなよ。これ以上酷いことにはならないさ。」

 

絶対に有り得ないはずだ。それが例えスネイプだったとしても、これ以上の罰を与えるのは難しいだろう。

 

「そうね。これで自分たちが何をやったかを理解したでしょう? 反省したならさっさと朝食を食べなさい。」

 

「ああ、そうするよ、『ママ』。」

 

若干立ち直ったらしいロンが、澄まして言うハーマイオニーに皮肉を返す。ハリーは……ダメだな。ショックから抜け切れないようで、オートミールと睨めっこしている。

 

ま、数年後には笑い話になることだろう。……これ以上の騒動を起こさなければ、の話だが。そうなればハグリッドと仲良く慰め合うことになるはずだ。

 

二年目の最初に起きた騒動の終わりを感じながら、アンネリーゼ・バートリはスクランブルエッグに向き直るのだった。

 

 

─────

 

 

「さて、改めて自己紹介しておきましょうか。アリス・マーガトロイド。今年いっぱいこの授業を受け持つことになったわ。」

 

教室の椅子に座る生徒たちを見渡しながら、アリス・マーガトロイドは授業の開始を宣言していた。

 

席に座る二年生たちは、私のことを興味深そうに眺めている。うーむ、なんとも新鮮な感じだ。この場所に立つと教師になったのだという実感が湧いてくる。

 

学期が始まってから数日が経った今日は、二年生のグリフィンドールとレイブンクロー相手の初授業だ。もちろんリーゼ様やハリーたちも席に座っている。手を振りたくなるのをなんとか抑えながら、授業を進めるために口を開いた。

 

「あなたたちが『まとも』な授業を受けられなかったのは重々承知しているわ。遅れを取り戻すためにも今年は実践的な内容を行う予定でいるから、そのつもりでいて頂戴。」

 

「魔法を実際に使うんですか?」

 

「その通りよ、ゴールドスタイン。むしろ今までそうじゃなかったのが異常なの。それと、発言時は挙手してくれるかしら?」

 

一応名前は覚えている。金髪のレイブンクロー生の質問を捌いたところで、今度はハーマイオニーの手が天高く挙げられた。肩を痛めそうな上げ方だ。

 

「何かしら? ハーマイオニー。」

 

「どのような呪文を使うんですか? 予習のためにも先に聞いておきたいんです。」

 

なんとも勉強熱心な子だ。苦笑しながらも杖を振って、黒板に一つの文字を浮かび上がらせた。

 

「色々とやるつもりだけど……一番重視するのはこれよ。プロテゴ。盾の呪文ね。」

 

二年生にはかなり早い内容だが、今後のことを考えればそうも言っていられない。来年度も『クィレル並み』の教師だったら堪らないのだ。せめて私の年にこの呪文だけは教えておく必要があるだろう。

 

生徒の反応は……うん、予想通り今ひとつ。納得したという表情を浮かべているのは、レイブンクローの数名、グリフィンドールではリーゼ様とハーマイオニーだけだ。

 

私の言葉を聞いて、恐る恐るという感じで手を挙げた生徒を指名してやる。

 

「フィネガン、どうぞ。」

 

「えーっと……その、もっと他の呪文を重視したほうがいいんじゃないですか? つまり、攻撃のための呪文とか。」

 

「まあ、気持ちは分かるけど……そうね、それなら実際に見せたほうが早いわね。」

 

生徒たちの前に歩み出て、杖を抜いて言い放つ。

 

「全員で私に呪文を撃ってきなさい。どんな呪文でもいいわ。当てられたら、今年の成績は最高得点を約束してあげる。」

 

二年生だからできるパフォーマンスだ。上級生相手だとさすがにこの数は厳しいかもだが……まあ、この年齢の魔法使いであれば問題なく捌き切れるだろう。

 

生徒たちは迷っている様子だったが、もう一度促してやるとそれぞれ呪文を放ってきた。それを無言呪文で迎撃しながら、閃光の音に負けないように大声で語りかける。

 

「プロテゴは基本にしてもっとも重要な呪文よ。無言呪文が主となる実際の戦いでは、この呪文の使用率は格段に上がるわ。そもそも魔法使いの戦いは一発当たれば勝負が決まることが多いの。」

 

ちょっと心配だったが、リーゼ様はこちらの思惑を汲んで手加減してくれているようだ。苦笑しながら申し訳程度の呪文を放っている。

 

それに苦笑いを返しつつ、続きを話すために口を開く。

 

「避けるか、防ぐ。それが出来ないと勝負にもならないわ。つまり、この呪文を使い熟しているか否かが勝敗を決める大きな要因になるの。私の知る限りでは、この呪文の熟練度はそのままその人の実力に直結しているのよ?」

 

ダンブルドア先生しかり、ムーディしかり。呪文の選択肢が多いのもそうだが、彼らは盾の呪文を見事に使い熟していた。

 

それから少しの間だけ諦めきれない数名が呪文を放ってきたが、どうにもならないと分かると自然と攻撃を止める。

 

一度手を叩いて場を仕切り直してから、黒板を指し示して結論を口にした。

 

「この呪文の重要性が理解できたかしら? もちろん他の呪文を蔑ろにする気はないけど、盾の呪文に関しては一年を通して練習してもらうわ。それじゃあ……先ずは教科書の三十五ページを開いて頂戴。」

 

───

 

「なかなか良い授業だったと思うよ。」

 

授業が終わった後はちょうど昼食の時間だということで、リーゼ様と一緒に私室で食事を取ることになった。壁や棚に人形がずらりと並んでいる私の部屋を見て、この前訪れたマクゴナガルはちょっと引いていたが……うん、リーゼ様にそんな様子はない。

 

安心した。どうやら私がズレているわけではなく、マクゴナガルの感性がちょっとおかしいようだ。

 

笑顔で褒めてくれるリーゼ様に、ちょっと照れつつ返事を返す。

 

「パチュリーとも相談して決めたんです。二年生にはちょっと早いかとも思ったんですけど……まあ、教えられるのは一年だけなので、やれることはやっておこうかと。」

 

「盾の呪文が重要なのは間違っていないさ。私には不要だが、ゲラートもそんなことを言ってたしね。」

 

意外な名前が出てきた。グリンデルバルドと同じ結論に達したというのはちょっと微妙な気分だが、あの男もある意味偉大な魔法使いなのだ。間違いではないということだろう。

 

「しかし、ここ数年の防衛術は教師に恵まれなかったようですね。上級生ですらまともな盾の呪文を使えたのは少数でしたよ。」

 

「平和だったからかもね。危険が生徒を育てるとは、なんとも皮肉なもんだ。」

 

ふむ……確かに卒業したてのジェームズたちは、大人にも引けを取らないほどの杖捌きだった。対して今の七年生は就職のための呪文に力を入れている感じだ。どちらが正しいとは言わないが、平和ボケしているのは間違いないだろう。

 

考え込みながらぼんやりとリーゼ様を見ていると、ステーキを豪快に頬張っている姿に……うむ、思わず微笑んでしまう。身内だけに見せる、作法を無視した食事方法だ。

 

頬杖をついて見ていると、リーゼ様がキョトンとした顔で声をかけてきた。

 

「ん? どうしたんだい? アリス。」

 

「いえ、なんでもないです。」

 

「ふぅん? ……まあ、生徒受けも良かったよ。少なくともクィレルより百倍マシなことは保証しよう。」

 

「比較対象が酷すぎて、どうも素直に喜べませんね。」

 

顔を見合わせて苦笑してから、ポテトサラダを一口頬張る。私だって、さすがに後頭部にリドルを貼り付けたヤツに負けたくはないのだ。

 

「そういえば、アーサーは大丈夫だったのかい? 下手すればアズカバン行きの事件だったが……。」

 

付け合わせのコーンを食べながら言うリーゼ様に、ダンブルドア先生から聞かされている報告を伝える。

 

「ダンブルドア先生とレミリアさんの擁護もあって、なんとか減給と謹慎で済んだらしいです。『所有』だけなら、法的にはギリギリセーフだったみたいですし。」

 

「相変わらず魔法法ってのは滅茶苦茶だね。こればっかりは新大陸の方が一枚上手らしい。」

 

「向こうは向こうでガチガチすぎるって批難されてるみたいですけど……うーん、確かにイギリスの魔法法は穴が多いですからね。」

 

クラウチの行った数少ない功績の一つが、ぐちゃぐちゃだった魔法法を整理したことだ。とはいえ、それでも穴だらけなのだからどうしようもない。今の魔法大臣に期待できるとは思えないし、しばらくは混沌とした魔法界は変わらなさそうだ。

 

オドオドした魔法大臣のことを考えていると、ノックの音が部屋に響く。

 

「セドリック・ディゴリーです。質問があって来たのですが、今よろしいでしょうか?」

 

あーっと……ハッフルパフの四年生だったかな? リーゼ様に目線で問うと、構わないと言うように頷いてくれた。

 

「入りなさい。」

 

「失礼します……ああ、すみません、食事中でしたか。それに、バートリ? 君も質問に来たのかい?」

 

「ごきげんよう、ディゴリー。アリスとは親しいんで、お喋りしながらの昼食会をしていたのさ。私のことはお構いなく。」

 

一応は顔見知りのようだ。まあ、ホグワーツの生徒は多くはない。学年が違ってもそこそこ顔を合わせる機会はあるし、それでなくたってリーゼ様は吸血鬼なのだ。結構目立つのかもしれない。

 

ちなみにディゴリーは盾の呪文を見事に成功させた数少ない生徒の一人だ。未だ四年生なことを考えれば、秀才と言っても問題ない生徒だろう。

 

「そうかい? それじゃあ、少しだけ失礼するよ。……えーっと、炎凍結術についての質問なんですけど、この呪文は魔法の炎に対しても効果があるんですか?」

 

なんだそりゃ? いきなり飛んできた滅茶苦茶マニアックな質問に、一瞬思考が固まるが……なんとか脳内の書棚から知識を引っ張り出して答えを放つ。ちゃんと勉強してて良かった。ここで分かりませんと言うのは恥ずかしすぎるぞ。

 

「場合によるわね。『魔法で生み出した炎』には効果があるけど、『魔法そのものが炎』の場合には効果がないの。……ちょっと分かり難いかしらね?」

 

「いえ……多分、理解できました。発火呪文で点した炎には効果があるけど、悪霊の火なんかには効果がないってことですよね?」

 

「お見事、その通りよ。あとは稀な例だけど、発火呪文でも炎を支配下に置いている場合は魔力の量によっては抵抗される場合もあるわ。基本的には悪趣味なジョークのための呪文だから、過度な期待はしないほうがいいかもね。」

 

炎凍結術は魔女狩りが流行した時代、『火あぶりごっこ』を楽しむために作られた呪文なのだ。その割には結構複雑なあたり、当時の魔法使いがどれだけ暇だったかを表している。

 

「よく分かりました。ありがとうございます。」

 

「これが私の仕事だもの、礼を言う必要はないわ。分からないことがあったらいつでも聞きにいらっしゃい。」

 

「そうします。……みんな喜んでますよ、今年の防衛術は『当たり』だって。」

 

人好きのする笑みで言うディゴリーに、ブロッコリー以外を食べ終わったリーゼ様が口を開いた。

 

「ほらね? ハッフルパフの優等生様が言うんだから間違いないさ。」

 

「君やグレンジャーほどじゃないさ。君たちが呪文を失敗したことがないのは噂になってるよ。ウィーズリーの双子が、どっちが先に失敗するかを賭けにしてるくらいだからね。」

 

「おや、それは良いことを聞いた。当事者として分け前を徴収に行くべきだね。」

 

「まあ、程々にしなよ? ……それじゃあ、ありがとうございました、マーガトロイド先生。バートリもまたな。」

 

実に礼儀正しい若者だった。一礼してから出て行ったディゴリーを見送って、食事へと向き直ると……おや、ブロッコリーが増えている。

 

「リーゼ様?」

 

「キミに栄養をつけて欲しいんだ。心配する気持ちを汲み取ってはくれないのかい?」

 

「ちゃんと食べないとダメです。」

 

「……素直なキミが変わってしまって悲しいよ。」

 

返されたブロッコリーを嫌そうに食べるリーゼ様に苦笑しながら、私も食事を終わらせるためにフォークを動かす。昔はニンジンやらブロッコリーやらを押し付けられていたが、私だって成長しているのだ。

 

かつての食卓を思い出しながら、アリス・マーガトロイドの昼休みは更けていくのだった。

 



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大人の対応

 

 

「ハリーはまだ起きてこないのかい?」

 

アンネリーゼ・バートリは、大広間で朝食を食べているロンとハーマイオニーに問いかけていた。……廊下に比べればマシだが、大広間も結構寒いな。もう少しで十月だし、そろそろフリットウィックが毎年恒例の防寒魔法をかけ始めることだろう。

 

私が座るために席を詰めながら、ハーマイオニーが呆れたように返事を返してくる。ロンは……うぇ。ポリッジを掻き込むのに夢中のようだ。あの料理は好かん。

 

「逆だわ、かなり前に起きちゃったのよ。ウッドに叩き起こされてクィディッチの練習に行ったんですって。……それより、貴女は最近どこで寝ているの? とうとう部屋にすら現れなくなったじゃない。」

 

「吸血鬼の秘密さ。」

 

適当に答えてから、ロングボトムの前にあったソーセージを強奪する。そんな顔をするなよ、ロングボトム。大広間の食事は弱肉強食なんだ。

 

ちなみに、最近では寝室にしているトランクをアリスの部屋に持ち込んでいるのだ。起きる時間を気にしなくて良くなったせいで、前よりも快適な生活が送れている。

 

「もう、呪文の練習を手伝ってもらおうと思ってたのに……。妨害の呪文が上手くいかないのよ。」

 

「一応教えておくけど、防衛術の小テストはまだまだ先だぜ、ハーマイオニー。」

 

「見解の相違があるわね。二ヶ月は『まだまだ』じゃないわ。『すぐ』よ。」

 

真剣な顔で言うハーマイオニーに、ロンは反論を諦めたらしい。処置無しというように首を振った後、トーストにイチゴジャムを塗る作業に戻った。

 

それを横目にマスタードをたっぷりかけたソーセージを食べていると、ハーマイオニーが再び私に話しかけてくる。小テストが心配で朝食など既に眼中にないようだ。

 

「ねぇ、シリアルを一欠片ずつこっちに投げてくれない? それに呪文をかけてみるから。」

 

「正気かい? 私の知る限りでは、悪の魔法使いはシリアルを投げつけてはこないよ?」

 

「練習なんだからいいじゃない。シリアルが防げなきゃ、悪の魔法使いなんて夢のまた夢よ。」

 

ため息を吐きながらシリアルの詰まったボールを引き寄せて、中身を一つ一つ投げつけてやる。ハーマイオニーは至極真面目な顔でそれに妨害の呪文をかけているが……史上稀に見る馬鹿馬鹿しい練習方法だな。呪文の製作者が泣いてるぞ。

 

「しかし……ハリーがいないとクリービーが来ないから平和だね。」

 

ハーマイオニーに向かって悪しきシリアルを投げつけながら呟けば、律儀にも呪文を唱える最中に返事を返してくれた。最近はハリーにパパラッチが引っ付いているのだ。生き残った男の子のブランド力は未だ健在らしい。

 

「インペディメンタ。あの子は肖像権ってものを学ぶべきね……インペディメンタ。」

 

そういえば、魔法法ではその辺どうなっているのだろう? シリアルの動きを遅くしているハーマイオニーに問いかけようとしたところで、ジャム塗れのパンを食べ終わったロンが話しかけてきた。

 

「シリアルと戦ってる暇があるんだったら、ハリーの応援に行かないか? せっかくの休みなのにクソ寒い中頑張ってるんだから。」

 

「正確には『頑張らされてる』だろう? ウッドは優勝杯を守るためなら、チームメイトを殺しかねないよ。」

 

言いながらもソーセージを片付けて、席を立って二人を促す。ロンの言う通りだ。シリアルを投げつけているくらいなら、僅差でクィディッチの練習を見学したほうがマシだろう。

 

「まあ、行こうか。気分転換にはなるかもしれないしね。」

 

「そうこなくっちゃ。ほら、ハーマイオニーも行こうぜ。」

 

「ちょっと待ってよ……シリアルを持っていくから。これはいい練習方法になるわ。」

 

ロンと顔を見合わせて肩を竦めた後、シリアルを袋に詰め込んでいるハーマイオニーを置いて歩き出す。頼むからグリフィンドールで流行らないでくれよ。私はシリアルだらけの談話室なんて御免だ。

 

───

 

外に出た瞬間に感じた後悔は、クィディッチ競技場に到着すると確信に変わった。寒い。やっぱり談話室でのんびりしているべきだった。

 

「この気温で練習してるのかい? ウッドの前に、凍死の心配をすべきかもね。」

 

地上でこれなら上空は言わずもがなだ。軽口を叩いてから競技場の一番低い観客席に座ると、最前列でクリービーがカメラを構えているのが見えてくる。あの一年生はハリーの写真を撮るためなら、寒さが苦ではないらしい。

 

「予言者新聞の記者だってあんなに熱心じゃないぜ。」

 

「そのうち飽きるでしょ。あら、箒から降りてるわね……作戦会議中かしら?」

 

ロンに返事をしたハーマイオニーの言う通り、赤いユニフォームの一団は地面で何かを話し合っていた。声を張り上げているのは間違いなくウッドだが、ハリーは……あそこか。ウッドの話を真剣に聞いている。棍棒でチャンバラをやっている双子とは大違いだ。

 

叫ぶウッドに、真剣なハリー。うんざりした様子の他の選手たちと、棍棒で鍔迫り合いをする双子。そしておまけにフラッシュを焚きまくっているクリービー。私たちは一体何を見にきたんだ?

 

「これはまた、応援って感じじゃないね。もう帰らないか?」

 

城の方を指差しながら言う私に、ロンは気まずそうに返事を返す。

 

「まあ……そのうち飛ぶよ、うん。」

 

「ウッドの演説が終われば、だろう? 放っておけば来年まで続けるよ。」

 

いつから話しているのかは知らないが、双子の様子を見る限りではついさっきというわけではないだろう。やっぱり談話室に行くべきだったのだ。

 

それでも動こうとしないロンにため息を吐いていると、一人だけ別の場所を見ていたハーマイオニーが声を上げた。

 

「スリザリンよ。スパイにでも来たのかしら?」

 

ハーマイオニーの視線を辿ってみると……おや、確かにグラウンドの端から緑色のユニフォームを着た集団が歩いてくる。彼らはそのままグリフィンドールのチームへと近付くと、なにやら言い争いを始めた。うーむ、ちょっと面白くなってきたな。

 

「いいぞ、退屈しないで済みそうだ。煽りに行こうじゃないか。」

 

「ちょっと、リーゼ? 止めに行くの間違いでしょう?」

 

立ち上がってグラウンドへと下りていく私に、ハーマイオニーとロンが慌ててついてくる。このままウッドの演説を見せられるよりかは、棍棒で殴り合いでもしてもらったほうが面白いのだ。

 

そのままグラウンドを横切って近寄ってみると、スリザリンのキャプテン……フレント? フリット? フリントだったか? まあ、そんな感じの名前のヤツが箒自慢をしているのが聞こえてきた。

 

「マルフォイさんは素晴らしい贈物をしてくれたのさ……ほら、ニンバス2001だ。これに比べれば、おまえたちの箒なんかガラクタ同然だぜ。」

 

何が凄いのかはわからんが、少なくともグリフィンドールのチームは怯んでいる。しかし……マルフォイさん? ルシウス・マルフォイか?

 

その息子がユニフォームを着て後ろに立っているところを見るに、あの男は賄賂を使ってまで息子をチームに入れたかったらしい。魔法使いってのはどいつもこいつもクィディッチが大好きだな。死喰い人でもそれは変わらないようだ。

 

私がクィディッチを楽しむ死喰い人たちを想像している間にも、フ……なんとかの自慢げな話は続く。

 

「とにかく、新しいシーカーのために我々は練習しなければならないんだ。スネイプ先生の許可もある。競技場を明け渡してもらおうか。」

 

そしてスネイプも大好きか。ここまでくると、私の感性がズレていることを認めざるを得なくなってくる。あんな球遊びの何が楽しいんだ、まったく。

 

誇らしげにスネイプのサインを突きつけた『フなんとか』に、ウッドが唾を飛ばしながら反論した。違法じゃなければ死の呪いを放ってそうな表情だ。

 

「我々が先に練習していたんだ! 許可も随分前から取っているんだぞ。横暴だ!」

 

「その箒じゃあここは広すぎますね。中庭でやったらどうですか? ちょうどいい広さでしょう?」

 

前に進み出て嘲るようにマルフォイが言うと、応じるように私の背後からハーマイオニーが飛び出した。ママに逆らうと怖いぞ、マルフォイ。

 

「そっちこそ、まずは補助輪付きで練習したほうがいいんじゃない? お金で選ばれたシーカーがまともに飛べるとは思えないわ。」

 

そら見たことか。ハーマイオニーの痛烈な皮肉を受けて、途端にマルフォイの顔が歪む。自分でもそのことは分かっていたのだろう。彼はほんの少しだけ頰を赤くしながら、ハーマイオニーに吐き捨てるように言い放った。

 

「黙っていろ、穢れた血め!」

 

おおっと、これはマズいな。その言葉は魔法界じゃかなりの暴言だ。案の定グリフィンドールの選手たちは激昂して罵詈雑言をマルフォイに投げかけている。双子は今にも棍棒で殴りかかりそうだ。

 

しかし棍棒が青白ちゃんに炸裂する前に、今度はその弟が前へと進み出た。我らがロン・ウィーズリー殿だ。杖を構えているが……いや待て、その杖はマズくないか?

 

「ハーマイオニーに謝れ、マルフォイ!」

 

「何を謝るんだ? ウィーズリー。貧乏で頭がおかしくなったのかい? 僕は単なる事実を──」

 

「こいつ! これでもくらえ!」

 

私が何か言う前に、ロンが杖を振ってマルフォイに呪文を放つと……残念ながらテープだらけの杖はまともに動作しないようで、呪文を放ったロン自身が吹っ飛んでいく。

 

うーむ、私が手を出すのは大人気ないが……ハリーは単語の意味を知らないのだろう。状況を理解していない様子だし、ハーマイオニーは数メートルも飛んで行ったロンに駆け寄っている。グリフィンドールチームの上級生たちが手を出すのは問題だろうし……仕方ない。適当におちょくってやるか。

 

倒れ込むロンを見ながら微妙な静寂に包まれた場を尻目に、今度は私が歩み出た。

 

「撤回したほうがいいと思うよ、マルフォイ。さすがに暴言が過ぎるんじゃないか?」

 

いつもならこれで後ろに引っ込んでいって終わりだが、今日のマルフォイは一味違うようだ。ちょっと顔を青くしながらも反論を放ってくる。

 

「だ、黙ってろ、バートリ。穢れた血の次は半獣か?」

 

……ほう? グリフィンドールの選手たちから再び怒りの声が上がる。『半獣』ね。穢れた血に勝るとも劣らない暴言じゃないか。

 

「……私は大人気ないことはしたくない。だから、一度だけ機会を与えよう。謝罪するんだ、マルフォイ。」

 

無表情で言う私に更に顔を青くするマルフォイだったが、もう後には引けないとでも思っているのか、鼻を鳴らして首を振った。

 

「ふん、断る。半獣ごときが僕に──」

 

「残念だ。……口を閉じていたまえ、マルフォイ。」

 

途端にマルフォイは口を閉じて、モゴモゴ言い始める。ま、軽く魅了を使っただけだ。成人してたら磔の呪文を楽しんだ後に殺していたが、子供に怒るほど私はガキじゃないのだ。

 

そう、ガキじゃない。ガキじゃないが……まあ、私が解くまで食事も喋ることも出来ないだろう。精々苦しむんだな。吸血鬼をナメるとこうなるんだよ。

 

「ふん。」

 

目をパチクリしながらモゴモゴ言っているマルフォイに背を向けて、ロンの方へと近付いてみると……おい、何の呪文を使おうとしたんだ? ナメクジを吐き出しながら苦しんでいる。

 

「あー……キミは何の呪文を使ったんだい? 見たこともないような症状だが。」

 

「うぇっ……ナメクジの呪いを、うえぇ、使おうとしたんだけど、ぐっ。」

 

世にはバカバカしい呪いが溢れているもんだ。見てるだけで吐きそうになってくるぞ。一応解呪を試みてみるが、どうやら杖が壊れていたことが影響しているらしく、効果があるようには見受けられない。

 

「医務室に運ばないと!」

 

「その方が良さそうだね。しかし……ナメクジはどこから生まれているんだ? 体内で作られているのか、それとも何処かから呼び寄せているのか……。」

 

「そんなのどうでもいいでしょう? いいから行くわよ、リーゼ!」

 

怒ったように言うハーマイオニーに肩を竦めてから、ロンを支えるハーマイオニーに続く。ハリーも練習を抜けてついてくるようで、走り寄って肩をロンに貸した。なんとも友人想いなことだ。私なら今のロンには触りたくもない。

 

そのまま城内に入り、廊下を歩きながらナメクジに関して考えていると、ハリーがポツリと問いかけてきた。

 

「えっと、『穢れた血』って? 悪い言葉だったのは分かるけど。」

 

「マグル生まれの魔法使いを揶揄する言葉だよ。純血狂いがよく使う暴言さ。半獣の方は……説明はいらないね?」

 

「あー……うん。あんまりいい言葉じゃないってのは分かったよ。」

 

「キミも気をつけた方がいいよ。心の広い私だからこそ、あの程度で許したのさ。」

 

ロンが吐き出すナメクジを眺めながら答えると、ハリーが恐る恐るという感じで再び質問を飛ばしてきた。でかいのを数匹吐き出しているところを見るに、フィルチが苦労するのは間違いなさそうだ。

 

「マルフォイに何をしたの?」

 

「文字通り、口を開けなくしたのさ。私が解かなければ少なくとも今年はマルフォイの声を聞けないだろうね。……食事は点滴かな?」

 

ニヤリと笑って答えてやると、ハリーはドン引きした様子で顔を引きつらせる。

 

「うん、なんとも……心が広い対応だね。僕、絶対にその言葉を使っちゃいけないって、心の底から理解できたよ。」

 

まあ、マルフォイはスネイプに泣きつくだろうし、スネイプはダンブルドアに泣きつくだろう。そしてダンブルドアがアリスに泣きつけば、それを断れない私は二、三日で解く羽目になるのは間違いない。……一週間くらいはゴネてみようか?

 

脳内で点滴を受けるマルフォイを想像しながら、アンネリーゼ・バートリはせめて五日は解かないことを決意するのだった。

 



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「こんばんは、ハリー。」

 

夕食後の防衛術の教室で、アリス・マーガトロイドは入ってきたハリーに向かって挨拶を投げかけていた。

 

今日は遂に訪れた『空飛ぶ車事件』の罰則の日なのだ。まあ、マクゴナガルは今日だけで終わらせる気はないようだが。どうやらハリーとロンは暫くの間、数名の教師に雑用係として使われることになるらしい。

 

「こんばんは、マーガトロイドさん……じゃなくって、先生。」

 

ハリーはぺこりとお辞儀した後、隅っこでガタガタ揺れている巨大な木箱を窺いながら、恐る恐るという様子で近付いてきた。そりゃまあ、気になるか。

 

いつも生徒たちが座っている席を手で勧めて、『ガタガタ』の原因を説明するために口を開く。

 

「ノグテイルよ。魔法省が狩り出したのを、授業のために譲ってもらったの。」

 

「ノグ……? 何ですか、それ?」

 

「ノグテイル。農園を困らせる害獣で、畑を荒らしたり、不作の呪いをかけたりするの。まあ……見たほうが早いわね。」

 

言いながら杖を振って木箱の蓋を浮かせると、脚の長い子豚のような生き物がぎっしり詰まっているのが見えてきた。犬と豚の中間のような見た目だ。注文より多いが……もしかしたら押し付けられたのかもしれない。

 

フギフギと鳴いているノグテイルたちを見ながら、距離をとって近付こうとしないハリーが質問してくる。飼育学は三年生からのはずだが、魔法生物に対する姿勢は充分に学んでいるようだ。……間違いなくハグリッドが原因だろう。

 

「危険な生き物なんですか?」

 

「大したことないわ。ただ、物凄くすばしっこいの。上級生の授業で呪文の標的にするつもりなんだけど、今日はその準備を手伝って欲しいのよ。」

 

「準備?」

 

疑問顔のハリーに頷いて、浮遊魔法で一匹を宙に浮かせる。そのまま身体に不釣り合いな太い尻尾とおでこについている小さな角を指差しながら、作業の説明を話し始めた。

 

「尻尾に追跡用のタグをつけて、角はヤスリで削るの。ああ、そんなに不安そうにしなくても大丈夫よ。餌にノロノロ薬を混ぜたから、素早くは動けないはずだわ。」

 

言ってから地面に下ろしてみると……あれ? 思ったより速いな。猫の全力疾走くらいのスピードで教室をカシャカシャ走っている。かなり多めに混ぜたはずなんだが……。

 

「えっと、結構素早く見えるんですけど。」

 

「あー……まあ、呪文で固定して作業しましょう。噛みつかれないように気をつけてね。クルミを砕くくらいの力で噛んでくるから。」

 

「……はい。」

 

そこそこ嫌そうな様子のハリーに心が痛むが、罰則なのだ。このくらいじゃないと意味がないだろう。これでもスネイプと二人っきりで薬品庫の整理をするよりかはマシなはずだ。

 

走り回るノグテイルを呪文で捕らえてから、机の上に固定して作業を始める。フギフギと哀れみを誘う感じで鳴いているが……うん、可哀相ではないな。なにせ尻尾をビタンビタンとハリーに叩きつけているのだから。

 

「体重をかけないと難しいわよ。机の上に乗ってもいいから、やり易いように作業なさい。」

 

「これは、痛っ、そのほうが良さそうですね。」

 

角をゴリゴリ削りながら言ってやると、ハリーは尻尾に馬乗りになってタグ付けを始めた。ハリーの方も難しそうだが、ヤスリも中々難しい。角が小さいせいで頭まで削ってしまいそうになるのだ。

 

「……まあ、こんなもんね。これなら突っつかれても痛いだけで済むわ。」

 

「こっちも終わりましたけど……あれ全部に同じことをやるんですか?」

 

ようやく一匹目を片付けた頃には、既にハリーは汗だくになってる。木箱の方を見ながら呆然と呟いた彼に、残念なお知らせを伝えなければなるまい。

 

「木箱がもう一つ隣の部屋にあるから、それもやるのよ。」

 

「……なるほど。」

 

全てを諦めた表情のハリーに苦笑しながら、杖を振って次のノグテイルを引き寄せた。

 

───

 

「──だから、私はリーゼ様の家に引き取られたの。あれは私の人生最良の選択だったわね。」

 

作業をしながら雑談していると、話は私の両親のことになった。私がリーゼ様に引き取られた経緯をかいつまんで話してやると、ハリーは羨ましそうな表情で口を開く。

 

「僕とは大違いだ。羨ましいです……いや、あの、もちろんご両親のことは残念ですけど。」

 

「いいわよ、何を言いたいかは分かってるわ。監禁事件に関してはモリーから聞いているもの。」

 

慌てて後半を付け加えたハリーに、首を振りながら言葉を投げかける。幸せな生活でないことは重々承知しているのだ。……そういえば、リドルもそうだったな。彼も夏休みを嫌悪していた珍しい生徒の一人だった。

 

ふと頭をよぎったハリーとリドルの対比について考えていると、尻尾を制御するのが上手くなってきたハリーが徐に後ろを振り返る。

 

「どうしたの?」

 

「……何か声が聞こえませんか?」

 

声? 耳を澄ませてみるが……ノグテイルの鳴き声が聞こえるだけだ。

 

「聞こえないけど……貴方には何か聞こえているの?」

 

「さっき話し声のようなものが聞こえたんですけど……いえ、気のせいかもしれません。もう聞こえないです。」

 

ふむ? マグルならホラーな感じの展開になるところだが、魔法界じゃ有り得ない話ではない。パチュリーの図書館なんて常に謎の囁き声が聞こえてくる始末なのだ。……とはいえ、ホグワーツがパチュリーの図書館と同レベルだとは思いたくないぞ。そうなれば生徒たちの命がいくつあっても足りないだろう。

 

この城の安全性について考えながら、ふと壁にかかっている時計を見れば……おっと、もうこんな時間か。疲れてぼーっとしてるのかもしれないし、この辺でお開きにしておこう。充分な罰則になったはずだ。

 

「疲れてるのかもね。いい頃合いだし、そろそろ寮に戻っていいわよ。」

 

「でも、まだ残ってますよ?」

 

「気にしなくていいわ。明日ハグリッドにでも手伝ってもらうわよ。それより……その『声』がまた聞こえたなら、私かマクゴナガルあたりに相談なさい。」

 

ハリーはローブについた角の削りカスを払いながら、困惑したように口を開いた。

 

「良くないことなんですか?」

 

「少なくとも、良いこととは言えないわね。声に魔力を篭らせるってのはよくある話よ。魔法界じゃ些細なことが大惨事に繋がりかねないんだから、用心しておくに越したことはないわ。」

 

耳の良さには自信があるのだが、その私には聞こえなかったのが少々気になる。気のせいであればいいのだが……。

 

考え始めた私を心配そうに見ているハリーに気がついて、苦笑しながらドアへと向かう。失敗だな。より不安にさせてしまったらしい。妙に深読みしてしまうのは私の悪い癖なのだ。

 

「ま、単純に気のせいってこともあるし、ピーブズの悪戯かもしれないしね。あんまり深く考えないほうがいいわよ。……それじゃ、おやすみ、ハリー。お手伝いありがとうね。」

 

ドアを開けながら言ってやると、ハリーは少し笑顔になって頷いた。

 

「はい、そうします。おやすみなさい、マーガトロイド先生。」

 

寮へと歩いて行くハリーに、一応人形を一体護衛につける。さすがに心配しすぎかもしれないが、用心するに越したことはないのだ。後ろからこっそりついていかせよう。

 

お気に入りの赤色の人形に魔力を繋ぎながら、アリス・マーガトロイドは忌々しいノグテイルの拘束に戻るのだった。

 

 

─────

 

 

「嫌だね、絶対に。」

 

冬の匂いがしてきたホグワーツの薬草園で、アンネリーゼ・バートリは絡まり草を解しながらそう答えた。イラつく植物だ。勝手に隣の草に絡まろうとするくせに、絡まりすぎると枯れる? どうやって今まで生きてきたんだ、こいつらは。

 

私がスプラウトの目の届かない位置でブチブチと草を引き千切っているのを見ながら、ハリーが困ったように続きを話してきた。

 

「でも、ニックに約束しちゃったんだ。絶命日パーティーに参加する、って。」

 

「ハリー、キミは知らないかもしれないが、ゴーストの催しに参加するとロクなことがないぞ。彼らの感覚はズレてるんだ。……盛大にね。」

 

間違いないだろう。絶命日パーティー。もう名前からして楽しくはなさそうなのだから。

 

どうやらハリーはグリフィンドールのゴーストが主催する、死亡日を記念したパーティーに出席することを約束してしまったらしい。おまけに日にちはハロウィンだ。誰だってハロウィンパーティーを選ぶぞ。

 

そして一人で行くのが嫌になったハリーは、私たちをそのつまらなさそうなパーティーに巻き込もうとしてきたのである。死んでたって行きたくないのに、なんだって生きてるうちに行かなきゃならないんだ。

 

言葉と共にもはや一切の遠慮無しで絡まり草を引き千切っていると、栄養剤を混ぜていたハーマイオニーが慌てて近付いてきた。

 

「リ、リーゼ、私がやるから。そのまま続けたら全部枯れちゃうわ。」

 

「ああ、ありがたいね。この馬鹿草を絶滅させてやろうかと思い始めてたとこだったよ。」

 

自殺草と名付けるべきだな、こいつらは。なんたって解いた側から絡まっていくのだ。火をつけなかった私を褒めて欲しい。

 

ハーマイオニーへと素直に鉢植えを明け渡したところで、明らかに調合に失敗した栄養剤を片手に持ったロンが話に参加してきた。……スプラウトの話では黄色になるはずだったが、何をどうしたら茶色になるんだ?

 

「リーゼの言う通りだ、ハリー。適当に理由をつけて断っちまえよ。ハロウィンパーティーのほうが楽しいのは間違いないぜ。」

 

「ニックは楽しみにしてた感じだから、今更断れないよ。生きてる人間が参加するのは名誉なんだってさ。」

 

ロンは反対か。しかし、ハーマイオニーは……。

 

「あら、とっても興味深いじゃないの。ゴーストのパーティーに参加できるなんて、そう無いことだわ。絶対に参加すべきよ。」

 

蝶結びになった草を解きながら言うハーマイオニーは、至極真面目な表情だ。ほら見ろ、こうなった。私は行かないからな。

 

改めて不参加を表明するためにも、ロンの栄養剤が草をみるみる枯れさせていくのを見ながら口を開く。こいつを薬草園中にぶち撒ければみんなが幸せになれそうだ。

 

「いいか? 私は行かない。これは絶対だ。それと……ロン、スプラウトが来る前にどうにかしたほうがいいと思うよ。その栄養剤は間違いなく失敗してる。」

 

「あー……もう少し早く言って欲しかったな、うん。もう一回作ってくるよ。」

 

再び調合に戻ったロンを尻目に、ハリーが悲しそうな表情で枯れた絡まり草を突っついた。ロンとペアを組んだ以上、彼の成績も落ちたことは間違いないだろう。毎回ハーマイオニーと組む私が正解なのだ。

 

「僕は一人で行くのは嫌なんだけど……。」

 

「ハーマイオニーが行くって言ってるじゃないか。ロンもまあ……何だかんだでついていくさ。」

 

ロンは良く言えば協調性があり、悪く言えば流されやすい。アーサーとモリーのことを考えると、宜なるかなというところである。……ふむ、そう考えると双子は突然変異だな。

 

先日二階の階段を使用不能にした赤毛の双子について考えながら、ハーマイオニーの調合した黄色の栄養剤を与えてみると……お見事。元気よく隣の草に絡まり始めた。調合には成功したらしいが、これでは苦労が増えただけだ。

 

「この草は育てるべきじゃないね。イライラするだけだ。」

 

肩を竦めながらハーマイオニーに言い放つと、彼女もさすがにうんざりした様子でため息を吐いた。

 

「私、ガーデニングにハマっても、絶対にこの草は植えないわ。」

 

正解だ、ハーマイオニー。……今度美鈴あたりにプレゼントしてみよう。もちろん普通の草だと偽ってだ。

 

美鈴の絶望する表情を想像しながら、ちょっとだけ元気を取り戻して、終わりの見えない絡まり草の世話へと戻るのだった。

 

───

 

薬草学の後は飛行術の訓練だ。つまりは自由時間である。もはやフーチも説得を諦めたようで、最近は参加を促そうともしてこない。

 

暇つぶしにアリスの部屋で人形とチェスでもしようかと廊下を歩いていると……ルーナ? 列車で知り合った一年生が、キョロキョロと辺りを見回しながら歩いている。

 

「ルーナ? 授業はどうしたんだい?」

 

「アンネリーゼだ、こんにちは。……教科書が無くなっちゃったから、探してるんだよ。」

 

「無くなった?」

 

「ウン。よく無くなっちゃうんだ。」

 

言いながら壁の隙間や棚の上を探しているが……そんなところにあるのか?

 

「この辺にあることは分かってるのかい?」

 

「ンー、多分ね。談話室は全部探したし、この辺だと思う。」

 

「ふぅん? アクシオ、ルーナの教科書。」

 

呪文で引き寄せてみると、賞状が飾られている棚の下から教科書が飛んできた。何だってあんな場所に……ああ、なるほど。そういうことか。

 

「ほら、これだろう?」

 

「ウン、そうだよ。ありがと、アンネリーゼ。これで授業に行けるよ。」

 

「……ひょっとして、イジメられてるのかい?」

 

教科書を手渡しながら聞いてみると、ルーナの顔が途端に曇る。つまり、ビンゴだ。さすがはレイブンクロー。やり方が陰湿じゃないか。

 

「わかんない。でも……ちょっと浮いちゃってるかも。色々気をつけてたんだけど、難しいんだ。」

 

「ふむ……フリットウィックには?」

 

「言ってないよ。あんまり……言いたくないから。」

 

うーむ、あまり楽しい学園生活とは言えないようだ。普通なら放っておくが……どうもこの子は気になってしまう。昔のフランに似てるせいかもしれない。

 

「私から言ってやろうか? フリットウィックか、もしくは実行犯どもに。」

 

顔を覗き込みながら言ってやると、ルーナは一瞬逡巡した後、首を振りながら口を開いた。

 

「ありがと、アンネリーゼ。でも……もうちょっと自分で頑張ってみる。学校に入る前に、頑張ろうって決めたんだ。」

 

「……そうか。まあ、それならお節介はしないさ。頑張りたまえよ、ルーナ。」

 

「ン。頑張るよ……じゃあね、アンネリーゼ。」

 

トコトコと歩いて行くルーナは、なんとなく物悲しげな雰囲気を纏っている。……ちょくちょく様子を見てやったほうがよさそうだ。アリスにでも伝えておいた方がいいかもしれない。

 

少し気になる一年生の背中を眺めながら、アンネリーゼ・バートリは小さくため息を吐くのだった。

 



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秘密の部屋

 

 

「誕生日おめでとう、咲夜!」

 

レミリアお嬢様が満面の笑みで言うのを聞きながら、咲夜はケーキに刺さる十一本のロウソクを吹き消していた。……よし、去年は一本だけ残っちゃったけど、今年は全部消せたぞ。

 

今日はハロウィン。つまりは私の誕生日である。今年もみんなが紅魔館で誕生日パーティーを開いてくれたのだ。リビングは虹色に光るモールやくるくる回る紙の花で、とっても綺麗に飾りつけされている。

 

「ありがとうございます、皆様。お陰で十一歳になれました。」

 

レミリアお嬢様にパチュリー様、美鈴さんに小悪魔。この日だけは地下室から上がってくる妹様。エマさんや、きゃっきゃと拍手する妖精メイドたち。ペコリとお辞儀しながら全員に向かってお礼を言うと、みんな笑顔で声をかけてきてくれた。

 

リーゼお嬢様とアリスがいないのは少し寂しいが……もうそれに文句を言うほど子供じゃないのだ。こんなパーティーを開いてくれるのだから、そこまで望むのはさすがに我儘だろう。

 

「それじゃあ、食事にしましょう。今年はいつもより豪華にしたのよ? 来年からはしばらくパーティーはお預けだしね。」

 

レミリアお嬢様の号令で、みんなが食事を手に取り始める。そっか……来年からはホグワーツでの誕生日になるのか。ちょっとだけ寂しいな。

 

みんなの居ない誕生日を思って少し沈んでいると、山盛りの料理を手にした美鈴さんが近付いてきた。比喩ではなく、文字通りの山になっている。

 

「へいへい、咲夜ちゃん。ホグワーツでの生活が不安なんですか?」

 

「うーん、不安というか……ちょっとだけ寂しいかもです。」

 

「だいじょーぶですよ。アリスちゃんも妹様も最初はそんな感じでしたけど、通い出したら笑顔になってましたから。咲夜ちゃんも楽しめますって。」

 

「……そうですよね。リーゼお嬢様もいるし、きっと平気です!」

 

両手を握って言い放つと、美鈴さんは笑顔で小包を手渡してきた。いつも浮かべているふにゃりとした笑みに、思わず私も笑顔になってしまう。レミリアお嬢様は気が抜けるから止めろと言っているが……実は私はこの笑みが好きなのだ。

 

「うんうん、その意気です。そんな咲夜ちゃんに……じゃーん、プレゼントですよ!」

 

「ありがとうございます! 開けてもいいですか?」

 

「もっちろんですよ。ほらほら、開けてみてください。」

 

ワクワクしながら包装を解いていくと……おお、綺麗な懐中時計だ! 重厚な感じのする曇りがかった銀製で、蓋には複雑な月の模様が彫ってある。どんな技術を使っているのかはさっぱりだが、見る角度によって月の満ち欠けが変わるようだ。

 

カチリと蓋を開けてみれば、シンプルなローマ数字の時計盤が見えてきた。……でも、よく見れば長針と短針にも細やかな装飾が成されている。ううむ、一見して高価だと分かってしまう時計だ。

 

「凄い……とっても綺麗。」

 

「えへへ、喜んでくれたならよかったです。知り合いの妖怪に頼んで作ってもらったんですけど……絶対にズレることはないし、めちゃくちゃ頑丈なんですよ?」

 

「ありがとうございます、美鈴さん! とっても嬉しいです!」

 

満面の笑みでお礼を言うと、満足そうにうんうん頷いた美鈴さんは、よかったよかったと言いながら料理の乗ったテーブルへと戻っていった。

 

しかしながら、なんとも見事な時計だ。ふと裏側を見てみれば、コウモリの翼のような装飾の下にスカーレット家とバートリ家の紋章が並んで彫られている。うーむ、まるで私の存在を表現しているようではないか。なんだか顔がにやけてしまう。

 

さっそく時計のチェーンを装着していると、今度はパチュリー様と小悪魔が近寄ってきた。

 

「おめでとう、咲夜。」

 

「おめでとうです、咲夜ちゃん!」

 

「ありがとうございます、パチュリー様。小悪魔もありがとね。」

 

返事を返すと、パチュリー様が手に持っていた小さな箱を渡してくる。プレゼントだ! でも、本じゃない? 毎年本を貰っていたから、てっきり今年もそうだと思っていたのだが……。

 

「はい、プレゼント。開けてみなさい。」

 

ちょっと顔を赤くして、素っ気なく言うパチュリー様に従って開けてみると……指輪? 艶やかな銀の細いシンプルな指輪だ。取り出してみると、裏側に細かく異国の文字が彫られているのが分かる。

 

ミミズののたくっているような謎の文字を眺めていると、パチュリー様が説明をしてくれた。

 

「収納魔法をかけた指輪よ。あんまり大きな物は入らないけど、ナイフくらいなら余裕で十数本は入るわ。貴女、ナイフを身に付けるのに苦労してたでしょう? だから……まあ、そのためよ。」

 

「えへへ、気遣ってくださってありがとうございます。」

 

「うん、まあ、構わないわ。大した手間じゃないしね。」

 

目線を逸らしながら言うパチュリー様に笑顔でありがとうを言うと、彼女はごにょごにょと返事をしながら更に顔を赤くする。ずっと年上なのは分かっているが、なんともかわいらしいお方だ。

 

ちょっと微笑みながら指に嵌めてみれば……至れり尽くせりだな。何かの魔法がかかっているのだろう。自動でピッタリの大きさになった。そのままナイフを収納したり取り出したりと試していると、今度は小悪魔が袋を取り出してこちらに渡してくる。

 

「そしてこっちが私からです! ……ちょっと耳を貸してください。」

 

「耳? えっと、こう?」

 

なんだろう? 受け取りながら顔を近づけてみると、小悪魔はこっそり中身を教えてくれた。

 

「部屋に行ってから開けてくださいね。中身は……ふふふ、ちょっと大人っぽい下着ですから。」

 

へ? びっくりして顔を離してしまうと、小悪魔は悪戯気な笑顔でしてやったりと頷いている。下着? それに……大人っぽいって?

 

「ふふふー、咲夜ちゃんもお年頃ですからね! きっとこういうのも必要なんです!」

 

「貴女、何を渡したのよ。そういえば……そんなんでも悪魔だったっけ。危ないものじゃないでしょうね?」

 

「そんなんでもとはなんですか! 危なくはないですよ。まあ……ちょーっと早いかもしれないですけど。」

 

「ああ……大体なんだかは分かったわ。レミィに教えてあげなきゃね。」

 

言い放つと、パチュリー様は妹様と喋っているレミリアお嬢様の下へと歩いていく。慌てて止めようと追いかけていった小悪魔を呆然と見送りながら、思わず手元の袋へと視線を落とした。

 

大人っぽい下着か……うん、部屋に行ってから開けよう。まあ、その……ちょっと興味はある。ちょっとだけ。

 

その後もエマさんから注釈入りの料理本を貰ったり、妖精メイドたちからみんなで描いたという紅魔館の絵を貰ったりしていると、最後にレミリアお嬢様と妹様が近付いて来た。

 

「咲夜、楽しんでいるかしら?」

 

「はい、とっても! 今年もパーティーを開いてくださってありがとうございます。」

 

「ふふ、そんなに気を遣っちゃダメだよ。今日は咲夜が主役なんだから。」

 

私の言葉に苦笑しながら、妹様がいつものように頭を撫でてくれる。それを目を細めて見ていたレミリアお嬢様が、細長い木箱を二つテーブルに置いた。

 

「プレゼント……って感じじゃないんだけどね。十一歳になったら貴女に渡そうって、みんなで話し合って決めてたのよ。開けてみなさい。」

 

言いながらお嬢様は、その顔に優しげな微笑みを浮かべている。いつもよりずっと大人っぽく見えるレミリアお嬢様に、ちょっと緊張しながら木箱を開けてみると……杖だ。それぞれの木箱に杖が収まっている。

 

私がそれを見つめていると、妹様が懐かしそうに語り始めた。

 

「そっちが咲夜のお母さんの杖だよ。それでこっちはお父さんの杖。ほら……手に取ってみて。」

 

私の……両親の杖? その言葉に従って、恐る恐るお母さんの杖を手に取ってみると……優しげな黄色い光が杖先から出てきて、私の周りでキラキラ舞い始めた。

 

不思議な感じだ。なんだかちょっと温かい気分になってくる。続いてお父さんの杖を手に取ってみれば、今度は青い羽毛がふわふわ出てきて私のことをくすぐってきた。深いブルーの羽毛。私の目の色にそっくりだ。

 

それを嬉しそうに見ている妹様の隣で、レミリアお嬢様が頷きながら口を開いた。

 

「もちろん貴女の杖は別に買いに行くけどね。それも持っておきなさい。魔法使いにとって杖はただの道具じゃないわ。自分の……そう、分身なのよ。ま、ダンブルドアの受け売りだけどね。」

 

「校長先生の?」

 

「そうよ。魔法使いが杖を信頼する限り、杖もまた魔法使いに忠義を尽くすの。……貴女の両親の遺志が、きっとその杖には宿っているわ。」

 

「お父さんとお母さんの……遺志。」

 

よく分からない、分からないが……この杖は確かに私にとって大事なものな気がする。握っているだけで、じんわりと温かなものが伝わってくるのだ。

 

レミリアお嬢様と妹様に見守られながら、咲夜はそっと二本の杖を握りしめるのだった。

 

 

─────

 

 

「見事なもんだわ。」

 

ハロウィンパーティーの当日、アリス・マーガトロイドは大広間の教員席で骸骨舞踏団に心からの拍手を送っていた。

 

舞台装置といい、場面転換の手法といい、なんともためになる演技だった。……よし、練習している人形劇に取り入れてみよう。別に誰かに見せる予定は無いが、いつか何かの役に立つかもしれないのだ。

 

心のメモ帳に書き込みながら、姿勢を正して生徒たちへと向き直る。この教員席に座ってみて分かったことだが……この場所は緊張するのだ。食事の時なんかは生徒たちに無作法を見せるわけにはいかないし、それに気を取られて味など分からなくなってしまう。そのせいで最近ではリーゼ様と私室で食事を取ることが増えてしまった。

 

他にも教師の苦労は盛りだくさんだ。減点した理由はきちんと記入しないといけないし、週一回の会議では問題のある生徒について話し合い、イベントがあればその設営を行う。全くもって……改めて教師たちを尊敬し直す気分だ。一年で辞めると言っておいて本当によかった。

 

骸骨舞踏団がお辞儀をしながら特設の舞台を下りていくのを見ていると、ダンブルドア先生が立ち上がって声を放つ。顔が綻んでいるところを見るに、ダンブルドア先生も彼らの演技を気に入ったようだ。

 

「素晴らしい! 実に見事な演技じゃった。わしも骨になったら試してみることにしよう。……それではお待ちかねの食事の時間じゃ。それ、たんと食べよ!」

 

ダンブルドア先生の言葉と共に、いつも以上に豪華な食事が出現する。うーむ、かぼちゃ率が非常に高いメニューだな。ハグリッドのかぼちゃ畑は豊作だったらしい。

 

かぼちゃパイを一切れ皿に乗せながらも、頭に浮かぶのは銀髪の小さな家族のことだ。そろそろ紅魔館の誕生日パーティーも始まった頃かな? 十一歳は魔法使いにとって大事な年齢だ。本当は向こうで一緒に祝いたかったが……仕事なのだから仕方がない。

 

コゼットとアレックスの杖はきちんと渡されただろうか? ……まあ、レミリアさんなら心配あるまい。受け取った咲夜の反応を想像していると、隣に座るマクゴナガルがグリフィンドールのテーブルを見ながら声をかけてきた。

 

「あら? バートリ女史はいるのに、ポッターたちがいませんね。何かご存知ですか? マーガトロイドさん。」

 

「ああ、ゴーストたちの……絶命日パーティー? とやらに出てるらしいわよ。リーゼ様から教えてもらったの。」

 

「それはまた……何だってそんなパーティーに参加したんでしょう? あの年頃であれば、こっちの方が遥かに楽しいでしょうに。」

 

「きっと今頃後悔してるわね。」

 

間違いないはずだ。ゴーストのパーティーなど参加したことはないが、連中が発酵物を好むのは知っている。それがテーブルに並べられたパーティー……うぇ、想像しないほうが良さそうだ。

 

嫌な想像を振り払っていると、マクゴナガルが思い出したように口を開く。

 

「そういえば、ヴェイユ先生のお孫さん……サクヤでしたか。あの子は今日で十一歳ですね。」

 

きちんと覚えていてくれたのか。なんとなく嬉しくなりながら、マクゴナガルに肯定の返事を返した。

 

「そうね、今頃レミリアさんたちが祝ってくれているはずよ。……テッサたちにも午前中に報告してきたわ。」

 

ロンドン郊外にある眺めの良い高台のお墓。昼に外出の許可を貰おうと校長室を訪ねたら、ダンブルドア先生は分かっていたかのようにポートキーを用意しておいてくれたのだ。本当にもう……あの人には敵わないな。

 

花、ワイン、それにお菓子。お供え物が沢山あった三つの墓を思い出していると、マクゴナガルがしんみりした様子で呟いた。

 

「きっと喜んでいますわ。ハロウィンの時期は色々と思い出してしまって……歳ですかね?」

 

「そんなこと言ったら私はどうなるのよ。それに……ダンブルドア先生やパチュリーを見てみなさい。人生の長さを実感できるわよ?」

 

そしてリーゼ様やレミリアさん、それより長生きの美鈴さん。あの辺を見ていると年齢の悩みなどバカバカしくなってくる。なにせ文字通り桁が違うのだ。

 

マクゴナガルはチラリとダンブルドア先生の方を見て、こちらに気付いてウィンクしてきた姿に苦笑しながら口を開いた。

 

「どうやら、まだまだ私などひよっこのようです。昔を懐かしむのはもうちょっと先の楽しみに取っておきましょう。」

 

「それが正解よ。とりあえずは……そうね、スリザリンのケーキに爆竹を投げ入れようとしている双子を止めるべきね。思い出話はそれからにしたほうが良さそうよ。」

 

「爆竹? ……ウィーズリー、やめなさい!」

 

コソコソと動いている赤毛の双子を指差しながら言ってやると、マクゴナガルは慌てて立ち上がってそちらへ向かっていった。やれやれ、今週の会議でもあの双子の名前が出るのは間違いなさそうだ。

 

───

 

ハロウィンパーティーが終わると、私はレイブンクローの生徒たちを寮へと引率することとなった。寮監であるフリットウィックがワインを飲みすぎてダウンしてしまったのだ。決闘はともかくとして、彼はお酒には弱いらしい。

 

しかしながら……こういう団体行動一つ取っても寮ごとの特徴が表れているもんだ。レイブンクローやスリザリンの生徒たちは黙って規則正しく整列しているし、ハッフルパフは上級生が率先して動いているのが分かる。そしてグリフィンドールは騒がしくお喋りしながらの行軍だ。

 

昔から疑問だったのだが、そもそも性格によって分けられているのだろうか? それとも、組み分けされた後に寮の特徴に染まってしまうのか?

 

組み分け帽子は素質を読み取ると言われているが、レイブンクローに入った者は『レイブンクローっぽく』なっていくし、他の寮もそれは同様だ。朱に交わればなんとやら、ってやつなのかもしれない。

 

脳内で益体も無いことを考えながら歩いていると……何だ? 突然大声が廊下に響き渡る。フィルチの声だ。

 

「私の猫が! ミセス・ノリス!」

 

悲鳴に近い叫び声だ。さすがのレイブンクロー生もざわつき始めたのを見て、先ずは監督生たちに声をかける。

 

「監督生は他の寮生たちを落ち着かせてくれる? そしたらこの場所で待機しているように。いいわね?」

 

「はい。任せてください。」

 

一際真面目なペネロピー・クリアウォーターが真っ先に返事を返してくるのを聞いてから、前を歩くスリザリン生たちを掻き分けて声の下へと進んでいくと……フィルチと、リーゼ様? ハリーやロン、ハーマイオニーも一緒だ。

 

「ちょっと、どうし──」

 

声をかけようとした瞬間、壁に書かれた真っ赤な文字が目に入ってきた。これは……なるほど。これも運命ってやつなのかもしれない。

 

思わず胸元のテッサの杖に手を当てながら、アリス・マーガトロイドはかつて起こった事件を思い出していた。

 

『秘密の部屋は開かれたり。継承者の敵よ、気をつけよ。』

 

再び秘密の部屋は開かれたのだ。

 



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スネーク・ハロウィン

 

 

「ふん。」

 

アンネリーゼ・バートリは、舞台で踊る骸骨どもを見ながら鼻を鳴らしていた。つまらん。これならアリスの人形劇の方が良かっただろうに。

 

ハロウィンパーティーを記念して骸骨舞踏団とかいう人気の劇団の演技が行われたのだ。談話室で寮生たちが騒ぐもんだから見物に来てみたものの、期待外れにもほどがあるぞ。いや……待てよ? アリスが凄すぎるのかもしれない。さすがは私の身内だ。

 

思わずニヤけていると、隣に座っているロングボトムが話しかけてきた。

 

「凄いね、リーゼ。話に聞いてたよりもずっと派手だよ!」

 

「そうなのか? まあ……凄いんじゃないかな。」

 

話に聞いてたよりも派手? 箸が転んだ話でもされてたのか、こいつは。適当な返事を返しながらさっさと舞台から下りろと念じていると、ダンブルドアが立ち上がっていつもの『一言タイム』を始めた。要するに食事の時間だ。

 

「素晴らしい! 実に見事な演技じゃった。わしも骨になったら試してみることにしよう。……それではお待ちかねの食事の時間じゃ。それ、たんと食べよ!」

 

ダンブルドアの言葉と同時に出現した料理の中から、迷わずかぼちゃのプリンを選び取る。デザートから食べるのはちょっと無作法だが、グリフィンドールのテーブルではそんなことは誰も気にすまい。グリフィンドールの辞書にテーブルマナーなどという文字は載っていないのだ。

 

そういえば……紅魔館でもそろそろパーティーが始まった頃か。咲夜は私のプレゼントを喜んでくれているだろうか? ホグワーツに来て辛いことの一つは、彼女の誕生日パーティーに参加できないことだ。

 

教員席を見れば、アリスもマクゴナガルと話しながらちょっと切なそうな顔をしているのが見えてくる。もしかしたら彼女も咲夜のことを考えているのかもしれない。

 

……しかし、アリスの食事作法は見事だな。別に気を張るような場所じゃないし、恐らく無意識にやっているのだろう。教育が良かったようだ。もちろんパチュリーではなく、私の。

 

礼儀正しく食事を取るアリスを何とはなしに眺めていると、その隣のマクゴナガルが急に立ち上がって大声を上げた。ちょっとびっくりしたぞ。

 

「ウィーズリー、やめなさい!」

 

何事かと視線の先を見れば、ちょうど双子がスリザリンのテーブルへと何かを投げつけたところだった。おお、いいぞ。パーティーなんだから多少の派手さがないといけない。

 

テーブルの中央に置いてある大きなケーキへと吸い込まれていったそれは……数秒後に凄まじい音を立てて大爆破する。うん、まあ……想像よりも少し派手だったな。天井にまでケーキが飛び散ってるぞ。

 

「ウィーズリーとウィーズリー! 一体全体何を考えているのですか!」

 

残念ながらマクゴナガルにとっては『少し』ではなかったようで、結構な剣幕で双子を叱りつけている。

 

とはいえ、少数の一年生以外は誰も驚いてはいないようだ。双子がやったのだと分かると、みんな納得して食事へと戻っていく。……もちろんケーキ塗れになっているスリザリン生たちは別だろうが。

 

「身内の恥だ。」

 

見事に罰則と減点を食らった双子を見て、斜め向かいに座るパーシーが呟いた。ここにもウィーズリーだ。うじゃうじゃいるな。

 

「それは、彼らには言わないほうがいいね。きっと褒め言葉として受け取ってしまうよ。」

 

「そこが一番の問題点なんだよ。またママに手紙を書かないと。……もちろん何の効果も無いだろうけどね。」

 

肩を竦めて言い放つと、パーシーはうんざりしたように首を振る。この男のクソ真面目さと、双子の不真面目さを足して割ればちょうど良い塩梅になるだろうに。そうなればハイブリッドウィーズリーの爆誕だ。

 

ウィーズリー兄弟の性格について考えつつ、なんとなく赤毛の末妹を探してみるが……いないな。不参加か?

 

まあ、どうでもいいか。去年欠席のハーマイオニーはトロールに襲われていたが、今年はクィレル抜きのホグワーツなのだ。他の教師も後頭部に不愉快な顔がひっついていないことは確認済みだし、別に心配する必要などあるまい。

 

───

 

食事が終わった後はそれぞれの寮監に連れられて寮へと帰還することとなった。私も愛しいトランクの中へ帰ろうと、アリスの部屋に向かって歩き出そうとしたところで……なんだ? 微かにズルズルと何かを引き摺るような音が聞こえる。

 

「……聞こえるかい? これ。」

 

ちょうど隣で先程使用した爆竹について話していた双子のどっちかに話しかけるが、彼は怪訝そうな顔で問い返してきた。まあ、私でさえ微かに聞こえるだけなのだ。人間に聞き取るのは難しいかもしれない。

 

「ん? なにがだ? アンネリーゼ。」

 

「ああ、いや……なんでもない、勘違いだ。」

 

「おいおい、何処へ行くんだよ? また夜のお散歩か? だったら、ついでにフィルチの部屋にこれを投げ入れてきてくれよ。」

 

「んふふ、お断りだね。私はトイレ掃除の罰則を食らいたくはないのさ。」

 

導火線のついた謎の小箱を懐から取り出した……フレッド? まあ、とにかく双子のどっちかに拒否の返事を放ってから、音を辿って歩き出す。たまには好奇心に身を委ねたって誰も文句は言わないだろう。どうせ後は寝るだけなのだ。腹ごなしに謎の音を追ってみるとしよう。

 

集中して音を聞いてみると、どうも壁の方から聞こえてくる気がする。試しにコツコツと叩いてみるが……わからんな。この城を探検し尽くしたと豪語していたフランなら何か分かるだろうか?

 

それから少しの間だけ追えていたのだが、やがてズルズル音は上の方へと消えていった。さすがに天井をぶち抜いて追うわけにもいかないし、いくらなんでもそこまでの興味はない。諦めて再びアリスの部屋へと向かおうとすると……おや、いつもの三人が目に入ってきた。

 

「ハリー? ゴーストのパーティーは……ふむ、みんなで猫を処刑してたのかい? ロンのネズミでも食っちゃったのかな?」

 

何故か壁に吊るされた猫を前にして、ハリー、ハーマイオニー、ロンは呆然と突っ立っている。とりあえず小粋なジョークを投げかけたつもりなのだが、慌てて振り向いた三人は真っ青な顔で口々に反論してきた。本気にするなよ、まったく。

 

「違うよ! 絶命日パーティーの帰りで、大広間に料理が残ってるかと思って、それで──」

 

「僕たちが来た時にはもうこうなってたんだ。スキャバーズは関係ないし、僕らも関係ないぜ。」

 

「ハリーが変な声が聞こえるって言ったから、それを追ってたの。そしたら、ミセス・ノリスが……。」

 

ミセス・ノリス? ああ、ピニャータごっこをしているのはフィルチの猫か。それに……猫が吊るされている壁には、赤いペンキでデカデカと文字が書かれている。『秘密の部屋は開かれたり。継承者の敵よ、気をつけよ』、ね。

 

そのクソったれの『部屋』とやらには聞き覚えがあるぞ。アリスを襲った馬鹿蛇の住処じゃないか。蛇は結局逃げおおせたままだし、あれは実にイラつく事件だった。

 

「落ち着きたまえよ。別に本気で疑ってやしないさ。」

 

三人に言葉を投げかけながら、猫に近付いて慎重に調べてみれば……ん? 死んでいるのではなく、石化してるのか。これも五十年前と同じだな。アリスもそうだったし、あの時は他にも数人の生徒が石化したはずだ。……いや、一人は死んだんだっけか?

 

何にせよ、あの時は成長途中だからこそ石化で済んでいたはずだ。バジリスクのことなんか知らんが、五十年経って未だ成長期ってことが有り得るだろうか? ……いやまあ、有り得ないとも言い切れんな。他ならぬ吸血鬼がそうなんだった。

 

猫を突っつきながら調べる私に、ロンが真っ青な顔で話しかけてくる。

 

「リーゼ、ここを離れたほうがいい。誰かに見つかったら厄介なことになるぞ。」

 

「大丈夫さ、ロン。それよりも……ふむ、水たまりはキミたちが来た時からあったのかい?」

 

手を引いてくる焦った表情のロンに聞いてみると、その隣のハーマイオニーが怪訝そうな顔で答えを口にした。彼女も早くこの場を離れたそうだ。

 

「あったけど、水たまりなんかがどうして気になるの? そんなことより早く──」

 

「私の猫が! ミセス・ノリス!」

 

ハーマイオニーの言葉の後半が、悲鳴のような叫び声にかき消される。おおっと、飼い主殿のご到着だ。喚き散らしながら駆け寄ってくるフィルチの後ろには、大広間から移動中らしいスリザリン生たちの姿もある。

 

「私の猫! どうしてこんな……貴様らか! ミセス・ノリスを殺したな!」

 

「違います! 僕たちはただ通りかかっただけです!」

 

「嘘を吐くな! おまえが、おまえたちが!」

 

激怒するフィルチは、凄まじい形相でこちらに詰め寄って来た。なんともまあ、今にも殴りかかってきそうな雰囲気ではないか。ハリーが慌てて弁明していると、近付いてきたスリザリンの集団からマルフォイが満面の笑みで飛び出してくる。何だ? 大好きな純血主義者でも見つけたのか?

 

「継承者の敵よ、気をつけよ! 次はおまえの番だぞ、穢れ……。」

 

ハーマイオニーを指差して何かを高らかに宣言しようとしたところで、青白ちゃんは私の姿を見て慌てて引っ込んでいった。何がしたいんだ、こいつは。

 

首を傾げてマルフォイの引っ込んでいったスリザリンの集団を見ていると、今度は人混みを掻き分けて……アリスだ。杖を構えたアリスが前に出てくるのが見えてきた。

 

「ちょっと、どうし──」

 

アリスは私たちに声をかけようとするが、言葉の途中で壁の文字を見ながら呆然と黙り込んでしまう。恐らくかつての事件を思い出しているのだろう。私なんかよりもよっぽど思うところがあるはずだ。

 

ゆっくりと歩み寄って、手を握りながら声をかける。

 

「落ち着け、アリス。今は私もいるし、校長はダンブルドアだ。キミだってあの頃とは違うだろう?」

 

「……その通りです、リーゼ様。」

 

しっかりと頷いたアリスは、一度スリザリン生のほうへと寮に戻るように指示を出すと、フィルチの方へと説明に向かった。しかし……これもリドルが打った一手なのか? 去年の状態を考えるに、とてもじゃないがそんな余裕があるとは思えないぞ。

 

「フィルチ、落ち着きなさい。犯人はその子たちじゃないわ。」

 

「しかし、こいつらが立っていたのです! ここに! ミセス・ノリスの死体の前に!」

 

「秘密の部屋が開かれたのは二度目よ。そして、ミセス・ノリスをこんなことにした犯人は分かっているわ。その対処法もね。」

 

「対処法? でも、ミセス・ノリスは……。」

 

「安心しなさい、死んでないわ。石化しているだけよ。」

 

アリスの言葉を聞いたフィルチは、ペタリと地面に座り込んで大きく息を吐いた。生徒たちがどう思っているにせよ、あの男にとっては随分と大事な猫のようだ。

 

「あの、マーガトロイド先生、僕たちは通りかかっただけで……。」

 

「そっちも少し落ち着いて、ハリー。話は別の場所で聞くわ……大丈夫よ、状況を聞きたいだけだから。」

 

アリスの穏やかな言葉に安心したようで、ハリーたちも大人しく頷く。……私が言った時は焦ったままだったくせに。ううむ、子供の扱いはアリスのほうが上か。

 

そのまま猫を下ろすアリスのことを眺めていると、後ろからダンブルドア、マクゴナガル、スネイプの教師陣が小走りで近付いてくるのが見えてきた。やれやれ、ようやく話が進みそうだ。

 

───

 

「声が聞こえたんです。掠れるような声で、その……物騒なことを喋ってました。それで、気になって追いかけてみたら……。」

 

「あの現場へとたどり着いた、というわけじゃな? ふむ、実に興味深い話じゃ。」

 

現場から離れた私たちは空き教室でハリーたちの話を聞くことになった。ダンブルドアの言う通り、なんとも興味深い話だ。『声』か。

 

ハリーたちと私の他には、アリス、スネイプ、ダンブルドアがいる。マクゴナガルは生徒たちの引率と後片付けに、フィルチはポンフリーに連れられて猫を医務室へと運んで行った。あの校医は動物まで診れるらしい。

 

「でも、私たちには聞こえなかったんです。ハリーだけが気付いていました。」

 

「僕も……うん、聞こえませんでした。」

 

ちょっと不安げなハリーを横目にしながら、ハーマイオニーが義務感に燃える表情で説明し、ロンはハリーの方を窺いながらポツリと言う。つまり、ハリーにしか聞こえなかったということか?

 

黙考する教師たちの中で真っ先に口火を切ったのは、意外にもスネイプだった。

 

「ポッター、蛇と喋ったことはないか?」

 

「あります。昔、動物園でニシキヘビと話しました。」

 

返事を受けて、ハリー以外の全員が表情を変える。こいつ、パーセルマウスだったのか。私とアリス、ダンブルドアとスネイプは微かな驚愕を。そしてハーマイオニーとロンは明らかに驚いている表情だ。

 

パーセルマウス。蛇語を理解し、蛇と話せる魔法使いのことなのだが……うん、少なくともイギリス魔法界ではあまり良いイメージを持たれることはないだろう。なんたってサラザール・スリザリンの子孫にしか見られない特徴なのだから。

 

他にもゴームレイス・ゴーント、腐ったハーポ、そして言わずと知れたトム・リドルなど、使い手は名立たる闇の魔法使いに多い。生き残った男の子がパーセルマウスだというのは、なんとも意外な話なのだ。

 

私たちの驚きを前に、困惑したような表情のハリーが口を開く。恐らく何のことだか分かっていないのだろう。

 

「あの……僕、別に珍しいことじゃないと思ってたんですけど。」

 

「稀ではある。しかし、前例がないわけではない。詳しい話は……そうじゃな、寮に戻った後でハーマイオニーに聞くといいじゃろう。彼女なら見事に説明してくれるはずじゃ。」

 

安心させるように微笑んで言うダンブルドアは、続けて声についての考えを話し出した。

 

「秘密の部屋は昔も開かれたことがあるのじゃよ。そしてその主は……バジリスク、『毒蛇の王』なのじゃ。君が聞いたのはそやつの声に違いない。」

 

十中八九間違いないはずだ。そして部屋を開いたヤツもパーセルタングの可能性が高い。意思疎通が出来なければ馬鹿蛇の餌になってるはずだ。いやはや……蛇語を話せるヤツも案外珍しくないんじゃないか?

 

「バジリスク……ですか。」

 

「うむ。何にせよ、非常に有用な情報じゃった。お陰でわしらも確信を持てたよ。……それでは寮に戻ってお休み。セブルス、三人を送ってやってくれるかのう?」

 

「承知いたしました。」

 

スネイプが送ると聞いて嫌な顔を隠し切れない三人だったが、やおらハリーが私の方を見ながら口を開く。

 

「あの、リーゼは? そんなのがうろついてるなら、夜の散歩はやめるべきだよ。僕たちと一緒に談話室に戻ろう。」

 

おやおや、心配してくれているらしい。ハーマイオニーとロンもコクコク頷いている。思わず苦笑しながら、さっき考えておいた作り話を言葉に変えた。

 

「私の知り合いにこの件に対処できる人がいるのさ。心配してくれるのは嬉しいが、今日はその人に連絡してからアリスの部屋にでも泊まるよ。」

 

言うと、ハリーたちは安心したように頷く。十二歳の少年少女に心配されるとは……なんともこそばゆい感じだ。

 

「そっか。それじゃあ、気をつけてね、リーゼ。」

 

「ああ、キミたちも気をつけたまえ。」

 

スネイプに引きつられてドアから出て行くハリーたちを見ながら、ダンブルドアが満足そうに呟いた。

 

「素晴らしい友人を得たようですな、バートリ女史。」

 

「少々歳が離れ過ぎているがね。まあ……そうだな、その辺のボンクラよりかは見所があるよ。」

 

「ほっほっほ、年の差など些細な問題ですよ。……さて、それでは話し合いを始めましょうか。今宵は長い夜になりそうですな。」

 

真剣な表情に戻ったダンブルドアに、アリスと二人で頷く。ハロウィンってのは厄日に違いない。なんだってこう、面倒な事件ばかり起こるんだか。

 

これから始まる長い話し合いのことを考えながら、アンネリーゼ・バートリはもうちょっとちゃんと夕食を食べておけばよかったと今更ながらに後悔するのだった。

 



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ホグワーツ魔法魔術ニワトリ小屋

 

 

「うるっさいわね。」

 

教員塔にある自室のベッドから起き上がりながら、アリス・マーガトロイドはイライラと呟いていた。

 

なんとも喧しい目覚めじゃないか。城中の鶏たちの鳴き声が石壁に反射して響き渡っている。今や巨大な鶏小屋となったホグワーツ城では、寝坊する生徒など一人もいまい。

 

これは別にねぼすけ対策なわけではなく、当然ながらバジリスクへの牽制だ。昨夜食用の鶏が何者かの手によって全滅させられているのを確認した私たちは、すぐさま各所から雄鶏を取り寄せたのである。

 

ちなみにパチュリーから鶏を呼び出す魔法も手紙で届いたのだが……複雑すぎてダンブルドア先生ですら使えなかった。パチュリーの作る呪文は難易度に対して効果がショボすぎるぞ。

 

起き上がって姿見で髪を整えていると、部屋に置かれているトランクからリーゼ様が出てきた。こちらも少しイラついた表情だ。

 

「おはよう、アリス。鶏どもは見事に仕事をしているらしいね。トランクの中にまで聞こえてきたよ。」

 

「おはようございます、リーゼ様。まあ……しばらくはこんな感じですね。バジリスクは私たち以上に苛々しているでしょうし。」

 

「そのままどっかへ行って欲しいもんだ。昨日はいい策だと思ったが……致命的な欠陥があったようだね。遠からず誰かが精神を病むぞ。」

 

確かに毎日こうだと思うとウンザリする。ノイローゼになって医務室に駆け込む生徒が出てきてもおかしくはないだろう。また一つ早期解決しないといけない理由が増えたようだ。

 

「今日はコーヒーにしますか? 思いっきり濃いやつに。」

 

「素晴らしい提案だ。頼むよ、アリス。」

 

ティーポットを取り出しながら聞いてみると、リーゼ様は苦笑しながら了承してきた。優雅に紅茶を飲む気分じゃなかったのは、どうやら彼女も同じだったらしい。

 

そうと決まれば人形を操ってコーヒーの準備だ。『コーヒーちゃん』は久々に動かすわけだが……よしよし、正常に動作しているな。この子は『紅茶ちゃん』との使用頻度に差があるのが申し訳ない。いっそ合体させて兼用にしてみようか?

 

脳内で次なる改良案について考えていると、部屋の隅に立て掛けられていた黒板に文字が浮かび上がった。教員用の連絡方法で、一つの黒板に書いた文字が全部の黒板に浮かび上がるのだ。

 

リーゼ様も黒板の変化に気付いたらしく、だらりと机に寝そべりながら読み上げ始める。

 

「んー? 重要な連絡があるので、朝食前に職員会議、ね。やる気満々じゃないか、ダンブルドアは。」

 

「バジリスクのことでしょうね。一応昨夜も連絡したらしいんですが……まあ、詳しい話をするんでしょう。」

 

「犯人探しのことも出るかもね。」

 

問題はそこだ。リドル本人である可能性は薄いというのが昨夜の結論だった。クィレルと引き離されてから数ヶ月しか経っていないのに、再び誰かの後頭部に取り憑いてバジリスクと蛇語でお喋りしているというのは考え難い。

 

だからといって生徒にそれが可能だとは思えないし、教師陣は昨年の反省から細かく調べてある。問題がありそうな人間はいないはずだ。

 

「やはりリドルの指示を受けた外部犯なんでしょうか?」

 

人形がコーヒーを淹れるのを見ながらリーゼ様に問いかけてみると、彼女は曖昧に頷きながら口を開いた。

 

「この城に侵入するのは難しいとは思うんだけどね……まあ、可能性が高いのはそれだろう。秘密の部屋とやらを開いた後、そのまま逃げ去ったのかもしれない。指示なしでも自由を得た馬鹿蛇が暴れるのは間違いないしね。」

 

「撹乱が目的ってことですか?」

 

「さぁね。あわよくばハリーを殺せると思ったのかもしれないし、単にこちらの目を逸らそうとしているのかもしれない。リドルの考えは突飛すぎて予想がつかないのさ。」

 

うんざりしたように首を振るリーゼ様は、なんとも疲れた表情だ。確かにリドルの行動を予測するのは難しい。トカゲ人間になって、死喰い人を大量に捨て駒にし、赤ん坊に殺されて、後頭部に憑依する。一つ一つに理由はあれど、全体で見ると意味不明だ。今度は蛇を使って無差別殺人か?

 

「迷惑極まりない話ですね。」

 

「まったくだ。ああ、理性的だったゲラートが懐かしいよ。ちょっとドジだったが、今思えばそれにも愛嬌があった。」

 

それは……さすがに美化しすぎじゃないか? グリンデルバルドに愛嬌? なんとも想像できない話だ。

 

ヨーロッパ大戦を懐かしむリーゼ様は、人形が差し出したコーヒーを飲みながら首を振った。

 

「まあ、とにかく方針を決めないといけないね。蛇狩りか犯人狩りか、もしくはその両方か。受身に回るのはもう御免だよ。」

 

「ダンブルドア先生なら生徒の安全を重視するでしょうし……バジリスクへの対応が優先されるはずです。あの蛇が死んで泣くのはハグリッドだけでしょうから。」

 

「そういえば……ハグリッドは大丈夫なのか? あの男は一応前回の事件の犯人扱いされているんだろう?」

 

それは……その通りだ。思わずコーヒーから口を離す。魔法省が横槍を入れてこないとも限らないのだ。対処の方法をダンブルドア先生と……待てよ?

 

「今回の事件を通じて、ハグリッドの名誉を回復できないでしょうか?」

 

「ふむ……まあ、今回部屋を開けたヤツを見つけ出せば不可能ではないかもだが、かなり難しいと思うよ。」

 

リーゼ様はテーブルへとカップを置いてから、真剣な表情で続きを話す。

 

「ハグリッドは前回も今回も、事件の起きたホグワーツに居たんだ。疑われるには充分な『実績』もあるしね。」

 

「それはまあ、そうですけど……もどかしいです。前回の犯人はリドルだって分かってるのに。」

 

「一応、ダンブルドアとレミリアあたりが魔法省に圧力をかければ不可能ではないだろうが……キミがやりたいのはそういうことじゃないんだろう?」

 

その通りだ。形式的なことじゃなくって、根本的な疑いを晴らしたいのだから。正道以外の解決法ではどこかにしこりが残るだろう。

 

「そうですね。それなら、実行犯を捕らえれば可能ですか?」

 

「そいつを尋問して、『ご主人様』の名前が出てくればね。ただまあ、厳しいんじゃないかな。未だにそいつがホグワーツをウロウロしているとは思えないしね。」

 

「それでも、可能性があるなら試してみたいです。テッサもあの事件のことはずっと気にしてましたし。」

 

五十年前の私たちに出来なかったことが、今の私には出来るのだ。今度こそ悔いの残らない結末にしたい。テッサの墓前に報告できるような結果に。

 

私の顔を見て、リーゼ様は柔らかく微笑みながら声をかけてくれる。

 

「そうか。それなら……うん、私もちょっとはやる気を出そうじゃないか。犯人が『部屋』とやらに立て籠もっている可能性だってあるんだしね。……バジリスクの餌になってなきゃいいが。」

 

「うーん、バジリスク自身に証言させるのは無理でしょうか? ハリーは意思疎通できるわけですし、ダンブルドア先生もパーセルタングは聞き取れなくもないって言ってましたよ?」

 

思いついた提案を言葉にしてみると、リーゼ様は引きつった顔で固まってしまった。結構いい提案だと思ったのだが……。

 

「キミはたまに物凄いことを考えるね……残念ながら、魔法省は蛇の証言を採用してくれるほど柔軟な組織じゃないと思うよ。そもそも、バジリスクが大人しく自白するかい?」

 

「目を潰して、拘束した後に吐かせればいいんですよ。ああでも……毒って効くんですかね? 真実薬とか、激痛薬とか。」

 

「あー……パチェの教育だな、これは。私は悪くないぞ。」

 

呆れたように呟くリーゼ様に首を傾げていると、彼女はちょっと微妙な表情でなんでもないと言ってくる。どうしたのだろうか?

 

まあいいか。……さて、今日も仕事が盛りだくさんだ。朝食は……ダンブルドア先生なら職員会議でサンドイッチくらいは用意してくれているだろうし、それで済ませるとしよう。

 

コーヒーの最後の一口を飲み干して、アリス・マーガトロイドの一日は始まるのだった。

 

 

─────

 

 

「恐らくだが……長い歴史の中でも、こんなに愉快なホグワーツは初めてだろうね。」

 

皮肉たっぷりに呟いてから、アンネリーゼ・バートリはローブを突っついてくる忌々しい鶏を蹴っ飛ばした。これで十二羽目だ。教室に到着するまでに何回蹴っ飛ばすことになるのやら。

 

事件から数日経った今のホグワーツは、正しく混沌の坩堝と化している。バジリスクのことを知らされた生徒たちは、どうやら勇敢にも『自己防衛』の手段を編み出したらしい。

 

殆ど真っ暗で何も見えないサングラスや、蛇避けに効果があるというお香。スニーコスコープに魔除けの鈴。他にも様々な防犯グッズが大流行りなのだ。

 

先日双子が持ってきた、蛇の嫌う音が出るオルゴールなんかは最悪だった。確かに蛇は嫌うかもしれないが、人間はもっと嫌うような音が爆音で鳴り響くという代物だ。あんな物が流行ったら耳がおかしくなるぞ。

 

「みんな勘違いしてるのよ。バジリスクにみかんエキスが効くだなんて! 頭がどうにかなりそうだわ!」

 

今朝ラベンダー・ブラウンにみかんエキスを吹きかけられたハーマイオニーはご立腹だ。ここまで柑橘系の香りが漂ってくる。

 

「ネビルはトレバーが食べられないかって心配してたよ。ほら、蛇はカエルを食うっていうだろ?」

 

「バカバカしいにもほどがあるね。バジリスクのサイズから考えれば、あのヒキガエルが百匹いても食い足りないだろうさ。」

 

ロンに返事を返していると、ようやく呪文学の教室に到着した。ちなみに鶏を蹴っ飛ばした回数は十八回だ。新記録樹立である。

 

いつも通りにハーマイオニーと一緒に席に座ると、彼女は教科書ではなく謎の分厚い本を取り出し始めた。本というかは……鈍器に近いな。辞書か?

 

「ハーマイオニー、とうとう辞書を持ち歩くことにしたのかい?」

 

「違うわよ! 『ホグワーツの歴史』を持ってきたの。秘密の部屋のことが書かれていないかと思って。」

 

「書かれてたら『秘密』じゃないと思うけどね。ただの部屋だよ。」

 

「バジリスクが住んでたら、少なくとも『ただの』部屋じゃなくなるわ。」

 

言葉遊びの間にも、彼女は物凄い勢いでページを捲っているが……。

 

「アリスに聞いた方が早いんじゃないか?」

 

「マーガトロイド先生に? どうして?」

 

「そりゃあ、前回部屋が開いた事件の当事者だからさ。」

 

そう言ってやると、ハーマイオニーは本から顔を上げてキョトンとした顔で口を開いた。あれ、話してなかったか?

 

「それは……そうなの? てっきり、前回開かれたのはもっと古い時代の話かと思ってたわ。知識として知っているんだとばかり……。」

 

「実体験だよ。ちなみにハグリッドも当事者だ。」

 

「歓迎会で聞いたから、分かってたつもりだったんだけど……マーガトロイド先生って物凄い年上なのね。今ようやく実感したわ。そういえばハグリッドは『先輩』って呼んでたっけ。」

 

まあ、確かにハグリッドと並べば同世代とは思えないだろう。ハーマイオニーが魔法界の不条理について一つ学んだところで、フリットウィックが大量のシャツが詰まったカゴを浮かせながら入室してきた。賭けてもいい、今日の授業はロクな呪文じゃないぞ。

 

「みなさん、揃っていますね? 今日は『畳ませ呪文』を練習します!」

 

そらきた。シャツすら普通に畳もうとしないのは魔法使いの悪いクセだ。どこのバカが作った呪文だか知らないが、そいつは恐ろしく面倒くさがりだったに違いない。

 

キーキー声で宣言したフリットウィックは、各ペアに一枚ずつシャツを配っていく。本を仕舞って杖を取り出したハーマイオニーはやる気満々だ。

 

「頑張りましょう、リーゼ。きっとこの呪文はテストに出るわよ。」

 

「ホグワーツはいつから主婦訓練校になったんだい?」

 

呪文の利便性の落差に苦悩しつつ、私もため息を吐きながら杖を取り出した。

 

───

 

「難しかったわ。シャツはなんとかなったけど、靴下の場合は完璧とはいかないかも。」

 

「ハーマイオニー、忘れているようだが、手を使えばいいんだ。その方が早い。」

 

呪文学の授業も終わり、再び四人で鶏だらけの廊下を歩き出す。そら、三羽目。蹴っ飛ばしても蹴っ飛ばしても学習しないところは、さすがの鳥頭っぷりだといえるだろう。

 

窓の外まで吹っ飛んでいった鶏を見ながら、沈んだ顔のロンが口を開く。

 

「僕はシャツすら無理だったよ。あの呪文、ママは凄いスピードで使うんだけどな……。」

 

「慣れじゃない? ロンの家の洗濯物は多そうだし。」

 

「そうかもね。そういえばパパがそれを解決するために、昔……濯洗機? を拾ってきたんだ。なんでか動かなかったけど。」

 

「洗濯機だよ、ロン。」

 

ハリーとロンの『マグル語講座』を聞きながら大広間へと向かっていると……出たな、カメラ小僧。ハリー・ポッターファンクラブの名誉会員、コリン・クリービーが廊下の向こうから走り寄ってくる。

 

「おやおや、専属カメラマンのご登場だ。キミのファンがサインを欲しがってるみたいだよ。」

 

「マルフォイみたいなことを言わないでくれよ、リーゼ。」

 

おっと、先を越されていたか。青白ちゃんもなかなかやるな。私が残念がっている間にも、かなり嫌そうな顔のハリーに笑顔のクリービーが話しかけた。

 

「こんにちは、ハリー。写真を撮ってもいいですか?」

 

「ダメ。あー……他に用はある?」

 

「えっと、ウッドさんが呼んでました。昼食の時に、いつもの空き教室で作戦会議をするって。」

 

「ウッドが? 分かったよ。えっと、ありがとう。」

 

一応とばかりに礼を言うハリーに、フラッシュを焚いたクリービーは満足気な笑顔で去っていく。こいつも鳥頭のようだ。……側から見てれば面白いな。当事者には絶対になりたくないが。

 

「そういうことだから、僕はウッドのとこに行ってくるよ。」

 

私たちに一声かけたハリーは、早歩きで二階へと上っていった。しかし……ウッドは『作戦会議』を何回やる気なんだ? 昨日も、一昨日も、その前も。最近ずっと作戦会議をしてるじゃないか。というか、今日の朝食の時もやってたはずだが。

 

ハーマイオニーも同じことを考えたようで、呆れた顔でポツリと呟く。

 

「今のホグワーツで一番バジリスクに興味がないのは、多分ウッドでしょうね。」

 

「間違いない。もっとも、バジリスクがいいプレイをするなら話は別だろうがね。あの男なら迷わずチームに勧誘するさ。」

 

「ウッドが喜びそうな話だ。きっと狂ったようにはしゃぎ回るぜ。『視線だけで相手のシーカーを殺せるぞ!』ってね。」

 

三人で苦笑しながら、再び大広間に向かって歩き出した。そろそろクィディッチのシーズンなのだ。ハリーが練習過多で死ななければいいが……。

 

忌々しい『棒切れ球遊び』のことを考えながら、アンネリーゼ・バートリは寄ってきた鶏を蹴っ飛ばすのだった。そら、四羽目。

 



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デッドボール

 

 

「絶対におかしいぞ! フーチはなんで試合を止めないんだ!」

 

興奮して叫ぶロンを横目に、アンネリーゼ・バートリは観客席から黒い球に襲われているハリーを見つめていた。

 

ハロウィンから数週間が経ち、双子のオルゴールが売り切れた頃に、ようやくウッドが待ち望んだグリフィンドールの初戦が執り行われることとなったのだ。

 

私はいつものように暖かな談話室でのんびりしていようと思っていたのだが、願い叶わずロンとハーマイオニーに連れてこられてしまった。クソ寒い中クィディッチの観戦だなんて、バジリスクとお茶でもしてた方がマシだぞ。

 

とはいえ、グリフィンドール対スリザリンの試合は開始直後にまともな試合ではなくなったらしい。あの黒い球……ブラッジャーだったか? あれの片っぽがハリーだけを集中して狙い始めたのだ。

 

ブラッジャーに襲われ続けるハリーを見て、グリフィンドールの観客席は怒号に包まれている。あれが異常だってのは何となく理解できるのだが……私はルールが分からんので、いまいち状況を把握しきれていない。誰か説明してくれないかと周囲を見回すものの、全員が叫んでいてそれどころではなさそうだ。うーむ、参ったな。

 

ロンは元より、ハーマイオニーですら興奮して話にならないし、どこかに……おっと、ロングボトムが両目を覆って座り込んでいる。

 

「ロングボトム、解説して欲しいんだが、ブラッジャーがハリーを襲うのはおかしいのか?」

 

ロングボトムに近寄って声をかけてみると、びくりと震えた後で泣きそうな瞳をこちらに向けながら解説してくれた。

 

「うん、普通は無差別に襲いかかるんだけど、片方がハリーにしか突っ込んでいかないんだ。えっと……ハリーはまだ無事?」

 

「見事に避け続けてるよ。しかし……さすがに死ぬってことはないんだろう? 学生のスポーツなんだから。」

 

「わかんないけど、これは普通じゃないよ。僕、とてもじゃないけど観てられない。」

 

「ああ、助かったよ、ロングボトム。後は存分に暗闇を楽しむといい。」

 

チラリとハリーを見た後、再び両目を塞いだロングボトムに礼を言ってからハーマイオニーの横へと戻る。ひとしきり叫んだハーマイオニーは多少落ち着いてきたようで、息を荒げながらぺたんと椅子に座り込んでいた。

 

「敵チームの妨害かな?」

 

椅子に座りながら聞いてみれば、ハーマイオニーはふんすと鼻を鳴らしながら答えを返してくる。

 

「有り得ないわ。クィディッチのボールには強固な防護呪文がかかってるの。学生どころか大人にだって細工するのは難しいはずよ。」

 

「ふぅん?」

 

ハーマイオニーの返答を受けて、脳内で思考を回す。つまり、それなりに技量のある魔法使いなら不可能ではないわけだ。

 

とりあえず一番怪しいのは貴賓席に座っているルシウス・マルフォイだな。息子の初試合を見学に来たらしいが、どこまで本当なんだか。

 

とはいえ、ヤツにはスネイプが張り付いている。そもそもこんな大観客の前で行動を起こすとは思えないし……ふむ、分からん。

 

まるで去年の焼き増しだな。ハロウィンパーティーで事件が起こり、クィディッチの試合でハリーが死にかける。後はハグリッドがドラゴンを育てれば完璧だ。リドルにまた会えるかもしれない。

 

私がどうでもいいことを考えていると、フーチの笛が鳴り響いた。選手たちが地面に向かっているのを見るに、どうやら試合が一時中断されるようだ。

 

「無効試合だ!」

 

野次を飛ばしているロンの願いは……残念、叶わなかったらしい。何かを話し合った後で、再び赤いユニフォームの一団が空へと飛び立ったのが見える。

 

「ん?」

 

しかし……ふむ? 試合再開後のブラッジャーはどうも正常な動きに戻っているように見えるぞ。ハリーだけを集中して襲うことはしなくなった。

 

ハーマイオニーも怪訝に思ったようで、ロンが首から提げている双眼鏡を奪い取って観客席を見回し始める。

 

「ハーマイオニー? 何か気付いたのかい?」

 

「ちょっと待って……マーガトロイド先生だわ! きっと反対呪文を唱えてるのよ。」

 

教員席の方を見ながら言うハーマイオニーだが……そらみろ、スネイプ。素行が良ければこういう反応になるんだよ。

 

ハーマイオニーが指差す方へと目線を送ってみれば、確かにアリスがブラッジャーを見ながら何かを呟いているのが見えてきた。……しかし、どうも完璧に抵抗できているわけではないらしく、ブラッジャーは時折ハリーの方へと不自然に軌道を変えている。おいおい、アリスが苦戦するほどの魔法使いなのか?

 

たかがボールへの細工だと考えていたが、私が思っているよりもマズい状況のようだ。ここまでしてスリザリンを勝たせたいというのは考え難いし、ハリーを殺そうとしている可能性が大きくなってきたぞ。

 

周囲を見渡しながら、最悪の状況に備えて妖力を腕に集める。いざとなったらあの球を破壊する必要があるだろう。

 

「ハーマイオニー、去年のスネイプ……というかクィレルみたいに、不自然な動きをしてるやつはいないか? 観客席を探してみてくれ。」

 

「へ? ……うん、わかったわ!」

 

ハーマイオニーはいきなりやる気を出した私に困惑しているようだったが、気を取り直すと真剣な表情で双眼鏡を覗き始めた。その隣で話を聞いていたロンも慌てて身を乗り出しながら観客席を見渡し始める。

 

それを横目に先ずはルシウス・マルフォイを確認するが……やはり不自然な様子はない。隣のスネイプもそれとなく警戒しているようだし、あいつが犯人ではなさそうだ。

 

継続してアリスの反対呪文に抵抗しているということは、事前の細工ではないだろう。相手側も詠唱なり杖を振るなりしているはずなのだ。必ずどこかに……くそ、人が多すぎるぞ。

 

私がちょっと焦り始めたところで、遥か下を指差しながらロンが声を上げた。

 

「あそこ……何か居ないか? ハーマイオニー、双眼鏡で見てくれよ。」

 

ロンが指差しているのは高く聳え立つ観客席ではなく、フィールドから外れた物置の辺りだ。分解されて置いてあるスペアのゴールポストの陰に……しもべ妖精? 小さすぎて吸血鬼の視力でも判別は難しいが、恐らくしもべ妖精であろう姿が見える。

 

そういえば夏休みにハリーへの手紙を差し止めたのもしもべ妖精だったな。ふん、忙しなく両手を動かしている姿は、なんとも怪しさ満点じゃないか。疑わしきは罰せよ、だ。

 

「お手柄だ、ロン!」

 

言い放って観客席から飛び下りる。ロンは慌てて私のことを掴もうとし、ハーマイオニーは悲鳴を上げているが……おい、私が吸血鬼だってのを忘れてないか? 普通に飛べるんだからな?

 

目立たないように低空まで自由落下した後、フィールドには入らない軌道で一気に物置へと近付く。いやはや、真昼の空を飛ぶってのもいい気分だ。あの忌々しい太陽が空に有る限り、これは吸血鬼の中でも私だけに許された特権なのだから。

 

そのまま猛スピードで物置に近付き、勢いはそのままでしもべ妖精目がけて妖力弾を発射した。もちろん多少手加減はしている。死にはしないはずだ。

 

しもべ妖精がこちらに気付いて驚愕の表情……たぶん驚愕だと思われる表情を浮かべるが、もう遅い。この距離では間に合うまい。

 

獲ったな。思わずニヤリと笑って勝利を確信した瞬間、しもべ妖精の姿が……消えた?

 

「は?」

 

おいおい、どういうことだ? ホグワーツでは姿くらましは出来ないはずだぞ。城から離れているとはいえ、ここは妨害魔法の範囲内じゃなかったのか?

 

透明になったのかと思って気配を探るが……うん、いないな。魔力、妖力、気。どの探知にも反応しない。逃げられた? いやいや、まさか……嘘だろ?

 

まさかとは思うが、しもべ妖精は普通に姿くらまし出来たりするのだろうか。だったら能力で姿を消しての不意打ちを選択したんだが……ダメだ、分からん。後でアリスにでも聞く必要がありそうだ。なんたって、しもべ妖精の生態など今まで気にしたこともなかったのだから。

 

呆然と突っ立っていると、競技場の方から歓声が聞こえてきた。グリフィンドールの観客席が横断幕を振りまくっているのを見るに、どうやらハリーがスニッチを取ったようだ。

 

虚しい気分で歓声を耳にしつつも、アンネリーゼ・バートリはもうちょっと他種族のことを勉強しておけばよかったと今更ながらに後悔するのだった。

 

 

─────

 

 

「ご苦労じゃった、アリス。」

 

ホグワーツの校長室でダンブルドア先生の言葉を聞きながら、アリス・マーガトロイドはちょっと悔しそうに頷いていた。

 

不覚だ。人間のそれとは違った複雑な魔法に、上手く抵抗し切れなかった。魔女としてはかなり悔しい経験だ。……これがパチュリーだったら片手間にでもやってのけただろう。口惜しいが、私もまだまだ修行不足ということか。

 

クィディッチの終了後、校長室で事件についての話し合いを設けることになったのだ。部屋には私、マクゴナガル、リーゼ様、そして勿論ダンブルドア先生が居る。ちなみにスネイプはルシウス・マルフォイへの対応を継続中だ。どっちも元死喰い人だし、さぞ話が合うことだろう。

 

「それでは、屋敷しもべ妖精がポッターを殺そうとしていたと? それはまた……信じ難い話です。」

 

「残念ながら事実だよ。それにしても……下手を打ったな。まさか連中は姿くらましが出来るとは思わなかった。」

 

マクゴナガルに返事を返したリーゼ様は、なんとも悔しそうな表情をしている。まあ、あまり知られていない情報だし、ハリーを救うことが出来たのだから気にしなくていいと思うのだが……。

 

「そう気を落とさないでください、バートリ女史。貴女の素早い対応があったからこそ、ハリーは危険から逃れることができたのですぞ。」

 

「その通りです、リーゼ様。正直ちょっと劣勢でしたし、あのまま鍔迫り合いをしてたら厳しかったかもしれないんですから。」

 

ダンブルドア先生と一緒に投げかけた言葉も、どうやらリーゼ様には届かなかったようだ。大きくため息を吐きながら首を振っている。

 

「単なる知識不足ってのが情けないのさ。どうやら私は、もう少し他種族に興味を持つ必要があるらしいね。来年は飼育学でも取ってみるか?」

 

しもべ妖精って『飼育』してるもんなのか? ちょっとズレている言葉に曖昧な笑みを返してから、ティーカップを弄りつつ口を開く。

 

「えーっと……とにかく、しもべ妖精の侵入を防ぐのが至難の業なのはハッキリしましたけど、それならちょっと妙じゃないですか? 仮にハリーのことを殺したいなら、ブラッジャーなんか使わずに、寮の寝室で寝首を掻いた方が早いはずです。」

 

少なくとも衆人環視の状況で殺人ブラッジャーを嗾けるよりかはマシなはずだ。寝室に姿あらわしでもしてナイフで一突きすればそれで終わりなのだから。

 

私の言葉を聞いていきなり立ち上がったマクゴナガルが、今にも走り出しそうな様子で声を上げた。

 

「ポッターが危険です!」

 

「落ち着くのじゃ、ミネルバ。今はホグワーツのしもべ妖精たちを見張りに立てておる。目には目を、というわけじゃよ。」

 

しもべ妖精にはしもべ妖精を、か。確かに良い手段に思える。数からいっても圧倒的だろうし、しもべ妖精の魔法を一番知っているのは彼ら自身だろう。マクゴナガルも落ち着いたようで、小さく頷くとぽすんとソファに座り込んだ。

 

今度はそれを苦笑して見ていたリーゼ様が、真剣な表情に変わって口を開く。

 

「問題は、二つの事件が繋がっているか否かだ。秘密の部屋としもべ妖精……あー、一応聞いておくが、しもべ妖精は蛇と喋れないだろう?」

 

「ほっほっほ、そんな話は聞いたことがありませんな。しかし、部屋を開くだけなら可能かもしれません。その可能性は考えておいたほうが良いでしょう。」

 

リドルに従うしもべ妖精か。もしそうだとすれば、正直そこらの死喰い人よりもよっぽど厄介な相手だ。そういえば……前回の戦争ではしもべ妖精と戦った記憶はないな。死喰い人には名家が多かったし、やつらの軍勢の中にいてもおかしくないと思うのだが。

 

疑問を言葉に変えて、ダンブルドア先生へと放ってみる。

 

「そういえば、どうして前回の戦争では姿を見なかったんでしょうか? 争いを好まない種族だというのは知ってますけど……命令されればその限りではないのでは?」

 

「しもべ妖精は謎多き種族じゃが、一つだけ確かに言えることがある。彼らは……そう、基本的には善なる者たちなのじゃよ。無論例外もあるが、人間を傷つけることを命じても、撤回を請うことでそれに抵抗するのじゃ。そして撤回されない時は、自らの命を投げ打つことで主人を諌める。まさに献身を体現した種族じゃのう。」

 

なんとも悲しい話だ。そして同時に、不思議な話でもある。どうして彼らはそこまでして人間に仕えるのだろうか?

 

ちょっとだけしんみりした感じになった部屋の雰囲気を、リーゼ様の言葉が吹き飛ばした。

 

「お忘れのようだがな、ダンブルドア。その『献身的な』しもべ妖精がハリーを殺そうとしたんだぞ。彼らが優秀で忠実な使用人であることは重々承知しているが、それ故に油断するべきじゃないと思うよ。命じられれば喜んで悪事を行うしもべもいるのさ。」

 

そういえば、ロワーさんはグリンデルバルドの手伝いをしてたんだったな。うーん……彼がヨーロッパでやったことを考えるに、リーゼ様の言葉にも一理ありそうだ。種族単位で考えると痛い目を見るのは、どこの世界でも同じらしい。

 

「まあ、その通りですが……わしにはどうも疑問が残りますな。話を聞く限り、恐らく夏休みにダーズリー家に現れたしもべ妖精と同一の個体でしょう。そうだとすれば、夏休みには手紙を盗んでホグワーツに行かせまいとし、今回は粗暴な手段でハリーを傷つけようとした。先ほどのアリスの疑問も踏まえれば、どうにも行動に一貫性がないように思えます。」

 

「ふむ……確かにそうだな。そういえば、駅のホームを閉じたのもしもべ妖精だったのかもね。」

 

リーゼ様はそう言って少し考え込んだ後、首を振りながら結論を口にした。あれは面倒くさくなった時の表情だ。私にはわかる。

 

「とにかく、さっさと取っ捕まえれば済む話だ。そしたら拷問でもして吐かせればいい。まさか嫌とは言うまいな? ダンブルドア。」

 

「好ましい提案だとは言えませんのう。」

 

「ふん、去年の反省を活かすべきだと思うのは私だけか? 手緩い手段を取ってると、どこかでしっぺ返しがくるぞ?」

 

にこやかな表情を崩さないダンブルドア先生と冷ややかな表情のリーゼ様が睨み合うが……マクゴナガルが慌てて間に口を出した。ちょっと慣れた対応を見るに、どうも何回か同じようなことがあったらしい。

 

「お二人とも、落ち着いてください。先ずは『部屋』とバジリスクの件が優先でしょう? ポッターの護衛はホグワーツのしもべ妖精たちに任せて、我々はそちらに当たるべきです。」

 

「その通りじゃ、ミネルバ。」

 

「ま、そうだね。馬鹿蛇をどうにかしないと、鶏どもが鬱陶しくて仕方がない。」

 

マクゴナガルのもっともな言葉で二人は睨み合いを解いて、それぞれに返事を返した。確かに優先すべきはバジリスクだ。あの忌々しい大蛇は、未だに私たちに尻尾を掴ませてくれないのだから。

 

恐らくバジリスクのことを考えているのだろう。沈黙が舞い降りた室内だったが、リーゼ様の声でそれが破られる。

 

「んふふ、なんで気付かなかったんだろうね? 身内に隠し部屋の専門家がいるじゃないか。」

 

「専門家、ですか?」

 

ニヤリと言い放ったリーゼ様に、マクゴナガルが疑問顔で問いかけた。専門家? そんなの……ああ、なるほど。脳裏に浮かぶ金髪の吸血鬼が、私にクスリと微笑んだ。

 

「フランですか。」

 

「その通り。あの子は七年間の夜の散歩で、城を隅々まで探索したと言っていた。少なくともそこらの教師よりはよっぽど詳しいだろうさ。」

 

私の言葉に同意したリーゼ様に、今度はダンブルドア先生が苦笑しながら声をかける。

 

「なるほど、妙案ですな。あの子の……あの子たちの好奇心は底なしでしたから、間違いなくあらゆる場所を調べ尽くしたことでしょう。」

 

「あの五人組は神出鬼没でしたからね……確かに私たちが知らない場所を知っているはずです。」

 

頷くマクゴナガルも苦笑している。ほんの少しだけ寂しそうな顔を見るに、ジェームズたちのことを思い出しているのだろう。

 

全員が同意したのを確認すると、リーゼ様は大仰に手を広げながら、ちょっと戯けて口を開いた。

 

「それじゃあ、我らが偉大なる悪戯娘に教えを請うとしようじゃないか。手土産にお菓子でも持って、ね。」

 

紅魔館の地下室で微笑むフランのことを考えながら、アリス・マーガトロイドは肯定の頷きを放つのだった。

 



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決闘クラブ

 

 

「ポリジュース薬? なんだってそんなものを作ろうとしているんだい?」

 

目の前で盾の呪文を唱えるハーマイオニーにゴムボールを投げつけながら、アンネリーゼ・バートリはそう問いかけていた。

 

場所は防衛術の教室。つまりはアリスの授業中である。彼女がロングボトムへの指導に四苦八苦している間に、ハーマイオニーがこっそり話しかけてきたのだ。

 

「私の発案じゃないわ。私は反対して……プロテゴ! 反対してるんだけど、ロンが犯人探しのためにどうしてもって言うのよ。プロテゴ!」

 

「犯人探しのため?」

 

「プロテゴ! スリザリン生に化けて、マルフォイのことを、プロテゴ! 探りたいんだって。……ねえ、もうちょっと優しく投げてくれてもいいのよ?」

 

「優しく投げたら練習にならないじゃないか。しかし……マルフォイ? 一ミリも関係のない名前が出てきたな。」

 

首を傾げて問いかけてみると、隣でハリーにボールをぶん投げていたロンが口を開く。ちなみにハリーは八割方を普通にキャッチしてしまっている。シーカーの性なのかもしれない。

 

「そうさ。マグル生まれを憎んでいて、スリザリンの継承者に相応しいクソ野郎。……ほら、どう考えてもマルフォイじゃないか。」

 

「キミね、青白ちゃんがバジリスクを制御できると思うのかい? 私なら一瞬で食われるほうに賭けるがね。」

 

マルフォイがバジリスクに命令している場面を想像するが……ほら、食われたぞ。ペロリと丸呑みだ。どうやらロンも同じ場面を想像したようで、ちょっとバツが悪そうな顔に変わった。

 

「それは……そうかもしれないけど。でも、確かめたところで損はしないだろ?」

 

「するよ、ロン。あの薬は作るのにバカみたいな時間がかかるんだ。キミにマグルの格言を贈ってやろう。『時は金なり』だよ。」

 

ロンはしばらくモゴモゴと言い訳を口にしていたが、やがて困ったような顔で口を開く。

 

「それじゃあ……リーゼは誰だと思うんだよ?」

 

「知らないし、どうでもいいよ。喧しい鶏どもがいる限り、どうせ馬鹿蛇はなんにもできやしないのさ。」

 

肩を竦めて言い放ってやると、ロンは微妙な表情でボール投げへと戻った。あの鶏どもは日に日に増え続けているのだ。下手したら馬鹿蛇はもうこの城にいないかもしれない。私がバジリスクならもっと住みやすい場所に引っ越してるぞ。

 

「どうかしらね? そろそろあの双子あたりが焼き鳥パーティーを開くわよ。みんなうんざりしてるんだもの。プロテゴ!」

 

「多少減ったところで問題ないさ。それより不用意に雌鶏を入れたやつを退校にすべきだね。殺猫未遂よりかはよっぽど迷惑な話だよ、まったく。」

 

「まあ、確かに賢い一手とは言えなかったわね。ヒヨコはかわいいんだけど……。」

 

「一羽なら、だろう?」

 

見当外れなことを言うハーマイオニーに突っ込んでから、一度ボールを集めるために杖を振る。

 

善意から鶏の数を増やそうと思ったのだろうが、間違いなくそいつの予想よりも増えてしまったのだ。今や廊下の至る所に卵が転がり、ヒヨコが列をなして歩いている。成長促進のための餌が裏目に出たらしい。

 

おまけに、バジリスクへの憎悪に染まったフィルチが鶏どもが増えるのを手助けしているのだから堪らない。せっせと巣箱を設置しまくった挙句、鶏を蹴飛ばす生徒を追いかけ回すのに夢中になっているのだ。あの男が鶏の守護神として祀られる日も近いぞ。

 

「アクシオ、ゴムボール。」

 

ついでにハリーとロンの分もボールを回収していると、ハーマイオニーが私のことをジッと見つめながら言葉を投げかけてきた。

 

「リーゼ、後でその呪文を教えてくれない? 練習に最適だわ。」

 

「プロテゴの練習のためにアクシオの練習をするのかい? 一つ一つやったほうがいいと思うよ、私は。」

 

勉強中毒のハーマイオニーにそう返していると、ようやくロングボトムの指導が終わったらしいアリスが近付いてくる。まあ……ロングボトムがフィネガンの投げるボールに滅多打ちにされているのを見る限り、指導を諦めたのかもしれないが。

 

「こっちはどうかしら? 上手く出来てる?」

 

「はい! 見ててください。」

 

自信満々に言うハーマイオニーが目線でボールをおねだりしてきた。うーむ、遊んで欲しい飼い犬みたいだな。益体も無い想像に苦笑しながらボールを投げてやると、彼女は二年生としては見事な盾の呪文でそれを防いだ。

 

「プロテゴ! ……どうですか?」

 

「お見事、ハーマイオニー。グリフィンドールに三点。」

 

「ありがとうございます!」

 

有頂天のハーマイオニーに頷いた後、アリスはハリーとロンへと向き直るが……二人とも気まずそうに目を逸らしている。まあ、練習している姿を見る限り、襲いかかるゴムボールを防ぐのは夢のまた夢だ。

 

「二人も一応見せてくれない?」

 

「えーっと……はい。プロテゴ!」

 

ハリーの額にゴムボールが激突したのを尻目に、褒められてご満悦なハーマイオニーへと声をかける。ふむ、こういうところも犬っぽいな。今度ブラシでもかけてやろうか?

 

「ハーマイオニー、呼び寄せ呪文の練習でもしてようか? 前言撤回するよ。キミなら両方同時でも大丈夫だ。」

 

「それはありがたいけど……貴女の練習はいいの?」

 

「プロテゴ。……ご覧の通りだよ。」

 

簡単に盾の呪文を成功させる私に、ハーマイオニーは感心したような顔になるが……やめてくれ。未だにその表情は私にダメージを与えるのだから。

 

内心で湧き上がってくる恥ずかしさに耐えながら、ハーマイオニーに振り方を教えるために杖を上げた。

 

───

 

授業が終わり、毎度のように鶏を蹴っ飛ばしながら四人で廊下を歩いていると、大広間の扉に張り紙が貼られているのが目に入ってきた。……決闘クラブ? 物騒な名前のイベントが五日後の夜に開かれるようだ。

 

「わお、カッコいいな。二年生も参加できればいいけど。」

 

早速とばかりに近付いていくロンの肩越しに読んでみると、どうやらフリットウィックが開催するらしい。助手にはアリスと……スネイプ? おやおや、是非とも見に行かないといけないな。仏頂面で嫌そうに参加してるに決まってる。

 

「大丈夫みたいだよ。ほら、ここ。」

 

ハリーの指差した箇所を見てみると、学年の制限はなく、見学のみも可能なようだ。かなりの生徒が集まりそうだな、これは。

 

他に読みたそうにしている生徒に場所を譲り、昼食の並ぶテーブルに座ったところで、ロンが身を乗り出して口を開いた。

 

「行こうぜ。」

 

「賛成だ。」

 

スネイプ見たさで真っ先に賛成してやると、ハリーとハーマイオニーも迷うことなく同意してくる。あんな面白そうなイベントを見過ごすわけにはいかない。上級生の決闘なら多少は楽しめるだろうし、スネイプがフリットウィックかアリスに吹っ飛ばされるところも見てみたいのだ。

 

「決まりだな。絶対にマルフォイをやっつけてやるぞ。今から呪文の練習をしておかないと……。」

 

「そうだね……僕も付き合うよ。まあ、ウッドに捕まらなきゃだけど。」

 

ハリーとロンはやる気満々だし、ハーマイオニーもコクコク頷いている。……なるほど、教師陣の狙いはこれか。次の防衛術や呪文学の授業は熱心な生徒で溢れることだろう。

 

ま、別に悪いことじゃない。ハリーが強くなってくれるなら私も大満足なのだ。リドルを嬲り殺すくらいになってくれないと困るのだから。

 

巨大な鶏肉を皿に取りながら、アンネリーゼ・バートリは内心でフリットウィックをちょっとだけ褒めるのだった。

 

 

─────

 

 

「ようやく終わったわ。」

 

目の前にあるホグワーツの図面を見ながら、アリス・マーガトロイドはため息混じりに呟いていた。長く、辛い作業だった。

 

あの作戦会議の後、小さな吸血鬼に助けを求めてみたところ、えらく的確なアドバイスが返ってきたのだ。曰く『パイプが怪しい』とのことだった。

 

その言葉に従って調べてみれば、ホグワーツ城には網目のように巨大な配管が張り巡らされていることが判明したのである。確かにここを通れば隠れることは容易いし、ハリーが聞いた声が壁から聞こえたというのも説明がつく。

 

そしてこの場所をバジリスクが利用している可能性がある以上、手をこまねいて放置するわけにはいかない。結果として教職員総出で無数のパイプに警戒魔法をかけまくることになったのだ。

 

パイプに響く独り言を背に、この忌々しい場所から出るために歩き出す。……まあ、ここはまだマシなほうだ。何故なら乾いているのだから。

 

最悪なのは雨水が入り込んだパイプだった。撥水魔法を全身にかけた状態でも、あのヌメヌメした場所を歩くのは至難の技なのだ。おまけにネズミの死体やらムカデやらが……うえぇ。思い出したくもないぞ。

 

無理やり開けた入り口から外に出て、修復魔法で壁を直す。何にせよ私の担当は終わりだ。これでもう配管工の真似事はしないで済む。

 

「レパロ、スコージファイ。」

 

一応服も綺麗にして……よし、終了! 大きく伸びをしてから、私室へ向かって歩き出した。今夜は決闘クラブの第一回目が開かれるのだ。助手を頼まれてしまった以上、その準備をしなくてはなるまい。

 

舞台はフリットウィックがどうにかすると言っていたから……えーっと、何が必要なんだ? 私の時代にはそんなクラブは無かったし、どうすればいいのかさっぱりだ。

 

一応傷薬くらいは準備しておいたほうが良いかと考えながら歩いていると……おや、向こうの方から俯き気味のジニーが歩いてくるのが見えてきた。

 

「あら、ジニー。どうしたの? 元気が無いようだけど。」

 

「アリスさん。えっと……。」

 

私の言葉に顔を上げたジニーは、少し迷った様子で何かを言いかけるが……結局言葉に出さずに首を振った。

 

「……いえ、大丈夫です。ちょっと具合が悪くって。」

 

「そうなの? ポピーに診てもらったほうがいいわね。私も一緒に行きましょうか?」

 

「一人で行けます。その……心配してくれてありがとうございました。」

 

ぺこりとお辞儀をすると、ジニーはそのまま歩き去ってしまう。具合が悪いと言っていたが……ふむ、悩みがありそうな感じにも見えた。授業では友人もできていたように見えたのだが、ちょっと気にかけたほうがいいかもしれない。

 

遠ざかる綺麗な赤毛を少しだけ見つめてから、再び私室へと歩き出した。

 

───

 

「スネイプ、その仏頂面をやめなさい。」

 

夕食後。決闘クラブが開かれる時間になると、いつもの長机の代わりに大きな舞台が準備された大広間へと徐々に生徒が集まってきた。その目はクラブへの期待でキラキラと輝いているが、正反対の表情をしている男が私の横に立っているのだ。言わずもがな、不満タラタラのセブルス・スネイプである。

 

スネイプは舞台の下に集まる生徒を冷ややかに見渡しながら、チラリと私を見て無表情で口を開く。

 

「私の表情は元よりこうなのです。」

 

「雰囲気が壊れるでしょうが。満面の笑みとは言わないから、少しは穏やかな表情にすることはできないの?」

 

「努力はしましょう。」

 

ダメだこりゃ。この男の笑顔というのは、ムーディのそれと同じくらい想像がつかない。諦めて小さくため息を吐いてから、再び集まった生徒の方へと向き直る。そろそろフリットウィックが開会の挨拶を始めるはずだ。

 

ヒョコヒョコと舞台の中央に歩み出たフリットウィックは、大仰に両手を広げながら生徒たちの方へと声を放った。

 

「ようこそ、決闘クラブへ! ここでは決闘における作法と礼節、そして相応しい呪文を学んでもらいます! もちろん、見学だけでも結構ですよ!」

 

キーキー声が響く中、生徒たちは真剣な表情で話を聞いているのが見える。授業でもああなら楽なのだが……。もうちょっと実技を増やすべきかもしれないな。

 

私が普段の授業態度との差を嘆いている間にも、フリットウィックの説明は続く。

 

「おっと、心配ご無用! 魔法使いの決闘について詳しくなくとも構いませんよ。今日は素晴らしいお手本を見せてもらえるのですから!」

 

言葉と共に手で合図してきたフリットウィックに従って、スネイプと並んで前に出る。おおっと、スネイプがより無表情になったぞ。今の顔をデスマスクにしたら、さぞ迫力があるだろう。

 

「助手を引き受けてくださった、マーガトロイド先生とスネイプ先生です! まずはこの二人の決闘の様子を見て、やり方について学びましょう!」

 

フリットウィックの声に従って、舞台の中央でスネイプと向き合って杖を眼前に立てる。リハーサルなんぞしなかったので今初めて分かったが、この身長差だとかなり滑稽に見えるんじゃないか? ……まあ、フリットウィックよりはマシか。

 

「このように、杖を目の前に立てて……振り下ろす! そして一礼した後、お互いに距離を取って──」

 

フリットウィックの解説通りに作法をこなし、お互いに舞台の端まで移動してから杖を構えた。うむ、ちょっと緊張してきたぞ。制限付きのデモンストレーションとはいえ、リーゼ様の前であんな小僧に負けるわけにはいかないのだ。

 

「──開始!」

 

フリットウィックの言葉を合図に、まずは牽制の無言呪文を数発放った。さすがにその程度は軽く捌いたスネイプは、お返しとばかりに武装解除術を放ってくる。

 

「エクスペリアームス!」

 

「プロテゴ、フルガーリ(閃光)!」

 

魔力を込めた有言呪文をこちらも盾の有言呪文で防いでから、煌めく光の縄を出現させてスネイプに巻きつけた。彼は少し焦った表情に変わるが、次の瞬間には冷静な声で自身に対して呪文を使う。結構やるじゃないか。

 

エマンシパレ(解け)サーペンソーティア(蛇よ)……オパグノ(襲え)!」

 

デパルソ(退け)!」

 

スネイプが生み出した蛇が襲いかかってくるのを一気に吹き飛ばしてやると……その隙にスネイプが大きく杖を振って、舞台の中央に生み出した炎で二人の間を分かった。

 

……うん、やってみてわかったが、これは決闘とは言えないな。殺傷能力のある呪文など勿論使えないし、舞台を壊すわけにもいかない。おまけに舞台ギリギリで見ている生徒たちに当たるような呪文も使えないのだ。

 

まあ、この辺で終わらせとくか。ちょっと短いかもしれないが、これ以上はグダグダになるだけろう。緊張してたのが馬鹿みたいだ。茶番を終わらせるために、手加減抜きのスピードで杖を振る。

 

パーテイステンポラス(道よ開け)……ブラキアビンド(腕縛り)!」

 

炎を吹き飛ばしたのと同時に数発の無言呪文を放ち、スネイプの対処が一手遅れた瞬間に本命の腕縛りを撃ち込んだ。

 

「ぐっ……。」

 

スネイプが後ろ手に縛り上げられたのを見て、フリットウィックが拍手をしながら口を開く。

 

「お見事! さあ、皆さんも素晴らしい模擬戦を見せてくれた二人へ拍手を!」

 

キラキラした瞳で拍手する生徒たちに苦笑しつつ、拘束を解くためにスネイプに近付いて呪文を唱えた。苦々しげな表情だが……こいつ、本気を出さなかったな? 別に負けるとは思わないが、さすがにちょっとヌルすぎたぞ。

 

「エマンシパレ。……手を抜いたわね? スネイプ。」

 

「お互い様ですな。これは貴女の本来の戦い方ではないのでしょう? 七色の『人形使い』どの。」

 

「あら、人形有りだと勝負にならないわよ。」

 

鼻を鳴らして言い放ってから、勝負を解説しているフリットウィックへと向き直る。この男は手の内やら内心やらを隠す癖があるらしい。そんなんだから嫌われるんだぞ。

 

さて、フリットウィックの解説が終われば、いよいよ生徒たちの実技が始まる。そうすれば絶対に厄介なことになるだろう。訳の分からない呪いを受ける生徒で溢れるに違いないのだ。

 

楽しそうに実技の説明を始めたフリットウィックを見ながら、アリス・マーガトロイドはほんの少しだけため息を吐くのだった。

 



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第二の事件

 

 

「やったぜ、いい気味だ!」

 

ロンが嬉しそうに歓声を上げるのを尻目に、アンネリーゼ・バートリは小さなため息を吐いていた。アリスとスネイプの決闘はイマイチな終わりを迎えたのだ。

 

二人とも明らかに手加減をしていた。まあ……そりゃあ、よく考えれば本気で闘うはずないか。爆破呪文どころか失神呪文も無しだったし、お互い制限された中での決闘だったのだろう。

 

とはいえ、生徒たちは顔を輝かせてヒソヒソと決闘の内容について話している。この年頃の子たちにとっては、充分に見応えのある決闘だったらしい。

 

「お見事! さあ、皆さんも素晴らしい模擬戦を見せてくれた二人に拍手を!」

 

キーキー声で拍手を促すフリットウィックを尻目に、隣で手帳にペンを走らせているハーマイオニーに話しかける。チラリと見れば、使われた呪文を書き込んでいるようだ。あんなマイナーな呪文を勉強しても役に立たんぞ。

 

「それじゃ、私は見学組の方に行ってくるよ。」

 

「あー、私もそうするわ。ハリーとロンは……参加するみたいね。」

 

「そのようだね。やる気満々じゃないか。」

 

ロンは興奮して拍手しているし、ハリーは後ろ手に腕縛りを受けたスネイプを心底嬉しそうに見つめている。今のハリーなら喜んでクリービーの写真にサインするだろう。なんたって、彼はスネイプの姿を激写していたのだから。

 

ハーマイオニーと一緒に端っこの椅子に座りながら、フリットウィックの解説をメモする彼女に話しかける。

 

「でも、参加しなくてよかったのかい? キミはこういうのが好きだと思ってたんだが。」

 

「私って運動は……うん、ちょっとだけ苦手なのよ。最初は見学してみて、大丈夫そうなら参加するわ。」

 

運動とはちょっと違うように思うが……まあ、反射神経が必要なのは確かだろう。ふむ、そう考えればハリーは結構活躍できるかもしれないな。クィディッチの試合を見る限りでは、彼の反射神経はずば抜けているのだ。

 

「……では、四人組になってください! 二人が試合を、二人が審判を交代交代で行います。それと、危険な呪文は使わないように! 『本気で』決闘をしたい者は私に申請しなさい。教師の監督の下、中央の舞台で行なってもらいます!」

 

解説を終えたフリットウィックの声で、生徒たちがそれぞれグループを組み始めた。こういうことをすると……ほらみろ、ルーナが一人ぼっちで恨めしそうにフリットウィックを睨んでいる。

 

まったく、何年教師をやってるんだ。思わず頭を押さえながら、隣のハーマイオニーに向かって口を開いた。

 

「すまないが、ルーナに助け船を出すのを手伝ってくれないか? あと一人……ロングボトムがいいな。この面子なら気楽にやれるだろう?」

 

「ルーナに? ……まあ、身内だけなら構わないわ。それなら多少失敗しても恥ずかしくないしね。」

 

チラリとルーナの方を見て状況を把握したらしいハーマイオニーは、苦笑しながら了解の返事を返してくれる。それに軽く礼を言ってから、ぽつんと立っているルーナとオドオドとウロつくロングボトムに向かって声を放った。

 

「ルーナ、ロングボトム! こっちだ!」

 

ちょっとだけ嬉しそうに近付いてきた二人に対して、空いているスペースを指差しながら口を開く。

 

「あの辺りでやろうか。……大丈夫だ、ロングボトム。別に本気でやろうってんじゃないさ。お試しだよ。」

 

心配そうなロングボトムに言ってやってから歩き出すと、後ろから素っ頓狂な自己紹介が聞こえてきた。

 

「うん、それなら安心だ。えっと……僕、ネビル・ロングボトム。よろしく。」

 

「ルーナ・ラブグッドだよ。ネビルはラスティットを知ってる?」

 

「ラス……?」

 

「ラスティット。すっごい大きな動物で、触手を使って決闘をしてる魔法使いをくすぐってくるんだよ。それで呪文を唱えられなくなって、死んじゃった魔法使いが沢山いるんだ。」

 

なんだそりゃ? ルーナが正体不明の極悪生物の説明を終えたあたりで、空いているスペースにたどり着く。さて、誰からやるんだ? 目線で問うてみると、ハーマイオニーが肩を竦めながら口を開いた。

 

「最初は私とリーゼでやりましょうか。えっと……手加減してよ?」

 

「それなら適当にルールを決めようか。そうだな……軽めの衝撃呪文と盾の呪文だけでやるってのはどうだい?」

 

怪我なし意味なし危険なしの決闘ごっこだ。……そこまでいくと何のためにやるのかさっぱりだが。とはいえ安全性を買われたらしく、ハーマイオニーとロングボトムは大賛成という具合に頷いている。

 

残ったルーナに目線を送ってみると、彼女は困ったように首を傾げながらポツリと呟いた。

 

「ン、私、まだあんまり呪文を使えないんだ。盾の呪文は使えないや。」

 

「おっと、そうだった。キミは一年生だったね。それなら……いや、問題ないか。ロングボトムも使えないだろう?」

 

「あー、うん。」

 

情けなさそうに答えるロングボトムも、盾の呪文なんか使えないはずだ。でなきゃアリスはあんなに苦労していない。

 

「それなら大丈夫。衝撃呪文は使えるもん。」

 

ふんすと鼻を鳴らして言うルーナに苦笑してから、ハーマイオニーに向き直って杖を構える。そのまま合図を待とうと思ったら、彼女は杖を眼前に立ててこちらを促してきた。……おいおい、そこからやるのか。

 

杓子定規な友人に内心で呆れながらも、仕方なく付き合って一通りの作法をこなす。まあ、こういう儀礼的な感じは嫌いじゃない。演劇の役者になったようで気分が良いのだ。

 

距離を取って再び杖を構えたところで、ロングボトムが合図の言葉を放った。

 

「はじっ、始め!」

 

うーん、締まらないな。私がロングボトムに呆れた視線を注いでる間にも、ハーマイオニーが呪文を撃ち込んでくる。

 

「フリペンド!」

 

「おっと。」

 

「フリペンド、フリペンド! ……フリペンド! 避けないでよ、リーゼ!」

 

ひょいひょいと避けていると、ハーマイオニーがぷんすか怒りながら文句を言い放ってきた。

 

そんなことを言われても、身体が勝手に動いてしまうのだ。夏休みにやっていたレミリアとの弾幕ごっこの後遺症かもしれない。

 

「いやぁ、勝手に避けてしまうんだよ。」

 

「フリペンド! ……もう! おちょくられてる気分だわ! フリペンド!」

 

「いやいや、そんな気は無いよ。えーっと……プロテゴ。」

 

大人の魔法使いなら有言呪文の合間に倍以上の無言呪文が飛んでくるが、残念ながらハーマイオニーはピッカピカの二年生だ。言葉の分しか呪文が飛んでこない以上、弾幕に比べればあまりにも避けやすい。

 

そのままちょっとだけ練習に付き合った後、適当な頃合いで弱めの衝撃呪文を撃ち込んだ。

 

「プロテゴ……フリペンド。」

 

「プロ、あう。」

 

盾の呪文が間に合わず、可愛らしい声を上げて尻もちをついたハーマイオニーは、こちらを恨めしそうに見ながら口を開いた。

 

「……やっぱり私には向いてないわ。」

 

「まだ一回目じゃないか。ほら、立ってロングボトムたちと交代だ。」

 

苦笑いで手を差し伸べると、不承不承という表情で私の手を取ってくれる。どうも失敗してしまったらしいが……ちょっとわざとらしすぎたか? とはいえ、まさか本気でやり合うわけにもいくまい。なんとも力加減が難しいもんだ。

 

───

 

数回交代しながら決闘ごっこを終わらせたところで、中央のステージから声が上がるのが聞こえてきた。何度目かの『本気の』決闘が行われるらしい。

 

私やハーマイオニーどころかルーナにまで負け越して自信喪失中のロングボトムが、そちらを見ながら驚いたように声を上げる。

 

「ハリー?」

 

何? 思わず私も目線を送ると……おいおい、何をしているんだ、ハリー・ポッター。彼は何故か舞台に上がって、スネイプから耳打ちされているマルフォイと睨み合っている。

 

「本当。何がどうなってああなったのかしら?」

 

「どうせロンかマルフォイのどっちかが喧嘩を吹っかけたんだろうさ。ハリーが舞台に立つ理由は知らんがね。」

 

目を見開くハーマイオニーに答えてから、練習を中断して舞台へと近寄る。中央の舞台ではこれまで数度の試合があったが、どれも『本気で』やってるにしては少々お粗末な内容だった。

 

理想と現実の乖離を受けて、生徒たちはあの舞台を敬遠し始めたところだったのだが……新たなチャレンジャーが現れたせいで、半分ほどの生徒が練習をやめて舞台へ視線を注いでいる。

 

進んで晒し者になるとは、なんとも特殊な嗜好をもってるな。呆れた目線をハリーに注いでいると、私とハーマイオニーの間からひょっこりルーナが顔を出した。

 

「ハリー・ポッターだ。強いの?」

 

「どうかな。少なくとも盾の呪文はまともに使えないよ。」

 

同世代では呪文の扱いが上手い方だが、飛び抜けて優秀というわけでもない。私が見る限りではマルフォイよりは上だと思うが……スネイプのヒソヒソ話が気になるな。

 

ハーマイオニーも同じことを考えていたらしく、マルフォイの方を嫌そうに見ながら話し始めた。

 

「どうせスネイプが入れ知恵してるに違いないわ。卑怯よ。」

 

そしてハリーも心配そうにそれを見るが、残念ながらフリットウィックは審判の位置について能天気そうに笑っているし、アリスは向こうで他の生徒を指導している。生き残った男の子は孤軍の憂き目に立たされたらしい。

 

まあ、スネイプが何の呪文を教え込んでいるかは知らないが、死の呪文やら磔の呪文でないことは確かだ。放つのがマルフォイな以上、そうそう酷いことにはならないだろう。

 

早くもロングボトムが顔を覆い始めたあたりで、ようやく二人の決闘が始まった。作法をこなした後、距離を取って向かい合う。

 

「はじ──」

 

ファーナンキュラス(鼻呪い)!」

 

フリットウィックが合図を言い終わる前に、フライング気味に呪いを放つマルフォイだったが……おや、ハリーは見事にそれを避けて杖を振った。今のは当たったと思ったのだが。やっぱり反射神経がいいな。

 

ペトリフィカス・トタルス(石になれ)!」

 

「プロ、くそっ、デパルソ!」

 

防ぎ損ねたハリーの呪文をギリギリで避けたマルフォイだったが、ちょっと無理な体勢のままで次なる呪文を放った。

 

それを倒れ込むように避けたハリーが呪文を放つのと同時に、マルフォイも思いっきり杖を振る。

 

リクタスセンプラ(笑い続けよ)!」

 

タラントアレグラ(踊れ)!」

 

交差した呪文は同時に両者に激突して……うーん、お粗末。ハリーは杖も振れないほどの勢いでダンスを踊っているし、マルフォイは息も絶え絶えに笑い転げている。喜劇ならいい線をいっているが、『本気の』決闘としてはお粗末にすぎるな。

 

どうやらハリーの鼻にできものが出来るのを楽しみにしていたらしいスネイプは、かなり残念そうにため息を吐いている。それを呆れ果てた視線で見つめていると、隣のハーマイオニーが微妙な表情で声を上げた。

 

「まあ、こんなもんよね。」

 

「その通り、こんなもんさ。それじゃ、練習に戻ろうか。」

 

首を振りながら返事を返すと、ハーマイオニーは小さくため息を吐きながら頷いた。彼女にとっても拍子抜けの勝負だったらしい。

 

「もう終わった? ハリーは生きてる?」

 

「ンー、生きてるけど、ダンスのセンスはないみたい。ボウトラックルの求愛みたいなダンスだもん。」

 

ロングボトムとルーナの気の抜けるようなやり取りを尻目に、アンネリーゼ・バートリは再び意味なし決闘のために杖を振り上げるのだった。

 

 

─────

 

 

「──からも分かるように、熟練の魔法使いに対してはこの呪文は意味を成さないわ。要するに、沈黙呪文を放っている暇があるなら攻撃しろってことね。」

 

無言呪文による沈黙呪文への対処法を話しながら、アリス・マーガトロイドは黒板を叩いていた。

 

先日の決闘クラブ以来、生徒たちの真剣さが増している気がする。なんか負けたような気がして情けないが、とにかくフリットウィックの発案は成功を収めたようだ。

 

まあ、そもそも六年生の授業だけあって、さすがにお喋りをするような生徒は一人もいない。一年生の授業とは大違いだ。……あれはあれで可愛らしいが。

 

「次に、教科書の百十二ページを開いて頂戴。ここには数少ない沈黙呪文を有効に使った記録が載っているわ。ゲラート・グリンデルバルドが周囲を丸ごと沈黙させた例ね。」

 

黒板に『有言呪文』とデカデカと書いてから、それに大きくバッテンを加える。

 

「スイスの闇祓いたちに囲まれた彼は、自分以外の全てを沈黙させることで有言呪文を封じたの。お陰でグリンデルバルドの強力な呪文に対抗しきれなくなった闇祓いたちは、結局彼を取り逃がすことになったわ。」

 

私でもビックリするような使い方だ。ダンブルドア先生といい、グリンデルバルドといい、頭一つ抜けた魔法使いというのは呪文の使い方が非常に上手い。こちらが想定しない使い方をしてくるのだ。

 

内心ちょっとだけ感心しつつも、説明を続けるために口を開く。

 

「当然ながら非常に稀な例よ。そもそも空間全体に沈黙呪文をかけるのは至難の業だし、多数に囲まれた状況ではこれをやっても普通は戦えないわ。基本的には沈黙呪文は役に立たないと思っておいて頂戴ね。」

 

そこまで話したところで、授業終了のベルが鳴った。学校っぽいかなと思って取り付けてみたのだが……うん、結構便利だ。マクゴナガルにも教えてあげようかな。

 

そわそわし始めた生徒たちに苦笑しつつ、授業を終わらせるために声を上げる。

 

「それじゃ、今日はここまで。それと、次の授業までに盾の無言呪文を練習しておくこと! テストするからね。」

 

ちょっとだけ嫌そうに了承の返事を上げた生徒たちは、ゾロゾロと教室から出て行く。それを尻目に授業の後片付けをしていると、グリフィンドールの生徒が質問してきた。

 

「マーガトロイド先生、習得する無言呪文について、おすすめを聞きたいんですが……。」

 

パーシーだ。どちらかといえば努力タイプの彼は、授業の終わりには必ず質問をしてくる。次の授業ではきっちりアドバイスを活かしているあたり、かなりの努力をしているらしい。

 

モリーの教育に拍手を送りつつ、質問に答えるために口を開いた。

 

「そうね……盾、失神、妨害あたりは定番よ。それ以外は進路によって変わってくるわね。」

 

「一応、魔法省に就職希望です。細かい部署は決めてませんけど……。」

 

「それなら腕縛り、武装解除あたりは喜ばれるわよ。他には無言呪文だと厳しいかもだけど、守護霊と開心術、忘却術あたりが使えれば引く手数多ね。どの部署だって迎え入れてくれるわ。」

 

防衛術の範囲内ではこんなところだろう。最後の三つは無言呪文どころか習得すら厳しいだろうが、パーシーなら卒業までに一つか二つは習得できるかもしれない。

 

私の返答に満足したようで、パーシーは笑顔でお礼を言ってきた。

 

「はい、その辺を集中的に練習してみます。ありがとうございました。」

 

「どういたしまして。……そういえば、ジニーに変わった様子はないかしら? 最近ちょっと元気がないように見えるのだけど。」

 

思い出した疑問を放ってみると、パーシーの顔が少しだけ曇る。どうやら彼にも思い当たる節があるようだ。

 

「僕も少し気になってまして……一応聞いてはみたんですが、話してくれないんです。」

 

「そう……。私も気にかけてみるから、注意して見てあげてね。慣れない生活で疲れてるのかもしれないわ。」

 

「勿論です。わざわざすみません、マーガトロイド先生。」

 

恐縮したようにお礼を言ってくるパーシーだが、このくらいは当然のことだ。別に贔屓しようってんじゃないし、教師の仕事の範疇だろう。

 

「知らない仲じゃないんだし、当然のことよ。気にしないで頂戴。」

 

もう一度お礼を言ってから出て行くパーシーの後ろ姿を見送りながら、赤毛の少女について考える。

 

ホグワーツでの新しい生活に戸惑う一年生は結構多い。特にこの時期は家が恋しくなる生徒が多く出てくる時期なのだ。もしかするとジニーもそのクチなのかもしれない。

 

もうすぐクリスマス休暇だし、そこで元気を取り戻してくれれば良いのだが……。

 

心のメモ帳にジニーへのクリスマスプレゼントを探すことを書き込みつつ、杖を振って午後の授業の準備をしておく。午後の最初は四年生の実技テストだ。いくつかクッションを用意しておかないと、また失神した後に頭を打つ生徒が出てしまう。

 

十数分かけて準備を終わらせた後で、ようやく昼食を取るために私室へと向かって歩き出した。マズいな、リーゼ様を待たせているかもしれない。

 

自然と早足になって廊下を歩いていると……あれは? 曲がり角に赤いシミが見えてきた。また双子がトマト爆弾でも使ったか?

 

先日二階の階段で爆発した時は酷い有様だったのだ。本人たちはバジリスク対策だと主張していたが、バジリスクとトマトの関係性は誰一人として見出せなかった。

 

呆れて近付いたところで……違う、血だ。すぐさま杖を取り出しながら、常に携帯している人形二体を先行させる。

 

「上海、蓬莱!」

 

名前を呼びながら魔力の糸で命令を伝えると、二体の人形は警戒しながら曲がり角の先を確認して……よし、安全だ。両手で大きな丸を作っている。

 

二体に周囲を警戒させながら急いで生徒へと近付くと……パーシー! 話したばかりの赤毛の青年が、血塗れになって倒れている。ゾワリと背筋を走る悪寒に耐えながら、胸に走る大きな傷跡へと杖を当てた。

 

「エピスキー!」

 

急いで応急処置をするが……くそ、一向に傷が塞がる様子はない。だったらこれだ。懐からパチュリー印の傷薬を取り出して、彼の傷口へと慎重に振りかける。

 

一滴、二滴……よし、いいぞ。みるみるうちに塞がる傷を見て安堵の息を漏らしつつ、急いで医務室に運ぶべく慎重にパーシーの身体を浮かせた。現場を見る限り、かなりの血を失ったはずだ。急ぐに越したことはない。

 

「上海、蓬莱、あなたたちはここを警備しておいて頂戴。生徒を立ち入らせちゃダメよ?」

 

ビシリと敬礼した二体に頷きを返して、医務室へと全力で走り出した。

 

───

 

「マーガトロイドさんが通りかかって本当に良かった。もう少し血を失っていたら危なかったかもしれませんわ。」

 

ベッドに横たわる青白い顔のパーシーに増血薬を飲ませながら、ポピーが心底安心した様子でそう言った。意識は未だ戻らないが、この様子なら大丈夫だろう。

 

私も一安心だ。もしもう少し遅かったらと思うとゾッとする。今回はパチュリーに感謝せねばなるまい。……今回も、だな。

 

ベッドの隣に置かれた椅子へと座り込むと、薬を飲ませ終わったポピーが話しかけてきた。

 

「しかし……癒せない切り傷ですか。聞き覚えがありますね。」

 

「……そうね。でも、前回使ったイカれ女はアズカバンの中よ。これから一生ね。」

 

「当然です。二度と出てくることはないでしょう。そうあってもらわないと困りますわ。」

 

ベラトリックス・レストレンジ。あの女には、精々苦しんで死んでもらわねば困るのだ。脳裏に浮かぶイラつく顔を振り払いながら、傷について思考を回す。

 

確かに昔テッサが受けた傷に似ていた気がする。癒しの呪文が効かない傷というのは珍しいわけではないが……どうも気にかかるな。

 

それはポピーも同じなようで、神妙な顔で口を開いた。

 

「バジリスクではありませんね。あの蛇の牙だとすれば、即死しているはずです。つまり、やったのは──」

 

「残念ながら人間ね。侵入者だとは思いたくないけど、教師や生徒だとも思いたくないわ。キツい展開よ、これは。」

 

一番大きな可能性は、『部屋』を開けた何者かが犯人であることだ。しかし……何故パーシーを? そこが全く分からない。

 

第二の可能性はしもべ妖精だが、こちらにもパーシーを襲う理由などないはずだ。陽動か? いや、それにしたって意味がなかろう。むしろ警戒させるだけのはずだ。

 

ダメだな、ここで考えていても仕方がない。既にダンブルドア先生には連絡を入れたし、私は現場に戻って調べてみよう。

 

「私はもう一度現場に行ってくるわ。何か痕跡が残ってるかもしれないし。」

 

「分かりました。……心配はいらないと思いますが、お気をつけてください。」

 

「ありがとう、ポピー。パーシーを頼むわね。」

 

心配そうなポピーに頷いてから、医務室を出て歩き出す。恐らく午後の授業は中止だ。つまり、調べる時間は山ほどある。

 

廊下を早足で歩いてると、現場の方から足音が近付いてきた。思わず杖を抜いて警戒するが……大丈夫、リーゼ様だ。杖を下ろして走り寄ると、彼女は苦笑しながら話しかけてきた。

 

「ああ、ちょうど迎えに行こうかと思ってたんだよ。キミの人形が現場を封鎖しててね。通してくれないんだ。」

 

「それは……申し訳ありません。あの子たちはまだちょっと融通が利かないようで。」

 

そういえば『生徒』を通すなと命令したっけ。一応リーゼ様も生徒だし、上海たちは命令を遵守したようだ。今度例外の設定をしておく必要があるな。

 

「まあ、構わないさ。パーシーは? 無事なんだろう?」

 

歩きながら聞いてくるリーゼ様に、しっかりと頷いて返事を返す。

 

「無事です。しかし傷は……恐らく人間の手によるものでした。」

 

「ふぅん? ……今年も厄介ごとが盛りだくさんなわけか。うんざりするね、まったく。」

 

やれやれと首を振りながら言うリーゼ様と共に、未だ血溜まりの残った現場へとたどり着く。さて、とりあえずは上海と蓬莱に言い聞かせてやらねば。

 

「上海、蓬莱、今度からリーゼ様は通して構わないわ。分かった?」

 

コクコク頷く二体に満足していると、その間に現場を見回していたリーゼ様が口を開いた。

 

「んー、やっぱりそれらしい痕跡はないね。壁に呪文が当たった跡もないし、出会い頭に一発か……もしくは後ろから食らったかな?」

 

「いえ、傷跡は胸にありました。背後からではないはずですけど……パーシーは優秀な生徒ですし、反撃の跡が全くないのは少し変です。何にせよ、意識が戻ってからじゃないと分からなさそうですね。」

 

得られる情報はあまり無さそうだ。分かっているのは、それなりの腕の魔法使いだということだけである。どんな呪文にせよ、癒せない以上は簡単な魔法ではあるまい。

 

「とにかく、また対処法を練る必要があるな。この件に関しては鶏どもが役に立つとは思えない。」

 

「防衛魔法の点検と、生徒の引率。仕事がどんどん増えそうですね。」

 

リーゼ様が苛々と言うのに返事をしてから、とりあえず血溜まりを消すために杖を振り上げる。さすがにフィルチに任せるのは可哀想だ。

 

次から次へと起こる事件を思いながら、アリス・マーガトロイドは大きくため息を吐くのだった。

 



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マリオネット

 

 

「マルフォイだ!やっぱりポリジュース薬を作ろう!」

 

ロンのひそひそ声で叫ぶという妙技に感心しながら、アンネリーゼ・バートリは先程と同じ返事を返していた。もう『マルフォイ犯人説』は聞き飽きたぞ。

 

「マルフォイじゃないし、ポリジュース薬もいらないよ。彼はハリーにダンスの指導をするのが精一杯なんだ。犯人なわけがないだろう?」

 

パーシー切り裂き事件から一夜明けた現在、生徒たちは談話室に『監禁』されている。安全確認が終わるまでは外出禁止となったのだ。今頃は教師たちが不眠不休で城中を調べ回っていることだろう。

 

昨夜は食事も喉を通らない様子のロンだったが、今朝ようやく目覚めたパーシーに会って元気を取り戻したらしい。戻ってきてサンドイッチを食べまくったかと思えば、いきなり犯人への怒りに燃え始めたのである。

 

ちなみにパーシーは何も覚えていなかった。昼食へ向かうために廊下を歩いていたところ、いきなり視界が真っ暗になったそうだ。胸の傷は一瞬で気を失うようなものじゃないし、最初に失神呪文でも放ってからゆっくりと切り裂いたのかもしれない。うーむ、そう考えると結構残酷な犯行だな。

 

お陰でグリフィンドール寮では犯人探しが大流行りなのだ。大半がバジリスクだと思っていて、牙の毒に考えが回る少数がそれを否定している。明日あたりには周知されることだろう。

 

暖炉の傍で人垣に囲まれている双子を見ながら激動の一夜について考えていると、青白ちゃんからダンスレッスンを受けたハリーが申し訳なさそうに口を開く。

 

「うーん、僕もマルフォイじゃないと思うよ。出来ればやってると思うけど、マルフォイに出来るとは思えない。」

 

「それじゃあ……誰なのさ。スネイプ?」

 

「パーシーを襲う理由がないよ。まあ、僕がやられたんならスネイプだろうけど。」

 

ハリーが被害者じゃなくてよかったな、スネイプ。危うく『セブルス・ザ・リッパー』になるところだったぞ。今頃必死に安全確認をしている報酬がそれでは堪るまい。

 

スネイプの相変わらずな不人気さに苦笑していると、物凄いスピードで本を捲っていたハーマイオニーがポツリと呟いた。

 

「これは関係ないかしら? リヴァプールで起きた切り裂き事件なんだけど……違うわね。三百年も前の事件だったわ。」

 

おいおい、何を読んでるんだ? チラリと表紙を見てみれば……『イギリス魔法事件史』? 調べるにしたって、もっと本を絞り込めなかったのか。

 

ハーマイオニーのチョイスに呆れていると、談話室の隅で真っ青な顔をしている少女が目に入ってきた。ロンの妹、ジニーだ。……大丈夫なのか? あれ。今にも自殺しそうな表情じゃないか。

 

「ロン、キミの妹もパーシーが目覚めたことは知っているんだよな? 随分と青い顔だが……。」

 

「ん? あー……どうもショックを受けちまったみたいなんだ。パパやママと一緒に医務室で無事を確認したんだけど、それでもずっとあんな調子なんだよ。」

 

「元気付けてあげたまえよ。妹だろう? 犯人探しよりはそっちを優先すべきだと思うね、私は。」

 

「それは……そうだな。」

 

頭をポリポリ掻きながら頷いたロンは、ジニーの方へと歩いて行く。一年生にはショックな事件だったろうし、身内が被害者なら尚更のことだ。

 

私がぼんやりジニーの方を見ていると、同じく心配そうに彼女を見ていたハリーが口を開いた。ちなみに隣のハーマイオニーは未だ本に夢中だ。絶対に犯人は載っていないと思うぞ。

 

「『部屋』の件とこの事件、関係あると思う?」

 

「そりゃあ、無関係だとは思い難いね。キミだってそう思うだろう?」

 

「うん。バジリスクの対処が思ったよりも早かったんじゃないかな。それで焦った犯人が、自分の手で生徒を襲った。……どうかな?」

 

『名探偵ポッター』再びだ。ハリーの推理に、ハーマイオニーが本に目を落としたままで同意する。

 

「その可能性は高いわね。問題は犯人が誰かってことよ。前の事件の犯人が分かればヒントになるんだけど……これには載ってないみたいね。」

 

ああ、そっちを調べてたのか。『ホグワーツの歴史』やら『近代魔法犯罪集』やらを最近は熱心に読んでいたのだが、とうとうイギリス全土の事件集に手を出し始めたらしい。迷走するにも程があるな。

 

私が謎のチョイスについて納得していると、ハーマイオニーは本を閉じて首を振る。どうやら諦めたようだ。

 

「ダメ。マーガトロイド先生もハグリッドも詳しく話してくれなかったし、お手上げだわ。」

 

公的にはハグリッドが犯人ということになっているのだ。そりゃあ二人とも言い淀むだろう。全部説明するのにはリドルとヴォルデモートの関係やらも話さねばならないし、面倒くさくなったのかもしれない。

 

両手を広げてバッタリとソファに倒れ込んだハーマイオニーに苦笑しながら、残念そうなハリーに向かって言葉を投げる。

 

「ま、教師陣に任せておこう。バジリスクだってどうにか出来たんだ。切り裂き魔だってなんとかしてくれるさ。」

 

「うん……そうだね。」

 

実際はバジリスクよりも厄介な相手だが、探偵ごっこをされるのはもう御免なのだ。馬鹿蛇、イカれしもべ妖精、切り裂き魔。ただでさえ問題が多いのに、これ以上は抱えきれない。

 

一年生の時よりも面倒な状況に嘆息しながらも、アンネリーゼ・バートリは一応は納得した様子のハリーに頷きを返すのだった。

 

 

─────

 

 

「その必要はないわ。」

 

魔法大臣の執務室へとノック無しで踏み込みながら、レミリア・スカーレットは部屋に居る二人に言い放っていた。……ギリギリ間に合ったようだな。急いで来てよかった。

 

執務机越しのコーネリウス・ファッジと、それに詰め寄っているルシウス・マルフォイ。いきなり入ってきた私にコーネリウスは安心したような顔を、マルフォイは憎々しげな表情をそれぞれ向けてくる。ふーむ、実に対照的な反応じゃないか。

 

断りなしで応接用のソファの上座にどっかりと座り込みながら、未だ言葉を発さない二人に向かって口を開く。

 

「ホグワーツの件はダンブルドアが全て掌握しているわ。魔法省の介入は不要よ。」

 

「これはこれは、スカーレット女史。……生徒が一人襲われたと聞きましたが? それも校長が『掌握』した結果なのですかな?」

 

冷たく返事を返してくるマルフォイは、ホグワーツの事件に介入したくてたまらないのだ。どうもダンブルドアを校長から引き摺り下ろすためにコソコソ動いているらしい。

 

コーネリウスから彼が面会を希望しているとの報告を受けた私は、急いでそれを妨害しに来たわけである。冷や汗ダラダラの魔法大臣を見る限り、タッチの差で間に合ったようだ。

 

「そもそも、貴方に何の権限があって口を出してくるのかしら? おかしいと思わない? コーネリウス。」

 

「へ? あー……そうですな、確かにその通りです。」

 

イギリス魔法界のトップだけに許された席に座るコーネリウスは、私の問いかけに対して慌てて同意してくる。よしよし、今日もちゃんと『ゴマすり君』は機能しているらしいな。

 

マルフォイにとっては残念なことだろうが、コーネリウスは私の犬だ。でなきゃこんな無能が魔法大臣になどなれるはずがない。人脈やら献金やらを融通してやった結果、今では事あるごとに私に確認を取ってくるようになった。立派な操り人形の出来上がりってわけだ。

 

私とコーネリウスのやり取りを見たマルフォイは、僅かに怯んだ様子を見せるが……どうやら諦める気はないらしい。冷静な顔を取り繕って反論してきた。

 

「私はホグワーツの理事なのですよ。生徒たちの安全のためにも、あの学校に介入する義務がある。」

 

「あら、奇遇ね? 私もホグワーツの理事なのよ。意見が食い違っちゃったわけだし……理事会を開きましょうか?」

 

ホグワーツの理事は十二人。正直言って理事会への影響力にはそれほど自信ないわけだが、ダンブルドアと協力すれば過半数は取れるはず……取れるよな?

 

ちょっと自信がなくなってきたのをおくびにも出さずに睨みつけていると、やがてマルフォイは私から目を逸らした。彼もあまり自信がないようだ。ハッタリ勝負なら負けんぞ。

 

「それは……必要ないでしょう。理事会の方々にお手数をかけるほどのことではありますまい。……ではせめて、前回の事件の犯人を拘束していただきたい。未だホグワーツに置いているなど、狂気の沙汰としか思えませんぞ。」

 

ぐぬ、今度はこっちが怯む番か。どうやらマルフォイはちゃんと下調べしてからこの場所に来たようだ。一番突っ込まれたくないところを攻めてきた。

 

確かに前回の犯人とされている以上、ハグリッドをホグワーツに置いておくのには無理がある。さすがに誰も納得すまい。今はあまり知られていないから誰も騒いでいないが、表沙汰になれば保護者からのバッシングが厳しくなるはずだ。

 

私はまあ、別にアズカバンで休暇を取らせてもいいと思うのだが……ダンブルドアやアリスが嫌がるのは容易に想像できる。である以上、はいそうですねと言うわけにもいかないのだ。

 

脳内で対応策を練りながら、時間稼ぎのために口を開いた。

 

「それはダンブルドアが決めることじゃなくって? 職員の任命と解任に関しては彼の領分だわ。」

 

「平時ならそうでしょうが、今は非常時です。同じ事件が起こり、前回の犯人が事件の起こった場所に居る。私には取り調べないことが不思議でなりませんな。」

 

はい、ごもっとも。……うー、ヤバいぞ。これをひっくり返そうとすれば、かなり強引な手に出る必要がある。やってやれないこともないが……うん、諦めよう。

 

ゴリ押しすればいつか反動が返ってくるのだ。その機会はリドルの対処に取っておくべきであって、ハグリッドを救うために使うわけにはいかない。アズカバンに行ったって死ぬわけじゃないんだし、事件が解決すれば戻って来られるだろう。

 

「……分かったわ。ダンブルドアは残留、ハグリッドは拘束。それを落とし所にしましょう。」

 

「さすがはスカーレット女史だ。話が早くて助かりますな。」

 

皮肉混じりに言うマルフォイも、ほんの少しだけ安心した様子だ。魔法大臣に話をつけに来たのに、何の成果も得られないのではさぞ外聞が悪かろう。一応の成果を手に入れて安心したわけか。

 

「それでは、当局への連絡は頼みましたぞ、魔法大臣。私はこれで失礼させていただく。」

 

意気揚々とドアから出て行くマルフォイを苦々しく見詰めながら、アリスに対する言い訳を考え始める。ダンブルドアはどうでもいいが、アリスを悲しませると怖い保護者が出てくるのだ。咲夜も懐いていることだし、下手すると嫌われちゃう可能性すらあるぞ。……ヤバい、冷や汗が出てきた。

 

私がいきなり訪れた危機をどう乗り越えるかを考えていると、オドオドとコーネリウスが話しかけくる。

 

「あの……よろしかったのですか?」

 

「よろしくはないけど、仕方がないわ。限界まで魔法省内での拘束に留めておいて頂戴。でないと、ダンブルドアからも文句が飛んでくるわよ。」

 

「わ、わかりました!」

 

この男は私の機嫌を損ねるのも怖いが、ダンブルドアにそうするのも怖がっているのだ。二人から揃って睨まれる可能性がある以上、必死に働いてくれることだろう。

 

これでまあ、アリスに対する言い訳もできた。アズカバン行きを遅らせたというのは充分な成果のはずだ。魔法省の拘留室が楽しい場所かは知らんが、少なくとも吸魂鬼はいないのだから。

 

ちょっとだけホッとしてソファに沈み込みながら、魔法法執行部への書類を書いているコーネリウスに話しかける。

 

「そういえば、職員への教育は進んでいるの?」

 

私が問いかけた瞬間、コーネリウスはペンから手を離して姿勢正しく返事を返してきた。うーむ、ここまでくるとちょっと鬱陶しいな。『調教』しすぎたか?

 

「はい。規定の防衛呪文の習得、闇祓いによる定期的な戦闘講習。どちらも順調に進んでおります。しかし、その、意味があるのですか? ……いやいや、別に反対しているわけではありませんが!」

 

「まあ、今は平和かもしれないけどね。だからこそ備えるのよ、コーネリウス。危機はゆっくりと訪れてはくれないわ。グリンデルバルドの時も、ヴォルデモートの時もそうだったでしょ? ……来るべき時になれば、貴方が成したことは高く評価されるはずよ。」

 

ヴォルデモートの名前にビビっていたコーネリウスは、『評価される』の辺りで途端に元気を取り戻す。こういうところが実に操りやすい。先にどんな落とし穴があっても、目の前のニンジンしか見えないのだ、コイツは。

 

「そうですな、備えることは大事です。緊急時の魔法戦士雇用制度についても、もっと急いで進めさせましょう。」

 

「素晴らしいわ、コーネリウス。貴方は私が見た中で最も有能な魔法大臣よ。」

 

適当に褒めてやれば、満足げにペコペコお礼を言ってくる。しかし……こいつ自身はまともに防衛呪文を使えるのか? 甚だ怪しいもんだ。

 

まあいいか。重要なのは肩書きであって、能力じゃない。妙な野心さえ抱かねば文句などないし、私に操られている限りはそこそこの実績を残せるだろう。ウィンウィンの関係ってやつだ。

 

「それじゃあ、私はこれで失礼するわ。ダンブルドアと今回の処分について話し合わなきゃだもの。」

 

「おお、それはそれは、ご苦労様です。その……私が善処している件をダンブルドアに伝えていただければ、なんというか、非常に助かるのですが……。」

 

「もちろん伝えるわ。ダンブルドアもちゃんと分かってくれるはずよ。」

 

「いや、助かります! ささ、ドアを開けましょう。足元にお気をつけて……。」

 

ゴマすり魔法大臣に適当な返事を口にしながら、彼が開けてくれたドアを抜けて歩き出す。ここまでくると一周回って面白く思えてきた。イギリスの魔法族たちに見せつけてやりたい光景だ。

 

歴代の魔法大臣の中で誰が一番無能だったのかを考えながら、アトリウムに向かうためにエレベーターに乗り込むと……おや、私に続いて闇祓い局局長どのが乗り込んできた。

 

「あら、ごきげんよう、スクリムジョール。」

 

「おや、スカーレット女史。今帰りですかな?」

 

「その通りよ。マルフォイとやり合ってきたの。」

 

ルーファス・スクリムジョール。魔法族にしては珍しくスーツを見事に着こなしているこの男は、最近ムーディの後釜に座った闇祓いたちのリーダーだ。顔には大きな爪痕が刻まれている。ハロウィンの戦いで、狼人間のフェンリール・グレイバックから受けた爪痕らしい。

 

頰に走る傷跡を歪ませながら、スクリムジョールは心底嫌そうな表情で口を開いた。

 

「あの男が野放しなのはなんとも納得がいきませんな。間違いなく元死喰い人だというのに。」

 

「証拠が出なかったんだから仕方がないわよ。まあ、元死喰い人なのには同意するけどね。」

 

肩を竦めて言い放つと、スクリムジョールは納得しかねる様子で不承不承頷く。名家のネームバリューも彼には通じないようだ。ゴマすり君とは大違いじゃないか。

 

この男は……そうだな、野心抜きのクラウチだ。ムーディに鍛え上げられた杖捌きと、敵を倒すためなら自分ごと爆破するようなクソ度胸。おまけに闇の魔法使いたちへの強い憎悪。闇祓いとしては一級品だろう。

 

クラウチ同様少しやり過ぎるところはあるが、少なくともその辺の無能よりはよっぽど頼りになる。うーむ、もう少し交友を深めたほうがいいかもしれない。来るべき戦いの時には優秀な駒になってくれるはずだ。

 

私がそんなことを考えている間にも、スクリムジョールはマルフォイへの怒りを仕舞い込むことに成功したらしい。話題を変えて私に話しかけてきた。

 

「そういえば、職員への必須技能の見直し。あれはスカーレット女史の発案でしょう? 見事な提案でした。お陰で盾の呪文もまともに使えないようなヤツが入ってこなくなる。」

 

「一応はコーネリウスの発案ってことになってるはずだけど?」

 

「あの男にこんな改革が出来るとは思えませんな。少し頭が回る者なら、誰が立役者なのかに気付いていますよ。」

 

「まあ、気に入ってくれたならなによりよ。前回の戦争では能力のバラつきが目立ったからね。次に備えて改善する必要があるわ。」

 

そう言うと、スクリムジョールは満足そうに頷く。この男は平和ボケとは無縁のようだ。

 

「その通り。『次』は必ず来るはずです。気を抜くわけにはいきません。」

 

「ま、そう考えている職員は多くないみたいだけどね。」

 

別にリドルの復活を信じているわけではないのだろうが、そういった考えの魔法使いが闇祓いを率いているというのは大きなメリットだ。ムーディは良い後継者を指名してくれた。

 

アトリウムに到着したエレベーターから出ながら、さらに下層に用があるらしいスクリムジョールに別れを告げる。

 

「それじゃ、頑張ってね、スクリムジョール。ムーディほどの被害妄想は御免だけど、危機感を持ってる貴方には期待してるわ。」

 

「そちらも頑張ってください。これからの魔法界がどうなるかは、貴女の『操縦』に懸かっているのですから。」

 

パタリと閉じたエレベーターに背を向け、暖炉の方へと歩き出す。『操縦』か。上手いこと言うもんだ。今代の闇祓い局局長は、少なくともムーディよりは諧謔のセンスがあるらしい。

 

あのハロウィンの痕跡など一切ない美しいアトリウムを歩きつつ、レミリア・スカーレットは次なる戦争について考えを巡らせるのだった。

 



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暴かれた秘密

 

 

「ここと、ここは通路で繋がってるよ。それと二階のここも隠し部屋で埋まってるから……うん、三階の女子トイレだね。」

 

テーブルに広げられたホグワーツの見取り図に、隠し部屋の位置を書き込んでいたフランが最後に空白部分の頂点を指差してそう言うのを、アリス・マーガトロイドは感心しきりで聞いていた。

 

同席しているダンブルドア先生とマクゴナガルも感じ入った様子で頷いている。無理もあるまい。まさかここまで絞り込めるとは思っていなかったのだ。

 

ホグワーツにはクリスマスが訪れているが、私たちは休暇返上でバジリスク対策会議の真っ最中だ。なんたって先週ハグリッドが拘束されたのである。彼が取り調べを受けている以上、クリスマスを祝う気分にはさすがになれない。

 

レミリアさんによればしばらくは魔法省で取り調べを受けるとのことだが、その後はアズカバンに送られてしまう可能性が大きいのだ。それを防ぐためにも、急いで犯人を捕まえる必要がある。

 

そこで唯一の手がかりとなるパイプの位置を教員総出で調べて、それを城の見取り図に書き込んでみたのだが……残念ながらあまり大きなヒントにはならなかった。途中で途切れていたり、鉄格子で封鎖されていたり。調べ切れなかった部分で虫食い状態の地図になってしまったのだ。

 

意気消沈しつつもダメ元でフランに協力を要請してみると、彼女は瞬く間に地図を埋めていって、地下から三階までを貫く空白部分を導き出したのである。学生時代に何をしていたんだ、この子は。

 

私の感心九割呆れ一割の視線を受けながら、フランは空白部分に大きく丸を書きながら口を開いた。

 

「多分、ここに大きなパイプが通ってるんじゃないかな。途中までしか書き込まれてないパイプなんかも、ここに繋がってると考えると説明がつくし。」

 

「その巨大なパイプが『部屋』に繋がっていると?」

 

マクゴナガルの問いに、フランは可愛らしく首を傾げながら言葉を返す。

 

「わかんないけど、この空洞に繋がるパイプは全部途切れちゃってるでしょ? 自然にそうなったとは思えないよ。誰かがこの空間を隠すためにそうしたんじゃない?」

 

あり得る話だ。キュートな名探偵の言葉に、ダンブルドア先生が頷きながら口を開く。

 

「可能性は大いにあるのう。バジリスクなら通れるが、人間には通れない程度にパイプを分断したのじゃろう。そして、その空洞の頂点にある部屋が三階の女子トイレというわけじゃな。」

 

「うん。他の部屋には掠りもしてないし、もし入り口があるとすればここだと思うよ。秘密の部屋に通じてるかはともかくとして、調べる価値はあるんじゃないかな。」

 

一度そこで言葉を切ったフランは、目を細めながら続きを話す。少し悲しそうな表情を見るに、どうやら昔を懐かしんでいるようだ。

 

「ふふ、道理で私たちが見つけられなかったはずだね。いくらジェームズたちでも女子トイレなんか入りたがらないし、それでなくてもここはマートルがいるトイレだもん。」

 

「マートル? マートル・ワレンのこと?」

 

私が思わず放った問いに、フランは頷いて肯定してくれる。ワレン……学生時代に同じ寮だった後輩で、前回の事件における唯一の死者だ。ゴーストになったのは知っていたが、トイレなんかに住み着いてるとは思わなかった。

 

しかし……前回の事件の被害者がいるトイレか。ますます怪しくなってきたな。

 

「調べる必要がありますね。」

 

「うむ、その通りじゃ。」

 

私の提案に頷いたダンブルドア先生は、フランに向き直って微笑みながら口を開いた。

 

「見事じゃ、フラン。君の知識には脱帽を禁じ得んよ。わしはこの場所に一世紀近くもいるというのに、君の半分も知らなんだ。」

 

「えへへ、みんなで色々調べたからね。まあ……お陰でちょっと迷惑をかけちゃったけど。」

 

苦笑しながら頰を掻くフランに、マクゴナガルが柔らかな笑みで言葉を放った。

 

「確かに苦労させられましたが、今となってはいい思い出ですよ。今回の件でお釣りがきます。」

 

「うん、それならよかったよ。……すぐに調べに行くの? 私も行こうか?」

 

少し心配そうな顔で言うフランに、今度は私が返事を返す。この後リーゼ様も合流するのだ。戦力は充分だろう。

 

「それより、紅魔館のパーティーに参加してくれない? 急に私とリーゼ様が参加できなくなっちゃったし、咲夜がきっと寂しがってるわ。」

 

私のお願いに少し困った顔をしたフランだったが、やがて諦めたように頷いてくれた。彼女は咲夜の誕生日パーティー以外は基本的に参加していなかったのだが、今年はどうやら主義を返上してくれるらしい。うーむ……咲夜が絡むと甘くなるのは、紅魔館共通の特徴だな。

 

「んー、わかった。今年くらいは参加しておくよ。レミリアお姉様も喜ぶだろうしね。」

 

言いながら暖炉へと歩み寄ったフランは、フルーパウダーを投げ入れてから振り返った。

 

「それじゃ、頑張ってね。怪我なんかしちゃダメだよ?」

 

「おお、わざわざすまなかったね、フラン。良いクリスマスを。」

 

「本当に助かりました、フランドール。スカーレット女史やサクヤにもよろしく伝えてください。」

 

「咲夜のことをお願いね、フラン。」

 

微笑んでひらひらと手を振った後、私たちの挨拶を背にしながら煙突飛行で消えていく。あの子を見る度に思うが、動作の一つ一つが穏やかになった。昔の元気で活発な雰囲気ではなく、今は柔らかくて優しげな感じだ。……少しコゼットに似ているな。

 

どちらが良いとは言えないが、もう太陽のような笑顔が見られないと思うと少しだけ寂しい。それは同席している二人も同じようで、フランの消えた暖炉を寂しげな瞳で見つめている。きっと二人もかつてのフランを思い返しているのだろう。

 

しばらく校長室を沈黙が包んだが、ダンブルドア先生の柔らかな声がそれを破った。

 

「……それでは行こうか。これほどまでに手助けをしてもらったのじゃ。わしらもすべきことをせねばなるまい。」

 

マクゴナガルと二人で了承の返事を返して、三人で校長室を出て歩き出す。……おっと、リーゼ様に連絡せねば。ガーゴイル像を背にしながら、連絡用の人形を取り出した。常に袖口に仕込んでいる指人形だ。小さいだけあって機能は少ないが、何だかんだで結構使い所が多い。

 

「リーゼ様がグリフィンドールの談話室にいるはずだから、三階の女子トイレまで案内して頂戴。分かった?」

 

ロンはパーシーのこともあって家族でクリスマスを過ごしている。ハーマイオニーも旅行に行ってしまったようだし、一人になってしまうハリーのためにリーゼ様は談話室にいるのだ。……フランと会いたかったのか、不承不承という感じだったが。

 

コクリと頷いた指人形は、そのままふよふよとグリフィンドールの談話室へと飛んで行く。よしよし、良い子だ。

 

一連の動作を興味深そうに見ていたダンブルドア先生が、再び歩き出しながら声をかけてきた。

 

「君の人形は実に興味深いのう。ここ数年で動作が一気に人間らしくなったような気がするのじゃが……。」

 

「ちょっとした学習機能をつけてみたら、一気にこんな感じになっちゃいまして。どこから学んできたのやら。」

 

まあ、間違いなく美鈴さんと妖精メイドたちだろう。お陰で動作がちょっと剽軽になってしまった。もう少しお淑やかな動作になって欲しかったのだが……まあいいさ、個性は大事だ。人間も、人形も。

 

例として取り出してみた上海は、可愛らしく首を傾げて命令を待っている。これは……多分咲夜あたりから学んだな。あの子がリーゼ様やレミリアさんの指示を待つ姿にそっくりだ。

 

「おお、可愛らしいのう。」

 

ダンブルドア先生が孫を見るような目線で見ている反面、マクゴナガルは微妙な顔をしている。どうしたのかと目線で問いかけてみると、彼女は困ったような顔で口を開いた。

 

「いえ、確かに可愛らしいのですが……戦っている場面を思い出してしまいまして。」

 

あー、なるほど。上海は前回の戦争の時からよく使っている人形なのだ。元騎士団の人間なら、返り血を浴びるこの子を見たのは一度や二度ではないだろう。

 

マクゴナガルの言葉を聞いて、上海は失礼しちゃうわと言わんばかりに腰に手を当てる。これは……レミリアさんか? リーゼ様と口喧嘩している時の彼女にそっくりだ。背伸びして少しでも大きく見せようとしているところが特に。

 

今度学習元を当てるゲームをするのも面白いかもしれない。……いやまあ、紅魔館の住人限定のゲームだが。さぞ盛り上がることだろう。

 

益体も無いことを考えながら、三人で三階の廊下をひた歩くのだった。

 

───

 

「うーん……見つからないわね。」

 

「そうですね。空洞は下にあるわけですから、仕掛けがあるとすれば地面に近い場所だと思うのですが……。」

 

貯水タンクのカビに顔をしかめながら言う私に、隣の個室のマクゴナガルが返事を返してくる。トイレを手分けして調べているわけだが、それらしき痕跡が全く見当たらないのだ。ワレンも不在のようだし、困ったことになったぞ。

 

私とマクゴナガルで個室を調べ、途中で合流したリーゼ様が洗面台の辺りを、そしてダンブルドア先生は……。

 

「おい、ダンブルドア。キミもいい加減入り口から離れたらどうなんだ。訳の分からん主義は返上したまえよ。」

 

「しかし、わしが女子トイレに入るというのは無作法だと思うのですよ。ここに立っているのだって気恥ずかしいのです。」

 

「いい歳したジジイが何を言ってるんだ、まったく。」

 

リーゼ様の呆れた視線を受けるダンブルドア先生は、それでも奥まで入ろうとはしない。何というか……やっぱり不思議な人だ。時たま見せる妙な行動は健在か。

 

イライラしてきたらしいリーゼ様は、杖を取り出しながら強硬手段を提案してきた。

 

「床を爆破しよう。絶対にその方が早い。」

 

他の全員が微妙な顔になるが……まあ、尤もな提案だ。このまま調べていても時間の無駄だし、後で直せば文句は出まい。

 

反対意見が出ないのを見て、笑顔になったリーゼ様が杖を振り上げ──

 

「待ってよ! 私のトイレを壊さないで!」

 

おお、ビックリしたぞ。個室の便器から飛び出してきたゴーストが必死の表情でそれを止めた。ワレン? あー……まさか、便器に入っていたのか? 学生時代から変わった子だったが、ゴーストになってもそれは変わらなかったようだ。

 

涙目になりながら詰め寄ってくるワレンに、リーゼ様が杖を振り上げたままで返事を返す。

 

「おや、『嘆きのマートル』のご登場か。」

 

「どうしてそんなことするのよ! 貴女って、貴女って……酷いわ!」

 

「後で直すさ。それにここは、厳密に言えば『キミの』トイレじゃないだろう?」

 

「私がずぅっと住んでるのよ? 私のトイレだわ!」

 

既に泣きそうなワレンの猛抗議を前に、リーゼ様は面倒くさそうな顔でどうしようかと目線で問うてくる。私もちょっと面倒くさいが……何か知ってるかもだし、一応聞いてみるか。

 

「ねえ、ワレン? 私のことを覚えてる?」

 

前に歩み出た私を見て、ワレンは怪訝そうな顔でしばらく見つめていた後……嫌そうな顔で口を開いた。うーん、学生時代にうんざりするほど見た表情だ。

 

「貴女、マーガトロイド先輩だわ。リドル先輩につきまとってた。」

 

やっぱりこうなったか。その『憧れのリドル先輩』がお前を殺したんだぞ。この子はかつてのリドルに憧れていた女子生徒の一人なのだ。まだハンサムだった頃のリドルに。

 

当時はまだリドルと仲が良かった私とテッサは、そういう女子生徒たちからのやっかみを受けていた。まったくもって迷惑な話だ。お前の憧れてた先輩は、トカゲになったり後頭部に取り憑いたりしているんだからな。

 

そう言ってやりたいのを何とか堪えながら、なるべく笑顔でワレンに話しかける。

 

「あー……覚えていてくれて嬉しいわ。この女子トイレについてちょっと聞きたいんだけど。」

 

「どうせ、どうせ、馬鹿にしに来たんでしょう? 貴女は優等生だったもんね! 私なんかとは大違い!」

 

「違うわ、ワレン。私はただ──」

 

「とっても綺麗なマーガトロイド! 頭のいいマーガトロイド! みんな貴女に夢中だったわ! チャド・マーウッドも、ジェフリー・バーロウも!」

 

誰だよそれは。当時の男子学生であろう名前を喚くワレンは、そのまま大泣きしながら便器へと戻って行く。

 

「私のことは放っておいて頂戴! 貴女なんかに私の気持ちは分からないわ!」

 

ワレンが便器に飛び込むぼちゃんという音を最後に、トイレの中は沈黙に包まれた。しばらく全員が微妙な顔で黙っていたが、やがてずっと杖を振り上げたままだったリーゼ様がそれを破る。

 

「あー……もう爆破していいかい?」

 

今度は私も賛成した。

 

───

 

「深そうですね。」

 

私の声にその場の全員が頷く。どう見ても落ちたら死ぬ高さの空洞だ。

 

リーゼ様が日頃のストレスを発散し終わったところで、洗面台の……洗面台だった場所の下に大きなパイプを発見したのである。試しにトイレの残骸を投げ入れてみたが、リーゼ様の耳でも落下音は聞き取れなかったらしい。つまり、並大抵の深さではないわけだ。

 

「まあ、私が先に行こう。飛べるしね。」

 

「お願いいたします、バートリ女史。」

 

ダンブルドア先生の返事を受けて、リーゼ様がひょいっとパイプに入って行く。落下をどうにかする魔法は多いが、大抵は細かい動作が利かないのだ。飛翔術だと静止できないし、クッション呪文は落ち切るまでは無防備。まさか箒を取ってくるわけにもいくまい。

 

その点リーゼ様は自由自在だ。ちょっとだけ羨ましくなる。パチュリーも浮遊魔法をよく使っているし、私も練習してみようかな。

 

……まあ、そのためには杖なし魔法をもっと練習する必要があるか。パチュリーは息をするように使っているが、私にはどうも向いていないようでなかなか上手く使えないのだ。杖に頼りすぎているのかもしれない。

 

手元の杖を見ながら今後の課題を考え始めたところで、コウモリの守護霊がパイプの奥から飛んできた。主人に見合わぬ可愛らしい守護霊は、私たちの前までたどり着くとリーゼ様の声で報告を話し出す。

 

『下は安全だが、少々不潔だ。ゴミと友人になりたくないなら気をつけたまえ。』

 

途端に嫌そうな顔になった私とマクゴナガルに苦笑しつつ、ダンブルドア先生が淵に立ってから口を開いた。

 

「では、わしが先に行こう。この場合はレディーファーストとは言えんしのう。」

 

パチリとこちらにウィンクしてから、ダンブルドア先生は軽やかな動作でパイプに飛び込んで行く。お茶目な人だ。とてもじゃないが百を超えてるとは思えないぞ。

 

「それじゃ、私たちも行きましょうか。」

 

少し間を置いてからマクゴナガルに話しかけてみれば、彼女は入り口の方をチラチラみながら私に順番を譲ってきた。

 

「お先に行っててください。私はもう一度入り口の魔法を確認してきます。」

 

「わかったわ。」

 

心配性なマクゴナガルがドアの魔法を確認しているのを尻目に、私もひょいっとパイプに飛び込む。まあ、生徒が入ってきたら困るのだ。この穴に飛び込もうとする生徒はいないと思うが、念には念を入れておくべきだろう。

 

少し落ちるとパイプは垂直から斜めへと姿を変えた。物凄く急な滑り台のようになっている表面に、絶対に靴底以外をつけないように注意する。服がヘドロ塗れになるなんて御免なのだ。

 

そのまま落ちて、落ちて……なっがいな。全然底に着く気配がない。明らかにホグワーツの地下室よりも下まで続いている。一体全体どうやって作ったのか知らないが、これは確かに『秘密の』部屋だな。誰も見つけられなかったのにも頷ける。

 

体感でかなり長い落下に耐えていると……やっと地面だ。呪文で落下を緩めて着地すれば、既に辺りを調べているリーゼ様とダンブルドア先生が見えてきた。ゴツゴツした岩肌がむき出しなトンネルのような場所だ。

 

「お待たせしました。マクゴナガルもすぐに来ます。」

 

「ああ、アリス。見てごらんよ。」

 

リーゼ様の言葉に従って、指差す箇所に杖明かりを近付けてみれば……なるほど、確かにバジリスクはこの場所にいたらしい。地面には何か大きな物を引き摺ったような跡が見える。蛇の足跡……腹跡? とにかく痕跡なのだろう。

 

「ふむ? 思ったよりも巨大ですな……。」

 

興味深そうに調べるダンブルドア先生がそう言ったところで、背後から着地音が聞こえてきた。マクゴナガルも到着したようだ。

 

「遅くなりました。しかし……随分と深い場所ですね。斜めになっていましたし、湖の下でしょうか?」

 

「何にせよ、サラザール・スリザリンは念入りな魔法使いだったらしいね。もしくはモグラに憧れてたのかもしれんが。……さて、早速探検してみようじゃないか。」

 

ちょっと楽しそうなリーゼ様に続いて、全員で奥へと歩き出す。まあ、私も少しだけワクワクしている。好奇心は魔女の性なのだ。千年前に作られた場所というのには非常に興味がある。

 

しばらくゴツゴツとした岩肌が続いたが、先頭を歩いていたリーゼ様が突然動きを止めた。

 

「止まれ。」

 

ピリついた雰囲気で言うリーゼ様に、他の三人が緊張を強める。私には何も見えないが、夜目の利く彼女には何かが見えているのだろう。

 

いつもの二体の人形を取り出しながら続く言葉を待っていると……目を細めて何かを見ていたリーゼ様は、小さくため息を吐いてから肩を竦めた。

 

「ああ、問題ないよ。抜け殻だ。」

 

「抜け殻?」

 

「んふふ、行けば分かるよ。」

 

マクゴナガルの質問に悪戯気な表情で返したリーゼ様は、躊躇うことなく進んで行く。抜け殻? 何の話だろうと考えながら背中に続くと……なるほど、これのことか。杖明かりに照らされた先に、巨大な蛇の抜け殻が見えてきた。

 

近付いてみると……でかい。私が以前見た状態の倍はあるぞ。こんな場所で何を食べて育っていたのかは知らないが、少なくとも栄養には困らなかったようだ。

 

「これはまた……凄まじい大きさですね。」

 

「うむ。十メートルは優に超えるようじゃな。君が見た時より大きいかね?」

 

「ええ、倍はあるみたいです。」

 

「……妙じゃな。そこまで急激に成長するものかのう?」

 

そうだろうか? 事件があったのは半世紀も前なのだ。これぐらい成長していてもおかしくなさそうに思えるが……。

 

どうやらリーゼ様も同様の考えらしく、抜け殻をツンツンするのをやめて私たちを促してきた。

 

「成長期だったんだろうさ。大体、バジリスクの成長記録なんて残ってるはずがないだろう? 考えるだけ無駄だよ。さっさと進もうじゃないか。」

 

「そうですな。……まあ、詳しいことはハグリッドに聞けば分かるでしょう。そのためにも犯人の証拠が見つかればいいのですが。」

 

まだ何か引っかかっている様子のダンブルドア先生だったが、リーゼ様の呼びかけに従って再び歩き始める。確かにハグリッドなら知ってそうだ。こと魔法生物に関してはこの場の全員より上だろう。

 

そのまま長いくねくねとした通路をひたすら四人で歩いていくと……壁? 明らかに人工物な雰囲気の滑らかな壁には、絡み合う二匹の蛇が掘り込まれている。どうやら目的地に到着したようだ。

 

「怪しいですね。何らかの魔法で開くのでしょうか?」

 

「試してみようじゃないか。」

 

マクゴナガルの言葉に応えて、リーゼ様がいくつかの呪文を試していくが……ダメだ。壁はピクリとも動こうとしない。

 

放った呪文が悉く弾かれたリーゼ様は、ちょっとだけイラついた表情で再び強硬手段を提案してきた。

 

「ダメだね。……壊そうか?」

 

「それも難しいですな。かなり強固な防護呪文がかかっております。」

 

杖を振りながら壁を調べていたダンブルドア先生が、続けて自身の推理を話し出す。

 

「何らかの合言葉に反応するのでしょう。壁の紋様と製作者のことを考えれば、恐らくは……蛇語が必要になりますな。」

 

「参ったね。ハリーを連れてこようか?」

 

「ほっほっほ、それには及びませんよ。少しお待ちいただけますかな? わしが試してみましょう。」

 

言うダンブルドア先生に、ちょっと驚いた様子のリーゼ様が言葉を返した。

 

「おいおい、蛇語を理解できるってのは知っていたが、話す方もいけたのかい?」

 

「残念ながら、どちらも不完全ですよ。昔パーセルタングを話せる者に教わったのですが……簡単な単語しか発声できないのです。とはいえ、そこまで難しい単語ではないでしょう。あまりに複雑な合言葉では『継承者』とやらも開けますまい。」

 

それはまた、意外な特技だ。マクゴナガルも驚いているところを見るに、知る者は多くはないのだろう。

 

私たちが見守る中、壁の前に立ったダンブルドア先生がシューシューと蛇語らしきものを口にし出した。初めて聞くが……うーむ、さっぱり分からん。水中人の言葉のほうがまだ理解できそうだ。

 

そのまましばらく待っていると、何度目かのシューシュー音に反応して彫刻の蛇が動き始める。絡み合った蛇が分かれると、それに従うように壁が分かれていって……部屋だ。

 

堀のような水路に挟まれた石造りの大きな部屋。蛇の彫刻が刻まれた柱が立ち並び、最奥にはサラザール・スリザリンを象ったのであろう巨大な石像が鎮座している。扉が完全に開くと同時に所々に設置された燭台に緑の炎が灯り、部屋の中を怪しげに照らし始めた。……これがそうなのか。

 

『秘密の部屋』がアリス・マーガトロイドの目の前に広がっていた。

 



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スリザリンのバジリスク

 

 

「思ったよりも地味だね。」

 

『秘密だった』部屋に足を踏み入れながら、アンネリーゼ・バートリは誰にともなく呟いていた。

 

シンメトリーに立ち並ぶ石柱には見事な蛇の彫刻が刻まれているが……石じゃあちょっと派手さに欠けるな。お陰で全体的に見て重苦しい部屋になっている。スリザリンには建築のセンスがなかったらしい。

 

悪い魔法使いの秘密基地なのだ。金銀財宝とは言わないまでも、曰くありげな魔道具くらい置いてあるもんだと思っていた。……少なくともヌルメンガードには色々と設置されていたぞ。動く鎧とか、侵入者を捕食する絨毯とか。

 

そんな私の予想に反して、石壁、石タイル、石柱、石像。三百六十度どこを見ても、見事なまでに石ばっかりだ。非常につまらん。緑の灯りってのもいただけないし、スリザリンにインテリアコーディネーターは無理だな。

 

とはいえ、残念に思っているのは私だけのようだ。先頭を歩くダンブルドアは興味深そうに辺りを見回しているし、チラリと後ろを見ればアリスとマクゴナガルも同様の表情を浮かべている。……ひょっとして、私のセンスはおかしいのか?

 

マズいな、派手好きなレミリアのセンスに流されているのかもしれない。私が内心で危機を感じ始めたあたりで、石像の足元に到着したダンブルドアが口を開いた。

 

「サラザール・スリザリン。正しく彼による、彼のための部屋じゃな。」

 

馬鹿でかい石像を見上げながら言うダンブルドアに、肩を竦めて言い放つ。

 

「些か自己顕示欲が強すぎたみたいだね。自分の石像を自分で作るってのは、少し恥ずかしい行為だと思うよ。」

 

少なくとも私は御免だ。どこぞの独裁者じゃあるまいし、石像やら銅像ってのは他人が作るから意味があるものだろうに。……いや、別に作って欲しいわけではないが。

 

それはダンブルドアも同感のようで、多少感動が薄れた顔で苦笑を浮かべた。

 

「まあ、子孫の誰かが作ったという可能性もあります。ここに入ったのはわしらが最初ではないのですから。」

 

「どうだかね。石柱と同時期に作られた物のように見えるよ。」

 

つまり、間違いなくスリザリン本人の作品なのだ。どうやら『ホグワーツの歴史』に修正を加える必要があるな。スリザリンの偉業の一つに、『自分の巨大な石像を作った』と書き足さなければなるまい。

 

私たちがスリザリンのことについて話している間にも、アリスとマクゴナガルは堀のようになっている左右の水路を調べているようだ。身を乗り出して覗き込んでいるアリスの服を、マクゴナガルが心配そうに掴んでいる。……落ちるなよ、アリス。こんな場所の水なんてロクなもんじゃないぞ。

 

尚も身を乗り出そうとしているアリスに注意を飛ばそうとした瞬間……そらきた、馬鹿蛇のお出ましだ! いきなり水路から出てきた巨大な蛇の尾が、彼女たちに襲いかかるのが見えてきた。

 

「おっと。」

 

「ぬっ……!」

 

まあ、見事な奇襲だったと言えるだろう。少なくとも並の魔法使いなら吹っ飛ばされてお陀仏だったはずだ。だがバジリスクにとっては不幸なことに、この場には『並の』魔法使いなど一人もいない。

 

真っ先に反応した私とダンブルドアがそれぞれ妖力弾と無言呪文で尾を阻んでいる間に、一瞬遅れて杖を振ったアリスとマクゴナガルは有言呪文でダンブルドアの障壁を強化し始めた。

 

「プロテゴ・ホリビリス!」

 

「プロテゴ・マキシマ!」

 

押されていた防壁側が徐々にその動きを止めて……おやおや、押し返し始めたぞ。大蛇の膂力もこの三人相手じゃ形無しか。

 

どうやらバジリスクも不利を悟ったようで、一度水路の中へと撤退していく。それを見たダンブルドアが、杖を構えたままで声を放った。

 

「水路から離れよ! 邪視に警戒するのじゃ。上がってくる瞬間を見てはならぬぞ!」

 

部屋の中央に四人が集まり、背中合わせで杖を構える。……いやまあ、私は杖よりも素手の方が良いだろうが。こういうのは気分だ。

 

しばらく水滴が落ちる音だけが響いていたが……左側の水路から巨大な蛇がその姿を現した。パーセルマウスではない私には何を言ってるかはさっぱりだが、激しいシューシュー音を聞く限りではどうやら怒っているようだ。

 

「行きなさい! 目を狙うのよ!」

 

目線を下げたアリスの指示で七色の人形たちが突貫していくのと同時に、ダンブルドアの呪文が食らいついてきた蛇を止める。マクゴナガルがその補助を始めたのを横目にしながら、私も顔があるはずの位置に向けて妖力弾を撃ち込んだ。

 

うん、多分当たったな。なるべく慎重に蛇の顔を見てみれば……これはまた、ちょっと同情を引く有様になっている。目の周囲だけがズタボロだ。刃物の傷が多いのを見るに、大半は人形たちの仕業らしい。

 

バジリスクはのたうち回りながら水路に逃げ込もうとするが、ダンブルドアが複雑に杖を振った途端、まるで水の方がバジリスクを拒むようにその巨体を押し返し始めた。

 

結果として水揚げされた哀れな蛇だったが、残念ながら息つく暇もないようだ。今度はマクゴナガルが石柱を二体の獅子の石像に変化させ、バジリスクへとけしかけ始めた。ちなみにアリスの人形たちは手に持った多種多様な武器で未だに顔を攻撃し続けている。……微妙に楽しげな表情に見えるのは勘違いだと信じたい。

 

獅子の石像と人形に集られているバジリスクを見ながら、杖を構えたアリスがこちらに声を放つ。

 

「どうしますか?」

 

「ふむ……。」

 

殺すか否かということだろう。アリスの言葉を受けてほんの少し悩み始めた『お優しい』ダンブルドアに、キツめの口調で言い放った。

 

「当然殺すさ。別に蛇は嫌いじゃないが、この生き物は百害あって一利なしだろう? ハリーのペットにするには少々凶暴すぎるしね。」

 

「……一応、魔法生物の研究所へ引き渡すという選択肢もありますが。」

 

「目を潰された挙句にモルモットか? 冗談じゃないよ、ダンブルドア。余計なお節介はキミの悪い癖だぞ。さっさと楽にしてやろうじゃないか。」

 

何を哀れんでいるのか知らんが、殺しておくのが一番なのだ。未だ煮え切らない表情のダンブルドアを無視して、尾で獅子の像を一体破壊したバジリスクへと歩み寄る。

 

「押さえておいてくれ。私がやる。」

 

「……わかりました。」

 

言いながらダンブルドアが杖を振ると、両脇の水路の水が蠢き、縄となってバジリスクへと絡みつき始めた。更に尾をマクゴナガルの残った獅子の像が、頭をアリスの人形たちが押さえ込む。

 

ゆったりと頭の方へと近付くと、バジリスクはシューシューと怒りの声を上げながら私に食らいつこうともがき始めた。……近くで見るとさすがに風格があるな。毒蛇の王などと呼ばれるのも頷ける見た目だ。

 

三人の魔法使いたちが押さえている間に、その緑色の頭部に手を当てて……思いっきり妖力弾を撃ち込んだ。魔法耐性だか何だか知らんが、ゼロ距離ならどうしようもないだろう。

 

頭に大穴の空いたバジリスクはゆっくりとスリザリンの石像を見て、これまでよりもずっと穏やかな声で一言鳴いた後……そのままピクリとも動かなくなった。

 

「やれやれ、これで鶏どもとおさらばできるね。」

 

振り返ってから肩を竦めて言い放つが、アリスとマクゴナガルは微妙な表情だ。ダンブルドアもバジリスクの死体を見ながら神妙な表情をしている。

 

……何だこの空気は。目的を達成したんだからもっと喜ぶべきだろうに。ため息を一つ吐きながら首を振っていると、アリスが仕切り直すように手を叩いてから言葉を放った。

 

「……それじゃあ、何か犯人の証拠が無いか探しましょう。ハグリッドが待ってます。」

 

「うむ……そうじゃな。やるべき事をせねばなるまい。」

 

ようやく蛇から視線を外したダンブルドアは、証拠探しのために歩き始める。この広間を見る限りでは何か残ってそうには見えないが……まあ、一応探すか。アリスのためだ。

 

最後に一度だけ毒蛇の王の死体を見てから、アンネリーゼ・バートリは鼻を鳴らして一歩を踏み出すのだった。

 

 

─────

 

 

「それで? 書物は残っていなかったの?」

 

ホグワーツの校長室で、パチュリー・ノーレッジは旧友を問い詰めていた。千年以上前の部屋なのだ。貴重な書物が残されているかもしれない。というか残されてなきゃおかしいぞ。私なら絶対残す。

 

身を乗り出す私に苦笑しながら、ダンブルドアは首を横に振って口を開く。

 

「残念ながら無かったよ、ノーレッジ。本どころか羊皮紙一枚すら、ね。」

 

「……なによそれ。」

 

スリザリンの大馬鹿野郎め。何で本を隠しておかないんだ! 蛇なんかよりも大事なものがあるだろうに。本とか、石版とか、本とか。文字が書いてある何かだ!

 

鼻を鳴らしてソファに倒れ込むと、ダンブルドアは苦笑を更に強めながら話しかけてきた。

 

「君がわざわざ来るというから、かなり重大な要件だと思っていたのじゃが……本か。君らしいのう。」

 

「充分に重大な要件でしょうが。新しい本を得るのは容易いけど、古い本はなかなか手に入らないのよ。」

 

図書館魔法の欠点の一つだ。今まさに作られている本は複製されるが、過去に作られた本は自力で集めるしかないのである。そんな理由もあってかなり期待して来たわけだが……ふん、アテが外れたな。これがレイブンクローなら絶対に残ってたぞ。

 

イライラとティースプーンでミルクティーを掻き回していると、ダンブルドアが立ち上がって棚から何かを取り出した。差し出されたそれは……牙? それとも角か?

 

私の腕よりも大分太いそれを机に置きながら、ダンブルドアが説明を語り出す。

 

「バジリスクの牙じゃよ。弔った後で採取させてもらったのじゃが、これで満足してはくれんかのう?」

 

「素晴らしいわ、ダンブルドア。持つべきものは友ね。貴方ならやってくれると信じてたわ。」

 

「現金じゃな、君は。」

 

うむ、ちょっと機嫌が直ったぞ。バジリスクの牙なんてかなり貴重な代物だし、このサイズなら尚更だ。薬品庫のコレクションがまた一つ増えたな。

 

そそくさと拡大呪文がかかったバッグに仕舞い込んでいると、それを見ていたダンブルドアが急にクスクス笑い始めた。……思わず動きを止める。この男がこういう表情をする時は、絶対にロクでもないことを口にし始めるのだ。

 

「受け取ったね? ノーレッジ。」

 

「な、なによ。貴方がくれるって言ったんでしょう?」

 

「それはそうじゃが、それはかなり貴重な物なんじゃよ。……代わりに『ちょっとした』頼みを聞いてはくれんかのう?」

 

そらきた。コイツの『ちょっとした』が本当にちょっとした事だった試しなどない。絶対に厄介な頼みだぞ。

 

しかし……牙は欲しい。かなり欲しい。凄く欲しい。嫌そうな顔を隠さずに目線で続きを促してやると、ダンブルドアはニコニコ微笑みながら口を開く。ムカつく顔だ!

 

「いやなに、ちょこちょこっと呪文をかけて欲しいだけなのじゃ。まあ……しもべ妖精を捕らえるための呪文を。」

 

「……貴方は『ちょっとした』の意味を辞書で調べ直すべきね。本気で逃げようとしてるのなら、あの連中を捕らえるのは容易じゃないわよ。」

 

ほら、やっぱり厄介な頼みじゃないか。しもべ妖精の使う魔法は単純かつ強力なものなのだ。彼らは魔法使いのそれよりも遥かに古い魔法を操る。リリー・ポッターが遺した魔法や守護霊の呪文のような、原初の形に近い魔法をだ。そんな彼らを捕らえるというのは非常に面倒だが……。

 

「じゃが、君ならやってやれないことではあるまい? 彼らの使う魔法は君の使う魔法に近い。違うかね?」

 

「……その通りよ。」

 

よく分かってるじゃないか。ダンブルドアの言う通り、不可能ではない。面倒くさいだけだ。貴重なバジリスクの牙と天秤にかければ……ええい、やってやるさ。やればいいんだろう、まったく!

 

「ああもう、わかったわよ! やればいいんでしょう? やってやるわよ!」

 

「ほっほっほ。まっこと、持つべきものは友じゃのう。」

 

「いつか吠え面かかせてやるからね。覚えときなさいよ。」

 

「おお、それは怖い。」

 

睨みつけてやると、ダンブルドアはクスクス笑いながら両手を上げて降参のポーズをしてきた。おちょくりやがって。絶対に仕返ししてやるからな。

 

……ま、受けたからにはきちんとやるさ。魔女ってのは吸血鬼だの悪魔だのと違ってきっちり仕事を熟すもんだ。脳内で呪文の候補を絞り込んでいると、ダンブルドアが紅茶を一口飲んでから話しかけてくる。

 

「今は手掛かりが欲しいのじゃよ。秘密の部屋では証拠らしい証拠が見つからなかった。このままではハグリッドが可哀想なことになってしまう。」

 

「レミィが時間を稼いでいるのでしょう? 猶予は残ってるわよ。」

 

「それでも、ハグリッドは不安じゃろうて。早めにホグワーツへと戻してやらねばなるまい。」

 

まあ、確かに状況は芳しくない。ルシウス・マルフォイはハグリッドをアズカバンに入れるのに、その影響力の全てを注ぎ込んでいるのだ。少々奇妙なほどの頑張りっぷりなのである。

 

お陰で面会すら叶わない状況らしい。あの二人に因縁があったような記憶はないのだが……何だってあんなに必死なのやら。

 

脳内でレミリアが頭を抱えている姿を思い出しながら、ダンブルドアに向かって口を開く。

 

「とにかく、しもべ妖精をどうにかすればいいんでしょう? 言っておくけど、後手で捕らえることになるわよ。向こうから来てくれないとどうしようもないわ。」

 

さすがに今どこにいるかも分からんしもべ妖精を捕らえるのは無理だ。ダンブルドアにもそれは分かっているようで、頷きながら了承の返事を返してきた。

 

「うむ、それはわかっておる。恐らくハリーに接触してくるはずじゃ。害そうとしているのか、はたまた他の目的があるのかは分からんが……そこを捕らえることにしよう。」

 

「結構よ。それなら……そうね、ハリー・ポッターに魔道具を携帯させましょう。リーゼか貴方経由で渡してやればいいわ。」

 

「それなら、バートリ女史に頼むとしよう。彼女は良好な関係を築いているはずじゃ。」

 

ん? リーゼの名前が出る瞬間、ダンブルドアの顔にちょっと苦味が走ったように見える。苦手なのか? だとすればちょっと面白いな。

 

「リーゼのことが苦手なの?」

 

真っ直ぐに聞いてやると、ダンブルドアは苦笑いを浮かべながら答えを返してきた。

 

「苦手というか……まあ、苦手なのかもしれんのう。彼女を見ていると、ゲラートを思い出すのじゃ。」

 

「グリンデルバルドを?」

 

「うむ。目的のためなら苛烈な決断を下し、手段よりも結果を重んじる。それはわしには無い強みじゃが、同時に受け入れ難くもあるのじゃよ。」

 

「ああ、なるほど。……ま、分からなくもないわ。確かに貴方とは正反対ね。」

 

水と油……というか、水と炎だな。リーゼは手を汚すのを厭わないだろうが、ダンブルドアはそれを是とすまい。水のように全てを包み込んでしまうダンブルドアと、炎のように燃え散らし突き進むリーゼ。結果か、過程か。同じ場所に向かうにも、選ぶ道のりが違いすぎるのだ。

 

私や美鈴はリーゼの考え方に近いが、アリスや今のフランはダンブルドア寄りだろう。レミィは……わからんな。どっちも使い分けそうだ。彼女はコウモリのようにふよふよと立場を変えている。

 

そう考えると、結構バランスが取れているのかもしれない。それが良いのか悪いのかは分からんが。

 

「まあ、悪くないことなんじゃない? 視点が違うそれぞれで守っていたほうが、ハリー・ポッターも安全でしょうし。……貴方の胃がどうなるかは知らないけどね。」

 

「ポピーに胃薬を貰うべきかもしれんのう。」

 

いい気味だ。情けない顔で情けないことを言う老人に鼻を鳴らしながら、立ち上がって暖炉へと向かう。

 

「それじゃ、魔道具は後で送るわ。精々頑張りなさい、ダンブルドア。吸血鬼は気難しいわよ。」

 

「君ほどではあるまいさ。」

 

ほっとけ。乱暴にフルーパウダーを投げ入れて、さっさと住処に戻るべく声を放つ。

 

「紅魔館!」

 

緑色の炎に包まれながら、パチュリー・ノーレッジは牙を使った実験へと思考を巡らせるのだった。

 



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決闘ごっこ

 

 

「エクスペリアームス! うっ……。」

 

武装解除術で自分の武装を解除しているロンを横目に、アンネリーゼ・バートリはハーマイオニーへと衝撃呪文を繰り出していた。うーむ、信じられないほどに間抜けな光景だな。

 

毒蛇の王の命日からは既に半月が経過しているが、残念ながらあれ以来何一つ進展はない。切り裂き魔もしもべ妖精も姿を現さず、ハグリッドは魔法省の拘留室という小屋よりマシな住処を手に入れ、レミリアは親マルフォイと熾烈な権力闘争を繰り広げているのだ。

 

そんな中、イベント中毒のフリットウィックによって第二回目の決闘クラブが開かれた。ハグリッドがいなくなって落ち込んでいたハリーたちも、大好きな決闘の誘惑には勝てなかったらしい。お陰で私もこうして引っ張られてきて、毎度お馴染みの意味なし決闘をさせられているわけだ。

 

「フリペンド。」

 

「プロテゴ! フリペンド! フリペンド、フリペンド……だから避けないでよ、リーゼ!」

 

「避けるのも立派な戦術だろう? ほら、エクスペリアームス。」

 

「プロテゴ! フリ、わっ、プロテ……もう。全然ダメだわ。」

 

盾の呪文が一瞬遅れたハーマイオニーに私の武装解除術が激突した。授業の成績には文句なしなのだが、どうやら彼女は決闘が苦手なようだ。先程から何度も呪文の選択に迷った挙句に、結局対処しきれないというのを繰り返している。

 

「武装解除術も使わないと意味がないじゃないか。提案したのはキミだろう?」

 

くるくる飛んできた杖をキャッチしながら声をかけると、ハーマイオニーは困ったような顔で返事を返してきた。

 

「そうだけど……咄嗟に出てくるのは衝撃呪文なのよ。守りながら攻撃するだなんて、頭がこんがらがっちゃうわ。」

 

今回から意味なし決闘に武装解除術が組み込まれたのだ。盾と同じくこちらも二年生にはまだ早い呪文だと思うが、就職に有利ということでハーマイオニーが強硬に主張したのである。……二年生から就職のことを考えるとは、なんとも将来有望ではないか。

 

「キミはあれだね、考えすぎってやつだよ。もっとこう……反射で呪文を使った方がいいと思うよ。ほら、ハリーみたいに。」

 

ちょうど向こうで見事にロングボトムの杖を奪ったハリーを指しながら言ってやれば、ハーマイオニーは頰を膨らましながらぷんすか文句を言い出した。

 

「貴女もズルいけど、ハリーもズルいわ。どうしてそんなに簡単に武装解除術が使えるのかしら。結構難しい呪文のはずなのに。」

 

「いやぁ、そんなことを言われても困るよ。適性ってやつなんじゃないかな。」

 

私に関してはともかくとして、ハリーに限ってはあながち間違いとも言えないだろう。この呪文を知ってからまだ間もないというのに、彼は水を得た魚のように武装解除術を使い熟しているのだ。

 

杖による適性なのか、はたまた個人の素質か。詳細は全く分からんが、とにかくハリーにとって武装解除術は早くも一番の得意魔法になりつつある。もはやロングボトムでは相手にならないようだ。……いやまあ、元から相手になるかどうかは怪しいとこだが。

 

衝撃で倒れ込んだロングボトムをハリーが引き起こしているのを見ていると、我らがコメディアン、ロン・ウィーズリーが近付いてきた。相手をしていたルーナは清々した顔でハリーとロングボトムの方へと歩み寄っている。ロニー坊やの単独ショーはお気に召さなかったようだ。

 

「この杖を使う限り、僕はまともに魔法を使えやしないよ。不可能だ! 不可能!」

 

「おや、今頃気付いたのかい? 私は五ヶ月前には気付いてたがね。キミがそう、スペロテープとかいう訳の分からない代物を貼り始めた時からだ。」

 

「私はナメクジを吐いてた時に気付いたわ。それは杖じゃないのよ、ロン。棒よ。魔法が逆噴射してくる棒。魔法逆噴射装置だわ。」

 

私とハーマイオニーの辛辣な言葉に、ロンが勢いをなくして苦い顔をする。もう私もハーマイオニーも同情なんてしないのだ。なんたって彼は怒られるのが嫌で、未だに杖を折ったことを両親に伝えていないのだから。

 

「昨日は上手くいってたんだ! 今日はその……きっと雨が降ったからだよ。ジメジメしてるから調子が悪いだけさ。」

 

「おや、湿度まで調べられるとはね。多機能な棒切れじゃないか。……うーむ、魔法が使えないのだけが欠点かな。」

 

「そうね。ところでロン、それは何だったかしら? 湿度計? それとも耳かき? まさか杖じゃないわよね? 杖なら魔法が使えるはずよ。」

 

どうやらロンは一切の同情が得られないことを理解したようだ。物凄く嫌そうな顔になると、拗ねたような声で私とハーマイオニーに抗議の台詞を放ってきた。

 

「君たちは人間じゃない、悪魔だ。少しは友達に対して慰めの言葉をかけちゃくれないのかい? 僕は僕なりに頑張ってるんだぞ。」

 

「あのね、私たちは貴方のためを思って言ってるの。このままだと二年生の成績は絶望的な上に、三年生の授業にだって影響が出るわよ。どうせ夏休みに入ればバレるんだから、今のうちに謝っておきなさい。それが正しい選択ってものだわ。」

 

ママの言う通りだぞ、ロニー坊や。それに私は人間でも悪魔でもない、吸血鬼だ。私がうんうん頷きながらハーマイオニーの言葉に同意しているのを見て、ロンはバツが悪そうに目を逸らし始める。吼えメールの一件がトラウマになっているようだ。

 

この様子だともう少し『ロン・ウィーズリー劇場』は続きそうだな。ハーマイオニーと顔を見合わせてため息を吐いたところで、ハリー、ロングボトム、ルーナが近寄ってきた。

 

ハリーの首元には光に反射する銀色のチェーンが見えている。別にハリーが色気付き始めたわけではなく、私が贈ったパチュリーお手製の魔道具だ。しもべ妖精をどうにかする魔道具だと言うと、ハリーは喜んで身に付けてくれた。ブラッジャー襲撃事件は彼にとっても充分すぎるほどに警戒すべき事態だったらしい。

 

「そっちも一段落ついたなら、そろそろペアを変えてみない?」

 

「ああ、そうしよう。……ふむ、次はどうする? また適当にクジでも作ろうか?」

 

今のペアは一回目のクジの結果なのだ。……となれば、ロンと当たらないように細工をする必要があるな。いくら意味なし決闘が退屈とはいえ、あんなもんに付き合うくらいなら決闘ごっこをしていたほうがいくらかマシだぞ。

 

悪しき吸血鬼が公正なクジへの細工を考え始めたところで、生き残った男の子が首を振りながら一つの提案を放ってきた。

 

「それもいいけど……リーゼ、あっちでやってみない? その、もっと実践的なやつを。」

 

……ほう? 言いながらハリーが指差しているのは中央に設置された舞台だ。つまり、ハリー・ポッター殿は私と『本気の』決闘をしたいようだ。彼にとっても意味なし決闘は物足りないものだったらしい。

 

「……んふふ、言うじゃないか、ハリー。私は一向に構わないよ。」

 

「それじゃ、やろうよ。せっかくの決闘クラブなんだ。普段出来ないようなことをやらないと損でしょ?」

 

「その通りだ。よく分かっているじゃないか。」

 

言いながら二人で舞台の方へと歩き出すと、残りの四人も慌ててついてきた。ハーマイオニーとロングボトムは心配そうに、ロンとルーナはワクワクしたような顔になっている。

 

ハリーが何を思って勝負を仕掛けてきたのかは分からんが、別に私をこてんぱんにしたくて堪らないわけではないだろう。さすがにマルフォイと同列に思われているってことはないはずだ。……友人との真剣勝負ってとこか?

 

何にせよちょうどいい塩梅に手加減する必要があるな。幾ら何でも本気を出すつもりはないが、負けるのだけは有り得ない。どれだけ大人気なかろうと、負けず嫌いは吸血鬼の性なのだ。

 

つまり、『二年生にしてはお強いアンネリーゼちゃん』くらいの力で勝つ必要があるだろう。今まで普通に授業をこなしてきた以上、ここでいきなり無言呪文を撃ちまくれば今までのがなんだったのかという話になる。お子ちゃまぶってたのがバレるのは体面が悪すぎるぞ。

 

そんな私の内心も知らず、ハリーは退屈そうに舞台の端に座っているフリットウィックに言葉を放った。めっきり舞台での決闘を申請する生徒がいなくなったせいで、フリットウィックは暇を持て余しているようだ。一回目の『見世物』状態が効いたらしい。

 

「フリットウィック先生、舞台を使った決闘をしたいんですけど……。」

 

「おお、ポッター君! それは素晴らしいことですよ。相手は……おや、バートリさんですか! これは面白い決闘になりそうですね。さあさあ、早速始めましょう! 舞台の上へ!」

 

この小男は舞台を使ってくれることが嬉しくて堪らないようだ。いきなりテンションが上がったフリットウィックに従って、舞台に上がってハリーと向き合う。……少しは手応えを見せてくれよ、ハリー。キミには強くなってもらわなくちゃならないんだ。

 

「本気できてくれ、リーゼ。勝てるとは思ってないけど、今の自分がどれくらい出来るのかを知りたいんだ。」

 

杖を眼前に立てながら言うハリーに対して、私も同じ格好で返事を返す。

 

「ああ、『本気』でいかせてもらうよ、ハリー。私は負けず嫌いなんだ。良く知っているだろう?」

 

同時に杖を振り下ろし、くるりと振り返って舞台の端へと……おや、アリスとスネイプが生徒たちの向こうから呆れたような表情で私を見ている。そんな顔をするなよ。今回のは私から吹っかけたんじゃないぞ。吹っかけられたんだ。

 

弁解の視線を送ってから舞台の端で振り返って杖を構えると、フリットウィックが開始の合図を放ってきた。

 

「では、開始!」

 

「エクスペリアームス!」

 

「ペトリフィカス・トタルス。」

 

開始直後、ハリーの武装解除術と私の全身金縛術が空中で激突する。……おいおい、思ったよりやるじゃないか、ハリー。今のは結構速かったぞ。

 

弾かれてあらぬ方向へと飛んでいく呪文には目もくれず、ハリーは素早く追撃を放ってきた。

 

「フリペンド……グリセオ(滑れ)!」

 

「プロテゴ、フィニート(終われ)。」

 

衝撃呪文を盾で防ぐと、今度は私の足元をツルツルに変えてくる。なんとも面白いことを考えるもんだ。苦笑しながら終わらせ呪文で元に戻したところで、ハリーが再び杖を振り上げるが……次は先手を頂こうか。防御のお手並みを拝見だ。

 

「タラントアレグラ。」

 

「くっ、プロテゴ!」

 

これはこれは。授業での成功率は三割を切っていたというのに、ハリーはここ一番で盾の呪文を成功させた。先程の滑らかな杖捌きといい、もしかすると本番に強いタイプなのかもしれない。日々の努力を是とするハーマイオニーが聞いたら怒りそうだ。

 

インカーセラス(縛れ)!」

 

「デパルソ。」

 

ハリーの生み出した縄を私が吹き飛ばすが……ふむ? どうやらそれは予想済みだったようで、ハリーはすぐさま杖を突き出しながら大きく叫ぶ。

 

「ルーモス・マキシマ!」

 

目眩し……というか、目潰しに近いな。恐らく強い光で視界を奪おうとしたのだろう。手持ちのカードを存分に使うところを見るに、どうもハリーは戦いへの適性があるらしい。魔法は発想力。それがアリスの口癖なのだ。

 

まあ、見事な奇策だった。もしかしたら大人でも引っ掛けられたかもしれないほどに。……しかし、残念なことに光というのは私の得意分野だ。暗闇も光も。私の能力のお陰で味方にはなれど、敵に回ることは有り得ない。詰めの一手をハリーが放つ直前、光を直視しながら呪文を放った。

 

「エクスペリ──」

 

「エクスペリアームス。」

 

杖を振り下ろす直前のハリーに私の武装解除術が激突する。……いやはや、想像以上だったぞ。ハリーはまだ十二歳なのだ。それでこれだけやれるなら、充分に将来有望だと言えるだろう。

 

飛んできた杖をキャッチすると、ハリーが苦笑しながら歩み寄ってきた。

 

「参ったよ。最後の目眩しは自信あったんだけど……やっぱりリーゼには敵わないね。」

 

「いやいや、結構焦ったよ。授業で見るよりも随分と呪文のキレが良かったじゃないか。」

 

「なんて言うか、相手がいるとやり易いのかも。……変かな?」

 

「別に変ではないと思うよ。きっと実戦に強いタイプなんだろうさ。試験じゃ困るだろうけどね。」

 

ハーマイオニーとは正反対だな。会話しながら舞台を下りれば、フリットウィックがペチペチ拍手しながらのお出迎えだ。えらくご機嫌じゃないか。

 

「素晴らしい闘いでした!どちらも二年生とは思えないほどです。グリフィンドールに五点を差し上げましょう!」

 

いつの間にか舞台を囲んでいた生徒たちも拍手をしている。……まあ、スリザリン生は当然していないが。みんな大好き決闘クラブも、獅子寮と蛇寮の隙間を埋めるには至らなかったようだ。

 

適当に手を振って応えながら四人の下へと戻ろうとしたところで、ハリーがこっそり話しかけてきた。

 

「三回目にまたやろうよ、リーゼ。次こそはもう少し頑張ってみせるから。」

 

「んふふ、もちろん構わないよ、ハリー。いつでも受けようじゃないか。」

 

ハリーが少しでも強くなってくれるのならやる価値はあるだろう。……ふむ、私が手ずから鍛えるってのも悪くない考えだな。ゲラートもパチュリーも最初から杖魔法は私より上だったし、アリスやフランなんかは勝手に強くなってしまった。ここらで師匠ごっこをしてみるのも面白そうだ。

 

ま、しばらく先の話になるか。せめて無言呪文を使えるようになる……五年生あたりか? いや、特訓すれば四年生にはいけそうだな。そのあたりで練習を提案してみよう。これだけ決闘を楽しんでいるのだ。きっとノリノリで応えてくれることだろう。

 

生き残った男の子特訓計画を考えながら、アンネリーゼ・バートリは興奮した様子の四人へと歩み寄るのだった。

 



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ナチュラル・エネミー

 

 

「素晴らしいわ、アンネリーゼ。グリフィンドールに五点を差し上げましょう!」

 

目の前でシニストラが高らかにそう言うのを、アンネリーゼ・バートリは忌々しい気分で聞いていた。耐えるんだ、リーゼ。この拷問はすぐに終わる。

 

「どうも。」

 

「見事な天体図だわ。三月の夜空が巧みに表現できています! 上手に出来てとっても偉いわよ。」

 

「……どうも。」

 

この女を殺すべきか、私が死ぬべきか。二年生になってもシニストラの『猫可愛がり』は続いているのだ。お陰で私は天文学の授業が迫ると胃がキリキリ痛むようになってしまった。シニストラが吸血鬼殺しの偉業を成し遂げる日も近いぞ。

 

この件に関してだけはフランが死ぬほど恨めしい。甘え上手なあの子のことだ。尋常じゃないレベルで可愛がられたに違いない。……出来れば吸血鬼にも個性があることを伝えて欲しかった。

 

「さあ、ここに座って頂戴? 貴女ならもうちょっと難しいお勉強も出来そうだわ。」

 

「非常にありがたい提案だが、私は友人を手伝ってくるよ。」

 

「まあ、素晴らしい! お友達想いなのね。グリフィンドールに一点!」

 

膝をポンポンしながら言うシニストラの提案を蹴って、バカバカしい理由の加点を背にしながらハリーたちの方へと歩き出す。さらばだ、我が天敵。二度と話しかけてくるなよ。

 

ちなみにハグリッドは今なお司法の狭間に閉じ込められているが、最近の三人組はすっかり元気を取り戻している。先日行われたダンブルドアの演説が効いたのかもしれない。夕食の席で生徒全員に対して、『あくまで形だけの拘束であり、魔法省の勘違いであると確信している』みたいなことを長々と喋っていたのだ。

 

とはいえ、アズカバン送りになればそうも言っていられまい。親マルフォイの頑張り次第では、また『探偵ごっこ』が始まるのは容易に想像できるぞ。もうちょっと頑張ってくれ、レミリア。

 

うんざりしながら自分の望遠鏡の前に置かれた椅子に座ると、左隣のロンが話しかけてきた。

 

「シニストラは君が頼めばいくらでも加点してくれるぜ。しっかり望遠鏡を設置できているから三点! ローブをちゃんと着れてるから三点! 上手にあんよができるから五点!」

 

「それ以上言うと突き落とすよ、ロン。中庭の染みになりたくないなら口を閉じるべきだね。」

 

ギロリと睨んで脅しつけてやると、ロンは肩を竦めながら火星を描く作業に戻る。位置が真逆だ、バカめ。

 

そのまま望遠鏡を片付け始めたところで、今度は右隣のハーマイオニーが口を開いた。私とシニストラの寸劇もなんのその。彼女は自分の天体図を描くのに夢中だ。

 

「ねえ、リーゼ。どこが間違ってるか分かる? 全部描いたのに数が合わないのよ。」

 

「『隠れん星』は描いたかい? 中世のバカ魔女が見えなくしたやつ。」

 

「ああ……抜けてたわ。最悪の魔女だかなんだか知らないけど、モルガナも余計なことをしてくれるわよね。やっつけたマーリンの偉大さが再確認できるわ。」

 

苛々と呟きながら天体図を修正していくハーマイオニーを尻目に、その向こうで黙々と作業しているハリーに歩み寄る。こうやって誰かと話していないと笑顔のシニストラが近寄ってきて話しかけてくるのだ。つくづく忌々しい授業だな、まったく。

 

「ハリー、そっちはどうだい?」

 

「ん? ああ、リーゼ。まあ……いつも通りかな。」

 

自信無さげなハリーの肩越しに、彼の描いた天体図を覗き込んでみると……うーむ、明らかに間違っているのだが、間違いが多すぎて何処が間違っているのかが分かりにくい。彼だけは別の夜空を見上げているようだ。

 

「キミね、何処の世界の夜空を描いてるんだ? 少なくとも地球じゃないぞ、これは。」

 

「あー……一応、『あれ』を描いてるつもりなんだけど。」

 

夜空に広がる満天の『あれ』を指差しているが、ジト目で見てやると指先は自信なさげに垂れ下がっていった。自覚はあったか。

 

「絶対に課題になるよ。ご愁傷様。」

 

ニヤリと笑いながら肩を叩けば、ハリーは絶望した表情で大きなため息を吐く。生き残った男の子はお星様を描く宿題がお嫌いらしい。

 

なんたって、天文学の課題ほど面倒なものはないのだ。夜しか進められないが、授業以外では基本的に外出禁止。お陰で談話室の窓にへばりついて、狭いスペースで必死に描き込むことになる。だからこそ課題に残すまいとこの授業ではみんな必死になるわけだ。

 

さて……そろそろ授業は終わるはずだぞ。『物凄く忙しいですよ』という雰囲気を出しながら望遠鏡をケースに仕舞う。頼むから話しかけてくるなよ、シニストラ。胃薬は苦いから嫌いなんだ。

 

どうやら私の切なる願いは通じたようで、懐中時計をチラリと見たシニストラが授業の終了を宣言した。

 

「……時間です! 完成した天体図を提出するように! 出来なかった者は、次回への課題となりますからね!」

 

よしよし、さっさと帰ろう。途端にゾロゾロと提出し始めた生徒たちを尻目に、いの一番で天文塔の螺旋階段を飛び下りる。ここで提出するとなんやかんやと足止めされるから事前に提出しておいたのだ。それに、生徒たちが集まる前で晒し者にされるのは御免蒙る。

 

悪夢から逃れられたことにホッとため息を吐いていると、しばらくして下りてきたハリーたちが近寄ってきた。

 

「何も飛び下りることはないじゃないか、リーゼ。上でネビルが腰を抜かしてたよ。……そんなにシニストラが嫌いなの?」

 

「キミならどうだい? 望遠鏡のピントが合わせられるのを延々とべた褒めされたら嫌にならないか? 靴がきちんと履けてるからって加点されたら?」

 

「まあ……それは嫌だけど。」

 

理解してくれたようで何よりだ。ちょっと引きつった顔で言うハリーに背を向けて、談話室へと歩き出す。飛行術と同じようにこの授業もボイコットを考えたほうがいいかもしれない。……くそ、良い感じの理由が思い浮かばないぞ。

 

何度目かの同じ思考に沈む私に、慌てて隣に歩調を合わせてきたハーマイオニーが話しかけてくる。

 

「ねえ、寮に戻ったら武装解除術の練習に付き合ってくれない?」

 

「別に構わないが、そんなに急いで言うことじゃないだろうに。」

 

「だって、貴女ったらすぐに何処かへ消えちゃうんだもの。まるで透明マントを持ってるみたいだわ。」

 

惜しい。マントじゃなくて能力だ。なかなかの名推理に苦笑しながら、ハーマイオニーに向かって口を開いた。

 

「さすがにそんな物は持ってないさ。……しかし、武装解除術? 決闘クラブ対策かい? アリスは授業じゃまだやらないって言ってたじゃないか。」

 

「そうだけど、進捗次第では今年中にはやる可能性があるともおっしゃってたわ。三回目の決闘クラブのこともあるし、今のうちから練習しておかないと。」

 

「なんともまあ、大した努力家だね。」

 

同学年の生徒たちはようやく盾の呪文をモノにし始めたばかりだというのに、この子は更に先まで進みたいようだ。ハリーや私が使い熟しているのが悔しいのかもしれない。

 

四人で殆ど姿を見なくなった鶏の行方について話していると、いつの間にか談話室までたどり着いていた。ロンはマグルの養鶏場に行ったと主張したが、私は真実を知っている。ホグワーツではしばらく鶏肉に困らなくなったのだ。

 

合言葉を告げて談話室へ入ると、ハリーとロンは急いで窓際へと向かって行った。人の少ないうちに面倒ごとを終わらせようというつもりらしい。先程完成させられなかった天体図を手にしている。

 

それにハーマイオニーと二人で呆れた目線を送りながら、クッションを準備して呪文の練習の準備をしていると……おや、ジニーだ。相変わらずの暗い顔で談話室にトボトボ入ってきた。葬式の帰りみたいな雰囲気だな。

 

あの小娘は何が悲しいのか知らないが、最近はいっつもあの調子なのだ。朝起きたらどんより、昼食でどんより、そして夕食後もどんより。お陰で最近は孤立しつつある。

 

私の目線を追ったハーマイオニーが、ちょっとだけ心配そうな表情で口を開いた。

 

「クリスマス休暇で元気を取り戻すと思ってたんだけど……ダメだったみたいね。おまけにパーシーもちょっと変だし。」

 

「切り裂かれたことで心境の変化でもあったんだろうさ。さぞ衝撃的な体験だったに違いない。」

 

軽く答えたが、確かに最近のパーシーはおかしい。口煩さが消えて、いつもジニーの方を気にしているのだ。最初は双子もようやくジョークを理解出来るようになったのだと喜んでいたが、監督生バッジを付け忘れるようになったあたりから心配の色が上回り始めた。

 

今もほら、それとなくジニーの方を見ている。妹を心配しているにしては……うーむ、ちょっと厳しすぎる顔のようにも見えるな。見守るというよりかは監視に近いぞ。兄妹だと知らなければ魔法警察を呼んでいるレベルだ。

 

「まあ、色々あったからだと思うわ。時間が解決してくれるでしょう。」

 

「そうだね。それじゃ、やろうか。」

 

ハーマイオニーの二年生にしては妙に達観した意見に頷きながら、杖を構えて呪文を待つ。実は私にとってもいい訓練になるのだ。普通にやったら効かない呪文をわざと食らうというのは中々に難しいのだから。……使い道は少ないだろうが。

 

「エクスペリアームス!」

 

ハーマイオニーの呪文が私を大きく外れて談話室に入ってきたロングボトムに激突したのを見ながら、アンネリーゼ・バートリは長くなりそうな練習にちょっとだけため息を吐くのだった。

 

 

─────

 

 

「それじゃあ、今日も実際にやってみましょう。ゆっくりと、慎重にね。」

 

私の言葉に頷く一年生たちを見渡しながら、アリス・マーガトロイドは杖を振って机を退かした。的になるクッションも設置して……うん、これでよし。

 

早速とばかりにクッションへと衝撃呪文を撃ち込み始めた一年生たちを見ながら、杖の振り方を間違えている生徒たちに修正を加える。いやはや、なんとも可愛らしい姿だ。やはり一年生の授業は和むな。

 

イースター休暇が間近に迫ったホグワーツは、すっかり平和を取り戻している。……表面上は、だが。

 

バジリスクも鶏もいなくなったが、尚も変わらず切り裂き魔としもべ妖精は野放しなのだ。そしてそのどちらもが姿を現さないでいる。リーゼ様なんかはもうとっくに城にはいないと思っているらしい。……確かにその可能性は大きそうだ。

 

お陰でハグリッドはいよいよ窮地に立たされてしまった。レミリアさんとダンブルドア先生はなんとかしようと頑張ってくれているが、今月末にもアズカバンへ移送される予定なのだ。軽警備の上層とはいえ、ハグリッドの心境を思うと胸が痛む。

 

どうにかしなくてはと思うものの、あまりにもヒントが無さすぎる。ルシウス・マルフォイを黙らせるには、バジリスクとハグリッドが無関係であることを証明する必要があるのだ。残念ながらハグリッドの『飼育史』を考える限り、証明するのはかなり難しいと言わざるを得ない。

 

思考に沈んでしまっていた私を、教室に響くくぐもった声が引き上げる。慌てて発生源を見てみれば……ラブグッド? レイブンクローの女の子が倒れているのが見えてきた。

 

「ラブグッド、どうしたの?」

 

「ン……なんでもない。」

 

いやいや、何でもなくはないだろう。明らかに手のひらを擦りむいているし、脇腹をちょっと押さえているのだ。

 

チラリと近くにいたレイブンクローの男子生徒二人に視線を送ると……おっと、居心地悪そうにモジモジし始めたぞ。大方、衝撃呪文の『試し撃ち』でもしたんだろう。やんちゃ坊主どもめ。

 

「貴方たち、ラブグッドに呪文を当てたのね?」

 

腰に手を当てながら『私は怒ってますよ』という雰囲気で言ってやれば、小さな犯人たちは慌てて弁解を主張してきた。

 

「でも、そいつが変なことを言うからです!」

 

「そうです! 僕たちに変なものが取り憑いてるだとか、病気になっちゃうだとか……そんなことを言われたんです!」

 

「だとしても呪文を人に当てていい理由にはならないわ。レイブンクローから五点減点。……それぞれ、よ。」

 

付け足した言葉に項垂れる生徒を尻目に、ラブグッドの擦り傷を癒すために杖を当てる。計十点の減点は結構痛いだろうが、この年頃の子たちは呪文をすぐに使いたがるのだ。厳しめにいかないとそこら中で使い始めてしまう。

 

「エピスキー。さあ、これでいいわ。」

 

「ありがと、マーガトロイド先生。」

 

無表情でボソリとお礼を言ったラブグッドは、そのまま離れた場所で呪文を練習し始めてしまった。……うーむ、難しい子だ。孤立しているのをどうにかしたいとは思うのだが、今まで接したことのないタイプだけになかなか取っ掛かりが掴めない。リーゼ様とは仲が良いようだが、一体どうやって接しているのだろうか?

 

内心でため息を吐きながら、再び生徒たちの間を歩き出す。アドバイスを呼びかけているうちに、もう一人の気になっている生徒が見えてきた。言わずもがな、ジニーである。

 

何度か声をかけてはいるのだが、決して悩みを打ち明けてはくれないのだ。平気です、なんて言ってるものの……とてもじゃないが、平気なようには思えないぞ。今も沈んだ顔のままで機械的に呪文を練習している。見てて痛々しくなる光景だ。

 

「ジニー、もう少し軽く振るくらいで大丈夫よ。そんなに強く突き出す必要はないわ。」

 

「……はい、アリスさん。フリペンド!」

 

呪文自体は問題ないが……よし、決めた。授業が終わったらもう一度声をかけてみよう。お節介かもしれないが、どうにも放っておけないのだ。

 

決意を固めながら、再び生徒たちの間を歩き始めた。

 

───

 

「ジニー、ちょっといいかしら?」

 

授業終了後、さっそくジニーに声をかけてみると、彼女は頷いてこちらに近付いてきてくれた。机の一つに座って向かい合い、杖を振って紅茶を出してから、なるべく優しい声を意識して話しかける。

 

「ねえ、悩みがあるんでしょう? 私に何か協力できることはないかしら? ……迷惑だったらごめんなさいね。でも、力になりたいのよ。」

 

しっかりと目を覗き込みながら語りかけると、ジニーは一瞬泣きそうな顔で何かを口にしようとするが……ダメか。俯いてふるふると首を振ってしまう。

 

「迷惑なんかじゃありません。とっても嬉しいです。……でも、私は大丈夫ですから。」

 

「そう? 私にはそうとは思えないわ。私がダメなら、モリーは? アーサーでもいいわよ? 話せそうな人はいないかしら?」

 

「あの……私、本当に大丈夫ですから! 失礼します!」

 

ガタリと立ち上がったジニーは、そのまま教室を出て行ってしまった。……ああもう、私のバカ! 失敗してしまったじゃないか!

 

頼みの綱のパーシーは最近うわの空だし、双子は選択肢にも入らない。元気付けようとして、タランチュラの死骸なんか見せられたら堪らないのだ。

 

ロンは……そうだな、ロンに頼んでみるか。二年生ということでちょっとだけ頼りないが、一番年の近い兄妹なのだ。もしかしたら悩みを打ち明けてくれるかもしれない。

 

残ってしまった机の上の紅茶を消し去りながら、アリス・マーガトロイドは教師の難しさを再認識するのだった。

 



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選択授業

 

 

「目移りしちゃうわ!」

 

ハーマイオニーの心底嬉しそうな悲鳴を耳にしながら、アンネリーゼ・バートリはミートパイを一切れ皿に盛っていた。今の彼女には朝食など目に入らないようだ。

 

これが色とりどりの洋服を前にした反応なら年相応で可愛らしいかもしれないが、残念ながらハーマイオニーの前にあるのは選択授業のリストである。全然可愛くない。むしろちょっとした狂気を感じられて怖いぞ。

 

イースター休暇の間に三年生からの選択授業を決めるようにとの通達があったのだ。お陰で二年生はどの授業が一番『マシ』なのかを調べるのに必死になっている。……もちろんハーマイオニー以外は、だが。

 

「どれにしましょう? 数占いも楽しそうだけど、占い学だって興味があるわ。でもルーン文字だって取りたいし、飼育学やマグル学も……ダメ、目移りしちゃう!」

 

残念ながら、もはや目移りしちゃってるハーマイオニーに反応する者はいない。ロンはうんざりしたようにパンを千切っているし、私とハリーだってもういい加減にして欲しいのだ。昨日の夜から一分に一回は『目移り』しているのだから。

 

ニマニマした笑みで来年の時間割を凝視しているハーマイオニーを完全に無視して、パンを金魚の餌並みに分割していたロンが口を開いた。

 

「まず、数占いは無しだな。パーシーにとって『やり甲斐のある』授業なんだ。ロクな内容じゃないに決まってる。」

 

「それと、マグル学もね。ダーズリー家で嫌ってほど学んだよ。」

 

ハリーが呼応するように選択肢を絞り込んだのを横目に、ミートパイの端っこをナイフで切り分ける。この部分はパサパサしてて好かん。こんなもん、鳥の餌にでもすべきなのだ。

 

いざパサパサ抜きのミートパイを食べようかというところで、マグル学に大きなバッテンをつけたハリーが話しかけてきた。

 

「リーゼはどうするの?」

 

「ん、そうだね……先ず占い学は無しだ。『たわ言』はもう間に合ってるよ。それに、マグル学も興味なし。唯一興味があるのはルーン文字かな。」

 

トレローニーが一度だけ本物の予言をやってのけたのは知っているが、同時にアル中の妄言家だというのも知っているのだ。大体、予言とかいう面倒くさい代物はレミリアで間に合っている。授業で習いたいとはとてもじゃないが思えない。数占いとかいうのも同様だ。

 

マグル学に関しては普通に興味がないし、飼育学は……ケトルバーンの手足で『まとも』な部分が一本だけなのを見るに、残念ながら楽しい授業だとは思えないぞ。そもそもバートリ家の令嬢が畜生の世話? 冗談にもならん。

 

多種族のことを学ぶのは悪くない考えだが、アリスが言うには飼育学の範囲では『獣』しか扱わないようだし……うん、ルーン文字だけでいいな。そもそも授業の数を増やすなど狂気の沙汰なのだ。シニストラ二世が現れないとも限らないのだから。

 

私がハリーに対して答えを言い切ったところで、ハーマイオニーが勢いよく顔を上げた。つまり、ミートパイはしばらくお預けだ。

 

「ルーン文字を取るの? どうして? 知り合いから話を聞いたの? どんな授業か知ってるの? 難しそうだった?」

 

「落ち着いてくれよ、ハーマイオニー。質問お化けになってるぞ。」

 

「でも、他人の意見も聞きたいのよ。目移りしちゃって。」

 

「ああ、目移りしてるね。それは昨日から重々承知しているよ。」

 

ちなみにハリーはもう逃げた。わざとらしくロンに話しかけているハリーを睨みつけていると、ハーマイオニーは嬉しさと不安がない混ぜになった顔で話を続けてくる。ミートパイが冷めるぞ……。

 

「これは将来に関わる重要な問題なのよ? どれを選ぶかで職業の選択肢も決まっちゃうの。真剣に考えないとダメだわ。」

 

「二年生で真面目に将来のことを考えているのはキミだけだと思うがね。大抵は『マシ』な授業探しに夢中さ。」

 

「そういう人は七年生で後悔することになるわ。絶対よ。」

 

まあ、確かにその通りだ。その通りだが、こと吸血鬼に関してはキャリア形成など必要ない。幻想郷に旅立つ私にとっては頗るどうでもいい問題なのである。まさか日本の辺境でホグワーツの学歴が意味を持つことなどあるまい。

 

「ま、自分に向いている授業を選ぶのが一番さ。結局それが将来に繋がることになるだろうしね。」

 

「そうだけど、全部取りたいくらいなのよ。」

 

「全部取ればいいじゃないか。」

 

「それは……無理でしょう? 出来るの?」

 

キョトンとした顔に変わったハーマイオニーに、肩を竦めて言い放つ。少なくとも前例はあるのだ。

 

「何をどうやったのかは知らないが、全科目取ってるヤツは過去にいたよ。マクゴナガルにでも相談してみたらどうだい?」

 

フランの話が正しいなら、咲夜の父親は全科目取っていた。そしてトム・くそったれ・リドルも取っていたし、近いところだとパーシーもそんなことを言っていた気がする。嘆かわしいことに、勉強中毒なのはハーマイオニーだけではないらしい。

 

なんにせよ、ハーマイオニーにとっては今世紀最高の情報だったようだ。嬉々とした表情で頷きながら全科目に丸をつけているのだから。マクゴナガルがどんな方法を提供するのか知らないが、彼女が過労死する日も近いかもしれない。

 

まあいいさ。これでようやく愛しのミートパイに向き合う時間ができた。すまんな、ミートパイ。もう誰にも邪魔はさせないぞ。

 

少し冷めたそれを、微妙な表情で口に運ぶのだった。

 

─────

 

しばらくは三年生の授業選びに夢中だったハリーとロンだったが、五月に入るとそうも言っていられなくなった。ハッフルパフがレイブンクローに圧勝した結果、クィディッチ優勝杯を手に出来る確率が高まったのだ。

 

そして当然ながらウッドの『病的な』練習は苛烈さを増した。彼にとって『連覇』という二文字は些か以上に魅力的すぎるものだったようだ。今や朝食前に練習、昼食時に作戦会議、そして夕食後にも練習している。イカれてるぞ。

 

結果としてハリーに宿題を片付けるような時間は与えられず、ウッドの熱意はドミノ倒しのようにハリーの不幸を招いたわけだ。……つまり今は魔法薬学の授業中で、ハリーは宿題を終わらせることが出来なかったのである。

 

「吾輩はこう思うのだよ、ポッター。失態には罰を与えるべきだと。そうでなければ反省できない人間もいるのだ。分かるだろう?」

 

「はい、先生。」

 

地下教室にはスネイプの歩き回るコツコツという足音、スリザリン生のクスクス笑い、私のトントンという机を叩く音が鳴り響いている。この『吊るし上げ』が始まってからもう五分は経ったぞ。ハリーの両腕は握り締められて蒼白になっているのだが、スネイプは未だに満足できないらしい。

 

「吾輩は確かに言ったはずだ。課題をこなせなかった者には然るべき対処をする、と。聞いていなかったのかね? ポッター。」

 

「……聞いていました。」

 

「おや、おや。それは不思議だ。聞いていたのに持ってこなかったということか。大スターのハリー・ポッターなら許されると? 自分だけは特別扱いされるとでも?」

 

「違います、先生。」

 

まあ、ある意味で特別扱いではある。少なくとも他の生徒なら、馬鹿みたいに長い羊皮紙を埋めてくるように言われてそれで終わりだろう。ネチネチとしつこく晒し者にしたりはしないはずだ。

 

いい加減飽きてきた私がトントン音を大きくするが、スネイプはチラリと見ただけでそっぽを向いてしまった。こいつ……いい度胸じゃないか。

 

「そろそろ授業を始めたらどうだい? スネイプ『先生』。」

 

「……発言を許した覚えはないぞ、バートリ。」

 

「しかしだね、ヒマなんだよ。生徒のことを小姑よろしくイビリ倒している暇があるなら、給料分の仕事をするべきじゃないかな?」

 

ニヤニヤ笑いの私と、鉄仮面のスネイプが睨み合う。隣のハーマイオニーが顔を白くしながら机の下でローブを引っ張ってくるが……こんなもんちょっとジャレてるだけだろうに。多分スネイプも楽しんでいるさ。多分ね。

 

そのまま少しだけ睨み合った後、スネイプは不意に目を逸らして黒板へと歩き出した。

 

「……教科書の五十八ページを開きたまえ。今日は特殊な火傷に対する治療薬を……いつまで突っ立っているのかね? ポッター。授業を妨害した罰として、グリフィンドールから二点減点。」

 

おやおや、転んでもただでは起きないヤツだな。理不尽な理由で見事にハリーへの減点を決めたスネイプは、そのまま満足そうに授業を進めていく。

 

ま、ある意味では優秀な働きっぷりだともいえるだろう。スネイプが継母よろしくハリーをイビり、私がそれを助け出す。……いや、酷いマッチポンプだな。絶対に意識してやってるわけではないだろうが。

 

そのまま火傷の治療薬とかいう吸血鬼には無用な魔法薬の説明が終わると、いつものように調合の時間となった。

 

「私は材料を取ってくるから、リーゼは器具の準備をお願いね。」

 

「了解だ。」

 

頼りになるハーマイオニーに細かいことは任せて、天秤やらすりこぎやらの準備をしていると、ハリーが近付いて声をかけてくる。そらきた、マッチポンプは大成功だ。今年の頑張ったで賞もスネイプで決まりだな。

 

「リーゼ、さっきはありがとう。」

 

「ああ、構わないさ。今日のスネイプはちょっとしつこすぎたしね。」

 

「うん……でも、宿題を忘れたのは失敗だったよ。よりにもよってこの授業のを忘れるなんて。」

 

「ウッドに練習を減らすように言うべきだと思うが……まあ、無理か。」

 

ウッドが練習を減らそうと言っている光景は、スネイプが陽気にフラダンスを踊っているのと同じくらい有り得ない光景なのだ。明日世界が滅びるとしても彼は練習を止めないだろう。

 

それに関してはハリーも同じ考えのようで、苦笑しながら首を振ってきた。

 

「うん、無理かな。次のハッフルパフ戦で勝てば優勝が決まるんだ。それまでは練習を減らすなんて言いっこないよ。」

 

「ふぅん? まあ、精々頑張りたまえ。」

 

ちょうど材料を仕入れてきたハーマイオニーとロンが戻ってきたので、話を切り上げてそれぞれの鍋へと戻る。

 

材料を秤に乗せていると、謎の干し肉を刻んでいたハーマイオニーが口を開いた。

 

「……ハグリッドは大丈夫かしら?」

 

ここ数日で何度も出てきた疑問だ。となれば、私もいつものように答えるしかない。

 

「大丈夫さ。一言でアズカバンと言っても、ハグリッドが入れられたのは上層の方だ。魔法省と大して変わらないよ。」

 

半分本当で半分嘘だ。アズカバンの上層が多少マシなのは本当だが、魔法省の拘留室と比べれば天と地だろう。いやまあ、私は実際行ったことないから想像だが。

 

「そうだといいけど……やってないことを証明しろだなんて、魔法省は滅茶苦茶だわ。彼らこそやったことを証明すべきなのよ。」

 

「残念ながら、魔法使いというのはキミほど論理的じゃないのさ。」

 

「それに関しては、ホグワーツに来て嫌ってほど理解できたわ。」

 

どうやらハーマイオニーは一つの真理に到達できたようだ。魔法も、魔法使いも、魔法省も、魔法法も。基本的にはいい加減なものなのである。

 

呆れたとばかりに首を振るハーマイオニーに苦笑しながら、何かの目玉をもう一つ秤に乗せた。

 

─────

 

そして瞬く間に二日が過ぎ、いよいよハッフルパフ戦の日となった。ウッドも昨日ばかりは選手たちを早めに休ませたようで、朝食のテーブルに着くハリーは早くもやる気に満ち溢れている様子だ。

 

ソーセージをケチャップ塗れにしつつ、ロンがスリザリンのテーブルに目を向けながら口を開いた。

 

「気をつけろよ、ハリー。スリザリンはグリフィンドールに連覇させたくないんだ。何をしてくるかわかんないぞ。」

 

「対戦相手はハッフルパフだよ? キミは逆のテーブルを睨むべきだね。」

 

言ったはいいが、確かに警戒すべきはスリザリン生な気もする。ハッフルパフはフェアプレイで有名だし、スリザリン生がこちらを憎々しげに見ているのを見るに、ロンの推論はそう間違っていないのかもしれない。

 

ハーマイオニーもそう思ったようで、目玉焼きをトーストに乗っけているハリーに向かって注意を投げかけた。

 

「グリフィンドール生から離れちゃダメよ。あなたはシーカーなんだから。」

 

「うん、そうするよ、ハーマイオニー。」

 

こっくり頷いてトーストを齧るハリーは、そんなに気負ってはいないようだ。昔は試合の前は緊張で喉を通らない様子だったが、さすがにもう慣れてきたらしい。

 

誰もが試合の話をする中、私もソーセージを何本か皿に盛ろうとした所で──

 

『生徒たちは監督生の指示に従い、速やかに寮へと戻りなさい! 今日のクィディッチは中止です!』

 

おおっと、魔法で拡声されたマクゴナガルの声が大広間に響き渡った。一瞬の静寂に包まれた大広間だったが、やがて生徒たちの怒号がその場に響く。

 

「有り得ないぞ! 大事な試合なのに!」

 

驚愕どころかこの世の終わりみたいな顔で叫ぶウッドを見ながら、教員テーブルへと視線を注ぐと……スネイプが目線を合わせてコクリと頷いてきた。いや、分からんぞ。どういう意味のアイコンタクトなんだ?

 

残念ながらスネイプにはこちらの疑問は通じなかったらしく、そのまま立ち上がって大広間を出て行く。マクゴナガルといいスネイプといい、ホグワーツの教職員にはアイコンタクトを押し付ける癖があるようだ。レミリアだったら以心伝心だというのに……うん、今度会ったらちょっと優しくしてやるか。

 

まあ、とりあえずはハリーにひっ付いておこう。何が起こったのかは分からんが、ダンブルドアもアリスもいるのだ。わざわざ私が動くようなことにはなるまい。

 

トーストを落っことしてポカンと大口を開けているハリーと、両手を振り回しながら抗議の叫びを放っているロンを見ながら方針を決めたところで、隣で冷静な表情をしているハーマイオニーが話しかけてきた。

 

「また何か事件かしら?」

 

「どうだろうね? 何にせよ、あまり良い事じゃないのは確かみたいだよ。」

 

「期末試験が中止にならなきゃいいんだけど……。」

 

……正気か? この状況で期末試験の心配をしているのは、この広いホグワーツでもハーマイオニーだけのはずだ。狂ってるぞ。

 

思わず隣に座る友人にかける言葉を見失いながら、アンネリーゼ・バートリはちょっとだけ顔を引きつらせるのだった。

 



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第三の事件

 

 

「……一年生が襲われたの?」

 

ホグワーツの教員用休憩室で、アリス・マーガトロイドは沈痛な表情のフリットウィックへと問い返していた。

 

事件が起こってからは数時間が経過しているが、クィディッチ競技場の安全点検をしていた私は未だに全貌を把握していない。生徒たちを寮へ送ったり、防衛魔法の確認をしていたりでなかなか話を聞く時間が作れなかったのだ。

 

ようやく全ての作業が終わり、休憩室に居たフリットウィックに話を聞いたところ、朝食に向かおうとしていた一年生が三人襲われたとのことだった。ハッフルパフの男子生徒三人組。……いつも授業で元気な様子を見せてくれていた子たちだ。想像するだけでも心が痛む。

 

私の質問を受けたフリットウィックは、疲れ果てた表情で頷いてきた。

 

「その通りです。既に聖マンゴに搬送されましたが、内二名は意識が戻らず、一名は酷く錯乱しているようで……。」

 

「……パーシーの時と同じ犯人かしら?」

 

「外傷はありませんでしたが、明らかに闇の魔術を受けた様子でした。その可能性は十二分にありますな。」

 

「忌々しいことをしてくれるじゃないの。一年生を襲うだなんて、余程のクソ野郎ってことね。」

 

全くだと言わんばかりにフリットウィックが頷くのを見ながら、脳内では思考を回す。

 

侵入者の形跡は一切なかったし、秘密の部屋の入り口や各所のパイプにかけておいた警戒魔法も無反応。監督生たちが生徒から不審者の情報を集めてくれているが、そっちでも有力な情報は上がらなかったようだ。いよいよ訳が分からなくなってきたぞ。

 

しもべ妖精の可能性は残っているものの、彼らはそもそも闇の魔術なんか使えるのか? ……どうもピンとこないな。大体、しもべ妖精はハリーを狙っていたはずだ。無関係な一年生を襲う理由などどこにもない。

 

ぐるぐると回る思考は、どんどん深みに嵌っていく。思い悩む私に向かって、フリットウィックが元気付けるように声をかけてきた。

 

「しかし、これでハグリッドの疑いは晴れましたな。彼は魔法省の監視下にあったのです。事件など起こせるはずがない。」

 

「それは……そうね。これでルシウス・マルフォイも大人しくなることでしょう。」

 

ハグリッドはアズカバンに閉じ込められているのだ。脱獄してホグワーツに戻り、一年生を襲う? そんなこと出来るはずがない。これでようやく彼をホグワーツに戻すことができる。

 

とはいえ、こんな方法では嬉しくもなんともない。被害に遭った子たちも勿論心配だが、残された一年生たちは大丈夫だろうか? 怯えていなければいいのだが……。

 

思わず額を押さえていると、ドアからマクゴナガルが入ってきた。彼女もかなり疲れた表情を浮かべている。

 

マクゴナガルは私たちの近くの椅子に座ると、大きなため息を吐きながら口を開いた。

 

「理事会からの突き上げがありました。何処から嗅ぎつけたのかは知りませんが、ルシウス・マルフォイが今回の責任を追及してきています。」

 

「まあ、一年生が犠牲になったんだもの。さすがに文句を言ってくるのは分からなくもないけど……今回はどんな『改善案』を提案してきたの? 次は誰をアズカバンに入れたがってるのかしら?」

 

うんざりだ。鬼の首を取ったかのように騒ぎ立てているに違いない。首を振りながらマクゴナガルに問いかけてやると、彼女は珍しく苛ついた表情を隠そうともせずに答えを返してくる。

 

「校長先生の退任ですわ。」

 

「それはまた、気でも狂ったような提案ね。」

 

「有り得ませんぞ!」

 

私とフリットウィックの反応を見ながら、マクゴナガルは我が意を得たりとばかりに捲し立ててきた。

 

「その通りです!彼らは校長先生がバジリスクの問題を見事に解決したのをもう忘れてしまったようですね。校長先生がホグワーツを離れたら犠牲者が増えるとは、露とも考えていないのですよ!」

 

「余計なことを思い付くのだけはお得意らしいわね。考え得る中でも最悪の提案よ、それは。」

 

クソったれのルシウス・マルフォイめ。この状態でダンブルドア先生をホグワーツから引き離すなど狂気の沙汰だぞ。名実共にダンブルドア先生はホグワーツを守る最大の盾だろうに。

 

席を立ち上がって、ドアへと向かって歩き出す。行動せねばならない。ダンブルドア先生抜きのホグワーツなど考えたくもないのだ。

 

「何処へ行くんですか?」

 

「レミリアさんに連絡を入れてくるわ。多分もう動いているでしょうけど……念には念を入れておくべきよ。」

 

背中にかかったマクゴナガルの声に、振り向かずに返事を返してドアを抜ける。レミリアさんがこの短時間で何処まで掴んでいるかは分からないし、詳細を報告するのは悪くない選択のはずだ。

 

長距離連絡用の人形が置いてある自室に向かいながら、アリス・マーガトロイドは謎多き事件について再び思考を巡らせるのだった。

 

 

─────

 

 

「……やってくれるじゃないの、ルシウス・マルフォイ。」

 

紅魔館の執務室で手紙を読みながら、レミリア・スカーレットは吐き捨てるように呟いていた。理事会への根回しに遅れを取ったのだ。

 

高価そうな刺繍入りの手紙には、『ダンブルドアの退任に賛成する、そちらに賛成出来なくて申し訳ない』というようなことがつらつらと書かれている。同じ内容がこれで四通目。つまりは盤上をひっくり返されたわけだ。

 

これで十二人のうちダンブルドアの退任に確実に反対するのは自分を含めて三人だけ。ルシウス・マルフォイも含めて確実に賛成するのが六人。……しくじったな。相手を過小評価しすぎた。

 

残りの三人に連絡を取るまでもない。間違いなく過半数を取られているのだろう。弱みを握ったか、金をチラつかせたか。手段は分からんが、こちらがハグリッドの対処に手を取られている間にあの男は着々と準備を進めていたらしい。

 

ドブネズミのようにコソコソ逃げ回るだけが得意な男だと思っていたが、なかなかどうして政治もできるじゃないか。……ふん、つくづく前回の戦争で殺しておけばよかった。

 

前回の失敗点をまた一つ追加しながら、対応策について考える。ダンブルドアの退任はハグリッドの収監とはわけが違うのだ。ハグリッドが居なくなってもアリスが悲しむだけだが、ダンブルドアが居なくなればホグワーツの防備は半減する。想像もしたくないような状況だ。

 

ハリー・ポッターの保護も勿論だが、来年は咲夜が入学するんだぞ! ダンブルドア抜きのあの学校など、危なくって行かせられない。可愛い我が子のためにも、なんとしてでも阻止する必要があるのだ。

 

一度『外交用』の考えをリセットして、『吸血鬼』の思考に切り替える。……私をナメるなよ。そっちがダーティーな手段を取るなら、こっちにだって考えがあるからな。

 

「めーりーん! 来なさい!」

 

紅魔館の便利屋を呼びつけながら、戸棚にしまった書類を取り出す。この百年で集めた有力者の情報だ。弱みを握っているのが自分だけだと思ったら大間違いだぞ、ルシウス・マルフォイ。

 

先ずは……うん、この手紙を送ってきたバカどもだな。支持する者を間違えたらどうなるかを教えてやらねばなるまい。私は賛同者に飴を惜しむつもりはないが、裏切り者には寛容でないのだ。

 

いくつかの書類に目を通していると、麦わら帽子を被った美鈴が入室してきた。……おいおい、まだ春だぞ。

 

「お呼びですかー?」

 

「お呼びよ。この場所に行って、ガキを攫ってきなさい。適当な場所に監禁するの。……もちろん見られないようにね。」

 

「わぁお。久々に妖怪っぽい仕事ですねぇ。」

 

「死なせちゃダメだからね。」

 

「あいあーい。了解です。」

 

私が突き出した書類を受け取って、美鈴がご機嫌な様子で部屋を出て行く。これで一人転ぶはずだ。大事な息子を人質に取られれば考えを変えることだろう。

 

もちろん人を選んでの対処だ。ここまでせっせと築き上げてきた『ヨーロッパの英雄』の肩書に傷をつけるわけにはいかない。発言力の少ない、取るに足らない小物には強硬策を。重要な人物には柔らかい政治で当たればいい。

 

私はリーゼほど苛烈ではないが、ダンブルドアほど優しくもないのだ。パンやペンを使うこともあるが、剣や拳も使える。彼らはそのことをよく理解できることだろう。

 

次は……コイツだ。二十年前の不祥事を思い出させてやる。その時手助けをしたのが誰だったかを思い出せば、くるりと考えを変えるはずだ。そうでなければ予言者新聞に同じ手紙を送ってやるさ。

 

必要な書類を選び取りながら、レミリア・スカーレットは久々の『楽しい』仕事に胸を踊らせるのだった。

 

 

─────

 

 

「……おや。」

 

トランクの小部屋の中に響く警告音を聞きながら、アンネリーゼ・バートリは運び込んだふかふかのベッドの上で目を覚ましていた。

 

すぐさま服を着替えて部屋を出る……前に、鏡の前で身嗜みのチェックをする。寝癖、なし。服装、よし。翼のシワ、なし。完璧だ。いかに緊急時だとしても、バートリの令嬢は無様な格好を晒すわけにはいかないのだ。

 

うんうん頷きながらも部屋を出てトランクの扉を開く。アリスの部屋に出ると、彼女も既に準備を整えていた。……いや、寝癖がついちゃってるぞ。

 

「リーゼ様、行きましょう!」

 

「そうだね。」

 

急いで飛び出すアリスに続いて、私もグリフィンドール寮へと走り出す。先程の警告音はハリーの身に着けている魔道具が使用された時に鳴る音なのだ。つまりはようやくしもべ妖精の尻尾を掴めたのである。

 

明け方のホグワーツの廊下をアリスと一緒に走り抜けていると……うーむ、アリスの寝癖がぴょこぴょこしてるのがどうにも気になるな。なんかちょっと可愛らしいぞ。こう、ひょいっと掴みたくなるような感じだ。

 

物凄く関係のないことを考えているうちにも、グリフィンドールの談話室へと到着した。アリスが迷わず合言葉を告げているのを見るに、教員は全寮の入り方を知っているらしい。

 

意外な発見をしながら男子寮へと足を進め、ハリーのいる部屋へと向かうと……これはまた、パチュリーの魔道具は大活躍だったようだ。チェーンで雁字搦めになった見覚えのあるしもべ妖精と、どうしていいか分からない顔のハリーが見えてきた。

 

同室のロン、フィネガン、ロングボトム、トーマスはぐっすりとお休み中だ。ハリーは起こさなかったのか? もしくは意味不明な状況に混乱していたのかもしれないが。

 

アリスが杖を構えながら、呆然とこちらを見るハリーに囁きかける。

 

「ハリー、談話室まで来て頂戴。」

 

そっとそれだけを言うと、アリスは人形にボンレスハム状態のしもべ妖精を運ばせながら談話室へと歩き出した。うむ、身動きどころか口もきけないほどに縛り付けられている。さすがはパチュリーの魔道具だ。やりすぎ感が強いところが彼女らしい。

 

なおも疑問符が浮かんでいる様子のハリーだったが、私が人差し指を口に当てながら目線で促すと、コクリと頷いてからついて来た。うんうん、素直が一番だ。

 

無人の談話室に下りたところで、ハリーがおずおずと説明をし始める。

 

「僕、何が起こったのかわかんなくって。いきなり首のチェーンが外れて目が覚めたら、ドビーが転がってたんだ。つまり、あー……その状態で。」

 

巨大な目をパチクリさせながら、必死に指を鳴らしているしもべ妖精を指差しているが……それはまた、頗る意味不明な状況だったろう。目が覚めたらボンレス妖精が目の前にいたのか。ちょっとしたホラー体験だな。

 

まだ少し混乱しているハリーに向かって、説明のために口を開いた。

 

「キミに渡した魔道具の効果だよ。そいつが動作したって知らせを受けて、アリスを連れてきたってわけさ。」

 

「しもべ妖精を『どうにかする』魔道具だって言ってたけど……うん、思ってたのとかなり違ったかな。」

 

「まあ、言わんとすることは分かるよ。私にとっても少々意外な展開なんだ。」

 

話が一段落ついたところで、アリスがチェーンをちょっとだけずらし始める。お陰でなんとか口がきけるようになったしもべ妖精は、いきなりキーキー声で喚き始めた。フリットウィックの倍はキーキーしている。

 

「ハリー・ポッターはホグワーツに居てはならないのです! ハリー・ポッターは家に帰らなくてはならないのです!」

 

「あー……なるほど? キミは──」

 

「ドビーめがあんなに頑張ったのに、ハリー・ポッターは学校に留まったままでした。このままではハリー・ポッターの身が危ないのです! それなのに、ここの屋敷しもべは邪魔をいたします! ハリー・ポッターはここにいてはいけないのに!」

 

「落ち着いてくれ、キミの目的──」

 

「このままでは歴史が繰り返されてしまう! ハリー・ポッターに闇の魔法使いが……ドビーは悪い子! ドビーは悪い子!」

 

なるほど。今改めてわかったが、ロワーは一級品の屋敷しもべ妖精だったらしい。少なくとも理性的な会話が可能だったし、自分の頭を床に打ちつけようとビタンビタンしたりはしなかったのだ。

 

しばらくしもべ妖精……ドビーは頭を地面に激突させようともがいていたが、拘束でそれが叶わないと理解すると、床にぐりぐりと頭を押しつけ始めた。なんとも珍妙な生き物ではないか。

 

まあ、多少は分かったこともある。少なくともドビーはハリーを殺そうとしていたのではなく、救おうとしていたようだ。それが何だってブラッジャーで箒から突き落とすことになるのかは不明だが。

 

私の内心の疑問を代弁するかのように、アリスがやんわりとドビーを止めながら彼に話しかける。

 

「落ち着いて頂戴。貴方の目的はハリーを家に帰すことなの? それならどうしてブラッジャーをけしかけたりしたのかしら?」

 

「ああ、お優しいお嬢様。ドビーめはハリー・ポッターが怪我をすれば家にお帰りになると思ったのです。ここにいるよりはその方がよいのでございます! ハリー・ポッターはホグワーツにいてはならないのです!」

 

「僕を箒から突き落とそうとしてくれてありがとう、ドビー。」

 

ハリーが皮肉たっぷりにお礼を言うと、ドビーは巨大な瞳に涙を浮かばせながらさらに興奮し始めた。

 

「ああ、ハリー・ポッターがおわかりくださればいいのに! 貴方がどんなに偉大なことを成し遂げたのか、貴方はおわかりになっていないのです!」

 

そう言うと、ドビーは今やボロボロと涙を零しながら、絞り出すような声でしもべ妖精について語り出す。

 

「例のあの人が権力の座についていたとき、彼らに従うしもべ妖精たちは害虫同然の扱いだったのです! 毎日のように鞭で打たれ、許されざる呪文の『練習台』になっていたのでございます! しかし……しかし、ハリー・ポッターが彼を打ち倒した! 例のあの人を打ち倒した!」

 

容易に想像できる話だな。死喰い人どもがしもべ妖精を丁重に扱うはずがあるまい。ビタンビタンと跳ねながら、ドビーの大きな瞳はしっかりとハリーを見つめている。

 

「それは私どものような存在にとって福音でございました。多くの仲間たちが解放され、正しいご主人様を得ることができたのでございます! だからこそ、ドビーめはハリー・ポッターを助けなければならない! ドビーめはよいしもべ妖精だからでございます! ハリー・ポッターはここにいてはならないのです!」

 

ドビーの『大演説』は、ハリーとアリスの心を打ったらしい。二人とも神妙な表情でドビーの話を噛み砕いているが……そんなことより情報が欲しいのだ。床のカーペットで涙を拭くドビーに向かって言葉を投げかけた。

 

「キミがハリーのことを大好きなのはよく伝わったよ。それじゃあ、手紙を差し止めたのはキミ。ブラッジャーもキミ。駅のホームについてはどうなんだい?」

 

「それもドビーめでございます、吸血鬼のお嬢様。おかげでドビーめは……後で自分の手にアイロンをかけなくてはなりませんでした。」

 

「あー……なるほどね。それじゃあ、校内で起きた切り裂き事件や、昨日の一年生襲撃はどうなんだい?」

 

私がそう問いかけると、ドビーは聞くのも恐ろしいと言わんばかりにぷるぷる震え始める。いや、ブラッジャーの件も相当だと思うのだが……。

 

「ドビーめにはそんなことは出来ません! そんなこと、考えるだけでも罪でございます! ドビーは悪い子! とっても悪い子!」

 

再びぐりぐりし始めたドビーを、アリスとハリーが慌てて止める。ふむ、その可能性は高いと思っていたが、ようやくハッキリしたな。二つの襲撃事件を起こした犯人は別にいるわけだ。

 

これでドビーがハリーを助けようとしていたことも、その理由も分かった。しかし……一つだけはっきりしないことがある。ドビーはそもそもどこでハリーの危険を知ったのだ?

 

私の浮かべた疑問を、今度はハリーが代弁してくれた。

 

「ねえ、ドビー? 僕が危険っていうのはどういうことなの? それに、君はどこでそのことを知ったの?」

 

ハリーに問いかけられたドビーは、ぎゅっと目を瞑りながらイヤイヤと首を振る。

 

「聞かないでくださいまし、ドビーめには言えないのでございます。言ってはいけないのでございます!」

 

ふーむ、無理やり聞き出してみるか? 杖に手を伸ばそうとしたところで……む、アリスがジーっとこちらを見始めた。ちょっとだけ非難じみたジト目だ。『まさかそんなことしませんよね?』という言外の問いかけがビシビシ伝わってくる。

 

ジーっと……ああもう、わかったよ。両手を上げて降参のポーズをとってやると、アリスはニッコリ笑って頷いた。この子には勝てん。

 

アリスはドビーの拘束を解いてやりながら、ゆっくりと彼に語りかける。

 

「ドビー、貴方が話せないのはわかるわ。しもべ妖精だものね。……でも、少しでいいの。何かヒントをくれない? ほんの少しでいいから。」

 

アリスの優しげな声に、ドビーは逡巡している様子だったが……やがて覚悟を決めたかのような表情で口を開いた。

 

「お優しいお嬢様、ドビーめは多くを語れないのです。でも……そう、『同じ』なのです! 前回と今回は『同じ』事件なのです。ドビーめは、ドビーめは忠告いたします! みなさまは勘違いをしていらっしゃるのです!」

 

必死の表情でそう言ったドビーは、一瞬ブルリと震えた後に、猛烈な勢いで暖炉のレンガに自分の頭を打ちつけ始めた。

 

「ドビーは悪い子! ドビーは悪い子! ドビーは──」

 

「やめなさい、ドビー! エピスキー。」

 

慌てて癒しの呪文を唱えたアリスは、ドビーをしっかりと掴みながら語りかける。その間にハリーは暖炉の火かき棒をドビーには絶対に届かない高さへと運び始めた。

 

「充分よ、ドビー。無茶をさせちゃってごめんなさいね。」

 

「お優しいお嬢様、どうかハリー・ポッターをお帰しになってくださいまし。ハリー・ポッターは……いけない、ドビーめは行かなくては!」

 

白み始めた窓の外を見てドビーがいきなり慌て始める。最後に彼はハリーの方を見ながら、真剣な表情で言葉をかけて消えて行った。

 

「どうか、どうか家に帰ってください、ハリー・ポッター! 貴方は死んではいけない。貴方はしもべ妖精たちの希望なのでございます!」

 

パチンという音とともに消え失せたドビーを見ながら、三人ともが沈黙する。ハリーはそっと自分の額に手を当て、アリスは目を閉じて何かを考えている。そして私も……。

 

前回と今回は『同じ』事件、か。同じように秘密の部屋が開けられ、同じようにバジリスクが犯行を行った? ……いや、違う。そういうことではないだろう。ドビーは私たちが勘違いしていると言っていた。つまり、現状の情報に齟齬があるということだ。

 

バジリスク、切り裂き事件、一年生への襲撃。頭の中で事件の記憶を手繰り寄せながら、どこかに落とし穴がないかと探していく。

 

三人ともが黙ったままの談話室にゆっくりと朝日が差し込んでくるのを、アンネリーゼ・バートリは静かに感じたのだった。

 



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蛇の伝言

 

 

「どうして僕を起こしてくれなかったんだよ。」

 

不貞腐れたロンの抗議を聞きながら、アンネリーゼ・バートリは鼻を鳴らしていた。あれだけの騒ぎで起きないほうが悪いんだぞ。

 

ドビーの一件から数時間後。ようやく起き出してきたロンとハーマイオニーに、あの自傷癖のあるしもべ妖精のことを説明しているのだ。ちなみにアリスは職員会議へと向かってしまった。理事会やら事件やらの話が盛りだくさんなのだろう。

 

「グースカ寝てたからさ。あの分じゃ起こしても起きなかったよ。」

 

「そんなことないぞ。……うん、多分ね。」

 

微妙に自信のなさそうに言うロンを尻目に、今度はハーマイオニーが口を開く。

 

「でも、誰のしもべ妖精なのかしら? 話を聞く分にはその主人が怪しいと思うわ。言うのを躊躇うってことは、つまりそういうことでしょう?」

 

「マルフォイだ。絶対にそうだよ。」

 

ロンの主張には残念ながら誰も賛成しなかった。彼の言い分では、世界の全ての事件はマルフォイの責任なのだ。あの青白ちゃんに諸悪の根源が務まるとは思えない。さすがに言いがかりが過ぎるというものである。

 

「何にせよ注意すべきだわ、ハリー。誰かが貴方を狙ってるのよ。パーシーを傷つけて、一年生を病院送りにして、バジリスクを解き放ったような相手がね。」

 

真剣な表情で言うハーマイオニーに、ハリーが喉を鳴らして頷いた。

 

「うん。だけど、どうしてパーシーたちを襲ったんだろう?」

 

「それは……分からないわ。」

 

確かにそこが分からない。どう考えても警戒心を煽るだけだろうに。腕を組んで考え出したハーマイオニーの横で、ロンがパチンと指を鳴らして答えを放つ。またポンコツ推理か?

 

「ポリジュース薬だよ! パーシーに成り代わろうとしたんじゃないか?」

 

「でも、パーシーはパーシーのままなんでしょう? それに、パーシーに成り代わってどうするのよ。監督生バッジでハリーを殺すの?」

 

「ピンとこないね。大体、成り代わるなら切り裂く必要はないだろう? 迂遠な上に、意味不明だよ。」

 

私とハーマイオニーに一蹴されたロンは、いよいよ不機嫌な顔で黙り込んでしまった。ロンは探偵にはなれんな。ワトソン君が精々だ。

 

それに苦笑しながら、ハリーが纏めるように話し出す。

 

「とにかく、後一ヶ月だ。そうすれば学期は終わりだし、僕はプリベット通りに逆戻りさ。魔法の『ま』の字もないあの場所にね。そしたらドビーも泣いて喜ぶよ。」

 

「そうね。それに今日か明日にはハグリッドも帰ってくるわ。……魔法省はちゃんと公式に謝罪したのかしら? ハグリッドはそういうのに疎そうだから、教えてあげたほうがいいかもしれないわね。ちゃんと賠償を請求しないとダメよ。」

 

おやおや、十三歳の少女が六十過ぎのおっさんの心配をしているぞ。ハーマイオニーがしっかりしているのか、それともハグリッドがダメすぎるのか。中々に難しい命題を考えているところで、談話室にマクゴナガルが入ってきた。職員会議は終わったらしい。

 

部屋の中央まで歩いてきたマクゴナガルは、グリフィンドール生全員に聞こえるような大きな声で言葉を放つ。

 

「今日は一日寮で待機してもらいます! 食事もこの場所で取るように! 無断で出た者には重い罰が待っていますからね!」

 

つまり、監禁か。……まあ、正しい選択だろう。あちこちウロつくヒヨコちゃんたちを制御するには、一箇所に纏めておくのが一番なのだ。

 

マクゴナガルは厳しい顔で説明を終えると、生徒たちの顔をジロリと見渡した後で部屋を出て行った。特に双子は長く睨まれていた気がする。彼女は誰が『問題児』なのかを正しく認識できているようだ。

 

「授業なしの外出禁止か。良いか悪いか判断に迷うな。」

 

「最悪よ!」

 

ロンの声に、ハーマイオニーが顔を覆って遺憾の意を表明した。他の生徒たちの反応は……微妙な感じだな。大抵は『仕方がない』という感じで、一年生や二年生には安心している者も多く見られる。一部の上級生たちだけが不満気だ。双子とか、ウッドとか、ジョーダンとか。

 

そのまま談話室のテーブルに出現したサンドイッチを食べ終わると、生徒たちは三々五々に散っていった。ある者は宿題を片付け始め、あるものはチェスを始め、ある者は爆発ゲームを楽しんでいる。……あれは爆発『ゲーム』というか、ただの『爆発』だな。煩くてたまらん。

 

そんな中、私とハリーはチェスを、ロンは双子の爆発ゲームを観戦に行き、ハーマイオニーは私の隣で呪文の練習をし始めた。

 

「ハリー、キミのポーンはなんだってそんなにやる気がないんだ? 全然動こうとしないじゃないか。」

 

「あー……うん、前のゲームで犠牲にしたのを根に持ってるみたいなんだ。勝つために必要だったんだけど、どうにも分かってくれないみたいで。」

 

今もハリーの声に反論するように足……というか、底面をダシダシ踏み鳴らしている。何度やってもアホみたいなゲームだ。まあ、リアリティがあるっちゃあるわけだが。

 

そして私の駒も犠牲を嫌がっている。そこそこ高いのを買ったのだが、その分気位も高かったようだ。中くらいの値段の物が一番なのかもしれない。

 

今度買い直そうかと考えながら威張り散らしているルークを動かしたところで、盾の呪文を練習していたハーマイオニーが話しかけてくる。

 

「ねえ、リーゼ? シリアルを投げてくれない?」

 

「キミね、もうやらないって言っただろう? 一年生が『シリアル合戦』を覚えちゃったせいで、キミもマクゴナガルに怒られてたじゃないか。」

 

「今日だけよ! 期末試験の実技が心配なの。」

 

「私は期末試験が存在するかを心配した方がいいと思うけどね……ほら、貸してごらん。」

 

どうせいくら断っても諦めないのだ。呆れ顔でシリアルを受け取ろうと手を伸ばすと、ハーマイオニーは喜色満面の顔で大きな袋を手渡してきた。……この分なら非常食には困らなさそうだな。絶対に湿気っているが。

 

片手間にシリアルを投げつけながら、思考中のハリーへと雑談を飛ばす。ちなみに盤外戦術というわけではない。もうほぼ勝利は確定しているのだから。

 

「キミは大丈夫なのかい? 授業での盾の呪文の成功率は五割くらいだと思ったが。」

 

「まあ、何とかなるよ。ロンよりは高いしね。」

 

「下を見始めると癖になるよ。気をつけたまえ。」

 

「うん、気をつけるよ。……それよりさ、決闘のコツって何かないかな?」

 

決闘のコツ? いきなりの疑問にキョトンとする私に、ハリーは苦笑しながら説明を続けてきた。

 

「本当はリーゼに勝つために内緒で考えようと思ってたんだけど……ほら、こんな事件も起きちゃったし、今年はもう決闘クラブはなさそうでしょ? だからまあ、直接助言を貰っちゃおうかと思って。」

 

「ふぅん? ……そうだな、あの時のルーモスを使った目潰しは悪くなかったよ。だから、ルーモスだけは無言呪文でやってみたらどうだい? それなら上級生相手にだって不意を突けるはずだ。」

 

私の提案に、シリアルを防ぎ続けているハーマイオニーが返事を返す。恐らくシリアルへの対処だけならばダンブルドアよりも上だろう。彼女は軌道を先読みして防いでいるようだ。

 

「プロテゴ! ……リーゼ、無言呪文は五年生の内容よ。早すぎるわ。プロテゴ!」

 

「んふふ、勉強不足だね、ハーマイオニー。無言呪文の難易度は行使する呪文によって変わるのさ。そりゃあ武装解除や妨害なんかは絶対に無理だろうが、ルーモスくらいなら不可能ではないはずだよ。なんたって一年生の一番最初に習う呪文なんだ。」

 

まあ、実際は微妙なところだ。二年生ではルーモス程度でも至難の業だろう。とはいえ、ハリーにとっては中々の提案だったようで、コクコク頷きながら詳細を聞いてきた。

 

「試してみたいな。どうすればいいの?」

 

「無言呪文に必要なのは集中力と意志力だ。心の中で呪文を唱えながら、何がなんでも成功させると強く念じる……らしいよ。教科書の受け売りだけどね。」

 

「うーん、結構難しそうだね。後で練習してみるよ。」

 

言いながらようやくビショップを動かしたハリーを見て、間髪を容れずにクィーンを動かす。これでほぼ……おいおい、なんて顔をしているんだ、ハリー。そんなに負けるのが嫌だったのか?

 

何故かハリーは蒼白になりながら固まってしまったのだ。うーむ……大人気なさすぎたのかもしれない。ロンとやるときの癖で、つい本気で打ってしまった。あいつはちょっと強すぎるぞ。

 

「あー……ハリー? もう一度やるかい? 次はもうちょっと──」

 

「ごめん、リーゼ! 僕、用事を思い出した!」

 

やんわりと再戦を提案しようとしたところで、ハリーは勢いよく立ち上がってそのまま自室へと走って行ってしまった。そんなに、そんなにか? 別に何かを賭けてたわけじゃないってのに。

 

思わずハーマイオニーの方を見れば、彼女もビックリしたような顔になっている。

 

「どうしたのかしら? ハリーってそんなにチェスに熱くなるタイプだった?」

 

「いや、そんなことはないと思ってたんだが……ちょっと手加減すべきだったかな?」

 

「まあ、そうかもね。次は優しくしてあげなさいよ。……プロテゴ!」

 

再びハーマイオニーにシリアルを投げつけながら、アンネリーゼ・バートリは自身の大人気なさについてちょびっとだけ反省するのだった。

 

 

─────

 

 

「それでは、お気をつけて。」

 

ホグワーツの校長室で、アリス・マーガトロイドは緑の炎と共に消えていくダンブルドア先生を見送っていた。理事たちによる査問会へと旅立ったわけだが……まあ、問題あるまい。多数決での勝利は確定しているのだ。

 

レミリアさんがどんな手段を使ったのかは知らないが、間違いなく過半数を取れると自信満々で言っていた。行って、勝って、戻ってくるだけだ。ルシウス・マルフォイはさぞ悔しがることだろう。ふん、ざまぁみろ。

 

そしてハグリッドもそろそろ釈放されているはずだ。大方漏れ鍋あたりで一杯ひっかけてくるだろうから……昼過ぎくらいには帰ってくるかな? いや、ひょっとしたら夕方まで飲んでくるかもしれない。あそこのバーテンダーは聞き上手なのだ。

 

身を翻して、自室に向かって歩き出す。聖マンゴの一年生たちも快方に向かっているとのことだし、状況は多少好転し始めている。もう少し落ち着けば詳しい話も聞けるだろう。

 

ホグワーツの廊下を歩きながら、考えるのはドビーの言葉だ。前回と今回は『同じ』か。一体どういう意味なのだろうか?

 

ふと顔を上げると、見覚えのある廊下が見えてきた。思わず動かしていた足をピタリと止める。……この場所だ。五十年前のこの場所で、私はバジリスクと向かい合っていた。

 

今でも鮮明に思い出せる。崩れた廊下の天井。吹き飛ばされていくハグリッド。バジリスクに押さえつけられるテッサ。そして……今より小さかったバジリスクの黄色い瞳。今思えばなんとも無謀なことをしたもんだ。死んでいてもおかしくはなかったぞ。

 

思わず懐にあるテッサの杖に手をやりながら、再び歩き出して思考を回す。

 

何を見落としている? 部屋を開けたのは、リドルの命を受けた死喰い人ではないのか? 生徒を襲っているのは闇の魔法使いではないのか?

 

……ダメだ。上手く考えが纏まらない。自室に戻って一度コーヒーでも飲もう。最近は紅茶の気分にはなれない。苦味で頭をすっきりさせたい気分なのだ。

 

小さくため息を吐きながら教員塔の階段を上り、自室の方へと向かっていくと……ハリー? 私の部屋の前に、何故かハリーが立っている。寮にいるはずでは?

 

混乱しながら歩み寄ってみれば、ハリーは蒼白な顔で話しかけてきた。

 

「マーガトロイド先生、杖を置いてください。」

 

「杖? どういう──」

 

「ジニーが人質に取られているんです。談話室でこの蛇が僕に話しかけてきて……杖を置いてください! 誰かに伝えたり余計な動きをすると、ジニーを殺すって言ってるんです!」

 

チラリとハリーの肩から覗くエメラルドグリーンの小さな蛇が、私の動きをジッと見ている。その目は……明らかに何者かの支配下にある目だ。どう見てもただの蛇ではない。

 

「……わかったわ。」

 

ゆっくりと腰の杖を抜いて足元へと落とす。ハリーの話が確かなら、ジニーを人質に取っている何者かは蛇を通して私を見ているはずだ。真偽は不明だが……少しでも可能性がある以上、余計な動きを見せるわけにはいかない。

 

私が杖を置いたのを見て、蛇がちろりと舌を出した。私にはまったく聞こえないが、蛇語でハリーに何かを話しているらしい。

 

「……それと、人形を部屋の中に投げ入れろって言っています。その、七体全部。」

 

「よくご存知のようじゃないの。」

 

蛇を睨みつけながら、小さくして携帯している人形を全て部屋へと投げ入れる。名前が売れ過ぎるのも考えものだな。手の内が丸わかりじゃないか。

 

非常時ならともかく、平時に携帯している戦闘用の人形はこれで全てだ。……戦闘用は、だが。

 

私が人形を投げ入れるのを無感情な瞳で見ていた蛇は、チラリと窓の方へと首を向けた。私もそちらを見てみれば……おやおや、もう一匹のご登場だ。窓からするりと這い出た小さな蛇は、床に落ちた杖を咥えてから私の部屋へと入って行く。

 

それを見送ったハリーが、部屋のドアを閉めながら口を開いた。

 

「人形はもう一匹に見張らせる。ピクリとも動かせばジニーを……殺す。だそうです。」

 

「わかったわ。」

 

「……それじゃあ、移動します。えっと、余計なお喋りは無しだそうです。」

 

「はいはい、了解よ。」

 

冷たく蛇に了承の言葉を放つが、内心ではかなりの焦りを感じ始めた。人形を遠隔操作するのも封じられたか。くそ、念入りにも程があるぞ!

 

ハリーの背中に続いて歩き出しながら、必死の思いで思考を回す。リーゼ様は気付いてくれるだろうか? そもそもハリーはどうやって寮から……ああ、透明マントか。

 

蛇の主人が知っていたのか、それとも見つかったらジニーを殺すとでも言われたのか。詳細は分からないが、あのマントを使って来たなら厄介だ。集中している時ならともかく、油断していればリーゼ様でも見抜けまい。

 

そしてジニーが人質に取られている可能性も上がった。少なくともハリーは談話室にジニーが居ないかを確認したはずだ。そしてこの場で蒼白な顔をしているということは、そこにジニーは居なかったわけだ。

 

階段を下りて、小さな通用口から城の外へと出る。どうやら目的地は城内ではないらしい。ハリーの肩に乗る蛇は……後ろに続く私のことをジッと見ている。頼むから隙を見せてくれ。一瞬でいいんだ。

 

袖口には連絡用の小さな人形を仕込ませてあるのだ。数秒でいい。数秒だけ目を離してくれれば……。

 

だが、禁じられた森に近付いても蛇は決して私から目を離さなかった。時たまハリーが道を確認する時も、こちらを見たままでチロチロと舌を出している。忌々しい蛇だ。

 

そのまま森の中へと入り、更に奥へと進んで行く。薄暗い中、躓かないように気をつけてひたすらに歩き続けるが……一体どこまで行くつもりなんだ? もう木々に隠れて城は見えないぞ。

 

三十分ほども歩いただろうか? いや、もしかしたらもっと長いこと歩いていたかもしれない。少し開けた場所にたどり着くと、ようやくハリーが歩みを止めた。

 

背の低い草が生い茂る広場には、中央に見上げるほどの巨木が聳え立って……ジニー! 根元によく知る赤毛の少女が倒れている! 思わず走り出そうとした瞬間、鋭い声がそれを引き止めた。

 

「止まれ! 動かないでくれ、マーガトロイド。そうじゃなきゃ、この子を殺すことになってしまう。」

 

ゆっくりと巨木の陰から姿を現したその男は──

 

「……リドル。」

 

「ああ、久しぶりだね、マーガトロイド。会えて嬉しいよ。」

 

学生時代のトム・リドルがそこには立っていた。

 



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二人で

 

 

「苦労したよ。本当に苦労した。」

 

クスクス笑いながら言うトム・リドルを、アリス・マーガトロイドは無言で睨みつけていた。……本当にあの時のままだ。まだ『ヴォルデモート卿』になる前の、人間らしさを失っていないリドル。

 

私が何の答えも返さないことを気にする様子もなく、リドルはジニーの隣にある根に腰を下ろしながら、私の目をジッと見つめて言葉を繋ぐ。

 

「僕は君を侮ってはいない。ダンブルドアも、そしてバートリもだ。君たちが揃っているホグワーツで動くのは本当に骨が折れたよ。」

 

かつてのハンサムな顔に苦笑を浮かべたリドルは、未だ返事が無いことに肩を竦めてから続きを話し始めた。

 

「だが、僕は成し遂げたんだ。招待したかった二人だけをこの場に呼び寄せることができた。……何か質問はないのかい? 君でもいいよ、ハリー・ポッター。僕だけが話し続けるんじゃあ退屈だろう?」

 

言葉を投げかけられたハリーは、チラリとジニーを見ながら口を開く。リドルは……くそ、私から目線を外す気はないらしい。

 

「君は……誰なんだ?」

 

「おっと、これは失礼したね。自己紹介がまだだったか。僕はトム・マールヴォロ・リドル。マーガトロイドと同級生の魔法使いで……そして、君の宿敵だよ。」

 

横目で私を捉えたままのリドルがするりと杖を振ると、空中に緑色の文字が浮かび上がった。

 

Tom Marvolo Riddle.

 

そしてもう一度リドルが杖を振ると、文字はゆっくりとその並びを変える。今やイギリス魔法界の誰もが知る名前に。そして誰もが口にするのを躊躇う名前に。

 

I am Lord Voldemort.

 

「ほら、君ならよく知っている名前だろう? 『生き残った男の子』、ハリー・ポッター。」

 

「ヴォルデモート……。」

 

驚愕に染まった顔で黙り込むハリーに代わって、今度は私が質問を飛ばす。……隙が欲しい。僅かな隙が。

 

「その姿はどうしたの? 随分と若返っているじゃない。」

 

「君には言われたくないけどね。……これは記憶だよ。十六歳の僕の記憶。それを日記帳に閉じ込めたのさ。いつか誰かが手にした時、再び秘密の部屋を開けるように。サラザール・スリザリンの崇高な使命を成し遂げられるようにとね。」

 

ジニーの側にある小さな手帳……日記帳を指差しながら言うリドルに、立ち直ったハリーが鼻を鳴らしながら言葉を放った。

 

「だが、君は失敗した。今回は誰も死んではいないぞ。猫一匹でさえも!」

 

「まだ言ってなかったかな? 別にどうでも良くなったのさ。この城にはもっと僕の興味を引くものがあったんだ。……ハリー・ポッターとアリス・マーガトロイド。片や未来の僕を打ち倒し、片や過去の姿のまま。穢れた血などいつでも殺せる。今の僕にはどうでもいい存在なんだよ。」

 

「……パーシーを傷つけたのも君なのか?」

 

「僕であり、この子でもあるのさ。」

 

そう言ってリドルはジニーのことを指差す。……どういう意味だ? 私とハリーの疑問を汲み取ったのか、リドルは得意げな表情でこの一年間について語り始めた。

 

「始まりは、この子が僕の日記帳を手にしたことにある。返事が返ってくる日記帳。悩みを打ち明けられる小さな友人。この子はあらゆることを僕に相談したよ。やれお下がりは嫌だの、やれ兄たちがガサツだの、やれ愛しいハリー・ポッターが振り向いてくれないだの。十一歳のガキの悩みを聞くのは耐え難い苦痛だった……しかし、僕はひたすらに彼女を肯定したんだ。そうすることで、徐々に彼女を支配していったのさ。」

 

薄暗い笑みだ。少なくとも学生時代にはこんな笑みを浮かべるリドルは見たことはなかった。……仮面か。あの頃から既に、この男は仮面を被っていたのか。

 

「彼女が悩みを打ち明ける度に、彼女の魂は僕へと注ぎ込まれてきた。深層の恐れ、後ろ暗い秘密、密かな嫉妬。そういった感情を糧にして、僕の魂は徐々に大きくなっていったんだ。このおチビちゃんの魂を凌ぐほどにね。」

 

今やリドルの顔は凄惨な笑みを浮かべている。心底楽しそうなその表情は、間違いなく『ヴォルデモート卿』の笑みだ。似ても似つかないと思っていたあの顔が、今のリドルには重なって見えてしまう。

 

「そうすれば話は簡単さ。今度は逆に僕の魂をおチビちゃんに注ぎ込めばよかった。そうしてこの小娘を支配した僕は、鶏どもを殺し、秘密の部屋を開き、そしてバジリスクを外へと解き放った!」

 

根っこから立ち上がって、演劇じみた仕草で両手を大きく広げたリドルだったが……次の瞬間、その顔からは急に笑みが消え失せた。幕が落ちるように、ストンと。

 

「……そこからが問題だったよ。あまりにも対処が早すぎたんだ。次の日にはホグワーツは鶏小屋へと姿を変え、バジリスクは奴らの鳴き声にのたうちまわっていた。慌てて誰が指揮を執っているのかを調べた僕は……驚いたよ。ダンブルドアはともかく、マーガトロイド? あのおチビちゃんが書いていた『アリスさん』が君だとは思わなかったのさ。そしておまけに、グリフィンドールの談話室に居たバートリだ。ハリー・ポッターと仲良く話している彼女を見たとき、僕は自分の目を疑ったよ。こんな不幸があっていいのか? ってね。」

 

肩を竦めて言うリドルは、再び根っこに腰掛け直す。まあ、容易に想像できる話だ。いきなり敵側にリーゼ様が現れるなど、悪夢以外の何物でもない。そこだけはよく理解できる。さぞ意味不明な光景だったろう。

 

ハリーはリーゼ様の名前に疑問げな表情を浮かべるが、リドルはそれに構うことなく話の続きを語り出した。

 

「お陰で方針を大きく変更する羽目になった。僕は君たちが間違いなく秘密の部屋を見つけ出すことを確信していたんだ。余りにも人材が揃いすぎていたからね。本当はそこにハリー・ポッターを誘き出すつもりだったんだが……部屋に拘るのはやめにしたよ。予想通り君たちは部屋を見つけ、そして『スリザリンの』バジリスクを殺し、見事に油断してくれた。」

 

「パーシーは? 何故傷つけたの?」

 

私の問いに、リドルは嬉しそうな表情で答える。イラつく顔だ。ぶん殴ってやりたいな。去年リーゼ様が嬉しそうにぶん殴ったと言っていた気持ちが良く理解できたぞ。

 

「やっと質問してくれたか! 嬉しいよ、マーガトロイド。それで……ああ、あのメガネの赤毛か。もちろん理由があるさ。……僕はジニーの身体を完全に乗っ取ることは出来なかった。僕が動かしている時の記憶も、彼女には僅かに残っていたんだ。そして家族を殺すぞと彼女を脅して口止めしていたんだが……あのメガネがジニーにしつこく付き纏ってきたんだよ。やれ悩みを聞くだの、やれ秘密は守るだの、くだらない正義感を振り回しながらね。絆されてジニーが話しそうになったのを見て、放って置けなくなったってわけさ。」

 

一度言葉を止めて、リドルは何故か俯いた。……今だ! その瞬間、袖口の人形を城に向かって解き放つ。魔力の糸を通じてリーゼ様をこの場所に連れてくるようにとの命令は与えた。頼むぞ、急いでくれ。

 

そしてゆっくりと顔を上げたリドルは……笑っている。最高の喜劇を見たと言わんばかりの表情だ。

 

「ここからが傑作だったよ! 僕はわざとジニーの意識を残したまま、あのメガネを拷問してやったのさ! 磔の呪文でいたぶり、胸を引き裂いてやった! 次は殺すぞと脅しながらね! ……お陰でジニーは従順になったよ。笑える話だろう? あのメガネは助けようとしたのに、結果的に僕の支配を手助けすることになったんだ。そして忘却術でメガネの記憶を消した後に、君がそれを発見したというわけさ。」

 

「クソ野郎ね、貴方は。」

 

ジニーがどんな気持ちでそれを見ていたか……きっと苦しかったろうに。辛かったろうに。想像するだけで胸が張り裂けそうだ。ハリーも同じ気持ちのようで、両手を血が滲むほどに握りしめているのが見える。

 

そんな私たちを愉快そうに見ながら、リドルは続きを話し始めた。

 

「酷いじゃないか、マーガトロイド。僕らは友達だろう? ……まあいいさ、どこまで話したかな? ああ、そうそう。君たちはバジリスクを殺し、あの厄介な鶏どもを城から追い出してくれたんだ。助かったよ。お陰で『彼』をここまで移動させることができた。」

 

「『彼』?」

 

「おっと、その話はもう少し先にしよう、ハリー・ポッター。……そして僕は、あの半巨人とダンブルドアを追い出しにかかった。あの半巨人は少々『彼』について詳し過ぎるからね。矛盾に気付かれてしまうかもしれないと思ったんだ。……その後はご存知の通りさ。適当にガキを数人痛めつけて、ダンブルドアをホグワーツから離れさせた。退任などどうでも良かったんだ。重要なのは彼が一時的にでもこの場所から居なくなることだったんだよ。」

 

最後にリドルは、どうだと言わんばかりに手を広げながら、この一年の話を締めくくった。

 

「そしてバートリも、君も出し抜いた! あの忌々しい吸血鬼は何も気付かず談話室に居るし、杖も人形も無しじゃあ『七色の人形使い』は戦えないだろう?」

 

「どうかしらね? 試してみる?」

 

「ハッタリは無駄だよ、マーガトロイド。それに……言ったはずだ。僕は君を侮ってはいないとね。君を招待するにあたって、僕は万全を期したのさ。さあ、友人を紹介しようじゃないか。『彼』も君たちと話したくってウズウズしてる。」

 

私の挑発を軽く受け流したリドルの背後から、見覚えのある長い胴体が巨木を──

 

「目線を下げなさい、ハリー! 目を見ちゃダメ! バジリスクよ!」

 

私たちが殺したものより一回り小さなバジリスクだ。殺したはずの毒蛇の王が、巨木を伝って下りてくる。……まあ、リドルの話で予想はできていた。ドビーの言っていた『勘違い』はリドルと、そしてバジリスクのことだったのだろう。

 

私の声に従ってハリーが俯いたのを確認してから、目線を下げたままでリドルに声を投げかける。

 

「私たちが殺したのはスリザリンのバジリスク。そしてそいつこそが、貴方のバジリスクというわけ?」

 

「微妙に違うかな。正確にはゴームレイス・ゴーントが残したバジリスクだ。スリザリンのバジリスクはどうも……主人に忠実すぎるみたいでね。子孫である僕たちを襲わないまでも、命令を聞きやしないのさ。日がな一日スリザリンの石像を見つめて、ただあの部屋を守るのみだよ。」

 

リドルは隣まで這い出してきたバジリスクの鱗を撫でながら、自慢げな表情で続きを話す。

 

「それを問題視したゴームレイスがあの部屋に新たなバジリスクを残していったんだ。……彼女のことは知っているだろう? 崇高な思想を掲げた魔女で、イルヴァーモーニーを建設した『血を裏切る者』の伯母だよ。」

 

「ええ、知っているわ。残忍でイカれた純血主義者で、偉大なイゾルト・セイアの伯母でしょう?」

 

ゴームレイス・ゴーントは十七世紀を代表する闇の魔女だ。彼女はイゾルト・セイアの両親を殺し、偏見を吹き込みながら監禁し続けた。マグルを憎め、穢れた血を蔑め、と。

 

しかしイゾルトはそれに負けず、アメリカまで逃げ出してイルヴァーモーニー魔法魔術学校の基礎を作ったのだ。そして機転と勇気、愛を以って追ってきたゴームレイスに打ち勝った。『イゾルトの大冒険』。幼い頃によくお父さんとお母さんが読んでくれた絵本。こんな魔女になりなさい、と優しく頭を撫でてくれていた。

 

「どうやら認識に齟齬があるらしいね。……君は純血の魔女だろう? 少しは思うところはないのかい?」

 

「一切無いわね。私の生みの親も、育ての親も、正しい教育を施してくれたのよ。」

 

……まあ、正しいかは微妙か。私はもう人間じゃないし、育ての親は吸血鬼と魔女だ。とはいえ、誰に恥じるでもない生き方を教えてはくれたのだ。胸を張ってそう言える。

 

真っ直ぐに睨みつける私に、リドルはほんの少しだけ残念そうな顔になった。……何故か一年生の時の面影が重なる。ホグワーツ特急で出会った頃の、まだ幼かったリドルの顔が。

 

「君は……騙されているんだ。聡い君なら分かるはずだろう? 支配者と、被支配者。力ある者と、無力な者。それは生まれながらに決まっていることなんだ。マグル上がりの俗物どもが、我が物顔で魔法界に蔓延る? 許されるべきじゃない。そんなことがあってはならないんだよ。」

 

「聞くに耐えない妄言ね。私はマグル生まれの偉大な魔法使いたちを知っているわ。その人たちは貴方なんかよりずっと多くのことを知っていたわよ。」

 

「ああ、どこかで聞いたような台詞じゃないか。その穢れた血どもが知っていたこととやらを当ててあげよう。愛だろう? ……それはダンブルドアの妄言なんだ、マーガトロイド! 本気で、本気で信じているのか? 愛? 愛だと? そんなくだらないものが力を持つわけがない! まさか本気で思っているんじゃないだろう?」

 

「いいえ。私は本気で信じているわ、リドル。……貴方にはきっと理解できないんでしょうね。だから今更それを信じろとは言わない。でも、私はそれを知っているの。それがどんなに強い力なのか、それがどんなに美しい魔法なのかを。」

 

きっとリドルには一生理解できまい。彼は真逆の道を選んでしまったのだから。五年生のあの時、私たちとリドルの道は別たれてしまったのだ。

 

一切の迷いなく言い切った私に、リドルは顔を歪めて尚も言い募ろうと口を開くが……結局言葉を発さずに、ハリーに向き直って言葉を放った。

 

「いいさ、この問答は後だ。先にもう一つの用事を済ませてしまおう。……決闘の作法は知っているかな? ハリー・ポッター。十一年前の決闘を正しい形で終わらせようじゃないか。君が勝てばジニーは解放してあげるよ。」

 

「黙りなさい、リドル。彼は十二歳で、貴方は十六歳よ。情けないとは思わないの?」

 

「手加減はするさ。それに……十一年前よりかは差は縮まっているだろう? 君は黙って見ていてくれ、マーガトロイド。余計な動きをすれば……。」

 

リドルの目線を受けて、バジリスクがジニーに噛み付くフリをする。クソったれめ!

 

ハリーは私とジニーを交互に見た後、覚悟を決めた表情でゆっくりと前へと進み出た。……ああ、ジェームズやリリー、テッサやマクゴナガルと同じ瞳だ。勇気を湛えた瞳。グリフィンドールの瞳。

 

「約束しろ、リドル。僕が勝ったら、ジニーとマーガトロイド先生には手を出すな。」

 

「いいだろう、ハリー・ポッター。約束しようじゃないか。……その代わり、僕が勝ったら君の命を貰うよ。どうだい?」

 

「それで構わない。約束は守ってもらうぞ。」

 

ダメだ、ハリー。その男は約束なんか守らないし、貴方はリドルには勝てない。二年生と六年生の差というのは大きいのだ。……頼むから早く来てくれ、リーゼ様! 私が内心の焦りに押し潰されそうになっている間にも、ハリーとリドルは決闘の作法を進めていく。

 

杖を眼前に構え、それを振り下ろす。後ろを向き、お互いに距離を取ってから……先手を取ったのはハリーだった。リドルはニヤニヤと笑いながらその呪文を弾く。いたぶるつもりか、こいつ!

 

「フリペンド!」

 

「おっと、そんなものか? 未来の僕を打ち倒した力を見せてはくれないのか?」

 

「黙れ! エクスペリアームス!」

 

「ふむ? 無言呪文も使えないか……まあ、二年生なら仕方がないさ。落ち込むことは……ないよ!」

 

言葉と共にリドルが放った無言呪文を……ハリーは見事に盾の呪文で受け止めた。凄いぞ、ハリー。授業の時とは段違いの杖捌きだ。

 

「プロテゴ! エクスペリアームス!」

 

「おおっと。今のは少々驚いたよ。その歳で盾の呪文を使えるとはね。」

 

言いながら、リドルは余裕の笑みでハリーを痛め付けていく。必死に防戦するハリーは、想像よりも遥かに戦えている。戦えているが……。

 

内心の焦りが頂点を迎えようとした瞬間、耳元で望んだ声が囁いてきた。

 

「私が蛇を仕留める。五秒後だ。」

 

リーゼ様だ! 恐らく能力で姿を消しているのだろう。背筋を歓喜が伝っていくのを感じながら、一秒。

 

「どうした? この程度か? ハリー・ポッター!」

 

リドルがニヤニヤと笑いながら呪文を放つ。二秒。

 

私がゆっくりと懐の杖に手を伸ばすと同時に、呪文を前に出ることで避けたハリーが……ルーモスか? 無言呪文で眩い光を放った。三秒。

 

「くっ……。」

 

咄嗟に目を逸らしたリドルに、ハリーが大きく杖を振り上げる。四秒。

 

……力を貸してくれ、テッサ! 五秒!

 

友の遺したイトスギの杖を振り上げた瞬間、不思議な感覚が私を包んだ。じんわりと温かなものが身体中に広がって行くような感覚。まるで杖が自分の意思で動いたかのように、滑らかな動きで振り下ろされていく。直前まで何か別の呪文を使おうとしていたはずなのだが、そんな考えは吹き飛んでしまった。

 

誰かと一緒に杖を振っているような不思議な感覚の後……杖先から美しい銀色の獅子が飛び出してきた。ライオン。テッサの守護霊だ。

 

獅子がその美しい毛並みを靡かせながら走り出す。そしてそれを合図に、三つのことが同時に起こった。

 

私が杖を握ったのを見てジニーに噛み付こうとしていたバジリスクが、何かに押さえつけられるかのようにいきなり地面に頭を激突させた後、ひしゃげるように頭を陥没させた。

 

「エクスペリアームス!」

 

「っ! 馬鹿な!」

 

片手で目を覆いながら杖を突き出すリドルに、隙を突いたハリーの武装解除術が激突する。

 

そして……迷わず巨木の下へと走って行った銀色の獅子が、リドルの日記帳にその牙を突き立てた。

 

「……違う、まだ終わっていない! まだ僕は──」

 

後ろに倒れ込みながらこちらに手を伸ばすリドルが、サラサラと砂のようになって消えていく。……終わった、のか?

 

ハリーと私が呆然とする中、ライオンがこちらに近付いて来て……優しく私に頭を擦り付けてきた。ふわふわで柔らかいたてがみから一瞬だけ漂ってきた匂いは、彼女を思い出す陽だまりの匂いだ。

 

思わず手元の杖に視線を落とす。その視界が涙で歪むのを感じながら、微かな声で呟いた。

 

「ありがとう、テッサ。」

 

世迷いごとだと言ってもらって構わない。有り得ないと言われたって気にするもんか。だって私には絶対の確信がある。テッサが、彼女が手を貸してくれたのだ。

 

杖を見つめる視界の端で蜂蜜色の髪が揺らめいたのを、アリス・マーガトロイドは確かに感じたのだった。

 



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魔法

誤字報告いつもありがとうございます!


 

 

「ああ、マーガトロイドさん! 何とお礼を言ったらいいのか!」

 

ホグワーツの医務室で、アリス・マーガトロイドはモリーの熱い抱擁を食らっていた。ぬおぉ、息ができない。窒息死しそうだ。

 

あの事件からは数時間が経過している。駆けつけたウィーズリー家の面々に向けて、ハリーと共に事件の説明をしていたのだ。既に話を聞いているダンブルドア先生とマクゴナガルも穏やかな表情で私たちを見守っているが……いや、止めてくれ。

 

「お、落ち着いて頂戴、モリー。息が、できないわ。」

 

「ほら、モリー。マーガトロイドさんを絞め殺す気かい?」

 

結構危なかった。せっかく無事に生き延びたのに、お礼の抱擁で窒息死なんて冗談にもならんぞ。やんわりと引き離してくれたアーサーに目線で礼を言うと、彼も安心したような表情で私に声をかけてきた。

 

「私からもお礼を言わせてください。ありがとうございます、マーガトロイドさん。」

 

「あのね、ジニーを助けるのは当然のことでしょう? 教師としても、友人としてもね。お礼を言われるようなことじゃないわ。」

 

「しかし、貴女とハリーがいなければどうなっていたことか……。私はもう娘に会えなかったかもしれないんです。せめて感謝くらいはさせてください。」

 

安らかな寝顔のジニーを見ながら言うアーサーと共に、双子とロンも自慢の赤毛を下げてお礼を言ってくる。むう、誉め殺しにするつもりか?

 

「それに、ハリーも! 貴方はなんて勇敢な子なんでしょう!」

 

おっと、モリーが今度はハリーを抱きしめたぞ。困ったように苦笑するハリーにも同様の流れが繰り返されたところで、一人椅子に座ったままだったパーシーが絞り出すような声を放った。

 

「……僕、知ってたんです。」

 

「どうしたんだよ、パーシー。何の話だ?」

 

フレッドの質問に、パーシーは項垂れながら懺悔するように語り始める。先程から何故か一人だけ暗い顔をしていたのだが……知っていた? どういうことだ?

 

「知ってたんだ。ジニーが僕を襲った犯人だってこと。忘却術をかけられた時、必死に抵抗したんだよ。だから……だからジニーだって分かってたんだ。」

 

それはまた……予想だにしなかった言葉だ。それで最近ずっと暗い雰囲気だったのか。驚く面々に視線を注がれながらも、パーシーは俯いたままで話を続ける。

 

「でも、誰にも言えなかった。ジニーが闇の魔術を使ったなんて誰に言える? 無許可の忘却術に、磔の呪文まで! 僕は妹が逮捕されるのが怖かったんだ。ひょっとしたら、ジニーは杖を折られてしまうかもしれない。アズカバンに送られてしまうかもしれない。そう思ったら……怖くて誰にも言えなかったんだ。」

 

無理もあるまい。大事な家族だからこそ、きっと誰にも言えなかったのだろう。杖を折られた魔法使いの人生は辛いものだ。ハグリッドはダンブルドア先生によって助けられたが、大抵は魔法界の片隅でひっそり生きることになってしまう。……あまり幸せとは言えないような人生を。

 

そしてパーシーはダンブルドア先生へと向き直ると、覚悟を決めた表情で口を開いた。

 

「僕を退校処分にしてください、ダンブルドア先生。僕は結局最後まで誰にも言えなかった。……一年生が犠牲になった時でさえ、黙ったままだったんです。監督生どころか、ホグワーツの生徒に相応しくありません。」

 

「おいおい、待てよ、パーシー! ……ダンブルドア先生、どうか許してあげてください。こいつは悪気があってやったわけじゃないんです! 罰があるなら僕たちも一緒に受けますから。どんな罰だって構いません!」

 

「そうです! それに、パーシーは今まで色々頑張ってきたんです! 俺たちの悪戯を止めたり、あとは……また止めたりとか。それにほら、勉強も!」

 

「気付かなかった僕も悪いんです。ジニーに真剣に向き合ったのはパーシーだけだったから……だから、僕にも責任はあります!」

 

なんともまあ、普段はいがみ合ってるくせに……いい子たちじゃないか。パーシーを庇うように立ち上がった双子とロンに対して、ダンブルドア先生は優しい笑みで言葉をかける。答えは聞くまでもあるまい。その表情を見れば一目瞭然だ。

 

「おお、そんなに心配せんでおくれ。パーシーを退校になどせんよ。」

 

しっかりと双子とロンに頷いた後、ダンブルドア先生はパーシーの目を見つめながら言葉を放った。

 

「パーシー、君のやったことは結果を見れば間違いだったかもしれん。……しかし、妹を想うその心は正しいものなのじゃ。規則でも、法でもなく、君はもっと奥底にある正しさを実行したのじゃよ。そんな君を一体誰が責められようか? 少なくともわしには出来んよ。出来るはずがない。」

 

「僕は……でも、多くの命を危険に晒してしまいました。罰がなければ示しがつきません。他ならぬ自分が納得できないんです。」

 

「それは困ったのう。わしには君を罰するのは少々難しいようなのじゃ。この老人めの頭を働かせても、どうすればいいのか分からんのじゃよ。」

 

うーむ、やはり真面目すぎる子だな。困り果てた苦笑を浮かべるダンブルドア先生に、同じ表情のマクゴナガルが助け船を出す。

 

「では、来年は監督生バッジは無しとしましょう。パーシーにはそれで充分な罰になるはずです。」

 

「それは……分かりました。そうしてください。」

 

物凄く神妙な顔で頷くパーシーだが……それでいいのか? まあ、本人が納得できるならそれで構わないか。大した罰にならなくて何よりだ。

 

話が一段落したところで、ウズウズしていたモリーがパーシーに抱きついた。おっと、今度はパーシーが窒息しそうだぞ。また一人犠牲者が増えてしまったようだ。

 

「もう、馬鹿な子なんだから! どうしてお母さんに相談してくれなかったの! そんなに辛い思いをすることなんかないのよ!」

 

慌てて止めにかかるアーサーと、パーシーの肩を嬉しそうに叩く弟たち。いやはや、何とも騒がしい家族だ。どうやら赤毛の集団は揃いも揃って家族想いらしい。

 

温かな光景に苦笑していると、ダンブルドア先生がハリーに話しかけているのが聞こえてきた。

 

「ハリー、君も実に見事な活躍をしてくれたのう。ホグワーツに君のような生徒が居ることが、わしは誇らしくて堪らんよ。」

 

「いえ、僕は何も出来ませんでした。バジリスクも、リドルも、結局マーガトロイド先生がやっつけてくれたんです。」

 

あー……つまり、バジリスクを『ぺちゃんこ』にしたのは私だということになっているのだ。そりゃあその方がリーゼ様が動き易いってのは分かっているが、手柄を掠め取っているようでどうにも後ろめたい。

 

私が微妙な気分になっているのを他所に、ダンブルドア先生とハリーの話は続く。

 

「だが、君は立ち向かったのじゃろう? ジニーとアリスを守るために、トムからの決闘を受けたのじゃ。恐怖に屈することなく、杖を手に立ち向かうことを選んだのじゃよ。……そしてなんと勝利した。見事なものではないか。」

 

「でも、あいつは明らかに手加減をしていました。それに呪文をあまり知らなかったので……武装解除しただけです。」

 

「ハリー、君は二年生で、彼は六年生だったのじゃよ。それも、ホグワーツきっての秀才じゃった。その男を相手に君はアリスが準備を終えるまでの時間を稼ぎ、あまつさえ杖を奪い取ったのじゃ。誇りなさい、ハリー。君の勇気がジニーを救ったのじゃから。」

 

「……はい。ありがとうございます。」

 

その通りだ。あの時のハリーには迷わず満点をあげられる。どれだけリドルが油断していたとしても、二年生が六年生に勝つのは至難の業なのだ。私も教師として誇らしいぞ。

 

ちょっとだけ笑顔になったハリーに向かって、ダンブルドア先生はニッコリ笑って言葉を付け足した。

 

「うむ。見事な決闘の勝利を称えて、グリフィンドールに五十点を与えようぞ。」

 

パチリとウィンクしながらそう言うと、ダンブルドア先生はハリーを寮へと送り返した。

 

そのまま目線で私とマクゴナガルに合図して、医務室のドアへと歩いて行く。……家族水入らずにしようということか。うむ、大賛成だ。きっと話したいことが盛りだくさんだろう。

 

マクゴナガルと共に廊下へと出たところで、穏やかな顔のダンブルドア先生が話しかけてきた。

 

「君も見事な活躍じゃったな、アリス。よくぞ二人を守ってくれた。」

 

「まあ、殆どハリーとリーゼ様のお陰ですけどね。バジリスクが居る状況では、人形なしの私は何も出来ませんでしたし。」

 

「そんなことありませんわ! バートリ女史に伝えたのはマーガトロイドさんじゃありませんか! ……でも、杖は残念でしたね。迷惑というか、念入りというか。」

 

慌てて否定してくれたマクゴナガルが言っているのは、人形と共に部屋に残した私の杖のことだ。リドルが何を考えたのか知らないが、いざ回収しようと戻ってみるとポッキリ折れた杖が転がっていたのである。恐らく残った蛇が折ってしまったのだろう。

 

「本当にね。かなり長い付き合いだったし、結構ショックだわ。」

 

「買い直すのですか?」

 

「んー、しばらくはこっちを借りようと思ってるの。ちょっとだけ元気すぎるけど、使った感じは特に問題ないし、それに……エクスペクト・パトローナム!」

 

守護霊の呪文を唱えながらイトスギの杖を振ると、杖先から銀色の獅子が飛び出してきた。私の以前の守護霊はうさぎだ。今回の経験で守護霊が変わってしまったのか、それともこの杖特有の現象なのかは分からないが……うん、悪い気はしない。こっちの方がずっとずっと頼りになりそうだ。

 

私の周りをくるくるとジャレつくように回る獅子を見て、ダンブルドア先生がブルーの瞳から……涙? 一筋の涙を零した。慈しむような、柔らかな微笑を浮かべている。

 

「……なんと美しい魔法か。愛じゃよ、アリス。君がテッサを想う気持ちが、テッサが君を想う気持ちが、この素晴らしい魔法を生み出したのじゃ。これほど見事な友情をわしは知らぬよ。」

 

「私、あの時テッサが手を貸してくれたような気がするんです。私の経験も、知識も、有り得ないことだっていってるんですけど……でも、確信があるんです。説明できない確信が。……変ですかね?」

 

「おお、アリスよ、一体誰がそれを疑おうか。それぞ正しく魔法なのじゃ。元来魔法とは理屈では説明できない、不思議で魅力的なものなのじゃよ。故に我らはそれを『魔法』と呼び始めた。……きっとわしでも、そしてノーレッジでさえも理解できないものが、君たち二人を確かに繋いだのじゃろうて。」

 

「……魔法。」

 

そっと手元の杖に視線を落とす。小さな頃から身近にあった言葉が、何故か今は全然違うものに感じられてしまう。……ああ、そうか。きっとこれがパチュリーの見ていた景色なのだ。

 

あの図書館の魔女がどうしてあそこまで知識を求めるのか。今初めて本当の意味を知れた気がする。私が今まで見ていたものは、『魔法』のほんの一部分でしかなかったのだ。

 

……凄いな。パチュリーも、ダンブルドア先生も。とっくの昔に『これ』に気付いていたのか。あの感覚を知った今なら理解できる。二人の背中のなんと遠いことか。

 

杖を見つめながら押し黙る私に、ダンブルドア先生が嬉しそうな笑みで言葉をかけてきた。

 

「どうやら、君も理解できたようじゃな。つまり……そう、理解などできぬということを。理解する必要も、説明する必要もないのじゃ。君にはもう分かっているのじゃろう?」

 

「はい。……これはまた、参りました。どうやら私はまだまだ修行不足のようですね。今ようやく、魔女として歩き出せた気がします。」

 

「ほっほっほ。案ずるでない、アリス。君は一人ではないのだから。二人ならずっと遠くの景色が見られるよ。わしがそれを保証しよう。」

 

杖を見ながら言うダンブルドア先生に、はにかんだ笑顔で頷いた。……そうだ、私は一人ではないのだ。今ならそれがよく分かる。ちょっとお転婆だけど、とっても頼りになる親友がついているのだから。

 

話が一段落したところで、そういえば押し黙っているマクゴナガルの方を振り返ってみれば……うわぁ、大泣きしている。化粧がめちゃくちゃになるのも構わずに、獅子を見ながらボロボロ涙を流しているのが見えてきた。

 

「マ、マクゴナガル? ほら、拭きなさい。化粧が崩れて酷いことになってるわよ。」

 

「わ、私……すみません、私ったら、どうにも涙が止まらなくって。だって、こんな……こんな。」

 

言葉の合間にも、どことなく心配そうな獅子が近付く度に涙の量を増やしている。……うーむ、マクゴナガルの前では守護霊の呪文をあまり使わない方が良さそうだ。この分だと目が腫れるまで泣き続けてしまうぞ。

 

スペアのハンカチも取り出しながら、アリス・マーガトロイドは涙脆い友人に苦笑を浮かべるのだった。

 



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ハリー・ポッターと秘密の部屋

 

 

「おや、こんな所にいたのかい、ハリー。」

 

ホグワーツの廊下を歩くハリーに、アンネリーゼ・バートリは声をかけていた。私がスネイプと……違うな。スネイプ『で』暇潰しをしている間に話は終わったらしい。

 

今は余裕たっぷりだが、数時間前は滅茶苦茶焦ったものだ。談話室でハーマイオニーとのんびり過ごしていると、アリスの指人形がいきなり飛んできて必死に何かを訴え始めたのである。

 

ハッとしてハリーの気配を探れば寮に居ないし、アリスの部屋は無人な上に、人形や折れた杖が転がっていた。ゾッとする光景だったぞ、あれは。今後の悪夢はあの光景で決まりだ。

 

その後人形の案内に従って、全速力の飛行で駆けつけたからなんとかなったものの……人形の知らせが無かったらと思うと背筋が震える。ハーマイオニーにシリアルを投げつけている間に二人が死んだなど冗談にもならん。馬鹿馬鹿しすぎて自刃ものだ。

 

私の内心での大反省会も知らずに、ハリーは嬉しそうに私に向かって駆け寄ってきた。

 

「リーゼ! 僕、色々あったんだよ。話すことが沢山あるんだ。」

 

「ふぅん? それなら、寮に戻りがてら聞かせてもらおうじゃないか。」

 

まあ、私は既にアリスから詳細を聞いているわけだが……いいさ。今日のハリーは頑張ったことだし、話に付き合うくらいはしてやってもいいだろう。

 

「えーっと……そう、僕がリーゼとチェスをしてる時、蛇の声が聞こえてきて──」

 

ジニーを人質に取られたこと、アリスと禁じられた森へ向かったこと、リドルの『自慢話』のこと、そして話が無言呪文を使った決闘のことに差し掛かったところで、やおら進行方向の階段から人影が上がってきた。

 

「──それで、言われた通りに無言呪文を試してみたんだ。お陰で上手く……どうしたの?」

 

「ほら、嫌なヤツが上がってくるぞ。」

 

急に立ち止まった私へと問いかけてくるハリーに、階段の方を指差しながら答えを放つ。上がってきたのは長いブロンドの青白い顔。ルシウス・マルフォイだ。それに……おやおや、どうやら私はロンに謝らなくてはいけないな。純血狂いのドブネズミに付き従っているのは、私のよく知るしもべ妖精だった。

 

「マルフォイの父親と……ドビーだ。それじゃあ、ドビーはマルフォイ家のしもべ妖精だったってこと?」

 

「どうもそのようだね。いやぁ、初めてロンの推理が当たったらしい。後でみんなで謝ろうじゃないか。」

 

向こうも私たちに気付くが、私の翼を見て少し怯みながらもそのまま歩いてくる。冷たい微笑を浮かべて睨みつけていると、隣のハリーがそっと囁いてきた。

 

「助けられない? ドビーは僕を助けようとしてくれたんだ。僕もドビーを助けたい。」

 

「手紙を止められ、壁に激突して、ブラッジャーで襲われたのにかい?」

 

「あー……そうだけど、少なくとも僕の命を救おうとしてたんだよ。自分に罰を与えてまで。」

 

「んふふ、まあいいさ。私もあの男の吠え面は見てみたいしね。……そうだな、小さめの『洋服』を準備しておいてくれ。去り際にやるぞ。」

 

しもべ妖精が雇い主から解放される条件はただ一つ。洋服を受け取ることである。通常のしもべ妖精はこれを嫌がるものだが、ドビーに関してはそうでもなさそうだ。何たって今も自分の纏うボロ切れやら親マルフォイやらを指差して必死にアピールしているのだから。

 

私の言葉にハリーはコックリ頷いて、靴を履き直すフリをしながら靴下を脱ぎ始める。それを横目に、私は近付いてきたマルフォイに向かって言葉を投げかけた。

 

「これはこれは、ルシウス・マルフォイ。レミィから話は聞いているよ。」

 

「吸血鬼か、小娘。嘆かわしいことだ。いつから魔法界には貴様らのような存在が蔓延るようになったのやら。今ではホグワーツにまで住み着いている始末か。」

 

どうやら私の服装を見て生徒だと思っているようだ。まだまだ甘いな、ルシウス坊や。見た目に左右されていると痛い目に遭うぞ。レミリアお姉ちゃんから学ばなかったのか?

 

「キミのようなドブネズミがうろつくよりかはマシだろうさ。コソコソと動くのが随分とお得意のようじゃないか? まあ……レミィに手痛いしっぺ返しを食らったようだが。」

 

いきなり喧嘩腰の馬鹿に、こっちも皮肉で応戦してやる。親マルフォイは査問会が上手くいかなかったことにお怒りらしい。……ハグリッドを追い出すことに熱心になっていたことといい、こいつはどこまで事情を知っているのやら。非常に疑わしい人物じゃないか。

 

「……卑怯な手段は吸血鬼の十八番のようでね。君もそうなのかね? だとすれば息子に悪い影響がないかと心配なのだが。」

 

「おいおい、キミの家には鏡がないのかい? ……ああ、だからそんなに無様な髪型なのかな? マグルの技術には『植毛』ってのがあってね。調べてみるといいよ。きっとキミもマグルを見直すに違いない。」

 

「礼儀知らずにも程があるな、小娘。犬だってもう少し礼儀を知っているぞ。目上の人間を敬おうとは思わんのかね?」

 

「私が『目上』の『人間』を敬う? ジョークのセンスはあるじゃないか、ルシウス・マルフォイ。それに……キミはドブネズミに礼儀を通すのか? 『こんにちは、何処のドブからやって来たんですか?』ってな具合に? おいおい、聖マンゴに行ったほうがいいぞ。」

 

冷たくニヤニヤ笑う私と、無表情のマルフォイが睨み合う。しばらくそうしていたが……おっと、次はハリーに狙いを定めたか。

 

「それに……ハリー・ポッター。君は友人を選ぶセンスが無いようだな。所詮は半純血か。程度が知れるというものだよ。」

 

「貴方の息子も同じことを言いました。そして同じ返事を返します。僕は友人選びのセンスにだけは自信がある。少なくとも貴方や、貴方の息子なんかよりもずっとね。」

 

「……ふん、どうやら時間の無駄のようだな。私は忙しい。君たちとは違ってね。」

 

言うと私たちの間をマルフォイが通り過ぎて行く。ドビーがチラチラとこちらを見ながらそれに続いていったところで、背を睨みつけているハリーにこっそり囁きかけた。

 

「合図をしたら、奴の背中に丸めた靴下を投げつけたまえ。いいか、右寄りにだぞ。コントロールには自信があるだろう?」

 

「任せてくれ。いつでもいいよ。」

 

奴の杖腕は右だ。なんたって馬鹿げた装飾付きの長い杖を右手に持っているのだ。そして、ドビーは使用人の決まりをきちんと守っているらしい。マルフォイの右後ろでピッタリと歩調を合わせている。頃合いを見計らって……。

 

「今だ。」

 

私の合図でハリーが靴下ボールをぶん投げるのと同時に、本気の殺気をマルフォイに当ててやる。なぁに、難しくはないさ。本気で殺したいヤツなんだから。

 

「……ッ!」

 

反射的に親マルフォイが無言呪文で弾いた靴下は、私の妖力の僅かなアシストを経て……んふふ、目を大きく見開いたドビーの手元へと収まった。

 

「何のつもりだ? 私はガキの──」

 

「……靴下をくださった。」

 

「……何? 何を言っている? しもべ。」

 

「ご主人様がドビーめに靴下をくださった!」

 

困惑の瞳で自分のしもべを見る親マルフォイに、ドビーは輝く笑顔でボロボロの靴下を広げて突きつける。

 

「ご主人様がドビーめに洋服をくださった! 自由だ! ドビーは自由だ!」

 

嬉しそうにぴょんぴょん飛び跳ねているドビーを前に、マルフォイは一瞬理解出来ないと言わんばかりの顔を浮かべた後……おや、怒ったか? 憤怒の表情でこちらに向かって杖を振り上げた。

 

「貴様ら! よくも私のしもべを──」

 

「やめろ、この方たちに手を出すな!」

 

残念。振り下ろすことは叶わなかったようだ。私とハリーの前に立ち塞がったドビーが、指を鳴らして親マルフォイを吹き飛ばす。おお、革命だ。レボリューションだ。使用人を気遣わないからこうなるんだよ。私とロワーを見習うんだな。

 

そのまま廊下に倒れ込んだマルフォイに向かって指を突きつけながら、ドビーが高らかに言い放った。

 

「去れ! ドビーはもう容赦しないぞ!」

 

親マルフォイは悔しそうに顔を歪めた後、鼻を鳴らしてから立ち上がって歩き去っていく。そりゃそうだ。幾ら何でも本気のしもべ妖精と戦いたくはあるまい。

 

ドビーはそれを見送った後、大事そうにハリーの靴下を抱きしめながら話しかけてきた。

 

「ハリー・ポッターと吸血鬼のお嬢様がドビーを自由にしてくださった! ドビーめは何とお礼を言ったらいいのやら!」

 

「あー……うん。お礼はいいから、もう僕を助けようとしないって約束してくれる?」

 

苦笑して言うハリーに、ドビーはクスクス笑いながら頷く。いいお願いだ、ハリー。ドビーに命を救われていては、命がいくつあっても足りないのだから。

 

「かしこまりました、ハリー・ポッター。でも、ドビーめは良い屋敷しもべ妖精なのでございます。ご恩は必ずお返しいたします!」

 

「ま、しばらくは自由を満喫したまえよ。一人くらい自由なしもべ妖精がいたって、誰も困りやしないさ。」

 

「ありがとうございます、ハリー・ポッター。ありがとうございます、吸血鬼のお嬢様。ドビーは自由だ! 自由なしもべ妖精だ!」

 

ぴょんぴょこ飛び跳ねてからご機嫌なドビーは消えていった。これにて一件落着だ。唯一の心残りがあるとすれば、親マルフォイの吠え面を写真に収められなかったことだろう。クリービーを連れてくればよかった。

 

ハリーはドビーが消えた場所を微笑んで見つめながら、チラリと私を見て口を開く。

 

「やったね、リーゼ。」

 

「ああ、見事な靴下捌きだったよ、ハリー。」

 

顔を見合わせて苦笑したところで、ハリーが思い出したように疑問を投げかけてきた。

 

「そういえばさ、リドル……ヴォルデモートが君のことを凄く気にしてたんだよ。バートリがいるから僕に手を出せなかった、みたいな感じに。どうしてだろう?」

 

「ふぅん? 大方バートリの家名を恐れたんじゃないかな。スカーレットと同じ、吸血鬼の名家だからね。……いやはや、勘違いも甚だしいよ。私は小さな小さな『雛鳥ちゃん』だっていうのに。」

 

「そっか。フランドールさんとかと見た目はそんなに変わらないし、勘違いするのも無理ないかな。……でも、ちょっと間抜けだね。あいつ、十二歳の女の子を怖がってたんだ。」

 

「んふふ。レディの歳を間違えるだなんて、失礼しちゃうよ、まったく。」

 

クスクス笑いながら言ってやると、ハリーも同じ表情で歩き出す。すまんな、リドル。キミは無垢な少女にビビってたことになってしまった。

 

だがまあ、文句は言わせんからな。こっちだってこの一年間は苦労させられたんだ。小さな復讐をする権利くらいは私にもあるはずさ。

 

余計なことばっかりするトカゲ男に鼻を鳴らして、再び二人で談話室へと歩き出すのだった。

 

───

 

一体誰が広めているのかは知らないが、ハリーとアリスが真犯人を『やっつけた』ことは一瞬でホグワーツでの常識へと変わった。正に瞬く間に。

 

談話室でさえお祭り騒ぎだったが、夕食の大広間でそれはピークを迎えたらしい。グリフィンドール生たちは双子を中心として狂ったように喜びの声を上げているし、レイブンクローは自寮の卒業生が活躍したことで鼻高々だ。

 

ハッフルパフは言わずもがなの協調性を見せ、静かなスリザリンのテーブルでさえも多少安心したような生徒の姿がチラホラ見える。一年生襲撃事件は蛇寮の生徒にとってもよろしくない事件だったようだ。

 

そして……おっと、前言撤回だな。まだピークではなかった。マクゴナガルが期末試験の免除を伝えた瞬間、本当のピークを迎えたのだ。

 

「そんなのってないわ! せっかく平和になったのに!」

 

顔を覆うハーマイオニーだけが悲しみの叫びを上げる中、ロンが大広間のドアを指差して口を開いた。

 

「ハグリッドだ! ハグリッドが帰ってきたぞ!」

 

これはこれは。まだお祭り騒ぎは続くのか。グリフィンドールやハッフルパフの歓声の中、何故か既にほろ酔いのハグリッドが照れくさそうに進んでくるのが見える。彼のアズカバンでのバカンスは終わったようだ。

 

騒がしい夕食だが……まあいいさ。教員席のアリスを見れば、彼女は生徒たちの方を楽しそうに見ている。アリスにとってはどうやら良いきっかけになったようだ。どんな心境の変化があったかは分からないが、以前よりもずっと明るくなったような気がする。

 

この慌ただしい一年間の対価がそれなのだとすれば、私の苦労も報われるというものだ。私にとってアリスの笑顔にはそれだけの価値があるのだから。

 

二枚目のステーキを引き寄せながら、アンネリーゼ・バートリはそっと微笑むのだった。

 



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誤算

 

 

「……チェックだ。」

 

ホグワーツ特急のコンパートメントの中で、アンネリーゼ・バートリはロンのキングを追い詰めていた。……あっぶなかったぞ。これでなんとか勝ち越しで終われる。

 

事件の後の一ヶ月は一瞬で終わった。私にとっても早かったし、ハリーたちにとっては尚更だろう。なんたって、再開されたクィディッチでは見事にグリフィンドールが勝利したのだから。ドビーは宣言通りにハリーの命を助けようとはしなかったようで、彼は殺人ブラッジャーに邪魔されることなくスニッチを取れたのだ。

 

ウッドは滂沱の涙を流しながら優勝杯に頬ずりしていたし、そのお陰で寮杯も手に入れることが出来た。聞けばグリフィンドールにとってはかなり久々の連覇だったらしい。優勝杯も、寮杯もである。愛しの期末試験抜きになったハーマイオニーですら狂喜乱舞していたほどだ。

 

そしてご機嫌な気分のままでホグワーツ特急に乗り込み、一行は大好きな夏休みへとたどり着こうとしているわけだが……ハリーの顔は徐々に憂鬱を帯びてきてるな。残念ながら、こればっかりは毎年恒例の現象になりそうだ。

 

「あー……ダメだ、また負けだよ。惜しかったんだけどなぁ。」

 

「ここのルークがマズかったね。あれで何とかひっくり返せた。」

 

「やっぱりか。打ってから気付いちゃったんだよな……よし、もう一回やろうぜ。」

 

やる気満々のロンに、何故か一緒に乗り込んできたルーナが口を開く。この子は未だに友達が出来ずじまいなのだ。チビリドルをやっつけたアリスですら、この難題は解決できなかったらしい。

 

「ンー、やめたほうがいいよ。もうちょっとで着くから。ほら、ビルが沢山見えてきたもん。」

 

「あれ? もうそんな時間か。トランクの準備をした方がいいかもな。」

 

確かに車窓にはロンドンの風景が映っている。早速とばかりにトランクを下ろし始めたロンに続いて、ルーナもゴテゴテとステッカーの貼りついたトランクを下ろし始めた。ハリーもロンも決闘クラブでルーナの奇行には慣れたようだ。今では普通に喋っている。……いやまあ、最初は困惑していたが。

 

「そうね、そろそろ着くわ。」

 

本を読んでいたハーマイオニーも立ち上がって準備をする中、ハリーだけが沈んだ顔のままで黙り込んでいる。なんともお可哀想な姿だ。学期末パーティーとの落差が凄いぞ。

 

「ハリーは家に帰りたくないの?」

 

ルーナのザックリとした質問に、ハリーは苦笑しながら返事を返した。

 

「うん。家の叔父さんや従兄が意地悪なんだよ。だから、夏休みは憂鬱なんだ。すっごくね。」

 

「ン、それなら……これをあげる。『しかえし貝』の貝殻だよ。憎い相手を想像しながら砕けば、相手に不幸が訪れるんだ。」

 

「あー……うん、ありがとう。」

 

なんじゃそりゃ。かなり困惑しながら巨大な目玉付きの貝殻を受け取ったハリーは、ルーナの期待の瞳に耐えかねたか、ブツブツとバーノンだのダドリーだのと呟きながらそれを砕き始めた。……普通に呪詛だよな、それ。闇の魔術にカウントされないのか?

 

何にせよルーナの中ではこれで解決したようで、ご満悦の表情になって言葉を放つ。

 

「それで大丈夫だよ。きっとハリーを虐めるどころじゃないもん。」

 

「……うん、助かったよ、ルーナ。」

 

絶対に信じてはいないだろうが、それでもハリーはルーナに笑顔でお礼を言う。まあ……気持ちの問題さ。少なくとも気遣いは伝わったようだ。

 

「ン、何か困ったらまた言ってよ。」

 

うーむ。ちょっとだけ嬉しそうな顔を雑誌で隠したルーナは実に可愛らしいと思うのだが……同級生にはどうも見る目がないらしいな。将来美人になって後悔するタイプの案件だ。

 

哀れなレイブンクローの男子生徒たちのことを考えている間にも、列車はゆっくりと速度を落としながら駅へと到着した。全員で忘れ物がないかと確認して……よし、ようやく娑婆に帰れるぞ。

 

五人でホームへと出ると、まずはルーナが出迎えを見つけたようで、私たちに別れの挨拶を放ってくる。

 

「お父さんだ。……それじゃあね、みんな。色々話せて楽しかったよ。バイバイ。」

 

「ああ、良い夏休みを、ルーナ。」

 

私が返事をするのと同時に、残りの三人も言葉を返す。嬉しそうに頷いたルーナは父親の元へと走っていった。……あの娘にしてこの父あり、だな。ピカピカ光るシルクハットを被ってるぞ。

 

そしてロンはモリーを、ハーマイオニーは拷問夫妻を見つけたらしい。私とハリーに別れの挨拶をしてくるが、そこでハリーが思い出したように羽ペンと羊皮紙を取り出した。三つに裂いたそれに書いているのは……数字か?

 

「忘れるとこだった……これ、僕の家の電話番号。ハーマイオニーは分かるよね? ロンはお父さんに説明したし、リーゼは──」

 

「知ってるよ。間違いなくロンの父親よりは正確にね。」

 

幾ら何でも電話くらいは知っているぞ。壁にくっついていて、受話器を耳に当てながら送話菅に向かって喋るんだ。ずっと昔に見たことがある。

 

「よかった! それで……その、良かったら電話をかけて欲しいんだ。夏中バーノンたちしか話し相手がいないなんて、ちょっと辛すぎるよ。」

 

三人にそれぞれ数字を書いた羊皮紙を渡してくるハリーに、ハーマイオニーが首を傾げながら口を開いた。

 

「それは勿論だけど……でも、貴方が今年やったことを話せば叔父さんたちだって煩く言わないんじゃない? クィディッチで優勝して、命を懸けてジニーを救ったのよ? いくらなんでも褒めてくれるでしょう?」

 

「有り得ないよ。クィディッチの『ク』の字も嫌いだろうし、僕が死ななかったことを悲しむはずさ。」

 

自虐的に言うハリーは見事な諦観の表情を浮かべている。残念ながら私もハリーに賛成だ。死ななかったのを悲しむかはさて置き、叔父たちはクィディッチの勝利になど欠片も興味はあるまい。自分の家の芝生の方がよっぽど重要なはずだ。

 

あまりにも儚い表情をするハリーを見かねたのか、ハーマイオニーとロンが口々に言葉をかけ始めた。

 

「あー……うん、元気出して、ハリー。絶対に電話するから。」

 

「そうだぜ、ハリー。パパに頼んで、僕も『話電』を借りるよ。」

 

うん、少なくともロンはダメそうだな。……とはいえ、ハリーにとっては充分嬉しい言葉だったようだ。少しだけ笑顔になって頷きながら、二人に別れの挨拶を告げた。

 

「うん、嬉しいよ。それじゃあ……また九月に!」

 

「ああ、また来学期に会おう、ハーマイオニー、ロン。良い夏休みを。」

 

私も続いて挨拶すると、二人は手を振りながらそれぞれの家族の元へと向かっていった。

 

それを見送ったところで、羊皮紙の切れ端をヒラヒラさせながら私もハリーに言葉を放つ。紅魔館に電話機など無いわけだが……まあ、レミリアに頼むか。ピコピコがあるんだ。電話機があったっておかしくないだろう。

 

「私も電話するよ。キミの従兄が出てくれれば嬉しいんだが……私のことを覚えてるかな?」

 

「絶対に覚えてるよ。去年はテレビにロボットダンスが映る度、必死でチャンネルを変えてたしね。」

 

「おや、それは嬉しいね。今度はブレイクダンスでも試してみようか?」

 

「あの身体じゃちょっと……無理そうかな。」

 

どうかな? 私の見立てでは中々に才能があるはずだぞ。益体も無い話をしている間にも、マグル側のゲートへとたどり着く。

 

「それじゃ、暫しのお別れだ、ハリー。二ヶ月なんとか耐え切れることを祈っておくよ。」

 

「頑張ってみるよ。……それじゃあね、リーゼ!」

 

手を振りながらゲートを抜けていったハリーを見送って……さて、私の迎えはどこだ?

 

キョロキョロと辺りを見回すと、見慣れた銀髪の少女と……おいおい、パチュリー? 引きこもりのもやし魔女が一緒に立っていた。珍しいこともあるもんだ。

 

近付いてみると、咲夜がこちらを見つけて走り寄ってくる。うーん、かわいいヤツめ。

 

「リーゼお嬢様! お帰りなさいませ!」

 

「ただいま、咲夜。それに……どうしたんだい? パチェ。図書館が吹っ飛んだのか?」

 

めんどくさそうに佇むパチュリーに問いかけてみると、更にめんどくさそうな顔になりながら返事を返してきた。巣から引き摺り出されたニフラーみたいな表情だ。

 

「アリスはまだホグワーツ。レミィと妹様は日光でアウト。美鈴は心配だし、顔を広めたくないから却下。小悪魔は咲夜をいかがわしい店に連れて行きそうだから論外。消去法で私が引率に引っ張り出されたわけよ。」

 

「そりゃまた、ご苦労様だね。」

 

「まったくだわ。早く帰りましょう。本は無いし、太陽が眩しいし、虫とかいるし、最悪よ。」

 

「ちょっとは懐かしんだりしないのかい? ホグワーツ特急はキミの世代から変わってないんだろう?」

 

私が苦笑しながら問いかけてやると、パチュリーはチラリと赤い車体を見た後……鼻を鳴らしてからどうでも良さそうに肩を竦めた。

 

「本の方がいいわ。」

 

ダメだこりゃ。生粋の魔女だな、コイツは。ゲラート、ダンブルドア、リドル、アリスは多少の『寄り道』をしていたが、パチュリーだけは薄暗い図書館で真理へと向かい続けている。見た目はともかく、ぶっちぎりで人間やめてるのはコイツだろう。

 

「はいはい、それじゃあさっさと帰ろうじゃないか。」

 

「素晴らしい提案ね。本が私を待ってるわ。」

 

咲夜と手を繋いでから、パチュリーに続いて暖炉へと向かう。……む? 咲夜はちょっと恥ずかしそうだな。もう手を繋ぐような歳じゃないか。

 

紅魔館の小さなメイド見習いの成長を感じながら、アンネリーゼ・バートリは我が家へと足を進めるのだった。

 

 

─────

 

 

「残念じゃのう。教師たちも、そして生徒たちも残って欲しいと言っておるのじゃが。」

 

ホグワーツの校長室で美味しい紅茶を飲みながら、アリス・マーガトロイドはダンブルドア先生へと別れを告げていた。

 

「ありがたい言葉ですし、この仕事は嫌いじゃないんですけど……ちょっとやり甲斐がありすぎますね。私には向いてなさそうです。」

 

この一年は私の人生でも指折りの長さだったのだ。こんなのが毎年だなんて無理に決まってる。私は教師じゃなくて魔女。そのことが良く理解できた一年だった。それに、今は研究に没頭したくて仕方がない。広がった景色をもっともっと見てみたいのだ。

 

苦笑いの私の言葉に、ダンブルドア先生はクスクス笑いながら頷いた。

 

「確かに今年は大変じゃった。……今年も、じゃな。」

 

「うーん、来年はそうならないことを祈っておきます。……後任の候補は見つかったんですよね?」

 

「うむ、リーマスに頼もうかと思っておる。」

 

なるほど、リーマス・ルーピンか。フランの悪友の一人で、元騎士団のメンバーだ。彼なら能力は確かだろう。人当たりも柔らかいし、良い教師になるはずだ。『ほんの小さな』問題を除けばだが。

 

「私は良い選択だと思いますが……保護者から文句が飛んでくるのでは?」

 

「ほっほっほ、黙っていればバレやせんよ。セブルスが脱狼薬を調合できるしのう。」

 

パチリとウィンクをしながら言うダンブルドア先生は、悪戯小僧のような笑みを浮かべている。それでいいのか? ……まあいいか。少なくとも私には不満などないのだ。

 

苦笑しながら紅茶に口をつけ、喉を潤してから口を開く。

 

「まあ、フランは喜びそうですね。咲夜の教師にはもってこいでしょう。」

 

「うむ、そうじゃな。そしてハリーにも良い影響があることを祈っておるよ。リーマスの方にも色々と思うところがあるじゃろうて。」

 

頷き合って紅茶を飲む。なんにせよ、クィレルやロック……なんとかよりは遥かにマシだ。私も気合を入れて引き継ぎ用の書類を作った甲斐があったぞ。ルーピンなら有効活用してくれるはずだ。

 

話がひと段落したところで、最近考えていた疑問を口に出してみた。

 

「そういえば、一つだけ分からないことがあるんです。リドルは……彼は、どうして私をあの場所に誘ったんでしょう? ハリーだけでも良かったような気がするんです。」

 

リドルはハリーとの決闘を望んでいた。未来の自分が負けたのが悔しかったのか、はたまた今の自分を助けようと思ったのかは分からないが、とにかくハリーを殺そうとしていたのは確かだ。

 

だが私は? あの場所に私を連れて来る必要などなかったはずだ。リドルはそれまでは慎重に計画を進めていたのに、最後に余計なリスクを背負い込んだ。もしハリーが私に声をかけなければ、リドルはハリーを殺せていただろう。

 

私には見つけられなかった答えを、ダンブルドア先生は遠くを眺めるような眼差しで口にする。

 

「無論、彼の気持ちは彼にしか分からんことじゃが……きっと、認めて欲しかったのじゃよ。他の誰でもない、君に。」

 

「認める?」

 

「さよう。そうじゃな……つまり、褒めて欲しかったのじゃ。自分はこんなにも上手くできたのだと。わしを、バートリ女史を、そして君を出し抜いたのだと。そう自慢したかったのではないかのう。」

 

「それは……そんなの、子供じゃないですか。リドルが自慢? 私に?」

 

私の疑問顔を見て、ダンブルドア先生は悲しそうな顔で頷いた。

 

「恐らく、彼は君に勝ちたかったのじゃよ。だからこそ自慢気に計画の全貌を語り、これ見よがしにバジリスクを見せびらかした。トムは君の反応を楽しんではいなかったかね?」

 

「……はい、楽しんでいました。私が質問すると嬉しそうに答えてましたし、ずっと私の反応を窺ってたんです。……でも、学生時代のリドルは私より優秀でしたよ? それは成績を見ればよく分かります。」

 

「そうかもしれん。しかし、トムにとってはそうではなかったのかもしれん。君が気付いているかは分からんが、トムは誰より君を羨んでいたのじゃ。自らが持たぬものを持っておる君を。自分が切り捨てなければならなかったものを持ち続ける君を。だからこそ今回、君をどうしてもあの場所に招きたかったのではないかね? 嫉妬か、羨望か、それとも……友情か。彼の抱いていた感情が何なのかは、今となっては分からずじまいじゃのう。」

 

少しだけ残念そうなダンブルドア先生の言葉を聞いて、思い出すのはあの顔だ。私とテッサがリドルと距離を置くようになった頃、彼が取り巻きたちに囲まれながらしていたあの顔。何かを諦めたかのような、それでいて何かを決意しているかのような、あの不思議な表情。

 

かつてテッサが言っていた。リドルが独りぼっちにならなければ、こんなことにはならなかったんじゃないか、と。

 

……分からない。リドルはいつから『ヴォルデモート卿』だったんだ? ホグワーツ特急で初めて会ったあの時? それとも五年生の事件の時? それとも……もっとずっと後の話なのか?

 

頭の中でぐるぐると回る思考を、ダンブルドア先生の優しげな言葉が止めてくれた。

 

「過去なのじゃ、アリス。過ぎ去った時を気にしてはいけないよ。わしにも多くの後悔があるが、それに囚われては前に進めなくなってしまう。君もテッサも精一杯やってきたではないか。」

 

「私は……間違えたんでしょうか?」

 

「それは定かではないのう。じゃが……そう、間違わぬ者などおらんよ。わしも、ノーレッジも、そして偉大な吸血鬼たちでさえも。時に迷い、時に間違ってしまうのじゃ。恐ろしいのは間違うことではない。そこで諦めてしまうことなのじゃよ。しかし、君は──」

 

そこでダンブルドア先生は私の杖へと目をやり、少しだけ微笑んでから言い直した。

 

「──君『たち』は前に進んでおるではないか。きちんと向き合い、戦おうとしておるではないか。それを誇りなさい、アリス。それが出来る者は多くはないのじゃから。」

 

ブルーの柔らかな瞳に射抜かれて、思わず杖へと手を当てる。

 

……参ったな。この歳になってもこの人には敵いそうもない。私にとってダンブルドア先生は、ずっと『先生』のようだ。

 

一度だけ瞑目して、そしてゆっくりと目を開けた。うん、余計なことは考えないことにしよう。ダンブルドア先生の言う通り、過去に囚われていては身動き出来なくなってしまうのだから。

 

「……そうですね。ちょっと元気が出ました。ありがとうございます、ダンブルドア先生。」

 

私がお礼を言うと、ダンブルドア先生は照れくさそうにクスクス笑いだす。この人は本当に……粋な人だ。

 

「おお、アリスよ、この老人めをあまり褒めないでおくれ。恥ずかしくってどうしようもないのじゃ。」

 

「そういうところはパチュリーに似てますよ。彼女も褒められるのに弱いんです。」

 

「ほっほっほ。照れたノーレッジか……ううむ、見てみたいのう。」

 

難しいことではない。なんたって、咲夜とセットならいつでも見られるのだ。魔女や吸血鬼たちのことを翻弄する小さな少女のことを考えていると、やおら立ち上がったダンブルドア先生が戸棚を開けて……リドルの日記帳? 穴の空いてしまった日記帳を取り出した。

 

「忘れるところじゃった。老人は忘れっぽくなってしまっていかんのう。……これを照れ屋のノーレッジに渡してくれんかね?」

 

「えっと、それはもちろん構いませんけど……日記帳にはまだ何か秘密があるんですか?」

 

「さよう。わしの考えが確かならば、この日記帳はリドルの不死の秘密を暴く重要な鍵となるはずじゃ。……しかし、わしでは確たる答えを得るには時間がかかってしまう。これを紐解くには、あまりにも深い知識を要するのじゃよ。」

 

言葉を切ったダンブルドア先生は真剣な表情を一変させ、悪戯気な表情になって続きを話し始める。まるで自慢するような感じに。

 

「じゃが、わしの友人には『知識』の名を冠する魔女がおってのう。トムにとっての最大の誤算は彼女じゃろうて。彼はわしや君、そして吸血鬼たちを警戒するあまり、一人の偉大な魔女を計算から外してしまったのじゃよ。ノーレッジのことをよく知っていれば、恐らく日記帳を奪われるような危険は冒さなかったはずじゃ。」

 

「それはまた、酷い誤算ですね。他の誰より警戒しないといけない相手なのに。」

 

「ほっほっほ、いかにもその通り。ノーレッジならばすぐさま答えを導き出してくれることじゃろう。……彼女にわしがそう言っておったことを伝えておくれ。そうすれば尚のこと早くなるはずじゃ。」

 

顔を見合わせて笑い合う。間違いあるまい。ブツブツと文句を言いながらも、期待以上の早さで終わらせるために奮闘するはずだ。どうやらダンブルドア先生はパチュリーのことをよく知っているらしい。

 

脳裏に浮かぶ威張りたがり屋の魔女に微笑みつつ、日記帳を手にゆっくりとソファから立ち上がった。

 

「わかりました。必ずパチュリーに伝えます。……それじゃあ、私は行きますね。」

 

「うむ。気をつけてお帰り、アリス。そして、またいつでもおいで。ホグワーツは君にとっても第二の家なのじゃから。君が望む限り、ホグワーツの門はいつでも開かれておるよ。」

 

「はい。それでは失礼します。」

 

校長室のドアを抜けて、ガーゴイル像も抜け、ゆっくりと三階の廊下を歩き出す。本当に長い一年だった。

 

でもまあ、たまにはいいさ。私は魔女なのだ。長い、永い人生の中で、こういう年があってもいいだろう。……たまになら、だが。

 

顔に浮かんだ苦笑はそのままに、アリス・マーガトロイドは家族の待つ館に向かって一歩を踏み出すのだった。

 



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知恵比べ

 

 

「……尻尾を掴んだわよ、リドル。」

 

目の前で図書館の魔女が歓喜の笑みを浮かべるのを、レミリア・スカーレットは黙って見つめていた。パチュリーがこんな表情を浮かべるのは珍しい。つまり、それだけの情報を得られたのだ。

 

研究室の台の上には大きな穴の空いた日記帳が乗せられている。リドルの日記帳。今回の事件の発端にして、今回の事件の終点。ダンブルドアによれば、リドルの不死を暴く鍵だ。

 

私とリーゼがジッと見つめる中、多種多様な魔道具でそれを調べていたパチュリーは、ニヤリと笑って一つの単語を口にした。

 

「これは分霊箱よ。」

 

「分霊箱?」

 

私の短い問いに対して、パチュリーはほんの少しだけ嫌そうな顔で口を開く。あの顔は知ってるぞ。パチュリーが大嫌いな、『不正確』な話をするときの表情だ。

 

「いい? ここからの話は鵜呑みにはしないで頂戴。分霊箱について記録されている前例はたった一例しかないの。しかも不正確極まりない記録が一つだけよ。だから、私の知識から弾き出した仮説が主体になってくるわ。実証できない仮説なんて与太話にもならないわけだけど……それでも聞くかしら?」

 

「当然聞くわ。頼りにしてるわよ、パチェ。貴女に解けない謎なら私たちにはお手上げじゃない。」

 

「その通りだ、我らが魔女さん。リドルと知恵比べをしてみたまえよ。私たちはキミに全額ベットしよう。吸血鬼は勝てる勝負から逃げたりなんかしないのさ。」

 

リドル(なぞなぞ)』と『ノーレッジ(知識)』の知恵比べね。今まで気付かなかったが、実に運命的な名前じゃないか。……ま、何にせよリーゼの言う通りだ。私たちはパチュリーに賭ける。知識そのものに謎かけをするだと? それは無謀というものだ。

 

私たちの答えにほんの少しだけ満足そうな顔になったパチュリーは、日記帳を指差しながら説明を語り始めた。

 

「結構。それじゃあ先ずは分霊箱についてを説明するわ。……自らの魂を引き裂き、それを物体に保存する闇の秘儀よ。つまり魂の欠片が保存された物体のことね。通常、人間が死ねば死神どもに引っ張られていって、その後冥界の管理者に裁かれるのは知っているでしょう?」

 

「よく知ってるさ。あの忌々しい説教好きどもに、宗教圏毎の『裁判ごっこ』をさせられるんだろう?」

 

リーゼの答えに、パチュリーは頷きながら続きを話す。

 

「その通りよ。そして、それから逃れる方法も少なくはないのだけど……これはその一つね。分霊箱に保管してある自分の魂をアンカーにして、本体の魂を現世に引き止めるわけ。死なないのじゃなくて、『死ねない』タイプの方法よ。」

 

「それはそれは、冥府の管理者どもはさぞお怒りでしょうね。いい気味だわ。」

 

鼻を鳴らして言い放つ。あの連中は煩いったらないのだ。やれ反省しろだの、やれ善行を積めだの。吸血鬼なんだぞ、私は。あいつらこそもっと悪いことをすべきなのだ。

 

とはいえ、これでリドルの不死の秘密は暴かれた。そしてついでに分霊箱とやらはぶっ壊れてるオマケ付きだ。かなりの進歩に私とリーゼは満足そうな表情だが……パチュリーは何かを考え込んでいる。

 

ジッと日記帳を見ているパチュリーに、リーゼが肩を竦めて問いかけた。

 

「つまり、これでリドルのアンカーは無くなったんだろう? 次殺せば普通に死ぬ。そうじゃないのかい?」

 

「残念ながらノーよ。ここからが私の仮説。恐らく分霊箱は一つではないわ。あのリドルの見た目の変化は、複数回魂を引き裂いた弊害でしょう。一つでも分霊箱が残る限り、本当の意味でリドルを殺すのは無理ね。」

 

パチュリーの言葉を受けて、私とリーゼの顔が曇る。それはまた……滅茶苦茶面倒くさいではないか! リドルが自信満々だったのはそのせいなわけだ。

 

「……何個あるのかしら? 千個もあったら絶望的よ。魔法族総出でゴミ拾いをする羽目になるわね。」

 

「さすがにそんなには無理よ。そうね……あの姿から考えれば、最低でも三個。最大では八個くらいかしら? いくらなんでもそれ以上魂を分ければ、自我を保てなくなっちゃうもの。」

 

パチュリーの答えにちょっとだけ安心する。さすがに無数に造れるわけではないらしい。ホッと息を吐いたところで、リーゼが素っ頓狂なことを言い出した。

 

「しかし、分霊箱ね……私もやってみようかな。命の保険があるってのは結構便利そうじゃないか?」

 

「やめときなさい。引き裂いた魂は二度と元には戻らないのよ? どんどん小さく、どんどん下等な存在になっていくことになるわ。生きてる間は便利かもだけど、いざ『本当の意味で』死んだ時のことを考えてみなさい? ゴミ屑みたいな魂の状態で、現世と冥府の隙間で永遠に転がってることになるわよ。動けもせず、喋れもせず、見れもせず、聞けもせず。独りぼっちで永遠にね。」

 

「あー……なるほど。やめておいた方が賢明だね。」

 

ドン引きしたように言うリーゼだが、やめておいた方がいいのには私も同感だ。想像するだけでゾッとする状態ではないか。永遠の孤独、永遠の苦しみ。考えるだけで胸がキュっとなる。

 

そんなことになるなら、地獄の方が百倍マシだぞ。輪廻から外れるというのは恐ろしいことなのだ。永く生きる妖怪たちはそれをよく知っている。

 

だからこそ大抵は上手くバランスを取ってそれと付き合っていくものだ。東洋の仙人も、パチュリーたちのような魔女も、私たち妖怪も。ギリギリの場所を見極めて、きちんと踏み止まっているのだから。

 

しかしリドルは……恐らく知らなかったのだろう。偶然にも『方法』を見つけてしまい、深く知らないうちにそれを実行してしまった。そうじゃなきゃこんな方法を取るはずない。私たちだってドン引きするような方法を。

 

内心でほんの少しだけリドルに同情しながらも、話を進めるために口を開く。

 

「とにかく、残りの分霊箱とやらを探す必要があるわね。……出来るの? パチェ。」

 

「なんで私に振るのよ。私はデスクワーク専門なの。フィールドワークは専門外よ。」

 

「紫もやしに探しに行けとは言わないわ。ヒントは無いのかってことよ。さすがにノーヒントじゃどうしようもないじゃないの。その辺の石ころを分霊箱にしてる可能性だってあるわけでしょう?」

 

そうだとすれば頗る厄介なのだ。賽の河原の真似事をする必要が出てくるぞ。そうなったら……うん、美鈴にやらせよう。私は絶対ヤダ。考えただけでイライラしてくる作業だ。

 

私が脳内に絶望する門番の顔を浮かべていると、パチュリーが顎に手を当てながら口を開く。

 

「そうね……まず一つ、リドルが六年生の時から、トカゲっぽくなってきた時期。えーっと、1955年辺りかしら? その間に三つ以上は作っているはずよ。日記帳を除けばあと二つ。ひょっとしたらもう一、二個多い可能性もあるけど。」

 

「六年生以前にも作ったという可能性はないのかい?」

 

リーゼの質問に、パチュリーは自信ありげに頷きながら答えた。

 

「ないわね。この日記帳が最初の分霊箱のはずよ。最初の一回だからこそ分けられた魂の量が多くなって、だからこそここまでの自我を持てたの。二回目以降はもっと小さくなってるはずだわ。」

 

「安心したよ。毎回毎回リドルの記憶に付き合わなくていいわけだ。トカゲ男の成長記録だなんて、誰も見たくはないだろう?」

 

鼻を鳴らしながら言うリーゼの皮肉を無視して、パチュリーは続きを語り出す。

 

「二つ目に、分霊箱はリドルにとって思い入れのある品物のはずよ。恐らく魂との親和性が大事なの。好きな物、貴重だと思っている物、認めている物。あるいは……執着している物。そういった物でなければ分霊箱にはできないはずだわ。」

 

「だから日記帳なわけね。……そうなると、スリザリン関係が怪しいわ。熱心な信者みたいじゃない。」

 

「ふむ。夏休みが明けたら秘密の部屋をもう一度調べてみよう。多分無かったと思うが、視点を変えれば新しい発見もあるかもしれない。」

 

私とリーゼの会話に頷きながら、パチュリーは最後のヒントを口にした。

 

「三つ目、分霊箱は通常の方法では破壊できないわ。少なくとも並みの呪文や物理的な方法じゃあ無理ね。アリスが使ったような『本物の』守護霊、あるいは強力な魔道具、悪霊の火、私の魔法に、妹様の能力……いやまあ、壊す方法は結構あるけど。」

 

「頑丈なら分霊箱の可能性があるわけか? いいヒントじゃないか。とにかく怪しいものをぶっ壊そうとすればいいわけだ。」

 

リーゼの短絡的かつ暴力的な方針に苦笑しながら、脳内で計画を組み立てつつ口を開く。

 

「そうなると、先ずはリドルの足跡を追う必要があるわね。それは……よし、美鈴にやらせましょう。最近暇そうだし、いい運動になるでしょ。アリスは研究に没頭中だしね。」

 

「ダンブルドアからも話を聞こう。学生時代のリドルを知る者は多くはないし、貴重な手がかりを握ってるかもしれない。」

 

私とリーゼが計画を組み立てているところに、パチュリーが意外な意見を追加してきた。

 

「こあも美鈴について行かせるわ。」

 

「こあを? それはまた……何だってそんなことを?」

 

「宝を見つけるのは悪魔の本能よ。気休め程度には役に立つでしょう。……気休め程度には。」

 

リーゼに答えるパチュリーは自信なさげだ。まあ……美鈴と小悪魔のペアってのはちょっと頼りない気がする。あっちへふらふら、こっちへふらふら。すぐに脱線しそうだ。

 

三人が三人ともその光景を幻視したのだろう。部屋が苦笑に包まれたところで、リーゼが満足そうな表情になって口を開く。

 

「しかし……僅か二年でかなりの進歩じゃないか。去年はようやく顔を拝めて、今年は不死の秘密を暴いた。ハリーが絡み始めてから一気にゲームが進んだな。」

 

その通りだ。思わず歓喜が背筋を伝う。かつての戦争では向かい風だった運命が、今の私たちには追い風になっているのだ。帆を広げれば広げるほどに、グングン先へと進んで行く。

 

前回の戦争には手応えがなかった。まるで空を掴むような感覚が続いていたが、対して今やどうだ。確かに介入しているという手応えを感じるではないか。

 

思わず浮かんだ笑みにその身を委ねていると、パチュリーが思い出したように口を開いた。

 

「そうそう、分霊箱を見つけたら、すぐに破壊せずに私に持ってきて頂戴ね。さっきも言った通りに前例が殆どない魔法なの。色々と調べる必要があるわ。」

 

「それはもちろん構わないけど……そもそも分霊箱が破壊されたってことにリドルは気付かないの? もし気付いてるのなら、より厳重な場所に隠そうとすると思うけど。」

 

「それに気付くのはいざ死んだ時でしょうね。完全に切り離されてるわけだから、破壊されようが感知できないはずよ。唯一アンカーとして動作させようとした時に繋がるの。だからまあ、全部破壊するまではリドルを殺さない方がいいわね。きっと面倒なことになるわよ。」

 

「ふーん。ま、了解よ。とりあえず一個見つけたら、パチェに渡せばいいのね。」

 

問題あるまい。そもハリーしか殺せないはずだし、今まで通りにやるだけだ。それよりも、パチュリーがやる気になったのは僥倖だったな。リドルの対処というか、むしろ純粋な研究欲だろうが……構うものか。エンジンがかかったこの魔女は頼もしいのだ。

 

確かな前進を感じながら。レミリア・スカーレットは満足そうに深く頷くのだった。

 

 

─────

 

 

「……参ったぜ。」

 

目の前に広がるロンドンの街並みを眺めながら、霧雨魔理沙は困り果てていた。まるで迷宮だ。それにこの人の量。眩暈がしてくるぜ。

 

聞くと見るとじゃ全然違う。幻想郷には無かった物ばかりで、何をどうしたらいいのかさっぱりわからん。……落ち着け、魔理沙。ちゃんと勉強してきただろう? 内心に膨れ上がる不安をどうにか抑えながら、地図を頼りに再び歩き出す。

 

幻想郷を出て初めて分かった。あの場所がいかに神秘に包まれていたかということが。ここじゃあ私は一センチだって浮けないし、自慢の魔法もまともに使えやしない。香霖から餞別に貰ったミニ八卦炉も……全然ダメ。うんともすんともいいやしないぞ。丸裸で歩いてる気分だ。

 

「……っし。」

 

不安になるな! 一度頰を叩いて気持ちを切り替える。魅魔様に頼み込んで外の世界での修行を望んだのは私だろうが!

 

脳裏に浮かぶのは紅白の彼女だ。どれだけ必死に走っても追いつけなかったあの背中。毎日勉強して、魔法の練習をして、寝る間も惜しんで頑張っても、あいつは軽々と私を追い越していった。……私が自信を失くすには充分すぎる速度で。

 

落ち込む私を見兼ねたのか、師匠である魅魔様がある提案をしてきてくれたのだ。外の世界で魔法の修行をしてこないか、と。

 

今ならその言葉の真意がはっきりと分かる。ここじゃあ常に枷を嵌められているような状態なのだ。ここでふわりとでも浮ければ幻想郷じゃ自由自在に飛び回れるだろうし、ここで魔力弾をばら撒けるならあっちでは空を覆えるほどだろう。

 

後悔を気力でねじ伏せて、顔を上げて足を踏み出す。絶対にいい経験になるはず……いや、そうしなければならない。魅魔様が苦労して博麗結界に穴を空けてくれたのだ。恩に報いるためにも、強くなって帰らねばなるまい。

 

しかし……一つだけ後悔するとすれば、この格好のことだ。明らかに浮いている。三角帽子を被っている人などいないし、なんというか……みんなハイカラな格好をしているのだ。さっきから通り過ぎる人はこっちを胡乱げに見てるし、少し恥ずかしいぞ。

 

羞恥心から解放されるためにも、早く『魔法界』とやらに入らねばなるまい。魅魔様が言う分には、そこならそう間違った格好ではないはずなのだ。

 

それに、お金もあんまりないし。早いとこ魅魔様の知り合いとやらに連絡を取って、必要な資金を融通してもらわねばならんのだ。この……ホグワーツ魔法魔術学校? とやらに入るのだってタダではないはずなのだから。

 

車がびゅんびゅんと走る……車道? とやらを慎重に通る。信号機は青なのだ。進んでいいはず……だよな?

 

忙しそうに歩く人々は、どうも赤の時も渡っているように見える。……何か知らないルールがあるのかもしれん。やっぱり付け焼き刃の知識じゃ限界があるな。

 

困惑しながら慎重に渡り切り、美味しそうな氷菓子の誘惑に耐えて前へと進む。ダメだぞ、魔理沙。お金は貴重なんだから。

 

外の世界に来るに当たって、魅魔様は二つの選択肢を提示してくれた。アメリカとイギリスである。

 

ホグワーツとイルヴァーモーニー。魅魔様が住んでいたのはアメリカだが、魔法の本場はイギリスらしい。イギリスには頼れる知り合いもいるということで、どうせなら本場を選択したわけだが……うん、正解だったな。

 

なんたって、魅魔様によればイギリスよりアメリカのほうが『ごちゃごちゃ』しているらしいのだ。これ以上ごちゃごちゃしているなど、私の頭がパンクしかねん。

 

ため息を吐きながら地図に従って角を曲がる。すると屋台が並んだ通りが……おいおい、ここはさっき通ったぞ。

 

ああもう! なんでこんなにややこしいんだ! パニックを必死に鎮めながら、もう一度地図を確認する。……ダメだ、どこで間違えたのかさっぱりだ。魅魔様のことを悪く言いたくないが、あの方は地図を書く才能がなかったらしい。

 

また不安が忍び寄ってきたのを自覚しつつ、とにかくもう一度進もうと歩き始めると……ローブだ。明らかに周囲から浮いている、ローブを着た中年の男が立っている。

 

どきりと跳ねた心を抑えつつ、そろそろとそちらに近寄っていく。魔法界とやらの住人だろうか? それともセンスの特殊な普通の人?

 

屋台の店主らしき小男に話しているローブの中年へと近付くと、微かに会話が聞こえてきた。

 

「──ことなんだよ、マンダンガス。つまり、マグルにこれを売るのは違法なんだ。急いで店を畳んでくれないか?」

 

「そいつは横暴ってモンだぞ、アーサー。俺ぁちゃんと許可を取ってる! マグルにも、魔法省にもだ!」

 

魔法省。知ってるぞ、その言葉! イギリス魔法界の政治機関のはずだ。ちゃんと勉強してきて良かった。

 

やっと見つけた手がかりを逃すまいと、更に近付いて耳を澄ます。

 

「それは古い許可証だし、おまけに売ってる物も違うじゃないか。いいから店を畳むんだ、マンダンガス。しょっ引いてやってもいいんだぞ。」

 

「横暴だぜ、クソったれの役人め! いつか後悔するぞ!」

 

「もう後悔してるよ。前回の時に逮捕しておくべきだったってね。……早く消えないと執行部に連絡するぞ? スクリムジョールが飛んでくる前に消えた方が身のためだと思うよ、私は。」

 

「クソったれめ!」

 

捨て台詞を残して、小男は……消えた。なんだあれ? 消えたぞ。いやまあ、幻想郷じゃ珍しくもない光景だが、この世界の魔法を見るのは初めてだ。

 

呆然と私が見つめる先では、中年の男がため息を吐きながら……ワンドか? それらしき棒を振って並んでいた商品を消し去っていく。あれも魔法だ。もはや間違いあるまい。あの男は魔法界の住人なのだ。

 

どうする? 声をかけるか? 少しだけ迷うが……うん、かけよう。このまま迷路のような街を彷徨っているよりかはいい結果になるはずだ。

 

ゆっくりと近付いてから、なるべく笑顔を意識して声をかけた。

 

「あー……ちょっといいか? 聞きたいことがあるんだが。」

 

「ん? 君は?」

 

「ああ、私は……うん、あんたのご同輩だよ。この、漏れ鍋? ってとこに行きたいんだが、場所がわかんなくてな。迷っちまったんだ。」

 

「漏れ鍋に? ああ、確かにマグルの街は難しいからね。私も迷いっぱなしだよ。それじゃあ、ダイアゴン横丁に用事があるのかい?」

 

ダイア……何だって? マズいな。適当に話を合わせようかと思ったが、私には知らないことが多すぎる。

 

脳内で適当な設定を組み立てて、それを男へと放った。

 

「えーっと、私は海外から来たんだよ。ホグワーツに入学しに。それで知り合いを頼ろうと思って、その……暖炉がどうこうみたいなことを言われててさ。漏れ鍋って場所に行けばどうにかなるって言われてるんだが……。」

 

「留学生かい? それはまた、大変だったね。私に任せなさい。私は魔法省の役人、アーサー・ウィーズリーだ。漏れ鍋まで案内するよ。」

 

「そいつは助かるぜ。私は魔理沙。霧雨魔理沙だ。あー……こっちだと、マリサ・キリサメだな。」

 

英語の勉強はしてきているが、未だに慣れるにはほど遠い。そりゃまあ、日本語よりかは簡単だが……どうもな。こういう部分でやっぱり違和感は残るのだ。

 

「えー、キリシャ、キリィシャメ? 難しい発音だね。キリ……何処で切るんだい?」

 

「いやまあ、マリサでいいぜ。」

 

「ああ、助かるよ。それじゃあ行こうか、マリサ。」

 

男……ウィーズリーの発音は『マリッサ』か『メリッサ』に近いが……まあいいさ。別に細かく気にする箇所でもないだろう。それに、苗字よりは遥かにマシだ。霧雨道具店は海外支店を出すのは無理だな。

 

先導し始めたウィーズリーに続いて歩き出す。まあ、これでおかしな服装が二人に増えたわけだ。一人の時よりかは少し楽になった。

 

歩きながらも、ウィーズリーは自分の家族の話をしてくれる。実に大家族な上に、ホグワーツにも五人通っているらしい。困ったら頼りなさいと言うあたり、結構いいやつそうだ。

 

イギリス魔法界についての私の質問がひと段落したところで、今度はウィーズリーが質問を飛ばしてきた。

 

「そういえば、知り合いというのは誰なんだい? もし良ければ、私が連絡を入れてみようか? こう見えても知り合いは多いんだ。」

 

こっちに気を遣っての提案だとは分かっているが、残念ながら連絡を取れるとは思えない。なんたって魅魔様の知り合いというのは吸血鬼なのだ。

 

魅魔様が言うには、『強力』な吸血鬼に貸しがあるから、その娘を頼れとのことだった。こっちの世界で『強力』ってことは……くわばらくわばら。幻想郷に来ないことを祈るばかりだ。

 

「ここに書いてあるぜ。まあ、知らんと思うけどな。」

 

なんの期待もなく、話を終わらせるために魅魔様に貰った紙を見せるが……おい? ウィーズリーは得心いったというように頷いている。どういうことだ?

 

「ああ、彼女か。よく知ってるよ。息子の友人なんだ。」

 

「ゆ、友人? いやいや、人違いだぜ。人違いっていうか……うん、同姓同名だ。間違いない。」

 

「そうかい? 黒髪の吸血鬼の子じゃなくて? こんな名前、そういないと思うんだがなぁ……。」

 

うっそだろ? 黒髪の吸血鬼。それは……魅魔様が言っていた通りの外見じゃないか。吸血鬼が息子の友人? っていうか、吸血鬼ってそんな身近な存在なのか?

 

思わず手にした紙を落としながら、霧雨魔理沙は呆然と大口を開けるのだった。

 

──アンネリーゼ・バートリと書かれたその紙を。

 



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マリサ・キリサメと魔術師の星見台
星屑


 

 

「面倒なことを言ってくれるじゃないか、あの悪霊め……。」

 

ダイアゴン横丁のカフェテラスで苛立たしげに呟く吸血鬼を、霧雨魔理沙は身構えながら恐る恐る見ていた。怖い。すっごい怖い。

 

なんたって、目の前に座る吸血鬼からは明らかな妖力を感じるのだ。幻想郷で見る下級妖怪なんかとは全然違う。枷がある状態でこれか? どうかしてるぞ。間違いなくあっちで言う大妖怪クラスだ。

 

当然ながらテーブルに置かれた紅茶を飲むどころではない。なんたって、機嫌を損ねれば殺されるかもしれないのだ。魅魔様から持たされた手紙の中身は見ていないが、この吸血鬼が怒ったら私に何か出来るとは思えん。魅魔様が穏便な言葉で書いてくれていることを祈るばかりだ。……うん、儚い望みだな。あの方が『丁寧な』手紙を書くわけない。

 

内心でビビっている私に、黒髪の吸血鬼……バートリがようやく口を開いた。

 

「……いいだろう。バートリの借りはバートリが返す。父上があの悪霊に借りがあるのは確かだし、私も昔一度だけアメリカでの仕事を手伝ってもらったことがある。……囚われのお姫様を救うためにね。だから、学用資金については任せてもらおう。」

 

「感謝するぜ……します。」

 

「敬語も結構。キミの英語が下手くそなこともここに書いてあるよ。それに、私は十一歳の小娘に目くじらをたてるほど心が狭くはないつもりだ。楽にしたまえ。」

 

一安心だ。なんだよ、結構話が分かる奴じゃないか。私がホッと一息ついたところで、バートリはいきなり身を乗り出してニヤニヤ笑いながら口を開く。文字通りの悪魔の笑みで。

 

「おいおい、何を安心しているんだい? 霧雨魔理沙。キミの目の前にいるのは吸血鬼だよ? 条件があるに決まっているだろう?」

 

前言撤回だ、クソったれめ! 蛇に睨まれた蛙。吸血鬼に睨まれた人間だ。私が為すすべなく頷いたのを見て、バートリは条件とやらを話し始めた。

 

「先ず一つ、我々吸血鬼はイギリス魔法界じゃ『上手く』やってるんだ。別に私の存在を言いふらすなとまでは言わないが、余計なことは口走らないでもらおうか。意味は分かるね?」

 

「あー……わかったぜ。」

 

吸血鬼が人間の『お友達』なのはウィーズリーからよく聞いている。この感じだと絶対に悪巧みをしているのは確かだが、私は自分の命の方が大事なのだ。言いふらしたりはしない。というか、出来ない。

 

「二つ、幻想郷についての情報を渡して貰おう。有力者、勢力、思想、宗教、文化、地理……キミの知る限り全てをだ。出来るだろう?」

 

おいおい、何のつもりだ? 幻想郷に攻め込もうとでもしてるのか? それはさすがに看過できんぞ。あそこの連中がコイツらに敗れるとは思いたくないが、万が一ということがある。

 

内心の焦りを必死に隠しつつ、精一杯睨みつけながら博麗結界のことを話す。

 

「……幻想郷に入ろうとしてるなら無駄だぞ。あそこは強力な結界で守られてる。いくらあんたらでも突破できないはずだ。」

 

「んふふ、もう八雲紫とは話がついているのさ。心配どうも、小さな魔法使いさん。」

 

八雲紫? あの、大間抜けの、すっとこどっこいの、親バカの、ポンコツ賢者め! 何を考えてそんなことをしようとしてるんだ! ……もういい、私は知らんからな。話せと言うなら話してやるさ。どうせそうする以外に道などないんだ。

 

「わかったよ、話せばいいんだろ? 話せば。」

 

「大変結構。それじゃあ……ふむ、住まいはどうするつもりだい? 一応、我が家にも空き部屋は腐るほどあるが。」

 

「……吸血鬼だらけの家じゃないだろうな?」

 

「だらけとは言わないが、私を含めて三人いるよ。それと、悪魔に妖怪に魔女もいるね。」

 

この世の地獄じゃないか。誰がそんな場所に住むもんか。命がいくつあっても足りやしないぞ!

 

必死に首を振りながら、断固拒否の返答を返す。

 

「ありがたいが、やめとくぜ。どっかその辺に家を借りるさ。吸血鬼も悪魔も妖怪もなしの家をな。」

 

魔女ってのだけは非常に気になるが、その他の種族がヤバすぎる。危うきは避けよ。それだけはここも幻想郷も変わらないはずだ。

 

バートリはクスクス笑いながらも、肩を竦めて頷いた。

 

「んふふ、残念だね。ちょうど同い年の子もいるんだが……まあいい、どうせホグワーツで会うことになるだろう。」

 

ちょうど学校の話題が出たので、ウィーズリーから聞いていた『与太話』を口に出してみる。あり得ない話だが……違うと言ってくれ。頼むから。

 

「そのことなんだが……あー、あんたが通ってるって聞いてるんだ。その、ホグワーツに。生徒として。何かの勘違いだよな?」

 

否定してくれと願いながら半笑いで問いかけると、バートリは急に不機嫌そうな顔になって鼻を鳴らした。おっと、マズいぞ。地雷を踏んだか?

 

「不本意ながら、真実だ。とあるゲームをしててね、勝つためには必要なことなんだよ。……いいか? 本意ではないということは分かってくれるね?」

 

「ああ、分かるぜ! よく分かる!」

 

いったい誰が否定できる? 少なくとも私には無理だ。不機嫌な吸血鬼など近寄りたくもないのに、目の前で睨みつけられているんだぞ。

 

必死に頷きまくって同意してやると、バートリはうんうん頷きながら口を開いた。

 

「分かってくれて嬉しいよ。誰もこの辛さを理解してくれないんだ。考えてもみたまえ。キミが乳児と一緒の生活をしているようなもんだぞ? ミルクを貰っておしめを替えられて……ほら、耐え難い苦痛だろう?」

 

「それは……うん、そりゃ酷いな。同情するぜ。」

 

リップサービス八割の本音二割だ。確かに楽しそうな生活とは思えない。私が寺子屋のバカガキどもと一緒に過ごしたくはないのと同じことなのだろう。いや、乳児ってのはさすがに言いすぎだと思うが。

 

深く頷いた私に、バートリはかなり機嫌が良くなってきたらしい。いいぞ、その調子だ。機嫌の良い吸血鬼も嫌だが、悪いよりかは遥かにいいのだ。

 

「話が分かるじゃないか、魔理沙。私のことはリーゼと呼びたまえ。キミの『バートリ』の発音は残念に過ぎるしね。」

 

「あー……光栄だよ、リーゼ。」

 

「よしよし。それじゃあ、ホグワーツには私が話を通しておこう。学用品の準備は……出来るのかい? まだ何にも知らないんだろう?」

 

む、それは……確かにその通りだ。何を買えばいいのかも、どこで買えばいいのかも、どう買えばいいのかもわからん。全てがわからん。

 

どう答えようかと迷う私を見兼ねたのか、リーゼがある提案を口にしてきた。

 

「なんなら、案内人をつけようか? ウチの子も今年入学だし、どうせ買い物はする予定だったんだよ。」

 

「えーっと、吸血鬼か? それとも妖怪か悪魔? それ以外なら是非お願いしたいんだが……。」

 

「残念ながら魔女だよ。社交的で明るいのと、人嫌いで暗いのがいるけど……どっちがいい?」

 

そんなもん前者に決まってるだろうに。まあ、魔女っぽいのは後者だな。ちょっと興味はあるが……うん、やっぱり前者だ。吸血鬼基準の『人嫌い』だとすれば、呪い殺されるかもしれないのだから。

 

「出来れば明るい方で頼む。」

 

「そりゃそうだね。それなら、買い物の日取りは後で教えるよ。住処は……本当にいいのかい? マグルよりかは手続きは楽だが、魔法界でも子供一人で探すのは難しいと思うよ?」

 

「んー……そりゃあそうかもしれんけど。うん、まあ、気を悪くしないで欲しいんだが、吸血鬼の住処ってのはちょっと気後れしちまうんだよ。私はほら、幻想郷育ちだからさ。あんたらがどんな存在かってのをちょっとは理解してるつもりだぜ。」

 

肩を竦めて言うと、リーゼは愉快そうにクスクス笑いながら口を開いた。怒ってはいないらしい。

 

「んふふ、素晴らしい。最近はあまり見なくなってしまった正しい反応だね。……ふむ、そういうことなら無理にとは言わないが。」

 

そのまま宙を見つめて何かを考え始めたリーゼは、やがて指を鳴らして提案を放ってきた。

 

「……ああ、それならあそこがいい。キミを案内する予定の魔女が、昔住んでいた家が残ってるんだ。ダイアゴン横丁にね。」

 

「ここに? そりゃあ、使えるんなら助かるぜ。頼んでみてくれるか?」

 

「話は通しておこう。そういうことなら、しばらくはこのまま漏れ鍋に泊まっておいてくれ。買い物の時に案内してもらえばいい。日にちは……決まったらふくろう便を送るよ。」

 

「ふくろう便?」

 

私が問い返すと、リーゼは苦笑しながら答えを返す。この様子だと魔法界じゃ常識のようだ。色々と勉強する必要があるな。

 

「こっちじゃ手紙をふくろうに運ばせるのさ。他にも連絡手段は色々あるが、ふくろう便が最も一般的な方法だね。ふむ、キミも一羽持っておいた方がいいかもしれんな……。」

 

言いながらごそごそと懐を弄ったリーゼは、あー……金貨の詰まった袋をテーブルに乗せた。価値はわからんが、絶対に大金であることだけは理解できる。しかし、どっから取り出したんだ? これも魔法か?

 

「これでしばらく過ごしておいてくれ。ふくろうも一羽買っておくように。金貨がガリオン、銀貨がシックル、銅貨がクヌートだ。まあ……詳しいことは漏れ鍋の店主にでも聞けばいいだろう。年中暇してるんだ、喜んで教えてくれるさ。」

 

「それじゃ、ありがたく。」

 

何にせよ、貰えるもんは貰っておこう。少なくともこれで氷菓子を我慢する必要はなくなったのだ。吸血鬼の贈り物にビビってるようじゃあ、立派な魔法使いなどなれないのである。

 

私がクソ重い袋を受け取ったのを見て、リーゼが残りの紅茶を飲み干しながら立ち上がった。

 

「それじゃあ、私たちが次に会うのはホグワーツ……特急の中かもね。何にせよ、しばらくのお別れだ。息災でいたまえ、魔理沙。」

 

「ああ、世話になったぜ。ありがとな、リーゼ。」

 

一応立ち上がって見送ると、リーゼは一度振り返って言葉を放つ。

 

「……そうだ。キミと一緒に買い物をするであろう女の子は、純然たる人間だよ。出来れば友達になってやってくれ。」

 

言うとそのまま去っていく。最後の言葉と共に見せた顔は……うーむ、綺麗な微笑みだった。吸血鬼についてはよく分からなかったが、どうやら身内はきちんと大切にするようだ。

 

ま、真剣に考えたところで答えなど出まい。妖怪ってのはどいつもこいつも意味不明な生き物なのだ。妙に律儀だったり、謎の制約を課していたり。人間から見ると何を考えているのかさっぱりだ。

 

首を振って考えを振り払ってから、私も紅茶を飲み干して店を出る。麦茶の方が好きだが、こっちも結構悪くはないな。もう少し甘ければなお良いが。

 

さて、先立つ物は手に入ったし、漏れ鍋に戻る前にちょっとだけショッピングと洒落込もう。ダイアゴン横丁の表通りを歩きながら、左右のショーケースを確認する。金貨の袋が重すぎて服が変なことになってるが、そこはご愛嬌だ。

 

別に豪遊しようってんじゃない。少し楽しむくらいなら構いやしないはずだ。この場所は……というか、この世界は私の興味を惹いて止まないのだから。魅魔様の教えの一つ、『好奇心に従え。ただし、死なない程度に』を実行しなければなるまい。

 

しかしながら……うーむ、ワクワクが止まらんぞ。恐らく薬の材料なのであろう、見たこともない乾燥した植物が吊るされた店。何やら仕掛けが盛りだくさんの望遠鏡。色とりどりの水晶玉専門店。道行く人々、建物、言語、商品。幻想郷では見られなかったそれらに、自然と心が弾んでしまう。

 

来てよかった。ここにきて初めて心の底からそう思う。私が憧れた『魔法の世界』がここにはあるのだ。ここではきっと誰も私をバカになんてしない。道具屋の跡取りではなく、人里の娘でもなく、魔法使いの霧雨魔理沙でいられるのだ。

 

スキップしたがる足を抑えながら歩いていると……あれは、箒? ショーケースに箒が飾られている店が見えてきた。明らかに掃除用ではない、高級そうな雰囲気がヒシヒシと伝わってくる。

 

魔女っぽいぞ! 思わず近付いて見てみれば、想像通りに乗り物として売っているらしいではないか。うう、入ってみたい。……よし、入ろう! 見るだけならタダなのだ。たぶん。

 

意を決して中に入ると、店主らしき人物がカウンターに座ったままで声をかけてきた。何度か見た動く写真の新聞を読んでいる。あれもちょっと気になってるのだが……どこに売ってるんだろうか?

 

「いらっしゃい。」

 

「あー……邪魔するぜ。」

 

どうやら新聞から目を離す気はないようだ。やる気のなさそうな店主に一声かけてから、店内の箒を一つ一つ見回していく。

 

うーむ、この金具は何のためについてるんだ? ……足を引っ掛けるためか? 色々と分からんことは多いが、とにかく沢山の種類があることだけは分かった。

 

ニンバス、クリーンスイープ、コメット、ツィガー。名前も違うが、形も少しずつ違っている。ぬう、乗ってみたいぜ。……実はちょっとだけ憧れているのだ。私が魔法使いを目指したルーツはそこなのだから。

 

寺子屋に置いてあった、小さい頃に読んだ外の世界の絵本。不思議な魔法使いが様々な魔法で主人公のお姫様を助けるストーリーだ。周りの子たちはみんなお姫様に憧れていたが、私だけは魔法使いに憧れていた。

 

箒で空を飛び、悪い竜からお姫様を守る。そりゃあただの物語だってのはもう分かってる。それでも箒というのは私の心をくすぐるのだ。

 

あの物語が現実にあるようで、ちょっとニマニマしてしまう。そのまま店内を物色していると……一本の箒が目に入ってきた。

 

店の隅にある埃を被った箒。一際古ぼけているそれから、何故か視線が離せない。近付いて前に置いてあるプレートの文字を読んでみると……。

 

「スターダスト。」

 

『星屑』か。私が思い描いている魔法と似ている名前だ。何か運命的なものを感じながらジッと見つめていると、店主がチラリとこちらを見ながら声を放ってきた。

 

「やめときな、お嬢ちゃん。そいつはお世辞にも良い箒とは言えねえぞ。おまけに制作会社は倒産済みだ。あの悪名高きユニバーサル箒株式会社さ。」

 

「……ってことは、安いのか? ユニバーサルなんちゃらってのは知らんが、少なくともあの店頭にあった、あー……ファイアボルト? あれよりは安いはずだよな?」

 

「当たり前だろうが。ファイアボルト一本でその箒五十本は買えるぜ。……おい、まさか買うとは言わねえだろうな?」

 

視線でやめとけと言っている店主に、ニヤリと笑って言い放つ。

 

「買うぜ。あんたの忠告はありがたいがな、どうにも惹かれちまうんだよ。私は直感ってのを信じるタチなんだ。」

 

「まあ、買うってんなら売るけどなぁ……ガキを騙したみたいで気が引けるぜ。本当にいいのか? 返品は利かねえぞ。」

 

「魔法使いに二言はないさ。」

 

カウンターへとスターダストを置くと、店主はやれやれとばかりに首を振りながらも包んでくれた。勢いで買っちゃったが……まあ、安いし。実用品だし。大丈夫なはずだ。十ガリオンってことは、金貨十枚だよな?

 

「金具はオマケしといてやるよ。そもそも付いてねえ方がおかしいんだしな。……そりゃあ倒産するわけだぜ。」

 

「ありがとよ!」

 

なかなかに気の良い店主に礼を言って、代金を置いた後に意気揚々と店を出る。いい買い物をした。したはずだ。したと思おう。

 

早速乗ってみたいが……うん、我慢したほうがいいな。ここまで箒で飛んでいるようなヤツは見なかったし、何かしらの決まりがあるのかもしれない。先ずはこの世界の常識を、延々コップを拭いている漏れ鍋のバーテンダーから学ぶ必要がありそうだ。

 

「よろしくな、相棒。」

 

買ったばかりの箒に声をかけながら、霧雨魔理沙は軽い足取りで漏れ鍋へと戻るのだった。

 



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一つの戦争が終わる日

 

 

「それじゃあ……いくわよ。」

 

見たこともないほどに真剣な表情のレミィが私たちを見回すのを、パチュリー・ノーレッジはどうでもいい気分で眺めていた。さっさとやってくれ。

 

紅魔館のリビングには館の住人が勢ぞろいしている。レミィ、リーゼ、アリス、咲夜、小悪魔、美鈴、エマ、そしてなんと妹様まで居るのだ。何故か妖精メイドまで集まってるし。

 

全員の視線を一手に集めたレミィが、意を決したように口を開く。

 

「……スカーレットがいいと思う人! 手を挙げなさい! はい! はいはい!」

 

レミィと……あー、レミィだけが高々と手を挙げている。妖精メイドですら誰一匹として挙げていないぞ。揃いも揃って白けたジト目だ。

 

自信満々の様子で手を挙げていたレミィだったが、自分の他に誰一人として手を挙げていないのを確認すると……おや、徐々にその顔に赤みがさしていく。ポンコツ吸血鬼が噴火寸前だ。

 

「どうしてよっ! スカーレットでしょうが! 咲夜はうちの子でしょうが!」

 

「はい、却下だね。次に行こうか。」

 

リーゼの呆れたような感じの機械的な進行に従って、こちらも自信満々のアリスが前に進み出た。……つまり、長きに渡る咲夜の命名戦争に終わりの日が訪れたのだ。さすがに苗字なしでホグワーツに入学するのはマズいのである。

 

ダシダシと足を踏み鳴らすレミィは納得できないといった表情でアリスを睨みつけるが、アリスはそんな視線を完全に無視して口を開いた。

 

「それじゃあ、ヴェイユが良いと思う人! はい!」

 

うん、決まりだな。発言者のアリスはもとより、リーゼ、小悪魔、エマ、妹様、そして妖精メイドの大多数がきゃーきゃー言いながら手を挙げている。数に含まれるかは知らんが。

 

決まり手は咲夜自身が手を挙げているところだ。何だかんだで本人の意思が一番大切だろうし、そうなるとレミィも反対できまい。

 

満足そうに頷くアリス。うーうー言いながら頭を抱えるレミィ。これにて十一年の越しの戦争は幕を下ろしたのだ。下ろしたはずなのだが……。

 

「じゃあじゃあ、十六夜が良いと思う人! いい名前ですよ!」

 

諦めの悪い大妖怪が慌てて喚き始めた。言わずもがな、自分のネーミングセンスを見限りたくない美鈴である。咲夜のためというか、自分のためであることは間違いあるまい。

 

まあ……一応私も手を挙げる。名は体を表すべきなのだ。ハロウィンにも、能力にも、出生にも。咲夜には『矛盾』が詰まっているのだから。咲夜って名前は十六夜とセットの方が意味が深まるわけだし。

 

とはいえ、賛同者は多くはない。美鈴と私、妖精メイドがちらほら手を挙げているだけだ。しかし……。

 

「ふむふむ、まあいいでしょう! 二位ですからね、二位! 銀メダルです!」

 

意味不明なことを言う美鈴は、満足そうに頷きながら迷わず引き下がっていった。どうやら彼女の自尊心は守られたようだ。そして代わりに地の底に落とされたのが、ビリッケツのポンコツ吸血鬼である。

 

「うー! おかしいでしょうが! ヴェイユはともかく、なんで十六夜にまで負けるのよ! 不正だわ! 出来レースだわ! 八百長試合だわ!」

 

「諦めてください、レミリアさん。私の……いえ、ヴェイユの勝利です!」

 

「何勝ち誇ってんのよ人形娘! ぐあぁぁ、ムカつく! ……ちょっとフラン、貴女はスカーレットでしょうが! 咲夜にお揃いの名前にして欲しくないの? して欲しいでしょ?」

 

ふんすと鼻を鳴らすドヤ顔アリスを怒鳴りつけたレミィは、今度は妹様に矛先を向けた。妖精メイドたちのブーイングもなんのそのだ。

 

矛先を向けられた妹様は、いつものように咲夜を抱きしめながら口を開く。

 

「だってコゼットの娘なんだよ? ヴェイユに決まってるでしょ? ……ふふ、レミリアお姉様はお馬鹿ちゃんだなぁ。猿だって分かることじゃん。」

 

うーむ、妹様が大人びた微笑を浮かべながら吐く軽い毒は、昔の無邪気な罵倒よりも威力がある気がする。そう思ったのは私だけではないようで、窮したレミィは再びうーうー言い始めた。

 

ま、これにて決着だ。立ち上がって部屋のドアへと歩き出す。正直言って私にはどの名前が選ばれようが知ったこっちゃないのだ。私にとっては咲夜は咲夜。スカーレットでも、ヴェイユでも、十六夜でもなく、『咲夜』なのだ。ならば苗字などどうでもいいさ。どうせ呼ぶ機会もあるまい。

 

……まあ、本人は納得しているようだし。それなら……うん、私もちょっとは嬉しい。ちょっとだけだが。

 

妖精メイドたちの歓声やらブーイングやらで喧しいリビングを出ようとすると、そんな私に気付いたリーゼが声をかけてきた。

 

「おや、もう行くのかい? レミィの抵抗はまだまだ続きそうだよ?」

 

「見ていて面白いのは同意するけど、私にとっては研究の方が大切なの。図書館に戻ってるわね。」

 

「やれやれ、キミは本当に協調性ってもんがないね。……少しはダンブルドアを見習ったらどうだい?」

 

「協調性なんか何の役に立つのよ。私は図書館の魔女。『ノーレッジ』こそが全てなの。」

 

皮肉に適当な返事を返してやると、リーゼは肩を竦めながら首を振る。余計なお世話だ。私のことは誰よりも知っているだろうに。

 

そのまま廊下を出て、図書館に向かって歩き……浮くか。最近はちゃんと歩いてたし、そろそろ浮いても問題ないはずだ。

 

一時は歩き方を忘れるという、自分でもちょっとヤバいと感じる症状が出てしまったのだが、最近意識して歩いているせいで大分良くなってきた。あの時の小悪魔の視線は忘れられん。やべえなこいつという戦慄の表情をしていた。今後も気をつける必要がありそうだ。

 

いつものように荒らされている美鈴の花壇を窓から見て、いつものように落書きをされているレミィの祖父の肖像画を抜け、愛しい図書館へとたどり着く。

 

「……ふむ。」

 

立ち並ぶ本棚を眺めながら思考を回す。咲夜の空間制御も多少モノになってきたし、そろそろ拡大計画を試してみるのもいいかもしれない。計算して空間を歪ませれば、理論上無限に近い面積を得られるはずだ。

 

……無限に広がる図書館か。考えただけで顔がにやけてしまうぞ。なんたって、世界一の図書館に違いないのだ。私の図書館が世界一。いい響きではないか。大英図書館など私のに比べれば『絵本コーナー』同然になるはずだ。

 

考えていたらなんだか愉快な気分になってきた。ふよふよと図書館を巡っていると、ふとある考えが頭をよぎる。

 

もっと内装に拘るべきではないか?

 

むむ、そう考えるとちょっと地味にも思えてきたぞ。レミィの要求で敷かれた赤いカーペットに、連結された本棚の壁。金色のシャンデリアと、各所に置かれた木製のはしご。

 

悪くはない。雰囲気もあるし、本棚は全て重厚な感じのダークオークで揃えている。カーペットとも合っていると思うが……あれだ、魔女っぽさが足りない。これだと普通の立派な図書館ではないか。

 

もっと薄暗くして、紫の炎でも灯してみよう。本棚も直線的じゃなくって、もっとぐねぐねと、迷路のように配置したほうがいいかもしれない。

 

そうなると……うむ、高低差も必要だな。今は普通の二階建てだが、もっとこう……複雑にしたいのだ。魔法の障壁なんかも各所につけて、仕掛け本棚なんかも置きまくろう。

 

ダメだ、ニヤニヤが止まらん。なんて素敵な思いつきなんだろうか。よくやったぞ、パチュリー・ノーレッジ。お前は天才だ。

 

どうせ分霊箱が見つかるまではしばらく暇なのだ。その間に図面だけ起こしてしまって、咲夜の成長に備えておこう。これは久々の大仕事になりそうだぞ。

 

後で管理することになる小悪魔に猛反対されるとも知らず、パチュリー・ノーレッジはニマニマと計画を練るのだった。

 

 

─────

 

 

「……で、どうすりゃいいんですかね?」

 

夏の太陽に照らされる騒がしいロンドンの街並みを眺めながら、紅美鈴は途方に暮れていた。隣の小悪魔さんも困ったような表情をしている。

 

分霊箱を探せ。それがお嬢様からの命令だったのだが……いや、無理だろ。何を何処で探せばいいのかもわからんのに、見つけ出せるはずがない。

 

どうしようかと悩んでいるところで、旅の道連れとなった小悪魔さんが口を開いた。

 

「目的地は一応決まってるんですけど……とりあえず、ご飯にしましょう。マグルの世界のご飯は初めてです。」

 

「素晴らしい提案ですね。そうしましょう、そうしましょう。」

 

目的地が有ったとは知らなんだ。とはいえ、ご飯の提案を蹴ってまで行く必要などあるまい。ご飯の誘いは受ける。それが私の信条なのだ。帽子を被り直して歩き出す。

 

ちなみに、私も小悪魔さんも『マグルっぽい』服装へと姿を変えている。私は緑のつば付きキャップに、黒いタンクトップとジーンズだ。一応夏だしそれっぽい格好を、ということらしい。

 

小悪魔さんは半袖のシャツにベストを羽織り、黒いハーフパンツを穿いて小さなキャスケットを被っている。フォーマルとキュートの中間みたいな感じだ。

 

どっちも小悪魔さんの見立てなのだが……なんか道行く人の視線を感じるぞ。ひょっとして、変なんじゃなかろうな?

 

「小悪魔さん、この服装って本当に合ってるんですか? めちゃくちゃ見られてる感じなんですけど。」

 

歩道を歩きながら聞いてみると、小悪魔さんはニヤリと笑いながら返事を返してきた。

 

「それはですねぇ……美鈴さんが美人だからですよ! スラッとした美女がタンクトップなんです。そりゃあみんな見ますよ。ジロジロと。」

 

「えぇ……? マジですか?」

 

「マジです。私の見立てに間違いなどないんです!」

 

ふむ? そう言われるとまあ……悪い気はしない。こんな服装は初めてだが、実に動き易くていい感じだ。昔は肌を見せるのは無作法だったんだが……いつの間にこんな感じになったのやら。痴女だと思われてないよな?

 

二人でごちゃごちゃした街を見回しながら歩いていると、曲がり角の良さげなレストランが目に入ってきた。レストランっていうか新大陸のダイナーっぽい感じだが、ちょっと年季が入ってるのが逆に美味そうだ。小悪魔さんと目線を合わせて、頷き合ってからそこへと入る。

 

「ふわぁ、涼しいですねぇ。」

 

「まさか紅魔館みたいに魔法がかかってるんじゃないでしょうし、どうやってるんですかね? 氷とか?」

 

「冷蔵庫と同じ仕組みなのかもですね。図書館の本で見たことがあります。」

 

ドアを抜けると謎の技術によって店内は涼しく保たれていた。人間ってのは次々と新しい発明をしていくせいで、何がどうなってるのかはさっぱりだ。

 

ま、涼しいのに文句などない。四人がけのテーブルに向かい合って座りながら、メニューを二人で見て……よし、この『ベーコンオムレツバーガー』に決めた。名前がもう既に美味そうだ。不味いはずなどない感じがヒシヒシと伝わってくる。

 

「決めました。」

 

「はっやいですね……。」

 

ついでにコークとポテトでも頼めば完璧だろう。ヨーロッパ大戦の時に初めて飲んだ時は衝撃だった。現状、人間が生み出した物の中で一番偉大なのはこれのはずだ。誰が創ったんだかは知らんが、私でさえ尊敬を禁じえないぞ。

 

愛想のいい中年のおばちゃんが聞きに来る頃には小悪魔さんも注文を決めたようで、二人で注文を口にする。

 

「私はベーコンオムレツバーガーとポテトとコークを。」

 

「私はフレンチトーストのセットで。飲み物はコーヒーをお願いします。」

 

「はいはい、かしこまりました。」

 

ニコニコと微笑みながら了承してきたおばちゃんが厨房に注文を叫ぶのを見ながら、小悪魔さんに目的地とやらについての質問を飛ばしてみた。

 

「それで、目的地ってどこなんですか?」

 

「レミリアさんが言ってたじゃないですか。リドルの住んでた孤児院ですよ。」

 

んん? そういえばそんなことも言っていたような……言っていなかったような……。

 

私の疑問顔に苦笑して、小悪魔さんはおばちゃんが先に持ってきたコーヒーの礼を言ってから説明の続きを口にする。

 

「どうも。……ウール孤児院。トム・リドルのルーツですよ。アリスちゃんが言うには忌み嫌ってたらしいんですけど、一応調べておこうってことになりまして。」

 

「でも、まだ残ってるんですかね? 六十年も前の孤児院なんでしょう?」

 

「微妙なとこですよねぇ。まあ、場所は分かってるので、行ってみれば分かりますよ。」

 

言うと美味そうにコーヒーを飲み始めた小悪魔さんに頷きながら、考えても無駄だと結論を出す。行ってみれば分かるなら、行ってみてから考えればいいのだ。先に考えるのは私の流儀ではない。

 

ま、正直なところリドルなどどうでもいい。魔法界もどうでもいいし、ダンブルドアやハリー・ポッターがどうなっても興味などない。私にとって興味があるのは、あの紅い館の住人たちだ。

 

紅美鈴にとっての最大の敵は退屈である。スカーレット卿に雇われる前は、実に退屈な日々を送っていたものだ。修行して、寝て、修行して、食って寝る。それを繰り返すだけ。今考えると頭がおかしいとしか思えない。

 

それが今やどうだ? 信じられないほどに一日は長く、退屈なんかとは無縁の日々じゃないか。あの時、スカーレット卿が死んだ時にお嬢様に味方していて本当に良かった。そこらの吸血鬼なら未だに山奥に引きこもっていたはずだ。それに従姉妹様とも出会えなかっただろう。

 

別にどれだけの魔法使いが死のうが知ったことではないが、あの館のみんなが悲しむのは困る。私は今のあの場所を気に入っているし、みんなで幻想郷とやらに行くのも楽しみなのだ。

 

あの場所を守るためなら……まあ、命くらいなら懸けてもいいと思う。トカゲちゃんは随分と不死に拘っているらしいが、命ってのは使い時が重要なのだ。生きられるだけ生きて、使うべきときに使う。そんな単純なことがなんだって分かんないのやら。

 

しかしまあ……百年そこらで絆されるとは、私も随分と丸くなったもんだな。中原に居た頃からは考えられない変わりようだ。昔は結構ヤンチャしてたんだけどなぁ……。

 

「どうしたんですか? ニヤニヤしちゃって。」

 

小悪魔さんがキョトンとした表情で問いかけてくるのに、にへらと笑って返事を返す。いけないいけない、顔に出ていたようだ。

 

「いえいえ、何でもないですよ。ご飯のことを考えてたんです。」

 

「食いしん坊ですねぇ、美鈴さんは。」

 

「その通りですよ! これは私の自慢なんです。武人は食うべき時に食うのが仕事ですからね!」

 

クスクス笑いながら言う小悪魔さんにえへんと胸を張りながら、益体も無い思考を閉じるために蓋をする。

 

とにかく、分霊箱とやらを見つけりゃいいのだ。そうすれば戦況は動き、再び面白い事態になってくれるはずなのだから。

 

退屈しなければどうでもいいが、勝って終われるならそれが一番のはずだ。ハッピーエンドでイギリスの物語を終わらせて、そしたら幻想郷で新しい物語を見物すればいい。

 

ああ、退屈しない。永く生きた妖怪にとってはそれこそが一番の幸せなのだ。そしてそんな幸せを与えてくれる紅魔館は私にとっての宝箱なのである。

 

己の財宝を守るのは私という妖怪の本能に近い。私のルーツがそうさせるのだ。門番とはまあ、今思えば上手いこと言ったもんだな。私にピッタリじゃないか。

 

「お待たせしたね。ほら、たんと食べな。お嬢ちゃんたちはちょっと痩せすぎだよ。」

 

おばちゃんが運んできてくれた皿には……おお、ポテトが山盛りになっている。うんうん、ここはいい店のようだ。また来よう。

 

「ありがとうございます。」

 

心のメモ帳に書き込みながらお礼を返し、早速とばかりに齧り付く。

 

気楽に行こう。お嬢様たちは真剣にやっているようだが、のんびりやればいいのだ。時間は常に私たちの味方なのだから。

 

予想通りの美味い食事に舌鼓を打ちつつも、紅美鈴は次は何処で何を食べようかと考えるのだった。

 



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咲夜の憂鬱

 

 

「霧雨魔理沙だ。よろしく頼むぜ。」

 

漏れ鍋のカウンターを背に立つ変な口調の小娘を眺めながら、咲夜はニッコリ微笑んでいた。笑顔、笑顔。崩しちゃだめだぞ、咲夜。

 

使用人たるもの内心を隠せ。そう本に書いてあったのだ。まあ、エマさんや美鈴さんは全然隠していないように思うが……ううむ、わからん。奥が深すぎるぞ。

 

「サクヤ・ヴェイユです。よろしくお願いしますね、霧雨さん。」

 

「サクヤ? 耳慣れた発音だな。イギリス人じゃないのか?」

 

「イギリス人ですけど、日本風の発音も兼ねてるんです。漢字だと……こうですね。」

 

「咲夜、ね。いい名前じゃんか。」

 

ヴェイユを名乗るのはホグワーツ入学後ということになっているが、この小娘も私と同じ学年になるのだ。こう名乗っておいた方がいいだろう。

 

私がぺこりとお辞儀をするのと同時に、隣のアリスも自己紹介を始めた。

 

「アリス・マーガトロイドよ。今日は案内させてもらうわ。よろしく頼むわね。」

 

「ああ、助かるぜ。何を買ったらいいのかとか全然わかんなくてな。困ってたんだ。」

 

ふん、無礼なヤツだ。もっと丁寧に話せないのか? 英語が下手くそだというのはリーゼお嬢様から聞いていたが、発音自体はそこそこ流暢なだけに無礼さが目立つ。口調に癖が残ってる感じだ。

 

内心でそんなことを考えながらも、もちろん顔はニコニコを保っている。紅魔館の使用人が無作法を晒すなんてとんでもないことなのだ。そんなことになれば、お嬢様方に顔向けできん。

 

「それじゃあ、早速行きましょうか。質問があるなら道中で聞くわ。」

 

アリスの先導に従い、漏れ鍋の裏口に向かって歩き出す。優しいアリスは小娘の口調を特に気にしていない感じだ。うーむ、私の周りには同世代の子供なんていなかったからわからんが、もしかしたら普通の子たちはこんな感じなのかもしれない。……あんまり馬鹿っぽい子たちに交ざるのは嫌だな。

 

ホグワーツに行くのがちょっと不安になりながらも、アリスに続いてアーチを抜ける。もちろんダイアゴン横丁には何度も来たことがあるが、今日はいつもとは違う店に行くはずだ。なんたってホグワーツの学用品を買いに来たのだから。

 

私はお下がりでいいと言ったのだが、誰一人として賛成してはくれなかった。ちょっと申し訳ないが、ちょっと嬉しい。

 

内心の喜びを隠しながらアリスの背に続いて歩いていると、隣を歩く霧雨が声を放った。

 

「そういえば、あんたたちは霧雨を上手く発音できるんだな。こっちじゃ殆どのヤツが無理だったんだが。」

 

「日本語を勉強していますから。上手く発音出来てるなら嬉しいです。」

 

「まあでも、魔理沙でいいぜ。他のヤツが困るだろうしな。」

 

「あら、それなら私も咲夜で構いませんよ。その方が言いやすいでしょう?」

 

ニコニコ微笑みながら言うと、急に霧雨……魔理沙がニヤリと笑いながら口を開く。

 

「……それと、その猫っかぶりもなしでいいぞ。上手くやってるみたいだが、私から見れば不気味だぜ。鳥肌が立っちまう。」

 

思わず立ち止まった私を見ながら、魔理沙がしてやったりとばかりの顔で笑い始めた。こいつ……ムカつくヤツだ!

 

私がジト目で魔理沙を睨みつけていると、先頭を歩くアリスが振り返って苦笑混じりに話しかけてきた。

 

「ほら見なさい、咲夜。自然体でいるのが一番なのよ。わかる人にはわかっちゃうんだから。」

 

「……わかったよ。もうやめる。」

 

頰を膨らましながら言うと、アリスは満足そうに頷いてから再び歩き始める。くっそー、どこで分かったんだろう? 鏡の前で何度も練習したのに。

 

「どこで気付いたのよ。」

 

「おっと、それが素か。……まあ、私の師匠が筋金入りの大嘘つきだからな。そういうのには慣れてるんだ。最初から違和感はあったさ。」

 

「ふん。私、貴女のことが嫌いだわ。」

 

「へっへっへ、私は気に入ったぜ。よろしくな、咲夜。」

 

ニヤニヤ魔理沙から顔を背けて鼻を鳴らしてやると……むう、逸らした先では、アリスが肩を震わせていた。笑ってるのか? もう!

 

コイツとは相性が悪い。短時間で理解した答えを心に刻みながら、荒い歩調で歩き続けるのだった。

 

───

 

「へえ、こっちも錫を使うのか。魅魔さ……じゃなくて、師匠は銀も使ってたんだが。」

 

「用途にもよるわ。まあ、錫は昔から使われてたから、伝統みたいなものよ。頑丈な金属だから汎用性もあるしね。」

 

先に一番厄介な教科書を購入した後は、魔法薬学の器具を買うことになった。魔理沙とアリスの会話を聞きながら、私もズラリと並んだ鍋を物色する。

 

パチュリー様によれば小さい鍋は平さを、大鍋は頑丈さを重視すべきとのことだった。むむ、違いがさっぱりわからん。鍋は鍋じゃないのか? 全部一緒に見えるぞ。

 

魔法薬学は向き不向きがハッキリ分かれるとのことだったが……この時点で向いてない気がしてきたな。パチュリー様は大得意で、アリスと妹様は不得意。リーゼお嬢様はどちらかといえば得意って感じらしい。

 

しかし……魔理沙はどうやら向いている感じがする。鍋をきちんと選んでいるし、アリスとの会話から察するに基礎的な知識もあるようだ。

 

負けたくない。アリスに任せれば間違いないのかもしれないが、私も自分で選ぼう。勝負はもう始まっているのだ。

 

「むむっ……。」

 

鍋は後回しで、天秤を見比べる。見比べるが……そもそも何を見比べればいいのかの基準がわからん。受け皿の大きさとか? それとも吊り下げている紐の長さ? お料理で使う秤ならわかるのだが、こんなのさっぱりわかんないぞ。

 

「ああ、秤はそれがいいと思うぜ。どうせしばらく使うと狂うから、調節機能が付いてた方がいいしな。」

 

迷う私に、後ろから魔理沙が助言をしてきた。ぐぬぬ……ナメられている。余裕綽々の態度ではないか。

 

「……ふん!」

 

鼻を鳴らして言われた通りの秤に決め、次なる品物へと歩き出す。悔しいが、アリスが頷いているところを見るに恐らく正しい選択なのだ。

 

お料理だったら負けないのに。何故ホグワーツには料理の授業が無いのかと怒りを燃やしながら店内を歩いていると……ナイフだ。

 

そうだった、ナイフも必要なんだった。……よし、勝ったな。ナイフなら簡単に目利きできる。意気揚々と近付いて、並んでいるナイフから一番切れ味の良い物を探していると……。

 

「おっと、ナイフもいるのか。んー……これだな。」

 

するりと私の横から出てきた魔理沙が……ふん、素人め! それはあんまりいい物じゃないぞ。私にはわかるのだ!

 

ほくそ笑む内心を隠しながら、澄ました笑みで話しかける。

 

「あら、魔理沙? こっちの方が切れ味がいいわよ。もしくは……これとか。こっちもそうね。」

 

どうだ! 魔理沙は私が選び出した三本のナイフを自分の物と見比べていたが、やがて納得したように頷いてから口を開いた。

 

「切れ味ならそっちだが、刃が広い方がすり潰すのに使いやすいんだ。それに、芽を取るための輪っかが付いてるだろ? これが有ると結構便利だぜ? 買ってからきちんと研げばいいのさ。」

 

「……へぇ。」

 

私の気のない返答を気にする様子もなく、魔理沙はガラス瓶の並んだ棚へと歩いて行く。

 

おのれ……おのれ霧雨魔理沙! よくも私をコケにしてくれたな! 理不尽な怒りだとは自覚しつつも、どうしても悔しさが溢れてくる。私は紅魔館の使用人として、誰にも負けるわけにはいかないのに。

 

お嬢様方もアリスもパチュリー様も。みんな私を優秀だと褒めてくれていた。だからきっと、私は一番になれるのだと思ってたのに。学年首席とかになって、みんなに良くやったねって言ってもらえるはずだったのに。

 

……負けるもんか! もしダメなんだったら、もっともっと勉強すればいいのだ。絶対に一番になって、みんなに褒めてもらわねばならないのだから。

 

悔しさにぷるぷる震えながらも、咲夜は次なる勝負へと歩き出すのだった。

 

 

─────

 

 

「えーっと……後は杖だけかしら?」

 

一応持ってきた学用品リストに目を通しながら、アリス・マーガトロイドは小さな後輩たちに問いかけていた。

 

「んー……そうだな。」

 

「そうだよ、アリス!」

 

立ち並ぶショーウィンドウを見ながら気楽そうに言う魔理沙に対して、咲夜はスピードを競うように答えを放ってくる。いやはや、可愛らしいもんだ。

 

少なくとも咲夜にとってはいい経験になったらしい。例えどんなモノにしたって、競う相手がいなければ上達しないのだから。一人で完結できるのなんてパチュリーくらいだぞ。

 

これは紅魔館では決して得られない経験のはずだ。飛び抜けて優秀なこの子に良いライバルが得られたことだけで、今回の買い物には大きな意味があったと言えるだろう。

 

「それじゃ、杖屋に行きましょうか。」

 

言い放って歩き出すと、魔理沙が歩調を合わせながら話しかけてくる。恐らくまた疑問が生じたのだろう。この子はあらゆる物事について質問を飛ばしてくるが、年齢に見合わぬ理解力でそれを吸収し続けている。まるでスポンジみたいだ。生徒としては百点満点だな。

 

「杖ってのは、あのワンドのことだろ? あれって絶対に必要な物なのか?」

 

「これよ。必要かどうかは……ふむ、議論が分かれるわね。代用品もあるし、無くても魔法を使う方法はあるんだけど、イギリス魔法界じゃこれを使うのが常識よ。」

 

杖を手渡してやりながら説明すると、魔理沙はそれを興味深そうに見ながら更なる質問を飛ばしてきた。

 

「ただの補助装置ってことか? 見ただけじゃよく分からんが……。」

 

「うーん……もうちょっと大事な物かしらね。杖には魂が宿ると言われているわ。時に持ち主を諌めたり、時にその身を賭して手助けしたり。その杖は私の親友の形見なんだけど、一度助けてもらったことがあるのよ?」

 

私がそう言うと、途端に魔理沙は慎重な手付きに変わる。うん、根は良い子なんだな。思わず微笑む私の手に杖を戻しながら、小さな魔法使い見習いは好奇心に満ちた顔で口を開いた。

 

「……興味深いぜ。」

 

ポツリと呟くと思考に耽る。魔女向きの性格をしているな、この子は。理解力と好奇心は十分に合格点だ。あとは慎重さがあれば完璧だが……余計なお世話か。もう師匠がいるとのことだし、お節介はやめたほうがいいだろう。他所には他所のやり方があるのだ。それが魔女なら尚更である。

 

内心でケリをつけたところで、今度は咲夜が疑問を放ってきた。その顔には私も話に加わりたいと大きく書かれている。うーむ、かわいいな。嫉妬する咲夜というのは初めて見るかもしれない。

 

「アリス、私も杖を買わなきゃダメなの? お父さんとお母さんのがあるのに。」

 

「それはそれ、これはこれよ。まあ……話を聞く限り、問題なさそうなんだけどね。そっちはスペアとして使いなさい。普通は自分の杖を持つものよ。」

 

いや、テッサのを使っている私が言っても説得力はないだろうが……何にせよ、スペアがあるというのは大事なことだ。そのことはこの前の事件で身に染みて理解できた。

 

「んー……でもちょっと申し訳ないかな。杖って結構高いんでしょ?」

 

咲夜の妙な心配に、思わずクスリと笑ってしまう。なんとまあ、おかしなことを心配するもんだ。レミリアさんなら咲夜がおねだりすればビルだって買ってくれそうだというのに。ダースで。

 

「妙な心配をするんじゃないの。私やパチュリーはお金に困ってないし、リーゼ様やレミリアさんなんてあり過ぎて困るくらい持ってるのよ? 杖の一本や二本じゃ痛くも痒くもないでしょ。」

 

実際問題として、紅魔館ではお金の心配は皆無に等しい。私は人形をちょくちょく売りに出したり、教員の時のお給料もそのまま残っているわけだが……ん? よく考えたら、リーゼ様やレミリアさんはどうやってお金を得ているんだ?

 

全然気にしたこともなかったが、紅魔館の生活だってタダではあるまい。特にレミリアさんなんかは政治活動に莫大なお金を使っているはずだ。『あの』ファッジが大臣になれるほどに。

 

私の内心の疑問を他所に、咲夜は曖昧に頷きながら返事を放ってきた。

 

「んー……それはそうかもだけど。」

 

「大体、子供がそんなこと考えなくてもいいの。ほら、店に着いたわよ。」

 

ま、深く考えない方が良さそうだ。なんかちょっとキナ臭い気もするし、気にしないでおこう。二人に声をかけてから、オリバンダーの杖屋へと入って行く。

 

何回も来たせいで見慣れ始めた店内で、これまた見慣れた店主が声をかけてきた。また一段と老けたな。

 

「おお、いらっしゃいませ、マーガトロイドさん。」

 

「お邪魔するわね、オリバンダー。今日はこの子たちの杖と……これを見て欲しくて来たの。」

 

先に私の用事を済ませておこう。魔理沙は壁にかかる杖の方へと行ってしまったし、咲夜もキョロキョロと店内を見渡している。それを横目に私が取り出した杖を見て、オリバンダーは目を細めながら口を開いた。

 

「おお、イトスギにユニコーンの毛、29センチ。ヴェイユさんの杖ですな。……実に勇敢じゃった。杖も、そして持ち主も。」

 

「非常に残念なことに、私の杖はこの前折られちゃったのよ。ホグワーツでちょっとした事件があったのは知ってるでしょう? その時にね。」

 

「それはまた、残念でしたな。まっこと、まっこと残念なことです……。ブナノキに不死鳥の羽根、24センチ。良い杖じゃった……。」

 

本気で悲しそうなオリバンダーに、ちょっとだけ苦笑しながら話を続ける。私よりも遥かに悲しんでいそうだ。

 

「それで今はテッサの杖を借りてるの。使った感じは問題なさそうなんだけど……一応専門家に調べてもらおうかと思って。」

 

こと杖に関してはイギリス……いや、世界一かもしれない男なのだ。こればかりはダンブルドア先生やパチュリーですらも敵うまい。血筋がそうさせるのか、努力がそうさせるのか、それとも積み上げてきたオリバンダー家の経験か。いずれにせよ大したもんだ。

 

そのオリバンダーの保証があれば安心だろう。杖の細やかな不調から起こる大事故なんて日常茶飯事なのだ。私はバカげた事件を起こして予言者新聞には載りたくない。念には念をというわけである。

 

「ふむ。振ってみていただいてよろしいですかな?」

 

「ええ。」

 

ほんの少しだけ魔力を込めて杖を振ると、杖先から元気良く赤い火花が飛び出してきた。まあ……ちょっと元気は良すぎるが、このくらいは杖の個性の範疇だろう。悪戯娘め。

 

「ほう、ほう。……もう一度、次は何か呪文をお願いいたします。」

 

「それじゃあ……レデュシオ!」

 

店の隅に置いてあった椅子に縮小呪文を放ってみると、椅子は問題なくミニチュアサイズになる。途端に魔理沙が駆け寄ってきて弄くり回し始めたぞ。

 

オリバンダーはそれには目もくれず、私の握る杖を見ながら興味深そうに呟いた。

 

「これはまた、非常に珍しい現象ですな。この杖の忠誠心はヴェイユさんに向いたままです。……しかしながら、呪文の行使には問題が生じていない。不思議じゃ。実に不思議じゃ。」

 

「えーっと……つまり、問題ないのよね?」

 

「是であり、否とも言えます。この杖は貴女に従ってはおらぬが、手助けしようとしている。つまり……そう、対等な立場として。もしもマーガトロイドさんが杖の考えに背くようなことをすれば、杖はきっと抵抗してしまうでしょう。」

 

「それなら心配ないわね。その時は私が間違ったっていうことよ。」

 

そんなことをするつもりは無いし、諌めてくれるなら万々歳ではないか。安心して杖をしまい直すと、オリバンダーは目頭を緩めながら口を開いた。

 

「うむ、貴女なら心配は無用ですな。そんな貴女だからこそ杖も惜しまず手を貸すのでしょう。……家族に受け継がれる杖は多いですが、友に受け継がれる杖は多くはありません。フィリアの杖を見れるとは、長生きはしてみるものです。」

 

柔らかい微笑みを浮かべたオリバンダーに、私も同じ表情で頷く。そもそも心配はしてなかったが、オリバンダーのお墨付きがあるなら間違いあるまい。

 

対等、ね。悪い気はしないな。なんだかしっくりくる言葉じゃないか。心に温かいものが広がっていくのを感じながら、気を取り直して口を開いた。

 

「……安心したわ。それじゃあ、あの子たちの杖をお願いね。良い出会いを期待してるわよ。」

 

「その杖を見せられた後だと少々自信が無くなりますが……うむ、精一杯頑張りましょう。」

 

しっかりと頷いたオリバンダーが咲夜と魔理沙に声をかけるのを横目に、手元の杖をしっかりと握り直す。私は一人じゃないのだ。そのことがなんとも頼もしく思えてしまう。

 

よし、頑張ろう! 杖選びが終わったら、魔理沙を私の実家に案内して……おっと、食料品とかの店も教えねばなるまい。それにノクターン横丁には入らないようにしっかりと教え込まねば。好奇心の塊みたいな子なのだ。ふらふらと入って行く姿が目に浮かぶぞ。

 

メジャーに纏わりつかれている小さな少女たちを見ながら、アリス・マーガトロイドは苦笑いで決意するのだった。

 



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脱獄

 

 

「……リザインだ。」

 

紅魔館のリビングでチェス盤の向こうに座るパチュリーに向かって、アンネリーゼ・バートリは投了を宣言していた。これで二連敗だ。

 

僅かな悔しさを感じながらどこが悪かったのかと考えていると、冷めた紅茶を飲み干したパチュリーが口を開く。そら、ジメジメノーレッジの嫌味がくるぞ。

 

「あら、また勝っちゃったわ。強くてごめんなさいね?」

 

「黙っていたまえ、陰湿魔女。……もう一回だ。」

 

「いいけどね、ヒマだし。」

 

肩を竦めて答えたパチュリーは、素直に駒を並べ直した。まあ……詰まる所、彼女の言う通りなのである。ヒマなのだ。退屈なのだ。やることがないのだ。

 

アリスと咲夜は魔理沙とお買い物中。レミリアは緊急呼び出しで魔法省へとすっ飛んで行ったし、美鈴と小悪魔はリドルの足跡巡りを続けている。そしてフランはぐーすかお昼寝中だ。いやまあ、吸血鬼としては正しい生態だが。

 

夏休み中でやる事もない私は、図書館リフォーム計画を組み立てていたパチュリーを引っ張ってきて、暇つぶしのチェスに付き合わせているというわけである。さほど抵抗なく付き合ってくれているあたり、どうやら彼女も煮詰まっていたらしい。相変わらず図書館にだけは手を抜かない魔女だ。

 

「そういえば、ハリー・ポッターの方はいいの? せっかく電話線を引いたのに、全然使ってないじゃない。」

 

駒を並べながら話しかけてくるパチュリーに、こっちも並べながら言葉を返す。ちなみに魔法使いのチェスではない。駒とすらコミュニケーションを取れないパチュリーは、あのチェスが嫌いなのだ。

 

「どうもロンが大失敗したらしくてね。私とハーマイオニーに電話はやめておけと手紙に書いて送ってきたんだ。何をやらかしたんだか。」

 

「ま、宜なるかなって感じね。魔法使いに電話なんか無理よ。しかし……エジプトは羨ましいわ。私も行ってみたい場所なのよね。」

 

「キミが行ったら暑さで死ぬよ? ミイラが一体増えるだけさ。」

 

ジト目で睨んでくるパチュリーに肩を竦めながら、ポーンをゆっくりと動かした。

 

昨年度は不幸のドン底にあったウィーズリー家だったが、不幸の次には幸運が訪れてきたらしく、先日ガリオンくじなるものを見事に引き当てたのだ。お陰で現在は家族総出でエジプト旅行の真っ最中。なんだってあんな砂まみれの場所に行くのやら。

 

先ずは定石で迎え撃ってきたパチュリーに対抗すべく、こちらも定石通りの一手を放ちながら話を続ける。

 

「それに、誕生日にはプレゼントでも贈るさ。ハーマイオニーやロンとは被らないように相談済みだしね。」

 

「ご苦労なことで。……っていうか、向こうは貴女に贈ろうとしないの? 普通そういうのって贈り合ったりするものなんじゃないかしら?」

 

悲しいかな、友達というものに縁のないパチュリーは自信なさげだ。誕生日プレゼントなど咲夜とアリス以外には贈ったこともないのだろう。ちょっとだけ哀れみの視線を送りながら、駒を動かして口を開く。

 

「吸血鬼は誕生日を祝わないと言ってあるんだよ。ま、実際そうだしね。私が生まれた頃にはそんな文化は無かったもんで、正確な日にちを知らないのさ。寒い大雪の日ってのが精一杯だ。」

 

「なんとも時代を感じる一言ね。」

 

言いながらパチュリーが動かした一手は……ふむ? 見たことない手だ。一見すると誘いの一手だが……くそ、わからん。新手を繰り出してくるとは、随分と余裕があるじゃないか。

 

長考に入った私を前に、今度はパチュリーが話題を投じる。

 

「……そういえば、美鈴とこあはちゃんと探しているのかしらね? 孤児院には収穫なしだったけど。」

 

「絶対にちゃんとは探していないだろうが、動かせるのはあの二人だけなんだ。アリスは魔法の研究にお熱だし、キミはお外が嫌いなんだろう?」

 

「私は魔女なの。魔女ってのは塔やら工房やらに篭っているものでしょう? そういうことよ。」

 

「アリスを見るに、説得力はないけどね。今日だってきちんとお出かけしているじゃないか。」

 

二人の報告によれば、リドルの孤児院は綺麗さっぱり無くなっていたとのことだ。跡地に建っていたアパートメントも調べたそうだが、残念ながら収穫はなかったらしい。最初から期待してはいなかったが、ここまで綺麗に消え去ってるとは思わなかった。

 

そして現在は両親の墓を調べるために移動中だ。長すぎる移動だが……まあ、あの二人に迅速な行動など期待していない。どうせそこらで美味いもの巡りでもしてるんだろう。のんびりやればいいさ。

 

「……これでいこうか。」

 

ようやく私が動かした一手を前に、今度はパチュリーが長考に入った。それを横目に紅茶のお代わりをエマにでも頼もうかと呼び鈴に手を伸ばすと……おや、レミリアのご帰宅か? ドスドスという足音を聞く分には、どうやら御機嫌斜めのようだ。

 

「んふふ、またファッジが『うっかり』なにかを失敗したみたいだよ? さすがはうっかり大臣だ。期待を裏切らないね。」

 

「いつものことじゃないの。この前なんて、自分に自分でマーリン勲章を贈るとかいう意味不明なことを仕出かしたんでしょう? レミィももうちょっと人を選べなかったのかしらね。」

 

「『ハロウィンの悲劇』のせいで、魔法大臣はイギリスで最も人気のない席になってたのさ。操りやすいのはファッジしかいなかったんだよ。」

 

パチュリーと廊下の方を見ながらファッジの次なる『奇行』を予想していると、ドアが荒々しい音と共に開いて件の吸血鬼が入ってきた。翼をバッサバッサ動かしているのを見るに、予想以上にお怒りのようだ。

 

「最悪よ!」

 

ぷんすか怒るレミリアは勢いよくこちらに歩いてきたかと思えば……おいおい、なんだよ。机の上にばしりと新聞を叩きつける。駒が散らばっちゃったじゃないか。

 

「何なんだ、レミィ。八つ当たりはよしてくれ。いい歳して恥ずかしいぞ。」

 

「そんなもんやってる場合じゃないの! 読んでみなさい。そしたら私の気持ちが良く分かるわ!」

 

ダンダン足を踏み鳴らしながら言うレミリアにちょっと引きつつも、パチュリーと二人で新聞を読んでみると……ああ、これはマズいな。確かにチェスなんかやってる場合じゃない。

 

号外と書かれたその下には、デカデカと『アズカバンからシリウス・ブラックが脱獄!』という見出しが踊っていた。

 

「マズいぞ、レミィ。これはマズい。」

 

「わかってるわよ! だから焦ってるんでしょうが! ……まったくもう、あの脳足りんの吸魂鬼どもは何をしていたんだか!」

 

「吸魂鬼に脳ってあるのかしらね? 魂は無いし、頭は口でしょ?」

 

考え込み始めたパチュリーを無視しながら、レミリアと二人で顔を見合わせる。別にアズカバンから誰かが脱獄するのは構わんが、脱獄した人物がマズいのだ。

 

ゴクリと喉を鳴らしたレミリアが、恐る恐るという感じで口を開いた。

 

「……フランには何て言えばいいの? 『お早う、フラン。良い夕方ね。ああ……そうそう、裏切り者のブラックが自由になったわよ』とでも言う?」

 

「それでも私は構わんがね。その場合、一足先にホグワーツに戻らせてもらうよ。」

 

「……あああ、どうすりゃいいのよ!」

 

頭を抱えるレミリアだが、私だってどうすればいいのか分からん。なんたって、今のフランは怒らせると怖いのだ。

 

昔は純粋に癇癪を爆発させるだけだった。その分には見てて苦笑を浮かべる余裕はあったし、分かりやすく怒る分、対処もまた分かりやすかったのだ。

 

転じて今のフランが怒ると……おお、怖くなってきたぞ。冷たい微笑みを浮かべながら、皮肉混じりで罵ってくるのだ。昔一度だけ、レミリアがフランの描いた絵とは知らずに『落書き』呼ばわりしたときにそれは起こった。あの時はかなり怖かったもんだ。二度と見たいとは思えない。

 

よし、決めた。ホグワーツに逃げよう。ダンブルドアに交渉すれば入れてもらえるはずだ。そうと決まれば急がねばなるまい。そそくさと計画を実行に移そうとするが……。

 

「待ちなさい、リーゼ! 何処に行く気よ!」

 

レミリアが必死の表情で腕を掴んできた。おのれポンコツ吸血鬼! 道連れにする気か?

 

「離したまえ、レミィ。私は……そうだ、ハリーだ! ハリーが危険かもしれないだろう? 彼を守らねばならないのさ。」

 

「いつからガキのお守りにそんなに熱心になったのかしら? ハリーの守りについても話し合いましょう? ……フランも一緒にね!」

 

「ええい、離せレミィ! 大体、魔法省の不祥事に私は関係ないだろうが! キミの管轄だぞ、それは!」

 

「幼馴染でしょ! 友達でしょ! 見捨てないでよ!」

 

とうとう泣き落としを始めたレミリアの腕をギリギリと捻りながら、アンネリーゼ・バートリは久方ぶりの恐怖を感じるのだった。

 

 

─────

 

 

「……よっと。」

 

ゆっくりと地面に下り立ちながら、霧雨魔理沙は満足気な笑みを浮かべていた。

 

ダイアゴン横丁での生活が始まって二週間。私にとっては非常に充実した日々を送れている。アリスの家も住み易いし、何よりダイアゴン横丁は驚きに満ちているのだ。憧れの世界を好き勝手に歩ける。夢のような生活じゃないか。

 

そして、その中でもとびっきり気に入ってる時間が箒飛行の練習だ。風を切る感覚、内臓がひっくり返るような浮遊感、日々上手く操れるようになっていく相棒。うーむ、たまらん。

 

当然ながらその辺を自由に飛び回れるわけではない。アリスから魔法界の法律を聞いた私はがっくりしたもんだ。なにせ箒の飛行にはかなりの制限があったのだから。おまけに私は未成年。一時はホグワーツまでお預けかと落ち込んでいた。

 

そんな私を救ったのが、相棒を買った箒屋のおっちゃんである。餅は餅屋ということでダメ元で話を聞きに行ったところ、店の裏手に小さな飛行場があると教えてくれたのだ。

 

おまけに普段は試し乗りの場として使っているそこを、客のいない時は使わせてくれることになったのである。

 

『代わりにホグワーツで店の宣伝でもしてくれりゃいいさ』とのことだが……ううむ、これは絶対に客を増やさねばなるまい。ビラでも作ってばら撒きまくろう。

 

箒を片手に店の裏口を抜けると、おっちゃんが新聞を読みながらやる気無さげに店番をしていた。もちろん今日も客はなしだ。

 

「おいおい、また客はなしか? 箒にカビが生えちまうぜ。」

 

「ほっとけ、小娘。それより飛んだ後はメンテナンスを怠るなよ? 箒ってのはデリケートなもんなんだ。」

 

「へいへい。」

 

いつもの軽口を叩き合ってから、店の片隅で相棒にクリームを塗り始める。世話焼きで知識も豊富だってのに……無愛想なのがいけないのか? もうちょっと流行ってもいい店だと思うぞ、ここは。

 

何がいけないのかを実家の道具屋と比較して考えていると、おっちゃんがチラリと店先を見ながら口を開いた。

 

「また来てるな、あの坊主。」

 

視線を辿ってみれば……本当だ。いつものメガネの少年が、ショーウィンドウに飾られたファイアボルトを食い入るように見ている。毎日毎日ご苦労なこった。

 

このところ、アイツは毎日のようにああしてファイアボルトを見つめているのだ。まるで恋だな。ベタ惚れだ。

 

「そんなに欲しけりゃ買えばいいのにな。」

 

ちょっと呆れた感じで呟くと、店主は鼻を鳴らしながら返事を返す。

 

「そりゃ無理な話だろうよ。あれは五百ガリオンだぞ? こっちだって売れるとは思ってねえよ。客寄せの為に置いてんだ。」

 

「勿体ないぜ。箒は乗るものだろ?」

 

「ああいうのはプロチームが買うんだよ。個人で持つようなもんじゃねえのさ。」

 

「プロチームか……観戦してみたいな。」

 

非常に興味がある。おっちゃんの話を聞く分には、日本のチームは強いらしい。幻想郷を日本と言っていいのかは分からんが、一応は故郷のチームなのだ。応援に行ってみたくはある。

 

「観るなら来年に取っときな。来年はワールドカップだぞ。おまけに開催国はイギリスときたもんだ。俺にとっても稼ぎ時さ。」

 

「絶対に観に行くぜ。」

 

固く決意しながらもクリームを塗り終わり、今度は毛先を整え始めた。この面倒な作業も飛行のスピードに繋がると思えば苦ではない。幻想郷でもあんなに速くは飛べなかったのだ。練習すればあの巫女にだって追いつけるかもしれない。

 

そのまま私が全ての作業を終わらせた頃になっても……おやおや、未だメガネはファイアボルトにぞっこんだ。うーむ、さすがに哀れになってきたな。恋のキューピッドでもやってみるか?

 

「なあ、ちょっとだけ乗せてやるわけにはいかないのか? そりゃあガキには買えやしないだろうがな。あんなに熱心なヤツは他にいないぜ?」

 

ダメ元での提案だったわけだが……おっちゃんはちょっとだけ悩んだ後、メガネを見ながらため息混じりに頷いた。

 

「まったく、仕方がねえな。入れてやれ。ほんのちょっとだったら乗らせてやるよ。どうせ売れやしねぇんだしな。」

 

「へっへっへ、やっぱりあんたはお人好しだぜ。」

 

「うるせえぞ、小娘!」

 

つくづくいいヤツだな。おっちゃんの照れ隠しの怒鳴り声に肩を竦めながら、店のドアを開けてメガネに声をかける。そら、メガネ。キューピッド様のご登場だぜ。

 

「おい、そこの! ファイアボルトにお熱なんだろ? 試乗させてやるから入ってこいよ!」

 

「あの、僕……乗れるの? これに?」

 

「特別だぜ? 毎日来るもんだから、ここの店主が許してくれたのさ。」

 

見られていたとは思わなかったのだろう。メガネはちょっとだけ恥ずかしそうにしながらも、それを上回る歓喜を顔に浮かべながら店内に入ってきた。

 

「ちょっと待ってな、今出すからよ。」

 

「ありがとうございます!」

 

ショーウィンドウに向かうおっちゃんにペコペコお礼を言っているメガネを横目に、私もちょっとだけワクワクしてくる。そりゃあ私の相棒はスターダストだが、五百ガリオンの箒ってのは興味を惹くには充分な謳い文句なのだ。気になっていなかったと言えば嘘になる。

 

おっちゃんから絶対に傷は付けるなよという注意を受けたメガネを伴って、裏手の飛行場へ歩き出す。まあ、注意は必要無かったかもな。なんたってメガネの手つきは芸術品を触るそれなのだ。古代のアーティファクトだってこんなに慎重には持つまい。

 

「ほらよ、ここだぜ。あんまり高くは飛ぶなよ? 屋根の上にある……ほら、あの線までだ。」

 

「うん。それじゃあ……乗るよ?」

 

「おいおい、なんで私に聞くんだ。さっさと乗っちまえよ。」

 

恐る恐るという様子で浮かび上がったメガネは、空へと上がると満面の笑みへと表情を変えた。どうやらお気に召したらしい。

 

そのままビュンビュンと飛び回るメガネだったが……上手いな、おい。私の飛行が『お遊び』に思えるくらいの上手さじゃないか。箒に乗っているという感じが一切しない、軽やかな飛びっぷりだ。

 

うーむ、ちょっと悔しい。見た感じ年上なのは確かだが、それにしたって数年差だろう。……いいさ、私は始めたばかりなんだ。これから絶対に上手くなってやるぜ。

 

私も持ってきた相棒に再び跨りながら、空に浮かび上がって声を放つ。

 

「どうだ、メガネ! 乗り心地は!」

 

「最高だよ! それと……ハリーだ。ハリー・ポッター。」

 

「おっと失礼。私はマリサ・キリサメだ。マリサでいいぞ。」

 

「こっちもハリーでいいよ。」

 

飛びながら自己紹介を終わらせると、メガネ……ハリーは笑顔で一回転する。嬉しくて堪らないといった様子だ。余程に箒が好きなのだろう。

 

「マリサはクィディッチをやってるの? ホグワーツじゃ見たことないし、入学前だよね?」

 

「今年入学だぜ。クィディッチは……やりたいとは思うんだけどな。なにせ箒に乗ってからまだ二週間なもんで、自分が上手いか下手かもわからん有様だ。」

 

「二週間? 二週間でそれなら大したもんだよ。バランスを取るのも上手いし、しっかり静止できてるじゃないか。絶対に才能あるよ。保証する。」

 

ふむ? おべっかじゃなくて、本当に驚いている感じだな。ちょっとだけ自信が湧いてくるのを感じながら、ハリーに向かって言葉を返す。

 

「その言い振りだと、そっちはクィディッチをやってるんだろ? どのチームなんだ?」

 

「グリフィンドールのシーカーさ。シーカーっていうのは……分かる?」

 

「スニッチを追うポジションだろ? 一応ルールは頭に入ってるぜ。」

 

「そうそう、それだよ。」

 

グリフィンドールってのはリーゼの居る寮だったはずだ。それに……シーカーか。試合の決め手になるポジション。つまりこいつは飛ぶのがかなり上手いわけだ。安心したぞ。このレベルが平均だったら、ちょっと気後れしてたとこだ。

 

ホッと安堵の息を吐く私に、ご機嫌な様子のハリーが質問を放ってきた。

 

「マリサはこの店の子なの? まさかファイアボルトに乗れるとは思わなかったよ。いい店だね。」

 

「いやいや、他国の出身でな。ホグワーツには留学しに来たんだ。ダイアゴン横丁に家を借りてて、飛行場を使わせてもらってる関係で親しくなったのさ。……ま、いい店ってのは同意するけどな。そっちもダイアゴン横丁に家があるのか?」

 

このところ毎日来てたからてっきりそうだと思ってたが、ハリーは首を振りながら困ったような表情で返事を返してくる。

 

「いや、全然違う場所に住んでるんだけど……ちょっとした問題を起こしちゃって。新学期までこっちに居ることになってるんだよ。」

 

「へぇ? なんだか分からんが、ラッキーだったな。お陰でそいつに乗れたわけだし。」

 

「んー……そうだね。不幸と幸運としては、結構バランス取れてるかな。」

 

クスクス笑いながら言ったハリーは、飛行場の隅に落ちているボールを指差しながら提案を投げかけてきた。

 

「ねえ、あれでちょっと練習してみない? もちろん箒は交代交代で。」

 

「いいな、それ! やろうぜ!」

 

願っても無い提案じゃないか。少なくともただ飛び回るよりかは絶対に楽しいはずだし、ボールを使った練習は初めてなのだ。一人じゃ出来なかった練習に、自然と胸が弾んでくる。

 

「それじゃ、最初は軽めにいくよ!」

 

「おう、こい!」

 

初めてのトリックパスの練習を、霧雨魔理沙はおっちゃんがいつまでやってるんだと怒鳴り込んでくるまで続けるのだった。

 



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オレンジ色の毛玉ちゃん

 

 

「アズカバンから脱獄だなんて、シリウス・ブラックはどんな手を使ったのかしら?」

 

予言者新聞を読むハーマイオニーの問いにわかりませんと首を傾げながら、アンネリーゼ・バートリはイチゴのソルベを頬張っていた。

 

ブラックの脱獄からは数週間が経過しているが、件の殺人鬼は捜査の手を掻い潜って逃げ続けているのだ。ピリついた紅魔館に居辛さを感じた私は、ハーマイオニーの買い物の誘いに飛びついてダイアゴン横丁へと逃げてきたというわけである。

 

怯えるレミリアからブラックの脱獄を知らされたフランの反応は……なんというか、微妙な感じだった。能面のような無表情になって私たちに何かを言いかけた後、結局何も言わずに地下室へと戻ってしまったのだ。想像していた反応よりかはマシだったが、少なくとも喜んでいないのは確かだろう。怖かったし。

 

結果として心配そうになった咲夜に『おねだり』されたレミリアは、今も不眠不休で捜索の指揮を執っている。手配書がベタベタ貼られてる上に闇祓いを総動員しているというのに、ブラックはどうやって逃げ続けているのやら。ここまでくると魔法省の無能さよりもブラックの有能さが光るな。

 

ため息を吐きながらソルベを片付けると、ハーマイオニーが待ってましたと言わんばかりに立ち上がった。忌々しい夏の太陽もなんのその。彼女はショッピングが楽しみで仕方ないようだ。

 

「それじゃ、行きましょうか! 先ずは本屋よ!」

 

「はいはい、行こうか。」

 

クソ暑いであろう外にうんざりしながらも、彼女に続いてカフェを出る。さすがに今日はいつものテラス席を使う気にはならなかったのだ。干し吸血鬼になっちゃうぞ。

 

ちなみに待ち合わせ場所となった漏れ鍋では、『ちょっとした事件』を起こしたハリーとも顔を合わせている。なんでも遊びに来た叔父の妹を、あー……膨らませてしまったらしい。つまり、風船みたいに。あまりにも意味不明で、知らせを受けた時は私もレミリアもキョトンとしてしまったものだ。

 

その後『ナイト・バス』とかいう胡散臭い乗り物で無謀な逃避行を企てたハリーは、漏れ鍋であえなくファッジに保護されることとなった。うっかり魔法大臣、唯一の功績というわけだ。……いやまあ、追跡してたのはスクリムジョールたちだが。

 

そして現在。ブラックに狙われている可能性のあるハリーは、漏れ鍋に泊まって闇祓いたちの手厚い警備を受けているのである。本人は気付いていないだろうが、八人体制で昼夜を問わず警護されているらしい。

 

そんなハリーは既に教科書を揃えてしまったようで、夕食の約束をすると箒を担いで何処かへ行ってしまった。どこへ行ったのかは知らないが、バーノン無しの夏休みを満喫しているのは確かなようだ。

 

当然ながらハリーはブラックと両親の関係を知らない。いつかは感付かれることだろうが、ここ数年の彼の態度を見る限りでは両親の仇打ちに燃えないとは言い切れないのだ。ホグワーツに『監禁』できるようになってから伝えた方がいいだろう。

 

……ああもう、面倒くさいな! フランのことも、ハリーのことも、魔法省のことも。厄介な人物が脱獄してしまったせいで私の周囲はしっちゃかめっちゃかだ。今だけは忘れてしまおうと思考を切り替えてから、隣を歩くハーマイオニーに話しかける。

 

「それで、今日は何を買うんだい?」

 

楽しそうに歩くハーマイオニーに問いかけてみれば、半分は予想通りで半分は予想外の返事が返ってきた。

 

「もちろん教科書よ。それと……ほら、凄いでしょ!」

 

言いながら満面の笑みで見せてきた財布には……なんだ? 何が凄いのかがさっぱりわからん。普通に金貨が入っているようにしか見えんぞ。

 

「ふむ?」

 

疑問符を浮かべながら首を傾げると、ハーマイオニーはちょっと残念そうな苦笑いで答えを教えてくれた。

 

「そういえば、リーゼはお嬢様だったわね。まあ……つまり、普通の十三歳はこんなに沢山のお金を持ってないの。パパとママがちょっと早い誕生日プレゼントってことで、お金を余分にくれたのよ。」

 

「ああ、そういうことか。それじゃあ……本を多めに買うわけかい?」

 

「それも素敵だけど、私もハリーみたいにふくろうが欲しいの。ホグワーツの貸しふくろうも悪くないけど、やっぱり自分のが一番でしょ? それに家からはふくろう郵便局が遠いしね。みんなに手紙を出す時はパパに車で連れてってもらってるのよ。」

 

「ふぅん? ま、ある意味実用品だしね。いいと思うよ。」

 

自分で選ぶ誕生日プレゼントって感じではないと思うが……本人が納得しているなら是非もない。好きにすればいいさ。

 

喧しい悪戯専門店を通り過ぎながら考えていると、ハーマイオニーが別の話題を繰り出してきた。

 

「まあ、その辺はペットショップで考えるわ。それより教科書よ! 山ほど買わないといけないんだから。」

 

「結局、本当に全部の授業を取ることにしたのかい?」

 

「もちろんよ! マクゴナガル先生にも許可をいただけたんだもの。今年は頑張らないといけないわ。」

 

どうやらハーマイオニーが十二ふくろうを合格する日も近いようだ。私なら授業塗れの生活など絶対に御免だが、彼女にとっては夢いっぱいの新生活らしい。ニッコニコで気合を入れている。

 

「そりゃまた、ご苦労なことで。過労死しないことを祈ってるよ。」

 

肩を竦めて答えると、ハーマイオニーは逆に私の選択授業の少なさを心配してきた。

 

「リーゼこそ、本当にルーン文字だけなの? せっかく色々揃ってるのに、ちょっと勿体ないと思うわ。」

 

「幸いにも吸血鬼は就職の心配をしなくていいのさ。それに、これから先に時間は幾らでもあるんだ。気が向いたらその時学ぶよ。」

 

「もう、羨ましいわね。さすがは長命種だわ。」

 

ハーマイオニーはちょっとだけ戯けたように頰を膨らませて、クスクス笑いながら言ってくる。リドルと比べて彼女の反応のなんと可愛らしいことか。この子がトカゲになる心配は不要だな。

 

益体も無いことを考えながら歩いていると、いつの間にか本屋の前へとたどり着いていた。毎度おなじみのフローリッシュ・アンド・ブロッツ書店。今日はどこぞのバカがサイン会を開いていないようで何よりだ。

 

そのまま店内に入ってみれば……檻? 立派な鉄製の檻が本棚の間に鎮座しているのが見えてくる。おいおい、魔法生物ふれあいフェアでも始めたのか? 本屋でやるもんじゃないだろうに。

 

「何かしら? ブラックが脱獄したから、囚人の本が流行ってるとか? 気合の入ったディスプレイね。」

 

「だとすれば、考えたヤツはロングボトム級のバカだね。あの隙間からじゃ本を取り出せないよ。」

 

何が入っているのかと二人で近付いてみると、檻の中では、あー……本がお互いを食い合っていた。なんだこれは? いくら魔法界にしたって妙ちきりんな光景ではないか。『闘本』なんて初めて見たぞ。

 

壮絶な本同士の殺し合いに顔を引きつらせていると、同じような顔をしているハーマイオニーが解説してくれた。彼女は状況を理解したようだ。

 

「『怪物的な怪物の本』だわ。今年の飼育学の教科書なの。ケトルバーン先生がお辞めになるみたいで、教科書が新しくなったのよ。」

 

「……四ヶ月前の私を褒めてやりたいね。よくぞ飼育学を切り捨ててくれたもんだ。英断だったよ。」

 

良くやったぞ、リーゼ。こんな教科書を選び出す教師がマトモなはずなどないのだ。ムーディ並みにイカれてるに決まってる。

 

それはハーマイオニーも同感のようで、少し困ったような顔をしながら口を開く。

 

「ハグリッドが休み中に贈ってくれたんだけど……新しい先生は知り合いなのかしら? 何というか、センスが似てるわよね。」

 

「約束しよう、ハーマイオニー。キミは飼育学を取ったことを後悔する。必ずだ。」

 

「やめてよ、リーゼ。ダンブルドア先生が選んだのよ? だからまあ……大丈夫なはずよ。」

 

「クィレルもそうだったけどね。」

 

後頭部に『小さな』問題を抱えていた教師の名を出したところで、店主が私たちに気付いて近寄ってきた。その顔は客に見せていい顔ではないし、とうとう片方をバラバラにし始めた怪物本を止めようともしていない。まるでこの世の全てを呪っているような表情だ。

 

「当ててみせましょう。お嬢さん方はホグワーツの生徒で、この忌々しい本を買いにきたんですね? ちょっと待っててください、今準備しますから。」

 

儚い諦観の笑みを浮かべながら防護用の分厚い手袋を嵌め始めた店主を、ハーマイオニーが慌てて止めにかかる。哀れなもんだ。この分では大損に違いない。なんたって本同士が勝手にバラバラにし合うのだから。

 

「いえ、それはもう持ってるんです。三年生の、それ以外の全部の教科書を買いにきたの。」

 

「三年生の、これ以外の全部? ……ああ、お嬢さん、貴女は素晴らしいお客さんだ。すぐにご用意しますよ。『これ以外の全部』だなんて! 最高の響きじゃないですか。」

 

途端に満面の笑みになった店主は、嬉しそうにハーマイオニーの教科書を準備し始めた。どうやらこの本にお目にかかれる機会はもう無さそうだ。少なくともこの店は二度と仕入れまい。

 

……パチュリーの図書館には複製されていないだろうな? いや、されてるか。こうやって店頭に並んでいるのだ。されていないはずがない。

 

ま、あそこの魔道書に比べればかわいいもんさ。この怪物本なら、最悪腕を噛み千切られるくらいで済むだろう。魔道書だと腕以外を全て噛み千切られているところだ。怪物本はこの店の食物連鎖の頂点に君臨しているようだが、パチュリーの図書館ではそれは叶うまい。書店の怪物本、パチュリーの図書館を知らず、だな。

 

私がどうでもいいことを考えている間にも、店主が集めてきたハーマイオニーの教科書がどんどん山を作っていく。袋一つには間違いなく収まらない量だ。

 

「ハーマイオニー? あの量を持てるのかい?」

 

「大丈夫よ……多分ね。」

 

二つ目に突入した袋詰めを見ながら、ハーマイオニーは自信なさげに言うのだった。

 

───

 

「ごめんね、リーゼ。」

 

しょんぼりしてしまったハーマイオニーに向かって、苦笑しながら口を開く。結局一度漏れ鍋に荷物を置きに戻ったのだ。重い本の山を持った状態で外をウロつくのは賢い選択とは言えなかったのである。

 

「そんなに気にしないでくれよ、ハーマイオニー。いい運動になったさ。」

 

ジリジリという太陽の中、あの量の本を運ぶのは中々に面倒な経験だったが……まあいいさ。わたわたしているハーマイオニーは面白かったし。

 

私が本当に気にしていないことが伝わったのだろう。ちょっと元気を取り戻したハーマイオニーは、顎に指を当てながら話し始めた。

 

「それにしても……学校に行ったらあの半分くらいは持ち歩かなきゃいけないわけだし、対処策を考えないといけないわね。」

 

「リュックでも買うべきかもね。もちろん馬鹿でかい登山用のやつを。」

 

「うーん、先にいい魔法がないか調べておくわ。それで見つからなかったら……登山リュックね。」

 

後で拡大呪文のことを教えてやる必要がありそうだ。でなきゃハーマイオニーのあだ名が『アルプス』になってしまう。……もしくは『ヒマラヤ』か。

 

それもちょっと面白そうだと考え始めたところで、ようやく第二の目的地へと到着した。

 

「これはまた、多種多様じゃないか。小さな動物園に近いね。」

 

「まあ、ダイアゴン横丁で一番大きなペットショップだもの。……すごい臭いね。」

 

ハーマイオニーの言う通り、ペットショップである。彼女のふくろうを買いにきたわけだが……確かにすごい臭いだ。周辺に飲食店が一切ないのはこのせいか。

 

店内に入るとその臭いは更に強くなった。所狭しと並ぶケージには、ネズミ、蛙、ふくろう、蛇、猫、カラスといったよく聞くペットの他にも、イグアナや猿、孔雀やペンギンといった滅多に見ないヤツまで勢揃いだ。多種多様なのは店先のケージだけではなかったらしい。

 

「さっさとふくろうを買って出ようじゃないか。動物臭くて堪らないぞ。」

 

私にあっかんべーをしてきた無礼な猿のケージをぶん殴りながら言うと、ハーマイオニーはキョロキョロと店内を見渡しながら嬉しそうに口を開いた。

 

「そうね、そうなんだけど……猫も可愛いわ。うーん、目移りしちゃう。」

 

おっと、マズいな。ハーマイオニーが『目移り』し始めたぞ。このセリフが出るということは、長くなる可能性が高いのだ。

 

ちょっと焦り始めた私を他所に、獲物を見つけたとばかりの表情を浮かべている店主らしき魔女が、物色するハーマイオニーに話しかけてくる。やめろ、余計なことをするな。

 

「あら、お嬢さん! ペットをお探しなんですね? 何がお望みかしら? 手紙を運ぶふくろう? それとも薬の材料を生み出してくれる蛙かしら?」

 

「ふくろうを買いに来たんだけど……猫もかわいくって。ここにいるので全部なんですか?」

 

「まさか! まだまだいますよ。さあさあ、こちらにいらっしゃって!」

 

決まりだな。ぐいぐい引っ張られていくハーマイオニーを見送って、買い物が長くなるという予感を確信へと昇格させる。あの様子では根こそぎ見せられるぞ。そしてハーマイオニーも根こそぎ見るだろう。

 

ため息を吐きながら再び店内を見回すと……おや、コウモリもいるのか。残念ながらあまり人気はないようで、店の隅のケージにまとめられているのが見えてきた。窮屈そうでちょっと可哀想だ。

 

私がケージへと近付いていくと、コウモリたちもケージにしがみついて私の方へと寄ってくる。ふむ? ちょっと可愛いじゃないか。

 

「やあ。」

 

何とは無しに声をかけてみれば……おお、揃いも揃ってキッキッキと応えてくれたぞ。礼儀正しい連中だな。『くちばし付き』の馬鹿どもとは大違いだ。

 

小さな身体に大きな耳。口にはかわいい牙を覗かせて、くりくりと首を傾げながら『なぁに?』という表情で私を見つめている。やめろ、そんな目で見るな。欲しくなってきてしまう。

 

こいつらを可愛らしく思ってしまうのは吸血鬼特有の感情なんだろうか? 実のところ、吸血鬼とコウモリの関係についてはよく分かっていない。翼を見ればそっくりだし、吸血をする種類が存在しているのも確かだ。

 

しかしながら別に祖先というわけでもないだろうし、もちろん人間とコウモリの合いの子というわけでもない。吸血鬼は吸血鬼として生まれたはずだ。

 

うーむ、考えれば考えるほど不思議な関係性じゃないか。紅魔館にもコウモリは住み着いているし、古くからコウモリと私たちは助け合って生きてきたのだ。彼らが監視の目となり、私たちは対価として餌を提供する。特に疑問を持たずに行ってきた行為だったが……まあいいか。こういう疑問はパチュリーにでもぶん投げてやればいいのだ。

 

思考に決着をつけたところで、それを見計らったかのようにハーマイオニーから声がかかる。

 

「リーゼ、決めたわ! この子を連れて帰ろうと思うの!」

 

元気よく言ってきたハーマイオニーの方を振り返ってみると……猫、だよな? ぶっさいくな潰れ顔の猫もどきを抱いているのが見えてきた。悲しいかな、ハーマイオニーの美的センスは私と少々違っているようだ。

 

微妙な表情で猫らしきオレンジ色の毛玉を見つめている私に、ハーマイオニーが嬉しそうにそいつを突き出してくる。近くで見ると尚のことぶっさいくだな。

 

「クルックシャンクスよ! ほら、クルックシャンクス? 私のお友達のリーゼよ。ご挨拶は?」

 

やる気無さげににゃぁおと鳴いたクルック……毛玉に、私もやる気無さげに返事を返す。

 

「どうも、毛玉ちゃん。それじゃあ……ふくろうはいいのかい? ハーマイオニー。」

 

「毛玉ちゃんじゃないわよ。クルックシャンクス! ふくろうは……残念だけど、お金ももうないし。諦めるわ。」

 

「そんなにしたのかい? 随分と高い毛玉じゃないか。」

 

「クルックシャンクス!」

 

ふむ。それなら……ふふん、いいことを思い付いたぞ。脳内に浮かんだ考えを実行に移すべく、コウモリのケージを指差してハーマイオニーに話しかける。

 

「それなら、私からも少し早い誕生日プレゼントを贈るよ。この可愛いオオコウモリをプレゼントしよう。手紙だって運べるぞ?」

 

実にいい考えじゃないか。あのオオコウモリは窮屈なケージで可哀想だし、ハーマイオニーだってふくろうを欲しがってたんだ。まあ、ふくろうもコウモリも変わるまい。どっちも手紙を運べるわけだし。

 

私の提案を受けたハーマイオニーは、何故かちょっとだけ顔を引きつらせながらもゆっくりと口を開いた。

 

「あー……なるほど。それは、うん。とっても嬉しいわ、リーゼ。ただ……コウモリはパパとママが困ると思うの。それにホグワーツのふくろう小屋でイジメられちゃうかもでしょ? 周りはみんなふくろうだから。そうなったら可哀想よ。」

 

「ふむ? ……それもそうか。残念だったね、おまえ。」

 

ハーマイオニーの言葉を聞いて、ちょっと元気のなくなってしまったオオコウモリに話しかける。確かにふくろうにイジメられる可能性はありそうだ。なんたって羽毛の翼を持つヤツにロクなのはいないのだから。天使の連中は言わずもがなだし、ハリーの白ふくろうやダンブルドアの焼き鳥も無辜の私を突っついてこようとするのだ。きっと美しい皮膜が妬ましいのだろう。

 

「うん、だから気持ちだけ受け取っておくわ。私、お支払いを済ませてくるわね!」

 

何故か急に急ぎ出したハーマイオニーを見送って、哀れみを誘う声でキューキュー鳴いているコウモリたちから離れ、離れ……ああもう、わかったよ! わかったからそんな声で鳴くな!

 

「……キミたちは実にアピールが上手いね。買ってやるから、しっかり働くんだぞ。」

 

途端に嬉しそうに鳴き始めたコウモリたちに苦笑しつつ、店員に話を通すため私もカウンターへと向かう。紅魔館には沢山いるんだ。少しくらい増えたって問題あるまいさ。

 

久々の無駄遣いになる予感を感じながら、アンネリーゼ・バートリは店主へと言葉を放つのだった。

 



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それぞれの出発

 

 

「あのね、リーゼお姉様。少しお話があるの。」

 

紅魔館のリビングで荷造りをしていたアンネリーゼ・バートリは、急に現れた可愛い妹分に話しかけられていた。フラン? 朝のリビングに? 思わずビクってなっちゃったぞ。

 

隣では咲夜も荷造りを進めていたが、珍しくリビングまで上がってきたフランに驚いてその手が止まっている。無理もあるまい。そのくらい珍しいことなのだ。

 

「なんでもないよ、咲夜。荷造りを続けてて。」

 

「えっと、はい。」

 

首を傾げる咲夜に優しく言葉をかけてから、フランは目線で私を廊下へと誘ってきた。なんだ? 今のフランと話すのは、なんというか……ちょっと怖いぞ。ブラックの件で怒られたりしないだろうな?

 

内心でビクビクしながら廊下へと出ると、リビングへのドアをパタリと閉めてからフランが口を開く。……さり気なく退路が断たれてしまった。

 

「えっと、シリウスのことなんだけど……。」

 

「あー……その件はレミィの担当だよ。私は、うん、あんまり関わっていないんだ。分業体制なのさ。」

 

そらきた。すぐさま逃げの一手を口にすると、フランはちょっとだけ苦笑しながら首を振ってくる。ふむ? 怒ってる感じじゃないな。

 

「そうじゃなくって、んー……ずっと隠してたことがあるの。ハリーを守ってるリーゼお姉様には伝えておこうと思って。」

 

「隠してたこと?」

 

意外な展開だ。予想とは違う言葉に安心して問い返してみれば、フランはちょっと言いづらそうにしながらも秘密とやらを語り出した。

 

「実はね……シリウスはアニメーガスなんだよ。まあ、もちろん無許可の。」

 

「アニメーガス? つまり、マクゴナガルと同じように動物に変身できるのかい?」

 

「そうそう。シリウスの場合は大きな黒い犬だけどね。」

 

それは……かなり重要な情報ではないか? 犬の状態になって逃げていると考えれば、レミリアたち魔法省の執拗な追跡をかわし続けているのにも説明がつく。アズカバンからの脱獄にもひょっとしたらそれを利用したのかもしれない。

 

困ったようにモジモジするフランに、首を傾けながら問いを放つ。

 

「どうしてそんな重要なことを黙ってたんだい? ……いや、怒ってるわけじゃないよ? 何か訳があったんだろう?」

 

フランはあの日以来、ジェームズ・ポッターたちのことを多くは語ろうとしないのだ。コゼットとアレックスのことは咲夜によく話しているようだが、それ以外の悪友たちについては彼女にも話していないらしい。

 

フランがハリーを大事に想っているのは重々承知している。そのハリーに危険が及ぶ可能性がある以上、黙っていたのには訳があるはずなのだが……。

 

私の質問に、フランはちょっと申し訳なさそうな顔をしながら答えを口にした。

 

「えっとね、一つはジェームズとピーターのためかな。二人もまあ、アニメーガスだったんだ。無許可のアニメーガスってのは結構な犯罪でしょ? 二人の名誉を汚したくなかったんだよ。……シリウスがアニメーガスって分かれば、気付く人は気付くだろうから。」

 

動物もどきを登録するのは悪用を防ぐためだと聞く。無許可でいるというのは、重犯罪とはまた違ったベクトルで不名誉なことなのだ。確かに旧友の名誉を貶めたくないというのは分からなくもない。

 

そこで一度だけ言葉を切って、フランは悲しげな表情になりながらももう一つの理由を語り出した。

 

「もう一つは……シリウスのため。私、どうしても納得できないんだ。シリウスがジェームズを裏切る? ピーターを殺す? そんなの……全然信じられないよ。どうしても、どうしても私にはそうとは思えないの。」

 

「だが、実際にブラックは──」

 

「わかってる。よくわかってるよ、リーゼお姉様。そうとしか思えないのはよく分かってるんだ。だからずっと考えないようにしてたの。それでも、私は……。」

 

後半を尻すぼみにして、フランは悲しそうに俯いてしまった。むう、これはあんまり見たくない光景だ。この子のこういう表情は相変わらず心にくるものがある。

 

肩に手を当てて顔を覗き込みながら、なるべく優しい声で語りかける。

 

「私はブラックを知らない。だからフランがどうしてそう思うのかは分からないが……そういうことなら、気には留めておこう。なるべく魔法省にバレないように捕縛して、事情を聞いてみようじゃないか。」

 

「……うん。ありがとう、リーゼお姉様。レミリアお姉様には……話しても大丈夫かな?」

 

「ま、問題ないと思うよ。レミィはキミに甘々だからね。上手いこと手を回してくれるさ。」

 

上目遣いで言ってやれば完璧だろう。あの姉バカ吸血鬼は今なおフランに激甘なのだ。魔法省と愛する妹との板挟みになりながらも、どうにか上手くやるに違いない。

 

私の言葉に安心したらしいフランは、ちょっとだけ元気を取り戻しながら口を開いた。

 

「そうだね、レミリアお姉様にも話してみるよ。それと……一つだけ確信があるんだ。シリウスはハリーを傷付けたりはしないはず。私、ちゃんと覚えてるもん。シリウスがハリーの一歳の誕生日のとき、どんなに嬉しそうにしてたかを。自分がプレゼントした玩具の車で遊んでるのを、どんなにはしゃいで見てたかを。だから……絶対にハリーを傷付けたりはしないよ。それだけは約束できる。」

 

真っ直ぐな目で言うフランに、苦笑しながらもそっと頷く。実に矛盾している言葉だ。リドルに秘密を密告した可能性が高いブラックが、ハリーを傷つけない? きっと魔法界じゃ誰一人として信じまい。

 

だが、この館の住人だけは別だ。私はブラックなど欠片も信じていないが、フランの言葉ならば信じるだけの価値がある。……いや、勿論油断するつもりはないが。一つの指針にはなるだろう。

 

「わかったよ。ブラックがどう動くかは分からないが、とにかくハリーは安全なわけだ。今年はどうやら楽ができそうだね?」

 

ちょっと戯けて言うと、フランはクスクス笑いながら頷いた。

 

「一年生も二年生も大変だったんだから、今年くらいはゆっくりしないとね。……もしもシリウスが姿を見せたら、ピックトゥースの知り合いだって言ってあげて。きっと話を聞かせてくれるはずだから。」

 

「分かった、覚えておこう。」

 

私が了承すると、フランは満足そうにうんうん頷きながら地下室の方へと……おや? 振り返って再びこちらに近付いてくる。

 

「ふふ、これは先払いのお礼だよ。頑張ってね、リーゼお姉様。」

 

言うと、あー……頰にキスして去っていった。おいおい、小悪魔の入れ知恵か? それとも本で覚えちゃったのか? 過保護な姉バカがまた激怒するぞ。

 

なんにせよ、報酬は貰ってしまったようだ。それならきちんと働かなくてはなるまい。……これに見合う働きをするのは結構難しそうだが。

 

頰に残る柔らかな感覚に苦笑しながら、アンネリーゼ・バートリはフランが将来悪女になることを確信するのだった。

 

 

─────

 

 

「……むむ。」

 

入りきらない。トランクへとぎゅうぎゅう詰めになった荷物を眺めながら、咲夜は困り果てていた。

 

もう一度ぎゅうっと押し込んでみるが……ダメだ。計算では完璧に入りきる予定だったのに。……もう空間を弄っちゃおうかな。

 

濫用はするなというパチュリー様の忠告を思い出して苦悩していると、妹様と話していたはずのリーゼお嬢様が部屋に戻ってきた。何故かちょっとだけ苦笑を浮かべている。どうしたんだろう?

 

「リーゼお嬢様、妹様のお話はなんだったんですか?」

 

「んー……まあ、任務の話さ。それより荷造りは終わったのかい?」

 

むむむっ、また私には内緒のお話のようだ。絶対にハリー・ポッターに関するお話に違いない。仲間外れにされるのにちょっとだけ残念さを感じながら、トランクを指差して返事を返す。

 

「全然入りきらないんです。空間を弄っちゃダメですか?」

 

「危険だからあまり使うなってパチェに言われているだろう? どれ、見せてごらん。最悪拡大呪文でも使えばいいのさ。」

 

言いながら私のトランクを調べ始めたリーゼお嬢様は……徐々に呆れた顔になってしまった。何故だ。呆れられるようなことをしてしまっただろうか。

 

思わず姿勢を正す私に、リーゼお嬢様は苦笑しながら話しかけてきた。

 

「……咲夜、メイド服は置いていきなさい。それにティーセットもいらないし、料理の道具も不要だと思うよ。」

 

「でも、リーゼお嬢様に御付きするんですから、絶対に必要になるはずです!」

 

「非常に嬉しい提案だが、メイド服の少女を侍らしている生徒ってのはあんまりいないかな。私はそんなことで注目されるのは嫌だよ。」

 

かなり呆れた表情で言うリーゼお嬢様に従って、渋々それらを取り出していく。必要だと思うのだが……。安物のティーセットはお嬢様方に相応しくないし、お料理だって私が作った方が口に合うはずだ。

 

私が取り出しているのを苦笑して見ながら、リーゼお嬢様が優しい口調で話しかけてきた。

 

「咲夜、キミは生徒としてホグワーツに行くんだ。使用人でもないし、私の手助けのためでもない。キミが学び、キミが楽しむのが一番大事なんだよ?」

 

「んぅ……それならやっぱりリーゼお嬢様の御付きをしたいです! 私にとって一番楽しくて、一番幸せな時間はお嬢様方に仕えている時なんですから。」

 

私が手を挙げて元気に言い放つと、リーゼお嬢様は苦笑を強めながら首を振る。

 

「キミは本当に……まあ、いいさ。好きにやりたまえ、咲夜。キミが望むことなら、私は反対しないよ。」

 

「はい!」

 

やった! 許可をいただけたぞ。後はグリフィンドールに入るだけだ。組み分けがあるらしいが……絶対に入ってやるからな。能力を使ってでもだ。

 

ふんすと鼻を鳴らしながら決意を固めて、再びトランクへと向き直る。かなり余裕ができたトランクを閉じたところで、リーゼお嬢様が立ち上がって私を促してきた。

 

「それじゃあ、行こうか。アリスは魔理沙を案内するってことだし、駅で合流だね。」

 

「はい、行きましょう!」

 

私も立ち上がってその背へと続く。そうだ、勉強も頑張らねばなるまい。なんたって魔理沙に負けるわけにはいかないのだ。

 

リーゼお嬢様のお世話に、勉強と能力の鍛錬。中々やることの多い学校生活に想いを馳せながらも、咲夜はゆっくりとホグワーツへの一歩を踏み出すのだった。

 

 

─────

 

 

「そりゃないぜ。」

 

マーガトロイド人形店の二階にある生活スペースで、霧雨魔理沙は情けない顔を浮かべていた。耐え難い話だぞ、それは。

 

「規則よ。一年生は箒を持っていけないの。」

 

これが理由だ。ここ数週間ですっかり世話になっている先輩魔女が言うには、私は相棒を学校に持っていけないらしいのだ。それは困るぞ。すっごい困るぞ。

 

「でもよ、私の知り合いは一年生でも選手になれたらしいぜ? 箒も無しじゃ選手なんて夢のまた夢だろ? 私もクィディッチをやりたいんだ。」

 

「まあ、そういう特例があったのは知ってるけど、基本的にはダメなのよ。」

 

「それは、不公平ってもんじゃないか?」

 

艶やかな相棒を握りながらがっくりと項垂れると、アリスがとりなすように語りかけてきた。

 

「それなら、飛行訓練で実力を見せればいいじゃない。その特例の子だってそうしたんだし、貴女だって実力が確かならチームに入れるはずよ。箒はそれから送ってあげるわ。」

 

こちらを覗き込みながら優しく語りかけてくるアリスに……仕方ないか。ゆっくりと頷いた。

 

ハリーは充分にチームでやっていける実力があると言ってくれたのだ。もしもグリフィンドールに組み分けされたなら、チームのキャプテンに話を通してくれるとも。今はその言葉を信じるしかない。

 

「分かったよ。でも、絶対にチームに入ってやるからな。その時はちゃんと送ってくれよ?」

 

「はいはい、楽しみに待っておくわ。」

 

クスクス笑うアリスを見ていると、なんだか自分が酷く子供っぽいことを言っているような気分になる。……くっそ、なんか小っ恥ずかしいぜ。

 

ちょっと赤くなった顔を背けてトランクに向き直り、残りの荷物を改めてチェックする。ローブ、よし。教科書、よし。望遠鏡に薬学の器具、よし。着替えもちゃんと入ってるし、あとは……。

 

「ほら、ふくろうは? それに安全手袋も。」

 

「おっと、忘れてた。」

 

アリスの指摘に、慌てて買い物袋に仕舞ったままの安全手袋を取り出して、寝室のポールハンガーにかけて置いたふくろうのカゴを持ってくる。

 

「えーっと、これで大丈夫だよな?」

 

「冬用のマントは? ちゃんと入ってる?」

 

おっと、またしても忘れてた。苦笑するアリスを尻目にマントを持ってきて……よし、今度こそ完璧だ。

 

「出来たぜ。完璧だ。」

 

「うーん、魔理沙はちょっと忘れっぽいわね。心配だわ。」

 

「あー……うん、それに関しては反論できんな。昔からなんだ。」

 

調合手順だの儀式魔法の準備だのは失敗しないのに、何故かこういう単純な場面でいつもポカをやってしまうのだ。我が頭ながら複雑怪奇だな。魅魔様にもよく怒られてたっけ。

 

頭を掻きながら言う私に苦笑したアリスは、急に優しげな表情を浮かべながら机に頬杖をついた。私を見つめるその瞳は……なんでか母親を思い出す瞳だ。ずっと前に死んでしまった母親を。

 

「……ねえ、魔理沙。ホグワーツは楽しみ?」

 

「そりゃあ楽しみさ。私はその為に来たんだしな。」

 

「そっか。」

 

んん? 特に意味のあるような質問じゃなかったと思うが、何故かアリスは満足そうに微笑んでいる。何かを懐かしむような柔らかい笑みだ。

 

「なんだよ、アリス。急にそんな雰囲気になっちゃって。」

 

「んー、魔理沙もきっと分かる日が来るわよ。ホグワーツを卒業して、何十年も経ったらね。あの学校に誰かを送り出せる気持ちが。」

 

「む……よく分からんぜ。」

 

「うん、今はそれでいいの。貴女ならきっと大丈夫よ。」

 

クスクス笑いながら言ったアリスは、立ち上がって大きく伸びをした。謎かけみたいな台詞だが、悪いことじゃないってのだけは理解できる。……何十年後か。考えたこともなかったな。

 

私は目の前に立つ魔女のようになれるのだろうか? 魅魔様の誇れるような魔法使いに、リーゼと対等に喋れるような魔法使いに。……参ったな。自分の目標が酷く遠く感じられてきたぞ。

 

下を見ても何にもいやしないってのに、上を見上げれば顔、顔、顔だ。ちょっと考え込んでしまった私に、アリスが困ったように笑いながら声をかけてくる。

 

「あら、今更不安になってきたの? 眉間にシワが寄っちゃってるわよ。」

 

「いや、ちょっとな。立派な魔法使いになれるかって、心配になってきたんだ。……アリスはどうだった? やっぱり色々苦労したのか?」

 

私の抽象的な問いかけに、アリスは顎に人差し指を当てながら宙を見上げた。

 

「んー……私はやりたい事があって、応援してくれる人もいたから。飛びっきりの師匠もいたしね。いつの間にかこんなところまで来ちゃってたわ。」

 

「才能あったのか? 私は……どうかな? アリスみたいな魔女になれると思うか?」

 

幻想郷では魅魔様と二人っきりでの修行だったが、ホグワーツじゃ同じような見習いは腐るほどいるのだ。その中には、私なんかよりもよっぽど才気溢れるヤツがいるのだろう。

 

……才能って言葉は私にとってのトラウマだ。その言葉を体現しているような友人がいるのだから。常に追い風を背に受け、ただの一つも失敗しない。一切の努力なしに、私を軽々と追い抜いていく友人が。

 

紅白の彼女を幻視する私の視界を、アリスの優しげな顔が塗り替えた。いつの間にか覗き込まれていたらしい。

 

「あのね、魔理沙。魔女は才能でなるものじゃないわ。努力で至るものよ。知識を積み上げて、意思でそれを支えるの。何度も何度も崩れるけど、その度に積み上げ直してね。その知識の上に立って新たな景色を見るために。……どうかしら? 貴女にはそれだけの努力ができる?」

 

「……出来るぜ。努力だけは得意なんだ。」

 

「それなら貴女は至れるわ。私は貴女の師匠じゃないけど、一つだけ教えてあげる。魔女に『終わり』は無いの。探求し続けなさい、魔理沙。全てを始まりだと思いなさい。あらゆる終わりを疑い続けなさい。……そうすれば、いつの間にか辿り着いているから。」

 

……今はっきりと理解できた。アリスは『本物』の魔女なんだ。私を覗き込む青い瞳には、途轍もない深さの知識が沈んでいるのが見える。きっと彼女が長い年月をかけて積み上げ続けてきた知識が。

 

遠い。遠いが……隔絶されてはいない。きっとこれは私にも辿り着ける場所なのだ。諦めずに積み上げ続ければ、きっと。

 

「ん。心に刻むぜ。」

 

「うん、結構。……参ったわね。教師の癖が残っちゃってるのかも。他人の生徒に口出しするのはこれくらいにしとかなきゃ。」

 

「私としては教われるなら教わりたいんだが……ダメなのか?」

 

そりゃあ私の師匠は魅魔様だが、イギリスにいる間だけアリスから教わるってのも魅力的な選択肢なのだ。流派的なのがあるんだろうか?

 

問いかける私に、アリスは首を振りながら答えを放った。顔には困ったような苦笑を浮かべている。

 

「ダメよ。私のやり方だと貴女は魔女になっちゃうわ。『本物』の魔女にね。」

 

「それは……いけないことなのか?」

 

「魔女にしか見えないものがあるように、人間にしか見えないものもあるの。私の師匠は魔女の道を選んだけど、私の恩師は人間としての道を選んだわ。どちらも比較できないほどに偉大な人物よ。……こればっかりは部外者が決めていいことじゃないの。私もきちんと自分で選ばせてもらったしね。だからこれは貴女と、貴女の師匠でよく話し合って決めなさいな。」

 

「んー、よく分からん。」

 

アリスの言い方だと、人間と魔女は全く違う生き物みたいな感じがしてくる。人間が基盤にあって魔女になっていくわけじゃないのか? ……やっぱりよく分からんな。魅魔様はそもそも人間じゃないし、その辺の話は詳しく聞いていないのだ。

 

首を傾げる私に、アリスは肩を竦めながら話を打ち切ってきた。

 

「ま、何れにせよ早すぎる話だわ。貴女はまだ一年生にもなってないんだから。先ずはホグワーツでの生活を楽しみなさい。」

 

「そりゃそうだ。とりあえずは授業についていかないとな。」

 

「そうそう。きちんと勉強を……ヤバいわね。ちょっと話に夢中になり過ぎたわ。急ぎましょう。」

 

急に焦り始めたアリスの視線を追ってみれば……わお、確かにヤバいな。既に予定していた出発の時間を大きく過ぎている。

 

「ほら、トランクを持ってきて頂戴。煙突飛行で行くわよ。」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ。煙突飛行ってのは初めてだぞ。練習なしでもちゃんと出来るのか?」

 

「魔女は度胸よ、魔理沙。」

 

慌ただしくトランクを引っ掴みながらも、霧雨魔理沙はホグワーツへの一歩を踏み出すのだった。

 



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賢いリーゼちゃんの決意

 

 

「おや、もう乗車時間になってたか。」

 

既に生徒が乗り込み始めているホグワーツ特急を見ながら、アンネリーゼ・バートリはポツリと呟いていた。

 

ガヤガヤとざわめきが響き渡る9と3/4番線のホームは、家族との別れを惜しむ生徒や新入生を心配そうに見送る親たちで溢れかえっている。もはや見慣れた光景だ。アリスやフランの送り迎えを含めると、何度見たかわからんほどだぞ。

 

とりあえず暖炉から離れて見知った顔がいないかと見渡し始めたところで、私に続いて出てきた咲夜が声をかけてきた。ぷるぷる頭を振ってるのを見るに、この子も煙突飛行は得意ではないようだ。

 

「アリスはいますか?」

 

「んー……まだ来てないみたいだね。ちょっとホームで待とうか。」

 

「はい!」

 

元気よく答えた咲夜に微笑みながら、手を引いてホームの隅のベンチへと移動する。……しかし、今年はやけに混んでる気がするな。ブラックが逃走中なことが影響しているのかもしれない。覆面の闇祓いとかも紛れているのだろうか?

 

人混みにうんざりしながらも何とか空いているベンチを見つけて、そこに荷物を置いて一息ついていると……おっと、先にハリーたちがお目見えだ。赤毛の集団がゾロゾロとマグル側の入り口からホームへと入ってきた。

 

どうやらウィーズリー夫妻は護衛任務を全うしたようで、漏れ鍋に泊まっていたハリーとハーマイオニーもきちんと集団に交じっている。ハリーは言わずもがなだし、ハーマイオニーも両親が忙しいせいで前乗りしていたのだ。ドリル夫妻の歯医者は案外繁盛しているらしい。

 

レミリアの情報が正しければ、ここまでの道中では闇祓いも同行していたはずだ。フランの話を聞いた後では過保護すぎるようにも感じてしまうが、凶悪犯が狙っている可能性があるのだからやむを得ない処置なのだろう。

 

というか……煙突飛行で来なかったあたり、軽く『撒き餌』として使われている感があるな。スクリムジョールの企てか? レミリアによれば『必要な安全は確保する人物』とのことだったが、この分だとちょっと怪しいぞ。

 

まあ、何にせよここまで来れば安全なはずだ。魔法使いがウジャウジャいるこのホームで騒ぎを起こす馬鹿はいないだろうし、ホグワーツ特急は前回の戦争の経験を糧に堅牢な造りへと生まれ変わっている。そして今から向かうホグワーツは言わずもがなだ。

 

アーサー・ウィーズリーに何かを話しかけられているハリーをぼんやり眺めていると、私を見つけたハーマイオニーとロンが近付いてきた。……ロンのやつ、かなり背が伸びてるな。あんまり並ばないように気をつけなければ。私がチビに見えてしまう。

 

「リーゼ、早いのね!」

 

「よう、リーゼ! 久しぶりだな!」

 

元気いっぱいに手を振ってくる二人に返事を返しながら、後ろに控える咲夜をそっと押し出して自己紹介をさせる。

 

「やあ、二人とも。また会えて嬉しいよ。こっちは今年入学の、サクヤ・ヴェイユ。私の……家族だ。ハーマイオニーは見たことがあったかな?」

 

「ええ、一年生の時にちょっとだけ顔を合わせたわね。改めて、ハーマイオニー・グレンジャーよ。よろしくね?」

 

ニコニコ言うハーマイオニーに続いて、ロンも笑顔で口を開く。頼れるお兄さんを演出したいのかは知らんが、ちょっと胸を張り気味だ。毛玉だらけのシャツが目立っちゃってるぞ。

 

「ロン・ウィーズリーだ。よろしくな。」

 

「はい、サクヤ・ヴェイユと申します。よろしくお願いしますね。」

 

ぺこりと礼儀正しくお辞儀した咲夜は、そのまま顔を上げてとんでもないことを口にし始めた。

 

「リーゼお嬢様の従者です!」

 

おおっと、咲夜。そりゃあ出発前に話は聞いていたが、自己紹介でいきなりブッ込んでくるとは思わなかったぞ。初っ端から飛ばすじゃないか。

 

ハーマイオニーとロンの反応は……何故かハーマイオニーは得心いったというように頷き、ロンはポカンと大口を開けている。良かった、引かれてはいないようだ。

 

静々と私の後ろに下がった咲夜を見て、ハーマイオニーが然もありなんとばかりに呟いた。

 

「前に会ったときはメイド服を着てたもんね。代々続く使用人の家の娘さんとかなんでしょう? そういうの、本で読んだことがあるわ。」

 

「いやいや、咲夜のこれは……まあ、趣味みたいなもんだよ。立場的には私と対等さ。そのつもりで接してあげてくれるかい?」

 

「えぇ……? そうなの? それじゃあ、その……どういうこと?」

 

一転して意味不明だとクエスチョンを浮かべるハーマイオニーに、物凄く噛み砕いた説明を放つ。

 

「つまり、咲夜も私と同じ感じの『お嬢様』なんだけど、将来の夢が使用人なんだよ。だからこんなことをしているんだ。……深く考えないでくれ、ハーマイオニー。分かり難いのは自覚してる。」

 

「あー……分かったわ。いや、分かんないけど。分かったわ。」

 

ぼんやりとした説明にぼんやりとした返事を返したハーマイオニーは、微妙な表情をしながら肩を竦めた。ま、一から十まで話してたら日が暮れるのだ。適当に理解してくれれば充分だろう。

 

大口を開けていたロンもまた、私と咲夜を見比べながらコクコク頷く。

 

「ママが聞いたら羨ましがるぜ。従者? そんなの初めて見たよ。存在は知ってたけど……従者か。物語の存在じゃなかったんだな。」

 

ロンにとっての従者は、邪悪なドラゴンやら囚われのお姫様とかと同格の存在らしい。私から見ればウィーズリー家の理不尽さの方がよっぽど物語なわけだが……。

 

こちらの話がひと段落ついたところで、アーサーから解放されたハリーが近付いてきた。何を話されたのかちょっと暗めの表情だったが、私を見て元気を取り戻したようだ。ブラックに狙われているとでも言われたか?

 

「やあ、ハリー。元気そうだね。」

 

「リーゼ! 会えて嬉しいよ。」

 

ハリーにも咲夜のことを紹介しようとすると……その前に咲夜がずいっと進み出て口を開く。

 

「私、サクヤ・ヴェイユです。貴方には負けませんから!」

 

最後にふんすと鼻を鳴らした咲夜は、それだけ言い放つと再び私の後ろに戻ってしまった。あー、なんだ? 咲夜とハリーは初対面のはずだぞ。……いや、一方的には知ってるんだったか?

 

思わず後ろを振り返ってみると、咲夜は『言ってやりましたよ!』みたいな満足気な表情を浮かべている。全くもって意味不明だが……うーむ、かわいい。なんか全てを許しちゃいたくなる表情だ。

 

「えっと……? ハリー・ポッターです。よろしく?」

 

顔に大量の疑問符を貼り付けたハリーにアイコンタクトで気にするなと伝えていると、ロンが微妙な空気を取りなすように口を開いた。

 

「えっと、それじゃあ行こうぜ。急がないと席が埋まっちゃうよ。」

 

「ああ、すまないが先に行っててくれ。もう一人新入生に知り合いがいるんだ。」

 

「ありゃ、そうなのか。そうすると……席が足りるかな?」

 

私の返答に、ロンが全員を見回しながら首を傾げる。ふむ、確かに多いな。去年の様子だとルーナも来そうだし、そうなると七人。片面四人ってのは結構キツそうだ。

 

「それなら尚更空いてる席を取っておかないと。急ぎましょう!」

 

脳内で私と同じ答えを弾き出したらしいハーマイオニーに続いて、ハリーとロンも列車へと入って行く。頼んだぞ、先遣隊諸君。青白ちゃんやロングボトムくらいなら追い出しても構わんからな。

 

「ちゃんと後から来てね、リーゼ!」

 

「ああ、場所取りは任せたよ。」

 

列車に片足を入れながら言ってくるハーマイオニーに返事をしてから、再び咲夜と二人でアリスを待つ。……しかし、結構遅いな。時間に几帳面なアリスにしては珍しいことだ。一時間前からそわそわし出して、三十分前には既に待ってるタイプの子なのに。

 

「アリスにしては遅いね。」

 

ポツリと呟くと、咲夜はちょっと苦々しげな顔になって口を開いた。

 

「きっと魔理沙のせいですよ。アリスを困らせてるに決まってます!」

 

「おや、咲夜は魔理沙が嫌いなのかい?」

 

「嫌いっていうか……ちょっと苦手です。」

 

「ふぅん?」

 

そういえば、アリスがいい刺激になるはずだと言ってたっけ。アリスとヴェイユ、フランとコゼットというよりかは、私とレミリアのような関係なのだろう。助け合うのではなく、競い合う感じの。

 

何にせよ、いいことだ。この子は少々閉じた世界で育ちすぎた。もう少し色々な人間とも関係を持つべきだろう。吸血鬼の館で箱入り娘だなんて、私にだってダメなことが分かるのだ。

 

魔理沙のことでも考えているのだろうか? ちょっとだけぶすっとしている咲夜に微笑んでいると、件の金髪二人組がようやく暖炉から現れた。一緒に出てくるのを見るに、煙突飛行についてをレクチャーしていたようだ。

 

ふむ。……並べて見ると、魔理沙の方はほんの僅かだけ茶色が入っているな。それにしたって大した違いはないが。アリスの年齢を知らなければ姉妹にも見えるかもしれない。

 

「ほら、来たみたいだよ。」

 

咲夜に声をかけてから荷物を持って近付いてみれば、向こうもこちらに気付いたらしい。アリスは和かな笑みで、魔理沙はちょっと怯んだような顔で、それぞれ声をかけてくる。

 

「リーゼ様、お待たせしました。」

 

「あっと、待たせたな、リーゼ。あー……遅れてすまんかった。」

 

「別にいいさ。というか、キミはどうしてそんなにビビってるんだい? 私はまだ何にもしていないはずだが……。」

 

続いて咲夜に声をかけ始めたアリスを横目に、魔理沙へと質問を飛ばしてみると……彼女はちょっと気まずそうに頰を掻きながら返答を返してきた。

 

「『まだ』、ね。一応初対面で軽く脅されたような覚えもあるんだが……まあ、癖みたいなもんさ。幻想郷育ちってのは妖力には敏感なんだよ。あそこじゃ、この感覚が鈍いヤツは人里以外じゃ生きていけないからな。」

 

「ふぅん。気になる話だが、今後の楽しみに取っておこう。」

 

妖力に対する感覚の違いか。中々興味をそそられる話だが、幻想郷のことを聞き出す過程で出てくるだろう。焦る必要などない。

 

心の中の質問リストに新たな項目を記載したところで、アリスの咲夜に対する注意もひと段落したらしい。危ないことをしない、校則を守る、勉強を頑張る、か。ハリーに聞かせるべきかもしれないな、それは。

 

「それじゃ、行ってくるよ。」

 

「行ってくるね、アリス!」

 

「行ってくるぜ。」

 

出発直前の汽笛と共に私が言うと、咲夜と魔理沙も同じような言葉を放つ。それを聞いたアリスは、ニッコリ微笑みながら満足そうに頷いた。

 

「楽しんでらっしゃい、咲夜、魔理沙。リーゼ様はお仕事の方も頑張ってくださいね。」

 

ひらひらと手を振るアリスに背を向けて、三人で赤い車体へと乗り込む。さて、お次はコンパートメントの捜索だ。ハーマイオニーたちが上手く空席を見つけていればいいのだが……。

 

キョロキョロと興味深そうに車内を見回す二人を制御しながら、次々とコンパートメントを覗き込んでいく。いくつかの見知らぬ生徒たちを通り過ぎたところで……おっと、ウィーズリーの双子だ。ジョーダンと三人で今日も元気に悪巧みをしているらしい。

 

「やあ、ドッペルゲンガーさんたち。キミたちのかわいい弟を知らないかい?」

 

「よう、アンネリーゼ。もう一個先の車両で見たぜ。レイブンクローの不思議ちゃんも一緒だ。」

 

「どうも、双子のどっちかさん。」

 

ジョージだよ! という声を背にしながら、言われた方向へと歩き出す。不思議ちゃん……ルーナも合流済みというわけだ。分かりやすいあだ名じゃないか。

 

言われた通りに一個先の車両を探してみると……いた。いつもの三人組と不思議ちゃんがお喋りしている。ルーナの服装は今日も凄いな。何故か鎖が巻き付いてるぞ。

 

「席が取れたようでなによりだよ。……それと、久しぶりだね、ルーナ。」

 

「アンネリーゼだ。ウン、久しぶりだね。」

 

先ずはルーナに挨拶を送ってから、トランクを荷棚に載せようと奥へ進むが……その前に魔理沙が驚いたような声を放った。

 

「あれ、ハリー? リーゼと友達だったのか?」

 

「マリサ? それじゃあ、知り合いの新入生って君だったの?」

 

なんだ? ハリーと魔理沙は既に顔見知りだったのか? 謎の接点に首を傾げながらも、二人の会話を背にとりあえず荷物を……やっぱり狭いぞ、これは。基本的には四人で、最大でも六人で座るコンパートメントなのだ。七人乗りってのは些か以上に手狭になってしまう。

 

今度は咲夜と魔理沙がルーナからの素っ頓狂な自己紹介を受けているのを尻目に、モゾモゾと位置調整をしている三人に向かって言い放つ。

 

「席替えが必要だね。小柄な四人がこっち、三人はそっちだ。それが比較的マシな選択肢だろう。」

 

「そうね。細かい荷物はこっちに置いて頂戴。……ロン、貴方はなんでそんなに大きくなっちゃったのよ。」

 

「あのな、ハーマイオニー。僕は縦に伸びたんだ。横じゃないぞ!」

 

わちゃわちゃと狭いコンパートメントを動き回って、ようやく席が決定した。私とハーマイオニーが窓際で、ハーマイオニー側はハリー、ロンの順。私の方は咲夜、ルーナ、魔理沙の順だ。狭いっちゃ狭いが、これなら僅かな余裕もある。

 

やっと一息つけるぞ。ロンが新しい杖を取り出して自慢しているのを他所に、風景の流れる車窓へと目を向ける。既にロンドンの中心部は遠ざかり、ちらほらと緑が増えつつあるようだ。

 

……今年は油断しないからな。もう平和な一年などとは言わん。今年やるべきなのは『ブラック問題』の早期解決だ。ホグワーツまで来るとは思えんが、一応ダンブルドアと話し合う必要はあるだろう。フランに怒られるような結末だけは避けねばなるまい。

 

賢いリーゼちゃんは学習したのだ。どうせ問題は起きるのだから、さっさと解決して後半だけでもゆっくり過ごす。これこそ正しい選択なのである。夏休みの宿題と一緒だ。

 

去年のような失敗はすまいと内心で誓いながら、アンネリーゼ・バートリは三年目の学生生活へと運ばれて行くのだった。

 




色々調べたせいなのか、ページ下にコウモリ駆除の広告が出るようになっちゃいました。


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吸魂鬼

 

 

「へえ、それならグリップを付けたほうがいいのか?」

 

揺れるホグワーツ特急の車内で、霧雨魔理沙は二人の上級生へと質問を放っていた。

 

全員と自己紹介をし合った後、コンパートメントの会話は自然と二つに分かれたのだ。私、ハリー、ロンのクィディッチ談義と、リーゼ、ハーマイオニー、咲夜、ルーナのお勉強談義である。まあ……向こうは談義というよりかは、ハーマイオニーの『独演会』に相槌をうっているのに近いが。

 

この短時間で初対面の数人の性格は概ね理解できた。ハーマイオニーは勉強好きの努力家。ロンはクィディッチが好きで流されやすく、ルーナはオカルト好きで突拍子がない。

 

普通は似通った連中でグループを作るもんだと思うが……このコンパートメントは実に個性豊かだ。リーゼ、咲夜、ハリーを加えるとそれはより顕著になる。

 

うん、嫌いじゃない。私はこういうごちゃごちゃしている感じが大好きなのだ。画一的でつまらんよりはよっぽどマシだぜ。

 

「そうそう、ブラッジャーに狙われた時のダッチロールで役に立つんだよ。雨の試合なんかじゃ滑るから、特にね。」

 

私の疑問に実体験で答えるハリーに、ロンが補足を付け加えた。

 

「それにさ、片腕で飛ぶ時なんかはあるとないとじゃ全然違うぞ。どのポジションでも機会はあるんだし、グリップは付けた方が絶対にいいよ。」

 

「ふーん。それなら買ってみるか。つってもまあ、休暇まで待たないとだけどな。」

 

「ちょっと待ってなよ、確か入れてきたはずだ……。」

 

言いながらごそごそとトランクを漁り始めたロンは、やがて分厚い雑誌のようなものを取り出した。ルーナが読んでるやつの五倍は厚いぞ。カラフルな表紙には飛び回るクィディッチの選手が描かれている。

 

「ほら、これさ! 今年のクィディッチ用品カタログだよ。今年はお金に余裕があるからって、ダメ元でママに頼んだら買ってもらえたんだ。」

 

ロンが広げたカタログとやらは……こりゃすげえ。箒そのものから細々としたアタッチメント、お手入れの器具に練習道具。ありとあらゆるクィディッチ用品が載ってるようだ。しかもカラーで。

 

「すごいよ、ロン! 海外のも載ってるじゃないか!」

 

「これってこっちじゃ売ってないんだよな? 自動パス機能付きクアッフル? ……欲しいぜ。」

 

目をキラキラさせて覗き込む私とハリーに、ロンは得意げに一つ一つの説明を始める。『今年の』ってことは来年も出るわけだ。これは絶対に買わねばなるまい。

 

「凄いだろ? プロ用の公式球とか、あとはほら! 来年のワールドカップで使われる予定のスニッチだって買えるんだ。ジョージがプレミアが付くから今のうちに買っとけって言うんだけど、全員のお小遣いを足しても……ありゃ、起きちゃったか。」

 

と、説明するロンの胸ポケットからモゾモゾとネズミが這い出てきた。何と言うか……死にそうだな、こいつ。ポケットから出るのも一苦労といったご様子だ。

 

「そいつ、ロンのペットなのか?」

 

「うん。スキャバーズって言うんだ。ただ、最近元気がなくてさ。……どうした? スキャバーズ。お腹が減ったのか?」

 

「随分とくたびれてるな。入学した時に買ってもらったとか?」

 

「いや、兄からのお下がりなんだよ。もう十年以上は生きてるんだ。……ほら、とりあえずこれを食べなよ。学校に着くまでもうちょっと我慢してくれ。」

 

十年以上? 普通のネズミなら二、三年で死ぬはずだが、魔法界じゃ寿命も長いんだろうか? そういえば魅魔様の使い魔も長生きだったし、案外そういうもんなのかもしれない。知らないことはまだまだありそうだ。

 

ロンから車内販売で買ったかぼちゃパイの欠片を受け取ったネズミは、そのまま再びポケットの中へと……何だ? 急にリーゼたちの方を見て硬直してしまったぞ。死んだか?

 

「いきなり固まったけど、死んでないよな?」

 

「まさか。ちょっとボケちゃってるだけだよ。……おい、スキャバーズ? どうしちゃったんだ?」

 

ちょんちょん突くロンにも構わず、ネズミは未だに固まったままだ。何となく視線を追ってみれば……どうも咲夜の動きを目で追っているらしい。殆ど沈んだ夕陽に反射する銀髪でも気になるのか、口を開けてポロリとパイの欠片を落としてしまっている。

 

「栄養ドリンクは飲ませたの? ダイアゴン横丁で買ったんでしょ?」

 

「今朝飲ませたんだけど、味が嫌いなのかあんまり飲んでくれないんだよ。ひょっとしたらポケットが嫌なのかも。……トランクに戻るか?」

 

ハリーに答えながらロンがトランクの近くまで運ぶと、ようやく再起動したネズミはノロノロとトランクの中へと入って行った。……しかし、栄養ドリンク? ネズミが? やっぱりここは変な世界だな。

 

「まあ、そのうち元気になるよ、うん。……それよりほら、カタログの話に戻ろうぜ。注文書だって付いてるんだ。」

 

微妙な空気を吹き飛ばすかのように、ロンが再びカタログを突き出してくる。……ま、爺さんネズミってのも大変興味深いが、確かに今はカタログの方が大事だ。物事には優先度というものがあるのだから。

 

「なあなあ、それって決まった店でも注文できたりすんのか? 世話になった店があるから、出来ればそこで買いたいんだよ。」

 

「もちろん出来るさ。ほら、注文書のここに──」

 

夢が満タンに詰まったカタログを見ながら、三人のクィディッチ談義は白熱していくのだった。

 

───

 

「──だから結局反則になっちゃったんだよ。それを逆手に取って、トマトを相手のシーカーにぶつけようとした選手もいたんだけど……うん、上手くいかなかったな。トマトはブラッジャーよりかは避けやすいしね。……あれ? なんかスピードが落ちてないか?」

 

クィディッチ用品についての話がひと段落して、会話のメインが奇妙な反則行為に移り始めたところで、何故かホグワーツ特急が速度を落とし始めた。滑らかとは言い難い、ガクンガクンと速度を落とす感じだ。

 

トマトをぶつけようとした馬鹿なビーターの話をしていたロンがそう言うのと同時に、ハリーも窓を見ながら口を開く。初めてだからよく分からんが、この様子だと到着したわけではないのだろう。

 

「おかしいな。ホグワーツまではもうちょっとあるはずだよ。……故障とか?」

 

なんか幸先悪いな。つられて私も窓の方を……おいおい、リーゼが険しい顔をしているのが目に入ってきた。あの吸血鬼の険しい顔ってのは、私にとっては充分すぎるほどの危険信号だ。

 

「あー、リーゼ? なんか知ってるのか?」

 

思わず私が声をかけると、リーゼは窓の外を見たままで背中越しに返事を返してくる。

 

「さぁね。だが……ホグワーツ特急はちょっとやそっとじゃ止まったりしないのさ。おまけに外は雨だ。クソッたれめ。」

 

「雨だとなんかヤバいのか? こんなもんちょっとした小雨だろ?」

 

「……雨は嫌いでね。」

 

なんだそりゃ。濡れるのが嫌なのか? 窓の外は確かに小雨……というか、私の苗字と同じ霧雨が降っている。この程度魔法でどうにか出来ないのかを聞こうとした瞬間、列車が完全に停止すると同時に車内の明かりが消え失せた。つまり、真っ暗だ。

 

「ちょっ、見えないわ! 私の杖はどこ?」

 

「ン、それは私のお尻だよ、ハーマイオニー。」

 

慌てるハーマイオニーと無感動なルーナのやり取りの後、コンパートメントの中が明かりで照らされる。リーゼだ。恐らく何かの魔法なのだろう、杖先に明かりを灯している。

 

「落ち着きたまえ。それと……一応杖を持っておいた方がいいね。」

 

全員にというか、ハリー、ロン、ハーマイオニーにそう言ったリーゼは、窓際からドアの前へと移動した。その言葉を受けたハリーたちも、残った三人を庇うように杖を構えて通路側に陣取る。ルーナもその後ろ……つまり、私と咲夜の前にスルリと出てきた。

 

この配置は、私と咲夜が下級生だからってことか? ……ありがたいのと、情けないのが半々ぐらいの気分だぜ。まあ、仕方があるまい。残念ながら私は明かりを灯す事さえ出来ないのだ。

 

それでも一応杖を構えていると、隣の咲夜が……ナイフ? どっから取り出したのかナイフを手渡してきた。なんだこいつ。いつもこんなもんを持ち歩いてるのか?

 

「持っておきなさいよ。杖よりマシでしょ?」

 

「おまえ、何でこんなもん持ってんだよ。危ないヤツだな。」

 

「使用人の嗜みよ。」

 

絶対嘘だ。外の世界には詳しくないが、少なくとも霧雨道具店の下働きはナイフなんか持ってはいなかったぞ。しかもなんか凶悪な形のナイフを。

 

とはいえ、確かに今の私にとっては杖よりかは役立つだろう。素直に受け取ったそれを利き手に持ち替えていると……おい、今度はなんだよ? 気温が一気に下がり始めた。

 

「寒いわね。」

 

「ん? そうかい?」

 

ハーマイオニーの呟きに、リーゼがキョトンとした顔で首を傾げる。こんなに急激な変化だってのに、あいつは気付いていないのか?

 

「きっとノースアームが入ってきたんだよ。冷気を纏ってるんだもん。二十本の腕で人間を食べちゃうんだ。」

 

「そうじゃないことを祈るよ。ここに居る全員合わせても腕の数じゃ勝てなさそうだしね。」

 

ルーナの素っ頓狂な予想をハリーが苦笑混じりに流したところで、通路側のドア窓に黒い影が映った。ひらひらとして、なんだか頼りない感じの影だ。マント、か?

 

「ちっ、仕事熱心なことだな。」

 

苛ついた声でよく分からないことを口にしたリーゼは、身振りで自分以外の全員を窓際へと移動させる。同時にドアがゆっくりと開いて……黒いフードを被ったそいつが、ゆっくりと私の方を見た。

 

視界が狭まる。それに、寒い。凍りつくような寒さの中、リーゼのそいつに話しかける声がどんどん遠ざかり──

 

 

二つの叫び声。一つは私。一つは……。

 

『逃げなさい! 早く!』

 

『やだ! お母さんも一緒じゃないとやだよ!』

 

『いいから行くの。走りなさい! 絶対に振り向いちゃダメよ。』

 

三つか四つの頃の私が、真っ暗な道をひたすら走る。人里の明かりが遠くに見えて、それで……。

 

男の声。けーね先生の怒声。

 

『上白沢先生! 急いでください!』

 

『やめろ、妖怪! その子を離せ!』

 

そして、振り返った私は真っ赤に染まったそれを──

 

 

「エクスペクト・パトローナム!」

 

微かに聞こえたリーゼの声と共に、霧雨魔理沙の視界は闇に沈んでいった。

 

 

─────

 

 

「ちっ、仕事熱心なことだな。」

 

近付いてくる吸魂鬼を窓越しに見ながら、アンネリーゼ・バートリは身振りで他の全員を下がらせた。

 

ダンブルドアはこいつらの介入をどこまで許したんだ? ホグワーツ特急で臨検とは、随分と強引な手を打ってくるじゃないか。アズカバンは面子を潰されてお怒りか。

 

そのまま通り過ぎろと念じるが……何故か吸魂鬼はコンパートメントのドアを開ける。そのまま身を乗り出して入って来ようとする吸魂鬼を杖で抑えながら、一応警告の声を放った。

 

「ここにはブラックはいない。見て分からないのか? ……ああ、見えないんだったね。そんなんだから脱獄されるんだよ、能無しめ。」

 

おっと、思ったよりも罵倒っぽくなってしまったな。……まあ、構うまい。こいつらのことは好きではないし、そもそも言葉を理解しているかすら怪しいもんだ。アズカバンじゃどうやって制御してるのやら。

 

私の言葉に、しばしこちらをジッと見つめる吸魂鬼だったが、やがて再びコンパートメント内に押し入ってこようとする。なんなんだよ、一体。当然ながら感情が読み取れんので、何をしたいのかがさっぱりだぞ。

 

「いい度胸じゃないか。警告はしたぞ?」

 

これだから脳みそが無いヤツってのは嫌いなんだ。言葉と共に杖を向けて、紅魔館のことを思い出しながらくるりと回す。パチュリーから習い始めた頃は苦手だったが、今の私にとってこの呪文は苦ではない。幸せな記憶なら腐る程あるのだから。

 

「エクスペクト・パトローナム!」

 

途端に杖先から出てきた小さな銀色のコウモリが、勢いよく吸魂鬼へと襲いかかった。幸福そのものを実体化させた守護霊は、恐怖を餌食にする吸魂鬼にとっては相容れない存在なのだ。よく考えたら色んな妖怪に効きそうだな、これ。

 

怯む吸魂鬼を執拗に襲い続けるコウモリは、やがて通路の先まで吸魂鬼を追い払っていく。コンパートメントから身を乗り出してそれを見届けた後、再び中へと戻ってみれば……おや、死屍累々だな。ハリーと魔理沙は気絶しているようだし、他の全員もガクガク震えている。

 

「ロン、さっき蛙チョコレートを買ってただろう? まだ残ってるかい?」

 

車内販売の時を思い出しながらロンに声をかけると、彼は震えたままで肯定の頷きを放ってきた。

 

「の、残ってるけど。どうして? それに、さっきのは?」

 

「疑問は後で聞くさ。先ずはチョコレートを全員で分けるんだ。実に意味不明なことだが、吸魂鬼の恐怖に対してチョコレートが有効なのは実証済みだしね。」

 

「きゅ、吸魂鬼? ……分かった。今分けるよ。」

 

真剣な表情で言ってやると、ロンはコクコク頷きながらも残ったチョコレートを砕き始めた。それを横目に、先ずはハリーと魔理沙の診察に移る。

 

まあ、問題ないだろう。キスされたわけじゃないんだし、強い恐怖を味わっただけのはずだ。しかし……ハリーは何となく分かるが、魔理沙も? この子も何かしらのトラウマを抱えているのだろうか?

 

二人を椅子に寝かせようと持ち上げていると、いち早く立ち直ったルーナと咲夜が手伝ってくれる。この二人はそこまでの影響を受けなかったようだ。

 

「咲夜とルーナは平気だったのかい?」

 

「私は大丈夫です! ちょっと怖かったですけど……ちょっとだけでした!」

 

「ウン、パパが言ってたんだ。吸魂鬼を見たら何も考えるなって。心を空っぽにして、閉ざせって。それをやってみたんだもん。」

 

「お見事、ルーナ。キミの父は優秀だね。」

 

私が褒めると、ルーナはちょっと照れくさそうに顔を伏せた。守護霊の呪文を使えないなら実際有効な対処法だろう。

 

しかし、咲夜はよろしくないな。吸魂鬼に影響され難いということは、彼女は恐怖を正しく認識していない可能性がある。あれは恐怖そのもののはずだ。我々吸血鬼や妖怪なんかが影響されないのはともかく、人間の咲夜はむしろ影響される方が正常だろうに。

 

こんなところにも吸血鬼の館で育った弊害があったわけか。……恐怖を恐怖として受け取れないのはかなりの問題だぞ。防衛機能の一つがまともに働いていないようなものだ。前途多難だな、まったく。

 

褒めて欲しそうな咲夜に微笑んでしまうのをなんとか我慢しながら、二人と一緒にハリーと魔理沙を左右の椅子に寝かせてやった。蘇生呪文は……やめとくか。放っておいても目覚めるだろうし、それなら無理に起こさないほうが良かろう。

 

二人にもチョコレートを食べるように言ってから再び通路を警戒していると、チョコのお陰で立ち直ったらしいハーマイオニーが声をかけてきた。

 

「……あれが吸魂鬼なのね。私、その……怖かったわ。凄く。あれが覗き込んできた瞬間、嫌な思い出がぶわっと溢れてきたの。」

 

情けなさそうに言うハーマイオニーに、苦笑しながら口を開く。

 

「それはキミが恐怖を知っているということさ。恥じる必要はないよ、ハーマイオニー。恐怖を知らない者はそれを避けることも、立ち向かうこともできないんだから。」

 

「うん……きっと、ハリーと魔理沙は辛い経験をしたんでしょうね。私なんかよりもずっと。」

 

二人を心配そうに眺めるハーマイオニーだったが、ふと気付いたように私に向き直った。

 

「でも、リーゼは? 吸血鬼だから平気だったの?」

 

「そんなとこだよ。長命な生き物ってのは総じて心が頑丈なのさ。まあ……うん、頑固とも言うかな。他者からの影響を受け難いんだよ。」

 

それに、吸血鬼が恐怖にビビってちゃあ世話がないのだ。我々はそれを受け取る側ではなく、与える側なのだから。そも恐怖ってのはあらゆる妖怪の根幹に関わる感情なわけで、一々それに影響を受けてたら生きていけんぞ。

 

「それは……良いことなのよね?」

 

何故か心配そうな顔になるハーマイオニーに、彼女の頰に手を当てながら声をかける。聡い子だ。きっと長命なことのデメリットを汲み取ったのだろう。出会いと、死別。そのための心の強さだと気付いたらしい。

 

「大丈夫だよ、ハーマイオニー。私にはその心配は不要だ。」

 

だが私にはレミリアやフラン、パチュリーにアリス、それに小悪魔と美鈴が居る。そして咲夜は……分からないな。これに関しては彼女が決めることだ。誰も強制するつもりはないし、するべきでもない。

 

なおも少し心配そうなハーマイオニーだったが、通路から響く足音で真剣な表情へと変わる。

 

「誰かしら?」

 

「少なくとも吸魂鬼じゃないね。監督生とかかな?」

 

足音って時点で吸魂鬼は有り得ないし、私の感覚もその主が人間だと告げているのだ。心配はあるまい。

 

足音の主は隣のコンパートメントを確認した後、私たちのコンパートメントへと向かってきた。ドアが開くと……おや、リーマス・ルーピンだ。噂のヨレヨレ君がひょっこりドアから顔を出している。

 

「君たちは大丈夫だったかい? ……ハリー? それに……まさか、コゼット?」

 

室内の面々を見回した後、先ずは横たわるハリーに目を留めて驚愕の表情を浮かべた後、咲夜を見て信じられないとばかりに硬直してしまった。無理もあるまい、咲夜は母親に生き写しなのだ。

 

首を傾げる咲夜に代わり、私が前に出て説明を始める。

 

「それは咲夜だよ、ルーピン。フランから手紙は受け取っているだろう?」

 

「サクヤ……そうか、君がサクヤか。そして貴女が、あー……なんと呼べば?」

 

「バートリでいいよ。教師だろう? キミは。」

 

この男はダンブルドアから事情を聞いているはずだ。どうやらそれは確かだったようで、かなりやり辛そうにしながらも私に疑問を放ってきた。

 

「それじゃあ、その、バートリ。何があったんだい?」

 

うーん、演技力はハグリッド以上、マクゴナガル以下ってとこだな。新たな大根役者の登場に苦笑しながら、説明の続きを話し始める。

 

「アズカバンの看守がお外に出られてはしゃいでいるようでね。おやつ欲しさにコンパートメント内まで押し入ってきたんだよ。お陰でハリーと魔理沙……こっちの新入生だ。この二人は絶賛気絶中ってわけさ。」

 

「……嫌な連中だ。ダンブルドア先生は車内にまで入ってくるのを許してはいないはずなのに。今チョコレートを──」

 

懐からマグル製の板チョコを取り出したルーピンに、ようやく落ち着いてきたロンが待ったをかけた。

 

「もう食べました。ハリーと魔理沙の分も残ってます。」

 

手元を見れば、きちんと二人分を包み紙の中に残している。大事そうに確保しているのを見るに、どうやらロンはクィディッチ仲間たちを心配していたらしい。

 

「そうか。それじゃあ、私は他のコンパートメントを見てこよう。起きたら必ず食べさせるように、いいね?」

 

言ってからもう一度ハリーと咲夜を複雑そうな表情で見たルーピンは、それを振り切るようにコンパートメントを出て行く。死んだ友人たちに瓜二つの生徒か。どんな気持ちでいるのやら。

 

「えっと、あの人は私のお母さんと知り合いなんですか?」

 

ルーピンが出て行ったドアを見ながら聞いてくる咲夜に、その頭をさらりと撫でて答えを返した。

 

「ああ、その通りだ。父親ともね。そしてハリーの父親もホグワーツで同じ学年だったのさ。」

 

「……そうですか。」

 

何かを考えながらドアを見つめる咲夜を他所に、それを聞いていたハーマイオニーが口を開く。興味深げな表情だ。

 

「不思議なご縁ね。ちょっと頼りない感じの見た目だったけど……防衛術の新しい先生なのかしら?」

 

「まあ、アリスには劣るだろうけどね。少なくともクィレルよりは遥かにマシなはずだよ。」

 

「うーん、差がありすぎて、判断に迷うわね。」

 

ハーマイオニーが苦笑したところで、車内の明かりが復活してゆっくりと列車が動き始める。やれやれ、ようやく出発か。

 

眠るハリーの鼻に心が落ち着くとかいう薬草を詰め込み始めたルーナを眺めつつ、アンネリーゼ・バートリはやはり今年も楽できそうにないなと嘆息するのだった。

 



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エクリジス

 

 

「でも、ロンやハーマイオニー、ルーナやサクヤは倒れなかった。そうだろう?」

 

セストラルに牽かれる馬車の中でハリーが情けなさそうに呟くのを、アンネリーゼ・バートリは苦笑しながら聞いていた。どうやら私は比較対象にも入れてもらえなかったらしい。

 

ホグワーツ特急に吸魂鬼が遊びに来てから数十分後。馬鹿みたいな『恒例行事』へと向かって行った咲夜と魔理沙の一年生コンビと別れ、残りの五人で城へと向かう馬車に乗り込んだのである。無論、ぎゅうぎゅう詰めだ。

 

その辺でようやくショックから立ち直ったハリーは、自分が気絶してしまったことを恥じ入り始めたのだ。今も額の傷痕をさすりながら落ち込んだ顔を隠そうともしていない。

 

泥濘んだ地面を車輪が進む音を背に、ロンが取りなすように声を放った。

 

「マリサだって気絶したぜ。気にするなよ、ハリー。個人差ってもんじゃないかな。」

 

「マリサは一年生だ。気絶したって仕方ないよ。誰もバカにしたりやしない。でも、僕は……三年生じゃないか。」

 

ロンの慰めも梨の礫のようだし……仕方がない。一度瞑目して父上から聞いた話を思い出しながら、ゆっくりとそれを語り出す。とある愚かな人間の失敗談。吸血鬼にとってはちょっとした笑い話だ。

 

「昔、ある所にエクリジスという闇の魔法使いがいた。その男は北海の小さな孤島に要塞を築き、近くを彷徨くマグルの漁師たちを攫って、自分の『実験』に使っていたんだ。……分かるだろう? 現在のアズカバンさ。」

 

突如として話し始めた私にキョトンとする四人を他所に、昔話を続ける。

 

「彼はその場所でありとあらゆる闇の魔術を試した。そんな中、彼はとびっきり古い闇の魔術を再現しようとしたんだ。名高き中世の悪夢、かの最悪の魔女が遺した秘儀をね。数多の失敗と数多の犠牲を生み出した末、遂に彼はそれを達成したんだ。純粋な恐怖だけを寄せ集め、魂を抜いてからっぽになった人間にそれを詰め込んだのさ。そうして生まれたのが……ディメンター。吸魂鬼だよ。」

 

吸血鬼たちから見ても、エクリジスはチャレンジ精神に溢れている男だったらしい。そして当時の父上たちをドン引きさせたその実験は、中々に因果な終わり方を迎えた。

 

「この世に産み落とされた吸魂鬼が最初に何をしたか分かるかい? ……んふふ、エクリジスを『喰っちゃった』のさ。皮肉なもんだね。恐怖について誰よりも知る彼だからこそ、誰よりもそれを恐れていたんだ。吸魂鬼にとってはさぞ御しやすい餌だったことだろう。」

 

今や青い顔で聞いている四人……いや、ルーナは興味深そうだな。三人に向かって、肩を竦めながら物語の終わりを語る。

 

「後はキミたちがご存知の通りだよ。そうして生きる者の居なくなった孤島は、迷い込むマグルを餌にしてその規模を拡大していき、後に魔法省が見つける頃には吸魂鬼のコロニーへと変貌していたそうだ。そして……当時の魔法省がどんな交渉をしたのかは分からないが、今では『アズカバン』として魔法使いたちの牢獄になっているわけさ。」

 

一度手を叩いて話を切りながら、向かいに座るハリーに顔を寄せて口を開く。昔話は終わり。ここからはお勉強の時間だ。

 

「分かったかい? ハリー。吸魂鬼というのは恐怖を知るほどに厄介な相手になるんだ。キミが気絶したのは弱いからじゃない、エクリジスがそうだったように、それを深く知っているからなんだよ。キミは十三歳にして、並みの大人なんかよりもよっぽどそれを知っているということさ。誇るべきかどうかは分からんが、少なくとも恥じるようなことではないはずだ。」

 

ズイっと顔を寄せる私に怯みながらも、ハリーはコクコクと頷いた。

 

「……うん、分かったよ。」

 

ハリーは未だ暗い表情のままだったが、恥じ入るという感じではなくなったな。何かを考え込んでいるらしい。……両親のことか、それともリドルのことか。そんなところだろう。

 

そんなハリーをちょっと心配そうに見ながらも、ハーマイオニーが私に質問を放ってきた。

 

「でも、そんなことよく知ってたわね。私は全然知らなかったわ。」

 

「まあ、何かの本で読んだんだよ。探せばホグワーツの図書館にもあるんじゃないかな。」

 

少なくともエクリジスの本は何冊かあるだろう。吸血鬼の耳に名が残るほどの魔法使いなのだ。そこらの木っ端なはずがない。

 

ハーマイオニーが取り出したメモ帳の読書リストに新たな項目を付け足したところで、馬車はホグワーツの正門へと差し掛かった。おやおや、ここにも件の吸魂鬼か。門番よろしく立っているところ悪いが、ブラックは正門からは入って来ないと思うぞ。

 

再び具合が悪そうになってきたハリーを見たルーナは、何を思ったのかいきなり馬車から身を乗り出して……こりゃいいな。吸魂鬼に向かってあっかんべーを繰り出した。

 

「ほらね、ハリー。こんなヤツら、こうしてやればいいんだよ。あんたは去年も、一昨年も、もっと邪悪なものと戦ったんでしょ? それならこんなヤツらに負けるはずないもん。」

 

かなり不器用な励ましだったが、どうやらハリーの心には届いたようだ。顔はちょっと白いままだったが、ニコリと笑って頷いた。

 

「うん、そうだね。ありがとう、ルーナ。」

 

「ン。」

 

残りの三人が微笑んでその光景を見ている間にも、馬車はホグワーツ城のすぐ側までたどり着く。既に雨が上がった外へと全員で馬車を降りてみれば……ああ、マルフォイが嬉々とした表情で走り寄ってきた。大好きなフリスビーを目にした犬のような表情だ。尻尾があったら千切れるほどに振っているだろう。

 

「ポッター! 気絶したんだって? 嘘だろう? いくら君でもそんなはずはないよな?」

 

おやおや、せっかくいい話で終わりそうなのが台無しじゃないか。誰が広めたのかは知らないが、ハリー・ポッター気絶事件は着々と生徒の間に広まっているようだ。

 

怯んだハリーの前に、ロンが義憤に燃える表情で立ち塞がる。親友の危機を放ってはおけないらしい。

 

「黙れ、マルフォイ! ハリーに構うなよ!」

 

「おや、ウィーズリー。君も気絶したのかな? あのこわーい吸魂鬼に、君も縮み上がったのかい?」

 

我が世の春だな。喜色満面でぴょんぴょん跳ねながら煽ってくるマルフォイは、次にハーマイオニーに何かを言おうとするが……おや、その隣の私を見て急に真顔に戻ってしまったぞ。ジャレかかってきてくれても一向に構わんのだが。

 

「どうしたんだい? マルフォイ。私とは遊んでくれないのかな?」

 

「……僕は、別に。」

 

「ほら、さっきみたいにぴょんぴょん飛び跳ねておくれよ。脳みそを弄られたウサギみたいで、実に楽しい光景だったのに……。」

 

『遊んでくれなくて悲しいリーゼちゃん』の表情で言ってやると、マルフォイは未知の化け物を前にしたような表情になってから、慌てて城への石段を駆け上がっていった。なんだよ、失礼なヤツだな。

 

「あーっと、リーゼ? その表情はちょっと……うん、不気味かな。夢に出そうだからやめて欲しいんだけど。」

 

「失敬だぞ、ロン。」

 

ロンのおずおずという頼みにジト目で返しながら、私たちも石段を上り始める。生徒たちの群れに紛れながら大広間に進むと、毎年恒例の歓迎会の飾りが目に入ってきた。フリットウィックは今年も頑張ったようだ。

 

「それじゃ、私はレイブンクローのテーブルに行くよ。」

 

ルーナが何となく残念そうな表情で離れて行くのにみんなで声をかけてから、私たちもグリフィンドールのテーブルへと向かおうとしたところで……その前に生徒を見渡していたマクゴナガルが声をかけてくる。

 

「ポッター、グレンジャー、あなたたちは私と来なさい!」

 

言いながらチラリと私にアイコンタクトを仕掛けてくるが、意味が全く汲み取れない。またそれか。勘弁してくれ、マクゴナガル。こういう時に聞き返すのは恥ずかしいんだぞ。

 

なんかもう面倒くさいので、こっくりと神妙そうな顔で頷いてやれば、マクゴナガルも同じような顔で頷きを返してきた。私には意味不明だが、今の瞬間にマクゴナガルの中では何らかのやり取りが成立したようだ。むむ、こっちの視点からだとかなり滑稽なやり取りだな。

 

ま、大したことではあるまい。吸魂鬼のことか、ブラックのことか。どっちにしたって咲夜の組み分けよりも優先度は低いのだ。それを放ってまで聞きに行くことはないだろう。っていうか、咲夜の組み分けを見ないなど有り得んぞ。

 

「なんだろ?」

 

「さぁね。まあ、少なくとも怒られはしないだろうさ。今年は誰も空飛ぶ車に乗って来なかったし、暴れ柳も健康そのものだ。」

 

「もう忘れてくれよ、リーゼ。」

 

情けない顔になってしまったロンと一緒にグリフィンドールのテーブルに着いて、去り行くハリーとハーマイオニーを見送る。ハーマイオニーが単なる疑問顔なのに対して、ハリーは戦々恐々とした表情だ。『実績』があるせいで呼び出しがトラウマになっているらしい。

 

徐々に生徒が集まってくる中、ロンが大広間をキョロキョロ見回しながら話しかけてきた。

 

「でも、大広間には吸魂鬼は居ないみたいだな。安心したよ。」

 

「そりゃあそうだろうさ。吸魂鬼と楽しくディナーかい? さすがに想像したくない光景だね。」

 

「正門より内側じゃ見なかったし、校内にはいないのかな? それならいいんだけど……。」

 

見た限りでは、多分そんな感じだろう。さすがのダンブルドアもあの亡霊もどきはお好きでないのかもしれない。博愛主義にも限界があるということか。

 

そのまま雑談をしながら待っていると、やがて新入生たちが入ってくる時間となった。今年はフリットウィックに連れられてのご到着だ。マクゴナガルは未だにお話中か?

 

咲夜を探して列を見渡していると、先んじて向かいに座るロンが声を上げる。

 

「いたぞ、マリサとサクヤだ。」

 

指差す方向を見てみれば……銀髪と金髪の対照的な二人が目に入ってきた。髪色だけではなく、その態度も対照的だ。お淑やかな外行きの仮面を被って静々と歩く咲夜に対して、魔理沙は興味津々の様子でキョロキョロと辺りを見回している。

 

気絶から目覚めた時もケロッとしてたし、今の魔理沙を見ても特に落ち込んでいるようには見えない。別に私の心配するようなことじゃないとは思うが、まあ……大丈夫そうだな。

 

そのまま前の方へと進んで行ったヒヨコの行列は、フリットウィックの進行で組み分けを始めた。

 

「それでは、名前を呼ばれた者から椅子に座って帽子を被るように! ……アドリントン・ヒューイ!」

 

最初の男の子がレイブンクローへと組み分けされたのを皮切りに、次々と生徒たちが組み分けされていく。知り合い二人の番を今か今かと待っていると……呼ばれた。アルファベット順なので、当然ながら先ずは魔理沙だ。

 

「キリサメ・マリサ!」

 

見事な発音で言い切ったフリットウィックの声に従い、魔理沙が意気揚々と椅子に座って帽子を被る。

 

「Kだったんだな。Cだと思ってたよ。」

 

「Kiだよ。キ。」

 

ロンのどうでも良い勘違いを正しながら帽子の結論を待つが……長いな。長すぎないか? 生徒たちがざわめき、そしてそれが大広間を包むほどになっても帽子は沈黙したままだ。フリットウィックもちょっと心配そうになっているぞ。

 

間違いなくハリーよりも長いその組み分けは、少なくとも私が知る中での最長記録を更新した。生徒たちが立ち上がってよく見ようとする中……おっと、ようやく帽子が叫びを放つ。ぶっ壊れたんじゃなかったのか。

 

「グリフィンドール!」

 

「やったぞ、クィディッチ好きを取った!」

 

獅子寮の名前が出た瞬間、向かいのロンが立ち上がって歓声を上げる。……そんなに嬉しいのか、こいつ。私とハーマイオニーが全然話に付き合ってくれなかったせいで、ストレスが溜まっていたのかもしれない。いやまあ、だからってこれからも付き合うつもりはないが。

 

「どーもどーも、よろしくな!」

 

上級生たちの歓迎の言葉に人好きのする笑みで応えながら、魔理沙はロンの隣に座り込んだ。

 

「よう、ロン、リーゼ。よろしくな。」

 

興奮して僅かに頰が赤くなっている魔理沙に、私とロンも歓迎の言葉を送る。

 

「ああ、よろしく、魔理沙。ようこそグリフィンドールへ。」

 

「やったな、マリサ! ここは最高の寮だぜ! クィディッチも連勝中だしな!」

 

テンションの高いロンに若干引きながらも、組み分け待ちの咲夜を見てみれば……おやおや、ちょっとガッカリしているな。あの子の中ではグリフィンドールに入るのは確定らしい。

 

しかし……実際どうなんだ? 母親はハッフルパフだし、父親はレイブンクローだぞ。そしてヴェイユとヴェイユの夫はグリフィンドールだ。更に言えば、性格的には私やレミリアと同じスリザリンだろう。うーむ、分からん。

 

咲夜の組み分けに悩む私を他所に、ロンが魔理沙へと質問を放った。

 

「そういえば、なんであんなに時間がかかったんだ? 帽子が決め兼ねてたとか?」

 

「ああ、そんな感じだったぜ。グリフィンドール、レイブンクロー、スリザリンで迷ってたんだが、結局グリフィンドールになったんだ。」

 

「スリザリンも? 変な帽子だな。」

 

ロンにとっては魔理沙がスリザリンなのはおかしなことらしいが……まあ、確かにスリザリンって感じはしないな。活発な面がそう見せるのかもしれない。グリフィンドールやハッフルパフはともかくとして、スリザリンやレイブンクローでは浮きまくるだろう。

 

「そういえば、ハリーとハーマイオニーは?」

 

「マクゴナガルに呼び出しを食らったんだよ。……ああ、マクゴナガルってのは変身術の教師で、グリフィンドールの寮監なんだけど──」

 

ロンがホグワーツでの『注意事項』を魔理沙へと伝えるのを横目に、残りの組み分けを見守る。ヴェイユの頭文字はWだ。多分最後の方になるだろう。

 

その後はさほど時間のかからない組み分けが続き、そして最後に……咲夜の番だ。

 

「ヴェイユ・サクヤ!」

 

他よりほんのちょっとだけ気持ちがこもっている感じのするフリットウィックの呼びかけに、咲夜が行儀良く前へと進み出る。

 

おや、教員席でも教師たちが身を乗り出してるぞ。ここまで常に無関心だったスネイプですら背凭れから身体を起こしている。……無理もあるまい。彼らはほぼ全員がヴェイユの教え子であり、数人は同僚として苦楽を共にしたのだ。その孫の組み分けとなれば一入だろう。

 

進み出た咲夜がゆっくりと帽子を被ると、ハグリッドなどは巨大な両手を組んで何かを祈り始めた。グリフィンドールにと祈っているのか? もしくはスリザリン以外にと祈ってるのかもしれんな。

 

「グリフィンドールだといいな。」

 

「そうだね。」

 

隣のロンが励ますように言ってくるのに言葉少なに答えていると……少し時間をかけた後、帽子が高らかに叫びを放つ。

 

「グリフィンドール!」

 

……よしよし、悪くない。少なくともこれで側に居られるわけだ。安心しながらいつの間にか乗り出していた身を戻すと、魔理沙がニヤニヤ笑いながら声をかけてきた。

 

「よかったじゃんか、リーゼ。」

 

「ま、重畳だね。……キミ、何をニヤニヤしてるんだい?」

 

「おっと、こわいこわい。」

 

ニヤニヤを止めない魔理沙を睨みつけたところで、上級生の歓迎に綺麗なお辞儀を返していた咲夜が私の隣に座り込んだ。顔には満面の笑みを浮かべている。

 

「やりました、リーゼお嬢様! グリフィンドールにさせました!」

 

「『させました』? まあ……いいけどね。おめでとう、咲夜。」

 

「はい!」

 

『させました』ってことは、本来はグリフィンドールじゃなかったわけか。ハリーも頼み込んでグリフィンドールにしてもらったようだし……結構いい加減だな、あの帽子。

 

「よろしくな、サクヤ!」

 

「はい、よろしくお願いしますね、ウィーズリー先輩。」

 

「あー……ロンで頼むよ。『ウィーズリー先輩』はこの寮に五人いるんだ。」

 

「それじゃあ、ロン先輩で。」

 

咲夜の口から発せられる先輩という響きににやけているロンを横目に、今度は魔理沙が声をかけた。

 

「よう、咲夜。一緒の寮だな。」

 

「私はリーゼお嬢様と一緒の寮なの。貴女はおまけよ。」

 

「へっへっへ、かわいい台詞だぜ。」

 

魔理沙の人を食ったような返答に、途端に咲夜が唸り始める。うーむ、非常に面白い光景だな。現状では魔理沙が一枚上手か。

 

フリットウィックが椅子を片付け始めたのを眺めながら、かわいいライバル関係のことを考えていると……いつの間に大広間に入ってきたのか、ハリーとハーマイオニーが私たちの近くの席へと座り込んだ。

 

「組み分けを見過ごしちゃったわ!」

 

咲夜とは逆隣に座ったハーマイオニーが言うのに、肩を竦めて言葉を返す。

 

「魔理沙と咲夜はご覧の通りだよ。他に気になるヤツでもいたのかい?」

 

「それは……まあ、いないけど。よろしくね、マリサ、サクヤ。」

 

ハーマイオニーに続いてハリーも歓迎の言葉をかけるのに、一年生二人が返答を返すのを見ていると……やおらダンブルドアが立ち上がって、大広間に声を響かせた。そら、来たぞ。いつものたわ言のお時間だ。

 

「おめでとう、新入生諸君。在校生の皆はあたたかく受け入れてくれることじゃろう。これからの学校生活が素晴らしいものになることを祈っておるよ。……さて、いよいよお待ちかねの食事となるのじゃが、その前にちょっとした紹介と注意事項を話しておかねばならん。」

 

そこで真剣な表情に変わったダンブルドアは、生徒を見渡しながら続きを話す。

 

「今年は捜査のために吸魂鬼が我が校の近くを監視することになっておる。そしてその管理をする為に、アズカバンからお客人がいらっしゃることとなった。……アンス・ラデュッセル刑務官じゃ。」

 

ダンブルドアの紹介に従って、教員席の一番隅に座っていた人物が立ち上がった。痩せぎすの長身に、ローブではなくストライプのスーツ。黒い短髪の顔はそこそこ整っているが、薄暗い雰囲気のせいで良い印象は全くない。貼り付けたような笑みがなんとも不気味だ。

 

「おいおい、酷い笑い方だな。愛想笑いにしたってもっと上手くできるだろうに。」

 

「同感だ。アズカバンで刑務官なんかしてると、どっかおかしくなるのかもね。」

 

魔理沙のコソコソ話に付き合ってる間にも、生徒たちからは恐る恐るという感じの拍手が上がる。皆どうしたらいいかを掴みかねている様子だ。

 

それを気にすることなくラデュッセルが一礼して座ったところで、ダンブルドアは教員席の逆側を手で示しながら声を上げた。

 

「そしてこちらが新任の教師、リーマス・ルーピン先生じゃ。今期から闇の魔術に対する防衛術の教師を勤めていただく。」

 

紹介を受けて、今度はヨレヨレローブのルーピンが立ち上がる。拍手は……まあ、ラデュッセルよりかは大きいな。チラホラと大きな拍手をしている生徒がいるのを見るに、列車での『活躍』も効いているようだ。

 

「あの人、ローブさえ買えばもう少し頼もしく見えるんだけど。」

 

「貧乏なのかもな。ちょっと親近感が湧くよ。」

 

ハーマイオニーの言葉を受けたロンがちょっと拍手を大きくしたところで、ルーピンはぺこりと一礼して座り込んだ。困ったような苦笑がなんとも情けないが、少なくともさっきと違って人間味は感じられるな。

 

「さて、もう一人紹介せねばなるまい。残念ながら退職されたケトルバーン先生に代わって、新たに魔法生物飼育学を教えることとなった……ルビウス・ハグリッド先生じゃ。」

 

「最高だ!」

 

ロンの叫びをかき消すように、大広間を大きな拍手が包み込む。主にグリフィンドールとハッフルパフのテーブルからだ。スリザリンはパラパラと、レイブンクローは気持ち大きめといった感じ。

 

「それじゃあ、あの本を指定したのはハグリッドだったのね。どうりでセンスが似てるはずよ。本人なんだもの。」

 

「やったぞ! ハグリッドが教師だなんて、最高じゃないか!」

 

「うん、最高だ。……リーゼも飼育学を取ったら? 今からでもマクゴナガル先生に頼めばどうにかなるかもよ?」

 

三人は喜びまくっているが……ハリーの問いに、ペチペチと拍手しながら返事を返す。ダンブルドアは人に向き不向きがあることを学ぶべきだな。

 

「確かに知識が申し分ないのは認めよう。魔法生物の飼育に関しても経験豊富だ。……だがね、私は三頭犬の餌やりやらドラゴンのおしめを替えたりするのは嫌だぞ。」

 

「いや、さすがにハグリッドでも授業でそこまではしないよ……しないよね?」

 

「あのはしゃぎっぷりを見たまえよ。絶対に何か仕出かすぞ。保証する。」

 

嬉しそうに両手をブンブン振っているハグリッドを指差して言ってやると、ハリーは自信が無くなってきたらしい。ゴニョゴニョ言いながら勢いを無くし始めた。

 

まあ、あの男には愛嬌がある。他者に失敗を許させてしまうような愛嬌が。この拍手の音を聞く限りでは、そう酷いことにはなるまい。これも一種の才能かもな。

 

私の内心の考えを他所に、ニコニコ顔で頷いていたダンブルドアはやおら真剣な表情に戻って声を張り上げた。

 

「結構、結構。きっとお二方の先生は愉快な授業をしてくれるじゃろう。……とはいえ、楽しい気分で忘れてしまわぬようにもう一度言っておこうかの。よいか? 決して吸魂鬼には近付かないように。彼らに言い訳は通用せんし、その目を欺くことは困難を極める。……そう、例え透明マントでさえも。」

 

おやおや、名指しの注意だぞ、ハリー。ちょっと気まずそうな顔になったハリーを知ってか知らずか、ダンブルドアは厳しい表情のままで話を締めた。

 

「もしも彼らが校内に居るところを見た際には、決して近付かずに教師へと伝えるのじゃ。……それでは、食事に移ろう!」

 

言葉と共に色とりどりのご馳走が出現するが、今年はあまり盛り上がってはいないようだ。誰もが吸魂鬼と、そしてシリウス・ブラックの話をしている。

 

近付くな、か。連中の方から近付いてこなきゃいいがな。何せ彼らにとっては、ホグワーツはご馳走の坩堝だろう。今も幸せいっぱいの大広間を涎を垂らして見ているはずだ。

 

忌々しい吸魂鬼のことを考えながら、アンネリーゼ・バートリはトマトのスープパスタへと手を伸ばすのだった。

 



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たわ言

 

 

「ギリギリだぞ、ハーマイオニー。」

 

学期初日、ルーン文字の最初の授業。滑り込むように教室に飛び込んできたハーマイオニーに、アンネリーゼ・バートリは呆れた顔で言い放っていた。

 

「セーフよね?」

 

「セーフさ。ほら、バブリングがご到着だ。」

 

ハーマイオニーが飛びつくように私の隣に座った瞬間、この授業の教師であるバブリングが教室へと入ってくる。細身にブロンドの短髪。非常に神経質そうな見た目の魔女だ。こいつはどうも食事を私室で取る派のようで、今まであまり見たことがない。……アリスなら何か知ってるだろうか?

 

バブリングは杖を一振りして黒板に大量のルーンを浮かび上がらせてから、教卓の前に姿勢良く立って口を開いた。マクゴナガルのキリっとした感じとはまた違う、正確な機械って雰囲気の姿勢の良さだ。

 

「ごきげんよう、三年生の皆さん。ご存知の通り、私はバスシバ・バブリング教授です。そしてこちらもご存知の通り、この授業では主にルーン文字の扱い方を学んでもらいます。」

 

台本を棒読みしているかのようなバブリングが教卓にルーンの刻まれた小石を置くと、いきなりその石から青い炎が立ち上がる。……ふむ、面白いな。パチュリーお勧めの授業だけあるじゃないか。

 

「私は今、杖を振っていません。呪文も唱えてはいません。……つまり、この小石が杖の代わりとなり、ルーンが呪文の代わりとなっているのです。ルーンを使った魔法は杖魔法よりも遥かに制限が多いですが、利点もまた数多く存在します。」

 

無表情で言った後、バブリングは教室のドアを見て静止してしまった。……なんだよ、燃料でも切れたのか? ピクリとも動かんな。青いガラス玉のような瞳でドアをジッと見ている。

 

生徒たちが釣られて入り口の方へと振り返ると……おっと、いきなりドアが凍りついたぞ。薄く氷が張り、霜がそれを覆っているようだ。ざわざわと騒ぎ始める生徒たちを他所に、バブリングが再び動き出した。

 

「あのドアには私がルーンを刻んでおきました。私が遠くロンドンまで離れていたとしても、あのドアは同じように凍りついたでしょう。……もう分かりましたね? ルーンは術者を必要としません。事前に正しい準備さえ整えておけば、勝手に魔法を発動させることができます。これこそがルーン最大の利点であり、最も危険な部分なのです。」

 

そのままバブリングは教卓の前にある箱を指差し、締めとなる言葉を放つ。

 

「五年間を通して、あなたたちにはこの利点と危険性の両方を学んでもらうことになるでしょう。最初の授業では最も基本となる十六文字を石に刻んでもらいます。石と彫刻刀は前にあるので、必要な物を取るように。……では、開始。」

 

凄まじく平坦な声で言い終わると、バブリングは椅子に座って微動だにしなくなった。……成る程、石工の真似事をさせられるわけか。派手な授業紹介の割に、なんともつまらん始まり方じゃないか。

 

ため息を吐きながら石ころと彫刻刀を取り、ハーマイオニーと共にガリガリ削り始める。

 

「魔法でどうにかできないのか? これは。」

 

「出来そうだけど……やってみる?」

 

私の提案を受けたハーマイオニーが杖を取り出そうとしたところで、椅子に座って虚空を見つめていたバブリングがポツリと呟いた。

 

「魔法は使わないように。ルーンと干渉します。文字を刻んだ石は今後も使うので、丁寧に制作することをお勧めしますよ。」

 

抑揚の一切ない声で呟き終えたバブリングは、再び彫像のように動かなくなった。こいつ……カラクリ人形じゃないだろうな? 人間味を一切感じないぞ。アリスの人形と並べたら面白そうだ。

 

私がホグワーツの変人教師ランキングに修正を加えたところで、ハーマイオニーが残念そうに杖を置く。

 

「ダメみたいね。普通に削りましょうか。」

 

「楽しい授業になりそうだね、まったく。」

 

首を振りながら答えて、再び石ころを削り始める。まあいいさ、吸血鬼の力ならさして苦労する作業じゃない。……力を入れすぎて砕いてしまう可能性はあるが。

 

手早く最初の文字を彫り終わったところで、チラリと苦戦しているハーマイオニーを見ながら質問を投げかけた。

 

「そういえば、占い学はどうだったんだい? 随分と高名な予言者らしいが。」

 

「期待外れね。紅茶占いとかいうのをさせられたんだけど、バーナム効果を利用したようなことを……言って、たの……。」

 

話の途中で勢いを無くしたハーマイオニーに向かって、ニヤリと笑って話しかける。気付くのがちょっと遅かったじゃないか、秀才さん。

 

「ふむ? 奇妙な話じゃないか。最初の占い学が行われているのは『今』だよ、ハーマイオニー。」

 

「あー、そうだけど、その……。」

 

わたわたと手を振りながら慌てるハーマイオニーに向かって、含み笑いをしながら言葉を放った。ま、そんなことだろうと思ってたさ。かわいい姿も見れたことだし、意地悪はこの辺にしておこう。

 

「んふふ、大丈夫だよ、ハーマイオニー。キミが何を使っているかは見当がつく……というか、ついた。『繰り返している』んだろう?」

 

「……もう、本当に貴女にはかなわないわね。御察しの通りよ。マクゴナガル先生に手配していただいたの。」

 

半信半疑だったが、やはり逆転時計か。アレックス・ヴェイユが神秘部で迷いなく使用できたのも、ホグワーツ時代によく使っていたからなのだろう。当時渡したのは……フリットウィックか? 感謝しないといけないな。お陰で咲夜は生を受けることが出来たのだから。

 

しかし、ハーマイオニーに関してはちょっと心配だ。時間を歪めるというのは、吸血鬼から見たってかなり危険な行為なのだから。これから数年を通して使うってのはかなりリスキーな気がするぞ。十三歳の少女に持たせていいオモチャじゃないだろうに。

 

ハーマイオニーの首筋にかかるチェーンを指差しながら、割と本気の警告を口にする。

 

「気をつけて使うんだよ? それは危険な代物だ。下手すれば死ぬくらいじゃ済まないぞ。『ここ』から弾き出されて、時間の隙間に閉じ込められる可能性だってあるんだ。」

 

「大丈夫、マクゴナガル先生からもきつく言われてるわ。最低限にしか使わないつもりよ。」

 

「それと、さっきみたいな失敗も無しにしたまえ。『今』自分が何をしているのかをきちんと把握しておくんだ。じゃないと他人との会話が滅茶苦茶になるよ。」

 

「うっ……分かってるわ。使い始めたばかりだから、まだ慣れてないだけよ。」

 

なんとも心配になる言葉ではないか。後でマクゴナガルに危険性をちゃんと説明したのかを聞く必要がありそうだ。……というか、咲夜に悪影響とかないよな? 私の能力は逆転時計に反応しないようだが、咲夜もそうとは限らないのだ。彼女にもそれとなく聞いておかねばなるまい。

 

内心で二つの予定を追加していると、ハーマイオニーが占い学についての続きを話し出した。

 

「とにかく、占い学はいまいちだったわ。ハリーに死神犬が取り憑いてるだの、そのうち死ぬだのって……たわ言のオンパレードよ。」

 

「死神犬?」

 

「大きな黒い犬なんですって。墓場がどうたらとか言ってたけど、馬鹿馬鹿しすぎて聞いてなかったわ。」

 

ふむ、驚きだ。一つはハーマイオニーが教師を毛嫌いしていることに。一つは大きな黒い犬という言葉を、最近聞いたことがあることに。

 

まあ、少なくともブラックは死神犬とかいう訳の分からん生き物ではない。単に犬に変身できるおっさんだ。大体、見ただけで死ぬならフランやルーピンは百回以上死んでるだろう。しかし、ハリーがそのうち死ぬってのは……うーむ、ハーマイオニーの言葉が確かならただのたわ言だろうが、仮にもハリーとリドルの因縁を予言した予言者なのだ。微妙に気になるな。

 

死神犬とやらについて考え込む私を他所に、ハーマイオニーはガリガリと石ころに彫刻刀を走らせながら、占い学がいかにいい加減な授業だったのかを捲し立ててきた。

 

「信じられる? 何にでも見えそうなお茶っ葉の塊を見て、死の予言をしてるのよ? この石の削りカスを見ても同じようなことを言うに違いないわ。バカみたい。」

 

「いやはや、実に珍しい光景だね。キミが授業を嫌うのは初めて見たよ。」

 

「最初の一回で結論を出すのはどうかと思うけど……そうね、嫌いだわ。あの学問は不確かすぎるもの。」

 

おいおい……怒り任せに削ってるから、文字が荒くなってるぞ。この様子だと結構どぎついことを言われたのかもしれない。

 

「なんにせよ私は取らなくてよかったよ。まあ……この分だとルーン文字も微妙な感じだけどね。初っ端からこんなことをさせられるとは思わなかった。石ころの加工、か。」

 

「きっと次から面白くなるわよ……きっとね。」

 

二つ目の文字を終わらせながら、ハーマイオニーと共にため息を吐くのだった。

 

───

 

「今日はここまで。終わらなかった者は次の授業までに刻んでくるように。彫刻刀はお貸しします。」

 

バブリングの無表情・無感動・無動作の三拍子揃った終わりの言葉と共に、生徒たちは立ち上がって次の授業へと向かい始めた。当然ながら私とハーマイオニーもその流れについて行く。

 

「四個も残っちゃったわ。課題を残すなんて初めてよ。」

 

「いい経験になったじゃないか。少なくともこれで、キミの将来の選択肢から石工は除外されたわけだ。」

 

「最初から無かったけどね。」

 

ハーマイオニーとたわいもない話をしながら次の授業である変身術の教室へと向かえば、ちょうどハリーとロンが廊下でスリザリンの……パーキンソンだったか? マルフォイと仲のいい女生徒にからかわれているところだった。

 

「ほら、ポッター! 吸魂鬼が来るわよ? うううぅぅぅぅぅぅ!」

 

うーむ、両手を広げながらハリーに威嚇のポーズをしているパーキンソンには、どうやら演技のセンスはないらしい。どう見たっておかしくなった聖マンゴの患者にしか見えないぞ。忌々しそうに見つめるハリーとロンに代わって、近付いてパーキンソンに声をかける。

 

「やあ、パーキンソン。ここは人間の世界だから、人間の言葉で喋った方がいいね。その唸り声は家に帰ってから両親相手に使いたまえよ。」

 

「……黙りなさいよ、羽つきチビ。あんたには関係ないでしょ? そっちこそさっさと洞穴にでも帰れば?」

 

「おやおや、驚いたね。キミがスラスラ言葉を喋れるとは知らなかったよ。それならどうして普段はトロールの真似事なんかしてるんだい? しかも飛びっきり馬鹿なトロールの真似を。」

 

驚愕の表情で言ってやると、パーキンソンは顔を真っ赤にして雌牛のように突撃してきた。残念だな、赤い布があれば完璧だったのだが……やむなく布なしでひょいっと躱してやれば、彼女は廊下の石柱へと突っ込んでいく。おお、あれは痛いぞ。

 

「無事かい? パーキンソン。死んでやしないだろうね? そうなると私はここに銅像を建てなくちゃならないぞ。『イカれた雌牛、パンジー・パーキンソン。石柱への求愛に失敗してここに眠る』ってな具合に。」

 

今やお腹を抱えて笑っているロンを尻目に話しかけてみると、パーキンソンはふーふー唸りながらふらふらと立ち上がった。そのままよく分からん捨て台詞を吐くと、足早に何処かへと去っていく。さらば、雌牛ちゃん。また会う日まで。

 

肩を竦めて見送ったところで、ハーマイオニーが呆れた表情で話しかけてきた。

 

「お見事、リーゼ。これでグリフィンドールとスリザリンの憎しみの連鎖に拍車をかけたわね。いつか負債が返ってくるわよ。」

 

「んふふ、自覚はあるさ。だが、やられたらやり返すべきだよ、ハーマイオニー。そうでなくっちゃ面白くないだろう?」

 

「面白いかどうかはともかくとして、あれはいただけないわね。ハリーを笑うマルフォイそっくりよ。」

 

言いながらハーマイオニーが指差す先では、ロンが未だに笑い続けている。どうやらハーマイオニーは一足先に大人への階段を上ったらしい。もう馬鹿馬鹿しい喧嘩を笑えるお年頃ではないということか。

 

対して、ほくそ笑んでいるハリーと馬鹿笑いしているロンは『ガキンチョ期間』を抜け出すにはもうちょっとかかりそうだ。男女の差というかは、ハーマイオニー個人の精神年齢の問題っぽいな。早生まれってのもあるか。

 

友人の成長を実感しながらも、苦笑を浮かべて口を開く。

 

「随分と大人になってしまって悲しいよ、ハーミー。お嫁さんに行ってしまう日も近いかな?」

 

「もう! いいから行くわよ!」

 

よよよと目を覆いながら言ってやると、ハーマイオニーはぷんすか怒りながら変身術の教室へと歩き出した。うーむ、これはこれで面白い。思春期に突入したということか?

 

となれば、今年か来年あたりには恋愛期間に突入だ。人間ってのは忙しなく成長するもんだな。この前までは殻を被ったヒヨコだったってのに、もう発情期がきたのか。

 

人間の成長の早さを改めて感じていると、ロンを引っ張ってついてきたハリーが声をかけてきた。

 

「ハーマイオニーはなんでリーゼと一緒にいるの? さっきまで僕らと一緒だったじゃないか。」

 

「乙女の秘密よ。」

 

ハーマイオニーの凄まじく適当な言い訳に疑問符を浮かべたハリーだったが、変身術の教室に入るとその表情は一転して曇り空へと変わる。……なんだこの空気は? お通夜ではないか。

 

「誰か死んだのかい?」

 

「これから死ぬんだよ、僕が。」

 

思わず呟いた言葉に、ハリーがうんざりしたように返してきた。ああ、例の予言か。ハーマイオニーはともかくとして、他のグリフィンドール生にとっては信ずるに値する予言だったらしい。

 

椅子に座るグリフィンドールの同級生たちは、誰もがハリーを見ながらコソコソと囁き合っている。……おい、ロングボトムなんかは泣きそうになってるぞ。いくらなんでも早すぎだろうが。

 

呆れながらもいつものように四人で机に座ったところで、マクゴナガルが教室前方のドアから入室してきた。なんかこう、バブリングの後だとやたら人間味があるように感じてしまうな。

 

「おや、揃ってますね。大いに結構。少し早いですが、始めてしまいましょうか。」

 

生徒を見回しながら出欠を確認したマクゴナガルは、今日の内容であるアニメーガスについてを説明し始める。……とはいえ、全員うわの空でそれどころではなさそうだ。真面目に聞いてるのはハーマイオニーだけだぞ。

 

パチルとブラウンなどは、今にもハリーにお悔やみの言葉を言いそうになっている。彼女たちが葬式まで我慢できればいいのだが……うーん、この分だと無理そうだな。授業が終わったらご愁傷様でしたと言ってくるぞ。

 

教室の異様な雰囲気はどうやらマクゴナガルにも伝わったらしい。彼女がトラ猫に変身しても誰一人として驚かないのを確認したところで、ちょっと不満そうな表情を浮かべながら全員に問いかけてきた。

 

「……別に構いませんが、私が変身したのを見て拍手が起こらなかったのは初めてです。何かあったのですか?」

 

誰もが気まずそうにハリーを見つめている中、ハーマイオニーだけがうんざりした表情を隠さずに返事を放つ。

 

「占い学で死の予言をされたんです。」

 

馬鹿馬鹿しいと言わんばかりのハーマイオニーに対して、マクゴナガルも然もありなんと頷きながら口を開いた。どうやらこの二人の占い学に対する意見は共通しているようだ。つまり、二人は揃って『たわ言』派閥の人間ってことか。

 

「ああ、占い学の最初の授業ですか。……それで? 今年は誰が死ぬことになったのですか?」

 

「あー……僕です。」

 

恐る恐る手を挙げたハリーに対して、マクゴナガルが鼻を鳴らして言い放つ。

 

「安心しなさい、ポッター。シビルはあの職に就いて以来、毎年生徒の死を予言してきましたが、これまでに誰一人として死んだ者はいません。むしろ彼女の死の予言は健康の証と言えるでしょう。」

 

ハーマイオニーそっくりの表情で首を振るマクゴナガルは、呆れていることを隠そうともしていない口調で続きを話し始めた。

 

「ですから、貴方の宿題を免除するわけにはいきません。……ただし、もし死んだなら提出しなくて結構ですからね。墓場まで取り立てに行ったりはしないから安心なさい。」

 

おやおや、中々のジョークを言えるじゃないか、マクゴナガル。ちょっと見直したぞ。教室を包んだクスクス笑いを見て、マクゴナガルは澄ました顔で授業を再開した。

 

「では、教科書の六十一ページを開きなさい。今日はアニメーガスの危険性と法規制についての──」

 

さて、山場は終わった。後は退屈な時間をやり過ごすだけだ。ハーマイオニーがクイクイと裾を引くのを無視しながら、アンネリーゼ・バートリはゆっくりと机に寝そべるのだった。

 



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ブギーマン

 

 

「今日は縮み薬の調合を行ってもらう。諸君らが休みの間に秤やナイフの使い方を忘れていないことを祈ろうではないか。何故なら吾輩は諸君らに課題を与えるのを躊躇するつもりなど……ああ、ドラコ。話は聞いている。構わないから座りたまえ。」

 

これを聞いてるとホグワーツの一年が始まったという実感が湧くな。毎年恒例のスネイプによる『初回演説』を完璧に聞き流していたアンネリーゼ・バートリは、途中で地下教室に入ってきたマルフォイをバカバカしい気分で眺めていた。

 

「すみません、スネイプ先生。傷が深かったものですから……。処置に時間がかかってしまったんです。」

 

胡散臭い表情で胡散臭い台詞を吐くマルフォイの左腕には、トイレットロール並みに包帯がぐるぐる巻きになっている。腕がグチャグチャになったってあんなに巻く必要はないだろうに。ちょっとした鈍器みたいだぞ。

 

あれこそが昼食時のハリーたちを落ち込ませていた原因だ。つまり、ハグリッドが午前中の初授業で『やっちゃった』証拠である。そら見ろ、私の予想通りじゃないか。

 

ロンは『無害で小さな鳥がマルフォイを軽く引っ掻いた』と主張していたが、ハーマイオニーによれば『ちょっと気難しいヒッポグリフがマルフォイの腕をそこそこ深く切り裂いた』とのことだった。まあ……どちらを信じるかは言うまでも無かろう。ハグリッドが小鳥なんぞを授業で扱うはずがないのだ。

 

そんな悲劇の主人公マルフォイはさも苦しそうな表情を浮かべつつ、他の生徒を押し退けてハリーとロンの隣に座り込む。私とは彼らを挟んだ逆側だ。

 

「絶対に余計なことをしてくるわよ。」

 

ハーマイオニーのボソリと呟いた言葉に、苦笑しながら深く頷く。マルフォイがこの状態を利用しないはずがあるまい。ハリーとロンにもそれは理解できているようで、苦々しい顔で出来るだけマルフォイと距離を取っている。

 

「それでは、いつも通りだ。材料、手順、注意点は全て黒板に書かれている。『全て』書かれているのだ、まさか失敗する者はいまいな? ……開始!」

 

はっきりとロングボトムを見ながら脅しつけたスネイプは、底冷えするような声で調合の開始を宣言した。

 

いつものように私が器材を、ハーマイオニーが材料を取りに行き、これまたいつものようにハーマイオニーの指示通りに調合を進めていると……おっと、マルフォイが早くも仕掛けてきたぞ。

 

「せんせーい。この腕じゃ雛菊の根を上手く刻めません。」

 

「ウィーズリー、手伝ってあげたまえ。」

 

おやおや、以心伝心だな。素早く意図を汲み取ったスネイプは、ロンにマルフォイの根を刻むように言い放つ。それを聞いたマルフォイは、我が意を得たりとばかりにロンへと根を押しつけた。一足早いクリスマスプレゼントを貰ったかのような表情だ。

 

「ほら、僕の根を刻め、ウィーズリー。なんならバイト代を出してもいいぞ? 君の親も大喜びだろうさ。」

 

「黙れよ、大げさマシュマロ野郎め。ポンフリーがあの程度の傷を治せないわけないだろ。」

 

言いながらロンが憎々しげに根を滅多切りにすると、再びマルフォイが手を挙げてスネイプへと口を開いた。そら、二度目の攻撃がくるぞ。

 

「せんせーい。ウィーズリーが僕の根をめちゃくちゃにしちゃいました。」

 

「ウィーズリー、マルフォイの根と自分の根を交換したまえ。それと、グリフィンドールから三点減点。」

 

なんというコンビプレイか。減点されたロンは十分もかけて綺麗に刻んだ根をマルフォイに渡しながら、ぷるぷる震えて顔を真っ赤にしている。ここで文句を言おうものならもっと酷いことになるのは、さすがの彼も分かっているらしい。

 

しかし……私を無視して遊ぶのはいただけないな。退屈な調合なんかよりあっちの方が断然楽しそうじゃないか。ウズウズしながら介入の機会を待っていると、マルフォイが再び『せんせーい』を始めた。

 

「せんせーい。無花果の皮が上手く剥けません。」

 

「ポッター、マルフォイを手伝ってあげなさい。」

 

今だ。身を乗り出して楽しそうな『寸劇』に交ぜてもらおうとするが……む、ハーマイオニーが私のローブを掴んで止めている。

 

「どうして邪魔をするんだい? ハーマイオニー。ハリーとロンのピンチじゃないか。」

 

「ダメよ、リーゼ。貴女が関われば余計に厄介なことになるのが目に見えてるじゃない。貴女は私と調合するの。ほら、カタツムリの殻を量って頂戴。」

 

「……分かったよ、ハーミーママ。」

 

残念。ママに止められてしまった。諦めて中身無しのカタツムリを厳選しながら、澄ました顔で調合を進めるハーマイオニーにジト目を送っていると……隣からハリーとマルフォイの会話が聞こえてきた。

 

「ポッター、君はブラックを捕まえようとは思わないのか?」

 

「思わないよ。」

 

萎び無花果の皮を剥きながらどうでも良さそうに言うハリーに、マルフォイはニヤニヤ笑いながら言い募る。

 

「おや、まさか君……知らないのか? 僕なら学校でジッとしてたりはしないだろうなぁ。なんたってブラックは──」

 

「マルフォイ。」

 

まあ、これはさすがに看過できん。チラリと目線を送りながら割り込んで、冷たい目つきで言葉を続ける。我が身に災難が降りかかるとなれば話は別なのだ。

 

「余計なお喋りはせずに調合したらどうだい? それともまた、鼻から食事を取る生活に戻りたいのかな?」

 

顔を真っ青にしたマルフォイは、途端に押し黙ってハリーから離れた。大変結構。『口を閉じていた』一件は彼にとってトラウマになっているようだ。

 

「リーゼ?」

 

「はいはい、分かってるよ。」

 

端的に注意してきたハーマイオニーに肩を竦めて、再びカタツムリの選別に戻りながらも考える。この分だとハリーはそう遠くないうちにブラックが何をやったかを知る羽目になるだろう。……先に誰かから伝えさせたほうがいいかもしれないな。ダンブルドアか、ルーピンか、それともフランか。

 

ふむ、ちょうど次の授業は防衛術の初授業だ。ルーピンに話をしてみるか。立ち位置的には一番ちょうどいい場所にいるわけだし。

 

ひょっこり殻から顔を出したカタツムリと目を合わせながら、面倒な選別作業に戻るのだった。

 

───

 

魔法薬学の授業が終わり、怒れるロンのマルフォイに対する罵詈雑言を聞き流しながら防衛術の教室に向かうと、生徒たちが集まり切ったあたりでルーピンが教室に入ってきた。ヨレヨレのローブがなんとも頼りない。彼はアイロンの存在を知らないようだ。

 

教卓の前に立って生徒を見渡した草臥れ男は、いつもの柔和な笑みを浮かべながら口を開いた。

 

「やあ、揃ってるみたいだね。それじゃあ……早速だが、杖だけ持ってついてきてくれるかな。前年度の先生が優秀だったお陰で、君たちの呪文に関する勉強はかなり進んでいるんだ。だから、今年は魔法生物への対処を中心にやっていこうと思っている。」

 

言いながら教室を出て行ったルーピンの背に、グリフィンドール生たちがお喋りしつつも続いて行く。魔法生物。つまり、飼育学と違って飼育に向かないような魔法生物を扱うわけだ。例えばそう……ヒッポグリフとかを。

 

道中で適当にピーブズをあしらうことで生徒たちから若干見直されたルーピンは、やがて古ぼけた空き部屋へと生徒たちをいざなった。

 

ガランとした部屋の中には……衣装ダンスか? 中央にポツンと置かれた木製の衣装ダンスが何故かガタガタと振動している。あのタンス自体が生物でないとすれば、中で何かが暴れ回っているようだ。

 

かなり引き気味の生徒たちが遠巻きに並んだのを見て、ルーピンが苦笑しながら説明を始めた。

 

「この中に入っているのは、ボガート。まね妖怪だ。誰かまね妖怪について知っている者はいるかな?」

 

迷わずハーマイオニーが手を挙げる。ルーピンに指名されると、彼女はハキハキとまね妖怪の説明を語り出した。

 

「形態模写妖怪です。見た者が一番怖いと思うものに姿を変えることができます。マグルの間では『ブギーマン』という別名が有名です。」

 

「うん。端的で見事な説明だね、ハーマイオニー。多くの妖怪は恐怖を糧にする。だからこそまね妖怪も私たちの恐怖を煽ろうとするんだ。しかし……この状況ではそうそう上手く化けられないだろう。何故だか分かるかな、ハリー?」

 

ハーマイオニーに頷いてから補足の説明を口にしたルーピンは、今度はハリーへと質問を放った。ハリーは隣でぴょんぴょんと手を挙げるハーマイオニーを見ながら、やりにくそうに返答を放つ。精神的な成長がどうあれ、彼女の『答えたがり』は治っていないらしい。

 

「えーっと……人数が多いから、何に変身したらいいか分からなくなる、とか?」

 

「お見事、その通り。複数人を前にすると、大抵のまね妖怪は混乱して奇妙な姿になってしまうんだ。お世辞にも怖いとは思えないような姿にね。そして本当に退散させたい時には、この呪文を使う。……みんな、杖を構えて。練習してみよう。」

 

言いながらルーピンは杖を構え、生徒たちがそれに倣ったのを見てからゆっくりと杖を振った。

 

リディクラス(ばかばかしい)! こうだ。いいかい? 大切なのは恐怖の反対……つまり、笑いだ。頭の中で笑えるような姿を想像してから、この呪文を唱えるのさ。最初は……ネビル。タンスの前に立ってくれるかい?」

 

文字通りに『馬鹿馬鹿しい』呪文を練習する生徒たちの中から、ルーピンはロングボトムを指名する。いい選択だ、ルーピン。馬鹿馬鹿しいロングボトムが馬鹿馬鹿しい呪文を放つ? さぞかし愉快な光景になることだろう。

 

かなり心配そうな表情でタンスの前へと進み出たロングボトムに、ルーピンは元気付けるように肩に手を置きながら話しかけた。

 

「ネビル、君が一番怖いと思うものはなにかな?」

 

「僕……その、スネイプ先生が怖いです。」

 

「スネイプ先生か。なるほど、よく分かるよ。確かに彼は……うん、ちょっと怖いね。」

 

うんうん頷きながら同意したルーピンは、ほんの少しだけ悪戯な表情で続きを話す。

 

「それじゃあ……そうだな。ネビル、君はお祖母様と暮らしているんだよね? 彼女がいつもどんな服装をしているか思い出せるかい?」

 

「できます。でも、あの……お婆ちゃんに変身するのも怖いです。」

 

「大丈夫。服装だけを強くイメージするんだ。上手くいけば、君のお祖母様と全く同じ服装のスネイプ先生が見られるはずだよ。」

 

ルーピンの言葉を受けて、途端に生徒たちは身を乗り出して集中し始めた。大人気じゃないか、スネイプ。ファッションショーでも開いたらどうだ?

 

私が脳内でスネイプ・コレクションを繰り広げている間にも、ルーピンとロングボトムは準備を終えたようだ。ロングボトムは未だ腰が引けているが、多少やる気になっている。

 

生徒たちが注目する中、ルーピンが杖を振ってタンスを開くと……中からのっそりとスネイプが歩み出てきた。ほう、これは面白いな。まね妖怪ごときが吸血鬼の縄張りに住み着くはずもなく、実際に目にしたのは初めてなのだ。

 

ロングボトムは本物そっくりのスネイプに多少怯んだ様子だったが、意を決したように杖を振り上げると、震える声で呪文を放つ。

 

「リ、リディクラス!」

 

パチンという音と共にスネイプが……おいおい、ロングボトムの祖母はこんな格好をしているのか? レースで縁取りされた赤いドレスに、ハゲタカ付きの赤い帽子。おまけに赤いハンドバッグだ。赤、赤、赤。レミリアと気が合いそうだな。

 

しかし、生徒たちは大爆笑だが、私としてはさっきより怖く見えるぞ。スネイプがこんな服装で歩いてきたらと思うと……おお、ゾッとする。

 

「そら、次々いこう! パーバティ、前へ!」

 

若干笑いを堪えている様子のルーピンの声で、今度はパチルが前に進み出た。するとまね妖怪は血塗れで包帯がぐるぐる巻きのミイラへと姿を変える。なんともまあ、ステレオタイプなイメージだ。ミイラが血を流すはずがないだろうに。返り血なのだろうか?

 

「リディクラス!」

 

私がどうでもいいことを考えている間にも、パチルが呪文を唱えてみれば……うーん、お粗末。ミイラは自分の包帯に絡まってすっ転んでしまった。

 

続いてトーマスが前に出ると、ドジなミイラは蠢く手首へと姿を変える。それをぼんやり眺めたところで、ふと冷静になった心が問いかけを放ってきた。私の恐怖とはなんだ?

 

次々とまね妖怪を相手取る生徒たちを他所に、湧き上がってくる好奇心を感じ始める。うーむ、自分で考えても全然思いつかないぞ。紅魔館の面々の死体とかか? ……いや、恐怖とはちょっと違う気がするな。

 

なんというかこう……ニュアンスが違うような気がする。恐怖というかは悲しみに近いし、そもそも死ぬのが想像できるのはアリスと咲夜くらいだ。その二人の死体とか? ……なんかピンとこないな。

 

とはいえ、他にそれらしい恐怖は思い浮かばない。他の吸血鬼なら太陽だろうが、能力で対処できる私には当てはまらないのだ。嫌いだの苦手だのだったら幾らでも思いつくんだが……。

 

ま、考えていても仕方があるまい。せっかく目の前にまね妖怪が居るのだから、ここは一つ試してみようじゃないか。思考から復帰してみれば、ちょうどロンが蜘蛛にローラースケートを履かせたところだった。上手く立てなくってシャカシャカしちゃってるようだ。

 

「よし、次は……バートリ?」

 

歩み出る私を見てルーピンはかなり焦った顔になるが、構わずまね妖怪の前へと進むと……うーん? 変身する途中のぐにゃぐにゃで動きを止めてしまったぞ。妖怪同士じゃ読み取れないのか?

 

「ほら、変身したまえよ。」

 

言葉を理解するかは知らんが、一応声をかけてみれば、真っ黒なもこもこ……ああ、雨雲か。まね妖怪は雨雲へと姿を変えた。そりゃまあ、怖いっちゃ怖いが……さすがに『恐怖』とは言えないはずだぞ。鬱陶しいっていう感覚の方が近い。

 

「……リディクラス。」

 

興が削がれたような気分で適当に杖を振ると、雨雲はわたあめへと姿を変える。そのまま私と交代でハリーが進み出ようとしたところで、ルーピンが割り込んで声を放った。

 

「おっと、こっちだ! ……リディクラス。そろそろ終わりにしよう。ネビル、前へ!」

 

ルーピンは銀色のボール……なるほど、月か。月に姿を変えたまね妖怪をゴキブリに変えた後、再びロングボトムを呼んで……いやいや、ちょっと待て。そっちのが怖いじゃないか。女子生徒たちが悲鳴を上げてるぞ。

 

ゴキブリ好きのルーピンは女子の悲鳴にキョトンとしながらも、前に進み出たロングボトムへと言葉を放つ。

 

「もうかなり弱ってるぞ、ネビル。やっつけるんだ!」

 

言葉を受けたロングボトムはちょっとだけキリっとした表情になりながら、再び現れたスネイプへと杖を振った。

 

「リディクラス!」

 

まね妖怪は一瞬だけドレス姿のスネイプになるが、生徒たちの笑い声を受けると徐々に形を保てなくなっていき……おや、最後には派手に破裂して消えてしまった。ちょびっとだけ可哀想だな。そんなに凶悪な妖怪じゃなさそうなんだが……。

 

「よくやった! まね妖怪と対決した生徒一人につき三点を上げよう。勿論ネビルは六点だ。二回戦ってくれたからね。」

 

なんともまあ、大盤振る舞いじゃないか。和かな笑みでルーピンが言うと、生徒たちから歓声が沸き起こる。彼は少なくともここにいる生徒たちの心は掴んだようだ。……ふん、アリスは加点無しでも掴んでたぞ。

 

「それと、ハーマイオニーとハリーにも三点ずつだ。質問に答えてくれたからね。」

 

付け足すように言ったルーピンの言葉に、ハーマイオニーは嬉しそうにしているが……ハリーは微妙な表情だな。割り込まれたのがお気に召さなかったらしい。

 

恐らくルーピンはリドルにでも変身すると思ったのだろう。別にそれならそれで良いじゃないか。全員でサンドバッグにでもすれば、いいストレス解消になるだろうに。

 

私が宙吊りのリドルに右ストレートを叩き込む想像をしている間にも、ルーピンが興奮する生徒たちに向かって言葉を放った。

 

「さて、それでは余った時間でまね妖怪についての詳しい説明をしよう。ちょっとしたレポートを宿題に出すから、聞き逃さないように注意してくれ。」

 

ルーピンの言葉を受けて、慌てて生徒たちが彼に注目する。私はまあ……適当に聞き流すことにしよう。前年度に続き、今年も『事情』を知っている者が教師なのだ。宿題なんぞを真面目に出すつもりなどないのだから。

 

───

 

「それじゃあ、今日はここまでにしようか。次回の授業までに、まね妖怪についての羊皮紙半巻きくらいのレポートを書いてきてくれ。」

 

授業が終わると生徒たちはまね妖怪のことを話しながら空き教室を出て行く。ハリーたちに一言かけてからそこに残り、生徒たちが全員出て行ったのを確認してからルーピンに向かって声を放った。

 

「まあまあの授業だったよ、『ヨレヨレ』君。」

 

杖を振って隅に退けられていた机を戻していたルーピンは、それに腰を下ろしながら返事を返してきた。顔にはくたびれたような苦笑が浮かんでいる。

 

「いやはや、懐かしい呼び方ですね。フランドールは元気ですか?」

 

「それはまた、答えに迷う問いかけだね。……元気だが、元気じゃないよ。」

 

私にとっての『元気なフラン』というのは、かつての天真爛漫な笑みを浮かべていた頃のフランだ。ルーピンにも言わんとすることは分かったようで、少し寂しげな微笑に変わって口を開いた。

 

「ああ、何となく分かりました。随分と大人びた手紙を書くようになったとは思ってましたが……変わったんですね。フランドールも、私も。」

 

「そして、ブラックもね。」

 

私からブラックの名前が出ると、途端にルーピンの顔が強張る。憎しみ……ではないな。悲しみと困惑が混ぜこぜになったような表情だ。後悔というのが最も近いか?

 

そのまま押し黙ってしまったルーピンに、フランが言っていたことを話してみる。彼もまたブラックと親しかった友人なのだ。もしかしたら考えを一致させるかもしれない。

 

「……フランはブラックがジェームズ・ポッターを裏切ったとは思っていないらしいよ。キミはどう思う? 馬鹿げた考えだと思うかい?」

 

「フランドールはそんなことを? ……私には、分かりません。信じたいとは思っています。何度もそのことを考えました。」

 

頭を押さえて俯きながら、ルーピンは絞り出すように続きを話す。

 

「しかし、何度考えても守人はシリウスなんです。ジェームズやリリーが選ぶとすれば、私、フランドール、ピーター、コゼット、アレックス、そしてシリウスの中の誰かでしょう。その内コゼットとアレックス、それにピーターは有り得ない。裏切ったとすれば、死ぬ必要などなかったはずだ。」

 

その通りだ。咲夜の両親は言わずもがなだし、ペティグリューにしたって裏切ったのならブラックに復讐しようとするはずがない。皮肉にも、失敗して死んだことが説得力を増している。

 

私が考えている間にも、ルーピンの話は続く。

 

「そして私とフランドールを除けば、残るのはシリウスだけ。……そもそも、自分じゃないならそう証言するはずでしょう? あの頃の私は信頼されていなかったかもしれないが、フランドールには伝えられたはずだ。だから私は……分からないんです。あいつが何を考えているのかが。何を考えていたのかが。」

 

大きなため息と共に言い切ったルーピンに、私もため息を零しながら話しかける。疑ってはいるようだが、フランほど強い確信ではないらしい。……難しいな。やはり部外者が軽々に判断できるような話じゃなさそうだ。

 

「何にせよ、ハリーにはブラックが何をしたかを話す必要があるぞ。このままだと変に歪んだ状態で伝わる可能性もあるんだ。その前にキミから話してやったほうがいいんじゃないか?」

 

「私が? それは……そうですね。きっと私がやるべきことなんでしょう。分かりました。機会をみて必ず話しておきます。」

 

まあ、これでマルフォイから伝わるよりかはマシになったはずだ。しっかりと目を見て言うルーピンに頷いてから、立ち上がって歩き出す。ドアへと手をかけたところで、振り返って口を開いた。

 

「そうそう、もしもブラックが接触してきたら、魔法省やダンブルドアより前に私に伝えてくれたまえ。フランが話を聞くことを望んでいるんだ。私としては、彼女の望みを叶えてあげたいのさ。」

 

「……ええ、分かりました。フランドールの望みを叶えてやりたいのは私も同じです。誰もが彼女を甘やかしたくなるのだけは、どうやら昔から変わっていないようですね。」

 

「んふふ、全くだね。」

 

思わず浮かんだ笑みのままで言って、ドアを抜けて廊下を歩き始める。フランの『おねだり』の威力はルーピンにも通じるようだ。今なおあの子は友人たちに愛されているらしい。

 

人たらしの小さな吸血鬼を想って苦笑しつつ、アンネリーゼ・バートリは見慣れた廊下を歩くのだった。

 



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クィディッチ・チーム

 

 

「もう少し双子豆を細かく砕きなさい、ヴェイユ。そのままでは上手く溶けないぞ。」

 

咲夜に向かって助言を飛ばすスネイプの姿を見ながら、霧雨魔理沙は小さなため息を零していた。まただ。『噂の』スネイプでさえもこうなのか。

 

ホグワーツでの生活が始まってから一週間。私にとっては頗る充実した日々が送れている。魔法の学校は驚きに満ちているし、授業の内容もヘンテコで気に入った。少なくとも寺子屋のソロバンよりかは百倍楽しい。

 

そんな中、一つの違和感を見つけたのだ。つまり、教師がみんな咲夜に甘い気がするのである。なにも贔屓をしているとまでは言わないが、なんというか……甘いのだ。フリットウィックやルーピンなんかは咲夜の時だけやたら丁寧に杖の振り方を教え、スプラウトはさり気なく一番状態のいい鉢植えを渡す。

 

生徒の名前を間違えまくるビンズも咲夜の名前だけは間違えないし、シニストラは時折……というかかなり頻繁に意味不明な加点をして、フーチは咲夜が飛んだ時だけハラハラと見守っていた。厳格なマクゴナガルでさえも咲夜が呪文を成功させると大袈裟に褒め称えるのだ。

 

おまけに、その現象は何も授業の中だけで起きているわけではない。一年生では授業のない教師ですら咲夜を見ると決まって何かしらの反応を示すのである。無論、いい反応をだ。

 

飼育学のハグリッドはハリーたちが遊びに行くと必ず咲夜へのお土産を渡し、占い学のトレローニーは三度すれ違ったうち三度ともで咲夜の『並外れた』幸運を予言した。数占いのベクトルは仕掛け階段のコツをこっそり教え、ルーン文字のバブリングは咲夜を見るとうんうん頷く。

 

そして授業の最初に冷たい口調で『演説』をかましたスネイプでさえ……この有様である。別に文句はないが、ここまでくると気になってくるぞ。

 

私の疑問を他所に、咲夜は慌てて豆を砕き直しながらスネイプに礼を言った。彼女自身はそんなに奇妙なことだとは思っていないようだ。

 

「はい、スネイプ先生。ありがとうございます。」

 

「構わんよ。分からない箇所があったら聞きたまえ。」

 

『分からない箇所があったら聞きたまえ』だと? ハリーの話を聞く限り、お前はそんなキャラじゃないはずだぞ。ベタベタ髪の冷血漢じゃなかったのか?

 

咲夜の下を離れたスネイプを観察してみると、他の生徒……特にグリフィンドール生に対しては明らかに不親切だ。助言どころか冷たい皮肉を飛ばしている。教師としてどうなんだってレベルに。

 

つまり、ハリーやロンの『スネイプ像』は間違っていなかったわけだ。そうなると尚更のこと疑問が募る。何故咲夜にだけ甘いんだ?

 

目の前のユリの根を刻みながら、隣で一生懸命に豆をすり潰している咲夜に話しかける。

 

「なあ咲夜、スネイプと知り合いなのか?」

 

「スネイプ『先生』よ、魔理沙。知り合いっていうか……リーゼお嬢様が言うには両親の同級生らしいの。会ったのは初めてだけどね。」

 

「それじゃあ、他の先生とは?」

 

「校長先生とは会ったことがあるけど、他の先生とはホグワーツに来てから初めて会ったわ。……もう、変なこと聞く暇があったら調合を進めてよ。根っこは刻み終わったの?」

 

ジト目で聞いてくる咲夜に、ぴったり2ミリ幅で刻み終わった根を指差す。こういう作業は大得意なのだ。目を瞑ってたってやれるぜ。

 

私の刻んだ根に文句のつけようがないことを確認した咲夜は、念入りにすり潰した豆を鍋に入れながら黒板に書いてある手順を確認し始めた。

 

「えーっと……豆が終わったら根を入れて、反時計回りに四回半かき回す。そしたらヤギの胆汁を三滴入れるのね。」

 

「その前に胆汁とカエルの血を混ぜないとだけどな。いやはや、手順が先の方に書いてある辺りがなんとも嫌らしいぜ。」

 

「うっ……そうね。危なかったわ。」

 

先に全部熟読しておかないと失敗する書き方なのだ。非常に意地悪な書き方である。……まあ、慎重さを学ぶことはできるだろうが。魅魔様もよくやってた手口だ。

 

何にせよ咲夜はそれを学べたようで、もう一度黒板を見つめながら穴がないかをチェックし始めた。

 

「胆汁が終わったら……うん、ヤマアラシの針を使うわね。準備しておいてくれる?」

 

「へいへい、先っぽを切って5ミリ幅だろ?」

 

「……その通りよ。」

 

ちょっと悔しそうに言う咲夜に苦笑しながら、手早く針にナイフを走らせる。未だにライバル視されているようだ。

 

正直なところ、咲夜が私をどう思っているかはよく分からん。突っかかってくるくせに授業では当然のようにペアを組むし、妙に冷たくなったかと思えば一転して気を遣ったりもする。そこまで悪いようには思われていない感じなのだが……。

 

ひょっとしたら、どう関わったらいいのかが分からないのかもしれない。リーゼやアリスの話からすれば彼女は人外に囲まれて育ったのだ。ある意味では箱入りお嬢様だとも言えるだろう。……めちゃくちゃ物騒な箱だな。

 

そのせいでちょっとズレた子になってしまったというのが私の読みだ。例えばリーゼに対する態度なんかも、本人は『忠義の使用人』を気取っているようだが、私からすれば親に甘える子供にしか見えない。

 

恐らく本気で仕えたいと思っているのではなく、褒めてもらったりするのが嬉しいのだろう。つまりお手伝いの延長線だ。『お嬢様方』の自慢をしてくる時なんかは、まるっきり『パパとママ』の自慢に聞こえるし。

 

まあ……私が口出しすることではないな。見たところリーゼも承知の上で付き合ってるようだし、他人の家庭に口を出すのはご法度だ。それが吸血鬼の家庭なら尚更である。私に迷惑がかかってるわけじゃないし、別段不満もないのだから。

 

脳内の思考にケリをつけたところで、胆汁を入れ終わった咲夜が声をかけてきた。

 

「よし、後は針を入れて煮込むだけよ。準備できてる?」

 

「おう、完璧だぜ。」

 

針を渡すと、咲夜は慎重な顔でそれを鍋に入れ始める。……ま、悪いヤツじゃないことはもう理解したのだ。こういう友人も悪くないだろう。少なくとも観察してて退屈はしない。

 

「……何を笑ってるの?」

 

「何でもないさ。ほら、弱火にしないとコゲつくぞ。」

 

「もう、早めに言ってよ!」

 

うーむ、抜けてるところも高ポイントだ。いいスパイスになってるぞ。慌てて火力を調整する銀髪の友人を眺めつつ、ちょっとだけ笑みを浮かべるのだった。

 

───

 

午前中の授業が終わり、昼食のために大広間へと向かうと……おっと、リーゼとハリーたちだ。『パパ』の姿を見つけて嬉しそうに走り寄っていった咲夜に続いて、ハリーの隣へと座り込む。

 

「よう、ハリー。クィディッチの件は話してくれたか?」

 

もう完全に慣れたイギリス料理を皿に盛りつつ聞いてみれば、ハリーはブラッドソーセージを頬張りながら答えてくれた。……慣れたは慣れたが、それとハギスだけは今でも苦手だ。

 

「ああ、ウッド……キャプテンね。に話しておいたよ。今すぐにレギュラーってのは難しいかもだけど、試験はやってくれるってさ。」

 

「まあ、実力次第だろうしな。その辺は理解してるさ。受けられるだけでもありがたいぜ。」

 

よしよし、少なくともチャンスは得られたわけだ。笑顔で礼を言うと、ハリーは大きく頷きながら補足を伝えてくる。

 

「明日はちょうど練習があるし、その時はどうかって言ってたよ。来れそう?」

 

「おう、絶対行く。競技場でいいんだよな? 箒は……学校のを使うか。」

 

「僕のを貸すよ。ニンバスには休み中に何度か乗ったし、少しでも慣れた箒の方がいいでしょ?」

 

「へへ、願ったり叶ったりだな。ありがたいぜ。」

 

ここまで手を貸してもらうんだ、最悪でも補欠くらいには入ってみせねばなるまい。決意を新たに普通のソーセージを追加でいくつか皿に乗せていると、パスタを飲み込んだロンが口を開く。

 

「僕も応援に行くよ。ハリーの話を聞く分だと、マリサはいい飛び手らしいしな。きっと合格できるさ。」

 

「あんがとよ、ロン。……ロンも受けたらどうだ? クィディッチ好きなんだろ?」

 

「僕は……うん、今年はいいかな。応援する側で頑張るよ。」

 

「そうか? 残念だな。」

 

言いながらケチャップをたっぷりとかけているところで、テーブルの向こう側から話し声が聞こえてきた。咲夜がいつもの『報告』をしているようだ。

 

「魔法薬学は難しかったけど、なんとか上手く出来ました。スネイプ先生にも褒められたんです!」

 

「おや、それはかなり珍しいことだよ、咲夜。よくやったぞ。私も鼻が高い。」

 

「えへへ。……まあ、魔理沙にかなり助けられましたけど。私一人だと失敗しちゃってたかもです。」

 

「ふぅん? 魔理沙は魔法薬学が得意なタチなのか? あの授業は向き不向きがハッキリするはずだが。」

 

おっと、こっちに話が飛んできたか。慌ててソーセージを飲み込んでから、聞いてきたリーゼに向かって言葉を放つ。

 

「得意っていうか、同じようなことを師匠から習ってたんだよ。だからまあ、ちょっと先取りしてる感じなのかもな。」

 

「魅魔からか。それならホグワーツでの魔法薬学なんてお遊びに見えるだろうね。」

 

「さすがにそこまでじゃないが……何か逸話があるのか?」

 

魅魔様はあまり過去を語ってはくれない。聞くといつもはぐらかされてしまうのだ。好奇心に従って問いかけてみると、リーゼは苦笑しながら話し始めた。

 

「逸話ってほどじゃないが、彼女の作る薬はかなりの評判だったからね。父上も重宝していたらしいよ。」

 

「へぇ。薬師みたいなことをやってたのか。初めて知ったぜ。」

 

「魅魔は各地を転々としてたせいで、中々手に入らないってのが拍車をかけたんだそうだ。今残ってる分は馬鹿みたいな値段がついてるよ。……というか、『値段がつけられなくなってる』が正しいかな。秘薬扱いさ。」

 

「そいつはまた、さすがは師匠だな。」

 

こうして聞いてみると、やっぱり魅魔様は凄いんだと実感する。なんだって幻想郷では隠れ住むようなことをしているんだろうか?

 

私が感心しているのを見て、リーゼはニヤリと笑ってオチをつけてきた。

 

「ま、それと同じくらいに悪名も広まってたけどね。薬を知る者は毒も知る。魅魔のせいでその言葉を実感した者は多いはずだよ。もちろん身を以てね。」

 

「あー……なるほど。想像つくぜ。」

 

恨みも腐るほど買ってたわけだ。うん、まあ……魅魔様らしいっちゃらしい逸話だった。今も昔もあんまり変わってないってことか。

 

苦笑いで納得していると、話を怪訝そうに聞いていたハーマイオニーが口を開く。

 

「なんだかよく分からないけど、マリサのお師匠様は有名な薬師なの? 教科書とかに載ってたりするのかしら?」

 

「んー、多分載ってないと思うぞ。私はほら、日本の出身だから。師匠もそっちの人なんだ。」

 

「あら、残念。でも、それならマホウトコロじゃ有名人かもね。」

 

「そうかもな。」

 

正確には載っている可能性もあるが、間違いなく偽名だろうし、確実に『悪しき人物』の欄に分類されているはずだ。魅魔様には悪いが、知らぬ存ぜぬで過ごしたほうがいいだろう。

 

まあ、本拠地はアメリカだったと言ってたし、大丈夫だよな? ……もし魅魔様に恨みを持ってるヤツに襲われそうになったら、リーゼのとこに逃げ込もう。私に太刀打ちできるはずがない。

 

尊敬する師匠の悪戯気な笑みを脳裏に浮かべながら、ほんのちょっとだけ憂鬱な気分でソーセージをもう一つ頬張った。

 

───

 

そして翌日。ハリーと共に競技場へと到着した私は、手短な注意事項を聞いた後、グリフィンドールの選手たちが見つめる中で試験をすることとなった。体調は万全だ。言い訳はできまい。

 

ハリーから借りたニンバスに跨って上空に浮かび上がると、少し離れてクアッフルを手にしたキャプテンをしている七年生……ウッドが声を放つ。ちょっと緊張してきたぞ。

 

「いいか、今から俺がクアッフルを投げる! キャッチした瞬間に投げ返してくれ! なるべく正確にな!」

 

「オッケーだ!」

 

風が強いせいで大声になっているウッドにこちらも大声で了解の返事を返してから、その瞬間を待っていると……来た! 最初は甘めのボレーパスだ。

 

そんな感じの球を数回難なくキャッチしてやれば、ウッドはニヤリと笑いながら徐々に難しい球を放ってくる。なぁに、入学前にハリーと飽きるほど練習したんだ。このくらいならなんとかなるぜ。

 

かなり遠くに飛んだクアッフルを逆さまになりながら取ったあたりで、今や満面の笑みになっているウッドが大きく頷きながら声をかけてきた。

 

「いいぞ、マリサ! チェイサーとしては合格点だ! 次は……よし、スニッチを追ってみよう!」

 

よしよし、とりあえずは合格点をもらえたらしい。思わずガッツポーズしながらウッドに続いて地面に下りると、彼はボールが入った箱からスニッチを取り出して私に見せてくれる。

 

美しい透き通った羽がついた金色の小さな球。……これがスニッチか。さすがにスニッチを使った練習はできなかったせいで、実際に見るのはこれが初めてだ。芸術品のような美しさを感じてしまう。

 

「こいつが数多のプレーヤーを悩ませる金の妖精だ。幸運の女神にもなれば、疫病神になることもある。ま、こっちは練習用だけどな。……いいか? 今から離すから、しっかり目で追っておけ。一分過ぎたら合図する。そしたら追いかけてキャッチするんだ。」

 

「分かった。いつでもいいぜ。」

 

私が返事するとウッドはスニッチを離して……おいおい、滅茶苦茶速いな。これで練習用か? 一気に上空まで上がって、そのままビュンビュンと飛び回るスニッチをひたすらに目で追う。落ち着け、落ち着け。予測はするな。ハリーの話じゃ、規則性は皆無のはずだ。反射で捉えるしかない。

 

目を眩ませる太陽を恨めしく思いながら必死に追っていると……ようやくウッドが合図を送ってきた。

 

「よし、いいぞ! 行け!」

 

「おう!」

 

まだ追えてるぞ! 思いっきりスピードを上げてから、先ずはスニッチよりちょっとだけ上空に位置取る。太陽が上にある以上、上昇するより下降する方がいいはずだ。そのまま慎重に近付いて……今だ! 一気に急降下しながら右手を伸ばす。

 

「……っ!」

 

くそっ! 後数センチのところで逃げられてしまった。慌てて周囲を見回すが、中々金色の妖精は見つけられない。ほんの一瞬目を離しただけなのに。

 

そのまま必死に数分探し回ったところで、箒に乗って上がってきたウッドが苦笑しながら声をかけてきた。……時間切れか。

 

「そこまでだ。……おいおい、落ち込むなよ、マリサ。練習用だろうが何だろうが俺だってスニッチを取るのは難しいんだし、プロもそれは変わらないんだ。正直言って最初の急降下は見事だった。一年生ってのが信じられないくらいだよ。」

 

「それでも悔しいもんは悔しいぜ。……試験は終わりか?」

 

「ああ、終わりだ。とりあえず下りてこい。スニッチは……まあ、後でみんなで探そう。どうせ競技場からは出て行かないはずだ。」

 

ぐうぅ……滅茶苦茶悔しい。ちょっと落ち込みながらグラウンドへと下りていくと、そこにはグリフィンドールの選手たちが集まっていた。何だ? さっきまでは遠巻きに見ていたはずだが。

 

キョトンとした顔の私が地面に下り立つと同時に、全員が手を差し出しながら自己紹介を放ってくる。

 

「アンジェリーナ・ジョンソン。五年生で副キャプテンよ。ポジションはチェイサー。よろしくね、マリサ!」

 

「アリシア・スピネット。同じく五年生のチェイサーだよ。よろしく。」

 

「ケイティ・ベルだ。四年生のチェイサー。見事な箒捌きだったよ、マリサ!」

 

ドレッドヘアで快活そうなのがアンジェリーナ。大柄で気の強そうなのがアリシアで、茶色のくせっ毛で優しそうなのがケイティか。口々に人懐っこい笑みを浮かべながら自己紹介をしてくる女子三人に、あたふたと握手を返していると……休む間も無く今度は赤毛の双子が声をかけてきた。なんなんだ、一体。

 

「ロンから話は聞いてたぜ。……まあ、あいつが言うより全然上手かったけどな。俺がフレッド・ウィーズリーで──」

 

「俺がジョージ・ウィーズリーさ。五年生で、ポジションはビーター。ブラッジャーは任せときな。」

 

双子と握手すると、最後にハリーとウッドが歩み出てくる。これは……ひょっとして、合格ってことなのか?

 

「まあ、言うまでもないけど、ハリー・ポッターだ。ポジションはシーカー。こうやって自己紹介できるのは本当に嬉しいよ、マリサ。」

 

「そして俺がキャプテンのオリバー・ウッドだ。ポジションはキーパー。……ちょっと奇妙に思うかもだが、こうやって自己紹介するのが伝統なんだよ。驚かせてすまんな。」

 

「えーっと……つまり、チームに入れるんだよな? 私。」

 

「その通りだ。とりあえずは補欠ってことになるが、試合にもちゃんと出すぞ。来年のことも考えれば、若い選手を育てるのも大事だしな。」

 

ウッドの言葉でようやく実感が湧いてきた。合格……合格だ! 思わずガッツポーズを決めると、チームメイトたちは笑顔で私の髪をクシャクシャにしてくる。ぬおお、頭がぐわんぐわんするぞ。

 

「おいおい、なにすんだ!」

 

「クィディッチプレーヤーってのは髪をクシャクシャにしてるもんなのさ。これでマリサも立派なプレーヤーだ。」

 

ケラケラ笑いながら言う双子のどっちかの言葉で、私の顔にも笑みが浮かんできた。そういうことならまあ、許してやるか。

 

そうと決まれば、アリスから箒を送ってもらわなくちゃいけないな。箒の整備に、練習、一番下っ端なんだから雑用もやらないとかもしれない。きっと忙しくなるぞ。

 

でも、頑張れば試合に出れるかもなんだ。そう思うと自然と笑顔が浮かんでくる。……やってやるぜ。

 

笑い声の響く競技場で、霧雨魔理沙は満面の笑みを浮かべるのだった。

 



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代理戦争

 

 

「見ろよ、最初のホグズミード行きの日が決まったってよ。十月末。ハロウィンの昼だ!」

 

監督生が壁に貼っていった紙を指差して興奮するロンを横目に、アンネリーゼ・バートリは次なる一手を熟考していた。こいつ……休みの間にまた強くなったな。エジプトに行ってまでチェスをしてたのか?

 

どうやらホグズミード行きの日にちが決まったらしいが、今の私にとってはチェスの方が大事なのだ。談話室のテーブルに置かれたチェス盤にはかなり不利になった私の駒たちが置かれている。現状は二戦して引き分け中。ガキに負け越すなど私のプライドが許さんぞ。

 

ちなみにソファの左隣にはレポートを長々と書いているハーマイオニーが、右隣には私の肩に凭れかかってウトウトしている咲夜がいる。ハリーと魔理沙は当然ながらクィディッチの練習中だ。もう陽が落ちそうなのに、まだ帰ってくる気配はない。

 

三連覇が懸かっているのに加え、ウッドは今年で卒業となるのだ。結果としてかのクィディッチ狂は凄まじい気迫で練習計画を組み立てているようで、それに巻き込まれた二人はクィディッチ漬けの日々を送っている。十月の夕空は寒かろうに、なんともご苦労なことだ。

 

羊皮紙半巻きと言われていた宿題を既に二巻き以上書いているハーマイオニーが、チラリと貼り紙を見ながら口を開いた。

 

「楽しみだわ。リーゼも行くわよね?」

 

「いや、私はパスだ。ハロウィンは咲夜の誕生日なんだよ。祝ってやらないと可哀想だろう?」

 

いつでも行けるホグズミードと、一年に一度の誕生日。どちらを優先すべきかなど言うまでもあるまい。それが咲夜の誕生日なら尚更だ。

 

それに、ルーピンもその日にハリーへとブラックの件を伝える気でいるらしい。うじうじと延び延びにしていたのをやっと決意したのだ。なんともまあ、今年のハロウィンもイベントが盛りだくさんじゃないか。

 

トロールと猫の石像を思い出している私に、瞼を落としかけている咲夜が囁いてくる。ほぼ寝てる顔だな、これは。

 

「えへへ、ありがとうございます、リーゼお嬢様。」

 

「なぁに、当然だろう? ここ二年は一緒に過ごせなかったんだ。これからはきちんとお祝いするさ。」

 

「はぁい……。」

 

そっと頭を膝に乗せてやりながら言うと、咲夜は幸せそうに目を閉じて寝息を立て始めた。うーむ、よく寝る子だ。寝る子は育つというが……あんまり背が高くなられても困るな。どうせ追い越されるにしたって、差がつきすぎると悲しくなるぞ。

 

私のローブをギュッと握りながら眠る咲夜を見て、ハーマイオニーが微笑みつつも口を開く。

 

「うーん……それなら私も残ろうかしら? ホグズミード行きの日は何回もあるんだしね。」

 

「おや、気にしなくていいんだよ? 結構楽しみにしてたんだろう?」

 

「この前の私の誕生日はサクヤにお祝いしてもらったし、私もちゃんと祝ってあげたいのよ。うん……そうね、ホグズミードはまた今度に回すわ。」

 

柔らかく咲夜の頭を撫でるハーマイオニーの言葉に、ロンも苦笑しながら頷いた。

 

「それなら、僕も残るよ。ハリーも行けないっぽいし、一人で行ってもつまんないだろ? 悪戯専門店はちょっと惹かれるけど……ま、友達と過ごすのが一番さ。」

 

「おやおや、いい先輩たちじゃないか。」

 

「そう思うなら、一手待ってくれよ。そう来るとは思わなかったんだ。」

 

「それとこれとは話が別さ。」

 

どうやらギリッギリで勝てそうだ。悔しそうにロンが呻き始めたところで、疲れ果てた様子のハリーと魔理沙が扉から入ってくる。なんともまあ……ボロボロじゃないか。重労働を強いられた後の囚人みたいだ。

 

ヨロヨロと私たちのソファに近付いてきた二人は、口を開くのも億劫な様子で声を放ってきた。

 

「疲れたよ……ウッドが新戦術を編み出したんだ。敵も味方も、めちゃくちゃ疲れるやつをね。」

 

「私は寝るぜ。もうだめだ。」

 

ハリーはドサリとロンの隣に座り込んだが、魔理沙は短く声を放って寝室へと向かって行く。十一歳の女の子にはキツすぎる練習量だったようだ。

 

それを全員が苦笑しつつ見送ったところで、ハリーたちよりかは元気を残している様子の双子の声が聞こえてきた。彼らも貼り紙を見つけたらしい。

 

「よっしゃ、ハロウィンか。ベタベタキャンディも発煙かんしゃく玉も切れてるし、ゾンコの店に行かないとな。」

 

「となると、臭い玉はギリギリ保ちそうだ。あとは……よし、糞爆弾も買い込もうぜ。期限が切れそうなやつは全部使っちゃってさ。」

 

録音してマクゴナガルに聞かせてやりたい台詞だな。思わずため息を吐きながら顔を上げると、曇り顔のハリーが見えてきた。ホグズミードに行けないのが悲しいのだろう。双子のことを羨ましそうに見つめている。

 

ホグズミードに行くには許可証への保護者のサインが必要になるのだ。つまり、ハリーの場合は叔父か叔母のサインが。そして妹を膨らまされた叔父がサインを書いてくれるはずもなく、許可証無しのハリーはホグズミードには行けないのである。いやまあ、『風船事件』無しでも怪しいとこだとは思うが。

 

夏休み直前の顔を先取りしているハリーに、苦笑しながら話しかけた。

 

「ハリー、心配しなくても大丈夫だ。ハロウィンは咲夜の誕生日でね。私は当然だし、ハーマイオニーとロンも残ってくれるそうだよ。」

 

「それは……うん、よかったよ! そっか、サクヤの誕生日なんだ。僕もお祝いを用意しないとだね。」

 

おや、途端にハリーの顔は天気空に変わったぞ。なんとも現金なもんだ。苦笑を強めながらチェックをかけて、なんとか五百歳の尊厳を守り切る。……もうロンからの勝負は受けない方がいいかもしれない。

 

そのままハリーとロンがウッドの新戦術とやらを話し始め、私がハーマイオニーのレポートをぼんやり眺めていると……オレンジ色の毛玉が凄まじい勢いで談話室に突っ込んできた。ハーマイオニーが誇るぶさいく猫、クルックルッなんとかだ。

 

「スキャバーズ!」

 

スキャバーズ? クルックルッなんとかじゃないのか? ロンの悲鳴のような声に従ってよく見てみれば……おっと、毛玉の視線の先で哀れなネズミが必死に逃げ回っているのが見えてきた。どうやら毛玉ちゃんは狩りの時間を楽しんでいるらしい。

 

「クルックシャンクス、ダメよ!」

 

クルックシャンクスだったか、惜しいな。ハーマイオニーの注意も聞く様子はなく、毛玉は狂ったようにロンのネズミを追い回している。本能ってものを感じさせる一幕じゃないか。よっぽどお腹が空いているようだ。

 

「誰かその猫を止めてくれ!」

 

ロンの声で数人のグリフィンドール生が立ち塞がるが、残念ながら毛玉は見事な運動神経でそれを避けて行く。ハリーのダイビングキャッチも……ダメだな。地上じゃ連勝シーカーも形無しだ。クィディッチが空飛ぶ猫を追う競技じゃなくてよかったな。

 

個人的にはこの世からネズミが一匹減るのは大歓迎なんだが……まあ、ここで毛玉がネズミを食えば、ハーマイオニーとロンの関係が悪化するのは目に見えている。咲夜の誕生日を和やかに終わらせるためにも、毛玉ちゃんのディナーは取り上げるべきだろう。

 

「キミたちは魔法使いだろうに。何かの魔法を使いたまえよ。……アクシオ、クルックシャンクス。」

 

ちょっと呆れながら呼び寄せ呪文を使ってみれば、飛んできた毛玉ちゃんは私の右手に収まった。バタバタと暴れるそいつの首根っこを掴んで、全然可愛くない潰れ顔を見ながらボソリと話しかける。

 

「やあ、毛玉ちゃん。大人しくしておいてくれ。咲夜が起きちゃうだろう?」

 

スヤスヤ眠る咲夜を目線で示して言ってやると、毛玉はにゃあごと鳴いてから大人しくなった。ほう、結構賢いじゃないか。

 

「クルックシャンクス! ダメじゃないの! メッ!」

 

ハーマイオニーが駆け寄ってきて私から受け取った毛玉を叱るが、ロンはそれどころではないらしい。収納棚の隙間に入り込んだネズミを必死になって摑み出そうとしている。

 

「ロン、呼び寄せ呪文を使えば一発だぞ。毛玉はデカいから難しいかもしれないが、ネズミなら楽勝だろう?」

 

「僕はまだ使えないんだ。リーゼ、頼めるかい? ハーマイオニーはその猛獣を離すなよ!」

 

かなり怒った顔でハーマイオニーに注意するロンに従って、収納棚に向かってもう一度呼び寄せ呪文を使う。すると飛んできたネズミが私の手に……む、埃まみれでばっちいな。しもべ妖精どもは棚の下の埃を見落としたようだ。

 

「アクシオ、スキャバーズ。……やあ、ネズミ。災難だったね。」

 

「ありがとう、リーゼ。そら、こっちにおいで、スキャバーズ。」

 

ジタバタと暴れている今にも死にそうなネズミをロンに引き渡すと、彼はそれを大事そうに胸ポケットに入れながらハーマイオニーを糾弾し始めた。おやおや、今度は飼い主の代理戦争が始まったぞ。

 

「おい、ハーマイオニー! その猫は檻かなんかに閉じ込めておけよ! ただでさえスキャバーズは弱ってるんだ。いつか本当に食われちまうぞ!」

 

唾を撒き散らしながら怒るロンに、ハーマイオニーも負けじと反論する。ペットのこととなると誰もが熱くなるようだ。

 

「クルックシャンクスはそれが悪いことだって分からないのよ! それに、猫はネズミを追いかけるものだわ。本能なんだから仕方ないでしょう?」

 

「その本能とやらでスキャバーズが死んだらどうするつもりだ!」

 

「きっとジャレてただけよ! 殺したりなんか……しないわよ。たぶん。」

 

どうやらハーマイオニーが劣勢だな。なんたって、毛玉がネズミを食い殺そうとしていたのは誰の目から見ても明らかなのだ。どんな弁護士でもこれを覆すのは困難だろう。

 

ロンにもそれはよく分かっているようで、怒鳴り声を上げながら寝室へと歩いて行った。

 

「いいか、男子寮にいるのを見かけたら蹴っ飛ばしてやるからな! その猫を絶対に入れないでくれよ!」

 

「ひどいわ、ロン! クルックシャンクスが可哀想よ!」

 

「スキャバーズはもっと可哀想だ!」

 

ドスドスと荒い足取りで男子寮へと上っていくロンを見ながら、ハリーが私の耳元でそっと囁いた。

 

「ロンは僕が。そっちはハーマイオニーを頼むよ。」

 

「全くもって……お互い苦労するね。了解だ。」

 

かなり疲れた表情のハリーに苦笑いで頷いてから、毛玉をギュッと抱きしめているハーマイオニーへの言葉を探し始める。どうやら面倒な喧嘩が始まってしまったらしい。長引かなければいいんだが……。

 

この騒ぎでも一切目を覚まさなかった咲夜の寝顔を見ながら、ちょっとだけため息を吐くのだった。

 

───

 

そして代理戦争は三日経っても終息の様子を見せなかった。お陰で授業がやり難くて仕方がないぞ。今日の薬草学は季節外れに実ってしまった花咲か豆の収穫なのだが、ハーマイオニー、私、ハリー、ロンの順で並び、両隣の二人は目も合わせようとしない始末だ。

 

既に私は面倒くさくなって匙を投げたせいで、喧嘩のしわ寄せは全てハリーに向かっている。結果として今の彼は酷使された中間管理職のような有様だ。厳しい練習も相まって、そろそろ若白髪が生えてくるかもしれない。

 

全員が黙って豆を鞘から出している中、ハリーが無理しているのが丸わかりな明るい声で共通の話題を投げかけてきた。

 

「あー……そういえば、サクヤの誕生日プレゼントは決めた? 被らないようにしないとでしょ?」

 

「ああ、私は絶対に被らない自信があるから気にしなくていいよ。好みを知ってるのは家族の特権なのさ。」

 

銀製のナイフをオーダーメイドで作らせたのだ。被る心配は皆無だろう。私の返答を聞いて、ハーマイオニーとロンがそれぞれ『ハリーと私』に向かって口を開く。

 

「私はマグルの世界の洋服よ。この前トランクに紛れ込んでたファッション雑誌を見せてあげたら、かなり興味深そうにしてたから。ママに手紙で頼んで買っておいてもらったの。」

 

「僕はお菓子の詰め合わせだ。あの年頃ならやっぱりお菓子さ。……マグルのヘンテコな服なんか貰っても嬉しくないだろうし、成長期なんだからすぐに着れなくなるだろ?」

 

「『誰かさん』と違って、サクヤはちゃんとオシャレに関心があるみたいなのよ。服なんか幾らあっても困らないわ。いっつも毛玉だらけの同じ服を着てる『誰かさん』とは違ってね。」

 

「ハリーやリーゼは何にしたんだい? もし洋服にしようってんならやめた方がいいぜ。人にはそれぞれ趣味ってもんがあるんだ。洋服は自分で選ぶものなのさ。押し付けられちゃ堪んないだろ?」

 

そら、また始まったぞ。豆を鞘から取り出しつつ、お互いに決して目を合わせないままで罵り合っている。一事が万事この調子なのだ。もう付き合ってられん。

 

ノーコメントを決め込んだ私に対して、哀れな中間管理職は勇敢にも仲裁に入った。彼の辞書には不可能という文字は存在していないようだ。

 

「えーっと……洋服もお菓子もいい選択だと思うよ、うん。僕は何にしようかな? クィディッチ観戦用の双眼鏡とか? きっとサクヤはマリサを応援したいだろうし。」

 

「いい選択だわ、ハリー。お菓子よりかはよっぽどマシよ。誰もが自分と同じ精神年齢だと思わないで欲しいわよね。」

 

「そりゃいいな、ハリー。僕もリーゼに双眼鏡を贈ってもらった時は嬉しかったし、洋服とかいうバカみたいな贈り物より全然良いと思うぜ。」

 

そして現代のナポレオンも匙を投げた。モゴモゴと何かを言った後、黙って豆の収穫作業に没頭し始めたのだ。賢い選択だぞ、ハリー。どうせ何を言っても悪化するだけなのだから。

 

いつもならこのまま授業の終了まで無言タイムが続くのだが、今日の二人はひと味違うらしい。やおらロンが『本題』を口にし始めたのだ。

 

「……あの猫を家に送り帰したらどうだ? それでみんなが幸せになれるだろ?」

 

ハーマイオニーの方を見ずにボソリと言うロンに、ハーマイオニーもまたロンを見ずにポツリと呟く。

 

「クルックシャンクスは悪意なんかないのよ。それで私と引き離されるなんて可哀想だわ。スキャバーズをちゃんとカゴに入れておけばいいだけでしょう?」

 

「スキャバーズの方が先輩なんだぞ。元からいたスキャバーズが不便を強いられて、なんだって新入りのあの猫が堂々と闊歩できるんだ? 理不尽だとは思わないのか?」

 

徐々にボルテージが上がってきたロンに引き摺られるように、ハーマイオニーもまたほっぺたを赤くしながら言葉を放つ。ハリーはアタフタと二人を交互に見て、私はひたすら豆の収穫だ。……しかし、この豆は何に使うんだ? 私たちだけでも桶一杯分は収穫したぞ。

 

「あのね、クルックシャンクスには広い場所が必要なの。体の大きさから見てもそれは明らかでしょう? スキャバーズはカゴの中でも充分に運動できるわ! もし必要なら、私が回し車でもプレゼントするわよ。」

 

「回し車? 回し車だって? スキャバーズをバカにしてるのか? 大体、スキャバーズはずっと自由に過ごしてたんだ。それがいきなりカゴの中だなんて……可哀想だと思わないのか!」

 

「ネズミはカゴの中で飼うものよ、ロン! それがあるべき姿ってもんだわ!」

 

「マグルのネズミとは違うんだ! スキャバーズは賢いんだから、自由を与えられて然るべきはずだぞ!」

 

今や怒鳴り合いに発展した喧嘩は温室中に響き渡っている。パチルとブラウンが巻き添えを恐れて避難し、フィネガンとトーマスが殴り合いに備えて引き離せるようにと身構え、ロングボトムが大口を開けて心配そうにキョロキョロし始めた辺りで……遅いぞ。向こうからドスドスとスプラウトが走ってきた。さっさと止めてくれ。

 

「何をしているんですか! ここは喧嘩をする場所ではありませんよ!」

 

「ハーマイオニーのせいです! ハーマイオニーが僕のネズミを殺そうと──」

 

「もう知らない!」

 

ロンの殺鼠宣言を受けて、とうとうハーマイオニーが決壊してしまったようだ。ポロポロと涙を流しながら、豆をロンにぶん投げて温室を飛び出して行った。ああ……とうとうこうなったか。

 

花咲か豆がぶつかったせいで身体中花だらけになったロンは、それを荒々しく振り払いつつも口を開く。

 

「泣かれたって、今回ばかりは謝らないぞ! スキャバーズの命が懸かってるんだ!」

 

まあ……今回に限ってはロンに非があるとは言えまい。実際にネズミが殺されかけたのは確かだし、あの猫をどうにかしない限り危険なままなのだ。

 

怒りから一転して困惑し始めたスプラウトが事情を聞くのを見ながら、アンネリーゼ・バートリは大きなため息を吐くのだった。

 



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リトル・ハングルトン

 

 

「それじゃあ、まだ残ってるんですね?」

 

『首吊り男』という寂れたパブの店主に、紅美鈴はそう聞き返していた。さすがにここじゃご飯を食べる気にならないな。天井に蜘蛛の巣が張ってるぞ。

 

かなりの寄り道をしまくった挙句、ようやく私と小悪魔さんはリドルの生誕の地であるリトル・ハングルトンにたどり着いたのだ。小さな町……というか村で、魔法文化は一切感じられない。まあ、マグルの文明も感じられないが。

 

民家と、牧場、それに畑。時代から取り残されたかのような物凄くつまらん村で分霊箱なる物を探さねばいけない私は、村に唯一あったボロボロのパブで情報収集をしているのである。さすがにちょっと遊び歩きすぎたせいで、お嬢様から怒りの手紙が届いたのだ。ここらで成果を上げなければなるまい。

 

私の問いを受けた店主は、皺くちゃの顔を歪めながら答えを寄越してくる。さすがに老人って歳でもなさそうなのに、なんだってこんなに皺だらけなのだろうか?

 

「おう。残っちゃいるが、ここの連中はあんまり近付こうとしねぇんだよ。不気味な館だからな。今は庭師のフランク……館の近くに住んでる爺さんだ。そいつが一人で管理してるはずだぜ。今の持ち主は……あー、税金対策? で持ってるだけみてぇだから。」

 

「それじゃ、こっちはどうですか? ゴーント家。この辺に昔住んでたはずなんですけど……。」

 

この地で調べるべきなのは三箇所。リドルの父親の墓地と、今詳細を聞いていたリドル家の館。そして最後にゴーント家だ。どうやって調べたのかは知らんが、お嬢様が言うにはそれらは全部この村の近くにあるらしい。

 

再び質問を受けた店主は、今度は困ったように首を傾げてしまった。ありゃ、こっちは知らんのか?

 

「ゴーント? ……ああ、昔かあちゃんに聞いたことあるような気がすんな。おーい、かあちゃん! 下りてこいよ!」

 

店主が奥の階段の方に大声で呼びかけると、やがてヨボヨボのお婆ちゃんがゆっくりゆっくり下りてくる。片目は白く濁り、明日にでもポックリ逝きそうな見た目だ。

 

「かあちゃん、ゴーント家って知ってっか? このお嬢ちゃんがわざわざ調べにきたみてぇでな。昔聞いたような気がすんだが。」

 

「ぇえ?」

 

「ゴーント! ゴーント家だ!」

 

耳が遠いのだろう。店主が大声で叫ぶと、ようやくお婆ちゃんは頷いた。……すっごい嫌そうな顔で。少なくとも愛される隣人ではなかったようだ。

 

「ああ、ゴーントかい。知ってるよ。あの胸糞悪い気狂いどもだろう? 村はずれの森にいつの間にか住み着いて、いつも外国の言葉で喋ってた。穢れてるだのなんだのって、あたしたちを馬鹿にする時だけ英語だったがね。」

 

「今も家は残ってますか?」

 

「ぇえ?」

 

「今も、家は、残ってますか!」

 

面倒くさいお婆ちゃんだな。大声で聞き直してやると、お婆ちゃんはゆっくりと頷きながらもごもご言葉を付け足す。チラリと覗いた口内には、もう片手で数えられる数の歯しか残っていない。

 

「知らないね。誰も近付こうとはしないし、興味もないのさ。……ふん、姿を見なくなって清々したよ。ああいうのがいると村の雰囲気が悪くなっちまう。消えちまうのが一番だ。」

 

鼻を鳴らして答えたお婆ちゃんは、再びゆっくりゆっくり店の奥へと戻って行った。まあ、一応存在してたことは分かったのだ。その森とやらに行ってみれば分かるだろう。

 

一歩一歩確かめるように階段を上っていくお婆ちゃんを見ながら考えていると、心配そうな顔の店主が話しかけてくる。言葉こそ粗暴だが、そんなに悪いやつではないらしい。

 

「あの森に行くなら気ぃつけろよ? 猟師の連中が残した罠があるはずだ。なんなら、連中に頼んで案内をつけてやろうか? 明日になっちまうが、その方が安全だぞ?」

 

「いえいえ、平気ですよ。フィールドワークは慣れてますから。……それと、これは情報のお礼です。」

 

私が差し出した札束を見て、店主は硬直して動かなくなってしまう。んん? 多過ぎたか? それとも逆に少ないとか? 支払い関係は小悪魔さんに任せてたせいで、加減がよく分からんのだ。

 

「えっと、足りないですかね?」

 

「とんでもねぇ。……おい、なんか危ない話じゃねぇよな? 俺ぁ巻き込まれるのは御免だぞ。」

 

おっと、やっぱり多過ぎたか。にへらといつもの笑みを浮かべつつ、首を振って適当な返事を返した。

 

「まさか。長年調べてた場所なので、嬉しくってちょっと多くなっただけですよ。……不満だったら減らしましょうか?」

 

「いや、いや! それはやめてくれ! 有り難く貰っておく。……酒はいらねぇか? つまみもあるぞ?」

 

「もう行きます。さっきのお婆ちゃんにもよろしく言っておいてください。」

 

途端に慌て出した店主に背を向けて、ぼろっぼろのドアを抜けて外に出る。そのまま秋の匂いのする空気を吸って大きく伸びをしていると……外で待っていた小悪魔さんが声をかけてきた。木の柵に寄りかかって遠くの牛を眺めていたようだ。

 

「どうでした? 情報、手に入りましたか?」

 

「ええ。思ったよりも早く見つかりそうですよ。リドルの館と墓地は向こうで、ゴーント家はあの……ほら、あっちにある森の中だそうです。残ってるかは分かんないですけど。」

 

「んー……それじゃ、先に館に行きましょうか。その後墓に行って、最後にゴーント家。どうですか?」

 

「任せますよ。それでいきましょう。」

 

何処だろうが別に興味ないのだ。舵取りは小悪魔さんに任せた方がよかろう。二人で舗装など一切されていない道を歩き出しながら、隣を歩く小悪魔さんに質問を放つ。

 

「しかし、なんだって外で待ってたんですか?」

 

「こういうパブは苦手なんです。なんかベタベタしてるじゃないですか。ああいうのに触ると、ゾワゾワってしちゃうんですよ。」

 

「あー、確かにベタベタしてましたねぇ。」

 

あのベタベタの正体はなんなんだろうか? 油汚れとはちょっと違う感じがするのだが……ひょっとしたら、パブをベタつかせる変わり者の妖怪がいるのかもしれない。枕をひっくり返すとかいう訳の分からん趣味のヤツもいたし。

 

ふむ。ここで分霊箱が見つからなかったら妖怪のせいにしてみようかな? 妖怪分霊箱隠し、みたいな。無理か? ……無理か。さすがに趣味が限定的すぎる。いたとしたら退屈でとっくに死んでるはずだ。

 

私がどうでもいいことを考えていると、小悪魔さんが小石を蹴っ飛ばしながら愚痴を放ってきた。ここ最近はお嬢様やパチュリーさんへの愚痴で盛り上がってたのだ。下働きはつらいのである。

 

「しかし、ふた月ちょっと遊んでただけであんなに怒られるとは思いませんでしたよ。幾ら何でも人間っぽくなりすぎですよね。」

 

「まあ、そうですねぇ。ヨーロッパ大戦の時は一、二ヶ月遊んでた程度じゃ文句は言われなかったんですけど……感覚が短命種に近付いちゃったんでしょうか?」

 

そうだとすればちょっと迷惑で、かなり羨ましい。それだけ密度の濃い日々を送っているのだろう。うーむ、政治ってのはそんなに楽しいのだろうか? 私から見れば窮屈そうなだけなのに。

 

そのまま愚痴り合いながら牧歌的な風景を背に歩いて行くと、だんだんと田舎に不釣り合いな館が見えてきた。んー、デカいっちゃデカいな。紅魔館に比べると小屋だが、この辺の家と比べれば城だ。丘の上に建っているせいで尚更迫力がある。

 

とはいえ、想像してたのとは全然違う。なんかこう、陰気な雰囲気が漂ってるぞ。総石造りのせいで館というか砦に近い。……煉瓦にすれば多少マシになるのに。建てたヤツはセンスがなかったようだ。

 

「あれですか。……なんか思ってたのと違いますね。もっとこう、小綺麗なのをイメージしてたんですけど。邸宅、みたいな。」

 

一つの小石を器用に蹴り続けている小悪魔さんに話しかけてみると、彼女も首を傾げながら答えてきた。悪魔から見ても褒められるような館ではなかったらしい。

 

「うーん、地方による建築様式の違いじゃないですか? 確かに石造りってのはあんまり見ないですよねぇ。」

 

話しながらも更に近付いてみれば、壁やら窓やらは酷い有様になっているようだ。見えてるだけでも窓の半分は割れてるし、石壁には苔が生え、塀は所々が崩れている。極め付けに館全体が蔦だらけだ。正にお化け屋敷といった感じだな。

 

「ありゃー、ボロボロになっちゃってますね。悪魔だって住みませんよ、あれは。」

 

「庭師の人がいるとか言ってましたけど……この様子じゃ作業は殆どしてなさそうですね。雑草だらけじゃないですか。」

 

小悪魔さんが呆れたように言うのに返事を返して、立派とは言い難い錆びついた門に近付いてみると……む、前言撤回だ。物凄いノロさで雑草を毟っているお爺さんが見えてきた。

 

スローモーションもかくやという具合のお爺さんを見て、小悪魔さんは顔を引きつらせながら口を開く。

 

「わぁ……あの様子じゃ草が伸びる方が早いですよ。跡継ぎとかいないんでしょうか? 人間ってのは『働きたがり』ですねぇ。」

 

「いやぁ、あれだけ遅いとむしろ哀れです。同じ庭師としては同情もんですよ。……すいませーん! 入ってもいいですかー?」

 

終わらない草むしりに励む爺さんに声をかけてみると……うわぁ、なんかめちゃくちゃ怒ってるぞ。何を勘違いしたのか、鎌をブンブン振り回しながら近付いてきた。まあ、片足を引き摺っているせいで歩いてても逃げ切れそうだが。

 

「あんだ、お前らは! まーたガラスを割りに来たのか? 塀に落書きしに来たのか? 許さんぞ! ここは私有地だ! 法律違反だ!」

 

うーむ、どうやらこの館は近所の悪ガキどもの遊び場となっているらしい。……恐らくは『度胸試し』の。田舎すぎて他に遊ぶ場所もないのだろう。ピコピコを買えばいいのに。

 

何れにせよ面倒くさいことになりそうだな。当身で気絶させちゃおうかと考えていると、やおら杖を取り出した小悪魔さんがそれを振った。前回の戦争で死喰い人から奪い取った杖の一つだ。持ってきてたのか。

 

「えーっと、インペリオ! ……あれ? インペリオ! インペリオ!」

 

……あー、何にも起きないぞ。私もキョトンとしてるし、怒ってたはずの爺さんもキョトンとしている。未だブンブン杖を振っている小悪魔さんを見て、場を微妙な空気が包み込んでしまった。

 

「あれぇ? 合ってるはずなんですけど……インペリオ! インペリオ! ……ダメですね。やっぱ慣れた方法が一番です。」

 

「何だ、お前たちは。一体何を──」

 

「はいはい、私の眼を見てくださいねー。私たちはこの館の主人です。……そうですよね?」

 

「……ああ、そうだった。こりゃ、とんだ失礼を。お帰りになるとは思わなかったもんで、片付けもまともに──」

 

ふむ、どうやら諦めて魅了に切り替えたようだ。昔聞いた話によれば吸血鬼の魅了とはまた違った能力だということだが……わっかんないな。従姉妹様がやってたのとおんなじに見えるぞ。

 

私が魅了の謎について考えている間にも、お爺さんの説得……というか洗脳は済んだらしい。鍵束から門の鍵を探し出しているお爺さんを尻目に、納得いかない表情の小悪魔さんが話しかけてきた。

 

「あのお爺さんがお墓も案内してくれるそうです。……しかし、何がダメだったんですかねぇ。本の通りにやったんですけど。」

 

「そもそも何の呪文を試そうとしてたんですか?」

 

「服従の呪文とかってやつです。なんか……その、相手を服従させるやつ。」

 

「それだと全然情報が増えてませんよ。……まあ、魅了でいいじゃないですか。語感から察するに、同じような呪文なんでしょう?」

 

慣れた方法が一番だろうに。肩を竦めて言う私に、小悪魔さんはニヤリと笑って答えを返す。

 

「分かってませんねぇ、美鈴さん。魔法が使えた方がカッコいいじゃないですか。それにほら、履歴書にも書けますし。『特技、杖魔法』って。」

 

「えぇ……必要ですかね? それ。」

 

「絶対必要です! でも、もっと練習しないとですね。私のキャリアのためにも! ……インペリオ! インペリオ!」

 

ようやく門を開いたお爺さんに杖を振りながら小悪魔さんは屋敷の方へと歩いて行く。そしてお爺さんはそれを好々爺の笑みで見ながら先導し始めた。どういう設定になったのかは聞いてなかったが、子供のお遊びとでも思っているようだ。……あれだな、側から見れば変な三人組なのだろう。

 

今度は玄関の鍵を探し始めたお爺さんと、延々杖を振りながら呪文を唱え続けている小悪魔さん、そしてそれを微妙な表情で見ている私だ。廃屋のような館も相まって、さぞ意味不明なことだろう。

 

ちょびっとだけ呆れたため息を吐きながら、玄関へと一歩を踏み出すのだった。

 

───

 

そして小悪魔さんの呪文は一切成功することはなく、分霊箱の手がかりすら見つからないままで館と墓地の探索は終わった。父親の墓まで掘り起こしたってのに、普通に骨が出てきただけだったのだ。掘って埋めてをやってる間に陽が沈む時間になっちゃったぞ。

 

意気消沈する私たちは村はずれの森へと入り、最後の望みであるゴーント家へと向かっているのだが……。

 

「ううー、虫だらけじゃないですかぁ。もうやめましょうよー。」

 

小悪魔さんがこの有様なのである。どうもゴーント家へと通じる道は既に植物に侵食されてしまったようで、道なき森を彷徨いながら目的地を探す羽目になってしまったのだ。

 

「悪魔なんだから平気ですって。ほら、行きましょうよ。」

 

「悪魔だって虫は嫌いなんです! それにもう真っ暗ですよ? 明日にしましょう、そうしましょう。」

 

「夜はむしろ悪魔の時間じゃないですか……。」

 

「そして虫の時間でもあります。」

 

真顔で言う小悪魔さんにちょっと怯む。……まあ、確かに楽しい気分ではない。よく分からん甲虫が顔に激突してくるし、茂みを掻き分ける度に毛虫がぽろぽろ落ちてくるのだ。

 

ちなみに先程小悪魔さんが空から偵察してみたが、木々が邪魔すぎて何にも見つからなかったらしい。……ここにリドルが来たとは思えんぞ。もし来てたら蚊に刺されまくってるはずだ。それとも、虫除け呪文とかがあるのだろうか?

 

もし存在するならガーデニングに使えそうだと考えていると……。

 

「ぬあっ、ぐっ……うぅ、もう嫌です! せめてアリスちゃんから偵察用の人形を借りてきましょうよ!」

 

掻き分けた枝が跳ね返ってきて、それが顔に激突してベシャリと転び、最後に頭の上に毛虫が落っこちてきた小悪魔さんが怒りの声を上げた。地面に仰向けに倒れたまま、梃子でも動かんという目でこちらを見ている。こりゃダメそうだな。

 

「あー……はい。それじゃあ今日は戻ってアリスちゃんに手紙を送りましょうか。」

 

「そうです! そうするべきなんです!」

 

顔を這い回る毛虫を遠くにぶん投げた小悪魔さんは、ぷんすか怒りながら来た道を戻って行く。苦笑しながら哀れな毛虫が宙を舞うのを見送ったところで……おっと、どうやら未だ小悪魔さんの受難は続きそうだ。

 

「小悪魔さん、小悪魔さん。あれ。」

 

「なんですか、もう! さっさと大きい街に戻ってやけ食いを……あれって、家ですか?」

 

多分家だ。いやまあ、小屋ってのが近いか? 何にせよ、毛虫が飛んでいった先に人工物が僅かに見えているのだ。そして、見えたからには行かねばなるまい。

 

物凄く嫌そうな小悪魔さんと一緒に家らしきものに近付いて行くと、やがてその全貌が明らかになった。赤土の壁にはびっしりと蔦が生い茂り、所々めくれ上がっている屋根にはよく分からん虫の巣が引っ付いている。ここまでくると崩れてないのが奇跡だな。

 

「うわぁ、入るの嫌なんですけど。絶対に中は虫だらけですよ。保証します。」

 

「ちゃっちゃと調べて帰りましょうよ。ほらほら、私が先に行きますから。」

 

嫌そうな小悪魔さんを先導してドアへと向かうと……蛇? 蛇の骨が打ち付けられているようだ。釘の錆を見る限りでは、まだ『身』があるうちに打ち付けられたらしい。

 

「悪趣味ですねぇ。」

 

この様子だと誰も住んでいまい。ポツリと呟きながらノック無しでドアを開けようとした瞬間──

 

「うわっと。」

 

なんじゃこりゃ? 骨の蛇がいきなり動き出して噛み付いてきた。ギリギリと私の腕に噛み付く感じからするに、人間だったら腕を噛み千切られてるぐらいの強さだ。痛くはないが、ムズムズするぞ。

 

これって、さすがに生きてるわけじゃないよな? 魔法か? 腕に巻きつき始めた骨蛇を見ている私に、小悪魔さんがかなり慌てた声で話しかけてくる。

 

「わー! 美鈴さん! 噛まれてますよね? 噛まれてますよねそれ! 噛まれてるじゃないですか!」

 

「いやいや、こんなんじゃあ皮膚を抜けませんって。」

 

こんなもん痒いだけだ。適当に頭を砕くと、蛇の全身はポロポロと崩れ落ちてしまった。……しかしこれは、ひょっとするかもだな。何せこんな仕掛けがあったのは初めてなのだ。

 

「こういう仕掛けがあるのは、単に魔法使いが住んでた家だからですかね? それともリドルが仕掛けていったとか?」

 

「わかんないですけど、私は後ろからついて行きますね。怖いので!」

 

「はーい。」

 

素早い動きで私の後ろに陣取った小悪魔さんを背に、今度はドアを蹴っ飛ばしてぶち破る。ここまでは小悪魔さんが案内やら推理やらをやってたし、肉体労働なら私の出番だろう。これこそ正しい役割分担というもんだ。

 

ドアの先に見えてきたのは、木製の家具が転がるリビング兼ダイニングだった。テーブル、椅子、戸棚にキッチン、そして暖炉。思ったよりも普通の部屋だな。……壁一面に打ち付けられている蛇を除けばだが。

 

優に百匹以上はいるだろう。これをやったヤツは余程に蛇が嫌いだったか、異常に好きだったかのどっちかだな。なまじ部屋が普通なだけに、壁にズラリと並ぶ蛇が際立って異様に見えてしまう。

 

「あれ、全部動いたりしませんよね?」

 

「分かんないですけど、一応私の側から離れないでくださいね。」

 

「もちろんです!」

 

私のジーンズを掴みながらついてくる小悪魔さんに注意を飛ばして、ゆっくりとドアを抜けて部屋に入る。ギシギシと頼りない床を進んでみると……いやぁ、予想通りじゃないか。壁の蛇が一斉に襲いかかってきた。

 

「ひゃああぁ!」

 

「だいじょーぶです。屈んでてください。」

 

壁から飛び付いてくる蛇は拳で砕き、床を這い寄ってくるのは脚で潰す。この程度なら楽なもんだ。気を使う必要すらない。……むしろ家を壊さないように注意しないといけないな。床なんてすぐ貫けちゃいそうだ。

 

打ち砕いて、踏み潰して。握り潰して、蹴り砕いて。それらをひたすら流れ作業で続けていると、ようやく部屋に静寂が訪れた。うーむ、あんまり手応えはなかったな。

 

「……よしよし、終わりですね。もう大丈夫ですよ、小悪魔さん。」

 

私の声を受けて、頭を抱えて屈んでいた小悪魔さんが恐る恐る立ち上がる。もう帰りたさそうな表情だ。

 

「なんなんですかぁ、ここ。他にも絶対何かありますよ。なかったらパチュリーさまの前で本をビリビリに破いたっていいです。」

 

「遠回しな自殺じゃないですか、それ。」

 

「そのくらい自信があるってことですよ!」

 

うーん、確かにこれで終わりとは思えない。一応キッチンの戸棚やら食器棚やら暖炉やらを調べてみるが、この部屋には分霊箱らしき物はないようだ。怪しい物は全部壊してみたから間違いなかろう。

 

小悪魔さんも同感のようで、二つある扉のうち一つを指差しながら声をかけてきた。

 

「んー、ここは外れですね。次は……あっち! あっちを調べてみましょう。外観からするに、あっちにもう一部屋あるはずです。」

 

「はーい。」

 

ってことは、もう一つはトイレとかだろうか? ぼんやり考えながらもドアをぶち破って覗いてみれば……これはまた、怪しすぎる部屋だ。さっきよりも狭い部屋の中央には真っ黒な小箱が鎮座していて、他には何一つ見当たらない。手のひらサイズで滑らかな表面をしている。

 

「罠がありますよね、これ。」

 

「あります。絶対あります。……さあ、美鈴さん! やっちゃってください!」

 

「はいはい。」

 

さすがの私でもこれは分かるぞ。小悪魔さんの指令を受けて、とりあえず一人でゆっくりと小箱に近付いて行くと……ありゃ? 普通に近付けてしまった。

 

「んん? なんか大丈夫そうですよ? ひょっとしてこの箱に──」

 

拍子抜けして小箱に手を伸ばした瞬間、頭上から何かが覆い被さってくる。黒い……マントか? 大きな布っぽい物体だ。素早く落ちてきたにしては重さを感じないぞ。

 

「わー! わー! 美鈴さん! 大丈夫ですか? 大丈夫なんですか?」

 

「いや、大丈夫ですけど……んー、何ですかねこれ。取れないです。」

 

剥ぎ取ってみようとするのだが、黒マントは私に絡み付いて離れようとしないのだ。何というか……濡れてくっ付いてくる布みたいな感じで。肌に貼り付いてくるのがなんとも気持ち悪い。

 

そのまま黒マントが私を覆い尽くしたところで、今度は首の辺りをギリギリと締めつけてくる。……ひょっとして、生き物なのか? これ。

 

「ど、ど、どうすればいいですか? 火でも点けますか?」

 

「それだと私まで燃えちゃうじゃないですか。ちょっと待っててくださいね……。」

 

どうも窒息させようとしているらしいそいつから、抜け出そうとジタバタ足掻いてみるが……ああもう、面倒くさいな! 適当な場所に爪を引っ掛けて、一気に逆方向へと力を入れた。まあ、要するに引き裂いてしまったわけだ。

 

そしてその選択は半分成功で半分失敗だった。謎の生き物は確かに真っ二つに引き裂かれたのだが、体液らしきものが一気に降りかかってきたのだ。真っ黒な、ベタベタするやつが。

 

「……私、どうなってます?」

 

「えーっと……その、真っ黒です。タール塗れみたいな感じに。」

 

……最悪だ。しかもなんか変な臭いがするし。未だ引っ付いていた黒マントの片っぽをベシャリと捨てた私に、小悪魔さんが恐る恐る声をかけてきた。

 

「あの、杖魔法で綺麗にしてみますか? 失敗しても怒らないならやってみますけど……。」

 

「お願いします。幾ら何でもこれ以上酷くなるってのはないでしょう。」

 

「それじゃ、コホン。スコージファイ!」

 

小悪魔さんが呪文を唱えると……うん、まあ、改善はした。少なくとも黒いベタベタは消えたのだ。代わりに泡塗れになってしまったが。

 

「……怒ってます?」

 

「……いえ、さっきよりはマシです。」

 

引きつった笑みで聞いてくる小悪魔さんに答えてから、再び小箱へと手を伸ばす。ここまでやって外れだったらさすがに怒るぞ。空とかじゃないだろうな。

 

左手で取ったそれを無言で振ってみると、中からカラカラという音が聞こえてきた。少なくとも何かは入っているようだ。かなり小さな何かが。

 

「開けてみてくださいよ。」

 

ソロソロと近寄ってくる小悪魔さんに従って箱をくるくると回してみるが……うーん? 継ぎ目がないな。こんなもんどうやって開けるんだ? 正方形のそれには一切の開け口が存在していないように見えるぞ。

 

小悪魔さんに聞いてみようかと口を開いたところで、ちょっとした異変に気付いて思わず腕をブンブン振る。……おいおい、リドルが仕掛けたんだとすれば、念入りにも程があるな。箱にまで仕掛けがあったのか。

 

「あのー、小悪魔さん。これ、手のひらにくっ付いて離れないんですけど。……それにどんどん重くなってきました。現時点で車くらいの重さです。」

 

「ちょ、ヤバいじゃないですか! ちょっと待っててください! きっと何か解く条件があるはずですから!」

 

キョロキョロとヒントが無いかと部屋を探し始めた小悪魔さんを横目に、もう片方の手で掴んで思いっきり引き離そうとしてみるが……ダメだ。左手に完全にくっ付いちゃってるようでビクともしない。

 

既に昔象を持ち上げた時よりも重くなってるし、この分だとどこまで重くなるか分かったもんじゃないぞ。……よし、壊しちゃおう。疲れるし。

 

右手を大きく振り被って、気を纏った拳を左手の箱へと叩きつけた。

 

「そぉ、れっ!」

 

さすがに全力とまでは言わないが、そこそこ本気の一撃だ。……鳴り響いた轟音に小悪魔さんがびっくりするくらいには。一言伝えといたほうがよかったかもしれないな。

 

ゆっくりと拳を退かしてみると、ひしゃげてしまった箱が見えてきた。うーむ、壊れてしまったようだ。もはや手にくっ付いてはこなくなったし、もう重くもない。

 

「……めちゃくちゃしますね。絶対リドルは予想してませんでしたよ、その解決法。」

 

「まーまー、いいじゃないですか。今回の知恵比べは私の勝ちですね。」

 

「知恵?」

 

呆れた顔の小悪魔さんを尻目に、箱の中身を取り出してみる。隙間をベキベキと引っぺがしていくと、小さな指輪が入っているのが見えてきた。大きめの暗い緑の石がついた、二匹の蛇が絡み合う意匠の金の指輪だ。

 

「これ、分霊箱ですかね?」

 

「美鈴さんの『知恵』で曲げてみてくださいよ。曲がらなかったら分霊箱です。」

 

ふむ。リングの部分を摘んで千切ってみようとしてみるが……おお、凄いな。曲がりもしないぞ。明らかにただの指輪ではない。

 

「わお。全然壊せないですよ、これ。」

 

「ってことは分霊箱の可能性アリですね。……さ、そうと決まれば帰りましょう! もうこのお化け小屋には居たくないです!」

 

「まあ、そうしましょうか。私も帰ってひとっ風呂浴びたい気分ですしね。」

 

清々したと言わんばかりの小悪魔さんに従って、指輪を片手に出口へと歩き出す。成果も上げたことだし、しばらくはゆっくり出来そうだ。

 

黒い水溜りが出来てしまった部屋を背に、紅美鈴はゆっくりと歩き出すのだった。

 



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恒例行事

 

 

「誕生日おめでとうな、咲夜。」

 

ハロウィンの朝。ベッドから起き上がった咲夜に対して、霧雨魔理沙はプレゼントを差し出していた。……実はちょっとドキドキしている。何せ誕生日プレゼントを渡すのなんて初めてなのだ。

 

つまり、幻想郷には誕生日などという文化はなかったのである。普通にみんな数えで通してたし、そんなハイカラなことをやっている奴は見たことがない。私が知る中で一番近いのは七五三だが……まあ、全然違うってのは何となく分かる。

 

寝起きの咲夜は私が差し出した小さな包みを見つめてキョトンとしていたが、やがて事態を飲み込んだようで、頰を赤らめながらボソボソとお礼を言ってきた。

 

「ん……その、ありがと、魔理沙。開けて見てもいい?」

 

「おう。こういうのに慣れてないもんで、正しい贈り物かは分からんが……気に入ってくれれば嬉しいぜ。」

 

コクリと頷いた咲夜は、慎重な手つきで小さな包みを開けていく。中に入っていたプレゼントを取り出すと、それを見ながらポツリと呟いた。

 

「緑の……リボン? 二つあるわね。」

 

「ああ。幻想郷……故郷から持ってきた生地で作ったんだ。私の師匠が作ってくれた生地だから、かなり頑丈なはずだぜ。何を贈ったらいいかがよく分かんなくてな。それでまあ……なんだ、お前に似合うかと思って作ってみたんだよ。」

 

素材となった布は魅魔様が持たせてくれた物の一つだ。『やり方』を知らなければ傷つけることは出来ないし、燃えもしないという頑丈な代物である。……とはいえ何に使えばいいかさっぱりだったので、今回のプレゼントに利用させてもらったのだ。まさかこの事態を予測したわけじゃないだろうし、何を考えて私に持たせたんだろうか?

 

しかし、今更ながらに後悔してきたぞ。リボンってのはちょっと……古くさかったかもしれない。緊張のせいで長々と説明している私を見て、咲夜はくすりと笑いながら口を開いた。

 

「……うん、気に入ったわ。どうやってつけるのか教えてよ。魔理沙みたいに、三つ編みの先っちょにつけてみるから。」

 

「ん、そうか! よしよし、任せとけ。」

 

よかった。気に入ってくれたようだ。思わず安堵の笑みを浮かべながら、咲夜の髪を弄り始める。先ずは両脇を三つ編みにして……こんなもんか? そこにリボンをつけてみれば、想像通りにしっくりくる感じになった。うんうん、やっぱり似合うな。

 

「似合ってる?」

 

「ばっちりだぜ。それとほら、プレゼントが山積みだぞ。」

 

ベッドの脇にあるプレゼントの山を指差してやると、咲夜は顔を輝かせて一つ一つを見始める。間違いなく時間がかかることだろう。なんたって文字通りの山を作ってるのだ。

 

「紅魔館のみんなからと、先輩たちから。それと……これは誰からかしら? 差出人が書いてないわ。」

 

大量のプレゼントを仕分けしていた咲夜は、そのうちの一つを手に取りながら首を傾げてしまった。私も横から覗き込んでみるが……飾り気のない赤い包装紙に包まれているのは、形から見るに本っぽい感じだ。

 

「本っぽいな。開けてみれば分かるんじゃないのか?」

 

「パチュリー様のはこっちだし……そうね。開けてみましょう。」

 

咲夜はまたしても丁寧な手つきでゆっくりと包装紙を剥がしていく。私ならビリビリに破いてるが、彼女のデフォルトはこれらしい。うーむ、育ちが出るな。気をつけよう。

 

やがて中から出てきたのは、やっぱり本……じゃないな。アルバムか? 赤みがかった革表紙の大きなアルバムのようだ。見たことのない革だが、なんとなく高級そうな雰囲気がある。

 

「アルバム、だよな?」

 

「そうね。……開くわよ?」

 

何故か確認してきた咲夜に頷いてやれば、彼女はゆっくりとアルバムを開く。すると中には……咲夜? 咲夜の写真が並んでいた。

 

「ありゃ? 咲夜だよな、これ。」

 

「違うわ。これって……お母さんの写真よ。」

 

お母さん? ……本当だ。確かに咲夜よりずっと大人びた感じの写真もあるし、よく見れば目の色だけが違っている。咲夜はブルーだが、写真の女性はヘーゼルの瞳だ。目つきも何だか柔らかい。咲夜よりちょっと優しそうな雰囲気だな。

 

押し黙って写真を見る咲夜がページを捲っていくと、他にも蜂蜜色のふわふわした髪が特徴的なおばちゃんや、青い目の真面目そうな男性などが多く映っている。ちらほらとアリスが映っている写真もあるようだ。いやはや、こっちは全然変わらんな。

 

「この写真でお母さんと一緒に映ってるのがお父さん。こっちでアリスに引っ付いてるのがお婆ちゃん。……みんな、笑ってるわね。」

 

動く写真を指差しながらポツリポツリと声を放つ咲夜は、少しだけ悲しげな表情を浮かべている。

 

咲夜の両親が他界しているのはリーゼとの会話でなんとなく察していた。察してはいたのだが……今の彼女を見ていると、改めてそのことを実感する気分だ。

 

私も幼い時に母親を亡くしているが、少なくとも親父は生きてる。……まあ、魅魔様に弟子入りしたせいで勘当されてしまったが。家を飛び出して以来、一切会っていないのをなんだか考えさせられる気分だ。

 

邪魔をしないように見ていると、どうやらアルバムの後半はホグワーツで撮ったものが大部分を占めているらしい。咲夜の祖母らしき人物と、見慣れた教師たちが映っているのが見えてきた。

 

まだ髪をお団子にしていない若かりしマクゴナガル。今より痩せたスプラウトや、ヒゲのないフリットウィック。ベロンベロンに酔っ払ってるシニストラに、ケーキを頬張るポンフリー。誰もが咲夜の祖母の隣で楽しそうに笑っている。

 

「咲夜のお婆ちゃんは教師だったのか?」

 

「うん。ずっと呪文学を教えてて、フリットウィック先生と交代してからは防衛術を教えてたんだって。マクゴナガル先生なんかもお婆ちゃんの教え子なのよ? アリスが言ってたわ。」

 

なるほど。教師たちが咲夜に甘い理由はこれか。写真を見る限り随分と慕われていたようだし、その孫……そりゃあ甘くもなるわけだ。それが遺児なら尚更だろう。同じ立場なら私だって世話を焼くぞ。

 

咲夜がそのままペラペラと捲っていくと、最後のページには四枚の写真が収まっていた。その中央には……。

 

「ヴェイユ、か。」

 

私がポツリと書かれている文字を読むと、咲夜は目を細めて四枚の写真を眺め始める。右上には祖母と母親、それに……祖父だろうか? 柔らかい微笑を浮かべている優しげな男性が二人の背中に手を回している。『幸せ』というのを体現しているかのような写真だ。

 

左下には祖母と父親、母親の三人で映っている写真が。そして左上と右下にはそれぞれアリスと祖母の写真と、母親と……吸血鬼? 奇妙な翼を広げた金髪の少女が一緒に映っている。恐らく若い吸血鬼なのだろう。見た目相応の天真爛漫な表情は、リーゼのそれとは大違いだ。見てるだけで和むな。

 

「アリスと……妹様? こんなに楽しそうに笑ってる……。」

 

小さな吐息を漏らしながらアルバムを閉じた咲夜は、少し首を傾げながら疑問を放ってきた。

 

「凄く嬉しいけど、誰が贈ってくれたのかしら?」

 

「いろんな人から写真を集めたっぽいからな。教師の中の誰かじゃないか? 少なくともホグワーツ関係なのは確かだろうさ。」

 

「お礼を言いたいのに……差出人が書いてないんじゃどうしようもないわね。」

 

ちょっと残念そうに言う咲夜は、アルバムを大事そうに仕舞った後でプレゼントの仕分けに戻る。誰だかは知らないが、咲夜を大事に想っている人なのは確かだろう。でなきゃこんな贈り物は出来まい。

 

ほんの少しだけの羨ましさを感じながら、大量のプレゼントを困ったように見ている咲夜に言葉を放った。多すぎてどこから手を付けたらいいか迷っているようだ。

 

「ま、残りは後にしといたほうがいいな。時計を見てみろよ。早く行かないと朝食が無くなっちまうぜ。」

 

「へ? ……本当。寝坊しちゃったみたいね。」

 

「休みなんだから構いやしないけどな。朝食抜きはさすがにキツいと思うぞ?」

 

「そうね。先にご飯を済ませちゃいましょうか。」

 

言いながら着替え始めた咲夜を横目に、なんともなしに包装されたプレゼントの山を眺めていると……おお? 豪華な袋に紛れて一つだけみすぼらしいのがあるな。さっきは陰に隠れて見えなかったようだ。

 

「なぁ、咲夜。変なのがあるぞ。」

 

「んー? 変なの?」

 

「ほら、これ。」

 

小さなそれをひょいと摘んで持ち上げてみると、明らかに古新聞だと分かる包みにビニール紐で封がされている。紐には頑張って綺麗に結んだような形跡はあるが……ゴミじゃないのか? これ。

 

「えぇ……? 何よそれ。ちょっと怖いわね。」

 

「私は誕生日に詳しくないけど、これが間違ってるってのは分かるぞ。……開けてみていいか?」

 

「嫌がらせとかじゃないわよね? 別に恨みを買ってる覚えはないんだけど……一応気をつけて頂戴。」

 

ローブを着終わって近付いてきた咲夜の前で、慎重にビニール紐を外してみれば……ブローチだ。新聞紙に包まれていたのは、包装に見合わぬ美しいピンブローチだった。

 

シルバーの細やかな装飾に、小さな青い宝石がアクセントをつけている。ゴテゴテとした物ではなく、細やかなオシャレって感じの一品だ。うーむ、センスあるな。なんでそれを包装紙にも向けられなかったんだ?

 

「……綺麗ね。」

 

「おいおい……それ、本物のサファイアだぞ。めちゃくちゃ高いんじゃないか?」

 

窓から差し込む朝日にかざす咲夜に、引きつった笑みで言葉を放った。魅魔様のところで宝石を扱った経験があるからよく分かる。何せ黒ずんでない完璧な青なのだ。この大きさでもすごい値段になるぞ、これは。

 

私の言葉を受けて途端に扱いが慎重になった咲夜は、首を傾げながら私に問いかけてきた。

 

「物凄く高い物を新聞紙に包んで送ってきたってこと? ……誰かしら? 全然見当がつかないわ。アルバムの方がまだ分かり易いくらいよ。」

 

「一応、リーゼに見せておいた方がいいかもな。それで大丈夫なら貰っとけよ。ひと財産になるぜ。」

 

「うん……そうね。リーゼお嬢様に見てもらいましょう。」

 

同意すると、咲夜は怪訝そうな顔のままでドアへと歩き出す。しかしまあ、妙なプレゼントが沢山来るもんだ。誕生日ってのはこういうもんなのか? 変なイベントだぜ。

 

難しい外の世界の文化に悩みつつも、霧雨魔理沙は咲夜の背に続くのだった。

 

 

─────

 

 

「……つまり、僕のパパやママが死んだのはブラックのせいなんだよ。ブラックはパパの信頼を裏切ったんだ。命を預けた、その信頼を。」

 

沈んだ雰囲気で説明を終えたハリーを前に、アンネリーゼ・バートリはかぼちゃジュースを飲み干していた。話の暗さも相まって、恐ろしく不味く感じてしまう。

 

大広間ではハロウィンパーティーの真っ最中だ。他の生徒たちは馬鹿みたいに騒ぎつつ、夕食代わりにお菓子を食べまくっているわけだが……私たち四人だけはお通夜のような空気に包まれている。咲夜と魔理沙を避難させておいたのは正解だったな。

 

朝食は良かった。みんなで和やかに咲夜を祝ってたし、ハーマイオニーとロンもさすがに喧嘩することはなかったのだ。場を弁える程度の理性は残っていたらしい。

 

昼食も悪くなかった。ハリー、ロン、魔理沙はいつものようにクィディッチの話を楽しんでいたし、私と咲夜、ハーマイオニー、そしてレイブンクローのテーブルから出張してきたルーナは、咲夜のプレゼント談義に花を咲かせていたのだ。

 

唯一の引っ掛かりは咲夜に贈られてきた謎のプレゼントだが……まあ、気にするほどのものではなかろう。アルバムは恐らくダンブルドアだし、ピンブローチもヴェイユ家関係の誰かのはずだ。一応あらゆる呪文で安全は確認した。無論、かなり執拗に。

 

そして楽しい気分で迎えた夕食は……この有様である。夕食前にハリーを呼び出したルーピンは、どうやら私情を挟まずに事実だけを伝えることにしたらしい。そしてその結果、ハリーは大多数の魔法使いと同じ結論を導き出したわけだ。言わずもがな、ブラックがジェームズ・ポッターを裏切ったという結論をである。

 

四人を包む沈黙を破ったのは、かなり真面目な表情になっているハーマイオニーだった。

 

「ハリー、怒らないで聞いてね。もしもブラックを捕まえようとしてるなら──」

 

「大丈夫だよ、ハーマイオニー。そのことはルーピン先生にも注意された。絶対に無茶はするなって言いたいんだろう?」

 

「その通りよ。私、貴方がどんな気持ちでいるのかは分からないわ。私には想像も出来ないような話だもの。それでも……それだけは約束して頂戴。お願いよ、ハリー。」

 

心配そうに言うハーマイオニーに同意するように、ロンもまた真剣な表情で口を開く。もはや喧嘩などしている場合ではないと考えたようだ。

 

「ハーマイオニーの言う通りだ、ハリー。その話が本当なら、ブラックが君を狙う理由もハッキリしたじゃないか。クソったれのブラックは、やり損ねたことを完遂しようとしてるんだよ。チャンスを与えちゃ絶対ダメだぞ。」

 

「心配しなくても捕まえようとしたりはしないよ。僕だってそこまでバカじゃないさ。」

 

苦笑しながら答えたハリーは、水差しからミルクをコップに注ぎながらポツリと呟いた。

 

「ただ、聞いて欲しくて。ずっとヴォルデモートに殺されたってことしか知らなかったから、細かい事情なんて考えもしなかった。……一人じゃ整理しきれないんだ。こんなことを話せるのは三人だけなんだよ。」

 

怒りや憎しみよりかは、困惑しているといった感じだ。この様子なら少なくとも突っ込んではいかないだろう。内心でちょっと安心しつつ、コップを握りしめて俯くハリーに声をかける。

 

「何にせよ、ブラックはそう長く逃げられはしないさ。魔法省が総出で動いているようだし、忌々しい吸魂鬼どももウロウロしてるんだ。近いうちにアズカバンに逆戻りだよ。」

 

無論、それはそれで困るわけだが。いやまあ、アズカバンに戻る分にはまだいいか。最悪なのは吸魂鬼のキスを受けてしまう場合だ。そうなればフランは悲しむだろうし、フランが悲しめば連鎖的に紅魔館の雰囲気も悪くなる。もう前回の戦争後のような雰囲気は御免だ。

 

そしてそれを防ぐためには、ハリーを守りながら魔法省と吸魂鬼どもを出し抜いて、逃亡中のブラックと接触する必要があるわけだ。……死ぬほど面倒じゃないか。

 

フランには悪いが、ブラックが本当にハリーを殺そうとしている可能性だって残っているのだ。守りを疎かにするわけにもいくまい。

 

内心で今後の苦労を思ってうんざりしている私を他所に、ハリーは神妙な表情のままで同意の返事を口にした。

 

「そうだね。……うん、この話はやめにしよう。ここで考えてても仕方がないことだし、折角のハロウィンパーティーなんだから。」

 

かなり無理をしているのが伝わってくるが、ハーマイオニーとロンも乗っかって明るい声を出し始める。……まあ、一つだけ良いことがあったな。二人が喧嘩を棚上げにしたことだ。

 

「そうね。……ほら、かぼちゃケーキがあるわよ。ロン、好きでしょう?」

 

「ああ、大好きさ! それに、えーっと……パイもあるしね! 無くなる前に確保しようぜ。」

 

ややぎこちない感じだが、若干明るい空気が戻ってきた。ま、私としてもこっちの空気の方が過ごしやすいのだ。ここは流されておくべきだろう。

 

「それじゃ、咲夜と魔理沙も呼び戻そうか。小難しい話は終わりだ。後はみんなでパーティーを楽しもう。」

 

「そうね。サクヤ、マリサ! もう話は終わったわよ!」

 

ハーマイオニーの呼びかけで大事な話があると言って席を外してもらっていた二人が戻ってくるのを見ながら、私もかぼちゃプリンへと手を伸ばした。先ずは満腹になるべきなのだ。美鈴によれば、それこそが幸せの秘訣なのだから。

 

───

 

そしてハロウィンパーティーは終わり、生徒たちは寮へと戻る時間となった。六人で話しながら引率する監督生に従って歩いていると、グリフィンドール談話室の入り口に人集りが出来ているのが見えてくる。おや、寝る前にもひと悶着あるのか?

 

「閉め出されたロングボトムが変死してたかな?」

 

「何バカなこと言ってるのよ。ネビルはパーティーに参加してたでしょうに。ケーキを喉に詰まらせて死にかけてたでしょ?」

 

「どっちにしろ死にそうになってるじゃないか。」

 

ハーマイオニーとアホな会話をしていると、後ろの方から騒ぎを聞きつけたマクゴナガルが歩いて来た。いかにも面倒ですという表情をしている彼女は、そのまま生徒たちの海を掻き分けて談話室の方へと進んで行く。

 

「いいぞ。現代のモーセについて行こうじゃないか。」

 

「もーせ? 人か? 武器か?」

 

「人だよ。エジプトに凄い呪いをかけた聖人。」

 

「呪いをかけたのに聖人? わけわからんぜ。」

 

幻想郷じゃ聖書は出版されてないのか? 魔理沙の素っ頓狂な言葉に、ハリーが微妙にズレた説明をするのを聞きながら進んで行くと……おや、これはまた、さすがはハロウィンだな。ただで終わらせてはくれないようだ。

 

ズタズタに引き裂かれた絵画と、ニヤニヤ笑いながら浮いているピーブズ。つまり、何者かが太ったレディの肖像画を滅茶苦茶にしたらしい。

 

「錆びたナイフでやりましたね、あれは。切れ味が悪すぎます。きっと素人の犯行ですよ。」

 

「咲夜、キミはどの視点から話してるんだい?」

 

咲夜が謎の推理を放っている間にも、マクゴナガルは事情を知ってそうなポルターガイストへと声をかけた。……というかまあ、詰問を放った。

 

「これは……ピーブズ! 一体何があったのですか? まさか貴方がやったのではないでしょうね?」

 

「おっと、残念でした! 大ハズレ! 誰がやったか教えて欲しい? 教えてあげようか?」

 

「何か知っているのならさっさと言いなさい。レディは無事なんでしょうね?」

 

おちょくるようにふよふよ浮いていたピーブズは、急に声を潜めてニタニタ笑いながら語り始める。やることなすこと鬱陶しいな、こいつは。双子の悪戯を見習ったらどうだ。あいつらはきちんと笑いを生んでるぞ。

 

「五階の風景画の方に走ってったよ。……ドレスがボロボロになってたけどね! あいつは癇癪持ちだなぁ。合言葉なしじゃレディが通さないもんで、酷く怒ってたのさ。」

 

「あいつ?」

 

マクゴナガルの問いに満面の笑みを浮かべたピーブズは、廊下に響き渡る大声でその名前を叫んだ。

 

「シリウス・ブラックが現れたぞ! 太ったレディを切り裂いた!」

 

……よし、決まりだ。来年のハロウィンは闇祓いを常駐させよう。ここ三年に起こったことを思うに、それが正しい選択というものだろう。トロール、バジリスク、殺人鬼。もう恒例行事じゃないか。

 

生徒たちが悲鳴を上げる中、アンネリーゼ・バートリはうんざりしたように首を振るのだった。

 



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星と月

 

 

「なんかちょっとワクワクするな、こういうの。」

 

大広間に並べられた大量の寝袋を見ながら、霧雨魔理沙は隣の咲夜へと囁きかけていた。非日常感がなんとも堪らん。

 

シリウス・ブラックなる凶悪犯が城に入り込んだということで、今日は全寮仲良く大広間で眠ることになったのだ。机も長椅子も無くなった大広間には、先ほど校長が用意した紫色の寝袋が並んでいる。……こういうのって魔法で作り出しているのだろうか? それともどっかから呼び寄せてるだけか?

 

ふかふかの寝袋を見ながら考える私に、咲夜が呆れ顔で声を放った。

 

「不謹慎よ、魔理沙。太ったレディが可哀想だわ。」

 

「そりゃまあ、同情はするけどさ。誰も死んでないんだろ? さすがにこれは大袈裟だと思うんだがな。」

 

「マグルを十人以上吹っ飛ばしたヤツが城にいるのよ? それもたった一発の呪文でね。生徒が吹っ飛ばされないように警戒するのは当然じゃないの。」

 

「……十人以上? マジかよ。」

 

そりゃまた……大したヤツじゃないか。ダイアゴン横丁にいた頃から脱獄犯が逃げ回ってるのは知ってたが、そこまでのことをやったってのは知らなかった。思ってた以上に凶悪な殺人鬼だったようだ。

 

顔を引きつらせながら寝袋を確保したところで、キョロキョロと辺りを見回しているハーマイオニーが歩み寄ってくる。随分と不安そうな顔だな。

 

「サクヤ、マリサ。リーゼを見なかった? 何処にもいないんだけど……まさか今日も歩き回ってるわけじゃないわよね? ブラックがウロついてるかもしれないのよ?」

 

「大丈夫ですよ、ハーマイオニー先輩。もしリーゼお嬢様に会ったとすれば、その時がブラックの最期になるはずです。」

 

「変な冗談を言ってる場合じゃないのよ、サクヤ。……ああ、心配だわ! 先生方に伝えないと!」

 

焦っているハーマイオニーには悪いが、私も咲夜の予想に賛成だ。たかだか大量殺人鬼程度では吸血鬼を相手取るには分が悪かろう。同じ鬼にも格というものがあるのだから。

 

とはいえ、ハーマイオニーにとっては憂慮すべき事態らしい。キョトンとする咲夜を尻目に、大広間の戸締りを確認しているマクゴナガルの方へと走って行ってしまった。

 

「……冗談を言ったつもりはなかったんだけど。」

 

「ま、リーゼの吸血鬼像は視点によって変わるってこった。……ほら、隅っこを確保しようぜ。真ん中の方で寝るのは嫌だろ?」

 

「そうね。私は人より壁の方が安心できるわ。」

 

よく分からん返事に苦笑しながら二人で壁際へと移動する。まあ、安心できるかはともかくとして、確かに隣で寝るのに適しているのは壁の方だろう。壁はいびきをかかないし、寝返りを打ったりもしないのだ。

 

「この辺でいいんじゃないか? 人も少ないしな。」

 

「それじゃ、ここにしましょ。」

 

人気のない壁際に寝袋を並べて、二人同時に入り込む。仰向けになってみて気付いたが、天井が歓迎会の時と同じで夜空に変わっているようだ。何というか……喧しくない、心が落ち着くような星空に。きっとあの粋な校長の計らいだろう。

 

「……奇妙な誕生日になっちまったな。」

 

薄暗い星空を見上げながらポツリと呟くと、隣の咲夜も同じような小声で返してきた。

 

「ふふ、そうね。まさか大広間で寝ることになるとは思わなかったわ。……でもまあ、悪くないかも。こうしてると、外で寝っ転がってるみたいね。」

 

「へへ、そうだな。……私さ、星が好きなんだ。魔法使いを目指そうとしたのも星がきっかけなんだぜ?」

 

「そうなの? ……うーん、私はどっちかっていうと月の方が好きね。私の名前も本来は月を表してるのよ? 名付けてくれた人に聞いたことがあるわ。」

 

ふむ? 咲夜……朔夜か。あれ? でも朔って暗月のことじゃなかったか?

 

「月を表してるのに『サクヤ』なのか? むしろ闇を表してるんじゃなくって? その方が吸血鬼っぽいぜ。」

 

「名付けてくれたのは吸血鬼じゃないのよ。それに、本来は『十六夜咲夜』だったらしいわ。十六の昨夜は十五。十五夜ってことよ。そっちじゃ満月のことをそう言うんでしょ?」

 

「満月のことっていうか……うん、満月の夜だな。団子を食って、ススキを飾るんだよ。月を祭る祝いって感じで。」

 

「へぇ。それは知らなかったわ。」

 

随分とまあ、面白い名前だ。暗月と満月。昨日と今日、二つの夜。仕掛けが盛り沢山じゃないか。なんかこれ以外にも隠されてそうだし、考えたヤツは中々洒落てるな。

 

星空に煌めく流れ星を目で追いながら、再び咲夜へと問いを放つ。

 

「でも、今はサクヤ・ヴェイユなんだろ? 十六夜の方はどうなったんだ?」

 

「んー、付けてくれた方には申し訳ないんだけど、やっぱり両親の名前を引き継ぎたかったのよ。アリスや妹様……写真に映ってた金髪の吸血鬼ね。たちもそれを望んでたし。」

 

「ふーん。なんかちょっと勿体ないな。セットでこそ意味がある感じなのに。……ミドルネームにでもしてみたらどうだ?」

 

「咲夜・十六夜・ヴェイユ? 意味不明よ。」

 

呆れたような咲夜の声に、思わず笑みが零れてしまう。確かに間抜けな名前だ。統一感が一切ない。

 

一頻り笑った後で、ジト目になってしまった咲夜へと口を開いた。

 

「だがな、お前らは後々移り住んでくるんだろ? 幻想郷の連中が『Weil』をまともに発音できるかは微妙なとこだぜ。こっちで『霧雨』がそうだったようにな。ベイユとかベーユ、良くてウェイルになるのがオチさ。」

 

「貴女は上手く発音できてるじゃないの。」

 

「そりゃ、私は師匠にシゴかれたからだ。魔法使いは発音が命だろ? あっちじゃ洋風の名前なんか殆ど聞かないからな。……妖精にちょこちょこっと見かけるくらいだ。」

 

一応寺子屋ではカタカナの授業があるが、人里じゃ英語を読めるヤツなんてそう居ない。里までたどり着けた外来人とか、数人の識者が簡単な単語を読める程度だ。フランス語のクソ難しい発音など夢のまた夢だろう。

 

故郷の風景を思い出しながら言ってやると、咲夜はちょっと困ったような顔で返事を返してきた。

 

「むぅ……まあ、行った時に考えればいいでしょ。最悪十六夜って名乗っても構いやしないしね。ちゃんと知っておいて欲しい人に知ってもらってればそれで充分だわ。有象無象に何て呼ばれようと気にしないわよ。」

 

「私はどうなんだ? 『知っておいて欲しい人』ってジャンルに入ってれば嬉しいんだけどな。」

 

「貴女はもう知ってるでしょうが。……ほら、早く寝るの! いつまでも起きてると監督生にドヤされるわよ!」

 

いきなり顔を赤くした咲夜は、私を睨みながら言うと寝袋の中へと隠れてしまう。……なんともまあ、からかい甲斐のあるヤツだぜ。

 

私も両手を寝袋の中へと仕舞い込んで、最後に星空を見てから目を瞑る。まだ出会ってほんの数ヶ月だが、こいつが幻想郷に来るってのは悪くない。……オマケで吸血鬼が引っ付いてくるのは問題かもだが。

 

……よし、咲夜が幻想郷に来たらあいつにも紹介してやろう。どうせいつもの無関心だろうが、咲夜と二人がかりならあいつの興味も惹けるかもしれない。

 

黒髪の巫女を脳裏に浮かべながら、霧雨魔理沙はゆっくりと微睡みに落ちていった。

 

 

─────

 

 

「四階と天文塔の辺りは確認してきたぞ。そっちはどうだった?」

 

三階の廊下に立つ陰気男に、アンネリーゼ・バートリは問いかけを放っていた。杖明かりくらい灯せよ。子供が見たら泣くぞ。

 

生徒たちを大広間に集めた後、教師陣は城中をくまなく捜査することとなったのだ。お優しいダンブルドアが事情を知る教師を城内の探索に当ててくれたお陰で、私もこうして手伝えているというわけである。余計なことをしてくれるじゃないか、ジジイめ。

 

「二階と三階の教室は確認しました。……残念ながら、見つかりませんな。」

 

「もう居ないんじゃないか? クソったれの吸魂鬼どもも興奮してるし、まだこの場所をウロウロしてるとは思えないね。」

 

スネイプに歩み寄りながら言ってやれば、彼は頷きながら同意の返事を放ってくる。本当に残念そうな表情だな。こいつはブラックがお嫌いらしい。

 

「あの男はこの城に詳しいですからな。どうせ上手く逃げ果せたのでしょう。……私としては内部の協力者を疑うべきだと思いますが。」

 

「ルーピンかい? それに関してはダンブルドアもフランも有り得ないと言ってたじゃないか。」

 

「校長もスカーレットも彼らに甘いのです。もっと客観的に物事を見れる我々が警戒すべきでは?」

 

「私はともかく、キミが『客観的』に物事を見ているとは思えないな。学生時代の憎しみに引っ張られてやしないかい?」

 

皮肉げに笑いながら言ってやると、スネイプはピクリと目頭を動かして口を開いた。

 

「……一人くらい疑う人間がいなければ危険です。この考えは間違っていますか?」

 

「大いに正しい。が、ルーピンとの繋がりはないと私も思うよ。何回かブラックのことを話した時も、そんな素振りは見せなかったしね。」

 

「そうあって欲しいですな。」

 

全然納得していない様子のスネイプと一緒に三階の廊下を歩いていると……おや、前方からキツネ男が歩いてきた。痩せぎすの長身。ラデュッセルだ。場の陰気率が高くなっちゃったな。

 

「出歩いていた私をキミが大広間へと誘導している、ってことでいこう。」

 

「なんともまあ、嘘がお得意なようで。尊敬しますよ。」

 

「キミほどじゃないさ。」

 

小声で皮肉のやり取りをしてから、スネイプが近付いてくるラデュッセルへと言葉を放つ。

 

「これは、ラデュッセル刑務官。こんなところで一体何をしておいでですかな?」

 

「ああ、スネイプ先生。私も何か手伝えないかと思いまして。本当は吸魂鬼を入れた方が早いと思うのですが……。」

 

「それは校長にお伝えするべきですね。私の権限では何とも言えません。」

 

「ええ、そうしましょう。……ところで、そちらのお嬢さんは?」

 

なんとも薄気味悪い男だ。貼り付けたような笑みと、感情の篭っていない丁寧な言葉。アズカバンにいるうちに感情の出し方を忘れてしまったのだろうか? アリスの人形の方がまだ人間味があるぞ。

 

私を見ながら問いかけてくるラデュッセルに、スネイプが首を振りながら答えを返した。

 

「出歩いていたところを捕まえたのですよ。この小娘は事態を正確に把握していないようでして。なんとも迷惑な話です。頭の中が空っぽなのでしょう。」

 

こいつ……。ここぞとばかりに言ってくるスネイプに思わず足が出そうになるが、なんとか堪えて申し訳なさそうな表情を作る。後で覚えとけよ。私は恩はすぐに忘れるが、恨みは死んでも忘れないんだからな。

 

「それはいけませんね。……ブラックは凶悪な殺人犯なのですから、如何に吸血鬼といえども危険ですよ?」

 

「はいはい。」

 

適当に答えてやると、ラデュッセルは能面のような笑顔で頷いた。……いきなり殴りつけてやったらどんな顔をするんだろうか。笑顔のままだったらちょっと面白いな。

 

「それでは、私は城外の吸魂鬼を見回ってきます。スネイプ先生もミス・バートリもお気をつけて。」

 

……ほう? そのまま歩いて行ったラデュッセルの背を見ながら、胡乱げに同じ方向を見ているスネイプへと言葉を放つ。

 

「……あいつ、私の名前を知っていたね。」

 

「そちらもお気付きになられましたか。吸血鬼は珍しい。他の生徒から聞いていてもおかしくはありませんが……少々気になりますな。」

 

「胡散臭さでいえばキミより上だ。ちょっと警戒しておいた方がいいかもね。じゃないと、盗み聞きしたことを誰かに話してしまうかもしれないだろう?」

 

ニヤリと笑って言ってやると、スネイプは嫌そうに顔を歪めながら鼻を鳴らす。ふん、仕返しはこれからだぞ。今のはジャブだ。開始のゴングと言ってもいい。

 

次なる口撃の内容を考えながら、アンネリーゼ・バートリは再び陰気男と歩き出すのだった。

 



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豪雨の初試合

 

 

「いいか、雨に惑わされるなよ? フォーメーションを保つんだ。……大丈夫、あんなに練習しただろ? 身体が覚えてるさ!」

 

選手控え室に響くウッドの声を聞きながら、霧雨魔理沙は少しだけ緊張していた。外があまりに凄まじい豪雨なせいで、控え室の中ですら声が聞こえにくい。

 

侵入者騒動から二週間が経った今日は、グリフィンドールのクィディッチの初戦が行われる日なのだ。グリフィンドール対ハッフルパフ。あいにく天候には恵まれなかったが……それは向こうも同じのはずだ。言い訳にはなるまい。

 

今度は一人一人に声をかけ始めたウッドを横目に、自分の箒を取り出してチェックを始める。残念ながら今回は試合に出られないが、箒が故障した選手に貸す機会があるかもなのだ。手を抜くわけにはいかないだろう。

 

足置きの金具が緩んでいないことを確かめていると、ウッドが近付いてきて話しかけてきた。

 

「マリサ、今日はかなりの悪天候だ。もしかしたら怪我をする選手が出てくるかもしれない。そしたら応急処置の準備を頼むぞ。」

 

「わかってる。まあ……そうはならないことを祈っとくがな。」

 

「油断はするなよ? クィディッチは何が起こるか分からないんだ。……それと、ハッフルパフをよく観察しておいてくれ。いつもは俺がゴールからやってる役目なんだが、この雨じゃまともに見えないはずだ。タイムアウトを取った時に話を聞きたい。」

 

真剣な表情で言うウッドに、同じ表情で大きく頷く。ここからでもやれることがあるなら、全力でやるまでだ。

 

「任せとけ! スコアラーもちゃんとやっとくぜ。」

 

「よしよし、頼りになる返事じゃないか。頼んだぞ、マリサ!」

 

ニヤリと笑って私の肩を叩いたウッドは、そのまま自分の箒をチェックしに向かった。

 

となれば……双眼鏡もいるな。チームの器材が入ったカゴを漁り始めたところで、フーチの声が微かに聞こえてくる。かなり大声で叫んでいるようだが、それでも雨のせいで殆ど聞き取れない始末だ。

 

「選手は箒を持──に集合──ように!」

 

グラウンドの中央を指差しているのを見るに、どうやら試合が始まるらしい。試合前の整列をしろということだろう。慌てて競技場へと繋がる大きな出口に走り寄って、箒片手に出て行こうとしているチームメイトたちに声を放つ。

 

「頑張れよ、みんな! ここから応援してるぜ!」

 

「任せとけよ。なんたって、今日は戦勝パーティーで花火を爆発させるって決めてんだ。負けるわけにはいかないさ。」

 

「そうだな。奮発してドラゴン花火を仕入れたんだぜ? 後で見られるのを楽しみにしとけよ!」

 

双子に続いて口々に頼もしい言葉を返してくれたみんなは、一斉に土砂降りのグラウンドへと消えて行った。……よし、私もやるべきことをやろう。

 

双眼鏡を首から提げて、スコア用紙を手にグラウンドを見つめる。かなり見え難いが……ここからならなんとか判別がつくぞ。どうやら試合前の挨拶は終わり、選手たちはポジションにつき始めたようだ。

 

反面、観客席の声援は雨音にかき消されて殆ど聞き取れない。この分では実況の音も聞こえないだろうし、細かい状況は自分で判断するしかなさそうだ。……当然、選手たちも。

 

ドキドキしながら箒に跨るチームメイトたちを見守っていると、雨を切り裂くフーチのホイッスルの音と共に四つのボールが頭上へと飛んで行った。試合開始だ!

 

同時に飛び立った選手たちの中から、チェイサー三人娘へと注目を絞る。序盤の花形は彼女たちだ。最初に高く浮かび上がったクアッフルは徐々にその速度を落としていき、それが最高点で停止したところを……いいぞ! アンジェリーナが掴み取った!

 

そのまま矢尻のような形に陣形を組んだ三人娘は、ハッフルパフのチェイサーをパスで翻弄しながらゴールへと向かって行く。ホークスヘッドフォーメーションを軸にしたウッド独自の戦略はどうやら有効に働いているようだ。これで最も重要な序盤の競り合いで優位に立てた。

 

ビーターの二人は……よし! こっちも悪くない。ここからじゃどっちがどっちだかは分からんが、片方がチェイサーたちを守り、もう片方が相手のチェイサーを妨害している。練習で私が追い回されたのは無駄にならなかったようだ。

 

そのまましばらくは少し有利な条件で試合が進んで行くが、肝心のシーカー二人には動きがない。……まあ、この雨では仕方ないか。スニッチを見つける一番のヒントは日光の反射なのだ。それが無い上に視界が悪いとなれば、この試合は長引く可能性が大きいだろう。

 

しかし……それにしたってハリーの動きは精彩を欠いている気がするぞ。時たまフェイントを入れているハッフルパフのセドリック・ディゴリーに対して、ハリーは上空を旋回しているだけだ。実にらしくない動きじゃないか。

 

シーカーの役目はなにもスニッチを取るだけではない。試合を決める彼らが動けば、ビーターはもとよりチェイサーたちも妨害に動かねばならないのだ。そのため時折フェイントを入れることも重要な役目となる。というか、プロの試合ではむしろフェイントの方が大事らしい。少なくともインタビュー記事にはそう書いてあった。

 

当然ながらハリーもそれは理解しているはずだし、ウッドによればハリーはそれが大得意のはずだ。それなのにあの動きということは……何かトラブルがあった可能性があるな。

 

「……ルーモス・マキシマ。」

 

少し悩んだ後で、出口のギリギリに立ってウッドへと杖明かりで合図を送る。横に二回、縦に二回。シーカーがトラブった時の合図だ。気付かない可能性も考えて数回合図を送ったところで、ウッドが気付いてタイムアウトを要求してくれた。

 

点数で勝っている時に限られたタイムアウトを使うのは痛いが、シーカーに何かあれば逆転される可能性が大きいのだ。こういう時こそが使い所のはず。……多分。

 

フーチの笛を聞いた選手たちが控え室の前へと下りてくる中、真っ先に下りてきたウッドがびちゃびちゃのユニフォームにも構わずに話しかけてきた。今まさに湖で泳いでいたかのような有様だ。

 

「いいタイミングだったぞ、マリサ。俺も動きが良くないと思ってたんだ。ハリーにしては消極的すぎる。……そっちからは何があったのか分かるか?」

 

「特におかしなことはなかったが、ここから見てても調子が良くないみたいだったからな。詳しいことはハリーに直接……ハリー! 何かあったのか?」

 

返事の途中で戻ってきたハリーに問いかけてみれば、彼はメガネを外しながらうんざりしたように説明を始める。

 

「この、馬鹿メガネのせいだよ! 水滴が引っ付いて何にも見えやしないんだ。おまけに拭けば拭くほど曇ってくる! 最悪だ!」

 

「おいおい、これまでは大丈夫だったじゃないか。」

 

ウッドの疑問に、ハリーはユニフォームのポケットから小さな……小瓶? 香水みたいな小瓶を取り出しながら答えた。

 

「この防水スプレーを使ってたんだよ。これまでみたいな普通の雨ならどうにかなってたんだけど……今日はまるで意味なしさ。」

 

なるほど、防水スプレーか。常勝のシーカーにも知られざる苦労があったようだ。……まさかメガネが敵になるとは思わなかったぞ。

 

戻ってきたチームメイトたちは、焦ったような表情でハリーのメガネを見ながら対策を考え始める。そりゃ焦るぜ。シーカーが視界不良となれば、勝てる試合も勝てまい。どれだけ優位に立ってようが永遠に試合が終わらんのだ。

 

「……メガネの上にゴーグルをかけたらどう? 二重になって見え難いかもだけど、今よりマシでしょ?」

 

アリシアの提案に、ケイティとフレッドが同意の声を上げた。

 

「それがいいかもね。とりあえず試してみなよ、ハリー。」

 

「そうだな。少なくとも今よりはマシになるはずだ。」

 

急がないと試合が再開されてしまう。ハリーもそれは重々承知しているようで、急いで予備のゴーグルをメガネの上からかけてみるが……こりゃダメだな。ゴーグルに押しつけられたメガネが斜めになってしまっている。

 

「ダメだ。」

 

ハリーが情けない声で端的に『二重メガネ案』を却下した瞬間、校舎側の控え室のドアが開いて……ハーマイオニー? 息を切らしたハーマイオニーが飛び込んできた。

 

「ハーマイオニー? どうしてここに?」

 

「貴方が何度もメガネを拭ってたのをロンが双眼鏡で見てたのよ! 貸して頂戴。良い考えがあるの!」

 

意外な人物に驚くグリフィンドールチームを他所に、勢いよくハリーに走り寄って引ったくるようにメガネを受け取ったハーマイオニーは、それを杖でコツコツ叩きながら呪文を唱える。

 

インパービアス(防げ)……これで良いわ。撥水呪文よ!」

 

「撥水? えっと、水を弾くってこと?」

 

「その通りよ! 今は関係ないでしょうけど、火も防げるしね。……去年の防衛術での『オススメ呪文リスト』に入ってたでしょう? なんで誰も習得してないの?」

 

ついでとばかりにチーム全員のゴーグルに呪文をかけながら言うハーマイオニーに、ジョージが半笑いで答えを返した。

 

「それは多分、あのクソ長いリストを読んだのが君だけだからだよ。……真面目に勉強しときゃ良かったと思ったのは初めてだ。後で覚えないとな。」

 

去年の防衛術ってことは……アリスの授業か。それならさぞ長いリストだったに違いない。何せ私にも『一年生の内に習得しておいた方がいい呪文リスト』という長ったらしい羊皮紙を贈ってくれたのだから。

 

ま、何にせよこれでハリーは水滴以外の物が見えるようになったわけだ。つまり、スニッチとかが。全員が安堵の息を吐く中、ウッドがハーマイオニーを胴上げせんばかりの勢いで礼を言う。

 

「助かったぞ、ハーマイオニー! これで互角に戦える!」

 

「お礼なんかより、勝利の方が嬉しいわ。」

 

「ああ、任せておけ! ……試合再開の笛だ。行くぞ!」

 

フーチの笛を受けて、選手たちが再び土砂降りの空へと飛び上がって行く。ハーマイオニーと二人で手を振って見送った後で、彼女は再び観客席へと戻って行った。

 

「それじゃあね、マリサ。上から応援してるわ。」

 

「おう! ありがとな、ハーマイオニー。本当に助かったぜ。」

 

よしよし、私も仕事に戻ろう。減ってしまった給水用のボトルに水を入れ直して……そうだ、タオルも乾いた物に替えないと。相手がいつタイムアウトを取るかは分からんのだ。早めに準備しておいた方が良いだろう。

 

っていうか、この作業は今までは誰がやってたんだろうか? まさか試合をしながら選手たちが自分でやってたんじゃないよな……? そんなのめちゃくちゃ忙しいぞ。

 

疑問を抱えながらも作業を終わらせて、再びスコア用紙を手にして試合を見守る。……うーむ、相手はタイム中に作戦を整えてきたようだ。クアッフルの奪い合いは先程よりも不利になっている。ハッフルパフも結構やるな。

 

貯金がどんどん減っていき、その差が三十点まで縮まってしまったところで、ついにシーカーたちが動きを見せた。先んじたのは……ディゴリーだ!

 

恐らくスニッチを見つけたのだろう。それまでのフェイントとは段違いのスピードで斜め上へと猛進している。数秒遅れてそれに気付いたハリーも、前傾姿勢で速度を上げつつ追い始めた。

 

その差は……くそっ、間に合わないか? ここからではスニッチは見えないが、既にディゴリーは片手を離してキャッチの体勢になっている。このままでは──

 

「……え?」

 

身を乗り出して応援しようとした瞬間、双眼鏡を覗く私の視界に奇妙なものが映った。雨に紛れて黒い影が……嘘だろ? 吸魂鬼だ。競技場の境目の上空に、あの恐ろしい存在が十数匹も浮いている。スルスルと滑るように競技場へと迫ってきてるぞ。

 

「ハリー! 後ろだ!」

 

背筋が凍るような感覚に耐えながら、必死に飛んでいるハリーへと全力で叫ぶが……そりゃそうだ。実況の声すらまともに届かないのに、こんな場所から叫んだって聞こえるはずがない。ハリーは尚もスピードを上げて遥か上空を突き進んでいる。

 

どうする? どうすればいい? アイツらは明らかにハリーを狙って飛んでるぞ。教員席が雨でよく見えない以上、吸魂鬼に気付いているのかが分からない。そして気付いていないとしたら、ハリーはこのまま……。

 

「……くそっ!」

 

刹那の間だけ迷った後、壁に立て掛けてあった自分の箒に跨って全力で飛び上がる。もしかすればハリーは無事に逃げ切るかもしれないし、他の選手や教員が対処するかもしれない。そうなれば私の乱入のせいでグリフィンドールは負けてしまうが……命には代えられないはずだ。その時は全力で土下座して謝ろう。

 

「急いでくれ、相棒。」

 

前傾姿勢で凄まじい雨に耐えながら、かなり上空を飛んでいるハリーへと向かってトップスピードで飛び続ける。やはり他の選手は気付いていないようだ。唯一ウッドだけが慌てて何かを叫びながらゴールを離れているのが見えるが、あの場所からでは遠すぎる。

 

ハリーに近付くにつれて、冷たい悪寒が心を蝕んでいく。ホグワーツ特急で味わった感覚を必死に耐えながらなおも飛び続けると……ハリー! 数体の吸魂鬼に囲まれたハリーが、箒を手放してまっ逆さまに落ちていくのが見えてきた。

 

間に合え……間に合え! 落下の軌道に割り込んで、落ちていくハリーへと必死の思いで手を伸ばす。あと十メートル、五メートル、そして目の前に──

 

「ぐぅっ……。」

 

ハリーを右手で抱えるように受け止めた瞬間、ゴキリという音と共に右腕を激痛が襲う。それでも……放すもんか! もはや箒の軌道は滅茶苦茶になっているが、構わず左手も駆使してハリーを抱き止める。耐えろ、私! ここで離したらハリーは死んじまうんだぞ!

 

なんとかハリーを箒に乗せて……よし、後は軟着陸するだけだ。落ち着け、魔理沙。なるべく浅い角度で入るんだ。殆ど墜落に近い形の箒の頭を必死に持ち上げて、なんとか速度を落とし続ける。みるみるうちに近付いてくるぬかるんだ地面に……今だ! 箒から手を離し、自分が下側になって飛び降りた。

 

背中に響く凄まじい衝撃と、身体がバラバラになりそうな感覚。思ったより痛くなかったのは大雨で地面が柔らかくなっていたお陰だろう。泥を跳ねながらかなり長い距離を滑ったところで、ようやく私とハリーは停止する。……生きてる、よな?

 

「……ってぇ。」

 

立ち上がろうとした途端、両腕の激痛で身が竦んだ。右腕はハリーを掴んだ時に脱臼したのだろうし、左腕は着陸時に下になったせいでユニフォームがズタボロになっている。多分この下は酷い擦り傷になっているのだろう。というか、ひょっとしたらこっちも脱臼か骨折してるかもしれない。

 

泥だらけで両腕が滅茶苦茶。おまけに足首も捻ったぽいが……まあ、いいさ。ハリーも私も生きてんだ。ユニフォームは縫えば直るし、私の傷だって治せる。誰も死んでないならお釣りがくるはずだ。

 

立ち上がる余裕もなくて、倒れ込んだままでぼんやり上空を眺めていると……何だありゃ? 銀色の猫と狼が吸魂鬼を追い回しているのが見えてきた。おいおい、幻覚を見てるんじゃないよな? なんともバカバカしい光景じゃないか。

 

思わず苦笑が浮かんだところで、見たこともない程に焦った顔のフーチが近くに下りてくる。その後ろからはグリフィンドールとハッフルパフの選手たちも続々と集まってくるのが見えてきた。

 

「二人とも! 無事ですか?」

 

「無事ではないが、生きてるぜ。私は歩けもしないし、ハリーは絶賛気絶中だ。」

 

「……ああ、良かった。すぐに医務室へ運びますからね。」

 

是非ともそうして欲しいぜ。フーチが魔法で作り出した担架に乗せられたところで、ウッドが横たわる私に声をかけてくる。……こりゃ酷い。無理に笑ってるのが丸わかりだぞ。どうやら試合はダメだったようだ。

 

「最高の働きをしてくれたな、マリサ。誰が何と言おうが、今日のMVPはお前だよ。」

 

「へへ、嬉しいぜ。試合は……負けか?」

 

「ディゴリーがスニッチを取ったからな。抗議はしてみるが、ルールに照らし合わせればハッフルパフの勝ちだ。……多分覆らないだろう。」

 

やっぱりダメだったか。二人で残念そうに俯いていると、ウッドの後ろから件のディゴリーが歩み寄ってきた。何故だか知らんが、コイツも全然嬉しそうな顔じゃないな。

 

「やあ、ウッド。それと……。」

 

「マリサ・キリサメだ。マリサでいい。」

 

「マリサか。見事なキャッチだったよ。それに……すまなかった。ハリーは僕の真後ろだったってのに、全然気付けなかったんだ。我ながら情けないよ。」

 

「ま、仕方ないさ。スニッチに集中しちまうのはシーカーの性だろ?」

 

私が戯けながら言ってやると、ディゴリーは少しだけ笑顔になって頷く。どうも本気で申し訳なく思っている感じだ。なんともまあ、正にハッフルパフって感じのヤツだな。

 

そのまま担架に横たわりながら、安堵の表情を浮かべる選手の間を通って城へと運ばれて行く。競技場を出ようとしたところで、ようやく観客席からの歓声が耳に入ってきた。雨と緊張のせいで全然聞こえていなかったようだ。

 

最初はハッフルパフの勝利を祝っているのかと思ったが……どうも違うみたいだな。私の名前が聞こえてくるぞ。どうやら私に対して歓声を上げてくれているらしい。負けたってのに、グリフィンドールの観客席では真紅の旗が歓声に合わせて大きく振られている。

 

思わず浮かんできた微笑みをそのままに、紅い旗を見上げながら息を吐いた。まあ、こういうのも悪くない。ズタボロになった甲斐があるってもんだ。酷い初試合になっちまったが、少なくとも一生忘れられない思い出にはなったのだから。……むしろ問題なのはここからかもな。

 

ポンフリーのことだ、『優しい手当て』になるはずがあるまい。これから行われる治療の痛みを思い、霧雨魔理沙はゆっくりと苦笑いを浮かべるのだった。

 



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忍びの地図

 

 

「吸魂鬼を城から追い出すべきだな、ダンブルドア。今すぐにだ。」

 

校長室のいつものソファに座りながら、アンネリーゼ・バートリは苛々と言葉を放っていた。

 

大雨のせいで観戦に行けなかったクィディッチの初戦で、またしてもハリーが墜落しかけたのだ。しかも今回は教員が誰一人としてそれに気付けなかったというのだから堪らない。

 

スネイプは抜け穴の点検で忙しかったし、ダンブルドアはラデュッセルに呼び出されて吸魂鬼についてのお話中。観戦に行っていたマクゴナガルとルーピンも鈍亀のような対処しか出来なかったらしい。つまり、魔理沙がいなければ本当に死んでいたのだ。運命云々はどうなってるんだ、ポンコツ吸血鬼め!

 

膝をトントン叩きながら言う私に対して、ダンブルドアもまた神妙な表情で答えを返してきた。

 

「珍しく意見が一致しましたな。わしも吸魂鬼には出て行ってもらいたいと考えております。」

 

「結構、素晴らしいことじゃないか。それならさっさと陰気なアズカバンにお帰り願おう。連中はあそこで犯罪者と遊んでるのがお似合いなのさ。」

 

「全くもって同意しますが……残念ながら、要請は却下されました。これをご覧ください。」

 

言いながらダンブルドアが差し出してきた手紙を読めば……ふん、イラつく内容だ。取ってつけたような謝罪文の後で、吸魂鬼の警備を継続する旨が書かれている。

 

「ファッジを通してもダメなのか? 闇祓い局にしたってレミィの『お友達』なんだろう? キミとレミィが揃って通せない要請があるとは驚きだね。」

 

ちょっと皮肉げに言葉を放つと、ダンブルドアは困ったような笑みを浮かべながら説明を放ってきた。

 

「ブラックの捜査に関しては闇祓い局……というか、魔法法執行部ですな。あそこが指揮を執っているのは確かです。アメリア・ボーンズやルーファス・スクリムジョールが相手なら確かにどうにかなったでしょう。しかしながら、吸魂鬼の派遣はまた別の部署が関わっているのですよ。」

 

「あのキツネ男を送ってきた部署かい?」

 

「その通りです。アズカバン維持管理局はウィゼンガモット直下の組織ですので、決定に抗議するとなれば大法廷に話を通さねばなりません。」

 

「ならば通したまえ。」

 

お前やレミリアなら出来ない話ではないはずだぞ。態度でそれを伝えながら言ってやれば、ダンブルドアはますます困った顔になって首を振る。

 

「不可能とは申しませんが、今すぐにともいかないのです。吸魂鬼の警備を強く推す一派がおりましてな。なかなかに無視できない力を持っているのですよ。」

 

「ちょっと待て、魔法大臣を押さえてても無視できないレベルなのか? ……クラウチとかかい? あいつは閑職に飛ばされたはずだが。」

 

飛ばされたというか、レミリアが飛ばしたのだ。国際魔法協力部とかいう訳の分からん部署に。そしてヤツの信者も根こそぎ『粛清』したはずだぞ。私の疑問に対して、ダンブルドアは全然予想していなかった名前を出してきた。

 

「パイアス・シックネス、それにドローレス・アンブリッジらですよ。何というか……現在の魔法大臣のやり方に反対している一派でしてな。コーネリウスはスカーレット女史の操り人形だと罵っているのです。」

 

「純然たる事実じゃないか。」

 

「ほっほっほ。まあ、近い状態にあることは認めましょうぞ。とはいえ、これが正常な状態でないことも確かでしょう? 問題視する者も多いのですよ。」

 

うーむ、分からなくもない話だな。頭に脳みそが残っている魔法使いがどれだけいるかは知らないが、少しでも残っているのなら今の大臣がレミリアの『お人形』であることに気付けるだろう。

 

問題はそれを是とするか否とするかだ。話に聞く限りではボーンズやスクリムジョールは肯定派だし、ダンブルドアも何だかんだ言いつつ黙認している。他にも同様の意見の者は多かろう。ハロウィンの悪夢で実際に戦った者ほどその傾向があるようだ。

 

対して否を唱えているのがシックネスやらアンブリッジを中心とした集団なわけか。魔法省ってのは本当に……大っ嫌いな組織だ。なんだって何かをしようとすると、必ず誰かが邪魔をしてくるのやら。これだから政治ってのは度し難い。

 

「しかし、なんだってその連中は吸魂鬼の警備なんかをゴリ押ししてるんだ? ……さすがにただの嫌がらせじゃないよな?」

 

「さて、さて。彼らの胸中を推し量るのは難しいですな。ブラックを捕らえることで自分たちの手柄にしようというのかもしれませんし、ひょっとすれば今回のようなトラブルを期待していたのかもしれません。ホグワーツで事が起こった以上、わしの失態であるのは確かなのですから。」

 

「うんざりするような連中じゃないか。クラウチの再来ってわけかい? ……とにかく、レミィと協力して抗議は続けてくれ。現状だとブラックなんぞよりバカ島のバカ看守のほうが厄介だぞ。」

 

「無論です。わしもそれなりに怒っておりますのでな。強く抗議することにいたしましょう。」

 

ダンブルドアが真面目な顔でそう言ったところで、入り口のガーゴイルが動き出す音が響く。部屋の主が怪訝そうにしている以上、予定されていた来客ではないのだろう。

 

「おや、お客さんだよ。……スネイプやマクゴナガルじゃないな。姿を消そうか?」

 

足音で大体分かるのだ。マクゴナガルなら規則正しいクソ真面目な足音だし、スネイプはいつも盗人のように足音を隠している。……実に正反対の二人だな。

 

「そうしていただけますかな?」

 

「はいはい。」

 

ソファから立ち上がって能力で姿を消す。ルーピンの可能性もあるが……まあ、念には念をだ。ホグワーツの校長が吸血鬼と悪巧みでは外聞も悪かろう。

 

部屋の隅に移動して待っていると、ノックの音と共に来客が名乗りを上げた。

 

「ラデュッセルです。入ってもよろしいでしょうか?」

 

「おお、どうぞお入りください。」

 

おっと、件のキツネ野郎か。ラデュッセルはぺこりと一礼しながら入ってくると、いつもの胡散臭い笑みを浮かべながら口を開く。……しかし、その喪服みたいなスーツは趣味が悪いな。ネクタイまで黒じゃないか。

 

「ご報告がありまして。お邪魔させていただきました。」

 

「それはご足労をおかけしましたな。どうぞ、お座りくだされ。」

 

「それでは失礼して……。」

 

なんともまあ、他人行儀なやり取りだ。当然ながら別に相手を尊重しているわけではあるまい。お互いに腹の中を隠しているのが丸わかりだぞ。

 

ダンブルドアが紅茶を出したのに丁寧に礼を言ったラデュッセルは、早速とばかりに話を切り出した。

 

「クィディッチ競技場での一件を私からもアズカバンへと伝えたのですが……残念ながら、警備は継続せよとのことでした。そちらに届いている手紙の通りとなります。」

 

「ふむ。ホグワーツの領内には入らないという取り決めだったはずですが? アズカバンの方々は生徒の命を軽視しすぎのように思えますな。」

 

「こちらとしても今回の一件は重く受け止めております。吸魂鬼たちにも厳重な注意をした上で、今回の反省を活かし──」

 

長々とラデュッセルがたわ言を喋っているが、要するに警備の件を譲る気はないということだろう。こいつが『反抗勢力』とやらの一員なのか、はたまたアズカバンの面子がそうさせるのかは知らないが、何とも厄介なことだ。

 

「──も行なっております。今後は決して校内には入れさせませんので、その点はご安心ください。」

 

「実に丁寧な説明じゃ。しかしながら、老人には少々分かり難いのう。……つまり、次に何か起これば吸魂鬼たちを連れて帰ってくれるのですな?」

 

おやおや、ダンブルドアが軽い皮肉を放ったぞ。この男も結構イラついているようだ。こんなにトゲトゲしいダンブルドアは初めて見た。

 

ラデュッセルは僅かに目を細めるが、刹那の後には再び笑顔の仮面を被り直す。イギリスの英雄どのに睨まれてこれか。度胸だけはあるらしい。

 

「……そう取っていただいても構いません。私の責任において、そんな事態は起こらないと約束しましょう。」

 

「実に頼もしいお言葉じゃ。期待しておりますよ。」

 

ダンブルドアの空虚な言葉を受けて、ラデュッセルはゆっくりと立ち上がる。……結局紅茶には手をつけなかったな。実に分かりやすい意思表示じゃないか。

 

「それでは、これで失礼させていただきます。」

 

「いやはや、わざわざ申し訳ありませんでしたな。今後は決して校内に入れないように、くれぐれもよろしくお願いいたしますぞ。」

 

「無論です。」

 

最後にもう一度ダンブルドアが釘を刺したのに大きく頷いてから、ラデュッセルは校長室を出て行った。

 

気配が完全に遠ざかったのを確認した後、姿を現して口を開く。

 

「……何と言うか、信用できない男だったね。」

 

「あまり人の悪口は好きではありませんが……そうですな、同意いたします。」

 

「また意見があったじゃないか。先日の大雨はこの所為かな? ……ともあれ、問題はあの男が何を望んでいるのかだ。アズカバンの面子か、出世か。シリウス・ブラックが狙いなのか、こちらの失態を誘いたいのか。ハッキリしないうちは厄介な駒になるぞ。」

 

あのキツネ野郎は盤面に紛れ込んだイレギュラーだ。どちらにせよ厄介なのは確かだが、背後関係がまるで見えないままでは対処に困る。

 

ダンブルドアにもそれは理解できているのだろう。小さなため息を吐いた後で、苦々しげに頷いた。

 

「数人の知り合いへと手紙を送ってみましょう。アズカバンはあまりにも閉鎖的すぎる。あの場所への繋がりを持った者は多くはありませんが……ひょっとすれば、ラデュッセル刑務官を知っている者がいるかもしれません。」

 

「私からもレミィに調べるように言っておこう。……今年は吸魂鬼か。うんざりするね。」

 

後頭部、バジリスク、吸魂鬼か。来年辺りはドラゴンでも現れそうだな……いや、ドラゴンは一年目で経験済みだった。さすがに二度目は無いだろう。

 

トラブル続きの学校生活を思って、アンネリーゼ・バートリは大きなため息を吐くのだった。

 

 

─────

 

 

「ありがとう、マリサ。君は僕の命の恩人だ。だから……本当にありがとう。」

 

医務室のベッドに横たわるハリーが礼を言ってくるのに、霧雨魔理沙はブンブンと首を振っていた。そこまで真っ直ぐ言われると照れるぜ。

 

「当然のことをしたまでだろ? それに……ニンバスまでは気が回らなかった。すまんかったな、ハリー。」

 

「なに言ってるのさ。あの状況じゃ仕方ないよ。命があるだけでもラッキーなんだ。」

 

ハリーは笑顔でそう言っているが……うん、完全に無理をしている。まるで自分に言い聞かせているかのような痛々しさだ。見てられんぞ。

 

あの豪雨の試合の後、ハリーの箒はバラバラになった状態で発見されたのだ。なんでも競技場から遥か彼方の……暴れ柳? とかいう木の場所まで飛んでいって、そいつに激突してしまったらしい。

 

結果としてそいつを怒らせたニンバスは、原型がわからなくなるほどに破壊されてしまったとのことだ。今もベッドの横にはその亡骸が詰まった袋が置かれている。

 

クィディッチをやっている者なら誰もが理解できるだろうが、箒は杖と同じくらい大事な相棒だ。まだ出会って半年ほどの私だってそうなのに、ハリーにとってのニンバスは三年間共に戦ってきた戦友である。そのショックは計り知れまい。

 

袋を見て落ち込んでいる私を見て、ハリーが元気付けるように話しかけてきた。ダメだな。元気付けに来たってのに、これじゃあ逆じゃないか。

 

「マリサは最高のキャッチをしてくれたよ。悪いのは僕さ。吸魂鬼や犬に気を取られて箒から落ちるだなんて、自分が情けないよ。」

 

「仕方がないさ、吸魂鬼は厄介な……犬? 犬ってのは?」

 

励まそうとする途中で、謎の言葉を聞き返してしまう。クィディッチ競技場に野良犬でも入ってきたということだろうか?

 

キョトンとする私を見て、ハリーが苦笑しながら説明してくれた。

 

「あー、みんなには言わないでね? また騒がれちゃうから。……スニッチを追って飛んでる時に大きな黒い犬が見えたんだ。それでまあ、死神犬かと思って気を取られちゃったんだよ。」

 

「死神犬? 死神の飼ってる犬なのか? あの連中は年がら年中船を漕いでるんだと思ってたが、犬を飼ったりもするんだな。」

 

死神の大半は社宅住まいだと聞いていたのだが……ペット可だったのか。魅魔様から教えてもらった地獄や冥界についてを思い出していると、ハリーもまたキョトンとした顔に変わって口を開く。

 

「えーっと、死神が飼ってるわけじゃないと思うよ。その犬を見たら死んじゃうらしいんだ。占い学で取り憑かれてるって言われてるんだけど……そもそも死神って本当にいるの?」

 

「いる……よな? こっちにはいないのか?」

 

「僕はこう、おとぎ話の存在だと思ってたよ。ニホンじゃ普通に見かけるの?」

 

おっと、ヤバいな。何かしらの食い違いが発生しているようだ。死神犬なんて言われたから、てっきりこっちでも普通にいるのかと勘違いしてしまった。……いやまあ、いるにはいるんだろうが。

 

「えっと、日本でもまあ……伝説の生き物的な? そんな感じだぜ。」

 

「そっか。そりゃあそうだよね。普通に死神を見かけるなんてあり得ないか。」

 

残念ながら、幻想郷じゃ有り得なくもないぞ。たまに人里の茶屋でサボってるし、おまけに説教をしている閻魔まで見られる始末なのだ。よく考えたら滅茶苦茶だな。

 

……どうやら、もっと気をつけないといけないようだ。別に秘密にしろと言われているわけではないが、あんまりペラペラ話すのもマズかろう。噂の賢者どもはあそこを隠しておきたいようだし、口が軽いと消されるかもしれない。

 

壁に耳あり障子に目あり。自分に釘を刺してから、再びハリーへと言葉を放つ。

 

「とにかく、その死神犬とやらを見たならヤバいんじゃないか? 死ぬんだろ?」

 

「それが微妙な感じなんだよね。マクゴナガル先生は馬鹿馬鹿しいと思ってるみたいだし、ハーマイオニーやリーゼも同感なんだって。なんというか……オカルト話扱いらしくてさ。」

 

「あー……なるほど。そういう類の代物か。それならまあ、気にすることはないと思うぜ。」

 

マクゴナガルやハーマイオニーはともかくとして、リーゼが言ってるなら問題なかろう。大体、見たら死ぬだなんて強力すぎる。そんなにヤバい存在は幻想郷にだってそういないぞ。……ちょっとはいるけど。

 

私が苦笑しながら言ってやると、ハリーは安心したように頷いた。どうやら少しだけ気にしていたようだ。

 

「そうだよね。……そういえば、そっちの傷はもういいの? 傷跡が残ったりはしないよね?」

 

「大丈夫、大丈夫。綺麗さっぱり消えてるぜ。ポンフリーに感謝だな。」

 

一転して心配そうになったハリーに、しっかりと頷いて返事を返す。脱臼も捻挫も擦り傷も、ポンフリーは瞬く間に治してしまったのだ。今じゃあ怪我したのかも分からないぐらいに回復している。

 

「そっか……本当に良かった。マリサは女の子なんだしね。傷跡なんか残ったらと思うとゾッとするよ。」

 

「まあ、私は別にどうでもいいけどな。ハリーの傷跡もカッコいいと思うぜ。ヴォル……ヴォルヴォルモー? とか何とかをやっつけた時の傷跡なんだろ?」

 

私が傷跡を指してそう言うと、いきなりハリーがお腹を抱えて笑い始めた。……何だ? ジョークを言ったつもりはないのだが。

 

ひとしきり笑った後で、ハリーは目に浮かんだ涙を拭いながら口を開く。

 

「そうそう。その『ヴォルヴォルモー』をやっつけた時についちゃったんだ。……いや、この傷跡で笑えたのは初めてだよ。ヴォルヴォルか。そっちの方が絶対にいいね。」

 

「何でそんなに笑ったんだ? ……まあ、元気が出たなら何よりだぜ。」

 

なんだかよくわからんが、これで元気付けるという当初の目的は達成できたわけだ。ベッドの脇の椅子から立ち上がって、未だ笑いの発作に襲われているハリーへと言葉を放つ。

 

「そんじゃ、私は行くから。ちゃんと休めよな、ハリー。」

 

「ああ、来てくれてありがとう、マリサ。お陰で元気が出たよ。」

 

笑顔のハリーに手を振ってから医務室を出ると……おお? 何故かドアの向こうで双子が待ち伏せていた。顔にはお揃いの悪戯げな笑みが浮かんでいる。要するにまあ、いつもの顔だ。

 

「よう、双子。お前らもハリーのお見舞いか?」

 

「それもある。しかし、それだけではないのだ。今日は最高のキャッチを見せてくれた後輩に贈り物があるのさ。」

 

ニヤリと笑って言うジョージに続いて、フレッドも同じ表情で続けてきた。

 

「その通り! あれだけのキャッチでトロフィーが貰えないなんて間違ってるだろ? トロフィー室から良さげなのを失敬しようかとも思ったんだが、それよりも相応しい贈り物があるのを思い出してな。」

 

言葉と共にフレッドが……なんだそりゃ。くたびれた羊皮紙を差し出してくる。こりゃまた、随分なトロフィーだな。こんなもん浮浪者だって喜ばないぞ。

 

「ありがとうよ、フレッド、ジョージ。暖炉の焚き付けにでも使わせてもらうぜ。」

 

肩を竦めて言う私に対して、双子は慌てたように説明してきた。

 

「まてまて、早まるな。別にそういうジョークってわけじゃないんだよ。その羊皮紙を広げて杖を置いてみな。」

 

「そしてこう唱えるんだ。『我、よからぬことを企む者なり』ってな。そうすりゃその羊皮紙の価値が分かるはずだぜ。」

 

「……ホントかよ?」

 

ニッコリ顔で頷く双子をジト目で見ながら、一応言われた通りにやってみると……おお、こりゃすげえ。杖を置いた部分から徐々にホグワーツの地図が浮かび上がってきた。じわじわとインクが広がっていくみたいだ。

 

広大なホグワーツを詳細に描いた地図の一番上には、『ムーニー、ワームテール、プロングズ、パッドフット、ピックトゥース。我らがお届けする自慢の品、忍びの地図』と書かれている。

 

魔法っぽい物にワクワクし始めた私に、双子は得意げな表情で説明してきた。

 

「どうだ? すげえだろ。偉大なる先輩方からの贈り物さ。隠し通路、隠し部屋、隠し階段。そういうのも殆どが載ってるんだ! ダンブルドアだってこんなには知らないぞ。」

 

「それに、地図だけじゃない。そこら中で動いてる点を見てみろよ。……名前が書いてあるだろ? つまり、ホグワーツ中の人間が何処で何をしてるかが丸わかりなのさ! これがあればフィルチなんか怖くないぜ!」

 

「めちゃくちゃすげえ。……でも、いいのか? これがないと困るだろ?」

 

コイツらの『偉業』はこれによって支えられていたわけだ。となればこの地図が無ければ困るだろうと思ったのだが……そうでもなさそうだな。双子は満面の笑みのままだ。

 

「心配ご無用! 隠し通路は殆ど頭に入ってるし、もうフィルチに見つかるようなヘマはしないさ。俺たちは十分過ぎるほどに経験を積んだんだよ、後輩。」

 

「つまり、これを誰かに受け渡す時が来たというわけだ。お前には悪戯の才能があるぜ、マリサ。俺たちくらいになると、雰囲気でそれが分かるんだ。」

 

悪戯の才能か……うーむ、コイツらにそう言われると悪い気はしないな。そういうことならありがたく貰っておくとしよう。

 

「へへ、そうまで言われちゃ断れないな。霧雨魔理沙の名にかけて、この地図に相応しい悪戯をしてみせるぜ。」

 

鼻を掻きながら言ってやれば、双子は嬉しそうに頷いた。

 

「それでこそだ、マリサ! 我らが意思、偉大なる先輩方の意思、確かにお前へ引き継いだぞ。」

 

「使い終わったら杖を乗せて『いたずら完了』で元の羊皮紙に戻るからな。それじゃ、上手く使えよ!」

 

最後にビシリと敬礼した後、双子は医務室へと入って行った。それに戯けて敬礼を返してから、早速杖を乗せて言葉を放つ。

 

「いたずら完了。」

 

途端に地図は消えて、元の古ぼけた羊皮紙に戻った。いやはや、こいつはいい物を貰ったぞ。最高の贈り物じゃないか。

 

……よし、先ずは隠し部屋やら通路やらを探検してみよう。こんなに面白い城なんだ、隠されているものはもっと面白いに違いない。

 

ポケットに地図をしまい込みながら、霧雨魔理沙は足取り軽く歩き出すのだった。

 



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天文塔の隠し部屋

 

 

「ここは通さんぞ、邪悪な吸血鬼め! 太陽の加護を我に! 闇の眷属は闇へと帰れ!」

 

剣をぶんぶん振りながら喚き散らす騎士を前に、アンネリーゼ・バートリは苛々と足を踏み鳴らしていた。今ならブラックの気持ちが良く分かるぞ。なにせ肖像画を引き裂きたくて仕方がないのだから。

 

現在目の前で喚いている馬鹿騎士は、太ったレディに代わって談話室を守ることになった肖像画だ。その名もカドガン卿。もう名前からしてお察しではないか。

 

既にこいつが設置されてから数週間が経っているが、こいつは私が談話室に入ろうとする度に鎧をガチャガチャ鳴らしながら『威嚇』してくるのだ。正義の騎士どのは悪しき吸血鬼がお嫌いらしい。

 

いつもなら鼻で笑って皮肉でも飛ばしてやる余裕があるが、残念ながら今は天文学の帰りである。あの授業で疲弊した私にそんな余裕はない。

 

フリバティジベット(軽薄)。」

 

「無礼であろう! ええい、卑怯なり、吸血鬼! 尋常に勝負せよ!」

 

もはや構うのも面倒で合言葉を口にしてやれば、自分で設定した合言葉に怒りながらもカドガン卿は扉を開けた……というか、開いた。多分勝手に開く仕組みになっているのだろう。ダンブルドアはグリフィンドールに何の恨みがあってこんなヤツを選んだんだ? ここはおまえの出身寮だろうが。

 

「人物画なんて腐る程あるだろうに。こいつに門番をさせるくらいなら犬の絵でも置いといたほうがマシだぞ。五階のヨークシャーテリアの絵とかを。」

 

ブラックだってこんなヤツよりかはそっちの方が怖いはずだ。談話室に足を踏み入れながら後に続く三人に吐き捨てると、ハーマイオニーが困ったような苦笑で返事を寄越してきた。

 

「一応、円卓の騎士の一員だったらしいわよ? 『正気の沙汰ではない勇気』でワイバーンを倒したんだって。何かの本で読んだことがあるわ。」

 

「ふん、ハチドリの間違いだろうさ。それだって取り逃すのがオチだろうがね。」

 

「違いないな。あの爺さんが乗ってるのはロバだぞ? 『小ちゃなノーバート』にだって追いつけないよ。」

 

ロンから懐かしい名前が出たところで、ハーマイオニーがさっさと女子寮の階段へと歩き出してしまう。天文学で疲弊したのは私だけではないようだ。

 

「何にせよ、騎士問答は明日に回しましょう。今日はもう疲れたし、ふかふかのベッドで寝たいわ。」

 

「そうだな。あんなに複雑な星表を書かされるとは思わなかったよ。右手が腱鞘炎になっちまう。」

 

欠伸をしながらロンも男子寮へと歩いて行く。ふむ、今日はみんな夜のお喋りを楽しむ気分ではないようだ。チラリと談話室を見回してみるが……うーん、面白そうなのは居ないな。咲夜と魔理沙は寝てしまったようだし、パーシーが双子とゴブストーンで楽しんでいるくらいだ。

 

「しかしまあ、パーシーも変わったね。」

 

唯一残っているハリーに呟いてみれば、彼は赤毛の三人組を見ながら返事を返してきた。その顔には柔らかい笑みが浮かんでいる。

 

「うん。なんて言うか……穏やかになったよね。口煩くなくなったし、勉強以外にも色々やるようになったみたいだよ。就職先も決めたんだってさ。」

 

「ふぅん? やっぱり魔法省かい?」

 

「ウィーズリーおじさんと同じ部署に行きたいんだって。マグル製品不正使用なんちゃら局に。」

 

「それはまた……こう言っちゃなんだが、随分と勿体無いじゃないか。出世ルートとは程遠いぞ。」

 

去年の騒動で監督生からこそ外されたが、成績は今でもトップ集団の一員のはずだ。あんな超窓際局ではなく、もう少し良い部署も狙えると思うのだが……。

 

少し驚いた顔の私に、ハリーが曖昧に笑いながら口を開く。

 

「去年の事件があったせいで色々と考えさせられたんだってさ。どんな話があったのかは知らないけど、もう決めてるみたいだよ。前にロンが言ってた。」

 

「へぇ。……まあ、別に私たちが気にすることじゃないか。本人も幸せそうだし、好きにすればいいさ。」

 

少なくともウィーズリー家にとってはそう悪くない選択だったのだろう。あの三人の顔を見ていればそれがよく分かる。去年の今頃じゃ考えられないような雰囲気だ。

 

「そうだね。ジニーも最近元気だし、良い方向に進んでると思うよ。」

 

「大いに結構。この寮じゃ赤毛は目立つからね。彼らの雰囲気が良ければ、寮の雰囲気も良くなるってもんだよ。……それじゃ、私も寝るとするかな。」

 

今日はもう夜のお散歩をする気分ではない。私もすり減らされた精神を回復しようと階段へ向かって歩き出したところで……おっと? ハリーが慌てた感じで呼び止めてきた。まだ何かあるのか?

 

「ちょっと待って、リーゼ。その、お願いがあるんだ。」

 

「お願い?」

 

聞き返してやると、ハリーは大きく頷きながら真剣な表情で『お願い』とやらの内容を口にする。

 

「僕に守護霊の呪文を教えて欲しいんだ。」

 

「……なるほど。」

 

まあ、予想していなかったと言えば嘘になる。ハリーは二回も吸魂鬼関係で失態を演じているのだ。当然ながらその対策なのだろうが……三年生で守護霊の呪文はちょっと厳しいように思えるぞ。あれは大人でも難しい呪文のはずだ。

 

黙考する私を見て、ハリーはなおも言い募ってきた。

 

「もう吸魂鬼にやられっぱなしでいるのは嫌なんだよ。今日の防衛術で僕だけ残らされたでしょ? そのとき守護霊の呪文の話になって、ルーピン先生が教えてくれるって約束してくれたんだけど……。」

 

「それなら私が教えるまでもないじゃないか。本職が教えてくれるならそっちの方がいいだろう?」

 

「でも、あんまり時間は取れないみたいなんだ。だから先に基礎だけでもと思って。……ダメかな?」

 

ふむ。それならまあ、構わないか。難しい部分はルーピンに丸投げすればいいんだし、初歩を教えるだけなら大して苦でもない。霞のような守護霊もどきを出すだけならばさして難しくもないのだ。

 

「ま、基礎だけならお安い御用だよ。だが……この呪文は難しいぞ、ハリー。実体なしの守護霊ならともかく、有体守護霊を作り出せるようなヤツは大人にだってそう居ないんだ。」

 

「でも、リーゼは出来てる。そうだろう?」

 

「あー……吸血鬼は守護霊の呪文に適性があるのさ。私たちが使う分には、そこまで難しい呪文じゃないんだよ。」

 

確か一年の頃にそんな設定を作った気がする。懐かしの『本で読んだわ』状態のハーマイオニーを思い出しながら言ってやると、ハリーは少し驚いたように返事を返してきた。

 

「そうだったの? ……人間のと同じ呪文なんだよね?」

 

「基本的には同じかな。」

 

「それなら問題ないよ。それじゃあ、早速お願いできるかな?」

 

おいおい、今からやる気か? ……まったく、仕方がないな。やる気満々なハリーを目立たない隅のソファへと誘導して、杖を取り出しながら口を開く。

 

「いいかい? 守護霊の呪文において最も重要なのは『幸福』だ。つまり、幸せな記憶だよ。恐怖と対になるそれを実体化することで、恐怖を体現する吸魂鬼に対抗するってわけさ。」

 

「幸福な記憶……思い浮かべるだけでいいの?」

 

「言うほど簡単じゃないぞ、ハリー。生涯で一番幸せだった瞬間を強く想像するんだ。生半可な記憶じゃ、有体どころか煙一つも出せやしないよ。」

 

「わかった。そしたら?」

 

この様子だと多分わかっていないが、やらねば理解もできないだろう。習うより慣れろ。とりあえず先に呪文を教えた方が良さそうだ。

 

「そしたら円を描くように杖を振って……エクスペクト・パトローナム。こんな感じだ。」

 

呪文を唱えてやれば、私の杖先から小さな銀色のコウモリが飛び出してくる。パタパタと忙しなく飛び回るそれを見ながら、ハリーは真剣な表情で私の動作をなぞり始めた。

 

「……エクスペクト・パトローナム!」

 

呪文を唱えたハリーの杖先からは……うーむ、ギリギリ煙と言えなくもない銀色の何かがふんわり出てきた。これでは吸魂鬼どころかレタス食い虫すら追い払えまい。マグルに見せたって驚かなさそうだ。

 

ハリーにもそれがわかったようで、かなり残念そうな表情で口を開く。

 

「まあ……うん、失敗だね。守護霊の形とかはイメージしなくていいの?」

 

「しなくても大丈夫だ。嘘か真か、守護霊は使い手の本質を映し出す鏡らしいよ。つまり、キミの本質に近い動物が勝手に形作られるはずさ。」

 

「じゃあ、記憶が弱かっただけかな?」

 

「恐らくそうだね。……説明するのは難しいが、守護霊は魔力ではなく幸福そのものを使って作るものなんだよ。だからこそ、魔力の豊富な魔法族でも使い熟すのは難しいわけだ。」

 

私の言葉を受けて、ハリーは腕を組んで幸せな記憶を探し始めた。これまでの魔法とは本質的に違うのだ。習得には時間がかかることだろう。……というか習得できるか微妙なほどだ。

 

「それじゃ、私は寝る。キミも数回試したら眠りたまえよ? この呪文は精神の深い場所にある力を使うんだ。やりすぎると酷い虚無感に襲われるぞ。」

 

「もう寝ちゃうの? その……これだけ?」

 

「なぁに、後は練習あるのみさ。」

 

ひらひらと肩越しに手を振りながら、寝室に向かって歩き出す。基礎は教えたんだ。後はルーピンにでも任せればいいだろう。

 

コツコツと女子寮への階段を上りつつ、アンネリーゼ・バートリは欠伸を一つ放つのだった。

 

 

─────

 

 

「……。」

 

深夜。ルームメイトたちが寝静まったのを確認して、霧雨魔理沙はゆっくりと寮の部屋を抜け出していた。当然ながら忍び足で。

 

つまり、今日も夜の探検を始めるのだ。忍びの地図を手に入れて以来、こっそりと夜のホグワーツを歩き回るのは私の日課となっている。……まあ、仕方なかろう。こんな地図を手にして大人しくベッドでお寝んねしてられるやつがいるか? 少なくとも私には不可能なこった。

 

「我、よからぬことを企む者なり。」

 

女子寮の廊下でいつものように地図を広げて、杖を置きながら合言葉を唱える。先ずは談話室に人が居ないことをチェックして、それから──

 

「何をしてるの?」

 

「うぉっ……何だよ、咲夜か。」

 

ビビった。バクバクと鳴り響く胸に手を当てている私を見て、寝間着のままの咲夜がかなり怪訝そうな顔で口を開く。足音が全然しなかったぞ。

 

「昨日もいなくなってたでしょ。夜中に喉が渇いて起きちゃった時、貴女のベッドが空っぽだったわよ。」

 

「あー……それはだな、ちょっとした用事があって……。」

 

どうする? 話しちゃうか? 迷う私の脳裏に、医務室で涙目になっている咲夜の顔が過ぎった。あのクィディッチでの『墜落』の後、コイツは本気で心配してくれたのだ。

 

口調こそは呆れているような感じだったが、あの顔は明らかに心配していた。ポンフリーに何度も傷が残らないかを聞いていたくらいだ。苦笑しながらも丁寧に説明していたポンフリーのことが印象に残っている。

 

……うん、話そう。双子しかり、偉大なる五人の先輩方しかり。悪戯は一人でやるものじゃないはずだ。一緒に楽しめる友達がいたほうがきっと良い。

 

「よしよし、わかった。説明してやるからついて来いよ。」

 

腕を組んで私の説明を待っている咲夜を、人差し指を口に当てながら談話室へと誘導する。怪訝そうな顔の彼女と暖炉の前のソファに座り込んでから、地図を見せて説明を始めた。

 

「コイツを試してたのさ。忍びの地図っていってな、双子から貰ったんだ。」

 

「忍びの地図? ……これ、ホグワーツの地図なの?」

 

「それだけじゃないんだぜ。コイツはな──」

 

ひと通り説明を終わらせると、咲夜は眠気も吹き飛んだという様子で興味深そうに地図を突っついている。こいつも地図の魔力には抗えなかったようだ。

 

「……凄いじゃないの。きっと信じられないほどに高度な魔法がかかってるんだわ。」

 

「いいか、咲夜。このことはリーゼにも言うなよ?」

 

「リーゼお嬢様にも? でも、それは……。」

 

む、迷ってるな。途端に顔を下げてモジモジ悩み始めた咲夜に、しっかりとした口調で言い募る。リーゼに言えば面白がって取り上げられちまう可能性が高いのだ。そして取り上げられれば二度と戻ってくることはなかろう。鬼ってのはそういう生き物だ。

 

「お前と私、二人だけの秘密だ。」

 

「二人だけの? ……うん、わかった。聞かれない限りは言わない。」

 

「おいおい、聞かれたら言うのかよ。」

 

「だって……嘘をつくのは嫌よ。っていうか、無理。黙ってるのが精一杯だわ。」

 

まあ……仕方ないか。こいつの『お嬢様方』への依存っぷりは重々承知している。黙っているだけでもかなり譲歩してくれてるはずだ。この辺が妥協点だろう。

 

苦笑して頷きながら、談話室の扉を指差して口を開く。

 

「それじゃ、着替えてこいよ。早速探検に行こうぜ。今日は天文塔の辺りを調べようと思ってたんだ。」

 

「でも、見つかったら減点よ? それに罰則も食らっちゃうわ。」

 

「おいおい、そうならない為の地図だろ? 行こうぜ、咲夜。一緒に夜の冒険だ!」

 

ニヤリと笑って誘ってやると、咲夜は一瞬だけ逡巡した後……コクリと頷いて立ち上がった。そうこなくっちゃな!

 

───

 

「ぬ、既に闇が訪れているぞ、少女たちよ! 我の守護する城へと戻るのだ!」

 

「あー……探索に向かうんだぜ。栄誉と真理を探しにな。」

 

「おお、探求者であったか! これは失礼した、小さな賢人たちよ。旅の幸運を祈る! 闇夜を切り拓く者たちに幸あれ!」

 

咲夜が着替えた後、いつものようにカドガン卿に適当な言い訳を放ってから、二人で夜の廊下を歩き出す。あいつはボンヤリとした返事をしてやれば勝手に勘違いしてくれるのだ。太ったレディには悪いが、こいつが設置されたのはラッキーだったな。

 

毎度のことながら薄暗い廊下はちょっと怖いが……うん、一人の時よりはずっと楽しい気分だ。やっぱり誘ってよかった。

 

咲夜はキョロキョロと不安そうに辺りを見回しながら、私を見てポツリと呟いた。

 

「リーゼお嬢様と鉢合わせたりしないわよね? 何処にいるか分かる?」

 

「リーゼ? ちょっと待ってな、リーゼは……。」

 

歩きながら地図を確認するが……むぅ、見当たらないな。女子寮の部屋にも居ないし、何処ぞの廊下でも歩き回っているのか? これまでの数回の探検の時もあいつは意味不明な場所に表示されていたのだ。正に神出鬼没である。

 

「……見当たらないぞ。校外にいるのかもしれんな。」

 

「吸血鬼は表示されないってことはないんでしょうね? 罰則も減点も我慢できるけど、リーゼお嬢様に怒られるのだけは嫌よ?」

 

「大丈夫だ。この前表示されてるのを見たし、近付いてきたら逃げればいいのさ。」

 

「リーゼお嬢様から逃げるだなんて……こんな日が来るとは思わなかったわ。」

 

ちょっと微妙な顔で言う咲夜と、長い螺旋階段を上っていけば……天文塔の天辺に続くドアが見えてきた。あそこを抜ければいつも天文学の授業をやってる天文台だ。ドアの周囲はかなり大きな踊り場になっている。

 

踊り場に到着したところで、窓から月を見ている咲夜が口を開いた。今日は雲が少ないせいで月が綺麗に見えるな。

 

「それで、何を調べに来たの? 見事な三日月だけど……普通に夜空を見に来たわけじゃないんでしょ?」

 

「こっちだ。踊り場の隅っこに隠し部屋があるっぽいんだよ。」

 

「へぇ? 全然気付かなかったわ。」

 

広い踊り場の隅へと歩いて行き、二人で辺りを調べてみると……ふむ、これが怪しいな。壁にひし形の窪みのようなものがある。そこだけ何故か緑がかっているし、明らかに自然に出来たものではない。

 

同じく気付いた咲夜がコツコツと窪みのある壁を叩いてみれば、確かに他の場所とは違う音が返ってきた。つまり、この先に空間があるということだ。

 

「どうやって開くの?」

 

「地図の同じ場所を杖で叩いてやれば、文字が浮かび上がってきて開け方を教えてくれるのさ。見てろよ?」

 

地図上にある私たちの点のすぐ側を叩いてみれば……ありゃ? 短く『不明』とだけ浮かび上がってきた。つまり……。

 

「開けられないってことじゃないの?」

 

「あー……そうみたいだな。この地図を作った先輩方でも無理だったらしい。」

 

咲夜の言葉にちょっと残念に思いつつ同意する。いつもなら合言葉やら開け方やらが浮かび上がってくるのだが、こんなのは初めてだ。

 

「隠し扉自体は見つけられたけど、開け方が分かんなかったのかもな。」

 

「そうかもね。でも、そう言われると俄然気になってきちゃうわ。この窪みが怪しいと思うんだけど……。」

 

そう言うと咲夜は、何処からか取り出したナイフで窪みをゴリゴリし始めた。まあ、開けるのは難しかろう。先輩方でも無理だったとなれば、ちょっとやそっとじゃ開かないはずだ。

 

諦め悪くゴリゴリを続ける咲夜に苦笑したところで、何となく地図に目を落としてみると……やっば。螺旋階段を上ってくる点があるぞ。

 

「おい、ヤバいぞ、咲夜。誰かが来る。どっかに隠れよう。」

 

「ちょ、どっかって何処よ。」

 

「あー、えーっと……あそこだ。向こうの戸棚。あの中に隠れるぞ。」

 

小声でやり取りを終えた後、二人で戸棚に入り込んで扉を閉める。天文学で使う器材が置いてある戸棚だ。……っていうか、狭いな。ぎゅうぎゅう詰めだぞ。

 

「ちょっと、もっと詰めてよ、魔理沙。望遠鏡が私のお腹に突き刺さってるんだけど。」

 

「こっちも限界なんだよ。私なんて折り畳み椅子に頭を小突かれてるんだぞ。タンコブになったら……静かに。来たぞ。」

 

わちゃわちゃと位置調整を繰り返していたが、近付いて来る足音で二人とも息を潜める。戸棚の僅かな隙間から踊り場を覗いてみれば……ラデュッセル? 歓迎会以来、殆ど見たことのない陰気男が見えてきた。

 

「ラデュッセルだ。……こんな所で何してんだろ?」

 

小声で咲夜に問いかけてみると、彼女は何故かドン引きした様子で口を開く。

 

「知らないけど……あの髪飾り、女物じゃない。女装して夜の校舎をウロついてるわけ? さすがに特殊な趣味すぎるわ。」

 

「こっからじゃ良く……本当だ。全然似合わんぜ。女装して星を見にでも来たのか?」

 

おまけに髪飾りの下にある顔はいつもの能面みたいな笑顔ではなく、完全なる無表情だ。むちゃくちゃ不気味だな。小声でボソリと呟いてみれば、咲夜も声を潜めて返してきた。

 

「きっとロクなことじゃないわ。リーゼお嬢様はあの男がお嫌いみたいなの。つまり、嫌なヤツなのよ。」

 

「その判断基準はどうかと思うがな。」

 

私たちが小声で話をしている間にも、ラデュッセルは先程私たちが調べていた壁でゴソゴソ何かをやり始める。……おいおい、アイツも隠し部屋に興味があるのか?

 

そのまましばらくの間はラデュッセルが何らかの器具を使う音だけが踊り場に響いていたが、やがて彼は舌打ちを鳴らすと思いっきり壁を殴りつけた。いきなりなんだよ。こえーよ。

 

「……忌々しい。」

 

憎々しげな呟きを残した後、ラデュッセルは身を翻して螺旋階段を下りて行く。地図で彼が遠ざかったのを確認してから、戸棚を出て怪訝そうな咲夜と顔を見合わせた。

 

「……なんか、怖い雰囲気だったわね。興味から調べてるって様子じゃなく、もっと必死な感じだったわ。」

 

窪みの方を見ながら言う咲夜に、コクリと頷いて返事を返す。確かに怖かった。ラデュッセルは調べている時も、壁を殴りつけた時も、ずっと無表情のままだったのだ。人間としての大事な何かが抜け落ちているみたいだった。

 

「何だか知らんが、リーゼの言うことは正しかったみたいだな。アイツはどうも……あんまりいいヤツじゃなさそうだ。」

 

ラデュッセルはあの窪みの先に何があるのかを知っているのだろうか? あの必死さを見るに、咲夜の言う通り興味本位ということはなかろう。

 

咲夜と二人でひし形の窪みを見つめながら、霧雨魔理沙は双子にも聞いてみようと決意するのだった。

 



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ムーニー

 

 

「エクスペクト・パトローナム! エクスペクト・パトローナム! エクスペクト、エクス……。」

 

また失敗か。気絶して空き教室の床へと倒れこむハリーを見ながら、アンネリーゼ・バートリは小さくため息をついていた。慌ててルーピンがまね妖怪を戸棚に戻している。

 

クリスマス休暇が目前に迫る中、二度目のホグズミード行きの日が訪れたのだ。すっかり仲直りしたハーマイオニーとロンは仲良くホグズミードへと旅立っていった。ロニー坊やは上手くエスコート出来ているだろうか? ……まあ、無理か。

 

そんな中、私は残って第一回目の守護霊講座に付き合っているのだ。しかし……まね妖怪が吸魂鬼に化けるのを利用するとは思わなかったぞ。やるじゃないか、ルーピン。

 

当然ながら、私がこんなことに付き合っているのには理由がある。ホグズミードには全く興味がないし、何より狼人間の守護霊講座には咲夜と魔理沙も参加しているのだ。魔理沙がハリーから話を聞きつけ、咲夜は魔理沙から話を聞いたらしい。私の知らないところで愉快な伝言ゲームが執り行われていたようだ。

 

まあ、正直言って一年生の二人が守護霊の呪文を習得するのは不可能だろう。才能やら努力やら以前に精神の成熟度が不足しているのだ。守護霊が精神に深く関わる呪文な以上、もう少し成長しなければどうにもなるまい。

 

とはいえ、魔理沙も咲夜も真剣に杖を振っている。魔理沙は吸魂鬼に苦手意識があるようだし、このところ魔理沙に引っ付いている咲夜は友達と差がつくのが嫌なのだろう。そんなわけでこっちの二人が失敗するのは微笑ましいが……うーん、こっちのメガネ君はそうも言っていられないな。

 

エネルベート(活きよ)。」

 

ルーピンがまね妖怪に対処している間に、もはや使い慣れた蘇生呪文でハリーを起こす。何せこれで十回目くらいなのだ。目を開いたハリーは少し首を振った後、項垂れながらポツリと呟いた。

 

「またダメだった。……まね妖怪でこれなんだったら、本物を追い払うなんて不可能だよ。」

 

やっぱりこっちは微笑ましいとは言えないな。呪文の難易度からいって失敗するのが当然だと思うのだが、ハリーは毎回この調子でどんよりしてしまうのだ。まね妖怪とはいえ、吸魂鬼と接した影響もあるのかもしれない。

 

「先ずはチョコレートを食べなさい、ハリー。少し休憩しよう。」

 

「……はい、ルーピン先生。」

 

そしてまたチョコレートタイムか。……この分だとハリーが肥満体になる方が早いぞ。従兄のお下がりがピッタリになる日も近そうだ。

 

ルーピンの差し出したチョコレートを齧るハリーに、部屋の隅で練習していた魔理沙が声をかけた。あっちはあっちで進歩なしだな。二人とも対レタス喰い虫用の霞すら出ないようだ。

 

「おいおい、そっちはモヤモヤが出てたじゃないか。私なんかそれすら出ないぜ。」

 

「全然意味ない感じだけどね。毎回気絶してるんじゃ、モヤモヤが出てたって意味ないよ。」

 

「そうか? さっきよりかは長持ちしてたみたいだったぞ。」

 

「……本当に?」

 

顔を上げたハリーに、ここぞとばかりにルーピンが褒め言葉を放り投げる。このヨレヨレ男は思春期の少年の扱い方を分かっているらしい。実体験か?

 

「マリサの言う通りだよ、ハリー。私の見る限り、少なくとも十秒は抵抗できていた。確実に進歩はしてるんだ。ゆっくりいこう。」

 

「……はい、分かりました。」

 

やれやれ、ようやくやる気が戻ってきたな。三人のやり取りを横目に咲夜の方を見てみれば……うーむ、可愛い。こちらは一心不乱に練習している。どうもハリーに遅れを取るのが我慢できないようだ。

 

謎のライバル心を剥き出しにしている咲夜を微笑んで眺めていると、ハリーが立ち上がって再開の言葉を放った。まあ、根性だけは一人前だ。普通なら嫌になってくるだろうに。

 

「もう一度お願いできますか? 次は別の記憶で試してみます。」

 

「……よし、今日はこれで最後にしよう。準備はいいかい?」

 

「はい。」

 

ハリーの短い了承の言葉を聞いて、ルーピンが再びまね妖怪を解放する。途端に吸魂鬼に姿を変えたまね妖怪を前に、ハリーが怯みながらも呪文を唱えた。

 

「エクスペクト・パトローナム!」

 

おっと? 今回はまあまあ濃いモヤモヤじゃないか。吸魂鬼はモヤモヤに押し退けられるように後退っているし、ハリーも脂汗を流しながら必死に耐えている。

 

側から見る分には滑稽なモヤモヤ対吸魂鬼の勝負が二十秒ほども経過したところで……残念、没収試合だ。セコンドのルーピンが杖を振ってまね妖怪を戸棚に戻してしまった。

 

「いいぞ、ハリー! 今回は気絶もしていないし、これまでで最高の出来だった!」

 

「まあ、そうだね。ノックアウトとまではいかなかったが、ささやかな抵抗をすることは出来てたじゃないか。」

 

ルーピンと私の言葉を聞いて、ハリーは笑顔で大きく頷く。息も絶え絶えの彼が座り込んで再びチョコレートタイムに突入したところで、ルーピンが練習の終わりを告げた。

 

「それじゃあ、今日はここまでにしておこう。次までにハリーは記憶をより明確にイメージ出来るように特訓しておいてくれ。サクヤとマリサも同じだ。幸福こそがこの呪文の要だからね。」

 

「わかりました。」

 

「おう。」

 

「はい!」

 

三者三様の返答に頷いたルーピンは、杖を振って揺れ動く戸棚を隅へと移動させる。それをぼんやり眺めていると、魔理沙が咲夜に話しかける声が聞こえてきた。

 

「おい、咲夜。『アレ』を試しにいこうぜ。昨日作っといたんだ。」

 

「また? 今度こそちゃんと嵌るんでしょうね?」

 

「大丈夫、大きさもピッタリだ。ちゃんと型を取ってから作ったし、今回こそは開くはずだぜ。」

 

ふむ? 何だか知らないが、悪巧みの雰囲気がするな。吸血鬼のカンがそう囁いてるぞ。二人の内緒話にこっそり耳を傾けていると、咲夜がオズオズと寄って来て話しかけてきた。

 

「あの、魔理沙と遊びに行ってきていいですか?」

 

上目遣いで許可を求めてくる咲夜に、苦笑しながら返事を返す。

 

「咲夜、何度も言っているが、別に私に許可を取る必要はないんだ。キミの好きな時に好きな友人と遊びたまえ。……ただし、危ないことはダメだよ?」

 

「はい! それじゃあ、行ってきます。」

 

コクリと頷いてから魔理沙と二人で空き教室を出て行くが……なんかこう、嬉しいような悲しいような、なんとも微妙な気分になるな。私といるよりも友人と遊ぶのを優先するようになったか。娘が嫁に行く父親の気分が少し分かっちゃったぞ。

 

咲夜の成長を複雑な気分で感じていると、片付けの終わったルーピンにハリーが声をかけた。チョコレートは見事に完食したようだ。クリスマスプレゼントは体重計がいいかもしれんな。

 

「あの、ルーピン先生。パパとママの話を聞かせてもらえませんか? この前はブラックのことで頭が一杯だったんですけど……先生はパパの親友だったんですよね?」

 

「ジェームズの? ……ああ、勿論だ。そういうことなら私の部屋においで。お茶でも飲みながら昔話をしよう。」

 

寂しげな微笑を浮かべたルーピンが立ち上がってハリーを促す。……ふむ、そうなると私は邪魔だな。さすがにそのくらいの空気は読めるぞ。

 

「それなら、私は談話室に戻ってるよ。」

 

「あー、リーゼも一緒にどうかな? 興味があればの話だけど。」

 

おや? 意外な言葉だ。思わず怪訝な表情を浮かべながら、ハリーの誘いに返事を返した。

 

「それはまあ、無いわけではないが……いいのかい? 私のことは気にしないで、ルーピンと二人で話してきてもいいんだよ?」

 

「練習に付き合わせちゃったしさ。それに今日はみんなホグズミードに行っちゃってるから、談話室に戻ってもつまんないでしょ? 一緒に行こうよ。」

 

うーむ、一応声をかけたって表情ではないな。どうも本気で一緒に来て欲しいようだ。まさかルーピンと二人になるのに身の危険を感じているわけではあるまいし、単純に私にも聞いて欲しいってことか?

 

「ふむ……それなら、私もお邪魔しようかな。ルーピンも構わないかい?」

 

まあ、悪くない。ジェームズ・ポッターはともかくとして、こいつの視点から見たフランには興味があるのだ。暇つぶしにはもってこいだろう。ドアのところで待っているヨレヨレに問いかけてみれば、彼は苦笑しながら了承の頷きを放ってきた。

 

「もちろん構わないよ。それじゃ、ついてきてくれ。」

 

ルーピンの先導に従って人気のない廊下を三人で歩き出す。クリスマス休暇も近いことだし、帰ったらフランに話してやることにしよう。去年は馬鹿蛇騒動で帰れなかったが、今年は我が家に帰れることになったのだ。

 

金髪の妹分への土産話になることを期待しつつ、ヨレヨレローブの背に続くのだった。

 

───

 

数分かけて教員塔に到着して、そのまま三人でルーピンの私室へ入ると……うーむ、地味だな。書棚と机。ソファとティーテーブル。それに申し訳程度の応接セットが置かれているだけだ。

 

クィレルはキャラ作りだったのか素だったのかは知らんが、模様付きの絨毯を敷いて謎の布を大量に天井からぶら下げていた。何というか、アラビア風な感じに。そしてアリスの場合は言わずもがな、人形だらけのホラールームだ。

 

それに比べてこの部屋のなんと地味なことか。まあ……常識的と言えなくもない。ホグワーツの教師は大概どっかおかしなところがあるし、ある意味では個性的とも言えるだろう。

 

「二人ともソファに座ってくれ。今お茶の準備をするよ。」

 

いつもの柔和な笑みを浮かべながらルーピンが言うのに従って、ちょっとボロいソファへと座り込む。ハグリッドあたりが座ったらぶっ壊れそうだな、これ。

 

「あんまり魔法使いっぽくない部屋だね。」

 

「おや、期待ハズレかな?」

 

呟いたハリーにニヤリと笑って問いかけてみれば、彼はちょっと自嘲している感じで答えを返してきた。

 

「いや、僕はこっちの方が落ち着くかな。何だかんだ言ってもマグル育ちだからね。それもとびっきりの。」

 

「なぁに、そのうちこっちの方が落ち着かなくなるさ。キミは生来魔法使いだしね。」

 

「そうだね……そうなりたいよ。」

 

私とハリーが他愛もない話をしている間にも、ルーピンはお茶の準備を終えたようだ。三つのマグカップを粗大ゴミ一歩手前のテーブルに置くと、一つ息を吐いてから話し始めた。いよいよ昔話が始まるらしい。

 

「それじゃあ、最初から話そう。私は口下手だからあまり上手くは話せないが……そう、私がジェームズと初めて出会ったのは、一年目のホグワーツ特急のコンパートメントでのことだった。」

 

懐古か。ほんの少しだけ目を細めたルーピンは、柔らかい口調でジェームズ・ポッターとの出会いを語る。ハリーは早くも身を乗り出して、興味津々といったご様子だ。

 

「僕はちょっとした……病気を抱えていてね。学校で上手くやれるかがとても心配だったんだ。だが、ホグワーツ特急の旅でそんな気持ちは吹き飛んだよ。私とジェームズとピーター、そして……シリウス。たまたま一緒のコンパートメントになった四人はすぐさま意気投合したんだ。彼らと一緒なら、楽しい学生生活になることを確信出来るほどにね。」

 

ここでもホグワーツ特急か。アリスとヴェイユ、そしてリドルが出会った場所。フランとヴェイユの娘も、そして私とハリーたちもそこで出会った。レミリアに言わせれば、多くの運命が交差している場所だ。

 

赤い車体に想いを馳せる私を他所に、ルーピンの昔話は続く。

 

「そのままグリフィンドール寮に組み分けされた私たちは、何をするにも四人一緒だったよ。そう、今の君たちのようにね。……特にジェームズとシリウスは形と影のようだった。私とピーターはいつもあの二人に引っ張り回されていたもんだ。」

 

「そんなに仲が良かったんですか? ……それなのに、ブラックはパパを裏切ったんですね。」

 

「……シリウスの話はよそうか?」

 

ギュッと手を握りしめながら呟くハリーに、ルーピンが気遣うように提案するが……ハリーは首を振って続きを促す。

 

「いえ、全部聞かせてください。聞きたいんです。」

 

「……わかった。それでまあ、私たちは一年生の頃から色々と『やんちゃ』をしていたんだ。分かるだろう? 四人の男の子が揃ってしまったら、そういう反応が起こるものさ。ただ……うん、あの頃はみんな子供だったんだよ。私たちは少しやり過ぎていたんだ。そして思い出すだけでも赤面ものな『迷惑行為』を繰り返す私たちを止めたのが、ハッフルパフの小さな吸血鬼だったのさ。」

 

「フランドール・スカーレットさんですね? 会ったことがあります。」

 

ハリーの言葉に、ルーピンは嬉しそうに頷く。ようやくフランの登場だ。この辺の話は私も聞いたことがあるぞ。

 

「ああ、その通り。最初は非常に仲が悪かったよ。ハッフルパフ生に悪戯を仕掛けようとすると、何処からかフランドールがすっ飛んでくるんだ。とびっきり痛いゲンコツ付きでね。暫くは私たちとフランドールの攻防……というか、一方的にやられる日が続いたよ。しかし、二年目のある日の夜、私たちはちょっとした事件に巻き込まれたんだ。そこで彼女が私たちに手を貸してくれて、それがきっかけで仲良くなっていったのさ。」

 

「事件?」

 

「事件というか……私の病気がちょっとね。その辺はあまり深く話せないんだ。すまない。」

 

ハリーは少し気になっている様子だったが、それでも頷いて引き下がった。そんなハリーを見て苦笑しながら、ルーピンは再び口を開く。

 

「それからは四人組は五人組へと姿を変えたよ。本当に……本当に充実した日々だった。助け合い、時に喧嘩して、それでもずっと一緒に笑い合っていたんだ。五人でこっそりベッドを抜け出して、ホグワーツのあらゆる場所を探検したものさ。文字通り、隅から隅までね。」

 

フィルチの態度を見る限りでは、さぞ『充実』した日々だったのが窺える。今の双子が五人になったようなものか? ……それはまた、実に恐ろしい光景じゃないか。

 

私が糞爆弾を投げまくる五つ子を想像しているのを他所に、ハリーがルーピンへと質問を飛ばす。

 

「ママとはどうだったんですか? フランドールさんは、その頃パパとママは仲が悪かったって言ってましたけど……。」

 

「うーん、確かに良くはなかったね。リリーは非常に真面目な生徒だったんだよ。つまり、悪戯を繰り返す私たちに注意する側だったのさ。そういう時はいつもフランドールとコゼット……サクヤの母親だよ。が間に入ってくれてたんだ。」

 

「サクヤの? サクヤの母親も同級生だったんですか?」

 

「……知らなかったのか。ジェームズとシリウスが形と影なら、フランドールとコゼットは太陽と月だったよ。天真爛漫なフランドールと、落ち着いて理性的なコゼット。輝くような金髪と美しい銀髪だったから、ハッフルパフの金銀コンビなんて呼ばれてたんだ。男子生徒たちからは非常に人気のある二人組だったんだが……うん、悲しいことに二人とも好意に鈍くてね。全然気付いてなかったよ。……話していなかったのかい? バートリ。」

 

かなり驚いた顔になったハリーを見て、ルーピンは困ったように私に話題を振ってきた。あー……そういえばハリーには話してなかったな。サクヤはあんまりハリーと話をしないもんだから、全然気にしていなかった。

 

ルーピンにつられてこちらを見るハリーに、少し苦笑いで口を開く。

 

「ルーピンの言う通りだ。サクヤの両親はキミの両親と同級生で……そして同じ日に死んでいる。キミの両親と同じように、ヴォルデモートと戦う陣営に属していたんだよ。」

 

「そんなの……全然知らなかった。でも、サクヤの誕生日はハロウィンで……それじゃあ、彼女が生まれた日に死んじゃったの? つまり、正にその日に?」

 

「そういうことだね。キミが知っているかは分からんが、あの日は魔法省にも襲撃があったんだよ。咲夜の父親……アレックスはコゼットとフランを守るために犠牲になり、コゼットもまた咲夜を産んだのと同時に息を引き取ったそうだ。実にクソったれな話さ。」

 

「そんな、そんなの……。」

 

呆然と目を見開くハリーは、やがて俯きながらポツリポツリと呟き始める。

 

「僕、吸魂鬼が迫った時に両親の悲鳴が聞こえるんだ。多分、二人の死に際の声が。今まではそれを凄く悲しいことだと思ってたけど……でも、サクヤはそれすら出来ない。声を思い出すことすら出来ないなんて、酷すぎるよ。そんなのあんまりだ。」

 

これはまた、随分と悲しんでいるな。ハリーは愕然とした顔でマグカップを握りしめている。……もしかすると、共通点が多いから共感してしまっているのかもしれない。

 

同じ日に同い年の両親を失った二人か。時系列的に考えれば死んだ時間もほぼ一緒だ。今まで考えたこともなかったが、咲夜の方にも思うところがあるのだろうか?

 

そして二人ともが死に際の親から力を与えられた。片や命を懸けた護りを、片や想定していなかった能力を。そして片やそれを自覚し、片や知らぬままで護られ続けている。

 

とはいえ、両親の死後は一転して対照的だ。マグル界の片隅で居場所もなく育ったハリーに対して、咲夜は魔法界で幸せいっぱいに育った。その二人が今再びホグワーツの同じ寮で過ごしているわけか。

 

咲夜のことを黙考し始めた私に代わり、悲しそうな表情のルーピンが口を開く。

 

「……本当に辛い日だったよ。フランドールだけを残して、私の友人はみんな逝ってしまったんだ。当時はヴォルデモートに対抗するための任務で北部に居てね。何も出来なかった自分を殺してやりたいほどだった。」

 

ルーピンの後悔が滲む声を最後に、部屋を沈黙が包み込む。ポッター家とヴェイユ家、ルーピンとフラン、そしてハリーと咲夜。……不思議なもんだ。大きく違うようでいて、共通点も多い。レミリアなら何かを読み取れるのだろうか?

 

チラリと隣のハリーを見てみれば、少し俯きながらも何かを考えているようだ。その右手は額の傷跡をさすっている。恐らく自分が『生き残った男の子』になった日のことを想っているのだろう。

 

三人にのしかかる重苦しい沈黙を、ルーピンの疲れたような声が破った。なんともまあ、いつにも増してヨレヨレじゃないか。彼にとっても苦い思い出だったようだ。

 

「……少し時間を戻そうか。そうだな、ジェームズとリリーの結婚式のことを話そう。ダンブルドア先生が二人の結び手をやったんだ。」

 

「校長先生が?」

 

「ああ。当時はまだ戦争中だったが、山奥に私たちの拠点があってね。スカーレット女史が提供してくれてたんだ。そこの庭にみんなで会場を作って──」

 

ルーピンの話を聞きながら、思わず顔に苦笑が浮かんでくる。いやはや、ムーンホールドが『独立』してた頃が遥か昔に感じられるな。まだ十年ほどしか経ってないはずなんだが……。主に咲夜が原因なのだろう。彼女が来てから一日のイベントが段違いに多くなったのだ。失ったものも多いが、得たものもまた存在するわけか。

 

結婚式のことを話すルーピンの声を背景に、アンネリーゼ・バートリは静かに微笑を浮かべるのだった。

 



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最後の秘宝

 

 

「これが分霊箱か。……なんか、思ってたよりも普通だね。」

 

紅魔館のリビングで紅茶を飲みながら、アンネリーゼ・バートリはテーブルに乗っている指輪を見つめていた。見た限りでは普通の悪趣味な指輪だな。

 

クリスマス休暇に入り、紅魔館に戻ってきた私は破壊前の分霊箱を見物しているのだ。双頭の蛇がモチーフにされた金色のアームに、中石には緑色の……宝石か? 見たことがない深緑の石が嵌っている。私ならこんな悪趣味な指輪は死んでもつけんぞ。

 

対面に座るレミリアは既に思う存分観察済みらしく、もう全く興味がないようだ。そして右の小さなソファに座るパチュリーもそれは同様なのだろう。でなきゃ私が見物する余裕などあるまい。この魔女が研究対象を手放すはずがないのだから。

 

ちなみに咲夜は美鈴や小悪魔、エマやアリスと一緒に庭で雪遊びをしている。窓から見る限りでは巨大な雪像でチェスを楽しんでいるようだ。アリスがマクゴナガルあたりにコツを教わったのかもしれない。美鈴が素手で雪像を吹っ飛ばしてるあたり、本当にチェスなのかは不明だが。

 

私の言葉を受けて、ソファの手すりに頬杖をついているパチュリーが口を開く。うーむ、やる気の欠片も感じられないような表情だな。研究がひと段落ついて、燃え尽き症候群に陥ってるらしい。

 

「アリスと二人で調べたんだけど、これは二番目に製作された分霊箱よ。つまり、日記帳の次に当たるわけ。保有する魂の総量を見る限り間違いないわ。……まあ、そういう意味ではハズレね。もっと後期に作られたものならもう少しヒントも得られたんだけど。」

 

「だが、これはゴーントの家にあったんだろう? 少なくともリドルが自分に関係する場所に隠したってのは証明できたじゃないか。」

 

仮説を補強できただけでも幸運だろう。これで安心して捜索を続けられる。レミリアも同感のようで、頷きながら情報を整理し始めた。

 

「サボりコンビが調べた孤児院跡地、リドルの館、父親の墓、ゴーントの家。そしてアリスが調べたボージン・アンド・バークス。とりあえずこれで五箇所は潰せたわ。ダンブルドアから提示された場所はまだ残ってるし、年が明けたら美鈴と小悪魔を向かわせてみましょう。」

 

「五箇所巡って一つか。……ふむ、悪くはないね。このペースなら夏休み前にもう一個くらい見つかるんじゃないか?」

 

「そう願いたいわね。……っていうか、ホグワーツはどうなのよ? 秘密の部屋に無かったとしても、あの城なら他にも隠す場所は腐るほどあるでしょう?」

 

「勿論うんざりするほど隠し部屋やら隠し通路やらがあるだろうがね、あそこはダンブルドアのお膝元だよ? ビビリのリドル君が隠すと思うかい?」

 

リドルがダンブルドアを恐れているのは周知の事実なのだ。そりゃあホグワーツはリドルにとっても思い入れのある場所だろうが、そんな場所に自身の急所を隠すだろうか?

 

私の疑問を受けて、レミリアはちょっと困ったように肩を竦める。チビコウモリ的にも半信半疑の提案だったようだ。

 

「一応よ。灯台下暗しって言うでしょ? ダンブルドアは結構抜けてるところがあるし、見落としがあっても不思議じゃないわ。夜のお散歩のついでに調べてみなさいよ。」

 

「仮にあったとしても、あの城でダンブルドアが見つけられないものを私に見つけられるとは思えないけどね。……ま、調べてはみるさ。」

 

これで日常業務が一つ追加だ。深夜のお宝探しか……よし、スネイプあたりを巻き込んでやろう。オモチャでも無いとやってられんぞ。

 

私が陰気男をどうからかってやろうかと考えていると、パチュリーが指輪を手に取りながら言葉を放った。なんだか知らんがやけに得意げな表情だ。アリスや咲夜がやると可愛いのに、どうしてパチュリーやレミリアがやるとイラつくのだろうか? 永遠の謎だな。

 

「それと、もう一つ発見があったわ。この嵌め込んである大きな石があるでしょ? 調べてて気付いたんだけど……これ、蘇りの石よ。」

 

蘇りの……おいおい、死の秘宝か? あまりに予想外の言葉を受けて、思わず身を乗り出しながら質問を返す。

 

「本物の蘇りの石なのかい? つまり、透明マントなんかによくある『模造品』の類じゃなくて?」

 

「『本物』であることを証明するのはもう不可能だけど……そうね、恐らく死の秘宝としての蘇りの石でしょう。少なくとも尋常ならざる魔道具であることは確かよ。」

 

「ってことは、リドルは死の秘宝を分霊箱にしたのか? 随分と勿体ないことをするヤツだな。壊さなきゃいけないじゃないか。」

 

「正確に言うと、分霊箱になってるのはアームの部分だけね。石はまた別物よ。さすがに死の秘宝を分霊箱にするのは難しかったんでしょう。……というか、そもそも気付いていなかった可能性が大きいわ。リドルならこんな物を放っておかないはずでしょ?」

 

パチュリーの説明を聞きながら、もう一度指輪を眺める。緑色の八面体の小石。これが蘇りの石か。私が唯一目にしたことのなかった死の秘宝で、ゲラートが必死になって追い求めていた物。まさかこんな場所でお目にかかれるとは思ってなかった。

 

レミリアにとってもこのことは初耳だったようで、かなり興味深そうな顔でポツリと呟く。

 

「へぇ。死者を蘇らせることが出来るって逸話だけど……実際どうなの? さすがに眉唾なんでしょう?」

 

「何をもって『蘇り』とするかによるわね。この石はこの世界に残っている記憶……一番近いのだと集合無意識みたいなもんかしら。そこから情報を読み取って死者を再現する魔道具よ。本当に蘇らせてるわけじゃなくて、それらしい『記録』を再生してるに過ぎないわ。もちろん制限もあるしね。」

 

「制限?」

 

「そもそもその死者についてよく知る者しか情報を引き出せないのよ。物凄い情報量から特定のものを選別するわけだし、考えれてみれば当然のことだけど。」

 

思ってたよりも面白い魔道具だな。しかし、何処かで似たような話を……ああ、みぞの鏡か。あっちは確か本人が知らぬものすら映し出すことが出来たはずだ。あれも同じ『場所』から情報を引き出しているのだろう。

 

そして危険性についてもよく似ている。みぞの鏡と同じように、この石に魅入られる者が出てきてもおかしくはあるまい。あっちは『望み』、こっちは『追憶』で人を縛り付けるわけか。伝説によれば最初の持ち主であるカドマス・ペベレルは正にその理由で死んだはずだ。

 

「……フランには言わない方が良さそうね。」

 

ポツリと呟いたレミリアに、パチュリーと二人で頷きを返す。あの子にとっては魅力的過ぎる品物だろう。みぞの鏡に拘らなかった以上、フランに跳ね除ける精神力が無いとは言わないが……無用なリスクを冒すべきではないはずだ。

 

地下室で眠る小さな吸血鬼を想って沈黙した場を、杖なし魔法で石を取り外したパチュリーの冷静な一言が破る。

 

「何にせよ、指輪の方は私が破壊しておくわ。これでまた一つリドルの不死を崩せたわけね。」

 

「蘇りの石はどうするの? 研究する?」

 

レミリアの問いに、パチュリーは首を振って答えた。どうやら研究大好きなインドア魔女のお眼鏡には適わなかったらしい。そういえば透明マントやニワトコの杖にもあんまり興味を持たなかったな。えらく拘ってたゲラートやダンブルドアとは大違いだ。

 

「もうそれなりに調べたし、これは私の興味を惹くような代物じゃないわ。これは私の『魔法』とは方向性が違うの。アリスも不要らしいわよ。……今のあの子は後ろを気にするほど弱くはないしね。」

 

「それほど大した魔道具じゃないのかい?」

 

「いいえ、大したものよ。作れと言われれば作れるかもしれないけど、かなり苦戦することになるでしょうね。これを創ったのは多分『本物』の魔女よ。あるいは別の人ならざるものかもしれないけど。」

 

ふむ? 聞けば聞くほどパチュリーが興味を抱きそうなものに思えるのだが……。私の疑問を汲み取ったのか、魔女どのは尚も話を続けてくる。

 

「うーん、言葉で説明するのは難しいわね。認めはすれど、参考にはならないって感じかしら。これを創ったヤツと私は目指してるものが違うの。……とにかく、私もアリスもいらないってことよ。そっちはどうなの?」

 

「私も特に必要ないかな。レミィはどうだい? スカーレット卿でも呼び出してみるか?」

 

「あのね、ただの記録には興味ないわよ。どうせ本人は地獄でのんびりしてるでしょうし、死んだらそのうち会えるでしょ。」

 

ま、その通りだ。記録はあくまで記録。本人と話せるのならともかく、そんなもんを呼び出したところでどうにもなるまい。本気で話したければ冥界に殴り込みをかければいいのだ。

 

「んー、ダンブルドアにでもあげたら? 透明マントにも興味津々だったし、喜んで研究するんじゃない?」

 

悪くないな。恩を売ることもできるし、廃品回収にはもってこいだろう。レミリアの提案に同意の返事を返そうとしたところで……おや、頬を赤くした咲夜が室内に入ってきた。青いマフラーを巻いたアリスも一緒だ。いつの間にか雪像チェスは終わっていたらしい。

 

「さ、咲夜! ほっぺが赤いわ! スカーレットほっぺ! ほら、暖炉に当たりなさい。風邪引いちゃうわよ!」

 

「えへへ、ちょっと冷えちゃいました。」

 

途端に立ち上がって暖炉へ誘導する親馬鹿に苦笑していると、手を引かれながらチラリとテーブルを見た咲夜が目を見開く。何だ? びっくりしちゃって。

 

「あの……それ、何ですか?」

 

「ちょっとした魔道具よ。美鈴が拾ってきたの。ほら、彼女はゴミを拾ってくるのが大好きでしょう? 大した物じゃないわ。」

 

めちゃくちゃ適当な大嘘を吐いたパチュリーは、石のことを咲夜に説明する気はないようだ。言ってしまっても咲夜は大丈夫そうだと思うのだが……。

 

「両親を呼び出されたら困るでしょう? 呼び出せない可能性の方が高いし、魅入られるかも微妙なとこだけど……一応内緒にしておくべきよ。」

 

顔を寄せてきたパチュリーの囁きに、首を振って了解の返事を返す。まあ、ハリーもみぞの鏡に囚われかけたと聞いている。話すにしても、もう少し成長してからのほうがいいのかもしれない。

 

レミリアやアリスも同じ意見のようで、口を挟まずに咲夜を見ているが……うーん? 咲夜の興味が消える気配はないな。むしろよく見ようとテーブルに近付いてきてるぞ。

 

そのまま止める間もなく石を手に取って暫く眺めた咲夜は、長さを測るようにクルクルと手のひらの中でそれを回した後、やがてパチュリーを上目遣いで見ながら口を開いた。

 

「……これ、私に頂けませんか?」

 

「へ? それは……うーん、どうかしらね。」

 

「お願いです、パチュリー様。その、こういうのが欲しかったんです!」

 

どういうのだ。よく分からないおねだりを放った咲夜を前に、パチュリーが困ったようにオロオロし始める。あの上目遣いにはさぞ破壊力があることだろう。如何な動かない大図書館といえど、おねだり咲夜を打ち破るのは至難の業らしい。

 

パチュリーは慌ててレミリアを見るが……哀れな。サッと目を逸らされてしまった。その後私の目も見事に逸らされていることを確認すると、対咲夜最終兵器に救援要請の言葉を放つ。溺れる魔女は弟子にも縋る、か。

 

「ア、アリス? 貴女に任せるわ。」

 

「えぇ……。えっと、咲夜? そういう石やら宝石が欲しいなら私が作ってあげられるわよ? どんなのが欲しいの?」

 

「これがいいの。……ダメかな、アリス?」

 

ああ、これはダメだな。トテトテと駆け寄って上目遣いで首を傾げる咲夜に、アリスもまた陥落だ。二人の魔女を翻弄する咲夜を微笑ましい気分で眺めていると、窮したアリスは何故か私にキラーパスを放ってきた。やめてくれよ。

 

「あの……そうね、リーゼ様がいいって言うならいいわよ。」

 

「リーゼお嬢様! ダメですか……?」

 

「あー……うん、持っていきなさい、咲夜。一応失くさないようにね。」

 

「はい! ありがとうございます!」

 

満面の笑みで礼を言う咲夜を見て、他の三人が『言っちゃったよ』とばかりにため息を吐くが……おい、誰にも私を非難する権利はないぞ。レミリアは聞くまでもないし、魔女二人だってノックアウトされてただろうが。

 

嬉しそうに蘇りの石をポケットに入れた咲夜を横目に、困った顔でそれを見ているパチュリーへと囁きかける。

 

「あれって、簡単に発動するものなのかい?」

 

「強く念じないと動かないわ。相当強くね。だからまあ、多分大丈夫だとは思うけど……ちょっと心配じゃない?」

 

「ま、どうせダンブルドアにくれてやるつもりだったんだ。咲夜が喜んでくれるならそっちの方がいいさ。老人の喜ぶ顔なんぞ見たってなんにも嬉しくないしね。」

 

それっぽい兆候が表れたら取り上げればいいだろう。すぐさま生死に関わる代物じゃないんだし、そこまで心配することじゃないさ……ないよな?

 

吸血鬼と魔女から財宝を巻き上げた小さな少女を前に、アンネリーゼ・バートリは顔に苦笑いを浮かべるのだった。

 

 

─────

 

 

「……おぉ?」

 

庭先のポストに入っている薄汚れた手紙を見ながら、紅美鈴は首を傾げていた。ゴミじゃないよな?

 

そもそもこのポストに手紙が入っていること自体が珍しいのだ。ふくろう便なら宛先の人物に直行するし、マグルの手紙など紅魔館には届かない。たどり着く前に郵便局員が遭難するだろう。つまりこれは、『紅魔館宛』の魔法界からの手紙ということになる。

 

紅魔館で届く手紙が一番多いのは『政治ごっこ』を楽しんでいるお嬢様。そこに比較的友人の多いアリスちゃんが続き、最後に最近世に出始めた従姉妹様だ。まあ、パチュリーさんにも極々稀にダンブルドアからの手紙が届く。それ以外は一切来ないが。

 

しかし、そのどれもが普通に宛先人に直行するはずだ。このポストに入っていたことなど数えるほどしか思い出せんぞ。

 

ポストに積もった雪を払いながら取り出してみれば……うーん、ゴミ同然の汚さだ。しわくちゃだし、便箋そのものが高級品とは言い難い。ここの住人に届く手紙としては少々汚すぎるように思えるな。まるでゴミ箱の中から発掘してきたみたいじゃないか。

 

捨てようか少しだけ悩むが、結局無難な選択に落ち着いた。やめとこう。一応手紙の形はしてるわけだし、それで怒られてご飯抜きになるのは御免なのだ。従姉妹様も休暇で帰ってきてるから、そっちに向けての手紙かもしれない。『新人』ふくろうが迷った的な感じで。

 

雪かきされた道を玄関へと歩きながら、しわくちゃの便箋をひっくり返してみると……ありゃ、フランドール・スカーレット? あー、なるほど、妹様か。何とも珍しいことに、妹様宛の手紙のようだ。

 

それなら納得できなくもない。地下室にふくろうが入り込めるはずもなく、鳥頭で窮した結果ここに入れたのだろう。そういえば前にも一回同じことがあったっけ。ルー……ルーポン? とかなんとかからの手紙だったはずだ。

 

しかしまあ、誰だかは知らないが、よっぽどズボラなヤツからの手紙だな。妹様の名前の横には犬の足跡がついている。私だってこうなったら別の便箋を使うぞ。たぶん。

 

先程やっていた雪像チェスの残骸を横目に、玄関を抜けて地下室へと歩き出す。……ちなみに私は最下位だった。小悪魔さんは激強だったし、アリスちゃんも普通に強かったのだ。そして咲夜ちゃんにまで負けてしまった。さすがにもう少し練習した方がいいかもしれない。

 

二千を超えている妖怪が十二歳の少女に負けるってのはどうなんだろうか。今更ながらに危機感を感じつつ、到着した地下室のドアをノックしてみると……おや、意外なことに返事が返ってきた。妹様はもう起きていたようだ。

 

「だぁれ?」

 

「美鈴です。なんか、妹様宛に汚い手紙がきてたんですけど……どうします? 捨てます?」

 

「汚い手紙? ……うーん、入っていいよ。とりあえず見てみるから。」

 

捨てたほうがいいと思うのだが。ばっちいし。ともあれ見るというなら見せるまでだ。中へ入ってみると、妹様はカンバスの前で筆を持って立っていた。最近どハマりしている『おえかき』中だったらしい。

 

「差出人は書いてないの?」

 

「それが、書いてないんですよねぇ。」

 

言いながら手紙を渡すと、妹様はちょっと嫌そうに端っこを摘んで受け取る。それを横目に絵を見てみれば……うん、何も言うまい。きっと抽象画的なアレなんだろう。私には落書きにしか見えないが、沈黙はご飯なり、だ。これに意見を下すとどうなるかはお嬢様が実証済みなのだから。

 

妹様はばっちい手紙を摘んだままひっくり返して……おお? いきなり目を見開いて真剣な表情でそれを開け始めた。裏には宛名と犬の足跡しか無かったはずだぞ。

 

久し振りのキリっとした表情の妹様を眺めていると、やがて彼女は顔を上げて鋭く言葉を放つ。

 

「美鈴、レミリアお姉様って予言者新聞を取っといてたよね? 昔のやつも。」

 

「へ? あー、そうですね。一階の空き部屋に保管してあると思いますけど、それが何か──」

 

「今年の夏の分を取ってきて。今すぐに。急いで。ダッシュで!」

 

「は、はい!」

 

なんだか分からんが、今の妹様に逆らうのは狂気の沙汰だ。何たって、最近見せないかなり真剣な表情になっているのだから。こういう時に怠けるとほっぺたをぐにぐにされちゃうのだ。妹様の力でぐにぐにされると頭蓋骨までぐにぐにしちゃうぞ。

 

部屋を出て急いで階段を駆け上がり、新聞の保管してある部屋に飛び込む。夏の分は……これか。大量に新聞が詰まった木箱ごと抱えて、再び全力で地下室へと戻る。

 

「あの、持ってきましたけど。」

 

「床にぶち撒けて。そしたら、ウィーズリー家のエジプト旅行の写真が載ってるのを探すの。ガリオンくじについての記事のやつ。」

 

「ウィーズリー? えーっと……はい。」

 

言われるがままに新聞を床にぶち撒けて、赤毛の写真を探し始める。なんだろう? ……ひょっとして、エジプトに興味が出たのか? 連れてってなんて言われなきゃいいが。エジプト料理について調べといたほうがいいかもしれんな。

 

突発的な好奇心に戦々恐々としながら二人で新聞を確かめていくと……これか? ピラミッドを背景に、赤毛の集団が楽しそうに集合している写真が載っている。隅っこで佇んでいるラクダがちょっと美味そうだ。

 

「これですか?」

 

「見せて!」

 

引ったくるように私の差し出した新聞を受け取った妹様は、顔を近づけてそれを見ると……うわぁ、怖い。超怖い。いきなり大声で笑い始めた。何というか、普通なら有り得ないような百パーセントの笑いだ。久々に狂気を感じるぞ。翼飾りが故障したんじゃないよな?

 

『きゅっ』が来ることを怖がりながらケラケラ笑う妹様を眺めていると、やがて彼女は満面の笑みで大の字に寝転ぶ。笑い疲れちゃったか? もう何が何だかさっぱりだ。

 

「あーあ、すっかり騙されちゃったよ。ワームテールもやるなぁ。……美鈴、お姉様たちを呼んできてくれる? 大事な話があるんだ。」

 

「はい、呼んできます。ダッシュで!」

 

嬉しいような、悲しいような、疲れたような。全てが混ぜこぜになったような微笑を浮かべた妹様に返事を返して、再び一階へと走り出す。むちゃくちゃ怖かった。まるでかつての妹様みたいな表情の変わり方だったぞ。パチリとスイッチが切り替わったみたいだった。

 

パチュリーさんに翼飾りのチェックをお願いしようと心に決めつつも、紅美鈴は階段を全力で駆け上がるのだった。

 



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ワームテール

 

 

「ロン! ネズミはどこだ!」

 

クリスマス休暇中の談話室に飛び込んだアンネリーゼ・バートリは、呆然とするロンに問いかけていた。というか、掴みかかっていた。

 

いつもより人気の少ない談話室には驚くハリーの姿も見える。ハリーは当然ながら監獄に帰ることを選択しなかったし、ロンやハーマイオニーは両親が旅行に行くということでホグワーツに残っているのだ。しかし、ハーマイオニーの姿が見えんな。……いや、今はそれどころではあるまい。先ずはネズミを確保せねば。

 

急に現れた極悪吸血鬼に胸ぐらを掴まれたロンは、目をパチクリさせながら言葉を放ってきた。

 

「リ、リーゼ? 家に帰ってたんじゃ──」

 

「いいから、ネズミは? 男子寮か? それともポケットの中か? 隠すと後悔することになるぞ。」

 

「ちょっ、ポケットにはいないよ。……いないってば! 破けちゃうから引っ張らないでくれ!」

 

「それなら何処にいるんだい? キミの小さな友人に急用があるんだよ。急いでくれたまえ。」

 

何か書き物をしていたハリーも慌てて近寄ってくるが……構っている暇などない。早く確保しないとフランに怒られてしまうのだから。それもこの五百年で一番怖い状態のフランにだぞ。

 

あの『咲夜カツアゲ事件』の同日、フランの下にブラックからの手紙が送られてきたのだ。文面は実に簡素なものだったが、これまでの前提をひっくり返すような内容だった。

 

ゴミ同然の手紙に書かれていたのは、『ワームテールは生きている。夏の予言者新聞に載っているアーサーたちの写真を見ろ』という端的な内容である。フランが言うにはワームテールというのはペティグリューのあだ名で、彼はネズミの動物もどきらしい。

 

そして手紙を受け取ったフランが慌てて確認したところ、ブラックの手紙に書いてあったことは真実だと発覚した。新聞の写真にはロンの肩の上に乗るペティグリューが見事に映っていたのだ。つまり、スキャバーズこそがピーター・ペティグリューその人だったのである。……パーシーとロンは中年のおっさんを飼っていたわけか。哀れな。

 

そうして『物凄い』笑みを浮かべたフランからネズミを確保せよという任務を受けた私は、休暇を終える間も無くホグワーツへとすっ飛んできてネズミ狩りを遂行しているわけだ。普通に休暇を楽しんでいる咲夜や魔理沙が羨ましいぞ。

 

無理矢理ポケットに手を突っ込む私を止めながら、ロンが苦虫を噛み潰したような顔で口を開いた。

 

「誰かから話を聞いたのか? それならハーマイオニーに聞いてくれよ。あいつの猛獣が何をしたのかをな!」

 

「ハーマイオニー? どういうことだ?」

 

「あの不細工猫を庇って、女子寮に隠れてるんだ!」

 

んん? 意味不明だ。話が全然繋がらない。怒りながらだんまりを決め込んだロンではなく、ハリーの方へと目線を送ってみるが……こっちも気まずそうに口を閉ざすばかりだ。

 

ええい、埒があかん。とにかくハーマイオニーが何かを知っているというのは分かったし、彼女に会うために女子寮への階段を駆け上がる。そのまま部屋のドアを開けてみれば、ハーマイオニーが自分のベッドの上で……あー、泣いているのか? オレンジ色の毛玉を抱きしめながらしゃくりあげているのが見えてきた。

 

「ハーマイオニー?」

 

「リーゼ? どうして? 帰ってたんじゃ……。」

 

「ちょっと急用があってね、一足先に戻ってきたんだよ。……それよりも一体何があったんだい? ロンが何やら怒ってたみたいだが。」

 

ハーマイオニーの横に座って問いかけてみると、彼女は真っ赤な目をこちらに向けて何があったのかを語り始める。この様子だとかなり長いこと泣いていたらしいな。

 

「今朝、スキャバーズがいなくなっちゃったのよ。部屋には血の跡と、それと……クルックシャンクスの毛が残ってたの。それでロンはクルックシャンクスがスキャバーズを……食べちゃったんだって言うの。」

 

「た、食べちゃった? ペティ……スキャバーズを?」

 

「あくまでロンの言い分よ。」

 

それはまた……実に奇妙な話だな。いやまあ、普通のネズミなら十分に有り得る話だろうが、件のネズミは動物もどきなのだ。猫に食われて死ぬくらいならさすがに変身を解かないだろうか? あまりに情けなさすぎる死因だぞ。

 

というか、そもそも死んでもそのままなのか? ……くそ、もっと真面目にマクゴナガルの話を聞いておくんだった。うとうとしてた自分をぶん殴ってやりたい。

 

頗る意味不明な状況に混乱する私を他所に、ハーマイオニーは殺鼠未遂の疑いをかけられている毛玉を抱きしめながら続きを話す。毛玉は状況を理解しているのかいないのか、ふてぶてしい顔で鼻をヒクヒクさせるばかりだ。

 

「それでロンは怒っちゃって、クルックシャンクスを蹴っとばそうとするもんだから。私も売り言葉に買い言葉で大喧嘩になっちゃったの。……リーゼはどう思う? クルックシャンクスがやっちゃったんだと思う?」

 

「そう言われてもね、私は戻ったばかりだから何とも言えないよ。……毛玉、キミはネズミを食ったのかい?」

 

されるがままでハーマイオニーの抱き枕になっている毛玉に問いかけてみれば、容疑者はにゃあと返事を返してくれた。……マクゴナガルを連れてきたら通訳できたりしないだろうか? ダンブルドアも蛇語の前に猫語を学んでおけよ、まったく!

 

「きっと違うって言ってるのよ。クルックシャンクスはそんな子じゃないわ。」

 

毛玉に顔を埋めながらハーマイオニーが猫バカっぷりを発揮し始めるが……ヤバいぞ。ピーター・ペティグリューが毛玉の胃袋に入ったとなればブラックの無罪も証明できないし、無罪が証明できなければフランは悲しむだろう。

 

……毛玉の胃を掻っ捌いて死体を取り出して、消化寸前のネズミを解呪したらペティグリューの死体にならないかな? 最悪半分くらいなら溶けててもいいから。半分残ってれば十分に証明可能なはずだ。

 

かなり無茶苦茶なことを考え始めた私を前に、身をよじってハーマイオニーの拘束を抜け出した毛玉が部屋のドアをガリガリし始めた。私の考えていることが分かったかのような反応だな。お医者さんごっこはお嫌いか?

 

「ダメよ、クルックシャンクス。部屋から出たらロンに蹴り飛ばされちゃうわ。サッカーボールにはなりたくないでしょう?」

 

慌てて毛玉を回収するハーマイオニーを見た後、途方に暮れて彼女のベッドに倒れ込む。毛玉がペティグリューを食ったか、それとも命からがら逃げ出したか。どちらにせよ奇しくもネズミ男は捕縛の手をすり抜けたわけだ。

 

こうなればもうロンの下に戻ってくることを祈るしかあるまい。この広いホグワーツ城で一匹のネズミを探すなど不可能だろう。というか、そもそも私には普通のネズミとの見分けがつかんのだ。……クソったれめ! 怒られるのは私なんだぞ!

 

フランに送る手紙の文面を必死に考えながら、アンネリーゼ・バートリはハーマイオニーのベッドでバタバタするのだった。

 

 

─────

 

 

「……確かにピーターです。間違いありません。」

 

件の写真を見ながら呆然と呟くルーピンを前に、レミリア・スカーレットは小さく頷いていた。別にフランを疑っていたわけではないが、これで確証を得られたわけだ。

 

同じように校長室のテーブルを囲んでいるダンブルドアとスネイプも、神妙な表情で新聞の写真を睨んでいる。特にスネイプなんかは思うところがあるのだろう。何せ想い人の間接的な仇なのだ。……いやまあ、自分自身もそうなんだが。

 

「話を整理するわよ。先ず、前回のポッター家の守人を担ったのはブラックではなくピーター・ペティグリューだった。……そう考えても構わないわね?」

 

私が場に投げかけた問いに、ダンブルドアがゆっくりと頷いた。

 

「そうでしょうな。でなければネズミのままで十数年も隠れてはいますまい。彼がヴォルデモートへと秘密を明かし、それを唯一知っていたシリウスが復讐のために戦いを挑んだのでしょう。つまり、我々の認識とは真逆だったわけですな。」

 

「そしてペティグリューはマグルを巻き添えにして自らの死を偽り、代わりにブラックが逮捕されてしまったと。私たちは雁首そろえて騙されてたわけね。バカみたいじゃないの。」

 

皮肉な話だ。ジェームズ・ポッターとブラックは守人を決める直前、フランに相談を持ちかけていたらしい。『とびっきりの秘策がある』と言って。

 

確かに『とびっきり』だったな。守人がブラックだと、今の今まで魔法界の誰もが騙されていたのだ。……彼らの意図しない形で、だが。

 

小さくため息を吐いていると、スネイプが僅かに顔を歪めながら口を開く。『苦々しい』というのがピッタリな表情だ。

 

「確かにそれが正解なのでしょう。しかし……何故ブラックはそれを黙っていたのですかな? 校長なり、スカーレット女史なり、アズカバンに入る前に連絡を取ることは出来たはずです。」

 

その通り。私も同じ疑問を抱いた。そしてその答えを口にしたのは私でもダンブルドアでもなく、やはりルーピンだった。紅魔館の誰もが答えられなかった問いにフランが答えたように、この男にもブラックの心情が理解できているようだ。

 

「……きっと責任を感じていたんだろう。ピーターを守人にしようと最初に提案したのは恐らくシリウスだ。こういう大胆な一手は彼の得意分野だからね。自分のせいでジェームズとリリーが死に、そして裏切ったとはいえかつての友人をその手にかけた。……抜け殻のようになった彼が目に浮かぶようだよ。」

 

そこで一度言葉を切って、ルーピンは額を覆いながら絞り出すように続きを話し始める。

 

「……ピーターと戦った後、彼は高笑いしながら抵抗せずに逮捕されたと聞いている。それは喜びの笑いなんかじゃなく、諦観の笑いだったんじゃないかな。」

 

なんともまあ、報われない話だな。ブラックもフランも、そして恐らくルーピンも。全員が自分の責任を感じて、それぞれの場所に閉じこもってしまったわけか。

 

痛ましい沈黙が訪れた場を、スネイプの空気の読めない言葉が破った。この男にとってはブラックは同情に値する人間ではないらしい。想い人の仇じゃなかろうが関係ないようだ。

 

「迷惑な話ですな。お陰でこんな状況になってしまった。……それで、件のペティグリューはどうなったのですか? バートリ女史が対処に向かったのでしょう?」

 

「リーゼによれば、猫に襲われて逃げたか食われたかしたらしいわ。……これって有り得るの? あまりにもバカバカしい話なんだけど。」

 

私の出来の悪いジョークみたいな報告を受けて、ダンブルドアとルーピンの顔は物凄く微妙な表情に変わる。それを横目にしながら、スネイプが鼻を鳴らして言い放った。

 

「ふん、有り得ない話ではありませんな。あまり関わりのなかったスカーレット女史はご存じないでしょうが、ペティグリューは信じられないほどに間抜けな男なのです。私は猫に食われたと聞いても驚きませんよ。」

 

いやいや、嘘だろ? 間抜けってレベルじゃないぞ、それは。問いかけるようにルーピンとダンブルドアの方を見てみれば、彼らも言い難そうに否定とは言えない返事を返してくる。

 

「ピーターは……そうですね、少し抜けているところがありましたから。さすがに無いとは思うのですが、有り得ないとは、その、断言できません。」

 

「わしも可能性としては逃げ果せた方が高いとは思いますが……ううむ、困りましたのう。もし本当に猫に食べられていたとすれば、シリウスの無実を証明するのは難しくなってしまいます。」

 

どうやら、ピーター・ペティグリューというのは余程のバカ男らしい。少なくともこの場の三人は猫に食われるというのが起こり得る出来事だと考えているようだ。……そんなヤツに騙されていたと思うと、なんとも悲しくなってくるぞ。

 

「……一応探しなさいよね。件の猫にマーリン勲章を贈るのはそれからでいいわ。」

 

呆れ果てて小さくなった私の言葉に、三人が同じ表情で頷く。実にモヤモヤする状況になってしまったな。……その猫を解剖したらどうにかならないか? この際死体でも構わんのだ。

 

猫の開きを想像し始めた私に、ルーピンが思い出したように問いかけてきた。

 

「そういえば、シリウスとは連絡を取れないのですか? 手紙にはそのことは何も?」

 

「書かれていなかったわ。当然ながらフランを警戒してるわけじゃなく、私を警戒しているんでしょう。騎士団のときもあんまり顔を合わせてなかったしね。手紙が私の手に渡る可能性がある以上、居場所を書かなかったのはおかしくないわ。」

 

ムーンホールドで数回顔を合わせてはいるが、私とはかなり他人行儀な関係だったのだ。『友達のお姉さんでなんか偉い人』くらいの認識なのだろう。あんまり信用されないのも仕方あるまい。

 

「……残念です。情報の共有もそうですが、出来れば会って話したかった。」

 

残念そうに息を吐くルーピンに、ダンブルドアが微笑みながら話しかける。

 

「おお、心配せんでくれ、リーマス。少なくともわしらはシリウスの無実を知ることが出来たのじゃ。ならば罪を晴らすために努力を惜しむ気はないよ。」

 

チラリとこちらを見ながら言うダンブルドアに、苦笑しながら頷いた。とっくにフランから頼まれていたことだ。である以上、力を惜しむつもりはない。今のフランはなんか怖いし。

 

「そうね。ペティグリューが捕まれば話は早いんだけど、それ以外の手段も考えておくべきでしょう。……魔法省の何人かに話を通してみる? スクリムジョールやボーンズあたりとはそれなりに関係を築いているわよ?」

 

「ふむ。アメリアは元騎士団員です。話せば説得できるでしょう。スクリムジョール氏は……どうなのですかな? わしはあまり関わりがないのですが。」

 

「有能な男よ。イカれてないムーディって感じね。政治も出来るし、きちんと話せば通じるはずだわ。」

 

「では、そちらはお任せいたします。わしはアメリアに話を通しましょう。」

 

影響力を使う機会が訪れたわけだ。今は捜査に『手加減』を加えてくれるだけでもありがたい。闇祓い局長と魔法法執行部長に話を通せれば、かなりの時間が稼げるだろう。

 

話がひと段落した私とダンブルドアに、スネイプが怪訝そうな表情で問いかけてきた。

 

「魔法大臣には話さないのですか? 一番に話す相手だと思うのですが……。」

 

「非常に馬鹿げた話だけど、あの男の補佐官には信用できない女がいるの。自分の補佐官に椅子を追いやられそうになってるわけ。……切り時かしらね?」

 

有能だとは一度も思ったことはないが、ここまで無能だとも思わなかったぞ。おまけに夏には自分に自分で勲章を贈るとかいう間抜けなことを仕出かしたのだ。行動に移す前にほんの僅かでも疑問が浮かばなかったのだろうか?

 

そのせいで予言者新聞からはバッシングの嵐だし、もはや補佐官を自分で更迭するほどの影響力すら無くなっている。再起のためブラックの逮捕に全てを賭け始めたあの男に、ここでの話を伝えるわけにはいくまい。何をしでかすかわかったもんじゃないのだ。

 

私の話を聞いて、スネイプは珍しく呆れたような表情になって口を開いた。彼の認識もイギリス中の魔法使いと同じだったようだ。つまり、今の魔法大臣はアホだという認識である。

 

「私の言う事ではないのでしょうが……そうすべきですね。操り人形にもそれなりの品質が必要でしょう? 今の大臣は操るのに適しているとは思えませんな。」

 

「それは重々承知してるけど、残念なことに代わりがいないのよね……。ボーンズは執行部にいてもらった方が頼りになるし、ダンブルドアをここから離すこともできない。有能なのは若手ばっかり。お手上げよ。」

 

「いっそのことスカーレット女史が立候補してはどうですか? 他国に対しての影響力もありますし、能力は実績が充分に証明しているでしょう?」

 

「さすがに有り得ないわよ。吸血鬼が魔法大臣? 純血主義者やヒト至上主義者どもが狂ったように反対してくるのが目に浮かぶわね。」

 

別に不可能とまでは言わないが、私が動く分には今のポジションが一番良いはずだ。身内でなく、他人でもない。ダンブルドアと同じように、少し遠い位置にいる『都合の良い英雄』でいることこそが大切なのだ。

 

それにまあ……単純にやりたくないし。何たって、いつの世もトップというのは叩かれるものなのだ。私は蝙蝠のように勝ち馬に乗るほうが似合っているだろう。

 

自分の翼を見て少し微笑みながら、話を纏めるために言葉を放った。

 

「とにかく、私とダンブルドアは魔法省への対応。ルーピン、スネイプ、それとマクゴナガルあたりはネズミ狩りよ。もちろんリーゼも動くから、協力して捜索するように。」

 

私の言葉に三人が頷く。この広いホグワーツでネズミを探すのは難しいだろうが、他に方法もないのだ。やるしかあるまい。まあ、私がやるわけじゃないから言うだけならタダだ。

 

……そういえば、フランからの伝言が残ってたな。私にはよく分からない伝言を伝えるために、ルーピンの方へと向き直る。

 

「ルーピン、『地図』を持ってたら使えってフランが言ってたんだけど……何のことなの?」

 

ルーピンは一瞬キョトンとした後、苦笑しながら口を開いた。

 

「ああ、『地図』ですか。懐かしいですね。私たちが学生時代に作った悪戯用品で、ピーターを探すのにも役立つ道具なんですが……残念なことに昔あった場所にはもう無かったんです。今はもう何処にあるのやら。」

 

「ふーん? ま、無いなら仕方ないわ。足を使いなさい、足を。それとネズミ捕りもね。」

 

猫に食われたのを疑われるほどの間抜けなのだ。きっとネズミ捕りにだって引っかかるだろう。あとはペタペタするやつを設置するのも有効かもしれんな。……紅魔館から持ってくるか? 美鈴が昔アホほど買ってきてたはずだ。

 

この際マグルの世界で美鈴が買ってきた『ゴミ』の処理も兼ねるべく、レミリア・スカーレットは提案を放つために口を開くのだった。

 



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魔術師の星見台

誤字報告ありがとうございます!


 

 

「じゃーん! これよ!」

 

いつになくテンションの高い咲夜が差し出してきた石を見て、霧雨魔理沙は目を見開いていた。形も大きさも、これは確かにぴったりだ。おまけに色まで緑ときたか。

 

新たな年に突入したホグワーツでは、私を取り巻く環境が目まぐるしく変化している。ほとんどの授業は難易度を増し、おまけにクィディッチではシーカーとして試合に出ることになったのだ。正直めちゃくちゃビビってるぞ。

 

つまり、ハリーが新しい箒選びで優柔不断さを発揮するのに、ウッドが我慢の限界を迎えたのである。度重なる話し合いの結果、ハリーは最終戦となるスリザリン戦までに箒を決めればいいということになった。……私を犠牲にして。

 

当然ながら私がシーカーとして試合に出るのは次のレイブンクロー戦のみだ。ウッドは気楽にやればいいと言っていたが、同時に同点以上の状態で『絶対に』スニッチを取れとも言っていた。あいつは一度『気楽』の意味を調べなおしたほうがいいぞ。

 

そんなこんなでドタバタしているある日の夕食後。咲夜が寮の自室に引っ張ってきたかと思えば、探し求めていた『鍵』にぴったりの代物を突き出してきたのだ。

 

「おいおい、それっぽいじゃないか。どこで見つけてきたんだ?」

 

受け取って色々な角度から見ている私に、咲夜はふんすと鼻を鳴らしながら答えを口にする。

 

「私の家よ。パチュリー様……えーっと、とっても凄い魔女から譲ってもらったの。」

 

「魔女? あー、そういえば二人居るんだったな。暗い魔女がどうたらってリーゼが言ってたっけ。……アリスと同じくらいの魔女なのか?」

 

「アリスの師匠みたいな人よ。校長先生と同級生なの。」

 

アリスの師匠で、校長と同級生? そりゃまた……ヤバい魔女じゃないか。あくまでもカンだが、これまで見た中で一番強大な魔法使いは校長だ。その少し後ろにアリスが続き、更に後ろにマクゴナガルやフリットウィックが続いているイメージ。……ちなみにリーゼは別枠だ。あれは『同種目』でカウントすべきではない。

 

そうなると、その『パチュリー様』ってヤツはかなりの実力を持っていることになるぞ。っていうかアリスの師匠って時点でもう相当だ。人間やめてると見て間違いあるまい。

 

思わず小石をベッドに放り、引きつった顔でそれを指差しながら言葉を放った。

 

「これ、危ない代物じゃないだろうな?」

 

魅魔様の魔道具しかり、アリスの人形しかり。力ある魔女が持っている物ってのは大抵危険な代物なのだ。注意深く小石を見つめている私に、咲夜がクスクス笑いながら返事を返す。

 

「大丈夫よ。大したことない魔道具だって言ってたし、リーゼ様やアリスにも許可は貰ってるもの。あの二人が私に危ない物を渡すはずないでしょ?」

 

「……なるほどな。非常に説得力のある台詞だぜ。」

 

それは確かに有り得ないか。あの二人の過保護っぷりは私もよく知っているのだ。私がホッと息を吐いたところで、それを見た咲夜はニヤリと笑って口を開く。こいつもこんな笑みが似合ってくるようになったな。

 

「さっそく今日の夜中に試してみない? 最近の魔理沙は練習ばっかりだったけど、今日は珍しく休みなんでしょ?」

 

確かに最近は練習漬けだった。私は慣れないシーカーで、おまけにグリフィンドールはもう負けるわけにはいかないのだ。そのせいで深夜の探検も取り止めになっていたわけだが……うーむ、咲夜には悪いことをしてしまったかもしれんな。小石を今日になって見せてきたことといい、結構気を遣われているようだ。

 

「ん、そうだな。行ってみるか。」

 

笑顔で頷いて返事を返す。正直今日くらいはゆっくり休みたかったが、気遣いを無下にするわけにもいくまい。私の返答を受けた咲夜は、案の定嬉しそうな笑みで応えてくれた。

 

「そうこなくっちゃね。……それじゃ、先に寝てていいわよ。みんなが寝静まったら起こしてあげるから。」

 

「へ? いいのか?」

 

「色々と疲れてるんでしょ? 少しでも寝ちゃいなさいよ。」

 

「……へへ、至れり尽くせりだぜ。」

 

ちょっと頰を赤くしながら言う咲夜に従って、ベッドに入って丸くなる。いやはや……私が言うことじゃないとは思うが、咲夜もどんどん成長しているようだ。少なくとも半年前はこんな気遣いの出来るヤツじゃなかった。

 

咲夜の成長を楽しんでいるリーゼとアリスの気持ちをちょっとだけ理解しつつ、柔らかなベッドに身を預けて目を瞑るのだった。

 

───

 

そして深夜。もはや慣れた手順でべッドから抜け出した私と咲夜は、件の隠し部屋の前へとたどり着いていた。天文塔には何度も来たせいで安全なルートも学習済みだ。

 

色々と苦しめられた緑色の窪みを前に、咲夜が窓越しの夜空を見ながら口を開く。外は酷く曇っているせいで、踊り場はいつにも増して薄暗い。

 

「準備はいい? ……本当に誰も来てないのよね?」

 

「へーきだぜ。リーゼはスネイプと一緒に五階の廊下だし、フィルチもミセス・ノリスも管理人室だ。ラデュッセルは……こっちは教員塔の客室だな。人に会ってるみたいだ。」

 

リーゼは一体全体何をやってるのか知らないが、最近常に夜は出歩いているのだ。日によってルーピンやマクゴナガルと一緒のこともあった。動く場所も不規則だし、本気で何をやってるのかさっぱりだぞ。

 

そしてラデュッセルはピーター・ペティグリューとかいうヤツと一緒に表示されているのが見える。こんな夜中に城外からの客か? ……まあ、この様子ならしばらくここに来ることはあるまい。誰だか知らんが助かったぜ。

 

私の言葉を聞いた咲夜は一つ頷いた後、ポケットから件の小石を取り出した。暗闇だと若干光っているようにも見えるな。

 

「せっかくなんだし、一緒に嵌めてみましょうよ。」

 

「おう、そうするか。……これで違ってたらかなりマヌケだな。」

 

「きっと大丈夫よ。こうして見ると本当にぴったりじゃないの。」

 

そうあって欲しいと言わんばかりの咲夜と一緒に石を摘んで、それをゆっくりと窪みに嵌め込んでみれば……その瞬間、窪みを中心にドアが『滲み出て』きた。絵の具が浮かび上がるような、炙り出されるような、なんとも不思議な現れ方だ。うーむ、非常に魔法っぽいぞ。

 

そうして出現したのは一見するとただのドアだが、古ぼけたようなオーク材がむしろ『それらしい』雰囲気を感じさせる。怖いけど……それと同じくらいワクワクしてきたぜ。遂に隠し部屋の中に入れるのだ。

 

「ドア、だな。」

 

嵌め込んでいた姿勢のままでポツリと呟くと、咲夜はゴクリと喉を鳴らして言葉を返してくる。

 

「そうね、ドアだわ。……どうするの? 入ってみる?」

 

「そりゃあおまえ、ここまできたら入らないとダメだろ。一応杖を構えとけよ?」

 

咲夜がコクコク頷いて杖を構えたのを見てから、慎重な手つきでドアを開くと……階段だ。石造りの狭い下り階段が現れた。咲夜と私が並べばそれだけでぎゅうぎゅうになってしまうくらいの。天井の高さもそれほど無いし、ハグリッドあたりは間違いなく進めないだろう。

 

「真っ暗だ。……ルーモス。石は持ってるよな? 閉じ込められるのは御免だぞ。」

 

「持ってるけど、こっち側には嵌め込む場所が無いわよ? 内側からは普通に出れるんじゃない?」

 

「ってことは、今はもう外の扉は消えてるのかもな。後で調べとこうぜ。ラデュッセルに見つかるのはなんか嫌だろ?」

 

「そうね。私たちが苦労して開けたんだし、あんなヤツに手柄を横取りされるのは嫌だわ。」

 

咲夜と話しながら、杖明かりに浮かび上がる階段を慎重に下りて行く。曲がりくねってるせいで何処まで続いてるかがさっぱりだ。変な仕掛けとか無いだろうな?

 

「長いわね。先が全然見え……ちょっと、今の音はなによ?」

 

「私が小石かなんかを蹴っちまったんだよ。……そんなにビビるな、咲夜。こっちまで怖くなってくるぜ。」

 

「ビビってなんかいないわよ! ただ、その……ちょっと驚いただけ。」

 

小さな音に反応する咲夜に苦笑したところで、ようやく杖明かりの先にドアのような物が見えてきた。部屋があるってことか?

 

「ドアだぞ、咲夜。杖に巻き付く蛇の装飾。賭けてもいいが、この隠し部屋を作ったのはスリザリンの出身生だな。」

 

分かり易いもんだ。入り口と同じ材質のドアに彫り込まれた装飾を見ながら言う私に、咲夜が半分同意の返事を返してくる。

 

「そうね。でも、その周りを見てごらんなさいよ。獅子、鷲、穴熊。ちゃんと全部彫られてるわ。」

 

「……本当だ。」

 

咲夜の声に従って全体を眺めてみれば、確かに他の寮のシンボルも彫り込まれているのが見えてきた。剣を咥えた獅子、本を掴んだ鷲、そして花飾りを抱えた穴熊。どれも見事な装飾だ。スリザリンが中心なことは間違いないが、珍しいことに他の寮を軽んじている雰囲気は感じられない。

 

精緻な彫刻を手でなぞる私に、咲夜もまたドアを見て関心したように声を放つ。

 

「昔はそんなに仲が悪くなかったのかもね。もしくは……ホグワーツそのものを表したかったのかしら?」

 

「仲がいい四寮ってのは想像出来ないけどな。まあ、とにかく開くぞ? 準備はいいか?」

 

「うん、気をつけて。」

 

杖とナイフを構えて言う咲夜に頷いて、ゆっくりとドアを押し開けてみれば……広いな。真っ暗な円形の広場が見えてきた。物が全く置いてないせいで余計に広く見えるが、それを差し引いたって教室よりかは広いだろう。

 

というか、こんなスペースは有り得ないはずだぞ。さっきの下り階段といい、どう考えても天文塔の螺旋階段にはみ出しているはずだ。これも何かしらの魔法なんだろうか?

 

疑問に思いながらもゆっくりと室内に踏み込んでみると──

 

「うぉっ。」

 

びっくりした。一歩部屋に足を踏み入れた途端、等間隔で壁に掛けられていた松明が一斉に灯ったのだ。白い炎。清潔なイメージが伝わってくるな。ルーモスの明かりによく似ている。

 

「そんなにビビらないの、魔理沙。……広いわね。天井は大理石かしら? 継ぎ目がまったく無いわ。」

 

先程の仕返しとばかりに言ってくる咲夜にジト目を返しながら、杖明かりを消して口を開いた。

 

「ノックス。変な部屋だな。中央の台はダンス用か?」

 

真っ白なドーム状の天井と整った石造りの壁。部屋の中央にはなめらかな表面の、これまた円形の巨大なお立ち台が見える。天井と同じ大理石っぽいが、こっちは真っ白じゃなくてマーブルだ。

 

「うーん? 確かにダンスも出来そうだけど……そんな部屋を隠してどうするのよ? 一人で練習するにしては大きすぎるでしょ。」

 

「そりゃそうだ。そして、その他には何にも無しか。他の部屋に繋がってるわけじゃないみたいだし、ちょっと期待外れだな。」

 

何かのイベント用の部屋なのか、はたまた怪しげな儀式にでも使ってたのか。何にせよ面白そうな物は一切ない。……まあ、勝手に期待してたのはこっちだ。文句は言えないか。

 

「他にも隠し扉があるのかもよ?」

 

「おいおい、隠し部屋の中に隠し部屋か? そりゃさすがに無いだろ。」

 

壁を調べ始めた咲夜を横目に、ため息を吐きながら何の気なしにお立ち台に上った瞬間……おお、こりゃ凄え。天井のドームに満天の星空が広がっていく。入り口のドアと同じように、中心から絵の具が滲んでいくみたいな感じだ。この世界で目にしたものの中でもとびっきり幻想的な風景じゃないか。

 

「ちょ、何? 何したのよ、魔理沙!」

 

「ここに上っただけだぜ。他は何にも触ってない。……しかし、すっげえな。こんなの初めて見たぞ。」

 

信じられないほどに美しい星空だ。何というか……近い。ホグワーツの天文台よりも更に近いところから見ている感じがする。とはいえ、絶対に天窓というわけではなかろう。今日は曇りだし、こんな星の配置はこれまで見たことがないのだ。それに……。

 

「これ、動くと位置が変わるみたいだ。見てろよ?」

 

私がお立ち台を歩くと星空もまた動き出す。中心に近付くにつれて、天文学の授業で見慣れたイギリスの星空になってきた。様々な場所の夜空が映し出されているってことか? 巨人になって地球の上をゆっくり歩いてるみたいだ。

 

「これ、プラネタリウムだわ。」

 

「ぷらねたりうむ?」

 

なんだそりゃ? 聞き返すと、咲夜もまた星空を見上げながら説明してくれる。

 

「何というか、マグルが機械を使って星空を映し出してる施設よ。昔アリスと動物園に行った帰りに見たことがあるんだけど……うん、こんなに綺麗じゃなかったわ。もっとボヤけてたし、もっと星の数が少なかったもの。」

 

「へぇ。……何にせよ、苦労した甲斐はあったな。こいつは一見の価値がある代物だぜ。」

 

間違いあるまい。中心に立っていると、まるで宇宙に漂っているような気分になるのだ。マグルのプラネタリウムとやらがどんなものかは知らないが、これに敵うほどのものではなかろう。

 

こうしていると……ずっと昔に香霖と霊夢と三人で流星を観に行った日を思い出すな。私の目指す魔法を決めたあの日。魔法使いとしての私の原点。

 

……うん、頑張ろう。この星空を見ていると、改めてそう思える。やっぱり私はこの景色が好きなのだ。いつか必ず、これに負けないくらいの美しい魔法を創り出してやる。

 

煌めく星空を見ながら今一度決意を固めていると、いつの間にか近くに立っていた咲夜が口を開いた。何故か星空ではなく地面を見つめている。

 

「ここ、何か書いてあるわよ?」

 

「ん? ……ほんとだな。」

 

声に従って目線を下げてみれば、咲夜の言う通り台の中心に文字らしきものが掘り込まれているのが見えてきた。しゃがんでやけに達筆な文字をよく見てみると……。

 

「メアーリン? が贈る星見台。……ここを造ったヤツの名前かな?」

 

「マーリンよ、魔理沙! 『あの』マーリンだわ! 信じられない。この部屋、マーリンが造ったのよ。」

 

「『あの』って言われてもな……誰だよ? 有名な奴なのか?」

 

いきなり興奮し始めた咲夜に問いかけてみると、彼女は呆れ果てた様子で説明してくる。……その目は知ってるぞ。常識知らずを見る目だ。マクゴナガルが双子によく向けてるやつ。

 

「マーリン勲章のマーリンよ! 最も偉大なる魔法使い、魔術師マーリン。魔法省の基礎を作り上げた中世の偉人じゃない。さすがに知ってないと馬鹿にされるわよ?」

 

「今まさに馬鹿にされてるけどな。……ま、とにかく凄いヤツなのはわかったよ。センスがあったってこともな。」

 

この部屋を見れば一目瞭然だ。今度調べておこうと名前を記憶した私の横で、咲夜が地面をカリカリし始めた。……何やってんだ? こいつ。クルックシャンクスそっくりだぞ。

 

「おい、咲夜。爪とぎでもしてんのか?」

 

「そんなわけないでしょうが! ほら、ここに何か嵌ってるのよ。取れないかと思ったんだけど……ダメだわ。完璧に固定されてるみたい。」

 

ふむ? 名前が彫られた場所から少し離れた位置に、確かに黒い棒のようなものが嵌め込まれている。三十センチくらいの細い棒で、黒曜石みたいな風格のある黒だ。

 

「何だろうな? ……あんまり触らない方がよくないか? 星見台を動かしてる仕掛けなのかもしれんぞ。」

 

「んー、そうね。壊さないと取れなさそうだわ。」

 

どう見てもただの黒い棒だ。この素晴らしい装置を壊してまで取り出す価値があるとは思えない。目線を外して再び星空を楽しみ始めた私に、ぺたりと座り込んだ咲夜が話しかけてきた。

 

「そういえば、ラデュッセルはなんでここに入りたかったのかしらね? 単に星が見たいにしては必死すぎる感じだったけど……。」

 

「私は必死になる価値があると思うけどな。まあ……確かにあれはちょっとおかしかったかもしれん。」

 

どう考えても今からお星様を見に行きますよという雰囲気ではなかったのだ。無表情だったが、切羽詰まっているような空気はひしひしと感じられた。

 

「何にせよ石がなけりゃここには入れないさ。この星空は私たちで二人占めってわけだ。」

 

ニヤリと笑って言ってやると、咲夜も同じ顔で頷く。秘密基地としては最高級だろう。椅子でも運び込めばゆったりと夜空を楽しめるのだ。

 

柔らかいソファを何処かから『借りて』こようと決意しつつ、霧雨魔理沙は満天の星空を見上げるのだった。

 



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判例探し

 

 

「あったわ! 人を襲ったヒッポグリフが無罪放免。理由は……ダメね。番だと思い込んだグリフィンのせいで近付けなかったんですって。」

 

分厚い魔法裁判の判例集を見ながら言うハーマイオニーに、アンネリーゼ・バートリは曖昧な頷きを返していた。……ヒッポグリフとグリフィンの間には何が生まれるんだ? 半分が鷲で四分の一が馬と獅子か。実に興味深いな。

 

私、ハーマイオニー、咲夜、魔理沙の四人がホグワーツの図書館で判例集などというつまらん本を読んでいるのには、もちろんそれなりの理由がある。まあ、理由が無くともハーマイオニーなら読むかもしれないが。

 

マルフォイの腕に文字通りの爪痕を残したヒッポグリフが、この度めでたく裁判にかけられることとなったのだ。ダンブルドアやレミリアの擁護でハグリッド自身は無罪となったものの、さすがにヒッポグリフまではどうにもならなかったらしい。

 

当然ながらハグリッドに裁判など無理だ。中世の決闘裁判ならともかくとして、あの男に現代の小難しい裁判制度を理解するのは不可能だろう。そう思ったのは本人も同じようで、いつものようにハリーたちに助けを求めてきたというわけだ。

 

ここまでなら、鳥だか馬だかよく分からん生き物になどに興味のない私にはどうでもいい話だったのだが……ここにもう一つの問題が重なってきたのだ。言わずもがな、『ペティグリューもぐもぐ事件』である。

 

未だに見つからないネズミ男が本当に毛玉の餌になったのかは定かではないが、少なくともロンはそう思っているようで、我らがロニー坊やとハーミーママは冷戦状態に突入したのである。代理戦争、再びだ。

 

結果として毎度のように私がハーマイオニーに、ハリーがロンに引っ付いて講和への道を探っているものの……まあ、残念ながら努力が実る気配はない。前回と同じく、お互いに完全無視を決め込んでいるのだ。

 

ネズミ男は見つからないし、冷戦も終わらない。おまけにブラックは雲隠れしたまま。日々の苦労を思って私がため息を吐いていると、ハーマイオニーと同じように判例集を捲っていた咲夜が口を開いた。

 

「これはどうですか? ヒッポグリフとはちょっと違うけど、魔法使いを三人絞め殺したグラップホーンが処刑を免れたみたいです。何故なら……あ、こっちもダメですね。呪文が全然効かなかったせいで、処刑人が諦めただけでした。」

 

お間抜けな事件を探し当てた咲夜もまた、ハグリッドに同情的なようだ。……お菓子を貰いまくっているからかもしれないな。ハリーたちに引っ付いて何回か小屋に行っているのだが、その度にハグリッドは『常軌を逸する』量のお土産を持たせるのだ。どっちのヴェイユを投影しているのやら。

 

「調べる範囲を広げるべきかもね。サクヤはそっちの『実験的動物』の方も調べてくれない? 私は『半野生生物』を見てみるから。」

 

「分かりました、ハーマイオニー先輩。」

 

なんともまあ、ご苦労なことだ。真面目に分担を話し合う二人を尻目に、不真面目仲間の魔理沙へと声を投げかける。彼女はヒッポグリフの運命にはさほど興味がないらしい。何たって全く関係のない魔法史の本を読んでいるのだから。

 

「魔理沙、何を読んでいるんだい? ハーマイオニーに怒られちゃうよ?」

 

「そっくりそのまま返すぜ。……中世の魔法史の本だよ。マーリンってやつを調べたくてな。」

 

「マーリン? マーリン勲章のマーリンか? 一年生はその辺をやらなかったと思うんだが……ビンズはとうとうおかしくなったらしいね。」

 

肉体のないゴーストでもボケることがあるのだろうか? あの生徒に一切の関心がないビンズが授業計画を変更するとは思えないし、もしかしたら学年の判別すらつかなくなったのかもしれない。

 

ま、どうでもいいか。どうせあの授業は誰も聞いていないんだ。録音テープ以下のゴーストに興味を失った私に、魔理沙が微妙な顔で口を開く。

 

「授業の勉強ってわけじゃないんだが……リーゼは何か知らないか? バートリ家はその頃からあるんだろ?」

 

「当然あるさ。しかしながら、吸血鬼にしたってマーリンの時代が遠い昔なのは確かだぞ。ホグワーツが創設された少し後だから……十世紀あたりなんだろう? となれば、お爺様の全盛期だな。」

 

「千年前で祖父かよ。吸血鬼ってのは……まあいい、何か逸話が伝わってたりしないのか?」

 

魔理沙は期待したような顔で聞いてくるが、そんなことを言われても私はお爺様には会ったこともないのだ。普通に伝わってるようなことしか知らんぞ。

 

「残念ながら、魔法界に伝わる話とほぼ同じだよ。アーサー王に数々の助言を送り、大魔女モルガナを打ち倒し、自らの創設した騎士団を魔法省の基盤にした、ってな具合にね。……そもそも吸血鬼はモルガナの側に立ってたんだ。そっちの情報は多いが、マーリンに関しては詳しくないよ。」

 

「あー……そういえば吸血鬼ってのはそういう生き物だったな。今の魔法界を見てると忘れちまうぜ。」

 

「闇に生きる種族だったはずなんだがね、今じゃ夜は眠くなる始末だよ。我ながらバカバカしい状況に陥ってるもんだ。」

 

もはや『規則正しい』生活を守っているのはフランくらいだ。レミリアもほぼ昼型になっているし、パチュリーなんかはそもそも寝ない。アリスは人間らしい昼型の生活を守り、美鈴は常に寝ている。

 

そう考えると紅魔館のタイムスケジュールは滅茶苦茶だな……。食事の管理なんかをしているエマは結構頑張っているのかもしれない。今度会ったらもうちょっと優しくしてやるか。

 

もう最古参になってしまったちょっとドジな使用人を思い浮かべていると、何かを考え込んでいた魔理沙が再び声をかけてきた。

 

「そんじゃ、モルガナ? の方でもいいから、何か教えてくれよ。何をやった魔女なんだ?」

 

「何をと言われてもね……悪いことさ。奸計、謀略、闇の儀式。非常に『らしい』魔女だったそうだよ。多くの現存する闇の魔術の基礎を作ったのも彼女だ。」

 

間違いなく種族としての魔女だったのだろう。イギリスどころか世界で最も有名な魔女だし、妖怪側の世界にすらその名は轟いている。私にとってはマーリンよりこっちの方が有名なくらいなのだ。

 

ちなみに魔法界でカラスのイメージが悪くなったのもモルガナのせいである。彼女はカラスの動物もどきだったそうで、当時のイングランドではカラスは蛇蝎の如く嫌われていたらしい。哀れなもんだな。アホなハトは平和の象徴で、賢いカラスは悪の象徴か。

 

一応未だモルガナの家系は現存しているが、その大半は新大陸で暮らしている。かの高名なイゾルト・セイアの家系が正にそれなのだ。……うーむ、つくづくイルヴァーモーニーってのは毒を薬に変えるのが上手いな。向こうじゃスリザリンのイメージもそう悪くないようだし。

 

有名なイルヴァーモーニーのスネークウッドについて考えていると、興味津々の魔理沙が再び問いを放ってきた。

 

「闇の魔術っていうと、許されざる呪文とかか?」

 

「よく知っているじゃないか。死の呪文と磔の呪文はまた別のルーツがあるんだけどね。服従の呪文に関してはモルガナが生み出したとされているよ。あとは……そうだな、身近なところだと吸魂鬼なんかも彼女の研究成果だったはずだ。モルガナが基盤を作り、それを元にエクリジスが完成させたのさ。」

 

「エクリジス?」

 

「アズカバンの生みの親だよ。……まあ、間抜けなことに吸魂鬼の制御に失敗したらしいけどね。モルガナほど有能ではなかったようだ。」

 

「へぇ。有能なんだか間抜けなんだかよく分からんやつだな。」

 

ダンブルドア、ゲラート、リドル、エクリジス、そしてパチュリー。力ある魔法使いってのはどうも詰めが甘い気がする。肝心なところで大ボケをかますイメージだ。……いやまあ、私が言えることでもないが。

 

大魔法使いになる条件にドジであることを追加したところで、咲夜が無駄話をしていた私に声をかけてきた。

 

「あの、リーゼお嬢様。ハーマイオニー先輩が……。」

 

「ハーマイオニーがどうかしたのかい? ……ありゃ、寝ちゃったのか。」

 

咲夜が指差す方を見てみれば、ハーマイオニーが本を捲る姿勢のまま眠っているのが見えてくる。かなり不自然な姿勢なのを見るに、余程に疲れていたらしい。あのまま石像にしたら題は『過労死』で決定だな。

 

「あのまま寝かせておいてやりたいが……うーん、あの体勢は身体を痛めそうだね。」

 

「そうですね。起こした方が良いとは思ったんですけど、私が起こすのも失礼かと思いまして。」

 

「んふふ、そんなに遠慮しなくても大丈夫だよ。……まあ、私が起こしておこう。咲夜は魔理沙と一緒に続きを調べておきなさい。」

 

「はい! ……ほら、魔理沙。貴女もちょっとは手伝ってよね。」

 

元気良く魔理沙を急かし始めた咲夜に苦笑しつつ、椅子に座るハーマイオニーの肩を揺すってみると……彼女はびくりと身を竦めた後、起こしたのが私だと認めて声をかけてきた。

 

「ひゃっ……あら、ごめんなさいね、リーゼ。私、寝ちゃってた?」

 

「見事にね。……ハーマイオニー、キミはさすがに無理をし過ぎだと思うよ。大量の授業に、ヒッポグリフの裁判、そしておまけにロンとの喧嘩。ちゃんと寝れているのかい? 化粧で誤魔化しているようだが、目の隈が酷いことになってるぞ?」

 

どう見ても無理をしているのは明らかだ。行儀悪く閲覧机に腰掛けながら聞いてみると、ハーマイオニーは気まずそうに返事を返してくる。

 

「それは……大丈夫よ。今のはちょっと油断してただけ。睡眠の時間もちゃんと計算して取ってるわ。」

 

「ハーマイオニー、これは本心からの忠告だ。悪いことは言わないから、授業を少し減らしたまえ。このままだと若い身空で過労死する羽目になるよ? そんなことで蛙チョコカードに加わりたくはないだろう?」

 

このままいけば間違いなくそうなるだろう。授業は今年だけでは無いのだ。これがあと四年半? 絶対に無理だと断言できるぞ。

 

「でも、マクゴナガル先生がせっかく『時計』を手配してくださったのよ? それに、他にも同じようなことをやってた人はいるの。私だけダメだったなんて、そんなの……情けないわ。」

 

「キミはキミ、他人は他人だ。誰かの評価を気にし過ぎてやしないかい? ……ハーマイオニー、歴史に残る偉大な魔法使いたちは、みんなふくろう試験で十二科目合格してたわけじゃないだろう? 私の知る最も偉大な魔女はいくつかの授業を切り捨ててたし、キミも本当に望む授業だけを残して後は切り捨てるべきなのさ。『学ぶべき』じゃなくて、『学びたい』を大事にしたまえよ。」

 

「でも、でも……私、そんなに無理してるように見える?」

 

不安そうな表情で聞いてくるハーマイオニーに、大きな肯定の頷きを返す。この二年半でそれなりの情は湧いているのだ。さすがに過労死するのを見て見ぬふりはできない。

 

「見えるね。私が言うのもなんだが、キミが本心から全ての授業を望んでいるとは思えないよ。他人からの期待を一度頭から離してごらん? ハーマイオニー・グレンジャーが本当に望む答えを出すんだ。」

 

真剣な表情で語りかけると、ハーマイオニーは一度大きく息を吐いて……やがて困ったような笑みで頷いてきた。

 

「……ん、そうね。ちょっと囚われすぎてたかも。頑張らなきゃって思ってたんだけど、何の為に頑張るかは考えてなかったわ。間抜けな話よね。」

 

「キミの頭の良さは私が保証しよう。心配しなくても将来の選択肢は選り取り見取りさ。だから、学生の時くらいはゆっくり過ごしたまえよ。社会に出れば嫌でも苦労できるんだ。」

 

「うん、ありがと、リーゼ。飼育学とルーン文字、それに数占いだけ残して、後はやめることにするわ。それなら『時計』も要らないしね。」

 

「それでも三つ残すあたりが非常にキミらしいよ。」

 

苦笑しながら言ってやると、ハーマイオニーも同じ表情でクスクス笑い出した。まあ……そのくらいなら問題なかろう。時間割にも多少の余裕が出来るはずだ。

 

「『時計』はマクゴナガル先生にお返しするわ。私にはちょっと過ぎた物だったみたいね。」

 

「物には相応しい使い道ってのがあるのさ。その『時計』は授業の為に使うような物じゃないんだよ。きっとね。」

 

ハーマイオニーの疲れたような言葉に、魔理沙と判例を探している咲夜の方を見ながら答える。例えばアレックス・ヴェイユの使い方なんかが相応しいものなのだ。思えばあの男は見事な使い方をしたな。

 

墓には一度も行ったことが無かったが……ふむ、今度何か供えてやるか。アリス、フラン、咲夜。ヴェイユ家には随分と世話になっているのだ。人間だとしても、それなりの敬意を持った対応をするべきだろう。

 

夏休みにアリスの墓参りにでもついて行こうかと考えていると、吹っ切れたような表情のハーマイオニーが話しかけてきた。

 

「ほら、そうと決まったらリーゼも手伝って頂戴。ハグリッドを助けなきゃ。」

 

「はいはい。それじゃ、哀れなヒッポグリフを救い出すとしようか。」

 

ハーマイオニーに渡された分厚い判例集を開きつつ、アンネリーゼ・バートリは苦笑いを浮かべるのだった。

 



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初勝利

 

 

「いいか、出来れば百五十点以上の差がついた状態で勝ちたい。だから向こうのシーカーがスニッチを見つけていない限りは同点以上になるのをひたすら待つんだ。それまでは絶対にスニッチを取るなよ?」

 

熱気に包まれた競技場の選手控え室で、霧雨魔理沙はウッドの言葉に頷いていた。『気楽に』はどっかにいっちまったな。今や遥か彼方の単語じゃないか。

 

今日は待ちに待ったグリフィンドール対レイブンクローの試合の日だ。寒さも少しだけ和らいできた競技場には、既に満員の観客が詰めかけている。試合が始まってもいないのにここまで歓声が聞こえてくるぞ。

 

なんたって、今日負ければほぼ確実に優勝杯が他寮の手に渡ってしまうのだ。グリフィンドールが三連覇できるかこのまま沈んでいくか、今日の試合に全てが懸かっているのである。心臓は爆発寸前だが……大丈夫だ、魔理沙。お前は死ぬほど練習してきただろう? 本当に死ぬほどな。

 

震える手を握りしめながら、同じく緊張した表情のウッドに向かって口を開いた。

 

「フェイントは余裕のある時だけ、同点を待つ、ブラッジャーに注意する。……それで良いんだよな?」

 

「そうだ。こっちが全力でサポートする。お前はスニッチを探しつつ、実況を聞くことにだけ集中してくれればいい。」

 

神妙な表情で言うウッドの横から、続いて近付いてきたフレッドとアンジェリーナが声をかけてくる。ウッドよりかは多少マシなものの、この二人にしては珍しく緊張している表情だ。そんなぎこちない笑顔は初めてみたぞ。

 

「安心しとけ、マリサ。ブラッジャーは掠らせもしない。俺とジョージが必ず守るから、お前は気にしなくて大丈夫だ。」

 

「それに、点差も一切気にしなくていいわよ。絶対にリードは奪わせないわ。貴女はスニッチだけに集中すればいいの。」

 

うーむ、随分と気を遣われているが……それが何ともありがたいな。初試合でシーカー。ハリーの凄さが改めて理解できた気分だ。この緊張感の中、見事にスニッチを掴み取ったのか? しかも私と違って一回も観戦なしで? どうかしてるぞ。

 

「大丈夫だぜ。絶対にスニッチは取ってみせる。……絶対にだ。」

 

自分に言い聞かせるように答えると、ウッドが私の肩を叩いて頷いてきた。先程の緊張した表情とは違う、輝くような笑顔を浮かべている。

 

「その意気だ、マリサ! お前はチョウ・チャンなんかに負けない。誰よりも近くで見てきた俺たちが保証する!」

 

ウッドの言葉を受けて、チームメイトたちが頷きを放ってくれた。……よし、やる気が出てきたぜ。いつの間にか震えの止まった手で相棒を掴み取り、それを片手にフーチの合図を待っていると……唯一箒を手にしていないハリーが話しかけてきた。なんとも申し訳なさそうな表情だ。

 

「マリサ、重荷を背負わせてごめんね。何か問題があったら合図してよ。ここからちゃんと見てるから。」

 

「何言ってんだ、ハリー。あれは仕方がない事だったって誰もが言ってんだろ? 心配すんなよ、魔理沙様がバシっと決めてやるから。」

 

緊張を隠してニヤリと笑いながら言ってやると、ハリーも同じ表情で口を開く。よしよし、ちょっとは元気が出たみたいだな。

 

「うん、期待しとく。……いいかい? 太陽を背にするんだ。つまり、相手よりも上に位置するんだよ。チョウ・チャンは後手を取るのが得意なシーカーだから、彼女にスニッチを見つけたことを悟らせないようにね。」

 

「太陽を背に、だな? オッケーだ。覚えとくぜ。」

 

ハリーのアドバイスを頭に刻んだところで、フーチの合図が聞こえてきた。……いよいよ始まるってことか。じんわりと手のひらに汗が滲むのを自覚しつつ、箒を握ったままグラウンドの中心まで歩き出す。

 

「頑張って! みんな!」

 

ハリーの応援を背に進んで行くと、逆サイドからレイブンクローの選手たちが歩いてくるのが見えてきた。どいつもこいつも私よりデカい。……そりゃそうか。一年生は私だけだし、一年生の中ですら私は小柄なのだ。観客席から見るとさぞ滑稽に違いない。

 

「それでは、正々堂々戦うように! 両キャプテンは握手を!」

 

フーチの声に従ってキャプテン同士が握手した後、今度は規定のポジションに向かって選手たちがばらけていく。センターライン付近にチェイサーたち、その後ろの左右にビーター、ゴール前にはキーパーで、ビーターとキーパーの中心くらいにシーカーだ。

 

そのまま箒に跨って開始の笛を待っていると……鳴った。遂に試合開始だ! フーチの高い笛の音が緊迫するグラウンドの空気を引き裂いた。反射的に地を蹴って、思いっきり高く飛び上がる。試合開始直後のスニッチは遠いし速い。無闇に狙いに行くよりかは有利なポジション取りを優先することに決めたのだ。

 

そのままぐんぐん高度を上げてみれば……うおぉ、凄え。練習で何度も飛んでいる競技場とは別世界だ。歓声、横断幕、実況の声。緊張と高揚感。あらゆるものがビリビリ全身に伝わってくる。私は選手なんだとようやく実感が湧いてきたぞ。

 

「……っし。」

 

頰を叩いて気合いを入れ直す。スニッチだ。スニッチだけに集中するんだ。シーカーの私が雰囲気に呑まれるわけにはいかない。気持ちを入れ替えながら更に高く上昇していると、風を切る音と共にリー・ジョーダンとマクゴナガルの実況が聞こえてきた。

 

『さあ、始まりました、グリフィンドール対レイブンクローの一戦! 先ずは……アンジェリーナがクアッフルを奪う! 彼女は非常に魅力的な女性です。今日も美しい黒髪が風に靡いて──』

 

『ジョーダン! 試合の実況をなさい!』

 

『おっと、失礼しました。ボールはアンジェリーナからケイティに、そしてまたアンジェリーナ、アリシア、そしてまたケイティ! 今日のグリフィンドールは得意のパスプレイを主軸にしているようです!』

 

よし、最序盤の有利を取ったらしい。士気に関わる序盤はどのチームでも必死になる時間帯だ。そこで優位を取ったってことは、レイブンクローよりもうちのチェイサーが一枚上手だってことになる。アンジェリーナは見事に有言実行したらしい。

 

レイブンクローのシーカー、チョウ・チャンを視界に入れると……うーん? 結構下を飛んでるな。ナメられているのか、それともそういう作戦なのか。まあ、どっちにしろ文句はない。これで私も作戦通りのポジションに就けたのだ。

 

そのままスニッチを探して下を眺めていると、パスを受けたケイティが相手のゴールに向かって矢のように飛んで行くのが見えてきた。

 

『さあ、ケイティが突っ込む、突っ込む! そして……ゴール! グリフィンドール先制点! 先手を取ったのはグリフィン……おっと、レイブンクローもカウンターだ! キャロウ、オニール、もう一度キャロウ! こちらもボールを奪わせません!』

 

やっばいな。ケイティが先制点を奪った直後にレイブンクローのチェイサーたちが見事なカウンターを見せる。ブラッジャーにもめげずに四年生のナット・キャロウがシュートを放つが……よっし! ウッドが箒から身を乗り出したブロックでそれを防いだ。っていうか、ほぼ落ちかけてるじゃないか。

 

『グリフィンドールのキャプテン、オリバー・ウッドが見事なキャッチを見せました! 死を恐れぬプレーです! 正直言ってもう少し恐れて欲しい!』

 

『何をしているんですか、ウッド! どうかしていますよ!』

 

今だけはあのイカれっぷりが頼もしい。ジョーダンとマクゴナガルの実況に合わせてくるりと一回転してから、慌ててスニッチ探しに向き直る。お前は観客じゃないんだぞ、魔理沙。集中だ。集中!

 

そのまま実況を耳にいれつつ、しばらくの間集中してスニッチを探すが……全然見つからないな。時折チョウ・チャンの動きを目に入れてみても、フェイントを入れながら大きく旋回しているだけだ。向こうもまだ見つけていないらしい。

 

『──しました! そしてアリシアからのバックパス。アンジェリーナが……決めた! グリフィンドール、再び三十点のリード! またしても点差は元に戻ります!』

 

これで60-30。チームは充分にスニッチを手に出来る状況を作ってくれている。ブラッジャーも一切飛んでこないし、みんなに応えるためにも私はスニッチを取らなければならないのだ。

 

必死に目を凝らして下を見渡すと……光った、よな? キラリと日光が反射するのが目に入ってきた。遥か下の観客席付近だ。もう一度その場所を注意深く見てみれば──

 

「……っ!」

 

金色の小さな光。間違いない、スニッチだ。絶対に目を離すまいとそれを見定めながら、思いっきり箒を倒して急降下する。位置的には向こうのシーカーの方が近い。見つけられたら終わりだぞ。

 

急げ……急げ! 抵抗を減らすために小さく身を縮めて、落下の速度を利用したトップスピードで光に向かってひた進む。スニッチを目に捉えたままでチラリと横目にチョウ・チャンを見れば……いいぞ、気付いてない!

 

緊張で震え出した手を、意志の力で抑えつける。あらゆる音が遠ざかるような感覚に包まれながらも、未だにスニッチは私の視界の中だ。これで取り逃がすなんてシャレにもならんぞ! 軌道を読もうとするな。反射で取るんだ!

 

ハリーのアドバイスを思い出しながら後十メートルまで迫ったところで……おい、嘘だろ? 右手の観客席の陰から、黒いマントのようなものが三体飛んで来るのが視界の隅に入ってきた。吸魂鬼? あれだけの事件が起きたってのに、教師たちは再びあの連中の侵入を許したのか?

 

どうする? ハリーのように落ちてしまうかもしれない。……いいさ、構うもんか。今ならあの時のハリーの気持ちが分かる。スニッチを前にしたシーカーが諦めるなど有り得ないのだ。目の前に勝利が浮かんでいるのに、諦めて白旗を振るバカがいるか?

 

刹那の迷いを振り切って、懐から杖を抜き放ちながら大声で叫ぶ。思い浮かべるのは魅魔様に教わった魔法を初めて成功させた瞬間だ。マッチ以下の小さな火を灯しただけだったが、あの時は本当に嬉しかった。

 

「エクスペクト・パトローナム!」

 

うーむ……まあ、私にしては上出来だろう。杖から出たなんとも頼りないモヤモヤが吸魂鬼に激突したのを尻目に、杖を握っていない方の手をスニッチへと必死に伸ばす。頼むから真っ直ぐ飛んでくれ、相棒!

 

揺れそうになる箒を脚だけでなんとか制御して、鼻先をピュンピュン飛び回る小さな金の妖精にもう少しで手が……届いた! 固く握り締めた手の中には確かに何かを握っている感覚がある。ってことは、取った? 取ったぞ! スニッチを取った!

 

「っと。」

 

あっぶね。両手を離したせいで崩れた体勢を立て直して、なんとか地面にふわりと着陸する。箒から降りて手のひらのスニッチを目にしたところで、ようやく遠くなった音が戻ってきた。

 

『──です! グリフィンドールのシーカーがスニッチを取りました! 試合は210-30でグリフィンドールの勝利!』

 

ジョーダンの実況と共に、凄まじい歓声が耳に届いてくる。……勝ったんだ。思わず顔を上げて観客席を見上げていると、私に続いてチョウ・チャンがこちらに降下してくるのが見えてきた。後ろを振り返る余裕などないので気付かなかったが、彼女もスニッチを追っていたようだ。

 

「お見事ね、キリサメ。完敗だわ。」

 

「あんがとよ。……そうだ、吸魂鬼は?」

 

悔しそうな苦笑いのチョウ・チャンに問いを放ってみると、彼女はクスクス笑いながら少し離れた場所を指差す。何だ? 悔しそうな顔から一変して、ちょっと悪戯げな雰囲気だ。

 

「残念ながら、吸魂鬼とはちょっと違うみたいよ。何の呪文だか知らないけど、貴女の放った呪文にびっくりしちゃったみたいね。……まあ、いい気味だわ。」

 

指差す先を見てみれば……なんだありゃ? 黒い巨大なマントから抜け出そうとしているスリザリンのキャプテンと、シーカー、それに見知らぬ大柄な上級生二人が目に入ってきた。お互いの黒マントが絡まってるせいでもみくちゃになっちゃってるぞ。

 

……つまり、アイツらが吸魂鬼のフリをしてたってわけか? なんともまあ、バカバカしいことをするもんだ。グリフィンドールを連覇させるのがそんなに嫌なのかよ。もしくは出場できなかったハリーに責任を押っ被せようとしたのかもしれんな。あの青白いヤツはハリーと犬猿の仲だったはずだ。

 

「なんだよ、びっくりして損したぜ。」

 

怒鳴り声を撒き散らしながら駆け寄ってくるマクゴナガルを横目に呟けば、チョウ・チャンもまた肩を竦めながら言葉を放つ。

 

「きっと物凄い罰則を食らうんでしょうね。神聖なフィールドを汚したんだから当然だけど。……ほら、気をつけなさい。貴女を揉みくちゃにしようとしてる人たちが来たわよ。」

 

「揉みくちゃ?」

 

キョトンとした顔で問い返してやれば、チョウ・チャンは後退りしながら悪戯げな笑みで上空を指差し──

 

「マリサ、良くやったわ! ああ、本当にもう! 最高よ!」

 

「わぷっ……ちょっと待て、落ち着け、アリシア。」

 

「落ち着け? 落ち着けですって? そんなの無理に決まってるでしょうが!」

 

確認する間も無くアリシアが突っ込んできた。その後ろからは……おいおい、残りの五人も突っ込んでくるのが見えてきたぞ。せっかく勝ったのに私を轢き殺す気か?

 

「マリサ! 素晴らしい、素晴らしいぞ! グリフィンドールの勝利だ! 百八十点差だ! 分かるか? 理解してるか? ……百八十点差なんだ!」

 

「うるさいわよ、ウッド。それはもうこの競技場の全員が分かってるの。それよりマリサよ! 最高のキャッチだったわよ、マリサ!」

 

狂ったように百八十点と叫ぶウッド、アリシアと共にキスの嵐を投げかけてくるアンジェリーナ。お互いの棍棒をガンガン打ち鳴らす双子と、私の頭をぐっしゃぐしゃに撫で回すケイティ。

 

うーむ、この光景を深く心に刻んでおくべきだな。何たって、次の守護霊の特訓で思い出すべき記憶はこれなのだから。この景色さえあれば、私はきっと最高の守護霊が作り出せるはずだ。

 

手のひらにスニッチの感触を感じながら、霧雨魔理沙は満面の笑みを浮かべるのだった。

 



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炎の雷

 

 

「ルーン文字はただ刻むだけでは意味がありません。正しい場所に、正しい順序で、正しいルーンを刻むことこそが大切なのです。では、目の前の石に黒板通りのルーンを刻んでみてください。上手くいけば夏に活躍する冷気を放つ石になるはずですよ。」

 

バブリングの無感情な念仏を聞きながら、アンネリーゼ・バートリはうんざりした気分で彫刻刀を手に取っていた。ルーン文字というか、今のところは石材加工の授業に近いぞ。

 

春が目前に迫ったホグワーツでは、比較的穏やかな日常が続いている。クィディッチの一件以来、吸魂鬼は城内に足……というかマントの裾を踏み入れてはいないし、ハーマイオニーの『超過密』スケジュールも『そこそこ過密』にまで改善された。逆転時計を返しに行った時はマクゴナガルも安心したような表情になっていたそうだ。だったら最初から渡すなよ、まったく。

 

ついでに言うと、クィディッチの勝利のお陰で寮全体の雰囲気もかなり良好になっている。ハリーの解説によれば、次の試合でレイブンクローがハッフルパフを破れば優勝杯に手が届く確率は更に上がるらしい。結果としてグリフィンドールは青色の横断幕を作り始める始末だ。昨日の敵は今日の友か? 忙しないにもほどがあるぞ。

 

とはいえ、問題もまた残っている。まったく足取りの掴めないペティグリューはいよいよ毛玉の餌になった説が濃厚になってきたし、ハーマイオニーとロンの冷戦も講和条約を結ぶには至っていない。後はまあ、ヒッポグリフの裁判が迫ったり、ハリーが暴れ柳に突っ込んだ箒の後継者を決め兼ねたりしているが……うん、それはどうでもいいな。

 

ちなみにブラックも姿を見せる気配はない。レミリアを警戒しているのか何なのか、あれ以来フランにさえ連絡を入れてこないのだ。……野良犬生活が気に入ってしまったのかもしれんな。きっとゴミ漁りを楽しんでいるのだろう。

 

アズカバンと野良犬のどっちがマシかを考えながら石をゴリゴリ削っていると、几帳面に下書きをしているハーマイオニーが声をかけてきた。

 

「ねえ、リーゼはマーガトロイド先生に連絡を取れるわよね? 一緒に住んでるわけだし。」

 

「アリスに? そりゃあ取れるが、どうしたんだい?」

 

「その、裁判の付き添いをお願い出来ないかしら? ハグリッドも頑張って判例なんかを覚えようとしてるんだけど……あの様子だとちょっと不安なのよ。何て言うか、当日は緊張してダメダメになっちゃいそうなのよね。」

 

うーむ、容易に想像できる話だ。図体のくせに小心者のハグリッドが、緊張してまともに抗弁できないのは目に見えている。論戦ならプライマリースクールのガキにすら勝てまい。オロオロしながら白旗を振るに決まってるぞ。

 

六歳のガキに論破されてうるうるしているハグリッドを想像する私に、ハーマイオニーが羽ペンを置いて言い募ってきた。

 

「マーガトロイド先生はハグリッドと親しいみたいだし、あの方なら裁判だって上手くやれるでしょう? なんとかお願いできない?」

 

「まあ、そつなくこなすだろうね。……分かったよ、手紙で知らせておこう。文句は言うかもしれないが、多分手伝ってくれるんじゃないかな。アリスはなんだかんだでハグリッドに甘いしね。」

 

ぐちぐち言いながらも手伝うに違いない。アリスとヴェイユ。ハグリッドは良い先輩を持ったものだ。私の『先輩』吸血鬼など性悪ばっかりだぞ。

 

「よかったわ。これでバックビークも安心ね。」

 

うんうん頷きながら再び下書きを始めたハーマイオニーに倣って、私も忌々しい削りカスを量産する作業に戻る。……この授業は時間割から消すべきかもしれんな。私はカッコよくルーンが使えるのをレミリアに自慢したいのであって、石像を素早く作れることを自慢したいわけではないのだ。

 

きっとパチュリーの時代はもうちょっと『理論』に重きを置いた教師だったのだろう。でなきゃあの紫もやしがこの授業をオススメするはずなどあるまい。心の広い私ですら我慢の限界なのに、『根暗のノーレッジ』が耐え忍んでいたとは思えんぞ。

 

夏休みに帰ったらパチュリーに文句を言おうと誓いながら、三つ目のルーンへと取り掛かるのだった。

 

───

 

そして『石工学』の授業も終わり、昼食時の大広間へと足を踏み入れると……おお? グリフィンドールのテーブルに人集りができている。双子がいたら糞爆弾を投げ入れずにはいられないような光景じゃないか。

 

うーむ、クィディッチ関連の何かが起きたに違いない。なんたって、ここからでも魔理沙の歓声やらウッドの奇声やらが聞こえてくるのだから。ウッドあるところにクィディッチあり。これはホグワーツで学べる真理の一つなのだ。

 

「何かしら? マルフォイたちが出場停止になったとか? 『吸魂鬼ごっこ』は罰則だけで済んだんじゃなかった?」

 

「死ぬほどキツい罰則だけどね。それに、スリザリンのシーカーが出場停止だとしたらあの程度じゃ済んでないよ。そんな知らせを受けたウッドは嬉しすぎて心停止を起こすはずだろう? 生きて奇声を上げてるじゃないか。」

 

「それもそうね。まあ、ゴーストになっていつまでもキャプテンをやられたら堪らないわ。ウッドには生きて卒業してもらわないと。」

 

「どうかな。このまま負ければショックで死ぬだろうし、今年も三連覇が叶えばそれもそれでショック死するだろうさ。今のうちからどこに取り憑かせるかを決めといたほうがいいかもね。」

 

ハーマイオニーと凄まじくバカバカしい話をしながら近付いてみれば……まーたキミか、ハリー。騒ぎの中心はいつも通りに生き残った男の子のようだ。今度は何をやらかした?

 

「咲夜、何があったんだい? 」

 

人集りを横目に昼食を食べている咲夜に聞いてみれば、彼女は慌ててプチトマトを飲み込みながら説明してくれる。蛇じゃあるまいし、丸呑みはダメだぞ。

 

「んむ……リーゼお嬢様。よく分かんないんですけど、ポッター先輩に箒が贈られてきたみたいなんです。ファイアボルト? とかいうやつが。」

 

「箒が? とうとうハリーは殉職した箒の後継者を決めたのか?」

 

「いえ、注文したわけじゃなくって、誰かからの贈り物らしいんです。すっごく高い箒だそうなので、みんなで誰が送ってきたのかを推理してるみたいですよ。」

 

なんじゃそりゃ。現代の足長おじさんというわけか? ハーマイオニーと顔を見合わせて首を傾げていると、私に気付いたハリーが声を放ってきた。物凄く嬉しそうな表情じゃないか。哀れなニンバスは既に頭の中から消え失せたらしい。

 

「リーゼ! 今朝話そうと思ってたんだけど、君は談話室にも朝食にも居なかったから……ほら、手紙だよ!」

 

「ちょっと用事があってね。……しかし、手紙? 私にかい?」

 

今朝はスネイプと一緒にネズミ狩りをしていたのだ。……まあ、いつも通りに無辜のネズミが数匹犠牲になっただけだったが。いちいち解呪を試みるのもいい加減うんざりだぞ。ただのネズミだと分かった時の遣る瀬ない空気。あれだけはいつになっても慣れん。

 

ルーピンもそれなりに熱心だが、スネイプもかなりの時間を割いてペティグリューを探している。ブラックのためというよりかは、リリー・ポッターの仇ということで必死なのかもしれない。一途な横恋慕か。見てて哀れになってくるな。

 

ちなみに毛玉ちゃんも最近は付いてくるようになってしまった。私たちが楽しい狩りをしているのに気付いてしまったようだ。……かなりの捕獲スコアを誇っているだけに文句は言えんが。

 

ネズミ狩り名人となりつつある毛玉・陰気男コンビのことを考える私に、ハリーが頷きながら返事を寄越してくる。

 

「うん、ファイアボルトの包装紙にくっついてたんだ。これ、リーゼのことでしょ? ……開けてみてよ。誰が贈ってくれたのかが分かるかもしれない。」

 

言いながらハリーが差し出してきた手紙には……ふむ、『黒髪の吸血鬼殿へ』ね。随分と迂遠な宛先の書き方じゃないか。ハリー経由で渡そうとするあたりがなんとも奇妙だ。

 

いつの間にか私を囲んでいる大量のグリフィンドール生たちに見守られながら、手紙の封をそっと開く。彼らは差出人が気になって仕方がないようだ。そんなに凄い箒なのだろうか? 私から見ればニンバスと同じようにしか見えんぞ。

 

呆れつつも中に入っていた安っぽい羊皮紙を取り出してみると……おや、ネズミよりも先に犬コロがコンタクトを取ってきたらしいな。野良犬生活にとうとう見切りをつけたか。

 

『パッドフットよりピックトゥースへ。プロングズが君に初めて感謝した場所で会おう』とだけ書かれているのが見えてきた。ピックトゥースというのはフランのことだったはずだ。私には分からんが、恐らくフランにならこの言葉の意味が理解できるのだろう。

 

……しかし、何故ルーピンでもダンブルドアでもなく、一切関わりの無い私に接触してきたんだ? 面識どころか私の存在を知っていたかも怪しいはずだぞ。

 

文面から見るに、私とフランの繋がりにも気付いているようだ。でなきゃフランにしか伝わらないような暗号では書かないだろう。吸血鬼繋がりってことか? ……いや、それならレミリアと繋がってることも想像できるはずだ。

 

うーむ、分からん。手紙を前に首を捻っている私に、ロンが待ちきれないとばかりに話しかけてきた。

 

「誰なんだ? リーゼ。この最高のプレゼントをハリーに贈ったヤツは。」

 

「んふふ、残念ながらよく分からないね。差出人は書いてなかったよ。」

 

まさかシリウス・ブラックからのお手紙でしたと言うわけにはいくまい。あの男は今でも一応指名手配中なのだ。

 

とはいえ、そろそろハリーには真実を伝えておく必要があるだろう。私が伝言を伝えればフランはブラックと接触するだろうし、となればこちらが味方であることも伝えられるはずだ。ふむ、それから考えればいいか。

 

「書いてなかったのか? それじゃあ、何の手紙だったのさ。ヒントっぽいものも無し?」

 

「ああ、無しだ。まあ……ありがたく受け取っておいたらいいんじゃないかな。ちょうど良いタイミングだったんだろう?」

 

残念そうに項垂れるロンに返事を返してから、興味なさげな咲夜とハーマイオニーの間に座り込む。……一番可哀想なのはロンかもしれんな。

 

ハリーが真実を知れば、当然ロンにも話すだろう。……見知らぬおっさんと一緒のベッドで寝ていたという真実を。私ならショックで死ぬかもしれんぞ。聖マンゴの精神科医に予約を入れといたほうがよさそうだ。

 

再びグリフィンドール生たちと推理し始めたロンに哀れみの視線を送っていると、サンドイッチを手にしたハーマイオニーが口を開いた。何故か物凄い胡乱げな目つきだ。

 

「ねえ、あれって……危険じゃない? 凄く高価な箒なんでしょう? ひょっとして、ブラックがハリーを殺そうとして送ってきたのかもしれないわ。クィレルもドビーもクィディッチの時を狙ってきてたじゃない。」

 

「ドビーは『命を助けようと』してたんだけどね。」

 

うーむ、名探偵の素質はハーマイオニーの方が上だな。ニアミスじゃないか。思わず苦笑を浮かべる私に、ハーマイオニーは自分の考えを整理するかのように言い募る。

 

「そうよ。差出人不明の高級箒だなんて怪しすぎるもの。……私、マクゴナガル先生に伝えてくる! きちんと調べてもらわなくっちゃ。」

 

返事も聞かずにサンドイッチを手にしたままで走り出したハーマイオニーを見送って、ミートボールの皿を引き寄せた。マクゴナガルも既に真実を知っているのだ。適当に説得するか、もしくはちょっと調べるフリをして終わりだろう。

 

ついでにステーキは無いかと大机を見回し始めた私に、咲夜が心配そうな表情で話しかけてくる。……お肉が食べたいのか? 言えばいくらでも分けてやるぞ?

 

「あの、リーゼお嬢様? ハーマイオニー先輩とロン先輩は喧嘩してるんですよね? それも、物凄い大喧嘩を。」

 

「ん? ああ、そうだね。それがどうかしたのかい?」

 

違ったか。葉っぱばかりを皿に盛っている咲夜に聞き返してみると、彼女は困ったような様子で続きを話し始めた。

 

「それなら、ハーマイオニー先輩のせいで箒を取り上げられたらマズいんじゃないですか? ロン先輩の様子を見る限り、すっごく怒ると思うんですけど……。」

 

「それは……うん、その通りだ。マズいな。」

 

確かにそうだ。あの喜びっぷりを見るに、一時的にでも取り上げられればいい顔はすまい。喧嘩中のハーマイオニーが原因となればなおさらだろう。冷戦の新たな火種になっちゃうぞ。

 

ニコニコ顔で魔理沙と箒談義をするロンを見て、アンネリーゼ・バートリは頭を抱えるのだった。

 



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マダム・フロッグ

 

 

「つまり、シリウス・ブラックは無実だと? ……なんとも唐突な話ですな。」

 

執務机越しに腕を組むスクリムジョールを見て、レミリア・スカーレットはゆったりと頷いていた。

 

場所は闇祓い局の局長室だ。他より少し広めのオフィスルームには、スクリムジョールの気質を表すかのように飾り気の無い装飾がなされている。執務机、書類庫、本棚、タイプライター、私が座っている来客用の椅子。あとはまあ、申し訳程度に賞状が飾られているくらいだ。オフィスのモデルルームみたいだな。

 

ムーディの頃は警報機やら侵入者用のトラップやらがひしめいてたっけ。思わず浮かびそうになった苦笑を堪えつつ、目の前のスクリムジョールへと言葉を返す。

 

「少なくともペティグリューが生きてることは保証するわ。……まあ、猫に食われてなければだけどね。」

 

私がかなり言いづらそうに答えるのに、スクリムジョールも僅かに困った表情で質問を放ってきた。

 

「これは非常に失礼な質問なのですが……本気で言っているのですか? 成年した魔法使いが猫に食われる可能性があると?」

 

「最高にバカバカしい話なのは承知の上よ。でも、ダンブルドアも当時のペティグリューを知る者も『有り得なくはない』と言っているの。一応可能性だけは頭に入れておいて頂戴。」

 

そんなこと言われても、私だって半信半疑なんだぞ。とはいえ、ダンブルドアは下らない嘘を吐くような人間じゃないし、フランですら苦笑しながら有り得ると口にしていたのだ。ここまで意見が一致するとなればさすがに認めるしかなかろう。……ペティグリューの常軌を逸したアホさを。

 

私の返答を受けたスクリムジョールは小さなため息を吐いた後、気を取り直すようにして話し始める。

 

「まあ、その辺は後々に回しましょう。重要なのはブラックの一件です。……単刀直入にお聞きしますが、貴女は本気でブラックを無実だと思っているのですか? それとも、これも『政治』の一環なのですかな?」

 

おやおや、悪巧みだと疑われているらしい。……うーん、それも仕方ないか。クラウチとのパワーゲーム以降、私だって色々と裏から手を回していたのだ。この有能な男がその一端を掴んでいてもおかしくはなかろう。

 

私が返事を返す前に、スクリムジョールは椅子に背を委ねながら言い募ってきた。

 

「あくまで確認です。どちらにせよ、私は貴女に協力するつもりでおりますので。」

 

「あら? 貴方はそういうものがお嫌いかと思ってたけど?」

 

「あまり侮らないでいただきたい。いつぞやも話しましたが、私は貴女が大きな戦争を予期していることや、それに備えて魔法省を改革していることには気付いていますよ。……これがその為の一手だとするなら、乗るのも吝かではないというだけの話です。」

 

「大事の前の小事ってこと? ……『より大きな善のために』ってわけね。」

 

かつて大陸を震撼させた標語を口にしてやると、スクリムジョールは滅多に見せない苦笑を浮かべる。この男はリーゼと同じく、『グリンデルバルド式』にも一分の理を認めているわけだ。あのペタンココウモリと気が合いそうだな。

 

まあ、今回ばかりは悪巧みをしているわけではない。実際ブラックは無実なのだろうし、ペティグリューが生きている……というか、生きていたのも事実なのだ。両手を上げて戯けながら、苦笑混じりに言葉を放つ。

 

「なんとも心強い言葉だけど、ブラックが無実なのは正真正銘の事実よ。……私の妹がホグワーツの同級生でね。ブラックが冤罪だと知って悲しんでるの。そのために動いているってわけ。」

 

「妹さんがですか。……何と言うか、意外ですな。貴女にも家族がいるのですね。」

 

「失礼ね。私を何だと思ってるのよ。」

 

ちょっと大仰に怒りながら言ってやれば、スクリムジョールは再び苦笑を浮かべながら言い訳を口にし始めた。この男の苦笑を何度も見れるとは……今日はなんとも珍しい日だな。明日は雪か?

 

「これは失礼しました。……しかし、我々の世代にとっての貴女は完全無欠な吸血鬼なのですよ。『家族と過ごすレミリア・スカーレット』というのは想像するのが難しいのです。」

 

「私にだって大切な存在はいるわ。今も昔も、その為に戦っているのよ。……これ、今度の取材で話してみようかしら? イメージアップするんじゃない?」

 

「悪くない提案ですが、最後の言葉で台無しですな。」

 

私の小粋なジョークで場が和んだところで、スクリムジョールが表情を真剣なものに変えて口を開く。

 

「とにかく、私はブラックに『手加減』すればいいのですね? アメリアには伝えてもよろしいので?」

 

「そっちはダンブルドアから伝えてあるわ。きちんと連絡を取り合って、精々手を抜いて頂戴。……それと、動物もどきの件はオフレコでお願いね。ペティグリューさえどうにかなればいい伏せ札になるわ。いつかどこかで利用できるかもしれないでしょ?」

 

「それもまた備えの一つというわけですか。承知しました。では闇祓いたちには適当な言い訳を……誰かね?」

 

おっと、来客か。言葉の途中で部屋に響いたノックに、スクリムジョールが鋭い声で誰何する。するとノックの主は聞き覚えのある耳障りな声で名乗りを上げた。うえぇ、鳥肌が立っちゃいそうだぞ。

 

「アンブリッジですわ。ブラックの件でお話があるんですけれど、少々よろしいかしら?」

 

ドローレス・ジェーン・アンブリッジ。コーネリウスの上級補佐官にして、彼を蹴落とそうとしているカエル女だ。……しかし、このカンに障る猫撫で声だけはいつになっても慣れないな。肌に纏わりつくようでどうにも気持ち悪い。もうちょっと普通に喋れないのか、こいつは。

 

嫌そうな顔のスクリムジョールがどうしようかと目線で問うてくるのに、同じ表情で頷いて構わないと伝える。別に私がここに居るのは怪しいことではあるまい。

 

「客人も居るが、それでもいいなら入りたまえ。」

 

「失礼しますわ……あら、客人というのはスカーレット女史でしたの? ごきげんよう、スカーレット女史。お会いできて嬉しいですわ。」

 

私は嬉しくないぞ。入室してきたアンブリッジは、いつも通りに悪趣味なピンク一色の服装を纏っている。見た目は……うん、魔法で人に化けているガマガエルって感じだ。今度こっそり解呪を試してみようかな? ひょっとするとカエルに戻るかもしれない。イボイボで、ヌメヌメのやつに。

 

そしたらパチュリーの研究に使わせようと考えつつも、外向きの笑顔で挨拶を返す。外交用なのを隠した外交用の笑みではなく、外交用と丸わかりの外交用の笑みだ。ややこしいが、これが読み取れないヤツは政治などできん。薄っぺらなオブラートに包んだ意思表示というわけだ。

 

「ごきげんよう、アンブリッジ。私には構わないで頂戴。ちょっと世間話をしていただけなの。」

 

「まあまあ、とっても気になりますわ。何を話していたのかしら?」

 

薄気味悪いニタリとした笑みで聞いてくるアンブリッジに、スクリムジョールがうんざりしたように声を投げかける。彼もカエルは嫌いなようだ。気が合うじゃないか。

 

「それは君の気にすることではないな、アンブリッジ。プライベートな話だよ。……それで、何の用かね? 大臣から何か連絡でも?」

 

「いいえ、違いますわ。ホグワーツへの吸魂鬼による強制捜査について、『みなさま』が賛成の意を表してくれましたので。実行に移して問題ないかを話しに来ましたの。」

 

「私にはそれを何故君が話しに来るのかが非常に疑問だが、一応返答を聞かせよう。答えは却下だ。その『みなさま』とやらは数ヶ月前の問題をもう忘れてしまったのかね? あの布きれどもは生徒を一人殺しかけたわけだが。」

 

「もちろん安全策は十分に準備しますわ。ただ、その……気を悪くしないでいただきたいのですけれど、闇祓いたちは『何一つ』成果を上げられていないでしょう? この辺で次の手を打ち出すべきだと思いますの。」

 

賭けてもいいが、『みなさま』とやらは現体制反対派のバカどものことだろう。それに、ひょっとしたらアズカバンも一枚噛んでいるのかもしれない。

 

となると、ウィゼンガモットの老人たちの中にも賛同者がいるな。アズカバン関係となれば……シャフィクかフォーリーあたりか? 時代錯誤の遺物どもめ。変化に対応出来ないならとっとと席を明け渡せばいいってのに。どいつもこいつも椅子にしがみ付くのだけはお得意だな。

 

ニヤニヤ笑うアンブリッジの皮肉に一切怯むことなく、スクリムジョールは冷徹な無表情で返事を返した。

 

「ご心配はありがたいがね、気持ちだけ受け取っておこう。そもそも私の記憶が確かなら、君は魔法大臣の補佐官だったはずだ。アズカバンでも執行部の人間でもない。関係のない仕事に首を突っ込むべきではないと思うが。」

 

「あら、コーネリウスもとっても心配していますのよ。闇祓い局が、何と言うか……無能なのではないかって。ああ、もちろん私は否定しましたわ! あなたがたが有能なのはよーく知っていますもの。だからちょっとした助言を伝えに来たんです。」

 

「君の心配はともかく、大臣の心配は真摯に受け止めよう。とはいえ、吸魂鬼が信頼に値しないというのはホグワーツの校長も同意見なのだ。強制捜査は諦めてもらおうか。」

 

「うーん……私にはそこが疑問なのですけれど、どうして学校の校長程度に遠慮しなければならないのかしら? 司法機関として断固たる態度を示すべきだと思いますわ。」

 

人差し指を口元に当てながら、アンブリッジはさも分かりませんという雰囲気で首を傾げる。昼食を食べないでいて良かった。もし食べていたら薄気味悪くて吐くことになっただろう。容姿に合った振る舞いというのが、いかに重要なのかを再確認できたぞ。

 

しかしまあ、このまま見ているのも退屈だな。せっかく目の前でオオカミとカエルが騙し合いを繰り広げているのだ。コウモリとしては是非とも参戦しなければなるまい。観客に甘んじるのも楽しいが、私は演者として乱入する方が好みなのだ。

 

無表情のままのスクリムジョールが反論を口に出す前に、足を組んでそこに頬杖をつきながら口を開く。もちろん上目遣いでニヤニヤとだ。

 

「懐かしいわね。かつてホグワーツに対して、『司法機関として断固たる決意』とやらを示した男を知ってるわ。今はそう、国際魔法協力部とかいう場所でワールドカップのための調整を楽しんでるでしょうね。」

 

言わずもがな、クラウチのことである。……まあ、正直言ってこの女よりはクラウチの方がマシだったかもしれんな。少なくともあっちには実務の能力がそれなりにあったのだ。対してこの女は政治しか出来ない。

 

私の『お前もそうなるぞ』という言外の脅しに気付いているのかいないのか。アンブリッジはさして気にした様子もなく、ニタニタしたままで言葉を返してきた。

 

「非常に強引な方だったと聞いています。もちろん私は違いますの。ホグワーツのことも蔑ろにするつもりは毛頭ありませんし、貴女が『ヒト以外』であることも問題視しておりませんわ。」

 

言ってくれるじゃないか。自分だってカエル人間のくせに。『ヒト以外』の部分を妙に強調してきたアンブリッジに対して、今度はスクリムジョールが口を開いた。もうウンザリしているのを隠そうともしていない。

 

「ならば話は終わりだ。ホグワーツに強制捜査は行わない。……何を突っ立っているのかね? もう退室しても構わんよ。私はスカーレット女史と話があるのだ。彼女の服装は目に優しいのでね、長話でも苦痛を感じずに済むのだよ。」

 

おっと? アンブリッジの顔が僅かに歪んだぞ。どうやらあのバカみたいな服装には多少の自信があったらしい。……ふん、バカめ。ピンクなんぞ紅の引き立て役に過ぎんのだ。

 

弱点を見つけた以上、吸血鬼としては突っ込む他ないだろう。アンブリッジが何か反論を口にする前に、ピンクのガマガエルに向かって追撃を放つ。

 

「そうね、自分の容姿に合わせた服を着るのは大切なことだわ。貴女はコーネリウスの後ろで写真にも写るんだし、今度洋服を贈ってあげましょうか? 『ヒト以外』にセンスが劣るのは問題じゃない?」

 

「……結構ですわ。それでは失礼させていただきます。ああ、心配はご無用ですよ。案が却下されたことは、『みなさま』にきちんと伝えておきますわ。」

 

再びニタニタの仮面を被りなおしたアンブリッジが退室していくのを見送って、ため息を吐きながらスクリムジョールに話しかける。最後のは脅しのつもりか? 私やスクリムジョールがそんなもん気にするはず無いだろうが。

 

「うんざりするわね。その辺でハエでも食ってればいいのに、何だって余計な場所に首を突っ込んでくるのかしら。」

 

「ああやって方々に『お願い』するのがアンブリッジのやり方なのですよ。……貴女はまだマシでしょう。滅多に顔を合わせないで済むのですから。あの様子では近いうちにまた『みなさま』の要望を伝えにきますよ。」

 

「落とし穴でも仕掛けておけば? 中にバジリスクでも仕込んでおけば、もう二度と会わずに済むわよ。カエルなんだし、蛇には弱いでしょ。」

 

「魅力的な提案ですな。考慮しておきましょう。」

 

おいおい、真顔でジョークを言うなよ、スクリムジョール。本気でやる気に見えちゃうぞ。……いや、ムーディだったら実行に移していたかもしれんな。そういう意味ではまだまだこいつもひよっこだ。

 

少なくともスクリムジョールは未だ魔法省中のシュレッダーを破壊しようとはしていないし、アトリウムの暖炉前にマンティコアを設置しようともしていない。行動力だけはムーディに遠く及んでいないのだ。……それが良いことか悪いことかは分からんが。

 

被害妄想の権化を思い出している私に、スクリムジョールが纏めるように話しかけてきた。

 

「何にせよ、急いだ方がよろしいかと。私とアメリアとて組織の中の人間なのです。最大限の協力はしますが、無限の時間を稼げはしません。」

 

「分かっているわ。ペティグリューがこのまま見つからなかったとしても、夏までには対応策を考えるつもりよ。」

 

「あと四ヶ月というところですか。……かしこまりました。精々成果を『出さない』ために頑張るとしましょう。」

 

「たまにはそういうのもいいでしょ。手を抜くことを上手くやれてこその管理職よ。」

 

『サボり学』の講師に美鈴でも派遣するか? 手を抜くことに関してならあの門番以上の存在はいまい。今だってどうせ分霊箱探しと言いながら何かを食べているのだろうし。

 

何の連絡も送ってこないポンコツコンビを脳裏に浮かべて、レミリア・スカーレットはそろそろ催促の手紙を送ろうと決意するのだった。

 



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パッドフット

 

 

「こんな場所があったとはね。」

 

暴れ柳の下に隠されていた通路を進みつつ、アンネリーゼ・バートリは隣を歩くフランに声を放っていた。あの木は箒やら自動車やらを破壊するために存在していたのではなく、この通路のために植えられていたわけか。

 

ブラックの呼びかけに応えて、私とフラン、そしてルーピンで指定された場所に向かうこととなったのだ。私だけちょっと場違いだが、手紙を受け取った張本人ということで同行することになった。……空気が読めないヤツみたいでなんかヤダな。

 

レミリアやダンブルドアも来たがったものの、警戒されては元も子もない。先ずはこの三人でこちらがもう疑っていないことを伝えようというわけである。ちなみにスネイプはフランに会うのが気まずくて逃げたようだ。ヘタレめ。

 

「うん。通路自体は元からあったらしいんだけど、暴れ柳はリーマスの為にダンブルドア先生が植えてくれたんだよ。当時から『ふわふわした問題』を抱えてたからね。」

 

クスクス笑って言うフランに、前を杖明かりで照らしながら歩くルーピンが苦笑を返した。懐かしのルーピンに会えてフランはかなりご機嫌のようだ。先程からずっと思い出話に花を咲かせている。

 

「ああ、懐かしい台詞だ。君やジェームズが事あるごとにそう言うもんだから、コゼットは僕が小さなウサギを飼っているんだと勘違いしてたっけ。」

 

「ふふ、暴れん坊のウサギだと思ってたんだよね。クリスマスに飼い方の本をプレゼントされたんでしょ?」

 

「その通り。ちなみにまだ持ってるよ。……まあ、残念ながら私にウサギの飼育は難しいんだけどね。狼としての匂いがあるのかなんなのか、小動物には嫌われちゃうんだ。」

 

人狼の知られざる弊害というわけだ。謎の知識が増えたところで、狭い通路の先にボロボロのドアが見えてきた。フランの話によればあれこそが今回の目的地、叫びの館への入り口のはずだ。

 

慣れた手つきでそれを開けたルーピンに続いて、ドアの向こう側へと足を踏み入れてみれば……これはまた、ぼろっぼろだな。経年劣化もいくらか関与しているだろうが、ルーピンはここで存分に爪研ぎを楽しんだようだ。至る所に大小様々な穴が空いている。

 

「若かりし頃のキミは随分と凶暴だったらしいね。廃墟にしたって酷い有様じゃないか。」

 

「いえいえ、半分以上はフランドールのせいですよ。ほら、あの大穴なんかは私が吹っ飛ばされた時に空いた穴です。」

 

言いながらルーピンが指差した穴は……よく無事だったな、こいつ。かなり分厚い板をぶち抜いているじゃないか。普通の人間ならぺしゃんこになってるぞ。

 

思わずフランの方を見てみれば、彼女は困ったように苦笑しながら口を開く。

 

「んー、あの頃はまだ加減が上手くなかったから。……でも、リーマスも悪いんだよ? いきなりシリウスに襲いかかろうとするから、びっくりしてちょっと強めに殴っちゃったの。」

 

「『ちょっと』の認識に差があるね。いくら人狼が頑丈とはいえ、ルーピンも骨折くらいはしたんじゃないか?」

 

私の苦笑混じりの声に答えたのは、フランでもなく、ルーピンでもなかった。……ようやく会えたな、アズカバンの冤罪囚。

 

「あの時、哀れなリーマスは尻尾の骨を折ってしまったよ。危うくカギ尻尾の狼人間になるところだったのさ。……久しぶりだな、我が友、ピックトゥース、ムーニー。そして初めましてだ、黒髪の吸血鬼殿。」

 

暗闇の向こう側から杖明かりの中へと、ボロボロの洋服を着た男が歩み寄って来る。酷くやつれているし、ヒゲも髪も伸び放題だ。……しかし、その目に力があるせいで情けない印象は全く感じられない。これがシリウス・ブラックか。獰猛な猟犬のような男だな。

 

「やっほー、パッドフット。……うん、元気そうで良かったよ。今はそっちが『ヨレヨレ』になっちゃったね。」

 

「……久し振りだ、パッドフット。会えて嬉しいよ。本当に嬉しい。」

 

フランは嬉しそうに戯けながら、ルーピンは目を細めて微笑みながら彼に近寄っていく。どちらも感無量といったご様子だ。……まあ、私は少し下がっておくか。賢いリーゼちゃんは旧友との再会を邪魔するほど無遠慮なコウモリではないのだ。

 

ブラックもまた二人に近付きながら、ニヤリと笑って口を開いた。

 

「おいおい、ひどく老いたな、ムーニー。ピックトゥースを見習ったほうがいいぞ。我らが紅一点は未だにツルツルのお肌を維持してるじゃないか。」

 

「それはこっちの台詞だね。学生時代と比べると……ふむ、少々身嗜みが乱れているな。あの頃のハンサムな君が懐かしいよ。」

 

「おおっと、訂正してもらおうか。私は昔も今もハンサムなままだぞ。……しかしながら、誰も犬にはカミソリを売ってくれなかったもんでね。イギリスは動物愛護の精神を学ぶべきだとよく分かったよ。」

 

二人の訳の分からん会話を聞いて、フランは微笑を浮かべながら腕を組む。この様子では当時からこんな感じの馬鹿話を毎回繰り広げていたらしい。三人とも水を得た魚のようではないか。

 

「小汚い野良犬ごっこなんかしてるからだよ。うーん、血統書があれば別だったんじゃないかな。今からでもプードルの動物もどきを目指してみれば?」

 

「悪くない提案だがな、ピックトゥース。俺の変身後には男のロマンってのがあるのさ。プードルじゃカッコつかないだろ? ……まあ、お子ちゃまには理解できんか。」

 

「んんー? 私のパンチを忘れちゃったみたいだね。あの頃よりちょーっとだけ強力になってるけど……試してみよっか? 上手くいけばあの穴より大きなのを作れるかもよ?」

 

腕をぐるんぐるん回すフランを見て、ブラックは慌てて後退りし始めた。ルーピンはそれを見ながらやれやれと首を振っている。……なんともまあ、彼らの学生時代が目に浮かぶようではないか。ここにジェームズ・ポッターがいれば完璧な漫才が見れたのだろう。

 

「勘弁してくれよ。せっかく闇祓いどもから必死で逃げ果せてたってのに、最後の最後で壁の染みになるのは御免だ。……それにほら、君の知り合いに感謝を伝えないといけないだろ?」

 

言うとブラックはこちらに近付いてきて、片手を差し出しながら話しかけてきた。別にもっと話しててくれても構わなかったんだが。積もる話もあるだろうに。

 

「改めて、シリウス・ブラックだ。伝言を伝えてくれてありがとう。お陰で懐かしい顔を見ることが出来た。」

 

差し出してきた手を握りながら、こちらも軽い挨拶を返す。黒髪に灰色の瞳。近くで見るとそれなりに顔が整っているのが分かるな。学生時代はさぞモテたのだろう。

 

「アンネリーゼ・バートリだ。フランの従姉で、レミィ……レミリアの幼馴染さ。」

 

「おっと、これは失礼を。スカーレット女史と同世代だったとは。……ハリーは箒を喜んでくれましたか?」

 

「安心したまえ、ハリーは飛び上がらんばかりに喜んでたよ。最近は狂ったように手入れしているしね。ほとんど病気さ。」

 

マクゴナガルによる体裁だけの『検査』も終わり、箒は既にハリーの手元にあるのだ。枝先の一本一本を手入れしているハリーの様子を思い出して言ってやると、ブラックは目を細めながら頷いた。

 

「それは良かった。名付け親だってのに何もしてやれなかったので、奮発した甲斐がありましたよ。しかし……スカーレット女史の同世代なら、何だって学生なんかを?」

 

「ハリーを守るためさ。ヴォルデモートがしつこく狙ってくるもんだから、不本意ながらも学生ごっこをする羽目になってるんだよ。」

 

「それはまた……名付け親として感謝します。何と言うか、中々に難しい仕事でしょう。」

 

かなり気まずそうに言ってくるブラックは、学生ごっこの苦労を汲み取ってくれたらしい。それに苦笑を返しつつも、情報を整理するために質問を飛ばす。

 

「まあ、もう慣れたよ。……さて、色々と疑問はあるんだがね。先ずは私に手紙を送った理由について聞こうか。今日が初対面のはずなんだが、何故私を選んだんだい?」

 

「ああ、それは『協力者』から貴女がピーターを探していることを聞いていたからです。ピーターを探すということは、フランドールから話を聞いているのだと思いまして。比較的安全に接触できると思ったんですよ。」

 

「『協力者』? ホグワーツの人間と連絡を取り合ってたのか? そんな素振りを見せていたヤツはいないはずだが……。」

 

少なくとも教師陣ではないはずだぞ。生徒ってことか? 疑問顔で首を傾げる私に、ブラックは若干得意げな表情で『協力者』とやらのことを説明してきた。

 

「クルックシャンクスですよ。彼ほど賢い猫は他にいないでしょう。ピーターの正体を見破り、そして森の近くで出会った私の正体をも見抜いた。説得には時間がかかりましたが、私の事情を理解すると色々と協力してくれるようになったんです。……ちなみに、ハリーに贈った箒を注文したのも彼ですよ。注文書をアーサーの息子のカタログから取ってきてくれまして。金はブラック家の金庫から引き出しました。……それとまあ、サクヤにブローチを送るのにも手を借りましたね。」

 

「ちょっと待て、咲夜にブローチを贈ったのはキミだったのか?」

 

「ええ。容姿はクルックシャンクスから聞いていましたから。合いそうなのをマグルの宝石店から……まあ、その、『拝借』したんです。学生時代からそういったことは得意だったので、杖なしでも然程難しくはありませんでした。」

 

「それだと普通にドロボーじゃんか。何してんのさ、パッドフット。」

 

呆れ果てた様子のフランの言葉に、ブラックは慌てて言い訳を述べ始める。殺人犯ではないにせよ、犯罪者なのは正しかったようだ。逃亡中に窃盗? 滅茶苦茶するな、コイツ。

 

「いや、金はきちんと返すつもりなんだ。我が忌々しい実家の金庫にはまだまだ金貨が残ってるからな。つまり、そう、後払いだよ。たっぷり利子を付けて返せば誰も文句は言わないだろ?」

 

「言うと思うよ。……パッドフットったら、アズカバンでちょっとおかしくなっちゃったんじゃない?」

 

「同感だね。昔から君は突拍子も無いことをやっていたが、少し悪化しているように思えるよ。リハビリが必要なんじゃないか?」

 

旧友二人からなんとも言えない表情で言われて、ブラックはそのまま気まずそうに黙り込んでしまった。……太ったレディを切り裂いたことといい、アズカバンの後遺症は確かに存在しているらしいな。盗品をプレゼントにするってのは相当だぞ。

 

しかしまあ、予想だにしない名前が出てきたもんだ。あの毛玉がブラックの協力者だったとは……犬、猫、ネズミ。今年は動物が大活躍の年じゃないか。コウモリも少しは見習いたいもんだ。

 

オレンジ色の毛玉のことを考え始めた私を他所に、今度はフランが質問を放つ。ルーピンは……杖を振って椅子とテーブルを用意し始めたようだ。勝手知ったる他人の館だな。

 

「っていうかさ、二通目の手紙は普通に私に送ってくるんじゃダメだったの? その前の手紙は紅魔館宛になってたけど。」

 

フランが『私』と言うのに少しだけ驚きを浮かべながらも、ブラックは問いの答えを放った。……やはり違和感はあるか。先程のルーピンも同じ反応だったな。

 

「君はともかく、君のお姉さんが味方だという確証が持てなかったんだよ。君たちは……その、かなり仲が悪かっただろう? とりあえずはピーターのことを書いた手紙を送ってみて、何らかの反応を待つことにしたんだ。こっちの手紙を送るのもクルックシャンクスが手伝ってくれたよ。」

 

「あー、それで動き出したリーゼお姉様に接触したってわけね。ふふ、レミリアお姉様ったら信用ないなぁ。政治なんかしてるから胡散臭くなっちゃうんだよ。」

 

まあ、仕方あるまい。レミリアと魔法省が繋がっているのは誰の目から見ても明らかなのだ。捕縛される危険性がある以上、迂闊に手掛かりを与えるわけにはいかなかったのだろう。

 

「いやいや、信用してなかったってわけじゃないんだ。ただまあ、有能な方だってことは知ってたからな。ちょっと警戒してただけなんだよ。」

 

言いながらルーピンの用意した椅子に座ったブラックに、今度は清めの魔法を私とフランの椅子に使っていたルーピンが質問を投げかける。気が利くじゃないか、ヨレヨレ。

 

「スコージファイ。……しかし、十二年間もアズカバンの生活によく耐えられたな。同じ場所に入れられたクラウチの息子は酷く衰弱して死んだと聞いているよ。哀れなもんだ。」

 

「……無理もないさ。あそこは本当に酷い場所だった。情けない話だが、もし事前に知っていれば必死になって無実を叫んでいただろう。私の想像よりもずっと酷かったんだ。」

 

フランとルーピンが心配そうに見つめる中、ブラックは絞り出すようにしてアズカバンでの生活を語り始めた。

 

「私が入れられたのは最厳重区画の一室だった。……要するに、部屋の前には常に吸魂鬼が居座っているような区画さ。自分の無実を知っていた私はそれを拠り所にして必死に耐えたんだ。そしてどうしようもなくなった時は……犬に変身したんだよ。正確な理由は分からないが、犬になっていると吸魂鬼の影響をさほど受けずに済んだのさ。」

 

「そっか。吸魂鬼は目が見えないもんね。変身したのが分かんないんだ。」

 

「その通り。脱獄にもそれを利用したんだよ。痩せ細った私は変身すればなんとか牢の隙間を抜けることが出来た。それからは板切れに掴まって海を渡り、犬のままでホグワーツまでたどり着いたってわけさ。……敷地を渡るときに連中のすぐ側を何度か通ったが、ついぞ気付かれることはなかったよ。」

 

「全然ダメじゃん、吸魂鬼。ポンコツだなぁ。」

 

呆れたようにため息を吐いたフランに同意するように、私とルーピンも大きく頷く。あの黒マントどもは現状ではただただ迷惑なだけだ。未だ何の役にも立っていないではないか。

 

まあ、これでブラックの山あり谷ありの『逃走劇』については概ね理解できたな。ルーピンもそれは同様だったらしく、話を纏めるように語り出した。

 

「つまり、君は新聞の写真でピーターを確認するとアズカバンを脱獄。そのままホグワーツへと一直線に向かい、一度グリフィンドール寮へと侵入を試みた後、諦めてここに潜んでたのか? ……太ったレディにはきちんと謝っておくべきだな。」

 

「あの時はちょっと……焦ってたんだよ。ピーターがノコノコ生きていると思うと居ても立ってもいられなかったんだ。まあ、その後は警備が厳重になったせいで迂闊に入れなくなってしまったがね。」

 

「私に連絡してくれなかったのは……無理もないか。私も君が守人だと思っていたからね。フランドールほど強くは信じられなかったよ。」

 

情けなさそうに俯いたルーピンに、ブラックが慌てて言葉を投げかける。

 

「そういうわけじゃない、ムーニー。私はむしろ校長を恐れていたんだ。君に連絡を取ろうとするのが見つかるんじゃないかってね。……校長やスカーレット女史の恐ろしさってのを、追われる立場になって初めて理解出来たよ。本当に脅威だった。」

 

「そうか……。私を許してくれるかい? パッドフット。十二年間も君を疑っていた私を。」

 

「当たり前だ、ふわふわの友よ。……むしろ、十二年前に君を疑っていたことを許して欲しい。君にも守人のことを相談すべきだったんだ。本当にすまなかった。」

 

「許すよ、肉球の友よ。君の責任じゃないし、君は充分に苦しんだだろう? 今はまた会えた幸運を祝おうじゃないか。」

 

言いながら立ち上がったルーピンは、シリウスと固いハグを交わした。素晴らしい友情ではないか。私はレミリアとハグなんかしたことがないぞ。……今度いきなりやってみようかな。ちょっと気持ち悪いが、驚く顔は見られるかもしれない。

 

私が次なる悪戯を考えているのを尻目に、今度は悲しそうに顔を俯かせているフランが口を開いた。

 

「私も謝らないとね。守人のことも、コゼットとアレックスのことも。私は全然役に立てなかった。全部に関わってるくせに、結局何にも出来ずに全部失敗しちゃったんだ。……馬鹿みたいだよ。」

 

おっと、これは良くないな。ポツリポツリと呟くフランに、慌てて慰めの言葉を放つ。

 

「フラン、それは違うぞ。キミがいなければ咲夜はどうなっていたんだい? 今回の件だって、元を正せばキミだけがブラックを信じていたから答えにたどり着けたんだろう? 役に立っていないだなんて言わないでくれ。」

 

「その通りだ。そもそも君がいなけりゃ私たちは六年生の時に死んでただろうさ。それに……私とジェームズはあの時君に全てを話さなかった。君に責任などない。断言しよう。」

 

「バートリ女史とシリウスの言う通りだよ、フランドール。授業で見るサクヤはとても幸せそうな顔をしている。私などがコゼットやアレックスの言葉を語るのはおこがましいかもしれないが、あの二人は君に感謝しているはずだ。それだけは確かだよ。」

 

どうやらフランの悲しむ姿を見たくないのはルーピンとブラックも同じだったらしい。口々に慰めてくる私たちを見て、フランは少しキョトンとした後に……おやおや、クスクス笑い始めたぞ。寂しそうだが、同時に柔らかさも感じる笑みだ。

 

「ふふ、ありがとう、みんな。……大丈夫だよ。私だっていつまでも引きずってられないのは分かってるもの。後悔してる暇があるなら、今やるべきことをやらないとね。」

 

フランが立ち直ったのを見てホッと息を吐いた三人の中から、ブラックが先んじて言葉を放った。

 

「そうだな。そして先に進むために重要な情報がある。……ピーターは生きているぞ。クルックシャンクスが言うには、負傷させたものの取り逃がしたとのことだった。無論どこかに逃げ去った可能性もあるが、傷を癒すためにホグワーツに隠れ潜んでいてもおかしくないはずだ。」

 

おおっと、それは確かに重要な情報だな。ペティグリューがどれだけ間抜けかは知らないが、少なくとも猫に食われるほどではなかったようだ。賭けは私の勝ちだな、レミリア。後で秘蔵のワインを請求するとしよう。

 

ブラックの言葉を受けて、真剣な表情に変わったルーピンが口を開く。

 

「だが、ピーターを探し出すのは至難の業だぞ。……ハリーには伝えた方が良いかもしれないな。ピーターが彼を狙ってくるとは思えないが、少なくとも存在くらいは知らせておくべきだ。彼には真実を知る権利がある。」

 

「……というか、ハリーを狙う可能性は本当にないのかい? キミたちは随分と確信を持っているようだが、一応はヴォルデモート側の人間なんだ。機会があれば殺そうとしてもおかしくはないんじゃないか?」

 

ハリーを殺せたなら、『ご主人様』への貢物としては最上のものになるだろう。運命の守り的にも微妙なラインだ。間接的にリドルが関わっている以上、殺せる可能性だってあるかもしれない。

 

首を傾げる私の問いかけに、フランとブラックが苦笑しながら答えた。ペティグリューが食われたかもしれないと言った時に見たのと同じ、困ったような感じの苦笑だ。

 

「んー、それはないよ。ピーターにそんな度胸があるとは思えないし、危険を冒すメリットがないと行動しないんじゃないかな。」

 

「ヴォルデモートが復活したと確信を持っているのならともかくとして、今の状況であいつがハリーを狙うことは有り得ませんよ。利がなければ行動しない男なんです、あいつは。」

 

うーむ、この三人はペティグリューのこともよく理解しているようだ。……確かに今ハリーを殺したところでなんの利益にもなるまい。リドルが『生きて』いることを知っているのは僅かな人間だけだし、復活を信じているようなバカどもは揃ってアズカバンの中なのだから。

 

「ふぅん? まあ、その辺の判断はキミたちに任せるよ。それよりもハリーにどう伝えるかだ。キミたち三人は同席したほうがいいだろうし、ロンにも真実を伝えてやった方がいいだろう。……となればハーマイオニーにもだな。一応は毛玉も関わってるわけだしね。」

 

どうせハリーとロンに話せばハーマイオニーにも伝わるのだ。それなら最初から纏めて話したほうが早かろう。私の言葉を受けて、ブラックはとある提案を放ってきた。

 

「それなら、クィディッチの最終戦の後に伝えるというのはどうでしょう? 晴れ舞台に余計な心配を持ち込むのは良くない。ハリーには万全な状態で試合に臨んで欲しいんです。」

 

「キミたちは本当にクィディッチが好きだね。……まあいいさ、それで調整しておこう。」

 

クィディッチがそこまで重要かはさて置き、時期としては悪くない選択だ。夏休みに入ればハリーはマグル界で監禁生活だし、その前に伝えておくのが正解だろう。

 

脳内で私が予定を組み立てている間に、フランがキラキラした笑顔で言葉を放つ。……嫌な予感がするな。『おねだり』する時の顔じゃないか。

 

「それじゃあさ、最終戦はみんなで観戦に行こうよ。パッドフットは変身すれば大丈夫でしょ? ……ムーニー、グリフィンドールって今勝てそうなの?」

 

「かなり僅差で競り合ってるから、それこそ最終戦で全てが決まることになるんじゃないかな。グリフィンドール、ハッフルパフ、スリザリンで団子状態だったはずだよ。」

 

「ふーん? ハリーには勝って欲しいけど、それだとハッフルパフも応援したいなぁ……。どうしよう、悩んじゃうよ。」

 

マズいな。ブラックは嬉しそうに頷いているし、フランはもう観戦に行く気になっているようだ。こうなれば私にはもう止められないぞ。止められないし、止めたくない。

 

日除け対策と、心配性の姉への連絡。……よし、ダンブルドアに丸投げしよう。何せ今年のあいつはあんまり頑張っていない。体調がどうとか言い訳をしていたが、ちょっとくらいは苦労すべきなのだ。

 

クィディッチの話に没頭し始めた三人を前に、アンネリーゼ・バートリは老人に全てを押し付けようと決意するのだった。

 



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小さな泥棒

 

 

「勝訴よ。バックビークは無罪を勝ち取ったわ。」

 

目の前で嬉しそうなハーマイオニーがそう言うのを、アンネリーゼ・バートリは呪文学のレポートに向き合いながら聞いていた。ハグリッドの小屋に行ってたのか? 道理で姿が見えなかったわけだ。

 

イースター休暇が間近に迫った日曜日の昼。グリフィンドールの談話室では生徒たちが必死に課題を終わらせようとしている。春の休暇を楽しむためにも、今のうちに『厄介事』を片付けておきたいらしい。どうせ休暇にも課題は出るだろうに、なんともご苦労なことじゃないか。現代版賽の河原だな。

 

とはいえ、課題は確かに存在しているのだ。吸血鬼にも平等に降りかかってきた災難に対処すべく、ハーマイオニーを抜いたいつもの五人でテーブルを占拠して挑みかかっていたところ、帰ってきた彼女が開口一番で裁判の勝利を伝えてきたのである。……ふむ、鳥馬はチキンカレーになるのを免れたか。ちょっと食べてみたかったんだが。

 

「無罪? ……やりましたね、ハーマイオニー先輩! きっと先輩が頑張ったお陰ですよ!」

 

「そうだな、ハグリッドも喜んでたろ?」

 

無邪気に喜ぶ咲夜と魔理沙に、ハーマイオニーもまた満面の笑みで返事を返す。……おやおや、ハリーとロンはしまったと言わんばかりの表情じゃないか。無理もあるまい。あの二人は喧嘩の余波で殆ど手伝えていなかったのだ。今の今まで忘れていた可能性すらあるぞ。

 

「ええ、とっても喜んでたわよ。四人で調べた判例をハグリッドが……というか、マーガトロイド先生が有効に使ってくれたらしいわ。ほら、これはお礼だって。」

 

予想通り、アリスはあの大男を上手く補佐できたらしい。……まあ、ハーマイオニーの努力もかなりの割合を占めているだろう。何たってふくろう三羽でないと運びきれないほどの判例を送っていたのだから。アリスの困った顔が目に浮かぶようだ。

 

ハーマイオニーが取り出した大量のロックケーキを見ながら、かなり気まずそうなハリーが口を開いた。

 

「あー……ごめん! ハーマイオニー。僕、クィディッチのことで頭がいっぱいで。裁判のことは全然手伝えなかったよ。本当にごめん。」

 

「いいわよ。リーゼたちに手伝ってもらえてたし、ハリーはハリーで忙しかったんでしょ? 勝ったんだからそれでいいじゃない。」

 

「うん……でも、任せっきりになっちゃったね。こんな大事なことを忘れるだなんて、我ながら情けないよ。」

 

ため息を吐きながら落ち込むハリーに対して、絶賛冷戦中のロンは……うーむ、酸素が足りなくなったグリンデローのようだ。口をパクパクさせて何かを言い淀んでいる。

 

そのまま地上に打ち上げられた水魔くんはハリーを見て、カッチカチのロックケーキを見て、ハーマイオニーを見ると……困ったように口をモニョモニョさせた後、結局ハリーに向かって言葉を放った。中々に面白い光景だ。内心の葛藤がよく表れているな。

 

「……ハリー、ハグリッドの所に行こうぜ。その、手伝えなかったのを謝りに。早い方がいいだろ?」

 

「そうだね、行こうか。」

 

そのまま立ち上がって談話室を出て行く二人を尻目に、ハーマイオニーが私のレポートを見ながら口を開く。ロンに関してはノーコメントを決め込むことにしたようだ。講和の日は未だ先か。

 

「あら、呪文学のレポートをやってたの?」

 

「その通り。……キミは当然終わらせてるんだろう? 見せておくれよ。『元気の出る呪文』のレポートで元気を失くしてたら本末転倒だぞ。」

 

「もう、仕方ないわね。丸写しはダメよ?」

 

「上手くやるさ。」

 

変身術、防衛術、魔法薬学の課題を全て無視している私にとっては、呪文学こそが一番の強敵なのだ。私の魔法に関する知識の出所は殆どがパチュリーで、そのパチュリーはどうやら『元気の出る呪文』などというものを重視しなかったらしい。こんなふざけた呪文を習った記憶はないぞ。

 

その他にも爪切り呪文やら窓拭き呪文やら、呪文学の内容は初見の呪文が非常に多い。ハーマイオニーの力を借りなければやってられん。どれだけ永く生きようと、こんな呪文を使うことは一生ないだろう。

 

女子寮へとレポートを取りに行った救いの女神を眺めていると、魔法薬学のレポートを完成させた魔理沙が話しかけてきた。……こいつ、性格に見合わぬ綺麗な字だな。魅魔はペン字講座で食ってけるんじゃないか?

 

「なあなあ、リーゼはホグワーツで一番ふかふかなソファって何処にあると思う? 二人掛けくらいの小さいやつでさ。」

 

「ふかふかなソファ? ……校長室かな。私の知る限りじゃ、あそこのが一番ふかふかだったはずだよ。」

 

「あー、校長室か。他には? もっとこう、誰でも入れるような場所にあるソファで心当たりはないか?」

 

「……そういえば、この前はハリーからクッションの在処を聞いてたね。何を企んでいるんだい?」

 

思い出したぞ。その時話題に上がった医務室のクッションは、見事に行方を眩ませてしまったはずだ。ポンフリーが双子を疑って問い詰めていたのを覚えている。……ひょっとして魔理沙が『拝借』したのか?

 

まさかクッションが一人で旅行に出るはずなどあるまい。ジト目で質問を返す私に、魔理沙は慌てて首を振りながら言い訳を放ってきた。

 

「ああいや、別に何かを企んでるわけじゃないぞ。単に気になっただけだ。他意はないぜ。」

 

うーむ、嘘くさい。そして咲夜が急にレポートに没頭し始めたのも気になるな。私は集中しているから聞こえません、と全身で表現しているようだ。……にしては、さっきから同じ場所でペンが動いてるぞ。

 

まあ、正直言ってちょっとした悪巧み程度なら煩く言うつもりはない。そういうのも一つの経験なのだ。フランや双子ほど積極的にやられるのは困るが、一切やらない『ハーマイオニー・パーシー路線』もそれはそれで心配になる。怒られて教訓を得るというのも大事だろう。

 

問い詰めるべきか、放置すべきか、はたまたひっそりと見守るべきか。悪戯娘たちを前に思い悩む私に、規律の守護天使どのが声を掛けてきた。いつの間にか女子寮から戻ってきていたようだ。

 

「お待たせ、リーゼ。これよ。」

 

「ありがとう、ハーマイ……いや、長すぎないか? フリットウィックが出した宿題は羊皮紙一巻きだったはずだよ?」

 

「色々書くことがあって、ちょびっとだけオーバーしちゃったのよね。」

 

「『ちょびっとだけ』?」

 

目の前の羊皮紙はどう見ても三巻き近くあるぞ。『ちょびっとだけ』にしては随分な迫力ではないか。……というか、これだと要約して写すのも一苦労だな。正攻法でやるのと労力的には大して変わらなさそうだ。

 

引きつった顔で羊皮紙を見つめる私に、ここぞとばかりに魔理沙が声を投げかける。

 

「おっと、それじゃあ私は自主練してくるぜ! 咲夜、ボール投げるのを手伝ってくれよ!」

 

「へ? えっと……行ってきます!」

 

すたこらさっさと逃げ出す魔理沙に続いて、ぺこりとお辞儀した咲夜もレポート片手に談話室を出て行った。ふむ、逃げられてしまったようだ。……今度透明になってこっそりついて行ってみるか? あるいは気配を探るのもいいかもしれない。

 

実際のところ、この城には『死なないギリギリ手前』くらいのものならいくつか存在しているのだ。暴れ柳、五階の底なし階段、地下牢の氷の部屋、三階のダストシュート。あとはまあ、禁じられた森とか、教員塔の惑わしの絵画とか。

 

二人とも要領のいい子だし、そこまで心配することじゃないとは思うが……ふむ、やっぱり気になるな。何せどっちも謎を見れば解かずにはいられないような子なのだ。好奇心の赴くままに突っ込んでいくのが想像できてしまう。

 

今度それとなく探ってみようと考えつつも、アンネリーゼ・バートリは『ちょびっとだけ』多いレポートに向き直るのだった。

 

 

─────

 

 

「よし、今日はここまでだ! 明日は朝練もあるから、死ぬ気で体を休めろよ!」

 

夕暮れの競技場に響くウッドの声を聞いて、霧雨魔理沙は疲れた足で歩き出した。イースター休暇は結局最終日まで『休暇』にならなかったな。休んだ記憶なんて全然ないぞ。

 

優勝の懸かった最終戦を目前に、ウッドの練習は熾烈を極めているのだ。グリフィンドール対スリザリン。スリザリンが二百十点以上で勝てばスリザリンの優勝、グリフィンドールが百八十点以上で勝てばグリフィンドールの優勝、それ以外ならハッフルパフの優勝となる。

 

そして今年卒業のウッドにとっては学生時代最後の試合だ。彼の『演説』に文句を言っていたチームメイトたちも、何だかんだで勝利で送り出してやりたいらしい。自然と練習にも気合が入っている。

 

もちろん私だって同じ気持ちだ。今日もハリーの仮想敵として必死にスニッチを追い続けていた。つまるところ、全員揃ってへっとへとなのである。足が鉛みたいだぞ。

 

「女子が先よ。覗いたら顔をクラゲにしてやるからね。」

 

アンジェリーナの脅しに男子たちが力なく頷くのを尻目に、女子四人組で先に更衣室へ入る。先日双子が『ちょっとした手違い』で片方の更衣室を使用不能にしてしまったため、順番での着替えとなっているのだ。

 

まあ、あの様子では覗くような元気もあるまい。双子は眠そうな目で座り込んでいるし、ハリーなんかは地面にべったりと寝そべっている。……死んでないよな?

 

そのまま更衣室に入り、疲れた体に鞭打ってノロノロと着替えを終えたところで……おや、ネズミだ。中央にあるベンチの上でネズミがチューチューと鳴いているのが見えてきた。

 

「ネズミが覗いてるぞ、アンジェリーナ。クラゲにしなくていいのか?」

 

「ネズミなんかに構う元気はないわよ。今度フィルチに言ってネズミ取りを設置してもらいましょ。……最近見なかったのに、また増えてきたのかしら?」

 

疲れ果てた私の声に、全く同じ声でアンジェリーナが返してくる。全くもってその通りだ。今の私たちに害獣駆除する余裕などない。ネズミを追うのは猫にでも……おい、こいつ!

 

「何だよ、馬鹿ネズミ!」

 

何なんだ、一体! いきなり飛びかかってきたネズミがローブのポケットに入り込んでしまった。うおお、妙な病気とか持ってないだろうな? 慌ててポケットをひっくり返すと、ネズミは必死な様子で何処かに走り去……ちょっと待て、古ぼけた羊皮紙を咥えているぞ。

 

「くそっ、待てよ! そのネズミを捕まえてくれ!」

 

言わずもがな、忍びの地図だ。身体に不釣り合いな獲物を口にしたネズミを、シャツのボタンを留めていないアリシアがキャッチしようとするが……ダメか。素早い動きで避けた害獣は、そのまま壁に空いた小さな穴の中へと消えて行く。フィルチのやつめ、だから修理しろって要望を出したのに。

 

「あちゃ、もう少しで届いたんだけど。……あの羊皮紙、大事な物だったの?」

 

「結構な。……ちくしょう、どっかに繋がってるみたいだ。何だってネズミなんかが羊皮紙を欲しがるんだよ。」

 

穴に手を突っ込みながらアリシアに言葉を返すと、ローブを着ていたケイティが杖を振って呼び寄せ呪文を唱えてくれた。

 

「アクシオ、マリサの羊皮紙。……ダメだわ。もう遠くまで行っちゃってるのかも。ごめんね、マリサ。」

 

「……いや、私が不注意だったんだ。すまんな、騒がせて。」

 

強がりを言ってはみたが、これは結構ショックだぞ。あの羊皮紙が無けりゃ深夜の散歩はできないし、安全に星見台に入るのも一苦労だ。……咲夜にも怒られちゃうな。

 

呆然とネズミが消えて行った穴を見つめながら、大きくため息を吐くのだった。

 

───

 

落ち込みつつも談話室に戻ると、咲夜はハーマイオニーと一緒に試験勉強の真っ最中のようだ。リーゼは……いないな。また夜の散歩か? 許可があるってのはズルいぜ。

 

「ちょっといいか? 咲夜。話があるんだ。」

 

「あら、お帰り、魔理沙。……いいけど、星見台のこと?」

 

後半を囁き声に変えた咲夜に頷いて、人気のない窓辺へと誘導する。二人で窓の桟に座り込みながら、先程起こった『窃盗事件』についての説明を始めた。

 

「さっき更衣室で着替えてた時にさ、地図を盗られちまったんだ。あー……その、ネズミに。」

 

言葉にしてみると馬鹿みたいな話だな。泥棒ネズミだなんて、寓話の世界観だぞ。かなり情けない顔で言う私に、咲夜はキョトンとしながら首を傾げる。

 

「ネズミに盗られた? それはまた、奇妙な話ね。」

 

「すまん。……怒ってるか?」

 

「いやまあ、あれは元々魔理沙の物なんだし、別に怒ってはいないけど……どうするの? もう星見台に行けないってこと?」

 

「夜はもう無理かもしれん。罰則やら減点は嫌だろ? 天文塔の辺りは人通りが少ないし、昼休みとかなら何とかなるかもだが。」

 

好きな時間に『秘密基地』に行けなくなるってのは結構なショックだ。折角ソファやらクッションやらを集めて設置したってのに。あれを『借りる』のだって一苦労だったんだが……。

 

申し訳なさげに言う私に、咲夜は苦笑しながら言葉を放った。

 

「まあ、仕方ないわよ。石は無事なんだし、別にもう入れなくなったわけじゃ……ちょっと待って、ヤバいわ。明日の変身術の課題、星見台に置きっ放しよ。」

 

急に焦り始めた咲夜の言葉を聞いて、私も頭を抱える。その通りだ。イースター休暇に出たクソ長い変身術のレポート。一昨日に星見台で完成直前まで書いた後、今日仕上げることにして置きっぱなしにしたんだった。練習のことで頭がいっぱいになって忘れてたぞ。

 

「朝に取り行けば……ああ、ダメか。明日も朝練があるんだ。ウッドの様子を見る限り、抜け出すのは不可能に近いぜ。」

 

「私だけで行ってきましょうか? ただ、そうなると朝の短時間で仕上げることになるわよ。……無理ね。絶対に無理。」

 

変身術は明日の一コマ目だ。完成直前といえども、咲夜の言う通りそんなに少ない時間で仕上げるのは不可能だろう。

 

「……よし、今行こう。外出禁止時間まではまだちょっとだけ余裕がある。ギリッギリ間に合うはずだ。」

 

「それしかないわね。そうと決まれば急ぎましょう。フィルチに見つかったら難癖つけられるに決まってるわ。この時間ならまだ見回りを始めてないでしょ?」

 

頷き合ってから、さっそく談話室の扉へ向かうが……おいおい、いきなりハーマイオニーに呼び止められてしまった。幸先悪いぜ。

 

「あら、二人とも。そろそろ外出禁止の時間に入るわよ? お出かけは明日にすべきね。」

 

「あーっと、更衣室に忘れ物をしちゃってな。大丈夫、すぐに戻ってくるぜ。」

 

「そう? 二人で行くなんて仲がいいのね。気をつけて行ってらっしゃい。」

 

さほど疑う様子もないハーマイオニーに返事を返して、扉を抜けて走り出す。薄暗い階段を駆け上っているところで、前を走る咲夜が問いを放ってきた。

 

「石はちゃんと持ってる?」

 

「おう、あるぜ。……そっちが持っておくか? 私は地図を失くしちゃったしな。」

 

石は交代交代で持っておくことにしているのだが、この分なら咲夜が持っておいた方がいいかもしれない。伺うように提案してみれば、咲夜は苦笑混じりの答えを返してくる。

 

「あのね、さすがに気にし過ぎよ。そのまま持っといて頂戴。今なら油断がない分、私より安全でしょ。」

 

「……ん、わかった。」

 

若干気を遣わせてしまったらしい。頭を掻きながら厄介な仕掛け階段を上りきると、見慣れた天文塔の螺旋階段が見えてきた。

 

「誰もいない、よな?」

 

「多分ね。そもそもまだ外出禁止時間じゃないわ。誰かに何か言われてもそう返せばいいのよ。」

 

「そりゃそうだ。その言い訳が通じるうちに急ごうぜ。」

 

言い放って、今度は螺旋階段をひたすら上る。……練習の後にこれはキツいな。この後宿題を仕上げなきゃと思うとうんざりしてくるぞ。面倒くさがらずに一昨日終わらせとけばよかった。

 

次からは真面目に宿題をしようと人生何度目かの決心をしたところで、ようやく星見台の入り口へと到着した。他に人は……よしよし、居ないな。

 

「魔理沙、早く。」

 

「おう、任せとけ。」

 

急かす咲夜に従って窪みへと石を嵌め込み、現れたドアへと飛び込んだ。そしてそのまま今度は隠し階段を駆け下りる。上りの次は下りか。いい筋トレになるぜ、まったく。

 

一番下のドアを押し開けると、見慣れた星見台の風景が見えてきた。……名残惜しいが、今日はゆっくり星を観ている時間はないのだ。持ち込んだティーテーブルに置いてあった羊皮紙を手に取ると、咲夜と頷き合って再び走り出す。

 

「これだと間に合いそうだな。」

 

「そうね、談話室に帰ったらすぐ仕上げちゃいましょう。ハーマイオニー先輩が戻し呪文の失敗例を知ってればすぐに終わりそうなんだけど……。」

 

「絶対に知ってるさ。ハーマイオニーの知らないことが一年生の課題で出るはずないだろ?」

 

内側から隠し扉を開いて、踊り場を抜けて螺旋階段を下り始める。多少余裕が出てきたせいで、歩調を緩めながら下まで到達したところで……おおう、びっくりしたぞ。いきなり廊下の向こうから声をかけられた。

 

「こんばんは。君たちは……確かグリフィンドールの一年生でしたね。こんな所で何をしているのですか?」

 

ラデュッセルだ。いつもの胡散臭い笑みを浮かべて、私たちに歩み寄ってくる。硬直して言い淀んでいる咲夜に代わり、こっちも笑みの仮面を被りながら口を開いた。……位置的に隠し部屋を出るのは見られてないはずだ。

 

「こりゃどーも。落し物をしちまってな。天文台で昼メシを食った時に落としたのかと思って探しに来たんだよ。もう帰るとこだ。」

 

「おや、それは大変ですね。落し物は見つかりましたか? 良ければ手伝いますよ?」

 

「いやいや、それには及ばんぜ。ちゃんと見つかったからな。……ほら、行こうぜ、咲夜。」

 

咲夜の手を取って歩き出そうとするが……おいおい、何のつもりだ? ラデュッセルは行く手を阻むように立ち塞がる。

 

「ああ、少し待ってください。よく考えれば……そろそろ外出禁止の時間ですね。もう暗くなってきましたし、私が一緒なら教員の方々に説明するのも容易い。談話室まで送りましょう。」

 

「……結構だ。あんたには仕事があるんだろ? 迷惑かけるわけにはいかないさ。」

 

「そんなことは気にしないでください。大人として放っておくわけにはいきません。ほら、行きましょう。」

 

ニコニコ顔でラデュッセルは急かしてくるが……私たちはこいつが壁をぶん殴ってるところを見ているのだ。はいそうですねとついて行く気分にはなれない。

 

なんとか言い訳を捻り出そうと思考を回していると、意外なところから助けの言葉が飛んできた。

 

「おや、これはこれは。なかなか珍しい面子じゃないか。……ごきげんよう、ラデュッセル刑務官。私の後輩が世話になっているみたいだね。」

 

薄暗い廊下の先から歩いて来たのは、見慣れた黒髪の吸血鬼だ。安心すると同時に、隣の咲夜がびくりと震えるのを感じる。……あー、そういえばこいつ、リーゼにだけはバレたくないって言ってたっけ。

 

真っ青になってプルプルし始めた咲夜を他所に、キツネとコウモリの会話は続く。どっちも胡散臭さじゃ負けてないな。ニコニコとニヤニヤで睨み合ってるぞ。

 

「どうも、ミス・バートリ。何やら困っているようでしたので、声をかけてみたんです。ほら、もう外出禁止の時間が近いでしょう? 何か『間違い』があったらいけないと思いまして。」

 

「お気遣い痛み入るよ、刑務官。だがまあ、その心配は不要だ。私がきちんと送り帰そうじゃないか。吸血鬼が一緒なら夕闇など些細な問題さ。」

 

「……そうですか、それならお任せしましょう。私はこれで失礼します。どうぞお気をつけて。」

 

仮面の笑みを浮かべたままで歩み去るラデュッセルを見ながら、リーゼが私たちに声をかけてきた。……今気付いたが、彼女の足元にはハーマイオニーの猫がいる。吸血鬼が猫と一緒にお散歩か? なんとも奇妙な絵面だぜ。

 

「さて、談話室に戻ろうか。私が言えたことじゃないが、夜の出歩きは危険だよ。ホグワーツには色々な顔があるんだ。夜にしか見せない顔もあるのさ。」

 

「あの……私、申し訳ありません、リーゼお嬢様。」

 

大きく頭を下げながら言う咲夜に、リーゼは苦笑しながら言葉を放つ。怒ってる感じじゃないな。むしろちょっと困っているような感じだ。

 

「謝る必要はないよ、咲夜。キミと魔理沙がちょくちょく『お散歩』をしてたのには気付いてたしね。……レミィなら止めるだろうが、私としてはそういう経験も大事だと思うよ。」

 

「えっと……知ってたんですか。」

 

「まぁね。だからまあ、怒ったりはしないが……そうだな、もう少し上手くやりたまえ。誰かに見つかるようじゃまだまだだよ。」

 

「はい!」

 

話が分かるヤツじゃないか。大きく頷いた咲夜の頭を撫でてから、リーゼは談話室に向かって歩き出した。私たちがその背に続くのと同じように、クルックシャンクスもブラシのような尻尾をピンと立ててついてくる。結構仲がいいのか? こいつら。

 

「なあ、クルックシャンクスと何をしてたんだ? この猫がうろつくとロンが怒らないか?」

 

歩きながら問うてみれば、リーゼはニヤリと笑いながら返事を返してきた。

 

「んふふ、一緒に狩りを楽しんでたのさ。……ま、獲物は姿を見せなかったけどね。このままだと時間切れかな。」

 

「獲物? おいおい、物騒だな。」

 

「大したことじゃないよ。詳しくはクィディッチの最終戦の後で話してあげよう。……キミたちに秘密があるように、私にも『ちょびっとだけ』秘密があるのさ。」

 

「吸血鬼の秘密かよ。……聞かない方がよさそうだな。」

 

どうせロクなことじゃあるまい。好奇心は多少疼くが、今は私も手一杯なのだ。最終戦の後で教えてくれるならそれを待つのが一番だろう。

 

クスクス笑う吸血鬼の背に続いて、霧雨魔理沙は薄暗い廊下を歩き続けるのだった。

 



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競技場へと

さすがに長すぎたので次話と分割しました。


 

 

「なんでちゃんと問い詰めなかったのよ! ああ、咲夜が不良になっちゃうわ! ピアスとか、革ジャンとか、真っ赤な髪とか……いや、真っ赤な髪は悪くないわね。普通にカッコいいじゃないの。」

 

校長室に響くレミリアの声を聞きながら、アンネリーゼ・バートリはうんざりしたように首を振っていた。親バカめ。

 

クィディッチの最終戦が行われる直前、校長室の『吸血鬼密度』はかつてない高さになっている。つまり、私、レミリア、フランが勢揃いしているのだ。この光景をカドガンあたりが見れば卒倒しそうだな。悪しき闇の眷属がひしめいてるぞ。

 

ちなみにダンブルドアはルーピンと一緒にブラックを迎えに行き、マクゴナガルはレミリアとフランのために観客席の日除けを準備、スネイプは……そういえば見てないな。また逃げたか? 煮え切らない陰気男は、未だにフランと会うのが怖いようだ。

 

フランはともかくとしてレミリアが何故来ているかといえば、ハリーたちへの説明に箔をつけるためである。肝心のネズミ抜きでもこの面子なら信じざるを得まい。特にロンなんかには効果覿面だろう。親が二人とも『コウモリ信者』なのだから。

 

そんな中、待機中の私たちの話題は先日咲夜が魔理沙と『お散歩』していたことの話になったのだ。レミリアは私が深く追求しなかったことが面白くないらしい。ぷんすか怒りながら翼を暴れさせている。

 

「キミね、私は咲夜が真っ赤な髪になるなんて嫌だぞ。それに、せっかく秘密を共有できるような友人が出来たんだ。根掘り葉掘り聞くのは締めつけすぎってもんだろう?」

 

ソファの背凭れに身体を預けながら言ってやれば、レミリアはビシリと私を指差して言葉を放ってきた。ドヤ顔なのが非常にイラつくな。

 

「はい出た、子供の声無きサインを見過ごすバカ親の特徴! そういう子供への無関心が不良への第一歩なのよ! 放任主義はいけないわ。子育て本にもそう書いてあったもの。」

 

「キミ、子育て本なんか読んでるのかい? 吸血鬼が子育て本? ……悪夢だな。スカーレット卿も地獄の底で悲しんでるよ。」

 

お前は一体どこに向かってるんだ、レミリア・スカーレット。呆れてため息を吐く私に代わり、カゴから出した不死鳥を撫でていたフランが口を開く。熱くないのか? それ。

 

「んー、私はリーゼお姉様に賛成かなぁ。折角ホグワーツに入学したなら夜の探検はやらないと損だよ。それが一番のメインイベントなんだから。」

 

「貴女たちと違って、咲夜はまだ人間なの! 寝不足で病気にでもなっちゃったらどうするのよ。ああもう、心配だわ!」

 

「もう、レミリアお姉様は心配しすぎ。私がそうだったみたいに、咲夜には咲夜の学生生活があるんだから。もっと自由にやらせてあげなよ。……あれ、眠いの? フォークス。」

 

覗き込みながらフランが話しかけると、不死鳥は甘えるように一声鳴いてフランの手にその身を擦りつけ始めた。……この焼き鳥め。私やレミリアには寄りつきもしないくせに、フランには随分と甘えているじゃないか。邪悪な吸血鬼はお嫌いらしいな。

 

フランがぶりっ子焼き鳥をカゴに戻すのを横目に、愛しい妹から反論されてちょっと項垂れているレミリアへと声をかける。

 

「親ってのは本当に危ない時だけ前に出るべきなのさ。何でもかんでも管理下に置くんじゃ、それはもうペットと変わらないだろう? 咲夜をもっと信じてやりなよ。」

 

「そりゃあ信じてるけど……でも、万が一何かあったらどうするのよ? その時は躊躇する気はないからね。」

 

「そりゃそうだ。そうなったら私たちで対処すればいい。大抵のことは解決できるさ。」

 

いくらなんでもそんな事にはならないだろうが、仮に魔法省が丸ごと敵に回ったって問題なかろう。現在の紅魔館の戦力は並ではないのだ。肩を竦めて言い放つと、レミリアは不承不承という感じで頷いた。

 

「……うー、わかったわよ。」

 

ようやく納得したか。コイツは咲夜のことになると本当に面倒くさくなるな。フランと顔を見合わせて苦笑したところで……入り口のガーゴイル像が動き出す音と共に、階段を下る一人分の足音が聞こえてくる。タン、タン、タン。なんとも規則正しい足音じゃないか。

 

「クソ真面目な足音……マクゴナガルだね。」

 

「ってことは、準備が終わったのかしら? フラン、日焼け止めは塗った? 翼にもちゃんと塗るのよ?」

 

「塗ったってば。それ聞くの五回目だよ、お姉様。」

 

私の予想だとあと五回は聞くぞ。痴呆症の吸血鬼が確認を終えたところで、予想通りにマクゴナガルが入室してきた。いつにも増してキッチリした服装だ。こいつも最終戦に向けて気合を入れているらしい。

 

「お待たせしました。日除けの準備は終わりましたので、そろそろ移動をお願いいたします。」

 

「リーマスとシリウスは? もう着いてる?」

 

「ええ、着いていますよ、フランドール。残念ながらブラックは変身したままですが、千切れんばかりに尻尾を振っていました。余程に楽しみなようですね。」

 

「私も楽しみだよ。ハリーは良いシーカーなんでしょ? ……うーん、でも、ハッフルパフの優勝も懸かってるんだよね。どう応援しようか迷うなぁ。」

 

ドアに向かいながら悩み始めたフランに、先導しているマクゴナガルが苦笑を返す。

 

「私としては是非ともグリフィンドールを応援して欲しいですね。三連覇だなんて……何年振りかしら。」

 

「それこそジェームズの頃以来なんじゃない? あの時のマクゴナガル先生ったら、号泣して喜んでたもんね。……実はみんなちょっと引いてたんだってよ。シリウスが言ってたもん。」

 

「もう、フランドール! 余計なことは言わなくていいんです!」

 

「ふふ、ごめんごめん。それじゃ、お詫びに今日はグリフィンドールを応援するよ。ハリーがスニッチを取るのは見たいしね。」

 

マクゴナガルがクィディッチ狂なのは昔からか。フランとマクゴナガルの会話を聞きながらガーゴイル像を抜けたところで、今度は私がマクゴナガルに問いかけを放った。

 

「そういえば、私はどっちで観るんだい?」

 

日除け付きな貴賓席の方が快適なのは間違いあるまい。椅子もいいのが置いてあるだろうし。……とはいえ、私がいなければハーマイオニーとロンが二人になってしまう。未だ冷戦の続く二人を一緒にするのは賢い選択とは言えないはずだ。

 

「お好きな方で構いませんが……そうですね、出来ればグリフィンドールの観客席で観てくれますか? 試合が終わったらウィーズリーとグレンジャーを連れてきてもらえると助かります。」

 

「ああ、そういえば二人も呼び出さないとだったか。それじゃ、そうしよう。」

 

適当にレミリアに呼ばれたとでも言って連れてくればいいだろう。私が同意の返事を返したところで、レミリアが思い出したように言葉を放った。

 

「ちょっと待って、咲夜はこっちでしょ? 当然そうよね?」

 

「キミはさっきの会話をもう忘れたのかい? 咲夜の好きなようにさせたまえよ。そっちで観たいならそう言うだろうし、グリフィンドールの観客席で友達と観たいのならそうするだろうさ。」

 

別にあの子の友達は魔理沙だけではないのだ。これまでの試合はルームメイトたちと一緒に魔理沙を応援してたし、今回もそうするかもしれない。あの子の社交性はパチュリーより格上で、アリスより若干下。要するに普通レベルなのだ。

 

「ぬぅ、それはそうだけど……。」

 

子離れ出来ない吸血鬼が曖昧な返事を口にしたところで、私は談話室の方へと道を変える。めんどくさい親バカの相手はマクゴナガルとフランに任せよう。時は金なり、だ。

 

「それじゃ、私は談話室に行くよ。また後で会おう。」

 

「はい、また後ほど。」

 

「リーゼお姉様もちゃんとハリーを応援してあげてね。」

 

「咲夜がそっちにいたら私が貴賓席にいるって伝えてよね!」

 

三者三様の返事を背に受けながら階段を上り、グリフィンドールの談話室の前へとたどり着くと……なんだそれは。寮生たちが信じられない程に巨大な横断幕を運び出しているのが見えてきた。見てると遠近感が狂いそうだぞ。

 

ここから見えているだけでも十メートルはありそうな真紅の横断幕は、どうやら談話室の中にまで続いているらしい。端っこが扉の蝶番に引っかかってしまったようで、寮生たちがわいわい騒ぎながら弄っている。小人が布に群がってるみたいで非常に滑稽だ。

 

「あ、リーゼ! 手伝ってくれよ! みんなで作ったんだけど、運び出すのに一苦労なんだ。どうも引っかかっちまったみたいでさ。」

 

「重すぎて広がらないと思うよ、これは。……それにほら、ロングボトムが潰れて死にかけてるぞ。」

 

「へ? ……ネビル! 大丈夫か!」

 

声をかけてきたロンが慌てて圧殺されかかっているロングボトムの救出に向かったところで、邪魔くさい殺人横断幕を押し退けて談話室へと入り込む。こんなもんを運ぶのは御免だ。私までバカの仲間だと思われてしまうだろうが。

 

スリザリンのバジリスクよりも長い横断幕は、予想通り談話室の中にまで続いていた。必死に運び出している寮生たちを横目に奥へ奥へと歩いて行くと……最後尾のあたりで横断幕を持っているハーマイオニーと咲夜が見えてくる。私は悲しいぞ、咲夜。キミまでこんなことに付き合っているのか。

 

「やあ、二人とも。面倒なんだったら私が火を点けてやろうか? 一瞬で解決するよ?」

 

「ダメに決まってるでしょ。ウッドのためにって、上級生たちが中心になって頑張って作ったのよ。チーム全員の名前が入ってる横断幕が燃えカスになったら幸先悪すぎるわ。」

 

「魔理沙の名前は私も手伝いました! 縫った後に、みんなで肥らせ呪文を使ったんです!」

 

どうやらこの横断幕をやり過ぎだと思っているのは私だけのようだ。まあ……確かにウッドの最後の試合が敗北ってのは哀れすぎるか。クィディッチに魂を捧げた結果がそれでは報われまい。悪魔だって同情するような事態だぞ。

 

「ほら、リーゼも手伝ってよ。……先頭は何をしてるのかしら。全然進まないじゃないの。」

 

「出口のところで引っかかってたみたいだよ。グリフィンドール生たちはもっと計画性ってものを学ぶべきだね。競技場まで運んだ後に、そこで肥らせ呪文を使うべきだったのさ。」

 

この寮に足りないのは正にそれだな。仕方なしに横断幕を手に取ったところで、パーシーの大声が談話室に木霊した。……うーむ、やっぱりアイツは柔らかくなったな。以前ならこういう騒ぎを止める側だったんだが、今じゃ指揮を執る有様だ。

 

「よし、みんな! 浮遊呪文で一気に運ぶぞ! 杖を構えて一斉に唱えるんだ!」

 

どうやら試合前だってのにグリフィンドールの団結力は頂点に達したらしい。一斉に杖を構えた寮生たちは、パーシーの合図で横断幕へと呪文を放つ。

 

「今だ! ウィンガーディアム・レヴィオーサ!」

 

重なり合った呪文の声と共に、ふわり横断幕が浮かび上がる。実に感動的な光景じゃないか。やってることがもうちょっとマシなら尚良かった。なんだってこう、変なところで団結力を発揮するのやら。

 

「いいぞ、戦士たちよ! 勝利をその手に! いざ進め!」

 

開きっぱなしの扉の裏から馬鹿騎士のはしゃぎ声が聞こえるのを尻目に、少しだけ呆れたため息を吐くのだった。早く戻ってきてくれ、レディ。理性的なキミが懐かしいよ。

 

───

 

そのまま応援席まで運び込まれた横断幕は上級生たちの魔法によって広げられ、ついにその全貌を表した。……認めよう、確かに迫力がある。これに比べればスリザリンの横断幕など緑の布切れにしか見えまい。

 

両端にはブラッジャーを噛み砕く獅子の姿が、そしてその間には煌めく金の糸で刺繍された選手たちの姿がある。当然ながら中央には優勝杯を手にしたウッドだ。……ふむ、ここだけはリアリティがないな。本当に優勝杯を手にしたならあいつは立ってなどいられまい。パタリと気絶するはずだ。

 

「これで負けたら恥ずかしすぎるぞ。逆にプレッシャーになりやしないか?」

 

支えのポールを設置しているパーシーを見ながら言うと、中列に席を確保したハーマイオニーが返事を返してきた。

 

「大丈夫よ、選手たちはきっと慣れてるわ。それに、一年生の時の『ポッターを大統領に』よりかはマシでしょ。……あら、貴賓席に天幕があるわね。あれじゃ観づらいんじゃないかしら?」

 

「ああ、あれはレミリアが来てるからだよ。彼女は日光がお嫌いでね。私と違って、貧弱吸血鬼なのさ。」

 

「レミリア・スカーレットさんが来てるの? 凄いじゃない。そりゃあ対応も丁寧になるわけね。ルシウス・マルフォイなんかとは格が違うわ。」

 

まあ、あの時は天幕なんてなかったからな。ナチュラルに親マルフォイを貶すハーマイオニーに苦笑しつつも、隣で驚いた顔をしている咲夜へと耳打ちを送る。一応伝えておいた方が良かろう。

 

「キミも向こうで観たいなら行っといで。フランも来てるよ。」

 

「妹様もですか? ……とりあえず、ご挨拶してきます!」

 

「気をつけて行くんだよ。」

 

「はい!」

 

元気よく城への階段を駆け下りて行く咲夜を見送ったところで、フーチがグラウンドの中央へと歩いて来た。ボールの詰まったトランクを持っているところを見るに、そろそろ試合が始まるようだ。

 

「いよいよね。」

 

ハーマイオニーが喉を鳴らしながら言うと同時に、私を挟んだ彼女とは逆側にロンが座り込む。微妙な沈黙が場を包むが……私のため息混じりの声がそれを破った。

 

「今だけは喧嘩を忘れる。……それでどうだい? ハリーのためにもそうしようじゃないか。」

 

両側を交互に見ながら言う私に、それぞれが曖昧な頷きを放ってくる。もう本当は仲直りしたいんだろうに。素直じゃないヤツらめ。

 

「……そうね。ハリーのためよ。」

 

「……うん、ハリーのためだ。」

 

うーん、ムズムズするぞ。もどかしいような、こそばゆいような、何だかちょっと微妙な感じだ。後数年も経てば色々と変わってくるのだろうか? 大人への階段はまだまだ高いな。

 

ぎこちなく見つめ合う二人を横目にしながら、アンネリーゼ・バートリはフーチのホイッスルを待つのだった。

 



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クィディッチ・ファイナル

 

 

「では、私は実況席の方へ行ってまいります。是非とも楽しんでいってください。」

 

一礼しながら言ってきたマクゴナガルに頷きを返して、レミリア・スカーレットは競技場へと向き直った。咲夜が全然来ないな。リーゼはちゃんと伝えたのか?

 

貴賓席の天幕の下には、他にもフラン、ルーピン、ブラックが居る。本当はここにダンブルドアも追加される予定だったのだが、ウィゼンガモットから連絡があるとのことで校長室に戻ってしまった。直接大法廷からということは……アズカバン関係だろうか? 何にせよご苦労なことだ。老人が老人の相手とは、世も末だな。

 

広いグラウンドと、両端に設置されている計六本のゴール。うーむ、フランが観るというから私も来てみたものの、ルールが分からない以上はあんまり楽しめなさそうだ。リーゼによれば頗る複雑なルールらしいし。……いやまあ、ルールくらいは覚えておくべきか。ワールドカップが始まれば各国との外交のために嫌でも観ることになるのだ。そこで何にも知らないってのは恥ずかしすぎるぞ。

 

事務的な理由で集中し始めた私を他所に、フランは素直に楽しんでいるようだ。今もでかい犬コロと一緒に日向ギリギリまで身を乗り出している。……フランはともかく、お前が落ちても助けないからな、ブラック。

 

というか、杖は何処に隠しているのだろうか? ダンブルドアから予備のを渡されたはずなのだが……。そういえばマクゴナガルも猫に変身した時は杖がどっかにいっちゃうし、洋服なんかと一緒に一体化しているのかもしれない。実に不思議だ。動物もどきってのは謎が盛りだくさんだな。

 

バタバタと忙しなく振られる尻尾を見ながら考えていると、ルーピンが隣に座って話しかけてきた。

 

「フーチ先生が位置に就きましたから、そろそろ選手が入場してくるはずです。そしたら中央で両チームが挨拶をした後、ボールが放たれて試合開始ですよ。」

 

「あら、解説してくれるのかしら?」

 

「ご迷惑でなければ、ですが。随分と退屈そうにしてらしたので。」

 

「助かるわ。ルールがさっぱりなのよね。夏のためにも少しは覚えておかなくっちゃ。」

 

こいつは苦労人タイプだな。フランしかり、ブラックしかり、そしてリーゼしかり。誰かを振り回すヤツの側には苦労するヤツがいるものなのだ。よく分かるぞ、ルーピン。

 

私がヨレヨレローブに同情し始めたところで、赤と緑のユニフォームを着た選手たちが入場してくる。途端に盛り上がる生徒たちの歓声に応えるように、選手たちは手を振りながら中央に集まった。……いや、物凄い表情で睨み合ってるぞ。あれがかの有名な獅子寮と蛇寮の確執というわけだ。

 

そのまま『平和的』に握手を終えた選手たちは、グラウンドの各所に散らばり始める。箒片手にテクテク歩いてるのがちょっと間抜けだな。飛んで移動するのはルール違反なのだろうか?

 

「ほら、あの位置にいるのがハリーですよ。それぞれのポジションに就いた後、試合開始と同時に一斉に飛び上がるんです。シーカーは……ご存知ですか?」

 

「スニッチを取って、試合を終わらせる役でしょ? さすがにそのくらいは知ってるわ。……それで、反対側の同じ位置にいるのがマルフォイの息子ってわけね。どっちも父親そっくりじゃない。」

 

気取ったような金髪をもうちょっと長くすれば完璧だ。しかし……随分と体格差があるじゃないか。グリフィンドールがどちらかというと細身の選手ばかりなのに対して、スリザリンは体格の良いのが揃っている。殴り合いが禁じられていないとすれば、スリザリンの方に多少の分がありそうだ。

 

そしてどうやらフランもそこに目をつけたらしい。ハリーに向かってきゃーきゃー言うのを止めて、隣で興奮している犬へと話しかけ始めた。あの犬コロは自分の贈った箒をハリーが持っているのが嬉しくて堪らないようだ。尻尾が千切れて吹っ飛んでいきそうになっている。

 

「うーん、チェイサーはあっちの方が強そうだねぇ。……ちょっと、パッドフット。ワンワン言われてもわかんないよ。頷くとかで返事してよね。」

 

何をしているんだ、フラン。嘆かわしいことに我が妹が犬との漫才を始めたところで……おっと、競技場に実況の声が木霊した。何というか、場末のコメディアンのような口調だ。昔『てれびじょん』で見たことがあるぞ。

 

『さあ、いよいよ始まるグリフィンドール対スリザリンの今学期最終戦! グリフィンドールからはポッター、ベル、ジョンソン、スピネット、ウィーズリー、ウィーズリー、そしてウッド! 何年かに一度のベストチームだと広く認められています!』

 

「これをやってるのも学生なのよね?」

 

「ええ、そうです。グリフィンドールのリー・ジョーダンという子がここ数年の実況を担当しているみたいですね。結構上手いですよ。」

 

ルーピンが私の疑問に答えを寄越してくれている間にも、軽快な声の実況は進む。確かに上手いな。盛り上げるにはもってこいのテンポだ。

 

『そしてフリント率いるスリザリンからはマルフォイ、ワリントン、モンタギュー、デリック、ボール、ブレッチリー。……スリザリンはメンバーを多少入れ替えてきました。腕前よりデカさを狙ったようです!』

 

『ジョーダン! 余計なことを付け足さないように!』

 

うーむ……巧拙はともかくとして、どうやら公平な実況とはいかないようだ。途端にスリザリンの観客席から大きなブーイングが起こるが、それに実況が反応する前にホイッスルの音が響き渡った。同時にトランクから出たボールが空高く吹っ飛んでいく。

 

『試合開始! 選手たちが一斉に飛び上がり、最初にクアッフルを取ったのは……グリフィンドールだ! いいぞ、アリシア! アリシア・スピネット選手がゴールへ向かって一直線に……ダメか。クアッフルはワリントンの手に渡りました。さあ、今度はワリントンがカウンター気味に攻めますが……おっと、これは痛い! ウィーズリーの打ち込んだブラッジャーでこれを取り落とす! あー、どっちのウィーズリーかは不明です。零れ落ちたクアッフルはジョンソンに! そしてそのまま……ゴール! グリフィンドール先制点!』

 

ううむ、展開が早すぎないか? 慌ただしすぎてよく分からんが、とにかくグリフィンドールが先制点を得たようだ。隣のルーピンにブラッジャーが何なのかを聞こうとしたところで……おお、スリザリンの選手がゴールを決めたグリフィンドールの選手に突っ込んでいったぞ。タックルもアリなのか。

 

「ああやって箒から落とすのもアリなの? ……それと、ウィーズリーのとこの息子が棍棒を投げつけてるけど。結構危険なスポーツなのね。」

 

「あー……どっちも反則ですよ。ほら、ペナルティを受けてるでしょう? 棍棒を投げたのはタックルへの報復ですね。」

 

「……泥仕合になりそうだってのは何となく分かったわ。」

 

どうやらペナルティというのはフリースローのことらしい。タックルを食らったグリフィンドールの女性選手が見事にそれを決めた後、今度は棍棒と激突したスリザリンの選手が逆側のゴールの前に進み出た。

 

『さあ、次はフリントのフリースローです! ウッドは優秀なキーパーですから、これを決めるのは難しいでしょう。難しいはずです。難しいに違いない。彼なら必ず止めてくれる、私はそう信じて……嘘だろ? 信じられないぜ! ウッドが見事にゴールを守った! これでグリフィンドールが二十点リード!』

 

あれは確かに凄い。逆さまになりながらゴールを守ったキーパーに、観客席から歓声が投げかけられる。特にグリフィンドールの応援席なんかは凄まじい大きさの横断幕をぐわんぐわん靡かせてはしゃいでいるようだ。

 

ふむ、いい横断幕じゃないか。真紅ってのが実に素晴らしい。寮のシンボルカラーを紅に決めたことといい、ゴドリック・グリフィンドールという男は他の創始者三人よりもセンスがあったようだ。……肖像画だと見た目が一番バカっぽいのは問題だが。

 

「いや、物凄い横断幕ですね。私たちが学生時代に作ったものを思い出しますよ。」

 

苦笑いで言うルーピンに、首を傾げながら質問を放つ。

 

「貴方たちも同じようなのを作ったの? 伝統なのかしら?」

 

「伝統ってわけではありませんが、七年生の時にジェームズのために作ったんです。まあ……その時はハッフルパフとの試合だったので、フランドールとコゼットが呪いをかけて横断幕の文字を変えてしまったんですけどね。『チェームス・ポッツァー』に。」

 

「ホントはもっと別の文字に変えようとしてたんだけどね。シリウスが邪魔するから変になっちゃったんだよ。」

 

ルーピンの言葉を聞いて、試合に夢中のフランが背中越しに訂正を送ってきた。……何ともまあ、バカバカしい話ではないか。今も昔も生徒たちのクィディッチへ注ぐ情熱は変わっていないらしい。

 

───

 

そのまま試合が続いて二十分も経った頃、いきなりフランが競技場の方へと身を乗り出し始めた。……危ないじゃないか! 日光ギリギリだぞ、そこは。

 

「フラン、もうちょっと下がりなさい! ジュージューしちゃうわよ!」

 

「もう、子供じゃないんだから平気だってば。赤ちゃんじゃあるまいし、『ジュージューしちゃう』はやめてよね。」

 

「反抗期? 反抗期なの?」

 

「反抗期はもう終わったの! それより試合! 多分ハリーがスニッチを見つけたんだよ。見てよ、あの顔。ジェームズそっくり。」

 

そんなこと言われたって私には分からんぞ。……とはいえ、残りの二人には理解できる言葉だったようだ。ルーピンは懐かしそうに顔を綻ばせているし、ブラックは狂ったように尻尾を振っている。ここまで振りっぱなしだったが、筋肉痛とかにならないのだろうか?

 

『──のタックルを避けたケイティがそのままパスを……おっと、シーカー二人が動いています! ハリーが急上昇して、マルフォイがその背に続いている! どうやらスニッチを見つけたようです!』

 

実況と共に盛り上がる観客席の声を聞きながら、件のハリーの方へと目をやってみれば……んー、あれがスニッチか? 小さな金色の虫みたいなのが彼の前をビュンビュン飛んでいるのが見えてきた。

 

「今取ったらどこが優勝なの?」

 

残り十メートルほどか。追いかけっこをする生き残った男の子を見ながら聞いてみると、ルーピンもハリーから目を離さずに答えてくれる。

 

「60-40なので、グリフィンドールです。ハリーもそれが分かっているんでしょう。あれは本気で取りに行ってますよ。」

 

ってことは、本気で取りに行かない可能性ってのもあったわけだ。……よく分からんな。私の予想以上に複雑な競技らしい。帰ったらパチュリーの図書館からルールブックでも借りてみるか。

 

あんまり盛り上がっていない私を他所に、もはや競技場は怒号に近い歓声で包まれている。それを聞いているのかいないのか。ハリーは一直線にスニッチへと飛び続けて、右手をゆっくりと前に伸ばす。

 

「んー……やった! 取ったよ! ハリーがスニッチを取った!」

 

「よくやったぞ、ハリー!」

 

ハリーが伸ばした手を握った瞬間、フランが犬コロの両手を取ってくるくる回り始めた。……これで決着? あっけないな。どうやらハリーは見事に勝利を掴んだようだ。ルーピンもいつになく興奮した様子でガッツポーズを決めている。

 

『試合終了です! ハリー・ポッターがスニッチを取りました! 210-40でグリフィンドールの勝利! そしてグリフィンドールの優勝です! やったぞ、ウッド!』

 

うーむ、熱狂という単語がピッタリだな。グリフィンドールの応援席は言わずもがなの盛り上がりっぷりだし、マクゴナガルなんかは……おい、号泣してるじゃないか。コメディアン君を抱きしめているのが見えてきた。

 

リーゼが魔法使いはクィディッチに『狂ってる』と表現していた理由が今ハッキリと理解できたぞ。スポーツってのは……まあいい。フランも嬉しそうだし、私としても文句などないのだ。

 

「良かったわね、フラン。……でも、まだ大仕事が残ってるわよ。ハリーにそこの野良犬のことを説明しないとでしょ?」

 

そしてここからが私にとっての本題となる。結局一度も席に座らなかった愛しい妹に話しかけてみると、フランは空中を見ながら気もそぞろといった様子で返してきた。

 

「うん、それはそうだけど……ハリーったら、どうしたんだろ?」

 

フランの呟きに従って空中のハリーへと目線を送ってみれば……ふむ? 確かに妙だな。全然喜んでいないし、あらぬ方向を見つめている。私たちからは背中の壁に阻まれて見えないが、どうやら城の方を見ているようだ。

 

ハリーはそのまま暫く城の方向に目を凝らしていた後、いきなり箒に身をくっ付けるようにして……おいおい、全速力で飛んでっちゃったぞ。表彰とかはないのか?

 

「まだ何かあるの? パフォーマンス飛行とか?」

 

「いえ、普通ならグラウンドに下りてそのまま表彰式です。妙ですね、一体何が──」

 

ルーピンと二人して首を傾げた瞬間、逆側に身を乗り出してハリーが飛んで行った方向を見ていたフランが言葉を放った。興奮してるのか、翼がシャラシャラと揺れている。

 

「ムーニー! 飛翔術! 天文台!」

 

言うと、そのままフランはルーピンのローブの中へとすっぽり入ってしまった。……いやいや、何してるんだ、フラン。淑女にあるまじき行為だぞ!

 

「フ、フランドール? 何をしてるんだい?」

 

「いいから飛ぶの! パッドフットも早く! 杖は渡されてるんでしょ?」

 

「……分かった。天文台だね? 決して顔を出さないように。」

 

天文台? 飛翔術? 私が疑問符を浮かべている間にも、かなり真剣な表情のフランから何かを汲み取ったのか、ルーピンは質問を止めて飛翔術で飛び立ってしまう。変身を解いたブラックも素早い動きでそれに続き、私も……ちょっと待て、私は? 日光で動けんぞ!

 

チラリとグリフィンドールの観客席へと目をやれば、リーゼもまた城の方へと飛び立って行くのが見えてきた。おいおい、全力で飛んでるじゃないか。何か緊急事態か?

 

空中で溶けるように姿を消したリーゼから目線を外して、忌々しい日差しに注意しながらフランたちの飛んで行った方向を覗いてみると、城の一番高い塔から赤い煙のようなものが立ち昇っているのが見えてくる。あれは確か……救難信号? 前回の戦争で何度か見た、救難信号として使われている魔法だったはずだ。

 

それに、何か黒い影……吸魂鬼か? 獲物に群がるカラスのように、吸魂鬼たちが塔の天辺を取り囲んでいるようだ。真昼のホグワーツには似合わん光景だな。全然現実感がないぞ。

 

「えぇ……。」

 

とはいえ、分かったところでどうしようもない。空に忌々しい太陽が在る限り、私は昼空を飛ぶことは出来ないのだから。……せめて日傘を持ってくるべきだったな。今更遅いが。

 

遠ざかる二つの白い影を見つめながら、取り残されたレミリア・スカーレットは呆然と立ち竦むのだった。

 



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そして、プロングズ

 

 

「頼んだぞ、みんな!」

 

ホイッスルの音と共に空へと飛び立っていくチームメイトを見ながら、霧雨魔理沙は大声で叫んでいた。ついに運命の最終戦が始まったのだ。

 

風なし、天気よし、体調も万全。今日のコンディションには文句のつけようがない。そしてこれまでの練習でやれることは全てやったはず。後は実力を出し切れるのを信じるだけだ。

 

「大丈夫、大丈夫だ。」

 

自分に言い聞かせるように呟いた後、スコア用紙と双眼鏡を手にして空を見上げる。最初のクアッフルの行方は……よっし! アリシアが掴み取った。作戦通りだ。後はパスを回して……ダメか、ワリントンのタックルで奪われてしまった。体格差がありすぎるぞ。

 

そのままワリントンがカウンターを決めそうになるが、ジョージの放ったブラッジャーが見事に命中する。あれは痛いな。後頭部にモロだぞ。滅茶苦茶デカいタンコブができるに違いない。

 

「お見事、ジョージ!」

 

私が腕をぶんぶん振り回しながら歓声を上げるのと同時に、こぼれ球を掴み取ったアンジェリーナが……決めた! 決めたぞ! 先制点だ!

 

「いいぞ、アンジェリーナ! 先制点だ!」

 

口に手を当てて思いっきり叫ぶ。聞こえてはいないだろうが、そうせずにはいられないのだ。これで序盤の流れを手にしたぞ。

 

スリザリンのウスノロどもになんか負けるもんか。グリフィンドールの強みは臨機応変な速攻なのだ。満面の笑みでスコア用紙に得点時間とアンジェリーナの名前を──

 

「ごきげんよう、ミス・キリサメ。少々お時間をいただきたいのですが。」

 

「うぉっ……ラデュッセル、刑務官? なんだよ、試合中だぞ。ここは立ち入り禁止だ。」

 

ビビった。いつの間に入ってきたのか、ラデュッセルがいつもの笑みを浮かべながら入り口の前に立っている。驚いたせいでちょっと刺々しい口調になってしまった私に、ラデュッセルは笑みを崩さず片手を差し出してきた。

 

「残念ながら、クィディッチの観戦はここまでですね。貴女には私と来てもらいます。……ほら、見覚えがあるでしょう?」

 

その手に乗っているのは……緑のリボン。私が誕生日にプレゼントして以来、咲夜がいつも身に着けているリボンだ。何だかんだと言いつつも、かなり大事に使ってくれている。手放すはずなどないほどに。

 

一瞬で心臓が凍りつきそうになるのを自覚しながら、目の前の男を精一杯睨みつけて口を開く。

 

「……お前、咲夜に何したんだ。」

 

「ご安心ください。まだ何もしてはいませんよ。……ただし、貴女が抵抗すればその限りではありませんが。ついて来てくれますね? ミス・キリサメ。」

 

「……わかった。」

 

「素晴らしい。物分かりのいい方は好きですよ。この学校は少々頭の悪い子供が多すぎますしね。……では、行きましょうか。足元にお気をつけて。」

 

校舎の方へと足を踏み出す痩せぎすの長身に続いて、崩れそうになる足を叱咤して歩き出す。状況は全然理解できないが、咲夜がこの男にリボンを渡すなど有り得ない。それなのにこの男が持っている以上、本当に人質になっている可能性が高いのだ。

 

咲夜は無事なのか? 何が目的だ? 何処に連れて行く気だ? 疑問が頭の中でぐるぐると回る中、前を歩くラデュッセルが声をかけてきた。

 

「心配しなくともミス・ヴェイユにはすぐ会えますよ。」

 

「何を企んでるか知らんが、咲夜に手を出すと酷いことになるぞ。あいつの親が誰だか知っててやってるんだろうな?」

 

「よく知っていますよ。だからこそ機会を待ったのです。ほら、今のホグワーツはもぬけの殻でしょう? 誰もがあの馬鹿げたスポーツを観に行っている。……それに、保険も手にしましたしね。」

 

「その程度で出し抜ける相手ならいいけどな。」

 

リーゼだ。彼女に何とかして伝えなければならない。咲夜の危機とあらば、彼女は躊躇なくこの男を『どうにか』してくれるはずだ。それこそ一瞬で。

 

でも、どうする? 彼女が居るであろう競技場はどんどん遠ざかっていくぞ。魔法で合図を出すとか? ……バカか私は。リーゼは間違いなく試合が行われているグラウンドの方を見ているはずだ。いくらアイツでも後ろに上がる合図に気付けるはずがない。

 

逆側の観客席の誰かが気付いてくれるだろうか? しかし、下手に時間をかければ咲夜が危険かもしれないのだ。思い悩む私に、芝生を踏みしめるラデュッセルが言葉を放ってきた。

 

「ああ、言っておきますが、私が戻らなければミス・ヴェイユを殺すようにと言ってあります。余計なことはしない方がいいと思いますよ。」

 

「……お仲間がいるってことか?」

 

「さて? お望みなら試してみては? お勧めはしませんが。」

 

クソったれめ! 必死で打開策を捻り出している間にも、校舎に入った私たちは階段を上がっていく。この際フィルチでもピーブズでもいい。誰か私たちに声をかけてくれ。

 

だが、私のちっぽけな願いは聞き届けられなかったようだ。誰ともすれ違わないままで目的地へと到着してしまった。……天文塔。やっぱりここか。脳裏に壁を殴りつけているラデュッセルの姿が浮かび上がる。

 

「あの隠し扉の先が目的地なんだな。」

 

螺旋階段を上りながら問いかけてやれば、ラデュッセルは振り向いて頷きを返してきた。

 

「ええ。私があれだけ苦労しても開けられなかった扉を、貴女たちのような小娘に開けられるとは思いませんでしたよ。『地図』でそれを確認したときは我が目を疑いました。」

 

「『地図』……? まさか、忍びの地図か? あれはネズミに持ってかれたはずだぞ。」

 

「その通りです。保険があると言ったでしょう? 役に立たない小男でしたが、あの件だけは見事な働きをしてくれました。……ほら、着きましたよ。」

 

役に立たない小男? 訳の分からない言葉に混乱している私に、ラデュッセルはたどり着いた踊り場を手で示して……咲夜! 見知らぬ小男の隣で咲夜が仰向けになって倒れている。生きてるよな? 生きててくれ!

 

「咲夜! ……無事か?」

 

ピクリとも動かない咲夜に駆け寄って、口元に手を当てて息を確認すると……よかった、息をしているようだ。思わず安堵のため息を零す私に、ラデュッセルが冷たい声を放ってきた。

 

「無事でしょう? ……では、これからも無事でいてもらうためにも一働きしてもらいましょうか。扉を開けなさい、ミス・キリサメ。断ればどうなるかは分かっていますね?」

 

「……わかったから、咲夜に手を出すなよ? もし何かしやがったら──」

 

「どうすると言うのですか? たかが一年生に何が出来ると? 戯言を言っている暇があるなら行動しなさい。……ペティグリュー、貴方は地図の確認を怠らないように。特にダンブルドアとスカーレット、そしてバートリからは決して目を離してはいけませんよ? 動いたらすぐに知らせなさい。」

 

「わ、分かった。」

 

頭の禿げ上がった情けない印象の小男が慌てて頷くのを横目に、ポケットから石を取り出して窪みに向かう。……悔しいが、確かに私に何かが出来るとは思えない。使える呪文なんてたかが知れてるのだ。こんなことならアリスの『オススメ呪文』を真面目に練習しときゃよかった。

 

後悔しながらもゆっくりと石を嵌め込むと、いつものように古めかしい木のドアが現れる。そのまま振り返って口を開こうとしたところで、ラデュッセルが背中を杖で押してきた。

 

「振り向かずに進みなさい。何か仕掛けがあるなら、今のうちに解除したほうが身のためですよ。私たちは貴女の後ろから行かせてもらいます。」

 

「カナリア役ってわけか? ムカつくほどに慎重なヤツだな。」

 

「口は閉じるように。……ペティグリュー、そっちの小娘も運んできなさい。貴方でも浮遊呪文くらいは使えるでしょう?」

 

「ああ、その……勿論使えるよ、ラデュッセル。運ぶよ。任せてくれ。」

 

とりあえず力関係ははっきりしたな。小男……ペティグリューが下で、ラデュッセルが上だ。まあ、それが分かったところでどうにもならんが。

 

見慣れた階段を見慣れぬ四人で下りる。私、ラデュッセル、ペティグリュー、そして恐らく宙に浮かされている咲夜。振り向けないのでハッキリしないが、ラデュッセルは狭い通路に四苦八苦しているようだ。ざまあみやがれ。

 

やがて最奥に現れた彫刻入りのドアを抜けて、我らが秘密基地にたどり着く。……こんなことならトラップでも仕掛けておくんだったな。双子の知恵を拝借すればそれなりのものが出来たろうに。

 

私の後ろから入ってきたラデュッセルは、円形の部屋を見回しながら口を開いた。苦労して入ったのだろうに、全く感動している様子はない。ちょっとは喜んでみたらどうだ? 鉄仮面め。

 

「これがかの魔術師の隠し部屋ですか。……ミス・キリサメ、この部屋に黒い棒が隠されているはずです。何かご存知ありませんか?」

 

クソ野郎が。これ見よがしに咲夜へと杖を向けるラデュッセルに対して、歯を食いしばりながら星見台の中央を指し示す。

 

「あそこだ。完璧に埋まってるから、どうせ取り出せないぞ。」

 

「正しい方法を知らなければ、でしょう? ……さて、ご苦労様でした。もう用済みですよ。」

 

やっぱりそう来たか! 我ながら素晴らしい速度で杖を取り出すが、ラデュッセルが自分の杖を軽く振ると私の杖は彼の手元に飛んでいってしまった。……そりゃそうだ。端っから相手になるはずなどないのだ。

 

「悪足掻きはやめなさい。……そうですね、ここまで連れて来てくれたお礼に、貴女は後回しにしてあげましょう。アバダ──」

 

「待て! 待ってくれ、ラデュッセル! 約束が違う!」

 

咲夜に対して杖を振り上げたラデュッセルの前に、これまで黙って見ていたペティグリューが立ち塞がる。……怖かった。自分が死ぬのも怖いが、友人が死ぬのはもっと怖い。思わずペタンと座り込んでしまった私を他所に、ラデュッセルとペティグリューが口論を始める。冷たい無表情のラデュッセルに対して、ペティグリューはかなり焦っているような表情だ。

 

「……何のつもりですか? ペティグリュー。もはや小娘どもは必要ないでしょう? 殺しておいた方が面倒が無いのでは?」

 

「だが、この子は生きて帰すという約束だったはずだ! それに……ほら、この子たちが死ねば吸血鬼が怪しむだろう? それは良くない。絶対に良くないよ。」

 

「死体はこの部屋に隠せばいいのですよ。それに、疑われる頃には私たちは帝王の下へと戻っている。あの方がいる限り、吸血鬼たちにも手を出すことは出来ません。」

 

「いや、でも……記憶を消せばいいだけじゃないか。何も殺すことはない! そうだろう?」

 

何故か必死に咲夜を庇うペティグリューに、ラデュッセルは能面のような無表情で言い募る。杖は振り上げたままだ。……頼むから振り下ろさないでくれよ。

 

「何をそんなに必死になっているのですか? 小娘二人殺すのに躊躇するとは……情けないですね。退きなさい、ペティグリュー。口論している暇などないのです。」

 

「その……そうだ、この子はヴェイユだ! ご主人様にも思うところがあるに違いない。あの方の獲物を奪うわけにはいかないだろう? マーガトロイドと同じように、この子はご主人様の獲物じゃないのか?」

 

ヴェイユの名前が出た途端、ラデュッセルの動きが止まった。それに……マーガトロイド? アリスのことか? 『ご主人様』とやらが誰なのかさっぱりだが、どうやらアリスや咲夜の家系と関係のある人物のようだ。

 

しばらく何かを考え込んでいたラデュッセルだったが……よかった。杖を下ろして口を開く。

 

「……ふむ、確かにその通りですね。帝王の愉しみを奪うわけにはいかない。この件に関する記憶を奪って解き放ちましょう。」

 

「それがいい。それがいいよ、ラデュッセル。そうなるとあっちの小娘も殺せないだろう? 記憶に齟齬が出てしまう。それに、あっちも吸血鬼の知り合いだ。」

 

「まあ、そうですね。『遺産』を回収したら、適当に記憶を修正して終わらせましょう。」

 

星見台の中央を指しながら言うラデュッセルにペティグリューが頷くのを見て、思わずホッと息を吐く。よく分からんが、とにかく命は助かったようだ。

 

とはいえ、記憶を奪うだの修正するだのってのもいただけないぞ。聞いてるだけでも物騒な台詞じゃないか。星見台へと歩み寄るラデュッセルを横目に、ゆっくりと咲夜へ近付いて行くが……うーむ、ラデュッセルにもペティグリューにも止められないな。既に私のことなど眼中にないようだ。杖なしの一年生なんぞに構う暇はないってか。

 

星見台へとラデュッセルが足を乗せることで仕掛けが発動するが、彼はほんの少しだけ眉を動かすだけで再び歩き出した。最高につまらん反応だ。マーリンも悲しんでるぞ。

 

「ラ、ラデュッセル? これは? 大丈夫なのか?」

 

「落ち着きなさい、ペティグリュー。くだらない仕掛けですよ。それよりも小娘から目を離さないように。」

 

オドオドとペティグリューがラデュッセルの方へと歩いていった瞬間、咲夜が目を開いてボソリと呟いた。……起きてたのか、こいつ。いつから起きてたのかは知らんが、あの状況でピクリとも動かないってのは凄い度胸だな。

 

「あいつらが隙を見せたら肩を叩いて。」

 

それだけ言うと再び目を瞑って微動だにしなくなってしまう。何か考えがあるのか? 大人二人に私たちに出来ることなんて……ええい、とにかく隙を待とう。杖を失った私に何も出来ない以上、咲夜を信じるしかあるまい。

 

再び私たちの近くに戻ってきたペティグリューに悟られないように黙っていると、星見台の中央へと屈み込んだラデュッセルは……またあれか。何時ぞやの髪飾りを被りながら、ブツブツと何かを呟き始める。さすがにこの状況で女装を楽しむとは思えないし、何かの魔道具なのかもしれない。

 

そのままラデュッセルが何事かを呟きながら杖をコンコンと星見台に当てると……あっさりだな。スルリと例の黒い棒が浮かび上がってきた。三十センチほどの長さの、杖より少し太い棒。埋まっていた時は真っ黒だったが、今は表面に緑色の幾何学模様が走っている。どう見ても魔道具ですって見た目だ。

 

ラデュッセルはしばらく呆然とそれを見つめた後、やがて……おいおい、笑ってるのか? 今までの仮面のそれとは違う、満面の笑みを浮かべながら口を開いた。

 

「ああ、これこそが……モルガナの遺産。ようやくお目にかかれましたね。我が祖エクリジスが見つけられなかった最後のピース。これで吸魂鬼は我々の……偉大なる闇の帝王の眷属となる!」

 

恍惚とした表情で二つの杖を置き、両手で捧げ持つかのようにラデュッセルが棒へと手を伸ばした瞬間……今だ! 咲夜の肩をコツコツと叩く。何をどうする気なのかは分からんが、杖を手放した今こそが最大の隙のはずだ。

 

「魔理沙、走って!」

 

瞬間、様々なことが同時に起こった。いきなり虚空から出現したナイフがラデュッセルとペティグリューへと襲いかかり、一瞬のうちにドアの隣へと移動した咲夜が私を急かしてくる。なんだこれは? 何がなんだかさっぱりだが……とにかくチャンスだ。咲夜の開けてくれているドアへと走り出す。

 

「ぐっ……ペティグリュー! 小娘どもを止めなさい!」

 

「足が、足にナイフが!」

 

私が通り抜けたのを見て咲夜がドアを閉める直前、振り返った私の目に入ってきたのは血の滴る顔を押さえているラデュッセルと、足に刺さったナイフを抜いているペティグリューだった。……咲夜がやったのか? 本当に一瞬の出来事だったぞ。

 

階段を駆け上がりながら、後ろを走る咲夜に向かって言葉を放つ。

 

「何だよ、さっきの!」

 

「後で話すわ! それよりほら、杖を持っときなさい!」

 

言いながら咲夜が私の杖を差し出してきたのは……嘘だろ、私の杖か? おまけにもう片方の手にあるのはラデュッセルの杖だ。あの一瞬で杖まで? まさに魔法だな。

 

目線で驚愕を伝えてやると、咲夜はニヤリと笑いながら口を開いた。

 

「大事な杖を地面に置いておく方が悪いのよ。小男のは奪えなかったけど、これで戦力半減でしょ?」

 

「お前は……最高だぜ、咲夜!」

 

「褒め言葉は後で聞くわ。今はさっさと逃げましょう。お嬢様方の居る競技場まで行けば……嘘、なんで『アレ』がいるのよ。」

 

踊り場へのドアを抜けたところで、私と咲夜が『アレ』を見て急停止する。揺らめく黒いマントと、背筋を伝う凍りつくような悪寒。吸魂鬼だ。あの忌々しい存在が数体、螺旋階段の方で蠢いているのが見えてしまった。

 

「このっ!」

 

咲夜が数本のナイフを投げつけるが……残念ながら効果はないらしい。刺さるには刺さっているものの、一切怯まずにこちらに滑り寄ってくる。どう見ても通用しているようには思えないぞ。

 

諦め悪くナイフを投げる咲夜の手を引っ張って、天文台の方へと向かって走り出した。

 

「ちょっと、そっちに逃げても行き止まりよ!」

 

「それでも吸魂鬼に突っ込むよりかはマシだろ!」

 

ドアを抜けると、いつも通りの天文台の風景が目に入ってくる。平和そうな真昼のホグワーツ。あまりにいつも通りな景色を見ていると、今の状況が何かの冗談みたいだ。

 

咲夜が慌ててナイフを閂代わりにドアを塞いでいるのを尻目に、杖を天に向けて呪文を放った。

 

ペリキュラム(救出せよ)!」

 

赤い光とそれに付随する煙が空高く昇っていくのを尻目に、私も咲夜と一緒にドアを押さえる。クィディッチで棄権を知らせる時に使う呪文だが、確か救難信号にも使われていたはずだ。頼むから誰か気付いてくれ!

 

二人でガンガンと叩かれるドアを必死の思いで押さえていると、咲夜があらぬ方向を見ながら呆然と呟いた。……何か良くないものを見つけてしまったのだろう。何たって顔が引きつってるのだから。

 

「ま、魔理沙、あれ……。」

 

彼女が指す方向を見てみれば……そら、予想通りだ。禁じられた森の向こう側から、数えるのもアホらしくなる量の吸魂鬼が飛んで来ている。五十、百、百五十はいるぞ。ここまで多いと怖い以前に呆れてくるな。あいつらって、あんなにいたのか。

 

「夢じゃないよな? だとしたら飛びっきりの悪夢だぜ。人生最悪レベルだな。」

 

「馬鹿なこと言ってる場合じゃ──」

 

咲夜が呆れたように言った瞬間、台詞の途中で吹き飛んだドアと一緒に天文台の中央まで弾き飛ばされる。痛む身体に鞭打って立ち上がると、踊り場の方から例の棒を手にしたラデュッセルが歩み寄ってくるのが見えてきた。片目が抉れているのにも関わらず、仮面の笑みを被ったままだ。控え目に言ってもクソ不気味だぞ。

 

「私の杖を返しなさい、小娘ども。貴女たちが余計なことをしてくれた所為で、もはや時間がないのです。」

 

「冗談キツいぜ。誰が返すか。」

 

「私もお断りよ、間抜け。」

 

渡したら殺されるのが目に見えてるのだ。こんな状況ではいそうですかと渡す馬鹿などいまい。……ペティグリューは来ないな。脚の傷で動けないのだろうか?

 

私たちの返事を受けて、ラデュッセルは棒をこちらに向けながら首を振った。

 

「では仕方ありませんね。吸魂鬼たちよ、その小娘どもを始末しなさい!」

 

途端に襲いかかってくる吸魂鬼どもに向けて、二人で一緒に呪文を放つ。思い出すのはこの前のクィディッチの勝利だ。練習では一度も成功させたことはないが……頼む、上手くいってくれ!

 

「エクスペクト・パトローナム!」

 

クソったれめ。出てきたのはいつも通りの頼りないモヤモヤだった。咲夜の方は……ダメか。こちらも薄いモヤを生み出しているだけだ。一応壁にはなっているらしいが、どう見ても追い払うには力が足りていない。

 

じわりじわりと吸魂鬼が近付いてくるに従って、何処からか悲鳴が聞こえてくる。悲鳴、叫び声……違う、ここはホグワーツだ! 幻想郷じゃない!

 

「エクスペクト・パトローナム! エクスペクト……パトローナム!」

 

「しっかりしなさい、魔理沙! エクスペクト・パトローナム!」

 

咲夜の声が徐々に遠くなっていく。目の前の景色が徐々に狭まり、悲鳴が大きく……違う、違う! 気をしっかり保つんだ! 今はお前一人じゃないんだぞ、霧雨魔理沙!

 

力が抜けて取りこぼしそうになる杖を両手で必死に押さえるが、モヤモヤを掻き分けて吸魂鬼が近付いてきた。そいつがフードをかき上げると、顔があるはずの場所に深い、深い大きな穴が──

 

 

『走りなさい! 絶対に振り向いちゃダメよ。』

 

『でも、お母さんは? お母さんはどうするの?』

 

『いいから走るの!』

 

悲鳴。そして私は人里まで走る、走る。でも途中で振り返ってしまって、真っ赤な血が視界に入って、それで、それで……私は──

 

 

「エクスペクト・パトローナム!」

 

私の意識が闇へと落ちていこうとした瞬間、響き渡った声と共に銀色の雄鹿が目の前の吸魂鬼を吹き飛ばした。美しい雄鹿だ。まるで私と咲夜を庇うかのように、吸魂鬼どもに向かって大きな角を振り回している。

 

それに、吸魂鬼を弾き飛ばしながら近付いてくるのは……ハリー? ユニフォームを着たままのハリーが、ファイアボルトに乗って天文台へと突っ込んでくる。おいおい、試合は? それに、守護霊の呪文は未完成じゃなかったのか?

 

私が呆然と大口を開けている間にも、ハリーは私たちの目の前に下り立った。

 

「ハ、ハリー? 何でここに?」

 

「競技場から信号が見えたんだ。それに、光に反射する金髪と銀髪が。となれば君たちに決まってるだろ?」

 

「でも、守護霊は? 使えるようになったのか?」

 

「グリフィンドールが勝ったんだ。僕たちが優勝したんだよ、マリサ。今の僕に幸福な記憶を思い出すのは難しくないのさ。ついさっきのことを思い出せばいいんだから。」

 

言いながらハリーは私たちの前に立ち塞がるように、ラデュッセルに対して杖を構える。ラデュッセルは……ようやく人間らしくなったな。もはや能面は脱ぎ捨てたらしい。憎々しげな顔を隠そうともせずに、ハリーに向かって言葉を放った。

 

「これはこれは、ハリー・ポッター。生き残った男の子。我らが帝王の宿敵。……いいでしょう、もう逃げることは叶わない。ならばせめて貴方を殺して帝王への供物としましょう。」

 

今や天文台の周囲は見渡す限りの吸魂鬼に囲まれている。ハリーの杖から発せられる波動や、銀の雄鹿が必死に寄ってくる吸魂鬼を弾き返すが……数が多すぎるのか? 徐々にその包囲が狭まってきた。

 

少しでも助けになろうと守護霊の呪文を唱え続けている私たちに、ハリーが乗ってきた箒を差し出しながら言葉を放つ。

 

「マリサ、ファイアボルトに乗ってサクヤと一緒に逃げるんだ。体重の軽い君たちなら二人乗りでも逃げ切れる。僕が守護霊で道を開くから、その隙に一気に離れて。……いいね?」

 

「おい、ふざけんなよ、ハリー。残ったお前はどうなる? 助けに来てくれたお前を置いてけって言うのか?」

 

「忘れちゃったのかい? 僕は君に命を救われたんだ。だから、今度は僕が助ける番なんだよ。……ほら、時間がない。早く二人で──」

 

「あら、その必要はなさそうよ。」

 

ハリーの言葉を、笑みを浮かべた咲夜の声が遮った。思わず彼女が見ている先に目線を送ってみれば……なるほど、確かにその必要はなさそうだ。三体の守護霊が吸魂鬼を弾き飛ばしながらこちらに近付いてくる。ハリーに続いて、誰かが助けに来てくれたらしい。

 

狼、大犬、そして蝙蝠。まるでそうあるのが当然かのように雄鹿に合流した守護霊たちは、見事な連携で吸魂鬼の包囲を押し退けていく。流れるような四体の動きは、まるで一つの生き物みたいだ。

 

雄鹿が角を振れば蝙蝠が追撃し、大犬が突っ込むと狼がその穴を塞ぐ。守護霊たちが吸魂鬼の包囲を広げていく中、その隙間から飛んで来た白い影が二つ私たちの側へと下り立った。

 

「無事か、ハリー!」

 

「やあ、三人とも。災難だったね。」

 

「やっほー、咲夜。」

 

ヒゲが伸びっぱなしの浮浪者みたいな男と、いつものヨレヨレローブを着たルーピン。それに……写真で見たことのある金髪の吸血鬼が、ルーピンのローブの中からひょっこり顔を出している。意味不明な光景だ。やっぱり夢か?

 

私とハリーがどう反応していいのかと迷うのを他所に、咲夜がラデュッセルの方を指差しながら声を放った。

 

「妹様、あの黒い棒! たぶんあれで何かしてるんです! あれをきゅってしちゃってください!」

 

「んー? よくわかんないけど、わかったよ。」

 

状況に似合わぬ落ち着いた声と共に、金髪の吸血鬼がゆっくりとか細い腕を伸ばす。きゅ? 何をする気だ?

 

「きゅっとしてー……ドッカーン!」

 

気の抜けるような台詞と共に、吸血鬼が小さな手を握ると……うわぁ、ラデュッセルの持っていた棒が粉々に吹っ飛んだ。破片がビシビシ当たってるぞ。あれは痛い。絶対痛い。

 

ラデュッセルは自らを庇うことなく、顔や身体中に突き刺さる破片もそのままに、棒があったはずの手を開きながら呆然と呟いた。

 

「馬鹿な。マーリンでさえ破壊できなかった物を……有り得ない。有り得るはずがない。そんなはずが──」

 

「ステューピファイ!」

 

ブツブツと目を見開いて喋っていたラデュッセルに、浮浪者の放った赤い閃光が激突する。容赦ないな、こいつ。人の話を聞かないタイプか。

 

途端にパタリと倒れて動かなくなったラデュッセルを見ながら、吸血鬼が呆れたように言葉を放った。

 

「酷いなぁ、シリウス。まだなんか言おうとしてたよ? 聞いてあげればよかったのに。」

 

「後で聞けばいいのさ。真実薬入りのお茶でも飲みながらな。」

 

「うーん、それはどうかなぁ。咲夜が擦り傷一つでも負ってたら、お姉様たちがひき肉にしちゃうと思うけど。」

 

「それは……困るな。さすがにハンバーグから話を聞き出すのは無理だぞ。」

 

最高にバカバカしい会話を聞きながら、散り散りになっていく吸魂鬼たちをぼんやり見上げる。森の方から近付いて来ていた大量の吸魂鬼たちも、誰かの守護霊に追い払われているのが見えてきた。こっちのより少し大きめな銀色のコウモリと……鳥? 白鳥ほどの大きさの鳥だ。教師の誰かが出したのだろうか?

 

浮浪者が誰なのかも、消えたペティグリューのことも、バラバラになった棒のことも、咲夜の不思議な力のことも。未だ疑問は満載だが……とにかく生きてる。私も、咲夜も生きているのだ。

 

いやはや、参ったな。たった一年で二度も死にかけるとは思わなかったぞ。幻想郷でだって死にかけるってのは数年に一度のイベントだろうに。……魅魔様に手紙を書きたい気分だ。貴女の弟子は着々と『経験』を積んでいますって。

 

仰向けに寝転んで太陽の眩しさに目を細めながら、霧雨魔理沙はゆっくりと息を吐くのだった。

 



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アズカバンの刑務官

 

 

「適当に情報を吐かせた後、内臓やら四肢やらを順番にミキサーにかけましょう。それを本人に飲ませるの。……どう?」

 

レミリアのとびっきり猟奇的な提案を受けるダンブルドアを見ながら、アンネリーゼ・バートリは同意の頷きを放っていた。悪くない提案じゃないか。本人に飲ませるってところが実に良い。

 

空き教室の椅子に縛り付けられたラデュッセルは、レミリアの言葉を聞いてなお無言で俯いている。ふん、いつまでそうしていられるか見ものだな。十分後には命乞いを泣き叫んでいることだろう。磔の呪文がお遊びに感じられるはずだぞ。

 

クィディッチ最終戦と同時に起こった事件は、今や収束に向かい始めた。ハリー、ロン、ハーマイオニーは別室でフラン、ルーピン、ブラックとお話中だ。言わずもがな、十二年前の真実を教えるためである。

 

ただまあ、残念なことに結局ペティグリューは捕まらなかった。今も教師陣が捜索してくれているが、どうやらラデュッセルを見捨てて逃げ果せたらしい。恐らくネズミに変身して城外まで逃げてしまったのだろう。昔と変わらず、誰かを裏切るのは大得意なようだ。

 

ちなみに咲夜と魔理沙は医務室で強制的にお休み中である。怪我自体は軽い擦り傷があるくらいだったが、あれだけの吸魂鬼に囲まれていたのだ。守護霊の呪文も使いまくったようだし、精神を休める時間が必要だろう。

 

今回ばかりはハリーに感謝せねばなるまい。ハリーが時間を稼いだからこそフランたちが間に合い、だからこそ私とダンブルドアも森の方に対処する余裕が出来たのだ。観客席で日光にアタフタしてたレミリアとは大違いじゃないか。……いやまあ、一歩遅れた私も強くは言えんが。

 

とにかく、私たちはそんな苛々をちょうどいいオモチャで発散しようとしているわけである。咲夜に手を出した以上、この男が死ぬのは確定だ。であれば『有効』に使わねばなるまい。オモチャはきちんと遊んでから廃棄するべきなのだから。

 

私たちがフランの『包み焼きハンバーグ案』とレミリアの『内臓スムージー案』、そのどちらがより愉しめるかを考えていると、ダンブルドアがかなり渋めの苦笑を浮かべながら声をかけてきた。孫に無理なお願いをされたジジイのような表情だ。

 

「それは……些か残酷すぎますな。アズカバンに引き渡すのではいけませんか? あの場所も充分に罰に値すると思うのですが。」

 

「当然ダメよ。この男は今日ここで死ぬの。魔法史の教科書に載るくらいに残酷な死に方でね。それ以外は有り得ないわ。」

 

「その通りだ。言っておくが、今息をしてるのだっておかしなことなんだぞ。……そうだ、ハーマイオニーの両親からドリルを借りようじゃないか。それで歯やら目やらを削るんだ。どうだい?」

 

「あら、素晴らしいわね。それをやってからミキサーにかけましょう。その方がいいわ。」

 

我ながら良い考えじゃないか。例のドリルに興味もあったし、実際に使えばどんなもんかがよく分かるはずだ。そうと決まれば早速ハーマイオニーに──

 

「お待ちください、お二人とも。先ずは……そうですな、情報を聞こうではありませんか。黒い棒とやらのこと、ペティグリューのこと、そしてトムのこと。それらを聞いてからでも遅くはないでしょう?」

 

「……別に構わんが、考えを翻すつもりはないぞ。この男は私たちが貰うからな。」

 

「その件は後ほど話し合いましょう。そろそろセブルスが……来たようですな。」

 

時間稼ぎをしようとするダンブルドアに釘を刺していると、薬を取りに行っていたスネイプが教室のドアを開けて戻ってきた。手にはいくつかの小瓶を持っている。見るからにヤバめな色のもあるが、どれが噂の真実薬だ?

 

「遅くなりました。……すぐに始めますか?」

 

「うむ。わしとセブルスとバートリ女史で開心術を使います。質問はスカーレット女史に任せてもよろしいですかな?」

 

「結構よ。さっさと飲ませて頂戴。」

 

レミリアの言葉を受けたスネイプは、慣れた手つきでラデュッセルに薬を飲ませ始めた。おやおや、昔取った杵柄ってやつか? 嫌がる相手に飲ませるのがやけにお上手だな。

 

透明な薬を飲んで途端にボンヤリし始めたラデュッセルへと、レミリア以外の三人で一斉に呪文を放つ。開心術はあんまり得意じゃないんだが……うーむ、この状況で一人だけ失敗したら恥ずかしいな。気合いを入れよう。

 

レジリメンス!(開心)

 

相手の精神に自分の視界をねじ込むような感覚の後……よし、入れた。左右のダンブルドアとスネイプも頷いているのを見るに、全員が成功を確認したようだ。そりゃそうか。ダンブルドアは元より、スネイプもこの呪文に関しては達人級なのだから。

 

「さて、それじゃあ最初に……ヴォルデモートとの関係について聞きましょうか。前回の戦争の頃から仕えていたの?」

 

レミリアの質問に顔を上げたラデュッセルは……ふむ、面白い。いつもの仮面の笑みではなく、感情のこもった笑顔で話し始める。ご主人様のお話が出来るのが嬉しいってか? これはこれで不気味だな。

 

「ええ、その通りです。戦争中期に接触を受けて、あの方の思想に感銘を受けたのですよ。その頃行き詰まっていた私の研究も、帝王のお陰で大きく進歩することが出来ました。」

 

「研究? どんな内容なの?」

 

「吸魂鬼の完全な支配です。私はエクリジスの直系の子孫でしてね。彼は途中で失敗してしまいましたが、私ならそれを完成させられる。そう信じてダームストラングで学び、そのためにアズカバンへと就職しました。非常に長い時間がかかりましたよ。」

 

エクリジスの子孫? 断絶してたのではなかったのか。……まあ、有り得る話だな。エクリジスには謎が多い。大っぴらに誇れるような名前じゃないし、子孫が隠れ住んでいてもおかしくはなかろう。

 

レミリアはチラリと私たちを見て、嘘を吐いていないことを確認してから尋問を続ける。

 

「それで、その研究成果が例の黒い棒ってこと? 咲夜によれば『モルガナの遺産』とか言ってたそうだけど?」

 

「吸魂鬼を最初に生み出したのが大魔女モルガナであることはご存知ですか? エクリジスはそれを再現しようとしたのですよ。……しかし、彼は自分の力を過信していたのでしょう。吸魂鬼を制御するための道具を手にする前に、彼らを生み出してしまったのです。その結果は……残念ながら、伝えられている通りですよ。」

 

「へぇ? その制御するための道具ってのがあの棒なわけね。……フランが壊しちゃったけど。」

 

うーむ、ちょっと勿体なかったな。吸魂鬼どもを利用できるってのは結構な強みだぞ。アズカバンの管理も容易くなるだろうし、何より戦争にも利用できそうだ。虫けら同士で潰し合ってくれるってのは魅力的な話じゃないか。

 

私と同じ事を考えたのだろう。レミリアもまた、ちょっと残念そうな表情になりながら続きを促す。

 

「まあ、ともかくもう無くなっちゃったわけだけど、なんだってそんなものがホグワーツに隠されてたのよ。モルガナが隠したってこと?」

 

「いいえ、マーリンですよ。モルガナを打ち倒した後、彼は破壊しきれなかった大魔女の遺産を各所に隠したのです。悪しき者の手に渡らないように、そしていつか誰かが破壊できるように。……候補は非常に多かった。かの魔術師は様々な場所に関わりがありますからね。旧魔法省、マーリン騎士団跡地、アーサー王の墓、選定の湖、そしてマーリン自身の墓。私は必死に彼の記した書物を探し続け、そして遂に一つの記述を見つけ出したのです。『我が偉大なる学び舎にそれを隠す』という記述を。」

 

「マーリンの学び舎。ホグワーツね。」

 

「その通りです。……しかし、そこまでたどり着いたところで帝王は姿を消してしまった。ダンブルドアのいるホグワーツに侵入するのは容易くはない。ようやく手に入れた答えに触ることが出来ないのは酷い苦痛でしたよ。……そんな中、落胆する私に声をかけてきたのがアズカバンの深奥に収監されている死喰い人たちでした。私が帝王に協力しているのを知る者は多くはありませんでしたが、僅かには存在していたのです。レストレンジ、ロジエール、ドロホフ。彼らだけは帝王の復活を確信していました。なればこそ彼らは私のことを秘密にし続けたのでしょう。彼らは私に地盤を整えることを命じ、来るべき日には脱獄を手伝うようにと迫ったのですよ。」

 

容易に想像できる話だ。どいつもこいつも『ご主人様』に骨の髄まで忠実な死喰い人じゃないか。十年以上経った今でもそれは変わってはいないらしい。北海の片隅で今も信じて待ち続けているのだろう。

 

忌々しい仮面どもを思って鼻を鳴らす私を他所に、ラデュッセルの話は続く。

 

「勿論私はそれを受けました。有り得ない話ではないでしょう? 帝王にはそれを信じさせるだけの力があったのですから。……そして細かい計画を話し合う中で、研究内容を知ったベラトリックスは私にレイブンクローの髪飾りの在り処を教えてくれたのです。ホグワーツに隠されている英知の髪飾り。彼女は帝王からその話を聞かされていたそうですよ。それを利用して吸魂鬼たちを仲間に引き入れ、事が終わった後は何処かに隠せと言われました。」

 

「レイブンクローの髪飾り?」

 

レミリアがポツリと呟いた疑問には、杖をラデュッセルに向けたままのダンブルドアが答えた。納得したような表情を浮かべている。

 

「ホグワーツ創始者が一人、ロウェナ・レイブンクローが遺した髪飾りのことですよ。身に付けた者の知恵を増すと言われております。……やはりあれは本物でしたか。」

 

「ああ、確か分霊箱の候補だったわよね。ちゃんと回収してる?」

 

「無論です。貴重な物ですが……仕方がありませんな。これが終わったらすぐさま破壊しましょう。」

 

「分霊箱だったらこれで三つ目よ。オマケ付きハンバーグだなんて、嬉しい限りじゃない。それで……そうそう、ブラックの脱獄に乗じてホグワーツに忍び込み、モルガナの遺産とやらを探し回っていたわけね。」

 

三つ目の分霊箱か。意外なところで意外な物が転がり込んでくるもんだな。ラデュッセルに向き直って問いを放つレミリアに、彼はボンヤリした表情で答えを返す。

 

「場所を見つけるのは簡単でしたよ。髪飾りがあれば僅かなヒントだけで十分でしたからね。……しかし、開くのは容易ではありませんでした。あらゆる魔法を試しても、マーリンの隠し部屋は開いてはくれなかったのです。」

 

「そんなこんなで苦労している間に、咲夜たちが開いちゃったってわけ? 十二歳の少女二人に出し抜かれるだなんて、何とも間抜けな話じゃない。……しかし、何だって蘇りの石が鍵になってたのかしら? マーリンと何か関係があるの?」

 

確かにそこは謎だな。ラデュッセルの心を覗いてもあれが蘇りの石だと気付いていなかったようだし、私の知る限りでは死の秘宝が世に出たのはマーリンの時代よりも少し後だ。……マーリンか、あるいはモルガナこそが秘宝の製作者なのだろうか? それがペベレル兄弟に渡った? うーむ、分からん。

 

レミリアと顔を見合わせて首を傾げているところに、ダンブルドアの慌てたような声が割り込んできた。

 

「お、お待ちください。蘇りの石? 蘇りの石を手にしていたのですか? しかも……それを咲夜に渡したと?」

 

「あら、言ってなかったかしら? ゴーントの指輪が分霊箱で、それを破壊したのは話したわよね? その指輪に嵌ってたのよ。蘇りの石が。」

 

「それはまた……死の秘宝を子供に持たせるとは、なんとも大それたことをしますな。心臓に悪いですぞ。」

 

「あのね、そっちこそ透明マントをハリーに渡してるでしょうが。ハリー・ポッターが持ってるのに、うちの咲夜が持ってないなんておかしいでしょ。これで対等よ。対等。ニワトコの杖も持たせたいくらいだわ。」

 

レミリアの意味不明な主張に、ダンブルドアは困ったような顔で黙り込んでしまう。……スネイプは無表情でノーコメントを決め込んでいるようだ。世渡り上手なヤツめ。

 

まあ……うん、確かにちょっと失敗だったかもしれない。如何に『おねだり』されたとしても、多分あれは十二歳の少女に持たせるような物ではなかったのだ。紅魔館の住人は咲夜にノーと言える勇気を学ぶべきかもしれんな。学んだところで実践できるかは不明だが。

 

かなり難易度の高い課題を定めた私を他所に、レミリアが再びラデュッセルへと質問を放った。

 

「これで大体理解できたけど……ああ、ペティグリューとはどこで出会ったの?」

 

「ペティグリューの方から接触してきたのです。彼は私の顔を知っている数少ない死喰い人の一人でした。匿って欲しいと言われたので、場所を提供する代わりに斥候として働かせていたのですよ。」

 

「ふーん? ……とにかく、貴方はヴォルデモートの居場所は知らないわけね? 単に復活を信じて行動していただけだったと。」

 

「その通りです。帝王は必ずイギリスに舞い戻り、今度こそこの地を支配してくれるでしょう。」

 

うーむ、大した情報は得られなかったな。モルガナの遺産はフランに『きゅっ』されてしまったし、ペティグリューはもう城にはいまい。収穫は分霊箱の疑いがある髪飾りだけか。……まあ、咲夜が生きてるならそれで万々歳と思っておこう。

 

「さて、もういいかしら? 他に聞きたいことはない? それならリーゼにドリルを借りてきてもらうけど。」

 

「少々お待ちを。……ラデュッセル刑務官、貴方は魔法省の人間から接触を受けましたかな? ドローレス・アンブリッジ、パイアス・シックネス。これらの名前に聞き覚えは?」

 

慌てて前に進み出たダンブルドアの問いに、ラデュッセルは焦点の合わない目でスラスラと答える。それがあったか。確かに聞いておきたい情報だ。

 

「どちらもあります。接触を受けたというよりかは、私から接触したのです。ホグワーツへの吸魂鬼による警備を押し通して欲しいと。ダンブルドアの失態になるような騒ぎを起こすという条件で、快く協力してくれましたよ。」

 

「ヴォルデモートに関しては何か言っていたかね?」

 

「何も。私も彼らも帝王の名前は出しませんでした。吸魂鬼がブラックを捕縛した際は、闇祓いではなくあちらに引き渡すようにとは言われましたが。」

 

「……ふむ。単純な権力欲から動いていたようですな。」

 

まあ、予想通りだ。彼らはお飾り魔法大臣が……というか、お飾り魔法大臣を操っているコウモリ女が気に入らないだけらしい。よく分かるぞ、その気持ち。

 

「ふぅん? あのカエル女の弱みを握れれば嬉しかったんだけど……まあいいわ。これで全部でしょ? それじゃ早速──」

 

「そこまでです!」

 

ダンブルドアの質問も終わり、いよいよレミリアが拷問を始めようとしたところで……アリス? ぜえぜえと息を切らしているアリスが部屋に突入してきた。

 

チラリとダンブルドアを見てみれば……おのれ、こいつか。間に合ったかと言わんばかりの顔をしている。ふん、無駄だぞ、ジジイ。アリスだって咲夜には甘いんだ。きっと一緒に『お料理』してくれるに違いない。

 

私が言葉を発する前に、レミリアがラデュッセルの頭をペチペチ叩きながら声を放った。ちなみにラデュッセルは何も分かっていないような表情でうんうん頷いている。どうやら真実薬の効き目はこの辺がピークのようだ。ちょっと面白い光景だな。

 

「あら、人形娘。貴方もお医者さんごっこをしに来たの? 先を譲ってあげてもいいわよ。ようやく『ナースちゃん』を使える日が来たじゃない。」

 

「違います! お二人とも、冷静に考えてください。その男はペティグリューのことを知っているんでしょう? シリウス・ブラックの無実を証明する手助けになるはずです。……殺したらフランに怒られますよ。」

 

「ぬぅっ……。でも、咲夜が危ない目にあったのよ! 咲夜が!」

 

……そういえばそうか。ペティグリュー本人が消えた今、ラデュッセルはブラックの無実を証明する為には必要な駒だ。こいつをおめおめと生きて引き渡すのは嫌だが、フランに怒られるのも嫌だぞ。

 

咲夜の名前を喚きながら足をダンダンし始めたレミリアに、意外なところから援護の言葉が飛んできた。今まで黙りを決め込んでいた我らが陰気男。セブルス・スネイプ閣下だ。

 

「私としても、この男を生きて返すのは反対ですな。私が尋問に協力しているところを見られていますし、何より分霊箱がこちらの手に渡ったことを知られる可能性があるでしょう? 我々が破壊して回っていると気付けば、帝王はより見つかり難い場所へと隠そうとするはずです。」

 

「その通りよ! よく言ってくれたわ、スネイプ。魔法省の開心術師なんて信用できないでしょ? 情報は私たちだけに留めておくべきだわ。」

 

ドヤ顔で頷くレミリアだったが、アリスが無言で突き出した物を見て顔色を変える。……なるほど。ダンブルドアがフランではなくアリスを呼んだのはそれを届けてもらうためか。出不精の魔女からのデリバリーだ。

 

ダンブルドアは穏やかな笑みを浮かべながら、アリスの突き出した丸薬を受け取って語り始めた。

 

「スカーレット女史が尋問された際にもこれを使ったと聞いております。閉心薬、でしたか? いやはや、ノーレッジには敵いませんな。薬学の分野ではイギリスで最優と言えるでしょう。」

 

つまり、都合の悪い記憶は閉じてしまえということか。ダンブルドアもアリスもゲラートが使ったことは知らないだろうが、レミリアがクラウチに尋問された時に使ったことは知っている。……何処ぞのおバカな吸血鬼が自慢げに話していた所為でな!

 

「はいはい、分かったよ。私だってフランに怒られるのは御免だからね。好きにしたまえ。」

 

両手を上げて降参の意を表した私を見てから、ダンブルドアは未だ納得しかねる様子のレミリアに向かって口を開く。

 

「範を示していただきたいのです。正しき選択は私怨による私刑ではなく、司法の手に委ねることでしょう? それでシリウスは自由の身になれる。……ここは譲っていただけませんか? この老体が伏してお願い申し上げます。」

 

深々とお辞儀するダンブルドアを見て……まあ、そうなるか。レミリアは大きくため息を吐いた後、疲れたように言葉を放った。

 

「ああもう、分かったわよ! 私だけが我儘を言うわけにはいかないわ。……それならアンブリッジの対応にも使わせてもらうからね。こいつに不愉快な『命令』をしたってことは証言させて頂戴。」

 

「勿論ですとも。感謝いたします、スカーレット女史、バートリ女史。」

 

安心したように頷くダンブルドアを横目に、レミリアは私の手を引きながら歩き始める。なんだよ、気持ち悪いな。お手々を繋ぐような歳じゃないだろうに。

 

「それじゃ、私とリーゼは行くから。後の処置は任せるわ。パチェから使い方は聞いてるでしょ?」

 

「ええ、任せてください。そっちは……咲夜のお見舞いですか? 医務室に居るんですよね?」

 

「それと、フランの方も見に行くわ。多分大丈夫だとは思うけど、説得が上手くいってるか確認する必要があるでしょう?」

 

「わかりました。後で私も顔を出します。」

 

アリスの声を背にドアを抜けたところで、レミリアが満面の笑みを浮かべながら囁きかけてきた。……ま、考えることは同じだな。これこそ吸血鬼の思考ってやつだ。

 

「……証言が終わって、ほとぼりが冷めた頃に殺しにいきましょ。一年後くらいかしら? 衰弱死に見せかければいいわ。」

 

「んふふ、それでこそ我が幼馴染だ。最低の女だよ、キミは。」

 

「お褒めの言葉をどうも。そっちこそ嬉しそうじゃない、性悪吸血鬼。」

 

「吸血鬼が身内を傷つけられて黙って引き下がるわけがないだろうに。……いやはや、アリスもダンブルドアも勉強不足だね。」

 

二人でクスクス笑いながら夕闇の廊下を歩き出す。なぁに、バレなきゃいいのだ。アズカバンで受刑者が死ぬのなんて珍しくもなかろう。私とレミリアの能力を駆使すれば、誰にもバレずに一人殺すくらいは難しくもあるまい。

 

闇夜がゆっくりとその腕を伸ばす中、アンネリーゼ・バートリは幼馴染と『計画』を練りながら歩くのだった。

 



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ハリー・ポッターとアズカバンの囚人

 

 

「んー、悪くなかったと思うけど……極悪人エグバートと戦ったのは奇人ウリックだよな?」

 

魔法史の試験会場から大広間へと向かいながら、霧雨魔理沙は隣を歩く親友に質問を放っていた。どうも人名系は苦手だな。こればっかりは言語の差を感じてしまう。

 

つまり、ラデュッセルからは命からがら逃げ延びることができた私たちも、期末試験の魔手からは逃げ果せることができなかったのだ。他の生徒たちと同じように一年間学んだことを必死に思い出して、なんとか地獄の試験期間を乗り切ろうとしている。

 

私たちの頑張りは……まあ、無駄にはならなかったようだ。ハリーはシリウス・ブラックの真実を知り、ロンもピーター・ペティグリューの真実を知ることが出来た。お陰で最近はずっと落ち込んでいるが。

 

とはいえ、失ったものもある。鍵こそ取り上げられずに済んだものの、我らが星見台は残念ながら秘密基地とは言えなくなってしまったのだ。事件から少し経った後、アリス、校長、そして紫の陰気な魔女の手によって根掘り葉掘り調べられてしまった。……あの魔女はなんだって本棚が無いことに激怒していたのだろうか? アリスと校長が止めなきゃ星見台が吹っ飛んでたぞ。

 

それに、地図の行方も結局分からず終いだ。恐らくペティグリューがそのまま持っていってしまったのだろう。事情を聞いた双子は笑って許してくれたが、やっぱりあれを失ったのは痛い。まだまだ調べてない場所も沢山あったのに。

 

そういえば、あの偉大な五人の先輩方の正体も発覚した。プロングズはハリーの父親、パッドフットとムーニーはブラックとルーピン。そしてピックトゥースが金髪の吸血鬼……フランドールで、ワームテールがペティグリューだったらしい。咲夜の見舞いに来たフランドールが教えてくれたのだ。

 

その時五人組の因縁についてもフランドールが教えてくれた。……ふん、思い出すだけでムカつく話だぜ。友達を裏切るだなんて、クソ野郎だ。そんなことをするくらいなら私は迷わず死を選ぶぞ。

 

ただまあ、私やハリーが怒っている反面、咲夜やフランドールにとっては別に思うところがあったようだ。ペティグリューが必死に咲夜を庇った一件である。フランドールによれば、コゼット……咲夜の母親を思い出したんじゃないかということだった。

 

罪悪感か、一抹の良心か、はたまた僅かに残った友情か。実際のところはペティグリューのみぞ知ることだが、二人にとっては何かを考えさせられる一件だったらしい。

 

私がオドオドした小男のことをぼんやり考えていると、咲夜が呆れたように問いの返事を放ってきた。顔の横には取り戻した緑のリボンが揺れている。

 

「違うわよ、魔理沙。悪人エメリックでしょ? 昨日散々予習したとこじゃないの。奇人ウリックはクラゲを被ってた人だってば。」

 

「あー……しくじったな。極悪人やら悪人やら、ウリックやらエメリックやら、あの辺は引っ掛けが過ぎるぜ。」

 

「まあ、あの感じだと大した配点じゃないでしょ。……それより午後の試験勉強をしておかなくちゃ。変身術の実技だなんて、絶対に難しいのが出てくるわよ。」

 

間違いあるまい。魔法薬学の実技と双璧をなす難易度のはずだ。脳内に変身術で習った呪文のリストを並べ始めつつ、死屍累々の大広間へと足を踏み入れてみれば……おやおや、ハリーたちも酷い有様だな。余裕綽々で昼食を取っているのはリーゼだけのようだ。

 

「よう、そっちは何だったんだ?」

 

隣に座り込みながら落ち込んでいるハリーに声をかけてみれば、彼はどんより顔で答えを放ってきた。楽しい試験じゃなかったのは確かだな。楽しい試験なんてもんが存在するかは謎だが。

 

「魔法薬学の筆記だよ。……マリサ、頰を抓ってくれないか? もしかしたら目覚まし薬と爪伸ばし薬を逆に書いたのは夢だったのかもしれない。」

 

「諦めろ、ハリー。現実さ。試験はまだまだ続くんだ。落ち込んでる暇なんか無いぞ。」

 

「その通りだぜ、ハリー。終わったことは忘れちまえよ。それより、午後の呪文学の実技を心配するべきだ。……元気の出る呪文が心配だな。試したらダメかい?」

 

杖を取り出しながら言うロンに、ハリーは首を振って返事を返す。うんざりしたような表情だ。

 

「嫌だよ、ロン。どうせ試験でもかけられるんだよ? 使い過ぎるとシェーマスみたいに耳から煙を出す羽目になるのがオチさ。」

 

「ん、まあ……そうだな。煙を出したままで天文学の試験を受けるのは賢い選択とは言えないな。」

 

「その前に、終わらせ呪文の復習をしておくべきね。使用頻度の高い呪文なんだから、絶対に出てくるわよ。」

 

「ああ、それもあったか。……フリットウィックめ。またリンゴが歩くのを止めさせるに違いないぞ。今から当てる練習をしとかなくちゃな。」

 

なんだそりゃ。アホみたいな試験だな。ハーマイオニーの提案を受けたロンが朝食のリンゴを転がし始めたのを他所に、教科書を見ながらうんうん唸っているハリーへと質問を飛ばす。

 

「なあ、ブラックの裁判はどうなったんだ? 悪い状況じゃないんだろ?」

 

現在のブラックは冤罪を晴らすための裁判の真っ最中なのだ。ラデュッセルの証言もあるし、勝訴は堅いと思ってたのだが……違うのか? 質問を受けたハリーは苦い顔をしている。

 

「うん、悪くはないよ。スカーレットさんも頑張ってくれてるみたいだし。でも、決め手になる証拠が足りないんだって。肝心のペティグリューが逃げちゃったからね。……それに、無許可の動物もどきだったことも問題視されてるみたい。」

 

「いやいや、それとこれとは別だろ? 冤罪おっ被せてアズカバンに十二年も入れてたのはどうなんだよ。」

 

「本当にね。……多分、魔法省は自分のスキャンダルを隠したいんじゃないかな。論点をすり替えてるんだよ。」

 

「そりゃまた……酷い話だぜ。」

 

何とも嫌になる話じゃないか。落ち込む私たちに、向かい側で肉に巻いた肉を頬張っていたリーゼが声をかけてきた。見てるだけで胸焼けしそうな料理だ。

 

「ブルズアイだ、ハリー。キミの予想は大当たりさ。奇妙な話だとは思わないかい? うんざりするほど騒いでた予言者新聞が、今やブラックの『ブ』の字も載せなくなっただろう? 東部の魔法使いが岩とトロールを見間違えて大騒ぎしたとか、ドラゴン保護団体が抗議のためにドラゴン花火をぶっ放したとか、下らない記事ばかりだ。」

 

「揉み消してるってことか? でも、魔法省に関しての悪い記事は何度か見たぞ。なんでブラックの件だけは書かないんだよ。」

 

「さぁね。何か取引があったのかもしれないし、自分たちが散々悪人扱いしてたから体面が悪いのかもしれない。……まあ、その辺はレミィにでも聞きたまえ。私には分からないよ。」

 

うーむ……何かこう、納得いかない話だな。魔法界の新聞も天狗のそれと同レベルってことか? 私が嘘八百を並べる『ケツ拭き紙』のことを思い出している間にも、ハリーは首を振りながら話を続ける。

 

「シリウスは手紙で負けはしないだろうって言ってた。……でも、この分だときっと冤罪が晴れたことも書かれないんじゃないかな。そしたら意味ないよ。誰も無罪になったことを知らないんじゃ、毎日のように通報されるのが目に見えてるでしょ?」

 

「まあ、人混みには苦労しない生活になるだろうね。大量殺人鬼どのがダイアゴン横丁を歩けば、誰もが道を開けるはずさ。シリウス・ブラック閣下のお通りだ。」

 

「そして義憤に燃えたどっかの馬鹿魔法使いが襲いかかってくるんでしょうね。不愉快な話だわ。魔法界の報道は腐ってるのよ。癒着よ、癒着!」

 

リーゼのジョークにもならん言葉に、ぷんすか怒るハーマイオニーが反応したところで……おっと、ルーナ? ルーナがリーゼの隣からひょっこり顔を出した。今日も物凄いヘアピンだな。ネギを持つタマネギがモチーフになっているようだ。哲学を感じるぜ。

 

「こんにちは、みんな。今日はいい天気だね。」

 

「やあ、ルーナ。吸血鬼的にはいい天気だが、人間的には良くないんじゃないかな。ドン曇りだよ、今日は。」

 

「曇ってるとアンガビュラー・スラッシキルターが上手に歩けないんだもん。だからいい天気なんだよ。試験中に城に入ってきたら困るでしょ?」

 

「あー……そうだね。それは困りそうだ。」

 

適当に流したリーゼは元より、他の全員もアンガ……何とかに関しては詳しく触れないで挨拶を返す。きっと試験を受ける魔法使いを食っちまうとか、そんな感じの生き物なのだろう。

 

「それで、どうしたの? ルーナ。試験で不安なところがあったのかしら? 私に分かるところなら教えてあげられるわよ?」

 

ハーマイオニーに『分からないところ』があるのか? 世話焼きモードのハーマイオニーが心配そうに問いかけると、ルーナは首を振りながらハリーに向かって言葉を放った。

 

「ううん、違うよ。今日はハリーに渡すものがあって来たんだ。……はい。パパがハリーに渡せって。」

 

「僕に?」

 

言葉の途中でルーナが取り出したのは……あー、それは手紙か? 蛍光色の緑色で、カラフルに光るシールで封がされている。ルーナの父親は名刺いらずだな。手紙だけで人柄が分かるぞ。

 

みんなが『ラブグッド的な』手紙を見て微妙な表情になる中、オズオズとそれを受け取ったハリーは封を解いて読み始めた。カリカリに焼かれたパニーニを食べながらそれを見守っていると……急にハリーが立ち上がって大声を放つ。何だよ、トマトが落っこちちゃったぞ。

 

「ルーナ、受けるよ! 君のパパに受けるって伝えてくれ! シリウスには僕から伝えておくから。」

 

「何だよ、ハリー。なんて書いてあったんだ?」

 

疑問顔の全員を代表して私が問いかけてやると、ハリーは嬉しそうな表情で手紙の内容を話し始めた。もはや元気の出る呪文は不要だな。

 

「シリウスの件を記事にしてくれるらしいんだ。冤罪のこととか、ペティグリューのこととか……とにかく全部を。渡りに船だよ!」

 

「あら、それって……とっても素晴らしいことだわ! それこそ正しい報道ってもんよ。ペンは権力に屈してはならないの!」

 

「クィブラーは報道誌じゃないけどね。それに、二年前に『クズ』とか言ってたのはどこのどなただったかな? キミは覚えてるかい? ハーマイオニー。」

 

「もう、蒸し返さないの、リーゼ!」

 

キラキラした瞳で報道の在り方を叫んだハーマイオニーに、隙を見逃さない性悪吸血鬼が突っ込みを入れたところで、ずっと行儀よくサンドイッチをハムハムしていた咲夜が口を開く。顔にはちょっと心配そうな表情を浮かべている。

 

「でも、大丈夫なんですか? ルーナ先輩のお父様が魔法省に目をつけられちゃうんじゃ?」

 

「そうだよ、予言者新聞に圧力をかけるようなヤツなんだ。何してくるか分かんないぞ。」

 

ロンも神妙な顔で同意するが……ふむ? ルーナはあんまり気にしていないようだ。涼しい表情で首を振っている。

 

「ン、大丈夫だよ。もう百通くらいは警告状を受け取ってるし、今更何通か増えてもパパは気にしないんじゃないかな。むしろ喜ぶと思うよ。」

 

「えーっと……喜ぶの? 警告状を?」

 

「パパは警告状が暗号になってると思ってるんだ。警告文の最初の一文字を並べ変えると文章になるはずだって言ってた。多分ヘリオパスの軍隊の在処を、魔法省内部の人がこっそり知らせようとしてるんだよ。」

 

「それは……うん、そうかもね。すっごく遠回しな内部告発ってとこかしら。いつか文章になったら教えて頂戴。」

 

警告状を書いてるやつに教えてやりたい情報だな。きっと仕事を辞めたくなるに違いない。ハーマイオニーが引きつった顔で同意のような何かを放つと、ルーナはぴょこりと立ち上がって頷いてきた。

 

「うん、暗号を解読出来たら一番にみんなに教えてあげるよ。……それじゃ、パパに返事を送ってるね。ありがと、ハリー。」

 

「こっちこそありがとう、ルーナ。君のパパにもお礼を言っておいて。」

 

ハリーの返事にもう一度嬉しそうに頷いたルーナは、そのまま大広間の扉の方へと消えて行く。……試験中なのにあんなんで大丈夫なのだろうか? リーゼが何故かルーナに気を遣う気持ちがちょっと分かったぞ。なんだか心配になっちゃうな。

 

恐らく私と同じことを考えているのだろう。リーゼ、ハーマイオニー、咲夜が私と同じ表情で扉の方を見ていると、ハリーが鞄から羊皮紙を取り出して何かを書き始めた。ブラックへの手紙か?

 

「ラブグッドさんが直接取材に行ってくれるらしいんだ。シリウスに伝えて面会許可を取っておいてもらわないと。」

 

「問題はどのくらいの魔法使いが見てくれるかだよな。……少なくともうちのママはクィブラーを取ってないぜ。『週刊魔女』と『おしゃれ魔法便』は取ってるけど。」

 

ロンが難しい顔で言うのに、ハーマイオニーが腕を組みながら答える。今まで気にしたこともなかったが、魔法界の雑誌ってのは結構種類があるのだろうか? ダイアゴン横丁に戻ったら調べてみようかな。特にクィディッチ関連のには興味があるぞ。

 

「大丈夫よ、書店になら売りに出されてるはずだから。……えっと、出されてるわよね? いくらなんでも。」

 

「残念ながら、殆どの書店で取り扱い停止になったらしいね。前にルーナが言ってたよ。」

 

「あー……それじゃあ、クィブラーを購読してる人しか読めないってこと? つまり、グリフィンドールだとリーゼだけが?」

 

「そして信じるかどうかも微妙なんじゃないかな。しわしわ角のスノーカックやら、ブリバリング・ハムディンガーの隣に載るわけだしね。厳密に言えばあれは『空想雑誌』だぞ。」

 

何とも言えない表情で語るリーゼに、ハーマイオニーは勢いを失って黙り込んでしまった。……まあ、それは確かに頼もしいとは言えないな。シリウス・ブラックが空想上の生き物になる日も近そうだ。

 

微妙な沈黙に包まれた場を、手紙を書き終わったハリーの声が破る。何かを思い付いたような表情だ。

 

「あのさ、リーゼ。それならスカーレットさんに頼めないかな? ……えっと、クィブラーを宣伝してくれないかって。スカーレットさんが絡めばみんな興味を持つでしょ?」

 

「レミィがクィブラーの宣伝? 極悪非道な大嘘つきの老婆扱いされているレミィが? ……それはまた、凄まじく面白そうな提案じゃないか。いいぞ、ハリー。あのポンコツはめちゃくちゃ嫌な顔をするに違いない。だったらやる価値はあるはずだ。」

 

ニヤニヤ顔になったリーゼは、いきなり立ち上がると足早に扉の方へと去って行く。恐らくスカーレットに手紙を出しに行ったのだろう。……うーむ、ルーナの時と違って誰も心配そうにはしていないな。表情がいけなかったのかもしれない。明らかに悪巧みしてますって顔だったし。

 

その背が扉の向こうに消える前に、慌てた様子のハリーが手紙片手に席を立った。彼はリーゼがスカーレットを『煽る』のは賢明な選択だと思っていないようだ。

 

「あー、僕も行ってくるよ。シリウスに手紙を出さないとでしょ? ……それに、リーゼを『制御』する人間が必要なはずだしね。あの感じだとスカーレットさんを怒らせちゃうよ。」

 

「そうね。あの顔のリーゼが穏やかな文章を書けるとは思えないわ。クィブラーを廃刊にしたくないなら早く行った方がいいわよ。」

 

ハーマイオニーの声を背に、ハリーもまた廊下の方へと向かって行く。うーむ、次々とふくろう小屋へと人が消えていくな。試験期間中だってのを忘れそうだ。試験の合間の昼休みに手紙を送ろうとするヤツなんてそういないぞ。

 

まあ、これで一応は解決だな。スカーレットがどんな方法でクィブラーを宣伝するかは知らないが、多かれ少なかれ気にするヤツは出てくるはずだ。そしたら口コミででも広まってくれることだろう。噂ってのはどこの世界でもすぐに広まるものなのだから。

 

そして私も私の問題に戻らなくてはなるまい。私たちにどんな事情があろうが、期末試験は手加減してくれたりはしないのだ。誰にでも平等に降りかかってくる災難なのである。

 

思考を忌々しい試験の内容へと戻しながら、霧雨魔理沙はもう一口パニーニを頬張るのだった。

 



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三年目の終わり

 

 

「納得できないわ! 不当よ!」

 

寮の自室で苛々とトランクに私物を詰め込むハーマイオニーを見ながら、アンネリーゼ・バートリは苦笑いを浮かべていた。詰め込むというかは『投げ込む』に近いな。分厚い本が望遠鏡の部品に激突してるぞ。

 

学期末パーティーも終わり、ついにホグワーツから離れる日が訪れたのだ。もちろんハーマイオニーが怒っているのは優勝杯と寮杯を同時に持ったウッドが嬉しさのあまり過呼吸に陥った一件ではなく、パーシーがぶっちぎりの首席になった一件でもなく、ルーピンがホグワーツの教師を辞職した一件である。ウッドのは不当じゃなく順当な結果だった。誰も焦ってはいなかったし。

 

ルーピンは自分が人狼であることを、ブラックの裁判やクィブラーの取材でカミングアウトしたのだ。ブラックの無実を証明するためには、当然ながらペティグリューが動物もどきであることを公表しなければならなかった。無論、ブラック自身やジェームズ・ポッターについてもだ。

 

その部分をウィゼンガモットの評議員に責め続けられるブラックを見兼ねたのか、彼らが無許可の動物もどきになった理由として、ルーピンは自分のためであることを主張したのである。人狼への差別、それを乗り越えた友情、叫びの館で過ごした時間。訥々と大法廷で全てを語ったルーピンは、その後ダンブルドアへと辞表を押し付けたらしい。

 

まあ、無理もなかろう。イギリス魔法界の人狼差別は未だ根強い。数人の保護者からは引き止めの手紙が届いたようだが、残念ながらそれを上回る抗議の手紙が届いてしまった。ダンブルドアのかなりしつこい説得も虚しく、ルーピンはホグワーツを去ることを決めたようだ。

 

「キミが怒っても仕方がないだろうに。本人が辞めると言っているんだ。どうにもならないよ。」

 

「でも、ダンブルドア先生に迷惑をかけないためなのは目に見えてるじゃない。昔と違って今は脱狼薬だってあるのよ? それなら教師をするのに何の問題もないわ。三年生の私に分かるようなことが、なんだって馬鹿な親たちには分からないのかしらね!」

 

今度は着替えをべしんべしんトランクに投げつけながら言うハーマイオニーに、私もトランクへと物を投げ込みながら返事を返す。中の階段を物が転がっていく音がするが……まあうん、壊れたら直せばいいのだ。いちいち小部屋まで往復するよりかは面倒が少なかろう。

 

「誰もがキミほどは賢くないのさ、ハーマイオニー。……そんなに気に食わないなら、いつかキミが魔法界を変えたまえよ。人狼への差別がない魔法界にね。」

 

「……そうね。そういう目標を持つのもいいかもしれないわ。そのためにはもっと勉強を頑張らないと。」

 

「おいおい、それ以上何を頑張るんだい? 四年生の予習も終わらせてるじゃないか。」

 

「じゃあ五年生のをすればいいのよ。」

 

イカれてるな。どうやら彼女だけは二年先の時間を生きているようだ。ようやく落ち着いた手つきに戻ったハーマイオニーに背を向けて、ドアへと向かいながら肩越しに言葉を投げかける。

 

「それじゃ、私は先に談話室に行ってるよ。忘れ物をしないように気をつけるんだよ、ハーミー。」

 

「わかってるわ、ママ。」

 

軽口の応酬を終えてから談話室へと入ってみれば、既に準備を終えたハリーとロンがソファを確保してくれていた。ロンは退屈そうにソファに寝そべり、ハリーは分厚い本にのめり込んでいる。……ハーマイオニーの『病気』が移ったか? 感染するとは知らなんだ。

 

「やあ、そっちは余裕で終わったらしいね。随分と早いじゃないか。」

 

「僕たちが早いんじゃない、そっちが遅すぎるんだよ。マリサやサクヤもまだだし、女子ってのはなんだって荷物が多いんだ?」

 

「知らないのか? ロン。お砂糖やスパイス、それに素敵な何かが入ってるのさ。」

 

物凄く適当に答えてやると、ロンは訳が分からないという顔になってしまった。ふん、洒落の通じないヤツめ。マザーグースくらい読むべきだぞ、少年。ここはイギリスなんだから。

 

不勉強なロンを無視して、ハリーが読んでいる謎の分厚い本を覗き込んでみると……ふむ? マグルの法律の本か? 私は全然詳しくはないが、そんな感じの本を熱心に読んでいるようだ。時折羊皮紙にメモまで取っている。

 

「ハリー、キミは弁護士を目指すことにしたのかい? しかもマグルの。」

 

「違うよ、リーゼ。シリウスの勝訴が殆ど決まったんだ。もう外出許可も出てるみたい。だから……その、一緒に住めないかと思って。名付け親なんだから、不可能じゃないはずでしょ?」

 

「さてね。魔法界じゃいくらか聞く話だが、マグルの法律はさっぱりだ。ハーマイオニーに聞いた方がいいと思うよ。」

 

「うん、後で聞いてみるよ。それに、自分でも色々と調べないとね。……ダーズリー家から離れられるなら、どんな努力だって苦じゃないさ。」

 

希望に満ちた表情で言うと、ハリーは再び小難しい本へと視線を戻す。……残念だが、叶わぬ願いだろう。リリー・ポッターの残した魔法がある以上、成人するかトカゲマンが死ぬまではあの場所に居なければならないのだ。

 

ブラックは既にそのことを知っているはずだし、きっと適当に断りの返事を……いや待て、知らない可能性があるぞ。フランかダンブルドアあたりが教えてそうなもんだが、一応釘を刺しておいた方がいいかもしれない。

 

真剣な表情で必死にメモを取っているハリーを見ていると、さすがに一度承諾された後に断られるのは可哀想だ。想像するだけで哀れな構図ではないか。レミリアにでも言って伝えてもらう必要があるな。

 

ソファの空いているスペースに座り込みながら考え始めたところで、マザーグースの謎を放り出したロンが話しかけてきた。魔法界には魔法界の寓話があるのだろうか? 三人兄弟の物語みたいなやつが。

 

「なあ、リーゼはチケットを取れたりしないのか? バートリ家は凄い家なんだろ?」

 

「バートリ家が『凄い家』なのには同意するが、チケット? 何の話だい?」

 

「何って、クィディッチだよ! 三十年ぶりにイギリスで開催されるワールドカップだ! ……さすがにワールドカップがあるのは知ってるよな?」

 

「ああ、知ってるよ。レミィも行くそうだしね。そりゃまあ、チケットは取ろうと思えば取れるだろうが……私が観に行くと思うかい? わざわざクィディッチを?」

 

行くわけないだろうに。チケットなんぞはレミリアに頼めばダースで手に入るはずだが、私は箒遊びのワールドカップなどには一切興味がないのだ。選手どころかどの国が参加するのかも知らんぞ。

 

私の表情からそれを汲み取ったらしく、ロンはかなり残念そうな表情に変わって口を開く。

 

「まあ、リーゼは興味ないよな。分かってたよ。……それなら、チケットを取るのだけでも頼めないか? 倍率が高すぎてどうも手に入りそうにないんだよ。その、なるべく安い席で。お小遣いを貯めてる分で足りればいいんだけど。」

 

「そのくらいなら別に構わないよ。さすがに確約はできないが、レミィにでも頼んでみよう。金も必要ないさ。あいつが一言呟けば、ご機嫌取りどもからどっさり贈られてくるはずだ。」

 

「本当かい? リーゼ、君は、君は……最高の友達だよ! 幸運の女神だ! 天使だ!」

 

「吸血鬼だよ、ロン。この美しい翼が見えないのかい? 女神やら天使やらに怒られちゃうぞ。」

 

女神のことは知らんが、お堅い天使どもは吸血鬼なんかと一緒にされたら激怒するはずだぞ。とはいえ、私の冷たい訂正も今のロンには届かなかったようだ。ぴょんぴょん飛び跳ねながら全身で喜びを表現している。脳みそを弄られたうさぎのモノマネはマルフォイといい勝負だな。

 

……まあ、ロンにもちょっとくらい幸運が訪れて然るべきだろう。ネズミ男事件は吸血鬼にとっても同情に値する事件だったのだから。チケット一つでご機嫌になってくれるなら安いもんじゃないか。

 

しかし、ロンだけにってのは体面が悪いな。そうなれば双子も欲しがるだろうし、引率役も必要なはずだ。仮にウィーズリー家の全員分となれば……うーむ、本当にダースで必要になりそうだぞ。魔理沙と咲夜の分もあるし、レミリアにはちょっと多めに確保してもらった方がいいかもしれない。

 

魔理沙に関しては元よりチケットを贈るつもりでいたのだ。なんたって彼女は咲夜の恩人なのだから。チケットどころかスタジアムをプレゼントしたっていいくらいだぞ。あるいは賢者の石の二十四色セットでもいい。

 

一応本人にも何か欲しい物がないのかと聞いてみたものの、友人の命を救うのは当然だと言って頑として受け取ろうとしなかったのだ。拍手を送りたい台詞だが、身内を救われて礼もしないなどバートリの名が廃る。魔理沙がどうこうというか、こうなってくるとこっちのプライドの問題だ。

 

報酬を押し付けようとする私とそれを拒否する魔理沙。押し問答の末に導き出した妥協点こそが、咲夜と一緒に行くクィディッチの観戦というわけである。ちなみに引率はレミリアがする予定だ。あの親バカ吸血鬼は休みの期間中、咲夜から離れる気はないらしい。

 

順調に親離れしつつある十二歳と子離れできない五百歳。紅魔館の銀髪二人について考えていると、喜びまくっているロンを見ていたハリーが口を開いた。……とうとう向こうのソファにダイブをかましたぞ。さすがに喜びすぎじゃないか?

 

「羨ましいよ。……バーノンは絶対に許しちゃくれないだろうからね。クィディッチって言った瞬間、部屋に閉じ込められるに決まってる。もちろん鉄格子付きで。」

 

自嘲げに笑うハリーは儚い諦観の雰囲気を纏っている。なんともまあ、哀愁を誘う表情だ。アンニュイな表情が良く似合うヤツだな。

 

「……ハリー、良いことを思いついたぞ。ブラックに迎えに来てもらえばいいのさ。マグルの世界でもあの男は指名手配犯だったんだ。キミの叔父が文句を言えるか見ものだと思わないか?」

 

咄嗟に出てきた考えだが……ふむ、我ながら良い案じゃないか。玄関を開けたら凶悪殺人犯がこんにちはだなんて、中々面白いことになりそうだ。その場面だけは見てみたいな。

 

私の提案を受けたハリーは、徐々に元気を取り戻しながら返事を返してきた。彼にとっても見てみたい情景だったようだ。

 

「それは……良い考えだよ、リーゼ。バーノンたちはきっとびっくりするぞ。」

 

「『びっくり』で済めばいいけどね。……それじゃ、レミィにはキミとブラックの分も頼んでおこう。十二年間も離れ離れだったんだ。一緒にクィディッチの観戦をすれば話も弾むだろう?」

 

「ありがとう、リーゼ。……ロンの言う通りだね。キミは天使だよ。」

 

「吸血鬼だ、ハリー。キミたちは皮膜と羽毛の違いを学習すべきだね。あんな鳩人間なんかと一緒にしないでくれたまえ。」

 

どんどん増えていくチケット数に、レミリアの困ったような顔が一瞬浮かんでくるが……ま、構うまい。『出来ないのか?』とでも言ってやればムキになって確保してくれるに決まっているのだ。喜んでチケット生産装置になってくれることだろう。

 

───

 

「そろそろ着くわね。荷物を降ろしときましょう。」

 

ハーマイオニーの号令と共に、ホグワーツ特急が速度を落とし始めた。今年もようやく家に帰れるわけだ。……ふむ、もちろん嬉しいのだが、一年生の時ほどではないな。吸血鬼も人間と同じく、慣れる生き物だったようだ。

 

思えばホグワーツでの生活もそこまで苦ではなくなってきている……ような気がする。昔は監獄などと呼んでいたのが嘘のようだ。きっと咲夜がいるからだな。そうに違いない。

 

そのまま列車がキングズクロス駅に到着すると、ハーマイオニー、ロン、ハリー、魔理沙、ルーナ、私、咲夜の順でゾロゾロとホームに降り立った。来年からは絶対にコンパートメントを二つ確保しよう。絶対にだ。もうギュウギュウ詰めの旅は御免だぞ。

 

そのまま出迎えを探してホームを見渡してみれば……おや、元凶悪殺人犯殿のお出迎えか。ブラックがモリーやアリスと一緒に突っ立っている。浮浪者のような見た目ではなく、洒落た中年にイメージチェンジしているところを見るに、彼はとうとうカミソリを手に入れることに成功したようだ。

 

「シリウス!」

 

「ハリー! その、君を迎えに来たんだ。……迷惑でなければ嬉しいんだが。」

 

「迷惑なわけないさ! とっても嬉しいよ。」

 

『犬コロおじさん』へと満面の笑みで駆け寄っていくハリーを他所に、私たちもアリスの下へと歩き出す。若干余所余所しい感じはあるが、あの二人は随分と打ち解けたらしい。ダーズリー家との対比が功を奏したな。

 

「お帰りなさい、リーゼ様。咲夜と魔理沙もお帰り。……無事に出迎えられて嬉しいわ。」

 

「ああ、ただいま、アリス。」

 

「アリス、ただいま!」

 

「ただいまだ、アリス。」

 

笑顔のアリスへと私たちが挨拶を返すのと同時に、残りの面子もそれぞれの両親へと合流していった。……ルーナの父親なんかはもう一度ブラックを取材したくて堪らないようだ。やる気満々でメモ帳を片手に、ハリーと話しているブラックの方へとにじり寄っている。例の独占取材の回がよほどに好評だったのだろうか?

 

「紅魔館でお帰りなさいパーティーがあるんだけど……魔理沙もどうかしら? 咲夜を助けてくれたお礼もしたいし、参加してみない?」

 

「あー……ありがたいが、やめとくぜ。家族の団欒を邪魔する気はないさ。今日はもう人形店の方に戻ってゆっくりしとくよ。」

 

「そう? それなら家まで送ってくわ。」

 

アリスと魔理沙が会話している間にも、ブラックはラブグッドの取材攻勢を切り抜けたようだ。……代わりにハリーが質問責めに遭っているのを見るに、ラブグッドは生き残った男の子にも興味があるらしい。もう何でもいいんじゃないか。

 

そのままブラックはロンに何かを言いながらふくろうの入ったカゴを渡すと、今度は私たちに話しかけてきた。

 

「やあ、バートリ女史……じゃなくて、バートリ。」

 

「構わないよ、魔理沙も咲夜も事情を知っているんだ。普通に話してくれたまえ。」

 

「おっと、そうでしたか。それじゃあ、バートリ女史。今年は随分と世話になりました。」

 

「私はあんまり活躍できなかったけどね。礼ならレミィとフランに言いたまえ。……ああ、それと、ハリーがキミと住みたいと言ってくるだろうが、きちんと断るんだぞ。ちょっとした事情があるんだ。」

 

私の忠言を聞いたブラックは、心底残念そうになりながらもしっかりと頷く。この様子だと誰かから既に話を聞いていたようだ。

 

「リリーの魔法のことですね。スカーレット女史から話は聞いています。……だから今日はせめて、ハリーの親戚に『挨拶』しておこうと思って来たんですよ。」

 

「んふふ、良い考えじゃないか。お手柔らかにいきたまえよ?」

 

「ハリーが一緒に住むんです。きちんと対応しますよ。……それじゃ、フランドールにもよろしく伝えておいてください。サクヤとマリサも良い夏休みを。」

 

苦笑しながら言ったブラックは、最後にアリスに一礼してからハリーの下へと帰っていった。どうやらダーズリー家の災難は案外早めに訪れるようだ。

 

「身嗜みってのは大事だな。途端にまともな人間に見えるぜ。」

 

「貴女も気をつけなさい、魔理沙。私がいなくなってもちゃんと髪を梳くのよ? 服もちゃんと畳むの。いいわね?」

 

「おいおい、お前は私の母ちゃんかよ。」

 

咲夜と魔理沙が日頃の行いを感じさせるやり取りを始めたところで、我が友人たちはそれぞれの家へと帰って行く。ハリー、ハーマイオニーはそれぞれブラック、拷問夫妻と一緒にマグル側のゲートへ、ロンは赤毛の集団に紛れて暖炉の方へ、そしてルーナは取材を終えて満足げな父親と共に付き添い姿くらましで。

 

それらに挨拶を返した後、私たちも暖炉に向かって歩き出す。

 

「それじゃ、私は魔理沙を送ってから帰りますから。二人で先に戻っておいてください。」

 

「別に一人でも大丈夫だってのに。……そんじゃ、咲夜、リーゼ、またな!」

 

「ええ、遊びに行くからね。」

 

「良い夏休みを過ごしたまえ、魔理沙。」

 

アリスの実家へと消えて行く二人を見送ったところで、私たちもフルーパウダーを投げ入れた暖炉へと入る。ようやく帰れるぞ。……よし、決めた。帰ったら死ぬほどゴロゴロしよう。アイスでも食いながら休暇を楽しむのだ。

 

「それじゃあ……ふむ、一緒に行くかい? 咲夜。」

 

「はい!」

 

かわいいヤツめ。元気よく答えてきた咲夜の手を取り、アンネリーゼ・バートリは懐かしの我が家の名前を口にするのだった。

 



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レミリア・スカーレットと二つの悪
トライ・ウィザード・トーナメント


 

 

「三大魔法学校対抗試合?」

 

魔法ゲーム・スポーツ部の応接用ソファに座りながら、レミリア・スカーレットは部長であるルドビッチ・バグマンに聞き返していた。やっすいソファだな。応接用だけはまともなのを用意すべきだぞ。

 

今日はワールドカップのチケットを強請りに来ているのだ。リーゼがアホみたいな量のチケットを安請け合いしてきたせいで、贈られてくる分だけでは足りなくなってしまった。あのペタンコ吸血鬼はチケットの価値を正しく認識していないらしい。結構貴重なんだからな。

 

そこでワールドカップの責任者であるバグマンに『おねだり』してみたところ、生意気にもチケットを渡す代わりに協力して欲しいという要請が飛んできたわけだ。その……なんちゃら対抗試合とやらに。

 

疑問顔で問いかけた私に、バグマンはハンカチを額に当てながら説明を口にし始める。丸顔の大柄な魔法使い。……ちょっとアホっぽいところが減点対象だな。

 

「はい、ご存じないのも無理はありません。ホグワーツ、ボーバトン、ダームストラングの三校から一人ずつ代表者を選び、魔法力、知力、勇気を競い合うというイベントなのですが……その、かなりの数の死者が出たということで、二百年ほど前に中止されたのです。」

 

「それで? その『かなりの数の死者が出る』催しとやらを、なんだって再開しようとしてるのかしら? 生徒を殺しまくりたいってこと?」

 

「もちろん違いますとも! 確かに二百年前には危険があったのは事実です。……しかしながら、三校の連携を強める行事としてこれ以上のものはないでしょう? 魔法ゲーム・スポーツ部と国際魔法協力部にとってはこの催しの再開こそが悲願でした。十重二十重の安全策を整え、そしてワールドカップによって訪れた各国の代表と話し合うことも出来た。今こそ再開の機は熟したのです!」

 

ふーん。……まあ、話は理解できた。確かに魔法学校同士の繋がりは薄い。ダームストラングは秘密主義だし、ボーバトンは気位が高すぎる。そしてホグワーツには常識がないのだ。魔法界の将来を思えばその溝を埋めようとするのは悪くない考えだろう。実現できるかは微妙なとこだが。

 

興奮のせいで頰を赤らめているバグマンに、頬杖をつきながら返事を返す。力説してるところ悪いが、今のところあんまり興味は湧いてこないな。

 

「理念は理解できたわ。大いに結構、勝手にやればいいじゃない。どうして私の協力が必要なの?」

 

「それがその……ボーバトンの代表から、是非スカーレット女史を審査員にとの要望がありまして。両校の生徒たちも貴女に一目会いたいと言っているらしいのです。」

 

「あら、大陸の魔法使いはイギリスと違って義理堅いみたいじゃない。受けた恩を忘れてはいないようね。」

 

イギリス魔法省とは大違いではないか。禿げかけシックネスやらハエ取り女やらもちょっとは見習うべきだぞ。そういうのが私に対する正しい反応なのだ。

 

冷たく言い放った私にちょっと縮こまりながらも、バグマンは説得を続けてくる。

 

「ええ、ええ、おっしゃる通りです。私も大陸の方々と話してスカーレット女史の偉大さを再認識いたしました。……なので、どうか審査員をお願いできないでしょうか? ボーバトンやダームストラングの子供たちの夢を叶えてやって欲しいのです。」

 

なんかこう、煽てられてる感じもするが……ふん、いいだろう。大陸の生徒たちは中々見所があるようだし、審査員くらいなら受けてやっても構うまい。それにまあ、ホグワーツに行けば咲夜にも会えるし。最近リーゼは子離れしろと煩いが、仕事ならば仕方がないのだ。不可抗力なのだ。

 

オドオドとこちらを窺うバグマンに、尊大に頷きながら了承の返事を放った。

 

「そういうことなら構わないわ。審査員とやらを受けてあげようじゃないの。」

 

「おお、それはありがたい! 本当にありがたいことです! これで大陸の方々もお喜びになるでしょう。さっそく両校の校長へと伝えさせていただきます。」

 

「ボーバトンはオリンペが校長をやってるのよね。……ダームストラングは誰だったかしら? まだアレクセイが勤めてるの?」

 

ボーバトンの校長であるオリンペ・マクシームのことはよく知っている。割とこまめに手紙を送ってくるし、フランスに出向いた際には何度となく顔を合わせているのだ。

 

ダームストラングも数年前まではちょくちょく手紙を送ってきていたものの、ここ数年はめっきり便りがない。恐らくアレクセイから関わりのない誰かに校長が変わったのだと思うのだが……。

 

私の懸念を肯定するように、バグマンは大きく頷きながら返答を放ってきた。

 

「いえ、アレクセイ・クリヴォフ氏は校長を退いております。今は、あー……イゴール・カルカロフ氏が校長を務めておりますな。はい。」

 

「……イゴール・カルカロフ? 元死喰い人じゃないの。」

 

そいつはムーディによる『犠牲者』の一人だったはずだぞ。確か……司法取引でアズカバンを逃れたんだったか? 小物だったことは間違いないが、まさかダームストラングで校長をやってるとは思わなかった。あの学校のコンプライアンスはどうなってるんだ。

 

顔を引きつらせる私に対して、バグマンは慌てたように弁解を捲くし立ててくる。

 

「いえ、いえ! 今はもう改心なさったようでして。死喰い人との繋がりはないとハッキリ公言されております! でなければ校長などやれるはずがないでしょう?」

 

「どうかしらね。ダームストラングってとこが実に『らしい』とは思わない? ……ま、いいわ。きちんと法で無実となってるのであれば、私だって口煩くは言わないわよ。」

 

「それはありがたい。非常にありがたいお言葉です。」

 

恐縮したようにペコペコお辞儀をするバグマンを見ながら、立ち上がって口を開く。いやまあ、よく考えれば問題ないだろう。奴は仮面のお仲間を売りまくったのだ。今更死喰い人どもと繋がっていることなど有り得まい。むしろ恨み骨髄で狙われている可能性すらあるぞ。

 

「それじゃ、詳しい話は手紙で知らせて頂戴。……ああ、チケットありがとうね。お陰でワールドカップを楽しめそうだわ。」

 

「また必要になったらいつでもおっしゃってください。最優先で席を確保させていただきます。」

 

結局最後までハンカチを手放さなかったな。汗かきバグマンを尻目に魔法ゲーム・スポーツ部のドアを抜けて、見慣れぬ魔法省地下七階の廊下を歩き出す。ちょっと面倒事は増えたものの、一応ミッション成功だ。

 

しかし、来た時も思ったが……何というか、ボロっちいな。魔法法執行部がある二階や魔法事故惨事部がある三階とは雲泥の差だ。壁紙は所々がハゲているし、明かりもチカチカ切れかかっている。魔法を掛け直す価値もないと言わんばかりじゃないか。

 

アトリウムはすぐ下なのでエレベーターではなく階段の方へと歩いていると……おや、マグル製品不正使用取締局なるプレートが見えてきた。確かアーサーの仕事場だったはずだが、なんで七階にあるんだ? 執行部の管轄なのだから、二階にあるべき局だろうに。

 

恐らく魔法省で最もボロボロなドア……いや、四階の生物課よりはマシか。あそこのドアには行く度に別の爪痕が刻まれているのだ。二番目にボロボロなドアを開けてみると、物置のような狭さの部屋にテーブルが二つ置かれているのが見えてきた。紅魔館のトイレよりも狭いぞ。

 

「……スカーレット女史? これは、一体どうしたんですか?」

 

奥側のテーブルで事務作業をしていたアーサーが声をかけてくるのに、部屋をキョロキョロ見回しながら返事を返す。手前のテーブルでは赤毛の息子……パーシーだったか? が慌てて立ち上がっている。どうやら局員はこの二人だけのようだ。

 

「ちょっとバグマンに用事があってね。見慣れた名前のプレートがあったから入ってみたってわけ。……しかし、なんでこの階に部屋があるのよ。執行部直下の組織なんだから、二階にあって然るべきでしょうに。」

 

「どうも上の方々はこの局の仕事を、あー……重要だとは考えていないようでして。局員も二人だけですし、この階の空き部屋に追いやられてしまったんです。」

 

「呆れた。アメリアがそんなことを許すはずないし、どうせどっかのバカが独断でやったんでしょ。……私から抗議してあげましょうか?」

 

アーサーとはそれなりに長い付き合いなのだ。アメリアに文句を言うくらいなら安いもんだが……ふむ、どうやらアーサーはこの『犬小屋』を受け入れるつもりらしい。首を振りながら困ったように断りの返事を放ってきた。

 

「いえ、それには及びません。この部屋でもやってやれないことはありませんから。……だろう? パース。」

 

アーサーが息子兼唯一の部下へと同意を求めると……うーむ、あまりの狭さに立ち上がれずにオタオタしている。こいつ、リーゼの言では学年首席だったはずだぞ。何だってこんな局に就職したんだ? 被虐願望でもあるのか?

 

「えっと、はい、父さん……じゃなくて、局長。ここでも問題ありません。ペンを動かすスペースはありますから。」

 

「それすらなかったら窒息して死んでると思うけどね。……まあいいわ、この部屋の酸素が無くならないうちに用件を済ませちゃいましょう。はいこれ。」

 

私が先程『おねだり』したチケットの束から家族分の枚数を抜いて差し出してやると、アーサーはキョトンとしたような顔で受け取りながら口を開いた。

 

「ええと、これは?」

 

「ワールドカップのシーズンチケットよ。リーゼがロンにお願いされたらしくてね。家族分あるから、みんなで楽しみなさいな。」

 

「それは……なんとも申し訳ありません! わざわざご足労をおかけしたようで。ロンのやつ、一体何を考えているんだか。」

 

「別に気にしなくっていいわよ。勝手に安請け合いしちゃったのはリーゼだしね。それにほら、まだまだあるわ。」

 

残った束を振りながら言ってやると、アーサーはペコペコ頭を下げて再びお礼を言ってきた。向こうのパーシーも机にガンガンお腹をぶつけながら必死に頭を下げている。うーむ、ちょっとだけ面白いな。部屋の狭さも相まって、若干コメディチックな光景だ。

 

「いや、本当にありがたい限りです。家族みんなで楽しませていただきます。」

 

「ええ、そうして頂戴。……それじゃあね。」

 

言いながらボロボロのドアを抜けて、再び七階の廊下を歩き出す。アーサーはああ言っていたが、やっぱりアメリアに一言伝えておくべきだろう。忠実な駒にはきちんと報いねばなるまい。それが支配者としての義務なのだ。

 

二階に向かうために階段からエレベーターへと方向を変えながら、レミリア・スカーレットは古ぼけた廊下をひた歩くのだった。

 

 

─────

 

 

「これを見て頂戴、リーゼ!」

 

図書館の魔女が突き出してきた羊皮紙の束をぼんやり見ながら、アンネリーゼ・バートリはだらりとソファに寝そべっていた。もう起き上がるのも億劫だぞ。

 

ヒマなのだ。咲夜はアリスと一緒に魔理沙のいる人形店へと遊びに行ってしまったし、レミリアはチケットを強請りに魔法省へ。美鈴と小悪魔は分霊箱探しと銘打った食い道楽旅行の真っ最中である。

 

ピコピコで遊ぼうにもフランは寝てしまったし、暑い中どこかへ出かけようとも思えない。魔法で冷え切ったリビングでゴロゴロしていたところ、同じく暇を持て余したパチュリーがいきなり謎の羊皮紙の束を突きつけてきたというわけだ。

 

「見るのも嫌な量だね。……何なんだい? それ。」

 

寝そべったままで問いかけてみると、パチュリーはよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに説明を始める。ああ、面倒くさい予感がするぞ。

 

「図書館の設計図よ! ついに完成したわ。私の、私による、私のための図書館! 世界一の図書館! 完璧な図書館!」

 

凄まじいな。ここまでテンションの高いパチュリーを見たのは何年振りだろうか。そういえば、去年の今頃に世界一の図書館がどうだのって言っていたような気もするが……こいつ、まさか一年間もそんなことを考えて過ごしてたのか? ボケて時間の感覚がおかしくなってるんじゃないだろうな?

 

「あー……うん、拝見しようじゃないか。」

 

「じっくり見て頂戴。隅々までよ!」

 

ドン引きしながら受け取って、パラパラとそれに目を通してみれば……ふむ、図書館というよりは迷宮に近いな。誰かが利用することなど一切考えていない、文字通り『死ぬほど』迷惑なダンジョンの設計図だ。

 

私の呆れを他所に、パチュリーは滅多に見れない満面の笑みで説明を捲し立ててきた。こいつの笑顔ってのは何でこんなに不気味なのだろうか?

 

「いい? 基本的には正方形のブロックがいくつも集まることで形成されているの。咲夜の能力で空間を歪めてもらって、理論上永遠に続く図書館になるわけよ。つまり、こことここが繋がってるから、何処まで行っても一瞬で入り口に戻ることができるわけ。……ああ、心配しなくても大丈夫よ。全部のブロックにちゃんと本棚はあるから。」

 

「それはそれは、安心したよ。本棚がなくちゃ大変だからね。心配で心臓が止まりそうだったんだ。」

 

「そうよね、最初に説明しておくべきだったわ。本棚に関しての説明は……ここね。ほら、ここに書いてある通り、本棚には形状変化の魔法をかけた──」

 

もはや私の皮肉も通じないようで、パチュリーはぶっ壊れた蓄音機みたいに延々と喋り続けている。うーむ、鬱と躁の差が激しすぎるな。じめじめパチュリーも面倒くさいが、ぺちゃくちゃパチュリーはもっと面倒くさいようだ。

 

このままだと数日間は続きそうな『発表会』に、強引に割り込んで遮る。ダンブルドアもそうだが、人間ってのは長く生きるとちょっとおかしくなってしまうのかもしれない。最近のアリスもぶっ飛んだことをするようになってきたし。

 

「そこまでだ、パチェ。キミの熱意は伝わったよ。」

 

「──だから本の品質を落とすことなく、それぞれの本に適した温度と湿度で……何よ、まだまだ説明することがあるわ。聞きたいことも沢山あるでしょう?」

 

「ああ、聞きたいのは山々なんだが、それでキミの時間を奪うのも心苦しい。だから端的に纏めようじゃないか。……先ず、咲夜の能力はもう実用段階にあるのかい?」

 

夏休みに入ってから毎日のように特訓している……というか、させられているのは目にしているが、少なくとも捻れた廊下はそのままなのだ。今や紅魔館の名所の一つとなったあの場所は、今日も元気にぐにゃんぐにゃんしている。妖精メイドたちも遊び場が増えて嬉しかろう。

 

「それは……まだよ。でも、あと三年か五年も経てば問題なく習得できるはずだわ。一瞬じゃないの。」

 

「……なるほど、確かに一瞬だね。」

 

皮肉なことに、時間に対する感覚が逆転してしまったようだ。かつて人間だったパチュリーは長命種特有の感覚を手に入れ、そして今の私は一年ですら長く感じられる。参ったな。ちょっと『人間らしい生活』にのめり込み過ぎてるのかもしれない。

 

思えば一年生の頃に比べて、三年生の学生生活はずっと長く感じた気がするぞ。……良いことなのか、悪いことなのか。今度レミリアにでも話を振ってみるか。

 

「つまり、今すぐに実現するようなものじゃないってことだろう? もう少し考えを練っておきたまえよ。……それより、リドル対策の方はどうなってるんだい?」

 

適当にあしらいながらも話題を変えてやると、パチュリーはいきなりつまらなさそうな表情に変わって口を開いた。分かりやすいヤツだ。

 

「どうにもなってないわよ。もう残りの分霊箱を探して、その後ハリー・ポッターにリドルを殺させるだけじゃない。どっちも私の仕事じゃないでしょう? 分霊箱が見つかったら適当に調べてあげるから、それ以外の時間は趣味の研究に回させて頂戴。」

 

うーん、ドライというか、魔女らしいというか。これも逆転現象の一つだな。今や吸血鬼の方がゲームにのめり込み、動かない大図書館は趣味に生きているわけだ。

 

まあ、確かにそうだな。不死の秘密はパチュリーがしっかりと暴いたわけだし、ここからは私たちの仕事だろう。レミリアが魔法省を操縦し、私がハリーを鍛える。その間に探索班が分霊箱を探し出し、来るべき日に舞台を整えてリドルを殺す。そんな感じの流れになるはずだ。

 

アリスも独自にちょくちょく探索をしているようだし、今年中に一つか二つは見つけられると思うが……そういえば、全部で何個かは発覚したのだろうか?

 

「そりゃそうだが、結局分霊箱は全部でいくつあるんだい? 髪飾りからは分からなかったのか?」

 

パチュリーに問いかけを放ってみると、彼女は面倒くさそうに首を振りながら答えを返してきた。

 

「残念ながら髪飾りは三番目に作られた分霊箱だったから、正確な数は未だ不明よ。日記帳、ゴーントの指輪、そしてレイブンクローの髪飾りの順番ね。」

 

「ダンブルドアの推理によれば、ボージン・アンド・バークス時代にどこぞの資産家魔女を殺して、ハッフルパフのカップとスリザリンのロケットを手に入れたらしいから……それが分霊箱だとすれば五つか。本人も含めて六つに分かたれた魂。それで全部だと思うかい?」

 

「あくまでも予想になるけど、六つで止めるくらいならもう一つ作るんじゃないかしら? 七ってのは魔法的に力のある数よ。リドルはそういうことに拘るタチみたいだし、有り得ない話じゃないと思うわ。」

 

「ふぅん? 六も結構良い数字だと思うんだが。……ほら、モルガナの六芒星とか、あとは何だっけ? 黙示録の獣? とか。」

 

私がぼんやりした知識で問いかけてみると、パチュリーは鼻で笑いながら訂正を加えてきた。……なんかムカつくな。こいつはやっぱり教師には向かないようだ。

 

「あのね、六芒星が表してるのは七よ。六芒星の上に自分や供物を置くことで、七番目の存在を力付けているの。それに黙示録の獣の頭は七つ。666が表しているのは人間の不完全さだわ。魔法的に見れば六よりも七の方がよほど強力な数字なのよ。イギリス出身のブリジット・ウェンロックが証明済みじゃない。ホグワーツの卒業生でしょ? 知らないの?」

 

「ご高説どうも。……とにかく、後一つ未知の分霊箱がある可能性が大きいわけだ。もう少しヒントを探す必要があるね。」

 

決めた。今度からこういう質問はアリスに聞こう。アリスなら快く教えてくれるはずだ。もっと丁寧に、もっとやんわりと、もっと優しい笑顔でな! お前のようにネチネチとなんか言ってこないぞ! この陰湿ジメジメ魔女が!

 

ジト目になった私の言葉に、パチュリーは頷きながら同意してくる。

 

「まあ、その辺はアリスかダンブルドアの領分でしょ。リドルの人となりを知らない以上、私たちがいくら考えたって無駄よ。」

 

「そりゃそうだ。……それじゃ、私はダンブルドアへ手紙を書きに行こう。善は急げ、悪も急げ、だ。」

 

立ち上がって執務室へと向かおうとするが……くそっ、パチュリーが私の服を掴みながら羊皮紙の束を突きつけてくる。おのれ悪しき魔女め。まだその妄想図書館に付き合わせる気か。討伐隊を組むぞ。

 

「待ちなさい、リーゼ。他人の意見もちゃんと取り入れたいのよ。貴女の話を聞いたんだから、今度は私の話を聞くべきだと思わない?」

 

「離すんだ、パチェ。私はキミの図書館になど微塵も興味がない。こあが帰ってきたら延々話してればいいじゃないか。他には誰も聞きやしないぞ。」

 

「本音が出たわね、性悪吸血鬼! 逃がさないわよ。せっかく考えたんだから、誰かに話を聞いて欲しいの! 自慢したいの!」

 

「壁にでも話していたまえ! キミはそれが大得意だし、大好きだろう? 壁はキミのことが嫌いだろうがね!」

 

服を握りしめて離さないパチュリーをぐいぐい引っ張っていると、やがて彼女は窓の外を指差しながら高らかに宣言してきた。

 

「ええい、弾幕ごっこで勝負よ、リーゼ! 私が勝ったら夏休み中は図書館の話に付き合ってもらうわ! ずっとね。ずっと!」

 

「いい度胸じゃないか。私が勝ったら二度とその『妄想』には付き合わんからな。壁と仲良くお茶会を開きたまえよ?」

 

「ふん、吠え面かかせてやるわ。表に出なさい!」

 

「んふふ、十分後が楽しみだね。またむきゅむきゅ言ってるに違いない。」

 

お互いに罵倒を飛ばしながら窓から外へと浮かび上がる。……負けるわけにはいかんぞ。あんな馬鹿みたいな改築案に付き合ってたら、ノイローゼでおかしくなってしまう。夏休み中はゴロゴロすると決めてるんだ。

 

妖力を身体中に漲らせつつ、アンネリーゼ・バートリはクソ暑い真夏の昼空へと翼を広げるのだった。

 



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家庭訪問

 

 

「ここが噂の監獄か。確かに『マグルらしさ』全開の家だね。」

 

プリベット通りの一軒家の前に立ちながら、アンネリーゼ・バートリは初めて見るダーズリー家に鼻を鳴らしていた。特徴のない、つまらん家だな。

 

隣には咲夜と魔理沙、そして犬人間のシリウス・ブラックが一緒に立っている。クィディッチワールドカップの会場へと向かうために、この家に収監されている生き残った男の子を迎えに来たのだ。

 

もちろんながら私がこの場にいるのには理由がある。極悪非道な陰湿魔女、パチュリー・ノーレッジから逃げるためだ。弾幕ごっこで今世紀最大の努力を見せた紫もやしに敗退した私は、夏の間中イカれた図書館談義を聞くことになってしまった。

 

……いや、まさかあそこまで必死になるとは思わなかったぞ。普段見せない機敏な動きで飛んでいたし、貯め込んでいた賢者の石を湯水のように使っていたのだ。それに……うん、昼だったから。夜なら勝ってた。絶対勝ってた。

 

とにかく、既に現場で政治家ごっこをしているレミリアの下へと二人を送ったら、サボり魔二人の食い道楽へと合流する予定だ。もう夏休みの間は紅魔館になどいられまい。私はまだたった五百年しか生きていないのだ。ノイローゼで死ぬには早すぎるぞ。

 

ブラックだけでは心配だということで、本来はアリスが一緒に来る予定だったわけだが、パチュリーから逃れるために無理を言って代わってもらった。……すまんな、アリス。極悪魔女は私がいなくなればきっとキミに図書館談義を仕掛けるだろう。キミの自己犠牲は忘れんぞ。

 

テンプレート的な家を前にアリスの冥福を祈っていると、興味深そうに辺りを見回していた魔理沙が口を開いた。

 

「なあなあ、なんで同じ形の家が沢山あるんだ? そういう決まりなのか? 法律とか?」

 

「うーん、景観の問題なのかしらね? それとも考えるのが面倒くさかったとか? マグルの考えることはよく分かんないわ。」

 

咲夜もまた、首を傾げながら返事を返す。……そういえばそうだな。一帯全部とは言わないが、同じ形の家がちらほらあるのだ。実に無個性で、実につまらん。魔法使いの家は多種多様で面白いぞ。

 

全員で首を捻っていると、愛しの名付け子に早く会いたいブラックが私たちを急かしてきた。彼にとってダーズリー家の形はさほど重要なことではないらしい。

 

「ここにいるのは生粋の魔法使いと吸血鬼だ。考えたって答えは出ないさ。それより、あー……柵でドアまでたどり着けないな。ドアノッカーはどうやって叩けばいい?」

 

「アリスはノッカーじゃなくって『チャイム』があるって言ってました。でも……鐘、ないですね。」

 

咲夜の言葉に従って全員でそれらしきものを探すが、ベルのようなものは見当たらない。おいおい、マグルの家ってのはどうやって来客を知るんだ? 普通に柵をぶち破って、ドアを蹴破ればいいのだろうか?

 

「ブラック、キミはマグル学を取らなかったのかい? なんかこう、そういう装置があるんだと思うんだが……。」

 

「残念ながら取ってませんよ。……もう普通にノックしましょうか。柵の鍵は魔法で開ければいい。」

 

「『臭い』でまたハリーに警告状が届いたりしないだろうね?」

 

「その時は私たちで説明すればいいでしょう。どうせ後で姿くらましをするんです。気にするだけ無駄ですよ。……それより、無作法じゃないかが心配ですね。あんまり妙なことをすると、ハリーの扱いが悪くなる可能性がある。」

 

元極悪殺人犯が訪ねてくる時点で大概だと思うぞ。ブラックの妙な心配に呆れ顔を浮かべたところで、魔理沙が塀にくっついている謎の機械を指差しながら推理を放ってきた。黒くて、平べったい機械だ。

 

「これじゃないか? 香霖の……あーっと、故郷の道具屋で見たことあるぜ。確か来客を知らせる装置だったはずだ。まあ、あの時は結局動かなかったけどな。」

 

「ふーん? どうやって使うのかしら? ……わっ、なんか押しちゃった。」

 

咲夜が謎の機械をペチペチ叩いていると、いきなり呼び出し音らしきものが機械から聞こえてくる。……私たちに聞かせても意味なくないか? マグルは本当にアホだな。

 

四人で疑問符を浮かべながら機械を囲んでいると、やがて機械から女の声が聞こえてきた。

 

「どなたかしら?」

 

「あー……こちらはダーズリー氏のお宅でしょうか! 私はハリーの名付け親の、シリウス・ブラックと申しますが! キングズクロス駅でお会いしたことがあるはずです! ブラックです! シリウス・ブラックです!」

 

住宅街に響き渡る大声で念入りに名乗ったブラックの声を受けて、機械は……おや、切れたみたいだ。電話で聞いたことのあるような、ブツッという音と共にうんともすんとも言わなくなってしまった。

 

「……聞こえなかったか? もっと大声で言った方が良かったかもしれないな。」

 

「壊れてるのかもしれませんよ。塀にくっつけるだなんて、雨に濡れちゃいますし。何考えてるんでしょう?」

 

うーむ、ブラックと咲夜は機械の不調を疑っているが、私としてはダーズリー家が恐慌状態に陥った説を推したいな。どうも魔理沙も私と同じ考えのようで、かなり気まずそうな顔で二人を見ている。

 

そのまま機械を叩いたりして数分待ったところで、家の柵が開いてハリーが飛び出してきた。やれやれ、ようやく話が進みそうだ。

 

「シリウス! それに……みんなも! 早く入って。バーノン叔父さんが怒ってるんだ。その、ご近所さんに知られるって。」

 

「ああ、ハリー! 元気そうでなによりだ。それじゃあ、お邪魔させてもらおう。」

 

嬉しそうなブラックの背に続いて、全員でドアを抜けてみると……おお、廊下の先に立つ叔父が形容し難い顔色でこちらを睨みつけている。子豚ちゃんと叔母はいないな。避難させたか?

 

「これは、バーノンさん。お久しぶりです。つまらない物ですが、これを。いつもハリーの世話をしてくれているお礼です。『転がりぶどう』がお好きならいいんですが……。」

 

「ン……ウム。」

 

笑みを浮かべたブラックがゴソゴソ動く四角い包みを渡すと、叔父は爆発物でも扱うかのような慎重な手つきでそれを受け取った後、体型に見合わぬ機敏な動きで何処かへ持って行ってしまった。どうやらぶどうはあまりお好きではないようだ。

 

「参ったな、ぶどうは嫌いだったか?」

 

「んー、えっと、そんなことないよ。マグルのぶどうは動いたりしないから、珍しかったんじゃないかな。うん。」

 

ハリーと話すブラックの背に続いてリビングらしき場所に入ると、キッチンの……オーブンか? それっぽい装置にぶどうの箱をしまっている叔父が見えてきた。珍妙な行動をするヤツだな。マグルはぶどうを焼くのか?

 

「あいつ、爆発すると思ってるぜ。賭けてもいい。」

 

「さすがにそんな馬鹿じゃないでしょ。ぶどうは爆発しないわ。……しないわよね?」

 

するぞ。昔したのを見たことがある。咲夜と魔理沙のコソコソ話を背に椅子へと座ると、ハリーが私の背を見て困惑したように話しかけてきた。今更気付いたのか。どうやらハリーも結構動揺していたようだ。

 

「あれ、今気付いたけど……翼はどうしたの?」

 

「魔法で消してるんだよ。さすがにそれくらいの常識はあるさ。」

 

「あー……うん、それならインターホンについても調べておいて欲しかったかな。」

 

いんたーほん? ハリーと私が話している間にも、ブラックは余所行きの笑みを浮かべながら叔父へと話しかけ始めた。……ふむ、アリスの時よりビビってるな。どうやら叔父にとってはキュートな魔女よりも、おっさん凶悪殺人鬼の方が怖いらしい。どす黒い顔で三重顎をぷるぷる震わせている。

 

「それで、そう。今日はハリーを迎えに来たんです。クィディッチのワールドカップに連れて行くために。……クィディッチはご存知ですよね?」

 

「……ウム、小僧から話は聞いておる。『お前たち』の馬鹿げたスポーツだとか。何処へなりともさっさと連れて行ってくれ。」

 

「いや、しかしながら、貴方も心配でしょう? つまり……ハリーのことが。何日も預かることになるわけですから、何処でどのような生活になるのかをきちんと説明しておきたいんです。」

 

「心配しておらん。説明はいいから、もう行ってくれ。その……クイッチとやらを観に。」

 

叔父は『非常識な』連中が家にいるのが我慢ならないのだろう。もうさっさと出て行って欲しくて堪らないようだ。……しかし、残念ながら好印象を与えたくて仕方がないブラックにはその思いが通じなかったらしく、元殺人犯は朗らかな笑みでクィディッチの説明をし始めた。

 

「クィディッチです。魔法界では人気のスポーツで、ハリーもシーカーをしているんですよ? ……さすがにそれはご存知ですよね? 他にはチェイサーとビーター、それにキーパーというポジションが──」

 

これは果たして誰にとっての悪夢なのだろうか? 目の前でどうでもいい会話を繰り広げられている私か、どす黒い顔で死刑宣告でもされたような表情になっている叔父か、やってしまったという顔になっているハリーか。かなり迷うところだな。

 

大好きなクィディッチの説明を繰り広げているブラックと、それをどう止めようかとオロオロしているハリーを眺めていると……部屋の隅でコソコソ何かをしているやんちゃ娘たちの話し声が聞こえてきた。あっちはあっちで『探検』を楽しんでいるようだ。

 

「ふふん、これは知ってるわよ。てれびじょんだわ。妹様とピコピコをする時に使ってるもの。」

 

「てれびじょん? そういえばロンドンの街を歩いた時に見たな。これよりずっとでかかったけど。ビルの上の方についてたんだ。」

 

「ビルの上に? それはまた……よっぽどピコピコが好きな人なのね。きっとお金がかかるでしょうに。」

 

「というか、ピコピコってなんだよ。マグルのスポーツか?」

 

ううむ、側から聞いてると素っ頓狂な会話だな。ハーマイオニーなんかが聞いてたら嬉々として訂正を加えまくるに違いない。……私もちょっと気をつけよう。バカにされるのは御免だぞ。

 

そうこうしている間にも、ハリーはとうとう名付け親を止めることに成功したようだ。ブラックの『大演説』がストップしたのが聞こえてきた。

 

「──ですから、魔法使いのテントには充分な居住性が確保されているのです。料理もできますし、ベッドもきちんと付いている。ハリーは何不自由なく……どうした? ハリー。まだ説明はあるぞ?」

 

「もう大丈夫だよ、シリウス。ね? バーノン叔父さん。僕が説明済みだよね? ね?」

 

「ウム! その通りだ! 小僧から全て話は聞いておる。何一つ心配しておらん。だからもう充分だ。早く行ってくれ。」

 

実に感動的な光景ではないか。普段いがみ合っている二人が、迷惑な殺人鬼を追い払うために協力し合うとは……団結力を手に入れるためにはやはり外敵が必要だったようだ。

 

私がまた一つ賢くなったところで、『外敵』が曖昧に頷きながら口を開いた。

 

「ん、まあ、それならよかった。それじゃあ、ハリーをお預かりします。新学期の前に一度こちらに帰すことも出来ますが……。」

 

「いや、結構だ。小僧もその方がよかろう?」

 

「うん。問題ないよ。」

 

ハリーどうこうというよりかは、ブラックがもう一度来るのが嫌なのだろう。再び見事な連携を見せた二人に向かって、ブラックは了解の返事を投げかける。

 

「そうですか? それじゃ、お暇させていただきます。……ハリー、私の手を取ってくれ。お嬢さん方はバートリ女史の手を。姿くらましで移動する。」

 

「えっと……リーゼも魔法は使えないんじゃないの? それに、『バートリ女史』?」

 

「おっと、あー……それはだな、えー……。」

 

よかったな、ハグリッド。演技指導のお仲間ができたぞ。どうやらこの男も演劇の才能は皆無のようだ。大根畑にまた一本無能大根が増えてしまった。今度は尻尾の生えた犬コロ大根だ。

 

馬鹿犬へと呆れた視線を送りながら、ハリーに向かって適当な言い訳を話し出す。私が吸血鬼でよかったな、ブラック。吸血鬼は嘘をつくのが大得意なんだよ。

 

「ハグリッドと一緒だよ。ブラック家は結構な名家だろう? 多少歴史を知っている分、バートリの名前にビビってるのさ。……それに、制限法が適用されるのは未成年で『人間』の魔法使いだ。吸血鬼じゃない。」

 

「そうだったの? ……羨ましいな。でも、姿くらましが出来るのは知らなかったよ。成人しないと使えないって聞いてたけど。」

 

「そっちも『人間』向けの法律だしね。法の隙間ってやつだよ。……ま、実はそんなに難しい魔法じゃないのさ。ホグワーツじゃ妨害呪文のせいで使えないけどね。」

 

嘘、嘘、嘘のオンパレードじゃないか。……積み重ねてるといつかしっぺ返しがきそうだな。大体、姿くらましは普通に難しい呪文だし、未成年に対する制限法やら機密保持法やらが吸血鬼に適用されないのかもさっぱりなのだ。頼むから調べようとしないでくれよ、ハリー。

 

「そう、そういうことだ! それじゃあ、早速行こうじゃないか。ハリー、お嬢さん方、きちんと掴まるんだぞ? 『バラけ』たくはないだろ?」

 

馬鹿犬が慌てて言うのに従って、咲夜と魔理沙が私の左手にしがみ付いた。……そんなにギュッとしなくても大丈夫だぞ、二人とも。今更『バラけ』るような失敗はしない。美鈴の犠牲のお陰で上手くなったのだ。

 

「それじゃあ、失礼します、バーノンさん。」

 

ブラックの言葉と同時に杖を振って、規定のキャンプ場へと付添姿あらわしする。ヌルリと管を通り抜けるような感覚の直後……夕暮れの森が視界いっぱいに広がっていた。なんともまあ、辺鄙な場所だ。ただの森の中じゃないか。

 

「おっと、すぐに退いてくれ。輝きの丘からの集団がもう少しで到着するんだ。『混ざ』っちまうぞ。」

 

そりゃ御免だ。誘導役らしき魔法使いに従って姿あらわしの定位置となっている広場を離れると、彼は手元の羊皮紙を見ながら私たちの名前を聞いてくる。面倒くさそうな表情を見るに、何度も繰り返しているやり取りなのだろう。

 

「それで、あんたらの名前は?」

 

「ブラックだ。シリウス・ブラック。」

 

「スカーレットで予約されているはずだよ。レミリア・スカーレット。」

 

おやおや、可哀想なことに、誘導役の魔法使いは腰を抜かしてしまった。ちょっと面白いな。よく考えれば、結構なビッグネーム二人なのだ。

 

「あんた……ああいや、無罪になったんだったか。でも、あんたはスカーレット女史じゃないぞ。あの方の顔くらいは新聞で見たことがある。」

 

「親戚だよ。本人はもう来てるはずだし、ちょっと遅れて合流するのさ。……ほら、これでどうだい?」

 

翼を現して言ってやれば、魔法使いはへたり込みながらコクコク頷いてきた。そのまましばらくは呆然と私の翼を眺めていたが……おや、再起動だ。やがて自分の職務を思い出したらしく、慌てた様子で手元の羊皮紙を捲り始める。

 

「あー……はい、二人とも、向こうに四百メートルほど行った先にあるロバーツさんという方がやっているキャンプ場だ……です。」

 

「どうも。お仕事頑張りたまえ。」

 

ひらひら手を振りながら言葉を放り、指差された方向へと歩き出す。こういう仕事も魔法ゲーム・スポーツ部がやっているのだろうか? だとすれば結構な激務だな。

 

普段何をやってるのかわからん魔法省の窓際部署について考えていると、魔理沙が私の横に歩調を合わせながら話しかけてきた。その顔は興味一色で塗りつくされている。

 

「よう、リーゼ。さっきのは私も使えたりしないのか? ハリーとの話を聞く限りだと、なんかの制限があるっぽいけど。」

 

「残念ながら、十七歳以上にならないと使えないよ。私が何故使えてるかは……キミなら分かるだろう?」

 

「あー、なるほどな。……残念だぜ。瞬間移動ってのにはちょっと憧れるんだけどな。」

 

「厳密に言えば瞬間移動ではないらしいけどね。まあ、詳しい話はアリスにでも聞きたまえ。私はよく知らないよ。」

 

昔なんかの機会に話してくれた気もするが、ちんぷんかんぷんで放り投げたはずだ。……ま、一々理論など知る必要はないだろう。空気力学など知らなくてもコウモリは空を飛ぶし、栄養学を知らない吸血鬼も血を吸うのだから。

 

そのままちょっと残念そうな魔理沙がハリーや咲夜とのクィディッチ談義に戻ったところで、今度はブラックが隣を歩きながら話しかけてきた。

 

「いや、さっきはすみませんでした。ダーズリー氏を前に緊張してたようでして。」

 

「別にいいさ。大根役者はハグリッドで慣れてるしね。これでキミも違和感なく話しかけられるだろう?」

 

「そうですね。……でも、リリーのお姉さんにも会っておきたかった。この前もまともに話せなかったんです。」

 

「やめといた方がいいと思うよ。リリー・ポッターからは話を聞かなかったのかい? 叔母の方はどうも魔法を良く思っていないようじゃないか。」

 

少なくともアリスの話によればそのはずだし、私も数度会った限りではそんな風に見えたぞ。毛嫌いしているというか、憎んでいるってレベルだ。……劣等感なのだろうか?

 

しかしブラックにはまた別の考えがあるようで、首を振りながら話を続けてくる。

 

「確かにそんな話はしていましたが……それでも、心の底ではリリーのことを想っているのではないでしょうか? でなければハリーを預かったりはしないはずです。私はそれを信じたい。」

 

「ふぅん? ……まあ、受け取り方は人それぞれだ。ダンブルドアなんかは同意するだろうが、私には少し無理があるように思えるね。どうせ世間体やらを気にした結果だろうさ。」

 

「そうでしょうか? リリーもそう信じたからこそあの魔法を遺したのでは? ……いや、結局は結論の出ない話ですね。忘れてください。」

 

少し自嘲げなブラックがそう言ったところで、管理人らしきマグルのいる石造りの小屋へと到着した。横にある門の向こうには既に大量のテントが設置されているのが見える。……愛、ね。ふん、くだらん。

 

「どうも。ブラックで予約されているはずなんだが。」

 

「あいよ。……ブラックさん、テントを一張り、二週間。合ってるかい? 合ってるなら払うもん払ってくれ。」

 

「それで間違いない。……あーっと、ハリー、手伝ってくれないか?」

 

ハリーの助けを借りてマグルの通貨を数えているブラックを横目に、私も管理人へと問いを放つ。

 

「スカーレット家のテントはどの辺だい?」

 

「スカーレット? ああ、あのどでかい真っ赤なテントか。向こうの方だ。馬鹿みたいに目立つから、行きゃわかるよ。……それよりお嬢ちゃん、その羽はなんだ? ハロウィンにはまだ早いぞ。」

 

「お気遣いどうも。ロンドンじゃこれが流行ってるのさ。」

 

「ハン! 都会者ってのは変わってるな。」

 

皮膜の良さを理解できないバカがここにもいたか。翼を指差しながら適当に言ったところで、ようやくブラックは通貨の違いを認識したようだ。……こと通貨に関してはマグルの方が分かりやすいはずだぞ。

 

ブラックが愛想笑いを浮かべながら管理人に金を払ったところで、管理人はお釣りを四角い空き缶から出しながら声をかけてきた。

 

「おめえさんたちも外国人かね? 金勘定ができねえのは、おめえさんが初めてじゃねえ。さっきの奴なんか、車のホイールキャップぐれえのでっけえ金貨で払おうとしてきた。」

 

「なるほど。それはまた、迷惑な客だ。」

 

「何でか知らねえが、俺の人生でも今が一番繁盛してんだ。……何百って数の予約。一体全体何が起きてんだ?」

 

「あー……私にはさっぱりだよ。」

 

困り果てたブラックへと釣銭を渡すことなく、管理人は疑わしそうな顔でテントの群れを見ながら続きを話す。

 

「奇妙な連中ばっかりだ。変な服装で、変なことを喋ってやがる。……犯罪が関わっちゃいねえだろうな? 昔もあったんだ。脛に傷のあるような連中が、ここで良くない物の取引を──」

 

オブリビエイト(忘れよ)!」

 

おおっと、いきなりブラックの隣へと姿あらわししてきた魔法使いが、管理人へと忘却術を放った。容赦なしだな。マグル対策口実委員会の連中も大忙しのようだ。

 

途端にトロンとした表情になった管理人からブラックが地図と釣銭を受け取ったところで、小屋の外へと私たちを追いやりながら忘却術師が話しかけてきた。

 

「あの男は忘却術を日に十回はかけないと変な疑いをかけてくるんだ。……うんざりだよ。なるべく近寄らないように気をつけてくれ。」

 

「あー……そうしよう。」

 

無精髭に濃い隈、そしてヨレヨレのローブ。この忘却術師が過労死する日も近いな。イギリスの大多数の魔法使いはワールドカップを喜んでいるだろうが、彼らにとってはただの悪夢なのだろう。

 

ブラックの返答を受けて疲れたように再び姿くらましをする忘却術師を見送ったところで、門を抜けてテントの群れへと突入する。……いやいや、これは管理人が疑うのも仕方ないぞ。まともな『テント』が全然無いじゃないか。

 

煙突やら塀やらがついているテントはまだマシな方だ。三階建ての庭付きテントや、バルコニー付きのショッキングピンクのテント、そしておまけに孔雀が数羽繋がれているテント。マグル学の重要性が今はっきりと分かったな。あの授業は必修科目にすべきだぞ。

 

「私でも分かります。これは間違ってる。」

 

「素晴らしいよ、咲夜。キミがまともな感性を持っていてくれて私は嬉しい。」

 

虎柄の尖塔付きテントを指差しながら言う咲夜にため息混じりの返答を返していると……あの、威張りたがりの、自意識過剰の、ポンコツチビの、大馬鹿コウモリめ! 頭がおかしいのか、あいつは! 真っ赤な超巨大テントが見えてきた。

 

庭もある、バルコニーもある、噴水も、尖塔も煙突もある。欠けているのは孔雀だけだ。魔法使いのアホなところを凝縮したようなあのテントこそが、管理人の言っていた『馬鹿みたいに目立つ』テントに違いない。つまり、我がセンスのおかしい幼馴染のテントだ。

 

「わあ……これは、あれですね。あの、あれです。」

 

「無理にフォローしなくていいよ、咲夜。『わあ』の部分が全てさ。レミリアは頭がおかしいんだ。……私は悲しいよ。吸血鬼がアホの仲間だと思われてしまう。」

 

「ぶっちぎりで狂ってるな。これをテントと呼ぶヤツはいないぜ。」

 

スカーレット卿も地獄で泣いてるぞ。魔理沙が天辺にはためくスカーレット家の紋章を指差しながら言ったところで、ブラックが精一杯の愛想笑いを浮かべて口を開いた。ちなみにハリーは口をあんぐり開けてサーカスでも開けそうなテントを見つめている。

 

「まあ、スカーレット女史らしいテントじゃないですか。これなら誰も間違わないでしょう。」

 

「今すぐ火を点けてやりたい気分だよ。これほど馬鹿みたいなテントは歴史上に存在しないだろうさ。今までも、これからもね。」

 

いっそ燃やしてしまおうか? ……いや、ダメか。咲夜と魔理沙の泊まる場所がなくなってしまう。夏とはいえここは少し冷えるのだ。風邪でも引いてしまったら大変だろう。

 

無意識に抜いていた杖をそのままに、大きくため息を吐いてから口を開く。

 

「それじゃあ、私はもう行くよ。キミたちはあの……テントらしき物体でレミィを待ちたまえ。それと、私が文句を言っていたことは必ず伝えるように。必ずだ。」

 

「あの……はい、伝えます。」

 

「あそこに泊まるのかよ……まあ、あんがとな、リーゼ。試合を楽しませてもらうぜ。」

 

咲夜と魔理沙に声をかけた後は、ブラックとハリーの方へと向き直る。もう一刻も早くここを離れたいのだ。あのテントを見てると羞恥心でどうにかなっちゃうぞ。

 

「私はここで失礼するよ。キミたちも存分にワールドカップを楽しむといい。」

 

「行っちゃうの? ロンもハーマイオニーも後から来るんだし、せめて一試合くらいは観ていけば?」

 

「んふふ、私は私で夏休みを楽しむのさ。ヨークシャーの方に行ってワインを飲みまくるんだ。それと、ステーキも食いまくる。牛が絶滅するくらいにね。」

 

「そっか。僕は飲んだことないけど……うん、そっちも楽しそうだね。」

 

絶対に楽しいはずだ。少なくとも紅魔館で魔女の念仏を聞かされるよりかは百倍良い。私を待つ牛たちを思ってうんうん頷きながら、今度はブラックに向かって声をかけた。

 

「ブラックも、ハリーのことを頼んだよ。ウィーズリー家の連中も後で来るはずだ。」

 

「ハリーたちのことは任せてください、バートリ女史。そちらも楽しい休暇になることを祈ってます。」

 

「ああ、存分に楽しませてもらおう。」

 

言いながら杖を振って、美鈴に教わった場所へと姿くらましする。ワイン、ステーキ、ワイン、ポークチョップ、そしてワインだ。今年の夏休みは楽しくなりそうじゃないか。

 

姿くらまし独特の感覚に再び身を委ねながら、アンネリーゼ・バートリは満面の笑みを浮かべるのだった。

 



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もう一つのゲーム

 

 

「んー、残念だったわね。」

 

ワールドカップ特設スタジアムの貴賓席で、レミリア・スカーレットは隣に座るギリシャの魔法大臣へと話しかけていた。トガのような白いマントが特徴的だ。スーツと絶望的に合ってないな。

 

ワールドカップの日程は順調に消化され、今日はとうとう準々決勝の日となったのだ。外交のために何回も観たせいで、クィディッチにはめちゃくちゃ詳しくなってしまった。今の私にはブラッチングとブラッギングとフラッキングの違いが分かるぞ。

 

そんなこんなで行われたギリシャ対スペインのナイトゲームだったが、結果は170対190。スペインの大逆転勝利で幕を下ろしたのだ。百三十点もリードしていたのにも関わらず、ギリシャのシーカーは最後の最後でスニッチを取りこぼしてしまったのである。試合後に号泣していたのが実に哀れみを誘う光景だった。

 

「そうですね。……まあ、我が国の選手は健闘してくれました。評価が低かったのにも関わらず、準々決勝までこれたのですから。」

 

拙い英語で残念そうに言うギリシャ魔法大臣に、うんうん頷きながら同意を返す。内心どう思っているにせよ、ニコニコ顔で同意するだけならタダなのだ。タダなら使う。それが政治だ。

 

「勝負は時の運ってやつね。それがクィディッチならなおさらよ。……でも、試合前のマスゲームは今まで見た中でギリシャが一番だったわ。グリフィンの空中曲技なんて、他の国じゃ絶対に真似出来ないでしょうしね。」

 

これは紛うことなき本音だ。巨大な猛禽の編隊が軽やかに夕空を舞う姿は、私をして見事だと思わせる出来栄えだった。途中で弱火になってしまったスペインのサラマンダーとは大違いだ。餌の胡椒が足りなくなったせいで、火力を維持できなくなってしまったらしい。

 

「おお、それは嬉しいお言葉です。……一頭いかがですかな? 友好の証にお贈りしますよ?」

 

「んー……嬉しい提案だけど、やめとくわ。餌に馬を食べるんでしょう? 残念ながらイギリスじゃウケないわね。」

 

「なるほど、確かにそちらではあまり喜ばれないでしょうね。……それでは、私はこれで失礼させていただきます。選手たちを励ましに行かなければ。」

 

おっと、外交ゲームも終了か。立ち上がった魔法大臣に合わせるように席を立ち、手を差し出しながら言葉を放つ。

 

「今日は話せて良かったわ。また何かあったら気軽に声をかけてね。……選手たちにも良い試合だったと伝えて頂戴。」

 

「私も貴女と観戦できて光栄でした。妻へのいい自慢になります。選手たちもきっと喜ぶでしょう。」

 

しっかりと握手を交わしてから、去って行く大臣と護衛たちを見送る。……よしよし、ギリシャは好意的、と。高名な魔法戦士が多い国なのだ。関係を築いておいて損はあるまい。

 

「……ふぅ。」

 

もう一度椅子に座り直してから、この後の予定を脳裏から引っ張り出す。優先すべきはフランスの大臣だな。昨日敗退してしまったから、今日にも帰ってしまうはず。その前に会食を……いや待て、ウガンダの代表も捨て置けまい。アフリカのワガドゥ魔法学校はヨーロッパ大戦の時も積極的に味方してくれたのだ。今の代表は校長を務めたこともあったはずだし、そっちの話もしておきたい。

 

こうやって予定を組み立て、愛想笑いを浮かべ、時には冷たい脅しを放つ。非常に面倒な仕事だ。面倒な仕事だが……うむ、悪くないぞ。昔は嫌々行っていた政治ゲームも、今の私には楽しみとなりつつある。

 

努力すればするほどに、レミリア・スカーレットは大きく、強くなっていくのだ。じわじわと各地に広がっていく私の影は、私をより偉大に、より眩しい存在へと彩ってくれる。かつてお父様が吸血鬼のコミュニティでやっていたそれとは比較になるまい。盤となっているのはイギリスだけではなく、全世界なのだから。

 

もちろん当初の目的を忘れてはいない。本来リドルを追い詰める為にやっていることだし、今だってその為の努力は重ねている。……だがまあ、それが無くとも私はこのゲームをやめないだろう。リーゼもフランも関わっていない、私だけのゲーム。これはレミリア・スカーレットの挑戦であり、愉しみなのだ。

 

……よし、決めた。ウガンダが優先だ。フランスはどうせ三大魔法学校対抗試合でも関われる。それなら今はウガンダと関係を深めた方がいいはずだ。向こうじゃ杖なし呪文は普通に使われているようだし、変身術においては世界一の技術を誇ると聞く。ひょっとしたら大きな戦力になるかもしれない。

 

立ち上がってスタジアム中央上部の貴賓席から、関係者用の階段に向かって歩き出す。ちなみに我らがイングランドはとっくの昔に敗退した。二日目の試合で390対10でトランシルバニアにボッコボコにされたのだ。……別に最初から期待しちゃいなかったが。

 

これで準決勝へと確実に駒を進めたのは今勝ったスペインと、昼のゲームで勝利したペルーとアイルランド。今頃もう一つのスタジアムでブルガリア対エジプトの試合を行なっているだろうが、大方の予想通りならもう一枠にはブルガリアが勝ち上がってくるはずだ。いやはや、ここまで大量の試合を観ていると、さすがにどこが勝つのか気になってくるな。政治的に関わりが深いのはアイルランドとブルガリアだが……まあ、クィディッチの勝敗なんて予想するだけ無駄か。

 

思考に耽りながら色とりどりのランタンに照らされるスタジアム前の道を歩いていると、不意に驚いたような声が聞こえてきた。

 

「これは……スカーレット女史。」

 

声の方向へと振り返ってみれば……なんともまあ、懐かしい顔ではないか。我が古き宿敵、バーテミウス・クラウチだ。嘗てと同じようにキッチリとスーツを身に纏い、山高帽の下には厳格そうな顔を引っさげている。老いてはいるが、あんまり変わってはいないな。

 

「あら、クラウチ。久しぶりじゃないの。……そういえば国際魔法協力部に居たんだったわね。どうして今まで顔を見なかったのかしら?」

 

「貴女が相手をしてくれているなら、私などは必要ないでしょう。他方のスタジアムを接待していたのですよ。……準決勝からは同時に試合が行われなくなりますから、嫌でも顔を合わせることになるはずです。」

 

「それはなんとも楽しみだわ。……まあ、過去は水に流してワールドカップを成功させましょう。イギリス魔法省のために、ね。」

 

うーむ、我ながら何とも空虚なセリフだな。私のせいで主流街道から切り離されたのだ。内心でははらわた煮えくりかえっていることだろう。

 

とはいえ、クラウチの政治力はなおも健在のようで、表情を変えないままでゆっくりと頷いてきた。

 

「もちろんです。仕事は仕事。私情を挟むつもりなどは毛頭ありませんよ。……それでは、私はブルガリアの魔法大臣と夕食の約束がありますので。」

 

「ええ、そっちも頑張って頂戴。」

 

適当に返事を返してから、真逆の方向へと歩き出す。うーん、少し痩せたようにも見えたな。別に同情なんてしないが、なんかこう……物悲しい気もする。昔はあれだけ苦労させられた政敵なのだ。落ちぶれた様子を見ると時の流れというものを感じてしまう。

 

ま、これが政治だ。どれだけ輝かしい勝利を積み重ねようと、一度負ければ奈落の底まで落ちて行く。どれだけ必死に這い上がろうとしても、嘗て自分が蹴落とした者たちがそれを阻むのだ。それが嫌なら勝ち続けなければならない。……いやはや、業の深い世界だな。

 

そして我が情けない人形大臣、コーネリウス・ファッジはそれを恐れている。今や予言者新聞の一言一句に怯え、魔法大臣の席に震えながらしがみついている始末だ。……ふむ、そろそろ切り時か? あの男が無能なのはもはや周知の事実。次の大臣はさぞ楽な仕事になるだろう。普通にやるだけで前任者を遥かに凌げるのだから。

 

次の魔法大臣は……手持ちの札から出すならアメリア・ボーンズしかないな。他にも優秀な者は居るが、ちょっとばかり歳が若すぎるのだ。となればスクリムジョールを魔法法執行部の部長に上げる必要があるし、そうなれば次の闇祓い局局長も考えねばなるまい。

 

順当に行けばガウェイン・ロバーズだが、実力で見ればキングズリー・シャックルボルトも捨てがたい。聖28一族なら純血派のウケもいいだろうし……うーん、スクリムジョールと話し合う必要があるな。向こうの面子の問題もあるはずだ。頭越しにやられれば気分も悪かろう。

 

いやぁ、面白くなってきた。中継ぎ大臣の仕事が終われば、いよいよ本格的な魔法省の改革が断行できそうだ。ウィゼンガモットの老人どもにもそろそろ席を空けてもらおう。古い体制の遺物は一掃せねばなるまい。……もちろん、私以外の話だが。

 

ニヤニヤとした笑みを浮かべつつ、悪巧みを頭に巡らせながらウガンダの代表のテントへと歩くのだった。

 

───

 

そして二日が経ち、いよいよワールドカップの決勝戦の日となった。勝ち上がったのはブルガリアとアイルランド。まあ、大方の予想通りだ。

 

アイルランドはチェイサーの働きにより大差でペルーを破り、ブルガリアはエースシーカーの働きでスペインとの試合を決めた。……正反対のチームだな。ブルガリアのシーカーがスニッチを早めに取れるかが試合の決め手となるだろう。

 

陽が沈む頃に目を覚まし、ベッドに丸まりながら今日の試合について考えていると、ノックの音と共に聞き慣れた名乗りの声が聞こえてくる。

 

「咲夜です。お目覚めでしょうか? レミリアお嬢様。」

 

「んー。入っていいわよ。」

 

「はい、失礼します。」

 

静かに入室してきた咲夜は、クローゼットから私の着替えを取り出し始めた。昔は愛娘に着替えや髪を整えてもらうのは気恥ずかしかったが、今ではむしろ日々の楽しみとなっている。自分でやるよりも気持ちいいのだ。

 

反面、リーゼなんかは決して他人に髪を触らせようとはしない。寝顔を見られるのも嫌いだし、着替えなんか以ての外のようだ。四百年前くらいにお互いの髪を弄っていたような気もするが、そんなおぼろげな記憶がある程度。……あの頃は私が長髪で、リーゼが短髪だったな。

 

古の記憶に想いを馳せていると、準備の整った咲夜が私を促してきた。

 

「今日はこちらの服でいいですか? んー、でも……こっちも捨てがたいですね。どっちにします?」

 

「より紅い方にして頂戴。今日は大事な一戦なんだから、気合いを入れていかなくちゃ。」

 

「かしこまりました。それじゃあ、こっちにしましょう。」

 

されるがままで着替えをしながら、何故か楽しそうな咲夜へと問いを放つ。……まさか着せ替え人形だと思われてないだろうな? ふんふん鼻を鳴らしながら作業する姿は人形を弄るアリスにそっくりだぞ。

 

「魔理沙はどうしてるの?」

 

「ポッター先輩たちと遊びに行ってます。何でもウッド先輩……卒業しちゃったグリフィンドールのキャプテンさんです。に会えたみたいで。きっと昨日の試合について話してるんですよ。」

 

「ふーん。私は仕事であんまり一緒にいられなかったけど、どうかしら? 楽しんでる感じだった?」

 

「ええ、とっても。毎日狂ったように試合を観に行ってましたよ。私やハーマイオニー先輩は有名どころをいくつか観るくらいでしたけど、魔理沙はシリウスさんに連れられて、ポッター先輩やロン先輩とハシゴしてたみたいです。」

 

それは何よりだ。シーズンチケットを手に入れた甲斐があった。……あの金髪の小娘の重要度は私の中で結構高い。咲夜の友達で、恩人。アリスにとってのテッサ、フランにとってのコゼットなのであれば、きちんと気を遣ってやる必要があるだろう。小娘どうこうというよりかは、咲夜が泣くのを見たくないのだ。

 

ちょっと生意気ながらも距離を縮めるのが上手い小娘について考えていると、着替えを終わらせた咲夜が櫛を手に取りつつ話しかけてきた。

 

「今日は一緒に観られるんですよね? ……それとも、今日もお仕事で離ればなれですか?」

 

ぬおぉ、吸血鬼殺しの上目遣いか。これを捌けるのは紅魔館でフランだけだ。上目遣いをやり返すという、凄まじく難易度の高い技でしかやり過ごすことは出来ないのだから。

 

「もちろん一緒よ! 最初にブルガリアの大臣とちょっとだけお話ししなきゃだけど、そこからはずっと一緒だわ!」

 

「えへへ、嬉しいです!」

 

本当はブルガリア大臣の隣で観る予定だったが、こんな咲夜を放っておけるはずがない。どうせバグマンかクラウチあたりも来るのだ。そっちに任せておけば問題ないだろう。……ちなみにコーネリウスには端から期待していない。英語もまともに話せないのに、ブルガリア語なんぞを話せるもんか。

 

きっちりと髪も整ったところで、咲夜と二人で部屋を出る。ふむ、今更ながらに……このテントはちょっと大きすぎたかもしれんな。拡大魔法のかかった内部は、紅魔館の四分の一くらいの広さがあるのだ。つまりは普通のお屋敷一軒分である。結局使わなかった部屋が大量にあるぞ。

 

私の私室、咲夜と魔理沙の部屋、応接室、リビング、キッチン。そのくらいしか使わなかった。……これ、また使う機会があるだろうか? 結構高かったんだが。

 

魔法テント屋のセールストークにしてやられたな。内心でちょっと金遣いを反省していると、リビングに到着した私に咲夜が夕食の準備をしてくれる。

 

「これ、昼間にトランシルバニアの大臣の使いの方が届けてくださったんです。何でも最高級の血だとか。吸血鬼のことをよく知ってらっしゃるみたいで。」

 

「あら、それは楽しみね。トランシルバニアにはうちの分家があったからかもしれないわ。ここ百年くらいは全く連絡がないけど……討伐されちゃったのかしら? ちょっとやんちゃな連中だったし、宜なるかなって感じね。」

 

高価そうなボトルからグラスに注がれた血の匂いを嗅いでみると……おお、これはいいぞ。間違いなく処女の生き血だ。しかも幼い少女の。トランシルバニアの大臣がどうやって入手したのかは知らんが、吸血鬼に対する正しい贈り物というものをよく理解しているらしい。

 

「ボトルは置いといて頂戴。リーゼにバレる前に全部飲んじゃうわ。」

 

「あの……はい。それじゃあ、お食事をお持ちしますね。」

 

困ったように頷いてドアを抜けていく咲夜を見送り、匂いを楽しみながら真っ赤な血を口に含む。あいつも今頃ワインを飲みまくっているのだ。文句は言わせんぞ。

 

恐らく保存魔法がかかっているのだろう。新鮮な血を飲みつつトランシルバニアへの返礼について考え始めたところで、咲夜が食事の載ったカートを……何故かサラダがあるぞ。しかも、ニンジンが多いではないか!

 

「さ、咲夜? サラダがあるわよ? それに、どうしてニンジンが入ってるの? ステーキだけでいいのよ?」

 

「ダメです! ハーマイオニー先輩が教えてくれました。野菜も食べないと不健康なんだって。ビタミンとか、なんかそういうのが足りなくなっちゃうんだって。だから、これからは毎日食べていただきます。」

 

おのれ……おのれ、グレンジャー! チケットを贈ってやった恩も忘れて、賢しらに余計な知識を吹き込みおったな! 毎日ニンジンだなんて悪夢だぞ。私はウサギでも馬でもない、吸血鬼なのだ。あんなマズいもんを食べてたらおかしくなっちゃうだろうが!

 

「わ、私は吸血鬼よ? 野菜なんか食べなくても大丈夫なの。ほら、ピンピンしてるでしょう?」

 

「お嬢様のことが心配なんです。ドレッシングもきちんと作りましたから、どうか食べてくれませんか?」

 

「ぬ、ぐぬぅ……た、食べるから。そんな悲しそうな顔をしないで頂戴。食べるから!」

 

潤んだ瞳でフォークに刺したニンジンをぐいぐい押し付けてくる咲夜に、口をあーんしながら敗北宣言を送る。……忘れんぞ、グレンジャー。この恨み決して忘れんからな!

 

栗色の髪のガキに憎悪の思念を送りながら、レミリア・スカーレットは大嫌いなニンジンを咀嚼するのだった。

 



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クィディッチ・ワールドカップ

 

 

「ひゃー、さすがに今日は人が多いな。このスタジアムが満員になったのは初めてだろ?」

 

煌びやかなスタジアムを埋め尽くす人の絨毯を前に、霧雨魔理沙は隣を歩くハリーに話しかけていた。さすがに決勝戦だけあって、観客たちの盛り上がりも最高潮だ。

 

長きに渡って行われたワールドカップも今日でとうとう最終日。アイルランド対ブルガリアの一戦。今やスタジアムは無数の照明で真昼のように照らされ、あちらこちらで色とりどりの火花が上がっている。

 

「うん。十万人が入るスタジアムらしいから、そのくらいは確実に居るわけでしょ? 魔法使いって……本当に沢山いたんだね。」

 

「今更何を言ってんだよ、キャンプ場で死ぬほど実感したろ?」

 

ハリーの素っ頓狂な返事に、ケラケラ笑いながら言葉を返す。ここまでの日程で世界各地の珍妙な魔法使いたちを大量に見たのだ。

 

例えばフランスの魔法学校から来たという女生徒たち。香水の匂いをプンプンさせて、早口のフランス語でぺちゃくちゃお喋りをしていた。彼女たちに遭遇すると決まってロンがデレデレし始めるせいで、毎回ハーマイオニーの機嫌が悪くなって大変だったのだ。

 

それに、アフリカのワガドゥとかいう魔法学校の生徒も変だった。いきなり道端でヒョウとチーターに変身して、ギャウギャウ鳴きながら喧嘩をおっ始めたのである。慌てて止めにきた魔法省の役人が酷く引っ掻かれていた。あれは……うん、ちょっと可哀想だったな。

 

そういえば、久々に日本人と話すことも出来たっけ。マホウトコロの生徒らしき集団に、おにぎりと味噌汁をご馳走になったのだ。まあ……あいつらもちょっとおかしかったが。何を考えたのかは知らんが、自国の敗北を嘆いて自分たちのテントを燃やしまくったのである。怒鳴り散らしながら止めにきた管理人は、結局三回も忘却術をかけられていた。

 

「んー、そうだね。魔法界の広さを改めて実感したよ。」

 

千差万別の格好をした観客を見て頷いたハリーの肩を、後ろから双子が追い抜きざまにパシンと叩く。

 

「その通りだぜ、ハリー。お前の叔父にも教えてやれよ。くだらないマグルの常識なんかひっくり返るぞ。」

 

「そうそう。どうせなら連れてくりゃよかったんだ。そしたら俺たちが『歓迎』してやったってのに。」

 

二段飛ばしで貴賓席に向かう双子は頗るご機嫌な雰囲気だ。……まあ、無理もあるまい。彼らは南米にあるカステロブルーシュの生徒から、妙な臭いのする蛍光色の薬品を大量に仕入れたのだ。ウィーズリー家のテントで怪しげな実験を繰り返していたのを思うに、今年のマクゴナガルはさぞ苦労することだろう。

 

意気揚々と階段を上がる双子の背に続いて頂上までたどり着くと、もはや見慣れた貴賓席の椅子が見えてきた。最初は感動してたが、今じゃ一般席の盛り上がりが羨ましく思える始末だ。ここはちょっとお行儀が良すぎるぞ。

 

「感覚がおかしくなりそうだ。明日から日常に戻ると思うと気が滅入るよ。」

 

「こっちにすぐに慣れたように、元の生活にもすぐに慣れますよ、局長……じゃなくて、父さん。」

 

アーサーとパーシーの悲しい会話を聞きながら、いつものようにウィーズリー家、シリウス、ハリー、私、咲夜、ハーマイオニーの順で座り込む。レミリアはどっかでお偉いさんとでも話しているのだろう。咲夜が私との間に一席空けているのを見るに、今日はあの吸血鬼も一緒に観戦するようだ。

 

そそくさと先程買ったパンフレットを取り出しながら万眼鏡……スロー再生やらコマ送りが出来る優れものだ。ちゃんとアリスの手伝いをしたお小遣いで買った。のチェックをしていると、やおら後ろを振り返ったハリーが誰かに向かって呼びかけた。

 

「ドビー?」

 

どびー? 何のことかと思って私も振り返ってみれば……うーむ、こっちの世界で見た中でも、とびっきり奇妙な生き物だな。小鬼を臆病にしたような見た目の生き物が、一段高い後ろの席に座っている。

 

「旦那さまはあたしのことをドビーってお呼びになりましたか?」

 

何故か目を覆っている長い指の隙間からこちらを見る謎生物に、ハリーは困ったように返事を放った。身に纏うボロボロの服……というか布切れが、この場所になんとも不釣り合いだ。

 

「あー、人……じゃなくって、妖精違いだったみたい。ごめんね。」

 

「でも、旦那さま、あたしもドビーをご存知です! あたしはウィンキーでございます。そして、貴方さまは……貴方さまは、紛れもなくハリー・ポッターさま! ドビーがいつも貴方さまの話をしていらっしゃいます!」

 

「うん、そうだよ。ドビーの友達なの?」

 

「滅相もございません! ……旦那さま、決して失礼を申し上げるつもりはございませんが、旦那さまがドビーを自由にしてしまったのは間違いだったと、あたしにはそう思えてならないのでございます。」

 

甲高い、震えるようなキーキー声で言うウィンキーとやらに、ハリーはますます困ったような表情になって問いかける。

 

「どうして? ドビーに何かあったんじゃないよね?」

 

「ドビーは自由で頭がおかしくなってしまったのです、旦那さま。言うのも恐ろしいことに……仕事にお手当てをいただこうとしているのでございます!」

 

後半のセリフを犯罪を密告するかのように言ったウィンキーに、その場の全員が疑問符を浮かべた。お手当って……給料ってことだよな? それを貰って何が悪いんだ?

 

ハリーもそう思ったようで、意味が分からないという顔で再び問いを放つ。

 

「どうして貰っちゃいけないの? 普通貰うものだと思うけど……。」

 

「とんでもございません! お手当をいただくだなんて、あたしたちにとっては恥なのでございます! お手当てをいただこうとするドビーは悪いしもべ妖精なのでございます!」

 

「でも、ドビーだって少しくらい楽しい思いをしてもいいんじゃないかな。買い物とか、美味しい物を食べたりとか。」

 

全くもってその通りだ。うんうん頷く私たちに向かって、ウィンキーは悪魔の誘惑でも耳にしたかのような表情で首を振ってきた。聞くのも恐ろしいと言わんばかりだ。

 

「買い物だなんて! ……ハリー・ポッターさま、しもべ妖精は決して『楽しんで』はいけないのでございます。よい屋敷しもべというのは、ただただ言われたことをするのです。あたしは、高い所が全くお好きではないのですが……でも、ご主人さまがこの席を取っておけとあたしにおっしゃいましたので、あたしは我慢してここにいらっしゃるのでございます。」

 

ウィンキーは隣の空席をチラリと見ながら言うと、再び目を覆ってぷるぷる震え出してしまった。……うーん、なんかちょっと可哀想な生き物だな。ご主人様とやらも少しは気を遣ってやればいいだろうに。

 

「変な種族だな。しもべ妖精って言うのか?」

 

「そうそう、屋敷しもべ妖精。……でもまあ、前に会ったのはもっと変だったけどね。悪い存在じゃないんだけど、ちょっとズレてるんだよ。」

 

「『ちょっと』、ね。」

 

脳内で『かなり』に訂正しながらハリーと共にピッチに向き直ったところで、階段の方から……あいつはさすがに知ってるぞ。イギリスの魔法大臣、コーネリウス・ファッジだ。それに数人の見知らぬ魔法使いが、レミリアと共に階段から上がってくるのが見えてきた。

 

「こちらが貴賓席となります。こちらのスタジアムは初めてですかな? 心配ご無用! もう一つのスタジアムと同じく、決して不便のないように様々なサービスを──」

 

我らがぽっちゃり気味の魔法大臣は、必死な表情で要人らしき豪華な黒ビロードのローブを着た人物に話しかけているが……うーむ、残念ながら彼の興味を惹くことには成功していないようだ。要人はレミリアとの会話に夢中になっている。

 

しかしまあ、ここから見てる分には面白い構図だな。要人の機嫌を取ろうとするファッジと、レミリアの機嫌を取ろうとする要人、そして早く咲夜の隣に座りたさそうなレミリア。彼らの生態系の頂点に立つのは、どうやら我が銀髪の親友らしい。

 

珍妙なやり取りをぼんやり眺めていると、どうやら会話はひと段落したようだ。レミリアは要人とにこやかに握手した後、私と咲夜の間の席へと座り込んできた。顔にはうんざりしたような表情を浮かべている。

 

「疲れたわ。ブルガリア大臣の英語は壊滅的だし、コーネリウスはブルガリア語を話せない。お陰で私が通訳する羽目になっちゃったわよ。」

 

「そいつはご愁傷様。……っていうか、通訳くらい準備できなかったのか?」

 

「誰もがクラウチ……国際魔法協力部の部長ね。がやるもんだと思ってたのよ。ところがいざ当日になると姿を見せないし、間抜けのバグマンは賭けの胴元に夢中。うんざりするわね。最終日で気が抜けたのかしら。」

 

「バグマンってあの丸顔のおっさんだろ? 私も賭けたぜ。アイルランドが勝つけど、スニッチはブルガリアが取る。……双子の読みを信じたんだ。」

 

かなり小さな確率な分、倍率は非常に高い。私はお小遣いの残りを注ぎ込んだだけなので大きな金額ではないが、双子は二人分の全財産を賭けていたのだ。勝ったら凄い金額になるだろう。

 

私のギャンブルの内容を聞いて、レミリアは呆れたような顔で口を開く。

 

「随分な大穴狙いじゃない。賭け事ってのは勝ち筋を見てからベットするものよ? あるいは運命を『読んで』からね。……ま、いい勉強になるでしょ。経験を買ったと思いなさいな。」

 

「どうかな? アイルランドはチェイサーが強いが、シーカーはブルガリアが上だぜ。有り得ない話じゃないぞ。」

 

これまでの試合を見るに、十二分に可能性はあるはずだ。私がレミリアと話している間にも、ようやく到着したバグマンがファッジに声をかけるのが聞こえてきた。同じような体型だが……ふむ、何故かバグマンの方からは身軽な印象を受けるな。纏う雰囲気の差だろうか?

 

「さて、さて。大臣、準備はよろしいですかな?」

 

「おお、ルード。君さえよければ、いつでも。」

 

「では、ソノーラス(響け)!」

 

ジョーダンが使ってるのと同じ魔法だ。どうやら今日の実況はこの男自らが務めるらしい。ちなみに昨日までの実況は昼は落ち着いた女性、夜は軽快な口調の男性がやっていた。

 

『レディース・アンド・ジェントルメン! ようこそ、第四百二十二回目のクィディッチ・ワールドカップ決勝戦に! ようこそ!』

 

途端に歓声を上げる観客たちは、何千という色とりどりの国旗を振り回しながらそれぞれの国家を歌い出す。お互いのリズムも歌詞も無視してるせいで、不協和音にしか聞こえんぞ。魔法使いの辞書には『協調』という単語が載っていないようだ。

 

貴賓席と逆側にある巨大な黒板に金色の文字で『ブルガリア 0 ─ アイルランド 0』と浮かび上がるのと同時に、バグマンは満面の笑みで拡声された声を放った。

 

『素晴らしい盛り上がりですな! それでは前置きはこれくらいにして、早速ご紹介しましょう。……先ずはブルガリア・ナショナルチームのマスコット!』

 

どうやら毎度恒例のマスゲームが始まるようだ。パンフレットにはこれまでとは違ったパフォーマンスがあると書いてあるし、何が始まるのかとワクワクしながらピッチを見下ろしていると──

 

「マズいぞ、ヴィーラだ!」

 

メガネを外しながらのアーサーが大声を出すのと同時に、シリウスとビル、チャーリーは黒板の方へと目を逸らし、パーシーも慌ててメガネを外して俯いた。……何だ? ヴィーラ?

 

「何でしょう? 危ない生き物なんですか?」

 

「『あれ』がヴィーラよ。私たちにはさして問題ないわ。……まあ、特殊な嗜好を持ってなければだけど。」

 

咲夜に答えるレミリアの説明と共に、百体ほどの『あれ』が音楽に合わせて踊りながら姿を現した。んー? 見た感じは綺麗なねーちゃんの集団だ。踊りも見事なもんだし、別に問題は感じないのだが……。

 

だが、ヴィーラの一体何が問題で、何故アーサーやシリウスたちが焦ったのかはすぐに分かった。男性客たちがいきなりソワソワしたかと思えば、謎の奇行をし始めたのだ。

 

カツラを振り回しながら腰をくねらせて踊るジジイや、シャムロック……アイルランドのチームマークだ。をめたくそに踏みつけてから杖で火を点けるヤツ。そして我らがハリーとロンも恍惚とした表情でピッチへと飛び降りようとしている。

 

「おいおい、死ぬぞ、ハリー!」

 

「……あれ? でも、僕、目立たなくちゃいけないんだ。そしたらヴィーラがこっちを見てくれるかもしれないだろ?」

 

「アホかお前は!」

 

ロンを汚物でも見るような目のジニーが、ハリーを呆れ顔の私が引き戻したところで、ヴィーラたちはようやくブルガリア側の控え室の前へと整列した。……魔性の女ってやつか? 本当にもう、男ってのは!

 

私、ジニー、咲夜、ハーマイオニーが馬鹿を見る目になっているのにも気付かずに、ハリーとロンは未だにヴィーラを見つめている。確かに怖い生き物だな。なんたってハリーとロンの株は一気に下がってしまったのだから。ストップ安だぞ。

 

『あー……素晴らしいパフォーマンスでした。出来ればピッチに飛び込もうとするのはやめていただきたい。職員たちが受け止め切れなくなってしまいます。……それでは、次はアイルランド・ナショナルチームのマスコットです!』

 

バグマンの実況が響いた瞬間、頭上に……こりゃいいぞ。彗星だ! 大きな緑と金の彗星がスタジアムへと突っ込んできた。それぞれが両端のゴールポストにたどり着くと、今度はそれを結ぶ巨大な虹が現れる。

 

「マスゲームはアイルランドの勝利ね。少なくとも女性陣にとっては。」

 

「違いないぜ。」

 

レミリアの呟きに同意の声を返す間にも、彗星はピッチの中央上空で合流して……わお、光り輝く緑の三つ葉、シャムロックへとその姿を変えた。最後にそれがどんどん高く昇っていき、金色の雨のようなものを降らせ始める。

 

「金貨だ! 金貨だよ!」

 

金貨? 嘘だろ? これが全部か? ロンの叫びに従って、試しに落ちてきたそれを一つ手に取ってみると……マジかよ、確かに金貨だ。アイルランドってのは地面が金ででも出来てんのか? とんでもない量だぞ。

 

慌てて私が集めようと席を立つと、レミリアが苦笑しながら止めてきた。

 

「魔理沙、貴女の故郷にも同じような昔話はないかしら? 大金を手にしたと思ったら消えちゃってたり、くだらないものをお金に変えて人間が化かされたり、そんな感じの昔話が。」

 

「そりゃ、沢山あるぜ。狸が葉っぱを金に変えたり、狐が……ああ、そういうことか。消えちまうんだな? これ。」

 

「ご明察。醜態を晒したくないなら捨て置きなさい。レプラコーンのかわいい悪戯よ。」

 

レミリアの指差す先をよく見てみれば、巨大なシャムロックを形作っているのが小さいおっさんの集団だということに気付いた。お揃いの赤いチョッキを着て、手に金や緑の豆ランプを持っている。つまり、あれがレプラコーンか。フリットウィックを更に小さくしたみたいだな。

 

大人たちやハーマイオニーは既に知っているようだし、隣のハリーも私とレミリアの会話を聞いていたようだ。ロンとジニー、双子だけが必死になって掻き集めている。……うん、教えてもらえてよかったな。真実を知っていると実に間抜けな光景だぞ。

 

生暖かい目で腕いっぱいの金貨に顔を綻ばせる赤毛たちを眺めていると、バグマンがとうとう選手入場のアナウンスを放った。おっし、いよいよだ!

 

『さあさあ、両チーム共に見事なパフォーマンスでした! それでは皆様、どうぞ拍手と共にお出迎えください! ブルガリア・ナショナルチームの入場です!』

 

ブルガリアサポーターが嵐のような拍手と歓声を送る中、左側の控え室から赤いユニフォームを着た選手たちが次々と飛び出してくる。……凄い速さだ。姿がぼやけて見えるぞ。

 

『ディミトロフ! イワノバ! ゾグラフ! レブスキー! ボルチャノフ! ボルコフ! そしてえぇぇぇぇ、クラム!』

 

瞬間、スタジアムがクラムコールに包まれた。急いで万眼鏡を覗き込むと……これまでの試合でも何度か見た、ビクトール・クラムが凄まじいスピードで飛んでいるのが目に入ってくる。色黒の痩せた筋肉質で、大きな鷲鼻に濃い眉毛。クィディッチをやるために生まれてきたかのような体型だ。

 

「あれって、きっとスピードを出すために痩せてるんだよな? ストイックだぜ。」

 

「うん、十八歳とは思えないよね。それにほら、左手に凄い箒ダコがある。死ぬほど練習してるんだよ、きっと。」

 

「きっとウッドの練習ですらお遊びなんだろうな。……尊敬するぜ。」

 

やっぱりプロは違うな。私と同じく万眼鏡を覗くハリーと喋っていると、今度はバグマンがアイルランドの入場を叫んだ。うーむ、忙しない。こっちも気になるぞ。

 

『さあ、皆様、こちらにも大きな拍手を! アイルランド・ナショナルチームの入場です!』

 

右側から出てきたのは綺麗な矢尻型をした緑の影だ。ブルガリアが一人一人飛んでいたのに対して、こちらは一糸乱れぬ編隊飛行を行なっている。

 

『コノリー! ライアン! トロイ! マレット! モラン! クィグリー! そしてえぇぇぇぇ、リンチ!』

 

下馬評ではクラムに劣ると言われているリンチだが、私から見ればどっちも上手すぎて区別がつかん。今も矢尻の先端でクルクル回りながら高速飛行を披露している。酔わないのか? あれ。

 

「見てるだけで気持ち悪くなってくるな。」

 

「あれはちょっと……真似できないね。僕がやっても気絶して落ちるのが精々だよ。」

 

ハリーと二人のシーカーについて話している間にも、バグマンの紹介を受けた審判が高価そうな木箱をピッチの中央へと置いた。公式ボールだ。私たちが使ってるのよりもずっと速いやつ。

 

「いよいよ始まるな。見逃すなよ、ハリー。少しでも技を盗むんだ。」

 

「もちろんさ。いつも通り僕はシーカー、君はチェイサーだ。技が見られそうな時はお互い教え合おう。」

 

これがワールドカップを通して私たちが編み出した戦術である。プロの試合はあまりにも速すぎるため、あっちこっち観てるとバンバン名場面を見逃してしまうのだ。そのため三日目くらいからは分業体制を取る羽目になった。やる方もしんどいだろうが、観る方も大概だぞ。

 

『準備はよろしいですかな、紳士淑女の皆様! ……それでは、試あぁぁぁぁい開始!』

 

審判が箱を蹴った瞬間、勢いよく四つのボールが飛び出して行く。そして上空で唯一失速したクアッフルを……おいまて、昨日までより全然速いぞ。

 

『先手を取ったのは……マレット! そしてトロイ! モラン、ディミトロフ、またマレット! トロイ! レブスキー、モラン!』

 

もはやバグマンもボールを持った選手の名を叫ぶので精一杯だ。この試合は、あれだな。何の参考にもなりゃしない。唯一分かるのはアイルランドがやってるのがホークスヘッドフォーメーションってことだけだ。

 

口をあんぐり開けて見ていると、シリウスが私と同じ表情をしているハリーに声をかけた。心底ワクワクしている表情だ。なんというか……いい意味でガキっぽいやつだな。

 

「いいぞ、リンチを見ておけ、ハリー。パペイラ・フットフェイントだ。絶対にやる。ジェームズはあれが大得意だったから、私は予備動作を良く知って……ほら! 今のだ!」

 

シーカーのフェイント合戦も既に始まっているらしいが、もう私にはそっちを見ている余裕などない。私たちが数時間かけて動きを擦り合わせて、数週間かけて練習するような戦術がポンポン出てくるのだ。しかも、遥かに高い完成度で。

 

パス、パスカット、パス、ブラッジャー、そしてパス。素早いやり取りのループから先に抜け出したのは……アイルランドだ。トロイ、マレット、モランの三人が以心伝心のパスワークでブルガリアを翻弄している。

 

「あら、やっぱりチェイサーはアイルランドね。パス回しがいやに正確だわ。」

 

「そうなんですか? よく分かんないけど……えっと、凄いんですね。」

 

「そうね。何というか……とっても速いわ。」

 

レミリアに答える咲夜とハーマイオニーのすっとぼけたような感想を無視して、食い入るように三人のパス回しを追う。信じられないほどに見事なプレーだ。これまでの試合では爪を隠していたらしい。まるでお互いを繋ぐ糸を伝うかのように、ボールが有り得ない速さで三人の間を行き来している。

 

『──から、マレット、トロイ、またマレット、モラン、そしてトロイ……先制点! トロイが先制点です! アイルランドのリード!』

 

スタジアムが歓声に沸く中、頭を抱えて背凭れに倒れこむ。降参だ。この試合を研究対象として観るのはバカのやることだぞ。これは細かいことを考えずに観たほうが楽しめそうだ。

 

───

 

そのまま試合は数々の名場面を見せながら進んでいった。両チェイサーの激しいクアッフルの奪い合い、キーパーの何をどうしているのかも分からんセーブ、ブラッジャーの軌道を完全に把握しているビーターたち。

 

色々と考えさせられる場面はあったが、前半の見所はやはりクラムの見事なフェイントだろう。ウロンスキー・フェイントだったか? 地面にダイブしてギリギリで切り返すことによって、追ってきた相手のシーカーをグラウンドに激突させたのだ。……シーカーのフェイントが重要だってのがよく分かる一幕だった。

 

そんなこんなで色々とあった試合も、いよいよ幕引きが近付いているらしい。アイルランドのシーカー、リンチが凄まじいスピードで急降下し始めたのだ。

 

「またフェイントか? すっごい速さだぞ。」

 

「いや、多分本当にスニッチを見つけたんだよ。ほら、クラムもリンチの先を見ながら追ってるでしょ? 彼もスニッチを見つけたんだ。」

 

『リンチが飛ぶ、クラムが追う! シーカー二人が遂にスニッチを見つけたようです! 一直線に急降下しています!』

 

バグマンの実況で気付いていなかった観客たちも事態を把握した頃には、既に二人は地面へと近付きつつあった。徐々にクラムが追いついてきて……並んだぞ。今や一対となったシーカーは、迷うことなく地面に突っ込んで行く。

 

「二人ともぶつかるわ!」

 

ハーマイオニーの悲鳴が歓声にかき消された瞬間……クラムだ。再び地面にキスをしたリンチを背に、握った拳を振り上げながらクラムが急上昇している。クラムがスニッチを取ったんだ!

 

思わず歓声を上げようとして……ちょっと待て、ブルガリアの負けじゃないか? 先程までの点数は170-10だったはずだ。スニッチを取っても十点差で負けちゃうぞ。

 

「……何でクラムはスニッチを取ったんだ? そりゃまあ、先に見つけたのはリンチだけどさ。もうちょっとやりようがあっただろうに。」

 

ポツリと呟くと、観客や実況の声にかき消されないようにハリーが顔を寄せて答えを返してきた。

 

「多分、絶対に点差を縮められないって分かってたんだよ。アイルランドのチェイサーが上手すぎたんだ。……このまま惨めに点差が広がっていくくらいなら、自分のやり方で終わらせたかったんじゃないかな。」

 

「そりゃまた、大したヤツだな。」

 

私ならこの観衆の中、しかもワールドカップの決勝でその選択が出来るだろうか? ……そんなの絶対に無理だぞ。きっと葛藤もあったろうに。こういうスニッチの取り方もあるんだな。

 

ブーイングの中、堂々と地面に下り立ったクラムを見つめていると、バグマンがそれをかき消すような大声を放った。

 

『見事、実に見事な試合でした! 両チームともに決勝戦に相応しい、素晴らしいプレーを見せてくれた! ……では、アイルランド・ナショナルチームのウィニング飛行の後、表彰に移りたいと思います。』

 

実況の通りにアイルランドチームが拍手の中でスタジアムを一周すると、地面に下り立った選手たちはゆっくりと階段を上って……おい、こっちに来るのか? 真っ直ぐに私たちいる観客席の方へと上がって来ている。てっきりピッチの中央でやるもんだと思ってたぞ。

 

「こ、ここで表彰をやるのか? つまり、私たちのすぐ側で?」

 

「当たり前でしょ。コーネリウスが優勝カップを渡すんだから。……コーネリウスの方を向かわせたら、足を踏み外して階段を転げ落ちるかもしれないしね。」

 

「酷いジョークだな。」

 

「本気よ。」

 

レミリアとバカ話をしている間にも、先ずはブルガリアチームが上がってきた。……おいおい、通り過ぎる際にどの選手もこっちに向かって深々とお辞儀をしていくぞ。当然ながら私にしているわけなどないし、恐らくレミリアに向かってしているのだろう。

 

「お前って、本当に凄いヤツだったんだな。」

 

「嘆かわしいわね。一番貢献してるイギリスのガキがこれだなんて、なんとも悲しくなるわ。ちょっとは彼らを見習いなさいな。」

 

「私は幻想郷育ちなもんでな。」

 

私が肩を竦めて返していると、私たちの後ろの方までたどり着いたブルガリアの選手たちはバグマン、ブルガリア大臣、ファッジの順で握手をしていく。列の最後尾には……クラムだ。彼もまたレミリアに対して深々とお辞儀をした後、二人の大臣の方へと進んで行った。

 

「カッコいいな。」

 

「そうね、とっても勇敢な人だと思うわ。」

 

私の呟きに何故かハーマイオニーが反応したところで、今度は勝者であるアイルランドチームが貴賓席へと入ってきた。彼らもレミリアへと一礼するものの、明らかにブルガリアチームよりかは軽い礼だ。軽くぺこりって感じの。

 

うーむ、確かに奇妙な感じだな。イギリスにほど近いアイルランドよりも、遠くのブルガリアの方がレミリアを重要視してるわけか。何でだろう? チグハグな感じがするぞ。

 

私が拍手しながら考えている間にも、アイルランドチームへとファッジが優勝カップを渡す。リンチは地面への激突のせいで朦朧としていたが、それでもニッコリ笑って嬉しそうだ。……そろそろ拍手のしすぎで手が痛くなってきたぞ。

 

『さあ、最後に両チームが競技場を一周します! 皆様、是非とも大きな拍手でお送りください!』

 

いやはや、いい試合だった。再び箒に跨って飛び立っていく十四人の選手たちを見ながら頷いていると、席を立った双子が私に近付いて話しかけてきた。その顔にはアイルランドの選手たちに負けず劣らずの笑みが浮かんでいる。

 

「よう、マリサ。アイルランドが勝った。だがスニッチはクラムが取った。……何が言いたいかは分かるだろ?」

 

「ジャックポットを漁る時が来たのさ。行こうぜ。バグマンがトンズラしないうちにな。」

 

「おっと、それが残ってたか。……へへ、今日はいい夢見れそうだぜ。」

 

そういえばそうだった。試合の興奮ですっかり忘れていたが、私たちは賭けに勝ったのだ。それも信じられないほどに大穴の勝利で。

 

双子と同じように悪戯な笑みを浮かべながら、霧雨魔理沙は立ち上がってバグマンの方へと一歩を踏み出すのだった。

 



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馬鹿騒ぎ

 

 

「……あら?」

 

テントのバルコニーで月を見ながら血を飲んでいたレミリア・スカーレットは、遠くで揺らめく明かりに首を傾げていた。何だろうか? 結構大きいぞ。

 

ワールドカップの決勝戦からは数時間が経過している。興奮で疲れ切ってしまった咲夜や魔理沙のために、帰りは明日の明け方にしようと決めたのだ。アーサーやブラックも今日は子供たちを寝かせて、明日の昼前に出発することに決めたらしい。

 

そのため優雅に月見血で忌々しい朝日を待とうと思っていたわけだが……また日本のサポーターがテントを燃やしたのか? もうとっくに零時を回っているというのに、夜勤の警備班が泣きそうだな。

 

ぼんやり考えながら遥か遠くの明かりを眺めていると、徐々にその規模が拡大していくのが見えてきた。……ふむ? これは個人じゃなさそうだ。どっかのアホどもがお得意の馬鹿騒ぎを始めたのだろう。煽られまくって怒りに燃えたブルガリアサポーターかもしれない。

 

ま、知ったことではないか。文字通り対岸の火事なのだ。……それより、つまみを準備すべきだったな。スモークチーズとか、ジャーキーとか。ううむ、考えてたら小腹が空いてきたぞ。

 

キッチンから拝借してこようか? ……よし、ついでにニンジンも焼却処分しておこう。あんなもんを明日の朝食に出されたら堪らんのだ。人間がどうなのかは知らんが、あれは吸血鬼の食べ物じゃないぞ。

 

ゆるりと立ち上がってキッチンへ向かおうとしたところで、いきなりテントの前に姿あらわししてきた……ビル? ウィーズリー家の長兄が私を見つけて大声を放ってきた。いつもポニーテールに纏められている長髪が流しっぱなしだ。

 

「ああ、よかった。スカーレット女史! 緊急事態なんです! 死喰い人が!」

 

よく見ればビルは右腕からボタボタと血を流している。……しかし、死喰い人? おいおい、馬鹿騒ぎしてたのはあの胸糞悪い仮面集団なのか?

 

「落ち着きなさい、ビル。何が起こったのか詳しく説明して頂戴。」

 

バルコニーから飛び下りて近付いてみると、ビルは使命感に燃える瞳で詳細を説明してきた。さすがに呪い破りをやってるだけあって、緊急事態には慣れっこのようだ。

 

「はい。私たちのテントの方で、黒ローブの仮面集団が騒ぎを起こしているんです。マグルを四人人質に取って……多分、キャンプ場の管理人一家だと思います。パパからスカーレット女史に報告してこいと言われまして。」

 

「相手の人数は? こちらは苦戦してる?」

 

「相手は三十人ほどの集団で、有志の魔法使いや魔法省の方々がなんとか食い止めようとしているんですが……人質の安全が確保できないために苦戦しています。非戦闘員も避難させなければならないし、今は足止めで精一杯という感じです。」

 

「……分かったわ。準備をしたらすぐに私も向かうから、アーサーには無理せず足止めに徹するように伝えてくれる?」

 

「わかりました!」

 

言うや否や再び姿くらまししたビルを背に、先ずはテントの中へと戻る。何よりも優先すべきは咲夜なのだ。相手が本当に死喰い人なのか、それとも模倣しているだけの愉快犯なのか。詳細は不明だが、私のテントを狙ってくる可能性だって少なくはない。先ずは咲夜と魔理沙を避難させる必要があるだろう。

 

しかし、何故このタイミングで騒ぎを? ワールドカップで気が大きくなっての馬鹿騒ぎなら大したことはないが、リドルお得意の陽動の可能性もある。……テロか? 最終日とはいえ、要人は少なくないのだ。狙ってくる可能性も考えられるぞ。

 

思考を回しながら咲夜と魔理沙の部屋に入り、スヤスヤ眠る二人に向けて声を放つ。申し訳ないが、叩き起こさせてもらおう。

 

「起きなさい、二人とも!」

 

「んぅ? ……お、お嬢様? どうしたんですか?」

 

「んー? ……なんだよ、レミリア。まだ夜だぞ。」

 

「いいから来るの!」

 

寝ぼけ眼の二人の手を掴み、階下のリビングまで強引に引っ張る。移動のために煙突ネットワークを繋いでいてもらってよかった。私は付添姿あらわしは出来ないし、ポートキーも作れないのだ。……杖魔法もちょっとは勉強するべきかもしれんな。

 

「おい、何だよ! 寝間着のままだぞ!」

 

「あの、この格好で外に出るのは恥ずかしいんですけど……。」

 

文句を言う二人に、フルーパウダーを投げ入れながら説明を返す。

 

「死喰い人の襲撃よ。貴女たちは紅魔館に避難なさい。パチェとアリスもいるはずだから、彼女たちにも状況を伝えて頂戴。」

 

「死喰い人……?」

 

「それって、ラデュッセルのお仲間だよな? ……ハリーたちは? 無事なのか?」

 

尚も質問を放とうとする二人に、しっかりと目を見て語りかける。色々と話してやりたいのは山々だが、今は時間が惜しいのだ。

 

「貴女たちは私の数少ない弱点なの。すぐに安全な場所に行ってもらわないと、私が自由に動けないのよ。……分かってくれるわね?」

 

私の言葉を受けた二人は、質問を飲み込んでしっかりと頷いた。……ふむ、さすがは我が娘とその友人だ。その辺の魔法使いなんかよりもよっぽど肝が据わってるじゃないか。

 

「分かりました。アリスとパチュリー様に伝えます。」

 

「……悔しいけど、私たちは邪魔だな。ハリーたちのことを頼むぜ。」

 

「ええ、任せておきなさい。」

 

そのまま緑の炎と共に消えていく二人を見送って、テントから出て空へと昇る。これで私を縛る鎖は無くなった。恐らくハリーの方はアーサーが避難させてるだろうし、後は胸糞悪い問題を解決すれば完璧だ。

 

さて……バカどもが。月夜に吸血鬼のお膝元で騒ぐだと? 自分たちがどれほど愚かな選択をしたのかを教えてやらねばなるまい。ホグワーツの校章にもちゃんと描かれてあるはずだぞ。『眠れるドラゴンをくすぐるべからず』。そのことを思い出させてやることにしよう。

 

トップスピードで明かりの方へと飛んで行くと……なるほど、確かに死喰い人だ。懐かしき仮面を被った黒ローブの集団と、寝間着の魔法使いたちが対峙しているのが見えてきた。死喰い人どもの上空にはマグルが四人浮いている。つまり、あれが人質か。

 

ふむ、さすがに人質ごとやっちゃうのは外聞が悪いな。多数の魔法使いたちが見ている以上、『吸血鬼的』な解決法をゴリ押すのはいただけまい。アーサーは……いた。ブラック、ビル、チャーリー、パーシーと共に相手方の呪文を防ぐのに専念している。ブラックだけが何故か笑顔だ。とびっきり獰猛なやつだが。

 

「アーサー、状況を教えて。それと、ハリーたちは?」

 

そっと側に下り立って聞いてみると、いつもの数倍は凛々しい顔で戦っているアーサーが返事を返してきた。うーむ、惜しいな。モリーがこの場に居たら惚れ直しただろうに。写真でも残しとくべきか?

 

「プロテゴ! ……スカーレット女史! 厳しいですね。先程数人で協力して人質を降ろそうとしたのですが、妨害で中々上手くいきませんでした。ハリーたちは既に森の方へ避難させてあります。」

 

「んー……私が死喰い人を一気に吹っ飛ばすから、落ちてくる人質をキャッチして頂戴。できる?」

 

「それは……分かりました。知り合い連中に話を通してきます。少し時間をください。」

 

「結構。迅速にね。」

 

すぐさま寝間着戦士たちに声をかけに行くアーサーを見送っていると、前線に躍り出た巨大な影が……オリンペ? 彼女も観戦に来ていたのか。オリンペ・マクシームが死喰い人たちの魔法を一手に引き受けて防ぎ始めた。

 

これはまた、凄まじいな。ホグワーツの校長がそうであるように、ボーバトンの校長も一線級の魔法使いのようだ。滑らかな杖捌きで襲いくる呪文を見事に凌ぎ切っている。三メートルを優に超える巨体のせいもあり、まるで巨大な壁が立ち塞がったかのようだ。動く城壁みたいだぞ。

 

『城壁』を前にした死喰い人たちが歩みを止めたところで……アーサーがこちらを見ながら頷きを送ってきた。よしよし、私もちょっとは良い所を見せねばなるまい。

 

弾幕ごっこ用の非殺傷弾を一気に放ちながら、高らかに命令を下す。……まあ、人間相手だと死ぬかもしれんが、それは不可抗力だ。事故なら仕方がないのだ。

 

「今よ! 人質を確保した後、死喰い人どもを拘束なさい!」

 

うーむ、素晴らしい光景じゃないか。紅、紅、紅。かつてのハロウィンの時と同じ、膨大な量の紅い弾幕が死喰い人たちに襲いかかるのと同時に、今まで守勢に回っていた魔法使いたちが一気に攻勢に出た。

 

前面からはオリンペを中心とした魔法使いたちが失神魔法の奔流を放ち、後方からは……なんじゃありゃ。チーターやらヒョウやらが待ってましたとばかりに死喰い人へと襲いかかっている。実にワイルドな風景だ。野性を感じるな。

 

どうやら人質も無事に確保できたらしい。アーサーたちが合力してキャッチしたマグル一家は、ゆっくりと後ろの方の地面へと降ろされていった。……この後は忘却術のオンパレードだろう。哀れな。

 

そして騒ぎが徐々に収まってくると、倒れ伏す黒ローブの馬鹿どもが見えてくる。中心に近い位置にいた連中はいくらか取り逃がしたようだが、少なくとも四分の三くらいは拘束できたようだ。うんうん、上々の成果だぞ。吸魂鬼どもは大喜びだろう。アズカバンがまた賑やかになるのだから。

 

ヒョウに首根っこを押さえつけられている死喰い人を眺めていると、オリンペがこちらに近付きながら挨拶を放ってきた。最前線で戦っていたのにも関わらず、擦り傷一つ負っていない。

 

「マドモアゼル・スカーレット。お会いできてこうえーいです。」

 

その巨体を限界まで屈めてスカーレット家の紋章が刻まれた指輪にキスしてくるオリンペに、私も手を限界まで上げながらフランス語で返事を返す。平時ならオリンペが合わせるべきだろうが、今回はイギリスの問題に協力してくれたのだ。私がフランス語に合わせるのが筋というものだろう。

 

『私も会えて嬉しいわ、オリンペ。それに、協力してくれてありがとうね。後でイギリス魔法省からも正式な感謝状を贈らせるわ。』

 

『まあ、滅相もございません。貴女と戦えただけで生徒たちに自慢できます。……そういえば、対抗試合の審査員も引き受けてくださったそうで。生徒たちも非常に喜んでいましたわ。』

 

『そう? 今の子たちにとっては過去の話でしょうに。あんまり知らない子も多いんじゃない?』

 

ヨーロッパ大戦は五十年前の話なのだ。二世代経てばもう遠い昔だろう。イギリスでグリンデルバルドの名前が過去の遺物となったように、ヨーロッパでも私の名前は廃れていっているはずだ。

 

ところがオリンペは慌てて首を振りながら、早口なフランス語で否定の言葉を放ってきた。

 

『とんでもございませんわ! 今の保護者の方々の殆どは、マドモアゼルがいなければ生まれてもこれなかったのです。少なくともフランスの子たちは貴女の活躍を子守唄に育ってきました。グリンデルバルドの恐怖も、マドモアゼル・スカーレットの活躍も。フランスは今なお忘れてはおりませんの。』

 

『それはまた、嬉しい言葉ね。苦労した甲斐があるってもんよ。……それじゃ、対抗試合でも期待させてもらおうかしら? フランスの生徒たちがどこまでやれるのか楽しみにしておくわ。』

 

『間違いなく優勝してくれるはずですわ。ボーバトンの力、とくと示させていただきます。』

 

力強く頷くと、オリンペは優雅な足取りで去って行く。……うーむ、ホグワーツは大丈夫なのか? 見たところボーバトンは結構気合いを入れているようだぞ。のほほんとしているダンブルドアとは大違いだ。

 

一向に見えなくならない大きな背中を眺めていると、死喰い人を拘束し終わったらしいアーサーが話しかけてきた。役人たちもようやく集まってきたようだ。……だから闇祓いに警備させろと言ったのに。部署の面子だか何だか知らないが、お気楽ゲーム・スポーツ部と頭でっかちな国際協力部に戦闘など無理なのだ。

 

「ほぼ拘束が終わりました。大臣たちも無事なようです。……あー、ワガドゥの生徒たちが剥ぎ取った仮面を所望してるんですが、差し上げてもよろしいでしょうか?」

 

「ああ、くれてやりなさいな。一種のトロフィーみたいなもんよ。首を要求されなかっただけ、向こうも譲歩してくれてるわ。」

 

「なるほど。独特な文化ですな。」

 

「向こうから見ればこっちが珍妙らしいわよ。杖を大事にする文化とか、あとはまあ……純血主義とか、スクイブの差別とかもね。」

 

向こうじゃ部族丸ごと家族なのだ。魔法を使えない者も一切差別されず、細工師や調理師などとして重宝されるらしい。……イギリスもちょっとは見習うべきだな。

 

どうやらアーサーも同感のようで、感心したように頷いている。

 

「それはまた、他国を見下している連中に聞かせてやりたい話ですね。今のイギリスなんかよりよっぽど進んでいる。」

 

「その通りよ。純血主義者どもをアフリカに送り出せばみんなハッピーになれるかもね。向こうでリンチにでも遭って、作物の肥料になってくれることでしょう。」

 

あるいは家畜の餌か、もしくはそのまま食料にされるかもしれない。人食い部族も存在しているようだし……うーむ、吸血鬼とは結構話が合いそうだな。今度行ってみるか?

 

『純血主義者と吸血鬼のアフリカ見学ツアー』について真面目に考え始めたところで、遠く離れた場所に久しく見ていなかったものが浮かび上がるのが見えてきた。

 

緑色の煙で形作られた、蛇が巻きつく巨大な髑髏。ヴォルデモートの掲げる紋章……『闇の印』だ。少なくとも紋章作りに関してはグリンデルバルドに分があったようで、リドルはあのバカみたいな紋章を勢力の旗印としたのだ。

 

「あれは……行きましょう、スカーレット女史!」

 

「付添姿あらわしをお願いできる? 真下で構わないわ。」

 

「はい!」

 

アーサーの腕を取って移動を任せながら、直後の戦闘に身構える。彼が焦るのも無理はあるまい。あの印が前回の戦争で浮かび上がったのは、大抵の場合誰かが殺された時だったのだから。

 

アーサーが杖を振り、ヌルリと管を抜けるような感覚の後……おっと、いきなり失神呪文の閃光が襲いかかってきた。それも複数だ。

 

「あら。」

 

アーサーをべちりと地面に押し付けて、自分に当たりそうなのは手で弾く。閃光の光に目を細めながら辺りを見渡してみると……おいおい、ハリー・ポッターか? ここ数日で見慣れた三人のガキどもが、木々に囲まれた小さな広場で呆然と身を屈めているのが見えてきた。キャンプ場からはかなり距離があるぞ。なんだってこんな場所に居るんだ。

 

「何者だ! ステューピファイ(麻痺せよ)!」

 

「よせ! アーサー・ウィーズリーだ! 攻撃を、プロテゴ! 攻撃をやめてくれ! 私の息子たちがいるんだ!」

 

「それに、レミリア・スカーレットもいるわね。誰を失神させようとしてるか理解できたかしら?」

 

アーサーと共にガキ共を守りながら声を放つと、茂みの奥から杖を構えた複数の人影が歩み寄ってくる。おっと、我らがクラウチ閣下もいるぞ。

 

状況確認のためにクラウチへと声をかけようとしたところで、杖を構えたままの大柄な男が先に言葉を寄越してきた。知らん顔だな。誰だ?

 

「君が闇の印を生み出したのか?」

 

その視線は……ハリーたちか? それともアーサーか? まさか私に問いかけてるんじゃないよな? だとしたら史上最大級のアホだぞ。クラウチですら珍しく呆れた表情を浮かべている。

 

何にせよアーサーにとってはかなり失礼な発言だったようで、普段の温厚さをかなぐり捨てて怒りの声を放った。

 

「エイモス、頭がおかしくなったのか? この方を誰だか理解して喋っているんだろうな? スカーレット女史だぞ! 事もあろうに、君はスカーレット女史に闇の印を生み出したかと聞いているのか? どうかしてるぞ!」

 

「ああ、いや……違う。違うよ、アーサー。まさかそんな、そんな事があるはずがない。有り得ない。私が言っているのはそこの子供たちのことだ。決してスカーレット女史を疑ったわけではないのだ。」

 

「それなら君はやはりどうにかなっているな。この子はハリー・ポッターだ! ハリー・ポッターが闇の印? このまま聖マンゴに連れて行かれてもおかしくはないぞ!」

 

「ハ、ハリー・ポッター? それは……うん、その通りだ。確かに有り得ん話だな。」

 

どうやらこのアホどもは相手が誰だか確かめる前に呪文を撃ちまくっていたようだ。額を押さえて呆れてますのポーズをしながら、今度こそ闇の印を眺めているクラウチへと言葉をかけた。

 

「クラウチ、誰何する前に呪文を放つのは貴方の悪い癖よ。ムーディとやってることが一緒じゃないの。」

 

「さすがにあの男と一緒にされるのは心外ですな。あの男なら今なお貴女に対して呪文を放っていることでしょう。……しかし、確かに間違いだったようだ。ハリー・ポッターが闇の印など冗談にもならん。」

 

「最悪のジョークね。犯人はとっくに姿くらまししてるんでしょ。そこに運悪く避難してきたこの子たちが居合わせたんじゃなくって?」

 

「そのようですな。大方、何処ぞのバカが度胸試しにでも打ち上げたんでしょう。……忌々しい限りだ。デリトリウス(消えよ)!」

 

納得したクラウチが杖を振って闇の印を消したところで、ションボリしていた大柄な男が再び喚き始めた。

 

「いや、確かに呪文の手応えはありました。向こうの茂みに……。」

 

言いながら茂みの方へと歩いて行くが……だったら最初からそう言え、間抜けめ。こいつはグリフィンドールの出身に違いない。直情的でアホっぽいところがそのまんまだぞ。

 

「誰なの? あいつ。」

 

「エイモス・ディゴリーですよ。魔法生物規制管理部の職員です。プライベートで観戦に来ていたのでしょう。」

 

「ふーん。」

 

男を見ながらアーサーに聞いてみると、端的で分かり易い説明が返ってきた。つまり、小物か。あそこの部長とは何度か話した事があるが、そこで紹介されなかったということは現場の魔法使いなのだろう。要するに、珍妙な魔法生物を泥だらけになりながら追いかけているような連中だ。

 

私が脳内の『小物フォルダ』に新たな名前を書き加えている間にも、ディゴリーは茂みから出てきて……おや、しもべ妖精を抱えているぞ。恐らく失神呪文を食らったのだろう。巨大な瞳はぴったりと閉じられている。

 

「『これ』が犯人です!」

 

高らかにディゴリーが『これ』を持ち上げながら宣言するが……しもべ妖精が闇の印? なんかこう、ピンとこないな。そもそも杖なしじゃ打ち上げられまい。

 

困ったような沈黙が場を包む中、ハリーの驚いたような声がそれを破った。

 

「ウィンキー? その子はウィンキーです! さっき逃げてるのを見ました。その、クラウチさんのテントから逃げてきたみたいで……。」

 

おいおい、何だって? 思わずクラウチの方を振り返ってみれば、彼は顔を蒼白にしながらしもべ妖精を睨みつけている。……そういえば決勝戦の貴賓席にいたような、いなかったような。しもべ妖精の違いなんてよくわからんぞ。

 

場の視線を集めたクラウチはゆっくりと前に歩み出ると、寝かされているしもべ妖精を見下ろしながら絞り出すような声を放った。

 

「確かに我が家のしもべだ。……だが、しもべが闇の印を作り出せるはずがない。あれを作るには杖が必要のはずだ。」

 

「それがだね、クラウチ。持ってたんだ。このしもべは杖を持ってたんだよ。ほら。」

 

ディゴリーが差し出した杖を見て、再びハリーが声を上げる。あらゆる物事に関わってるな、このガキは。今度何かあったら最初にコイツに喋らせよう。

 

「それ、僕の杖です! その、何処かに落としちゃって。探してたんです。」

 

魔法使いが杖を落とす? ホグワーツではもう少し杖の重要性を学ばせるべきだな。落としたり、折ったり、今度は繋げて傘に隠してみたり。年がら年中杖の手入れをしているアリスが聞いたら激怒するぞ。……ああいや、彼女も杖を折られたんだったか。

 

こうなるともうホグワーツの伝統だな。ダンブルドアに文句を言うことを誓いながら、件の杖を指差して提案を放つ。

 

「直前呪文を使ってみなさい。誰でもいいわ。……まさか全員杖を『落としちゃって』はいないでしょう?」

 

「では、私が。プライオア・インカンタート(直前呪文)!」

 

唯一頼りになるアーサーが杖に向けて呪文を放ってみれば……決まりだな。杖からはあの忌々しい印が飛び出してきた。

 

「……デリトリウス!」

 

アーサーが印を消すと、しばらくの間静寂が広場を包む。実に気まずい沈黙だ。誰もがクラウチを恐る恐る見つめる中、やがて彼は怒りを秘めているような声でポツリと呟いた。

 

「……まさか、私が疑われているのですかな?」

 

「いや、そうは言わないよ、クラウチ。そうは言わないが……しもべが闇の印を打ち出す呪文を知っているのは、その、妙じゃないか?」

 

「つまり、私が日常的に闇の印を生み出していたと? あるいはしもべにそれを教えていたと? そう言いたいのかね? ディゴリー。」

 

「いや、その……。」

 

おお、怖い。ディゴリーを睨みつけるクラウチに、クスクス笑いながら声をかける。気に食わない男だが、闇の魔術を憎む気持ちだけは本物なのだ。さすがに無理のある話だろう。

 

「その辺にしときなさい、クラウチ。誰も貴方を疑ってはいないわ。私やハリー・ポッターと同じくらい、貴方に闇の印が似合わないのは皆がよく知っているもの。……ただし、しもべ妖精は別よ。起こして話を聞いた方がいいんじゃなくって?」

 

「貴女に庇われるとは……今日はつくづく奇妙な日のようだ。いいでしょう。エネルベート(活きよ)!」

 

蘇生呪文を受けて目を覚ましたしもべ妖精は、ぼんやり周りを見回して……クラウチの顔までたどり着くと、身を縮こまらせて目を覆ってしまった。

 

「しもべ! 私はテントで待っていろと言ったはずだ。そのお前が何故ここにいる? 何故杖を持っていた? ……答えろ!」

 

「ご、ご主人さま、あたしは何もご存知ありません! あたしは杖をお拾いになっただけです! あたしは……その、怖くてお逃げになっただけでございます!」

 

「では、闇の印を打ち上げたのはお前ではないのだな? 正直に答えろ、しもべ。」

 

「あたしはなさっていません! あたしは、ウィンキーめは闇の印などをお作りになりません! 良いしもべ妖精はそのやり方をご存知ありません!」

 

まあ、そりゃそうだろうさ。しもべ妖精が闇の印ってのはいくらなんでも信じ難い話だ。大方ハリーが落とした杖でどっかのバカが印を上げて、それをこの哀れなしもべ妖精が拾ってしまったのだろう。

 

誰もが納得の表情を浮かべる中、諦めの悪い大男が声を放った。言わずもがな、ディゴリーだ。

 

「しもべ、お前は誰かを見なかったのか? つまり、印を打ち上げた犯人をだ。」

 

ディゴリーの声を受けたしもべ妖精は、ぷるぷる震えながらディゴリーを見て、クラウチを見て、もう一度ディゴリーを見ると喉を鳴らして口を開いた。

 

「あたしは、ご覧になっておりません。誰も、誰もご覧になりませんでした。あたしは杖をお拾いになっただけでございます。……ただそれだけでございます。」

 

震えながら泣きそうな顔で言ったしもべ妖精に、尚もディゴリーが問いを放とうとするが……その前にクラウチの冷たい声が場に響く。

 

「もういいだろう? ディゴリー。後は主人である私に任せてもらおう。心配せずともそれなりの処罰はするつもりだ。……主人の命を無視して逃げ出したのは、『洋服』に値する。」

 

「まあ、他にもやるべきことはうんざりするほどあるしね。……アーサー、貴方はハリーたちを送って頂戴。ジニーのことも心配でしょう?」

 

『洋服』と聞いた途端にしもべ妖精は絶望的な表情を浮かべるが、他人の使用人の『しつけ』に口を出す趣味などない。それに、現場は今なお混乱しているのだ。纏め上げる人間が……吸血鬼が必要だろう。

 

私の言葉に頷いたアーサーがガキどもを連れて行くのを見送って、クラウチに声をかけながら夜空へと浮かび上がる。

 

「『しつけ』が終わったら貴方もさっさと来なさいよね。私は騒動のあった南側を処理するから、貴方は北側の混乱を鎮めて頂戴。」

 

「承知しました。すぐに終わらせて向かいましょう。」

 

大いに結構。冷徹な了承の声を背に、未だ炎の上がっているキャンプ場へと向かって空を舞う。……これは面倒くさいことになりそうだな。警備責任を盾に架空の賠償を請求してくるヤツが出てくるぞ。付け入る隙を与えないためにも、現場を完全に保存せねばなるまい。

 

別に魔法省の財政が心配なわけでもないし、クレームの対応をする職員を哀れんだわけでもない。当然ながら、私の評判のためである。現場における迅速な対応ってのは世間体がいいのだ。それにまあ、そういう二次被害を防げば魔法省職員の株も上がるだろう。小さなことからコツコツと。それが政治の基本なのだから。

 

久々の自由な飛行を堪能しつつも、レミリア・スカーレットは対応策について考えを巡らせるのだった。

 



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新学期に向けて

 

 

「ふぅん? 大変だったみたいだね。」

 

ワールドカップでの顛末を話すレミリアの声に耳を傾けながら、アンネリーゼ・バートリはワインに舌鼓を打っていた。……うん、スパークリングもいけるな。昔よりシュワシュワしてる気がする。それにまあ、ボトルも破裂しなくなったようでなによりだ。

 

どうやら私と美鈴、小悪魔がヨークシャーで食い道楽を楽しんでいる間にも、ハリーたちは毎年恒例の騒ぎに巻き込まれたようだ。もはや才能だな。彼を主人公にした小説があれば盛り上がりに欠けることはあるまい。こうも毎年事件があってはうんざりかもしれんが。

 

執務机で書き物をしているレミリアは、寛ぐ私を忌々しそうに見ながら話を続けてくる。ふん、そんな顔をしてもワインはやらんぞ。これは私が買ってきたんだ。欲しければ美鈴のを奪え。

 

「最悪よ。結局捕まえた死喰い人『もどき』どもは殆どが騒ぎたいだけのバカだったし、おまけに……これ!」

 

言葉と共にぶん投げてきた物をキャッチしてみれば……おや、見慣れた予言者新聞じゃないか。一面には『魔法省、一大イベントで大失態!』と書かれている。実に分かりやすい見出しだ。

 

「そりゃあ大失態だろうさ。少なくとも大成功とは言えないだろう? 予言者新聞にしては真っ当な記事じゃないか。」

 

肩を竦めて言ってやると、レミリアは左手をヒラヒラさせながら疲れたような返事を寄越してきた。

 

「いいから読んでみなさい。そしたら分かるわ。」

 

ふむ? レミリアの言葉に従って適当に目を通してみると……あー、なるほど。これは酷いな。『魔法省、死喰い人の大多数を取り逃がす!』だとか、『闇の印が上がった場所から複数の死体が運び出されたという噂が?』など、曖昧なバッシングがずらりと並んでいる。具体的なことは全然書かれていない、かなりボンヤリした記事だ。

 

内容の八割くらいが魔法省の失態を批判するもので、残りの二割がワールドカップの内容。そして肝心の死喰い人の名前なんかは一切載っていない。どうやらこの記事を書いた人間はその点をさほど重視しなかったようだ。小物が多すぎてウケないと思ったか?

 

『膨大な数のテントが被害に遭い、善良な一般市民のマンダンガス・フレッチャーなどは、バスルームが四つもあるテントを無残にも破壊された』の辺りを読んでいると、レミリアがぷんすか怒りながら声を放ってきた。

 

「いい? 凡そ三十人のうち、私たちは二十五人を拘束したわ。死傷者ゼロでね! どこが『大多数』を取り逃がしてるのよ! 英語も、ロクに、使えないのかしら!」

 

言葉の合間にバンバンと机を叩くレミリアは、顔を真っ赤にして激怒している。うーむ、面白い。どうしてレミリアが怒っている姿はこんなにも私を愉しませるのだろうか? 永遠の謎だな。

 

ニマニマしながら怒るレミリアを肴にワインを楽しんでいると、彼女は尚も記事に対する文句を言い募ってきた。

 

「それに、『複数の死体が運び出された噂』? そんな記事を書いたら噂が立つに決まってるでしょうが! 能無しで、ボンクラで、役立たずの、リータ・スキーターのせいでね!」

 

「スキーター? ……ああ、記者の名前か。人を煽る才能はあるね。ほら、キミのことも載ってるぞ。『悪趣味な若作り』だってよ。見事に真実を射抜いているじゃないか。反証ゼロだ。」

 

「パチェに頼んだら秘密裏に呪い殺せないかしら? 身体の端から腐っていくとか、耐え難い痒みが全身を襲うとか……なんかこう、すっごい苦痛を伴うようなやつで。」

 

「それが出来るならリドルにやってるさ。痒みの方は特にね。」

 

適当に返事をしながら新聞を捲ってみれば、次々に面白い文章が見えてくる。役立たずかはさて置き、この記者に度胸があるのは確かなようだ。何せ全方位に喧嘩を売りまくっているのだから。

 

ファッジのことは『トロール省大臣』、クラウチは『中世の遺物』、バグマンは『スカスカブラッジャー』。……全部合ってるじゃないか。端的かつ的確。百点満点だぞ。

 

「こいつ、昔から予言者新聞の記者だったか? こんな攻撃的な記事は見たことがないが。」

 

『独自の調べによるとテントの被害は三百張りを超える』の部分を読みながら聞いてみると、レミリアは鼻を鳴らして答えを返してきた。

 

「週刊魔女から移ってきたのよ。ほら、馬鹿なゴシップ記事ばっかりの週刊誌。……胸糞悪いことに、結構人気があるらしいわ。体制に屈さぬ勇敢な記者ってね。」

 

「民衆の不満の捌け口なわけだ。いやはや、いつの世も変わらんね。体制と反体制、弾圧と闘争。人間ってのは愚かな生き物だよ。」

 

なんたって、私が生まれた頃からずっとそれを繰り返しているのだ。革命やらクーデターを起こし、そしてまた腐敗していく。そしたらまた革命だ。きっと未来永劫続く営みなのだろう。

 

せせこましく同じことを繰り返す人間と、何一つ変わらない吸血鬼。どっちがより愚かしい生き物なのかを考え始めたところで、何やら書類を書き終わったレミリアが話題を変えてきた。

 

「そういえば、三大魔法学校対抗試合のルールがほぼ決定したわよ。予定通り、十七歳以上ってのは押し通したわ。」

 

「素晴らしいね。これで我々には何一つ関係が無くなるわけだ。適当に観戦させてもらおう。」

 

「一応貴女にも参加資格があるわけだけど?」

 

「おや、知らなかったのか? 私は十四歳の『リーゼちゃん』なんだよ。三年足りないじゃないか。」

 

頼まれたって出ないからな。子供のかけっこに陸上選手が出るようなもんだぞ。大人気ないどころか、そこまでいくと狂気を感じるだけだ。そんな辱めは御免被る。

 

レミリアにも私の気持ちは伝わったようで、苦笑しながら言葉を放ってきた。

 

「ま、有り得ないわね。……ただ、一応ダームストラングの連中には気を配っておいて頂戴。あそこの校長はキナ臭いわ。」

 

「イゴール・カルカロフだったか? さすがはゲラートの出身校だ。元死喰い人でも校長になれるとは、恐れ入るよ。誰にでもチャンスが与えられる場所らしいね。」

 

「一応調べたんだけど、小物よ。杖捌きは三流、政治は二流、野心だけが一流ね。ハリーに接触してこようとした時だけ気を付けてくれればいいわ。」

 

親マルフォイ以下か。あいつも杖捌きは三流だが、野心と政治は一流だ。つまり、ダンブルドアのお膝元で騒ぎを起こせるようなヤツではあるまい。……いや、一応気を抜かないでおこう。クィレルもラデュッセルも大した魔法使いではなかったが、それでもいいところまではいったのだから。

 

そういえば、次の防衛術教師は誰になるのだろうか? アリス、ルーピンの流れは悪くなかった。ハリーは今や基本的な戦闘用呪文を習得し、予定外の守護霊までもを使い熟している。新四年生でこれってのは上々と言える成果だ。できればこの流れを断って欲しくはないのだが……。

 

「了解したよ。……それで、ルーピンの後任は誰になるんだい? ダンブルドアから聞いているんだろう?」

 

対抗試合の件もあるし、ジジイと連絡は取り合っているはずだ。生じた疑問を問いかけてみれば、レミリアは物凄く微妙な表情になって返答を寄越してきた。ちょっと腐ってる血を飲んだ時みたいな表情だな。うえぇ、って感じの。

 

「あー……アラスター・ムーディよ。よく知ってるでしょ?」

 

「……ムーディ? あのイカれたグルグル目玉か? 被害妄想で陰謀論者の?」

 

「その被害妄想で陰謀論者のイカれたグルグル目玉よ。……言っておくけど、ダンブルドアが選んだんだからね。教師としてはともかく、部外者が多く入ってくる今年は防衛に重点を置きたいからって。」

 

「そりゃあ、番犬としてはこの上ないだろうがね。やたらめったらに噛み付きまくる狂犬じゃないか。死喰い人も入ってこれないだろうが、生徒にだって噛み付きかねんぞ。」

 

聞く話によればムーディの被害妄想は悪化の一途を辿っているらしい。先日も自宅に侵入者が入ったとして、防犯用のゴミバケツを暴れさせたばかりなのだ。今やあの男は一月に一度はそんな騒ぎを起こしている。

 

レミリアにも良い人選とは思えないようで、全く信じていない顔で空虚なフォローを放ってきた。

 

「まあ、ほら。ダンブルドアの側ならちょっとは落ち着くでしょう。それに杖捌きは一流よ? きっと『実践的』な指導をしてくれるわ。」

 

「ああ、そうだね、レミィ。生徒たちがあらゆる贈り物を破壊して、毒を警戒し始めるのが眼に浮かぶようだよ。きっと合言葉が流行るぞ。だってほら、誰が服従の呪文で操られているかは分からないだろう?」

 

悪夢だな。……いやまあ、警戒するのはいいのだ。問題はあの男がやり過ぎることである。人生には多少の余裕が必要なことを知るべきだぞ、あいつは。

 

ワインで気晴らしをしながら新たな『問題』を思って額を押さえたところで、部屋のドアが開いて……おお、素晴らしい。憂鬱な気分が吹っ飛んだぞ。アリスと一緒に可愛らしいドレス姿の咲夜が入ってきた。

 

「あの……これ、どうでしょうか? 二年生は必要ないみたいなんですけど、折角だからってアリスが縫って──」

 

「さ、咲夜! なんて可愛らしいの! 悪魔のお姫様みたいよ!」

 

悪魔のお姫様? 意味不明な褒め言葉を放ったレミリアは、執務机を乗り越えて咲夜へと突っ込んで行く。……いやまあ、確かに似合っているな。咲夜の銀髪がよく映える、黒を基調とした黒白ツートンのドレスローブだ。さすがにアリスの作品だけあって、黒でも重苦しい雰囲気が一切感じられない。服飾店を開いたらさぞ繁盛しそうだ。

 

「あぅ……その、変じゃないですか? 私、こういうのはあまり着慣れていないので。」

 

「変じゃないわ! めーりーん! カメラ! カメラ持って来なさい!」

 

「とても良く似合っているよ、咲夜。レミィも言っていたが、本当にお姫様みたいだ。」

 

「えへへ、嬉しいです。」

 

頰をちょっと赤らめながらはにかむ姿は、親の欲目抜きでも有り得ないレベルの可愛さだ。下級生の間では魔理沙とペアで結構目立つ存在だし、この様子ならさぞダンスの申し込みが……いや待て、良くないな。悪い虫が寄り付いてきちゃうじゃないか。

 

「おい、レミィ、来たまえ。」

 

「何よ。私は忙しいの! カメラが来る前にベストショットを撮れるアングルを見つけないと──」

 

「咲夜があの姿で何処ぞの馬の骨と踊るかもしれないんだぞ。いいのか?」

 

「ダメ。」

 

うわぁ、ちょっと怖い。急に感情が抜け落ちたかのような真顔になったレミリアは、そのままの顔でジッと私を見つめた後……私の両肩をガッシリと掴みながらニヤリと笑って口を開いた。かなり嫌な予感がする表情だ。

 

「そうよ。貴女がエスコートなさい、リーゼ。昔はよくやってたでしょ? お父様たちが開いてたパーティーで、貴女が男装して私をエスコートしてくれてたじゃない。」

 

「おいおい、あれは髪の短い頃の話だろう? せっかくの髪を切るのは嫌だぞ。……それに、子供のお遊びだからこそ皆微笑ましく見ててくれたんだ。今やったらただの異常者じゃないか。」

 

「別に何とでもなるわよ。貴女は十四歳の『リーゼちゃん』なんでしょ? まだまだ子供のお遊びで通じるわ。十四歳だなんて、赤ちゃんみたいなもんじゃないの。」

 

「赤ちゃんは言い過ぎだし、そもそも服がない。私だって微々たる成長はしてるんだぞ。今更昔のフォーマルウェアなんて──」

 

と、そこまで言ったところで何者かに肩を叩かれた。恐る恐る振り返ってみれば……やあ、アリス。そんなに笑顔でどうしたんだ? ちょっと怖いじゃないか。

 

「任せてください、リーゼ様。すぐ作れますよ。っていうか、咲夜の服を作ってる時にも考えてたんです。リーゼ様ならそんなにガチガチの男装じゃなくって、ハーフパンツを基調にしたちょっとボーイッシュな女の子って感じが似合うと思いますし、咲夜と並べばとっても可愛いペアになれます。ふむ……そうなると小物も色々と作った方がいいかもですね。普段は人形の洋服ばっかりだから、ちゃんとした洋服を作るのは楽し──」

 

終わった。呼吸を忘れて延々と話し続けるアリスを前に、早くも思考を放棄する。こうなるともう逃げられるはずなどないのだ。夏休みの残りの期間は、アリスの着せ替え人形として生活することになるのだろう。

 

絶望感に打ちひしがれながら何処からかメジャーを取り出したアリスを眺めていると、部屋のドアが開いて再び乱入者が……おい、幾ら何でも私はそれほどの罪を犯しちゃいないぞ! 羊皮紙の束を手にしたパチュリーが立っているではないか。

 

「帰ってたのね、リーゼ。今回は逃がさないわよ。姿くらましは妨害してるし、暖炉はぶっ壊したし、館の周囲に小雨を降らせてるから。逃げられるもんなら逃げてみなさいよ。」

 

「何? パチュリーもリーゼ様に用があるの? 今から採寸しないといけないんだけど……。」

 

「平気よ。私のは話だけだから。何だかは知らないけど、作業しながらでも聞けるでしょ。」

 

ふむ、地獄ってのはこれよりもキツい場所なのだろうか? だとしたらさすがに行くのは嫌だな。パチュリーの演説を聞きながらアリスの着せ替え人形にさせられるだなんて、ここ数世紀でも結構な罰だぞ。

 

悪しき魔女二人の会話を聞きながら、アンネリーゼ・バートリは少しくらい善行を積もうと決意するのだった。

 



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マッドーアイ・ムーディ

 

 

「こっちだ、リーゼ!」

 

おっと、助かったぞ。コンパートメントから顔を出して呼ぶロンの方へと、アンネリーゼ・バートリは歩み寄っていた。探すのに結構時間がかかっちゃったな。

 

九月一日。いよいよ魔法の学校へと戻る日が来たのである。ちなみに咲夜と魔理沙は、先程見つけたルーナとジニーが居るコンパートメントに乗り込んでしまった。もうすし詰め状態の七人乗りは嫌だということで、今年は四年生組と低学年組で分かれることになったのだ。

 

「やあ、久しぶりだね、三人とも。」

 

コンパートメントに入り込みつつもいつもの面子に挨拶を投げかけると、三人は口々に挨拶を返してきた。うーむ、三人ともに少し背が高くなっているようだ。気に食わんな。縮めばいいのに。

 

「うん。ワールドカップの初日ぶりだね、リーゼ。」

 

「僕とハーマイオニーは二ヶ月ぶりだよ。どうして来なかったんだ? すっごい楽しかったぞ。」

 

「元気そうでなによりだわ、リーゼ。……でも、ワールドカップは本当に勉強になったわよ? 色んな魔法学校の生徒も見れたの。」

 

「それに死喰い人も、だろう? レミィから聞いたよ。巻き込まれたそうじゃないか。」

 

ハーマイオニーの隣に座りながら言ってやると、三人は微妙な表情で黙り込んでしまう。ふむ、どうやらそっちはあまり良い思い出ではなかったようだ。そりゃそうか。

 

「本当に嫌な連中だったわ。マグルの家族を晒し上げて楽しんでたの。小さな子供までね。……あんなの主義主張の問題じゃないわよ。やってることがただの犯罪だわ。しかも、とびっきり下らないやつ。」

 

「そうだな。パパやママがいつも言ってた意味を実感したよ。あいつらは……最低さ。アズカバンに閉じ込めておくのが一番だ。」

 

ハーマイオニーとロンが神妙な表情で言ったところで、出発の汽笛が車内に鳴り響く。お陰で霧散した重い空気を払うように、ハリーが話題を変えてきた。

 

「そういえばさ、リーゼは何か知らない? 今年のホグワーツで何かイベントがあるみたいなんだ。ほら、三年生以上はドレスローブを持参しろって手紙に書いてあったでしょ? ……でも、大人たちは全然教えてくれなくって。」

 

対抗試合のことか? ダームストラングやボーバトンは既に選手の選抜をやってるようだし、別に秘密にすることじゃないだろうに。多分耳の早い生徒はもう知ってるぞ。

 

まあ、別に隠すようなことではあるまい。どうせ歓迎会で聞くことになるのだ。肩を竦めながら、今年のメインイベントについての説明を放つ。

 

「三大魔法学校対抗試合だよ。ホグワーツ、ダームストラング、ボーバトンで代表を一人ずつ決めて、三つの課題で得点を競うんだ。要するに、古臭い交流イベントさ。」

 

「それって……知ってるわ! 本で読んだもの!」

 

おお、久々の決め台詞だ。何となく私が感動している間にも、トランクを漁ったハーマイオニーは一冊の分厚い本を取り出した。もはや見慣れたハーマイオニーの大好きな鈍器、『ホグワーツの歴史』だ。

 

「これの……ここよ! 十三世紀初頭から始まった伝統的なイベントで、代表選手たちは魔法技能、知力、勇気を競って戦う。各校の交流のための素晴らしいイベントだったが、死亡事故が……あー、死亡事故が相次ぎ、夥しい数の死者が出たことから、1792年に中止されることとなった。ですって。」

 

ハーマイオニーが後半を気まずそうに言い終わると、身を乗り出して聞いていたロンは微妙な表情に変わって座席に戻る。出場したかったのかは知らんが、彼の決意を折るには充分すぎるほどに血生臭い情報だったようだ。

 

「『夥しい数の死者』? それをホグワーツでやるのか? 今年?」

 

「ま、そんなに酷いことにはならないと思うよ。安全対策も昔よりきちんとしてるようだし、危険ならダンブルドアが了承するはずないだろう?」

 

「それもそうね。ダンブルドア先生が開催すると決めた以上、死者なんて出ないわよ。」

 

私とハーマイオニーの適当なフォローを聞いて、ロンはうんうん頷きながら笑顔に戻った。いやぁ、素直なバカはいいバカだ。愛嬌というものがある。

 

「そうだな、うん。それなら参加してみようかな。……代表ってのはどうやって選ばれるんだ? たった一人だけなんだろ?」

 

「えーっと……『炎のゴブレットが資格あるものを選ぶ』って書いてあるわ。何かを飲むのかしら? リーゼは知ってる?」

 

「それは知らないが、一つだけ知ってることがあるよ。十七歳以上じゃないと立候補できないのさ。残念だったね、ロニー坊や。」

 

パチリとウィンクしながら言ってやれば、ロンは大きくため息を吐いてから俯いてしまった。……本気で出るつもりだったのか? なかなか勇気があるじゃないか。

 

ついでにハリーもちょびっとだけ残念そうな顔になっている。いや、本当によかった。有り得ないとは思うが、ハリーが選ばれていたら酷く面倒な年になったはずだ。……これまでの経験を思うに、絶対ないと言い切れないのが実に悲しいな。

 

ハリーが背負っているもののことは重々承知しているが、せめて一年くらいは平穏な年があってもいいはずだぞ。車窓に流れる景色を見ながら、忌々しい運命とやらに鼻を鳴らすのだった。

 

───

 

そして学校に到着した途端に大雨だ、くそったれめ。平穏な一年を願った直後にこれってのは不吉すぎるぞ。ホームの屋根の下で嫌そうに立ち尽くしていると、馬車に向かおうとしていたハリーが声をかけてきた。

 

「リーゼ、行かないの?」

 

「私が雨を苦手にしているのは知っているだろう? 先に行っててくれ。後から行くよ。」

 

「でも……すぐ馬車だよ? ほんの十五メートルだ。何なら替えのローブを貸すよ。それを被れば大丈夫じゃない?」

 

「私にとっては遥か彼方の距離なのさ。構わないで行ってくれたまえ。……組み分けを見逃してしまうよ?」

 

三人は尚も逡巡している様子だったが、私がもう一度身振りで行くように伝えると、曖昧に頷きながら馬車へと向かって歩いて行く。小雨ならともかくとして、これだけの大雨だとローブだの傘だのではどうにもなるまい。

 

雨というか、『流水』は一部の悪魔や吸血鬼にはご法度なのだ。動きが酷く緩慢になってしまうし、皮膚に当たれば焼け爛れる。……天が与えし恵の雨か。上手いこと言ったもんだな。

 

苛々しながら忌々しい雨雲を見つめていると、列車から出て来た咲夜がトランク片手に走り寄ってきた。

 

「リーゼお嬢様! 大丈夫ですか?」

 

「ああ、屋根があるしね。……ま、しばらくは足止めさ。咲夜も先に行って構わないよ。」

 

「いえ、私も待ちます! 別に組み分けには興味ありませんし、一人じゃ退屈でしょう?」

 

「おや、可愛いことを言ってくれるじゃないか。」

 

ふんすと鼻を鳴らす咲夜を撫でてやれば、ちょっと照れながらも受け入れてくれた。……もうすぐ十三歳か。さすがに頭を撫でるのも卒業かもしれんな。どんどんスキンシップの手段が減っていくのは少し悲しいものがあるぞ。

 

名残惜しい気分でサラサラの銀髪を梳いていると、今度は金髪の十二歳が悪戯な笑みを浮かべながら近付いてくる。こいつにはこの表情がピッタリだな。生まれてくる時もこんな感じで笑ってたに違いない。

 

「よう、悪しき吸血鬼。聖なる雨のせいで足止めか?」

 

「その通りだよ、小さな魔女さん。魔法で雲を追い払ってくれると嬉しいんだが。ちちんぷいぷいってね。」

 

「お生憎。私は修行中の身なんでな。退屈凌ぎに付き合うのが精一杯だぜ。……実際、天気を変えられたりするのか?」

 

戯けたやり取りから一転して興味深そうに聞いてくる魔理沙に、分厚い雨雲を見上げながら返事を返す。

 

「そりゃまあ、ダンブルドアやパチェなら不可能じゃないと思うけどね。さすがに私には無理さ。全力で妖力弾を撃ちまくれば雲はなんとかなるかもだが……少々派手すぎるだろう? 絶対に騒ぎになるよ。」

 

「そりゃそうだ。打ち上げ花火って雰囲気じゃないしな。……んじゃあ、魔法で馬車を浮かせたりするのは? ここまで持ってくればいいじゃないか。」

 

「単純に面倒だよ。セストラルと綱引きをする気分じゃないしね。ちょっと待ってみて、全然止まなさそうなら『強硬策』に出るさ。」

 

守護霊でマクゴナガルかハグリッドあたりを呼びつければいいだろう。……いや、スネイプの方が面白そうだな。物凄い嫌そうな顔で迎えに来るに決まってる。うん、呼ぶ時はあいつにしよう。

 

唇の端をヒクヒクさせるスネイプを想像していると、魔理沙が残り少なくなってきた馬車の方を指差しつつ質問を放ってきた。

 

「せすとらる? ……あのガリガリの馬か?」

 

「おや、キミはセストラルが見えるのかい?」

 

そういえば去年は小舟だったし、見るのは初めてか。馬車の方を見る魔理沙に、ちょっと驚いた声で言葉を返す。セストラルが見えるということは、誰かの死を見たことがあるということだ。

 

「そりゃ見えるけど……おい、見えたらヤバい系の生き物じゃないよな? 死神犬みたいな。」

 

「安心したまえ。見るのに条件があるだけだよ。」

 

「うぅ、私、見えません。どういう条件なんですか?」

 

仲間外れでちょっと悲しそうに言う咲夜に、苦笑しながら答えを放つ。咲夜が見えないということは、妖精メイドがピチュるのはカウントされないようだ。……まあ、翌日には復活してるし、そりゃそうか。あれは死とは言えまい。

 

「死だよ。一応、誰かの死を見たことがあるのが条件とされているのさ。……眉唾だけどね。『何』の死なのかが曖昧なんだ。動物じゃダメで、人間ならオッケーってのが意味不明だよ。」

 

私から見ても謎多き生き物だ。恐らく認知の変化によって見られるようになるんだと思うのだが……やめやめ。こういうのはパチュリーにでも考えさせるのが一番だ。魔法界のヘンテコな生き物のことを真面目に考えるとバカを見るのだから。

 

そういえば、ゲラートはこの生き物がいたくお気に入りだったな。こいつの牽く馬車を好んで使っていたし、ニワトコの杖の心材にはセストラルの尾の毛が使われているのだと自慢げに話していた覚えがある。……最強の杖の心材になるほどの生物か。これだけ大量にいるとありがたみが薄れちゃうぞ。

 

ドラゴンと馬の合いの子みたいな生き物を横目に考えていると、ちょっと神妙な顔になった魔理沙がポツリと呟いた。

 

「……死、ね。なんか怖い生き物だな。」

 

「かなり賢いみたいだけどね。皮膜の翼を見ればそれは明らかだろう? それに、結構なスピードで飛ぶらしいよ。詳しくはハグリッドに聞きたまえ。」

 

「へぇ。皮膜はともかく、速いってのには興味があるな。今度聞いてみるか。」

 

そもあのセストラルたちを世話しているのはハグリッドなのだ。生態や特徴については誰よりご存知のことだろう。三頭犬、ドラゴン、セストラル。飼育難度の高い生き物をよくもまあ上手に育てるもんだ。

 

普通に魔法生物ブリーダーになってれば、スキャマンダーなんかと同じように歴史に名を残したかもしれんな。……ドラゴンやらマンティコアやらが増え過ぎて災害になるかもしれんが。

 

───

 

それから数十分ほど咲夜や魔理沙と話していたが、雨は弱まるどころか勢いを増すばかりだ。雷まで鳴ってきちゃったぞ。……いよいよ陰気男を呼ぶ時が来たようだな。オモチャが無ければやってられん。

 

「ダメだね、これは止みそうにない。大人しく救助を要請しよう。」

 

「しかしまあ、お前らは強大なんだかポンコツなんだか分からん種族だな。長命で頑丈かと思えば、雨だの太陽だのがダメだったり。」

 

「なぁに、些細な問題さ。それでも人間に比べれば吸血鬼ってのは……おや、懐かしい顔のお出ましだ。」

 

話の途中で気配を感じて学校とは逆側の森を振り返ってみれば、茂みを掻き分けて獣道を歩いてくる男が見えてきた。一瞬だけ雷に照らされたその姿は、まるで失敗作の彫像のようだ。肌にはビッシリと傷が走っており、鼻と片耳は削がれ、片足は木の義足。そしておまけに巨大な左目がグルグル回っている。……言わずもがな、アラスター・ムーディだ。

 

緑色の雨避けフードを目深に被るムーディは、油断なく警戒しながら私たちに近付いてくると、駅のホームへと上りながら言葉を放った。当然杖は手にしている。警戒心の塊みたいなヤツだな。

 

「……吸血鬼か。ふん、貴様がバートリというわけだ。」

 

「ごきげんよう、我らがイカれ男さん。この二人は事情を知っている。……ダンブルドアから説明は受けただろう?」

 

「ああ、聞いておる。それで? こんな所で何をしている? 怪しげな密談か?」

 

「そっちこそ、何だって森なんかから出てきたんだい? ハイキングを楽しむ天気じゃないだろうに。」

 

別に信用していないわけではないが、流水についてを詳しく話すつもりはない。苦手としていることを知っている人間は多いが、詳細までを一々話す必要はなかろう。身内以外に弱点をペラペラ話すのはバカのすることだ。

 

私の質問返しを受けて、ムーディは義眼をグルグル回しながら口を開いた。近くで見ると死ぬほど不気味だな。……ひょっとして、私の透明化も見破れるのだろうか? パチュリーの作った魔道具なのだ。有り得ない話じゃないぞ。

 

「領内に姿あらわしは出来んし、ポートキーは信用ならん。飛翔術など以ての外だ。あんなものはただの的になりかねんだろう?」

 

「それで姿あらわし出来る位置から歩いて来たのかい? ……話以上にイカれてるね、キミは。この大雨でその選択をするヤツは多くないと思うよ。」

 

「油断大敵! 常に警戒すべきだぞ、吸血鬼!」

 

おい、いきなり大声を出すなよ。可哀想に、咲夜と魔理沙がびっくりしちゃってるじゃないか。咲夜はちょっと怖そうに私のローブの裾を握っているし、魔理沙は敵を見るような目で睨みつけている。……第一印象ってのは本当に大事だな。

 

「うるさいよ、ムーディ。……大丈夫だ、二人とも。こいつは新任の教師だよ。見た目も頭もイカれてるが、杖捌きだけは確かだ。こと杖魔法ではアリスを凌ぐはずだよ。」

 

「それのどこが『大丈夫』なんだよ。めちゃくちゃ強い狂人ってことじゃないか。」

 

「あー……まあ、そうだね。」

 

なんか私も言ってて大丈夫じゃないように思えてきたぞ。そんな私と魔理沙の会話に構うことなく、ムーディはコツコツと義足を鳴らしながら城の方へと歩き出してしまう。彼の辞書にはさようならという文字はないらしい。

 

うーむ、咲夜にも然程興味を持った様子はなかったな。こいつは『ヴェイユ』に対して特に思うところがないのだろうか? テッサ・ヴェイユは恩師だし、コゼット・ヴェイユやアレックス・ヴェイユは元部下だったんだろうに。ちょっとは声をかけてやったらどうなんだ。

 

可愛げのない対応に私が鼻を鳴らしていると、城へと遠ざかっていく狂人の背中を眺めながら魔理沙が纏めるように言葉を放った。

 

「つまり、今年の防衛術には期待すんなってこったな。」

 

「正解だ、魔理沙。この短時間で答えを導き出すとは……キミは優秀な魔女になれるよ。」

 

適当に言ってから杖を振って守護霊の呪文を唱える。大雨に、ムーディか。今年は最悪の出だしだな。二つ合わせれば去年の吸魂鬼・ラデュッセルペアと並ぶぞ。

 

早くも今年一年の騒動を予感しながら、アンネリーゼ・バートリは守護霊へと伝言を託すのだった。

 



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許されざる呪文

 

 

「奴隷労働!」

 

ハーマイオニーが放つ独特な朝の挨拶に苦笑しながら、アンネリーゼ・バートリは大広間の長椅子へと腰掛けていた。狂ったオウムみたいでちょっと面白いな。

 

新学期が始まってからは既に数日が経過しているが、四年生の難易度を増す授業に適応する間もなく、我らが『ミス・勉強』は新しいブームを見つけてしまったのだ。その名も、しもべ妖精解放運動である。

 

ハリーやロンの話によれば、クラウチのしもべ妖精が不遇な扱いを受けているのを見て以来、彼らのことを気にする様子はあったとのことだが……ホグワーツでも雇っているという話を誰かから聞いてからというもの、『気にする』が『放ってはおけない』にランクアップしたらしい。ハーマイオニーはしもべ妖精たちの解放者として生まれ変わってしまったわけだ。

 

「やあ、ハーマイオニー、奴隷労働! 今日も新大陸の偉人が乗り移ってるようでなによりだよ。北軍は勝てそうかい?」

 

「ふざけてる場合じゃないのよ、リーゼ! この朝食を見て頂戴。これだけの量を作るのはとっても大変な作業よ。それなのに……無給! 無休! 許されないことだわ! 奴隷労働よ!」

 

おっと、今度はパチュリーの生霊が乗り移ったか。むきゅむきゅ言うハーマイオニーを無視して肉はどこかと探していると、うんざりした様子のロンがハーマイオニーへと話しかける。今日もめげずに彼女の解放運動を止めようとしているらしい。人それを無謀と言うんだぞ、ロニー坊や。

 

「いいか、ハーマイオニー。何度も言ってることだけど、しもべ妖精はそれが楽しくて仕方がないんだ。無給で、無休なことがな。休みを与えるなんて言ってみろよ。あいつらきっと泣いて許しを乞うぜ。」

 

「それは正しい教育を受けていないからだわ! 自分たちに都合がいいからって、しもべ妖精たちを無知なままでいさせてるのよ。イギリス魔法界に蔓延る悪しき慣習なの。」

 

「あー……『しもべ妖精専門学校』を開校する前にとりあえず一度話してみろよ。僕の言ってることが正しいって分かるさ。」

 

「いいえ、ロン。間違ってるのは貴方よ。イルヴァーモーニーで働いているパクワジはきちんと給金を受け取ってるわ。カステロブルーシュのカイポラも正しい対価を受け取ってる。未だに奴隷労働を認めているのはホグワーツだけよ! イギリスだけが遅れてるの! ここだけが前時代的な考え方を改めないままなのよ!」

 

どうやらハーマイオニーは他の生徒たちが対抗試合に夢中になっている間にも、きちんと世界各地の魔法学校について調べていたようだ。素晴らしい行動力ではないか。それもワールドカップに行ったお陰か? もう勘弁してくれ。

 

ロンが処置なしとばかりに匙を投げたところで、ハリーがオートミールをスプーンで突っつきながら口を開いた。賢いポッター君は奴隷労働に関しての一切を無視することに決めたようだ。イギリス人の鑑じゃないか。

 

「でも、本当にどうやって代表選手を選ぶんだろう? ダンブルドア先生は公明正大な審査員って言ってたけど……。」

 

「ゴブレットだろうさ。ハーマイオニーが言ってたじゃないか。」

 

「でも、ゴブレットをどうするの? ……まさか頭に被るんじゃないよね。組み分け帽子みたいに。」

 

「安心したまえ、ハリー。幸いにもキミはまだ十四歳だ。どれだけ馬鹿げた選び方だとしても、キミはやらなくて済むのさ。」

 

私は間に合わなかったので又聞きだが、歓迎会の夜にダンブルドアが話した内容によれば、残りの二校から生徒が合流してから選抜を始めるらしい。十月末とのことだったので、何にせよもう少し先の話だ。先の話なのだが……。

 

「よう、ハリー、リーゼ! お前らは老け薬の予約はいいのか? 老いマスクは? 加齢ガムは? 割引するぞ。」

 

「あー、僕はいらないかな。リーゼは?」

 

「私も不要だよ、双子のどっちか君。それに、ダンブルドアを老け薬なんぞで出し抜けるとは思えないしね。」

 

この有様だ。商機を決して逃さない双子が怪しげな薬やら魔道具やらを売り捌いているのである。被ると老人になれるマスクだの、老け薬だの、日跨ぎ草だの。試供品を配りまくってるお陰で談話室が老人ホーム状態だぞ。見渡す限りジジババだらけだ。

 

ホグワーツの少子高齢化を凄まじい速度で押し進める赤毛は、さして気にした様子もなく肩を竦めた。

 

「なに、数撃ちゃ当たるさ。ダンブルドアがどんな方法を用意するのかは知らないけど、大人を出し抜くのは俺たちの得意分野だ。絶対にやってみせ──」

 

「ウィーズリー! それとハッフルパフのテーブルにいるウィーズリーも! 来なさい!」

 

おっと、秩序の守護神、プロフェッサー・マクゴナガルのお出ましだ。途端に引き摺られて行く双子を見ながら、ホグワーツに戻ってきたことを実感する。……ほら、今もロングボトムがフォークを刺し損ねてプチトマトを吹っ飛ばしたぞ。これでこそホグワーツだ。あとはマルフォイがキャンキャン吠えかかってくれば完璧だな。

 

ソーセージの盛り合わせを独占しながらうんうん頷いたところで、ハーマイオニーの相手に疲れたらしいロンが私とハリーに話しかけてきた。

 

「でもさ、今日は防衛術の初授業だ。『凄い』授業みたいだぜ。受けたヤツはみんなそう言ってる。」

 

「どうかな。尻尾爆発……なんとかを超えるのはさすがに厳しいと思うよ。」

 

「スクリュートだよ、リーゼ。尻尾爆発スクリュート。」

 

ハリーが名前を訂正してくれた謎の生き物は、初日の飼育学で出てきた生物のことだ。凄まじいネーミングに興味を惹かれて見に行ってみたが……なんというか、なんというかな生き物だった。危険であることはヒシヒシと伝わるものの、現存する生き物には似ても似つかない生物だったのだ。

 

針があって、牙もあって、お腹の吸盤から血を吸うし、名前通り尻尾を爆発させたりもする。ハグリッドが何かと何かを交配させて生み出したらしい。……きっとバジリスクやマンティコア、キメラやコカトリスなんかもこうやって生み出されたのだろう。好奇心のなんと罪深いことか。

 

木箱で蠢いていた謎生物のことを考えていると、うんざりした様子のロンがフォークで皿を引っ掻きながら口を開く。彼もスクリュートのことはお好きではないようだ。

 

「ハグリッドは授業であの生き物を一年通して育てる気なんだよ。……あれって犯罪じゃないよな? スクリュートが裁判にかけられても、僕は弁護を手伝わないぞ。」

 

「残念ながら法では裁けない悪なのさ。魔法で『くっつける』のはアウトだが、くっついて生まれてくるのはセーフなんだ。魔法法を考えたヤツは底抜けのアホだね。」

 

「ハグリッドには悪いけど、次の授業までに全滅してくれることを祈るよ。餌が合ってなかったとかで。」

 

ロンは一切期待していない感じで、儚い願いを口にした。無理もあるまい。スクリュートはハグリッドが与えた物を全て食べていたのだ。あの悪食っぷりから察するに、そうそう死ぬことはないだろう。

 

あれだとゴキブリの方がまだ可愛げがあるぞ。もし選択を迫られれば、少なくとも私は木箱いっぱいのゴキブリの方を選ぶ。気持ち悪いスクリュートの姿を頭から追い払いつつ、二本目のソーセージにフォークを伸ばした。

 

───

 

「教科書は不要だ。杖だけあればいい。」

 

そして最初の防衛術の授業。ルーピンと同じような台詞を全く違うトーンで言ったムーディは、義足をコツコツと鳴らしながらドアから教壇へと歩いて行く。最初の威圧は百点満点だな。全員ビビってるぞ。

 

出席を取り終わったムーディは、自己紹介も前置きも一切なしで自身の『教育論』を語り始めた。うーむ、この辺はスネイプに似てるな。今年もあいつは初授業で『演説』をかましてきたのだ。毎年内容を考えるのは苦労するだろうに。ご苦労なこった。

 

「お前たちがこれまでどんなことをしてきたのかには目を通させてもらった。想像以上に進んでおる。一昨年はマーガトロイドにより防衛術の基礎を学び、去年はルーピンが闇の怪物どもへの対処を教えた。……しかし、致命的に理解が遅れておる部分がある。呪いそのものへの理解だ。」

 

そらきた。『呪いそのものへの理解』ね。私の予想通り、クィレルの存在を完全に無視したムーディは、これまでのような生温い授業をする気はないようだ。……まあ、悪くはないな。そろそろ実際の呪いについて、『本物の』呪いについてを知るべき時期だろう。毒を知らねば薬も作れまい。

 

「呪いだ。この世には多くの呪いが溢れておる。わしに与えられた時間は一年。その期間でお前たちに呪いの何たるかを叩き込んでやろう。魔法省の日和見主義者どもに言わせれば、教えるべきは反対呪文だの防衛呪文だのということだが……ふん、くだらん。そんなものは現場を知らん者の妄言に過ぎん。」

 

言いながら杖を抜いた……というか、持っていた巨大な杖を構えたムーディは、緊張する生徒たちへとなおも話を続ける。

 

「わしはお前たちに最悪の呪いを見せる。実際に、今、ここでだ。……失望させるなよ? ダンブルドアはお前たちがこれを見るのに耐え得ると考えておるし、わしも同じ考えだ。見知らぬ呪いに立ち向かうことなどできん。今日この場で、お前たちは自らが立ち向かうべきものを知るのだ。」

 

今や生徒たちはピクリとも動いていない。アリスやルーピンの柔らかく導くような授業ではなく、スネイプと同じ強制的に押し付けるようなやり方だ。……んふふ、結構悪くないじゃないか。恐怖は人を育てるものだ。ムーディはそれをよく知っているらしい。人を成長させるためには、飴ではなく鞭こそが必要なのだから。

 

頬杖をついてニヤニヤ笑っている私に気付いているのかいないのか。ムーディは険しい顔のままで唸るように問いを放った。

 

「魔法法によってその使用を厳しく罰せられる呪文が三つある。最悪の呪いと呼ばれる三つ。許されざる呪文と呼ばれる三つだ。……どうだ? 知っている者はいるか?」

 

いつも通り最速でハーマイオニーが手を挙げるのに続いて、教室のあちらこちらで恐る恐る手が挙がる。ムーディはまともな方の瞳でジロリとそれを睨め付けると、やおら一人の生徒を指名した。……おや、珍しくロニー坊やが挙手をしていたようだ。

 

「お前は……アーサー・ウィーズリーの息子だな? その赤毛ですぐに分かった。言ってみろ。」

 

「はい。えーっと、一つだけ。服従の呪文です。」

 

「……ああ、その通り。服従の呪文。十五年前にわしらが随分と手こずらされた呪文だ。わしはその呪文を良く知っておる。嫌というほどにな。」

 

私なんかは大した思い出がないが、レミリアやアリスはムーディの台詞に深く頷くことだろう。古くは裏切りの呪いと呼ばれたこの呪文は、かけられた者を意のままに操るという厄介な呪文だ。

 

ちなみに私たちの使う魅了とは少し違いがある。服従の呪文が多幸感や酩酊感のようなもので操るのに対し、魅了は忠誠心や盲目的な信頼感を与えるのだ。……まあ、破る方法は基本的に同じだが。強い自我と意思。確固たる精神が必要になる。

 

かけられているのかいないのか。操られているのか自分の意思なのか。その判断が非常に難しいせいで、前回の戦争時には合言葉やら秘密のジェスチャーやらが大流行りだった。おまけに戦争後には、捕縛された誰もが服従の呪文にかかっていたせいだと主張し始めたのだ。モルガナも実に厄介な呪いを作ってくれたもんだな。吸血鬼のオリジナリティが薄れちゃうじゃないか。

 

教室中の注目が集まる中、ムーディは教卓の引き出しから……蜘蛛か? 途端にロンが身を引いちゃってるぞ。小瓶に入った三匹の蜘蛛を取り出すと、そのうちの一匹を手に乗せながら呪文を放つ。

 

インペリオ(服従せよ)!」

 

おやまあ、ちょっとはユーモアのセンスもあるじゃないか。途端に蜘蛛は曲芸を披露し始めた。糸を使っての空中ブランコ、縄跳び、あやとり。そして最後には八つの脚を器用に動かしながらのタップダンスだ。魔法使いはともかくとして、マグル相手ならさぞウケることだろう。

 

殆どの生徒が笑う中、顔を強張らせているのはハーマイオニーと……おっと、ロングボトムもか。珍しいことに、彼もムーディのやっていることの意味が理解できているようだ。ちなみに私は未だニヤニヤしている。理解した上で楽しむのが吸血鬼ってもんだ。

 

「面白いか? それじゃあ次は机から落としてみるか? それとも水に溺れさせてみるか? 自分の脚を捥がせてみるか? そしてそれを食わせてみるか? ……どうだ? わしがお前たちに同じことをしたら、それでも笑っていられるか?」

 

ムーディが歪な笑みで言う度に、教室の温度が急激に下がっていく。今や誰もが笑みをかき消し、喉を鳴らしながら蜘蛛を見つめ始めた。お通夜ムードだ。

 

「完全なる支配だ。そこに自分の意思などない。愛する者が、信頼する友が、血を分けた家族が、いきなり杖を向けてくるかもしれない時代があったのだ。そして同時に、自分が気付かぬ間に誰かを殺しているような時代がな。……さて、あと二つ。誰か知っている者はおらんか?」

 

ムーディの言葉を受けて、先程よりもずっと少ない数の手が挙がる。どうやら十四歳の子供たちには少々刺激が強すぎたようだ。

 

「では、ロングボトム! 言ってみろ。」

 

「僕も一つだけです……その、磔の呪文。」

 

「その通り。……見やすいように少々大きくしてやろう。」

 

ロングボトムの答えを受けたムーディは蜘蛛を取り出すと、肥えらせ呪文で大きくしてから磔の呪文を放った。なんとも気遣いに溢れてるヤツだな。全員迷惑そうだぞ。

 

クルーシオ(苦しめ)!」

 

たちまち蜘蛛は脚をバタつかせながら、身を捩って苦しむように痙攣し始める。……いやはや、便利な呪文だ。杖一本あれば拷問できるし、後片付けも不要。惜しむらくは与えられる苦痛に制限があることだろうか。呪文の使用者にもよるが、耐える奴は耐えてしまうのだ。前回の戦争でそのことを実感した。

 

っていうか、蜘蛛に痛覚とかってあるのか? 人間のそれとはまた違った意味での『苦痛』なのかもしれんな。私がのたうち回る蜘蛛を見ながらどうでもいいことを考えていると、隣のハーマイオニーがあらぬ方向を見ながら声を上げた。

 

「もうやめて!」

 

懇願するように叫ぶ目線の先では……ロングボトムが蒼白になりながらギュっと手を握りしめている。両親のことを思い出しているのだろう。時折見舞いに行っているアリスの言葉が確かなら、ロングボトム夫妻は今もおかしくなったまま、聖マンゴで夢うつつの日々を送っているはずだ。

 

チラリとロングボトムを見たムーディは言葉を発することなく、縮ませ呪文で蜘蛛を小さくしてから小瓶に戻した。……ちょっと待て、その二匹の蜘蛛は別の授業にも再利用されてるんじゃないよな? だとすればさすがに同情に値する話だぞ。

 

もしくは弱ったヤツを三つ目の呪文に回しているのかもしれない。曲芸をして、拷問されて、最後に処刑か? 私が瓶詰めの蜘蛛たちを哀れんでいる間にも、ムーディは磔の呪文についての説明を語り始めた。

 

「苦痛だ。純粋な苦痛、耐え難い苦痛。ほんの一言唱えるだけで、それが全身に襲いかかる。この呪文に屈した者は少なくない。そして、それは恥ずべきことではないのだ。磔の呪文を食らえばそれが分かる。その瞬間に、この呪文の意味をようやく理解できるのだ。」

 

試してみるか? と言わんばかりのムーディから、教室の誰もが目を逸らした。唯一私と目が合うが、ムーディは鼻を鳴らして無視してしまう。……うーむ、どうやら彼は私に対して『スネイプ式』の対応をすることに決めたようだ。楽だが、つまらんな。

 

「さて、最後だ。分かる者はいるか? 誰でもいい、言ってみろ。」

 

三度投げかけられた質問に応えたのは、とうとう弱々しく手を挙げるハーマイオニーだけになってしまった。他は残りの蜘蛛を見ながら沈黙している。恐らく知っていて手を挙げない者も多いのだろう。

 

「言ってみろ、グレンジャー。」

 

「……アバダ・ケダブラ。死の呪いです。」

 

強張った顔に震える声。言うのも罪といった様子で答えたハーマイオニーに、ムーディは頷きながら最後の蜘蛛を小瓶から出して机に乗せた。

 

「そうだ。最後にして最悪の呪文。死の呪い……アバダ・ケダブラ(息絶えよ)!」

 

見慣れた緑の閃光が直撃すると、蜘蛛はコロリと動かなくなる。あっさりだな。この呪文の良くないところは、あっさりすぎることだ。あまりに単純な分、対処のしようがない。死。純然たる死なのだ。

 

「……っ!」

 

「おっと。大丈夫だよ、ハーマイオニー。」

 

女子は声にならない悲鳴を上げ、男子たちも顔を蒼白にして動かなくなった蜘蛛を見ている。隣のハーマイオニーが縋るように私の手を握ってきたのに応えていると、ムーディが両目でハリーを見ながら言葉を放った。

 

「死だ。分かるか? ただ死ぬのだ。反対呪文は存在しない。盾の呪文で防ぐのも至難の業だ。これまで多くの命を奪い、そしてこれからも多くの命を奪うであろう呪文。……これを受けて生き残った者はただ一人。その者は、今わしの目の前に座っておる。」

 

うーん、残念。吸血鬼はムーディのカウントに含まれなかったようだ。フランがペチペチはたき落としているのを、この男は少なくとも一度は見ているはずなんだが。

 

ハリーはムーディには何も答えず、ただ動かなくなった蜘蛛をジッと見ている。恐らく両親と、そしてリドルのことを考えているのだろう。ムーディはこの短時間で二人の生徒のトラウマを抉り、それ以上の生徒にトラウマを植え付けたらしい。お見事。

 

「さて、お前たちは対処法が存在しないなら何故見せたかと疑問に思っていることだろう。……油断大敵! それはお前たちが知っておかねばならんからだ! 備えろ! 想像しろ! 最悪の状況に陥った時のことを! この呪文を目にした時のことを!」

 

……業腹だが、認めよう。ムーディはこの科目に限っては間違いなく教師に向いている。死の呪文を見た時、足を竦ませるのでは死ぬだけだ。少なくともハリーには怯えず前に出て反撃する魔法使いになってもらわねば困る。この傷だらけの男のように、ゲラートのように、ダンブルドアのように、アリスのように。

 

生徒たちが身を竦ませるのを前に、ムーディは鞭打つように怒号を放った。

 

「学んでもらうぞ! 他人事などとは思うな! いつか必ずその日が来るのだ! 甘えは一切許さん。弱音も吐くな。怯えて死ぬか、杖を手に立ち向かうかだ。選べ、ひよっこども! そして立ち向かうことを選ぶのなら、わしの話をよく聞くことだ。空っぽの頭にこの言葉を刻み込め! 油断大敵! ……さて、羽根ペンを出せ。わしが今から言うことを書き取るんだ。一言一句、間違わずにな。」

 

かつてここまで私語の少なかった授業があっただろうか? 誰もお喋りなどしていないし、誰も余所見などしていない。ムーディのグルグル回る青い目玉に怯えながら、必死になって羊皮紙と羽ペンを取り出している。うーん、悪くない。これぞ『闇の魔術に対する』防衛術だな。

 

そのまま許されざる呪文についての説明を始めたムーディの声を聞き流しながら、アンネリーゼ・バートリは今年の防衛術も『当たり』なことを確信するのだった。

 



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しもべ妖精福祉振興協会

 

 

「──ですから、我々はこの状況を変える必要があるのです! 全てのしもべ妖精はお給料を貰っていません! 無給による労働、それはかつて行われていた奴隷労働と何一つ変わらないではありませんか!」

 

ハーマイオニーがおかしくなっちゃったぞ。談話室で『選挙演説』をしている栗色の髪の友人を見ながら、アンネリーゼ・バートリは頭を抱えていた。どうやら一過性のブームとはいかなかったらしい。

 

九月末。同級生たちは対抗試合のことを気にしながらも、日々の授業をやり過ごすので精一杯だ。マクゴナガルは一年先のフクロウ試験の為にと膨大な量の宿題を出し、フリットウィックは一度の授業で二つ以上の呪文を教えるようになった。スプラウトは意味不明な謎植物ばかりを扱い、スネイプは……まあ、あの授業は大して変わらんか。毎年難しいし。

 

他に変わらんのはビンズとバブリングくらいだ。片や蓄音機のように教科書を読むだけで、片や石工の真似事を続けている。あの無表情女は今年は二十四文字のゲルマンルーン文字を扱うなどと言い始めたのだ。クソったれめ!

 

そんな中、ハーマイオニーのしもべ妖精解放熱は衰えるどころかその勢いを増してしまったのである。先日『S.P.E.W.』なる謎の協会を立ち上げ、活動資金を得るためにバッジを売り捌きながら啓蒙活動を始めたのだ。どうかしてるぞ。

 

「なあ、止めてくれよ、リーゼ。頭がおかしくなりそうだ。」

 

薬草学のレポートを書きながら言う魔理沙に、ソファに深く沈み込んで答えを返す。もう試したし、もうやりたくない。吸血鬼というのは学習する生き物なのだ。

 

「嫌だね。止めようとするとディベートを仕掛けてくるんだよ。それに、もうすぐ昼休みは終わる。それまでの辛抱さ。」

 

「……私もハリーとロンの方に行けばよかったな。ちょこっとボールで遊ぶだけでも、きっといい気分転換になるぜ。」

 

「ダメよ、魔理沙。レポートは今日やるって言ったでしょ。最近ずっとクィディッチごっこをしてたんだから、今日は真面目にやるの!」

 

「へいへい。」

 

咲夜に怒られた魔理沙は、項垂れながらも再びレポートへと向き直る。ワールドカップの熱は未だ冷めやらぬようで、対抗試合のため今年のクィディッチは中止だと聞かされたハリー、魔理沙、ロンは、休み時間になると飛行訓練場で『スーパープレイごっこ』を楽しんでいるのだ。

 

一度だけ見に行ったが、ウロンスキー……なんちゃらとかいうのを超低速でやっていた。どれだけ難易度の高い技なのかは知らんが、私の見る限り飛んでた蝶の方が速かったぞ。あれだけ遅いとそれはそれで見事なのかもしれんが。

 

『チョウチョ以下』のスーパープレイを思い出している私に、咲夜が膝の上の毛玉ちゃんを撫でながら声をかけてくる。羨ましいヤツめ。その膝は価値が高いんだからな、毛玉。貴賓席だぞ。

 

「でも、ハーマイオニー先輩の言うことにも一理ありますよ。このままずーっと、ずぅーっと『しもべ』のままでいるなんて、ちょっと可哀想じゃないですか?」

 

「んー、私にはよく分からんな。しもべ妖精を見たのは一回こっきりだ。……リーゼはどう思う?」

 

「そうだね……現代の価値観から見れば、確かに真っ当な関係ではないんじゃないかな。一方的な奉仕と享受。かなり中世的な考え方だとは言えるだろうね。」

 

そこで一度言葉を切って、ロワーのことを思い出しながら続きを話す。彼は私に惜しみなく忠義を尽くし、そして私はそれを余すところなく受け取った。昔はそれが『美しい』と言われる関係性だったわけだが……うーむ、世代の差だな。かつての『常識』が今や『非常識』になっているわけか。

 

「だが、しもべ妖精はそうあれとこの世に生を享けた生き物なんだ。彼らにとって己が忠誠に値段をつけられるのは酷い侮辱なのさ。しもべ妖精の待遇を理不尽に思うってのは……そうだな、カゲロウの短命を嘆いたり、アリの階級制度を改善しようとするようなもんだよ。」

 

「変えられない定めってことか?」

 

「変えられなくはないだろうけどね。生物っていうのはそうやって進化してきたんだ。……ただまあ、そこまでいくとかなり難しい議論になってくると思うよ。そもそも、今の魔法族はそこまで種として成熟していないんじゃないかな。格差の改善なんかはマグルの方でもようやく認知されてきた問題なんだ。純血問題やらスクイブの差別なんかがある以上、魔法使いたちがしもべ妖精に向き合うのは遥か先の話さ。」

 

私の言葉を聞いて、咲夜と魔理沙は首を傾げて考え込んでしまった。無理もあるまい。十二歳の少女が向き合うような問題じゃないし、十五歳にしてこの問題に向き合っているハーマイオニーの方が珍しいのだ。

 

ちなみに私としては、『興味がない』という単語が一番しっくりくる。この歪な共生関係が問題であることは理解できるが、私は他人の庭に口を出すほどお人好しではないのだ。隣の庭がどれだけ荒れ果てていようが、自分の庭さえ美しいのなら文句などない。

 

ま、何にせよそろそろ次の授業に向かう時間だ。未だ演説を続けるハーマイオニーに近寄って、時計を指差しながら声を放った。

 

「ハーマイオニー、時間だよ。防衛術に遅れたくはないだろう?」

 

「──から、今こそ声を上げる時なのです! しもべ妖精たちの声なき思いを代弁して……あら、もうそんな時間? それじゃ、続きは今夜に回しましょうか。」

 

「ああ、そうした方がいいね。それと、バッジをもう十個ほど買うよ。残ってるかい?」

 

ついでに補充を済ませておこう。小銭を渡しながら言うと、ハーマイオニーは嬉しそうにバッジの詰まった空き缶を取り出して返事をしてくる。

 

「勿論よ! ハリーもロンも全然配ってくれないんだもの! 少しはリーゼを見習って欲しいわ。……でも、無理はしないでね? 売れる分だけでいいの。」

 

「心配ないよ。無理なんかしてないさ。」

 

ハーマイオニーには内緒だが、当然ながら私も配っているわけではない。ここ最近はスネイプのローブに永久粘着呪文で貼り付けてやろうと頑張っているのだ。……あの陰気男がローブに『スピュー(反吐)』なんてバッジを貼り付けてる姿だぞ。誰だって見てみたいに決まってる。

 

しかしスネイプもさるもので、私のバッジ攻勢の悉くを凌いでいるのだ。あれほどの杖捌きができるとは思わなかった。間違いなく二年生の決闘クラブの時よりも本気を出していたぞ。

 

透明化してこっそりというのは味気無いし、なんとか正攻法でくっ付けたいもんだ。私が陰気男への次なる一手を考えている間にも、一足先に準備を終えた魔理沙と咲夜が声をかけてくる。ハーマイオニーは……まだ演台の片付けに手間取っているらしい。早めに声をかけておいてよかった。

 

「よう、私たちは先に行くぜ。」

 

「リーゼお嬢様、行ってきますね!」

 

「ああ、次は飛行訓練だろう? ハリーとロンが遅れそうだったら尻を叩いてやってくれ。」

 

フーチも一緒になってはしゃいでいる可能性は大いにあるのだ。少なくとも前例はあった。二人にも思い当たる節があったようで、苦笑して頷きながら談話室の扉へと歩いて行く。

 

それを見送ってしばらくソファで待っていると、ようやく準備を終えたらしいハーマイオニーが近付いてきた。ポケットがパンパンに膨らんでいるのを見るに、今日も誰彼構わずバッジを売りつける気のようだ。

 

「さ、行きましょう、リーゼ。授業が待ってるわ。」

 

「……ああ、行こうか。」

 

何も言うまい。私はとっくの昔にハーマイオニーを止めるのは諦めた。まあ、確かにどんな改革も最初は馬鹿にされるものなのだ。人権運動も、奴隷解放も、共和政の確立も。……いやまあ、ハーマイオニーの運動もそうなるとは口が裂けても言えないが。仮にどっちに賭けるかと言われれば、間違いなく失敗する方に賭けるだろう。

 

革命家と、それに倍する失敗者たちのことを考えながら一階の教室へと歩いて行くと……おや、ハリーとロンだ。廊下の中途半端な位置で熱心に何かを話し合っているのが見えてきた。チョウチョと競争して授業に遅れるのは免れたらしい。

 

「やあ、二人とも。間に合ったようで何より──」

 

「リーゼ、ハーマイオニー! 遅いぞ! 君たちは偉大な光景を見逃したんだ!」

 

「あー……偉大な光景?」

 

くるりと振り返って捲し立ててくるロンに問い返してみれば、彼は目を瞑って『偉大な光景』とやらを思い出すように語り始める。

 

「ケナガイタチだよ。マルフォイがケナガイタチになったんだ。君たちは人生において最高の光景を見逃したんだぞ。」

 

マルフォイが、ケナガイタチ? 恍惚とした表情で言っているが……なんだこいつ。ヤバい薬でも飲んじゃったのか? もしくは錯乱呪文をかけられたのかもしれない。

 

私とハーマイオニーが胡乱げな表情になっているのを見て、多少冷静なハリーが慌てて補足を伝えてきた。

 

「さっきちょっとした口喧嘩があってさ。それでマルフォイが去り際の僕に呪いを撃ってきたんだ。つまり、背中に向けて。そしたら偶々通りかかったムーディ先生がそれに怒っちゃって……あー、マルフォイをケナガイタチに変えて、ビタンビタンしちゃったんだよ。」

 

「ハリー、それって……大丈夫なの?」

 

ハーマイオニーの『大丈夫なの?』が誰に掛かっているのかはよく理解しているようで、ハリーは曖昧に頷きながら困ったように口を開く。当然ながら『ビタンビタン』された方ではあるまい。した方だ。

 

「ムーディ先生は全然気にしてなかったけど、人間に戻った後のマルフォイはお父様がどうだのって言ってた。……ちょっと心配かな。」

 

「心配ないさ。あの男がイカれてるのも、関わるとヤバいのもイギリス魔法界の常識だ。ハロウィンにゾンビの仮装をして、ムーディに『愉快なサプライズ』をしようとした魔法使いの逸話を知ってるかい? 多分マルフォイの父親は知ってるはずだ。そして知ってれば絶対に関わろうとはしないよ。」

 

哀れなゾンビは聖マンゴの『粘着科』に三ヶ月入院したと聞いている。それ以来ムーディにサプライズを仕掛ける者はいなくなったし、『ムーディの格好で』サプライズを仕掛ける魔法使いが増えたのだ。魔法使いたちはゾンビよりムーディの方が余程に怖いということを学習したらしい。

 

「まあ、そうね。いくらマルフォイの親でもムーディ先生に食ってかかるほどバカじゃないでしょ。……ほら、行くわよ! ロン!」

 

「ちょっと待ってくれよ、ハーマイオニー! 君は見てないからそんなことが言えるんだぞ。あの光景を僕の脳みそに刻み込まなくっちゃ。……ドラコ・マルフォイ。驚異の弾むケナガイタチ。」

 

ダメだな、これは。脳みその容量を無駄遣いしているロンを放って、三人で教室に向かって歩き出す。……まあ、今日の防衛術は多少『抑えめ』の内容になるかもしれない。ムーディも憎っくきルシウス・マルフォイの息子をイタチに変えられてご満悦だろうし。

 

───

 

「今日はお前たちに対して実際に服従の呪文をかけさせてもらう。木偶人形に成り下がるのが嫌ならば、必死に抵抗した方がいいぞ? ぇえ?」

 

うーむ、微妙なとこだな。死やら磔の呪文を選ばなかったことを喜ぶべきか、それとも魔法法を完全に無視していることを悲しむべきか。少なくとも『抑えめ』にはならなかったようだ。

 

生徒たちがドン引きする中で、私の隣のハーマイオニーだけがイカれたグルグル目玉に立ち向かうために声を上げた。頑張れ、ハーミー。悪しき狂人をやっつけるんだ。正義はキミにあるぞ。

 

「あの、それは……法律違反です。ヒトに許されざる呪文を使うのは魔法法で重罰に処されます。ムーディ先生ご自身がこの前の授業で説明してくださいました。」

 

「その通り。しかし、ダンブルドアはお前たちがこれに備えておくべきだと思っておるようだ。わしと同じようにな。いざ闇の魔法使いに使われてからでは遅い。そうは思わんか? グレンジャー。」

 

「それは……はい。そうですけど。」

 

いや、ハーマイオニーの言っているのはそういうことじゃないと思うんだが……まあいいか。私としては大賛成のやり方なのだ。当然文句などない。

 

「それでは、一人ずつ名前を呼ぶ。前に出て抵抗してみせろ。いいか、意思だ! 自らの意思を保ち続けろ! わしの命令なんぞ拒んでしまえ! それでは……フィネガン! 最初はお前だ。」

 

こうして始まった服従の呪文ショーだったが、やはりというか当然というか、四年生のガキが熟練の闇祓いの支配を拒むのは至難の業らしい。次々と失敗していくのが見える。

 

ブラウンはエア・なわとびを披露して、ロングボトムは新体操を、ロンはパントマイムでハーマイオニーはお歌の時間だ。見てる分には愉快だが……なんだってこんな時だけユーモアのセンスを発揮するんだ、こいつは。全部ムーディの選択だと思うとかなり滑稽だぞ。

 

うーん、どうしようか。当然ながら私はお歌を披露するのは御免だし、新体操だってやりたくない。となれば、また吸血鬼特有のなんちゃらかんちゃらを追加する必要がありそうだな。せめて一人くらい抵抗してくれれば言い訳するのも容易いのだが……。

 

「次は……ポッター! お前だ!」

 

おっと、遂に生き残った男の子の番か。ご指名に応じて前に出たハリーは、強張った表情でムーディの呪文を受ける。

 

「いくぞ、インペリオ(服従せよ)!」

 

……ほう? これまでならばすぐさま『お遊戯』を披露しているところだが、ハリーは固まったままで動かない。つまり、ムーディの支配とハリーの抵抗が鬩ぎ合っているようだ。こんなところでも生き残った男の子は謎の適性を発揮したか。

 

「いいぞ、ポッター! 全員見ておけ! ポッターが抵抗しておるぞ!」

 

ハリーに杖を向けながら歪んだ笑顔で言うムーディに従って、生徒たちがハリーへと注目する。何の命令をしたのかは知らんが、ハリーは油の切れた機械のような動きで教壇に向かって……うーん、微妙な終わり方だな。

 

「ぐぅっ……。」

 

恐らくムーディは教卓に飛び乗れと命じたのだろう。そしてハリーはそれに抵抗しようとした。結果としてハリーは中途半端な高さに飛び、膝を教卓の角に激突させることになったわけだ。痛いぞ、あれは。今も膝を抱えながらプルプルしちゃってる。

 

「よし、立て、ポッター。その感覚を忘れんうちにもう一度だ。次は抵抗してみせろ。」

 

「えっと……でも、リーゼがまだです。僕ばっかりじゃ──」

 

「ふん、吸血鬼に服従の呪文など時間の無駄だ。あの生き物にこの呪いは効かん。だからこそスカーレットが頼りにされてたんだろうが?」

 

私を生贄に実験台を逃れようとしたハリーだったが、ムーディによってその企てを封じられてしまった。途端に注目してきた教室中の目線に、訳知り顔でうんうん頷く。……まあ、ムーディにしては中々上手い説明だったな。これなら及第点だろう。レミリアを引き合いに出したあたりに多少の説得力を感じる。

 

そして、実験台継続の知らせを受けたハリーだけが引きつった顔だ。中途半端に抵抗しちゃうからそうなるんだぞ。嫌そうな顔で再びムーディの前に戻ったハリーへと、イカれ男が服従の呪文を放った。

 

「インペリオ!」

 

うーむ……またしても不自然にガクガク動き出したハリーは、この後に魔法薬学があることを覚えているのだろうか? 彼にとっての厄日はどうやら今日だったようだ。ムーディのちスネイプ、ときどきケナガイタチか。

 

哀れな生き残った男の子に同情の視線を送りつつ、アンネリーゼ・バートリは欠伸を一つ噛み殺すのだった。

 



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古き悪

この辺、新作映画次第では大規模な修正が入るかもです……。


 

 

「……ここは何度見ても飽きないわね。見事な装飾だわ。」

 

フランス魔法省のエントランスホールを歩きながら、レミリア・スカーレットは隣を歩くシャックルボルトに語りかけていた。どんな美術館でもこれ以上の彫刻にはお目にかかれまい。

 

『非常に重要かつ緊急性の高い報告』があるとの報せを受けて、遥々イギリスから飛んで来たのだ。決め手はコーネリウスの頭越しに連絡が来たということである。つまり、『お飾り』を挟む時間すら惜しいということだろう。

 

きな臭いものを感じ取った私は、スクリムジョールからシャックルボルトを借り受けてすぐさまフランスへと移動した。この有能な闇祓いを連れて来た理由は二つ。一つは護衛も無しじゃ格好がつかないという見栄で、もう一つはフランスへの顔つなぎである。この男はいずれ間違いなく要人へと上り詰める能力があるのだ。顔を広めておくのは悪い考えではあるまい。

 

私の言葉を受けたシャックルボルトは、壁いっぱいの彫刻を見ながら静かな声で答えてきた。穏やかで、人を落ち着かせるような深いバリトンの声だ。

 

「本当に見事な彫刻ですね。フランスの歴史を表しているのでしょうか?」

 

「ええ、その通りよ。あの辺りが百年戦争。ほら、オルレアンの乙女が見えるでしょう? それに……あそこが革命戦争ね。」

 

当然ながらただの彫刻ではない。半円形のエントランスホールを囲む大理石の壁一面に刻まれたそれらは、命持つかのように躍動的に動いているのだ。戴冠を受けるカール大帝、王笏を振り上げるサン・ルイ、旗振るラ・ピュセル、馬に乗るナポレオン。あまりに人間的な動きをするせいで、今にも声が聞こえてきそうなほどだ。

 

彫刻を指差しながら説明してやれば、シャックルボルトは興味深そうに頷いてから口を開く。態度から見るに、この男は芸術にもそれなりの理解があるようだ。リーゼとは大違いだな。あのペタンコ吸血鬼は花より団子を地でいってるぞ。

 

「イギリス魔法省とはまた違った美しさがありますね。我々のアトリウムが重厚で静謐なのに対して、こちらは何と言うか……賑やかで芸術的です。」

 

「さすがは芸術の都ってわけね。色んな政治機関に行ったことがあるけど、こと華やかさではここが一番よ。」

 

別にイギリス魔法省のアトリウムをバカにするつもりはない。磨き抜かれたエボニーの床や壁、立ち並ぶ金枠と黒煉瓦の暖炉、天井に走る金色の幾何学模様。そしてイギリス魔法界を構成する生物たちの黄金の立像が聳える『和の泉』。黒と金で彩られた細長い長方形のあの場所だって、私はそこそこ気に入っているのだ。

 

ただまあ、こと華やかさでいえばフランス魔法省の方が一枚上手と言えるだろう。立ち並ぶ巨大な柱は美しい金細工で飾られているし、無数のシャンデリアの光を反射する床の大理石は継ぎ目もない真っ白だ。そして何より気に入っているのは、エントランスホールを一直線に貫く深紅の絨毯である。闇夜に浮かぶ紅も好きだが、白に映える紅も美しい。やっぱり最高の色だな。

 

うんうん頷きながらふかふかの絨毯の上を歩いていると、前方から中年の柔和そうな小男が走り寄ってきた。薄い髪の毛に、うだつの上がらない雰囲気。野暮ったい黒縁メガネも相まって、正に小役人といったご様子だ。……見た目だけは。

 

「あら、お迎えが来たわね。」

 

「フランス魔法省の役人の方ですか?」

 

「闇祓い隊隊長。こっちで言う闇祓い局局長よ。ルネ・デュヴァル。……見た目に騙されないようにね。恐らく杖捌きじゃフランスで一、二を争うわよ。」

 

「それは……なるほど。肝に銘じましょう。人は見かけによりませんな。」

 

確かに見た目はその辺の木っ端にしか見えまい。態度も穏やかで丁寧だし、いつもニコニコ笑っているような男なのだ。……しかしその実、オリンペと伯仲するほどの実力者なのである。オリンペが動だとすれば、あの男は静だ。一度だけ杖を振るうのを見る機会があったが、ダンブルドアの戦い方に少しだけ似たところがあった。

 

そして何より驚愕なのは、彼が『あの』ムーディと親しい友人ということだ。ムーディに友人なんてものが存在するとは思わなかったぞ。同世代の彼らは、新米の頃に国際的な魔法生物の密輸事件で知り合って以来、意気投合して連絡を取り合っているらしい。……どんな会話を繰り広げているんだろうか? 想像できんな。

 

私の内心での考えを他所に、駆け寄って来たデュヴァルはペコペコと頭を下げながら言葉を放ってきた。イギリス人からしても違和感が無いほどに流暢な英語だ。

 

「これは、スカーレット女史。本来なら玄関までお出迎えしなければならないというのに、誠に申し訳ございません。」

 

「構わないわ、デュヴァル。元気そうで何よりよ。……こっちはキングズリー・シャックルボルト。イギリスの闇祓いで、今日は護衛に付いてもらってるの。」

 

「おお、ご苦労様です。ルネ・デュヴァルと申します。どうも、どうも。」

 

「キングズリー・シャックルボルトです。護衛故、私のことはお気になさらず。」

 

ペコリと軽く頭を下げてから身を引いたシャックルボルトにまた深々とペコペコしてから、デュヴァルは私たちをエレベーターへと案内し始めた。

 

「では、ご案内いたします。こちらへどうぞ。」

 

「ええ。……しかし、随分と物々しいわね。前来た時にはこんなに警備は居なかったと思うのだけれど。」

 

エレベーター、暖炉、受付、正面入り口。至る所に警備が立っているのだ。そりゃあ魔法省なのだから警備くらいは居るだろうが、これはちょっと多すぎな気がする。心なしか空気もピリついてるし。

 

「それも今回の件に関係しておりまして……詳しい話は上でいたします。」

 

「ふぅん?」

 

これまた見事な金細工で彩られたエレベーターで上へと昇り、地上四階の応接室へと進んで行く。……ちなみにその間中デュヴァルはペコペコしっぱなしだった。この男の怖いところはここなのだ。態度や見た目で侮った結果、牢獄行きになった闇の魔法使いのなんと多いことか。

 

「さ、こちらです。」

 

間違いなくフランス魔法省で一番金のかかっている応接室に私を導いたデュヴァルは、そこで既に準備していた職員たちにお茶の用意を頼み始めた。シャックルボルトは……うんうん、それでいい。私の座るソファの後ろで直立不動。スクリムジョールはきちんと部下を教育しているようだ。

 

お茶請けは……マカロンか。色とりどりの高価そうなマカロンが皿に盛られている。パチュリーにでも持って帰ってやったら喜びそうだな。

 

「美味しそうね。どこのマカロン?」

 

「あーっと、リヨンの名店の物だったはずです。魔法族が経営する店でして。よろしければお土産にいくつかお包みしましょうか?」

 

「お願い出来る? 家人にマカロン好きがいるのよ。私だけ食べてきたって聞いたら臍を曲げちゃうわ。」

 

「では、お帰りの際にお渡ししましょう。」

 

職員にデュヴァルが目線で命じたところで、薄紅色のを一つ口に放り込んでみれば……うーむ、美味いなこれは。甘酸っぱい木苺の味がする。フランボワーズか。パチュリーにくれてやるのは勿体ないかもしれんぞ。

 

殆ど音を立てずにお茶の準備を終わらせた職員が退室していったところで、少し険しい顔になったデュヴァルがやおら本題を切り出してきた。世間話は無しか。やはり結構な緊急事態のようだ。

 

「それでは、ご足労いただいた理由を説明させていただきます。数日前にストラスブールの方で事件が起こりまして。マグルの一家五人が殺害されたのです。……そしてこれが、その現場の写真です。」

 

マグルの一家が殺害された? そりゃあ凶悪な事件かもしれんが、それだけだと私を呼ぶには弱いな。怪訝に思いながらもデュヴァルが差し出した写真を見てみると……なるほど。これは確かに『非常に重要かつ緊急性の高い報告』だ。私を呼んだのにも合点がいった。

 

バラバラに引き裂かれたマグルたちの後ろには、壁に書かれた血文字が踊っている。かつてヨーロッパを震撼させた一文。三十年以上に渡って大陸を恐怖に陥れた一文。五十年経った今でも、彼らの恐れを呼び起こす一文だ。

 

「『より大きな善のために』ね。懐かしい台詞じゃないの。……模倣犯の可能性は?」

 

「勿論あるでしょう。かの魔法使いのシンパは今なお多い。これまでも無数にありました。……しかし、こちらも見てください。マルセイユ、モンペリエ、レンヌ、ナント、そしてパリ。フランスの様々な場所で、ほぼ同時に起こった事件の写真です。こちらもマグルが狙われました。」

 

次々に差し出して来た写真の中にも、同様の一文だったり見慣れた紋章が血文字で描かれている。三角形の中に丸、そしてそれを貫く棒。死の秘宝を表す紋章。言わずもがな、ゲラート・グリンデルバルドの掲げた紋章だ。

 

「……ヌルメンガードには連絡を入れたの? あの男はフラフラ出歩いたりしてないでしょうね?」

 

「すぐさま連絡を入れましたが、脱獄していないことは確認済みです。外部と連絡を取った形跡もないとのことでした。……ご意見をお聞かせ願いたいのです、スカーレット女史。今のフランスはグリンデルバルドの恐怖は知れど、実際に体験した者は多くない。私にとっても幼少期の出来事でした。実際に相対した貴女の考えを聞きたくて、こうしてご足労いただいたというわけです。」

 

デュヴァルの真剣な言葉を受けて、写真を見ながら思考を回す。……違和感があるな。グリンデルバルドは殺しを躊躇することは決してなかったが、同時に必要な殺ししかしなかった男だ。非道だが、残虐ではない。しかしこの写真の死体は……。

 

「妙ね。『らしく』ないわ。グリンデルバルドが命じたのであれば、もっとスマートに殺すはずよ。しかしこの写真を見る限り、マグルは拷問の末に殺されている。……情報が欲しかったとか?」

 

「その可能性は薄いでしょう。殺されたのはごく一般的な中流家庭のマグルばかりです。魔法界とは一切関わりなく、また特殊な思想を持っているわけでもなかった。無差別な犯行であることは判明しております。」

 

「……これらの犯行は同時に起こったのね?」

 

最も重要なのはそこだ。単独ならばただの馬鹿げた模倣犯で済むが、複数同時となれば話は変わってくる。デュヴァルもそれは理解しているようで、神妙な顔になりながら答えを寄越してきた。

 

「はい、同時です。離れた場所で、ほぼ同時に起こりました。」

 

「示し合わせて起こした可能性が高い、と。……私が思うに、グリンデルバルド本人は関わっていないはずよ。彼の思想を受け継いだ何者かが起こした犯行か、もしくは集団での模倣事件である可能性が高いと思うわ。これはあまりにもグリンデルバルドらしくない所業よ。」

 

「そう、ですか。……こう言ってはなんですが、安心しました。五十年前の戦争がまた起こるのかとヒヤヒヤしておりましたので。」

 

「油断は禁物よ、デュヴァル。私が知っているゲラート・グリンデルバルドは五十年前の彼なの。ヌルメンガードに半世紀も繋がれてれば、考え方が変わっていてもおかしくないわ。それに、この事件を起こした連中が厄介なのには違いないでしょう?」

 

間違いなく面倒なことになるぞ。何だって今更動き出したのかは不明だが、所業を見る限りでは統制が取れていないのは明らかなのだ。碌な思想も持たずに人を殺しているような連中に違いあるまい。

 

グリンデルバルドが掲げたのは魔法族の地位向上と権利の拡大だ。多少の選民思想はあれど、マグルをバラバラにして『狼煙』にするようなことはしなかった。対してこれは……ふん、ただの鬱憤晴らしに近いな。先日の死喰い人どもがやってたことの延長線だ。

 

しかし、その愚かさ故に厄介なのである。明確な指針を感じられない以上、どんな行動をするかは予測不能だ。それが複数? うんざりしてくるな。

 

デュヴァルもそこまで考えが及んでいるようで、額を押さえながら返事を返してきた。

 

「ええ、その通り、非常に厄介な集団です。闇祓いたちを総動員で動かしていますが、残念ながら良い報告は上がってきておりません。事件を起こした後、どこかの巣穴に閉じこもっているようでして。」

 

「ふぅん? でも……なんかこう、しっくりこない事件よね。古ぼけた標語を掲げてるくせに、やってることは計画性の無いガキのそれ。そのくせ追跡されないようにする脳みそはあるってわけ? パッチリ嵌らない感じがモヤモヤするわ。」

 

「そうですね。もしかすれば、大戦で落ち延びた者が計画を考えたのかもしれません。しかし、実行したのはもっと若い連中だった。……そう考えればチグハグな結果にも納得できませんか?」

 

ふむ、可能性はあるように思えるな。……だがまあ、ここで考えていても仕方があるまい。パチュリーではないが、仮説は所詮仮説だ。刑事ごっこを放棄して、マカロンをもう一つ口にしてから言葉を放つ。緑はピスターシュか。こっちも美味いな。

 

「ま、何にせよグリンデルバルド本人と繋がってる可能性は薄いと思うわ。そのうち尻尾を出すでしょ。」

 

「いや、スカーレット女史からそう言っていただけると安心します。確かにヌルメンガードはそうそう破れるような警備じゃありませんしね。そちらのアズカバンと同じように。」

 

アズカバンからはブラックが脱獄を決めちゃったわけだが……知らないのかな? それなら言わない方が良さそうだ。まさかグリンデルバルドが動物もどきってことはあるまい。……ないよな? 一応後でリーゼにでも聞いておくか。

 

いやまあ、そもそもヌルメンガードはアズカバンと違って吸魂鬼が警備してるわけではないのだ。別に問題なかろう。私が若干不安になってきたところで、デュヴァルは頭を掻きながら申し訳なさそうに話しかけてきた。

 

「どうやら、少し過剰反応し過ぎたようです。わざわざ出向いていただいたというのに、本当に申し訳ございません。」

 

「構わないわよ。こんなものを見れば、ヨーロッパの人間は誰だって焦るでしょうしね。私だって一瞬ヒヤっとしたわ。」

 

「いや、本当に申し訳ない限りで。滞在は如何なさいますか? もしよろしければ、こちらでそれなりのホテルを用意させていただきますが……。」

 

「んー、そうね。ちょっと観光していくのも悪くないわね……ああ、今月末にはオリンペがホグワーツに向かうんでしょう? その時一緒に帰ろうかしら。」

 

対抗試合のために、生徒たちを連れてホグワーツへと移動するはずなのだ。学校の面子が関わっている以上、まさか普通に列車で移動したりはすまい。『それなり』の乗り物を使うはずだ。

 

「それは良い考えですね。マダム・マクシームにはこちらから連絡を入れておきます。……それでは少々お待ちを。案内の者を呼んでまいりますので。」

 

ペコペコとお辞儀したデュヴァルは、そそくさと部屋を出て職員を呼びに行った。それを横目に眺めてから、後ろで影のように立っていたシャックルボルトへと言葉を放つ。

 

「良かったわね、シャックルボルト。ちょっとした休暇が訪れそうよ?」

 

「これは……参りましたね。局長に怒られそうです。」

 

「なぁに、気にすることないわよ。私たちはしもべ妖精じゃないんだから、労働にはご褒美ってものが必要なの。それに、花の都には怒られるだけの価値があるでしょ。」

 

このところ働き詰めだったし、少しくらい楽しんでもバチは当たるまい。パリならば夜でも十分楽しめるはずだ。……いやはや、吸血鬼には住みやすい世の中になった。闇夜に紛れるのではなく、一緒に偽りの明かりの下で楽しんでしまえばいいのだから。

 

デュヴァルが職員を連れて戻って来る足音を聞きながら、レミリア・スカーレットはまた一つマカロンを頬張るのだった。黄色はレモンクリームか。よし、決めた。やっぱりお土産も私が食べちゃおう。

 



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ボーバトンとダームストラング

 

 

「ブラウン、その派手すぎるマフラーはおやめなさい。パチル、髪についているバカげたものを取るように。……それと、ロングボトム! ネクタイがズレていますよ!」

 

校庭に並ぶ生徒たちに注意を飛ばしまくるマクゴナガルを見ながら、アンネリーゼ・バートリは小さくため息を吐いていた。ロングボトムへの注意は三回目だぞ。誰かあいつにネクタイの結び方を教えてやれよ。

 

遂に他校の生徒を迎えることになった当日。どうやら我らが副校長どのは、ホグワーツの生徒が服装も整えられないバカだとは思われたくないらしい。三日もすればこの学校のいい加減さには気付かれるだろうに、なんとも無駄な努力ではないか。

 

しかし……何だって外で待たなきゃならないんだ? もう夕方なんだぞ。クソ寒いし、風も強い。腐る程いるしもべ妖精にでも出迎えさせればいいだろうに。こんなことをしてると他校にナメられちゃうぞ、ダンブルドア。

 

まあ、残念ながら私に同意してくれるのは面倒くさげなスリザリン生と仏頂面のスネイプだけだろう。他の寮の生徒たちはワクワクした表情で、今や遅しとダームストラングとボーバトンの到着を待ち侘びている。当然、フリットウィックなんかもニコニコ顔で楽しげだ。

 

ちなみにいつもの三人組も、他校がどんな方法で来るのかを予想しながら前列の方に進んでいってしまった。つまり、風をモロに受ける位置にだ。私は人垣の内側から出る気にはなれんぞ。

 

風除けにマルフォイの飼ってる仔トロールを借りてこようかと考えていると、風に帽子が吹き飛ばされないように押さえる魔理沙が声をかけてくる。三角帽子がやけに似合うヤツだな。なんか知らんがしっくりくるぞ。

 

「なあなあ、レミリアもボーバトンの連中と一緒に来るんだろ? まだ陽が落ちてないぜ? 大丈夫なのか?」

 

「ポンコツだからそこまで考えが回らなかったんだろうさ。どんな乗り物で来るのか知らないが、車内に置き去りなのは間違いないね。」

 

「私、日傘を準備しておいた方が良かったでしょうか? 何なら今からでも……。」

 

「不要だよ。お留守番できないような歳じゃないんだ。車内に置き去りにされても死にやしないさ。」

 

心配そうな咲夜には肩を竦めて言い放つ。レミィちゃんは一人でお留守番できる良い子なのだ。放っておいても夜になったら勝手に出てくるだろう。手紙を見るにフランスじゃあ随分とお楽しみだったようだし、少しくらい退屈したって構うまい。

 

そのまましばらく吹き付ける風に耐えていると、全校生徒の先頭に立っていたダンブルドアがいきなり声を張り上げた。さっきからボケっと突っ立っていたから寒さで死んだのかと思ったが……ふむ、どうやら棺桶はまだ不要なようだ。元気なジジイだな、まったく。

 

「ほっほっほ。わしの目が確かならば、どうやらボーバトンの一行が到着したようじゃぞ。」

 

その目線は……空? 空に向いている。ぼんやりそっちの方を見てみれば、遥か彼方から巨大な馬車が徐々に近付いてくるのが見えてきた。パステルブルーの金属製で、車輪一つが三メートル以上はあるぞ。車体は言わずもがなの大きさだ。

 

「空飛ぶ家だ!」

 

シャッターを切りまくるクリービーの叫びもあながち間違いとは言えまい。何せ本当に家と言っても問題ないサイズなのだから。牽いている天馬までデカいせいで、遠近感がおかしくなりそうだ。

 

「すっげえな。神話の馬車みたいだぜ。」

 

「それをイメージしてるんだろうさ。フランス人ってのは、お綺麗な天使だの神族だのが大好きだからね。誰も悪魔をモチーフにしようとしやしない。バカばっかりだ。」

 

どう考えても悪魔の方がカッコいいだろうに。センスの無い連中め。馬車を牽く十二頭の天馬だって、どいつもこいつもお決まりのふわふわ翼だ。皮膜をつけろ、皮膜を! セストラルを少しは見習ったらどうだ、バカ馬が!

 

私が世の流行りに内心で猛抗議している間にも、巨大飛行物体を前にしたホグワーツ生たちの整列は見るも無残なことになっている。辛うじて列と言い張れるのはレイブンクローだけだ。他はワイワイ騒ぎながらぐっちゃぐちゃになってしまった。マクゴナガルは必死に立て直そうとしているが……諦めたまえ、副校長どの。これぞ我らのホグワーツさ。

 

そのまま馬車は禁じられた森を少し『削った』後に、轟音を立ててホグワーツ生たちの少し前方に着陸した。着陸の衝撃で地面が揺れたぞ。生徒たちが喉を鳴らして見守る中、暫しの沈黙の後……その巨大な扉を開けてこれまた巨大な人影が降りてくる。まるでガリバーにでもなった気分だな。ブロブディンナグからやって来たってか?

 

あのハグリッド並み……いや、ハグリッドよりもデカいな。とにかく彼女こそがボーバトンの校長、オリンペ・マクシームなのだろう。装飾品から服に至るまで、絶対に特注品であることが一目でわかる。全てがデカい。

 

近寄ってくるマクシームにダンブルドアが拍手を送ったのと同時に、同調圧力に屈した生徒たちがパラパラと拍手をし始めた。魔理沙は無邪気にパチパチと、咲夜は鼻を鳴らしている私を見て控えめにペチペチとだ。

 

「これはこれは、マダム・マクシーム。ようこそホグワーツへ。ホグワーツは貴女がたを歓迎いたしますぞ。」

 

「ダンブリードール。会えてうれーしいです。おかわりーありませーんか?」

 

「お陰さまで、上々じゃ。」

 

へったくそな英語だな。差し出された巨大な手の甲に、ダンブルドアが精一杯背伸びをしながらキスをする。……長身のダンブルドアでさえあれか。私がやったら悪夢だぞ。当然、やられる側でもだ。まさかレミリアはやっちゃいないだろうな?

 

私が自らの背の低さを嘆いているのを他所に、マクシームはその背に続く青色の集団を手で示す。この目立つ女校長に気を取られているうちに降りてきていたらしい。

 

「わたーしの生徒たちです。」

 

どこか自慢げなマクシームの声に従って、水色の薄いローブを身に纏った集団が前へと進み出た。数は……十五人くらいか? あれがボーバトンの選抜生なわけだ。残念ながらフランス人どもには防寒具を用意する知能がなかったようで、誰も彼もが寒そうに身を縮こまらせている。

 

「驚いたね。マフラーやらコートやらはフランスには存在しないのか? ……もしくは、用意しようという脳みそが無いのかもしれんが。」

 

ポツリと呟いてみると、いつの間にか前列から下がって来たハーマイオニーが返答を返してきた。同情七割、呆れ三割くらいの表情だ。

 

「ホグワーツがここまで寒いとは思ってなかったんでしょ。見たところシルクだし……すっごい寒いわよ、あれ。風邪引いたりしないのかしら?」

 

「バカは風邪を引かないのさ。現にホグワーツ生だって引いてないだろう? ……ハリーとロンは?」

 

「ロンはフランス女どもをデレデレ見てるわ。お優しいハリーは構ってあげてるみたいだけど、私はそこまで暇してないの。」

 

おおっと、ロニー坊やは大きな失態を犯してしまったようだ。ハーマイオニーはこれでもかという冷たい表情で鼻を鳴らしている。心底呆れてる表情だぞ、これは。何か余計なことを言ったに違いない。

 

「ロン先輩はフランスの女性が好きなんですか? んー……でも、あの人たちよりもハーマイオニー先輩の方が美人ですよ?」

 

うーむ、捨てるロンいれば拾う咲夜ありだな。キョトンとした咲夜が後半をこっそり囁きかけたことで、ハーマイオニーの機嫌は急上昇したようだ。ニマニマしながら咲夜のことを撫でている。計算か天然かは知らんが、よくやったぞ。これでこの後の食事の空気も少しマシになったはずだ。

 

咲夜が場の空気を救っている間にも、ダンブルドアとマクシームの話は終わったらしい。『ウーマ』を『アグリッド』に任せられると知って安心したマクシームは、生徒たちと一緒に馬車へと戻っていってしまう。ダームストラングの到着まで中で待つつもりのようだ。……おい待て、ホグワーツ生はこのまま吹きっ晒しか?

 

「もう嫌だぞ、私は。正しい客人の待ち方というものを実行させてもらおう。」

 

誰にともなく宣言してから、城に向かって歩き出す。レディが外で震えて待つ? 有り得ない話だ。客人の方だってそんなことをされても喜ぶまい。ドン引きするだけだぞ。

 

「私はそういうことじゃないと思うんだがなぁ……。もっとこう、学校の行事的な意味だと思うぜ。」

 

「ちょっとリーゼ、この分だとダームストラングの登場も面白くなるわよ? 本当に見なくていいの?」

 

「結構だ。私は先に戻っているよ。」

 

呆れ果てた様子の魔理沙とハーマイオニーの声を背に、肩越しにヒラヒラと手を振って歩み去る。あの陰気な学校が『面白い』方法でなんか到着するもんか。電飾だらけの気球に乗って笑顔で手を振ってくるとでも? ゲラートやらラデュッセルやらの出身校なんだぞ、あそこは。死ぬほど陰気な登場をするに違いない。

 

慌てて付いてくる咲夜に歩調を合わせながら、アンネリーゼ・バートリはゆっくりと城への階段を上がるのだった。

 

 

─────

 

 

「堪え性がないわねぇ。いつまで経ってもガキなんだから。」

 

窓越しに映る城へと戻って行く幼馴染を見つめながら、レミリア・スカーレットは呆れたように呟いていた。やっぱり私の方が精神年齢は上だな。どうせ寒くて我慢できなかったのだろう。お子ちゃまめ。

 

とはいえ、この馬車の中が快適なのも確かだ。拡大呪文がかかっているらしい馬車の中は多種多様な部屋が揃っている。私は暖かなリビングで、寒空の下震えるホグワーツ生たちを高みの見物というわけだ。……もちろんワイン片手に。

 

しかし、咲夜だけは招きたかったな。うーむ、オリンペに伝えておけばよかった。……まあ、リーゼに連れられて暖かな城内に戻って行ったようだし、風邪を引く心配はあるまい。もうすぐ陽も落ちるから、そしたらゆっくり会いに行けばいいだろう。

 

スモークチーズを齧りながら考えていると、巨大なドアが開いてオリンペが入室してきた。この馬車唯一の難点は、飛ばないとドアノブに手が届かないことだな。生徒たちはどうやってるのだろうか?

 

『ダームストラングが到着するまでは、こちらで待たせていただくことになりましたわ。天馬たちの世話もお願い出来る方がいるようで。さすがはホグワーツですね。』

 

『ああ、ハグリッドでしょう? あの男なら心配ないわ。天馬だろうが何だろうが、それが魔法生物ならば上手く世話をするはずよ。』

 

『シングルモルト・ウィスキーが足りるかだけが心配です。あの子たちはあれしか飲まないもので……。』

 

なんともまあ、グルメな馬だな。ヴァッテッドモルトはお気に召さないわけか。フランスは馬まで気位が高いらしい。イギリスの馬ならきっと何でも食べるぞ。残飯だって構うまい。

 

心配そうにため息を吐くオリンペに苦笑しつつ、今まさに城内へと入っていく二つの人影を指差して声を放つ。

 

『ダンブルドアならきちんと用意してくれるわよ。……それより、あそこにいるのがアンネリーゼ・バートリとサクヤ・ヴェイユよ。もう城に戻っちゃうみたいだけど。』

 

『ヴェイユ……懐かしい名前ですね。常にフランスを支えた騎士の家。フランスでもう聞けないのが寂しくてなりませんわ。』

 

テッサ・ヴェイユの代からイギリスに移ってしまったが、フランスでもヴェイユの名は忘れられてはいないようだ。去り行く銀髪の少女を見ながら目を細めるオリンペに、ふと頭をよぎった疑問を投げかけてみた。

 

『そういえば、分家はまだ存在しているんでしょう? 何だってあの時の咲夜には引き取り手がいなかったのかしら? ダンブルドアは見ず知らずの親戚に引き取られるのを嫌がってたみたいだけど……。』

 

向こうも迷惑だろうし、アリスやフランのためにもということで私が引き取ることになったのだ。まあ、結果的には最良の選択に収まったわけだが。あの時引き取らなかったらと思うとゾッとする。こればっかりはダンブルドアに感謝する次第だ。

 

私の疑問を受けたオリンペは、窓から目を離しながらクスクス笑って答えを返してきた。

 

『当然、引き取ろうという話も出たそうですよ? しかし……貴女が引き取ると聞いた瞬間、どの家も身を引きましたの。貴女を差し置いて出しゃばれる家などフランスには存在しませんわ。』

 

『へぇ? ……嫌われてるわけではないのよね? フランスからイギリスに行ったことで、裏切り者的な感じに。』

 

『とんでもない! 闇の魔法使いと戦い、勇敢に死んでいった騎士を裏切り者などと言うはずがありません。称えこそすれ、蔑む者などフランスの恥ですわ。それが貴女の家の者ならば尚更です。』

 

『それを聞いて安心したわ。それならあの子にとっても、自分の家のルーツを知れるいい機会になりそうね。』

 

うむうむ、一安心である。フランスの生徒たちに咲夜が嫌味を言われたりしないかと、実はちょっとだけ心配していたのだ。オリンペの様子を見る限りでは無用の心配だったらしい。

 

満足そうにワインを口に含んだ私に、オリンペが素っ頓狂な言葉を放ってきた。

 

『それに、マドモアゼル・バートリでしたか? あの方は……ええと、その、妹さん、ではないのですよね? 家名も違いますし。』

 

「んぐっ……ぇほっ、い、妹なわけないでしょ! 気持ちの悪いことを言わないで頂戴、オリンペ!」

 

なんだそれは! あんな性格の悪い妹がいて堪るか! 私の妹はもっと可愛いんだぞ! ワインを盛大に吹きこぼした私に、オリンペはアワアワしながら謝ってくる。思わず英語に戻っちゃったじゃないか。

 

『ああ、申し訳ありません! 他の吸血鬼の方を見たのは初めてでしたので、その、もしかしたらと思いまして。とんだ失礼をいたしましたわ。』

 

杖を振って零れたワインを綺麗にしながら言うオリンペに、頭を押さえて説明を放つ。落ち着け、落ち着け。悪夢のような単語を頭から追い払うんだ、レミィ。リーゼが妹? 自害ものだぞ。

 

『親戚の吸血鬼よ。私にとってはめちゃくちゃ歳の離れた従妹ね。家格も同格だし、私とほぼ対等の存在だと思ってもらって問題ないわ。……バートリ家もヨーロッパ大戦には関わってたのよ? 私に協力して、色々と動いてくれてたの。スカーレットが表なら、バートリは裏。一枚のコインのような関係ね。』

 

年齢以外は嘘ではない。『バートリ家』がヨーロッパ大戦に関わったのは確かだし、私に協力してたのも本当だ。それとまあ、色々と動いてたってのも。……グリンデルバルドのためにってとこを省略しているが。

 

何にせよオリンペには『正しく』伝わったようで、途端に城の方を気にしながらソワソワし始めた。

 

『まあ! それなら感謝をお伝えしなければ! ……どうしましょう、何か贈物を持ってくるべきでしたわ。後でフランス魔法省に連絡を入れて届けてもらわないと。それに、生徒たちにも失礼のないように言い含めなければ。』

 

『そんなに気にしなくていいわよ。言ったでしょう? スカーレットとバートリは一枚のコインなの。貴女たちがスカーレットに感謝してくれてるのはよく伝わってるわ。それはつまり、バートリにもきちんと伝わってるってことよ。』

 

『それでも礼儀を通さなければフランスの名が廃ります。そのうちきちんと形式を整えて……あら、ダームストラングが到着したようですね。』

 

『そのようね。陽も落ちたし、私も出迎えに行くわ。』

 

良いタイミングだな。オリンペの『ソワソワ』を止めてくれたのはホグワーツ生たちの『ソワソワ』だった。窓の角度的にこちらからは見えないが、ヒヨコどもが湖の方を指差しながらピヨピヨ騒ぎ始めたのを見るに、ダームストラング一行がようやく到着したらしい。

 

オリンペの開けてくれたドアを抜けて、馬車の通路を出口に向かって歩く。デカい廊下に置かれた小さな家具がなんともチグハグに感じてしまう。言い表すのは難しいが……なんというか、高級な旅客車両に近い雰囲気の廊下だ。サイズ感だけがちょっとおかしいが。

 

既に出口の側に整列していたボーバトンの生徒たちは、私を見るなり姿勢を正して微動だにしなくなってしまった。……ワールドカップの時のオリンペの言葉は真実だったようで、この子たちは私に対して王族レベルの丁寧さで接してくるのだ。そりゃあ丁重に扱われるのは気分が良いが、ここまでくるとさすがに気恥ずかしいぞ。正直もっとフランクに接して欲しい。ものには限度ってものがあるだろうに。

 

リーゼに知られたら絶対にバカにされるなと考えながら、生徒の一人が開けてくれたドアを抜ける。すぐさまもう一人の生徒が踏み台を用意するのを手で抑えて、ふわりと飛んで地面に降り立った。オリンペがやる分には自然だが、私がやると踏み台有りでも『ピョン、ピョン』になってしまうのだ。ちょっと間抜けな光景なのである。

 

そのまま湖の方向に顔を向けてみると……うーん、らしいっちゃらしいな。ボロッボロの帆船が湖に浮かんでいるのが見えてきた。幽霊船もかくやという雰囲気だ。彷徨えるオランダ船の正体みたり、だな。

 

「おお、スカーレット女史。旅は如何でしたかな?」

 

「あら、ダンブルドア。快適だったわ。馬車ってのには風情があるしね。」

 

「ほっほっほ、実に羨ましい。わしもいつか乗ってみたいですのう……。」

 

「乗るなら早めにしときなさい。死んでからじゃ無理よ。」

 

ゆるりと近付いてきたダンブルドアに、適当な返事を返す。……なんだかんだでコイツの距離感が一番やり易いな。適当な皮肉も言えるし、丁度いい感じに礼儀も弁えている。気を遣われすぎるってのも疲れるもんだ。

 

そのまま私に続いてオリンペと……忘れてた。シャックルボルトが出てくる。ちょっと安心したような表情を見るに、あの男はようやくイギリスの地を踏めて安心しているようだ。ふん、フランスじゃ美術館巡りを楽しみまくってたくせに。

 

そのままダンブルドア、私、オリンペが並び、ダンブルドアの後ろにマクゴナガル、私の後ろにシャックルボルトが付く。その更に後ろにボーバトンとホグワーツの生徒たちだ。……早く来い、カルカロフ! この二人に挟まれてると、身長差が嫌でも目立つぞ!

 

私の『小さな』願いはどうやら通じたようで、帆船から木造の架け橋が伸びてきたかと思えば、その上を陰気な集団がゾロゾロ歩いて来た。ファーが付いた銀のマントと真紅のローブ。ふむ、ローブのセンスはあるらしい。

 

先頭を歩くカルカロフは私たちに近付くと……おお、胡散臭いな。へりくだるような笑顔を顔に貼り付けて駆け寄ってくる。元死喰い人どのは私たちに尻尾を振ることを選択したようだ。

 

「ダンブルドア! マダム・マクシーム! それに……スカーレット女史! これはこれは、なんとも豪勢なお出迎えだ! いや、遅れてしまって少々気恥ずかしいですな。申し訳ない。」

 

「元気そうでなによりじゃ、カルカロフ。それに、ダームストラングの生徒たちも。ようこそ、ホグワーツへ!」

 

「おひさーしぶりでーす、カルカロフ。会えてうーれしいでーす。」

 

「ご機嫌よう、カルカロフ。」

 

ありきたりな挨拶を放ってくるカルカロフに、こちらも空虚な笑みを浮かべて挨拶を返した。ダンブルドアは分からんが、少なくともオリンペと私は完璧な外交用の笑みだ。笑顔がタダでよかったな、カルカロフ。有料なら絶対に浮かべてなかったぞ。

 

「しかし、こちらは非常に暖かい! ここまで着込んでくる必要はなかったかもしれん。」

 

「ほっほっほ。ダームストラングの寒さに比べれば、イギリスの冬などなんということはなかろうて。」

 

カルカロフとダンブルドアの非常につまらんやり取りを聞きながら、ダームストラングの生徒たちを横目で確認してみれば……何やら私を指差してざわざわしているのが見えてきた。おいおい、あんまり吸血鬼を指差すもんじゃないぞ。教育がなってないな。

 

と、私を指差していた頭の悪そうな顔の男子生徒の手を強めに叩き落とした、もう一人の男子生徒が前に進み出てくる。細身の筋肉質で、ちょっとO脚気味の……ん? どっかで見た気がするな。

 

話している校長たちには目もくれず、近付いてきた男子生徒は私の目の前に……おい、やめろ。跪いたぞ。本当にやめてくれよ。このガキは中世からタイムスリップしてきたのか? またリーゼにバカにされるネタが増えたようだ。

 

「ミス・スカーレット。ゔぉくの友人たちが失礼をいたしました。ゔぉくたちにとって貴女を直に見れるのは光栄なことなのです。どうか不作法をお許しください。」

 

「あー……別に気にしてないから。普通に立って頂戴。」

 

今は二十世紀なんだから、跪かれても困るだけだぞ。私まで変なヤツだと思われちゃうだろうが。引きつった笑みで私が男子生徒を促したところで、校長会議をしていたカルカロフが慌てたように割って入ってきた。

 

「──だから、我々もホグワーツに……クラム! 一体何をしてるんだ! スカーレット女史に何か仕出かしたのか?」

 

「ポリアコフがミス・スカーレットを指差したんです。ゔぉくは謝るべきだと思って、それで──」

 

「ポリアコフ! この愚か者が! ……いや、大変失礼なことをしてしまったようで。スカーレット女史、どうか水に流してはいただけないでしょうか?」

 

ヘコヘコ頭を下げてるカルカロフに、ため息混じりの言葉を返す。こいつらは私を何だと思ってるんだ? 指差しただけでギロチンにかけるとでも? ダームストラングは闇の魔術なんかより先に『現代』の常識を教えるべきだぞ!

 

「あのね、私はそんな些細なことで怒ったりはしないわよ。それよりほら、さっさと城に入りましょう。ダームストラングはともかく、ホグワーツとボーバトンの生徒は風邪を引きかねないわ。」

 

「いかにも、その通りですな。さあ、どうぞ暖かな城内へ。とびっきりの夕食がお待ちかねですぞ。」

 

合わせるように声を上げたダンブルドアの言葉で、ようやく生徒たちが移動を始める。……これは、思ったよりも気疲れしそうな感じだな。ホグワーツ生は確かにいい加減だが、どうやら私はこっちが合っているらしい。結局ぬるま湯が一番ということか。

 

私の一挙手一投足に注目する二校の生徒たちを尻目に、レミリア・スカーレットはなるべく優雅な歩き方で城へと向かうのだった。

 



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炎のゴブレット

 

 

「クラムだぞ、ハーマイオニー! ビクトール・クラムだ! 本物の! シーカーの! ブルガリアの!」

 

城へと戻るために階段を上りながら、霧雨魔理沙は隣を歩くハーマイオニーに捲し立てていた。何たってダームストラングの代表団にクラムがいたのだ。『あの』クラムがだ。

 

「落ち着いて頂戴、マリサ。たかがクィディッチの選手でしょう? そりゃあちょっとはカッコいいけど、前にも近くで見たじゃないの。」

 

「『たかがクィディッチの選手』? どうかしちまったのか? ハーマイオニー。クラムは世界最高のシーカーだぞ? ワールドカップの決勝戦でスニッチを取ったんだから……くっそ、羽ペンを持ってくればよかったな。サインを貰えたかもなのに。」

 

「残念ながら、どうかしてるのは貴女ね。ほら、あれを見てみなさいよ。『あんなの』と一緒だなんて思われたくはないでしょ?」

 

冷たい目線のハーマイオニーが指差す先を見てみれば、ハッフルパフの女子生徒たちがキャーキャー騒ぎながら口紅で帽子にサインしてくれないかと相談している。……おいおい、さすがに『あんなの』と一緒にして欲しくはないぜ。

 

大広間の扉を抜けながら、誤解を解くために口を開く。あれと一緒にされたら沽券に関わるぞ。

 

「あのな、私は純粋に選手としてクラムを尊敬してるんだ。クィディッチをやってる魔法使いの端くれとしてな。ああいう連中とは違うぜ。もっとこう……純粋な尊敬だよ。」

 

「私から見れば一緒よ。おバカに見られたくないならあまり騒がない方がいいわね。……ちょっとO脚気味だったし。」

 

「あれは……うん、きっと箒に乗り過ぎてるからだろ。多分な。」

 

「それなら、私は貴女が箒に乗り過ぎないことを祈っておくわ。ほら、お仲間が来たわよ。」

 

呆れたように首を振ったハーマイオニーは、既にグリフィンドールのテーブルで寛いでいるリーゼと咲夜の方へスタスタ歩いて行ってしまう。そして入れ替わりに近付いて来たのが興奮しているハリーとロンだ。ようやく事の重大性を理解してくれるヤツが来たな。

 

「マリサ、クラムだ。見たか? すっげえぞ。」

 

「おう、見た。そっちは羽ペンを持ってないか? 私は談話室に置いてきちまったんだ。」

 

「僕とハリーもだ。……失敗だったな。まさかクラムがダームストラングの生徒だとは思わなかったよ。」

 

私だってそうだ。あんな大歓声の中で飛んでるようなヤツだぞ? ワールドカップの決勝に出るような選手が、普通に学生やってるだなんて夢にも思わなかった。同級生はどんな気分なんだろうか?

 

サインを貰えなさそうなことに三人で落ち込みながら、人の集まりつつあるグリフィンドールのテーブルへと向かうと……リーゼ、咲夜、ハーマイオニーが三人でお喋りしているのが聞こえてきた。いや、咲夜だけはソワソワと扉の方を見ているな。

 

「跪かれた? レミィがかい? ……参ったな。そんな面白い光景が見れたなら寒くても我慢してたぞ。それが凍死するような寒さでもだ。」

 

「クリービーに頼めばいくらでも見られるでしょ。兄と弟、二人してシャッターを切りまくってたわよ。今年から二倍に増えたから画角も二倍ね。そして鬱陶しさも二倍。」

 

「よしよし、さすがはグリフィンドールが誇るパパラッチ兄弟だ。後で写真を買い取って、肥らせ呪文をかけて談話室に飾ろうじゃないか。もちろん壁中に。」

 

私はそんなもんが飾られてる談話室は嫌だぞ。ハーマイオニーとリーゼのアホな会話を横目に咲夜の隣に座ってみれば、彼女は入り口の方をぼんやり見ながら話しかけてくる。心ここに在らずといったご様子だ。

 

「ねえ、レミリアお嬢様はまだ来ないの? 寒くないかしら……?」

 

「あー、なんか校長たちの方について行ってたぜ。フィルチが椅子を足してるし、あっちで食うんじゃないのか?」

 

「あら、そうなの? ちょっと残念だわ。」

 

咲夜は『ママ』と離れ離れになって寂しいようだ。……でもまあ、レミリアにグリフィンドールのテーブルに来られても困るだろうに。私やハリーたちはワールドカップで多少耐性があるが、普通の生徒たちからすれば『なんか偉い吸血鬼』なのだ。飯を食うどころではなくなるだろう。

 

カビが生えてそうな燕尾服を着ているフィルチを眺めながら考えていると、いきなりロンが立ち上がって大声を上げた。なんだよ、ビックリするな。

 

「おーい! こっちが空いて……くそっ、マルフォイが連れて行っちゃったよ。あのおべんちゃらお化けの、ロウソク顔の、ケナガイタチめ!」

 

ブツブツと意味不明な怨嗟の呟きを発するロンの視線を追ってみれば……なるほど。どうやらダームストラング生はスリザリンのテーブルに持って行かれてしまったらしい。てっきり各テーブルにバラけるんだとばっかり思ってた。

 

それならボーバトンは? くるりと逆方向を見てみると、水色ローブの集団はレイブンクローのテーブルを選択したようだ。青繋がりってことか? ……もしくはまあ、一番行儀良く座ってるからかもしれないが。グリフィンドールとハッフルパフの騒ぎっぷりを見るに、そう間違った選択とも言えないな。

 

「残念だったな。グリフィンドールのテーブルには誰も……ハリー?」

 

肩を竦めて向かいのハリーに話しかけようとするが、彼は私の肩越しにレイブンクローのテーブルを見つめるのに夢中なようだ。おいおい、ハリーまでフランス女に見惚れてるのか? またハーマイオニーが怒っちゃうぞ。

 

どんなのが好みなのかと興味本位で視線を辿ってみると……あー、そっちね。ハリーが見ているのは水色ローブのフランス女ではなく、レイブンクローのシーカー、チョウ・チャンだった。

 

「なあ、ハリー。ジッと見つめすぎだと思うぜ。向こうに気付かれちゃうぞ。」

 

「……へ? ああ、いや、これは……その、気付いちゃった?」

 

「そんなに見てたらバカでも気付くさ。隠したいならもうちょっと上手くやるべきだろうな。」

 

「あー、うん。そうする。」

 

どうするんだよ。……ま、ハリーがチョウにぞっこんなのはグリフィンドールのチームじゃ常識だ。全員が全員、生暖かい視線で見守っているのである。

 

ただし、その話には女子メンバーしか知らない続きが存在する。つまり、ハリーがお熱なチョウはディゴリーにお熱だという続きが。……なに、ハリーはシーカーなんだ。きっと逆転勝ちしてくれるさ。そう思わないと悲しすぎるぞ。

 

ちょっと顔を赤くするハリーに哀れみの視線を送ったところで、奥のドアから教師たちが大広間に入ってきた。見慣れたホグワーツの教師たちに続いて、三校の校長たちがご入場だ。それとまあ、威張りまくっているレミリアも。

 

ちなみに大きなボーバトンの女校長……マクシームだったか? ヤツが入ってきた瞬間に、何故かボーバトンの生徒たちは一斉に立ち上がった。うーむ、形式張っているというか、堅苦しいというか。お行儀が良いのは認めるが、どうも私にはホグワーツがお似合いらしい。あんなことをしてたら気疲れしそうだ。

 

そのまま全員が着席したところで、唯一立ったままだったダンブルドアが声を張り上げる。いよいよ歓迎会のスタートか。

 

「こんばんは、ホグワーツの諸君。そして客人の皆様もこんばんは。ホグワーツへのおいでを心から歓迎いたしますぞ。皆様の本校での滞在が快適で楽しいものになることを、わしは希望し、また確信しております。」

 

そこでボーバトンの女子生徒がクスクス笑い声を上げた。間違いなく嘲笑な感じの笑い声だ。……ふん、お偉いフランス人にはホグワーツがお気に召さないってか?

 

「今すぐ帰ればいいんだ。」

 

「全くよ、マリサ。誰も引き止めやしないのに。」

 

私の呟きに反応したハーマイオニーがその女子生徒を睨んでいる間にも、ダンブルドアの柔らかい声での話は続く。多分ダンブルドアにも聞こえたと思うが、彼はその程度のことを気にしたりはしないようだ。

 

「三大魔法学校対抗試合は、この宴の終了と共に正式に開始される。……しかしながら今だけは三校の垣根なく、皆で宴を楽しみましょうぞ。さあ、それでは大いに飲み、食い、かつ寛いでくだされ!」

 

ダンブルドアが大きく両腕を上げるのと同時に、いつものようにテーブルの上が色とりどりの料理で満たされる。どうだ、カエル女め。これがホグワーツだ! ……まあ、いつもより多少豪華であることは否めんが。

 

「あら、凄い。今日は外国の料理も沢山あるわね。」

 

「この……これはなんだ? ドロっとしてるが。」

 

「ビスクよ。多分ロブスターの。」

 

「びすく?」

 

意味不明だという私の顔を見て、咲夜はそれを皿に掬いながら面倒くさそうに噛み砕いた説明を放ってきた。ドロドロでちょっと気持ち悪いな。パッと見はカレーみたいだ。

 

「つまり、スープよ。クリームっぽい感じの。」

 

「ああ、クラムチャウダーか。」

 

「全然違うわ。あっちは牛乳と貝で、こっちはクリームと甲殻類よ。……いやまあ、クリームを使うこともあるけど、でもこっちには──」

 

「おっと、そこまでだ。私にとっちゃ似たようなもんなのさ。」

 

大好きなお料理談義を止められて頬を膨らます咲夜を横目に、びすくとやらを私も食べてみる。……んー、イマイチだな。なんかこう、後味がずっと残ってる感じ。パンと合わないぞ、これは。

 

とはいえ咲夜は美味そうに食べてるし、ハーマイオニーなんかも澄ました顔で謎の外国料理をご堪能だ。反面、ハリーとロンは安牌を取ることを選択したらしい。毎度お馴染みのブラッドソーセージやらキドニーステーキ・パイやらを皿に盛り付けている。

 

そしてリーゼは言わずもがな。肉でさえあればどこのどんな料理でもいいようだ。その辺から多種多様な肉を一つずつ奪い取って堪能している。鴨だろうが羊だろうがお構いなしだな。こいつ、人肉でも普通に食うんじゃないか? ……いや、そりゃ食うか。そういえば一応妖怪だった。

 

私は……うん、冒険してみよう。魔女は度胸。アリスもそう言ってたし、先ずは試してみなければ新しい発見は得られないのだ。早速ハーマイオニーが美味そうに食べているピンク色の謎の物体を食べてみるが……。

 

「……咲夜、ちなみにこれは何て言う料理なんだ?」

 

「テリーヌよ。色的にサーモンかしらね?」

 

「なるほど。覚えとくぜ。」

 

てりーぬか。その名前を頭に刻み込む。いつか何処かで見かけても、絶対に頼まないで済むようにだ。こんなもんどうやって食えってんだよ! パンにだって白飯にだって合わないぞ!

 

自然と手が大好きなシェパーズパイに向かってしまうが……ぐぬぅ、耐えろ、魔理沙。魔女は探求しなければならんのだ。それに次の料理は美味しいかもしれないじゃないか。

 

内心の葛藤をなんとか抑えつつも、霧雨魔理沙の挑戦は続くのだった。

 

 

─────

 

 

「珍しいケースだね。ローブよりスーツの方が似合う魔法使い、か。」

 

いつの間にか教員用テーブルに居たクラウチを見ながら、アンネリーゼ・バートリはボソリと呟いていた。あの男には死ぬほどローブが似合ってないのだ。昔のゲラートと同じくらい似合ってないぞ。

 

何にせよこれで役者が揃ったわけか。三人の校長に、クラウチ、バグマン。そしてまあ、オマケのチビコウモリ。……しかし、なんでアイツは常にドヤ顔なんだ? 咲夜に良いところを見せたいのかは知らんが、こっから見る分には滑稽を通り越して怖いぞ。

 

今も鴨のコンフィをドヤ顔で食べている。あまりにも意味不明だ。あいつは鴨をドヤ顔で食べるのがカッコいいと思い込んでいるのだろうか? パリパリに焼かれた鴨だってあれでは浮かばれまい。というか、吸血鬼がバカだと思われるから本当にやめて欲しい。

 

軽めの妖力弾でも撃ち込んでやろうかと考えていると、フランス料理を堪能し終わったハーマイオニーが声をかけてきた。

 

「クラウチさんだわ。ウィンキーの主人だった人。」

 

「ウィンキー?」

 

「ほら、前に話したでしょ? 闇の印事件の時のしもべ妖精よ。」

 

「あー、そういえばクラウチのしもべ妖精だったのか。結局解雇したのかね? しもべ妖精なしじゃあ不便だろうに。ご苦労なことだ。」

 

居ると居ないとじゃ大違いだろう。少なくともロワーが居なくなった後のエマはそう思っていたはずだ。あの時は涙目で新しいしもべを雇うようにと頼まれたっけ。……いやまあ、そのうちケロリと慣れてしまったが。

 

美鈴といい、エマといい、多少図太くないと吸血鬼の使用人は務まらないのかもしれない。細かいことを気にしないというか、いい加減というか、雑というか。そんな感じの。

 

父上の従者はどうだったかと思い出していると、ハーマイオニーはぷんすか怒りながらクラウチを睨みつけ始める。『スピュー』の代表としては不当解雇は許せないことのようだ。

 

「苦労すればいいのよ。当然の報いだわ。……でも、ウィンキーは大丈夫なのかしら? 次の職場を見つけられてると思う? もちろんきちんとお給料が貰えるような仕事場を。」

 

「大丈夫だ。魔法省にしもべ妖精の職場を斡旋する部署があったはずだよ。……まあ、給料云々は別だがね。しもべ妖精に給料を払おうとするヤツなんて、スクリュートを可愛がるヤツ並みに珍しいのさ。」

 

つまりはこの世に一人だけだ。スクリュートにはハグリッドが、しもべ妖精にはハーマイオニーがいるのだから。何処にでも変わり者ってのはいるもんだな。

 

「魔法省まで奴隷労働の片棒を担いでいるわけね。……悪しき慣例よ。どこかで歯止めをかけなくっちゃ。」

 

ミス・スピューが怒りに燃え始めたところで、やおらダンブルドアが立ち上がって大広間を見渡した。どうやら食事の時間は終わりのようだ。……いや待て、ダームストラングの連中はまだがっついてるぞ。真紅のローブが食べこぼしでマーブル模様になっている。

 

ダームストラングには昔一度だけ行ったことがあるが、あの兵舎みたいな環境は今も健在なのだろうか? ホグワーツを知った今となっては、あれが『ヤバい』環境だってのが良く理解できる。そりゃあ人格も歪むぞ。教育以前の問題だ。

 

「さて、さて。食事は楽しんでいただけたかな? だとすれば嬉しいのじゃが。……では、本題に移る前に重要な人物を紹介しよう。対抗試合を復活させるために尽力し、そして審査員を引き受けてくださったお三方じゃ。先ずは国際魔法使い連盟の名誉顧問をされている、レミリア・スカーレット女史!」

 

紹介を受けたチビコウモリが気取った仕草で立ち上がると同時に、ホグワーツの生徒たちからは儀礼的な、そして残りの二校からはやり過ぎな感じの拍手が上がった。……圧政下の民衆みたいだな。拍手は義務ってか?

 

「国際魔法使い連盟の名誉顧問? なんだそりゃ?」

 

「どうせ有名無実な役職だろうさ。悪しき権力者にはありがちだろう?」

 

魔理沙の疑問に適当に答えていると、ダンブルドアは次にクラウチを手のひらで示して声を放つ。そら、座れ邪悪な吸血鬼。いつまでも立ってるとクラウチが可哀想じゃないか。ただでさえローブ姿がバカみたいなのに。

 

「次に国際魔法協力部部長、バーテミウス・クラウチ氏!」

 

仏頂面のクラウチが立ち上がると、パラパラと気の無い拍手が上がった。レミリアの時より大きな拍手をしているのは私だけのようだ。それに……おいおい、ボーバトンは拍手しようとすらしてないぞ。揃いも揃ってむっつり顔で沈黙している。何でだ?

 

ひょっとして、『ヨーロッパの英雄』どのに真実薬を飲ませたからだろうか? いやはや、フランスはゲラートに数十年も抵抗していただけあって、レミリアの影響力も一入のようだ。イギリスとは段違いだな。

 

クラウチが気にすることなく一礼して座るのと同時に、その隣のバグマンが立ち上がる。私としてはこっちの方が信用ならん。クラウチは有能なバカだが、こっちは無能なバカなのだ。スカスカブラッジャーめ。

 

「そして魔法ゲーム・スポーツ部部長、ルード・バグマン氏!」

 

とはいえ、ホグワーツの生徒たちにとってはそうではないようで、クラウチの時よりも遥かに大きな拍手が大広間を包み込んだ。確か元クィディッチのプロ選手だったそうだし、その辺も影響してるのかもしれんな。

 

「あいつ、賭けに勝った私と双子に偽の金貨を払いやがったんだ。レプラコーンの金貨を。クソ野郎だぜ。」

 

おや、小さな魔法使いどのはバグマンのことがお嫌いらしい。ハリーとロンもそれを聞いてピタリと拍手を止めてしまった。

 

「それなら、取り立てたまえ。殺してでもだ。泣き寝入りは馬鹿のやることだよ?」

 

「当たり前だ。絶対に逃がさんぞ。」

 

言うと魔理沙は双子の方へと席を移動し始める。バグマンも不幸なことだな。あの三人の取り立ては熾烈を極めるはずだぞ。きっと糞爆弾塗れになった辺りでそれを知ることだろう。

 

訪れる不幸も知らないバグマンがニッコニコで再び座ると、ダンブルドアはようやく生徒たちが望む言葉を放った。

 

「結構、結構。それでは本題に移るとしよう。これより代表選手を決める方法を説明するが……よいか? 注意して聞くように。一度選手になったからには、辞退することは許されんのじゃ。魔法契約によって厳重に縛られることになる。故に、よく考えてから決断しなさい。」

 

途端に静まり返った生徒たちに頷いてから、ダンブルドアはフィルチの持ってきたデカめの木箱をテーブルに置く。……あれに件のゴブレットが入ってるのか? 随分デカいな。あの大きさだとすると、巨人用サイズだぞ。

 

「代表選手への立候補を望む者は、自分の所属校と氏名を羊皮紙に書いてこの……炎のゴブレットへと投じるように。ゴブレットはこの後玄関ホールに設置されることになる。期限は明日の晩餐会までじゃ。」

 

言葉の途中、ダンブルドアが杖で木箱を叩いた瞬間……んー、木製か? ちょっとイメージと違ったな。木箱が開いて巨大な木製のゴブレットが姿を現わす。複雑な彫刻が刻まれており、ゴブレットというかトロフィーって感じの大きさだ。そして何より口の部分から噴き出す青い炎。あれが魔道具であることを雄弁に物語っている。

 

誰もがゴブレットをよく見ようと立ち上がる中で、ダンブルドアが再び声を張り上げた。

 

「もう一度言おう。立候補の期限は明日の夕刻までじゃぞ。……それと、何度も言っておる通りに立候補できるのは成人した魔法使いだけじゃ。わしが年齢線を引くので、それ以外の魔法使いは決して試そうとはしないように。」

 

そりゃ無理だ。既に魔理沙と双子はバグマンのことも忘れて年齢線について話し始めているし、他のテーブルでもコソコソと出し抜き方について話しているのだから。

 

ま、問題はあるまい。年齢線ってのはよく知らんが、ダンブルドアが成人もしてないガキに出し抜かれるとは思えん。というかそもそも、上級生を差し置いて下級生が選ばれるはずもないだろう。

 

ダンブルドアにも生徒たちの『やんちゃ』は分かっているようで、ちょっと苦笑いで締めの挨拶を放った。

 

「ほっほっほ。それではおやすみ、生徒たち。おやすみ、お客人方。明日も宴は続くのじゃ。今日はゆっくり夢を楽しみなさい。……では、解散!」

 

即座にロンは双子と魔理沙の方へと走って行き、ハリーとハーマイオニーはそれに苦笑しながら私と咲夜を促してきた。

 

「うーん、ダンブルドア先生の魔法を突破するのは無理だと思うんだけど……。」

 

「どうせフランス女どもにチヤホヤされたいんでしょ。ほら、あんなの放って談話室に帰りましょうよ。」

 

「先に行っててくれたまえ。私と咲夜はチビコウモリと話があるんだ。」

 

明日はハロウィン。つまりは咲夜の誕生日なのだ。どういう風に祝うのかをレミリアと相談せねばなるまい。……仲間外れにしたら談話室まで突入してきそうだし。

 

「あら、そうなの? それじゃあ先に戻ってるわね。」

 

歩いて行く二人を見送って、咲夜と一緒に教員席へと歩み寄ってみれば……何だよ。マクシームがいきなり立ち上がって私に視線を送り始めた。ちょっと顔が強張ってるし、もしかして警戒されてるのか?

 

「何だ? まさかイギリスの巨人を殺しまくったのが伝わってるんじゃないだろうな? フランスにはあんまり関係ないはずだぞ。」

 

小声で咲夜に囁いてみれば、彼女はドン引きした感じで顔を引きつらせてしまう。あれ、言ってなかったか?

 

「そ、そんなことしてたんですか、リーゼお嬢様……。」

 

「やったのはほぼ美鈴だけどね。私は殆ど見てただけさ。」

 

うーむ、前回の戦争ではかなり派手にやったからな。私に関しては死喰い人どもよりもそっちに恨まれている可能性が高いのだ。基本根絶やしにしてたから大して広まってはいないと思うんだが……。

 

緊張している様子のマクシームの前をこちらもちょっと緊張しながら通り抜けて、ダンブルドアとお話し中のチビコウモリへと言葉を放った。

 

「おい、レミィ。咲夜を連れてきたぞ。」

 

「──だから、第一の課題の時に……咲夜! 寂しかった? 寂しかったわよね? このボケ老人がそっちのテーブルで食べさせてくれなかったのよ! ボケてる上に意地悪なの!」

 

「ほっほっほ。いきなりのどぎつい言葉ですのう。さすがはスカーレット女史じゃ。」

 

ぴょんとテーブルを飛び越えて咲夜に抱きつくレミリアを無視して、謂れのない誹謗を浴びせかけられたジジイへと小声で話しかける。

 

「やあ、ダンブルドア。なんかマクシームからえらく警戒されているような気がするんだが……理由は分かるかい?」

 

「警戒、ですか? ……ふむ? 心当たりはありませんな。マダムは信頼に足る人物ですし、気のせいでは?」

 

「んー……そうか。まあ、それならいいさ。」

 

チラリとマクシームの方を見てみれば、既にボーバトンの生徒たちの方へと歩いて行くところだった。……うーむ、分からんな。後でレミリアにも聞いてみるか。

 

首を傾げている私に、咲夜を抱っこした……というかおぶさっているような形のレミリアが声をかけてくる。どうしてこいつはバカに見えることしか出来ないのだろうか? 咲夜が絡むと本当にダメダメだな。

 

「決めたわ。誕生日パーティーは紅魔館でやりましょう。一日くらい戻ってもバレやしないわよ。」

 

「キミね、たった一年で我慢できなくなっちゃったのかい? 咲夜がホグワーツで誕生日を過ごしたのは去年だけだろうに。」

 

「別にいいでしょうが! 今年は特別よ! 特別! ……そっちも文句ないわね? ダンブルドア。どうせ私の行き来のために煙突ネットワークは開いてるんだから、構わないでしょう?」

 

咲夜の頭越しに提案を押し通してくるレミリアに、ダンブルドアは困ったような苦笑いで返事を返した。

 

「規則上は好ましいこととは言えませんが……まあ、明日までに戻るのであれば構わんでしょう。どうぞ、楽しんできてください。」

 

「素晴らしい! 話のわかるジジイは良いジジイよ。」

 

翼をバタつかせながらうんうん頷くレミリアを横目に、困ったように笑う咲夜に向かって肩を竦める。……まあいいさ。咲夜もちょっと嬉しそうだし、アリスやパチュリーなんかも喜ぶだろう。私だってなんだかんだで紅魔館の方が寛げるのだ。別に文句など無い。

 

そうなると……ふむ、ハリーや魔理沙たちには一声かけておく必要があるな。誕生日プレゼントのこともあるし、レミリアの溺愛っぷりを知っている彼らなら特に疑問には思うまい。

 

久々に酒や血やらが大っぴらに飲めることを楽しみにしつつ、アンネリーゼ・バートリは薄く微笑みを浮かべるのだった。

 



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吸血鬼というコイン

 

 

「ふぅん? ゲラートの残党ねぇ……。」

 

向こうでフランからのプレゼントを嬉しそうに貰う咲夜を眺めながら、アンネリーゼ・バートリは吐き捨てるように呟いていた。気に食わん話だな。もちろん残党が存在することがではなく、残党を『騙る』ヤツが存在することがだ。

 

ハロウィンの昼。紅魔館では咲夜の誕生日パーティーの真っ最中である。夜には私と咲夜、レミリアがホグワーツに戻らなくてはならないので、今年は昼の開催となったのだ。吸血鬼の館で昼下がりのパーティーか。酷いジョークだな。

 

エマが飾り付けてくれた紅魔館のリビングには、毎度お馴染みの館の住人たちと、これまでよりも少し増えたプレゼントがズラリと並んでいる。ハリーたちや魔理沙からのは当然として、ハグリッドやブラック、ルーピンなんかからも届いているらしい。咲夜へのプレゼントは年々増え続けているようだ。

 

……この分だとマクゴナガルが自制出来なくなる日も近そうだな。今は職業上控えているようだが、そのうちダンブルドアよろしく匿名で送ってくるぞ。そして彼女が陥落すれば他の教師も我先にと送ってくることだろう。後で賭けの対象にでもしてみるか。

 

そんな中、リビングの隅でチビチビとワインを楽しんでいたところ、ふと隣に座ったレミリアから非常に苛つく写真を渡されたのだ。『より大きな善のために』だと? それはその辺のチンピラが使っていいような言葉じゃないんだぞ。

 

「どう思う? グリンデルバルドがヌルメンガードに居るのは確認済みだし、私としては彼は関わっていないと思うんだけど……一応『専門家』にも聞いておこうと思って。」

 

今度は小悪魔からのプレゼントを貰っている咲夜を見て、柔らかい微笑みを浮かべる幼馴染に、私も同じ方向を見ながら返事を返す。答えるのは簡単だ。分かりきっていることなのだから。

 

「有り得ないね。これはゲラートのやり方じゃないし、ゲラートならもっと上手くやるさ。無駄なく、スマートにね。どちらかと言えばリドルのやり口に近いぞ、これは。」

 

目的が先か、恐怖が先か。大義か、利益か。ゲラートとリドルは私から見れば正反対の人物だ。この事件はゲラートには……そう、相応しくない。あの男にはあの男なりの矜持があったのだから。

 

リドルに足りないのはそれだ。悪には悪なりのプライドがあることを、あのトカゲ男は全く理解していない。残虐で結構。恐怖による支配だって構わんさ。だが、美しさがないのはいただけない。眩しいだけの光が迷惑なように、暗いだけの闇など退屈なだけだろうに。

 

故にゲラートやダンブルドアは人を惹きつけて止まないのだ。ゲラートは苛烈な中にも一本筋の通った主義を掲げていたし、ダンブルドアは完璧でなくどこか人間味を感じるからこそ親しみやすい。そして形は違えど、どちらも他者の為に己が人生を捧げていた。自らの利益を度外視してまでもだ。

 

対するトカゲマンは単なる利己主義者じゃないか。死にたくない、力が欲しい、権力が欲しい。あんなもん駄々をこねる子供と一体何が違う? 幼稚で、薄気味悪くて、残虐なだけだ。クソつまらん。……何だって運命の女神はあんなバカを愛したんだ? えらく趣味の悪い女だな。

 

鼻を鳴らして言う私を見て、レミリアは苦笑しながら写真を懐に仕舞った。彼女にとっては予想出来ていた反応だったようだ。だったらこんな不愉快なもんを見せるなよな。

 

「ま、こっちの予想も同じよ。模倣犯……というか、愉快犯ってことでよさそうね。少々大規模なのだけが気にかかるけど。」

 

「不愉快犯と名付けるべきだね。やらかした馬鹿どもは捕まってないのかい?」

 

「この事件以来うんともすんとも言わないんだもの。フランス魔法省じゃ面子を賭けて事に当たってるけど、この分だと長引くかもしれないわ。」

 

「……ふん、さっさと捕らえてもらいたいもんだな。こういうヤツがいるからゲラートの主張が捻じ曲げられるんだ。信じられないほどの馬鹿どもだよ、まったく。」

 

苛々とワインを呷る私を見て、レミリアはくつくつと笑いながら話題を変えてくる。何を愉しそうにしてるんだ、ポンコツ。人の不幸を笑うだなんて失礼なヤツだな。私なら絶対にそんなことはしないぞ。

 

「それにしても、今年は他国との関わりが多い年ね。ワールドカップに対抗試合、ボーバトンとダームストラング、おまけにこれよ。気疲れしちゃうわ。」

 

「心にもないことを言うなよ、レミィ。キミはこういうのが大好きなはずだぞ。今も昔もそれは変わらんだろうに。」

 

一体何が楽しいのかは知らんが、間違いなく楽しんでいるはずだ。私から見れば面倒くさいだけの政治ゲームも、レミリアにとっては励むだけの価値がある代物らしい。

 

……思えば昔からそうだった。私は退屈な社交が大っ嫌いだったが、レミリアはいつもおめかしして私を引っ張っていったものだ。私の手を引いて、心底楽しそうに。

 

あっちへこっちへと会場をウロついたかと思えば、どうやって仕入れてきたのか見当もつかない噂話をこっそり教えてくれていた。そして私がそれを基に『悪戯』を仕掛けるというわけだ。

 

いやはや、変わらんな。大規模にこそなれど、やってること自体は昔と一緒じゃないか。パチュリーから本を渡されている咲夜を見ながら苦笑していると、レミリアも苦笑いで言葉を投げかけてくる。

 

「当ててあげましょう。昔クドラク翁の『入れ牙』を、二人でブラッドアイスクリームに埋め込んだのを思い出してるわね?」

 

「いや、マダム・モルモのカツラを窓からぶん投げた時のことを思い出していたのさ。あれは愉快な経験だった。今でも胸がスッとするよ。」

 

やれイギリスの吸血鬼は礼儀がなってないだの、やれ幼い美少年の血しか飲みたくないだのと鬱陶しいババアだったのだ。だからレミリアがお喋りで気をそらしている間に、能力で姿を消した私がこっそりカツラを奪い取って、火を点けてから外へと思いっきりぶん投げたのである。私がまだ本当の意味で『リーゼちゃん』だった頃の、なんとも可愛らしい悪戯というわけだ。

 

あわあわしながら頭を隠す妖怪ババアを思い出してニヤついていると、呆れたような表情に変わったレミリアが文句を放ってきた。

 

「貴女は楽しかったでしょうけどね、私はお父様に怒られたのよ? そっちは姿を消しっぱなしだったし、結局二人分怒られちゃったわ。」

 

「逃げるまでが悪戯だろうに。キミがその場で大爆笑してたのが悪いのさ。私は安全な場所に移動してから思いっきり笑ったよ。」

 

「いっつもそうだったわ。貴女はすぐに逃げちゃって、私だけが取り残されたのよ。……だから言い訳やら嘘やらが上手くなったのかもね。」

 

「そして私は逃げるのが上手くなったというわけだ。これぞ分業制の利点というものだよ、レミィ。適材適所って言うだろ?」

 

レミリアから教えてもらった、マクシームとの話を思い出す。一枚のコイン。しっくりくる言葉じゃないか。スカーレットとバートリの関係を表すにおいて、これ以上の言葉はあるまい。

 

思えば永い時を一緒に過ごしてきたもんだ。なんと表現したらいいのか分からんこの関係。単なる友情とも違うし、愛すべき家族って感じでもない。とはいえ知り合いほど遠くはないし、ライバルってほど安っぽくもない。……そうだな、共生関係って感じか? 仲良く同じ方向を見るのではなく、背中合わせで見えない箇所を補い合っているような関係だ。

 

「いや、キミが幼馴染でよかったよ、レミィ。お陰で私は好き勝手やれる。今も、昔もね。」

 

「あのね、そんなセリフじゃ絆されないわよ? もう少し私の苦労も慮って頂戴。」

 

「なぁに、キミなら大丈夫だ。あっちへふらふら、こっちへふらふら。コウモリのように飛び続けたまえよ。そうすれば、誰もキミを捕えられないさ。」

 

「ま、いいけどね。今はちゃんとした止まり木があるし。」

 

誰をというよりかは、レミリアはリビングの光景そのものを見て言っているようだ。……止まり木ね。確かにここは居心地がいい。少々騒がしくなってしまったが、それもまた乙なもんだ。

 

咲夜のことを肩車してはしゃいでいる美鈴と、それを止めようとしているアリスを見ながらポツリと呟く。人形が腰を棍棒でぶん殴ってるのに、美鈴は楽しそうにケラケラ笑うばかりだ。紅魔館じゃなければイカれた光景だな。

 

「咲夜はどの道を選ぶと思う? 私たちと同じ時間を選んでくれるだろうか?」

 

「……分からないわ。でも、それは咲夜に決めさせましょう。あの子には自由に育ってもらいたいの。吸血鬼、魔女、そして人間。どれを選ぼうが愛するまでよ。それが私たちの責務でしょ?」

 

「まあ、そうだね。こればっかりはあの子の選択次第だ。私たちが決めるべきことじゃない。」

 

パチュリーも、そしてアリスも自分の意思で決めた。ならば咲夜にもそうさせるべきだ。……昔なら長命の方を迷わず薦めていただろう。人間など矮小なものだし、魔女や吸血鬼になるのは『進化』だと断じていたはずだ。

 

今は少し違う。今でも吸血鬼は人間に優ると思ってはいるし、大多数の人間は愚かだとも思ってはいる。しかし……しかし、人間としての生き方を貫くことの意味も理解できなくはないのだ。

 

パチュリー、ダンブルドア、そしてゲラート。魔術師、吊るされた男、皇帝。三人の才気溢れる若者たちは、それぞれ全く別の道を選んだ。一人は英知を、一人は調和を、一人は理想を。結果としてたどり着いた場所こそ違うが、どの魔法使いも私をして偉大だと言わせるだけのことを成し遂げた。少なくともその辺の吸血鬼では相手にもならんようなことを。

 

そしてアリス、ヴェイユ、リドル。あの三人も同じ場所で学び、違う結果を残した。魔女に至った者、人として世代を繋いだ者、そして外法に堕ちた者。一つの道は次代へと継がれ、残りの二つはもはや交わることはないだろう。

 

フランとコゼット、四人の忍びたち。スネイプとリリー。何より私とハリー、ロン、ハーマイオニー。そして咲夜と魔理沙。……うーむ、不思議だな。人間というのは本当に不思議な生き物だ。死ぬまで度し難いほどの愚かさを貫く者がいれば、僅か十数年生きただけで私を驚嘆させる者もいる。

 

たった百年で数多の人間と出会ったが、知れば知るほどに意味不明な生き物だ。何と言うか……不条理なのだ。ほんのちっぽけなものの為に己が命を懸けたり、逆に他の全てを犠牲にしてでも自分の命を守ろうとしたり。いくらなんでも個性豊かすぎるぞ。これほど個々で性質が違う種族など他には在るまい。

 

「……私は変わったと思うかい? レミィ。」

 

思わず漏れ出た私のぼんやりした問いかけに、レミリアは薄く微笑を浮かべながら答えてきた。

 

「ええ、変わったわ。『私たち』はね。……弱くなったけど、その分だけ強くなったの。分かるでしょう?」

 

リビングの光景を手で示しながら、レミリアは吸血鬼らしからぬ笑みで続きを話す。

 

「あの頃とは違う強さを手に入れたのよ。少しだけ失った強さもあるけどね。……どうかしら? リーゼ。貴女は今の自分と過去の自分。どちらがより強大だと思う? どちらがより強いと思う?」

 

「……んふふ、強大なのは過去だが、強いのは今だろうね。いやぁ、父上に怒られるかもしれんな。これは吸血鬼の強さじゃないぞ。」

 

「ふん、構いやしないわよ。私たちだけが時代に適応できたってことでしょ。他のバカどもとは違ってね。……少なくとも私は後悔してないわ。貴女だってそうでしょう?」

 

「まあ、そうだね。やり直せるとしても、きっと同じ道を選ぶだろう。」

 

クスクス笑いながらワイングラスを傾けるが……む、空か。いつの間にか飲み干してしまったようだ。結構な長話になってしまったな。

 

「ワインも無くなったし、咲夜のお祝いに戻ろうか。今のうちに咲夜を『補給』しておきたまえよ。色々と忙しくなるんだろう?」

 

「ん、そうね。欲しいものは手に入ったわけだし、後はさっさとゲームに勝たないと。その為には努力、努力よ。」

 

「リドルの方はともかく、キミのやってるゲームには終わりが無さそうだけどね。」

 

「勝ち逃げすればいいのよ。ニヤニヤ笑いながらね。それが吸血鬼ってもんでしょ? ……さくやー! 私にも抱っこさせなさい!」

 

咲夜に走り寄る親バカ吸血鬼に苦笑しながら、私も賑やかな方へと歩き出す。……まあ、その通りだ。ゲームを終わらせるためにも頑張らねばなるまい。モヤモヤしたままイギリスを離れるのは御免被る。

 

あの三人にも多少の情は湧いているし、死なれたら後味が悪いのだ。……駒を犠牲に出来なくなった操り手か。酷いハンデを背負ったもんだな。それでも何故か悪い気はしないが。

 

勝ってみせるさ。望むものを望むだけ手に入れる。それが吸血鬼の在るべき姿だ。最高の結末以外はこの私に相応しくあるまい。妥協の二文字など私の辞書には存在しないのだ。

 

ワインのボトルを持って走り寄ってくるアリスに微笑みながら、アンネリーゼ・バートリは止まり木へと足を進めるのだった。

 



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空耳

 

 

「こちらです。」

 

案内してくれたシワシワの燕尾服を着たフィルチへと頷いてから、レミリア・スカーレットは用意された席へと腰掛けていた。これはまた、酷い席順だな。どうしてこうなったんだ?

 

昨日と同じく生徒たちで埋め尽くされた大広間の教員用テーブルには、かなり微妙な空気が漂っている。奥からバグマン、オリンペ、ダンブルドアという順の中央右手は悪くない。問題なのは左手の席順だ。

 

中央からカルカロフ、私、クラウチ、マクゴナガル、ムーディ、スネイプ……おいおい、悪夢だぞ。恐らく用意したのはダンブルドアでもマクゴナガルでもあるまい。なんたってクラウチの向こうに座るマクゴナガルは、これでもかというくらいに顔を引きつらせているのだから。

 

ダンブルドアが到着していないせいでカルカロフは居心地悪そうにモジモジしているし、クラウチはむっつり顔で黙りだ。そしてムーディなんかは決してカルカロフから目を離そうとしない。通常の方の目はスネイプとカルカロフを行ったり来たりで、魔法の目は固定されたかのようにカルカロフを注視している。……いくらこいつが怪しいとはいえ、さすがにこんな場で死の呪文を放ったりはしないと思うぞ。

 

そんな教員席の空気も他所に、生徒たちはわくわく顔でダンブルドアの到着を待ちわびているようだ。今日ばかりはハロウィンパーティーのご馳走が楽しみというわけではあるまい。その後にある代表選手の発表を待っているのだろう。

 

そのまま少しだけ無言のテーブルで退屈に耐えていると、ようやくダンブルドアがニコニコ顔で歩いて……おっと、席順を見てちょっと怯んだぞ。お通夜テーブルは彼にとっても楽しそうには映らなかったようだ。だったらちゃんと連絡しておけ、ジジイ!

 

「……えー、それでは! 今宵も宴を始めましょうぞ! 皆この後のことが気になっていることじゃろうが、先ずは腹ごしらえを済ませてしまおう。それ、たんと食べてくだされ!」

 

なんとか気を取り直したダンブルドアの言葉と共に、教員用テーブルの皿の上にも様々な料理が出現するが……おい、誰か手を伸ばせよ。レディが真っ先に手を出すわけにはいかんだろうが。

 

クラウチは無表情でつまらなさそうに水を飲んでいるし、カルカロフはゴマすり顔でダンブルドアに話しかけ始めた。ムーディは……料理を分解して毒を検出するのに夢中だ。こいつはホグワーツの食事に毒が仕込まれてると思ってるのか? さすがのイカれっぷりだな。それでも魔法の目はカルカロフを見たままだが。

 

仕方なくかぼちゃパイを一切れ取って、それを突っつきながら時間を潰す。このテーブルで何を食べようが不味いだけだ。……こんなことなら昼間のパーティーでもっと食べておけばよかった。あっちでは何だって美味く感じられたぞ。

 

グリフィンドールのテーブルで、美味そうに肉を食いまくってるリーゼを忌々しい気分で眺めていると……急に隣のクラウチが声をかけてきた。何だよ、沈黙に耐えかねたか?

 

「……スカーレット女史、先日フランス魔法省から厄介な事件の報せがありました。そちらも把握済みですかな?」

 

「ルネ・デュヴァルから聞いてるわ。スクリムジョールやボーンズにも話は通っているはずよ。……それがどうかしたの?」

 

「いえ、少々気になりまして。やはりゲラート・グリンデルバルドの残党が起こした事件なのですか?」

 

聞くクラウチの顔は……何だこいつ。直視して初めて分かったが、随分と青白い顔をしているじゃないか。殆ど病人みたいな見た目だぞ。心なしかいつもよりポーカーフェイスにもキレが無いし、もしかしたら具合でも悪いのかもしれない。

 

ちょっと怪訝に思いながらも、表情には出さずに質問の答えを放つ。何にせよ私が心配するのはお門違いだろう。クラウチだって私に心配されても嬉しくはあるまい。

 

「その可能性は薄いというのがフランスの判断よ。そして、私も同意見ね。あの事件はグリンデルバルドのやり方とは違うわ。」

 

「そうですか。他に何か情報は? フランスはどこまで捜査を進めているのですか? 関わっている人員などは?」

 

「……随分と興味があるみたいじゃないの。何か気になる部分でもあった?」

 

平坦な声で質問を捲し立ててくるクラウチに聞き返してみると、彼は少し不自然な長さの沈黙の後……ゆっくりと首を振ってから口を開いた。ぜんまい人形みたいな動きだな。なんか不気味だぞ。

 

「……いえ、国際魔法協力部として何か手助けが出来ないかと思いまして。それだけです。」

 

「そう? ……まあ、今のところやれる事は無いと思うわよ。あくまでもフランス国内での問題だしね。変にイギリスが首を突っ込むと、それはそれで問題になっちゃうわ。」

 

「そうですか。それは残念です。」

 

言うと、クラウチは再び水を飲む作業に戻ってしまう。変なヤツだな。あまり他人の仕事に首を突っ込むようなヤツじゃないと思ってたのだが。……古巣の心配か? それとも、グリンデルバルドに何か思うところでもあるのだろうか?

 

怪訝に思いながらも、ぼんやりとかぼちゃパイをフォークで切り分けて──

 

 

「ヴォルデモートだ。」

 

 

「……へ?」

 

何? ヴォルデモート? いきなりの囁き声にクラウチの方を見てみれば、彼は先程と同じ表情でジッと目の前のコップを見つめている。……いやいや、何だよいきなり。ムーディじゃないんだから、ちゃんと文脈を整理して話してくれ。

 

「どういう意味?」

 

「……何のことですかな?」

 

「ちょっと、何をすっとぼけてるのよ。貴方が今言ったんじゃないの。『ヴォルデモート』って。」

 

「……私は何も言ってはおりませんが。それに、その名前はあまり口にすべきではありませんな。食事中なら尚のことです。」

 

えぇ……? 確かに聞いたと思ったんだが、クラウチは本気でキョトンとしている感じだ。空耳? にしては随分と物騒な単語だな。ひょっとして、自分で思ってる以上に疲れてるんだろうか? 幻聴だなんてシャレにならんぞ。

 

「いや……まあ、何でもないわ。気にしないで頂戴。」

 

「そうですか。」

 

首を傾げながら言うと、クラウチは再びコップとの睨めっこを再開する。んー、モヤモヤするぞ。かといって単語が単語だけにしつこく聞き直すのもマズいだろうし……ああもう、何なんだよ!

 

しかし、リドルか。そういえばリーゼも昼間に言っていたな。『リドルのやり口に近い』と。……うーん、どうだろう。場所が場所だけに関わっていないとは思うのだが。

 

あのトカゲモドキは所詮イギリスの犯罪者に過ぎないのだ。ここじゃあ知らぬ者など居ないビッグネームだが、いざ大陸に出てみれば凡百の犯罪者に過ぎないはずだぞ。田舎のチンピラ的な。

 

いやまあ、さすがに凡百は言い過ぎかもだが……うん、何にせよグリンデルバルドと比較されて小物扱いされるのがオチだな。リドルが喧嘩を売ったのはイギリスという島国だが、グリンデルバルドは魔法界そのものに喧嘩を売ったのだから。

 

とはいえ、可能性自体は捨てきれないだろう。リドル本人が現在どんな状態にあるのかは知らないが、残党が関わっている可能性だってあるのだ。あの胸糞悪い仮面どもが。

 

マルフォイやカルカロフのように政治で逃げ切った者、ラデュッセルやペティグリューのようにそもそもマークされていなかった者。残念なことに、牢に繋がれていないリドルの残党というのはそこそこの数が存在しているのだ。その中にヨーロッパで延々燻り続けている火種に注目した者が居てもおかしくはあるまい。

 

でも、フランスでグリンデルバルドの模倣? ……うーむ、しっくりこないな。主義主張が全然違うだろうに。闇の印でもあれば話は早かったんだが。まあ、結局のところフランス魔法省が犯人を捕縛してくれることを祈るしかなさそうだ。

 

厄介な問題に思考を巡らせながら、再びかぼちゃパイを突っつく作業に戻るのだった。もう穴だらけになっちゃったぞ。

 

───

 

大広間の皿から綺麗さっぱり料理が消えた頃……いや、教員用テーブルは例外だが。とにかく食事がひと段落すると、機を見計らったダンブルドアがいきなり立ち上がった。

 

それを見た生徒たちは一瞬のうちに静まり返る。オリンペやカルカロフ、バグマンですら緊張した表情だ。緊張していないのは退屈そうな私と仏頂面三人衆だけだろう。……言わずもがな、クラウチ、スネイプ、ムーディである。

 

静まり返った大広間に、いつの間にか居なくなっていたフィルチがえっちらおっちらとゴブレットを運び込んできた。時折勢いを強める青い炎をかなり怖がってる感じだ。……誰か手伝ってやれよ。さすがに可哀想だぞ。

 

汗だくのフィルチが既に準備されていた切り株のような台座にそれを乗せたところで、ダンブルドアがようやく大声を放つ。

 

「さて、ゴブレットはどうやら代表選手を決めたようじゃ。名前を呼ばれた者は教員席の後ろのドアへと進み、奥の部屋で待つように。そこで最初の指示が与えられるじゃろう。」

 

にこやかな表情で説明を終えたダンブルドアは、杖を一振りして大広間の明かりを落とした。天井の星明かりだけに照らされる中、ゴブレットの炎が青々と燃えている。大した演出じゃないか。

 

ゆったりとゴブレットにダンブルドアが歩み寄ると……ふむ? 炎が青から赤へと変わり、噴火するように一気に燃え上がった。可哀想に、前の方の生徒がビビっちゃってるぞ。ハッフルパフの一年生らしき少女なんて涙目だ。

 

そのまま赤い炎の舌先からひらりと舞い落ちてくる一枚の羊皮紙をキャッチしたダンブルドアは、それに目を通しながら大声で読み上げる。

 

「ダームストラングの代表選手は……ビクトール・クラム!」

 

おや、跪き君か。万雷の拍手に包まれた大広間の中を、ゆっくりとビクトール・クラムが進んできた。ほんの少しだけ笑顔になっているのを見るに、彼にとっても普通に嬉しいことだったようだ。初めて子供っぽい表情を見せたな。

 

こちらに進んで来たクラムがダンブルドア、カルカロフ、私にだけ会釈して背後のドアへと通り過ぎたところで、再びゴブレットが赤く燃え上がる。一回一枚というわけか。

 

「さて、ボーバトンの代表選手は……フラー・デラクール!」

 

そしてボーバトンからはデラクールだ。オリンペが才能のある魔法使いと言っていた生徒の一人で、確か……ヴィーラの血が入ってるとかなんとか。イギリスに生まれなくてよかったな。

 

デラクールもまた嬉しさを抑えているような表情で、拍手の中をこちらへと歩いてきた。というか、選ばれなかったボーバトン生の落ち込み様が凄い。数人は顔を覆ってさめざめと泣いてるぞ。

 

デラクールはオリンペと私にだけぺこりとお辞儀すると、クラムが居るであろう教員席の後ろの部屋へと消えて行く。……なんかこう、交流のためのイベントだってのに、溝が深まってるような気がするんだが。

 

そして再び沈黙が訪れた大広間に、三度炎が上がる音が響いた。未だ名前を呼ばれていないホグワーツの生徒たちが期待の瞳で見つめる中、ダンブルドアが舞い落ちてきた羊皮紙を読み上げる。

 

「そしてホグワーツの代表は……セドリック・ディゴリー!」

 

誰だよ。私は全然知らんヤツだが、ホグワーツ生にとっては納得の人選だったようだ。茶髪の青年がハッフルパフのテーブルから歩いて来るのに、大広間の殆どの生徒が笑顔で声援を送っている。

 

そのままディゴリーは……おお、やるじゃないか。教員席の全員に対してという感じで一礼した後、軽やかな動作で背後のドアを抜けて行った。少なくとも一番大人なのはあのガキだな。しかし、ディゴリー? そういえばどっかで聞いたような気がするぞ。

 

「結構、結構。さて、これで三人の代表選手が決まった。選ばれなかった者も含めて、皆で揃って代表選手たちを応援しようではないか。選手たちに声援を送ることで、皆が本当の意味で対抗試合に貢献でき──」

 

あー、あのバカ男の息子か。私が『小物フォルダ』からようやく情報を引き出したところで……ありゃ? 何故か静まり返っている大広間が目に入ってくる。ダンブルドアが何かたわ言を喋ってたはずだが。

 

キョトンと周りを見渡してみれば……おや、ゴブレットの炎が再び赤くなってるぞ。そらみたことか。だからあんな骨董品を使うのはやめろと言ったんだ。もうぶっ壊れてるに決まってるだろうに。

 

私が鼻を鳴らすのを他所に、ひらひらと舞い落ちてきた紙をキャッチしたダンブルドアは、しばらく険しい表情でそれを見つめた後に……ようやく声を張り上げた。

 

「ハリー・ポッター!」

 

……は? 思わずダンブルドアを見て、呆然としているグリフィンドールのテーブルのハリーを見て、そしてその向かいに座っているリーゼを見る。うーむ、怒ってるな、あれは。今にもダンブルドアに殴りかかりそうだ。あいつにしては珍しく翼をバタバタさせちゃってるぞ。

 

拍手どころかただの一つも物音のしない大広間を前に、レミリア・スカーレットは今年一番のため息を吐くのだった。

 



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苦悩

 

 

「でも、僕にくらい名前を入れる方法を教えてくれてもよかったじゃないか。……いっつもそうだ。生き残った男の子と、その隣の『平凡な友達』。僕はハリーの金魚のフンだよ。自覚はあるさ。」

 

目の前で自虐的に笑うロンを見ながら、アンネリーゼ・バートリは額を押さえていた。隣のハーマイオニーも全く同じ動作をしている。……思春期ってやつは側から見てれば面白いが、我が身に災難として降りかかる分には全然面白くないな。

 

ハリー・ポッターが『卑怯な手段』で代表選手に名乗り出た。十一月初日、朝食の大広間はその話題一色で彩られている。代表選手の名誉、世間からの注目、そして優勝賞金一千ガリオン。ホグワーツの生徒たちにとってのそれらは、どうやら嫉妬に値する代物だったらしい。

 

私はダンブルドアへの糾弾で忙しかったのでハーマイオニーから聞いただけだが、昨晩談話室に戻ったハリーの対応もマズかったそうだ。名前を入れていないの一点張りで周囲を拒絶した挙句、すぐに自室へと引っ込んでしまったらしい。……まあ、混乱していたのだろう。状況が状況だけに無理もあるまい。

 

あの後三校長とレミリア、バグマン、クラウチが話し合い、その後更にレミリア、ダンブルドア、私の三者で話し合ったが、どちらの話し合いでもハリーを選手として対抗試合に出す他ないという結論にたどり着いた。忌々しいゴブレットの魔法契約力は思った以上に強力なものだったのだ。……まともに選手を選べないくせに、契約力だけは一丁前か? クソったれめ。

 

当然ながら、ハリーがダンブルドアを出し抜いて名前を入れたという可能性は低いだろう。そもそも出し抜ける実力があるとも思えないし、名前を呼ばれた時のハリーの反応から見てもそれは明らかだ。かなり呆然としてたぞ。

 

となれば、何者かが何らかの目的でそれを行ったということになる。例えばそう、死喰い人が生き残った男の子を事故に見せかけて殺そうとしているとか。過去には『夥しい数の死者』が出たような催しなのだ。事故に見せかけて殺すなどそう難しいことではあるまい。

 

それを防ぐためにも犯人探しはレミリア、ダンブルドア、マクゴナガル、スネイプ、ムーディに任せ、私はハリーの手助けをするという役割分担となったのだが……うーむ、早くも予期せぬ問題が起きたな。目の前のロンは怒っているような、うんざりしているような、少なくともハリーに協力しようとは思っていない表情を浮かべている。

 

「ハリーは自分で名前を入れてないと言ってたそうじゃないか。彼を信じてはあげないのかい?」

 

私の言葉に、ロンは俯きながらポツリポツリと返事を返してきた。彼はどうやらハリーに裏切られたと思っているようだ。そして、それを機に積み重なっていたものが爆発してしまったらしい。

 

「信じたいよ。信じたいけど……今は話す気になれないんだ。馬鹿みたいな嫉妬だってのは分かってる。でも、難しいんだ。……君たちには分かんないよ。リーゼは吸血鬼で名家の才女。ハーマイオニーは学年トップの秀才だ。そしてハリーは言わずもがな。僕だけさ。僕だけがただのボンクラなのさ。」

 

「そんなことないでしょう? 貴方にだって良いところは沢山あるわ。それは私たちが一番良く知ってるもの。」

 

心配そうなハーマイオニーが慰めるが、ロンは首を振って立ち上がってしまう。うーむ、マズいことになった。根が深い問題な分、去年の『飼い主戦争』よりタチが悪いぞ。

 

「ごめん、少しだけ放っておいてくれないかな? 僕、もう行くよ。」

 

「ちょっと待って、ロン。……ロンったら!」

 

ハーマイオニーの引き止めにも応じることなく、ロンはそのままトボトボと大広間の扉を抜けて立ち去って行く。なんとも物悲しい背中ではないか。あそこだけヴィクトル・ユーゴーの世界観だな。

 

それを遣る瀬ない表情で眺めた後、ハーマイオニーが大きくため息を吐いてから口を開いた。

 

「……私、ロンがあんなこと考えてたなんて知らなかったわ。友達失格ね。」

 

「私もさ。……まあ、ロンの言ってることも分からなくはないしね。少し時間を置こう。今私たちが何を言っても逆効果だよ。」

 

「そうね……。」

 

沈むハーマイオニーを他所に、スクランブルエッグを三掬いほど皿に盛る。つまりは、ロニー坊やも男の子だったということだろう。ホームズとワトソン……とは違うな。レストレードあたりか? 何にせよ、スポットライトの傍には常に影があるわけだ。

 

考えながらもそのままソーセージを追加で皿に盛り付けたところで、やおら大広間のざわめきが小さくなった。何事かと目線を扉の方に向けてみれば……おっと、居心地悪そうなハリーがご到着だ。ロンに負けず劣らずのトボトボっぷりでこちらの方に歩いて来ている。

 

突き刺さる批難の視線の中、私たちの向かいまで歩いてきたハリーは……開口一番、困ったような表情で釈明を放ってきた。

 

「僕、ゴブレットに名前を入れてない。本当だよ。」

 

「ああ、そんなことは分かってるさ。だから早く朝食を食べたまえよ。話すこともやることも沢山あるんだ。」

 

「えっと……信じてくれるの? 」

 

おいおい、なんだその顔は。疑うとでも思ってたのか? 信じられないと言わんばかりの顔になったおバカちゃんに、ハーマイオニーと二人で言葉を投げかける。

 

「悪いが、キミがダンブルドアを出し抜けるとは思えないね。それに、トラブルは毎年のことだろう? もう驚かないし、もう慣れたさ。……別に嬉しかないけどね。」

 

「そうね。きっと悪意を持った誰かが貴方を危険に陥れようとしてるのよ。リーゼの言う通り、早く朝食を済ませちゃいなさい。呪文の練習をしないといけないわ。忙しくなるわよ。」

 

ハリーは一瞬だけ泣きそうな顔になった後、コクリと頷いてから満面の笑みで席に座り込む。……この分だとこっちもかなりキツかったようだな。談話室からここまで来る間、針の筵だったのだろう。

 

「ロンは……やっぱり僕とは一緒に居たくないって? 僕が自分で名前を入れたって信じ込んでるんだ。説明しようとしても、話を聞こうともしてくれないんだよ。」

 

「まあ、ロンにもロンなりの苦悩があるのさ。彼はキミに嫉妬してるんだよ。」

 

「嫉妬? 僕に?」

 

私の言葉に驚愕の表情を浮かべたハリーに、ハーマイオニーが噛み砕くように説明を始めた。側から見てればよく分かるが、当人なればこそ理解できないのだろう。

 

「あのね、注目を浴びるのはいつだって貴方でしょう? ……私はそれが一概に良いことじゃないのは理解してるし、羨ましいとも思ってないわ。」

 

ハリーの反論を封じるように後半を付け足したハーマイオニーは、まるで諭すような口調で続きを話す。

 

「ロンは家では優秀なお兄さんたちと比較されて、学校では貴方の添え物扱い……少なくとも本人はそう思ってるの。それにずっと堪えてきた。一度もそんなことを口にしないでね。でも……多分、今度という今度は限界だったのよ。抑えてたものが爆発しちゃったんじゃないかしら。」

 

「そりゃ、傑作だ。……いつだって代わってやりたいよ。毎年毎年知りもしない奴に命を狙われて、夏休みになればプリベット通りに戻される。おまけに何処へ行ってもみんなして僕の額をジロジロ見るんだ。ロンには温かい家庭があるし、何より両親もいるじゃないか! 僕なんかよりよっぽど恵まれてるよ。」

 

難しい問題だな。ロンの英雄願望と、ハリーの『一般願望』。どうやら彼らにとって、隣の芝生はどうにも青く見えてしまうらしい。ハーマイオニーも私と同じ感想を抱いたようで、困ったようにただ苦笑している。

 

苛々とキッシュを一切れ皿に盛ったハリーに、ため息混じりに話しかけた。話を先に進めなくてはなるまい。

 

「ハリー、キミにロンの望みが理解できないように、ロンにもキミの望みが理解できないのさ。こればっかりは正解の無い問いだよ。ロンには少しキミとの関係を見つめ直す時間が必要なんだ。」

 

「その間に僕が死ななきゃいいけどね。そしたらロンにも分かるだろうさ。……あるいはハッフルパフの生徒が僕をリンチにするかも。」

 

うーむ、さすがにリンチにはしないだろうが、ハッフルパフのテーブルを見るにちょこちょこと嫌がらせはしてきそうだな。普段は温厚で知られる黄色い寮の生徒たちは、自寮の晴れ舞台を邪魔されてお怒りらしい。

 

こっちもロンと似たような理由だろう。他の三寮がグイグイ前に出るのに対して、ハッフルパフは常に控え目に振舞っていた。他の三寮の間を取り持つ感じに。そんな彼らが珍しく脚光を浴びそうになったその瞬間、ハリーがそれを掻っ攫っていったのである。……いやまあ、彼らから見ればだが。

 

何にせよ構っている暇などない。手早くスクランブルエッグを片付けながら、ハリーに向かって言葉を放つ。

 

「穴熊どもを気にしているような時間はないぞ、ハリー。キミは三つの試練に向き合わなくちゃいけないんだ。優勝しろとは言わないが、訳の分からん怪物にぺちゃんこにされたくはないだろう? さっさと朝食を終わらせて呪文の練習に移ろうじゃないか。」

 

「うん。……でも、どんな呪文を練習すればいいんだろう? まだ何に挑むのかも知らされてないんだ。課題の内容は秘密だって、バグマンさんが言ってた。」

 

「それなら、汎用性の高い無言呪文の練習をしよう。夏休みの間にアリスに習ったんだ。……こんなことに役立つとは思ってなかったけどね。」

 

もちろん嘘だが、そもそも四年生で無言呪文を教えるつもりではいたのだ。一応計画通りではある。……ただまあ、この分だと多少急ぐ必要がありそうだな。もはやのんびりやってられるような状況じゃないぞ。

 

盾、失神あたりはなんとか覚えさせたいが……ダメだな、時間が無さすぎる。基本的なのをいくつかリストアップして、一番適性のありそうなのを重点的にやるか。この際選り好みはしていられないのだ。

 

課題の内容を探らせるのはダンブルドアとレミリアに丸投げしよう。特にあのおとぼけジジイにだ。年齢線がなんだったのかは結局分からずじまいだが、全然役に立ってないじゃないか。ムーディあたりを徹夜で見張りにつければよかったんだ。あの被害妄想男なら喜んでやっただろうに。

 

苛々しながら脳内に呪文のリストを表示させた私に、驚いた顔のハーマイオニーが話しかけてくる。

 

「リーゼ、もう無言呪文を使えるの? どの呪文? 難しい? どのぐらいかかった? マーガトロイド先生からコツなんかは聞いてないの?」

 

「落ち着いてくれ、質問お化けちゃん。先ずは朝食を終わらせてからだ。」

 

言うと、ハーマイオニーは猛然とした勢いでサンドイッチを片付け始めた。うーむ、生徒が二人に増えてしまったな。ハリーも無言呪文を習えるのは満更でもないようで、手早くキッシュを頬張っている。

 

場所は……よし、咲夜と魔理沙に星見台を借りよう。別に空き教室でもいいが、余人が入ってこない方が集中できるだろう。それにまあ、かの魔術師殿が作った場所なら多少は頑丈なはずだ。爆破呪文とかも気兼ねなく使える。

 

先ずは簡単な衝撃呪文から試そうと考えつつも、アンネリーゼ・バートリはソーセージを噛み千切るのだった。

 

 

─────

 

 

「ハリー、意思だ! もっと強く念じろ!」

 

リーゼの放つ無言呪文を必死に避けるハリーを、霧雨魔理沙は呆れた視線で見つめていた。何してんだよ。避けたら意味ないだろ、それ。

 

星見台での『修行』は五日目に突入しているが、ハリーが盾の無言呪文を成功させる日はまだまだ遠そうだ。リーゼの衝撃呪文に全く太刀打ちできていない。というか、太刀打ちしようともしていない。むしろ避けるのが上手くなってるぞ。

 

ちなみに私と咲夜も盾の呪文を練習中だ。……もちろん有言呪文の方だが。星見台を貸す代わりに、呪文の練習を手伝ってもらっているのである。どうやらリーゼが無言呪文を、ハーマイオニーがちょっと複雑な有言呪文を教えることにしたようで、手が空いた方が交代交代で私たちの教師役をしてくれているのだ。

 

ハーマイオニーの投げるシリアル塗れになりながら、盾の呪文の合間に彼女へと話しかけた。……これ、本当に意味あるんだろうな? こんなバカみたいな練習方法は聞いたことないぞ。

 

「プロテゴ。……有言ですら使えない私が言うのもなんだが、プロテゴ! ハリーに盾の無言呪文は早いんじゃないか? 全然成功してないぜ?」

 

「私もそう思うけど、ハリーがどうしてもって言うのよ。そりゃあ盾の呪文は重要でしょうけど……多分、リーゼが使えるもんだからムキになってるのね。」

 

後半を小声で言ったハーマイオニーに、私の隣で杖を振っていた咲夜が鼻を鳴らす。何故かちょっとドヤ顔だ。

 

「ふん、プロテゴ! リーゼお嬢様に追いつこうなんて百年……いえ、五百年早いです! プロテゴ!」

 

「五百年も経ったらハリーは骨よ、サクヤ。骸骨舞踏団の仲間入りね。」

 

「つまり、無謀ってことですよ。プロテゴ!」

 

側から聞いてるとアホな会話だな。おまけにシリアルが飛び交っているとなれば一入だ。見知らぬ誰かが入って来たら混乱するに違いない。

 

満天の星空の下で無言呪文を撃ちまくっているリーゼと、もはや杖を振ろうともしないで避けているハリー。シリアル塗れの私と咲夜に、自分も無言呪文の練習をしながらシリアルを投げているハーマイオニー。……トレローニーあたりに分析させたら面白いかもしれないぞ、これは。

 

私がどうでもいいことを考え始めたところで、星見台からハリーとリーゼが下りてきた。リーゼは苛々とハリーの脇腹を杖で突っついている。

 

「ハリー、次はキミを柱か椅子にでも縛り付けることにするよ。約束する。必ずだ。」

 

「ごめんよ、リーゼ。つい避けちゃうんだ。こう……反射的に。」

 

「謝っても無駄さ。次までに双子から糞爆弾を大量に仕入れてあげよう。食らうのが嫌なら必死に練習したまえ。」

 

「それは……本気じゃないよね?」

 

それを聞いたリーゼの顔は……本気だな、これは。ニッコリ笑ってるぞ。スクリュートを見守るハグリッドのような微笑みだ。かなり怖い。

 

冷や汗をかきはじめたハリーに、今度はハーマイオニーが時計を指差して声を放った。リーゼが何処からか持ち込んだ立派なホールクロックだ。……『拝借』の腕は私より上だな。

 

「それじゃ、午後の授業に行きましょうか。今日は二コマ続きの魔法薬学よ。遅れたくないでしょ?」

 

「遅れたくないけど、行きたくもないよ。」

 

「行くのよ、ハリー。行かないと更に酷い目に遭うわよ。」

 

ハーマイオニーの大いなる予言に渋々従うハリーに続いて、全員で隠し部屋を出て階段を上る。なんともご愁傷様なこった。今のハリーにとってはどの授業でも楽しくはあるまい。それが魔法薬学ならば尚更だ。

 

現在のホグワーツでは、ハリーの『無実』を信じている人物は多くない。私の知る限りではリーゼ、ハーマイオニー、ハグリッド、そして私だけである。……ちなみに咲夜はカウント外だ。こいつはハリーではなくリーゼを信じているのだから。

 

ハッフルパフはディゴリー支持を高らかに表明しているし、あんまり関係ないレイブンクローですらハリーにかなり冷たく当たっている。グリフィンドールは……微妙な感じだな。自寮から代表が出るのは嬉しいが、他寮の手前大っぴらには応援できないといった具合だ。

 

そしてまあ、スリザリンは言わずもがな。『ホグワーツの真の代表選手、セドリック・ディゴリーを応援しよう!』というピカピカ光るバッジを身に付けて、ハリーが通るたびに冷やかしを送ってきている。……押すと『汚いぞ、ポッター』に変わるバッジを。

 

うんざりしながら天文塔の踊り場に続くドアを抜けると、後ろを歩いていたリーゼが私に歩調を合わせてきた。ちなみにこいつの最近のブームは連中のバッジを『スピュー』と取り替えることだ。毎回楽しそうに取替え呪文を放っている。当然、永久粘着呪文のオマケ付きで。

 

「ロンの様子はどうだい? キミたちとは普通に話してるんだろう?」

 

おっと、その問題も残ってたか。『うんざり案件』に項目を追加しつつも返事を返す。

 

「ありゃダメだな。煮詰まってどうにもならん感じだ。今すぐどうこうするのは無理だと思うぜ。」

 

近頃のロンは双子や、四年生の……フィネガンとトーマスだったか? まあ、とにかくハリーたち以外とよく連んでいる。ハリーは元より、リーゼやハーマイオニーともあんまり喋るつもりは無いようだ。

 

喧嘩の原因についてはハーマイオニーから聞いた。ハリーなんかはそれを理不尽な理由だと思っているようだが……うん、私としては理解出来なくもない理由だ。劣等感と閉塞感。あの置いてけぼりにされるような、自分だけがちっぽけになったような、あの感覚は味わった者にしか分かるまい。酷く惨めな気持ちになるのだ。

 

かつて毎日のように味わっていた陰鬱な感情を振り払う私に、リーゼが螺旋階段の最後の一段を下りながら言葉を放つ。

 

「ま、少し時間が必要みたいだね。私たちにそうされるのは嫌だろうし、キミや咲夜が気にかけてやってくれたまえ。」

 

「ああ、分かった。」

 

何にせよリーゼの言う通りだ。昔の私がそうであったように、ロンもまたハリーを嫌っているわけではあるまい。ただ、自分の気持ちに決着を着ける時間が必要なのだ。

 

そのまま地下通路に向かうリーゼたちと別れて、咲夜と二人で変身術の教室へと歩き出す。もう考えずともトラップを避けれるようになった仕掛け階段を下っていると、咲夜が手すりをリズミカルに叩きながら話しかけてきた。鼻歌でも歌いだしそうな雰囲気だ。

 

「でも、私たちの練習を手伝ってもらえるのはラッキーだったわね。これで今年の実技の成績はかなり良くなるわよ。リーゼお嬢様とハーマイオニー先輩が教師なんだもの。間違いないわ。」

 

「お前なぁ……ハリーが大変なんだから、私たちの練習は二の次なんだぞ? 迷惑かからん程度に教えてもらうんだからな?」

 

「はいはい、分かってるわよ。」

 

どうだかな。手すりでご機嫌なリズムを奏でる咲夜は、リーゼと一緒に居られる時間が増えてなんともご機嫌な様子だ。コイツにとってはハリーの問題など些細なものらしい。

 

そして対するハリーはといえば、要所要所で咲夜に気を遣っている感じがある。好意というかは保護者のそれだが、ワールドカップの時も屋台のお菓子なんかを頻繁に買ってあげていた。……咲夜は素っ気なく断っていたが。

 

なんかこう、ちょっとだけ心配になるな。紅魔館の暮らしはよく知らんが、レミリアなんかには間違いなく溺愛されて育ったのだろう。ホグワーツでも色々な人に甘やかされてるし、社会に出た後に打ちのめされたりしないんだろうか? ……いや、しないか。コイツはそういうタイプじゃないな。そもそも『社会』に出るかすら不明だし。

 

私が計算して他人との距離を縮めるのに対して、咲夜は意識せずに距離を埋めるのが非常に上手い。天然の……人たらしってやつか? ヴェイユの家名も多少は影響しているだろうが、本人の素質あればこそこういう結果を生むのだろう。

 

まあ、良いことだ。そりゃあ多少は羨ましくも思うが、それこそ他人の芝生は云々ってやつだし……それに、咲夜の場合はあの巫女ほど常軌を逸したものではない。アイツはそれこそ世界そのものに愛されていた。咲夜のは原因が生んだ結果だが、あれは原因の無い理不尽なのだ。

 

いかんな。ロンの一件で思考が余計な方向に流されているらしい。大丈夫だ、魔理沙。去年は空を我がものに出来たし、今年だって着々と魔法の勉強は進んでいるんだ。アリスだって一朝一夕であの場所まで上り詰めたわけではあるまい。努力すれば必ず届くはずだぞ。

 

決意を新たに階段を下り切ると、前方から……ボーバトンの生徒か? 水色シルクの集団が廊下を歩いて来るのが見えてきた。城を見学でもしているのだろうか?

 

「ボーバトンだな。」

 

「そうね。……何をビビってるのよ、魔理沙。ここは私たちの城なんだから、堂々と歩けばいいでしょ。」

 

「まあ、そりゃそうだな。」

 

代表選手のハリーやディゴリーはともかくとして、向こうだって無数のホグワーツ生にいちいち構ってはいられまい。普通に横をすり抜けようとすると……何だよ。私たちを見たボーバトン生がいきなりざわつき始める。フランス語は簡単な単語くらいなら聞き取れるが、こうまで早口だと意味不明だ。呪文にしか聞こえんぞ。

 

「オウ、ヴェイユ……。」

 

唯一聞き取れたのは咲夜の名前だけだ。知り合いか? チラリと横の咲夜を見てみるが、彼女もキョトンとした表情でボーバトンの集団を見つめている。

 

そのままボーバトン生たちと私たちが顔を見合わせたまま、物凄く気まずい沈黙が場を支配するが、やがて一人の女生徒が歩み出て声を放った。代表選手の……デラクールだったか? 僅かに銀の入ったブロンドに、ダークブルーの瞳。近くで見るとすげえ美人だな。

 

「あなーたは、ヴェイユですか?」

 

「あの、はい。サクヤ・ヴェイユです。」

 

「あー……フランスは、あなーたを忘れてはいまーせん。」

 

「へ? えーっと……それは、どうも?」

 

いや、何だこれ? 唐突すぎる上に、あまりにも意味不明なやり取りだ。咲夜はどう受け取ったらいいのかと首を傾げてるし、デラクールの方も思っていた反応と違ったようで困ったようにキョトンとしている。んー、単語を間違えたとかか?

 

そして再び沈黙。まあ、喧嘩を売ってきているわけではないことだけは理解できたな。どう見てもそういう雰囲気ではない。そのままデラクールは何度か口をパクパクさせて何かを言い淀んだ後、結局ぺこりとお辞儀してから別れの言葉を放ってきた。

 

「……では、ヴェイユとそのお友達。おげーんきで。」

 

「えっと、はい。そちらもお元気で。」

 

「あー……頑張れよ、課題。成功するように祈っとくぜ。」

 

何だったんだよ、一体。えらくモヤモヤするやり取りだったな。どうも何らかの行き違いが起きていたようだ。デラクールに続いて一斉にお辞儀をしてから、これまた一斉に去っていくボーバトン生の背を眺めつつ、隣の咲夜にボソリと囁きかける。

 

「何だったんだ? また『ヴェイユ関係』か?」

 

「うーん……ひょっとしたら、遠い親戚とかなのかも? ヴェイユ家はお婆ちゃんの代にイギリスに移ってきたんだけど、フランスだとそこそこの名家だったらしいし。」

 

「へぇ? 結構最近に移ってきてたんだな。んー、レミリアかリーゼに聞いてみたらどうだ? あいつらなら何かしらは知ってるだろ。」

 

「そうね。……変な気分だわ。私は知らないのに、私のことを知っている人が沢山いるの。フランスですらそうなのね。」

 

言う咲夜は、なんとも微妙な表情だ。別に嫌ってわけではないが……そう、奇妙なのだろう。この辺はハリーの葛藤に通じるものがあるのかもしれんな。

 

誰もが『ヴェイユ』を通して咲夜を見ているわけか。……ひょっとしたら、咲夜がリーゼやレミリアに懐く理由もそこにあるのかもしれない。ホグワーツの教師たちは元より、アリスやフランドールですらどこか『ヴェイユ』を通して咲夜を見ているのに対して、あの吸血鬼二人だけは直接『咲夜』を見ているのだ。

 

うーむ、難しい問題だな。別に悪いことじゃないし、咲夜だってそう思ってないからこそ複雑な気分なのだろう。……私も少しは気を付けてやらないと。

 

咲夜、ハリー、ロン、そして私。他人から見れば大したことのないような問題に見えても、本人からすれば苦悩に値する問題ということがあるわけだ。また一つ勉強になったぞ。

 

魔女としてではなく、人間としての知識が増えたことを実感しながらも、霧雨魔理沙は再び廊下を歩き出すのだった。

 



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杖調べ

 

 

「それで? 第一の課題は結局何になったの?」

 

真昼のホグワーツ城の廊下を歩きながら、レミリア・スカーレットはダンブルドアに向かって問いかけていた。ちなみに彼は私の少し前を歩いて、杖を振って雨戸を閉めつつ進んでくれている。うーむ……こういうことを言わずともやってくれる辺りに付き合いの長さを感じるな。

 

今日は選手たちの杖調べとかいうのが行われる日なのだ。当然ながらそんなもんに一切興味はないが、対抗試合の審査員はそれを見届ける義務があるらしい。……余計な規則を作ってくれたもんだな。そんなんだから廃れたんだぞ。

 

ともかく、せっかく来たなら情報交換をしようというわけだ。ダンブルドアは小慣れた仕草で杖を振りながら、ちょっと言い難そうに返事を返してきた。

 

「それが、校長たちにも秘密のようでして。恐らく代表選手に『教示』してしまうのを避けたいのでしょう。……ただ、校庭の片隅を貸して欲しいとの要請がありました。」

 

「ふぅん? どのぐらいの大きさで?」

 

「そうですな、クィディッチ競技場よりは少し狭いくらいの大きさ……と言えば伝わりますかな?」

 

「そりゃまた、『片隅』って感じじゃないわね。物騒な臭いがプンプンするわ。絶対にロクな内容じゃないわよ。」

 

私の言葉を受けたダンブルドアは、苦笑いでただ困ったような沈黙を寄越してくる。つまり、こいつもロクなことじゃないのには同意するわけだ。

 

まあいいさ。義理堅いダンブルドアは下らないルールとやらを守るだろうが、吸血鬼がフェアプレーを重んじるなどジョークにもならん。どうにかバグマンから聞き出して、リーゼ経由でハリーに伝える必要があるぞ。

 

そもそも、オリンペやカルカロフだってダンブルドアのように『お綺麗事』を貫いたりはすまい。これが国際的な催しな以上、政治や裏工作だって立派な戦略だろう。ボーバトンやダームストラングもそれぞれの方法で課題の内容を探っているに違いないのだ。

 

というかまあ、ダンブルドアだって私からハリーに伝わることは重々承知しているだろうに。別に止めてこないということは、こいつだって暗黙の……いや待て、そうなるとディゴリーが哀れだな。あいつだけ知らないままの可能性があるぞ。ダンブルドアがこの問題に気付いていないはずも無いし、それとなく人伝にでも伝えるつもりなのだろうか?

 

まあ、どうでもいいか。重要なのはハリーがきちんと生き残ることであって、ディゴリーなんぞどうなろうが知ったこっちゃないのだ。馬鹿馬鹿しい行事で死なせるためにこれまで苦労してきたんじゃないんだぞ、まったく。

 

思考にケリをつけたところで、先導するダンブルドアが私の入ったことのない部屋のドアを開いた。どうやら杖調べの会場に到着したようだ。

 

ドアを抜けると……狭いな。ホグワーツには無数にある、今は使われていない教室の一つのようだ。黒板の前に机が三つほど横に並べて置かれてあり、それにビロードのカバーをかけて『らしい』感じの長テーブルに偽装してある。それでも安っぽさは隠せていないが。

 

机の向こうには丸椅子が四脚。そしてその更に後ろに背凭れ付きが五脚と、一際巨大なのが一脚。要するに代表選手と審査員のための椅子なのだろう。既に後ろの席には校長二人と今日も具合が悪そうなクラウチ、それにバグマンが腰掛けており、前の丸椅子には各校の代表選手が……ありゃ、ハリーが居ないな。『正規』の三人だけだぞ。

 

「あら、生き残った男の子は重役出勤かしら?」

 

「ふむ? 連絡は送りましたし、もう到着しているはずですが……。」

 

パタリと閉じたドアを背にダンブルドアと話していると、慌てて立ち上がったバグマンが小走りで近付いてきた。ペコペコお辞儀しながら愛想笑いを浮かべているその姿は、何とも小物感漂う雰囲気だ。デュヴァルといい勝負だな。天然か擬態かの違いはあるが。

 

「ああ、スカーレット女史。わざわざご足労いただきまして、我々といたしましても──」

 

「前置きは結構。それより代表選手が一人足りないようだけど?」

 

「ポッター選手は、その、取材を受けていまして。もうそろそろ終わると思うのですが……。」

 

言いながらバグマンが目線を送ったのは……ロッカー? 部屋の片隅に置いてある、ホグワーツではあまり見ない大きめの金属製ロッカーだ。しかし、ロッカーの中で取材? なかなか奇抜な記者が来ているらしい。

 

「へぇ? 取材ってことは、予言者新聞よね? 誰が来てるの?」

 

「あー……それが、その、スキーター記者です。」

 

「……なるほどね。」

 

あのバカ女か。そうと決まれば話は早い。何事かと全員が注目する中、ロッカーへと足早に近付いてから……思いっきりそれを蹴っ飛ばした。そら、出て来いブン屋。早くしないとロッカーと心中しちゃうぞ。

 

「スカーレット女史、ハリーも中に居ることをお忘れなきように。」

 

「大丈夫よ、若いんだし。それに放って置いてみなさい? あの女はハリーに関しての余計な記事を書くに決まってるわ。」

 

やんわりと止めてくるダンブルドアに適当な返事を返しながら、ガンガンとロッカーを蹴り続ける。この私が『スキーター待ち』だと? 有り得ん。天地がひっくり返っても有り得んのだ。

 

ロッカーの凹みが致命的になってきたところで、ようやくスキーターがバタバタと飛び出してきた。痩せた猫背にブロンドの巻き髪。真っ赤な縁眼鏡の向こうで突き出す、ギョロギョロと忙しなく動く緑の目が周囲を一巡して……おっと、私のところで止まったぞ。彼女は『ロッカーキッカー』を特定したようだ。

 

「ごきげんよう、スキーター。悪いけどもう時間なの。取材は後回しにしてくれるかしら?」

 

「あらま、スカーレット女史。随分と個性的な催促の仕方ですこと。あたくし、ちょっと暴力的に感じるざんす。」

 

「あらそう? 私ったら、ロッカーに対するノックの仕方が分からなくって。間違ってたらごめんなさいね。」

 

クスクス笑いながら言ってやると、スキーターは猛烈な勢いで自動筆記ペンを走らせ始める。おやおや、今度はどんな記事を書くつもりだ? 『無礼なコウモリ、無抵抗のロッカーを蹴り殺す』とかか?

 

もはや止める気にもならん。好き勝手に書けばいいさ。鼻を鳴らしながら選手たちの方へと近付いていくと、全員がちょっと顔を引きつらせながら立ち上がった。……そんなにビビるなよ。心配しなくても私はロッカー以外を蹴り殺したりはしないぞ。少なくとも今日は。

 

私が乱暴に椅子に座ったところで、バグマンが場を取り成すかのように大声を放つ。スキーターに続いてハリーもロッカーから出てきたが……ふむ? 頭を押さえているのを見るに、彼にも多少のダメージを与えてしまったようだ。すまんな、ハリー。これは必要な犠牲だったのだ。悪気はないのだ。

 

「さて、それでは早速杖調べに移りましょうか! 試合に先立ち、代表選手たちの杖が万全な状態にあるかを調べてもらうこととなります。そのために本日はイギリスで最優の杖作り、オリバンダー翁に来ていただきました!」

 

言いながらバグマンが指し示した先には……おや、居たのか。全然気付かなかったぞ。部屋の隅っこに枯れ木のような老人が立っているのが見えてきた。『あれは蝋人形です』と言われれば信じたかもしれんな。

 

なんかこう……存在感が無いというか、儚げというか。身も蓋もない言い方をすれば今にも死にそうなジジイだ。歳上のはずのダンブルドアの方が全然若く見える。あれが世界的にも有名な杖職人、ギャリック・オリバンダーか。直に見るのは初めてだな。

 

スルスル滑るような足取りで選手たちの向かいに立ったオリバンダーは、先ずは一番右隅のデラクールへと声をかける。

 

「デラクールさん、先ずは貴女からいきましょうか。杖を出してくれますかな?」

 

コクリと頷いたデラクールが机に杖を置いた瞬間……うーん、面白い。一気にオリバンダーの顔が輝き、全然死にそうじゃなくなってしまった。『杖狂いの家系』か。リーゼがそう評していた意味がよく分かったぞ。

 

心底嬉しそうな表情で杖を手に取ったオリバンダーは、それをくるくると回しながらブツブツ呟き始める。さっきまでと同じ人間とは思えんな。

 

「ふむ、ふむ。24センチ。紫檀で……しなり難い。少々気まぐれ。されど執着は強い。どちらかといえば呪文術に向き、そして芯には……おお、これは珍しい。ヴィーラの髪の毛ですかな?」

 

なんでそんなことまで分かるんだ? ただ触っただけだろうに。私と同じようにデラクールもちょっと驚いたような様子で、頷きながら質問の答えを口にした。達人技もここまでくると薄気味悪いな。

 

「その通りでーす。わたーしの祖母のものでーす。」

 

「ううむ、そうですな。わしの流儀とは違うが、これもまた一興。貴女には合っておるようじゃし……オーキデウス(花よ)! うむ、上々。上々の状態じゃ。」

 

うんうん頷きながら杖先に咲かせた花を摘み採ると、オリバンダーは杖と一緒にデラクールへと渡す。洒落たジジイだ。若い頃はなんとやらってか?

 

「では、次はディゴリーさん。貴方じゃ。」

 

「はい、お願いします。」

 

礼儀正しくディゴリーが握り手を向けて杖を渡すと、オリバンダーは再び嬉しそうにブツブツ呟き始めた。……これは、本当に私が見届ける必要がある儀式なのか? もう飽きてきたぞ。

 

「おお、これはわしが作った杖ですな? 懐かしい。実に懐かしい。春の麗らかな日に作った杖じゃった。30センチ、トネリコ。心地よくしなり、芯には際立って美しいオスのユニコーンの──」

 

「ちょっと来なさい、バグマン。」

 

『ブツブツ』を背にバグマンを引っ張って、部屋の片隅へと移動する。途端に何かを嗅ぎつけたブン屋が忍び寄ってこようとするが……いいぞ、ダンブルドア。柔らかな笑みを浮かべたダンブルドアがスキーターに話しかけ始めた。ファインプレーだ。

 

「あの、何かありましたか? スカーレット女史。やはり椅子にクッションを置いた方が良かったですかな? いや、私はそう思って用意しようとしたのですが、マダム・マクシームの椅子を準備するのに手間取ってしまいまして、その頃にはもう時間が──」

 

「そんなもんどうでもいいのよ。それより、第一の課題の内容はどうなってるの?」

 

「それは……言えません。ああいや、もちろんスカーレット女史を信頼していないわけではありませんが、公平性を保つためには──」

 

「ねえ、バグマン? こんな話をご存知?」

 

二度バグマンのたわ言を遮って、笑顔を浮かべながら言葉をかける。……ニコニコ、ご機嫌そうな笑顔でだ。

 

「とある男が、小鬼とギャンブルをしたらしいのよ。物凄い金額の賭かったギャンブルをね。でも、可哀想に……その男、負けちゃったの。払いきれないほどの『歴史的』ボロ負けだったらしいわ。」

 

この時点で既にバグマンの顔は真っ青になっているが、構わず笑顔のままで続きを話す。……ちなみにボロ負けした男というのは、ルドビッチ・ バグマンとかいう男らしい。ワールドカップで無計画な胴元をして破産してしまったようだ。スカスカブラッジャーの面目躍如だな。

 

「このままだと殺されちゃうと思うの。ほら、小鬼のお金に対する執着って凄いでしょ? その男は今度は対抗試合を賭けの内容にして挽回しようとしてるみたいなんだけど、小鬼は乗り気じゃないのよね。……あら? そういえば私、小鬼と仲が良いんだったっけ。ドイツでの『ちょっとした』トラブルを解決してあげた貸しがあるのよ。今急に思い出しちゃったわ。」

 

『びっくりレミィちゃん』の顔で言ってやると、途端にバグマンは鳩みたいに頷きながら問いを囁いてきた。藁にも縋るってのがピッタリの表情じゃないか。

 

「それは、その……どのような? いや、つまり、私……というか、その男の借金を帳消しに出来るほどの?」

 

「さすがにそれは無理でしょ。小鬼っていうのはそういう生き物よ。……ただ、そうね。猶予を貰うことは出来るでしょう。少なくともその借金塗れの男は、焼印を入れられて売られたりはしなくなるわ。顔の部品をバラ売りされたりなんかもしなくなるしね。」

 

肩を竦めて言ってやると、バグマンは僅かの間だけ葛藤するが……お粗末。ヘコヘコしながらゴマすり顔を浮かべ始める。手早い陥落だな。

 

「いや、そうですな。確かに……そう、貴女には知る権利がある。うん、あるはずです。審査にも影響するかもしれないし……まあ、今回だけは構わないでしょう。構わないはずだ。」

 

何やら言い訳らしきものをぶつくさ呟いた後で、バグマンは声を潜めて第一の課題の内容について知らせてきた。早く言え、間抜け。そもそも誰に言い訳してたんだよ。

 

「ドラゴンですよ。ドラゴンを出し抜くんです。」

 

「……へ? ドラゴン?」

 

「ええ、その通り。……驚きましたかな? そうでしょう、そうでしょう。きっと他の皆も驚いてくれるはずです。それが今から楽しみですよ。」

 

嬉しそうに言ってるが……こいつ、頭がおかしいのか? ドラゴン? ドラゴンって、あのドラゴンのことだよな? カッコいい皮膜の翼とかがあって、火を吐くデカいヤツ。いやまあ、私はあんまり詳しくはないが。

 

そう、詳しくはない。詳しくはないが……それでも知ってることもあるのだ。例えばドラゴンは人を丸呑み出来るということや、その炎はガキンチョの杖魔法なんかじゃ防げないということ。そしてまあ、連中にとってハリーは軽めのランチにしかならんということも。

 

「前にも聞いた気がするけど、一応もう一回聞いておくわ。……貴方は代表選手を皆殺しにしたいわけじゃないのよね?」

 

真顔で心の底からの疑問を問いかけてやると、バグマンは面白いジョークを聞いたかのようにクスクス笑い始めた。狂ってる。今分かったが、コイツはムーディより狂ってるぞ。

 

「なに、心配無用です。安全策は幾重にも施しますよ。あの『小さなトカゲちゃん』たちが選手を傷付けるようなことにはならないでしょう。……まあ、擦り傷程度ならあるかもしれませんが。」

 

「……そう。よく分かったわ。それじゃ、小鬼にはきちんと話を通しておくから。」

 

「おお、素晴らしい。貴女は私にとって幸運の女神だ。これで枕を高くして眠れますよ。」

 

そしてお前は私の疫病神だ! クソったれめ! 嬉しそうに席に戻って行くバグマンを見ながら、キリキリ痛んできた頭をそっと押さえる。お祓いに行くべきかもしれんな。吸血鬼を受け入れてくれる教会があるかは知らんが。

 

他の連中がどうだかはさて置き、私はバグマンの組み立てた『安全策』とやらを信頼するほど耄碌しちゃいないのだ。……杖調べが終わったらすぐにダンブルドアと話し合う必要があるだろう。リーゼにも早く伝えなければ。このままだとハリーは遠からぬ日に『ローストポッター』になっちゃうぞ。

 

クラムの杖を手にグレゴロビッチとの製作様式の違いを延々喋り続けるオリバンダーの方へと歩きながら、レミリア・スカーレットはパチュリーに頭痛薬を処方してもらうことを決意するのだった。当然、一番強いやつを。

 



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ゴシップ

 

 

「僕はただ『えーっと』って言っただけさ。それがなんだってあんなに長い文章に変わるんだ? 意味不明だよ。」

 

イライラと呟くハリーの声を、アンネリーゼ・バートリはブボチューバーの膿を搾り出しながら聞いていた。……膿? 膿だと? クソったれのスプラウトめ。こんな作業を生徒にさせるな!

 

冬の近付いてきた薬草園の温室の中では、グリフィンドールとハッフルパフの生徒たちが忌々しい植物の膿を絞り出すのに夢中になっている。というか、させられている。ロングボトム以外は全員うんざりした表情なのを見るに、今日の薬草学は『四年生が選ぶ今年最悪の授業』に晴れてノミネートされたようだ。

 

インパクトだけならスクリュートと互角だな、これは。今日使った安全手袋は絶対に捨てようと決意しつつ、どんより顔のハリーへと適当な相槌を送る。彼にとっては膿よりも気にするべきものがあるらしいが、今の私に構っているような余裕はないのだ。

 

「ハリー、その説明はもう聞いたよ。安心したまえ。私はキミが両親を想って夜な夜な泣いていないのを知ってるし、ハーマイオニーのお陰で愛を見つけたわけじゃないのも知ってるさ。」

 

「ごめんなさいね、ハリー。愛を教えてあげられなくって。……ちょっとリーゼ、全然搾り切れてないじゃない。膿袋の中にまだまだ残ってるわよ?」

 

「ふん、知ったこっちゃないね。私は今すぐこの草を焼き払いたい気分なんだ。むしろ我慢しているのを評価してくれ。」

 

「熱すると防衛反応で膿が飛び散るわよ。」

 

なんだそりゃ。つくづく忌まわしい植物だな。死に際まで汚いのか。……見た目だって最悪だぞ。極太ナメクジのようなテラテラした本体に、膿のたっぷり詰まった袋がいくつもくっ付いている。そして微かに動くおまけ付き。まるで悪夢を体現しているようじゃないか。

 

遠くで輝く笑顔を浮かべながら膿を搾り出しているロングボトムに冷めた目線を送っていると、ブボチューバーに注目を奪われた生き残った男の子が尚も文句を放ってきた。

 

「それに、僕はコリンと親友じゃない。あの記事には嘘しか書いてないよ。」

 

おや、ハリーはパパラッチのお仲間にされた部分も気に入らないようだ。もっともクリービーとしては親友扱いされてご満悦のようだが。大広間では一年生の弟に延々自慢してたぞ。

 

つまるところ、ハリーは今日掲載された予言者新聞の記事に怒っているのである。リータ・スキーターの書いた杖調べの時のインタビュー記事は、レミリアと私の期待を裏切らないような内容だったのだ。

 

曰く、ハリーは両親のことを想って夜な夜なグリーンの瞳から涙を零し、そんな寂しさを埋めてくれたハーマイオニーを通して愛を見つけ、その情報を提供してくれたクリービーは大親友で、両親から受け継いだ力をみんなに証明するために対抗試合へ立候補したらしい。……凄いな。一致してる部分が全然ないぞ。精々ハリーの瞳がグリーンってとこくらいだ。

 

ちなみにちょこっとだけレミリアのことも書かれていた。審査員に出しゃばってきた『悪趣味なコウモリ』は、選手にインタビューしていた記者を『堪え難い苦痛を伴う方法で』邪魔した挙句、ホグワーツの『貴重で代えの利かない備品』を破壊したとのことだ。こっちは概ね合ってるじゃないか。

 

脳裏に浮かぶポンコツ吸血鬼の反応を楽しみつつも、集めた膿をバケツに入れているハリーへと慰めの言葉をかける。あんなもん気にするだけ無駄なのだ。

 

「スキーターはゴシップ記者なんだよ、ハリー。そもそもホグワーツの人間は誰も信じちゃいないさ。スリザリンの連中だって、馬鹿にはしてくるが本気で信じてるわけじゃないだろう?」

 

「どっちにしたって同じさ。あのバッジを光らせながら、僕が泣いてないかって誰もがハンカチを渡してくるんだ。このままだとノイローゼになっちゃうよ。」

 

「なぁに、キミなら大丈夫だ。なんたって普通のヤツなら一年生の時点で既にノイローゼになってるからね。現状で元気爆発薬を愛飲してない以上、キミの無事は保証されてるよ。」

 

「褒めてくれてありがとう、リーゼ。次からは薬に溺れることにするよ。」

 

皮肉たっぷりにハリーが言ったところで、ようやくスプラウトが作業の終わりを告げた。まさか膿なんかを集める日が来るとは思わなかったぞ。もう二度と来ないことを願うばかりだ。……いや、本当に。

 

そのまま三人で薬草園を出て、城に向かって歩き出す。今日はハリーとハーマイオニーも薬草学で終わりなのだ。空いた時間はハリーの特訓。それが最近の日常である。ちなみにロンはフィネガン、トーマス、ロングボトムと一緒に別の方向へと歩き去って行った。問題解決はまだまだ先だな。

 

「それじゃ、今日は図書館で呪文の勉強ね。サクヤとマリサは授業があるんでしょ?」

 

柔らかい芝生を踏みしめながら聞いてきたハーマイオニーに、肩を竦めて肯定の返事を返す。

 

「ああ、今日は夜の天文学までびっしりだそうだ。星見台は無理だね。空き教室でもいいんだが……うん、やっぱり図書館にしておこう。話したいこともあるんだ。」

 

「話したいこと?」

 

「着いたら話すよ。……あんまり人に聞かれたい話じゃないしね。」

 

レミリアがバグマンから聞き出した情報を伝えねばなるまい。……ドラゴンだと? 今考えてもイカれてるぞ。しかも詳細は聞きそびれたようだし、色々と呪文を調べる必要がありそうだ。レミリア同様、私だって『ローストポッター』など見たくはないのである。

 

他愛ない雑談をしながら城内へと入り、図書室へと向かってひた歩く。すれ違う生徒の四人に一人は例のバッジを着けて囃し立て、二人に一人はハリーを睨み、そして全員が声をかけてこようとしない。なんともまあ、愉快な状況じゃないか。ここまでくると笑えてくるな。

 

まあ、一応ハリーに好意的な生徒も存在してはいる。クィディッチチームの連中や、ロングボトムにルーナ。先ほどロンと一緒だった同室のフィネガンやトーマスも何だかんだで好意的だし、熱狂的ファンのクリービー兄弟やジニーなんかは言わずもがなだ。

 

結構愛されてるじゃないか、ハリー。彼が憂鬱になる程度で済んでいるのも、ひょっとしたら彼らのお陰なのかもしれない。本人がどう思っているかは分からんが。

 

スリザリン生の嘲るようなヒソヒソ声を無視して図書館の入り口を抜けると、さすがに静かな館内が見えてきた。少なくともここでは誰も文句を言ってはこないはずだ。司書のピンスにすぐさま追い出されてしまうのだから。……どこの世界でも司書は怖いな。

 

隅っこの閲覧机の一つを占拠して、一息ついているハリーとハーマイオニーに言葉を投げかける。いきなりだが、本題に移らさせてもらおう。こればっかりはとって置いても消えて無くなってはくれないのだ。

 

「第一の課題はドラゴンだ。」

 

私の端的な言葉を聞いてキョトンとした表情を浮かべた二人のうち、先ずはハーマイオニーが再起動して質問を返してきた。その顔には驚愕と疑念がありありと浮かんでいる。……気持ちはよく分かるぞ、ハーマイオニー。私もレミリアから聞いたときはそんな表情だったはずだ。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ。ドラゴン? それに……課題の内容は当日まで秘密じゃなかったの?」

 

「レミィに頼み込んだのさ。上手いことバグマンから聞き出してくれたらしいよ。」

 

「それって……まあ、いいわ。事が事だし、目を瞑りましょう。」

 

「おや、随分と寛容になったじゃないか。双子に弟子入りでもしたのかい?」

 

私の冷やかしにハーマイオニーが鼻を鳴らしたところで、ようやく事態を認識したハリーが諦観の表情でポツリと呟いた。なんとも儚い雰囲気ではないか。

 

「それじゃ、僕の命は十一月の末までだ。ロンも僕の葬式に出られて嬉しいだろうさ。……頼むから、バーノンたちは呼ばないでくれ。死んでまであいつらの顔は見たくないよ。」

 

「諦めるのはまだ早いぞ、ハリー。バグマンはドラゴンを『出し抜く』と言っていたそうだ。『倒す』でもないし、『仲良くなる』でもない。」

 

「そりゃありがたいよ。仲良くなるのは不可能だってハグリッドが証明済みだしね。それに、倒すのだって不可能さ。僕がドラゴンの軽いオヤツになるのがオチだよ。」

 

頭を覆うハリーを尻目に、ハーマイオニーが猛然と書棚の方へと歩み去って行く。恐らくドラゴン関係の本を探しに行ったのだろう。まあ、それが正しい。軽いオヤツになりたくないなら、頭を覆う前に行動すべきなのだ。

 

「先ずは『出し抜く』って言葉の意味を探るべきだね。……ドラゴンが守る門を抜けるとか? いや、守っている何かを奪うってのもありそうだな。何かを守るのはヤツらの本能だし、物語でもお決まりのシチュエーションだろう?」

 

悪竜と財宝ってのはお決まりのセットだ。いや待て、逆にこっちが守るパターンもあるな。略奪だって連中お得意の所業だぞ。ってことは、餌を持って逃げ回るとか? ……うーむ、どれを取っても絶望的な映像しか浮かんでこない。希望ゼロだ。

 

どうやらそれはハリーも同じだったようで、大きなため息を吐いてから言葉を放った。

 

「何にせよ、普通の呪文は効かないはずだ。昔ノーバートのことを調べた時に本で読んだ覚えがあるよ。大抵のドラゴンは、熟練の魔法使いが十人くらいで一斉に呪文を撃ち込まないと効果がないんだってさ。」

 

「もうこの際、ドラゴンをどうにかするってのは選択肢から外した方が良さそうだね。先ずは……うん、逃げる手段を確保すべきだろう。それが出来なきゃ何も出来ない。」

 

「同感だよ。盾の呪文でドラゴンの一撃を防げるとは思えないしね。」

 

全くもってその通りだ。バジリスクを思い出せばすぐに分かる。あの時はダンブルドアの無言呪文のみだとギリギリ押されて、アリスとマクゴナガルを追加すれば押し返せる感じだった。十五メートル級の蛇であれなら、ドラゴンの攻撃をハリーが防ぐなど夢のまた夢だろう。

 

ちょっとやる気になってきたハリーを見ながら、脳内に呪文のリストを浮かび上がらせる。飛翔術は……ダメだな。今から練習して使えるようになるとは思えない。姿くらましはそもそも違法だし、領内じゃ使えん。それでなくともバラけて食べやすくなるのがオチだ。

 

結構キツいかもしれんぞ、これは。リストに次々とバッテンをつけていると、大量の本を抱えたハーマイオニーが戻ってきた。あれが全部ドラゴン関係の本か? めちゃくちゃ多いな。

 

「とりあえず参考になりそうなのを手当たり次第に選んできたわ。……話は進んだ?」

 

「先ずは逃げる方法を探すことになったよ。後の話はそれからだ。」

 

私の返答を聞いて、ハーマイオニーは然もありなんと納得の頷きを返してくる。ミス・勉強のお墨付きはいただけたらしい。

 

「賢明よ。それじゃあ……そうね。私は有効な呪文がないかを探すから、二人はドラゴンそのものについてを調べて頂戴。先ずは敵を知らなくちゃ。」

 

「そうだね。そうしようか。」

 

少なくとも私はドラゴンについて詳しくはないし、脳内からも良さげな呪文は見つからないのだ。ここは素直に外部情報に頼るべきだろう。我らが秀才どのの命に従って、うず高く積まれた本から適当な一冊を抜き取った。

 

───

 

そして二時間強の間調べ続けた結果、いくつかの事実が判明した。そのうちの一つはドラゴンの弱点が目だということだ。……いやまあ、目が弱点じゃない生物の方が珍しいだろうが、要するにそこくらいしか無いということらしい。

 

「──だから、ドラゴンと不意に遭遇してしまった場合は目を狙って結膜炎の呪いを放ち、隙を見て逃げること。だそうよ。」

 

「その本を書いたヤツはアホだね。ドラゴンには鼻があって、耳もあることを知らないらしい。……おまけに『不意に遭遇してしまった場合』だと? どんな場所を歩いてたら不意にドラゴンと遭遇するんだ。ハグリッドの小屋とかかい?」

 

読んでいる本越しに呆れた口調で言い放つと、ハーマイオニーは頰を膨らましながら反論してくる。ちょっと可愛らしくて和むな。こういうのがないとやってられんぞ。

 

「これが一番現実的な方法なの! 視界を奪って、痛みに戸惑っているうちに逃げるのよ。他は複数人での対処法ばっかりだわ。……そもそも一人で挑む生き物じゃないのよ。」

 

二つ目に分かったことがこれだ。ハーマイオニーの言う通り、一人で挑むような生き物ではなかったのである。バグマンは課題の内容を考える際、この事実を見落としてしまったようだ。

 

牙にも爪にも尻尾の棘にも大抵は毒があり、種類によって様々なブレスを吐く上に、空は飛べるし動きも素早い。……さすがは皮膜派だけあるな。羽毛派の馬鹿どもとは大違いだ。

 

うんうん頷いている私を他所に、再び諦観の雰囲気を纏い始めたハリーが口を開く。

 

「これさ、僕だってそうだけど、他の選手も無理なんじゃないかな。大体、僕以外はぶっつけでドラゴンと対峙するわけでしょ? 不可能だよ、こんなの。」

 

「まあ、そうね。絶対に無理だと思うわ。バグマンさんは頭がおかしいのかしら?」

 

ナチュラルに毒を吐いたハーマイオニーだが……うーむ、あながち間違いとも言えまい。何をどうしたらこんな課題に決まるんだ? あの男、生徒を殺したくて対抗試合を復活させたんじゃないだろうな?

 

もう最後の手段を選択してしまおうか。つまり、私が透明になって介入するという手段を。かなり不自然なことになるのは目に見えているが、それ以外方法が無いように思えてきたぞ。

 

あるいはフランに頼んで遠くから『きゅっ』してもらうのもいいかもしれない。いきなりドラゴンが吹っ飛ぶのはさぞかし意味不明な光景だろうが、そうなれば原因解明は不可能だろう。気付くのは精々ダンブルドアとマクゴナガル、ムーディくらいだ。

 

私がかなり強引な解決方法を考えている間にも、ハリーとハーマイオニーの話は続く。

 

「とにかく、厄介なのは飛行とブレスよ。例えばこのウクライナ・アイアンベリー種は、1960度の炎を三十メートル近く吐くんですって。……1960度? いまいち想像つかないわね。」

 

「まあ、即死するってのはなんとなく分かるよ。……こっちのスウェーデン・ショートスナウトってのも凄いね。丸太を数秒で灰にしちゃうんだってさ。しかも俊敏に飛ぶ種だから、飛行速度は時速220キロ。ファイアボルトの最高速度とほぼ一緒だよ。」

 

「何にせよ防ぐのは無理ね。そもそも吐かせないか、狙いをつけさせないように……それよ、ハリー! ファイアボルトだわ!」

 

おお、びっくりした。いきなりハーマイオニーが大声を上げたせいで、ピンスが小走りでこっちに走ってくるぞ。ハリーも驚いた表情で固まってしまっている。

 

そのまま鼻息荒く犯人探しを始めたピンスをやり過ごしたところで、ハーマイオニーが小さな声で口早に提案してきた。

 

「ファイアボルトを使うのよ、ハリー。『俊敏な』種でさえファイアボルトと同じくらいの速度なんでしょう? ってことは、飛んでさえいれば少なくとも逃げ切れるわ。」

 

どう? とばかりに私とハリーを見るハーマイオニーに、苦笑しながら返事を返す。いやはや、やるじゃないか、ハーマイオニー。それは確かに名案だぞ。

 

「名案だと思うよ。となると……そうだな、呼び寄せ呪文を練習しておくべきだね。道具の持ち込みが許可されてるかは分からないし、そもそも持ち込もうとするのは不自然だ。杖だけあれば用意できるようにしておいた方がいい。」

 

「うん。箒に乗ってるなら捕まる気はしないよ。最悪そのまま逃げ回ってればいいしね。……まあ、みんなには馬鹿にされるかもだけど。」

 

「多分、ドラゴンを見た後なら誰も馬鹿にしないと思うよ。バグマンの脳みその心配をするのが精々だろうさ。家出しちゃいないかってね。」

 

情けなさそうに言ったハリーを励ましてから、とりあえずはホッと胸を撫で下ろす。無論最悪の状況になったら介入するのは変わらんが、ハリーが一人でも逃げ切れる手段があるに越したことはないのだ。

 

「それじゃあ、先ずは呼び寄せ呪文を仕上げてから、結膜炎の呪文を練習する。そんな感じでいきましょう。もちろん他にも良い呪文がないかは調べ続けるけど。」

 

ちょっと得意げなハーマイオニーが話を纏めたところで……おや、ダームストラングの代表選手が図書館に入ってくるのが見えてきた。えーっと、クレム? クロムだったか?

 

ぼんやりとした記憶を掘り起こしている私に、ハリーの呟きが正解を教えてくれる。

 

「クラムだ。本を読みに来たのかな?」

 

「ええ、そうでしょうよ。自分たちの船で読めばいいってのに、何だって毎日毎日ここに来るのかしら? ……ほら、余計なオマケがついてきたわよ。」

 

忌々しそうに呟くハーマイオニーの目線を追ってみれば……なるほど。キャーキャー言いながらクラムについてくる女生徒たちが見えてきた。あれは確かに余計なオマケだ。ピンスもかなりイライラした表情で見つめている。

 

ハーマイオニーは空いた時間は図書館に来ているようだし、先程の台詞からすると何度も遭遇しているのだろう。彼女は読書を邪魔する存在がお嫌いなようで、鼻を鳴らしながら吐き捨てるように言葉を放った。本を読んでいるときに声をかけたパチュリーそっくりだ。

 

「迷惑だわ。借りていくって発想はないのかしら。ダームストラングにだって図書館くらいあるでしょうに。」

 

残念、ハーマイオニー。あそこの図書館は持ち出し禁止だ。昔ゲラートが愚痴ってたのを聞いたことがある。なんでも『実用書』しか置いてない上に、出入り口で身体検査までやられるらしい。所変わればなんとやら、だな。

 

とはいえ、知らぬハーマイオニーにとっては非常に迷惑な存在のようだ。嫌そうに見つめていたかと思えば、やおら本を積み上げながら立ち上がった。

 

「本を片付けましょう。方針は決まったんだし、そろそろ夕食の時間よ。さっさと食べて、呼び寄せ呪文の練習をしないと。」

 

「ま、そうだね。呼び寄せ呪文くらいなら談話室でやれるだろうし、ちゃちゃっと終わらせようじゃないか。」

 

三人で手分けして本を片付けて、一人で本を読むクラムを背に図書館を出る。……あいつ、私たちの方をチラチラ見てたな。代表選手であるハリーを見てたのか、吸血鬼の私を見てたのかは分からんが。

 

まあ、特に不自然ではあるまい。どっちにしたって注目するには充分な理由なのだ。ダームストラングだからって一々疑うのはやり過ぎというものだろう。あの学校にもマシなヤツはいる。ゲラートとか……あー、ゲラートとかだ。あんまりいないな。

 

脳裏に浮かぶ北の学校を打ち消しながら、アンネリーゼ・バートリは大広間へと歩き出すのだった。

 



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カリスマの憂鬱

 

 

「それじゃあ、今やドラゴンのことを知らない選手はいなくなったわけだ。」

 

星見台に立つ万能磁石と化したハリーに向かって、アンネリーゼ・バートリは呆れたように首を振っていた。呼び寄せ呪文はもう完璧だな。今もインク瓶やらシリアルやらが、杖を振るハリーに向かってビュンビュン飛んでいってるぞ。

 

十一月も終わりに近付き、第一の課題が行われる日までは五日を切っている。そして昨日の昼、ハリーはハグリッドの小屋で彼からとある『秘密』を教えられたのだ。つまり、禁じられた森の奥にドラゴンが到着したことと、それが課題に使われるということを。

 

まあ、ハグリッドがハリーに助言するのは特におかしくない話だ。彼だってハリーに死んで欲しくはないだろうし、彼のお口がツルツルなのは実証済みなのだから。……秘密の対義語は『ハグリッド』にすべきだな。『二人だけのハグリッド』とか、『ハグリッドの部屋』とか。

 

とはいえ、誤算もまた存在した。ハグリッドが一昨日の夜に行った『ドラゴン見学ツアー』にマクシームを誘ったことである。ここ最近『お仲間』を見つけたハグリッドはマクシームに夢中で、ロマンチックだと思ったのかなんなのか、意中の巨人友達にもそれを見せてしまったのだ。

 

おまけにその帰りには、『道に迷った』カルカロフのことも目撃したらしい。これでボーバトンとダームストラングの代表にドラゴンの情報が渡ったのは間違いあるまい。お見事な秘匿技術だ、バグマン。

 

そして私と同じことを考えたハリーは、どうやらディゴリーだけが知らないのは不公平だという結論に至ったようだ。騎士道精神だかなんだかに導かれた結果、ここに来る途中でわざわざディゴリーに情報をくれてやったらしい。……情報戦だって試合のうちだろうに。

 

呆れる私を見て困った顔をするハリーに、ハーマイオニーが援護の言葉を投げかけた。

 

「ハリー、貴方がやったのは素晴らしい行いだわ。それこそフェアプレーってもんよ。」

 

「どうかな。キミがやったのは相手のシーカーにスニッチの位置を教えてやったのと一緒だぞ。あまり賢い行いとは思えないね。」

 

「いいえ、貴方は正しいことをしたのよ。そしてそれはいつか自分に返ってきてくれるの。きっとね。」

 

真逆のことを言う私とハーマイオニーを交互に眺めた後、ハリーは呼び寄せ呪文を唱えながら曖昧に頷く。悪魔と天使の囁きに、彼は意見を決め兼ねてしまったようだ。

 

「アクシオ、チョコシリアル。……まあ、僕はそもそも優勝を目指してるわけじゃないから。アクシオ、マリサの帽子。それに、セドリックが死んじゃうのはさすがに避けないとでしょ? アクシオ、キャラメルシリアル。」

 

飛んできたキャラメルシリアルを口でキャッチしているハリーだが……ま、確かにその通りか。ハリーは金には困っていないようだし、優勝の名誉も別に望んでいない。単に生き残りたいだけで、一位を目指す必要などないのだ。

 

鼻を鳴らして引いてやると、ハーマイオニーはちょっと安心したような顔で口を開いた。

 

「でも、種類が分かったのは僥倖だったわね。ウェールズ・グリーン普通種、スウェーデン・ショートスナウト、チャイニーズ・ファイアボール、ハンガリー・ホーンテール。……一番嫌なのはスウェーデン・ショートスナウトだわ。飛ぶのがファイアボルトと同じくらい速いんでしょう?」

 

向こうで懐かしき意味なし決闘をしている金銀コンビを見ながら言うハーマイオニーに、傍に落ちていた本を開いて答えを返す。図書館から仕入れてきたドラゴンについて詳しく書かれている図鑑だ。著者はかの有名なニュート・スキャマンダー。正確さではピカイチだろう。

 

「その通り。次点でチャイニーズ・ファイアボールだね。それから……少し離れてウェールズ・グリーンとハンガリー・ホーンテールがほぼ同じ速度だ。」

 

「ハグリッドは一番危険なのはハンガリー・ホーンテールだって言ってた。もし選べるなら絶対に選ぶなって。」

 

「ふむ。どうやらニュート・スキャマンダーもハグリッドに同感らしいよ。『最も強力なドラゴンの一種で、縄張りを荒らせば生きて帰るのは難しい。一般的に狩りを行うのは雌で、特に営巣中の雌は雄の数倍は気難しく、非常に危険である』、だそうだ。ハグリッドは雄か雌かを話してたかい?」

 

「全部雌だったって。しかも卵を守ってたらしいよ。」

 

引きつった顔のハリーが発した言葉に、私とハーマイオニーも同じ顔になってしまった。……これは本格的にバグマンが生徒を殺そうとしている説が濃厚になってきたな。っていうか、あいつがハリーを殺そうとしてる犯人なんじゃないか? レミリアに調べてもらう必要がありそうだ。

 

「……とにかく、これまで調べた情報を見る限り、一番安全なのはウェールズ・グリーン普通種ね。もし選べるならそれを選ぶべきよ。」

 

「そうするよ。……選べるといいんだけど。」

 

ハーマイオニーの強引な纏めに、ハリーは自信なさげに答えている。……無理もあるまい。ハリーの悪運は今に始まったことではないのだ。最速か最悪を引きそうな予感をビンビン感じるぞ。

 

現状、ハリーの武器はさほど多くはない。ほぼ仕上がった呼び寄せ呪文と、成功率八割ほどの結膜炎の呪いだけだ。ドラゴンに対処するにはあまりに頼りないラインナップではないか。

 

「そういえば、降下呪文はどうなったんだい? 私とハーマイオニーがルーン文字に行ってる間に魔理沙や咲夜と練習してたんだろう?」

 

数日前にハーマイオニーが見つけ出してきた呪文のことを聞いてみると、ハリーは微妙な表情になってその結果を口にした。どうやら予想通りとはいかなかったようだ。

 

「一応校庭で練習してはみたんだけど……あんまり良い方法じゃなさそうだったかな。」

 

「あら、どうして? 穴を掘ってそこに潜れば炎をやり過ごせるでしょう?」

 

自説が否定されてちょっとご機嫌斜めのハーマイオニーへと、意味なし決闘を終えた魔理沙が横から説明を放つ。咲夜が悔しそうなのを見るに、今回は彼女が勝利したようだ。

 

「あれってさ、自分から逃げ道を無くすようなもんだぞ。大体、直接炎が当たらなくても蒸し焼きになるのがオチだ。やめといた方がいいと思うぜ。」

 

「うっ……確かにその通りね。うん、他の呪文に切り替えましょう。」

 

そりゃそうだ。ハリーが包み焼きハンバーグになるのなど見たくない。敗北を認めたハーマイオニーに、今度は咲夜が声をかけた。

 

「一応、私と魔理沙もいい呪文がないかを調べてみたんですけど……これくらいしか見つかりませんでした。あんまり意味ないですよね、これ。」

 

おずおずと咲夜が差し出した本を覗き込んでみれば……ああ、火消し呪文か。三年生の呪文学でちょこっとだけ出てきたような覚えがある。

 

「んー、そうね。多分消火する前に死ぬでしょうし、そもそも杖が先に燃え尽きるわ。」

 

「でもよ、ちょっと掠ったくらいの時には効果あるんじゃないか? 飛んで逃げてる時に、ローブか箒に火が点いちまった時とか。」

 

「……それもそうだわ。ハリー、こっちはもう使えるわよね? 三年生でやったでしょ?」

 

魔理沙の提案を受けたハーマイオニーの問いに、ハリーは情けなさそうな表情で首を振る。気持ちは分かるぞ。あんな呪文を真面目に練習したのはハーマイオニーだけのはずだ。

 

「あー……ちょっと厳しいかな。呼び寄せ呪文は完璧だし、次はそっちを練習するよ。」

 

「もう、授業を真面目に聞かないからそうなるのよ! 来なさい、教えてあげるから。」

 

哀れなもんだな。ハーミーママに連行されて行ったハリーを眺めていると、咲夜もそれを見ながら話しかけてきた。うーむ、ほくそ笑んでるぞ。呪文を頑張って調べていたから敵対心が消えたのかと思っていたが、どうやらそういうわけでもなさそうだ。

 

「そういえば、明日はホグズミードに行かないんですか? ロン先輩は張り切ってましたけど。お菓子を沢山買ってきてくれるそうです。」

 

ああ、そのことか。明日はホグズミード行きが許される日なのだ。去年は許可がなくて行けなかったハリーも、ブラックにサインを貰ったことで行けるようになったらしい。……とはいえ、とある事情で私たち三人は行かないことに決めたのである。

 

「気晴らしにどうかとも思ったんだけどね。スキーターがホグズミードに滞在してるらしいんだよ。となれば、気晴らしには向かなさそうだろう?」

 

「む。あの失礼な記事を書く人ですか。」

 

おやおや、小さなメイド見習いどのもスキーターのことがお好きではないようだ。咲夜が言っているのはハリーの記事のことではなく、レミリア関係の記事なのだろう。……正直なところ、私から見ればかなり面白いのだが。一種の『空想コメディ』として見るべきだぞ、あれは。

 

ぷんすか頰を膨らませる咲夜に微笑んでいると、魔理沙も星見台に腰掛けながら話に参加してきた。こっちの二年生どのは怒りではなく、呆れた表情を浮かべている。

 

「スキーターって、あの滅茶苦茶な記事を書いたヤツだろ? グリーンの瞳から零れた涙が頰を伝うやつ。」

 

「その通り。ハーマイオニーが愛を教えるやつだよ。」

 

「グリフィンドールじゃ笑い話だぜ。あんなもん信じてるヤツがいるのか?」

 

「そりゃあいるだろうさ。ハリーを直接知ってる魔法使いなんて極僅かだろう? それ以外の連中にウケてるんだろうね。真実か嘘かなんてどうでもいいんだよ。」

 

だから予言者新聞もスキーターを雇い続けるのだろう。彼らにとって重要なのは購読者が増えることであって、真偽なんてもんは二の次なのだ。……少しはザ・クィブラーを見習うべきだぞ。あそこは常に購読者を置いてけぼりにしているのだから。

 

「ふーん。……やっぱり新聞なんてどこも同じだな。天狗の新聞もデタラメばっかりだったし。」

 

「天狗の新聞? ……まあいい。どれ、ハーマイオニーとハリーは暫くかかりそうだし、私が決闘を見てあげよう。盾の呪文はモノに出来たかい?」

 

「あー……まだだぜ。」

 

「あの、ちょっと難しくって……。」

 

そりゃそうか。二人はまだ二年生になったばかりなのだ。……この光景を見ていると、いかにアリスが凄かったのかが分かるな。教師に向いてないと思ってるのは本人だけだぞ。

 

「それじゃ、頑張って練習しようじゃないか。ほら、おいで。」

 

ハーマイオニーが熾した火を必死に消そうとしているハリーを尻目に、アンネリーゼ・バートリは二人の見習い魔法使いへの指導を始めるのだった。

 

 

─────

 

 

「ああもう、しつこいわね! 私もリーゼもダンブルドアもいるの! だから大丈夫なの! 心配ないの!」

 

エントランスの暖炉に浮かぶ顔に向かって、レミリア・スカーレットは怒鳴りつけていた。いい加減しつこいぞ。こんな親バカは他にいまい。

 

暖炉に浮かんでいるのは黒髪のおっさん。つまりは犬コロもどきのシリウス・ブラックである。彼は明後日行われる第一の課題を観に行きたいと言ってきかないのだ。子供か! 駄々っ子か!

 

エマに用意させた椅子に座りながらイライラと貧乏揺すりをする私に、ブラックは尚も縋るような表情で食い下がってくる。名付け親どのは生き残った仔犬ちゃんが心配で堪らないらしい。

 

「しかし、それでも危険なものは危険でしょう? 去年は見事に出し抜かれて吸魂鬼の群れに襲われたじゃないですか。人手が多いに越したことはないはずです。」

 

「あれはハリーの方から突っ込んでいったんでしょうが。……とにかく、絶対ダメ。そもそも部外者が観に来るのはおかしいんだし、それでなくても会場にはスキーターが来るのよ?」

 

「私は『部外者』ではありませんし、既に無罪の判決を言い渡された身です。今更恐れることなどありません。」

 

「あの女にそんな台詞が通用すると思うの? ハリーと貴方との関係を根掘り葉掘り調べた挙句、あることないこと滅茶苦茶に混ざった忌々しい記事を書くのが想像できない?」

 

私にはできるぞ。簡単にできる。……そしてブラックにもできたようで、苦虫を噛み潰したような顔で黙り込んでしまった。それでいいんだ。そのまま黙って諦めてくれ。

 

正直なところハリーとブラックの記事ならそれほど問題はないが、ダンブルドアや私に絡められると厄介なことになるのだ。やれ知り合いだから裏から手を回して無罪にしただの、脱獄したのは私の手助けがあったからだの、根も葉もないことを書きまくるに違いないのだから。……それにまあ、完全に根がないわけでもないし。

 

何とか反論の糸口を探しているブラックに、畳み掛けるように言葉を放つ。

 

「私、リーゼ、ダンブルドア、マクゴナガル、スネイプ、ムーディ。そしておまけにオリンペとクラウチ、三十人近いドラゴン使い。この面子の目の前で何か出来るヤツがいると思うの? ヴォルデモートがダースでハリーを殺しに来たって大丈夫よ。」

 

こんなもん過剰なくらいなんだぞ。ドラゴンだろうが何だろうが、この守りを抜くのは不可能なはずだ。カルカロフは『お友達』のスネイプが見張る予定だし、磐石と言っても差し支えあるまい。

 

「……分かりました。ただし、決して油断はしないでください。ヴォルデモートと一切関係ない場所でドラゴンと戦うだなんて、どうかしていますよ。」

 

「バグマンに言いなさいよね、それは。」

 

「とにかく、任せましたからね。私はハリーがローストされただなんて知らせを受けるのは御免ですよ。」

 

「こっちだって御免よ!」

 

私がぷんすか怒ってやると、ようやく煩い保護者の顔は消えていった。全くもって迷惑な話だ。ふらふら遊び回ってるお前と違って、私は忙しいんだぞ! 親バカめ! バーカ!

 

「エマー! えーまー! 終わったわ。椅子を片付けて頂戴。」

 

「はぁい。」

 

エントランスの隅っこで妖精メイドとあやとりをしていたエマを呼びつけると、彼女は返事と共にこちらに向かって歩いて来る。うーむ、あのトボけたようなニコニコ顔を見てると気が抜けてくるな。初めて会った時はもう少しキリっとしてたはずだぞ。……いや、そうでもなかったか?

 

ムーンホールド出身の彼女はどちらかといえばリーゼの部下なわけだが、彼女はホグワーツだし美鈴は頻繁に分霊箱探しに出かけている今、私に付いていることが多くなってしまった。

 

まあ、特に文句はない。というかむしろ助かってるくらいだ。荒事では美鈴に劣るが、書類仕事では遥かに使えるのだから。ハーフヴァンパイアにしては穏やかな性格なので非常に使いやすいのだ。大抵はプライドが高いもんなんだが……こいつはプライドなんてもんとは無縁だな。いや、良い意味で。

 

「この後の予定は何だったかしら?」

 

執務室へと戻りながら後ろを歩くエマに問いかけてみると、のんびりした声の返事が返ってきた。聞いてるだけで眠くなってくるトーンだ。ふにゃふにゃだぞ。

 

「えーっと……今日はファッジさんと夕食の予定があったんですけど、先程キャンセルの連絡が入ってきました。なので予定なしです。ヒマです。退屈です。」

 

「へぇ? ……最近コーネリウスが素っ気なくなってきたわね。ちょっと注意した方がいいかしら?」

 

二年前ならば這ってでも食事に参加したはずなのだが……ふむ、アンブリッジあたりから何か吹き込まれでもしたのか? いよいよもって降ろし時かもしれんな。

 

「腰痛がどうたらって手紙でしたけど。取ってきましょうか?」

 

「必要ないわ。何にせよ嘘くさい言い訳でしょ。」

 

最近のアンブリッジは単純な影響力で私に対抗するのは不可能と思ったようで、ウィゼンガモットと手を組んで駒をひっくり返す作業に夢中なのだ。ボーンズの方にも『御用聞き』に訪れたらしい。……残念ながら、手酷くあしらわれてしまったようだが。あの片眼鏡の潔癖症にそんなもんが通用するわけないだろうに。

 

そして今は熱心にコーネリウスをひっくり返そうとしている。まあ、うん。悪くない着眼点だと言えるだろう。コーネリウスは一番重要な位置にいるくせに、一番軽くてスカスカな駒なのだ。私だってひっくり返すならここを狙うぞ。

 

ついでに言えば、コーネリウスの方も満更ではないようだ。ちょっと前に蹴落とされかけてたことはもうお忘れらしい。……んー、こればっかりは距離の差が痛いな。四六時中一緒にいる秘書官が囁きかけてくるとなれば、嫌でも影響はされるだろう。

 

非常に残念だ。最後まで良い飼い犬でいてくれたなら、退任後もそれなりのポストを用意しようと思っていたのに。優しい私の気遣いを無下にするのはいただけないぞ。

 

しかし、飼い犬に手を噛まれるってのもなんかカッコ悪くて嫌だな、なんてことを考えていると……椅子を片手に執務室のドアを開いてくれたエマが質問を放ってきた。顔には分かり易くクエスチョンが浮かんでいる。

 

「もう交代しちゃったらダメなんですか? ボーンズさん? と。」

 

「そりゃあ出来なくはないけど、もうちょっと土台を固めたいのよ。元々ハリーの成長に合わせて魔法省を改革する予定だったしね。今やっちゃうとウィゼンガモットあたりに干渉し切れないわ。」

 

本来ハリーが成人するくらいに、一番強力な状態の魔法省を持ってくるつもりだったのだが……うん、計画は所詮計画ってこったな。あの頃はコーネリウスがここまでアホだとは知らなかったし、時計の針を若干進める必要がありそうだ。

 

あとはまあ、リドルがいつ復活するか分からんのも面倒くさい。極端な理想を言えば、ハリーが成人したくらいの頃に分霊箱が全部破壊された状態のリドルが復活して、その一年前くらいにボーンズ政権がスタートしてれば完璧……かな? いやまあ、私だってそこまで上手くいくとは思ってないさ。時には妥協も必要だろう。

 

ま、正直言ってそこまで深刻な問題ってわけでもない。コーネリウスがひっくり返ろうが、アンブリッジが喚こうが、もはや全体の流れは変わらんのだ。次期魔法大臣がボーンズなのは周知の事実であって、後は遅いか早いかの違いでしかない。

 

政治家である私が司法機関であるウィゼンガモットに干渉出来ないように、ウィゼンガモットもまた私に干渉するのは難しいだろう。いざとなったらボーンズ政権の中でゆっくり握り潰してやればいいのだ。

 

唯一気になるのは何故か海外を飛び回っているシックネスだが……ふん、海外に関してはむしろイギリスよりも頼りになる。さしたる問題にはならないだろう。情けない顔で帰ってくるのがオチだ。

 

適当に思考を切り上げたところで、執務机に着いた私にエマが書類を差し出してきた。……請求書? なんだこれは?

 

「なぁに? これ。物凄い額だけど。」

 

「えーっと、ここからここまでが司書さんの改築用資材の請求で、ここが美鈴ちゃんたちの分霊箱捜索に使った経費です。……ああ、ここはフラン様の絵画用品ですね。おっきな絵にチャレンジしてるみたいですよ。」

 

「……フランのはまあいいわ。可愛い理由だし。アホ二人の食い道楽にも目を瞑りましょう。大した金額じゃないしね。……問題なのはこのジメジメ魔女の資材よ。何を買ったらこんな金額になるの?」

 

「えっと、えっと……ありました! これです!」

 

エマが輝く笑顔で取り出した羊皮紙に目を通してみると……あの紫しめじは世界遺産でも造るつもりなのか? やれ最高級のオーク材だの、エボニーだの、アメジストだの、大理石だの……挙げ句の果てには大量の金? こんなもん魔法で創り出したらどうなんだ! お前は御伽の国の王様か何かか!

 

「これ、請求書なの? もう注文してあるってこと?」

 

「はい、しました! 急いで欲しいって言われたから、その日のうちに終わらせたんです。ちょっと大変でしたけど……頑張りました!」

 

「あら、そう……。」

 

咲夜そっくりの……というか、咲夜の方がそっくりの仕草で言われると文句を言う気力も失せるぞ。ズキズキしてきた頭を押さえながら、やんわりと注意の言葉を口にした。

 

「うん、頑張ったわね。でも、次からは私に先に伝えてくれるとありがたいわ。パチェからのやつだけでいいから。」

 

「そうですか? 分かりました、そうします。」

 

「結構。それじゃあ私は……図書館に行ってくるから。パチェに言わなきゃいけないことがあるの。」

 

「はぁい。それじゃあ、私は夕食の準備をしておきますね。」

 

ふにゃふにゃ声を背に廊下へ出て、北館に向けてひた進む。……紅魔館に『世界遺産』が出来るってのは望むところだが、その費用をそっくり背負い込むとなれば話は別だ。あのジメジメには金銭の価値を思い出させてやる必要があるだろう。

 

怪人トカゲマン、トロール大臣、スカスカブラッジャー、ブン屋、マダム・フロッグ、そして犬コロと紫しめじ。どうして誰もが私に苦労をぶん投げてくるんだ? しかも全力投球で。私は前世で何かやらかしたのだろうか? ……いやまあ、今世では結構やらかした記憶はあるが。ちょっとは良いこともすべきかもしれんな。権力者らしく、チャリティー活動でもしてみるか?

 

今度魔法省の和の泉にガリオン金貨を袋ごと入れようと決意しつつも、レミリア・スカーレットは懐の頭痛薬を取り出すのだった。

 



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第一の課題

 

 

「まるで闘技場だな、これは。」

 

禁じられた森の近くに設置された楕円形の競技場を見ながら、アンネリーゼ・バートリは呆れた口調で呟いていた。実に趣があるじゃないか。あるいはまあ、時代錯誤とも言えるが。

 

今日は遂に訪れた、第一の課題が行われる当日だ。朝食を終えたハリーは既にマクゴナガルに連れていかれてしまっている。恐らく競技場に併設されているテントのどれかに居るのだろう。

 

そしてゆっくりと朝食を終えた私、ハーマイオニー、咲夜、魔理沙も生徒の群れに紛れて競技場へと向かっているのだが……誰もが課題の内容を楽しげに予測する中、ハーマイオニーと魔理沙だけが不安そうな顔で歩いている。この二人はハリーが挽肉にされないかが心配なようだ。

 

「この前見たときは骨組みだったのに、いつの間にあんな風になったんでしょうか?」

 

一人だけ平時通りの咲夜の言葉に、歩調を合わせながら返事を返す。彼女は別にハリーが心配ではないらしい。きっと私とレミリアを信頼しているのだろう。……さすがにハリーが死んでもいいと思ってるわけじゃないよな?

 

「魔法で突貫工事をしたのかもね。ハリボテ建築は魔法ゲーム・スポーツ部のお家芸だ。……ハリボテすぎてドラゴンが観客に襲いかからなきゃいいんだが。」

 

「いくらなんでも防衛魔法くらいかけてあるでしょ。プロテゴ・トタラムとかの。」

 

「それで防げればいいけどね。」

 

話に参加してきたハーマイオニーに、一切信頼してないことを口調で表現しながら応える。実に心配ではないか。バグマンが強度の計算をまともに出来てるかは怪しいところだぞ。

 

まあ、さすがにその辺はホグワーツの教師陣が黙っていまい。バグマンのアホがそのことを完璧に忘れていたとしても、教師全員で協力すればドラゴンの炎くらいは防げるはずだ。……防げるよな?

 

ちょっとだけ不安になりながら木造アーチの入り口を抜けて、そのまま急拵え感丸出しの階段を上っていけば……おいおい、まるっきりコロッセウムだな。中々に物騒な見た目のフィールドが見えてきた。

 

黒ずんだ木組みの観客席が囲む楕円形のフィールドには、巨大な物から小さな物まで大量の岩が転がっている。観客席がフィールドから十メートルほど上に設置されているせいで、選手たちから見れば巨大な壁が囲んでいるようにしか見えまい。つまり、逃げ場なしの広い岩場だ。

 

そしてフィールドの中央には、何かありますよと言わんばかりに鳥の巣のようなものが設置されている。……十五メートルクラスの鳥が存在すればの話だが。間違いなくドラゴンの巣を象ったものなのだろう。

 

「見てよ、リーゼ。あの入り口からドラゴンが入ってくるに違いないわ。」

 

最前列へと進みながらハーマイオニーが指差す方向を見ると、いかにもな感じの巨大な鉄の落とし格子が見えてきた。逆側の小さな入り口と比べれば巨人と小人の差だ。うーむ、見てるだけで絶望感が湧いてくるな。

 

「ああもう、本当に大丈夫なのかしら?」

 

「予想はしてたことだろう? ……大丈夫さ。作戦は立てたじゃないか。」

 

「そうだけど、実際目にすると別なのよ。こんなのおかしいわ。狂ってる。」

 

「それに関しては同感だがね。バグマンが聖マンゴに入る日も近そうだ。」

 

不安いっぱいのハーマイオニーを励ましながら、予定通りに城側の最前列を確保する。左手のちょっと高めに設置されている天幕付き審査員席にはレミリアとダンブルドアが、真逆の禁じられた森側にはムーディが、そして右手にはマクゴナガルが位置することで、均等にフィールドを囲む予定だ。

 

ハリーの出番には能力で透明化して側に付くつもりだが、他の選手の時だってさすがに黙ってるわけにはいくまい。私にも体面というものがあるのだ。いざ介入する時を考えて競技場を見回している私を他所に、咲夜の向こうに座っている魔理沙が声を放った。ちなみにハーマイオニー、私、咲夜、魔理沙の順だ。

 

「これってさ、飛ぶのに制限はないよな? そりゃあ走り回るなら十二分な広さだけど、ファイアボルトで飛び回るとなれば話は別だぜ? もし全速力で飛ぶとしたら、スピードがスピードだけにどうやったってはみ出しちまう。」

 

「確かにクィディッチ競技場よりは狭いわね。今ルールが伝えられてるのかしら? ポッター先輩、絶望してなきゃいいんだけど。」

 

素っ気ない咲夜の台詞に、ハーマイオニーが祈るように答える。

 

「もしそうだったらバグマンさんをぶん殴ってやるわよ。ドラゴンと徒競走がしたいなら、先ず自分がやってみればいいんだわ。」

 

中々物騒なことを言うじゃないか。……まあ、心配の裏返しなのだろう。元気付けるように二の腕をポンポンしながら何となく後ろを振り返ってみれば、ちょうどロンが階段から上がってきたところだった。

 

いつものようにフィネガン、トーマス、ロングボトムらと観客席に入ってきたロンは、物騒すぎるフィールドを見て顔を強張らせると、慌てて私たちとは離れた位置の最前列に陣取る。どうやらハリーが心配になってきたようだ。そりゃそうか。この競技場は心配に値するような見た目なのだから。

 

それは他の生徒たちも同様らしく、応援旗を持ったハッフルパフの集団や、固まってヒソヒソ内容を予想しているレイブンクロー生たちは元より、『汚いぞ、ポッター』バッジをピカピカさせているスリザリン生ですらちょっと不安そうに観客席からフィールドを見ている。もはや『ワクワク』という感じではなくなってしまったな。

 

そのまま徐々に埋まっていく観客席を雑談しながら見ていると……おっと、ポンコツ吸血鬼たちがご到着だ。審査員席に審査員たちが座り始めた。各校の校長と、無表情なクラウチ、そして我らがチビコウモリ。バグマンの席だけが埋まらんな。イカれ男は未だ準備中らしい。

 

そっちは万全かとアイコンタクトしてくるレミリアに、大丈夫だという目線を返したところで……これはまた、想像以上じゃないか。巨大な格子の向こう側に、それに見合うだけの巨大なドラゴンが見えてきた。

 

「おいおい、マジかよ。」

 

魔理沙の呟きが全てを物語っているな。字面で見るのとは段違いだぞ、これは。八メートルほどの身体は銀青色の鱗で覆われ、巨大な皮膜付きの腕をブンブン振り回してドラゴン使いたちを威嚇している。

 

そりゃあ全長で言えばバジリスクの半分くらいだろうが、腕やら脚やらが引っ付いていると全長以上にデカく見えてしまうもんだ。口元から漏れ出る青い炎が『私は危険です』と物語っているぞ。

 

「スウェーデン・ショートスナウトだわ。一番飛ぶのが速くて、三番目の大きさのやつ。」

 

「あれで三番目ですか。……おっきいですね。頭も大きいですし、ポッター先輩くらいなら丸呑みできそうです。」

 

「そうならないように祈るのよ、サクヤ。」

 

ハーマイオニーと咲夜がちょっとズレた会話を繰り広げたところで、ようやく審査員席に姿を見せたバグマンが競技場に響き渡る声を放った。拡声魔法を使っているらしい。

 

『ごきげんよう、三校の生徒の皆様! 大変長らくお待たせしました。これより第一の課題を開始したいと思います。とはいえ……ワクワクしているところを申し訳ありませんが、先ずは競技内容の説明を聞いていただきたい! なに、すぐ終わりますとも!』

 

もう誰もワクワクはしてないぞ。下級生は格子越しにドラゴンを見て泣いてるのがチラホラいるし、上級生たちはこれから起こるであろう『殺戮ショー』を予測して戦々恐々としている。そして何人かの最上級生などは、使命感を感じる顔で杖を抜き始めた。いざという時は介入しようというつもりらしい。大人がダメだと子供が育つな。

 

まあ、残念ながらバグマンには会場の空気が伝わらなかったようだ。ニッコニコしながら説明とやらを話し始めたのだから。

 

『これから順に入ってくる選手たちには、クジで引き当てたドラゴンの守る『宝』……ああ、今用意されたあれですな。あの金色の卵を奪ってもらうことになります!』

 

話の途中でドラゴン使いによって巣に置かれた金ピカ卵を指しながら、バグマンは『凄いでしょ?』という表情で話を続ける。ダミーの卵もいくつか置いてあるようだ。

 

『おっと、ご安心ください。ドラゴンが選手に見向きもしないなんて事態にはならないことを保証しますよ。今回用意したドラゴンは全て営巣中の雌なのです! 卵を守るために必死になってくれることでしょう!』

 

会場ウケを狙ったらしいその台詞に誰一人として反応してないことを確かめると、バグマンはちょっと残念そうな顔で説明を締めた。

 

『……さて、審査員はここにいらっしゃる五人に私を含めた六人です! 一人の持ち点は十点。故に各課題の満点は六十点となります。早さ、使う呪文、スマートさ、そして『宝』を傷付けないこと。そういった内容を総合的に評価してくださることでしょう!』

 

説明が終わるとガタガタという音と共に格子が上がり、ドラゴン使いたちに引っ張られたドラゴンがノシノシ巣の方へと歩き出す。いやぁ、現代の恐竜だな。今や最前列は最も人気のない席になってしまった。

 

『ああっと、心配ご無用! 観客席には強固な防衛呪文が張り巡らせてあります! 一切の心配はいりませんよ!』

 

慌ててバグマンが説明するが、当然ながら誰一人として戻ってこようとはしない。賢い生徒たちはバグマンの説明よりもドラゴンの迫力を信じることにしたようだ。お見事、大正解。

 

と、巣に近付いたドラゴンは自主的にそちらに移動して行った。デカい体に小さな脳みそか。卵の真贋を見極めるほどの知能はないらしい。巣に到着すると、大事そうに巨体で囲んで卵を守り始める。

 

ドラゴン使いたちが決して背中を向けないように格子の向こう側へと戻っていったところで……いよいよだな。バグマンがホイッスルを吹くと同時に逆側の小さなゲートが開き、ドラゴンへの挑戦者が姿を現した。

 

杖を手にしてゆっくりとフィールドに入ってきたのは……ディゴリーだ。卵を守るドラゴンを見て、引きつった表情で固まってしまっている。

 

「よかった。ハリーじゃなかったわ。」

 

「となれば、ディゴリーが空を選ばないことを祈ろうじゃないか。ファイアボルトでほぼ等速なら、間違いなくディゴリーの箒よりも速いだろうしね。」

 

「そうね。ハリーじゃなくたって、誰かが死ぬのは見たくないわ。お願いだから上手くやって頂戴、ディゴリー……。」

 

私がハーマイオニーと話している間にも、ディゴリーはハッフルパフ生の掲げる応援旗を見て、固唾を飲んで見守るホグワーツ生たちを見回すと……覚悟を決めた表情でゆっくりとドラゴンの方へと歩き出した。大した度胸だ。少なくともゴブレットはホグワーツ代表の人選は間違えなかったらしい。

 

『さあ、最初の挑戦者はホグワーツ代表、セドリック・ディゴリー選手です! 対するはスウェーデン・ショートスナウト種! ゆっくりと歩み寄るディゴリー選手に、ドラゴンは……気付いた! 気付きました! ジッと彼の方を見つめています!』

 

およそ二十メートルほどか。ドラゴンが巨大なせいで恐ろしく短く感じる距離を挟んだディゴリーは、やおら小さな岩に杖を向けて呪文を放つ。……変身術か? 閃光を受けた岩は、途端に毛並みの良いゴールデンレトリバーに変身して走り出した。ブラックとは大違いの毛並みだな。

 

「陽動かしら? 悪くないわね。」

 

ハーマイオニーの呟きに同意するかのように、バグマンの実況が放たれる。嬉々とした声色だ。

 

『素晴らしい! ディゴリー選手、見事な変身術です! さあ、ドラゴンの目線は犬の方に向かいました! ディゴリー選手はその隙に岩に隠れて近付いています!』

 

犬コロに夢中なドラゴンの隙を窺いながら慎重に巣へと近付いて行くディゴリーは、その距離を順調に縮めていく。そのまま巣まで後十メートルほどになったところで……。

 

「マズいぜ。」

 

魔理沙がポツリと呟いた瞬間、チラリとディゴリーを見たドラゴンが彼に尻尾を振るった。おいおい、ここまで大きな風切り音が聞こえてくるぞ。

 

『おっと、これは……無事です! ディゴリー選手、見事な反射神経でこれを避けました! いやぁ、良かった!』

 

何が『良かった!』だ、大間抜けが! ギリッギリだったぞ、今のは。岩から瞬時に離れたから無事だったものの、ディゴリーの判断が一瞬遅ければ尻尾で挽肉か、岩の破片で穴あきチーズかのどっちかになっていたはずだ。

 

ダンブルドアとマクゴナガルは杖を構えたままで大きく安堵の息を吐いているし、観客席の生徒たちはこれでもかというくらいに悲鳴を上げている。これは思ってたよりもキツいな。……妖力ではなく杖魔法を使った方がいいかもしれない。距離が離れている以上、遠くでも即時に干渉できる方法を使うべきだ。

 

何にせよいいテストケースになった。思い直して杖を手にした私を他所に、ディゴリーは立ち上がって杖を振る。その顔が鋭さを帯びているのを見るに、彼の闘志は未だ折れてはいないようだ。

 

『さあ、ディゴリー選手、再び岩に向かって杖を振り、変身術を使って二匹の犬を追加します! そちらに注目が向くのを待って……動き出しました! 卵までの距離は八メートル、七、六、五──』

 

「もうダメ。見てられないわ。」

 

ハーマイオニーが抱きつくように私の肩で目を覆ったところで……ドラゴンが再びディゴリーの方を向いた。おいおい、同時にディゴリーも突っ込んで行ったぞ。組分け帽子はどうやら彼の所属すべき寮を間違えたようだ。勇猛果敢ななんとやら、だな。

 

会場の全員が……実況のバグマンでさえもが息を飲んだその一瞬で、ドラゴンの振るった腕をギリギリで避けたディゴリーが黄金の卵を手にする。転がるようにドラゴンの股下を潜った彼は、そのまま全力で背を向けて走り出した。腕のローブが大きく切り裂かれているのを見るに、本当に紙一重だったようだ。

 

くるりと振り返ったドラゴンはディゴリーを追う姿勢を見せるが、途端に三匹の犬たちが巣に向かって走り出す。上手いな。連中に対処している間に離れようという魂胆か。

 

『これは、これは……なんという。見事。実に見事な結末です! 犬たちがドラゴンを翻弄している間に、ディゴリー選手は悠々とゲートへ戻って行きます! ディゴリー選手、課題達成です!』

 

実況の声が響き渡った瞬間、観客席から洪水のような拍手が沸き起こった。……まあ、これはバグマンの言う通りだ。見事な結末じゃないか。この拍手に文句を言うヤツなど会場に居まい。

 

「すげえぞ、ディゴリー!」

 

「うん、凄いわ。」

 

興奮する魔理沙とポカンとする咲夜が拍手をするのに倣って、私も気持ち大きめの拍手を放つ。魔法の肝は使い方なのだ。ディゴリーはそれを良く実践した。簡単な変身術だけでドラゴンを出し抜いたのだから。

 

「成功したの? ディゴリーは生きてる?」

 

「ああ、どうやら腕を怪我したらしいが、ポンフリーならすぐに治せるさ。顔を上げてご覧よ。上々な結末だ。」

 

私の肩から顔を離したハーマイオニーに言うのと同時に、ドラゴン使いたちがフィールドへと入ってきた。出したり引っ込めたりであいつらも大変だな。それを見ながらのバグマンが、拍手に負けない大声を放つ。

 

『さあ、勇敢な青年が急いで治療を受けられるように、手早く審査を終わらせてしまいましょう! 審査員の方々は得点をどうぞ!』

 

言いながらバグマンは自身の杖で数字を浮かび上がらせた。八点か。悪くないな。減点は恐らく腕の傷を考慮した結果なのだろう。

 

ダンブルドアも八点。レミリア、クラウチ、マクシームは揃って七点、そしてカルカロフは……これはまた、物議を醸しそうだ。彼の前には『3』とだけ浮かび上がっている。

 

「おいおい、ふざけんな! 不当だぞ!」

 

魔理沙のヤジが聞こえたのは恐らく私たち三人だけだろう。何故なら観客席にいる殆どの生徒が同じような文句を叫んでいるのだから。唯一ダームストラングの生徒たちだけが居心地悪そうに身を縮めている。

 

「有り得ないわ。幾ら何でも公正さに欠けてるわよ。あれが三点ならどうやって十点を取るの?」

 

「一瞬でドラゴンを殺すとかですかね?」

 

ハーマイオニーに対する咲夜の答えもあながち間違いとは言えまい。どう否定的に見たって三点はやりすぎのはずだ。信じられないほどの辛口審査なのか、それとも自校を勝たせるために形振り構っていられないのか。どちらにせよカルカロフは訂正する気は無いようで、数字を浮かべたまま仏頂面で沈黙している。

 

『あー……出揃いました! ディゴリー選手の得点は四十点となります! さあ、退場する選手に大きな拍手を! 勇敢な姿に相応しい拍手で送りましょう!』

 

強引に纏めたバグマンの言葉で、無事な方の手を振ってゲートの奥へと消えて行くディゴリーに再び盛大な拍手が送られた。何にせよ、これで一人目は生きて帰れたわけだ。

 

「ああ、ハリーが心配だわ。お願いだからウェールズ・グリーンに当たって頂戴。なんならもう二度と宿題を出来なくなってもいいから。」

 

「だとすれば、次に出てくることを祈った方がいいな。そら、見てみろよ。」

 

手を組んで勉強の神か何かに意味不明な祈りを送るハーマイオニーに対して、フィールドの方に身を乗り出して答える魔理沙の指差す方向を見てみれば……なるほど。格子の向こうに先程よりちょっと小さいドラゴンが見えてきた。五、六メートルくらいか? いやまあ、それでも充分にデカいが。

 

爬虫類にありがちな緑の体皮で、さっきのが恐竜だとすればこっちは翼の生えた巨大なトカゲといった感じだ。皮膜は腕に繋がっておらず、私たちと同じように独立した翼として生えている。ただ、さっきと違って四足歩行なのがむしろ危うさを感じさせるな。歩くのが速そうだ。

 

「一番マシなのであれか。全くもって悪夢だね。」

 

「まあ、予想通り飛ぶのは苦手そうな見た目じゃない。お願いだから次はハリーであって頂戴。お願いだから……。」

 

ハーマイオニーが再び祈り始めると同時に、格子が開いてドラゴン使いたちが緑のドラゴンを引っ張ってきた。……うーん? 思ったより遅いぞ。やっぱりこいつが一番の当たりっぽいな。

 

あんまり抵抗無しのドラゴンがいそいそと巣を守り始めたところで、バグマンがホイッスルの音を響かせる。どうやら二人目の挑戦が始まるようだ。

 

小さなゲートから入ってきたのは……残念、デラクールか。端正な顔を強張らせたフランス女が入場してきた。彼女もまた、緑のオオトカゲを見てびくりと身を竦ませている。

 

「くっそ、ハリーじゃなかったか。」

 

「こうなったらチャイニーズ・ファイアボールに賭けるしかないわね。」

 

残念そうな魔理沙とハーマイオニーの会話を他所に、バグマンの実況が競技場に木霊した。

 

『さあ、二人目の挑戦者はボーバトン代表、フラー・デラクール選手です! 対するはウェールズ・グリーン普通種! 彼女は一体どんな手段を選ぶのでしょうか!』

 

ディゴリーより僅かに長めに立ち竦んでいたデラクールだったが、やがて大きく深呼吸するとジリジリとドラゴンの方へと近付き始める。当然ながら彼女もマクシームから課題の内容は聞いていたはずだ。何か策があるのだろう。

 

徐々に距離を縮めていくデラクールを見ながら、咲夜がポツリと呟いた。

 

「うーん、ちょっと不利ですよね。ディゴリー先輩のを見た後だと、なんだか迫力に欠けちゃいます。」

 

「確かにそうだね。バグマンは本当にアホだな。順番をもっと考えるべきだろうに。」

 

苦笑いで深く頷く。こうなるとちょびっとだけ可哀想だ。緑トカゲだって強大な相手には違いないだろうに。……ま、審査員はそれに流されるような連中ではあるまい。もちろんカルカロフ以外の話だが。

 

その距離が十数メートルほどまで縮まったところで、いきなりドラゴンが伏せていた身体を起こして威嚇らしき唸り声を放ち始める。つまり、あの辺がボーダーラインか。どうする? デラクール。

 

『獰猛に唸り始めたドラゴンに……おっと、デラクール選手が呪文を放ちます! しかし、効いていない! 全く効いていません!』

 

何だ? 無言呪文はその悉くが体皮に弾かれているが、デラクールは構わず閃光を飛ばし続けている。呪文が効かないのは知っているはずだぞ。……これも作戦のうちなのだろうか?

 

「何かしら? あんまり強い呪文じゃなさそうだし、あれじゃあ怒らせるだけだと思うけど……。」

 

そしてハーマイオニーの心配は現実になったようで、ドラゴンは数回デラクールに吼えた後……ブレスだ。細い噴射炎を彼女に放った。遠くから見ると、真っ赤な舌が伸びてるようにも見えるな。

 

『おっと、ブレスを……避けました! 間一髪!』

 

バグマンの言う間一髪というほどギリギリではなく、予測していたような動きでデラクールは近くの大岩の陰へと逃げ込んだ。あんまり迫力のないブレスだったが、当たった部分の岩が真っ赤になって凹んでいるのがその威力を物語っている。人体なら間違いなく貫通することだろう。もう『燃える』とかいうレベルじゃないな。『溶ける』だ。

 

そのまま再び大岩から飛び出したデラクールは……おいおい、また同じことをやり始めたぞ。意味のない閃光をビュンビュン撃ち込み始めたのだ。

 

「さすがに効かないのを理解できてないはずないよな? 何がしたいんだ? あいつ。」

 

「ひょっとして、巣から引き離したいんじゃない?」

 

可能性はあるな。魔理沙と咲夜の会話を聞きながら眺めていると、ドラゴンは再び大きく息を吸ってブレスを……おっと、今度はタイミングを合わせたデラクールがカウンター気味に呪文を放った。ドラゴンのブレスをデラクールが避けるのと同時に、彼女の放った呪文が口内へと飛び込んでいく。こりゃ凄い。お見事。

 

鮮やかな一連の流れを見たハーマイオニーが、感心したような声を上げた。

 

「上手いわ。あれを狙ってたのね。」

 

「みたいだね。一回目はタイミングを計るためだったんだろう。……問題は、何の呪文を使ったかだ。」

 

口内も目と同じく呪文が通じる箇所なのだろう。ドラゴン使いたちが感心したように頷いているのからもそれは明らかだ。とはいえ、目ではないということは結膜炎の呪いではないだろうし……そもそも口でも結膜炎の呪いは効くのか? 口内炎になったりするのだろうか?

 

私がアホな予想をしている間にも、バグマンの実況が答えを見つけ出した。

 

『素晴らしい! デラクール選手が見事に呪文を『喰ら』わせました! そして呪文を受けたドラゴンは、あー……これは、まさか眠らせ呪文でしょうか? ゆっくりと丸まって……遂には目を閉じてしまいます。』

 

どうやらそれで正解らしい。マイナーで地味な呪文に拍子抜けしたような観客に対して、ドラゴン使いたちは拍手喝采を送っている。彼らの間ではよく知られている方法のようだ。……恐らく拍手を送るほど難度の高い方法として。

 

「眠らせ呪文って、赤ちゃんとかを寝かせる時に使うやつでしょ? 大人だとちょっと眠くなるだけのやつ。あんなのが効果あっただなんて……。」

 

「単純な獣なればこそ効果があるのかもね。何にせよ悪くない選択だった。後はこっそり卵を奪って終わりだろうさ。」

 

「ドラゴン使いも知ってたみたいだし、事前調査で上を行かれたわね。どの本に載ってたのかしら? 図書館にあるドラゴン関係の本は全部読んだはずなんだけど……。」

 

ハーマイオニーが少しだけ悔しそうに言うのと同時に、デラクールは余裕の表情で眠るドラゴンの下へと歩いて行く。そして誰もが第二の挑戦者の勝利を確信した瞬間、誰一人として予測していなかったことが起こった。……ドラゴンがイビキと共に吹き出した炎が、デラクールのスカートに燃え移ったのである。

 

『あーっと! デラクール選手、これはいけません! 慌てて消そうと叩いていますが……ようやく杖を取り出した!』

 

まあ、誰もデラクールのことを責められまい。私だって予測出来なかったし、当のドラゴンにしたってそれは同じだろう。驚いて対処が遅れても仕方がないはずだ。

 

『さあ、さあ。大きな怪我は無いようです。そのままデラクール選手は慎重に卵の方へと進み、今卵を……手にしました! そのまま安全圏へと走り出す! デラクール選手、課題達成です!』

 

消火呪文ではなく水を生み出したせいで全身ずぶ濡れだし、スカートはコゲて端っこがボロボロになっているが、それでも観客席からは大きな拍手が巻き起こった。ディゴリーの時が驚嘆と感服の拍手だとすれば、こっちは労りと賞賛の拍手といった感じだ。

 

「まあ、見事だったわね。作戦も悪くなかったし、最後の失敗だって仕方がない部分が大きいわ。」

 

「そうだな。度胸あるじゃん、あいつ。」

 

ボーバトン生に否定的だったはずのハーマイオニーと魔理沙も、お見事と微笑みながら惜しみない拍手を送っている。どうやら友好を深めるという部分については順調に進んでいるらしい。

 

とはいえ、本番はまだこれからだ。残るはチャイニーズ・ファイアボールとハンガリー・ホーンテール。どちらにしたって楽な相手ではあるまい。ハリーが生きて帰るまでは油断できないのだ。

 

『さあ、それでは審査員の皆様、点数をお願いいたします!』

 

競技場に響くバグマンの実況を他所に、アンネリーゼ・バートリは気を引き締め直すのだった。

 



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勇気の証明

 

 

『さあ、それでは審査員の皆様、点数をお願いいたします!』

 

バグマンの実況に促されて、レミリア・スカーレットは不慣れな杖魔法で数字を浮かび上がらせていた。六点ってとこだな。内容はディゴリーと互角だったが、デラクールの方が少し時間がかかったし。……ちなみに杖は前回の戦争での『戦利品』の一つだ。

 

チラリと他の審査員の方を見てみれば、バグマンとオリンペ、ダンブルドアは揃って七点。クラウチは私と同じ六点。そしてカルカロフは……こいつはまともに審査する気がないらしい。今回も『3』と浮かび上がらせている。

 

「呆れた。」

 

ポツリと私が呟くのと同時に、観客席からまたしてもブーイングが沸き起こった。そりゃそうだ。オリンペやダンブルドアが公平さを保っているというのに、一校だけあからさまに贔屓しているのだから。

 

優勝によって得られる名誉、そして不正まがいの審査によって被る不名誉。天秤にかければ微妙なところだと思うのだが……カルカロフは何を考えているんだろうか? さすがにそれが分からないほどの馬鹿ではあるまいに。

 

何にせよカルカロフにはカルカロフなりの考えがあるようで、今回もバグマンが寄越した猶予で考えを翻らせはしなかった。うーむ、オリンペが怒っちゃってるぞ。

 

『えー、得点が出揃いました! 合計は三十六点! ディゴリー選手と僅差の二位となります! ……それでは、デラクール選手にもう一度大きな拍手を!』

 

ま、充分に逆転可能な範囲内だろう。ペチペチと適当な拍手をしていると、退場した緑トカゲに代わる新たなドラゴンが格子の向こう側に見えてきた。……おお、美しい。こいつが一番良い見た目をしてるな。

 

深紅の鱗に包まれたその姿は、これぞ正しく飛竜といった感じのシルエットだ。巨大な皮膜付きの腕に、強靭そうな後脚、太く長い尻尾。たてがみのように生えている金色の棘を除けば、物語に出てくるドラゴンそのものじゃないか。

 

「美しいわね。」

 

何より深紅ってのが素晴らしい。感嘆の吐息と共に呟くと、隣のダンブルドアから同意の声が返ってくる。

 

「ええ、本当に美しい。アジアでは獅子龍とも呼ばれているそうです。なんでも人類が生まれる遥か以前から、ずっと同じ形を保っているとか。……ううむ、実にロマンを感じますな。」

 

「ふん、これでまた一つ紅の優位性が証明されたわね。後でリーゼに教えてあげなくっちゃ。」

 

「ほっほっほ、なんとも仲がよろしいことで。」

 

ダンブルドアが歳相応のジジくさい台詞を吐いている間にも、ドラゴンはドラゴン使いたちに連れられて巣の方へと歩き始めた。……これは、今までで一番デカいな。十メートルは間違いなくありそうだ。

 

ちなみに右隣は無言を貫くクラウチで、左にダンブルドア、オリンペ、カルカロフが座り、一番向こうにほぼ立ちっぱなしのバグマンの席がある。私とクラウチも大概だが、オリンペとカルカロフも殆ど会話をしていない。親善云々はどこに行った?

 

しかしまあ、正解の席順となるとそれもまた難しいだろう。カルカロフ、ダンブルドア、オリンペ、私、バグマン、クラウチとかか? これだとそれなりの会話は生まれそうだな。……もちろんクラウチは数に入れていないが。

 

私が数少ない正解を導き出したところで、バグマンのホイッスルが響き渡った。どうやら次の選手が入場してくるようだ。

 

小さなゲートから入ってきたのは……我らが跪きの君、ビクトール・クラムだ。いつもよりも更に仏頂面で立ち止まって、巣を守るドラゴンを睨みつけている。緊張しているのか? 相変わらず表情の分かり難いヤツだな。

 

『三人目の挑戦者はダームストラングの代表、ビクトール・クラム選手です! 対するはチャイニーズ・ファイアボール種! さあ、クラム選手はこの危機をどうやって乗り越えるのか!』

 

バグマンの実況に促されるかのように、クラムは悠然とドラゴンの方へと歩き……じゃなくって、走り出したぞ。なんだこいつ。本当に学生か? ガキらしくもうちょっとビビったらどうなんだ。

 

すぐさま反応したドラゴンが大きく息を吸って……ブレスか。先ほどの炎線とは違い、その名の通りの火球を吐き出す。傘が先端になったキノコのような形で、クラムと同じくらいの大きさだ。詳細は知らんが、当たったら死ぬってことだけはよく分かる。

 

『クラム選手、火球を……お見事! 避けました! そして尚も近付いていくぞ!』

 

こりゃまた、クソ度胸だな。一切減速せずにスライディングで下を潜るように火球を避けたクラムは、ドラゴンとの距離が十メートルほどになったところで呪文を放った。狙いは……顔か?

 

「見事。」

 

ダンブルドアが思わずといった感じで呟くと同時に、クラムが放った青い閃光は吸い込まれるようにドラゴンの目へと向かっていき……同時にドラゴンが怒りの咆哮を上げた。おおう、ここからでもビリビリするぞ。

 

『これは……凄まじい試合となりました! 結膜炎の呪いでしょうか? その目に呪文を受けたドラゴンがのたうち回る中、クラム選手は迷わず突っ込んで行く!』

 

うーむ、前二回の選手たちとは全く違った展開になってきたな。ディゴリーとデラクールが『出し抜いた』のに対して、クラムは真正面からの『戦い』を選択したらしい。こうなってくると物語の世界観だ。ドラゴン狩りは魔法戦士の名誉ってか?

 

尻尾、後脚、そして両腕と頭。巨大なそれらが滅茶苦茶に振り回されている中に、クラム素早い動きで躊躇わずに入り込んで行った。今や教師とドラゴン使いたちはその全員が杖を構え、クラムの危機に対応しようと全神経を集中している。

 

しかし……やるじゃないか、小僧。振り回されるそれらを完全に見切っている様子で、クラムは軽々と避けながら巣への距離をゆっくりと詰め始めた。先ほどまでは大きな悲鳴を上げていた観客たちも、今は声を出すのを躊躇うかのように黙り込み、その姿をジッと見つめている。

 

『巣への距離は後五メートル、四、三……あーっと、これは不運だ! なんたる悲劇!』

 

そのまま卵を確保するかと思われた矢先、暴れるドラゴンの尻尾が巣に激突してしまった。うーむ、これは確かにアンラッキーだったな。何たって『宝』となる金の卵は、その衝撃で半分ほどが潰れてしまったのだから。

 

それを見て僅かに顔を歪ませたクラムだったが、数瞬の後には再び真剣な表情に戻ると、勢いよく卵に向かってダイビングキャッチをかました。半壊の卵を掴むとそのままくるりと一回転して、全速力でゲートの中へと戻って行く。

 

『凄まじい試合でした! クラム選手、課題達成です! ドラゴンに立ち向かった勇者に大きな拍手を!』

 

怒号のような歓声と拍手が競技場に響く中、点数を決めるために思考を回す。……ふむ、難しいな。明らかに前二人よりは早かったし、第一の課題のテーマである勇気も見せた。とはいえ卵を半壊させたのはいただけまい。事故であることも加味して……そうだな、八点ってとこか?

 

私が点数を決めたところで、タイミング良くバグマンが審査員たちを促してきた。

 

『それでは、審査員の皆様は点数をお願いいたします!』

 

私とダンブルドアが八点、オリンペとクラウチは卵の損傷を重く見たのか七点で、毎度甘めのバグマンは九点。そして気になるカルカロフは……おお、こりゃ酷い。高らかに『10』と浮かび上がらせている。分かり易いにも程があるぞ。

 

当然、会場からは小さなブーイングが起きた。あまり大きくないのはクラムのことを慮ったからだろう。どうやら観客席のガキどものほうがカルカロフよりもよほど大人なようだ。ホグワーツに通い直したらどうだ? 山羊髭。

 

『出揃いました! クラム選手の得点は四十九点! つまり、クラム選手がトップに躍り出ます! さあ、盛大な拍手で送りましょう!』

 

拍手の中で審査員席に向かって一礼したクラムは、そのままゲートの奥へと消えて行った。……さて、いよいよ本番だ。まさか大トリを引き当てるとは。さすがは生き残った男の子じゃないか。これもまた一種の才能だな。

 

「いよいよね。きちんと備えなさいよ? ダンブルドア。」

 

隣の爺さんに向かって注意を投げかけてみると、ダンブルドアにしては珍しく引きつった笑みで答えを返してくる。困ったような、呆れたような雰囲気だ。

 

「いやはや……これは中々の大仕事になるかもしれませんぞ。あれをご覧ください。」

 

大仕事? 首を傾げながらダンブルドアの指差す方向を見てみれば……おいおい、なんだよあれは。格子の向こうでこれまでとは段違いのドラゴンが暴れ回っているのが見えてきた。

 

先ほどの紅ドラゴンをひと回り大きくしたような見た目だが、身体中から生えている銅色の棘が見た目の危険さを増している。黒い鱗がその巨体を覆い、長い尻尾は身体に増して棘だらけだ。

 

ドラゴン使いたちが必死になって巣に誘導しようとしているが、振り回される尻尾や皮膜付きの腕のせいで上手くいかないらしい。……あの凄まじく凶暴そうなヤツがハリーの相手か? とびっきりの悪夢だな、これは。

 

「何なの? あれ。」

 

とうとう二十人がかりでドラゴン使いたちが対処し始めた『あれ』を指差して問いかけてみると、ダンブルドアは困ったような苦笑で返事を寄越してきた。

 

「恐らく、ハンガリー・ホーンテール種でしょう。遥か昔にニュートに見せてもらったことがあります。……まあ、あれほど大きくはありませんでしたが。」

 

「十四歳のガキがこれからあれと戦うわけね。なんとも愉快なことになりそう──」

 

私の台詞の後半は、ドラゴンの凄まじい咆哮でかき消されてしまう。身体どころか咆哮までデカいときたか。ビリビリと競技場そのものを揺らすほどの遠吠えを放ったドラゴンは、そこそこ俊敏なスピードで自ら巣の方へと向かって行った。……ドラゴン使いたちが明らかにホッとした顔をしているのがなんとも言えんな。

 

この瞬間、競技場にいる殆ど全ての人間がハリーの死を予感したはずだが、バグマンは数少ない例外に属しているようだ。ドラゴンが位置についたのを確認すると、ニコニコ顔でホイッスルの音を響かせたのだから。

 

『さあ、最後の選手が入場してきます! 最年少のハリー・ポッター選手に対するは、ハンガリー・ホーンテール種! この獰猛なドラゴンにポッター選手はどう挑むのでしょうか!』

 

実況と共に小さなゲートが開き、哀れな生贄の子羊が入場してくる。他の選手より随分と幼く見えるハリーは、ドラゴンを見ると僅かに怯んだ様子だったが、決然とした表情で杖を振り上げて呪文を唱えた。……唱えたんだよな? 何も起きないぞ。

 

「失敗かしら?」

 

「いえ、恐らく──」

 

何か言おうとしたダンブルドアだったが、今度は彼の声がドラゴンの咆哮にかき消されてしまう。そして声の主は……いやぁ、いくらなんでも公平さに欠けるぞ、これは。これまでとは全然違う反応じゃないか。

 

つまり、ドラゴンはハリーに向かって全速力で突進してきたのである。餌だと思ったのか、侵入者だと思ったのかは分からんが、少なくとも客人として持て成そうとしていないのは明らかだ。

 

『おっと、これはマズい! 怒りの声を上げたドラゴンがポッター選手に突っ込んで行きます! どうする、ポッター選手!』

 

何が『どうする、ポッター選手!』だ、このバカ! ぐちゃぐちゃにすり潰されるに決まってるだろうが! ダンブルドア、マクゴナガル、ムーディどころか、他の教師たちやオリンペ、ドラゴン使いたちまでもが焦った表情で杖を振り上げた瞬間──

 

『これは……ポッター選手、飛んで来た箒に乗って空へと逃げ去ります! 素晴らしい! なんたる奇策! なんたる妙案!』

 

……驚いた。やるじゃないか、ハリー。正しく箒に『飛び乗った』ハリーは、そのまま一気に上空まで上がって旋回し始める。ドラゴンは悔しそうに一声鳴いた後で巣へと戻ってしまった。

 

「おお……見事じゃ、ハリー。」

 

「呼び寄せ呪文だったかしら? こんな所からでも呼び寄せられるのね。」

 

ポツリと呟いたダンブルドアに聞いてみると、彼は少し自慢気に返事を返してくる。孫自慢をするジジイみたいな表情だ。

 

「不可能ではありませんが、極めて集中する必要があるでしょう。ドラゴンを前にして集中を乱さなかったのは見事。見事の一言です。」

 

「ま、油断しないようにね。勝負はここからよ。」

 

「無論ですとも。」

 

話している間にも、ハリーは作戦を決めたようだ。旋回するのを止めて、今度はドラゴンに対して急降下と急上昇を繰り返し始めた。……巣から引き離そうという魂胆か?

 

『ポッター選手、どうやらドラゴンを巣から誘き出そうという作戦のようです! 挑発を繰り返しますが……危ない、ブレスだ!』

 

バグマンの言う通り、ドラゴンは炎線でも火球でもない、ドラゴンのイメージ通りの燃え広がるようなブレスをハリーに放つ。間違いなく十五メートル以上は伸びたぞ。

 

『間一髪! しかしポッター選手は諦めない! 再び挑発を繰り返しします!』

 

それから数度ブレスと急降下の応酬をやり合った後……いよいよか。苛々が頂点に達したのだろう。怒りの咆哮を上げたドラゴンが、その巨大な翼を広げて羽ばたき出した。飛ぶぞ、これは。

 

しかし、翼を広げると凄まじいデカさに見えてくるな。物凄い量の土煙を巻き上げながら数度羽ばたいたドラゴンは、ゆっくりとその身を浮かび上がらせる。……さすがに初速は遅いようだ。お世辞にも華麗な飛び立ち方とは言えんぞ。

 

『遂にドラゴンが空へと飛び上がる! ポッター選手は……未だ挑発を続けています! 戦いの舞台は空中へと移りそうです!』

 

そして、ハリーはまたしても勇敢さを証明したようだ。ドラゴンが巣に戻らないように、時たま無言呪文を放って挑発をし始めた。ドラゴンは目の前を飛び回るハリーを憎々しげに見ながら徐々にその速度を上げて……そら、追いかけっこの始まりだ。

 

『ドラゴンが追う! ポッター選手が逃げる! 凄まじい試合になってきました! ポッター選手は徐々に高度を上げながらブレスや噛み付きを避け続けています!』

 

高い。上へ上へと戦いの舞台が移っていくせいで、日除けが邪魔でよく見えなくなってきた。私が席を立って日向ギリギリに移動するのと同時に、ダンブルドアとオリンペも無言で立ち上がって天幕の外へと出て行く。恐らく緊急時に備えようというのだろう。おい、座ったままかよ、カルカロフ、クラウチ。

 

チラリとリーゼの方を見れば……居ないな。姿を消して上空へ行ったか? ひょっとしたら試合開始の時点で既に移動していたのかもしれない。ついでに言えば、マクゴナガルとムーディも出来るだけ高い場所へと移動しているようだ。うーむ、高すぎると対処が難しいぞ。そろそろ決めて欲しいのだが……。

 

私がそう思った瞬間、応えるようにバグマンの実況が響き渡った。興奮しまくってる声色だ。

 

『遥かに上へ、上へ……いや、来ました! 遂に来ました! ポッター選手、急降下してきます! これは速い! 凄まじく速い!』

 

忌々しい陽光に当たらないように気をつけて覗き込んで見れば、ハリーが自由落下では有り得ない速度で急降下しているのが見えてきた。一直線に巣へと向かっている。……おいおい、速すぎないか? その速度だと地面に激突するぞ。

 

『何というスピードでしょう! ドラゴンを置き去りにしてそのまま巣へと向かうが……ああっと、これは凄い! ウロンスキー・フェイントの応用です! 落下の直前に切り返して再び浮かび上がった! その手には……持っています! 金の卵を持っています!』

 

うろんすきー? ……あー、ワールドカップでクラムがやってたあれか。練習したのかぶっつけなのかは分からんが、とにかくハリーはそれを成功させたようだ。そのまま箒に乗ったままで一直線にゲートへと戻って行く。

 

『いや、素晴らしい! 最年少のポッター選手、見事な作戦で課題を達成しました! 拍手を! 惜しみない拍手を送りましょう!』

 

バグマンの実況と共に、競技場全体から盛大な拍手が沸き起こった。クラムとはまた別ベクトルの派手さがあったせいで、観客たちには大いにウケているようだ。

 

ドラゴンがゲートの方を忌々しそうに見ながらダミーの残る巣へと着陸し、ダンブルドアとオリンペがホッとしたような表情で審査員席に戻ってきたあたりで、バグマンが最後の審査を促してくる。

 

『さてさて、それでは審査に移りましょう。審査員の皆様は得点をどうぞ!』

 

ふむ。かかった時間で言えば僅かにクラムの方が早いが、ハリーにも卵にも傷は無し。作戦も悪くなかったし……うん、九点ってとこか。

 

私が点数を浮かび上がらせるのとほぼ同時に、他の審査員たちもそれぞれの点数を発表した。私、オリンペが九点。クラウチが八点でダンブルドアとバグマンは十点。そしてカルカロフは四点。……もう何も言うまい。

 

バグマンも同じ気持ちのようで、さほど間をおかずにブーイングの沸く競技場へと声を響かせる。

 

『出揃いました! ポッター選手の得点は五十点! 堂々のトップに躍り出ます! 素晴らしい空中戦を見せてくれたポッター選手にもう一度大きな拍手を!』

 

ま、何にせよこれで誰も死なずに終われたわけだ。……結局誰一人として手助けを必要としなかったあたり、少しばかり学生ってのを侮ってたかもしれないな。中々どうしてやるじゃないか。

 

同時に残りの課題に関しても油断できないってのがよく分かった。一つ目がこれなら残る二つも危険たっぷりなのだろう。……うんざりするな、まったく。

 

ドラゴンが拍手に対して不満の咆哮を上げるのを聞きながら、レミリア・スカーレットは小さくため息を吐くのだった。

 



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立ちはだかる難題

 

 

「見事だったよ、ハリー。脱帽だ。」

 

競技場に併設された救護用のテントから出てくるハリーに対して、アンネリーゼ・バートリは心からの賞賛を送っていた。さすがの私でも素直に褒めざるを得ないのだ、これは。

 

第一の課題は『奇跡的に』死者なく終了し、生徒たちは興奮しながら城へと戻っている。今日はどこの談話室もドラゴンの話で盛り上がるに違いない。そんな中、次の課題に関しての説明と一応の診察を受けていたハリーを四人で待っていたのである。

 

ちなみにディゴリーは少し前に友人らしきハッフルパフ生たちと一緒に城へ、デラクールとクラムもそれぞれの校長に連れられてデカ馬車とボロ船の方へと帰って行った。デラクールもクラムもこっちをチラチラ見てたのがちょっと気になるが……まあ、大したことではあるまい。あの連中の『チラチラ』にはもう慣れた。

 

くたびれた様子でテントを出てきたハリーは、私の声を聞いて嬉しそうに駆け寄ってくる。その手に持っているのは……ふむ? 『宝』とされていた金の卵だ。トロフィー代りにでも渡されたのだろうか? さすがにドラゴンの卵を模しているだけあって、近くで見ると結構デカいな。

 

「みんな! やったよ、上手く出来たんだ! みんなが手伝ってくれたお陰だよ!」

 

「いいえ、貴方の力よ、ハリー。本当に……本当に素晴らしかったわ。とっても勇敢だったわよ。」

 

「カッコよかったぜ、ハリー。特に最後のウロンスキー・フェイントは凄かった。クラムのやつ、絶対に悔しがってるぞ。」

 

ハーマイオニーと魔理沙の返事に、ハリーは照れくさそうに頰を掻く。いやはや、生きて帰ってきてくれて何よりだ。あのドラゴンには死を予感するに相応しいだけの迫力があった。突っ込んできた時は透明の状態でハリーの隣に居たが、あんなもん私でさえちょっとビビったぞ。

 

「それじゃ、さっさと談話室に戻ろうか。さすがに疲れただろう?」

 

城の方を手で示しながら言ってやると、ハリーは苦笑と頷きを返してくる。

 

「うん、ヘトヘトさ。あんなに神経をすり減らしたのは初めてだよ。クィディッチの初試合より緊張したんじゃないかな。」

 

初試合か。私は観れなかったやつだ。確かクィレルが箒から振り落とそうとした試合だったっけ。うーむ、僅か三年前なのに、遥か昔に感じられてしまうな。……まあ、確かにあれよりはドラゴンの方が怖かっただろう。箒は振り落とそうとするだけだったが、ドラゴンは火を吐いてくるのだから。

 

五人で城に向かって歩き出すと、咲夜が卵を指差して質問を放った。彼女もそれが気になっていたようだ。

 

「ポッター先輩、それはどうしたんですか? 課題達成の報酬とか? ……金ピカですし、売ったら高そうですね。」

 

「いや、これが第二の課題のヒントだって渡されたんだ。どうも開けられるっぽいんだよね、これ。中に何か入ってるとかじゃないかな。」

 

「それじゃあ、クラムさんだけはヒント無しですか?」

 

「ううん、ちゃんと交換してもらってたよ。ちなみに、次の課題は二月の末だって。」

 

つまり、約三ヵ月後か。随分と間が空くな。……いや、そんなもんか。全部で三つということは、最後の課題を学年末に持ってくるつもりなのだろう。むしろ第一の課題が性急すぎた感があるくらいだ。

 

とはいえハーマイオニーにとっては遠い話ではないようで、金の卵を睨みながら計画を立て始めた。何とも頼りになる子だな。

 

「それなら急いで調べないとね。対策を練ったり、使う呪文を調べる時間も必要なんだし。……今回の課題で命が懸ってるってのは充分理解できたわ。油断は禁物よ、ハリー。」

 

「そうだね、ムーディの言う通りだ。『油断大敵』さ。談話室に戻ったらすぐにヒントを確認して……。」

 

ん? 途中で口を閉じて立ち止まってしまったハリーの目線を追ってみると……おや、ロニー坊やが物凄く気まずそうな顔でポツンと立ち尽くしている。ごめんなさいをする子供の表情そのまんまじゃないか。

 

恐らく第一の課題を見て何か心境の変化が生じたのだろう。一種のショック療法だな。ロンは私たちに向かって中途半端に手を上げると、曖昧な笑みを浮かべながらこちらに近付いて来た。申し訳なさそうな、困ったような感じの情けない笑みだ。

 

「……それじゃあ、私たちは先に戻ってるよ。二人でよく話し合いたまえ。」

 

「でも、みんなも一緒に──」

 

「ダメよ。貴方たち二人で話すの。そうしなきゃ何も変わらないわ。……頑張りなさい、ハリー。」

 

ハーマイオニーと二人でハリーの肩を叩いて、金銀コンビと共に城へと戻る。ま、ハリーはついさっき巨大なドラゴンを出し抜いたのだ。親友との仲直りなんぞちょろいもんだろう。……それに、このくらいのご褒美はあって然るべきだぞ。

 

ぎこちなく話す二人の方を一度だけ振り返ってから、談話室へと一歩を踏み出すのだった。

 

───

 

「来たぞ、ハ……なんだよ、アンネリーゼたちか。」

 

そして談話室の扉を抜けると、手に手にクラッカーを持ったグリフィンドール生たちが大集合していた。……失敬な連中だな。こんなに美しい私の顔を見てがっかりするとは何事だ。

 

「何なんだ、一体。散らかすとマクゴナガルが怒鳴り込んでくるぞ。」

 

失礼なことを言った双子のどちらかに声をかけてみると、ドッペルゲンガー君は悪戯げに笑いながら返事を返してくる。うーむ、相変わらず悪戯顔の似合うヤツだ。生まれた時もこんな顔だったに違いない。

 

「そのマクゴナガル閣下なら、さっきバタービールをケースで差し入れてくれたぜ。今日ばかりは寮監公認でハリーのお祝いだよ。一緒じゃなかったのか?」

 

「キミの『妹』のロニーちゃんとお話し中だよ。ウジウジしてたのがようやく吹っ切れたらしくてね。そのうち二人でおてて繋いでやって来るだろうさ。」

 

「おっと、それならロニーちゃんのことも祝ってやらないと。友情とはかくも美しいものなりけり、ってな。」

 

「そりゃまた、素晴らしいお兄さんだね。私は兄が居なくて良かったよ。両親に感謝だ。」

 

ニヤニヤしながら爆竹を取り出した悪戯小僧に背を向けて、奥の大きなテーブルへと歩き出す。パーティーということは料理があり、料理があるということは肉があるはずなのだ。無ければそれはもうパーティーではない。

 

案の定揃っている各種料理を皿に奪い取っていると、後ろから凄まじい爆発音が響いてきた。……どうやらハリーとロンが到着したようだ。思ったより早かったな。

 

そこからはまあ、毎度お馴染みのどんちゃん騒ぎだ。ハリーに対する立ち位置を決め兼ねていたグリフィンドール生たちも、第一の課題を見て立場を鮮明にしたらしい。誰もがハリーによくやったと一声かけている。

 

呆れるほどに単純な連中だが……ま、これぞ我らのグリフィンドール寮さ。それに、少なくとも悪いことではあるまい。ハリーの憂鬱は多少紛れるだろうし、大広間はもはや針の筵ではなくなっただろう。本人の表情を見ればそれがよく分かるというものだ。やっぱり一番の原因はロンとの仲直りだろうが。

 

クリービー兄弟が暖炉の上にドラゴン対ハリーの写真を貼り出したあたりで、ソファの隣にハーマイオニーが座って話しかけてきた。ちなみに咲夜は魔理沙と一緒に同級生たちと話している。一年生や二年生にとってはかなり印象に残る出来事だったようだ。……そりゃそうか。ドラゴンだもんな。特にマグル生まれの下級生にとってはさぞ衝撃的だったことだろう。

 

「まったくもう、世話が焼けるわよね。二人とも子供なんだから。」

 

「おや、去年大喧嘩をしてたのは誰だったかな? キミは覚えてるかい? ハーマイオニー。」

 

「うっ……それはまあ、悪かったわよ。そうね、人のことは言えないわね。」

 

「んふふ、これぞ因果ってやつさ。」

 

クスクス笑いながら話していると……何だ? ハリーたちが居るあたりから大音量の耳障りな音が聞こえてきた。黒板やらガラスやらを、思いっきりナイフで引っ掻いたような音だ。

 

「ちょっと、何?」

 

「さぁね。誰かがバンシーでも連れ込んだかな? もしくはゴースト管弦楽団か。」

 

適当な予想を話し合っていると、ハリーを囲む人集りからロングボトムが歩いてくる。頭を押さえてブンブン振ってるのを見るに、彼はあの音を至近距離で聞いてしまったようだ。要所要所で運のないヤツだな。

 

「ロングボトム、今のは何だったんだい? 双子の新しい悪戯グッズか?」

 

「違うよ、リーゼ。ハリーが金の卵を開けたらああなっちゃったんだ。今はみんなで課題の内容を予想してるとこだよ。」

 

「ふぅん?」

 

料理の方へと歩いて行くロングボトムを見送って、ハーマイオニーとお揃いの疑問顔を見合わせた。ヒントにしては随分な音だったぞ。嫌がらせに近いくらいだ。

 

「何にせよ、面倒なのは間違いなさそうだわ。今度は謎解きからスタートってことね。」

 

「いやはや、退屈しなさそうじゃないか。」

 

これは前回と同じく、一応レミリアからも探らせた方が良さそうだな。第一の課題の内容を見るに、卵の謎を解かずに挑むってのは自殺行為だろう。バグマンに反省を期待するなどバカのやることなのだ。

 

写りが悪かったせいかブレスが箒に燃え移ってしまった写真のハリーを見ながら、アンネリーゼ・バートリはうんざりした気分でバタービールを呷るのだった。

 

 

─────

 

 

「──ですから、クリスマスの夜にはダンスパーティーが開催されます! これは他校との交流の場となるので、予定が無い限りはなるべく参加するように! 基本的には四年生からの参加となりますが、エスコートを受ければ下級生でも参加可能ですからね。」

 

大広間に響くマクゴナガルの声を聞きながら、霧雨魔理沙はトーストを追加で皿に盛っていた。私にとっちゃダンスパーティーなんぞよりもトーストなのだ。

 

第一の課題からは既に十日ほどが経過しているが、授業やらなんやらにかまけて卵の謎には未だ手をつけていない。……まあ、大丈夫だろう。第二の課題まではまだ二ヶ月以上あるのだ。ハリーとロンの友情も復活したし、みんなで考えればすぐに解けるさ。

 

そんな中、朝食の大広間でマクゴナガルが重大発表を放ったのである。今年のクリスマスの夜にはダンスパーティーとやらが開催されるらしい。……なんともご苦労なこった。人の踊ってる姿なんかを見て何が面白いんだか。意味不明だぜ。

 

呆れながらもトーストにスクランブルエッグと目玉焼きのダブル卵を挟む作業を行なっていると、話を終えたはずのマクゴナガルがこちらにツカツカ歩み寄ってくる。

 

「おいおい、また双子が何かやったか?」

 

「何もやってない日を探す方が難しいわね。もしあったら、その日をイギリス魔法界の記念日にすべきよ。」

 

私の呟きに向かいの咲夜が適当な返事を返したところで、一直線にこちらに向かって来たマクゴナガルは……ありゃ、ハリーか。キョトンとするハリーに向かって話し始めた。

 

「ポッター、ドレスローブはきちんと準備してありますね?」

 

「あー……はい。一応は。でも、僕はパーティーにはあんまり興味がないので。ダンスパーティーには参加しない予定です。」

 

「残念ながら、代表選手は強制参加となります。開会のダンスを四組で踊ってもらうことになりますので、きちんとパートナーを見つけておくように。……頑張りなさい、ポッター。」

 

最後だけ僅かに同情的に言ったマクゴナガルは、ハリーの返事も聞かずに逃げるように去って行く。……これはまた、酷い顔だな。ハリーはもう一度ドラゴンと戦えと言われたような顔になってしまったぞ。深い絶望の表情だ。

 

「ダンス? 僕、ダンスなんて踊ったことないよ。それに、パートナー? ……パートナーって?」

 

呆然と呟くハリーに、澄ました顔のハーマイオニーが冷静で無慈悲な答えを返した。

 

「パートナーっていうのは、貴方と一緒にダンスを踊る女の子のことよ。そしてそれは貴方が誘わないと手に入らないものなの。」

 

「……そんなことが出来ると思う? そんなの、恥ずかしいよ。一体どんな顔して誘えばいいのさ。」

 

うーむ、気持ちはよく分かるぞ。親しい人を誘うのは気恥ずかしいが、知らん奴を誘うのは無理だし嫌なのだろう。見てて哀れなほどにオロオロするハリーを横目に、悪戯げな表情に変わったリーゼがいきなり立ち上がる。何をする気だ? ……まあ、その表情を見るにロクなことじゃないのは確かだな。

 

リーゼはそのまま私の向かいの咲夜のところまで移動すると……おいおい、跪いてその手を取った。それもかなり大仰に、めちゃくちゃ芝居掛かった仕草でだ。咲夜が見たこともないほどに慌ててるぞ。

 

「リ、リーゼお嬢様? どうしたんですか?」

 

「……我が月の女神よ。麗しき白銀の君よ。貴女の美しく輝く銀髪が、どうにも私の心を捉えて離さないのです。貴女に魅了されてしまった哀れな吸血鬼を救うと思って、どうか私のパートナーになってはいただけませんか?」

 

「へぁ? うぅ、えっと……あの、喜んで?」

 

なんだこりゃ。信じられないほどに真っ赤な顔になった咲夜の手の甲にキスをすると、リーゼはクスクス笑いながらハリーに向かってウィンクする。

 

「こうするのさ。簡単だろう?」

 

「……嘘だよね? 頼むから嘘だって言ってよ。僕、それをやるくらいならドラゴン四頭と同時に戦った方がマシだ。それが全部ホーンテールでも。」

 

同感だ。これはリーゼと咲夜がやるからサマになるのであって、他のヤツがやっても間抜けなだけだろう。容姿が整った二人だからこそ成立した『演劇』なのだ。他だと間違いなく喜劇になるぞ。あるいは悲劇かもしれんが。

 

絶望を体現しているハリーに向かって、ハーマイオニーが苦笑いで言葉をかけた。……ちなみに咲夜は尚も真っ赤っかだ。こいつ、いきなり倒れたりしないだろうな? 今にも湯気が出そうなほどだぞ。

 

「今のはやり過ぎだけど、基本的にはそんな感じね。今のから跪くのと、『月の女神』と、『白銀の君』と、キスを抜いたのをやればいいのよ。……っていうか、貴女はどこでこんな手管を覚えたの?」

 

「おや、妬いているのかい? 私の『ヘルミオネー』。心配しなくても私はキミをギリシャ男なんかにくれてやったりはしないよ。ほら、私の胸に飛び込んでおいで。ずっとずっと私が守ってあげるから。」

 

「呆れた。……貴女が男に生まれてなくて本当に良かったわ。さぞ優秀な女の敵になったことでしょうね。」

 

「んふふ、モテる女はつらいね。」

 

何をしてんだよ、お前らは。余裕を持ってじゃれ合っているリーゼとハーマイオニーに対して、ハリーとロンは朝食すら手につかない様子で唸り始める。……ちょっと面白いな。対岸の火事なだけに安心して見られるのが高ポイントだ。

 

「おい、咲夜。いい加減再起動しろよ。」

 

特製サンドを頬張りながら声をかけるが、咲夜は黙って俯いたままだ。怪訝に思ってその顔を下から覗き込んでみると……こりゃダメだな。真っ赤な顔でだらしなくニマニマしている。全然聞こえちゃいないらしい。

 

ため息を吐きながらもう一度サンドイッチに向き直ったところで、ウンウン唸っていたロンがポツリと呟いた。

 

「僕、ダンスパーティーはいいかな。だってほら、参加しない自由ってのもあるだろ?」

 

「それもそれでかなり恥ずかしいことだと思うけどね。『僕はパートナーを見つけられませんでした』って大声で言ってるようなもんだよ。どうせ恥ずかしい思いをするなら、勇気を出して誰かを誘った方がマシじゃないかな。」

 

ほー、そういうもんだったのか。リーゼの忠告を聞いたロンは、再び頭を抱えて悩み始めてしまう。……しかし、こいつらは何でハーマイオニーを誘わないんだ? どう考えてもそれが正解だろうに。

 

「何にせよ、行動するなら急ぐんだね。女の子ってのは限りある貴重な資源なんだ。それが可愛い子なら尚更さ。今日から熾烈な奪い合いが始まるのは間違いないよ。」

 

言いながらリーゼは長いテーブルの出口側を指で示した。釣られてそっちの方を見てみれば……おお、双子とジョーダンがアンジェリーナ、ケイティ、アリシアを誘っているようだ。やるな、双子。シーカーの先を行くとは思わなかったぞ。

 

誘われた三人は薄っすら笑いながら頷いている。あれは結構嬉しい時の顔だ。私には分かるぞ。そして、それを羨ましそうに見つめる出遅れ二人組。……こりゃ中々の難題になりそうだな。

 

特製サンドの最後の一口を口にしつつ、霧雨魔理沙はなんだか面白くなりそうな予感に笑みを浮かべるのだった。

 



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正しいゲームの遊び方

 

 

「ラベンダーはゴールドスタインに誘われたみたいよ。あんまりにも真っ赤っかだったから、ついついオーケーしちゃったんですって。」

 

本を広げながらクスクス言うハーマイオニーの話を、アンネリーゼ・バートリは苦笑いで聞いていた。なんともまあ、微笑ましい話じゃないか。ガキの求愛ごっこというわけだ。

 

いよいよクリスマス休暇が目前に迫ったホグワーツは、もはやピンク一色の有様となっている。用事で家に帰る者は安全圏から囃し立て、パーティーに出たい下級生はこれ見よがしにフリーをアピールし、そして一部の『臆病者』どもは日々埋まっていくカレンダーを恨めしそうに眺めているのだ。

 

そんな中、私とハーマイオニーは占い学に行った『臆病者』二人に代わって、卵から発せられる騒音に関しての情報がないかと図書館で調べ物をしているわけだが……まあ、残念ながら見つかりそうにないな。『音』なのか『声』なのかすら分からん始末だ。っていうかこれ、パチュリーにでも聞かせれば一発じゃないか?

 

ダンスパーティーにでも呼んでみようか? ……いや、来るはずないな。何たって、パチュリーとダンスパーティーというのはこの世で最も縁遠い組み合わせの一つなのだ。平行線で掠りもすまい。永久に平行なままだ。

 

ならばハリーに卵を借りて紅魔館に送ってみようかと考えていると、ハーマイオニーが入り口の方を睨みつけながらポツリと呟いた。レポートのミスを見つけた時そっくりの表情だ。

 

「まただわ。もうウンザリよ。」

 

何事かとその視線を辿ってみると……ああ、クラムか。そしてまあ、『ピーチクパーチク』どもも一緒のようだ。ブルガリアの国旗をこれ見よがしに腰に巻いて、クラムからのダンスパーティーの誘いを待っている。アホの見本市だな。大安売りだ。

 

「……私はキミがああならなかったことを、キミの両親に感謝して止まないよ。素晴らしい親御さんじゃないか。」

 

「なるわけないでしょ。脳みそを寮に置き忘れてるわよ、あの子たち。」

 

「どうかな。私は前世に置き忘れてきた説を推すけどね。」

 

冥界の連中がミスをしたに違いない。さては転生の際に脳みそを入れ忘れたな? そしてきっと余ってしまった脳みそを、パチュリーやらハーマイオニーやらに詰め込んだのだろう。もみ消しだ。不正だ。

 

私が益体も無いことを考えている間にも、クラムはいつも通りに窓際の席へと……行かないな。何故かこっちに向かって歩いて来るぞ。ハリーを蹴落とすために先ずは頭脳を潰しにきたか? だとすれば非常に賢い選択だと言えるが。

 

そのまま私たちが座る机の前で立ち止まったクラムは、あー……嘘だろ? 跪いて私に言葉を放ってきた。おい、止めろ。何を考えてるんだ、コイツ。咲夜に戯けてやってみたり、レミリアのことを馬鹿にしてた因果が私に回ってきたようだ。実際やられるとかなり恥ずかしいぞ。

 

「ミス・バートリ。読書中邪魔をすることをお許しください。ボーバトンの生徒からあなたの家がヨーロッパ大戦に関わっていたことを聞いたのです。つまり、ミス・スカーレットに協力してグリンデルヴァルドと戦っていたということを。……ゔぉくの両親は貴女がたが居なければ生まれてさえこれなかったでしょう。そして、当然ながらゔぉくも。だから、どうかささやかな感謝を受け取っていただきたいのです。」

 

クセのある拙い英語で訥々と語り終えたクラムは、跪いたままで動かなくなってしまう。……いや、酷い勘違いだな。もし生まれてこれなかったとしたら、三割くらいは私のせいだぞ。ちなみに残りは五割がゲラートで、二割がフランだ。

 

大口を開けて唖然とするハーマイオニーを横目に、勘違い君に適当な返事を返す。

 

「感謝は受け取ろう。だが、そこまで気を遣わなくても結構だよ。キミも、ブルガリアも、スカーレットに対して充分すぎるほどに感謝してくれたんだろう? スカーレットの名誉はバートリに通ずるのさ。ならばそれで充分だ。」

 

「分かっています。一枚のコインの話、ボーバトンの生徒から聞きました。だけど、どうしても直接伝えたかったのです。ゔぉくの祖父はグリンデルヴァルドの信者に殺されました。その友人たちもみんな殺されました。ゔぉくの家にはどれだけ恐ろしい時代だったのかが詳しく伝わっているのです。そして、貴女がたのやったことがどんなに偉大なことだったのかも。……だから、だからせめて感謝したかったのです。」

 

……これもまた一種の天罰なのだろうか? だとすれば因果応報だな。クラムは真っ直ぐな瞳で私に感謝を伝えている。ゲラートに与したこの私に、ヨーロッパに長き災厄を齎らした原因の一つに。

 

今、ほんの少しだけあの男が苦しんでいた理由が分かった。彼はこれを飲み干して、それでも『より大きな善のために』歩み続けたのだろう。自らの理想を追い続けるために、完全無欠の悪であり続けたのだ。

 

全くもって……大違いだな。ただのゲームとして愉しんでいた私たちの何と滑稽なことか。我ながら情けなくなってくるぞ。別に後悔はしていないし、愉しんだのを悪いとも思ってはいない。それが私たち吸血鬼というものだ。

 

だが……そう、あの頃の私たちには覚悟がなかった。影の操り手を気取り、ゲームと称して滅茶苦茶に引っ掻き回していただけだ。それではガキがルールも知らずにチェスを遊んでいるのと変わらん。子供のごっこ遊びじゃないか。

 

つまり、私たちはもっと『本気』で遊ぶべきだったのだ。ヨーロッパという壮大なボード、ゲラートとダンブルドアという価値あるピース。……ぐおお、今考えると身悶えするほどに勿体無いな。使った道具は一流だったが、打ち手の私たちこそが三流だったわけか。駒のお陰で素晴らしい結末にたどり着けたとはいえ、打ち手がもうちょっとマシなら更に劇的なものになったろうに。

 

うーむ、五百年生きてようやくこんな簡単なことに気付くとは。なんとも度し難い生き物じゃないか、我々は。金を賭けないギャンブルがつまらんように、『おふざけ』でやっていては本当の満足は得られないのだ。なればこそ私たちは、全てを懸けたゲラートとダンブルドアの戦いを楽しめたのだろう。

 

浮かんできた苦笑をそのままに、未だ跪くクラムの肩を叩きながら口を開いた。

 

「ま、そう言ってくれると『我々』も頑張った甲斐があるというものさ。バートリの当主の名において、キミの感謝はありがたく受け取っておこう。」

 

「ありがとうございます。これでゔぉくは祖父の墓に良い報告ができる。」

 

怒って祟られないといいがな。自分を間接的に殺したヤツに感謝したのだ。きっと顔を真っ赤にして怒るだろう。滑稽な光景を脳裏に浮かべていると、立ち上がったクラムはやおらハーマイオニーの方へと向き直る。……おや? そっちにも用があったのか?

 

「それと……ハーミイ・オウン。貴女にお願いがあるのです。」

 

「えっと、何かしら?」

 

『ハーマイオニー』の発音がちょっとおかしいが……まあ、仕方ないか。彼女の名前はイギリス人でも難しいくらいなのだ。おまけに国によって読み方が違うのだから堪らない。ひょっとしたらクラムの発音も、それはそれで正しいのかもしれんな。

 

困惑する複雑な名前の友人に対して、クラムはその手をそっと取りながら言葉を放った。

 

「ハーミイ・オウン。ゔぉくとダンスパーティーに行ってくれませんか? 図書館で初めて貴女を見かけた時から、ずっと気になっていました。ゔぉくは貴女をエスコートしたいのです。」

 

おおっと、これは予想外の台詞だな。ハーマイオニーはキョトンとして、それから徐々に赤くなり、やがて顔を伏せてから蚊の鳴くような声で返事を口にする。聞いたことのないほどにか細い声だ。

 

「あの……はい、喜んで。」

 

「ありがとう、とても嬉しいです。決して後悔させないことを約束します。」

 

ぎこちない笑みを浮かべたクラムは、私に一礼してから少しだけ軽やかな歩みで図書館を出て行った。……鮮やかだったな。ハリーはなんちゃらフェイントよりもこっちを先に見習うべきだぞ。

 

「いや、思ってたより朴訥なヤツだったね。見た目で損するタイプらしい。」

 

「そ、そうね。貴女との話を聞いてて、真面目な良い人だと思ったの。それで私……その、オーケーしちゃって。暑いわね、ここ。凄く暑いわ。」

 

今は冬だぞ、ハーマイオニー。パタパタと手で真っ赤な顔を扇ぐハーマイオニーは、聞いてもいないのに言い訳を捲し立ててくる。面白い。非常に面白いぞ。

 

「それにほら、ダンスパーティーは他校との交流の場じゃない? その精神は尊重すべきよね、うん。そういう理由もあって受けたのよ。そりゃまあ、本当に嫌なら断ってたけど、でもあの人は……何よ、リーゼ。」

 

「んふふ、別に何にも言ってないじゃないか。」

 

「笑ってるじゃないの。その笑い方、知ってるわ。からかおうとしてる時の顔よ。」

 

「いやいや、からかったりなんてしないよ。私が友人をからかうような吸血鬼だと思うかい?」

 

『思う』と態度ではっきり表明したハーマイオニーは、首を振りながら話題を変えてきた。

 

「それより、さっきの話はどういうことなの? スカーレットさんがヨーロッパで英雄扱いなのは勿論知ってたけど……リーゼの家も関わってたってこと? つまり、バートリ家が?」

 

「まあ、ある程度はね。親戚で、数少ない同族なんだ。危機にも一緒に対応するのさ。」

 

「そりゃあ……そうよね。よく考えればおかしいことじゃないわね。それじゃあひょっとして、リーゼって大陸の方じゃ有名人なの? バートリ家のお嬢様、的な感じで。」

 

「そうでもないかな。私のことを知ってる人間は多くないはずだよ。さっきクラムが言ってただろう? 一枚のコイン。スカーレットが表で、バートリは裏。裏側を気にするヤツはそんなに多くはないのさ。」

 

あんまり顔が割れると動き難くなるんだが……今更だな。ホグワーツに入学した時点でそこそこの人間に顔は知られちゃってるわけだし。それに、死喰い人に対する伏せ札としてだってあんまり機能しちゃいないぞ。騙されるのは親マルフォイとかの小物ばっかりで、肝心要のラデュッセルやペティグリュー、クィレルなんかには警戒されちゃってたのだから。……いやまあ、ペティグリューとクィレルは不可抗力か。

 

これまでの三年間は事情が事情だけに仕方ないとはいえ、今年くらいは上手く裏をかきたいもんだ。警戒されずに近付いて、一瞬で事を決する。……うーん、カッコいいぞ。それぞバートリだ。今年一番怪しいカルカロフには警戒されていないし、大穴のバグマンもそれは同じ。今度こそは活躍できるかもしれんな。

 

ちょっとだけやる気を出し始めた私を他所に、納得したようなそうでないような微妙な表情を浮かべたハーマイオニーは、曖昧に頷きながらも口を開いた。

 

「よく分からないけど、そんなに有名じゃないってのは分かったわ。……さて、卵について調べましょう。それと、しもべ妖精についてもね。時間が全然足りないわ。」

 

「キミ、まだ諦めてなかったのかい? 最近は全然『演説』をしてなかったじゃないか。」

 

「それはハリーが危なかったからよ。今は多少の余裕はあることだし、S.P.E.W.の活動も再開しないと。」

 

「そりゃあ楽しみだね。しもべ妖精どもも喜ぶだろうさ。」

 

残念ながらハーマイオニーには私の皮肉が通じなかったようで、うんうん頷きながら『ヒトか否か』を読むのに戻ってしまう。……この様子だと一番被害を受けるのはしもべ妖精たちかもしれんな。グリフィンドール生は演説を聞き流せばいいだけだが、しもべ妖精にとっては自らの尊厳の危機なのだから。

 

奇妙な目標を持ってしまった友人に苦笑しつつ、アンネリーゼ・バートリは『バンシー声日記』に目線を戻すのだった。

 

 

─────

 

 

「マリサ、相談があるんだ。かなり大事な相談が。」

 

今年最後の授業日の朝。物凄く真剣な表情でそう言ってきたハリーに、霧雨魔理沙はコクコク頷いていた。これほど切羽詰まった顔のハリーは初めて見るな。

 

今日さえ乗り切れば休暇に突入ということで、生徒たちは笑顔で楽しそうに朝食を取っている。そんな中、ハリーに話があると言われて大広間の隅に呼び出されたのだ。……一体何の話だろうか? 表情を見るに重大な用件だろうし、なんか緊張してきたぞ。

 

姿勢を正して神妙な顔で頷いた私を見て、ハリーはちょっとだけ顔を赤くしながら相談とやらの内容を話し始めた。……顔を赤くしながら?

 

「つまり、その……君は知ってるんだろ? 僕がチョウを、あー、気にしてるってこと。」

 

「そりゃあ、知ってるぜ。それがどうしたんだ?」

 

「……だから、ダンスパーティーに誘いたいんだよ。チョウを。」

 

「おっと、そういうことか。」

 

拍子抜けすると同時に、ちょっとだけ顔を引きつらせる。これは厄介なことになったぞ。チョウは間違いなく美人にカテゴライズされる女性だし、明るくて友人も多い。もう絶対に誰かに誘われているはずだ。……つまり、ハリーではない誰かに。

 

私が内心で警鐘を鳴らしていることなど知るはずもなく、ハリーは藁にも縋るような表情で話を続けてきた。

 

「でも、全然チャンスが無いんだよ。ここ数日機会を窺ってたんだけど、チョウはいっつも誰かと一緒にいるんだ。本当にいっつも。まるで一人になると死ぬみたいに。」

 

「まあ、女子ってのはそういうもんなんだよ。ハリーだってロンといつも一緒だろ?」

 

「そういうレベルじゃないんだよ。トイレに行く時でさえ五人とか六人とかで固まってるし……そう、ボディーガードを連れ歩いてるようなもんさ。クスクス笑いで僕を痛めつけるボディーガードをね。」

 

どうやらハリーにはレイブンクロー女子たちの『群れ』を相手取るほどの勇気はないらしい。うーむ、第二の課題はこれにすべきだな。少なくともハリーにとってはドラゴンよりも難易度が高そうだぞ。

 

「それで、私は何をすりゃいいんだ? チョウを呼び出せってことか?」

 

「出来るの?」

 

期待の瞳で見てくるハリーに、現実を言葉にして突きつける。『出来る』と『やるべき』には天と地ほどの差があるのだ。

 

「そりゃ出来るが、あんまりオススメはしないぜ。後輩の女の子に手伝ってもらうってのは……うん、ちょっと情けないな。あんまり良い印象は持たれないと思うぞ。」

 

「それは……確かにそうかも。でも、それならどうすればいいのさ? 絶望的だよ。せめて一人なんだったら声をかけれるのに。」

 

「んー、勇気を出して行くしかないだろ。誘ってくれるってのは嬉しいことなんだし、チョウだって悪い気はしないはずだ。とりあえず行動してみろよ。このままだと時間切れになっちまうぞ。」

 

既にチョウにパートナーがいたとしても、このままタイムリミットを迎えるよりかはマシなはずだ。それにまあ、チョウの答えを聞くまではハリーはきっと諦めまい。最悪パートナー無しになる可能性すらあるのだ。それはあまりに可哀想というものだろう。

 

私の言葉を聞いたハリーは、決意を秘めた表情で頷いた。ようやく決心がついたようだ。具体的な相談とかじゃなくて、ひょっとしたら背を押して欲しかっただけなのかもしれない。

 

「……そうだね。よし、やってみるよ。ありがとう、マリサ。必ず今日中に誘ってみせるから。」

 

しかし……うーん、ちょっと真剣すぎやしないか? まるで死地に赴くような表情になってるぞ。知らないヤツから見ればダンスパーティーに女の子を誘うだけだとは思うまい。

 

謎の脱力感に襲われながらも、微妙な気分で朝食に戻るのだった。

 

───

 

そして夜。休暇突入にはしゃぎ回るグリフィンドール生たちの中に、二人の哀れな男子生徒が交じっていた。予想通りチョウに断られたハリーと、無謀にもデラクールに挑んだロンである。二人だけ暗黒のオーラを纏ってるぞ。

 

リーゼは咲夜の髪を梳きながら面白そうにニヤニヤしてるし、咲夜は目を細めてそれに夢中。ハーマイオニーは『奴隷解放』のための演説文を作るのに必死でそれどころではないご様子だ。……私が慰めないといけないのか? これ。

 

「あー……なんだ、元気出せよ、二人とも。チョウもデラクールもパートナーが決まってたんだろ? 別に二人が悪いってことじゃないさ。」

 

なるべく明るい声で話しかけてみると、ソファに座る二人は虚ろな顔を上げながら返事を返してきた。亡者もかくやという表情だ。

 

「うん、決まってた。……セドリックにね。あの時の気まずい雰囲気、伝えられるなら伝えてみたいよ。きっとみんな死にたくなるから。」

 

「僕よりマシさ。そっちは少なくとも二人だけだったんだろ? ……僕なんて、昼食時の大広間だったんだ。何であんなことをしちゃったんだろ? デラクールの顔を見たらそうしなきゃって思えてきて、それで……。」

 

それはまた、さぞ注目されたことだろう。顔を真っ赤にして逃げ去って行くロンの姿が目に浮かぶようじゃないか。……おい、そこの性悪吸血鬼! 笑ってないで助け船を出したらどうなんだ!

 

私が知らんぷりするリーゼを睨んでいる間にも、俯いて黙り込んでしまったロンに向かって、ハリーが肩を叩きながら慰めの言葉を放つ。凄いな。『傷の舐め合い』っていうのはこういうことを言うのだろう。辞書に例として載せたいほどにピッタリな光景だ。

 

「仕方ないよ。杖調べの時に聞いたんだけど、デラクールにはヴィーラの血が混じってるんだ。そのせいじゃないかな。」

 

「それならそう顔に書いておくべきなんだよ。そうすりゃ、僕は学校中の笑い者にならなくて済んだのに。」

 

有り得ないほど大きなため息を吐いたロンに、原稿が一段落ついたらしいハーマイオニーが話しかけた。その顔には『呆れてます』と大きく表示されている。

 

「何にせよ急いだ方がいいわよ。早くしないと貴方たち二人でダンスすることになるわ。ダンスってのは男女でするものよ。」

 

「……でも、リーゼとサクヤは女同士だぞ。」

 

「それが許されるだけのペアじゃないの。ほら、想像してごらんなさいよ。自分たちが踊ってる姿と、リーゼとサクヤが踊ってる姿。……想像できた? それが答えよ。」

 

私には出来た。リーゼと咲夜ならど真ん中で踊っても通用するだろうが、ハリーとロンだと隅っこでも喜劇だ。そんなもんを見たマルフォイなんかは嬉しすぎて失神するに違いない。そしてロンも私と同じ場面を想像したようで、顔をしかめた後で渋々納得の頷きを放った。

 

「まあ、それはそうかもしれないけど……ちょっと待った。ハーマイオニー、君は女の子だ!」

 

おっと、それはちょっと……マズい台詞だと思うぞ。今度はハーマイオニーが顔をしかめたところで、リーゼが咲夜の髪を梳きながら口を開く。バカを見る表情でだ。

 

「その通りだ、ロン。三年半かけてようやく真実にたどり着いたようだね。ちなみに私は最初に出会った時から気付いてたよ。ハーマイオニーは可愛らしい女の子だってことに。」

 

「そういうことじゃなくって、ハーマイオニーが僕らのどっちかと来ればいいってことだよ! 何でこんな簡単なことに気付かなかったんだ?」

 

「そうだよ、その通りだ!」

 

リーゼの言葉の真意をロンとハリーは読み取れなかったようだ。顔を覆う私、処置なしと首を振るリーゼ、ため息を吐く咲夜。それらを順々に見た後で、真顔のハーマイオニーが大馬鹿二人に向かって冷たい声を放った。

 

「……人生最悪の誘い文句だったけど、一応誘ってくれたことには感謝するわ。でもお生憎様。私が女の子だって気付いた人は他にもいるの。もっとカッコ良くって、もっと礼儀を知ってる、もっと大人な人がね!」

 

吐き捨てるように言ったハーマイオニーは、そのままぷんすか怒りながら女子寮の階段を上って行ってしまう。……そりゃあそうなるぜ。『そういうの』に疎い私ですら、今の台詞がマズかったことは理解できるのだ。

 

「あー……ハーマイオニーは何で怒ったんだ?」

 

「キミがそれを理解する日が来ることを願うばかりだよ。でなきゃ、キミは永久に独り身さ。……まあ、問題ないか。キミの兄たちは将来有望だしね。ウィーズリー家の断絶はまだまだ先だ。」

 

最上級の呆れ顔を放ったリーゼは、立ち上がっていつもの『お散歩』に行ってしまった。咲夜が残された櫛を名残惜しそうに見つめ始めたあたりで、全然反省していないロンが私に話しかけてくる。

 

「なんなんだよ、二人とも。……マリサ、君はどうだい? まだパートナーは決まってないんだろ?」

 

「私は御免だぜ。ドレスを着る気もないし、ダンスをする気もないからな。死んでも出ないぞ。」

 

イギリス人的には楽しみ八割恥ずかしさ二割ってとこらしいが、幻想郷生まれの私から見たら『ダンスパーティー』なんてのはただの罰ゲームなのだ。人前で踊るだと? しかも男女ペアで? そんなもん十割の恥ずかしさしか感じられんぞ。

 

「そんなこと言わないでさ、助けると思ってパートナーになってくれよ。」

 

「同情はするが、それとこれとは別なのさ。すまんな、二人とも。」

 

かなり情けない台詞を吐いたロンを尻目に、私も女子寮に向かって歩き出す。この様子だと『喜劇』をやる可能性は大いにありそうだな。……二人にとっては純然たる悲劇だろうが。

 

そそくさと付いてきた咲夜と一緒に階段を上りつつ、霧雨魔理沙は取り残された二人に同情の思念を送るのだった。

 




今週の火、水、木は家を空けないといけなくなったので更新無しとなります。金曜の夜には帰れるので、その日は多分ある……はずです!
申し訳ございません!


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戦闘準備

 

 

「……それは、さすがに塗りすぎなんじゃないか? 新種の屋根裏お化けみたいになってるぞ。」

 

女子寮がこれほどまでに騒がしくなることは今後なかろう。かつてない喧騒に包まれる女子寮の一室で、アンネリーゼ・バートリは髪に謎のクリームを塗りたくっているハーマイオニーに話しかけていた。塗っているというか、ここまでくると『被っている』に近いな。

 

遂に訪れたクリスマス・ダンスパーティーの当日。夜を想像しながら暢気にはしゃいでいる男子たちを他所に、女子一同は『戦闘準備』の真っ最中なのだ。パーティーの開始は十九時だが、十六時現在で既に収拾のつかない有様になっている。

 

例えば同室のブラウンなんかは瓜二つの髪飾りを両手に持って、どちらを着けるべきかと廊下に立って道行く人全員に質問を飛ばしまくっているし、五年生のモートンはコルセットを締めすぎて医務室に運ばれていった。勇敢にも身に着けた状態のコルセットに縮ませ呪文を使ったらしい。……運ばれていくところを目撃したが、コメディかホラーか判断に迷う姿だったぞ。

 

後はまあ、六年生のハケットが香水に愛の妙薬を混ぜ込んだことを自慢げに話していたりもしたな。……残念ながら真っ先に自分自身に効果が出てしまったようで、今は鏡に向かってウィンクを送り続けているが。鏡と式を挙げる前に解毒薬が間に合うことを祈るばかりだ。

 

ある意味究極の愛を見つけたハケットのことを思う私に、ドレッサーの前のクリームお化けちゃんが返事を返してきた。

 

「私の癖っ毛は頑固だから、ちょっと多目に塗ったのよ。……『スリーク・イージーの直毛薬』ならなんとかなるはずだわ。っていうか、なってもらわないと困るの。シニョンに纏め上げる予定なんだから。」

 

「『ちょっと』にしては随分な量だが……今のところ全然変化が見られないじゃないか。キミの髪の毛は元気いっぱいにぴょんぴょん跳ねてるぞ。分厚いクリームの重さもなんのそのだ。」

 

「二時間くらい塗っておけば大丈夫よ、きっと。」

 

そんな意味不明なクリームを二時間も塗っておくつもりなのか。髪が傷んじゃうぞ。……うーむ、私から見れば癖っ毛も可愛いと思うのだが、その辺は自分に無いものを求めてしまうのかもしれない。私もふわふわ髪にしてみたい時があるし。

 

髪型についてぼんやり考え始めた私に、やおらハーマイオニーがカラフルな表紙の本を突きつけてくる。『おしゃれ呪文集』? あんまりハーマイオニーらしくない本だな。どっちかっていうと『ピーチクパーチク系』の本だ。

 

「それより、こっちを手伝って欲しいの。この本の……これよ! 」

 

「『歯並びを整える呪文』? 随分とまあ、ピンポイントな呪文だね。これがどうしたんだい?」

 

「その……つまり、前歯をちょこっとだけ短くしたいのよ。でもほら、鏡越しだと自分でやるのは難しくって。結構複雑な魔法だし、頼めそうなのはリーゼだけなの。お願い出来ない?」

 

「そりゃあ構わないが、私は特に気にならないと思うけどね。」

 

言われてみればちょっと目立つかなってくらいなのだ。一種のチャームポイントとも言えるレベルだし、殆どの人は気付きもしないだろう。……この辺も本人なればこそ気になるわけか。美ってのはつくづく人間を狂わせるな。

 

「私にとっては気になる箇所なの。本当はパパやママが矯正でどうにかしたいって言ってたんだけど……ほら、歯医者でしょう? でも、いい機会だし魔法でやっちゃおうと思って。こっちならすぐに終わるしね。」

 

「ちなみにマグル流だとどうやるんだい? またドリルで削るとか?」

 

「物凄く簡単に言うと、ワイヤーで締めつけて歯をゆっくり移動させるのよ。こう、押さえつけるような感じで。もちろん少しは削ったりもするけど。」

 

「……なるほど。」

 

狂ってるぞ。ドリルの次はワイヤー? どうやらマグルの世界では非常に『原始的』な方法で歯を扱うらしい。削って、埋めて、締めつけるわけだ。もはや狂気すら感じられてきた。

 

ワイヤーで歯を締めつける光景に身震いする私に、ハーマイオニーが口を開けながら呪文を催促してくる。咲夜が一人で歯磨きできなかった頃を思い出す姿だ。

 

「さあ、一思いにやって頂戴。」

 

「はいはい。いくよ?」

 

本に書いてある通りに杖を振りながら呪文を唱えてみると……これは、結構難しいな。かなり細やかな調整が必要なようだ。こうなってくると許されざる呪文なんかよりよっぽど難易度が高いぞ。

 

悪戦苦闘すること十分。この矯正呪文においてはリドルより上手くなったという確信が得られたあたりで、ようやくハーマイオニーの歯並びには一切の違和感が無くなった。……ふむ、確かに美人になってるな。僅かな変化でこうも変わるもんなのか。

 

「いい感じになったよ、ハーマイオニー。」

 

言いながら手鏡を渡してやると、ハーマイオニーは鏡を見て満足そうに頷く。かなり嬉しそうな表情だ。結構気にしてたのかもしれんな。

 

「素晴らしいわ、リーゼ。貴女これで食べていけるわよ。」

 

「吸血鬼の矯正歯科かい? ジョークにもならないね。」

 

そしたら先ずは自慢の八重歯を平らにしなくてはなるまい。そんなのは御免だ。吸血鬼にとって牙が尖っているというのは自慢なのである。そして私のはレミリアよりも鋭い自慢の牙なんだぞ。

 

「何にせよこれで完璧ね。後は髪がストレートになるのを待って、お化粧をして、ドレスを着て……そういえば、リーゼはいいの? 何かやるんなら手伝うわよ?」

 

ニコニコ顔で言ってくるご機嫌ハーミーちゃんに、肩を竦めて返事を返す。

 

「私は特にやることがないよ。服はすぐに着替えられるだろうし、髪は……そうだな、こうしようか。」

 

適当にポニーテールにでもすればいいだろう。手で髪を纏めて示してやると、ハーマイオニーはちょっと怪訝そうな表情で問いかけてきた。

 

「それだけ? ……ひょっとして、ダンスパーティーってそんなに気合を入れて行くものじゃないの? リーゼは何回も経験があるのよね? 私は一度もないからさっぱりだわ。」

 

「いやいや、普通は気合を入れるもんだと思うよ。ただまあ、私は化粧が嫌いだし、咲夜をエスコートする立場だからね。咲夜の添え物になるべき立場であって、あんまり煌びやかにするもんじゃないのさ。」

 

元来人間にとって魅力的な顔をしている吸血鬼に化粧など不要なのだ。それに化粧品の臭いも好きではない。他人がやる分には文句はないが、自分の顔に塗るとなるとキツいのである。あとはまあ、見た目がガキの私が化粧などしても違和感があるだけだろうし。

 

「そうなの? ……よく分からないわ。」

 

「まあ、先ずはキミのおめかしを終わらせようじゃないか。次は何をするんだい?」

 

「それじゃあ、えっと……そう、アクセサリー! アクセサリーを決めないと。ママがドレスに合いそうなのを沢山送ってくれたのよ。」

 

アクセサリーを取りにベッドの方へ向かったクリーム塗れのハーマイオニーは、初めてのダンスパーティーでやる気満々のご様子だ。……いやはや、これは長くなりそうだな。絶対に『これとこれ、どっちがいいかしら?』が延々続くぞ。

 

───

 

多くの女子生徒たちが時間が足りないと嘆く中、女子寮の時間は刻一刻と無慈悲に過ぎていき、とうとうパーティーが目前に迫った十八時。洗面所でささっと準備を終わらせた私は、ハーマイオニーのいる部屋へと戻ってきたわけだが……。

 

「ああ、戻ってきたの? それならネックレスを着けるのを手伝ってくれない? 古い形の金具だから、一人だと……。」

 

私の姿を見た途端、ハーマイオニーは大口を開けて硬直してしまったのだ。何だ? さっきチェックした時は問題なかったはずだぞ。ちゃんとアリスに言われた通りに着たはずだ。

 

ネックレスを手に固まってしまったハーマイオニーに、恐る恐る言葉を放つ。まさかバジリスクが隠れ潜んでたわけじゃないよな?

 

「あー、ハーマイオニー? ネックレスなら後ろを向いてくれないと着けられないよ?」

 

「……えっと、リーゼよね?」

 

「それは哲学的な問いかけかい? どうかな。私が思うに私はアンネリーゼ・バートリだと思うんだが……。」

 

いきなり難題を出されてしまったようだ。そういうのはデカルトかパチュリー相手にやって欲しい。きっと二人とも真面目くさって考えてくれるのだから。

 

永遠に議論が終わらなさそうな二人組を思い浮かべる私に、ようやく現実世界に復帰したハーマイオニーが声をかけてきた。

 

「リーゼ、貴女って、貴女って……素敵よ。とってもカッコいいわ。」

 

「そりゃあどうも。だがまあ、あんまり変わってないはずだよ。髪型を変えて、服を着替えただけさ。」

 

「そんなことないわ!」

 

おおう、びっくりしたじゃないか。いきなり大声を出したハーマイオニーは、かなり素早い動きで近寄ってくると……何なんだ。私の周りをぐるぐると回り始めたぞ。

 

「全っ、然違うわよ! 正に男装の麗人じゃない! もっとこう、可愛らしい感じの雰囲気になると思ったのに。いや、可愛らしいといえば可愛らしいんだけど……そう、お姫様の王子様みたいだわ。」

 

「矛盾してて意味不明だぞ、ハーマイオニー。」

 

「でも、そうなんだもの!」

 

うーん? チラリと鏡を見てみても、そこに映っているのは髪型と服装が変わったいつも通りの私だ。そりゃあちょっとは雰囲気が変わってるが……そこまでではないように思える。アリスの服のお陰なのだろうか?

 

「まあ、褒めてくれて嬉しいよ。ほら、ネックレスを貸してごらん。着けてあげるから。」

 

「ええ、そうね。……ねえ、いつもその格好をしてみたら? きっとみんな喜ぶわよ?」

 

「絶対に嫌だね。」

 

年がら年中男装してたらただの変人だろうに。名残惜しそうなハーマイオニーにネックレスを着けて、一歩下がってその全身を見てみれば……いやぁ、こっちの方が驚きに値すると思うぞ。

 

『スリーク・イージー』とやらには確かに効果があったようで、真っ直ぐになった髪は上品なシニョンに結い上げられている。薄い化粧に控えめなアクセサリー、淡いブルーのドレスも相まって、清楚でお淑やかな雰囲気だ。端的に言えば、めちゃくちゃ可愛い。

 

「これはクリービーを見つける必要があるね。写真を撮ってもらおうじゃないか。」

 

「いいけど、リーゼも一緒に写ってよね? それならいいわよ。」

 

「別に構わんが……なんか怖いぞ、ハーマイオニー。」

 

「怖くないわよ! ほら、早く行きましょう。写真もそうだけど、貴女はサクヤを迎えに行かなきゃでしょ?」

 

そうだった。私には咲夜をエスコートするという重大任務があるのだ。背を押すハーマイオニーに従って女子寮の廊下へと出て、そのまま咲夜の部屋へと向かう。……なんかえらく注目されてるな。洗面所から戻った時もそうだったが、やっぱりこういう格好は珍しいのだろうか?

 

「ほら、みんな見てるじゃない。」

 

「珍しいだけだろうさ。動物園のパンダと一緒だよ。」

 

「もう、違うわよ! 何で分からないのかしら。」

 

意味不明なことを喋るハーマイオニーと共に廊下を進み、咲夜の部屋のドアをノックする。ドア越しにお決まりのやり取りを終えた後で入室してみると……またそれか。私を見た咲夜と魔理沙が二人揃ってポカンと大口を開けてしまった。

 

「やあ、咲夜。よく似合ってるよ。」

 

開口一番、先ずは褒める。これが出来ないヤツにエスコートをする資格などないのだ。ただまあ、今回ばかりはそう難しい作業ではなかったな。単に本音を言えばいいだけなのだから。

 

白黒ツートンの可愛らしいドレス姿。夏休みに一度見たとはいえ、やっぱりこれを着た咲夜は格別だ。ブラックの贈ったピンブローチがいいアクセントになっている。やるじゃないか、犬コロ。後でドッグフードでも送ってやろう。

 

しかし……全然反応がないぞ。訪れた沈黙に私が首を傾げていると、口をパクパクさせる咲夜に代わって、先んじて復活した魔理沙が声を上げた。呆れたような、感心したような半笑いの表情だ。

 

「おいおい、二人とも化けたな。ホグワーツに来て一番魔法の凄さを感じたのは今だぜ。」

 

「女の子なら誰でも使える魔法だろうに。驚きすぎだよ、魔理沙。」

 

「少なくとも私は使えんぞ。……リーゼ、いつもその格好でいろよ。その方が絶対にいいぜ。」

 

「そのやり取りはもうやったよ。」

 

デジャヴの多い日だな。うんうん頷いてるハーマイオニーを他所に、機能停止中の咲夜に近付いてみる。

 

「咲夜? 準備は出来てるかい?」

 

顔を覗き込んで問いかけてやれば……大変だ。咲夜が故障してしまった。私を見て、魔理沙を見て、ハーマイオニーを見て、もう一度私を見ると顔を真っ赤にして唸り始めてしまったのだ。

 

「咲夜? ……まさか、具合が悪いんじゃないだろうね? 顔をよく見せてごらん?」

 

「あの、あのっ、大丈夫ですから! 元気です! 私、元気ですから!」

 

「本当に大丈夫なのかい? 無理しなくても──」

 

「すっごい元気です! えっと……咲夜です! よろしくお願いします!」

 

これは……何だ? どうすればいいんだ? 急に謎の自己紹介を放った咲夜は、そのまま私の後ろにサッと移動してしまった。くるりと振り返ってみれば、咲夜も慌てて背後に移動する。まるで意味が分からんぞ。どういう状況なんだ、これは。

 

くるくると回り続ける私たちに、ハーマイオニーがクスクス笑いながら話しかけてきた。

 

「まあ、気持ちはちょっとだけ分かるわ。しばらくすれば落ち着くと思うから、談話室に行きましょうよ。」

 

「そうなのか? ……それじゃあ、行こうか。」

 

尻尾を追う犬の気持ちが少し理解できたところで、談話室へ向かって歩き出す。今日は変な日だ。パーティーのせいでみんなおかしくなってるぞ。

 

そのまま階段を下りて談話室へと入ると……あれは酷いな。一人だけ七十年代に取り残されているヤツが見えてきた。一体全体何を考えているのかは分からんが、我らがロニー坊やは二歳のガキでも流行遅れだと分かるようなドレスローブを着ているのだ。

 

紆余曲折あった末にハリーはルーナを、ロンは私と同室のパーバティ・パチルをパートナーとして迎えることが出来たらしいが、あの姿を見たら今からでも断られるかもしれんぞ。少なくとも私なら絶対に断る。どう見ても未来旅行に来た『過去人』だ。

 

「ロン、そのドレスローブは何だい? 気でも狂ったのか?」

 

「ママがこれしか用意してくれなかったんだよ! 安かったからって、古着で済まされたんだ! 今からこの馬鹿みたいなレースを切り裂くから、それで少しはマシに……リーゼ?」

 

「もういいよ、それは。私は正真正銘アンネリーゼ・バートリだし、この格好は今日限りだ。」

 

三回目ともなるとスムーズに答える私に、驚愕の表情で何かを言い募ろうとするロンだったが、後ろのハーマイオニーを見ると再び硬直してしまった。……何か変な悪戯グッズでも流行ってるのか? 今日は急に硬直するヤツが多すぎるぞ。

 

三秒、五秒、十秒……おや、先んじてハリーが復活したらしい。ここまでだと魔理沙が最短記録だな。残念ながら、生き残った男の子は二位に甘んじることになってしまったようだ。

 

「リーゼ、ハーマイオニー、サクヤ。その……似合ってるよ。みんな綺麗だ。」

 

「素晴らしい対応ね、ハリー。ルーナにもちゃんと言わないとダメよ?」

 

「目玉が沢山繋がってるネックレスを着けてなかったら言うよ。……ほら、この前着けてたやつ。」

 

「もし目玉ネックレスを着けてても言うの。それが親指ネックレスでもね。」

 

ハーミーママのありがたい注意が飛んだところで、ようやくロンが再起動を果たす。彼は『変身』したハーマイオニーをジッと見た後、自分の着ているドレスローブを見て呆然と立ち尽くしてしまった。何を考えてるかは大体分かるぞ。彼は今、様々なことを猛烈に後悔しているに違いない。

 

「気持ちは分かるが、先ずは火急の問題を片付けるべきだと思うよ。つまり、その『アーティファクト』を現代に近付けることをだ。」

 

「同感だな。今のままだと女性用にしか見えないぜ。」

 

私と魔理沙の声を受けて、ようやくロンは現実に戻ってきたようだ。無言で杖を抜きながら頷くと、半ばヤケクソ気味にドレスローブのレースを切り取り始めた。

 

ディフィンド(裂けよ)。……くそっ、全然上手くいかないよ。ディフィンド!」

 

「何でもっと早く言わなかったのよ。そしたらクリスマスプレゼントにでも贈ったのに。……ほら、私がやるわ。貸して頂戴。」

 

袖口をボロボロにするロンを見兼ねたのか、ハーマイオニーが手伝い始めるが……うーむ、なんとも酷な光景ではないか。今のロンはハーマイオニーに手伝って欲しくはなかろう。今にも首を括りたさそうな表情になっている。

 

悪夢のような光景をもう見てられなかったのか、ハリーと咲夜が助け船を出し始めた。

 

「じゃあ、僕は裾の方をやるよ。」

 

「細かいところはナイフでやりましょうか。ちょっとは滑らかに出来るはずです。」

 

そのまま魔理沙と私も協力してレースを切り取っていけば……まあ、多少マシにはなったな。ハリーが着ている『普通の』ドレスローブには及ばないが、少なくともアーティファクトとは言えなくなった。ギリギリ九十年代でも通用するレベルだ。

 

「んー、こんなもんだろ。これ以上やると逆におかしくなっちまう。」

 

「そうね。これ以上はもうどうにもならないわ。」

 

とはいえ、魔理沙に答えた咲夜の台詞が全てを物語っている。もうどうにもならないのだ。要するにダサいもんはダサいままなのである。そしてここにアリスが居ない以上、もはや打つ手はあるまい。

 

「……うん、何とかなるよ。多分ね。」

 

全員の同情の視線を一身に集めながら呟くロンは……これはまた、どう見ても今からダンスパーティーに行きますってテンションじゃないぞ。まだパーティーの会場に到達すらしていないというのに、ロンは既に今日という日が終わって欲しそうな顔になってしまった。

 

……現状でこれなら、ハーマイオニーのパートナーが誰だか分かったらどうなるんだろうか? クィディッチ界のスーパースターがハーマイオニーとダンスしてるところを見たら、砂とかになるかもしれんな。こう、サラサラって感じに。

 

今夜がロンにとってはあまりいい思い出にならないであろうことを予想しつつ、アンネリーゼ・バートリはやれやれと首を振るのだった。

 



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クリスマス・ダンスパーティー

 

 

「あら、結構いい会場じゃないの。」

 

大広間への扉を抜けながら、レミリア・スカーレットは隣を歩くダンブルドアへと話しかけていた。ちょっと紅が足りないが、それ以外は上々だ。今宵の大広間からはホグワーツ特有の重厚な雰囲気が取っ払われ、上品で美しい氷の世界へと変貌している。

 

壁一面を覆う氷には細やかな彫刻が彫られており、中央にある巨大な円形の空きスペース……恐らくあの場所がダンスホールとなるのだろう。を囲むように設置された無数の白い丸テーブルには、一つ一つ意匠の異なる氷の彫像が設置されている。そして床には継ぎ目のない純白の絨毯だ。

 

うーむ、ここだけホグワーツじゃないみたいだな。石造りだった名残が一切無いぞ。白い壁や床、各所に飾られた多種多様な銀細工、それらを包む透明な氷。あらゆる物が白と銀とで構成された大広間は、今や煌びやかな氷の神殿へと生まれ変わったようだ。

 

ただまあ、当然ながら寒くはない。杖魔法に詳しくない私にはよく分からんが、多分魔法の氷的な代物なのだろう。……そりゃそうか。どれだけ美しい会場だとしても、誰も冷凍庫みたいなところでパーティーなどしたくはあるまい。少なくとも私は御免だ。

 

そして入り口の真上には、三校の校章が描かれた旗が吊るされている。それぞれの寮を象徴する四匹の動物がカラフルに描かれたホグワーツ。二本の交差した杖と六つの星が金糸で描かれたボーバトン。山羊だかなんだかの骸骨の上に双頭の鷲が描かれたダームストラング。

 

いやはや、各校の性質が良く表されているじゃないか。『ごちゃごちゃ』と、『気取り屋』と、『陰気』だ。分かり易くて素晴らしい。考えたヤツらには拍手を送りたいな。

 

氷柱のシャンデリアに照らされる旗を見ながら考える私に、ダンブルドアがちょっと自慢げな表情で語りかけてきた。

 

「いや、まっこと美しい。これほどの飾り付けを見たのはわしも初めてです。教員たちが頑張ってくれたのでしょうな。……特にフィリウスが。」

 

「ホグワーツの面目躍如ってとこね。これならナメられる心配もないでしょう。」

 

「ほっほっほ、お客様に楽しんでいただければそれで充分ですよ。」

 

既に生徒の集まりつつある大広間を二人で話しながら進んで行くと、会場の奥に一つだけ横長のテーブルがあるのが見えてきた。あれが今日の席か。純白のクロスが掛けられており、後ろの壁際には巨大な……巨大すぎるモミの木が聳え立っている。馬鹿デカい白銀のリースが目を惹くな。

 

既に一際目立つ大きな椅子にはオリンペが、そして何だかソワソワしているカルカロフと能天気なニコニコ顔のバグマンもテーブルに着いているようだ。となると、残りはクラウチだけか。いつもは誰より早く来るというのに、なんとも珍しいじゃないか。

 

「あのモミの木、どうやって運び入れたのかしら? 絶対に入り口で引っかかるわよね?」

 

「呪文で小さくしてから運び入れて、設置した後に大きくしたのでしょう。……ううむ、少しばかり大きくしすぎたようですな。」

 

「変わり者の貴方がそう思うってんだから相当ね。」

 

これだけデカいと飾り付けし放題だな。やってる間にクリスマスが終わるかもしれんが。呆れながらもダンブルドアと一緒に椅子側へと回り込んだところで、慌てて近寄ってきたバグマンが話しかけてきた。

 

「ああ、ダンブルドア校長、スカーレット女史。素晴らしい夜ですが、少々残念なお知らせがありまして……。」

 

「あら、何かしら?」

 

「いや、クラウチ氏が体調不良で来れないそうなのです。なんとも残念なことですな。こんなにも楽しそうなパーティーだというのに。」

 

サボりだな。絶対そうだ。体調不良程度で休むようなヤツじゃないし、何よりクラウチが踊っている姿など想像できないのだから。……いや待て、スネイプは居るか? あいつが踊る姿ってのも想像できんぞ。

 

陰気男を探して会場を見渡し始めた私を他所に、ダンブルドアが至極残念そうに返事を返す。こいつが言うと本気でそう思ってるように聞こえるのがズルいな。人柄の為せる業なのだろうか?

 

「それはそれは、体調が優れないならば仕方がありませんな。お大事にとお伝えください。」

 

「勿論ですとも。きっとクラウチ氏も喜びます。」

 

うーむ、スネイプも来ていないようだ。つまらん。しかし、意外なことにムーディは見つけることが出来た。トレローニーやバブリングみたいな滅多に見ないヤツらもいるし、ひょっとしたら教員は強制参加なのだろうか? だとすればスネイプはかなり強い意志で参加を拒んだことになるが。

 

そのまま席に着いてスネイプとムーディのダンス、そのどっちがより貴重なのかを考えていると……おお、咲夜! 咲夜がリーゼに連れられて会場に入ってくるのが見えてきた。

 

三つ編み無しのセミロングの銀髪が、ツートンのドレスに良く映えている。装飾品は殆ど無しで、唯一ブラックの贈ったピンブローチだけを着けてきたようだ。かなりシンプルな見た目だが、それだけに文句のつけようがない。あるはずない。超可愛い。

 

しかし……リーゼにパートナーをやらせたのは正解だったな。きっと山のように羽虫どもから誘いが来たことだろう。なにせ可愛いすぎるのだ。咲夜に比べれば他の生徒などカス同然じゃないか。美の女神が顕現したと言っても余裕で通用するぞ。

 

持ってきたカメラのシャッターを切りまくっている私に、隣のダンブルドアがニコニコ顔で話しかけてくる。なんだ、ジジイ。私は今忙しいんだぞ! 見たら分かるだろうが!

 

「おや、咲夜ですか。何とも可愛らしいですな。こういう場で見ると改めて成長を実感します。本当に大きくなった。」

 

「あげないわよ。あれは私のなの。」

 

「ほっほっほ、盗りませんよ。……しかしまあ、随分と注目されているようで。」

 

「当たり前でしょ。咲夜が可愛すぎるのがいけないのよ。罪だわ。罪! 可愛すぎる罪!」

 

あれに注目しないヤツは頭がおかしいのだ。……とはいえ、良くない虫が寄って来るのはいただけない。ジレンマだな。注目されないのは気にくわないが、され過ぎるのも嫌。これはかなりの難題だぞ。

 

しかしダンブルドアの考えは少しばかり違っているようで、苦笑しながら別の意見を放ってきた。

 

「無論、咲夜も注目に値するでしょうが……恐らく生徒たちが見ているのはバートリ女史の方でしょう。いやはや、男装の麗人という言葉がぴったりですな。」

 

「むぅ……。」

 

言われてみれば、確かにガキどもはリーゼの方を見ている気もする。ポニーテールにアリスの作った礼装のリーゼは……まあ、うん。人目を惹く見た目であることは同意しよう。昔からああいう格好が似合うヤツなのだ。

 

見た目の年齢と纏う雰囲気、格好と立ち振る舞い、声と口調、表情と仕草。今日のリーゼは、彼女を構成するあらゆる要素がチグハグな所為で……なんかこう、えも言われぬ倒錯感を醸し出している。咲夜の教育に悪影響がありそうだ。

 

そんな教育に悪いペタンコ吸血鬼は、傍から見てても見事な所作で咲夜をエスコートし始めた。……ぐぬぅ、羨ましいな。後で絶対に代わってもらおう。私も咲夜をエスコートしたい。凄くしたい。絶対したい。

 

私が男装リーゼちゃんに嫉妬の視線を送っている間に、ようやくパーティーが開始される時間が訪れたようだ。ダンブルドアが用意したらしい楽団は一度それまでの曲を止めた後、ダンス用の穏やかなテンポの曲を奏で出す。

 

それと同時に、マクゴナガルに先導された代表選手たちがパートナーを伴って入場してきた。変化した音楽と四組のペアを見て、ダンスホールを囲む生徒たちも徐々に静かに……ああ、なるほど。無粋なアナウンスは無しってことか? 悪くない。やるじゃないか。

 

最初にホールに歩み出てきたのはクラムと……おいおい、グレンジャー? えらく化けたな。青いドレスローブに身を包んだグレンジャーは、控え目に評価してもかなりの美女に変身している。見る目があるじゃないか、ビクトール・クラム。彼は見事に原石を掘り当てたらしい。

 

それに続くデラクール、ディゴリー、ハリーも見知らぬ生徒を伴って中央の空いたスペースへと歩み出てきた。しかし、デラクールのパートナーは凄いな。目線がデラクールの顔に固定されて微動だにしていない。前を見ないと転んじゃうぞ。

 

そしてディゴリーとハリーのパートナーは……うーん、これはハリーに軍配が上がりそうだ。どっちもそこそこ整ってるが、顔だけ見ればハリーのパートナーの方が一段上だな。まあ、アクセサリーはちょっと変だが。何故大量の目玉をモチーフにしたネックレスをダンスパーティーに着けてきたんだろうか?

 

そのままゆったりとした曲に合わせて四つのペアがダンスを始める。別にダンスは採点の対象じゃないが、点数をつけるとしたら……そうだな、クラム、ディゴリー、デラクール、ハリーの順になりそうだ。

 

クラムとディゴリーのペアは両者滑らかに踊っているが、デラクールは相手が、ハリーは自分がちょくちょく足を引っ張っている。デラクールは苛々顔で、ハリーは必死についていこうとしてるのがなんだか面白い。

 

そのまま少しだけ代表選手たちのダンスが続いた後、徐々に生徒たちもパートナーを伴って踊り始めた。リーゼと咲夜も……むぅ、やるじゃないか。ぎこちない咲夜をリーゼが上手くリードしているようだ。悔しいが、それがむしろ絵になっている。『お姉様』にリードされる少女って感じで。

 

楽しそうにダンスをする二人に嫉妬の視線を送っていると、ゆったりと立ち上がったダンブルドアが私に声をかけてきた。……おいおい、その歳で踊る気か? パッタリ倒れても知らんぞ。

 

「スカーレット女史はどうなさいますかな?」

 

「私はパスよ。身長差があると踊り難いし、生徒たちと踊るのは嫌なの。後で咲夜と踊るわ。」

 

「ふむ、それは残念。まっこと残念。……では、わしは誰かと踊りに行ってきます。料理は皿に注文すれば出てきますので、どうぞごゆっくり。」

 

言うと、ダンブルドアはオリンペを誘ってダンスホールへと歩いて行ってしまう。彼は身長差についての私の忠告を聞きそびれたようだ。かなり踊り難いと思うぞ、それは。

 

しかし、皿に向かって注文? 非常に便利そうだが、コックたちは過労死しないのだろうか? ……いや、料理を作ってるのはしもべ妖精たちだったっけ。それならむしろ喜ぶだろう。何せ忙しければ忙しいほどに幸せな連中なのだから。

 

「……アイリッシュ・シチュー。」

 

試しにメニューに載っていた料理の名前をポツリと呟いた瞬間、皿の上に注文通りの品物が現れた。……うーむ、これは便利だな。他のパーティーでもこの手法は流行るかもしれない。私もクソ不味いサラダとかを食べずに済むのは大賛成だし。

 

今度外交のための『仲良しパーティー』に取り入れてみようかと考え始めたところで、やおら空席となったダンブルドアの席に……出たな、グルグル目玉。仏頂面のムーディが座り込んだ。ぐるんぐるん回る左目は、今日も元気に敵を探し続けているらしい。

 

「スカーレット、大陸で何か事件があったと聞いたが?」

 

「ごきげんよう、ムーディ。『挨拶』って知ってるかしら? 人間の社会で生きていく上でとっても重要なものなのよ? それがパーティーの席なら尚更ね。」

 

「お前は吸血鬼で、わしはアラスター・ムーディだ。『挨拶』とやらは必要か? ぇえ?」

 

「自覚があるようで何よりよ。それで……大陸っていうと、例の模倣犯事件のこと?」

 

この男に何を言っても無駄なのは前回の戦争で学習済みだ。最後の方なんかはヴェイユとマクゴナガルくらいしか注意してなかったし。諦めて話に応じると、ムーディは頷きながらも口を開く。……ちなみに杖はずっと手にしたままだ。そういうところだぞ、変人。

 

「それだ。グリンデルバルドの残党が起こした事件で間違いないのか?」

 

「微妙なところね。フランス当局はグリンデルバルドとは直接関係のない模倣犯の説を推してるわ。私も同意見よ。」

 

「つまり、何一つ確かなことは分かっとらんわけか? ……ふん、使えん連中だな。」

 

「仕方がないでしょうが。そもそも手掛かりが少なすぎるのよ。……それで? 何だってそんなことを聞いてくるの? 言っとくけど、首を突っ込んだら承知しないからね。イギリスと違ってフランス魔法界には『変人耐性』が無いんだから。」

 

イギリスならばこの男が『犯罪者っぽいヤツ』を気絶させて回ったとしても、『ああ、またムーディか』と言って哀れな犠牲者に憐憫の祈りを送るだけだろうが、フランスでそれをやったら普通に犯罪者として拘束されるだろう。イカれた見た目の連続襲撃犯として向こうの魔法警察に追われることになるはずだ。

 

というかまあ、素直に拘束されるとも思えん。やりすぎの反撃をして騒ぎを大きくするのが目に見えている。頼むからホグワーツで大人しく……いや、デュヴァルは友人なんだったっけ? それならムーディの奇行にも慣れてるかもしれんな。

 

「ふん、単に備えておるだけだ。……お前も対岸の火事などと思うなよ? スカーレット。油断大敵! 常に備えよ!」

 

ムーディからみた『デュヴァル像』でも聞いてみようかと口を開きかけたところで、イカれ男どのは立ち上がって歩き去ってしまった。……なんか、歳を取って変人具合が増してないか? 会話のスタートとゴールが唐突すぎるぞ。

 

まあ、らしいっちゃらしいな。歳を取ると変になるのはなにもムーディに限った話ではないのだ。パチュリーも、アリスも、ダンブルドアもそうなのだから。何にも変わらんのは美鈴くらいだぞ。

 

しかし、前にもクラウチに同じ質問をされたような覚えがあるな。イギリス魔法界じゃ新聞の隅っこにちょこっと載る程度だが、やはり気にする者は気にするわけだ。もしかしたら件のデュヴァルから何か聞いたのかもしれない。

 

ふむ……フランスからは全然連絡が無いし、一度こっちから問い合わせてみようか? あんまりしつこくするのは宜しくないが、グリンデルバルドのことを私が気にするというのは別段おかしなことでもなかろう。

 

考えながらもシチューを片付け、席を立って歩き出す。何にせよ先ずは咲夜だ。咲夜とダンスなんて中々出来ることじゃないんだぞ。フランス魔法界、グリンデルバルド、対抗試合。そんなもんは咲夜とのダンスに比べれば些事に過ぎん。

 

誘ったらそのままパーティーの終わりまで独占しようと決意しつつ、レミリア・スカーレットは生徒たちの群れの中から愛しい銀髪の女の子を探し始めるのだった。

 



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セドリック・ディゴリー

 

 

「失礼しちゃうわよ、まったく!」

 

ぷんすか怒るハーマイオニーに苦笑しながら、アンネリーゼ・バートリは目の前の皿に注文を放っていた。たまにはフォアグラも悪くないが……うむ、やっぱり肉だな。ラムチョップにしよう。慈悲深い吸血鬼としては、子羊の死を無駄にするわけにはいかん。

 

最初のダンスも一段落ついて、クリスマス・ダンスパーティーの会場はお喋りと食事の場へと変わりつつある。そんな中、さっきまでは同じテーブルだったロニー坊やが予想通りの行動を取ってしまったのだ。

 

ロンはハーマイオニーのパートナーがお気に召さなかったらしい。同席するクラムに対して失礼な態度を取り続けるせいで、ハーマイオニーを怒らせてしまったのである。……というかまあ、相手が誰だろうとロンは同じことをしただろうが。彼が気に入らないのは『ビクトール・クラム』ではなく、『ハーマイオニーのパートナー』なのだから。

 

そんな私から見ればいじらしいロニー坊やの行動だったが、ハーマイオニーにとっては失礼千万な行動に見えたようだ。結果として別々のテーブルに分かれ、いつも通りに私がハーマイオニーを、ハリーがロンを宥めることになった。この役割分担にももう慣れたぞ。毎年恒例のイベントではないか。

 

丸テーブルに着く私、咲夜、ハーマイオニー、クラムの中から、先ずは困り顔のクラムが言葉を放つ。彼はロンの言っていたことをさほど気にしてはいない様子だ。……もしくは早口の英語が聞き取れなかったのかもしれんが。かなり微妙なとこだな。

 

「ゔぉくは全然気にしていません、ハーミイ・オウン。……それに、ゔぉくには彼の気持ちが少し分かります。許してあげてはくれませんか?」

 

「ダメよ、ビクトール。ロンは失礼なことを言ったんだもの。もっと毅然とした態度で接さないと。」

 

「しかし、ゔぉくのせいであなたたちの関係にヒビが入るのは悲しいです。それはあまり……良くないことだと思います。」

 

少ない語彙で丁寧に喋るクラムは、なんと言うか……大人だな。まあ、そりゃそうか。こいつはもう成人してるのだ。おまけにクィディッチのプロプレーヤーともなれば、言葉の重みというものを良く理解しているのだろう。

 

「……優しいのね、ビクトール。」

 

とはいえ、まだまだ子供なハーマイオニーはそんな歳上の魅力に耐性がなかったらしい。うっとりしながらクラムの方を見つめている。……参ったな、カメラを持ってくるべきだった。この顔を写真に収めておけば、良いからかいの種になっただろうに。

 

しかし、この調子で行くとロンが『アシスト賞』にノミネートされることになりそうだぞ。結婚式のスピーチでも依頼するか? 『私たちの関係が深まるきっかけをくれたのはロンです』みたいな具合に。憤死するかもしれんな。

 

ラムチョップを頬張りながら面白い展開を眺めていると、いきなり私の隣に誰かが……おや、我らがポンコツ吸血鬼じゃないか。レミリアがポスンと座り込んできた。クラムが慌てて立ち上がっちゃったぞ。

 

「座って頂戴、クラム。大事な一人娘と話しに来ただけなの。……それと、男装癖のある従妹ともね。」

 

「僻むのはいただけないね、レミィ。ダンスの相手に親が口を出すのはご法度だよ。昔からの伝統だろう?」

 

「ええ、そしてその相手と引き裂かれるのも伝統ね。叶わぬ恋よ、リーゼ。諦めなさい。」

 

お互いにニヤニヤしながらいつものやり取りをしていると、サラダを食べていたはずの咲夜が嬉しそうに声を上げる。パチリと両手を合わせて、なんともご機嫌なご様子だ。

 

「わぁ、お嬢様方で踊られるんですね! 私、見てみたいです!」

 

お嬢様方で、踊る? つまり私がレミリアと踊るってことか? なんだそりゃ。何を勘違いしたのか、咲夜はいきなり素っ頓狂なことを言い始めてしまった。レミリアは咲夜を誘いに来たんだろうに。

 

「ち、違うのよ、咲夜。私は貴女と──」

 

「違うんですか? 私、とっても見てみたいのに……。」

 

「さあ、行くわよ、リーゼ!」

 

なんなんだお前は。咲夜の上目遣いに一瞬で敗北を喫したチビコウモリは、立ち上がって私に手を差し出してくる。瞬殺じゃないか。もう少し耐えたらどうなんだ。

 

「別にいいけどね。私はキミと踊ったって何にも面白くないぞ。」

 

「私だってそうよ! 足を踏んだら蹴っ飛ばすからね。」

 

「こっちの台詞だよ、短足コウモリちゃん。」

 

当然ながら気乗りはしないが、咲夜がキラキラした目で見ているのだからやらざるを得まい。文句を言い合いながらダンスホールへと進み、曲に合わせて二人で懐かしいステップを踏み始めた。……癪だが、やり易いな。傍から見てれば息ぴったりなのだろう。

 

古くさいスローワルツの曲に合わせながら、お澄まし顔のレミリアへと小声で話しかける。

 

「それで? 第二の課題に関してはバグマンから何か聞き出せたのかい?」

 

「残念ながら、まだよ。あの男、ゲームに関しては妙な律儀さを発揮するのよね。結構口が堅くって。……こんなことなら小鬼の札を取っておくんだったわ。切り時を間違えたかしら。」

 

「もう少し頑張りたまえよ、レミィ。そんなんだからポンコツ吸血鬼って呼ばれるんだぞ。」

 

「呼んでるのはあんただけでしょうが。……そっちこそ、私の手助けがないとダメダメね。ダメダメ吸血鬼だわ。おまけにペタンコだし。」

 

よし、いい度胸だ。くるりとターンしながらレミリアの足を踏んでやろうと足を動かすが……おのれ、避けおったな。顔を上げれば、ドヤ顔でニヤニヤしているチビコウモリが見えてきた。

 

「そっちの考えることなんかお見通し、よ!」

 

反撃とばかりに踏みつけてきた足を、こちらも踊りながらするりと回避する。こっちだってお見通しだ、馬鹿め。

 

「短い脚を動かすのは辛いだろう? 大人しくステップを踏んでいたま、え!」

 

「比率で言えば私の方が長いわよ! 比率!」

 

「いいや、私の方が長いね。牙も、翼も、腕も、身長もだ!」

 

「なんでこんな簡単なことが理解出来ないのかしら? 比率で言えば全部私の方が長いし、全部私の方が美しい……のに!」

 

お互いの足を狙って踏みつけを放ちながらも、当然ダンスは優雅にこなす。令嬢が無様な姿を見せるわけにはいかんのだ。無様な姿を『見させる』ことこそが重要なのである。

 

「キミは本当に陰湿だな。ダンス中に相手の足を踏もうとするだなんて……常識を疑うよ。スカーレット卿は偉大な方だったが、傲慢すぎる長女の教育には失敗したようだね。」

 

「バートリ卿はご苦労なされたでしょうね。何せ一人娘の頭がおかしいんですから。自分の行いを数瞬後にはもう忘れちゃうんだもの。……鶏だってもっと覚えてるわよ?」

 

「……ああ、ビックリした。小さすぎて誰と踊ってるんだかよく見えなかったんだが、キミだったのかい、レミィ。どうしたんだ? パチェに縮小呪文でもかけられちゃったのか? えらく『ちいちゃい』じゃないか。」

 

「あら、そっちこそ貴女だったのね、リーゼ。あんまりにも胸がペッタンコなせいで、てっきり男性だとばっかり……ごめんなさいね。後で豊胸セットでもプレゼントするから、それで許して頂戴。」

 

不毛な足の踏み合いを切り上げて、更に不毛な皮肉の応酬を数回やり合ったところで……ようやく曲が一区切りついたか。結局いつも通りのダンスになっちゃったな。

 

「キミとのダンスはもうこれっきりだ。めちゃくちゃ疲れるぞ。」

 

「それ、千回は聞いた台詞よ。」

 

虚しい気分で肘を打ち合いながらテーブルに戻ると、駆け寄ってきた咲夜が満面の笑みで拍手を送ってくれた。純真無垢な彼女にはダンスの裏側が見えなかったようだ。頼むからずっとそのままでいてくれ。

 

「凄いです! 優雅です! 私、記憶に焼き付けておきますね!」

 

「是非とも忘れて欲しいね。ちなみに私はもう忘れたよ。さっきやったキミとのダンスが記憶に残るばかりだ。」

 

「私はまだギリギリ記憶にあるわ。上書きするためにも相手をして頂戴、咲夜。」

 

「えっと……はい、喜んで。」

 

誘いを受けて、今度はレミリアと咲夜がダンスホールへと歩いて行く。ご苦労なことだな。私はもうダンスはやりたくない。そもそもダンス自体があまり好きではないし、この格好だと妙に注目されちゃうのだ。

 

もう今更だが、やっぱりもっと『普通』の格好で来るべきだった。同級生や上級生からはすれ違うたびにギョっとした顔で見られ、下級生からはキャーキャー謎の声援を送られる。……もううんざりだぞ。そんなに変か?

 

やれやれと首を振りながらテーブルに戻ろうとすると、残ったハーマイオニーとクラムの間で凄まじく滑稽なやり取りが行なわれているのが見えてきた。

 

「ハー、マイ、オニー、よ。」

 

「ハーム、オウン、ニニイ。」

 

「うん、まあまあね。」

 

どうやら名前の発音講座を開いているらしく、ひたすら『ハーマイオニー』という単語のやり取りを繰り返している。うーむ、こっから見てるとアホなカップルにしか見えんな。友人の名誉のためにも、見るに堪えない奇行を止めようと口を開いたところで……意外な人物からダンスの誘いが飛んできた。

 

「やあ、バートリ。一曲どうかな? ……ちょっと話したいことがあるんだ。」

 

後半を小声で言ったのはホグワーツのもう一人の代表選手、ハッフルパフのヒーロー、セドリック・ディゴリーどのだ。いつもの柔和な笑みを浮かべつつ、サマになる仕草で私に手を差し伸べてきている。

 

「話? ……まあ、構わないが。」

 

「それじゃ、行こうか。」

 

本当は身長差があるから嫌なんだが……話というのは少し気になるし、仕方ないか。こいつと私は顔見知り程度の関係なのだ。このタイミングで話があるとなれば、間違いなく対抗試合に関係する内容なのだろう。

 

再びダンスホールと化したスペースに躍り出て、曲に合わせてステップを踏む。……ほう? 結構上手いな。いいとこの坊ちゃんなのか? あるいはちゃんと練習してきたのかもしれない。

 

「それで? 話ってのはなんだい?」

 

踊りながらも問いかけてやれば、ディゴリーは苦笑を浮かべて質問を返してきた。

 

「君はハリーに『協力』してるみたいだし、僕が彼に助けられたことも知ってるだろう? つまり、ドラゴンの一件で。」

 

「ああ、聞いてるよ。グリフィンドールお得意の、騎士道精神ってやつを無駄に発揮したらしいね。」

 

「その通り。……でも、僕はそれを『無駄』にはしたくないのさ。だからハリーに伝言を頼みたいんだ。さすがに直接ハリーを誘う勇気はなかったからね。」

 

そりゃそうだ。ディゴリーがハリーをダンスに誘えば、『変な噂』が立つのは間違いないだろう。主に一部の女子生徒たちから。……っていうか、私は大丈夫なんだろうか? なんか怖くなってきたぞ。

 

「なるほどね。ハリーといいキミといい、なんとも律儀なもんじゃないか。」

 

邪悪な想像を振り払って返事してみれば、ディゴリーは踊りながら肩を竦めてくる。器用なヤツだな。

 

「僕の場合は借りを返すだけだよ。……ハリーにはこう伝えてくれ。卵の言葉を聞き取る鍵は水だ。お風呂にでも浸かってゆっくり考えるべきだ、ってね。」

 

「お風呂? なんとも奇妙なヒントだね。」

 

水とお風呂。……シャワーじゃないってことは、水中じゃないとダメなんだろうか? 思考を回す私に、ディゴリーは悪戯げな表情で言葉を付け足してきた。

 

「六階の『ボケのボリス』の像の左側、四つ目の扉に監督生用のバスルームがある。合言葉は『パイン・フレッシュ』だ。そこを使うといいよ。」

 

「至れり尽くせりじゃないか。……本当にいいのかい? キミは本気で優勝を目指しているんだろう?」

 

「だからこそさ。負い目を抱えた勝利なんかに意味はないだろう? 正々堂々戦って、その上で勝つよ。それが僕のやり方なんだ。」

 

「……キミはグリフィンドールに組み分けされるべきだったね。組み分け帽子はミスを犯したらしい。」

 

なにせ話せば話すほどグリフィンドール的なヤツなのだ。もちろんハッフルパフ的なところが無いとは言わないが、どちらかといえばグリフィンドールな気がする。相変わらず適当な帽子だな。

 

私の言葉を受けたディゴリーは、困ったように笑いながら首を振ってきた。

 

「グリフィンドールの君にそう言われるのは嬉しいよ。ありがとう。……でも、僕はやっぱりハッフルパフなんだ。それに、僕だって君にはハッフルパフに入って欲しかった。」

 

「私に? 何だってそんなことを言うんだい?」

 

「君が知ってるかは分からないけど、ハッフルパフにも昔吸血鬼がいたんだよ。談話室の暖炉の上に小さなコウモリの像があるんだ。不思議な翼のコウモリの像が。……随分と慕われてた先輩みたいで、当時の寮生たちが作って残していったらしいよ。」

 

「……へぇ。」

 

非常に心当たりのある話だな。賭けてもいいが、その『不思議な翼』というのは枯れ枝にぶら下がる宝石のような形の翼のはずだ。フランから聞いたことのない話な以上、彼女の卒業後に作られた物なのだろう。

 

「君が組み分けされた時のことを覚えてないかい? あの時、ハッフルパフの生徒たちは結構残念がってたんだよ。その先輩の『逸話』が残ってたからね。」

 

「確かにそんな覚えもあるが……逸話?」

 

「まあ、色々とね。君が僕に言ったのと同じように、その吸血鬼の先輩も『グリフィンドール的な』生徒だったんだってさ。でも、同時に誰より『ハッフルパフ的な』生徒でもあったらしいんだ。だから、僕もそうありたいと思ってるんだよ。」

 

……ひょっとしたら、こいつもハリーと同じような状況でハッフルパフに組み分けされたのかもしれんな。誠実さと勤勉さ、勇敢さと度胸。それらで均衡を保つ天秤を、自らの願いで傾けたクチなのだろう。

 

話している間にも曲は終わってしまった。そのままゆっくりとテーブルへと帰りながらも、律儀にエスコートを続けるディゴリーに向かって口を開く。

 

「中々に面白い話だったよ。頑張りたまえ、ディゴリー。ハリーの次に応援してあげよう。」

 

「残念、二番目か。それじゃ、期待を裏切れるように頑張るよ。」

 

笑顔で言ったディゴリーは、そのまま向こうで待っていたチョウ・チャンの方へと戻って行った。……さっきの話は手紙でフランに知らせてやろうかな。きっと喜ぶだろう。

 

ハリーへの伝言と仕入れた土産話を脳裏に記憶して、アンネリーゼ・バートリは『うっとりハーミーちゃん』のテーブルへと戻るのだった。

 



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遠い背中

 

 

「こんな記事は有り得ないよ! 最低だ!」

 

大広間の長テーブルに予言者新聞を叩きつけるハリーを横目に、アンネリーゼ・バートリはカリカリのベーコンを頬張っていた。このところ険悪だったハーマイオニーとロンも仲良く頷いているのを見るに、新たな問題を前にした二人は『ビクトール案件』を棚上げすることに決めたようだ。

 

波乱万丈のクリスマスはあっという間に過ぎ去り、ホグワーツに日常が戻ってくる新学期初日の朝。生徒たちが再開される授業を思って憂鬱そうに食事を取る中、ハリーが……というか、ハリーとロンとハーマイオニーが激怒しているのには当然ながら理由がある。

 

我らが勇敢なるゴシップ記者、リータ・スキーターが新たな『大スクープ』を予言者新聞で報道したのだ。つまり、ハグリッドが半巨人であるという大スクープを。……あんなもん一目瞭然だろうが。何を今更騒ぎ立ててるんだよ。

 

とはいえ、それを当然のこととして扱っていたのはごく一部の生徒だけだったようだ。それ以外の生徒諸君は彼方此方で予言者新聞を読んで驚愕している。多くは骨生え薬やら肥らせ呪文の失敗やらで大きくなったと思っていたらしい。そっちの方が有り得んぞ。

 

ひょっとしたら、巨人に対する認識不足ってのもあるのかもしれんな。私なんかは飽きるほどに実物を見たが、よくよく考えれば巨人というのは縁遠い存在なのだ。世界的に見てもそんなにウジャウジャいるような種族じゃないし、見習い魔法使いたちにとっては挿絵の中の存在なのだろう。

 

そして肝心の内容はというと……まあ、非常にスキーターらしい感じに纏まっていた。巨人の血が混じった危険な『半ヒト』を教師に任命したダンブルドアを糾弾し、スリザリン生からのインタビューを根拠にハグリッドの『奇行』を吊るし上げ、去年あったヒッポグリフの一件やら、今年行なったスクリュートの『製造』やらについてを叩きまくっているという内容だ。

 

スクリュートに関しての部分には心から納得している私を他所に、大きなお友達を貶されたハリーは新聞を睨みながら怒りの声を上げ続ける。ちなみに咲夜と魔理沙ももちろん憤慨しているが、この三人に比べればまだ大人しい感じだ。

 

「このインタビューだって作為的だよ! インタビューの相手はスリザリン生ばっかりじゃないか。パーキンソン、マルフォイ、おまけにクラッブ? クラッブがまともに英語を話せるわけないのに! あいつはウーウー唸るのが精一杯のはずだ!」

 

「パーキンソンもね。あの子はミノタウロスの親戚だよ。」

 

物凄く適当な突っ込みを入れてみると、ハーマイオニーが大きく頷きながら同意の台詞を放った。いや、私はジョークを言ったつもりなんだが……まさか本当にミノタウロスの親戚じゃないよな? いかん、ちょっと説得力があるぞ。

 

「その通りよ、こんなもん嘘八百だわ。ハグリッドが生徒を脅してるだの、暴力を振るっただのって……許せない。新聞社に抗議すべきよ!」

 

「そうだ! 見てろよ、スキーターの糞婆め。糞爆弾をケースで送ってやる。自分も同じようなもんなんだし、きっと喜ぶはずだ。」

 

うーむ、みんな熱くなってるな。ロンが糞爆弾を双子から仕入れに行く前に、場を冷やすために質問を投げかける。

 

「しかし、スキーターはどこでこんなことを知ったんだろうね? 単なる推察にしてはやけに具体的に書かれてるじゃないか。さすがのハグリッドだって直接話すほど口が軽くはないだろうし、キミたちでも知らなかったことを知ってるヤツなんてそう居ないはずだろう?」

 

「リーゼ、まだハグリッドが『そう』だって決まったわけじゃないのよ。デタラメを書いてる可能性だってあるじゃない。」

 

新聞をペチペチ叩きながら言うハーマイオニーに反論したのは、意外なことに一番怒っていたはずのハリーだった。その顔からは怒りの色が消え、何故か代わりに気まずそうな表情が浮かんでいる。

 

「あー……そこは事実だよ。ダンスパーティーの夜、僕とロンは聞いちゃったんだ。その、ハグリッドとマダム・マクシームが中庭でそれについて話してるところを。母親の方が巨人なんだって。」

 

「それは……良くないことよ、ハリー。」

 

「分かってる。僕たちも離れようとはしたんだけど、そうする前に話が始まっちゃったんだ。そしたら出るに出られなくなって……うん、反省してるよ。」

 

「でも、それなら話は早いじゃない。そこでスキーターも盗み聞きしてたのよ。もしくは情報提供した誰かが。」

 

まあ、その可能性は高そうだ。ハーマイオニーの推理に私、咲夜、魔理沙は納得の表情を浮かべているが……ふむ? 当事者であるハリーとロンは疑問げだな。

 

納得いかないという表情で首を捻る二人のうち、先んじてロンが口を開いた。

 

「それは多分ないと思うよ。あそこには他に隠れられるような場所はなかったし、僕らはハグリッドたちが居なくなった後もしばらく隠れてたんだけど、誰か姿を現したりはしなかったから。……かなり気まずくてさ。結構長い間息を潜めてたから、誰も居なかったってのは間違いないはずだ。」

 

「んじゃあ、何かの魔法で盗み聞きしたとか? そういうのって無理なのか?」

 

魔理沙の質問には、腕を組んで考え始めたハーマイオニーが答える。いつの間にか推理ごっこが始まっちゃったな。

 

「そりゃあ無理ってわけじゃないけど……その可能性は低いんじゃないかしら。かなり条件の厳しい魔法なの。そもそも最初からハグリッドを狙ってないと無理よ。」

 

「ま、そうだね。記事を見る限りではむしろダンブルドアへの批判っぽいし、どちらかといえばご老体の失態を嗅ぎ回ってたんだろうさ。最初からハグリッドに目をつけてたってのは無さそうだ。」

 

記事の見出し……『ダンブルドアの巨大な過ち』を指差しながらハーマイオニーに同意してやれば、皆唸りながら考え込んでしまった。おいおい、朝食が冷めちゃうぞ。

 

しかしまあ、そんなに慌てることでもないだろうに。別に半巨人だろうがなんだろうがハグリッドはハグリッドだし、ホグワーツの卒業生の中には気付いていた者もいるはずだ。この学校がいかにアホの集まりとはいえ、全員が全員『骨太』なだけだと思ってたというのは有り得ないだろう。

 

キッパーを噛み千切っている私の疑問を、コーンポタージュを片付けた咲夜が代弁してくれた。

 

「でも、これってそんなに大きな問題なんですか? ハグリッド先生は良い人ですし、出自なんて関係ないはずです。」

 

「それはとっても正しい意見よ、サクヤ。でも……そうね、ヨーロッパの魔法界では巨人っていうのはあんまり良いイメージを持たれてないの。それだけの歴史があるのよ。」

 

咲夜に微笑みかけながら言うハーマイオニーに、ロンが頷きつつも補足を加える。

 

「巨人たちは大昔、魔法族と物凄い戦いを繰り広げたんだ。島が一個無くなるくらいのね。それ以来ずっと敵対してるんだよ。それにまあ、例のあの人にも協力してたみたいだし。」

 

「結果的に酷くやられちゃったみたいよ。種族の総数に対しての割合でみると、あの戦いで最も大きな被害が出たのは巨人なんですって。本で読んだわ。」

 

……私じゃないぞ。美鈴だ。美鈴が悪いのだ。なんだか雲行きが怪しくなってきた話を止めるべく、感心したように聞いているハリーへと言葉を放った。彼は巨人戦争に関するビンズの話を一切聞いていなかったようだ。

 

「今日は飼育学があるんだろう? そこでハグリッドを励ましたまえよ。……それより、卵に関してはどうなってるんだい? 新学期も始まっちゃったことだし、そろそろディゴリーの言ってたことを実践すべきだと思うけどね。」

 

ハリーにとって二月末というのは遥か先の話なようで、伝言を伝えたにもかかわらず全然試そうとしないのだ。後一ヶ月半。もう時間があるとは言えなくなってきたぞ。

 

私のジト目付きの指摘を受けたハリーは、目を泳がせながら頷いてくる。生き残った男の子どのは課題に直面するのが億劫なようだ。

 

「……うん、そうだね。そのうちやるよ。」

 

「今日やるのよ、ハリー。今日。約束して。」

 

「まあ、そうだな。急いだ方がいいと思うぜ。」

 

「僕もそう思うよ。ドラゴンより酷いかもしれないんだし、早めに動いた方がいいんじゃないかな。」

 

おやおや、袋叩きだな。咲夜以外の全員から急かされたハリーは、参りましたとばかりに両手を上げて降参の台詞を放ってきた。

 

「わかったよ、わかった! 今日中にやっておくから。」

 

「それでいいんだ、ハリー。民主主義の原則には従うべきだよ。」

 

「少数派の権利がどっかにいっちゃってるけどね。」

 

「んふふ、案外博識じゃないか。」

 

ホグワーツじゃ政治なんて基礎すら教えないはずなんだが……まさかマグルのプライマリースクールで習ったのか? 近頃のガキは進んでるな。昔は文字を読めるヤツすら少なかったっていうのに。

 

意外なところで時代の変化を感じつつも、アンネリーゼ・バートリはカリカリのベーコンを皿に追加するのだった。

 

 

─────

 

 

「出てきなさい、ハグリッド! 居るのは分かってるのよ! 昔から何かあるとそうやって引き籠っちゃって……もう、いいから開けるの! 開けなさい!」

 

禁じられた森の縁にある小屋のドアを叩きまくりながら、アリス・マーガトロイドは大声で中に呼びかけていた。……もうぶち破っちゃおうかな。後で直せばいいんだし。

 

レミリアさんに煙突ネットワークを繋げてもらってまでホグワーツに来た理由はただ一つ。どっかのバカ記者が予言者新聞に載せた記事のせいである。あの記事に書かれたハグリッドに対する誹謗中傷は、私に研究を忘れさせるには充分すぎる内容だったのだ。

 

絶対に落ち込んで引き籠っているであろうハグリッドを引きずり出しに来たわけだが……生意気にも居留守を使う気か? それならこっちにも考えがあるぞ。後悔させてやるからな。

 

「あんな記事を気にすることなんてないでしょうが! 貴方を知ってる人に言わせればあんなの大嘘だわ。それが分かってる人は貴方が思うより沢山いるのよ! ああもう、上海! このドアを吹っ飛ば……あら、ダンブルドア先生。いらっしゃったんですか。」

 

いざパワーアップした上海の『実地試験』をしようとしたところで、何故か笑顔のダンブルドア先生がドアの向こうからひょっこり顔を出してきた。上海も棍棒を振り上げたままで固まってしまっている。……つまり、全部聞かれてたのか? かなり恥ずかしいぞ、それは。

 

「こんにちは、アリス。家主に代わって開けるのは無礼なのじゃが、冬場にドアが無くなればハグリッドが困ると思ってのう。」

 

「あー……はい、そうですね。その、ハグリッドは中に?」

 

「うむ。さあ、お入り。君が一緒なら『説得』がより早く終わるじゃろうて。」

 

ゆったりと踵を返したダンブルドア先生に続いて、小屋の中に入ってみると……これはまた、予想通りの状況だな。大量の空になったブランデー瓶の向こうに、目の周りを泣き腫らしたハグリッドが座っていた。

 

「ほれ、ハグリッド。わしの言った通りじゃろう? 早速一人、君を心配する人が訪れたではないか。」

 

「マーガトロイド先輩。俺ぁ、俺ぁ、どうしたらいいか……。」

 

どうやら先んじてダンブルドア先生が慰めていたようだ。コガネムシのような瞳を潤ませている旧友に向かって、腰に手を当ててから言葉を放つ。

 

「先ずは顔を洗いなさい。話はそれからよ。」

 

「でも、あんな記事が──」

 

「顔を、洗うの。わかった?」

 

ジロリと睨んで言ってやれば、ハグリッドは慌てて洗面所へと歩いて行った。うむ、それでいいんだ。酔いを覚まさねば話もできまい。うんうん頷きながら杖を振って空き瓶を片付けていると、柔らかい笑顔を浮かべたダンブルドア先生が話しかけてくる。

 

「なんとも頼りになることじゃ。やはり尻を叩くのは女性の仕事じゃな。わしではどうも上手くいかんよ。」

 

「ダンブルドア先生はハグリッドに甘すぎます。もっと厳しく言ってやらないと。」

 

「ううむ、少し見ないうちにますますノーレッジに似てきたのう。気の強いところがそっくりじゃ。」

 

「もう、そんなことばっかり言って。」

 

冗談として流したが……冗談だよな? 最近パチュリーとずっと一緒に研究漬けだったから、強く否定できない自分がいるのだ。魔女としての師匠にこんなことを言うのはあれだが、パチュリーに似てくるってのはあんまり嬉しくないぞ。

 

まあ、ある意味では魔女らしくなったということなのかもしれない。若干の危機感を感じながらも椅子に座ってダンブルドア先生と話していると、顔を洗ったハグリッドが重い足取りで戻ってきた。……よし、少しはマシになったな。

 

「それで、貴方はどうして小屋に閉じ籠っているの? それも安ブランデーのオマケ付きで。この様子だと授業もやってないんでしょう?」

 

「だって、あんな記事が出ちまって。みんな巨人の血が流れてる俺なんかに会いたかねぇと思って、それで……。」

 

「言わせてもらうけど、それは被害妄想ってもんだわ。血はただ血なのよ。そこに大した意味なんて無いの。そんなもの以前に、貴方はルビウス・ハグリッドでしょうが。ホグワーツの領地と鍵を半世紀も守ってきた番人でしょう? 一体誰が貴方を疑うっていうの?」

 

腕を組んで言い放ってやると、ハグリッドはモジモジし始めながら抗弁してくる。ふん、無駄な抵抗をする気か?

 

「でも、でも……実際に抗議の手紙が来ちょるんです。俺に居なくなって欲しい人は沢山います。」

 

「その『沢山』は赤の他人よ。貴方のことなんか一切知らない、何の関係もない人たちだわ。そんな連中には好き勝手言わせときなさい。……いい? ハグリッド。私は貴方のことをよく知ってるの。その『沢山』を全部合わせたよりもずっとね。その私の言葉と、そいつらの言葉。どっちを信じるの?」

 

「そりゃあ……マーガトロイド先輩です。」

 

「それなら貴方はここに居るべきだし、胸を張って教師をすべきよ。だって何一つ恥じることなんてないでしょう? ……まあ、尻尾爆発スクリュートとかいう意味不明な生物を生み出したこと以外はだけど。」

 

小屋の外で私を威嚇してきた生き物がそれだとすれば、スクリュートに関してだけはスキーターの記事は真実を射てると言えるだろう。あんな禍々しい生き物は私だって見たことがないぞ。あれは異国の地獄とかにいるタイプのヤツだ。あるいはフランの絵の中とかに。

 

最後の部分だけ少しトーンが弱めになった私に、ダンブルドア先生が同意の言葉を重ねてきた。

 

「ふむ、アリスがわしの言いたいことを全て言ってしまったのう。この老いぼれが付け足すことがあるとすれば……これだけじゃ。」

 

言いながらダンブルドア先生が取り出したのは……手紙? 凄い量の手紙の束だ。色とりどりの便箋には、どれも急いで封蝋したような跡がある。

 

「……そいつは何ですか? ダンブルドア先生。」

 

「そうじゃな、強いて言えば……そう、嘆願書じゃよ。どれもこれも君の慰留を願った手紙じゃ。……分かるじゃろう? ハグリッド。これこそが君の築き上げたもの、君の積み上げてきた信頼の証なのじゃ。きっとこれからもどんどん届くじゃろうて。だからもう、君の気にしていた『沢山』など忘れてしまいなさい。君が目を向けるべきなのはこちらの『沢山』なのじゃから。」

 

優しく微笑むダンブルドア先生から手紙の束を受け取ったハグリッドは、差出人を一つ一つ確かめていく。……うーむ、私が来る必要はなかったかもしれんな。ポロポロ涙を流し始めたハグリッドを見ればそれがよく分かるというものだ。

 

大事そうに手紙に目を通すハグリッドに、ダンブルドア先生が柔らかく言葉を放った。

 

「代理のグラブリー=プランク先生は明日までの契約にしておる。故に、君が授業をしてくれなければ生徒たちが困るのじゃ。……どうかね? やってくれると嬉しいのじゃが。」

 

「はい、やります。やらせてくだせえ。とんだ迷惑をかけちまって……俺ぁ、間違ってました。もう大丈夫です。」

 

「それは重畳。君が居ないホグワーツなどホグワーツとは言えんからのう。これでこの老体も安心できたよ。」

 

ゆったりと立ち上がったダンブルドア先生に続いて、私も椅子から立ち上がる。この様子ならもう大丈夫だろう。あの手紙があればスキーターの記事など怖くはあるまい。

 

「それじゃ、貴方はもう休みなさい。今日はぐっすり寝て、起きたらお腹いっぱいご飯を食べて、いつも通りに授業をするの。それで万事元通りよ。」

 

「マーガトロイド先輩もわざわざ来てくだすって。本当にありがとうございました。」

 

「まあ、良い気分転換になったわ。ホグワーツに来ると安心できるしね。」

 

昔話や近況報告をするのも楽しそうだが、今のハグリッドには休息が必要なはずだ。別れを告げてからダンブルドア先生と一緒に小屋を出て、伸びをしながら冬のホグワーツの空気を思いっきり吸い込む。

 

……さて、どうしようか。勢い任せで来たはいいが、既に煙突ネットワークは閉じてしまったはずだ。かなり強引に数分間だけ開けてもらったのだから。帰ったらレミリアさんにお礼を言わなければいけないな。

 

となると敷地の外まで飛翔術で移動して、そこから姿くらましするしかないか。冬空を飛ぶ羽目になってちょっと苦笑いを浮かべる私に、ダンブルドア先生が微笑みながら話しかけてきた。

 

「それではアリス、城に戻ろうか。ロンドンまでのポートキーを準備してあるから、それでゆっくりお帰り。あるいは……そう、気晴らしに街をぶらついてみてはどうかね? 最近のロンドンは驚きに満ちておるからのう。新たな発見もあるじゃろうて。」

 

「……私がここに来るって、知ってたんですか?」

 

レミリアさんから聞いたのだろうか? ……いや、それはないか。そうだとすればハグリッドの小屋に私より先に着くはずないし、そもそもポートキーの申請を通すにはそれなりに時間が掛かるはずだ。

 

ちょっと驚く私を見て、ダンブルドア先生は悪戯げにクスクス笑いながら答えを教えてくれる。

 

「無論、知らなんだ。わしはただ信じていたのじゃよ。君がきっと来てくれると。ハグリッドを放っておくはずがないとね。」

 

「それで……わざわざポートキーの申請を? 何の確証も無しにですか?」

 

「ほっほっほ、確証も保証も不要なのじゃ。……それが信じるということじゃろう?」

 

パチリとウィンクしながら言ったダンブルドア先生は、軽やかに身を翻して城へと歩き出してしまった。……うーむ、何だか分からんが、一本取られた気分だ。

 

まあでも、悪い気分ではない。とびっきりの悪戯を食らった時のような、清々しい類の敗北感を感じる。……信じること、か。また一つ教えられてしまったな。

 

まだまだ遠く見える背中に苦笑しつつも、アリス・マーガトロイドはその背に向かって歩き出すのだった。

 



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ガーデンキーパー

 

 

「旱魃の呪文はどうかな? いっそのこと水を干上がらせちまえばいいんだ。」

 

本から顔を上げたロンの言葉を聞いて、アンネリーゼ・バートリは小さく鼻を鳴らしていた。水溜りレベルならそれが正解だろう。水溜りレベルならだ。

 

一月も半ばを過ぎたホグワーツの図書館では、四年生四人組が山積みになった本に向き合っている。当然ながら急に学習意欲に目覚めたわけではなく、第二の課題の対策を練るためだ。ちなみに二年生二人は授業があって来れなかった。今頃はイカれ男の呪文講座を楽しんでいることだろう。

 

ハリーがディゴリーの助言を元に卵を調べたところ、第二の課題の大まかな内容を特定することが叶ったのだ。卵から発せられた水中でのみ聞き取れる歌によれば、一時間の間に『地上では歌えない者』に捕らわれた『大切なもの』を取り返すという内容らしい。

 

そしてこれを聞いたハーマイオニーは、すぐさま『地上では歌えない者』の部分に関しての正解を導き出してくれた。地上ではまともに声を発することの出来ない者。そう、ホグワーツ領内の巨大な湖に住む水中人どものことだ。恐らく卵から発せられていた騒音こそが水中人の歌だったのだろう。

 

ここで重要なのが、水中人は湖底に住んでいるという点である。ビニールプールでもなく、バケツでもなく、深い湖の底。つまり、第二の課題は私やレミリアの介入出来ない『流水』の真っ只中で行なわれることになるわけだ。……本当に忌々しいことをするのは大得意だな、バグマン!

 

想像の中でイラつく丸顔をぶん殴っている私を他所に、ハーマイオニーがロンの提案をバッサリ切り捨てた。彼女もオランダ人の真似事が得策だとは思えなかったようだ。

 

「無理ね。あの湖は旱魃の呪文で干上がらせられるような規模じゃないし、そもそも横穴で別の場所に繋がってるのよ? 水量を減らすのなんか不可能だわ。」

 

「ってことは、やっぱり泡頭呪文か? もうこれ以上に有効なのは無さそうだぞ。」

 

「うーん、そうなんだけど……第一の課題の難易度を思うに、単純に潜るだけのはずがないのよね。呼吸が出来ても素早く動けないと危険じゃない?」

 

「まあ、そこだよな。単なる素潜りってのは……うん、僕も有り得ないと思う。」

 

既にベターな呪文は見つけ出しているのだ。ロンの言葉に出た泡頭呪文である。実績もあるし、そんなに難しくないから習得も間に合うだろうが……ハーマイオニーの言う通り機動性に欠けるのがいただけない。

 

水棲のドラゴンとは言わないまでも、バグマンが何らかの『障害』を用意しているのは間違いなかろう。それを避けるためには人間の手足では不足なのだ。吸血鬼ほどではないにせよ、水中の人間など無力なもんなのだから。

 

『水と杖』を捲りながら考えていると、ハリーが椅子の背もたれに身体を預けて口を開いた。

 

「やっぱり身体の一部を変身させるべきかな? 水かきとか、ヒレとかに。」

 

「それが出来れば万々歳だけど、無理でしょう? あと一ヶ月ちょっとしか無いのよ?」

 

まあ、無理だろうな。ハリーの変身術の成績は『悪くない』程度だ。まだ身体の一部を変身させるほどの技量は無いし、それを一ヶ月で会得するってのは楽観的計画に過ぎるだろう。でなきゃマクゴナガルはあんなに苦労してない。

 

「そういえば、水中で使える箒はないのかい? あれだけ種類があるんだ。一本くらいあってもおかしくはないだろう?」

 

同じようなのを何種類も増やし続けるくらいなら、そっちのがまだ有用なはずだぞ。どうでもいいことしか書いてない本を放り投げた私の問いかけに、ロンが首を振りながら答えを寄越してくる。

 

「あるけど、多分泳ぐより遅いよ。それにもう手に入らないしね。昔倒産した箒会社が作ってたんだ。……ジョークグッズとして。」

 

「ふん、愉快な会社じゃないか。倒産して清々したよ。……そもそも、ファイアボルトには何で潜水機能がついてないんだ? 馬鹿高いくせに基本的な機能をつけ忘れてるぞ。」

 

「箒は空を飛ぶものなんだ、リーゼ。」

 

「お忘れのようだがね、そもそも箒は地面を掃くものだよ、ロン。」

 

苛々と足を揺すりながら言ったところで、かなりズレた話をハーマイオニーが強引に軌道修正してきた。読んでいた『古の呪文集』を閉じているのを見るに、古くさい呪文にはマシなのがなかったらしい。

 

「とにかく! ハリーが半魚人に変身出来ない以上、他のやり方を探す必要があるわ。発想の転換が必要なのよ。第一の課題で呼び寄せ呪文が有効だったみたいに、搦め手を考えましょう。」

 

「そうだね。とにかく今使える呪文をリストアップしてみて、そこに何かヒントが無いかを……どこ行くの? リーゼ。」

 

いきなり立ち上がった私に、ハリーが問いかけを放ってくるが……もう私は図書館に籠るのはうんざりなのだ。ここらで最高の札を切るべきだろう。つまり、魔術師のカードを。

 

「なに、『知識』に手紙を出しにいくのさ。そうすれば一発で解決だ。……最初からそうすべきだったんだよ。」

 

「知識? 何かの隠語?」

 

「言葉通りの意味だよ。私の家には『知識』が住み着いててね。」

 

キョトンとしてしまった三人を背に、ふくろう小屋に向かって歩き出す。常識的な解答を期待できないのが不安要素だが、こんな場所で悩んでいるよりかはマシなはずだ。ちゃちゃっと済ませてしまおうじゃないか。

 

───

 

そして二日後。昼食を食べている私に、『知識』からの返信が届いた。……瓶詰めの不気味な物体付きでだ。お見事、パチュリー。お陰で昼食を食べる気が失せたぞ。

 

「リーゼ? それ、なに?」

 

ぬるぬるした黒い『それ』が入った瓶を指差すロンに、一緒に送られてきた手紙……というか、『論文』に目を通しながら答えを返す。

 

「ギリーウィード……鰓昆布だそうだ。鰓が生えて水中で呼吸が出来るようになる上に、手足に水かきが生えて迅速な移動も出来る。効果は海水だと平均四時間二十二分十三秒。淡水だと平均一時間六分二十二秒。男女による差は……うん、ここからは蛇足だな。使う直前に封を開けるってのだけ注意すればいいだろう。」

 

クソ長い手紙には他にも細々とした説明が記されているが、どう考えても読む必要はない。繁殖の方法だの好んで食べる魔法生物だの、死ぬほどどうでもいい情報しか書かれていないのだから。

 

大方、私の手紙を受け取った瞬間には答えにたどり着いたものの、この手紙を書き上げるのに二日かかったのだろう。なんともバカバカしい話ではないか。羊皮紙十枚以上あるぞ。

 

パチュリーの『力作』を冷めた目で見ている私に、ハーマイオニーが驚愕の表情で話しかけてきた。

 

「それって……完璧じゃないの! それがあれば全部解決だわ。誰から送ってもらったの?」

 

「『知識』だよ。手紙ってやつを書き慣れてなくて、凄くどうでもいいことを知らせてくるヤツだ。」

 

「知識は概念よ、リーゼ。生き物じゃないわ。」

 

「他国ではね。イギリスではここ百年で概念から生き物に変わったのさ。『知識』は本とマカロンが大好きなんだよ。知らなかったのかい?」

 

納得しかねる様子のハーマイオニーに肩を竦めて、鰓昆布の入った小瓶をハリーに渡す。何にせよ、とりあえずこれでハリーは魚の餌にならずに済みそうだ。……バグマンの用意する謎生物の餌になる可能性はまだ残っているが。

 

「ほら、ハリー。これでお魚と仲良くなれるよ。人魚姫も声を失わずに済んでご満悦さ。」

 

「ありがとう、リーゼ。えっと、送ってくれた人にもお礼を言いたいんだけど……。」

 

「まあ、適当にマカロンでも送っとけば充分だよ。今度どっかで買ってきてくれたまえ。」

 

よく考えたらパチュリーへの贈り物ってのは難しいな。イギリスで手に入るような本はもうダブっちゃうだろうし、服やアクセサリーを喜ぶようなタイプじゃない。……貴重な素材とかか? 何にせよ、ハリーが手に入れられる物の中ではマカロンが一番マシだろう。

 

「マカロン? それじゃあ、今度ふくろう通販で買っておくよ。」

 

「それなら良い店があるぜ。この前ディーンに教えてもらったんだ。」

 

「ねぇ、知識って何なのよ? 意地悪しないで教えて頂戴。」

 

物が手に入ればさほど気にしない様子のハリーとロンを他所に、ハーマイオニーは尚も興味津々で質問を放ってきた。別に話したところで何の問題もないが、意地悪するなと言われると意地悪したくなっちゃうぞ。

 

「そうだな……ヒントをあげよう。『知識』は紫色なんだ。」

 

「マカロンが好きで、紫色で、どうでもいいことを教えてくる? ……ダメ、全然わかんないわ。」

 

「そして図書館に住んでいるのさ。」

 

絶対に答えにたどり着けないなぞなぞに挑むハーマイオニーを見ながら、アンネリーゼ・バートリは悪戯な微笑みを浮かべるのだった。

 

 

─────

 

 

「死んだ? 死んだって……全員?」

 

紅魔館のエントランスに設置された暖炉に浮かぶデュヴァルの上半身を前に、レミリア・スカーレットは目を細めていた。『長距離送身』のせいでデュヴァルの姿はボヤけてしまっているが……これって、向こうではどういう体勢になっているんだろうか? 顔だけってのも大概変だが、上半身だけってのも違和感が凄いな。

 

若干思考を逸らしている私の問いかけを受けて、くたびれたような表情のデュヴァルが返事を返してきた。

 

「現場に向かった三班十二名中、十名の死亡が確認されました。残りの二名は未だ見つかっていませんが、恐らくはもう……。」

 

「一人も捕まえられなかったの?」

 

「守護霊の救援要請を受けた私が、現場に急行した際に二人拘束しました。後は死体を三体確保しただけです。」

 

「……最悪の状況は免れたみたいね。これで何も得られなかったら目も当てられなかったわ。」

 

デュヴァルが言うには、例の模倣犯どもの拠点が判明したらしいのだ。殆ど手がかりが無かったのにも関わらず、フランスの闇祓いたちが執念の捜査で突き止めたらしい。あの標語と印を使われた以上、フランス魔法省としては意地でも逃すわけにはいかなかったのだろう。

 

そして意気軒昂な闇祓いたちがその拠点に突入したところ、予想だにしていなかった規模の反撃を受けてしまったというわけだ。十名死亡の二名行方不明か。フランスだとここ十数年で一番の大損害だな。

 

とはいえ、二人拘束出来たならそこから芋づる式に引きずり出せるはずだぞ。魔法界じゃ尋問の手段には事欠くまい。そう思ったのだが……おいおい、違うのか? デュヴァルの顔は気まずそうに歪んでいる。

 

私の疑問顔を見て、デュヴァルが言い辛そうに情報を追加してきた。

 

「……残念なことに、拘束した内の一人は既に死亡しています。毒か、何かの呪いか。詳細はまだ調査中ですが、魔法省の拘留室内でいつの間にか死亡しているのが確認されたのです。」

 

「もう一人は生きてるんでしょうね?」

 

「そちらも情報を引き出すのは無理でしょう。何と言うか、尋問中に『壊れて』しまいまして。私も同席しましたが、いざ質問を始めようとした瞬間に……。」

 

「『壊れた』、と。」

 

コクリと頷くデュヴァルを見て、思わず大きなため息が零れる。信じられないほどに念入りな連中だ。時限式の魔法とかがあるのか? もしくは破れぬ誓いでも利用したのかもしれない。……後でパチュリーとアリスに聞いてみる必要があるな。

 

黙考する私に、デュヴァルが神妙な顔で口を開いた。この男にとっても堪える事件だったのだろう。いきなり同僚が十人以上死亡か。正に悪夢だな。

 

「油断していました。それは素直に認めます。……しかし、これは明らかに異常事態です。制圧に向かった三つの班にはベテランも数名参加していました。間違いなく同数には負けないでしょうし、仮に倍いたとしてもここまでの被害は有り得ないはずです。」

 

「貴方が到着した時には拘束した二人しか残っていなかったの?」

 

「七人です。三体の死体はその時の相手になります。不覚にも、残り二人には逃げられてしまいました。」

 

「……一応聞くけど、貴方は一人だったのよね?」

 

私の質問にデュヴァルは頷きで答えた。……こいつも大概だな。何が『不覚にも』だ。一対七で圧勝か? ちょっとだけデュヴァルの戦力評価を上方修正しながら、暖炉に向かって声を放つ。

 

「参ったわね。下手人どもは予想以上の数ってこと?」

 

「私はそう思っています。恐らく、連中が死体を片付け終わった後に私が到着したのでしょう。そして残っていた数人だけと遭遇戦になった。……そもそも、普通の犯罪者は一々死体を片付けることなどしません。味方に死人が出た直後に素早くそれを行なえるということは、明らかに訓練を受けた集団が相手ということです。」

 

「危険性を見誤ったわけね。私も、貴方たちも。」

 

「そうですね。完全に見誤っていました。現在こちらの魔法省では厳戒態勢が布かれていますが……少々厄介なことになっていまして。」

 

「厄介なこと?」

 

本題はこっちか。今聞いた話がもう滅茶苦茶厄介なのだが、デュヴァルの顔を見る限りではそれ以上の知らせがあるのだろう。うんざりしてくるな。

 

暖炉に浮かぶデュヴァルは少しだけ躊躇した後、言葉を選ぶようにゆっくりと話し始めた。

 

「……実は、他国の『侵略』であるという意見が出ているのです。つまり、犯罪に偽装した戦争行為だという意見が。」

 

「絶対に有り得ないわ。魔法界で『侵略』? 誰一人として得をしない話じゃないの。」

 

年がら年中土地を奪い合っているマグルと違って、魔法界において土地はそれほど重要な存在ではないのだ。魔法族は総人口がそもそも多くないし、魔法があるから資源だってそれほど重要視していない。思想の違いで争うことは多々あれど、いざ『侵略』したところで何にも得るものがないのである。

 

そういう意味での『戦争』にヨーロッパの魔法使いが参加してたのは精々中世までだ。それから先に起きた市民革命や小鬼の反乱、そして未だ記憶に残るグリンデルバルドの起こした大戦。その全てが思想の違いや種族間の差異による闘争であって、侵略を意図した戦争ではない。

 

そもそも、国際的な戦争行為は魔法界ではタブーになっている。国際魔法憲章で明記されている以上、そんなことをすれば各国から袋叩きにされるはずだぞ。前回のマグルの大戦に魔法使いたちが積極的に関わらなかったのは、魔法の秘匿やグリンデルバルドへの対処で忙しかっただけではなく、そういった理由も少なからず存在しているのだ。

 

私の百パーセントの完全否定を聞いて、デュヴァルは困ったように口を開いた。

 

「私もそう思っています。そして魔法大臣や評議会の方々も同意見です。……しかし、不思議なことに噂は広がり続けていまして。」

 

「つまり、意図的に流されている可能性があると?」

 

「その通りです。これはあくまで私個人の意見ですが、何者かがフランスを混乱させようとしているのではないでしょうか? 他国との繋がりを弱め、我々を孤立させようとしている。……ひょっとしたら、闇祓いたちの突入も仕組まれていたことなのかもしれません。実際に我々の戦力は削られ、侵略の噂に市民は怯えています。疑心暗鬼になるほどに。」

 

デュヴァルはそこで話を区切ると、神妙な表情が浮かんだ顔を下げながら言葉を続ける。……頭を下げてるってのは分かるが、上半身だけでやるとちょっと滑稽だぞ。

 

「どうか力をお貸し願いたいのです、スカーレット女史。フランスをヨーロッパに繋ぎ止めてはいただけませんか? 相手が誰なのか、何を企んでいるのかは分かりませんが、孤立したところを叩かれる可能性がある限り我々は十全に動けません。それはあまりにも危険すぎるのです。」

 

「外交屋としての私に頼んでいるわけね。」

 

「そうなります。こちらの外交官も必死に動いてはいますが、我々の疑いが増せば他国もまた疑いを持つでしょう。負の連鎖です。そうやって徐々に食い違いが生じていけば、フランスはいずれ丸裸になってしまう。貴女に歯止めをかけていただきたいのです。」

 

縋るような表情のデュヴァルを前に、頭の中で思考を回す。これが計画的なものだとすれば、あまりに規模がデカすぎるぞ。一介の犯罪者がやるようなことじゃない。

 

リドルと対抗試合、それにイギリス魔法省への対応。正直言って今は手一杯だが……ふん、受けようじゃないか。ヨーロッパは私の庭だ。私の庭を荒らすのは私だけに許される特権であって、他人にやられて黙って見ているわけにはいかない。

 

「いいでしょう。他国との楔になってあげるわ。……ただし、なるべく早く解決して頂戴ね? 今は私も余裕がないの。」

 

「ありがとうございます、スカーレット女史。無論、我々も早期解決の為に全力を尽くすことを誓います。」

 

「結構。それじゃあ早速動くから、そっちの外交官に話を通しておいて頂戴。……あと、もしかしたら私の方からも人を派遣するかもしれないわ。その時は受け入れをよろしくね。」

 

「かしこまりました。」

 

一礼したデュヴァルの姿が消えるのと同時に、踵を返して執務室へと歩き出す。先ずはイタリアとスペインだな。常に不安定なドイツは後回しだ。イギリスを含めたこの三国さえ抑えれば、フランスはそうそう揺るがないだろう。

 

しかし、相手の姿が見えないってのはいただけない。さっきデュヴァルに言った通り、私が自由に動かせる人員を送る必要があるな。そいつに詳しく探らせる必要があるだろう。……ふむ、美鈴でも向かわせてみるか? 分霊箱探しはもう殆ど意味を成してないし、ヨーロッパを探らせた方がまだ役に立つはずだ。

 

少なくとも食べ歩き旅行は中止させようと心に決めてから、レミリア・スカーレットは執務室のドアを開くのだった。

 



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悪夢

 

 

「ややこしいね。……誰かの見ていた光景を、そのままキミが夢で見たってことかい?」

 

目の前のクッキーを消失呪文で消し去りながら、アンネリーゼ・バートリはハリーに質問を投げかけていた。しかし、マクゴナガルはなんでクッキーを教材にしたんだろうか? 普通に食って消したフリをしてるヤツがいるぞ。

 

一コマ目の変身術の授業中、意を決したような表情のハリーが私たちに相談を放ってきたのだ。沈んだ顔でポツリポツリと話す彼によれば、どうやらかなりリアルな悪夢を見たらしい。……朝に元気がなかったのはそのせいか? 悪夢に怯えるって歳でもなかろうに。

 

何にせよハリーにとっては朝食を食べる気も失せるほどの悪夢だったようで、今も具合の悪そうな表情で私に返事を返してくる。顔が真っ白だぞ。

 

「うん、そんな感じ。僕は視点を自由に動かせないんだ。……でも、誰かっていうよりかは『何か』の視点だったかな。椅子に座ってたんだと思うんだけど、異様に視点の位置が低かったから。まるで小人になったみたいだった。」

 

「そこだけ聞くとメルヘンな世界観じゃないか。……まあ、その後でぶち壊しだがね。目の前で磔の呪文が使われていたんだろう?」

 

そんなもん絶対にムーディのせいだろうに。十四歳の多感なガキどもにあんな授業をするから、こうやって悪夢を見るヤツが出てくるのだ。一年生なんかきっと毎日のようにムーディの悪夢を見てるはずだぞ。十一歳のヒヨコちゃんたちにとってはあの顔がそもそも悪夢だろうし。

 

内心でイカれ男の『情操教育』を批判している私に、ハリーは練り歩くマクゴナガルに注意しながら答えを寄越してきた。

 

「……凄くリアルな叫び声だった。黒スーツの魔法使いが、灰色のローブの人に何度も磔の呪文を使ってたんだ。何度も、何度もね。それで、椅子に座った『僕』はそれをジッと見つめてるだけ。やめさせようとしても、目を逸らそうとしても、自分の意思じゃ何にも動かせないんだよ。」

 

「ふぅん? 目の前で延々誰かが痛めつけられてたってわけか。そりゃまあ、確かに楽しい光景ではなさそうだね。」

 

「んー……単に痛めつけようとしてるってよりかは、何かを聞き出そうとしてる感じだったかな。呪文の合間に質問っぽいことを怒鳴りつけてたし。でも、何を言ってるかは分かんなかったんだよ。多分フランス語で喋ってたんだと思う。ボーバトンの生徒が話すのにそっくりだったから。」

 

フランス語ね。うーむ、なんとも不思議な夢だな。随分と正確に覚えているようだし、知らないヤツや知らない言語が出てくるってのも珍しい。……いわゆる明晰夢ってやつか? トレローニーが初めて役に立つ時が来たのかもしれんぞ。

 

ぼんやり考えている私を他所に、ハーマイオニーが杖を振りながら言葉を放った。彼女は無生物に対する消失呪文を早くも習得したようだ。今も見事にチョコチップ入りのクッキーを消し去っている。普通ならチョコチップの部分だけを残しちゃうもんなんだがな。

 

エバネスコ(消えよ)! ……でも、ただの夢でしょう? 第二の課題だってすぐそこまで迫ってるんだし、もう忘れちゃいなさいよ。」

 

「それは分かってるんだけど……起きてからずっと傷痕が痛むんだよ。まるで一年生の時みたいな感じに。」

 

ふむ? ……それはちょっといただけないな。ハリーが言っているのは、一年生の学期末にリドルが賢者の石を奪おうとした日のことだろう。確かにあの日の昼間に傷痕が痛むと言っていた覚えがある。同時に『警告』のようなものだとも言っていたはずだ。

 

ロンも同じ事に思い至ったようで、杖を振るのをやめて心配そうな表情を浮かべ始めた。ちなみに彼とハリーはまだクッキーの欠片を消すのにも成功していない。……いやまあ、他の大多数の生徒も同様だが。今回はちょっと難易度が高すぎるぞ、マクゴナガル。

 

「まさか、『例のあの人』が近くにいるってことじゃないよな? また誰かの後頭部に引っ付いてるとか?」

 

「近くにいると痛むってことはないでしょ。それならハリーは一年生の間中痛んでたはずよ。クィレルはずっとホグワーツに居たんだから。」

 

ハーマイオニーの言う通りだ。今までよく考えなかったが、そもそも何故一年生の時は痛んだのだろうか? ハリーが言っていたように、リリー・ポッターの遺した護りが『警告』を発したとか? ……いやいや、そんなに便利なものじゃないはずだぞ。大体、それなら二年生の時も痛んで然るべきだ。

 

一年生の時はクィレルに憑依したリドル。二年生の時は分霊箱に保存されていたリドルの記憶。そして三年生の時は吸魂鬼の群れ。その中で一年生の時だけ痛んだということは……リドル本人が関わっている必要があるということか? 分かたれた欠片ではない、本体のリドルが。

 

……なんかこれ、結構重要な話じゃないか? たかが怖い夢だという考えを切り替えて、真面目にハリーへと問いかける。

 

「傷痕の話は後に回そう。他に覚えてることはないのかい? 聞き取れた単語とかは?」

 

「えっと、フランスの都市の名前が何個か出てきたよ。リヨンとか、ニースとか。後は……そうだ、スカーレットさんの名前が出てきてた。それに、ホグワーツとかボーバトンも何回か出てきたかな。」

 

「待て待て、レミィの名前が出てきたのか?」

 

「多分ね。発音が違ったけど、そうだと思う。……聞き取れたのはそれくらいだよ。」

 

どんどん話がきな臭くなってきたな。フランスってとこが如何にもそれっぽいじゃないか。今のフランスは正に火薬庫だ。そして、種火を踏み消しまくっているレミリアの名前も出てきたと。

 

吸血鬼としてのカンが警鐘を鳴らすのに従って、尚もハリーへの質問を重ねる。もうクッキーを消すとかいうアホなことをしてる場合じゃないぞ。

 

「他には? 場所、拷問されていたヤツ、していたヤツ。特徴とか、目立ったところとか……何でもいい。何か覚えていることはないか?」

 

「……どうしたの? 相談しておいて言うのもなんだけど、単なる夢の話だよ?」

 

「いいから。思い出してみてくれ。」

 

真剣な表情で言ってやると、気圧されるように一つ頷いたハリーは、宙空を見つめながら記憶を振り絞るように話し始めた。

 

「……拷問されてた人はアルミの椅子に縛られてて、酷く衰弱してるみたいだった。ローブもボロボロだったし、何日も食べてないみたいにガリガリだったよ。場所は廃墟みたいな所で、壁や床がコンクリートの広い空間。太い柱が沢山あって……あと、看板みたいなのもいくつかぶら下がってたかな。殆どの電灯が切れてたせいであんまり奥までは見えなかったけど。」

 

「看板の文字もフランス語かい?」

 

「ううん、それは普通に読めたよ。ほら、マグルの工場によくある『危険!』とか『注意!』とかのやつ。……それで、拷問してた人はパリっとした黒いスーツを着てた。帽子を被ってたし、薄暗かったせいで顔はよく見えなかったんだ。でも、僕の知らない人だったと思う。声も聞き覚えが無かったし。あとは……そうだ、壁に変なマークが描いてあったよ。真っ白なペンキで、物凄く大きく。」

 

「マーク?」

 

言いながら差し出した羊皮紙に、ハリーがさらさらと描いたのは……三角形に丸と棒。見慣れた死の秘宝を表す紋章だ。決まりだな。これは間違いなくレミリアとダンブルドアに連絡すべき事態だろう。それも今すぐに。

 

「結構。少し用事を片付けてくるよ。」

 

「ちょっとリーゼ、授業中よ!」

 

ハーマイオニーが慌てて飛ばしてきた注意を背に、ハリーから羊皮紙を引ったくって教室のドアへと歩き出す。その途中で困惑したような表情になっているマクゴナガルへと囁きを放った。

 

「緊急の連絡がある。ダンブルドアは校長室かい?」

 

「はい、今は校長室にいらっしゃるはずです。……ポッターに何か?」

 

「その通りだ。恐らくハリー自身がどうにかなるような話じゃないと思うが……一応気を配っておいてくれ。授業が終わる前には戻るよ。」

 

「かしこまりました。お任せください。」

 

話が早くて助かるな。小声でのやり取りを終えた後、すぐさま教室のドアを抜ける。

 

「ちょっと、リーゼったら!」

 

「グレンジャー、問題ありませんよ。バートリには私の用事を頼んであるのです。他の皆も呪文の練習に戻りなさい! ……トーマス! 杖の振り方が間違っていますよ。それと、ロングボトム! 発音にもっと──」

 

微かに聞こえるマクゴナガルの誤魔化しを背に、階段に向かってズンズン歩き続ける。三階に上がり、ガーゴイル像の前までたどり着くと、校長室を守る彼に向かって合言葉を放った。

 

「フィフィ・フィズビー。」

 

ダンブルドアには悪いが、こと合言葉のセンスに関してはカドガンの方が上だったな。鼻を鳴らしながらガーゴイル像の横をすり抜けて、螺旋階段の向こうにある校長室のドアをノック……しなくていいか。一気に開け放って室内に踏み込んだ。

 

「邪魔するよ、ダンブルドア。」

 

「ごきげんよう、バートリ女史。」

 

ふん、相変わらずつまらんな。急に入ってきた私に一切驚いた様子のないダンブルドアは、にこやかに微笑みながら挨拶を返してきた。どうやら執務机で書き物をしていたらしい。そして焼き鳥は今日もカゴの中で居眠り中だ。

 

しかし、寝てばっかりだな、この鳥。死なない生き物ってのはこれだからいかん。不死の存在ってのは何度か見たことがあるが、どいつもこいつも生きてるんだか死んでるんだか分からんような生活を送っていた。……生を極めると死に近付くわけか。なんとも皮肉なもんだ。

 

考えている間にもズカズカと執務机の前まで進み、右手に持った羊皮紙を叩きつけてやれば……うんうん、それでいい。描いてあるものを見てさすがにダンブルドアは表情を変える。驚愕と、僅かな苦々しさを含んだ表情に。

 

「これは……どういうことですかな?」

 

「先程ハリーが描いたものだよ。『悪夢』の中で見たそうだ。こいつが壁に描かれたコンクリート造りの廃墟で、誰かが拷問されるのをひたすら『奇妙な視点』で眺めていたらしい。おまけに、起きてからずっと傷痕が痛むってオマケ付きだ。」

 

どうやらご老体は早くも状況が理解できたようだ。今や険しい表情に変わっているダンブルドアを見ながら、ハリーから得た情報の続きを捲し立てた。

 

「会話は全てフランス語。レミリアの名前、ホグワーツ、ボーバトン、フランスの都市の名前。そういった単語が辛うじて聞き取れたそうだ。そして拷問していた人物は黒スーツ、拷問されていた者は灰色ローブ。……どう思う? まさかただの夢だとは言わないだろうね?」

 

「……『奇妙な視点』というのは?」

 

「第三者で、明らかに人より低い視線だったそうだ。ハリーは『小人の視点』と表現していたよ。」

 

「ふむ。」

 

一つ頷きを放ったダンブルドアは、瞑目して動かなくなってしまう。そのまま十秒、三十秒……おい、一分は経ったぞ。死んだか? だとすれば私が容疑者として疑われかねんな。焼き鳥が罪無きリーゼちゃんの無実を証言してくれればいいんだが。

 

更に数十秒も沈黙が続いた後、ようやくダンブルドアが口を開いた。

 

「少々お時間をいただけますかな? 結論が出たらこちらから連絡します。」

 

「……別にいいけどね。ハリーに何か言伝はあるかい?」

 

拍子抜けだな。分かんないなら分かんないって言えよ。ちょっと呆れた感じに言う私に、苦笑いのダンブルドアが返事を返してくる。

 

「今のところは何も。……ただし、また同じような夢を見た時は話を聞いておいてください。傷痕が痛んだかどうかもです。」

 

「はいはい、了解したよ。レミィやパチェへの連絡はどうする? 私からやろうか?」

 

「いえ、わしがやっておきましょう。ノーレッジには少し相談したいこともありますので。」

 

「それじゃ、任せたよ。」

 

言い放ってから踵を返してドアへと向かう。何一つ解決してないし、何一つ分からなかったが……まあ、ここからは私の仕事ではあるまい。考えるのは吸血鬼の仕事ではないのだ。頼れる魔法使いたちに謎を解き明かしてもらおうじゃないか。

 

パタリと閉じたドアを背に、アンネリーゼ・バートリはゆっくりと短い螺旋階段を上がるのだった。

 



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分霊箱のジレンマ

誤字報告いつもありがとうございます!


 

 

「ダンブルドア、貴方……自覚はあるんでしょうね?」

 

ホグワーツの校長室に響くパチュリーの問いかけを、アリス・マーガトロイドは小首を傾けながら聞いていた。主語が抜けてるせいで何の質問なのかがさっぱりだ。……まあ、パチュリーならよくあることだが。

 

今日はダンブルドア先生に呼ばれて、紅魔館の魔女二人でホグワーツに来ているのである。何やらハリーについての相談があるということだったが……煙突飛行で直接校長室の暖炉に出たところ、私の後から出てきたパチュリーがいきなり質問を放ったのだ。挨拶すらなかったぞ。

 

私たちを出迎えてくれたダンブルドア先生は少し驚いたように目を見開いた後、困ったような苦笑いでパチュリーに返事を返した。なんか、ダンブルドア先生にしてはひどく人間味が感じられる表情だな。嬉しそうにも見えるし、申し訳なさそうにも見える、なんとも不思議な表情だ。

 

「これは、参ったのう。他は誰一人として気付かなかったのじゃが……やはり君には分かってしまうのかね? ノーレッジ。」

 

「当たり前でしょ、ナメないで頂戴。その様子だと自覚はあるみたいね。……どうするのよ? なんなら手伝ってあげましょうか?」

 

「おお、君にそう言ってもらえるのはなんとも嬉しいことじゃ。……しかし、わしはもう決めた。もうずっと前にね。だから、それを貫くことにするよ。」

 

「……あっそ。ならいいわ。」

 

言うと、そのままパチュリーは応接用のソファに座ってしまう。顔には呆れたような、納得しかねるような表情を……ひょっとして、拗ねてるのか? なんとも珍しいこともあるもんだ。

 

普段パチュリーがあまり見せない表情を見て驚く私に、ダンブルドア先生が苦笑を強めながら話しかけてきた。

 

「気にするほどのことではないよ、アリス。さあ、座っておくれ。今日はよく来てくれたのう。」

 

「えっと、はい。手紙にはハリーのことで話があるって書かれてましたけど……。」

 

「うむ。非常に重要で、非常に難解な問題があるのじゃ。故に、君たちの知恵を借りたくて呼んだのじゃよ。」

 

杖を一振りして紅茶を出すダンブルドア先生に、ソファに座りながら返事を返す。ちなみにパチュリーは杖なし魔法でお茶請けのマカロンを自分の手元に引き寄せ始めた。当然、皿ごとだ。

 

「でも、ダンブルドア先生とパチュリーがいるなら、私はあんまりお役に立てないと思いますよ?」

 

私にだってそのくらいの自覚はある。何せこの二人は私の師なのだ。魔法使いとしての教師と、魔女としての師匠。どう考えても私は一歩下がった場所にいるわけだし、この面子に何か助言が出来るとは思えないぞ。

 

ちょっと情けない気分で言う私に、ダンブルドア先生がクスクス笑いながら声をかけてきた。

 

「そうかのう? わしには充分に話に参加する資格があると思うのじゃが……わしは間違っておるかね? ノーレッジ。」

 

「花マルをあげるわ、ダンブルドア。家宝になさい。」

 

「ほっほっほ。では、額に飾っておくことにしよう。」

 

二人のやり取りを聞いて、少し恥ずかしくなって体を縮こませる。うーむ、自分じゃよく分からないが、ちょっとはこの二人に近付けているのだろうか? 私に見えているのは果てしなく遠くにある背中だけなのだが。

 

「それで? さっさと本題に入りなさいよ。ハリー・ポッターに何があったの?」

 

マカロンを食べつつ急かしてくるパチュリーに、ダンブルドア先生が頷きながら説明を語り出した。

 

「うむ、そうしようか。……事の発端はバートリ女史からの報告にあるのじゃ。先日、ハリーが悪夢を見たそうなのじゃよ。恐ろしく精緻な悪夢を。」

 

そのままダンブルドア先生はリーゼ様からの報告について話していく。起きた時に傷痕が痛んだこと、許されざる呪文を使った拷問のこと、出てきた単語のこと、そして壁に描かれたグリンデルバルドの紋章のこと。

 

「──と、いうことじゃ。……どう思うかね? わしにはわしなりの考察があるのじゃが、先ずは先入観無しの意見を聞かせておくれ。」

 

言葉を受けて黙考する二人の魔女のうち、先んじて先輩魔女が言葉を放った。その紫の瞳は渦巻く思考によって細められている。

 

「その前に、レミィにもこの事は話したの? フランスが関わっている以上、彼女なればこそ得られる情報もあるでしょう?」

 

「無論、話したよ。スカーレット女史の予想では、拷問を受けていたのは行方不明になっているフランスの闇祓いではないかとのことじゃった。現在向こうの魔法省から情報を引き出してもらっておる。後でハリーの記憶とすり合わせる予定じゃ。」

 

フランスの闇祓いか。確かに向こうの闇祓いたちは灰色の服を好むイメージがあるな。……こういうのもお国柄ってやつなのだろうか? それともそういう規定があるとか? その辺が自由なイギリスの闇祓いが異常なのかもしれないが。

 

若干思考を逸らしている私を尻目に、ダンブルドア先生の答えを聞いたパチュリーは小さく鼻を鳴らしてから口を開く。

 

「なら、それを待ちたいんだけど。仮説の基礎となる情報は多い方がいいわ。」

 

「うーむ……最初から完璧さを求めるのは君の悪い癖じゃな、ノーレッジ。人にはやり直すことが許されているのじゃ。 先ずは思い切って試してみて、後々ゆっくりと修正すればいいのじゃよ。」

 

「私は人じゃないわ、魔女よ。歪な仮説は嫌いなの。それに、最初が狂えば万事が狂うでしょ? 進めば進むほど、向かう方向は大きくズレていくことになるわ。歩み出しこそが最も重要なのよ。」

 

「ほっほっほ、わしは『歪な仮説』というのが嫌いではないよ。歪なればこそ、変化が楽しめるのじゃろうて。それに積み重ねたものは固く、強靭じゃ。間違いを自覚し、修正を重ねることで、より強固な仮説になっていくのではないかね?」

 

「私は今、楽しいか詰まらないかの話をしてるんじゃないの。正解に行き着くための効率的な道筋の話をしているのよ。そっちこそ余計な寄り道をするのは悪い癖ね、ダンブルドア。昔から貴方は無駄なことに拘りすぎてるわ。」

 

「しかし、一直線に見つめるだけでは決して見えないものがあるのではないかね? あっちをちょこちょこ、こっちをちょこちょこ。それこそが人生の秘訣ではないかのう? 問題の解決もまた然りじゃ。」

 

「また始まった。そう言って論文に余計なことばっかり書き込むから、私が全部カットしてあげたのを忘れたのかしら? 杖の芯材における魔力の伝導効率の差について書いた論文なのに、なんだってホットケーキの美味しい食べ方の話が出てくるのよ。あれは余計なの。いらないの。無駄な寄り道なの。」

 

「おお、ノーレッジよ。あれこそが最も分かり易い説明だったのじゃ。ユニコーンの毛を魔力が伝わる様は、ホットケーキにバターが染み込んでいく様に通ずるところがある。それを非常に的確な表現で説明したつもりだったのじゃが……うむ、君に全て『裁断』されてしまったのう。数日間の努力が一瞬で細切れになる光景は、今でもわしのトラウマじゃよ。」

 

なんか、どんどん話がズレていってるな。殆ど隙間無く喋る二人の間では、もはや『悪夢』の話なんかどっかに行ってしまっている。……賢人二人が話し合うとこんな感じになるのか。放っておいたらどこまでも脱線していきそうだぞ。

 

何故か楽しそうに議論する二人の軌道を修正すべく、咳払いをして言葉を場に投げた。私の役目は多分これだ。ちゃんと修正さえしてやれば、この二人が協力してたどり着けない真実などあるまい。

 

「んんっ……えー、とりあえずは現状の情報で話し合いましょう。二人にはもう分かってるんでしょうけど、ハリーは誰かと『繋がった』ってことですよね?」

 

「……そうね、その可能性が高いと思うわ。」

 

「うむ、わしもそう思う。」

 

途端に二人は本題に戻ってくる。ほら、簡単。議論があれば飛び付いてしまうのがこの二人の性なのだろう。……私だって人のことは言えないが、そういうところだけはそっくりな二人だな。

 

妙なことに感心している私を他所に、パチュリーがティーカップをコツコツ叩きながら口を開いた。何だかんだで話す気になったらしい。

 

「フランス云々に関してはこの際どうでもいいわ。そこはレミィの管轄だしね。今重要なのは、ハリー・ポッターが視点を共有していた『何か』と、起きた時に傷痕が痛んだという事実よ。……単刀直入に聞くけど、リドルだと思う?」

 

「わしはそう考えておるよ。君たちも同感じゃろう?」

 

ダンブルドア先生の問いかけに、パチュリーと二人でコックリ頷く。ハリーに遠見の能力が備わったとかいう素っ頓狂な事態でなければ、リドルと『繋がった』という可能性が一番高いだろう。

 

あの傷痕に関係しているのは三人。リリー、ハリー、そしてリドルだ。その内リリーは既に亡くなっており、当事者のハリーを除けば残るのはリドルだけ。なんとも安直な消去法だが、現状最も確率が高いのはリドルだろう。

 

私たちの頷きを見て、ダンブルドア先生もまた頷きながら話し始めた。

 

「問題は『何故今か』と、『どのようにして』じゃな。聞けば、ハリーはホグワーツに居る間、一度だけ同じような痛みを経験したことがあるそうじゃ。一年生の学期末、トムが賢者の石を盗もうとした正にその日じゃよ。」

 

「また新情報じゃないの。もう隠してないでしょうね? まだあったらぶっ飛ばすわよ。」

 

「おお、怖いのう。そんなに睨まないでおくれ、ノーレッジ。わしは君の怒った顔が一番怖いのじゃ。わしの真似妖怪はきっと君じゃな。」

 

「決めた。ぶっ飛ばすわ。」

 

ああもう、また脱線だ。立ち上がったパチュリーを背後に待機させておいた人形で座らせながら、話を進めるためにも自分の推論を場に放つ。

 

「えーっと、当時のリドルはクィレルの頭に取り憑いてたんですよね? そうなると、ある意味では肉体を持っていたことになります。つまり……そう、リドルが『ゴーストもどき』の状態ではなく、肉体を持って存在していたことが影響しているんじゃないでしょうか?」

 

今のリドルがハリーの視点となった『何か』に取り憑いているとすれば、一応の辻褄は合うはずだ。話しながらも考えを整理していると、私の仮説を聞いたパチュリーが応じるように声を上げた。

 

「それが一つ目の条件だとすれば、他にも傷痕が痛むのには条件があるはずよ。リドルはその一年間ずっとクィレルと肉体を『共有』してたのに、ハリー・ポッターの傷痕は毎日痛んでいたわけではないのでしょう?」

 

「わしは『感情』こそがその条件ではないかと考えておるよ。トムの感情が昂まった時、ハリーにもそれが伝わるのではないかのう? 傷痕の痛みとして、じゃ。」

 

ダンブルドア先生の言葉を受けて、脳内で思考を回し始める。……うん、納得出来る説明に思えるな。何らかの形でハリーとリドルが繋がっているとすれば、片方の感情の爆発が痛みという形で伝わるのはそれほどおかしなことではあるまい。

 

「となると、残る問題は『どのようにして』ですね。四階の廊下での接触以前に痛んでいるとなれば、その前にハリーとリドルが直接関わったのはあのハロウィンの日だけです。……死の呪文が何らかの副作用を起こしたんでしょうか?」

 

私の知る中では、死の呪文を受けて生き残ったのはハリーだけだ。厳密に言えばフランや美鈴さんなんかはそもそも『効いていない』のであって、効果を受けた上で生きている例は唯一無二なのである。そして前例が無い以上、考えるのは容易ではなかろう。……まあ、あくまで私にとってはだが。

 

少なくともパチュリーやダンブルドア先生にとってはそうではないようで、さほど間を置かずにスラスラ議論を続けていく。パチュリーは少し楽しげに、ダンブルドア先生は少し厳しい表情で。

 

「死の呪文そのものというか、使った状況に問題があったんじゃないかしら。……最初に最悪の考えを想定しましょう。分霊箱を製作する条件は誰かを殺して自分の魂を引き裂くことだったわね。有り得ると思う?」

 

「わしは大いに有り得ることだと思うよ、ノーレッジ。そもトムは複数回分霊箱を作ったことで魂が歪んでおったのじゃ。酷くボロボロになっていたことじゃろうて。おまけにあの時はトム自身も一度『死んだ』わけじゃからのう。本人の意図せぬ形で引き裂かれたとしてもわしは驚かんよ。」

 

「奇妙なのは未だ繋がりを保っているところね。……恐らく、本人が意図せぬ形で引き裂かれた所為でしょう。不完全に分かたれたことで、細い糸のような繋がりを保っちゃったんじゃないかしら。」

 

「一年生のハリーがトムと接触した際、トムの身体はハリーに触れると焼け焦げるかのように崩れていったと聞いておる。トムの魂の断片がハリーに流れると同時に、足りなくなった部分にハリーの何かが流れ込んだのかもしれんのう。……つまり、あの時ハリーに満ちていたもの。リリーの護りの魔法が。」

 

ちょっとマズいな。私だけ話から取り残されつつあるぞ。どうやら二人はハリーがリドルの意図せぬ形で作られた一種の分霊箱だと考えているようだ。未だ繋がりを保ってしまっている、不完全な状態の分霊箱だと。

 

うーむ、二人の話を聞く限りではそう有り得なくもないように思えてくるが……そうだとするとかなり厄介なことにならないか? 分霊箱を全て破壊しなければリドルを殺せないのに、リドルを唯一殺せるハリー自身が分霊箱? 滅茶苦茶ではないか、それは。

 

必死に追いつこうとする私を尻目に、二人の話はどんどん進む。二人とも己の思考に没頭して、もはや私のことなど目に入っていない様子だ。

 

「……確かにその可能性はあるわね。リドルの内側に残されていたリリー・ポッターの護りが、ハリーに触れることで活性化したのでしょう。だから外側と内側から同時にリドルを蝕んだってとこかしら?」

 

「さよう。そして恐らく、トム自身も未だハリーとの繋がりには気付いていないのじゃろうて。彼は並外れた開心術師であり、同時に優秀な閉心術師でもあった。気付けば繋がりを閉ざすはずじゃ。」

 

「あるいは、現状だと一方通行なのかしらね。ハリー・ポッターに残されているのはあくまで魂の欠片。だからこそ繋がりを持つ本体に引き寄せられてしまうのでしょう。感情が昂った時に本体の存在をより強く感じる所為で、ハリー・ポッターの意識を本体の方に繋げちゃうってとこかしら?」

 

「睡眠時というのも重要なのかもしれんのう。精神が最も弛緩する時なればこそ、容易くトムの魂と繋がってしまうのじゃろう。……ハリーには閉心術を練習させるべきじゃな。細くとも繋がりがある以上、トムの側からもハリーに影響出来るはずじゃ。それは何としてでも防がねばならん。」

 

ティースプーンで紅茶を掻き回しながら言うダンブルドア先生に、パチュリーが厳しい表情で口を開いた。

 

「そんなもん些細な問題よ。本当に問題なのは、ハリー・ポッターがトム・リドルの分霊箱である可能性が高いってことでしょう? ……これはかなり厄介な事態よ、ダンブルドア。リドルを殺すにはハリーは死ななければならない。しかし、ハリーが死ねばリドルを殺せない。私たちはこの矛盾を解決しないといけないの。この最高に厄介な矛盾をね。」

 

パチュリーの言葉を最後に、校長室は沈黙に包まれる。酷すぎる矛盾だ。これまでリドルを守ってきたものが前座に思えるほどじゃないか。忌々しい運命ってやつはどこまでもあの男に味方するらしい。

 

十三年。その期間でハリーとリドルの魂は深く結びついてしまったはずだ。である以上、狙い澄ましてリドルの魂だけを破壊するってのはあまり現実的ではあるまい。……そもそも、『外側』であるハリーを傷付けずにリドルの魂を破壊可能なのかすら分からんぞ。

 

あるいは、ハリーを殺した後で蘇らせてリドルと戦ってもらうとか? ……バカバカしい。可不可以前にやりたくないし、いくらなんでも無茶苦茶だ。私たち魔女だって万能の存在ではないのだから。

 

厳しい表情で黙考する二人の師を前に、アリス・マーガトロイドはかつてない障害が現れたことを認識するのだった。

 



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第二の課題

 

 

「クソ寒いぜ、あれは。」

 

冬の湖を見ながら呆れたように言う魔理沙に、アンネリーゼ・バートリは深々と頷いていた。そりゃあ寒いだろう。基本的には単なる寒中水泳なのだ。代表選手が心臓麻痺を起こさなきゃいいんだが。

 

二月末。結局あれ以来ハリーが悪夢を見ることはなく、順調に第二の課題が行われる日を迎えたわけだ。ハリーが不完全な分霊箱であるという話は聞いたが……うん、私にどうにか出来るレベルの問題じゃないな。魂やら精神やらに関わる問題な以上、悔しいが知恵者たちに任せる他ないだろう。

 

まあ、そこまで心配はしていない。パチュリー、アリス、ダンブルドア。あの後話した感じだと、三者三様にそれぞれ考えている手段があるようだった。その場でこそ結論は出なかったものの、あの三人ならどうにかしてくれるはずだ。……してくれよ? 頼むから。私はハリーを生贄にリドルを殺すなど御免だぞ。

 

とにかく、私のやるべき事はハリーを対抗試合で死なせないことだろう。分霊箱以前にそれを解決せねばどうにもならん。ハリーが溺死体になっては元も子もあるまい。

 

準備は万全……のはずだ。ハリーは鰓昆布を持ち、水中でも使用可能ないくつかの呪文をマスターし、多少泳ぎを特訓してからマクゴナガルに連れられて選手控え室へと向かって行った。

 

しかも今回は完全な役立たずになる私とレミリアに代わり、アリスが教員たちの座る席に控えている。人形を水中に何体か控えさせているとのことだが……水中人たちがびっくりしちゃわないだろうか? 正しく未知との遭遇だな。

 

ちなみにハーマイオニーとロンはこの場に居ない。クソ真面目なマクゴナガルは律儀に秘密を守っていたが、恐らく取り返すべき『大切なもの』というのは代表選手にとっての親しい人物なのだろう。昨日の夜に連れて行かれて、今はきっと水中で待機中だ。

 

湖底で待つのなど暇じゃないのかと考えている私に、マフラーを巻き直した咲夜が話しかけてきた。いかんな、もっと厚着させるべきだったか?

 

「でも、今回はあんまり盛り上がらなさそうですよね。観客はここで待ってるだけなんですか?」

 

「だろうね。潜って、出てきて、審査して、それで終わりさ。内容はともかく、バグマンは観客にまで考えが回らなかったらしい。」

 

課題そのものは趣向を凝らしていると言えなくもないが、咲夜の言う通り観客的には退屈だろう。それが迫力満点のドラゴンの後なら尚更だ。心なしか私たちの座る観客席も第一の課題の時より安っぽく見える。

 

あの時は雰囲気のあるオーク材で頑丈に作られていたが、今回のはペラペラの木を組んでいるだけだ。隙間も多いし、ガタガタ揺れるし……うーむ、風がないのだけが幸運だったな。これで吹き荒れてたら地獄絵図だったぞ。

 

私も咲夜に倣ってマフラーを巻き直したところで、最前列の手すりから身を乗り出していた魔理沙が口を開いた。そんなことしてると落ちちゃうぞ、わんぱく娘。

 

「なんか……ずっと深くに何かいるな。魚か?」

 

「大イカじゃないか? 遥か昔にスリザリンの卒業生が放していったらしいよ。スリザリン版ハグリッドってわけだ。何処にでも変わり者ってのはいるもんだね。」

 

「あの、夏によく日向ぼっこしてるやつだろ? あれはどう見たって『大イカ』じゃなくて『クラーケン』だと思うんだが……でも、あれよりかはもっとちっちゃいやつだったぞ。人っぽい見た目の。」

 

「それなら水中人だろうさ。ヒントからして課題に協力してるっぽいし、愚かな地上人どもを見物にでも来たんじゃないか?」

 

もしかすると、連中にとってもちょっとしたイベントなのかもしれんな。基本的に水中人は排他的で陰湿な連中だが、この湖に住む水中人はホグワーツと契約を結んでいるのだ。恐らく、遥か昔に創始者たちと。

 

有事にはホグワーツを守るために戦う代わりに、領内の湖の底で暮らすことを許されているらしい。七百年ほど前に起こった『境界の戦い』では、湖からの侵入者を槍を手に戦って押し留めたそうだ。……本当かよ。

 

まあ、未だ創始者たちとの契約を覚えているかはさて置き、少なくとも今の彼らは生徒たちに危害を加えようとはしてこない。大イカしかり、水中人しかり、ホグワーツの湖は彼らによってその秩序を保たれているわけだ。

 

ちなみに、フランによればスリザリンの談話室には水中が覗ける窓があるらしい。確か蛇寮は地下にあったはずだし、湖に面した崖沿いにあるということなのだろう。……ちょっと見てみたいな。今度忍び込んでみるか。

 

他寮の談話室に思いを巡らせていると、審査員席から立ち上がったバグマンが拡声された大声を放った。ようやく開始の時間になったようだ。

 

『ごきげんよう、観客の皆様! ごきげんよう、審査員の皆様! 天気にも恵まれた今日、遂に第二の課題が執り行われることとなりました!』

 

「審査員、一人足りなくないか? クラウチだったっけ? あの無愛想なヤツが居ないぞ。」

 

「おや、本当だ。代わりに見ないのがいるね。」

 

実況の合間に話しかけてきた魔理沙の声に従って見てみれば、確かに審査員席にはクラウチの姿が欠けている。代わりに座っているのはパリパリのローブを着た若い魔法使いだ。いかにも新入りですって感じの。

 

私たちの疑問に応えるかのように、バグマンがクラウチに関しての説明を始めた。

 

『さて、さて。ここで一つ残念なお知らせがあります。どうもクラウチ氏は体調不良のようでして、代わりに国際魔法協力部の部下の方が来てくださいました。ロビン・ブリックス氏です! どうぞ大きな拍手を!』

 

バグマンに促された観客席からは、パラパラと儀礼的な拍手が上がる。……つまり、クラウチはサボりか? 第一の課題の時もどう見ても楽しんではいなかったし、いよいよ面倒くさくなったのかもしれんな。それにまあ、レミリアと何度も顔を合わせるのは気まずかろう。

 

何にせよ、代打となったブリックスはクラウチほど優秀な人物ではなさそうだ。今も立ち上がろうとして机に足をぶつけているし、痛みに顔をしかめながらペコペコとお辞儀する様はなんとも頼りない。なんかこう、ロングボトムに似てるな。困ったような愛想笑いがそっくりだぞ。

 

座る時に今度はお腹をぶつけたブリックスを呆れた目線で眺めていると、バグマンは次に競技に関しての説明を語り出した。第一の課題の時と同じく、なんとも得意げな表情だ。

 

『拍手をどうも! ……それでは、代表選手たちが入場する前に課題に関しての説明をしておきましょう! 第二の課題の内容は単純明快! この深い湖の底に隠された、各選手たちにとって『大切なもの』を取り戻すだけです! ……しかし、当然ながら選手たちは水の中で息をすることなど出来ません。それを解決するためにどんな魔法を使うのか、そしてこの場に戻ってくるまでどれほどの時間がかかるのか、そういった項目を審査の対象とさせていただきます!』

 

うーむ、鰓昆布は魔法じゃないぞ。反則じゃないよな? 箒がセーフだったから大丈夫だとは思うんだが……まあ、最悪零点でも構わんのだ。死ななきゃ安いさ。

 

「ひょっとして、大切なものって先輩たちのことなんですかね? ハーマイオニー先輩はクラムさんの、ロン先輩はポッター先輩の相手として。だから昨日の夜から姿が見えなかったんですか?」

 

バグマンの解説を受けて首を傾げながら聞いてきた咲夜に、肩を竦めて返事を返す。

 

「多分そうだと思うよ。口には出さなかったが、ハリーも薄々勘付いてるんじゃないかな。」

 

「……それって、大丈夫なんでしょうか? こんなに寒いのに。それに、息とかも。」

 

「ダンブルドアかマクシームあたりが何か魔法を使ったんだろうさ。バグマンはともかくとして、校長たちが生徒を水死体にするわけがないだろう?」

 

「じゃあ、ポッター先輩もその魔法を使えば良かったんじゃ?」

 

確かにそうだな。人質にはどんな魔法を使ってるんだろうか? ……いや、パチュリーが教えなかったということは、ハリーには使い熟せないレベルの魔法なのかもしれない。ダンブルドアが知っててパチュリーが知らないってのは有り得んはずだ。

 

どうやらこの広い魔法界には、私の知らない呪文がまだまだ沢山存在しているらしい。この前の呪文学で出た靴磨き呪文なんてのも知らなかったし。……ただまあ、正直清めの呪文との違いがさっぱり分からなかったが。艶が出るとかか?

 

もしくは革製品専用の魔法なのかもしれないな。私が謎の呪文について考え始めたのを他所に、魔理沙が再び湖の方に身を乗り出しながら口を開いた。

 

「でもよ、私もいつか潜ってみたいな。水中人の住んでるところってのも見てみたいし、何より深い水の底ってのはワクワクしないか? きっと良い経験になるぞ。」

 

「そう? 私はちょっと怖いわ。水がどうこうっていうよりかは、自分が自由に動けない環境ってのが嫌なの。やっぱり人間は地上にいるべきよ。」

 

「おいおい、私たちは魔法使いなんだから、その辺は魔法で解決すりゃいいんだよ。……泡頭呪文か。今度二人で練習してみようぜ。さすがに今の季節は潜る気にならんが、夏にちょっと泳ぐくらいなら咲夜も平気だろ? 」

 

「まあ、そのくらいならいいけど……深いところまでは行かないからね。約束よ。」

 

二年生二人の微笑ましい会話を眺めていると……ようやくか。遠くのテントから出てきた代表選手たちが、緊張した表情でゆっくりと湖の方に近付いてくる。全員がきちんとスイムウェアを着ているところを見るに、卵の謎を解き損ねたヤツはいないようだ。

 

湖の縁で立ち止まった代表選手たちが準備運動をし始めるのと同時に、バグマンが再び実況の声を響き渡らせた。

 

『さあ、いよいよ準備が整いました! 制限時間は一時間! 準備と覚悟はよろしいですかな? 代表選手の皆さん。……結構。それでは、スタート!』

 

割とあっさりめの合図と共に、先ずはディゴリーとデラクールが杖を振って頭を泡のようなもので覆う。どうやらあの二人は実績のある選択肢を選んだようだ。つまり、泡頭呪文を。

 

『さあ、ディゴリー選手とデラクール選手は同じ呪文を選択したようです! 恐らく泡頭呪文でしょうが、果たして制限時間以内に……おおっと、クラム選手は難しい手段に出ました! 変身術でしょうか?』

 

バグマンの実況に従ってクラムへと目を向けてみれば……なんだありゃ? ちょうど恐怖のサメ人間が湖へと飛び込んでいくところだった。肩から上にサメの頭がくっついてるぞ。っていうか、淡水なのに大丈夫なのだろうか?

 

「少なくともイルカとお友達にはなれそうにないね。それに、水中人ともだ。私は連中が未知の化け物に立ち向かうのに賭けるが、キミたちはどうする?」

 

「私は逃げる方に賭けるぜ。……そもそも、あれだと手元が見えないんじゃないか? クラムは首を残すべきだったな。」

 

「確かにそうね。サメの視野ってどのくらいなのかしら?」

 

私たち三人がアホな会話を繰り広げている間にも、一人残されたハリーは浅瀬で口をモグモグさせている。彼はパチュリーの注意書きをきちんと守ることにしたようだ。

 

しかし……うーむ、杖を振ろうともしない姿はかなり間抜けだな。傍から見てると為す術なく佇んでいるようにしか見えないぞ。事情を知っている私ですらそうなのだから、知らぬ生徒たちにとっては尚更のことだろう。スリザリン生たちなんかは嬉々としてヤジを飛ばし始めた。

 

『そして残るポッター選手は……ようやく飛び込んだ! えー、私から見てもどんな手段を選んだのかは分かりませんでしたが、とにかく深く潜って行きます! これで全選手が湖の中へと消えていきました!』

 

マルフォイがこれ以上ない程にニッコニコになった頃、ようやく鰓昆布を食べ切ったハリーが湖の奥底へと消えていく。……それで? こっからどうする気なんだよ。一時間のヒマヒマタイムに突入だぞ。

 

『えー……それでは、解説に移りましょう! 先ずディゴリー選手とデラクール選手が使用した泡頭呪文ですが、これは十六世紀の初頭に開発された魔法でして、それまでは複雑な魔法薬が必要だった水中での魔法植物の調査をするために──』

 

これは厳しい一時間になりそうだな。バグマンの苦し紛れの抵抗を見ながら、アンネリーゼ・バートリは咲夜のマフラーをしっかりと巻き直すのだった。

 



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道徳の価値

 

 

『──した結果、そのまま残されてしまいました。つまり、今のこの湖には昔は無かった横穴がいくつも開いているというわけですな。恐らくダームストラングの方々もそういった抜け穴を通って、遠く離れたホグワーツまで来てくださったのでしょう。』

 

まあ、努力だけは認めようじゃないか。遂に一時間を埋めようとしているバグマンの『トークショー』を聞きながら、レミリア・スカーレットは小さく鼻を鳴らしていた。

 

バグマンはこの日のためによっぽど予習してきたに違いない。代表選手たちが使った呪文の解説から始まり、潜水に有効な魔法薬やら呪文やらを並べ上げ、それらの逸話や誕生秘話などを披露する。そして今やこの湖に関する歴史を話し始めたのだ。

 

ここまでなんの揺らぎもない湖面を見せられるという地獄のような状況が続いているが、少なくとも生徒たちに退屈で居眠りする様子は見られない。このままいけばバグマンは見事に役割を果たせそうだ。……その努力を課題の内容に向けられなかったのか?

 

しかし、アリスの動きが気になるな。恐らくこの会場内で唯一選手たちの状況を把握している彼女は、目を瞑ったままで時折もどかしそうに脚を揺すっているのだ。仕組みはさっぱり分からんが、湖の中に配置している人形と視覚を共有しているらしい。

 

向こうでマクゴナガルが心配そうにアリスを見ているのを眺めていると、隣に座るブリックスが話しかけてきた。短い金髪の下には頼りなさげな童顔が引っ付いている。父親に全然似てないな、こいつ。

 

「あのぅ、スカーレット女史。寒くはありませんか? お飲物をお持ちしましょうか? 紅茶とか、ホットコーヒーとか……そう、ココアとか。」

 

「不要よ、ブリックス。そもそも貴方は審査員としてここにいるんでしょうが。シャンとしてなさい。シャンと。」

 

「あー、はい。気をつけます。」

 

私がココアなんか飲むはずないだろうが。……うーむ、目をパチパチさせながらペコペコ頷くのを見てると、なんとも心配になってくるな。クラウチのやつ、もっと向いてるのを選べなかったのか? こいつに比べればクラムの方がよっぽど大人に見えちゃうぞ。

 

ロビン・ブリックス。彼は不死鳥の騎士団に参加していた闇祓いの息子だ。父親はロングボトム夫妻の指導役をしていた男で、スキンヘッドの大柄な男だった。こいつとは似ても似つかぬ頼もしさを醸し出していたものだ。

 

しかし、残念ながら戦争の中期に死喰い人との戦いで犠牲になっている。確かレストレンジ家の誰かにやられたんだったか。……いや、ロジエールだったっけ? あんまり覚えてないな。

 

とにかく、その後ハッフルパフで平和な学生生活を終えたブリックスは、屋敷しもべ妖精転勤室を経て国際魔法協力部に移ってきたらしい。出世街道からかなり外れてるぞ。『窓際コース』を真っしぐらじゃないか。

 

まあ、この様子だと無理もないな。蛙の子は蛙とはいかなかったようだ。遺伝子の不思議さにため息を吐いていると、たわ言を喋っていたバグマンがやおら大声を上げた。どうした? 水死体でも浮かんできたか?

 

『──ですから、大イカには一切の危険はありません。よく人を襲っていると勘違いされるのはジャレているだけであり、精々いきなり水の中に引きずり込まれるだけの……おっと、誰かが上がってきました! 現在の時刻は一時間を僅かに過ぎたところです!』

 

観客たちもバグマンの言葉を聞いて、途端の湖の方を覗き込みながら騒めき出す。うーん、審査員席は地面と同じ高さに設置されているせいで、水中は全然見えないな。台に乗っているバグマンの実況を待つ他なさそうだ。

 

『これは、これは……ディゴリー選手だ! 最初に戻ってきたのはディゴリー選手です! 手には自身の『大切なもの』をしっかりと抱えています!』

 

おっと、最初はディゴリーか。バグマンの興奮した早口の実況が響く中、私たちにも見える浅瀬まで上がってきたディゴリーは……やるな。黒髪の人質をお姫様抱っこで運び始めた。観客へのパフォーマンスなのか素なのかは知らんが、お陰で観客席は大盛り上がりだ。

 

『時間は一時間飛んで三分! ホグワーツのディゴリー選手、一番乗りで課題達成です! どうか盛大な拍手を!』

 

バグマンに促されて更に大きくなった拍手喝采の中、岸まで上がってきた笑顔のディゴリーへと校医のポンフリーが駆け寄って行く。……ふむ。一時間をちょびっと過ぎただけだし、本人にも人質にも怪我はない。九点ってとこか?

 

私がサクッと点数を決めたところで、再びバグマンの声が響き渡った。また誰か戻ってきたのか? 帰還ラッシュだな。

 

『また浮上してくる人影が見えます! 続いて戻ってきたのは……クラム選手です! ダームストラングのクラム選手が戻ってきました! こちらもきちんと人質を連れています!』

 

続いて戻ってきたサメ男は、浅瀬まで上がると変身を解いてこちらに向かって進んでくる。どうやらグレンジャーはすぐに目覚めてしまったようで、自前の足で普通に歩き出してしまった。残念、跪き君はお姫様抱っこの機会を逃したな。

 

『二番手は一時間五分! ディゴリー選手とは僅か二分差で、クラム選手も見事に課題達成です!』

 

むぅ、二分差か。難しいな。クラムはディゴリーと同じように人質にも自分にも傷を許してはいない。これが二位と三位ならば同点でもよかったが、一位と二位になるとどうしても差を付けざるを得ないのだ。悪いが八点ということになるだろう。

 

岸まで歩いて来たクラムとグレンジャーはタオルを受け取り、こちらもそのまま校医に救護用テントへと連れていかれ……ないな。グレンジャーはどうやらハリーのことが気になって仕方がないようだ。髪に引っ付いたゴミを払うクラムの気遣いにも上の空で、祈るように湖面を見つめ続けている。

 

なんかこう、ムズムズする光景だ。やっぱり思春期ってのは理解し難いな。……咲夜にもああいう時期がきちゃうんだろうか? いやいや、パチュリーもアリスも恋愛沙汰には無縁だったし、大丈夫なはずだ。うん、大丈夫。きっと。

 

変に言い寄ってくる男が出てきたら脅しつけてやろうかと考えていると、バグマンが実況する間もない速度で湖面から何かが飛び出してきた。あれは……デラクールか? 小さな人形に首根っこを掴まれているところを見るに、どうやらアリスが介入したようだ。

 

可愛らしい人形に切り傷だらけの女性が引っ張られているという訳の分からん状況を見て、観客席の生徒たちの間では困惑と心配の騒めきが広まっている。人形がニコニコ笑ってるのがなんとも不気味だ。……あの人形娘の感性は相変わらず謎だな。アリスはあれを本気で『可愛い仕草』だと思っているらしい。時と場合ってもんを考えるべきだぞ。

 

そのままポンフリーの下へと連れて行かれるデラクールを見ながら、バグマンが自身も混乱しているような口調で話し始めた。彼にとっても意味不明な状況に見えたようだ。一応事前に説明しているはずなのだが……まあ、聞くと見るとじゃ大違いか。

 

『えー……これは、あー、少々お待ちを。ただ今運営の方で協議をさせていただきます。』

 

困惑顔で台を下りたバグマンに、アリスが近寄って何かを話しかけている。……うんうん、片眼を閉じたままなのはさすがだな。ハリーの監視はきちんと続けているらしい。

 

そのまま一分弱の説明を聞き終えると、再びバグマンは台に上がって声を響かせた。

 

『お待たせいたしました! 非常に残念なことに、デラクール選手はリタイアとなります! 水魔に襲われて水草が脚に絡まり、パニックになって泡頭呪文が解けてしまったようです! そこを運営の方が救出してくださった形となります。』

 

なんか、いつの間にかアリスが『運営の方』にされちゃってるぞ。アリスを連れてきたのは私なんだから、『スカーレット女史のお陰で』と言うべきだろうが。どうやら貴重な若年層の支持を取りこぼしてしまったようだ。

 

私が上手いこと言ったバグマンをジト目で睨んでいる間にも、会場を包む状況はどんどん進行していく。ポンフリーの手によって目覚めたデラクールは半狂乱で湖へと戻ろうとして、それを慌てて駆け寄ったオリンペが制止し始めた。冷静に考えれば人質が死ぬわけないだろうに。……よっぽど重要な人物が人質になってるのか? ダンスパーティーの時の態度からして、あの時のパートナーではなさそうだな。

 

ひたすら湖に向かって祈るグレンジャーと、あの手この手でその気を引こうとするクラム。毛布に包まれて離れた場所から状況を見守るディゴリーと黒髪の人質。ようやくちょっとだけ落ち着いてきたデラクールと、その周囲でふわふわ浮いている人形に興味が移ったらしいオリンペ。

 

一気に慌ただしくなった場を苦笑しながら眺めていると……ようやくか? バグマンが興奮した感じで声を上げる。どうやらハリーは溺死体以外の姿で戻ってきたようだ。

 

『おっと、遂に最後の人影が見えてきました! ポッター選手でしょうか? 徐々に浮かび上がって……これは凄い! ポッター選手、自分の人質の他にもう一人誰かを抱えています!』

 

もう一人誰かを? ……消去法でいくならデラクールの人質ということになるな。どこぞのアクションスターじゃあるまいし、まさか水中人を逆に人質に取ったということはなかろう。しかし、何故そんなことを?

 

観客席から歓声が上がる中、ようやくハリーが浅瀬へと顔を出した。その両手には確かに二人の人質が抱えられている。ウィーズリー家の末弟と、銀色の髪の幼い少女。まったく同じ髪色なのを見るに、どうもデラクールの身内のようだ。

 

「ガブリエル!」

 

ここまで聞こえるような大声と共に、膝を濡らしながらデラクールが駆け寄っていった。目を覚ましたらしいロン・ウィーズリーとハリーが二人で対応し、そこに加わりたそうにグレンジャーがウズウズし始めたところで……いきなり審査員席に近い湖面から水中人が飛び出してくる。

 

いやはや、今日は人が飛び出すところをよく見る日だな。……まあ、あれを『人』にカウントするかは意見が分かれるだろうが。対外的にはともかくとして、内心では大いに悩むところだぞ。

 

鱗が各所についた灰色の肌に、暗緑色の長すぎるボサボサ髪。目はどぎつい蛍光色の黄色で、首には丸石がジャラジャラついたネックレス……というか、ただのロープを巻きつけている。うーむ、醜い。水中人に生まれなくてよかった。ここだけは冥界の連中に感謝しとこう。

 

ゆったりと水中人の方へとダンブルドアが向かっていくと、そのままジジイと魚もどきは悲鳴のような叫び声で会話し始めた。彼らがマーミッシュ語で話していると知らなければ、今にもダンブルドアを老人ホームに入れたくなるような光景だ。それも厳重監視のとこに。徘徊しながらあんな声で叫ばれたら堪らんからな。

 

微妙な表情の審査員たちの前でかなり不気味な会話が繰り広げられた後、ようやく話が終わったらしいダンブルドアがバグマンに向けて声を放つ。その表情は何故か満足げなニコニコ顔だ。

 

「どうやら協議が必要なようじゃ。点数についても合わせて話し合いましょうぞ。」

 

『えー、これより審査員で得点に関しての審議に入ります! 詳細については後ほどお知らせいたしますので、観客の皆様はどうか今暫くお待ちください!』

 

観客に状況を知らせたバグマン、デラクールの下から戻ってきたオリンペ。その二人が審査員席の方へと合流したところで、先ずはダンブルドアが水中人の話を説明してきた。

 

「どうやら、ハリーは一番最初に人質の下へと到着したそうじゃ。しかし、彼は自分の人質だけを連れて戻るのを良しとはしなかったらしい。他の人質が全員救出されるのを見届けるまでその場に留まり、結局デラクール選手が来なかったために彼女の人質も連れて戻ったとのことじゃった。」

 

「素晴らしい! なんとも道徳的だ!」

 

「わたーしもそう思います。アリー・ポッターは正しいことをしまーした。」

 

絶賛するバグマンとオリンペを尻目に、カルカロフが冷たい言葉を場に投げる。

 

「そもそも、ポッター選手は何の呪文を使ったのですかな? 私が見る限りでは杖を振った様子はありませんでしたが。」

 

「マーカス……先程詳細を教えてくれた水中人の女長じゃよ。彼女の話を聞く分では、どうも鰓昆布を使ったようじゃ。詳細は……うむ、不要じゃな。ルードが詳しく説明してくれたからのう。」

 

「いや、見事! 鰓昆布は最も有効な選択肢の一つだ。知恵で経験の差を補ったとは……うん、実にお見事! 脱帽だ!」

 

こいつ……第一の課題の時もそうだったが、えらくハリーのことを気に入ってるな。ひょっとして小鬼とのギャンブルでは彼に賭けているのだろうか? 最年少は大穴だろうし、そう有り得ない話でもなさそうだ。

 

ヨイショしまくるギャンブル狂いをジト目で見ていると、彼はうんうん頷きながら点数の発表を促してきた。

 

「到着順でいきましょう。つまりディゴリー選手、クラム選手、デラクール選手、ポッター選手の順で。私は九点、八点、五点、十点が妥当だと考えますな。……リタイアしたとはいえ、デラクール選手は一時間近く水の中で探索を続けられたのです。基礎的な評価点は付けるべきだと思いまして。」

 

「それなら、わたーしは八点、七点、五点、九点です。」

 

「わしは九点、八点、五点、十点としようかのう。」

 

バグマンの後にオリンペとダンブルドアが発表したのを受けて、慌てて口を開いたブリックスが続く。そういえば居たんだったな。全然喋らないから忘れてたぞ。

 

「えーと、僕は八点、七点、五点、九点でお願いします。」

 

「それじゃ、私は九点、八点、四点、七点にするわ。」

 

『道徳的』だかなんだか知らんが、これはスピードと手段を競う競技だったはずだ。杖魔法のことはよく知らないし、分かり易く順位そのままで点差をつけた方がよかろう。……ハリーは本当は六点にしようと思っていたが、私は空気の読める良い吸血鬼なのだ。

 

しかし残念なことに、一切空気の読めない男が最後に控えていたらしい。

 

「私は六点、十点、二点、三点としましょう。」

 

うーむ、いっそ清々しいな。この場の全員……いや、ブリックスは気まずげに目を逸らしているから、それ以外の全員の呆れた目線もなんのその。カルカロフは当初のスタンスを崩すつもりはないようだ。

 

リタイアしたデラクールが二点なのはギリギリ言い訳出来るとして、他の三人の点数が頗る意味不明だぞ。一位のディゴリーが六点なのに、二位のクラムが十点? そして課題をきちんと達成したはずのハリーが三点、と。彼の頭の中ではどういう計算が成されているのだろうか? 呆れを通り越して興味深くなってきたな。

 

「カルカロフ校長、ポッター選手の得点にもう少し加点を加えてもいいのではありませんか? つまり……そう、生徒たちの模範を示したわけですから。それに、一位のディゴリー選手の点数も低すぎるように感じられるのですが……。」

 

「私は正しい点数を付けたつもりだよ、バグマン。そもそも、第二の課題のテーマは『魔法技能』だったはずでは? 簡単な泡頭呪文よりも難度の高い変身術を評価するのは当然のはずだ。そして、魔法ではない手段を選んだポッター選手の評価が低くなる理由もまた然り。……むしろ、公正な審査員としては私情を抜いた審査をすべきだと思うがね。」

 

「それは……分かりました。では、ディゴリー選手は四十九点、クラム選手は四十八点、デラクール選手は二十六点、ポッター選手は四十八点としましょう。それでよろしいですな?」

 

取りつく島もないカルカロフの言葉を聞いて、バグマンは諦めたように審査内容を纏めてきた。よろしいも何もそうするしかないだろう。……いやまあ、『公正な審査員』のところには全員突っ込みたさそうな顔をしてはいるが。

 

カルカロフを抜いた全員が渋々頷いたのを確認すると、バグマンは再びお立ち台に戻って声を張り上げる。

 

『お待たせしました! それではこれより審査内容を発表したいと思います! 先ずは最初に到着したディゴリー選手。見事な泡頭呪文で──』

 

ま、これで第二の課題も無事に終えることが出来たわけだ。信じられないことに未だ誰も死んでないし、この分だと残る一つもどうにかなりそうだな。……それより今はフランスの問題に集中したい。確証が無いとはいえ、リドルが居た可能性があるのだ。終わったらオリンペと話す必要があるだろう。

 

本当はクラウチとも話して国際魔法協力部とも連携を取りたかったのだが……ブリックスじゃあちょっと頼りないな。手紙で済ますしかないか。肝心な時に休むなよ、まったく。

 

何にせよ、あの忌々しいトカゲ男が何処で何をしているのかを探り出す必要があるだろう。どうせロクでもない何かをしてるに決まっているのだから。……である以上、どうにかして私の庭を荒らす『害虫』を燻し出さねばなるまい。必要とあらば周りの花を多少枯れさせても、だ。

 

バグマンの解説に一喜一憂する観客を横目に、レミリア・スカーレットは次なる問題について考えを巡らせるのだった。

 



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再び、ゴシップ

 

 

「何ともまあ、興味深い記事じゃないか。」

 

同室のラベンダー・ブラウンから渡された週刊魔女を読みながら、アンネリーゼ・バートリは呆れたため息を漏らしていた。さすがにこれは予言者新聞には載せられなかったようだ。驚くべきことに、あの新聞社にも一抹の良心が残っていたらしい。

 

第二の課題が行われてから二週間後。最後の課題は学期末ということで、私たちにも比較的穏やかな日常が戻ってきている。……もちろん星見台での無言呪文の特訓は続けているが。

 

難易度の高い練習内容にハリーはちょっとうんざりし始めたらしいが、リドルの対策にも繋がる特訓を止めるわけにはいかない。最後の課題は間違いなく『最悪の課題』になるぞと脅しつけて、なんとか続けさせているのが現状だ。まあ、あながち嘘とも言えないだろう。バグマンなら何をしてくるか分からんぞ。

 

そんな日々を送りながら今日も授業に向かっている私たちへと、通りすがりのブラウンが週刊魔女を渡してくれたのである。少し気まずげな表情でハーマイオニーの方を見ながら、『読んでおいた方がいい』と言って。……読んだ後だから分かるが、これは彼女なりのルームメイトに対する気遣いだったのだろう。

 

私と顔をくっつけて一緒に読んでいたハーマイオニーは、やれやれと首を振りながら言葉を放った。……かなり冷たい表情だな。ちょっと怖いぞ。

 

「そうね。スキーターは少ない脳みそを振り絞って書いたんでしょう。……鶏より小さい脳みそでも文法を成立させられるとは思わなかったわ。脳科学的大発見ね。」

 

「……怒ってるのかい?」

 

「違うわ、呆れてるの。」

 

嘘だ。絶対怒ってるぞ。……つまり、週刊魔女に載っていたのは、スキーターがハーマイオニーのことについて書いた小さなゴシップ記事だったのである。もちろんながら出鱈目だらけの批判記事だ。というかまあ、それ以外をスキーターが書くはずない。

 

曰く、ハーマイオニーはハリーとクラムの恋心を弄ぶ野心家の悪女で、有名人となれば愛の妙薬を駆使して誑かしまくっているらしい。うーむ、こんなもんを書く方も書く方だが、載せる雑誌も凄いな。未成年に対して容赦が無さすぎないか?

 

「何が書いてあったの? 僕たちにも見せてよ。」

 

「スキーターお得意の妄想ゴシップ記事だよ。ほら、ゆっくり楽しみたまえ。」

 

読みたそうにしているハリーとロンの方へと雑誌を渡しつつも、何故か思案顔で歩くハーマイオニーへと声をかける。幸いにもショックを受けてるって感じではないな。あんまりにも内容がバカバカしすぎたからかもしれない。

 

「まあ、気にしないのが一番さ。キミは愛の妙薬なんか作っちゃいないだろう? ダンスパーティーの時の姿を見る限り、特に必要なさそうだしね。」

 

「残念ながら愛の妙薬は作ってないけど、『第二の課題の際に救出してくれたビクトール・クラムの言葉には耳を貸さず、ひたすら湖を見つめながらハリー・ポッターが戻るのを祈っていた』って部分は本当だわ。……スキーターはどうやってこんな情報を得たのかしら? ハグリッドの記事を書いた後、ホグワーツには立ち入り禁止になったはずでしょう?」

 

ハーマイオニーの言う通り、スキーターは第二の課題以前にホグワーツの領内には入れなくなっている。半巨人云々の記事に対して、ダンブルドアが予言者新聞社に厳重抗議をしたらしいのだ。……まあ、それでものらりくらりと躱され続けた結果、最後はダンブルドアがホグワーツの自治権を行使して立ち入り禁止を押し通したらしいが。さすがは我らの予言者新聞社だな。

 

「生徒から聞いたんだろうさ。スキーターは城にこそ入れなくなったが、ホグズミードには未だ滞在中のようだしね。どうせ蛇寮のバカどもが面白おかしく話したんだろうよ。」

 

その光景が目に浮かぶようではないか。きっと滅茶苦茶に脚色して話したに違いない。そこから更にスキーターが面白くするための『修正』を加えたとなれば……うーむ、それにしてはちょっとお優しいかな?

 

鼻を鳴らして言った私に、ハーマイオニーは疑問げな表情を崩さずに反論してくる。内容よりもそっちの方が気になって仕方がないようだ。

 

「有り得ないわ。ビクトールと私の会話までそのまま載ってるもの。観客席どころか、ちょっと離れた場所のディゴリーたちにだって聞こえなかったはずよ。」

 

「それじゃ、君は本当にこんなことを言ったのか? 『貴方のお陰で助かったわ。本当にありがとう、ビクトール』って? 君はあいつが助けなくても安全だったんだ! 安全! そもそも、いつからアイツのことをビクトールなんて呼び始めたんだよ。」

 

「何かの呪文を使ったのかしら? でも、あの時近くにはダンブルドア先生がいらっしゃったし、マーガトロイド先生だっていたのよ? あの二人の目の前でそんなことが出来ると思う?」

 

割り込んできたロンの言葉を完全に無視したハーマイオニーは、私とハリーに至極真っ当な疑問を寄越してきた。……ふむ、確かにその通りだ。杖魔法に疎いレミリアはともかくとして、アリスとダンブルドアがそんなことを許すはずがない。こと魔法であの二人を出し抜くってのは至難の業だろう。

 

ぼんやり考え始めた私に代わり、記事を読み終わったハリーが仮説を放つ。

 

「透明になってたんじゃないかな? 僕のマントみたいなのを使って。……いや、違うか。ダンブルドア先生は見抜けるんだったっけ。」

 

「それに、ムーディもね。あの『グルグルお目々』にはそういう類の魔法や魔道具は一切通用しないはずだよ。」

 

何せパチュリーが作った魔道具なのだ。手紙で確認して知ったが、私の透明化だって見抜かれるほどの代物だぞ。スキーターごときに出し抜けるとは思えない。……それにまあ、あの被害妄想男が見過ごしたというのも有り得ないだろう。透明の誰かが居たら呪文を放たずにはいられないような男なのだから。

 

「君があいつを『ビッキー』って呼ぶ日も近いな。それに、『まるでお姫様のように抱かれたのにも関わらず、グレンジャーは素気無くクラムの話をあしらっていた』ってのも本当なのか? お姫様のように? 正気かい? 君は『歯癒者』の家の娘なんだぞ!」

 

安心したまえ、ロニー坊や。お姫様抱っこをしたのはディゴリーだけだ。未だ雑誌を読みながら捲し立てるロンを再び無視して、ハーマイオニーが顎に手を当てて口を開いた。

 

「とにかく、詳しく調べる必要があるわね。ハグリッドの時もそうだったし、何か思いもよらないような方法があるのよ。それを暴けばスキーターに一泡吹かせることができるわ。」

 

「無視すればいいと思うけどね。こういうのは放っておけば収まるもんだよ。ハリーにハンカチを渡してくるヤツらも長くは保たなかったろう? 騒ぎたいだけのヤツが騒ぐだけで、次の獲物を見つければそっちに流れていくさ。」

 

「そうかもしれないけど、気になるじゃない。……忙しくなってきたわね。しもべ妖精たちのとこにも行かないとだし。」

 

「また行くのかい? ……出禁を食らっても知らないよ。」

 

ミス・スピューはこのところ談話室での演説を取りやめ、直接『被害者たち』への呼びかけをし始めたのだ。双子がうっかり口を滑らせたせいで、しもべ妖精たちの居る厨房への入り方を知ってしまったらしい。……ずっと黙秘していた魔理沙が報われないな。

 

一度だけついて行ったが……うん、酷い光景だった。ハーマイオニーが自由を選び取ることを呼びかけ、しもべ妖精たちは悪魔の囁きを聞いたかのような恐慌状態に陥っていたのだ。化け物から逃げ惑う哀れな民衆、って感じだったぞ。

 

ちなみに賛意を表明したしもべ妖精も一応存在している。誰かの命を救う名人、ドビー閣下だ。マルフォイ家から出た後しばらく放浪した末に、ダンブルドアと契約を結んでホグワーツに就職したらしい。そして驚くべきことに、クソ安いながらも一応給料を貰っているとか。……私の『命を救おうとして』食事に毒を盛らないことを祈るばかりだ。

 

呆れて微妙な表情になっている私に、ハーマイオニーは決意に満ちた表情で話を続けてくる。

 

「根気強く続ければしもべ妖精たちだって分かってくれるはずよ。次行った時にはアメリカで起こったことを紙芝居にして伝えようと思うんだけど……どうかしら? いけると思う?」

 

「『いけない』んじゃないかな、ハーマイオニー。彼らは馬鹿だからああしてるんじゃなくて、理解した上であの立場を望んでるんだ。ガキ向けの紙芝居ってのは些か無礼だと思うよ。」

 

「うっ……そうね。彼らにはきちんとした知能があるわ。文章を冊子にして配ることにしましょう。イギリスでの有名な裁判のことも入れなくっちゃ。」

 

そういうことじゃないんだが……まあいいか。スネイプのローブにバッジを貼り付けることに成功した私には、もう一切興味のない話なのだ。私はしもべ妖精がそれを『悪魔の書』として扱うことに全財産賭けてもいいが、ハーマイオニーが満足するなら文句を言うつもりはない。

 

「おい、ハーマイオニー。『クラムとグレンジャーは何度もホグズミードで逢瀬を重ねている』って書いてあるぞ! これ、本当なのか?」

 

ハーマイオニーは今学期一度もホグズミードに行ってないのを知ってるだろうに。誰一人反応しないのにもめげないロンを尻目に、三人で呪文学の教室へと入って行くのだった。

 

───

 

しかし、私たちの予想とは裏腹に、スキーターの記事を信じるバカはそこそこの数が存在していたらしい。結果としてその日以降、ハーマイオニーの下には『抗議』の手紙が届くようになってしまったのである。……魔法省は脳みその着用義務を布告した方がいいぞ。どいつもこいつも着け忘れてるじゃないか。

 

その内容は『ハリー・ポッターを放っておけ』だとか、『居るべき場所に帰れ、マグル』といった非常にありがたい戯言だ。世にはこれほどまでに暇人が蔓延っていたのか。吼えメールだって何通もきたぞ。

 

ひょっとしたら、前回の予言者新聞の記事も影響しているのかもしれない。彼らはグリーンの瞳から涙を零すハリーのことを放って置けなかったのだろう。なにせ記事が出てから一週間経った今でも、朝食のテーブルの上には手紙の山が乗っかっているのだから。

 

「……有名人になった気分だわ。」

 

もはや慣れた手つきで『不要な』手紙を分別するハーマイオニーに、現実を知らせるための言葉を投げかける。

 

「実際なってるんだよ、ハーマイオニー。今やキミはアホどものスターさ。自分で何かを考えられないアホどものね。」

 

「こんなの資源の無駄よ。便箋が勿体無いじゃないの、まったく!」

 

手が腫れる薬品が仕込まれているという不愉快な事件があって以降、彼女は知らないヤツから送られてきた手紙は開けようともしなくなったのだ。正しい選択だぞ、ハーマイオニー。

 

ちなみにその時は咲夜がパチュリーから持たされている薬でなんとかなった。……ついでにハーマイオニーの手がツヤツヤになってしまったが。数日経った今でもツヤツヤが持続しているところを見ると、もはや薬なんだか美容品なんだか分からんな。薄めて売ればひと財産築けそうだ。

 

「しっかしまあ、暇なヤツが多いもんだな。誰が読んでるんだ? ああいうの。」

 

廃棄に回される手紙の束を見ながら言う魔理沙には、シリアルのたっぷり入った皿に牛乳を注いでいるロンが答えた。嫉妬に燃える彼にとってもハーマイオニーの現状はさすがに哀れに思えたようで、最近はクラムについての文句を言ってこなくなっている。

 

「うちのママみたいな主婦とかだよ。……まあ、スカーレットさんのことを悪く言うから、だいぶ前に取らなくなっちゃったけどさ。」

 

「他にはどんなことが載ってんだ? まさかゴシップだけってわけじゃないんだろ?」

 

「掃除に役立つ呪文とか、どっかの歌手が結婚したとか、ロックハート特集とか。つまんないのばっかりさ。読む価値ゼロだよ。」

 

「へぇ。……週刊ってことは、毎週出てるってことだろ? よく書くことがあるな。」

 

パンに色々な食材を挟みながら言う魔理沙に、今度は咲夜が呆れた表情で返事を返した。

 

「予言者新聞と同じで、書くことがないからこんな大嘘を書いてるんでしょ。年刊にすればいいのよ。それで丁度いいわ。」

 

「食ってけないだろ、それじゃあ。」

 

「なら廃刊すればいいじゃない。」

 

かなり滅茶苦茶なことを言い始めた咲夜もまた、この状況に対して結構怒っているようだ。レミリアの記事で苛々が溜まり、ハーマイオニーの一件で爆発したのかもしれない。……ハリーの時にはあんまり関心がなかったのがなんとも切ないな。

 

その件のハリーはといえば……おやまあ、上の空でレイブンクローのテーブルを見つめている。脅迫文騒ぎもなんのその、『黒髪のあの子』が気になって仕方がないらしい。横恋慕は報われんぞ。私はその生き証人を知ってるのだ。

 

「ハリー、あんまりジッと見つめてると薄気味悪がられるぞ。」

 

「……もうやめるよ。」

 

「それがいいね。私はキミがレイブンクローで『クリーピー・ポッティー』なんて呼ばれて欲しくはないんだ。あるいはまあ、『熱視線マン』とかも有り得るかな。」

 

「……もう、絶対に見ない。チラッともだ。」

 

私の忠告に耳を貸した生き残った男の子は、決然とした表情で目の前の水差しに向き直った。チョウ・チャンに熱視線マン呼ばわりされるのは嫌だったらしい。どうせ明日にはまた見つめ始めるくせに。

 

クスクス笑ってから脅迫文の一通を抜き取り、適当に杖で火を点ける。……ま、ハーマイオニーもそれほど気にしてはいないようだし、吠えたいヤツには吠えさせておけばいいのだ。彼女が深く傷付くようだったらホグズミードまで出向いて『然るべき対処』をしたが、この分だと必要なさそうだな。

 

何にせよハリーの訓練を進めなければなるまい。最後の課題もそうだが、いよいよ魔法界がきな臭くなってきた今、私のすべきことはそれだ。レミリアも動いているし、聞けばアリスにも仕事が割り振られたらしい。私だけが呑気にバカみたいな記事に振り回されているわけにはいかんだろう。

 

次に教えるべき呪文のことを考えながら、『ゴミ』が燃え尽きた後の灰をアンネリーゼ・バートリはそっと吹き飛ばすのだった。

 



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とある闇祓いたちの旧交

 

 

「アリス・マーガトロイドよ。よろしくお願いするわね。」

 

目の前でペコペコ頭を下げるフランス魔法省の役人に、アリス・マーガトロイドは端的な自己紹介を放っていた。なんとも頼りなさそうな見た目だな。大丈夫なのか? こいつ。

 

場所はマルセイユより少し北、アヴィニョンのほど近くにある小さな町角。つまりはフランス南部の田舎町だ。私がこんな場所を訪れているのは当然ながら観光のためではなく、レミリアさんから割り振られた仕事のためである。……いやまあ、少しは観光もするつもりでいるが。

 

これでも『年頃』の女の子なんだし、何よりフランスは人形作りの本場。見たいものも、行きたいところも山ほどあるのだ。無論これまでだって何度も来たことはあるが、人形作りの道に終わりなどない。今回もお目当ての人形店を巡るとしよう。

 

しかし……イギリスに居る分には全然実感が湧かないが、現在のフランス魔法界はギリギリのバランスの上で成り立っているらしい。民衆の動揺、各国からの疑い、そこから起こる小規模ないざこざ。負の天秤に掛けられたそれらに抗うために、レミリアさんやフランス魔法省が必死にバランスを取っているようだ。

 

そしてその原因となった事件を探るべく、レミリアさんによって私が……というか、私と美鈴さんがフランスに派遣されたのである。私が表、美鈴さんが裏って感じに。

 

美鈴さんは今頃、『裏側』の実力者へとコンタクトを取っているはずだ。レミリアさんの予想では、彼らにとっても今回の騒動は望まぬものである可能性が高いらしい。……そりゃそうか。関わりの少ない私にはさっぱり分からないが、彼らにも彼らなりの通すべきルールというものがあるのだろう。

 

うーむ、イギリス魔法界だとそういった組織は存在していないし、なんだかちょっと気になっちゃうな。小説みたいに、ハードボイルドな世界観だったりするのだろうか。……美鈴さんがハードボイルド? いまいち想像つかないぞ。

 

何にせよ、私の担当は表だ。つまり、レミリアさん個人が送り込んだ戦力としてフランス魔法省に協力しつつ、フランスで蠢く連中の情報を探ることになっている。……身も蓋も無い言い方をすれば、レミリアさんの『私兵』とも言えるだろう。全然関係のない戦力をスルリと滑り込ませてるあたり、フランス魔法省に影響力の強いレミリアさんなればこそ出来る荒技だな。

 

そんな私の案内人となるフランス魔法省の役人は、再びペコリとお辞儀をしながら流暢な英語で挨拶を返してきた。薄くなった頭と、酷く草臥れた灰色のローブがなんとも哀愁を誘う見た目だ。

 

「いや、ご丁寧にどうも。私はルネ・デュヴァルと申しまして、フランス闇祓いの長を務めております、はい。」

 

「……えっと、闇祓い局の局長ってこと?」

 

「イギリス式に言うとそうなりますね。こちらでは魔法治安保持局直下の、闇祓い『隊』ということになりますが。」

 

ってことは、普通に大物じゃないか。どうやら見た目通りの男ではなさそうだ。恐らくその治安保持局とやらがイギリスでいう魔法法執行部に当たるのだろう。……つまり、この男は実働部隊のリーダーということになる。並みの実力では就けない椅子のはずだぞ。

 

目の前の男に対する認識を若干改めながらも、情報の共有のために口を開く。割と雑な指示で送り出されたせいで、いまいち状況を把握しきれていないのだ。

 

「それで、私についての話はレミリアさんから聞いてるかしら? 行けば分かるって言われてるんだけど……。」

 

「ええ、勿論ですとも。その……見た目とは裏腹に、『熟練の』魔法使いであると聞いております。故に戦力として期待して構わない、と。」

 

「変に気を遣わないで結構よ。要するに年寄りってことでしょ? 事実だしね。」

 

「あー……まあ、噛み砕けばそうなりますね。」

 

いやはや、私もこういう気の遣われ方をする歳になったか。昔は笑って見ていられたが、実際やられる立場になるとそうも言ってられないな。レミリアさんみたいに年齢不詳で通す方がまだマシかもしれんぞ。

 

内心ちょっとだけ苦い気分になっている私に、デュヴァルがペコペコしながら話を続けてきた。……もしかするとお辞儀をするのが癖なのかもしれない。立場からして、あんまり頭を下げない方がいいと思うのだが。

 

「なんとも頼もしい限りです。……ちなみに、吸血鬼の方ではないのですよね? いや、最近同じ名前の吸血鬼がイギリスの本に出てきたもので。もしかしたらと思いまして。」

 

「あら、マグルの本まで読むのね。……でも、残念ながら人間よ。あっちはフィクションだし、何よりスペルが違うわ。あっちはuとyだけど、私のはaとiなの。」

 

「ああ、なるほど。古い方の『マーガトロイド』でしたか。これはとんだ失礼を。」

 

「構わないわ。珍しい名前だしね。勘違いするのも無理ないわよ。」

 

……短いやり取りだったが、デュヴァルに関していくつかのことが分かったな。一つはマグルに対してそう悪くない印象を持っているということだ。でなければマグル界のファンタジー小説など読まないだろう。私だってパチュリーがいなければ読まなかったくらいだし。

 

もう一つはイギリス魔法界の文化について詳しいということ。『古い方の』という言葉が出てくるのにはちょっとびっくりしたぞ。……いや、レミリアさんから名前を聞いて事前に調べたのかもしれないな。博識か、用心深いか。どっちにしろ無能ではなさそうだ。

 

いくらかの関心と僅かな警戒を脳裏に刻んだ私へと、デュヴァルは伺うように問いかけてくる。

 

「それでですね、実は少々込み入った事態になっておりまして。この場所を待ち合わせに指定したのは、近くに例の犯人たちが拠点として使用している可能性の高い建物があるからなのですが……その、監視役から先程人の出入りがあったという連絡が入ってきたのです。私は制圧に向かわなくてはならないので、少しの間カフェか何処かでお待ちいただけないでしょうか?」

 

「えーっと、部隊が待機してるってこと? それはまた、慌ただしい時に到着しちゃったみたいね。」

 

「いえいえ、相手の人数も少ないようですので、私一人で行く予定です。……何とも情けないことに、今は人手が足りないものですから。」

 

これは、どう読み取ればいいんだ? 実際申し訳なさそうに言っているようにも見えるし、暗に実力を見せてみろと言われている気もする。……そもそも、『人手が足りないから一人で突入する』なんてのは絶対に嘘だろう。私はフランス闇祓いについて詳しいわけではないが、幾ら何でもそこまで無茶苦茶な組織ではないはずだ。

 

まあ、私はレミリアさんから遣わされた『戦力』という立場でここに来ているわけだし、彼女の面目を保つためにもそれなりの働きをせねばなるまい。少なくともここで『はい、待ってます』と言うのは情けなさすぎる。

 

「それなら私も同行しましょうか? 勿論、邪魔でなければだけど。」

 

「それは……戦闘になる可能性もありますが、よろしいので?」

 

「当然よ。そのために来たわけだしね。」

 

一応準備はしてきたのだ。肩を竦めて言い放つと、デュヴァルはさほど悩まずに返事を返してきた。やっぱり探られてたか。しかし、私がノーと言ったらどうするつもりだったんだ? 本当に一人で突入したとか? いや、さすがに無いか。……無いよな? ムーディじゃあるまいし。

 

「いや、助かります。一人では心細かったものですから。……それでは、早速行きましょう。追えますか?」

 

「当たり前でしょ。これでも『熟練の』魔法使いなのよ?」

 

「これは失礼を。では……。」

 

言いながら姿くらましをしたデュヴァルに続いて、杖を振って後を追う。姿くらましを追うのには様々な条件があるが、それなりに腕の立つ魔法使いなら『くらました』直後の足跡を追うのは難しくはない。本当に直後しか無理だが。

 

そのまま慣れた移動方法でたどり着いた先は……廃墟? ボロボロの大きな工場の前だった。明らかにもう使われていない、ヨーロッパじゃ珍しい規模のマグルの巨大工場だ。うーん、ここまで大きいとちょびっとだけワクワクしちゃうな。パイプ、タンク、そして建物。全てが大きい。

 

「自動車を作っていた施設だそうです。マグルは面白いことを考えますな。機械で機械を作るそうですよ。」

 

「魔法とはまた違った方向の知恵ね。ここまでの規模になると脱帽よ。……フランスじゃマグルに対する姿勢は友好的なの?」

 

工場の……裏口かな? 何もかもが大きくていまいち判断がつかないが、それらしき場所に向かって歩くデュヴァルの背に続きながら問いかけてみると、彼は肩を揺らして返答を寄越してきた。どうやら苦笑しているらしい。

 

「基本的にはイギリスとほぼ同じですね。『古くさい』考え方をする家もありますが……まあ、そちらよりかはそういった声が聞こえないのかもしれません。大陸の魔法使いたちは、大戦の時に多くのことを学びましたから。」

 

「グリンデルバルドが残した唯一の『功績』ってわけね。イギリスも少しは見習って欲しいもんだわ。」

 

「表裏一体というわけですな。それに、多くの魔法使いが死んだせいで他国やマグル界と結びつく者も多くなったのです。今では所謂『純血主義』的な考え方はもう古く……おっと、警報魔法ですね。」

 

話の途中、裏口のゲートに差し掛かったデュヴァルが杖を振って警報魔法を解呪し始める。お見事。きちんと探知しながら進んでいたようだ。

 

「ここからはうちの子に先行させるわ。何人入って行ったの?」

 

「五人と聞いていますが……『うちの子』?」

 

「この子たちよ。」

 

疑問顔のデュヴァルが解呪している間に、人形を三体空中から工場内へと放った。もちろん隠蔽魔法をたっぷりかけた偵察専用の子たちだ。手練れならともかくとして、その辺の三下にはそうそう見つかるようなことにはなるまい。私の人形たちは可愛い上に優秀なのだから。

 

私から離れた途端に姿を消した人形を見て、デュヴァルは感心したように口を開く。

 

「それが『七色の人形使い』の所以ですか。見事なものですな。動きも滑らかですし、造形も素晴らしい。」

 

「あれは前回の戦争より後に作った子たちなんだけどね。……やっぱり事前に調べてたってわけ? 随分と用心深いじゃないの。」

 

「いや、まあ……失礼のないようにと思いまして。とはいえ、それ以前にも貴女のことは知っていたのですよ。アラスターから聞きましてね。」

 

「……ムーディから?」

 

これはまた、意外な名前が出てきたな。あの男のファーストネームを聞く機会は少ないから一瞬気付かなかったぞ。解呪が完了したのを見て再び歩き出しながら聞く私に、デュヴァルは一つ頷いてから説明してきた。

 

「私がまだ新人だった頃に、魔法生物の密輸事件でイギリスと合同捜査をする機会があったんです。その時アラスターの杖捌きを見て鼻っ柱をへし折られたわけですよ。恥ずかしながら当時の私は些か……その、調子に乗っておりまして。自らの杖捌きを過信していたのです。」

 

「あら、今の貴方からじゃ想像できないわね。」

 

「いやはや、お恥ずかしい限りで。あの頃はまだまだ私も青かったのですよ。……とにかく、同世代の魔法使いに初めて劣等感を抱いた私は、アラスターに事あるごとに対抗するようになりましてね。そんなことを続けるうちに親しくなっていったのです。」

 

「ムーディと、親しく? ……物凄いことを成し遂げたじゃないの、貴方。それは偉業よ。」

 

あの男が誰かと『親しく』しているところなんて想像できんぞ。警報装置以外に友人が存在したとは知らなかった。私が言わんとしていることを理解したようで、デュヴァルは苦笑いを浮かべながら続きを話し始める。

 

「ありきたりな友人関係ではありませんでしたが、それでもちょくちょく連絡は取り続けました。そして私の髪は薄くなり、アラスターを構成するいくつかの『パーツ』が無機物に変わった十数年ほど前、闇祓いの国際合同会議で会う機会があった時にちょっとした質問を放ったのですよ。『イギリスに君より強い魔法使いはどれほどいるのか』とね。私は精々ダンブルドア氏の名前が出るだけだと思っていましたが、意外な答えが返ってきたのです。」

 

「ムーディは何て答えたの?」

 

「アルバス・ダンブルドア、パチュリー・ノーレッジの二人には足元にも及ばず、アリス・マーガトロイド、ミネルバ・マクゴナガルの二人とは十度戦って八度は負けるだろう、と言っていました。あの歳にして、私が世界の広さを知った瞬間ですよ。」

 

「それはちょっと……驚きね。ムーディがそんなことを言うとは思わなかったわ。」

 

いっつもツンケンしてたってのに、私たちのいない場所ではそんなことを言っていたのか。私やパチュリーの名前が出てくるということは、戦争後の話なのだろう。……戦争中ならテッサの名前も出ているはずだ。

 

無愛想なグルグル目玉の意外な一面を発見できたところで、魔力の糸から伝わってきた情報を感じて気を引き締める。どうやら楽しい思い出話の時間は終わりのようだ。

 

「……さて、興味深い昔話も聞けたことだし、退屈な仕事に戻りましょうか。向こうの建物に九人いるわよ。広い部屋の中央にテーブルがあって、七人がそこで何かを話し合ってるみたい。残りの二人は東側の隅で寝てるわ。」

 

片眼を瞑りながら言う私に、デュヴァルは心底羨ましそうな表情で返事を返してきた。どうやって入手した情報なのかには察しがついたらしい。

 

「……あの人形、訓練すれば我々にも使える物なのですか? 是非とも我が隊に取り入れたいのですが。」

 

「残念ながら、一から教えると半世紀はかかるわね。諦めなさいな。」

 

「残念です。……いや、本当に。」

 

よほど適性が無ければ半世紀教えても無理だろう。私でさえ未だに『完璧』とはいえないのだ。……しかしまあ、ずっと一緒に研究してきたパチュリーはともかくとして、ダンブルドア先生ならなんとか使えそうだな。『糸』以外の方法を何か編み出してしまいそうだ。

 

そういえばダンブルドア先生には自律人形のことを詳しく話したことがなかったっけ。今度相談してみるのもいいかもしれない。あの人なら私やパチュリーとは違った答えを見つけ出せるかもしれないし。

 

イギリスに帰ったら早速訪ねてみようと考えつつも、人形が偵察済みのルートを辿って件の建物へと向かう。……見慣れぬ機械がいっぱいあってなんだか面白いな。これも自動車を作っていた機械なのだろうか? アーサーが見たら興奮しすぎて気絶しそうだ。

 

足音を忍ばせて件の建物のコンクリートの壁まで近付くと、デュヴァルが杖を抜いて声をかけてきた。……よく見ると、今まで見たこともないほどに短い杖だ。材質も独特だし、フランスの杖作りの作品なのだろうか? パチュリーの杖もかなり短めだが、それよりなお短いぞ。

 

「私が入り口を『作り』ますので、突入したらマダムは向かって右をお願いします。」

 

「了解よ。それと、マダムはやめて頂戴。ミスでいいわ。」

 

「失礼、ミス・マーガトロイド。では、掛かりましょう。……コンフリンゴ(爆破せよ)!」

 

素材や芯材のことを考える私を他所に、独特の言い回しと共にデュヴァルが壁を……あー、やり過ぎじゃないか? 信じられないほどの規模の爆発で吹っ飛ばしたぞ。そりゃあムーディと気が合うはずだ。見た目と違って思い切りがいいらしい。

 

呆れながらも土煙を突っ切って室内に足を踏み入れてみれば、安っぽい大机を挟んで何やら議論をしている七人の黒ローブが見えてくる。人形の視界を通した時と同じく、残りの二人は隅っこの小汚いマットレスで横になっているようだ。こっちは先行させてた人形たちで十分対処可能だろう。

 

「何だ? 何が──」

 

うーん、落第点だな。杖を抜かずに呆然としている右手の二人をちゃちゃっと無言呪文で気絶させて……おや、多少動けるのもいるのか。私の方では一人、デュヴァルの方では二人が素早く杖を抜いて反撃を放ってきた。

 

インペディメンタ(妨害せよ)……クソが、デュヴァルだ! 先に逃げろ、ケスマン! エクスパルソ(爆破)!」

 

「悪いけど、それは無理ね。……ステューピファイ!」

 

無言呪文で体勢を崩した後に本命の失神呪文で右の一人を無力化して、一対二を演じているデュヴァルの方へと援護に入る。……まあ、デュヴァルが余裕で押してるみたいだが。一人を逃がそうとしているようだが、その隙すら与えていない。

 

「プロテゴ! ……ケスマン、ここまでだ。やるぞ。」

 

「分かっている。……全てはより大きな善のために!」

 

何だ? 私が加わったことで更に劣勢となった二人組は、何を思ったのかお互いの足下に杖先を向け合って……おいおい、嘘だろう? そこまでやるのか、こいつら!

 

「エクスペリアームス!」

 

ボンバーダ・マキシマ(完全粉砕)!」

 

ダメだ、間に合わない。私とデュヴァルの武装解除が激突する直前、黒ローブたちの杖からお互いの足下に向けて爆破呪文が放たれた。直後に受けた武装解除でクルクルと飛んでいく自分の杖には目もくれず、二人の黒ローブは勝ち誇るように笑いながらその眼をそっと瞑り──

 

「プロテゴ!」

 

轟音。交差した二つの呪文が黒ローブたちの足下に激突した瞬間、そこを中心とした凄まじい爆発が巻き起こる。とっさに唱えた盾の有言呪文にガツンガツンと床の破片が激突した後、杖を振って土煙を晴らすと……これは酷いな。変わり果てた室内の様子が見えてきた。

 

「……無事かしら? デュヴァル。」

 

廃墟から解体工事中に変わった床を見ながら聞いてみると、向こうも盾の呪文を使っていたらしいデュヴァルが返事を返してくる。

 

「問題ありません。そちらもご無事で?」

 

「当然無事だけど……しくじったわね。証拠が全部吹っ飛んだわよ。」

 

まさかここまでする連中だとは思わなかった。恐らく証拠の隠滅を図った自爆なのだろう。机の上の書類は当然として、その近くに居た七人は『破片』に変わってしまっている。……『こういうもの』を久々に見ると結構くるものがあるな。どうやら昼食は抜きになりそうだ。

 

転がっている踵だか膝だかを見ながら言う私に、デュヴァルもまた苦い顔で口を開いた。

 

「『当たり』だったようですね。ここまでするということは、あの二人は中心メンバーか何かだったのでしょう。……向こうで寝ていた二人はどうですか?」

 

「気絶してるだけよ。尋問はできると思うけど、あの感じじゃ望み薄っぽいわね。」

 

「でしょうな。」

 

ろくに情報も渡されていない下っ端なのだろう。でなければ爆破呪文の片方を向こうに放ったはずだ。つまり、念入りに破壊していった机周りこそが重要な証拠だったということになる。

 

一応二人を拘束しに向かったデュヴァルを横目に、何か原型を留めている証拠はないかとクレーターの近くに近付いてみれば……ああ、嫌なものを見つけてしまった。これはマズいぞ。

 

「……デュヴァル? この連中はグリンデルバルドのシンパなのよね?」

 

「実際どうなのかは不明ですが、少なくとも対外的にはそう名乗っております。……それがどうかしましたか?」

 

「なら、認識を改めるべきね。」

 

当然ながら予測はしていた。ハリーが見た夢がリドルの視界だとすれば、何らかの関わりはあって然るべきだったのだ。しかし……ここまであからさまな物を見るとやはり堪えるな。十年前にイギリスが払いきれなかった負債が、今度は大陸に圧し掛かっているわけか。

 

先程の黒ローブは自爆の直前、『より大きな善のために』と口にしていたはずだ。それに加えてこれか。早急にレミリアさんとダンブルドア先生に対して連絡を送るべきだろう。

 

「何か見つけたんですか?」

 

「ええ、最悪のものをね。」

 

ノロノロと千切れた左腕を拾い上げながら、アリス・マーガトロイドは大きなため息を吐くのだった。……闇の印が刻まれたその左腕を。

 



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消えた男

 

 

「可能性はいくつかあるわ。」

 

ホグワーツの校長室のティーテーブルを挟んで、レミリア・スカーレットは部屋の主人と向き合っていた。……ふむ、ダンブルドアはいつにも増して草臥れているような気がするな。話題の所為か?

 

当然ながら議題はアリスからの報告だ。フランスに出向させている彼女からの報告によれば、拠点を制圧した際に闇の印が刻まれた腕を証拠として手に入れたらしい。……腕を『手に入れた』? しかも初日に? あの人形娘は一体何をやってるんだ?

 

いよいよもって『紅魔館』に毒されてきたのかもしれんな。結構な危険人物になってきた金髪魔女のことを考えつつも、ダンブルドアに向かって話を続ける。

 

「先ず、単にリドルの残党が件の組織へと参加していた可能性。正直これが正解だったら嬉しいんだけど……まあ、あんまり期待しないほうがよさそうね。希望的観測にも程があるわ。」

 

「同感ですな。ハリーの『悪夢』と合わせて考えれば、トム本人が関わっているとみて間違いないでしょう。となれば、問題はどのような立場で関わっているかですが……。」

 

うーむ、リドルは下っ端に甘んじるような性格じゃないだろうし、発見された左腕の持ち主は死喰い人としてその場に居たのだろう。つまり、リドルの部下としてだ。でなきゃあんなバカみたいな刺青は入れまい。

 

言葉の途中で黙考し始めたダンブルドアに向かって、自分の考えを整理するためにも口を開く。

 

「一つ目、二つの勢力が協力体制にある可能性。要するに、グリンデルバルドの残党と死喰い人が所謂……『同盟』を組んでいる可能性ね。私はこっちが正解だと考えているわ。主義主張は違えど、そのどちらもが反体制派。おまけに力を失った勢力よ。藁にも縋る思いで協力しててもおかしくないでしょ?」

 

中核が根こそぎアズカバン行きになった死喰い人と、旗頭が不在のグリンデルバルドの残党。つまりは負け犬連合というわけだ。どっちも私のことをさぞかし恨んでいることだろう。……ふん、大人しく自分の尻尾でも追いかけてればよかったものを。キャンキャン鳴くから撃たれる羽目になるんだぞ。

 

二度の戦争で得た負債について考えながらも、続けてもう一つの可能性を口にする。

 

「二つ目、リドルがグリンデルバルドの残党を吸収した可能性。こっちは実際起こればかなり厄介なことになるわけだけど……有り得ると思う? 純血主義と魔法族上位主義。近いようで全然違うわよね。」

 

一見すると似ているが、根本的なところで大違いなのだ。特にマグル生まれの魔法使いに対しての考え方は致命的なはずだぞ。グリンデルバルドの『軍隊』にはマグル生まれも参加していたが、死喰い人には当然参加していなかった。いやまあ、そりゃそうだが。

 

そもそも、『純血主義』というのが宜しくない。こんなアホみたいな主義が大手を振って存在しているのはイギリス、ドイツ、ハンガリーくらいなもので、他の国々では時代遅れの差別主義者という認識のはずだ。少なくとも大っぴらに主張する類の主義ではないし、内心どう思うにせよ『常識的な』魔法使いなら参加を躊躇うだろう。

 

他にも食い違う点は多々ある。リドルが『自身の権力』を望むのに対して、グリンデルバルドは『魔法族そのものの地位向上』を目指していたはずだ。リドルが誰かの下に付かないように、グリンデルバルドの残党もまたそんな人間を神輿にはしないと思うのだが……。

 

思い悩む私に、ようやく再起動を果たしたダンブルドアが声を投げかけてきた。

 

「わしは二番目の可能性を推しますぞ。……ここで問題になるのは、スカーレット女史とその他の魔法使いたちとの認識の差でしょう。」

 

「認識の差?」

 

「さよう。貴女やわしはゲラートがどんな人物だったのかを知っております。実際に目にして、体験しておりますからな。何を目指していたのか、どのような主義を掲げていたのか。そこに大きな食い違いはないでしょう。……しかしながら、多くの魔法使いたちにとってはそうではないのです。彼らにとってゲラートが起こした戦争は歴史であり、過去なのですよ。」

 

「つまり、今活動しているグリンデルバルドの信者たちは必ずしも過去と同じ考え方ではないってこと? ……たった半世紀前の話なのよ?」

 

あれだけ大きな戦いだったのに、そんなことが有り得るのか? キョトンとする私に向かって、ダンブルドアは困ったような苦笑で話を続けてくる。

 

「貴女にとっては『たった』半世紀かもしれませんが、通常の人間にとって半世紀というのは長い、本当に長い時間なのですよ。戦争を忘れ、食い違いが起こるには十分すぎるほどの時間なのです。」

 

うーむ、『歴史であり、過去』ね。……そういえばデュヴァルもそんなようなことを言ってたっけ。魔法界で今重職に就いているような年嵩の連中にとってさえ、ヨーロッパ大戦は幼い子供の頃の話なのだ。若い連中にとっては尚更遠い話なのかもしれんな。

 

僅か半世紀で私やグリンデルバルドの戦いは歴史に変わり、今を生きる魔法使いたちにとっては教科書の中の出来事になったわけか。私への対応を見る限り、別に軽々に考えているというわけではなさそうだが……そりゃあ『実感』は無いだろうな。なんたって生まれる前の話なのだから。

 

結果として『食い違い』が起こる、と。なんとまあ、グリンデルバルド本人が聞いたら怒りそうな話だ。……それと、妙にあの男に甘いペタンコ吸血鬼も。苛々と翼を暴れさせるのが目に浮かぶようではないか。

 

とはいえ、それにだって限度ってものがあるはずだ。人間の世代交代の早さを改めて実感しつつも、ダンブルドアに向かって反論を投げかけた。

 

「……だとしても、矛盾を全て無視できるほどには歪んでないでしょう? そう易々とリドルの傘下に下るとは思えないわ。」

 

「そうですかな? トムは学生時代から集団を纏めるのが上手かった。甘言を用いて引き込み、恐怖を以って縛り付ける。一種の『カリスマ』ですよ。小さな火種さえあれば、燃え上がらせるのには苦労しないでしょう。」

 

苦々しい表情のダンブルドアはそこで一度言葉を切って、神妙に首を振りながら予想の締めを口にする。

 

「そも、トムは勢力の拡大のためなら馬鹿正直にそれまでの主義は掲げたりはしますまい。彼にとって最も重要なのは純血主義そのものではなく、あくまでも自身の権力を確立することなのです。であれば、多少主義主張を『柔らかく』することにはさしたる抵抗がないでしょう。……そうですな、例えば最初はゲラートと同じように魔法族の地位向上を掲げ、次に魔法族の優位性を語ってマグルの排斥へとその矛先を向け、自身の権力を確たるものにした後で最後に半純血やマグル生まれの魔法使いたちを排除し始める。ゆっくり、ゆっくりとその主張を変えていくのです。……想像出来ませんか?」

 

「……出来るわ。でも、あんまり信じたくないような話ね。もし貴方の予想通りだとすれば、かなり厄介な事態になるわよ。」

 

グリンデルバルドの起こした戦争はイギリスのそれとは比較にならないのだ。こっちは十年そこらで、向こうは四十年以上。リドルの戦場はイギリスだったが、グリンデルバルドの戦場はヨーロッパ……というか、影響だけなら世界全体だった。当然ながら落ち延びた残党の数もかなりのものだし、杖を取らないまでも賛同しているという者だって少なくはないだろう。

 

リドルの危険思想にグリンデルバルドの兵力が付く? 考えたくもない状況じゃないか、それは。思考を回しながら別の質問を放とうとしたところで……おや? 入り口の方から微かに怒鳴り声が聞こえてきた。誰かがガーゴイル像の前で口論をしているようだ。

 

「とにかく、フランス魔法省にも『死喰い人』に関しての警告を送りましょう。仮にリドルが力を手に入れたとすれば、次はどうやって……あら、何かしら?」

 

「ふむ? セブルスの声ですな。それと、ハリー?」

 

「クィディッチ競技場で最後の課題の説明を受けてたんじゃなかった? ……行ってみましょうか。」

 

代表選手たちはバグマンから最後の課題……『迷路』についての説明を受けていたはずだ。あの選手を殺す気満々な巨大迷路の。傍迷惑なことに、バグマンは最後の課題に関しても一切手を抜くつもりはないらしい。

 

当然、各所には愉快な『障害物』が設置されることになっている。ハリーがまたしても命の危険に晒されるのは目に見えているが……まあ、最後の課題に関しては『ハリー係』のペタンコ吸血鬼にぶん投げるしかなかろう。今はさすがに余力がないのだ。

 

しかし、何故ハリーが校長室に? 時間的に説明が終わったとしても不思議ではないが、ここに来るということはダンブルドアに何か話があるのだろうか? まさか課題の危険性を抗議しに来たわけではあるまい。それなら第一の課題の時点で来ているはずだ。

 

二人して首を傾げながら校長室を出て、短い螺旋階段を上ってみれば……うーん、これはお粗末。いい歳してガキを虐めている陰気男の姿が見えてきた。嘆かわしいな。リリー・ポッターも冥界で呆れてるぞ。

 

「黙れ、ポッター。校長はお忙しいのだ。貴様のたわ言に付き合っている暇などない。」

 

「僕は本当のことを言っています! クラウチさんが禁じられた森に居たんです! それで……ダンブルドア先生!」

 

話の途中で階段から上がってきた私たちを見つけて、ハリーは必死の表情で駆け寄ってくる。……クラウチ? 自宅で病気療養中のあの男が禁じられた森に居た? いきなり意味不明な単語が飛び出してきたな。

 

「おお、ハリー。どうしたのかね? この老いぼれの耳がまだ確かなら、クラウチ氏が禁じられた森に居たと聞こえたのじゃが。」

 

人を落ち着かせるようなダンブルドアの深い声を聞いて、ハリーは一度息を吸ってから状況を説明し始める。酷く焦った表情を見るに、どうやらよっぽどのことがあったようだ。……さすがに通してやれよ、スネイプ。

 

「僕、バグマンさんから課題の説明を受けた後、クラムと禁じられた森の縁で話し合ったんです。……えっと、ハーマイオニーについてのことを。そしたらいきなりクラウチさんが茂みから飛び出してきて……何と言うか、その、正気を失っている様子でした。木を相手にブツブツ話してたんです。」

 

「……それで、わしに伝えに来てくれたのじゃな?」

 

「はい。ワールドカップのこととか、対抗試合のこととか、話の時系列が滅茶苦茶だったんですけど……急に僕の肩を掴んでダンブルドア先生を呼べって言ってきて。その時だけは正気の、鬼気迫る様子でした。」

 

「案内しておくれ、ハリー。セブルスはアラスターとミネルバに警告を。スカーレット女史は……我々と来ていただけますかな?」

 

手早く指示を飛ばしたダンブルドアは、返事を聞く間も無く大股で歩き出してしまう。……ハリーは小走りでついていけるかもしれんが、ダンブルドアが大股だと私は走らねば追いつけんぞ。

 

こうなってしまえば淑女としては飛ぶ他あるまい。トタトタ走るのはなんかちょっと情けないのだ。……今度身長を伸ばす薬とかをパチュリーに作ってもらおうかな。そしたらリーゼを見下ろして死ぬほど笑ってやろう。

 

ムーディとマクゴナガルを呼びに教員塔へ向かうスネイプと別れ、階段を下りて城の勝手口へと三人でひた進む。幸いなことに忌々しい太陽は既に落ちているのだ。である以上、私の活動には支障はあるまい。

 

しかし、クラウチが正気を失う? 何らかの呪いにかけられたのだろうか? それが何故禁じられた森に? 脳内に次々と浮かび上がる疑問を代弁するかのように、ダンブルドアがハリーに向かって問いを放った。

 

「クラウチ氏は何と言っていたのかね? ただわしを呼んでこいと?」

 

「いえ、警告があるとかって言ってました。それに、誰かを怖がってるみたいで……一応、クラムをその場に置いてきたんですけど──」

 

「置いてきた? ……急ぐべきじゃな。」

 

言うと更に速度を上げたダンブルドアは、勝手口を抜けて校庭へと足を踏み出す。『警告』ね。クラウチはダンブルドアと仲が良いわけではない。むしろ私と同じく、険悪と言ってもいいくらいだ。その彼がダンブルドアを名指しで指名するということは……確かに急いだ方がよさそうだな。少なくとも私には思い当たる節があるぞ。

 

老人と少年と吸血鬼。奇妙な一行は夜露に濡れた芝生を横切って、ボーバトンの馬車が停泊している場所の近くに到達した。……木が多すぎて吸血鬼の視力でもよく見えんな。闇夜は苦ではないが、さすがに障害物を透視する能力などないのだ。そしてそれは、グルグル目玉を着けてまで欲するほどの能力ではない。ムーディと違って私には美意識というものがあるのだから。

 

ルーモス(光よ)。……この近くかね? ハリー。」

 

「はい。森へ入ってすぐだったので、この近くのはずです。」

 

杖明かりを灯すダンブルドアにハリーがそう答えるものの、辺りに人気は感じられない。……うーむ、面倒くさいな。私はリーゼと違って細かい気配を探るのは苦手なのだ。バートリの長女がどうだかは知らんが、スカーレットの長女は木ではなく森を見るべきなのである。

 

「本当にここだったんです! 確かにこの辺にクラウチさんが……。」

 

「疑ってはおらんよ、ハリー。それより杖を構えておくのじゃ。決して油断しないように。」

 

暗闇に翻弄される人間二人を尻目に、ちょっと高く飛び上がって辺りを見渡してみれば……おや、少し離れた木の陰にクラムが倒れているのが見えてきた。死んでるのか?

 

「とりあえず、クラムは見つけたわよ。倒れてるけど。」

 

言いながら着地して確かめてみると、どうやら気絶しているだけらしい。……さて、どういうことだ? 肝心のクラウチは居ないし、クラムは絶賛気絶中。となると、クラウチがクラムを気絶させて姿を消したか、第三者がクラムを気絶させてクラウチと共に姿を消したかなのだろう。……問題はどうやって姿を消したかだな。ここでは姿くらましは出来ないんだぞ。

 

考えながら気絶しているダームストラングの代表選手を見下ろしていると、近付いてきたダンブルドアがクラムに向かって蘇生呪文を放つ。

 

「失神呪文じゃな。エネルベート(活きよ)。……気が付いたかね? ミスター・クラム。」

 

ダンブルドアの蘇生呪文を受けたクラムは、ゆっくりと目を開いてその身を起こすと……そのままダンブルドアに向かって慌ただしく話し始めた。急に起こされたせいで少し混乱しているらしい。

 

「……ゔぉくは、襲われた! あの狂った男がゔぉくを襲った! ゔぉくがポッターが戻って来ないかと振り返ったら、後ろからいきなり──」

 

「落ち着くのじゃ、ミスター・クラム。今カルカロフを呼ぼう。暫くそのまま安静に。いいね?」

 

立ち上がろうとするクラムをやんわりと押さえつけた後で、ダンブルドアは杖を振って不死鳥の守護霊を何処かへ飛ばす。恐らくカルカロフの下に伝言を届けたのだろう。……あんなヤツを呼んでも仕方ないと思うのだが。

 

しかし、クラウチが襲った? クラムを? ……いよいよもって意味不明だな。ダンブルドアの下へとハリーを遣わしたくせに、クラムを襲って姿を消す? 行動が滅茶苦茶だぞ。

 

そもそも、クラウチが『狂う』ってのがよく分からん。あの男の杖捌きは魔法省内でも上位に属していた。そして当然、精神力の面でもだ。当然ながらそんじょそこらの呪いでおかしくなるような男ではないし、そもそも呪いをかけるのだって一苦労のはずだぞ。

 

奇妙な状況に頭を悩ませていると、やおら背後から草を踏みしめる音が聞こえてきた。咄嗟に振り返ってみれば──

 

「……あら、ムーディ。どうして杖を私に向けているのかしら? 礼儀がなってないわよ?」

 

「それはお前が物騒なものをわしに向けているからだろうが? ぇえ?」

 

ふん、相変わらず愛想のない男だ。反射的に向けた手のひらの妖力弾を下ろしてやれば、ムーディも渋々杖を下ろしながら近付いてくる。片足が棒切れにしてはお早い到着じゃないか。こいつにとっての犯罪者は馬にとっての人参だな。

 

「見回りをしておったらスネイプの守護霊が飛んできてな。この忌々しい義足の調子が悪くなければもっと早くに来れたんだが……それで? 何があった? 伝言ではクラウチがどうたらとか言っておったが。」

 

「ハリーが『狂った』クラウチを見つけて、クラムをそこに残した。帰ってきてみればクラムは気絶していて、クラウチはそこから消えていた。……ほら、簡単な話でしょう?」

 

私に気付いて再び立ち上がろうとしているクラムを指差しながら言ってやれば、ムーディは歪んでいる顔を更に歪ませて吐き捨てるように返してきた。何だその顔は。子供が見たら気絶するぞ。超ホラーだ。

 

「ならばこんな場所で喋っている間に探すべきだな。それこそ簡単な話だろうが?」

 

「私、夜の森は怖くって。お化けが出ちゃうかもしれないわ。貴方が行ってきて頂戴よ。……それにほら、貴方はクラウチが大好きでしょう? 探しに行ってあげなさいな。」

 

「ふん、相変わらず嘘しか吐かん女だ。これだから吸血鬼は好かん。」

 

鼻を鳴らしてぶつくさ文句を言いながらも、ムーディは草を掻き分けて禁じられた森の奥へと入って行く。いやはや、素直なんだか捻くれてるんだか分からんヤツだな。一つだけ確かなのはイカれてるってことだが。

 

ムーディの背が木々に紛れて消えていったところで、今度は城の方からカルカロフが小走りでやって来た。今夜の森は千客万来だな。……いや、ちょっと待て。早すぎないか? 守護霊を飛ばしてからまだ三分と経ってないぞ。

 

「ダンブルドア! それに、スカーレット女史? クラム!」

 

そこまで言ったならハリーのことも呼んでやれよ。一人だけ呼ばれなくて可哀想だろうが。何故かその場の面々の名前を口にしたカルカロフは、未だ地べたに座っているクラムに向かって問いを放つ。

 

「クラム、何があった? 誰にやられた?」

 

「ゔぉくは……。」

 

そこで言い淀んだクラムは、何故か私に目線を合わせて何かを訴えかけてきた。……んん? 話していいかってことか? 何で私に聞くんだよ。何だか知らんが、こいつだけは他にも増して私に気を遣ってくるな。

 

とりあえずコクリと頷いてやると、クラムはカルカロフに向かって詳細を話し始める。

 

「ゔぉく、襲われました。審査員の人……クラウチって人に。あの人は何かおかしく──」

 

「襲われた? クラウチが君を襲った? 対抗試合の審査員が? イギリスの役人が?」

 

疑問四連発でクラムの話を遮ったカルカロフは、そのままダンブルドアと私の方へと振り返って……おや、怒ってるのか? 顔を真っ赤にして喚き散らしてきた。

 

「裏切りだ! やはり始めから平等な試合ではなかったのだ。最初はポッターを試合に潜り込ませ、今度は『私の』代表選手を魔法省の役人に襲わせたな! 大方僅差の二位だから、危機を感じて蹴落とそうとでもしたのだろう! ……裏取引と腐敗の臭いがするぞ、ダンブルドア! そもそも未成年がここまでの好成績を出せるのはおかしいではないか!」

 

うーむ、これをオリンペが言った場合は多少説得力があったかもしれんが、こいつが言う分には何一つ意味を持たないな。黙して何かを考えているダンブルドアを他所に、荒い息を漏らすカルカロフに向かって口を開く。ちなみにハリーとクラムは大口を開けて唖然としてしまった。純情な青年たちは、醜い大人の喧嘩を見慣れていないようだ。

 

「『平等』ね。貴方が一度でも『平等』に点数をつけたことがあったかしら? それに、裏取引と腐敗の臭い? それは貴方自身から漂う臭いでしょうに。十数年前に自分が何をしたのか、もう忘れてしまったの?」

 

「……私は、無罪になったのだ。過去の話を蒸し返すのはやめていただきたい。」

 

「そうね、貴方は無罪になった。イギリス魔法省はそう言ったし、ダンブルドアもそういう態度で接しているわ。……だから? 私の線引きでは貴方は未だに疑うべき相手なのよ。死喰い人ですら裏切ったような男を、いったい誰が信用すると思うの?」

 

「……どうやら、あなたがたは長い年月で礼儀というものを忘れてしまったようですな。不愉快に過ぎる。クラム、来なさい。船に帰るぞ。安全な船にな!」

 

おお、怒っちゃってまあ。未だに死喰い人の裏切り者の汚名は堪えるらしいな。クラムを引っ張り起こそうとするカルカロフに、尚も言葉を投げつける。こういうのは雪合戦と一緒で、自分への被弾なんか無視して攻め続けることこそが肝要なのだ。

 

「そもそも、貴方はどうしてこんなに早く来られたの? 森の近くで夜のお散歩をしてたってわけ? 随分と奇妙な話じゃないの。」

 

「……それを貴女に話す必要がありますかな? 私がどこを歩いていようが私の勝手でしょう?」

 

「まあ、そうだけどね。重要なのはここでクラウチを見張っていたクラムが襲われて、件のクラウチは姿を消してるってことよ。……あら、不思議ね。誰がクラウチを『消した』んだと思う?」

 

「クラウチにはあの忌々しい妄想狂とは違って、二本の足がまだ残っていたはずでは? 人間は歩くことが出来るのですよ、スカーレット女史。クラウチがそうしたとは考えられませんか?」

 

冷ややかな目線で睨み合う私とカルカロフだったが……ふん、ダンブルドアの柔らかな声が緊張する空気を引き裂いた。万物の調停者どののお出ましだ。

 

「口論はそこまでじゃ。ともかく、今日はもうクラムを休ませるべきじゃな、イゴール。ハリーも城へとお帰り。……彼をお願いできますかな? スカーレット女史。」

 

「いいけどね。ちゃんと調べておきなさいよ?」

 

「無論です。」

 

「結構。行くわよ、ハリー。」

 

遣る瀬無く事態を見守っていたハリーに一声かけて、くるりと身を翻して歩き出す。こうなった以上、私にもやることがあるのだ。変な山羊髭の小物と無駄な問答をしている場合ではないのである。

 

……ふむ、先ずは国際魔法協力部と連絡を取るべきだな。いつまでクラウチと連絡を取れていたのか、最後に姿を見たのはいつか。やり取りをしていたブリックスあたりに詳細な話を聞く必要があるだろう。

 

それに、スクリムジョールやボーンズにも報告を入れねばなるまい。ともかくクラウチを見つけ出さないと話は始まらないのだ。ムーディやダンブルドアが見つけ出せなかった場合には、魔法警察や闇祓いを捜索に当たらせねば。

 

グリンデルバルドの残党、闇の印が刻まれた左腕、消えたかつての政敵、死喰い人を裏切った男。ジワジワとピースが揃っていく感覚を感じながらも、レミリア・スカーレットは薄暗い校庭を歩き続けるのだった。

 



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ハッピー・イースター!

 

 

「でも、スカーレットさんはカルカロフが死喰い人だって言ってた。……というか、戦争の後に死喰い人を裏切ったって。クラウチさんの件に関しても疑ってたみたいだし、あんまり信用できない人みたいだよ。」

 

ハリーが飛んでくるゴムボールの動きを遅くしながら言うのに、アンネリーゼ・バートリは適当な頷きを返していた。あんなヤツ見た目からして信用できないだろうに。山羊髭は悪役と昔から相場が決まっているのだ。

 

ホグワーツにも春が迫ってきた今日この頃、他の生徒たちが今年は早めに訪れたイースター休暇を楽しむ中、我々『ハリー強化部隊』は星見台に籠って練習の日々を送っている。最終的には盾、武装解除、妨害、失神の四つの呪文を無言で唱えられるようになるというのが目標だ。

 

現在は武装解除のみ完璧で、盾の呪文は八割成功。妨害と失神は五割弱といったところまで引き上げることが出来た。……これを喜ぶべきかどうかは議論が分かれるところだろうが、ホグワーツの四年生としては他に類を見ないほどに成長しているはずだ。っていうか、そう信じないとやってられんぞ。

 

何せ最後の課題は、『障害物』の設置された巨大迷路を抜けるというものなのだ。ここでのミソは障害物を設置するのがホグワーツの教師陣やバグマンであるという点である。そんなもん絶対に厄介な事になるのが目に見えているではないか。

 

いやまあ、殆どの教師たちに関しては問題ないだろう。相変わらず律儀にルールを守るマクゴナガルやダンブルドアはさて置き、さほどその辺を気にしないスネイプやムーディからは既に内容を聞き取り済みだ。彼らはバグマンと違って、『難易度が高い』のと『命の危険がある』というのが別物であることをよく理解しているようだった。

 

最大の問題はハグリッドである。どうやらあの男はマクシームに課題のことを話したのを反省しているようで、頑としてハリーたちに何を設置するのかを話そうとしないのだ。この前お茶をしに行った時には、満面の笑みで『当日を楽しみにしとけ』とだけ言っていたらしい。……それを語っていたハリーは全然楽しそうじゃなかったが。私と同じく、彼もその言葉から嫌な予感を感じ取ったのだろう。

 

無理もあるまい。ハグリッドが『思わず足を止めたくなるような可愛い仔犬』だとか、『ちょっと気性が荒くて悪戯好きのニフラー』なんかを設置するはずがないのだ。アクロマンチュラ、三頭犬、ドラゴン、スクリュート。あの男の『伝説』に新たな一ページが刻まれるのは間違いないぞ。

 

私はマンティコアとイエティの可能性を推したが、ハーマイオニーとロンはそれぞれレッドキャップとキメラを配置するだろうと主張していた。……まあ、すぐに明らかになるはずだ。何たって今まさに偵察の任を受けた咲夜と魔理沙が、ハグリッドの小屋で大きなお友達から情報を引き出そうとしているのだから。

 

タイミングの良い事に、二年生二人は三年生以降の選択授業を決めている真っ最中なのだ。『飼育学についての詳細を聞く』という名目で小屋に入り込み、障害物についての詳細を聞き出そうという魂胆である。……ふん、あの男が咲夜の『おねだり』攻勢に耐えられるものか。すぐに口を割ることになるだろう。

 

十三歳になってもまだまだ破壊力を維持している上目遣いのことを考えていると、ハリーにゴムボールをぶん投げているハーマイオニーが口を開く。若干お怒りな感じの表情だ。

 

「もう、ハリーったら! クラウチさんのことは後にするって約束したでしょう? その件はダンブルドア先生やスカーレットさんにお任せして、貴方は課題に集中するの! つまり、呪文の練習にね。」

 

「それに、ムーディも居るしな。あのグルグル回る目がある限り、カルカロフに何か出来るはずないだろ? 点数を低くするのが精一杯さ。」

 

「それは……うん、そうだけど。」

 

ロンの追撃を受けて、ハリーは渋々といった様子で再び無言呪文に集中し始めた。今回は珍しいことに、ハーマイオニーとロンが意見の一致を見せているのだ。クラウチのことを気にするハリーを二人がかりで軌道修正しているのである。

 

そして私もハーマイオニー・ロン同盟の傘下に降った。正直なところヨーロッパの状況やクラウチの一件は気になっているが、今はハリーが最後の課題を生き延びることに集中すべきだろう。

 

レミリアからぶん投げられた問題をキャッチする代わりに、あっちの問題はレミリアと現場のアリスにぶん投げることにしたわけだ。……ちなみに美鈴には期待していない。絶対にフランスで新たなレストランを開拓しているだろうし。羨ましいヤツめ。

 

フランス料理についてぼんやり考えている私を他所に、手元のゴムボールが無くなったのを見たハーマイオニーが、杖を振って集め直しながらも声を上げた。

 

「アクシオ、ゴムボール。……それじゃ、次は失神呪文をやりましょうか。いつも通りにいくわよ。」

 

「いよいよか。……なあ、やっぱりミセス・ノリスを攫ってきて的にするのは無理なのか? なんならクルックシャンクスでもいいんだけど。」

 

「ダメに決まってるでしょうが! いいからやるの。」

 

言いながらクッションが置いてある方に向かうハーマイオニーに、ため息を一つ零したロンが渋々続く。……そりゃあ嫌だろう。二人は今から何度も失神させられることになるのだから。

 

武装解除は杖を取られるだけだし、盾と妨害はゴムボールでなんとかなるのだが……失神呪文だけはそうはいかない。練習の為には何かしらの生き物を失神させる必要があるのだ。つまり、この場合はハーマイオニーとロンを。

 

しかしまあ、ハーマイオニーがまだ蘇生呪文を使えなくて本当に良かった。ここだけは神に感謝してやってもいいくらいだ。お陰で私は優勝杯を手にするウッドのモノマネごっこをしなくて済んだのだから。

 

「……それじゃ、やって頂戴。」

 

「いつでもいいぞ、ハリー。」

 

「あー、うん。……ごめんね?」

 

なんとも哀愁を誘うやり取りの後、ハリーが二人に向かって無言呪文を放つ。……おお、今回は両方成功だ。赤い閃光が激突した二人はパタリと倒れて動かなくなった。何度も見たせいで麻痺しちゃってるが、よく考えると割とショッキングな光景だな。

 

エネルベート(活きよ)。ほら、起きたまえよ、二人とも。次々いこうじゃないか。」

 

「……なんかリーゼったら、やけに楽しそうじゃない?」

 

「私が楽しそう? おいおい、そんなことがあるはずないだろう? 私はキミたち二人の自己犠牲を悲しんでいるのさ。草葉の陰の哀れなハインリヒと一緒にね。」

 

それにまあ、自己犠牲と『復活』ってのはイースター休暇に相応しいテーマじゃないか。疑わしそうなハーマイオニーによよと泣き真似をしながら返してやると、続いて起きてきたロンもジト目で声をかけてくる。

 

「僕にも蘇生呪文を教えてくれよ、リーゼ。死ぬ気で練習してみせるから。他の全てを擲ってでも。」

 

「残念ながら、どれだけ頑張ったとしてもキミたちが蘇生呪文を習得する前に最後の課題の日が訪れるだろうさ。ああ、残念だ。私も気絶ごっこを楽しみたかったのに。」

 

「よく言うぜ。」

 

首を振りながらも素直に位置についた二人は、再びハリーの呪文を受けてクッションへとダイブをかましていった。素晴らしい、連続成功だ。……いやぁ、カメラを持ってくればよかったな。これは学生時代を懐かしむ時の良い思い出になるぞ。

 

「エネルベート。……ハッピー・イースター、二人とも! 三日も経たずにお目覚めとは、『例のあのお方』もびっくりしてるぞ。大幅な記録更新じゃないか。」

 

「誓うわ、リーゼ。私、蘇生呪文を覚えてみせる。絶対よ。」

 

「んふふ、それなら私も誓おう、ハーマイオニー。私は絶対にそれを阻止してみせるよ。実を言うと、それを妨害する為にくすぐり呪文をマスターしておいたんだ。」

 

「リーゼの意地悪。」

 

いやはや、楽しい休暇だな。半眼で私を睨みながら舌を出すハーマイオニーに、クスクス笑って肩を竦めるのだった。

 

───

 

そして気絶コンビが二人合わせて三十回ほど復活ごっこを楽しんだところで、隠し部屋のドアが開いて二年生コンビが帰ってきた。良かったな、二人とも。犠牲者が増えたぞ。

 

「おう、帰ったぜ。……くっそ、失神呪文の練習中かよ。もうちょいハグリッドの小屋で時間を潰してくりゃよかった。」

 

「えーっと……ハグリッド先生からラズベリーのジュースを沢山頂いたので、ちょっと休憩にしませんか? とっても美味しそうですよ?」

 

うーむ、二人の性格がよく表れている反応だ。素直に嫌がった魔理沙に対して、咲夜は搦め手で難を逃れるつもりらしい。休憩で有耶無耶にしようという魂胆か。

 

とはいえ、呪文を撃ち続けているハリーや気絶しまくっている二人に休憩が必要なのも確かだろう。それなりの回数はこなしたことだし、ここはかわいい娘分に助け船を出してやることにするか。

 

「そうだね、少し休憩しようか。ハリーも疲れてるだろう?」

 

「うん、ちょっとね。」

 

「そうしましょ。あんまり頻繁に気絶してると悪影響とかがあるかもだし。……今度調べた方が良さそうね。」

 

もう遅いと思うぞ。気絶癖とかがついたりするんだろうか? ……とにかく、四人で星見台を下りて、ソファに座って咲夜から瓶詰めのラズベリージュースを受け取る。ちなみにソファもティーテーブルも、一年生の時に何処かから魔理沙が『借りて』きたものだ。やるじゃないか、後輩。

 

「それで、ハグリッドはなんて言ってたんだ? キメラだったろ? ドラゴンはもう『使っちゃった』しな。」

 

「ロン、キメラは危険すぎるわ。さすがのハグリッドだって食べられちゃうでしょう? ……レッドキャップよね? 難易度からいってもそれが適正ってもんよ。」

 

「ハグリッドが『難易度』なんてものを気にするはずないと思うけどね。絶対にマンティコアだ。人を食う上に尻尾には毒があるんだぞ。しかもお喋りの相手にもなる。ハグリッドが好きそうな生き物じゃないか。」

 

「それに、獰猛だしね。ルーピン先生の授業で習った生き物なら嬉しいんだけど……。」

 

早速とばかりに議論を始めた四年生四人組に対して、咲夜と魔理沙は首を振りながら答えを寄越してきた。

 

「全部ハズレだ。……スクリュートだよ。あの訳の分からん生き物を設置する気みたいだぜ。まあ、共食いで二匹しか残ってないらしいけどな。」

 

「それと、スフィンクスやアクロマンチュラの話もしてました。一応、隠そうとはしてましたけど……あの感じだと設置する気だと思いますよ。話にやたらと『実体験』が出てきましたし。」

 

……うーむ、微妙な名前が飛び出してきたな。ハリーたちもどう反応したらいいか分からないという顔になっている。そりゃあマンティコアやらキメラよりかはマシだが、イエティやレッドキャップよりは難しいし、何よりルーピンの授業では出てこなかった面子なのだ。

 

「先ず、スクリュートはどうしようもないわね。出会ったら戦おうとせずに逃げるべきよ。それも全速力で。死に物狂いで。」

 

「そんなにヤバい生き物に育ってるのかい? 私は最近見たことがないんだが……。」

 

「めちゃくちゃ『ヤバい』わ。殻のせいで呪文を弾くし、尻尾の針を射出するようになっちゃったの。正直言って絶滅すべきよ、あの生き物は。」

 

「それはまた……凄まじいね。」

 

ハーマイオニーの答えに、思わず顔を引きつらせる。噛んで、刺して、血を吸い、爆発して、針を飛ばし、呪文を弾くわけだ。そして雑食で共食いもすると。魔界にだってそんな生き物はいないぞ。ハグリッドが繁殖に『成功』しなかったのは不幸中の幸いだったな。

 

ハグリッドの深遠なる業を思って沈黙する私を他所に、ロンが次なる生物についての話を繰り出した。

 

「スフィンクスはエジプトで見たぜ。ほら、三年生の時に旅行に行っただろ? 物凄く強力な門番だけど、なぞなぞに答えれば通してくれるんだ。」

 

「それって、門番としては致命的じゃないか? ザル警備じゃんか。」

 

「あー……まあ、そうだな。そのせいでピラミッドは殆ど盗掘されちゃったらしいし。」

 

「アホみたいな話だな。……要するに、なぞなぞの練習をしとけってことか。」

 

ロンと魔理沙は軽い感じで話しているが、スフィンクスだって結構危険な生き物だったはずだぞ。賢くて巨大な獅子の身体を持っている上に、答えを間違えたら襲ってくるんじゃなかったか? 超強力猫パンチで。

 

理性的だから魔法省の危険レベル分類は低くなっているが、実力そのものだけ見れば強大な魔法生物の一角だったはずだ。昔パチュリーから聞いたような気がする話を思い出していると、今度はハリーが咲夜に向かって問いを投げた。

 

「スフィンクスについては後で本で調べてみようか。……アクロマンチュラっていうのは? ハグリッドはどんな話をしてたの?」

 

「でっかい蜘蛛みたいですよ。でも、いまいち分かり難かったんです。美しい生き物とかって言ってましたけど……。」

 

「じゃあ危険なのは間違いないね。ハグリッドの言う『美しい』っていうのは、『獰猛で人を食べる』って意味だから。」

 

ハリーは『ハグリッド語』を正しく理解しているようだ。謎のアクロマンチュラなる蜘蛛に対して疑問符を浮かべてしまった五人に、唯一知っているであろう私が答えを放つ。アリスが居れば話は早かったんだがな。あの子もちょっとした『実体験』を語れるだろうし。

 

「四メートル強の大蜘蛛だよ。タランチュラをそのままデカくして、脚を長くした感じだそうだ。牙には当然毒があるし、脚の先には当然獲物を切り裂く鋏がついてるし、そして当然人を食う。なんとも『ファンタスティック』な生き物じゃないか。ハグリッドにピッタリの魔法生物だね。」

 

「ハグリッドが僕の命を助けようとしてくれてるってのはよく分かったよ。ドビーと話したら気が合うんじゃないかな。」

 

大きなため息を吐きながら言うハリーに、ロンが葬式の司会みたいな表情で言葉をかけた。

 

「とりあえずこれではっきりしたな。武装解除も、盾も、妨害も、失神も。何の役にも立たないぞ。この分だと逃げる為の走り込みをした方がマシだ。」

 

「他の先生方はもう少し常識的な障害を用意してるでしょうし、無言呪文はそっちで役に立つはずだわ。ハグリッドの設置する障害物に関しては……そうね、違う呪文を練習する必要があるわね。」

 

「図書館に行こうか。とりあえずはなぞなぞの本と、蜘蛛についての本を探す必要があるね。……あとはまあ、スクリュートの餌箱に毒を入れた方がいいかな。そんなもん効くとは思えんが。」

 

ハーマイオニーに続いて返事を返して、ジュースを飲み干してから立ち上がる。これはもう一度『知識』に連絡を取る必要がありそうだ。……いや、スクリュートだけはどうにもならんな。新種である以上、パチュリーでさえ知らない生き物だろうし。

 

いやはや、ハグリッドこそが対抗試合における最後にして最大の敵だったわけか。想像の中でニッコリ笑う傍迷惑な大男を思って、アンネリーゼ・バートリは小さく苦笑いを浮かべるのだった。

 



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変革

Happy Halloween!


 

 

「有り得ません。有り得ない話です。」

 

そうあって欲しいと言わんばかりのコーネリウスの言葉を聞きながら、レミリア・スカーレットは小さくため息を吐いていた。……随分とやつれたな。どうやら権力は彼にとって甘い毒でしかなかったようだ。

 

魔法省地下一階の魔法大臣執務室には、私の他に冷徹な表情のスクリムジョールとニヤニヤ笑うアンブリッジが座っている。うーん、しくじったな。リーゼを連れて来れば良かった。そしたら透明になってカエル女をぶん殴ってもらったのに。

 

今日もピンク一色の悪趣味ガマガエルを無視しつつ、机の向こう側に座るコーネリウスへと口を開く。

 

「事実よ。クラウチはホグワーツの禁じられた森に居て、そして正気を失っていたの。それ以降は行方不明ってわけ。」

 

「しかし、それは一生徒の証言なのでしょう? つまり、ダンブルドアや貴女が実際に目にしたわけではないのですよね? ……所詮は子供の言うことです。あまり信用しない方がいいと思いますが。」

 

「クラウチは自宅にも居ないし、魔法警察の捜索にも引っかからないのよ? 何かあったのは明らかじゃないの。」

 

「しかし、しかし……クラウチほどの男が誰かに呪いをかけられたと? 本気でそう思っているのですか?」

 

信じられないのではなく、信じたくないだけだろうに。去年の春先から支持率を低下させ続けているコーネリウスにとって、これ以上のスキャンダルは耐え難いものなのだ。もはや問題を直視することすら止めてしまっている。

 

この分だと、リドルとフランスの関わりについては話さない方が良さそうだな。もし話せば許容量を超えるのは目に見えて明らかだ。『爆発』して妙なことを仕出かさないとも限らんぞ。

 

縋るように見つめてくるコーネリウスに、現実を突きつけるべく言葉を放った。信じないのは結構だが、大臣の承認が無ければ大規模な捜査が出来ない。スクリムジョールやボーンズの動きに制限をかけられるのは困るのだ。

 

「事実だけを見なさい、コーネリウス。現にクラウチは行方不明になっているの。何があったにせよ、国際魔法協力部の部長が行方不明ならば調べるべきでしょうが。何一つ動きを見せないとなれば、スキーターあたりがまた無茶苦茶に叩いてくるわよ。」

 

「それは……そうですな。スキャンダルはいけない。もう絶対にダメです。それならすぐに承認を──」

 

「少々よろしいかしら?」

 

そーら、来たぞ。書類にサインしようとしたコーネリウスのことを見て、これまで黙っていたアンブリッジが止めにかかる。この女が邪魔してこないはずなどないのだ。……今回の一件に関しては、損得ではなく嫌がらせでやってるあたりがまた苛つくな。

 

「ど、どうしたのかね? ドローレス。何か問題でも?」

 

「ええ、大臣。問題という程ではないのですけど……本当にこんな大規模な捜査が必要なのでしょうか? 予算の無駄では?」

 

「それは……そうなのかね?」

 

何が『そうなのかね?』だ。脳みそを何処かに置いてきたのか? これはクラウチを探すよりも先に、コーネリウスの脳みそを探した方がいいかもしれんな。いやまあ、それこそ『空想上の存在』である可能性は否めんが。

 

思考能力を失った魔法大臣に対して、今度は私の隣のスクリムジョールが冷徹な口調で答えを返した。

 

「私は適正な予算だと思いますが。クラウチ氏は長年魔法省に勤めており、嘗ては魔法法執行部部長の職を務めていたほどの人物です。つまり、魔法省にとって重要な情報を数多く握っていることになります。もし誰かにその情報を奪われたとなれば──」

 

「ェヘン、ェヘン。些か被害妄想が過ぎますわね。まるで『敵』がいるかのように話していらっしゃいますけれど……何処にそんなものが? 今のイギリス魔法界は平和ではありませんの? それなのに一体誰が情報を奪うと?」

 

「アンブリッジ、危険を予測することこそが闇祓いである私の仕事なのだ。そうなる可能性が存在する以上、手を抜くわけにはいくまい。それにクラウチ氏は前回の戦争の際に──」

 

「ェヘン、ェヘン。」

 

おいおい、ハエの食い過ぎで喉がおかしくなってるんじゃないか? 再びアンブリッジがお得意の咳払いで割り込もうとするが……おお、やるな、スクリムジョール。我らが闇祓い局局長どのは完全に無視して話を続ける。それでこそムーディの後釜だ。

 

「──数多くの死喰い人を逮捕したことで、闇の魔法使いたちに恨まれております。狙われる可能性も十分にあるでしょう。彼の安全の為にも、捜索の手を抜くべきではないと思いますが?」

 

「……死喰い人など過去の話ではありませんの? 今のイギリスにそんな危険分子は存在していませんわ。そうでしょう? コーネリウス。」

 

「いや、その……そうだな。危険などない。うん、その通りだ。」

 

なんとまあ、ダメダメだな。もうこれは理性的な会議ではない。子供をあやす上手さを競っているようなもんじゃないか。スキャンダルは嫌、責任を負うのも嫌、現状を変えるのだって嫌。今のコーネリウスは駄々をこねる盲目の赤ん坊だ。

 

これがイギリス魔法界のトップの姿? 世も末だな。我が身が引き起こした事態ながら、まさかここまで酷くなるとは思わなかった。これなら就任当初の方がまだマシだったぞ。少なくともあの頃はそれなりの理念を持っていたし、下手くそながらも仕事をしようとはしていたのだ。

 

いやはや、本当に悪いことをしたな。分不相応な魔法大臣という椅子がコーネリウスを狂わせたのだろう。そこらの部長程度でいたならば、彼はドジだが人好きのする良い上司として魔法省でのキャリアを全う出来たかもしれない。……まあ、もしもの話だ。こうなってしまった以上、もはや意味などあるまい。

 

さて、どうしようか? 今すぐボーンズを魔法大臣に当てて、コーネリウスを転落の恐怖から『救って』やってもいいが……出来ればもう少し時間が欲しいな。地盤が固まりきっていないうちに交代するのはよろしくなかろう。ウィゼンガモットの老人どももお掃除しなければならないのだ。彼女には万全の状態で魔法大臣になってもらう必要がある。

 

となれば、もう少しだけこの『赤ちゃん』を操る必要がありそうだ。死ぬほど面倒な状況に内心で大きなため息を吐きつつも、劣勢のスクリムジョールを援護すべく口を開いた。

 

「話がズレてるわよ。いい? クラウチが、行方不明なの。これだけよ。この単語だけで大々的な捜索が必要だって分からないかしら? 政府の外交担当が行方不明になってるのに、その辺の魔法パトロールを捜索に当てるバカがどこにいるの?」

 

「いや、なるほど。確かにその通りですな。では承認を──」

 

「あらあら、私は捜索の必要が無いとまでは言ってませんの。単に規模を縮小すべきだと考えているだけですわ。魔法警察はともかくとして、闇祓いの出動は本当に必要かしら? もっと重大な事件に割り当てるべきではなくて?」

 

「それじゃあ、どの事件に割り当てるべきかしらね? アンブリッジ。『敵』はいないんじゃなかった? 現状で最も重大な事件はクラウチの失踪だと思うけど?」

 

既にコーネリウスの話を聞いている者などいない。ここで起こっているのはガマカエル対オオカミ・コウモリ同盟の戦いなのだ。オロオロと翻弄されるベイビー大臣になど構っている余裕はないのである。

 

私の言葉を受けたアンブリッジは……ふむ? やけに自信ありげだな。ニヤリと笑って返事を返してきた。どうやら何らかの札を切ってくるつもりらしい。

 

「……私は魔法大臣の護衛にこそ割り当てるべきだと考えますわ。スカーレット女史ならば、フランスの一件は既に耳に入っておいででしょう? 彼らは自作自演で被害者を装って、他国への攻撃を目論んでいるとか。となれば、大臣を狙ってきてもおかしくはないと思いますの。」

 

うーん、やるな。フランスの札をそう使ってくるとは思わなかったぞ。非常に嫌らしい一手じゃないか。予想通りいきなり慌て出したコーネリウスは、真っ青な顔でスクリムジョールに向かって喚き始める。

 

「本当なのかね? 危険ではないか! スクリムジョール、すぐに護衛を付けてくれ。四人……いや、八人は欲しい。……八人で足りるだろうか? もっと付けたほうが良いか? どう思うかね? 諸君。」

 

「落ち着きなさい、コーネリウス。あれはフランスの陰謀などではなく、フランスの闇払いは実際被害に遭っているのよ。陰謀だのなんだっていうのは情報操作の──」

 

「あら? 随分とフランス寄りの意見ですのね、スカーレット女史。貴女もイギリスの人間……ああ、失礼。イギリスの『生物』ならば、イギリスのことを第一に考えるべきではなくって? それに、危険を予測することこそが闇祓いの仕事なのよね? スクリムジョール?」

 

ええい、面倒くさいヤツめ。ここぞとばかりに攻め立ててくるアンブリッジに、今度はスクリムジョールが反撃を放った。

 

「フランスの闇祓いは実際に死んでいるのだ、アンブリッジ。下らん陰謀のために自国の闇祓いを殺しまくったとでも? 馬鹿馬鹿しい。私は事件が実際に起こっている可能性を推すがね。」

 

「それも実際のところはどうなのでしょうね? 死んだことにして隠しているとか? あら、大変。その連中を暗殺に使おうとしているのかもしれませんわ。」

 

「話が飛躍しすぎだぞ。君は『それでも』イギリス政府の人間なのだろう? もう少し言葉に気をつけたまえ。無暗に他国への疑いを煽るなど──」

 

「ェヘン、ェヘン。私はイギリス政府の長を心配して言っていますの。コーネリウスが死ねば、イギリス魔法界は立ち直れないほどに混乱してしまうでしょう? 護衛を付けるべきですわ。今すぐに。」

 

コーネリウスが死んだってイギリスは小揺るぎもしないだろうが、当の本人だけはそう思っていないらしい。我らが魔法大臣どのは、その顔に恐怖の表情を貼り付けながらスクリムジョールに命令を繰り返してくる。

 

「うむ、その通りだ。護衛は十人に増やそう。もちろん熟練の者を頼むぞ。それに防衛魔法も点検すべきだし、万一の時のために逃げ道の確保も──」

 

いやはや、ここまでくると笑えてくるな。保身を優先する魔法大臣と、それを見て満足そうに頷く奸臣。……アホくさ。もうやめだ。やってられるか。大きなため息を一つ零した後で、ゆっくりと立ち上がってドアへと向かう。

 

「あらあら? もうよろしいのかしら? スカーレット女史。」

 

「ええ、もういいの、アンブリッジ。用は済んだわ。全部ね。」

 

勝ち誇るように言ってきたアンブリッジは、振り返った私の表情を見て……おや、どうした? ビビっちゃってまあ。怯んだようにその顔から笑みを消した。そうだ、もう用済みなのだ。使えないものはゴミ箱にポイしなければなるまい。私はお母様からそう習ったぞ。

 

「では、私も失礼しましょう。……護衛の件はお任せください。」

 

意図を汲んだスクリムジョールもまた、私の背に続いて部屋を出てくる。エレベーターまでの長い廊下を無言で歩いた後、ボタンを押しながら口を開いた。

 

「護衛は新入りを当てなさい。一番経験がないのを二名でいいわ。他は全員クラウチの捜査に使うように。」

 

「……よろしいので? 許可は結局得ていませんが。」

 

「構わないわ。抗議してきたら無視していいわよ。それが魔法大臣名義だとしてもね。……そのうちウィゼンガモットにも話を持っていくと思うけど、あの老人どもが動き出す頃にはとっくにイギリス魔法省は変わってるから。」

 

「では、とうとう始めるのですね?」

 

同意の言葉を頷きに変える。こうなれば多少強引にでも予定を繰り上げる必要があるだろう。そうなると、ボーンズにも話をしておかないとないといけないな。彼女には人形としてではなく、対等な同盟者として動いてもらうのだから。……もう脳みその欠落してるヤツなど御免なのだ。

 

まったく、イギリス魔法省は色々なことを忘れすぎだぞ。ヴォルデモートのこと、ゲラート・グリンデルバルドのこと、そしてこの私のこと。そろそろレミリア・スカーレットがどんな存在なのかを思い出させてやらねばなるまい。ヨーロッパが未だ覚えているっていうのに、肝心のイギリスが忘れっぱなしじゃ格好つかんだろうが。

 

現状だとウィゼンガモットを潰しきれないのだけが不満点だが……ま、いいさ。完璧にいかないってのは政治の常だ。拘りと、そして妥協。バランスとしてはそう悪くない地点だろう。老いぼれどもは後から真綿でじっくりと絞め殺してやればいい。苦しむ姿を楽しめるってのは悪くないし。

 

「きっと面白くなるわよ、スクリムジョール。貴方は『変革』を最前列で観られるでしょうしね。」

 

「それは楽しみですな。」

 

ああ、私も楽しみだ。ガチャガチャと開いたエレベーターの扉を抜けながら、レミリア・スカーレットはその真っ赤な唇で弧を描くのだった。

 



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またまた、ゴシップ

 

 

「うん、まあ……僕にちょっと愛想が尽きたみたいだね。」

 

予言者新聞を片手に苦笑しながら言うハリーを見て、アンネリーゼ・バートリは全く同じ表情で肩を竦めていた。いいとこ突いてくるじゃないか、スキーター。

 

いよいよ訪れた最後の課題当日。緊張する私たちの出端を挫くかのように、朝刊にスキーターの記事が載っていたのだ。見出しには『ハリー・ポッターと吸血鬼のぶっといパイプ』という文字が踊っている。うーん、なんとも文学的。さすがは百戦錬磨のゴシップ記者だな。

 

結構長い記事だったが、簡略化すると然程情報量は多くない。私を通じてハリーとレミリアがやり取りを行い、対抗試合で不正をしている『疑い』があるという内容だ。……まあ、当たらずとも遠からずじゃないか。ドラゴンの情報を仕入れたのはレミリアなわけだし。

 

既に各寮のテーブルで話題に上っているが、その反応は実に対照的だ。グリフィンドールはカルカロフの『不正』こそを糾弾すべきだと怒り、レイブンクローは真実だとしても戦略の一つだと納得し、ハッフルパフはもし本当なら許せないと睨んできている。スリザリンは……うん、スリザリンしているな。私は分かり易くて好きだぞ、その反応。

 

ハリーに続いて新聞を読み終わったハーマイオニーは、困ったような表情で私に声をかけてきた。『心配』と『バカバカしい』の中間みたいな表情だ。

 

「リーゼ、落ち込んで……ないわね。貴女について、『性悪な仔コウモリ』って書いてあるけど。」

 

「んふふ、一応新聞社に訂正は送っておくよ。『極悪非道な残虐コウモリ』と評すべきだね。あるいは『公共の敵』とかもいいかもしれない。」

 

「同感だぜ。『性悪な仔コウモリ』じゃ可愛すぎる表現だしな。スキーターのやつ、リーゼを見たことないのか?」

 

いい度胸じゃないか、魔女っ子。これ幸いと無礼なことを言う魔理沙のベーコンを奪い取っていると、咲夜がぷんすか怒りながらソーセージをフォークで滅多刺しにし始める。おお、ソーセージ殺戮ショーの始まりだ。腸詰愛護委員会が怒るぞ。

 

「失礼です! 無礼です! こんな人、スクリュートの餌にしちゃうべきなんです!」

 

「それいいな、サクヤ。そしたらスクリュートも腹を壊すかもしれないぞ。夜までになんとかスキーターのババアを餌箱まで誘き出せればいいんだけど……。」

 

「やめなよ、ロン。いくらスクリュートでも可哀想だよ。」

 

なんて優しい子なんだ、ハリー。慈愛に満ちた表情のハリーがロンの楽しそうな計画を止めたところで、ハーマイオニーが全員読み終わった新聞に再び目を通し始めた。そんなもんに構ってると食事が冷めちゃうぞ。

 

「……やっぱり変よ。所々に私たちしか知らないようなことが載ってるわ。スキーターはどうやってこんなことを知ったのかしら?」

 

「さぁね。もう放っておきなよ、ハーマイオニー。ゴシップなんぞに真面目に向き合うのは時間の無駄さ。……それよりも試験の心配はいいのかい? 朝に魔法史の復習をするって言ってたじゃないか。」

 

「ん、まあ……そうね。最後のチェックをしとかなくっちゃ。ゴブリン騎士団の将軍の名前が難しくって。どうして誰も彼もがドイツ式の名前なのかしら? しかも、滅茶苦茶複雑なやつ。」

 

「それが小鬼ってもんだからさ。」

 

適当に返してやると、ハーマイオニーは疲れたように首を振りながらスープに手を伸ばす。代表選手は試験免除だが、普通の学生たちは期末試験の真っ最中なのだ。残念ながらハーマイオニーの中のスキーターに対する興味は、期末試験に注ぐ情熱を超せなかったらしい。

 

午前中に魔法史と呪文学の筆記。午後に変身術の実技があって、夕方からは最後の課題。……ふむ、昼食を食べたら校長室に行くか。ダンブルドアと最後の課題についての最終確認をしなければなるまい。変身術の実技は一人一人行うようだし、別にボイコットしても構わんだろう。

 

「おい、返せよ、ベーコン泥棒。闇祓いを呼ぶぞ。」

 

「残念ながら、今のあの連中はベーコン誘拐事件に関わってる余裕はないと思うよ。もっと重要なヤツが行方不明になってるからね。」

 

ベーコンを奪い返そうとしてくる魔理沙のフォークをあしらいながら考えていると、入り口の方からマクゴナガルが規則正しい足取りで歩み寄ってくる。彼女はヒソヒソ話をしている双子をギロリと睨みつけた後、ピタリとハリーの前で立ち止まって言葉を放った。双子のヒソヒソ話を校則で禁じるべきだと言わんばかりの表情だ。

 

「ポッター、代表選手は課題の前にそれぞれの家族と会う予定になっています。貴方の家族も来ていますから、付いていらっしゃい。」

 

「えっと……まさか、バーノン叔父さんたちが来てるんですか?」

 

ダーズリーたちがホグワーツに? だとすれば二十世紀最大の奇跡だな。最後の課題の真っ最中に特大の雹が降りかねんぞ。『有り得ない』の比喩表現のようなことを言うハリーに、マクゴナガルが珍しく苦笑しながら返事を返す。

 

「勿論そちらにも手紙を送りましたが、残念ながら返信はありませんでした。なので、代わりにブラックが来ていますよ。」

 

「シリウスおじさんが? すぐに行きます!」

 

おやおや、ハリーは犬ころおじさんに会えるのが嬉しくて仕方がないようだ。食べかけのサンドイッチをロンの方に押しやると、待ちきれないとばかりに立ち上がってしまった。フリスビーとかドッグフードを持って行った方がいいぞ。絶対に喜ぶはずだ。

 

しかし、そうなると話し合いにはブラックも同席しそうだな。……うーむ、面倒くさいことになりそうだ。あの親バカは間違いなくハリーの安全についてを煩く言ってくるだろう。レミリアと親バカ談義で盛り上がるかもしれんな。

 

「ああもう、何で私のばっかり盗るんだよ! あっちの皿にいっぱいあるだろうが!」

 

「それはだね、魔理沙。人から奪ったものが一番美味しいからさ。そのことはキミだってよく知っているだろう?」

 

「お前には負けるぜ、性悪仔コウモリ。」

 

「んふふ、キミも言うようになってきたじゃないか。ぷるぷる震えてた頃が懐かしいよ。」

 

この悪戯娘も着々と成長しているわけか。魅魔もきっとご満悦だろう。嬉しそうにマクゴナガルの背に続いて去って行くハリーを横目に、魔理沙からベーコンをもう一つ奪い取るのだった。

 

───

 

「危険です! スフィンクスに、悪魔の罠に、アクロマンチュラ? それに、スクリュートだなんて!」

 

「随分と怒っているようだが、キミはスクリュートが何かを知ってるのかい?」

 

「ハグリッドが生み出した魔法生物だと新聞で読みました。であれば、安全なはずがないでしょう?」

 

お見事、大正解。少ない情報からスクリュートの危険性を読み取ったブラックに拍手を送りつつ、校長室の柔らかなソファに深々と身を預ける。やっぱりこうなったか。親犬どのは仔犬の危機にご立腹らしい。

 

変身術の試験をボイコットすることに成功した私は、ダンブルドア、ムーディ、ブラックと校長室のテーブルを囲みながら最後の課題についてのお話中なのだ。マクゴナガルとスネイプは試験を実施してる真っ最中だし、レミリアは忙しいとかでまだ到着していない。

 

私が拍手を送ったのに全然嬉しそうじゃないブラックは、困り顔のダンブルドアへと尚も抗議の言葉を放った。

 

「本当に安全なんでしょうね? 私はスフィンクスにぺちゃんこにされたハリーなんて見たくはありませんよ。」

 

「無論、安全は確保してあるよ、シリウス。アラスターやミネルバ、フィリウスやポモーナが迷路の外側を巡回しておるし、審査員席からはわしとスカーレット女史が見守っておる。何よりハリーにはバートリ女史が付いていてくれるのじゃ。心配はなかろうて。」

 

「バートリ女史が?」

 

おっと、こっちに矛先が回ってきたか。目線で本当かと問いかけてくるブラックに、肩を竦めながら返事を返す。今回は最初の課題の時と同様に、透明化した私がハリーに引っ付いておくことに決まったのだ。

 

「安心したまえ、ブラック。キミの大事な『仔犬ちゃん』は私が見守っておこう。スフィンクスの猫パンチだってギリギリどうにかできるさ。何なら猫じゃらしでも持って行くよ。」

 

「それは……まあ、それなら安心かもしれませんが。」

 

「そもそも、今更ビビってるのなんてキミだけだぞ。ハリーはドラゴンとクソ長い素潜りを乗り越えたんだ。彼はもうキミの知る小さな赤ちゃんじゃないんだよ。今や立派な一角の魔法使いさ。」

 

「分かっていますが、それでも心配なんです。……ジェームズやリリーが居ない今、ハリーを心配するのは私の役目なんですから。」

 

つまり、咲夜に対するアリスやフランみたいなもんか。……となると、やっぱりレミリアだけが例外だな。チビコウモリはヴェイユにそこまでの思い入れはないだろうし、あいつの親バカだけは根っからのものだったらしい。

 

堂々と親バカ宣言を放ったブラックに対して、今度は部屋の隅で本棚に寄りかかっているムーディが口を開いた。彼は壁を背にしてないと落ち着かないようだ。ホントに病気だぞ、お前は。

 

「キャンキャン喚くな、ブラック。これだけ厳重な守りならば誰にも手は出せん。……それより、わしはカルカロフを見張ることを重視した方がいいと思うがな。」

 

「同感だね。現状で一番怪しいのはあの男だ。何なら試合開始前に気絶させてもいいと思うよ。」

 

「いい考えだ、バートリ。そうしよう。」

 

うーむ、ムーディの同意を得ると自分の思考回路が心配になってくるな。ちょっと苦い顔になった私に変わり、苦笑を強めたダンブルドアがやんわりと止めに入る。

 

「それはさすがにやり過ぎというものじゃよ、二人とも。心配しなくとも近くにわしとスカーレット女史が居るのじゃ。セブルスもそれとなく見張ることになっておるし、そうそう怪しい動きはできまいて。」

 

「ふん、そうだといいがな。いざとなったら容赦するなよ? ダンブルドア。油断大敵!」

 

いきなり大声を出したムーディだったが、もはや誰一人として驚かない。……不死鳥ですらカゴで寝たままだぞ。こいつの『発作』には全員耐性をつけてしまったようだ。

 

「ああ、そうだな、ムーディ。油断大敵だ。もう言わなくても分かってる。……とにかく、ハリーの安全を最優先にお願いしますよ? あの子の名前を誰かがゴブレットに入れたのは確かなんですから。」

 

ブラックの言葉を受けて、部屋に沈黙が舞い降りた。そこは結局謎のままだったな。当然ながら容疑者一位はカルカロフだが、ヤツが入れたにしては少しばかり積極性に欠けるのだ。点数に関してはともかく、直接ハリーをどうこうしようという様子は全く見られない。

 

あとは大穴にバグマンがいるが……うーん、そっちもちょっとピンとこないな。あの男は単なるお祭り好きのアホなのだろう。信じられないほどに迷惑な男だが、闇の魔法使いという単語は似合いそうにない。

 

ま、考えても仕方がないか。私より多くのヒントを持っているはずのダンブルドアやレミリアがたどり着けなかったのだ。である以上、私の視点からいくら目を凝らしても謎のままだろう。

 

脳内の考えに決着をつけてから、黙考するダンブルドアとムーディに対して言葉を投げる。

 

「推理ゲームは後の楽しみに取っておこうじゃないか。先ずは目の前の問題を片付けるべきだろう? ……ハリー個人に関しては私が受け持つが、会場、使用される器材、城の防衛魔法。その辺の安全確認は済んでいるんだろうね?」

 

第一の課題以降、私はバグマンの『準備』を一切信用していない。悪意云々ではなく、『おっちょこちょい』的な意味でだ。……私がハリーを狙うならそこに付け込むぞ。何せバグマンの管理下にある部分というのは、今のホグワーツで一番狙いやすい箇所なのだから。

 

私の確認を受けて、ダンブルドアとムーディは口々に返事を返してきた。その表情を見るに、彼らもバグマンのことはあまり信用していないらしい。……そりゃそうか。

 

「無論、確認済みです。領内全体の防衛魔法に関してはわしが、会場の安全点検はミネルバが行ってくれました。……一応、開始直前にもう一度行うつもりですが。」

 

「器材に関してはわしが念入りに確認済みだ。この杖と、この目でな。」

 

「それならいいけどね。キミも一応最終確認はしたまえよ? ムーディ。……バグマンが対抗試合の終わりを『盛り上げる』ために、優勝杯にドラゴン花火を仕込まないとも限らないだろう? 私は優勝したヤツがお空に打ち上がっていくのなんか見たくないぞ。それがハリーなら尚更だ。」

 

あまりにもバカバカしい話だが、絶対に無いとは言い切れないのがバグマンの恐ろしいところなのだ。やれやれと首を振りながら言ってやれば、ムーディは目玉をピタリと私の方に向けて口を開く。動いたら動いたで不気味だが、止まるとそれはそれで不気味だな。

 

「よかろう。もう一度確認しておく。……だが、何か仕込まれるというのは有り得ん。どれだけ巧妙に隠そうが、わしの目を欺くことなど不可能だ。特にあの能無しにはな。」

 

「念には念を、さ。ここ最近は不測の事態ってやつに出遭うことが多くてね。今年くらいは無縁で……『もう』無縁で終わって欲しいんだよ。」

 

「ふん、そんなことは分かっておるわ。油断大敵! いつもわしが言っていることだろうが?」

 

「これはこれは、失礼したね。被害妄想の専門家どのには釈迦に説法だったか。」

 

珍しくニヤリと顔を歪めて言ってきたムーディに皮肉を返してから、再びソファに身を委ねる。となれば、後は私がハリーを無事に守りきれば問題ないわけだ。……ハグリッドの魔の手から。

 

うーむ、スクリュートとスフィンクスだけが若干の不安要素だな。仮にスフィンクスと戦闘になればハリーに気付かれずに対処するのは至難の業だし、スクリュートは存在が意味不明すぎて予測不可能なのだ。

 

厄介な魔法生物にハリーが遭遇しないことを祈りつつ、アンネリーゼ・バートリは目の前の紅茶を飲み干すのだった。

 



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最後の課題

 

 

『レディース・アンド・ジェントルメン! いよいよ長きに渡る三大魔法学校対抗試合、その最後を締め括る課題の時が訪れました! 選手たちは間も無く入場してくることとなります!』

 

様変わりしたクィディッチ競技場に響き渡るバグマンの声を、レミリア・スカーレットは黙したままで聞いていた。長きに渡るっていうか、たった二回しかやってないわけだが……まあ、そこはご愛嬌か。

 

目の前には刈り揃えられた芝生のグラウンドではなく、信じられないほどに巨大な迷路が広がっている。高さ八メートルほどの生垣で形作られたそれは、クィディッチ競技場を埋め尽くすほどの広さだ。……うーむ、前に見た時は高さが無いせいでいまいち迫力がなかったが、成長した今となっては最後の課題に相応しい見た目だな。これを抜けるのには間違いなく時間が掛かるだろう。

 

……今回も安全面は万全のはずだ。夜ということで有事には私も自由に動けるし、迷路の外では教員たちが事故に備えて巡回している。何よりハリーには透明になったリーゼが引っ付いているのだ。万に一つも事故は起こるまい。

 

魔法の明かりに照らされた迷路の入り口を見ながら考えていると、再びバグマンが観客席に向かって拡声された大声を上げた。クィディッチの観戦用に元から設置されている高所の観客席ではなく、地面に近い場所に造られた特設の観客席だ。第二の課題の時と同じような、突貫工事感満載の安っぽいやつ。どうやら第一の課題で予算を使いすぎたらしい。

 

しかし、バグマンは高すぎると観戦し辛いと思ったらしいが……ここまで低いと逆に中が見えないんじゃないか? あるいは不正防止のためなのかも知れんな。何にせよ、観客たちはまたしても暇な時間を過ごすことになりそうだ。湖面の次は生垣鑑賞? うんざりしちゃうぞ。

 

『先に課題の内容を説明しておきましょう。最後の課題はご覧の通りの巨大迷路です! ルールは簡単。これまで獲得した点数の高い者から順に中へと入り、この巨大な迷路の中央に置いてある優勝杯に最も早く手を触れた選手が優勝となります。』

 

そこまで言うと、バグマンは人差し指を振りながら続きを話し始める。所謂『チッチッチ』ってやつ。なんともムカつくジェスチャーじゃないか。

 

『おっと、心配ご無用! もちろん単なる迷路ではありません。ホグワーツの教員の皆様にご協力いただきまして、至る所に様々なトラップを仕掛けてあります。何れ劣らぬ難題ばかり! 選手たちはその力の全てを振り絞ることになるでしょう!』

 

……リーゼは引っかかったりしないだろうな? うーむ、心配になってきたぞ。変なところでドジなのだ、あのペタンコは。さすがに行動不能にはならないだろうが、イラついてぶっ壊すとかはするかもしれない。

 

ちょびっとだけ不安になりながらも選手の入場を待っていると、隣に座るダンブルドアが声をかけてきた。ちなみに当然ながらクラウチは不在で、今日もロビン・ブリックスが代理で来ている。カルカロフの隣に座ってるせいでなんとも居心地悪そうだ。

 

「そういえば、オーソンからは良い返事をいただけましたぞ。アメリアに協力してくれるとのことです。」

 

「あら、それは重畳。これで三階も盤石ね。少なくとも実働部隊に関しては完全に掌握出来たわ。」

 

魔法省の勢力というのはフロア毎で考えるのが一番分かり易い。地下一階から順に、魔法大臣室、魔法法執行部、魔法事故惨事部、魔法生物規制管理部、国際魔法協力部、魔法運輸部、魔法ゲーム・スポーツ部だ。八階にアトリウムがあり、その下には九階の神秘部と十階のウィゼンガモット大法廷が続く。

 

十階のみ例外となるが、基本的には階層が高い方が重要な部署とされている。そして、オーソン・エドモンドは魔法事故巻き戻し局の局長。つまりは三階の実力者だ。既に魔法事故惨事部部長は内側に引き込んでいるし、これで三階は完全に掌握したと言って問題あるまい。

 

四階の魔法生物規制管理部と六階の魔法運輸部は限りなく味方に近い中立を保つだろう。……そもそも、四階と六階はフロア全体での意思統一が不可能なのだ。あそこは部内でも仲の悪い部署が多い。勝手にフロア内で争いあって、敵にも味方にも染まりきらんのが目に見えている。

 

五階の国際魔法協力部は部長であるクラウチの失踪でそれどころではないし、七階の魔法ゲーム・スポーツ部と九階の神秘部はそもそもどうでもいい。あの二つの部署は権力闘争の場からは遥か彼方にあるのだ。神秘部なんかは今の魔法大臣が誰なのかすらも知らないんじゃないか? なにせパチュリーがいっぱいいる感じなのだから。

 

一階と十階が敵方、二階と三階が味方。正しく頂上決戦だな。政治の中枢と武力の中枢。魔法省で最も重要な四フロアが権力闘争の舞台となるわけだ。うーん、楽しみ。ウズウズしてきちゃうぞ。

 

まあ、他のフロアに関しても基本的には優勢で進んでいる。国際魔法協力部には他国から圧力をかけてもらっているし、六階の煙突ネットワーク庁からは協力の確約を受け取り済みだ。ウィゼンガモットの老人どもが移動キー局への影響力を行使したとしても、あそこがその動きを阻んでくれるだろう。

 

そして、四階の動物課とゴブリン連絡室にもダンブルドアの知り合いが手紙を送ってくれたらしい。それぞれニュート・スキャマンダーとホラス・スラグホーンに頼んだそうだ。片や言わずと知れた魔法生物飼育学の権威。片やその人脈で八年前のゴブリン労働法改正に尽力した恩人。どちらも無視はできまい。

 

……待てよ? ひょっとしたら四階も完全に掌握できるかもしれんな。動物課、存在課、霊魂課、ゴブリン連絡室があそこの四巨頭となる。内二つを味方に出来たなら不可能ではないはずだぞ。

 

存在課と霊魂課への対応を考え始めた私に、ダンブルドアが苦笑しながら話しかけてきた。

 

「いやはや、怖い笑みですな。何を考えているので?」

 

「失礼ね、ボーンズの『お友達』を増やそうとしてるだけよ。存在課と霊魂課に知り合いはいないの? どっちも私とは繋がりの薄い部署なんだけど。」

 

「ふむ……存在課は難しいと思いますぞ。あそこは『ヒト』であることを重視する者が多い。変身後の狼人間や水中人、そしてもちろん吸血鬼。それらを魔法法で『ヒト』と定義出来ないのもあの部署の働きだと聞いております。であるからして、それを撤廃しようとしている動物課とは非常に仲が悪いのですよ。味方につけるならどちらか片方ということになるでしょう。」

 

「ふん、ヒト至上主義者どもの巣穴ってわけ? となれば、私と仲良くしてくれそうな感じじゃなさそうね。……霊魂課に的を絞りましょうか。後で調べてみることにするわ。」

 

霊魂課はゴーストの管理をする部署だ。もう聞くだけで変わり者が多そうではないか。……うーむ、これまで全然関わったことがないから想像がつかんな。ゴーストの職員とかもいるのだろうか? ビンズみたいな感じで。

 

まだ見ぬ霊魂課について考えていると、ダンブルドアが会場を見渡しながらポツリと問いを放ってくる。

 

「……勝てそうなのですかな? わしの下に送られてくる手紙を見る限り、かなりの優位にあることは理解していますが。」

 

「当たり前でしょ。勝つのは確定済みよ。問題は、どこまで『勝ち切るか』なの。……本来なら八割強は手中に収めるつもりだったんだけど、このままだと六割ちょっとって感じになりそうね。」

 

「四割は敵対すると?」

 

「まさか。そのうち半分以上は政治的センスがない一般職員よ。今何が起こっているのか『よく分からない』っていう中庸の連中。本当に敵対してくるのは一割そこらでしょうね。」

 

今頃アンブリッジはビックリしていることだろう。確実に味方だと思っていた駒が次々とひっくり返っていくのだから。……いやぁ、惜しいな。その顔だけは見てみたかったぞ。

 

あの『ひよっこ』は何にも分かっちゃいないのだ。駒ってのはじっくりじっくりひっくり返すようなものではない。必要な時に、相手が対応出来ない速度で一気に覆すからこそ意味があるんじゃないか。きっとあの女も今頃そのことをよく理解しているだろう。

 

ピンクのガマガエルを思って鼻を鳴らす私に、ダンブルドアがちょっと引きつった顔で返事を返してきた。

 

「それはまた、容赦がありませんな。完勝ではありませんか。」

 

「バカ言わないで頂戴。私がどうしてウィゼンガモットに拘っていたかは分かっているでしょう? ……司法権に関してはともかく、本来ならあそこからアズカバンの管理権を奪うつもりだったのよ。それが出来ていない以上、完勝とは言えないわね。」

 

「……スカーレット女史も、アズカバンを放置しておくのは危険だとお考えなのですか?」

 

「貴方と同じ考えよ、ダンブルドア。私も吸魂鬼は信用できないわ。……ただまあ、イギリスにアズカバンに代わる施設が存在しない以上、管理権を奪ったところで今すぐどうにかするってのは無理なのよね。受刑者全員を毒ガス室に集めるってのは……無理かしら? やっぱり無理よね?」

 

ダメ? 可愛らしくきょとりと首を傾げて言ってみれば、ダンブルドアは物凄く渋い苦笑で首を横に振る。やっぱダメか。それが一番楽なんだけどな。

 

「間違いなく反対は大きいでしょうな。国内からも、他国からも、そしてわしからも。それはあまりに短絡的で、そしてあまりに非人道的すぎます。」

 

「ま、分かってたけどね。想像くらいさせて頂戴よ。……ああ、独裁者ってのが羨ましいわ。そしたらこんな悩みからは解放されるのに。」

 

羨ましい限りじゃないか。パッと決めてパッと殺せるんだから。やっぱり政治形態ってのは良し悪しだな。『流行り』の政治形態の欠点を思ってため息を吐く私に、呆れた表情のダンブルドアが別の話題を投げてきた。こいつは独裁者がお嫌いらしい。

 

「そういえば、フランス魔法省の方はまだ到着されていないのですかな? 最後の課題が終わった後に会談があるとのことでしたが……。」

 

「ああ、ちょっと遅れるかもしれないって連絡が来たわ。心配しなくても話し合いの時間までには到着するはずよ。」

 

ダンブルドアの言う通り、今日はホグワーツで『ヴォルデモート』に関しての話し合いが行われることになっているのだ。ダンブルドアはホグワーツを離れられないし、今の私はフランスに出張しているような余裕がない。結果としてフランス魔法省から責任者を招いて、有力者であるオリンペも交えてホグワーツで話し合うということに纏まった。

 

本当は最後の課題の後などという慌ただしい時に行うつもりはなかったのだが、向こうの責任者……デュヴァルのスケジュールが私のそれと合うのは今日だけなのだ。私も大概忙しいが、彼も中々に忙しい日々を送っているらしい。草臥れた姿が目に浮かぶな。

 

そしてアリスはそのデュヴァルの案内をしてくることになっている。……それにまあ、あの人形娘もリドルに関しては『専門家』の一人なのだ。話し合いに参加する意義もあるだろう。

 

「それで、どのような人物なのですか? ルネ・デュヴァル氏という方は。……折角フランスからお越しいただくのですから、出来れば好物のお茶請けなどでもてなしたいのですが。」

 

お茶請け? 相変わらず妙なところを心配する男だな。笑顔のダンブルドアが寄越してきたすっとぼけたような問いかけに、肩を竦めて答えを送る。

 

「好物までは知らないわよ。貧相な見た目に似合わぬ実力者で、やたら腰が低くて……ああ、すっかり忘れてたわ。ムーディにもデュヴァルが来るのを伝えておかなくっちゃ。」

 

「アラスターに?」

 

「ええ、デュヴァルはムーディの古くからの友人らしいのよね。向こうも会いたいでしょうし、いっそ話し合いに同席させましょうか。」

 

「それはまた、なんとも意外な繋がりですな。つまり、デュヴァル氏もアラスターのように……あー、『独特』な方なのですか?」

 

おやまあ、ダンブルドアでさえこの反応か。『ムーディの友人』ってのは万人にとって驚愕に値する単語だったようだ。かなり言葉を選んで聞いてきたダンブルドアに、苦笑しながら返事を返す。

 

「心配しなくても、デュヴァルはかなりの常識人よ。物腰も柔らかだし、礼儀作法も合格点。……よく考えるとムーディとは正反対の人柄ね、彼。あれでよく友達やっていけるもんだわ。嫌になったりしないのかしら?」

 

「なればこそ、なのかもしれませんぞ。形が違うからこそピッタリ嵌るということもあるのでしょう。それが人間というものです。」

 

「私にはよく分かんないわね。認めるのは業腹だけど、リーゼと私は似通った部分があるし……パチェも正反対って感じじゃないわ。」

 

「ほっほっほ、人それぞれの形があるのですよ。アラスターがそれを見つけられたのなら、わしとしては嬉しい限りです。」

 

あのイカれ男でさえも、こいつにとっては『教え子』の一人なわけか。好々爺の笑みでうんうん頷くダンブルドアに、椅子に凭れ掛かりながら声を放つ。

 

「まあ、ムーディには課題が終わったら教えてあげましょうか。今はもう配置についちゃってるんでしょ?」

 

「ええ、この場所とはちょうど真逆の……あの辺りですな。向こうから『目』を使って迷路内部を監視しているはずです。彼なら生垣など有って無いような物でしょうて。」

 

「あら、羨ましいならパチェに頼んでみれば? グルグル回るお目々を作ってくれるかもしれないわよ?」

 

「ううむ、幸いにもまだ自前のものが残っておりますからのう。これが見えなくなったら考えることにしましょう。」

 

賢い選択だな。無言で肩を竦めていると……やおらバグマンが競技場に響き渡る大声を放った。どうやらダンブルドアと話をしている間に、選手たちが入場する時間になってしまったようだ。

 

『さあ、代表選手たちが現れました! 二位のクラム選手、三位のディゴリー選手、一位のポッター選手、そして四位のデラクール選手です! 盛大な拍手でお迎えください!』

 

観客席から沸き起こる拍手を背に進んでくる選手たちは、四人が四人とも緊張した表情を浮かべている。無理もあるまい。一千ガリオンと優勝の名誉が袖をチラつかせて手招きしているのだから。

 

実況席……というか木組みのお立ち台を下りたバグマンは、選手たちに近寄って何かを話し始めた。注意事項の説明とかか? 恐らく緊急時の対策を確認しているのだろう。今まさに確認してるってのがバグマンらしいな。重要なことなんだから、もっと事前にやっとけよ。

 

やがて話し終わったバグマンは再びお立ち台に上ると、遂に課題の開始を告げる声を張り上げる。

 

『先程の説明の通り、点数の順に迷路に入ってもらいましょう。ポッター選手、クラム選手、ディゴリー選手、デラクール選手の順です。それではぁぁぁ、スタート!』

 

バグマンの声と共に、先ずは緊張した表情のハリーが早足で迷路へと入って行く。私からは見えないが、その背中にはリーゼが続いているはずだ。……続いてるんだよな? 気配まで消してるせいでさっぱり分からん。まあ、油断してないってことだろう。

 

『さて、次は僅差のクラム選手の番となります。クラム選手も……スタート!』

 

僅か十秒後、今度はクラムが小走りで迷路の中へと駆け込んで行った。そしてそこから更に一分後にディゴリーが出発し、点差の大きなデラクールが五分ほど置いてそれに続く。

 

さて、後は誰かが優勝杯に到着するまでヒマな時間が続くだけだ。今回はこれまでの総まとめを話し始めたバグマンを見ながら、レミリア・スカーレットは魔法省の政争について再び思考を巡らせるのだった。

 



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運命の夜

 

 

「ゔぉくは、あんな禍々しい生き物を今まで見たことがない。……気を付けろ、ポッター。次にあれを見たら、逃げろ。全力で。」

 

憔悴しきった顔で助言を残したクラムが別の道に進んで行くのを見送って、アンネリーゼ・バートリはハリーと共に迷路の中を再び歩き出していた。……ふざけるなよ、ハグリッド! 危うくハリーとハーマイオニーの『お相手』がスクリュートの餌食になるところだっただろうが!

 

最後の課題が始まり、私とハリーが迷路に入ってからは三十分ほどが経過している。方向感覚を奪う霧、悪魔の罠、石像のパズル、真似妖怪。それらの比較的『常識的』な障害をハリーが見事に突破したところで、ハグリッドの用意した『非常識』な障害……つまり、スクリュートから逃げるクラムにばったり出くわしてしまったのだ。

 

成長したスクリュートは……うん、クラムの言う通り、実に『禍々しい』生き物だった。エビとサソリとトカゲとクモを滅茶苦茶に混ぜ込んだような見た目で、ギュルギュルと耳障りな鳴き声を上げながらハリーとクラムを猛然と追いかけてきたのだ。しかも、尻尾を爆発させて加速しながら。

 

ハリーとクラムが撃ちまくる呪文もなんのそので追いかけ回された結果、最後は曲がり角で二人の視線が切れた瞬間に私が『対処』する羽目になった。……バジリスクの時と同レベルの妖力弾を撃ち込んだのにも拘らず、表面の殻すら貫通しなかったが。衝撃で気絶したから良かったものの、あの感じだと殺しきるのは私でも苦労しそうだぞ。

 

ハリーの背に続いて生垣に挟まれた薄暗い通路を歩きながら、後で来るアリスにハグリッドの『悪行』を言いつけてやろうと決意していると……おや、救難信号だ。北側の空に上がっていく赤い煙が目に入ってきた。どうやら遂に誰かが脱落したらしい。

 

先程クラムが消えて行った方向ではないということは、ディゴリーかデラクールのどちらかが上げたものなのだろうか? ハリーは少しだけ立ち止まって心配そうにその煙を見つめた後、一度首を振ってから再び歩き始める。……きっと代表選手の誰かがスクリュートの餌になっていないかを心配しているのだろう。気持ちはよく分かるぞ。

 

ポイント・ミー(方角示せ)。」

 

何度か方角を確認しながらのハリーと共に、そのまま中央に向かっていくつかの角を抜けて行くと……これはまた、想像してたよりも迫力があるな。少し広めの通路に立ち塞がるビッグな猫女が目に入ってきた。『非常識障害』の一つ、スフィンクスだ。

 

五メートルほどの巨大な獅子の胴体に、黒髪で端正な女の顔。アイシャドーで際立てられたアーモンド型の目と、ルージュで染まった真っ赤な唇がなんとも特徴的だ。……うーむ、エジプト感の主張が強すぎるな。金のメニトなんかが実にステレオタイプだぞ。

 

曲がり角でこんにちはするにはあんまりな存在を見て、ビクリとその身を硬直させてしまったハリーへと、スフィンクスが顔に似合わぬ嗄れ声で話しかけてくる。中性的な老人、といった具合の声だ。

 

「ゴールはここからすぐ近くにある。そして一番の近道は、私の背中の道を抜けて行くことだ。」

 

「えっと、通してくれるんですか?」

 

「それは君次第だ。……今から私がなぞなぞを出す。一度で正解出来れば通してあげよう。不正解なら君を襲う。そして黙して引き下がるなら見逃そう。」

 

なんとも分かり易いじゃないか。謎めいた微笑みを浮かべるスフィンクスの説明を受けて、ハリーはゴクリと喉を鳴らしてから返事を放った。スフィンクスについては事前に対策済みなのだ。とりあえずなぞなぞを聞いてみて、無理そうなら引き返すことになっている。

 

「分かりました。なぞなぞを出してくれますか?」

 

ハリーの返答を受けて満足そうに頷いたスフィンクスは、腹這いにその巨体を落ち着かせてから、まるで歌うようになぞなぞを繰り出してきた。

 

 

最初のヒント。変装して生きる人だれだ。秘密の取引、嘘ばかり吐く人だれだ。

 

二つ目のヒント。だれでもはじめに持っていて、途中にまだまだ持っていて、なんだのさいごはなんだ?

 

最後のヒントはただの音。言葉探しに苦労して、よく出す音はなんの音?

 

つないでごらん、答えてごらん。キスしたくない生き物はなんだ?

 

 

謎かけを終えると、スフィンクスは黙してハリーを見つめ始める。……ふむ、とりあえず事前に読んだ本に出てこなかったなぞなぞなのはハッキリしたな。談話室での『なぞなぞ大会』は何の役にも立たずに終わりそうだ。

 

「あー……つまり、全部のヒントを集めると、『キスしたくない生き物』の名前になるってことですか?」

 

ハリーの質問を受けたスフィンクスは、目をパチパチさせながら謎めいた微笑みを強めるだけだった。……多分、それで合ってるはずだ。そしてハリーもそれをイエスだと受け取ったらしい。

 

「ちょっと待って、考えさせてください。……変装、秘密、嘘。ペテン師? あるいはスパイとか──」

 

ブツブツと呟きながら考え始めたハリーを横目に、私も一応考える。……最初のヒントは当て嵌まるものが多すぎるな。となれば、残りの二つで可能性を絞るべきだろう。

 

「えっと、最後のヒントをもう一度お願いできますか?」

 

ハリーの声を受けたスフィンクスが最後のヒントを繰り返すのを聞きながら、翼をピコピコ動かして思考を回すが……んー、結構難しいぞ。最後のヒントは『あー』か『えー』だろうが、残りの二つがよく分からん。長い年月で頭が凝り固まってるのかもしれんな。

 

だれでもはじめに持っていて、途中にまだまだ持っていて、なんだのさいごは……ああ、なるほど。単なる言葉遊びか。ってことは──

 

「──だから、スパイ、あー? スパイ、アー。キスしたくない生き物……そうか、スパイダー! 蜘蛛だ!」

 

私とは別の思考回路を辿ったようだが、ハリーも同時に同じ答えに行き着いたらしい。一応不正解に備えて身構える私を他所に……スフィンクスはニッコリ微笑みながら道を開けた。どうやら大正解だったようだ。

 

「ありがとう!」

 

お見事、ハリー。笑顔でスフィンクスに礼を言って脇を抜けるハリーに続いて、私もうんうん頷きながら先へと……おい、どういうことだ、猫女。スフィンクスはハリーと私との間にその巨大な前足を置いて行く手を阻む。ああ、嫌な予感がしてきたぞ。

 

「……まさかキミ、私が見えているのかい?」

 

角を曲がって行くハリーに聞こえないように小声で問いかけてやると、スフィンクスは謎めいた微笑みを浮かべたままで返事を寄越してきた。先程と全く一緒なのに、何故か不気味な微笑みに見えてしまう。

 

「私は王の墓を守る者。盗掘者たちを阻む者。嘘や惑わしを見抜く者。……ここを通りたければ私のなぞなぞに答えることだ。」

 

「参ったね、ちょっとキミを見くびってたよ。……ファラオの門番は伊達じゃないってことか。」

 

さて、どうする? 代表選手の不正を防ぐため、迷路の上を抜けるのはダンブルドアの魔法で封じられている。となれば素直になぞなぞを解くか、別の道を探すか、目立つのを覚悟で生垣を吹っ飛ばすか、それとも目の前のスフィンクスを──

 

「一度で正解出来れば通してあげよう。間違えれば君を襲う。黙して引き下がれば見逃そう。……そして、押し通る気ならそれを阻もう。」

 

私が妖力を纏った瞬間、スフィンクスは巨大な前足から見事な爪を出してその微笑みを強めた。……さすがに負けるとは思えないが、透明化が通じない以上は時間が掛かるかもしれんな。パチュリーでさえ『強力な』魔法生物だと評価していたのだ。先程痛い目を見たことだし、もう王墓の門番を侮るべきではあるまい。

 

「いいだろう。問いかけを受けようじゃないか。」

 

仕方ない、サクッと解けなさそうなら『横穴』を空けちゃおう。そして後でハグリッドをぶん殴ろう。内心に最終手段を隠しつつ言ってやると、スフィンクスは再び歌うようになぞなぞを繰り出してくる。ハリーの時より、若干暗めの音調で。

 

 

最初のヒント。クロワッサンは平気でも、フランスパンは平気でも、食パンだけは嫌いなのなんだ?

 

二つ目のヒント。出会ったときは真っ黒け、知り合ううちに赤くなり、そして別れは鼠色。

 

最後のヒント。全ての木の天辺なんだ? オーク、シラカバ、スギ、エボニー。どんな木にもあるものなんだ?

 

合わせてごらん、答えてごらん。画家の最初の友達だあれ?

 

 

謎かけを終えると、スフィンクスは黙して私を見つめてきた。……画家の最初の友達? それに、ハリーの時とは最後の文句が違ったな。『つないでごらん』ではなく、『合わせてごらん』か。一つの答えを出すための、別個のヒントという意味なのだろうか?

 

焦る気持ちを抑えて思考を回す。出会った時は真っ黒け、そして赤から鼠色。ブラック、レッド、グレー。クロワッサン、食パン、フランスパン。……うーむ、イライラしてきた。やっぱり『リドル』は好かんな。私とは相性が悪いようだ。

 

「……ふぅ。」

 

ごちゃついた思考をリセットするため、一度大きく息を吸って……吐き出した。空っぽになった頭で、連想ゲームのように考え始める。こういうのは筋道立てて考えるべきではないのだ。もっと軽く考えねば。

 

食パン、色、木、画家……そら、閃いた。一つピースが嵌ればすぐじゃないか。浮かんでくるニヤニヤという笑みをそのままに、お行儀の良いアルカイックスマイルのスフィンクスへと答えを放つ。

 

「木炭だ。」

 

木炭画は食パンで消すし、火にくべれば黒、赤、灰色に変わる。木の天辺は木の端……『木端』という言葉遊びで、画家の最初の友人ってのはデッサン画に使うという意味だろう。

 

果たして正解を射抜く事が出来たようで、墓守どのは微笑みながら道を開けた。

 

「どうも。……ちなみに聞くが、『朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足』これが何か分かるかい?」

 

「……少し時間が欲しい。」

 

「ゆっくり考えたまえ。」

 

適当に答えてから、ハリーが進んで行った方向へと走り出す。……やっぱりギリシャ神話ってのは何の役にも立たんな。テーバイの連中がバカばっかりじゃなくて安心したぞ。

 

そのまま気配を辿っていくつかの角を抜けて行くと……そら、少し目を離すとすぐこれだ。二匹のアクロマンチュラに追い回されているハリーとディゴリーが見えてきた。どうやら今度はディゴリーの逃走劇に巻き込まれたらしい。

 

ステューピファイ(麻痺せよ)! くそ、全然効かない!」

 

「こっちだ、セドリック!」

 

呪文を放ちながら奥の角を曲がって行く二人を一度見送り、先ずは後ろ側の蜘蛛の脚を掴んで思いっきり引っ張る。……ありゃ、捥げなかったか。結構頑丈だな。っていうか、体毛の感触が死ぬほど気持ち悪いぞ。掴むんじゃなかった。

 

そのままギチギチと嫌悪感を誘う鳴き声を出しながら、自分を拘束している存在を見つけ出そうともがくアクロマンチュラに……杖を押し当てて呪文を放った。静かにやるんならこの方法が一番だ。潰すと体液とかが出ちゃうし。

 

「……アバダ・ケダブラ(息絶えよ)。」

 

杖から発せられた緑の光が全身を伝うと、何かが収縮するような異音の後で……うん、上出来。蜘蛛は脚を畳んでピクリとも動かなくなる。いやはや、便利なもんだな。なんだってこの呪文を毛嫌いする魔法使いが多いのやら。

 

ゲラートも言っていたが、こんなもんマグルの『銃』と同じなのだ。要は使い方次第。死の呪いそのものではなく、向ける対象こそが問題なんだろうに。……いやまあ、強い殺意を必要とするあたりが問題視されてるのかもしれんが。その辺は確かに『最悪の呪い』に相応しい条件だな。

 

考えながらもハリーたちを追って角を曲がると……おやまあ。蜘蛛の前脚に掴まれて逆さ吊りになっているディゴリーが見えてきた。ここから眺める分にはちょっと楽しそうだが、やられてる本人は全然楽しそうじゃないな。ハリーが呪文を撃ちまくって必死にそれを助け出そうとしているようだ。

 

「ステューピファイ! インペディメンタ! ……エクスペリアームス(武器よ去れ)!」

 

おっと、武装解除を受けた蜘蛛が遂にディゴリーを取り落とす。そのまま落ちていた杖を掴んだディゴリー、杖を振り上げるハリー、そして蜘蛛の背中側に回り込んで杖を押し当てる私。三つの杖から同時に同じ呪文が放たれた。

 

「ステューピファイ!」

 

三人分の失神呪文を受けたアクロマンチュラは、ようやくコロリと丸まって動かなくなる。押し当てても若干赤い閃光が漏れてしまったわけだが……うん、大丈夫そうだな。二人とも気付いた様子はない。そんなもんを気にしてる余裕などなかったようだ。

 

恐らく掴まれた時に足を痛めてしまったのだろう。生垣に寄りかかりながらヨロヨロと立ち上がったディゴリーは、転がっている蜘蛛を嫌そうに一瞥した後、ハリーに向かって口を開いた。

 

「ありがとう、ハリー。お陰で助かった。」

 

「いいさ。それより……。」

 

言いながらハリーが目線で示したのは……ありゃ、優勝杯じゃないか。クリスタル製の青く輝く優勝杯が、少し離れた場所に設置された台座の上に載せられている。どうやら逃げているうちに迷路の中央に到着してしまったらしい。

 

優勝杯を見つめて沈黙している二人のうち、先んじてディゴリーが声を上げた。その顔にはくたびれたような諦観の苦笑が浮かんでいる。

 

「取れよ、ハリー。今日だけで君は僕を二度も救った。クラムの時と、今。……君が居なければ僕はとっくに脱落してたんだ。だから、君が優勝すべきだよ。」

 

『クラムの時』? どうやら私が目を離していた僅かな隙に、大蜘蛛だけではなくクラムとも何かあったようだ。透明な私が首を傾げているのに構うはずもなく、ハリーはディゴリーに向かって返事を返した。……何故か首を横に振りながら。

 

「カッコつけるな、セドリック。君は本気で優勝を目指してるんだろう? 僕は本来なら選手になるべきですらなかったんだ。優勝するのは君さ。……ホグワーツのみんなも、きっとそれを望んでる。」

 

「それは違う、ハリー。ドラゴンが君に容赦したか? 水中人は君を助けてくれたか? ……君はどれも自分の力で乗り越えたじゃないか。誰も君の優勝を否定したりはしないさ。そんなことは僕がさせない。」

 

「違うんだ。僕は色んな人の助けがあったからここまで来れただけなんだよ。……ほら、君だって助けてくれたじゃないか。リーゼを通じて、僕に卵の謎の解き方を教えてくれただろう?」

 

「それは、君がドラゴンのことを教えてくれたからだ。忘れちゃったのかい? ハリー。君が居なければ、僕は第一の課題すら突破出来なかったんだよ?」

 

あー……何だこれは? 驚いたな。光り輝く優勝の名誉が手の届く場所にあるのに、ホグワーツの代表選手二人は何故か譲り合いを始めてしまった。何をしているんだ、ハリー。キミをバカにしてた連中を見返すチャンスなんだぞ。

 

ヤキモキする私を他所に、ハリーとディゴリーはお互い一歩も引かぬという様子で話を続ける。

 

「僕はこれまで真っ当に戦ってきたわけじゃないんだ。第二の課題の時の鰓昆布だって、自分で手に入れたものじゃない。リーゼの知り合いから送ってもらったんだよ。」

 

「それも実力の内だよ。君にはそこまでしてくれる人たちがいるってことじゃないか。……そもそも、あの時僕は湖の底に残るべきだったんだ。君がそうしたようにね。僕は自分のことに必死で、他の人質のことなんて考えもしなかった。」

 

「それは、僕だけが大間抜けだったからさ。落ち着いて考えればダンブルドア先生が生徒を危険に晒すはずなんてないのに、僕だけがあの歌を本気にしたからだ。褒められるようなことじゃないよ。」

 

「そうかい? 僕はそうは思わないな。君のやったことはとても気高いことなんだよ。あの時、君だけが唯一正しい行いをしたんだ。……優勝杯を取れよ、ハリー。君が優勝するんだ。それ以上の結末なんか無いのさ。」

 

ディゴリーの真っ直ぐな視線を受けて、ハリーは一度優勝杯に目を向けると……何かを思いついたかのようにポツリと呟いた。

 

「二人ともだ。……そうだよ! 二人一緒に取ろう、セドリック! 僕らのどっちが取ってもホグワーツの優勝なんだから!」

 

「それは……君は、本当にそれでいいのか?」

 

「僕たちは一緒にここにたどり着いたんだ。助け合ってね。……だから、一緒に優勝しよう。それがきっと一番だよ。」

 

「君は、本当に凄い奴だな、ハリー。……分かった。一緒に取ろう。『ホグワーツ』の優勝だ。」

 

柔らかい微笑を浮かべたディゴリーに肩を貸して、ハリーは笑顔で優勝杯の方へと歩き始める。……うーん、青春だな。まさかこんな展開になるとは夢にも思わなかったぞ。

 

私としてはハリーの単独優勝の方が嬉しかったわけだが……ま、これもこれで悪くない終わり方だ。ディゴリーには土産話の借りもあるし、素直に祝ってやることにしよう。

 

二人三脚でゆっくりと優勝杯に近付いていくホグワーツの代表選手たちは、クリスタルのカップの前で一度足を止めた後、顔を見合わせて頷いた後でそれをしっかりと──

 

「……は?」

 

優勝杯を二人同時に掴んだ瞬間、キュルリという音と共にハリーとディゴリーの姿が掻き消えた。姿くらまし? 即座に近付いて跡追い姿くらましのために杖を振るが……アホか私は! ホグワーツで姿くらましが出来る訳がないだろうが!

 

落ち着け、アンネリーゼ。焦るな。冷静に考えろ。今の消え方は何だった? どこか特徴的な、裂け目に吸い込まれていくような消え方……ポートキーか? つまり、優勝杯がポートキーになっていたということか?

 

……あの、大馬鹿野郎の、役立たずの、イカれ男め! 自信満々に細工は有り得んとか言ってたのは何だったんだ! 内心に渦巻く怒りを感じながらも、妖力弾で生垣に穴を空けて一気に外側へと移動する。

 

保護呪文のかかっている生垣を強引にぶっ壊したので、競技場に木霊するほどの爆音が響いてしまったが……そんなもん知ったことか! こうなればもう隠密もクソもない。一刻も早くダンブルドアとレミリアに事態を知らせねば。

 

ビシビシと顔に生垣の枝が当たるのにも構わずに、アンネリーゼ・バートリは全力で迷路の外へと飛び出すのだった。

 



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ハリー・ポッターと炎のゴブレット

今回、かなり長めになっちゃってます。申し訳ございません!


 

 

「違う! 私は何も知らない! 私はただ……ただ、逃げようとしただけだ! ここから、イギリスから! これを見ろ!」

 

ブラックに押さえつけられているカルカロフが自身の左腕を捲り上げるのを、レミリア・スカーレットは冷め切った表情で見つめていた。その左腕には真っ黒な闇の印が浮き上がっている。……前回の戦争時と同じ濃さに。リドルが『生きて』いた頃と同じ濃さに。

 

混乱。それがこの場を表すのに最も適した単語だろう。状況を把握できない観客席の生徒たちは不安そうに騒めき、バグマンはそれを必死になって制御しようとしている。……まあ、残念ながら彼も状況を把握してはいないはずだ。あの慌てっぷりを見る限り、容疑者候補からは外して良さそうだな。

 

原因は二十分ほど前にリーゼから齎された報告にある。曰く、ハリーとディゴリーが優勝杯に触った瞬間に『消え失せた』らしい。消え方からしてポートキーの可能性が高いとも言っていた。……あいつのあんなに焦った表情は久々に見たぞ。一瞬本気で『器材担当』のムーディを殺すんじゃないかと思ったくらいだ。

 

ここで一番厄介な点は、『ポートキーによって消えた』という点である。姿くらましでもなく、飛翔術でもなく、煙突飛行でもなく、ポートキー。つまり、一番追い難い方法を使われたということだ。クソったれめ!

 

姿くらましならリーゼが跡追いくらましで追えるし、飛翔術は目で、煙突飛行は煙突ネットワークから移動先を割り出せる。しかし、ポートキーだけはどうにもならんのだ。イギリス魔法省が把握出来るのは国内でのポートキーの『作成』であって、『使用』ではないのだから。

 

一応、国境を跨いだ場合のみ特殊な魔法で魔法省に警告が入る仕組みになっているが、そこに反応が無かったことは真っ先に確認している。要するに、今分かっているのは移動先が国内であることだけだ。詳しい移動先を特定するには件のポートキーそのものが必要で、当然ながらそれは今ここに無い。

 

事態を知らせ終わったリーゼと、報告を聞いたマクゴナガル、ムーディはそれぞれ紅魔館、魔法警察、闇祓いへと連絡を入れに行った。移動先を特定出来ない以上、人海戦術で片っ端から探すしかあるまい。……まあ、どう考えても望み薄なわけだが。

 

唯一、パチュリーだけは痕跡を追える可能性があるだろう。リーゼが紅魔館に連絡を入れに行ったのもその為である。ダンブルドアでさえ不可能な以上、可能性は低いかもしれないが……それでも何もしないよりかはマシなはずだ。

 

そんな混乱の中、ブラックは私たちの慌てる様を疑問に思ったようで、観客席から降りて来て何があったのかを問いかけてきたのだ。そしてダンブルドアからハリーが消えたと聞いた瞬間、猛犬のようにカルカロフへと襲いかかったのである。……いやまあ、あながち間違った行動とは言えまい。この場で最も怪しいのはこの男なのだから。

 

必死に弁解するカルカロフに杖を突きつけながら、ブラックは尚も詰問の言葉を投げつけた。

 

「黙れ! 知っていることを話さないと後悔することになるぞ! ハリーは何処だ! ポートキーの行き先は何処なんだ!」

 

「だから知らんと言っているだろうが! 私はもう死喰い人とは何の関係もない! ……その手を離せ、ブラック。理解できるだろう? この印が浮かび上がった意味が。帝王が復活したのだ! 闇の時代がまた──」

 

「どうでもいい! ヴォルデモートなど知ったことか! 私はハリーの居場所を聞いているんだ! あの子は今何処にいる!」

 

「耳が聞こえないのか? 私は、知らない! 本当に知らないんだ!」

 

堂々巡りだな。指を順番にへし折ってみるか? 苛々しながら口を開こうとしたところで、やおら近付いてきた……スネイプ? ひどく冷静な表情のスネイプがカルカロフに声をかける。

 

「嘘を吐くべきではないな、カルカロフ。吾輩のものと違って、貴様の印は呼びかけを受けているではないか。であれば、帝王の下へと姿あらわしが出来るはずだ。」

 

「セブルス! その意味が分かっているのか? 行けば私は殺される! 分かりきったことではないか!」

 

ほう? 良い事を聞いたぞ。本当にリドルが『復活』したのか、そしてハリーが消えたのと関係があるのかは定かではないが、この状況で無関係と断ずるのはバカだけだ。

 

「ダンブルドア、姿くらまし妨害術を解除出来る? 一瞬だけ、この場所だけでいいから。」

 

「難しいですが、やってみましょう。お任せください。」

 

結構、結構。ダンブルドアの了承を得たところで、地面に押さえつけられているカルカロフへと冷たい口調で言葉を放った。

 

「……やるのよ、カルカロフ。ダンブルドアと私がすぐに後を追うわ。」

 

「嫌だ! 貴女は帝王のことを分かっていない! 行けば私は死ぬのだぞ!」

 

「選びなさい。今すぐ私の手によって死ぬか、それとも万に一つもヴォルデモートから逃げ切れる可能性に賭けるかよ。……言っておくけど、別の場所に姿あらわしなんかしたら地の果てまでも追いかけていって殺すからね。目の前の吸血鬼と遠くのトカゲ人間、どっちが怖いかしら?」

 

「あああ、クソ、クソが! 最悪だ! こんな事ならダームストラングから離れるんじゃなかった! ……他に選択肢は無いんだろう? すぐに来てくれるんだろうな?」

 

情けなく懇願してくるカルカロフに、今度はダンブルドアが話しかける。良い警官と悪い警官か? 何でもいいからさっさと説得してくれ。

 

「無論じゃ、イゴール。わしらを案内してくれるだけでよい。そうしてくれれば、もう君を疑う者は現れまいて。……分かるじゃろう? 贖罪の日が来たのじゃよ。」

 

「……分かった。杖を返せ、ブラック。」

 

「返すが、余計な事はするなよ? もし妙な真似をすれば──」

 

「分かったと言っているだろうが! しつこいぞ、野良犬めが!」

 

杖を受け取って立ち上がったカルカロフを尻目に、スネイプに向かって囁きを放った。この男を連れて行くわけにはいくまい。もし本当にリドルが復活したとすれば、彼には彼の役目があるのだ。

 

「リーゼとマクゴナガル、ムーディが戻ったら後から追って来るように伝えて頂戴。貴方は待機よ。……理由は分かるわね?」

 

「把握しております。お任せください。」

 

「結構。それじゃあ、行きましょうか。ダンブルドアはともかく、ブラックは用心しなさいよ? 足手纏いは要らないからね?」

 

「その時は見捨ててもらって構いません。何よりもハリーの安全を最優先に……ハリー!」

 

ハリー? 言葉の途中で驚愕の表情を浮かべたブラックは、叫んだ後に迷路の入り口の方へと走って行く。私も振り返ってそちらに目を向けてみれば……良かった、生きていたか。優勝杯とディゴリーをそれぞれ両の手で掴んだハリーが、蒼白な顔で芝生の上に倒れ込んでいるのが見えてきた。

 

「ハリー! 無事か? 怪我は? 何があった?」

 

ハリーは捲し立ててくるブラックを見て、駆け寄る私とダンブルドアを見て、そしてピクリとも動かないディゴリーの方を見ると、悲壮な表情でダンブルドアに向けて言葉を放つ。絞り出すような、掠れた声だ。

 

「ヴォルデモートが……あいつが復活しました。セドリックは、彼は、殺されたんです。ヴォルデモートに殺されたんです!」

 

瞬間、場の空気が凍った。……これで確証が得られたな。遂に来るべき日が訪れたわけか。魔法省の改革、大陸との連携、そして戦争への備え。こちらもやるべき準備は終わっている。完璧ではないにせよ、ギリギリで間に合ったはずだ。

 

いやはや、何がどう転がるか分からんな。アンブリッジの所為で時計の針を強引に進めた結果、リドルの『復活』に魔法省の改革が滑り込みで間に合ったわけか。後であの女にはハエ料理の詰め合わせでも送ってやらねばなるまい。

 

魔法省の事を考える私を他所に、ディゴリーを見たダンブルドアは一瞬だけ辛そうにその顔を歪ませるが……数瞬後には真剣な表情に変わり、目線を合わせるように屈みこんでハリーに言葉をかけた。

 

「よくぞ生きて戻ってくれた、ハリー。よくぞセドリックを連れて帰ってきてくれた。疲れておるじゃろう、悲しんでおるじゃろう。……しかし、今は時間が惜しいのじゃ。どうか城で話を聞かせておくれ。」

 

「でも、僕、セドリックを両親の下に連れて帰るって約束しました。だから先ずはセドリックを連れて行ってあげないと。早く両親のところに──」

 

「分かっておる。……ポモーナ!」

 

呼ばれたスプラウトが小走りで駆け寄って来ると、ダンブルドアは彼女へと神妙なトーンで指示を送る。

 

「ポモーナ、済まぬがセドリックのことを頼む。ご両親に彼の死を伝える必要があるじゃろう。……わしも必ず後で謝りに行こう。じゃが、今はどうしても時間が足りないのじゃ。」

 

「死を、伝える? 校長、一体何を……死? ディゴリーは、セドリックは……死、死んでいるのですか? 私の寮の生徒が死んだと? そんな、それは……。」

 

「ポモーナ、頼む。」

 

訃報を受けて呆然とディゴリーを見つめるスプラウトだったが、呼びかけたダンブルドアの表情を目にすると……言葉を飲み込んで頷きを返した。さすがに前回の戦争の経験者だけあるな。彼女は事態をボンヤリと認識したようだ。

 

「……分かりました、ダンブルドア校長。為すべきことがあるのですね? ご両親には私が責任を持って伝えておきます。」

 

「すまぬな、辛い役目を任せる。……行こう、ハリー。急ぐのじゃ。」

 

「でも……スプラウト先生、セドリックをお願いします。彼は、彼は両親のところに戻りたがってるんです。帰してあげないと。彼を、帰るべき場所に。」

 

「任せておきなさい、ポッター。私が必ず、責任を持ってご両親の下へと連れて行きましょう。約束します。」

 

未だディゴリーの手を掴んだままのハリーは若干躊躇する様子を見せたが、スプラウトが言葉と共に力強く頷くと、彼女にディゴリーを預けて立ち上がる。それを少し悲しげな表情で見つめた後、ダンブルドアはハリーの手を引いて城へと歩き始めた。

 

私、ブラック、スネイプもそれに続き、観客席の間を抜けて城へと向かう。……咲夜もあの戸惑う生徒たちの中にいるはずだ。後できちんと声をかけてやらねばなるまい。

 

後ろ髪引かれる思いで校庭を歩いていると、競技場から少し離れたところでダンブルドアがハリーへと質問を投げかけた。

 

「ハリー、歩きながら説明できるかね? 何が起こったのか最初から話しておくれ。焦らず、ゆっくりでよい。」

 

「はい。あの……僕とセドリックは同時に迷路の中央に到着したので、二人一緒に優勝することにしたんです。二人ともホグワーツだから、その方がいいだろうって。それでセドリックと一緒に優勝杯に触れて……そしたら、急に何処かへ移動したんです。見たことも無い墓地に。セドリックは優勝杯がポートキーだったんだって言ってました。その後二人で何が起こったのかを確認していたら、急に死の呪文が飛んできて、それで……。」

 

ディゴリーが死んだわけだ。魔法使いの常ながら、なんとも呆気ない最後だな。一度言葉を切って俯いたハリーだったが、やがて蒼白な顔を上げて続きを語り始める。

 

「その後、僕は杖を奪われて墓石に縛り付けられました。その……ペティグリューに。ヴォルデモートと一緒にペティグリューが居たんです。」

 

「ピーターが? 本当にピーターだったのか?」

 

「うん。僕は顔を知らなかったけど、ヴォルデモートはペティグリューって呼んでた。小男で、ずっとオドオドしてたよ。」

 

「……あの、クソったれの大馬鹿野郎め! 事もあろうにハリーを危険に晒すなど……情けない! あいつと友人だったというのは私の恥だ!」

 

ふむ、ペティグリューはやはりリドルの下へと戻っていたわけか。……まあ、無理もあるまい。今や彼はブラックに代わる広域指名手配犯なのだ。もはや魔法界でまともに生きていくのは不可能だろう。

 

激昂したブラックに代わり、城への勝手口を抜けながらのダンブルドアが質問を続けた。

 

「トムは……ヴォルデモートはどんな姿だったかね?」

 

「とても、とてもおぞましい姿でした。物凄く目の大きい赤ん坊みたいな見た目で、大きな蛇がずっと咥えてたんです。とても大事そうに。それで、ペティグリューと二人で何かの儀式みたいなことを始めて……大鍋に色々なものを入れていきました。」

 

「色々なもの?」

 

「父親の骨と、ペティグリューの……手首、それと僕の血です。血縁者としもべの一部、それに敵対者の血が必要だって言ってました。より強くなるために、僕の血を選んだとかって。」

 

聞いた瞬間、ダンブルドアの表情が刹那の間だけ変わる。……笑み? ほくそ笑むような、してやったりという表情だ。ハリーの血を選んだことに何か意味があるのだろうか?

 

一瞬だけ浮かんだ表情はすぐに消え、どうやら気付いていないハリーは続けて説明を語り出す。

 

「そして最後にヴォルデモートが大鍋に入っていって、出てきた時には人間の……『人間のような』姿に変わっていました。青白くて、冷たい……爬虫類みたいな見た目の人間に。」

 

「かつての姿を取り戻したわけじゃな。……そして、死喰い人たちを呼び戻したと。」

 

「はい。ペティグリューの左腕を通じて何かの合図を送ったみたいで、二十人くらいの死喰い人がすぐに姿あらわししてきたんです。」

 

「誰だか分かるかね? 無論、覚えている範囲だけでよい。」

 

「ヴォルデモートはずっと自分を助けなかったことを責めてたんですけど……でも、あまり名前は口にしなかったんです。顔も仮面で見えませんでした。あとは、雰囲気の違った人たちも交じってて……ヴォルデモートは『新たな朋輩たち』って呼んでいました。」

 

ふん、誰だかは予想がつくさ。大方、マルフォイやらエイブリーやらヤックスリーやら……『間違いなく純血の血筋』な連中なのだろう。サラブレッド・ゴキブリどもめ。ご主人様の帰還を知って、慌てて巣穴から這い出してきたわけだ。魔法省を掌握したら燻し出してやるからな。

 

しかし、『新たな朋輩たち』ね。ヨーロッパで作った新しいお友達か? 私の疑問を代弁するかのように、今度はブラックが質問を放った。

 

「新たな朋輩? どんな見た目だった?」

 

「えっと……顔は隠してなかった。マグルのスーツみたいなのを着てたし、死喰い人とは全然違う雰囲気だったかな。二十人の中の十人くらいはそうだったんだけど、僕が会ったことがある人は居なかったと思う。……それからヴォルデモートは巨人や亡者たちを呼び戻すとか、大陸の新たなる秩序がどうだとかって演説をした後、僕と決闘をするって言い出したんだ。」

 

七十近いジジイが十四歳の少年に決闘を挑んだわけか。悲しくなるな。ハリーがそう言ったところで医務室に到着した私たちは、とりあえず彼をベッドに座らせて……ああ、そういえば血を採られたとかって言ってたっけ。ダンブルドアが杖を当てて腕の切り傷を治しながら質問を続ける。

 

「それで、どうなったのかね? トムは君を殺そうとした。そうじゃな?」

 

「はい。最初はいたぶるような感じで攻撃してきました。死の呪文じゃなく、磔や、服従させようとしてみたり……。」

 

「あのクソ野郎め。」

 

毎度お馴染みの『示威行為』をやってたわけか。そしてハリーが今ここにいるということは、またしてもあの間抜けはポカをやらかしたようだ。易々とハリーを連れ出された私たちも間抜けだが、毎度毎度詰めが甘いアイツも大概だな。

 

ブラックの怨嗟の声を背に、ハリーは『決闘』に関しての続きを語り始めた。

 

「僕、必死に戦って、それで……ある時たまたま呪文同士が激突したんです。僕の武装解除と、ヴォルデモートの死の呪文が。そしたら、不思議なことが起きて……。」

 

「不思議なこと?」

 

私の問いかけを受けたハリーは、その光景を思い出すように俯きながら返答を返してくる。

 

「僕の杖と、ヴォルデモートの杖が金色の光の糸で結び付いたんです。それが少しずつ解けていって、僕とヴォルデモートの周りをゆっくりと囲みました。金色の……光のカゴのように。死喰い人たちは慌てふためいて、ヴォルデモートは怒りながら手出しをするなと怒鳴っていました。そして……歌が聞こえてきたんです。美しい、力が湧いてくるような歌が。本当に美しい旋律が。」

 

それはまた、確かに不思議な情景だな。陰惨な場に相応しくない、なんとも神秘的な雰囲気じゃないか。ダンブルドアだけが何かに気付いたように目を見開く中、ハリーはポツリポツリと続きを話す。

 

「暫くすると、杖を繋ぐ糸に光の玉がたくさん生まれてきました。それが近付いてくると杖が震えるんです。まるで触れたら耐えられないと言わんばかりに。だから絶対に杖に触れさせちゃいけないって、そう思って……それでヴォルデモートの方に必死に押し返しました。強く念じたんです。気力の全てを振り絞って、本当に強く。そしたら玉を押し返すことが出来て……玉が自分の杖に近付くと、あいつは怯えているような表情を見せました。そして玉がヴォルデモートの杖にぶつかった瞬間……セドリックが、彼がヴォルデモートの杖から飛び出してきたんです。」

 

「セドリックが? ……どんな姿だったかね?」

 

「ゴーストみたいでしたけど……でも、ゴーストよりもずっとハッキリしてたんです。ふわふわ浮いている以外は、本当に生き返ったみたいでした。セドリックは僕に近付いてくると、励ましてくれたんです。頑張れ、決して糸を切るな、杖をしっかり持つんだって。……その後、玉がヴォルデモートの杖に触れるたびに次々とゴーストが出てきました。みんな僕のことを励ましてくれて、ヴォルデモートのことを罵っていたんです。あいつの顔は恐怖で歪んでいました。」

 

ゴースト? ちんぷんかんぷんな話だ。杖に何か関係しているらしいが……こういうのは私の領分じゃないな。ダンブルドアは何かを掴み取っているようだし、そっちに任せるとしよう。

 

私が一歩引く間にも、ハリーはまるで吐き出すように語り続ける。

 

「そして、そして……最後にママとパパが出てきました。二人が時間を稼いでくれるって言ったんです。他の人たちと一緒に、ヴォルデモートや死喰い人たちを足止めしてくれるって。それで最後にセドリックから彼の身体を両親の下へと運んでくれって頼まれた後、僕は糸を断ち切って必死に走りました。最後は呼び寄せ呪文でポートキーを呼び寄せて、それで──」

 

「ここへ戻ってきた、と。……よくぞ話してくれた、ハリー。これを飲みなさい。君は今日、わしの期待を遥かに超える勇気を示した。大人に勝るとも劣らぬ、一人前の魔法使いとしての勇気を示したのじゃ。」

 

杖を振って湯気の出るホットココアを出現させたダンブルドアは、それをハリーに渡しながら立ち上がった。

 

ホットココアを飲むハリー、そのハリーに毛布をかけているブラック、そして勝手に椅子を持ってきて座る私。何かを考えながらウロウロし始めたダンブルドアに全員が注目する中、これまで発言していなかった男が声を上げる。話にリリー・ポッターが出てきた瞬間から思い詰めた表情をしていたスネイプだ。

 

「校長、一つお聞きしたい。リ……『ポッターの両親』はゴーストとしてこの世界に留まっているということですか? それとも、帝王の杖から出てきたのはゴーストとはまた違った存在なのですかな?」

 

口調や表情こそ冷静さを取り繕っているが、滲み出る焦りがスネイプの内心を表しているかのようだ。彼にとってはリドルの復活よりも、ディゴリーの死よりも、ハリーの帰還よりも、リリー・ポッターの『ゴースト』が出てきたという一件の方がよほどに重要なことらしい。

 

問いかけを受けてピタリと立ち止まったダンブルドアは、己が考えを整理するかのように話し始めた。

 

「恐らく、ゴーストではなかろう。つまり……そう、『木霊』のようなものじゃよ。ハリーの杖とトムの杖には同じ芯材が使われておる。不死鳥の尾羽根。フォークスの尾羽根じゃ。そして、兄弟杖同士を戦わせると様々な現象が起こる。お互いを傷つけたくないが故にの。今回起こったのは……ふむ、直前呪文のような現象なのではないかのう。」

 

「直前呪文? ……呪文巻き戻し効果ですか。」

 

「その通りじゃ、セブルス。トムが命を奪った者たちの『木霊』がハリーを救ったのじゃ。……因果じゃよ。トムは自らの業によって、ハリーを取り逃がすことになったわけじゃな。もしもハリーが糸を繋ぎ続けていれば、もっと沢山の人が出てきたことじゃろうて。」

 

「『木霊』、ですか……。」

 

安心したような、それでいて残念そうな表情でスネイプが黙り込む。安らかに眠っていて欲しい反面、想い人にまた会えるかもしれないと僅かに期待したのだろう。……しかしまあ、自業自得の代表例みたいな現象だな。リドルはさぞ悔しがっているはずだ。

 

いい気味だと私が鼻を鳴らすのを他所に、今度はブラックがダンブルドアと私に向けて言葉を放った。その瞳は獰猛な輝きでギラついている。

 

「どうしますか? ダンブルドア先生、スカーレット女史。指示をください。私はすぐにでも動けますし、その覚悟も出来ています。」

 

「うむ、先ずは各所に知らせを──」

 

ダンブルドアが真剣な表情で何かを指示しようとした瞬間、医務室のドアが開いて……おや、コーネリウス? 我らが能無し魔法大臣どのが部屋に入ってきた。そういえばこいつが表彰をする予定だったか。賞金の入った皮袋を重そうに両手で抱えている。

 

「ダンブルドア! 何があったんだ! 誰も彼もが混乱していて全く話にならん。一体全体何の……スカーレット女史。貴女も居ましたか。」

 

「ええ、ごきげんよう、コーネリウス。早速だけど悪い知らせとすっごく悪い知らせ、どっちから聞きたい?」

 

私が肩を竦めながら言ってやると、コーネリウスは不安そうな表情で答えを返してきた。つまりはまあ、いつも通りの表情だ。

 

「ふざけている場合では……いいでしょう、悪い知らせとは何ですか?」

 

「生徒が一人死んだわ。セドリック・ディゴリー。ホグワーツの代表選手よ。」

 

「何を、何を……私の責任ではありませんぞ! 私は反対したのだ。対抗試合など復活させるべきではないと、危険だと!」

 

うーん、この感じだともう一つのお知らせには堪えられそうにないな。……しかし、子供の死を聞いて最初に出てくるのが自身の保身とは。堕ちるところまで堕ちたじゃないか、コーネリウス。

 

「そうね、貴方の責任じゃないわね。だって貴方は『何にも』してないんだもの。なーんにも。」

 

「その通りです! 私は何もしていない! 何も! 何一つ!」

 

残念ながら私の皮肉はコーネリウスには通じなかったようだ。あまりにもバカバカしいやり取りに苦笑しつつも、もう一つの知らせをプレゼントする。『すっごく悪い』方の知らせを。

 

「ああ、それと、ヴォルデモートが復活したわよ。」

 

「ヴォ……何? 復活? その名前は、その名前は……何を言っているのですか? さっぱり意味が──」

 

「だから、ヴォルデモートよ。ヴォ、ル、デ、モート。あんまり言わせないで頂戴。こんなバカみたいな名前は連呼したくないのよね。」

 

「何を、何を……有り得ない。有り得るはずがない! だって、だってそうでしょう? 例のあの人は死んだのです! あのハロウィンの日に死んだのです!」

 

最初は呆然と、次第に顔を真っ赤にしながら叫ぶコーネリウスに、今度はダンブルドアが穏やかな声を投げかけた。イギリスの英雄に相応しい、厳かな雰囲気を伴った声で。

 

「君の気持ちはよく分かる。信じ難いことじゃろうて。しかし、真実なのじゃよ、コーネリウス。ヴォルデモート卿は帰ってきたのじゃ。……そして、今宵一つの尊い命が奪われた。今こそ魔法省は団結し、彼に対して──」

 

「有り得ないと言ったはずです! ……どうかしてしまったのか? ダンブルドア。それに、スカーレット女史まで。……死んだのでしょう? 例のあの人は。死んだ者は生きて帰ってきたりはしないのです! どうかしている! 本当に、本当にどうかしている!」

 

ダンブルドアの言葉を大声で遮ったコーネリウスは、やがて私とダンブルドアを交互に見ながら恐怖の表情で罵声を浴びせかけてくる。そら見ろ、赤ん坊の許容量を超えちゃったみたいだぞ。

 

「……ドローレスの言っていた通りだ。あなたがたは私を引きずり降ろすつもりでしょう! そんな、そんな意味不明なたわ言を振りかざして! 私を大臣から引きずり降ろすつもりだな!」

 

うーむ、アンブリッジは『やんわり』としか伝えていないようだが、実際はもう引きずり降ろされるのは決定済みだぞ。どうやらコーネリウスは魔法省の状況を全く理解していないようだ。

 

唾を撒き散らしながら喚くコーネリウスへと、ダンブルドアが尚も説得の言葉を放とうとするが……手でそれを遮って口を開いた。今は無駄なことに構っている時間などないのだ。

 

「コーネリウス? 私はずっと貴方を利用してきたわ。だから一度だけ、たった一度だけチャンスをあげる。……私とダンブルドアを信じて、今すぐイギリス魔法界に報せを出しなさい。ヴォルデモートが復活したと。再び戦いが始まるのだと。もしそれをしたなら、貴方の名前はイギリス魔法史に永遠に刻まれることになるでしょう。危機に対して迅速な対応をした、勇敢で有能な魔法大臣としてね。」

 

そら、掴め、コーネリウス。お前の頭上に垂らされた一本の蜘蛛の糸だぞ。お前は優秀な犬ではなかったが、それでも私は報いる義務を放棄したりはしないのだ。退任前、最後に華を咲かせてみせろ。

 

私の提案を聞いたコーネリウスは……うーん、残念。親の心子知らずだな。彼は私の垂らした糸を振り払うことに決めたらしい。私を指差しながら怒鳴りつけてきた。

 

「ふざけるな! 騙されんぞ、もう騙されん! そんなことをすれば私はイギリス魔法界の笑い者だ! ……いいか? 例のあの人は復活などしていないし、私は魔法大臣の席をまだ明け渡すつもりはない。私はあなたがたの妄想などに付き合うつもりはないからな! ……優勝賞金はここに置いていこう。では、失礼させてもらう!」

 

一千ガリオンの詰まった袋を床に放り投げると、コーネリウスは荒々しい足取りで部屋を出て行く。ハリーを含めた全員が苦々しい視線でそれを見送る中、唯一乾いた顔の私が言葉を放った。ふん、予想はしてたさ。

 

「まあ、問題ないわ。既に賽は投げられたのよ。ヴォルデモートに関しても、魔法大臣に関してもね。……それじゃ、さっさと動き出しましょうか。ブラックは旧騎士団員にこのことを知らせまくりなさい。なるべく多くね。」

 

「つまり、騎士団を再結成するのですか?」

 

「そこまでは未定よ。……再結成までは必要ないかもね。魔法省の主導権さえ確保すれば公の立場として動けるでしょうし。そのための緊急法案も準備してあるから。」

 

「では、とにかく復活のことを知らせればいいのですね? 分かりました。行ってきます。……ハリー、後で必ず戻ってくる。だから今はゆっくり休むんだ。」

 

ハリーに一声かけてから去って行くブラックを見送っていると、ダンブルドアがハリーに聞こえないような声量でスネイプに囁きかけているのが聞こえてくる。

 

「セブルス、頼めるかね? ……非常に危険な任務になるじゃろう。無理にとは言わん。」

 

言葉を受けたスネイプはゆっくりとハリーの方を……違うな。ハリーの『瞳』を見てから、ダンブルドアに向かってしっかりと頷きを返した。

 

「お任せください。」

 

たった一言。短い返答だったが、ダンブルドアにはその覚悟が充分に伝わったらしい。ほんの僅かに口惜しそうな表情を浮かべた後で、スネイプに向かって疲れたような声で言葉をかける。

 

「……そうか。では、頼む。」

 

「かしこまりました。……詳細については予定通りに。」

 

言ったスネイプは私にも一つ黙礼を寄越すと、足早に医務室を出て行った。……彼は死喰い人への潜入を試みるつもりなのだ。これは恐ろしく難しい任務になるだろう。裏切り者と認識されている可能性が高い以上、もしかしたらすぐさま殺されるかもしれないのだから。

 

だが、同時に潜入できれば大きな強みとなるはずだ。……こればっかりはスネイプの頑張りに期待するしかあるまい。何にせよ、こちらからは一切の連絡が取れなくなるのは間違いなかろう。後でダンブルドアから詳細を聞く必要があるな。

 

「それじゃあ、私も……ああ、忘れてた。優勝おめでとう、ハリー。何にも嬉しくはないだろうけど、一応言っておくわ。貴方が頑張ったのは確かなんだしね。」

 

「ありがとうございます、スカーレットさん。……あの、僕に何か出来ることはないんですか? 例えば魔法省で証言するとか。何だったら真実薬を飲んだって構いません。」

 

「今の貴方がすべきなのは休むことよ、ハリー。先ずはゆっくり休みなさいな。いいわね?」

 

「……はい。」

 

渋々といった声を背にして、ダンブルドアと一緒に医務室を出る。……さて、忙しくなるぞ。魔法省のこともそうだが、リドルが復活したならば『声』の一件を優先すべきだな。後でホグズミードに出向かねば。

 

「魔法省に関しては私がやるから、そっちは城の防備を強化なさい。暫くは『色塗りゲーム』になるだろうけど、前回やってきたみたいにホグワーツを狙ってくる可能性だってあるんだからね。」

 

「それについては前々から考えていた計画がありましてな。そう心配するようなことにはならないでしょう。」

 

「結構よ。それなら先ずは……人形娘?」

 

話を続けようとしたところで、ダンブルドアの背中越しに廊下を歩いて来る謎の一行が見えてきた。先導するマクゴナガルと、人形をふわふわ浮かせたアリス、そして見知らぬ男をふわふわ浮かせたデュヴァルだ。……最後のが一番意味不明だな。人形娘に弟子入りでもしたのか?

 

どうやら、今宵の混乱はまだまだ終わってくれないらしい。こちらに向かってくる奇妙な一団を前にして、レミリア・スカーレットは小さくため息を吐くのだった。

 



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暴かれた嘘

 

 

「ここが……ホグワーツですか。何というか、城らしい城ですな。私の母校とは大違いです。」

 

大橋から夜のホグワーツ城を見上げて呟くデュヴァルに、アリス・マーガトロイドは曖昧な頷きを返していた。……ボーバトンはどんな校舎なのだろうか? 向こうも城だとは聞いているが、『大違い』ということはホグワーツ城とはまた違った建築様式なのかもしれない。

 

今日はレミリアさんやダンブルドア先生との話し合いを行うために、フランスからデュヴァルを連れてホグワーツまでやって来たのだ。この『初心者』には優しくない城で何か失礼があったらいけないということで、私が案内人を務めることになったわけである。……いやまあ、賢明な選択だと言えるだろう。ピーブズとかも居るわけだし。

 

約束の時間まではまだ少しあるが……うむ、早いに越したことはないはずだ。もしかしたらまだ最後の課題の途中かもしれないし、そうなれば観戦出来るかもしれない。ハリーは上手くやっているだろうか?

 

ちょっとだけ楽しみになりつつも、興味深そうに辺りを見回すデュヴァルに向かって口を開いた。正直言って私もここからの風景はあんまり見たことがないのだ。何となく、こっちは『お客様用入り口』ってイメージがある。

 

「千年ほど前に魔法学校として建築されたのよ。レイブンクロー、グリフィンドール、ハッフルパフ、スリザリンの手によってね。……まあ、さすがにその辺は知ってるでしょうけど。」

 

「四人の創始者たちの話はフランスにも伝わっています。確か、城の図案はレイブンクローが考えたとか。」

 

「んー……それが、ちょっと微妙なところなのよね。レイブンクロー寮の出身者はレイブンクローが設計したと言うし、グリフィンドール寮の出身者はグリフィンドールが打ち負かした小鬼が建てたと主張し、ハッフルパフ寮にはハッフルパフの人脈によって大工たちが集められたと伝わっていて、スリザリン寮ではスリザリンの偉大な魔法によって礎が築かれたことになってるの。」

 

「それはまた、随分と……。」

 

バカみたいな話って? 気を遣って言葉を言い澱むデュヴァルに、城門を潜り抜けながら返事を返した。もちろん呆れたような苦笑でだ。

 

「言いたいことは分かるわ。……何にせよ、決着のつかない議論ね。詳しく調べてみれば分かるけど、どれもあんまり根拠のない説なのよ。真実は歴史の闇の中ってわけ。」

 

ちなみに私はどれも違うか、どれも正しいかのどちらかだと思っている。個性豊かな四寮に比べて、ホグワーツ城自体はプレーンすぎるのだ。中庸の存在が城を築いたか、混ざりすぎて結果的に中庸になったかのどちらかだろう。……ううむ、後者のほうがホグワーツっぽいな。

 

話題にしたことはないが、パチュリーならば何か知っているかもしれない。彼女は昔この城の歴史を色々と探っていたはずだ。実際に手を加えて『増築』してるわけだし。

 

ふむ……私も隠し部屋を作ってみようかな? 『人形の部屋』みたいなやつを。壁一面に三百体くらいの人形を並べて、誰かが入ってきたら一斉に挨拶するってのはどうだろう? もちろんニコニコ笑いながらだ。メルヘンで可愛いと思うのだが。

 

新たなる隠し部屋のことを考えつつも、デュヴァルと二人で玄関ホールまでたどり着くと……おや、ムーディだ。懐かしき被害妄想男が、義足を鳴らしながらこちらの方へと歩いて来るのが見えてきた。

 

「あら、こんばんは、ムーディ。元気そうね。」

 

「アラスター! 久し振りだね。」

 

そういえば友人だったっけ。嬉しそうにデュヴァルが走り寄るのに対して、ムーディは昔と同じ仏頂面で返事を寄越してくる。うーむ、やっぱり友人に対してもこんな感じなのか。ニコニコ笑うムーディってのもちょっと見てみたかったな。

 

「ああ……久し振りだな。それに、マーガトロイド。何故お前たちがここに居る? ダンブルドアに呼ばれて来たのか?」

 

「ええ、デュヴァルと一緒にフランスの一件を話し合いに来たのよ。対抗試合はどうなったの? もう終わっちゃった?」

 

「……既に終わっておる。少しばかり騒動が起きてな。わしは急ぐから、詳しくは競技場に居るダンブルドアに聞け。」

 

騒動? ムーディはぶっきらぼうな返答を口にすると、聞き返す間も無くコツコツと私たちの横を通り抜けて行ってしまった。……変わらんな。相変わらずお喋りは嫌いなわけか。

 

というか、何処に行くんだ? その『騒動』とやらに関することで、ダンブルドア先生から何か仕事を頼まれているとか? 私が首を傾げていると、デュヴァルが困ったように去り行く背中へと言葉を投げかける。

 

「何か仕事があるのかい? アラスター。……私は明日まではホグワーツに滞在する予定なんだ。久々に会えたんだし、後でゆっくり話せないか?」

 

「……ああ、構わんぞ、『デュヴァル』。わしは少しばかり用事があってな。それが終わったらすぐに戻る。」

 

きっと二人で酒でも飲み交わすのだろう。……そういう場にもムーディは自前の飲み物を持って行くのだろうか? それともさすがに警戒を緩めるのか? いやはや、この男の『友達付き合い』には謎が溢れてるな。

 

想像の付かない情景に私が頭を悩ませていると……どうしたんだ? デュヴァルは少し腑に落ちないような表情になった後、再び歩き出したムーディの背へと質問を放った。軽く、ちょっとしたジョークを口にするような雰囲気で。

 

「……アラスター、私の守護霊は何だい?」

 

「っ!」

 

瞬間、三つの杖が同時に抜かれる。ムーディが振り向きざまに、デュヴァルはそれを予測していたかのような速度で、そして私は反射的にだ。……いや、ええ? 抜いたはいいが、状況がさっぱり分からんぞ。さっきのは成り代わり対策の合言葉か?

 

いきなりの展開に私が悩む間にも、ムーディとデュヴァルの間で激しく無言呪文が行き交い始めた。そして私は蚊帳の外だ。……どうしよう。いまいち状況が分からないし、いっそどっちも無力化しちゃおうかな。

 

もう『紅魔館式』でいこうかと考え始めた私に、呪文を捌きつつのデュヴァルが声をかけてくる。ムーディが必死なのに対して、こっちは少し余裕がある感じだ。

 

「アラスターは、プロテゴ! ……私を『ルネ』と呼びます!」

 

そういうことか。聞いた直後に、ムーディの隙を突くように無言呪文を撃ち込む。……俄かには信じ難いが、目の前のムーディは何者かが入れ替わった偽物だということらしい。

 

恐らく、デュヴァルにも確証があったわけではないのだろう。呼び方でほんの僅かな疑問を抱き、半信半疑で守護霊に関してを問いかけてみたわけだ。結果として過剰反応してしまった偽ムーディの反応を見て、デュヴァルもまた確信を得た、と。

 

いやまあ、無理もないな。一体誰がムーディにファーストネームで呼び合うような相手がいると予想できる? それに、デュヴァルはフランスの魔法使いだ。私のことは知っていたか調べたかしたらしいが、他国のことまでは下調べが及ばなかったのだろう。

 

「……ちっ、最後の最後で!」

 

二体一。それも手練れ二人が相手だ。偽ムーディも一瞬で不利を悟ったようで、飛んでくる無言呪文を必死に捌きながら後退すると……おっと、やるな。自分と私たちとの間を遮るように、玄関ホールの出口にある鉄格子を落としてきた。

 

とはいえ、こっちだって伊達に場数をこなしちゃいない。鉄が軋む音と共に落ちてくる格子を、杖を一振りして『解いた』後、太い鉄の棒に変わったそれらを操って偽ムーディにけしかける。

 

分かり易い焦りの表情を浮かべた偽ムーディは、のたうつ蛇のように襲いかかる鉄塊を複雑に杖を振って必死に逸らすが……ほら、相手は一人じゃないんだぞ。

 

今度は手すきになったデュヴァルが素早く複雑に杖を振って、校庭と玄関ホールの間の階段を構成する石レンガを操ると……お見事。まるでパズルのように組み合わさったそれらは、偽ムーディの周囲を塞ぐ高い壁となった。

 

「諦めなさい。逃げられると思うの?」

 

無言呪文と並行して人形を展開しながら言ってやると、逃げ場を塞がれた偽ムーディは自嘲げな笑みを浮かべてポツリと呟く。本物なら絶対に有り得ないような表情だな。

 

「……いや、思わない。フューモス(煙よ)!」

 

目眩し? 偽ムーディが生み出した真っ黒な煙幕を私とデュヴァルが同時に払った隙に、狂気の滲む笑みを浮かべた偽ムーディは……またそれか! 素早く自身の喉元に杖を向けると、そのまま口早に呪文を唱えた。

 

アバダ・ケダブラ(息絶えよ)。」

 

しかし、偽ムーディにとっては不運なことに、私は既に同じようなことを経験済みなのだ。である以上、二度目はもう無い。数多の選択肢の中でも、最も素早く発動できる軽めの衝撃呪文を肘に当ててやると、ズレた杖先から放たれた死の呪いは周囲を塞ぐ壁へと飛んでいってしまう。

 

「っ、きさ──」

 

そのまま憎々しげな表情で何かを言おうとした偽ムーディだったが、言い切る前にデュヴァルの無言呪文で壁に叩きつけられた後に倒れこんでしまった。……いや、ギリギリだったな。もう少し早口言葉が得意なヤツなら危なかったぞ。

 

転がったムーディの杖を人形で回収してから、隣で油断なく杖を構えているデュヴァルへと声をかける。

 

「失神呪文?」

 

「はい。アラスターの居場所を聞き出す必要がありますから。……恐らくポリジュース薬で変身しているのでしょう。であれば、『素材』を採取するために生かされているはずです。」

 

「そうね。ムーディが心配だし、さっさと運び込んで尋問しましょう。……レベリオ(現れよ)。」

 

ポリジュース薬を使うには、変身先となる人物の『新鮮な』一部が必要なのだ。いつから入れ替わっていたのかは定かではないが、継続的に変身していたとなれば確かに生きている可能性は大きいだろう。……頼むからそうであってくれ。

 

考えながらも暴露呪文を使ってみると……うーん? 技量から見てベテランかと思ったが、結構若めの男だな。みるみるうちに義足は素足に、左目は自前の眼球に変わり、気絶しながらも呻いている五体満足な優男が現れた。

 

「誰だかご存知ですか?」

 

「なんか見覚えあるような気もするんだけど……ダメね、思い出せないわ。何にせよ運びましょう。ホグワーツの教師には真実薬を調合出来るヤツがいるから、すぐに尋問出来るでしょう。在庫があればいいんだけど。」

 

義足や眼球などの落ちた『パーツ』を人形に回収させながら言うと、デュヴァルも杖を振りつつ答えてくる。男は彼が運んでくれるようだ。割と容赦ない感じでぶらんぶらん浮かせているのを見るに、友人の安否が気になってイライラしているらしい。

 

モビリコーパス(体よ動け)。……素晴らしい、案内をお願いします。」

 

「ええ、それじゃあ地下牢に……いえ、今は最後の課題の会場かしら?」

 

決めたはいいが、スネイプは今何処に居るんだ? ……ええい、面倒くさい。玄関ホールに戻ったところで、守護霊を飛ばそうと──

 

「マーガトロイドさん?」

 

響いた声に、反射的に杖を構える。デュヴァルと声の主……マクゴナガルも同時に杖を抜くと、玄関ホールは微妙な沈黙に包まれてしまった。どうやらマクゴナガルも衰えてはいないようだ。顔がキョトンとしているのは減点対象だが。

 

「あー……一応聞くけど、私の守護霊は?」

 

「兎から、獅子です。……あの、何かあったのですか?」

 

「いえ、御免なさいね。ちょっとゴタついてたから神経質になっちゃってるの。デュヴァル、大丈夫よ。」

 

デュヴァルにも声をかけて、とりあえず私から杖を下ろす。……いかんな。ムーディの被害妄想はこうやって培われてきたのかもしれない。初めてあいつの気持ちが理解できたぞ。

 

弛緩した空気の中で自省していると、マクゴナガルが慌てた様子で言葉を放ってきた。

 

「マーガトロイドさんも来てくださったのですね。校長先生とスカーレット女史は医務室です。幸いにもハリーは無事に戻りました。……ただし、セドリック・ディゴリーが犠牲になってしまいましたが。」

 

最後の言葉を苦しそうに言うマクゴナガルに、疑問符を浮かべながら問いを返す。セドリック・ディゴリーが……『犠牲』になった? どういうことだ? 偽ムーディと何か関係があるのか?

 

「どういう意味? 私たちはムーディに化けていた『あれ』を捕まえたところなんだけど。」

 

デュヴァルが魔法でぶら下げている『あれ』を指しながら言ってやると、マクゴナガルもまた疑問符を顔に貼り付けて口を開く。

 

「ムーディに、化けて? えっと……その、ハリーが課題の最中に姿を消した一件で来られたのでは? つまり、例のあの人が復活した一件で。」

 

「例のあの人……ヴォルデモートが、リドルが復活?」

 

何だそれは。先程偽者が言っていた『騒動』というのは本当だったのか? ……どうやらホグワーツでは何かが起きているようだ。それも、かなり深刻な何かが。偽ムーディは事件の本命ではなく、その余波に過ぎないのだろう。

 

マクゴナガルとデュヴァルの疑問顔を見ながら、アリス・マーガトロイドは手の中の杖を強く握りしめるのだった。

 



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ハリーとリーゼ

 

 

「話があるんだ、リーゼ。」

 

目の前で真剣な表情を浮かべるハリーに、アンネリーゼ・バートリは小さく頷きを返していた。そりゃあ話したいことは沢山あるだろう。今日は色々なことがあったのだ。

 

騒動から数時間が経った今、満月に照らされたホグワーツ城には静寂と夜の帳が下りている。生徒たちはそれぞれの寮で不安な一夜を過ごし、ダンブルドアやレミリアらは為すべきことを為すために動いているはずだ。

 

そんな中、『尋問』を終えた私は深夜の医務室へとお見舞いに来たのである。……まあ、別に何かを意図して来たわけではない。ぐーすか寝る気にもならず、かといって呑気に散歩をする気にもならず、足の赴くままに来てしまった。

 

もしかしたらハリーも眠れてないかもしれないし、それなら話し相手が必要だろう。そう思ってひょっこり医務室に顔を覗かせてみたところ、案の定ハリーはベッドの上で考え事をしていたのだ。そして彼はまるで私が来ることを予期していたかのように、微笑みながら先程の第一声を放ってきたのである。

 

ちなみに奥のベッドでは哀れなイカれ男がお休み中だ。拡大呪文がかかったトランクの中に詰め込まれて、一年近くも監禁生活を送っていた『本物の』ムーディである。ポンフリーによれば重度の栄養失調で衰弱しているだけで、しばらく安静にすれば問題ないらしい。……起きたら被害妄想が加速するのは間違いないな。

 

つまり、この一年間ムーディとしてホグワーツで過ごしていたのは、イカれ男ごっこをしていたバーテミウス・クラウチ・ジュニアだったわけだ。……バカみたいな話じゃないか。直接会ったことの無かった私はともかく、騎士団で一緒だったダンブルドアやマクゴナガルあたりは気付いてもいいはずだぞ。

 

いやまあ、元がイカれすぎてて多少おかしくても気にならなかったのかもしれんな。そう思うと何故か納得できてしまうのが恐ろしい。……何にせよ、今年の『ホグワーツ主演男優賞』はクラウチ・ジュニアで決まりになりそうだ。

 

先程行われた真実薬を使った尋問の結果、ゴブレットを狂わせてハリーを代表選手に仕立て上げたのも、優勝杯をポートキーに変えたのも、当然ながらムーディに化けたクラウチ・ジュニアだったということが発覚した。

 

クラウチ・ジュニアはポリジュース薬で身代わりになった母親と入れ替わるという手口で数年前にアズカバンを脱獄し、父親に服従の呪文で監禁される形でひっそりと生活していたが、長い年月をかけて徐々にその支配から抜け出していったらしい。そしてワールドカップの時に暗号を組み込んだ闇の印を打ち上げ、リドルに自身の生存と変わらぬ忠誠を伝えたそうだ。……ブラックの脱獄記録が塗り替えられてしまったな。

 

結果としてリドルに『救出された』後はムーディと入れ替わる形でホグワーツに潜入して、ひたすら疑われないように最後のあの結末を『演出』していたとのことだった。……ただまあ、本人曰くあまりやる事は無かったそうだが。ポリジュース薬を煮込みながら授業内容を考える時間が一番多かったとか。なんだよそれは。

 

そういえば、行方不明だったクラウチ……シニアの方だ。彼も既にジュニアの手によって殺されていたことが判明した。クラウチ・シニアはリドルによる服従の呪文を受けていたが、自力でその支配を抜け出してダンブルドアへと警告を伝えに来たらしい。……しかし、後一歩のところで追ってきたジュニアに『処理』されてしまったのである。

 

この話を聞いたレミリアはなんとも言えない表情を浮かべていた。私たちとやり方は違えど、クラウチもまたリドルの敵として生き、そして敵として死んだわけだ。私なんかは大した感想もないが、ずっと政敵として戦っていたレミリアには何か思うところがあったのだろう。

 

そして本来ならハリーが死に、その後もスパイとしてダンブルドアの近くに残る予定だったそうだが、何故かハリーが戻ってきたのを聞いて指示を仰ぎにリドルの下へと向かおうとしたところ、偶然通りかかった『旧友』に正体を暴かれたとのことだった。

 

私たちにとっては得難い幸運で、クラウチ・ジュニアにとっては理不尽な不運だったな。私、レミリア、ダンブルドア、マクゴナガル。それらの目を完全に騙し切ったというのに、最後は単なる偶然によってその秘密を暴かれたわけだ。誰にも予期し得なかった、ムーディの『友情』によって。

 

闇祓いに連行されていった時のジュニアの憎々しげな表情を思い出しつつも、ハリーに向かって口を開く。ちなみに、彼もムーディに関しては大まかな説明を受けているそうだ。アリスがムーディを医務室に運び込んだ際に、事態を掻い摘んで説明したらしい。

 

「だろうね。アリスやレミィから大まかな話は聞いているよ。……んふふ、今ならバートリ家の令嬢が話し相手になってあげよう。これは望外の名誉だぞ? 光栄に思いたまえ。」

 

本当は寝かしてやるべきなんだろうが、今は吐き出したいことが山ほどあるはずだ。ダンブルドアやレミリアに話せなかったことも私になら話せるだろう。……特に、セドリック・ディゴリーのことなんかは。

 

今宵の私は役立たずにも程があった。だからせめて、話し相手くらいは務めるべきなのだ。隣のベッドに座り込みながらあえて戯けるように言ってやると、ハリーは顔に苦笑を浮かべて返事を返してくる。困ったような、それでいてどこか清々しい感じの苦笑で。

 

「違うんだ、リーゼ。なんとも光栄な話だけど、そうじゃなくって……うん、そうじゃないんだよ。僕、ヴォルデモートから聞いちゃったんだ。……つまり、君が何者なのかってことを。」

 

ハリーの言葉を聞いて、私の表情がピタリとその動きを止めた。……まあ、予想はしてたさ。リドルと色々な話をしたようだし、私のことが出てきてもおかしくはあるまい。ひょっとすると、私はそれを聞きにここまで来たのかもしれんな。遂に清算の時が訪れたわけだ。

 

しばらくの間虫の鳴き声だけが医務室に響いていたが、やがて私の声がその静寂を破る。自分の声なのに、やけに乾いて聞こえるな。

 

「……そうか。ヴォルデモートは何て言ってたんだい? まさか私の黒髪を褒めてくれたわけじゃないだろう?」

 

「残念ながら、違うよ。ヴォルデモートは僕が、僕の知らない多くのものに守られてるって言ってた。ママの遺した魔法、ダンブルドア先生とホグワーツ、スカーレットさんと魔法省、それと、アンネリーゼ・バートリ。……酷く怒ってたよ、あいつ。一番近くに居る、一番邪魔な存在だったって。」

 

「そりゃあいい気味だね。少なくとも闇の帝王どのは私の努力を評価してくれていたわけだ。……それで、どう思うんだい? 聞きたいことがあるんだろう?」

 

さあ、どうする? 騙していたことを怒るか? それとも悲しむのだろうか? 仮面の微笑を浮かべながら審判の時を待つ私に、ハリーは思いもよらない言葉を寄越してきた。彼も微笑を浮かべている。……私の仮面とは違う、柔らかな微笑を。

 

「ううん、聞きたいことはないよ。君が話したい時に話してくれればいいんだ。ただ……お礼を言いたくって。ありがとう、リーゼ。僕をずっと守っていてくれたんだね。」

 

「それは……それはまた、予想外だね。私はキミが、怒るとばかり思っていたよ。……いいのかい? 何を聞いたのかは知らないが、私が普通に学生をやるような歳じゃないのはもう分かっているんだろう?」

 

「でも、君はリーゼだ。僕の友達の、アンネリーゼ・バートリだ。僕にとってはそれで充分なんだよ。……まあ、色々と納得のいく部分はあったけどね。」

 

何だそれは? 全然意味が分からん。普通怒らないか? ずっと身分を偽って接していたんだぞ。私の間抜けな疑問顔を見て、ハリーは苦笑しながら話を続けてきた。

 

「うーん……つまり、理由があるんでしょ? 別に僕を殺そうとしてたわけじゃなくって、守ろうとしてたんだから。それなのに隠すってことは、その必要があったってことなんじゃないの?」

 

「そりゃあそうだが、それとこれとは別だろうに。不愉快じゃないのかい? キミが今日知った多くのことを、私はいくらか知っていたんだよ? その上で黙っていたんだ。」

 

「それはみんなそうだよ。ダンブルドア先生も、スカーレットさんも、マーガトロイド先生も、ルーピン先生も、シリウスも。みんな僕に全てを話してはくれなかった。……でも、それは僕のためなんだ。不満はあるけど、理解もできるよ。僕は『ちょっと』トラブルに巻き込まれがちだしね。」

 

これはまた、予想外の展開だな。無理に笑顔を浮かべているという感じではないし、どうやらハリーは本気で言っているようだ。……なんだよ、ちょっとだけ緊張してたのがバカみたいじゃないか。

 

自分が何故緊張してたのかを考えないようにしながら、困ったように笑うハリーに向かって言葉を放つ。

 

「キミは、随分と変わったね。一年生の頃とは大違いだ。あの頃のキミならきっと怒ってたよ。……本当にいいのかい? 私は殴られても文句を言えないと思ってたんだが。」

 

「しつこいよ、リーゼ。僕は怒ってなんかいない。……例えばほら、シリウスやルーピン先生だってフランドールさんの年齢を気にしてなんかいないでしょ? あの二人にとって、フランドールさんは友達なんだよ。掛け替えのない、大切な友達。それが一番重要で、一番優先すべきなことなんだ。だから僕も、きっとロンやハーマイオニーも一緒なんだよ。」

 

「なんともまあ、人間ってのは不思議な……本当に不思議な生き物だね。どこまでも不条理だ。私なら絶対にぶん殴ってるよ。」

 

種族単位で見てるとバカを見る、か。誰の言葉だったかは忘れたが、どうやらそれはこれ以上無い真実だったらしい。苦笑しながらまた一つ学習していると、やおら真剣な表情になったハリーが話しかけてきた。

 

「でも、一つだけ。一つだけ教えて欲しい。……ヴォルデモートは、僕に拘ってる。ただ自分が殺されたからじゃない。他にも何か理由があるんだ。そうなんだろう?」

 

「……残念ながら、イエスだ。キミはヴォルデモートに狙われている。そしてこれからも狙われ続けるだろう。それだけの理由があるんだよ。忌々しい、クソったれな理由がね。」

 

私の返答を受けたハリーは、ほんの少しだけ俯いた後……ゆっくりと顔を上げると、覚悟を秘めた瞳で私に言葉を寄越してくる。

 

「詳しくは聞かない。きっと君やダンブルドア先生が話すべき時を決めるだろうから。……だけど、お願いがあるんだ、リーゼ。僕に戦い方を教えてくれないか? 今までよりももっと実践的な、『本当の』戦い方を。もっと厳しいやり方でいいから。」

 

「それは、ヴォルデモートに狙われるからかい? そりゃあもちろん構わないが──」

 

「違うよ、リーゼ。それは違う。ヴォルデモートが狙ってくるからじゃないんだ。……上手く言えないけど、違うんだよ。狙われてるから仕方なく戦うんじゃない。僕が戦うって決めたんだ。」

 

言葉で表現するのが難しいのだろう。もどかしそうにそこで一度言葉を切ったハリーは、ポツリポツリと選び取るようにして続きを話し始めた。

 

「ヴォルデモートと僕が戦うのは、もしかしたら決められたことなのかもしれない。それは僕なんかには抗えない運命なのかもしれない。……でも、だから戦うっていうのは嫌なんだ。僕は自分で選びたいんだよ。ヴォルデモートと戦うってことを。だからこれは、ただ流れに従うんじゃなくって……僕が、僕自身の意思で決めたことなんだ。」

 

……なるほど。少し分かるような気がする。ハリーは首を垂れて運命を受け入れるのではなく、杖を手に立ち向かうことを決めたのだろう。その二つは同じようでいて、全く違うものなのだ。彼は諦めではなく、決意で前に進むことを選んだのだから。

 

リドルと話したことか、両親の『木霊』を見たことか、それともセドリック・ディゴリーの死の所為か。きっかけは分からないが、ハリーは決意を固めたらしい。運命に定められた道を行くのでは無く、自ら険しい道を切り拓いて行くことを。

 

いやはや、本当に成長したな。漏れ鍋で初めて出会った頃から僅か四年。魔法のことなど何も知らなかった小さな男の子は、今や自分の意思で運命そのものに立ち向かおうとしているわけか。

 

大したもんだ。思わず浮かんだ微笑をそのままに、私を真っ直ぐに見つめるハリーへと返事を返した。

 

「ああ、分かったよ、ハリー。キミの言いたいことはよく分かった。……だから、死ぬ気で覚えてもらうぞ。キミは未だ温かなカゴの中にいる。多くの力ある存在が、キミを愛する者たちが作ってくれたカゴの中にね。……それでも、いつかはここを出る日が来るんだ。いつの日か、耐え難いような運命に晒される日がキミに訪れるだろう。」

 

そこで一度言葉を切ってから、大仰に手を広げて続きを話す。このホグワーツの全てを示すように、大きく。

 

「だが、忘れるな、ハリー。キミは一人じゃないんだ。ヴォルデモートが……トム・リドルが弱さだと切り捨てたものを、キミは強さとして持っているんだよ。私、レミィ、ダンブルドア、そしてハーマイオニーやロン。他にも沢山の人たちが、キミのことを想っている。キミが運命に立ち向かう時、私たちがそれを支えようじゃないか。」

 

「うん、分かってる。ずっと昔、フランドールさんにも言われたんだ。僕は、僕が思ってるほど一人じゃないって。その時はよく分からなかったけど、でも……今ならその言葉の意味がよく分かるよ。」

 

「フランが? ……いやはや、あの子は本当に賢いな。物事の本質ってものをよく捉えているね。」

 

あの子の目には、私やレミィなんかよりもよっぽど重要な部分が見えているのかもしれんな。地下室の小さな妹分を思う私を他所に、ハリーがちょびっとだけ気まずそうな顔で話題を変えてきた。

 

「それでさ、ロンとハーマイオニーにも『正体』のことは話すんだよね? もし秘密にするっていうなら付き合うけど……うん、あんまり自信ないかな。他の人ならともかく、あの二人に黙ってるのはかなり難しいと思うよ。」

 

「ああ、話すよ。今学期……じゃなくて、夏休み中には必ず話す。ヴォルデモートが復活した今、死喰い人にも私の話は伝わっているだろうし、もはや隠しておく理由はあんまりないんだ。だから……うん、話さないといけないな。他のヤツから伝わる前に。それが私の責任だろうさ。」

 

ひどく憂鬱だ。憂鬱だが……きちんと自分で話さないってのはあまりに後ろめたすぎる。ハリーと同じく、二人に対してもしっかりと説明する必要があるだろう。そしてまあ、その怒りを受け止める必要も。

 

途端に萎れてしまった私の翼を見て、ハリーが苦笑しながら提案を送ってきた。十四歳に気遣われる五百歳? 我ながら情けなさすぎるぞ。

 

「うーん、ロンとハーマイオニーなら絶対に大丈夫だと思うけど……僕も一緒に話そうか? ちゃんと理由があったってことを説明するよ。」

 

「いや、大丈夫だ。これは私がやらなくちゃいけないことだしね。……参ったな。何でこんなに億劫な気持ちになるんだ? 我ながら理解不能だよ。」

 

「それはきっと、リーゼがロンやハーマイオニーを大切に想ってるからだよ。」

 

大切に、か。……ああ、アンネリーゼ・バートリ。お前はいつからそんな情けないヤツになっちゃったんだ? 百年前の私なら、怒るロンやハーマイオニーのことを皮肉げに笑って見ていられただろうに。

 

今じゃあ絶対に無理だな。……今の私の真似妖怪はきっと雨雲ではあるまい。私を糾弾するグリフィンドールの三人組だ。自分のあまりの情けなさに顔を覆ってベッドに倒れ込む私に、ハリーはクスクス笑いながら声をかけてくる。

 

「僕も変わったかもしれないけどさ、リーゼも結構変わったんじゃないかな。昔はすごく謎めいてたけど……今はずっと身近に感じられるよ。」

 

「……それは、褒めてるのかい?」

 

「褒めてるかどうかは……んー、自分でも分かんないや。でも、僕は今のリーゼの方が好きだよ。昔のカッコいいリーゼも良かったけど、今のリーゼの方が『友達』って感じがするし。」

 

「『友達』か。……まあ、そうだね。私もその方が良い。」

 

参った。本当に参ったぞ。レミリアも言っていたが、私たちは本当に弱くなってしまったようだ。孤高にして至高。夜の王者。夕闇の支配者。……今の私にはどれもこれも似合わん単語じゃないか。

 

ここに居るのは単なるアンネリーゼ・バートリだ。ハリーの友達のリーゼ。友達に嫌われるのを怖がっている、小さなビビり屋の女の子。私もまたフランと同じように、ホグワーツに来て変わってしまったらしい。

 

……いいさ、受け入れてやる。私はお前とは違うぞ、リドル。今の私はこの『弱さ』の価値を知っているんだ。その上で守り切ってやるからな。来年からは何一つ隠す必要はない。私も多少動き易くなることだろう。……ただし、その前に大仕事が残っているが。

 

「なぁ、ハリー。本当にハーマイオニーとロンは怒らないと思うかい? 殴られないかな?」

 

「多分だけど、殴るって発想が出てくるのはリーゼだけだと思うよ。」

 

そうかな? そうだといいな。しつこくハリーに向かって確認を送りながら、アンネリーゼ・バートリはベッドの上でバタバタするのだった。

 



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蛇の道は吸血鬼

 

 

「こんばんは、スキーター。良い夜ね。」

 

ホッグズヘッドのテーブル席でウィスキーを呷るブン屋へと、レミリア・スカーレットは微笑みながら話しかけていた。しかし、相変わらず小汚いバーだな。前回の戦争で拠点の一つとして使ってた頃と何にも変わっちゃいない。

 

零時を少し過ぎた薄暗い店内では、『私は悪い魔法使いです』という格好の連中がチラホラ酒を飲んでいる。……そら、今も一人私の姿を見て慌てて店を出て行ったぞ。どうやらホグズミードでは『ゴミ溜め』を一箇所作ることで、村全体の治安を維持しているようだ。実に賢いやり方じゃないか。

 

私の礼儀正しい挨拶にチラリと目線を寄越してきたスキーターは、これでもかというくらいに胡乱げな表情に変わって返事を返してきた。さすがに肝が据わってるな。隣で飲んでるカメラマンなんかは挙動不審になっちゃってるぞ。

 

「あら、なんざんしょ、スカーレット女史。ここは貴女が来るような場所じゃないと思うんですがね。『三本の箒』は向こうですよ。もっとお行儀の良いお店で飲んだらどうかしら?」

 

「今日は貴女に話があって来たのよ。明日まではホグズミードに滞在してるって聞いたから。……悪いけど、席を外してくれない? 外で月の写真でも撮ってきなさいな。今日は美しい満月よ?」

 

後半を頭の悪そうな顔のカメラマンに言ってやると、彼は困ったような表情を浮かべてスキーターへと問いかけの視線を送る。どうやらこいつは自分で判断するための『脳みそ』を持っていない魔法使いらしい。イギリス魔法界によく生息してるタイプだ。

 

「ボゾ、行かなくていいよ。座ってなさい。……スカーレット女史、もし記事に関しての文句を言いに来たのなら──」

 

「あらそう? とっても『お得』な話があって来たんだけど……その男、秘密を守れるの?」

 

「ボゾ、スカーレット女史の言う通りざんす。しばらく外で月だか街灯だかの写真でも撮っておいで。」

 

清々しいほどに見事な前言撤回を決めたスキーターの指示に従って、変な名前のカメラマンは素直に外へ出て行った。……まあ、確かに秘密を守れそうな雰囲気ではなかったな。自分がそう思われているということにすら気付いていなかったし。

 

三脚にしかならんような男を見送ってから、スキーターの向かいに座って口を開く。なんか……座席が砂みたいなのでザラザラしてるぞ。よし、この服は帰ったら捨てよう。

 

「しかし、何だって今の今までホグズミードに滞在してたの? ホグワーツにはとっくの昔に進入禁止になったんでしょうに。」

 

「別に何処で何をしようが私の勝手ざんしょ? ……そんな話より、さっさと本題に入りましょ。誰のスキャンダルなのかしら? ルーファス・スクリムジョール? ドローレス・アンブリッジ? アメリア・ボーンズ? それとも……アルバス・ダンブルドア? 期待で胸が膨らむざんす。」

 

コーネリウスの名前は出てこないのがちょっと面白いな。もう彼のスキャンダルには高値がつかなくなってしまったようだ。……ま、そりゃそうか。需要に対して供給が多すぎたのだろう。

 

とはいえ、今日はそういう話をしにきた訳ではない。首を横に振りながら、ウィスキーを呷るスキーターへと本題を放った。

 

「残念だけど、今日は『タレコミ』に来たわけじゃないの。……単刀直入に言うわ。ヴォルデモートが復活したから、そのことをイギリス魔法界に広めるための記事を書きなさい。」

 

私から『ヴォルデモート』という単語が出た途端、スキーターは飲んでいたウィスキーを盛大に吹き出してしまう。……ふむ、この女でもリドルのことは怖いのか。珍しい光景を見れたな。

 

しっかしまあ、どいつもこいつも何だって名前なんかを怖がるのやら。ゴホゴホ咽せているスキーターに構うことなく、事情の説明を捲し立てる。もちろん頬杖をついてニヤニヤしながらだ。

 

「ねぇ、スキーター? 私は貴女のことをそれなりに評価しているのよ? 大嘘吐きで、服の趣味も性格も悪いし、クズな上に倫理観ゼロだけど……でも、能無しの大衆を扇動する記事を書くことに関してはイギリスで一番だわ。人間誰しも取り柄があるもんなのね。」

 

「そりゃまた、嬉しいお言葉に涙がちょちょぎれそうざんす。……それで? そんなたわ言を話しに来たってんなら、あたしゃこれで失礼させてもらいますけどね。」

 

「たわ言なら良かったんだけどね。闇の帝王どのが復活したのは本当よ。そして、そのことはコーネリウスにも伝えたわ。反応は……貴女なら予想出来るでしょう?」

 

肩を竦めて問いかけてやると、スキーターは一つ鼻を鳴らしてから答えを返してきた。コーネリウスの『人となり』について詳しい彼女は、簡単に正解にたどり着いたようだ。

 

「簡単ざんす。『イヤイヤ』したんざんしょ?」

 

「ご明察。今頃ウィゼンガモットの『枯れ草』どもに泣き付いて、枯れ草どもは予言者新聞社に泣き付いてるでしょうね。結果、明日か明後日には私とダンブルドアの『妄言』があげつらわれる記事が出るはずよ。」

 

「そりゃ重畳。確かに『お得』な情報ざんした。今から編集長に直談判して、私に書かせてもらえるように言っとかないとね。」

 

「別にそれでもいいんだけど……ねぇ、スキーター? 『伝説の記者』になりたくはない?」

 

立ち上がろうとしたスキーターは、私の台詞を聞いてその動きを止めた。その表情には有り余る疑念と……そぅら、かかったぞ。ほんの僅かな期待が浮かんでいる。

 

「……どういう意味ざんしょ?」

 

「簡単よ。ヴォルデモートが復活した以上、遅かれ早かれイギリス魔法界は戦争に引きずり込まれることになるわ。コーネリウスがいくら駄々をこねようが、予言者新聞が嘘八百を報道しようが、その日は必ず訪れるの。……どう? 今から復活したヴォルデモートへの警戒を報道し続ければ、いずれ凄まじい評価が得られるとは思わない?」

 

「ふん、それこそたわ言ざんす。何の保証も無しにそんなリスクを負うとでも?」

 

「貴女は負うわ、リータ・スキーター。だって貴女が何より欲しているのは、記者としての輝かしい名声でしょう? ……ほら、目の前にそれがヒラヒラ浮いてるわよ? 多くの命を救った正義の記者。闇の帝王に抗った勇敢な記者。あらまあ、選り取り見取りじゃないの。」

 

クスクス笑いながら言ってやると、スキーターは席を立ったままで少しの間逡巡するが……やがて私の対面に座り直して質問を寄越してきた。まだまだ疑いの表情が強いものの、ちょっとは興味が出てきたようだ。

 

「仮の話をしましょ。あくまで仮のね。……例のあの人が本当に復活したとして、私がそれを広める記事を書く気になったとして、一体何処にそれを載せると? ウィゼンガモットと『ズブズブ』の予言者新聞が載せるわけないし、週刊魔女になんか載せたらそれこそゴシップで終わるざんしょ?」

 

「驚いた、自覚はあったのね。……でもまあ、心配ないわ。既に夕刊予言者新聞の方の編集長と話がついてるの。彼も中々の野心家だったみたいでね。日刊の編集長の椅子を奪い取るために、私の側に付いてくれることになったのよ。」

 

予言者新聞社には三つの発行紙がある。毎朝発行されるお馴染みの『日刊予言者新聞』、日曜の昼にのみ発行される一週間の総纏め版の『日曜版予言者新聞』、そして緊急性の高い記事を載せる臨時発行紙である『夕刊予言者新聞』だ。

 

一応それぞれに『編集長』とされる人物はいるが、基本的には日刊の編集長が新聞社のトップとして君臨しているらしい。予言者新聞社の小さな帝王というわけだ。……まあ、発行部数からいって当たり前のことだが。

 

そして競争社会の常として、上座があるならそこを狙おうとしている人物もいるはず。そう思った私が目を付けたのが、夕刊予言者新聞の編集長、ドブ・フォックスである。

 

私の支援を受けたフォックスはここ半年ほどかけて徐々に社内の協力者を増やしていき、頃合いを見計らって大衆の支持を得るためのボーンズ擁護の記事を出版する予定だったのだが……こうなった以上、リドル対策にも使うべきだろう。私はイギリス魔法界における予言者新聞の影響力は学習済みなのだ。

 

日刊に対抗するため夕刊も毎日出すことになるだろうし、出版所を確保しておかないといけないな。どこを『徴発』しようかと考え始めた私に、スキーターが恐る恐るという感じで疑問を放ってくる。

 

「……ちょっと待つざんす。『私の側』?」

 

「あら、対抗試合に目を注ぎすぎて魔法省内の動きに気付かなかった? イギリス魔法界はもうすぐひっくり返るわよ? 魔法大臣は七月か八月にはボーンズに交代。その後ウィゼンガモットもジワジワ踏み潰すし、忌々しい名家の権益もどんどん排除するわ。これまでバカどもが擦り寄っていたものが、何の価値もない存在になるってことね。」

 

今やスキーターの顔からは疑念が剥がれ落ち、真剣な表情で私の言葉を反芻し始めた。いくら対抗試合に集中していたとしても、魔法省の基本的な勢力図は頭に入っているのだろう。そしてその上で判断を下したわけだ。私なら出来るし、やる、と。

 

黙考するスキーターへと、ニヤニヤ笑いながら話を続ける。

 

「どうかしら? これだけ大きく動いているのにも拘らず、まだ私やダンブルドアが『たわ言』を言ってると思う? ……そうそう、記事の出来次第ではヨーロッパ各国の新聞社からもアドバイスを求められるかもしれないわ。ヴォルデモートは大陸の方にも目を向けてるみたいだし、向こうでも被害が出るでしょうから。……あら、大変。世界的に有名な記者になっちゃうかもよ? サインの準備は出来てる?」

 

「……情報は優先的に回してもらえるんざんしょね?」

 

「貴女が私にとって都合の良い記事を書く限り、誰より優先して渡すと約束しましょう。」

 

「もしも、『都合の悪い』記事を書けば?」

 

分かりきったことを聞くなよな。返答代わりに抑えめの殺気を放ってやれば、スキーターは厚化粧の顔を更に白くしてコクコク頷いてきた。外からキャンキャン吠え立ててるならともかく、一度私の傘下に入ったからには裏切りなど許さん。私は野良犬には寛容だが、飼い犬には厳しいのだ。

 

「さあ、どうするの? 店を出る? それとも私から復活についての話を聞く? 目の前にあるチケットは二つよ。さっさと決めなさい。」

 

コツコツとテーブルを叩きながら聞いてやれば、スキーターは……うんうん、それでいいんだ。ゆっくりと頷きながら、ワニ革のハンドバッグを開けて取材の準備を始める。大変結構。これで私は使い勝手の良い『声』を手に入れたわけだ。イギリス魔法界に喧しいほどに響き渡る、大きな『声』を。

 

「いいざんしょ。見出しは……そう、『例のあの人、帰還す』がいいわね。事が事だけに、シンプルな方がインパクトがあるはずざんす。」

 

「その辺は任せるわ。精々不安を煽る内容にして頂戴。外敵への恐怖はイギリスを団結させるしね。私も操り易くて万々歳よ。」

 

「あたしゃ自分が悪どいことは重々承知してますけどね、あんたも相当なワルざんす。……そういえば、他の客は何処へ行ったんざんしょ?」

 

おや、今更気付いたのか? 先程まではチラホラ見えた客の姿はもう無く、店主のアバーフォース・ダンブルドアの姿も見えなくなっている。羊皮紙を取り出しながら怪訝そうに周囲を見回すスキーターへと、ニヤリと笑って言い放った。

 

「ああ、ここの店主にお願いしといたのよ。もし断られたら貴女には『失踪』してもらう予定だったから。……ちょっと、なんて顔してるの? そんなの当たり前でしょうが。でなきゃあんなに内部情報をペラペラ話すわけないでしょ。」

 

「……こりゃ、前言撤回。あんたに似合うのは『相当なワル』なんていう可愛い表現じゃなく、『邪悪』ざんしたね。」

 

「シンプルで素敵ね。……目には目を、歯には歯を、悪には悪を、よ。その辺の正義の味方じゃあヴォルデモートに対抗するのに頼りないでしょ? 闇の帝王には邪悪な吸血鬼ってわけ。」

 

「ま、なんでもいいざんす。私は私の記事が評価されるなら、他のことなんか知ったこっちゃないからね。……さて、それじゃあスカーレット女史? 例のあの人の復活劇について話してくれるかしら? 詳しく、分かり易く、そして少しだけ大袈裟にね。」

 

いやはや、本当に使い勝手の良い駒を手に入れたな。スキーターの何より素晴らしいところは、死喰い人に殺されたところで胸がチクリとも痛まないって点だ。

 

こいつは本当に気付いているのだろうか? 私の『プロパガンダ』を書く限り死喰い人に狙われ続けるだろうが、逆に私を裏切ればイギリス魔法界そのものに追われることになるのだ。袋小路の行き止まり。お前は今、自分の死刑執行書にサインしたんだぞ。

 

……まあ、これぞ悪魔との契約ってわけだな。少なくともそれなりの名声は手に入るだろうし、リスクに見合うリターンがあるのも確かなのだ。万に一つも生き延びることが出来れば、本当に『伝説の記者』になれるかもしれない。

 

渡す情報はちゃんと制限しないとな。拷問されても秘密を守り切るってタイプじゃないのは明らかだし。『取材モード』になったブン屋の質問に答えつつ、レミリア・スカーレットはクスクス微笑むのだった。

 



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The Hanged Man

 

 

「おお、ノーレッジ。随分と待たせてしまったようじゃのう。申し訳なかった。」

 

満月が空に浮かぶ夜。静寂に包まれたホグワーツの校長室で、パチュリー・ノーレッジは旧友と向かい合っていた。遅いぞ、ジジイ。どれだけ待ったと思ってるんだ。

 

今日を一言で表すとすれば……うん、『骨折り損』だな。リーゼの知らせを受けて足を運んだはいいものの、私が到着した時には全てが終わっていたのだ。ハリー・ポッターは無事に生きて戻り、リドルは見事に肉体を取り戻してしまったらしい。だったら呼ぶなよ。小説がいいところだったってのに。

 

まあ、正直言ってそれらの事象には然程興味がない。何せ今は私の動くような状況じゃないのだ。私の仕事は思考することであって、実際に動くのはレミィやリーゼ、アリスや美鈴なんかの仕事なのだから。

 

そんな訳でそのまま帰って胸躍る小説の世界に戻ろうとしたところ、ダンブルドアに呼び止められて校長室で待たされていたのである。……三時間もな! どれだけ忙しいかは知らんが、三時間あれば本が何冊読めると思ってるんだ!

 

怒ってますよと態度で示しながら、ご機嫌取りのマカロンを差し出すダンブルドアへと声を放った。そんなもんじゃ許さんからな。読書の恨みは恐ろしいんだぞ。

 

「……いいわ、とりあえず話してみなさい。これだけ待たせてつまんない話だったらぶっ飛ばすからね。」

 

「ううむ、怒っておるようじゃな。早く来ようとは思っていたのじゃが、今日は色々とやる事があってのう。」

 

「いいからとっとと話しなさい。受け身の準備でもしながらね。」

 

「ほっほっほ、家具は壊さんように頼むよ。……いやなに、君に大事なお願いがあってね。君はこの前会った時に気付いていたじゃろう? わしはもう長くない。二年か、三年。そんなところじゃろうて。わしには最後の旅に向かう時が近付いて来ているのじゃ。」

 

マカロンへと伸ばした手が、知らずその動きを止める。……ふん、その話か。確かに気付いていたさ。上手く隠してはいるようだが、私から見れば一目瞭然だ。

 

別に病気というわけではなかろう。何かの呪いにかけられたわけでもない。老いだ。人間の持つ絶対の運命。生まれた時に定められた寿命によって、ダンブルドアには人としての終わりが近付いて来ているのだ。

 

ほんの一瞬だけ瞑目した後、皮肉げに肩を竦めながら口を開く。いつまで経っても世話の焼けるやつめ。

 

「それじゃ、延命したいってこと? はいはい、別に良いわよ。手段はいくらでもあるわ。薬、魔道具、魔法。選り取り見取りね。一応準備はしておいたし、すぐに始められるから。」

 

だからこの前言ったのに。素直にあの時頼めばよかったんだ。私が適当な候補を挙げようとした瞬間、先んじてダンブルドアが言葉を寄越してきた。その顔には……気に食わない顔だな。私はお前のそういうところが大っ嫌いだぞ。ひどく柔らかな微笑が浮かんでいる。

 

「いや、違うよ、ノーレッジ。君の言葉は本当に、本当にありがたいが……わしは死ぬ。これまでずっと人として生きてきた。故に、人として死ぬのじゃ。それに抗うつもりはない。」

 

「……どういうつもり? 『イギリスの英雄』、アルバス・ダンブルドア。リドルが復活した今、貴方が死ねばこの国はどれほど混乱すると思ってるの?」

 

「無論、分かっておるよ。このまま全てを放り投げて逝くつもりはない。僅かに残った時間で、様々なことについての決着をつけるつもりじゃ。……しかしのう、それには時間が足りんのじゃよ。だからこそ、君にお願いしたいことがある。」

 

「……何?」

 

私の短い返事を受けて、ダンブルドアは真っ直ぐにこちらを見ながら語りかけてきた。……どこか懐かしい表情だ。もう遥か昔、学生の時のダンブルドアの顔が何故か重なって見える。

 

「一年。君の時間を一年わしに譲ってはくれないか? 大魔女パチュリー・ノーレッジの一年。それさえあれば、わしは全てに決着をつけることができるのじゃ。」

 

「……一年でリドルを殺すつもり?」

 

「叶えばそれが最善じゃろう。しかし、それはわしの役目ではない。わしの役目は、その場所までハリーを導くことなのじゃよ。一年はその為の準備に使おうと思っておる。」

 

随分と弱気な発言じゃないか。お前はそんなに弱い人間じゃなかったはずだぞ。無言で鼻を鳴らす私に、ダンブルドアは苦笑しながら話を続けてきた。

 

「つまり、君にこのホグワーツを預けたいのじゃ。君が居る限り、この城はイギリスで……いや、世界の魔法界で最も安全な場所になるじゃろう。トム、死喰い人、そしてゲラートの残党たち。誰にも手は出せまいて。……わしにとって最も大事なこの場所を誰かに任せられれば、わしはその間自由に動けるのじゃよ。」

 

「ちょっと待ちなさいよ。私に校長代理でも任せようっていうの? そんなもん私に務まると思う?」

 

絶対に無理だぞ。やりたくないし、やれるはずもない。私だって自己評価くらいは出来るのだ。そしてダンブルドアもそれは同感だったようで、ちょびっとだけバツが悪そうに返事を返してくる。

 

「正確に言えば、校長代理と防衛術の教師を任せたいのじゃ。……うむ、君の言わんとすることは分かっておる。わしは君が偉大な魔女であることは知っておるが、残念ながら教師に向いているとは微塵も思っておらん。しかし、セブルスとハグリッドが任務でホグワーツを離れ、アラスターは教師を続ける……というか、『始める』ような状況ではなくなってしまってのう。」

 

「三つ椅子が空くってわけ? なら補充すればいいじゃない。毎年やってることだし、もう慣れっこでしょ。」

 

「いかにもその通りなのじゃが……トムが復活した今、来年は今まで以上に城に入れる魔法使いを選びたいのじゃ。魔法薬学にはわしの旧知の、確実に信頼できる者を当てるつもりでおる。飼育学に関しては今年も世話になった方に代理を頼む予定じゃ。しかしながら、防衛術はどうにもなり手が居なくてのう。どうやらウィゼンガモットからも介入の気配があるし、それならいっそ君に兼任してもらおうというわけじゃよ。」

 

「『いっそ』にも程があるわよ、ダンブルドア。想像してみなさい、私の授業を。……言っとくけど、その想像通りの事態になるからね。」

 

私は学ぶ気の無いヤツに優しく教え導いてやったりはしないぞ。私はアリスほど親切ではないし、マクゴナガルほど辛抱強くもないのだ。見所のないヤツはどんどん切り捨てていくからな。

 

ダンブルドアにも『悪夢』の授業風景が想像出来たようで、先程よりも更に苦々しげな顔になって頷いてきた。

 

「分かっておる。……それでも来学期の安全が確約されるのであれば、そう悪い『対価』ではないはずじゃ。生徒たちには少々迷惑をかけることになるがのう。」

 

「好き勝手言ってくれるじゃない。……というか、校長代理の方だって無理だと思うけど。私は司書なの。私が管理出来るのは図書館であって、学校じゃないのよ。」

 

やりたくない。やりたくないぞ、ダンブルドア。絶対に面倒くさいのは目に見えてるじゃないか。私の嫌そうな顔を見て、ダンブルドアは取り成すように追加の説明を寄越してくる。

 

「細やかな業務に関しての心配は不要じゃ。実務の面はミネルバが全て行える。わしが居なくなっても、彼女ならば恙無くこの城を回せるじゃろうて。君に任せたいのはあくまでも城の防衛じゃよ。……わしが何の憂いもなく生徒たちを預けられるのは、この世で唯一君だけなのじゃ。どうかお願いできんかのう?」

 

「……何よそれ。煽てれば受けるとでも思ってるの?」

 

「煽てではない。わしは本気でそう思っているよ、ノーレッジ。……そして、君が文句を言いながら受けてくれるであろうことも知っておる。君の本質は善じゃからのう。魔女という分厚い殻で覆っても、君の中心にあるものは結局変わらなんだ。」

 

こいつめ。卑怯な手を使いやがって。老い先短い老人の頼みってわけか? ジト目で睨みつけてやると、ダンブルドアは困ったように微笑みながら口を開いた。

 

「わしは長く生きた。本当に長いこと生きてしまった。……イギリスの英雄などと皆は言うが、わしにも様々な悔いが残っておる。長い年月、数え切れないほどの負債を抱えてきたのじゃよ。一年自由に動ける時間があれば、どうにかそれを清算出来そうなのじゃ。」

 

『負債』か。誰もが英雄視するこの男にも、後ろ暗い過去は確かに残っているのだろう。ダンブルドアは疲れたような表情で一つ息を吐いた後、顔を上げて肩を竦めながら続きを話す。

 

「それに、分霊箱も見つけねばなるまいて。これまでは君たちに任せっきりじゃったからのう。わしも少しは成果を出さねば、さすがに格好が付かんのじゃよ。……どうかね? ノーレッジ。この哀れな老人の頼み、どうか聞き入れてはくれんかね?」

 

「……あー、もう! 私は貴方が大っ嫌いよ、ダンブルドア。卑怯者の狸ジジイ! 分かったわよ! やるわよ! やればいいんでしょう?」

 

「ほっほっほ、素晴らしい。この瞬間、ホグワーツは不落の城塞となったわけじゃな。これでわしも心置きなく『お出かけ』出来るというものじゃ。」

 

ムカつくやつだ! 昔からずっと、私よりも器用に立ち回りやがって。……ふん、いいさ。このパチュリー・ノーレッジの一年間を餞にくれてやろうじゃないか。私は約束を守る良い魔女なのだ。

 

肯いた以上、何が相手だろうとこの城に手は出させん。防衛にさえ徹すれば、本気の吸血鬼三人娘が攻めて来たって跳ね返せるぞ。拠点防衛は私の魔法と相性抜群なのだ。陽光、流水を駆使すれば不可能ではなかろう。

 

興味本位で使う機会の無さそうなシミュレートをしつつも、安心した様子のダンブルドアへと問いかけを飛ばす。

 

「それで、ハリー・ポッターの内側にあるリドルの魂に関してはどうするつもりなのよ。どれだけ守りが堅かろうが、分霊箱を全部破壊しようが、あれを解決しないとどうにもならないでしょ? ……そりゃまあ、ハリーが人間辞めてもいいなら簡単だけど。」

 

「ううむ、それはよろしくないのう。……先人に倣おうと思っておるのじゃ。トムは復活する際、『敵対者の一部』としてハリーの血をその身に取り込んだらしい。となれば、同時にリリーの魔法もこれまで以上に取り込まれていることじゃろうて。」

 

そりゃそうだ。今までは不確かで細い繋がりだったが、血という媒体を介したのならばより強固な繋がりになっていることだろう。リドルとハリーの中の魂の欠片、ハリーとリドルの中の護りの魔法、それらを結ぶ線は太く、強くなっているはずだ。

 

同意の頷きを放った私を見て、ダンブルドアは説明の続きを話し始めた。……会心の策を思いついたと言わんばかりの、悪戯げな笑みを浮かべながら。

 

「わしの命を以って、あのハロウィンに起こったことを再現するのじゃよ。母が子を想う愛。それに伍する魔法を使えるとは思っておらん。しかし……トムとハリーの両方にリリーの魔法が残っている今なら、わしの命を対価にして近いことを再現できるはずじゃ。もはや長くないわしの命、今こそが使い所じゃろうて。」

 

「……それは難しいわよ、ダンブルドア。確かに不可能ではないわ。でも、条件が多すぎる。揃えられるの?」

 

あのハロウィンの夜、リドルが死の呪文を放ち、命を懸けたリリーの魔法がそれを跳ね返した。結果としてリドルは死に、ハリーは生き残ったわけだ。己が内側にリドルの魂の欠片を残したままで。

 

ダンブルドアがやろうとしているのは微妙に違う。今回も呪文を放つのはリドルで、受けるのはハリー。しかし跳ね返すのはダンブルドアの魔法で、死ぬのはハリーの内側にあるリドルの魂なのだ。

 

筋は通る。ダンブルドアに護りの魔法を使えるかは未知数だが、それ以外に関してはそう間違っていないはずだ。それにまあ……認めるのは癪だが、『愛』については私よりもダンブルドアの方が詳しいだろう。その彼が可能と判断した以上、私はそれを覆す材料を持っていない。

 

しかし、その状況を創り出すのが非常に困難なはずだぞ。リドルがハリーに死の呪文を放ち、ハリーがそれを受け、そしてダンブルドアが近くに居る必要があるのだ。……しかも、ダンブルドアはその後死ぬわけだから、ハリーとリドルが取り残されることになってしまう。

 

難しいな。私の問いかけを受けて、ダンブルドアは真剣な表情で口を開いた。……そのブルーの瞳に、溢れんばかりの意思の力を宿しながら。

 

「いつの日か、トムは必ずハリーを狙ってくるはずじゃ。それも自分の手で殺すことに拘るじゃろう。その機会に全てを懸ける。……アルバス・ダンブルドアの最後の挑戦じゃよ。見届けてくれるかね? ノーレッジ。」

 

『最後の』挑戦か。言い放ったダンブルドアは、一切の悲壮感を感じさせない微笑みを湛えている。……本当にイラつく微笑みだな。どうしてお前はそういう生き方しか出来ないんだ。

 

ごちゃごちゃになった内心を理性の力で抑え付けて、愚かしいまでに献身的な男へ声を放った。

 

「いいでしょう。やってみなさい、ダンブルドア。私が骨の髄まで魔女であるように、貴方はどれだけ深みに行こうと人間のままだったのだから。……きっとそれが貴方に相応しい幕引きなのでしょうね。」

 

そこで一度言葉を切って、少しだけ身を乗り出してから続きを話す。

 

「でも、一度だけ。たった一度だけ反対させてもらうわ。本当に延命する気は無いのね? ……貴方はまだ死ぬべきじゃないのよ、ダンブルドア。貴方を頼る人間は未だ多い。貴方は忘れ去られるほどの過去でもないし、『進歩』に耐え切れないほど弱くもないでしょ? 不条理よ。死ぬべきじゃない理由は腐るほどあるのに、どうして貴方は死に向かうの?」

 

勿体ない。それが私の感想だ。……私は死がそれほど悪いものじゃないことを知っている。単に『突き当たり』のドアを開いて、次に向かうだけなのだから。それはごく当然の行為であり、忌避すべきことではない。

 

しかし同時に、それが急ぐようなことじゃないのも知っているのだ。余程の外法を使わない限りドアは消えたりしないし、ダンブルドアならばその心配は不要だろう。ほんの少しだけドアの前で立ち止まる。それはそんなに悪いことではないはずだぞ。……私のように、座り込んで読書をおっ始めるわけではないのだから。

 

私の純然たる疑問顔を見て、ダンブルドアは少しだけ眩しそうに目を細めるが……ダメか。首を横に振って話し始めた。

 

「それこそがわしの根幹を成すものだからじゃよ、ノーレッジ。生きて、死ぬ。それは非常に簡単で、そして非常に難しい営みなのじゃ。生まれることは容易かろうて。しかし、生きることは難しい。そして生きることに拘り過ぎれば、今度は死ぬことが難しくなってしまう。……バランスじゃよ。それが釣り合う時がわしに訪れた以上、抗うことは正しくないことなのじゃ。わしがそれを崩せば、何処かにしわ寄せがいってしまうからのう。」

 

「そこまでいくと哲学ね。……その説でいくと、私はどうなるのよ? 『バランス』とやらを崩しまくってるわけだけど。」

 

「わしが人間であるように、君は『魔女』なのじゃろう? であれば、人間のわしよりもずっと生の長さがあるのは当然のことじゃろうて。……トムはそこを間違えたのじゃよ。故にこんなことになってしもうた。彼をきちんと導けなかったのは、わしの大きな失敗の一つじゃな。」

 

トム・リドルか。本当に哀れな男だ。あの男はドアの向こうへ行きたくないが為に、自分の身体に釘を打ち付けてまでそこに留まろうとしている。……そんな事をする前にドアの向こうの風景を覗いて見ればよかったのに。

 

怖がりすぎたのだ、リドルは。死をあまりに惨い存在だと信じ込んでしまった。あるいは……ひょっとして、彼にとっては本当に惨いものに見えていたのだろうか? ほんの少し角度が違うだけで、ドアの向こうの景色は一変するのかもしれない。

 

まあ、答えの出ない疑問だ。脳裏に浮かんだ思考にカチャリと鍵をかけてから、ソファに深く沈み込んで口を開く。疲れた。何故だか知らないが、酷く疲れた気分だぞ。

 

「残念よ、ダンブルドア。貴方が居ない魔法界は、少しだけ退屈になりそうだわ。……ほんの少しだけね。」

 

「うむ。それはきっと、わしにとっては望外の言葉なのじゃろうて。……じゃが、心配は無用じゃよ、ノーレッジ。この世界はきっと君を退屈させないはずじゃ。わしがそれを保証しよう。」

 

「……そうだといいけどね。」

 

ああ、本当に嫌な気分になる。お前は本当に分かってるのか? ダンブルドア。私は本来弱い人間なんだぞ。アリスのようにきちんと向き合って前に進めるほど強くはないし、妹様のように在るがままを受け入れるような強さもないのだ。

 

私はきっと引き摺るぞ。絶対に引き摺るはずだ。読書の合間に、研究の途中で、書き物の最中。ふと気を抜いたその瞬間、私はきっと今日のこの会話を思い出すのだろう。……苦々しい後悔と共に。

 

今日は厄日だ。私の長い人生でも、屈指の厄日だな。くたりとソファに寄りかかりながら、パチュリー・ノーレッジは大きくため息を吐くのだった。

 



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紅の女王

 

 

『──というわけであるからして、つまり、あー……新聞に載っている『帰還』などというのは根も葉もない狂言であり、全く証拠の無い言葉に過ぎないのだ! だから、要するに、えー……魔法省の各員においては不確実な情報に惑わされることなく、いつも通りに日々の業務を行うように!』

 

暖炉を抜けて魔法省のアトリウムへと足を踏み入れながら、レミリア・スカーレットはへったくそな演説に顔をしかめていた。二十点ってとこだな。声が小さいし、言葉に詰まりすぎだし、原稿を見過ぎだぞ。あとはまあ、もっと身振り手振りを入れるべきだ。

 

イギリス魔法省が誇る美しい黒檀のアトリウムには、あらゆる部署の職員たちが大集合している。我らが魔法大臣、コーネリウス・ファッジどのが『全省集会』を開いているのだ。宮仕えの苦労を感じさせる光景じゃないか。

 

イギリス魔法界のシンボルである巨大な噴水……『魔法族の和の泉』の逆側に置かれた縁台の上で、コーネリウスが必死に『読み上げている』内容は単純明解。ヴォルデモートなど復活していないし、クラウチ親子は勝手に気が狂って殺し合い、対抗試合でディゴリーが死んだのは魔法ゲーム・スポーツ部のミスである、という内容だ。いやぁ、お粗末。

 

そして、それを聞いている……というか聞かされている職員たちの反応は、ここから見る分では大きく三つに分かれている。先ずはワザとらしくうんうん頷きながら聞いている連中。ウィゼンガモットの爺婆どもやアンブリッジなどを中心とした、『現体制派』の連中だ。

 

今更どうにもならないことは分かっているだろうに。時折拍手なんかを交えることで、コーネリウスの『読み上げ』に必死で箔をつけようとしているらしい。……うーん、哀れな。ここまでくると、あまりに空虚すぎて笑えんぞ。

 

二つ目の反応は、『よく分かりません』という顔をしている職員たちだ。何故コーネリウスが仲が良かったはずの私のインタビュー記事を叩いているのか、例のあの人が戻ってきたというのはどういう意味なのか。ちんぷんかんぷんで不安そうに混乱している、『政治周回遅れ』の連中である。……ここはまあ、どうでもいいな。主導権をボーンズが握れば勝手に付いて来るだろうし。

 

三つ目の反応は、嫌悪感を露わにしている魔法法執行部や魔法事故惨事部を中心とした『改革派』の職員たちだ。アメリア・ボーンズは片眼鏡の奥から怜悧な瞳でコーネリウスを睨みつけ、スクリムジョールはつまらなさそうに杖を弄びながらあらぬ方向を見つめている。……もしかして、結構長いこと聞いてたのか? だとしたらご苦労なこった。

 

結構、結構。それなら私が面白いショーで盛り上げてやろうじゃないか。大きめに靴音を鳴らしながら近付くと、私に気付いた職員たちが慌てて道を開け始めた。おお、いいぞ。レミリア・スカーレット様のお通りだ。控えい、控えい。

 

『──で起こったことは、確かに悲惨な事故だった! あー……我々は、若き青年の事故死を悼み、そして再発の防止のために……スカーレット女史? 何故ここに? 貴女はその、他国への出張中のはずでは?』

 

「急に予定が変わっちゃってね。それより、楽しそうなことをしてるじゃないの、コーネリウス。……ねぇ、私にもちょっと喋らせてくれない? 一度上ってみたかったのよね、そこ。」

 

私がニコニコと演台を指差しながら言うと、焦ってキョロキョロし出したコーネリウスの代わりに、演台の横に立つカエル女が割り込んでくる。おお、今日もニタニタしているな。私の贈った『昆虫お菓子セット』はお気に召したようだ。ゴキブリゴソゴソ豆板あたりがウケたのだろうか?

 

「ェヘン、ェヘン。……スカーレット女史? 申し訳ありませんが、今は魔法大臣がみんなに『お話』をしていますの。部外者は黙って見ていていただけますか?」

 

「あら、そう。残念ね。それじゃ、演台は諦めるわ。」

 

肩を竦めて踵を返す。残念だな。一回くらい上ってみたかったのは本音なんだが……まあいいさ。私にはもっと相応しい舞台があるのだ。あんな低い場所はレミリア・スカーレットには似合うまい。

 

私がスゴスゴと引き下がったとでも思ったのだろう。ニヤニヤを強めたアンブリッジの視線を背に、真逆の方へと歩き続ける。私を不安そうに見る職員たちの間を抜けて噴水の前にたどり着くと、ふわりと浮かび上がってその天辺に着地した。

 

おお、絶景かな。魔法使い、魔女、小鬼、しもべ妖精、ケンタウルス。それらを象った黄金の立像が囲む噴水の一番高い場所。先端に刻まれた『M.O.M(Ministry of Magic)』という文字の更に上。うーん、完璧。この場所こそが高貴なる吸血鬼に最も相応しい場所なのだ。

 

イギリス魔法界を表現する噴水の頂点に立った私は、ゆるりと両手を広げながら高らかに大声を放つ。拡声魔法など三流のやることだ。演説の作法を教えてやるよ、コーネリウス。

 

「聞きなさい! ヴォルデモートが復活したわ! かつてこの地に恐怖を撒き散らした忌むべき男。多くの魔法使いやマグルを殺した男。ハロウィンの悪夢を引き起こした男。……ヴォルデモート卿がイギリスに舞い戻ってきたのよ!」

 

私からヴォルデモートの名前が出た瞬間、恐怖と、混乱。それが職員の間を漣のように通り抜けた。多くの職員が怯え、竦み、認めたくないとばかりに首を振っている。やはり、リドルの恐怖は未だにイギリスを支配していたらしい。

 

だが、恐怖に立ち向かう者もまた存在しているようだ。スクリムジョール率いる闇祓いや、魔法警察の古参たち、魔法事故リセット部隊の数人と、魔法戦士あがりの職員たち……そしてたった二人のマグル製品不正使用取締局の局員と、決然とした表情のエイモス・ディゴリー。他にもチラホラと真っ直ぐにこちらを見つめている視線を感じる。

 

『ち、違う! そんなものは根も葉もない──』

 

「バーテミウス・クラウチは死んだわ! あの闇に対抗するために生まれてきたような男が、今回の戦争における最初の犠牲者となったのよ! ……あの男が『狂って勝手に死んだ』? まさか本気でそんなことを信じている者は居ないでしょうね? 彼はヴォルデモートの支配に抗い、私たちに情報を伝えるためにその命を犠牲にしたの!」

 

名前を使わせてもらうぞ、クラウチ。去年のハロウィンの夕食の時、お前の絞り出した警告を受け止められなかったのは私のミスだ。……だから詫びとして、お前の名前を狼煙として使ってやろう。『変革』の狼煙として。

 

なぁに、死んだ後まで闇の魔法使いたちに対抗できるなら、そっちだって本望だろう? コーネリウスの言葉をかき消して、尚も演説を続けるために声を張り上げた。

 

『やめろ、聞くな! 例のあの人など一切関係ない! クラウチは単に精神的な病気で──』

 

「既にホグワーツの生徒にも犠牲者が出ているわ! ハッフルパフの高潔な青年、セドリック・ディゴリーはヴォルデモートの手によってその命を奪われたの。……そして、今回の戦いは前回よりも熾烈なものになるでしょうね。今回の戦争の舞台はイギリスだけじゃないわよ。フランスでも闇の印を持つ者が見つかったわ。今やヴォルデモートの支配力は、ヨーロッパ大陸にまで及んでいるということよ!」

 

「誰か、スカーレット女史をあそこから降ろして差し上げなさい。可哀想に、少々『おかしく』なってしまったみたいですわ。……誰か? 誰か早く動きなさい!」

 

アンブリッジが私を指差して喚くが、残念ながら誰一人として動こうとはしない。ウィゼンガモット子飼いの廷吏たちですらだ。……どうやら、杖を弄びながら睨みを利かせているスクリムジョールが怖いらしい。

 

「ヴォルデモートは新たなる戦力として大陸に残った負債を取り込んだわ。……半世紀前に世界の魔法界を荒らし回った、かのゲラート・グリンデルバルドの残党たちよ。古き悪と新たな悪。その二つはお互いを喰らい合い、より強大な悪へと変貌を遂げようとしているの。」

 

と、そこで我慢の限界を迎えたのだろう。アンブリッジが自ら杖を振って私の方に呪文を放とうとするが……そりゃそうだ。スクリムジョールが素早い杖捌きでカエル女の杖を奪い取ってしまった。

 

自分の杖がクルクルとスクリムジョールの手元に飛んでいくのを見ながら、アンブリッジは驚愕の表情で口を開く。

 

「……スクリムジョール! 貴方は自分が何をしているか理解しているのですか? これは、これはクーデターです! 貴方は今、魔法大臣付上級次官の杖を武装解除したのですよ!」

 

「ああ、重々承知しているよ、アンブリッジ。その上で言わせてもらうが、状況を理解していないのは君の方だ。……誰か、私を捕縛しようという者は居るかね? 誰でもいい。誰か居ないか? 私は今、クーデターとやらを起こしているらしいが。」

 

至極真面目な表情で両手を広げて周囲を見回すスクリムジョールだったが、誰一人として杖を上げる者は現れない。闇祓いや魔法警察たちは出来の悪いジョークを聞いたかのように苦笑しているし、他の職員たちは気まずそうに目を逸らすばかりだ。どうやら、『周回遅れ』の連中もだんだんと起こっていることの構図が掴めてきたらしい。

 

「何を……許されませんわ! こんなことを許して良いはずがない! ……後の歴史家たちはこの事件をイギリス魔法界の恥として扱うでしょう。これは武力によるクーデターです。しかも、吸血鬼のような『動物』を旗頭にするなど!」

 

「その通りだ、アンブリッジ。後世の歴史家たちが私たちの行いを裁いてくれることだろう。『動物』に率いられた愚かしいクーデターとして扱うか、はたまた『指導者』に率いられた賢明な改革として扱うか。……だが、どちらにせよ裁くのは君ではない。既に幕は上がったのだ。である以上、君はもはや『台本』に従うしかないのだよ。」

 

冷たい口調で語り終わったスクリムジョールは、『どうぞ』とばかりに私に目線を送ってくる。……いやはや、優秀な飼い犬はやはり違うな。これだから可愛がってやろうという気になるのだ。

 

とはいえ、この場にはそうでない犬も居たらしい。演台の上のコーネリウスは、お外に取り残された子供のような表情で必死に私の言葉を否定してきた。

 

『違う、違う! 復活など有り得ん! 恐怖の時代はとうに終わった! もうあんな日々は御免だ! 私はそんなことは──』

 

「あら、怖いの? コーネリウス。それなら耳を塞ぎなさい。目を瞑りなさい。ただしゃがみ込んで蹲っていなさい。……他の者もそうよ! 認めたくない者がいるのなら結構! あなたたちの魔法大臣のように怯えていなさい! 現実から目を背け、ただ都合のいい情報を信じていればいいわ。……でも、きちんと覚悟はしなさいよ? ふと目を開けたその時、耳を澄ませたその時、あなたたちの目の前には何があるでしょうね? 平和な魔法界がまだそこにあると思う? 今まで通りのイギリスがあると思う? ……それこそ有り得ないわ。そこにあるのはあの『ハロウィンの悲劇』の光景よ。積み重なる死体、親しい者の死、秩序の崩壊。そんな光景が広がっているだけだわ。」

 

そこで一度言葉を切って、胸を張って続きを話す。尊大に、余裕たっぷりで。私が誰だかを理解させるために。

 

「私はもう二度とあの光景を見るつもりはない! そのために杖を取り、戦うことを選ぶの。……あなたたちも選びなさい! 目を背けるか、向き合うか! 首を垂れるか、睨み返すか! 選択の時間はもう残り少ないわよ! ……さあ、私と共に杖を取る者はいる?」

 

サクラなど必要あるまい。私はそれだけのことを積み上げてきたのだ。群衆に呼びかけてやると、誰より先にアーサー・ウィーズリーが声を上げた。高らかに、迷いなく。

 

「私は戦う! 私は杖を取る!」

 

『忠臣』の声を皮切りに、傍らに立つ息子が、闇祓いたちが、魔法警察たちが、魔法戦士たちが杖を掲げて叫ぶ。『杖を、杖を!』と。それに押されるように徐々に声が大きくなってきた。覚悟を決めた表情の者も居れば、悲壮ながらも歯を食いしばって上げている者も居る。

 

『違う! 私はそんなことは許していない! 杖を下ろせ! 私は魔法大臣だぞ! 魔法大臣なんだぞ!』

 

コーネリウスの必死の叫びも掻き消されるだけだ。『杖を、杖を!』この場の七割以上が杖を掲げて叫んでいるのだから。……ふん、残りの三割のうちの半分以上はどうしたらいいか分からずに立ち尽くしているだけだろう。

 

本質的な『敵』は、私を憎々しげに見ている一割の魔法使いというわけだ。どうせウィゼンガモットの傘の下に逃げ込むだろうが……ま、一年保てばいい方だろうさ。既に実行力は取り上げた。後は有名無実な椅子の上で、自らの手足が腐っていくのを見るのが精々だ。

 

しかし……うーむ、実にいい気分じゃないか。私に呼応する群衆、それを為す術なく見つめる政敵。これが私だ。これこそが、レミリア・スカーレットの在るべき姿なのだ!

 

どうだリドル! これが私の力! 私の武器! 私の兵隊だ! ここにいる連中だけじゃないぞ。ヨーロッパ各国にはまだまだ杖を取る魔法使いが山ほどいるだろう。私の手足となる忠実な『しもべ』たちが。

 

いいぞ、いいぞ! ようやく盤面が拡がって、少しは派手にやれるようになってきたな。これから始まるのはこんな小さな島国のせせこましい政争ではない。大陸を舞台にした壮大なウォーゲームなのだ。

 

くぅう、楽しそうでワクワクしちゃうぞ。築き上げるのも楽しかったが、駒をすり減らしながらぶっ壊し合うのはもっと楽しいはずだ。吸血鬼とは本来創り上げる者ではなく、嗤いながら崩す者なのだから。

 

掲げられる無数の杖としもべたちの喝采。自分が手に入れた力を見下ろしながら、レミリア・スカーレットは無邪気な吸血鬼の笑みを浮かべるのだった。

 



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始まり

 

 

「また一年が過ぎた。今年もホグワーツから君たちが離れる時がやってきたのじゃ。……今日は話したいことが沢山ある。皆も聞きたいことが沢山あるじゃろう。」

 

ダンブルドアのどこか悲しげな声だけが響く大広間の中で、アンネリーゼ・バートリは小さく息を吐いていた。例年とは大違いだな。今年のこれは学期末『パーティー』とは言えまい。毎年各テーブルの上に掲げられていた寮旗も、今日は真っ黒な弔旗に変えられている。

 

『レミリア・スカーレットの真っ赤な嘘』、『例のあの人、帰還す』。それがリドルが復活した次の日に発行された、日刊予言者新聞と夕刊予言者新聞の見出しだ。片やリドルの復活を根も葉もない妄言だと非難し、片や再び訪れた脅威に団結すべきだと呼びかけていた。

 

同一の新聞社が真逆のことを書く。これが今のイギリス魔法界をよく表現している逸話だと言えるだろう。……つまり、この国の魔法使いは真っ二つに分かれたのだ。リドルの復活を否定する者と、信じる者に。

 

そしてそれはホグワーツの生徒たちも同じだった。復活など有り得ないと鼻で笑う生徒がいれば、復活を信じて怯える生徒もいる。親が復活を信じないことに憤る生徒がいれば、何故そんな馬鹿げたことを信じるのかと嘆く生徒もいる。

 

そんな中、私たちは今日までいつもと変わらぬ日常を過ごしていた。別に口裏を合わせたわけではない。何故か自然とそうなったのだ。ハリー、ロン、魔理沙がクィディッチの練習をするのを私、ハーマイオニー、咲夜で眺めていたり、全員でチェスのトーナメントをやってみたり。

 

……あとはまあ、共食いしようとして相討ちになったスクリュートの墓を作ったりもしたな。あれだけは全然楽しくなかったが。ハグリッド以外は全員スクリュートの『絶滅』を喜んでいたはずだ。

 

他の生徒たちも、今日まで誰一人としてハリーに詳しく話を聞こうとはしなかった。あの事件の次の日の朝食で、ダンブルドアが詮索をするな、話をせがむなと諭したからなのかもしれない。スリザリン生ですらその話題を出してくることはなかったのだ。今日、この場で話があることが暗黙の了解のようになっていた。

 

ちなみに結局、ハーマイオニーとロンには私の正体を明かしていない。ハリーはちょっと呆れたような視線を寄越しながら付き合ってくれているが……まあ、夏休み中には絶対に話すさ。うん、絶対。だからもう少しだけ心の準備をさせてくれ。

 

何故か踏ん切りがつかないのを情けなく思う私を他所に、ダンブルドアは静かな声で話を続ける。……その悲しげな視線をハッフルパフのテーブルに注ぎながら。

 

「しかし、話の前にやるべきことがある。先ずは一人の立派な生徒を喪ったことを悼もうではないか。本来なら一緒にテーブルを囲んでいたはずの友を。……さあ、立っておくれ。みんなで盃を掲げよう。セドリック・ディゴリーのために。」

 

全員がその言葉に従った。生徒も、教師たちも、そして病み上がりのムーディでさえも。誰もがゴブレットを掲げ、口々に一人の青年の名を呟いている。『セドリック・ディゴリーのために』と。

 

唱和の後、耳に痛い沈黙だけが大広間に残った。……いやはや、私が知る中でこんなに静かなホグワーツは初めてだぞ。僅かなすすり泣き以外は何一つ音が聞こえてこない。まるで、城自体が黙祷しているかのようだ。

 

やがて示し合わせたかのように生徒たちが着席すると、ダンブルドアがゆっくりと語り始める。

 

「セドリックはハッフルパフを体現したかのような、非常に模範的な生徒じゃった。忠実な良き友であり、勤勉であり、フェアプレーを尊んだ。……彼の死は多くの者に影響を与えたことじゃろう。彼をよく知る者にも、知らぬ者にも。故に、わしには彼の死がどのように齎されたものなのかを説明する義務があると、そして君たちにはそれを聞く権利があると考えておる。」

 

そこで言葉を切ると、ダンブルドアは一度生徒たちを見渡した後、威厳を秘めた表情でハッキリとその名を口にした。

 

「セドリックはヴォルデモート卿に殺されたのじゃ。」

 

途端に不安そうな騒めきが大広間を支配するが、一部の生徒達は真っ直ぐにその言葉を受け止めているようだ。長机の下で手をギュッと握るハーマイオニーも、蒼白ながら視線を逸らさないロンも、そして……勿論、ハリー・ポッターも。

 

「わしの語るべきことのうち、多くのことは既にスカーレット女史が語ってくれた。今やイギリスに再び脅威が舞い戻ってきたのじゃ。……我々は結束せねばならぬ。今までよりも強く、固く団結せねばならぬのじゃ。ヴォルデモート卿は我々の不和を煽り、繋がりを断ち切ろうとしてくるじゃろう。かつて在った恐怖と猜疑の時代を再現してくるじゃろう。それに対抗するためには、同じくらい強い友情と信頼の絆を示すしかないのじゃよ。」

 

そこまで言うと、ダンブルドアはボーバトンとダームストラングの生徒たちに目線を送りながら続きを話し出す。……去年のハロウィンの時とは大違いだな。今の両校の生徒たちは、真剣な表情でダンブルドアの話に耳を傾けている。

 

「イギリスだけではない。ヨーロッパにとっての苦難の時が訪れたのじゃ。わしは今年、この三つの学校の生徒たちが出会えて本当に幸運だったと思っておる。……君たちは知ることが出来たじゃろう? 海の向こうの学校でも君たちと同じように学び、同じように苦難に立ち向かおうとしている者がいることを。我々は決して孤独ではないということを。……言葉や習慣の違いなど些細なことなのじゃ。重要なのは目的を同じくし、心を開き合うことなのじゃから。」

 

そこで再び言葉を切ったダンブルドアは、いつになく真剣な、いつになく切実な声で続きを語り始めた。

 

「よいか? 皆にもう一度言おう。結束すれば強く、バラバラでは弱い。団結し、立ち向かおうぞ。……そして正しきことと易きこと、そのどちらかを選択することを迫られた時は、かつて在った一人の青年のことを思い出すのじゃ。セドリック・ディゴリーの身に何が起こったのかを。彼がどのように生き、どのように死んだのかを。……そして、彼ならばどちらを選び取るのかを。」

 

───

 

翌朝になっても生徒たちの顔は晴れなかった。玄関ホールで駅への馬車を待つ生徒たちは、今なお昨夜のダンブルドアの話についてヒソヒソ話し合っている。復活に関しての考えを翻した生徒も居れば、ディゴリーのことを想って沈んでいる生徒も居るようだ。

 

ホグワーツには似合わない風景だな。不安そうに囁き合う生徒たちをぼんやり眺めていると、ロンがスリザリンの集団の方を見ながら吐き捨てるように言葉を放った。彼は昨夜ハリーに詳細を聞いてからというもの、マルフォイに対しての怒りを露わにしているのだ。

 

「見ろよ。マルフォイのやつ、何でもなさそうな顔をしやがって。あいつの父親はセドリックが殺された場所に居たんだ。全財産賭けてもいいぞ。絶対に居たはずだ。殺したヤツにヘコヘコしながらな。それなのに、平然とあの時ゴブレットを掲げてたんだろ? ……信じられないほどのクソ野郎だよ。」

 

「私もキミと同じ方に賭けるが……まだ詳細を知らない可能性もあるんじゃないかな。青白ちゃんの父親だって、手紙にそんなことを書くほど馬鹿じゃないだろうさ。」

 

「絶対に知ってるさ。……今に見てろよ。きっとスカーレットさんがあいつの父親をギタギタにしてくれるはずだ。そしたらあんな顔をしてられるか見ものだぞ。」

 

おやおや、ウィーズリー家はレミリアの信者になる宿命でも背負ってるのか? レミリアの演説を夕刊紙で読んで以来、『入信』することに決めたらしいロンを冷めた目線で見ていると……おや、クラム? 向こうでハーマイオニーと話していたはずのクラムが、こちらに向かって歩み寄ってくる。遠距離恋愛のご相談は終わったのだろうか?

 

クラムは生徒たちの間を縫って私たちの前にたどり着くと、少しだけ悲しげな微笑みを浮かべながら話しかけてきた。

 

「ミス・バートリ、ゔぉくたちもそろそろホグワーツを離れます。貴女と会うことが出来て、そして話すことが出来て、本当に光栄でした。」

 

「ああ、気をつけて帰りたまえ、クラム。……操舵は大丈夫なのかい? カルカロフは消えてしまったわけだが。」

 

あの山羊髭は結局姿を消してしまったのだ。ハリーが帰還してきた時のゴタゴタに紛れて、生徒も校長職も投げ棄てて逃げ出したらしい。……まあ、どうでもいいな。あの男は敵でもなければ、もはや利用価値もない。精々落ち延びてリドルを撹乱してくれることを祈るばかりだ。

 

私の問いかけを受けたクラムは、かなり微妙な表情で首を振ってくる。困ったような、呆れたような表情だ。

 

「あの人はゔぉくたちに作業をさせて、自分はキャビンでヴァインを飲むだけでした。ゔぉくたちだけでも問題なく帰れます。」

 

「そりゃまた結構。上が無能だと下が苦労するわけだ。」

 

「はい。……ゔぉくは学校に帰ったら、ダンブルドア校長の話を生徒たちに伝えます。ヴォルデモートとグリンデルヴァルド。ゔぉくたちも戦います。ミス・スカーレットにもお伝えください。ゔぉくたちも杖を取ると。」

 

「それは頼もしいが……大丈夫なのかい? ダームストラングには違った考えを持つ生徒もいるんじゃないか?」

 

あの学校ならばリドルに共感する者も絶対にいるはずだ。確信を持って問いかけると、クラムは神妙に頷きながら返事を返してきた。

 

「イギリスと同じように、そしてヨーロッパと同じように、ダームストラングも二つに割れるでしょう。それでも、ゔぉくは呼びかけます。それがイギリスでダンブルドア校長の話を聞いたゔぉくたちの使命なのです。」

 

「そうか。……もし何か危険に陥ったら、フランスかポーランド、もしくはギリシャに行くといい。あの三国は間違いなくレミィの側に付くはずだ。」

 

「お気遣い感謝します、ミス・バートリ。もし何かあれゔぁそうさせてもらいます。……では、お元気で。ポッター、君も頑張ってくれ。君と競い合えて光栄だった。」

 

「うん、僕も光栄だったよ。気をつけてね、クラム。無事を祈ってる。」

 

私に深々と一礼した後、ハリーに向かってしっかりと頷いてから、クラムは船が停泊している湖の方へと去って行く。……向こうでクラムを待っているダームストラングの生徒たち。そのうちの何人かは戦いに巻き込まれることになるかもしれない。

 

せめて、敵として再会しないことを祈るばかりだ。ため息を吐きながら去り行く彼らを見送っていると、ハーマイオニーと……デラクールか? ハーマイオニーがボーバトンの代表選手どのを連れてこちらに向かって来た。

 

デラクールはいきなりハリーにハグをすると、私に向かってぺこりと一礼してから口を開く。……ロンが羨ましそうにハリーを見て、それにハーマイオニーがイライラしているのが何とも奇妙だ。思春期だな。

 

「アリー、マドモアゼル・バートリ。私たちもフランスに帰りまーす。……でも、もしかしたらガブリエルはまた戻ってくるかーもしれません。その時はどうかよろしくお願いしまーす。」

 

「えっと、妹さんだけ? 君は?」

 

「フランスはきっと戦場になりまーす。嘗てそうしたように、イギリスに幼い子たちを避難させることになるかーもしれないのです。……でも、私はもう大人です。その時はフランスに残って戦うことになるでしょう。」

 

「戦うって……君が?」

 

ショックを受けたようなハリーに向かって、デラクールはしっかりと頷きながら言葉を放った。

 

「大丈夫です、アリー。フランスは強い。そしてイギリスも強い。きっとまた会うことが出来まーす。それに、デラクールは騎士の家です。覚悟は出来ていまーす。」

 

ニッコリ笑ってそう言うと、最後にデラクールは後ろで見ていた咲夜に近寄って……その額にキスしてからフランス語でポツリと呟く。

 

『小さなヴェイユ。どうか貴女にも幸運の訪れんことを。』

 

「あの……?」

 

「ちょっとしたおまじないでーす。……それでは。」

 

キョトンとする咲夜に微笑んだ後、デラクールもまた私に深々と一礼してから去って行った。巨大なボーバトンの馬車へと消えて行くデラクールを見て、ハリーがポツリと言葉を漏らす。

 

「みんな、戦いに行くんだね。」

 

どこか物悲しげなハリーの声が、玄関ホールの騒めきの中でやけに大きく聞こえた。その通りだ。遠からぬいつの日か、彼女たちは戦いに巻き込まれることになるだろう。否が応でもそうせざるを得ないのだ。

 

───

 

そしてホグワーツ特急。例年よりも少しだけ盛り上がりに欠ける旅も終わり、列車は無事にキングズクロス駅へと到着した。……恐ろしく混んでいる駅に。

 

「凄い人の数ね。警備の魔法使いなんかもいるのかしら?」

 

「だろうね。それに、親たちも今年ばかりは心配なんだろうさ。」

 

ハーマイオニーに応えながら混み合う駅のホームへと降り立ち、出迎えを探していると……誰だ? 見知らぬ二人の男女がゆっくりとこちらに近付いてくる。がっしりとした大柄な男と、細身のたおやかな女性だ。

 

「……セドリックのご両親だ。最後の試合の前に見たよ。」

 

緊張した様子で呟いたハリーは、急いでトランクから……ああ、優勝賞金か。彼らに渡すつもりなのだろう。重そうな皮袋をギュッと握りしめながら、ディゴリー夫妻に向かって歩いて行った。

 

「怒られたりしないよな? ……僕たちも行った方がよくないか?」

 

「ダメよ、ロン。ディゴリー夫妻はハリーに話を聞きたいの。彼らにはそうする権利があるわ。……それは私たちが邪魔したらダメなことなのよ、きっと。」

 

まあ、ハーマイオニーの言う通りだ。そしてハリーもそうすることを望んでいるだろう。……それに、ディゴリー夫妻は見た限りでは怒っているという様子ではない。ハリーの手をしっかりと握って、彼に向かって感謝を告げているようだ。恐らく遺体を持ち帰ってきてくれたことへの感謝を。

 

話し合う三人を無言で見つめていると、やがて私たちを発見したらしい親たちが集まってきた。赤毛の子供たちを心配そうに誘導するモリー、ハリーとディゴリー夫妻の話し合いを神妙な面持ちで見守るブラック、そして例年とは違う雰囲気の中をキョロキョロと見回しながら近付いてくるグレンジャー夫妻。最後にいつもの優しい笑顔でこちらに向かって来るアリスだ。

 

「お帰り、みんな。」

 

一言に想いを籠めて言ったアリスに、私、咲夜、魔理沙が返事を返す。……うーむ、私たちに微笑みかけながらも、油断なく周囲を警戒しているのがよく分かるな。多分人形も戦闘用のを持ってきているのだろう。

 

「リーゼ様、今年はちょっと長居をすることになりそうです。駅の警備を頼まれてしまって。私は生徒たちが帰り切るまでは持ち場で待機になるので、魔理沙を家まで送るのをお願いできますか?」

 

「了解したよ。」

 

どういうルートから頼まれたのかは知らんが、魔法省は猫の手も借りたいような状況のようだ。……もしくはダンブルドアあたりからの要請かもしれんな。

 

考えながらも頷くと、アリスは続けて私たち全員に……おいおい、そこまでするのか。過保護なお姉さんだな。アリスの綺麗な筆跡で住所が書き込まれている、羊皮紙の切れ端を見せてきた。

 

「これ、私の家の住所よ。……覚えた?」

 

「いや、覚えたっていうか、住んでるんだからもう知ってるに決まってるだろ。いきなりなんだよ、アリス。」

 

「私が教えるのが重要なのよ。詳しくは……お願い出来ますか? リーゼ様。私は持ち場に戻らないといけないんです。」

 

「ああ、任せておいてくれ。」

 

言わずもがな、忠誠の術である。守り人はアリス自身か。……何にせよ、これでマーガトロイド人形店は万全の守りを得たと言えるだろう。恐らく細やかな防衛呪文もかけてあるはずだ。

 

私の頷きを見て、アリスは持ち場とやらに戻って行った。その背を見ながら、魔理沙と咲夜に対して説明を放つ。

 

「いいかい? アリスは人形店に忠誠の術をかけたんだ。これで彼女が場所を教えた人間以外は人形店を見つけることも出来ないし、当然入ることも出来なくなった。……術をかける以前に場所を知っていたとしても、だ。」

 

「それって……そっか、これがハリーの両親も使ってたやつか。何となくは知ってるぜ。」

 

「ただし、守人であるアリスは術を解くまで人形店に入ることは出来ない。それに、キミが誰かを入れようとしても無駄だ。アリス経由で秘密を教えてもらわないと入れないのさ。」

 

「おいおい、ちょっと待ってくれ。それは……それは困るぜ。」

 

どうしたんだ? 何故か焦ったような声を返してきた魔理沙は、少しバツが悪そうな表情で続きを話し始めた。

 

「私さ、夏休みの間にアリスに鍛えてもらおうと思ってたんだ。どうにか頼み込んで。……戦いになるんだろ? そりゃあ私なんかに何か出来るとは思ってないけど、最低でもハリーたちの足手纏いにはなりたくないんだよ。咲夜は『能力』があるから心配ない。けど、私は……。」

 

「魔理沙……。」

 

「最近やけに大人しかったと思えば、キミはそんなことを考えてたのか。」

 

俯く魔理沙の肩に、咲夜が心配そうな表情で手を乗せている。うーむ、十三歳の少女が心配することではないと思うのだが……まあいいさ。心意気は買おうじゃないか。

 

「……いいだろう。幸いにも来年はキミにピッタリの教師がホグワーツに来るんだ。私が話を通しておいてあげるよ。それに、夏休み中は私が教えられる。一人も二人も同じことだしね。」

 

「教師? それに、二人って?」

 

「んふふ、後で話すよ。あっちの話も終わったようだし、先に別れを済ませようじゃないか。」

 

言いながら振り向くと、ちょうどハリーたちが近付いてくるところだった。ハーマイオニー、ロン、それに父親に連れられたルーナ。三人と別れの挨拶を済ませた後で、ブラックに連れられているハリーへと向き直る。魔理沙と咲夜もジニーやルームメイトたちと別れを済ませているようだ。

 

「ハリー、これを持っていきたまえ。」

 

「えっと、いつもリーゼが使ってるトランクだよね? 何が入ってるの?」

 

「『部屋』さ。かつて偉大な魔女が高みに至り、そして私が杖魔法を学んだ場所だ。キミは夏休みの間の一定期間、どうしても叔父の家に居る必要がある。だからキミを鍛えるには私が出向く必要があるんだよ。」

 

「あー……どういうこと?」

 

キョトンとするハリーに、クスクス笑いながら答えを返す。まだまだだな、ハリー。パチュリーはすぐに理解してたぞ。

 

「んふふ、帰ったらキミの『牢獄』で開いてみたまえ。そこが夏休み中の特訓室になるはずだ。なんなら私室として使っても構わないよ。ダーズリー家よりかはマシだろうしね。」

 

小部屋の暖炉を煙突ネットワークに繋げばいいのだ。あるいは姿あらわしで通ってもいい。トランクの中の小部屋はトランクが置いてある場所の『所属』になるはず。ホグワーツに置いてある時は姿あらわしが出来ないが、ハリーの部屋ならば問題はあるまい。

 

それに、リリー・ポッターの護りや『臭い』も問題ないはずだ。あくまでもハリーはダーズリー家に居るわけだし、パチュリーが使ってた頃に臭いが漏れない魔法はかけてある。

 

未だ疑問顔で曖昧に頷くハリーに背を向けて、今度はブラックに向かって口を開いた。

 

「ハリーを頼むぞ、ブラック。」

 

「無論です。ダーズリー氏には既に私が送ると言ってありますので、姿あらわしで直接移動します。」

 

「結構。……それじゃあ、また会おう、ハリー。どうせすぐに会えるがね。」

 

ヒラヒラと手を振りながら別れの言葉を放って、後輩二人と共に駅に設置されている暖炉へと向かう。……来年は忙しくなるぞ。ハリーに正体がバレた以上、他の連中に伝えるのには何の抵抗もない。アリス同様、レミリアから『おつかい』を頼まれることも増えるはずだ。

 

レミリア、ダンブルドア、アリス、そしてパチュリーでさえも動き出すというのに、さすがに私だけがのんびり過ごすわけにはいかんだろう。……くそ、こんなことなら去年の夏休みをもっと満喫するんだった。ああ、懐かしきヨークシャーの食い道楽よ。

 

ステーキ、ワイン、ローストビーフ。せめて帰ったらエマに頼もうと決心しつつも、アンネリーゼ・バートリは暖炉へと足を踏み入れるのだった。

 



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パチュリー・ノーレッジと魔法の城
色分け


 

 

「意味なし、成果なし、全然なし! 二度と行かないわよ、あんな国! 何がラモラよ、ラモラなんかクソ喰らえだわ!」

 

巨大な世界地図をベチベチ叩きまくるレミリアの醜態を眺めながら、アンネリーゼ・バートリは『インド』という文字を二重線で消していた。別にラモラが悪いわけじゃないだろうに。あの魚は益魚……益魔法生物? だったはずだぞ。

 

紅魔館の薄暗い地下室の中では、半世紀ぶりの『吸血鬼首脳会談』が開かれているのだ。テーブルに広げられた世界地図を前にして、レミリアの情報を元にした世界各国の『色分け作業』を行なっているのである。……まあ、ヨーロッパ以外は殆ど無色で終わりそうだが。これも半世紀前の焼き増しだな。

 

「インドも消極的協力に留まる、と。古い魔法文化があるだけに、あの国を引き込めれば頼りになったんだが……参ったね。やっぱりあの辺から見れば対岸の火事か。」

 

二重線を書き込み終わった私の言葉には、地図に頬杖をついているフランが答えた。なんとも投げやりな声だ。

 

「いいんじゃない? 別に。絨毯乗りどもが頼りにならないのは最初から分かってたし。……だから私はわざわざ行くのは時間の無駄だって言ったんだよ。聞かなかったレミリアお姉様が悪いんだからね。」

 

「い、一応よ、一応! 大体、リドルのネームバリューが弱すぎるのが問題なの。『ヴォルデモート』よりも『グリンデルバルドの残党』の方に食いついてたわ。」

 

「それで、結局ラモラだかなんだかの魔法生物の保護で忙しいからって人の派遣を断られたんでしょ? ……絶対ウソだよ、それ。意味不明だもん。そもそもラモラって何さ。」

 

「そこは本当なのよ、フラン。インドでは大切にされてる魚で、香港自治区のバカどもが密漁しまくってるみたいなの。……そりゃまあ、多少は関わりたくないって気持ちもあるんでしょうけど。」

 

どこか自信なさそうに言うレミリアを横目に、西と北を除くアジア全体に大きなバッテンを書き込む。一応避難民を受け入れるだのなんだのという消極的な宣言をする国はあったものの、この辺の国々はヨーロッパの問題に直接関わろうという気はないらしい。

 

ま、仕方ないのかもしれんな。何たってリドルはまだ大きな事件を起こしてはいないのだ。唯一フランスのみが直接火の粉を被っているが、当のヨーロッパ各国にしたって何かが起こっているという実感は薄いだろう。

 

世界地図に描かれた巨大なバッテンを見ながら、レミリアがうんざりしたように口を開いた。

 

「とにかく、重要なのはヨーロッパよ。ポーランドとフランス、トランシルバニアとギリシャ、それにスイスとブルガリア、ユーゴスラビアとリトアニア。この辺はかなり真面目に話を聞いてくれてるわ。有事には戦力も動かしてくれるみたいだし、味方と言っても差し支えないでしょうね。」

 

「反面、きな臭いのがドイツとチェコスロバキア、ハンガリーとルーマニア、それにソヴィエトあたりなわけだ。半世紀前そのまんまの色分けじゃないか。……ん? ソヴィエトはロシアに戻ったんだったか?」

 

「マグル界じゃ連邦は解体されてるけど、魔法界ではその混乱の真っ只中ね。政治機関はまだソヴィエト名義だし、そっちでいいでしょ。……ちなみに、チェコスロバキアもマグル界だと連邦解消されてるわよ。」

 

「お可哀想に、マグル界の歴史教育は地獄絵図だろうね。くっ付いたり離れたりしすぎだぞ。……しかしまあ、ソヴィエトはデカい癖に忙しない国だな。前回の大戦では連邦形成やら粛清やらの混乱でまともに動けず、今回は解体の混乱で動けないわけか。我らが『タヴァーリシチ』たちは毒にも薬にもならんらしい。」

 

運が良いのか悪いのか、それとも単なるアホなのか。なんとも判断に困る国だな。肩を竦めて鼻を鳴らす私に、レミリアは首を振りながら訂正を寄越してくる。

 

「油断は禁物よ。ソヴィエトはグリンデルバルドのシンパが多かった国なんだから、前回同様に個人単位で参加してくる可能性は大きいわ。……大戦後も粛清だか内乱だかのどさくさで殆ど拘束されなかったみたいだしね。」

 

「そして、スウェーデンとノルウェー、ついでにデンマークあたりも同様か。北欧はゲラートのホームグラウンドだったからね。恨み骨髄のヤツと狂信者がごちゃ混ぜになってる感じだ。」

 

火が点けば一気に燃え上がるぞ、あの三国は。きな臭い国々に黄色のピンを刺していく私たちに、フランがかっくり首を傾げながら質問を放ってきた。

 

「でもさ、基本的にはテロリスト集団なんでしょ? 国単位で味方するって有り得るの? 半世紀前ならともかくとして、今のご時世じゃ外聞が悪すぎるんじゃない?」

 

「さすがね、フラン! 賢くて可愛いわ! スカーレット家の次女として──」

 

「そういうのいいから。どうなの?」

 

ありゃまあ、大人になっちゃって。真顔のフランに物凄くドライに流されたレミリアは、ちょびっとだけ顔を引きつらせながら咳払いの後に答えを返す。

 

「……コホン。そうね、最初は個々人としての参加ってことになるでしょう。そこから徐々に政治機関に影響力を食い込ませていって、ある時点で武力か政治力によって傀儡化、その後ジワジワと統治の方向性を変えていくって感じじゃないかしら。」

 

「ふーん。……なんか、迂遠じゃない? 私ならテロで頭を潰してから一気に挿げ替えていくけどなぁ。グリンデルバルドはお姉様の言う『正攻法』でやってたけど、リドルがそうするとは思えないよ?」

 

「それだと地盤が脆すぎるわ。強引な手段を取れば民衆の反対も多いでしょうし、ぐらんぐらんのジェンガみたいな政権になっちゃうの。」

 

「そりゃあさ、お姉様やグリンデルバルドみたいに長期的な安定を求めてるならそれを避けるだろうけど……でも、リドルは最終的に魔法界の『マグル関係』を全部『浄化』するつもりなんでしょ? 安定なんか気にしないと思うよ。」

 

そこで一度言葉を切った後で、フランは可愛らしく腕を組みながら続きを話し始めた。なんかこう、話す内容にそぐわない姿がなんとも非現実的だ。テロリズムを論じる少女か。風刺画の題材としては百点満点だな。

 

「んー、表現し難いなぁ。……つまりさ、レミリアお姉様もグリンデルバルドも『その後』の事まで考えてたけど、リドルはそんなのどうでもいいんだよ。ぶっ壊して、混乱させて、怖がらせて、その状態から権力を構築するのがリドルのやり方でしょ? ジェンガがぐらつこうが、崩れようが、そんなもん気にしないんじゃないかな。だから……そう、リドルは『統治』したいんじゃなくて、『君臨』したいだけなんだよ。その為だったら、何処がどれだけ滅茶苦茶になろうが気にしないんじゃない?」

 

『君臨したいだけ』か。フランが知ってて言ったのかは定かではないが、凄まじく皮肉の効いた表現だな。君臨すれども統治せず。本来は民衆の権利を表現した言葉だが、この場合は民衆を蔑ろにするという意味で使われているわけだ。きっとザモイスキも苦笑いを浮かべてるぞ。

 

だが、同時に正鵠を射ているとも言えるだろう。リドルの『目標』はゲラートのそれとは質が違うのだ。フランの言葉を受けて黙考の姿勢に入ったレミリアに代わり、自分の考えを整理しながら口を開く。

 

「方向としては概ね賛成出来るが、問題は周囲が付いてくるか否かだね。ゲラートの残党がそう易々とリドルが『焼け野原の王』になることを肯定するとは思えない。彼らにも彼らの目指す理念がある以上、どこかの地点でリドルとは相容れなくなるはずだ。……つまり、リドルの『真意』に気付いた時点でね。」

 

「うん、そこはよく分かんないや。現状従ってる……かどうかは不明だけど、少なくとも行動を共にはしてるんだから、リドルは対外的に『魔法族の地位向上』を掲げてるんでしょ? どこで考えをひっくり返すつもりなのかな?」

 

「恐らく、『クーデター』を制圧出来るようになった段階だろうね。問題はどのくらいの速度で支配力を浸透させられるかだ。頼りの『お友達』がアズカバンに居る以上、そうそう簡単じゃないはずだが……その辺ダンブルドアはどう思ってたんだい? レミィ。」

 

黙して地図を見ているレミリアに質問を飛ばしてみると、彼女は視線を上げずにポツリポツリと答えを返してきた。

 

「ダンブルドアはそれほど時間がかからないと考えてるみたいよ。恐怖による支配はリドルの十八番だしね。『復活』をカリスマ性を増すためのパフォーマンスにするでしょうし、既に内側に入っている以上、そこまで苦労は……ああもう、うんざりするわ!」

 

何だよ、いきなり。ビックリするじゃないか。急に大声を上げたレミリアは、机にべったりと寝そべりながら苛々顔で言葉を続ける。色々考えすぎてショートしたらしい。

 

「何にせよリドルが拠点を持たず、国を持たず、守るべきものを持たない以上、こっちは後手後手で対応していくしかないわ。……そもそも分霊箱の問題を解決出来てないんだから、殺すわけにもいかないしね。また延々同じ事を繰り返すのは御免よ。」

 

「んふふ、相も変わらずハンデの多い戦いだね。……そういえば、新大陸はどうなってるんだい? 彼らもゲラートには『一杯食わされた』訳だが。」

 

鬱屈としてきた話題をリセットすべく新大陸を指差して聞いてやると、顔を上げたレミリアはそこに……おや、味方を表す赤いピンを突き刺した。さっきから思ってたんだが、こういうのって普通青じゃないか? 赤だとややこしいぞ。

 

「今回は人員を送ってくれるみたいよ。本当に騒動が起こったらっていう条件付きだけどね。……『人道的立場におけるノーマジの保護のためなら、成熟した魔法社会としては協力を惜しむことはしない』ですって。マクーザは相変わらず綺麗事がお好きみたい。」

 

「へー、新大陸は進んでるねぇ。あっちだと純血主義もクソもないからなのかな?」

 

「フラン、汚い言葉を使っちゃダメよ。悪影響なの? リーゼの悪影響なのね?」

 

「さっきの自分の台詞を思い出すべきだと思うよ、ポンコツ。そしてアフリカは当然味方、と。……味方だよな?」

 

適当にあしらいながらも今度はアフリカを指差してやれば、レミリアは間髪入れずに頷きを返してくる。そりゃそうか。あの地は闇の魔術とは最も遠い場所なのだ。

 

「当たり前でしょ。大評議会で人員の派遣を一発承認してくれたわ。……アフリカの魔法使いたちからすると、リドルの思想は『サイの角を齧るほど愚か』なことみたいだしね。」

 

「なんだそりゃ。」

 

「知らないわよ。向こうの言い回しでしょ。……ただし、イタリアとスペインの反応は鈍いわ。どっちも大戦の影響が薄かった国だし、そもそも状況がよく理解出来てないみたい。」

 

「ふん。スペインはともかくとして、二枚舌のマカロニどもは何を考えてるか怪しいもんだがね。フランス占領後のゲラートには擦り寄ってきたくせに、彼がダンブルドアに負けた瞬間にクルリと手のひら返しだ。あんまり信用しない方がいいと思うよ。」

 

気に食わんピザ屋どもめ。鼻を鳴らしながらイタリアに黄色いピンを突き刺しまくっていると、今度はフランが机に寝そべって口を開いた。ちょびっと瞼が閉じているのを見るに、眠くなってきちゃったらしい。……そりゃそうか。今は午前十時なのだ。『規則正しい生活』を送っているフランにとっては、眠気がピークになる時間帯なのだろう。

 

「各国への呼びかけもいいけどさ、魔法省はどうなの? ファッジが降りる……っていうか、引きずり降ろされるのは決定したんでしょ?」

 

「ええ、引き継ぎやら事務手続きやらで少し時間が掛かるけど、八月からはボーンズ政権のスタートよ。ついでに言えば、反対派の連中はウィゼンガモットの傘下に『立て籠もる』つもりみたい。……まあ、無駄な抵抗ってやつね。今更何にも出来やしないでしょ。」

 

「へー。……執行部はどうなるの? イギリスの戦力っていったらあそこになるんでしょ?」

 

「例の制度が上手く広がればそうでもなくなるけど……そうね、魔法法執行部部長にはスクリムジョールがそのまま上がって、闇祓い局局長にはとりあえずムーディを復帰させることになってるわ。」

 

レミリアから放たれた妥当な人選を聞いて、フランは少しだけ心配そうな顔になってしまう。……当然ながら、スクリムジョールのことを心配しているわけではないはずだ。

 

「やっぱりムーディかぁ。……ヘンなことしなきゃいいけど。監禁騒動で色々と『悪化』してるんじゃないの?」

 

「スクリムジョールも不安がってたけど……でも、他に選択肢が無いのよ。平時ならともかくとして、今の状況だとガウェイン・ロバーズもキングズリー・シャックルボルトも経験不足なんだもの。となるとムーディを戻すしかないわ。」

 

目を逸らしつつのレミリアの言葉に、私もフランも揃って微妙な表情を浮かべる。魔法省は今からでもシュレッダーに保護呪文をかけまくるべきかもしれんな。あとはまあ、携帯水筒の購入補助金も配るべきだ。

 

「それより、私はパチェの方が心配よ。……今からでも止めた方がいいと思うけど。あの紫しめじに教師が務まると思う?」

 

レミリアの容赦ない追撃を受けて、私とフランは更に微妙な表情になってしまった。その通りだ。ムーディにとって闇祓いは天職……というか唯一向いている職業だろうが、パチュリーに教師が出来るとは思えない。向き不向きとかいうレベルじゃないぞ。

 

「私、ダンブルドア先生のことはすっごく尊敬してるけど……今回のは失敗だと思うなぁ。パチュリーをホグワーツの守りに当てるってとこはともかく、教師はやらせるべきじゃないと思うよ。」

 

「同感だね。パチェには悪いが、クィレルの方が百倍マシってことになりかねんぞ。クィレルは単に何も教えなかったが、パチェの場合は生徒をノイローゼに陥れる可能性があるんだ。」

 

知識量としては文句なしだろう。イギリスでパチュリー以上に『魔法』を知る者など居ないし、世界的に見ても『元人間』のジャンルでいけば上位に入るはずだ。……問題は、その人格である。

 

パチュリーは基本的に他者に対して『優しく』ないのだ。あの魔女は私やレミリア、美鈴なんかがやっているように社交用の『仮面』を被ることすらしない。そりゃあ紅魔館の住人たちや、古い付き合いのダンブルドアなんかはそれに悪意が無いことを知っているが……うーむ、初見の生徒たちはどう受け取るだろうか? 私には嫌な予感しかしないぞ。

 

それに、授業形式だって心配だ。限りなく自習に近くなるか、延々と演説を聞かされるかのどちらかだろう。あの賢すぎる魔女がホグワーツのバカガキどもに付き合い切れるとは思えん。

 

私とフランの言葉を受けて、レミリアは然もありなんと頷きながら同意を寄越してきた。

 

「私だってそう言ったわよ。でもほら、今年はホグワーツの教員席が三つ空くでしょ? ダンブルドアは妙な部外者を入れるよりかは、授業を『犠牲』にしてでも守りの方を重視するつもりみたいなの。」

 

「……ま、別にいいけどね。『対価』として安全が保障されてるってのは悪くない。もしパチェの授業が『ドン底』だったとしても、ハリーには私が教えるさ。」

 

「そうね。正直なところ、私たちが全力で攻めてもパチェのいるホグワーツを落とせるかは怪しいくらいだしね。……っていうか、むしろ人員が少なくなる紅魔館の方が心配なくらいだわ。大丈夫なの? フラン。」

 

「へーきだよ。パチュリーがちゃんと小悪魔に防衛魔法の起動方法を教えてったし、私とエマも居るんだよ? 美鈴も戦いなら頼りになるだろうしね。」

 

まあ、その通りだ。美鈴やフランは元より、エマだって一応はハーフヴァンパイアなのだ。向こうが余程の戦力を投入してこない限りは耐え得る……というか返り討ちに出来るだろうし、無理そうなら逃げちゃえばいい。後から全員で奪い返せばいいのだから。

 

話が一段落したところで、本格的に眠そうになってきたフランのために会議を締める。

 

「とにかく、第一幕の主役はキミだ、レミィ。リドルが本格的に動き出す前に、精々大陸を紅く染め上げてくれたまえ。下準備こそが勝利の秘訣だろう?」

 

「分かってるわよ。当然でしょ。……あんたにもちょっとは動いてもらうからね。もう旧騎士団の連中には正体を伝えてあるんだし、『お友達』二人にも話したんでしょ?」

 

「それは……うん、まだ機会が無くてね。近いうちに話すよ。」

 

「呆れた。……ビビり。ビビりペタンコ。」

 

うるさい、ポンコツ。夏休みはまだまだあるんだから別にいいだろ。罵ってくるレミリアの椅子を蹴って転ばせつつも、立ち上がって口を開いた。

 

「何にせよ、私はハリーに閉心術を教え込むことにするよ。早く習得させないと詳しい話が出来ないし、何よりあんなトカゲ男と繋がったままってのはハリーが可哀想だ。普通に気持ち悪いだろう?」

 

「んー、そうだねぇ。私ならうぇーってなっちゃうかな。……そういえばさ、『ここ』はどうするの? 使ったら使ったで厄介なことになりそうだけど、放っておくのは勿体なくない?」

 

言いながらフランは、世界地図のとある地点を指差す。嘗て私たちが最も見慣れていた場所。彼女の言う通り、放置しておくには勿体なさすぎる『大駒』がある場所だ。

 

懐かしさに浮かんできた笑みをそのままに、肩を竦めて返事を返す。

 

「心配ないさ。私とレミィでちょっとした計画を立ててあるからね。……ダンブルドアには話を通してあるんだろう? レミィ。」

 

「……話してあるわよ。それより、ごめんなさいは? 椅子を蹴った謝罪は何処に行っちゃったのかしら?」

 

「残念ながら、私の謝罪は値が張るんだ。キミに使うには勿体ないのさ。」

 

「謝りなさいよ、ビビり吸血鬼! フランの教育に悪いでしょ! 真似するようになっちゃったらどうすんの!」

 

もうそんなに子供じゃないだろうが。今のフランは立派なレディだぞ。子供扱いされてご立腹なフランの目線に気付かないレミリアを無視しつつ、ドアへと向かいながら背中越しに言葉を放った。

 

「それじゃ、私は今日も『小部屋』に行ってくるよ。お休み、フラン。良い夢を。」

 

「うん、おやすみ、リーゼお姉様。ハリーによろしくね。」

 

「さっさと習得させなさいよね! 閉心術!」

 

言われなくても分かってるさ。夏休み前に聞いた話によれば、ハリーとリドルの間にある繋がりは強化されてしまったらしい。今はまだリドルが気付いていないから実害は無いものの、気付かれて直接ハリーの心に侵入されたら一溜まりもないのだ。

 

さすがに操られるようなことになる可能性は薄いとかジジイは言ってたが、少しでも可能性があるのなら早急に閉心術をマスターさせる必要があるだろう。……それに、情報が渡る可能性がある以上、ハリーに詳しい話を伝えられない。もう隠し事は御免なのだ。

 

可愛らしい声と可愛げのない声。その二つを背にしながら、アンネリーゼ・バートリは地下通路を歩き始めるのだった。

 




若干ストックが怪しくなってきたので、余裕が出てくるまでは二日に一話のペースに下げようと思います。申し訳ございません!
なるべく早くペース戻せるように頑張りますので、長い目でお付き合いくだされば幸いです。


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動かない大図書館

 

 

「あの、聞いていらっしゃいますか? ノーレッジさん。」

 

『私と杖と、トロールと』に視線を落としたままで、パチュリー・ノーレッジはコクリと頷いていた。この本は娯楽本だか学術書だか判断に迷うな。全部読み終わってからじゃないと決めるのは難しそうだ。

 

場所はホグワーツの校長室の中の、持ち込んだ揺り椅子の上である。ダンブルドアが普段使っていた椅子は私のお眼鏡に適わなかったのだ。……ジジイのくせに、硬い木の椅子だと? 腰痛とかにならないのだろうか?

 

もしくはクッション魔法なんかを上手いこと使ってるのかもしれないな。どうせ『イメージを損なわない為に』とかいう訳の分からん理由なのだろう。カッコつけめ。利便性より見た目を重視するってのは理解不能だぞ。

 

あらぬ方向に飛んだ思考を、再び聞こえてきたマクゴナガルの声が引き戻した。いけない、いけない。本に集中しなければ。

 

「ええと……では、通してもよろしいので?」

 

「いいわよ。」

 

端的に返答を放ってから、再び本へと意識を向ける。マクゴナガルの説明によると、大法廷から派遣された『監査員』とやらが挨拶に来たらしいが……まあ、どうでも良いな。ウィゼンガモットと反ポンコツ吸血鬼同盟が組んでも、結局有名無実の監査員を派遣するのが精一杯だったようだ。

 

建前的には『イギリス魔法界に相応しい教育が行われているかを監査するため』ということだったが、実際は間違いなくダンブルドアの粗探しをしに来たのだろう。レミィとダンブルドアが『お友達』なのは有名な話だ。彼らは先ず馬を射ようとしてきたらしい。

 

っていうか、『城に入れる人間は選びたい』云々は何処にいったんだろうか? まさかダンブルドアが唯々諾々と了承したわけがないし、となると独立自治の建前では防げなかった派遣ということになる。法規的な抜け道を使われたかな? ……とにかく、面倒事が一つ増えてしまったようだ。読書が一段落したらレミィにも確認を入れなければなるまい。

 

「ェヘン、ェヘン。」

 

しかし、この本はタイトルでかなり損をしてるな。トロールの種類、生態、果てはそれぞれの耳の長さまで。かなり大規模な統計をとってその数値を弾き出しているのだ。これだけ調べるのには相当苦労したはずだぞ。トロール相手のフィールドワーク……嫌になったりしないのだろうか?

 

「ェヘン、ェヘン。」

 

何にせよ、魔法使いらしからぬきちんとした統計のとり方には非常に好感が持てる。マグル学を受講したのか? 気になってもう一度表紙を見てみると、著者は……ああ、スキャマンダーの弟子の一人か。それなら納得だ。恐らくスキャマンダーの妻から統計学を学んだのだろう。イルヴァーモーニーじゃあ昔から普通に教えているようだし、ホグワーツでもそろそろ取り入れるべきだぞ。

 

「ェヘン、ェヘン!」

 

うーむ……こうなってくると、『トロール全集 ~これであなたもトローラー~』とか、『トロールか、人か』とか、『脳みその小さな生き物たち』に勝るとも劣らぬトロール専門書だと言えそうだ。少なくとも単なる娯楽本として扱うには惜しすぎる。

 

「ェヘン、ェヘン、ェヘン!」

 

よし、決めた。これは学術書として分類しよう。文体こそ軽い感じだが、内容は完全に専門書のそれなのだ。うんうん頷きながら読み終わった『私と杖と、トロールと』を置いて、次に『バンシーのおひめさま』なる絵本を手にしたところで……何だ? マクゴナガルが困り果てたような声を寄越してきた。

 

「あの、ノーレッジ校長代理。先程からずっと……その、監査員の方がお待ちです。」

 

言葉に従って目線を上げてみれば、何故か顔を真っ赤にしている……カエル? ピンクのカエル女が目に入ってくる。そういえばレミィがガマガエルがどうこうって言ってたっけ? 確かハエを食べるとかなんとかって。

 

「あら、居たの。……それで?」

 

まあ、カエルだろうがヒトだろうが構うものか。本よりも重要なはずがない。目線を下ろしてバンシーがある日突然声を枯らしてしまう場面を読みながら聞いてやると、カエル女は耳障りな甲高い猫撫で声で話し始めた。

 

「ごきげんよう、ノーレッジ校長代理。私はウィゼンガモット大法廷直下の『魔法教育促進委員会』から派遣されてまいりました、ドローレス・アンブリッジ監査員ですわ。実際のお仕事は新学期からになりますが、今日は赴任のご挨拶をと思って参りましたの。」

 

「そう、こんにちは。」

 

ふむ。難しい単語も使ってないし、ちゃんと文字も大きく分かり易く描かれている。絵がちょっとだけ怖い感じだが……んー、ギリギリ許容範囲だな。話の雰囲気上仕方のないことだろうし、未就学児向けの絵本としては文句なしだ。

 

「……ェヘン、ェヘン。しかし、校長を代理の人間に任せているとは驚きですわ。ダンブルドア校長は今どちらにいらっしゃるのですか?」

 

「知らないわ。」

 

「あらまあ! それでは、いざ何かあった時に困るのではありませんの? 連絡も取れないのでは指示を仰げないではありませんか。」

 

「困らないわ。」

 

マグルの王子さまがバンシーとキスする場面を読みながらチラリと目を上げてみると、ニタニタ顔で首を傾げているカエル女が見えてきた。うーん、これだとバンシーの方がまだ可愛げがあるな。さすがにこの顔相手ではマグルの王子さまもキスを躊躇うだろう。

 

「あら、あら、あら。これは監査役としては見過ごせませんわ。連絡の不備、そしてその問題に対する認識の不足。メモさせていただいてもよろしいかしら?」

 

「どうぞ。」

 

うんうん、起承転結がハッキリしていて分かり易いし、ハッピーエンドなのも高得点だ。地味にマグルと魔法使いの交流が描かれているのも悪くない。この絵本は『お子様向け』の棚の前列に置くべきだな。いやはや、また良い本を発見してしまった。

 

満足して大きく頷きながら『バンシーのおひめさま』を置いて、今度は『マグル ~その歴史と愚かしさ~』を手に取る。なんとまあ、魔法族上位主義者が書いたのが丸わかりの本じゃないか。……いやいや、先入観は良くないぞ、パチュリー。もしかしたらきちんとした意見を述べているのかもしれないし。本は読んでから評価すべきなのだ。

 

「ェヘン、ェヘン。……私は来学期いっぱいの間、行われている授業内容や生徒たちの生活、教師の習熟度と魔法教育に対する考え方、それに校内の設備についてを監査させてもらうことになります。それを然るべき場所に報告する義務があるのですけれど……魔法省と頻繁に行き来する必要がありますので、煙突ネットワークが繋がっている部屋を用意していただいてもよろしいかしら?」

 

「それは無理ね。」

 

「あら、どうしてですの?」

 

「マクゴナガル。」

 

二度に渡る大戦のことを書き連ねている箇所を読みながら呟くと、マクゴナガルも心得ている様子で代わりに説明を話し出した。前回の騎士団の時もそうだったが、この副校長は確かに使えるヤツだ。打てば響く。やり易くていいぞ。特に、丸投げしちゃえば全部やってくれるところとかが。

 

「防犯のためです。本日ポートキーでお越しいただいたのも、既に校内の煙突ネットワークを完全に封鎖しているからでして。更に、九月以降はポートキーでの移動も校長代理の魔法で制限することになります。外部に報告を送りたいのであれば、手紙でのやり取りをなさった方がよろしいかと。」

 

「それは少々……被害妄想が過ぎるのでは? 私から見ればやり過ぎという感じが強いですわ。」

 

「ヴォルデモート卿が復活した今、必要な措置なのです。」

 

マクゴナガルからリドルの芸名が出ると、しばらくの間部屋を沈黙が包むが……やがてアンブリッジが私に向かって問いを放ってくる。なんだよ、少し没入し始めてたとこだったのに。読書にケチがついちゃったぞ。

 

「……ノーレッジ校長代理も、例のあの人の復活を信じていますの?」

 

「ええ。」

 

「ナンセンスですわ。……そもそも、貴女が校長代理として相応しい人物かが私には疑問ですの。お気を悪くなさらないで欲しいのですけれど……貴女はほら、『無名』でしょう? 保護者の方々も心配するのでは?」

 

「心配ないわ。」

 

うーむ、話の起点は悪くなかったが、結局は『魔法が使えないからマグルは愚かだ』という意味不明な結論に向かっているようだ。下調べは正確だっただけにちょっと残念だな。……これは『主義者向け』の本棚行きになりそうだ。

 

「私は根拠を示していただきたいのです。つまり、それだけの能力があるということを。……それとも、出来ませんの? 出来ないのでしたら無理にとは──」

 

「出来るわよ。はい。」

 

目線を本に落としたままでちょちょいと手を振って、目の前の女をカエルに変える。……『カエルに変える』か。ちょっと面白いな。今度リーゼにでも披露してみよう。いやはや、我ながら中々のジョークセンスじゃないか。カエルに変える。うーん、素晴らしい。

 

会心のジョークに私がむふむふ笑っている間にも、大慌てでぴょんぴょこ跳ね回り始めた大きめのカエルを見ながら、マクゴナガルが負けず劣らずの慌てた声を寄越してきた。

 

「ノ、ノーレッジさん? それはちょっと……さすがにマズいのでは? その、『これ』は違法だと思うのですけれど。」

 

「合法よ。私は杖を使ってないし、厳密に言えばこれは貴女たちの言う魔法じゃないわ。つまり、魔法法じゃ『これ』は未だ定義されていないの。証明出来ず、定義も出来ないものは裁けないでしょ?」

 

「あー……なんと言うか、そういう法的な問題ではないのだと思います。つまりその、もっと『常識的』な意味で問題になるのではありませんか?」

 

「そう? それじゃあ……はい。これで元どおり。問題なしよ。」

 

つまらんな。カエルを解呪してやると、ひっくり返った状態のアンブリッジが校長室の床に現れる。彼女は自分が人間……というかカエル人間に戻っていることを認識すると、顔を真っ赤にして私に文句を捲し立ててきた。何で怒ってるんだ? そこまで大きく変えたつもりはないぞ。

 

「こんな、こんな……こんな屈辱は初めてです! 違法ですわ! このことは今すぐにでも報告させていただきます!」

 

「あら、貴女が能力を示せって言ったんじゃないの。私にあるのは『魔法を使う程度』の能力なのよ。……それで、何処に報告するのかしら? 魔法法執行部? 闇祓い局? 魔法警察部隊? それなら私がレミィを通して連絡してあげましょうか? その方が早いしね。」

 

「それは……大法廷です! 大法廷に報告させていただきますわ!」

 

「それじゃ、ウィゼンガモットの『坊や』たちが現場検証をしに来るのを楽しみに待っておくわ。……連中がこんな場所まで来られるとは思えないけど。玄関の石段で躓いて死にかねないしね。」

 

そこまで言ったところで、尚も文句を放とうとするアンブリッジの口を魔法で塞ぐ。私は読書の時間を邪魔するヤツが一番嫌いなのだ。そして、こいつからはその臭いがする。ならば最初に釘を刺しておくのが肝要だろう。

 

「いい機会だから教えてあげる。この城に滞在するつもりならよく覚えておきなさい。私はダンブルドアのように優しくはないし、レミィのように『常識的』でもないの。理不尽で、陰湿で、残酷で、常識知らずな魔女なのよ。……だから貴女が何処から来た誰だろうと、私の邪魔をするなら一切容赦しないわ。お分りかしら?」

 

そこで魔法を解いてやると、アンブリッジは真っ赤な顔で口をパクパクしながら私を睨みつけた後、やがてドスドスという荒い足音で部屋を出て行ってしまった。……きっと良い運動になるだろう。用意したポートキーは片道だけだ。である以上、彼女がロンドンに帰るためには敷地の外に出て姿くらましをする以外に方法がないのだから。

 

「飛翔術が使えるといいんだけど。歩くと結構な距離よ?」

 

「……ええっと、よろしかったのですか? かなり怒っていたようですけれど。」

 

「怒ったところで何にも出来やしないでしょ。今の魔法省はレミィのオモチャよ。それに、私の読書を邪魔するヤツは嫌いなの。」

 

「はあ。」

 

同意とため息の中間くらいの声を出したマクゴナガルは、執務机に置いてあった羊皮紙の束を指差しながら口を開く。……ふむ? 何故かもう片方の手で額を押さえているな。頭痛持ちなのか? 可哀想に。

 

「それでは、教師たちから提出された来年度の授業計画やら補充品の確認やらは私がやっておきます。それと、在校生たちへの手紙と、新入生の案内と、霊魂課へのゴースト名簿の提出と、絵画の補修手続きと、水中人への連絡と、階段の点検と、しもべ妖精たちの担当箇所の割り振りなんかもお任せください。」

 

「素晴らしいわね、貴女はきっといい校長になるわ。……今からでもどうかしら?」

 

「『校長』でないと起動できない魔法もあるのです。今が有事な以上、私などよりもノーレッジさんが適任ですよ。」

 

「あらそう、残念ね。」

 

よく働く副校長だ。小悪魔なんかよりもよっぽど仕事が出来るじゃないか。私が後半を速読で終えた『マグル ~その歴史と愚かしさ~』を置いて、今度は『美容の求道者 ~これで貴女もケンタウルス系美女~』を手に取ったところで、マクゴナガルが恐る恐る伺うような口調で話しかけてきた。

 

「あの、防衛術の方は大丈夫なんでしょうか? もちろん私は心配しておりませんが、出来れば授業計画なんかを見せていただけると安心できるのですけど……。」

 

「ああ、それなら……はいこれ。」

 

「あー……これは?」

 

「使う教科書のリストよ。生徒たちに準備させて頂戴。」

 

言いながら私が差し出した羊皮紙を見て、マクゴナガルは何故か物凄く困ったような表情になった後、かなり慎重な感じで語りかけてくる。……何だよ。もっと感心した顔になると思ってたぞ。

 

「その、これはさすがに多すぎるのではないでしょうか? 私が見る限りでは、各学年で十五冊以上あるように見えるのですけれど。……七年生は二十冊もありますね。」

 

「正確には二十三冊よ。かなり絞り込んだ結果がこれなの。どれもこれも絶対に必要な本だわ。」

 

「ええ、勿論そうでしょう。私は一切疑っておりません。しかし、これだけの量となると金銭面で負担をかけることになってしまいます。……どうにか二冊か三冊には抑えられませんか?」

 

むう、金の問題があったか。そういえば本は買う物だったっけ。しかし、三冊だなんて不可能だぞ。……ホグワーツの食事を質素にする代わりに、その金を本に回せないかな? ダメか。さすがにダンブルドアに怒られちゃいそうだ。

 

私なら喜んで受け入れるのに。不満に思いつつも、困り顔のマクゴナガルへと譲歩の言葉を放った。

 

「一学年あたり十冊に抑えるわ。それでどう?」

 

「五冊では無理ですか? それなら何とかなるはずです。」

 

「……七冊よ。これが限界。これ以上は絶対に無理。」

 

「……分かりました。一学年あたり七冊。それでいきましょう。」

 

ぐぬぬ、結構削られてしまった。……まあいいさ。七ってのは縁起がいいし、七冊あればギリッギリなんとかなるはずだ。もう一度絞り込みをやらなければいけないな。

 

脳内で『総当たり教科書トーナメント』を開きながら、マクゴナガルに向かって最後の抵抗を投げかける。

 

「一応、残りも推薦図書として載せておいて頂戴。賢い学生はそれで買うはずよ。私が選んだ本にはそれだけの価値があるわ。」

 

「分かりました。……では、私は仕事に戻らせていただきます。」

 

「はいはい、頑張ってね。」

 

ぺこりと一礼して校長室を出て行ったマクゴナガルを見送り、再び本へと意識を戻す。……ケンタウルス系美女ってのは『馬っぽい』っていう意味じゃなくて、『ケンタウルスの女性のような顔』ってことだったのか。

 

確かにあの種族は美形揃いだし、目指す目標としては悪くないな。ただし、美容関係の魔法に関しては出鱈目が多すぎるぞ。『髪をツヤツヤにする呪文』として縮毛呪文が載っているのがなんとも間抜けだ。

 

うん、これは奥の本棚に回そう。間違いは良くない。……さて、次は『欧州呪文史』か。タイトルはいいぞ。こういう端的なタイトルのやつは、中身が充実している場合が多いのだ。

 

紙を捲る感触と音、等間隔に並ぶ文字、羊皮紙独特の匂い。それらに安らぎを感じつつ、パチュリー・ノーレッジは本の世界へと沈み込んでいくのだった。

 



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閉心術

 

 

「……おや、キミだけかい? 魔理沙。」

 

トランクの中の小部屋に姿あらわししたアンネリーゼ・バートリは、ソファに寝っ転がってお菓子を食べている魔理沙に声をかけていた。ふむ? 魔理沙が来ててハリーが遅れるってのは珍しいな。

 

七月中旬。今日も二人の特訓のために、ハリーに渡したトランクの中の小部屋を訪れたのだ。ちなみに姿あらわしがまだ使えない魔理沙は、マーガトロイド人形店から煙突飛行で通ってきている。この前なんかはフルーパウダーの消費が一気に増えたと嘆いていた。

 

一応、安全面も考慮済みだ。レミリア曰く、従来のものからは独立した煙突ネットワークに組み込んであるらしい。詳しい仕組みはさっぱり分からんが、紅魔館と人形店の暖炉からのみ煙突飛行でこの場所に出られるようになっているんだとか。

 

当然ながら私のベッドやら衣装棚やらはハリーに渡す時に運び出しているので、部屋の中にはティーテーブルとソファ、そしてハリーの箒整備グッズや、魔理沙が持ち込んだ標的代わりのクッションなんかが転がるばかりだ。……この部屋は本当に『模様替え』が多いな。パチュリーの頃から通算すると何度したか分からんほどだぞ。

 

もう慣れっこなのだろう。いきなり姿あらわししてきた私に驚くこともなく、魔理沙はソファに寝っ転がったままで返事を寄越してくる。……うーむ、将来が心配になるほどに乙女らしからぬ姿勢だ。魔法より先に慎みを教えるべきかもしれんな。

 

「おっす、リーゼ。私も五分くらい前に来たばっかだけど……ハリーが遅れるのは珍しいよな? 様子を見に行った方が良くないか?」

 

「そうだね。私がこっそり呼びに行ってくるから、キミは練習の準備を進めておいてくれ。」

 

「へいへい、了解だぜ。」

 

魔理沙の軽快な返事を背に、小部屋を出て階段を上る。キングズクロス駅でした約束の通り、ハリーの閉心術と並行して彼女にも杖魔法を教えているのだが……まあ、そっちは然程苦労していない。やってることは星見台での延長線だし、基礎を教えれば勝手に自主練に励んでくれるのだ。

 

ちなみに、三日に一度くらいのペースで咲夜も特訓に参加している。頻度が少ないのはエマに『メイド道』の修行を受けてるからだそうだ。……後で内容の聞き取りを行う必要があるな。絶対に変なことを教えてるぞ。

 

美鈴とは別ベクトルで頼りにならない使用人のことを考えながら、突き当たりにある梯子を上って落とし戸をノックしてみれば……んー、返事が返ってこない。居ないのか?

 

妙だな。何たって、ハリーはこの練習と箒の整備だけを楽しみに夏休みを過ごしているようだったのだ。である以上、何の理由もなくすっぽかすとは思えない。また『ダーズリー関係』のトラブルでも起こしたか?

 

「ハリー? 居ないのかい?」

 

呼びかけながらも戸を開けて、トランクの中からひょこりとハリーの部屋へと顔を覗かせるが……やっぱり無人だ。恐らくダーズリー家で一番狭い寝室の中には、無人の静寂が広がるばかりだった。

 

困ったな。ハリーには別に入っても構わないと言われてはいるのだが、主人不在の私室に入るのはなんか気が引けるもんだ。……『侵入』を躊躇う吸血鬼? 我ながら意味不明だぞ。

 

自嘲しながら部屋の中へと足を踏み入れると、ポールハンガーにかけられたカゴの中の白ふくろうがキーキー鳴いて威嚇してきた。なんだよ、羽毛饅頭め。防犯のつもりか?

 

「やあ、羽毛饅頭。キミのご主人様はどこだい?」

 

何の気なしにダメ元で問いかけてやれば、羽毛饅頭はやけに人間味を感じるジト目になった後……壁? じゃないな、外ってことか? 庭がある方向を嘴で指し示す。

 

ふむ、行ってみるか。能力で姿を消してから、またしてもキーキー鳴き始めた羽毛饅頭を背にドアを開けると、埃一つないダーズリー家の廊下が見えてきた。魔法なしでこの清潔さを保つのは大変だろうに。

 

あるいはマグルの便利な掃除用具があるのかもしれない。考えながらも階段を下りて、そのまま玄関を抜けると……何してるんだ? 庭先に屈みこんで何かをしているハリーの姿が目に入ってくる。ひょっとして、名付け親のモノマネか?

 

「やあ、ハリー。パッドフットごっこかい? あの不良中年の真似をしてると、ご近所の評判が悪くなっちゃうぞ。」

 

「わっ……リーゼ? そこに居るの?」

 

「ああ、ここの家主に姿を見られると厄介なことになりそうだからね。魔法で姿を消してるんだ。」

 

厳密に言えば能力だが、ひっくるめれば魔法のジャンルだろう。近付きながら言ってやると、ハリーは私の『居るであろう』方向を見ながら説明を寄越してきた。……そこには誰も居ないぞ、ハリー。まだまだだな。

 

「スプリンクラーを直してたんだよ。バーノンが帰ってくるまでに直さないと、『また』夕食抜きにされるんだ。……ひょっとして、もう練習の時間になっちゃってた?」

 

「その通り。『すぷりんくらー』が何なのかは知らないが、引っこ抜いて持ってきたまえよ。小部屋で修復呪文をかけたほうが早いぞ。」

 

「そっか、その手があったか。……何で僕は思い付かなかったんだろ? そしたら一時間以上も暑い中で格闘しないで済んだのに。」

 

一時間もやってたのか。かなり情けない顔で呟いたハリーは、立ち上がって伸びをしてから口を開く。

 

「うん、練習が終わったら外して小部屋に持ってくよ。……ねえ、トランクの中みたいに、家の中でも魔法が使えるようには出来ないの? そしたらかなり助かるんだけど。」

 

「可能不可能で言えば可能だろうが、私にはどうにも出来ないんだよ。夏休み中は素直に諦めたまえ。……ほら、行くよ。魔理沙も既に到着してるんだ。」

 

「……それじゃ、行こうか。」

 

かなり残念そうに付いてくるハリーに心が痛むが、私は『臭い』を防ぐ魔法を使えないのだ。私が知る限りでそれを使えるのはパチュリーとアリスだけで、パチュリーはホグワーツを離れられないし、アリスは元教師として未成年が自由に魔法を使える状況を是とすまい。

 

それにまあ、魔法が検知されるってのは安全策の一つにもなるわけだし。考えながらも再び戻ってきたトランクに飛び込んで姿を現すと、ようやく私の姿を認識したハリーが梯子を降りながら話しかけてきた。

 

「今日も閉心術の練習をするの? ……あのさ、今日だけは他の呪文にしない? 何ならもう習得済みのやつでもいいから。武装解除とか。」

 

「当然、ダメだ。説明しただろう? キミが閉心術を身に付けない限り、私やダンブルドアはキミに何も話せないんだよ。……話せないその理由すらもね。それでも構わないっていうなら他の呪文にするが。」

 

「……分かったよ、頑張る。」

 

閉心術の練習は嫌だが、秘密にされ続けるのはもっと嫌なのだろう。飴と鞭……じゃないな。鞭と棘付き鞭ってところか。それなら誰だってただの鞭を選ぶはずだ。

 

嫌そうなハリーに肩を竦めながら小部屋へのドアを抜けると、お菓子片手に準備を進めていた魔理沙が声を放ってきた。太っちゃうぞ、魔女っ子。

 

「おう、遅かったな。」

 

「ハリーを『刑務作業』から救出してたのさ。……さて、それじゃあ今日は防衛呪文だ。先に呪文と振り方を教えるから、ハリーにいつもの『尋問』をする間に練習しておいてくれ。」

 

「へいへい、お手柔らかにやってやれよ?」

 

「それは保証しかねるね。」

 

まあ、正直なところ魔理沙の存在は結構助けになっている。始めてみて分かったことだが、二人っきりで閉心術の練習というのは中々に気が滅入るもんだ。魔理沙の賑やかしが無ければもっと暗い雰囲気になっていただろう。

 

プロテゴ・トタラム(万全の守り)。……ゆっくりと、小さく三角を作るように杖を動かすのがコツだ。土地や物にかける防衛呪文だから、その辺のクッションにかけまくってみてくれ。」

 

「小さく、三角だな。……分かった、練習しとく。」

 

教わる時だけはやけに素直な金髪ちゃんに苦笑しつつ、今度はソファに座るハリーへと向き直った。……さて、ここからが本番だ。そろそろ取っ掛かりくらいは掴んでくれよ?

 

「それじゃあハリー、そっちも準備はいいかい?」

 

「ちょっと待って。心を空っぽに……うん、いいよ。」

 

「結構。では……レジリメンス(開心)!」

 

杖を向けながら集中して、ハリーの心へと入り込む。……実際のところ、開心術というのは非常に難しい呪文だ。人間の『心』というのはそう分かり易い構造をしているわけではない。まるで……そう、立体的な多重構造の迷路のような感じになっているのだ。

 

故に、開心術を使う時は真実薬を併用することが多い。あれを使うことで迷路をより簡単にして、心の奥底に隠されている秘密へとたどり着き易くするわけだ。……あるいはまあ、磔の呪文を使う時もあるらしいが。繰り返し拷問することで心の抵抗力を削ぐとかなんとか。

 

とにかく、何を言いたいかというと……まあ、うん。私は開心術があまり上手とは言えないのである。そもそも妖怪と人間とでは『心』の構造が異なっているし、この呪文はあんまり使う機会が無いのだ。昔よりは若干上手くなっている気はするが、それでも新米開心術師よりちょびっとマシくらいの腕前だろう。

 

そして、そんな私に侵入を許している以上、ハリーの閉心術はまだまだだということだ。杖を下ろして集中を解き、掘り出した『記憶』についてハリーへと質問を投げかけた。今回のも中々に意味不明な光景だったな。

 

「……ダーズリー家では昔犬を飼ってたのかい? バーノンはあまり動物が好きそうな雰囲気じゃなかったが。」

 

狂犬病を疑うほどに獰猛なブルドックと、それに追い回される小さなハリー、そしてそれを大爆笑して見ている従兄。謎の光景について首を傾げる私に、ハリーはバツが悪そうな表情で答えを寄越してくる。

 

「あれはマージおばさんの犬だよ。九歳くらいの時に追い回されて、庭の木の上に逃げたんだ。そしたら、急に屋根の上に移動しちゃってて。……今だから分かるけど、無意識に魔法を使ったんじゃないかな。」

 

「なるほど。例の『風船おばさん』の犬か。道理でアホっぽい見た目だったわけだ。」

 

今度ブラックにでも仕返ししてもらうのがいいかもな。あいつなら喜んでやるだろう。どうでもいいことを考えながら返事を返したところで、クッションの要塞化を推し進めている魔理沙が声を放ってきた。

 

「プロテゴ・トタラム。……風船おばさんってなんだ? バルーンアートとかをやってる人なのか?」

 

「ハズレだ、魔理沙。バルーンアートに『なった』人なのさ。……フリペンド。ほら、全然防げてないぞ。」

 

「むぅ……これって本来はどうなるんだよ?」

 

「成功したら盾の呪文よろしく防ぐし、見習いレベルでも逸れていくはずだ。……まあ、かなり難しい呪文だからね。気長にやりたまえ。」

 

吹っ飛んでいった哀れなクッションを見つめる魔理沙に声をかけてから、再びハリーに向き直って杖を構える。……そんなに嫌そうな顔をするなよ、ハリー。私だって楽しんでるわけじゃないんだぞ。

 

「集中だ、ハリー。心の中に空っぽな場所を作って、私の意思をそこに誘導するんだ。それ以外の場所に入ろうとしたら跳ね除けながらね。」

 

「うん、頑張るよ。……もうこれ以上恥ずかしい秘密を知られるのは嫌だしね。」

 

「なぁに、十歳の時の『アレ』がピークさ。あれ以上恥ずかしいってのは中々無いと思うよ。」

 

「……慰めの言葉をありがとう、リーゼ。もし君からあの記憶が消えるなら、僕はグリンゴッツの金庫を空っぽにしたって構わないよ。あるいは、スクリュートをペットにしたっていい。」

 

いやまあ、確かにそのくらいの恥ずかしさだったはずだ。あの記憶を『見ちゃった』後は、私でさえ気まず過ぎて声をかけられなかったほどなのだから。……ハリーは真っ赤になって床をゴロゴロ転がってたし。

 

思春期の少年には辛過ぎる練習に同情を送りつつも、再びハリーに向かって呪文を放つのだった。

 

「レジリメンス!」

 

───

 

そして数度の『発掘作業』が終わり、私とハリーの間の空間が気まずさで支配された辺りで、見兼ねた魔理沙の提案を受けて一度休憩することになった。……早く習得してくれ、ハリー。こんなもん私まで恥ずかしくなってくるぞ。

 

「でもよ、意外だよな。スキーターがこういう記事を書くとは思わなかったぜ。……えらく『まとも』じゃんか。」

 

私が持ってきた昨日の夕刊予言者新聞を見ながら言う魔理沙に、ブルーベリーパイを切り分けているハリーが返事を返す。夏休み中のハリーの食生活を改善するために、練習の時は毎回エマに軽食を用意してもらっているのだ。そして彼の食いつきを見る限り、その選択は大正解だったらしい。

 

「うん、対抗試合の時とは大違いだよね。大陸との連携が大事だとか、家庭でも出来る防犯の心得とか……確かにまともだ。頭でも打ったのかな?」

 

「なぁに、スキーターはレミィと『提携』したのさ。今じゃ悪しき吸血鬼お抱えのジャーナリストだよ。一介のゴシップ記者から、政府のプロパガンダ担当に昇進したってわけだ。」

 

「おいおい、それって……怖えな。裏取引ってやつか?」

 

「ま、ウィンウィンの関係みたいだけどね。実際にスキーターの評価は上がってるわけだし、本人もきっとご満悦だと思うよ。」

 

死喰い人の『襲撃リスト』入りしたのは間違いないだろうがな。引きつった顔で言ってきた魔理沙に肩を竦めて返したところで、ハリーが美味そうにブルーベリーパイを食べつつ質問を放ってきた。

 

「んー……でも、あんまり大きな事件は起きてないみたいだね。僕、もっと分かり易い戦いになると思ってたよ。こう、『戦争』って感じに。」

 

「そりゃまあ、いつかは大きな戦いが起きるかもしれないが……まだ暫くは『陣取り合戦』が続くと思うよ。リドルもバカどもを取り纏めるのに一苦労だろうしね。」

 

「それが終わったら、ようやく始まるってこと?」

 

「残念ながら、それ以前にも小出しで『テロ行為』をやってくる可能性は高いかな。戦争以下、事故以上くらいなのをね。姿あらわしという魔法が存在してる以上、それが向こうにとって一番の戦法なのさ。」

 

小さなテロ行為を頻発させるのはヤツの常套手段だ。積み重なる恐怖と不安によって連携を引き裂き、抗おうとする気力を失わせる。前回の戦争の光景を思い出す私を他所に、魔理沙が小さく鼻を鳴らしてから声を上げた。

 

「ふん、そうそう上手くいかないと思うけどな。レミリアがその為の法案を通したんだろ? あの、有事における魔法戦士……緊急なんちゃらってやつ。」

 

「その通り、そこが前回との違いさ。前回のイギリスはバラバラだった。騎士団と魔法省はそれぞれ別個に戦っていたし、民間の魔法使いたちも為す術なく閉じ籠ってるしかなかったんだ。……だが、今回はそうじゃない。ダンブルドアの言葉を借りるのは癪だが、団結したイギリスは確かに強いぞ。リドルもこれを突き崩すには苦労するはずだ。」

 

「騎士団って?」

 

おっと、そこを教えてなかったか。質問を放ってきた魔理沙は元より、ハリーもパイをモグモグしながら首を傾げてしまっている。名前くらいは聞いたことがあるようだが、詳細はまだ教わっていないのだろう。

 

ハリーは三年生の時にフランから聞いているとばかり思っていたが……うーむ、戦争の話はあまりしなかったのかもしれんな。それならこの際さわりだけでも教えておくか。無論、リドルに伝わったらマズい情報は省かねばならないが。

 

「正式名称は『不死鳥の騎士団』といってね。ハリーや咲夜の両親、フラン、ブラック、ルーピン、それに勿論ダンブルドアやレミリア、アリス。後はキミたちが知っている人物だと……ウィーズリー夫妻や『本物の』ムーディ、ハグリッドに次期魔法大臣のボーンズ。あの辺が所属してた、前回の戦争時の抵抗組織だよ。」

 

「へぇ……なんか、知ってるヤツが多いな。それとも人数がそもそも多かったのか?」

 

「いや、そこまで多くはなかったかな。知り合いが多いのは、レミィやハリーの両親との繋がりがあるからだと思うよ。……勿論、咲夜ともね。」

 

興味が出てきたらしい魔理沙の質問に答えたところで、今度はハリーがフォークを置きながら質問を放ってきた。その顔は魔理沙と同じく、興味の色に彩られている。

 

「フランドールさんやシリウスから軽くは聞いてたけど……そっか、その人たちが僕を守ってくれてたんだね。」

 

「そういうことだね。ただまあ、本当に詳しく話すのは閉心術をマスターしてからだ。旧団員の中には、今まさに任務に当たってる魔法使いもいるからね。」

 

「うん、分かってる。分かってるけど……話せるところまででいいんだ。パパとママの話、少しだけ聞かせてくれないかな? ルーピン先生が話せなかったところも、今なら話せるでしょ?」

 

やっぱりそう来たか。私は守人だったのでムーンホールドには入れなかったし、そこまで騎士団について詳しいわけではないのだが……こんな顔をされたら無下にも出来まい。なんとか記憶を掘り起こすことにしよう。

 

身を乗り出す二人に苦笑しながらも、紅茶を淹れ直してから口を開いた。

 

「その頃の私は表立って動いてたわけじゃないから、あくまでレミィやフラン、アリスあたりから聞いた話になるよ? ……そうだな、それなら先ずは──」

 

思ったよりも長い休憩になりそうだな。今ではずっと昔に感じられる戦いの記憶を思い出しながら、アンネリーゼ・バートリはなるべく陰惨な場面に触れないように語り始めるのだった。

 



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バルコニー・ミーティング

 

 

「それで、どうだったのよ? マクーザ側の感触は。」

 

アトリウムに張り出している地下二階のバルコニーから身を乗り出して、レミリア・スカーレットは遥か下を見下ろしながら質問を放っていた。立ち並ぶ暖炉に出たり入ったりする魔法省の職員たち。ここから見てるとアリンコが忙しなく働いてるみたいだな。

 

私の背中越しの質問を受けたロビン・ブリックスは、かなりオドオドとした口調で答えを寄越してくる。……まあ、無理もなかろう。アメリア・ボーンズ、ルーファス・スクリムジョール、そしてアラスター・ムーディ。バルコニーに設置された丸テーブルに同席しているのは、どいつもこいつも癖のあるベテランばかりなのだから。

 

「はい、あの……思っていたよりも好感触でした。どうもリトアニアの大臣が事前に話を通してくれたようでして。ほぼこちらの条件通りで合意した形になります。」

 

「あら、リトアニアも粋なことをするじゃないの。後でお礼を言っとかなくちゃね。」

 

つまり、国際魔法協力部が行なっている外交の経過報告を受けているのだ。勿論ながらブリックスは部内でも下っ端で、本来こういう場で報告をするような役職じゃないわけだが……押し付けられたのか? この面子相手の報告なんてどう考えても貧乏くじなわけだし。

 

ちなみに、コーネリウスが同席していないのは未だ敵視されているからではなく、彼が全てを『放り投げた』からだ。奸臣たちがすたこらさっさとウィゼンガモットの直下組織に逃げ込んだことで、遂に彼も自分の置かれた状況に気付いたらしい。利用され、挙句見捨てられたことに。

 

以来、コーネリウスは抜け殻のようになってしまった。私やボーンズの言葉にうんうん頷き、言われるがままにサインして、暇になったら虚空を見つめながらボーッとするだけ。……本物のお人形大臣の誕生というわけだ。

 

今日も沈んだ顔で登省して、サインを書く人形と化しているコーネリウスのことを考える私を他所に、ボーンズが怜悧な視線をブリックスに向けながら口を開く。……やめてやれよ。ビビっちゃってるぞ。

 

「『ほぼ』ということは、条件通りに纏まらなかった点もあるということですね?」

 

「そうなります。……あの、すみません。」

 

「謝罪は結構。詳細を教えてくれますか?」

 

「はい。詳しく書かれた書類を持ってきていますので……ええっと、少々お待ちください。確かここに……あれ? 持ってきたはずです。絶対に、絶対に持ってきたはずなんです。何度も確認しましたから。」

 

焦った表情で鞄の中身をテーブルにブチまけるブリックスを見て、全員が……じゃなくて、ずっと仏頂面のムーディ以外が呆れた表情になってしまった。初々しいと捉えるべきか、単なるドジと捉えるべきか。うーむ、微妙なところだな。

 

ブリックスら国際魔法協力部がやっているのは、つまりは私の『後追い外交』だ。とりあえず私が各国に協力の約束を取り付けて、彼らがその詳細を詰めているのである。大枠の合意を得た後も決める事は山ほどあるのだから。

 

人員を派遣してくれるのか、それはどのくらいの人数なのか、指揮系統はどうなるのか。滞在場所、危険手当、期間、支給品。そういう細々としたところを、彼らにぶん投げているというわけだ。

 

お陰で国際魔法協力部は空前の激務状態に突入しているらしい。……まあ、クラウチが居なくなったこともかなりのウェイトを占めていそうだが。どうもあの部署は彼に頼りすぎていたようだ。

 

クラウチは面倒見が良いってタイプでもなかったし、周りが無能過ぎて自分でやった方が早いと判断したのかもしれないな。私が新たな『改善点』に頭を悩ませながらテーブルに戻ったところで、ようやく書類とやらを探し当てたブリックスが全員にそれを渡してきた。

 

「……ああ、これです! やっぱりありました!」

 

「そうね、やっぱりあって良かったわね。……へぇ、重要な部分は殆ど通ってるじゃない。撥ねられてるのはダメ元で頼んだ箇所ばっかりだわ。」

 

「……しかし、リセット部隊の派遣はやはり断られましたか。死喰い人がマグル界の街中で騒ぎを起こせば、忘却術師が足りなくなるのは目に見えています。マクーザが派遣してくれれば助かったのですが。」

 

「仕方のないことでしょう。向こうでも日々事件は起こっているはずですし、貴重な忘却術師まで要求するのは高望みしすぎというものです。……大陸と連携を取って大きな部隊を共同使用するのがいいかもしれませんね。」

 

書類に目を通す私、スクリムジョール、ボーンズが相談し始めたところで……そら来たぞ。ムーディがクソ長い杖で机をコンコンしながら文句を言い始める。被害妄想ショーの開幕だ。

 

「なんだこれは。入国直後の身元確認については何処にいった? わしの提案事項が一切載ってないぞ? ぇえ?」

 

「あのね、ムーディ。貴方ならどう思うかしら? 善意で他国への援軍として来てみれば、いきなり真実薬を飲まされた挙句に開心術で身元の確認をされて、暴露呪文やら闇の魔術検知棒やらで隅から隅まで調べまくられたら? 嫌になって帰りたくならない?」

 

「ならん。見事な入国検査だと感心するだけだ。」

 

「ああ、そう。……でも、普通はそうじゃないの。普通なら怒るし、帰るし、文句を言うのよ。『普通』ならね。」

 

下手すれば外交問題になりかねんぞ。検知棒と暴露呪文のあたりがギリギリ実行可能なラインなのだ。それ以上は『失礼』とかいうレベルではなく、『権利侵害』なのだから。

 

私の『常識』についての説明を受けたムーディは、欠片も納得していない様子で捲し立ててきた。

 

「お前も大概平和ボケしているらしいな、スカーレット。成り代わりは闇の陣営の得意手段だ。グリンデルバルドがそれでマクーザに侵入したのは有名な話だろうが? 一度はあった。ならば二度目も起こり得る。そうは思わんか?」

 

「ええ、重々承知してるわ、ムーディ。何せ貴方が数ヶ月前に『身を以て』証明してくれた手法だしね。だから魔法省に入省するときは検知棒でチェックするし、入国後にはちゃんと暴露呪文での検査を受けてもらうわよ。……当然、事前にきちんと理由を説明した上でね。貴方の提案書だとそこが完全に抜け落ちてたわよ?」

 

「ふん、事前に知らせる検査などに何の意味がある? 抜き打ちでやるからこそ意味があるんだろうが。……油断大敵! 忘れるな!」

 

いきなりの大声にブリックスが飛び上がって椅子からずり落ちるが、他の面子は涼しい顔だ。私とボーンズは騎士団の時にうんざりするほど聞いたし、スクリムジョールは闇祓い局で『決め台詞』には慣れてしまったらしい。

 

「し、失礼しました。」

 

少し顔を赤くして席に戻るブリックスへと、今度はスクリムジョールが質問を放った。ムーディの提案は流すことに決めたようだ。よし、今度から私もそうしよう。

 

「マクーザとの交渉に関しては大枠を理解した。では、アフリカの大評議会からの派遣に関してはどうなっているのかね?」

 

「あー、えっと……それに関しては、僕はよく知りません。……あの、すみません。確認してきましょうか? 走って行ってきますから、僕。」

 

うーん、可哀想に。真っ青な顔で縮こまるブリックスは、額に汗を浮かばせながらペコペコ頭を下げている。きっとロクな説明も受けずに伝書ふくろう代わりにされたのだろう。

 

あんまりな答えに少しだけ額をムニムニしたスクリムジョールだったが、一度息を吐き出すと別の質問をブリックスに投げかけた。……これといって『怒ってないよアピール』はしてあげないようだ。残念。

 

「いや、それには及ばん。後でこちらから確認の人間を送ろう。……それでは、ルーマニアはどうなっているのかね? 犯罪者引渡し条約に関しての交渉が難航していると聞いたが。」

 

「ああ、それなら分かります! どうも、ルーマニア魔法省はソヴィエト議会の目を恐れているようでして。本心の方ではむしろイギリス寄りの──」

 

急に元気を取り戻したブリックスの説明を聞きながら、再び席を立ってバルコニーの手摺に寄りかかる。……やっぱりソヴィエトが厄介だな。あの国はデカい。だから当然魔法使いも多い。おまけに内乱が多いせいで、戦い慣れた実働部隊を所有しているというオマケ付きだ。

 

これに関してはリーゼに任せた『大駒』の影響力に期待するしかないだろう。こちらも深手を負いかねない諸刃の剣だけに、本当は動かしたくなかったんだが……リドルに使われる可能性だってあるのだ。敵でも、味方でも、中立でも厄介な大駒か。うんざりしてくるぞ。

 

「えっと……つまり、ルーマニアは『保険』が欲しいようなのです。万が一向こうの議会から圧力をかけられた時、こちらが盾になるという確約が。それさえあれば──」

 

ふむ、この分ならルーマニアはどうにかなりそうだな。ブリックスの拙い説明を背に、アトリウムを見下ろしながら考えていると……おお? 奥の暖炉から見覚えのある姿が出てきた。ローブがイギリス魔法界一似合う男、アルバス・ダンブルドア閣下だ。

 

ゆったりとした動作でアトリウムを進んでくるダンブルドアに、道行く職員たちが次々に声をかけている。ある者は朗らかな顔で、ある者は尊敬の表情で、そしてある者は驚いたような雰囲気で。きっと魔法省に彼が居ることが珍しいのだろう。

 

うーむ、気になるな。ダンブルドアが城をパチュリーに預けて何をやっているのかは、私も詳しく聞かされていないのだ。ダンブルドア本人には答えをはぐらかされるし、知っている様子のパチュリーも何故か教えてくれない。

 

『分霊箱の件を解決するため』というのが唯一知らされている理由なわけだが……それならこっちとも連携を取ったほうがいいだろうに。何を隠しているのやら。

 

……ええい、ここで眺めていても仕方がない。どうして魔法省に来たのかも気になるし、話をしに行ってみるか。思い付きを行動に移すべく、整然とは言えない説明を受けているテーブルの方へと言葉を放った。

 

「ちょっと私は用事が出来たから、会議の結果は後で教えて頂戴。懸案事項があるならその時に答えを出すわ。」

 

「それは構いませんが……用事、ですか?」

 

「ええ、徘徊老人を見つけちゃってね。彼にちょっと話があるの。」

 

問いかけてきたボーンズに適当な返事を返してから、ふわりと浮いてアトリウムへと飛び降りる。……これ、飛翔術で各階のバルコニーに侵入されたりしないのかな? 『ハロウィンの悲劇』の時はお行儀良く階段を使ってたみたいだし、妨害魔法でもかかっているのだろうか?

 

後で魔法省の緊急防衛マニュアルを確認しておこうと決めつつも、和の泉を眺めているダンブルドアの隣にゆっくりと着地すると、彼は一切驚いた様子もなく私に挨拶を寄越してきた。上からカリスマ溢れる吸血鬼が降ってきたんだから、ちょっとくらいは驚けよな。

 

「これはこれは、スカーレット女史。お仕事中ですかな?」

 

「久し振りね、ダンブルドア。……まあ、そんなところよ。二階のバルコニーでボーンズたちと話し合ってたの。そしたら貴方が歩いてるのが見えてね。」

 

「ほっほっほ、忙しそうですのう。そういえば、アメリアは八月から大臣に就任するとか。なんとも頼もしい限りじゃ。」

 

「あのね、隠居ジジイみたいなこと言ってる場合じゃないでしょ。……それで、今日は何しに来たの?」

 

エレベーターに向かって歩き出したダンブルドアに続きながら聞いてみると、彼は地面を指差して答えを返してくる。

 

「実は大法廷に用がありましてな。ちょっとした『クレーム』を伝えに来たのですよ。」

 

「……ウィゼンガモットに文句を言うのは大賛成だけど、普通に門前払いを食らうと思うわよ?」

 

私やボーンズ、スクリムジョールなんかと同じように、『ただ今外出中』で追い払われるのがオチだろう。……ちなみに唯一ムーディだけは追い払われないので、どうしても押し通したい書類なんかがある時は彼を派遣するのが暗黙の了解になっている。あの目玉相手では居留守を使うのは難しいのだ。

 

「それでも、何もしないよりかは良いはずです。無言で譲歩し続ければ際限なく要求されますからな。せめてこれっきりにしていただかなくては。」

 

「なんか、結構怒ってるみたいじゃない。何についての文句を言いに来たの?」

 

一度もセキュリティチェックなど受けたことの無い守衛室を抜けながら聞いてみると、ダンブルドアは困ったような表情で『クレーム』の内容を語り始めた。

 

「それが、『魔法教育促進委員会』という部署からホグワーツに監査員なる役職の方が派遣されてきたのです。無論、怪しい人物でないことは確認済みなのですが……その監査員が、マダム・アンブリッジだったのですよ。」

 

「……何よそれ。」

 

思わず足を止めて問い返す。そんな報告は一切上がってきていないぞ。私の目が細まってきたのを見て、ダンブルドアが少し驚いたように言葉を寄越してきた。

 

「……これは、驚きましたな。ご存知なかったのですか?」

 

「ええ、初耳よ。そりゃあウィゼンガモット直下の、訳の分からない部署の所属になってるのは知ってたけど……嫌な感じね。やけに鮮やかな手口じゃない。外に出さずに大法廷で全ての処理を終えたのかしら?」

 

「そうかもしれませんな。……法的には拒絶出来ませんでしたので、来学期中は城に滞在することになっております。」

 

目線でどう思うかと問いかけてくるダンブルドアに、脳内で弾き出した答えを返す。問題はあるまい。……多分。

 

「鬱陶しいだけで、実際は何も出来ないはずよ。自治に介入しようとしても実行する手段に欠けてるわけだし、無理矢理やってこようとすればこっちだって突っ込めるわ。恐らく、監査の名目で貴方の失点探しをしてるだけでしょ。」

 

「それなら問題は無いのですが……まあ、ホグワーツにはノーレッジがおりますからな。何か強引な手を打ってこようとしても、彼女が止めてくれるはずです。」

 

「そうね、むしろやり過ぎないことを祈るばかりよ。……一応、後で執行部の法務担当に抜け穴がないかを確認させておくわ。大法廷はそこまでホグワーツに拘らないと思うけど、念には念を入れとかないとね。」

 

「おお、それは助かります。……そういえば、『手紙』は渡せましたかな?」

 

思い出したかのように話題を変えてきたダンブルドアに、こくりと頷いてから返答を放った。時間的に考えると、正に今頃渡しているはずだ。

 

「そろそろ届いた頃じゃないかしら。心配しなくても、運び手は信用できる人物よ。どっかに漏れたりはしないし、渡し損ねるってこともないはずだわ。」

 

「そちらは心配しておりませんが……どうやって外に連れ出すつもりなのですか? それに、『偽装』の方も。」

 

「そっちの心配も無用よ。ちゃんと根回ししてあるから。」

 

私の返事を聞いて小さく頷いたダンブルドアは、疲れたような表情でポツリポツリと呟き始める。私に話しかけながらも、自問しているかのような雰囲気だ。

 

「果たして、この選択は正解だったのでしょうか? 『彼』にも、そしてヨーロッパ魔法界にも。単に迷惑をかけてしまうだけの結果になるかもしれません。」

 

「正しいかどうかは知らないけどね。唯一の選択肢だったのは確かよ。……後悔してるの?」

 

「それが、自分でもよく分からないのです。死んで欲しくはありませんが、出来れば静かに余生を過ごして欲しかった。……ううむ、人生というのはままならないものですな。」

 

「どちらにせよ、選ぶのは彼よ。私たちに出来るのは提案を送ることだけだわ。」

 

鬼が出るか蛇が出るか。今はまだ誰にも分からないのだ。肩を竦めて返した私に、ダンブルドアは首を振りながら口を開いた。

 

「そうですな、正しい選択であることを祈ることにしましょう。……では、わしは十階に行ってまいります。アメリアにもよろしくお伝えください。」

 

言うと、ダンブルドアはゆったりとした動きでエレベーターの中へと消えて行ってしまう。……ま、そっちの担当はリーゼだ。私は既に賽を投げた。であれば、後はあのペタンコの手管に期待するしかあるまい。

 

それより、私は私の『仕事』をすべきだろう。もしウィゼンガモットが強引な手段でアンブリッジを派遣したのであれば、それを叩いて叩いて叩きまくらねばならないのだ。政治でマウントを取るためにも、そしてストレス発散のためにも。

 

ついでにスキーターに連絡して記事でも書いてもらうか。『大法廷、不正な手段で教育への強引な介入!』とか、そんな感じの。……あのブン屋を使い始めてみて分かったが、紙面を自由に動かせるってのはかなり便利なのだ。やっぱりペンは強いな。相手を殴りつける時なんかは特に。

 

今日も元気に悪巧みをしながら、レミリア・スカーレットは自身の『城』で歩き始めるのだった。

 



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The Emperor

 

 

「……ん?」

 

分厚い鉄門の奥に転がっている看守らしき人間を見ながら、アンネリーゼ・バートリはかくりと首を傾げていた。奇抜な遊びが流行っているのではないとすれば、どうやら死んでいるようだ。幸先が悪い……いや、幸先が良いじゃないか。こうでなくてはな。

 

目の前には石造りの巨大な要塞が聳え立っている。嘗て『最悪の魔法使い』が本拠地として建設し、そして今では彼自身を閉じ込める監獄として利用されている場所。……懐かしき我が旧友、ヌルメンガードだ。ああ、友よ、壮健そうで何よりだぞ。

 

つまり、『お片付け』の話をするためにゲラートに会いに来たというわけだ。ああいう別れ方をしただけに、普通に再会するのは些か恥ずかしいとも思っていたのだが……ふむ、この分だと何かが起こっているようだな。ひょっとしたら結構ドラマチックな再会になるかもしれない。

 

そうなることを期待しつつ、『荷物』を引き摺って入り口へと歩き出す。夕日に照らされた地面が所々抉れているのを見るに、戦闘らしき何かが起こったようだ。しかも、つい先程。

 

ポツリポツリと倒れ伏す看守たちの死体を横目にしながら、重厚な石扉が開きっぱなしの玄関を抜けてみれば……おお、想像以上じゃないか。室内にも激しい戦闘の痕跡が見えてきた。看守の待機室っぽい場所なんかは跡形もなく吹っ飛んでいる。

 

看守らしき白い制服の連中と、見慣れた黒ローブに仮面付きのバカども。ボロボロの囚人服を着たヤツもいれば、黒いキッチリしたスーツの死体もある。うーむ、混沌としているな。死体の種類が多種多様だ。

 

死喰い人とゲラートの残党が侵入してきたようだが、どう見ても囚人と相打ちになっている死体もあるし……単純に脱獄させに来た訳でもないのか? 三つ巴でやり合った感じの雰囲気だ。

 

まさかゲラートは死んでないよな? ……まあ、大丈夫か。あの男が死ぬってのは何故だか想像出来ん。ダンブルドアと同じく、いつまでも生きているようなイメージがある。

 

生あるものが一人も居ない一階を抜け、バリケードの残骸が散らばる階段を上って行くと、やがて記憶より少し古ぼけた最上階への入り口が見えてきた。ちなみに姿は消してある。当然、『荷物』もだ。

 

階段の踊り場から最上階の廊下へと顔を覗かせてみると……おや、ようやく生きている人間に会えたな。年嵩の囚人たちが死体のお片付けをしているらしい。恐らく杖は奪い取ったのだろう。魔法で浮かせた死体を窓から外にぶん投げている。雑すぎないか?

 

死喰い人、黒スーツ、看守の死体を片付けているのを見るに、ヌルメンガードの戦いを制したのはこの年老いた囚人たちだったようだ。大穴だな。きっとバグマンですら予想出来なかったぞ。

 

その光景を横目に廊下をズンズン進んで行くと……おいおい、酷く老けたな。廊下のど真ん中で悠然と椅子に座っている、異質な老人の姿が見えてきた。慌ただしく動き回る他の囚人たちを横目に、前屈みになって手の中の杖を弄んでいる。

 

白い。陰惨な光景からただ一人浮き出ているかのような、ゾッとするほどに白い老人だ。純白の髪や髭は伸びっぱなしで、元々色素の薄かった肌も長い獄中生活の結果なのか更に白くなっている。……なんかこう、えらく現実感が無いな。パッと見では『人間』にカテゴライズしていいか迷うほどだぞ。

 

その端正だった顔は深い皺に覆われ、見窄らしい囚人服に身を包んではいるが……ふん、流石だな。灰色と黒のオッドアイは未だ支配者に相応しい力を保っているようだ。纏う雰囲気にもダンブルドアに負けず劣らずの威圧感がある。……我が古き盟友、ゲラート・グリンデルバルドがそこに座っていた。

 

ゆっくりとゲラートに近付くと、彼は顔を上げずにポツリと呟く。……覗く口元には僅かな苦笑を浮かべながら。

 

「久しいな、吸血鬼。」

 

うーむ、気配も姿も消してたはずなんだが……長い監獄生活で鋭敏になったか? 何事かと首を傾げる囚人たちを他所に、姿を現して返事を返した。勿論、ニヤニヤ笑いながらだ。こいつとの再会はこの顔じゃないとな。

 

「やあ、ゲラート。ピッタリ半世紀ぶりだね。元気そうでなによりだよ。」

 

「相変わらずの節穴だな。お前にはこれが元気な姿に見えるのか? ……よせ、古い盟約者だ。敵ではない。」

 

台詞の後半を聞いて、杖を構えていた囚人たちは疑問も挟まずにそれを下げる。なるほど。こいつらは嘗ての『狂信者』たちか。半世紀も牢獄に繋がれてなお、その忠誠心は些かも薄れていないようだ。

 

「しかし、何があったんだい? 私はもっと穏やかな再会になると思ってたんだがね。随分と面白い事態になっているじゃないか。……つれないな、パーティーを開くなら招待状を送ってくれよ。ファイア・ウィスキーでも持って駆けつけたのに。」

 

戯けるように問いかけてやると、ゲラートは鼻を鳴らしながら答えを寄越してきた。うんうん、懐かしい反応だ。ハリーたちとの穏やかな会話も心地良いが、偶にはこういう『殴り合い』もしなくちゃな。

 

「ふん、どうやら古い旗頭は邪魔のようでな。今更出てこられても困ると思ったのだろう。遥々こんな僻地にまで、『黙らせ』に来てくれたというわけだ。」

 

「そりゃまた、ご苦労なことじゃないか。……ただまあ、残念なことに成功はしなかったらしいね。こうして私はキミとお喋りを楽しんでいるわけだし。」

 

「嘆かわしい限りだな。今の若い連中は杖が無ければ魔法が使えないと思い込んでいるらしい。適当に奪ってやればこの有様だ。……いや、本当に嘆かわしい。魔法界にはいつからこんな馬鹿どもが蔓延るようになった?」

 

「どこもかしこも平和ボケしているのさ。……いや、平和ボケして『いた』と言うべきかな? 今はちょっと、平和とは言い難いしね。」

 

肩を竦めて言ったところで、囚人の一人が何処からか椅子を持ってきてくれた。気が利く連中じゃないか。『荷物』を横に置いて腰を下ろすと、ゲラートは物憂げにため息を吐きながら口を開く。

 

「それで、何故お前がここに居る? ……まさかとは思うが、今はこの能無しどもを『手駒』にしているんじゃないだろうな? だとすれば趣味が悪くなったと言わざるを得んぞ。」

 

「おやおや、ジョークが下手になったのかい? 私が駒に拘るタチなのは知っているだろうに。……いやぁ、キミの崇拝者たちが新しい『教主』を見つけたようでね。それに関しての話をしに来たんだよ。その様子だと何が起こっているのかは知ってるんだろう?」

 

問いかけてやると、ゲラートはうんざりしたような顔で頷いてきた。地の果てのようなこの場所にも、確かに届く報せはあるようだ。新聞でも差し入れてもらっているのだろうか?

 

「ああ、知っている。愚か者が俗物と手を組んだとか。これほどバカバカしい話は他にあるまい。『ヴォルデモート卿』だったか? ……信じられんな。どういう神経をしていたらそんな名前を名乗れるんだ?」

 

「お可哀想に、絶望的にセンスが無いヤツでね。……とはいえ、しぶとさだけは呆れるほどだ。ゴキブリ並さ。苦労させられているんだよ。」

 

組んだ足を揺すりながら言ってやると、ゲラートは少し意外そうな顔をした後……笑ってるのか? 出来の悪いジョークを耳にした時のように、呆れた感じでくつくつ笑い始める。他人の不幸を笑うとは失礼なヤツだな。

 

「お前が苦労させられているのか? 吸血鬼が? ただの人間に? ……ふん、度し難いな。どんなハンデを背負ってるんだ?」

 

「聞けば驚くぞ。信じられないほどの制限を課されているんだよ。キングでしかキングを取れない上に、犠牲を出すことも出来ないのさ。……おまけに駒が頻繁に命令無視をしてくる始末だ。たまに寝返ったり、すり替わったりもするしね。」

 

「それはそれは、愉快なゲームだ。精々見物させてもらおう。」

 

「それがだね、ゲラート。キミも既に盤上に立ってるんだよ。それはこの襲撃を見れば明らかだろう? 問題なのは、キミが赤でも黒でもないって点だ。白のままでは扱いに困るのさ。」

 

私の言葉を受けて、ゲラートは……ふむ、あんまり乗り気じゃないな。なんとも迷惑そうな顔になってしまった。

 

「俺はアルバスに負けた。それが全てだ。……故に、今更何かをしようとは思っていない。この古ぼけた要塞の中で、時代と共にただ朽ち果てていくだけだ。」

 

「おいおい、キミらしからぬ台詞じゃないか。自分の兵隊を好き勝手に使われてていいのかい? それに、あの言葉もだ。あれはヴォルデモートなんぞが使っていい言葉じゃないはずだぞ。」

 

言いながら地面を……ヌルメンガードの入り口がある方向を指差す。『より大きな善のために(For the Greater Good)』。ついぞ誰にも消すことのできなかった言葉が、今なおこの要塞の外壁には刻まれているのだ。

 

私の問いかけを受けたゲラートは、少しだけ逡巡する様子を見せるが……むぅ、頑固者め。結局首を振りながら答えを返してきた。

 

「俺は過去なんだ、吸血鬼。あの日、アルバスに負けたあの日、ゲラート・グリンデルバルドは死んだ。自らの理想と共にな。……お前にも分かっているだろう? あれはそういう決闘だったんだ。今ここにあるのは、嘗て理想を求めた男の亡霊に過ぎん。……亡霊が歩き回るべきではない。それは間違っている。」

 

いつの間にか囚人たちも作業の手を止めて、ゲラートの言葉に耳を傾けている。誰も彼もが口惜しそうな表情だが、それでも黙して言葉を発しようとはしない。彼らはゲラートの言葉を正しく理解しているようだ。

 

……『亡霊』ね。それもいいだろう。この忠心深い囚人たちと同じように、私にだってあの決闘の意味は理解出来ている。あれがゲラート・グリンデルバルドの物語の結末だったのだ。彼にとって、今はただのエピローグに過ぎないのだろう。

 

だが、私はそんな台詞を聞くためにここに来たわけではない。この場所に居ればまたリドルは手駒を差し向けてくるだろうし、私はゲラート・グリンデルバルドという大駒を遊ばせておくほど無能ではないのだ。

 

それに……似合わないんだよ、ゲラート。キミには獄中死などというつまらん結末は相応しくないのさ。あれだけの生き様を見せた男なら、死に際も見事に飾られねばなるまい。この男に唯一相応しいのは、誰もがアンコールを叫ぶような幕引きなのだから。

 

話は終わったとばかりに再び杖に視線を戻したゲラートに、吸血鬼の笑みを浮かべながら口を開いた。

 

「なんともまあ、つまらん言い訳だね。今ヴォルデモートと共にはしゃいでいるのは、私とキミが残した『負債』だろう? 散らかしたものを片付けもせずに、見て見ぬ振りをしながら獄中生活を満喫するつもりかい?」

 

「ふん、昔のようにはいかんぞ、吸血鬼。お前が唆そうが今更出しゃばるつもりなどない。……大体、若い連中に問題を残せるのは老人の特権だ。どれだけ苦労しようが知ったことではないな。」

 

「おや、悲しいね。昔のキミなら盛りのついた犬のように噛み付いてきてくれたというのに……では仕方がない。私も切り札を出すとしよう。」

 

言いながら懐に手をやり、レミリアを通して受け取った一通の手紙を取り出す。……なんか既視感のあるやり取りだな。いや、あの時は相手に渡す手紙を受け取ったんだったか? 真逆だ。前回の受取人が今回の差出人になるわけか。

 

ゲラートは私の差し出した手紙を怪訝そうな表情で受け取ると、裏に書いてある署名を見て嫌そうに顔を歪ませた。んー、いい顔だ。それでこそ運び手になった甲斐があるぞ。

 

そのまま無言で封を開け、二枚の便箋へと目を通す。無表情で手早く読み終えると、一度俯いて大きなため息を吐いた後で……おお、怖い。私を睨みつけながら吐き捨てるように言葉を放ってきた。

 

「どうやら、お前の性格は半世紀経ってもマシにならなかったようだな。……いや、より酷くなった。教えてくれ、吸血鬼。何をどうすればそんなに嫌な性格になれるんだ?」

 

「血を飲んで、悪巧みをして、ゲームを楽しむんだ。それで私のようになれるさ。……どうだい? 簡単だろう? キミも試してみたまえよ。」

 

「その三つを法で固く禁じるべきだな。……それでお前のような存在が居なくなるのであれば、だが。」

 

苛々とした表情のゲラートは、首を振りながらも手紙を懐に仕舞う。……何が書いてあったのかは知らんが、大まかな内容は想像できる。きっと老人が老人に『お願い』をしたのだろう。勿論、嫌になるほどに柔らかな言葉で。

 

私が無言で言葉を待っているのを見て、ゲラートは再びため息を吐いてから話しかけてきた。ため息ばっかり吐いてると幸せが逃げちゃうぞ、ゲラート。

 

「手紙には『身を隠せ』と書いてあった。仔細は運んだ者に聞けと。……どういう意味だ?」

 

「んー、そうだね。簡単に言えば、キミはちょっとばかし影響力が強すぎるんだよ。ヴォルデモートに対しても切り札に成り得るが、我々にとっても使い所が難しいワイルドカードなのさ。」

 

この際、ゲラート自身がどう思っているかは問題ではないのだ。『ゲラート・グリンデルバルドが動く』という事実が問題なのである。その余波はリドルの比ではあるまい。何せこっちはあんな廉価版ではなく、紛うことなき『オリジナル』なのだから。

 

当然、今リドルに従っている連中も少なからず裏切るだろうが、それ以上の数の魔法使いたちが杖を取って立ち上がってしまうだろう。……そうなれば悪夢だぞ。当事者にも止めることの出来ない、大陸を舞台にした三つ巴の無茶苦茶な戦いが始まってしまうことになる。

 

いやまあ、正直言ってゲラートがまだやる気なのであれば、ハリーの一件にケリをつけた後に付き合っても良かったんだが……もう未練も無さそうだし、レミリアやダンブルドアの計画通りに事を進めるべきだろう。

 

そのことを僅かに残念に思っているのを自覚しながら、ゲラートに向かって話を続ける。いいさ、とりあえずはレミリアのレール通りに行こうじゃないか。とりあえずは。

 

「『私たち』はこの戦争を長引かせるつもりはない。数年以内には決着をつけるつもりなんだ。……だから、何処かで大きな戦いが起こることを誘導しようと思っている。ヴォルデモートが自身の戦力を集めたその瞬間、纏めて一気に叩くというわけさ。」

 

レミリアの出した答えがこれだ。小出しのテロリズムを相手取っていてはいつまで経っても決着がつかない。負けないが、勝てない。そんな状況が延々続くだけだろう。ならば多少の損害を度外視してでも、どこかの時点で『決戦』を引き起こそうというわけだ。

 

「道理だな。……それで? 俺に何をしろと?」

 

「先ず、表舞台からは姿を消してもらう。キミが死ねばヴォルデモートの影響力が増すだろうが、自由になれば大陸は大混乱だ。二進も三進もいかないわけさ。……だから、死んだような、生きてるような状態を保っておいて欲しいんだよ。」

 

「正に『亡霊』というわけだ。具体的には?」

 

「キミは今日ここで『死ぬ』が、同時に生存しているという情報も流す。ヨーロッパ各国の裏側に、尤もらしくね。……その上でソヴィエトの動きを牽制してもらいたい。勿論、自分の存在をチラチラ見せながらだ。あの国にはまだキミの力が及ぶ者たちがいるだろう?」

 

あの大国は邪魔なのだ。大戦時はゲラート寄りだった以上レミリアは良く思われていないだろうし、無視するには影響力も規模も大きすぎる。さすがに表立ってリドルを支援したりはしないだろうが、裏側から手助けする権力者が出てこないとも限らない。

 

ならばいっそのこと、ゲラート本人を対処に当ててしまおうというわけだ。レミリアはゲラートの生存が確かになってしまう可能性を危険視していたが、あの国には間違いなく彼のために秘密を守り抜く者たちが残っているだろう。……第一線からは既に離れたものの、まだ尚政治的な力を持っている者たちが。私はそのことをよく知っている。

 

そしてゲラートにも思い当たる節があったようで、小さく頷きながら言葉を放ってきた。

 

「俺は半世紀もこの場所に居た。だから確かなことなど何も分からないが……そうだな、不可能では無いだろう。中立を保たせるくらいなら裏側からでも可能なはずだ。」

 

「その上で、出来れば『舞台造り』にも協力して欲しいんだ。細かいことはまだ決まっていないが、私たちに手が届かない場所もキミならば動かせるだろうしね。」

 

レミリアの計画を実現させるためには、リドルの動きを牽制しながらも上手く誘導する必要がある。こちらの準備が整うまでは相手の動きを抑制しつつ、時が来たらあの用心深い男をどうにかして舞台に引っ張り出す必要があるのだ。

 

私の言葉を受けたゲラートは、僅かな間天井を見上げて瞑目した後……ゆっくりとこちらに頷きを寄越してきた。よしよし、これでようやく役者が揃ったな。

 

「……いいだろう。死ぬ前に自分の残した負債くらいは片付けてやる。田舎小島のチンピラに、誰の名前を使っているのかを分からせてやることにしよう。」

 

「結構、結構。連絡役には私と、赤髪の女……覚えているかい? キミがまだうら若き少年だった頃に、ダームストラングで会った女だ。私が忙しい時には彼女を当てようと思ってるんだが。」

 

美鈴のことはさすがに忘れてるかと思って問いかけてみれば、ゲラートは少しだけ宙を眺めた後に、頷きながら肯定の返事を返してくる。おいおい、百年前だぞ。ダンブルドアと同じく、ゲラートもボケとは無縁のようだ。

 

「覚えている。あの呪文を握り潰した、頭の悪そうな顔の女だろう? あの女も吸血鬼だったのか?」

 

「そうそう、その頭の悪そうな女だ。……ただまあ、あっちは妖怪だよ。人間じゃないが、吸血鬼でもない。」

 

「……お前の知り合いにはバケモノしかいないのか?」

 

「私はキミと違って交友関係が広いのさ。バケモノから穢れを知らぬ少女までなんでもござれだ。とっても社交的な吸血鬼なんでね。」

 

嘘つけと目線で非難してくるゲラートに肩を竦めてから、持ってきた『荷物』の封を開く。まあうん、端的に言えば死体袋だ。中身はまだ生きているが。

 

「では、早速行動に移ろうじゃないか。『これ』にポリジュース薬を飲ませてすり替えるのさ。……とある脱獄犯のオマージュでね。手口を真似させてもらおうってわけだ。」

 

「誰なんだ? 『それ』は。随分と酷い有様になっているが。」

 

「キミの後輩だよ。ダームストラングの出身者で、アズカバンで刑務官をやってたんだが……一年前にちょっと『おいた』をしちゃってね。攫ってきて懲らしめてたら壊れちゃったんだ。処分するくらいなら有効活用すべきだろう?」

 

説明しながら死体袋に一緒に入っていたボトルを渡すと、杖で自分の手のひらに傷をつけたゲラートはそこに数滴の血を注ぎ入れた。さすがに『先駆者』だけあって、ポリジュース薬の扱いは朝飯前のようだ。

 

「しかし、意味があるのか? 使用者が死んでもポリジュース薬の効果が切れないのは知っているが、それにだって制限時間があるはずだぞ。」

 

聞きながら……随分と変な色に変わったな。角度によって白にも黒にも見える液体の入ったボトルを返してきたゲラートに、それを虚ろな目の『これ』に飲ませながら返事を送る。

 

「なぁに、心配ないよ。私が一報入れれば手早く処理が終わる手筈になっているんだ。こんな事になっているとは思ってなかったが……まあ、効果が切れる前には終わるだろうさ。」

 

「墓を掘り返されたらどうするつもりだ? 『生存説』が広まったら誰かが絶対にそうするはずだ。確認のためにな。」

 

「残念だったね、ゲラート。極悪魔法使いの遺体を何処かに埋めたら『聖地』になっちゃうかもしれないだろう? 燃やして骨を砕かれて、小分けにした後で海に撒かれることになってるよ。『元』が誰だったかは闇の中ってわけだ。」

 

「……ありがたい気遣いだな。死んだ後までご丁寧な対処をしてくれるとは、痛み入る。」

 

そんなもん当たり前だろうが。絶対に骨とかを掘り出す輩が出てくるぞ。呆れた顔のゲラートに更に呆れた顔を返しつつ、彼と瓜二つになった『これ』に杖を向けて死の呪文を使う。……さらばだ、愚か者。眠れない日はキミの絶叫を思い出して安らぎを得ることにするよ。

 

アバダ・ケダブラ(息絶えよ)。……うんうん、これでいい。あとは死体に囚人服を着せれば完璧だ。」

 

「『自分』が死ぬのを見るというのは中々に薄気味悪い気分だな。……服を着せて俺の牢に入れておけ。」

 

命令を受けた数人の囚人が『ゲラート』を引き摺って行くのを見送った後、立ち上がって大きく伸びをしながら口を開いた。

 

「さて、これで今日の仕事は終わりだ。隠れ家が決まったら昔と同じ方法で連絡してくれたまえ。……そういえば、質問はないのかい? 私とレミリア・スカーレットの関係とか、キミの『親友』との関係とか。気になることは山ほどあるだろう?」

 

「想像は付くし、必要なら自分で調べる。お前の寄越す情報など信じられると思うか?」

 

「んふふ、随分と賢くなったじゃないか、ゲラート。牢獄ってのは人を賢くするらしいね。私も一つ勉強になったよ。」

 

「お前も入ってみたらどうだ? その減らず口が治るかもしれんぞ。」

 

うーむ、魅力的な提案だが、吸血鬼を閉じ込めておける牢獄ってのは空想上にしか存在しないのだ。窓の方へと歩み寄りながら、ニヤリと笑って肩を竦める。

 

「遠慮しておこう。高貴な私に相応しい牢獄があるとは思えないしね。私が行ったらすぐに闇祓いたちが来る。さっさとずらかりたまえよ? ……それじゃあ、また会おう、ゲラート。今度は近いうちに。」

 

「ああ、さらばだ、吸血鬼。今度こそ二度と会わないことを祈っておこう。」

 

「おや、その歳になってもまだ気付いてないのかい? キミの祈りを受け取る神はいないと思うよ。」

 

肩越しに言い放ってから、窓の外へと身を投げた。……ふむ、少し飛ぼうかな。荷物も無くなったことだし、たまには翼を広げるのも悪くない。この場所なら夏の夕空でも快適な気温なのだ。

 

頬を撫でる涼やかな風を楽しみつつも、アンネリーゼ・バートリはじわじわと高度を上げていくのだった。

 



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迫る足音

 

 

「商売上がったりだぜ、クソったれの『例の何ちゃら』め。」

 

カウンターで新聞を読む箒屋のおっちゃんの罵声を聞きながら、霧雨魔理沙は棚に並ぶ箒の艶出しクリームを物色していた。……まあ、確かにこのご時世で箒を買うヤツは少ないだろうな。去年はワールドカップの影響でそこそこ繁盛してたってのに、今じゃいつもの閑古鳥だ。

 

二ヶ月の長きに渡る夏休みも、そろそろ三分の一が過ぎようとしている。リーゼの授業、箒の練習、山積みの宿題、そしてこっそりやっている咲夜との秘密特訓。それらに埋め尽くされた日々の中、今日はハリーに頼まれた箒用品を買いに来たのだ。

 

頻繁に人形店を訪れて手伝ってくれている咲夜のお陰もあり、私は既にいくらかの呪文をモノに出来たが、ハリーは未だ閉心術に苦戦中。そんな彼を励ますべく何か頼みはないかと聞いてみたところ、箒の整備のための品々を代わりに買ってきてくれと頼まれたのである。

 

どうやら私とリーゼが帰った後は、箒を整備している時間が唯一の癒しになってしまうようだ。リーゼの言によれば、あの家に居なければならない理由があるとのことだったが……どうにかならんのかな? さすがに哀れになってくるぜ。

 

せめて一番良いクリームを選んでやろう。決意を新たに『ボウトラックルだってピッカピカ!』と書かれたクリームをチェックしつつ、カウンターに新聞を叩きつけたおっちゃんへと質問を放った。

 

「おっちゃんは信じてるのか? ヴォ……『例のあの人』の復活を。」

 

「そりゃあ、出来れば信じたくはねぇがな。俺は前回の戦争の時もこの場所で店を開いてたんだ。色々と酷い光景も見た。……レミリア・スカーレットの言う通りさ。可能性があるんなら、それに備えなきゃならねぇ。俺はもうあんなダイアゴン横丁を見たくないんだよ。」

 

「……今だって人通りは少なくなってるぜ? これより酷いのか?」

 

ショーウィンドウの向こうに見える、平時よりいくらか少ない人混みを指しながら聞いてみると、おっちゃんは哀愁を感じる表情で首肯を返してきた。いつもの勝気さは鳴りを潜め、その顔は草臥れたように歪んでいる。

 

「一番酷い頃は、誰も家から出ようとしなかったんだ。勇敢なヤツからどんどん死んでいったからな。……ひでぇ時代だった。誰もが疑い合って、聞こえてくるのは訃報ばかりだ。うんざりさ。」

 

「そんなにか。」

 

「おう、そんなにだ。……情けねえことに、俺たちは家の中に縮こまって息を潜めてるしかなかったんだよ。目の前の通りで誰かが殺された事もあった。だが、出て来たのは俺を含めても数人だけさ。他は雨戸の隙間からジッと見てるだけ。……言っとくが、責めてるんじゃねえぞ。仕方ねぇんだ。そのくらい恐ろしい時代だったんだよ。」

 

「……そうか。」

 

実感は湧かないが、想像は出来る。暗黒の時代、恐怖の時代。新聞に載っているそれらの単語も、きっと大袈裟なものではないのだろう。確かにその言葉に相応しい時代があったのだ。

 

そして、今まさにその足音が迫ってきている。ゆっくりと、確実に。通りから響く微かな騒めきを聞きながら考えていると、おっちゃんが空気を塗り替えるように明るい声を寄越してきた。

 

「まあ、お前みたいな小娘が心配することじゃねぇよ。こういうのは大人の仕事なんだ。お前らガキどもは勉強して、クィディッチをして、友達との馬鹿話を楽しめ。俺たちが解決しきれなかった問題を背負うことはねぇのさ。」

 

「そうも言ってられないだろ? 否が応でも巻き込まれるんだ。私たちも戦う準備をしないと。」

 

「バカ言え、ホグワーツは安全だ。ダンブルドアも居るし……そら、読んでみろ。それを読めば安心するぜ。」

 

そう言って放ってきた新聞をキャッチしてみると、一面には……『老人の大失態』? どうやらダンブルドアを責める内容の記事らしい。これを読んでどう安心しろってんだよ。

 

「おいおい、折角スキーターが書かなくなったってのに、まだこの新聞はこんな記事ばっかり載せてんのかよ。こんなもんを信じるなよな。」

 

「信じちゃいねぇよ。今の予言者新聞は……日刊の方は馬鹿みたいな記事ばっかりだ。そうじゃなくて、その記事の四行目を読んでみな。」

 

四行目? 言葉に従って目を通してみると……『──た結果、ダンブルドア校長はパチュリー・ノーレッジ氏を校長代理に任命することを決めた。しかし、それは大きな間違いだったと言えるだろう。ノーレッジ校長代理は精神的に酷く不安定のようで、大法廷から派遣された無実の監査員に対して、危険な変身呪文を使うなどの暴挙に出たのだ。』との文章が書いてある。

 

パチュリー・ノーレッジ。知ってるぞ。訳の分からん理由で星見台を爆破しようとしたヤバい奴で、アリスの師匠だ。そして何より吸血鬼の『お友達』。そりゃあ能力的には問題ないだろうが……あいつが校長代理? それに、『精神的に酷く不安定』?

 

喜ぶべきか、悲しむべきか。判断に迷っている私に、おっちゃんが肩を竦めながら話しかけてきた。

 

「ノーレッジはあんまり有名な魔女じゃねぇが、俺は前回の戦争の時に一度だけ見たことがある。向こうの通りに予言者新聞の本社があるだろ? そこに昔死喰い人どもが襲撃を仕掛けたんだ。」

 

「それで、ノーレッジが来たのか?」

 

「おうともよ。その日、俺はたまたま近くを歩いててな。……なんで来たのかは知らねぇが、姿あらわししてきたノーレッジは手を『ちょい』っと振るだけで十人くらいの死喰い人どもを制圧しちまったんだ。『ちょい』だぜ? 信じられねぇ光景だった。杖も持ってなかったんだぞ?」

 

「そいつはまた……凄いな。」

 

『ちょい』か。アリスの師匠ってんならそれくらいはやるかもな。あんまりな擬音に顔を引きつらせる私に、おっちゃんは苦笑いで事の結末を語り出す。

 

「そのまま面倒くさそうに本を読み始めたかと思えば、また『ちょい』って手を振って死喰い人を縛り上げると、すぐに姿くらましで消えちまったんだ。……それで、後から来た闇祓いたちに聞いたんだよ。『あの魔女は誰なんだ?』ってな。そしたらダンブルドアに協力してる魔女で、パチュリー・ノーレッジだって教えてくれたのさ。」

 

「だからホグワーツは安心って言いたいのか?」

 

「そういうこった。あれは大した魔女だぞ。……大体、ダンブルドアが任命したなら間違いなんぞあるはずがねぇんだ。それを日刊の連中は馬鹿みたいに──」

 

瞬間、いきなり響いた爆発音と共に店の奥へと吹っ飛ばされた。……ってぇな! 何だよ! キンキンする耳を押さえながら顔を上げてみると、無茶苦茶に散らばった箒用品、倒れた棚、大穴の空いたショーウィンドウ、それに……影? 店の前の通りをビュンビュン横断していく、複数の黒い影が見えてくる。

 

「おいおい、何だよありゃ。」

 

どうやら、あの影が通り過ぎざまに爆破呪文やら破砕呪文やらを撃ちまくっているらしい。……いや、何でだよ。そんなことして何の得があるんだ? あまりの事態に混乱しながら通りを見つめていると、慌てた表情のおっちゃんが私を掴んでカウンターの陰へと運び始めた。

 

「……クソったれめ、死喰い人だ! 小娘、ここに隠れてろ。絶対にカウンターから顔を出すな。」

 

「し、死喰い人? あれが? ……おいおい、何する気だよ? おっちゃんも隠れとけって!」

 

「向かいのブライズの店が酷くやられちまってる。助けにいかねぇと。……いいか? 絶対に顔を出すなよ? 死喰い人が箒屋なんぞに踏み込んでくるはずはねぇ。ここに居れば安全だ。」

 

見た事のないほどに真剣な表情でそう言うと、おっちゃんは悲鳴の響く店の外へと出て行ってしまう。……確かに向かいの店は酷く壊されてるな。数発の爆破呪文が直撃してしまったようで、既に火の手も上がっているようだ。

 

焦りながらも、頭の中で思考を回す。どうしよう、どうしよう。もう影は通り過ぎてしまったようだし、安全だとは思うが……おっちゃんは大丈夫だろうか? 私も手伝いに行った方が良くないか?

 

でも、かえって足手まといになってしまうかもしれないのだ。それだけは避けなければならない。苦悩しつつもカウンターの後ろに隠れていると、おっちゃんが向かいの店から細身の中年男性に肩を貸しながら走ってきた。あれがブライズか? 足を怪我しているらしい。

 

「カウンターの後ろに行け、ブライズ!」

 

「ダメだ! まだ中にリンジーが──」

 

「いいから行け! 俺がなんとかする!」

 

ブライズを箒屋の玄関に下ろすと、おっちゃんは全速力で向かいの店に戻って行ってしまう。せめて、あの人を運ぶくらいならいいよな? ……ええい、バカバカしい! 放っておけるもんか!

 

「おい、大丈夫か?」

 

「……客か? 子供が出てくるな、隠れてろ!」

 

「目の前で這いずってるヤツがいるのに、隠れっぱなしのバカがいるかよ!」

 

ブライズの手を取って思いっきりカウンターへと引っ張る……じゃなくって! お前は魔法使いなんだぞ、魔理沙! 杖を使え!

 

モビリコーパス(体よ動け)!」

 

リーゼに習った呪文でブライズを少しだけ浮かせて、慎重にカウンターの後ろに運び入れる。後は止血、止血……くそ、癒しの呪文なんかまだ使えないぞ。攻撃ばっかりじゃなくって、そういうのも習っておくべきだった。

 

「癒しの呪文は使えるか? 私はまだ使えないんだ。」

 

「ダメだ、これだと深すぎる。先に刺さってる破片を抜かないといけないし……布かなんかは無いか? とりあえずは縛るしかない。」

 

「ちょっと待ってろ。」

 

布……あれでいいか。高級箒を包むための布を掴み取って、急いでカウンターの裏まで戻る。途中で何本かの箒が折れてるのが見えてしまった。店自体は魔法で直せるだろうが、あれはもうどうにもなるまい。クソ迷惑な連中だぜ。

 

「ほら、これでいいか?」

 

「ああ、ありがとよ、お嬢ちゃん。……リンジーは? 妻はどうなってる?」

 

「えっと……うん、大丈夫そうだぜ。おっちゃんが連れて来てくれてる。」

 

カウンターからひょっこり顔を出して覗き見ると、ちょうど向かいの店から中年の女性を連れたおっちゃんがこっちに走ってくるところだった。怪我もないみたいだし、どうやら最悪の事態は免れたようだ。

 

「リンジー!」

 

「あなた! 大丈夫なの?」

 

再会して抱き合う夫婦を背に、荒い息をついているおっちゃんへと労りの言葉を送ろうとしたところで……また来たぞ。再び通りの方を黒い影が通り過ぎて行くのが見えてくる。さっきとは逆向きだな。何処かへ行って、戻ってきたってことか?

 

「隠れてろ。」

 

緊張したおっちゃんの声に従って、見つからないようにカウンターの隙間から覗き見ていると……ぅわお。実に爽快な光景だな。店の前を通り過ぎる影の一つを、いきなり飛んできた小さな人形が棍棒でぶん殴って叩き落とした。美しいフォームのフルスイングだ。

 

「なんだよ、ありゃあ。」

 

呆然とするおっちゃんの声を他所に、慌てたように上空へと進路を変える黒い影たちを数体の人形が武器を振り回しながら追いかけて行く。……ちなみに叩き落した人形は、叩き落とされた黒ローブの男を棍棒でボッコボコにし始めた。容赦なさすぎるぞ。ここまで打撃音が聞こえてくるほどだ。

 

「クソが! やめっ、やめろ! 誰か戻って、戻ってこい! 助け……ああ、クソ、クソ! ボンバー、ぐっ……デパル、ぎぃっ、もうやめ、やめてくれ! とう、投降する! がぁっ……。」

 

うーん、ここだけ見てるとどっちが悪者だか分からんな。死喰い人はクセのある英語で何か命乞いみたいなことを喋っているが、人形は無表情でひたすら殴打を繰り返すばかりだ。っていうかむしろ、話そうとする度に顔をぶん殴っている気がする。……呪文を唱えさせないためなのか?

 

小さな人形に『襲われる』成人男性。人気の無くなった通りで戦慄の光景が繰り広げられているのを眺めていると、おっちゃんがかなり呆れた口調でポツリと呟いた。

 

「いい気味だが、あれだと死なねぇか? 動かなくなってるのにまだ殴ってるぞ。」

 

「あー……そのうち止まると思うぜ。あれは多分、『死んだフリ妨害機能』だ。」

 

「なんか知ってるのか? 小娘。」

 

「うん、まあ……知り合いの人形なんだよ。アリス・マーガトロイド。七色の人形使いって聞いたことないか?」

 

なんか、本当に止まるのか自信無くなってくるな。通りを見ながら引きつった顔で問いかけてやると、おっちゃんはいまいちピンときてない顔で曖昧に頷く。んー、アリスってあんまり有名じゃないのか? でも、リーゼは有名だって自慢げに言ってたし……むしろ死喰い人の中で名が広まってる存在なのかもしれない。

 

「どっかで聞いたような……気がするような、しないような。」

 

「つまり、レミリア・スカーレットの味方だよ。前の戦争でも戦ってたらしいぜ。」

 

「ああ、騎士団だかなんだかの連中か。……怖い魔女なんだな。容赦ってもんを知らねぇらしい。」

 

言うおっちゃんの視線の先では……死喰い人が動かなくなってから結構経ってるのに、まだ時折思い出したかのように殴りつけている人形がふよふよ浮いている。まあうん、あれは確かに怖い。普通にホラーだぞ。

 

そのまま少しの間人形の殴打音だけが通りに響いていたが、やがてパチンという音と共に数人の魔法警察が姿あらわししてきた。お揃いの青いローブを纏って、杖を構えながらの臨戦態勢だ。

 

彼らは酷く痛めつけられた死喰い人を見て一瞬顔を引きつらせると、人形から決して目線を外さないようにしながら拘束し始める。……ちなみにその間ずっと人形は輝くような笑顔を隊員たちに送っていた。もちろん血の滴る棍棒片手にだ。クソ怖いぜ。

 

どちらかといえば人形の方を警戒している隊員の一人が、拘束した死喰い人を姿くらましで連れて行くと……おお、撲殺人形も何処かへふよふよ飛び去って行く。残された隊員たちが明らかにホッとしているのがなんとも悲しい光景だ。アリスには笑顔機能を外すように助言すべきだな。

 

私がどう伝えようかと悩んでいる間にも、おっちゃんがブライズに肩を貸して通りの方へと歩き始めた。そうだった。早く聖マンゴに行かせないと。

 

「おう、こっちに怪我人が居るんだ! 手を貸してくれ!」

 

おっちゃんが隊員たちに呼びかけると、慌てて一人の隊員が近付いてくる。……あの傷ならすぐに良くなるだろうし、壊された通り沿いの店々も隊員たちが手分けして直しているようだ。家の中に隠れていた人たちも、恐る恐るといった様子で顔を出し始めた。

 

しかし、結局あの連中は何をしに来たんだろうか? 考えながら私も店の外へと出てみれば……こりゃまた、思ったよりも酷いな。真昼の太陽に照らされたダイアゴン横丁の至る所で、煌々と炎が揺らめいているのが目に入ってくる。

 

この通りだって石畳の所々が抉れているし、壁が吹っ飛んでいる店もいくつかあるが……どうやらそれでもマシな部類だったようだ。オリバンダーの店がある辺りが特に酷いぞ。物凄い勢いで黒煙が昇っているのを見るに、あの地区はかなりの被害を受けたらしい。

 

暗黒の時代、か。そう呼ばれていた時代には、きっとこういう風景が日常だったのだろう。そして、これからそんな日々が訪れるかもしれないのだ。私たちのすぐ身近に。手が届く場所に。

 

変わり果てたダイアゴン横丁の風景を見ながら、霧雨魔理沙はギュッと杖を握り締めるのだった。

 



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拉致

 

 

「……酷いわね。」

 

倒壊したオリバンダーの杖屋を見つめながら、アリス・マーガトロイドはポツリと呟いていた。歴史ある建物だってのに、なんとも無粋な連中だ。

 

真昼のダイアゴン横丁は混乱に包まれている。大穴の空いた通り沿いの店々、軽重様々な傷を負った人々、そして濛々と黒煙の立ち込めるオリバンダーの店跡。どうも死喰い人たちの狙いはこの店だったようだ。既に火は消し止められているが、それでも煙は晴れる様子を見せない。

 

壁や床は抉れ、支柱が折れたせいで屋根が崩れ落ちてきている。そして周囲に散乱する無数の折れた杖。……あの連中は、これ一本作るのがどれほど大変な作業だか分かっているのだろうか? 見てるだけで気が滅入ってくるな。

 

何よりここは数多くの子供たちが己が杖と出会い、そして魔法使いとして歩み始める場所なのだ。集まってきた野次馬たちも変わり果てたオリバンダーの店を悲しそうに見つめている。ダイアゴン横丁を象徴するこの場所の悲劇は、もしかしたら私の想像以上に影響が大きいのかもしれない。

 

転がっている杖を拾い上げながらため息を吐いていると、現場の統率をしていたスクリムジョールが声をかけてきた。向こうはようやく一段落ついたようだ。

 

「どうやらオリバンダー氏は殺されたのではなく、拉致されたようですな。向かいの店の主人がその光景を目撃していました。」

 

「それは不幸中の幸いだけど……なら、どうしてここまで入念に破壊していったのかしら? 『ついで』にしてはやり過ぎじゃない?」

 

「いえ、連中にとっても予想外だったようです。恐らく杖や芯材に引火した結果、連鎖的な爆発を引き起こしたのでしょう。数人の死喰い人は逃げ切れずに吹っ飛んでいたとか。死体は既に回収済みです。」

 

「……馬鹿ばっかりね。自分たちで火を点けて、挙句勝手に爆死したってわけ?」

 

うんざりだぞ。死喰い人ってのはどうしてこう……こうなんだ。スクリムジョールにとってもイラつく結末だったようで、鼻を鳴らしながら説明を続けてくる。

 

「信じ難いほどに迷惑な連中ですな。……とはいえ、こちらにも多数の死者が出ております。警邏をしていた魔法警察の隊員が数名と、爆破呪文をもろに受けた通り沿いの店員が二人。それと通行者が二人。情報が整理されればもう少し増えるでしょう。」

 

「嫌になるわね。……あの頃に戻ってきたみたいだわ。」

 

「戻ってきたのですよ、ミス・マーガトロイド。そして、ダイアゴン横丁の住人たちもその事に気付いたはずです。」

 

スクリムジョールの冷静な言葉に、小さく同意の頷きを返す。皮肉なことだが、これで復活を肯定する者は一気に増えるだろう。百の言葉よりもこの被害が多くのことを伝えたはずだ。

 

「そうであることを願うばかりよ。向き合う人間は多ければ多いほど良いもの。」

 

「……それと、人形に関しての苦情が来ております。『やり過ぎだ』と。目撃した子供がトラウマを植え付けられたそうでして。」

 

「それは……あー、悪いことをしたわね。」

 

うーむ、『微笑み機能』はちゃんとつけておいたんだが……子供には分かり難かったのかもしれないな。笑い声とかも出せるようにしてみようか? そもそも人形は可愛いものなんだし、親しみやすくすれば怖がりなどしないはずだ。

 

それとも、棍棒ってのがいけないのだろうか? なんだかんだであれが一番便利なのだが、確かに威圧感はあるかもしれない。正義の味方っぽい武器じゃないし。悩む私に、何を思ったのかスクリムジョールが気まずい顔でフォローを放ってきた。

 

「まあ、不可抗力でしょう。貴女の人形が無ければ被害はもっと増えていたはずです。もしかしたら、その子供が傷ついていたのかもしれません。」

 

「んー、一応『改善』はしておくわ。……それより、魔法警察の動きが結構早かったわね。新しい隊長は有能な人物なの?」

 

たまたま所用で魔法省に居た私もかなり早く到着したはずだが、私が人形を展開させる頃には既に姿あらわししてくる隊員の姿がちらほら見えていたのだ。私の疑問を受けたスクリムジョールは、首を縦にも横にも振らずに返事を返してくる。

 

「ジョン・ドーリッシュですよ。一時期闇祓い局にも所属していた男でして。あの男は、どう言ったらいいか……決められたことをやるのは大得意なものの、臨機応変な対応をするのは苦手なタイプですね。今回も非常時の緊急対処マニュアル通りに部隊を展開したようです。迅速だったが、無駄も多い。」

 

「つまり、マニュアル人間なわけね。……まあ、魔法警察なら向いてるでしょう。あそこは集団で力を発揮する組織だし、変な『オリジナリティ』を出されるよりかはマシよ。」

 

ということは、八月以降はスタンドプレーの闇祓いをムーディが、チームプレーの魔法警察をドーリッシュとやらが指揮するわけか。……うん、悪くない人選だな。上にスクリムジョールが居る以上、どちらも上手く『操縦』してくれるに違いない。

 

それに、魔法事故リセット部隊の到着も早かった。前回の戦争時は戦闘に巻き込まれるのを恐れるあまり、鈍亀のような動きしか出来なかった部署なのだが……どうやら今回は頼りになりそうだ。今も各所で精力的に修復作業を行なっている。

 

「しかし、大臣の交代前なのに随分と大きく変わってるのね。妨害されたりはしないの?」

 

私は魔法省の内部事情にそれほど詳しくないが、一応まだファッジが大臣なのだ。嫌がらせで承認が下りなかったり、邪魔されたりとかは無いのだろうか?

 

首を傾げながら聞いてみると、スクリムジョールはかなり微妙な表情で答えを返してきた。呆れたような、拍子抜けしたような表情だ。

 

「それが、ファッジ大臣はこのところやけに『協力的』なのですよ。まるで憑き物が落ちたかのように、スカーレット女史のイエスマンになってしまいまして。……余計なことを囁く人間が居なくなったからかもしれませんな。」

 

「それはまた、今更って感じの状況じゃないの。反対してた連中は全員ウィゼンガモットの所属になっちゃったってこと?」

 

「ファッジ大臣を含め、数名は『取り残された』ようですが……基本的にはそうなります。魔法教育促進委員会だの、報道管理監視部だのと、有名無実な役職を乱立させてそこの所属にしているようです。」

 

「……イギリス魔法界が誇った賢人議会も落ちぶれたもんね。魔術師マーリンも草葉の陰で嘆いてるわよ。」

 

かつては世界の魔法界を牽引するほどの機関だったというのに、今では権力の象徴でしかなくなってしまったわけか。……悲しくなってくるな。叶うなら、いつの日か再生してもらいたいもんだ。

 

各所からふよふよ戻ってくる半自律人形を回収しながら考えていると、スクリムジョールが杖屋の残骸を見てポツリと呟く。

 

「……しかし、何故死喰い人たちはオリバンダー氏を攫ったのでしょうか? 杖に関しての知識が目的とか?」

 

「でしょうね。オリバンダーが関係している以上、杖に関連する何かなことは間違いないわ。……というか、今年の新入生たちはどこで杖を買うのかしら?」

 

「頭が痛い問題です。ホグワーツには杖の購入方法のガイドラインを作らせる必要がありますな。でなければ酷い混乱が起きてしまう。」

 

マクゴナガルが泣くぞ。ただでさえパチュリーの『介護』で忙しいだろうに、かなり面倒な仕事が増えてしまったようだ。……ダンブルドア先生は今何をしているのだろうか? レミリアさんも知らないと言ってたし、パチュリーへの手紙も全然返ってこない。秘密ってことなのかな?

 

ダンブルドア先生のやることだ。そうする必要があるのだろうが……もどかしいな。言ってくれれば手伝えるかもしれないのに。それとも、まだまだ私も実力不足なのだろうか?

 

「……スコージファイ(清めよ)。」

 

考えつつも血塗れの人形を流れ作業で綺麗にしていると、取り押さえた連中を監視していた人形たちも戻ってきた。……うん、やっぱり直接戦った人形は損害が大きいな。私の操作無しで半自律運用だとこうなっちゃうか。

 

「それで、拘束出来たのはどのくらいなの?」

 

何かの呪文を食らったのだろう。右半身が抉れちゃっている人形を脳内の修復リストに追加しながら聞いてみると、スクリムジョールは素早く正確な数字を寄越してくる。

 

「現状入ってきている情報では拘束が十名、死体が八体です。拘束した中にはイギリスの魔法使いではない者も複数見受けられました。……というか、殆どが若い他国の魔法使いでしたな。」

 

「『新入り』の連中ってわけ。アズカバンに送るの?」

 

「そこが悩みどころでしてね。ウィゼンガモットは躍起になって否定していますが、もはやあの場所が監獄として機能するかは疑わしいでしょう? 私なら吸魂鬼が連中の側に付く方に賭けますし、ボーンズ部長もそれには同意見でした。」

 

「前回は離反しなかったから今回も大丈夫ってのは……まあ、そうね。ちょっと希望的観測に過ぎるわね。」

 

とはいえ、あの場所はウィゼンガモット直下の組織なのだ。大法廷を掌握出来ていない現状ではレミリアさんでも手出しはできない。それどころか出来損ないの権力分立のせいで、アメリアが魔法大臣になってからも干渉するのは難しいわけだ。

 

さすがに大臣交代後は徐々に体制が確立されていくだろうし、そうなればウィゼンガモットの影響力も失われていくだろうが……アズカバンの体制見直しにはまだ時間がかかりそうだな。

 

そもそも、イギリス魔法界はあの監獄に依存し過ぎているのだ。仮に吸魂鬼の『利用』が取り止められたとしても、すぐに別の手段に切り替えるというのは至難の業だろう。

 

吸魂鬼を追い払って、魔法をかけ直して、刑務官たちに業務の内容を刷新させる。それを死喰い人と戦いながらやるわけだ。……間違いなく無理だろうな。考えるだけで頭が痛くなってくるぞ。

 

「いっそ全員処刑出来れば話は早いのですがね。」

 

スクリムジョールの冗談なんだか本気なんだか分からん言葉で、思考の海から浮上する。レミリアさんやリーゼ様なら諸手を挙げて賛同しそうな言葉だが……当然、不可能だろう。私もさすがに賛成しかねる提案だ。

 

「賛否はともかくとして、倫理的な問題がある以上、『手早い』方法は無理でしょうね。貴方だって大量虐殺者として後世に名を残したくはないでしょう?」

 

「それで問題が解決するのであれば、喜んで汚名を被りますよ。評価する者はそれを評価してくれるでしょう。」

 

「なんとも頼りになる言葉じゃないの。」

 

クラウチ、ムーディ、そしてスクリムジョール。闇祓い局の局長ってのはどうしてこう躊躇いがないのだろうか? 職務上仕方がないとはいえ、『やり過ぎ』を伝統にするのは勘弁して欲しいぞ。

 

うーむ、常識人っぽい中に非常識が埋もれているのは、バーテミウス・クラウチ・シニアに若干似てるな。何の気なしに目の前の男の心理分析をしつつ、最後の人形を回収してから口を開く。

 

「何にせよ、早めに決めた方がいいわよ。これから山のように逮捕者が出てくることになるわ。魔法省の拘留室だけじゃ絶対に足りなくなるでしょうね。」

 

「……そうですな。問題、問題、そして問題。うんざりしますよ。」

 

「まあ、良いニュースもあるわ。例の制度、中々上手く機能してるみたいじゃないの。」

 

現場検証をするリセット部隊の隊員や、軽傷者を誘導する魔法警察。その合間を縫って動く『魔法戦士』たちの姿を指して言ってやれば、スクリムジョールはため息を吐きながらも頷いてきた。

 

「草案の段階ではかなりの混乱が起こることを覚悟していましたが……確かに上手く機能していますね。とはいえ、今回動かしたのは元闇祓いや元魔法警察の方々だけです。まだまだ油断は出来ませんよ。」

 

「千里の道も一歩から、よ。こうやって魔法省職員以外にも杖を取る魔法使いが居るっていうのは、きっと職員たちにとって励みになるでしょう。……本来、あんまり正しい在り方じゃないのは確かだけどね。」

 

「情けないことですが、今はそうも言っていられません。本格的にヴォルデモートが動き出す前に、どうにかして実用段階に持っていかなければ。」

 

その通りだ。今日の『襲撃』でさえここ数年じゃ一番の大事件だが、これから先にはもっと大きな戦いが待っているだろう。イギリス魔法界は備えなければならない。少しでも被害を減らすために。

 

思わず強く握ってしまった手を解いて、一度首を振ってから身を翻す。……焦るな、私。自分に出来ることをやるだけだ。悔いの残らないように、精一杯。

 

「それじゃ、私は修復作業を手伝ってくるわ。……頑張りなさい、スクリムジョール。そうすればきっと後世に名が残るわよ。虐殺者よりもずっと良い形でね。」

 

「……それも悪くはありませんな。では、精々励むことにしましょう。」

 

背中越しにひらひら手を振ってから、適当に修復魔法を放ちつつ通りを歩き始めた。……レミリアさんがスクリムジョールを気に入っている理由がなんとなく分かったな。確かに頼りになる男だ。冷徹な現実主義者。きっと有事にこそ輝く人間なのだろう。

 

そういえば、まさか魔理沙は出かけてなかっただろうな? 私の実家がある地区は遠く離れているし、大丈夫だとは思うが……うーん、心配になってきたぞ。一応人形に無事を確認させておこう。こういう時は忠誠の術の制限が痛いな。

 

一番使い慣れている赤色の人形を取り出して、アリス・マーガトロイドはふわりとそれを放つのだった。

 



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常識と非常識

 

 

「何? 守護霊の呪文?」

 

カーテンを閉め切った寝室のベッドの上で、アンネリーゼ・バートリは顔に疑問符を貼り付けていた。プリベット通りで守護霊? 何でそんなもんを使う必要があるんだ?

 

咲夜の作ってくれた料理をたらふく食べて眠くなり、ふかふかのベッドに入ったのが十三時頃。レミリアに叩き起こされた今は……十八時か。うーん、もうちょっと寝たかったぞ。『昼更かし』して深夜まで熟睡。それが理想の生活ってもんなのだ。

 

寝起きのぼんやりした頭でどうでもいいことを考える私に、目の前のポンコツ吸血鬼が足をダシダシしながら捲し立ててきた。元気なヤツだな。先日ダイアゴン横丁で起こった事件の後始末で、最近はロクに寝てないだろうに。

 

「いいからさっさと起きなさい、ネボスケ! とにかくハリーが何らかの理由で守護霊の呪文を使って、ウィゼンガモットがこれ幸いと噛み付いてこようとしてきてるの。ハリーは復活の『目撃者』だからね。……私は今すぐ魔法省に行って介入してくるから、貴女はダーズリー家へ向かいなさい。今すぐ!」

 

「んー、敷地の外には出ないようにとキツく言っておいたんだが……ハリーの無事は確認出来ているんだろうね?」

 

「アラベラ・フィッグ……覚えてる? 隣家に潜ませてる騎士団員のスクイブ。彼女の報告によれば、既にダーズリー家に戻ってるらしいわ。つまり無事よ。詳細は分かんないみたいだけどね。」

 

なら良し。とりあえず安心しながら、ナイトテーブルに置いてあった水を飲んで頭を覚ま……酒だな、これ。まあいいか。酒を飲んで頭を覚ます。そのまま大きく伸びをしている私に、レミリアがドアへと向かいながら声をかけてきた。

 

「いい? 私が事態を掌握するまで、ハリーを絶対にマグルの家の敷地内から出さないようにね。魔法省の役人とかが来たら無力化しちゃっても構わないわ。後からどうにかするから。」

 

「はいはい、分かってるさ。ハリーを守る可愛い守護天使になろうじゃないか。」

 

「ジョークの切れ味が悪すぎるわよ、ペタンコ。」

 

む、外したか。やっぱり寝起きは調子悪いな。バタンとドアを閉めて行ったレミリアに鼻を鳴らしてから、着替えをするためにクローゼットを開ける。さすがに寝巻き姿で向かう訳にはいくまい。

 

しかし、守護霊ね。ハリーは伝言を託すのにあの呪文を使ったことはないし、そもそも未成年魔法使いの『臭い』に関しては痛いほど理解しているはずだ。彼は二年生と三年生の時に『事件』を起こしているのだから。

 

まさか、吸魂鬼か? あの『マグルらしい』場所に吸魂鬼? 有り得るか? ……ええい、ここで考えてたって時間の無駄だ。答えの出ない思考を振り払ってから、姿見で服装のチェックをする。よしよし、今日も美しいぞ、アンネリーゼ・バートリ。

 

ちょこっとだけ髪を直した後、杖を振ってトランクの中へと姿あらわしをしてみれば……無音の真っ暗な小部屋が見えてきた。ふむ、ハリーはここに立て籠もろうとはしなかったようだ。トランクに防衛呪文がかかっていることは説明済みだし、そこまでの緊急事態じゃないってことか。

 

そのまま小部屋を出て階段を上り、突き当りの梯子の上の落とし戸をノックしてみるが……返事がないな。というか、微かに怒鳴り声のようなものが聞こえてくるぞ。叔父と、ハリーの声だ。

 

さて、どうしようか。姿を消して出て行くか、現したままで出て行くか。一瞬だけ迷った後で、能力を使わずに落し戸を抜ける。今更だな。何だかんだで叔父とは知らない仲じゃないし、私が介入した方が話が早いだろう。

 

カゴの中の羽毛饅頭がどこか心配そうに見つめる二階の廊下へのドアを抜けて、足早に階段を下りて一階の廊下へとたどり着いてみれば……おやまあ、絵に描いたような修羅場じゃないか。

 

必死に何かを訴えているハリー、ヘタリ込む従兄、しゃがんでそれを支える叔母、そして顔を真っ赤にして激怒している叔父。大混乱の光景が開けっ放しのリビングのドア越しに見えてきた。何かが起こったのは確かなようだ。

 

「黙れ、小僧! お前がダドリーに『アレ』を使ったんだろう! 何をした! 正直に言え!」

 

「僕は、ダドリーを、守ったんだ! 何度言えば分かるのさ! 吸魂鬼がダドリーにキスしようと──」

 

「その言葉を出すのはやめろ! 『キューコンキ』などここには居ない! ここはお前たちの世界ではない! ここは『わしら』の世界だ!」

 

「実際に居たんだ! そしてキスされればダドリーは抜け殻になっちゃうところだったんだぞ! 魂の無い、抜け殻に!」

 

おいおい、本当に吸魂鬼の対処のために呪文を使ったのか? 顔を引きつらせつつもリビングのドアを抜けてみれば、最初に気付いた叔父が真っ赤な顔のままで怒鳴りつけてくる。憤死寸前って感じだな。

 

「ふざけたことをいつまでも……何だお前は! いつの間に入ってきた? 不法侵入だぞ!」

 

「こんばんは、ダーズリー家の諸君。これでも吸血鬼なんでね。不法侵入は私にとって『正しい』行いなのさ。」

 

「リーゼ? ……吸魂鬼だ! 向こうの通りに吸魂鬼が二体出て、それで僕が守護霊の呪文を使ったら、魔法省から警告状が届いて、それで──」

 

「まあ、ちょっと落ち着きたまえよ。全員ね。」

 

堂々と彼らの間を横切って、ダイニングの椅子へと勝手に座り込む。そのまま杖を振って……いや、魔法はやめておいた方がいいか。状況が状況だし。

 

「あー……紅茶を頼めるかな? 血か、もしくはブランデー入りの紅茶がいいんだが。ああ、キミたちの血は入れないでくれよ? あんまり美味しくなさそうだし。」

 

熱を冷ますためにも戯けた感じで叔母の方へと呼びかけてみると、代わりにポカンとしていた叔父が我に返って文句を放ってきた。なんだよ、お茶くらい出してくれよ。

 

「何なんだ、小娘! 貴様は、貴様は……何なんだ! 何が起こっておる! ダドリーに何があった!」

 

「聞きたいかい? なら紅茶だ。物事には対価ってものが必要なのさ。」

 

「……これだ! これだから我慢ならん! お前たちはどうしてそう礼儀がなってないんだ! いつもそうだ! あの穀潰しも、ブラックも、大男も、金髪の小娘も、そして貴様も! うんざりだ! どうして誰一人として『まとも』に振る舞えないんだ!」

 

「それがだね、バーノン。教育が悪いのさ。その全員が同じ学校の出身者でね。そこでは『常識』ってものを学ぶことが出来ないんだよ。責めるならホグワーツを責めたまえ。」

 

神妙な顔でやれやれと首を振って言ってやるが、ちょっとだけ苦笑いになったハリーの他には誰も笑わなかった。残念だな。これはホグワーツ出身者だけに通じるジョークだったようだ。

 

そのまま叔父はトマトみたいな顔で口をパクパクさせた後、私をしばらくの間睨みつけていたが……やがて大きく鼻を鳴らしてから席に座る。おお、バーノン。話のテーブルに着く気になったか。キミは認めたくないだろうが、ちょびっとずつ『非常識』に慣れ始めてるぞ。

 

「それで? キューコンキというのは? ダドリーは何をされた?」

 

「吸魂鬼はアズカバン……こっちの監獄の看守をやってる生き物だよ。いやまあ、厳密に言えば生きてはいないけどね。人間の幸福を食い漁り、最終的には魂をも吸い取って抜け殻にしちゃうのさ。」

 

「幸福を食って、魂を吸う? そいつがここに居たと? わしらの場所に居たと? ……有り得ん! たわ言だ! ここには、『まの付く言葉』は存在せん!」

 

「どうかな? バーノン。今や魔法界とマグル界の境界は曖昧になりつつあるぞ。……フランスの連続殺人事件はこっちではニュースにならなかったのかい?」

 

てれびじょん……だよな? あれ。フランのやつより随分とちっちゃいけど。去年の咲夜の『推理』によればそのはずだ。それらしきものを指差しながら問いかけてやれば、ダーズリーは鼻を鳴らして答えを返してきた。

 

「ふん、あのイカれた宗教団体が起こした事件だろう? 嘆かわしいもんだ。ああいう輩が世をダメにする。……それがなんだ!」

 

「それは魔法使いが起こした事件だよ。宗教だかなんだかはマグル向けの言い訳だね。……分かるかい? ヨーロッパ魔法界は戦争状態に入ったのさ。イギリス魔法界もまた、もはや平和じゃないんだ。」

 

「せ、戦争? それが……それがどうした。関係あるまい? ここはわしらの世界だ! お前たちの居るような場所とは違う!」

 

「違わないんだ、バーノン。キミたちが平和に暮らす裏側で、戦火は拡大していくだろう。マグルも……キミたちのご同輩もどんどん死んでいくぞ。言っておくが、キミは幸運な部類なんだからな。大半のマグルは何が起こっているのかも分からずに巻き込まれる。日常の中に潜む意味不明な恐怖に怯えるだけだ。……だが、キミは知ることが出来た。少なくとも危険が迫っていることをね。」

 

クスクス笑う私に叔父は尚も否定の言葉を放とうとするが、その前にあらぬ方向から声が飛んでくる。しゃがみ込んで従兄を支えていた叔母の方からだ。

 

「……まさか、『例のあの人』が?」

 

これは……また、なんとも不思議な光景だな。私にとってもそうなのだから、ハリーや叔父、従兄にとってはもっと不思議な光景なのだろう。顔を蒼白にしてポツリと呟いた叔母は、驚きに染まる彼らに気付かずに私をジッと見つめている。まさかキミからその言葉が出てくるとは思わなかったぞ、ペチュニア・ダーズリー。

 

「そうだ、戻ってきた。」

 

私の端的な肯定を聞いたペチュニアは、従兄を見て、叔父を見て、そして……ほんの少しの間だけハリーを見つめると、いきなり立ち上がって声を放った。感情の読み取れない、無機質で平坦な声だ。

 

「ダドリーちゃん、部屋に戻りなさい。」

 

「でも、俺は──」

 

「戻りなさい。」

 

有無を言わせぬ言葉を聞いて、従兄は納得いかないような表情ながらもリビングを出て行く。ペチュニアはそれを見送った後で、今度は私に向かって話しかけてきた。

 

「……ここは安全なの?」

 

「この家は安全だ。……リリー・ポッターに感謝したまえよ? 彼女はハリーを守るのと同時に、キミたち家族のことも守っているんだ。命を対価にした魔法でね。」

 

「……では、もう話は終わりです。お前も部屋に戻りなさい!」

 

叔父もハリーも何かを言おうとするが、ペチュニアはそれを視線で封じてハリーを追い出しにかかる。……何か、中途半端な感じで終わっちゃったな。

 

「それじゃ、私はちょっとハリーの部屋で彼と話させてもらうよ。」

 

ま、いいさ。何にせよハリーから詳しい事情を聞かなければなるまい。立ち上がってハリーの背を押しながら二階へ向かおうとしたところで……何だ? 一瞬だけペチュニアが何かを言いかけたような空気を感じて振り返るが、視界に入った彼女はただ黙して私たちを見つめているだけだった。

 

リリー・ポッターはどこまで、何を彼女に話していたのだろうか? ダンブルドアは何と言って彼女にハリーを託したのだろうか? 何処かで聞いたブラックの言葉が頭をよぎるが……ふん、どうでもいいさ。

 

あの時ブラックが言ったように、これは答えの出ない問いなのだ。私はダンブルドアと違って不確かなものに縋ったりなどしない。……裏切られた時に傷が深くなるだけなのだから。

 

そのまま階段を上がって小さな寝室に戻ると、ハリーが顔いっぱいにクエスチョンを浮かべながら疑問を捲し立ててきた。リビングでは気付かなかったが、手には一通の手紙を握っている。

 

「リーゼ、どうして吸魂鬼が? それに、どうしてペチュニア叔母さんがヴォルデモートのことを? あと、懲戒尋問があるって。未成年魔法使いの制限法に引っかかったから僕の杖を破壊するって。でも、そうしないとダドリーは死んじゃってたんだ。彼はもうキスされる寸前で、僕は必死で助けようと──」

 

「落ち着きたまえ、ハリー。一つ一つ答えてあげるから、一つ一つ聞いてくれ。今のキミは昔のハーマイオニーみたいだぞ。」

 

教えてちゃんモードのハリーにゆっくりと声をかけると、彼は一つ深呼吸した後で今度は落ち着いて質問を放ってきた。

 

「それじゃあ、どうして吸魂鬼が居たの? ヴォルデモートが何かしたってこと?」

 

「そこは私にも分からない。レミィが既に動いているから、その連絡を待つことになる。『偶然』じゃないってことにだけは翼を賭けてもいいけどね。」

 

「なら、杖の破壊は? ほら、この手紙に書いてある。『魔法省の役人がまもなく貴殿の住居に出向き、貴殿の杖を破壊するであろう』とか、『貴殿には既に前科があるため、誠に遺憾ながら魔法省の懲戒尋問への出席が要求されることになる』とか。」

 

「安心したまえ。そんなことにはならないし、させない。……ウィゼンガモット大法廷というのを知っているかい? イギリス魔法界の立法機関で、同時に裁判を統括している組織だ。」

 

んー、どちらかといえば、『未成年魔法使いの妥当な制限に関する法令』よりかは『国際魔法戦士連盟機密保持法』の違反が重視されてるみたいだな。渡された警告状に目を通しながら言ってやると、ハリーは首を傾げて分かりませんという顔になってしまった。勉強不足だぞ。ビンズが教えてただろうに。

 

「えっと、この手紙を送ってきた人がいるところ?」

 

「というか、『送らせた人』がいるところだね。ヴォルデモートの復活を否定して、イギリスを飲み込もうとしている問題から目を逸らしてる老人どもの巣穴さ。レミィやダンブルドアとは、何と言うか……現状敵対関係にあってね。」

 

「ヴォルデモートの味方ってこと?」

 

「潜在的にはそうだが、本人たちはヴォルデモートを恐れているだけだよ。ほら、小部屋で予言者新聞を読んだだろう? 日刊の方の。あれの出元がそこなんだ。」

 

スキーターが『移籍』した所為で、今や記者たちがエースの座を奪い合っている『こどもしんぶん』の記事を思い出しながら言ってやると、ハリーは曖昧に頷いてからぼんやりとした理解を返してくる。

 

「つまり、スカーレットさんやダンブルドア先生はヴォルデモートと戦おうとしてるけど、そのウィゼンガモットとかいう場所の人たちは復活を認めたくないからその邪魔をしてて、その人たちが僕の杖を破壊して退学処分にしようとしてるってこと?」

 

「厳密に言えば、杖を破壊しようとしているのは正規の処分なんだ。マグルの前で守護霊の呪文を使うっていうのは、未成年魔法使いの制限法だけじゃなくて国際機密保持法にも引っかかるから──」

 

「でも、吸魂鬼が居たんだ!」

 

「分かってる、ハリー。だからそのことを正確に伝える必要があるんだよ。自分や他者に生命の危機が差し迫った場合、呪文を使うのは法で認められている。だからこそ私がここに居て、今すぐキミの杖が破壊されないように『対処』しようとしてるってわけさ。」

 

私がそう言ったところで、部屋の宙空にパチンと一通の手紙が出現した。私に目線で促されたハリーはそれに目を通すと……無言でそのまま渡してくる。

 

ふむ。レミリアのストップもあって、いきなり杖を折られるような事態は免れたようだ。代わりに懲戒尋問の方は五日後……七月三十一日に行われるようで、そこで最終的な決定を下すと書いてある。いやはや、愉快な誕生日になりそうじゃないか。

 

うーむ、執行部を押さえている以上そう酷いことにはならないだろうが、リドルの『復活』に関わっているハリーに大法廷が嫌がらせしてくるのは間違いなかろう。ギリギリでボーンズの大臣就任前だし、もしかしたら厄介なことになるかもしれんぞ。

 

懲戒尋問とやらについて後で調べようと心に決めつつも、今度は私がハリーに問いを飛ばす。怒ってますよと態度で示しながらだ。

 

「それで、何だって家の敷地外に出たんだい? キミはヴォルデモートに狙われていて、安全だからこそここに居るのは理解しているだろう?」

 

何度も、しっかりと、しつこいくらいに伝えたはずだぞ。私が『めっ』したのを受けて、ハリーは羽毛饅頭の方へと目を逸らしながら口を開いた。無駄だぞ、ハリー。そんなことをしても私の説教は消えて無くなったりはしないのだ。

 

「その、少しくらいなら大丈夫かと思って。……マリサがマグルの雑誌に興味を持ってたから、買ってきてあげようかと思ったんだよ。この前箒の艶出しクリームを買ってきてくれたお礼に。」

 

「油断大敵。……去年習っただろう?」

 

「うん、反省してる。もう出ないよ。絶対に、絶対に出ない。」

 

しょんぼり俯くハリーをジト目で睨みつけてから、小さくため息を吐いてベッドに座り込む。……まあいいさ、とりあえずは懲戒尋問の解決が先だ。

 

「是非ともそうあって欲しいね。……それじゃ、懲戒尋問のことについて考えようじゃないか。僅か五日後なんだ。今からきちんと対策を練っておいたほうがいい。」

 

「えっと、魔法省に行かないといけないんだよね? 僕、行ったことないんだけど……。」

 

「もちろん案内兼護衛は付けるさ。それよりも……うん、先ずは服だな。スーツは持ってないのかい? 毛玉だらけの服で懲戒尋問ってのは、些か以上に格好がつかないぞ。印象も悪いだろうしね。」

 

「バーノンが僕にスーツを買ってくれると思う? ……ホグワーツの制服じゃダメかな? 一番マシな服っていったらあれになっちゃうよ。」

 

まったく、仕方ないな。誕生日プレゼントとしてそれっぽいスーツでも買ってやるか。情けない顔で毛玉まみれの服を見下ろすハリーに、アンネリーゼ・バートリは大きく鼻を鳴らすのだった。

 



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魔法省へ

 

 

「違うのよ、アーサー。あれは自動ドアじゃなくて改札なの。チケットが無いと通れないのよ。」

 

真っ赤なランプが点灯している改札を押し通ろうとするアーサーを止めながら、アリス・マーガトロイドは護衛の人選を後悔していた。リトル・ウィンジングからここまで来るのだって一苦労だったが、これから始まる地下鉄の旅はバスのそれよりもトラブルが多くなりそうだ。

 

七月三十一日。今日はハリーの十五歳の誕生日であり、同時に懲戒尋問が執り行われる当日である。魔法の不正使用を咎められている以上、大法廷に付け入る隙を与えないためにも、一切魔法を使わない方法でハリーを魔法省まで送り届けるということになったのだ。なったのだが……ええい、『群れ』からはぐれるんじゃない、ブラック!

 

「ブラック、そこを決して動かないように。私が全員分のチケットを買うわ。」

 

「いや、私は飲み物を買おうとしただけですよ。ほら、ハリーも喉が渇いているだろう? 私が買ってあげよう。」

 

「あー……シリウス、それは飲み物を買う機械じゃないよ。それが券売機なんだ。つまり、地下鉄のチケットを買う機械。」

 

ガーメントバッグを持ったハリーの言葉を受けて、典型的魔法使い『その二』が驚いたように券売機を眺め始めた。……一事が万事これなのだ。うんざりするぞ。何故ブラックはマグル学を取らなかったんだ? お前のような魔法使いにこそ必要な学問だろうに。

 

護衛として選ばれたのはアーサー、ブラック、ルーピン、そして私とリーゼ様だ。この面子の中で『常識』を理解しているのは私とルーピン、そして護衛対象たるハリーだけである。アーサーはあらゆる電化製品に尋常ではない興味を示し、ブラックは名付け子の前でカッコつけたいんだかなんだかで知ったかぶりを繰り返す。そしてリーゼ様は──

 

「おや、これは美味そうじゃないか。……ただまあ、野菜はいらないね。明らかに余計だと思うよ。」

 

ジャンクフードやらお菓子やらに興味を惹かれて、ふらふらとその辺を歩き回ってしまうのだ。今も駅構内のハンバーガーショップの店員に、野菜抜きバーガーが無いのかを聞き始めてしまった。

 

「ああもう……ルーピン、チケットを任せるわ。私はリーゼ様をハンバーガーから『救出』してこないと。」

 

「ええ、分かりました。……ハリー、シリウスを捕まえておいてくれ。パッドフット、次に妙なことをしたら首輪をつけるぞ。」

 

「うん、見ておく。それと、ウィーズリーおじさん、そこは硬貨を入れる場所じゃないですよ。お釣りが出てくる場所です。」

 

「なんと、驚きだ。……裏に人が居るのかね? それともまさか、これも自動で? だとすれば凄い。気になるな。なんとか覗き込めそうなんだが……。」

 

アーサーの『奇行』を止めるハリーの声を背に、嬉しそうにハンバーガーを注文しているリーゼ様の方へと歩き出す。……うーむ、こんなことを思うのは失礼かもしれないが、今日のリーゼ様は凄まじく可愛らしいな。翼なしでマグルの服を着ていると、どう見ても小さな女の子にしか見えないぞ。バーガーショップの店員も営業ではない本気の笑顔を浮かべている。

 

「それと、肉をもう一枚追加することは出来るかい? ついでにベーコンもだ。」

 

「はいはい、出来ますよ、お嬢ちゃん。それじゃあ、ちょっと待っててくださいね。」

 

「ああ、楽しみに待っていようじゃないか。」

 

「……リーゼ様、困ります。いくら時間に余裕があるとはいえ、早めに到着しておかないと。」

 

ニコニコ顔でバーガーを準備しに行った女性店員を横目に、背伸びしてカウンターに乗り出しているリーゼ様に声をかけた。背伸び姿もグッとくるな。もう翼なんか無い方が良いとすら思えてきたぞ。

 

「なぁに、平気だよ。たっぷり時間は余ってるんだ。……それより、アリスもどうだい? このチェーンのバーガーは美味いって美鈴が言ってたぞ。」

 

「いえ、私は結構です。」

 

ううむ、不思議だ。何が重要な要素なのだろうか? 翼を消しているリーゼ様は何度も見ているが、別段子供っぽいと思ったことはないし……やはりマグルの服の所為か? 普段との一番大きな違いはそこのはずだ。

 

黒いパーカーにデニムのショートパンツ、そして白のキャップ。シンプルが故に『普通』っぽく見えるのが素晴らしい。くそ、失敗したな。カメラを持ってくればよかった。失態だぞ、アリス。大失態だ。

 

もしくは、この駅の雰囲気なんかがそう思わせるのかもしれない。リーゼ様がマグル界に居るってのが重要なのだろうか? 吸血鬼らしからぬ要素が大事ってことか?

 

……まあいい。何にせよ、素晴らしいことを発見してしまったようだ。今度また機会があったら絶対に同行しよう。当然、今度はカメラを準備して。

 

完全なるポーカーフェイスを保ちながら、抱きしめたくなる後ろ姿を見つめていると……手早く紙袋に商品を詰めた店員が戻ってきてしまった。残念、背伸び姿は見納めらしい。

 

「はい、お嬢ちゃん。ご注文の品ですよ。」

 

「おや、早いね。ご苦労様。」

 

うーん、確かに早いな。マグルの食文化もどんどん進歩しているようだ。嬉しそうに支払いを済ませるリーゼ様を堪能してから、二人で券売機の方に戻ると……何だ? 券売機が警告音を発しているぞ。今度は何をやらかした?

 

「何をしているのかしら? ブラック。何もしないことがそんなに難しいの? ただ立っているだけで充分なのよ?」

 

「あー……どうも、この機械が故障してしまったようでして。」

 

「故障『させた』の間違いでしょう? 英語は正しく使いなさい。……それとアーサー、貴方はここに居るの。ここに、このタイルの上に。」

 

駅員に謝っているハリーとルーピンを尻目にブラックを叱ってから、再び改札に吸い込まれて行くアーサーを引っ張って止める。リーゼ様が居てよかったな、バカ二人。癒しが無ければとっくにキレちゃってるぞ。

 

そのままルーピンの買ったチケットでアーサーを制御しつつ改札を抜け、電車が来るまで地下のホームで待っていると、バーガーをペロリと平らげたリーゼ様が話しかけてきた。いつもながら豪快な食べっぷりだ。

 

「しかし、何だってマグルは地面の下に列車を走らせるんだろうね? 穴を掘る労力を考えれば、むしろ高い場所に造ったほうが楽じゃないか?」

 

「事故があった時に危険だからじゃないですか? 建物に突っ込んだりとかで。あとはまあ、天候の影響とかも受けないで済みますし。」

 

「私としては地下の方がよっぽど不安だけどね。……んー、やっぱり翼がムズムズするな。服に穴を開けちゃダメかい? 透明にはしておくから。」

 

「ダメです。」

 

穴を開けるだなんてとんでもないことなのだ。勿体ないのだ。神妙な顔で言ってやると、リーゼ様は若干引きつった顔でコクコク頷いてくれた。

 

「知っているかね? シリウス。ここの列車は蒸気ではなく、『気電』で走っているんだよ。きっとプラグがあるに違いない。『気電』を伝える穴のことだ。絶対にどこかに……。」

 

「それより、私はここが崩れないかが心配だ。どう見ても支えの柱の数が足りないぞ。爆破呪文などを使われたら……私の側を離れるなよ、ハリー。」

 

おバカ二人の会話を聞きながら思考を回す。聞くところによれば、イギリス魔法使いのマグル文化への理解度は世界的に見ても低いらしい。新大陸では上手く融和してその技術を取り入れているようだし、フランスに行った時もある程度の理解はなされていた。

 

これは魔法界そのものの成立が古いからなのだろうか? あるいは成立した経緯なんかも影響しているのかもしれない。……今度パチュリーに議論を吹っかけてみるか。あの図書館の魔女ならば、何かしらの答えを出してくれるだろうし。

 

「ほら、来たわよ。全員離れないようにね。」

 

内心の疑問に決着をつけたところで、ようやく到着した車両へと乗り込む。……やっぱり朝だけあって混んでるな。護衛し難いったらないぞ。はしゃいでいる『マグル探究家』や『ポンコツ動物もどき』も本来の目的は忘れていないようで、季節外れのジャケットに手を突っ込みながらハリーの周囲を囲み始めた。私と同じく、中にある杖を握っているのだろう。

 

「んむっ……奴隷船もかくやという場所だね。マグルは被虐趣味があるらしい。」

 

「ロンドンは人口密度が高いので、他に取り得る手段がないんですよ。車も混んでるでしょうし、地上の方の電車も混んでるんです。いわゆる出勤ラッシュってやつですね。」

 

私の胸のあたりにぽすんと収まったリーゼ様に、苦笑いで返事を返す。……落ち着け、アリス。変に興奮した顔になったら引かれちゃうぞ。ポーカーフェイスだ。

 

「少し奥の方に行こう。出入口の近くは混むんだ。」

 

ふむ? ルーピンの声に従って移動してみれば……まあうん、こっちは多少マシだな。席こそ空いてないものの、身動きできるスペースは残っているようだ。何だってドア付近に固まるんだろうか?

 

私がドアの守護者たちを眺めているのを他所に、犬用シャンプーの広告を見ているブラックを引っ張りながら、ちょっと心配そうな顔のハリーがルーピンに声をかけた。

 

「降りる時は大丈夫かな?」

 

「降りるのは中心街だから、人の流れに従っておけば大丈夫さ。到着の少し前に移動すれば問題ないよ。」

 

「随分と慣れてるのね。よく使うの?」

 

離れてしまったリーゼ様を名残惜しく思いながら聞いてみると、ルーピンは草臥れたような苦笑いで返事を放ってくる。

 

「マグルの日雇いの仕事をよくしていましたから。現場に移動する時にはよく使うんです。……最近は例の制度のお陰でご無沙汰ですけどね。」

 

「良いことだわ。今は人材を遊ばせておく余裕なんてないもの。」

 

ルーピンが言っているのは、『有事における魔法戦士緊急雇用制度』のことだ。この件に関しても魔法省内では一悶着あったようだが、レミリアさんやアメリアがゴリ押しして通したらしい。

 

簡単に言えば、『一定以上の戦力を有する魔法使い』に警備や緊急時の助力を要請するための制度である。魔法省の二階にある登録センターでの審査を通過した魔法使いには、偽装防止呪文と変幻自在術がかかった認識票が渡され、そこに仕事の内容が表示されるという仕組みだ。

 

まあ、身も蓋もない言い方をすれば『民兵』とも言えるだろう。少なくとも日刊予言者新聞はそう批判していた。……とはいえ、危険が伴う仕事だけに給金もいいし、魔法戦士協会の中ではかなりウケのいい制度になっている。よく仕事を頼まれるヤツなんかは評価されて鼻高々なのだ。平和な時代は余程に暇だったらしい。

 

そしてダイアゴン横丁での襲撃事件があって以来、一般の……つまり、戦闘とは何の関わりもない普通の仕事をしている魔法使いたちの登録も徐々に増えてきた。その多くは前回の戦争を経験した者たちで、そして今は家庭を、守るべきものを持つ者たちだ。

 

前回とは違うぞ、リドル。今のイギリスはきちんとお前に立ち向かおうとしている。復活を否定している連中だって、心のどこかでは認めているからこそムキになっているのだろう。遠からず目を覚ます時が来るはずだ。

 

車窓に流れる暗闇の風景を見ながら考えていると、アナウンスを聞いたルーピンが声を上げた。いつの間にか到着していたようだ。

 

「次の駅だ。少し移動しておこう。」

 

言葉に従って、周囲を警戒しつつ移動する。再び混み合うドア付近で、滅多に触れないリーゼ様の髪の感触をこっそり手の甲で楽しんでいると……むう、タイムアップか。ドアが開いて人の流れと共に押し出されてしまった。

 

「おお、この駅には『エスカベーター』があるぞ! 素晴らしい発明だ。階段を動かそうとするだなんて……マグルは本当に凄いことを考える。うん、本当に凄い。」

 

「エスカレーターだよ、ウィーズリーおじさん。」

 

新たに登場した機械に嬉々として突っ込むアーサーの背に続き、エスカレーターを抜けて改札の方へと進んで行くと……うーむ、さすがに中心街だけあってさっきの駅より広いな。色とりどりの店舗たちがリーゼ様を魅了して止まないようだ。

 

「アリス、クレープがあるぞ。物凄い種類だ。」

 

「……買いましょうか。ハリーはどれがいい?」

 

「あの、いいんですか?」

 

「当たり前でしょう? 少し脳に糖分を回しておきなさいな。これから尋問があるわけなんだから。」

 

アーサーやブラックには強く言えるが、リーゼ様を止めるのは私には不可能なのだ。いつもだってそうなのに、この格好の彼女を前にしては止める気すら起きない。諦めてさっさと購入しちゃった方が早いだろう。

 

リーゼ様がラズベリーとブルーベリーのクレープを、ハリーがチョコバナナを、そして何故かブラックがキャラメルのを買った後に、六人で再びエスカレーターを使って地上へと出ると……魔法界よりずっと慌ただしいロンドンの風景が見えてきた。相変わらず、忙しない街だな。

 

「えーっと……向こうの裏路地だったかな?」

 

「確かそうだったはずだけど……誰かマグル側の入り口を使ったことはある?」

 

アーサーに答えた私の呼びかけには、誰一人として反応を返さなかった。そりゃそうか。遥かに便利な移動手段があるのに、わざわざこんな面倒な方法を選ぶ者などいまい。そもそも『マグル側』の入り口を使っているヤツがいるのかすら謎だぞ。

 

「参ったわね、景色が昔と全然違うわ。あのビルは前からあったはずだから……こっちかしら?」

 

「多分、そのはずです。……自信はありませんが。」

 

私とアーサーのぼんやりした記憶に従って、ふらふらと路地から路地へ移動していると……あれかな? ロンドンの繁栄に取り残されたかのような寂れた一角に、赤い電話ボックスがポツリと立っているのが見えてきた。

 

「あれよね?」

 

「ああ、そうです! 見つかってよかった。それじゃあ……誰がハリーと乗りますか?」

 

「私とリーゼ様が乗るわ。スペース的にも戦力的にもそれが一番でしょうし。」

 

「それでは、我々は『潜った』のを見たら姿あらわしで移動します。」

 

重要なのは『ハリーが』魔法無しの手段で到着することなのだ。それで問題ないだろう。アーサーに頷きを返して、胡乱げに電話ボックスを見つめるハリーと一緒に中へ入る。そこにリーゼ様まで入ると……ぎゅうぎゅう詰めだな。ハリーを囲む形だからリーゼ様を楽しめないし、さっさと終わらせた方が良さそうだ。

 

「えーっと……6、2、44、2、と。」

 

記憶を頼りに古ぼけた電話のダイヤルを回すと、電話ボックスの中に声が響いた。感情の感じられない、落ち着き払った女性の声だ。

 

『魔法省へようこそ。お名前とご用件をおっしゃってください。』

 

「懲戒尋問に出席するハリー・ポッターと、その付き添いのアリス・マーガトロイドとアンネリーゼ・バートリよ。」

 

『ありがとうございます。外来の方はバッジをお取りになり、ローブの胸にお着けください。』

 

言うと、本来釣銭が出てくるべき場所からバッジが三つ転がり出てくる。『ハリー・ポッター、懲戒尋問』と『アリス・マーガトロイド、付き添い』、『アンネリーゼ・バートリ、付き添い』と書かれたバッジだ。……何だこれ? こんなもん着けたことないし、着けてるヤツを見たこともないぞ。

 

『魔法省への外来の方は杖を登録いたしますので、守衛室にてセキュリティチェックをお受けください。守衛室はアトリウムの一番奥にございます。』

 

その声をきっかけに、電話ボックスは地面の下へと降下し始めた。……守衛室? 魔法省には何度も来ているが、セキュリティチェックがあるのも初めて知ったぞ。エレベーター横のあの部屋は物置じゃなかったのか。

 

「魔法省って、地下にあるんですか?」

 

ガタガタ揺れ動く電話ボックスの中、不安そうに聞いてきたハリーに答えを返す。

 

「その通りよ。マグルの目から隠すために地下に建設したんだけど……地下鉄が通る時は酷い騒ぎだったらしいわね。」

 

「十九世紀の半ばくらいかい? その頃は私もレミィも魔法界とはあまり関わってなかったな。積極的に関わり始めるほんの少し前だね。」

 

リーゼ様が何気なく言った台詞に、私とハリーは揃って微妙な表情を浮かべる。こういう言葉を聞くと、吸血鬼の長命っぷりを改めて実感してしまうな。ロンドンに地下鉄が建設され始めた頃だなんて、パチュリーですら生まれていないはずだ。

 

その頃のロンドンはどんな場所だったのだろうか? 私が本や写真を通してしか知れない風景を、その目で直に見れることに少しだけ羨ましさを感じていると……到着か。電話ボックスに再び光が射し込むと同時に、ガタンという大きな振動と平坦な女性の声が響いた。

 

『魔法省です。本日はご来省ありがとうございます。』

 

電話ボックスのドアがひとりでに開き、三人揃ってそこを出る。うーむ、ここからの景色は初めてだな。どうやらアトリウムの一番端っこに出たようだ。

 

磨き抜かれた真っ黒なエボニーの床と壁。天井に煌めく金色の幾何学模様。左右に立ち並ぶ暖炉の先には、魔法族の和の泉が見えている。初めて見る魔法省に感動しているらしいハリーに微笑んでいると、少し離れた場所からアーサーたちが小走りで近付いてきた。

 

「ここまで来れば安全だ。行こう、ハリー。」

 

「はい。」

 

アーサーの案内で一行が歩み出すが……そういえば、リーゼ様は来たことがあるのだろうか? 特に興味深そうな表情じゃないし、初見というわけではないようだ。

 

しかし、いつ来たんだろう? 少なくとも私には思い当たる節がないぞ。首を捻りつつもエレベーターの方へと歩いて行くと、ハリーが立ち並ぶ暖炉の隙間にポツリと立っている真っ白な大理石を見て質問を放ってきた。

 

「あれは?」

 

「……慰霊碑よ。『ハロウィンの悲劇』の犠牲者たちのために建てられたの。」

 

真っ黒なアトリウムに不釣り合いな白い大理石。滑らかな板状の表面には、あの日犠牲になった魔法使いたちの名前がズラリと刻まれている。いつ見ても花が供えてあるその場所を見ながら、ハリーが少し悲しそうな表情で呟いた。

 

「それじゃあ……サクヤの両親の名前も?」

 

「そうね。他にも知り合いの名前は沢山あるわ。……嫌っていうほどに沢山。」

 

イギリス魔法省に残された消えない傷。あれは教訓であり、警告なのだ。決して忘れてはいけない過去であり、もう二度と同じことを起こさないための決意でもある。

 

親友と、名付け子。そして数多くの友人たち。多くの見知った名が刻まれたその石碑を、アリス・マーガトロイドは静かに見つめるのだった。

 



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懲戒尋問

 

 

「バカバカしすぎて言葉も出ないわ。」

 

評議員席にずらりと並ぶ顔触れを眺めながら、証人席に座るレミリア・スカーレットはやれやれと首を振っていた。未成年の魔法不正使用に大法廷審理だと? どうかしてるぞ。

 

魔法省地下十階の十号法廷……つまりイギリス魔法省でもっとも格式高い法廷では、百人近い魔法使いが今や遅しと懲戒尋問の開廷を待っている。評議員、証人、廷吏、取材陣、そして細々とした役職の職員たち。『ガキの火遊び』を審理するためにこれほどの人間が集められたわけだ。アホくさ。

 

本来この大法廷というのは、違憲審理や立法審査、魔法大臣の罷免決議、国際的な指名手配犯の裁判だったり、多数の凶悪犯の合同裁判なんかを行うために開かれる法廷だ。定足数二十三名。裁判長は魔法大臣。イギリス魔法界最大規模の法廷なのである。

 

当然、最初はこんなことになるはずではなかった。本来ウィゼンガモット管轄の小法廷で審理されるところに私が執行部を使って介入し、それに過剰反応したウィゼンガモットが他の評議員を巻き込み、そして更に私がそれをひっくり返すために友好的な評議員を審理に組み込ませ……ってな感じで、雪だるま式に規模が大きくなってしまったのだ。

 

結果、この有様である。……今日の懲戒尋問はイギリス魔法史に残るかもしれんな。政争による司法の歪みの典型例として。あまりのバカさ加減に後世の魔法使いたちは笑うだろうさ。

 

内心どうでもいいことを考える私へと、隣に座るスクリムジョールが声を放ってきた。……ちなみに、その向こうには瞑目してるんだか居眠りしてるんだかのダンブルドアも座っている。私の連絡には鈍い反応しか寄越さないくせに、ハリーの危機にはすっ飛んでくるらしい。

 

「実際、誰もがそう思っているでしょうな。それでもこれだけの人間が集まったのは、この審理が『ハリー・ポッターの懲戒尋問』の名を借りた貴女とウィゼンガモットの政争だと理解しているからですよ。」

 

「でしょうね。味方、敵、そして立場を決め兼ねている者とただの野次馬。……負けられないわよ。今日の結果次第では鞍替えするヤツも出てくるはずだもの。」

 

「それには同意しますが……不幸なのは巻き込まれたポッター少年ですね。さすがに同情しますよ。」

 

「ま、それについては申し訳ない限りよ。後でちょっとした誕生日パーティーを開くみたいだし、そこで謝っとくわ。」

 

この法廷内でハリーの行く末について真面目に考えている者はごく僅かだろう。下手するとダンブルドアただ一人かもしれないくらいだ。懲戒尋問などあくまで舞台。本質的にはどうでもいいことなのだから。……いやまあ、さすがに杖を折られたら困るし、私なんかはそうも言っていられないわけだが。

 

テーブルに頬杖をつきながらため息を吐いていると、コーネリウスが入廷してきたのが目に入ってくる。うーむ、今日も今日とてやる気ゼロだな。魔法大臣最後の日を迎えた彼は億劫そうに裁判長席に着くと、いそいそと雑誌を取り出してそれに何か書き込み始めた。クロスワードパズルでもやってるのか?

 

雑誌に夢中な裁判長の左手には執行部部長であるボーンズと、ウィゼンガモット大法廷評議会議長であるチェスター・フォーリーが。右手には副議長であるアディティア・シャフィクが座っている。

 

ガリガリに痩せたフォーリーはヨーロッパ大戦当時のイギリス魔法大臣であるヘクター・フォーリーの息子で、グリンデルバルドの危機を全然認識出来なかった父親同様、リドルの危機を正しく認識しようとしていない能無し老人だ。あの『枯れ草』は暖炉の焚き付けくらいにしか使えん。

 

そして、でっぷり太ったシャフィクはカースト制度の信奉者。要するに、純血主義でヒト至上主義で魔法族上位主義の超クソ爺である。当然ながら吸血鬼も大っ嫌いなようで、アンブリッジなんかとは頗る話が合うらしい。

 

コーネリウスを含めたこの四人が被告人への尋問を行い、最終的には法廷を囲むように座っている評議員たちの多数決で判決が出る、という仕組みになっている。今回だと……六十人弱かな? つまり、三十人分くらいの無罪を確保するのがこちらの勝利条件なわけだ。

 

現状では……私が六、相手方が四ってとこだな。今回幸運だったのは、質ではなく量の勝負であるという点だろう。評議員の上層部は軒並み『反吸血鬼派』だが、末端に行けばいくほど『親吸血鬼派』が増えてくる。というかまあ、反吸血鬼派が重用され、親吸血鬼派は追いやられているわけだから当然っちゃ当然だが。

 

こと今回の法廷においては末端だろうが一票は一票。である以上、一応は私に有利な状況を確保出来ているわけだ。……問題は、事前の工作でどこまでひっくり返されているかだな。私だっていくらか翻意させてるんだし、向こうだって手は打ってきているだろう。そればっかりは実際カードをオープンしてみないと分からないのである。

 

負けそうになったら『強硬手段』でいこうと決意しながら、用意されていた水を床にぶち撒けて持ち込んだワインと交換していると……おっと、遂に『主役』のご登場だ。

 

十階の薄暗い廊下に続くドアから、スーツに『着られている』ハリー・ポッターがオドオドと入廷してきた。テーラーメイドなのが一目で分かる、クソ高価そうなスーツだが……いやいや、全然似合ってないぞ。どう見ても学生には分不相応な一品だ。

 

「被告人席に着席せよ。」

 

「あの……はい。」

 

冷たい声の廷吏に導かれて、ハリーは不安そうに周囲を見回しながら被告人席に着席する。それを見たコーネリウスがガベルを叩いて気怠げな声を上げた。凄いな。厳密に言えば始まってもいないのに、もう終わって欲しそうな顔になってるぞ。

 

「あー……では、七月三十一日、懲戒尋問を開廷する。内容は未成年魔法使いの制限法と、国際機密保持法に関する違反についての審理。被告人はハリー・ジェームズ・ポッター。住所はサレー州、リトル・ウィンジング、プリベット通り四番地。」

 

『面倒だけど読んでます』という態度を隠そうともしないコーネリウスは、次に尋問に関わる面子の名前を読み上げ始める。法廷書記がそれを必死に書き留めているが……やっぱり自動筆記羽ペンじゃダメなのかな? 取材席のスキーターは余裕の表情で羽ペン任せにしているが。

 

「尋問官を務めるのは、コーネリウス・オズワルド・ファッジ魔法大臣、チェスター・フランクリン・フォーリー評議会議長、アディティア・ラヴィ・シャフィク副議長、アメリア・スーザン・ボーンズ魔法法執行部部長。」

 

尋問そのものはやる気無しのコーネリウスを抜いて二対一だ。危なくなったら横槍は入れるが……頼むぞ、ボーンズ。次期魔法大臣としての格を見せてみろ。

 

「えー……そして被告側証人、レミリア・スカーレット国際魔法使い連盟名誉顧問、ルーファス・スクリムジョール闇祓い局局長、アルバス・パーシバル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドア魔法魔術学校校長。」

 

私とスクリムジョール、そしてようやく目を開けたダンブルドアの頷きを受けて、コーネリウスは次に罪状に関してを読み始めた。……ちなみにハリーはずっとキョロキョロしっぱなしだ。そりゃそうか。普通ビビるぞ、こんなもん。

 

「では、罪状、罪状……これか。あーっと、被告人の罪状は以下の通り。被告人は魔法省から数回に渡って魔法の不正使用に関する警告文を受け取っており、被告人の行動が違法であることを十分に熟知し、理解しながらも、去る七月二十六日十八時十一分、マグルの居住地区にてマグルの目前で守護霊の呪文を行使した。これは未成年魔法使いの妥当な制限に関する法令のC項、及びに国際魔法戦士連盟機密保持法の十三条の違反に当たるものである。」

 

おっと、罪状文が『改正』されちゃってるな。二度の警告文に関してハリーには何の咎も無いことを明記してあったはずなんだが……どうやら向こうに先手を取られてしまったらしい。

 

罪状を面倒くさそうに読み上げたコーネリウスは、緊張した様子のハリーに向かってお決まりの事実確認を開始する。

 

「さて、それでは……被告人の名前、住所については間違いなかったかね?」

 

「はい、間違いありませんでした。」

 

「では、次に前提の確認に移る。被告人は三年前、魔法の不正使用によって魔法省から警告文を受け取った。間違いないかね?」

 

「はい。でも、その件に関しては僕じゃないって証明されているはずです。ドビーの……屋敷しもべ妖精の魔法だったって。」

 

ちょっとぎこちないハリーの反論を受けて、シャフィクが三重顎を動かしながら何かを喋ろうとするが……その前にボーンズが声を上げた。

 

「その件に関しては執行部に記録が残っております。確かにあの事件は屋敷しもべ妖精が起こしたものであり、被告人は一切の違法行為を行なっておりません。」

 

「しもべ妖精が? 馬鹿馬鹿しい。しもべ妖精がマグルの家に居たと? 執行部はもう少し正確な捜査を行うべきではないかね?」

 

「件のしもべ妖精は現在ホグワーツにて雇用されていますので、お望みならば呼んで確かめてみてはいかがですか? ……可能でしょう? ダンブルドア校長。」

 

「無論、可能じゃ。場合によっては真実薬を使った証言すら辞さぬとの言葉を預かっておる。」

 

ダンブルドアの言葉を受けて怯んだシャフィクへと、ボーンズが更なる追撃を送る。ここを突っ込まれるのは予想済みだったのだ。

 

「そもそも、その事実に関しては罪状文に記載してあったはずですが? ……何故抜け落ちているのかを後できちんと確かめる必要がありますね。大法廷における審理の遅延行為は許されるべきではない。そうは思いませんか? シャフィク副議長。」

 

「ああ、まあ……その通りだ。」

 

余計な小細工をするからそうなるんだぞ、肉達磨。見事にカウンターを食らったシャフィクが黙ったところで、それをどうでもよさそうに見ていたコーネリウスが事実確認を再開した。

 

「もういいかね? ……結構。次に二年前に受け取った警告文に関してだが、これについては私が罪無しと決定している。魔法使いの権利章典に基づいて、無罪判決を受けた事案に関しては本審理において一切の影響を齎さない。……異議のある者はいるかね?」

 

コーネリウスの確認には、フォーリーもシャフィクも噛み付いてこなかった。残念。もしこの辺を追求してくれば権利侵害で叩けたのだが……一応、あっちも専門家なのだ。そこまで上手くはいかないか。

 

「結構、結構。では、最も重要な七月二十六日の事実確認に移ろう。この日の午後六時十一分、被告人はマグルの面前で守護霊を出現させたことを認めるかね?」

 

「はい。でも、吸魂鬼が居たんです! 二体の吸魂鬼が──」

 

「吸魂鬼? ふん、吸魂鬼だと? ……この少年の言葉を聞いたかね? 吸魂鬼が居たんだそうだ。リトル・なんちゃらとかいうマグルの町に。」

 

まあ、そう来るよな。物凄いバカにした口調でシャフィクが嘲るのと同時に、フォーリーが手元の羊皮紙を見ながら声を放つ。打ち合わせしてた感丸出しだぞ。

 

「既にアズカバンには確認を送っている。その時間、吸魂鬼は間違いなくアズカバンを離れてはいなかったそうだ。一体たりとも、間違いなく。」

 

「実際に居たんです! 二体の吸魂鬼が。吸魂鬼はダドリー……僕の従兄です。彼にキスしようとしていました。何の関係もないマグルの魂を吸おうと! だから僕は彼と自分の命を守るために、止むを得ず守護霊の呪文を使ったんです!」

 

うんうん、それでいい。自分と他者に生命の危険が迫ったことを証言するのが重要なのだ。こちらもちょっと台詞を読んでる感じがあったし、恐らくリーゼかアリスあたりがそう主張しろと入れ知恵したのだろう。

 

「信じられんほどのたわ言だな。そもそも吸魂鬼は居なかったのだ。被告人は大嘘を吐いて法令七条にある例外事項を利用しようとしているか、もしくは……そう、幻覚でも見たのではないかね? 『例のあの人』が復活したとかいうのと同じような、幻覚を。」

 

フォーリーが侮蔑の視線と共に言うのを受けて、ハリーは反論を放とうとするが……その前にシャフィクが口を開く。どうやら彼らはここが攻め時だと考えたようだ。

 

「我々が調べたところによると、君は随分と『目立ちたがり屋』のようだね? ホグワーツでも様々な事件を起こしているとか。……いや、それも仕方がないだろう。『生き残った男の子』などと持て囃されればそうなるのも無理はない。マグルに見えない吸魂鬼を言い訳にしてきたところも評価しよう。それなりに頭は回るようだ。……だが、今回は少しばかりやり過ぎたようだね。大法廷はそこまで愚かではないのだよ。君のような『目立ちたがり屋』が成人してから大きな事件を起こさないように、この辺で──」

 

と、そこまで言ったところでいきなりシャフィクが後ろに倒れ込んだ。すんごい勢いだったな。こっからだとよく見えないが、どうやら椅子の脚が折れてしまったらしい。……ああ、なるほど。この法廷内には透明の『悪戯っ子』が紛れ込んでいるわけか。

 

そうこなくっちゃな、ペタンコ。全員が倒れたシャフィクに注目したところで、立ち上がって大声を張り上げた。当然、物凄く焦った表情を浮かべながらだ。

 

「あら、大変! 廷吏は何をしているの? 早くシャフィク副議長を『救出』なさい! このままだと自分の肉に押し潰されて死んじゃうわ!」

 

「やめろ、不要だ。自分で立てる。自分で……やめろと言っているだろうが! 私は自分で立てる!」

 

『何故か』倒れた椅子が全然動かない所為でいつまでも立てないシャフィクを、廷吏たちが慌てて引っ張り起こし始める。……よしよし、いいぞ。この騒動で空気はリセットされた。

 

そしてボーンズもそれを感じ取ったようで、ようやく起き上がったシャフィクに冷たい視線を向けながら言葉を発する。

 

「この法廷は貴方の個人的な『思想』を語る場所ではなく、被告人の行動を審理するための場所です。裁判長、恣意的な発言は禁じるべきでは?」

 

「あー……その通り。シャフィク副議長は発言に注意するように。」

 

コーネリウスが言われるがままに注意を送ったのと同時に、今度は私が声を上げた。ハリーの主張も確認出来たし、そろそろ頃合だろう。

 

「発言しても? ……それじゃ、証人として発言させてもらうわ。ここに居る全員が理解したように、本件において争点となっているのは吸魂鬼がリトル・ウィンジングに居たかどうかなのよね? 被告人は居たと主張し、アズカバンは吸魂鬼は離れていないと主張している。ここまではいいかしら?」

 

その言葉に反論が出ないのを確認してから、肩を竦めて話を続ける。

 

「だけど、本当にアズカバンは吸魂鬼を『管理』出来ているの? あれだけ沢山いるわけなんだし、二体くらい消えても気付かないんじゃない?」

 

「それは『素人』の無知な意見ですね。アズカバンは三百年近くに渡って吸魂鬼を管理し続けてきました。その間、吸魂鬼がマグルの居住地区に出没したことがありましたか?」

 

「『記録には』残ってないわね。でも、アズカバンが吸魂鬼を制御出来ていないのは一年前のホグワーツでの一件を鑑みれば明らかじゃないの。連中は無実の一年生を二人ほど襲ったわけだけど?」

 

「その一件は当時刑務官だったアンス・ラデュッセルの独断です。あのような危険思想の犯罪者を刑務官に任命したことに関しては、確かにアズカバンの失態だったと言えるでしょう。しかし、それは今回の一件とはまた別の話です。」

 

フォーリーの冷静な反論に、コクリと頷いてから続きを語り始めた。……ここまでは筋書き通りだ。本題はここから。

 

「そうね。……それじゃあ、その一件以降アズカバンは完璧に吸魂鬼を管理出来ているのね? 七月二十六日の午後六時も、今日この瞬間も。欠けることなく、完全に。確かにそうだと言い切れるの?」

 

「言い切れます。……必要ならば書類を提出しましょうか?」

 

「書類は結構。代わりに被告人側証人の入廷を申請するわ。この部屋の前まで連れて来てるから……入れても構わないかしら? コーネリウス。」

 

後半をコーネリウスに向けて言うと、彼は気軽な感じで首肯を返してきた。どうも飽きてきちゃったようだ。安心しろ、もう終わるから。

 

「証人の召喚は被告人の権利です。どうぞご自由に。……誰か? 入れてやってくれ。」

 

「ああ、スクリムジョールを行かせるわ。ちょっと『気難しい』方だから。……エスコートをお願い出来る? スクリムジョール。」

 

「喜んで。」

 

すっくと立ち上がったスクリムジョールは、キビキビとした動作で一度部屋を出ると……そら、証人のご登場だぞ。キャスター付きの巨大な檻を法廷内に運んできた。中に五体の吸魂鬼が詰まった檻を。

 

「な、何を……何を考えているのだ!」

 

シャフィクの驚愕したような声が響くと同時に、一斉に檻から評議員たちが離れていく。私は全然感じないが、怖気を誘う寒さとやらが部屋に満ちているのだろう。苦笑しながらのダンブルドア、呆れた表情のボーンズ、そして何人かの『資格ある』評議員たちが守護霊を出したところで、ようやく騒ぎが徐々に収まってきた。

 

「ハリー、貴方も出していいわよ。いい『証明』になるでしょ。」

 

白い顔になってしまった被告人席のハリーに呼びかけてやると、コクコク頷いた彼は杖を振って牡鹿の守護霊を出現させる。……おやおや、評議員の何人かは感心顔だ。守護霊を出してるヤツの割合から見るに、ここに居る大半の連中は十五のガキに出来ることが出来ないらしい。

 

ちなみにコーネリウスとシャフィクは出せていないが、フォーリーはカワセミの守護霊を近くに控えさせている。思想はともかく、魔法の腕前は多少あるようだ。

 

生意気なヤツめ。鼻を鳴らして証人席を立ち上がってから、檻の近くに移動して言葉を放った。心底呆れたような表情で、大きく肩を竦めながら。

 

「ここに居るじゃないの。管理外の吸魂鬼。」

 

論より証拠、書類より吸魂鬼。平然と檻の中の吸魂鬼をチョンチョンしている私にシャフィクは怯むが、フォーリーは厳しい顔で反論を寄越してくる。

 

「ふざけないでいただきたい! こんな茶番が認められるとでも? 吸魂鬼の管理はアズカバンの管轄です。勝手に拘束するなど許されることではない。」

 

「魔法大臣の認可は得てるわ。アズカバンの管理能力を抜き打ちで査定するために、執行部主導で四日前にこっそり『お連れした』んだけど……変ね。アズカバンの看守たちは何をやってるのかしら? 誰か吸魂鬼が五体も消えたという報告を受けた人は居る? 『欠けることなく、完全に』管理されてるはずなんだけど。」

 

びっくり仰天の表情で評議員たちを見回してみると、半数ほどは苦笑して、四割ほどはバツが悪そうに目を逸らしてしまった。バカどもが。五日もあるのに私がのんびり開廷を待つとでも思ったのか? 色々と『悪巧み』してるに決まってるだろうが。

 

『魔法大臣の認可』と聞いてフォーリーはコーネリウスを睨みつけているが、当のコーネリウスはキョトンとした顔で首を傾げるばかりだ。無理もあるまい。今の彼は自分がどんな書類にサインしてるかを知らないのだから。

 

私がニヤニヤしながらフォーリーを見ていると、今度は吸魂鬼ショックから立ち直ったらしいシャフィクが文句を捲し立ててきた。おいおい、オムツを替えなくていいのか?

 

「それとこれとは別だ! 執行部が吸魂鬼を『盗み出せた』からといって、吸魂鬼が自分の意思でリトル・なんちゃらに行ったことなど証明出来まい?」

 

「別に誰も『自分の意思で吸魂鬼がお出かけした』なんて言ってないでしょ。私は吸魂鬼を連れ出すことが可能で、それをアズカバンが把握出来ないことを証明したの。つまり、ハリー・ポッターの命を狙う、もしくは彼の不利益を望む魔法使いにもそれが可能ってことよ。」

 

「だが、確たる証明ではない!」

 

「そして吸魂鬼が居なかったってことも証明出来なくなったわね。……疑わしきは、何だったかしら?」

 

私が冷たく言い放つと、スクリムジョールが更に冷たい声で補足を追加する。刺々しい、絶対零度の声だ。

 

「一応補足しておきますと、事に当たったのは僅か三名の職員です。この人数で可能なのであれば、実行そのものはそう難しくないでしょう。……いや、驚きですな。アズカバンの管理体制がこれほど杜撰だとは思いもしませんでした。まさか四日経った今でも一切報告が上がらないとは……魔法法執行部はこの調査結果を重く受け止めております。」

 

正確に言えば、ムーディ、シャックルボルト、ロバーズという闇払い局でも指折りの三人が『誘拐犯』なわけだが……まあ、その辺は省略してよかろう。三人は三人。嘘ではない。

 

スクリムジョールの怜悧な視線を受けたシャフィクが口を噤んだところで、今度はダンブルドアが穏やかな声で語り始めた。顔にはいつもの柔和な微笑みが浮かんでいる。

 

「ふむ、どうやら話がズレてきているようじゃな。どうですかな? そろそろ決を採っては如何でしょう? 十五歳の少年をこれほど大勢の魔法使いが取り囲み、その行いや人格を根掘り葉掘り責め立てた。……もうよろしいのでは? わしはここに居る皆様が、恥ずべきことを恥じることの出来る人間だと信じる次第じゃ。」

 

ダンブルドアの柔らかい、それでいて威厳を感じさせる言葉を受けて、派閥を問わず法廷のほぼ全員が居心地悪そうな顔になってしまった。要するに、ダンブルドアは『やり過ぎだ』と言っているわけだ。いい大人ならもう少しやり方を選べ、と。

 

ハリーの尋問とは一切関係ない言葉だったが、それでも後ろめたい感情はあったのだろう。ダンブルドアの言葉は中立を保っている連中の何人かから無罪を引き出したらしい。数人は『もういいじゃん』という顔になってしまっている。

 

そして、その感情に背を押されたのか、それとも早く大臣室に帰って荷物の整理をしたかったのか。詳細は定かではないが、コーネリウスが訪れた沈黙を引き裂くように声を上げた。

 

「まあ、その通り。そろそろ良いでしょう。……では、有罪に賛成の方は杖を挙げていただきたい。」

 

言葉に従って、明らかに半数以下の杖が挙がった。フォーリー、シャフィクは当然杖を挙げているが、その他に挙げているのは二十に届くか届かないかといった程度だ。

 

「あー、結構。では、無罪放免に賛成の者は?」

 

そう言って自分も杖を挙げたコーネリウスの声に従って、今度は七割近くの杖が挙がる。うん、上々。思ってたより余裕の勝利だったな。他にも色々と仕込んでおいたんだが……ちょっと拍子抜けだぞ。台本通りに進んで、台本以上で終わった感じだ。

 

「それでは、ハリー・ポッターは無罪放免。これにて閉廷。」

 

ま、こんなもんだろうさ。最後までやる気を感じさせないコーネリウスの言葉を聞きながら、レミリア・スカーレットは檻の中の吸魂鬼にウィンクを送るのだった。

 



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彼女が得たもの

 

 

「つまり、私は十五歳なんかじゃないし、ホグワーツで学生をやっているのも本来は任務のためなんだ。……ハリーを守るという任務のね。」

 

ダイアゴン横丁のカフェの店内。目の前に座るハーマイオニーとロンに対して、アンネリーゼ・バートリは静かに告白していた。……長い自白の時間も終わり、後は判決を待つのみだ。

 

今日は二年ぶりの『お買い物会』に来ているのである。モリー、双子、ロン、ジニー、そしてハーマイオニーと私で一緒に来学期の学用品を買い揃えようというわけだ。ダイアゴン横丁はこの前騒ぎが起きたばかりだし、集団で買い物をするのは悪くない選択だろう。

 

ちなみに咲夜と魔理沙は、それぞれ親バカ吸血鬼と過保護なお姉さんから『外出制限』を食らっているため来ていない。当然、ハリーもだ。三人の分は纏めて私が用意することになっている。

 

本人は残念がっていたが、ハリーが来ると護衛だらけのお買い物になってしまうのだ。彼も懲戒尋問の旅路で懲りたらしく、苦笑しながらも納得してくれていた。……私は結構楽しかったんだがな。

 

そんな中、モリーに頼んで三人の時間を作ってもらったというわけだ。まあ……うん、私の懺悔のために。夏休みも三分の二が過ぎてしまった今、延び延びにしていた宿題を終わらせる時が来たのである。

 

とはいえ、話せない箇所も未だ多い。運命のこと、ヴォルデモートとハリーの繋がり、騎士団についての詳細。少なくともハリーの閉心術の訓練が終わるまでは、二人にもこの辺りの事情を話すわけにはいかないだろう。

 

しかし、基本的な部分は全て話し終えた。年齢のこと、任務のこと、魔法技能のこと、レミリアやアリスとの関係、前回の戦争との関わり。さすがに血生臭い箇所は省いているが、概ね全体を語り終えたのだ。

 

それらを黙して聞いていた二人は、緊張する私を前に顔を見合わせて……やがて困ったように苦笑しながら口を開く。ハリーの時と同じような表情だ。呆れたような、それでいて柔らかい苦笑。

 

「あのね、私は……うん、正直言って四年生の時には気付いてたわよ。貴女が私たちと同じ年齢じゃないってことくらい。まあ、ハリーの護衛をしてたってのにはちょっと驚いたけどね。てっきり長命種だから、今が学生期間なのかと思ってたわ。」

 

「僕は全然気付かなかったけどな。驚いたよ。そりゃあ驚いたけど……でも、君はリーゼなんだろ? 別にそのこと自体は偽ってるわけじゃなくて。だから、つまり……くそ、上手く言えないな。」

 

もどかしそうに言葉を探すロンに微笑みかけながら、ハーマイオニーが助け船を差し出した。

 

「要するに、リーゼ。貴女は私たちのことをどう思ってるの? 必要だから私たちと仲良くしてた? 任務のために友達ごっこをやってたってこと?」

 

「最初は、そうだったかもしれない。ハリーとの関係を構築するための一つの要素だった。だが、今は本当に友人だと思っているよ。……もしも、まだキミたちがそれを許してくれるならね。」

 

「それなら何の問題も無いわ。私をあまり侮らないで頂戴。……私にとっての貴女は誰よりも大事な親友だし、それは年齢やら仕事やらで壊れるほど脆い気持ちじゃないの。ロンだってそうでしょ?」

 

当然でしょと言わんばかりにハーマイオニーが問いかけると、ロンも大きく頷きながら言葉を放つ。今度は自信を持ってはっきりとだ。

 

「そりゃあそうだよ。僕はハーマイオニーほど賢くないから上手くは言えないけど、リーゼに何かあったら助けたいって思うし、リーゼだって僕に何かあったら助けてくれるだろ? ……だから、それが友達ってことなんじゃないかな。年齢とか、種族とかはそんなに関係ないんだよ、きっと。」

 

私を射抜く二つの真っ直ぐな視線に、少しだけ脱力しながら肩を竦めた。ハリーの言っていた通り、二人も私が思うほど怒ってはいないようだ。

 

「参ったね。怒らないのかい? 理由はどうあれ、結構な数の嘘を吐いていたわけだが。」

 

「怒ってるわよ。そんな些細なことで私たちが貴女を見限るかもって思ってたことにね。そんなに狭量だと思ってたの?」

 

「そうじゃないさ。そうじゃないが……分かったよ、降参だ。私はキミたちを侮ってた。どうやら、キミたちは私が思うよりもよっぽど大人だったようだね。」

 

「うんうん、分かればいいのよ。」

 

戯けて鼻を鳴らすハーマイオニーに、両手を上げて降参のポーズを示す。『些細なこと』ね。緊張してたのがバカみたいだな。……フランもホグワーツで『これ』を手に入れたわけか。そりゃあ、あれだけ変わるわけだ。今なら彼女の気持ちがよく分かる。

 

氷が溶けてしまったアイスティーにようやく口をつけた私に、ロンがコーヒーにシロップを追加しながら話しかけてきた。それで五個目だぞ。

 

「でもさ、何で今話したんだ? まさかホグワーツを辞めるとかじゃないよな? ……だってほら、よくあるだろ? 姿を消す前の告白的な。」

 

「いや、ハリーにバレちゃったのさ。闇の帝王どのと話した時に私の名前が出てきたみたいでね。……それに、今の魔法界は安全とは言えないだろう? 私に何が出来るのかを、キミたちは知っておいた方がいいと思ったんだよ。」

 

「そっか。……うん、よかったよ。いや、魔法界のことは良くないんだけど、リーゼが居なくならなくって良かったってこと。」

 

「嬉しいことを言ってくれるじゃないか、ロニー坊や。」

 

私がクスクス笑いながら言ったところで、今度はハーマイオニーがカフェの窓越しにダイアゴン横丁の大通りを見て口を開く。いつもより少し活気がない大通りを。

 

「でも、ホグワーツは大丈夫なのかしら? ダンブルドア先生が代理を立てるだなんて……不安だわ。あの方が居るからどこよりも安全だったのに。」

 

「心配ないさ。私もレミィも、そしてダンブルドア当人も。ホグワーツに関しては何一つ心配しちゃいないよ。今年のあの城はヨーロッパで最も堅固な城塞だ。パチェが居る限り、何の問題も生じないだろうね。」

 

マクゴナガルの胃と防衛術の授業以外は、だが。気楽な感じで言う私に、ハーマイオニーがキョトンとした表情で質問を寄越してきた。

 

「えっと、知り合いなの? パチュリー・ノーレッジさん。」

 

「そうだな……私の知る中で最も強力な魔法使いだよ。パチュリー・ノーレッジ、ゲラート・グリンデルバルド、そしてアルバス・ダンブルドア。並べるならこの順だね。」

 

「ダンブルドア先生が三番目ってこと? それに……グリンデルバルドは死んだって予言者新聞で見たわよ。ヌルメンガードの集団脱獄の時に仲間割れの末倒れたって。日刊でも夕刊でもトップニュースだったわ。」

 

「さて、どうかな? キミたちはダンブルドアの訃報が報じられたら信じるかい?」

 

悪戯な笑みで問いかけてやると、ハーマイオニーとロンはすぐさま首を横に振る。イギリスの魔法使いなら大抵が同じ反応を返すだろう。先ずは誤報を疑い、次に何者かの策略を疑うはずだ。

 

ゲラートに関しては私は生きていることを知っているわけだが、もしそれ無しだとしても私は訃報を信じまい。あの男にもダンブルドアと同じく、そう思わせるだけの実績と華があるのだから。

 

「私もそれと同じ気持ちなのさ。世界を相手に喧嘩を売って、三十年近くも優位を保ち続けた男だぞ? そんなつまらん死に方は似合わないね。……まあ、とにかく、パチェはその二人に勝るとも劣らない大魔法使いなんだよ。彼らほど人を操るのには長けていないし、積極的に社会に関わるようなタイプでもないが、こと単純な戦闘に限れば二人同時に相手取っても勝つだろうさ。」

 

ゲラートとダンブルドアが人を導き、それ故に大きく見えるのに対して、パチュリーはただ一人で完結している魔女だ。魔法界への影響力など一切無いが、その力そのものはあの二人を大きく凌ぐだろう。

 

正直言って、今のパチュリーがどれだけ強くなっているかは私にすら分からん。弾幕ごっこはあくまで『ごっこ』。私だって隠し札はいくつかあるし、そう簡単に負けないとは思うが……どうだろう? 真っ正面から本気で殺し合ったら勝てないかもしれんな。

 

ま、いいさ。そういうのはスカーレット家の得意分野であって、私の得意分野は外道の戦い方だ。お互いに準備万端で正々堂々やり合うのではなく、闇に潜んで無防備な一瞬を狙う。それこそがバートリ家のやり方なのである。大体、それが本来の吸血鬼ってもんだぞ。

 

私が『正しい』戦い方にうんうん頷いているのを他所に、ハーマイオニーはちょこっと安心したような表情で口を開いた。

 

「そう? リーゼがそこまで言うなら安心なんでしょうね。……それに、新聞には防衛術の教師も兼任するって書いてあったわ。教科書のチョイスも素晴らしかったし、今年の授業も期待できそうね。」

 

「それ、僕のママには絶対に言うなよ? 二十八冊も教科書を買わされる羽目になって嘆いてたんだ。一つの授業で二十八冊だぜ? 狂ってるよ。もし僕が監督生に選ばれてなかったら、きっと教科書無しで……そうだ、監督生! 僕、監督生に選ばれたんだよ!」

 

言葉の途中で急に笑顔になったロンは、シャツの胸ポケットから見慣れた監督生バッジを取り出すと、それを高らかに掲げ始めた。……パーシーは死んでないだろうな? だとしたら弟に乗り移ってるぞ。

 

「あら、私もよ。……ほら。」

 

そしてハーマイオニーも輝く『優等生』バッジをジーンズのポケットから取り出す。……ハーマイオニーは順当な結果だと思うが、ロン? ロンは監督生って感じじゃないと思うぞ。能力の問題じゃなく、向き不向きの問題だ。面倒見の良さを評価されたかな?

 

本人にも自覚はあるようで、ロンは掲げていたバッジをテーブルに置いてからポツリと呟いた。

 

「でも、僕はハリーが選ばれるんだと思ってたよ。だってハリーは……ほら、色々と『活躍』してただろ?」

 

「まあ、同時に『問題児』でもあったしね。監督生に相応しい種類の活躍じゃなかっただろう?」

 

「そうね。何にせよ、選ばれたならそれに応えるべきよ。私のパパやママも喜んでたわ。『監督生』って概念はマグルでも理解できるから。」

 

「うん、僕のママも喜んでた。……そうだ、箒を買ってもらえることになったんだ。教科書が多過ぎて説得は難しかったけど、ママはよっぽど嬉しかったみたいでさ。大臣が変わってパパが昇給したみたいだし、何より監督生はパーシーで終わりだと思ってたんだよ。」

 

そりゃあそう思うだろう。……いや、末妹あたりはまだ可能性があるか。金銀コンビやルーナのいい抑え役になってるみたいだし。ただまあ、双子のインパクトが強すぎたのかもしれんな。あの二人は監督生という単語がこの世で一番似合わないぞ。

 

今年遂に卒業となる、ホグワーツを代表する悪ガキ二人組について考えていると……ハーマイオニーが窓の向こうへと手を振りながら言葉を放った。おっと、グリンゴッツに行ってたモリーが迎えに来たようだ。

 

「ウィーズリーおばさんよ。話は終わったし、行きましょう。……もう終わったのよね? まさか実は男でしたとは言わないでしょ?」

 

「残念ながら、純然たる『女の子』だよ、私は。」

 

「んー……そうね、それだけはちょっと残念だわ。」

 

「なんだそりゃ。」

 

苦笑しながら返事を返して、薄くなったアイスティーを飲み干してから立ち上がる。何にせよ心の荷物が一つ下ろせた。これで心置きなく今年もホグワーツでの生活を送れそうだ。

 

───

 

そして書店にたどり着いたお買い物集団は、早くも立ちはだかる困難に見舞われていた。防衛術だけでも七年生用のを七種十四冊。五年生用のを七種二十一冊……私の分を抜いて、ハリーのを追加した数だ。教科書に指定するような本が紅魔館に無いはずもなく、私は図書館のを使うことになっている。

 

それに加えてジニーの四年生用のを七種七冊と三年生用……こっちは咲夜と魔理沙の分だ。当然咲夜には新品のを使わせる。を七種十四冊。おまけに他の授業でも教科書の更新があったり、三年生二人は選択授業のための新教科書が必要だったり。

 

つまり、買うべき教科書が多すぎるのだ。パチュリーはこの辺りを全く考慮していなかったようで、ダイアゴン横丁最大の書店であるフローリッシュ・アンド・ブロッツは阿鼻叫喚の混乱に陥っている。

 

一番の原因は、学年ごとに共通する本が一冊たりとも存在しない点にあるようだ。全学年で見れば防衛術だけでも四十九種類。例年は学年を言うだけで準備してくれていた店員も、今年ばかりはセルフサービスを導入することに決めたらしく、頑としてレジから動こうとしていない。

 

「『闇の魔術に関する中級理論』はどこかしら? 『闇の魔術に関する中位理論』はあったんだけど……。」

 

「こうなってくると殆ど間違い探しだね。ほら、これだよ。」

 

せめて一箇所に纏めればもう少し落ち着くだろうに。私が探し当てた『闇の魔術に関する中級理論』をハーマイオニーへと示していると、本棚の隙間からロンが顔を出して抱えた本の山を突き出してきた。

 

「三種類は確保したぞ。そっちは?」

 

「こっちも二人で三種類だ。ってことは残りは……『闇の魔術、その深奥』だけだね。なんとも物騒なタイトルじゃないか。」

 

「あー、さっき見た気がするな。これを見ててくれ。持ってくるよ。」

 

言うと、ロンは九冊の本を置いて勢いよく探しに行ってしまう。先ほどからかなり精力的に『捜索』しているのを見るに、彼はさっさと本屋を終わらせて箒屋に行きたくてたまらないようだ。

 

「ロンには悪いけど、この量の本を抱えて箒屋ってのは無理なんじゃないかしら? 少なくとも私は嫌よ。」

 

「まあ、いざとなったら漏れ鍋にでも預ければ……おいおい、ハーマイオニー? キミはまさか、推薦図書の方も買う気なのかい?」

 

言葉の途中で振り返ってみれば、ハーマイオニーが馬鹿みたいに大量に列挙されている『推薦図書』の部分を読んでいるのが見えてきた。私の読みでは、この本も本来は教科書として指定するつもりだったのだろう。マクゴナガルにでも止められたか? よくやった。偉いぞ、副校長。

 

「うーん……金額的に全部は無理だけど、興味はあるわね。さっきジニーの方の推薦図書も見せてもらったんだけど、とっても素晴らしいチョイスだったわ。ただ、五年生用のやつはどれも読んだことが無いタイトルなのよね。」

 

「やめておきたまえ。パチェのことだ、どうせ三年生辺りの推薦図書が本来五年生が読むべき本になってるのさ。そしてキミが読むようなのが四年生用にきて、五年生ともなれば専門書しか載ってないぞ。……ちなみに、七年生のは『辞書』だ。人を殴るために使うやつ。」

 

「でも、それなら尚更興味があるわ。……そうね、三冊くらいならお小遣いでなんとかなるし、買ってみようかしら。」

 

「計十冊か。人生楽しそうで何よりだよ、ハーマイオニー。」

 

そういえばハーマイオニーは『パチュリー側』の人間だったか。タイトルからして小難しい感じのする専門書を探しに行ったハーマイオニーを横目に、書棚に寄りかかって思考を回す。

 

ハーマイオニーやロンに言った通り、今年のホグワーツは平穏な日々になるだろう。……なんか毎年そう考えているような気もするが、今年ばかりは自信を持ってそう言える。五度目の正直となるはずだ。

 

そして、代わりに大陸が困難に見舞われるだろう。レミリア、リドル、そしてゲラート。赤、黒、白の三人の指し手が、ヨーロッパ大陸を盤とした熾烈な色塗り合戦を繰り広げるのだから。

 

平穏が保証されているからこそ、この一年を無駄にするわけにはいくまい。ハリーを鍛え、分霊箱に関しても何らかの成果を得る必要があるのだ。……ダンブルドアも恐らくその為に動いているのだろう。

 

よし、私のやるべき事はハリーの指導と、ゲラートを『焚き付ける』ことだな。ホグワーツ城の防衛はパチュリーに、ウォーゲームはレミリアに、細かい実働面はアリスに、そして紅魔館はフランに任せればいいのだから。

 

頼もしいもんじゃないか。今年はカッチリとピースが嵌り、全員が無駄なく動いている感覚がある。……キミも早くやる気を出せ、ゲラート。じゃないと『パーティー』に参加出来なくなっちゃうぞ。

 

ま、いざとなったら引きずり出してやるさ。未だ燻っている白い老人のことを考えながら、アンネリーゼ・バートリは意地の悪い笑みを浮かべるのだった。

 



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むこうの首相

 

 

「あら、結構いい部屋じゃないの。」

 

白い大理石の暖炉から部屋の中へと足を踏み入れつつ、レミリア・スカーレットは少しだけ感心を含んだ呟きを放っていた。ちょっと古臭いが、この部屋なら『格式』の一言で通用するだろう。

 

私が最後に出てきたので、部屋には既に私以外の全員が揃っている。『お情け』で大臣補佐官に留まっているコーネリウス、キチッとしたグレーのスーツ姿のボーンズ、同じくストライプのスーツで決めたスクリムジョール、そして……へぇ? あれがイギリスのマグルの首相か。なんか、思ってたより平凡な見た目だな。

 

つまりはここはイギリスの首相官邸で、マグルのトップに対して魔法大臣の交代と迫る危機についての説明をしに来たわけだ。別に手助けを期待しているわけではないが、マグル界にも大きな影響を与える事柄に関しては、魔法大臣は詳細を報告する義務があるらしい。

 

最後に暖炉から出て来た『羽付きの子供』を胡乱げに見た首相は、応接用のソファに私たちを誘導した後、先ずはコーネリウスに向かって口を開いた。七三分けの白髪に分厚い眼鏡。非常に真面目そうな初老の男だ。実際どうなのかは知らんが。

 

「えー……ファッジ魔法大臣? 今日は何の報告ですか? いつもより随分と人が多いようですが。」

 

まあ、さすがは海千山千の首相だと言えるだろう。就任時に魔法界の説明を受けているとはいえ、普通ならもっと慌てるもんだ。私の容姿どころか、翼に関してもノータッチを決め込んだらしい。……ほんの僅かに迷惑そうな顔じゃなければ満点だったんだがな。

 

言葉を受けたコーネリウスは、情けない半笑いを浮かべつつも返事を返す。心なしか魔法大臣だった頃よりも顔色が良く見えるな。なんとも皮肉な変化じゃないか。

 

「ええ、いきなり押しかけて申し訳ない。まあ、その、なんです。私は魔法大臣の職を退くことになりまして。後任のご紹介と、少しお話をしに来たのですよ。……詳しくは新魔法大臣の、マダム・ボーンズからどうぞ。」

 

自嘲的な笑みのコーネリウスから促されたボーンズが自己紹介を始めるのを他所に、執務机らしきものの後ろにある革張りの椅子へと座り込む。……ふふん、ここに座った吸血鬼は私が初だろう。マグル界の政治機関の頂点か。実にいい気分だぞ。

 

「お初にお目にかかります。このたび魔法大臣に就任いたしました、アメリア・ボーンズと申しますわ。今後魔法界との連絡は私が受け持つこととなりますので、以後よろしくお願いいたします。……そして、こちらがルーファス・スクリムジョール。魔法法執行部の部長です。」

 

「スクリムジョールです。そちらで言う、警察や軍隊のような機関を統括しております。」

 

手を出されれば握手してしまうのは政治家の常だ。マグル界においてもそれは変わらないようで、首相は礼儀正しく自己紹介をしながら二人の手を握り返すと……おや、こっちを見たぞ。勝手に執務机に着く私を胡乱げな表情で見つめている。説明しろということらしい。

 

私が執務机に頬杖をついてニヤニヤしているのを見て、ボーンズが額を押さえながら説明を放った。

 

「そして、あちらにいらっしゃるのはイギリス魔法省の相談役、レミリア・スカーレット女史です。……ああ見えてこの場の全員を足しても届かないほどの年齢らしいので、失礼のないようにすることをお勧めしますわ。」

 

「それは……しかし、少女のようにしか見えませんが?」

 

「女史は吸血鬼ですので。人間とは成長のスピードが違うのです。」

 

ボーンズの簡潔な説明を受けて呆然とする首相に、ヒラヒラ手を振りながら挨拶を投げる。うんうん、ようやくマグルらしくなったじゃないか。

 

「はぁい、首相さん。ちなみに私、この建物より『お姉さん』よ。」

 

私の台詞を聞いた首相は、『ちょっとしたジョークですよ』とは誰も言ってくれないことを確認すると、曖昧な頷きを私に返してからボーンズに向き直った。うーむ、賢いな。判断を保留にしたらしい。

 

「あー、なるほど。それで、先ほどファッジ魔法大臣……元魔法大臣が『お話』があるとおっしゃっていましたが? どういったご用件でしょうか?」

 

「ええ、簡単に説明しますと……戦争です。ヨーロッパ魔法界で大きな戦争が起きようとしているのですわ。その警告と、こちらが行う対処についてを説明しておこうと思いまして。」

 

「ちょ、ちょっとお待ちください。戦争? それは、我が国と他国が戦争行為を始めるということですか? ……それは困る。非常に困ります。私はヨーロッパ諸国との連携を強化するために、今まで必死になって──」

 

「ご安心ください。国同士の戦争ではありません。言わば……そう、テロリストが相手なのです。過激な思想を持ったテロリストが。」

 

首相の発言を遮ったボーンズは、困惑する彼に対してリドルについての説明を始めるが……うーん、完璧に説明するのは難しいと思うぞ。多少は『こちら』のことを知っているとはいえ、マグルにとっては前提となる知識が少なすぎるはずだ。

 

「ご存知かどうかは分かりませんが、イギリス魔法界では七十年代から十年間ほど戦争があったのです。当時はマグル……非魔法族にも多くの死者が出ました。心当たりは?」

 

「その時期に事故死や災害が多発したことは記憶にあります。しかし……あれが? あれは事故ではなかったと?」

 

「その通りですわ。そして、それを引き起こした男が戻ってきたのです。『ヴォルデモート卿』という男が。……彼は非魔法族を弾圧し、魔法族による支配体制を築こうと目論んでおります。つまり、力による支配を。」

 

厳密に言えば、それだってグリンデルバルドの残党を纏め上げるためのおためごかしに過ぎまい。かなり『やんわり』と伝えたボーンズだったが、どうやら首相にとってはそれでも十分すぎる脅威に聞こえたようだ。僅かに真剣味を帯びた表情で質問を捲し立ててきた。

 

「それは……野蛮ですな。なんとも野蛮だ。しかし、どの程度の規模の集団なのですか? 『戦争』ということは、小規模な集団ではないのでしょう? 魔法族の方々は我々をそこまで憎んでいると?」

 

「憎んではおりませんわ。……少なくとも、この部屋に居る我々は。そして大多数の魔法使いもそうでしょう。近い場所で、ほんの少し『ズレた』場所で生きることを是としています。」

 

そこで一度言葉を切った後、ボーンズは首を振りながら続きを語る。

 

「しかし、そうでない者もいるのです。魔法力を持たないからと見下す者、隠れ住むことに不満を持つ者、単純に権力が欲しい者、そして魔法族の血を『穢される』ことを恐れる者。嘆かわしいことに、イギリスの……いえ、世界の魔法界にはそういった考えを持つ者が一定数存在しています。そして、彼はそういった者たちを煽動しているのです。」

 

「……その集団は、それほど危険なのですか? イギリスには軍隊があり、卑劣なテロリズムに対抗すべく作られた力もあります。無論、ヨーロッパ諸外国にもあるでしょう。そう易々とテロリストの思い通りにはならないはずです。そうでしょう?」

 

ふむ、愛国心はそれなりにあるらしいな。少しだけ誇りを持ってイギリスのことを話す首相に、ボーンズはまたしても首を振って答えた。

 

「ここで厄介な点は、彼らが国家を主体とした軍隊ではなく、有象無象が集まったテロリストだという点なのです。我々には遥か彼方に一瞬で移動する方法も、杖一本で建物を破壊する方法もあります。……想像出来ましたか? 今まさにこの場に彼らが現れて、この建物を吹き飛ばすかもしれないのです。」

 

首相は言葉の意味を『ある程度まで』正しく認識出来たようだ。顔を真っ青にしながら、暖炉を指差して言葉を放つ。

 

「あなたがたは暖炉から出てきた。いつも暖炉から出てくる、そうですね? では、暖炉を破壊するか塞ぐかすれば……?」

 

「残念ながら、我々が暖炉を利用して訪れたのは礼節の問題なのです。その気になれば問題なくここに姿あらわしを……えー、瞬間移動? と言えば伝わりますか? それを行うことが出来ます。」

 

まあ、実際はマグルの重要な施設にも姿あらわしを妨害する魔法がかかっている。名高きナンバー10だって例外ではないだろう。……とはいえ、そんなことを知る由もない首相には恐るべき情報として伝わったようだ。俯いて額を押さえてしまった。

 

「……では、どうすれば? つまり、どう対処すればいいのですか? いきなりなんの脈絡も無く現れて、建物を吹き飛ばすような連中なのでしょう? そんなもの、対処のしようが無いではありませんか。」

 

「それはこちらのスクリムジョールが説明しますわ。彼が実際に対処を行う魔法使いたちの長であり、この場所を守る責任者でもあるのです。」

 

『この場所を守る』のあたりで勢いよく顔を上げた首相に、スクリムジョールはいつもの冷徹な表情で説明を始める。……もう少し愛想良くしてやれよ。さすがに哀れだぞ。

 

「魔法には魔法を以って対抗します。道理でしょう? 我々は貴方がたの世界の重要な施設に、姿あらわし……瞬間移動のことですな。に対する妨害の魔法をかけたいのです。故に、この羊皮紙にそうすべき施設をリストアップしていただきたい。出来れば順位を付けて。……我々もある程度までは把握しておりますが、『現代的』な施設に関してはあまり詳しくないのです。」

 

どうやら、スクリムジョールはかなり説明を『省略』することにしたらしい。細かく言えばその他にも様々な魔法をかけるし、飼い馴らした魔法生物なんかを警備に当てる予定なのだが……止む無しか。言ったところでどうせ理解出来まい。

 

私が一人で納得している間にも、マグルの首相どのはコクコク頷きながらスクリムジョールに向かって口を開いた。

 

「分かりました、すぐに行いましょう。……あなたがたの事に関しては部下に伝えない方がよろしいので?」

 

「黙っていることをお勧めしますな。気が狂ったと思われるのがオチでしょう。……それと、もしも戦闘が行われそうな地域があれば事前に通告しますので、そこにいる非魔法族の方々を避難させていただきたい。我々もマグル避けの魔法を使いますが、それにも限度があるのです。」

 

「マグル避け……私たちのことですね? いや、しかし、どう説明すれば? 貴方が先程おっしゃったように、『魔法使い同士の戦いがあるから避難しろ』とは言えないでしょう?」

 

そりゃそうだな。スクリムジョールの言う通り、気が狂ったと思われるのがオチだろう。それが自分たちの首相ともなれば尚更だ。かなり悲しい理由で引き摺り降ろされることになるぞ。

 

首相の尤もな質問に、スクリムジョールは頷きながら事務的な答えを返す。

 

「我々は貴方がたの組織を知らないのでなんとも言えませんが……そうですな、いざとなったら多少強引な手を取っていただいても構いません。こちらから忘却術師……記憶を修正することを専門にした魔法使いを派遣しますので。」

 

「記憶を、修正? 記憶を?」

 

「如何にも。それと、出来れば護衛の魔法使いを一人付けさせていただきたい。何せ他者を意のままに操るという魔法がありますからね。首相である貴方が操られると、かなり厄介なことになってしまうのですよ。」

 

「意のままに操る? 人を?」

 

そこで頭痛を堪えるように頭を押さえた首相は、やがて顔を上げると困ったように言葉を放った。誰がどう見ても様々な疑問をぶん投げた表情だ。

 

「護衛の件は分かりました。それに、避難勧告の件も。……しかし、我々に出来ることは何か無いのですか? 出入国の審査を強化するとか、軍隊を派遣するとか。我々とて無力ではないのですよ?」

 

「お気持ちだけで結構。魔法使いは行儀良く入国審査を通ったりはしませんし、そちらの……銃でしたか? あれはあまり効果が無いでしょう。私もそれほど詳しいわけではありませんが、単純な盾の呪文で防がれてしまうはずです。」

 

「盾の……? だが、それでは我々はどうすればいいのですか? ただ怯えて、座して被害を傍観し、あなたがたが全てを解決するのを待てと? 国民に何一つ知らせないままで? ……私はこの国の首相です。国民を守る義務が、国民に危機を知らせる義務があります。それは、それはあまりにも……受け入れ難い。」

 

「残念ですが、受け入れていただくしかないのです、首相。我々魔法省も命を賭して事に当たります。魔法族、非魔法族に関わらず、この国を守るために。……どうか信じていただきたい。」

 

スクリムジョールの言葉を受けて、首相は深々とソファに沈み込んでしまった。……いやはや、一番忘却術師が必要なのは彼だな。このことを綺麗さっぱり忘れられると聞けば、喜んで術を受け入れることだろう。

 

そのまましばらくは沈黙が場を包むが、やがてボーンズがパチリと手を叩いてから声を上げる。

 

「では、私たちはこれで失礼させていただきます。詳しい話は護衛となる魔法使いにお聞きになるとよろしいでしょう。優秀な闇祓いをお付けしますので、分かり易く説明してくれるはずですわ。」

 

もはや『闇祓い』が何なのかを聞き返す気力もないようで、首相はただ力なく頷くと、暖炉の方へと向かい始めた私たちに言葉を投げかけてきた。この短時間で一気に老け込んでしまったな。

 

「最後に一つだけ教えていただけませんか? その戦争とやらは、どのくらいの期間続くのでしょうか? ……いえ、もちろん予想で構いませんから。」

 

問いを受けたボーンズとスクリムジョールが顔を見合わせている間に、ニヤニヤ笑いながらの私が答えを放る。

 

「どうかしらね? 前回のイギリスでの戦争は十年。その前に起きたヨーロッパの戦争は四十年。……貴方はどう思う? 任期中に終わることを祈りなさいな。でないと後任者に酷く恨まれることになるわよ。」

 

「よ、四十年? 四十? ……しかし、その、あなたがたは『魔法使い』のはずだ。どうにかする魔法はないのですか? 人を操るとか、建物を吹き飛ばすとか、色々なことが出来るのでしょう?」

 

我慢出来なくなったように放たれた首相の問いに、緑の炎が揺らめく暖炉に片足を入れながらコーネリウスが返した。その顔には首相に負けず劣らずの、酷く疲れた諦観の笑みが浮かんでいる。

 

「その通りです、首相。しかしながら、我々の敵も魔法使いなのですよ。彼らも『魔法の杖』を持っているのです。」

 

言ってから帽子を押さえてお辞儀をすると、コーネリウスは炎と共に消えていってしまった。いやぁ、毒が抜けて洒落っ気が出てきたじゃないか。クスクス笑いながら、私も暖炉に足を踏み入れて口を開く。

 

「ま、頑張りなさいな。神が味方かどうかは知らないけど、少なくとも吸血鬼は貴方の味方よ。……ほら、何だか分かんないような存在よりかは頼もしいでしょ?」

 

もっと喜んだらどうなんだ、マグル。物凄く微妙な顔になってしまった首相に肩を竦めてから、レミリア・スカーレットは『魔法省』と呟くのだった。

 



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もう一人の男の子

 

 

「おやまあ、激混みだね。」

 

付添い姿あらわしした9と3/4番線のホームの端っこで、アンネリーゼ・バートリはよろけて倒れそうになっているハリーに話しかけていた。六月末もそれなりに混んでたが、今日の混み具合を見ると大したことないように思えちゃうな。

 

既にホグワーツ特急は乗車を開始しているようで、別れを惜しむやり取りが彼方此方で繰り広げられている。そしてちょくちょくと青いローブを着た魔法警察が居たり、明らかに周囲を警戒している様子の魔法戦士たちの姿が見えたり……まあ、例年より多少物騒なのは確かなようだ。

 

アリスやブラック、ルーピンなんかも何処かで警備を担っているのだろう。人混みの中に見知った姿はないかと見回していると、一際目立つ姿が柱に寄りかかっているのが見えてきた。

 

「おや、ムーディだ。本物の方かな?」

 

「もう偽物じゃないといいけど。……なんか、変な気分だよ。結局医務室では話さなかったし、向こうから見れば殆ど初対面なんだよね?」

 

「なぁに、気にすることはないさ。端からイカれてるんだし、ムーディの方もそんなことを気にしやしないよ。」

 

気楽に言って近付いてみると、ムーディは杖を構えたままで油断なく周囲を睨みながら言葉を放ってくる。うーむ、動作がそっくりだな。……じゃなくて、クラウチの息子の方がそっくりだったのか。これは確かにややこしいぞ。

 

「吸血鬼か。……ふん、貴様がバートリというわけだ。」

 

「いやぁ、デジャヴを感じる台詞だね。ごきげんよう、イカれ男さん。それと、闇祓い局長就任おめでとう。」

 

「他にロクなヤツが居ないから戻されただけだろうが? 祝うようなことではあるまい?」

 

「これは『社交辞令』ってやつだよ。一つ勉強になったね。」

 

と、鼻を鳴らすムーディの横から誰かがひょっこり顔を覗かせた。知らん顔だな。小柄で快活そうな笑顔を浮かべた、ショッキングピンクの髪が目立つ若い魔女だ。変人の近くには変人が集まるらしい。

 

「わお、ハリーだ。よっ、ハリー。それに、バートリさん……じゃなくって、バートリ、でもなくって、ハリーは知ってるんだっけか? それじゃあ、初めまして、バートリさん。私、トンクス。ニンファドーラ・トンクス。闇祓いだよ。……ああでも、見習いだけどね。試験に合格したばっかりなんだ。それと、ニンファドーラって名前はあんまり気に入ってないから、トンクスって呼んでくれると嬉しいかな。」

 

おお、勢いが凄いぞ。捲し立てるように言葉のマシンガンを放ってきた魔女は、そのままニコニコしながら私とハリーと握手を交わす。……ふむ? 私のことを知っているということは、ダンブルドアかレミリアと繋がっている人員の一人なのだろうか? いよいよ私の知らん奴が増えてきたな。

 

「あー……えっと、僕、ハリー・ポッターです。よろしく。」

 

「もうご存知のようだが、アンネリーゼ・バートリだ。よろしく、ニンファドーラ。」

 

何にせよ、名前で呼んで欲しくないと言うならそう呼ぶだけだ。それが吸血鬼ってもんなのだから。私の言葉を聞いたニンファドーラは、引きつった顔で額を押さえながら口を開く。

 

「あっちゃー、そうだった。スカーレットさんとも同じやり取りをしたんだよね。……今からでもトンクスにはしてくれないかな? ダメ?」

 

「嫌だね。吸血鬼っていうのは総じて捻くれ屋なのさ。それに、いい名前じゃないか、ニンファドーラ。精霊の加護があるかもしれないよ? そんなもんが居るかは知らんが。」

 

妖精とかいう訳の分からん存在が居るのだ。精霊だって居るかもしれんぞ。肩を竦めて言う私に、ニンファドーラはますます嫌そうな顔になって言葉を返してきた。

 

「正にそれが問題なんだよ。『かわいい水の精、ニンファドーラ』。ああ、逆転時計が使えればなぁ……。自分が産まれた時に戻って、ママに名前を変えさせてやるのに。一度申請してはみたんだけど、許可が下りなかったんだよね。」

 

「史上最もバカバカしい逆転時計の使い方だろうね、それは。」

 

「うぅん、理解が得られない問題なんだ。困っちゃうよ、本当に。」

 

こいつは……あれだ。魔理沙と同じタイプだな。初っ端からグイグイ距離を詰めてくるくせに、それを不快に思わせないようなヤツ。魔理沙が多少計算の上でやっているのに対して、こいつのは天然っぽいが。

 

「ねえねえ、傷痕を見せてくれない? ……ああでも、嫌ならいいんだ。あんまり有名だと、みんなから言われてうんざりしちゃいそうだしね。私も七変化だから、よく『変身してみせて』とかって言われちゃうもん。……えへへ、そういう時は思いっきり不細工な顔に変身してやるんだ。相手がビックリしていい気味だから。」

 

「傷痕は別にいいですけど……『七変化』?」

 

「やった。そんじゃ、代わりに私の七変化も見せてあげるよ。えっとね、七変化っていうのは生まれつき備わってる能力で、見た目を自由に変えられるんだ。魔法を使わなくてもね。ほら、見てて──」

 

ほう、七変化とは珍しいな。今度はハリーに『ジャレつき』始めたニンファドーラを眺めていると、ムーディが唸るような声でボソリと話しかけてくる。

 

「油断はするなよ? バートリ。先程スリザリン生の集団が到着した。当然、忌々しい親どもと共にだ。今は前方車両の方にたむろしておるわ。」

 

「んふふ、向こうも向こうで『集団登校』ってわけかい? 警戒するのはお互い様なわけだ。火花でも撃って脅かしてやろうか?」

 

「ふん、笑い事ではないぞ。お前に僅かでも脳みそが残っているなら、ポッターを連れて前方車両の方に近付くべきではないな。……いいか? 油断──」

 

「大敵。分かってるよ、ムーディ。本家本元は初めてだが、残念ながらもうそのセリフは聞き飽きてるんだ。キミの努力の甲斐あって、イギリス魔法界にはあまねく広がっている『標語』なのさ。」

 

ニヤニヤ笑って言ってやると、ムーディは義足を踏み鳴らしながら言葉を吐き捨ててきた。おやおや、決め台詞を封じられて怒ったようだ。

 

「これだから吸血鬼というのは好かん。……さっさと行ったらどうだ? ぇえ? ポッターを連れてホームをウロつくのがお前の仕事ではあるまい?」

 

「おお、怖い怖い。闇祓い局局長どのはもう少し忍耐というものを学ぶべきだね。……ほら、行くよ、ハリー。ここに居るとケナガイタチにされちゃうぞ。」

 

「えっと……うん。それじゃあ、また。」

 

「バイバイ、ハリー、バートリさん。気をつけてね!」

 

陰と陽の年の差闇祓いコンビに背を向けて、後方車両の方へと歩き出す。……まあ、確かにムーディの言う通りだ。護衛の観点から見ても、さっさとハリーを頑強な列車の中に『仕舞い込んだ』方が良いな。

 

ちなみに咲夜は魔理沙と一緒に煙突飛行で来る予定だ。少し心配だが、忠誠の術で守られた場所から駅に直行するなら危険はなかろう。アリスがちゃんと護衛用の人形を渡したようだし。

 

こういう時は人員不足を痛感するな。私はホグワーツまでハリーの側を離れられないし、レミリアやフラン、ついでにエマは日光がある限りどうにもならん。パチュリーはホグワーツで、アリスは仕事。美鈴はここで晒すのは勿体ないし……小悪魔? 小悪魔か。能力込みなら咲夜の方が頼りになりそうだ。

 

パチュリーに管理を任された図書館で、ぐーたらしっぱなしのサボり悪魔のことを考えながら車内に入ると……うーむ、心なしか車内も活気が無い気がする。いつもなら廊下で話している生徒やらが沢山いるのに、今は空いているコンパートメントを探す生徒がちらほらいるだけだ。

 

ハリーも同じような感想を抱いたようで、少し曇った顔でポツリと問いかけてきた。

 

「なんか、寂しい感じだね。……ロンとハーマイオニーはどこかな?」

 

「監督生は別のコンパートメントらしいよ。バッジの使い方とか、一年間の注意事項やらを聞かされるんだろうさ。」

 

空いているコンパートメントはないかと覗き込みながら言ってやると、ハリーは困ったように返事を返してくる。

 

「それじゃあ、城に着くまで会えないってこと?」

 

「さてね。まあ、幾ら何でもそこまで長々と話してたりはしないんじゃないかな。途中で合流することになると思うよ。」

 

「そうだといいんだけど。……話したいことが色々あるんだ。」

 

「ホグワーツに着けばうんざりするほど話す時間なんてあるだろうに。性急すぎる男は嫌われちゃうぞ。」

 

適当に返しつつも次なるコンパートメントを覗いてみれば……おや、ロングボトムだ。グリフィンドールで最も間抜けな少年が、一人でまんじりともせず座席に座っているのが見えてきた。

 

「……仕方ない、ここでいいか。」

 

「それって、凄く失礼な台詞だと思うよ。」

 

「お褒めにあずかり恐悦至極だ。」

 

失礼なのは生まれつきなのさ。やれやれと首を振るハリーを無視して、ノックもせずに中に入ると……ロングボトムは一瞬びくりと身を竦めた後、頼りない感じの半笑いで声をかけてくる。安心したような表情を見るに、一人で心細かったらしい。

 

「アンネリーゼ、ハリー! 久しぶりだね。」

 

「やあ、ロングボトム。ここは空いてるかい?」

 

「うん、もちろん空いてるよ。知り合いが誰も居なくって、でも歩き回るとマルフォイとかに見つかるんじゃないかと思って、それで……。」

 

ここに『隠れて』いたと。いやはや……ロングボトムがグリフィンドールに組み分けされたことを、ホグワーツ七不思議の一つに組み込むべきかもしれんな。明らかに対極の位置にいるじゃないか。

 

呆れながらもハリーと二人で荷物を仕舞っていると、ロングボトムが窓の外を指差して話しかけてきた。指差す先には……おお、アリスじゃないか。スクリムジョールと熱心に何かを話し合っている。魔法省はキングズクロス駅の防衛をよほど重く見たようだ。執行部の新部長どのまで足を運んでいたわけか。

 

「ばあちゃんが言ってた。ホームで何か起こったらマーガトロイド先生のところに逃げろって。それと、杖を手放すなって。……持ってても僕に何か出来るとは思えないけどね。」

 

「マーガトロイド先生? ……本当だ。話してる男の人は誰だろう?」

 

「ルーファス・スクリムジョール。新しい魔法法執行部部長だよ。レミィが最近よく連んでる『お友達』さ。」

 

私から見れば……そうだな、『普通に優秀』な男って印象だ。仕事ぶりや能力に文句は無いのだが、クラウチやムーディのように個性豊かな魔法使いではない。なんというかこう、無難な感じが否めないのである。

 

いやまあ、これまでが異常すぎたのかもしれんな。ボーンズといい、スクリムジョールといい、レミリアが選んだ人材は『まとも』なのが多い気がする。魔法省がようやく正常な状態に戻ったってことか?

 

うーむ、頼もしいっちゃ頼もしいが、見てて面白くないのが唯一の欠点だな。『安定感がある魔法省』ってのは違和感が凄いぞ。我ながら物凄く理不尽な評価を下していると、ロングボトムも彼の『スクリムジョール像』を話し始めた。

 

「僕は頼りになりそうに見えるけど、ばあちゃんはあんまり好きじゃないみたい。……でも、ばあちゃんは闇祓いがみんな嫌いだからね。あんまりアテにならないかな、うん。」

 

「キミの両親のことがあったからかい?」

 

なんともなしに聞いてみると、ロングボトムは驚いたように私の方を振り返る。……あれ? 言っちゃマズかったのか? ハリーなんかもキョトンとしているし、どうも秘密にしていたようだ。悪いことしたな。

 

「アンネリーゼ……アンネリーゼは知ってるの? その、僕のパパとママのこと。」

 

「そりゃあ、私はアリスと住んでるからね。アリスはよくお見舞いに行ってるだろう? 色々と話を聞いたりもするのさ。」

 

「それは……そうだね。マーガトロイド先生はよく来てくれるんだ。もう何年も経ってるのに、ずっと。だからばあちゃんもマーガトロイド先生には凄く感謝してるみたい。」

 

少し俯いて呟いたロングボトムに、話についてこれていないハリーが恐る恐るという感じで問いかけた。少なくとも楽しい話題でないことは察したようだ。

 

「えっと、ネビルの両親は入院してるの? ……いや、話したくないならいいんだ。ごめん、余計なことを聞いたかな。」

 

顔を上げたロングボトムのショボくれた表情を見て、慌ててハリーは後半を付け加える。それに苦笑して首を振った後、ロングボトムは静かに両親のことを語り始めた。

 

「ううん、いいんだ。……僕の両親は聖マンゴに入院してるんだよ。もう十年以上、ずっとね。磔の呪文で……その、おかしくなっちゃったんだって。ばあちゃんは僕を守るために抵抗したからだって言ってた。詳しくは教えてくれないんだけど、僕が一歳の頃に家に死喰い人が押し入ってきて、一家全員を殺そうとしたみたい。それで僕の居場所を見つけようとして拷問したんだよ。でも、パパとママは赤ん坊の……僕の居場所を最後まで言わなかったんだって。」

 

あの日、ロングボトム夫妻の隠れ家に押し入った数人の死喰い人とクラウチの息子は、結局クローゼットの床下に隠されていたロングボトムを見つけることは出来なかったらしい。気が狂うまで拷問をされて尚、ロングボトム夫妻は一人息子の居場所を隠し通したのだ。

 

昔レミリアから聞かされた事の経緯を思い出す私を他所に、ロングボトムの平坦な声は続く。ハリーは問いかけたことを滅茶苦茶後悔しているようだ。自分を思いっきり殴りつけたそうな顔になっている。

 

「その磔の呪文を使ったヤツが、クラウチ・ジュニアだったんだってさ。だからばあちゃんは闇祓いが嫌いなんだ。その父親が昔の執行部部長だったし、守人……忠誠の術って知ってる?」

 

「よく知ってるよ。ハリーも、私もね。」

 

「そっか。それなら分かると思うけど、家の守人だった人も闇祓いだったんだ。パパやママと仲の良い同僚だったんだけど、服従の呪文で操られて秘密を教えちゃったんだって。だから……うん、ばあちゃんは闇祓いが大嫌いなんだよ。多分ばあちゃんも八つ当たりだってことは分かってるんだろうけど、それでもどうにもならないみたい。」

 

だから去年の防衛術で、ロングボトムは磔の呪文だけではなく、服従の呪文の時もいい顔をしていなかったわけか。話し終えたロングボトムに、ハリーが物凄く気まずそうな顔で声をかけた。我が身に通ずる事件だけに、気まずさも一入なのだろう。

 

「ごめん、ネビル。こんなことを話させて。僕、無神経だったよ。……信じられないくらいにね。」

 

「いいんだ、ハリー。僕もずっと君には話したかったんだよ。だから、いい機会だったんだ。……僕、君の話をばあちゃんから聞いてた。知ってる? 産まれてすぐの頃、僕とハリーは同じ場所で過ごしてたんだって。」

 

「本当に? 全然知らなかったよ。……じゃあ、君のママと僕のママは友達だったの? 同じ場所で子育てしてたってこと?」

 

「よく分かんないけど、そうみたい。ばあちゃんは『お前はマーガトロイドさんにおしめを替えてもらったこともあるんだから、絶対に恩知らずなことをするんじゃないよ!』っていつも言ってるから、マーガトロイド先生も同じ場所に居たんじゃないかな。」

 

目をパチクリさせたハリーは、窓の向こうで人形を回収したりまた放ったりしているアリスを見た後、今度は私に問いかけの目線を送ってきた。……うーむ、説明しろということか。ロングボトムには正体を明かしてないんだぞ。

 

ま、別にいいか。既にリドルは死喰い人に対して『可愛くて賢い高貴な吸血鬼』の説明を終わらせてることだろうし、学校に行った後は教師陣にも説明する予定なのだ。ペラペラ話して回るつもりはないが、聞かれたら答えるくらいのスタンスでいけばいいだろう。

 

……ただまあ、いい歳こいて『リーゼちゃん』をしてたのは少し恥ずかしいな。内心の葛藤をとりあえず脇に避けて、彼らの疑問を解消するために口を開く。

 

「それで合ってるよ。ロングボトムの両親もダンブルドアの組織……騎士団のメンバーだったんだ。当時は聖マンゴすら危険な場所だったからね。出産は騎士団の秘密拠点で行ったんだよ。」

 

思えば奇妙な縁だな。この二人は私の屋敷で、在りし日のムーンホールドで生を享けたわけか。……よく考えたら、長い歴史を誇るムーンホールドでも人間が『生まれた』のはこの二人が初じゃないか? 『死んだ』なら無数に前例があるだろうが。ロングボトムはともかくとして、ハリーはつくづく吸血鬼に縁があるようだ。

 

そんな吸血鬼の屋敷で生まれた男の子は、首を傾げながら次なる質問を放ってくる。興味津々のご様子だ。

 

「でも、僕もネビルも他の場所に移されたわけだよね? どうしてなの? その場所の方が安全だったんじゃ……。」

 

「そうでもない。……いやまあ、結果から見ればどうだったかは謎のままだけどね。何にせよ当時の判断としては、人の出入りが多い拠点よりも忠誠の術で守られた隠れ家の方が安全だということになったのさ。それでキミはゴドリックの谷へ、ロングボトムはロンドン郊外へと移されたわけだ。」

 

結局それは功を奏さなかったわけだが……まあ、結果論だ。服従の呪文による暗殺を警戒していた以上、そう間違った選択とも言えないだろう。あのご時世、しかも予言のことがあった状況では、どこも確実に安全だとは言い切れなかったのだから。

 

この辺の選択に関しては、当事者ではない私ですら後悔があるのだ。きっとフランやアリス、ブラックやルーピン、それにレミリアやダンブルドア。当事者たちは今でも考えることがあるのだろう。もしポッター家やロングボトム家の守人がフランやレミリアだったら? もしあのままムーンホールドに留まっていたら? もしコゼット・ヴェイユを強引にでも休ませていたら?

 

……だが、全ては過去だ。過ぎ去った時間には誰も手を出せないし、出すべきではない。私がもしもの思考を打ち切っている間にも、ハリーとロングボトムはお互いを見ながら神妙な顔で呟き合う。

 

「なんか……不思議な話だね。ずっと昔に僕とネビルは会ってたんだ。同じ場所で生まれて、今こうやって同じ学校の同じ寮に居る。凄く不思議な気分だよ。」

 

「うん。でも、全然違う風に育っちゃったけどね。ばあちゃんはいつもハリーを見習えって言うんだ。もう少しシャンとしろって。……僕もまあ、そう思うよ。」

 

ちょっとだけ悲しそうにロングボトムが言ったところで、出発の汽笛が鳴り響いた。ホームから動き出す車両を見守る親たちの後ろで、数人の闇祓いが姿くらましをしている。……彼らは列車の進行に合わせて、路線の各所に待機する予定なのだ。規定の時間に規定の場所を通らなかった場合、即座にその前後の中継点から捜索が開始されるらしい。

 

そして当然ながら数名の闇祓いは乗車しているはずだ。……いやはや、頼もしい限りじゃないか。お陰で私は持ち込んだワインを楽しめるってもんだ。

 

正体がバレた今、遠慮してかぼちゃジュースを飲む必要などもはや無い。後三年間は列車の旅を優雅に過ごすことが出来そうだ。……いや、つまみも持ってくるべきだったな。来年は気を付けよう。

 

トランクからボトルとグラスを取り出しつつも、アンネリーゼ・バートリは動き出す車窓を眺めるのだった。

 



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帽子の愛

 

 

「……あら、居たの。」

 

ホグワーツの校長室。もはや座り慣れた揺り椅子の上で、パチュリー・ノーレッジはポツリと呟いていた。いつの間にやらダンブルドアがソファで寛いでいたのだ。

 

うーむ、煙突ネットワークは封鎖済みだし、ポートキーに対する妨害魔法もかけている。それなのに敷地に張り巡らせた警戒魔法にも、飛翔術を警戒して空に張ってある方にも反応無し。これは私の張り方が甘いと取るべきか、ダンブルドアの技量が優れていると取るべきか……ま、両方だな。今度強化しておこう。

 

内心で面倒くさいと嘆く私に、ダンブルドアはニコニコ微笑みながら口を開く。

 

「ほっほっほ、読書に夢中のようだったのでね。少し待っておったのじゃよ。……もう良いのかい?」

 

「良いわけないでしょ。本は無数にあるの。そして、私はそれを全部読まないと死ねないのよ。一冊残さず、全てをね。」

 

「それはまた、壮大な望みじゃな。しかしながら、時間じゃ。このままでは大広間の生徒たちがお腹を空かせてしまう。付いて来てくれるかね? ノーレッジ。」

 

「……ちょっと待って、今日は何月何日?」

 

体感だとまだ夏休み序盤のはずだぞ。『少し前』に査察官だか検察官だか審問官だか……とにかくカエル女が挨拶に来たじゃないか。疑問顔で問いかけてみると、ダンブルドアはかなり呆れた表情で答えを返してきた。

 

「九月一日の夜じゃよ。……いつだと思っていたのかね?」

 

「七月の半ばだと思ってたわ。不思議ね。」

 

「ううむ、不思議じゃな。実に、実に不思議じゃ。……わしは少し心配になってきたよ。君には目覚まし時計をプレゼントした方がいいかもしれんのう。」

 

「大丈夫よ、マクゴナガルが居るわ。」

 

立ち上がって堆く積まれた本にぶつからないように伸びをすると、ダンブルドアも苦笑しながらソファを離れる。

 

「ミネルバには『介護手当』を出さねばならんようじゃな。それも、たっぷりと。金庫がガリオン金貨で埋まるほどに。」

 

「あら、これまで出してなかったの? 何十年も爺さんの介護をしてるんでしょうに。可哀想なことね。」

 

「打てば響くのう、君は。そして、それは時として良いことではないようじゃ。この歳で一つ勉強になったよ。」

 

「生意気言ってないでさっさと行くわよ。私は生徒が全員餓死しようが構わないけど、貴方は嫌なんでしょ。」

 

皮肉を飛ばし合いながら校長室を出て、大広間に向かって歩き……めんどくさいな。飛ぼう。隣の爺さんは少し歩いた方が良いが、私はか弱いのだから飛ぶべきなのだ。乙女なのだ。

 

ふわりと浮き上がって進み始めると、ダンブルドアはやれやれと首を振りながら言葉を放ってきた。なんだよ、また余計なことを言う気か?

 

「知っておるかな? ノーレッジ。マグルには目的地なく歩くことで、自身の健康を保とうとする者がいるようじゃ。素晴らしいのう。運動の良さを感じさせる逸話だとは思わんかね?」

 

「そうね。そして、そんなことをやる切っ掛けになったのは便利な移動手段の登場なのよ。マグルは文明を進めることで、馬やら徒歩やら以外の移動方法を編み出したわけ。彼らが車に乗るように、私は飛ぶの。それが進歩ってもんだわ。」

 

「奇妙な話じゃのう。歩きたくないから別の方法を使い、その結果歩く羽目になっていると。……うーむ、謎じゃな。やはりマグルは奥が深い。」

 

「奥が深いんじゃなくて、バカなの。」

 

ま、一向に進もうとしない魔法族よりはマシか。雑な突っ込みを入れたところで、ふと思い出した疑問を投げかけてみる。……そもそも、何でダンブルドアがここにいるんだ?

 

「そういえば、何でホグワーツに居るのよ。やる事が沢山あるって言ったのは貴方でしょうに。」

 

「無論、歓迎会の後はまた出かけるつもりじゃ。しかし……いきなり現れた君のことを、生徒たちが校長として受け容れてくれるかが心配でのう。今日だけは戻ってきたのじゃよ。」

 

「受け容れるもなにもないでしょ。決定したんだから、それで終わりよ。」

 

「うむ、どうやら戻ってきて正解じゃな。君のそういうところを分かり易く説明せねばなるまい。でなければ生徒たちが不安がってしまう。」

 

本当に失礼なヤツだ。ジト目で睨みながら階段をふよふよ下っていくと、ダンブルドアが軽快に仕掛けのある段を飛び越えつつ口を開く。こいつも歩く必要はないかもしれんな。

 

「ホグワーツでの生活は十全かね? ……まあ、校長室の『有様』を見れば分かるような気もするが。あの部屋にあそこまで本が置かれたのは初めてじゃろうて。」

 

「そうね、本が足りないわ。今のペースだと十月には足りなくなるもの。紅魔館から追加を持ち込まないとダメみたい。」

 

「ノーレッジ、一応言っておくが、『今のペース』を保たれては困るのじゃ。君は校長代理で、そして防衛術の教師なのじゃから。授業は毎日あるのじゃよ?」

 

「心配ないわ。教科書はきちんと選んだもの。」

 

うむ、我ながら完璧なチョイスだったぞ。一階の踊り場を抜けつつ言ってやれば、ダンブルドアはますます心配そうな顔になって返事を返してきた。

 

「まさかとは思うが……ただ教科書を読ませるつもりかね? つまり、単に読書をするわけではないのじゃろう?」

 

「そのつもりよ。……何? その顔。」

 

「そうじゃな、この顔は……そう、後悔じゃ。後悔している顔じゃよ。それも、『すんごい』後悔じゃな。」

 

「あっそ。ご愁傷様。」

 

非常に効率的な授業じゃないか。他の授業がどういった形式で行われてるのかは知らんが、本こそが知識を得るための……ああもう、鬱陶しいな! 『後悔』のままでこちらをジッと見てくるダンブルドアに、分かり易い説明を送る。ちょっと考えれば分かるだろうが!

 

「あのね、私が選んだ本には全てが載ってるの。『全て』がね。……使うべき状況、使うべきではない状況、杖の構え方と振り方、握り方、呪文のアクセントの位置、効果、利点、欠点、反対呪文、干渉呪文。その全てが、余すことなく詳細にね。トロールだってこれを読めば問題ないわ。だってそうでしょう? 書いてあることをただ実行すればいいのよ?」

 

トロールが字を読めればの話だが。肩を竦めて言ってやると、ダンブルドアは額を押さえてため息を吐いた後、『後悔』のままで弱々しく反論を放ってきた。

 

「ノーレッジ、君なら問題ないじゃろう。君はそういう魔女じゃし、それに関しては感心するばかりじゃ。……しかし、生徒の中にはそういった方法が適していない子もいるのじゃよ。実際に行って見せた方が良い場合もある。」

 

「時間の無駄ね。言葉も文字も動作も、最終的に伝わるものは同じでしょうに。それなら何度も読み返せる本が一番適しているわ。」

 

「教師の役目はそれを噛み砕いて教えることなのじゃよ。より分かり易く、より効率的に情報を伝えるのが教師の仕事なのじゃ。」

 

誠心誠意という感じで言ってくるダンブルドアに……もう、仕方ないな。コクリと頷く。

 

「……はいはい、分かったわよ。」

 

「おお、分かってくれたかね、ノーレッジ。」

 

「つまり、質問には答えればいいんでしょ? 面倒くさいけどやるわよ。やればいいんでしょ。」

 

「おお、分かっておらぬようじゃな、ノーレッジ……。」

 

同じようなセリフを全く違うトーンで言ったダンブルドアは、暫く長い髭を弄りながら難しい顔をしていたが、やがて諦めたかのようにポツリと呟いた。

 

「まあ、君が答えるなら分かり易いじゃろうて。この譲歩を引き出せたことこそを誇るべきじゃろうな。」

 

「良かったわね、ダンブルドア。」

 

「うむ……。」

 

何故か全然嬉しくなさそうな顔のダンブルドアに適当な言葉をかけたところで、大広間の裏手に通じる小部屋へと到着する。ちょうど教員テーブルの裏側にある小さな部屋。単に待機のためだけにある部屋のようで、小さなテーブルが一つと丸椅子がいくつかポツリポツリと置かれるばかりだ。

 

「では、行こうか。」

 

「手早く済ませてよね。本が私を待ってるんだから。」

 

そのまま部屋を通り抜けて大広間へと入ると、教員と生徒たちの視線が一気に集まってきた。……うぅ、ちょっとクラっときたぞ。こういう場所は苦手だ。というか、嫌いだ。

 

教員テーブルの中央にダンブルドアが、その隣に私がなんとかたどり着いたところで、見計らったかのように大広間の扉が開いて……ああ、組み分けか。殻を被ったヒヨコちゃんたちを引き連れたマクゴナガルが入場してくる。

 

これはまた、信じられないほどに懐かしい光景だ。百年ほど前、私もああやってホグワーツへと誘われたっけ。そう考えると全然変わってないな。調度品や顔触れなんかはさすがに違うが、全体的な雰囲気は当時のまま。私が魔法の学校に入学した頃のままだ。

 

「懐かしいかね? ノーレッジ。」

 

目を細めてボソリと囁いてきたダンブルドアに、不承不承ながら同意の声を返す。

 

「そうね。……懐かしいわ。」

 

「うむ、そうじゃろうて。わしはこの瞬間が好きでのう。新たにホグワーツに入ってくる子供たちの姿を見ると、どうにも嬉しくなってしまうのじゃ。」

 

「……そう。」

 

好々爺の笑みで言うダンブルドアに、素っ気なく頷く。悔しいが、確かに理解出来てしまうのだ。……羨ましいな。あの子どもたちにはこの大広間が酷く美しく見えているはずだ。未知に溢れ、好奇心が疼いているのだろう。多くを知ってしまった私なんかよりも、ずっとずっと鮮やかな景色の中で。

 

千年。この城では千年もの間これが繰り返されてきた。魔術師マーリンも、大魔女モルガナも、私も、ダンブルドアも、アリスも、リドルも、妹様も。善なる魔法使いも、悪しき闇の魔法使いも、強大な吸血鬼でさえも。誰もがこの光景に胸を膨らませ、この場所で魔法を学び、そしてそれぞれの道へと巣立っていった。

 

偉大だ。捻くれ者の私をして、ホグワーツは偉大な場所だと言わざるを得ない。レミィやリーゼですら追いつかないほどの時間を、この城は移り変わる顔触れとともに過ごしてきたのだから。

 

少しだけ、ほんの僅かだけダンブルドアの強さの源が理解出来た気がする。これを背にするからこそ、彼は屈さずに立ち続けることが出来るのだろう。……まあ、私とは違う強さだ。なればこそ彼は人間で、私は魔女を選んだわけか。

 

私が思考に区切りをつけた頃には、既に一年生たちは不安そうな表情で教員テーブルの前に整列していた。それを確認したマクゴナガルがチラリとこちらを振り返った瞬間、教員テーブルの前に置かれた椅子の上の帽子が歌い出す。これもまた昔と同じだ。組み分け帽子の『独唱会』もまだまだ健在らしい。

 

 

昔々の大昔  今より遥かな大昔  ここに我らが城は無く  単なる野山が在りし頃

 

それは如何なる偶然か  それは如何なる運命か  集いし四人の魔法使い  集いし四人の賢者たち

 

四人の願いは重なりて  共に興さん、教えんと  この地に築くホグワーツ!

 

 

荒野から来たグリフィンドール  勇猛果敢なグリフィンドール  私は護ろうこの城を  如何なる敵も通すまい

 

湿原から来たスリザリン  怜悧狡猾スリザリン  私は見張ろう内側を  真なる敵は内にあり

 

高原から来たレイブンクロー  賢明公正レイブンクロー  私は集めん知識をば  知恵さえあれば敵はなし

 

谷間から来たハッフルパフ  温厚柔和なハッフルパフ  私は繋ごう人の和を  敵など一体何処にいる?

 

これほどの護りあり得るや?  四人の賢者が支え合い  四つの柱で護られし  難攻不落のホグワーツ!

 

 

されど不滅のものはなく  永久に続くものもなし  いつしか迫る恐れと不安  忍び寄りしは不和の種  かつて誇ったその絆  徐々に濁りて細くなる

 

争いに次ぐ争いが  決闘に次ぐ決闘が  四つの護りを割りし時  残るものなど何も無し

 

懐かしきはあの絆  懐かしきはあの想い  なれど気付いた時はもう  去った一人は戻らない  唯一残るは虚脱感

 

 

帽子の私に出来るのは  分けることと歌うこと  ならば分けよう生徒をば  正しき寮に組み分けよう

 

そして歌おう警告を  私は歌うだけだけど  それなら声を張り上げよう  あらん限りにこの声を!

 

四つの柱に護られし  難攻不落のホグワーツ!  かつて誇ったホグワーツ!  忘れるなかれそのことを  四つ揃えば憂いなし!

 

 

歌が終わると、大広間には戸惑いを含んだパラパラという拍手が起こった。……警告か。かつて誇った護りを蘇らせろと、来るべき脅威に備えて団結せよということなのだろう。

 

「賢い帽子じゃないの。」

 

「さよう。組み分け帽子には本当に驚かされる。彼もまたホグワーツを守りたいのじゃろうて。……この場所を愛するが故に。」

 

「帽子の愛、ね。哲学だわ。」

 

奇妙なことに、四つのテーブルのうちで最も歌のことを真剣に受け止めているのはスリザリンのようだ。彼らの中のいくらかは選択を迫られているのだろう。友と同じ道を選ぶか、親と同じ道を選ぶか、それとも……決別することを選ぶのか。それがどちらの道に通じているかは知らんが。

 

不幸なことだな。中には選択することすら叶わずに引きずり込まれる者もいるはずだ。家同士の繋がりを断ち切れなかったり、姓が背負う歴史が背くことを許さなかったり。……それもまた団結力の一側面というわけか。繋がりが深いからこそ、それが足手まといになることもあるのだ。

 

真なる敵は内にあり、ね。スリザリンはいい格言を残したな。正しくその通りだ。本当に恐ろしいのは目に見えている脅威ではなく、背中から襲いかかってくるものなのだから。

 

まあ、私の場合は当て嵌らんな。私の『後ろ』にいるのはとびっきり性悪な吸血鬼なのだ。リーゼが馬鹿正直に真後ろから襲ってくるはずがない。もっと卑怯で、もっと意地汚い手段を使ってくるはずだ。吸血鬼らしく、『正々堂々』と。

 

グリフィンドールのテーブルでハリー・ポッターと話している性悪吸血鬼を見ながら考えていると、隣のダンブルドアが横目で私を捉えて質問を投げかけてきた。

 

「どうかしたのかね? ノーレッジ。」

 

「……何よ?」

 

「いや、実に愉快そうな笑みを浮かべておったからのう。少し気になったのじゃよ。」

 

「あのね、ダンブルドア? 乙女の顔をジロジロ見るもんじゃないわよ。組み分けを見なさい、組み分けを。新入生たちが可哀想でしょうが。」

 

睨め付けながら言ってやると、ダンブルドアは肩を竦めて組み分けの方へと視線を戻す。まったくもって失礼なジジイだ。うら若きレディに対する態度がなってないぞ。

 

……しかし、暇だな。生徒の名前なんぞいちいち覚えていられんし、誰がどこに組み分けされようが知ったことではない。リーゼ、咲夜、あとはギリギリでハリー・ポッター。私に判別出来るのも、判別しようと努力させるのもその三人だけだ。その他の生徒なんかどれも変わらん。

 

マクゴナガルの声と組み分け帽子の声。それが交互に響く大広間を前に、パチュリー・ノーレッジは懐から文庫本を取り出すのだった。

 



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監査員

 

 

「なんか、今年はいつもと違ったな。ハッキリ言ってたぜ。『警告』って。」

 

ロンの不安そうな声を受けて、アンネリーゼ・バートリは静かに頷いていた。帽子まで尤もらしい警告を放つとはな。相も変わらず意味不明な学校だ。

 

ホグワーツ特急の旅も無事に終わり、例年通りに始まった歓迎会。入場してくるチビっ子たちを微笑ましげに見ていた在校生だったが……組み分け帽子の歌が終わった今、誰もが不安そうに囁き合っている。

 

難攻不落のホグワーツね。心配は無用だ、帽子。今年に限ればこの城は正にその通りになるのだから。……まあ、イギリスそのものがどうなるかは知らんが。そこはレミリアの頑張りに期待だな。

 

教員席で退屈そうにしている紫の魔女を見ながら考えていると、同じ方向を見ていたハーマイオニーが怪訝そうに口を開いた。

 

「ダンブルドア先生の隣にいらっしゃるのがノーレッジ先生よね? ……随分と若く見えるけど。」

 

「アリスと一緒だろ。ノーレッジは校長と同世代なんだ。見た目で判断するとバカを見るぜ。」

 

ハリーの隣の魔理沙が然もありなんと答えを返したところで、どうやら組み分けがスタートしたようだ。マクゴナガルがヒヨコちゃんの名前を呼ぶ声が響く中、今度はハリーが教員席を見ながら問いを放つ。

 

「ちょっと待った、ハグリッドが居ないよ。……それと、スネイプもだ。」

 

「本当だ。どうしたんだろ? ハグリッドは心配だな。」

 

ロンの声に、ハリーとハーマイオニーが深く頷くが……いや、スネイプも心配してやれよ。ハリーのために敵の陣営に命懸けで潜入しようとしてるってのに、これではさすがに報われんぞ。

 

スネイプからは一切連絡が送られてこないが、かといってこちらからコンタクトを取るわけにもいかない。潜入に手間取っているのか、はたまた潜入したからこそ連絡を送れないのか、もしくはもう既に『始末』されてしまったのか。詳細は不明だが、今のところはあの男の口八丁を信じるしかないのだ。

 

内心で報われない陰気男に同情を送りつつ、肩を竦めながら答えを返した。

 

「任務だよ。詳細は言えないが、ハグリッドもスネイプも任務を遂行中なんだ。どっちもいつ帰れるか分からないし、今年は代わりに他の教師を雇ってるはずだよ。」

 

これが今言えるギリギリのラインだ。スネイプは『ダンブルドアのスパイのフリをしたリドルのスパイのフリをしたダンブルドアのスパイ』……ややこしいな。とにかく二重スパイとして動くはずなので、『任務』であることは伝えてしまっても問題あるまい。

 

「どんな任務なんだ?」

 

「言えるわけないだろう? ロン。キミたちがペラペラ話すような人間じゃないってのは理解しているが、少なくとも狙われているハリーが閉心術をマスターするまでは秘密だよ。」

 

まあ、スネイプの方は閉心術をマスターしたところで教えられんが。ただでさえ疑われているのに、二重スパイであることを広めまくるなどバカのやることだ。こればっかりは信頼してるしてないの問題ではない。沈黙こそが最大の防御なのだから。

 

とはいえ、ロンにとっては望ましい返答ではなかったようで、不満げな雰囲気を覗かせながら尚も情報を引き出そうと話しかけてきた。

 

「秘密は守る、絶対だ。……パパも何かしてるみたいなんだけど、全然教えてくれないんだよ。僕たちにだって知る権利はあるだろ?」

 

「そうだよ。それに、ホグワーツなら安全でしょ? いきなり誰かが開心術をかけてきたりはしないはずだ。」

 

「それにさ、知ってればこそ備えられることもあるんじゃないか? あとは……ほら、何か手伝えるかもしれないし。出来ることならやるぜ?」

 

うーむ、ハリーと魔理沙も乗ってきてしまったな。ハリーは敵からの開心術を警戒していると思っているようだが、私たちが警戒しているのはリドルとの繋がりなのだ。そして、どうやら無自覚のリドルにそれが伝わる可能性がある以上、ハッキリとそれを説明することも出来ない。もどかしいな。

 

何にせよこの質問をやり過ごさねばなるまい。三人にはぐらかしの返事を返そうとしたところで……おお? その前にハーマイオニーと咲夜が代わりに反論を繰り出し始める。おいおい、なんだこりゃ? いつの間にか小さな討論に発展してしまったようだ。

 

「あら、それはどうかしらね。リーゼたちだって秘密にしたくてしてるわけじゃないでしょ? そうする必要があるからそうしているのよ。私たちのやることは根掘り葉掘りそれを暴こうとすることじゃなくて、話しても大丈夫だってことを示すことなの。つまり、信頼に足るだけの能力をね。」

 

「そうですよ。先ずはきちんと閉心術をマスターして、秘密を守れるってことを証明すべきです。口約束だけじゃ何の保証にもならないじゃないですか。」

 

困った。ロンと魔理沙は未だ納得いかないという表情で、咲夜に弱いハリーは若干勢いを無くし、ハーマイオニーは威厳たっぷりに腕を組み、そして小さなメイド見習いどのは鼻を鳴らしている。……変な空気になっちゃったな。

 

まあ、『開示要求』をしている三人の気持ちも分からんでもない。単に知りたがりなわけではなく、自分たちに何も出来ないのがもどかしいのだろう。

 

ロンは両親や兄たちが動いているのを目にしているし、魔理沙はダイアゴン横丁の惨状やアリスのことを目にしている。そしてまあ、ハリーについては言わずもがな。我が身に関わる問題を知りたいと思うのは仕方があるまい。

 

とはいえ、だからといってペラペラ話す私じゃないのだ。顔には苦笑を浮かべつつ、場を収めるために口を開く。

 

「いいかい? 私たちはキミたちを軽んじてはいないし、ハーマイオニーが言った通りにそうする理由があるからそうしているんだ。いつか伝えた時に納得するであろう理由がね。だから、そうだな……今のキミたちに出来ることは、ハリーの閉心術の特訓を手伝うことかな。一歩目を踏み出せないままじゃあ何にも始まらないだろう?」

 

珍しく真面目な表情で言った私を見て、温度差はそれぞれだが全員納得の頷きを寄越してくれた。そして同時に組み分けも終わったようだ。……全然見れなかったな。いやまあ、別に興味は無いが。

 

マクゴナガルが帽子と椅子を片付けたところで、ゆるりとダンブルドアが立ち上がる。例年に増して生徒たちの真剣な目線が集まる中、ホグワーツの校長どのは柔らかな声を張り上げた。

 

「お帰り、在校生たち。ようこそ、新入生の諸君。今年も組み分けを無事に見届けられて何よりじゃ。新たに加わることになる仲間たちを、各寮が温かく迎え入れてくれることを祈っておる。……うむ、わしが祈らんでもそうなるじゃろうな。」

 

そこでパチリとウィンクをしてから、ダンブルドアは少しだけ真剣な表情になって話を続ける。

 

「今年は変化の年となる。ヨーロッパ、イギリス、そしてホグワーツ。諸君らを包む環境は目まぐるしく変化することじゃろう。望む、望まぬに関わらずじゃ。……じゃが、安心して欲しい。今年、わしはホグワーツの校長として最善の一手を打った。わしの人生の中でも最優の一手をの。」

 

そこでダンブルドアは隣に座るパチュリーを手で示すが……うーん、悲しいかな。陰気魔女は同級生の演説に協力する気はないようだ。どうでも良さそうに文庫本に目を落としている。

 

それに苦笑を浮かべつつ、ダンブルドアは続きを語り出した。どうやらパチュリーの反応は予想済みだったらしい。そりゃそうか。私としても大いに納得の反応だったし。

 

「わしに代わり、今年は彼女が校長代理としてホグワーツを治めることになっておる。パチュリー・ノーレッジ校長代理じゃ。……おや、心配かね? ふむ、皆不安そうじゃな。」

 

生徒たちが不安七割、戸惑い三割くらいの視線でパチュリーを見る中、ダンブルドアの朗らかな声がその雰囲気をかき消した。

 

「この小さな魔女は、わしの同級生なのじゃよ。そして同時に、わしを遥かに凌ぐ強大な魔法使いでもある。……このアルバス・ダンブルドアが自らの杖に誓おう。パチュリー・ノーレッジがホグワーツに居る限り、諸君らに危険が迫るようなことは決して無いと。この言葉にわしは命を賭けることが出来る。刹那も迷わずにね。」

 

悠然と、迷いなく言い切ったダンブルドアの言葉を受けて、大広間を騒めきが包み込む。そこらの魔法使いではない。あのアルバス・ダンブルドアが自らの杖に誓った。それは生徒たちにとって驚きに値する台詞だったようだ。

 

「これって……ビックリね。そこまで言うとは思わなかったわ。」

 

「勝てる賭けにベットを躊躇うような男じゃないのさ、ダンブルドアは。私だって同じ状況なら全財産を賭けるよ。」

 

ポツリと呟いたハーマイオニーに肩を竦めて言ったところで、微笑みながらのダンブルドアが再び声を張り上げる。ちなみにパチュリーは未だ文庫本に夢中だが……ふん、ページを捲るのを忘れてるぞ。相変わらず褒められるのに弱いヤツだな。

 

「故に、わしは何一つ心配しておらぬ。諸君らの中にはそれを老人の呑気さと笑う者もいるじゃろうが……ほっほっほ、これに関してはわしの勝ちじゃよ。一年後、君たちはわしの言葉の意味を理解することじゃろうて。……おお、そうじゃ。今わしの言葉を疑い、一年後に『参った』と思った者はノーレッジにマカロンを贈るように。そうならなかった時はわしが……うむ、杖をへし折ってみせようぞ。ポッキリと。」

 

おいおい、ニワトコの杖を折ったらゲラートが悲しむだろうが。折るくらいなら返してやれよ。クスクス笑いながら冗談だか本気だかよく分からんことを言ったダンブルドアは、今度は教員席の新顔を手で示しつつ口を開く。

 

「それに、新たな教師を紹介せねばなるまい。先ずは研究のために学校を離れているスネイプ先生に代わって、今年の魔法薬学を教えてくださることとなる……ホラス・スラグホーン先生じゃ。彼は以前にもホグワーツで同じ教科を教えていた方じゃよ。」

 

言葉を受けて、フリットウィックの隣に座っていた男が立ち上がった。でっぷり太った樽のような体型で、口元には見事なセイウチ髭。顔には柔和そうな笑みを浮かべている。

 

スリザリンだけはパラパラと、他の寮からは盛大な拍手が沸き起こる中、ハリーが明らかに大きめの拍手を送りながら声を上げた。手が痛くなりそうなほどの叩きっぷりじゃないか。

 

「うん、スネイプよりは良い人そうだね。……少なくとも僕を睨んではいないし、あの感じなら多分僕に毒薬を飲まそうとはしないはずだ。」

 

「毒薬とスネイプの関連性についてはともかくとして、キミの両親もスラグホーンに教わっていたはずだよ。リリー・ポッターは魔法薬学が得意だったそうだし、彼ももしかしたら覚えてるかもね。」

 

「そうなんだ……。」

 

そのままぺこりと洒落た感じにお辞儀をしたスラグホーンが座ると、今度はスプラウトの隣に座っている大柄な魔女が立ち上がる。私は見たことのないヤツだな。

 

「そして、ハグリッド先生に代わって魔法生物飼育学を教えてくださる、ウィルヘルミーナ・グラブリー=プランク先生じゃ。ハグリッド先生は魔法生物の保護活動のために少しばかり城を離れておる故、その間は代理として彼女が授業を進めてくれることとなる。」

 

若干弱めの拍手だったグリフィンドールとハッフルパフも、『代理』という言葉を聞いて拍手を大きくした。……魔法生物の保護活動ね。もっと良い言い訳はなかったのか? 去年のスクリュートの一件があったせいで、チラホラと不安がっている生徒が見えるぞ。

 

「『少しばかり』ってことは、今年中には帰ってくるんだよね? ……それも秘密?」

 

ちょっとだけ元気を取り戻したハリーの質問に、首を傾げて答える。正直言って私にもよく分からんのだ。マクシームと一緒に大陸の方の巨人との交渉に挑んでいるらしいが、巨人なんかとまともな交渉が出来るとは思えんぞ。私と美鈴がやったような『交渉』の方が手っ取り早いだろうに。

 

「秘密というか、それは私にも分からないんだ。……帰って来れるって報せを受けたら教えるよ。」

 

「そっか、無事だといいんだけど。」

 

少なくともロマンチックな旅行とはいかないだろうな。嘗てうんざりするほど見た巨人のことを思い浮かべていると、ダンブルドアは次に……おっと、あれが最近噂のカエル女か。確かにカエルだ。いきなりゲコゲコ言い始めても誰も疑問には思うまい。

 

「闇の魔術に対する防衛術はノーレッジ校長代理が兼任してくださる予定じゃ。……そして、今年は魔法省から派遣されて来た方が城に常駐することとなっておる。魔法教育促進委員会からいらっしゃった、ドローレス・アンブリッジ監査員じゃ。この学校の教育が『正しく』行われているかを監査してくださるそうでのう。」

 

教員テーブルの一番隅でニタニタするアンブリッジに、生徒たちからは戸惑いを含んだ儀礼的な拍手が上がった。……なんか知らんが、教師たちには随分と嫌われているようだな。教員テーブルの中には一度か二度手を叩いただけのヤツどころか、手を上げようとすらしなかったヤツまでいるぞ。具体的に言えば、フーチ、スプラウト、シニストラ、フリットウィックなんかの古参連中だ。

 

「さて、それでは小難しい話は一区切りにして、先ずは食事を──」

 

「ェヘン、ェヘン。」

 

と、ダンブルドアが腹ペコの生徒たちの望む言葉を放とうとしたところで、アンブリッジのわざとらしい咳払いが響く。しばらくは何事かと首を傾げる大広間の面々だったが……ああ、立ってるのか、あれ。座っても立っても高さが同じせいで全然気付かなかったぞ。

 

「ホグワーツの流儀を知らないみたいだな、あいつ。校長の話を遮るなんて初めて見たぞ。」

 

「一応は卒業生なんだと思うけどね。」

 

ニヤニヤするロンに肩を竦めたところで、ダンブルドアが行儀良く促したのを見たアンブリッジが口を開く。……そして他の教師たちはうんざりしたような表情だ。いやぁ、さすがに酷いんじゃないか? 夏休み中に何かあったのだろうか?

 

しかし、ホグワーツの教師たちがアンブリッジを嫌う理由はすぐに判明した。恐らく私だけではなく生徒全員がだ。正確に言えば、彼女が話し始めた直後に。

 

「歓迎の言葉恐れ入ります、校長先生。そして、こんばんは、みなさん! 可愛らしい生徒のみなさんの前でお話し出来るのは本当に嬉しいですわ!」

 

こりゃまた、凄まじいな。別になんら悪口を言っているわけでもないのに、話し方が全てをダメにしている。甲高い少女のような猫撫で声、薄気味悪いニタニタ笑い、そして人差し指を悪戯げに『チョン、チョン』とする仕草。うーむ、あまりに哀れだ。鏡をプレゼントしてやるべきか?

 

とはいえ、残念ながら同情に値すると考えたのは私だけのようだ。生徒たちの多くは『お子ちゃま』扱いされたのがお気に召さなかったらしい。まだ第一声だというのに半数が苛々顔で、もう半数は愕然とした顔になってしまっている。レミリアは嫌ってるらしいが……いや、中々面白いヤツじゃないか。

 

「私は監査員として一年間を過ごすことになりますが、同時にみなさんと『お友達』になれるとも思っていますの。何かお困りごとがあれば是非声をかけてくださいね。……ほら、教師に話せないことでも、お友達の私になら話せるでしょう? 私の部屋のドアはいつでも開いていますわ。」

 

そこでロンが『オエッ』という顔をするが、ハーマイオニーですらそれを止めようとはしなかった。……もしくはしてるヤツが多すぎて気付かなかったのかもしれんが。

 

アンブリッジはそれに気付いているのかいないのか。何にせよニタニタ顔を保ったままで、少しトーンを落として続きを語り始める。先程までの猫撫で声は鳴りを潜め、文章を読み上げる時のような無味乾燥な口調だ。

 

「ェヘン、ェヘン。……さて、魔法省はこの学校の教育がイギリス魔法界にとって非常に大きな要素になっていると、常にそう考えてきました。ホグワーツ魔法魔術学校はイギリス魔法界の入り口であり、誰しもが通る道なのです。であるからこそ、この道が荒れればイギリスそのものが荒れることになってしまいます。……故に私は監査員としてこの学校に派遣されることとなったのですわ。正しい教育が為されているか、間違った考え方を植え付けてはいないか。魔法省としてはそれを監視する責任があり、仮に事が判明した場合にはそれを是正しなければならない義務があります。……ああ、勘違いなさらないで? あくまで私が派遣された理由の説明であって、私個人が教師の皆様を『疑っている』わけではありませんの。」

 

そこで『分かるでしょ?』という感じに教員テーブルを見るが、アンブリッジに礼儀正しく首肯を返したのはダンブルドアだけだった。マクゴナガルなんかは正面を向いたままで微動だにしていないし、フリットウィックはフォークとナイフに呪文をかけて追いかけっこをさせている。スプラウトはテーブルの上の燭台を弄るのに夢中で、シニストラとトレローニーは天井の星々を指差しながら何かを話し合い、そしてパチュリーは『ノーレッジ』に夢中だ。

 

教員席でさえああなのだから、生徒たちなど言わずもがな。既に殆どの生徒たちは長過ぎる『お堅い』話に飽きて、コソコソペチャクチャお喋りに熱中している。私の周りで真剣に聞いているのはハーマイオニーだけらしい。ハリーとロン、魔理沙は小声でクィディッチの話をしてるし、咲夜は……おや、可愛いな。こっくりこっくりし始めたぞ。

 

私が突っつきたくなる前後運動をニマニマ眺めている間にも、アンブリッジの『大演説』は続く。

 

「歴史上、多くの魔法使いたちがこの学校の支配を目論んできました。……当然ですわね。ここでの『教育』を自由に出来るということは、未来のイギリス魔法界を自由に出来るということなんですもの。だからこそホグワーツは独立自治を認められ、いかなる政治団体にも干渉されない立場を保っているのです。……しかし、それは『自由にやってもいい』というわけではありませんの。イギリスの法や政治形態がある以上、それに則った教育を施すのは当然のことでしょう? ……司法機関であるウィゼンガモット大法廷はこのことを重く受け止めています。間違っていることは往々にして内側からは気付き難いものなのです。だからこそ外の目が必要になる。だからこそ監査員が、この私が内側から見極める必要があるのです。そして万が一そこに問題があった場合、外側からの力によってそれを正さねばなりません。多少強引にでも、迅速に。イギリス魔法界を歪ませない為にも、私の全力を以ってこの仕事に当たるつもりですわ。」

 

おっと、終わったか? ダンブルドアがパチパチと拍手をし始めたのを聞いて、生徒たちからもパラパラと拍手が起こるが……珍しいな。ハーマイオニーが拍手をしていない。ついでに言えば各寮の上級生にも数名拍手をしていない者が見受けられる。それどころか決然とした表情でアンブリッジを睨みつけてるぞ。

 

「どうしたんだい? ハーマイオニー。」

 

「聞いてたでしょ? 魔法省はホグワーツに対して干渉しようとしているの。そうじゃなきゃこの時期に『監査員』だなんて意味不明よ。独立自治を撤回しようとしているのかもしれないわ。」

 

「厳密に言えば、『ウィゼンガモットが』だね。魔法省じゃない。」

 

「だとしても、良くないことよ。ホグワーツは政治に左右されるべきじゃないわ。教育機関として中庸の位置を保つべきなの。」

 

なんともまあ、相変わらず賢い子だな。本当に十五歳なのかが怪しくなるほどだぞ。彼女は独立自治の理由を正確に把握しているらしい。顔に苦笑を浮かべつつ、ぷんすか怒るハーマイオニーへと言葉を放つ。

 

「キミね、アンブリッジの話にも出ていたが、千年間で同じことを考えたヤツがどれほど居ると思うんだい? 星の数ほど居るだろうさ。……だが、見てごらんよ。誰一人としてホグワーツを支配出来た者は居なかった。この城はそんなにヤワじゃないんだ。あの女もそのうちそれに気付くさ。」

 

「でも……リーゼは大丈夫だと思うの?」

 

「何なら賭けるかい? この『生きた城』をどうにかするのは難しいぞ。政治的にも、物理的にもね。……ま、見てるといいよ。そのうち分かるさ。」

 

「──な話じゃった。聞きたいことは色々とあるかもしれんが……うむ、今はその時にあらずじゃ。それ、掻っ込め!」

 

私が自信たっぷりに言い切ったところで、ようやくダンブルドアが食事開始の台詞を放った。……まったく、遅いぞ。小難しい政治の話なんかより、大事な大事な食事を優先すべきだろうに。

 

現実問題として、アンブリッジが出来ることなど高が知れているのだ。精々ゲコゲコ耳障りな鳴き声を上げるのが精一杯だろう。レミリアが政治的に護り、パチュリーが物理的に護っているのだから。なんなら私が『真なる敵』を見張ってやってもいいさ。

 

創設者たちの時よりかは一本ほど少ない柱だが……まあ、十分だろう。私ならこれを崩せと言われたら、言ったヤツの正気を疑った後に寝返ることを選ぶぞ。

 

「そら、難攻不落のホグワーツに乾杯だ。」

 

キョトンとするハーマイオニーと盃を合わせつつ、アンネリーゼ・バートリは肉を『回収』する作業に入るのだった。

 



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反転

 

 

「まあ、思ってたよりかは酷かったな、うん。」

 

紅い談話室のソファで落ち込むハリーの肩を叩きながら、霧雨魔理沙は慰めの言葉を放っていた。そりゃあ多少は『おバカ新聞』に流されるヤツが居ることは分かっていたが、まさかここまでだとは思っていなかったのだ。

 

ホグワーツの新学期初日の昼休み。たった二つの授業を終わらせた段階で、目の前のハリーは既に打ちのめされている。原因は『否定派』の連中の冷たい目線。つまり、ヴォルデモートの復活を信じたくない連中のことだ。

 

まさか日刊の記事に載っていたように、ダイアゴン横丁の一件が単なる『身代金目当ての誘拐事件』だと信じてるヤツがこんなに居るとは思わなかった。……あの時何人死んだと思ってるんだよ。バカばっかりか?

 

いやまあ、冷たい目線を向けてくるだけならマシなほうだ。最悪なのは『ディベート』を吹っかけてくるヤツである。そういうヤツは決まって日刊予言者新聞を片手に、やれ妄言だとかやれ証拠がないだとか捲し立ててくるのだ。そのくせヴォルデモートの名前一つ口には出せない。うんざりするぜ。

 

昼休みで既にいっぱいいっぱいのハリーへと、今度はロンが元気付けるように話しかけた。ちなみに咲夜とハーマイオニーは大広間にサンドイッチを取りに行ってくれている。昼食はここで済ますことにしたのだ。

 

「でもさ、真逆のことを言ってくれてるヤツも沢山居るだろ? っていうか、そっちの方がずっと多いじゃないか。元気出せよ、ハリー。みんながみんな君を否定してるわけじゃないんだ。」

 

その通り。ハリーに文句を言ってくるヤツもいるが、励ましてくるヤツはそれ以上に存在しているのだ。要するに、『肯定派』の連中である。割合で見ると、七割以上がきちんとイギリスの『問題』に目を向けているらしい。

 

朝食の大広間ではレイブンクローのぽっちゃりした七年生が、『君は正しいことをしている』と言っていきなり握手を求めてきたし、変身術の帰りにはディゴリーと仲の良かったハッフルパフ生たちが涙ながらの感謝を送ってきたそうだ。『セドリックを連れて帰ってきてくれてありがとう』と。

 

他にもリー・ジョーダンがハリーを嘘つき呼ばわりしたスリザリン生に呪いをかけた結果、記念すべき学期初の減点を受けてグリフィンドールの寮点を『マイナス』にしたり、チームメイトのケイティ・ベルが『日刊信者』のレイブンクロー生に向かって糖蜜パイをぶん投げたり、かくいう私も今朝ルームメイトと大喧嘩を繰り広げたばかりだ。……あの分からず屋め。

 

「うん、でも……。」

 

ロンの言葉でも元気を取り戻し切れないハリーに、今日の予言者新聞を見ていたリーゼが言葉を放った。若干強めの、突き放すような口調だ。

 

「ハリー、キミはもう決めたはずじゃないのかい? キミの覚悟は下らない中傷なんかで折れるものだったのか? ……だとすれば、私は少しばかりキミを見誤っていたことになるが。」

 

その言葉にハッと顔を上げたハリーは、バツが悪そうに首を振って口を開く。……私には何のことだか分からんが、ハリーにとっては何かを思い出させる言葉だったようだ。

 

「……ううん、違うよ。こんなことで折れたりしない。」

 

「結構。それならキミに良い知らせをあげよう。朝食の時はそれどころじゃなかったからね。……ほら、見たまえ。」

 

言いながらリーゼがこちらに差し出してきた日刊予言者新聞には……『魔法省、違法な強制捜査。無実の家を家捜し!』との文字が踊っている。良い知らせか? これ。

 

「よう、リーゼ。お前は無実の家に違法な強制捜査をするのが好きなのか?」

 

「大好きさ。よく読めばキミも好きになるぞ。」

 

何のこっちゃ。もう一度私が目を落とす間も無く、ハリーの声がその真意を教えてくれた。

 

「強制捜査を受けた家は、カロー、マクネア、ノット、ヤックスリー……それにクラッブ、ゴイル、マルフォイ! 他にもパーキンソンとか、フリントとか。スリザリン生の名前が沢山載ってるよ!」

 

「んふふ、魔法省の体制が固まって、ようやく大っぴらに動き出せるようになったんだ。これでイギリスの盤面は大きく動くぞ。我々の狼煙がようやく上がったのさ。」

 

ご機嫌な感じでリーゼは言っているが……んー、よく読むと成果は上がってないみたいだぞ。どの家からも違法な品物なんかは発見されず、その点をこの記事では叩きまくっているようだ。

 

ロンもそこに気付いたようで、ちょっと残念そうな顔でポツリと呟く。

 

「でも、何にも見つからなかったみたいだぜ。なーんにも。マルフォイの家なんか、絶対に何かあるはずなのに。」

 

「なぁに、構いやしないよ。魔法省だって端から成果が出るとは思っちゃいないさ。ネズミはそこら中にいるし、連中だってとっくの昔に危ない物は何処かに移動させてるはずだ。……重要なのは、『強制捜査が行われた』って事実なんだよ。つまり魔法省は自分の立場を鮮明にすると同時に、『準死喰い人』に向けての軽い牽制を放ったのさ。」

 

「牽制?」

 

「そうだ。特に名家への強制捜査ってのはデカいぞ。ボーンズとスクリムジョールはもはや名家の看板は強力な盾にはならないってことを証明したんだよ。その行動を以ってね。」

 

ニヤニヤと笑うリーゼは心底楽しそうだ。他人の、それも敵の不幸は彼女にとって最上級の幸せらしい。リズミカルに動く翼が彼女のご機嫌の程を物語っている。

 

「分かるかい? イギリス魔法界の常識が一個ぶっ壊れたんだ。一見すると無様な魔法省の失態の記事だが、気付く者は気付くだろう。そして今頃慌てふためいているだろうね。安全圏だと思ってた場所が、実は奈落のお隣だったんだから。」

 

「んー、いまいちピンとこないな。結局逮捕とかは出来てないんだろ? 今までとあんまり変わらないんじゃないか?」

 

首を傾げながら聞いてみると、リーゼはかなり分かり易い説明を寄越してくれた。

 

「では、想像してみたまえ。ある日来客があってドアを開けたら、イカれたグルグル目玉が部下を引き連れて立ってるんだ。当然秘密の床下収納なんかも無意味だし、屋根裏の隅っこまで根掘り葉掘り調べられる。しかも、暇さえあれば執拗に、何度も何度も訪れてくる始末だ。……どうだい? そうなる可能性があるってのは、充分な牽制になってるとは思わないか?」

 

「ああ、よく分かったぜ。『軽い牽制』どころじゃないってことがな。」

 

悪夢だぞ。それもかなりの悪夢だ。……そういえば闇祓いの局長はムーディだったか。ハリーとロンにとっても想像するだに恐ろしい光景だったようで、顔を引きつらせながらコクコク頷いている。

 

私たち三人の表情を見ながら、リーゼは至極満足そうにこの話題を締めた。

 

「そろそろ連中は気付くだろうさ。十五年前とは状況が違うってことにね。あの頃ノックの音に怯えるのは死喰い人以外の魔法使いだったが、今回は真逆になるわけだ。……ふん、精々怯えて暮らせばいい。嘗て自分たちがやっていたことを後悔しながらね。」

 

まあ……うん、因果応報ってやつだな。少なくとも私は死喰い人に同情したりはしないし、それは大多数の魔法使いが同意するところだろう。正直言って、ざまあみやがれだ。

 

しかしまあ、『ムーディがこんにちは』ね。何かの標語にしたら効果があるんじゃないか? 顔写真付きのポスターかなんかにしてダイアゴン横丁に貼り出したら、もしかしたら投降してくるヤツが出てくるかもしれんぞ。

 

お喋りしながら談話室の扉を抜けてくる、大量のサンドイッチが盛られた皿を手にしたハーマイオニーと咲夜を横目に、霧雨魔理沙は名案だと一人で頷くのだった。

 

 

─────

 

 

「教科書を開いて、読みなさい。質問があったら言いなさい。以上。」

 

そら見ろ、誰もが予想していた事態が起こってるぞ。出席も取らずにそれだけを呟いたパチュリーを前に、アンネリーゼ・バートリはどデカいため息を吐いていた。

 

初日最後に訪れた、闇の魔術に対する防衛術の初授業である。歓迎会でのダンブルドアの言葉を聞いたグリフィンドールとハッフルパフの生徒たちは、どんな授業になるのかとワクワクしていたようだが……まあ、この有様だ。私は知ってたさ。

 

困惑。部屋を包む感情にパチュリー以外の全員が気付いている中で、グリフィンドールで最も勇敢な生徒が質問の声を上げた。我らがハーミーちゃんだ。……ただまあ、今回ばかりは蛮勇だぞ、ハーマイオニー。相手が悪い。

 

「あの、それだけですか? つまり、教科書を読むだけだと?」

 

「そうよ。」

 

あまりにも端的な返答を受けて呆然とするハーマイオニーに、肩を竦めて助言を送る。どうもパチュリーはここまでの授業で精神をすり減らしているようだ。恐らく他の授業でも同じようなやり取りがあったのだろう。『省エネモード』になっちゃってるな。

 

「ハーマイオニー、普通なら『そうよ』の後に尤もらしい理由が来るだろうが、今のパチェにそれを期待するのは無駄だぞ。言われたことにしか答えないはずだ。」

 

「それって……分かったわ。ノーレッジ先生!」

 

「なに?」

 

「この授業の目的は、闇の魔術に対する対抗手段を『実践的』に習得することのはずです。本を読むだけでは問題があるのではないでしょうか?」

 

ハーマイオニーとパチュリーの『対決』を生徒たちが固唾を飲んで見守る中、紫の魔女は尚も手元の本に視線を落としたままでポツリと呟く。

 

「具体的に、何が問題?」

 

「つまり、その……実際に使えなければ、『習得した』とは言えないはずです。」

 

「使っていいわよ。試したいならあれにどうぞ。」

 

言いながらパチュリーが手で示したのは……カカシだ。教室の隅に三体のカカシが立っている。……おい待て、なんで翼が付いてるんだ? それもやけにリアルな皮膜付きのやつが。

 

「キミね、翼は取りたまえよ。特定種族への差別だぞ。反吸血鬼教育でもする気かい?」

 

「付いてた方がやる気が出るでしょ。私は出るし、誰もが出るわ。」

 

聞いた瞬間に最短の動作で失神呪文を撃ち込んでやると、差別魔女は事もなさげに杖なし魔法でそれを防ぐ。おのれ邪悪な魔女め。反社会的教育を施すなど看過出来んぞ。私は正義の吸血鬼なのだ。

 

「さっさと取るんだ、紫しめじ。翼を付けたいならふくろう小屋の羽毛派どもから毟ってくればいいだろう? そんなんだから根暗って言われるんだぞ。」

 

「はい、グリフィンドールから三点減点。理由は反抗的な吸血鬼の反抗的な態度ね。」

 

「よしよし、よく分かった。夜闇に気を付けたまえよ? 陰湿魔女。吸血鬼を敵に回すと後が怖いぞ。」

 

「はい、教師への脅迫行為。更に一点減点。」

 

覚えとけよ。後で絶対に仕返ししてやるからな。一連の『ジャレ合い』に他の生徒たちがドン引きする中、今度はハッフルパフの生徒が抗議の声を放った。いいぞ、マクラミン……マクミラン? ええい、誰でもいいからとにかく文句を言ってやれ。

 

「あの、校長代理。今年はフクロウ試験がある年です。だから本を読むだけっていうのは……困ります。」

 

「どうして?」

 

「だって、その……教えてくれないんですか?」

 

「教えるべきことは書いてあるわ。全部。何もかも。だから私が読み上げるか、貴方たちが読むかの違いよ。なら読んだ方が早いでしょ?」

 

この世の道理を説くかのような口調のパチュリーに、生徒たち全員の心が一つに纏まる。『今年はハズレだ』と。……その通りだぞ、みんな。それも今世紀最大のハズレだ。ご愁傷様。

 

「あの人、クィレルといい勝負だぜ。」

 

「ご明察だ、ロン。ちなみに私が思うに、教師としてならクィレルの方がマシだと思うよ。何故ならクィレルは教科書を読み上げようとはしてたからね。頻繁に私に悲鳴を上げるせいで聞き取り難かったが、それでも蓄音機代りにはなっただろう?」

 

昔のパチュリーならギリギリ教師役は務まったかもしれない。そも私だって彼女から杖魔法を習ったのだ。とびっきり分かり易かったとも言わないが、少なくとも分かり難くはなかった。

 

しかし、今のパチュリーは……うん、無理だろうな。少しばかり思考回路が魔女寄りになり過ぎている。彼女は別に意地悪でこう言っているわけでなく、心の底からこれが最も適した教育方法だと思っているのだろう。

 

この時点で大半の生徒が諦めの方向に舵を切り始めたが、若干名は無謀な抵抗を続けるつもりらしい。もちろんハーマイオニーもその一人だ。

 

「つまり、理論を理解していれば問題なく魔法を行使出来るということですか?」

 

「理論というか、一連の方法ね。別に細かい部分を理解する必要はないわ。それと、その通りよ。前提となる魔法力を所持しているのであれば、書いてあることを書いてある通りにやれば行使出来るでしょう。」

 

平坦な、諭すような口調のパチュリーに、ハーマイオニーが何か言い返そうとするが……おや、今度は別の生徒が噛み付いたぞ。ハッフルパフの、スミスだったっけ? 何にせよ平凡な名前のヤツだったずだ。

 

「要するに、ノーレッジ先生は僕たちに何一つ教えるつもりはないということですか?」

 

「私は必要な情報が揃った本を提示したわ。五年生に習う必要のある呪文、習得しておいた方が良い呪文、そのどちらもがあなたたちの目の前にある七冊の本に載ってるの。おまけに質問にまで答えてあげるのよ? かなり『親切』な対応だとは思わない?」

 

うーん、私は思うぞ。パチュリーが『他人』に対して行うことにしては、凄まじく親切だと言える部類だろう。……だがまあ、生徒たちにとってはそうではあるまい。尚も反論をしようとする数名の生徒を封殺するように、パチュリーは小さな声で長台詞を続ける。

 

「私はあなたたちの『ママ』じゃないの。餌が欲しくてピーチクパーチク喚こうが無駄よ。きちんと餌の取り方も、取るべき場所も教えたわ。後は自分たちで探しなさい。……餓死するも、冬に備えて蓄えるも、それはあなたたちの自由。好きになさいな。」

 

言うと、パチュリーは『終わり』とばかりに本を読む作業に戻ってしまった。まあ、なんだ。超放任主義ってことだな。今年の防衛術は常に自習というわけか。

 

そしてハーマイオニーもさすがに諦めたようだ。大きなため息を吐いてから、ポツリポツリと文句を呟き始める。ちょっと怖いぞ。

 

「信じられない。ホグワーツの教師としての責務を完全に放棄してるわよ、あの人。」

 

「んー、そうだね……身内だから擁護するわけじゃないが、パチェはパチェなりに考えた結果こうしているんだと思うよ。彼女にとっての最効率の授業形式はこれなんだ。」

 

「違うのよ、リーゼ。私は授業形式が『正しくない』とは言っていないわ。七冊の本も、推薦図書から選んだ三冊も、きちんと全部読んだもの。……そうね、確かに正確かつ完璧に情報は揃ってた。見事よ。脱帽だわ。教科書のチョイスには文句の付けようもないわね。お小遣いが貯まったら残りの推薦図書も全部買う予定よ。」

 

褒め言葉を連発したハーマイオニーは、次に一転して文句を言い始めた。どうも彼女だけは他の生徒とは別の部分に怒っているらしい。

 

「ただ、この授業形式は『適してない』のよ。ホグワーツはあくまで基礎教育を施すための学校なの。生徒全体の理解度を平均的に上げるべきであって、個々の突出した生徒を生み出すことじゃないでしょう? あの感じだと質問にも正確に答えてくださるでしょうし、伸びる人は一気に伸びるはずよ。この本にきちんと目を通して、自己鍛錬を怠らないような生徒はね。……でも、伸びない人は全然伸びない。分かるでしょう? ノーレッジ先生は自ら学ぼうとしない生徒を『切り捨てた』のよ。それは責務の放棄だわ。」

 

「つまり、ああいう生徒を見捨てちゃったと。」

 

不貞腐れて堂々と居眠りを始めたハッフルパフ生を指差して言うと、ハーマイオニーは威厳たっぷりに頷きながら肯定の返事を放つ。そら、こっそり聞いてたロニー坊やが慌てて教科書を開いてるぞ。

 

「せめて、こういう授業は専門教育を行う場でやるべきなのよ。……まあ、イギリス魔法界にはあんまり無いわけだけど。マグルで言う大学とか、そういう類の施設でね。そこなら文句なんて何も無いわ。学ぼうとしない人が悪いだけよ。……でも、ここはホグワーツで、生徒たちは未成年なの。そこで教師をやる以上、学ばせようという努力をしなきゃいけないのよ。」

 

見事な大演説にペチペチと拍手を送った後で、ハーマイオニーに悲しいお知らせを伝えるために口を開く。パチュリーがそのことを考えた上でこうしているのか、それとも天然でやってるのかは不明だが、一つだけ確かに言えることがあるのだ。

 

「ハーマイオニー、キミは大いに正しい。全くもってキミの言う通りだ。……だがね、パチェは教師ではなく、学者なんだ。教え導く者ではなく、自ら探究する者なんだよ。いいかい? 後天的にそうなったんじゃない。生まれた時から、本質的にそうなんだ。……だから彼女には『学ぼうとしないヤツ』の思考回路なんぞ理解出来ないのさ。理解出来ないものを慮ることは出来ないだろう? こればっかりはダンブルドアの人選ミスを嘆くしかないね。」

 

『大学なら適している』というハーマイオニーの言葉が全てを物語っているな。パチュリーはガキに手取り足取り教えてやるほど優しくはないし、生徒たちも自ら熱心に学習するほど成熟してはいない。……五年生でさえこれなら、一年生とかはどうなるのだろうか? さすがに同情ものだぞ。

 

「よく分かったわ。ノーレッジ先生がどんな人なのかってことがね。……何にせよ、貴方たちは教科書をきちんと読むのよ、ハリー、ロン。そして自分で実技の練習さえするのなら、少なくともフクロウ試験を落とす心配はないわ。」

 

かなり疲れた表情のハーマイオニーの言葉を聞いて、ハリーとロンはコクコク頷きながら教科書を読み始めた。今のハーマイオニーに逆らうのは得策とは思えなかったようだ。

 

そして私は超ヒマ状態。これまでは授業風景を見たり、ハリーたちにちょこちょこっと助言をしたりも出来たわけだが……おいおい、何一つやる事が無いじゃないか。私もご本を読めってか?

 

次からは暇つぶしの何かを持ってくることを誓いながら、アンネリーゼ・バートリはハッフルパフの生徒を見習って机に寝そべるのだった。

 



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足掻く者

 

 

「ご自分が何をやっているのかを本当に理解しているのですか? スカーレット女史。」

 

目の前のソファに座るフォーリーの問いかけを受けて、レミリア・スカーレットは鷹揚に頷いていた。しているさ。少なくとも有象無象の連中よりはな。

 

九月初旬。魔法省地下一階の応接室で、私とチェスター・フォーリーによる一対一の話し合いが行われているのだ。議題はもちろん名家への強制捜査と、その利権の制限について。聖28一族の中でも最も重要な職……ウィゼンガモットの議長職に就いているこの男が、代表して『直談判』に訪れたということなのだろう。

 

日刊、夕刊の両新聞では名家への強制捜査についてのみが大きく取り上げられているが、他にも現政権は色々と制限案を出しているのだ。重職への推薦制度、評議員の世襲枠の削減、家名によって入省時の役職に差があったりとか……まあ、そんな感じの部分にメスを入れる提案を。

 

当然、他にも多方面から文句が飛んできている。国内の名家やお抱えの商人たちからは元より、国外の純血派の連中からも『お便り』の大盤振る舞いだ。やんわりとした忠告から高圧的な文句まで。この数日で実に多種多様な手紙を読むことが出来た。……今は全て暖炉の灰になっているはずだが。

 

今日も山ほど届いているであろうことにうんざりしながら、目の前の枯れ木のような老人へと口を開く。

 

「十分に理解しているわ。私がやっているのは『膿』の除去手術よ。」

 

「やはり何も分かっていない。……さぞ良い気分でしょうな。民衆のための改革、平等への第一歩というわけですか。」

 

「貴方は随分とご不満のようね、フォーリー。」

 

ニヤニヤしながら言ってやると、受けたフォーリーは厳しい表情で言葉を放ってきた。ここまでは当たり障りのないやり取りだったし、ようやく第一ラウンドの開始というわけか。

 

「我々名家がイギリス魔法界にどれだけ寄与してきたかはご存知でしょう? 我が身を粉にして懸命に働いてきたはずだ。その結果がこれでは、あまりに報われない話ではありませんか。」

 

「認識に誤差があるわね。確かに『遥か昔』にイギリス魔法界の成立を支えたことは知っているわ。……しかし、私が関わってきた百年間は邪魔でしかなかった。積み上がっていた貯金が尽きたのよ。そろそろ負債を払う時が来たんじゃないかしら。」

 

「それこそ視点の違いによるものではありませんか。貴女にとっては政敵だったかもしれないが、我々も我々なりにイギリス魔法界を思って行動してきたのです。自身に敵対する者は全て害悪だと? それは独裁者の理屈ですな。」

 

「あら、私は民衆の考えに則った行動をしているだけよ? 貴方たちが何を思って行動してきたのかは知らないけど、結局のところイギリスの利益になっていないのであれば、それは何の価値もない行動だわ。……そうね、むしろ『害悪』と言っていいでしょうね。」

 

肩を竦めて言う私に、フォーリーは立ち上がって両手を広げる。納得出来ないと言わんばかりの表情だ。

 

「民衆の考えなどに大した価値はありません! そのことは貴女も良くご存知でしょう? ……察するに、貴女も高貴な生まれのはずだ。違いますか?」

 

「大正解よ。スカーレット家は吸血鬼の世界ではぶっちぎりの名家と言えるでしょうね。私はそこの長女で、おまけに跡取り。『高貴な生まれ』と言って何ら差し支えないわ。」

 

「ならば分かるはずだ。民衆など新聞やラジオに流される愚かな存在でしかないことが。コロコロと考えを変え、目先のことしか理解出来ず、国の利益よりも個人の利益を優先する俗物であることが! ……だが、我々は違う。そうでしょう? 我々は幼い頃から己の責務を子守唄に育ってきたのです。大衆を導く存在として、イギリス魔法界を支える名家の跡取りとして。」

 

まあ、一理あるな。イギリス魔法界における予言者新聞の影響力がそれを雄弁に物語っている。立ち上がったままで捲し立ててくるフォーリーに、紅茶で唇を湿らせてから返事を返した。

 

「民衆が愚かなことも、高貴な者の義務と権利についても良く知っているわ。……ま、私は別に平等主義やら民主主義やらの信奉者じゃないからね。政治形態に関して利点と欠点が存在しているのも承知の上よ。その上で言わせてもらうけど、今の世界では民主主義が『流行ってる』の。ちょっと前にファシズムが、その前に専制君主制が流行ってたみたいにね。貴方たちの利権の剥奪もその流れの一つってわけ。」

 

「……つまり、別段正しいことだと思ってやっているわけではないと?」

 

「私は思想家ではなく政治家なのよ、フォーリー。流れを創り出す者ではなく、それを利用する者なの。……マグル界が民主的な政治形態に傾いている以上、魔法界がそうなるのも時間の問題でしょ? これはその切っ掛けに過ぎないわ。私はその流れをちょっとだけ早めただけ。ヴォルデモート対策の一環としてね。」

 

結局のところ、私は戦争に勝ちたいだけなのだ。イギリス魔法界云々ではなく、リドルに付いている勢力が名家だったからその利権を剥ぎ取っているだけである。これが逆だったら利権の拡大を推し進めていただろう。

 

皮肉な話だな。自らの利益を考える私が民衆の支持を受け、一応はイギリス魔法界のことを考えているフォーリーが批判されているわけか。……まあ、その考え方が今の時代に『ウケ』なかったというだけの話だ。政治ってのはこれだから面白い。

 

紅茶をティースプーンで掻き混ぜつつ考える私に、フォーリーは部屋の中を歩き回りながら言葉を放った。考える時に歩き回るタイプなのか?

 

「名家は必ずしも『例のあの人』の考えを支持しているわけではありません。私は支配者たる教育を受けた純血の魔法使いこそが政治の音頭を取るべきだとは思っていますが、なにもマグル生まれや半純血を虐殺したり、魔法界から追い出そうとまでは思っていない。あの男の考え方はやり過ぎです。」

 

「でも、そうすべきだと思っている者が名家に多いのも確かでしょう?」

 

「……私がなんとか抑えます。それでも弾圧を続けますか?」

 

「続けるわ。保証がないもの。……正直言って、貴方の言っていることを理解出来なくはないのよ。私も受けた教育からいけばそっちの考え方に寄ってるわけだしね。だけど、今は容赦していられるような状況じゃないの。ヴォルデモートに利する可能性がある以上、叩く以外に選択肢は無いわ。」

 

資金面と人脈、それに他国との繋がり。名家は力あるからこそ名家と呼ばれているのだ。だからこそリドルも連中を死喰い人の中核に入れているわけで、だからこそ私はそれを潰さねばならない。恨むなら利用しようとしたリドルを恨むんだな。

 

私の言葉を受けたフォーリーは、尚も歩きながら反論を続けてくる。……しかしまあ、思ってたよりも弁が立つ男じゃないか。副議長のシャフィクがアホすぎて気付かなかったぞ。

 

「私にとって重要なのは、例のあの人の騒動が終わった後なのです。実際のところ、あの迷惑な男が復活していようがしていまいがどうでも良い。仮に復活していたとして、貴女に抵抗し続けられるとは思えませんしね。……問題なのは、戦争後もこの平等化の流れが続くであろうということです。そうなればマグル生まれがどんどん魔法省の重職に入り込み、その連中は間違いなくマグル有利の政策を採るはずだ。魔法族ではなく、マグルのことを考えた政策を。」

 

「一概にそうであるとは言い切れないけど、確かに可能性はあるわね。貴方はそれを危惧していると?」

 

「その通りです。魔法省が優先すべきは何より魔法族の利益であって、隣人たるマグルのそれではないはずだ。今でさえあの連中のために隠れ住み、生きる場所を減らし、数々の制限をかけられている。それが拡大していくのですよ? ……そんなことは認められない。我々はどこまであの連中に譲歩しなければならないのですか?」

 

「それはまた、なんとも『グリンデルバルド的』な考え方じゃないの。」

 

私が思わずという感じでそう言うと、フォーリーは歩き回っていた足をピタリと止めてから……へぇ? ゆっくりと頷いて言葉を寄越してきた。

 

「……大戦当時の魔法大臣だった父の最大の失敗は、グリンデルバルドに抵抗しなかったことではなく、賛同しなかったことです。グリンデルバルドは魔法族の利益を考えて行動していました。マグル生まれに擦り寄るのではなく、魔法族の『より大きな善』のために。」

 

「……ウィゼンガモットの議長がグリンデルバルドに賛同ってのは問題だと思うけど?」

 

「私が思うに、魔法族の未来について何も考えていない貴女が政治のトップに居ることこそが問題だと思いますがね。」

 

「あらま。痛いとこ突いてくるじゃないの。」

 

よく分かってるじゃないか。クスクス笑いながら参りましたと両手を上げる私に、フォーリーはこめかみを押さえて口を開く。

 

「……うんざりですよ。私は魔法力があるからといって、魔法族が上位種であるとまでは思っていません。しかし、マグルの下位種だとも思えない。それなのにここまでの制限を課される必要がありますか? 連中は大手を振って歩いているのに、我々は世界の片隅で隠れて生きている。こんな理不尽が罷り通っていることこそがおかしいのです。」

 

「別におかしなことじゃないわ。単純な理由でしょ。……数よ、フォーリー。マグルが多くて、魔法族が少ないから。たったそれだけの話なの。」

 

「であれば、やはり私は認めるわけにはいかない。少ないからといって迫害されるのなど馬鹿げている。……魔法族のことを最も重視しているのは純血の一族です。多少考え方が歪んでいることは認めますが、それでも平然と『利敵行為』を行うマグル生まれよりはマシだ。彼らに魔法省の政治の舵を取らせるわけにはいきません。」

 

「んー……正直、貴方を見くびっていたわ。結構まともな考えの下に行動していたのね。」

 

聞けば聞くほどグリンデルバルドの思想にそっくりだな。ちょっと驚いたように言う私に、フォーリーは再びソファに座り込みながら返事を返してきた。

 

「私は単純な考え方のシャフィクやアンブリッジとは違います。問題をきちんと受け止めなかった父とも違う。そして、魔法族を優先しない貴女とも違うのです。……本音で言えば、例のあの人の復活を認めないのもただのポーズですよ。貴女がここまで大っぴらに行動するということは、あの男は確かに復活したのでしょう。」

 

「そこがちょっと驚きなのよね。さっきも言ってたけど、要するに貴方はヴォルデモートが大した問題にはならないと踏んでるわけ?」

 

「端的に言えばそうなります。現状のヨーロッパで貴女に刃向かうなど自殺行為だ。遅かれ早かれ例のあの人は負けるでしょう。……私が貴女に抵抗しているのは、貴女が魔法族の利にならないからなのです。今でさえ貴女はヨーロッパ魔法界の『女王』なのに、これ以上発言力を伸ばされれば対処しきれなくなってしまう。……まあ、既に望み薄かもしれませんが。」

 

「なんとも複雑な気分ね。私の勝ちに賭けたからこそ、私に反抗していると。うーん、褒められてると取るべきかしら?」

 

戯けた感じで言ってみると、フォーリーは自嘲するような口調で呟きを返す。かなり疲れた表情だ。

 

「ゲラート・グリンデルバルドが居れば良かったのですがね。例のあの人……ヴォルデモート卿など力不足だ。私はあの男の扇動者としての実力は評価していますが、統治者としては下の下ですから。反面、グリンデルバルドならば唯一貴女の発言力に対抗出来たでしょう。統治者としても問題ありません。……しかし、彼はもう居ない。ならば投了ですよ。今の私は無駄な足掻きをしているだけです。」

 

「……もしグリンデルバルドが戻ってきたら、貴方は彼に協力すると?」

 

「もしもの話に意味などありません。……ただ、グリンデルバルドが戻ってきたのなら私は喜んでこの命を捧げるでしょう。そう思っている魔法使いは多いと思いますよ。彼こそが魔法族にとっての本当の指導者なのですから。」

 

「『本当の指導者』ね。つまり、私は偽りの女王だと。」

 

言ってくれるじゃないか。鋭い視線で睨め付ける私に、フォーリーは一切怯まずに返答を寄越してきた。

 

「先程貴女も言っていたではありませんか。貴女は政治家だ。そして、グリンデルバルドは思想家なのです。……政治家は妥協を呑み、思想家は理想を追う。マグルに妥協したのが貴女で、魔法族の理想を追うのがグリンデルバルドなのですよ。」

 

「理想は所詮理想よ。実現しなければ意味は無いわ。」

 

「それでも夢を見てしまうのが人間というものでしょう? ……結局のところ、貴女は本当の意味で理解出来ていないのです。これは別に差別でも何でもありませんが、貴女は吸血鬼だ。短命な魔法族ではなく、長い時を生きる吸血鬼。だからこそ我々の苦痛を軽く見てしまう。……貴女にとっては歴史の一部かもしれませんが、我々にとっては危急の、自らの存亡の問題なのですよ。」

 

……ま、正論だな。五百年を生きた私にとっては、今起きていることもよく見る『革命』の一つに過ぎんのだ。魔法族がこの先どうなろうが知ったこっちゃないし、所詮他種族だとも思っている。

 

この男にとっては私もマグルと同じ、単なる『隣人』に過ぎないわけか。中々冷静な判断が出来ているじゃないか。今度は私が自嘲しつつ、目の前のフォーリーへと拍手を送る。

 

「お見事、フォーリー。論戦は貴方の勝利よ。素直に負けを認めるわ。……でも、残念だったわね。さっき自分で言っていたように、貴方に私を止めることは出来ない。私はこの方向で政策を推し進めていくわ。……悪いけど、これが今の民意なのよ。私が今回時計の針を進めなくても、多分この流れになったんじゃないかしら?」

 

「でしょうな、それには同意します。グリンデルバルドが貴女に敗北した時点で、既に大まかな方向性は決まってしまったのでしょう。……アルバス・ダンブルドアも余計なことをしてくれました。ヨーロッパにとって貴女たちは英雄かもしれませんが、私にとっては魔法族の命脈を刈り取った死神ですよ。」

 

「そりゃまた、結構頑張ったってのに酷い台詞ね。……ただまあ、別に可能性が消えたわけじゃないでしょ? このまま『世界の片隅』とやらで平和に暮らせるかもしれないし、いつの日か魔法族とマグルが融和出来る日が訪れるかもしれないじゃない。」

 

恐らくダンブルドアは後者を、殆どの魔法使いたちは前者の未来を想像しているはずだ。私の気楽な声を受けたフォーリーは、弱々しく首を振りながら返事を返してきた。

 

「変わらないものなどありませんよ、スカーレット女史。このまま魔法族はより窮屈になり、マグルはより増えていくはずだ。……まあ、貴女の言う通りかもしれませんな。遅かれ早かれ魔法族は衰退する定めだったのでしょう。我々は少しばかり『魔法』に胡座をかき過ぎました。長きに渡る停滞の結果がこれだとすれば、もはや受け容れるしかありません。」

 

そう言って立ち上がったフォーリーは、廊下に続くドアの前に立ってから、ゆっくりと振り返って私に言葉を放ってくる。……その顔に不敵な笑みを浮かべながら。

 

「ですが、私は足掻きを止めるつもりはありません。それが無駄だとしても、批判を受けたとしても、魔法族の未来に利益を齎らすと信じているからです。……貴女にとってはさぞ迷惑な話でしょうな。それでも『より大きな善のために』なるのであれば、私は無様に足掻き続けますよ。」

 

「結構よ。貴方の理念に敬意を表して、思いっきり踏み潰してあげるわ。一切の容赦なくね。」

 

「……しぶといですよ? 私は。」

 

最後に私を睨みつけて、そのまま部屋を出て行ったフォーリーを見送ってから……深々とソファに身を預けて大きなため息を吐く。これは評価を修正する必要があるな。あれは厄介な男だ。あの男が議長の座に居座る限り、ウィゼンガモットは想像以上に足掻くかもしれない。

 

政治家と、思想家か。グリンデルバルドも厄介な種を残してくれたもんだ。未だにフォーリーのような男を生み出し続けているのであれば、確かに私の影響力に伍する可能性があるかもしれんな。

 

んー、やっぱりヌルメンガードで殺しておいた方が良かったと思うんだが……まあ、それをやるとリーゼが怒るだろう。ゲームの上で戦うのは楽しいかもしれんが、私だって本気であいつと喧嘩したくはないのだ。フランや咲夜も悲しむだろうし。

 

何にせよ、私は今のやり方を変えるつもりはない。フォーリーの思想にもいくらかの理があることは認めるが、融和派の意見にも頷けるところはある。結局のところ考え方の違いなのだろう。そして、そうなった以上力を持つのは多数派の意見だ。

 

いやはや、本当に面白いな。善悪も正誤もあやふやな世界。だからこそ流れを操る政治家が勝ち、結果として流れに抗おうとする思想家が生まれる、と。永久に続くいたちごっこだ。魔法族よりも更に数が少ない吸血鬼の世界では、決して味わえなかった娯楽ではないか。

 

うーん、こうなるとこの世界にも未練が残ってくるな。幻想郷にもこういうゲームがあって欲しいもんだ。無ければその時は……うん、私が作るか。八雲の言から察するに多種族が暮らしているんだろうし、適当に種族間の差を煽ってやれば勢力が生まれてくれるはずだ。

 

ま、その前にこっちのゲームにケリをつけないとな。一人っきりになった応接室の中で、レミリア・スカーレットは静かに微笑むのだった。

 



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図書館と、見習い魔女

 

 

「あのさ、リーゼ。……本当にあの魔女が私に何かを教えてくれるのか?」

 

薄暗い夕暮れの廊下を歩きながら、霧雨魔理沙は先導するリーゼへと声をかけていた。三年生も防衛術の初授業は済ませてるが……ルーピンや偽ムーディと比べると、とてもじゃないが教師に適してるとは思えんぞ。

 

新学期が始まってから数日が経過した今日、リーゼがいきなり校長室に行くぞと私を談話室から引っ張り出したのだ。二年生の終わりにした、キングズクロス駅での約束を果たしてくれるらしい。

 

正直言ってノーレッジの授業は……うん、期待外れだった。咲夜は懸命にフォローしていたが、あれはどう考えても良い授業だったとは言えまい。既にそれは一部のレイブンクロー生たち以外の、ホグワーツにおける共通認識になりつつある。

 

不安たっぷりで三階の廊下を歩く私に、リーゼはクスクス笑いながら返事を返してきた。

 

「さてね? それはキミ次第だよ。……いいかい? パチェは『図書館』なんだ。探して、読もうとする者には深遠なる知識を与えるが、単に閲覧机に座ってるだけじゃ何も起こりやしないのさ。」

 

「自分から動けってことか?」

 

「その通り。キミも魔女の端くれなら、必死になって探究したまえ。パチェの図書館には必ず答えがあるんだ。それを探せるかはキミの頑張り次第だよ。」

 

『図書館』か。考え込み始めた私を他所に、リーゼは到着したガーゴイル像に向かって合言葉を放つ。……そういえば、校長室に入るのは初めてだな。どんな部屋なんだろうか?

 

「ハムレット。」

 

リーゼが呟いた途端にガーゴイル像は横に退き、その後ろに下りの螺旋階段が見えてきた。……うーむ、ちょっとワクワクしてきたぞ。これも一種の隠し部屋なわけだ。

 

「なあなあ、どういう意味の合言葉なんだ?」

 

「キミね、シェイクスピアくらいは……ああ、幻想郷の出身だったか。そうだな、イギリスの古い戯曲だよ。悲劇だか喜劇だかよく分からんやつ。」

 

「何でよく分かんないんだよ。悲劇と喜劇じゃ真逆だろ?」

 

「価値観の違いさ。私から見れば喜劇だったが、マグルから見れば悲劇なんじゃないかな。」

 

「あー……うん、何となく想像付いたぜ。」

 

つまり、掛け値なしの悲劇なわけだ。どうでもいい会話を繰り広げながら短い螺旋階段を下り切って、歴史を感じさせるオーク材のドアを開けてみれば……本だ。本に占拠された部屋が目に入ってくる。

 

積み上げられた本、本、本。ギリギリ歩くスペースがある以外は全部本。机の上に本、ソファに座る本、棚の中にも本、上にも本、そして本の上にも本。圧倒されるな、これは。ここまでくると一種の狂気すら伝わってくるぞ。

 

「踏まないようにね。訳の分からん呪いをかけられたいって言うなら別だが。」

 

「御免だぜ。」

 

リーゼの忠告に従ってかなり慎重に奥へと進んで行くと、ポツリと置かれた揺り椅子にノーレッジが座っているのが見えてきた。当然ながら読書中だ。……こいつ、食事とかどうしてるんだろうか? 揺り椅子以外は全部本だぞ。この女が本の上に皿を置くとは思えんし、浮かせたりしてるのか?

 

「おいおい、パチェ。執務机はどこに行ったんだい? 一昨日来たときはあったじゃないか。」

 

「退かしたわ。スペースを取りすぎるのよね、あれ。」

 

「なんともまあ……ご老人の顔が引きつるのが目に浮かぶようだね。あの机は結構お気に入りだったみたいだぞ。」

 

「壊しちゃいないわ。だからどっかにはあるでしょ。……多分ね。」

 

ちょこっとだけ首を傾げて言ったノーレッジにため息を吐いてから、リーゼは私を手で示して口を開く。

 

「まあ、私は別にいいけどね。それで……これが一昨日説明した霧雨魔理沙だ。キミに鍛えて欲しい、咲夜の親友の魔女の卵さ。」

 

「ああ、この子が……。」

 

リーゼの言葉を受けて面倒くさそうにゆっくりと顔を上げたノーレッジは……おいおい、こいつ、『ヤバい』ぞ。この距離で目を合わせて初めて分かったが、こいつはとびっきりのヤバい魔女だ。

 

瞳を見ればすぐに分かる。アリスの瞳も積み重なった知識を感じさせる深いものだったが、それでも人間らしさを保っていた。だが、こいつの紫の瞳は違う。深淵だ。底無し沼のような、怖気を誘うほどの深さ。

 

もしかしたら、リーゼに初めて会った時よりも怖いかもしれない。こいつは『図書館』なんて生易しいもんじゃないぞ。人のカタチをした『知識』だ。見てるとまるで引き摺り込まれるかのような感覚に陥ってくる。

 

ぞくりと背筋を震わせる私に、ノーレッジは何の前置きも無しで質問を寄越してきた。その顔には……テストってわけか? まるで見定めるかのような怜悧な表情が浮かんでいる。

 

「フリペンドとデパルソ。その違いは?」

 

「あーっと……点か面かだ。どっちも衝撃を与える呪文だが、フリペンドが点でデパルソが面。」

 

「アキレ豆の汁を採取するのに最も適した方法は?」

 

「鞘の両端に切り込みを入れて、圧力が均等にかかるようにすり潰す。」

 

「十九世紀の中頃にイギリスで流行り、その結果規制されることになった魔法薬は?」

 

「……分からんぜ。」

 

「複眼薬よ。では、ジョバーノールの羽根の使い道は?」

 

「あー、記憶修正用の魔法薬だ。……あと、真実薬にも使われる。」

 

「リブラ、タウルス、カプリコルヌス、ピスケス。これらを魔法的に意味のある順番に並べると──」

 

その後も次々と質問は続く。一年生レベルの簡単なものから、私が聞いたことも無いような難題まで。魔法薬学、変身術、呪文学、防衛術……果ては魔法史や天文学。あらゆる内容の問いかけだ。このホグワーツで学んだことを脳みそから引っ張り出しながら、必死にそれに答え続ける。

 

最初はニヤニヤ笑っていたリーゼが退屈そうに欠伸をし始めた頃に、ようやくノーレッジは最後の質問を放った。くっそ、四割くらいは答えられなかったぞ。

 

「最後よ。貴女は咲夜の友達だったわね?」

 

「おう、親友だ。……それが質問か?」

 

「違うわ。正直に答えなさい。……もしも無限の英知が手に入るとしたら、貴女は咲夜を殺せる? 可能不可能じゃなくて、やろうとするかって意味よ。」

 

「無理だな。」

 

反射的に言ってしまってから、ちょっとだけ後悔が湧き上がってくるのを感じる。……魔女なら『殺せる』と答えるべきだったのかもしれない。目の前の魔女のことはよく知らんが、何より知識を優先しそうなのは何となく分かるぞ。

 

でも、正直に答えた結果がこれなのだ。もはやどうにもなるまい。内心で後悔する私を他所に、ノーレッジは興味深そうに少しだけ目を細めた後……今度はリーゼに向かってゆっくりと問いかけた。

 

「まだ三年生なのよね?」

 

「キミが授業の記憶を喪失しているのはよく分かったよ。三年生だ。キミの授業を既に受けたことのある、グリフィンドールの三年生だ。」

 

「生徒の顔なんか覚えてるわけないでしょ。……ん、そういえば咲夜の隣に居たかも。」

 

記憶を若干取り戻したらしいノーレッジは、私に向かって『試験』の結果を話し出す。……なんかドキドキしてきたな。言ってくれればもっと勉強して来たのに。抜き打ちテストだなんて意地が悪いぜ。

 

「同じ頃のアリスと比べると……そうね、魔法薬学と天文学、薬草学の知識については少しだけ上回ってるわ。対して呪文学と変身術に関しては大きく劣り、魔法史と防衛術は僅かに劣る。飼育学やルーン文字に関してはそもそも基礎的な知識があるのみで、数占いはさっぱりね。……ちなみに占い学、飛行訓練、マグル学は除外よ。あれは『学問』じゃないわ。」

 

「アリスには私やキミが『個人指導』してたことを忘れるなよ?」

 

「忘れてないわよ。その頃から人形作りに時間を割いてたってこともね。それを差し引くと……まあ、努力は認めましょう。私の指定した教科書もちゃんと読んだみたいだし。」

 

合格……ってことか? 首を傾げて疑問符を浮かべる私に、ノーレッジは面倒くさそうに言葉を続けてくる。

 

「やる気があるのは分かったし、珍しく『脳みそ』がちゃんとある魔法使いってのも理解出来たわ。……それで、私に何を求めるの?」

 

「あーっと、教えてくれるのか? つまり、魔女のことを?」

 

「貴女は咲夜の命を救ったわ。それでも見所が無さそうなら嫌だったけど……そうね、及第点よ。『一つだけ』何かを教えてあげる。」

 

「……ちょっと待ってくれ、考えるから。」

 

私の返答を受けたノーレッジは、『それでいい』とばかりに頷いてから読書に戻った。『一つだけ』か。これはランプの魔人と一緒だ。願いは慎重に選ぶ必要がある。

 

頭の中にグルグルと考えが浮かんでは消えていく。私が欲しいのは戦う術だ。咲夜やハリーたちの邪魔にならない……じゃなくて、むしろ頼ってもらえるくらいの力が。背中を預けてくれるくらいの頼もしさが。

 

だから……そう、単純に呪文が上手くなりたいとかではないのだ。一つでいい。一つでいいから、私にも何か『切り札』が欲しい。アリスにとっての人形や、咲夜にとっての能力。場をひっくり返せるような強いカードが。

 

悩む私に、リーゼがニヤニヤ笑いながら話しかけてきた。何故か心底楽しそうな笑みだ。

 

「根源だよ、魔理沙。パチェにとっての知識、アリスにとっての人形。『霧雨魔理沙』の奥底に眠るものを探りたまえ。そうだな……イギリス魔法界以前のキミに立ち返るんだ。キミの目指す『魔法』はそこにあるんじゃないか?」

 

「サービスしすぎよ、リーゼ。」

 

「おいおい、キミだって吸血鬼の『囁き』を受けて魔女になったんだろうに。アリスだってそうさ。であれば、キミは私の愉しみを邪魔をするべきじゃないね。この子にもそれを受ける権利はあるんだから。」

 

二人の会話を聞きながら考える。根源。それは星だ。夜空を埋め尽くすほどの圧倒的な星々。流星群。私の目指す魔法はそれだが……うーむ、キラキラ光る星を出現させたところでどうにもなるまい。死喰い人たちが見惚れて隙だらけになるってのはちょっと想像出来んぞ。

 

でも、他には何も思い浮かばない。イギリス魔法界以前の私になんて……いや、あるな。一つだけあるぞ。『アイツ』と魅魔様の他では、唯一私を見捨てなかった恩人からの贈り物が。

 

「ちょっと待っててくれ! 取ってくるから!」

 

言い放ってから、返事も聞かずに身を翻して走り出す。香霖は私のことを理解してくれていた。私の望みも、願う魔法も。何たって彼は私が魔法に目覚めた瞬間、その場に居たのだから。なら、餞別として渡された『あれ』も何か意味のある代物のはずだ。

 

───

 

「えっと……はむれっと!」

 

自室のトランクから持ってきた物を片手に、先程覚えたシェイク……シェイクスポア? だかなんだかの戯曲を言い放つと、ガーゴイル像は素直に道を開けてくれた。

 

そのまま螺旋階段を二段飛ばしに駆け下りて、本だらけの校長室に入り、本の間を慎重に抜けてみれば……何してるんだよ、コイツら。リーゼが無言呪文を撃ちまくって、ノーレッジが杖もなしでそれを叩き落としている。当然、目線は本に落としながらだ。

 

「持ってきたぜ。……何してるんだ?」

 

「暇だから陰湿魔女にジャレついてたのさ。とってもキュートな愛情表現だよ。……キミこそいきなり何処へ行ってたんだい? 随分と息が切れてるようだが。」

 

「あー、すまんな。トランクに仕舞ってた物を取りに行ってたんだよ。」

 

もっとちゃんと説明するべきだったか。……時間切れとかないよな? リーゼに答えてから恐る恐るノーレッジを見てみると、彼女は目線も上げずに私を促してきた。

 

「なら、何だか知らないけどさっさと出しなさい。そして、性悪吸血鬼は呪文を撃つのをやめなさい。いくら抗議してもカカシから翼は取らないわよ。あれは曲げられないポリシーなの。」

 

「ふん、いいさ。後で毟りに行ってあげよう。大体、カカシが空を飛んだら意味ないだろうに。守るべき畑は地面にあるんだ。空じゃない。」

 

「無駄よ。再生するようにしてあるから。」

 

「キミは……どうしてそう、無駄なところばっかり努力を惜しまないんだ? これだから魔女ってやつは度し難い。『拘り屋』め。」

 

言うリーゼは心底呆れたという表情だ。ただまあ……気安い雰囲気を見るに、ジャレ合ってたってのもあながち間違ってなさそうだな。リーゼのノーレッジに対する態度は、アリスのそれよりもレミリアに対するものに近い気がする。友達的な感じなのだろうか?

 

何にせよ、今重要なのはこっちだ。意味不明な会話を繰り広げる二人を他所に、頭を下げながら手に持った『ミニ八卦炉』を突き出して言葉を放つ。こっちに来てすぐにうんともすんとも言わないことを確認して以来、ずっと放っておいた代物だ。

 

「これだ! これを……その、使いたい。使えるようになりたいんだ。」

 

正直言ってこれが実際のところ何なのかも分からんし、こっちで動作するものなのかも不明だが……信じるぞ、香霖! これはきっと私の魔法に繋がる物のはずなのだ。

 

緊張しながらノーレッジの言葉を待つが、五秒、十秒……んん? 全然反応がないぞ。不思議に思ってゆっくりと頭を上げてみると、かなり引きつった表情のノーレッジが見えてきた。ちなみにリーゼは怪訝そうにミニ八卦炉とノーレッジを交互に見ている。

 

「……貴女、なんて物を持ってるのよ。気でも狂ってるの?」

 

「多分、狂ってはないと思うんだが……何でそんなことを聞くんだ?」

 

「まさか、何だかも理解せずに持ってるの? ……それ、下手すればホグワーツを吹っ飛ばしかねないわよ。」

 

ノーレッジの言葉を受けて、リーゼが途端に身を引いてしまった。……嘘だろ? 割と乱暴にトランクに投げ込んだり、羊皮紙を押さえるのに使ったりしちゃってたぞ。ノーレッジの言葉を聞いて、冷や汗を垂らしながら改めて手の中のミニ八卦炉に目を落とす。

 

金属と木の中間みたいな質感の黒い八角形で、表面には白く八卦の紋様が描かれている。その中心には陰陽を表す太極図。裏面は台座を取り付けるための凹みがある以外真っ黒だ。

 

「これ、そんなにヤバい代物なのか?」

 

今更ながらに絶対に落とさないよう握り締めて聞いてみると、ノーレッジは本を横に置いて真剣な表情で語り始める。リーゼは彼女が本を置いたのを見て、更に一歩引いてしまった。

 

「かなり『ヤバい』わよ。八卦炉なんでしょう?」

 

「ミニ八卦炉って言われてる。私の……なんて言ったらいいかな。兄貴分がこっちに来る時に餞別としてくれたんだ。」

 

「なら、その兄貴分とやらがイカれてるのは間違いないわね。それは『炉』であり、『変換器』なの。私の七曜が属性の相克を利用してそうするように、その炉は自然の循環を利用して力を増すのよ。」

 

七曜? 月曜とか水曜とかの、曜日のあれか? 内心に浮かんだ私の疑問を他所に、ノーレッジの話は続く。

 

「ただし、複雑さではこっちの方が遥かに上。表してる情報量が多すぎるの。……でも、後天図なのね。貴女の兄貴分とやらはお節介焼きみたいじゃない。」

 

「後天図? 香霖がお節介焼きなのは合ってるが、あー……要するに、何に使うものなんだ? これは。」

 

「それは答えるのに時間のかかる質問ね。用途が広すぎるのよ。占い、星見、風水、そして当然魔術にも。太極から両儀へ、両儀から四象へ、四象から八卦へ。内包している意味が多すぎるから、使い道を一々話してたら何日掛かるか分からないわ。『変換器』としては恐ろしく優秀な部類の魔道具ね。」

 

うーん? ちんぷんかんぷんだ。少し頰が紅潮してきたノーレッジがそう言ったところで、リーゼが離れたままの場所から声を放った。

 

「パチェ、先ずはそれがホグワーツを吹っ飛ばすか吹っ飛ばさないかを早く教えてくれ。吹っ飛ばすなら咲夜とハリーたちを連れて逃げるから。」

 

「起動されてないみたいだし、大丈夫でしょ。……起動したらどうなるかは知らないけど。」

 

「それなら、起動するのは何処か別の場所で頼むよ。私たちの居ない場所。つまり、ホグワーツじゃない何処かでだ。」

 

「きちんと調べれば城内でも大丈夫よ。……でも、そうね。ここで何かあったら本が巻き添えになっちゃうわ。校長室はダメね。」

 

人命を完全に無視したノーレッジは、ミニ八卦炉に熱い視線を注ぎながら口を開く。……その顔は知ってるぞ。魔女の顔。好奇心の顔だ。

 

「面倒な個人授業になるかと思ったら、面白い物が飛び出してきたじゃないの。……いいでしょう。その炉の使い方を教えてあげる。もちろん、貴女がついてこられればの話だけど。」

 

「ついていってみせるさ。」

 

「それじゃ、炉をここに置いて一先ず帰りなさい。下調べが終わったら連絡するから。……そんな顔しなくても壊したりはしないわよ。」

 

「頼むぞ? 八卦炉も、ホグワーツも壊さないでくれよ?」

 

星見台での行動を見る限りでは怪しいもんだが……まあ、仕方あるまい。私が弄くり回すよりかはマシだろう。そもそも私には起動の仕方すら分からんのだ。

 

私が嬉しそうなノーレッジに八卦炉を渡したところで、リーゼが呆れた表情で忠告を放ってきた。

 

「私は別に構わないけどね、正確な期限を設けたほうがいいと思うよ。放っておくと数年間くらい『下調べ』しかねんぞ、その魔女は。」

 

「おい、それは困るぞ。……長くても一ヶ月くらいだよな?」

 

私の質問にノーレッジはピタリと動きを止めてから……やがて不満げな表情で返答を寄越してくる。危なかった。この感じだとリーゼの言う通りになってたかもしれんぞ。

 

「……ハロウィンまでには終わらせるわよ。」

 

「今は九月の頭だぜ?」

 

「私は忙しいの。これが最速のスケジュールよ。」

 

チラリとリーゼの方へと目線を送ってみれば、肩を竦めながら頷く姿が見えてきた。つまり、本当にそれが最速なわけか。二ヶ月近く掛かるってことかよ。

 

出来れば早めに『個人授業』を開始して欲しいんだが……ええい、仕方ない! 急がば回れだ。不承不承頷いた私に、ノーレッジが思い出したように言葉をかけてくる。

 

「それまでは……そうね、私が『宿題』を出すわ。リーゼから呪文は習ってたみたいだけど、貴女はどちらかというと薬学方面に適性がありそうだしね。」

 

「魔法薬学の宿題ってことか?」

 

「本を貸してあげるから、それを読み込んで羊皮紙に纏めなさい。……これはサービスよ。そんなに難しくないから、ハロウィンまでのちょうど良い暇潰しになるでしょ。」

 

「『そんなに』?」

 

短い会話で何となく理解したが、こいつの『そんなに』はあんまり信用出来ない気がするぞ。……それはリーゼも同感のようで、ちょっと同情じみた視線を送ってきている。

 

我が身に不幸が降りかかってくる音を感じつつも、霧雨魔理沙はこの『図書館』を選んだことを少しだけ後悔するのだった。

 



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三つの狂気

 

 

「この学校はイカれてる。……全てがだ!」

 

夕食後の談話室に響くロンの嘆きを聞きながら、アンネリーゼ・バートリは咲夜の太ももの感触を楽しんでいた。膝枕をしている咲夜も何故か幸せそうだし、されている私も幸せ、そして毛玉もハーマイオニーの膝の上でゴロゴロ言って幸せそうだ。みんな幸せ。素晴らしいじゃないか。

 

羊皮紙に羽ペンを走らせるハリー、黙々と編み物をするハーマイオニー、唸りながら分厚い本と睨めっこする魔理沙、そして私の頭上で幸せそうにニマニマする咲夜。誰からも賛同の声が無いことを確認すると、ロンは再び『嘆き』を放ち始める。

 

「どうしてこんなに宿題が出るんだ? 狂ってるよ! まだ最初の週だっていうのに、合計すれば羊皮紙二百二十センチだ。二百二十センチっていったら、二メートルちょっと。二メートルちょっとの宿題だぞ! 僕より大きな宿題だ!」

 

そこで同意の返事を待つロニー坊やだったが、誰一人として『わあ、ノッポな宿題だね』とは言ってくれないのを確認すると、諦め悪く話を再開した。ちょうど良いリラックス用BGMだな。自分以外の誰かの不幸ってのは非常に和むぞ。

 

「このままだと、フクロウ試験を迎える前に誰かノイローゼで入院しちゃうぞ。つまり、僕がだ。……待てよ? 入院したら試験免除にならないかな?」

 

「ならないわ。同じようなことを考える生徒が多すぎたから、魔法省に臨時試験センターが作られたの。そこで一人ぼっちで受ける羽目になるわね。」

 

「ああ、そうか……くそ、イカれてる。教師はみんなおかしくなっちゃったんだ。二メートル、二メートルなんだぞ……。」

 

ハーマイオニーの冷徹な回答を受けたロンは、頭を抱えてソファ沈み込んでしまう。……まあ、確かに今年のイカれっぷりは例年を凌いでるな。『成長期』の宿題以外にもだ。

 

特筆すべき点はいくつかあるが……うん、先ずはハーマイオニーのことを挙げるべきだろう。彼女が熱心に編み物をしているのは、ブルガリアに居る文通相手にそれを贈るとかいう可愛らしい理由ではなく、無辜のしもべ妖精に対する陰惨なトラップを作り出しているからなのだ。

 

去年に引き続き、未だしもべ妖精の解放を諦めていないハーマイオニーは、とうとう強硬手段に打って出たらしい。帽子やら手袋やらを編みまくって談話室中にばら撒くことで、掃除に来たしもべ妖精たちに『洋服』を渡そうという狂気の解放運動を始めたのである。それをハリーは『毛玉トラップ』と名付けた。実に的を射た表現ではないか。

 

既にハーマイオニーにはしもべ妖精たちが絶対に喜ばないであろうこと、一年生が監督生の『奇行』を怖がるであろうこと、そもそもハーマイオニーの作り出す『毛玉』が洋服だと認識されるか微妙なことなどをハリーとロンが誠心誠意伝えたのだが……まあ、その程度で『ミス・スピュー』が止まるはずもなく、今も談話室の各所には謎の毛糸の塊が大量に隠されている。これがイカれてるポイントその一だ。

 

次に双子が繰り返している『実験』のことが挙げられるだろう。彼らが何を考えているのかは定かではないが、最終学年になった双子はこれまでを凌ぐ勢いでイタズラをし始めたのだ。……『盟友』たる魔理沙ですら引くほどの勢いで。

 

「ハーマイオニー、双子とジョーダンがまた何かを配ってるぞ。絶対にロクでもない『何か』を。」

 

「……もう! どうしてこう、毎日毎日!」

 

今もまた部屋の片隅で穢れなき一年生たちに何かを配る悪童たちを指差して言ってやると、正義の監督生どのは立ち上がってそれを止めに向かう。膝から落とされた毛玉の抗議の鳴き声が実に哀れだ。

 

ただまあ、どうも少し遅かったらしい。彼らから『何か』を受け取った一年生は一人、また一人と糸切れるかのように気を失い始めた。あどけない子供たちがパタパタと倒れていく光景は……うーむ、やっぱりイカれてるな。これがその二で決定だ。ようこそホグワーツへ、ガキども。

 

「たくさんよ! もうたくさん! 何度言ったら分かるの? 一年生たちが何も知らないのをいいことに、これ以上こんなことを仕出かすなら──」

 

怒れるハーマイオニーの説教を聞きながら、今度はその三へと顔を向ける。……説教とは逆側の片隅で、クィディッチの戦術本に向かってブツブツと呟いているアンジェリーナ・ジョンソンにだ。あれに関しては一年生どころか七年生だって怖がってるぞ。

 

どうやら新キャプテンとなったジョンソンには、オリバー・ウッドの生霊が取り憑いてしまったらしい。最初は誰もがウッドが急死して取り憑いてるのだと思っていたのだが、ジャンケンに負けたロングボトムが代表して所属先のクィディッチチームに問い合わせたところ、元気にクィディッチを楽しんでいることが確認出来た。毎日狂ったように練習しているそうだ。

 

そこから生霊か思念体か、はたまた謎の魔道具にウッドが執念を残していったのかの議論が白熱したが、結局『生霊派』がディベートの勝利を収めたのである。誰か早くエクソシストを呼んでやれよ。超一流のヤツを。

 

ちなみに魔理沙はあくまでもチェイサーとして育てていきたいということで、今度キーパーの選抜が行われるそうだ。……まあ、その辺はどうでもいいな。クィディッチの心配はハリーと魔理沙に任せよう。

 

グリフィンドール寮に潜む三つの狂気について考えを巡らせる私に、ハリーが羽ペンを動かすのを止めて話しかけてきた。

 

「リーゼは宿題をやらなくていいの?」

 

「んふふ、今年から私の正体を知る者は増えたからね。今や教師たちの殆どが私がここに居る理由を知っている。だから、宿題なんぞを無視したところで怒られたりはしないのさ。」

 

私のことを知った教師たちの反応は……まあうん、こっちも私の想像よりは驚かれなかったな。フリットウィックやスプラウト、それにフーチなんかは『大いに納得』の表情を浮かべていたし、あんまり接点の無かった占い学のトレローニーや数占いのベクトル、マグル学のバーベッジなんかは『ふーん』という感じだった。

 

バブリングは当然ながら一切表情を変えず、ビンズは理解してるかすら怪しく、シニストラはそれでも猫可愛がりを止めるつもりはないようだ。あいつにとって重要なのは年齢ではなく容姿らしい。そして、スラグホーンとグラブリー=プランクは新入り故に普通に納得していた。

 

当然ながらハリー云々に関しては詳しく伝えておらず、あくまでも城や生徒たちを守るための存在だということになっている。……お陰でダンブルドアの評価が上がってしまったが。数年前から備えていたという事実は彼らの心を射抜いたようだ。家出しちゃった爺さんより私を褒めろよな。

 

ちなみに生徒たちにはまだ明かしていない。ホグワーツで一週間を過ごして気付いたのだが、私に対する反応がいい『踏み絵』になるのだ。明らかに怯えて近付こうとしてこない者は、つまりは親から私のことを教わっている者であり、死喰い人との繋がりがある生徒ということになる。

 

お陰で警戒すべき相手が丸分かりだ。後はそいつの名前を調べて、それをそのままスクリムジョールあたりに送りつければいい。喜んでそいつの家にムーディを派遣することだろう。ムーディ宅配システムの誕生というわけだ。

 

『御宅訪問』を繰り返しているグルグル目玉のことを考える私に、ハリーが羨ましそうな言葉を寄越してきた。彼もノッポすぎる宿題には辟易していたようだ。

 

「羨ましいよ。これが一年続くと思うとうんざりだしね。でも、先生たちに伝えたってことは……スラグホーン先生にももう会ったの? どんな人だった?」

 

「ありゃ? 五年生はまだ魔法薬学をやってないのか?」

 

思わずという感じで割り込んできた魔理沙の問いに、ハリーが肯定の頷きを返す。

 

「うん、グリフィンドールとスリザリンはまだだよ。来週の頭に初授業なんだ。……三年生はもうあったの?」

 

「おう、あったぜ。良かったぞ。結構分かり易かったし、贔屓も全然なかったからな。ほら、こっちもスリザリンと合同だからさ。」

 

「そっか、ちょっと安心したよ。」

 

「ただ、しつこくクラブに誘ってくるんだよ。『スラグ・クラブ』とかってやつに。咲夜も誘われてたよな? 授業の後にえらく話し込んでたじゃんか。」

 

魔理沙が後半を私の頭上に投げかけると、咲夜は困ったような口調で返事を放った。

 

「そうね。お誘いを受けた時にお母さんやお父さん、それにお婆ちゃんの話も沢山していただいたわ。随分長いこと一緒に働いた、尊敬できる同僚だったって。……でも、魔理沙は入らないんでしょ? なら私もやめておこうかしら。他に知り合いも居なさそうだし。」

 

「んー、魔法薬学のクラブってのは結構興味あるんだけどな。……まあ、クィディッチやら『宿題』やらで忙しすぎてそんな暇ないぜ。」

 

「魔法薬学のクラブ? ……なら僕は誘われないね。あの授業の成績は良い方じゃないし。」

 

ちょっと苦笑いで言ったハリーに、今度は私が言葉を飛ばす。……視界の隅でジョンソンが含み笑いし始めたのは無視したほうが良さそうだな。怖いし。

 

「どうかな? 聞くところによれば、何も魔法薬学の成績だけで選ばれるわけじゃないみたいだよ。スラグホーンは『青田買い』が好きなのさ。将来活躍しそうなヤツに恩を売って、大成した後にチヤホヤされるってわけだ。」

 

「それならハリーは誘われるな。それに、ハーマイオニーもだ。……もちろん僕はないけどね。」

 

「……ちなみに、ヴォルデモートもクラブの出身者だよ。まあ、ある意味では大成したと言えるかな。残念ながらチヤホヤはしてくれないだろうけどね。」

 

私からその名前が出ると、ロンは自嘲げな笑みをかき消して一気に緊張した顔になってしまった。ハリーと魔理沙もピリつく中、咲夜だけが私の頭に手をやろうとして、それを止めてを繰り返している。……どうしたんだ?

 

「じゃあ、僕は絶対に入らない。ヴォルデモートが入ってたクラブなんて嫌だよ。」

 

「しかしだ、ハリー。キミの母親もクラブの一員だったのさ。先日スラグホーンのことをフランへの手紙に書いてみたら、彼女が教えてくれたよ。」

 

「ママが? ……分かんなくなってきた。結局スラグホーン先生は良い人なの? 悪い人なの?」

 

「そうだな……フランやダンブルドアの言から察するに、権力に弱い、世渡り上手な善人って感じかな? あの老人がこのご時世に城に入れた以上、少なくとも悪人ではないだろうさ。」

 

私の言葉を受けて、全員が一応納得という感じの表情を浮かべた。……ちなみに私はあんまり信用していない。善悪云々以前に、『やらかす』タイプなのはリドルに分霊箱のことを教えた件で証明済みなのだ。つまり、ハグリッドに近い評価である。

 

悪意が無いあたりもそっくりだな。お口ツルツルコンビのことを考えていると、説教を終わらせたらしいハーマイオニーがソファに戻ってきた。すぐさま毛玉が膝に飛び乗っている。

 

「全くもう、うんざりよ。次やったら絶対にウィーズリーおばさんに伝えてやるわ。……何の話をしてたの?」

 

毛玉がジャレていたせいで絡まった毛糸を解すハーマイオニーに、ロンが羊皮紙にデタラメを書き込みながら返事を返す。恐らく占い学の宿題だろう。不幸なことが起こると適当に書けば高評価が貰えるらしい。それでいいのか、トレローニー。

 

「スラグホーンについてだよ。君とハリーが魔法薬学のクラブに誘われるかもって話。……誘われたら入るか?」

 

「入らないわよ。S.P.E.W.で忙しいし、それにハリーも入らないわ。閉心術の練習をしないといけないもの。……そうよね? ハリー。」

 

ちなみにこの『そうよね?』は、問いかけのそれではなく催促のそれだ。ハリーも頑張ってはいるのだが、未だに私の侵入すら完璧に防げてはいない。……とはいえ閉心術はそれなりに難易度の高い技術なのだ。徐々に侵入するのは難しくなっているし、二ヶ月ちょっとの進歩としては上々と言えるだろう。

 

「まあ、このままいけば反射的に防げるようになるのも遠くはないさ。侵入に時間がかかるようにはなってきたしね。」

 

「うん、頑張るよ。頑張るけど……でも、本当にそこまでする必要があるの? いや、文句を言ってるわけじゃなくて。」

 

最後を慌てて付け足したハリーに、いつも通りの返答を送る。もはや慣れたやり取りだ。

 

「あるんだ。それは断言出来る。」

 

「……そうなんだよね。分かったよ、どうにかしてみる。」

 

疲れた感じで呟いたハリーに、ハーマイオニーとロンが元気付けるように声をかけ始めた。持つべきものは何とやらだな。

 

「ん……そうね、ハリーも頑張ってるんだものね。私も何か役に立ちそうな本が無いか探してみるわ。」

 

「それじゃ、僕は後で宿題を見せてやるよ。……そんな顔しないでくれ、ハーマイオニー。優先すべきは宿題なんかより閉心術だろ? こっちはハリーの安全に関わってるんだから。」

 

「……ま、いいわ。確かにそうよ。ほら、貸してごらんなさい。手伝ってあげるから。」

 

編み物を中断して宿題を手伝い始めたハーマイオニーを見て、魔理沙も一度頰を叩いてから再び本を読む作業に戻る。うんうん、良い感じじゃないか。

 

「んふふ、今年は成長の年になりそうだね。……キミはいいのかい? 咲夜。」

 

「いえ、新しい授業も増えましたし、私も頑張ります! 背の方も成長期ですし。」

 

「……背の方は伸びすぎないことを祈るばかりだよ。なんなら縮んでくれてもいいくらいだ。」

 

現状で既に差があることを頭から追い出しつつも、アンネリーゼ・バートリは自らの成長期を待ち望むのだった。……最短でもあと二百年くらいはかかりそうだな。

 



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昼食会

 

 

「運命だったんです。一目でピンときました。……この人が、僕の妻になる人なんだって。」

 

ロンドンの小さなパブで熱弁を揮うビルを見ながら、アリス・マーガトロイドは微妙な表情で頷いていた。さすがはアーサーの息子だな。モリーとの馴れ初めにそっくりな逸話じゃないか。

 

今日は魔法省を訪れたついでに、友人たちと一緒に昼食を取りに来たのである。殆どの職員は省内の食堂で食事を済ませるのだが、折角だということでロンドンの良さげなパブに入ってみたのだ。……うん、正解だったな。ジャケットポテトが絶品だぞ。

 

テーブルを共に囲んでいるのはアーサー、ビル、パーシーのウィーズリー家三人組と、ローストビーフに夢中のシリウス・ブラック、パスティを食べているエメリーン・バンス、手早く食事を終わらせてデザートに移っているニンファドーラ・トンクスだ。

 

アーサー、エメリーン、ブラックは元騎士団員で、ビルとパーシーはその息子。そしてトンクスの父親であるエドワード・トンクスは前回の戦争時に騎士団に協力してくれていた魔法使いの一人、という繋がりである。たまたま省内で顔を合わせる機会があった結果、こうして食事に来ているというわけだ。

 

ウィーズリー家の長兄たるビルの本業は呪い破りだが、現在は魔法戦士制度に登録してそちらの仕事に専念してくれているらしい。今ここに居ない次男でドラゴン使いのチャーリーなんかも同様だ。……本当にウィーズリー家は頼りになるな。

 

そんなこんなで思い出話に花を咲かせていたところ、ひょんなことからビルの惚気話に話題が移ってしまったのである。……どうやらフランス魔法省に警備の仕事をしに行った際、そこに就職していたフラー・デラクールと運命的な出逢いを果たしたそうだ。聞いてるだけでお腹いっぱいになってきちゃうぞ。

 

ニコニコ顔でうんうん頷くビルへと、パーシーが冷静な声で語りかけた。かなり呆れた表情だ。

 

「兄さんからその台詞が出るのは三回目だけどね。『運命の出逢い』に事欠かないようで羨ましいよ。」

 

「パース、余計なことを言うな。今回こそは本物なんだ。……フラーは絶対に僕の運命の人だよ。それに、向こうも同じ気持ちなんだぞ? これはもう間違いないじゃないか。」

 

「いやまあ、僕はどうでもいいんだけど……デラクール家って言ったらフランスの名家じゃなかった? 対するこっちは『血を裏切りしウィーズリー家』。おまけに兄さんは長男なんだし、また母さんの時みたいなことにならない?」

 

「それは……どうかな? 父さん。」

 

今は懐かしきプルウェット家のお家騒動か。パーシーの疑問を受けて若干不安そうになってしまったビルへと、『駆け落ち』の先達たるアーサーが返事を返す。おお、焦ってるな。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ。別に今すぐ結婚しようって言うんじゃないんだろう? そもそも、既に付き合ってるってことなのかい?」

 

「付き合ってるよ。……フラーはイギリスに派遣される魔法使いに名乗りを上げる気みたいなんだ。だから出来ればロンドンで一緒に住みたいし、もちろん将来的には結婚するつもりでいる。」

 

「ビル、私は自分の『やらかした』ことを忘れてはいないから、聞き分けの悪い父親になるつもりは無い。そのつもりは無いんだが……早すぎないか? まだ出会ってから一ヶ月も経ってないんだろう? 結婚云々を考えるのはあまりに早いと思うよ。」

 

「早いか遅いかの違いだよ。なら、今すぐにでも一緒になりたい。……この先、お互い無事でいられるかは分からないからね。少しでも長く二人の時間を過ごしたいんだ。」

 

ビルの真剣な表情を見て、アーサーは困ったように黙り込んでしまった。……前回の戦争時にも何度か見たやり取りだ。私もさすがに早すぎるとは思うが、そう言われると軽々に反対出来なくなってしまう。

 

難しい空気が包むテーブルに、今度はエメリーンの静かな声が響く。前回の騎士団の時から貫禄のある魔女だったが、初老となった今ではその雰囲気が増してるな。

 

「それでも段階というものがあるでしょう? 先ずは向こうのご両親に挨拶に行って、モリーにもきちんと話をして、それから先のことを考えるべきです。戦争を理由にそれらを蔑ろにしてはいけませんよ。」

 

「それは勿論分かってます、バンスさん。ただ……あー、母さんが何て言うかが心配で。皆さんはどう思いますか?」

 

ビルの疑問を受けた一同は、示し合わせたかのように目を逸らしてしまった。……トンクスだけはよく分からんという顔だったが、それでも大凡の状況を察したのだろう。若干同情的な表情で口を開く。

 

「えっと、モリー・ウィーズリーさんってそんなに厳しい人なの? みんなからの話を聞く分には、『頼れるお母さん』ってイメージだったんだけど。」

 

「そこまで厳しくはないわ。ただちょっとだけ……そう、『家族想い』なのよ。だから一ヶ月経たずに同棲だなんて反対するんじゃないかしら。結婚ともなれば言わずもがなね。」

 

「でしょうね。もしハリーがそんなことを言い出したら私も反対します。当然のことですよ。何処の誰かも分からないような嫁だなんて……有り得ない。絶対に反対だ。」

 

私のかなり控え目な説明と、ブラックのズレた『名付けバカ』発言を聞いたビルは、頭を覆いながらテーブルに突っ伏してしまった。彼にも予想出来ていた答えだったようだ。

 

「そうですよね。分かってましたよ。……父さん、どうにか説得出来ない? 僕一人じゃ絶対に無理なのは目に見えてるだろ?」

 

「私に説得出来ると思うかい? 父さんが怒った母さんに立ち向かえるとでも?」

 

「……まあ、無理だろうね。」

 

「その通りだ、息子よ。……これが結婚というものだ。お前にもそのうち分かる日が来る。」

 

貫禄ある表情で情けないことを言うアーサーにため息を吐いた後、やおら顔を上げたビルは……勘弁してくれよ。今度は私に縋るような表情で言葉を放ってくる。

 

「マーガトロイドさん、お願いします。母さんを説得出来るのなんてマーガトロイドさんくらいなんです。せめて同棲の件だけでも!」

 

「あのね、ビル。私は嫌だからね。お互い成人してるんだから、一緒に住むくらいは別に良いと思うけど……それはそれ、これはこれよ。モリーに『息子離れ』させるのなんて難し過ぎるわ。」

 

「お願いしますから、見捨てないでくださいよ。……そうだ、フラーもマーガトロイドさんに感謝してました。対抗試合で溺れそうになった時に救われたって。ほら、知らない仲じゃないわけなんですから。」

 

「んー……強引過ぎると思うけどなぁ、その説得方法は。」

 

まったくだ。アイスクリームを食べながら割り込んできたトンクスに頷いてやると、ビルは再び崩れ落ちるように突っ伏してしまった。悩め悩め、若人よ。それが人生ってもんさ。

 

「まあ、なんだ。父さんはきちんと味方するよ。今夜にでもやんわりと伝えてみようじゃないか。」

 

「それに、最近の母さんは僕と父さんの昇給でご機嫌だから、もしかしたら何とかなるかもしれないよ。……もしかしたらね。」

 

『対モリー同盟』ってわけだ。団結し始めたウィーズリー家の男性諸氏をぼんやり眺めていると、食事を終わらせたエメリーンが一枚の羊皮紙を手に話しかけてくる。

 

「そういえば……マーガトロイドさんはこの方をご存知ですか? 今日の昼前に魔法戦士の登録を申請してきたんですが、どうにも判断に迷う方なんです。」

 

「判断に迷う?」

 

首を傾げながら渡された羊皮紙を見てみれば、記憶の片隅に残っていた男の名前が目に入ってきた。ギルデロイ・ロックハート。……またコイツか。相変わらずの履歴書だな。

 

勲三等マーリン勲章、闇の魔術に対する防衛術連盟名誉会員、チャーミング・スマイル賞八連続受賞、フランス魔法文学大賞、などなどなど。訳の分からない経歴が書き連ねてある後には、自らの『英雄譚』がビッシリと書き加えられている。ここは読み飛ばして良さそうだ。

 

ウィンクする写真のロックハートを苦い顔で見る私に、エメリーンが困惑した感じの表情で語りかけてきた。

 

「ロックハート氏が登録に訪れた際、ちょうど私が試験官を務めていたんです。推薦も多かったので期待していたのですが、実技のスコアが、えー……何と言ったらいいか、『平均以下』でしたので。どうしたものかと。」

 

「普通に落とせばいいじゃないの。経験不足の魔法使いを制度に加入させるのはお互いの為にならないわ。」

 

「それが、本人は『試験官の力量を確かめるために』わざと手を抜いていたと言い張っているんです。自分の経歴がそれを物語っている、と。……それと、ロックハート氏は三年前にホグワーツの防衛術の教師の『最終選考』まで残ったとおっしゃっていまして。もう一人の候補者と『僅差で競り合った』と主張しているんです。確かその年はマーガトロイドさんが教師をしていた年ですよね?」

 

「……ちなみに聞くけど、ロックハートは正確にはなんて言ってたの?」

 

唯一の志願の場合は『最終選考』と言えるのだろうか? 額を押さえながら聞いてみると、エメリーンは疑い九割九分くらいの表情で詳細を話し始める。

 

「ええと、ダンブルドア校長の前で教師の座を賭けた一対一の決闘をして、ホグワーツ城を揺るがすほどの闘いを一昼夜に渡って繰り広げた末、マーガトロイド先生の教職に懸ける情熱を認めたロックハート氏が勝ちを譲ったという内容でした。……あー、嘘かどうかを聞く必要はありますか?」

 

「ないわ。貴女の思っている通りよ。」

 

「では、落としましょう。……ただ、忘却術だけは一流の忘却術師並みの力量だったんです。そこだけは少し勿体ないですね。」

 

「あら、それなら適当に煽てて忘却術師として働かせれば? 記憶修正要員はこれから間違いなく入用になるんだし。」

 

妙な取り柄があるもんだな。ロックハートの意外な特技に驚きながら言ってやると、エメリーンは再び困惑気味の表情になって返事を寄越してきた。

 

「でも、何故か忘却術に関してだけはえらく謙遜していたんですよね。……まあ、確かに忘却術師は足りなくなるでしょうし、その方向で提案してみましょうか。」

 

「結構な有名人らしいけど……つくづく変な人ね。」

 

「まったくです。」

 

首を傾げ合う私たちが話題を一段落させたところで、食べながら話をしているトンクスとブラックの声が聞こえてくる。どうやらルーピンについて話しているようだ。

 

「じゃあさ、ルーピンさんって結構強いの? ヨレヨレのおっちゃんにしか見えなかったけど。」

 

「リーマスは昔から小狡い戦法が大得意だったからな。決闘だと押しっぱなしの私はあまり勝てなかったのさ。……反面、器用なジェームズに対しては負け越してたよ。そして、そのジェームズには私が押し切ってたって寸法だ。」

 

「へー、ジャンケンみたいだね。……本当に仲が良かったんだ。」

 

「ただし、誰もフランドールには勝てなかったがな。私たち四人……三人がかりでも勝負にならなかったよ。もっとも、フランドールが使ってたのは呪文ではなく拳だが。」

 

それはどうなんだ? フラン。『おてんば時代』のフランを思って苦笑する私に、今度はアーサーが話しかけてきた。対モリーの作戦会議は終わったようだ。

 

「そういえば、マーガトロイドさんは何か聞いていませんか? オリバンダー氏のこと。捜査は続いているんですよね?」

 

「もちろん続いてるけど……手掛かりが全く無いらしいのよね。おまけにフランスでも有名な杖作りが攫われちゃったみたい。国際協力部が各国に注意喚起をばら撒いてたわ。杖作りの安全を確保するように、って。」

 

「……ああ、それなら知ってます。僕がフランスに居た時に起こった事件ですから。向こうだと結構なニュースになってましたよ。フラーも悲しんでいました。」

 

杖は基本的に一生物なだけに、職人自体の数は少ない。フランスにもイギリスにとってのオリバンダーのような人物が居たのだろう。神妙な顔で言ったビルは、そのまま事件の詳細を語り始める。

 

「深夜の自宅で襲撃を受けて攫われたみたいなんです。闇の印こそありませんでしたけど、フランス当局は例のあの人の仕業だと読んでるみたいですよ。」

 

「問題は、杖作りを攫って何をしようとしているのかね。……杖に関しての知識だけならオリバンダーで事足りるはずよ。わざわざ追加で攫う必要なんか無いわ。」

 

「僕には全然予想が付きません。とにかく迷惑だってことが分かるくらいですね。」

 

嫌そうな顔で呟いたビルに、テーブルの各々が深く頷く。早く救出しないとイギリスとフランスの魔法界が混乱してしまうぞ。……失って初めて分かる痛手だな。今更遅いが、魔法省は杖作りをきちんと保護すべきだったのかもしれない。

 

少し空気が重くなったテーブルに、今度はブラックの疑問が響いた。

 

「そういえば、マイキュー・グレゴロビッチは大丈夫なんですか? もう既に引退しているはずですが、ヨーロッパで有名な杖作りといえば先ず上がってくる名前でしょう?」

 

「ソヴィエト魔法議会が既に保護したらしいわ。……まあ、それもそれで問題視されてるみたいだけどね。杖作りの独占だって。」

 

「……中々上手くはいかないものですね。」

 

レミリアさんから聞いている話を伝えてみると、ブラックは難しそうな顔で首を小さく振る。……ソヴィエト。グリンデルバルドが『担当』している国だ。

 

リーゼ様やレミリアさんの話によれば、グリンデルバルドを『生死不明』にしてソヴィエトの抑えに使うということだったが……危険じゃないのかな? 私だったら考えもしないほどの奇策だ。

 

私は大戦当時イギリスの、しかもホグワーツに居たので実感は薄いが、テッサの実家に遊びに行った際に彼女のお父さんから色々と話を聞いている。魔法史上有数の犯罪者にして革命家。冷徹な実行者。体制への叛逆者。それが私のグリンデルバルドに対する印象だ。……よく考えたら、リーゼ様たちは物凄く壮大な『ゲーム』をしてたんだな。

 

私はグリンデルバルドの思想が必ずしも間違っているとは断言しないが、彼の『手段』が間違っていることは断言出来る。思想家ならば言葉で世界を変えるべきなのだ。拳を振り上げながら語りかけたところで、それはもう脅しにしかならない。

 

ただ……うん、難しいな。百年前の倫理観は今のそれとは違うのだ。この話題に関してはパチュリーとも何度か話し合ったことがあるが、私が生まれる少し前までは『闘争』が気高いものとして捉えられていたらしい。パチュリーは『命の値段が今より安かった』と表現していた。

 

うー……分からん。何せグリンデルバルドに関しては紅魔館内でも意見が割れる部分なのだ。リーゼ様や美鈴さん、フランなんかはグリンデルバルドに比較的好意的で、レミリアさんやパチュリーはどこか否定的な感じ。

 

無論、私もあまり好きではない。テッサがフランスから疎開してくる原因になったのはグリンデルバルドなのだから。……その所為で出会うことが出来たと考えるとなんとも微妙な気分だな。リーゼ様がゲームを始めたからこそ、私はテッサと親友になれたわけか。

 

いや、そもそもパチュリーが紅魔館に来たのもその所為なわけであって、つまりは私が魔女になったり、フランが変わったり、コゼットとアレックスが出逢って咲夜が生まれたのも元を辿れば……やめよう。『運命』はレミリアさんにのみ許された管轄だ。私ごときが手を出せるものじゃない。

 

でも、不思議だ。リーゼ様たちが思い付きで始めたことが、ずっとずっと繋がっているわけか。……レミリアさんは何処から何処までを計画していたのだろうか? まさか、最初から今の景色が見えてたわけじゃないよな?

 

……いやいや、さすがに無いか。それならこんなに苦労していないだろう。苦笑しながらバカバカしい思い付きを振り払っていると、食後の紅茶を飲んでいるエメリーンが首を傾げて問いかけてきた。どうやら私が考え込んでいる間に話題が変わってしまったらしい。今は全員でクィディッチの話に熱中している。

 

「どうしたんですか? マーガトロイドさん。随分と物思いに耽っていたようですけど。」

 

「ええ、ちょっとね。益体も無いことを考えてただけよ。」

 

「はあ。」

 

何にせよ、グリンデルバルドの件は頼れる吸血鬼たちに任せよう。当事者たる彼女たちが決定したのであれば、第三者たる私が文句を言うべきではあるまい。駒が指し手に文句を言うのは魔法使いのチェスだけで充分だ。

 

首を振って気を取り直したアリス・マーガトロイドは、パドルミア・ユナイテッドの新陣営についての話題に入っていくのだった。

 



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パフォーマンス

 

 

「さて、さて、さーてと。揃っているかな? 器材や教科書を忘れた者は? いない? よしよし……では、楽しい魔法薬学の授業を始めようじゃないか!」

 

明かりが増えた地下教室で愛想良くニコニコ笑うスラグホーンのことを、アンネリーゼ・バートリは頬杖を突いて眺めていた。この時点で既に『スネイプ四年分』の愛想を上回ったな。向こうはそもそもゼロだったし。

 

つまり、魔法薬学の初回授業だ。『まとも』な教師っぽい第一声に顔を輝かせるグリフィンドール生と、スネイプの後釜を見定める感じのスリザリン生。それらの顔を順繰りに眺めた後、スラグホーンは和かな表情で口を開く。……明らかにハリーと私だけは長く見ていたな。

 

「一応、自己紹介をしておこうか。私はホラス・ユージーン・フラックス・スラグホーン教授。覚えてくれたかな? もちろん、面倒であれば『スラグホーン教授』で結構だよ。ダンブルドアといい、私といい、古い人間というものは名前が長すぎていけない。……それでは実際の授業に取り掛かる前に、ちょっとした『パフォーマンス』をさせていただこう。魔法薬学という学問の魅力を知ってもらいたいんだ。それを分かり易く表しているのが……これだ!」

 

軽快なリズムで話しながら、スラグホーンは教卓の前にある五つの大鍋を指し示した。一つ一つに真っ黒な布が被せられており、中は見えないままだ。まさに『パフォーマンス』だな。

 

「ここに五つの魔法薬がある。どれも調合には非常に高度な技術を要するし、材料だって入手困難……もう分かったかな? つまるところ、これらはかなり貴重な魔法薬だ。この学問における一つの目標であり、目指すべき頂というわけだね。」

 

言ったスラグホーンが先ず一番左の布を引っ張ると、露わになった大鍋の中には……真実薬か? 無色透明の、一見するとお湯にしか見えない液体がボコボコと沸騰している。数滴で十分な薬をこんだけ調合してどうするつもりなんだよ。ガブ飲み出来る量じゃないか。

 

私の呆れを他所に、生徒たちは興味津々のご様子で身を乗り出し始めた。掴みはバッチリだな。スラグホーンもそう思ったようで、更にニコニコを強めながら問いを投げかけてくる。

 

「どうだい? 何の変哲もないお湯に見えるかな? 誰かこの魔法薬が何か分か……ほっほー、早いね。素晴らしい! ではグリフィンドールの……失礼ながら、お名前を聞いても? お恥ずかしいことに、歳を取ると中々生徒の名前を把握しきれなくてね。」

 

「ハーマイオニー・グレンジャーです。」

 

「では、ミス・グレンジャー。答えをお願い出来るかな?」

 

「はい、真実薬です。無味、無臭、無色の液体で、飲んだ者に無理やり真実を話させます。主に開心術師たちに重宝されていて、魔法省にはそれを保管するためだけの部屋が存在しています。」

 

いつも通りハキハキと、端的かつ詳細に。完璧な説明を終わらせたハーマイオニーに対して、スラグホーンは拍手しながら頷きを返した。

 

「お見事! グリフィンドールに五点を差し上げよう。ミス・グレンジャーが完璧な説明をしてくれたから、私の解説は不要になってしまったね。……結構、結構、大いに結構。では次に行こうか!」

 

パチリと生徒たちにウィンクしたスラグホーンが、続いて真実薬の隣の布を引っ張ると……何だありゃ? 今度は私も分からんぞ。光沢のある真珠色の液体で、湯気がくるくると絡み合うような螺旋を描いている。少なくとも『飲み物』っぽい見た目ではないな。

 

「不思議だけど……うん、良い匂いだね。糖蜜パイとか、磨いた後の箒の柄の匂いがする。なんか、隠れ穴を思い出すよ。」

 

「そうか? 僕はバタービールに近い匂いな気がするよ。どことなくワクワクする感じの……でも、ちょっとだけインクの香りもするかな、うん。」

 

ハリーとロンの話を聞きながら、私も鼻を利かせてみるが……ふむ? 冬の匂いだ。冬の真夜中の、あの静謐な空気の匂い。それに混じって僅かに古ぼけた館の匂いもする。よく磨かれた木と、雨に濡れた煉瓦の香り。紅魔館を思い出す香りだ。

 

教室中の生徒たちがその不思議な香りに夢中になる中、ハーマイオニーだけが高々と手を挙げている。スラグホーンは一応他に手を挙げる者がいないかと確認してから、参りましたと言わんばかりの顔でハーマイオニーを指名した。……動作の一つ一つが仰々しい男だ。生徒の人気を得る方法をよくご存知らしい。

 

「では、もう一度お願い出来るかな? ミス・グレンジャー。」

 

「アモルテンシア……魅惑万能薬です。最も強力な愛の妙薬で、飲んだ者は強い執着や強迫観念を引き起こします。その匂いはそれぞれ嗅いだ人が惹かれるものの匂いに感じられるので、私の場合は刈ったばかりの芝生や、新しい羊皮紙の匂いだったり……いえ、これは余計でした。」

 

最後をちょっと恥ずかしそうに言ったハーマイオニーに、スラグホーンが大きな拍手を送る。今やハーマイオニー・グレンジャーの名前はこの男の脳裏に間違いなく刻まれたことだろう。

 

「いや、素晴らしい! ホグワーツの五年生がこの魔法薬のことを知っているとは驚きだ! では、ひょっとして……こちらもご存知かな?」

 

言うスラグホーンは中央の大鍋を抜かして、今度は右から二番目の大鍋にかかっている布を引き剥がす。中では泥のような色の粘性のある液体がグツグツと煮えているが……あれはさすがに分かるぞ。この前ゲラートに飲ませた、クラウチ・ジュニアも大好物の魔法薬だ。

 

「はい、ポリジュース薬です。変身したい人の一部を溶かしてから飲むことで、その人物と瓜二つになることが出来ます。雑な調合では三十分ほどしか効果が保ちませんが、調合する人物の腕によっては三時間ほど効果が持続します。」

 

「これまたお見事! ふむ。グレンジャー、グレンジャー……もしかして君は、ヘクター・ダグワース=グレンジャーとの関係があるのではないかね? 言わずと知れた魔法薬師協会の設立者だが。」

 

「いえ、あの……私はマグル生まれなので。特に関係は無いと思います。」

 

そこでスリザリン生たちからクスクス笑いが起きるが、スラグホーンの発言がそれをかき消した。声も、笑みもだ。

 

「ほっほー、ではイギリス魔法界は君の参入を祝うべきだね。私は長年教師をやっていたが、君ほど優秀な生徒は稀だ。極々稀だよ。君の知識を称えて、グリフィンドールに十点を差し上げねばなるまい。」

 

「えっと……ありがとうございます。」

 

この瞬間、スラグホーンはグリフィンドール生の心を完全に掴んだらしい。少し照れた顔でボソボソとお礼を言うハーマイオニーの心もだ。ついでに言えば、『好きな教科ランキング』を大きく変動させているハリーとロンの心も。

 

反面、『スリザリン的』じゃない寮監に蛇寮の生徒たちは不満げなご様子だ。マルフォイなんかは侮蔑の視線を送りながら仔トロールたちに何かを囁きかけている。プロフェッサー・スネイプ閣下のご帰還を望んでいるのだろう。

 

「それでは、次にいこう! 他の生徒たちも挑んでみてはいかがかな? 次は有名な魔法薬だよ。」

 

そんな生徒たちの気持ちを知ってか知らずか、スラグホーンはご機嫌な雰囲気を纏いながら一番右の大鍋の布を剥ぎ取った。中には……ふむ? 少なくとも私は知らんぞ。僅かに粘性のある透明な液体で、何故か反射する光だけが緑色だ。時折『ジッジッジ』という虫の鳴き声のような音を放っている。

 

しかし有名なのは事実だったようで、数人の生徒たちが手を挙げ始めた。当然、ハーマイオニーもだ。

 

「ではスリザリンの……ミスター・ザビニ。答えを教えてくれるかな?」

 

「万物融解薬です。あらゆる物を溶かすため、特殊な魔法をかけた容器以外では保管が出来ません。」

 

「ほっほー、大正解! スリザリンにも五点をお贈りしよう。」

 

答えを放った気取った感じのスリザリン生が座ったところで、スラグホーンは補足の説明を話し出す。ハーマイオニーはちょっと悔しげな表情だ。多分、『私ならもっと上手く説明出来た』と思っているのだろう。いやぁ、見てると面白いな。

 

「いかにも、万物融解薬。しかし、厳密に言えば溶かせない物は結構多いんだよ。とはいえ非常に強力な融解薬であることは間違いないから、目にした時は決して触らないことをお勧めしておこう。……では、最後だ。さあ、これが何か分かる者はいるかな?」

 

言いながらスラグホーンが中央の大鍋に被せられていた布を引っ張ると……またしても見たことのない魔法薬だな。輝く金色のさらさらとした液体で、表面では小魚が跳ねるかのようにピチャピチャと飛沫が踊っている。見るからに楽しげな雰囲気だ。

 

即座に手を挙げたハーマイオニー以外には誰も反応しないのを見て、スラグホーンは勿体つけるように時間をかけてから彼女を指名した。

 

「他には? 他に挑戦する者はいないかな? ……よし、ではミス・グレンジャー! 答えをどうぞ!」

 

「フェリックス・フェリシス。幸運の液体です。飲んだ者に並外れた幸運をもたらします。」

 

ハーマイオニーの答えを聞いた瞬間、教室中の視線が熱を帯び始める。……スリザリン生たちもだ。何だかんだと言いながらも、蛇寮の生徒たちはハーマイオニーの答えが間違いなはずがないと思っているらしい。

 

それにご満悦のスラグホーンは、うんうん頷きながら大鍋の隣に立って語り出した。

 

「その通り。フェリックス・フェリシス。魔法薬の一つの完成形だ。ほんのふた匙飲むだけで、その日一日は完全無欠の一日になる。あらゆる企てが成功し、失敗とは無縁の一日にね。」

 

その言葉に生徒たちの顔が更に輝くが……うーむ、胡散臭い。『幸運』に落とし穴がくっ付いてくるのは妖怪の常識だ。うまい話にはウラがある。世の中そういうもんだろうに。

 

どうやらその予想は正しかったようで、スラグホーンは楽しげな表情を一変、神妙な顔に変えて続きを話し始めた。

 

「だが、気を付けたまえ。長く飲み過ぎると危険な自己過信を引き起こすのだ。私はこの薬の中毒になった人を知っているが、その人は薬を飲み忘れたある日、トロールとレスリングをしようとして死んでしまった。……どうも勝てると信じ込んでいたようでね。」

 

生徒たちから笑いが起きたのにウィンクしつつ、スラグホーンは幸運の液体についての説明を締める。

 

「うん、うん。バカバカしいだろう? しかしながら、それを正常に判断出来なくなってしまったのはこの魔法薬の仕業なんだよ。それまでは全てが成功していたから、失敗などあるはずがないと思い込んでしまったのだね。……だからまあ、あまり使うべきではないかな。人生のスパイスとしてほんのふた匙。それが賢い者の使い方だ。」

 

肩を竦めて言ったスラグホーンは、杖を振って五つの大鍋を奥の部屋へと仕舞い込む。生徒たちが物欲しそうな目線でそれを見送る中、朗らかな笑みで『パフォーマンス』の纏めを放った。

 

「どうだったかな? 無論、今すぐにというのは難しいだろうが……この学問を極めればどれも調合可能な魔法薬だ。ほら、少しはやる気が出てきただろう? 千里の道も一歩から。先ずはフクロウ試験に向けて頑張ろうじゃないか! ……それでは、教科書の二十二ページを開いてくれ!」

 

───

 

そして魔法薬学の授業が終わり、夕食の大広間へ向かう途中の廊下。ロンが小瓶に入った『鳴き薬』を揺らしながらご機嫌な声を上げた。スラグホーンは今日作った魔法薬を記念に持ち帰ることを許したのだ。

 

「良い授業だったな、うん。魔法薬学が好きになったよ。」

 

「そうだね。少なくともスネイプよりは百倍良いよ。最初のパフォーマンスも面白かったし、授業も分かり易かった。文句なしだ。」

 

ハリーもまた、キュイキュイ鳴く薬を揺らしながらご機嫌な様子だ。ちなみに調合が上手くいくほど美しい声で鳴くようで、ロンのは椅子の軋むような音を、ハーマイオニーのは歌声のような滑らかな音を奏でている。

 

「まあ、そうね。素晴らしい授業だったと思うわ。」

 

うーむ、ちょっとお澄まし顔のハーマイオニーも内心の嬉しさを隠しきれていないな。大量得点を稼いだ上に、調合の腕をべた褒めされたのだ。無理もなかろう。

 

「それで、どうするんだい? かなり熱心に誘われてたようだが。……噂のスラグ・クラブとやらに。」

 

当初は誘われても断ると言っていた二人も、授業が終わった際にスラグホーンに誘われた時には満更でもない様子だった。……予想通り、ロンは見向きもされなかったが。気にしてない風を装っているが、後でフォローする必要がありそうだ。

 

そういえば、私にも特別何か声をかけてくることはなかったな。無視してるというよりかは、秘密を守るために距離を置いてる感じだ。まあ、真っ当な反応ではある。マクゴナガルやスプラウトに近い対応だった。

 

シニストラにもああいう反応をして欲しいもんだ。五年生になっても未だにフランと私との違いを認識しようとしない、やけに若作りな魔女のことを考える私に、ハリーとハーマイオニーはお揃いの返事を返してきた。

 

「断ったよ。悪くはないと思ったんだけど、クィディッチの練習もあるしね。」

 

「私もお断りしたわ。熱心に誘ってくださるのは嬉しかったんだけど……知り合いが全然メンバーにいないのよね。」

 

「そりゃあ、スラグホーンはさぞ残念がっただろうね。優秀な生徒と『有名人』をセットで逃し……おや、監査員どのじゃないか。今日も元気にピンク色だ。」

 

言葉の途中で廊下の向こうから歩いてきたピンクの塊を指してやると、三人は途端に嫌そうな顔になってしまう。ロンはそこまででもないが、ハリーとハーマイオニーはスクリュートでも目にしたような反応だ。そんなに接点もないだろうに。

 

どうやら授業の『監査』はまだ始まらないようで、アンブリッジはこうして校内を練り歩きながら生徒にちょっかいをかけまくっているのだ。やれ悩みはないか、やれ勉強で分からないことはないか、そして教師に困っている点はないか、ってな具合に。

 

対する生徒の反応はまちまちだ。単純に迷惑そうなヤツもいれば、ちょこちょこ相談しているヤツもいるらしい。まあ全体的に見ると……ロンの反応が一番多いな。『オェッ』が。

 

ちなみに私としては心底どうでもいい存在だ。傍から見ている分にはともかく、からかっても面白そうなタイプじゃないし、お友達になりたいとも思えない。ついでに言えば利用価値もない。毒にも薬にもならん。

 

考えながらもアンブリッジの横を通り過ぎようとすると……おっと、彼女は立ち止まって私たちに声をかけてきた。相も変わらぬ猫撫で声で、もちろんニタニタ笑いながらだ。

 

「あらあら、ミスター・ポッター。それに、ミス・バートリ。ごきげんよう。元気そうで嬉しいですわ!」

 

「ごきげんよう、アンブリッジ監査員。キミも元気そうでなによりだよ。今日も生徒のために頑張っているのかい?」

 

うーむ、言ってること自体はまともなんだがな。答えを返さない三人に代わって返事をしてやると、アンブリッジは嬉しそうにうんうん頷いて肯定の言葉を寄越してくる。……いやいや、目が全然笑ってないぞ。どうせ演じるならやり通せよ。

 

「ええ、その通り。……貴女とも是非お話ししたいと思っていたのよ。私はヒト以外の意見も重視すべきだと、そういう考えを持っているから。そうだわ、今からお茶でも如何かしら?」

 

『ヒト以外』ね。愉快な言葉を受けた私が皮肉を返す前に……おや、ハーマイオニーが静かな怒りを秘めた表情で前に出た。いつものぷんすか怒る感じではなく、鋭い冷徹な表情だ。

 

「『ヒト以外』というのは配慮に欠けた表現ではありませんか? アンブリッジ監査員。他種族を見下しているように聞こえます。」

 

「あら、そんなつもりはありませんよ。私は差別しているのではなく、『区別』しているんです。魔法省のガイドラインに則ってね。ミス……貴女、お名前は?」

 

「グレンジャーです。ハーマイオニー・グレンジャー。それに、私は『配慮』に欠けていると言いました。法規的な分類はともかく、きちんと礼節を持って他種族に対応すべきだと私は思います。……ヒトを中心にしか考えられないのは魔法省の悪い癖です。そうは思いませんか?」

 

「それはどうかしらね? ミス・グレンジャー。魔法省では種族ごとの知能や性質に基づいた分類をしているのよ? 貴女よりもずっと賢くて、専門的な知識を持った大人の魔法使いがね。それに従った対応をするのは正しいことなの。」

 

優しげな声で……まあ、少なくとも本人はそう思っているらしい声で言うアンブリッジに、今度はロンが抗議を放った。いきなり始まってしまった討論を見て、既にちらほらと道行く生徒たちが足を止めている。

 

「僕、そうは思えません。『ヒト以外』って発言もそうですし、例えば狼人間なんかの扱いはおかしい。そうでしょう? ちょっとした病気なだけで、あんなにも差別されてます。……魔法省の迫害の所為で。」

 

なんかどんどん論点がズレてきてるな。ロンの言葉を受けたアンブリッジは、『チッチッチ』と左右に指を振った後で反論を口にした。そういうとこだぞ。

 

「その『ちょっとした』病気は感染する可能性があるのよ? より多くの安全のためには仕方のない措置なの。殆どの狼人間が粗野で知性において少々の欠落が見られるのは、既にれっきとした研究結果として立証されていますからね。」

 

「それは、十八世紀に反人狼主義者によって行われた研究です。杜撰で、正当性のない手段によって行われた、偏見に満ちた研究結果だわ。魔法省は未だそんなものを根拠にしているのですか? 今は脱狼薬を調合出来る魔法使いも増えてきていますし、ニュート・スキャマンダー氏による正しい研究結果だって既に──」

 

「ェヘン、ェヘン。……ミス・グレンジャー? 私は今この子とお話ししているのよ? 自分の番まで待ちましょうね?」

 

ニタニタ顔を崩さずに言うアンブリッジの目は、明らかにハーマイオニーに対する時だけ鋭くなっている。どうやら簡単に対処出来る相手ではないと認識したようだ。

 

まあ、何にせよそろそろ止めるべきだな。私はお腹が空いていて、ディベートではお腹は膨れてくれないのだ。それに、アンブリッジと人狼について議論するなど時間の無駄だろう。何せこいつは反人狼法を推し進めたヤツの一人なのだから。

 

アンブリッジ、ハーマイオニー、ロンが同時に口を開こうとした瞬間、手を叩いてから声を上げた。そら、世にも珍しい吸血鬼の調停者だぞ。ありがたく調停されるといい。

 

「ここまでにしようじゃないか。妙に注目されちゃってるし、廊下でやるには深すぎる議論だろう? ……ああ、監査員どの。お茶はまた今度誘ってくれるかな? もうそんな雰囲気じゃ無くなっちゃったしね。」

 

強引に纏めた私の台詞を聞いて、アンブリッジは仮面のニタニタ顔のままで返事を返してくる。仮面のセンスは死喰い人以下だな。

 

「あらまあ、気遣いが出来るだなんて、とっても良い子なのね。……それじゃあ、失礼しますわ。ごきげんよう、皆さん。」

 

ゆっくりと歩み去っていくアンブリッジの背を見ながら、これまで黙っていたハリーが口を開く。……おいおい、殆ど睨みつけているような表情じゃないか。

 

「僕、あの人が嫌いだよ。……上手く説明出来ないけど、嫌いだ。」

 

これはまた、スネイプやマルフォイ並みの『運命的嫌悪感』だな。無意識に傷痕を押さえるハリーに首を傾げながら、アンネリーゼ・バートリは庇ってくれた二人の背中をポンポンするのだった。

 



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“Eckeltricity”

 

 

「さて、こんにちは、皆さん! 私はチャリティ・バーベッジ教授です。これから五年間、複雑で奥が深いマグルの世界についてを皆さんに教えさせていただきます!」

 

ニコニコ顔で自己紹介を放つ中年の魔女を見ながら、霧雨魔理沙は教室の内装に顔を引きつらせていた。……あえて言うとすれば、『ガラクタ小屋』というのが一番近そうだな。香霖堂にそっくりだぞ。

 

新学期二週目初日の午後。私と咲夜が選択した、マグル学の初回授業が始まったのである。ハリーやロン、なによりハーマイオニーの辛辣な評価を受けて占い学は除外。数占いは難しい上にマイナーだという評判を聞いてそれも除外。結局、私と咲夜は消去法でマグル学、飼育学、ルーン文字を取ることにしたわけだ。正直マグル学はどうでも良かったのだが、咲夜に流される形で受講を決めてしまった。

 

しかしこれは……うーん、失敗だったかもしれんな。壁に掛けられた謎のヒモの数々、棚に並ぶ大小様々な機械たち、そして天井から吊り下げられた大量のチカチカ光る電球、駄目押しとして中央に設置されている壊れた車。

 

あまりにも意味不明すぎるインテリアを見て、早くもこの授業を選んだことを後悔し始めた私を他所に、部屋の主たるバーベッジは満面の笑みで続きを語り始めた。

 

「最初に言っておきますが、マグルの世界についてを完全に理解するのは困難を極めます。何せ彼らは暖炉を使わないし、庭に庭小人の立像を飾り、『窮屈』こそを至上の喜びとしているのですから。……ですが、諦めないでください。少なくとも長年の研究を経て、私はマグルに『限りなく近い』存在になれたと自覚しています。学び続ければ私のようになれるのです!」

 

勢いよく言いながら振り上げたバーベッジの右手には、何故か大量の……腕時計か? それ。色とりどりの腕時計が十個以上も着けられている。何の意味があるんだよ。

 

「とりあえず、バーベッジが『変わり者』ってのは理解出来たな。まともな魔女なら腕時計は一個のはずだ。」

 

「今更でしょ。ホグワーツの先生方は『変わり者』の方が多数派なんだから。」

 

隣の咲夜とコソコソ話している間にも、バーベッジは早歩きで棚の一つに移動すると……おお、てれびじょんだ。去年ハリーの家で見たのよりぶ厚めのてれびじょんを弄り始めた。

 

「本来ホグワーツ城の中では『マグル製品』が使えませんが、校長先生のご好意でこの教室では唯一使用可能になっています。……ほら、ほらほら! これが何だか分かりますか? 不思議でしょう? これは、『テレビジョン』です! マグル界における写真に近い存在ですね。」

 

バーベッジはえへんと胸を張って話しているが、テレビジョンは白黒の画面でザーザー言ってるだけだぞ。生徒たちの困惑顔を見たマグル学教授どのは、画面をツンツンしながら説明を続ける。

 

「何か特殊な操作を行うことでここに映像が映し出されるらしいのですが……まあ、まだそれは少し難しいですね。一昨年受講していたマグル文化に詳しい生徒によると、『あんてな』なるものが必要なのだそうです。……しかし、この映像も美しい。そうは思いませんか? もしかしたら、マグル界の喧騒を表しているのかもしれませんね。」

 

絶対に、絶対に違うと思うぞ。愛おしそうに画面を撫でながら言ったバーベッジは、名残惜しげな表情でテレビジョンの映像を消すと、再び教卓に戻って声を張り上げる。

 

「不思議でしょう? マグル界にはこういった品物が数多く存在しています。……この授業の目的は、マグル界の文化、製品、法律などについて詳しく学び、未来の魔法界においてマグルとの架け橋になれる存在を生み出すことなのです。……その為に一つルールを定めましょう。授業中は魔法の使用を一切禁止します。少なくともこの教室の中では、『マグルらしく』行動しようではありませんか。」

 

魔法禁止ね。純血主義者が受けたら発狂しそうな授業だな。スリザリン生の姿が全く見えないのはこの所為か。動作で生徒に杖を仕舞うように促したバーベッジは、そのまま黒板に『気電』と書いてから授業を開始した。

 

「では皆さん、教科書の七ページを開いてください。今日はマグル界において最も重要な要素の一つである、『気電』についての基本的な説明を行います。今後にも関わってくる内容なので、きちんと集中して聞くように。」

 

「ありゃ? 『電気』じゃないのか? 教科書も『気電』だけど……ああ、著者はバーベッジ本人だったぜ。私の英語が間違ってんのかな?」

 

「『電気』で合ってるわ。パチュリー様が言ってたから間違いなくそうよ。……大丈夫なのかしら? この授業。」

 

「まあうん、ダメかもな。」

 

ハーマイオニーが『マグル学は魔法使いから見たマグルを学ぶ授業だ』、としつこく強調してきたのはこれが原因なわけだ。困り顔の咲夜と顔を見合わせつつ、一応教科書を開くのだった。

 

───

 

「ああ、ちょっと待って、ミス・ヴェイユ。」

 

そして『気電』についての授業も終わり、生徒たちが次の授業へと移動し始めたところで、バーベッジがキョロキョロしながら咲夜の方へと近付いてきた。……何だ? 教科書に悪戯書きしてたのがバレたんじゃないよな?

 

「えっと、どうかしましたか? バーベッジ先生。」

 

「いえね、知り合いのマグル研究家からこれを貰ったから……ほら、仕舞っちゃいなさい。他の生徒にバレたら贔屓になっちゃうわ。急いで急いで。」

 

彼女は何故か他の生徒たちからの視線を遮るように位置どると、ローブのポケットから何かを取り出して咲夜に渡す。どうもマグル界の飴っぽいな。結構な量だ。

 

「ええ? あの……はい、ありがとうございます。」

 

「いいのよ、いいのよ。貴女はちょっと細すぎるんだから、こういう物も食べないと。ほら、ミス・キリサメ。貴女にもあげるわ。内緒よ? 内緒。」

 

「あー……こりゃどうも。」

 

なんか、行動が正に『世話焼きのおばちゃん』って感じだな。忙しない動きで私のポケットにも大量の飴を押し込んだバーベッジは、満足そうに頷きながら口を開いた。咲夜に目線を送りつつ、顔には優しげな笑みを浮かべている。

 

「でも、貴女がこの授業を選んでくれて本当に嬉しいわ。ヴェイユ先生……貴女のお祖母様ね。には当然として、貴女のお父さんにもとてもお世話になったから。アレックスのお陰で私の研究は大きく進歩したのよ? ……特に『ガソリン』を詳しく教えてもらったのが大きかったわ。長年謎だった自動車の仕組みが解明されたの。」

 

「それはまた、良かったですね。」

 

「あら、喜んでくれるだなんて優しい子ね。」

 

咲夜の父親もマグル学を取ってたのか。勢いに押されるように同意した咲夜に微笑んでから、バーベッジは私たちの背中を叩いて声を放った。

 

「それじゃ、次の授業に行っちゃいなさい。遅れたら大変だわ。……次回の授業も面白くなるから、期待しておいて頂戴ね。」

 

「えーと、はい。楽しみにしておきます。」

 

「おう、期待しとくぜ。」

 

笑顔のバーベッジに見送られるように二人で教室を出て、北塔の廊下を歩きながら隣の咲夜に話しかける。これは厄介なことになったぞ。

 

「……もう止めるだなんて言い出せる雰囲気じゃないな。続ける他なさそうだぞ。」

 

「……そうね、無理だわ。あれだけ喜んでくれてるバーベッジ先生に悪いもの。罪悪感で潰れちゃうわよ。」

 

「まあ、まだ一回目だし。こっから面白くなるかもしれないしな。」

 

我ながら儚い望みを口にしてみると、咲夜も微妙な表情で頷きを返してきた。彼女にとっても楽しい授業とはいかなかったようだ。

 

「そう願いましょう。……バーベッジ先生が良い人なのは分かったしね。」

 

「厳密に言えば、『変わってる』良い人、だな。なんともホグワーツらしい教師だぜ。」

 

北塔の階段を下りながら二人してため息を吐いていると……おっと、ルーナだ。三階の廊下の窓からちょこっとだけ顔を覗かせて、中庭をジッと見下ろしている友人の姿が目に入ってくる。巣穴から様子を窺うニフラーみたいだな。

 

「ああもう、ルーナったら、また変なことを……誰かにからかわれる前に止めなくっちゃ。」

 

「今更誰もからかってこないと思うけどな。もう慣れてるだろ、ホグワーツの生徒なら。」

 

心配顔で早足になった咲夜と共にルーナの下へと近付いてみれば、私たちに気付いた彼女は指を『シー』の形にしてから手招きしてきた。何だ? 見つかったらダメってことか?

 

「二人とも、静かにして屈まないと見つかっちゃうよ。」

 

小声で言ってくるルーナに首を傾げながら、咲夜と二人でこっそり中庭を見下ろしてみれば……おー、ハリーとチョウだ。我らがシーカーどのが想い人と二人っきりで話している。これは確かに見つかるべきじゃないな。

 

「やるじゃんか、ハリー。……何を話してんだろな? 結構良い雰囲気じゃないか?」

 

「そう? 私にはちょっと気まずい雰囲気に見えるけど。」

 

……まあ、確かにそうとも見えるな。チョウが微笑みながらハリーに話しかけて、ハリーは苦笑しつつも頭を掻いている。『照れている』というよりかは、『困っている』に近い表情だ。

 

「ひょっとしたら、ディゴリーの件が影響してんのかもな。どっちにも後ろめたさがあるんだろ、多分。」

 

「それは……うん、そうかもしれないわね。ポッター先輩から声をかけたのかしら?」

 

中庭のぎこちない二人を見ながら囁き合う私たちに、隣のルーナが『解説』を寄越してきた。かなり冷静な、魔法生物の生態を観察するかのような表情を浮かべている。

 

「チョウ・チャンから声をかけたみたい。さっき話し始めたばっかりだよ。」

 

「それはいいけどさ、何でそれを観察し始めるんだよ。……いやまあ、今まさに覗いてる私が言えることじゃないけどな。」

 

小声でルーナに問いかけてみると、彼女は目をパチパチさせながら答えを返してきた。何故それを聞くのか心底不思議と言わんばかりの表情だ。

 

「だって、ジニーに教えてあげないと。私はジニーを応援してるんだもん。それに、ハリーにはジニーの方がお似合いだよ。……私にはよく分かんないけど、多分そうなんだと思う。」

 

「んー、ジニーの方がお似合いなのには同意するけどな。その辺は当人たちが決めることだろ?」

 

「そうね。……ただ、易々とポッター先輩がジニーを『ゲットする』ってのもちょっと気に入らないわ。ジニーはあんなに可愛いんだから、望めば誰とでも付き合えるのに。」

 

ジト目でチョウと話すハリーを睨む咲夜に苦笑してから、窓に張り付く二人を引っ張り起こして口を開く。何にせよ、『覗き行為』はこの辺にしておくべきだろう。

 

「ま、あんまり他人の色恋沙汰に首を突っ込むべきじゃないと思うぜ。そら、ルーナも次の授業があるんだろ?」

 

「……そうだった。次は薬草学なんだ。みんな私とペアを組むのを嫌がるから、せめて早めに行って手順を確認しておかないと。」

 

立ち上がったルーナからさらりと出た言葉に、私と咲夜が思わず顔を見合わせる。……これだからレイブンクローは嫌いなんだ。陰険ガラスどもめ。グリフィンドールならそんなこと有り得ないぞ。

 

何と言っていいか迷う私たちに、ルーナは微笑みながら声を放ってきた。

 

「ん、別に平気だよ。今の私には友達がいるんだもん。パパは学生の時にママしか話し相手がいなかったみたいだから、沢山いる私のことを褒めてくれたんだ。それはとっても凄いことなんだって。」

 

「あの人は……まあうん、確かにそういう見た目だったな。」

 

「こら、魔理沙。」

 

肘で突っついてきた咲夜に、肩を竦めて抗議の目線を返す。本当のことなんだから仕方ないだろうが。今年の駅でルーナの父ちゃんを見た時は、死喰い人対策だか何だかで二十四色のド派手なスーツを着てたんだぞ。遠ざかるホームで闇祓いに質問を受けていたのが何とも物悲しい光景だった。

 

無言で牽制し合う私たちを見てクスクス笑いながら、ルーナが置いてあった鞄を拾って話しかけてくる。

 

「大丈夫だよ。パパも私も自分が『変』だって自覚はあるから。でも、ジニーはそれが私の魅力なんだって言ってくれたんだ。……二人はどう思う? やっぱり『普通』にした方がいいかな? それなら、もうちょっと頑張ってみるけど。」

 

「んー、ルーナの好きにすればいいと思うわよ。どっちのルーナでも私にとっては大切な友達だもの。それは変わらないわ。」

 

「そうだな、別に今のままでいいと思うぜ。無理して変わっても疲れるだけだろ。……私は結構好きだしな、ルーナのセンス。」

 

目玉ネックレス以外は、だが。私たち二人の返答を受けて、ルーナはニッコリ笑って手を振ってきた。

 

「それなら、このままでいいや。無理して『ルーナ』になるよりも、みんなと一緒に『ルーニー』でいたほうがきっと楽しいもんね。……それじゃ、バイバイ、二人とも。薬草園に行ってくるよ。」

 

「おう、じゃあな、ルーナ。」

 

「またね、ルーナ。」

 

咲夜と二人で手を振ってルーナを見送ってから、私たちも魔法史の教室へと歩き出す。……しばらく無言で歩いた後、動く階段を下りながら『提案』を放った。

 

「……今度さ、レイブンクローのバズビーに悪戯を仕掛けてやろうぜ。ほら、いつもルーナをからかってるデカ女。」

 

そろそろ『天誅』を下さねばなるまい。私は優等生ではなく、悪霊の弟子の魔女見習いなのだから。傾く段をひょいと飛び越しながら悪どい笑みで言ってやると、咲夜も私と同じ笑みで返事を返してくる。

 

「いいわね。貴女の『師匠』から良さそうな悪戯グッズを仕入れてきてよ。私が時間を止めて仕掛けるから。」

 

「そうこなくっちゃな。確かネバネバ・クラッカーとか、遠吠えキャンディとかの『実証実験』がまだだったはずだ。双子もきっと喜ぶぞ。」

 

「でも、リーゼ様とハーマイオニー先輩には内緒だからね。バレないように話を通して頂戴よ?」

 

コソコソと悪戯の計画を練りながら、霧雨魔理沙は友人と二人で一階への階段を下りていくのだった。

 



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悪女の条件

 

 

「やあ、十六歳の誕生日おめでとう、ハーマイオニー。」

 

ベッドから起きた栗毛の友人に笑いかけながら、アンネリーゼ・バートリは自分の黒髪に櫛を通していた。……やっぱり雨の日はダメだな。髪まで調子が悪いときたか。

 

九月十九日。今日はハーマイオニーの誕生日なのだ。例年と同じように一番最初にお祝いを告げる私に微笑んでから、ハーマイオニーはベッドから降りてプレゼントの山を確認し始める。眠気は吹っ飛んでしまったらしい。

 

「ありがとう、リーゼ。わぁ……今年も沢山貰っちゃったわね。後でお礼の手紙を書かなくっちゃ。」

 

「なぁに、キミの人柄の成せる技さ。」

 

「それなら嬉しい限りよ。……うーん、今年も本が多いわ。しばらくは充実した時間を過ごせそうね。」

 

鏡越しに見える嬉しそうな表情のハーマイオニーは、本とそうでないプレゼントを仕分け始めた。……ほぼほぼ本なあたりが皆が彼女のことをどう思ってるかを如実に表しているな。まあ、本人は嬉しそうだし、それで正解なわけか。

 

物音に起きてきたブラウンやパチルからもお祝いの言葉を受ける中、ハーマイオニーはやおら一つの小包を手にして首を傾げる。どう見ても本じゃないな。水色の高価そうな包装紙で、細長い薄い長方形の……ネックレスケースか? それっぽい見た目の包みだ。

 

「誰からなんだい?」

 

やたらと引っかかる髪に苦戦しながら問いかけてみると、ハーマイオニーはちょっと顔を赤くして答えを返してきた。ああ、反応で分かったぞ。朴訥な跪き君か。

 

「あー……ビクトールよ。包みからしてすっごく高価そうなんだけど、いいのかしら?」

 

「んふふ、プロクィディッチプレーヤーどのにとっては大した支出じゃないだろうさ。それにまあ、良い女ってのは遠慮するんじゃなくて喜んでやるもんなんだよ。着けた姿の写真でも撮って送ってやれば大喜びするぞ。」

 

「それは悪女の思考よ、リーゼ。」

 

呆れつつもハーマイオニーが包みを開けると、やはりネックレスケースが現れる。魔法界のブランドについては詳しくないが、明らかに高級店のそれだ。そのままハーマイオニーが少し緊張した様子でケースを開けると……うーむ、やるじゃないか、クラム。

 

一目で高価だとは分かるが、学生が着けていても違和感のない、シンプルな雰囲気のネックレスだ。ハーマイオニーは口をムニムニさせながらそれを眺めた後で、こちらに近付いて話しかけてきた。

 

「リーゼ、着けてくれる? ……ほら、せっかく貰ったんだし。それにまあ、写真を撮った方がいいんでしょ?」

 

「キミが立派な悪女になってくれて嬉しいよ。どれ、貸してごらん。」

 

素直に後ろを向いたハーマイオニーの、ちょっと赤くなった首元にそれをかけてやれば……うん、上々。これくらいならワンポイントの範囲内だろう。マクゴナガルも煩くは言ってこないはずだ。

 

「良く似合ってるよ、私のヘルミオネー。美しさに目が眩みそうだ。」

 

「もう、からかわないで頂戴!」

 

「いやぁ、遠くブルガリアから思念が伝わってきたんだよ。それを代弁したまでさ。」

 

「ああ言えばこう言うんだから……。」

 

可愛らしく照れながらそそくさとベッドの横に戻ったハーマイオニーは、再びプレゼントの仕分け作業に戻る。十六歳か。もうすっかり大人になっちゃったな。来年には成人だと思うと中々感慨深いものがあるぞ。

 

ちょっと前までは小さな女の子だったのに。初めて会った頃とは随分と変わった友人を、なんとも不思議な気持ちで眺めていると……彼女は新たな小包を手に持って声を放ってきた。おっと、私のプレゼントじゃないか。

 

「これ、リーゼからよね? いつもと同じ赤い小包。」

 

「その通り。今年のは結構自信があるんだ。開けてごらんよ。」

 

「あら、それは期待大ね。」

 

丁寧に包装を解いたハーマイオニーは、出てきた物を見て笑顔を浮かべる。よしよし、それでこそ贈った甲斐があるってもんだ。

 

「これって……栞よね? 凄く綺麗。」

 

「かの有名なゴブリン銀製だよ。『朽ちず欠けずのゴブリン銀、世俗の穢れを寄せ付けず』ってね。要するにまあ、縁起物さ。」

 

別段何かの魔法がかかっているわけではない、純粋な工芸品としての銀細工の栞だ。ハーマイオニーがいつも本に羽ペンやらを挟んで誤魔化していたので、小鬼と繋がりのあるレミリア経由で作ってもらった。……少々高くついたが、それはご愛嬌だろう。

 

「……ありがとね、リーゼ。大事に使うわ。」

 

「んふふ、その笑顔で元は取れたよ。」

 

これぞ百万ガリオンの笑みだな。花のように微笑んだハーマイオニーに返事を返してから、目に入った包みを指して口を開く。あれも明らかに本じゃないぞ。クラムのよりも小さい四角形の包みだ。

 

「それはなんだい? その、小さな黄色い包み。」

 

「あら……これ、ロンからだわ。何かしら? 今までは毎年本だったのに。」

 

くっ付いているカードには、『誕生日おめでとう、ハーマイオニー』とだけ書かれている。こっちはいつも通りだ。首を傾げながらハーマイオニーが包みを開くのを見守っていると、小さな黄色い包みの中からは……うーん、頑張ったな、ロニー坊や。可愛らしいブローチが現れた。

 

どう見ても値段ではクラムに劣るだろうし、センスが良いとは口が裂けても言えないが、私たちはロンの金銭事情を良く知っているのだ。随分と色々な物を我慢してこれを買ったのであろうことは容易に想像出来る。きっと長きに渡って、コツコツお小遣いを貯めて買ったのだろう。

 

ハーマイオニーにもそれは良く理解出来たようで、一度クスリと優しげな微笑みを浮かべた後、ブローチをゆっくりと身に着け始めた。

 

「ロンったら、無理しちゃって……どう? 似合ってる?」

 

「ま、及第点だね。ロンの頑張りを加味すれば文句なしさ。」

 

「ギリギリ合格点ってわけね。ロンには『アクセサリー学』の受講を勧めておかなくっちゃ。」

 

皮肉げなことを言いつつも、ハーマイオニーの口元は笑みの形を作っている。いいぞ、ロン。キミの涙ぐましい努力は報われたようだ。これは後でこっそり教えてやったほうがいいな。

 

しかし、うーむ……自覚が無いってのが一番怖いのかもしれない。クラムとロン、二人から贈られたアクセサリーを身に付けるハーマイオニーを前に、ちょっと引きつった笑みを浮かべるのだった。もう立派な悪女じゃないか。

 

───

 

「よう、ハーマイオニー! 誕生日おめでとうな!」

 

「誕生日おめでとうございます、ハーマイオニー先輩!」

 

「ありがとう、二人とも。プレゼントも嬉しかったわ。」

 

そして朝食の席。元気良くお祝いを送ってきた後輩二人の下へと駆け寄って行くハーマイオニーの背を眺めながら、やけにソワソワしている赤毛のノッポ君へと囁きかける。ハリーはまだ到着していないようだ。

 

「やあ、伊達男君。ハーマイオニーはキミのプレゼントを気に入っていたよ。」

 

「それって……本当に? どのぐらい喜んでた? その、僕、どんなのが正解なのか知らなくて、チャーリーに聞いたんだ。いやまあ、特別な意味はないんだけど。でもほら、これまでは毎年本だったろ? だからたまには──」

 

「落ち着きたまえ、ロン。そうだな、一つ言うとすれば……もうチャーリーに助言を求めるのはやめたほうがいいね。」

 

「……やっぱりか。僕もちょっとおかしいとは思ったんだよ。でも、チャーリーが手紙で自信満々に言うから、てっきり僕のセンスがズレてるんだとばっかり思ってた。」

 

ため息を吐きながらウィーズリー家の次男に怨嗟の思念を送るロンに、肩を竦めて慰めの言葉を返す。貶した後は褒めねばなるまい。

 

「ただまあ、キミが頑張ったってのは伝わったようだよ。結構喜んでたし……ほら、ハーマイオニーはちゃんと身に着けてくれてるだろう?」

 

「うん、それは良かったけど……くそ、チャーリーには吼えメールを送ってやる。絶対に送るよ。杖に誓ったっていい。」

 

「ま、次からは私か魔理沙あたりに相談したまえ。ハリーは頼りになるとは思えないし、咲夜はアリス任せだからそういうのは苦手なんだ。」

 

「そうする。……最初からそうするべきだったんだ。チャーリーめ!」

 

えらく次兄に怒っているロンだが……ふむ、半分くらいは照れ隠しだな。顔の色が自慢の赤毛に近付いてるぞ。この分だと怒りの手紙を受け取った次兄にもからかわれるに違いない。

 

面白くなってきた状況にニヤニヤしながら席に着くと、魔理沙が勢いよくポリッジをかっ込んでから席を立った。一年生の時は嫌いだったってのに、こいつも随分こっちの食事に慣れてきたな。

 

「おし、行こうぜ、ロン。」

 

「ちょっと待ってくれ、マリサ。すぐに食べるから。」

 

「おいおい、今日も練習するのかい? 外は雨だよ?」

 

毎日毎日よくもまあ飽きないもんだな。……どうやらロンは今週末に行われる『キーパー選抜』を受けるつもりのようで、最近はハリーと魔理沙にひたすらクアッフルをぶん投げられるという拷問を受け続けているのだ。あれは本当に練習になってるのか?

 

私の呆れたような言葉を受け取ったロンは、ほんの少しだけ嫌そうな顔で窓の外を見るが……ブンブンと顔を振ってから答えを返してくる。

 

「雨でもやらないとダメだよ。もう時間がないんだ。それに……うん、僕はお世辞にも上手いとは言えないからね。せめて練習くらいはしないと。」

 

自虐的な評価じゃないか。若干沈んだ表情でパンを片付けたロンが扉の方へと向かおうとすると、その背に慌てた感じのハーマイオニーが声を投げかけた。

 

「あのっ、ロン、ありがとね。ブローチ。ちゃんと着けるから。」

 

「あー……うん、喜んでくれたなら良かったよ。ハッピーバースデー、ハーマイオニー。」

 

何故か机の上の水差しに目線を合わせて言ったロンは、どう見てもさっきよりもやる気に満ち溢れた様子で歩み去って行く。……なんともまあ、単純なこったな。面白すぎるぞ。

 

「お見事、ハーマイオニー。雨だってのに、これで今日の練習は長引くぞ。……ハリーが来たら訓練場で待ってるって伝えてくれよな。『犠牲者』が一人ってのは納得出来んぜ。」

 

嫌そうな表情の魔理沙がロンの背中に続いて行くと、咲夜が微妙な空気を取りなすように言葉を上げた。この子も恋愛の機微を感じ取れるようになったのか。……レミリアには教えない方が良さそうだな。また『咲夜を狙う馬の骨問題』が浮上しちゃうぞ。

 

「えーっと……とにかく、来年はもう成人なんですね、ハーマイオニー先輩。ちょっとだけ羨ましいです。」

 

「そうね……でも、その前にフクロウ試験があるわ。将来のためには先ずそこを突破しないと。」

 

「何になるんですか?」

 

『何になりたいんですか?』とは聞かないのがハーマイオニーの成績の良さを物語ってるな。確かに望めば何にでもなれるだろう。……ドラゴン使いとか、クィブラーの編集者とかでなければの話だが。

 

咲夜の質問に対して、少し宙空を見ながら考え込んだハーマイオニーは……やがて苦笑しつつも首を振って口を開く。

 

「色々と考えてることはあるんだけど、先ずはフクロウ試験の結果を見てからにするわ。夢を追う前に、今の自分の実力を知らなきゃね。」

 

「ハーマイオニー先輩でもそんなことを考えるんですね……。」

 

感心したようにキラキラした瞳で呟く咲夜を眺めていると、ようやく到着したらしいハリーが向かいに座りながら声をかけてきた。おいおい、髪がボッサボサだぞ。どういう寝方をしたんだよ。

 

「おはよう、みんな。それと誕生日おめでとう、ハーマイオニー。」

 

「ありがと、ハリー。でも、貴方にこそプレゼントを贈るべきね。つまり、櫛を。」

 

「えーっと、この髪……変かな?」

 

おっと? まさかとは思うが、それは意図して整えた結果なのか? 引きつった顔で聞いてきたハリーは、女子三人が即座に頷くのを見て更に顔を引きつらせる。

 

「……僕、これでチョウと会っちゃったんだけど。さっき偶然、廊下で。」

 

「キミにこの言葉を送ろう、ご愁傷様。率直に言えば、寝起きでウロンスキー・フェイントをかましたアホにしか見えないね。」

 

「私なら『故障したドライヤー』って題をつけるわ。」

 

「ドライヤー?」

 

首を傾げて呟いた咲夜にドライヤーの説明をし始めたハーマイオニーを他所に、ハリーは水差しの水をハンカチに浸して髪を直しにかかった。彼はウロンスキー・フェイントもドライヤーも不名誉な言葉として受け取ったようだ。

 

「そういえば、フランから聞いたことがあるぞ。ジェームズ・ポッターもクシャクシャ髪がカッコ良いと『信じ込んで』いたそうだ。周りからしつこく言われても、それだけは直らなかったんだとさ。」

 

「……本当にカッコ良くない? 全然? これっぽっちも?」

 

「坊主頭の方が百倍マシってくらいにね。」

 

私の言葉を聞いたハリーは、ひどく後悔した顔で項垂れてしまった。……これも遺伝なのか? 髪型のセンスまで似るとは、ブラックなんかが聞いたら尻尾を振りまくって喜びそうだな。

 

しかし、チョウ・チャンか。ハリー本人は偶然だと思っているようだが、どう考えても『偶然』が多すぎるぞ。最近頻繁に廊下で声をかけてくるのを見るに、向こうも満更ではないのかもしれない。……まあ、ディゴリーの件が尾を引いているらしいが。

 

いやはや、呑気なもんだな。どこもかしこもピンク色か。四年生の頃にも予兆はあったが、とうとう本格的な『発情期』に入ってしまったらしい。……吸魂鬼だって食わないぞ、こんなもん。

 

見物する楽しみと、見物『させられる』うんざり。均衡を保つ心の天秤のことを思いつつも、アンネリーゼ・バートリはベーコンの皿を引き寄せるのだった。

 



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Draco Dormiens Nunquam Titillandus

 

 

「それで、結局飛行機はどうなったの?」

 

神妙な表情で事の経緯を話すロバーズに、アリス・マーガトロイドは恐る恐る問いかけていた。頼むから無事だったと言ってくれ。

 

闇祓い局のガウェイン・ロバーズのデスクの周りには、同僚や魔法戦士たちが勢揃いしている。ギリシャへ出張していた彼の『武勇伝』を聞きに集まったのだ。彼は死喰い人の情報をギリシャ魔法省へと渡しに行った帰りに、『ちょっとした』騒動に巻き込まれたらしい。

 

なんでも帰りに乗った飛行機を死喰い人がハイジャックしようとしたそうだ。……いやまあ、向こうも向こうでかなりお粗末な有様だったようだが。コックピットが何処にあるのか分からずに、機体後方で杖を片手にまごついていたとか。

 

そこを幸か不幸か乗り合わせていたロバーズがなんとか制圧したところ、逸らした爆破呪文が片方の翼をへし折ってしまったらしい。……三人の死喰い人を相手にしながら乗客を守ったのは評価するから、大立ち回り部分は省いて早く安否を教えてくれ。

 

やきもきする私の質問を受けたロバーズは、その無精髭だらけの顔を綻ばせながら答えを返してきた。

 

「無事ですよ。乗客も全員無事です。本当に見事な手際でした。グリフィン使いたちが協力し合って、墜落しそうになっていた『跳行機』を地面に下ろしたんです。まだ高度が低かったのも幸いしたのかもしれません。」

 

「飛行機だよ、ロバーズ。ヒコウキ。」

 

誰かから飛び出てきた訂正は、周囲の歓声と拍手にかき消されてしまう。……いやはや、良かった。本当に良かった。その後の記憶修正の苦労を考えると同情ものだが、それでも人命には代えられまい。

 

「お手柄だったぞ、ロバーズ! お前はイギリス闇祓いの誇りだ!」

 

「ギリシャの連中も喜んでたろ? よくやった!」

 

揉みくちゃだな。闇祓いや魔法戦士たちから荒々しい賞賛を受けるロバーズは、ちょっと照れた様子で結末を語り始める。

 

「喜んでいたよ。というか、あー……多分喜んでいたんだと思う。通訳がもう帰ってしまっていた所為で、何を言ってるかはさっぱりだったんだ。杖から謎の銀色の煙を出して振りかけられたよ。ニシンにでもなった気分だったな。」

 

「多分賞賛の証なんだろ。多分な。よくは知らないけど。」

 

「ああ、そう信じよう。……だがまあ、もう二度とあれには乗りたくないかな。話のタネになるかと思って乗ってはみたが、そもそも不安だったんだ。だってそうだろう? どう考えても魔法なしであんな物が空を飛ぶのはおかしい。『跳行機』は一生に一度で十分だ。次からは普通にポートキーを申請するよ。」

 

「飛行機だってば、ロバーズ。なんで伝わらないのかなぁ。」

 

諦め悪く訂正しようとしている……トンクスだったのか。お調子者の闇祓いの声を背に、壁際で仏頂面を浮かべているムーディへと歩み寄った。ギリシャ人たちの幸運も、彼の心にはまったく響かなかったようだ。

 

「何を不満そうにしているのよ、ムーディ。頑張ったロバーズを褒めてあげたらどうなの? それが良い上司ってもんでしょうが。」

 

私は褒めて伸ばすタイプなのだ。壁に背を預けて腕を組みながら言ってやると、ムーディはいつも通りに鼻を鳴らしてから返事を返してくる。こいつは明らかに叩いて伸ばすタイプだな。

 

「ふん、愚かしいな。全員腑抜けておる。……お前だって今の話の最も重要な部分には気付いているんだろう? マーガトロイド。」

 

「……死喰い人が、曲がりなりにも飛行機を利用しようとしたってこと?」

 

「その通りだ。前回の戦争では、あの能無しどもはマグルの乗り物を利用しようなどとは考えもしなかっただろう。見下し、せせら笑っていただけだ。……だが、今は違う。グリンデルバルドの残党どもを勢力に取り込んだことで、やつらはようやく『知恵』を身に付けたのだ。忌々しいことにな。」

 

腕を組んだままで目を細める私に対して、ムーディは本物の瞳を向けながら尚も言い募ってきた。

 

「厄介なことになるぞ、マーガトロイド。残った自前の眼を賭けてもいい。今は統制を欠いた散発的なテロ行為に過ぎんが、ヴォルデモートが指揮系統を確立すればどんな手を打ってくるか……ふん、油断大敵! やつらが戦い方を変えるなら、我々もそれに対応せねばならんのだ。こんなところで油を売っている前にな!」

 

私に向かってそう吐き捨てると、ムーディは怒鳴り散らしながら魔法戦士たちを追い出しにかかる。……確かにその通りだ。皮肉なことに、リドルの陣営はその主義主張を曲げることで大きな進歩を見せた。彼らの忌み嫌っていた『マグル的』なものを取り入れることで。

 

それに、事件の数もどんどん増えてきている。ダイアゴン横丁の事件以来、イギリス国内は平和そのものだが……まるでその代わりになるかのように、大陸での事件は増え続けているのだ。数も、規模も。

 

フランスで上がった狼煙に応えるかのように、ポーランド、スイス、チェコスロバキア、スペイン、オーストリア、そしてギリシャ。他にも数多くの場所で大小様々な事件が起こっている。

 

それぞれの国では死喰い人の活動として報じられたり、あるいはグリンデルバルドの残党として報じられたり、どちらとも見なされずにただの犯罪として報じられた事件もあるが……闇祓い局の中央に貼り出された大陸の地図を見れば明らかだ。まるで炎が燃え広がるかのように、事件を表す黒いピンの数が増え続けているのだから。

 

とにかく、情報の共有を急がなければ。レミリアさんや国際魔法協力部が必死に頑張っているが、未だ『死喰い人』に関して正しく受け止めていない国は多い。ある程度『軍規』を保っていた、グリンデルバルドのイメージが先行している国も少なくはないのだ。

 

もどかしいな。ため息を吐いて壁から離れようとした瞬間、部屋に飛び込んできたウィリアムソンが大声を放った。常に派手な色のローブを着ている闇祓いで、長すぎるポニーテールをいつもムーディに怒られている男だ。今日の真紅のローブも凄まじいな。原色で目に痛いぞ。

 

「緊急だ! 国際魔法協力部からの連絡で──」

 

「ウィリアムソン、髪を切れと言っただろうが! それに、なんだそのローブは! そんなもの的にしか──」

 

「いいから聞いてくれ、ムーディ! ドイツが割れた! 議会で乱闘騒ぎが起こったんだ!」

 

ムーディを凌ぐ剣幕で言い切ったウィリアムソンの言葉を聞いて、闇祓い局内が一瞬沈黙に包まれる。……ドイツが、『割れた』? それに、議会で乱闘騒ぎだと?

 

一斉に集まった目線に促されて、ウィリアムソンはかなり焦った表情で続きを話し始めた。

 

「詳細は分からない。国際協力部に書類を渡しに行った時に聞いたんだ。向こうもひどく混乱してた。どうもドイツの魔法議会で、純血派が『混血登録法』とかいうのをゴリ押しで可決させようとしたらしい。それに融和派の議員が怒り狂って……。」

 

「乱闘に発展したってわけ?」

 

トンクスの恐る恐るという感じの問いかけに頷いてから、ウィリアムソンは更に詳細を語る。

 

「最初は黙らせ呪文が行き交う程度だったのが、最終的には死者の出る騒ぎにまで発展したみたいなんだ。それで今は東西の真っ二つに割れて睨み合っているらしい。西の魔法議会に融和派、東の旧魔法庁に純血派ってな具合に。」

 

「ちょ、ちょっと待って。既に内戦状態になってるってこと?」

 

おいおい、それはマズいぞ。想像以上の状況に思わず質問を飛ばしてみれば、ウィリアムソンは困ったような表情で曖昧に頷きながら返事を寄越してきた。

 

「その、国際協力部もよく分かっていないみたいなんです。どうもポーランドが西側に、ソヴィエト……今はロシアでしたか? とにかくあの国が東側に助力しているみたいで、情報が錯綜して滅茶苦茶になってるって……。」

 

既に他国の介入が発生してるということか。五階の混乱っぷりが眼に浮かぶようではないか。誰もが金縛りにあったかのように身動きを止める中、真っ先に再起動を果たしたムーディが大声を張り上げた。

 

「動け、馬鹿どもが! 即応の準備だ! プラウドフット、お前はスクリムジョールに今の件を確認しに行け! サベッジ、お前はボーンズにだ! ロバーズ、運輸局にドイツへの移動方法を検討しろと言っておけ! それと……マーガトロイド!」

 

「分かってるわよ。レミリアさんでしょ。」

 

「ならさっさと動いたらどうだ? ぇえ?」

 

「はいはい。」

 

あの頃と同じく、鬱陶しいが頼もしい男だな。思わずクスリと微笑んでから、早足でアトリウムに向かって歩き出す。レミリアさんなら既に情報を掴んでいるとは思うが、事が事なのだ。念には念を入れなければなるまい。

 

『混血登録法』とかいうバカみたいな名前から見ても、リドルが関わっている可能性は高いだろう。問題はこれが今までのような『狼煙』なのか、それとも本命となる『火種』なのかということだ。

 

もし火種だとすれば、それが燃え広がる前に消し止めねばなるまい。それはリドルという負債を残してしまった私たちイギリス魔法界が……私がやるべきことなのだから。

 

ホルダーの杖にそっと手をやりながら、アリス・マーガトロイドは魔法省の廊下を歩き続けるのだった。

 

 

─────

 

 

「……だから、ダンブルドアは居ないの。出掛けてるのよ。ずっとね。ずーっと。」

 

目の前でぷるぷる震える一年生に語りかけながら、パチュリー・ノーレッジは内心かなり焦っていた。頼むから泣くなよ? 泣いたらどうしていいか分からんぞ。

 

一年生のレイブンクローとスリザリンの授業が終わり……というかまあ、終わったことには気付かなかったが、生徒が居なくなっているということは終わったのだろう。とにかくその後、残っていた一人の男子生徒が話しかけてきたのである。ローブの色を見るにスリザリンの誰かだ。名前は知らん。

 

彼は『ダンブルドア先生に会わせてください』と言うばかりで、何を聞こうが頑として他の台詞を話そうとはしないのだ。だからまあ、面倒くさくなってちょっと強めに言ったら……そら、この有様。どうも人一倍気の弱い子のようで、目頭には既に涙が浮かんでいる。

 

「あー……何か伝えたいことがあるの? それなら私が連絡を送るけど。」

 

「ダンブルドア先生に直接会いたいんです。他には話すなって……。」

 

「つまり、誰かからの伝言なわけね? 誰に頼まれたの?」

 

「あの、ダンブルドア先生に直接なんです。」

 

これだよ。これだからガキは嫌いなんだ! 全然論理的に話しちゃくれないし、我儘だし、すぐ泣く。しかも泣いたら私のせいになるオマケ付きだ。忌々しい! 同じ頃のアリスや咲夜はもっときちんと会話出来ていたぞ!

 

思えば昔もそうだった。五年生の頃、善意でレイブンクローの一年生に向かって懇切丁寧に宿題の間違いを教えてやったら、何故かギャンギャン泣き始めて私が悪者になったのだ。言い方が嫌味だったとか、根掘り葉掘り間違いをほじくり返すなとか、やっぱり『根暗のノーレッジ』には一年生の指導は無理だとか……なんでだよ! 私はその子のために教えてやったんだぞ! 隅から隅まで丁寧にだ!

 

古のトラウマを蘇らせる私に、一年生は鼻をすすりながら壊れたラジオみたいに言葉を繰り返してくる。ああ、本が読みたい。早く癒されたい。

 

「お願いします。ダンブルドア先生にはどうやったら会えますか? すぐに会わないといけないんです。」

 

「あのね、会えないの。無理なの。だってホグワーツにダンブルドアは居ないの。だから私が校長代理をやってるの。……分かったでしょう? 頼むから分かったって言って頂戴。」

 

「でも、でも、すぐに伝えろって。じゃないと危ないって。だから、だから僕……。」

 

あー、終わった。泣いたぞ。一年生はグスグス言いながら目を覆ってしまった。これでもう私が悪者なのは決定だな。……理不尽だぞ、こんなもん! 本当にアリスとかはどうやっているのだろうか? 私にとっては子供の扱い方のほうがよっぽど魔法だ。

 

現実逃避をしながら、声を押し殺して泣く一年生を為す術なく眺めていると……そら、これだ。これだから運命ってやつは嫌いなんだ! 何故か一番来て欲しくないヤツが教室のドアを開けて入ってきた。つまり、黒髪の性悪吸血鬼どのだ。

 

リーゼは私を見て、泣く一年生を見て、もう一度私を見ると……これでもかというくらいの呆れ顔を浮かべながら声をかけてくる。『呆れ』を通り越して『驚愕』に近い表情だ。

 

「ちょっと連絡があって来たんだが……キミ、いい歳して一年生を泣かせたのか? 百歳超えてるのに? 情けないよ、私は。育て方を間違えたかな。こんなに悲しい気分になったのは久し振りだぞ。」

 

「貴女は私の親じゃないし、この子は勝手に泣いたの。泣かせたんじゃなくって、泣いたの! 勝手に! 一人で!」

 

「はいはい、自覚が無いってのが一番厄介だね。……そら、どうしたんだい? おチビ。この紫しめじにイジめられたのかい?」

 

ふん、アリスならともかく、リーゼにガキをあやすなど不可能だ。精々情けない姿を晒すがいいさ。顔を覗き込むようにリーゼが声をかけると、一年生は子供特有の泣きながら声で返事を返す。

 

「あの、僕、ダンブルドア先生に話さなくちゃいけなくって。パパとママから急げって。だから緊急なのに、それなのにノーレッジ先生が、ダメだって。」

 

「おお、それは酷い。悪魔の所業だ。……ふーむ、しかし困ったね。ダンブルドアは今この学校には居ないんだよ。仕事で遠くに行ってるんだ。だから、そのことを両親に伝えてみたらどうだい?」

 

「でも、でも、パパが今すぐにって。何とかして伝えろって。」

 

「へぇ? ……ほーら、お姉さんの目を見てごらん。何を伝えたいのかを教えてくれるかな?」

 

あっ、コイツ! リーゼの紅い瞳を見た瞬間、一年生は泣くのをやめてコクコク頷き始めた。お前こそ穢れなき一年生に魅了なんか使って胸が痛まないのか! なんて恐ろしいヤツなんだ。倫理観がぶっ壊れてるぞ。

 

私がドン引きの視線を性悪吸血鬼に送るのを他所に、一年生はリーゼのことをジッと見つめながら素直に答えを返す。……傍から見てると恐ろしい能力だな。今のこのガキはリーゼのためなら親でも殺すぞ。

 

「はい。……僕のパパが、昔死喰い人に協力してたんです。だから今回も協力するように言われてて……でも、パパは嫌だって思ってるから、だから情報を渡す代わりに匿って欲しいって。それをダンブルドア先生に伝えろって言われたんです。」

 

「ふぅん?」

 

どう思う? とこちらに目線を送ってきたリーゼに、少しだけ考えてから答えを放った。

 

「まあ、一番信頼出来そうなのがダンブルドアだったんじゃない? ムーディもスクリムジョールも、ついでに言えばレミィやボーンズもあんまり『優しい』イメージはないしね。情報だけ抜かれた後に放置されるのを恐れたんでしょ。」

 

「そんなとこだろうね。それに、内応するのを知られたら保護の前に死喰い人に殺されかねない。だからこのチビは必死になってダンブルドアに直接伝えようとしたんだろうさ。涙ぐましい小さな奮闘じゃないか。」

 

「……それならそう言えばいいでしょ。知らないわよ、そんなもん。」

 

「訳の分からん校長代理には話せないから困って泣いちゃったんだろうに。言っておくが、世間の信頼度から言えばキミはムーディ以下なんだからな。……そら、おチビ。キミの名前は?」

 

ムーディ以下? 嘘だろう? あのグルグル目玉より下なのか? 私がかなりのショックを受けている間に、そのまま一年生の名前を聞き出したリーゼは、それを書き込んだ羊皮紙を私に突き出してくる。……何だよ? どうしろと言うんだ。

 

「……何よ?」

 

「『何よ?』じゃない。キミは校長代理だろうが。ダンブルドアに代わって、このチビの保護やら両親の保護やらを手配したまえよ。」

 

「そんなの出来るわけないでしょ。何をどうすれば良いのか……よし、マクゴナガルを呼びましょう。彼女ならきっと分かるわ。」

 

「キミは本当にダメダメだな。」

 

ほっとけ! 抗議のジト目を返しながら杖を振って守護霊を生み出すと、それを見たリーゼは少し驚いたように声をかけてきた。

 

「まだ杖を持ってたのか。……懐かしいね。キミがそれを振ってるのは久々に見たよ。」

 

「そりゃあ当然持ってるわよ。杖の方が使い易い呪文もあるしね。」

 

エボニーにユニコーンの毛。19センチ。頑固で一途、自我が強い。……それが私が買った当代のオリバンダーの評価だ。あまり使わなくなった今でもきちんと手入れをしているし、忠誠心に一切の陰りは見られない。うん、自慢の杖だぞ、相棒。

 

しっくりくる手触りを感じながら、ミミズクの守護霊に伝言を託してマクゴナガルの下へと放つ。……よしよし、これで解決だ。後はあの有能な副校長が全てを手配してくれることだろう。

 

うんうん頷きつつも本に手を伸ばしたところで、一年生に何かを囁きかけていたリーゼがこちらに戻ってきた。一年生がボーっとしながら機械的な足取りで部屋を出て行くのを見るに、とりあえずは寮に帰したようだ。

 

「しかしまあ、面白いことになってきたね。イギリスでは他にもチラホラと離反者が出てきてるし、前回とは真逆の展開じゃないか。」

 

「代わりに大陸が混乱してるけどね。……まあ、そっちはレミィの担当よ。私の仕事はここの防衛。だから知ったこっちゃないわ。」

 

「何ともつれない台詞じゃないか。忙殺されてるレミィが聞いたら泣いちゃうぞ。」

 

「一年生ならともかく、レミィが泣いたところで心は痛まないでしょ。絶対に嘘泣きだってすぐに分かるし。」

 

吸血鬼の涙なんて誰が信じるもんか。素っ気なく返してから、手元の本に意識を移す。私は私のやるべき事をやるだけだ。ダンブルドアの依頼はホグワーツの防衛なのだから。

 

「ま、いいけどね。……そういえば、城の防御は本当に大丈夫なのかい? 私はキミが『それっぽい』作業をしているところを見たことが無いんだが。より正確に言えば、本を読んでるところしか見てないぞ。」

 

「心配しなくてもちょこちょこやってるわよ。……そもそも、本来は私が表立って守る必要すらないの。仮に敵が攻めてきたとしたら、眠っているホグワーツを『起こして』やればいいだけよ。私はその手助けをするだけ。」

 

「ホグワーツを、ねぇ。」

 

言いながら部屋を、この城を見回すリーゼへと、本を読みながら口を開く。本に書かれている歴史を見れば、この城が攻撃を受けたのは一度っきりじゃないことが分かるだろうに。その度に私やダンブルドアのような存在が防備を固めてきたんだぞ。

 

「忘れられた魔法、錆びついた仕掛け、隠された機能。私はそれが無数にあることを良く知ってるわ。……リドルも、ひょっとしたらダンブルドアでさえもこの城の力を見誤っているのよ。」

 

「そんなに大したもんなのかい? 動く階段といい、意味不明な隠し通路といい、私には『ちょっと変わった城』にしか見えないが。」

 

「それは貴女が生徒として過ごしているからよ。『眠れるドラゴンを擽るべからず』。知ってるでしょう? ホグワーツの校章に刻まれた文言。……これは過ぎたる好奇心への教訓であると同時に、ホグワーツに手を出そうとする愚か者への警告でもあるの。」

 

生徒を守る巨竜。それがホグワーツだ。普段は大人しく生徒たちを包み込み、この城から巣立って行くのを優しく見守っているが……一度己が『子供たち』に危機が迫ったら、ホグワーツはまた別の側面を見せてくれることだろう。怒れる母竜の側面を。

 

その時イギリス魔法界は思い出すはずだ。この城が刻んできた歴史を、身近に在りすぎて忘れていたことを。文章を追いながら考えていると、規則的な足音が近付いて来るのが聞こえてきた。早いな。やはり頼りになる。

 

リーゼにもその足音は聞こえたようで、若干同情的な表情で声を寄越してきた。

 

「おや、過労死寸前の副校長どのが来たようだね。……心なしか足音にも元気が無いような気がするんだが。」

 

「過労死する前に薬でなんとかしてあげるわよ。」

 

「……それはそれで残酷な所業だと思うけどね。治す前に休ませてあげた方が良いと思うよ。」

 

残酷なのが魔女だろうに。呆れ果てたような顔のリーゼを前に、パチュリー・ノーレッジは小さく肩を竦めるのだった。

 




正月休みは帰省する予定なので、実家のPCが死んでたらその間は投稿止まっちゃうかもです。一昨年は大丈夫だったので多分問題ないはずですが……もしそうなったら申し訳ございません!


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新米キーパーの受難

 

 

「だから、私たち自身で学ぶ必要があるわけよ。実践的な防衛術をね。」

 

午後最後のルーン文字の授業中。トネリコ材の板にルーンを刻むハーマイオニーの提案に、アンネリーゼ・バートリは曖昧な頷きを返していた。石工の次は木工か。恐れ入るな。

 

ちなみに私は既に作業を放棄している。……より正確に言えば、授業を放棄している。もはやルーン文字の教室にはハーマイオニーの『お付き合い』で来ているだけだ。当然ながら木をゴリゴリ削ったりなどしてはいないし、向こうのハッフルパフ生のようにうんざりした顔で教科書を睨み付けてもいない。

 

何せこの授業、五年生に入っていきなり難度を増したのだ。ルーンと刻む素材の相性、ルーン同士の相性、果ては刻むための道具と素材の相性。相性、相性、そして相性。……そんなもん知るか! 私は相性診断師になった覚えはないぞ!

 

とはいえハーマイオニーにとっては非常に『面白い』授業へと化けたようで、黒板の相関図を見ながら熱心にナイフを動かしていたのだが……いきなり何か思いついたように顔を上げると、防衛術を『実践』するための場が必要だと提案してきたわけだ。

 

ハーマイオニーの生み出した削りカスを圧縮して丸める、というこの世でも有数の無駄な作業をしつつ、輝く笑顔で提案してきたハーマイオニーへと返事を送る。

 

「『実践』したいんだったらパチェの授業中にやればいいじゃないか。あのバカバカしいカカシを使ってね。……森に捨ててきたはずなのに、いつの間にか戻って来てたよ。忌々しい限りだ。」

 

「もちろん私たちはそれで充分かもしれないわ。……でも、あの授業に居るのは五年生のグリフィンドールとハッフルパフ生だけよ。他の生徒も参加出来るような仕組みを作らなくっちゃ。出来れば全校生徒が参加出来るような仕組みをね。」

 

「要するに、二年生の時の決闘クラブみたいなものを作りたいわけだ。……ハーマイオニー、それは教師の仕事だよ。一生徒がやるべき仕事じゃない。」

 

厳密に言えば、パチュリーの仕事だ。呆れたように言ってやると、ハーマイオニーは義務感に燃える瞳で反論を放ってきた。胸の監督生バッジがキラリと光っている。……パーシーの時といい、なんかヤバい魔法がかかっちゃいないだろうな? それ。優等生の呪い、とか。

 

「その教師がやってくれないんだもの。生徒がどうにかすべきでしょう? ……特に一年生よ。出だしで躓くと悲惨なことになるのは目に見えてるわ。」

 

「まあ、今年の一年生が悲惨なことになるのには同意するよ。歴代有数の『大ハズレ』を引かされたわけだしね。しかし……うん、正直に言おう。それは頗る面倒くさいぞ、ハーマイオニー。キミがどの程度の規模を想定してるのかは知らないが、フクロウ試験を控えた五年生にはキツい作業量になるはずだ。」

 

決闘クラブの時を思い出せばすぐに分かる。あの時は教師三人がかりでもいくらかトラブルが起きてたのだ。アリス、スネイプ、フリットウィックという優秀な教師三人がかりで。あれを生徒が監督するってのは……うーむ、パニックが起きる情景しか浮かんでこないな。

 

グリフィンドールとスリザリンの誰かが呪いをかけあっている場面を想像する私に、ハーマイオニーは真剣な表情で説得を仕掛けてきた。

 

「もちろん先生方にも監督をお願いするわ。それに私だけでやるんじゃなくて、監督生集会で協力者を募るつもりよ。……リーゼ、これは今こそやるべきことなの。ある意味では良い切っ掛けじゃない。貴女も組み分け帽子の警告を聞いたでしょ? 近付いてくる脅威に備えるために、四つの寮の連携を強めなくちゃいけないのよ。」

 

「……これはまた、驚いたね。キミはそこまで考えてたのか。」

 

四つ揃えば憂いなし、か。防衛術の練習を名目にすることで、他寮と触れ合える場を作ろうということなのだろう。感心した表情を浮かべる私に、ハーマイオニーは少し照れたように早口で言葉を放つ。

 

「だって、リーゼもハリーも頑張っているんでしょう? ……それに、昨日の夕刊に載ってたドイツの内戦の記事。闇祓いの人たちも命を懸けて戦ってるのよ。例のあの人……ヴォ、ヴォルデモートに対抗するために。」

 

少し震える声だったが、ハーマイオニーはしっかりとヴォルデモートという名前を言い切った。……その通りだ。『まとも』な方の予言者新聞の記事によれば、魔法省は融和派への支援のために闇祓いや魔法戦士を派遣することを決めたらしい。恐らくアリスも今頃はドイツに渡っているのだろう。

 

本当は危ない場所に行って欲しくないんだがな。神妙な顔で頷く私を前に、ハーマイオニーは手元の板を弄りながら話を続けてくる。

 

「だったら、私たちも出来ることをやらないといけないわ。せめてホグワーツの団結を保ったり、自己防衛の手段くらいは自分たちで学ばないと。それは私のフクロウ試験の結果なんかよりも、ずっとずっと大切なことなのよ。だから……そうね。誰かが音頭を取らないといけないなら、私が取るわ。」

 

「……んふふ、キミは本当に賢い魔女だね、ハーマイオニー。」

 

うーん、それでこそ私の友人だ。あの組み分け帽子の警告を真摯に受け止め、自らの不利益も無視して行動に移す。それが出来る生徒が果たして目の前の友人以外に居るのだろうか?

 

大したもんだぞ、ハーマイオニー。私の賞賛を受けて顔を赤くするハーマイオニーを微笑んで眺めていると……おお、ビックリした。いつの間にか近くに立っていたバブリングが声をかけてきた。毎度お馴染みの機械じみた無表情だ。ハーマイオニーも驚いてビクっとしちゃってるぞ。

 

「ミス・グレンジャー。」

 

「ひゃっ……あの、バブリング先生。えっと、すみませんでした。お喋りはもう──」

 

「貴女の提案は私から校長代理と副校長に伝えておきましょう。……それと、貴女の考え方を評してグリフィンドールに十点。」

 

こいつ、聞いてたのか。バブリングは平坦な声でそれだけを言うと、規則正しい歩みで教卓の方へと戻って行くが……おいおい、バブリングが加点? 初めて見たぞ。というか、誰かを褒めるなんて場面すらこれまでの二年間では一度も見たことがなかったのに。

 

何事も無かったかのように教卓で沈黙するバブリングを見ながら、ハーマイオニーが首を傾げて話しかけてきた。

 

「えーっと……褒められたのよね? 私。」

 

「どうやらそのようだね。いやぁ、珍しいこともあるもんだ。」

 

まあ、あの無表情な魔女もホグワーツを案じる魔法使いの一人だということなのだろう。しかし……バブリングでさえこれなら、マクゴナガルあたりは感動して泣いちゃいそうだな。今からハンカチを用意しておいた方がいいかもしれんぞ。

 

───

 

そしてルーン文字の授業が終わり、美しい夕焼け空を眺めながら談話室に戻ってみると、咲夜が同級生たちと一緒に宿題を片付けているのが見えてきた。

 

魔理沙の姿が見えないが……ああ、クィディッチの練習か。ここ最近は夕食前にも授業の無い場合は練習しているのだ。もちろん、夕食後にもだが。狂ってるぞ。

 

つまり、ハリーとロンも練習中なのだろう。ロンはハリーの言によれば『そこそこの成績で』、魔理沙によれば『他が悪かったからギリギリで』キーパー選抜を突破したらしく、最近は降霊術をマスターしたジョンソンにしごかれているのだ。今日も元気にウッドを降ろして演説を放っているに違いない。

 

なんともご苦労なことではないか。三人に哀れみの念を送りながら空いているソファを探す私へと、暖炉横の貼り紙を見たハーマイオニーが声をかけてくる。

 

「あら、ホグズミード行きの日程だわ。……一番近いのは十月末、ハロウィンみたいね。どうする?」

 

「咲夜の誕生日か。……ふむ、今年から咲夜と魔理沙も行けるし、行ってみようか。何だかんだで私は一度も行ってないしね。」

 

「それじゃあ、三本の箒で誕生日パーティーをして、その後みんなでお買い物しましょうよ。きっと楽しいわ。」

 

ちょっとご機嫌な様子でソファへと向かうハーマイオニーも、やっぱりお年頃ということか。しかしまあ、ホグズミードね。フランがやけに詳しかったはずだし、良い店が無いか聞いてみようかな。

 

この前私をモデルにしたとかいう、謎の抽象画を送ってきてくれた妹分のことを思い出していると……おや、咲夜が私とハーマイオニーの下へと駆け寄ってくる。同級生たちから笑顔で送り出されているのを見るに、人付き合いは私より上手そうだ。

 

「リーゼお嬢様、ハーマイオニー先輩! 貼り紙、見ましたか?」

 

「ええ、見たわよ。私たちは行こうと思うんだけど、サクヤも一緒にどうかしら?」

 

「もちろんです!」

 

ハーマイオニーに答えるその顔は……うーむ、何でも言うこと聞いちゃいそうな笑顔だな。もうそろそろ十四歳だというのに、まだまだ可愛く見えてしまう。

 

ただまあ、未だにアリスのことも可愛く思えるし、こればっかりは一生のことなのかもしれない。……いや、見た目の問題もあるか? もし咲夜が人間として成長していったら、少し見方も変わったりするのだろうか?

 

五百年生きて未経験の気持ちを想像する私に、ハーマイオニーが思い出したように問いかけてきた。

 

「そういえば、マリサの許可証は大丈夫なの? 親御さんはずっと遠くにいるんでしょ?」

 

「ああ、心配ないよ。こっちで手配したからね。」

 

……厳密に言えば、咲夜と同じくレミリアのサインで通そうとしたところ、いつの間にか許可証に魅魔のサインが書かれていたらしい。どうやら親バカなのはレミリアだけではないようだ。何かの魔法を使ったのか、はたまた実際にこっちに来たのか。何にせよ弟子に一声かけていけばいいだろうに。

 

そんな感じで私が呆れる反面、当人たる魔理沙としては嬉しい出来事だったようだ。あんな大嘘吐きの悪霊のどこが良いのかは知らんが、きちんと見守ってくれていたことにえらく喜んでいた。

 

夏休み中の小部屋で許可証のサインをジッと見つめていた魔理沙を思い返していると、談話室の扉の方から……おっと、ユニフォーム三人組のお出ましだ。何故かロンだけが泥だらけになっている上に、三人の間には気まずい感じの空気が漂っている。

 

「キミね、そんな格好だとフィルチに追いかけ回されちゃうぞ。テルジオ(拭え)。」

 

杖を振ってロンの泥を拭い去りながら言ってやると、彼は物凄く情けない表情でボソボソ返事を返してきた。何か良くないことがあったのは確かなようだ。

 

「僕にはそれがお似合いだよ。……受かるべきじゃなかったんだ、キーパーなんて。酷かった。本当に酷かったよ。僕なんか居ない方が良かったんだ。」

 

ぐったりとソファに座り込むロンを横目に、事情を知るであろうハリーと魔理沙に目線を送ってみると……二人は気まずそうな顔でポツリポツリと何が起こったのかを語り始める。

 

「いや、最初は悪くなかったんだよ。普通に飛んでたし、クアッフルもきちんとキャッチ出来てた……というかまあ、殆どはキャッチ出来てた。ただその、途中からスリザリン生たちが見物に来たんだ。」

 

「それが悪かったな、うん。ほら、私たちはヤジに慣れてるけどさ。ロンは今日が初めてだったから……なんだ、アガっちまったんだよ。かなり。」

 

「それで、『ささやかな』トラブルが頻発し始めてさ。パスの練習で相手の顔面にぶつけたり、クアッフルを取り損ねて箒から落ちそうになったり、自分からブラッジャーに当たりに行ったり……いや、いつもならそんなことないんだよ? 偶々。今日は偶々そうなっちゃったんだ。」

 

「結局、最後にはアンジェリーナがキレちまってな。あいつもほら、キャプテンの重責で『不安定』になってるだろ? というかまあ、ちょっとばかし『異常』になってるわけだ。だから……その、結構キツめに怒鳴られちまったんだよ。」

 

なるほどな。非常に分かり易い説明が終わると、場には痛々しい沈黙が舞い降りた。……誰か何とか言ってくれよ。さすがの私も今は皮肉を言えないぞ。

 

項垂れるロンを横目に五人で牽制し合った結果、結局一番大人なハーマイオニーが口を開く。……私はまだ十五歳だから仕方がないのだ。十六歳のハーマイオニーが一番お姉さんなのだ。

 

「えーっと、ロン? 夕食に行きましょうよ。食べた後もまた練習があるんでしょ? きちんと食べておかないと動けなくなっちゃうわ。」

 

「僕は来なくていいってさ。……『遅れ』を取り戻したいんだって。」

 

「あー……そうなの。でもほら、それはアンジェリーナなりの喝なんじゃないかしら? それでも来るような根性を見せろってことでしょ? ね?」

 

ハーマイオニーは最後の部分をハリーと魔理沙に向かって問いかけるが、二人は強張った顔で肯定だか否定だか分からん首の振り方を返してきた。どうやらジョンソンは結構本気のトーンでロンに『宣告』したようだ。

 

それを見て物凄く困った顔をしたハーマイオニーは、援護を寄越さないその場の全員に抗議のジト目を送った後で、強引な纏めをロンに向かって投げかける。

 

「とにかく、夕食よ。そうしましょう。……ほら、行くのよ!」

 

「うん……。」

 

哀れな。殆ど引き摺られるようにハーマイオニーに手を引かれて行くロンの背を追いながら、同じくその背に続くハリーへとこっそり話しかけた。

 

「練習のヤジでああなら、本番は絶対に酷いことになると思うんだが……どうなんだい? その辺。」

 

「祈るしかないよ。……でも、一応今から慰める方法を考えておいた方がいいかも。そうすれば当日に悩まなくて済むでしょ?」

 

「……なるほど。」

 

既に諦めてる感じのハリーに虚しい返事を返して、大きなため息を吐きながら談話室の扉を抜ける。……よし、初戦の日は雨になることを祈っておこう。そうすれば少なくとも観戦には行かなくて済むわけだし。

 

物凄く後ろ向きな願いを胸に秘めつつも、アンネリーゼ・バートリは大広間へと歩き出すのだった。

 



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シュテッケンフェルドの戦い

 

 

「プロテゴ・トタラム、プロテゴ・マキシマ、サルビオ・ヘクシア……。」

 

石造りの大きな公民館にありったけの防衛魔法をかけながら、アリス・マーガトロイドは同時に人形との魔力の繋がりをチェックしていた。……さっきの戦闘で結構やられてしまったな。川に落ちちゃったのもあるし、後できちんと回収してあげなければ。

 

ドイツ西部にある小さな魔法族の村、シュテッケンフェルド。フランクフルトから八十キロほど離れたその場所は、今は度重なる戦闘で見るも無残な姿になっている。……平時なら牧歌的で美しい場所だったろうに。夕焼けに照らされる公民館から少し離れた村の中心部は、瓦礫と抉れた地面で不気味な影を作るばかりだ。

 

敵方とは既に何度も杖を交えているが、全く決着は付きそうにない。理由は単純。こちらが手堅く守りに徹して、向こうが攻めあぐねているからだ。私たちは非戦闘員の居る公民館を離れられず、敵方は地形に恵まれたこの場所を落とせずにいるのである。建物の古さや四方を川に囲まれているのを見るに、昔は砦として使われていた場所なのかもしれない。

 

そもそもの戦端が開いたのは、私たちが到着する六時間ほど前だったそうだ。混血やマグル生まれの魔法使いは登録の必要があると言って、強引に数名の住人を連れて行こうとするドイツ純血派の魔法使いたちに、町の有志が協力して抵抗の姿勢を見せたのである。

 

そして彼らは戦えない者や幼い子供たちを連れて公民館に立て籠り、そこに連絡を受けたドイツ融和派と純血派の援軍がそれぞれ到着。更にその後融和派の援軍としてイギリス、フランス、ポーランドの魔法使いたちが。純血派の援軍としてソヴィエト、チェコスロバキアの魔法使いたちが到着した結果、誰もが想定していなかった規模の戦闘へと発展してしまったわけだ。こっちの指揮系統も酷いものだが、間違いなく敵方のそれも滅茶苦茶になっていることだろう。

 

当然ながら、とっくの昔に公民館には姿あらわし妨害術をかけてある。これがないと防衛も何もあったもんじゃないのだが、同時に私たちも姿くらましで非戦闘員を避難させられないのだ。ここがドイツ国内な以上煙突飛行やポートキーは危険すぎるし、飛翔術なんて以ての外。鴨撃ちになるだけだろう。……つまりはまあ、お手上げだ。

 

結果として私たちはひたすら守り、敵方は時折思い出したように攻める、という奇妙な状況がずっと続いている。……そして更に奇妙なことに、敵も味方も本気で相手を殺そうとする気はないのだ。飛び交うのは殆どが失神呪文やら武装解除やらで、直撃コースの爆破呪文や死の呪文などは一度も見ていない。

 

これが戦闘の長引いているもう一つの原因なわけだが……うん、こればっかりは仕方ないな。ドイツ以外の国はあくまでそれぞれの派閥を『救援』しに来たわけであって、殺しちゃうともう後戻り出来なくなってしまうのだ。それが第三国の魔法使いなら尚更である。私たちがイギリス魔法省から『自身や味方の生命に危険が生じない限り』は致死性の魔法の使用を禁じられているように、向こうの連中も同じような命令を下されているのだろう。

 

それに、ドイツ国内の魔法使いだってリドル並みの『危険思想』なのは極一部なはずだ。ここに来て住人たちの生の声を聞いて分かったことだが、ドイツで行われているのは内戦ではなく『内戦ごっこ』だった。

 

純血派に属する魔法使いの殆どは、あくまでもマグル生まれや混血に対して『登録』を求めているだけであって、『浄化』しようとまでは思っていないらしい。しかし、議会で死者が出たために引っ込みがつかなくなり、相手から譲歩を引き出すためにこんなバカげたことを始めたわけだ。なんとも迷惑極まりない話ではないか。

 

とにかくドイツの魔法使いも相手を殺さないのには賛成なようで、結果的にこういうどっちつかずな状況に陥っているわけだが……だったらもう諦めてくれよ。私はお風呂に入ってゆっくりしたいぞ。

 

大きな川を挟んだ森の陰からこちらを窺う敵方の魔法使いたちを、いい加減うんざりした気分で眺めていると……おっと、十数回目の『作戦会議』が終わったようだ。見知った顔ではスクリムジョールとデュヴァル、それに加えてよく知らない数人の魔法使いたちが公民館から出てくるのが見えてきた。どうせ今回も大した結論には至らなかったんだろうさ。

 

やさぐれた気分で足元の小石を蹴っていると、スクリムジョールは此方と彼方を繋ぐ石造りの橋に防衛呪文をかけまくっているムーディに一声かけた後、今度は私の居る方へと真っ直ぐ歩いて来る。

 

ちなみにムーディが呪文をかけている橋こそが、最大の激戦区かつイギリスの担当箇所だ。落としてしまうか結構な議論になったものの、結局は残すことに決まった。橋の上で失神しても死なないが、失神した状態で川に落ちると溺死するからだ。敵も橋には爆破呪文とかを撃ち込まないあたり、これもまた『戦争ごっこ』の暗黙の了解なのかもしれない。

 

川に囲まれた公民館に繋がる橋は二つ。北側をイギリスが、南側をフランスが守り、飛翔術や凍らせて渡ってこようとする連中をポーランドと有志の住人たちが妨害している。……まあ、実際はしっちゃかめっちゃかになって担当箇所などあってないようなのが現状だが。

 

連携の拙さは多国籍軍の弱みだな。戦術面はともかくとして、練度に差がありすぎるぞ。鼻を鳴らしながら人形の整備をする私に、近付いてきたスクリムジョールは意外な言葉を投げかけてきた。

 

「お疲れ様です、ミス・マーガトロイド。このうんざりする状況にも、ようやく終わりが見えそうですよ。」

 

「あら? ……まさか攻勢に出るんじゃないでしょうね? それなら反対するわよ。上手くいなされて、逆に公民館を人質に取られるのがオチだわ。」

 

「無論、違います。……まあ、ポーランドから提案はありましたが、蹴りました。そうではなくて、スカーレット女史に付かせていたシャックルボルトから連絡があったのです。外交面から解決出来る目処がついた、と。」

 

「それはまた、最高の知らせじゃないの。……持つべきものは頼れる吸血鬼ね。」

 

きっと外交面でも熾烈な戦いが繰り広げられていたのだろう。そしてレミリアさんはそれに勝利しつつあるわけだ。……普段親バカとか思ってて申し訳ないことをしたな。今度咲夜と一緒の時は邪魔しないであげよう。

 

甘やかしすぎだと文句を言ったのをちょこっとだけ反省していると、スクリムジョールは大きく頷きながら口を開く。表情こそ冷静さを保っているものの、彼もさすがにうんざりしているようだ。僅かに疲れが覗いているぞ。

 

「正しくその通りですな。よって、あと少し耐え抜けば我々の勝利です。……むしろこれ以外に解決法はありませんしね。両陣営共に相手を殺すのを躊躇っている以上、上から誰かが止めてくれるのを待つ他ないでしょう。」

 

「何ともバカバカしいことね。……とにかく、分かったわ。相手が次に攻めてくる前に片付くことを祈りましょう。」

 

「そうなればいいのですが。」

 

全然そう思っていない感じで言うと、スクリムジョールは別の人間に指示を飛ばしに歩み去って行った。……いやはや、やっと終わりが見えてきたか。こういう状況になるとつくづく思うが、やっぱり私に出来ることなんて高が知れてるな。レミリアさんの動きを見てると情けなくなってくる。

 

何というか、こう……私たちがわちゃわちゃ忙しなく戦ってる遥か高みで、それを見下ろしながら国単位の戦いを繰り広げている感じだ。指揮官と一兵士の違いみたいな……いやまあ、『みたい』と言うか、実際そうなのかもしれないが。

 

私たちのささやかな頑張りも、多少は影響しているのだと信じたいもんだ。少し情けない気分でため息を吐いていると、公民館の屋根の上から派手な音と共に火花が上がった。見張りの合図。つまり、敵が動き始めたということだ。もうこのまま時間切れでいいじゃないか。勘弁してくれ。

 

「ムーディ、来るわよ!」

 

内心どうあれ凛々しい声を出した私に、ムーディは歪んだ笑みを浮かべながら大声で返事を返してくる。どう見ても悪役のそれだな。そんなんだから公民館の子供たちにも怖がられるんだぞ。

 

「ふん、分かっておるわ! 油断大敵! 全員備えろ!」

 

即座に位置についたイギリスから派遣されている十二人の闇祓いと二十人近い魔法戦士たちは、橋の向こうから杖を構えてゆっくりとこちらに歩いて来る敵方に向かって一斉に呪文を放った。

 

もちろん向こうからも応射があるので、橋を中心として赤や白の閃光が激しく行き交うものの……うーん、前回の戦争の経験者からすると、やっぱり『ごっこ』に過ぎないな。特に相手側は集団戦に不慣れなのが丸分かりだ。前列が防御、後列が攻撃という教本通りの陣形で進んで来るが──

 

「そぉら、行くぞ!」

 

ほら、ムーディの合図で散開して多角的に押すこちらの魔法に対処しきれなくなってきた。……まあ、無理もないか。彼らが最後に『こういうこと』をしたのは五十年も前なのだ。ドイツやチェコスロバキアなんかは殆どの魔法使いが初陣なのだろう。

 

対してこちらには十五年前の苦い経験がある。訓練や教本では得られない、血を流して得た経験が。魔法使いの集団戦というのは面ではなく点。そして、杖での戦闘というのはお行儀良く閃光を飛ばすだけではないのだ。

 

「ボンバーダ!」

 

有言の爆破呪文で敵の集団から少し離れた地面を吹き飛ばし、飛び散る瓦礫を無言呪文で操って浴びせかける。当然ながら相手も盾の呪文で防ぐが、生まれた隙を突くように熟練の闇祓いや魔法戦士たちが激しい攻勢に出始めた。

 

うんうん、いい感じだな。誰かが隙を作ればそこを突き、誰かが押されればそこを埋める。散開して個々で戦っているように見えて、結構チームプレーなわけだ。

 

その後もしばらく優勢を保っていると、橋にも辿り着けず押され始めた敵方の後方から……そら、お出ましだ。銀朱のローブを身に纏ったソヴィエト闇祓いたちが、こちらの呪文を打ち払いながらジリジリと歩みを進めて来た。ちなみに人形の被害はほぼこいつらの所為である。忌々しい連中だな、まったく!

 

私たちがそうであるように、こいつらも自国内での戦争を経験済みらしく、ドイツやチェコスロバキアとは一線を画す技量を持っているのだ。面倒くさいが相手をするしかあるまい。そもイギリスの担当がこの橋になったのは、あいつらを抑えるためなわけだし。

 

無言呪文を放ちながら人形を展開して、数人の熟練と一緒に壁になるために前へと歩み出ると……おや、今回は趣向を変えてきたな。ソヴィエトの魔法使いたちは、数人がかりで川の水を橋の中央あたりに浮かび上がらせ始めた。

 

「あら、ダンブルドア先生なら一人でやるのにね。デューロ(固まれ)!」

 

「あれと一緒にされては堪らんだろうな。エクスパルソ(爆破)!」

 

恐らく私たちを押し流そうとでもしたのだろう。考えとしては悪くなかったが、私が手早く固めたそれをムーディが迷わず爆破したせいで、固まった水が四方八方に飛び散ってしまった。……おいおい、こっちにも飛んで来てるぞ。

 

アレスト・モメンタム(動きよ、止まれ)! ……貴方ね、敵にだけ飛ばしなさいよ。出来ないわけじゃないでしょうに。」

 

「ふん、この程度を捌けん奴は連れてきておらんわ! デパルソ!」

 

私が空中で停止させた大量の『水塊』を敵の方へと吹き飛ばしたムーディは、そのまま複雑に杖を振ってそれを操り始める。元が水とはいえ、固まった今となっては岩を操っているのとさして変わらないのだ。敵は僅かな混乱を見せるが……まあ、さすがにそこまでバカではなかったか。誰かが解呪して水に戻してしまった。

 

デプリモ(沈め)!」

 

とはいえ、それもまた予測出来ていた事態だ。即座に沈下呪文で柔らかくなった地面を広く、浅く沈めてから、新たに取り出した数体の人形を敵中へと突入させる。うむうむ、泥の地面はさぞ歩き難かろう。師匠譲りの地味な嫌がらせが効いているようで何よりだぞ。

 

もうちょっと本格的な戦闘を予想していたので、持ってきた人形のうち『物騒な』子は使用不能になってしまったが、それでも棍棒を持たせている量産型の子なんかは使用可能なのだ。鉄製とはいえ手加減させているし、死にはしないはず。……多分。

 

お気に入りの七体を引き続き周辺の防御に回しつつ、追加した六体の人形を複雑に操って攻撃に当てると……うーむ、こうなるとさすがに杖を振る余裕はないな。私もまだまだ修行不足だ。

 

「ウィリアムソン! 悪いけどフォローお願いね!」

 

「任せてください、マーガトロイドさん。」

 

すぐさま長すぎるポニーテールが視界の前に躍り出て、人形の操作に集中する私を守り始めた。しかしまあ、相手も度重なる戦闘でさすがに慣れてきたようで、私の人形に対しては効果の無い粉砕呪文や終わらせ呪文などではなく、単純な衝撃呪文で的確に追い払っている。

 

それでも厄介なものは厄介なのだろう。呪文を避けながら時折突っ込んで棍棒を振るう人形にイラついたのか、敵方の指揮を執っているらしき魔法使いが私を杖で指して何か言うと……わお、やるな。後方に生えていた木を引き抜いて呪文で浮かべて、投げ槍のように私の方へと投げ込み始めた。

 

「ああいうことをするから森林が減るのよね、きっと。後でちゃんと植え直してくれればいいんだけど。」

 

「そんな悠長なことを言ってる場合じゃ、プロテゴ! ありませんよ!」

 

むう、ここで人形を退げたくはないんだがな。数本はいなすようにしてウィリアムソンが逸らしたが、諦め悪く次々飛んでくる『投げ槍』に彼が冷や汗を流し始めたところで……味方の魔法戦士の一人が飛んでくるそれに呪文を撃ち込んだ。

 

スポンジファイ(衰えよ)!」

 

これは……うーん、実に間抜けな光景だな。途端にふにゃんふにゃんになってしまった木が、ウィリアムソンの盾の呪文にぽよんぽよん弾かれる。敵も味方もちょっと呆れた目線をそれに送った瞬間、先程命令を下していた指揮官らしき魔法使いを人形でぶん殴ってやった。……惜しいな、肩か。直前に反応されなければ脳天にクリティカルだったのだが。

 

「あらまあ、怒らせちゃったみたいね。」

 

お人形遊びは好みじゃなかったようだ。肩を押さえながら私を憎々しげに睨む指揮官どのを見て呟くと、ウィリアムソンが情けない声で文句を言ってくる。

 

「どうせなら昏倒させてくださいよ。絶対こっちに攻撃を集中してきますよ、あれは。無茶苦茶怒ってるじゃないですか。」

 

「こんなに可愛い人形使いを守れるんだから、もうちょっと嬉しそうにしなさいよ。」

 

「……僕の母より歳上ですけどね。祖母と殆ど同世代です。」

 

「余計なことは言わないの。貴方の肩も殴るわよ。」

 

吸血鬼換算で言えばまだ『幼児』なんだぞ、私は。失礼な若人に鼻を鳴らしてから、一度量産型を回収して杖を構え直す。ムーディが向こうで赤ローブ以外に大きな損害を与えたようだし、再び防御の時間に戻るべきだろう。……今度はこっちが水を使ってみようか?

 

ムーディが何をしていたのかは分からんが、向こうの地面が焼け焦げて酷い有様になっているし、意趣返しがてら『消火』してやろう。無論、盛大な規模でだ。考えを実行に移すべく、川に向かって杖を振ろうとした瞬間──

 

「そこまでよ、全員杖を下ろしなさい! この戦闘、レミリア・スカーレットが預かった!」

 

残念、タイムリミットか。戦場に響き渡った声の元を辿ってみれば、薄暗くなった空を背に公民館の鐘楼の先端に立つレミリアさんの姿が見えてきた。北側と南側を交互に睨みつけ、その周囲には無数に光る真紅の魔力弾がぐるぐる回っている。

 

「既に純血派、融和派、そして各国の政治機関とは話が付いている! ……お分りかしら? これ以上の戦闘は無意味ってことよ。それでも続けたいのであれば、今度は私が相手になってあげるわ。」

 

『試してみるか?』と言わんばかりにギラギラと獰猛に光る真紅の瞳を見て、先ずはイギリスの魔法使いたちが一斉に杖を下げた。当然ながら誰も試したくはないのだ。ここにいる多くの魔法使いは、『ハロウィンの悲劇』の日にレミリアさんが何をしたのかを知っているのだから。

 

それを見た敵方も殆どが杖を下げるが……なんともまあ、勇敢な連中だな。ソヴィエトの赤ローブたちは未だに杖を構えたままだ。呪文こそ放っていないが、明らかに臨戦態勢でレミリアさんの方を睨んでいる。いや、無謀とも言えるだろうが。

 

「あら? 聞き分けの悪い連中が居るわね。」

 

ニヤニヤ笑いながら言ったレミリアさんは、ふわりと浮き上がって私たちの目の前の橋の中央へと着陸した。その周囲には、今や視界を埋め尽くすほどの膨大な量の光弾が衛星の如く回っている。……ごめんなさいするべきだと思うぞ。悪いことは言わないから。

 

堂々と進んで来るレミリアさんを見て後退りする赤ローブたちの中から、一人の魔法使いが……ああ、指揮官どのだ。肩を押さえながらの指揮官どのが前へと歩み出てきた。彼は目の前を覆う光弾に怯むことなく、たどたどしい英語でレミリアさんに声を放つ。

 

「スカーレット……女史。我々は祖国の命を受けてこの場に居る。故に、上からの命令が無い限りは易々と貴女に従うことはできない。」

 

「ソヴィエト魔法議会からも戦闘停止の了承は得ているわ。このレミリア・スカーレットの言葉が信用できないと?」

 

「信用する、しないの問題ではない。我々が上から命じられたのはあの拠点の制圧だ。その命令が撤回されていない以上、我々にはそれを遂行する義務がある。」

 

うーん、忠実であるとも言えるし、石頭だとも言えるな。古き良き兵隊ってわけか。主体となっているはずの純血派が戦闘を停止しようが、こいつらにはあんまり関係ないようだ。命令は絶対。それが彼らの流儀なのだろう。

 

「もう少し待てばそちらにも連絡が届くはずよ。それを待ちなさい。」

 

「であれば、届くまでは戦闘を止めるわけには──」

 

「あっそ。」

 

レミリアさんが冷たい口調で隊長どのの言葉を遮った瞬間、なんの予備動作も無しで光弾が一斉に赤ローブたちに襲いかかった。容赦なしだな。ちょっと可哀想だ。

 

まあ、対処しようとはしていた。赤ローブのほぼ全員が咄嗟に盾の無言呪文を使ったのは見事だと言えるだろう。しかし残念なことに、あまりにも物量が違いすぎたのだ。良く訓練された彼らでも、十秒近くの間全方位から延々襲い来る光弾を防ぐのは不可能だったらしい。

 

鳴り響く轟音が止み、土煙が晴れた後には……倒れ伏す赤ローブたちの姿が見えてくる。圧倒的だな。敵も悲しいだろうが、私たちだって悲しいぞ。今までやってたことはなんだったんだ?

 

「そっちはどう? まだやる?」

 

投げかけた声に残った純血派がブンブン首を横に振るのを見ると、レミリアさんは肩を竦めてから私の方へと近付いてきた。

 

「結構よ。……スクリムジョールはどこ? 案内して頂戴、アリス。責任者全員で話をする必要があるわ。」

 

「公民館の中で指揮を執っているはずですけど……いいんですか? あれ。殺してはいないんですよね?」

 

「殺すわけないでしょ。気絶してるだけよ。……それにまあ、ある意味では彼らは正しい選択をしたわ。ソヴィエト議会に話が通ってるってのは嘘だしね。」

 

その言葉に、思わず先導しようと踏み出した足を止める。……嘘? それは、マズいんじゃないのか? ポカンとする私に対してペロリと舌を出してから、レミリアさんは悪戯げな表情で囁きかけてきた。

 

「純血派との話が付いたってのは本当よ。でも、唯一ソヴィエトだけには中々話が通せなくってね。……ま、既成事実でゴリ押しちゃおうってわけ。向こうにだって体面があるんだし、戦闘が停止しちゃった以上は煩く言えないでしょ?」

 

「一国だけ戦闘を継続しようとするのは問題ってことですか?」

 

「そういうことね。だからしつこくは言ってこないでしょ。……それに、ソヴィエトもかなり混乱してるみたいなのよ。連邦解体の一件を解決しないうちに国内の親マグル派と反マグル派で意見が割れて、そこで起きたドイツの内乱。挙げ句の果てに国内では『真なる指導者』の噂が蔓延中なんだもの。宜なるかなって感じね。」

 

「『真なる指導者』? ……まさか、グリンデルバルドですか?」

 

「多分ね。私としても予想外なんだけど、あの男は既にかなりの影響力を確保してるみたい。近いうちにリーゼに確認しに行かせるわ。……これだから嫌いなのよ、ワイルドカードは。計算がお釈迦になっちゃったじゃない。」

 

「どこもかしこも燻ってますね……。」

 

ヨーロッパでずっと燻っていたものに、リドルが必死に息を吹きかけているのだろう。毒の囁きによって。そしてリーゼ様はリドルを上回る炎で飲み込もうとして、レミリアさんはそれを一つ一つ踏み消しているわけだ。

 

うーむ、やっぱりやってることの規模が違うな。公民館へと先導しながら苦笑する私に、レミリアさんが思い出したように声を放ってきた。

 

「ドイツの議会にポートキーを用意させたんだけど、やっぱりあの感覚は好かないわ。スクリムジョールとの話が終わったら議会までの姿あらわしをお願いね。……そういえば、咲夜へのプレゼントはちゃんと準備してあるの? 誕生日は一週間後よ。」

 

「紅魔館の自室に置いてありますから、帰ったら送ろうと思ってます。」

 

「ならさっさと終わらせて帰りましょ。……一応、間に合わなかった時のために小悪魔かエマにでも送るよう言っときなさい。ドイツなんぞの所為で咲夜のプレゼントが減ったら可哀想よ。今年の夏はあんまり構ってあげられなかったから、十個は贈ってあげないとね。」

 

国より咲夜か。この場の敵味方に聞かせたらどんな反応が返ってくるんだろうか? ……うーん、確かに凄い方だし、頑張っているってのは十分よく分かったが、やっぱり親バカは親バカだと思うのだ。

 

凄いんだかなんだかよく分からない吸血鬼を先導しつつ、アリス・マーガトロイドは苦い笑みを浮かべるのだった。

 



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Greater Good

 

 

「『赤は美しい』。この一点に関してだけは、この国とレミィは気が合うだろうね。」

 

モスクワの中心地。だだっ広い赤の広場を眺めながら、アンネリーゼ・バートリは隣を歩く美鈴へと話しかけていた。前方にはアホほど赤い国立歴史博物館、後方にはどこかメルヘンな聖ワシリイ大聖堂、左手には燻んだ赤のレーニン廟とクレムリンの城壁。赤、赤、赤。胸焼けしちゃうぞ。

 

迫ってきた冬でクソ寒いというのに、真昼の広場にはマグルの観光客たちがごった返している。なんでも数年前、世界遺産だかなんだかに登録されたらしいが……本当にマグルってのは度し難いな。たかだか五百年前に建造された場所だろうに。そんなことを言ったら高貴な私だって世界遺産だぞ。

 

小さく鼻を鳴らす私に、隣の『古代遺産』どのが返事を返してきた。こいつにとってはこの広場なんぞ新築同然だろうな。

 

「いやぁ、私も好きですけどね、この雰囲気は。派手でいいじゃないですか。テンション上がってきますよ。」

 

「ソヴィエトの議会にとってはいい迷惑だろうけどね。頭の上でマグルに騒がれるってのはさぞ苛つくことだろうさ。……おっと、目的地はそっちじゃないぞ。百貨店の方だ。」

 

クレムリンの方へと進んで行こうとする美鈴を引っ張って止めると、彼女はキョトンとした顔で疑問を放ってくる。というか、そもそも入れるのか? 一応は宮殿なんだぞ。……いや、この感じだと入れそうだな。何を考えているんだか。

 

「ありゃ、百貨店? てっきり向こうに入り口があるんだと思ってましたけど……ほら、いかにもそれっぽいじゃないですか。宮殿ですよ、宮殿。」

 

「だからこそ関係無さそうな百貨店にあるのさ。それが魔法界ってもんだろう?」

 

「あー……まあ、そうですね。イギリスとかフランスもそんな感じでしたし。」

 

苦笑して頷いた美鈴と共に、巨大なグム百貨店の中へと入ってみれば……うん、こっちは多少品があるな。白を基調とした古風な店内は、ガラス張りの天井から差し込む光によって明るく照らされていた。立ち並ぶ店々にマグルどもが群がっている。

 

「うひゃー、まさに『百貨』店って感じですね。店だらけじゃないですか。食べ物屋さんはどこでしょう?」

 

「んふふ、唸るほどあるはずさ。色々調べてきたからね。後で食べ歩きをしようじゃないか。」

 

「大賛成です。大いに、大いに賛成します。」

 

百点満点の笑みで頷いてきた美鈴に、こちらも満面の笑みで頷きを返す。うーん、楽しみだ。ホグワーツのみんなにもお土産を買ってやらねばなるまい。小悪魔やエマから頼まれたお菓子とか、フランから頼まれてるワインもあるし。

 

今日はホグワーツを抜け出して、買い物のついでにソヴィエトの……じゃなくって、ソヴィエトの魔法議会に寄るついでに買い物に来たのだ。厳密に言えば、ソヴィエト魔法議会を『掌握しつつある』ゲラートに会うために、だが。

 

詳細を確認したレミリアもえらく驚いていたが、僅か数ヶ月でゲラートはソヴィエト議会の半数近くを己が内側に取り込んでしまったようだ。今は抵抗している派閥の力を削ぎ落とす作業に入っているらしい。

 

当然、表立って『同志グリンデルバルド!』とか言って持て囃されているわけではなく、あくまでも『忠実な』権力者を通した間接的な支配らしいが……いやいや、早すぎるぞ。レミリアも、フランも、彼をよく知る私でさえも。これほどまでに素早く事が進むとは思っていなかった。

 

この支配劇の最大の理由は、ソヴィエト議会の指導者層にゲラートの信者が数多く存在していたことにあるようだ。彼の『啓示』を秘密裏に受け取った老年の権力者たちは、嬉々として積み上げてきた影響力を行使したらしい。長年の政治活動で積もり積もったその力を、惜しみなく、湯水の如く。

 

知らぬ者からすれば訳の分からない動きだったのだろう。引退したはずの老獪な政治家たちが、急に揃って政治の場へと舞い戻ってきたのだ。……それも、示し合わせたかのように協力し合いながら。

 

ゲラートの指示こそ受けていない信者たちもそれに気付いた。彼らを焚き付けている者が存在することに。それは嘗て魔法界を揺るがした革命児かもしれないことに。ゲラート・グリンデルバルドは生きているかもしれないことに。

 

その瞬間、ソヴィエトは盛大に燃え上がったわけだ。リドルの主張に疑いを持っていた『賢い』残党たちもこれに呼応した。頭が回る故にゲラートの影に気付いた彼らは、老人たちに挙って協力し始めたのである。

 

結果として、ソヴィエト議会はたった数ヶ月で大きく変化してしまったのだ。謎の一大派閥が急速な成長を遂げ、ゲラートの影に気付けない政治家たちは戸惑い、気付きながらも反抗しようという派閥は纏まり始める。……レミリアがイギリスでやったことの『超濃縮バージョン』が数ヶ月の間に起こったわけだ。

 

そして、今のソヴィエト議会は間接的にゲラートに従うのが四、それに対抗しようと纏まったのも四、中立ないし無関心が二、という混沌とした状況になっているらしい。もう連邦解体どころじゃないだろうな。マグル界では確立したらしい『ロシア連邦』も、魔法界に広まるのは少し先になりそうだ。

 

あるいは、この国が変革期にあったことも影響してるのかもしれない。時すらもゲラートに味方したわけか。……イギリスでひどく苦労させられたレミリアが聞いたら、アンフェアだと激怒することだろう。あいつは運命を操れるくせに運命に敵視されすぎだぞ。

 

考えながらもエスカレーターで二階に上がり、百貨店の隅っこにある寂れた家具屋に到着したところで……そこで待っていた一人の老人が片言の英語で声をかけてきた。ロシア帽のよく似合う、かなり大柄な老年の男だ。

 

「お待ちしておりました。ご案内させていただきます。」

 

「ああ、お願いするよ。」

 

翼を消している私にこの対応なのを見るに、この老人がゲラートの寄越してくれた『案内人』なわけか。丁寧な仕草で私たちを先導する老人は、やがて店の奥にある巨大なクローゼットを『操作』し始める。ノックしたり、取っ手を回したり……つまりはまあ、魔法界でよくあるやつだ。これがここの『扉』を開く手順なのだろう。

 

「入り口はクローゼットか。……タイトルを思い出せないが、ちょっと前にこういうマグルのファンタジー小説があった気がするな。」

 

「あー……なんか、そんなのもありましたねぇ。昔、妹様が読んでた覚えがあります。ライオンを捕まえてきて欲しいって言われて焦りましたよ。」

 

マグルも結構いいとこ突いてるのかもな。あるいは、筆者が実は魔法使いだったのかもしれない。私たちが無駄話をしている間にも、案内人はクローゼットを開けて中へと入って行く。

 

「それじゃ、いざ魔法の世界へ行こうじゃないか。」

 

「入るのが吸血鬼と妖怪じゃあ、ちょっと趣に欠けますけどね。」

 

「ごもっとも。」

 

ふざけ合いながらクローゼットを抜けると……これはまた、大国ソヴィエトに相応しい豪華さじゃないか。白、赤、金の交じり合った、巨大な美しいホールが見えてきた。

 

床は凄まじく精巧な……寄木造りか? これ。多種多様な木材で形作られた複雑な模様が、どこまでもどこまでも続いている。表面はワックスで仕上げられているのかなんなのか、まるで金属のように滑らかな硬質だ。カツカツと響く足音がなんとも心地良い。

 

宮殿を思わせる造形の壁は純白で、当然ながら所々を金細工で彩られており、高所の窓には赤いビロードのカーテンがかけられている。入ってくる光も計算尽くの設計なのだろう。眩しくはないが、暗すぎない。煌びやかながらも落ち着きを保った絶妙な雰囲気だ。

 

豪奢なシャンデリアが吊るされた天井を見上げてみれば、ソヴィエト魔法界を構成する家々の紋章で埋め尽くされているのが見えてきた。なんともまあ、多種多様だな。層の厚さを誇示しているのか?

 

そしてホールのど真ん中には、ドラゴンを喰らう双頭の鷲の石像がこれでもかというデカさで聳え立っている。双頭の鷲はロシア帝国時代から続く、ソヴィエト魔法界の象徴だ。……うーむ、イギリスの和の泉よりかはちょっとばかし『攻撃的』だな。

 

「大したもんじゃないか。昔行ったドイツの魔法庁も好きだったが、ここも悪くないね。」

 

「でも、掃除が大変そうじゃないですか? あのシャンデリアを下ろすのは一苦労だと思いますよ。沢山ありますし。」

 

「……最初に出てくる感想がそれかい? 頼むよ、美鈴。」

 

雰囲気ぶち壊しの大妖怪にジト目を向けてから、待っていてくれた案内人に頷いて先へと進む。……ホールに立ち並ぶ入り口から続々と魔法使いが出たり入ったりしているのを見るに、赤の広場の各所に入り口が隠されているようだ。

 

「こっちじゃ暖炉はあまり使わないのかい?」

 

やっぱりイギリスよりもがっしりした魔法使いが多い気がするな。……これは偏見か? ホールを歩き回る職員たちを眺めながら問いかけてみれば、案内人は首を振ってから返事を寄越してきた。

 

「いえ、一般の家庭では頻繁に利用されます。しかし、この場所は安全上の理由から暖炉の設置を禁じられておりますので。……レニングラードからここに拠点を戻す際、全て撤去されました。」

 

「ふぅん? ってことは、暖炉の撤去も大戦の影響なわけだ。」

 

「その通りです。」

 

利便性より防衛を重視したわけか。その辺はやっぱり国の色が出るな。考えながらもホールの隅に設置されていた階段を下り、また下り、更に下り……おいおい、どこまで下るんだよ。ホールの時点でイギリス魔法省同様に地下なんだから、もうかなり深い場所のはずだぞ。

 

ソヴィエトはエレベーターの存在を学ぶべきだな。折り返しを十回ほど終えたあたりで、ようやく目的の階層に到着したらしい。案内人は踊り場のドアを開けて奥へと進んで行く。……隣に下り階段があるのを見るに、まだまだ下まで続いているようだ。

 

「ありゃ? 日光が入ってきてますね。」

 

「イギリス魔法省と同じ魔法だろうさ。魔法なんて適当なもんなんだし、その辺を真面目に考察するとバカを見るぞ。」

 

ぼんやり受け入れるくらいが丁度良いのだ。私はホグワーツでそのことを学んだぞ。美鈴に返事を返してから、窓から差し込む日差しに照らされる白い廊下を進んで行くと……案内人は一つのドアをゆっくりと開けて、私たちに入るよう促してきた。

 

「『あの方』はこちらでお待ちです。私はここで待機しておりますので、どうぞごゆっくり。」

 

「ご苦労様。」

 

この案内人もいい歳に見えるんだが、大丈夫なのか? 寒い廊下に取り残される案内人に若干の同情を送りつつ、ドアを抜けて室内へと入ってみれば……おやまあ、実に『らしい』部屋じゃないか。

 

真っ白で、空虚な部屋だ。壁も床も天井も、白い継ぎ目のない大理石で構成されている。窓には白いカーテンがかけられ、シャンデリアすら白い金属。余分な家具は一切なく、三つの椅子だけが中央にポツリと置かれている部屋が目に入ってきた。……ちなみに、椅子も白だ。ここまでくると病的だな。

 

「やあ、ゲラート。やけに寂しい部屋だね。」

 

白い部屋に浮かぶ黒。椅子の一つに座っている瀟洒な老人に話しかけてみると、彼はゆっくりと顔を上げて口を開く。

 

「嘗ては貴人に対する取り調べに使われていた部屋らしい。……白は真実の色だからな。」

 

伸びっぱなしだった髭は短く揃えられ、髪も少し長めのオールバックに撫で付けてある。白いシャツに黒いベストとダークスーツ。赤いアスコットタイが目を惹くコーディネートだ。……ふん、お洒落さんめ。ヌルメンガードの時とは大違いじゃないか。

 

「これはこれは、随分とショッピングを楽しんだみたいじゃないか。よく似合ってるよ。やっぱりキミは囚人服よりスーツだ。」

 

椅子に座りながら褒めてやると、ゲラートは鼻を鳴らして言葉を返してきた。美鈴は……椅子には座らず、窓の外を眺めに行ったようだ。自由すぎるぞ。

 

「服は人物を表す最初の記号だ。見窄らしい服を纏った者になど誰も付いてはこない。必要だから、そうしている。それだけの話だ。」

 

「まあ、そうだね。『旗』は豪華な方が下々の連中もやる気が出るだろうさ。……それでだ、ゲラート。ヌルメンガードでした会話を覚えているかい? キミは『中立を保たせるくらいなら不可能じゃない』とかなんとか言ってたね。ソヴィエト魔法界の『王座』に着くとは言ってなかったはずなんだが?」

 

こんなに規模が大きくなるとは思ってなかったぞ。脚を組みつつ多少呆れた感じで問いかけてやると、ゲラートは含み笑いをしながら返事を寄越してくる。そこを突っ込まれるのは予想済みだったらしい。

 

「可能だと判断したからな。どうやら俺が思っていたほど、俺のことを忘れてしまった魔法使いは多くはなかったようだ。」

 

「おやおや、やっと気付いたわけだ。自分が『伝説』になっていた自覚が湧いてきたようで大いに結構。……楽しんでるかい?」

 

「……悪くはない。俺のやったことが無駄ではなかった実感は持てた。同時に、思い描いていた危機が迫っていることもな。」

 

危機? そこで一度言葉を切ったゲラートは、椅子に深く身を預けながらため息を吐くと、ゆっくりと身を乗り出してから質問を飛ばしてきた。

 

「……吸血鬼、お前はマグルをどう思う? ノー・マジック。非魔法族と呼ばれる者たちを。」

 

「マグルを? そうだな……頭が堅くて、視野が狭くて、機械が好きで、忙しない連中って感じかな。あとはまあ、そこら中にうじゃうじゃ居るイメージだ。嫌になるほどにね。」

 

「そうか。……俺は、マグルは恐ろしい生き物だと思っている。今も昔も、ずっと。」

 

「恐ろしい? それは、また……意外な台詞じゃないか。」

 

ゲラート・グリンデルバルドがマグルを恐れている? ヨーロッパ魔法界じゃジョークにもならん言葉だぞ。疑問げな表情に変わった私に、ゲラートは少しだけ俯きながら自身の『予想』を語り始める。

 

「想像したことはあるか? マグルが我々の存在に気付いた時に何が起こるかを。……そうだな、最初は喜ばれるかもしれん。未知の力、新たな技術、隠された法則、尽きない資源。連中にとっての『幻想』が実物に変わるんだ。好奇心に溢れる笑顔で、瞳を輝かせて魔法族を歓迎するだろう。……だが、その力が自分たちには使えないものだと分かったら? 魔法族のみに許された技術だと知ったら?」

 

「そりゃあ、怖がるでしょうねぇ。……彼らが大昔『私たち』を恐れたように、今度は魔法族を恐れるはずです。」

 

窓際に立つ美鈴が珍しく皮肉げな表情で言うのに、ゲラートは一つ頷いてから続きを話す。

 

「その通りだ、妖怪。力なき隣人を哀れむ者は多いが、力ある隣人を喜ぶ者など居ない。羨みは嫉妬へと変わり、劣等感は排斥へと繋がっていくだろう。連中は我々に枷を嵌めようとしてくるはずだ。……魔法族の誇りである、魔法を封じ込めることでな。」

 

……まあ、想像は付くな。マグルは『魔法の杖』を恐れるはずだ。知らぬうちは許容できていたものでも、目の前で見せつけられれば考えが変わるだろう。他者にのみ許された技術など我慢できまい。それが人間というものなのだから。

 

「耐えられると思うか? 魔法族が魔法を規制されることに。それまでずっと身近にあった、生活の基盤を奪われることに。……無理だ。必ず諍いが起こり、それは戦争へと発展していくだろう。勝ち目のない、破滅への戦争へと。」

 

「つまり、キミは魔法族がマグルに負けると考えているのかい? 魔法も使えないような連中に?」

 

小首を傾げた私の問いに、ゲラートは皮肉げな笑みを浮かべながら答えてきた。

 

「もし戦えば、勝てない。負けないことは出来るが、勝つことは不可能なはずだ。……そもそも魔法族とマグルの間で戦争が起きたとなれば、マグルに味方する魔法使いが必ず出てくるだろう。半世紀前にスカーレットがそうしたようにな。」

 

「んー、いまいち分からないね。結果として魔法族同士の戦いになるってことかい?」

 

「もし事が起きれば、マグルに敵対する魔法族、マグルに味方する魔法族、そしてマグルそのもの。世界は大きく分けてこの三つに分かれるはずだ。……こうなった場合、最も不利なのはマグルに敵対する魔法族となる。数で劣る我々は正面切って戦うわけにはいかず、服従の呪文による間接的な攻撃や姿あらわしによる奇襲はマグルに味方する魔法族によって妨害されるだろう。……半世紀前に何度も繰り返したシミュレーションだ。これには自信がある。」

 

「ふぅん? 正直、想像が付かないような状況だが……それ以前に、マグルが魔法界を易々と見つけられるのかい? これまでずっと隠されてきたんだぞ。十八世紀に新大陸であれほどの失敗があった時も、結局は隠しきれたじゃないか。」

 

ヨーロッパでも何度か危ない瞬間はあったが、その度に国際機密保持法の改正や大規模な記憶修正で乗り切ってきた。そう簡単には気付かれないはずだぞ。私の疑問を受けて、ゲラートは天井を見上げながら口を開く。遠い場所を見る瞳だ。

 

「その時はもう遠くはあるまい。……吸血鬼、お前はユーリイ・ガガーリンという男を知っているか?」

 

「ガガーリン? 聞かない名だね。ソヴィエトの名前ってのは分かるが。」

 

言いながら美鈴にも目線を送ってみるが、彼女もかっくり首を傾げている。そんな私たちの反応を見て、ゲラートは小さく苦笑してから答えを寄越してきた。

 

「そうだろうな。俺もヌルメンガードを出るまでは知らなかった。ソヴィエトの小さな村で生まれた、魔法とは何の関係もない一人のマグル。その男が何をしたと思う? ……宇宙に行ったんだ。信じられるか? その男は宇宙から地球を、この星を目にしたんだ。」

 

宇宙? 宇宙って……空の上にある、あの宇宙か? 意外な台詞を受けてキョトンとする私と美鈴を他所に、ゲラートはまるで諦観しているような笑みで語り続ける。

 

「もう三十年以上前の話らしい。それが今のマグルの『力』なんだ、吸血鬼。連中はもはや、俺たちが見上げる遥か彼方にいるのさ。……魔法族の多くはマグルのことを何ら理解していない。『マグル学の権威』と称される連中でさえも同じだ。心の何処かで嘗て在った魔法の優位性を信じ続け、この関係がいつまでも続くのだと疑っていない。……だが、いつの日か終わりが来るんだ。マグルが我々に気付く時が。そして、それは遥か先の話ではないぞ。連中は陸を、海を、宇宙すらも『開拓』し始めている。魔法界だけが隠されたままでいられるものか。」

 

そこで一度言葉を切ったゲラートは、私の目を真っ直ぐに見つめながら話を締めた。この男にはひどく似合わない、草臥れたような苦笑を浮かべながら。

 

「俺は魔法族の未来を繋げたかった。マグルとの差がこれ以上広がる前に、我々の権利を確立しておきたかったんだ。……魔法族がくだらん法律で支配され、マグルにとっての『魔法を生み出す家畜』に成り下がる前にな。」

 

「それが、キミにとっての『大きな善』というわけか。……いや、驚いたね。そんなことを考えてたとは知らなかったぞ。」

 

私はてっきり、力ある魔法族が隠れ住むことに憤りを感じていたのだと、『裏側』でいることに理不尽さを感じていたのだとばかり思っていた。……いや、これはその延長線か。唯一私が勘違いしていたのは、マグルと魔法族の力関係の認識だ。

 

「アルバスにしか話していないからな。……あの日、俺が負けたあの日、アルバスにだけは話したんだ。アルバスはマグルがそれほど愚かな弾圧をしてはこないだろうと、もう少し穏やかな関係を築けると思っているようだった。……だが、この世界を見てみろ、吸血鬼。半世紀経っても何一つ変わっていない。魔法族は愚かなままで、マグルはどんどん進歩し続けている。このままでは差が広がるばかりだ。自らの未来が閉ざされようとしているのにも拘らず、魔法族はそのことにすら気付いていない。……俺は『外』に出たこの数ヶ月でそのことを実感した。」

 

なるほど。……つまり、ゲラートは先手を取ろうとしたわけだ。僅かでも有利な条件であるうちに、マグルに対しての魔法族の『位置どり』を決定付けようとしていた、と。

 

正しく、『より大きな善のために』だな。当時の魔法界を混乱に陥れてでも、これから生まれてくる魔法族のために戦おうとしたわけだ。誰からも理解されないであろう、『マグル』という脅威に抗うために。

 

結構だ。大いに結構。ゆっくりと立ち上がって、地面を見つめるゲラートを覗き込みながら声をかける。……問いかけるように、唆すように。久々に放つ吸血鬼の声色で。

 

「ならばキミが変えたまえよ、ゲラート・グリンデルバルド。もう一刻の猶予も無いんだろう? 今度こそ変えるんだ。キミが、その手で! ……ダンブルドアに何を言われたのかは知らんが、他人の善性を信じすぎるのはあの男の悪い癖だ。信頼、愛、友情。悪くはないさ。今の私はそれに価値があることを知っているからね。……だが、同時にそれが酷く危ういものだということも知っているぞ。そんな楽観的な考え方に魔法族の未来を託していいのかい? キミがもっと強固で冷徹な仕組みを作るべきじゃないのか?」

 

やるんだ、ゲラート。多くの魔法使いたちがそれを望んでいるんだぞ。ソヴィエトの現状がそれを物語っているじゃないか。キミはこんな場所で燻っているべき存在じゃないんだ。もう一度大陸に、この世界にその名を轟かせてみろ!

 

私の言葉を受けたゲラートは、しばらく私と視線を合わせずに考えた後……くそ、惜しいな。迷ってたくせに。ゆっくりと首を横に振って返事を寄越してきた。

 

「俺はもう老いた。今さら動き出したところで、もはや間に合わんだろう。……もう遅いんだ、吸血鬼。今となってはアルバスの言葉を信じる他ない。」

 

「ふん、どうかな? ダンブルドアは人間が美しいものだと信じているようだがね、本来人間なんてのは醜い生き物なんだ。……無論、そうじゃない人間も存在する。吸血鬼をして尊敬に値するような人間もね。……しかし、大多数は愚かなもんだぞ。妬み、憎み、奪う。それが人間の本質なんだ。歴史がそのことを証明しているだろう?」

 

「……何にせよ、先ずはヴォルデモートを片付けねばなるまい。アルバスの道を選ぶにせよ、俺の道を選ぶにせよ、あの男は邪魔だ。マグルのことを何一つ理解していないのにも拘らず、無謀にも殴りかかろうとしている。何の準備もせずにな。……止めるべきだ。何より魔法族のために。」

 

「……ま、そうだね。先に目先の問題を片付けるとしようか。」

 

いいさ、今は話題逸らしに乗ってやろう。……だがな、ゲラート。キミの疑問はどんどん大きくなっていくはずだぞ。マグルの進歩を、魔法族の停滞を。知れば知るほどにキミの中の疑問は成長していくはずだ。

 

それが確信に変わった時、キミは見て見ぬ振りを出来るかな? ……ふん、私はキミが杖を取る方に賭けるぞ。だからこそ誰もがキミを恐れ、誰もがキミに従ってきたんだ。

 

「……それじゃ、先ずはソヴィエト魔法議会の状況についての詳細を教えてもらおうか。こっちの情報とも擦り合わせをしておきたいからね。」

 

「ああ、現状では指揮権を持った魔法使いの半数以上を──」

 

別に魔法界の未来などどうでもいいが、ハリーたちとその子供、孫あたりまではそれなりに幸せな生活を送ってもらわねば困るのだ。ゲラートの予想する未来がいつ訪れるものなのかは分からんが、マグルどもの成長具合を見る限りではそう遠くない話なのだろう。

 

ならば私は、ダンブルドアの理想よりもゲラートの理想に賭ける。ダンブルドアは他者のことを、マグルのことを信用しすぎだ。最善よりも最悪を想定して動くべきだろうに。この五百年間で私はあの連中が盛大に殺し合うのを何度も見てきたぞ。

 

だから早く立て、ゲラート。座り込んで諦観するなどキミの流儀じゃあるまい? 邪魔なものを焼き払い、新たな秩序を構築してみせろ。鋼のように冷たく、頑強な秩序を。魔法族のより大きな善のために。

 

ゲラートの詳細な説明を聞きつつも、アンネリーゼ・バートリは迫るその時を待ち望むのだった。

 



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都会派吸血鬼

 

 

「それじゃあ、マクゴナガルからの許可はもらえたのかい?」

 

かなり寒くなってきた早朝の廊下を歩きながら、アンネリーゼ・バートリは隣のハーマイオニーへと質問を放っていた。彼女はどうやら『防衛術クラブ』を開催する許可を得ることに成功したようだ。

 

今日は十月三十一日。つまりはハロウィンで、つまりは咲夜の誕生日である。本当は談話室でお祝いを告げようと思っていたのだが、ハーマイオニーが先に行って大広間にポスターを貼りたいということでそれに付き合っているのだ。まあ、お祝いは大広間で言えばいいさ。

 

そういえば、パチュリーは今日が咲夜の誕生日だってことを覚えているのだろうか? ……うーむ、不安だ。かなり不安だ。紅魔館に居た頃はレミリアやアリスなんかが急かしただろうが、ホグワーツで一人っきりとなると怪しいかもしれんぞ。

 

いや、さすがのパチュリーも咲夜の誕生日を忘れたりはすまい。そのはずだが……うん、日付の感覚がおかしくなっている可能性は高いな。一応後で伝えに行くか。白い息を吐きながら考える私に、寒さで頬を染めるハーマイオニーが返事を寄越してきた。

 

「ええ、リーゼがお仕事で城を出てた日があったでしょう? その時に詳しく話したら、喜んで賛成してくれたわ。それに、フリットウィック先生と一緒に監督もしてくださるんですって。」

 

「それで、遂にポスターを貼るわけだ。」

 

ハーマイオニーが両手いっぱいに持っているポスターを指差して聞いてみると、彼女は嬉しそうに微笑みながら首肯してくる。やけにカラフルなのが気合の程を物語っているな。

 

「複製呪文で沢山用意したの。大広間に、廊下に、玄関ホールに……あとは各寮の談話室にも貼らなくちゃね。次の監督生集会の時に議題として提案するつもりよ。きっとみんな賛成してくれるわ。」

 

「まあ、スリザリン以外は賛成すると思うけどね。蛇寮はどうかな? ニコニコしながら『それはいい考えだね!』なんて言ってくるとは思えないよ?」

 

パチュリーの授業に危機感を持っているのは全寮の全学年共通のことだろうし、イベント好きなグリフィンドールや協調性のあるハッフルパフなんかはこぞって参加するだろう。その辺は特に心配あるまい。

 

そして事が勉強やら成績やらに関わっている以上、いつもは付き合いの悪いレイブンクローも参加するはずだ。だが、スリザリンは? ……発案者がグリフィンドール生ってのがどこまで影響するかだな。

 

冬に備えて水を止めてある中庭の噴水を横目に思考を回していると、ハーマイオニーが私に向けてビシリと人差し指を突き立てて口を開く。どうやら待ち望んでいた質問だったようだ。

 

「スリザリンを参加させることこそが一番重要なのよ、リーゼ。ホグワーツの結束を強める時、鍵となるのは彼らだわ。だから、なんとしてでも参加させないといけないの。……後でスラグホーン先生にもお願いに行かなくっちゃね。」

 

「鍵、ね。……傍迷惑な鍵だよ、まったく。さすがはホグワーツだ。」

 

やれやれと首を振りながら大広間の扉を抜けると、まだ人が疎らなガランとした四つの長テーブルが見えてきた。結構新鮮な光景だな。寂しいというか、静謐というか。何にせよホグワーツの大広間らしからぬ雰囲気だ。

 

「それじゃ、手伝って頂戴。私は右側に貼るから、貴女は左側ね。」

 

「はいはい。永久粘着呪文でいいんだろう?」

 

「『普通の』粘着呪文よ。去年貴女がその呪文を使いまくった所為で、S.P.E.W.バッジが取れなくなったって苦情が凄かったんだからね!」

 

「喜ばしい事態じゃないか。『学生全スピュー』。それこそがキミの望むホグワーツだろうに。」

 

適当な返事を返してから、杖を振って手早く左側の壁にポスターを貼り付ける。しかし、我ながらこういう地味な呪文も上手くなったな。かつては棒切れだと罵っていたが、今じゃ杖無しの生活など考えられん。

 

浮遊呪文と『永久』粘着呪文。ついでに防水呪文やシワ消し呪文なんかもかけて、更にピーブズやスリザリン生対策に呪い避けと各種保護呪文もかけていると……いつの間にか隣に立っていたハーマイオニーが、かなり呆れた口調で声をかけてきた。

 

「リーゼ、頑張ってくれるのは嬉しいんだけど、死喰い人はこのポスターを狙ってこないと思うわよ?」

 

「いやぁ、ちょっと面白くなってきちゃってね。そっちは終わったのかい?」

 

「粘着呪文だけならすぐよ。……ほら、ポスターの命を守ってる暇があったら、早く朝食を食べちゃいましょう。」

 

残念、一枚だけ中途半端になってしまったようだ。後ろ髪引かれる思いでグリフィンドールのテーブルに着いて、既に並んでいる朝食からベーコンとソーセージ、ミートローフを確保する。今日も良い感じの焼き具合だな。よくやったぞ、しもべたち。褒めてつかわす。

 

「毎回思うんだけど、吸血鬼って野菜を食べられないわけじゃないのよね? その皿、健康に悪すぎると思うわよ?」

 

私の皿を微妙な表情で見るハーマイオニーに、肩を竦めながら返事を返した。

 

「私くらいの歳だとこういうメニューなのが普通なのさ。もう少し『大人』になると野菜も好むようになるらしいけどね。……でも、大昔にピュタゴリアンの吸血鬼に会ったことがあるな。おまけに船旅が好きときたもんだ。変なヤツだったよ。」

 

「ピュタゴリアン? ……ああ、それはもう死語よ。今だとベジタリアン。そういえば前からちょくちょく古い表現があるとは思ってたけど、それも年齢の所為だったわけね。」

 

「……言っておくが、私は別に時代遅れとかじゃないんだぞ。新しいものはどんどん取り入れる都会派の吸血鬼なんだ。単に知らなかっただけなんだからな。」

 

「別に何も言ってないじゃないの。」

 

いいや、その目は流行遅れを見る目だ。……今度アリスにでもファッションのことを教えてもらわねばなるまい。言葉が古くさいのはギリギリ許容範囲だが、ダッサい服を着るなどプライドが許さんぞ。この前着たマグルの服なんかは理解不能だったし、もう少しお勉強をする必要があるだろう。

 

決意を新たにソーセージを噛み千切っていると、大広間の扉から……おお、青白ちゃんだ。最近構ってくれないマルフォイが、いつもの仔トロールたちを引き連れて入ってくるのが見えてきた。

 

マルフォイは大広間を見渡すと、私と目が合って一瞬怯むが……おや? ちょっとだけ勝ち誇るような笑みを浮かべた後、次に自嘲げな表情に変わってスリザリンのテーブルへと歩いて行く。なんだ? 随分とくるくる変わる表情じゃないか。

 

首を傾げる私に、同じ光景を見ていたらしいハーマイオニーが話しかけてきた。

 

「何かしら? ちょっと嫌な感じね。」

 

「うーん、原因が分からないと反応に迷うね。微笑みかけたって感じでも無いし……。」

 

「気持ち悪いこと言わないで頂戴よ。ご飯中なんだから。」

 

哀れな。マルフォイの微笑みというのは、ハーマイオニー的には食事の席に相応しくない代物のようだ。さすがにそこまで嫌うことはないだろうに。……マルフォイも監督生らしいし、集会とかで何かあったのだろうか?

 

表情豊かな青白ちゃんに若干の同情を送りつつも、ハーマイオニーと雑談しながら食事を進めていると……徐々に集まってきた生徒たちの中に、見慣れた金銀の髪が交じっているのが見えてくる。今日の主役のご到着だ。

 

「やあ、おはよう、二人とも。そして十四歳の誕生日おめでとう、咲夜。キミが健やかに育ってくれていることに感謝するばかりだよ。」

 

「二人ともおはよう。それに誕生日おめでとうね、サクヤ。」

 

私に続いてハーマイオニーがお祝いを言うと、近付いてきた咲夜は嬉しそうにお辞儀をしてから返事を返してきた。新しいヘアスライドを着けているのを見るに、きっと誰かからのプレゼントなのだろう。いつもと違う髪型なのが非常に可愛いな。

 

「ありがとうございます、リーゼお嬢様、ハーマイオニー先輩。お陰様で十四歳になれました!」

 

「髪もよく似合ってるよ。いつもより大人っぽく見えるね。」

 

「えへへ、そうですか? ……これ、美鈴さんからなんです。」

 

後半を小声で囁いてきた咲夜の声に、少しだけ湧き上がってくる敗北感を自覚する。そういえばソヴィエトに行った時に買ってたな。美鈴はああ見えてかなりのお洒落さんなのだ。しかも、咲夜の好みを突くのが非常に上手い。

 

十一歳の時に贈った懐中時計は肌身離さず身に着けているし、一年生の時のシュシュは寝る時に決まって着けるそうだ。そして去年のチョーカーは夏休み中によくメイド服に合わせていた。なんでか知らんが、美鈴にファッションセンスで負けるってのはかなり悔しいな。これは本格的にアリスからファッションを習わねばいかんぞ。

 

自分でもよく分からない危機感を感じる私を他所に、ハーマイオニーと魔理沙が残りの二人についてを話し始めた。

 

「ハリーとロンはまだ寝てるのかしら?」

 

「ああ、さっき談話室で会ったぜ。咲夜にお祝いを言った後、朝練に行っちまったよ。……最近のアンジェリーナはしもべ妖精たちにサンドイッチを作らせることを覚えたらしくてな。もう大広間で朝食すら食わせてくれないんだ。」

 

「それは……それは問題よ、マリサ。しもべ妖精たちの仕事を増やすのはいけないわ。後でアンジェリーナに言ってやらないと。」

 

義憤に燃える『ミス・スピュー』を横目に、いつもの謎サンドを作り始めた魔理沙へと質問を投げる。ゆで卵と目玉焼きとスクランブルエッグを同時に挟んでるぞ、こいつ。狂ってるな。

 

「キミは朝練に行かなくていいのかい? ジョンソンに呪い殺されちゃうぞ。」

 

「さすがに呪い殺しはしてこないし、許可はもらってるぜ。私は初戦スタメンじゃないんだよ。……それにまあ、咲夜の誕生日だからな。」

 

「もう……別にいいって言ったのに。」

 

プイと横を向くが、咲夜は明らかに嬉しそうだ。魔理沙にもそれはよく理解出来ているようで、苦笑しながら肩を竦めて口を開いた。

 

「まあ、一日くらい休んだってバチは当たらんさ。今朝はクソ寒いしな。正直ラッキーだったぜ。」

 

「まったくね。こんな日に箒で飛び回るなんてどうかしてるわよ。ホグズミードに行くまでには少しでも暖かくなってくれるといいんだけど。」

 

ホグズミードは昼からだし、多分大丈夫だろう。窓の外を見て呆れるように言ったハーマイオニーへと、咲夜がコーンポタージュを皿に掬いながら言葉を送る。

 

「ポッター先輩なんかは談話室の時点で既に元気なさそうでしたよ。なんでも悪い夢を見たとかで。うなされちゃったみたいです。」

 

……夢? 出てきた単語に少しだけ目を細めてから、咲夜に向かって何気ない風で問いかけを放った。

 

「へぇ? どんな夢だかは言ってたかい?」

 

「私はその話題の後すぐにロン先輩と話してたので……魔理沙は聞いてたわよね?」

 

「おう、聞いてたぜ。吸魂鬼の夢だったんだってさ。なんでも視界いっぱいにひしめいてたんだと。……そんなもん掛け値無しの悪夢だぜ。」

 

「……なるほど。」

 

言いながらぶるりと身を震わせた魔理沙にぼんやり返事を返してから、思考の中に沈み込む。……吸魂鬼か。普通の悪夢の題材としても文句のない対象だな。夏休み中にも遭遇しているわけだし。

 

「ハリーはひょっとして、起きた時傷痕が痛んだって言ってたかい?」

 

最後の確認として魔理沙に聞いてみれば……これは決まりだな。彼女はゆっくりとその首を縦に振る。

 

「言ってたぜ。それで目が覚めたんだってよ。……おい、なんかマズい話じゃないよな?」

 

「いや、前にも同じようなことがあったからね。もしかしたらと思ったんだ。」

 

偽りの笑みで言ってから、手早く朝食を済ませるためにフォークを動かす。吸魂鬼、吸魂鬼ね。夏休みの一件と何か関係があるのだろうか? ……何にせよレミリアには一報入れておくべきだろう。それと、一応パチュリーにもだ。

 

考えながらもミートローフをマナー無視で豪快に頬張っていると、頭上からバタバタと忙しない羽音が聞こえてきた。新聞を抱えた羽毛どものお出ましか。今日はちょっと早いご到着だな。

 

「よっと。」

 

私たちのところにも日刊予言者新聞が二部落ちてくるのを、手早く魔理沙がキャッチする。私とハーマイオニーが取っている分だ。……夏休み中はともかくとして、もうどっちか一部でいいかもしれんな。微々たる額とはいえ、あの新聞社に儲けさせるのは業腹だし。

 

「ほらよ。」

 

「ありがと、マリサ。」

 

「お見事だ、名チェイサーさん。」

 

それぞれの言葉と共に新聞を受け取って、同時に広げて……そして同時に顔を上げて見合わせた。ハーマイオニーは恐怖と困惑。そして私は静かな驚愕と疑念の表情を浮かべながらだ。

 

「……悪いが、私はやることが出来た。魔理沙、ハリーは競技場に居るんだね?」

 

「ああ、居るけど……何だよ、怖い顔しちゃって。」

 

「読めば分かるさ。……咲夜、すまないが、ホグズミードは中止になるかもしれない。それに、色々とやらなくちゃいけなくなったんだ。夜には必ず顔を出すから、それで許してくれるかい?」

 

「それは、はい。勿論ですけど……。」

 

キョトンとした顔で言った咲夜のおでこにキスしてから、立ち上がってハーマイオニーへと声を放つ。

 

「二人を頼むよ、ハーマイオニー。」

 

「いいけど、その……大丈夫なのよね?」

 

「ま、少なくともホグワーツは安全だよ。そんなに心配しなくても大丈夫さ。」

 

そこだけは確かだろう。むしろ問題なのは魔法省だな。……物理的にではなく、政治的にだ。レミリアはこの所為で忙殺されてるに違いない。私に事前の連絡が無かったことが、どれほどの混乱なのかを如実に表している。

 

とにかく、ハリーだ。夢のことを正確に、根掘り葉掘り聞く必要があるだろう。断ち切ろうとしている繋がりを利用するってのは本末転倒だが、今はそんなことを言っていられる状況ではあるまい。僅かな情報でも無駄にはならないはずだ。

 

一面の見出ししか読んでいない予言者新聞を放り出して、アンネリーゼ・バートリは早足で歩き出すのだった。……『アズカバンから死喰い人が集団脱獄!』と書かれたその新聞を。

 



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ハロウィン・パニック

 

 

「いいから封鎖は続けなさい! 市民の文句が何だって言うのよ! なんならイギリス中の暖炉をぶっ壊したって構わないから、やるの!」

 

かつてないほどの混乱に陥っている魔法省の緊急対策本部で、レミリア・スカーレットは聞き分けの悪い煙突ネットワーク庁の職員に怒鳴り散らしていた。何が吼えメールだ! そんなもん無視しろ! バカ!

 

中央に巨大な円卓が置かれている魔法省二階の大会議室は、今や以前の厳かな雰囲気は一切感じられない有様になっている。テーブルの中央にはイギリスの巨大な地図が置かれ、その上に乗ってピンを刺しまくっているヤツや、大量の書類を浮かせて部屋に出たり入ったりするヤツ、そして椅子に座ってブツブツ呟きながら羽ペンを走らせているヤツなどが部屋中にひしめいているのだ。

 

アズカバンから吸魂鬼離反の一報が魔法省に入ったのが七時間前で、私が長引いていたドイツ魔法議会での停戦交渉を切り上げて帰って来たのが四時間前。そして日刊予言者新聞が『わざわざ』市民の混乱を煽ってくれたのが三十分前で、吼えメールが届きまくってるのが今だ。クソったれの暇人どもめ! こっちはそんなもんに構ってる余裕はないんだぞ!

 

ボーンズの動きは早かった。文句の付けようもないほどに。……離反の報を受けてから十五分後には魔法省に残っていた闇祓いと魔法警察隊員を纏め上げてアズカバンへと向かったし、それと同時にスヤスヤ眠っていた魔法戦士たちのドッグタグへと容赦ない緊急招集をかけたらしい。もちろん一人残らず、全員にだ。

 

しかし、それでも遅きに失したのである。アズカバンには一部の逃げ遅れた間抜けどもが残るばかりで、他には刑務官たちの死体が転がっているだけだったそうだ。当然ながら吸魂鬼も、大多数の囚人たちの姿も無し。イギリス魔法省にとっての悪夢の始まりというわけだ。

 

恐らくだが、ドイツの騒動はこのための陽動だったのだろう。リドルの十八番にまたしても引っかかってしまったことになるが……ええい、そんなもん分かるわけないだろ! 一国の内戦を陽動に使うなんて無茶苦茶だぞ!

 

大胆な一手だったし、結果的には成功したと言えなくもないが……うーむ、私だったら打てない手だな。少なくともこれでドイツ純血派は力を失い、リドルは動かし易い手駒を大量に失ったことになる。つまり、あの男は兵隊の補充よりも往年の配下を救出することを選んだわけだ。

 

もしかしたら、私が思っている以上に死喰い人の内部はグラついているのかもしれない。急激に組織の規模が膨れ上がった所為で、それを纏めるための幹部が足りないのだろう。多少高い対価を支払ってでも旧臣の救出を優先したわけか。

 

何にせよ私とスクリムジョールは居らず、闇祓いの一部と有力な魔法戦士も居なかった。おまけに事件が起きたのは深夜だ。周到な事前準備といい、素早い撤収のことといい、イラつくほどに綿密な計画ではないか。

 

コンコンと円卓を指で叩いていると、頭上から震えた声が聞こえてくる。……何だ、まだ居たのか? 顔を上げてみると、泣きそうな表情の煙突ネットワーク庁職員君の姿が見えてきた。

 

「あの、しかし、通勤に煙突ネットワークを使う方々から……その、抗議の手紙が──」

 

「あのね、通勤にも使われるでしょうけど、脱獄した連中だって使うの! そして煙突飛行は大陸に移動するための数少ない手段の一つなの! だから封鎖しないといけないの! ……分かったかしら? まだ分からないって言うならぶん殴るわよ? 私は今誰かを殴りたくて仕方ない気分なのよね。」

 

「わ、分かりました。封鎖を続けます。」

 

「結構。監視も怠らないように。……何を突っ立ってんのよ! 分かったんだったらさっさと仕事をなさい!」

 

私の怒声に飛び上がって走り去って行く職員君を見送って、イライラと頭を掻きむしる。正直言って死喰い人に関してはもう諦めているのだ。いくら煙突ネットワークを封鎖しようが、ポートキーの作製を見張ろうが、姿あらわしで何処へなりとも自由自在だろう。アズカバンで捕らえられなかった以上、もはやどうにもならん。

 

だが、他のチンピラどもは別だ。長距離の姿あらわしが出来ない間抜けも居るだろうし、そもそも杖を持っていないようなヤツも多いはず。闇の帝王どのは解き放った囚人全員に杖をくれてやるほどお優しくはあるまい。既に捕らえた囚人によれば、アズカバンから陸地までは面倒を見たらしいが、その後は『現地解散』したようだし。

 

まあ、つまりはこれも大好きな陽動というわけだ。時間稼ぎなのか、はたまた次なる策に繋げる気なのかは知らんが、本命の死喰い人以外はただの『デコイ』なのだろう。……とはいえ、まさかそれを放っておけるはずもなく、私たちはそれに付き合う他ない。なんとも忌々しい状況じゃないか。

 

ああ、ホグワーツに行きたい。そして大広間を貸し切って咲夜の誕生日パーティーを開いて、思いっきりワインや血を──

 

「スカーレット女史、よろしいですかな?」

 

……せめて妄想くらいはさせてくれ。こめかみを揉みながら顔を上げると、仏頂面のスクリムジョールが目に入ってきた。全然癒されない顔だな。今の私に必要なのは癒しなんだぞ。具体的に言えば咲夜の笑顔だ。スクリムジョールの仏頂面じゃない。

 

「何? またアズカバンが誰の管轄だったのかをど忘れしたウィゼンガモットのジジババどもが文句を言ってきたの? だったら今度こそぶっ殺してやるわ。本気よ。一人残らず地獄に送ってやるから。」

 

今回の一件に関しては、さすがのフォーリーも協力的なのだが……シャフィクを中心とした能無しどもは何故か文句を言ってきているのだ。どうやらアズカバンがウィゼンガモット直下の組織であることすら忘れてしまったらしい。死神の連中は仕事もせずに何をしてるんだ? 早くあの死に損ないどもを連れてけよ。

 

私のかなり本気な提案を聞いたスクリムジョールは、冷徹な表情のままで返事を寄越してくる。

 

「非常に魅力的な案ですが、違います。フランスから支援の提案が入っておりまして。受けるべきかどうかを聞きに来たのです。人員を派遣してくださるとのことでした。」

 

「随分と動きが早いじゃないの。……指揮官は誰? 提案してきた人物は? それと人数も。」

 

事件発生から僅か七時間で他国への援助を決断か。フランスも随分と変わったな。私が聞くべきことを端的に聞くと、スクリムジョールもまた答えるべきことを端的に答えてきた。

 

「フランス魔法大臣名義の提案で、指揮官はルネ・デュヴァル氏。人数は指揮官を抜いて闇祓い十二名です。」

 

「なら受けなさい。今は猫の手も借りたいような状況だし、デュヴァルなら少なくともお荷物にはならないはずよ。ムーディの指揮下に付ければ満点ね。」

 

「国際魔法協力部は『国の恥』を国外に晒すことを懸念していましたが。実際、これだけの規模の脱獄となると、ヨーロッパ魔法史に残るほどの大失態ですからな。」

 

「今更でしょ。『イギリスの恥』どのは死喰い人と一緒に出所パーティーでも開いてるわよ。……これ以上事態を悪化させないためにも、乙女みたいに恥ずかしがってる場合じゃないの。受けるべきよ。今すぐに。」

 

もう面子などとっくの昔にぶっ潰れているのだ。今は名より実を取るべきであって、下らない体面なんかを気にしている余裕はない。デュヴァル麾下の闇祓い十二名など、喉から手が出るほど欲しい駒だぞ。

 

デュヴァルを知るスクリムジョールにもそれは良く分かっているようで、さほど躊躇わずに首肯してくる。

 

「では、大臣にはスカーレット女史の賛意があったと伝えておきましょう。……何か伝言はありますか?」

 

「魔法警察の連携が甘いわ。こっちに入ってくる情報を見る限り、同じ場所を捜査してる部隊が多すぎるわよ。ドーリッシュに文句を言っておいて頂戴。……あと、忘却術師を各部隊に一人ずつ付けるのは無理なの? 『目撃系』のトラブルが多すぎて、一々向かわせるのは時間の無駄よ。」

 

「各部隊に一人となると足りませんが……そうですな、魔法戦士の中から忘却術に長けた者を募ることで対処しましょう。」

 

「名案ね。任せたわよ。」

 

静かに頷いてから足早に去って行くスクリムジョールを見送った後、行儀悪く机の上に乗って巨大な地図を眺める。……マグルの首相にも連絡済みだし、向こうの世界でも『集団脱獄』として顔写真付きで報じられているはずだ。既に杖を持たない何人かは向こうの警察が確保してくれたらしい。マグルも中々やるじゃないか。

 

地図に刺さる『確保地点』を示す青いピンは、イギリス東部から放射状に広がっている。こっちはまあ、予想通りだ。トボトボ徒歩で逃げようとしているバカどもは、このペースなら余裕で確保出来るだろう。

 

問題なのは吸魂鬼だな。むしろ国際魔法協力部はあんな存在を外国に放つことこそを警戒すべきだぞ。吸魂鬼の目撃地点を示す黒いピンは僅か二本だけ。イギリス北部に向かったらしいのだが……明らかに統制が取れている。

 

あの黒マントどもがバラバラに飛び回ってマグルを襲うってのも厄介だが、馬鹿トカゲの『軍隊』の一部に取り入れられるってのもそれはそれで悲劇だ。守護霊の呪文を使える魔法使いなど多くはないのだから。

 

「……北部に吸魂鬼の足取りを追う部隊を派遣出来ない?」

 

地図を睨みながら近くに居た職員の一人に問いかけてみると、彼は首を横に振りながら返事を寄越してきた。ヨレヨレのローブが彼の疲弊っぷりを物語っている。

 

「無理です。今は人員不足でどうにもなりません。……それに、隠れようとしている吸魂鬼を探すのは難しいと思いますよ。食事は必要ありませんし、マグルには見えませんから。」

 

「本当に忌々しい存在ね。……それなら、北部の魔法族の家庭に注意勧告だけは出しておきましょう。襲撃される危険性もそうだけど、今は目撃情報が欲しいわ。」

 

「しかし、どこにやらせますか? 今はどこも手一杯ですよ?」

 

「魔法ゲーム・スポーツ部よ。あの連中だって手紙を書くくらいは出来るでしょ?」

 

全然役に立たないからずっと待機させているが、タイプライター代わりにはなるはずだぞ。……それに、あそこだけ遊ばせとくってのもなんかイラつくのだ。注意勧告の手紙を書かせた後は吼えメールの後片付けでもさせよう。

 

「それは……良い考えですね。さっそく指示を出してきます。」

 

そしてこの職員にとっても自分が忙しいのに暇なヤツが居るってのは歓迎すべき事態ではないようで、悪どい笑みを浮かべながら足早に指示を出しに行った。不幸ってのはこうやって伝染していくわけか。いいぞ、どんどん広がれ。

 

さて、後は……ああくそ、完璧に忘れてた。ヨーロッパ各国の魔法省にも死喰い人の主要人物の顔写真を送らねばなるまい。特にベラトリックス・レストレンジ、エバン・ロジエール、アントニン・ドロホフ、フェンリール・グレイバックあたりは絶対に指名手配してもらわねば。当然、生死問わずでだ。

 

こんなことなら、夏にラデュッセルのところに『遊び』に行ったリーゼに殺してもらえばよかったな。……まあ、結果論か。狙ってくる可能性は考えていたが、まさかこんな展開になるとは思わなかったのだ。

 

「国際魔法協力部の方に行ってくるわ。緊急性の高い案件は事後承諾でいいから、適当に捌いておいて頂戴。」

 

慌ただしく働く職員たちに一声かけてから、ドアを開けて廊下へと出る。別に誰かに伝言を頼めばいいわけだが、私だってちょっとは息抜きをしたいのだ。少しは歩かないと思考が鈍っちゃうぞ。

 

連絡用の紙飛行機と、吼えメールを掴んだ大量のふくろう。鬱陶しい飛行物体が行き交う廊下を歩いていると、いきなり後ろから耳障りな声が聞こえてきた。……毎回毎回どうやって侵入してるんだか。今日も守衛は仕事をしていないらしい。

 

「ああ、此処に居たんざんすね。ごきげんよう、スカーレット女史。」

 

「ご機嫌は最悪よ、スキーター。さっきまでのが最悪だと思ってたんだけど、貴女の顔を見て更に悪くなったわ。驚きね。」

 

リータ・スキーター。最近ヨーロッパにも名が知れ渡ってきた、イギリスが誇る『正義の記者』どのだ。家を狙われること一回、移動中を狙われること三回、取材中を狙われること二回。度重なる死喰い人の襲撃をしぶとく生き延びて、記事を書き続けている『プロパガンダ担当』である。……どうやって切り抜けたのかは知らんが、しぶとさだけは評価すべきかもな。

 

ひょっとして、実は杖捌きもそこそこだったりするのか? 私の冷たい返答を聞いたスキーターは、全然気にしていない様子で話を続けてきた。

 

「そりゃまたご愁傷様。……それで、今回の一件の落とし所は? ウィゼンガモットの管理責任を追求する? それとも死喰い人の脅威で矛先を逸らす? 『スポンサー』の貴女が早めに方向を決めてくれないと、記事が纏まりゃしないんですよ。」

 

「……ある程度は魔法省も叩きなさい。じゃないと不自然すぎるわ。『魔法省も悪いけど、ウィゼンガモットはもっと悪いし、死喰い人が脱獄してそれどころじゃない』。民衆が望む批判から始めて、最終的には論点をズラして頂戴。」

 

「煽る阿呆に踊る阿呆、それを見下す大阿呆。何とも滑稽ざんすね。」

 

「今更何を言ってるのよ。それが政治ってもんでしょ。」

 

イギリスは自覚があるだけマシなんだぞ。ヨーロッパ魔法界には無自覚でそれをやっているヤツだって居るんだからな。肩を竦めて流した私に、スキーターはつまらなさそうにため息を吐いてから頷きを返してくる。

 

「ま、いいざんす。どうせ煽るならとことん煽るとしましょ。阿呆ばかりなら良心も痛まないしね。」

 

「在りもしない『良心』を引き合いに出すのはどうなのかしらね。」

 

「これは失礼。目の前に極悪人が居ると、自分がどうしようもない善人に思えてきちゃうもんでね。」

 

長すぎる真っ赤な爪をひらひらさせながら遠ざかるスキーターに、思いっきり鼻を鳴らしてから歩き出す。何にせよ、あの女なら上手くやるだろう。多少は民意を誘導出来るはずだ。

 

後は……そう、差し当たり監獄として利用出来る施設を確保しないとな。魔法省の拘留室は完全にパンク状態なのだ。ヌルメンガードに続いてアズカバンまで閉鎖となれば、慎重になっている他国から場所を借りるのも至難の業だろう。いっそマクーザを頼ってみるか?

 

次々と積もっていく問題の山にうんざりしながらも、レミリア・スカーレットは騒がしい廊下を歩き続けるのだった。

 



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R.A.B.

 

 

「それじゃあ、先ずは説明を聞きなさい。一度しか言わないから心するように。」

 

テーブルの上に預かっていた『ミニ八卦炉』を置きながら、パチュリー・ノーレッジは目の前の小娘に語りかけていた。真剣な表情でコクコク頷いてるのがなんとも初々しいな。昔のアリスを思い出す。

 

場所はホグワーツの空き教室の一つだ。物が物だけに本に危険が及ぶ校長室でやる気にはならず、適当な空き教室に拡大呪文をかけてスペースを確保したのである。別に星見台でも良かったのだが、それは霧雨が強硬に反対を主張した。……かのマーリンが造った部屋なんだし、壊れたりはしないと思うぞ。多分。

 

お陰でだだっ広くなった教室には、私の座る椅子と霧雨が座る椅子、そしてそれを挟むテーブルだけがポツンと置かれている。つまり、見習い魔女へのレッスンを開始する日が訪れたわけだ。

 

リーゼによれば、ハリー・ポッターたちの足手纏いにならないために強くなりたいとのことだったが、どうやら霧雨は先日の集団脱獄騒ぎでその決意を新たにしたらしく、やる気満々で私の言葉を待っている。……ま、お手並み拝見といこうか。理解の乏しいヤツに指導するほど私は優しくないからな。

 

今はただの置物にしか見えないミニ八卦炉を指差しながら、先ずは大前提となる大枠の説明を放った。

 

「大きく分けて、この魔道具には二つの役割があるわ。そのことは前にも話したわね? 『炉』と『変換器』よ。八卦の循環を利用してエネルギーを生み出す炉としての側面と、それぞれの卦を通して現象に変換する変換器としての側面があるわけ。」

 

「えっと……エネルギーってのは魔力とは違うのか?」

 

「近いけど、違うわ。この炉が生み出しているのは魔力よりもなお根源的な力よ。まだ色付けされていない、形の無い純粋なエネルギー。……それを適した形に変換することで、使用者が望む現象を引き起こすわけね。」

 

魔力、妖力、気力、神力などなど。そういった力の一段階前。使い手や環境に影響される前の無色の『力』。この小さな炉で生成されているのはそれなのだ。

 

まあ、正直言ってそれだけだと使い道は少ないだろう。自らの要素が混ざっていない力など操れるはずもないのだ。魔女である私に妖力が操れないように、吸血鬼であるリーゼにも魔力は操れない。……そう、杖が無ければ。

 

要するに、杖とは一種の変換器なわけだ。リーゼが普段意識してやっているかはともかくとして、彼女は杖を使うことで魔力に自らの要素を混ぜ込んでいるのである。

 

当然、私も同じことをすれば妖力を操れるだろう。例えば東洋の呪符なんかは正にこの変換器に当たる。あれは神力や妖力へと変換するための装置な訳で、だからこそ人間が妖術を使ったり、妖怪が神術を使ったりできるわけだ。

 

考えながら魔法で手元に本を引き寄せて、説明を続けるために口を開いた。やっぱり時間が勿体無いな。本を読みながらでいこう。

 

「分かる? これは生成機であり、精製機なの。単品で完結している魔道具なのよ。そして八卦という森羅万象に通じる概念を利用している以上、この世界が存在する限りそのエネルギーが失われることはないわ。」

 

「あー……無限にエネルギーを生み出して、おまけにそれを利用できるってことか?」

 

「基本的にはそうよ。もちろん一度に利用できるエネルギー量そのものには限度があるけどね。この魔道具の製作理念を考えるに、本来は多分『貯蔵器』も取り付けるはずなんだけど……それが欠けている現状では、炉で渦巻くエネルギーしか利用出来ないわ。」

 

「未完成ってわけか。……いやまあ、私にとっちゃ充分すぎる代物なんだけどな。滅茶苦茶凄い魔道具だぜ。」

 

恐らくだが、製作者は霧雨の安全のために『貯蔵器』を取り付けなかったのだろう。過ぎたる力はトラブルの元だし、なにより貯蔵器が壊された時が怖い。『爆発』って単語が生易しく感じられるくらいのことが起きるはずだ。

 

こんなもんを渡すくせに妙な気遣いをする製作者に若干呆れつつも、えらく感心している霧雨に向かって説明を締める。

 

「もう理解出来たでしょうけど、これはかなり完成された魔道具なの。使い方さえ究めれば大凡のことは出来るでしょうし、貴女の望む戦闘にも役立つはずよ。……はい、第一回目の授業はここまで。」

 

「へ? ……いやいや、ちょっと待ってくれよ。こっからが本番だろ? 使い方とかはやらないのか?」

 

「やらないんじゃなくて、出来ないの。どれが火を表す卦か分かる? どれが山を表すかは? どれが目を表すかは? 北を表すかは? 先ずはそれを知らなきゃ使えるはずないでしょ。……ほら、次回までの宿題よ。最低でも陰陽、四象、爻と、爻を組み合わせた卦、更にそれを組み合わせた時の卦辞を理解しないとお話にならないの。詳しく解説されてる本を用意したから、これを隅から隅まで読んで、完全にそれを理解した頃に二回目をやるわ。使い方やらはその時までお預けね。」

 

「そりゃそうだ。……くっそ、知ってたら一年の頃からきちんと勉強したのに。香霖の大馬鹿野郎め。なんで言っといてくれなかったんだよ。」

 

ブツブツと恨み言を呟きながら十冊の分厚い本を受け取った霧雨に、読んでいた本から目線を上げて質問を放つ。

 

「それで、時間はどのくらい必要? 言っておくけど、生半可な理解で切り上げたなら承知しないからね。『完全』に理解出来るまでの時間を答えなさい。」

 

さあ、どう出る? 今の私なら半日で十分だし、十三歳の頃の私なら一、二週間はかかるだろう。今のアリスが本気で取り組めば二日で、十三歳の頃のアリスなら一ヶ月程度はかかるはずだ。……さて、お前はどうだ? 霧雨。最短の時間を皮算用する間抜けか、それともマージンを取りすぎる臆病者か。答えを聞かせてもらおうじゃないか。

 

目を細めて答えを待つ私へと、霧雨は積み上げられた本を見つめて考え込んだ後に……真っ直ぐに視線を向けながら答えを返してきた。

 

「一ヶ月だ。一ヶ月以内で絶対に理解してみせる。」

 

「……そう。それじゃあ、順調にいけば次の授業も十一月中にできそうね。終わったら防衛術の授業かリーゼ経由で連絡して頂戴。」

 

「おう。それじゃ、授業ありがとな!」

 

言うと、霧雨は歩く時間も惜しいという様子で教室を飛び出して行く。一ヶ月か。正直無謀な皮算用にしか思えないが……ふむ、もし本当に一ヶ月で完全に理解したとなれば、私ももうちょっと本気で教えてやることにしよう。

 

自分で言うのもなんだが、私は生まれついての魔女だ。これまで魔女になるために『努力』したというつもりはないし、研究や鍛錬を苦だと思ったことなど一度もない。好きなことを好きなだけしていたら、勝手にこうなっちゃったのである。故に比較対象にはならないし、すべきではあるまい。

 

霧雨と比較すべきはアリスだ。あの子はきちんと努力していたし、ある程度『人間らしい』生活をしながら魔女の勉強に取り組んでいた。……ただし、あの子は才能に満ち溢れていたが。そのアリスと同レベルだとすれば、霧雨にもまた才能があるのだろう。

 

魔女としての『才能』が何なのかは議論が分かれるところだろうが、私は好奇心と理解力……というか、適応力がそれに当たると思っている。未知のものへと突き進む好奇心と、未知の法則を理解し、適応する力だ。

 

特に重視すべきは後者だろう。魔法の世界ではそれまでのルールや常識などあってないようなものなのだから。リンゴは下に落ちないし、時間は一方通行じゃないのである。それを有り得ないと否定するようなヤツは魔女にはなれん。瞳を輝かせて調べ始めるヤツこそが魔女なのだ。

 

まあ、アリスの考えはまた違っているようだが。彼女は弛まぬ探究心こそが魔女の最も重要な資質だと考えているらしい。……この辺は在り方によって違うのかもしれないな。私は本を読み、ひたすらに知識を集める『収集型』の魔女だが、アリスは自律人形を目指し、新たな魔法を生み出そうとしている『創造型』の魔女だ。

 

既にある道の根源を目指す私に対して、アリスは新たな道を切り拓くことを選んだ。そしてアリスはひたすら後ろ向きに探求し続ける私の方が、私は前向きに新規の法則を創ろうとしているアリスの方が魔女に相応しいと思っているわけか。……変なの。

 

まだあまり話してないからよくは分からんが、霧雨は私たち二人とはまた違ったニオイがする。あれは多分、『使う』タイプの魔女だな。私とアリスが一種の求道者なのに対して、あの小娘は実際に使用するために魔法を学ぶのだろう。

 

ま、別に悪いことではない。というか、むしろ霧雨こそが主流の魔女だ。アリスはともかくとして、私は間違いなく魔女の中でも変わり種だろう。生産性が無いってのは自分でもよく理解しているのだ。

 

巡る思考に決着を付けたところで、ちょうど読んでいた本も終わりを迎えた。ギルデロイ・ロックハートの自伝、『私はマジックだ』。……これは些か分類に迷うな。ファンタジーな気もするし、かなり独特なコメディにも思える。唯一分かるのはノンフィクションではないということだけだ。

 

ふよふよ浮き上がって部屋を出て、教室そのものに封印を施してから二階の廊下を進む。ミニ八卦炉は置きっ放しでいいだろう。まさか私の封印を突破出来る者がホグワーツにいるとは思えないし。

 

そのまま三階に上がってガーゴイル像を抜け、校長室のドアを開くと……おや、真の主人のお帰りか。ソファに座る老人の姿が見えてきた。

 

「ごきげんよう、ダンブルドア。……何よ、その顔は。毒でも呷ったの?」

 

おいおい、こんなに弱ってるところは初めて見たぞ。ソファに座り込む真っ青な顔のダンブルドアに声をかけてみると、彼は弱々しい苦笑で返事を返してくる。

 

「やあ、ノーレッジ。君の洞察力には舌を巻くばかりじゃ。少々厄介なものを飲み干してしまったようでのう。」

 

「一体全体何をしているのよ、貴方は。……ほら、四滴よ。飲みすぎると死ぬからね。」

 

ポケットから取り出した薬の入った小瓶を差し出すと、ダンブルドアはひどく緩慢な動作でそれを受け取り、そっと四滴だけ口に含んで……よしよし、見る見るうちに顔に生気を取り戻していく。

 

「……いや、生き返ったよ。相変わらず君の作る薬は見事じゃな。どうかね? 製作方法を公表するというのは。聖マンゴの癒者たちは飛び上がって喜ぶじゃろうて。」

 

「そして職を失った後に恨まれることになるでしょうね。……何にせよ、公表する気は無いわ。貴方も分かってるでしょ? 過ぎたる薬は命の価値を狂わせるわよ。」

 

「うむ……そうじゃな。まっこと残念なことじゃが、この薬を手にするのは魔法族にはまだ早いのかもしれん。」

 

言いながら返してきた小瓶を受け取って、本を慎重に魔法で片付けてから向かいのソファの空いたスペースに座る。向こうでフォークスが本の上に止まっているが……まあ、あの不死鳥なら大丈夫だろう。その辺の生徒よりもよっぽど賢いのだ。本を燃やすようなヘマはすまい。

 

「それで? 何処で何をしてたのよ?」

 

何がどうなったら毒を飲むようなことになるんだ? ちょっと呆れた口調で問いかけてみると、ダンブルドアは杖を振って紅茶を出しながら説明してきた。

 

「あっちへちょこちょこ、こっちへちょこちょこじゃよ。わしのやってきたことの負債を片付けるためにね。……そうしているうちに、意外なところから分霊箱のヒントが手に入ってのう。それで少々……うむ、焦ってしまったようじゃな。あまり心踊らぬ洞窟探検の末、この有様じゃ。」

 

そう言ってダンブルドアが差し出してきたのは……少し大きめのロケットだ。蓋は透明なガラスのような素材で、透けて見える表面にはビッシリとルーン文字が刻んである。ただし、特に魔法的な力は感じられない。単なる飾りなのだろう。

 

「このロケットがどうしたのよ?」

 

何の変哲も無いロケットにしか見えないぞ。受け取ったそれを手の中で弄くり回しながら聞いてみると、ダンブルドアはなんとも情けなさそうな表情で答えを返してきた。

 

「つまりのう、凍てついた海を渡り、血を対価に入り口を開き、薄暗い洞窟に仕掛けられた罠を突破し、亡者の巣くう湖を渡り、毒を飲み干した結果、手に入った物がそれだというわけじゃな。一杯食わされたのじゃよ、わしは。……いやまあ、実際には何杯も飲まされたわけじゃが。」

 

「……それはまた、なんともご愁傷様ね。」

 

ひっどい話だ。正に骨折り損のくたびれもうけだな。私の呆れたような、同情するような視線を受けて、ダンブルドアは更に情けない顔になって言い訳を語り始める。

 

「これまでは分霊箱を君たちに任せっきりだったからのう。それに、ヒントを見つけたのは例の脱獄騒ぎの直後だったのじゃ。だから居ても立っても居られなくなってしまって……まあ、老人の哀れな失敗というわけじゃな。笑ってくれ、ノーレッジ。」

 

「笑えないわよ。ジョークにしては悪質すぎるわ。……しかし、貴方にしては珍しい失敗ね。リドルに出し抜かれたってこと?」

 

「それが、そうでもないようでの。ほれ、ロケットの中に羊皮紙が入っているじゃろう? そこに『犯行声明』が書かれておるよ。」

 

犯行声明? 言葉に従ってロケットを開いてみると、写真や髪の毛などを入れるべき場所に確かに古ぼけた羊皮紙が入っているのが見えてきた。広げて読んでみれば……なるほど。これは確かに犯行声明だな。

 

そこには『R.A.B.』なる人物が本物の分霊箱を盗み出したこと、それを破壊するつもりでいること、そして自身が近いうちに死ぬであろうことと、ついでにリドルに対しての皮肉の効いた罵倒が記されている。

 

「こういうのを、ありがた迷惑って言うのよね。」

 

バッサリ一言で切り捨てると、ダンブルドアは苦笑しながらフォローを放ってきた。

 

「わしらの他にも分霊箱の存在に気付き、そしてトムに抗おうとしていた者が居たわけじゃ。なんとも心強いではないか。」

 

「一つをリドルから盗み出したことは評価するけどね。……でも、破壊したかどうかを明確にしていないのはいただけないわ。『できるだけ早く破壊するつもりです』って書いてあるわよ? つまり、これを書いた時点では破壊の目処が立ってなかったってことでしょう?」

 

「さよう。そこは確かに大きな問題じゃな。……君には心当たりはあるかね? 『R.A.B.』なる人物に。」

 

うーむ、多分人名だと思うのだが……分かるわけないだろ。『人名』ってのは、数少ない私の知識に欠けているものの一つなのだ。歴史上の偉人とかならともかくとして、その辺の木っ端の名前などいちいち覚えてはいないぞ。

 

態度で『知ってると思うか?』と伝えてやると、ダンブルドアは然もありなんと肩を竦めてから口を開く。……分かってるんだったら聞くな! ジジイめ!

 

「わしには一つだけ心当たりがあってのう。……レギュラス・アークタルス・ブラック。シリウスの弟じゃよ。学生時代はスリザリンに所属し、そして優秀なシーカーじゃった。」

 

「シリウス・ブラックの弟、ね。そいつもリドルと敵対してたの? 騎士団には参加してなかったはずだけど。」

 

「いや、むしろ純血主義には賛同し、そして死喰い人にも参加していたはずじゃ。……ううむ、謎じゃな。シリウスによれば戦争が終わる少し前、自らの行いに恐れをなして逃げようとしたところを、死喰い人の誰かに殺されたとのことじゃったが……この羊皮紙を見るに真相は違っていたのかもしれん。彼もまた闇に抗おうと命を賭したのであれば、その名誉を回復しなければなるまい。」

 

「はいはい、無駄に毒を飲まされたってのになんともお優しいことじゃない。……でも、優先すべきはブラックの弟の名誉じゃなくて分霊箱よ。当てはあるの?」

 

もし本当にそうならマーリン勲章でもなんでもくれてやればいいのだ。今のレミリアに頼めば簡単なことだろう。レギュラス・ブラックの人となりを適当に流して重要な部分を聞いてみると、ダンブルドアはしっかりと頷きながら答えを寄越してきた。

 

「無論、真っ先に調べるべきはブラック邸じゃな。シリウスは未だに帰っておらぬようじゃし、今は誰一人として住んでいないはずじゃ。もしかしたらあの場所に何かが隠されているかもしれん。」

 

「結構なことじゃないの。それならさっさと調べなさいな。」

 

「おお、ノーレッジ。老人に鞭打つとバチがあたるよ? わしがさっき死にかけていたことを忘れてしまったのかね?」

 

「勝手に勘違いで死にかけて、そして私が命を救ったんだったかしら? よく覚えてるわよ。」

 

皮肉に皮肉で返していると、やおら周囲を見回したダンブルドアが、何かに気付いたような表情で質問を放ってくる。

 

「……そういえば、わしの執務机は何処へ行ったのじゃろうか? 不思議じゃ。実に不思議じゃな、ノーレッジ。わしがここに居た頃は家出などしなかったのじゃが。」

 

「あー……そうね、不思議ね。まあ、心配しなくても大丈夫よ。あの机ももういい歳なんだし、なんなら捜索願いを出しておくから。次に来る時までには帰ってくるでしょ。」

 

「そうかね? それならいいのじゃが……。」

 

ヤバいな。後でマクゴナガルにでも探すように言っておこう。……問題は、本当に何処へ行ったのかが分からんことだ。魔法で適当に『飛ばしちゃった』からホグワーツの中にあるかすら定かではないぞ。

 

目を逸らしてダンブルドアの非難の視線を避けながら、パチュリー・ノーレッジはちょっとだけ自らの行いを反省するのだった。

 



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少年少女たちの悩み

 

 

エバネスコ(消えよ)。……リーゼ、夕食後にも閉心術の練習をお願いできる? マリサに星見台を借りられるか聞いてみるから。」

 

机の上のハツカネズミを消失させながら聞いてくるハリーに、アンネリーゼ・バートリは無言で首を横に振っていた。尻尾しか消えてないせいで、哀れなネズミがバランス感覚を失っちゃってるぞ。

 

本日最後の変身術の授業中。他の生徒たちが熱心に小動物への消失呪文を練習する中、ハリーだけはそれどころではないといったご様子だ。リドルとの繋がりを断ち切るべく、彼は今閉心術に対して並々ならぬ努力を向けているのである。

 

つまるところ、ハリーにリドルとの繋がりに関してを説明したわけだ。あのハロウィンの集団脱獄の後、パチュリーと話し合ってハリーに伝えることを決めた。ある程度閉心術が形になってきた今なら、むしろ知っておいた方が対策に繋がるという判断である。

 

妙な気を起こさせないためにもハリーが分霊箱である部分は省いてあるが、リドルと『何らかの理由で』魔法的な繋がりがあること、それを通した開心術を防ぐために閉心術を練習していたことなどを伝え終えたのだ。

 

……最初に繋がりのことを話した時はむしろ歓迎的ですらあった。嬉しいか薄気味悪いかはさて置き、リドルに対して一種の『スパイ行為』が出来ると思ったらしい。自分が役に立てるかもしれないことを喜んでいたくらいだ。

 

しかし、詳細を話すにつれてハリーの意見は変わっていったのである。一方通行ではなく相互通行。こちらの情報がリドルに伝わる可能性があるという事実は、彼にとっては充分すぎる脅威に感じられたのだろう。一時は『僕が居ることで危険になるなら、閉心術を使えるようになるまでホグワーツを離れる』とまで口にしていたほどだ。

 

そこからは一緒に話を聞いていたハーマイオニー、ロン、私での必死の説得が始まった。ハリーの持っている情報だけでホグワーツが危険に陥るということは有り得ないこと、現状リドルに気付かれている様子は無いのでまだ猶予はあること、既にあと少し訓練すれば十分に侵入を防げる段階まで進んでいること。小一時間に及ぶ説得の甲斐あり、ハリーは渋々ながらも考えを翻したのだ。

 

そして、今現在はこれまで以上に熱心に訓練へと取り組んでいるわけだが……うーむ、ちょっと頑張りすぎだな。目の下には濃い隈が出来てしまっているし、心なしか顔も白い気がする。睡眠不足か、気疲れか。何にせよ少し休ませるべきだろう。

 

私の無言の否定を見て、ハリーは小声で文句を放ってきた。ちなみにハーマイオニーとロンは私に大賛成のようで、ネズミに向かって杖を振りながら援護の目線を送ってきている。……どうせなら言葉で援護してくれよ。

 

「どうしてさ? 毎日やるべきだって言ったのはリーゼじゃないか。一刻も早く習得しないと、情報がヴォルデモートに渡っちゃうんだよ?」

 

「偉大なる闇の帝王閣下はネズミの消し方をもう知ってるだろうし、双子が新しい悪戯グッズを開発したことにも興味がないはずだ。もし興味があるなら双子に頼んで試供品でも送ってやるさ。……つまりだね、現状ではそこまで心配することじゃないんだよ。焦りすぎだぞ、ハリー。」

 

「そうだけど……でも、どんな情報が向こうの助けになるかは分からないじゃないか。なら、急ぐべきだよ。もっと開心術の感覚を身体に覚えさせて、反射的に防げるようにならなくちゃ。」

 

「ああ、夏休みに練習を嫌がっていたキミが懐かしいよ。……大体、クィディッチの練習はどうするつもりなんだい? 試合は今週末だろうに。」

 

説得の『切り札』を出してやると、ハリーは勢いを失くして黙り込んでしまった。シーカーとしての責任と、リドルの脅威の狭間で揺れているようだ。……なんかそう考えると大したことないように思えてくるな。少なくとも彼にとっては、トカゲ男とクィディッチは同レベルの問題らしい。

 

「リーゼの言う通りだ、ハリー。……早めにスニッチを捕ってくれないと負けちゃうぞ。キーパーは僕なんだから。」

 

「それ以前に、練習をサボったらアンジェリーナに殺されかねないわよ。一昨日の練習に罰則で来られなかった双子の末路を見たでしょう? 危うく中央階段の四階から突き落とされるとこだったのよ? ……厳密に言えば、三階までは落ちたわけだしね。偶然フリットウィック先生が通りかからなきゃ、今頃あの二人は医務室だわ。」

 

ロンとハーマイオニーの援護を受けて、ハリーの心の天秤はクィディッチの練習へと傾いたらしい。渋々ながらも頷いている。彼も精神が不安定になっているジョンソンに追いかけ回されるのは避けたいようだ。

 

「エバネスコ。……ともかく、キミはもう技術的にはほぼ問題ないところまで来てるんだ。覗き趣味の『なんとか卿』が如何な開心術の使い手だとしても、細い繋がり越しのそれを防ぐってのはそう難しいことじゃないからね。……だから、後は開心術に対して反射的に対応出来るかどうかさ。要するに慣れだよ。その場合必要なのは日常的な心構えであって、短期的な集中訓練じゃない。」

 

手慰みに目の前の実験動物を完全に消し去ってから言ってやると、ハリーは曖昧に頷きながら呪文の練習へと戻った。……まあ、こっちの件に関しては正直そこまで心配しちゃいない。ハリーに渡す情報は制限しているし、何より今のホグワーツにはパチュリーが居るのだ。リドルに何か出来るとは思えん。

 

それよりも問題なのは、分霊箱としてのハリーをどう『破壊』するかの方だ。当然ながらハリーを殺すことなど承諾しかねる。というかそもそも、ハリーが死ねばリドルを殺す手段が無くなる。個人的にもゲーム的にも、ハリーごと分霊箱を破壊するというのは有り得ない選択肢だろう。

 

である以上、何らかの方法でハリーの魂にくっ付いているリドルの魂の破片だけを破壊する必要があるわけだが……残念ながら、その辺は私にはさっぱりだ。何とも情けないことに、この問題に関してはパチュリー、アリス、ダンブルドアに任せる他あるまい。今度進捗を確認してみるか。

 

「……さて、今日はここまで! まだネズミが少しでも『残っている』者は、次回までに小動物への消失呪文を練習してくるように。フクロウ試験には無生物ではなく、生物が出てきますからね! ……それと、消失呪文に関してのレポートを四十センチ提出してもらいます。筆記の対策も怠らないように!」

 

マクゴナガルの無慈悲な宣告を聞きながら、私も他の生徒たちと同様にため息を吐くのだった。そっちはまだいいじゃないか。私たちの『宿題』はフクロウ試験どころじゃないんだぞ。

 

───

 

そして大広間。いつものように肉だらけの夕食を取る私の周囲には、四人の唸り声が響いていた。ハリー、ロン、ハーマイオニー、そして魔理沙の唸り声だ。なんとも気が滅入る四重奏ではないか。

 

ハリーは閉心術、ロンはクィディッチ、ハーマイオニーは防衛術クラブ、魔理沙はパチュリーの宿題。少年少女たちはそれぞれに『難題』を抱えているわけだ。咲夜も場の雰囲気に引きずられているのか、ちょっと大人しくなっちゃっている。

 

ハリーを除けば一番順調なのはハーマイオニーだろう。先日の監督生集会で防衛術クラブに関して提案したところ、全寮一致の賛成をもらえたようだ。……意外だったのは、スリザリンもさほど躊躇わずに賛成したという点だな。パチュリーの授業は私の想像以上に学生たちの危機感を煽っていたわけか。

 

細かい形式もある地点まではサクサク決まったらしい。基本的には毎週末に大広間で行われて、上級生が下級生を指導するような感じになるそうだ。上級生は教え合ったり下級生に教えることで復習をして、下級生もまた教わったり教え合うことで防衛術への理解を深める、というわけである。

 

現状の参加希望者の割合を鑑みて、一から三年生が六人、四から七年生が六人の十二人一グループでお互いに協力して教え合う……とまあ、この段階までは簡単に決まったわけだ。

 

だが、問題はここからだった。ハーマイオニー率いるグリフィンドール、ハッフルパフの監督生連合は友好を深めるための『全寮ランダム方式』を掲げ、レイブンクロー、スリザリンの監督生たちはあくまで『各寮での』ランダム方式に留めるべきだと主張したのである。

 

そこからは喧々囂々の泥沼議論だ。友好とホグワーツそのものの結束を重視する前者と、学習の効率と各寮内の結束を重視すべきだと言う後者。結局その日の集会では決着が付くことはなく、今週末にある集会へと持ち越されてしまったらしい。

 

お陰でハーマイオニーは『ディベート』のための原稿作りに夢中になっている。屋敷しもべ妖精へのトラップの製作を停止してまでも、というあたりが彼女の覚悟を物語っているな。

 

「ねえ、魔理沙? 食べないと死ぬわよ? 貴女、昼食もまともに食べてなかったじゃないの。」

 

「んー……食べるぜ。でも、ちょっと待ってくれ。もう少しで切りの良いところなんだ。」

 

「それ、さっきも言ってたわよ。昼も、朝も言ってたし、なんなら昨日だって言ってたわ。『ちょっと』って何日間のことなのよ?」

 

咲夜の若干心配そうな呆れ声に思考から復帰してみれば、皿に盛った料理が全然減ってない魔理沙の姿が見えてきた。……それでもハーマイオニーが『一番順調』と言える理由はこれだ。魔理沙は咲夜風に言うと、『パチュリー様になっちゃった』のである。

 

つまり、最近の魔理沙はあらゆる時間を削って本を読んでいるわけだ。それこそ気でも狂ったかのようなレベルで。寝食を削って同じ本を繰り返し、繰り返し読んでいたかと思えば、いきなり羊皮紙に謎の記号を書きまくったり……本当にパチュリーが乗り移ってるんじゃないよな? 行動があの魔女そっくりだぞ。

 

パチュリーは『簡単』な宿題を出したとか言ってたが、どう見たって『簡単』という様子じゃない。……まあ、宿題とやらを完遂出来るかはともかくとして、そこまで心配するようなことでもないか。この感じのパチュリーやアリスは何度も見たことがある。魔理沙もまた、魔女としての登竜門をくぐろうとしているのだろう。

 

とはいえ、やっぱり咲夜としては友人の奇行が心配なようで、かなり強引な手段で食事を摂らせ始めた。

 

「ほら、食べさせてあげるから。あーんして。あーん。」

 

「ん。」

 

咲夜がミネストローネをスプーンで掬って差し出すと、上の空の魔理沙は抵抗なくそれを受け入れる。普段なら絶対に嫌がるだろうに……ちょっと面白いな。今度アリスが同じ状態になったらやってみよう。

 

甲斐甲斐しく食事を与える咲夜の姿をニヤニヤしながら眺めていると、今度は食事をかっこんでいたロンが立ち上がって口を開いた。

 

「それじゃあ、練習に行ってくるよ。」

 

「ちょっと待って、僕も……よし、行こう。」

 

声を聞いて慌てて食事を済ませたハリーと共に、ロンはトボトボとクィディッチ競技場へと歩いて行く。……あっちはやっぱり順調とは言えないな。

 

このところのロンは明らかに練習を嫌がっている……というか、怖れている。自身の失敗が怖いのか、それともジョンソンの罵声が怖いのか、近付く試合が怖いのか、はたまたスリザリン生のヤジが怖いのか。確たる詳細は不明だが、唯一分かるのは彼がハリーや魔理沙ほど才能に溢れてはいないということだ。

 

数回練習を見に行った感想としては……まあ、普通だった。別に悪いわけではなく、良いわけでもなく、普通なのだ。そしてそれはハリーや魔理沙などのクィディッチに詳しい人間からしても同感らしい。

 

問題なのは、対抗試合のあった四年生を抜いたこれまでの三年間、新しく入ってきたのがハリーと魔理沙だけだということである。常勝のシーカーであるハリーは言わずもがなだし、魔理沙にしたってかなりの才能を持ったプレーヤーだ。たまにしか見ない素人にもそう思えるのだから、毎日一緒に練習しているチームメイトは言わずもがなだろう。

 

そんな中、チームを引っ張っていたキャプテンと同じポジションに入ってきた『普通』のプレーヤー。そりゃあ多少は見劣りするだろうさ。……こればっかりはロンの責任ではないし、チームメイトが悪いとも言い切れまい。

 

強いて言えば、これまで少数精鋭を貫いてきたグリフィンドールチームの伝統の所為だろう。……今年がこれなら、来年なんてどうするつもりなんだろうか? チェイサーとビーターから四人も抜けるんだぞ。魔理沙の分を引いても三人が新メンバーってことか?

 

まさに悪夢だな。どうやら来年の優勝杯は他寮の手に渡りそうだ。……いやまあ、今年もそうなるかもしれんが。ため息を零しながらステーキを片付けたところで、熱心に何かをメモしていたハーマイオニーが話しかけてきた。

 

「ねぇ、リーゼ? やっぱり毎週ランダムにグループを決めるんじゃなくって、月毎にするのはどうかしら? そしたら週末以外にも会話が生まれると思わない? ほら、来週は何をやるかとか、先週の習った呪文のコツを聞いたりとか。」

 

「その方が良いと思うよ。見ず知らずのヤツと組まされても会話にならないだろうしね。ある程度打ち解ける時間も必要だろうさ。」

 

「そうよね。となると、難しそうな子は監督生が担当した方がいいかしら。後は知り合いで面倒見の良さそうな人にも声をかけて……リーゼも手伝ってくれない?」

 

「おいおい、ハーマイオニー。私は参加しないぞ?」

 

まさか参加すると思ってたのか? キョトンとした顔で返事を返すと、ハーマイオニーは驚愕の表情で疑問を放ってくる。

 

「へ? ……ど、どうして? 私、てっきりリーゼも参加するもんだと思ってたわ。」

 

「あのね、私が参加したらスリザリンの連中が参加出来なくなるだろう? そういう『怪しい』連中の帰属意識を強めるのが目的なんだったら、警戒されてる私が参加するわけにはいかないだろうに。」

 

「それは、でも……そうね。その通りだわ。貴女が『見張って』たら防衛術の練習どころじゃないわね。」

 

その通り。悪い吸血鬼はお呼びじゃないのだ。呆然と呟いたハーマイオニーは、やがて机にべったりと倒れ込んでしまった。危ないな、髪に料理がくっ付いちゃうぞ。

 

「参ったわ。いざトラブルがあれば貴女にどうにかしてもらおうと思ってたの。……甘えね。無意識に頼ってたみたい。」

 

「んふふ、甘えてくれるのは嬉しいんだけどね。今回ばかりはそっちで頑張りたまえ。……なぁに、いざとなったら監督するマクゴナガルやフリットウィックが黙ってないさ。あの二人なら上手いこと調整してくれるはずだ。もっと伸び伸びやってみなよ、ハーマイオニー。」

 

「うー……分かったわ。」

 

ふわふわの栗毛を撫でながら言ってやると、ハーマイオニーは少しだけ唸った後に顔を上げて頷いてくる。随分と大人になったと思ったんだが、ちょっとは子供っぽい部分も残ってるらしい。微妙なお年頃ってやつだな。

 

しかしまあ、今年は各々やることが盛りだくさんのようだ。例年とは真逆だな。疑わしい人間も居ないし、校内では大きな事件も起こっていない今、むしろ私こそがヒマになってしまった。授業の宿題とかも一切無くなったのがそれに拍車をかけているぞ。

 

ま、たまにはこういう年があってもいいだろう。安全なホグワーツでゆったり過ごすのも悪くないさ。というか、これこそが本来在るべき姿なのだ。トラブル満載の四年生までがおかしかったんだぞ。

 

ちょっと楽しそうな表情で魔理沙に食事を運ぶ咲夜を見ながら、アンネリーゼ・バートリはもう一つステーキを皿に盛るのだった。

 



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ライオンの騎士

 

 

「まあ……そうだね、思ってたよりかは悪くなかったんじゃないかな。」

 

パタパタと申し訳程度に小さな応援フラッグを振りつつも、アンネリーゼ・バートリは隣に座るハーマイオニーに話しかけていた。少なくとも箒から落っこちはしなかったぞ。落っこちそうにはなっていたが。

 

十一月も半ばを過ぎた今日、グリフィンドール対スリザリンのクィディッチの試合が執り行われたのである。結果は見事にグリフィンドールの勝利。晴天の冬空の試合は220-170で幕を閉じた。……つまるところ、ハリーがスニッチを捕る前はボロ負けしていたわけだ。

 

これをどう評価するかは人によって分かれるところだろう。百点差に『抑えた』と取るか、百点差まで離されたと取るかだ。……どうやらグラウンドを歩く新人キーパーどのは後者の意見を取り上げたようで、勝ったというのに沈んだ表情で控え室へと戻って行く。

 

ネガティブ思考にもほどがあるぞ。ため息を吐きながら遠ざかるその姿を見つめていると、立ち上がって歓声を送っていたハーマイオニーが返事を返してきた。彼女もロンの顔を目撃したのだろう。私と全く同じ表情を浮かべている。

 

「うん、悪くなかったわ。……ロンの前では『良かった』って言うべきね。」

 

「皮肉と取られかねない表現だと思うよ、それは。……ま、実際ついていけてたじゃないか。最初はともかくとして、後半はそこそこセーブ出来てたし。」

 

「慣れたっていうか、えーっと……吹っ切れたって感じだったわね。」

 

「どうかな。私には『もうどうでも良くなった』に見えたけどね。」

 

的確な訂正を入れてやると、ハーマイオニーは黙して小さく頷いてきた。あれは私の目の錯覚ではなかったわけだ。あの時のロンは全てを諦めた表情をしていたぞ。

 

要するに、最初は酷かったのである。試合開始直後にいきなり六連続でゴールを決められた時は、選手たちも、観客席の私たちも目を覆ったものだ。あまりにもロンが真っ青になったせいで、ハーマイオニーなんかは彼が箒から飛び降りるんじゃないかと心配していた。

 

しかし、結果的にはそれが幸いしたらしい。ロンはもうこれ以上の『ドン底』には陥らないとでも思ったのだろう。諦観の境地に達した結果、動きに精彩を取り戻したのだ。前半のぎこちないブリキ人形みたいな動きとは段違いだったぞ。

 

かくして調子を取り戻したロンはなんとか百点差で耐え抜き、ハリーの見事なダイビングキャッチのお陰でグリフィンドールは優勝杯へと一歩近付いたのである。めでたし、めでたし。いやぁ、万々歳じゃないか。

 

「終わり良ければ全て良し、勝てば官軍、勝者が正義なり。それでいいじゃないか。勝ったんだから誰も文句は言わないさ。」

 

「それ、ロンには言わない方がいいわよ。多分逆効果になるわ。」

 

「……参ったね。多感なお年頃ってのはこれだからいけない。」

 

やれやれと首を振りつつ立ち上がって、ハーマイオニーと共に観客席の階段を下りて行く。一応は勝ったんだし、談話室で戦勝パーティーがあるのは間違いあるまい。その時までに慰めの言葉を探しておかなければ。……勝ったのに慰め? 意味不明だぞ。

 

そのまま二人で城に入ると、ハーマイオニーがマフラーを巻き直しながら話しかけてきた。咲夜は一足先に控え室へと魔理沙を迎えに行ったのだが、早く談話室に戻るように言っておくべきだったかもしれない。今日はかなり寒いのだ。

 

「でも、これでちょっとはマシになるでしょ。少なくともロンは初戦を経験したわけだしね。後は徐々に慣れていくわよ、きっと。」

 

「そう願おう。このままだと私たちの慰めの語彙が先に尽きそうだしね。……そういえば、防衛術クラブの方はどうなったんだい?」

 

ロンの初試合でそれどころではなかったが、昨日は監督生の定期集会があったはずだ。途中で目に入ったクラブのポスターを見ながら聞いてみると、ハーマイオニーは少し笑顔になって返事を寄越してくる。どうやらディベートには勝利を収めたらしい。

 

「十二月から、他の行事が無い土曜と日曜の夕方に大広間で開催。全寮ランダムの月毎にグループ変更で纏まったわ。最後はレイブンクローが折れてくれて、そのまま多数決で決定になったの。」

 

「つまり、スリザリンは未だに納得してないわけだ。……いいのかい?」

 

「よくはないけど、仕方ないわ。先ずは一歩を踏み出すことが大切なのよ。スリザリンには……うん、クラブを通じて分かってもらうしかないわね。」

 

「なんとも儚い願いに聞こえるね。」

 

蛇寮が他の寮生と仲良くする光景? ……全然想像出来ないな。唯一レイブンクローとのペアならギリギリ想像が付くが、それだって『利害が一致すれば』という条件付きだ。私はグリフィンドールとスリザリンが仲良くしているところを見たら、これは夢だと断ずる自信があるぞ。

 

少し呆れた表情の私に、ハーマイオニーは腕を組みながら尚も言い募ってきた。

 

「これは創始者たちの遺した『呪い』なのよ、リーゼ。偉大な四人の唯一の失敗ね。……そりゃあ、千年近くもいがみ合ってたものを私にどうにか出来るとは思えないわ。でも、誰かが切っ掛けを作らなきゃ始まらないじゃない。こんなことをいつまでも続けてるのはバカみたいでしょう? どこかでブレーキを掛けるべきなのよ。」

 

「……そうだね、その通りだ。」

 

何故か今、ハーマイオニーがグリフィンドール生だということを心の底から理解出来た。……まあ、別に今まで疑問に思っていたわけではない。前から勇敢な子だとは思っていたし、『グリフィンドール的』であることも納得していたのだ。

 

しかし、今ようやくハーマイオニーの本質に気付けた気がする。彼女の持つ勇気は常識に挑む勇気なのだろう。しもべ妖精、人狼、そして千年に渡る『呪い』。誰もが仕方のないことだと通り過ぎるような問題を、彼女だけは無視しないで真っ直ぐに見つめていた。

 

そして、それに果敢に立ち向かって行くのだ。一見すれば無謀で、常識外れの行動かもしれないが、ひょっとしたらハーマイオニーのような人間が踏み出す一歩で何かが変わっていくのかもしれない。

 

巨大な常識に挑む、現代のドン・キホーテというわけだ。……いやまあ、ハーマイオニーの方は幸運にもイカれちゃいないが。やってること自体はそう間違っていないのを見るに、本当にバカなのは巨人を風車だと勘違いしている周りの方なのだろう。

 

騎士の格好をして巨人に挑むハーマイオニーを想像する私に、当のライオンの騎士どのが怪訝そうな表情で話しかけてきた。

 

「……どうしたの? リーゼ。ニヤニヤしちゃって。」

 

「んふふ、組み分け帽子を侮ったことを反省してたのさ。勇気あるものが住まう寮、騎士道精神のグリフィンドールってね。」

 

「組み分け帽子? ……どういう意味?」

 

キョトンと首を傾げるハーマイオニーに、クスクス笑いながら口を開く。いかんな、何だか面白くなってきた。やっぱり人間ってのは面白い。

 

「いやぁ、ちょっとした発見があってね。……ちなみにキミはグリフィンドールをどんな寮だと思う?」

 

「そりゃあ、勇猛果敢な人が所属する寮よ。全体的に勇気があって、フェアプレーを重んじるところがあるわ。……ただまあ、向こう見ずで常識外れなところもあるわね。あとはちょっと独善的なところも……ちょっと、本当にどうしたのよ? どうしてそんなに笑ってるの?」

 

「んふっ、何でもないさ。ライオンの騎士どのにピッタリの評価だ。見事な分析だと思うよ、ハーマイオニー。」

 

おまけにこっちの騎士どのは賢いときたか。頼もしい限りじゃないか。キョトンとするハーマイオニーを横目に、アンネリーゼ・バートリは込み上げてくる笑いに身を委ねるのだった。

 

 

─────

 

 

「……まあ、とりあえずは合格ね。及第点をあげるわ。」

 

安心したのかふにゃりと表情を崩す見習い魔女を見ながら、パチュリー・ノーレッジは小さく鼻を鳴らしていた。……ふん、まあまあやるじゃないか。

 

十一月が終わる直前、霧雨は私の出した課題を見事に達成したのだ。……まさか一ヶ月を切ってくるとは思わなかったぞ。目の下にある濃い隈を見るに、随分と努力したのだろう。

 

目の前にある机の上には、採点の終わった問題用紙が置かれている。今回のために私が用意したテストだ。かなり難しめに設定したのだが、霧雨は『絶対に解けない問題』以外をほぼ正解するという結果を叩き出した。

 

うーん、見誤っていたな。以前確認したホグワーツの成績自体は上の下だっただけに、私としても結構驚きの結果だ。……満遍なく学ぶタイプではなく、興味のある内容に一点集中するタイプなのだろう。

 

面白い。やはり私とも、アリスともまた違ったタイプなわけだ。ジェネラリストではなくスペシャリストか。ちょっとは頑張って育ててみようという気になったぞ。

 

『新種』の出現を見て少しやる気になった私に、霧雨は待ちきれないと言わんばかりに話しかけてきた。

 

「それじゃ、次は実践に入れるんだよな? 何をするんだ? 何でもやるぞ!」

 

「落ち着きなさい。……そうね、先ずは起動の仕方よ。」

 

言いながら手を振って、空き教室の隅に置いてあったミニ八卦炉を目の前のテーブルに引き寄せる。まだ黙して動かないそれを指しながら、霧雨に向かって注意を放った。

 

「いい? ここからは慎重に、私の言う通りにやること。『チャレンジ』は絶対にダメよ。これが危険な代物だってのは重々承知しているでしょう?」

 

「分かってる。約束するぜ。」

 

「結構。では手のひらに置くように持って……そう。そしてほんの少しだけ魔力を注ぎなさい。つまり、炉に種火を入れるわけよ。ほんの少しだけでいいんだからね? 僅かにでもエネルギーがあれば、勝手に大きくなってくれるんだから。」

 

「杖に流す時と一緒だよな? 少しだけ、少しだけ……。」

 

霧雨が緊張した表情で僅かな魔力を注ぐと、何かが焼け焦げるような音が微かに八卦炉から聞こえ始める。これで炉は動き出したわけだ。

 

「そこまで。……ここからが肝心よ。炉の中で渦巻くエネルギーを感じ取れる? 先ずはそれを表面の図形に行き渡らせるように動かしなさい。それでようやく起動できるわ。……ここでは絶対に魔力を流さないようにね? あくまでも使うのは炉の中のエネルギーよ。」

 

「ん……難しいな。」

 

まあ、そりゃそうだ。使ったことの無い力をいきなり動かすというのは難しかろう。うんうん唸りながら試行錯誤する霧雨に、集中を邪魔しないように静かな声で語りかけた。

 

「色でイメージなさい。貴方にとって魔力の色は何?」

 

「えっと……青、かな?」

 

「なら魔力は青、そして炉のエネルギーは白よ。一度杖を持ってそこに青い力を流し込むイメージを固めなさい。……そうよ、その感覚。性質は違えど、エネルギーであることは同じなの。魔力が操れるなら炉のエネルギーも動かせるはずだわ。そもそも貴女の魔力を種火にして生まれた力なんだしね。……では次に炉を持って、中でぐるぐる回る白いエネルギーをイメージなさい。自分から発するのではなく、そのエネルギーを引っ張り出す感じで動かすのよ。」

 

「分かった、やってみる。」

 

ちなみに、私の視界にはきちんと真っ白な力の奔流として捉えられている。魔女に至った時に手に入れた視界のお陰だ。……とはいえ、さすがに霧雨に賢者の石を飲ませるわけにはいかんだろう。ならばこの感覚は自分で習得してもらうしかない。

 

そのまま十分、二十分、三十分と経過した頃、ようやく霧雨は炉のエネルギーを動かす感覚を掴んだようだ。私の視界に映る白いエネルギーがジワジワと染み渡るように動き始めた。

 

「慎重に、正確によ。表面の図形を完全になぞるの。どこかで途切れてもダメだし、多過ぎて形が整わなくなってもダメ。……ま、ゆっくりやんなさいな。」

 

「ん、分かった。」

 

余裕が無いのだろう。端的に答えた霧雨は、額に汗を滲ませながらゆっくりゆっくりとエネルギーを動かし続ける。……思ったよりかは早いが、それでも完璧になるまでは数ヶ月掛かりそうだな。

 

となれば、ある程度頑張らせたら停止の仕方を教えて今日は終わりだ。……うーむ、八卦炉を返して起動と停止の練習をさせてみるか。見た目とは裏腹に結構慎重な性格っぽいし、無闇に妙なことを試したりはすまい。

 

それにまあ、こいつは目標があるうちは手を抜くタイプではなかろう。ひたすら課題を与え続けたほうが伸びるはずだ。目の前で悪戦苦闘する小娘を眺めながら、ほんの小さな笑みを浮かべるのだった。

 

───

 

そして霧雨との『個人レッスン』も終わり、すっかり夕日に彩られたホグワーツの廊下を校長室に向かって歩いていると……ん? 急に背後から声がかかる。

 

「どうも、校長代理。」

 

振り返ってみれば、無愛想な短髪の魔女が直立不動で立っていた。バスシバ・バブリング。古代ルーン文字学の教授だ。私も大概無愛想なことは自覚しているが、この女には流石に負けるな。無愛想どころか無感動だぞ。

 

完全なる無表情で声をかけてきたバブリングは、立ち止まった私にそのままの顔で報告を放ってくる。

 

「ちょうど今、校長室にお邪魔しようと思っていたところです。……ご依頼の通り、城の各所に刻まれたルーンを確認しておきました。」

 

「ああ、ご苦労様。どうだった?」

 

そのことか。リーゼやダンブルドアなんかは私がのんびり本を読んでいるだけだと思っているらしいが、私だって城の防衛機能についてきちんと調査しているのだ。……いやまあ、指示を出しているだけとも言うが。

 

書物や記録を通して眠っている機能、隠されている設備を探し当てて、それを教員たちに確認させているのである。ホグワーツ城に隠されているのは何も部屋や通路だけではない。有事に生徒たちを守るための仕掛けも無数に施されているのだ。

 

四人の創始者たちが手ずから遺したものもあれば、歴代の卒業生たちが残していったと思われる仕掛けも見つかった。物凄く強力なものからバカバカしいジョークじみた仕掛けまで千差万別だ。……なんともホグワーツらしいではないか。『常識外れ』は千年前からの伝統だったらしい。

 

この学校のいい加減さを思ってちょっと呆れる私に、バブリングが平坦な声で報告の詳細を伝えてくる。

 

「城内のものはさほど問題ありませんでしたが、城外のものは経年劣化によって欠けていたり、掠れているものが多々ありました。……修復しますか?」

 

「あら、出来るの?」

 

既に刻まれたルーンの修復というのは簡単じゃないはずだぞ。それが古いものとなれば尚更だ。少し驚いて問い返してやれば、バブリングはそうと分からないほどの微かな頷きを返してきた。

 

「出来るものもあれば、私の技量では追いつかないものもあります。そうですね……七割ほどは修復可能かと。」

 

「十分よ。それならお願いするわ。……ただし、危なそうなところは手出ししなくていいからね? 先達たちが『愉快な仕掛け』を残していてもおかしくないでしょ?」

 

「心します。詳しい報告はここに。……それでは。」

 

差し出してきた数枚の羊皮紙を私が受け取ったのを見ると、バブリングはくるりと身を翻して去って行った。再び校長室へと歩き出しながら羊皮紙に目を通してみれば……うーむ、よく纏まっている。結構有能なヤツだな。

 

まあ、何にせよ目をつけていた防衛機能の一つに手を加えられたわけだ。備えあれば憂いなし。戦う前に勝利へのタネを仕込んでおく。それが魔女の流儀というものだろう。

 

コツコツと夕暮れの廊下を歩きながら、パチュリー・ノーレッジは次に何を調べようかと思考を回すのだった。

 



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ニンジンはどこへ消えた?

 

 

「ふぅん? 我らが監査員どのはようやく仕事をする気になったようだね。」

 

昼休みの玄関ホールに貼り出されている『魔法教育なんちゃら委員会』からのお知らせを見ながら、アンネリーゼ・バートリは至極どうでも良い感じに呟いていた。どうやら長きに渡る設備調査は終わり、来年度の授業からようやく監査が始まるようだ。……今や巻き返しの目は無いだろうに。なんともご苦労なことではないか。

 

十二月も半ばに入った今、イギリス魔法界の勢力図はかなり奇妙なものに変わってきている。アズカバンからの集団脱獄で魔法省は叩かれているが、同時にリドルの復活を否定する連中は消え去りつつあるのだ。正に怪我の功名だな。物事には二つの側面があるわけか。

 

聞くところによれば、予言者新聞社ではこれを好機として一種の『政変』が起こったらしい。これまで復活を肯定していた夕刊の編集長が、日刊の編集長の座に収まったのである。要するに主流派が入れ替わったわけだ。……絶対にレミリアあたりが裏から何かしたな。単なる社内闘争にしては交代劇が鮮やかすぎたぞ。

 

そして、結果としていよいよ窮地に立たされたのがウィゼンガモットの老人どもだ。自らの管轄故にアズカバンの一件を大っぴらに叩くことが出来ず、逆に魔法大臣からは管理責任を毎日のように追及され、ダメ押しに『盟友』だった予言者新聞の改革。評議員の上層部がそっくり入れ替わるのも時間の問題だな。

 

そんな中、沈み行く船に取り残されたアンブリッジは弱々しい抵抗に打って出たらしい。今更ホグワーツの粗探しをしたところで何かが起きるとも思えんが、かといって他に何も出来ることがないのだろう。

 

役職に実行力は無く、後ろ盾は崩壊寸前。にっちもさっちも行かないわけだ。……ここまでくるとさすがに哀れに思えてくるな。先頭に立ってレミリアを批判していた以上、もはや『仲直り』するわけにもいかないだろうし。

 

袋小路に追い詰められたガマガエルに哀れみの思念を送っていると、ハーマイオニーもまたどうでも良さそうな感じで私を急かしてきた。

 

「今更すぎるわね。もう行きましょうよ、大した意味は無いでしょ。……っていうか、今までは何をしてたのかしら? 『設備調査』してるところなんか見たことないわよ?」

 

「一部のスリザリン生の『相談』に乗ってたみたいだね。まあ、それを私に掴まれてる時点でもう三流だが。」

 

「何にせよ、早く居なくなって欲しいわ。あの人、防衛術クラブにも来るのよね。練習中の生徒に質問をしたりとか、無用な『指導』をしたりとか……とにかく邪魔なの。」

 

「その後、怒れるマクゴナガルに追い出されたんだろう? 双子が『叙事詩』にして詠ってたよ。秩序の守護神、悪しき魔蛙を討伐せり、ってね。」

 

バカバカしいことをやらせれば天下一だな、あいつらは。半笑いで色とりどりの昼食が並ぶグリフィンドールのテーブルへと向かう私に、ハーマイオニーが清々したと言わんばかりの頷きを返してくる。防衛術クラブの進行にピリつく彼女にとっては許せない事件だったようだ。

 

「ええ、本当に助かったわ。アドバイスするフリをして、ネガティブなことを囁きかけるんだもの。」

 

「ネガティブなこと?」

 

「生徒に課外活動を強いるような授業は改善すべきだとか、ノーレッジ先生は教師に相応しくないだとか、そういう……あー、『正論』をね。防衛術クラブなんかを開く前に、世間に授業の酷さを知らしめるべきだって言うの。」

 

「大いに正しいじゃないか。反論する余地はゼロだね。」

 

こういうのを『ぐうの音もでない正論』って言うんだろうな。かなり呆れた表情で言う私に、ハーマイオニーは席に着いて取り皿を掴みながら同意してきた。

 

「まあ、そうね。正しいわ。……でも、ノーレッジ先生はホグワーツの防衛のためには必要な方なんでしょう?」

 

「その通り。でなきゃとっくに追い出されてるよ。ダンブルドアや教師たち、それに私やレミィが紫しめじに期待してるのはその一点なんだ。そしてその一点に関しては、パチェ以上の人材はこの世に居ないのさ。」

 

「なら、アンブリッジに好き勝手させるわけにはいかないわ。……参ったわね。正論を潰そうとするだなんて、悪役のやることじゃないの。」

 

「んふふ、これぞ必要悪ってやつだね。『より大きな善のために』なるのであれば、小さな悪は肯定されるべきなんだよ。また一つ大人になれたじゃないか、ハーマイオニー。」

 

世には為すべき悪というものがあるんだぞ。私はそれをよく知っているのだ。クスクス笑って言ってやると、ハーマイオニーは口をモニョモニョさせながら曖昧な首肯を寄越してくる。

 

「ん……そうね。ゲラート・グリンデルバルドはある意味で正しい格言を残したわ。ある意味ではね。」

 

「そういうことさ。……ただまあ、概ね順調ではあるんだろう? 防衛術クラブは。」

 

十二月に入ってから既に四回開催されているが、予想されていたほどのトラブルもなく、防衛術クラブは結構上手いこといっているらしい。少なくともグリフィンドールとハッフルパフ、そしてレイブンクローではかなり好意的に受け止められているようだ。

 

間違いなく脱獄事件の影響もあるのだろう。ハーマイオニー以外の賢い生徒たちも徐々に気付き始めたわけだ。『今のイギリスは仲違いをしていられるような状況ではない』と。

 

野菜を除けてポトフを掬う私に、ハーマイオニーは勝手にニンジンやら何やらを追加しながら答えてきた。……ジャガイモと玉ねぎは構わんが、ニンジンだけは絶対に食わんぞ。絶対にだ。

 

「野菜も食べないとダメよ、リーゼ。これには大切な栄養が詰まってるの。……そうね、思ってたよりはずっと順調だわ。スリザリンの一部が参加してくれないのだけが気がかりね。」

 

「そればっかりは仕方がないだろうさ。これからだって何度も開催されるんだ。徐々に増えるのを祈るしかないよ。」

 

「うん、そうなんだけど……まあ、もう少し慣れてきたら何か考えるわ。後はノーレッジ先生の授業が『改善』されちゃわないかだけが問題ね。そしたらクラブを開催する必要が無くなっちゃうもの。」

 

「安心したまえ。それだけは絶対に、絶対にないから。」

 

私が力強く百パーセントの断言をしたところで、いきなり私たちの向かいにハリーとロンが座り込んだ。……ふむ? どうやら午前の占い学は楽しい授業とはいかなかったらしい。二人は明らかに沈んだ表情を浮かべている。

 

「やあ、二人とも。どうしたんだい? また死の予言でも食らったのか? 先週は出血死だったから……今週は圧死とか? 落下はこの前出ちゃったしね。」

 

「そんなんじゃ今更落ち込まないよ。……宿題が出たんだ。かなり面倒くさくて、完璧に意味不明なやつがね。クリスマス休暇の間、毎朝タロットで占いをしてその内容と結果を記録しろってさ。」

 

うんざりしたように言うハリーに続いて、ロンも渋い顔でサンドイッチを掴み取りながら説明してきた。

 

「トレローニーは休暇って単語の意味を分かってないんだ。休暇ってのは、つまり宿題をせずに休むってことだろ? 余計なことしてくれるぜ。」

 

「でもね、ロン。他の授業でもどんどん出てくると思うわよ。そしてそれは至極真っ当なことなの。だって今年は──」

 

「フクロウ試験の年だから、だろ? もう分かってるよ。百回は聞いたさ。……悪夢だよ。何でこの世には試験なんてものがあるんだ?」

 

「個々の能力を測定するためよ。それを鑑みて進路を決めるの。」

 

律儀に説明したハーマイオニーにジト目を送った後、ロンは何も言わずにやけ食いを始めてしまう。いっそ占い学など捨ててしまえばいいだろうに。あんなもん絶対に役には立たんぞ。

 

しかしまあ、ロンもかなり調子を取り戻してきたな。次の試合までは日があるからかもしれんが、徐々に練習に慣れてきたってのもあるのだろう。慰めの言葉が尽きないうちに回復してくれて何よりだ。

 

三つ目のサンドイッチを手に取るロンを見ながら考えていると、私の隣に咲夜が、ロンの隣に魔理沙がそれぞれ座り込んできた。三年生組も午前の授業が終わったらしい。

 

「疲れたぜ。……飼育学だったんだけど、何でかユニコーンが纏わり付いてきたんだ。鬱陶しいくらいにな。」

 

ユニコーンが? 苛々と言う魔理沙の声にその場の全員が疑問符を浮かべていると、隣の咲夜が首を傾げながら追加の説明を放ってくる。

 

「グラブリー=プランク先生もビックリしてました。十頭くらい用意してくださったんですけど、全部魔理沙の方に行っちゃうせいで授業にならなかったんです。」

 

「嫌になるぜ、あのバカ馬どもめ。あいつら、自分の額に角があるってことを全然理解しちゃいないぞ。アホみたいに頭を擦り付けてくるから、ローブに角が引っかかってボロボロになっちまった。」

 

情景を想像するに物凄くメルヘンなんだが……まあ、現実なんてそんなもんか。あらゆる場所が解れたローブを見るに、そう楽しい経験でもなかったようだ。

 

「不思議ね。どちらかといえば魔女を好むっていうのは有名な話だけど……マリサにだけ? 良い匂いでもしたのかしら?」

 

「あるいは、好みの魔力だったのかもね。ユニコーンの角は魔力を感知する器官なんだろう? ひょっとしたら頭じゃなくて、単に角を擦り付けてたのかもしれないぞ。」

 

私とハーマイオニーの言葉を聞いた魔理沙は、鼻を鳴らしてから荒々しく食事を盛り付け始めた。どっちにしろ迷惑だったらしい。そりゃそうか。

 

「ふん、どうでも良いぜ。何にせよ私はあの馬のことが嫌いになった。……そういえば、みんなはクリスマス休暇はどうすんだ? 私はホグワーツに残るけど。」

 

「僕も当然残るよ。シリウスも忙しいみたいだし、プリベット通りに帰るなんて有り得ないでしょ? マルフォイとクリスマスを祝うダンスをする方がまだマシだよ。」

 

「私は帰ることになったわ。今年はパパとママがスイスに連れて行ってくれるみたいなの。良い感じのバンガローを予約出来たんですって。……寒くないといいんだけど。」

 

「僕とジニー、それに兄貴たちはホグワーツに残る予定だ。ママが校長代理の居るホグワーツの方が安全だから、今年は帰ってくるなってさ。ジニーのやつ、ビルとチャーリーに会えなくなって悲しんでたよ。」

 

ハリー、ハーマイオニー、ロンが計画を発表したのに続いて、私もニンジンをより分けながら口を開く。味も、食感も、色も嫌いなのだ。だから食べない。死んでも御免だ。

 

「私と咲夜も帰るよ。パチェが残る以上、ホグワーツの防衛は問題ないだろうしね。それに、帰らないとレミィが煩いんだ。『咲夜欠乏症』で乗り込んで来かねんぞ。」

 

「今年のクリスマスパーティーはパチュリー様抜きですか……残念です。なんか毎年揃わないですね。」

 

あー、そういえばそうだな。二年生の時は私とアリスが不在で、三年生の時はパーティーの前に私がホグワーツに戻ってしまった。去年はホグワーツでダンスパーティーに参加してたし、今年はパチュリーが城に残る。クリスマスに全員揃ったのは一年生の時が最後になるわけだ。

 

私としてはさほど気にならないが、咲夜が残念そうにするのはいただけない。来年こそは全員揃えてみるかと考え始めた私を他所に、魔理沙が魚のフライにフォークを突き立てながら提案を放った。

 

「それじゃあさ、三人でホグズミードに行ってみないか? ハロウィンの時は結局中止になっちまったし、行ってみたいんだよ、私。」

 

「いいね、行こうよ。何だかんだで結局僕も行けてないんだ。……ロンは行ったことあったよね? 案内してよ。」

 

「もちろんさ。三本の箒とか、ゾンコのいたずら専門店とか、叫びの館とか……うん、色々回ってみようぜ。」

 

ま、ホグズミードくらいの距離なら問題あるまい。後でパチュリーに話を通しておくか。途端に元気いっぱいで相談し始めた三人を、私とハーマイオニーは微笑ましげに見ているが……おお、ジェラシー咲夜だ。きっと初めてのホグズミードは魔理沙と一緒に行きたかったのだろう。ちょびっとだけ羨ましそうに三人を見ている。

 

「……咲夜も残って一緒に行くかい? なんならレミィには私から言っておくよ。」

 

煩く反対してきたらフランに『説得』を頼めば何とかなるはずだ。こっそり囁きかけてみると、咲夜は少し恥ずかしそうに頬を赤らめながら首を横に振ってきた。

 

「いえ、紅魔館にはきちんと帰りたいんです。それは本音なんですけど、ただ、その……いえ、やっぱり何でもありません。」

 

「んふふ、そうかい? ……まあ、ホグズミード行きの日はまたあるさ。その時一緒に行きたまえよ。」

 

「……そうします。」

 

うーん、お年頃だな。むず痒いような、微笑ましいような、見てる分には楽しい反応を堪能した後、ちょっと明るい顔になったハリーに向かって注意を投げかける。

 

「ハリー、楽しむのは結構だが、クリスマス休暇中も寝る前の鍛錬は欠かさないように。心を空っぽにして、平静を保つんだ。いざ波が起きた時に気付けるようにね。」

 

「うん、分かってる。……けどさ、これってテストすることは出来ないの? ほら、寝てる僕にリーゼが開心術をかけてみるとか。」

 

「そればっかりはどうにもならないよ。私だと目を見ないと術をかけられないからね。……なぁに、大丈夫さ。少なくとも今のキミなら侵入に気付かずグースカ寝てるってことは有り得ないはずだ。」

 

「そう願うよ。……本当に。」

 

ハリーはちょっと不安そうだが……まあ、問題なかろう。技量的にはもう充分実用レベルに到達しているのだ。ハロウィンの時はリドルとの繋がりのことを知らなかったから疑問にも思わなかっただろうが、今のハリーなら夢の中で違和感に気付けるはず。そして気付けたなら、そう易々と侵入されることはあるまい。

 

しかし……ハリー、ロン、ハーマイオニーはそれぞれの問題に一段落を付けたわけだが、魔理沙はどうなのだろうか? このところは『パチュリー化』も鳴りを潜めているものの、目の下の隈は相変わらず残っているぞ。

 

ただし、落ち込んでいる感じはゼロだ。むしろハイになっている雰囲気すらある。……うーむ、今度パチュリーに会った時にでもそれとなく聞いてみるか。引き合わせちゃったのは私だし、一応あの世間知らずがやり過ぎないかを監視せねばなるまい。

 

脳内の『やることリスト』に新たな項目を記入しつつ、アンネリーゼ・バートリは残ったニンジンに向かってこっそり消失呪文を放つのだった。エバネスコ(消えよ)っと。

 



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幻想の宴

誤字報告ありがとうございます!


 

 

「そう、その認識で合ってるわ。重要なのは卦の組み合わせと順番、それに流すエネルギーの総量よ。同じ組み合わせでも、流す力の量次第では全く違った結果になるの。」

 

目の前で四方八方に温風を撒き散らすミニ八卦炉を見ながら、パチュリー・ノーレッジは見習い魔女へと説明を飛ばしていた。……やっぱり便利だな。こいつがあれば暖炉いらずだ。

 

どうやら私の気付かぬうちに、この学校はクリスマス休暇へと突入していたらしい。生徒たちの九割近くは家へと帰り、真冬のホグワーツ城には常に無い静寂が訪れている。……お陰で防衛術の教室で来もしない生徒たちを待つ羽目になったが。

 

私を探しに来たマクゴナガルの呆れ顔が今でも鮮明に思い出せるぞ。あの時のなんとも言えない空気といったら……私のトラウマに新たな一ページが追加されてしまったようだ。忘却術を自分に使うべきかもしれない。

 

……とにかく! クリスマスだかなんだか知らんが、魔女の探究に休みなどないのだ。であるからして、城に残った霧雨を呼び出して個人レッスンを続けているのである。大体、魔女が神の子の誕生を祝うなんて意味不明だぞ。

 

ちなみに今は日常生活に役立つ使用法を教えているところだ。温風や冷風を出したり、八卦炉の上に鍋を置いて湯を沸かしてみたり、花壇の水やりに使えそうな散水シャワーを出してみたり、そんな感じのを。

 

空き教室を一気に暖めるミニ八卦炉を見ながら、霧雨は若干呆れた表情で疑問を放ってきた。

 

「いやまあ、便利だな。寒い冬には物凄く便利なんだが……こういうことなのか? 使い道って。」

 

「あくまで一例よ。先ずはこういう簡単で頻繁に使えそうなのから学んでいくの。……安心なさい。上手く使い熟せるようになってきたら、戦闘での使い道も教えてあげるから。ほら、口より手を動かす。動かした後は止めないとでしょう?」

 

「ん、分かった。……止め方はいつも通りでいいんだよな?」

 

「その通り。ちなみに、より高温にしたいなら火を、風の勢いを強めたいなら風を強めるの。……いい? 起動する時は動が最後よ? 最初にすると単にエネルギーが放出されちゃうし、火と風の間に挟むと物凄い勢いで火が吹き出てくるからね。焼け死にたくないなら注意なさい。」

 

後ろに相性の良い風を置けば、少ないエネルギーでも間違いなくそうなるだろう。この辺の相関は七曜のそれを単純にひっくり返せばいいのだ。私の忠告に頷いた霧雨は、慎重にミニ八卦炉のエネルギーを操作し始める。

 

しかしまあ、上手くなったな。最初のぎこちない操作が嘘みたいな滑らかさだ。僅か一ヶ月でこれか。……恐らく毎日起動と停止の練習を繰り返しているのだろう。つまらん反復練習を、ただひたすらに。

 

数回の授業を経て確信を得たが、霧雨は並々ならぬ努力家だ。アリスほど直感的な理解は早くないが、しつこいほどの反芻でそれを補っている。うーん、見た目と真逆の二人だな。アリスは真面目そうに見えてちょっと面倒くさがり屋なところがあるし、霧雨はいい加減に見えて堅実なわけだ。

 

最近あらゆることを人形に任せ始めた後輩のことを考えていると、見事に温風を止めることに成功した霧雨が口を開く。

 

「おっし、出来たぞ。」

 

「上出来よ。それじゃあ次は……そうね、貴女は何かやりたい事はないの? 日々の生活でこれがあったら便利、みたいな感じで。単純なことだったらすぐに出来るわよ?」

 

実際に役に立った方がモチベーションも上がるだろう。霧雨は私の問いかけに少し悩んだ後、指をピンと立てて答えを返してきた。

 

「あー、そうだな……んじゃ、顔を洗う水を出すとかは? 朝とか洗面所に行かなくて済むようにさ。うちの寮は混みやすいんだよ。」

 

「なら、次はそれをやりましょうか。ぬるま湯を出して、使った水を吸水するところまでね。顔やら髪やらを乾かすのは今やった温風で出来るし。」

 

「本当に何でも出来るんだな……。」

 

「何を今更呆れてるのよ。杖魔法だって同じようなもんでしょうに。」

 

この八卦炉もかなり優秀な魔道具だが、こと汎用性で言えば杖はその上を行ってるんだぞ。そりゃあそれぞれに向き不向き、可能不可能はあるが……うん、全体として見れば杖の方が出来ること自体は多いだろう。

 

霧雨にも思い当たる節があったようで、然もありなんと頷きながら返事を口にする。

 

「……確かにそうだな。よく考えれば杖魔法の方が意味不明だ。」

 

「その不明を明確にするのが魔女の仕事よ。……ほら、分かったらここと、ここに──」

 

うーむ、見てると中々面白いな。説明を始めた途端に集中し出す目の前の見習いを見て、ほんの小さな微笑みを浮かべるのだった。

 

───

 

「それじゃ、次は来年よ。今回出した宿題を済ませとくように。」

 

「おう、良い年越しをな!」

 

変な言い回しだな。……日本式か? 独特な挨拶をしていった霧雨を見送り、部屋の椅子に座ったままで思考を回す。予想していたよりも進みが早いし、スケジュールをいくつか前倒しにする必要があるかもしれない。

 

これは私がホグワーツに居る間に方が付きそうだな。私が教える約束をしているのは、あくまでもミニ八卦炉の使い方だけだ。ここまでトントン拍子に進むと少し勿体無い気もするが……まあ、弟子は一人で充分だろう。少なくともアリスを一人前にするまでは。

 

考えながらも立ち上がり、部屋を出て校長室へと歩き出す。後は来年の授業開始まで読書に溺れ……いや待て、その前に咲夜へのクリスマスプレゼントを送っておかねば。自慢じゃないが、本に夢中になったらいつの間にかクリスマスを過ぎている自信があるぞ。誕生日はリーゼに言われてギリギリで気付いたし。あれは焦った。

 

ふむ、今年は何を贈ろうか。もう咲夜も十四歳だし、そこそこ難解な本も読めるようになっているはずだ。となると……哲学書とか? いや、それは飛躍しすぎだな。理解出来るのと楽しめるのはまた別の話だぞ、私。

 

昼下がりの廊下を進みながら本のジャンルを絞り込んでいると、何やら前方から……モミの木? 宙に浮かんだ四本ほどのモミの木がこちらに向かって来るのが見えてきた。うーむ、実に奇妙な光景ではないか。

 

首を傾げながら興味深い光景を見ている私に、モミの木の陰からひょっこり顔を出したフリットウィックが声をかけてくる。……まあ、そりゃそうだ。彼が浮遊魔法で運んでいるのだろう。少なくともイギリスのモミの木は勝手に空を飛んだりはしないのだから。

 

「おや、校長代理! これはどうも!」

 

「ごきげんよう、フリットウィック。大広間の飾り付けかしら?」

 

「ええ、その通りです。去年は思いっきり飾り付けを楽しんだので、今年は基本に返ろうかと考えまして。大きな一本ではなく、小さなものを大量に飾ろうと思うのですよ。」

 

「そう、良いんじゃないかしら。」

 

去年の飾りがどんなものだったのかも、『基本』ってのが何なのかもさっぱりだが、どっちにしろ私はクリスマスの飾り付けなどに興味はないのだ。私は『そういうの』を楽しめるタイプではない。

 

思えば昔もそうだった。なんかこう、もしかしたら楽しくなるんじゃないかと思って顔を出したりしてみるのだが……うん、結果は予想通りの独りぼっち。会場の隅っこでもそもそ食事を食べて、飲んで、眺めて、終わり。会話なし。交流ゼロ。後悔しつつ帰るだけ。

 

若い頃はそれでも『今度こそは』という愚かしい行為をしていたもんだが、百年も生きればさすがに学習するものだ。暗い気分で帰ってくる羽目になるイベントごとにはもう参加しないことに決めたのである。賢い選択だぞ、私。

 

まあ、例外もあるっちゃあるが。紅魔館でのパーティーだけは……まあうん、楽しめるな。少なくとも嫌な感じにはならない。さすがに人外の館だけあって、人間のパーティーにありがちな気遣いやら形式やらとは無縁なのだ。

 

リーゼは肉を食いながらひたすら酒を飲み、アリスは酔っ払ってニコニコしながら人形に向かって話し続け、レミィは誰も聞いていない演説をかまし、小悪魔は誰彼構わず悪魔式の猥談を仕掛けている。そして延々食べる美鈴と酒に弱すぎて床で寝るエマ、その顔に落書きをする妹様、賑やかしの妖精メイドたち。今はそこに楽しそうに全員の世話をする咲夜が加わってくる感じだ。……あれだけ異様な光景だと、本を読みながらチビチビ酒を飲む私なんてむしろ『正常』な部類だぞ。

 

吸血鬼の館の混沌とした光景を思い出す私に、フリットウィックは楽しそうな表情で質問を寄越してきた。

 

「校長代理は参加されるのですか?」

 

「残念ながら、賑やかな場所は苦手なの。校長室で大人しくしているわ。」

 

「それは残念です。ですが、気が変わったら是非いらっしゃってください。楽しいパーティーになることは保証いたしますぞ!」

 

「そうね、考えとくわ。……それじゃ、飾り付け頑張ってね。」

 

適当な返事を返して、再び校長室に向かって歩みを進める。……フリットウィックには悪いが、ホグワーツのパーティーには私の居場所など無いだろう。今の私はもはや人外。所詮人間のパーティーには向かないのだ。

 

そうだな、もし紅魔館と同じくらい混沌としたパーティーがあれば参加するのもいいかもしれない。……まあ、有り得ないか。人外と人間が騒がしくはしゃぎ回るパーティーなど他には無いだろうし。

 

埒もない想像を切り捨てながら、パチュリー・ノーレッジは一つ肩を竦めて校長室に向かうのだった。

 

 

─────

 

 

「それで、これが第五の分霊箱というわけだ。」

 

ティーテーブルの上に転がる悪趣味なロケットを見て、アンネリーゼ・バートリは小さく鼻を鳴らしていた。さすがは秘密の部屋を造ったヤツの遺品だな。スリザリンにはアクセサリーのセンスまでもが欠けていたらしい。

 

クリスマス休暇中の紅魔館のリビングでは、美鈴と妖精メイドたちがクリスマスパーティーのために部屋の飾り付けをして……いないな。全員でリースをフリスビーみたいにして遊んでいる。真面目に料理を作ってるアリスとエマに怒られちゃうぞ。

 

どうやら先程まで監督していたブレーキ役の咲夜が居なくなったせいで、飾り付け部隊の秩序が崩壊したらしい。料理の方を手伝いに行ってしまったのだろうか? ……っていうか、ヒイラギのリースじゃないか、それ。紅魔館にそんなもん飾るなよ。

 

吸血鬼の館に魔除けを飾るとかいう意味不明な状況に呆れる私へと、同じ方向を同じ表情で見ているレミリアが返事を返してきた。

 

「その通り、スリザリンのロケットよ。なんでもブラックの実家の屋敷しもべ妖精が持ってたんですって。昨日ふらっと魔法省を訪れたダンブルドアが置いてったの。」

 

「徘徊グセがついちゃったご老人のことは置いとくとして……ブラック家のしもべ妖精が分霊箱? 何とも奇妙な話だね。リドルがブラック家に預けてたってことかい?」

 

ブラック家は数少ない例外であるアンドロメダ・トンクスやシリウス・ブラックを除けば、一族揃って筋金入りの純血主義者だ。しかし、リドルの有力な部下にはブラック家の人間はいなかったはずだぞ。血縁者が腐るほどいるからその繋がりとかか?

 

複雑すぎるイギリス魔法界の家系図を思って首を傾げる私に、レミリアは肩を竦めて否定の言葉を放ってくる。

 

「それが奇妙な話でね、どうも死喰い人に参加してたブラックの弟……レギュラス・ブラックが、リドルの隠した場所から盗み出したみたいなのよ。隠した場所にはトラップがいくつか仕掛けられてたんだけど、リドルが件のしもべ妖精をレギュラス・ブラックから『接収』して、トラップの『機能テスト』に使ったらしいわ。」

 

「まさか、それで怒って裏切ったってことかい? バカみたいな話じゃないか。」

 

「もちろんそれだけじゃないでしょうけどね。……ほら、あの頃って純血主義者の若い連中がリドルに憧れてたでしょ? それで死喰い人に入ってみたはいいものの、現実を知って打ちのめされたクチなんじゃないかしら。それがしもべ妖精の一件で爆発しちゃったとかじゃない?」

 

なるほど、それは確かに有り得そうなお話だ。『崇高なる目的』と現実の落差に嫌気が差したのだろう。とはいえ、大抵のヤツはリドルを恐れてそのままズルズルとって感じなのだが……レギュラス・ブラックは変わり種だったらしい。そこだけは兄と似ているな。

 

しかし、ブラック家の人間がしもべ妖精を気遣うとは。なんともお優しいヤツじゃないか。純血主義さえ抜きにすれば、ハーマイオニーと仲良くなれたかもしれんぞ。きっと『スピュー』に入ってくれるに違いない。

 

内心ではアホなことを考えつつも、顔には真面目な表情を浮かべて口を開いた。

 

「まあ、そこまでは分かったよ。それで、その分霊箱を何だってずっと取って置いたんだい? 自分で破壊出来ないならダンブルドアに送りつけるなり、キミに送るなり、どうにかすれば良かったろうに。」

 

「残念なことに、レギュラス・ブラックはロケットを盗み出す時に最後のトラップで死んじゃったみたい。……ダンブルドアでさえ死にかけたらしいし、卒業したてのガキじゃ無理もないでしょ? そして、今際の際に案内させてたしもべ妖精にロケットを破壊するように命じたそうよ。リドルや家族にバレないよう、内密にね。」

 

「ああ、そういうことか。それでしもべ妖精は分霊箱を破壊出来ず、誰にも言えず、今までずっと保管していたと。……正しく悲劇だね。」

 

哀れな話だ。主人の命を懸けた命令を遂行できないとは……そのしもべ妖精にとって、今までの十数年間は耐え難い苦痛だったことだろう。忠節こそが全てのしもべ妖精にとっては地獄のような日々だったはずだ。

 

若干の哀れみを感じる私を他所に、レミリアはやれやれと首を振りながら話を続けてくる。

 

「その後、紆余曲折あってダンブルドアがそれを見つけ、今まさに私たちの目の前に運ばれてきたってわけ。……ようやく一歩進めたわね。日記帳、ゴーントの指輪、レイブンクローの髪飾り、ハリー・ポッター、そしてスリザリンのロケット。判明した分霊箱はこれで五つ目よ。」

 

「後はハッフルパフのカップと、判明していない何かか。……もどかしいね。残り二個。少ないようで多いぞ、これは。」

 

パチュリーの予測が正しいのであれば、リドルは本人を含めた七つに魂を分けているはず。つまり彼が作った分霊箱は六個。そこに意図せず作られたハリーを含めれば、残り二個で合っているはずだ。……やはり問題なのは謎の一個だな。せめて作った時期を特定出来ないとどうにもならんぞ。

 

レミリアもそれは同感のようで、ソファに深く沈み込みながら首肯を寄越してきた。

 

「ロケットはパチェに送って調べてもらいましょう。ダンブルドアも独自に捜索してるみたいだけど……ハリー・ポッター自身と、最後の一個が難題ね。」

 

「面倒くさい限りだね、まったく。……一応言っておくが、条件が揃う前にリドルを殺さないように気をつけたまえよ? また延々復活を待たされるのは嫌だぞ。」

 

冷めた紅茶を飲み干してから言ってやると、レミリアはガバリと身を乗り出して捲し立ててくる。何だよいきなり。ビックリするだろうが。

 

「そこよ! そこがクソ面倒なの! リドルを殺さないように気を付けながら戦うなんて意味不明よ! ハンデマッチにもほどが……ねぇ、グリンデルバルドの方は大丈夫なんでしょうね? 随分と大人しいみたいだけど、動き始めたらリドルをさっくり殺しちゃったりしない?」

 

……なんか、有り得そうだな。後半を恐る恐るという感じで言ってきたレミリアに、ちょっと自信なさげに返事を返す。

 

「あー、そうだね。ゲラートには詳しく説明しておいた方が良いかもね。彼なら秘密を漏らす心配もないだろうし、近いうちに美鈴にでも……いや、私が行こう。美鈴だと適当な説明で終わっちゃう恐れがある。」

 

リースで火の輪ジャグリングをしているお馬鹿を見ながら言ってやると、レミリアも深々と頷いてから同意の言葉を放ってきた。きゃーきゃー騒いで拍手を送っている妖精メイドたちが喧しいな。

 

「その方が良さそうね。……とにかく、分霊箱に関しては魔女たちとダンブルドアにどうにかしてもらうしかないわ。私はひたすらリドルを足止めするから、あんたもきちんとハリーを守りなさい。」

 

「言われなくともそうするさ。そっちこそ、あんまりアリスを危険な任務に当てないでくれよ? ヤバそうなのは『捨て駒組』に回してくれたまえ。」

 

「うるさいわよ、親バカ。心配しなくてもアリスは大事に使うわよ。こっちの事情を知ってる貴重な戦力なんだから。」

 

「……ショックだね。キミにその台詞を言われるとは思わなかったぞ。今年一番のショックが年末に訪れた気分だ。」

 

親バカはお前だろうが。ジト目で睨み付けてから、大きく伸びをして立ち上がる。何にせよ一歩前進したのは確かなのだ。ジリジリと勝利に近付いている……と信じようじゃないか。

 

後でアリスには危ないことをしないように伝えることを誓いつつ、アンネリーゼ・バートリはお馬鹿門番のジャグリングをやめさせるために口を開くのだった。

 



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三つの前奏曲

 

 

「──長代理? 聞いておられますか? ノーレッジ校長代理。」

 

校長室の静寂を破る呼びかけを受けて、パチュリー・ノーレッジは仕方なしに本から目を離していた。物語の佳境の、一番盛り上がる部分だったんだぞ。それを遮るほどの報告なんだろうな?

 

「……何?」

 

言葉と共に向けた非難の視線に怯むことなく、校長室に飾られた肖像画の一つ……ディリス・ダーウェントは落ち着き払った表情で報告を寄越してくる。さすがは歴代校長の中でも屈指の名声を誇る魔女だ。『後輩』が睨み付けたところで痛くも痒くもないらしい。

 

「先程私の肖像画の一つに、セブルス・スネイプが伝言を託しました。ノーレッジ校長代理を経由して、レミリア・スカーレット氏に伝えて欲しいとのことです。」

 

「内容は?」

 

ふむ、確かにそれは読書を中断するに値する報告だな。これまで何の連絡も送ってこなかったスネイプからの伝言か。丁寧な仕草で本を横に置いた私へと、ダーウェントはハキハキとした口調で伝言の内容を伝えてきた。

 

「闇の帝王は北海湾岸に兵と船を集め、大陸からイギリスへと兵を送るつもりでいる、との内容でした。帝王に従う他種族の姿も見受けられたと。決行は三十一日から一日にかけての深夜になるそうです。」

 

「……スネイプはまだ肖像画の前に居るの?」

 

「いえ、口早に伝言を託した直後、すぐに姿くらましで消えて行きました。」

 

兵を送る、ね。……スネイプが危険を冒してまで報告してきたということは、リドルはそれなりの数をイギリスに『入国』させるつもりなのだろう。少なくとも、スネイプが脅威になると判断したほどの数を。

 

チラリと時計を見て時間と日付を確認する私に、歴代校長の肖像画たちが口々に『助言』を送り始める。……十二月二十八日の午後八時。つまり、残り時間は後三日か。結構ギリギリになりそうだな。

 

「ノーレッジ校長代理、すぐさまスカーレット女史とアルバスに伝えるべきです。敵が攻めてくるとなれば、こちらも防備を固めなければ。」

 

「アーマンド、それは些か『弱腰』な意見だと思うがね。……北海を渡る前に決着を付けるべきだ。叩かれる前に叩く。先手を取ることこそが肝要だろう?」

 

「……今回だけは、フィニアスの意見にも理があると思うね。我らがイギリスは狭いようで広い。入られてしまえば対処は困難になると思うよ。」

 

「どうも、エバラード。『今回だけは』の部分が無かったら嬉しかったよ。」

 

「私も今回に限ってはフィニアスに賛成しますわ。ヴォルデモート卿が魔法を使った移動手段を知らない大間抜けでないとすれば、船を使わなければならない理由があるはずです。間違いなく厄介な理由が。イギリスに入れる前に対処すべきでしょうね。」

 

「ありがとう、サンデンバーグ。賛同者が多くて嬉しい限りだ。一言余計なのは気に食わんが。」

 

肖像画たちの騒がしい議論に少しだけ顔を顰めてから、杖を振ってミミズクの守護霊を生み出す。何にせよ先ずはレミィへの報告だな。ヨーロッパの大戦略を掌握している彼女ならば、絵画なんかよりも良い選択肢を選び取ってくれるはずだ。

 

「レミィ、スネイプからの連絡があったわ。リドルが北海沿岸に──」

 

そのまま守護霊に伝言を託しつつも、左手を振って校長室の隅に積み上げられている羊皮紙を操り、紙飛行機にして部屋の外へと飛ばした。言わずもがな、頼れる副校長を呼ぶためだ。私だとレミィとダンブルドアくらいしか思い浮かばないが、彼女ならばこの連絡を誰に伝えるべきかを判断してくれるだろう。

 

伝言を託し終え、レミィの下へと消えて行く守護霊を見送ってから、揺り椅子を揺らして思考に沈む。……リドルが行動を起こすとして、何故今なんだろうか?

 

イギリス純血派への支配は揺らぎ、大国ソヴィエトは敵対的に変わり、そしてヨーロッパは団結しつつある。……時間は敵だと考えたのか? だとすれば賢明な選択かもしれんな。実際のところ、レミィがリドルの取り得る選択肢を潰しまくっている今、長引けばこの差は広まっていくだけだろう。

 

まあいいさ。何れにせよ私のやるべき事は変わらない。リドルがどんな手を打ってこようと、レミィがどんな対処をしようと、ホグワーツを不落たらしめることこそが私の仕事なのだから。

 

「ノーレッジ校長代理、本を読んでいる場合では──」

 

「ご忠告どうも、先輩方。考慮しておくわ。」

 

小煩い肖像画たちを備え付けの赤いカーテンで遮ってから、再び本を開いて字面を追う。誰に何と言われようが今のスタンスを変える気はないぞ。リドルが陽動を得意とする男な以上、動かぬことこそが最大の防御なのだ。

 

内心で適当な言い訳をしながらも、パチュリー・ノーレッジはマクゴナガルが来るまでにこの本を読み終えようと決意するのだった。

 

 

─────

 

 

「──だから、ヴォルデモートを直接殺すのは控えて欲しいんだよ。……キミはちょっとばかし『予想外』なことを仕出かす癖があるみたいだからね。一応伝えておこうってわけさ。」

 

レニングラード……じゃなくて、サンクトペテルブルクの中心街。夜のフィンランド湾が見える高層ホテルの一室で、アンネリーゼ・バートリはゲラートへの説明を締めていた。やけに良い部屋じゃないか。これも支持者からの『貢物』の一つってわけか?

 

分霊箱のこと、予言のこと、そして十五年前の戦争のこと。今日はリドルに関する大まかな事情を説明しに来たのだ。かなり掻い摘んでの説明だったが、ゲラートは大筋を理解したらしい。窓際に立ってマグル界の夜景を眺めながら、ソファに座る私へと納得の返事を寄越してくる。

 

「なるほど、分霊箱か。あの禁呪に手を出す輩が居るとは思わなかった。……愚かな話だ。あれは単なる『先延ばし』でしかないというのに。」

 

「おや、キミのお眼鏡には適わなかったみたいだね。」

 

「一度は考えたが、詳しく調べるうちに気が変わった。……人ならざる者に人を導くことは出来ん。」

 

「ふぅん? ……なら、レミィはどうなるんだい? 彼女は吸血鬼なわけだが、今まさにヨーロッパを導いてるじゃないか。」

 

ウォッカの入ったグラスを揺らしながら意地悪な問いを放ってやると、ゲラートは鼻を鳴らしてから答えを返してきた。

 

「あの女は操っているだけだ。導いているわけではない。」

 

「おおっと、ご名答。百点満点の大正解だね。」

 

確かにその二つには天と地ほどの差がありそうだ。一本取られたな。クスクス笑いながら私がウォッカを呷ったところで、ゲラートは窓を背にこちらに顔を向けて話しかけてくる。

 

「では、俺からも情報を渡そう。……ヴォルデモートは海を渡ろうとしているぞ。デンマーク、ノルウェー、オランダ、果てはスペイン、ポルトガルにも少数を。北海、ケルト海の両側からイギリスへと兵を入れるつもりらしい。」

 

「……それはまた、厄介な情報だね。規模は?」

 

いきなり齎された大きな情報に、思わず姿勢を正して問い返す。……私が知らぬことな以上、レミリアもまだ掴んでいない情報なのは間違いあるまい。

 

「不明だが、小さくはない。……名前のセンスはともかくとして、情報戦のセンスはあるようでな。情報を小分けに、虚報を混ぜ込んで部下に知らせているようだ。」

 

「ま、そりゃそうだ。敵にも味方にもスパイが居るのは目に見えてるしね。……実行そのものが虚報って可能性は無いのかい?」

 

「少なくとも奴らがマグルから大量の船を奪っているのは確かだ。ご丁寧に記憶処理まで済ませて、小さなクルーザーから巨大なタンカー船まで見境なしにな。……飛行機もいくつか奪ったらしいが、使い方がよく分からなかったのだろう。船に手段を絞ったようだ。」

 

やってくれるじゃないか、リドル。レミリアがこれまでその動きを掴めなかったということは、かなり綿密な計画を立てて実行したに違いない。……それを何故ゲラートが易々と掴んでいるのかは謎だが。ソヴィエト側にまでは隠しきれなかったのか?

 

しかしまあ、厄介な状況になったな。イギリスは島国で、そうなると当然ながら沿岸部も多い。死喰い人がお行儀良く港を使ってくるとは思えないし、上陸が可能な場所は……くそ、分からん。海と船に関しては吸血鬼は専門外なのだ。どデカい『流水』のことなんか全然知らんぞ。

 

そもそも、何だって船なんかを使うんだ? 杖を落っことしでもしたのか? 苛々と組んだ足を揺する私に、ゲラートが対面のソファに座りながら声をかけてきた。

 

「今回は俺も動こう。表向きはソヴィエトからの援軍とすれば問題ないはずだ。」

 

「それは助かるが……可能なのかい? 今のキミの影響力は『軍隊』を動かせるほどだと?」

 

「今の国際情勢はスカーレット派に傾いているからな。それに乗る形で動くとなれば、議員たちの反対も少ないはずだ。……ソヴィエト議会は多種多様な考え方を持つ魔法使いたちの集合体だが、全員に共通している考えもある。『力を示したい』という考えが。議会はアジアの主導権を握りたいんだ。故に、彼らは今回の戦いを良い機会として捉えるだろう。」

 

「なるほどね。他国への『パフォーマンス』にしたいってわけだ。」

 

ロシアからソヴィエトに、そしてソヴィエトから再びロシアに。革命、粛清、内戦、も一つオマケに連邦解体。このところ落ち目だった大国の魔法機関は、そろそろアジア圏での存在感を取り戻したいらしい。私が納得の頷きを放ったのを見て、ゲラートはウォッカを自分のグラスに注ぎながら口を開く。

 

「前にも言ったが、ヴォルデモートは邪魔だ。今回の一件もマグル界に影響を与えすぎている。さっさと片付けるべきだろう。……ふん、そちらの作戦通りには事が進まないようだな。このままでは、『決戦』の前に奴は戦力を失うことになるぞ。」

 

「……なぁに、物事が上手く運ばないのにはもう慣れたさ。ここらで派手な『前哨戦』といこうじゃないか。」

 

普通に船を招き入れてイギリスで『決戦』ってのは……うーむ、ちょっとサービスしすぎだな。そもそもどんな戦力を送ってくるのかも分からんし、不確定要素が多すぎる。おまけに分霊箱だって残っているのだ。今回は素直に妨害すべきだろう。

 

……まあ、細かいことはレミリアに考えさせればいいか。今のヨーロッパで一番視野が広いのは我が幼馴染どのなのだ。私の視点で判断しきれないことは、レミリアに任せる他ない。

 

脳内の思考に決着を付けて、グラスに残ったウォッカを飲み干してから立ち上がる。クセが強くて常飲したいとは思わんが、たまに飲むくらいなら結構美味いな。今度見つけたら買っておくか。

 

「それじゃ、協力云々は議会経由でレミィに送ってくれたまえ。私はこのことを直接報告してくるよ。」

 

「……ああ、ソヴィエトは海での戦いを望むだろう。それはそのまま受け入れろとスカーレットに伝えておけ。期待以上の働きをしてくれるはずだ。」

 

「はいはい、了解だ。」

 

海戦か。……私にとってはあまり望ましくない展開だな。海は好かんぞ。ちょっとだけ苦い顔になりつつも、アンネリーゼ・バートリは姿くらましのために杖を振るのだった。

 

 

─────

 

 

「面倒ね。明らかに『誘い』よ? これは。」

 

魔法省地下一階の魔法大臣執務室。応接用のテーブルを埋め尽くす書類を指差しながら、レミリア・スカーレットは大きく鼻を鳴らしていた。小生意気にも程があるぞ。スパイの炙り出しでもするつもりか?

 

十二月二十八日。今日になって一斉にスパイや『協力者』たちから情報が入ってきたのだ。全てに共通している情報は、『三十一日の深夜、例のあの人が船を使って兵を送る』である。どうやら仮面どもはお船でカウントダウン・パーティーを開きたいらしい。

 

しかし、その内容は細部が違っていた。北海、イギリス海峡、ケルト海、アイリッシュ海。船が通る海域も様々で、ルートも様々。当然ながら目的地となる港もバラバラだ。

 

本命がどれか一つなのか、複数なのか、全てなのか、もしくは……そもそもがスパイを釣り出すための大嘘なのか。判断に悩む私、ボーンズ、スクリムジョールの三人は、この部屋でひたすら議論を繰り返しているというわけだ。

 

うんざりした表情の私の言葉に、ボーンズが目の前のコップを弄りながら返事を返してくる。紅茶ではなく、水だ。今は優雅にお茶を飲む気分ではないらしい。

 

「ですが、無視することは出来ません。情報源を特定されないためにも、全てに対処する必要があるでしょう。」

 

「叶うならそうしたいけど、現有の戦力だけじゃ確実に足りないわ。……各国からの協力を募るしかないわね。」

 

「今こそこれまで行ってきた外交の成果を示す時ですわ。ヨーロッパ、アフリカ、そしてアメリカ。各国の魔法界に協力要請を打診しましょう。」

 

……止むを得んな。空振りだった時が怖いが、出し惜しみしていられるような状況ではないのだ。私が頷いたのを見て、スクリムジョールが杖を振って机の上の地図に作戦の詳細を浮かび上がらせた。

 

「最悪の可能性を想定しておきましょう。つまり、協力者から知らされたルートに加えて、情報に無いルートも使ってくるという可能性を。……三日しか時間が無い以上、出航する場所を全て特定するのは不可能です。なので、三段階に作戦を分けます。出発地を叩く部隊、航行中を叩く部隊、目的地で待ち伏せる部隊に。」

 

「……頭が痛くなってくるわね。どれだけの戦力が必要なのかしら?」

 

「出発地に関してはそれぞれの国に警告を発すればいいでしょう。そちらの港から、テロリストが海を渡る可能性があるぞ、と。面目を保つために勝手に警戒してくれるはずです。」

 

まあ、そりゃそうだ。易々とそんなことを許す国は存在すまい。私が連絡すべき国々のリストを頭の中で整理しているのを他所に、今度はボーンズが地図上の北海を指差して声を上げる。

 

「問題は、航行中の船を叩く部隊ですね。……魔法使いの海戦など何世紀も前の話ですよ? 私には何をどうすればいいのかが見当もつきません。」

 

珍しく弱音を吐いたボーンズに、スクリムジョールもまた顔を歪めて言葉を返す。

 

「箒で海域を周回し、怪しい船を見つけたら集合して乗り込む。……どう思いますか?」

 

あまり名案とは思えんな。そして、自分でも上策とは思えなかったのだろう。あまり鋭さの無いスクリムジョールの提案に、肩を竦めて答えを放った。

 

「忘れちゃいけないのは、吸魂鬼が未だ見つかっていないって点よ。そもそもあの連中は海を彷徨うマグルたちを食い物にしてたんでしょう? リドルに従ってるとなれば、航路の『警備』に当ててくるんじゃないかしら?」

 

「……失念しておりました。確かに吸魂鬼を利用されたら厄介ですね。」

 

「この際、海で叩くのは止めて地上での防衛に全戦力を当てるべきかもね。マグルはともかくとして、イギリスの魔法使いは海での戦い方を知らなさすぎるわ。」

 

私も、ボーンズも、スクリムジョールも良い考えが浮かばないのだ。マグルの首相に船を『おねだり』してみてもいいが……まあ、根本的な解決にはなるまい。不正確な対処に戦力を割くくらいなら、沿岸部の防衛に回した方がまだマシだろう。

 

私の言葉にボーンズとスクリムジョールが頷こうとしたところで……何だ? 部屋の扉をノックする音と共に、入室を求める声が聞こえてきた。

 

「あの、国際魔法協力部のブリックスです。ソヴィエトの魔法議会から緊急の通達がありまして。えーっと……その、伝えてこいと。」

 

「入りなさい。」

 

もうすっかり『上層部担当』だな。ボーンズの許可に従って入室してきた使いっ走り君は、部屋の面子を見て少しだけ情けない顔になると、手元に抱えていた羊皮紙をボーンズに渡して報告を話し始める。

 

「ええと、つい先程ソヴィエトの議会から連絡があったんです。その、戦力を派遣する用意がある、と。」

 

戦力を派遣? 首を傾げながら詳細の書かれた羊皮紙を覗き込んでみると……そこにはヴォルデモートがイギリスに兵を送ろうとしていること、それを防ぐためにソヴィエト議会は海戦の用意を整えていること、領海進入の許可と作戦の詳細を伝えるための人員の受け入れをしてもらいたいことなどが丁寧な英語で書かれていた。

 

「……ふん。」

 

グリンデルバルドか。文面から透けて見えるあの男の影に、少しだけ躊躇いが生まれるが……仕方あるまい。現状では渡りに船の提案なのだ。私の好き嫌いで撥ね除けるにはあまりに惜しすぎる。

 

「いいわ、ソヴィエト議会には……何よ、どうしたの?」

 

顔を上げて賛意を表明しようとしたところで、何故かビクビクしているブリックスと、胡乱げな表情のボーンズとスクリムジョールが見えてきた。

 

「いえ、その……随分と冷たい表情をしていらしたので。ソヴィエト魔法議会の策略ということですか?」

 

む、いかんな。顔に出てたか。代表して恐る恐る聞いてくるボーンズに、首を横に振って返事を送る。確証は無いが、この状況で無駄な小細工はしてこないだろう。

 

「いえ、違うの。ちょっと個人的な事情が絡んでただけよ。……私は受け入れるべきだと思うわ。当然、借りっぱなしにならないように調整する必要はあるけど。」

 

「……分かりました。では、先に説明をする方の受け入れを進めておきましょう。」

 

執務机に移動して必要な書類を準備し始めたボーンズを見ながら、ソファに沈み込んで大きなため息を吐く。……私がグリンデルバルドと『共闘』だと? 酷いジョークだな。

 

当然、気に食わない。リーゼはあの男をいたく気に入っているようだが、私は基本的にグリンデルバルドが好きではないのだ。指導者としての実力を認めはすれど、やはり敵というイメージが強いのである。

 

ま、いいさ。それでもリドルよりかはまだマシだ。あの男の吠え面が見られるのであれば、グリンデルバルドとおてて繋いで仲良しごっこをしてやろうじゃないか。

 

半世紀前には考えられなかったような状況に呆れながらも、レミリア・スカーレットは細かい戦力の計算を始めるのだった。

 



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北海の戦い

 

 

「いやぁ、さすがの私もゾッとしますね、この風景は。」

 

従姉妹様に首根っこを掴まれて『空輸』されながらも、眼下を眺める紅美鈴は半笑いで呟いていた。何せ見渡す限り真っ暗な冬の海なのだ。ここに落とされたらひどく面倒なことになるだろう。寒いし。

 

一月一日になるかならないかの深夜。なんでもトカゲちゃんが各所から大量の船をイギリスに差し向けているとかで、その対処のために私も働く……というか、働かされる羽目になったのだ。せっかく暖炉の前でゴロゴロしてる予定だったのに、何とも迷惑な話ではないか。開ける予定だったお酒が泣いてるぞ。

 

まあ、うん。私にとっての本番は春節だ。その時今日の分も料理を食いまくろう。脳裏にお祝いの料理をリストアップする私へと、頭上の従姉妹様が返事を寄越してくる。若干呆れた感じの声色だ。

 

「それでも私よりかは楽しいだろうさ。視界いっぱいに広がる『流水』。吸血鬼にとっての悪夢は真昼の海だよ。……雨だったらなお悪いけどね。」

 

「晴れてるし、夜だからまだマシってことですか?」

 

「ポジティブに過ぎるぞ、その解釈は。」

 

うーむ、吸血鬼に対する最大の防御は海なわけか。だから肉料理に比べて魚料理はそんなに食べないのかな? あんまり使わなさそうな知識を増やしている私に、従姉妹様は深紅の瞳をキョロキョロさせながら口を開いた。曇り空の所為で私ですら遠くまでは見えないが、彼女にとって夜闇は苦ではないようだ。

 

「おっと、見つけたぞ。報告通りだ。」

 

従姉妹様の視線の先に目を凝らしてみると……おお、本当だ。夜の海に紛れて、明かりを完全に消している船団のシルエットが薄っすらと見えてくる。小さな船から巨大な船まで。形も大きさも多種多様なマグルの船で構成された、三十隻ほどの不揃い船団だ。

 

「グリンデルバルドさんからの報告なんですよね? あの人も前線に出てるんですか?」

 

「まさか。さすがにそこまで表立って動くわけにはいかないよ。ソヴィエト側が捕捉したって情報を回してもらっただけさ。」

 

「しっかし、よく見つけましたねぇ、あんなの。幽霊船団もかくやって雰囲気じゃないですか。」

 

私にはさっぱり分からんが、多分魔法的な隠蔽も施されているのだろう。マグルだってあれだけの船団を見逃すほどバカじゃないだろうし、島国のイギリスは特に海には敏感なはずだ。私の疑問を受けた従姉妹様は、徐々に船団に近付きながら返事を返してきた。

 

「年季が違うのさ。所詮は急拵えの紛い物。『本物』の幽霊船団の目を欺くのは無理があったわけだ。」

 

「『本物』?」

 

「見てれば分かるよ。後五分くらいすれば作戦が開始されるはずだしね。」

 

言いながら高度を下げた従姉妹様は、不揃い船団の直上に位置どると、私に向かって『お仕事』の説明を放ってくる。

 

「美鈴、キミはあの一番デカい船を沈めたまえ。私は逃げようとする小さいのを潰して回るから。……言わなくても分かると思うが、ソヴィエトの魔法使いは味方だ。殺さないように。」

 

「いいですね、あれだけデカいとやる気が出ますよ。武闘家の血が騒ぎます。……赤いローブを殺さなきゃいいんですよね?」

 

「その通り。姿くらまし妨害術はすぐに展開されるはずだから、顔を見られたらなるべく全員殺しちゃってくれ。ソヴィエトの魔法使いに見られたら……まあ、その時はその時さ。ゲラートになんとかしてもらおう。」

 

「了解です。要するに、十五年前と同じってことですね。」

 

やっぱり従姉妹様の指示は分かり易くていいな。小難しいことは考えず、赤ローブ以外は見たら殺せばいいわけだ。私が久々の戦闘にワクワクしている間にも、従姉妹様がニヤリと笑って声を上げた。

 

「おや、始まったぞ。……少し手伝おうか。ネビュラス(霧よ)。」

 

どこか愉しげな従姉妹様が取り出した杖を振るのと同時に、辺りに深い霧が立ち込め始める。その他にも海の至る場所から霧が発生しているようだ。どんどん広がる濃霧で、不揃い船団の姿が微かにしか見えなくなった頃──

 

「来るぞ、美鈴。開戦だ。」

 

まるでその声が合図だったかのように、不揃い船団の真下の水中から一斉に木造の戦列艦が飛び出してきた。……いやぁ、これは確かに壮観だな。十五隻くらいか? 派手な水飛沫を上げながらマグルの船に激突した戦列艦は、木造とは思えぬ頑丈さでいくつかの小型船をひっくり返すと、同時にその巨大な帆を広げる。銀朱に金糸で双頭の鷲が描かれた、ソヴィエト魔法議会を示す帆を。

 

「……こりゃまた、大したもんですね。」

 

「んふふ、ここからさ。」

 

空中の私たちが話している間にも、戦列艦から伸びる鉤爪の付いた太い縄が、意思を持つかのようにマグルの船の各所に巻き付き始めた。それに引っ張られるようにして戦列艦は敵船との距離を縮めると……次の瞬間、甲板から飛び出した赤い影が次々とマグルの船に乗り移っていく。飛翔術かな?

 

「切り込みですか。」

 

「古き良き接舷攻撃ってわけだ。ロマンがあるじゃないか。」

 

うーむ、この辺は二千年前から変わらんな。霧に紛れて呪文が行き交っているのを見るに、どうやらソヴィエトの魔法使いたちが敵船に乗り込んで戦闘を始めたようだ。静かな波の音だけが響いていた深夜の北海は、今や激しい戦闘音で彩られている。

 

「従姉妹様、従姉妹様、まだですか? ウズウズしてきました!」

 

ぬあぁ、辛抱堪らん! 目の前で繰り広げられる戦いに当てられてジタバタする私に、従姉妹様は苦笑しながら注意を投げかけてきた。

 

「船をぶっ壊したら分かり易い位置に移動してくれよ? 私が空から回収するから。キミだって寒中水泳をしたくはないだろう?」

 

「分かりましたから、早く早く!」

 

「はいはい。それじゃ、行っといで。」

 

言うや否や、眼下に浮かんでいる一番巨大な船に向かって放り投げられる。飛べはしないが、落下を制御するくらいなら出来るのだ。少しだけ方向を修正して巨大すぎる甲板に下り立つと……そうこなくっちゃな。甲板に置いてあるコンテナの陰から、色とりどりの閃光が大量に飛んできた。

 

「おっとっと。」

 

いくつかを両手で叩き落として、残りを避ける。緑色のやつ……死の呪文だっけか? やっぱりこれはちょっと痛いな。なるべく避けよう。赤いのはピリピリするだけだし、そんなに気にしなくてもいいはずだ。

 

「何だ、こいつは。呪文が──」

 

「えへへ、どーもどーも。」

 

蹴りで一番近くに居た男を『弾け』させつつも、近くにあったコンテナを殴りつけて別のコンテナの方へと吹っ飛ばした。いいぞ、ナイスシュート。コンテナ同士で玉突き事故になっちゃってるし、あの後ろにいたヤツらは多分潰れたはずだ。

 

「そぉ、れっと。」

 

ついでに残った近くのコンテナを掴んで、遠くに見える艦橋らしき場所に向かってぶん投げる。結構長い滞空時間の後……おー、ストライク。轟音と共に艦橋の中へとコンテナがめり込んでいった。

 

でも、あんまり意味なさそうだな。そもそも魔法で動かしてるんだろうし、お行儀良く艦橋に居るってことはないのかもしれない。……ま、いいか。どうせ沈めるんだ。どれだけ壊したって怒られはしないだろう。

 

ステューピファイ(麻痺せよ)! ステューピファイ! クソが、誰かこいつを──」

 

「どもどもー。」

 

被害に気を遣わなくて済むのは良いことだ。うんうん頷きながら数人を『処理』したところで、ふと根本的な疑問が鎌首をもたげる。この船、どうやって沈めようか? 全長でいったら三百メートルくらいは余裕でありそうだし、これだけデカいとなると結構苦労しそうだぞ。

 

んー……よし、船底に穴を空けてみよう。仕組みに関してはよく知らんが、穴を空けまくればどんな船でも沈むはずだ。ちょっと前にイギリスの豪華客船もそれで沈んだはずだし。……あれ、違ったっけ?

 

まあいいや、思い付いたら即実行。船底に向かうため甲板に穴を空けて、そこにひょいっと飛び込んでみると……わぁお。微かに燃料の臭いがするだだっ広い空間に、懐かしの巨人族たちがうじゃうじゃと突っ立っているのが見えてきた。まんま『密入国中』って感じだな。これに比べれば三等客室だって天国だろう。

 

「お邪魔しますねー。」

 

十、十五、二十……くらいかな? とにかく『たくさん』だ。急に落ちてきた私を一斉に見た巨人たちは、目をパチクリさせて一瞬沈黙すると、次の瞬間には荒々しい雄叫びを上げながらこっちに突っ込んで来る。いいぞ、少しは楽しめそうじゃないか。

 

「それじゃ、やりましょうか。」

 

やっとまともな戦いが出来そうだ。にへらと笑って全身に気力を漲らせながら、紅美鈴はこれを『楽しんだ』後に船を沈めようと決意するのだった。

 

 

─────

 

 

「やあ、良い夜だね。」

 

その巨大な肩に足を乗せて、よいしょと巨人の頭を『引き抜き』ながら、アンネリーゼ・バートリは目の前の赤ローブへと挨拶を放っていた。失礼なヤツだな。助けてやったっていうのに、どうしてバケモノを見る目になってるんだ。

 

北海での戦闘が始まってからそれなりに時間が経過している今、戦況は優勢から劣勢、そして再び優勢に戻りつつある。最初の優勢は奇襲によるアドバンテージ、次の劣勢は巨人と吸魂鬼の出現による混乱、そして今の優勢は立て直したソヴィエト側の攻勢によるものだ。

 

今なお空には無数の吸魂鬼が飛び回っているが、それぞれの船の周りを囲む守護霊たちによって近付けていないし、想定外だった各船の巨人どもは私が頑張って減らしまくったお陰で少なくなってきた。……感謝しろよな。こんなに疲れたのは久々だぞ。

 

そんな中、中型のマグルの船の甲板で、指揮を執っているらしき赤ローブが襲われているのを見て助けに入ってやったのだ。赤ローブはゴトリと地面に落ちた巨大な頭を引きつった表情で見つめた後、杖を下ろして私に声を放ってきた。かなり訛りがあるが、きちんと英語で。

 

「……救援、感謝する。イギリスの吸血鬼か?」

 

「如何にも、その通りさ。それにまあ、感謝は不要だよ。キミたちはイギリスのために戦ってくれてるわけだしね。」

 

「我々は祖国の命令を遂行しているだけだ。イギリスのためではない。他の巨人も君……貴女が?」

 

「目立つのはあらかた片付けたけどね。多分まだ居ると思うよ。気をつけたまえ。」

 

結構な量を『積んでた』みたいだしな。向こうで数隻の戦列艦に引っ張られて転覆させられているマグルの大型船を眺めながら言ってやると、赤ローブは小さく頷いてから口を開く。

 

「だが、もう抵抗は少ないだろう。小型、中型の船は殆ど制圧し終わった。残るはあの……巨大な船だけだ。」

 

言いながら赤ローブが指差したのは、開戦時に美鈴を投下したタンカー船だ。甲板で激しく呪文の閃光が行き交っているのを見るに、あの場所が戦場の中心になっているらしい。お空の吸魂鬼どももうじゃうじゃと群がってるし。

 

「あー……多分、あの船はそろそろ沈むんじゃないかな。部下を退避させた方がいいと思うよ。」

 

「沈む……? それは──」

 

と、赤ローブが何かを聞こうとしてきた瞬間、金属が軋む轟音と共にタンカーが……ありゃまあ、折れちゃったみたいだな。船首と船尾が徐々に持ち上がり、中央の方が沈んでいくのが見えてくる。何をどうしたらそうなるんだよ。

 

「……なるほど、確かに退がらせた方が良さそうだ。」

 

「そのようだね。私も知り合いを回収に行ってくるよ。」

 

美鈴のやつ、派手にやるじゃないか。あれをへし折るってのはさすがに予想外だったぞ。若干呆れながら夜空へ飛び立とうとする私に、赤ローブが思い出したように言葉を放ってきた。

 

「待て。……既に我らが議会からイギリス政府に連絡が入っているはずだが、我々の網をかいくぐってイギリスへと落ち延びた船は多いぞ。貴女が戦力として期待されているのであれば、すぐにでもイギリスに戻った方がいい。」

 

「おや、やけに親切じゃないか。忠告感謝するよ。」

 

「『今は』協力体制にあるのだ。情報の出し惜しみはしない。」

 

今は、ね。背中越しに手をヒラヒラと振りながら夜空へと浮かび上がり、一息吐いてからタンカーの方へと飛行する。……やっぱり空に戻ると安心するな。船は好かん。こんなもん吸血鬼の乗り物じゃないぞ。

 

忌々しい海から離れるように高度を取って、ゆっくりゆっくり沈没し始めたタンカーの周りをぐるぐる回っていると……おっと、居たな。今や斜めになってしまった船首の先で、タンカーを沈没させた極悪妖怪が手を振っているのが見えてきた。

 

「やあ、美鈴。やったじゃないか。勲一等だぞ。」

 

服が多少破れているが、別段怪我した様子はないな。当たり前か。かなり楽しそうな笑顔になっている美鈴に近付いて話しかけてみると、彼女は軽やかに跳んで私の手を取りながら返事を返してくる。

 

「いやぁ、久々に良い運動が出来ましたよ。……でも、やっぱりちょっと鈍ってましたね。思ったより時間が掛かっちゃいました。」

 

「なぁに、これからいくらでも機会はあるさ。この様子を見るに、巨人の殆どはリドルに付いたみたいだしね。」

 

ハグリッドやマクシームの頑張りは功を奏さなかったわけか。……まあ、そりゃそうだ。こと巨人に関しては、どう頑張ったってこの結果になるのは目に見えていたのだから。交渉するには少々野蛮すぎる生き物だぞ、あいつらは。

 

然もありなんと頷く私に、美鈴が嬉しそうな表情で話しかけてきた。

 

「いやー、幻想郷に行く前の良い鍛錬になります。……ただ、ちょっと動きにキレが無いのが不満点ですけどね。武闘家の巨人とかっていないんでしょうか?」

 

「『ぶん殴ってダメなら、より強い力でぶん殴る』って種族だからね。脳みそを使った戦い方を期待するのは無駄だと思うよ。」

 

「変な話ですよねぇ。私たちより頭が大きいんだから、脳みそも大きいはずなのに。……不思議です。」

 

「単純な大きさじゃなくて、体重に対しての比率が重要らしいよ。……まあ、詳しいことはどうでも良いさ。重要なのは、巨人がおバカさんだって事実だけだ。」

 

巨人ってのは、トロールより少しだけ頭が良い程度の種族なのだ。つまり、超バカなのである。……別に差別するつもりはないが、こればっかりは厳然たる事実なのだからどうしようもあるまい。

 

だが、それ故に厄介な敵でもある。連中がマグルに対しての隠蔽なんぞに気を遣うはずなどないし、デカい分露見の危険性も増えるだろう。その辺は吸魂鬼の方がまだマシだな。向こうは霧にしか見えないわけだし。

 

何にせよ、巨人を運搬しているのが分かった以上、なるべく多くを北海の藻屑にしてやらねばなるまい。イギリスに入った後では面倒なことになるのだ。

 

「それじゃ、一旦レミィの所に戻ろうか。他の船が何処に居るのかはさっぱりだし、いくらかの船はもうイギリスに上陸してるはずだ。次はそっちの対処になるかもね。……それに、海なんかに長居するのは御免だよ。」

 

「ま、そうですねぇ。もっと揺れる船の上なら楽しいかもですけど、マグルの船は全然揺れないんですもん。これじゃあ船上で戦ってる意味ないですよ。」

 

戦闘バカめ。見当違いなことを言う美鈴をジト目で眺めつつ、アンネリーゼ・バートリは懐から杖を取り出すのだった。

 



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埠頭の戦い

 

 

「何だってこんな日にこういうことをするのかしらね。」

 

漆黒に染まる深夜の北海を眺めながら、アリス・マーガトロイドはうんざりしたように呟いていた。死喰い人は新年のお祝いもしないのか? ……まあ、しないか。全然イメージ出来ないし。

 

今日は十二月三十一日……じゃなくて、もう零時を過ぎたから一月一日。つまりは1996年が始まった直後である。魔法使いもマグルもみんな揃って今年一年の始まりを祝っている中、私たちはノリッジ北東の小さな港町でひたすら海を眺めているわけだ。海風で滅茶苦茶寒いし、長い人生でも最悪の年始だぞ。

 

闇祓い、魔法警察、そして魔法戦士たち。家族の団欒を放ってまで私たちが小さな埠頭に集まった理由はただ一つ。死喰い人たちが船で北海を渡ってくるという情報を掴んだからである。

 

なんでも複数の情報源から、今日いくつかの港に死喰い人を載せた船が到着する『可能性がある』との報告が上がってきたそうだ。ここ数日は慌ただしかったので詳細は聞けていないが、かなり大規模な作戦が展開しているらしい。

 

アメリアは身内のスパイを警戒しているようで、現場の魔法使いが握っている情報にも差があるのだが……まあ、詳しい話は事が終わった後にでもゆっくり聞けばいいだろう。レミリアさんは少ない準備期間の所為で忙殺されているし、リーゼ様もグリンデルバルド側の動向を確かめるために動いている。今は私の疑問に時間を割いてもらうべきではあるまい。

 

それに、ある程度の予想は出来ているのだ。リドルがわざわざ船で輸送するということは、そうでもしないと運びきれない『積荷』があるということなのだろう。それだけで厄介な臭いがプンプンするぞ。

 

マグルの倉庫らしき建物の陰に隠れながら海を見張る私に、隣のガウェイン・ロバーズが話しかけてきた。レミリアさん、スクリムジョール、ムーディなんかはそれぞれ別の港に向かったので、この場所の責任者は彼ということになっている。

 

「……来ませんね。小さな港ですし、やはりここはガセだったんでしょうか?」

 

「まだ分からないわよ。年明けを選ぶって時点で充分意表を突いてきてるんだから、どんな場所を選んだって不思議じゃないわ。」

 

「本当に余計なことをしてくれますよ。……今日仕事があると伝えたら、妻に怒られてしまいまして。こんな日まで妻子を放っておくなんて何事だ、ってな具合に。さすがに反論出来ませんでした。」

 

「家庭持ちの苦労ってわけね。ご機嫌取りの方法を今から考えておいた方がいいわよ。帰った後で絶対に必要になるわ。」

 

きっと心配の裏返しなのだろう。苦笑しながら言ってやると、ロバーズは情けなさそうな顔で返事を返してきた。

 

「いや、その通りですね。妻には新しいローブでも贈ってやらないと。息子には……マーガトロイドさんはどう思いますか? 恥ずかしいことに、息子に何を贈ったらいいのかがさっぱりでして。」

 

「確か、まだ三歳なのよね? ……うーん、それならやっぱりオモチャとかじゃない? 女の子なら分かるんだけど、男の子だと私も分からないわ。」

 

「オモチャですか。……参りましたね、全然良さそうなのが思い付きません。」

 

「いっそ悪戯専門店にでも連れて行ってあげなさいよ。男の子ならあの店は大好きでしょう?」

 

そこで『偽杖』だの『増殖癇癪玉』だのを買ってやれば万事解決のはずだ。……いやまあ、奥さんには怒られるかもしれないが。家中の物がふわふわ浮きまくったり、あらゆる場所に癇癪玉が転がったりしているのは嬉しい光景ではあるまい。

 

しかしロバーズはそこまで考えが及ばなかったようで、嬉しそうな笑顔で首肯を寄越してくる。……後で文句を言わないでくれよ?

 

「そうですね、そうしましょう。このところ忙しくて構ってやれませんでしたし、次の休みにでも家族を連れて──」

 

「ガウェイン、アリスさん!」

 

話の途中、急に割り込んできたのは……トンクス? 後方を見張っていたはずのニンファドーラ・トンクスだ。常になく真剣な表情を浮かべている彼女は、私たちに向かって口早に報告を放ってきた。

 

「向こうに誰かが姿あらわししてきたよ。黒ローブで、マグル避けの呪文を使ってた。プラウドフットが報告に行けって。」

 

「一人か?」

 

「ううん、三人。今はとりあえず隠れて監視してる。……どうすればいい?」

 

「……どう思います? マーガトロイドさん。」

 

いやいや、責任者はそっちだろうに。偵察用の人形を一体差し向けながら、こちらを見つめてくる熟練と新人の闇祓い二人に答えを返す。

 

「泳がせましょう。多分、港の安全を確認しにきた偵察役よ。今確保すれば怪しまれて引き返される可能性があるわ。……それと、指揮所のアメリアに報告すべきね。」

 

「なら、私がやるよ。」

 

言うや否や耳の長い兎の守護霊に伝言を託すトンクスを右目で見つつ、左目を人形の視界に繋げて確認してみれば……うーむ、分かり易い。どう見ても『私は闇の魔法使いです』という黒ローブ三人組が、港にマグル避けの呪文をかけまくっているのが見えてきた。

 

まあ、当然私たちも事前にかけているから無意味なわけだが……参ったな。この分だと一波乱ありそうだぞ。かじかんだ手を摩りつつ、肩を竦めてロバーズに向かって言葉を送る。

 

「どうやら『当たり』を引いたみたいよ、ロバーズ。今年はツキがありそうね。」

 

「全然嬉しくありませんけどね。……トンクス、全員に見つからないよう警戒しろと伝えてくれ。」

 

「オッケー、行ってくる。」

 

さて、どうしようか。足音を消して指示を伝えに行ったトンクスを見送りながら、杖を片手に思考を回す。ここに居る戦力は闇祓い四人と魔法警察八人、それに魔法戦士が五人。一応それなりの規模にはなっているが、小さな港ということで熟練は私とロバーズだけしか配置されなかったのだ。

 

問題は他の港がどうなっているかだな。動きがあったのがここだけなら、魔法省で指揮を執っているアメリアがすぐさま増援を割り振って──

 

「マーガトロイドさん、船です。」

 

おっと、考え込んでる場合じゃないようだ。ロバーズの緊張した声で思考を切り上げて、海の方へと視線を戻してみれば……明らかに魔法使いが動かしている船が夜闇の向こうに薄っすらと見えてきた。どう考えても静かすぎるし、速すぎる。魔法で動かしているのは間違いあるまい。

 

っていうか、思ってたよりも大きいぞ。船には全然詳しくないが、ロンドンで見た水上バスとは比較にならないほどの大きさだ。明らかに貨物とかを載せるやつじゃないか。……恐らくマグルから拿捕したのだろう。どこまでも迷惑な連中だな。

 

呆れた気分で近付いてくる船を眺めていると、顔を引きつらせたロバーズがポツリと呟いた。

 

「ちょっと……大きすぎませんか? 想像してたのとサイズが違うんですが。もっと『可愛らしい』やつかと思ってました。」

 

「私もよ。……小さいなら沖で沈めてやろうかとも思ってたんだけど、あれはさすがに無理そうね。」

 

私たちが話している間にも、船はどんどん埠頭に……ちょっと待った、全然減速しないぞ。いくら魔法で制御しているとはいえ、慣性は万物に適用されるはずだ。それなのにあの場所であの速度ってことは──

 

「ロバーズ、部隊を退がらせなさい! 突っ込んでくるわよ!」

 

なんてことを考えるんだ、あの連中は! 素早く杖を振って、少しでも勢いを殺すために埠頭の地面を次々にめくれ上がらせる。無音な上に速いとなれば、情報が行き渡る前にこの場所に突っ込んでくる可能性があるのだ。そうなれば隠れている味方は船の下敷きになってしまうだろう。である以上、もはや隠密云々などとは言ってられない。

 

同時にロバーズが杖を振って、空高く後退を意味する青い煙を上げた。これで私たちが居ることは完全にバレたわけだ。待ち伏せのメリットが消えてしまったな。

 

「マーガトロイドさん! 姿くらましを!」

 

「ギリギリにやるから、貴方は先に行きなさい!」

 

姿くらましが出来ないようなヤツはさすがにいないはずだが、合図を確認するまでにタイムラグがある可能性は捨て切れないのだ。だから少しでも時間を……ああもう、煙を見て船が加速したぞ! 死喰い人なんて大っ嫌いだ!

 

物凄い速度で埠頭に近付いてきた貨物船は、そのまま轟音と共にコンクリートの地面に乗り上げると、私の作った障害を易々と破壊しながらこちらに突っ込んでくる。これはまた、大迫力だな。ずっと昔に見たマグルの怪獣映画みたいだ。

 

「アレスト・モメンタム!」

 

ダメ元でありったけの魔力を注いだ停止呪文を撃ち込んでから、短距離の姿くらましで少し離れた倉庫の屋根に移動してみると……そりゃそうだ。止まるはずがない。私の停止呪文などささやかな抵抗にすらならず、立ち並ぶ倉庫に巨大な貨物船が突っ込んでいる光景が見えてきた。この瞬間、魔法事故リセット部隊の正月休みは消滅したわけだ。

 

というか、船の方も完全に横転しているぞ。地面に擦れた部分は酷くひしゃげているし、乗員が無事なイメージはまったく伝わってこない。……イカれてるな。一体全体何を考えているんだ?

 

現実離れした大災害の光景に少しだけ呆然とした後、気を取り直して周囲を見回す。少し離れた屋根に闇祓いのプラウドフットたちが、向こうの地面にも四人、それに……おいおい、戦闘が起きてるのか? 船体から炎を上げ始めた貨物船の向こう側で、閃光の光が行き交っているのが微かに見えてきた。

 

「プラウドフット! 貴方は散らばった味方を纏めなさい! 私は向こうの応援に行くわ!」

 

「は、はい! 回収したら我々もそちらに向かいます!」

 

大声でプラウドフットに指示を出してから、再び姿あらわしで反対側の倉庫の屋根に移動する。そのまま下を覗き込んでみると……どうやらロバーズ率いる四人の味方が、同数の死喰い人とやり合っているらしい。避難してきたところでバッタリ出くわしたか?

 

まあ、何にせよ容赦する理由などない。こっそり七体の人形を向かわせて、後ろから一気に襲いかからせた。

 

インペディメンタ(妨害せよ)! ……闇祓いを先に狙え! 真ん中の──』

 

『ヒュブナー? どうした? ……気を付けろ、人形使いだ! 人形使いがっ、やめっ……やめろ! 誰かたす、助け……。』

 

イタリア語で何か指示を出していたヤツを上海が棍棒でぶん殴って昏倒させたのを皮切りに、残りの人形たちも素早い動きで三人の死喰い人たちをボコボコに殴りつけていく。……うんうん、いいぞ。有言呪文は単純に口の辺りを殴ることで妨害し、無言呪文は殴りまくって集中を切らすことで対処するわけだ。要するに、とにかく気絶するまで殴り続けるのである。

 

単純だが、これが結構有効なのだ。ふわりと地面に下り立って『正常』に動作していることに頷いていると、杖を下ろしたロバーズが呆れた表情で突っ込みを入れてきた。

 

「……そういうことをするから『悪名』が広まるんじゃないですかね。こいつらどう見てもイギリス人じゃありませんけど、それでも貴女の名前を知ってたみたいですよ?」

 

「うーん、有名人になっちゃったみたいね。良い気分だわ。……顔にサインでもしてあげようかしら?」

 

「泣いて喜びますよ、きっと。……しかし、他には居ないんですかね? 四人だけであの規模の船を動かせるとは思えないんですが。」

 

「横転の直前に向こうも短距離の姿くらましで移動して、こいつらは運悪く貴方たちと同じ場所に出てきちゃったんでしょう。多分他にも……先に行くわ! 人を纏めてから来なさい!」

 

話している途中、今度は横転した貨物船の船首の方で闇の印が上がる。即座に姿あらわしで移動してみれば、十人近い黒ローブたちが一斉に姿くらましを……おや、見知った顔が残っているじゃないか。細身の長身にストライプのスーツ、気取った雰囲気のシルクハットと老獪さを感じさせるキツネのような顔。脱獄したリドルの腹心、エバン・ロジエールだ。

 

「……久しぶりね、ロジエール。アズカバンで死んでてくれなくて残念だわ。」

 

「これはこれは、人形使い。お変わりないようで何よりだ。期待に添えず済まないな。……ところで、あの忌々しいイカれ男は一緒ではないのか? 新年の挨拶をしておきたかったんだが。」

 

言いながらロジエールは杖を振って、施していた複雑な呪文を完成させた。……姿くらまし妨害術か? いい度胸じゃないか。これで誰も援護に来れないし、私もロジエールも逃げられなくなったわけだ。一対一なら負ける気はしないぞ。

 

「心配しなくても後で会えるわよ。……魔法省の拘留室でね!」

 

返事と共に、解き放った七体の人形を襲いかからせる。対するロジエールはそれを予測していたかのように素早く杖を動かすと、巨大な船の残骸をいくつかこちらに飛ばしてきた。当然、人形にも当たる軌道でだ。

 

「あまり侮らないで欲しいな、人形使い! お前の戦い方は十五年前に何度も見た! 同じ手が何度も通用すると思うのか?」

 

「思うわ。」

 

四体で飛んできた残骸を叩き落とし、三体をそのまま向かわせて、私自身は杖を振って失神の無言呪文を飛ばす。……そっちがアズカバンで何をしていたのかは知らないが、こっちは十五年間で研究を進めていたのだ。昔の私とは違うぞ。

 

「相も変わらず、面倒な……デューロ(固まれ)!」

 

人形の動きを見たロジエールは船から上がる黒煙を操ると、蛇のように自身の周囲に巻きつかせてから、それを固めて真っ黒な壁を作り出した。……ふん、構うもんか。壁ごとぶっ飛ばしてやる。

 

「エクスパルソ!」

 

私の破砕呪文で真っ黒な壁が砕け散ると同時に、三体の棍棒を持った人形がロジエールに襲いかかるが……ロジエールはひたすら船の方に後退しながら次々と黒煙の壁を作り上げていく。

 

「逃げの一手ってわけ? エクスパルソ!」

 

「いや、違う。私とて自分の実力くらいは把握しているさ。故に、端からお前に勝てるとは思っていない。今宵、お前の相手をするのは……『彼』だ。」

 

黒煙の中からロジエールの勝ち誇るような声が聞こえてきた瞬間、真っ黒な壁が向こう側からぶち破られて……嘘だろう? 凄まじい大きさの巨人が飛び出してきた。口からはダラダラと涎を垂らし、獰猛な両の黒い瞳でハッキリと私を睨み付けている。船で運んでいたのは『これ』か!

 

「ガスター、その女を殺せ! 帝王への忠義を示すのだ!」

 

ロジエールの言葉を受けて、八メートルほどの巨人は……勘弁してくれよ。大きな雄叫びを上げながら私の方へと突っ込んできた。両腕をブンブン振り回している姿からは『知性』というものを感じられないが、ここまで大きいとそんなもん関係なさそうだ。

 

巨人が雄叫びを上げて突っ込んでくるという状況に一瞬身が竦むが……ええい、動け、アリス! 迷えば死ぬぞ! とりあえず最も付き合いの長い二体の人形を使って、遥か高みにある顔を思いっきりぶん殴ってやる。

 

「上海、蓬莱! フューモス(煙よ)!」

 

正に小人と巨人だな。巨人と比べると指人形みたいな二体が棍棒で顔を殴るのと同時に、白い煙幕を張ってから全力で横に走り出す。煙幕の隙間からロジエールが飛翔術で飛び去るのが見えるが、さすがに構っている余裕などない。私は火急の『巨大な』問題を抱えているのだ。

 

響く足音が近付いてきた瞬間、思いっきり地を蹴って横に飛ぶ。地面に倒れ込みながら後ろを振り返ってみると、さっきまで私の居た場所を巨人が踏み付けているのが見えてきた。おいおい、コンクリートが深々と凹んでるぞ。

 

ヤバい、ヤバい、どうしよう。巨人は魔法力への抵抗があるし、普通に失神呪文なんか撃っても効かないはずだ。人形の打撃だって蚊に刺されるようなもんだろう。リーゼ様や美鈴さんはこんな生き物を『殺しまくった』のか? 滅茶苦茶だぞ、そんなもん!

 

あの二人の理不尽さを改めて実感しつつ、近くにあった瓦礫を浮かせて形成して……即席の巨大な槍にして打ち込んでみる。パチュリーならともかくとして、私の魔法力じゃ抵抗されるのが目に見えているのだ。ならば、力押しではなく細やかさで勝負するしかない。

 

「……オパグノ(襲え)!」

 

かくして煙幕の中で『獲物』を探す巨人へと、私の作り出した二本の二メートルほどの金属の槍が激突するが……うわぁ、凄いな。表皮が硬すぎたのか、筋繊維が強靭すぎたのか。何にせよかなり浅くしか刺さらなかったようだ。あれじゃあ爪楊枝が刺さったようなもんだろう。

 

それでも僅かな苦悶の声を上げた巨人は、浅く刺さった槍を引き抜くと……それを両手に構えながら、憤怒の形相で私に向かって襲いかかってきた。怒らせただけじゃないか! 私のバカ!

 

グリセオ(滑れ)!」

 

それならこうだ。今度は突っ込んでくる巨人の足元をツルツルにしてやれば、足を滑らせた巨人は轟音と共に思いっきり倒れ込む。呪文の肝は使い用。我ながらバカみたいなことをやっている自覚はあるが、こっちは命が懸かっているのだ。なりふり構っていられるか!

 

そのまま次は周囲の瓦礫を大量の鎖に変身させてから、杖を仕舞ってありったけの人形を取り出す。十五……いや、単純な作業だから二十はいけるはずだ。二十体の人形にそれぞれ鎖を持たせて、槍を杖のようにしてなんとか立ち上がっている巨人の方へと向かわせた。

 

つまり、リリパットたちに倣おうというわけだ。鎖を持った人形たちがぐるぐると巨人の周囲を回り始めると、無数の鎖がその巨体に巻き付いていく。いくらかは引き千切られているが……ええい、質より量だ! 構わずどんどん巻き付ける。

 

やがて昔見たガリバー旅行記の挿絵そっくりになった巨人は、唸り声を上げながら再び地面に倒れ込んだ。……うん、一応もうちょっと巻いておこう。当然、口にもだ。唸り声が怖いし。

 

「……ご苦労様。」

 

かなり念入りに拘束した後で、人形たちを回収して一息つく。今や巨人はなんだか分からん鎖の塊になってしまった。これ、どうすればいいのかな? 鎖の方なら浮遊魔法も効くだろうし、どこかに運ぶことは出来るだろうが……まさか巨人も拘留室に入れるのか?

 

まあ、その辺は後でいいか。巨人に対する対処法なんか知らないし、ロバーズにでも……ちょっと待て、ロバーズたちはどうして来ないんだ? 姿あらわしが無理だとしても、飛翔術は使えるはずだぞ。

 

脳裏に疑問が浮かんだ瞬間、杖を振って飛翔術を使う。来ないのではなく、『来れない』のだとしたら? そも巨人一体を運ぶにしては船が大きすぎる。他にも居る可能性があるぞ。

 

飛翔術独特の揺らめくような感覚を感じながら、一気に空高く上がってみれば……三体か。各所で三体の巨人と戦っている味方たちが見えてきた。『小柄』な五メートルほどのヤツにはそれぞれプラウドフット率いる魔法警察とトンクス率いる魔法戦士たちが、そして残る七メートルほどのヤツにはロバーズたちが……マズいな。あそこだけ明らかに押されている。援護に入るべきだろう。

 

行き先を決めた私がそちらにたどり着く直前に……ロバーズ! 味方を庇って巨人に吹っ飛ばされたロバーズが、真っ暗な海に落ちていくのが見えてしまった。

 

デプリモ(沈め)! ……インカーセラス(縛れ)!」

 

巨人の足元を沈めてよろめかせつつ、救出のために海の方へと人形を三体飛ばす。そのまま地面に下り立って、散乱する壊れた倉庫の壁を鎖に変えて巨人の首に巻きつけた。私は学習する魔女なのだ。二度目はさっくり終わらせてもらうぞ。

 

「同じようにやりなさい!」

 

周囲の味方に呼びかけてから、片方が巨人に巻き付いた鎖のもう片方を転がっていたコンテナに巻き付けて、杖を振ってそれを海へと放り投げる。味方たちも何をしたいのかに気付いたのだろう。同じように鎖を巨人の首に巻き付けて、それに『重し』をくっ付けて海に投げ込み始めた。

 

抵抗してその場に留まれば首の鎖で窒息、我慢できずに海に落ちれば溺死。果たして巨人は後者を選んだ……というか選ばされたようで、ズリズリと海の方に引き摺られていくと、最後は縋るように手を伸ばしてから水飛沫を上げて夜の海に消えていった。

 

それよりロバーズだ。踵を返して人形が救出したロバーズの下へと向かうと、魔法戦士の一人が血の混じった水を吐き出させているのが見えてくる。

 

「ロバーズは無事?」

 

「無事じゃないが、生きてる。……どうすればいい? 癒しの呪文を──」

 

「ダメよ。ひょっとしたら折れた骨が内臓に刺さってるかもしれないわ。変に癒すと却って悪化しかねないわよ。」

 

単純な切り傷とかなら癒しの呪文やパチュリーの薬でどうにでもなるが、骨が変に生えちゃったり、刺さったままで傷が再生しちゃうってのはいただけない。そうなってくると癒者に任せるしかないのだ。

 

「だが、姿くらましは出来ないぞ。」

 

「こうすればいいでしょ。……ポータス。」

 

その辺に転がっていた瓦礫の一つを聖マンゴへのポートキーにして、魔法戦士にひょいと渡す。妨害術を解呪する時間すら惜しいのだ。無許可のポートキーの製作は完全に違法行為だが、今は申請云々を気にしていられるような状況ではない。さすがにアメリアだって許してくれるだろう。

 

「ロバーズは任せるわよ。」

 

「ああ、確かに任された。」

 

ロバーズを抱きながらポートキーに巻き込まれるように消えて行く魔法戦士に一声かけた後、今度は残る二組の援護に向かおうとすると……その前に飛翔術で誰かが飛んで来るのが見えてきた。

 

「マーガトロイドさん! こっちは片付いたよ。プラウドフットの方も巨人を地面に『沈めて』たからもう大丈夫だと思う。……ガウェインは?」

 

トンクスか。地面に下り立った彼女の報告を聞いて、とりあえずはホッと一息入れる。巨人がマグルの町まで行ってしまったら悪夢なのだ。死喰い人は殆ど取り逃してしまったが、何とか歯止めをかけられたということだろう。

 

「少し傷を負ったから、聖マンゴに運んだわ。……それより、一応残りが居ないかをチェックしておいて頂戴。私は姿くらまし妨害術を解呪するから。」

 

「傷を? 大丈夫なの?」

 

「あの感じなら大丈夫よ。聖マンゴの癒者は優秀だもの。」

 

今回の作戦開始前に、アメリアが聖マンゴにも連絡を入れていたはずだ。癒者たちも己の戦場で戦ってくれているのだろう。今はそれを信じるしかない。

 

私の頷きを受けたトンクスは、それでも少しだけ心配そうに言葉を放ってきた。

 

「うん……でもさ、ボーンズ大臣が増援を寄越さなかったってことは、他の場所も戦いになってるってことだよね?」

 

「恐らく、そうね。だからさっさとこの場所を片付けて、他の場所の援護に向かう必要があるわ。」

 

「わ、分かったよ。プラウドフットにも言ってくるね。」

 

慌てたように言ってから再び飛翔術で飛んで行ったトンクスを背に、杖を複雑に振って姿くらまし妨害術の解呪を始める。……トンクスにはなるべく冷静に伝えたが、私も他の場所が気になって仕方がないのだ。

 

確証は無いが、アメリアはこの場所に私が居るから増援も連絡も寄越してこないのだろう。……別に自己評価を高くしているわけではなく、十五年前に共に戦った信頼からの推測だ。有事なればこそ、なんとなく何を考えているかが分かるのである。

 

つまり、あの有能な魔女が私に戦場を放り投げるほどの事態になっているということだ。……急いだほうが良さそうだな。私たちが守っているのは正に水際。ここを越えられたらひどく面倒な事態になるぞ。

 

全速力で姿くらまし妨害術を解きつつも、アリス・マーガトロイドは自身の中の焦りを感じるのだった。

 



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嵐が去って

 

 

「いやはや、実に愉快な状況じゃないか。」

 

出発直前のホグワーツ特急の中で、アンネリーゼ・バートリは大きなため息を零していた。目の前の日刊に『統一』された予言者新聞の一面には、『魔法省、巨人への警戒を呼びかける!』との文字がデカデカと踊っている。

 

波乱のクリスマス休暇も終わり、列車に揺られてホグワーツへと戻る日が訪れたのだ。……クリスマスパーティーまでは良かったんだがな。年末からは私、美鈴、レミリア、アリスが全然紅魔館に居なかった所為で、隣に座る咲夜はちょっと寂しそうな表情を浮かべている。彼女にとっては不完全燃焼の休暇になってしまったらしい。

 

つまりはまあ、予言者新聞の文言を見て分かるように、結局イギリス魔法省はリドルの『輸送』を完全に防ぐ事は出来なかったわけだ。主な理由は二つ。一つは単純に船の数が多すぎたことである。

 

海沿いの各国、ソヴィエト海軍、そしてイギリス魔法省。それぞれが連携を取り、個々の勢力は皮肉屋の私から見ても見事な働きをしたのだが……この辺は受け手の苦労だな。それでもなお足りなかったのだ。

 

戦後処理の段階で明らかになったことだが、リドルは大多数の船を端から『捨て駒』として扱うつもりだったらしい。イギリス各所のマグルの町に近い港へと、次々と少数の巨人を載せた大型船を突っ込ませることで、こちらの処理能力を削ぎにかかったようだ。

 

レミリアもボーンズもその段階で陽動であることには勘付いていたのかもしれないが、それでもマグルが背中に居る以上、忌々しいデカブツどもを無視するわけにはいかない。結果として、人里離れた場所に上陸した『本命』のいくらかを取り逃がしてしまうことになったのである。

 

とはいえ、マグル側の人的被害は殆ど無く、大多数の『本命』も水際で食い止められたのだ。何よりソヴィエトの介入はリドルにとっても予想外の出来事だったようで、かなり多くの巨人や亡者、死喰い人たちが為す術なく海中へと沈んでいったらしい。

 

まあ、ここまではある程度予測出来ていた。失った戦力を単純に比較してみれば、大勝利であるとすら言えるだろう。問題なのはもう一つの理由の方である。……我々が完全に警戒していなかったルート、海底トンネルを使われたのだ。なんだよ英仏海峡トンネルって。初めて知ったぞ、そんなもん!

 

フランスのカレーと、イギリスのフォークストンを繋ぐ海底トンネル。マグル界でも僅か一年前から使われているらしいそのトンネルを使って、リドルは秘密裏に戦力を送り込んできたわけだ。……マグルも余計なものを作ってくれるじゃないか。何がユーロスターだよ。

 

それを魔法省の誰もが見落としていた。間抜けなことに、事態が判明したのはマグルの首相からの連絡があったからだそうだ。フォークストン駅が滅茶苦茶に壊されて、訳の分からない『そちらの』生物が暴れ回っている、と。

 

その時の指揮所の混乱っぷりといったら、伝え聞くだけでゾッとするほどのものだったらしい。慌てて部隊が急行した時にはもう遅く、マグルを襲う亡者、駅を壊す巨人、そして空に浮かび上がる闇の印。調子に乗ったバカが少数残るだけで、大多数は既に姿を消してしまっていたのである。

 

そこからは地獄だ。リドルの兵隊どもの足取りを追いつつ、フォークストン駅や各地の港の修復、膨大な量の記憶処理、マグル界の報道とのすり合わせ。世界各国の魔法省に平身低頭で忘却術師を借りまくり、魔法省職員総出で『後始末』を行う羽目になったらしい。

 

いやぁ、本当に愉快な状況じゃないか。これでイギリスは晴れて大量の吸魂鬼と巨人、亡者なんかが隠れ潜んでいるという愉快な国に生まれ変わることが出来たわけだ。レミリアも睡眠時間が削られて喜んでいるだろう。……後はまあ、年明け早々騒動に巻き込まれたマグルの首相もだな。

 

しかし、マグルへの理解不足か。ゲラートの言っていた言葉の意味を痛感する出来事だった。……海の下にトンネルだと? 一体全体何をどうすればそんな発想に至るんだ? 私だったら絶対に通りたくないぞ。

 

鼻を鳴らして予言者新聞を座席に放り投げた私へと、向かいに座るルーナが話しかけてくる。行きの列車でも一緒だった彼女は、先程私たちを見つけて合流してきたのだ。

 

「ン、私はあんまり愉快じゃないと思うな。巨人は本当は凄く賢い生き物なんだよ。バカなフリをして魔法族を油断させてるんだ。……もしかしたら今度こそイギリスを征服するつもりなのかも。例のあの人も利用されてるんだよ、きっと。」

 

「どうかな。あの連中が足し算を出来るようになるまでに後千年はかかると思うけどね。トロールといい勝負だよ。」

 

「よく聞きますけど、トロールってそんなにおバカなんですか?」

 

「あの生き物に比べれば、妖精メイドですら不世出の天才さ。少なくとも彼女たちは障害物を避けられるが、トロールだとどっちに避けようか迷ってぶつかるからね。」

 

『知能』って単語から最も遠い生き物だぞ、あれは。おまけに自分からぶつかった障害物に怒り狂って攻撃し出すのだから堪らない。岩だろうが木だろうがお構いなしだ。トロール使いがいかに優秀なのかがよく分かる逸話ではないか。……バカにしてて悪かったな、クィレル。

 

咲夜の疑問に私が適当な返事を放ったところで、ルーナが読んでいたクィブラーから顔を上げて口を開いた。その顔は興味一色に彩られている。

 

「妖精メイド? それってどんな生き物なの?」

 

「えっと……見た目は小さな女の子で、背中から羽が生えてるの。虫みたいな。それに消滅しても一日くらいで復活しちゃうし、いつの間にか増えたり減ったりしてるし……あれ? 何なんでしょうか、妖精メイドって。」

 

解説の途中で質問者になってしまった咲夜の問いに、肩を竦めて答えを返した。あの生き物の本質を表現するのは難しいが、ある程度解明されている部分もあるのだ。

 

「自然現象の一つだよ。風とか、春とか、土とか、雨とか。そういう『自然』が形を持った存在なのさ。だから死んだりはしないし、そもそも生きてるとも言えないわけだ。」

 

「それって……スッゴイ面白いよ、アンネリーゼ。『妖精メイド』は何処に住んでるの?」

 

「我が家にうじゃうじゃ居るよ。妖力が濃い環境だから居着いちゃってるんだろうさ。どうやってメイドの格好をさせたのかは謎だけどね。……多分、紅茶かクッキーなんかで釣ったんじゃないかな。」

 

「そのこと、パパに話してもいい?」

 

キラキラした瞳のルーナに頷いてやると、彼女は猛然とした勢いでクィブラーの裏表紙に妖精メイドのことを書き始める。喜んでくれたようで何よりだ。それをぼんやり眺めていると、隣の咲夜がこっそり囁きかけてきた。

 

「あの……聞いた私が言うのもなんですけど、良いんですか? 妖精メイドのことをあんなに詳しく話しちゃって。それに、妖力のこととかも。」

 

「別に構いやしないさ。クィブラーに載ったことを信じる魔法使いがどれだけ居ると思う? また一つ新たな都市伝説が増えるだけだよ。」

 

「それは……まあ、そうですね。大丈夫そうです。」

 

魔法界の伝説上の生き物リストに『妖精メイド』の項が追加される日も近いな。納得した咲夜が席に座り直したところで、出発の汽笛と共にコンパートメントのドアが開いて……おや、ハーミーちゃんだ。少し疲れた顔のハーマイオニーが入ってきた。

 

「やっと見つけた。……中央から乗り込んだんだけど、最初に後ろの方を探しちゃったのよね。お陰で引き返す羽目になったわ。」

 

「んふふ、ご愁傷様、ハーマイオニー。」

 

ここは列車の中でもかなり前方に位置するコンパートメントだ。つまり、ハーマイオニーはトランクを抱えて列車を一周半してきたということになる。……年明けからいきなり不運なことだな。

 

疲れた様子のハーマイオニーが私たちと挨拶を交わしながらトランクを荷物棚に上げたところで、列車はゆっくりとホグワーツに向かって動き始めた。

 

「それで、スイスはどうだったんだい?」

 

流れ出す車窓を見ながら何の気なしに質問を飛ばしてみると、ハーマイオニーは嬉しそうに手をパチリと合わせてから口を開く。少なくとも私たちよりはマシな休暇だったらしい。

 

「とっても楽しかったわ。思ってたよりも寒くなかったし、氷河ツアーでは崩れるところも見れたの。こう、ガラガラーって。物凄い迫力だったのよ?」

 

うーむ……身振りで氷河が崩れる光景を説明するハーマイオニーは、なんか幼く見えて可愛いな。よっぽど楽しかったのだろう。そんなに喜ぶならいくらでも私が崩してやるのに。

 

氷河に向かって妖力弾を撃ち込む光景を想像をする私を他所に、咲夜が興味津々で質問を放った。

 

「飛行機はどうだったんですか? 墜落しませんでした?」

 

「サクヤ、何度も言ってるけど、飛行機はそうそう落ちないのよ。凄く安全に設計されてるの。もちろん落ちなかったわ。」

 

「でも、鉄なんでしょう? 絶対におかしいですよ。しかも、何百人も乗ってるのに……変です。異常です。どうやって飛んでるんでしょうか?」

 

「んー……私も詳しいわけじゃないんだけど、揚力が関係してるのよ。いい? 翼の上下の空気の動きが違うから──」

 

ああ、これは長くなるぞ。説明し出したハーマイオニーの得意げな表情を見て、咲夜もしまったという顔をしているが……まあ、賢く育ってくれるのは良いことだ。是非とも飛行機が飛ぶ原理を学んでくれ。そしたら私は知らないで済むし。

 

未だ妖精メイドについてを熟考しているルーナを一瞥した後、アンネリーゼ・バートリは目を瞑ってハーマイオニーの『子守唄』に身を委ねるのだった。

 

 

─────

 

 

「ってことは、完全に失敗ってわけじゃないんだろ? 被害を減らせたってことじゃんか。」

 

禁じられた森の縁に建てられた小屋の中で、霧雨魔理沙は小屋の主人に慰めの言葉を放っていた。比率で言えばささやかなものかもしれんが、戦力で言えば相当削れてるはずだぞ。

 

休暇で家に帰っている生徒たちがホグワーツに戻ってくる今日、それより一足先にホグワーツの森番が帰ってきたのだ。小屋でお茶をしないかという手紙での誘いを受けて、早速ハリーとロンと三人で話を聞きに来たというわけである。

 

そして私たちの訪問を受けたハグリッドは、嬉しそうにこの半年間何をしていたのかを語ってくれた。どうやら彼はヨーロッパの巨人たちの集落を巡り、マクシームと一緒にひたすら『和平交渉』を続けていたらしい。魔法族は巨人と敵対するつもりはない、だからヴォルデモートの陣営に加わらないように、と。

 

北はスウェーデンから南はギリシャまで。最初はマクシームとの『スケールの大きな』旅を楽しそうに語っていたハグリッドだったが、話題がイギリスに上陸した巨人たちのことになると、無念そうに頭を抱え始めてしまったのだ。彼はどうやらイギリスに巨人を上陸させてしまったことに責任を感じているらしい。

 

私の言葉を受けたハグリッドは、なおも無念そうな表情のままで返事を返してくる。

 

「オリンペもそう言っちょった。俺たちは充分な成果を上げたって。……だがなあ、俺たちが思い留まらせたのは精々三個か四個の集落だけだ。こんなんじゃダンブルドア先生やスカーレットさんに顔向け出来ねえ。こんなに時間を掛けたっちゅうのに。」

 

「ハグリッド、感覚がおかしくなってるよ。巨人の集落四個ってことは、十人そこらじゃないんだろ? 僕は充分な成果だと思うけど。」

 

全くもってロンの言う通りだ。巨人がどんな存在なのかには詳しくないが、予言者新聞に載っていた捕らえられた巨人の写真はクソ怖かった。あんなもんを数十頭……じゃなくて数十『人』も引き留めたのであれば、それは充分すぎるほどの成果のはずだぞ。

 

それについてはハリーも同感だったようで、ロンの言葉にこれ幸いと乗っかり始める。

 

「そうだよ、ダンブルドア先生やスカーレットさんだって褒めてくれるよ。……多分ね。」

 

「でも、それだけじゃねえ。俺たちは新年に年越しのディナーを楽しんどった。闇祓いや魔法戦士たちが必死に戦っちょる時に、呑気に飯を食っとったんだ。……本来なら俺らが真っ先に報せを送るべきだったのにな。大間抜けの木偶の坊だ、俺は。」

 

情けなさそうな声色で言うと、ハグリッドはゴミバケツの蓋ほどの両手で顔を覆ってしまった。……まあ、それは確かにあんまり上手いことやったとは言えないな。知らぬことだったとはいえ、件の巨人に近い場所にいたからこそ責任を感じてしまっているのだろう。

 

気まずい沈黙が訪れてしまった小屋の空気を、ロンが無理矢理な感じの話題転換で破る。

 

「あー……でもさ、ホグワーツは大丈夫なのかな? 二ヶ月前に吸魂鬼が裏切って、今度は巨人。ここはマグルの街からもずっと遠くにあるし、襲いやすい場所だろ?」

 

「ん、そいつは心配いらねえ。今のホグワーツにはノーレッジさんが居るからな。」

 

うーむ、またこの反応か。ハグリッドの微塵も疑っていないような断言に、私たち三人はちょっと首を傾げてしまう。……咲夜、リーゼ、レミリア、ダンブルドア、そしてハグリッド。世間や他の生徒たちの不安げな反応とは裏腹に、ノーレッジをよく知る者ほど彼女のことを高く評価しているようだ。

 

そりゃあ私だって凄い魔女だってのは理解出来てるさ。初めてあの魔女の瞳をまじまじと見た時の感覚は今でも思い出せるし、杖なし魔法を軽々と使う姿だって何度も見ているのだ。ただ……そう、確たる実感がないのである。

 

ダンブルドアは一目見ただけで底知れない雰囲気を感じさせた。その穏やかな中にも、ピリピリと伝わってくるような『威』があったのだ。周囲の味方を安心させて、敵を畏れさせるような威が。

 

だけど、ノーレッジは違う。彼女は静かなのだ。揺蕩っているというか、ふわふわしているというか……そんな感じの。『強い』んじゃなくて、どちらかと言えば『深い』感じ。戦士ではなく賢者のそれだ。

 

疑問符を浮かべる私たちのことを見て、ハグリッドは苦笑しながら口を開いた。困ったような、少し面白がるような笑みだ。

 

「そうだな……十五年前、ホグワーツが襲われたのを知っとるか? あのハロウィンの日、襲われたのは魔法省だけじゃなかったってことを。」

 

「それは……そうなの? 全然知らなかったよ。」

 

「無理もねえ。あんまり広まっとらん話だからな。巨人や亡者、死喰い人たちが襲ってきたんだ。……だが、今の魔法界の殆どの人間がそれを知らねえ。当時の学生すらも詳しくは知らんだろう。分かるか? そのくらい鮮やかに解決しちまったんだ、ノーレッジさんが。」

 

ハリーに向かって自信たっぷりに言ったハグリッドは、暖炉にかけていたヤカンを取ってティーポットにお湯を注ぎながら話を締める。

 

「なに、その時が来たらすぐに分かる。本当は来ない方がいいんだが……それでも、もし来たら分かるはずだ。ダンブルドア先生やスカーレットさんがどうしてあの方を信頼するのかがな。……ほれ、紅茶だ。しばらく家を空けちょったからな。ロックケーキが腐ってなけりゃあいいんだが。」

 

言いながらケーキを探しに行ったハグリッドを横目に、残された三人はよく分からんという表情で顔を見合わせた。『その時が来たらすぐに分かる』、か。とりあえず今のところは、そんな物騒な事態にならないことを願うばかりだ。

 

「まあ、とにかくここは安全ってことみたいだな。フクロウ試験が中止にならなくて残念だよ。」

 

「……そうだね。変身術の宿題もまだ終わってないし、ハーマイオニーが見せてくれるといいんだけど。」

 

「無理だと思うぜ、それは。私は怒られる方に賭けるけどな。」

 

ただまあ、最終的にはぶつくさ言いながらも見せてくれるだろう。我ながら呑気な会話をしていることを自覚しつつも、霧雨魔理沙はロックケーキが見つからないことを祈るのだった。冬場だし、きっとカチンコチンになっちゃってるぞ。

 



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正しい本の選び方

 

 

「……あら、どうしたの? こんな所で。」

 

朝霧に霞むホグワーツ大橋の真ん中で、パチュリー・ノーレッジは姿を消しているリーゼへと話しかけていた。こいつは本当に神出鬼没だな。吸血鬼ってのは明け方に出会うタイプの妖怪じゃないだろうに。

 

くるりと振り返る私の問いかけを受けた性悪吸血鬼どのは、虚空から滲み出るようにその姿を現しながら口を開く。ちょっと苦笑しているのを見るに、大方驚かせようとでも思っていたのだろう。……レミィといい、リーゼといい、どうして吸血鬼ってのはどこか子供染みてるんだ?

 

「うーん、参ったね。後ろからでもダメか。ムーディと同じく、キミにサプライズを仕掛けるってのはかなりの難題だな。」

 

「どうだか。本気で隠れようともしてないくせに。」

 

「んふふ、よくご存知じゃないか。」

 

正味の話、リーゼが本気で忍び寄ろうとすれば私は気付けないだろう。気配を消し、妖力を消し、光を操って実体をも消す。来ると分かっている状況であればともかくとして、平時にそれをやられたら私でも厳しいのだ。普通の吸血鬼と違って昼夜も関係ないし。

 

それに、今は環境も良くない。朝霧ってのはこいつの強力な味方だ。実際出来るかどうかは知らないが、光の反射を操れば色々な虚像を生み出すことだって難しくないだろう。

 

というか、リーゼ自身はどこまで細かく光の動きを計算して姿を消しているのだろうか? あるいは妹様しかり、咲夜しかり、リーゼもまた直感で操作しているのか? ……どっちにしろ『能力』ってのはズル過ぎるぞ。羨ましい限りだ。

 

生得の強大な力。私もそういうのが欲しかった。ジト目で見ている私を気にすることもなく、リーゼは石橋の欄干に立って質問を放ってくる。眼下に広がる湖を眺めているようだ。

 

「それで、キミこそこんな時間に何をしているんだい? 私はお散歩の途中で見つけて来てみたわけだが。善良な吸血鬼としては、悪しき魔女を見過ごすわけにはいかないだろう?」

 

「善良の意味を辞書で確認し直すべきね、貴女は。……防衛魔法の点検をしてたのよ。ここのは複雑な魔法だから、余人に任せるわけにはいかなかったの。」

 

「防衛魔法? この橋にも魔法がかかってたのかい?」

 

「正確に言えば、ホグワーツに魔法がかかってない場所なんか無いわよ。何処も彼処も魔法だらけで干渉しまくり。うんざりするわ。」

 

こればっかりはホグワーツの教育課程に問題があるな。『魔法の相性』というのをもう少し詳しく教えるべきだぞ。この学校じゃ精々反対呪文についてちょこっと教えるくらいで、呪文を組み合わせることの危険性に関しては知らぬ存ぜぬだ。……よし、今度マクゴナガルあたりに提案してみよう。

 

杖を取り出しながら決意する私に、リーゼがどうでも良さそうな表情で空返事を返してきた。私にとっては許し難いことでも、彼女にとっては大した問題に感じられなかったようだ。

 

「ふぅん? ……それで、この橋にはどんな魔法がかかってるんだい?」

 

「ちゃんと最後まで聞くなら説明してあげるけど? 途中で逃げたり、寝たり、文句を言ったりしないって約束するならね。」

 

「……一応、最初にどのぐらい掛かるのかを聞いておこうか。」

 

「簡略化すれば一時間、詳しく話せば三時間よ。」

 

やっぱり結構歪んでるな。ダンブルドアは細かい部分の整備をサボりすぎだぞ。杖を振って防衛魔法の綻びを繕う私に、リーゼはレタス喰い虫でも噛み潰したような表情で肩を竦めてくる。

 

「それじゃ、やめておこう。私は時間の貴重さというものを良く知ってるんだ。……しかしまあ、改めて見ると良い景色だね。惜しむらくは殆ど誰も使わないって点かな。歩いて来ないとこの橋を通る機会はないわけだし。」

 

「霧で何にも見えないけど?」

 

「それが良いんじゃないか。風情ってやつだよ、パチュリーちゃん。キミにはまだ早かったかな?」

 

「悪かったわね、リーゼお婆ちゃん。私はまだ百歳そこらの『少女』なのよ。風情を理解するのは老後に回すわ。」

 

皮肉を返しながら杖を仕舞って、城に向かって歩き出す。これで後数年は持つだろう。その後までは知らん。私が義理を果たすべき相手はダンブルドアであって、他の校長の苦労など知ったこっちゃないのだから。精々マクゴナガルに頼まれれば不承不承やるってくらいだ。

 

遠くで揺らめく大イカの影を横目に歩いていると、隣に歩調を合わせたリーゼが声をかけてきた。

 

「ところで、アンブリッジはどんな感じで『監査』をするんだい? 今年から始めるんだろう?」

 

「知らないわよ。なんか怖がられちゃってるみたいで、私には全然会おうとしないのよね。やり取りは全部マクゴナガルがやってるわ。」

 

「……キミね、このままだとマクゴナガルは本当に過労死するぞ。あの副校長だってもういい歳なんだから、少しは気遣ってやりたまえよ。」

 

「私は更に『いい歳』でしょうが。仕事を下にぶん投げられるのは老人の特権なの。大体、マクゴナガルもそろそろ誰かに仕事をぶん投げることを学ぶべきよ。」

 

まあ、そうなると誰にぶん投げるかという問題が浮上してくるわけだが。一番若いスネイプは任務で居ないし、他はどいつもこいつもベテランばかりだ。それなりに若くて使えそうなのはバブリングやベクトルくらいじゃないか? ……魔法の学校で高齢化問題ね。ジョークにもならんな。

 

「ま、それもそうだね。あの教授どのは責任感が強すぎていけない。もうちょっと適当さってのを学ぶべきだろうさ。……そういえば、分霊箱の分析はどうなったんだい? あの悪趣味なロケット。」

 

城門を抜けながら思い出したように聞いてくるリーゼに、小さく首を振って返事を返す。

 

「あれが四個目に作られた分霊箱だってのは分かったわ。残念ながら、新しい情報はそれだけね。今は分霊箱そのものを壊さずに中の魂だけを破壊出来ないか調べてるところよ。」

 

「おっと、それは大事な実験だね。ハリーに死なれるのは宜しくない。……目処は付いているのかい?」

 

「……現状、厳しいと言わざるを得ないわね。もう少し研究すればロケットに関してはいけるかもしれないけど、ハリー・ポッターの場合はかなり難しいと思うわ。生物と無生物じゃ勝手が違うのよ。」

 

そこで一度言葉を切って、思考を回しながら続きを語る。悔しいが、現状ではダンブルドアの提案が一番現実味を帯びているだろう。その他の方法は確実でなかったり、ハリー・ポッターの『人間性』に影響を与えすぎるのだ。

 

「そうね……物凄く脆いコップの中で、混ざり合う黒と白の液体をイメージしなさい。その中から黒の液体だけを蒸発させるようなもんよ。強引な手段を使えばコップが壊れちゃうし、そもそも完全に混ざって灰色になってる部分だってあるの。」

 

「コップの中の水を『分離』させるのは無理なのかい?」

 

「出来るけど、その場合もコップが壊れるわ。……お手上げよ。こうなってくると、違う方向を目指すしかないわね。」

 

むしろ、ダンブルドアのアプローチをなぞるべきかもしれんな。彼がやろうとしているのは、コップと白い水だけに伝播する護りの魔法を使おうという方法だ。その上で黒い水を吹き飛ばす、と。

 

つまり、護りの魔法を何か別の手段に置き換えればいいのだ。選択的にハリーの身体と魂だけを守り、リドルの魂には干渉しないような魔法に。……むぅ、思い浮かばないな。やるとすれば新しい魔法を構築するしかないか?

 

思い悩む私へと、リーゼがまた違った意見を放ってくる。

 

「ふぅん? ……黒い水を引きずり出すってのは無理なのか? ほら、一応はリドルの『本体』と繋がってるんだろう? その糸をこう、引っ張るみたいな感じに。あくまでイメージだがね。」

 

……ふむ、面白いな。意外なところから第三のアプローチが出てきた。ダンブルドアのように白い水を選別して保護するのではなく、私のように黒い水だけに影響する方法で蒸発させようというのでもなく、端から引き離してしまおうというわけだ。

 

だが、それもまた難しい。思考に没頭しながらも、自分の考えを整理するために口を開く。

 

「先ず、糸の方が耐え切れずに千切れる可能性が高いわ。引っ張る魂の総量に対して糸が細すぎるのよ。癒着してるってのも影響するでしょうしね。……次に、手段の問題が出てくるわ。『魂の繋がり』ってのはかなり概念的な存在なの。それに影響するための手段っていうのが今の私には思い浮かばないから。」

 

「そりゃ残念。……まあ、あくまで素人目線のたわ言だ。そんなに真剣に受け取らないでくれたまえ。」

 

「でも、一つの方向性としてはアリよ。とにかく手当たり次第に試してみないと。」

 

不確実な方法ならいくつか思い付くのだが、ダンブルドアはそれを採るくらいなら自分のやり方を貫くだろう。……それに、別の方法を編み出したところでダンブルドアは遠からず死に向かうのだ。

 

ままならないな。玄関ホールへと足を踏み入れながらため息を吐いていると、階段の方に進路を変えたリーゼが声を放ってきた。

 

「そうそう、閉心術はもう大丈夫そうだし、ハリーの本格的な呪文の練習を再開しようと思うんだ。去年もちょこちょこやってたから基本的な部分は終わってるんだが、次に何をやれば良いかと迷っててね。実戦向けの呪文が載ってる本を貸してくれないか?」

 

「構わないけど、どんなのが良いの? 一言で実戦向けって言っても色々あるわよ?」

 

そもそも何を習得済みなのかも知らないし、『実戦』というのは正確には何を指しているのかが分からないじゃないか。呆れたような私の問いかけに、リーゼはパチリとウィンクをしながら返事を寄越してくる。

 

「キミの一番のオススメを、一冊だけ。」

 

「……上手い言い方じゃないの。」

 

「んふふ、キミのことは誰より知ってるからね。みんな気付いてないのさ。図書館で本を探すなら、司書に頼むのが一番なんだ。」

 

悪戯な笑みを浮かべながら言うリーゼに、肩を竦めて言葉を返した。そう言われてしまえば司書のプライドに懸けて選ばざるを得ない。ズルいヤツめ。

 

「はいはい、後で選んで送っとくわ。」

 

「どうも、頼れる司書さん。それじゃ、私は寮に戻るよ。研究の方も頑張ってくれたまえ。」

 

肩越しに手を振りながら階段を上っていくリーゼに、やれやれと首を振ってから歩き出す。……そっちこそ気付いてないぞ。私が本を選んでやる存在なんて極々僅かなんだからな。

 

何故か浮かんできた笑みをそのままに、パチュリー・ノーレッジは朝の静謐な廊下を歩き始めるのだった。

 

 

─────

 

 

「アンブリッジの糞婆め! ハグリッドにあんな、あんな……失礼だよ!」

 

魔法薬学の教科書をテーブルに叩きつけるロンを見ながら、アンネリーゼ・バートリは小さく苦笑していた。トレローニーが虚仮にされた時とは大違いの反応じゃないか。

 

五年生の生活も一月の半ばに入り、いよいよ迫ってきたフクロウ試験に誰もがピリついている中、魔法薬学の教室に入ってきたロンが……というか、三人ともがぷんすか怒りながら席に着き始めたのだ。どうやら一コマ前の飼育学にアンブリッジの『茶々入れ』が入ったらしい。

 

つまりはまあ、例の『監査』である。私は未だに遭遇したことはないが、アンブリッジは時折思い出したように授業に顔を出して、質問やらなんやらで授業を妨害して去って行くそうだ。……いよいよ何をしたいのかが分からんな。

 

アンブリッジ自身が何を思って行なっているのかはさて置き、基本的には生徒も教師もある一致した感想を抱いている。それは『迷惑』だ。この一点に関してはグリフィンドールとスリザリンの意見ですら一致するだろう。

 

そもそも意味のない行動なのだ。もはやウィゼンガモットにホグワーツの自治権に介入するような力は残されていないだろうし、失点探しにしたって遅きに失する。生徒を使った人体実験でもやってる証拠を掴まない限り、今の盤面をひっくり返すのは不可能だろう。

 

双子が教職に就いてたら人体実験を糾弾するチャンスはあったかもな。とうとう悪戯グッズの『テスター』を雇い始めた悪童たちのことを考える私を他所に、怒れる三人組は口々にアンブリッジを罵り始めた。どうやらよっぽどのことがあったらしい。

 

「抗議すべきだよ。何処かは知らないけど、アンブリッジを送り出した場所にね。半ヒトだの、危険な巨人の血だのって……あんまりだ。そんなこと言ったらあいつだって『半カエル』なのに!」

 

「その通りよ、ハリー。絶対に抗議してやるから。してやりますとも。何だったらスキーターに『タレコミ』するところまで身を落としたって構わないわ。」

 

「いいな、それ。毒には毒をだ。スキーターは最近まともな記事を書いてるし、アンブリッジを上手いこと追い出してくれるかもしれないぞ。」

 

うーむ、あの『プロパガンダ』がまともな記事かどうかは判断しかねるところだな。微妙な気分で騒がしく議論する三人を眺めていると、地下教室に今日もご機嫌な表情のスラグホーンが入ってくる。去年のバグマンを彷彿とさせるニコニコ顔だ。

 

「さてと、揃っているかな? ……よろしい! では今日も楽しい調合を始めようか。今日は少し難しい内容だから、ペアを組んでくれるかい?」

 

どこか大振りな動きで促すスラグホーンに従って、グリフィンドールとスリザリンの生徒たちが素直にペアを組み始めた。当然私はハーマイオニーと、ハリーはロンとだ。

 

もはや授業を真面目に受けるつもりなど一切ないとはいえ、ハーマイオニーの調合を邪魔するわけにはいかない。それにまあ、今までずっとペアを組んでいた私が居なくなるのも困るだろう。結果として今もこういった形式の授業では、きちんと作業に参加しているのだ。

 

「ほっほー、早いね。素晴らしいやる気だ! では、今日行う調合について軽く説明しておこう。今回作るのは、安らぎの水薬。フクロウ試験には頻繁に出てくる魔法薬だから、集中して調合に臨むことをオススメするよ。」

 

スラグホーンの説明を聞いたその瞬間、生徒たちのやる気が目に見えて一段上がる。フクロウ試験云々の部分は、五年生をやる気にさせるには充分すぎるほどの効果があったらしい。上手いじゃないか、スラグホーン。鼻先にフクロウをぶら下げたわけだ。

 

今や身を乗り出さんばかりに集中し始めた生徒たちを前に、スラグホーンは満足げに頷きながら説明の続きを語り出した。

 

「なに、心配はいらない。今までやってきたことの集大成なんだ。正確な手順で加工した素材を、これまた正確な順番で鍋に入れ、正しい方向に正しい回数掻き回し、定められた温度で定められた時間加熱する。……ほら、今まで通りだろう? 慎重に手順を確認すれば出来ないはずがないんだよ。君たちなら出来る。私が保証しようじゃないか。」

 

言うと、スラグホーンは杖を振って黒板に手順やら注意点やらを浮かび上がらせる。……毎度のことながら、この辺はスネイプとの違いが出てるな。スネイプは注意力を磨くためだかなんだか知らんが、意図的に黒板には最低限の情報しか書かなかった。

 

スラグホーンはその対極だ。物凄く細かく注釈やら確認事項やらを入れて、教科書よりもなお詳しい手順を黒板にビッシリと書き連ねている。……この辺は意見の分かれるところだな。失敗する痛みで学ばせるか、成功の喜びで学ばせるかということなのだろう。

 

何にせよ、私の周りの意見は大概同じだ。ハリーは当然として、他の生徒の殆ども『スラグホーンの方が良い』と断言していた。……ちなみに数少ない例外を挙げると、魔理沙なんかはスネイプの授業の方をより高く評価しているらしい。魅魔にやり方が似てるとかなんとかって。

 

「──ということだね。では、早速調合の準備に移ろうか。分からない箇所があったら遠慮なく聞きに来るように!」

 

私が生存確認された陰気男のことを考えている間にも、スラグホーンの長ったらしい説明は終わったようだ。ハーマイオニーが教科書と黒板を交互に見ながら、猛然とした勢いで必要な器具や素材をリストアップしている。

 

「何が必要なんだい? 賢者ハーマイオニーどの。無学な吸血鬼に大いなる啓示を与えてくれたまえ。」

 

「大鍋と……えっと、三型の小鍋を二つね。あとは秤とすり鉢と、細身のナイフにクリスタルの小瓶をいくつか。それにサラマンダーの尻尾もよ。微妙な火加減の調整に必要みたい。素材は私が持ってくるわ。」

 

「それじゃ、私は戻るまでに器具を準備しておこう。」

 

状態の良い素材を入手するために小走りで素材棚に駆けて行ったハーマイオニーを見送って、杖を振って鍋やら秤やらを机に並べていく。しかし、こういう魔法薬って卒業した後に役立つのだろうか?

 

おできを治す薬やらニキビ取り薬やらはギリギリ家庭でも使えるだろうが、安らぎの水薬ってのは……うーむ、微妙だな。不安を鎮めて動揺を和らげるってとこまでは良いが、正確に調合しないと眠ったままで目覚めなくなるってのはいただけない。

 

他にも専門職以外じゃ絶対に役に立たない魔法薬は沢山あるぞ。……この辺は昔の名残りなのかもしれんな。まだ易々と魔法薬が購入出来なかった、自分で作る必要があった頃の教育課程をそのまま引き継いでいるのだろう。

 

ふむ、度々文句を言っているパチュリーの言にも確かに理がありそうだ。ホグワーツはそろそろ科目や授業内容を見直すべき時なのかもしれない。……まあ、無理か。きちんとしているホグワーツなど想像できん。こういう部分がホグワーツのホグワーツたる所以なのだろうし。

 

私が準備を進めながら益体も無いことを考えている間にも、ハーマイオニーが両手いっぱいの素材を抱えて戻ってきた。どうやら状態の良いものを根こそぎ独占してきたようで、ご満悦のニコニコ顔だ。強かさも賢者の秘訣だな。

 

「全部持ってきたわ。先に月長石を粉にしてくれる? 私はお湯を沸かして、バイアン草のエキスを絞っておくから。」

 

「粉末状でいいんだね? ……それで、飼育学では何があったんだい? アンブリッジがハグリッドのことを罵ったっていうのは分かったが。」

 

手順には薬品で脆くして砕くと書いてあるが……面倒だな。吸血鬼の腕力でゴリ押そう。手でベキベキと月長石を砕きながら問いかけてやると、ハーマイオニーは苛々とした表情で飼育学で起こったことの詳細を話し始める。

 

「罵ったっていうか、延々バカにし続けたのよ。まるでハグリッドが言葉を理解出来ないみたいに、身振り手振りで会話したり……あとはご丁寧にも簡単な単語を選んだりね。まるで幼稚園児に話しかけてるみたいだったわ。」

 

「そりゃまた、物凄く面白い光景じゃないか。私も呼んで欲しかったくらいだ。文字通り飛んで行ったのに。」

 

「全然面白くないのよ、リーゼ。不愉快なの。スリザリン生はずっとクスクス笑ってるし、ハグリッドはハグリッドでアンブリッジをちょっと『おかしな』人だと思っちゃったみたいで、何故か馬鹿正直に応答し始めちゃうし……イライラさせられる光景だったわ。」

 

「尚更面白い光景に思えてきたけどね、私は。」

 

パントマイムで話すカエル女と、困ったように応対するハグリッドか。うーむ、見たかったぞ。かなり愉快な喜劇だったに違いない。頼んだら夕食時にやってくれないだろうか?

 

ニヤニヤし始めた私をジト目で見ながら、ハーマイオニーは尚もアンブリッジに対する文句を続けてきた。

 

「しかも、しつこく巨人のことについて聞くのよ。本当にしつこく、授業の間中ね。イギリスに入ってきたことをどう思うかとか、亡くなった犠牲者に何か思うところは無いのかとか、うんざりだわ。ハグリッドは何も関係……無くはないけど、それは彼のせいじゃないのに。」

 

途中でハリーたちから聞いた任務の話を思い出したのだろう。後半ちょびっとだけ語気が弱くなったハーマイオニーに、サラサラになったムーンストーンを小瓶に入れながら言葉を放つ。

 

「ま、アンブリッジは『半ヒト』がお嫌いだからね。人間至上主義者なのさ。おまけに考え方は純血派寄り。ハイブリッド差別主義者ってわけだ。」

 

「イギリス魔法界の問題を濃縮したみたいな存在じゃないの。……あの人、本当にいつ居なくなるのかしら?」

 

「少なくとも来年度はもう来ないだろうね。アンブリッジは……そう、糸の切れた凧なんだよ。自分じゃもう制御出来ないだろうし、放っておけば風に吹かれて何処かに飛んでくさ。」

 

「早く何処へなりとも飛んでいって欲しいわよ、まったく。」

 

ぷんすか怒りながらも、ハーマイオニーは見事な手際で調合を進めていく。実際のところ、今年度いっぱい持つかすら微妙なところだろう。ウィゼンガモット内部では着々と駒がひっくり返っているようだし、議長の解任決議が行われるのも遠くはあるまい。

 

しかし、ウィゼンガモットは思ったよりも長持ちしたな。正直言ってアズカバンの脱獄の一件で崩れるかと思っていたのだが、曲がりなりにもここまで耐えきったのは割と凄いことなのかもしれない。議長は確か……チェスター・フォーリーだったか?

 

孤軍奮闘でここまで持たせたのには拍手を送りたいが、さすがにそろそろチェックメイトだろう。そうなればイギリス魔法界は晴れて吸血鬼の支配下に陥ちるわけだ。……いやぁ、冷静に考えると変な状況だな、これ。

 

イギリスでは吸血鬼が政治機関の権力を握り、ソヴィエトでは世紀の大犯罪者が裏側から議会を操り、そして大陸では無差別テロが起こりまくっている、と。滅茶苦茶じゃないか。

 

うーん、面白い。二、三百年先の歴史研究家がこれをどう評価するのかを楽しみにすべきだな。その頃には一体誰が悪人扱いされているのだろうか? レミリアか、ゲラートか、リドルか。きちんと確認しなければ。

 

「ねえ、リーゼ? 『強めの弱火』ってどのくらいの火加減なのかしら? つまり、中火より少し弱いってこと? ……でも、それだと『弱めの中火』よね?」

 

「……哲学だね。ちょっと考えさせてくれ。」

 

気の長い娯楽を脳裏に刻みながらも、アンネリーゼ・バートリはハーマイオニーから投げかけられた哲学問答に思考を移すのだった。

 



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彼女はサイコロを振らない

 

 

「げ。……お前と一緒かよ。」

 

目の前で私と同じ顔をするマルフォイを見ながら、霧雨魔理沙は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。運が悪いぜ。こんなことならリーゼとハリーの特訓の方に参加すべきだったな。

 

二月初頭。いつもの長テーブルが片付けられた夕食前の大広間では、生徒たちがガヤガヤと騒ぎながら貼り出されている名簿を見て、それぞれのグループへと分かれ始めている。今月最初の『防衛術クラブ』が始まったのだ。

 

月毎にグループのメンバーが変わるため、彼方此方でぎこちない挨拶が交わされているが……どうやら今回はマルフォイと同じグループらしい。ぎこちないどころじゃないぞ、こんなもん。

 

直接話したことこそ殆ど無いとはいえ、ハリー経由で『悪評』を腐るほど聞かされているのだ。お互いに苦い表情で暫し睨み合ったところで、先に立ち直ったマルフォイが文句を放ってきた。

 

「上級生に対して随分な挨拶だな、キリシャメ。防衛術の前に礼儀を学ぶべきじゃないか? これだからグリフィンドールは嫌いなんだ。」

 

「ああ、そうかもな。そしてお前は発音を学ぶべきだと思うぜ、マルフォイ。……キリサメだ。キ、リ、サ、メ。」

 

「そう言ってるだろう? キリシャメ。」

 

「だから、サだっつうの! サ! チャでもないし、シャでもない。サだ! きっちり区切るんだよ!」

 

何でイギリス人ってのはこんな簡単な発音が出来ないんだ? 苛々しながら言ってやると、マルフォイは多少勢いに押されたように頷いてくる。

 

「キリ……サメ? これで満足か?」

 

「ああ、満足だ、マリュフォイ。」

 

「マルフォイだ。マル、フォイ。」

 

「そら見ろ、バカバカしいだろ? お前はさっきこれをやってたんだよ。」

 

私の言葉を聞いて、マルフォイは途端に嫌そうな表情で黙り込んでしまう。分かっていただけたようでなによりだ。……今度ロンにも同じ方法で伝えてみるか。未だにスペルを間違う時があるし。

 

私がマルフォイと至極どうでも良いやり取りを繰り広げている間にも、今月のメンバーは集まりきったようだ。計十二人。仕切るのは……レイブンクローの七年生みたいだな。ちょっとぽっちゃりした青年で、細身のメガネの奥に怜悧な瞳が透けて見えている。

 

「揃ったようだね。僕は七年生の、イジドア・シャフィクだ。このグループで最上級生は僕だけらしいから、今月は僕がグループを動かさせてもらう。」

 

ふむ。胸に光るバッジを見る限り、シャフィクは監督生のようだ。彼は残る十一人それぞれに名前と、今取り組んでいる呪文の内容を発表させた後……少し考え込んだかと思えば、手早く四人組と二人組に分け始めた。先月のグループよりも進みが早いな。

 

「──だから、ミス・ワイアットとミスター・ノースブルックがペアだ。きちんと指導してあげるように。後は……ミスター・マルフォイ、君はミス・キリサメとペアを組みたまえ。彼女はかなり進んでいるようだし、君にとっても良い練習になるはずだ。」

 

「……シャフィク、僕にこの小娘とペアを組めって言うのか? まさか本気で言っているんじゃないだろう? シャフィク家の君なら──」

 

おうおう、こっちだって嫌だぜ。マルフォイが文句を言い募ろうとしたところで、シャフィクがゆるりと手を上げてそれを遮った。何故だか知らんが、ひどく冷たい表情だ。なんか因縁があるのか?

 

「ミスター・マルフォイ。最初に言っておくが、僕はあの愚かな父とは違う。シャフィクの家名は僕にとっての恥だ。叶うなら今すぐにでも捨てたいほどにね。……そして、このペア分けに恣意的な要素は一切ない。ミス・キリサメは新しい呪文を学べるし、君はフクロウ試験に向けての良い復習になる。だから選んだ。それだけの話だよ。」

 

「……血を裏切るのか? シャフィク。君だって聖28一族の一員だろう?」

 

「血に大した意味などないし、『聖28一族』なんてものは作られた看板に過ぎないよ。君たちはそれに気付いていないだけだ。……願わくば、早く君も気付いてくれることを祈っておこう。」

 

静かな哀れみを感じる口調で言い切ったシャフィクは、スタスタと自分の担当の一年生の方へと歩いて行ってしまう。……今気付いたが、私はあいつを知ってるぞ。学期の初めにハリーに声をかけてきたヤツだ。

 

そして、残されたマルフォイは何故か悔しそうな表情を浮かべている。憎んでいるようで、どこか羨んでいるような。なんとも不思議な表情だ。……おいおい、この空気で呪文の練習かよ。うんざりするな。

 

「あー……マルフォイ? どうするんだよ。帰るのか? それなら私は別の組に入れてもらうけど。」

 

「……何を練習するんだ?」

 

「やるのかよ。……ま、いいけどさ。腕縛りだ。」

 

杖を取り出しながら言ってやると、マルフォイは少し驚いたように返事を返してきた。どうやら私の自己紹介は一切聞いていなかったらしい。

 

「腕縛り? ……それは五年生の内容だぞ。お前は三年生のはずだ。」

 

「自己鍛錬してるからな。あんまり使わなさそうなのは歯抜けになってるけど、基本的にはその辺まで進んでんだよ。」

 

厳密に言えば、もっと滅茶苦茶な進行具合だが。……リーゼもノーレッジも、難易度ではなく有用かそうでないかで習得すべき呪文を決めているようで、私が使える杖魔法はかなり偏ってしまっているのだ。

 

強くなってる実感はあるが、成績に直結しないのがやや悲しい部分だな。その辺は自分で勉強して乗り切らねばなるまい。内心でため息を吐く私に、マルフォイは小さく頷きながら返事を寄越してくる。

 

「まあ、いいだろう。振り方や呪文は?」

 

「知ってる……が、成功率が低くてな。そこをどうにかしたいんだ。」

 

「それなら壁際に行くぞ。これは防衛術の授業を補うためのクラブなんだ。『実際に使って』学ぶべきだろう?」

 

「そりゃまた、おっしゃる通りで。」

 

誰が決めた訳でもないんだと思うが、大広間の中央部は教科書なんかを使って学ぶ座学の場所、壁際は実際に呪文を使う実践の場所、ってな具合にいつからか分かれ始めたのだ。ハーマイオニーはこの事態に大変満足していた。全員が協力して仕組みを作り始めたとかなんとかって。

 

しかし、思ってたよりも協力的だな。少しだけ拍子抜けしながらも、前を歩くマルフォイへと言葉を放る。

 

「……もっと意地悪してくるかと思ったぜ。クラブの間中、私を『的』にするとか。」

 

「僕は五年生の監督生で、お前は三年生の女生徒なんだ。好き嫌いはともかくとして、そんな卑怯な真似はしない。」

 

「へぇ? 一年生の頃に吸魂鬼のフリした誰かさんに襲われた記憶があるんだがな。」

 

「……子供だったんだ、僕は。あの頃はまだ、何も分かっていない子供だった。」

 

今は違うってか。少しだけバツが悪そうに呟いたマルフォイは、空いている壁際のスペースに立って杖を構えた。

 

「先ず、使って見せてみろ。……僕は盾の呪文を使った方がいいのか?」

 

「あー……とりあえずは無しで頼む。そもそも成功するかが微妙なわけだしな。」

 

「分かった。」

 

うーん、やり難いな。若干の気まずさを感じたままだが……ま、いいさ。練習は練習。時間を無駄にするわけにはいかない。一つ頷いて気を取り直してから、杖を振って呪文を放つ。

 

「んじゃ、行くぜ? ……ブラキアビンド(腕縛り)!」

 

───

 

「──つまり、お前は杖を振るのが早すぎるんだ。二度目のBのあたりで振り始めるべきなのに、Cのところで既に振っている。だから失敗するんじゃないか?」

 

何度か腕縛りを受けたせいで手首を摩るマルフォイへと、持ってきた教科書の挿絵を見ながら頷きを送る。……確かにそうかもしれない。腕縛りは他の呪文よりもかなり遅く振り始める呪文だったようだ。単純な点を見落としてたな。

 

「ん……そうみたいだな。やってみてもいいか?」

 

「ああ。今度は僕も適当に盾の呪文を使うから、素早さも意識してやってみろ。」

 

「なんか、やけに指導するのに慣れてるじゃんか。ひょっとして、スリザリンではこういうこともやってんのか?」

 

「……僕はマルフォイ家の跡取りだからな。すべき事をしているだけだ。」

 

名家の義務か。大変なこったな。肩を竦める私を背に、マルフォイは再び壁際へ向かおうとするが……急に立ち止まると、振り返って質問を放ってきた。何故か少しだけ私から目を逸らしながら。

 

「キリサメ、お前は……お前たちは怖くないのか? 闇の帝王のことが。」

 

……いきなり深い話題が飛んできたな。不意に漏れ出たという感じの疑問に、首を振って答えを返す。もちろん横にだ。

 

「そりゃあ怖いさ。死喰い人だって怖いし、巨人だって怖い。なんなら亡者とかいうのも怖いし、グリンデル……なんとかの残党だって怖いぞ。」

 

「なら、どうして抗おうとする? お前も、グレンジャーも、バートリも、ウィーズリーも……ポッターも。」

 

「それよりもっと怖いものを知ってるからだ。他のみんなの理由は知らんが、私は私の友達が死ぬのが一番怖い。……それに比べりゃ、例のあの人なんか些細なもんなのさ。」

 

ハリーたちと比較すれば、きっとこれはかなり後ろ向きな理由なのだろう。魔法界のこととか、正義のこととか、マグルのこととか。私が抗おうとする理由は、そういう大きなものではないのだから。

 

「そっちこそ、何だってあんなヤツに従うんだよ。……別に嫌味で言ってるわけじゃないし、話を聞き出そうってんでもないからな。純粋な疑問だ。ここでの話は他のヤツには話さない。杖に誓うぜ。」

 

そっちの方が意味不明だぞ。私の返答を聞いて俯くマルフォイへと、今度はこちらから質問を送る。彼は少しだけ沈黙した後、やがて絞り出すような声で答えてきた。

 

「それは、僕がマルフォイ家の跡取りだからだ。純血の、聖28一族の、次代を継ぐ者だからだ。……お前には分からないさ、キリサメ。僕は血に背くことが出来ないんだ。生まれた時に、既に決められていた運命なんだよ。」

 

「……いいや、分かるね。魔法界とは少し違うが、私も『名家』の生まれなんだよ。霧雨家の一人娘。お淑やかに、清楚に育ち、どこぞのお坊ちゃんを婿に入れるんだって言い聞かされて育ったからな。」

 

「それで、どうしたんだ。」

 

「ふん、もっとずっとガキの頃に家を出てやったさ。大喧嘩して、ぶん殴られて、勘当されて、着の身着のままで追い出されたよ。……まあ、何一つ後悔が無いって言えば嘘になるけどな。色んな人に迷惑をかけたし、色んな人に世話になった。」

 

特に、香霖や魅魔様にはかなりの迷惑をかけたはずだ。片や店を出てまでそれとなく私を見守ってくれて、片や全てを失った私を育ててくれた。当時はその有難味に気付けなかったが、今ならどれだけ世話になったのかがよく分かるぞ。ちょびっとだけ自分の行いに反省しながらも、話を続けるために口を開く。

 

「でもよ、外に出て初めて自分がどんだけ小さな世界で生きてきたのかってことが分かったんだ。……お前もホグワーツに来てそう思わなかったのか? マルフォイ家の常識と、ここの常識は違ったろ?」

 

「……僕はお前とは違う。僕には家族を捨てることなど出来ない。」

 

「別に捨てろなんて言わないさ。一緒に連れてくればいいじゃんか。必死に説得すればきっと──」

 

「違うんだ、お前は分かっていない。父上はもう後戻り出来るような場所に居ないんだ。闇の帝王が裏切り者をどう裁くのかを、僕はよく知っている。……この目で見たからな。」

 

何を、何時、何処で見たのだろうか? 蒼白な顔に恐怖の表情を浮かべているマルフォイは、やがて首を振りながらポツリと呟いてきた。

 

「……もう遅いんだ、キリサメ。もう間に合わないんだよ。父上はもはや離れることは出来ず、僕は父上を見捨てられない。だから、僕たちは先に進み続けるしかないんだ。」

 

「賭けてもいいけどな。どこかで思い切って断ち切らない限り、ずっと『それ』が続くぞ。お前は本気でそんなことを望んじゃいないだろ? ……今のイギリスはお前らが思ってるほど弱くないんだ。もしお前らが逃げ込んでくるんだったら、それを守りきれるくらいには強いはずだぜ。」

 

「ふん、それこそ夢物語だな。マルフォイ家を一体誰が守ってくれる? ボーンズか? スカーレットか? スクリムジョールか? ……無駄なんだ。僕の家は闇に染まり過ぎた。今更光の当たる場所には出れやしないさ。こうなる運命だったんだ。」

 

『運命』。またそれか。皮肉げな笑みで自嘲するマルフォイは、そのまま会話を打ち切って壁際に歩いて行こうとするが……その手を取って、強引にこちらに振り向かせる。運命なんかクソ食らえだ。生まれも、種族も、才能もな。私は自分で賽の目を選ぶぞ。

 

「ダンブルドアが居るだろ。他の誰がどうだろうと、ダンブルドアだけは信じることを止めないはずだ。……まだ間に合うんだよ、マルフォイ。大体、お前はまだ何にもやってないだろうが。お前が親を愛してるなら、親だってお前を愛してるはずだ。本気でお前が説得するなら、腹をくくってくれるんじゃないか?」

 

「……僕のせいで父や母が死んだら?」

 

「それなら、ヴォルデモートの側に居れば生き延びられると思うのか? このまま進み続けていれば、あいつが輝かしい未来を作ってくれると思うのか?」

 

あるわけないだろ、そんなこと。情勢に疎い私だってそれくらいは分かるぞ。私がはっきり名前を言ったせいで硬直するマルフォイへと、尚も説得の言葉を言い募る。……何故だか知らんが、ここで引いたらダメな気がするのだ。何より、『運命』なんてもんに好き勝手させるのは気に食わん。

 

「ビビるなよ、マルフォイ。お前が怖がってるものは、暗い廊下の隅っことか、ベッドの下の暗闇とかと一緒だ。確かに怖いさ。怖いけど……でも、それを怖くしてるのは私たち自身なんだよ。きちんと向き合って、確かめてみろ。真っ直ぐに見つめてやれば、それはお前が思うほど恐ろしいものじゃないぞ。」

 

「僕は、僕は……悪いが、気分が良くない。寮に戻る。」

 

逃げる気か? でも、この問題は逃げても間違いなく追いかけて来るぞ。それなら向き合える時に向き合うべきだろうが。真っ青な顔で大広間の扉へと大股で歩いて行くマルフォイの背中に、大声で言葉を投げかけた。

 

「逃げるなよ! お前だって、本当はもう分かってるんだろ? 自分がすべき事が何かって!」

 

ピクリと肩を震わせたものの、振り返らずに大広間を出て行ったマルフォイを見つめていると……ふと隣に立ったシャフィクが話しかけてくる。どうやら騒ぎを聞き付けて来てしまったようだ。

 

「ミスター・マルフォイと何かあったのか?」

 

「あー……まあ、ちょっとな。別に喧嘩したって訳じゃないから、気にしないでくれ。」

 

誓ったからには他人に話すわけにはいかない。肩を竦めて適当な台詞を放ってやると、シャフィクはゆっくりと頷いてから口を開いた。

 

「……何について『話し合った』のか想像は付く。僕たちにとって家名は呪いなんだよ。そして、ヴォルデモートはそれを利用しているんだ。」

 

おいおい、驚いたな。はっきりとヴォルデモートの名前を口にしたぞ、こいつ。私が少しだけ感心しているのを他所に、シャフィクは扉の方を見ながら話を続ける。

 

「だが、今やその呪いは解けつつある。ホグワーツと同じように、イギリス魔法界には変化の時が訪れているんだ。……ミスター・マルフォイはきっと君の言葉を受け止めてくれるだろう。」

 

「……そう願うぜ。別に好きなヤツじゃないが、それでも同じ学校の生徒なんだ。後味悪い結末は御免だしな。」

 

それに、あいつも私たちと同じガキなんだ。やり直す機会くらいは与えられて然るべきだろう。頭を掻きながらため息を吐いていると、シャフィクが大広間を見渡しながら話しかけてきた。

 

「しかし、ミス・グレンジャーは本当に見事なタイミングでこのクラブを始めたものだ。最上級生としては少しだけ妬ましいが……まあ、今回は素直に賞賛すべきだろうね。悔しいが、僕たちには到底出来なかっただろう。思い付いたところで実行しようとは思わなかったはずだ。」

 

「防衛術を、生徒たちが協力して学ぶってことがか?」

 

「防衛術を、『全寮の』生徒たちが協力して学ぶことが、だよ。……君の練習の続きは僕が受け持とう。来たまえ。」

 

そう言ってペアを組んでいる一年生の方へと戻って行くシャフィクの背に続き、私も騒がしい大広間を歩き出す。……うーん、確かにその通りだな。防衛術クラブが無ければ私はマルフォイなんかと議論しなかっただろうし、シャフィクとも出会わなかっただろう。

 

参ったな、こりゃ。マルフォイにとやかく言える立場じゃないぞ。私は未だに『小さな世界』から抜け出せていなかったようだ。ホグワーツを構成するのは四つの寮。グリフィンドールからだけじゃ見えないものもあるらしい。

 

ハーマイオニーだけはこのことに気付いてたのかもな。内心で身近な先輩にちょっとだけ尊敬の念を送りつつ、霧雨魔理沙は小さな苦笑を浮かべるのだった。

 



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「おお、アリス。急に呼び出してしまって申し訳なかったのう。」

 

冬のカフェテラスに一人で座っているダンブルドア先生の言葉を受けて、アリス・マーガトロイドは苦笑しながら頷いていた。店内から店員さんたちが心配そうに見ているのが……うん、何とも言えない状況だな。

 

今日はダンブルドア先生からの便りを受けて、ロンドンの中心街にある大きなカフェへと会いに来たのだ。誰もが寒そうに身を縮めながら店内に入って行く中、ダンブルドア先生だけが閑散としたテラス席で寛いでいる。スーツを着こなしてるから傍から見れば普通のおじいちゃんだし、そりゃあ皆心配するだろう。

 

「いえ、呼び出しは全然構わないんですけど……店内には入らないんですか?」

 

テラス席に近付きながら聞いてみると……ああ、なるほど。魔法でテーブルの周囲だけを暖かくしているらしい。コートを脱いで向かいの席に座る私に、ダンブルドア先生はちょっとだけバツが悪そうな顔で返事を寄越してきた。

 

「ううむ、先程から心配そうに見られている自覚はあるのじゃが、ロンドンの景色を堪能したくてのう。……相変わらず良い街じゃ。古く、そして同時に新しい。マグルの進歩というものを感じさせてくれる場所じゃな。」

 

「でも、随分と変わっちゃいましたね。人の格好も、街並みも。新しい物にはワクワクしますけど、そこだけは少し残念です。」

 

昔よりも明るく、煌びやかに、騒がしくなってしまった。もちろん今のロンドンも嫌いではない。嫌いではないのだが……そう、少しだけ寂しいのだ。私の思い出の場所がどんどん減ってしまうことが。

 

遥か昔、両親とお祖父ちゃんに連れられて行ったデパート。テッサと一緒にご飯を食べたパブ。まだベビーカーに乗っていたコゼットに、マグルのオモチャを買ってあげた小さなお店。どれもこれも今は無く、過去の思い出に残るばかりだ。

 

お前は我儘なヤツだな、アリス。もうずっと昔の思い出ばかりなのに。自身の理不尽な思考に苦笑する私を見て、ダンブルドア先生は目を細めながら口を開く。慈しむような、悲しむような、何とも曖昧な表情だ。

 

「じゃが、変わらないものもある。そして、変われないものもね。それが良い事なのか、悪い事なのか……難しいのう。この老骨にも結局答えは出せなんだ。」

 

「えっと……?」

 

謎かけのような台詞に目をパチクリさせていると、店内から出てきた店員がメニューを差し出しながら話しかけてきた。ドアからは僅か数歩の距離だが、それでも随分と寒そうだ。マグル界では冬の寒さも少しだけ遠ざかってしまったらしい。

 

「ご注文は? それと……その、店内の席もご用意できますが。」

 

「いえ、ここで大丈夫です。私は……カフェラテをホットで。」

 

「わしにもエスプレッソのお代わりをお願いするよ。」

 

「……かしこまりました。すぐにお持ちいたします。」

 

これは、絶対に変な人だと思われちゃってるな。首を傾げながら店内へと戻って行く店員を尻目に、ダンブルドア先生がやおら本題を切り出してきた。

 

「さて、今日君に来てもらったのは他でもない。わしの推理の答え合わせに付き合って欲しくて呼んだのじゃ。」

 

「答え合わせ、ですか?」

 

「さよう。……残り二つの分霊箱についてのね。」

 

いきなり出てきた重要な単語に、思わずリラックスしていた身を正す。分霊箱。リドルを守る存在であり、私たちにとっての目の上のたんこぶだ。少し緊張する私へと、ダンブルドア先生は微笑みながら続きを話し始める。

 

「トムは分霊箱にするものを慎重に選んだはずじゃ。ホグワーツの創始者たちの遺品、自らの家系に伝わる指輪。……ただし、日記帳だけは少し違うのかもしれんのう。あれだけは確たる目的があって作られた分霊箱だったからね。秘密の部屋の後継者を選ぶ、という目的が。」

 

「それに、あれは最初に作られた分霊箱でもあります。実験的な意味も多少あったんじゃないでしょうか?」

 

「うむ、その可能性もあるじゃろうて。……しかしながら、残りの分霊箱はトム自身を表現する『シンボル』として作られた側面が大きいと思っておる。トムは自らの偉大さを表現するため、自身にとって相応しいと感じる物を選んだはずじゃ。」

 

「……分かる気がします。リドルはそういう所に拘りますから。」

 

多くの力ある魔法使いがそうであるように、リドルもまた『拘り屋』の一人なのだ。その辺に転がっているような物を分霊箱にするのはリドルのプライドが許さないだろう。それに、そもそも思い入れが強くなければ分霊箱には出来ない。

 

「お待たせしました。カフェラテと、エスプレッソです。」

 

「どうも。」

 

しかし、『シンボル』か。言い得て妙だな。会話の途中で店員が運んできてくれたカフェラテに口を付ける私へと、ダンブルドア先生がいきなり質問を放ってきた。

 

「アリスよ、君にとって英知を表現するものとは何かね? 直感でいい。知識、知恵、英知。これらの単語から連想するものとは?」

 

「えーっと……パチュリーです。」

 

「ほっほっほ、わしと同じ答えじゃな。……では、トムにとってはどうだと思うかね? もし彼に同じ質問をしたら、どんな答えが返ってくると思う?」

 

「リドルにとって? 難しい質問ですね、それは。スリザリンとか、レイブンクローとか……つまり、ホグワーツ、とか?」

 

私にとっても、パチュリーの次に思い浮かぶものがそれなのだ。何せホグワーツは私たちの学び舎なのだから。私の返答を聞いたダンブルドア先生は、我が意を得たりとばかりに大きな頷きを返してくる。

 

「うむ。そして、そのホグワーツには髪飾りが隠されておったわけじゃな。英知を体現する、ロウェナ・レイブンクローの髪飾りが。……聡い君ならばわしの言いたいことに気付いたじゃろう?」

 

「えっと、リドルはそれぞれの分霊箱を『相応しい』場所に隠したってことですよね? ……ゴーントの指輪は分かります。ゴーント家はリドルのルーツであり、同時に棄て去った場所ですから。その廃屋に指輪を隠すのは分かりますけど……でも、スリザリンのロケットは? 何故洞窟なんかに?」

 

「わしも確実と言える真相にはたどり着けなんだ。……じゃが、あの洞窟はトムが幼少期に訪れた場所なのじゃ。どうも孤児院の遠足で足を運んだようでのう。わしはそこでトムが魔法に目覚めたのではないかと考えておる。……トムにとっての魔法は自らの力であり、誇りであり、他者とは違うことの証明なのじゃ。どうかね? どれも彼の内に流れるスリザリンの血に通ずるものじゃろう?」

 

……納得は出来る。もしダンブルドア先生の言う通りなのであれば、非常にリドルらしい隠し方だと言えるだろう。しかし、それならハッフルパフのカップは? 誠実さ、献身、フェアプレー、優しさ。リドルはそれで一体何を連想するんだろうか?

 

「その説でいくと、ハッフルパフのカップは何処に隠されたんでしょうか? ハッフルパフが表現するものは、どれもリドルからは……その、遠いものです。」

 

全然思い浮かばない。あまりにも今のリドルからかけ離れてしまったそれらは、彼を通して考えるには難しすぎる題目だ。思い悩む私に、ダンブルドア先生は少しだけ悲しげに俯きながら返事を寄越してきた。

 

「わしの予想が正しければ、それは君もよく知る場所に隠されているはずじゃ。……行こうか、アリス。手を取ってくれるかね?」

 

「よく知る場所? ……はい、分かりました。」

 

コートを羽織っていくらかのポンド紙幣をカップの下に置いたダンブルドア先生は、杖を右手に私の方へと左手を伸ばしてくる。私も自分のコートを掴んでから、差し伸べられた手をゆっくりと握ると……付添い姿あらわしでたどり着いたその場所は、確かに私がよく知る場所だった。

 

ロンドン郊外にある、慎ましくも美しい墓地。目の前にはテッサと、旦那さんと、そしてコゼットとアレックスの墓が並んでいる。良い事があった時、落ち込んだ時、悩んだ時、それが解決した時。何かがあった時に私が必ず訪れて、報告している場所だ。

 

「……テッサの、お墓。」

 

「さよう、君の親友の墓じゃ。そして同時に、『彼』のよく知る人物の墓でもある。」

 

杖を一振りして薄く積もった雪を優しく除けたダンブルドア先生は、屈み込んでテッサの墓に手を当てながら口を開いた。

 

「愚かしいことかもしれんが、わしはまだ信じているのじゃ。あれほど深みに溺れたトムでさえ、愛を完全に棄て切れはしないのだと。彼は君とテッサに確かに友情を感じていたのだと。……わしにとって、これは賭けなのじゃ。トムは完全に『ヴォルデモート卿』になってしまったのか、それとも『トム・リドル』を何処かに残しているのか。」

 

「……それで、何が変わるわけでもありません。もう取り返しはつかないんです。」

 

もう遅すぎる。ここにリドルの『友情』が残されていたところで、私はそれをどう受け止めればいい? 今更知ったところでどうにもならないのに。立ち尽くしながら墓を見つめる私へと、ダンブルドア先生が背中越しに静かな声を放った。

 

「そうかもしれん。じゃが、それでも……わしは信じたいのじゃ。」

 

ひどく疲れた声色のダンブルドア先生が杖を振ると、墓石がゆっくりと浮かび上がり、その下の土が独りでに脇へと動き出す。……私は、ここにカップがあって欲しいんだろうか? それとも別の場所に隠されていて欲しいのだろうか?

 

自分でも分からない。ぐちゃぐちゃになってしまった頭で、どんどん深くなる穴を見つめていると……やがて現れた棺の上に、ポツリと金のカップが置かれているのが見えてきた。ダンブルドア先生の推理通りの、ヘルガ・ハッフルパフのカップが。友誼を表す創始者の遺品が。

 

穢れなき金色に輝く、穴熊の彫刻が刻まれた小さなカップ。棺に刻まれた獅子に寄り添うように置かれたそのカップを見て、ギュッと両手を握り締める。ふざけるなよ、リドル。どうして今になってそんなことをするんだ。

 

「……嫌な気分です。本当に嫌になります。それなら、どうしてこんなことになったんでしょうか?」

 

今更知りたくなどなかった。もう何もかもが遅いのに。俯きながらポツリと呟いた私の肩に、ダンブルドア先生が柔らかく手を乗せて声をかけてきた。

 

「すまぬ、アリス。……それでも、君には知っておいて欲しかったのじゃ。知らぬままで全てを終わらせて欲しくはなかったのじゃ。」

 

「私には、分からなくなってきました。……リドルが本当に望んでいたものは何なのかが。」

 

不死への渇望、力への執着、権力への欲望。ただそれだけを持った、分かり易い『敵』でいて欲しかったのに。そうすればこんな気持ちにはならなかったのに。……今だけはダンブルドア先生が恨めしい。知らなければ、もう迷わずに済んだのかもしれない。だが知ってしまった今、私は迷わずにはいられないのだ。

 

ああ、テッサが居れば。ほんの一時でも彼女が側に居てくれれば、ずっとずっと楽になれるのに。……でも、本当の意味で私の悩みを理解して、一緒に悩んでくれる親友はもう居ない。だから私は一人でこの問題に決着を付けるしかないのだ。

 

テッサの墓の横に取り出されたカップを見つめる私に、墓を元に戻しているダンブルドア先生が言葉を送ってきた。

 

「トムは、きっと彼は……いや、これはわしの語るべきことではないのう。わしは結局のところ、彼を真の意味で理解することは出来なかったのじゃから。情けない限りじゃ。……オーキデウス(花よ)。」

 

草臥れたように呪文を唱えたダンブルドア先生は、綺麗に整え直された墓へと杖の先に生まれた花を供える。黄色いフリージアだ。テッサが好きだった花。

 

「すまなかったのう、テッサ。少し騒がしくなってしまった。……ゆっくりお休み。」

 

呟きながらテッサの墓石をそっとひと撫でしたダンブルドア先生は、そのまま横に並ぶ三つの墓の雪も除け、それぞれに別の花を供えると……最後に杖を手にして、立ち尽くす私に質問を放ってきた。

 

「アリス、君は残るかね?」

 

「……はい、話したいことがありますから。」

 

「そうか。では、カップはわしがノーレッジに届けておこう。……今日は付き合わせてしまって申し訳なかったのう。」

 

いつもよりずっと弱々しい声で言ったダンブルドア先生は、ゆっくりと杖を振り上げると……僅かに躊躇った後、穏やかな口調で言葉を投げかけてくる。そのブルーの瞳を静かに揺らしながら。

 

「じゃが、忘れないで欲しい。ここにカップがあったということを。トムがこの場所を選んだということを。……それだけは覚えておいて欲しいのじゃ。」

 

悲しそうな表情でそれだけを言うと、ダンブルドア先生は今度こそ杖を振って姿くらましで消えていく。それを見送った後、ホルダーからイトスギの杖をそっと抜いて墓石にコツリと当てた。何かの奇跡で反応を送って欲しい。理屈じゃない出来事を起こして欲しい。そんな魔女らしからぬ、有り得ない願いを込めながら。

 

「……寂しいよ、テッサ。」

 

親友の名が刻まれた墓石の前でしゃがみ込んで小さくなりながら、アリス・マーガトロイドはただ墓地の静寂を耳にするのだった。

 



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残すべき日常

 

 

「逆転の可能性はまだあったんだ! それに、私は試合を終わらせろなんて指示を出した覚えはない! それなのに、こんな勝手な……勝手だぞ、ハリー! キャプテンは私なんだ! 私がキャプテン!」

 

談話室の暖炉の前で顔を真っ赤にして激怒するジョンソンを見ながら、アンネリーゼ・バートリはポリポリとクッキーを齧っていた。祝勝会なら厚切りのローストビーフがあったんだがな。残念会じゃチョコチップ入りのクッキーが精々らしい。

 

二月も半分を過ぎた今日、今シーズン二回目のクィディッチの試合が執り行われたのだ。寒空の下始まったグリフィンドール対レイブンクローの一戦だったが、結果は240対250で敗北。クソ長い上に酷い泥仕合だったのである。

 

先ず試合開始直後、チェイサーの一人であるスピネットがブラッジャーの直撃を受けて腕を骨折。呪文で応急処置したものの利き腕が使用不能になり、チェイサーは実質三対二になってしまった。……ちなみに、この時点で応援席の雰囲気は地獄だ。ジョーダンの実況もお通夜みたいになってたし、それを注意するマクゴナガルですらどこか覇気がなかったぞ。

 

次にロンがプレッシャーに負けて『ザル状態』……さっきジョンソンが使っていた表現だ。になり、それをフォローしようと焦った双子が『ロンに』ブラッジャーを直撃させるというトラブルが起きた。ゴールを決めようとしていたレイブンクローのチェイサーを狙ったようだが、少しズレてロンに当たってしまったらしい。

 

そして最後に90対250の状態でハリーがスニッチをキャッチして、十点差の敗北で終わったというのが今回の試合の顛末だ。いやはや、酷かった。ジワジワと点差が広がっていくのを延々観続けるのは悪夢だったぞ。少し離れたソファに座る私がジョンソンを眺めながら思い出していると、彼女の目の前のハリーが反論を放つ。こっちも負けず劣らずの真っ赤な顔だな。

 

「僕は考え無しにあのタイミングで捕ったわけじゃないよ! チームのためにスニッチを捕ることを選んだんだ! 初戦はそこそこの差で勝てただろ? 今十点差で負けても優勝の可能性はまだまだ残ってる。点差が開いて負けるよりはマシだったはずだ!」

 

「ああ、ハリー。君は重要な部分を見逃してるぞ。もう少しでマリサがゴール出来てたんだ! あと一瞬、ほんの一瞬待ってくれてれば、今回の試合は引き分けで終われた。……優勝にもっと近くなる、引き分けでね!」

 

うーむ、怖い。ハリーはよく立ち向かえるな。……なにせ言葉そのものはある程度理性を感じさせる内容だが、今のジョンソンは火達磨になったドクシーみたいな動きをしているのだから。こう、両手両足を振り回しながらバタバタって。滲み出る狂気が『誰かさん』を連想させるぞ。

 

「ジョンソンのやつ、クリスマス休暇にバチカンに行ってお祓いを受けてこなかったのか? 寮生総出であれだけ説得したのに。」

 

「……なんか、あの動作を見てるとジョークとして受け取り難くなってくるわね。バチカンはともかく、せめて霊魂課には行ってみた方がいいかも。」

 

「来年のキャプテンには『伝染』しないことを祈っておこうじゃないか。これが伝統になったら怖すぎるぞ。」

 

私とハーマイオニーがこそこそバカ話をしている間にも、ハリーとジョンソンにそれぞれチームメイトたちが加勢し始めた。魔理沙はジョンソン側に、双子の……フレッドかな? がハリー側で、ジョージがジョンソン側だ。

 

ちなみに大量得点を決められたロンは私とハーマイオニーの向かいのソファで項垂れているし、腕を折ったスピネットは医務室へ。そして今回試合に出なかったケイティ・ベルは、周囲を囲む寮生たちと一緒になってどうにか『議論』をやめさせようとしている。

 

「それは結果論だぜ、アンジェリーナ。ハリーはその時、その瞬間の最善策を選んだんだ。後からどうこう言うべきじゃない。」

 

「フレッド、シーカーの役目は『相応しい瞬間に』スニッチを捕ることだ。あれは、全然、相応しい瞬間じゃ、なかったんだ!」

 

「仕方ないじゃないか、チョウがもうそこまで迫ってたんだよ! ……もしマリサがゴールするのを待ってたら、十点入って百五十点取られてただけさ。そしたら大敗だよ、大敗!」

 

「そいつはどうかな、ハリー。俺がブラッジャーをチョウに打ち込んでたんだ。実際、フーチのホイッスルと同時に肩に当たってた。あのままいけばチョウはスニッチを逃してたはずだぞ。」

 

「それに、ハリーがスニッチを取ったのは私がゴールした『直前』なんだ。本当に一瞬前さ。一秒待てば同点で終われたんだぜ?」

 

「僕はスニッチを追うのに必死だったんだ! そんなことに気付けるわけないだろ? マートラップと違って、僕の目は前にしか付いてないんだから!」

 

いやぁ、大激戦じゃないか。やっぱりスポーツってのは人を熱くするな。周囲を囲んでいる寮生たちも、いつの間にか止めるのではなくガヤガヤと議論を始めてしまった。その勢力はほぼ均衡。これは長引くぞ。

 

甘ったるいクッキーを噛み砕きながら、ソファの柔らかい背凭れに身を預けてポツリと呟く。

 

「悩ましいところだね。私が冷めすぎなのか、彼らが熱中しすぎてるのか。……まあ、参加している人数を見る限り、どちらかと言えば私がおかしいようだが。」

 

「スポーツに熱中出来るのは良い事じゃないの。青春ね。」

 

「キミは参加しないのかい? どっちかに加勢したら喜ばれるぞ。ほら、理詰めでキミに勝てる魔法使いはグリフィンドールに存在しないからね。」

 

「こういうのは『専門家』に任せた方がいいでしょ。ことクィディッチに関しては私は素人よ。……それに、あれに関わるのは面倒くさそうだわ。」

 

賢い選択じゃないか。大いに納得の頷きを放ってから、目の前のテーブルで星図を描き込んでいる咲夜の間違いを指摘する。この子もこの子でマイペースだな。クィディッチ論争よりも天文学の宿題の方が重要らしい。

 

「咲夜、二月の星図なんだったらそこは空白だよ。『寒がり星』は冬になると消えるんだ。」

 

「あれ、そうなんですか? ……でも、どうして?」

 

「そりゃあ、寒がりだからさ。」

 

「……なるほど?」

 

私にだって意味不明すぎて分からんのだ。宇宙に行ったとかいうマグルにでも聞いてくれ。曖昧な返事を寄越してきた咲夜は、首を傾げながらも素直に星図を修正し始めた。

 

それを横目にしつつ、杖を振って呼び寄せ呪文を使う。クッキーはクッキーで美味かったが、甘さが口に残ったままでは気持ちが悪い。ここらで口直しが必要だろう。……やっぱり残念会だろうが肉は必要だな。誰が開いているにせよ、今度改善案を提出しておかなくては。

 

「アクシオ、ブラッドワイン。……しかし、グリフィンドールチームにとっては苦難の年だね。これまで勝ち続けてきたんだから尚更だ。それを考えると、『おかしくなった』ジョンソンにも同情の余地があるのかもね。」

 

重責が人を狂わせた典型例だな。自室のトランクの中から猛スピードで飛んできたワインボトルをキャッチしながら呟くと、ハーマイオニーが呆れた表情で声をかけてくる。

 

「リーゼ、飲み過ぎよ。昨日もボトル一本空けてたじゃないの。貴女ったら、今年に入ってから遠慮が一切無くなったわね。」

 

「ワインなんか葡萄ジュースと変わらないのさ。キミも飲んでみるかい? さすがに飲んだこと無いってわけじゃないんだろう?」

 

「ワインの前に『ブラッド』って単語が聞こえたわよ? 私は遠慮しておくわ。」

 

「ちょっとした隠し味じゃないか。……私は悲しいよ、ハーマイオニー。キミと酒を飲み交わせる日をこんなにも楽しみにしてるってのに。」

 

私は物心付いた頃にはもう飲んでたぞ。人間だって十六歳なら問題あるまい。雑な嘘泣きで言ってやると、ハーマイオニーはやれやれと首を振りながら口を開く。

 

「クリスマス休暇の時、パパからも同じことを言われた気がするわ。……でも、お酒は毒よ、リーゼ。少なくとも人間にとってはね。」

 

「んふふ、毒の無い人生なんて退屈なのさ。毒あらばこそ、薬の偉大さを知れるわけだ。」

 

ボトルから直接飲みながら嘯いていると、ずっと俯いていたロンが顔を上げて言葉を放った。……おお、ひどい顔じゃないか。落ち込みっぷりを存分に表現しているな。

 

「それが毒なら、飲むべきは僕だよ。薬はいらないから、僕に飲み干させてくれ。」

 

「んー、やめた方が良さそうだね。今のキミだと悪酔いするのが目に見えてる。キミが飲むべきは薬の方だよ。」

 

「ロン、貴方はシャワーを浴びて、もう寝るべきよ。明日になったらもっとマシな気分になってるわ。細かいことはそれから考えればいいでしょ?」

 

「そうですね。起きてると色々考えちゃいそうですし、一度リセットした方が良いですよ。疲れてるでしょうから、きっとすぐに眠れるはずです。」

 

私、ハーマイオニー、咲夜の提言を受けて、ロンはノロノロとした動作で頷いてから立ち上がる。未だ暖炉の方で続いているクィディッチ論争も耳に入らぬといったご様子だ。

 

「うん……そうする。お休み、みんな。」

 

沈んだ声でポツリとそう言うと、ロンは私たちの返事を尻目に男子寮の階段へと消えて行った。……ゾンビみたいな足取りだな。ハーマイオニーの言う通り、明日になれば改善することを祈るばかりだ。

 

まあ、例年よりかは穏やかな悩みだろう。今年はハリーがドラゴンと戦わなかったし、殺人鬼もバジリスクも校内をウロついてなければ、後頭部マンが箒から振り落そうともしてこなかった。クィディッチの悩みなんか可愛いもんだぞ。

 

改めて考えると狂ってるな。これまでの『異常な』四年を思って鼻を鳴らしていると、視界の隅で呪文の閃光が瞬く。……ロングボトム? どうやらロングボトムが談話室の隅っこで呪文の練習をしているようだ。

 

「なんとまあ、熱心なことじゃないか。フクロウ試験対策かな?」

 

「熱心? ……ああ、ネビルね。最近はクラブでも凄く頑張ってるみたいよ。」

 

私の目線を辿ったハーマイオニーは、少しだけ曇った表情で言葉を続ける。

 

「でも、ちょっとだけ心配だわ。なんて言うか……余裕が無い感じなのよね。必死っていうか、鬼気迫るっていうか。まるで何かに追われてるみたいで。」

 

ふむ? ……確かに杖を振る表情は真剣そのものだな。心なしか若干やつれた気もするし、今のロングボトムからは彼特有の穏やかな雰囲気が全く感じられない。

 

ひょっとしたら、脱獄したクラウチ・ジュニアのことでも考えてるのかもな。父と母の仇か。……復讐心は人を強くするものだ。ロングボトムにも変化の時が訪れたのかもしれない。

 

ふん、ダンブルドアなら止めるだろうが、私は止めんぞ。復讐の権利は誰にでもある。自分の両親を苦しめて、狂わせたヤツがヘラヘラ歩き回っているなど我慢できまい。少なくとも私なら地の果てまで追って行って、拷問して苦しめ抜いてから殺すぞ。お綺麗事じゃ心の隙間は埋まらんのだ。

 

ま、私の場合は復讐するよりされる方が多そうだが。それもまた一興だろう。ワインを呷りながら考える私を他所に、ソファを立ったハーマイオニーが声を上げた。

 

「ああもう、放っておけないわ。何を考えてるかは分からないけど、せめて一人でやるべきじゃないわよ。」

 

「おや、手伝うのかい?」

 

「だって、杖の振り方からして間違ってるんだもの。あれじゃあいつまで経っても上達しないわ。」

 

「んふふ、お優しい監督生だね。それじゃ、冷たい吸血鬼はそれを肴に酒を飲むよ。」

 

さすがは私のハーマイオニーだ。私に呆れ果てたジト目を向けた後、ロングボトムの方へと歩いて行ったハーマイオニーを見ながら、手慰みに咲夜の銀髪へとそっと手を伸ばす。サラサラの手触りが非常に気持ち良いな。

 

「んぅ……くすぐったいです。」

 

「嫌かい?」

 

「いえ、嫌ではないんですけど……ちょっとだけ恥ずかしいです。」

 

「それなら何の問題もないね。私は恥ずかしがるキミを見られて万々歳さ。」

 

パチリとウィンクを送ってやると、顔が赤くなった咲夜は慌てて星図に集中し始めた。……いきなり羽ペンが進まなくなっているのが何とも可愛らしい。もっと悪戯したくなっちゃうぞ。

 

しかし……うん、穏やかな日々に溺れるわけにはいかんな。いよいよ五個目の分霊箱が見つかり、今やリドルを守る盾は崩れ去ろうとしている。つまり、ハリーにも決着の時が近付きつつあるということだ。

 

ならば、仕上げを急がねばなるまい。これまでの数年間は色々な『予想外』に出遭ってきたのだ。出来ることはやっておかないと、いつか後悔することになりかねん。そんなのは御免だぞ。ハリーの安全のためにも、もう少し『実戦形式』での特訓時間を増やすべきだろう。

 

……ただまあ、数日は休みかな。クィディッチでの敗北はハリーにとって重かろう。ロンのこともあるし、ちょっとくらいは学生らしい生活を送ったほうが良いはずだ。スポーツで一喜一憂する。そういう思い出も残って然るべきなのだから。

 

私の悪戯に必死に耐える咲夜を見ながら、アンネリーゼ・バートリは薄く微笑むのだった。

 



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親心

 

 

「お願いしたいことがあるのです、スカーレット女史。」

 

神妙な表情でそう言ってくるマルフォイ家の当主を前に、レミリア・スカーレットは疑い百パーセントの顔で首を傾げていた。さて、さて。今度は何の策略だ? 『ご主人様』に何を命じられた?

 

場所は魔法省地下一階の奥に新設された、『私の』執務室の中である。もういい加減魔法省に居ることが多くなってきたので、先日ボーンズにおねだりしてみたところ、結構良い部屋を用意してくれたのだ。家具もそこそこの物が揃っているし、窓の外は常に夕暮れ。うむ、悪くないぞ。

 

ちなみに部屋の名前は『イギリス魔法省外部顧問室』だ。……何人か秘書代わりの職員も付けてもらっているし、こういうのが長老制度のスタートになってるんだろうな。もしかしたら悪しき前例を作り出してしまったのかもしれない。

 

まあ、今後のことなど知らん。百年近くも政治に関わり続ける存在なんかそうそう現れないはずだし、きっと大丈夫だろう。……魔法界だと確実にとは言い切れないのが不安なところだが。

 

とにかく、マルフォイ夫妻が面談を希望してきたので、その部屋に案内させたというわけだ。嫌がらせに突っ撥ねてやろうかとも思ったのだが、わざわざ『夫妻』で来たというのがどうにも気になって入れてしまった。

 

ナルシッサ・マルフォイ。ロジエール家の母とブラック家の父を持ち、マルフォイ家に嫁入りした……まあ、『純血らしい』人生を送っている魔女と言えるだろう。三姉妹の末っ子で、死喰い人のベラトリックス・レストレンジが長女。マグル生まれと結婚した『変わり種』のアンドロメダ・トンクスが次女。そしてこの女が三女だ。

 

死喰い人にズブズブの長女と、敵対する道を選んだ次女。そして協力しつつも死喰い人には染まり切らない三女。……うーむ、何とも対照的な三姉妹だな。顔も全然似てないし。

 

脳内で事前に調べさせた情報を確認している私に、対面のソファに座るルシウス・マルフォイが話を続けてきた。……かなり意外な話を。

 

「貴女との化かし合いはもううんざりするほどやりましたからな。今回は単刀直入に言わせていただきます。……寝返りたいのです。死喰い人から、貴女がたの陣営に。」

 

「あー、なるほどね。寝返りたいの。……それで、どうして私がそれを信じると思ったわけ?」

 

「まあ、そうなるでしょうね。納得の反応です。」

 

「そりゃそうでしょ。今更誰が信用するのよ。」

 

信じる訳が無いだろうが。そりゃあマルフォイ家はリドルに『忠実である』と言い切れないのも知っているが、同時に裏切れるような位置に居ないのも承知の上なのだ。内心どう思っているかはさておき、もはや後戻りなど出来まい。

 

だから何らかの策と見る。それは至極真っ当な反応のはずだぞ。呆れた表情を浮かべる私へと、ルシウス・マルフォイは苦笑しながら口を開いた。

 

「ホグワーツに通わせている息子から手紙が送られてきたのです。長い、長い手紙が。そこには私たちへの感謝と、帝王から離れるべきだという助言と、それでも離れないことを選択するのであれば自分は従う、という内容が書かれていました。どんな選択をしようが、家族は一緒だと。」

 

「ふーん、マルフォイ家にしては出来た息子じゃない。それで?」

 

「私たちに渡せる情報は全て渡しましょう。スパイをやれというならやります。どんな裁きでも甘んじて受け入れる所存です。……ただ一つ、たった一つだけ。息子を守っていただきたい。それさえ受け入れてもらえるのであれば、我々はどんな条件でも飲みます。」

 

「……ま、信じられないわね。悪く思わないで欲しいんだけど、貴方はちょっと嘘を吐きすぎよ。今になって美談を持ち出しても無駄なんじゃないかしら?」

 

お優しいダンブルドアなら一考したかもしれんな。だが、ここに居るのは吸血鬼で、政治家であるレミリア・スカーレットなのだ。これまで色々と邪魔された恨みを抜きにしても、信じるには値しない提案なのである。

 

私の冷徹な返答を受けたルシウス・マルフォイは、隣に座る妻と目を合わせて頷き合うと、身を乗り出して言葉を放った。

 

「分かっています。故に、息子の守りを確約してくれるのであれば、我々も今ここで『保証』を示しましょう。……今日夫婦で訪れたのは、破れぬ誓いを結ぶためです。貴女たちを裏切らないという誓いを。」

 

「……本気なの? 私は文言に加減を利かせるつもりはないし、魔法的なトリックも無意味よ。」

 

「息子に言うつもりはありませんが、我々は恐らく帝王に殺されるでしょう。裏切ると決めた時点で既に無い命なのです。……であれば、残る全てを息子の人生の為に使います。そのことに躊躇などありません。」

 

真剣な表情で言ってくるルシウス・マルフォイに、一度鼻を鳴らしてから思考を回す。……単純な損得で考えれば是非も無い。受けるべきだ。情報や証言もそうだが、名家の中でも旗頭となっているマルフォイ家が裏切れば、イギリス魔法界の勢力図にもそれなりの動きが出てくるだろう。

 

問題はこれが何らかの策略であった場合だ。破れぬ誓いを解呪出来るのは、私の知る限りではパチュリーだけだが……むう、分からんな。死を覚悟した潜入である可能性だって否めないし、そもそも私は杖魔法に詳しくない。何か抜け道がある可能性だってあるだろう。

 

思い悩む私に、今度はナルシッサ・マルフォイが声をかけてきた。ひどく思い詰めた表情だ。演技だとしたら賞でもやりたいほどだぞ。

 

「貴女が『こちら』の事情をどれほど理解しているかは知りませんが、もうイギリス内部の死喰い人たちは弱り切っているのです。魔法省からの弾圧と監視、執拗な家宅捜査。……それに、裏切りが多いせいで帝王の信頼も薄れています。大陸の若い魔法使いに我が物顔で『資金提供』を迫られる始末ですわ。」

 

「あらそう、賞賛として受け取っておくわ。魔法省のやってたことは無駄じゃなかったわけね。」

 

「今の闇の帝王はイギリスを敵視していますが、必ずしも重視してはいないのです。……私たちはいずれ見捨てられ、捨て駒として扱われるでしょう。そうなる前に、ドラコだけは……息子だけは安全な場所に移したいのです。」

 

ふん、悲劇のヒロイン気取りってわけだ。哀れみを誘う感じで言ってきた女に、冷たい口調で言葉を返す。今になって善人ぶるのはやめてくれ。自分たちのやってきたことは棚上げか?

 

「あなたたちね、自分が恐ろしく都合のいいことを言ってる自覚はあるの? ……死喰い人に子を殺された親なんて腐るほど居るでしょうね。親を殺された子供だって多いのも私はよく知っているわ。それなのに、自分たちの子供だけは生き延びさせたいって? 酷い話じゃないの。」

 

別に私個人はどうでも良いが、納得しない者は必ず現れるだろう。それに、咲夜の境遇を考えると多少気に食わないのも事実だ。苛つく私の乾いた台詞に対して、ナルシッサ・マルフォイは顔を歪ませながら返事を寄越してくる。

 

「……ですが、ドラコには何の罪もありません。あの子はまだ十五歳で、死喰い人の仕事には一切関わらせずに育ててきました。……お願いします、スカーレット女史。私たちは全てを差し出します。どうか、どうかドラコだけは。ドラコだけは守っていただけませんか?」

 

これもまた母の愛か。涙を浮かべながら懇願してくるナルシッサ・マルフォイを横目に、手元の羊皮紙に必要な事項を書き込んでから、指を鳴らして部屋の隅に止まっていたコウモリを呼びつけた。紙飛行機にして飛ばす杖魔法は面倒くさいから嫌いなのだ。……出来ないわけじゃないぞ。ただ、ちょっと時間がかかるだけ。

 

「良い子ね。……これをスクリムジョールに届けなさい。二階に居ると思うから。」

 

私の指示を聞いたコウモリは、キュイキュイ鳴いてから羊皮紙を器用に咥えて部屋を飛び出して行く。……やっぱりふくろうよりコウモリだな。可愛いし、賢いし、速いし、何より翼が皮膜だ。鳥の妖怪にアホが多いこともコウモリの優位性を物語っている。

 

「受け入れてくださるのですか?」

 

私の動きを見て恐る恐るという感じで質問を飛ばしてきたルシウス・マルフォイに、肩を竦めながら答えを返した。

 

「一考の価値はあると考えただけよ。スクリムジョールと協議して、破れぬ誓いの内容について考えるわ。開心術師も呼ぶからそのつもりでいなさい。」

 

「では、ドラコの……息子の安全についてはどうなりますか?」

 

「仮にあなたたちの提案を受け入れることになれば、証人保護って形になるでしょうね。選択肢は色々あるわ。今年は緊急措置として夏休みもホグワーツに残ることが出来るし、忠誠の術だったり……あるいは新大陸に転校させるってのも可能よ。その場合はマクーザ側が新しい身分や名前、住む場所なんかを用意してくれるから。」

 

結局のところ、遠く離れた場所に隠してしまうのが一番なのだ。その点、新大陸とイギリスというのは良い感じの距離感なのである。向こうから保護対象が送られてくる場合もあるし、今年はこちらから数人を送った。私にすら『その後』の情報が伝わってこないのを見るに、中々見事に隠してくれたらしい。

 

やっぱりこういう司法制度に関しては新大陸の方が上だな。……ま、その辺はウィゼンガモットを『新しく』したら徐々に改善されていくだろう。未だフォーリーが議長の席に食らいついているが、限界を迎えるのもそう遠くない話だ。

 

「……感謝します、スカーレット女史。」

 

「まだ受け入れると決まったわけじゃないし、感謝は不要よ。利益で示しなさい。」

 

しかし、ままならないもんだな。……息子のドラコとやらはこの選択を喜ぶのだろうか? 先程ルシウス・マルフォイが自分自身で言っていたが、こいつらは遠からぬうちにリドルに殺されるはずだ。魔法省にもそれは防ぎきれまい。

 

その辺の木っ端ならともかくとして、マルフォイ家の裏切りなど面目丸潰れだ。である以上、プライドの高いリドルは死に物狂いでこの二人を殺しにかかるだろう。かかる犠牲を度外視してでも、確実に。

 

親の命と引き換えに生き延びた。そのことを知った息子はひどく後悔するだろうに。……まあ、私の考えるべきことじゃないな。先に殴りかかってきたのはあっちなのだ。今更同情などしないぞ。

 

深々と頭を下げるマルフォイ夫妻に鼻を鳴らしてから、レミリア・スカーレットはゆっくりとソファに沈み込むのだった。

 

 

─────

 

 

「なあ、何してるんだ? それ。」

 

ミニ八卦炉を操作しながらの霧雨の問いかけに、パチュリー・ノーレッジはポツリと返事を返していた。……ふむ、八卦炉の扱いにはかなり慣れてきたらしいな。もはや操作そのものは話しながらでもスムーズだし、後は卦の組み合わせさえマスターすれば基本は問題なさそうだ。

 

「調べてるのよ。」

 

「あー……ってことは、魔道具かなんかなのか? 単なる金ピカのカップにしか見えんが。」

 

「一応は魔道具よ。ハッフルパフのカップ。」

 

三月の……真ん中頃かな? ルーティーンの日々で感覚が若干薄れているが、多分それくらいの時期のはずだ。とにかく春が近付いてきている今日この頃、空き教室で霧雨への個人レッスンを行ないつつも、ダンブルドアから渡された五個目の分霊箱について調べていたのである。

 

ちなみに、作られた時期は既に特定済みだ。ハッフルパフのカップが分霊箱となったのはロケットとほぼ同時期の五番目。つまり、現状発見している分霊箱で一番後期に作られた物となる。日記帳、指輪、髪飾り、ロケット、カップ。……ヒントを使い切ってしまったな。

 

ダンブルドアはダンブルドアで、各地に散らばっているグリフィンドールの遺品の所在を確認して回っているらしいが……まあ、望み薄だろう。最も有名な小鬼の王が鍛造した剣は校長室にあるし、獅子の紋章が描かれた盾は小鬼たちが後生大事に保管しており、次に有名なグリフィン羽根のブローチはパリの魔法博物館で確認済みだ。

 

となれば残るは謎の一つ。時期も、素材も特定出来てない一つだ。……結局、一番難しいものが残るべくして残ってしまったな。金のカップを前にため息を吐く私へと、霧雨が興味津々の顔で質問を放ってきた。

 

「ハッフルパフって……ヘルガ・ハッフルパフのカップってことか? おいおい、凄いじゃんか。千年前の代物だろ?」

 

「大した魔道具じゃないわよ? 願う飲み物が湧き出てきて、飲むと陽気な気分になれるってだけ。」

 

言いながらカップをコツンと指で弾いてみると、美しい金属音と共に蜂蜜酒が溢れんばかりに湧き出てくる。うーむ、他の三人の遺品と比べて、このカップのなんと穏やかなことか。ハッフルパフの気質がよく表れてるな。

 

グリフィンドールの剣は自らを鍛えるものを吸収し、レイブンクローの髪飾りは身に着けた者に知恵を与え、スリザリンのロケットは所有者の警戒心を強めるわけだ。どうやら『まとも』なのはレイブンクローだけだったらしい。

 

ただし、髪飾りもロケットも分霊箱になっている所為で少し『狂って』しまっていたが。となるとこの蜂蜜酒は……うん、飲まない方が良さそうだ。小悪魔が居たら試せたんだけどな。

 

内心で『被験体』の不在を残念がる私に、霧雨が輝く笑顔で口を開く。

 

「バタービールとか、クランベリージュースとかを飲み放題ってことか? いいな、それ。一個欲しいぜ。」

 

「あら、飲んでみる? ……後で文句を言わないなら構わないけど。」

 

「……やっぱやめとく。」

 

一瞬だけカップに向かって右手を伸ばした霧雨だったが、チラリと私の顔を見てその手を引っ込めてしまった。惜しい。もう少しでいい被験体になったというのに。どうやらこの半年間で私の性格を理解してしまったようだ。

 

「残念ね。どんな効果が出るのかを見てみたかったのに。」

 

「やっぱりそういう代物かよ、危ないヤツだな。……それよりさ、そろそろ戦いの方法を教えてくれてもいいんじゃないか? もう基本的な操作は問題ないぜ?」

 

言いながら八卦炉を使って色とりどりの火花を散らす霧雨に、カップから顔を上げて返事を送る。

 

「現状でも充分戦いに利用出来ると思うけど? 今の貴女なら火花以上のものだって出せるでしょう?」

 

「そりゃそうだが……それだと杖の下位互換だろ?」

 

「まあ、そうね。ご不満?」

 

「大いに不満だぜ。私が欲しいのは『切り札』だ。魔法使い相手の戦いにも使えて、何なら幻想郷でも有効なくらいのやつ。」

 

幻想郷でも、ね。レミィやリーゼから聞いた八雲紫の発言を鑑みるに、後者は少し難しいと思うぞ。そもそも八雲紫からして桁外れの存在みたいだし、マイナーどころの神なんかもうろちょろしているらしいじゃないか。若干呆れた表情になりながらも、勢い良く捲し立ててくる霧雨に返答を返した。

 

「もう少し待ちなさい、きちんと教えてあげるから。……良い機会だから一つ助言をあげるわ。魔女ならば『近道』を追わないこと。覚えておくように。」

 

「……それがどんなに効率的に見えてもか?」

 

「そうよ。大事なのは目的地に早く到着することじゃなくて、どう到着したかなの。道中の景色にも、躓いた石ころにも確かに意味があるのよ。だから、時間を掛けても正確な道を辿ることを選びなさい。」

 

「……ん、分かった。」

 

素直だな。アリスなら首を傾げて反論してくる場面なんだが……やっぱり対照的だ。我が強いように見えて案外柔軟なヤツらしい。人間としては長所かもしれんが、魔女としては不合格だぞ。魔女には自分を貫く頑固さが必要なのだから。

 

うーむ、知れば知るほど不思議な小娘だな。物凄く魔女っぽい部分と、どうしようもなく人間的な部分が共存している。悪く言えば中途半端だし、良く言えばバランスが良い。人と人外。その細いグレーの隙間で揺れている感じだ。

 

育ての親兼師匠である魅魔については新大陸での短い接触しか無いので、ほぼほぼリーゼ経由の印象になるが……うん、『魔女らしい』魔女と断定して問題なかろう。僅かに散見された記録もそう語っていたし。

 

頑固で、排他的で、利己主義で、陰湿で、目的意識が強く、己の望みのためなら他者の迷惑など鑑みず、あらゆるものを犠牲にしてでも自らの魔術を高める。ひどく強靭な、柔軟性の欠片もない、単一で完結している存在。それが『古い時代』の魔女だ。私や、魅魔や、あいつのような魔女。

 

そんな魔女が育てた人間の子供。……ふむ、よく考えたら妙だな。こんな性格に育つか? 変に捩くれてもいないし、偏見のフィルターも一切感じられない。どこか真っ直ぐで、異なる考えもきちんと受け止めている小娘。

 

ひょっとして、魅魔は霧雨を魔女にするつもりなんて無かったんじゃないだろうか? 私たちのような歪んだ存在ではなく、もっと真っ当な、日の当たる場所で生きられるような存在として……やめやめ。これは想像だ。確証の無い、ぼやけた仮説。ならば考えることに意味などあるまい。

 

でも、もしそうなら面白いな。咲夜を『真っ当』にしたがるレミィやリーゼと似通った何かを感じるぞ。強大な人外故に、我が子を『人間』に育てたがるわけか。

 

つまり、人間への憧れの裏返し? やけに明るい道に進ませたがるのは、自分の立つ場所が暗いと自覚しているからだ。本当に魔女が、吸血鬼が強大な存在だと思っているのであれば、迷わず霧雨を魔女に、咲夜を吸血鬼にするだろう。それなのに人間という選択肢を残し、あまつさえ無意識に誘導するということは──

 

「なあ、どうしたんだよ?」

 

怪訝そうな表情で私の顔を覗く霧雨の声を受けて、思考の沼から這い上がる。……興味深い考察だが、例が少なすぎるな。今は頭の中の書庫に仕舞い込んでおくか。

 

「何でもないわ。少し面白い考えが浮かんだだけ。」

 

「面白い考え?」

 

「人外の子育て論についてよ。」

 

まあ、気持ちは分からんでもない。だから私はアリスをああいう魔女に育てたし、咲夜にも大きく干渉しないよう気を付けているのだから。……人外が減った理由の一つがこれなのかもな。大きな要因ではないにせよ、歴史上で何度も繰り返された出来事なのは間違いあるまい。

 

本当に面白い。いつの日かデータを集められたら、一冊の本にでも纏めてみるか。何のこっちゃと首を傾げる霧雨を横目に、パチュリー・ノーレッジは静かに本を開くのだった。

 



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北の果てにて

誤字報告いつもありがとうございます!


 

 

「……おっと、あれかな?」

 

ソヴィエト北部。分厚い雪が覆う人里離れた山間部を飛行しながら、アンネリーゼ・バートリは見えてきた建造物を指差して問いかけていた。地球の辺境にも程があるぞ。近くまでは姿あらわしで来たとはいえ、結構迷っちゃったじゃないか。

 

私の指差す先には、崖際に聳え立つ巨大なコンクリート造りの建物が見えている。事前の連絡によればマグルの別荘を『接収』したらしいが……普段は『便利』にアホほど拘るくせに、何だってこんな辺鄙な場所に別荘を建てるんだよ。これだからマグルってやつは嫌いなんだ。

 

クソ寒い中探させられてイラつく私へと、私の足首を掴んでぷらんぷらんしている美鈴が返事を返してきた。こいつは全然寒くなさそうだな。気を上手いこと使っているのかもしれない。

 

「他には何にも見当たりませんし、そうだと思いますけど……マグルはどうやって此処に来るんでしょうか? まさか毎回登山してくるわけじゃないですよね?」

 

「多分、ヘリコプターとかで来るんじゃないか? あのバタバタ煩い変な形の乗り物。」

 

「あー、あれですか。真似してぐるんぐるんしたことあるんですけど、全然浮び上らなかったんですよねぇ。どうやってるんでしょう?」

 

「私は知らんし、これっぽっちも興味が無いよ。パチェかアリスにでも聞きたまえ。……しかし、ゲラートのチョイスは相変わらず意味不明だな。都心部の高級ホテルにでも泊まればいいものを、何だってこんな場所を選ぶのやら。」

 

つまり、今日は定期連絡のためにゲラートに会いに来たのだ。一応大まかな場所は教わっていたものの、この大自然の中では殆ど意味を成さなかったのである。これはクレームを入れる必要があるな。

 

「それ、着いたぞ。」

 

「ごくろーさまでーす。」

 

考えながらも黄色い塗料で『H』と描かれた謎の広場に下り立ってみると、建物の方向から小さな影が歩いて来るのが見えてきた。……しもべ妖精か。あれも信者の誰かからの『献上品』なわけだ。

 

「ねね、従姉妹様? 毎回思うんですけど、しもべ妖精の区別ってどうつけたらいいんですかね? ロワーさん以外は全部同じに見えます。」

 

「しもべはしもべだよ。区別する必要なんかないさ。……そう言ってやれば連中は大喜びするぞ。」

 

「奇妙な生き物ですよねぇ。……妖怪だったらよくあることですけど。変わり者が多いですし。」

 

「まあ、妖怪基準で言えば『かなりまとも』なのには同意するよ。」

 

美鈴と無駄話をしながら広場で待っていると、近寄ってきたしもべ妖精は深々と一礼しながら口を開く。着てるのはしもべ妖精らしくボロ切れなんだが……寒くないんだろうか? いやまあ、凍死寸前でもそうとは言わないだろうが。

 

「お待ちしておりました、お嬢様方。ご主人様の下へとご案内いたします。」

 

「ああ、頼むよ、しもべ。」

 

適当に返事を返してから先導するしもべ妖精の後を追って歩いて行くと、ガラス張りのドアの向こうに広いリビングが見えてきた。ホームバー、どデカいテーブル、ビリヤード台、変な形のオブジェ。典型的な成金の部屋だな。空虚で薄っぺらな調度品の数々がそれを物語っている。

 

「ふん、センスが無いね。上っ面だけのインテリアだ。『重さ』が足りない。」

 

「私としては悪くないと思いますけどね。……ほら、こういうのが『現代風』なんだと思いますよ。謎の流線型とか、意味不明な置物とか。」

 

「つまり、私が流行遅れだと言いたいわけかい?」

 

「えーっと……別に、そうとは言いませんけど。」

 

目が泳いでるぞ。逃げるように部屋へと入って行く美鈴に鼻を鳴らしながら、私もしもべ妖精が開けてくれたドアを抜けると……おい、暖炉があるじゃないか。黒革のソファに座るゲラートと、壁際に設置された巨大な暖炉が目に入ってきた。

 

「……一応聞いておくが、わざわざお空を飛んで来た意味はあったのかい? 疲れたし、寒かったぞ。」

 

煙突飛行がソヴィエトでも主流なのは学習済みなのだ。暖炉を指差しながらジト目でゲラートに問いかけてみると、彼は手元に視線を落としたままで返事を寄越してくる。

 

「それはイミテーションだ。煙突飛行には使えん。」

 

「イミテーション?」

 

言葉に従って近くで見てみると……なんだこりゃ、火じゃないのか。外側や薪は普通の暖炉そのものなのに、揺らめく火だけは赤いライトでそれらしく似せてあるだけの代物らしい。温風が出ていることから暖房器具であることは間違いないようだが、確かに煙突飛行には使えなさそうだ。

 

「……だが、何だって暖炉の偽物なんかを置いてるんだい? サンタクロースを罠に嵌めるためとか?」

 

意味が分からん。首を傾げながら聞いてみると、ゲラートは先程から弄っていた……銃か? それ。やけに近代的な形の、黒い金属のライフル銃を横に置いて答えを返してきた。

 

「恐らく、単なる懐古だろう。連中はもはや暖炉など使っていない。……あるいは、一種の示威行為なのかもしれんな。あえて金を掛けて無駄な物に似せることで、自身の金銭的な余裕を示しているわけだ。」

 

「最高にアホだね、マグルは。度し難いにも程があるよ。」

 

知れば知るほど無茶苦茶な生き物ではないか。そんな遠回しなことをしないで、普通に暖炉を置けばいいのに。……というか、そもそもこれはどうやって温風を出しているんだ? そこも気になる点だな。またお得意の電気か?

 

「これ、飲んでいいんですよね? ……おー、結構良いお酒が揃ってるじゃないですか。」

 

ホームバーの裏側にズラリと並ぶ酒瓶を漁り出した自由な大妖怪を尻目に、疑問たっぷりで謎暖炉をチョンチョンしていると……私たちの無礼すぎる動作を見たゲラートが、かなり呆れた表情で言葉を放ってきた。

 

「それで、今日の用件は何だ? 酒を飲みに来たわけでも、マグルの暖房器具の仕組みを調べに来たわけでもあるまい? ……もしそうならすぐにでも帰ってくれ。迷惑だ。」

 

「ああ、念のため直近の情報の擦り合わせをしておこうと思ってね。イギリス内部の勢力が……んん? ピリピリしないな。電気じゃないのか?」

 

「電気だ。電熱によって空気を暖めて、それを送風機で部屋に送り出している。」

 

ふぅん? 変なの。律儀に説明を寄越してきたゲラートに頷いてから、今度は彼が手放した『オモチャ』を取り上げる。結構重いな。

 

「……お前は客としての振る舞いを一切知らんらしいな。ダームストラングの一年生でももう少し礼儀を弁えているぞ。」

 

「私はホグワーツの五年生だからね。イギリス魔法界じゃこれが普通だよ。……それと、温かい紅茶はまだかな? 勿論ブランデー入りの。」

 

「つまり、俺がダームストラングを選んだことは間違っていなかったわけだ。今日ようやく確信が持てた。百年前の自分を褒めてやるべきだろうな。」

 

「んー、それはどうだろうね。ホグワーツを選んでたら面白い魔女に出会えてたかもしれないぞ。」

 

一学年上にダンブルドアとパチュリー。少なくとも切磋琢磨する相手には困らなかっただろうさ。肩を竦めながら言ったところで、しもべ妖精が素早く紅茶を持ってきてくれた。やっぱりこいつらは便利だな。きちんとブランデーも入っているようだし。

 

ソファに座って温かい紅茶を口にしてから、オモチャを構えつつ質問を飛ばす。……むう、デカすぎてちょっと不恰好になっちゃうな。それに、あらゆる部分が昔見たライフル銃とは大違いだ。もう木を使ってないのか。

 

「それで、これも『マグル学』の研究の一環ってわけかい? ……撃ってみたいな。どうやればいい?」

 

「ボルトを操作して銃弾を装填した後、スコープで狙って引き金を引くだけだ。誰にでも出来る。……女子供でさえもな。」

 

「と言っても、『小さい金属片』を飛ばすだけなんだろう? しかも、真っ直ぐにしか飛ばない有様だ。原始的で単純な武器じゃないか。」

 

くそ、結構難しいな。テーブルの上に転がっていた大きめの銃弾を手にして、ボルトをガチャガチャ弄っていると、ゲラートが首を振りながら詳しい説明を寄越してきた。

 

「正確に言えば、一秒で八百メートル近く飛ぶ金属、だ。『原始的』とは言い難いな。……お前には脅威に思えないのか? 吸血鬼。」

 

「いやまあ、吸血鬼的に言うと全然脅威じゃないかな。このサイズなら百発食らおうが何の問題ないよ。……というか、そんな遠くに当たるもんなのかい?」

 

「訓練された兵士ならば当てられるそうだ。そして、その武器はマグルにとっての『小さな』火力に相当するものらしい。……お前は前回のマグル界の大戦の映像を見たことがあるか?」

 

「残念ながら、無いよ。ドイツのバカどもが飛行機で爆弾を落としてたのは知ってるが……まあ、知ってるのはそのぐらいかな。やたら煩くて迷惑だったってくらいだ。」

 

よし、やっと装填出来たぞ。そのまま美鈴の持ってる酒瓶を狙って、ゆっくりと引き金を引いてみると……おお、ビックリした。轟音と共に美鈴の手のひらが弾かれる。思ったよりも反動が強いな。さすがに子供には扱えないんじゃないか?

 

「……従姉妹様、痛いんですけど。お酒も割れちゃったじゃないですか。」

 

「いやぁ、すまない、美鈴。瓶を狙ったつもりだったんだよ。中々難しいもんだね。」

 

「まあ、別にいいですけどね。安物のスコッチでしたし。」

 

十メートル近くでこれなら、八百メートルだなんて夢のまた夢だぞ。本当に当てられるのか? 手のひらをパタパタしながら次なる酒瓶を探し始めた美鈴を見て、ゲラートが大きなため息を吐いてから口を開いた。

 

「……今の光景でよく分かった。お前たちにマグルの脅威についてを話すのは時間の無駄だな。人間とは身体の『構造』が違い過ぎるようだ。」

 

「いやいや、キミの言っていることも分からなくはないんだよ。ただまあ、私たちから見れば魔法族の方がよっぽど脅威かな。……もしかしたら相性の問題なのかもね。」

 

別に魔法族も大敵とまでは思えないが、それでも敵に回す分にはマグルよりも厄介な気がする。……これは吸血鬼に社会性がないからなのだろうか? 私はあくまでも個対個を重んじていて、ゲラートは社会対社会の話をしているわけだ。

 

うーむ、社会か。既に吸血鬼の社会など無いも同然な以上、私には想像することしか出来んな。魔法族の視点に立ってみれば……ダメだ、分からん。私はマグルのことを知らなさ過ぎる。魔法族が本当に抵抗出来ないかすら判断出来んのだ。

 

マグルに詳しいアリスあたりなら答えを出してくれるのだろうか? クリスマス休暇中とかに聞いておけばよかったな。ホグワーツに戻ったら手紙でも送ろうかと考える私に、ゲラートはライフルを取り上げながら声をかけてきた。

 

「……この数ヶ月調べ続けてみてよく分かったが、マグルは俺の想像以上に進歩しているようだ。仮に魔法族が戦いを挑むとすれば、今のヴォルデモートがやっているような戦法を取る必要があるだろう。」

 

「陽動と、奇襲ってことかい?」

 

「それと、やはり服従の呪文を有効に使う必要がある。……何にせよ魔法族が割れればままならず、おまけに本質的な解決には繋がらない戦法だ。譲歩を引き出すことは出来るかもしれんが、それは問題の先延ばしでしかない。しこりは必ず残るだろう。」

 

「つまり、キミはこう言いたいわけだ。『もう間に合わない』と。……んふふ、随分と弱気じゃないか。」

 

似合わなさすぎだぞ。ニヤニヤしながら言ってやると、ゲラートは少し顔を歪めながら返事を返してくる。

 

「別の方法を考える必要があるだろう。半世紀前の俺のやり方でも、現状維持の路線でも魔法族の未来は閉ざされたままだ。……やはりアルバスの目指す道しか残されていないのかもしれんな。」

 

「魔法族とマグルの融和かい? ……私はかなり懐疑的だけどね。ダンブルドアの思考回路は些かヌルすぎると思うよ。」

 

「だが、それが唯一残された道だ。お互いに理解を深めた上で、譲歩し合って妥協案を……その顔は止めろ、吸血鬼。自分でもらしくないことを言っている自覚はある。」

 

なら言うなよ、まったく。私のジト目を見てそう言ったゲラートは、一度紅茶を口にしてからゆっくりと話を整理し始めた。

 

「戦って優位を確保出来なくなった以上、魔法族に残された道は二つに一つだ。積極的に関わっていくか、より深く隠れるか。……言っている意味が分かるか?」

 

「まあ、分かるよ。『マグル的』な文化を取り入れて理解を深めるか、魔法族の文化を更に突き詰めていくかってことだろう?」

 

前者はマグル界の法制度や社会規範、道具や立ち振る舞いなどに対する理解を深めて、徐々にその境界を薄めていこうという方法だ。別個の存在ではなく、単一の存在の中の『少し違う者』になろうというわけである。それに、敵への理解度はいざ戦争が起きた際の勝率にも関わってくるだろう。

 

そして後者は今までの延長線。より強固な隠蔽魔法を生み出し、法規制やマグル生まれへの制限をかけることによって、マグルが手を出せないほどに分断してしまおうというわけだ。十八世紀あたりの新大陸が選んだ道に通ずるものがあるぞ。

 

うーむ、良し悪しだな。前者はそもそも時間がかかり過ぎる。今の魔法族がマグルの文化を本当の意味で理解するのは困難だろうし、準備が整う前にその存在が露見してしまう可能性だって大きい。無理解は諍いを生み、諍いは大規模な戦いを誘発するはずだ。

 

反面、後者は未来が無い。ゲラートの予想が正しいのであれば、いくら魔法文化を発展させても未来永劫には隠れていられないはず。タイムリミットまでの時間を引き延ばすことは出来るかもしれんが、結局のところ延命策にしかならないだろう。

 

絶望的じゃないか。思考に沈む私を、ゲラートの静かな声が引き上げた。彼も同じようなことを考えていたようだ。

 

「……後者の考え方はこの際切り捨てるべきだろうな。もはや魔法界からマグル文化を切り離すことなど不可能だ。本当の意味での『純血』が存在しなくなった今、外からの血を突っ撥ねることなど出来ん。であれば、新たな血と共に様々な形でマグル界の文化は流入してくるだろう。そしてマグルと深く関われば関わるほどに、我々の存在が露見する可能性は増していくはずだ。」

 

「……よく考えたら、今バレてないのが奇跡みたいなもんなのかもね。マグル生まれが魔法の世界に入り込めば、その親たちもこちらの世界を知るわけだろう? そしてマグルの数が増えるに従って、その絶対数も増していくわけだ。……なるほど、キミが焦ってる理由がよく分かったよ。確かにもう時間は残っていないね。」

 

「そうだ。マグルの文明の進歩がそれに拍車をかけている。一刻も早く魔法族はこの問題に向き合う必要があるというのに、問題に気付いてる者すら少ない始末だ。……おまけに何処ぞの大間抜けが乱痴気騒ぎを繰り広げているしな。信じられんほどに迷惑な話だ。魔法族にそんなことをやっている余裕は無いはずだぞ。」

 

「ヴォルデモートにとってはマグルなんて矮小な弱者なんだろうさ。……んふふ、思えば奇妙な話だね。曲がりなりにもマグルの世界で育った男がマグルを理解せず、魔法界で育ったキミこそがマグルを理解しているわけだ。」

 

生まれになど大した意味はないわけか。……まあ、その件に関してはパチュリーが生き証人だろう。マグル生まれの彼女が誰より強大な魔女であることがそれを物語っている。

 

……ふむ、パチュリーか。あの知識の魔女をゲラートと引き合わせてみるのも面白いかもしれんな。大昔に数度会っているとはいえ、こういう深い議論はしていなかったはずだし。

 

それに、ダンブルドアもだ。パチュリー、ゲラート、ダンブルドア、それにレミリアあたりで話し合えばそれなりの結論は出てくれるかもしれない。少なくとも私が話し相手になるよりかはマシだろう。私は魔法族でもなければマグルに詳しいわけでもない。これでも部外者だって自覚はあるのだ。

 

問題は、ゲラートとダンブルドアをどう引き合わせるかだな。私にもレミリアにも何も言ってこないが、ダンブルドアはゲラートが生きていることに気付いているはずだ。まさか『死亡説』を馬鹿正直に受け取るほど愚かな男ではあるまい。

 

うーむ、難しいぞ。前回の戦争のこともあるし、こればっかりはレミリアにも話を通す必要があるな。……だが、やるだけの価値はありそうだ。ゲラートの中に燻っている火が消えるか、それとも燃え上がるか。何にせよただ燻っているだけよりはマシだろう。

 

未来の魔法界についてを思い悩むゲラートを前に、アンネリーゼ・バートリはゆっくりと『計画』を練り始めるのだった。

 



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苦味

 

 

「いや、本当に見事な館ですな。深い歴史を感じます。」

 

紅魔館のリビングの中央で周囲を見回すダンブルドアへと、レミリア・スカーレットはちょっとだけ誇らしげに頷いていた。うむうむ、この館の素晴らしさが理解出来たようでなによりだ。何せここはイギリスで最も価値ある場所なのだから。

 

イースターが目前に迫った三月末、急にダンブルドアから紅魔館を訪問したいという手紙が送られてきたのだ。本来ならば人間を招くような場所ではないのだが、長い付き合いということで了承してしまった。

 

それに、わざわざ紅魔館を訪れるということは何らかの理由があるのだろう。調度品を眺めるダンブルドアを見ながら考えていると、彼は壁に掛かっている石版の前でゆるりと立ち止まる。よく分からん象形文字がビッシリと掘り込まれているやつで、五十年前の忌まわしき『リビング半壊事件』でフランが壊しかけた代物だ。

 

「これはまた、ホグワーツでもお目にかかれないような一品ですな。どの時代のものなのですか?」

 

「んー、古すぎてよく分かんないわ。パチェが何かごちゃごちゃ言ってた気がするんだけど……忘れちゃった。とりあえず紀元前なのは間違いないと思うわよ。」

 

「なんとまあ、気の遠くなる話です。ホグワーツが造られた遥か昔ですか。」

 

「館そのものは改築やら増築やらを繰り返してるけど、『紅魔館』っていう建物自体はその頃からあったはずだしね。」

 

ただまあ、今とはかなり違った形の建物だったのだろう。館というか、城に近い形状だったはずだ。昔お父様から聞いたことのある話を思い出していると、廊下に続くドアが開いてエマが中に入ってきた。紅茶を運んできてくれたらしい。

 

「お茶をお持ちいたしました。」

 

「ご苦労様、エマ。……とりあえず座りなさいよ、ダンブルドア。何か話があるんでしょう?」

 

革張りの赤いソファに座ってダンブルドアに声をかけてみると、彼も苦笑しながら対面に座り込む。館自慢も気分が良いが、まさか見学ツアーに来たわけではあるまい。そろそろ本題に入ろうじゃないか。

 

「いえ、訪れてみたいと思ったのも本当なのですよ。……百年近くも親交があるというのに、貴女の住む場所を知らぬままというのは少し寂しいと思いましてね。機会があるうちにとお願いしてみたのです。」

 

「何よそれ。まるで近々死ぬみたいな言い草じゃないの。」

 

反応に困るからやめろよな。老人が言うとジョークにならんぞ。呆れたように返してやると、ダンブルドアは紅茶を淹れてくれたエマに礼を言ってから、私に向かってバツが悪そうに口を開いた。

 

「ううむ……今まで黙っておりましたが、実はその予定でして。いや、自分が死ぬのを伝えるというのはなんとも気恥かしいですな。背中がムズムズしてしまいます。」

 

「あー……んん? 遂にボケたの? 全く意味が分からないんだけど。」

 

「ほっほっほ、幸いにもボケとは無縁ですよ。……わしは死ぬのです、スカーレット女史。ハリーの中にあるトムの魂を破壊するために。」

 

「ちょっと待って。……えぇ? どういうことよ。」

 

何なんだ、一体。明るい雰囲気で自らの死を語るダンブルドアに混乱していると、彼は早足でリビングを出て行ったエマを横目に詳しい説明を語り始める。……エマめ、話が面倒くさくなりそうだから逃げたな? 主人に似て逃げ足の速いヤツだ。

 

「より厳密に言えば、単なる寿命ですよ。わしの命は持ってあと数年でしてな。どうせ長くない命ならば、この際使ってしまおうと思っているのです。……護りの魔法でハリーを護り、魂の欠片だけを破壊しようという計画でして。」

 

護りの魔法? 十五年前のあれか? 急に展開した話に戸惑いつつも、脳内で考えを巡らせながら返事を放った。

 

「つまり、リリー・ポッターと同じことをしようって言うの?」

 

「リリーには及ばぬでしょうが、命を対価にすれば似たようなことが出来るという確信はあります。……詳しくはノーレッジに聞いてくだされ。彼女だけには既に話しておりますので。」

 

「……ああ、そういうこと。合点がいったわ。だからパチェはホグワーツの防衛なんて面倒な仕事を引き受けたのね。あの魔女がそうそう自分の『巣』を出るはずがないもの。」

 

ダンブルドアの、旧友の死。それならさすがのパチュリーも重い腰を上げるだろう。というか、それくらいの事態にならなければあの魔女は己の図書館を出ないはずだ。……いやはや、抜け落ちていたピースがパチリと嵌った気分だな。最近のダンブルドアの動きもそれが原因だったわけか。

 

参ったぞ、これは。あまりに予想外すぎて思考が纏まらん。ソファに寄りかかって呟く私に、ダンブルドアは小さく微笑みながら首肯してきた。

 

「多少小狡い手を使った自覚はありますが、身辺整理のための時間が必要だったのです。ノーレッジにホグワーツを任せられれば、わしは心置きなくそれに励めるという寸法ですよ。」

 

「ってことは、パチェは貴方の『計画』に同意しているのね?」

 

「仕方なしに、という感じでしたが。一応は。」

 

「それなら私が文句を言うべきじゃないわね。パチェに止められなかったのであれば、私が何を言おうと無駄なんでしょう。……そう、死ぬの。意外だわ。貴方が死ぬ場面ってのはちょっと想像出来ないしね。」

 

死ぬのか、この男が。アルバス・ダンブルドアが。本音で言えば引き止めたくはある。イギリス魔法界的にも大打撃だし、私個人としても長きに渡って協力し合ってきた仲なのだ。……だが、パチュリーが是としたのならばもう無理なのだろう。私に思い付く程度の反論は既に彼女がしているはずだ。

 

疲れたように首を振る私の言葉を受けて、ダンブルドアは苦笑を浮かべながら返事を返してきた。

 

「今年の夏で百十五歳。わしは十分過ぎるほど長く生きました。そろそろ『次』へと踏み出すべきでしょう。」

 

「それはどうかしら? 残される者たちの意見は違うと思うけど。……貴方の墓の前で立ち止まる魔法使いは多いはずよ。貴方が思っているよりも、ずっとね。」

 

「それでもいつかは前へと進んでくれるはずです。……それが人間というものなのですよ、スカーレット女史。古き者が死に、残された者が次代を築く。わしもそろそろ『過去』にならねば、輝かしい未来を邪魔してしまいます。」

 

「……ま、私は別にいいけどね。私にとって許容出来ない『人間の死』はただ一つだけよ。それ以外の死に口を出すつもりはないわ。」

 

その『一つ』が誰の死なのかを正しく受け取ったのだろう。ダンブルドアは柔らかな笑みを口元に作ると、身を乗り出して問いを放ってくる。

 

「では、もしもその死が訪れた時、貴女はどうしますかな?」

 

「決まってるでしょう? 運命をひっくり返すわ。……私の持つあらゆる力を使って、他の全てをぶっ壊してでもね。」

 

「……愛ですな。見事な愛じゃ。」

 

そんなもん当たり前だろうが。微笑みながらそう呟いたダンブルドアは、一度紅茶を飲んで一息つくと……深いブルーの瞳を真っ直ぐ私に向けて語りかけてきた。その顔には何故か、勝ち誇るかのような悪戯な笑みが浮かんでいる。

 

「どうやら、わしの『復讐』は成されたようですな。長く時間を掛けた上に、完全にとはいきませんでしたが……まあ、わしにしては上々の結果でしょう。」

 

「……『復讐』?」

 

「アリアナの一件ですよ。……全てが貴女がたの所為であるとは言いますまい。わしにも、ゲラートにも、アバーフォースにも。等しく責任はあったのですから。……しかしながら、貴女がたにも責任はあるはずだ、スカーレット女史。違いますかな?」

 

……なるほどな。今日の本題はそっちか。強い意思を感じる青い瞳と少しだけ睨み合った後で、ゆったりと頷きながら口を開く。いいだろう、受けて立つ。私は末期の問答で下らん嘘を吐くほど落ちぶれちゃいないぞ。

 

「まあ、こんな日が来ることは何となく予想してたわ。貴方ほどの男が何一つ気付かないままなわけがないしね。……いつ気付いたの?」

 

「遠い、遠い昔の話ですよ。ゲラートとの戦いを終え、トムが台頭してくるまで。……明確な確信を得たのはその間だった気がします。」

 

「それじゃ、何処まで気付いたのかしら? 聞かせてごらんなさいよ、ダンブルドア。答え合わせをしてあげるから。」

 

だが、悪びれるつもりはないぞ。私はレミリア・スカーレット。紅魔の館を統べる、邪悪な吸血鬼なのだから。ニヤリと笑って言ってやると、ダンブルドアも静かに微笑みながら返事を寄越してきた。

 

「先ず、貴女がたはわしとゲラートを戦わせようとしていた。何故戦わせようとしていたのか、その確たる理由までは分かりませんでしたが……恐らく、ゲラートの側にはバートリ女史が介入していたのでは? 当時の貴女がわしに介入してきたように。」

 

「大正解よ。……ちなみに、『確たる理由』なんてものは無いわ。細々とした事情はあるけど、基本的にはただの思い付きだから。」

 

「なるほど、確信を得られなかったはずですな。そも答えなどありませんでしたか。……そして、貴女がたはわしとゲラートが決別する切っ掛けとして、あの三つ巴の決闘が起こるように誘導した、と。」

 

「より正確に言えば、犠牲になる予定だったのはアバーフォース・ダンブルドアなんだけどね。アリアナ・ダンブルドアの一件は私たちにとっても完全に予定外だったわ。……これは別に言い訳ってわけじゃないわよ? あの場所で闘いが起こることを誘導したのは事実だし、当時アリアナ・ダンブルドアがあの家に居たのも承知の上だったから。」

 

なんか、やけに饒舌だな、私。皮肉げな表情で語る自分を不思議に感じていると、ダンブルドアは鷹揚に頷きながら続きを語る。……イラつく表情だ。何でそんなに余裕なんだよ。

 

「そこから先についてはお互いの認識に大きな違いは無いでしょう。長い時を掛けてようやくわしが決意を固め、そしてゴドリックの谷でゲラートを破った。無論、細やかな『介入』は多々あったのでしょうが。」

 

「まあ、そうね。色々と苦労させられたわ。そして伝説の決闘から時が流れたある日、貴方はそのことに気付いた、と。……ヒントは沢山あったわけだしね。宜なるかなって感じよ。」

 

「如何にも、その通り。……ここからが貴女の知らぬ話です。アリアナの一件に気付いたわしは、貴女への復讐を誓いました。アルバス・ダンブルドアの『吸血鬼狩り』というわけですな。」

 

「へぇ? 似合わないことをするじゃないの。」

 

この男が『復讐』ね。世界で一番似合わんぞ。肩を竦めて言ってやると、ダンブルドアも肩を竦めて苦笑を返してきた。

 

「おっしゃる通りです。……残念ながら、真っ当に貴女を憎むことは出来ませんでした。わしはあまりにも歳を取りすぎ、そしてアリアナの一件は過去になりすぎていましたから。当時のわしに残っていたのはもはや静かな悲しみだけ。激情に身を任せるほどの若さはとうに消え失せていたのです。」

 

「でも、成されたんでしょう? 貴方の『復讐』は。どういう意味なの?」

 

「……愛ですよ、スカーレット女史。わしは貴女に愛を教えることで、『吸血鬼』たる貴女を殺したのです。……どう思いますかな? 過去の自分が『死んでいる』とは思いませんか? 自分がひどく変わってしまった自覚は?」

 

「……まさか、咲夜を私に預けたのはそのためなの?」

 

そういう意味か。内心の動揺を押し殺して聞いてみると、ダンブルドアは困ったような表情で曖昧な頷きを寄越してくる。

 

「無論、それが全てではありません。フランとアリス。あの二人が居れば咲夜が幸せになってくれるだろうという確信もありましたから。……ですが、そういった考えもあったことは否定しませんよ。」

 

「やけに消極的な『復讐方法』じゃないの。遠回しな上に複雑すぎるわ。単純に私を殺そうとは思わなかったわけ?」

 

「それは正しい行いではありませんからな。わしは長いこと報復の無意味さや、憎しみに囚われることの愚かさを説いてきました。その当人がそれを行うわけにはいきますまい。……それに、わしには貴女を憎むことは出来ませんよ。こう言うと貴女は怒るかもしれませんが、当時の貴女はあまりにも幼すぎた。わしが憎むには子供すぎたのです。」

 

「あのね、私は五百年ほど生きてるんだけど? 貴方の五倍近くの年月をね。」

 

私が思わず放った抗議の声を受けて、ダンブルドアはゆっくり首を振りながら言葉を返してきた。

 

「では、貴女は昔のフランをどう思いますかな? 彼女の年齢はわしのそれを大きく超えていましたが、どうしようもなく『子供』だとは思いませんでしたか? 彼女が失敗を犯した時、貴女は大人として裁かなかったはずです。」

 

「私とフランは違うわ。そして、私にとってのフランと貴方にとっての私もね。」

 

「さて、ここは議論の分かれるところでしょうな。……もし貴女が過去の自分と今の自分の差を感じているのであれば、それは『成長』したからではありませんか? 精神が成熟したのですよ。それが出来ていなかった以上、貴女はどうしようもなく子供だったのです。」

 

「……変化と成長は違うでしょう? 成熟した後にも変化は起こるはずよ。」

 

確かに百年前の私はどうしようもないアホだった気がする。世間を知らず、判断も偏見に染まっていた。だが、今も根本的な価値観は変わってない……よな? 待て待て、分からなくなってきたぞ。私はどこまで変わったんだ?

 

混乱しながら反論を口に出した私に、ダンブルドアは目を瞑って語りかけてくる。

 

「貴女はわしにとって、最も手のかかる『生徒』でした。無論、貴女は今なお強力な吸血鬼ですし、変わらないものも確かにあるのでしょう。この老いぼれには変えられなかった部分が。……ですが、確かにわしは嘗ての貴女を『殺した』はずです。わしだけでは教えられぬ部分を、フランと咲夜が教えてくれましたから。」

 

「それが、貴方お得意の『愛』ってわけ?」

 

「今の貴女は知っているはずです。自身の全てよりもなお重きものを。他者の……人間の価値を。譲歩を、尊敬を。友情を、理解を。そして様々な愛の形を。嘗て知らなかった多くのことを知った今、貴女は昔よりもずっと『人間臭く』なったのですよ。」

 

「……私は未だ吸血鬼よ。残酷で、計算高い上位種。それは変わってないわ。」

 

くそ、上手く反論出来んな。何たって確かに変わってしまった自覚はあるのだ。苦い顔で抵抗する私へと、ダンブルドアは肩を竦めながら続きを話す。やけに余裕のある表情が実にムカつくぞ。

 

「であれば、わしの復讐は失敗でしたな。それはわしではなく、貴女自身が決めることですよ。」

 

「……なら、リーゼは? あの性悪に関してはどうなのよ。」

 

私が話題を変えてみると、ダンブルドアは一転して苦い表情になりながら返事を寄越してきた。

 

「さよう、それが難題でした。わしは貴女から話を聞くまでバートリ女史の存在には気付けませんでしたからな。貴女の『変化』がどうにかなりそうなところに、急に新たな『問題児』が現れた気分でしたよ。それも、貴女よりなお厄介な問題児が。」

 

だろうな。あの頃のリーゼは人間をひどく冷めた目で見ていたはずだ。深い苦笑で呟いたダンブルドアは、次に両手を大きく広げながら口を開く。再び一転、今度は晴れ晴れとした表情だ。

 

「しかし、何とか寿命を迎える前に間に合いましたよ。わしではなく、他ならぬハリーたちの力によって。……正直なところ、予想外でした。まさかあのバートリ女史があれほど変わるとは思いませんでしたから。……あれに関してはわしもまた敗者の一人です。老人のつまらん計画などよりも、彼らの純粋な愛が優っていたということでしょうな。」

 

「……まあ、リーゼが変わったってのには同意するけどね。」

 

冷ややかな目で人間を見下していたバートリ家の当主は何処へやら。今じゃあ未来の魔法界とやらについて、イギリスの舵取りをする私よりも真剣に考えている有様だ。下手すればフランよりも入れ込んでいるぞ、あいつは。

 

ちょろい吸血鬼だな、まったく。私が小さく首を振りながらため息を吐いたところで、紅茶で一息入れたダンブルドアが話を締めてきた。

 

「何にせよ、答えは貴女がたの胸の中にあります。この復讐劇の結末はそちらで記してくだされ。……ですが、わしは折り合いを付けました。もう誰のことも恨んではいませんよ。」

 

「貴方は……歪んでるわね、アルバス・ダンブルドア。今やっと貴方の異常性に気付けたわ。他者を真っ当に憎めないってのは健全なことじゃないわよ。」

 

「ほっほっほ、その自覚は大いにあります。トムが不死を渇望し、ノーレッジが知識に狂い、ゲラートが革命に囚われているように、わしは愛を盲信しているのです。故に皆こんな場所まで来てしまったのですよ。」

 

「業が深いわね、貴方たち魔法使いも。」

 

いつか誰かが言っていた。力ある魔法使いはどこか壊れている、と。……間違いではなかったな。ダンブルドアもまた自分の『ルール』に殉じる者の一人だったわけか。

 

ひどく疲れた頭で思考を巡らせていると、いきなりドアの方から拍手の音が……フラン? 愛しい妹がペチペチと手を鳴らしているのが目に入ってくる。いつの間に起きてきたんだ? どうやら話を聞いていたらしい。

 

「あーあ、負けちゃったね、お姉様。勝負ありだと思うよ。」

 

「……どういう意味かしら? フラン。」

 

「自分が一番分かってるくせに。認めたくないからって人に聞くのは良くないと思うよ。……こんにちは、ダンブルドア先生。それともこんばんは、かな? 私にとってはおはようなんだけどね。」

 

「それはとても難しい問いかけじゃのう、フラン。兎にも角にも、また会えて何よりじゃ。」

 

ダンブルドアに手を振りながら近付いてきたフランは、ソファの前で立ち止まって少しモジモジしたかと思えば、可愛らしくペコリと頭を下げて言葉を放った。金色のサイドテールが一拍遅れて落下している。

 

「あのね、えっと……アリアナちゃんを殺しちゃってごめんなさい、ダンブルドア先生。私もお姉様たちの『ゲーム』に参加してたんだ。……許してくれる?」

 

『殺しちゃってごめんなさい』だって? なんともフランらしい、どこか壊れている感じの謝り文句だな。取り繕う気がゼロすぎるぞ。あまりにも素直な台詞に私が呆れていると、一瞬虚を突かれたように黙り込んだダンブルドアは……やがてとびっきりの苦笑を浮かべながら口を開いた。

 

「これはなんとも……君らしいのう、フラン。反省しているのかね?」

 

「うん、あれはちょっとダメだったって思ってる。悪ふざけが過ぎたよ。私も、お姉様たちもね。……だから、反省してます! ごめんなさい!」

 

うーむ、今初めて分かったが、フランには謝罪の才能というものが全く無いらしい。『悪ふざけ』ね。どこまでも素直で、そしてどこまでも『吸血鬼的』な謝罪の言葉を受けたダンブルドアは、小さく微笑みながら返事を返す。普通の人間なら激昂しかねん場面だが、彼はフランの不器用な真意を汲み取ってくれたようだ。

 

「では、わしは君を赦すよ、フラン。よく勇気を出して謝ってくれたね。」

 

「うん、怖かったけど……ちゃんと謝らないとダメだから。ほら、お姉様も。」

 

むう、こっちに飛んでくるか。ジロリと睨み付けてくるフランに一瞬怯んだ後で、胸を張ってダンブルドアに向き直る。これが政治の場であれば謝ってやり過ごしたかもしれんが、今やっているのは腹を割った話し合いなのだ。本音でいかせてもらうぞ。

 

「謝らないわよ、私は。」

 

「……もう、意地張ってないで謝りなよ。その台詞はちょっと情けないよ、お姉様。」

 

「嫌。絶対に謝らないわ。それが私なりの礼儀よ。」

 

この子にはまだ分からんか。フランが呆れ果てた表情で首を振るのに対して、ダンブルドアは納得するかのように大きく頷いた。私なりに筋を通したのをダンブルドアは理解してくれたらしい。

 

これがレミリア・スカーレットなりのアルバス・ダンブルドアに対する手向けなのだ。真っ直ぐに深いブルーの瞳を見つめながら、ソファに寄りかかって賞賛を送る。五百年を通してあまり口にしたことが無い、混じりっけなしの素直な賞賛を。

 

「見事よ、ダンブルドア。貴方は私が知る中で最も偉大な人間だったわ。吸血鬼殺しのアルバス・ダンブルドア。きちんとスカーレットの歴史に刻んであげる。」

 

「きっと望外の名誉なのでしょうな、それは。」

 

「当たり前でしょうが。……あの世でも誇りなさい。」

 

見つめ合う私たちを怪訝そうな表情で見るフランを横目に、冷めてしまった紅茶に口をつけた。……負けたか、この私が。レミリア・スカーレットが。たった一人の魔法使いに。ただの人間に。

 

いやはや、心の底から敗北を感じたのは生まれて三度目だな。生まれてすぐのフランに一度、遠い昔リーゼに一度。どちらも私だけの秘密にしてあるが、三度目がまさか単なる人間相手だとは思わなかったぞ。

 

人間相手では、きっとこれが最初で最後の経験になるのだろう。久々に感じる敗北の味を飲み干しながら、レミリア・スカーレットは深く瞑目するのだった。

 



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恋焦がれるもの

 

 

「これを見てくれ、アンネリーゼ!」

 

揃った言葉と共に双子から突き出された羊皮紙を見て、アンネリーゼ・バートリはかっくり首を傾げていた。『ウィーズリー・ウィザード・ウィーズ』? なんだそりゃ。

 

四月初旬に訪れたイースター休暇中の談話室。他学年の生徒たちのはしゃぎっぷりとは裏腹に、五年生と七年生だけはそれどころではないといったご様子だ。……ホグワーツ生の宿敵、フクロウとイモリがそこまで迫っているのである。

 

ハーマイオニーはもはや説明不要として、ハリーとロンもさすがに焦りを感じ始めてきたらしい。談話室のテーブルでいつもより真剣な表情を浮かべながらイースターの課題へと向き合っているのだが……まあ、その表情を見る限りでは順調とはいかなさそうだな。ちなみに双子はそもそもイモリ試験を受けるつもりが無いようだ。英断だと言えるだろう。

 

そんな中、ヒマな私が咲夜、魔理沙、ジニーと一緒にゴブストーンで遊んでいたところ、やけにテンションの高い双子からいきなり談話室の隅に呼び出されたかと思えば、謎の店舗の絵が描かれた羊皮紙を渡されたのである。しかし、カラフルにも程があるぞ。絵の具をぶち撒けたみたいな外装じゃないか。

 

「……つまり、キミたちは悪戯専門店を開こうとしてるってわけかい?」

 

「おっと? ご名答。あんまり驚かないんだな。」

 

「それ以外にキミたちの将来像なんて想像出来ないしね。一番しっくりくる選択肢だと思うよ。」

 

至極簡単な消去法だ。意外そうな顔のフレッドに肩を竦めて言ってやると、隣のジョージが大きく頷きながら口を開く。

 

「俺たちはこの店のためにここ数年ずっと努力してきたんだ。画期的な悪戯グッズを開発してみたり、ちょこちょこそれを売って資金を稼いでみたり、お袋の目を盗んで賭け事にチャレンジしてみたり……とにかく、頑張った!」

 

「そして、去年バグマンから勝ち金を『徴収』したことで遂に目標金額を稼ぎ、今年の頑張りで店の目玉商品も開発し終え、こうして店舗のデザインも完成させた! 今や我々の出店は目前に迫っているわけだ!」

 

「あー……なるほど、それはおめでとう。咲夜には絶対に行かないように言い含めておくよ。」

 

魔理沙は間違いなく行くだろうし、付いて行かないように言っておかねばなるまい。この双子の店に『まとも』な商品など存在しないことは目に見えているのだから。ペチペチと乾いた拍手を送りながらお祝いの言葉を投げてやると、双子はビシリと私を指差して『本題』を放ってきた。

 

「だが、ここへ来て一つの問題が浮上してきたんだ。……土地だよ。コネの無い俺たちじゃダイアゴン横丁の隅っこの土地しか確保出来なくてな。路地裏の悪戯専門店なんて冗談にもならないだろ?」

 

「そこで、我らが偉大なる吸血鬼、アンネリーゼ・バートリ閣下にお願いの儀がございまして。……なあ、どうにかならないか? 多少金が掛かってもいいから、大通り沿いに店を出したいんだ。頼む! アンネリーゼ。この通り!」

 

「君とスカーレット女史なら話を通せるだろ? 俺たちだけじゃガキだからってナメられてどうにもならないんだ。頼むよ! 後生だから!」

 

ああ、そういうことか。アリスの何時ぞやの言によれば、ダイアゴン横丁は組合の力が大きい場所らしい。いきなり大通りに出店というのは繋がりがなければ難しかろう。深々と頭を下げてくる双子に、苦笑しながら一つ頷きを返す。

 

「ま、そのくらいなら別に構わないよ。私はともかくとして、レミィなら難しくもないだろうさ。アリスだって横丁には顔が利くみたいだし、後で二人に手紙でも送れば簡単に……ちょっと待て、モリーの許可は得ているんだろうね?」

 

言葉の途中でふと思い出したウィーズリー家の『主』のことを訊ねてみれば、双子はゆっくりと頭を上げてから……物凄く苦い表情で目を逸らし始めた。そら、雲行きが怪しくなってきたぞ。

 

「……もちろん言ってないさ。だってほら、反対されるのは目に見えてるだろ? 息子が悪戯専門店を開くだなんて、お袋はカンカンになって怒るぜ。吼えメールどころの騒ぎじゃないだろうな。直接ホグワーツに怒鳴り込んでくるぞ。」

 

「だから親父やロン、パースやジニーにも言ってないんだ。……ビルとチャーリーにだけは言ったけどな。ビルは『愛しのフラー』の件について味方するって言ったら協力してくれたし、チャーリーは元々『こっち側』の人間だからさ。」

 

「なら、先にモリーの許可を得たまえ。そしたら土地の一件も何とかしてあげよう。」

 

じゃないとモリー経由で私がアリスから怒られてしまうのだ。それは嫌だぞ。私の無慈悲な宣告を受けた双子は、完全にシンクロした動作で肩を落としてしまう。

 

「マジかよ。……勘弁してくれ、アンネリーゼ。生涯割り引くぜ? もちろん吸血鬼の『生涯』な。なんなら袋いっぱいの『ゲーゲー・トローチ』をプレゼントしたっていいからさ。」

 

「いらないよ、フレッド。頼むから送ってこないでくれ。私は嘔吐を楽しむような特殊な性癖は持ち合わせていないんだ。」

 

「アンネリーゼ、君だって分かってるだろ? お袋の説得なんて、無理だ。絶対に無理。不可能。……だから先に出店しちまって、後戻り出来なくなってから話すべきなんだよ。そうすりゃお袋だって諦めが付くはずだ。」

 

「大いに納得の提案だが、私はアリスに怒られたくないんだよ、ジョージ。キミにだって想像出来るだろう? モリーがアリスを『泣き落とし』て、結果としてアリスが苦い表情で私に苦言を呈してくる光景が。少なくとも私には出来る。だからダメだ。」

 

私の大いなる『予言』を聞いた双子は、一度目を合わせて頷き合うと、再び私へと話しかけてきた。立ち直りがやけに早いのを見るに、元より頭の片隅に在った問題だったようだ。

 

「オーケーだ。……お袋が『最大の障壁』になるのは分かってたことだしな。話すよ。どうにか説得してみる。」

 

「だから、土地の一件は進めておいてくれ。予算はその羊皮紙に書いてあるから。……なんなら多少オーバーしてもいい。絶対に用意してみせるさ。」

 

「本当に話すんだろうね? ……ま、いいさ。土地の方は任されたよ。」

 

「サンキュー、アンネリーゼ!」

 

最後の台詞を揃えて言った双子は、嬉しそうに話しながらリー・ジョーダンの方へと戻って行く。……あの双子の悪戯専門店か。来年度のフィルチは苦労するだろうな。『持ち込み禁止』のリストが倍以上になるのが眼に浮かぶようだぞ。

 

まあ、店を開けば間違いなく繁盛するはずだ。あの双子ほど悪戯っ子たちの『ニーズ』を知る者は居ないし、商才があるってことも証明済みなのだから。ひょっとしたらウィーズリー家で一番の稼ぎ頭になるかもしれんな。

 

そして、モリーも最終的には受け入れざるを得まい。なんたってあの双子にはそれ以上に似合う道など存在しないのだから。くつくつと笑いながら元居たソファに戻ってみると、ゴブストーンで魔理沙から優位を取っているジニーが声をかけてきた。どうやら総当たり戦の優勝はジニーで決まりそうだ。

 

「お帰り、アンネリーゼ。兄さんたちは何の用だったの? また迷惑かけてなきゃいいんだけど。」

 

「なぁに、将来設計に関しての相談に乗ってたのさ。別に迷惑って感じじゃなかったよ。」

 

「『将来設計』? ……まあ、何でもいいけど。『ヌルヌル・ヌラー』よりかはマシだろうしね。ビルったら、絶対に騙されてるんだよ。うちの男どもは全員陥落しちゃったみたいだし、夏休みに入ったら私が言ってやらないと。」

 

またそれか。ジニーは愛しの長兄がフランス女にお熱なのが気に食わないらしいのだ。練習用の『汁なし』ゴブストーンを強めに弾きながら言ったジニーに、観戦中の咲夜が困ったような苦笑で言葉を放つ。

 

「んー……デラクールさんはそんなに悪い人じゃないと思うけど。ジニーだってあんまり話したことないんでしょう? 話してみれば印象変わるかもしれないわよ?」

 

「でも、サクヤだってよく知ってるってほどじゃないんでしょ? ……ビルはカッコ良いから、目を付けられちゃったんだよ。多分、ヴィーラの力を使って魅了してるんだと思う。」

 

「うーん、さすがに偏見じゃないかしら。……そういえば、ジニーこそデイビース先輩とはどうなったの?」

 

苦笑を強めた咲夜が話題を変えてみると、見事に敗北した魔理沙が後に続く。デイビース? 確か七年生の男子生徒で、レイブンクローのクィディッチチームのキャプテンだったはずだ。鷲寮には珍しい、『賢くなさそう』なタイプのヤツ。

 

「くっそ、完敗だ。……まさかオーケーしちゃいないだろうな? ジニー。デイビースは女ったらしのクソったれだぜ? あいつ、見る度に連れてる女の子を替えてるんだぞ。」

 

「つまり、ジニーはデイビースに告白されたのかい? 三つも下に告白とは、デイビースも中々やるじゃないか。さすがはレイブンクローが誇る女ったらしだね。」

 

別に普通だったら珍しくもない年齢差だが、ホグワーツという閉鎖された環境では学年の差が大きいのだ。話の流れを追って呟いた私に、ジニーは微妙な表情で頷きながら返事を寄越してきた。

 

「うん、そうなんだけど……断っちゃった。あの人、チョウ・チャンにもちょっかいをかけてたみたいなのよね。それで断られたから、今度は私に告白してきたってわけ。『予備』みたいで不愉快だわ。」

 

「おおっと、デイビースには見る目が無いらしいね。私なら迷わずキミだけを狙うよ。」

 

「ありがと、アンネリーゼ。さすがはグリフィンドールが誇る『女ったらし』ね。デイビースじゃ勝負にならないわ。」

 

「お褒めにあずかり光栄だ、ジニー。」

 

二人でクスクス笑い合っていると、それを見てちょっとだけ呆れた表情になった咲夜が口を開く。何故かジト目で私を見ながらだ。

 

「リーゼお嬢様が女ったらしなのには同意するとして、異性と付き合うのってそんなに軽いものなんですか? レミリアお嬢様は『少なくとも成人するまでは絶対ダメだし、成人してからもなるべくダメ』っておっしゃってましたけど……。」

 

「それはちょっと厳しすぎると思うわよ。……まあ、うちのママも『ちゃんとした運命の出逢いを見つけなさい』ってよく言ってるけど。その後には絶対に『お母さんはお父さんをきちんと確保しましたからね』って続くしね。」

 

「むぅ……私、よく分からないわ。そもそも私の家の人たちは誰も結婚してないから、いまいち想像出来ないのよね。」

 

「焦る必要ないと思うけどなぁ、サクヤだったら。どう控えめに見てもかなりの美人になるだろうし、そのうち勝手に誰かが言い寄ってくるんじゃない? ……デイビースみたいなヤツが、うんざりするほどね。」

 

ジニーから出された『例』に嫌そうになった咲夜を見て、今度はゴブストーンを片付けながらの魔理沙が言葉を放った。

 

「そしたらレミリアが黙ってなさそうだけどな。……っていうか、リーゼだってそうだろ?」

 

「さて、ね。私はレミィよりかは寛大だと思うよ。……ま、それでもデイビースはダメかな。もしそんな日が訪れたら、レミィの前に私が『お話』しに行くことになりそうだ。」

 

「……そうならないことを祈っておくぜ。いや、本当に。」

 

本意ではないが、やむを得ず天文塔の天辺にデイビースを吊るし上げることになるだろう。中庭の染みになるか、咲夜を諦めるかの二択だ。わざとらしく身を震わせる魔理沙にニヤリと笑いかけてやると、それを見ていた咲夜が困ったように微笑みながら声を上げる。

 

「んー……とにかく、私にはまだ早い話ですね。それよりジニーはもうポッター先輩のことを諦めちゃったの? 最近はあんまり話題に出さないけど。」

 

ほう? ということは、ちょっと前までは頻繁に出していたわけだ。少し面白くなってきた話に身を乗り出すと、ジニーはかなり複雑な表情になった後、向こうで勉強しているハリーを見ながら返答を口にした。……勉強しているというか、ロンと二人してハーマイオニーに教わってるって感じだが。

 

「もちろん、嫌いじゃないわ。っていうか、まあ……うん、好きだけど。自分でもよく分かんなくなってきたの。親愛なのか、憧れなのか、恋なのかがね。……それにほら、ハリーはまだチョウが好きみたいだし。横恋慕は良くないことだわ。」

 

「これが良い知らせかどうかは分からないが、ハリーとチョウ・チャンはあんまり上手くいってないみたいだぞ。ディゴリーの一件のせいでぎこちないというか、距離があるというか……そんな感じで。ハリーも昔ほど『お熱』じゃないみたいだ。」

 

肩を竦めながら言ってやると、ジニーは驚いたように目を見開く。……後はまあ、ハリーがリドルの対策に集中しているという面もあるだろう。そのせいでチョウ・チャンからのアプローチが空振りに終わってしまった感じだ。

 

タイミングが悪かったな。ハリーが好きな時はディゴリーと付き合っていて、お互いに好きな時期にはディゴリーへの負い目で付き合えず、今はハリーがそれどころではない。何とも言えないすれ違いではないか。

 

私が微妙な恋模様について考えている間にも、ジニーは腕を組みながら難しい表情で語り始めた。

 

「でも、そこで私がつけ込むのはハリーにも、チョウにも、ディゴリーにも悪いわ。……うん、もう少し時間を置くべきなのよ。全員のためにもね。」

 

「そこまで気を遣うことじゃないと思うけどね。キミは五年も前からハリーのことを好きだったんだろう? 小難しい『権利』の話で言えば、キミが誰より上のはずだぞ。」

 

「そうだけど……うーん、難しいわ。そもそもハリーは私のことをどう思ってるのかしら?」

 

「それは……ふむ、確かに難しいな。ロンの妹というか、自分の妹に近い感じなのかもね。ハリーにとってはウィーズリー家こそが一番の『家族』だろうから。」

 

少なくとも、ダドリー・ダーズリーを『兄』と思う以上にはジニーのことを『妹』と見ているはずだ。私の苦笑しながらの言葉に同意するように、咲夜と魔理沙も困ったような表情で頷いてくる。

 

「そうですね。私には想像するしか出来ないですけど、近すぎて恋愛から遠くなるってのは確かにありそうです。」

 

「まあ、認識としてはそんなとこだろうな。大体、ジニーとハリーが付き合ったらロンが煩いと思うぜ。あいつ、案外『兄バカ』だから。」

 

それもあったか。確かにロンは微妙な立ち位置に立たされるだろう。ハリー以外の男だとかなり嫌がるだろうが、ハリーだとしても大歓迎とはいかないはずだ。……それに、ハリーには厄介な名付け親も居るし。尻尾が付いた親バカが。

 

遠くでハーマイオニーに間違いを指摘されている二人を見ながら考えていると、ジニーが小さく首を振ってから声を放った。ちょっとだけ苦味を含んだ、吹っ切れたような微笑を浮かべている。

 

「何にせよ、今はダメ。ハリーも大変な時期なんだもん。これ以上問題が増えるだなんて見てられないわ。」

 

「つまり、これでまた一つ闇の帝王どのを片付けなきゃいけない理由が増えたわけだ。それと、フクロウ試験もかな。」

 

「どっちも乙女の敵だもんね。」

 

悪戯げに笑うジニーに頷いてから、ゆっくりとソファに凭れ掛かった。……未来、か。ハーマイオニーも、ハリーも、ロンも。いつの日か結婚して、子供ができて、次代を育み、老いて、そして死んでいくわけだ。私にとってはほんの僅かなひと時で。

 

不思議な話だな。以前は人間の一生をもっと客観的に見れた気がする。それなのに今は、どうしようもなく儚いものに思えてしまうのだ。百年にも満たない刹那のような一生。……短すぎるぞ、まったく。

 

そういえば、私たちの世界の物語にもいくつかあるな。人と生き、人と死んだ妖怪たち。わざわざ強大で長命な生を棄てて、矮小な人間に殉じるなどアホなヤツらだと思っていたが……今ならその気持ちが少しだけ分かる気がする。

 

儚く、懸命だからこそ恋い焦がれるのだろう。それは私たちには決して得られないものなのだから。……八雲もそう思ったからこそ幻想郷を創ったのだろうか? あの底知れぬ胡散臭い大妖怪もまた、刹那を生きる人間に何かを見出した一人なのかもしれない。

 

騒がしくも楽しげな談話室の光景を眺めながら、アンネリーゼ・バートリは深いため息を吐くのだった。

 



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向かう先は

 

 

「んー……迷ったんだけど、とりあえずは魔法省で希望を出しておいたわ。マクゴナガル先生も考える時間はあるっておっしゃってくれたし、細かい部署については先延ばしにしちゃったの。」

 

まだ少し肌寒い校庭の芝生の上で、アンネリーゼ・バートリは湖を眺めるハーマイオニーの言葉に頷いていた。副校長どのの言う通り、進路についてそう焦ることはないだろう。卒業まではまだ二年もあるのだから。

 

イースター休暇が終わる直前、五年生の進路指導が始まったのである。フクロウ試験が行われる前にそれぞれの寮監と卒業後の進路についてを話し合い、六年生以降の授業選択を決めるわけだ。……ちなみに当たり前のことだが、私は不参加。マクゴナガルも重々承知しているようで、談話室に貼り出された指導時間のリストに載ってすらいなかった。

 

そんな訳で考え事をしながら三人の進路指導が終わるのを待っていたところ、一足早く終わったハーマイオニーが戻って来たのだ。彼女は当面の進路として魔法省の職員を選択したらしい。うん、妥当なところだな。しっくりくるぞ。

 

「いいんじゃないかな。今の魔法省はどんどん『まとも』になってるから、キミが入る頃にはもっと良くなってると思うよ。」

 

そも入れるか入れないかというのは考慮する必要が無いだろう。ハーマイオニーの成績で入れないのであれば、今の五年生は誰一人として入れなくなってしまうのだから。肩を竦めて返事を返すと、ハーマイオニーは私の隣に寝っ転がりながら口を開く。

 

「そこがちょっとだけ残念なのよね。出来れば大きく変わってるその瞬間、その場に居たかったの。……二年後にはもう落ち着いちゃってるでしょうし。」

 

「つまり、組織が柔らかいうちに何かをしたかったってことかい? おいおい、参ったね。私の友人は野心家らしい。」

 

「もう、茶化さないでよ、リーゼ。……でも、難しいわね。やりたい事が多すぎて頭がパンクしちゃいそうよ。細かい部署の違いについても詳しく教わったんだけど、結局何も決まらなかったわ。」

 

「ま、どうせ目指すならトップを目指したまえよ。魔法大臣あたりをね。」

 

伸びをしながら軽く言ってやると、ハーマイオニーはクスクス笑って首を振ってきた。……結構本気だったんだけどな。簡単ではないにせよ、不可能でもないと思うぞ。

 

「それはさすがに分不相応すぎるわよ。今日のマクゴナガル先生の詳しい説明を聞いてみて、イギリス魔法省がどれだけ大きな組織なのかを改めて実感したわ。ボーンズ大臣がとっても凄い方だってこともね。」

 

「あのね、ボーンズはともかくとして、ファッジですら大臣になれたんだぞ。キミになれない理由なんて無いだろうに。」

 

「感覚がマヒしてるわよ、リーゼ。ファッジ前大臣も結構なエリートなんだからね。……レミリアさんが近くに居るからなのかしら?」

 

「……まあ、それはあるかもね。」

 

レミリアを見てると、魔法大臣なんてさして重要じゃないようにすら思えてくるが……うーむ、確かにマヒしてそうだな。一応は一国の政治機関の頂点なのだ。名目上はマグルの首相の下だが、実際はほぼ独立した組織として動いているし、割と凄い役職なのかもしれない。

 

そう考えると、今度はレミリアの異常性が際立つぞ。危険視する連中の言葉にもいくらかの理がありそうだな。政治ゲームを愉しむ幼馴染の姿を思い浮かべていると、ハーマイオニーが疲れたようにため息を吐きながら声を上げる。

 

「ちっぽけね、私なんて。自分が単なる学生だっていうことを嫌ってほど自覚させられたわ。ホグワーツに来てから成長出来たって思ってたけど、実際はそうでもなかったのかも。」

 

「んふふ、正に『思春期』って感じの台詞じゃないか。……世の中そんなもんだよ、ハーマイオニー。キミは意外に感じるかもしれないが、ボーンズなんかも同じようなことを考えてると思うよ。」

 

「私よりずっと大人で、魔法大臣なのに?」

 

「その通り。二十になろうが、四十になろうが、それこそ五百になろうが、人ってのはキミが思うほど成長したりはしないのさ。いざ歳を取ってみればそれが分かるよ。」

 

大きく変わるのは生まれて十年そこらであって、そこからは大して変わらん。年齢なんてもんは単なる指標でしかないのだ。誤差も大きいし、あんまり役に立たない指標だが。私はこの数年でそのことを実感したぞ。

 

くつくつ笑いながら言ってやると、ハーマイオニーは疑問げな表情で返事を寄越してきた。

 

「なんか、今だけはリーゼが大人に見えるわ。」

 

「ふむ、今だけはって部分は余計かな。常に大人だよ、私は。無邪気な楽しみを忘れない偉大な大人さ。」

 

「ダメね、もう子供に戻っちゃった。」

 

失礼な。二人して笑い合っていると、城の方向から足音が……おっと、ハリーとロンも進路指導が終わったらしい。何故か二人してどんより顔を浮かべながら、トボトボ私たちの方へと歩いて来ている。

 

「おいおい、進路を撥ね除けられたのかい? 随分と暗い表情じゃないか。」

 

そのまま無言で私たちの近くに座り込んだ二人に問いかけてみると、曇り空コンビはそれぞれ曖昧に首を振りながら進路指導の結果を口にした。

 

「んー……僕は闇祓いを希望したんだけどさ、思ってたよりもずっと難しい道だったんだ。成績ももう少し頑張らなきゃだし、候補生になれても訓練と試験があるんだって。世間知らずだったよ、僕。」

 

「こっちも大体同じだ。闇祓いか呪い破りで希望を出したら、もっと頑張らないとダメだってマクゴナガルに言われちゃってさ。そもそも呪い破りには数占いが必要だったみたいだしね。……ビルって凄かったんだな。知らなかったよ。」

 

「そりゃあそうだろうに。闇祓いって言ったら魔法省の中でも精鋭の実戦部隊だし、呪い破りは未知の呪いに対応するような連中だろう? どっちも生粋のエリート揃いだよ。」

 

「それに、闇祓い候補として魔法省に入っても、ずっと試験に合格出来なくて魔法警察になる人も多いらしいわよ。能力だけじゃなく、人間性も重視されるみたい。開心術まで使った厳しい『性格・適性テスト』があるんですって。」

 

人間性? だとすれば、ムーディはどうやってその性格・適性テストとやらを抜けたんだ? 結構いい加減なテストなんじゃないのか? ハーマイオニーの説明を聞いて首を傾げる私を他所に、ハリーとロンは口々に『言い訳』を語り始める。

 

「難しいのは分かってた。……というか、分かってたつもりだったんだ。でも、いざ具体的な道のりを聞かされてみると──」

 

「『絶望』さ。マクゴナガルも一時期闇祓いだったみたいで、どれだけ難しいのかを詳しく教えてくれたよ。嫌ってほどに、詳しくね。」

 

確か当時の執行部長とソリが合わなくて辞めたんだったか。人に逸話あり、だな。アリスから聞いたような話を思い出しながら、二人に向かって慰めの言葉を放った。

 

「まあ、まだ諦めるような段階じゃないと思うよ。キミたちだって成績が悪いわけじゃないんだから、二年あれば十分間に合うさ。」

 

「そうね、むしろ今知れたことを喜ぶべきよ。これでフクロウ試験を嫌がってる場合じゃないっていうのがよく分かったでしょう?」

 

芝生から起き上がったハーマイオニー先生のありがたいお言葉に、曇り空コンビは渋々頷きを返す。……闇祓いか。あんまり死亡率の高い職業には就いて欲しくないんだけどな。

 

ま、それはさすがに身勝手な我儘だな。二人が本気で目指したいなら応援すべきだろう。……今度アリスにも聞いてみようか? 今は闇祓いと行動していることが多いし、彼女なら実際の事情をよく知っているはずだ。

 

徐々に形を持ってきた将来のことを考えながら、アンネリーゼ・バートリは大きく伸びをするのだった。

 

 

─────

 

 

「いいですか? ゆっくりと、円を重ねるように杖を振るんです。焦らず、慎重に……サーカムロータ(回れ)! こんな感じで。慣れないうちに速く振ろうとすると、横回転が縦回転になったりしますからね!」

 

途轍もないノロさで杖を振るフリットウィックを見ながら、霧雨魔理沙は若干呆れ気味に杖を取り出していた。『物を回す呪文』だと? どこで使うんだよ、そんなもん。普通に手を使えよな。

 

楽しかったイースター休暇も終わり、授業が一番難しくなる夏学期が始まったのである。お陰で三年生の私たちも学期末テストに向けて必死なわけだが……まあうん、それでもハリーたちよりかはマシだな。先日ラベンダー・ブラウンが神経衰弱に陥って倒れたそうだし、我が身に降りかかる二年後が恐ろしい限りだ。

 

進路指導を終えた途端、示し合わせたように『勉強お化け』になってしまった五年生たちを思って戦々恐々とする私に、咲夜が真剣な表情で杖を振りながら話しかけてきた。当然ながら、今日の呪文学でも彼女とペアを組んでいるのだ。

 

「サーカムロータ。……あれ? ダメね。結構難しそうよ、この呪文。」

 

「んん? ……サーカムロータ!」

 

効果と難易度が反比例してるタイプの呪文なのか? 難しい表情を浮かべる咲夜に首を傾げながら、今度は私が目の前に置かれた地球儀に向かって呪文を放つと……あー、ヤバい。どうやら縦回転になってしまったようで、固定されていた『地球』が外れて凄い勢いで回りながら吹っ飛んでいく。

 

「……ねえ、魔理沙? フリットウィック先生の説明をちゃんと聞いてた? ゆっくり振るようにっておっしゃってたでしょう?」

 

「一応、聞いてたはずだ。……まあ、振るのが速すぎたみたいだな。今回ばかりは非を認めるぜ。全面的に。」

 

「分かってるならミルウッドに謝ったほうが良いと思うわよ。私たちの『地球』が顔に激突しちゃってるわ。」

 

「……そうすべきだろうな。」

 

呆れ顔の咲夜に同意を返してから、見事な顔面キャッチを披露したレイブンクローの同級生の方へと歩き出す。……おお、回転がかかっていた所為か顔が赤いぞ。これは悪いことしちまったな。

 

「よっ、ミルウッド。……悪かった! スマン! ちょっとした手違いで飛ばしちまったんだ。」

 

「ああ、うん、気にしてないよ、マリサ。確かに痛かったけど……でもほら、そんなに大したことじゃないから。大丈夫さ。」

 

「でも、かなり赤くなってるぜ? 血とか出てないよな? ちょっと見せてみろよ。」

 

「いや、大丈夫だから! 本当に、あの……大丈夫だよ! 平気だ! ピンピンしてる!」

 

本当かよ。なんかどんどん顔が赤くなっていく気がするぞ。今や熟れすぎたトマトみたいになってしまったミルウッドの顔をペチペチ触っていると、騒ぎを聞きつけたフリットウィックが近付いて来る。……頼むから減点だけは勘弁してくれよ? この前双子と一緒に『やらかした』所為で貯金が無くなってるんだ。

 

「おや、どうしたんですか?」

 

「えっと、ちょっとした事故でな。私が地球儀を吹っ飛ばしちまって、それがミルウッドの顔面に──」

 

「僕は大丈夫です、フリットウィック先生! 何でもありません! 僕がその……単にキャッチし損ねただけなんです!」

 

ビックリした。急に大声を出したミルウッドは、私に向かって謎のアイコンタクトを送ってくるが……どういう意味なんだ? さっぱり分からんぞ。アンジェリーナの生み出した、忌まわしき『超複雑ハンドサイン』の方がまだ分かり易いくらいだ。

 

キョトンとする私を他所に、フリットウィックは何故か状況を察したらしい。ミルウッドに苦笑して頷きながら、私を元居た席へと戻し始めた。今ので何が分かったんだよ。

 

「なるほど、なるほど。ミス・キリサメは自分の地球儀を持って席に戻って結構。ミスター・ミルウッドのことは私が診ておきましょう。……貴女が居ると悪化してしまいますからね。」

 

「おいおい、そりゃあ酷いぜ。私はミルウッドが心配だっただけだぞ。」

 

「あー……つまりですね、ミス・キリサメの心配がミスター・ミルウッドに『効果的』すぎるのが問題なんです。」

 

「なんだそりゃ? ……まあいいや、私は戻るぞ。悪かったな、ミルウッド。」

 

受け取った地球儀片手に声をかけてみると、ミルウッドは更に赤くなりながらブンブン頭を振って頷いてくる。……当たり所が悪かったとかじゃないよな? どう見てもちょっとおかしいぞ。

 

小首を傾げながら自分の席へと戻り、取り戻した『地球』を咲夜の方へと放ってみれば、彼女は見事にキャッチしてから問いを寄越してきた。その顔に浮かぶのは呆れと心配の中間くらいの表情だ。つまりはまあ、咲夜が私によく向けてくるやつ。

 

「どうだったの? また減点されてないでしょうね?」

 

「減点は無かったし、ミルウッドも大丈夫そうだったぜ。……多分な。後遺症が出たら私は知らん。」

 

レパロ(直れ)。……本当に大丈夫なの? ここからでも分かるくらいに真っ赤っかよ?」

 

「私もおかしいとは思うんだが、フリットウィックは大丈夫だって言うんだよ。だから大丈夫なんだろうさ。」

 

まあ、死にはしないだろ。椅子に座って咲夜が直した地球儀をチェックしていると……今度は後ろの席のロミルダ・ベインが話しかけてくる。ゴシップ好きで、『ハリー・ファンクラブ』に入っている同級生の魔女だ。ちなみに他の会員はクリービー兄弟だけ。

 

「あら、ミルウッドは貴女のアプローチを受け取ったみたいよ? 良かったじゃないの、マリサ。」

 

「まーた始まった。何でもかんでも色恋沙汰に結び付けるのは悪い癖だぞ、ロミルダ。どこの世界に『惑星』をぶつける求愛行動があるんだよ。そんなもん神話の世界だけだぜ。」

 

「まあ、ミルウッドじゃあちょっと釣り合わないわね。貴女は私の次くらいには可愛いわけだし。……ねぇ? それよりハリーの好みのタイプが巻き毛っていうのは本当なの? 教えてくれたら愛の妙薬を分けてあげるわよ?」

 

巻き毛? どっから出てきた情報なんだよ、それは。私に向かって囁きかけてくるロミルダに、首を振って否定の返事を返そうとすると……おおっと、咲夜が冷ややかな表情で割り込んできた。この二人は入学当初から相性が悪いのだ。具体的に言えば、一年生の頃にロミルダが『ハリーを狙うチビコウモリ』と口にした瞬間から。

 

「ベイン、授業中よ。私たちは貴女の『発情』に関わってる暇はないの。盛るなら他所でやって頂戴。……そうね、ふくろう小屋とかはどうかしら?」

 

「あーら、ヴェイユ。良い子ちゃんの貴女には話しかけてないわ。私たちには構わずに、一人で好きなだけお勉強してなさいよ。そしたら大好きな『お嬢様』が褒めてくれるんでしょう?」

 

「そうしたいところなんだけどね、後ろで耳障りな声を上げられると気が散るのよ。……たった一日。ほんの一日だけでいいから、他人の色恋にちょっかいをかけないことは出来ないの? そしたらポッター先輩も貴女のことを『認識』してくれるかもしれないわよ?」

 

「……ハリーは私のことを知ってるわ。この前のイースターもチョコエッグをプレゼントしたもの。」

 

ロミルダが多少怯んだのを見て、咲夜は鼻を鳴らしながら追撃を送る。……今日の口喧嘩は咲夜が優勢だな。何故なら私たちはそのチョコの行方を知っているからだ。

 

「あら、本当に? 『毒味』をしたロン先輩が貴女にメロメロになっちゃった所為で、ポッター先輩は一欠片も口にしてなかったと思うけど……そうね、知ってるかもね。毒入りチョコレートを渡す危ない後輩として。」

 

「ちょっとしたスパイスよ! そんなに強い薬じゃなかったわ!」

 

「まあ、それには同意するわ。ハーマイオニー先輩が一瞬で解呪しちゃってたし。もうちょっと薬学を勉強した方が良いと思うわよ?」

 

はい、決着。今日は咲夜の勝ちだな。乾いた口調で言う咲夜へと、ロミルダはいつもの罵倒を口にし始めた。戦いの終わりは結局ここに行き着くわけだ。

 

「……煩いわよ、バートリの犬。」

 

「褒めてくれるだなんて優しいのね、ベイン。でも厳密に言えば、私はバートリとスカーレットの犬よ。間違えないで頂戴。」

 

睨み付けるロミルダと冷ややかに笑う咲夜。二人の視線がぶつかり合う地点に割り込んで、いつも通りの仲裁を行なう。もう慣れたぜ。

 

「よし、今日はここまで。続きは明日にでもやれよ。……フリットウィックの態度からして今日のこの呪文、学期末テストに出てくると思うぜ。ちゃんと練習しといた方が良いんじゃないか?」

 

「……ふん、いいわ。マリサの顔に免じて引き下がってあげる。後は一人でキャンキャン言ってなさい、犬女。」

 

「最初から噛み付いてこなきゃいいのよ、発情女。」

 

うーむ、不思議な二人だ。喧嘩しつつもたまに一緒に宿題をやっていたり、昔ロミルダがスリザリンのパーキンソンに絡まれていた時には真っ先に助けに入っていたのを見るに、お互い本気で嫌っている感じでは無さそうなんだが……うん、謎だな。

 

それにまあ、咲夜は嫌いなヤツにはそもそも関わっていかないタイプのはずだ。ロミルダに対しては頻繁にちょっかいをかけているし、良い喧嘩友達ってやつなのかもしれない。……いや、微妙に違うか? やっぱりよく分からんな。

 

「ほら、魔理沙もきちんと練習するの。テストに出るかもって言ったのはそっちでしょう?」

 

「あー……そうだな、やるか。」

 

不思議な人間関係に首を傾げながらも、目の前の地球儀をクルクル回す作業に戻るのだった。どんな授業だよ、まったく。

 

───

 

「キリサメ! ちょっといいか?」

 

そして呪文学も終わり、咲夜と二人でまだ明るい夕方の空を見上げながら廊下を歩いていると、背中に聞き慣れない声がかかった。振り向いてみれば……マルフォイ? スリザリンのシーカーどのだ。

 

「何だよ? 一体。……ひょっとして、防衛術クラブでの話の続きか?」

 

クィディッチ以外の接点はそれだけのはずだ。ちょっと真剣な表情で問い返してみると、マルフォイはゆっくりと頷きながら中庭を指差す。つまり、イエスか。

 

「ああ、そんなところだ。その件について少し中庭で話したい。……すぐに終わる。」

 

「ま、いいけどな。先に行っててくれよ、咲夜。」

 

マルフォイに軽く頷いた後、肩を竦めて隣の咲夜に言ってみれば……彼女はかなり胡散臭そうな表情で中庭へと歩いて行くマルフォイを見ながら、私に向かって口を開いた。おお、物凄く疑ってる顔じゃないか。

 

「ちょっと、大丈夫なの? 闘うなら加勢するけど。」

 

「なんでいきなり闘うって発想が出てくるんだよ。……とにかく、大丈夫だ。詳しくは言えないけど、普通に話すだけだと思うぜ。」

 

「んー……一応、あっちの柱で待ってるわ。危なくなったら合図してよね。」

 

信用ないな、マルフォイ。……そりゃそうか、ハリーの『宿敵』だもんな。少し離れた柱に寄りかかった咲夜に苦笑してから、噴水の横に立つマルフォイへと近付いて話しかける。

 

「で、どうしたんだよ?」

 

「お前には助言を貰ったからな。伝えておくべきだと思っただけだ。……父上と母上に手紙を送った。帝王の下を離れるように、と。」

 

「……ん、それが正解だと思うぜ。返信はあったのか?」

 

「ああ、決断してくれたようだ。契約によって詳しくは話せないが、司法取引ももう終わったと手紙には書いてあった。……一度しか言わないからな。感謝する、キリサメ。お前のお陰でギリギリ間に合ったみたいだ。」

 

おいおい、何だよ急に。やけに丁寧な仕草で頭を下げてきたマルフォイへと、頭を掻きながら返事を返す。似合わないことすんなよな。困るだろうが。

 

「待て待て、別に私のお陰ってわけじゃないだろ? お前の家族が決断したって話じゃんか。」

 

「だが、切っ掛けを作ったのはお前だ。……とにかく、伝えたからな。それだけだ。」

 

ちょっと早口でそう言うと、マルフォイは踵を返して歩き去ってしまった。……まあうん、良かったじゃんか。私の説得が力になったなら嬉しい限りだぜ。

 

詳しいことは全然分からんが、ヴォルデモートの側に居るよりかはマシになるはず……だよな? 去って行くマルフォイの背中を眺めながら考えていると、話が終わったのを見た咲夜が近寄ってくる。かなり疑問げな表情だ。

 

「ちょっと、何で頭を下げられてたのよ? ……脅迫でもしてたの? やるじゃない。」

 

「お前な、私を何だと思ってんだよ。」

 

思考回路が物騒すぎるぞ。素っ頓狂なことを言う親友に突っ込みを入れつつも、霧雨魔理沙は遠ざかるマルフォイの姿を見つめるのだった。

 



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落陽

 

 

「やってくれるじゃないの。」

 

緊迫した声色の指示が行き交う半壊した廊下の一角を前に、アリス・マーガトロイドは険しい表情で呟いていた。まさかこのタイミングで、こんな場所を狙ってくるとは思わなかったぞ。

 

魔法省地下十階の薄暗い石造りの廊下では、闇祓いや魔法事故調査部隊が慌しく現場検証を行なっている。十数分前、この場所が何者かによって爆破されたのだ。魔法省で『爆発』が起こるのはそう珍しくもないが、これだけの規模となると明らかに死喰い人の攻撃だろう。

 

勿論ながら現在のイギリス魔法省はこういったテロを厳重に警戒している。しているのだが……地下十階はウィゼンガモットの管轄下であり、それ以外の階とは少し違った警備体制を敷いているのだ。今回はその穴を突かれたらしい。妙な意地を張るからこうなるんだぞ。

 

被害の中心部は殆ど跡形も無くなっているし、遠く離れたこの場所ですら飛んできた破片で壁が抉れて酷い有様だ。……十階だって防護呪文はかかっているはずなのに、どうやってこんな大爆発を引き起こしたのだろうか?

 

「でも、被害が大きすぎない? 呪文でこんな爆発を引き起こすのは私でも無理よ?」

 

防護呪文がある以上、少なくとも単純な爆破魔法では不可能だろう。力押しで可能なのはパチュリーくらいしか思い浮かばないぞ。隣に立つガウェイン・ロバーズに聞いてみると、彼も神妙な表情で現場を睨みながら返答を寄越してきた。闇祓い局に復帰したロバーズへと退院祝いを告げに行った際、事件の報せを受けて私も付いて来たのだ。復帰直後にこれとは、つくづく運のない男だな。

 

「先程判明しましたが、呪文ではなく何らかの魔法薬を使ったようです。……恐らく、実行犯も巻き込まれたのでしょう。これだけの規模ですしね。」

 

「……手段を選ばず、ってわけね。こちらの被害者は?」

 

「現時点では不明です。そこの一番被害が大きい場所……もう原形がありませんけど、あそこですね。あの場所は大法廷直下の取り調べ室なんですが、情報に規制がかかっていて私でも誰が使用していたのか分からないんですよ。」

 

「一番被害が大きいってことは、実行犯はそこを狙ったってことよね? ……ちょっと待って、敵は貴方ですら規制されるような情報を手にしてたってこと?」

 

仮に犯人が取り調べ室を狙ったのであれば、そこに誰が居たかも分かっていたはずだ。まさか無差別でこんな場所を狙ったりはすまい。……おいおい、ロバーズは闇祓い局のナンバー2だぞ。その地位で規制を受けているのであれば、誰が居たかを知る者はかなり上層部の人間ということになる。

 

「その通りです。つまり、上層部の情報が漏れているということになります。……心当たりはありますか? マーガトロイドさん。」

 

彼にも事態の重大さが理解出来ているのだろう。厳しい表情を浮かべて小声で聞いてきたロバーズに、頭を回しながら返答を送った。情報が少なすぎて絞り込むのは難しいな。

 

「先ず、誰が知っていたのかを調べるべきね。……アメリアはマグルの首相と会談中なんでしょう? スクリムジョールとムーディは省内に居ないの?」

 

「スクリムジョールが今来るはずです。ムーディ局長はいつもの『家庭訪問』をしているので、帰省は午後になりますね。」

 

「なら、スクリムジョールが知っていることを祈りましょう。もし彼が知らないとなれば、かなり厄介な展開になるわよ。」

 

何たって、執行部長であるスクリムジョールの『上』など省内に数人だけしか存在しないのだ。そこに裏切り者が潜んでいたとなれば、こちらの情報はダダ漏れだったということになってしまう。スパイが居る前提で動いてはいるが、さすがに許容範囲外だぞ。

 

やきもきしながら現場検証の光景を見つめていると……来たか。反対側の廊下の奥から規則的な早足でこちらに歩いて来たスクリムジョールは、真っ先に私たちへと声をかけてくる。

 

「ロバーズ、それにミス・マーガトロイドも一緒でしたか。……あの場所に誰が居たかを知っている者は、ボーンズ大臣、私、スカーレット女史、ムーディ局長、国際魔法協力部部長、国際魔法法務局局長、直接尋問に当たった開心術師の数名、そしてウィゼンガモットの議長と副議長だけです。」

 

ふむ、やっぱりそれなりの面子だな。ならばやる事は決まった。前置きの一切を省いて必要な情報を伝えてきたスクリムジョールへと、すぐさまホルダーから抜いた杖を向けたところで……それを見たロバーズがかなり慌てた表情で口を開く。ここで慌てるのは情けないぞ、ロバーズ。前回の戦争中はよく見た光景じゃないか。

 

「マーガトロイドさん? 何を?」

 

「開心術よ。服従の呪文の可能性もあるし、今は全員を疑うべきなの。……抵抗しないで頂戴ね、スクリムジョール。」

 

「当然の対応ですな、どうぞ。」

 

「それじゃ、遠慮なく。レジリメンス(開心)。」

 

別に本気で疑っているわけではないが、僅かでも可能性があるならやるべきなのだ。抵抗なくスルリと侵入出来た感覚の後……うん、白だな。手早く覗いてみた限りでは、スクリムジョールの記憶に不自然なところは見当たらなかった。

 

当然ながらスクリムジョールだって閉心術を習得しているのだろうが、私だって開心術にはそれなりの自信がある。侵入を防がれる可能性はともかくとして、偽りの記憶に騙されるという可能性は薄いだろう。

 

それに、取り調べ室の中に居たのが誰なのかも分かった。……ルシウス・マルフォイ。あの男がリドルを裏切っていたのか。私ですら全く気付けなかったのを見るに、スクリムジョールたちはかなり巧妙に保護していたようだ。一階や二階ではなくこちらの取調べ室を使ったのも偽装の一つなのだろう。

 

だが、この惨状を見るにもう……。一瞬だけ目を瞑った後で、スクリムジョールに向かって言葉を放つ。

 

「貴方は白ね。確認したわ。」

 

「結構です。……では、ロバーズは部下と開心術師を連れて五階の協力部と法務局を頼む。ミス・マーガトロイドは私と来ていただけますか? 尋問に関わった開心術師は既に一時拘束を済ませていますので、私たちはウィゼンガモットの議長と副議長を調べます。」

 

「ああ、了解した。」

 

「そうね、行きましょうか。」

 

まあ、一番怪しいのはその辺だろう。アメリアとムーディは最後に回していいはずだし、レミリアさんはそもそも有り得ない。一つ頷いてから逆方向へと走り出したロバーズを尻目に、スクリムジョールと共に薄暗い十階の廊下を歩き出す。

 

「奥さんの方は無事なのよね? ナルシッサ・マルフォイだったかしら?」

 

靴音を鳴らしながらの私の問いかけに、スクリムジョールは肯定も否定もせずに返事を返してきた。

 

「現時点では不明です。ここに来る前に指示を出して、部下を確認に向かわせました。魔法省が用意した隠れ家に潜んでいるはずですので。」

 

「……無事だといいわね。」

 

マルフォイ家など好きではないが、一年だけとはいえその息子は私の教え子なのだ。スリザリンの、ドラコ・マルフォイ。ハリーと同級生だったから、今は十五か十六か。親が居なくなるのは辛かろう。

 

私の呟きを受けたスクリムジョールは、やけに事務的な口調で言葉を寄越してくる。

 

「そうですな。厳重な保護を受けていたはずのマルフォイ夫妻が死んだとなれば、他の内通者たちが揺らいでしまいます。片方だけでも生きていてくれれば助かるのですが。」

 

「……そういうことでもないんだけどね。」

 

どこまでも冷徹だな。……いや、情に流されている私の方が間違っているのかもしれない。天然なのかポーズなのかは定かではないが、組織の上に立つ人間とはこういう態度でいるべきなのだろう。

 

うーむ、やっぱり私には自由な魔女が向いてるな。私だとここまで冷徹な対応は出来ないはずだ。そうするべきだと頭で理解していても、きっとどこかで迷ってしまうだろう。甘さと優しさ。その二つは別物だってことを重々理解しているはずなのに。

 

情けない自分にため息を吐きながら、松明で照らされた角を曲がって評議長室の前に近付いて行くと……何だ? マホガニーの重厚なドアの奥から、微かに怒鳴り声が漏れ聞こえてくる。

 

「何かしら?」

 

「怒声のようですね。口論でしょうか? ……一応、杖を抜いておくべきでしょうな。」

 

平時ならともかく、今は事件があった直後なのだ。そうした方がいいだろう。スクリムジョールの言葉に従って、杖を構えながらノック無しで室内に踏み込んでみると──

 

「……これはこれは、スクリムジョール執行部長、それにミス・マーガトロイドまで。お早いご到着ですな。それでこそですよ。」

 

部屋の奥で壁際にへたり込む副議長のアディティア・シャフィクと、それに対して杖を構えている議長のチェスター・フォーリーの姿が見えてきた。……どういう状況なんだ? これは。

 

「……説明をお願いできますかな? フォーリー議長。」

 

「簡単なことだよ、執行部長。シャフィクを呼び出して問い詰めてみれば、彼が『犯行』を自白した。それだけの話だ。」

 

「つまり、シャフィク副議長が内通者だと? ……些か出来すぎた状況にも思えますが。貴方は随分と早く答えに辿り着いたようですな。」

 

「君たちとてこうしてこの部屋に来ているではないか。私も同じことに気付いたまでだよ。……まあ、疑うのならば本人に聞いてみたまえ。その方が話は早いはずだ。」

 

やけに冷静な会話だな。スクリムジョールと共に杖を構えたままで件のシャフィクの方へと顔を向けてみれば、彼は私たちに弁明するのではなく、目の前のフォーリーに対して文句を喚き始める。起こっていることが信じられないと言わんばかりの表情だ。

 

「何故、何故こんな、どうして……どういうことだ、チェスター! 何故君が私を売る? 君だってスカーレットの『独裁』には反対していたはずだぞ!」

 

「如何にもその通りだ。その通りだが、それがどうしてヴォルデモートに協力することに繋がるのかね? ……君は一体どういう思考回路を辿ったんだ?」

 

反レミリアさんだが、同時に反死喰い人。確かにそれがウィゼンガモットの立ち位置だったはずだ。心底疑問だという表情のフォーリーへと、シャフィクはヨロヨロと立ち上がりながら反論を叫ぶ。顔が真っ赤を通り越してどす黒くなっているぞ。

 

「れ、例のあの人は約束してくれた! 彼が権力を握った暁には、純血を重んじた治世を行うと! ウィゼンガモットの権利を拡大し、私たちを純血の旗頭として扱ってくれると! ……先程そう言ったじゃないか! 私はきちんと説明したぞ! それなのにどうして、どうして私を突き出すような真似をするんだ? 君のことだってわざわざ『推薦』したのに!」

 

「……私は君を賢い人間だと思ったことは一度もないが、まさかそこまでの愚か者だとも思っていなかったよ。……君は本気でそれを信じたのか? それ以前に、ヴォルデモートがイギリスを『統治』することが可能だと思っているのかね?」

 

「何を、何を言っているんだ? チェスター。出来ると言っていた! 確かに言っていたんだ!」

 

頭痛を堪えるような表情を見て怯むシャフィクへと、フォーリーは額を押さえながら説明を続ける。段々と起こっていることの詳細が掴めてきたな。どうやらウィゼンガモットの副議長の座には、信じ難いほどの大間抜けが座っていたらしい。

 

「いいか? 仮にヴォルデモートがイギリス魔法省を制圧し、スカーレット女史をも打ち倒したと仮定しよう。……まあ、そもそもこの時点で有り得るはずのない状況だが。仮にそうなったとして、今の国際情勢がヴォルデモートの統治を認めると思うのかね? 怒り狂った他国が攻撃を仕掛けてくるとは考えないのか?」

 

「それは……でも、これはイギリス国内の問題だ! 他国が易々と介入出来るはずがない! 現に前回はどこも介入してこなかったじゃないか!」

 

「君は……信じ難いな。これは夢かと疑う程だよ。君は今の国際情勢を何ら理解していないのか? その台詞が通用するのは十五年前までなんだ、シャフィク。スカーレット女史が国際間の繋がりを深めた今、昔のようにヨーロッパ魔法界は分断されていない。それに、今のヴォルデモートはイギリス国内の扇動家ではなく、大陸を荒らし回る国際的な犯罪者なんだ。……そんな人物が権力を握ってフランスが黙っていると思うのか? ポーランドは? ギリシャは? ソヴィエトは? 君はそんなことすら理解出来ないのかね?」

 

「でも、でも、可能だと言ったんだ! 私はそう言われた! ……確かにそう言われたんだ!」

 

これは、酷いな。全然反論になっていないシャフィクの言葉を聞いて、フォーリーはまるで悍ましい生き物を見るかのような表情で返事を返す。なんとまあ、パチュリーが紙魚を見るときの表情そっくりだぞ。

 

「……見事だ、シャフィク。君は色々なことを台無しにしてくれたよ。正直、たった一手でここまで状況を変えることが出来るとは思っていなかった。脱帽だ。君にこんな才能が隠されていたとはね。……先ず、ウィゼンガモットは近々解体されるだろう。副議長がこれほどの失態を犯した以上、もはや私にも抵抗し切れまい。行政、立法、司法。これでイギリス魔法界は完全にスカーレット女史の支配下に陥ちるわけだ。」

 

草臥れたように話しながら、フォーリーは応接用らしきソファに座り込む。そのまま大きなため息を吐くと、再び顔を上げて続きを語り始めた。……誰にともなく、独白するように。

 

「そして、ルシウス・マルフォイが連鎖的に純血の家を寝返らせる計画も崩壊した。この惨状を聞いた彼らは恐怖からヴォルデモートの傘下に留まり、それ故に多くの家系は断絶するだろう。スカーレット女史に叩き潰されることでね。……ルシウス・マルフォイは唯一切っ掛けになれる人物だったんだ。政治的センスがあり、情報源としての価値もあり、名家としての地位も申し分ない。彼の説得が上手くいけば、純血の家系をある程度イギリス魔法界に残すことが出来たはずだ。……だが、君が殺した。君がそのか細い糸を断ち切ったんだ、シャフィク。何一つ自分の頭では考えられず、死喰い人の穴だらけの言葉を鵜呑みにした君がね。」

 

言いながらフォーリーがシャフィクを睨み付けると、シャフィクは小さく悲鳴を上げながら再びへたり込んでしまう。その情けない姿を見たフォーリーは、苦々しい苦笑を浮かべてポツリと呟いた。

 

「いや、意外な結末だ。惨めに足掻く私に止めを刺すのは、てっきりスカーレット女史なのだとばかり思っていたんだがね。まさか歯牙にも掛けていなかった君から刺されるとは……やはり私如きでは相手にならんか。ヴォルデモートのことをとやかく言えんな。」

 

「貴方は……一体何をしようとしていたのですか? フォーリー議長。」

 

「逆に問おう。私には君たちが何故スカーレット女史をそこまで信じられるのかが疑問だよ、ミス・マーガトロイド。君は恐ろしくないのかね? 権力を持ち過ぎた『女帝』が何を引き起こすと思う? 老衰で死ぬこともなく、種族さえ違う支配者が君臨し続けることが危険だとは思わないのか? ……私は思うよ。今は上手くいっているかもしれないが、いつの日か綻びが生じるはずだ。ローマが、フランスが、ロシアが、何よりイギリスの歴史がそれを証明しているのだから。そして、それを止められるのは今だけなんだ。今を逃せば、もう誰にも歯止めをかけられなくなってしまう。」

 

それは……そうか。フォーリーはレミリアさんがイギリスを離れることを知らないのだ。私たちが幻想郷へ、イギリス魔法界から遠く離れた場所へと旅立つことを。レミリアさんが政治の場を離れることを。

 

ならばフォーリーの言葉も理解出来る。レミリアさんはイギリス魔法界をほぼ手中に収め、ヨーロッパ各国への影響力を強め、そして今世界への繋がりも構築しつつあるのだ。短命な人間ならば問題ないだろう。どれだけの権力を握ろうと、墓に入ってしまえば何の意味もないのだから。

 

だが、レミリアさんは吸血鬼だ。五百年生きてまだ『少女』の吸血鬼。……うーん、気まずいな。リドルの件が解決したら居なくなるよって教えてあげるべきか?

 

思い悩む私を他所に、シャフィクに無言呪文で腕縛りをかけたスクリムジョールが口を開いた。フォーリーの話を聞いて何を思っているのやら、何にせよその顔はいつも通りの仏頂面だ。

 

「言っていることはある程度理解出来ますが、貴方の『不安』によってこちらの動きを邪魔されるのは困りますな、議長。……今は平時ではなく、戦争中なのです。余所見をしていられるような状況ではありません。」

 

「私がいくら邪魔したところで、ヴォルデモートの負けは変わらんよ。勝つのはスカーレット女史だ。君はそうは思わないのかね?」

 

「思いますが、それでも過程に違いは生じるでしょう? ウィゼンガモットがもう少し協力的であれば、犠牲者の数が僅かなりとも減ったとは考えませんか?」

 

「優先順位の違いだよ。『より大きな善のために』なるのであれば、小さな犠牲は許容すべきだ。……自分でも下劣なことを言っているのは理解している。裁きは地獄で受けるさ。」

 

またその言葉か。『より大きな善のために』。私はあまり好きな言葉じゃないぞ。そのまま生じた沈黙を引き裂くように、フォーリーがドアを指して声を上げる。

 

「では、そろそろお帰り願おうか。シャフィクの尋問に関しては評議会も全面的に協力しよう。必要な書類は纏めて執行部に提出しておく。……私が議長で居る間は、の話だが。」

 

「……承知しました。我々はこれで。」

 

言いながら杖を振って、放心状態のシャフィクを浮かせたスクリムジョールと共に部屋を出た。フォーリーの言う通り、ウィゼンガモットはそう遠くないうちに解体されるだろう。まさかレミリアさんがこの機を逃すとは思えない。

 

レミリアさん、リドル、グリンデルバルド、そしてフォーリー。……複雑だな。思想も主義も目指すものもそれぞれの『指導者』たちが、ヨーロッパを舞台に戦い合い、時に協力し合っているわけか。

 

理解出来なかったウィゼンガモットの動きも、今日のフォーリーの言葉を聞けば一分の理を感じた。そして、レミリアさんにも、グリンデルバルドにも理はあるように思える。……ならばリドルは? もし話してみれば、ひょっとして見方が変わったりするのだろうか?

 

不意に脳裏に浮かんだ考えを、小さく頭を振ってかき消す。……それは単なる願望だぞ、私。どんな理由があったところで、お前はきっとリドルを否定するはずだ。彼のやってきたことはそういうことなのだから。

 

うん、やっぱり政治は苦手だな。レミリアさんには相手の理を認めた上で踏み潰す強さがあるが、弱い私はきっと躊躇ってしまうはずだ。それを迷わず実行出来るということが、指導者の指導者たる所以なのだろう。

 

それでも、自分の立ち位置くらいはきちんと見定めないとな。松明が不規則な影を作る石造りの廊下を進みながら、アリス・マーガトロイドは小さく頷くのだった。

 



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秩序の砦

 

 

「……あら、直接会うのは久し振りね。」

 

突如燃え上がった青い炎と共に校長室の暖炉から出てきた男へと、パチュリー・ノーレッジは慌てることなく声を投げかけていた。当然ながら、ホグワーツに繋がる煙突ネットワークは引き続き封鎖中だ。恐らくダンブルドアが用意した緊急の移動方法を使って来たのだろう。

 

周囲を見回しながら暖炉から出てきた男は、セブルス・スネイプ。愛故にハリーを守り、愛故にポッターを憎む男。うーむ、観察対象としては非常に興味深いが、個人的に関わりたい人物ではないな。私はそういうドロドロした人間関係は苦手なのだ。

 

若干失礼なことを考えつつ揺り椅子で本を読む私へと、スネイプは手短な挨拶の後で報告を寄越してくる。未だ五体満足か。どうやら上手く立ち回っているらしい。

 

「お久し振りです、ノーレッジ女史。スカーレット女史に緊急の報告があるのですが、彼女の下に直接移動することは可能ですかな? ……出来れば、外部に知られない方法で。」

 

「可能よ。少し待ちなさい。」

 

残念、物語の続きはお預けだな。読みかけの本を置いて立ち上がり、暖炉に向かって複雑に杖を動かす。この時間ならばレミィはまだ魔法省だろう。あの建物の煙突ネットワークをすり抜けるのは難しいが、やってやれないことはないのだ。

 

「貴方が直接報告するってことは、よほど重大な用件なの?」

 

ついでに守護霊でレミィへと連絡を送りながら聞いてみると、スネイプはゆっくりと頷いてから返答を返してきた。ふむ、少し雰囲気が変わったな。最後に会った時はもうちょっと表情筋が動いていた気がするぞ。

 

「帝王が兵の配置を整えております。私も完全に把握出来ているわけではありませんが、近いうちに大きく動かすつもりなのでしょう。」

 

「ようやく決心が付いたってわけね。……標的は?」

 

「先ず、ロンドンで大規模な陽動を行うのは間違いないはずです。あの場所で騒ぎを起こせば、魔法省は否が応でも対応に出ざるを得ませんからな。……しかし、本命が何処なのかまでは探り切れませんでした。私どころか、組織の中の誰も知りますまい。今の帝王は猜疑心の塊です。もはやロジエールやベラトリックスですら信用していません。」

 

最古参の忠臣も、最も忠実と言われた『信者』ですらもか。……まあ、無理もあるまい。裏切り、離反、内通。急激に規模が大きくなりすぎた死喰い人の内部構造はボロボロのはずだ。イギリスに所縁のある者にはレミィが、大陸の残党たちにはグリンデルバルドがそれぞれ圧力をかけているのだから。

 

正直なところ、この状況で曲がりなりにも組織として機能しているという方が驚きなくらいだ。横の繋がりを利用するレミィとも、自らが一本の大黒柱になるグリンデルバルドとも違ったやり方だな。相互監視と脅し、見せしめの処刑、逃げ道の封鎖。リドルには恐怖政治の才能があるらしい。

 

ただまあ、やはり長持ちはしないはずだ。手早いが、短命。それが恐怖政治の常なのだから。呪文を完成させながら鼻を鳴らす私に、スネイプは平坦な声で説明の締めを放つ。

 

「帝王は未だポッターに拘っております。去年の夏に起こったことで、予言への関心を強めたようでして。……故に、ポッターの居るホグワーツを狙ってくる可能性も十二分にあるでしょう。お気を付けください。」

 

「はいはい、心に留めておくわ。……ほら、完成したわよ。炎の中に入れば勝手にレミィの執務室にたどり着くから。」

 

「感謝します。……では。」

 

短く別れを告げたスネイプは、そのまま紫の炎に巻かれて消えて行った。それを見送った後で、再び揺り椅子に座って本を手に取る。レミィとボーンズのお手並み拝見だな。ロンドンに陽動をかけてくるという意見には私も賛成なのだ。そこをどう鎮圧するのかが勝負の分かれ目になってくるだろう。

 

思考を回しながらも、『ドラゴンに挑んだ者たち』の文章を追っていると……頭上から咳払いの音と共に声が降ってきた。ええい、煩い肖像画たちだ。また文句か?

 

「ンンッ……ノーレッジ校長代理? 先程のセブルス・スネイプの警告をもっと真剣に受け止めた方がよろしいのでは? 読書をしている場合ではないと思いますが。」

 

「ブルータスの言う通りですな。今こそダンブルドアが貴女に期待している役目を果たすべきです。そして、それは読書ではないはずだ。」

 

「そうですね。外敵がホグワーツに迫ろうとしているのであれば、もっと防備を固めなければ。罪無き生徒たちの住むこの城に、闇の魔法使いの魔手が及ぶ前に。」

 

「……『防備を固める』のはもう終わってるの。心配しなくても大丈夫よ。」

 

真剣な表情で見つめてくるエデッサ・サンデンバーグの肖像に返事を返してから、手を振って部屋と肖像画たちを仕切るカーテンを閉める。全く以って礼儀のなってない連中だな。人が本を読んでいる時は静かにするもんだぞ。

 

……ふん、来ればいいさ、リドル。お前がそこまでの愚か者なのであれば、ホグワーツに攻撃を仕掛けてこい。仮面と黒いローブを身に着けて、巨人だの亡者だのを引き連れて、杖を振り翳して馬鹿騒ぎしながら進軍してくればいいのだ。

 

だが、対価は確かに払ってもらうからな。歴代校長がどうだったのかは知らないが、私の要求する通行料は安くはないぞ。私は教師ではなく、校長でもなく、単なる魔法使いですらなく、魔女。今のホグワーツ城は魔女の棲まう城なのだ。

 

何にせよ、今更慌てて準備をする必要などない。この一年間で私の用意できる手札は全て揃えてある。古い契約を掘り出し、錆びついていた魔術に油を差し、干渉する部分があれば調整してきた。ならば、後は然るべき時にそれを開いてやればいいだけだ。最も効果的なタイミングで、最も有効な順番で。

 

戦いの時が近付いていることを感じながらも、パチュリー・ノーレッジはいつもと同じように読書を進めるのだった。

 

 

─────

 

 

「……さて、どうするの?」

 

魔法省地下一階の隅にひっそりと佇む、小さいながらも格式高い小会議室。その部屋の中央に置かれた円卓に集まった面々に対して、レミリア・スカーレットは切っ掛けの言葉を放っていた。これだけの面子が揃うのは久し振りだな。私がリドルの立場なら、何を犠牲にしてでもこの部屋を吹っ飛ばすぞ。

 

魔法大臣、魔法法執行部部長、闇祓い局長、魔法警察部隊長、魔法事故惨事部部長、忘却術師本部長、マグル対策口実委員会委員長、魔法生物規制管理部部長、ゴブリン連絡室長、国際魔法協力部部長、魔法運輸部部長、魔法ビル管理部部長、そして私。今のこの部屋には魔法ゲーム・スポーツ部と神秘部、ウィゼンガモットを除いた、イギリス魔法界の重職たちが勢揃いしているわけだ。

 

理由は簡単。ルシウス・マルフォイが死の直前に遺した証言、スネイプや他の内通者からの報告、他国から齎された断片的な情報の数々。その全てを整えて精査した結果、リドルが大規模な戦いを仕掛けてくることがほぼ確定したからである。

 

向こうが挑んでくるならば、当然こちらも戦略を整えなければならない。結果として私たちはウィゼンガモットの解体すら脇に置いて、その件についての対策会議を開いているわけだが……おい、誰か何とか言えよ。黙ってても何も始まらんぞ。

 

私の言葉を受けた部屋の大多数の人間が周囲の出方を窺う中、意外にもマグル対策口実委員会の委員長が真っ先に口を開いた。省内ではあまり目立たない、マグルに対しての『隠蔽』に関わる部署だ。

 

「では、僭越ながら私からご報告を。先程資料を拝見したところ、ロンドンで『大規模な陽動』が起こる可能性が高いとのことでしたが……断定させていただきます。ロンドンの中心街で大きな騒ぎが起これば、マグルへの記憶修正は困難を極めるでしょう。より正確に言えば、従来の方法では『不可能』です。」

 

「それは、忘却術師が足りないということですか? 必要であれば他国から融通してもらう用意は出来ていますが。」

 

部屋の最も奥側に座るボーンズの問いかけを受けた委員長は、首を横に振りながら返事を返す。どう説明すれば良いのかと悩んでいるような表情だ。

 

「そういった話ではなく、もっと根本の部分で不可能なのです。今のマグル界では情報がすぐさま広まっていきます。イギリスやヨーロッパだけに留まらず、全世界に向けて。故に記憶修正までの速度も重視しなければならないのですが……皆様は、インターネットという単語をご存知ありませんか?」

 

いんたーねっと? 何だそりゃ? 自分の質問に会議室の全員がキョトンとするのを見て、委員長は弱り切ったように説明の続きを語り始めた。

 

「まあ、ご存知ないでしょうね。マグル界ですら広まり始めたばかりの技術ですから。……では、もっと分かり易く説明しましょう。二十年代にゲラート・グリンデルバルドが起こしたアメリカ合衆国での事件はご存知ですか? ニューヨークのど真ん中でオブスキュラスが暴れ回ったというあの有名な事件。記録によれば、その時も人口密集地だった所為で通常の方法では記憶修正が間に合わず、何かしらの特殊な方法を使ってニューヨーク中のマグルの記憶を修正したそうですが……もし今のロンドンで騒ぎが起これば、それとは比較にならないほどの難しさになるはずです。」

 

「つまり、いくら忘却術師を増員しようが、従来の忘却術を使った記憶修正では間に合わないと?」

 

「その通りです、大臣。本来ならばロンドンで騒ぎを起こさせる前に決着を、と言いたいところですが、それが無理な願いであることは重々承知しております。であれば、何らかの大規模な記憶修正の方法を事前に考えておく必要があるでしょう。素早く、そして広範囲を修正出来るような方法を。でなければイギリスだけでなく、他国にまで魔法界の情報が広まってしまいます。」

 

「……分かりました。その件は大規模修正の経験が豊富なマクーザの知恵を借りるべきでしょうね。」

 

うーん? 私には委員長の危惧するところがよく分からんが、その表情を見るに深刻な事態なのは確かなようだ。専門家がそう言うならきちんと対応した方がいいだろう。ボーンズの言葉に全員が曖昧に頷いたところで、今度は国際魔法協力部の部長が声を上げる。

 

「では、会議が終わり次第こちらから話を伝えておきましょう。それと、各国魔法省からの援軍は順次入国しております。細かな指揮系統に関しては闇祓い局の方にお任せしておりますが……順調ですか? ムーディ局長。」

 

「問題ない。各々の得意分野や技量、戦い方を考慮した編成をほぼ構築し終わっておる。動けと言われれば今すぐにでも動けるぞ。」

 

「素晴らしい。後はソヴィエト魔法議会に関してですが、どうもドイツやルーマニアの純血派に圧力をかけてくれているようでして。先日の海上援護の件もありますし、少なくとも例のあの人に協力するような事態にはならないかと。」

 

厳密に言えば、ソヴィエトがやっているのは『粛清』だけどな。東欧諸国ではグリンデルバルドの名を騙ったツケが今まさに訪れているらしい。過激な信者がいるところだと、仮面付きの首が吊るされたり串刺しにされているとか。胸元には当然『裏切り者』と書かれた札を掛けてだ。懐かしいやり方ではないか。

 

恐らくだが、リドルが行動に踏み切った原因の一つはこれなのだろう。敵陣営の内部では恐怖と猜疑が蔓延しているに違いない。故郷では裏切り者だとグリンデルバルドの信者たちから命を狙われ、死喰い人の内部は恐怖政治の真っ只中、おまけにイギリスでは執拗な弾圧と監視。悪夢だな。軽い気持ちで参入した若者たちはひどく後悔しているはずだ。

 

まあ、別に同情はしてやらないが。私がやけに物騒な『援護』についてを考えていると、今度は羊皮紙を捲りながらのスクリムジョールが声を放った。いかんな、会議に集中しなければ。

 

「準備の件も重要ですが、そもそも何処が狙われるのかも話し合った方が良いのでは? マグルの政治機関、魔法省、ダイアゴン横丁、ホグワーツ、聖マンゴ魔法病院、あるいは地方都市。候補はそれこそ無数にあります。無論、複数の場所が標的だという可能性もありますな。」

 

「その件に関してなのですが、私は襲撃先の一つは郊外である可能性が高いと考えます。……思うに、この監視体制の中で巨人を都市部に輸送するのは困難でしょう? 姿あらわしもポートキーも不可能ですし、まさか煙突飛行を使うわけにもいかない。わざわざ犠牲を払って国内に入れた以上、都市部以外の場所で利用してくるはずです。」

 

うーむ、確かに巨人の使い所は制限されるはずだ。あんなデカブツが大量にお散歩していれば、都市部に近付く前にマグルどもが大騒ぎするだろう。それはそれで迷惑かもしれんが、効果的な使い方とは言えまい。

 

魔法生物規制管理部の部長が言うのに、運輸部の部長が深く頷く。魔法的な『輸送』の専門家からしても同意見だったらしい。……いやまあ、巨人の輸送なんて経験があるのかは謎だが。

 

「となれば十五年前のように、ホグワーツに巨人を当ててくるのではありませんか? あそこは人里から遠く離れていますし、巨人たちが隠れて近付くのも容易いでしょう。人員の配置を考えた方がよろしいのでは?」

 

「不要よ。今のホグワーツは全ての状況に対応出来るわ。」

 

「しかし、現状では誰一人として配置していないのでしょう? あの学校の教員が優秀なのは重々承知しております。それでも、さすがに無防備すぎるように思えるのですが……。」

 

「心配しなくとも、あの学校には既に私の知り合いを配置しているわ。それで十分過ぎるほどなの。ホグワーツにこれ以上の人員を回すのは戦力の無駄遣いよ。……それとも、私の言葉じゃ保証にならないかしら?」

 

薄い微笑みで問いかけてやると、運輸部の部長はブンブンと首を振りながら引き下がった。……正確に言えば、二人だ。リーゼとパチュリー。ここに戦力を追加するなど愚行にも程があるぞ。こちらの『人的資源』は有限なのだから。

 

「それより、魔法省はどうなの?」

 

一つ頷いてから矛先を魔法ビル管理部の部長に変えてみると、彼は慌てて書類を捲りながら答えを返してくる。主に魔法界に関わる公的施設を管理する部署なのだが……役職としてはこの部屋でも最下層なのだ。緊張しているのだろう。

 

「はい、マニュアル通りの防備を固めております。職員の避難訓練や、緊急時の対応に関しての理解も徹底しておりますので、有事には即応可能な状態を維持出来ているかと。」

 

うむうむ。今の魔法省には盾の魔法も使えず逃げ惑うような間抜けは居ないし、危機管理も徹底されているはずだ。改善されたマニュアル通りで問題あるまい。魔法ビル管理部の部長に首肯を返してから、今度はゴブリン連絡室の室長に向かって質問を飛ばす。

 

「結構よ。それじゃあ、グリンゴッツの一件は?」

 

「恙無く進んでおります。小鬼の方々にとっても、ダイアゴン横丁は重要な活動拠点の一つですから。有事にはグリンゴッツを避難所として、住人を保護することに関しての承諾は得られました。ダイアゴン横丁の組合も避難ルートの周知に協力してくれています。」

 

ま、順当な結果だな。小鬼とて他人事ではいられまい。イギリス魔法界が物騒になれば、当然ながら経済も停滞する。そして経済が停滞すれば、それはそのままヨーロッパ魔法界の金融を牛耳る小鬼の打撃となるのだ。

 

それに、小鬼からしてもリドルは仲良くしたい存在ではないらしい。二十年以上も前の小鬼一家惨殺事件を彼らは未だに根に持っているそうだ。あの堅物どもが自分たちの『聖なる銀行』にダイアゴン横丁の住人を避難させることを許したのは、そういった経緯も影響しているのだろう。

 

今思えば、あれはリドルの最も大きな失敗の一つだったな。もし小鬼どもが敵に回っていれば、今回の戦争はもっと大規模に、もっと泥沼の展開になっていたはずだ。私もかなりの苦戦を強いられただろう。……まあ、今更考えても詮無い事だが。

 

私が室長に了解の頷きを返したのを見て、今度はボーンズが声を放った。その身をテーブルに乗り出して、ひどく真剣な表情を浮かべながらだ。

 

「重要なのは、どんな小さな情報でも見逃さないことです。これまでの死喰い人の戦い方からして、こちらが先手を取るのは不可能でしょう。私たちが広いイギリスを守っている以上、後手に回らざるを得ません。……故に、迅速な連携と対応こそが被害を最小限に留める鍵となります。」

 

そこで一度言葉を止めたボーンズは、テーブルに並ぶ顔触れを見回しながら続きを話す。気を抜いている者など一人も居らず、どいつもこいつも神妙な表情だ。

 

「いいですか? 役職や部署のプライドなど捨てなさい。どんな些細な情報でも共有なさい。長年の確執も無視しなさい。この部屋に居る全員が協力し合うのです。……未だ一年に満たぬ任期ですが、私はそれが出来る人間を揃えられたと自負しています。巨大な闇に対抗出来るだけの魔法使いを集められたと確信しています。……この国は一度ヴォルデモートに荒らされました。しかし、二度目はありません。今回は乗り切りますよ。イギリス魔法界のために。」

 

そこで杖を眼前に構えたボーンズに倣うように、部屋の全員が……腕を組んだままの私以外の全員が杖を上げて唱和した。『イギリス魔法界のために』と。

 

まあ、ボーンズの言う通りだろう。万全ではないが、最善は尽くしたはずだ。今のこの部屋に無能など一人も居ないことがそれを物語っている。全然役に立たなかった十五年前とはえらい違いではないか。

 

とにかく、大枠は整った。後は中を……細やかな作戦を整えるだけだ。魔法省、ロンドン、ホグワーツ。この三箇所はかなりの確率で戦場になるだろう。特にロンドンについては手早く協議して作戦を固めなければ。

 

何にせよ、派手にいこうじゃないか。迫る戦いの気配を感じながらも、レミリア・スカーレットは静かに微笑むのだった。

 



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選択と代償

 

 

「本当に……その、すまなかった。申し訳ない!」

 

目の前に立つマルフォイに向かって深々と頭を下げながら、霧雨魔理沙は謝罪の言葉を口にしていた。正直なところ、何と言ったらいいのかすら分からないが……とにかく謝るべきだろう。私の提案が契機になったのは間違いないのだから。

 

五月の初週を迎えたホグワーツの校庭には、遠く離れた競技場から微かな歓声と実況の声が響いてきている。今まさにアンジェリーナたちにとっては最後の試合となる、ハッフルパフとの今期最終戦が行われているのだ。やけに他人事に聞こえてしまう歓声を聞く限りでは、どうやらグリフィンドールが僅差でリードしているらしい。

 

そんな中、マルフォイを呼び出した私は彼に謝罪をしているのである。……つまり、彼の父親についての謝罪を。昨日の夜、リーゼとハリーが話しているのを聞いてしまったのだ。ヴォルデモートを裏切って魔法省に協力しようとしていた、彼の父親であるルシウス・マルフォイが殺された、と。

 

信じられない報せだった。私の行動が切っ掛けとなって、一人の人間が死んだ。……どうしようもない大間抜けの私が独善的な考えを振りかざした所為で、目の前の少年は父親を喪ったのだ。

 

真っ青な顔で頭を下げる私に対して、マルフォイは少しだけ沈黙した後……疲れたようなため息を吐きながら返事を寄越してきた。

 

「やはりそのことか。シャフィクといい、お前といい……よく聞け、キリサメ。これはお前の所為じゃない。僕と、父上と、母上が選んだことなんだ。」

 

「でも、私が防衛術クラブであんなことを言ったから──」

 

「思い上がるな。お前の言葉などに大した意味はなかった。父上も、母上も、全てを承知した上で闇の帝王を裏切ったんだ。……だから、父上の死はその覚悟に気付けなかった僕の責任だ。これを誰かに譲ることなど出来ない。これは息子たる僕が、マルフォイ家の当主たる僕が背負うべきものなんだ。」

 

顔を上げた私の視界には、信じられないほどに冷静なマルフォイの顔が映っている。憎しみも、悲しみも、後悔も。感情の一切浮かんでいない、完璧な無表情だ。

 

「……なんで怒らないんだよ、マルフォイ。怒れよ。殴ってくれたっていい。私が余計なことを言ったから、こんなことになっちまったんだぞ。」

 

「しつこいぞ、キリサメ。僕は本当にお前に怒ってはいない。憎んでもいない。……これは僕が引き起こした事態なんだ。無知で、自分が守られていることすら分かっていなかった僕がな。」

 

平坦な声でそう言ったマルフォイは、ほんの僅かだけ顔を歪ませると……そのまま少し俯いて語り始めた。

 

「母上がホグワーツに知らせを持って来た時、父上の遺書を渡された。ほんのひと月前に書かれた遺書を。そこには自分が出来るだけ多くの負債を道連れに死ぬから、お前は新しいマルフォイ家の礎を築けと書かれていたんだ。……父上は、先代は僕のために死んだんだよ。だから僕は、父上の死の責任をお前如きにくれてやるつもりはない。父が、ルシウス・マルフォイが遺したものは余すことなく僕が引き継ぐ。家名も、伝統も、憎しみも、負債も。全ては僕が背負うべきものなんだ。」

 

なんだよ、それは。ひどく成長してしまったような目の前の青年に、私が何を言ったらいいのかと迷っていると、マルフォイはゆっくりと競技場の方に視線を向けながら口を開く。

 

「……気にするなとは言わない。お前は僕がどう言っても責任を感じるだろうからな。だが、一つだけ覚えておけ。もし父上が帝王に付き従ったままだったら、もっと酷い結末になっていたはずだ。……少なくとも、マルフォイ家の命脈は途絶えていただろう。分かるか? キリサメ。これしかなかったんだ。この道が一番『マシ』な道だったんだよ。」

 

「……だけど、そんなのってないぜ。」

 

「とにかく、僕はお前を責めるつもりはないし、この前伝えた感謝を撤回するつもりもない。僕から言えるのはそれだけだ。」

 

視線を合わせないままでそう言うと、マルフォイは身を翻して城の方へと歩き始める。……くそ、何を言えばいいんだ? 伝えたいことは沢山あるのに、全然考えが纏まらない。

 

「これから……その、どうするんだよ!」

 

「決まっているだろう? 僕は次代のマルフォイ家の礎となるんだ。二枚舌と言われようが、裏切り者と罵られようが、スカーレットやボーンズに媚び諂って地位を保つことでな。……今の僕は家を預かる当主なんだ。これまでのように学生では居られない。」

 

私の絞り出した問いとも思えぬ問いに、去り行く背中越しに答えてくれたマルフォイは、そのままゆっくりと城の方へと遠ざかって行った。……分からない。私はどうすれば良かったんだろうか?

 

大きなため息を吐いた後、芝生の上へと座り込む。本当に、本当に情けなくなってくるな。良いことをしたと思っていた頃の私を全力でぶん殴ってやりたい気分だ。何も知らない癖に、どうしてお前は出しゃばったりしたんだよ、霧雨魔理沙。

 

悔しい気分で俯いていると、いきなり視点が変わって澄んだ青空が見えてきた。視界の端には見慣れた銀色が、頭の後ろには柔らかな体温が感じられる。……世話焼きめ。

 

「……よう、咲夜。ビックリするからやめろよな。大体、試合を観に行ったんじゃなかったのか?」

 

時間を止めて勝手に膝枕の体勢へと持っていったのだろう。ぶすっとした顔で頭上の親友へと話しかけてみると、咲夜は困ったような苦笑を浮かべながら返事を返してきた。

 

「朝のあんな顔を見せられたら放っておけるわけないでしょうが。先輩たちも心配してたのよ? ……それで、マルフォイと何の話をしてたの?」

 

「想像付くだろ? お前なら。」

 

「……まあ、ぼんやりとはね。」

 

穏やかな口調で言った咲夜は、私の髪をくるくると指に巻き付けながら問いを放ってくる。子供をあやす時のような、やけに柔らかい声色だ。

 

「失敗しちゃったの?」

 

「ああ、失敗だ。最低で、最悪の、大失敗さ。今の私はイギリス一のクソ女だぜ。叶うならこのまま消えちまいたいくらいだ。」

 

「なら、反省しなさい。そして思いっきり後悔してから、その後きちんと償いなさい。私が全部付き合ってあげるから。……ほら、こんな場所でうじうじしてるよりかはマシでしょう?」

 

「……そうだな。」

 

その通りだ。私が落ち込んでどうする。本当に落ち込みたいのはマルフォイのはずだぞ。こんな校庭の隅っこで悩んでるヒマがあるなら、何か出来ることを考えなくては。

 

気合いを入れ直しながら立ち上がろうとすると……何だよ。咲夜が私の肩を押さえて元の位置に戻してしまった。

 

「おい、咲夜?」

 

「でも、もう少しだけこのままで居なさい。そうね、競技場の試合が終わるまで。……そしたらいつも通りの魔理沙に戻るの。いい?」

 

「……ん、わかった。」

 

敵わんな。どうやら咲夜は私よりも私のことをよく分かっているらしい。……うん、試合が終わるまで。それまでの間だけうじうじと悩んでいよう。そしてそれが終わったのなら、きちんと立ち上がって動き出すのだ。

 

競技場から優勝が決まった歓声が響いてくるまでの間、霧雨魔理沙は悔しい気持ちで目を瞑るのだった。

 

 

─────

 

 

「リーゼ、どうだった? 呪文学は何問間違えてた? 私、問い十三の記述問題を間違えたような気がするのよね。だってほら、最初に縮小呪文を使ってから消失呪文を使うべきでしょう? その方が効率的だし、何より──」

 

私の採点している模擬テストを覗き込みながら言うハーマイオニーに、アンネリーゼ・バートリは空返事を返していた。もう自己採点でいいんじゃないか? 量も量だし、三人分となるとさすがに面倒くさいぞ。

 

「いいから、もう少し待っててくれ。あとちょっとで終わるから。」

 

「そういえば、問い十六も心配なのよ。教科書に載ってないやり方を書いちゃったの。これってダメなのかしら? 論述じゃなく記述ってことは、教科書通りに書くべきよね? でも、フリットウィック先生は授業中に問題ないっておっしゃってたし……でもでも、それを試験で使っていいとも言ってなかったから──」

 

ダメだ、聞こえちゃいないな。五月の末、図書館の一角を確保した五年生三人組の試験勉強に付き合っているのだ。やきもきした表情のハーマイオニーは当然として、向かいの席に座るハリーとロンも真剣な表情で採点が終わるのを待っている。進路指導以降、この二人はフクロウ試験の重要度を一段階上げたらしい。

 

試験自体は六月の二週目から。つまり、もう殆ど日がないわけだ。結果として今の図書館は地獄もかくやとばかりのうめき声に溢れているのだが……いつもは小煩いピンスがそれを注意しないのは同情なのか、はたまた諦めなのか。興味深いところだな。

 

どうでも良いことを考えている間に採点が終わった答案用紙を、不安そうな表情の三人それぞれに返す。結構ヤバいんじゃないか? これは。

 

「ほら、全部終わったよ。……ハーマイオニーは問題ないとして、二人はちょっと危ないかもね。魔法史と薬草学、それに魔法薬学は目標点ギリギリだぞ。」

 

「……まあ、分かってたよ。魔法薬学はこれでもかなり改善してるんだ。筆記はともかく、実技は何とかなるはず。」

 

「その三つはやっぱり厳しいか。もう魔法史はカンでどうにかして、薬草学と魔法薬学に集中した方が良いのかもな。進路に関わってるのはそっちだし。」

 

そういうわけにもいかんだろうに。ハリーに続いて情けない表情で呟いたロンは、クィディッチの勝利の喜びなど見る影も無くなっている。ジョンソンなんかは未だに『ニマニマ』が持続しているのだが、ロンにとっては迫るフクロウ試験でそれどころではないようだ。

 

答案用紙を見ながら顔を曇らせる二人に小さなため息を吐いたところで、私の隣の『ミス・勉強』が猛然とした勢いで間違い箇所をチェックし始めた。うーむ、二人とは違った意味でちょっと不安だな。鬼気迫ってるぞ。

 

「おいおい、ハーマイオニー? キミはどの教科も余裕で『安全圏』なんだぞ。そんなに焦らなくてもいいだろう?」

 

「でも、今回の模擬テストは基本教科の筆記だけよ。実技もあれば、ルーン文字も、飼育学も、数占いもあるし、それに本番では別の問題が出てくるはずだわ。油断大敵!」

 

「頼むからその言葉を使うのはやめてくれ。聞くと頭が痛くなってくるんだ。」

 

イカれ始めたハーマイオニーにやれやれと首を振ってから、手を組んで大きく伸びをする。まあ、ハリーもロンも闇祓いを目標としているからギリギリなのであって、別段点数が低いというわけではない。現時点でも平均よりは間違いなく上だろう。

 

日常的に行なっている訓練の甲斐もあり、防衛術は三人ともトップクラス。呪文学と変身術も問題ないし、やる気を持って望んでいる飼育学あたりも大丈夫なはずだ。苦手教科の穴を埋めさえすれば、ある程度のラインまでは持っていけるだろう。

 

ちなみに、ハリーとロンは二人とも占い学を『切り捨てた』そうだ。……うん、正しい選択だと言えるな。進路に掠りもしない学問に関わっている余裕などもはや無いのだから。他にも同様の選択をしている生徒が多いのを見るに、上級生に占い学を受講している生徒が少なかったのにはこういうカラクリがあったらしい。

 

六年生になれば一気に人数が減るであろう授業について考えていると、答案用紙を睨んでいたハリーが顔を上げて質問を放ってきた。

 

「そういえばさ、僕たちは呑気に試験勉強なんかしてるけど……その、大丈夫なの? 色々と。」

 

漠然としたハリーの問いかけを聞いて、ハーマイオニーとロンも私に目線を送ってくる。無理もあるまい。今朝の予言者新聞に魔法省からの『お知らせ』が引っ付いていたのだ。細々とした避難先や注意喚起などが長ったらしく書かれた、魔法大臣名義の公文書が。

 

明言こそされていなかったが、あれを読めばイギリス魔法界の誰もが気付くだろう。何か巨大な、『良くない事』が迫っていることに。心配そうな三つの視線に対して、肩を竦めて答えを返す。

 

「大丈夫じゃないが、かといって何か出来るわけでもないさ。心構えだけしておいて、とりあえずは試験に集中したまえ。」

 

我ながら矛盾した言葉だとは思うが、これが今言える真実なのだ。戦いが迫っていることはレミリアから聞いているものの、いつ来るか分からんそれに気を張り続けていては疲弊するだけ。ならば悠々と構えておくべきだろう。

 

とはいえ、不慣れな三人はまだそこまで割り切れないようで、尚も不安そうな表情のままで曖昧な首肯を寄越してきた。うーん、迷惑な話だな。せめて試験が終わってからおっ始めて欲しかったぞ。

 

どこまでも余計なことしかしないトカゲ男に鼻を鳴らしてから、三人に向かって追加の説得を送る。

 

「ほら、見えない不安に惑わされてたら相手の思うツボだぞ。魔法省も、ホグワーツも、私たちも。なにも無策のまま受け入れようってわけじゃないんだ。そう易々とヴォルデモートの思い通りにはならないさ。」

 

「それは……そうかもしれないけど。」

 

「小難しい話は私たちに任せて、キミたちは自分の将来に集中したまえ。フクロウ試験は一度きりなんだ。こんな下らんことで棒に振ったら絶対に後悔するぞ。」

 

あえて強めに断言してやると、ようやく三人は目の前の答案用紙へと集中し始めた。……まあ、多少は本音が入っていたのも事実だ。リドルの問題は後数年で方が付きそうだが、三人の人生はずっと続いていくのだから。

 

これまでうんざりするほど迷惑をかけられたんだ、せめて大事な試験くらいは集中して受けさせてやるべきだろう。十五年間も付き合わされた挙句、この上将来までもを犠牲する必要などあるまい。割りに合わんぞ、そんなもん。

 

だから、ここは私たちが頑張るべきだ。レミリアがロンドン、アリスが魔法省、私とパチュリーがホグワーツ。身内の基本的な配置はこうなっているのだが……うーむ、アリスが若干心配だな。ホグワーツがやや過剰な気もするし、場合によっては私が大きく動くことになるかもしれない。

 

まあ、大丈夫か。いざという時のために、美鈴を隠し球として紅魔館に残しておいてある。もし戦力のバランスが崩れれば、レミリアが判断して動かしてくれるはずだ。さすがに伏せ札の使い時だろうし。

 

……しかし、未発見の分霊箱を一つ残した状態で大規模な戦いを迎えるというのはよろしくないな。それに、ハリーの分霊箱に関しても解決していない。勝敗に関わらず、リドルは間違いなく生き延びることになるのだ。

 

まあいいさ。戦力を失えば取り得る手段も限定されてくるだろう。巨大な軍勢に振り回されるか、小さなネズミを追い回すかの違いになるだけだ。多少面倒ではあるが、危険そのものはずっと少なくなる。

 

それに、この騒動が終われば小さな間隙が生まれるはずだ。その時に例の『話し合い』を実現させられるかもしれない。色々と立て込んでいる所為でレミリアからの反応が鈍いし、パチュリーなんかはそもそも乗り気じゃなかったが……ま、何とかしてみせるさ。これでも吸血鬼。他人を唆すのは得意なのだ。

 

私が脳内で今後の展開について整理していると、教科書と答案を見比べていたロンが何かを思い付いたように口を開いた。

 

「……でもさ、戦いが起きたらフクロウ試験も延期になったりするよな? いや、中止とかも有り得るぞ。そしたら勉強も──」

 

「幾ら何でも不謹慎よ、ロン。まさかとは思うけど、そんな事態が起きて欲しいって思ってるわけ?」

 

ジト目のハーマイオニーに割り込まれて、ロンは慌てて首を横に振り始める。かなり焦った表情なのを見るに、よく考える前に口に出してしまったらしい。

 

「違うよ! もちろん違う! ……うん、そんなことになるべきじゃないよな。単に可能性の話をしただけさ。」

 

「……昨日の夜、近代魔法史の復習をしてて気付いたんだけど、今回と前回の戦争じゃ死者の数が段違いなのよ。だから、レミリアさんを信頼する人たちの気持ちが少し分かったわ。これだけ犠牲を抑えられてるのはあの方が居るからでしょう?」

 

んー、そう言われればそうかもしれないな。今回は期間だって短いから単純な比較は出来ないが、起こっている事件の規模に対して死者が少ないってのは確かにありそうだ。あいつの『信者』に前回の戦争の経験者が多いのは、そういった側面も影響しているのかもしれない。

 

己の分析を口にしたハーマイオニーは、次に少し暗い表情になって話を続ける。

 

「でも、正面切っての戦いになったらさすがに犠牲者は出るはずよ。……だから、本当は起こるべきじゃないの、そんなこと。」

 

「そうだな、その通りだ。軽率だったよ。……パパたちは大丈夫なのかな? 魔法省が戦場になる可能性ってどのくらいなんだ?」

 

ハーマイオニーの予想を聞いて徐々に不安になってきたのだろう。心配顔のロンの問いに、腕を組みながら返答を返した。

 

「大きくはないが、少なくもないかな。帝王閣下の行動は今も昔も意味不明だからね。……アーサーたちからの手紙には何も書かれてなかったのかい? この前送ってたじゃないか。」

 

「パパからも、ビルからも、チャーリーからも、『心配するな』って返事が書いてあっただけさ。無茶苦茶だよ。心配しないはずなんてないのに。」

 

「シリウスからの手紙も同じだったよ。……やたら張り切ってるみたいだし、大丈夫だといいんだけど。」

 

参ったな。ハリーにもロンの『心配』が伝染してしまったようだ。暗い表情で呟く二人へと、あえて明るい声で言葉を放つ。

 

「当時を知らないキミたちは実感が薄いかもしれないが、アーサーもブラックも前回の戦争ではもっと不利な状況で戦い抜いてきたんだ。そんじょそこらの闇祓いなんかより、彼らの方がよっぽど実戦経験があるくらいさ。だから、そう易々とやられたりはしないと思うよ。」

 

「そう、だよね?」

 

「そうさ。無事を祈るのは結構だが、もう少し彼らを信じてやりたまえ。元騎士団員ってのは伊達や酔狂で名乗れる称号じゃないんだぞ。」

 

実際のところ、あの組織に属していた魔法使いに未熟者など一人も……いやまあ、一人を除いて誰も居ないはずだ。易々とやられたりはしないって部分は本音だぞ。未だ不安そうなハリーたちに言ってやると、彼らは少しだけ明るい表情になって頷いてきた。

 

「ママもそんな感じのことを手紙に書いてたよ。フレッドやジョージも心配するより信じてやれって言ってたしな。」

 

「うん、きっと大丈夫だよね。……きっと。」

 

自分に言い聞かせるように呟いたハリーを横目に、木組みの椅子に凭れ掛かって考える。配置こそ様々だが、彼らの身内が戦闘に参加するのは間違いあるまい。……上手くやってくれよ、レミリア。私は葬式でハリーたちを慰めるのなど御免だからな。

 

どこか集中しきれない様子で模擬テストの結果に向かう三人を見ながら、アンネリーゼ・バートリは動き始めた盤面を脳裏に浮かべるのだった。

 



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開戦

 

 

「ふぅん?」

 

ホグワーツ城で最も高い天文塔の先端に立つアンネリーゼ・バートリは、遥か遠くで蠢く群体を見て薄く微笑んでいた。遠すぎて判別は難しいが、恐らく吸魂鬼の群れだろう。まるで雨雲が近付いてきてるみたいだな。……まあ、どちらにせよ不愉快なのは変わらんか。

 

六月一日の午前零時。最近は日課になっていた見張りがてらの月見酒を楽しんでいたところ、南東の空から近付いてくる大量の黒い影が見えてきたのだ。どうやらリドルは長年に渡る因縁の決着を付けるのに、今日という日を選んだらしい。

 

いいさ、始めようじゃないか。パチュリーも、教師たちも、そして私も。ホグワーツに居る全員がもはや準備を終えているのだ。今更臆する者など一人も居まい。

 

しかし、満月の戦いか。私としては新月の方が好みだが……うん、これもこれで悪くはないな。何せ今日の月は名月と呼ぶに相応しい美しさなのだから。込み上げてきた含み笑いをそのままに、飲んでいたワインを投げ捨てて尖塔の縁から飛び降りる。重力に従って三階まで落ちた後、翼をはためかせて窓から廊下に入った。当然、校長室の目の前にだ。

 

「ベーオウルフ。」

 

ガーゴイル像に新しくなったばかりの合言葉を告げ、現れた螺旋階段を下りて校長室に入ってみれば……おや、行動が早いな。本が一切無くなっているがらんとした室内が目に入ってくる。こんな所まで敵が入れるはずなどないだろうに、わざわざ大切な本たちを『避難』させたようだ。

 

「一応報告に来たんだが、この様子だととっくに気付いてたみたいだね。」

 

「当たり前でしょ。もうホグズミードには避難勧告を出したわ。……それと、予想通りロンドンの方にも仕掛けてきたみたいよ。」

 

「ま、想定の範囲内さ。そっちは魔法省の頑張りに期待しようじゃないか。」

 

魔法省とて無策ではないのだ。如何に守るものが多いロンドンといえども、易々と好き勝手にさせたりはすまい。杖なし魔法で読んでいた本を消し去ったパチュリーに肩を竦めてやると、彼女はゆったりと揺り椅子から立ち上がった。

 

「さて……それじゃ、行きましょうか。寮監たちにはもう知らせてあるから、生徒を大広間に集めてくれてるはずよ。」

 

「生徒たちはそこで待機ってことかい?」

 

ふむ? 確かに一箇所に纏めたほうが守り易そうだが、大広間だと玄関に近過ぎないか? 二人で校長室のドアを抜けながら聞いてみると、パチュリーは小さく首を振って答えを返してくる。

 

「説明だけした後、寮に帰すわ。成人済みの生徒は自由意志で防衛に参加させるつもりだけどね。」

 

「……いいのかい? 成人してようがなんだろうが、ダンブルドアは生徒を巻き込むのを嫌がると思うぞ。」

 

「当然、城からは一歩も出させないわよ。それなら大丈夫でしょ。そもそも城内に敵を踏み入らせるつもりはないし。」

 

「なるほどね。それならまあ、平気かな。」

 

よく考えたら上手い妥協点なのかもしれない。ホグワーツに敵が迫っているとなれば、我こそはという血気盛んな生徒が必ず出てくるだろう。特にグリフィンドールあたりからは。そういった声を力尽くで封じるよりかは、きちんとルールを定めて参加させた方が混乱も少なそうだ。

 

パチュリーがそんなガキの心理を理解出来るはずもないし、偶々なのだろうか? 首を傾げながら三階の廊下を進んでいると、隣を歩く校長代理どのがぼんやりとした表情で言葉を放ってきた。……アリスが人形の視界に集中している時と同じ顔だな。何を通して、何を見ているのやら。

 

「南側から巨人の軍勢と少数の狼人間、それにそこそこの数の死喰い人。それと、南東からは森を突っ切って来る亡者の群れと吸魂鬼。……あら? リドルは居ないみたいね。こっちが本命じゃないのかしら?」

 

「戦力だけ見れば大盤振る舞いだが、肝心のリドルが居ないってのは意外だね。ロンドンが本命ってのはないとして、ホグワーツでもないとは……つまり、魔法省か?」

 

「この段階で魔法省を叩くメリットも少ないと思うけどね。レミィたちだって空き家にはしてないみたいだし。」

 

確かにそうだ。……いやまあ、メリット自体は確かに存在しているのだが、予想される犠牲に釣り合うものだとは思えない。相変わらず何を考えているのかよく分からんヤツだな。

 

意味不明な行動を好むトカゲ男に鼻を鳴らしてから、一階目指して中央階段を下りつつ提案を口にする。最近考えていた提案を。

 

「そういえば、この際ハリーにも実戦を経験させてみようと思ってるんだ。私が付いておけば万が一も無いだろうし、そろそろ戦場の空気を知るべきだろう? 良い感じの場所を見繕ってくれたまえよ。」

 

「貴女ね、過保護にも程があるわよ。偉大なる夜の支配者どのが居る時点で安全は保証されてるようなもんなんだから、何処に行こうが大して問題ないでしょう?」

 

「一応さ、一応。適度に死喰い人が居て、身を隠せる障害物がある感じの場所を頼むよ。細かい数なんかは私が『調節』するから。」

 

問題はハーマイオニーやロンが付いて来そうだってとこだな。……ま、三人くらいなら平気か。技量もそこそこだし、度胸もある。私がしっかりフォローすれば何とかなるだろう。夜の中庭を横目に一つ頷いていると、パチュリーが呆れたような口調で了解の返事を寄越してきた。

 

「はいはい、やればいいんでしょ、やれば。……そうね、それなら私は霧雨の個人授業を仕上げようかしら。あの子も『的』があったほうがやる気が出るでしょうし。」

 

「おいおい、魔理沙はあんまり人殺しを喜ぶタイプじゃないと思うぞ。それが死喰い人だとしてもだ。」

 

「さすがに相手は亡者とかにするわよ。それなら問題ないでしょ。もう死んでるわけなんだから、一度も二度も変わらないわ。」

 

「その認識もどうかと思うけどね。」

 

まあ、死神どもからは感謝されるかもな。あの連中にとっては亡者なんぞ許しておける存在ではあるまい。今から大量に始末しておけば、死んだ後に感謝状でも渡されるんじゃないか? もしかしたらポンコツ裁定者どもが『白』を言い渡してくれるかもしれんぞ。

 

どうでも良いことを考えながら大広間に通じる扉の前にたどり着くと、既に集まっている全校生徒たちの姿が見えてきた。いつものように各テーブルに分かれているが、寝巻きに何かを羽織った姿が多いことが非日常を感じさせるな。

 

それに、静かだ。常ならばコソコソ話や微かな笑い声が響いているのに、今は誰もが不安そうな表情で押し黙っている。最後に入ってきた私たちに大広間中の視線が集まる中、パチュリーは教員席へ、私はグリフィンドールのテーブルへと近付いて行く。

 

グリフィンドール生たちの物問いたげな視線を黙殺して、いつもの五人組の下へと歩み寄ると……真っ先にハリーが私に向かって質問を投げかけてきた。当然のことだが、何が起こっているのか気になって仕方がないという表情を浮かべている。

 

「リーゼ、何があったの? まさかヴォル──」

 

「落ち着きたまえ、ハリー。我らが校長代理閣下からの説明があるから、話はその後だ。」

 

んー……これは、彼らも一度寮に戻す必要がありそうだな。ちょっと髪の毛の乱れているハーマイオニーはパーカーにジーンズで、魔理沙は慌てて着替えた感じの制服姿、そして『時間に余裕のある』咲夜は完璧に制服を着こなしているのだが、ハリーとロンはパジャマのままだ。危機管理がなってないぞ、まったく。

 

教員席の方を指差しながら答えた私が席に着くと、同時にパチュリーも教員テーブルの前にたどり着いた。彼女はくるりと振り返って生徒たちの顔を見回したかと思えば、何気ない仕草でゆっくりと右手を上げて……おいおい、やり過ぎだぞ。ビックリしたじゃないか。

 

パチュリーが振り上げた右手を握ったその瞬間、信じ難いほどの魔力が大広間を包み込む。これはまた、凄まじいな。あまりの力の密度に城が軋む音が聞こえてきそうなほどだ。魔力に敏感な魔理沙なんかは真っ青な顔で椅子から跳び上がってしまった。

 

そして、他の生徒たちも大広間を包む圧力に気付いたらしい。これだけの力の大きさなのだ。多分魔法力を持たないマグルですら気付けるぞ。誰もが息をするのも躊躇うように黙り込み、畏怖の視線で紫の大魔女を見つめている。

 

能ある鷹はなんとやら、だな。……もはや学期初めにダンブルドアが言っていた言葉を疑う者など居ないだろう。腕の一振りで大広間を『支配』したパチュリーは、そのまま静かな声で話し始めた。平時なら絶対に聞こえないような声量だが、今は大広間の隅々まで響き渡っている。

 

「戦いが始まるわ。ホグワーツに敵が迫っているの。だから、あなたたちは私の邪魔にならないように談話室で待機していること。成年に達していて、尚且つ危険を承知で戦闘に参加したい者だけがこの場に残りなさい。他の者は寮監や監督生の指示に従って談話室に戻るように。……以上、終わり。」

 

とはいえ、パチュリーはパチュリーのままだったようだ。あまりにも簡素な説明と、有無を言わせぬ簡潔すぎる指示。どう考えても疑問は残るだろうし、普段なら山ほど質問が響いているはずだが……今の生徒たちからは一切の声が上がってこない。誰もが黙らせ呪文をかけられたかのように沈黙している。

 

「それじゃ、教員はこの前の説明通りに動くこと。細かい部分はマクゴナガルに聞きなさい。」

 

いやはや、まさか強引に『威圧』して従わせるとはな。私としては効率的で良いと思うが、ダンブルドアなら絶対にやらないようなやり方だ。話の続きをマクゴナガルに任せようとするパチュリーを、咲夜と共に苦笑しながら眺めていると……ああ、そういえば居たんだっけ、こいつ。いきなり教員席の端っこから耳障りな声が聞こえてきた。今日もピンク一色に染まっている、アンブリッジ監査員どのの声だ。

 

「ェヘン、ェヘン。……心配なさらないで、校長代理。先生方と、かわいい生徒の皆さんも。私は既にこの状況を予見していましたの。そして事前に交渉を済ませてあるのですわ。……今まさにこの城に迫っている、死喰い人たちとの交渉を!」

 

人それを『内応』と言うんだぞ。立ち上がってパチュリーの近くに歩み寄りながら訳の分からないことを主張し始めたアンブリッジは、大広間中の困惑の視線を浴びたままで続きを話す。何故かこれ以上ない程のしたり顔だ。

 

「無理に戦う必要など無いのです! 巨人、亡者、吸魂鬼。もし戦えば多数の犠牲者が出ることは間違いありませんわ。それを交渉で解決出来るんですよ? それも、たった一度の話し合いだけで! ……ここに至るまでには大変な苦労がありました。死喰い人たちとの危険な話し合いに臨み、ともすれば裏切りとも取られかねない──」

 

「では、今すぐそうしてはいかがですか? アンブリッジ監査員。私たちは貴女が城を出て行くのを止めはいたしませんので。」

 

全くもってその通りだ。割り込んだマクゴナガルが無表情の仮面を被ってそう言うのに、アンブリッジはニタニタ笑いながら返事を返した。

 

「それが、一つだけ条件があるのです。ほんの些細な、簡単に実現出来る小さな条件が。……交渉には私とハリー・ポッターの二人で赴くこと。それが死喰い人たちの提示してきた条件ですわ。無論、交渉人の安全は文書で確約していただいております。……どうかしら? 私は悪くない提案だと思うのですけれど。」

 

アンブリッジは首を傾げながら同意の言葉を待っているが、彼女以外の大広間の全員が『悪い条件』だと思っているようだ。低学年のガキどもですら頭にクエスチョンマークを浮かべているのを見るに、死喰い人が『文書で確約』したことを守らないであろうことは幼い彼らにも理解出来ているらしい。

 

しかし……何だよそれは。そんなバカみたいな提案が通らないってことは五歳児にだって分かるだろうに、何だってアンブリッジはこのタイミングでこんな下策を仕掛けてきたんだ? 行動が完全に意味不明だぞ。

 

話している内容を聞く分には、死喰い人から接触を受けたのは間違いないとして……リドルの陣営に転んだということか? いやいや、これだけ不利な現状でわざわざリドルの陣営に? さすがに有り得まい。そこまでのアホが元大臣補佐官ってのは信じたくないぞ。

 

あるいは、先日逮捕されたウィゼンガモットの副議長との繋がりがあったとか? ……んー、それにしたって露骨すぎるな。仮にそうだとしても、もっと賢い手が打てたはずだ。何もこんな大観衆の中で絶対に通らない提案をする必要はあるまい。

 

分からん。何もかもが分からん。あまりにも行動に脈絡が無さすぎる。ひょっとして、時間稼ぎそのものが目的なのか? ちんぷんかんぷんで混乱する私を他所に、アンブリッジは少し焦ったような表情で説得の言葉を捲し立ててきた。

 

「皆さん? 雰囲気に流されてはいけませんよ? ……認めましょう。確かに危険な交渉になるかもしれません。しかし、一人だけです。たった一人、たった一人が危険な橋を渡り切るだけで、残る全員の安全が保証されるのです! ……ほら! 悪くない話でしょう?」

 

「貴女の提案は理解出来ました、アンブリッジ監査員。貴重なご意見は後ほどこちらで協議させていただきますわ。……では、監督生はそれぞれの寮生を纏めなさい! 各談話室には特殊な防衛魔法が施されることになるので、戦闘が始まった後はもう戻れませんからね。この場に残ろうと考えている者は慎重に選択するように!」

 

アンブリッジを適当にあしらって指示を出すマクゴナガルに従って、生徒たちが慌ただしく動き始める。そりゃそうだ。死喰い人相手では安全の『保証』などどこにも有りはしないのだから。それを信じるようなバカはさすがのホグワーツにも居ないだろう。

 

「皆さん! 教師の言葉を信じすぎてはいませんか? たった一人なんですよ? たった一人を『差し出す』だけで、ホグワーツの危機は通り過ぎてくれるのです! どうして私の提案を──」

 

しかしまあ、この一年間で何も学ばなかったのか? こいつは。ホグワーツは確かにアホの集まりかもしれんが、易々と身内を売るような生徒など存在しないのだ。諦め悪く喚き続けるアンブリッジを尻目に、私もハリーへと説明を語り出す。

 

「さて、状況は聞いてもらった通りだ。そして、私も迎撃に出ようと思うんだが……キミも来るかい? ハリー。安全は私が保証しよう。だが、命を奪い合う戦場なのは確かなんだ。もしその覚悟がないのであれば──」

 

「覚悟はあるし、付いて行くよ。去年だって戦ったんだ。今更躊躇ったりはしないさ。」

 

「んふふ、意気軒昂で何よりだよ。後はもう少し慎重さがあれば満点かな。……それじゃ、とりあえず談話室までは普通に戻るんだ。その後動き易い服装に着替えてから、透明マントで外に出てきたまえ。詳しい説明はその後にするから。……本当はハリーだけでいいんだが、キミたちも付いてくる気だろう?」

 

ダメ元で後半をハーマイオニーとロンに問いかけてみると、二人は間髪を容れずに肯定の頷きを返してきた。そりゃあそうくるだろうな。だからこそ私はこの二人の友人になったわけだし。

 

「そんなの当たり前でしょう? 私は大人しく談話室で待っていられるほど聞き分けが良くないの。絶対に迷惑はかけないから、連れて行って頂戴。」

 

「もう去年みたいに後から話を聞くだけなんて嫌だよ。もしハリーが戦うなら、今度こそ僕は隣に居るべきなんだ。それだけは譲れない。」

 

「ま、分かってたけどね。それでこそだよ。談話室の前まで私が迎えに行くから、それまでは透明マントから絶対に出ないように。……それと、魔理沙。キミはパチェに付いて行きたまえ。こっちもご指名は魔理沙だけだが──」

 

「私も行きます!」

 

だろうな。両手を握り締めて主張してきた咲夜に、苦笑しながら返事を送る。こっちに私が居るように、向こうはパチュリーが一緒なのだ。あいつだって咲夜には甘々だし、安全面は特に問題あるまい。

 

「結構。それならパチェの指示に従って、絶対に無茶はしないこと。いいね?」

 

「はい!」

 

元気の良い返事を返してきた咲夜に微笑んでから、教員たちと話すパチェの方へと向かおうとしたところで……おっと、そこまでやるのか。喚くのを止めてこちらをジッと見ていたアンブリッジが、今まさに杖を抜こうとしているのが見えてきた。

 

うんうん、いい顔だ。獲物を見定める爬虫類のような不気味な表情。それがドローレス・アンブリッジの持つ本来の表情か。アンブリッジが放つ呪文に対処しようと、テーブルを乗り越えてハリーの前に出た瞬間──

 

エクスペリアームス(武器よ去れ)!」

 

あらぬ方向から飛んできた呪文が、振り下ろされる寸前だったアンブリッジの杖を見事に弾く。くるくると回るガマガエルの杖は……マルフォイ? ひどく冷たい表情の青白ちゃんの手元へとスッポリ収まった。驚いたな。つまり、マルフォイがハリーを守ったってことか?

 

「……どういうつもりなのかしら? ミスター・マルフォイ。」

 

「それは僕の言うべき台詞では? アンブリッジ監査員。」

 

憎々しげな表情でマルフォイを睨むアンブリッジ、無感動な灰色の瞳でそれを見返すマルフォイ、そんなマルフォイを驚愕の表情で見つめるハリー、そしてその光景を囁き合いながら眺める生徒たち。……ちょっと面白いな。ここで第一声を放つのには勇気がいるぞ。

 

とりあえずハリーの安全を確保した私が余裕を持って状況を見物し始めたところで、アンブリッジが沈黙を破るようにその口を開……く前に、ポンという気の抜けた音とともに大きなカエルへと変身してしまった。なんとまあ、容赦ゼロだな。捨て台詞くらい言わせてやれよ。

 

当然、下手人は空気の読めない紫しめじだ。パチュリーはキョロキョロと両の瞳を動かすカエルを冷たい目で見下ろしながら、マクゴナガルに向かって問いかけを飛ばす。

 

「まさか今回は元に戻せとは言わないでしょうね? マクゴナガル。」

 

「歳の所為でしょうか? 何が起こったのかよく見えませんでした。」

 

『今回は』? つまり、前にもこんなことをやらかしたのか? ムーディのことをとやかく言えんぞ。そんな空々しい会話を繰り広げる二人へと周囲の視線が奪われた隙に、アンブリッジの杖を地面に投げ捨てたマルフォイはスリザリンの集団の方へと戻って行ってしまった。

 

勝ち誇らず、恩にも着せず、一言も無しか。一体どういう心境の変化があったのやら。ハリーはマルフォイを追いたそうに一歩を踏み出すが、私が肩を掴んでそれを制す。

 

「後だ、ハリー。キミもマルフォイも今日は死なない。だから、また今度声をかけたまえ。」

 

「……分かったよ。」

 

「それじゃあ、他の生徒たちと一緒に談話室に行くんだ。魔理沙と咲夜は私に付いておいで。」

 

前半をハリーたちに、後半を何故か神妙な表情でスリザリンの集団を見る魔理沙と咲夜に投げかけてから、マクゴナガルと何かを話しているパチュリーへと近付いて行く。ちなみにカエルは……ありゃ、居ないな。どっかに行っちゃったらしい。踏まれないといいんだが。踏んだヤツが可哀想だぞ。

 

「この際よ。稼働テストだとでも思って、場所には拘らず動かせる全てを動かしましょう。ゴースト、絵画、石像。この城の全てをね。ケンタウルスと水中人には既に報せてあるから、そっちは特に問題ないわ。……それと、防衛魔法は指示通りに起動しろと念を押しといて頂戴。言わなくても分かると思うけど、指示に無いことは絶対にしないように。」

 

「かしこまりました、通達しておきます。……これは、バートリ女史。お疲れ様です。」

 

「ご苦労さん、マクゴナガル。さっき言ってた寮の防衛魔法とやらに関してなんだがね、グリフィンドールのそれを起動するのは私が行くまで待ってくれないか? ハリーたちを外に出す必要があるんだ。」

 

「ポッターたちを? ……承知しました。でしたら、グリフィンドール寮の護りはバートリ女史の指示があってから起動することにいたしましょう。それでは、私は教員たちへの最終確認を行なってまいります。」

 

うむ、話が早くて助かるな。真剣な表情で頷いたマクゴナガルが去った後、ぼんやり虚空を見つめているパチュリーへと話しかけた。また視点を『飛ばして』いるのだろう。便利そうで羨ましい限りだ。

 

「魔理沙を連れて行くなら咲夜もセットになるみたいだぞ。この二人のことは任せたからね。……それで、敵の動きは?」

 

「生意気にも城に近付く前に陣形を整えてるわ。全然上手いこと出来てないみたいだから、敷地の境界に到着するまではもう少し掛かりそうよ。」

 

「んふふ、出迎えてやろうじゃないか。……盛大にね。」

 

「そうね。今の死喰い人には他国の魔法使いも多いんでしょうし、学校紹介をしてあげましょうか。ホグワーツがどんな場所なのかを教えてあげないと。」

 

ああ、その通りだ。私にとっても一応は母校になるのなら、他国のバカどもにナメられるってのは気に食わん。ここらでこの学校がどんな存在なのかを知ってもらおうじゃないか。

 

久々に見るパチュリーの魔女らしい微笑を前に、アンネリーゼ・バートリもまた皮肉げな吸血鬼の笑みを浮かべるのだった。

 



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古き魔法の牙城

 

 

「そこで少し待っていなさい。まだやることがあるから。」

 

無人の教員テーブルを背に軽い感じで言うノーレッジに対して、霧雨魔理沙はガチガチに緊張した表情で頷いていた。……本当に戦いが始まるんだ。このホグワーツで、私たちの学校で。

 

ようやく現実感が追いついてきた。自室で眠っているところを寮に響き渡るマクゴナガルの大声で起こされて、急いで着替えて大広間に連れてこられてみれば恐怖すら感じるほどの魔力で威圧を食らい、質問も出来ない状態で戦いが始まるのだと告げられる。……よく考えたら無茶苦茶だな。リーゼのお陰で多少なりとも事情を知っている私ですらこうなのだから、他の生徒たちは混乱の極みにあるはずだぞ。

 

それでも大部分の生徒が去った大広間には、今なお多数の上級生が残っている。成人済みの、戦いに加わろうという生徒たちだ。フレッド、ジョージ、アンジェリーナ、アリシア、リー。他にも顔見知りが大勢残っているところを見るに、グリフィンドールは条件を満たした殆どの生徒が参加するつもりらしい。

 

そしてハッフルパフやレイブンクローも七割以上が、スリザリンですら資格ある内の半分ほどが残っているようだ。……結構多いけど、大丈夫なのか? これが最後に見た姿になるなんて嫌だぞ。

 

「なあ、あいつらは大丈夫なんだよな? その……死んだりとか。無いよな?」

 

急に襲ってきた不安に駆られて聞いてみると、ノーレッジは両手を複雑に動かしながら答えてきた。私には時折魔力を発していることくらいしか分からないが、何らかの複雑な魔法を行使しているようだ。淀みなく動く彼女の手に合わせて、耳鳴りのような音と共に大広間が……というか、城そのものが振動している。

 

「配慮はするけど、絶対は無いわ。そのことは今まさに説明されているはずよ。」

 

冷静な言葉に従ってもう一度上級生たちの方へと視線を戻してみると、険しい表情で説明をしているフーチの姿が見えてきた。……対する上級生たちも皆緊張した様子だが、誰一人として大広間を出て行こうとはしていない。彼らはきちんと覚悟を決めているようだ。

 

頼むから、無茶だけはしないでくれよ。特に双子とか、リーとか。胸に渦巻く不安を感じながら悪童たちのことを眺めていると、隣に立つ咲夜が私の手を握って声をかけてくる。

 

「落ち着きなさい、魔理沙。貴女はちょっと緊張しすぎよ。リーゼお嬢様もパチュリー様も居るんだから、そんなに酷いことにはならないわ。」

 

「むしろお前は落ち着きすぎだぞ。……怖くないのか? 本物の戦いなんだぜ?」

 

「別に平気よ。私はお嬢様たちを信じてるから。」

 

迷い無く言い切る咲夜は、本当に一抹の不安も感じていないような表情だ。……大した信頼だが、これはこれで危うい何かを感じさせるな。いくらリーゼたちとはいえ、無条件に信じちゃうってのはマズいんじゃないか?

 

私が名状し難い危機感を覚えている間にも、ノーレッジは大広間でやるべき作業を終わらせたらしい。一度宙空を見て一つ頷いたかと思えば、やおら私たちを促してきた。

 

「はい、終わり。それじゃあ行くわよ。少し城を歩き回るから、二人とも遅れずに付いて来なさい。」

 

「……分かったぜ。」

 

「はい!」

 

緊張する私と、ちょっとだけ楽しそうな咲夜。対照的な二人を引き連れて歩き始めたノーレッジは、大広間の扉を抜けて玄関ホールに……おいおい、何だよこれは。大広間を出た瞬間、平時とは全く違うホグワーツの風景が目に入ってくる。

 

玄関ホールを埋め尽くすのは、膨大な量の石像たちだ。形も大きさも多種多様な石像の群れが、整然と並んで外へと行軍している。玄関ホールの壁に設置されていた大量の騎士像、廊下の各所に置かれていた魔法使いの像、三階にあったはずの巨大なトロールの像。一つ一つは三年間の生活で見慣れた石像だが……動くのかよ、こいつら。

 

しかし、物凄い量だぞ。百体や二百体とかいう規模じゃない。石の重みを感じさせる足音を鳴らしながら、規則正しい歩みで城外へと向かう石像たちを横目に廊下を進んで行くと……今度は天井付近を飛び回るゴーストたちの姿が見えてきた。こっちも凄いな。信じられない数だ。

 

「……ゴーストってこんなに居たんだな。知らなかったぜ。」

 

「普段顔を見せてるのなんてほんの一部だもの。……多分、霊魂課でも全てを把握し切れてないと思うわよ。ゴースト文化の強いヨーロッパでも、ホグワーツは有数の『集合地』だからね。」

 

「まさか、こいつらも戦うのか?」

 

「ゴーストは生者の戦争に関わったりはしないわ。ただまあ、彼らにとってもここは大事な住処だしね。準備にだけは協力してくれてるってわけ。」

 

廊下のあちらこちらを飛び回る青白い影たちは、はぐれた生徒が居ないかと見回ったり、絵画の中の住人たちに警告を伝えているらしい。……とはいえ、その絵画の中も殆どがすっからかんだな。どっかに避難してるのか?

 

「なあ、絵の中の連中は何処に行っちまったんだ?」

 

「ホグワーツ以外にある絵画だったり、安全な場所の大きな風景画に避難済みよ。有志には見張りを頼んだりしてるけどね。」

 

石像どころか絵画まで協力してんのかよ。何でもありだな。ノーレッジの解説を耳にしながら角を曲がり、玄関ホールから響いてくる足音を背に一階の廊下を歩き続けていると……いきなり疑問げな表情になった咲夜が声を上げた。

 

「あれ? こっちってハッフルパフの寮に繋がる道があったはずですよね? 壁になっちゃってますけど……。」

 

ありゃ、本当だ。咲夜が指差す方向に視線を送ってみると、あったはずの通路が壁に遮られているのが見えてくる。周りの壁と比べても違和感のない、ごく平凡なホグワーツらしい石造りの壁だ。通路があったことを知らないヤツなら疑問にも思わないだろう。

 

普段と違う光景に首を傾げる私たちへと、壁を一瞥したノーレッジが答えを寄越してきた。

 

「隠されてるのよ。壁はダミーね。本物の寮は地中深くに『潜って』いったはずだから、用があるなら戦いが終わった後になさい。」

 

「地中に? ……つまり、これがマクゴナガルの言ってた『特殊な防衛魔法』ってわけか。ハッフルパフらしい魔法だな。創始者が遺したのか?」

 

「さて、どうかしらね。使われている魔法の古さから私はそう考えているけど、ひょっとしたら卒業生の誰かが残したものかもしれないわ。……何にせよ、ハッフルパフ寮を襲うのはひどく骨が折れる作業になるでしょうね。延々と穴掘りを続ける羽目になるわよ。」

 

言いながら目線で急かしてくるノーレッジに従って、再び角を曲がって西側の廊下へと進んで行く。大したもんだな。ノーレッジがこういう表現をするということは、かなりの深さまで潜っていったのだろう。今の私にはどんな魔法が使われてるのかもさっぱりだぞ。

 

ちなみに、私たちが……というか、ノーレッジが通ったそばから窓の鎧戸がバタバタと閉まっている。その他にも壁の石がパズルのように動いて通路の形を変えたり、立ち並ぶ教室のドアが霞むように消えていったり。うーむ、今日のホグワーツはいつにも増して魔法の城だな。

 

片手間でやっているようにしか見えないが、一応は邪魔しないように大人しく後ろを付いて行くと、今度はノーレッジの背中越しに地下通路の入り口へと杖を振っているスラグホーンの姿が目に入ってきた。いつもの柔和な顔ではなく、かなり集中している表情だ。スラグホーンでもあんな顔するんだな。

 

普通の人間なら声をかけるのを躊躇う場面だが、ノーレッジにとってはそうではないらしい。迷わず近付いて質問を飛ばし始めた。

 

「スラグホーン、どこまで封鎖し終えたの?」

 

「これは、校長代理。ここで終わりです。単に起動するだけとはいえ、老体には堪える作業でしたよ。」

 

疲れたように笑うスラグホーンの背後では、蛇を象った細い銀色の金属が幾重にも重なり合って地下通路への道を塞いでいる。まるで蔦が伸びるかのように、スルスルとお互いに絡み合っていくその姿は……正に蛇だな。これがスリザリン寮の護りってわけか。何にせよただの柵じゃないってことだけは私にも分かるぞ。

 

「見てよ、魔理沙。あの蛇たち、こっちを見てるわ。」

 

ちょっと嫌そうな顔になってしまった咲夜の言う通り、蛇たちは自身の身体で網目状の頑丈そうな柵を作り終えると、今度は無数に光る緑の瞳で私たちを睥睨し始めた。一匹一匹の目に当たる部分に緑色の小さな宝石が嵌っているらしい。

 

「生きてるみたいで薄気味悪いぜ。……近付いたら噛み付いてくるとか? あるいは、巻き付いてくるのかもな。」

 

「それだけで済むとは思えないけどね。」

 

「だろうな。もしスリザリン本人が遺したんなら、もっと酷いことになるのは目に見えてるぜ。」

 

でなきゃあんな性質の寮にはなるまい。薄暗い地下通路の入り口で蠢く銀の蛇の群れを見て囁き合う私たちを尻目に、あんまり興味の無さそうなノーレッジがスラグホーンへと声を放つ。

 

「残念ながら、今日はまだまだ働いてもらうわ。マクゴナガルなら心配ないでしょうけど、一応グリフィンドール寮の方を確認してきて頂戴。レイブンクローは私が見ておくから。」

 

「お任せください。今日ばかりは昔を思い出して、あくせく真面目に働くことにしますよ。……では、お嬢さん方もお気を付けて。」

 

最後に洒落た動作で私たちへと微笑みかけたスラグホーンは、割と素早い動きで東側の通路へと歩いて行く。その姿を背に再び歩き出したノーレッジに従って、西塔の階段へとたどり着いてみれば……これはまた、違和感が凄いな。平時よりもずっと静かな階段が見えてきた。

 

具体的に言えば、動いていない。いつもは忙しなく動く迷惑な階段だったのに、今日はやけに大人しいじゃないか。試しに踏むとシンバルの音を出す段を踏んでみるが、うんともすんとも言わなくなってしまっている。

 

「あー……これも緊急時だからか?」

 

ホグワーツでは滅多に出来ない『普通に階段を上る』という行動をしながら聞いてみると、ノーレッジは小さく頷いてから返事を返してきた。

 

「そうよ。もはやこの階段は城の生徒たちや関係者を邪魔することはないわ。……もちろん侵入者は別でしょうけどね。」

 

「そりゃあ大したもんだが、侵入者かそうでないかを誰が判断するんだよ。」

 

「決まっているでしょう? 『ホグワーツ』が判断するのよ。」

 

なんだそりゃ。城に意思があるみたいな言い草じゃないか。不思議な気分のままで階段を上っていると、ガシャガシャという金属音と共に騒がしい声が上階の方から響いてくる。……懐かしいな、思わず頰が緩んじゃうぞ。私が一年生の頃によく聞いた声だ。

 

「侵略者どもめ、ゴロツキどもめ! この城の名を忘れたか? ……ここはホグワーツだぞ! 最も偉大な魔法の城だぞ! 臆するな、恐れるな! その名を忘れた愚か者どもに目に物見せてやれ!」

 

言わずもがな、カドガン卿だ。太ったロバに乗った鎧姿のカドガン卿は、すれ違いざまに私たちに向かって大声で喚き散らすと、そのまま絵の中を通り抜けて階下へと走り去って行く。なんとも楽しそうだな。絵画の住人たちが消えた今、彼の走りを邪魔する者は居ないだろう。

 

「やる気満々だったけど、どうやって戦うんだろうな? 絵なのに。」

 

「近くで騒いでたら邪魔にはなるんじゃない?」

 

「まあ……うん、それは有り得そうだな。」

 

あの声量だと味方も味方で鬱陶しそうだけどな。咲夜と無駄話をしながら西塔の階段を上り続けていると、たどり着いた踊り場の向こうから靄のようなものが漏れ出てくるのが見えてきた。確か、レイブンクローの談話室がある階だ。今度は霧か?

 

「入らないようにね。迷うから。貴女たちだと何日かけても出てこられないわよ。」

 

「えっと、これがレイブンクロー寮の護りなんですか?」

 

「そう、迷いの霧。……一番スマートな護り方だわ。さすがはレイブンクローね。」

 

うんうん頷きながら咲夜に答えたノーレッジは、白い霧に閉ざされた通路の先の『何か』を見ているようだ。……一体何があるんだよ、私には何も見えないぞ。普通では有り得ないほど濃い霧な所為で、僅か一歩先ですら霞んでしまっている。

 

「魔法で払えないのか? これ。」

 

「貴女ね、そんな簡単な方法でどうにかなると思うの? もし思うのなら試してみなさい。そうじゃないなら手を出さないのが賢明よ。」

 

「……やめといた方が良さそうだな。」

 

挑む気にすらならん。眠れるドラゴンは静かに避けるのが正解なのだ。階段の方へと一歩下がりながら言うと、ノーレッジは正解とばかりに頷いて更に上階へと進み始めた。

 

下の階の喧騒も遠ざかり、いつもは騒がしい絵画やゴースト、生徒たちも居ない。やけに静かな階段を上って六階に到着すると、ノーレッジは西塔と天文塔を繋ぐ渡り廊下の方へと歩き出す。下ではなく、上。ホグワーツで最も高い塔に行こうとしているらしい。

 

「天文塔に行くのか?」

 

「ええ、そこで貴女への最後の個人授業を行うわ。……『切り札』が欲しかったんでしょう?」

 

「そりゃあ、ずっとそう言ってたけどさ。何もこんな緊急時にやらなくてもいいんじゃないか? 私なんかに時間を割いてて大丈夫なのかよ。」

 

「心配しなくても大丈夫よ。幕開けは譲ったんだから、幕引きは私が決めるわ。だから余裕はあるの。」

 

幕引き? 相変わらず偶によく分からんことを言うヤツだな。謎かけのような台詞に曖昧に頷いた後、ふと渡り廊下の窓から下を見下ろしてみれば……おいおい、大橋が『折り畳まれて』いるぞ。

 

遥か下に架かっているホグワーツ城ご自慢の石橋が、カシャカシャと城の方へ折り畳まれていくのが見えてきた。その先の校庭には、先程見た石像たちがホグワーツ城を守るように並び立っている。

 

「跳ね橋要らずってわけかよ。……要するに、飛んでこないと入れないようにしてるのか?」

 

崖で分断された校庭を眺めながら聞いてみると、ノーレッジはゆるりと首を振って返答を寄越してきた。縦ではなく、横にだ。

 

「そう簡単にはいかないわ。裏手は校庭と繋がっているし、一階の西側にも渡り廊下はあるでしょう? 敵の選択肢を一つ潰したってだけよ。……覚えておきなさい。魔法での戦いっていうのは、選択肢の潰し合いなの。取り得る手段が多すぎるから、事前にそれをどれだけ削れるかに懸かっているのよ。同時に自分の選択肢をどれだけ残せるかも重要ね。」

 

「そんなこと言われても、活かせる機会なんて無いと思うけどな。……私がこんな大規模な戦いをする日が来るとは思えんぜ。」

 

「貴女が本当に魔女を目指すのであれば、その日は必ず来るわ。本来魔女ってのは同族を嫌うものよ。『縄張り争い』は別に珍しくもないの。自分の工房を守るか、敵のそれを攻めるか。何にせよ有り得ない話じゃないでしょう?」

 

「……お前は経験したことあるのか? その、縄張り争いとやらを。」

 

そもそも、魔女ってそんなに沢山居るのかよ。疑問に思いながら聞いてみると、ノーレッジは肩を竦めて口を開く。

 

「私の場合は地盤のある吸血鬼が後ろ盾になってるからね。幸いにも縄張り争いとは無縁で済んでるわ。……私が生きてる間に関わった『本物』の魔女は三人だけ。弟子であるアリスと、貴女の師匠である魅魔と、もう一人。その内深く関わったのはアリスだけよ。出不精なのが幸いしたのかしら?」

 

「『もう一人』ってのは……私か?」

 

「そんなわけないでしょうが。貴女はまだまだ魔女とは言えないでしょう? もう一人ってのは大陸のいけ好かない魔女のことよ。気になるなら今度アリスにでも聞いて頂戴。……ほら、質問の時間は終わり。さっさと行くわよ、見習い魔女さん。」

 

むう。そりゃあ、その面子に並べるとは微塵も思っちゃいないが……いいさ、いつか私も一人前の魔女だと言わせてみせる。うん、それをとりあえずの目標にしてみよう。こいつに魔女だと言わせることが出来たのなら、私はきっと魔女を名乗っていいはずだ。それまでは見習いに甘んじてやるぜ。

 

明確になった目標を胸に仕舞い込みながら、見慣れた天文塔の螺旋階段を上って行く。そのまま星見台の入り口を横目に、天文台へと続くドアを抜けてみれば……うお、デカいな。満天の星空と、空に浮かぶ巨大な満月が見えてきた。

 

「……見事な満月ね。とっても綺麗だわ。」

 

目を細めながら月を見上げる咲夜が呟くのと同時に、天文台の中央に移動したノーレッジがちょちょいと手を振ると、端っこの手摺りが沈み込むように消えていく。いきなり怖いな。落ちたら即死だぞ。

 

「……まさか、飛び降りろとか言わないよな?」

 

「単に邪魔だったから片付けただけよ。これならよく見えるでしょう?」

 

言葉と共にノーレッジが指差す方向を見てみれば、月明かりに照らされる黒い……吸魂鬼? 禁じられた森の上を飛ぶ吸魂鬼らしき影の群れと、それとは別方向の地面に蠢く大集団が目に入ってきた。あれが敵か? もう駅の近くまで到達しているらしい。

 

「……多くないか?」

 

「数量の基準がよく分からないけど、ホグワーツ城を攻めるのであれば間違いなく『少ない』わね。」

 

やけに自信満々だな。天文台の縁に歩み寄りながら答えたノーレッジは、そのまま敵の方を見下ろして続きを語る。冷たい瞳だ。まるで実験動物を観察する時のような目付きじゃないか。

 

「それじゃ、暫くは見物してなさい。始まるまではまだ少しありそうだから。」

 

『始まるまで』か。その言葉を聞いて、忘れていた緊張感が一気に戻ってくる。巨人も結構な数が居るみたいだし、その周囲で動いている小さな影は全部死喰い人なのだろう。あれが纏めて襲ってくるのだとしたら……ヤバいんじゃないのか? 本当に大丈夫なんだろうな?

 

自身の中の不安が大きくなってくるのを自覚しながら、霧雨魔理沙はギュッと手を握り締めるのだった。

 



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紅い霧の都

 

 

「ふーん?」

 

今やロンドンの象徴とも言えるようになった時計塔。その鐘楼の縁から深夜の大都市を見下ろしつつ、レミリア・スカーレットは薄っすらと微笑んでいた。煌々と浮かぶ月は見事な満月だし、澄み切った夜空に雨の降る気配はない。うむうむ、人妖に私の力を示すのには丁度良い日ではないか。

 

六月一日の深夜、遂に来るべき戦いの時が訪れたのだ。眼下に広がるテムズ川沿いでは、マグルの警察車両のランプが激しく点滅している。音といい、光といい、何とも騒しい連中だな。騒ぎを鎮めるために騒いでどうするんだよ。

 

つまり、死喰い人どもは初手の標的としてテムズ川に架かる橋々を狙ってきたのである。眼下のウェストミンスター橋、少し遠くに見えるウォータールー橋やヴォクスホール橋、中心街に繋がるロンドン橋とサザーク橋。どれも見事にへし折られてしまった。……これぞ『ロンドン橋落ちた』だな。死喰い人にしては皮肉が効いてるじゃないか。

 

そして、各所からその報せを受けた私たちはこうして作戦開始の準備をしているわけだ。まあ、マグルにとっては迷惑な話だろうが、私としてはちょっとだけ安心している。対処の難しい初手は宮殿かこの時計塔あたりを狙ってくると思っていたのだが……ふん、橋か。分かり易く分断して混乱を広げようというつもりなのだろう。

 

だが、そう易々とはいかんぞ。上層部の度重なる作戦会議、家に帰る時間すら惜しんで空き部屋で雑魚寝をする職員たち、日々の生活の中でもドッグタグを肌身離さぬ魔法戦士や、連携の訓練をする魔法警察と闇祓い。イギリス魔法省は今日という日のために死ぬ気で準備を重ねてきたのだ。

 

壊す者と、護る者。どちらの覚悟が上か試してみようじゃないか。大きく鼻を鳴らしたその瞬間、応えるように私の隣にスクリムジョールが姿あらわししてきた。黄色がかった両目を鋭く光らせ、やる気充分のご様子だ。

 

「スカーレット女史、人員の配置は整いました。いつでも作戦を始められます。」

 

「大変結構。それじゃあ、さっさと狩りを始めましょうか。……ヨーロッパ魔法史に残るであろう大捕物をね。」

 

「かしこまりました。では……ネビュラス(霧よ)!」

 

いつもより多少気合の入った感じでスクリムジョールが杖を振ると、時計塔の周囲に季節外れの濃霧が漂い出す。それに呼応するかのように、ロンドンのあらゆる場所が真っ白な霧に覆われ始めた。

 

音も無く、じわじわと。まるでロンドンの街並みが霧の海に沈んでいくかのように、ビルや街灯の明かりが靄に紛れて薄らいでくる。この街の各所に配置された職員たちが、同時に同じ呪文を使っているのだ。

 

今やこの呪文を使えない魔法使いなどイギリス魔法省には存在すまい。今回は魔法ゲーム・スポーツ部どころか、神秘部の『だんまり』どもまで動員しているのだから。正しく総力戦だな。

 

物凄いスピードで街中に広がっていく霧の所為で、明かりどころか建物そのものの輪郭がぼやけて、眼下の全てが曖昧にしか見えなくなってきた。……うーむ、幻想的だ。霧に覆われるロンドン。なんとも懐かしい景色じゃないか。

 

とはいえ、本番はここからだ。在りし日の霧の都を思い出しながら、今度は私が全力で妖力を霧に巡らせ始める。……ふふん、今宵の霧は一味違うぞ。今日この夜だけは、ロンドンは私の街になるのだから。死喰い人ではなく、魔法省でもなく、この私が支配する街に。

 

私の妖力が混ざった途端、ジワジワと霧がその色を変え始めた。純白から真紅に。まるで感染するかのように、燃え広がるかのように。時計塔を中心として広がっていく紅い霧は、やがてロンドン中を覆い尽くす。

 

いやはや、美しい。この数百年では経験したこともないほどに妖力を失う感覚と同時に、それに勝る充足感が身体中に満ちていくのを感じる。ロンドンの支配者か。悪くないぞ。今日この日、影に潜む人外どもも私の力を認識したはずだ。レミリア・スカーレットの持つ力を。

 

私以外に誰が出来る? 人間どもが蔓延り、幻想が力を失ったこの世界で。人工の光を覆い尽くし、これだけの街を支配するという大業を。……羨め、羨め、バカどもが。これが時代に適応した吸血鬼の力だ。隠れることしか出来ないお前たちは、穴ぐらの奥底から恨めしそうに見ているがいいさ。

 

支配者の優越に浸りながら紅い霧の都を眺めていると、スクリムジョールが杖を下ろして話しかけてきた。この男にしては珍しく、驚いたように目を見開いている。

 

「……作戦の詳細は把握していたつもりですが、実際に見るとやはり違いますな。なんとも壮大な光景です。」

 

「この程度なら簡単よ。私が霧を操ってロンドンの隅々まで行き渡らせるから、マグルが混乱している間に決着を付けて、最後に霧に記憶修正薬を混ぜ込んでお終い。……やっぱり時間が勝負ね。マグル側から余計な首を突っ込まれる前に、さっさと方を付けちゃいましょ。」

 

これが今回の作戦を簡略化した内容だ。紅い霧の一件はマグル界でも話題になるだろうが……まあ、連中が勝手に適当な理由を付けて納得してくれるだろう。空気中の成分がどうだとか、光の反射がどうだとか、そんな訳の分からん理由をつけて。それがマグルというものなのだから。

 

少なくとも、『魔法使いと吸血鬼の仕業だ』などという意味不明な結論にはたどり着かないはずだ。万が一そんなことを言い出すヤツが現れたら、局所的な記憶修正で対処すればいいだけだし。『納得屋』どもを思って皮肉げな笑みを浮かべる私に、スクリムジョールは再び杖を構えながら返事を寄越してきた。

 

「そうですな、なるべく急いだ方が良いでしょう。大規模な姿あらわし妨害術は既に展開済みですので、後はこの『狩場』で敵を炙り出すだけです。……では、私は現場で指揮を執ってきます。」

 

「連絡員は寄越して頂戴ね。霧の中の動きはある程度把握出来るから、怪しい動きがあれば知らせるわ。」

 

「承知いたしました。」

 

言うと、スクリムジョールは白い影となって真っ赤な霧の海へと飛び込んで行く。同時に各所の霧の中で戦いが始まった感覚が妖力を通して伝わってきた。……まあ、負けるというのは有り得まい。敵方の強みは無差別なテロで混乱を起こせるという点だが、この霧と大規模な姿あらわし妨害術でそれは封じたのだから。

 

ならば、後はこの紅い霧の檻の中で的確に処理していけばいい。もちろん重要な施設には人員を配置しているし、マグル側の要人も気付かれぬように護衛している。頑張って戦力を整えてきたリドルには悪いが、ロンドンの盤上はこれにて封殺というわけだ。

 

当然、魔法省にもそれ相応の人員は残してきた。向こうにはアリスもボーンズも居るし、同時に狙われたとしても十二分に対処可能なはずだ。そして、ホグワーツは言わずもがな。リーゼとパチュリーが居るって時点で考慮する必要すらないだろう。

 

しかし、肝心のリドルは何処を選んだのやら。伝わってくる感覚ではそれらしいヤツは居ないみたいだぞ。やっぱりハリーの居るホグワーツを選んだのか? 疑問に思いながら霧の操作に集中していると、鐘楼に飛び込んできた白い影が私の隣に着陸する。……おや、ニンファドーラ・トンクス? 意外な人物を連絡役に当ててきたな。

 

「ごきげんよう、ニンファドーラ。貴女が連絡役なの?」

 

「どうも、スカーレットさん。ニンファドーラじゃなくて、トンクスね。トンクス。名前で呼ぶのはダメなんだってば。」

 

「吸血鬼相手にそういう反応をするのが悪いのよ。……しかし、ただの連絡役に貴重な闇祓いを割いてくるとは思わなかったわ。ムーディがよく許可したわね。」

 

「だって、スカーレットさんが相手だとみんなビビっちゃって会話にならないんだもん。一番経験が浅いからって無理矢理押し付けられちゃったんだ。……私だって戦えるのに。」

 

不満そうに鐘楼の柱を蹴っ飛ばすニンファドーラに苦笑してから、肩を竦めて返事を返す。相変わらず昔のフランを思い出させるような雰囲気だな。感情豊かというか、子供っぽいというか、そんな感じの。

 

「まあ、今日のところは我慢しておきなさい。貴女は誰に対しても物怖じしないし、守護霊の呪文も問題なく使える。連絡役にはもってこいよ。」

 

「その為に覚えたわけじゃないんだけどなぁ、守護霊の呪文は。」

 

正直言って、私が知る限りでは吸魂鬼よりも連絡に使ってる場面の方が多いと思うぞ。今やどっちが本来の使い方なのか分からんような有様だ。……ただまあ、今宵に限ってはそうならないかもしれんが。

 

ロンドンには姿を見せなかった吸魂鬼のことを考え始めたところで、ニンファドーラのすぐ側にシェパードの守護霊が出現した。先程飛び立ったばかりのスクリムジョールからの連絡だ。ほら、やっぱり伝言に使ってるじゃないか。

 

『トンクス、今しがた魔法省にも襲撃があったとの連絡が入った。現在はアトリウムで戦闘中だ。ボーンズ大臣が向こうの指揮を執るので、以降そちらからの連絡にも注意するように。スカーレット女史にも伝えておいてくれ。』

 

「……どうするの? スカーレットさん。」

 

一気に緊張感を戻した表情で問いかけてきたニンファドーラへと、小さく鼻を鳴らしてから返答を送る。なに、想定していた事態が起こっただけだ。慌てる必要はないさ。

 

「どうもしないわ。ボーンズからの救援要請があるまでは、こっちはロンドンの戦局に集中するまでよ。向こうにはアリスも居るわけだし、そうそう崩れはしないでしょ。」

 

「……うん、そうだよね。ボーンズさんも、ロバーズも、シリウスも居るんだもん。きっと大丈夫だよ。」

 

「ま、我らが魔法大臣のお手並み拝見ってところね。信じてこっちに集中しましょ。」

 

ロンドン、ホグワーツ、そして魔法省。これで終わりなのか、はたまたまだ標的が残っているのか。長い夜の戦いがいよいよ本格的に始まるわけだ。……うむ、楽しもう。ゲームってのは一番楽しんだヤツが勝つものなのだから。

 

紅い霧の海に沈むロンドンを見下ろしながら、レミリア・スカーレットは愉快そうに目を細めるのだった。

 

 

─────

 

 

「どうやら『上』の作戦は問題なく始まったようです。……となると、こちらも警戒を強めた方が良さそうですね。」

 

近寄って話しかけてきたアメリアに小さく頷きながら、アリス・マーガトロイドは静かなアトリウムを見渡していた。もし魔法省に襲撃があるとすれば、敵は混乱を強めるためにタイミングを合わせてくるはずだ。つまり、地上の作戦が始まった今この瞬間に。

 

零時を僅かに回った魔法省地下八階のアトリウムでは、『居残り組』の職員や魔法戦士たちが杖を構えて緊張した表情を浮かべている。無論各階にも人員を配置しているが、侵入経路として最も可能性が高いのはやはりこの階なのだ。

 

この建物に繋がる煙突ネットワークは完全に封鎖し、常にかかっている姿あらわし妨害術も重ねがけしてある以上、今の魔法省に侵入するというのは容易くは無いはずだが……まあ、それで安心出来るような相手じゃないか。油断は禁物だぞ、私。

 

無意識にホルダーの杖を撫でながら考えていると、隣のアメリアが険しい表情でポツリと呟く。さすがの彼女も緊張しているようだ。

 

「……あの日を思い出しますね。」

 

「そうね。……でも、あの時とは違うわ。今の私たちは戦う準備をしているでしょう?」

 

だから、今回は同じようにはならない。させるわけにはいかない。遠くに立つ白い慰霊碑を見ながら答えた私に、アメリアはしっかりと頷いてから返事を寄越してくる。

 

「その通りです、二度目はありません。絶対に。」

 

アメリアから決意を感じるその言葉が発せられた瞬間、アトリウムに立ち並ぶ暖炉から一斉に水音が鳴り響いた。反射的にそちらの方へと視線を送ってみると……血? 赤黒い粘性のある液体が、全ての暖炉の奥から勢い良く噴き出しているのが見えてくる。何のつもりだ?

 

黒いエボニーの床に広がっていく赤い液体と、辺りに充満する鉄錆の臭い。杖を構える職員たちが僅かに動揺するが、アメリアの凛とした大声がその空気を塗り替えた。

 

「落ち着きなさい、こんなものは単なるまやかしです! あなたたちは魔法使いでしょうが! こんな子供騙しに揺さ振られる必要はありません! ……和の泉を中心として陣形を組みますよ。お互いに支え合い、守り合うのです。」

 

なんとまあ、頼もしくなっちゃって。血気盛んな弟に引っ張られていた嘗ての彼女は何処へやら。今ではイギリス魔法界の先頭に立って周囲を引っ張っているわけか。うん、立派になったな。

 

臆病な性格だった頃のアメリアを思い出してクスリと微笑んでから、一度深呼吸をして人形を展開する。周りの魔法使いたちも明確な指示を聞いて落ち着きを取り戻したらしい。アメリアの言葉に従って噴水の周囲に集まりながら、再び臨戦態勢で杖を構え始めた。

 

そのまま赤い液体を吐き出す黒レンガの暖炉を注視していると、やがて液体は徐々に勢いを失くし始め、それが雫となって滴り落ちるようになったところで……来たか。けたたましい奇声と共に、全ての暖炉から一斉に大量の亡者が飛び出してくる。ホラーとしてはB級だな。死喰い人に映画製作のセンスは無いようだ。

 

「亡者が来ますよ。火を。」

 

自らも杖を振るアメリアの端的かつ冷静な指示に従って、その場の全員が同じように杖を振ると、暖炉側と和の泉側を分断するように燃え盛る炎の壁が創り出された。死者には火を。魔法界の常識だ。

 

立ち昇る業火が死者と生者を分かつのと同時に、陽炎の向こうから耳障りな悲鳴が聞こえ始める。亡者が炎の中に突っ込んでいるのだろう。……嫌な声だな。やけに甲高い、ガラスを引っ掻いた時のような──

 

「敵の本隊が来ましたよ! 全員呪文を警戒なさい!」

 

私が亡者の悲鳴に顔を顰めたその瞬間、アメリアの指示が再びアトリウム中に響き渡った。その言葉に従って揺らめく炎の奥を注視してみると……死喰い人もご到着か。微かに見える向こう側では、緑の炎と共に黒ローブどもが暖炉から飛び出してきている。どうやったのかは知らないが、強引に煙突ネットワークを繋げたらしい。

 

つまり、亡者は侵入の隙を作るための単なる捨て駒なわけだ。相変わらずの厭らしい戦術に目を細めてから、偵察用の人形を一体炎の奥へと突入させた。……ごめん、後で必ず直すから。

 

人形の視界を通して炎の奥を確認してみると、大量の黒ローブと少数の吸魂鬼の姿が見えてくる。素顔を出している中には見知った顔もちらほら居るな。エバン・ロジエール、アントニン・ドロホフ、それに……ベラトリックス・レストレンジ。

 

顔触れを確認した直後に呪文で破壊されてしまった人形から視界を戻しつつ、手の中の杖をギュッと握り締めた。……復讐のために私が杖を振ったら、テッサは怒るだろうか? でも、目の前に仇が居るのに我慢出来るはずなどない。私はそんなに立派な人間ではないのだ。

 

自分の中に燻る昏い感情を自覚しながら、連絡用の守護霊を飛ばしているアメリアへと報告を投げかける。……なるべく無感情な声を装いながら。

 

「ロジエール、ドロホフ、レストレンジ。向こうは中核が勢揃いよ。もしかしたら本命はここなのかも。」

 

「望むところです、受けて立ちましょう。……背中を見せないように泉の後ろまで後退しますよ! 各階からの援軍が既にこの場へと向かっています! 奇を衒わず、訓練通りに動きなさい!」

 

決然とした表情で言い切ったアメリアの声に従って、魔法使いたちが炎の壁を維持しながらジリジリと退がり始めた。飛翔術で各階に侵入されないように、アトリウムに繋がるテラスや窓には防護呪文がかけてあるのだ。こちらの攻撃を捌きながらそれを解呪するというのは容易ではないだろう。

 

だから、アトリウムで止める。それは不可能では無いはずだ。最前列で後退しながら炎の壁を呪文で補強していると、いきなりそこに膨大な魔力が圧力をかけてきた。

 

「アメリア、マズいわよ。陣形を整えた方が良いわ。」

 

「……闇祓い、魔法警察は前に! 吸魂鬼も居ますからね! 守護霊の呪文を使える者を中心に纏まりさない!」

 

きっついな。向こうも合力して対処してきたのか? 突破されるぞ、これは。複雑に杖を振って少しでも時間を稼ぎながら叫ぶと、アメリアは素早い指示で味方の動きを整える。それを背中で感じつつ、最後の抵抗として噴水の水を思いっきり浮かび上がらせて……炎の壁が中央から弾けるように消えた瞬間、勢い良く敵方へと浴びせかけた。

 

多少態勢を崩せれば儲けものだと思ってやってみたのだが、どうやら無駄な足掻きだったようだ。私の放った水流が敵の集団へと到着する前に、前列に立つ黒ローブの中の誰かが引き裂くようにして左右に受け流してしまう。……やるじゃないか。ロジエールか? 飛沫が晴れて露になったその姿に目を凝らしてみれば──

 

「……リドル?」

 

「やはり此処を選んだか、マーガトロイド。」

 

直接目にしたのは何十年振りだろうか。青白い肌に、爬虫類を思わせる歪んだ顔。ひどく変わってしまったトム・リドルを前に硬直する私へと、リドルもまた少しだけ間を空けてから声を放ってきた。敵も、味方も、杖を構えたままで私たちのやり取りを見つめている。

 

「……変わらんな、貴様は。半世紀経っても愚かなままだ。自らの中に流れる血を自覚せず、未だ下らん考えに囚われている。ダンブルドアがのたまうような、あんな妄言に。」

 

「愚かなのは貴方よ。名を変え、姿を変え、その主義さえも変えて。確かなものを何も持たず、死への恐怖だけを抱えて生に縋っている。……哀れね、リドル。私は貴方を哀れむわ。」

 

「死よりも酷なことは何もないぞ、マーガトロイド!」

 

「いいえ、確かに在るわ。少なくとも私には。……それを理解出来ないのが貴方の弱さよ。」

 

冷たい表情で黒いローブを揺らしながら近付いて来るリドルに、私も杖を構えたままでゆっくりと歩み寄る。ジワジワと高まる周囲の緊張を感じつつも、今度は私が問いを送った。ずっと胸の奥に残っていた問いを。

 

「貴方は……本当に後悔してないの? 今の道を選ばなければよかったと、自分は間違ったのかもしれないと。ほんの僅かにでも心に浮かんだことはない?」

 

「俺様は間違ったことなどない。間違ったのは貴様と……ヴェイユの方だ。愚かな選択をして、愚かにも死んでいった。何一つ為さぬままでな。」

 

「やっぱり貴方は何も分かってないわね。テッサは為したわ。貴方よりもずっと偉大で、かけがえのないことを。」

 

「何をしようが、死ねば終わる。何故そんな簡単なことが理解出来ない? いつの日か忘れ去られ、過去の一片となって消えていくだけだ。……だが、俺様は違うぞ、マーガトロイド。偉大なるヴォルデモート卿は永遠の存在となったのだ。あらゆる人間が抱える制約を打ち破ってな!」

 

いつの日かダンブルドア先生が言っていた。リドルは子供なのだと。……その通りだ。大きな力を持った子供。学ぶべきことを学ばぬままで、彼はこんな場所まで来てしまったのだろう。

 

やっぱりもう遅かったのか。怒りでもなく、悲しみでもなく、静かな諦めを心のどこかで感じながら、杖を眼前に立てて背中越しにアメリアへと話しかける。身勝手な我儘なのは自覚しているが、これは私のやるべきことなのだ。

 

「手出しは無用よ、アメリア。悪いけど、これは私の闘いなの。」

 

それを見たリドルもまた、作法通りに杖を立てながら後ろに並ぶ死喰い人たちの方へと指示を送った。

 

「お前たちは絶対に手を出すな。この女は俺様の獲物だ。……その間、他の有象無象と遊んでやれ。」

 

それを聞くや否や死喰い人たちが呪文を放ち、私の後ろの味方たちも応戦し始める。周囲を彩る激しい戦闘の音を感じながら、私とリドルはゆっくりと眼前に掲げた杖を下げて……鏡合わせのように同時に呪文を放った。

 

エクスペリアームス(武器よ去れ)!」

 

アバダ・ケダブラ(息絶えよ)!」

 

お互いの呪文の閃光が激突するのと同時に、いつもの七体の人形を差し向けるが……リドルのローブの中から出てきた巨大な蛇が攻めかかる人形たちを打ち払い始める。かなり知性を感じる動きだ。ただの蛇じゃないな。

 

それに、リドルの杖が変わっている。嘗て見たイチイの杖ではなく、ひどく歪な形状の真っ白な杖だ。つまり、杖作りを誘拐したのは杖を変えるためだったのか? 拮抗する閃光に魔力を注ぎながら疑問を感じていると、リドルが凄惨な笑みを浮かべて言葉を寄越してきた。

 

「ロンドン、魔法省、ホグワーツ。……それだけだと思っているのか? 俺様がそんな凡百の手を打つとでも?」

 

「……どういう意味かしら?」

 

「下調べはとうに済んでいる。……『紅魔館』、だったか? 貴様やコウモリどもの住処だ。まだ無事ならばいいがな。」

 

それは……ええ? 嘘だろう? 勝ち誇るように言ってきたリドルの言葉を聞いて、思わず場にそぐわぬ呆れ顔が浮かんでしまう。まさかこいつ、紅魔館を攻めようとしているのか? 事もあろうに満月の夜に、枷の無いフランや美鈴さんたちが守っている館を?

 

何を考えてるんだ、リドル。私の表情を見て笑みが薄らいだポンコツ帝王へと、拮抗していた閃光を頭上に逸らしながら口を開いた。

 

「貴方ね……酷い悪手よ、それは。この世界には貴方や私程度じゃどうにもならない存在がいくらでも居るの。その中でも『とびっきり』なのがあの館には居るんだからね。」

 

「強がりを言っている場合か? そんな言葉で俺様が動揺するとでも?」

 

「これは本心からの忠告なん……だけどね!」

 

リドルが飛ばしてきた無言呪文を弾いてから、言葉と共にお返しを撃ち込む。紅魔館か。確かにあの場所はレミリアさんの急所だ。狙いとしては悪くないかもしれないが……うん、やっぱり悪手だな。下調べ不足だぞ。

 

僅かに浮かんできた『紅魔館担当』の死喰い人への同情を振り払いつつ、アリス・マーガトロイドは集中し直して杖を振り上げるのだった。

 



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カゴメカゴメ

 

 

「あの、本気で言ってます? それ。……ひょっとして、頭がおかしいんですか?」

 

気が狂ったとしか思えない提案を放ってきた死喰い人を前に、紅美鈴は呆れ果てた半笑いで問い返していた。『スカーレットの妹』を人質にする? 正気か? 人質になる、じゃなくて?

 

日付はさっぱり分からんが、とにかく満月の夜。いつものように紅魔館の門前で居眠りをしていたところ、近付いて来る集団の気配で目を覚ましたのだ。人間、巨人、も一つおまけに吸魂鬼。よく分からん集団は館に侵入しようとして、小悪魔さんが起動したパチュリーさんのよく分からん防衛魔法に阻まれ、あたふたと右往左往した末に門前でのんびりする私を見つけたらしい。うーん、お粗末すぎるな。

 

そして代表らしき中年の死喰い人が、『スカーレットの妹を出せ』と杖を向けながら言ってきたわけだが……自殺行為だぞ、それは。別にお呼びして連れて来てもいいけど、派手な花火になって死んじゃうだけじゃないか? ドッカーンって。

 

もしかしたら、物凄く迂遠な自殺なのかもしれない。特殊性癖の破滅願望者だとか? 訳の分からない提案を受けて困惑する私に、斑白髪の男は全然状況を理解していない顔で返事を寄越してきた。

 

「自分の置かれている状況が理解できないか。……まあいい、この女を殺せ。姿くらまし妨害術は展開したな? では、この悪趣味な館を捜索しろ!」

 

違う違う、理解できてないのはお前の方だぞ。気取った感じで『悪趣味な館』の捜索を命令したリーダー君に従って、背後に並んでいた巨人の一人がのっしのっしと近付いてきたところで……それ見たことか、お前らが騒ぐから遊びに来ちゃったじゃないか。

 

「おきゃくさまだー! もてなせー!」

 

門の方から喧しいはしゃぎ声と共に、館中から集まったらしい妖精メイドたちが飛び出してきた。どいつもこいつも久々の『遊び相手』を見つけて満面の笑みだ。これは面倒くさいことになってきたぞ。

 

「何だ、こいつらは? ピクシー? ……何でもいい、殺せ!」

 

その数を見て慌てたようにリーダー君が命令を下すが、きゃーきゃー騒ぐ妖精メイドたちは身軽な動きで呪文の閃光を避けると、軽めの妖力弾を敵の集団へと撃ち込み始める。うーむ、酷いな。中々コミカルな状況だ。

 

「怯むな! 単純な衝撃魔法だ! 落ち着いて対処しろ!」

 

「魔法じゃないよ、弾幕だよー。」

 

飛び回る笑顔の小さなメイドたちと、真剣な表情でそれと戦う死喰い人。もう滅茶苦茶じゃないか。緑の閃光を食らってピチュる時すら楽しそうだし、知らぬ者からすれば結構猟奇的な存在なのかもしれない。

 

「帰ってくださいよ、メイドさんたち。このままだと事態がややこしく……おっと。」

 

さて、どうしよう。この状況をどうにかするのは至難の業だぞ。殴りかかってきた巨人をカウンターでぶっ飛ばしながら考えていると、今度は背後から聞き慣れたおっとりした声が飛んできた。

 

「ご苦労様です、美鈴さん。門は私が守っておきますから、突っ込んで遊んできてもいいですよ?」

 

おお、エマさんだ。彼女も騒ぎを聞きつけて来てくれたのだろう。普段と変わらぬ雰囲気でふにゃりと笑いかけてきたエマさんに、苦笑して頭を掻きながら口を開く。どうやらうずうずしてたのがバレちゃったらしい。

 

「ありゃ、エマさん。……じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます。門はお願いしますねー。」

 

「はーい、応援してますよー。」

 

まあ、エマさんなら問題あるまい。夜だし、満月だし、ハーフヴァンパイアだし。ニコニコ微笑みながら手を振るエマさんに手を振り返してから……一気に距離を詰めて、先ずは必死に指揮を執っているリーダー君をぶん殴ってやった。悪いが、頭から潰すのは兵法の常道なのだ。もう収拾なんて付かないだろうし、それならもっと混乱してもらおうじゃないか。

 

「ロドルファス! ……おのれ、アバダ──」

 

「あーっと、それはイヤです。拒否します。」

 

賢い私はもう覚えたんだぞ。アバダなんちゃらが緑のやつだ。首から上が無くなったリーダー君を見て、激昂してこちらに杖を向けてきた死喰い人を蹴っ飛ばしてから、今度は巨人を減らすべく周囲を見渡す。驚いたことに妖精メイドたちもそれなりの戦力になってるし、私はこっちを相手にすべきだろう。

 

ちなみに、辺りを飛び回る吸魂鬼たちは何の役にも立っていない。そりゃあそうだろう。今のこの館には人間など一人も居ないのだから。今も上空で館の敷地内に侵入しようとしているが、見えない障壁のようなものに弾かれるばかりだ。……二階の窓際でしたり顔の小悪魔さんが薄い胸を張っているのを見るに、これも彼女が起動したものらしい。

 

そしてエマさんに任せた門の付近では、何故か仲間割れのようなことが起きている。恍惚とした表情の死喰い人たちがお互いに杖を向け合って……ふむ、あれも魅了の一種なのかな? なんか、戦い方がお嬢様たちよりヴァンパイアっぽいぞ。吸血鬼三人娘は大抵力技だし。

 

色々と余計なことを考えつつも巨人の足の甲を踏み砕き、苦悶の声を上げながら屈んだところで近くなった顔をぶん殴っていると、館の方から鈴を転がすような可愛らしい声が響いてきた。戦場にはひどく不釣り合いな、幼くて庇護欲を誘う感じの──

 

「……キュっとしてー、」

 

その声の主を認識した瞬間、目の前の全てを放り投げて横に全力で跳ぶ。ひゃー、超こわい。うなじの毛が逆立つのを感じながら着地すると、世界そのものが軋むような異音と共に……いやはや、相変わらずド派手な能力だ。盛大に弾け飛ぶ巨人の姿が見えてきた。

 

「ドッカーン!」

 

うーん、『跡形も無い』という表現がピッタリだな。私の近くに居た八メートル近い巨人は、今やビタビタと降り注ぐ細かな肉片になってしまった。それを見た周囲の全員が動きを止めて、ほんの一瞬でこの場を支配した小さな女の子へと視線を送る。きっと彼女から発せられる根源的な力を感じ取ったのだろう。名状し難い圧倒的な力を。

 

「ごきげんよう、皆様。紅魔館へようこそ! スカーレット家が次女、フランドール・スカーレットが歓迎いたしますわ。」

 

私、エマさん、妖精メイドたちは当たり前として、死喰い人や巨人、吸魂鬼までもがその動きを止める中、門前に立つ妹様はスカートを摘んでふわりと広げた後、サイドテールを揺らしながら可愛らしくお辞儀した。……やっばいなぁ、起きてきちゃったか。今日は満月なんだぞ。

 

頰を引きつらせる私を他所に、ニコニコ笑う妹様はこちらに歩み寄りながら声を上げる。子供っぽくて、どこか妖艶。相反する雰囲気が纏う異様さを際立ててるな。

 

「えーっと……それで、何の御用かしら? 今は私がこの館を預かってるんだけど。」

 

当然、誰一人として返事を返そうとはしない。何たって今の妹様にはそうさせるだけの迫力があるのだ。口をむにむにさせながら、ちょこちょことキュートな仕草で歩いて来るが……うーむ、怖い。これは説明できない類の恐怖だな。『絶対にヤバい』存在が少女のカタチをしている。それがこの場の全員の感想だろう。

 

シャラシャラと翼飾りを揺らす妹様は、そのまま手近な死喰い人の下まで歩いていくと、彼のことを真紅の瞳で覗き込みながら質問を投げかけた。対する若い死喰い人はもう既に泣きそうな表情だ。蛇に睨まれた蛙、吸血鬼に睨まれた人間。動きたくても動けないのだろう。

 

「ねぇねぇ、何しに来たの? ……あれ、泣いちゃうの? 泣いちゃうくらいなら来なきゃよかったのに。どうして来たの? 間違えちゃったの?」

 

「ち、違う。俺は……命令で、仕方なく。だから、その──」

 

「ふーん、仕方なかったんだ。どうしよっかなー。それなら許してあげようかなー。迷っちゃうなー。」

 

震えるか細い声を遮って、人差し指を唇に当てながら考え始めた妹様だったが……いきなり満面の笑みになると、お人形のような手のひらを目の前の哀れな子羊に向けて言葉を放つ。

 

「やっぱりやーめた! きゅっ!」

 

輝く笑顔の妹様が小さなおててを握り締めた瞬間、風船が破裂するような音と共に話していた死喰い人が『破壊』される。……敵方にとっては悪夢だろうな。こういう意味不明な存在が一番怖いんだぞ。賢い私は知っているのだ。

 

正確に何が起こったのかは分からないが、妹様が『目』を潰す瞬間の悪寒は感じられたのだろう。何度経験しても慣れない、あのひどく冒涜的な感覚を。周囲の全員が息を呑むことすら躊躇う中、妹様はコテンと首を傾げながらポツリと呟いた。

 

「ありゃ? 脚だけ狙ったつもりなんだけどなぁ。やっぱり上手いこと制御できないや。」

 

隙間妖怪の枷を外して以来、妹様の能力はよく『ブレる』らしい。吸血鬼としての力が制限される昼間はある程度使い熟せるそうだが、夜は意図せぬものまで破壊してしまうようだ。それが満月の夜となれば尚更なのだろう。

 

だから妹様の登場は私にとってもあまり宜しくない事態だ。それはつまり、意図せず『とっても優秀な賢い門番』を破壊してしまう可能性だって大いにあるということなのだから。私が肝を冷やしている間にも、一つ頷いた妹様は館に向かって大声で指示を出す。

 

「ま、いっか。……こあー! 外側の障壁も閉じちゃってー!」

 

その声が終わるか終わらないかといったところで、紅魔館を更に大きく囲むように半透明のドーム型の障壁が現れた。これで私たちと死喰い人は二つの障壁に挟まれる形になったわけだ。残念、もう帰れないからな。吸血鬼の館なんかに来るからこうなるんだぞ。

 

退路が断たれたのを確認して、ようやく金縛りが解けたかのように動き出した死喰い人たちを見ながら、妹様が愉しそうな笑顔で口を開く。もはや見慣れた吸血鬼の笑みだ。今の表情だけはお嬢様や従姉妹様にそっくりだな。

 

「美鈴、エマ、競争だからね。死喰い人は一点、巨人と吸魂鬼は二点、妖精メイドはマイナス一点だよ? それじゃあ……はい、スタート! きゅっ!」

 

言うや否や巨大な『二点』を破壊した妹様に従って、急いで近くに居た『一点』を片付ける。この雰囲気からしてビリに罰ゲームがあるのは間違いあるまい。絶望的な顔をしているエマさんには悪いが、本気でいかせてもらうぞ。

 

妹様の能力に巻き込まれる『マイナス一点』を横目に、紅美鈴は久々に本気で気力を巡らせ始めるのだった。

 

 

─────

 

 

「それで、何だってロングボトムが一緒なんだい? 私は同行者を募れだなんて指示を出した覚えはないぞ。」

 

太ったレディの姿が消えている肖像画の前で、アンネリーゼ・バートリは呆れたように問い質していた。本来ハリーだけでいいはずなのに、どんどん人数が増えてるじゃないか。もう勘弁してくれよ。

 

大広間で教員たちとの情報のやり取りを終えた後、約束通り談話室の前まで三人を迎えに来たわけだが……そこには透明マントを被ったハリー、ハーマイオニー、ロンの他に、何故かロングボトムの姿があったのだ。ピクニックに行くんじゃないんだぞ。

 

腰に手を当ててジト目で睨む私の問いに、ハーマイオニーが申し訳なさそうな表情で言い訳を寄越してくる。

 

「つまり、その……出て行こうとしてるところを見られちゃったのよ。そしたらネビルが、足手纏いにはならないから自分も連れて行って欲しいって言い出して。どうしても一緒に行きたいらしいの。」

 

「残念ながら、私の返事はノーだ。どれだけの覚悟があるのかは知らないが、決意と現実には天と地ほどの差があるのさ。ロングボトム、悪いが今回は──」

 

「お願いだよ、アンネリーゼ。僕も連れて行って。……何かあったら見捨ててくれて構わないから。邪魔だけは絶対にしないよ。」

 

私の言葉を遮って、ロングボトムは必死の表情で説得を仕掛けてきた。……そもそも、何でそこまで同行したがるんだ? 安全な談話室に居ればいいだろうに。面倒な状況に足をコツコツと鳴らしていると、今度はハリーがおずおずと話しかけてくる。

 

「あのさ、連れて行ってあげてもいいんじゃないかな。ネビルも最近は頑張ってたし、彼にだって戦いたい理由はあるわけでしょ? ……ほら、ホグワーツ特急で聞いたような理由が。」

 

「キミたちはいまいち理解してないようだがね、私たちは今から殺し合いに行くんだぞ? ハイキングついでの死喰い人見学ツアーに行くわけじゃないんだ。……私はキミたち三人を守り切る自信があるし、そのつもりでいるが、ロングボトムまでは約束できない。いざとなれば本当に見捨てるよ? それでも良いのかい?」

 

実際のところ、もしハリーたちに危険が生じるとなれば私は迷いなくロングボトムを切り捨てるだろう。ここ数年で多少判断が甘くなった自覚はあるが、それでも優先順位を違えるほどには耄碌しちゃいないのだ。

 

冷たい表情で言い放った私に、後ろの三人は若干怯んだものの……当のロングボトムは一歩を踏み出しながら頷いてきた。ああもう、面倒くさいことになっちゃったな。

 

「もちろんそれで構わないよ。もしそうなっても全部僕の責任だ。……頼むよ、アンネリーゼ。」

 

「……何があろうと私の指示に従うと約束できるかい? 迷わず、瞬時にだ。」

 

「出来る。絶対に従うよ。」

 

真っ直ぐに首肯してくるロングボトムを見て、大きなため息を吐きながら額を押さえる。そうは言っても、実際にロングボトムを見捨てればアリスあたりに怒られてしまうだろう。当然、ハリーたちも良い気はすまい。である以上、連れて行くならなるべく守り切る必要があるわけだ。

 

どんどん厄介になる状況にうんざりしつつも、ケ・セラ・セラの気分で口を開く。まあ、今のここはパチュリーの城なんだ。なるようになるさ。ならなかったらその時考えよう。

 

「分かった。……だが、全員忘れないようにね。私が隠れろと言ったら隠れる。走れと言ったら走る。どんな疑問があっても即座に実行するんだ。それだけは約束してくれ。」

 

私の言葉に全員が頷くのを確認したところで、廊下の奥からコツコツと規則正しい足音が近付いてきた。おや、我らが副校長閣下のお出ましか。例の防衛魔法とやらを起動しに来たのだろう。

 

「バートリ女史、もうよろしいですか?」

 

「ああ、時間を取らせて悪かったね。もう大丈夫だよ。」

 

「では、こちらへ。」

 

歩み寄ってきたマクゴナガルは一度ロングボトムの姿を怪訝そうに見るが、結局は何も言わずに私たちを廊下の先へと誘導し始める。ロングボトムの方も私への対応にほんの少しだけ疑問げな表情になったものの、やがて納得するかのような苦笑を浮かべて付いてきた。それぞれ心中で何らかの結論を導き出したようだ。

 

そのままマクゴナガルに従って談話室からかなり離れた場所まで移動したところで、くるりと振り返った副校長どのは複雑に杖を振りながら長ったらしい呪文を唱え出す。おお、今まで見た中で一番『魔法使い』っぽい光景だな。逆に新鮮だぞ。

 

「……凄い。全然理解できないわ。とっても古い、複雑な魔法だってことが分かるくらいね。」

 

「僕も全然理解できないよ。初めて意見が一致したな、ハーマイオニー。」

 

ロンの肩を竦めながらのコソコソ話が耳に入ってきたところで、ようやく呪文を完成させたらしいマクゴナガルが大きく杖を振ると……一瞬のうちに談話室前の廊下が紅蓮の炎に包まれた。不思議な炎だな。廊下にある物は何も燃やさず、ただこの場を守るかのように轟々と渦巻いている。

 

「お見事、マクゴナガル。」

 

何だか知らんが、大した光景じゃないか。ぺちぺちと手を叩いて褒めてやると、マクゴナガルは苦笑しながら返事を返してきた。

 

「ノーレッジさんの見つけ出した魔法を起動しただけですよ。やり方も全て教えてもらったものですし、私の力ではありません。」

 

「だからと言ってそこらの木っ端に起動できる類の呪文には見えないけどね。……まあ、何でもいいさ。それじゃ、私たちは渡り廊下の方に行ってくるよ。」

 

「どうか四人をお願いいたします、バートリ女史。」

 

「任せておきたまえ。」

 

深々と頭を下げてくるマクゴナガルもまた、本当は生徒たちを戦場になど行かせたくはないのだろう。だが、ここらできちんと経験しておかねばなるまい。少なくともハリーは実際の戦いを知るべきだ。……子守付きの戦いだが。

 

未だ頭を下げ続けているマクゴナガルを背に、一階への階段がある方へと歩き出す。普段は見せぬ副校長の姿を見て何かを感じ取ったのか、四人は更に真剣な表情に変わって後ろを付いてきた。

 

「それで、何処に行くの? 渡り廊下って言ってたけど。」

 

「西側の城外に通じる渡り廊下さ。ほら、競技場に行く時に使うやつだよ。パチェが言うにはあそこに敵の別働隊が……おっと、悪童たちじゃないか。」

 

ハリーに答える途中で目に入ってきた姿を見て思わず呟くと、向こうで杖を構えて何かをしていた双子とジョーダンも驚いた表情で近寄ってくる。成人組ももう動いてたのか。

 

「よう、アンネリーゼ! そっちは何を……ロン? 何してるんだ、お前。何で出てきた!」

 

「このバカ! 寮に居ろって言っただろうが!」

 

おやおや、何だかんだ言ってもお兄ちゃんだな。挑戦的な笑みから一変、心配そうな顔になって駆け寄ってくる双子へと、ロンが決然とした表情で返答を送った。

 

「ハリーも、リーゼも戦うんだ。僕も戦う。当たり前のことだろ?」

 

「何が当たり前なんだよ。……そりゃあ、じっとしてられない気持ちは分かるけどな。お前はまだ十六歳だ。戦いに参加するような年齢じゃないはずだぞ。」

 

「成人まではあとたった一年だろ? ……僕だってバカじゃない。実力が足りてないのは分かってるさ。でも、四人で一人分くらいにはなれるはずだ。」

 

「だがな、ロン、お袋だって──」

 

背後で繰り広げられるウィーズリー家のやり取りを尻目に、苦笑しながらそれを見ているジョーダンへと話しかける。双子には悪いが、もう寮には戻れん。だからどうにもならんのだ。

 

「やあ、ジョーダン。成人組は何をしているんだい?」

 

「ん? ああ、防護魔法を城の色んな場所から飛ばしまくってるのさ。『ムラ』が出来ないようにってフーチに言われててな。」

 

「ふぅん?」

 

言いながらジョーダンが指差した窓の外を見てみると、城のあらゆる場所から白い光の玉が空へと昇っていく光景が見えてきた。光は城を包む巨大な膜のようなものに吸い込まれて、それに従って膜が更に大きくなっているようだ。

 

「こんなこと言ってる場合じゃないと思うんだけど……でも、綺麗ね。」

 

「まあ、そうだね。塵も積もれば、ってやつかな。」

 

ホグワーツを包む、どデカいシャボン玉みたいだな。ポツリと呟いたハーマイオニーに頷いていると、双子がロンへと注意を送っている声が聞こえてくる。どうやら説得は終わったらしい。

 

「お前もウィーズリーの男ってことだな。……いいか? 絶対にアンネリーゼから離れるなよ? 何があっても、何を目にしてもだ。」

 

「俺たちはお前の死体をお袋に届けるなんて絶対に、絶対に嫌だからな。それこそ死んだ方がマシだ。だから、死んでも死ぬな。それだけは守ってくれ。」

 

「分かってる。……兄貴たちこそ無茶しないでくれよ? 死喰い人は悪戯を仕掛けるべき相手じゃないんだ。さすがにそのことは分かってるよな?」

 

「なに、俺たちだってジョークの通じないヤツには仕掛けないさ。あんなヤツらに俺たちの悪戯グッズを使うのは勿体無いしな。」

 

最後にフレッドが戯けるように言うと、ロンはぎこちない笑顔で頷きを返した。何とも言えない空気が場に降りる中、私がそれを破るように声を上げる。悪いが、時間が押しているのだ。現地で説明する時間も必要だし、急がねば。

 

「それじゃ、行こうか。キミたちも頑張りなよ、悪童諸君。」

 

「ロンを……っていうか、四人のことを頼むぞ、アンネリーゼ。」

 

「んふふ、今日は頼まれるのが多い日だね。分かってるさ、任せておきたまえ。」

 

ひらひらと手を振りながら背中越しに返事を放つと、私に続いて五年生四人も口々に挨拶を交わしてから歩き出す。そのまま一切動かなくなっている中央階段を下り始めたところで、ハーマイオニーが小声の疑問を寄越してきた。

 

「ねえ、リーゼ? 談話室の前で『殺し合い』って言ってたけど、あくまで比喩表現なのよね? だから、その……私たちは殺したりはしない。そうでしょう?」

 

「さて、どうかな。私としては、死の呪いを撃ってくるヤツには死の呪いで返すべきだと思ってるけどね。……ただまあ、キミたちはそうじゃないんだろう? なら、無理にやらせたりはしないよ。武装解除やら失神やらで十分だ。」

 

「死の呪いは許されざる呪文よ? そりゃあ、生命の危機には使用が認められる場合もあるけど……でも、基本的には使うべきじゃない呪文だわ。他に選択肢があるならそっちにすべきよ。」

 

「誰もがそう思ってるわけじゃないってことだよ、ハーマイオニー。呪文はただ呪文なんだ。そこに意思なんかない。結局は単なる手段に過ぎないのさ。」

 

一階の廊下を進みながら言ってやると、ハーマイオニーは難しい表情で黙り込んでしまう。……ま、『ホグワーツ的』な言葉じゃないのは確かだろうな。こればっかりは染み付いた考え方の問題だ。どっちが正しいというわけでもない。

 

私の言葉を受けて何かを考えている様子のハリーたちと共に西側の渡り廊下に到着すると、先程よりも厚くなっている障壁の向こうに夜の校庭が見えてきた。……さて、あとは相手を待つ前に注意事項を説明しないとな。

 

「それじゃ、最後の説明をするよ。……思考回路を切り替えたまえ。これから始まるのは戦いなんだ。迷えば死ぬからね。」

 

真剣な表情を浮かべて頷いてくる四人を前に、アンネリーゼ・バートリは諸々の『注意事項』を語り始めるのだった。

 



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アトリウムの戦い

 

 

「このっ……デプリモ(沈め)!」

 

襲い来る大蛇を象った炎を杖なし魔法で打ち払いながら、アリス・マーガトロイドはリドルの足元に向かって沈下呪文を放っていた。……さすがに一筋縄では行かないな。これは長引くことになりそうだ。

 

魔法省での戦いが始まってから僅かな時間が経過した今、アトリウムには激しい戦闘音が響き渡っている。目の前の決闘に必死で戦況を把握する余裕はないが、時折上がるアメリアの指揮を聞く限りではほぼ互角の戦いになっているようだ。

 

ただまあ、私にとっては少々動きにくい。死喰い人を巻き込むことに一切の躊躇がないリドルに対して、『常識人』たる私は味方を巻き込みかねない大規模な魔法を使えずにいるのである。だから地面を崩して戦いの場所を人の居ない九階に移したいのだが……まあ、そう簡単にはやらせてくれないか。

 

リドルは私の放った閃光を空中で打ち消すと、杖を素早く動かしながら問いを投げかけてきた。

 

「忌々しい女だ。この期に及んで何故気付けない? ダンブルドアの言葉など薄っぺらな綺麗事に過ぎないことに! ……愛? 愛だと? そんなものが本当に役に立つと信じているのか?」

 

その言葉と共に床を浸していた赤黒い液体が四方から覆い被さってくるのを、思いっきり杖を振って散り散りに吹き飛ばす。ふん、信じているさ。家族の愛、師の愛、そして友の愛。私はそれらに何度も救われてきたのだから。

 

「人の想いは力を持つのよ。時に堅固な法則すら捻じ曲げるほどの力をね。……貴方だって魔法使いなら分かるでしょう? 何も知らない子供が魔法を使う時のような、とても純粋な原初の力。私の信じているものはそれよ。」

 

「ならば憎しみとて同じことだ。怒りも、絶望も、渇望もな。それが愛である必要などない!」

 

「いいえ、あるのよ。……きっと貴方には分からないんでしょうね。この感情がどれだけ重いものなのかが。」

 

私には分かるぞ。己の全てを擲ってでも誰かのためになりたいという想いの強さが。憎しみや怒りのエネルギーだって否定はしない。確かにそれは人を、魔法を強くするのだろう。……だけど、私は信じているのだ。愛こそが最も重要で、最も強い力なのだと。

 

説明できないだろうな、これは。なんたってこの感情は理屈じゃないのだ。ならば、そもそも『それ』を知らないリドルは理解できまい。心の中の諦めを感じながらも、杖を振って自分の周囲を煙幕で包む。

 

フューモス(煙よ)。……貴方こそ、いつになったら自分の間違いに気付くの? 永遠の命なんてロクなものじゃないっていうのがまだ分からないのかしら?」

 

「それは弱者の言葉だな、マーガトロイド。途中で立ち止まり、諦めた者の言い訳だ。……だが、俺様は違う。どれだけの時を掛けようと、必ず至ってみせるぞ。何を犠牲にしようが、何を対価に捧げようが、必ずその場所にたどり着いてみせる。これまでそうしてきたようにな!」

 

叩き付けるような杖の一振りで私の煙幕を散らせたリドルへと、今度は散った煙幕を白い鎖に変えて巻き付かせていく。人形たちは……ダメか。リドルに寄り添う大蛇の妨害で上手く機能していないようだ。今日持たせているのは戦闘用の刃物なのに、その巨体が傷付いている様子もないし、ひょっとして魔法生物だったりするのだろうか? 何にせよ厄介だな。

 

「そして貴方には何が残るの? たどり着いたその場所で一体何をしたいっていうの? ……行き着く先は独りぼっちよ。仮に成功したところで、貴方はきっと後悔するわ。もう後戻り出来ない道の終点でね。」

 

「だから大人しく受け容れろと? 己の消滅を、消え去ることを唯々諾々と受け容れろと? ……そんなことは認められない。手の届く場所に永遠が在るのに、諦めることなど出来るものか!」

 

自身に巻き付いた白い鎖を無言呪文で焼き払ったリドルは、私に突きつけた杖を捻るように回しながら声を放った。

 

「聞こえの良い『正論』を並べ立てるのはさぞ気分が良いだろうな、マーガトロイド。……だが、誰もがそれに納得できるわけではない! ダンブルドアも、貴様も、何様のつもりだ? 一体何の権利があって人の『望み』に口を出す? 自分たちが納得できたからといって、俺様にも納得して引き下がれと?」

 

声と共に崩れた壁の破片が私に向かって飛んでくるのを、盾の呪文で防ぎながら返答を返す。分からず屋め。私たちがお前を止める理由はそこじゃないぞ。

 

「まるで子供の癇癪ね。ご大層な大義を偽って、人様に迷惑をかけているから私たちはそれを止めるのよ。邪魔されたくないんだったら、一人で勝手に研究して不死を目指してればよかったじゃないの。」

 

例えば、研究のために世を捨てたパチュリーのように。それなら文句など無いのだ。世界の隅っこで不死を目指すなり、トカゲを目指すなり、好きにやればいいさ。呆れたような口調で言い放ってやると、リドルは再び私の方に杖を突き付けて口を開いた。おや、怒ったか?

 

「偽っているのはどちらかな? マグルのために、ヨーロッパのために、魔法界のために。下らんな。本当は魔法族の誰もがマグルの上に立ちたいはずだ。イギリスの誰もがヨーロッパの頂点に立ちたいはずだ。誰かを下にすることで優遇され、優先されたいはずだ! ……だからこそ俺様にこれだけの魔法使いが付いてくる! 『本当の願望』を叶えてくれる俺様にな!」

 

「単なる我儘よ、それは!」

 

リドルの杖先から勢いよく放たれた緑の閃光を、渾身の盾の呪文で何とか逸らす。それが通ってしまえば世の中は滅茶苦茶になるんだぞ。譲り合い、妥協し合わなければ何にも出来ないだろうに。

 

「手に入れるぞ、俺様は! 自らの望むものの全てを! 地位を、力を、不死を! 貴様らのように己の心を偽り、安っぽい妥協などしない! 手を伸ばすことを止めない! それこそが人の本来在るべき姿なのだ!」

 

「原始的に過ぎるわね。純粋で、そして愚かだわ。」

 

あまりにも剥き出しの欲求だ。一切の仮面を被らずに、ただ己が望むままに突き進んでいく。……残念だが、やはり議論の余地は無さそうだな。リドルと私とでは根底を成す価値観が違いすぎる。どれだけ話し合ったところで、もはや分かり合うのは不可能だろう。

 

ならば、もう力で止めるしかあるまい。ほんの僅かに残っていた微かな希望が消え去るのを感じながら、準備していた呪文へと更なる魔力を注ごうとしたところで……アトリウム中に轟音が響き渡るのと同時に、頭上から大量のガラス片が降り注いできた。誰かが各階の窓やら何やらを思いっきり破壊したようだ。

 

「もうっ!」

 

「ちぃっ!」

 

面倒くさいことをしてくれるじゃないか。鏡合わせのようにそれを確認して、これまた同時に杖を振って左右にガラス片を吹き飛ばす。生まれた僅かな隙で周囲を見渡してみると、アトリウムの各所で戦っている顔見知りたちの姿が見えてきた。

 

アメリアはベラトリックス・レストレンジと一対一で均衡。向こうでエバン・ロジエールに押されているのは……ブラックとアーサーか、きつそうだな。やっぱりあの男と対等に戦えるのは魔法省だとムーディくらいのものなようだ。

 

それに防戦一方で斧と杖を持った大男と戦っているロビン・ブリックスと、三対一をなんとか凌いでいるロバーズ。その奥ではビルとチャーリー、それにパーシーのウィーズリー三兄弟が味方の先頭で杖を揮っている。

 

一瞬だけ見えた状況を脳裏に刻んでから、再び目の前のリドルへと向き直った。……厳しいな。未だ倒れている敵味方は少ないが、どこかが崩れれば一気に崩壊するだろう。味方にせよ、敵にせよだ。

 

「そもそも、どうして魔法省なんかに来たの? ロンドンのお馬鹿さんたちはすぐに制圧されるわよ? 勿論、ホグワーツもね。」

 

質より量で無言呪文を放ちながら問いかけてやると、リドルは凄惨な笑みを浮かべて答えてくる。……ふん、別に怖くないぞ。私はお前が子供の頃を知ってるんだからな。不安そうな、でもどこか期待しているような表情で、初めて目にするホグワーツ城を見上げていたあの頃を。

 

「それは貴様がこの場所を選んだからだ。……先ずは貴様を殺さねば何も始まらない。いつまでも俺様の歩みを止めさせてなるものか。ハリー・ポッターや魔法省などその後でどうにでも出来る。」

 

「あら、全部無理だと思うわよ? 最初に終点を選んだのが運の尽きね!」

 

変な順番だな。私の重要度なんか大したことないはずだぞ。疑問に思いながらも床に散らばるガラス片を浮かせて……リドルが私の無言呪文を捌いている隙に、人形と戦う大蛇の方へと殺到させた。このままでは堂々巡りだし、物は試しだ。先に人形たちの優位を確保してみよう。

 

オパグノ(襲え)!」

 

「余計な真似を……デパルソ(退け)!」

 

ふむ? 単なる牽制としてやってみたのだが、わざわざリドルは有言呪文を使ってまでそれを防いだ。妙だな。貴重な一手を使ってまで大蛇を助ける? リドルらしからぬ行動じゃないか。

 

感じた違和感に目を細めながらも、生まれた隙に付け込もうとしたところで……マズいな。視界の隅でロビンが吸魂鬼に押さえ付けられているのが見えてしまった。既に吸魂鬼は顔を覆っていたフードをたくし上げ、その異形の『口』を露わにしている。

 

周りのフォローは……ダメか。周囲の味方は皆余裕がなさそうだ。心の中の冷静な部分が送ってくる制止の声を振り切って、杖をそちらに向けて呪文を唱えた。きっついな、これは。先程の隙を差し引いても、一手リドルに譲ることになるか。

 

エクスペクト・パトローナム(守護霊よ来たれ)!」

 

吸魂鬼に向かってくるりと丸く杖を振る私の視界の端に、嘲るようなリドルの表情が映る。味方を見捨てられない私を愚かだとでも思っているのだろう。だが、これが私なのだ。ここでロビンを見捨ててしまえば、それはもう私ではない。

 

せめてもの抵抗として七体の人形を一斉にリドルへと差し向けつつ、私がライオンの守護霊を生み出した瞬間──

 

「……馬鹿な。」

 

私の隙を突こうと杖を振り上げたリドルがほんの一瞬、刹那の時間だけ動きを止めた。その目を大きく見開き、ロビンの下へと走る銀色の獅子を驚愕の表情で見つめている。まるで信じられないものを目にしたかのような反応だ。

 

「ヴェイ──」

 

何を見ているのか、何を考えているのか。そのままリドルが呆然と何かを呟こうとしたその一瞬の最中、真っ正面から近付いていた赤色の人形が彼の杖腕へと思いっきり剣を振り下ろした。

 

「ぐっ……ベラ!」

 

有り得ない。私はリドルが何らかの魔法で防ぐものだとばかり思っていたし、傍の大蛇にしてもそれは同意見だったのだろう。そうするだけの余裕も、技量も、経験も。彼には充分すぎるほどにあったはずだ。それなのにリドルの右腕は床へと落ちて、彼は焦った表情で血の吹き出す肘先を押さえている。

 

「……人形使い! 貴様!」

 

何が起こったのかと混乱する私の思考を、耳に入ってきたベラトリックスの叫び声が引き戻した。反射的に杖を動かして、飛んできた赤い閃光を弾く。……集中しろ、アリス。よく分からない事態だが、何にせよチャンスだぞ。

 

右手の杖で鬱陶しいイカれ女の呪文を捌きつつも、左手を地面に落ちた青白い腕の方へと向けて、未だ握られ続けている真っ白な杖を杖なし魔法で引き寄せた。

 

「アクシオ!」

 

呪文に従って切り落とされた手の中をするりと離れた歪な杖は、私とリドルを挟む空中で静止する。……リドルも残った左手を杖に向けているのを見るに、あっちも呼び寄せ呪文を使っているらしい。細やかな杖なし魔法は苦手だが、単純な綱引きなら負けないぞ。私を誰の弟子だと思ってるんだ。

 

「マーガトロイドさん! インペディメンタ(妨害せよ)!」

 

「邪魔をするんじゃないよ、ボーンズ!」

 

アメリアが私に呪文を撃つベラトリックスを妨害するのを横目で確認しながら、全力で魔力を注いで杖を手繰り寄せる。杖なし魔法で最も重要なのは、必ずそうなるのだと思い込むことだ。自分の行使する魔法を信じて疑わないこと。

 

かくして静止していた杖がジリジリと私の方へと動き始め、リドルの顔が焦りに歪んだその瞬間……今度は巨体をくねらせて五体の人形を一斉に叩き落とした大蛇が、私に向かって物凄い勢いで突っ込んできた。

 

「……上海、蓬莱!」

 

「ベラ、ボーンズなどに構うな! こちらに集中しろ!」

 

防御を捨てたか? 受けて立つぞ。残った二体の人形をリドルへの攻撃に当てて、ベラトリックスから再び飛んできた呪文を右手の杖で防ぎながら、空いた左手でありったけの魔力を大蛇に放つ。

 

大蛇が傍に居ない状況では、杖のないリドルも二体の人形への対処で動けまい。残る五体の人形が復帰するか、体勢を崩されているアメリアが復帰するか。どちらにせよ私が僅かな時間を凌ぎ切れば勝ちだ。

 

「くぅっ……。」

 

目の前で巨大な口を覗かせて噛み付いてこようとする大蛇を、必死に杖なし魔法で押し留めていると……へ? びっくりした。今度は横合いから駆け寄ってきた銀色の獅子が、そのままの勢いで大蛇に思いっきり食らい付く。何でだ? 私は動かしてないぞ。

 

強靭さを感じさせる獰猛な動きで大蛇を組み伏せたライオンは、素早く巻き付いてくる大蛇の胴体には構わずに、両の手を使って頭と首を押さえ付けると……もがく大蛇の喉元にその大きな牙を突き立てた。

 

「……テッサ?」

 

「ナギニ!」

 

思い出すのは三年前のあの出来事だ。勢いに押されて倒れ込んでしまった私が呆然と呟き、二体の人形を杖なし魔法で打ち落としたリドルが悲痛な声で大蛇のものらしき名前を叫んだ後、いち早く立ち直ったリドルが地面に転がっていた自分の杖を引き寄せる。

 

飛んできた杖を手にしたリドルは、掠れた吐息と共にボロボロと崩れていく大蛇を一瞥してから、搾り出したような大声をアトリウム中に木霊させた。その顔にはもはや余裕の欠片もなく、ありありと怒りの表情が浮かんでいる。

 

「……退くぞ!」

 

その声を受けて、ふわりと消えていく獅子を見つめていた私も慌てて立ち上がった。色々と疑問はあるが、考えるのは後回しだ。今は目の前の戦いに集中しなくては。……でも、どうする? 分霊箱が残る限り、リドルを殺すことは出来ないぞ。

 

ならば、せめて捕らえる努力をしてみよう。決意を固めて杖を構え直したところで、リドルを追おうとする私を邪魔するように呪文の閃光が飛んでくる。ああもう、どこまでも邪魔な女だな、まったく!

 

「やらせないよ、人形使い!」

 

「邪魔よ、ベラトリックス! 引っ込んでなさい!」

 

先程まであの女の相手をしていたアメリアは、追撃を防ごうとする他の死喰い人に絡まれてしまったらしい。血の滴る腕を押さえながら遠ざかるリドルを横目に、ベラトリックスの呪文を捌いて反撃を飛ばす。今はお前に構っている余裕なんか無いんだぞ!

 

「あんまりナメないで頂戴。十五年前ならともかく、もう貴女如きじゃ相手にならないわ。」

 

「黙りな! よくもあの方の腕を! よくも! アバダ・ケダブラ!」

 

憤怒の形相で撃ち込んでくる呪文を、冷静に受け流して優位を詰めていると……部下を纏めながら暖炉の立ち並ぶアトリウムの端っこまで後退していたリドルが、くるりと振り返って言葉を放った。何気ない調子の、ひどく乾いた声色で。

 

「ベラ、最後の命令だ。俺様のために死ね。」

 

何を……? その声が聞こえた瞬間、ベラトリックスは一瞬だけ無表情になった後、刹那の後には狂気を感じる笑い声と共に杖を振り上げる。嬉しそうな、それでいて悲しそうな。私の人生では見たこともないほどに壮絶な笑みだ。

 

「……私の全てはご主人様のために! ボンバーダ・マキシマ!」

 

マズい、武装解除を……間に合わないか。振り下ろした杖から自身の足元に閃光が向かう瞬間、ベラトリックスはまるで憑き物が落ちたかのような微笑みを浮かべて──

 

「プロテゴ!」

 

私が有言魔法を唱えたのと同時に、ベラトリックスを中心とした大爆発が起こった。個人の魔力で引き起こしたとは思えないほどの爆発だ。吹き飛ぶ瓦礫と爆風をなるべく背後に飛ばさないように防いだ後、杖を振って立ち込める煙を払ってみれば……逃げられたか。緑の炎と共に消えて行くリドルの姿が見えてくる。

 

……これも一つの自己犠牲だな。リドルは気付いているのだろうか? ベラトリックス・レストレンジ。彼女の行動もまた、愛によるものであることを。だからこそあれほどの規模の爆発を起こせたのだろう。

 

「まだ気を抜かないように! 残った死喰い人たちを無力化なさい! 倒れていても油断してはいけませんよ!」

 

指揮を執るアメリアの声を背中で感じつつ、優に九階まで貫通している爆心地を見つめる。……嫌な終わり方だな。いくら友の仇と言えど、こんな最期はあまりに哀れだ。刹那に浮かべたあの微笑みは最期まで役に立てた喜びからなのか、それとも己を縛る愛から解放されたからなのか。

 

徐々に収まっていく戦闘の音を聞きながら、アリス・マーガトロイドは虚ろなその穴を瞳に映すのだった。

 



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Magus Night

 

 

「さて、そろそろかしらね。」

 

閑散とした天文台に響く紫の魔女の呟きを聞いて、霧雨魔理沙は遥か下の地面を眺めながら頷きを返していた。もう敵の姿ははっきりと見えている。つまり、間も無く戦いが始まるということだ。

 

ホグワーツ城の南側に広がる大きな湖。その境界に沿って進軍してくるのは百体ほどの巨人の軍勢と、それより尚多い黒ローブと人狼の集団。そして東側の禁じられた森の中でこちらを窺う亡者の群れと、その上空を飛び回る吸魂鬼たち。……やっぱり凄い数だな。今からあれが全部襲ってくるわけか。

 

天文台の縁から準備を整える敵方を見下ろしつつ、ノーレッジに向かってどうするのかと問いかけようとしたところで……おいおい、マジかよ。巨人たちがここまで聞こえるほどの雄叫びを上げながら、石像たちが守る城の正面へと走り始めた。

 

この光景を見てると改めて理解できるな。『デカい』ってのがどんなに理不尽なものなのかが。静寂を切り裂く巨人の叫びに身を震わせながら、今度こそノーレッジに向かって質問を放つ。

 

「お、おい、どうすんだよ。来たぞ。」

 

「そうね、来たわね。そして、あれは悪手よ。……死喰い人の中にはホグワーツの卒業生だって居るはずなのに、何だってあのルートを選んだのかしら?」

 

「どういう意味だ?」

 

「少しは自分で考えてみなさい。貴女もこの城の生徒なら答えを知ってるはずよ。」

 

むう、やけに落ち着いてるな。ノーレッジの素っ気無い返事を受けた私が考え始めたところで、ずっと黙って巨人の方を見ていた咲夜が声を上げる。ちょっとだけ呆れたような声色だ。

 

「うわぁ……そういえば棲んでましたね、あれ。」

 

『あれ』? 咲夜の目線を追って再び湖の方を見下ろしてみると、巨人たちを湖中へと引き摺り込んでいる『あれ』の姿が目に入ってきた。……大イカだ。湖の中から突き出したその巨大な触手で巨人たちを絡め取り、抵抗などものともしない様子で水中へと手繰り寄せている。スケール感が狂うぞ、こんなもん。

 

大きな巨人たちと、それよりなお巨大な触手たち。やけに壮大な戦いの決着が付く間も無く、ジタバタと暴れながら引っ張られていく巨人たちの方へと、今度は一斉に三又の槍が降り注いだ。雨もかくやとばかりの数だ。

 

「……ひょっとして、水中人か?」

 

「そうよ。彼らも契約に従って参戦したの。」

 

そういえば、去年の第二の課題の時にリーゼから聞いた気がするな。大昔にも水中人はホグワーツのために戦ったとか何とかって。ノーレッジの言う『契約』とやらも、きっとそれに関わるものなのだろう。

 

本来ならあまり巨人に対しての打撃にはならなさそうだが、触手に襲われている今となれば話は別らしい。巨人たちは触手の拘束から逃れようともがきながら、降り注ぐ槍に苦悶の呻き声を上げている。

 

それを後方で見ていた死喰い人たちが急いで助けに入っているが……うーむ、あんまり意味はなさそうだな。触手は撃ち込まれる呪文をものともしていないし、水中人たちは素早い動きでそれを避け始めた。それどころかおちょくるようにマーミッシュ語で挑発している。距離があるので声自体はよく聞こえないが、バカにしてるのは仕草で分かるぞ。

 

まあ、ざまあみろだ。右往左往した挙句、次々と降ってくる槍を必死に防ぐことしか出来ていない死喰い人たちに鼻を鳴らしていると、禁じられた森の方を見ていたノーレッジが声をかけてきた。この魔女にとっては巨人たちの惨状など注目に値しない出来事らしい。

 

「……さて、霧雨。こっちに来なさい。南側は湖の住人たちが足止めしてくれるでしょうし、先に貴女への最後の授業を済ませるわ。」

 

飛んできた言葉を受けて、慌ててノーレッジの方へと歩み寄る。……何をするんだ? というか、ひょっとして私のやることも作戦に組み込まれてたりするのか? だとすれば絶対に失敗できないぞ。

 

「それは分かったけど、具体的には何をどうするんだ? この状況で私に出来ることなんて高が知れてるぜ?」

 

緊張しつつも質問を送った私に対して、ノーレッジは冷静な表情で森を指差しながら答えを返してきた。

 

「南側が上手く機能していない以上、敵は恐らく牽制のために亡者を動かしてくるわ。それを貴女が叩くのよ。」

 

「私が、叩く? あれだけの数を? ……おいおい、そんなの無理だぞ! 私にはそんな大それた魔法なんて──」

 

「落ち着きなさい。やり方は教えるし、貴女にはもうそれが出来るはずよ。あとは実行する覚悟だけ。……ほら、分かったらさっさと八卦炉を出して頂戴。まさか寮に置いてきたわけじゃないんでしょう?」

 

もちろん肌身離さず持ち歩いているが……でも、もし失敗したらどうなるんだ? そうなった時に代わる策はあるのか? 真っ青な顔の私が取り出したミニ八卦炉を見たノーレッジは、何かを確認するかのようにその表面を撫でながら説明を続ける。

 

「やることは至極単純よ。炉に渦巻く膨大なエネルギーに方向を付けて、それを思いっきり放出するだけ。タネも仕掛けもない力押し。物凄く単純で、故に理不尽な『切り札』ってわけね。」

 

「だけど、それは絶対にやるなって言ってたろ? 私じゃ制御できないからって。」

 

いつぞやの個人授業でそう言ってたはずだぞ。ちょっとしたミスでエネルギーが拡散したり、力が強すぎてミニ八卦炉が爆発したりするから試すなって。手の中の八卦炉を握り締めながら呟く私へと、ノーレッジは一つ頷いてから返事を寄越してきた。

 

「あの時点ではね。今は違うわ。八卦炉の扱いに慣れた貴女ならもう制御できるはずよ。貴女にだってその自覚はあるでしょう?」

 

「そりゃあ、やり方は何となく分かるけど……それでも危ないだろ! もし失敗したらどうするんだよ。何もこんな状況でやらなくたっていいんじゃないか?」

 

今はホグワーツがどうなるかの、私の知り合いたちの生死が懸った瀬戸際の筈だ。もし私が失敗して、ホグワーツ城に意図せぬダメージを与えたら? 死喰い人の利になるような事故になったら? 最悪の事態を想像する私に、ノーレッジは肩を竦めながら言葉を放つ。

 

「いいえ、今やるの。私は貴女の『切り札』を作戦に組み込んだわ。それは貴女なら出来ると予想したからよ。……腹を括りなさい、霧雨。魔女は度胸でしょ?」

 

なんだよそれは。あんまりにもあんまりな台詞に呆然としていると、やおら近付いてきた咲夜が私の手を取って話しかけてきた。何となく柔らかさを感じる、困ったような苦笑いを浮かべながらだ。

 

「あのね、魔理沙。パチュリー様はとっても頭の良い方なの。そのパチュリー様が出来るって言うんだから、貴女は間違いなく出来るはずよ。」

 

「でも、ぶっつけ本番なんだぜ? それに、今からやろうとしてるのは物凄く危ないことなんだ。失敗したらとんでもないことになるんだぞ。」

 

「うん、分かってる。私には何をやるのかさっぱりだし、何の手助けもしてあげられないけど……でもね、私も魔理沙なら出来ると思うわ。貴女ならきっと、こういう場所で失敗したりしない。ビシッと決めてくれるって思っちゃうの。……まあ、何故かって聞かれたら困るんだけどね。」

 

咲夜の真っ直ぐで静かな声を聞いて、何故か急に冷静さが戻ってくる。ふわふわ浮かんでいた自分が、しっかりと地に足を付けたかのように。……私らしくなかったな。ビビるなよ、霧雨魔理沙。お前は魔女になるんだろ? だったら挑んで、そして成功させろ! これはきっとアリスや、ノーレッジや、魅魔様だって乗り越えてきた道なんだ。

 

「……ん、やってみるぜ。ありがとな、咲夜。信じてくれて。」

 

「そんなの当たり前でしょう? ……ここで見ててあげるから、さっさと決めちゃいなさい。」

 

「おう、任せとけ!」

 

空元気でも自信過剰でもいい、バカみたいに出来ると信じろ。後は自分の積み上げた努力次第だ。それだけは誰にも負けてないはずだぞ。『アイツ』のような理不尽な才能も、リーゼのような種族的優位も、咲夜のような生まれついての能力も私には無いが……積み上げた数だけは誰にも負けないはずだ。

 

迷いを断ち切って禁じられた森に向き直った私へと、ノーレッジが……おお、初めて見た。笑ってるぞ、こいつ。たまに浮かべる皮肉げな魔女の笑みではなく、『ノーレッジ』としての微笑みをその顔に浮かべている。

 

「結構、覚悟は決まったようね。良い友人を得られたことに感謝なさい。」

 

「もうしてるぜ。毎日のようにな。」

 

「あら、そう。……それじゃ、八卦炉を構えて起動して頂戴。若干北側を狙う感じでね。」

 

「北側? あっちにはあんまり居ないと思うぞ。」

 

木の影で暗くなっている所為でよくは見えないが、亡者たちが多く居るのはここから見て真っ直ぐ東だ。染み付いた動作で八卦炉を起動させた私の問いに、ノーレッジはぼんやりと宙を眺めながら答えを返す。

 

「全力で放出するとなれば、今の貴女がエネルギーを撃ち出せるのは長くて七秒ってとこよ。だから、森の縁に沿って横一線に薙ぎ払ってもらうわ。あと少し、もうちょっとだけ左に……そう、そこ。そこから森沿いに動かすの。」

 

「分かった。……一応聞くけど、亡者ってどんな生き物なんだ?」

 

防衛術の教科書によれば、魔法で無理矢理動かされている死者とのことだったが……『薙ぎ払う』という物騒な単語を聞いて少し不安になった私へと、ノーレッジは苦笑しながら口を開いた。

 

「安心しなさい、亡者はもう死んでるわ。私には死んだ経験が無いからあくまで想像になるけど、肉体を滅ぼされるのは彼らにとって『救い』なはずよ。貴女だって死んだ後に好き勝手使われたら良い気はしないでしょう?」

 

「それならいいんだけどさ。」

 

「救ってやりなさいな。死者は現世に振り回されず、ただ静かに眠っているべきなのよ。……大抵の場合はね。」

 

そうじゃない場合もあるってことか? まあ、今聞くことじゃないか。僅かな疑問を胸の奥に仕舞い込みながら、ミニ八卦炉を指示された地点に向けて構えていると……動いたぞ。やや南寄りの森上空を飛んでいた吸魂鬼たちが、一斉に私たちの居るホグワーツ城へと近付いてくる。

 

「吸魂鬼は無視して構わないわ。あの連中は独力じゃ防護魔法を越えられないから。……それより、撃つための準備をしておきなさい。やり方はもう分かるでしょう?」

 

「ああ、大丈夫だ。」

 

炉の中に渦巻くエネルギーを感じながら、複数の卦を通してそれを高めていく。慎重に、でも躊躇わず。これまで学んだ知識を総動員して八卦炉を操作し続けると、炉の中でぐるぐる回る力が徐々に強くなり始める。

 

次第に八卦炉が軋みを上げ、焦げ付くような音が大きくなってくるが……まだいけるはずだぞ。もっと強く、もっと大きく。増え続けるエネルギーが炉に収まる限界を迎えようとした寸前、ノーレッジの鋭い声が私に突き刺さった。

 

「今よ。私が城を覆う障壁を開くから、思いっきり薙ぎ払いなさい。」

 

その声が聞こえた瞬間、エネルギーを押し留めていた枷を外す。途端に私の握るミニ八卦炉から、動き出した亡者たちに向かって膨大な白いエネルギーが放たれた。……ヤバいぞ、これは。物凄い反動だ。

 

開けていた視界が真っ白に染まる。信じられないほどの轟音と、それを感じさせないほどの凄まじい光量。巨大な光の柱。こんなもん閃光なんてレベルじゃないぞ、『砲撃』だ。あまりにも強大なエネルギーに冷や汗を流していると、ノーレッジが興味に彩られた魔女の顔で指示を寄越してくる。

 

「そのまま横に動かしなさい。ゆっくりと、焦らずにね。急に動かすと制御できなくなるわよ。」

 

「分かっ……てる!」

 

両の手で押さえ付けている八卦炉を、じわじわと右に動かしていく。放たれている光があまりにも大きい所為で、もう森なんか全然見えないぞ。記憶を頼りになんとか横一線に動かしていくと……徐々に光が収まり、自分の起こした『惨状』が目に入ってきた。

 

先ず、森に沿うように地面が大きく抉れている。線っていうか、もはや塹壕みたいだな。抉れた地面は白熱しており、その周辺に居たはずの亡者の姿はゼロだ。形すら残らなかったらしい。

 

そして、その付近の森の木が物凄い勢いで燃え盛っている。……更に言えば、ハグリッドの小屋も半分が『無くなって』いて、もう半分は火の中だ。ハグリッドもファングも城の中に避難しているのは知ってるが、これは後で謝る必要がありそうだな。

 

「……こりゃまた、凄いな。」

 

完全に光の収まった八卦炉を下ろして、感想とも言えぬ感想をポツリと呟いた。思い出すのは子供の頃、人里から見た光の柱だ。何処か遠くで名も知らぬ大妖怪が撃ったのであろう、空へと昇っていく純粋な『力』。ずっと離れた場所にある里の住人たちですら恐怖を抱く、圧倒的なほどの暴力。

 

それを見たのはかなり小さな頃だったから記憶が定かでないが、私が今撃った光によく似ていた気がする。在りし日の光景を思い出す私へと、ノーレッジが両手を動かしながら話しかけてきた。開けた障壁を元に戻しているらしい。

 

「心しなさい、霧雨。貴女は力を得たわ。リーゼやレミィ、ともすれば私をも傷付けかねないほどの力をね。……これを何処に、誰に向けるのかは貴女次第よ。よく考えて使いなさい。」

 

「……ん、覚えとく。絶対忘れないぜ。」

 

「賢明な選択ね。……それじゃ、これにて私の授業は終わり。魔女へと至るなり、人間を貫くなり、後は自分で決めなさいな。」

 

終わり、か。軽い口調で言った大魔女の方を向いて、深く頭を下げながら言葉を放つ。思ったよりも疲れてるみたいで上手く身体が動かないが、これだけはきちんと言っておかねばなるまい。

 

「ありがとな、ノーレッジ……先生。お陰で一歩前に進めたぜ。」

 

「取引でしょ。礼は不要よ。」

 

プイと向こうを向いてしまったノーレッジに苦笑してから、ドサリと後ろに倒れ込む。……いやはや、疲れた。一度腰を落とした今、しばらくは立ち上がれそうにないぞ。これは体力ももう少し付けるべきかもな。

 

クタクタの身体を休ませながら新たな課題のことについて考えていると、後ろで見ていた咲夜が隣に座って声をかけてくる。

 

「カッコ良かったわよ、魔理沙。お嬢様方の次くらいにはね。」

 

「へへ、そりゃ残念だな。これでも超えられないか。……ハリーたちは大丈夫かな? こっちが動いたってことは、あっちも動いてるんじゃないか?」

 

「リーゼお嬢様が居るんだから大丈夫に決まってるでしょ。それよりほら、これだけ働いたんだから貴女は少し休んでなさい。」

 

「まあ、そうだな。ちょっと休ませてもらうか。」

 

当然、ホグワーツの戦いはまだ終わっていない。いくら大イカや水中人たちでもあの数の巨人相手では完全に対処し切れないだろうし、死喰い人なんかも大量に残っているのだ。だから、戦況はかなり気になるが……ちょっと今は動けないな。ノーレッジ、リーゼ、教師たちを信じて休んでおくか。

 

ごろりと仰向けになって輝く満月を見上げながら、霧雨魔理沙は皆の無事を祈るのだった。

 



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夜を統べる者

この話の推敲中に致命的なミスに気付いてしまったので、238話『紅い霧の都』の前半ラストを部分改稿しております。申し訳ございません!


 

 

「さっきのは何だったんだろ? リーゼは分かる?」

 

隣に立つハリーの心配そうな呼びかけを受けて、アンネリーゼ・バートリは訝しげに見ていた東側から視線を戻していた。……パチュリーのやつ、何をしたんだ? 物凄い音だったぞ。

 

クィディッチ競技場の方へと繋がる一階西側の渡り廊下。その場所でハリーたちに向けて戦闘に関する説明をしていたところ、突如として凄まじい轟音が鳴り響いたのだ。更に、私ですら肝を冷やすような膨大な力も感じられた。

 

感じた方向が天文台な以上、恐らくパチュリーが何かをしたんだと思うんだが……ビックリするから先に言っとけよな。馴染みのない力だった所為でちょっと焦っちゃったじゃないか。説明不足の魔女に抗議の思念を送りつつ、不安そうな表情のハリーたちへと返答を返す。力はともかくとして、轟音は彼らにも聞こえたはずだ。そりゃあ不安にもなるだろう。

 

「ま、心配ないよ。多分こっちからの『攻撃』だ。」

 

とはいえ、小さな違和感があるのも確かだ。パチュリーはどちらかと言えば細やかに編み上げた大魔法を好んで使うはずだが、感覚からしてさっきのは完全に力押しのそれだった。似合わんな。新しい魔法でも創り出したのか?

 

少し腑に落ちないままで放った私の説明を聞いて、手摺から身を乗り出してどうにか東側を見ようとしているハーマイオニーが口を開いた。危ないじゃないか。下は崖だぞ。

 

「そうなの? でも、物凄い音だったわね。あっちは城でよく見えないけど、音と一緒に少しだけ明るくなってた気もするし……ホグワーツ城の仕掛けか何かなのかしら?」

 

「仕掛けというか、パチェが何か大規模な魔法を使ったんだろうさ。敵にも味方にも、他にあれだけのことが出来そうなヤツは居ないしね。」

 

これだけの力となると、下手すると向こう側は方が付いてるかもな。肩を竦めて言った後、再び説明へと話を戻す。向こうは向こう、こっちはこっちだ。本隊が居るらしい東側で派手な動きがあった以上、こちら側の敵もそろそろ動きを見せるだろうし。

 

「何にせよ、詳しいことは後で聞けばいいよ。それより今は目の前のことに集中するんだ。盾の呪文が最優先、攻撃は二の次。分かったね?」

 

私の注意に頷いた四人を前に、脳内でプランを纏め始める。改めて考えると難しいな。強そうなのは私が処理するとしても、数が多いと面倒だし、流れ弾の危険だってあるだろう。……うーむ、序盤で一気に『選別』する方向でいくか。

 

「いいかい? 最初に私が突っ込んで数を減らすから、キミたちはここで待機していたまえ。しつこいようだが、敵の呪文を防ぐのに集中するんだよ? 余裕がない時は攻撃しなくても良いくらいだ。」

 

誰に過保護と言われようが、これを曲げるつもりはないぞ。勝てる戦いに命を懸けるのなどバカのやることだ。当人たちがどう思っているにせよ、今回の戦いはあくまで『訓練』。余計なリスクを背負うつもりは毛頭ない。

 

最悪、戦闘を直に見るだけでも経験にはなるだろう。真剣な表情を浮かべる私の言葉を受けて、四人が再び神妙に頷いたのを確認していると……おや、お出ましか。夜闇の向こうから黒ローブの集団が近付いてくるのが見えてきた。

 

「さて、ようやくお客様が来たぞ。……それじゃあ、キミたちは杖を構えて少し待っていたまえ。私が調節してくるから。」

 

「『調節』? ……危なくはないのよね?」

 

「私には、ね。」

 

敵にとってはそうじゃないかもしれんが。心配そうに言ってきたハーマイオニーに苦笑してから、四人をその場に残して渡り廊下の出口付近に向かう。月明かりに照らされた黒ローブたちは、防護魔法の膜に穴を空けようと頑張っているようだ。

 

うーん? ここに居る時点で別働隊ってのは間違いないのだろうが、それにしたってあんまり多くないな。三、四十人くらいか? しかも、七割以上が狼人間のようだ。ローブのフードから長いお鼻が覗いている。変身済みなのに仲間割れをしていないところを見るに、脱狼薬でも使って自我を保っているらしい。

 

というか、まさかスネイプ作の薬じゃないだろうな? ……あの男なら信用を得るためにやりかねんぞ。それだけこっちの力を信用しているということなのだろうが、帰って来たら文句を言う必要がありそうだ。内心で懐かしき陰気男にため息を吐きつつも、障壁ギリギリに近付いて不法侵入者たちへと声をかけた。

 

「やあ、矮小な人間諸君。犬ころの散歩ならもっと場所を選びたまえよ。人様の敷地でやるのはマナー違反だぞ。」

 

とりあえず軽めに挑発してみると、最前列で踏ん反り返っていた黒ローブの一人が返事を寄越してくる。……おっと、こいつも狼人間か? 変身した状態で喋れるとは知らなんだ。

 

「逃げなくていいのか? コウモリ女。貴様とてこの人数を相手にするのは厳しいだろう? ……そら、逃げ惑え。俺に満月の狩りを愉しませてくれ。」

 

「あー、なるほどね。帝王閣下がキミたちに上手いこと説明できてないってのがよく分かったよ。あるいは、キミたちの脳みそが不足してるだけなのかもしれんが。……これは本気の質問なんだがね、キミたちはいつになったら吸血鬼の恐ろしさを理解してくれるんだい? 二、三百年前の人間はもうちょっと飲み込みが早かったぞ。」

 

「傑作だな。スカーレットはともかくとして、三下の吸血鬼を恐れるとでも思っているのか? そら、もうすぐ障壁に穴が空くぞ。俺の牙がお前の肌に突き刺さるぞ。……逃げろ! どこまでも追い立ててやる!」

 

アホかこいつは。『がおー』のポーズをしながら言ってきた犬ころを冷ややかな目で一瞥した後、その場で腕を組んで思考を回す。幾ら何でもリドルが私を警戒しないとは思えんし、それを理解していないこいつらはどうも捨て駒っぽいな。

 

大方、血の気が多すぎて扱い難い狼人間を陽動がてら処理しようとでもいうのだろう。東側のために少しでも戦力を削れれば良し、削れなくとも内部の不穏分子を纏めて片付けられるってところか? ゴミの始末くらい自分でやったらどうなんだよ、まったく。

 

まあいい、どうせ捨てるゴミならハリーたちの役に立ってもらうか。別にこっちから障壁を突破して殺しまくってもいいのだが、それだと残った連中は逃げてしまうだろう。『カカシ』になってもらうためには逃げ場の無い膜の内側へと誘導する必要があるわけだ。

 

となれば……うん、先ずは穴が空くのを待つべきだな。キャンキャン騒ぐ犬どもを無視して一つ頷いた後、必死に私を怖がらせようとしているリーダー犬へと言葉を放つ。

 

「怖いね、とても怖いよ。泣いちゃいそうだ。……ところでキミはご存知かな? 魔法界の吸血鬼とは別に私たちが存在しているように、世には純血種の狼人間も居たってことを。キミたちの祖先で、キミたちよりもずっと強大な存在がね。」

 

「……何を言っている?」

 

「まあ、ジャーキーでも齧りながら聞きたまえよ。どうせ穴が空くまでは暇なんだろう? ……確証は無いが、キミたち『狼人間』の大元はそこから血が混ざった混血種なんじゃないかな。彼らは満月になると巨大な狼に変身して人間たちを襲っていたんだ。強靭な肉体を持ち、体格で勝る巨人ですら食い物にしていた。……だが、今はもう居ない。少なくともイギリスにはね。何故だと思う?」

 

嘗て父上から聞いた話だ。ゆっくりと後退りながら問いかけてやると、犬ころは勝ち誇るような笑顔で言葉を返してきた。今や障壁には小さな穴が空き、それは死喰い人たちの奮闘に従って徐々に大きくなっている。

 

「気を逸らそうとでもしているのか? 今更逃げても遅いぞ。もう穴は空く! ……ああ、楽しみだ。吸血鬼に噛み付くのは初めてだからな。貴様の肉はどんな味なんだ? どんな声で泣き叫ぶ? ……そら、空いたぞ! 俺を愉しませてみろ!」

 

ようやく空いたか、遅いぞ。人ひとりが通れるほどの穴が空いたところで、雪崩れるようにこちら側に突っ込んでくる狼人間たちを前に、指をピンと立ててウィンクを送った。それじゃ、始めようじゃないか。

 

「んふふ、冥土の土産に教えてあげるよ。それはね、彼らが『夜の支配者』に逆らったからさ。」

 

先陣を切って走ってきた四つ足の犬ころが私の目の前に到達した瞬間、周囲の光が全て消え失せる。真っ暗闇だ。一寸先も見えぬ、純然たる闇。月明かりすらも届かないその場所で、クスクス笑いながら口を開いた。私だけが見通せる、私の支配する世界で。

 

「そぉら、これが本物の『夜』だよ。普段のそれが如何に明るいのかが理解できただろう? ……怖いかい? 一歩先には何があると思う? 気を付けたまえ、渡り廊下の横は崖だからね。それに、背後の穴ももう塞がった。不用意に突っ込めば死んじゃうぞ?」

 

「早く明かりを灯せ! 小細工に惑わされるな!」

 

「もうやってる! だけど……ルーモス(光よ)! ルーモス、ルーモス! クソったれめ! 点かないんだよ! 何とかしてくれ、グレイバック!」

 

んー、残念。これは魔法ではなく、私の能力だ。である以上、単なる杖魔法では打ち破れまい。慌てふためく死喰い人の間をのんびり歩いて、狼人間を次々に片付けていく。ハリーたちから見えないってのも好都合だな。

 

戦闘ならば見せる価値はあるかもしれんが、今やっているのは単なる『処刑』なのだ。一方的に狼人間が殺されてるところなんか見せたって何の意味も無い。だったら暫くは真っ黒なドームを見学してた方がマシだろう。死喰い人だろうが人が死ぬってのはあんまり気分の良い光景じゃないだろうし。

 

さすがに甘すぎるか? 苦笑しつつも首をへし折った死体を崖下に放り投げていると……おお、やるじゃないか、犬ころ。鼻をヒクつかせながらのリーダー犬が私に向かって爪を振り立ててきた。犬の顔なのでいまいち分かり難いが、必死だってのは何となく伝わってくるな。

 

「分かるぞ、貴様のニオイが!」

 

「おいおい、乙女の匂いを嗅ぐだなんて気持ちが悪いぞ。この変質者め。そういう趣味でもあるのかい?」

 

「黙れ! ここに……クソが! 何処へ逃げた! ちょこまかと鬱陶しい小娘だ!」

 

うーん、滑稽。リーダー犬は悪態を吐いて両手を振り回しながら、ジリジリとこちらに歩を進めている。確かに匂いを感じていようが、一歩先に地面があると分かっていようが、それでも視界がゼロってのは怖いのだろう。ヨチヨチ歩きの赤ん坊みたいだぞ。

 

「ほらほら、犬さんこちら。そっちじゃないぞ。ちゃんと歩きたまえよ。」

 

「殺せ! この女を殺せ! 声の方向に呪文を撃てばいい!」

 

リーダー犬からの指示を聞いて、狼人間以外の杖を持った死喰い人たちが慌てて呪文を放つが……いやいや、それはマズいだろうが。あらぬ方向に飛んでいくならまだマシな方で、いくらかの閃光は同士討ちを引き起こしている。何で当てられると思ったんだよ。

 

ステューピファイ(麻痺せよ)! ステューピファイ! ……アバダ・ケダブラ(息絶えよ)!」

 

「やめろ、馬鹿どもが! こんな状況で呪文を撃てば味方に当たるぞ! やめさせろ、グレイバック! 落ち着いて一度態勢を立て直せ! 一体何を考えて──」

 

「……ヤックスリー? おい、ヤックスリー? 返事をしろ! ……ああクソ、ふざけるなよ、グレイバック! すぐにやめさせろ! お前たちも杖を下ろせ! 乗せられてるぞ!」

 

「黙れ、ニュージェント! あの小娘を殺さねばどうにもならんだろうが! 構わず撃ち続けろ! 多少犠牲を出してもいい! 早く忌々しい吸血鬼を殺すんだ!」

 

なんとまあ、面白いように混乱してくれるじゃないか。全てが見えている私からすればバカバカしいやり取りだが、当人たちは真剣そのものだ。大声で叫び続けて自分の位置を知らせるヤツ、その場に蹲ってやり過ごすヤツ、四方八方に呪文を撃ちまくるヤツ。間抜けが選り取り見取りだな。

 

あまりの惨状に半笑いを浮かべながらも、狼人間を優先して刈り取っていく。犬は練習相手に向いてないからいらんのだ。杖持ちで弱そうなのは……よし、あいつとあいつは残そう。蹲ってるヤツも残してよさそうだし、後はリーダー犬を始末すれば終わりかな?

 

「何処だ、小娘! 出てこい! 小細工なんぞ使わずに、正々堂々勝負したらどうなんだ!」

 

「言ってることが酷すぎるぞ、グレイバック。キミの悪行は私だって知ってるよ。事もあろうに、そのキミが闘いの正道を語るのかい? 三流のジョークだね。」

 

「黙れ黙れ! ……ここか! クソ、クソが! 何をしている、能無しども! 早く殺せ! 呪文はどうした!」

 

おやおや、怒っちゃってまあ。激昂しながら無茶苦茶に両腕を振り回すグレイバックに、忍び足でそっと近付いてから……右肩を掴んで思いっきり握り潰した。高貴で賢い私はこんな駄犬の侮辱など気にしない。気にはしないが、きちんと罰は与えなければ。特に三下とか言ってた部分に関しての罰を。

 

「ぐっ、この……ふざけるなよ、小娘! 俺をナメるな! 俺を……あああ、クソが、クソが!」

 

続けて左脚の膝あたりを蹴り折ってから、倒れ込んだグレイバックの左肩も踏み砕く。右脚だけで無様にもがく駄犬に馬乗りになって、首根っこを地面に押し付けてから周囲の光だけを元に戻した。

 

「やあ、犬。ようやく相応しい格好になったじゃないか。」

 

ニッコリ笑って話しかけてやると、グレイバックは急な光に目を眩ませながらも暴れ始める。……もう諦めたほうが楽だと思うぞ。お仲間も殆ど居なくなっちゃったし、動くのが右脚だけじゃ何も出来まい。

 

「貴様、貴様! 殺してやる! 八つ裂きにして、内臓を食ってやる!」

 

「んふふ、遂にキミの『順番』が訪れたのさ。因果ってやつだよ。どうやらキミはずっと狩る側だったようだが、上には上があるもんだ。私の狩場に迷い込んだ不運を呪いたまえ。」

 

「黙れ、コウモリ風情が! 殺す、殺してやる! 勝負しろ! 貴様の喉を──」

 

「んー、出来れば命乞いなんかも聞きたかったんだが……まあ、犬の戯言に堪えるのもそろそろ限界だ。終わりにしようか。」

 

喚くグレイバックの喉を押し潰してやると、肉の潰れる音と共に駄犬は静かになった。ふん、躾がなってない犬は嫌いだ。飼い主の程度が知れちゃうぞ。

 

鼻を鳴らしながら死体を崖に放り投げて、残った死喰い人の数を数える。……よし、七人。この数なら何がどうなってもハリーたちを守りきれるだろう。全員弱そうな若い連中だし、いい練習相手になってくれるはずだ。

 

しかし……うーむ、戦意喪失されちゃうのが怖いな。勝てば逃がしてやるとでも嘯くか? あるいは適当に脅して必死にさせるかだな。何にせよ、能力を解く前にちょっとした『説得』はしといた方が良さそうだ。

 

我ながら妙なことをやってるなと呆れながらも、アンネリーゼ・バートリは蹲る死喰い人に声をかけるのだった。……そんなにビクッとしなくてもいいじゃないか。

 



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The Magician

 

 

「……さて、と。」

 

疲労からか天文台の床に仰向けに倒れ込んでしまった霧雨を背に、パチュリー・ノーレッジは視界を『飛ばして』戦況を確認していた。南側の軍勢は湖の住人たちに足止めを食らい、東の亡者は霧雨の働きで全壊。城の上空を飛び回る吸魂鬼は障壁を越えられず、西側に回り込んだ人狼の集団にはリーゼが近付いている。

 

うん、概ね想定通りの展開だな。西はもう無視して構わないだろう。高々四十人程度ならリーゼが片付けてくれるはずだ。……となると、残るは南側の本隊だけか。私がそちらに両の瞳を向けたところで、巨人たちの中の半分ほどが大イカを無視して突っ込んで来るのが見えてきた。

 

ふむ、死喰い人からの指示でもあったか? 触手に捕らわれた少数の不運な巨人は見捨てることに決めたようだ。『水難』を逃れた幸運な巨人たちは、喧しい雄叫びを上げながら陣形を組んだ石像に向かって突撃をかましているが……ほら、ホグワーツと契約を結んでいるのは水中人だけじゃないんだぞ。巨人たちの叫びを塗り替えるかのように、夜闇を引き裂く角笛の音が鳴り響く。

 

「……びっくりしました。何の音なんですか?」

 

「森の管理者たちの角笛よ。見てれば分かるわ。」

 

近付いてきた咲夜の疑問に答えた瞬間、東南の森から一斉にケンタウルスたちが飛び出してきた。七十人ほどのケンタウルスは手に手に弓や投げ縄を持ち、凄まじい速度で巨人たちの横合いに雪崩れ込むと、数人がかりで彼らに投げ縄を引っ掛けて引き倒し始める。

 

これはまた、草原の覇者の面目躍如だな。動き続けて、捉えさせない。強靭な馬の下半身を十二分に活かした戦術だ。引き倒した巨人へと通り過ぎざまに弓を撃ち込んだり、踏み付けたり。攻めたかと思えば漣のように退いていく。

 

大変結構。『騎兵突撃』に混乱する巨人たちへと、今度は私が石像の軍勢を差し向けた。盾を構えた騎士像たちを前列に並べ、ゆっくり、ゆっくりと進軍させる。騎兵で混乱させて、歩兵で押し潰す。使い古された古典的な戦術というわけだ。

 

「なんか、昔の戦争みたいですね。」

 

「私としては進歩を感じられないのがちょっと不満なんだけど……まあ、偶にはこういうのも乙なもんでしょ。ホグワーツの良い『宣伝』になるしね。」

 

実際のところ、開戦直後に大規模魔法で一気に片付けても良かった。でも、私もダンブルドアも遠からずこの城を去ってしまう。もう二度と関われないほどに遠くへと。……だから、これは私から母校へのささやかな餞別だ。

 

リーゼにもレミィにも教えていないが、ホグワーツ自体の力を示すことこそが今回の私の目的なのである。私たちが居なくなった後も、ドラゴンの鼻先を擽る愚か者が現れないように。この城が少しでも安全でいられるように。

 

……これでチャラだぞ、ホグワーツ。私がこの城で学ばせてもらった分は、今回の一件で返せたはずだ。私はきちんと借りを返す魔女なんだからな。よく覚えとけ。天文台の地面をつま先でコツコツ叩きながら鼻を鳴らして、再び眼下の戦場へと意識を戻す。

 

「……あら、今更動くの? 決断力不足ね。」

 

見れば、後方で待機していた死喰い人たちが飛翔術を使って巨人の援護に向かっているようだ。私ならこの時点で撤退を選ぶんだが……うーむ、敵からしたらそうもいかないか。これだけの被害を出したのにも関わらず、こちらの損害はほぼ無し。指揮官が誰なのかは知らんが、こんな惨状をおめおめとリドルに報告するわけにもいかないのだろう。

 

そして肝心の巨人たちは半壊状態。石像一体一体は大した戦力ではないが、なにせ数が数なのだ。おまけに時折入るケンタウルスたちの妨害もある。頑張って石像を壊しまくってはいるものの、壊滅は時間の問題だな。

 

よし、そろそろ幕引きにするか。ホグワーツの力は存分に示せたし、領域の守護者たちがきちんと契約を守ることも確認できた。……ならば、後は私の力を示すだけだ。世を捨てた私にだってプライドの欠片は残っている。ここらで一つ『本物の魔法』ってやつを見せてやろう。

 

「ちょっと集中するから、質問は後に回して頂戴ね。」

 

「へ? ……はい!」

 

素直な子だな。私の言葉を聞いた咲夜が慌てて返事をしてくるのに苦笑してから、周囲を包む七つの元素に自分の魔力を伝播させていく。月、火、水、木、金、土、日。七曜の属性。世界に揺蕩う根源の力だ。

 

時に反発し合い、時に高め合うそれらを正しく導いていくと……よしよし、いいぞ。徐々に纏まり、強まってきた。馴染んだ力に安らぎを感じながらも、懐から賢者の石を取り出してそれを砕く。貯め込んだ魔力を使うためだ。ちょっと勿体無いし、使わなくてもなんとかなりそうだが、折角なんだから派手にやるべきだろう。

 

複雑に絡み合う属性たちを、膨大な魔力で誘導する。……今宵は満月。月の力が最も高まる日だ。だから静謐で、優しげで、どこか酷薄な月の力を高めていく。魔女としての視界を青白い月の力が覆い尽くし、私に操り切れるギリギリの強さになった瞬間、思いっきり腕を振り上げて魔法を発動させた。

 

「……嘘だろ、おい。そんなのアリかよ。」

 

微かに聞こえた霧雨の呟きを受けながら、編み上げた大魔法の出来に大きく頷く。久々だったが、思った以上に上手くいったな。出現したのはホグワーツの上空を埋め尽くす無数の青白い魔法陣だ。一つ一つも巨大なそれが満天の星空を遮ったところで、振り上げたままだった右腕を勢い良く振り降ろすと──

 

「はい、幕引きよ。」

 

夜空を覆う無数の魔法陣から、数え切れないほどの光の柱が一斉に降り注いだ。……音という音もなく、どこか優しげにすら感じられる青白い光柱。柔らかくて静謐な光を湛えたそれらは、余さず敵だけに向かって差していく。今や戦場の誰もが立ち止まって空を見上げ、注ぐ光を呆然と見つめている。

 

そしてその光が巨人や吸魂鬼、死喰い人や僅かに残った亡者たちに触れた途端、彼らの身体は細かい灰になってボロボロと崩れ落ちてしまった。……どこまでも神秘的で、故に残酷。温かさの欠片もない超常の力。それが月の魔力なのだ。

 

「……これが、お前の『切り札』なのか?」

 

天から注ぐ無数の光柱を見ながら聞いてきた霧雨に、肩を竦めて返答を送る。ちょっと自慢しちゃおうかな。今だけは許されるはずだぞ。

 

「どうかしら。基本的には七つ、発展させれば四十二あるうちの一つだから、『切り札』とは言えないかもね。……まあ、そうそう使えない大魔法なのは確かよ。細かい準備もしてたし、環境条件だっていくつかあるわ。」

 

「にしたって、これは……気が遠くなるぜ。これが魔女の魔法か。」

 

「大規模魔法は私の十八番だからね。細やかさで勝負する魔女だって居るし、手数で勝負するヤツも居るわ。一概にこれが正しい『魔女の魔法』だとは思わないで頂戴。重要なのは規模じゃなく、深さよ。」

 

なにせ魔女の在り方なんて本当に人それぞれなのだ。何かを目指して深みに入り、目的の為に人間性を捨てる。それが私の思う魔女の定義なのだから。……そう考えると、リドルはちょっと惜しかったな。方向としては悪くなかったが、あの男がたどり着いた場所は深みと言うには浅すぎた。

 

あるいは、もっと相対的なものなのかもしれない。魔女の定義なんて曖昧なものだ。個々人で勝手に定義すればいいだろう。絶対に決着の付かない議論を脳内で打ち切っていると、首を傾げた咲夜が問いを放ってくる。

 

「えっと……これで勝ち、なんですか?」

 

「ま、もう組織的な抵抗は無理でしょ。色々な状況を想定して、城内の魔法やトラップなんかも大量に起動してたんだけど……全部無駄になったわね。一番楽なケースに当たっちゃったみたい。」

 

ちょっと準備に拘りすぎたかな? ……まあいいさ。備えあれば憂いなし。今回使わなかった仕掛けも、いつの日かホグワーツを救ってくれるかもしれない。マクゴナガルたちなら無駄にはしないはずだ。

 

「……なるほど。楽なケース、ですか。」

 

私の返答に咲夜がちょっと呆れたような表情を浮かべたところで、降り注ぐ光が徐々に細くなって薄れ始め、空を埋め尽くしていた魔法陣も崩れるように消え去った。派手で美しい魔法だが、効率はあんまり良くないな。やっぱり魔力効率では杖魔法に一歩譲ることになるか。

 

そして、後に残ったのは少数の死喰い人だけだ。『優先順位』を一番下にしたから運良く生き残れたらしい。……運悪く、かな? ま、何でもいいか。故郷の牢獄で精々喧伝してくれ。ホグワーツに手を出すことの愚かさを。

 

静けさの戻りつつある戦場を一瞥してから、パチュリー・ノーレッジはそっと文庫本を取り出すのだった。

 

 

─────

 

 

「ふん。」

 

徐々に紅い霧の薄れていくロンドンの街並みを眺めながら、レミリア・スカーレットは小さく鼻を鳴らしていた。もう日の出が近いんだから早く終わってくれ。夜が終われば私も帰るぞ。

 

長い月夜の戦いも終わり、ロンドン担当の魔法使いたちは『後片付け』に入っている。無力化した死喰い人たちの拘束と搬送、修復魔法による街の修繕作業、そして最後に記憶修正薬を霧に混ぜ込んで散布。ようやく一通りの作業が終了したところだ。

 

ホグワーツ、魔法省、ロンドン、そして一応紅魔館。今宵の全ての戦場で勝利を収め、今は他の場所でも戦後処理を行なっているらしい。ホグワーツはほぼ犠牲ゼロ、魔法省とロンドンでは少数の死傷者、紅魔館では……まあ、当然ながら生き残りはゼロだ。もちろん敵の。

 

うーむ、紅魔館以外は大体予想通りの結末だが、リドルが魔法省を選んだのだけはちょっと意外だったな。アリスを配置しておいて本当に良かった。鐘楼の柱に寄りかかりながら考えていると、報告を回していたニンファドーラが姿あらわしで戻ってくる。その表情を見るに、どうやら朗報を持ってきたようだ。

 

「スカーレットさん、記憶修正薬の散布は問題なさそうだったよ。霧を逃れたマグルもほんのちょっとだけ居るみたいだけど、そこはいつも通りの忘却術でなんとかなるってさ。」

 

「下水の中にまで行き渡らせたってのに、どうやって逃れたんだか。……まあいいわ、スクリムジョールは?」

 

「さっき見た時は拘束者の処理をしてたから、それが終わったらこっちに来るんじゃないかな。……ねね、それより妹さんは大丈夫なの? フランドールさん、だったっけ?」

 

「無事に決まってるでしょ。フランはこの私の妹なのよ? ……そもそも、満月の夜に吸血鬼の館に攻め込むだなんて自殺行為だわ。何を考えてそんなことを実行したのかしら? 意味不明よ。」

 

振り返ってみれば、今日一番の悪手はそこだろうな。ホグワーツか魔法省に全力を傾けなかったのも相当アホだが、紅魔館に少数の戦力で攻め込んだってのはそれをも凌ぐぞ。

 

うーん、リドルは陽動に味を占めすぎたな。状況によっては強力な手かもしれんが、今回は魔法省側も準備を重ねていた。戦力を分散するのは前哨戦までに留めておくべきであって、本命の戦いでその手を選ぶべきではなかったのだ。

 

詰めの甘さは相変わらずか。呆れのあまり首を振る私へと、ニンファドーラは苦笑しながらフォローを放ってくる。リドルもまさかこいつにフォローされてるとは思ってないだろうな。

 

「でもまあ、仕方ないのかも。私はリーマスから学生時代の話を聞いてるから、フランドールさんに関してもちょっとは知ってるけど……他の人たちはそんなの知らないだろうし、何よりスカーレットさんに付け入る隙なんてそこくらいしか見当たらないもん。賭けに出るしかなかったんじゃないかな。」

 

「ま、愚かさの代償は払ったみたいね。フランもきちんと当主代行の任を果たしたわけだし、帰ったら褒めてあげなくちゃ。……というか貴女、ルーピンとプライベートな話をするような仲だったの? あの男は誰彼構わず思い出話をするようなタイプじゃないと思ってたけど。」

 

「へ? それはその、何て言うか……ちょっとした世間話からこう、繋がったみたいな?」

 

なんだこいつ。いきなり挙動不審になったニンファドーラを訝しげに見つつ、頭の中ではフランへのご褒美について考え始める。んー、何にしようか。最近絵にハマってたし、絵画とか? あるいは画材のセットとかも良さそうだな。

 

「だってほら、うちのママとシリウスは従姉弟でしょ? 二人とも『血を裏切る』のが大好きだから仲が良くってさ。シリウスが自由になってからはよく家に遊びに来てたんだけど、最近はリーマスも……じゃなくって、ルーピンさんも一緒に来ることが多かったの。だからほら、そういう理由で話す機会が多かったってだけで、特別な理由なんて何も──」

 

若干赤い顔で延々言い訳を述べているニンファドーラを横目に、可愛い妹へのプレゼントのことを熟考していると……今度はスクリムジョールが鐘楼の中へと姿あらわししてきた。どうやら下の指揮は一段落したらしい。

 

「お疲れ様です、スカーレット女史。急務の作業については全て終了しました。」

 

「はいはい、ご苦労様。逮捕者の数は結局どれくらいになったの?」

 

「全ての戦場を合計すれば、予想通り『膨大』な数になりそうです。他国の魔法使いも多いようですし、裁判や国外への搬送、他国との調整、収監場所の件。問題は山積みですね。」

 

「……戦勝に浮かれてる時間はなさそうね。知ってたけど。」

 

いやはや、ボーンズとスクリムジョールが死ななくて本当に良かったな。もしどちらかが討たれていれば事後処理は地獄だっただろう。積み重なる書類仕事を思ってため息を吐いたところで……鐘楼に第三の人影が姿あらわししてくる。ふん、一応挨拶には来るわけか。

 

「こんばんは、ダンブルドア。それとも、もうおはようの時間かしら? ……この前もこんな会話があった気がするわね。」

 

「ほっほっほ、確かにこの時間は挨拶に悩むところですな。何にせよまたお会い出来て幸いです、スカーレット女史。修復の手伝いも一段落しましたので、わしはホグワーツに戻ろうと思いまして。一応その報告に来たのですよ。」

 

言わずもがな、ローブに身を包んだイギリス一の魔法使いどのだ。ダンブルドアがロンドンの戦場を選んだことは霧の手応えやスクリムジョールの報告で知っていたが……そもそも何故ここを選んだんだ? 戦闘中には聞けなかったその疑問を、言葉に変えて老人へと飛ばす。

 

「それは別に構わないんだけど、何だって今夜この場所に来たの? 私はてっきりホグワーツに向かうんだとばっかり思ってたわ。」

 

「無論、貴女がホグワーツに戦力を割かなかったのと同じ理由ですよ。ロンドンが最も混乱すると思って手伝いに来てみたのですが……いや、見事な作戦でしたな。わしなどは必要なかったようです。」

 

「『撃破スコア』がぶっちぎりの貴方が言っても嫌味なだけよ。」

 

残念だが、この老人を超える魔法使いは暫く現れそうにないな。困ったように苦笑するダンブルドアがお辞儀しながら杖を振り上げたところで、ふと思い出したリーゼからの『提案』を告げてみる。……正直言って私も興味があるのだ。この男がどんな答えを出すのかに。

 

「ちょっと待ちなさい。……暫くリドルは身動き出来ないでしょうし、貴方の用件も殆ど片付いたんでしょう? なら、この機会に貴方の『旧友』に会って話すつもりはない? ……出来ればパチェも交えて、ね。リーゼが場を整えてくれるらしいわよ。」

 

魔術師、吊られた男、皇帝。全く別の思想を持つ、力ある魔法使いたちの会談。私からの提案を受けたダンブルドアは、少し驚いたように目を見開いた後……ゆっくりと頷きながら返事を寄越してきた。

 

「……そうですな。わしに唯一残された負債、それにも決着を付けねばなりますまい。ホグワーツに戻ったら直接バートリ女史にお受けすると伝えておきます。」

 

「そう、分かったわ。それなら詳しいことはリーゼから聞いて頂戴。」

 

「では、失礼します。ルーファスとトンクスも無事で何よりじゃった。」

 

「ご協力感謝します、ダンブルドア校長。」

 

最後に若い二人に声をかけたダンブルドアは、杖を振って姿くらましで消えていく。さすがのスクリムジョールもダンブルドアには頭が上がらないようで、深々とお辞儀しながらそれを見送った。

 

「ふーん? 貴方でもダンブルドアは怖いみたいね。」

 

「怖いというか、何と言うか……学生時代の私はあまり素直な生徒ではありませんでしたから。当時の寮監とダンブルドア校長にはひどく迷惑をかけました。今思い出すと赤面ものですよ。」

 

「なんとも興味深い話じゃないの。たまにはそういう部分を部下にも見せなさい。ちょっとは『人間的』なところがあった方が信頼されるわよ。」

 

「……努力はしてみます。」

 

うーむ、無理そうだな。戦争も区切りが付いた今、イギリス魔法界は徐々に平和への道を辿っていくはずだ。当然リドルを始末するまでは油断できないが、これからはそういう能力も必要になってくるだろう。

 

これまで忠実な部下でいてくれたのだから、多少なりとも便宜は図ってやるか。スクリムジョールの『将来設計』について考えながらも、大きく伸びをして口を開く。

 

「それじゃ、とりあえずは魔法省に戻りましょうか。こっちの後片付けを優先してたから、あっちはまだ全然片付いてないんでしょう? 予言者新聞にも記事を書かせないとだしね。」

 

「そうですな、行きましょうか。」

 

頷いたスクリムジョールを横目に、ニンファドーラの腕を掴んで付き添い姿あらわしを促す。結局杖魔法はあんまりモノに出来なかったな。秘かに練習してたんだが……うん、リーゼやフランには内緒にしておこう。

 

「しっかり掴まっててね、スカーレットさん。」

 

軽々と杖を振るニンファドーラをジト目で見ながら、レミリア・スカーレットは小さな失敗を胸の奥に仕舞い込むのだった。

 



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戦争一過

 

 

「なんか、全然食欲が湧かないよ。」

 

テーブルに並ぶ朝食をどこか恨めしそうに見ているハリーを他所に、アンネリーゼ・バートリはケチャップたっぷりのチーズオムレツを頬張っていた。周りの生徒たちも全然食べてないみたいだし、必死に作ったしもべ妖精が悲しんじゃうぞ。

 

ホグワーツの戦いが収束してから数時間後、再び大広間に集められた全校生徒はいつも通りに朝食を取っているのだ。寮に『仕舞い込まれて』いた生徒たちは戦いに参加した上級生たちに話を強請り、上級生たちは興奮した雰囲気で戦いの様子を語っている。

 

中でも一番人気の話題はパチュリーの大魔法だ。何処から情報が伝わったのかは定かでないが、あれが校長代理の魔法だというのはもはやホグワーツの常識に変わってしまった。殆ど寝てないってのにも関わらず、上級生たちはそれぞれの表現で何とかその光景を伝えようと奮闘している。……まあ、気持ちは分からんでもないな。滅多に見れない規模の魔法だったのは確かだろう。

 

それに対してハリー、ハーマイオニー、ロン、そしてロングボトムの四人はかなり疲れた表情だ。初めての『実戦』は彼らにとって疲労に値する出来事だったらしい。あれを実戦と呼んでいいのかは不明だが。

 

ま、悪くはなかった。私のフォローがあったとはいえ、四人は……ロングボトムでさえもが、一人前の魔法使い並みに戦えていたのだから。正直言って敵は全然『やる気』じゃなかったし、内容だけ見ればかなり微妙な感じだったが、戦場の空気を経験できたってのは良いことだろう。

 

ただ、やっぱりハリーの動きはズバ抜けてたな。四年生の時の経験が活きたのか、はたまた背負う覚悟の為せる技なのか。他の三人に感じられた一抹の迷いがハリーからは感じられなかった。……十五歳の少年が持つべきものではないのだろうが、それでもちょっとだけ安心したぞ。

 

そして、パチュリーの方に付いて行った魔理沙は机に突っ伏して熟睡中だ。朝食を食べようとする意志こそあったものの、席に着いた途端にスイッチが切れたかのように眠ってしまった。かなりの『スパルタ教育』を受けたらしい。

 

そういえば、咲夜の説明によれば大魔法の前に感じられた力は魔理沙が引き起こしたものだったようだ。……何を教えてるんだよ、やりすぎ魔女め。あれは十三、四の小娘が持っていいような力じゃないぞ。魔女ってのは本当に常識が無いな。

 

魔理沙もいつかはあんな性格になっちゃうんだろうか? 出来ることなら『アリス側』に寄っていって欲しいもんだな。スヤスヤ眠る見習い魔女を眺めながら考えていると、ポリッジを突っついていたハーマイオニーが質問を寄越してくる。皿の中身が全然減ってないのを見るに、彼女も食欲は皆無のようだ。

 

「ねえ、こんな風にのんびり朝食を食べてていいのかしら? だってほら、戦いがあったのよ? ……あったのよね、本当に。」

 

「うん、そのはずなんだけど……全然実感がないよ。僕、必死で。みんなと一緒に談話室を出たら、いつの間にかここに来てた感じ。」

 

神妙な表情で呟いたハーマイオニーとロングボトムに対して、ロンはかなりハイな様子で口を開く。

 

「本当にあったんだよ。それで、僕たちも戦ったんだ! ……そりゃあ、リーゼに守られながらだけどさ。でも、凄いことなんだぜ? 僕の失神呪文で死喰い人が──」

 

「それはもう聞いたよ、ロン。たった数時間で十回以上もね。」

 

ハリーの苦笑しながらの横槍に、ロンはちょっと赤くなって口を噤んでしまった。……うーむ、対照的だな。ハリーは比較的冷静に、ハーマイオニーとロングボトムはどこか重苦しい感じに、そしてロンは興奮して事を受け止めているらしい。

 

魔理沙は寝ているからよく分からんが、寝る前の顔からは何となく吹っ切れた雰囲気を感じた。そして咲夜は平時通りだ。時折眠そうに欠伸を嚙み殺しながら、普通に朝食を食べている。

 

……悪くはない結果、だよな? 少なくとも生徒は誰一人として死ななかったし、ホグワーツ城にも大きな被害はない。若干現実が追い付いてこないらしいが、誰かが死んで絶望するよりかは随分とマシな結果のはずだ。

 

欠伸を我慢しすぎて目尻に涙が浮かんでいる咲夜を見て微笑んでいると、今度はロングボトムが水の入ったコップを弄りながら言葉を放った。

 

「でも、改めて確認できたよ。……やっぱり僕は戦いには向いてないみたい。いざ敵と向き合った時、どうしても相手のことを考えちゃうんだ。情けないよね。」

 

「それは貴方が優しい人間だからよ。情けないなんてことは絶対にないわ。……そうね、私もダメな方みたい。手が震えちゃって、全然いつも通りに杖を振れなかったの。」

 

「そういうところが二人の良いところなんだと思うよ。それはつまり、相手の痛みを理解できるってことでしょ?」

 

ハーマイオニーとハリーの慰めを受けて、ロングボトムは苦笑しながら小さく頷く。やっとロングボトムらしい雰囲気に戻ったじゃないか。

 

「僕、強くならなきゃって思ってたんだ。パパとママを狂わせたヤツに復讐するんだって。……だけど、僕が選ぶべき道は違ったのかも。無理してそうしようとするよりも、もっと別の方法を選ぶべきなのかもしれないよ。」

 

そこで一つ大きなため息を吐いたロングボトムは、吹っ切れたように笑いながら話を締めた。

 

「だからさ、もう一度考えてみるよ。ばあちゃんともきちんと話し合ってね。……ありがとう、みんな。僕、何かが分かったような気がする。上手く言葉には出来ないけど、何かが。」

 

「……そうだね。ネビルのパパやママも、きっとそれを望んでるんじゃないかな。」

 

事情を知っているハリーの言葉に、ロングボトムは自分の杖を見つめながらこっくりと首を振る。ふむ? 私にはよく分からんが……ま、いいさ。連れて行った甲斐があったようでなによりだ。

 

「そういえばさ、他の場所でも戦いがあったんだろ? 魔法省とか、ロンドンとかでも。だから、その……犠牲者はどのくらいなんだ?」

 

ロングボトムの話が一段落したのを見て、恐る恐るといった表情で聞いてきたロンへと返事を返す。レミリアから取り急ぎの連絡はあったが、詳細な報告は私もまだ聞けていないのだ。

 

「残念ながら、そこそこの数の死傷者は出たよ。ただキミたちの知り合いで死んだ者はいなかったはずだ。……詳細は予言者新聞に載るらしいから、それを待つしかないかな。」

 

「そういえば、今日は届くのが遅いわね。」

 

「色々あったし、さすがに纏め切れないんだろうさ。もしかしたら今日の新聞は夕方になるかもね。」

 

あの『いい加減新聞』も、今日ばかりは記事を練り込んでくることだろう。死者のリストなんかもその時一緒に載せてくるはずだ。心配顔のハーマイオニーに肩を竦めて言ったところで、教員席の後ろのドアからマクゴナガルが現れた。

 

「おっと、副校長どののお出ましだぞ。ありがたいお言葉を拝聴しようじゃないか。」

 

「……マクゴナガル先生が連絡するってことは、ノーレッジ先生は休んだりしてるのかしら? あれだけの魔法を使ったんだからお疲れでしょうし。」

 

「パチェだったら普通に本でも読んでるんだと思うけどね。面倒くさいから細かい連絡なんかはマクゴナガルにぶん投げたんだろうさ。つまり、平常運転に戻っただけだよ。」

 

我らが紫しめじはあの程度の魔法で疲弊するほど可愛げのあるヤツじゃないのだ。私とハーマイオニーがコソコソ話をしている間にも、マクゴナガルは生徒たちの視線を受けながら教員席の前までゆっくり進むと、その大声を大広間中に響き渡らせる。

 

「当然のことですが、今日の授業は中止です! 学期末試験は延期、フクロウ試験とイモリ試験に関してもそうなる可能性があります。更に、今日一日は城外への外出は禁止ですからね。昼食は各談話室、夕食は大広間で取るように。詳しいことは夕食の席で説明しますので、眠れなかった者はきちんと睡眠を取っておきなさい!」

 

「嘘だろ? フクロウ試験は『延期の可能性』? 中止じゃないのか?」

 

ロンの情けない声が周囲の騒めきにかき消される中、マクゴナガルはスタスタと出てきたドアに戻って行ってしまった。……試験はともかく、指示としては妥当なところだな。マクゴナガルなんかも完全に状況を把握しているわけじゃないだろうし、生徒への説明は先延ばしにしたわけか。

 

それに、お片付けもまだ完全に終わってないのだ。魔理沙の作った『地上絵』は健在だし、破壊された石像や巨人の死体なんかも転がっている。まさか死体に興味を示すヤツは居ないだろうが、片付け終わるまでは寮に閉じ込めておくべきだろう。

 

……さて、私もそろそろ働くか。物凄く億劫な気持ちを顔に浮かび上がらせつつも、皿の上のオムレツを食べ切って席を立った。

 

「それじゃ、私はちょっとばかし働いてくるよ。キミたちはマクゴナガルの指示通り談話室で仮眠を取っておきたまえ。」

 

「でも、リーゼは休まなくて大丈夫なの?」

 

「休みたいが、そうもいかない。……これぞ社会の苦労ってやつだよ。キミたちも数年後に実感するさ。」

 

ハリーの言葉に肩を竦めてから、とりあえずは校長室へと歩き出す。パチュリーの方になら私よりも詳しい情報が届いているはずだ。先ずは詳しい現状を聞きに行くとしよう。

 

騒がしい大広間の喧騒を背に、アンネリーゼ・バートリは面倒な気分で朝の廊下を歩くのだった。

 

 

─────

 

 

「いやはや、随分と派手にやったようじゃのう。」

 

苦笑しながら朝日に照らされる校庭を見下ろすダンブルドアへと、パチュリー・ノーレッジは小さく鼻を鳴らしていた。半分は霧雨のやったことだぞ。……まあ、指示したのは私だけど。

 

城に戻ってきたダンブルドアと細々とした情報のやり取りを終えた私は、校庭の修復をする為にと再び天文台まで引っ張り出されてしまったのだ。数時間前と同じ視点だというのに、全然違う景色に見えるな。

 

小鳥の鳴き声と、打ち捨てられた石像の残骸。湖面は静かに揺らめいており、森は柔らかく葉音を奏でている。……不思議だ。いつもと同じ光景のはずなのに、やけに穏やかに思えてしまう。昨夜との対比がそうさせるのだろうか?

 

興味を惹かれて自身の中の感情を探っていると、下を見ていたダンブルドアが振り返って声をかけてきた。ちょっと呆れたような表情だ。

 

「……また何か難しいことを考えているのかね? 変わらんのう、君は。常に何かを考え、常に何かしらの答えを出している。一度頭の中を覗いてみたいものじゃ。」

 

「乙女の頭の中を覗こうとしないで頂戴。」

 

「ううむ、どうやら君とは『乙女』の定義について話し合う必要がありそうじゃな。わしが思うに、今ここに居るのは老人と老婆なのじゃが。」

 

「黙りなさい、ダンブルドア。じゃないとここから落ちて死ぬ羽目になるわよ。」

 

なんて失礼なジジイなんだ。睨め付けて脅してやると、ダンブルドアは飄々と両手を上げて降参のポーズを示してくる。

 

「ほっほっほ、その最期はあまり楽しそうではないのう。死に方は別の方法を選ばせてもらうよ。……では、そろそろやろうか。」

 

「はいはい。」

 

「はいは一回じゃよ、ノーレッジ。」

 

「今のはあえて二重にすることで面倒くささを表現してるの。深みのある高度な表現技法なの。だから黙って杖を出しなさい。」

 

皮肉を返しながら杖を取り出して、ダンブルドアと背中合わせでそれを構えた。そのままタイミングを合わせて同時にゆっくり振ってやれば……転がっている石像の残骸が元の形に組み合わさり、校庭に刻まれた無数の穴が塞がり始める。

 

『畳まれていた』大橋はカシャカシャと伸びていき、半壊したハグリッドの小屋は以前の姿を取り戻し、焼け焦げてしまった森の木々は再び緑に染まった。時間を巻き戻すかのように元通りになっていくホグワーツの景色を眺めていると、杖を振りながらのダンブルドアが話しかけてくる。この程度なら片手間でも出来るわけか。

 

「……君はバートリ女史から聞いているかね? 例の『会談』のことを。」

 

「ええ、聞いてるわ。正直言ってあんまり興味はないけどね。」

 

「ふむ、それは君が『魔女』だからかね? それとも、『パチュリー・ノーレッジ』だからかな?」

 

「両方よ。当たり前でしょ。」

 

言葉の真意を受け取って返してやると、ダンブルドアは少しだけ黙り込んだ後、悩んでいるような声色で返事を送ってきた。

 

「……わしはきちんと話し合おうと思っておる。そして、君にも話し合いには参加して欲しいのじゃ。」

 

「別にいいけど、貴方の味方になるとは限らないわよ? グリンデルバルドに彼なりの考えと理由があるように、私にだって魔法族の姿勢に関して思うところはあるわ。」

 

「無論、それで構わんよ。わしらは嘗て議論を繰り返した。若さ故の無謀さと情熱を持った議論をね。……今ならばもう少し違った観点で話せるじゃろうて。そこに君の意見が加わるのなら頼もしい限りじゃ。」

 

言いながらダンブルドアが杖を下ろすのと同時に、私もエボニーの杖を懐へと仕舞う。今やホグワーツの校庭は平時と殆ど変わらない状態に戻ってしまった。これから訪れる者は戦いがあったことなど信じないかもしれんな。

 

「それが最後の身辺整理ってわけ?」

 

唯一残した過去の清算か。背中の旧友へと問いかけてみると、柔らかな気配と共に肯定の返事が返ってくる。

 

「うむ、そうなる。それさえ済めば、もはや思い残すことはない。……望外じゃな。まさかゲラートの問題にも決着を付けられるとは思わなんだ。場を用意してくれるバートリ女史には感謝しなければならないようじゃ。」

 

「どうかしらね? リーゼはリーゼで何か企んでるんだと思うけど。」

 

というか、絶対にそうだぞ。振り返ってから若干呆れた口調で忠告を飛ばすと、ダンブルドアは苦笑しながら首肯を寄越してきた。

 

「そうかもしれん。じゃが、それは悪しき企みではあるまいて。バートリ女史も彼女なりに魔法界のことを考えてくれているのじゃろう。」

 

「それは……まあ、そうかもね。」

 

うーむ、間接的にはそうなるのかもしれない。リーゼはグリンデルバルドを通して魔法界の在るべき姿を主張しているわけだ。……あいつも随分と変わったな。魔法界の未来を憂う吸血鬼か。似合わないにも程があるぞ。

 

皮肉屋な友人の変化を再確認していると、ダンブルドアが湖の方を眺めながら声を放ってくる。どこか疲れたような表情だ。

 

「……難しいのう。昔はもう少し物事の善悪がハッキリ見えていた気がするよ。それなのに、今はひどく曖昧に見えてしまうのじゃ。」

 

「いい歳して思春期のガキみたいなことを言わないで頂戴。自分が思う善が善。悪が悪よ。……ほら、簡単なことじゃないの。」

 

社会的正義や常識の善悪など知ったことか。自らの価値観のみを盲信するのが魔女なのだ。それが途轍もなく理不尽で、迷惑なことだってのは理解しているが、そこを曲げれば魔女は魔女たり得ない。自分の確固たる世界を持つことこそが魔女としての強さに繋がるのだから。

 

私の端的な言葉を受けて、ダンブルドアは虚を突かれたように目を見開くと……やがて心底愉快そうに笑い始めた。

 

「なんとまあ……強いのう、君は。怖くはならないのかね? 自分が間違っているのではないのかと、誤った道を歩んでいるのではないのかと。わしなどはいつもそう思ってしまうのじゃが。」

 

「なるわけないでしょ。私は世界の誰より私自身を信じてるもの。……多分、リーゼやレミィもそうなんじゃないかしら。人外の強さは確固たる自己賛美にあるのよ。仮に間違ったと思ったら、開き直って手のひらをひっくり返すだけね。」

 

「ほっほっほ、酷すぎる言葉じゃな。他人のことなど気にも留めぬと。」

 

「じゃないと生きてられないのよ。他者を思い遣る繊細な善人なんてすぐ死んじゃうでしょ? 自意識の強い図太い悪人なればこそ長生きしてるってわけ。」

 

美鈴や小悪魔、エマや妹様だってそうだろう。人外は自分の欲望にどこまでも素直で、他人の考えなど無視するほど頑固で、自分勝手で傍迷惑な存在なのだ。憎まれっ子世に憚る。それこそが世界の真理なのだから。

 

自己中心的すぎる私の説明を聞いて、ダンブルドアは含み笑いをしながらやれやれと首を振ると、一つ頷いた後で踊り場の方へと歩き始めた。

 

「いや、気が楽になったよ。君たちのことを見習って、わしも少しは頑固な老人になってみようかのう。……では、戻ろうか。次は城内の片付けを手伝わねばなるまい。」

 

「そんなもんマクゴナガルたちに任せればいいじゃないの。こっちは広い校庭を片付けたんだからもう充分でしょ。」

 

「ううむ、君はもっと他人を思い遣るべきじゃな。どうかね? わしが頑固になる代わりに、君が柔らかくなるというのは。」

 

「嫌よ。絶対に嫌。それだと私にメリットが無いじゃないの。」

 

謎の提案に断固たる返事を返しながらも、パチュリー・ノーレッジは仕方なしにダンブルドアの背に続いて歩き始めるのだった。

 



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AUROR

 

 

「本当にもう、なんとお礼を申し上げればいいのか。私はてっきり息子が……ロビン! あなたもボーッとしてないでお礼を言ったらどうなの!」

 

ブリックス夫人のマシンガントークに顔を引きつらせつつも、アリス・マーガトロイドは縮こまるロビンに憐憫の視線を送っていた。亡き父親も相当豪快な魔法使いだったが、母親の方もそれに負けず劣らずの性格をしているらしい。

 

あの魔法省の戦いから二日が経った今日、聖マンゴに入院している知り合いたちのお見舞いにやって来たのだ。中には傷の重い者もちらほらと居るのだが……それでも今は生きていることに感謝すべきだな。魔法省とロンドンの戦場では少数の死者も出てしまったのだから。

 

そんなこんなで病室を巡っている途中、こちらもお見舞いに訪れたらしいロビンとその母親にバッタリ出くわしてしまったのである。ロビンはアトリウムの戦いで起こったことの詳細をきちんと母親に報告していたようで、ブリックス夫人は吸魂鬼から一人息子を救ったことに対して怒涛の感謝をしてくれているわけだ。勢いが凄すぎるぞ。

 

「いえ、あの……当然のことをしただけですから。ロビンも頑張って戦ってましたし、単にタイミングが──」

 

「あら、このバカ息子はマーガトロイドさんからそんなことを言っていただけるような子じゃありませんわ! 本当にもう、いつもいつも心配をかけて。……お礼はどうしたの? ロビン!」

 

「当日に何回も言ったよ。……もう行こう、母さん。マーガトロイドさんだって忙しいんだから、いつまでも付き合わせちゃう方が悪いよ。」

 

「ロビン! あなたって子は……礼を失する者は信頼をも失いますよ! それが命を救われた事に対する感謝なんだったら、百回伝えてもまだ足りないくらいなんです! 何度も何度も教えたでしょうが!」

 

いやはや、母は偉大だな。勢い良く息子を叱りつける『肝っ玉母さん』に苦笑しながら、恥ずかしがっているロビンへと助け舟を送った。

 

「とにかく、感謝はありがたく受け取っておきます。だからもう気にしないでください。戦場では助け合うのが当たり前なんですから。」

 

「ほら、マーガトロイドさんもこう言ってくれてるんだし、早く行こうよ。」

 

「ああもう、薄情な子ね。どうしてそう引き離したがるのかしら? ……それじゃあ、失礼させていただきますわ、マーガトロイドさん。不出来な息子ですけれど、これからもどうぞよろし──」

 

「いいから、行くんだってば!」

 

遂に我慢の限界を迎えたのだろう。真っ赤な顔で母親を引っ張って行ったロビンを見送ってから、それとは反対方向へと歩き出す。……まあ、良い母親じゃないか。本当に息子を大事に思っているのが伝わってきたぞ。

 

しかし、あの時のことを思い出すとやっぱり腑に落ちない部分が残るな。……私の守護霊はロビンを助けた後、私に迫っていた大蛇を『殺した』。守護霊は特定の例外を除いて生物には干渉できないはずなのに。

 

となると、思い浮かぶ可能性は二つだ。何らかの魔法生物らしきあの大蛇がその『例外』に含まれる存在だったのか、もしくは……あの日記帳と同じく、大蛇こそが最後に残る分霊箱だったのか。

 

でも、そんなことが有り得るのだろうか? 生きながら分霊箱になっているハリーのケースはあくまで例外中の例外であって、自身の魂を持った生物を他者の魂を保管する器に変えるというのはそう簡単ではないはずだ。蛇の側からも、リドルの側からも、相互に強い感情がなければ分霊箱には出来ない。

 

うーん、難しいな。特殊な魔法生物であるという可能性に関しては、既にハグリッドに向けた手紙で調べて欲しいと頼んである。それが空振りに終わったら本格的に分霊箱の線を疑う必要が出てくるだろう。その時はパチュリーとも議論してみないと確信を持てなさそうだ。

 

だけど、そうであって欲しいな。もしあの守護霊の動きが私の無意識が命じたものではないのだとすれば、それはきっと杖に残された彼女の意思が動かしてくれたものなのだから。だったら私は一人じゃないと思えるのだ。

 

弱いなぁ、私は。ホルダーから覗く杖の柄を撫でながら苦笑いを浮かべて、窓から春の光が差し込む廊下をどんどん歩いていくと……ここか。部屋の前のプレートに『ガウェイン・ロバーズ』と書かれた病室が目に入ってきた。まだ半分を越えたばかりなのに、今年だけで二度目の入院。なんとも運の悪い男ではないか。

 

哀れみの思いとともに軽くノックしてみると、中から入室を促す声が聞こえてくる。

 

「どうぞ。」

 

「失礼するわね、ロバーズ。……あら、ムーディ? 貴方もお見舞いに来てたの?」

 

声に従って一人用の病室に入ってみれば、ベッドの上で右腕を固定されているロバーズと、緑のローブに身を包んだ闇祓い局長どのの姿が見えてきた。当然、壁を背にしていつでも杖を抜けるように警戒中だ。病院なんだぞ、ここは。

 

「見舞いではなく、打ち合わせだ。わしらは戦いに勝った。ならば次は残党を狩り出す必要があるだろうが?」

 

「それはまた、頼もしいお言葉ね。衰えてないようで何よりだわ。……それで、調子はどうなの? ロバーズ。」

 

まあ、ムーディの言は正しい。これから先は私たちが先手を取る番になるだろう。ヨーロッパ中を逃げ回る死喰い人の残党たちを、猟犬の如く鼻を利かせながら追い立てるわけだ。わんわんって。

 

病室に似合わぬ物騒な台詞を流しながら放った質問に、ベッドに『固定』されているロバーズは情けない表情で答えてきた。見てるだけでもうんざりしてくる有様だな。一切の身動きを許されていないようだ。

 

「足の傷はすぐにでも治るらしいんですけど、手の方は時間がかかりそうなんです。厄介な呪いを受けちゃった所為で、一度骨を全部溶かしてまた生やす必要があるそうで。……人体の不思議さを実感しますよ。」

 

「ご愁傷様。この前生やした肋骨の分も含めれば、今年何本の骨を『新調』したことになるのかしらね?」

 

「次の骨は大事にしますよ。」

 

そうすべきだな。弱々しいジョークに肩を竦めてから、ベッド横の椅子に座って持ってきたフルーツを人形に剥かせる。曲芸師のようなナイフ捌きでリンゴを剥き始めた人形を眺めながら、ロバーズが恐る恐るという表情で問いかけてきた。

 

「……そのナイフ、まさか例のあの人の杖腕を切り落とした一品じゃないですよね? だとしたら私はそのリンゴを食べたくないんですけど。」

 

「そんなわけないでしょうが。ちょっと物騒な見た目だけど、普段使いのナイフよ。私の家にはこういうナイフが多いの。」

 

何故なら咲夜が好んで蒐集しているからだ。今人形が使っているナイフは紅魔館のキッチンから借りてきたものだが、明らかに戦闘用の見た目をしている。……むしろ普通の果物ナイフが見つからなかったぞ。我が家はどうなってしまったんだ?

 

「それは……その、個性的な家ですね。さすがです。」

 

「無理に言葉を選ばなくても結構よ。自覚はあるから。」

 

その代わり、私の趣味じゃないってことだけは分かってくれ。ジト目で言った後、一応ムーディの方にもリンゴはいるかと目線で問うてみるが、用心深い熟練闇祓いは間髪を容れずに手で断ってきた。そりゃそうか。

 

予想できていた反応に鼻を鳴らしてから、病室に置いてあった皿にリンゴを切り分けていく人形を見守っていると……同じく人形を見ながらのロバーズがポツリポツリと語り出す。疲れたような、自嘲するような笑みを浮かべながらだ。

 

「でも、これでようやく一段落付きそうですね。……また生き残っちゃいましたよ。」

 

「もっと喜びなさい。貴方には家族が居るんでしょうが。」

 

「そうかもしれませんけど……それでもやっぱりキツいですよ、私よりずっと若い同僚に死なれるってのは。十五年前とはまた違った辛さがあります。」

 

十五年前は新人に毛が生えた程度だったロバーズも、今や部下を率いる立場の人間なのだ。別の立場だからこそ、別の苦しみがあるのだろう。思わず漏れ出たという感じの弱音にどう声をかけようかと迷っていると、ムーディが天井を見つめながら口を開いた。

 

「弱々しいことを抜かすな、ロバーズ。わしはあくまで臨時だ。だから、来年度からはお前が局長になるんだぞ。……いいか? 部下には決して弱みを見せるな。わしが泣き言を口にしたことがあるか? スクリムジョールの小僧が一度でも弱音を吐いたか? ……ならば、次はお前の番だ。闇祓いを率いる者としての役割を演じろ。それが局長というものだろうが。」

 

ムーディなりの、次代を継ぐ者への喝というわけか。あまりにも不器用な台詞に苦笑していると、ロバーズは呆然とした表情で返事を呟く。

 

「私が、局長? ……しかし、杖捌きで言えばシャックルボルトの方が上でしょう? 私はてっきり、彼が次の局長なのかと思ってました。」

 

「シャックルボルトが死地に赴けと言っても躊躇う者は多かろう。だが、お前が言えば皆が従う。……これにはシャックルボルト本人も同意していたぞ? 部下が命を預けられるかどうか。それこそが闇祓いの局長に最も必要な資質だ。」

 

うーむ、ムーディやスクリムジョールの時代とはまた違った闇祓い局になりそうだな。確固たる意志で強引に引っ張っていった二人と違って、ロバーズの場合は皆が支えるような雰囲気になりそうだ。……うん、悪くない。それもまた一つの在り方だろう。

 

真剣な表情で老練の闇祓いの言葉を噛み砕いているロバーズへと、ムーディはそっぽを向きながら話を締めた。

 

「正式な就任はお前の退院に合わせた八月の中頃になる。そこから先についてはわしは一切口を出さん。お前に教えられることはもう全て教えた。後は勝手にするがいい。」

 

「あの、局長。私は──」

 

「だが、忘れるな。油断大敵! 全てを疑え! 闇祓い局はイギリス魔法界の矛であり盾なのだ。お前はその先頭に立って闇を祓うことになる。誰よりも闇に近い場所でな。……決して闇に呑まれるなよ? ロバーズ。」

 

大声で言い切ったムーディは、そのまま義足を鳴らして病室を出て行ってしまう。歴史上、闇の魔術に近付きすぎたあまり闇に堕ちてしまった闇祓いは多い。あるいは、苛烈すぎる決断で批判を浴びた者もだ。

 

……ただまあ、ロバーズならきっと大丈夫だろう。こうして部下の死に苦しむ彼ならば選ぶ道を間違えたりはしないはずだ。イギリス魔法界の先頭に立って、迫る闇を祓ってくれるはず。

 

ムーディの出て行った病室のドアを無言で見つめるロバーズを横目に、アリス・マーガトロイドは切り分けられたリンゴを一つ口にするのだった。……ちょっと酸っぱいな。

 

 

─────

 

 

「ああ、失敗したわ。大失敗よ! 今年は世界情勢が大きく動いてた年だったんだから、魔法史の出題もそれに沿うものになるって予想すべきだったわ! まさか国際魔法使い連盟の成立が論述問題のテーマになるだなんて……失敗よ! 準備して然るべきテーマだったのに!」

 

談話室のソファで嘆き悲しむハーマイオニーの言葉を聞き流しながら、アンネリーゼ・バートリは小さく肩を竦めていた。どうやら我らがミス・勉強はヤマを外してしまったらしい。珍しいこともあるもんだな。

 

六月の二週目。いよいよ試験が始まったホグワーツでは、生徒たちが一喜一憂……というか、一喜九憂くらいの表情で午前のテストについてを話し合っている。毎年お馴染みの光景だが、今年ばかりは重みが違うな。何せ五年生は将来が懸かっているのだから。

 

試験初日の変身術と魔法史の筆記が終わった今、ロングボトムは余命宣告でもされたかのような表情で窓際に突っ立っているし、ブラウンとパチルはとうとうオカルトに縋り始めたようだ。今も談話室の隅っこでどデカい水晶玉に向かってブツブツと何かを呟いてる。鬼気迫る表情が軽い狂気を感じさせるな。

 

そしていつもの三人組はといえば、午後に行われる魔法薬学と呪文学の実技のために教科書を開いて最後の追い込み中だ。……正しい選択だと思うぞ。少なくとも窓絵や水晶玉よりかは役に立つだろうし。

 

黙々と調合のシミュレーションや呪文のおさらいをするハリーとロンを眺めていると、再びハーマイオニーが『呪詛』を口にし始めた。なまじ他が完璧だっただけに、魔法史の論述の失敗は彼女に大打撃を与えてしまったようだ。

 

「そうよ、情勢を鑑みるべきだったのよ。ひょっとして、薬学の課題もそうなるんじゃないかしら? 今年多く使われたのは……そう、記憶修正薬とか!」

 

「問題を考えてるヤツが誰なのかは知らんが、それが誰にせよキミほど深くは考えてないと思うよ。大人しく傾向通りの予防線を張っておきたまえ。」

 

「でも……そうね、奇を衒うのは危険よね。確実に取れる点を取らないと。」

 

「そういうことさ。……ほら、もう午前のことなんか忘れちゃいなよ。今は目の前の実技試験に向き合うべきだろう?」

 

組んだ自分の太ももに頬杖を突きながら言ってやると、一つ頷いたミス・勉強は猛然とした勢いで薬学の教科書を机に広げる。そら、一丁上がりだ。大体、ハーマイオニーが上手く解けなかった論述を他の生徒が解けてるとは思えんぞ。

 

つまりはまあ、試験結果などどうでも良い私はこうして三人の『軌道修正』を繰り返しているわけだ。西に嘆くハーマイオニーが居れば失敗を慰めて、東にボーッとするロンが居れば勉強を促し、北に絶望するハリーが居れば頑張れと応援する。……我ながら何をやっているんだか。

 

ちなみに、試験には一応私も参加する予定だ。フクロウはフランも受けたようだし、ここらで良い成績を取ってお姉さんぶろうという魂胆だったのだが……ちょっとヤバいかもしれないな。変身術はともかく、魔法史は全然分からなかったぞ。

 

グリンゴッツの成立だのマーリンの業績だのはさっぱりだったし、唯一自信を持って書けたのはヨーロッパ大戦の辺りだけだ。ただまあ、あの辺は採点者よりも詳しく書いちゃった可能性があるな。あまりに詳細すぎて、下手すると『捏造』と取られかねんぞ。

 

よし、もし成績が悪かったら受けなかったことにしちゃおう。私がかなり後ろ向きな決意を固めたところで、杖を取り出しながらのハリーが声をかけてきた。

 

「ねえ、リーゼ。邪魔よけ呪文のテストをさせてくれない? 僕に向かって何か投げてくれればいいから。」

 

「もちろん構わないさ。シリアル以外なら何でも投げるよ。シリアル以外ならね。」

 

「あー、シリアルじゃダメなの? それならちょっと待ってて。何かないかな……。」

 

シリアルはもう一生分投げたはずだぞ。言いながらゴソゴソと自分の鞄を漁り始めたハリーを横目に、チラリと少し離れたソファを見やる。咲夜と魔理沙も同級生たちと勉強しているらしい。キャイキャイと騒がしいのが五年生には無い余裕を感じさせるな。

 

「これでいいや。軽めに投げてくれる?」

 

「チェスの駒かい? キミね、何だってこんな物が鞄の中に転がってるんだ? 少しは整理したまえよ。」

 

「でも、今まさに役に立ったでしょ?」

 

「……言い訳が上手くなったじゃないか。誰の影響なんだか。」

 

私のぼやきを受けて、三人同時に無言で同じ方向を指差した。つまり、私の方を。……これはちょっと反論できんな。静かに目を逸らしながらも、呪文を使ったハリーの方へと仏頂面のポーンを投げつける。チェス以外に使われてご不満のようだ。

 

「んー、出来てるっぽいね。まあ、邪魔よけ呪文が実技に出てくるとは思えないが。」

 

それなりには便利だが、試験に出てくる類の呪文ではあるまい。ハリーの呪文で逸らされていく哀れなポーンやらルークやらを眺めながら言ってやると、融解薬の調合をおさらいしているロンが返事を寄越してきた。

 

「分かんないぜ。パーシーの年には出たらしいんだ。シェーマスはサイクル的に今年も出てくるって予想してた。」

 

「『サイクル論』は既に否定されてるわよ。アンジェリーナがそれで痛い目に遭ったって話をしてくれたでしょう?」

 

「いいや、僕は信じるね。今年は出る。絶対に出るはずだ。……じゃないと心が折れちゃうよ。」

 

何とも哀愁を感じる台詞ではないか。さすがのハーマイオニーも哀れに思ったようで、ロンに対して曖昧に頷くと教科書へと視線を戻してしまう。ロンがハーマイオニーの反論を封じた珍しい例になったな。

 

「どっちにしろ、邪魔よけ呪文は問題なさそうかな。後は薬学を詰め込んでおかないと。」

 

「ま、そっちはスラグホーンの『予想リスト』に従っておけば大丈夫だと思うよ。あの男は合計すれば半世紀以上も教師をやってるんだ。フクロウの出題予測なんぞお手の物だろうさ。」

 

「うん、今年の魔法薬学がスラグホーン先生で本当に助かったよ。もしもスネイプのままだったらと思うと……ゾッとするね。」

 

悪しき想像を打ち消すように首を振って勉強に戻ったハリーを見ながら、ソファに身を預けて思考を回す。スネイプか。ハリーは今なお大嫌いらしいが、未だ潜入中のあの男は私たちにとって大きなピースとなっている。

 

スネイプはつまり、逃亡者となったリドルに繋がる細い糸なのだ。先日レミリア経由で伝わってきたアリスの予想。大蛇が分霊箱だったというあの予想が正しいのであれば、リドルを守るものはもはやハリー自身だけということになる。

 

詰めの瞬間が近付いている今、リドルの動向を探れるスネイプの存在は途轍もなく大きいものになっているわけだ。……まあ、その辺は五日後の話し合いの後に考えればいいか。

 

私、レミリア、パチュリー、そしてゲラートとダンブルドアでの話し合い。場所の選定も難しかったし、タイミングも中々合わなかったが、ようやく五人での会談が実現することに決まったのだ。

 

リドルのこと、魔法界のこと、マグルのこと。これだけの面子であれば、何かしらの結論は出るだろう。あとはそれが吉と出るか凶と出るかだが……そればっかりは私にも予想できんな。

 

そもそもどの結論が吉で、どこに辿り着けば凶なのかすらも分からん。ゲラートとダンブルドアがある程度対立した考え方になるのだけは予想できるが、パチュリーとレミリアの思考に関してはよく分からんし……ええい、やめやめ。今考えていても仕方があるまい。

 

今回、私の役目はホストに徹することだ。悔しいことだが、五人の中で一番視野が狭いのは他ならぬこの私だろう。なればこそ、一歩引いて中立の立場から話し合いを円滑に進める必要がある。

 

もちろん脇役ってのは気に食わんが……ふん、今回ばかりは呑んでやるさ。そも私が望んだ話し合いなわけだし、それを認めさせるだけの面子が揃っているのだから。

 

何にせよ、五日後に全てが決まる。自身の中に渦巻くほんの僅かな不安と期待を自覚しつつも、アンネリーゼ・バートリは小さな微笑みを浮かべるのだった。

 



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四つ巴

 

 

「それじゃ、見張りは任せたからね。参加者以外は決して近付けないように。」

 

見張り役として連れてきた美鈴に注意を放ってから、アンネリーゼ・バートリは背後の建物へと振り返っていた。本当の意味で私たちのゲームが始まった場所。ゴドリックの谷に佇む、記憶より古寂びたダンブルドア家へと。

 

六月十五日の夕暮れ時。ホグワーツの生徒たちが試験期間の半分を告げる休みに一息ついている今日、遂に例の話し合いが執り行われることとなったのだ。既にパチュリー、ダンブルドアは私と共に到着しており、後はレミリアとゲラートを待つのみとなっている。

 

会談の場所をここにしたのは、ゴドリックの谷が歴史ある中立の場所だというのに加えて、私たちにとって全てが始まった場所だからだ。……いやはや、本当に縁深い場所だな。ゲラートも、ダンブルドアも、ハリーも、リドルも、そして私やレミリアでさえも。この場所で運命の転機を迎えたわけか。

 

だが、今回はあの時とは違う。今の私は窓の隙間から覗き見る愚かな戯曲家ではなく、舞台に上がった役者の一人なのだから。庭に咲き乱れる紫陽花を横目に玄関を抜けて、そのままリビングへと入ってみれば……椅子に座っていつも通りに読書をしているパチュリーと、部屋の隅で窓の外を眺めているダンブルドアの姿が目に入ってきた。

 

「おや、バートリ女史。スカーレット女史とゲラートは到着しましたか?」

 

「残念ながら、まだだよ。悪いがもう少し待つことになりそうだ。ゲラートの方はよく分からんが、レミィは魔法省の用事に手間取ってるみたいでね。」

 

「ほっほっほ、待ちましょうとも。もう五十年……いえ、百年近くも待たされたのです。今更焦ったりはしませんよ。」

 

だろうな。私と同様、これはダンブルドアにとっても待ち望んでいた話し合いのはずだ。鷹揚に微笑むダンブルドアに頷いてから、テーブルに直に座って先程までの話に戻る。

 

「それでだ、ダンブルドア。つまるところ、キミはハリーのために死んでくれるってわけかい?」

 

『自己犠牲』と『吸血鬼狩り』。残る二人のことを待つ間に、ダンブルドアからそれらの話を聞き終えたのだ。……ふん、後者に関しては私からは触れないぞ。全て自覚していることで、そして何の反論も出来ないのだから。自ら墓穴を掘りにいく理由などあるまい。

 

ピクリと本を持つパチュリーの指が動くのを確認しつつ聞いてやれば、ダンブルドアは静かに席に着いて返事を寄越してきた。彼もこれ以上追及してこないのを見るに、私の内心をよく理解しているようだ。狸ジジイめ。

 

「簡略化すればそうなります。貴女にとっては喜ばしいことでしょう?」

 

「そりゃあそうさ。私はキミなんかよりもハリーの方がずっと大事だからね。……怒ったかい?」

 

「まさか、怒るなどとんでもない。わしとしては喜ばしい言葉ですよ。どうやら貴女は『銀の杭』を手放せなくなってしまったようですな。……ふむ、五年前の貴女に聞かせてみたらどんな反応を示すのでしょうか? 非常に気になるところです。逆転時計が手元にあれば良かったのですが。」

 

「……キミにしては性格の悪い問いかけじゃないか。もちろんノーコメントだ。」

 

『成長』か。……レミリアがどう思っているのかは知らんが、私としては大いに納得の説明だった。百年前の、五十年前の、そして五年前の自分。どれを取っても歳を重ねただけのガキにしか思えないのだから。

 

でも、仕方ないじゃないか。小さなリーゼちゃんは今まさに『成長期』の真っ最中なんだぞ。私が天井に目を逸らしながら呟いたところで、本に目を落としたままのパチュリーが口を開く。何を考えているのやら、ちょびっとだけ不服そうな表情だ。

 

「そんなことよりも、先に最後の分霊箱についてを話し合うべきだと思うけど? ……大蛇が分霊箱だったってアリスの推理。二人はどう思っているのかしら?」

 

「私は正しい推理だと思うけどね。守護霊は基本的に生体や物体には影響を及ぼさないはずだろう? 私の知る『魔法界の』例外は三つだけ。吸魂鬼と、レシフォールドと、そして分霊箱だけだよ。」

 

「ふむ、わしはもう少し詳しく調べるべきだと考えていますが……基本的にはその意見に賛成ですな。恐らく分霊箱だったのでしょう。」

 

「やけに歯切れが悪いじゃないか、ダンブルドア。」

 

私の声とパチュリーの疑問げな視線を同時に受けたダンブルドアは、顔に僅かな影を落としながら詳しい説明を語り出した。

 

「話を聞くに、トムは大蛇のことを『ナギニ』と呼んでいたとか。……その名には些か以上に聞き覚えがありましてな。」

 

「つまり、何が引っ掛かってるのよ? もっとハッキリ言いなさい。こんなところでボヤかしても意味がないでしょう?」

 

「わしの記憶が正しければ、その大蛇は……『彼女』は、マレディクタスだったはずなのじゃ。その場合、分霊箱に出来ると思うかね?」

 

「……なるほどね。ちょっと待ちなさい、少し考えるから。」

 

マレディクタス? ……ああ、血脈の呪いか。神話から今の時代まで、私たちの世界にも前例の多い太古の呪いだ。人から家畜へ、動物へ。徐々にその身を下等な存在へと堕としていく呪いで、逃れる方法はただ一つ。己が血を分けた子へと『伝染』させなければならない。

 

要するに、『強制的動物もどき』なわけだ。ってことは、ナギニとやらは『伝染』を拒否したマレディクタスの成れの果てなのか。……うーん? 確かに分霊箱としては相応しくないな。意図的に人間を分霊箱にするってのはかなり難しいはずだぞ。

 

思考を回しながらパチュリーの答えを待つ私に、当の大図書館どのはポツリポツリと自分の考えを話し始める。

 

「難しくはあるけど、不可能ではないわね。条件はいくつかあるわ。……一つ、相応しい媒体を介した物質的な繋がりがあること。二つ、魔術を介した精神的な繋がりがあること。三つ、その大蛇が完全に『人間』ではなくなっていること。四つ、リドルがその大蛇に何らかの強い感情を持っていて、尚且つ大蛇の方もリドルに魂を明け渡すほどの信頼を持っていること。……こんなところかしら? あくまで急拵えの仮説よ。信じすぎないで頂戴。」

 

「うむ、わしとしても異論の無い仮説じゃ。アリスの守護霊が影響を及ぼせたという点を加味すれば、ナギニが分霊箱であったというのは大いに有り得る事態じゃろうて。」

 

「まあ、決め打つのはまだ早いわ。そもアリスの使った呪文は守護霊の呪文であって守護霊の呪文ではない可能性が高いのよ? 先ずはその大蛇がマレディクタスだって確証を得るところから始めなさい。前提が間違っていれば全てが崩れるわよ。」

 

「そうじゃな、彼女のことを詳しく知っている友人に連絡を送らねばなるまいて。……じゃが、やはり分霊箱であった可能性は高いと思うよ。ただの蛇ではなく、元々人間だったからこそ分霊箱になり得たのではないかのう。」

 

そら来た、またお得意の愛が理由か? だとすればその大蛇には男を見る目がなかったわけだ。哀しげな表情を浮かべるダンブルドアを冷めた視線で眺めていると……おっと、ようやくご到着か。玄関のドアが開く音の後、私たちの居るリビングへと我が幼馴染どのが入室してきた。

 

「……あら、グリンデルバルドはまだなの? この私を待たせようだなんていい御身分じゃない。待たせるのは好きだけど、待たされるのは大嫌いよ。」

 

「よく来てくれたね、自己中心的な極悪吸血鬼さん。さっさと座って大人しく待っていてくれたまえ。ゲラートももうすぐ来るはずだから。」

 

「『超有能政治家』ってのが抜けてるわよ、性悪。……あー、疲れた。さっきまでアズカバンの再建計画についての会議をしてたんだけど、後にこの会談が控えてるから集中し切れなかったわ。」

 

昨今のイギリス魔法界を騒がせている、監獄不足問題か。どさりとパチュリーの隣に座ってボヤくレミリアへと、ダンブルドアが興味深そうな表情で相槌を送る。

 

「結局再建することになったのですか? 別の場所に新造せよとの意見も多かったらしいですが。」

 

「無理無理。コストと時間がかかりすぎるんだもの。過去に集団脱獄があったってのは付き纏うでしょうけど、大規模監獄の新造は現実的じゃないわ。マクーザから運営のノウハウを聞いて、吸魂鬼を使わない『新生アズカバン』へと改修する、ってとこに落ち着くでしょうね。」

 

「それは重畳。そも吸魂鬼を使っているという状態が異常だったのです。ようやく健全な形を取り戻せるわけですな。」

 

「でも、吸魂鬼無しだと収監されることの意味自体が軽くなっちゃうのよ。これまでは吸魂鬼が居ればこそ、アズカバンに入れられるってのが重い刑罰になってたわけだしね。……だからアズカバンのシステムを変えれば、法改正も同時に行なう必要があるわ。うんざりよ。どんどん問題が拡大してくってわけ。」

 

なんとまあ、ここに来て諸処の問題が一気に表に浮かび上がってきたわけか。確かに吸魂鬼無しだと収監を軽く見る連中が出てきそうだ。それに吸魂鬼のキスが実行できなくなった以上、代わりの『処刑方法』も必要になってくるだろう。

 

クラウチが魔法法を改正してから早二十年。いよいよ二度目の大規模改正が始まるわけだ。これはハーマイオニーにも『変革』の波に乗るチャンスが残されてそうだな。栗毛の改革者を思ってクスリと微笑みつつも、疲れた表情のレミリアへと質問を放った。

 

「それで、吸魂鬼そのものはどうなったんだい?」

 

「そりゃ、イギリス各地に散らばったわよ。リドルに制御する力がなくなった今、あの忌々しい黒マントどもは野生の害獣に生まれ変わったってわけ。そのうち他国にも飛んでっちゃうでしょうし、長い時間をかけて駆除していくしかないわね。」

 

「ひどい話じゃないか。これから先の長い年月、吸魂鬼が世界の何処かで騒ぎを起こす度にイギリス魔法省が叩かれるってわけだ。」

 

「私が言うのもなんだけど、そんなもん身から出た錆でしょ。モルガナ、エクリジス、そしてリドル。全部イギリス魔法界が生み出したものよ。となれば吸魂鬼だってイギリスが責任を持つべきだわ。……それに、今の今まで問題から目を逸らして甘い蜜を吸ってたんだしね。そろそろ支払いをすべきでしょう?」

 

それもそうだな。どう考えてもアズカバンなんて不確かなシステムに頼っていたイギリス魔法界が悪いのだ。ならば、その責任は甘んじて受け入れるべきだろう。こればっかりは言い訳できまい。

 

「ま、吸魂鬼は不死であっても不滅じゃないわ。いつかは解決するでしょ。いつかはね。」

 

肩を竦めてレミリアが話題を締めたところで、今度はパチュリーがボソリと疑問の声を上げる。いつもよりページを捲るのが遅い気がするし、彼女もきちんと話を聞いているようだ。

 

「肝心のリドルはどうなの? 魔法省で敗退して以降、行方が分からないんでしょう?」

 

「まさかイギリス国内に留まってるとは思えないし、『忠臣』と一緒に他国に逃げたんじゃないかしら。……何にせよ、そう長くは逃げられないでしょ。ヨーロッパの何処に隠れてようが、私が必ず燻し出してやるわよ。」

 

「そして居場所を見つけたら、わしがハリーを連れて決着を付けに行きましょう。既に全ての準備は整っております。……その時はバートリ女史もいらっしゃるのでしょう?」

 

「当たり前のことを聞かないでくれ、ダンブルドア。当然私も付いて行くさ。一刻も早く目障りな運命なんてものを終わらせて、ハリーに普通の人生を取り戻してもらおうじゃないか。」

 

もうハリーは充分すぎるほどに付き合ったはずだ。ならば、後の人生は彼自身のものであるべきだろう。全員がこの先の計画に納得……してないな。パチュリーだけは若干不満そうな表情を浮かべているが、一応は反対意見なしで方針を固めたところで、玄関の方から微かな物音が聞こえてきた。

 

いよいよか。ダンブルドアは少しだけ身を正して、パチュリーは本を読んだままで、レミリアは何故か御機嫌斜めの表情で。それぞれの態度で全員が黙り込むリビングに、一人の老人がゆっくりと入室してくる。

 

高価そうなスリーピースのダークスーツ。ネクタイは無しで、シャツだけが白。銀色のチェーンブローチを揺らしながら部屋に足を踏み入れたゲラートは、真っ先にダンブルドアへと声を放った。その色違いの両目を細め、どちらかと言えば少し興味深そうな表情だ。

 

「……老いたな、アルバス。」

 

「こちらの台詞じゃよ、ゲラート。」

 

いつかの夏の日を思い出させる短いやり取りの後、ゲラートは返事をせずにゆっくりと話し合いのテーブルに着く。……さて、こうなれば私は邪魔だな。四角いテーブルの四辺にそれぞれゲラート、パチュリー、レミリア、ダンブルドア。ようやく実現したその光景に頷きながら、沈黙の訪れた部屋の空気を破った。

 

「んふふ、面子は揃ったことだし、先ずは紅茶を用意してくるよ。……安心したまえ、私が淹れるわけじゃないさ。きちんとホグワーツからしもべ妖精を連れて来たから。」

 

失礼な連中だな。いきなり不安そうな表情になった四人に補足を伝えてから、キッチンへと繋がるドアに向かって歩き出す。……私の淹れる紅茶がそんなに不安か? 父上は世界一美味い紅茶だって言ってたんだぞ。

 

視線で牽制し合う四人を背に狭いキッチンに入ってみると、馴染みのしもべ妖精が緊張した表情で紅茶の載ったプレートを持って待機していた。我らが緑色のお友達、ドビーだ。今日は口の堅いサーブ役が必要ということで、ホグワーツの厨房から連れて来たのである。

 

「ドビーめはもう準備が出来ております、吸血鬼のお嬢様!」

 

「大いに結構。それでこそキミを連れて来た甲斐があるってもんだよ。……いいかい? テーブルの面子を見ればキミも分かるだろうが、今日の話し合いは魔法界にとってかなり重要なものになる。話が円滑に進むような一流のサーブを頼むよ?」

 

人差し指をピンと立てて注意を送ってやると、ドビーは一度ぷるりと小さな身体を震わせた後、痙攣と見まごうような激しい頷きを返してきた。……本当に大丈夫か? 不安になってきたぞ。

 

「ドビーめもそれは分かっていらっしゃいます! だからドビーは今日のためにお洋服を新調してまいりました!」

 

「……まあ、気合は伝わってくるよ。頑張ってくれたまえ。」

 

紫と黄色の縞々が入ったぶかぶかの燕尾服。どこで買ってきたんだよ、そんなもん。意気揚々と紅茶を運ぶ変わり者のしもべ妖精を見送った後で、一度大きく深呼吸をして気合を入れ直す。……さて、どんな話し合いになって、どんな結論が出るのやら。

 

キッチンの窓絵に映る薄闇の近付いてきたゴドリックの谷を横目に、アンネリーゼ・バートリは未だ沈黙の続いているリビングへと歩を進めるのだった。

 



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The Game is On

 

 

「……黙ってても始まらないでしょうが。誰か何とか言いなさいよ。」

 

古ぼけた椅子の肘掛をコツコツと叩きながら、レミリア・スカーレットは沈黙のテーブルへと声を投げかけていた。睨めっこをしに来たってんなら私は帰るからな。

 

小さなテーブルを囲むのは私、パチュリー、ダンブルドア、そしてグリンデルバルドだ。最初にポツリと挨拶とも思えぬ挨拶をジジイ同士で交わして以降、パチュリーが本のページを捲る音だけがリビングに響いているのである。

 

主催者であるはずのリーゼは部屋の隅で壁に寄りかかってニヤニヤするばかりだし、これじゃあ何のために集まったのか分からないじゃないか。嫌々ながらも口火を切った私の言葉を受けて、先ずは……おや、意外だな。本から目を上げたパチュリーが口を開いた。こっちも若干呆れた感じの表情だ。

 

「遥々世間話をしに来たんじゃないのなら、先ずは議題を確定させなさい。ふわふわした議論は嫌いよ。確たるテーマがあればこそ、確たる結論が出る。……異論はあるかしら?」

 

そりゃそうだ。無味乾燥な口調でディベートの初歩を語るパチュリーの声に、一拍置いた後でグリンデルバルドが答える。ようやく本題を切り出す気になったらしい。

 

「ならば、俺から議題を提示させてもらうぞ。……マグルと、魔法族についてだ。遠からず魔法界は白日の下に晒されるだろう。そうなった時、この二つの存在は相容れず、いつかは血を流し合う戦争が起きる。……どうだ? 俺の予想は間違っているか?」

 

「断言はせぬよ。じゃが、わしは間違っていると思う。」

 

「私も誤った予想だと思うわ。恐らくダンブルドアとは違う理由だけどね。」

 

「あら、そう? 私は諍いが起こると思うわよ。それが戦争ってほど大規模になるかは怪しいところだし、分かりやすく二分されるとも思わないけど……そうね、血を流し合うってのは大いに有り得るんじゃないかしら。」

 

これはまた、妙な感じに分かれたな。ダンブルドアはともかくとして、パチュリーが反対意見を出すのは結構意外だ。それに、私とグリンデルバルドの意見が合うってのもなんだか気に食わない。

 

私がちょっと苦い表情を浮かべている間にも、グリンデルバルドはテーブルの上で手を組みながら自身の考えを語り始めた。言葉の端々に強い意志を感じる声だ。どうやら衰えてはいないらしい。

 

「マグルは魔法を許容できまい。自分たちには使えず、魔法族にのみ許された力を。……奴らは法規制による枷を作り、魔法の使用を制限してくるはずだ。それに唯々諾々と従ってみろ。図に乗ったマグルどもは魔法を新たな資源として考えるだろう。我々のことを魔法を生み出す家畜として扱い始めるだろう。それに魔法族が耐えられると思うか? ……いや、そもそもそんな扱いに耐えてまでマグルに擦り寄る必要があると思っているのか?」

 

「変わらんのう、君は。昔と同じ悲観主義者じゃ。物事の悪しき側面に囚われておる。……わしはそうは思わんよ。魔法界がいつの日かマグル界と近付くのには同意しよう。それは変えられぬ運命のはずじゃ。その時が来れば、確かにお互いの世界で混乱も起こるじゃろうて。……しかしながら、お互いに妥協し、理解し合えば戦争は避けられるはずじゃ。それは君が思うほど難しいことではあるまい。」

 

「またしても譲れと? お前は魔法族にまだ譲歩しろと言うのか? アルバス。どうして分からない? それが積み重なった結果が今なんだ。……遥か昔、我々は『魔』法の名を押し付けられて世界の裏側へと追いやられた。ああ、そうだ。それに納得したのが全ての間違いだったんだ。あの時我々は引き下がるべきではなかった。マグルは弱いからと、愚かだからと譲り続けてきた結果がこれだぞ。今や魔法に昔ほどの力は無く、我々とマグルの力関係は逆転している。お前のような楽観主義者が今の魔法界を生み出したんだ。」

 

「ゲラートよ、マグルは敵でも、異種族でもない。我々の隣人なのじゃ。君はその点を履き違えておる。……マグルだから、魔法族だから。その言葉に操られてはいないかね? 悪しき魔法族が居れば、善なるマグルとて確かに居るのじゃ。わしは尊敬に値するマグルを何人も知っておるよ? そして、彼らは魔法族を『家畜』などとは扱うまい。わしはそれに自分自身の名誉を懸けられるがね。」

 

真っ直ぐな瞳でグリンデルバルドを見つめるダンブルドアに対して、白い皇帝どのは冷たく鼻を鳴らす。……全くもって正反対の二人だな。始まりは同じだったはずなのに、どうしてこうも違った結果を生むのだろうか?

 

「随分と腑抜けたな、アルバス。俺はあの連中がどこまでも利己的で、時に骨の髄まで残酷になれることを知っているぞ。……お前ならばマグルの歴史にも詳しいはずだ。であれば、そこから目を背けるべきではないな。魔女狩り、神明裁判、民族浄化、ホロコースト。あの連中が『異端』に対してどれほどの所業をしてきた? 魔法族がそうならないという保証がどこにある? 処刑台に立ってから気付いたところで間に合わないんだぞ。」

 

「愚かさは過去の魔法族とて持っていたものじゃろう? それを乗り越え、反省し、次に活かしたからこそ今の時代があるのじゃ。マグルだけを愚かと断ずるのは少々偏った意見ではないかね?」

 

ダンブルドアの熱を帯びてきた言葉へと、こちらも熱くなってきたグリンデルバルドが反論を……おっと、ここで動くのか。その間隙に割り込むかのようにして、パチュリーが静かに己の見解を話し始めた。もちろん視線は本の文字を追いながらだ。

 

「私が言いたいのもそこよ。ゲラート・グリンデルバルド、貴方の考えは古すぎるわ。今の世界を見てごらんなさい。鞭を打たれる奴隷が何処かに居る? 肌の色で住む場所を分けられている? 生まれで権利に差がある? ……全ては過去よ。少なくとも、世界の大多数の場所ではね。それが何故だか分からない? 人間という種族そのものが少しずつ進歩しているからよ。ほんの小さな歩幅で、遅々たる歩みかもしれないけど……それでもヒトという種族は徐々に成熟していってるの。歴史に沈んでいった数多の犠牲のお陰でね。」

 

「だから排斥は起こらないと? その考えは甘すぎるぞ、魔女。表層の常識がどれだけ変質しようとも、人間の根底にある本質は変わらないはずだ。連中が元来持っているあの残虐性はな。……そもそも、マグルどもが『平和』に目覚めたのなどここ数十年の話だろう? 八十年前の戦争では何百万人死んだ? 五十年前の大戦では? ……俺が起こした『大戦』などお遊びに思えるほどのマグルが死んだはずだぞ。そして、その原因はお前が言うほど高尚なものではなかった。国益、プライド、資源、領土。どれも魔法族の問題に通ずるものだ。」

 

「あのね、文明が進歩するスピードは等速じゃないのよ。基礎教育が確立されて、情報伝達の技術が進み、個々人の得られる判断材料が増えて、それによって考え方が変わっていくわけ。民主主義の広まりこそがその最たる例でしょうが。……現在のマグル界は加速度的に成熟していってるわ。単純な年月だけ見れば『ここ数十年』かもしれないけど、成熟の度合いから見ればその前の何百年にも勝るくらいよ。貴方はそのことを計算に含めるべきね。」

 

ふーん? 面白い話だな。種そのものの成熟、ね。私とダンブルドアが黙って聞いている中、グリンデルバルドはすぐさま反撃の言葉を口にしようとするが……ありゃ、残念。その前にパチュリーが続きを語り出す。今日の大図書館どのはやけに饒舌じゃないか。

 

「更に言わせてもらえば、マグルは貴方が思うほど種族として纏まれはしないわよ。排斥しようという者が居れば、融和を図る者も現れるでしょうね。……もう彼らは昔ほど無知ではなく、昔ほど純粋じゃないの。社会規範、法、常識、体面、宗教。あらゆるものに縛られた彼らは、軽々に戦争なんか起こせやしないわ。どっち付かずの議論が延々と繰り返されて、長い年月を掛けた後になし崩し的に融和していくのでしょう。諸処の小さな問題は残したままでね。……これが私の『未来予想』よ。」

 

うーむ、パチュリーらしいっちゃらしい意見だったな。ダンブルドアのようにマグルに期待するのではなく、冷めた目で見ているからこそ戦争にはならないと踏んでいるわけか。どこか中途半端であり、そしてひどく現実的でもある意見だ。

 

パチュリーの意見を受けて苦い顔で黙り込むダンブルドアと、何かを熟考し始めたグリンデルバルドを横目に、今度は私が口を開く。あんまりやる気は無いが、参加した以上は存在感を出さねばなるまい。この三人に遅れを取るのは私のプライドが許さんぞ。

 

「私はパチェの意見に概ね賛成できるけど、もう少し『物騒』な感じにはなると思ってるわ。あなたたちには想像できない? 『魔法使いを追い出せ!』ってプラカードを持って、世界各地でデモ行進をするマグルたちの姿が。……私から言わせてもらえば、魔法族もマグルも考え無しのバカばっかりよ。世界の全てがあなたたちのような賢い人間ばかりだったら、排斥なり融和なりが整然と進んでいくんでしょうけどね。世にはあなたたちが想像も出来ないような間抜けが犇めいてるの。未だに天動説を信じてるようなアホや、新聞の記事を鵜呑みにする大間抜けどもがね。」

 

私はこの百年の政治経験でそれを学んだぞ。マグルも、魔法族も、自分の頭では何も考えられないバカばっかりなのだ。受け容れ易いものだけを受け容れ、自分の価値観で理解できないものは軽々と否定する。根拠のない情報を頑なに信じて、狭い世界からいつまでも抜け出せない。それが民衆というものだろうが。

 

その中でも最も大きな問題は、大多数のヒトが自分の確たる考えを持っていないという点だ。民衆は与し易い他人の意見に追従するだけで、実際は自分の中で答えなど出しちゃいない。それが自分の人生を左右するほどの情報だとしても、『誰かがそう言っていたから』と言って簡単に鵜呑みにしてしまう。今の世界を動かしているのはそういう愚かな『多数派』なのだから。

 

これもまた民主主義の弊害だろうな。パチュリーの言っている『成熟』ってのも理解できるが、ヒトってのはこの政治システムを十全に使えるほどには成長しちゃいないのだ。脳みそ家出中のバカどもに鼻を鳴らしつつ、自分の中にある結論を言い放つ。

 

「となれば、行き着く先はカオスよ。誰にも予想なんて出来ない混沌。悲しいことに、今の世界では脳みそ行方不明の連中が主権を握っているの。報道が方向性を煽り、政治家がそれを利用し、思想家が路上で叫び、愚かな民衆が踊り狂う。……いつかはパチェの言うように収束するでしょうけどね、その過程で間違いなく血は流れるわよ。人間ってのはあなたたちが思うほど賢くはないの。」

 

「ですが、今の貴女が『方向性』とやらを示せば、少なくとも魔法界は纏まりを持てるのでは? 貴女にはそれだけの力があるはずです。」

 

「そんな義理が私にある? ……まあ、今まで盛大に操ってきた責任を取れって言うならやってみてもいいけどね。散々荒らし回った自覚はあるし、愉しませてもらった借りだってあるもの。でも、マグル界は絶対に纏まらないと思うわよ。……それに、私が舵取りをするってのは気に食わないんでしょ? ソヴィエトの皇帝どのは。」

 

ダンブルドアの疑問を受けて、矛先をグリンデルバルドの方に向けてやれば……そりゃあそうだろうな。白い老人は大きく頷きながら返事を寄越してきた。

 

「当然だ。思想や方向性以前に、魔法族を政治の道具としか思っていない貴様がヨーロッパ魔法界を操っているのは気に食わん。今までは明確な『敵』の存在によってバランスを保てていたが、これから先には必ず綻びが出てくるだろう。魔法族にとって致命的な綻びがな。」

 

「『敵』たる貴方にそれを言われるってのは感無量よ。魔法族の未来に人生を捧げた貴方よりも、政治の道具として扱ってきた私の方が支持されてるってわけね。……どう? 悔しい?」

 

「結果は結果だ。貴様の方が民意を誘導するのが上手かったというのは認めよう。昔の俺は考えが足りなかった部分もあったし、焦るあまりに情勢を読むことも怠っていた。……だが、今は違うぞ、スカーレット。老い先短い命かもしれんが、貴様を引き摺り降ろすくらいの余裕は未だ残っている。」

 

「はん、負け犬の遠吠えにしか聞こえないわね。やろうってんなら受けて立つけど? 高々ソヴィエト一国を握っただけで蘇ったつもりなの? 貴方が牢獄で惨めに暮らしている間、私は政治に励んでたのよ。容赦なく踏み潰してあげるわ。」

 

苦戦はするかもしれんが、負ける気はしないぞ。私の真紅の瞳とグリンデルバルドの灰と黒の瞳が睨み合ったところで……ふん、つまらん。ダンブルドアが苦笑しながら止めに入ってくる。そら、クッションジジイの登場だ。

 

「そこまでじゃ、二人とも。スカーレット女史も、ゲラートも、今争うことは望んでいないのじゃろう? 君たちが対立してしまえばマグルの問題どころではあるまいて。向かう先は本当の混沌、正に地獄じゃ。そんなものは誰にとっても損でしかあるまい。」

 

「ま、そうね。レミィは下らない挑発をやめなさい。そして、グリンデルバルドは余計なことを心配するのをやめなさい。どっちに傾こうが貴方が憂いている事態にはならないわ。私たちは近いうちにイギリスを……というか、この『世界』を離れるんだから。」

 

ダンブルドアに続いたパチュリーの言葉を聞いて、グリンデルバルドは虚を突かれたように目を見開く。ダンブルドアはあんまり驚いてないのを見るに、パチュリーからそれとなく知らされていたようだ。

 

「……全てを放り投げて楽隠居でも気取るつもりか?」

 

「私たちが移るのは楽隠居ってほど穏やかな土地でもないんだけどね。……まあ、ちょっとばかし無責任な選択なのは認めるわよ。でも、誰に批判される覚えもないわ。勝手に魔法族の方から頼ってきて、私はそれに値するだけの『活躍』をしてきたでしょう? なら文句を言うのは筋違いってもんよ。」

 

肩を竦めて言ってやると、グリンデルバルドはどっかりと椅子に身を預けて黙り込んでしまった。誰に何と言われようが、私は『給料分』の仕事をしたはずだ。だったら引退するのは自由なはずだぞ。

 

再び本に目を落としてしまったパチュリー、難しい表情で黙考するダンブルドア、不満げに鼻を鳴らすグリンデルバルド、そして胸を張ってそれを睨み付ける私。テーブルの上にまたしても短い沈黙が舞い降りたところで、場外から皮肉屋の声が飛んでくる。

 

「いやぁ、滑稽だね。実に滑稽な議論だ。去り行く二人と、死に行く二人。もうすぐ魔法界から去る者たちが、魔法界の未来について議論を交わす? ……うーん、意味あるのかい? これ。」

 

「……あんたが集めたんでしょうが。」

 

くつくつと笑うリーゼをジロリと睨んでやると、彼女は両手を広げながら大袈裟に肩を竦めた。これでもかってくらいのイラつく笑みを浮かべながらだ。

 

「おっと、これは失礼。私の言葉なんか雑音とでも思っておいてくれたまえよ。……ただまあ、外から聞いていた私が思うに、キミたちが話し合うべきは残された時間をどう使うかなんじゃないかな。それぞれの『未来予想』を発表したところで何が変わるわけでもないだろう? まさかとは思うが、本にして出版でもするつもりなのかい? ……ふむ、悪くないね。キミたち全員の共著なら飛ぶように売れそうだ。滑り込みで今世紀ベストセラー間違いなしだぞ。」

 

こいつ、生意気にも狂言回しを気取るつもりか? ニヤニヤと笑うリーゼの言葉の意味を全員が認識したのだろう。それぞれに顔を歪めた後で、グリンデルバルドが再び議論の口火を切る。

 

「腹立たしいが、吸血鬼の言うことは正しい。我々は『どうなるか』ではなく、『どうするか』を考えるべきだな。……マグルが易々と纏まれない、という魔女の意見には俺にも同意できる部分があった。こちらが纏まれない以上、相手を割れさせるというのは悪くない提案だ。」

 

「誰もそこまでは言っていないはずじゃよ、ゲラート。君の思考回路は些か物騒過ぎるのう。……実際のところ、戦うのが上手くない選択肢だというのは君も理解しているはずじゃ。もはや間に合わんよ。どれだけ魔法族が頑張ったところで、明確な決着を付けることは不可能じゃろうて。それが勝利にせよ、敗北にせよね。」

 

「……いいだろう、そこは認めよう。だが、魔法族がマグルに『支配』されるのだけは認めんぞ。今の世界は多数が力を持つ世界だ。仮に魔法族とマグルの融和が叶ったところで、少数派である魔法族が不利な扱いを受けるのは目に見えている。お前はその点をどう考えているんだ、アルバス。」

 

「そうじゃな、数の上で不利であるという点は認めよう。じゃが、多数派が力を持つのと同時に、少数派の権利も今の世界では重んじられておる。数で圧し潰すことを良しとせぬ者も確かに居るのじゃ。そこに上手く働きかける必要があるじゃろうて。」

 

徐々に議論が現実の選択に近付いてきたな。ダンブルドアとグリンデルバルドの言葉を私が脳内で咀嚼していると、やおらパチュリーが本を置いて意見を放った。聞き分けの悪い子供に諭す時のような、ちょっとだけ呆れた感じの表情だ。

 

「私が思うに、問題なのはマグルよりも魔法族よ。こうした議論が忙しなく行われるべきなのが今の魔法界の現状でしょう? それなのに、誰一人としてそのことを口にしていない。……先ずは魔法族のマグルに対する無理解を改善すべきじゃなくて? そも私たち四人だけでこの問題を話し合っていることこそが異常なのよ。問題の周知を図って、危機感を覚えさせて、それからマグルへの対処法を考えるべきだわ。……『消え行く』四人じゃなく、実際の結果を背負う魔法族全員でね。」

 

うーん、正しい。ぐうの音も出ないほどに。そしてダンブルドアとグリンデルバルドもそう思っているようだ。それぞれ苦い表情を浮かべながら、納得の首肯をパチュリーに返す。

 

「その通りじゃな、ノーレッジ。老い先短い老人などではなく、未来を担う若い魔法族こそがこの問題に向き合うべきじゃろうて。先ずは問題の周知。大いに納得じゃ。……いやはや、気付かぬうちに驕っていたようじゃのう。もはやわしらが皆を引っ張っていく時代は終わった。今更老人が出しゃばっても仕方があるまい。」

 

「……悔しいが、その通りだ。寿命が目前に迫る俺たちでは先頭に立って旗を振ることなど出来ない。すぐに落ちる旗などに価値は無いだろう。ならば、せめて俺たちの懸念を次代に託すべきなんだろうな。」

 

なんとまあ、重い台詞だな。結局のところダンブルドアも、グリンデルバルドも、己が人生を懸けた変革の行く末を見届けられないと確信しているわけか。だったらせめて魔法族の土壌となって次代に貢献しようということなのだろう。

 

とはいえ、マグルの問題を魔法族の共通認識にするのはかなり難しいと思うぞ。表面ではなく、根底の認識をそっくり塗り替える必要がある。それはつまり、世界に蔓延る『魔法使いらしい』常識をぶっ壊す必要があるということだ。

 

「じゃが、実際のところどう動こうというのかね? わしらの影響力を振り絞っても、それが及ぶ範囲など高が知れているじゃろう?」

 

「……早さが必要だ。マグルが魔法界を見つけ出すのはそう遠い話ではない。である以上、魔法族の認識を今すぐにでも変える必要があるだろう。魔法族が危機を認識したところで、それに対処する時間が残っていなくては意味があるまい。」

 

「ふむ、単に問題を訴えかけるだけでは効果があるまいて。もちろん聞いてくれる者も居るじゃろうが、聞き流してしまう者の方が遥かに多いはずじゃ。その程度で解決する問題であれば、そもそもこんな事態にはなっておらんからのう。」

 

「厳しいな。時間的な制限もそうだが、魔法族の凝り固まった意識を変えるというのは容易ではないぞ。先ず、マグルに対する理解不足から解決していく必要があるだろう。でなければ何が問題なのかすら理解できないはずだ。……そんなことに魔法族が興味を持つかは疑問だが。」

 

……ああもう、全くもって世話のかかる連中だな! ふん、いいさ。『知識』が答えを出して、思想家が方向を示したのであれば、それを現実に照らし合わせるのは政治家の役目だろう。面倒だが、一度くらいは理念に合わせて踊ってやるよ。それが私を楽しませてくれた魔法界への餞だ。

 

神妙な表情で考える不器用な思想家二人へと、小器用な政治家である私が鼻を鳴らして言葉を投げる。素人どもに民衆の操り方ってやつを教えてやろうじゃないか。

 

「先ず、私とグリンデルバルドで問題提起を行うの。私がヨーロッパから、グリンデルバルドがアジアからね。だからもう表に出なさい、ソヴィエトの皇帝。私たち二人が同じ問題を掲げたのなら、そのインパクトは絶大でしょう? ……そして、ダンブルドアは死ぬ前にそれに拍車をかけなさい。悪いけど、貴方の死も勢いを付けるのに利用させてもらうわよ? アルバス・ダンブルドアが死ぬ前に放った魔法族への忠言。きっと誰もが重く見るでしょうね。」

 

「ほっほっほ、望むところです。わしの死が何かの役に立つのであれば、存分に利用してくだされ。……しかし、ゲラートが表に出てしまえば無用な混乱を生むのでは?」

 

「あのね、端っから混乱を生むのが目的なの。新たな思想ってやつは混沌から生まれるもんでしょうが。どれだけ波が荒れようと、私が上手く舵を切ってみせるわよ。貴方たちの望む方向にね。……この提案はどうなの? グリンデルバルド。私を信じられるかしら?」

 

黙して私を睨むグリンデルバルドに問いかけてやると、彼は皮肉げに笑いながら答えを返してきた。……おいおい、『飼い主』に似たか? どこかの皮肉屋そっくりの笑みだぞ。

 

「レミリア・スカーレットを信じることなど出来んな。……だが、政治家としての貴様の力量は認めている。悪くない賭けだと言えるだろう。」

 

「素直じゃないヤツは嫌いよ。……なら、さっさと動き出す必要があるわね。先ずは話の通じそうな有力者に根回ししないと。イギリス、フランスには私が、ソヴィエト、ドイツにはグリンデルバルドがよ。あとはマクーザも重要になるわね。この五国を騒動の『源流』に出来れば文句なしだわ。」

 

「いいだろう、請け負った。……始める時期は?」

 

「遅くとも八月が終わる前には始めるわ。それまでになんとか『事前準備』を整えるわよ。ヴォルデモートの件でダンブルドアにはタイムリミットがあるからね。」

 

うーむ、やる事に対して準備期間が少なすぎるぞ。出来ればもっと余裕が欲しかったが……やむを得んな。まさかリドルを放置するわけにもいくまい。となれば、やはり新大陸が大きな鍵となるだろう。あの議会はマグルを比較的理解して、尚且つ客観視できている。味方に引き込めれば勢いが増すはずだ。

 

私が今後の展開について考えているのを他所に、グリンデルバルドがダンブルドアに対して質問を放った。

 

「……それで、お前が死ぬというのはどういう意味なんだ? 言い方からしてヴォルデモートが関係しているらしいが。」

 

「ほっほっほ、後で説明するよ。他にも話したいことは沢山あるじゃろう? この先また会えるかは分からんのじゃ。ゆっくり語り合おうではないか。」

 

「……そうだな、この際だ。全てに決着を付けよう。」

 

旧友で、宿敵で、そして今再び協力する二人か。ここまで来ると何がなんだか分からんな。年老いた二人がなんとも言えぬ空気で目を合わせたところで……いきなりペチペチと乾いた拍手の音が響く。言わずもがな、黙って議論を見守っていた性悪吸血鬼どのの拍手だ。

 

「んふふ、いいね。私たちの全てを締め括るに相応しい選択だ。……それじゃ、最後のゲームを始めようじゃないか。魔法界の常識をぶっ壊すための、我々の革命をね。」

 

嘗て散々魔法界を荒らし回った私たちが、今度は魔法界のために駒になるってわけだ。これこそとびっきりの皮肉じゃないか。……そうだな、これが最後のゲームになる。去り行く私たちにとっては最後の、そしてダンブルドアとグリンデルバルドにとっては最期のゲームに。

 

なら、勝ちで終わらせてもらうぞ。一人愉快そうに笑うリーゼを横目に、レミリア・スカーレットは脳内で盤面を整え始めるのだった。

 



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ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団

 

 

「まあ、こんなもんだよ。結果がどうあれ、僕たちは最善を尽くしたんだ。……そうだろ?」

 

中庭の噴水に腰掛けながら言ってきたロンへと、アンネリーゼ・バートリは無言で肩を竦めていた。最後の不安げな問いかけが無ければ完璧だったんだけどな。

 

先程行われた変身術の筆記を以って、遂に忌まわしきフクロウ試験が終わりを迎えたのだ。そして今の五年生たちに残ったのは僅かな解放感と大きなモヤモヤ。皆結果が不安で仕方ないというわけである。

 

ロンの問いに曖昧に頷いたハリーとハーマイオニーの内、先ずはある程度結果が予測できているハーマイオニーが口を開いた。自己採点の結果が良かったからなのか、最後の筆記が会心の出来だったからなのか、どちらにせよ残る二人よりかは余裕がありそうだ。

 

「そうね、今更悩んだところで時間の無駄だもの。後は夏休みに結果が届くのを待つだけよ。……マクゴナガル先生は魔法省のゴタゴタの所為で少し遅くなるっておっしゃってたから、届くのは八月の初め頃かしら?」

 

「……なら、これでフクロウ試験の話題は終わりだ。みんな異存は無いよな?」

 

ロンの弱々しい宣言に対して、その場の全員が同意の頷きを送る。ハリーとハーマイオニーも試験の話題は食傷気味のようだし、私だって落ち込む三人を見ていても楽しくない。ここらで打ち切っておくのが正解だろう。

 

『試練』の終わりにため息を吐く三人を見ながら、今度はひょいと立ち上がった私が声を放った。ハリーには申し訳ないが、生き残った男の子にはまだ試練が残っているのだ。フクロウ試験の問題が一段落した以上、今度はそちらを進めねばなるまい。

 

「それじゃ、ハリーは私と来てくれるかい? ちょっと話をしなくちゃいけないんだ。」

 

私の声を受けて……おお? 特に何かを意識して言ったわけではないのだが、三人には話の内容が予想できてしまったようだ。いきなり真剣な表情に変わって口々に返事を寄越してくる。

 

「それって、ヴォルデモートに関しての話なの?」

 

「だったら私たちも一緒に行くわ。……ダメ?」

 

「もう内緒は無しだぜ、リーゼ。」

 

参ったな、これは。考えを読まれるのは良いことなのか悪いことなのか。どちらにせよ、それだけ付き合いが長くなったということなのだろう。顔に小さな苦笑を浮かべながらも、心配顔トリオへと言い訳を返した。

 

「正確に言えば、ハリーに話があるのはダンブルドアなんだよ。詳しい内容は私もまだボンヤリとしか知らないから、今は説明できないんだ。」

 

「ダンブルドア先生からのお話? ……んー、分かったわ。談話室で待ってるから、後でどんな話だったのかは教えて頂戴ね?」

 

「まあ、それなら僕たちが付いて行っても邪魔になるだけだな。夕食までには帰ってくるんだろ?」

 

「さすがにそこまではかからないと思うが……キミたち、ダンブルドアが絡むとやけに素直じゃないか。妬いちゃうね。」

 

イギリスの英雄どのの信頼感は健在か。お友達の吸血鬼のこともちょっとは信頼してくれよ。私の言葉に目を逸らした二人にジト目を送ってから、立ち上がったハリーを連れて校長室へと歩き出す。

 

「ってことは、ダンブルドア先生はもう復帰してるの?」

 

一階の廊下を歩きながらのハリーの問いに、行き交う生徒たちを避けながら返答を返した。生徒たちは試験の終わりで笑顔に満ちているが、やはり五年生と七年生だけはどこか憂いが残っているな。新しいホグワーツの一面を垣間見れた気分だ。

 

「都合上、六月いっぱいはパチェが校長を務めるらしいけどね。ホグワーツにはもう戻ってるよ。」

 

「そうなんだ。……うん、やっぱりダンブルドア先生が居てこそのホグワーツだよね。ノーレッジ先生だって負けず劣らずの魔法使いなのは良く分かったけど、ダンブルドア先生の方がしっくりくるよ。」

 

「ま、何となく分かるよ。私たちの世代にとって、ホグワーツの校長はダンブルドアなんだろうさ。」

 

そして、私たちがそう思う最後の世代になるのだろう。……ダンブルドアが死んだ時、生徒たちはどんな反応を示すのだろうか? イギリス魔法界はどんな形でそれを受け止めるのだろうか?

 

間違いなく本人ほど穏やかには受け止められないだろうな。忙しなく動く中央階段を上りながら考えていると、ハリーがおずおずといった様子で質問を飛ばしてくる。

 

「えっと、リーゼ? 無理だってのは分かってるんだけどさ。ほら、今年は希望すれば夏休み中も城に残れるって張り紙があったでしょ? あれって僕は……ダメだよね、分かってたよ。一応言ってみただけ。」

 

私の表情を見て残念そうに後半を付け足してきたハリーに、三階の廊下へと足を踏み入れながら苦笑を返した。未だ『夏休み嫌い』は治っていないらしい。

 

「もう大丈夫だとは思うが、念には念を入れるべきだろう? 八月に入ればいつものように隠れ穴に行けるよ。たった一ヶ月の辛抱じゃないか。」

 

「一年で一番長い一ヶ月なんだけどね。……ヴォルデモートの件はそれからってこと?」

 

「そんなところかな。詳しくはダンブルドアからの説明があると思うよ。……本来なら未成年であるキミがやるべきことじゃないんだが、複雑な事情があるんだ。不甲斐ない私たちを許してくれたまえ。」

 

「許すも何もないよ。僕がやるって決めたんだ。リーゼやダンブルドア先生はその舞台を整えてくれてるんでしょ? なるべく僕が傷付かないようにって。……大丈夫、覚悟はあるから。」

 

……フランが見たら喜びそうな表情だな。十五歳の少年のそれではなく、一人前の魔法使いの表情だ。こんな表情をさせなくてはならないことと、迷わず決意してくれること。情けなさと嬉しさで微妙な気分になりつつも、校長室を守るガーゴイル像に向かって合言葉を放つ。

 

「なに、心配はいらないよ。いつか来るその瞬間、私もダンブルドアもキミの側に居るからね。……オリヴァー・ツイスト。」

 

しかし、パチュリーは毎度毎度皮肉の効いた合言葉を選ぶな。性格の悪さが滲み出てるぞ。遠回しなハリーとリドルへの揶揄にため息を吐きながら、短い螺旋階段を下りて校長室のドアを開けてみると……相も変わらず本だらけの校長室が見えてきた。『疎開』を終えた本たちも元気そうでなによりだ。

 

「やあ、二人とも。今日の主役を連れてきたぞ。」

 

「ご苦労様です、バートリ女史。……よく来てくれたのう、ハリー。久し振りじゃな。」

 

「お久し振りです、ダンブルドア先生。ノーレッジ先生もこんにちは。」

 

「ええ、座りなさい。」

 

ソファに座っていたダンブルドアが立ち上がって温かく、奥の揺り椅子に座るパチュリーが本を読みながら素っ気なく返事を返したところで、私も遠慮なくダンブルドアの向かいのソファに腰掛ける。

 

「消えた執務机は未だ見つからず、かい? そろそろ闇祓いを派遣してもらいたまえよ。あるいは名探偵をね。ベイカー・ストリートに山ほど住んでるはずだぞ。」

 

隣をポンポンと叩いてハリーを促しつつ適当な質問を放ってやると、パチュリーがかなり苦い表情で返答を寄越してきた。どうやら罪悪感はきちんと感じていたらしい。驚きの新事実だな。

 

「……六月中には見つけるわよ。」

 

「だといいけどね。キミたち二人に見つけられないんであれば、執務机は永久に行方不明のままだろうさ。迷宮入り決定だ。」

 

「悲しいのう。長らく共に歩んできた執務机だったのじゃが……。」

 

「見つけるって言ってるでしょうが!」

 

ギロリと睨め付けてくるパチュリーにダンブルドアと二人して肩を竦めてから、ソファに深く身を預けて目線で老人に合図を送る。場も和んだことだし、さっさと話を始めてくれ。

 

「では、ハリーよ。試験で疲れているじゃろうが、わしらの話を聞いてもらいたいのじゃ。これまで話せなかったこと、話せなかった理由、その全てを君に伝えようと思っておる。途中で質問があれば遠慮なく聞いておくれ。今日、君とヴォルデモート……いや、トム・リドルの因縁についての全てを君に話したい。」

 

「……はい、聞きます。全てを。」

 

まあ、先ずはそこからだろうな。全ての準備が整った今、もはや隠す理由など一つもない。ハリーに洗いざらい話せる時がようやく訪れたわけだ。……いやはや、肩の荷が一つ下りた気分だぞ。

 

ハリーの真っ直ぐな答えを受け取ったダンブルドアは、静かに微笑みながらこれまでの十五年間……じゃないな。二十五年間に渡る運命の柵についてを語り始めた。

 

「そうじゃな、先ずは予言の話をしなければなるまいて。ジェームズとリリー、そしてセブルスが深く関わる予言の話を。」

 

「スネイプが?」

 

「スネイプ先生じゃよ、ハリー。セブルスにも理由があるのじゃ。君にあれほど……そう、『拘る』理由がね。前回の戦争についてのあらましはバートリ女史から聞いているのじゃろう? 当時、わしやスカーレット女史が抵抗組織である不死鳥の騎士団を設立したことを。そうして死喰い人と戦っている最中、とある人物がホグワーツの教職に就きたいと面接を希望してきて──」

 

うーむ、これは思ったよりも長くなりそうだな。ハーマイオニーとロンには悪いが、下手すれば夕食には間に合わないかもしれない。……しもべ妖精に頼んで軽食でも届けてもらうべきか?

 

パチュリーのページを捲る音と、朗々と語るダンブルドアの声。二つの穏やかな音を耳にしながらも、アンネリーゼ・バートリは熱心に聞くハリーの横顔を眺めるのだった。

 

 

─────

 

 

「──ということじゃ。分かるかね? ハリー。トムを打ち破れるのは君だけなのじゃよ。君こそがトムを守る最後の盾であり、トムの運命を破れる唯一の矛なのじゃから。」

 

ダンブルドアの静かな声を聞きながら、パチュリー・ノーレッジはゆっくりと最後のページを捲っていた。……結構面白い本だったんだけどな。ダンブルドアの話の方が『物語』っぽかった所為でケチが付いちゃったぞ。

 

もはや住み慣れてきた校長室のソファの上には、運命の物語を語るダンブルドア、時たま注釈を入れるリーゼ、そして黙ってそれを聞くハリー・ポッターの姿がある。長い、長い話がようやく終わったのだ。

 

トレローニーの予言、両親の自己犠牲、スネイプの憎悪と愛、リドルの不死の秘密、そして自身の中に潜む魂の欠片。その全てを聞き終えたハリー・ポッターは、ゆっくりと深く息を吐くと……ポツリポツリと自分の考えを整理するかのように呟き始めた。当然ながら、かなり困った表情だ。

 

「僕……その、どう言ったらいいのか。スネイプ先生のことも、分霊箱のことも。上手く考えが纏まりません。つまり、僕は死ななくちゃいけないってことですか?」

 

「そうはさせぬよ。誰もそんなことを望んではおらぬし、その必要もない。何より、君が死ぬとなればバートリ女史が黙っていないからのう。わしでは怖くて太刀打ち出来んよ。」

 

「煩いぞ、ダンブルドア。」

 

プイと顔を背けたリーゼに苦笑しつつ、ダンブルドアは自身の策についてを語り出す。

 

「リリーの護りの魔法についてはボンヤリと理解できているじゃろう? 簡単に言えば、あれをもう一度行おうと思っておる。君の中には確かにリリーの護りが残っているのじゃ。わしが呼び水となって、それを再現してみせよう。」

 

「えっと……ダンブルドア先生が何かの魔法を僕に使って、ママの遺してくれた護りを強化するってことですか?」

 

「うむ、そうじゃ。その上で君の中に残る最後の魂の欠片を吹き飛ばす。他ならぬ、トム自身の手によってね。……一方が生きる限り、他方は生きられぬ。生きるのは君なのじゃよ、ハリー。」

 

おいおい、肝心な部分を伝え損ねてるじゃないか。この期に及んでタイミングを選ぶダンブルドアに呆れ果てながら、補足の説明を口にしようとすると……その前にリーゼが声を上げた。彼女も苦い笑みを浮かべながらだ。

 

「より正確に言えば、ダンブルドアの命を引き換えにした魔法で、だね。リリー・ポッターが担った役目を、今度はダンブルドアが担おうってわけさ。」

 

「ダンブルドア先生の、命を? ……そんなのダメだ! 絶対に、絶対にダメだよ! ダンブルドア先生は僕なんかのために死んでいい人じゃないはずだ!」

 

真っ青な顔で勢い良く立ち上がって大声を出したハリー・ポッターは、そのまま急に黙り込んだかと思えば、力なくソファに腰を下ろしてダンブルドアへと言葉を放つ。……ほう? 中々良い顔をするじゃないか。授業を受ける姿は平凡そのものだったが、選ばれただけのガキというわけでもないようだ。

 

「それが誰だろうが、誰かを身代わりにするような方法は嫌です。それを選ぶくらいなら僕は自分の死を望みます。……だってそうでしょう? そんなの、間違ってる。単に僕が犠牲になればいいだけの話じゃないですか。」

 

「……見事じゃ、ハリー。迷わずそう言える者は多くあるまい。だからこそ、わしは君に死んで欲しくないのじゃよ。」

 

「僕だって、ダンブルドア先生に死んで欲しくなんかありません。僕だけじゃない、ホグワーツの……イギリスの皆がそう思ってるはずです。」

 

「ほっほっほ、嬉しいのう。まっこと嬉しい言葉じゃ。ありがとう、ハリー。……しかしながら、わしの死はもう定められたものなのじゃよ。今年か、来年か、再来年か。持ってそこまでの命じゃろうて。わしの寿命が近付いてきているのじゃ。何のことはない。老人が死に、若人が生きる。ごく自然な選択なのじゃよ。」

 

『不自然代表』としては耳が痛い言葉だな。柔らかな表情で言ったダンブルドアに対して、ハリー・ポッターは目を見開いて呆然としている。……そら見ろ、ダンブルドア。これが世間一般の反応だぞ。

 

「でも、でも……二年あれば色々なことが出来るはずです。ダンブルドア先生なら、きっと僕なんかの人生よりも偉大なことが。」

 

「ふむ、それはあまり好ましくない発言じゃな。自分を卑下するのは良くないね。君はとうに『偉大な』人物の一人なのじゃから。きっとこれからも輝かしい未来が待っているのじゃろうて。」

 

「そんなこと……ありません。」

 

弱々しく反論の言葉を探すハリー・ポッターへと、今度は隣に座るリーゼが話しかけた。いつもの皮肉げな表情は鳴りを潜め、穏やかな微笑を浮かべている。

 

「我儘な私はキミに死んで欲しくはないけどね。イギリスの英雄たるダンブルドアよりも、他の誰かさんよりもだ。そういう人間だって確かに居るはずだよ。自分の価値を見誤らないでくれたまえ。」

 

「そりゃあ、リーゼはそう言ってくれるかもしれないけど……。」

 

「それにね、ハリー。ダンブルドアは自分の死に様を決めたんだ。彼らしい最期をね。だから、ありがたく受け取っておきなよ。そして、それを無駄にしないような人生を歩みたまえ。……それがキミに出来るダンブルドアへの礼なのさ。」

 

リーゼの言葉を受けて、ハリー・ポッターは困惑したように黙り込む。……ま、十五の少年には難しい命題だろうな。私やダンブルドア、リーゼにとっての死と、彼にとっての死は違うはずだ。自分らしい死を。そう思えるほどには達観しちゃいないだろう。

 

私たちにとっての死は、ハリー・ポッターにとってのそれよりもずっと身近にあるのだ。矜持を曲げてまで生き延びるよりも、自分で選んだ最期を迎えたい。その気持ちだけは私にも理解できるぞ。

 

未だ納得できぬといった様子のハリー・ポッターへと、ダンブルドアが微笑みながら口を開いた。

 

「バートリ女史の言う通りじゃよ。老人の我儘をどうか貫かせておくれ。わしは随分と身勝手に生きてきた。……故に、死に際も意地を張りたいのじゃ。」

 

「僕は……それでも納得できません。残る期間の問題じゃないんです。パパが、ママが、赤ん坊の僕のために命を懸けてくれました。もう僕のために偉大な魔法使いが二人も犠牲になってるんです。だったら僕も、そろそろ自分自身の命を懸ける番だとは思いませんか?」

 

「ふむ、難しいのう。わしには到底そうとは思えんのじゃ。……まあ、この問答は後回しじゃな。話し合う時間は充分に残っておる。先ずは具体的な道筋についての話をしようではないか。」

 

ふん、逃げたな? 実際のところ、ハリー・ポッターが死なず、ダンブルドアも犠牲にならず、リドルだけが死ぬ方法だって確かにあるのだ。ただ、少しばかりの『欠落』がハリー・ポッターに生じるってだけで。

 

この様子ならハリー・ポッター自身はそれを受け入れるだろう。である以上、この方法を押し通すのはダンブルドアの……というか、ダンブルドアとリーゼの我儘に過ぎない。それを口にしないってのはたちが悪いと思うぞ。

 

私が向ける非難の視線に気付いているのかいないのか。ダンブルドアは一度テーブルの紅茶に口を付けると、今後の計画についてを話し始めた。

 

「連絡こそないが、セブルスは未だトムの陣営に潜んでいるはずじゃ。彼からの情報、そして魔法省の捜査。それらを基にトムの足取りを追い、わしらで決着を付ける。……付き合ってくれるかね? ハリー。」

 

「勿論です。準備も、覚悟も出来てます。……けど、スネイプ先生は本当に無事なんでしょうか?」

 

「少なくとも生きてはいるよ。わしにはそれを確認する手段があるからのう。そしてこの時点で生きているということは、上手く死喰い人の内部に溶け込んでいるということじゃ。」

 

「……キミね、秘密主義もいい加減にしたまえよ? 生きてることを確認できるってのは初耳だぞ。」

 

私も初めて知ったぞ、ジジイ。私とリーゼから同時に睨まれたダンブルドアは、わざとらしく両手を上げながら言い訳を寄越してくる。

 

「いや、万が一ということがありますからな。秘密を隠すなら己が内に留めるのが一番です。セブルスの安全のためにも、やむを得ない措置だったのですよ。」

 

「言うじゃないか、狸め。その情報があればもう少し作戦に確実性を持たせられたんだぞ。」

 

「ほっほっほ、微々たる差ですよ。セブルスが生きていることは元より計画に含まれていましたし、わしはしつこいほどにそう主張してきましたからな。」

 

「おおっと、開き直りか? ……パチェ、執務机はもう探さなくていいぞ。どうせもうすぐ死ぬんだ。見つかったところで『微々たる差』だろうさ。」

 

苛々と組んだ足を揺すりながら辛辣な台詞を言い放ったリーゼに、鼻を鳴らして首肯を返す。私にすら伝えなかったのは気に食わん。理屈は分かるが、感情は別なのだ。

 

「そうね、『微々たる差』なんだったらあってもなくても一緒でしょうしね。きっと執務机も愛想が尽きて帰ってこないんじゃないかしら?」

 

「ううむ、見事な連携じゃな。ハリーよ、一つ覚えておくといい。女性には逆らわぬことじゃ。それが二人ともなれば逃げる他ないのう。」

 

「……はあ。」

 

どう反応したらいいのか分からん、という感じで曖昧に頷いたハリー・ポッターは、そのままおずおずと質問を繰り出してきた。ズレてしまったレールを戻そうというつもりらしい。

 

「えっと、それで……夏休み中にはもう動くんでしょうか? でも、僕はダーズリー家に居なきゃいけないんですよね?」

 

「少なくとも、七月の間は居てもらうことになるじゃろう。トムが今更プリベット通りを狙ってくるとは思えぬが、用心するに越したことはあるまい。」

 

「八月中に決着を、ってことですか?」

 

「それもまた難しいところじゃ。九月以降、つまりホグワーツに居る間に動くことも大いに有り得るじゃろうて。六年生は将来に向かうための大事な時期じゃが、少しばかりその時間を割いてもらうことになるかもしれんのう。」

 

ホグワーツの六年生ってのは正に社会的モラトリアムの真っ只中だ。精神がある程度成熟した時期に訪れる、フクロウとイモリの中間。最後の『バカ騒ぎ』期間。……まあ、私には縁の無かった話だが。

 

何にせよハリー・ポッターにとってもリドルの問題よりかは重要ではなかったようで、一切迷わずにダンブルドアへと承諾の頷きを返す。

 

「大丈夫です。……あの、そのことをロンとハーマイオニーにも話して大丈夫でしょうか? 多分、付いて来るって言ってくれると思うんですけど。」

 

「ふむ、悩ましいのう。わしとしては彼らの同行には勿論反対じゃ。反対なのじゃが……どう思いますかな? バートリ女史。」

 

「私だって反対さ。だけど、私には説得し切れないね。ハーマイオニーもロンも、全てを理解した上でハリーと共にあることを望むだろう。私にはそれを無下にすることは出来ないよ。キミがどうにかしてくれたまえ、校長閣下。」

 

「……参りましたな。さて、またしても難題じゃ。」

 

何でだよ。普通に突っ撥ねればいいだろうが。未成年の魔法使いなんて足手纏いにしかならないはずだぞ。何故か真剣な表情で考え始めた私を除く三人を、理解し難いものを見る表情で眺めていると……ダンブルドアが妥協策とも思えぬ曖昧な提案を放った。

 

「彼らはまだ未成年です。もし付いて来ようと言うのであれば、それぞれのご両親にも話を通さねばなりますまい。……グレンジャー夫妻とて易々とは同意しないでしょうし、モリーとなれば言わずもがな。ご両親が止めてくれることを祈りましょう。」

 

「情けないが、名案だね。」

 

「そうですね。付いて来てくれるのは嬉しいんですけど……やっぱり危険な目には遭って欲しくありませんから。」

 

……意味が分からん。どうでも良いことをさも重要な問題かの如く語る三人に奇異の視線を送ったところで、自分の膝をポンと叩いたダンブルドアが話を締める。

 

「とりあえずはこんなところじゃろうな。……ハリー、君も色々と考えたいことがあるじゃろう? 今日は充分すぎるほどに話した。続きはまた今度にしようか。」

 

「はい、ダンブルドア先生。……だけど、先生が犠牲になることだけはまだ納得できてません。それだけは覚えておいてください。」

 

「うむ、うむ。まっこと複雑な気分じゃな。もどかしいようで、少し嬉しいよ。……その件もまた今度じっくり話そうではないか。これからはその機会も増えるじゃろうて。」

 

「それじゃ、行こうかハリー。私はお腹が空いたよ。早く行かないと肉が無くなっちゃうぞ。」

 

パチリと手を叩いて空気を塗り替えたリーゼは、そのまま立ち上がってハリー・ポッターの手を引き始めた。……まさか、元気付けようとしてるのか? こいつも随分と『人間らしい』行動をするようになったな。

 

「急がなくても無くならないと思うよ。今の大広間にはリーゼが居ないんだから。」

 

「おや、言うようになったじゃないか。乙女に対する台詞じゃないぞ、それは。」

 

「僕だって成長してるからね。……それじゃあ失礼します、ダンブルドア先生、ノーレッジ先生。」

 

どっかで聞いたようなやり取りだな。慌ただしく校長室のドアを抜けて行く友人の変化に少し眉を上げた後、わざわざ立ち上がって見送っているダンブルドアへと声をかける。

 

「ハリー・ポッターも貴方には死んで欲しくないみたいよ?」

 

「ほっほっほ、死を望まれることよりかは嬉しいことじゃな。早く地獄へ落ちろなどと言われなくて安心したよ。……じゃが、わしの考えは変わらんよ。それを知っているからこそ、君は口を出してこなかったのじゃろう?」

 

「貴方は本当に……救いようがないわね。大バカよ。自己犠牲バカ。」

 

「ううむ、自覚はあるよ。じゃが、これこそがわしの拘りなのじゃ。愚かだろうが、不条理だろうが、これを曲げてはわしがわしでなくなってしまう。……すまんのう、ノーレッジ。どうやらわしも魔法使いの端くれだったようじゃ。」

 

拘り屋、か。皺だらけの顔を綻ばせて言うダンブルドアに、鼻を鳴らして抗議を示す。……分かっているさ。だから私はこうしているんじゃないか。

 

静寂が訪れた校長室の中で、パチュリー・ノーレッジはゆっくりと次の本へと手を伸ばすのだった。

 



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スカーレット・オープニング

 

 

「マグルに対しての認識を変える、ですか?」

 

困惑顔で問い返してきたボーンズに向けて、レミリア・スカーレットは静かに首肯していた。まあ、いきなりそんなことを言われてもキョトンとするだろうな。しかも、このクソ忙しい時期にとなれば尚更だ。

 

場所はいつもの魔法大臣執務室。応接用のソファの反対側にはボーンズ、スクリムジョールの二人が座っている。……要するに、この二人を『革命』に引き込もうというわけだ。私だけでもイギリスの流れ自体は作り出せるが、ボーンズとスクリムジョールが協力してくれるのであればその勢いは大きく増す。ここを利用しない手はあるまい。

 

急に持ち出された話に怪訝そうな表情を浮かべる二人へと、ドサリと背凭れに身を預けながら口を開く。さて、どこから話したもんか。

 

「先ず、私は近いうちに……少なくとも二十一世紀になる前には姿を消すわ。イギリスからも、ヨーロッパからも居なくなるってことね。」

 

「姿を? それは、つまり……引退する、ということですか?」

 

「その認識で問題ないわ。連絡も一切取れなくなるでしょうし、ただの引退って感じでもないんだけどね。」

 

「……急ですね。あまりにも急な話です。」

 

呆然とした表情で呟くボーンズに対して、スクリムジョールはこの話題を予想していたかのように頷いてきた。

 

「個人としての影響力が大きくなりすぎたから、ですかな? 自分が姿を消すことで、ヨーロッパ魔法界のパワーバランスを保とうというのですね?」

 

「あー……まあうん、そんなところよ。」

 

全然違うけど、そっちの方が印象が良いな。採用しておこう。私の同意の言葉を聞くと、二人は途端に納得の表情に変わる。……何だか知らんが、勝手に理解してくれたようだ。私ってそんなに危険な存在だったか? ちょっと複雑な気分だぞ。

 

「……それがスカーレット女史の選択なのであれば、私たちは従う他ありませんね。最後まで貴女に負んぶに抱っこなのは心苦しい限りですが。」

 

「そうですな。そも貴女の影響力が大きくなりすぎたのはイギリス魔法省が、延いてはヨーロッパ魔法界が頼りなかった所為です。力及ばず、申し訳ない。」

 

「あのね、別にあなたたちを責める気はないわよ。巣穴に引っ込み続けてたのは一つか二つ前の世代でしょう? あなたたちはよく働いてくれたわ。」

 

仮に責めるのであれば、コーネリウスより前の魔法大臣を責めるべきだろうな。コーネリウスはまあ、一応イギリスの改革に貢献してくれた。最後こそ酷かったが、それでもヨーロッパ大戦や第一次魔法戦争の頃の魔法大臣よりかはマシだったはずだ。

 

当時はもう少し下の役職だった二人にも色々と思うところがあるのだろう。私の返答に複雑な表情を浮かべるボーンズとスクリムジョールのうち、先ずは魔法法執行部の部長どのが質問を放ってくる。

 

「引退の理由については理解できました。心に留めておきます。……しかし、どうしてそこでマグルの話が出てくるのですか?」

 

「引退ついでに魔法界の癌を切除していこうってわけよ。端的に聞くけど、あなたたちはいつまで魔法界をマグルたちから隠しておけると思ってるの?」

 

「それは……なるほど、そういう話ですか。貴女は遠くないうちに露見すると考えているわけですね?」

 

「イエスよ。そして、今すぐに対処すべきだとも考えているわ。」

 

多少なりとも話の流れを掴んだらしいスクリムジョールに対して、ボーンズは目をパチクリさせながら疑問を寄越してきた。ふむ、興味深い対比だな。能力的にはそんなに差がない二人のはずだし、もしかしたら世代の違いってやつなのかもしれない。やはり若い魔法使いほどマグル界に一定の理解を持っているわけか。

 

「お待ちください。……露見? 我々の世界が、この魔法界がマグルに発見されるということですか?」

 

「今すぐにってわけじゃないし、延命措置を図ることも可能でしょうけどね。……ただまあ、持って二十一世紀の半ばまでだと思うわよ。下手すれば四半世紀持つかも怪しいわ。」

 

「四半世紀……? たった二十五年しか残されていないと?」

 

私の『余命宣告』に驚くボーンズを横目に、今度はスクリムジョールが意見を語り始める。

 

「その懸念は理解できます。一年間の戦争を通してマグル界のことにもそれなりに詳しくなりましたから。……ですが、そこまで早く露見の時が訪れるのでしょうか?」

 

「私としては妥当な時期だと思うし、『識者』を集めて話し合った結果も概ねその通りだったわ。だから可能性としては大きいんじゃないかしら?」

 

「識者?」

 

「レミリア・スカーレット、アルバス・ダンブルドア、パチュリー・ノーレッジ、そしてゲラート・グリンデルバルドの四人で話し合ったのよ。」

 

最後の一人の名を聞いた瞬間、ボーンズとスクリムジョールの表情が凍りついた。……おやおや、インパクト絶大だな。少し世代がズレている二人にとっても、あの男の存在感は健在か。ちょっとだけ妬けちゃうぞ。

 

「ゲラート・グリンデルバルド? ……彼は死んだはずです。去年の夏、ヌルメンガードで。」

 

「ま、生きてたわけね。貴女なら思い当たる節はあるでしょう? 最近のソヴィエトの動きを見て、ほんの僅かにでも疑問は浮かばなかった?」

 

厳しい表情で呟いたボーンズに問いかけてみると、彼女は少し表情を曇らせた後、微かな頷きを返してくる。隣のスクリムジョールも黙っているのを見るに、二人とも薄々は勘付いていたようだ。

 

「色々とあったのよ、私の方も。四人全員を知る者が中立の場所で話し合わないかって言ってきてね。そこで会談を開いた結果、マグル界と魔法界についてが議題になったってわけ。」

 

「……信じられないほどに豪華な面子ですな。立場を抜きに言わせてもらえば、是非とも参加したかったくらいですよ。」

 

「全くです。全財産払ってでも『観客席』のチケットを取るべきでしたね。」

 

二人にとってはグリンデルバルドどうこうよりも、その四人で話し合いが持たれたという驚きの方が勝ったらしい。未だ驚愕を顔に浮かべながら残念がる『後輩』たちへと、苦笑しつつも追加の説明を放つ。

 

「まあ、あなたたちが思うほど壮大な話にはならなかったわ。それでも四人全員が魔法界の未来についての懸念を示したの。……マグルに対しての理解を深め、魔法族全員がこの問題に向き合うべきだってね。」

 

「……耳が痛い話ですな。私もマグルに対しての理解が足りていないという自覚はあります。重責を預かる身としては情けない限りですよ。」

 

「つまり、その四人全員がもう時間が無いと判断したわけですか? 遠からぬその日、魔法界がマグルたちの前に晒されると?」

 

「そうよ。だから最後に全員でその問題に決着を付けようって決めたの。私もパチェも姿を消すし、ダンブルドアとグリンデルバルドには寿命が近付いてきているわ。立場も、思想も、理念も違う四人だけど、最後にやることだけは一致したってわけ。……グリンデルバルドなんかと同じ方向を向くのはもちろん気に食わないけどね。今は必要なのよ、あの男の持つ影響力が。」

 

言いながらテーブルに置いてあったベルを鳴らすと、大臣室付きのしもべ妖精がパチリと現れた。指示を受けずとも紅茶を淹れ直す有能な緑の小人を横目に、ボーンズが困ったように口を開く。

 

「参りましたね、あまりにも話が大きすぎて頭の中の理解が追い付きません。ゲラート・グリンデルバルドと協力? それに、ダンブルドア校長の寿命?」

 

「あのね、ダンブルドアだって未来永劫生きているってわけにはいかないでしょう? 平均寿命なんかとっくに過ぎてるわけなんだから、本来いつ死んだっておかしくない爺さんなのよ?」

 

「それは、そうかもしれませんけど……。」

 

珍しく歯切れの悪い返答を返してきたボーンズは、そのまま難しい表情で黙り込んでしまった。……ボーンズでさえこれか。ダンブルドアの死というのは、私の想像以上にイギリス魔法界にとって受け入れ難い出来事のようだ。

 

しもべ妖精がお茶請けを交換する微かな音だけが響く中、今度は眉間に皺を寄せたスクリムジョールが疑問を飛ばしてくる。

 

「私もうまく受け止められていませんが、とりあえずは話を進めましょう。……具体的にはどういった動きを考えているのですか?」

 

「当然、起こすべきはある種の『革命』ね。政府の方向性を変えるだなんて小さなものじゃなくて、魔法族の意識を根底から塗り替える必要があるの。……消え行く私たちに出来るのは判断の土壌を作るところまでよ。マグルに対する正しい認識を広めて、魔法族を問題に向き合わせるところまで。実際にどう行動するのかは次の世代に任せるわ。」

 

「なんとも情けない話ですな。結局最後まで近代の革命家たちに頼りっきりというわけですか。貴女がたを憂いなく引退させることすら出来ないとは……本当に情けない。力不足を痛感しますよ。」

 

「あら、そうでもないわよ? 現に私は貴方たちを革命に誘っているじゃない。私たちヨーロッパを荒らし回った極悪人たちの開く、最後のパーティーにね。……グリンデルバルドについて思うところはあるでしょう。マグルに関して半信半疑なのも承知の上よ。その上で私はアメリア・ボーンズとルーファス・スクリムジョールに協力を頼んでいるの。それは、この二人なら私たちの革命の力になってくれると確信しているからよ。」

 

付き合ってもらうぞ、二人とも。なぁに、心配は無用だ。間違いなく楽しいパーティーになるはずなのだから。全てを終えて深々と一礼しながら消えていったしもべ妖精を尻目に、ズイと身を乗り出して言ってやると……うむうむ、それで良い。二人はそれぞれに了承の頷きを返してきた。

 

「私をここまで引き上げてくれたのは貴女です。ならば否などありません。それが魔法界の為になるのであれば、この身を賭して協力させていただきます。」

 

「魔法法執行部の部長としてはグリンデルバルドなどに協力できない、と言うべきなのでしょうが……清濁を飲み干すことはもう学びましたからな。私も付き合いましょう。貴女にそこまで言われては断れませんよ。」

 

「大変結構。……もちろんヴォルデモートの件も同時に進めていくから、そのつもりでいて頂戴。これからはもっと忙しくなるわよ。」

 

「……魔法大臣に就く前は、もう少し楽な仕事だと思っていたんですけどね。どうやら私の想像力など高が知れていたようです。」

 

私の宣言を聞いて苦笑したボーンズは、ゆっくりと立ち上がって執務机に移動すると、引き出しから一枚の羊皮紙を取り出して話を続けてくる。

 

「アズカバンの再建、ウィゼンガモットの改革、死喰い人の残党の追跡、今回の戦争での犠牲者に対する補償と、他国から借り受けた人材のお礼、それに加えて魔法族そのものの意識改革ですか。……家に帰る時間は無さそうですね。」

 

「まあ、取り敢えずは通常通りに業務を進めてくれて問題ないわ。ウィゼンガモットについては考えがあるし、七月の始めには先んじてソヴィエトが大きく動くから。」

 

「……ゲラート・グリンデルバルドですか。」

 

「ええ、あの男がソヴィエト魔法議会の議長に就任する予定よ。そうなれば当然、ヨーロッパ各国は反対の姿勢を露わにするでしょうね。反面アジア圏や東欧の一部では支持する国も出てくるはずだから、そこで一度目の混乱が起こるわ。世界の全てを巻き込んだ大混乱がね。その波を上手く利用するの。」

 

短い期間だが、それまでにどれだけ準備できるかが勝負の分かれ目となるはずだ。何だかんだで有名な記者となっているリータ・スキーターも確保しとかないとだし、やはりマクーザへの事前工作も重要になってくるだろう。

 

新大陸になど足を踏み入れたくはないのだが、さすがに直接会いに行く必要がありそうだな。今後の展開に考えを巡らせていると、部屋に大きなため息の音が響く。……おお、二人してうんざりした表情ではないか。

 

「目に浮かぶようですよ、一気に騒がしくなる魔法界が。」

 

額を押さえて嘆息するボーンズへと、クスクス微笑みながら肩を竦めた。なんだその曇り顔は。混沌の時代こそが政治の華だぞ。どれだけ大きな波だろうと、見極め、利用し、操ってみせる。それが政治家ってもんだろうが。

 

「備えなさい、二人とも。そして楽しみなさいな。こういうのは楽しんだヤツが勝つように出来てるんだから。」

 

───

 

そしてボーンズとスクリムジョールとの話を終え、エレベーターで一気に降りた地下九階。所々が崩落している薄暗い石造りの廊下に鼻を鳴らしながら、更に下へと向かうために歩みを進めていた。

 

戦場となったアトリウムはほぼ修繕を終えているというのに、間接的な被害に遭ったこの場所がボロボロってのは……うーむ、何とも言えない状況だな。神秘部がいかに軽視されてるかってのがよく表れているぞ。

 

ただまあ、当人たる『だんまり』どもにしてみれば別にどうでも良いことらしい。抗議をするわけでもなく、自ら直そうとするわけでもなく、今日も黙って魔法界の『不思議』を研究しているわけだ。

 

何か一つ。一つでいいから大きな研究成果でも出してくれれば地位が向上するんだけどな。彼らが『大発見』として提出してくるのは、一般的な魔法使いにとってはさして重要ではないことばかりなのだ。

 

死後の世界の研究とか、時間軸の絡み合う地点だとか、星の動きと魔力の相関性だとか、隠された他種族の住処だとか……むう、改めて考えると壮大なテーマばかりだな。スケールが大きすぎて常人には理解できないのかもしれない。

 

問題は、彼らが常に『説明不足』だという点にあるのだろう。羊皮紙何十枚にも渡る研究成果が定期的に提出されているのだが、神秘部以外の魔法使いでは誰もその内容が理解できないのだ。それを理解できるようなヤツは、そもそも他部署ではなく神秘部に就職しているわけだし。

 

……まあ、この辺は私が手を付けるべき部分じゃないな。神秘部に関してはボーンズも半ば諦めているようだし、暫くは現状維持のままで変わらんだろう。やれやれと首を振りながら時折謎の唸り声が響いてくる階段を下りて、このビルの最下層である地下十階へと足を踏み入れた。

 

当然、こちらも時代に切り離されたかのような廊下が続いている。石壁には所々苔が生え、明かりは松明、歩みを進めればジャリジャリという音が足元から聞こえてくる始末だ。……私が介入すべきはこっちの方だな。時の止まった大法廷を『現代風』に改修してやらねばなるまい。

 

途中で見えた半壊した部屋……嘗て競った政治家が最期を迎えた場所にチラリと目をやってから、一切立ち止まらずに歩き続けて行けば、今日の目的地となる部屋のドアが見えてきた。

 

ウィゼンガモットの印章が描かれた、古ぼけた廊下に似合わぬマホガニーの重厚なドア。どこかチグハグな雰囲気を感じるそのドアをノックしてみると、中から若干投げやりな誰何の声が聞こえてくる。

 

「誰かね?」

 

「スカーレットよ。……居留守を使う? それなら出直すけど。」

 

私の名乗りに少しだけ沈黙を挟んだ後、部屋の主人……チェスター・フォーリーは面倒くさそうな声色を隠さずに入室を許可してきた。

 

「今更そんなことをしても意味がないでしょう? どうぞ、お入りください。」

 

「素直で結構。お邪魔するわね。」

 

古い、とても古い部屋だ。壁にはズラリと代々の議長を務めた名家の紋章が並び、奥の執務机の後ろには銀細工のウィゼンガモットの印章が誇らしげに掲げられている。……哀れなもんだな。嘗て在った最高議会の栄誉だけを内に残し、外側は『経年劣化』でボロボロってわけか。

 

部屋に入って周囲を見回す私に対して、執務机に座っているフォーリーが問いかけを放ってきた。

 

「ようやく後任が決まりましたか? やる事がなくて退屈していたところです。すぐにでも引き継ぎは出来ますよ。」

 

「残念ながら、まだよ。栄誉ある議長職だってのに誰も立候補しないのよね。困っちゃうわ。」

 

「当然でしょうな。崩壊と再生、それに付き合わされるのが目に見えているのですから。多少頭が回る者ならこの席に座るのを避けるはずです。」

 

「あら、喜ばないの? もう少しウィゼンガモットの主でいられるのよ?」

 

勝手に応接用らしきソファに座りながら言ってやると、フォーリーは微かに鼻を鳴らしてから返事を寄越してくる。どう見ても嬉しくはなさそうだ。

 

「貴女は『飼い殺し』という言葉をご存知ですか? 実権を取り上げられ、日がな一日この席で退屈している。……これがこの先も続くとなれば、あまり愉快な気分にはなれませんね。」

 

言いながら何かの書き物を中断したフォーリーは、木製の椅子に寄り掛かって文句を続けてきた。もう帰って欲しそうなのが丸分かりだぞ。客人に対する礼儀がなってないな。

 

「それで、何の御用ですか? 今の貴女にはこんな場所で世間話をしている暇など無いはずですが?」

 

「ま、そうね。時間が有り余ってる貴方と違って、最近の私はとーっても忙しいの。……だから、この幸せを分けてあげようと思ってるのよ。」

 

「……今度は何の謀略ですかな?」

 

「世界を巻き込む壮大な謀略よ。……貴方、言ってたわね。もしもゲラート・グリンデルバルドが戻ってきたら、自分は彼に協力するだろう、って。」

 

薄い微笑みを浮かべながら問うてみれば、フォーリーは訝しげな表情を崩さずに返答を返してくる。

 

「確かに言いましたが、それが何か? ……今になって失言を掘り返す必要など無いはずです。貴女は勝つべくして勝ち、私は勝手に敗北した。それが現在の状況なのですから。わざわざ死に体の老人に鞭打つ理由など──」

 

「生きてるわよ、グリンデルバルド。」

 

フォーリーの文句を遮った私の『生存報告』に、ピタリと部屋の空気が固まった。疑念、困惑、驚愕。形容し難い表情となってしまった彼へと、なおも言葉を言い募る。

 

「知ってる? 東洋のチェスって、駒を取ると自分の物として使えるようになるんですって。面白いと思わない?」

 

「何を……考えているのですか? 貴女は。」

 

「貴方にも招待状をあげるわ、フォーリー。革命への招待状を。……優しいでしょ? 私ったら。失意のまま消えていくか、それとも新たな駒として生まれ変わるか。敗者たる貴方に選ばせてあげようってわけ。」

 

さあ、先ずは一手。ひっくり返るか、返らぬか。始まった新たなゲームの盤面を頭に描きつつも、レミリア・スカーレットはフォーリーに詳しい説明を語り始めるのだった。

 



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巣立ち

 

 

「ハーマイオニー、その顔はもうやめてよ。心配しなくても僕は自分に死の呪いを使ったりはしないから。……少なくとも今はね。」

 

学期末パーティーが始まる直前の大広間。周囲の喧騒を背にうんざりした表情で言うハリーに対して、アンネリーゼ・バートリは小さく苦笑いを浮かべていた。本人は真剣そのものなのだが、ハーマイオニーのこの顔は確かにうんざりするだろうな。

 

なにせ校長室での話を二人に伝えて以来、ハーマイオニーは常にハリーが『自害』しないかを警戒しているのだ。……うーむ、ハリーの伝え方にもちょっと問題があったな。ダンブルドアよりも自分が死ぬべきだって部分を強調しすぎたのかもしれない。

 

そして、ロンの方はハーマイオニーほど態度に出さないまでも、心情的には彼女寄りのようだ。ハリーが杖を握る度に二人してジッとそれを見る、というのがこの数日間繰り返されているのである。

 

私がテーブルに肘を突きながら面白いやり取りを眺めていると、隣に座るハーマイオニーが若干バツの悪そうな表情で反論を口にした。

 

「そりゃあ、分かってるわよ。そんなこと心配してないわ。……でもね、ハリー? 自分が死ねばいいだなんて言わないで頂戴。私、どうしても不安になっちゃうのよ。」

 

「そうだぜ、ハリー。ダンブルドアがどうとかじゃない。君のことが心配なんだよ。頼むから『そういう提案』をするのはもうよしてくれ。」

 

これは分が悪いな。少し目が潤んでいるハーマイオニー、かなり真剣な表情のロン。二人の懇願を受けたハリーは、勢いを弱めながらも返事を返す。

 

「……悪かったよ。僕だって死にたいなんて思っちゃいないさ。だけど、ダンブルドア先生と僕、どっちに価値があると思う? 誰に聞いたってダンブルドア先生だって言うはずだ。」

 

「前にも言った通り、私はハリーだと思ってるけどね。」

 

「私もそうよ。もちろんダンブルドア先生のことは尊敬してるわ。偉大な魔法使いだし、死んで欲しいだなんて一切思ってない。……でも、どちらかを選べって言うなら私はハリーを選ぶわよ。」

 

「僕もだ。誰に非難されようが、僕はハリーの方に生きて欲しい。そんなの当たり前だろ? 友達なんだから。」

 

そら見ろ、三人中三人がハリーを選んだぞ。得票率百パーセントだ。私たちの答えを聞いたハリーは面食らったように言葉に詰まると、モゴモゴと小さな声で話し始める。顔が赤いぞ、ポッター君。

 

「ん……それは、嬉しいけど。僕が言いたいのはそういうことじゃないんだよ。」

 

「ま、言わんとしていることは分かるさ。そして、こればっかりはキミとダンブルドアの問題だよ。世間の評価なんかさして重要じゃないんだ。また今度二人で話してみたまえ。」

 

「……そうだね、そうするよ。」

 

「なら、この話はこれで終わりにしよう。ダンブルドアとの話が進展するまで二人は『警戒』をやめて、ハリーは『破滅願望』をやめる。……いいね?」

 

私がその場の全員を見回しながら問いかけると、三人ともがコックリ頷きを寄越してきた。よし、これでいつも通りだ。私がうんうん頷いて満足したところで、遅れて到着した三年生二人がそれぞれ私とハリーの隣に座り込んでくる。

 

「よっ! 何の話をしてたんだ?」

 

「他愛もない世間話さ。……それより咲夜、ご褒美は何がいいか決まったかい?」

 

「まだですけど、本当にいいんですか?」

 

「当たり前だろう? 四位は快挙だ。学生時代のアリスにだってあげてたんだから、キミだって貰って然るべきなのさ。」

 

つまりはまあ、学期末テストで咲夜が高得点を取ったのだ。今年は一気に順位を上げて学年四位。これは普通に秀才と呼べる範囲内だろう。悩む咲夜に微笑みかけていると、その向かいの見習い魔女が声をかけてきた。

 

「私には無いのかよ。普通に十位以内だぞ。」

 

「毎年のことだが、キミはもっと魔法史を勉強したまえよ。それさえどうにかすれば一位だって夢じゃないだろうに。」

 

対する魔理沙は唯一魔法史だけで一気に点を落としている感じなのだ。天文学と魔法薬学ではぶっちぎりのトップ、防衛術も呪文学も薬草学も三位以内だし、飼育学と変身術、ルーン文字もかなりの高得点らしい。マグル学はそもそも平均点が低いので無視していいとして、やっぱり勿体無い気がするぞ。

 

私の呆れた声に、当の魔理沙はカラカラと笑いながら返事を返してくる。

 

「別にいいさ。私は私にとって必要なものだけ頑張ろうって決めたんだ。魔女らしく、な。」

 

「ふぅん? ……悪くない考え方だね。キミがそう考えてるなら私から言うことはないさ。」

 

「それで、ご褒美は?」

 

「欲しいならアリスから貰いたまえ。私は知らんよ。」

 

素っ気なく肩を竦めてやると、魔理沙も同じ動作をしてから引き下がった。まあ、別に本気で言っているわけではあるまい。本当に欲しい物があるなら買う金はあるはずだし。

 

とはいえ『ミス・勉強』にとっては看過し難い問題だったようで、テーブルに身を乗り出してお説教をし始める。

 

「だけど、リーゼの言う通りよ? マリサ。貴女がやれば出来るってのは間違いないんだから、わざわざ点を落とすのは勿体無いわ。来年は私が魔法史を教えてあげる。……うん、もっと早くそうすべきだったのよ。再来年は私がイモリ、貴女がフクロウだものね。余裕のある来年こそが勝負だわ。」

 

「あー……ハーマイオニー? ありがたいけど、私は現状で満足してるぞ?」

 

「いいえ、やるべきよ。咲夜もまだまだ伸びるし、私の良い復習にもなるでしょ? 三人で勉強すれば一石三鳥じゃないの。」

 

「へ? 私もなんですか? ……あの、私は自分で何とか出来ますから。大丈夫ですよ?」

 

巻き込まれた咲夜は絶望の表情を浮かべているが……うむ、もう逃げられまい。ハーマイオニーの頭の中では既に授業計画が組み上がっているはずだ。温度差の激しい三人に苦笑を送ったところで、教員席の後ろのドアからダンブルドアとパチュリーが大広間に入ってきた。

 

これはまた、面白いな。歓迎会の時と全く同じ状況だというのに、生徒たちの反応だけが全然違うぞ。今やパチュリーに注がれるのは正体不明の校長代理に向ける不安の視線ではなく、大魔女に向けられる畏敬の視線に変わっている。

 

そんな大魔女どのを背後に引き連れたダンブルドアは、そのまま教員席の中央に軽やかな歩調で移動すると、大広間中に響き渡る大声を放った。ちなみにパチュリーは我関せずと自分の席に座って本を取り出している。無理やり連れて来られたのか? ご愁傷様だな。

 

「久し振りじゃな、諸君。再びこの場所に立ち、君たちの顔を見ることが出来て感無量じゃ。……さて、今年も一年が過ぎた。平穏ならざる一年が、苦難に満ちた一年が。それでも我々は何とか乗り越えることが出来たのじゃ。先ずはそのことに感謝しようではないか。」

 

穏やかな声で語りながら大広間を見渡すダンブルドアは、何人かの生徒に目を向けて続きを話す。

 

「じゃが、我々の平穏を守るためにその命を犠牲にした者も多い。この大広間に座る諸君らの中には、近しい存在と別れることになった者も居るじゃろうて。忘れるでないぞ? 生徒たちよ。忘れぬことこそが彼らに対する最大の礼儀なのじゃから。……さあ、盃を掲げようではないか。英雄たちに!」

 

まるで去年の焼き増しだな。だから今年も寮旗は飾られていなかったわけか。ダンブルドアの言葉に従って、生徒たちが一斉にゴブレットを掲げた。……困惑気味の一年生以外は誰もが神妙な表情だ。一年前の今日のことを思い出しているのだろう。同じようにゴブレットを掲げた日のことを。

 

暫く大広間を静寂が支配した後、生徒たちがゴブレットを下ろしたのを見計らってダンブルドアが演説を再開する。

 

「そう、彼らのお陰でイギリスを覆う闇は晴れたのじゃ。諸君らの聞いている通り、ヴォルデモート卿にはもはや大きな力は残されていない。そして、魔法省は油断なく残る闇をも消し去ろうとしておる。……今年一年に渡る戦争は終わった。次は再生への道を歩もうではないか。」

 

ダンブルドアの言葉を受けて、生徒たちの間に弛緩した空気が伝播した。魔法省の宣言よりも、予言者新聞の記事よりも、ホグワーツに広がる噂話よりも、ダンブルドアの言葉こそが彼らに現実を実感させたようだ。

 

僅かに柔らかくなった空気に微笑みつつも、ダンブルドアは次にマクゴナガルを手で示しながら口を開く。

 

「これを機にホグワーツも新たな時代へと突入することになる。来年の一月以降、ホグワーツを総括するのはマクゴナガル先生となるじゃろうて。……うむ、わしは引退するというわけじゃな。」

 

「おいおい、マジかよ。辞めんのか、ダンブルドア。」

 

「……ビックリね。」

 

途端、大広間を生徒たちの騒めきが覆い尽くした。魔理沙と咲夜も驚きを露わにする中、五年生三人組は何とも言えぬ表情だ。何故その時期を選んだのかをよく理解しているのだろう。

 

ただまあ、実際のところは一月よりも前になりそうだな。計画の大枠を組み立てているレミリア次第になるが、リドルとはもうちょっと早く決着を付けることになるはずだ。……心の準備をさせておこうってことか?

 

何にせよ生徒たちにとっては受け入れ難い言葉だったようで、誰もが……ホグワーツを去り行く七年生までもが何故なのかと困惑している。ダンブルドアはそんな生徒たちの反応に苦笑した後、静かにその理由を語り始めた。

 

「うむ、うむ。別れを惜しんでくれるのは嬉しいことじゃな。わしも寂しくないと言えば嘘になるよ。……じゃが、わしはもう歳なのじゃ。今年一年、わしが居なくともイギリス魔法界は立派に戦えたではないか。老いた英雄などもはや不要じゃよ。新たな時代の幕を開ける時が来たのじゃ。」

 

大々的に戦争に参加せず、うろちょろと要所要所にのみ顔を出していたのはその『言い訳』のためか? 私が呆れた視線を向けるのを他所に、ダンブルドアは吹っ切れたような笑みを浮かべながら高らかに声を放つ。

 

「ほっほっほ、この老人にも遂に巣立ちの時が訪れたというわけじゃな。愛するホグワーツを『卒業』する時が。なに、心配は無用じゃ。マクゴナガル先生はわし以上の偉大な校長になってくれることじゃろうて。……じゃが、少々涙脆くておっちょこちょいなところもあってのう。だから支えてやっておくれ、生徒たちよ。嘗てわしが支えられたように、歴代の校長たちが支えられたように。ホグワーツの新たな時代を、君たちも一緒に作っておくれ。」

 

ダンブルドアの言葉を聞いて、パチュリーの隣に座っているマクゴナガルは照れるように縮こまってしまった。それを見た生徒たちが苦笑しながらパラパラと拍手を送り、徐々にそれは大広間を包み込むほどの大きさになっていく。

 

「ま、悪くない『継承式』だね。マクゴナガルなら誰もが納得するだろうさ。」

 

「そうね、マクゴナガル先生の頑張りはホグワーツの皆が知ってるもの。」

 

「頑張り過ぎてたくらいだけどね。」

 

ハーマイオニーの言葉に、混じりっけなしの同意を返す。これで我らが副校長どのの努力は報われた……のか? 私から見れば、ホグワーツの校長なんぞ更なる苦難にしか見えないんだが。

 

まあ、私の懸念はどうあれ、マクゴナガルにとっては嬉しい拍手だったようだ。立ち上がって拍手を送る生徒や教員たちにお辞儀を返すと、少し赤いお澄まし顔で席に座り直している。

 

それを見て大きく頷いたダンブルドアは、最後に残ったグリフィンドール生たちの拍手が止むのを待つと、再びよく通る声で連絡事項を話し始めた。

 

「それでは、料理で頭がいっぱいになってしまう前に少しばかり事務的な話をさせてもらおう。今年は例年と違って、夏休み中もホグワーツに残ることが出来るようになっておる。希望者は玄関ホールの申請書に必要な事項を記入して提出するように。七月のみ、八月のみといった滞在も可能じゃ。そうしたい者はホグワーツ特急の時刻表もチェックしておくのが賢明じゃな。……そして当然ながら、保護者のサインも必要となる。『家出』には使わぬように。家出して家に戻ってくるなど何の意味もないじゃろう?」

 

そう言ってクスクス微笑んだダンブルドアは、手を振り上げていつもの食事の合図を放とうとするが……直前になって何かを思い出したように動きを止めると、悪戯げな表情で追加の言葉を口にする。

 

「おっと、忘れるところじゃった。歓迎会での『賭け』は覚えているかね? ……ほっほっほ、わしは杖を折らずに済んだようじゃな。では、食事じゃ! 好きなだけ飲み、食べよ!」

 

生徒たちの反応を見て会心の笑みを浮かべたダンブルドアは、今度こそ食事の合図を放つ。それに苦笑したロンが、現れた料理を盛り付けながら肩を竦めてきた。

 

「誰も忘れちゃいないと思うぜ。だってほら、ダイアゴン横丁のお菓子屋ではマカロンが軒並み品切れになってるんだってさ。ジョージが言ってたよ。」

 

「それは重畳。あの陰気魔女も暫く茶菓子に困らなくて喜んでるだろうさ。」

 

「そいつはどうかな? フレッドは『火吹きマカロン』を箱で送ったって言ってたぜ。度胸あるよな、あいつ。」

 

「……双子の片割れ君が正体不明の呪いにかからないことを祈っておくよ。」

 

望み薄かもしれんがな。乗ってきた魔理沙の相槌に適当な返事を返しつつ、ソーセージロールを皿ごと確保するのだった。よしよし、今日のは一段とサクサクじゃないか。こいつは誰にも渡さんぞ。

 

───

 

そして翌日。通算何度目かも分からなくなったホグワーツ特急の退屈な旅も終わり、ホームに降り立った私はハーマイオニーとロンに質問を投げかけていた。……そのうんざりした顔はよしてくれ。私だってしつこく聞いてる自覚はあるんだから。

 

「いいかい? 何度目かの質問になるが、ハリーに付いて来たいって意思は変わらないんだね?」

 

「正確には六回目の質問よ。そして答えはこれまでの五回と一緒、変わらないわ。」

 

「しつこいぞ、リーゼ。意地でも付いて行くからな。」

 

「行動力があるようで何よりだよ、まったく。それならきちんと両親に伝えて、同行する許可を貰いたまえ。……ズルは無しだぞ。後で確認するからね?」

 

特にハーマイオニーの両親なんかはリドルのことなど知らんだろう。だが、きちんと説明すれば間違いなく止めるはずだ。十六歳の娘をテロリスト退治に向かわせる親が居てたまるか。

 

私のこれまた何度目かの注意を受けた二人は、ちょっとだけ怯んだように頷きを返してくる。

 

「……分かってるわ、パパとママにはきちんと伝えるわよ。」

 

「うん、僕も分かってる……けどさ、もしダメだって言われても──」

 

「ダメだと言われたら、ダメだ。それがダンブルドア側からの条件だからね。こればっかりは何があっても覆らないと思うよ。」

 

当然、私としてもそうなって欲しい。楽しい旅行になるはずなどないのだから。ロンの言葉を遮って断言したところで、ホームの奥から件のウィーズリー家の女主人が近付いてきた。……頼むぞ、モリー。息子を止めてくれ。

 

「ロン! そこに居たの! ……それで、残りのバカ息子たちは何処なの? 悪戯専門店を開こうだなんて言う大バカたちは何処に逃げたのかしら? 隠してるなら吐いた方が身の為よ、ロナルド!」

 

「あー……僕は知らないよ、ママ。杖に誓って知らない。別のコンパートメントだったんだ。」

 

「なら、貴方はここに居なさい。決して動かないように。……逃がしゃしませんからね、ジョージ、フレッド! 出てきなさい!」

 

うーむ、悪戯専門店を開く許可はまだ得られていないようだな。怒り心頭で双子を探しに行くモリーの姿を見て、ロンが情けない表情でポツリと呟く。

 

「『あれ』を説得しないといけないのか? ……頼むよ、リーゼ。どうにかならない?」

 

「ならないね。そのうち『家庭訪問』に行くから、嘘は無意味だぞ。付いて来たいなら『あれ』を説得してみせたまえ。」

 

「悪夢だよ。……本当に悪夢だ。」

 

ガックリと肩を落としたロンを尻目に、今度はハーマイオニーが声をかけてきた。何故かちょっと嬉しそうな表情だ。

 

「ってことは、私の家にも来るの?」

 

「そりゃあそうさ。グレンジャー夫妻にも意思確認をしないとね。」

 

「あら、それはちょっと楽しみね。マグルの歯科医についての認識を改めてもらわないと。パパに歯のチェックをしてもらうってのはどうかしら?」

 

「……拷問には屈さないぞ、ハーマイオニー。脅しても無駄なんだからな。」

 

ドリルやら針金やらに恐れをなして引き下がると思ったら大間違いだぞ。ムズムズしてきた歯の裏を舌で舐めながら言ってやると、ハーマイオニーは呆れたような表情で返事を寄越してくる。

 

「ほら、それが間違った認識なの。拷問じゃなくて、治療と予防よ。吸血鬼だって虫歯にはなるでしょ? ……なるのよね? ひょっとしてならないの?」

 

「断じてならない。だから吸血鬼に歯科医は不要だ。……おっと、ハリーが来たぞ。」

 

危ない方向に進み始めた話題を、こちらに戻って来るハリーで逸らす。彼は迎えに来たブラックやルーピンと話していたのだ。一応護衛役らしいが……ブラックはギプス付きの杖腕をアームリーダーで吊っているぞ。あんな状態で役に立つのか?

 

というか、あの状態で変身したらどうなるんだ? ギプス付きの大型犬にでもなっちゃうんだろうか? アニメーガスの不思議について思考を巡らせる私に、近寄ってきたハリーは安心したような声色の報告を放ってきた。

 

「シリウスは大丈夫みたい。あと一ヶ月くらいで治る傷なんだって。」

 

「となると暫くフリスビーはお預けだね。ゴムボールもだ。……さすがに大丈夫だと思うが、家までは二人の側を離れないように。私はちょっと用事があって付いて行けないんだ。」

 

「うん、分かってる。付き添い姿あらわしで一瞬なんだから大丈夫だよ。……それよりさ、分霊箱の話ってシリウスにはしても平気? まだ知らないみたいだったから、ひょっとして隠してるのかと思って。」

 

「まあ、話して構わないよ。ブラックは煩そうだから伝えるのが嫌だったんだが、そろそろ話しておくべきだろうさ。クレームは一切受け付けないとだけ言っておいてくれ。」

 

それに、ブラックもハリーの死など到底望まないはずだ。安全については煩く言ってくるかもしれんが、そこだけは私の味方になってくれるだろう。……いやぁ、親バカは味方に付けると扱い易くていいな。内心の計算を隠して言ったところで、人混みの中からグレンジャー夫妻が近付いてきた。

 

「ハーミー!」

 

「パパ、ママ! ……ただいま、二人とも。」

 

「ああ、無事に帰ってきてくれて本当に良かった。手紙が届くまでは二人で寝ずに心配していたんだよ? 臨時休業の看板を使ったのなんて、ハーミーが生まれた時以来だ。」

 

「そうよ。本当に、本当に心配したんだから。あの動く新聞で『ホグワーツで戦いがあった』って文字を見つけた時の私の気持ちが分かる? 何処に問い合わせたらいいのかも分からないし、迎えに行こうにも場所が分からない。とっても不安だったんだから。」

 

ハーマイオニーをギュッと抱きしめながら言ったグレンジャー夫人は、潤んだ瞳で尚も文句を言い募る。ハーマイオニーの実家でも予言者新聞を取っていたのか。事前情報が少なかった分、余計に心配だったのだろう。

 

「怖かったわ。……帰ったらもっときちんと魔法界のことを教えてもらいますからね。自分たちが勉強不足だってことをパパとママは痛感したの。」

 

「えっと……ごめんね、ママ。私ももう少し詳しく話しておくべきだったみたい。」

 

対するハーマイオニーはちょっと苦い表情だ。例の相談のハードルが上がったと思っているのかもしれない。……いいぞ、グレンジャー夫人。その調子だ。おてんば娘を止めてくれ。

 

皆が家族愛の光景を微笑ましく見る中、私だけが悪どい笑みで大きく頷いていると……おや、モリーが双子を引き連れて戻ってきた。二人揃って両側から必死に説得を続けているが、当のモリーは聞く耳持たぬといったご様子だ。あれは苦戦しそうだな。

 

「さあ、行きますよ、ロン! ……あら、グレンジャーさん。これはこれは、お久し振りで──」

 

厳しい顔から一転、グレンジャー夫妻を見つけて『ご近所付き合いモード』になったモリーを横目に、困り顔の双子に近寄ってそっと囁きかける。

 

「許可が無いなら、土地も無しだ。分かってるね?」

 

「……分かってるさ。お袋はあんな感じだけど、もうすぐ落ちる。問題ないよ。数日で決着が付くから、そのまま準備は進めておいてくれ。」

 

「結局のところ、これが唯一の道だってのはお袋にも分かってるんだ。今は怒ってるけど、それが収まった後に渋々認めるはずさ。」

 

「悪童ここに極まれり、だね。大いに稼いで恩返ししたまえよ?」

 

くつくつと笑いながら言ってやると、双子はシンクロした動作で肩を竦めて頷いてきた。……まあ、モリーの親心はちゃんと伝わっているようだし、この二人ならば無下にはすまい。

 

さてと、モリーとグレンジャー夫妻の『心配談義』が盛り上がっちゃってるし、今年は私たちが先に帰ることになりそうだ。咲夜と魔理沙は……ちょうど同級生たちとの別れを済ませたらしい。こっちに向かって歩いて来ている。

 

近付いてくる金銀コンビを横目に、ハリーたちに向かって声を放った。

 

「それじゃ、私は先に失礼させてもらうよ。ハリーの家には七月の真ん中頃、二人の家には八月のどこかでお邪魔するから、そのつもりでいてくれたまえ。」

 

「うん、覚えとくよ。」

 

「家に来るのを楽しみに待っておくわ。……それまでには何とか説得してみせるから。」

 

「出来れば僕の家は最後に回してくれ。だってほら、ママの説得に時間がかかるのは目に見えてるだろ?」

 

それぞれの返事に頷いてから、駆け寄ってきた咲夜と魔理沙が三人に別れを告げるのを待って……ホーム脇に設置されている暖炉に向かって歩き出す。今年はアリスも忙しいので迎えは無しだ。先ずは魔理沙をダイアゴン横丁の人形店に送り届けねばなるまい。

 

そして、紅魔館に帰ったらすぐさまソヴィエトに飛ばねば。タイムリミットが定まっている以上、『意識革命』に関してはこの二ヶ月が肝となるだろう。ゲラートも近いうちに表舞台に出るわけだし、レミリアも着々と準備を進めている。だったら私も『伝書コウモリ』の仕事をやり遂げようじゃないか。

 

去年に続いて忙しくなりそうな夏のことを思いながら、アンネリーゼ・バートリはフルーパウダーを暖炉に投げ込むのだった。

 



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百年後の笑い話

 

 

「ふむ、もう行くのかね? ノーレッジ。」

 

すっかり本が無くなったホグワーツの校長室。部屋の中央に置かれたソファに座るダンブルドアの声を受けて、パチュリー・ノーレッジはこっくり頷いていた。任された期間は全うしたはずだ。文句は言わせんぞ。

 

「自分の図書館が心配なのよ。夏は本が傷みやすい季節だし、管理を任せてる部下もサボりがちなの。早く帰ってチェックしないと。」

 

「それはまた、らしくないのう。君ほどの魔女ならばどうにでも出来るじゃろうて。つまり、魔法でね。」

 

「もちろん魔法も使ってるわよ。だけど、最後は自分の目で確認したいの。こればっかりは理屈じゃないわ。」

 

仕方ないだろうが。これが私の『拘り』なんだから。呆れたように言ってきたダンブルドアに返事を返しながら、部屋の隅に纏めておいたお菓子の箱……マカロンが入った箱の山を杖なし魔法で紅魔館に飛ばす。何故か生徒たちや、その親たちから大量に送られてきたのだ。

 

まあ、保存魔法でいくらでも持つさ。紅魔館の備蓄も少なくなっていたし、ゆっくり消費していこうじゃないか。去年お気に入りの店が無くなってしまったから、この山の中から新しく好みの店を見つけるのもいいかもしれない。

 

うんうん頷きながら忘れ物はないかと部屋を見回す私に、ダンブルドアが思い出したように報告を寄越してきた。

 

「そういえば、今日の午前中にハグリッドが奇妙な知らせを持ってきてのう。曰く、湖のほとりで新種のカエルを見つけたのだとか。興味を惹かれて見に行ってみれば、驚いたことにピンク色の縞々が入ったカエルだったのじゃ。……思い当たる節はあるかね? ノーレッジ。」

 

「……私は悪くないわよ。いつの間にか居なくなってたアンブリッジが悪いの。戦いが終わったら解呪しようとは思ってたわ。」

 

「ううむ、見解の相違がありそうじゃな。少なくともアンブリッジ監査員はそうは思っていないようじゃ。わしが解呪してみたところ、激怒しながら君を訴えると叫んでおったよ。……どうもこのひと月の間、湖のゲンゴロウを食べて過ごしていたようでね。至極真っ当な怒りだと言えるじゃろうて。」

 

「あら、冬だったら冬眠を経験できたのにね。是非とも感想を聞いてみたかったわ。……ま、大丈夫でしょ。今のイギリスで私を訴えるのは不可能よ。そもそも出廷する気なんか無いし、引きずり出そうにも住処は紅魔館。先日大量の死者が出たばっかりの、お偉い吸血鬼の館なんだから。放っておいても問題ないわ。」

 

考えるに値しない『小さな問題』を頭から追い出しつつ、最後に杖なし魔法でお気に入りの揺り椅子を紅魔館に送ってやれば……よしよし、片付け完了。これでようやく帰れるぞ。

 

やけに広くなってしまった校長室に一つ頷いてから、一応ダンブルドアに別れの挨拶を放とうとしたところで、頭上からガーゴイル像の動く音が聞こえてきた。続いて階段を下りる規則正しい足音もだ。

 

「マクゴナガルね。」

 

「ミネルバじゃな。」

 

この一年で分かるようになっちゃったぞ。その特徴的な足音を聞いて二人同時に予想してみると、ドアをノックする音と共に入室の許可を求める声が部屋に響く。予想通りのキビキビとした凛々しい声だ。

 

「ノーレッジ校長代理、入室してもよろしいでしょうか?」

 

「入りなさい。」

 

「では、失礼します。……これは、ダンブルドア校長。こちらにいらっしゃったんですか。」

 

少し驚きながらも近付いて来るマクゴナガルは……うーむ、ご機嫌だな。私としては何が嬉しいのかさっぱりだが、彼女にとってホグワーツの次期校長というのはかなり名誉なことのようで、発表があって以来傍目にも分かるご機嫌具合なのだ。

 

とはいえ、その理由がダンブルドアの死だと知れば一転するだろう。喜びに水を差すのはどうたらこうたらってことで伝えていないらしいが、私はきちんと教えておくべきだと思うぞ。……まあ、その辺はダンブルドアのタイミングに任せるべきだな。私は知らん。逃げるが勝ちだ。

 

知らんぷりするダンブルドアにジト目を送っていると、驚いたように部屋を見回したマクゴナガルが話を続けてきた。

 

「本が無くなっているようですけれど……まさか、もう帰ってしまうのですか?」

 

「そうよ。任期も終わったし、さっさと老人にお家を返してあげないと可哀想でしょう?」

 

「ですが、それなら送別会なんかを……開かない方が良さそうですね。」

 

『送別会』と聞いて途端に嫌そうになった私の気持ちを察したのだろう。苦笑しつつも後半を付け足したマクゴナガルは、いきなりペコリとお辞儀をしながら言葉を放ってくる。

 

「お世話になりました、ノーレッジさん。僅か一年でしたが、おかげさまで良い経験を積むことが出来ました。」

 

「世話になったのは私の方だと思うけどね。」

 

「それなりに大変ではありましたが、その甲斐あって天井の高さというものを実感できましたよ。私如きの立つ場所で満足していてはいけませんね。」

 

「……ま、頑張りなさいな。貴女はまだ『若い』んだしね。」

 

私の言葉を受けて、もはや見慣れた困り顔をマクゴナガルが返してきたところで……ダンブルドアがゆったりと立ち上がって話しかけてきた。

 

「では行こうか、ノーレッジ。外まで見送るよ。ミネルバには申し訳ないことじゃが、用件はその後でも構わないかね?」

 

「勿論ですわ。お待ちしております。」

 

「……別に煙突飛行で帰れるんだけど? もう封鎖は解いてるでしょ。」

 

「ほっほっほ、いいではないか。最後にもう一度二人でホグワーツを歩きたいのじゃ。」

 

最後にもう一度、ね。微笑みながら言ってきたダンブルドアに、渋々頷いてから歩き出す。再び別れの言葉を寄越してきたマクゴナガルに背中越しに手を振った後、校長室を出て短い螺旋階段を上り始めた。

 

「……レミィはもう動き始めてるみたいよ? グリンデルバルドも、リーゼもね。」

 

「となれば、わしもそろそろ動かねばならんのう。マグル学に詳しい知り合いに手紙を送ろうと思っておる。意見に箔をつけるのも大事なことじゃろうて。」

 

「『マグル学の権威』を味方に付けようってわけ? 重要なのは誰が言ったかじゃなくて、何を言ったかの方でしょうに。」

 

「それでも世間への影響というものは確かにあるのじゃ。わしらのような凡人は、君ほど合理的に物事を考えられないのじゃよ。」

 

アルバス・ダンブルドアが自分を凡人扱いか。その辺にわんさか居る自称天才に聞かせたらショックで泣いちゃうぞ。呆れて首を振る私へと、ダンブルドアは三階の廊下を歩きながら声をかけてくる。

 

「懐かしいのう。百年前、君に初めて話しかけた時を思い出すよ。ほれ、あの中庭じゃ。君にはまだ棘がなく、わしにはまだ分別がなかった頃じゃな。」

 

「……覚えてるわ。論文がどうだとか、他人の評価がどうだとかって、急に話しかけてくるから意味不明で混乱したわよ。学生時代の貴方は私と関わるようなタイプじゃなかったし。普通に怖かったんだからね。」

 

「ほっほっほ、若き少年の嫉妬じゃよ。……あの頃のわしは自己過信が酷かったからのう。今思い出すと情けない限りじゃ。」

 

「今の貴方しか知らない人は驚くでしょうね。……ただまあ、私の方はあんまり変わってないと思うけど。学生時代も今も、『根暗のノーレッジ』のままよ。」

 

ダンブルドアと初めて話したのは、リーゼから本を受け取った年だったはずだ。つまり私が四年生の頃だから……確かにほぼ百年前か。一世紀。いやはや、改めて考えると遠い昔の話だな。

 

一世紀も前の光景を思い出している私へと、ダンブルドアは目を細めながら質問を飛ばしてきた。

 

「ノーレッジ、君は自分の人生に満足しているかね?」

 

「概ね満足よ。不足はあれど、それを求めるのは強欲に過ぎるわ。だからこれで充分。」

 

「羨ましいのう。わしは後悔ばかりが積もっておるよ。……じゃが、百年前のあの秋の日、勇気を出して君に話しかけたことだけは正解じゃったな。それが詰まらん嫉妬からだとしても、そのお陰でこうして百年後に笑い話に出来るのじゃから。」

 

「……そうかもね。」

 

小鳥の鳴き声が響く三階の廊下を抜けて、忙しなく動く階段を下りて行く。私の素っ気ない返事を気にすることもなく、ダンブルドアはご機嫌な口調で話を続けてきた。

 

「数日前、復帰記念にとホラスと酒を飲み交わしてのう。とある拍子に『運命』の話題になったのじゃ。彼はそういったものをあまり信じておらぬ人間なのじゃが、唯一認めていることがあるらしい。……世代の重なりじゃよ。彼の長年の教師生活で得た経験によれば、数年に、ともすれば数十年に一度、信じられぬような『当たり』の生徒が入学してくるそうじゃ。それも必ず一人ではなく、二人以上が。まるで競い合うことを運命付けられているかのように。……面白い意見だとは思わんかね? 言われてみれば思い当たる生徒が何人も居るのじゃ。」

 

そんなもん単なる偶然だ。……私の理性は間違いなくそうだと言っているのだが、確かに思い当たる節は多いな。身近すぎるいくつかの『例』を思い浮かべる私に、ダンブルドアは苦笑しながら続きを語る。

 

「わしの場合、それは君なのだと言われたよ。わしの宿命のライバルはゲラート・グリンデルバルドではなく、パチュリー・ノーレッジなのだと。」

 

「あら、スラグホーンの意見は世間の意見とは違ってそうね。魔法界の誰もが貴方のライバルはグリンデルバルドだと答えるはずよ?」

 

「うむ、わしもそう答えた。確かにノーレッジは同世代の学友じゃが、ライバルとは言えないのではないかとね。するとホラスは酔っ払った顔で得意げにこう聞いてきたのじゃ。『では聞くが、君は二人のうちどちらに勝ちたいんだ?』と。」

 

「『勝つ』? 何の話よ。」

 

意味が分からん。私とダンブルドアは協力こそすれど、何かを競い合うような関係ではないはずだぞ。仮に『勝ち負け』を論じるのであれば、尚の事グリンデルバルドが相手として相応しいはずだ。

 

眉をひそめる私に対して、ダンブルドアの考えはまた違っているらしい。困ったように笑いながら答えを寄越してきた。

 

「いやはや、意表を突かれたよ。わしはゲラートをライバルだと思っておるが、ホラスの言う通り勝ちたいとは、打ち破りたいとは思っておらぬのじゃ。彼の横顔を見てはいるが、背中を追ってはおらぬ。わしが追いつきたいと、追い越したいと、百年もの間背中を追い続けていたのは……うむ、君だったわけじゃな、ノーレッジ。」

 

「……何よそれ。少なくとも私と貴方は『伝説の決闘』を繰り広げてないわよ?」

 

「つまるところ、目標じゃよ。わしはゲラートに勝っていると感じたことはないが、劣っていると思ったこともない。じゃが、君に対しては違う。わしは常に君の背中を見ていたのじゃ。いくら足掻いても超えられぬ、しかしいつの日か超えたい壁として。……結局最後の最後までわしの視界には背中しか映らなかったのう。それが少し残念で、それ以上に痛快じゃ。」

 

ともすれば諦観の言葉とも取れるが、それを口にするダンブルドアの表情は何故か晴れやかだ。その皺くちゃの横顔を見ながら、一つため息を吐いて言葉を放つ。勝手に自己完結するなよな。私には私の言い分があるんだぞ。

 

「……貴方ね、勘違いしているようだけど、私だって貴方の背中を見ていたのよ? あらゆる人に好かれ、道を歩けば声をかけられ、何をするにも常に中心に居た貴方の背中を。……超えたい、っていうのとは少し違うけどね。憧れよ。貴方は私に無いものを持っていたわ。私はそれが羨ましかったの。」

 

一階の廊下を歩きながらの私の言葉に、ダンブルドアは驚いたように目を見開く。……私にだって人並みの願望くらいはあるのだ。似合わないと、不向きだと分かっていても、それでも求めてしまうのが人間だろうが。

 

「君が、わしの背中をかね? ……それはまた、意外な言葉じゃな。」

 

「結局のところ、隣の芝生は青く見えるってやつでしょ。貴方は私に追いつけなかったんじゃなくて、追いつこうとしていなかっただけよ。単に正反対の道を歩んでたから、振り返ってもお互いの背中しか見えなかったってわけ。……そうね、未練なのかもね。大昔に断ち切った道への未練。私にとっての人の道、貴方にとっての魔の道。それをお互いを通して見ていたってことでしょう。」

 

「なるほど、そうかもしれんのう。……驚いたよ。わしにとっての君は、付け入る隙も無いほどに完成された魔女だったからね。もっとずっと強くて、ずっと高みに在るものじゃと思っておった。」

 

「勝手なイメージはよして頂戴。私は貴方が思っているよりも弱い存在よ。……だから私はリーゼと一緒に住んでるの。彼女は私にとっての初めての友達だからね。本当に魔女として完成されてるなら、山奥にでも籠って一人で研究してるわよ。たまに変な手伝いを要求されたり、こうして面倒なゲームに巻き込まれても離れようとしないのは……まあ、多分そういうことなんでしょ。」

 

きっと、私に残った人間の欠片がそうさせるのだろう。未練ったらしく棄て切れなかった小さな欠片が。……我ながら情けないことだな。これを棄てればもっと高みに至れるというのに、私はどうしても手放せないのだ。お前は魔女だろうが、パチュリー・ノーレッジ。

 

自虐的な笑みを浮かべる私へと、ダンブルドアは一度ポカンと口を開いた後……心底愉快そうに笑い始めた。失礼なヤツだな。他人の『不幸』を笑うとは何事だ。

 

「ほっほっほ、実に素晴らしい。やはり君こそがわしの目標じゃな。魔の道を極めながらも、きちんと人の心を残しておる。うむ、羨ましい限りじゃ。わしが思うに、君こそが完成された魔女なのじゃよ。」

 

「あのね、本来の『完成された魔女』ってのは……そう、モルガナみたいなの魔女のことを言うのよ。私は出来損ないのどっち付かずね。」

 

「そうかね? じゃが、伝承によればモルガナは孤独に死んでいった。多くの人間に恨まれながら、失意の中死んでいったそうじゃよ? しかし、君はそうはならないはずじゃ。……わしには魔女の『常識』など知る由もないが、君の方が正しい存在なのだと確信できるよ。間違っておるのは前例の方なのじゃろうて。」

 

なんだそりゃ。何やら滅茶苦茶なことを言い出したダンブルドアは、私が反論する前に強引に話題を締める。

 

「このアルバス・ダンブルドアが明言しようではないか。パチュリー・ノーレッジの在り方こそが正しい魔女の姿なのじゃと。……おお、そんなに呆れた顔はよしておくれ、ノーレッジ。きちんとした理由もあるのじゃよ? 何たって、その方が粋じゃからな。」

 

「貴方は本当に……ま、いいわ。その言葉だけはありがたく受け取っておくわよ。」

 

「うむ、代わりにわしの墓に花でも添えておいておくれ。誰からも供えられなかったら少々悲しいからのう。」

 

「心配しなくても貴方の墓は花だらけになるわよ。私に予言の力はないけど、それだけは断言できるわ。」

 

邪魔くさいほど供えられるに決まってるだろうが。私が花を添えるスペースなんかきっと無いぞ。素っ頓狂な心配をしているダンブルドアに呆れた返事を送ったところで、ホグワーツ大橋の袂にたどり着く。さて、終点だ。

 

「それじゃ、思い出話はここまでにしときましょうか。もう気は済んだでしょ?」

 

「わしとしてはまだまだ語り足りぬが……まあ、この辺で満足しておくべきじゃろうて。過ぎたるを求めるは強欲じゃからな。」

 

人の台詞を勝手に引用したダンブルドアは、陽光に煌めく湖の水面を眺めながら一つ頷きを放ってきた。遠くの大イカは春の陽気を受けて日向ぼっこ中だ。暢気なもんだな。

 

「ひとまずお別れじゃな、ノーレッジ。近いうちにもう一度くらいは会えるはずじゃ。……そうであったら嬉しいのじゃが。」

 

「嫌でも会うことになるでしょ。『革命』のことはともかくとして、分霊箱の一件には私にだって多少の責任があるもの。何かしらの形できちんと見届けるわよ。」

 

そして、それが最後になるはずだ。本当の最後に。平坦な口調で言った私に対して、ダンブルドアは嬉しそうな表情で微笑んでくる。

 

「ほっほっほ、それは重畳。その時を楽しみに待っておくよ。」

 

「……あっそ。じゃあね、ダンブルドア。それまで死なないように気を付けなさい。」

 

「おお、その心配は不要じゃよ。最近は毎朝野菜のジュースを飲んでおるからのう。……君も風邪など引かぬようにね。研究に熱中するのは結構じゃが、体調管理を怠らぬように気を付けるのじゃぞ?」

 

「うっさいわよ、世話焼き。」

 

魔女が風邪なんか引くわけないだろうが。言い放ってから腕を一振りすると周りの景色が螺旋を巻くように歪み、次の瞬間には懐かしき我が図書館の姿が……おい、なんだこれは。ぐっちゃぐちゃじゃないか。

 

「……こあ?」

 

目の前には本の山。恐らく私の図書館魔法で新たに複製された『新刊』の山だ。乱雑に積まれている本に表情を凍らせつつ、少し遠くの地面に寝そべっている部下の背中に声をかけてみれば……堕落を絵に描いたようなポーズだった小悪魔は、ビクリと身体を震わせながら慌てて振り返ってきた。

 

「へっ? ……あれ、パチュリーさま? ホグワーツに居るはずじゃ?」

 

「仕事が終わったから帰ってきたの。それより、これは? どうしてこんなことになってるの? 説明してみなさい。一応聞いてあげるから。一応ね。」

 

堆く積まれている本の山を指差して早口で聞いてみると、おバカ悪魔はファッション誌やら食べかけのチップスやらを背中に隠しながら言い訳を述べてくる。額に汗が滲んでるぞ。

 

「いやぁ、そのですね。つまり、あれです。私も忙しかったんです。妹様のお相手とか、エマさんや美鈴さんの仕事を手伝ったりとかで。それでその……こう、ね? 本がどんどん増えるから整理が追いつかなくなってきて──」

 

「もういいわ。よく分かったから。今日からしばらくの間は休み無し、おやつ無し、言い訳無しよ。この山を分類して、既存の本をメンテナンスして、魔法のチェックをしないとダメみたいね。……それと、使い魔の『調教』もやり直さないと。」

 

聞くや否や無言で逃げ出そうとしたダメダメ悪魔を魔法で拘束してから、大きなため息を吐いて額を押さえた。これだから図書館を離れるのは嫌なんだ。たった一年空けただけでこの有様か。やっぱり似合わないことはするもんじゃないな。

 

「たすけてー! か弱い悪魔が上司にいじめられてますよー! 誰かはや、ぐっ……絞まってます! パチュリーさま、絞まってますけど!」

 

諦め悪く拘束を抜け出そうとしている小悪魔を必要以上に締め付けつつも、パチュリー・ノーレッジは愛する図書館の管理業務に戻るのだった。

 



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アンネリーゼ・バートリと幻想の郷
渾沌とオレンジジュース


 

 

「キミ、本当にこれを操り切れるのかい? 見たこともないほどの混乱になってるわけだが。」

 

紅魔館のリビングのテーブルに重なる世界各国の新聞を眺めながら、アンネリーゼ・バートリは呆れた声色で問いかけていた。私には読めない言語の新聞も多々あるが、書いてあることは何となく分かるぞ。何せソヴィエトの議長席に座るゲラートの写真がデカデカと載っているのだから。

 

比べてみると、『ゲラート・グリンデルバルドがソヴィエト中央魔法議会の議長に』のパターンが最多で、ゲラートの生存を報じるタイプが二番目に多い。就任演説の内容に触れている記事なんかもちらほらあるが……いやはや、これだけの新聞の一面が統一されるってのは珍しいだろうな。並べてみると壮観だぞ。

 

そして、今やイギリスの戦争の記事などどこにも載っていない有様だ。我らがゲラート・グリンデルバルドの『復帰』というのは、リドルの名前を紙面から消し去るほどのインパクトがあったらしい。

 

つまるところ、目の前に広がる大量の記事に載っている通り、七月一日を以ってゲラートがソヴィエト議会の議長に就任したのである。勿論ながら反対する議員も多数いたが、そこはソヴィエトお得意の『力技』で押し切ったようだ。いやまあ、お陰で議会内部はひどい混乱状態に陥っているらしいが。

 

『魔法大臣、闇の総帥への懸念を表明』ね。最近スムーズに読めるようになってきた日本語の新聞を手に取る私へと、対面のソファに座るレミリアが軽い感じで返答を寄越してきた。

 

「こんなもんまだまだ序の口よ。これからどんどん騒ぎは大きくなっていくでしょうね。」

 

「大きくなっていくでしょうね、じゃないだろうが。ほら、ポーランドの新聞を読んでみたまえよ。魔法大臣がショックで倒れたらしいぞ。ファッジ並みのメンタルじゃないか。」

 

「仕方ないでしょ、大戦の時は被害が大きかった国なんだから。ポーランド、ブルガリア、リトアニア、ギリシャ。この辺は『反対』なんてレベルじゃ収まらないわよ。下手すれば武力衝突にもなりかねないわね。」

 

「キミね、冷静に予想してる場合なのかい?」

 

澄ました仕草で紅茶を口にするレミリアに聞いてみると、魔法界のフィクサーどのは肩を竦めて返事を返してくる。

 

「下手すればって言ってるでしょ? 下手しないわよ、私は。上手いこと調整してみせるわ。」

 

「だと良いんだけどね。……単なる始まりの花火にしては、私が思ってたよりも大事になってるぞ。枯れ木に火が点いたみたいに燃え盛ってるじゃないか。」

 

「ふん、今は盛大に騒いでればいいのよ。私も、ダンブルドアも、イギリスも、フランスも、それにマクーザもまだ動かないわ。だったら世界の誰も実際の行動には移せないでしょ。」

 

「ってことは、フランスと新大陸には話を通せたわけだ。やるじゃないか。どうやったんだい?」

 

イギリスはともかくとして、ゲラートに恨みを持つその二国を抑えるのは容易じゃなかったはずだぞ。ぺちぺち手を叩きつつ聞いてやれば、レミリアは紅茶に砂糖と血を追加しながら答えてきた。お子ちゃま舌め。

 

「色々と事情を話して、一旦動きを保留にしてもらってるだけよ。近いうちに実際に会いに行って話し合うわ。……フランスの説得は中々骨が折れそうだけど、マクーザの方は手紙でも一定の理解を得られたし、現状の展開としては上々と言えるでしょうね。」

 

「ふぅん? 夏の小旅行ってわけだ。それならお土産は酒を頼むよ。あるいは肉か、なんなら牛か豚そのものだって構わないぞ。エマが捌けるから。あの子は家畜の断末魔の叫びが好きみたいでね。変な趣味だよ、まったく。」

 

「あんたの方が緊張感足りてないんじゃないの? この能天気アル中吸血鬼。」

 

「……いやぁ、今日は悲しい日だね。信頼してた幼馴染からそんな罵倒を聞くことになるとは思わなかったぞ。純真無垢な私は深く傷ついたよ。謝罪してくれたまえ。」

 

なんてヤツなんだ。血も涙も無いな。悲しげな表情で呟いてやると、レミリアは一顧だにせずぞんざいな返事を放り投げてくる。

 

「はいはい、純真無垢なあんたが存在してれば謝ってたかもね。私は伝説上の生き物に謝ってるほど暇じゃないのよ。」

 

「それが不思議な話でね、ホグワーツに居る時は確かに存在しているんだよ。……ただまあ、ここに帰ってくると隠れちゃうみたいだ。悪しき環境だと悪しき側面が表れるってことかな。水は方円の器に随うってわけさ。」

 

「あら、嘘を吐くと天国に送られちゃうわよ? 昔お母様が言ってたわ。」

 

「ふむ、さすがの私もそれは怖いね。これからは正直に生きて地獄を目指すことにするよ。」

 

新聞を読み漁る片手間に、恐ろしくどうでも良い会話を悪友と繰り広げていると……おや、アリスだ。眠そうな表情のアリスがドアを抜けてリビングに入ってきた。しかし、眠る必要がないのに眠そうってのはどういうカラクリなんだろうか? 魔女は謎が多いな。

 

「やあ、アリス。おはようかな?」

 

「ええ、ちょっと寝てました。おはようございます、リーゼ様、レミリアさん。」

 

「おはよ、人形娘。ちょうど良いところに来たわ。手紙を代筆して頂戴。ヒンディー語は出来るんでしょ?」

 

「そりゃあ構いませんけど……ヒンディー語? インド魔法省宛ですか?」

 

聞きながら私の隣に座ったアリスへと、レミリアは一つ頷いてから返答を送る。

 

「そうよ。人名のところ以外はこの手紙をそのまま写してくれればいいから。細かいニュアンスは任せるわ。適当に調整して頂戴。」

 

「でも、ヒンディー語は私もあんまり得意な方じゃないんですよね。普通に英語じゃダメなんですか?」

 

「そりゃあインドなんだから英語でも問題ないでしょうけどね。居丈高に英語を使うより、拙くとも自国語を使われた方が受け取った時の印象が良いでしょ? 自分の国の言葉が重んじられてるってのは結構好印象なのよ。こういう細やかな気配りがいずれ大きな成果に繋がるわけ。」

 

「はあ。それはまた、参考になります。」

 

それなのに、丸写しの手紙を方々に送るのはアリなのか? レミリアの謎の拘りに曖昧な頷きを返したアリスは、素直に羽ペンを動かして手紙を書き写し始めた。彼女も私と同じ疑問を持ったようだが、寝起きだから突っ込む気力もないようだ。

 

私にはさっぱり分からん言語で手紙を書くアリスを横目に、興味本位で件のインドの新聞を探す。『爆心地』のソヴィエトとも近いし、インド魔法界もかなりの混乱に陥っているはずだ。絨毯乗りどもの慌てっぷりを拝見しようじゃないか。

 

「インドね、インド……これか。ふむ、全然分からんね。元々イギリス領の癖して英語が全然使われてないじゃないか。生意気な連中だな。」

 

「あんたね、今それを言うとボロクソに叩かれるわよ。魔法界では東インド会社の評判なんて最悪なんだから。十八世紀に公布した空飛ぶ絨毯の製造規制の一件をまだ根に持ってるみたい。……そっちが毛を刈るためにデミガイズを乱獲したからだってのに、今じゃ一丁前に被害者面よ。うんざりするわ。」

 

「ふぅん? ……まあ、混乱具合は何となく伝わってくるよ。良い気味じゃないか。」

 

インドなど行ったこともないが、去年の今頃にイギリスへの協力を渋ったことだけは覚えているぞ。確か、ラモラがどうのこうのとかいう訳の分からん理由で。私は恨みだけは決して忘れないのだ。精々苦労すればいいさ。

 

大きく鼻を鳴らして『分からん語』の新聞を放り投げたところで、部屋に二人目の寝起き娘が入ってきた。眠そうな表情で大きく欠伸をしているフランだ。エマや美鈴によれば、最近は気まぐれに一階へと上がってくるらしい。……ちなみに着ているのは薄いネグリジェのままだし、裸足だし、髪も下ろしたまま。うーむ、これはこれで可愛いぞ。

 

「おはよう、お姉様たち、アリス。……あれ、今って朝なの? 変な時間に起きちゃったなぁ、もう。」

 

「フラン! そんな格好で出歩いちゃダメでしょ! 誰かに見られたらどうするのよ!」

 

「うっさいなぁ、別にいいじゃん。家族しか居ないんだからさ。」

 

途端に顔色を変えたレミリアの注意に適当な返事を返したフランは、自分の隣のスペースをポンポンする姉を無視してアリスの隣に座り込む。……つまり、こちら側のソファにフラン、アリス、私が並び、反対側にはレミリアただ一人だ。哀れな。

 

「ねね、何書いてるの? 古代の呪文とか?」

 

ショックを受けたような表情を浮かべている姉バカを他所に、フランは興味深そうな表情でアリスの書いている手紙を覗き始めた。古代の呪文か。言い得て妙だな。

 

「ヒンディー語よ。インドとか、あの辺の言語。」

 

「へぇ、変なの。……そもそもさ、何で世界中を英語に統一しないのかな? そうすれば私も日本語なんかを勉強しなくて済むのに。」

 

「んー、土地に根付いた言語っていうのはそうそう手放せないものなのよ。民族としての誇りもあるでしょうしね。だから、日本語はきちんと勉強しないとダメよ?」

 

「分かってるけど……難しいんだよね、特に漢字が。読み方が何通りもあるなんて反則だよ。ひらがなだけじゃダメかな?」

 

おっと、フランがおねだりモードに入ったぞ。最近のこの子の恐ろしいところは、この上目遣いが天然なのか計算なのか判断しかねるという部分にあるのだ。これは多分……計算の方のはず。自信は無いが。

 

アリスも少し怯んだ後でそう判断したようで、首を横に振りながらフランのおねだりを突っ撥ねる。

 

「ダメよ。幻想郷の公用語は日本語なんだから、せめて日常で使う単語くらいはマスターしておかないと。……いざあっちに行った後で困りたくはないでしょう?」

 

「むう、ひらがなだけで大丈夫だと思うんだけどなぁ。咲夜とか美鈴の名前はちゃんと漢字で書けるし、自分の名前のカタカナも完璧だよ? あとは伝わりさえすれば問題ないでしょ?」

 

「そりゃあ、そこまで大きな問題はないかもだけど……その方が印象が良いんですよね? レミリアさん。」

 

うむ、確かにそう言っていたはずだ。私もしかと聞いたぞ。アリスがフランのおねだりをレミリアの方へと受け流すと、姉バカ吸血鬼どのはかなり困った表情で目を逸らし始めた。

 

「まあ、そうね。礼儀は大事よ、フラン。」

 

「ふーん、そう? 礼儀ってのは強要すべきものじゃないと思うけどね。こういうのは自発的に抱くものなんじゃない?」

 

「その、ほら……つまりね、スカーレット家の次女が平仮名なんか使ってたらナメられちゃうでしょ? こういうところをきちんとしておくのが大切なのよ。」

 

「……ま、別にいいけどさ。」

 

フランとしてもダメ元のおねだりだったのだろう。結構あっさり引き下がった妹の言葉に、姉が傍目にも明らかな安堵の表情を浮かべたところで……今度はエマがティーセットを載せたカートを押しながら入室してくる。気が利くじゃないか。

 

「はい、お茶ですよー。コーヒーも一応ありますけど、どっちにします?」

 

「なら、私はコーヒーをお願いします。」

 

「有るならジュース、無いなら紅茶かな。」

 

「えっとですね……はい、オレンジなら持ってきてますよ。」

 

フランの要求にも見事に応えたエマは、それぞれの前にカップやコップを置いていく。よしよし、私のはきちんと濃いめに淹れてくれたようだ。さすがにこの辺はホグワーツのしもべ妖精より上手だな。

 

「そういえば、ブラッドオレンジジュースって血が入ったオレンジジュースのことじゃなかったんですね。……この前初めて知りましたよ。一緒にお茶してたトンクスとエメリーンに呆れられちゃいました。」

 

フランのオレンジジュースを見ながらのアリスの言葉に、その場の全員が疑問符を浮かべた。……ええ? 違うのか? 私も血入りのオレンジジュースのことだと思ってたぞ。

 

「そうなの? なら、『ブラッド』ってどこから来たんだろ?」

 

「そういうオレンジの品種があるらしいのよ。普通のオレンジと違って果肉が真っ赤なんですって。……この館だと違う意味だったし、飲んだことも無かったから、今までずっと勘違いしちゃってたみたい。恥ずかしかったわ。ブラッドソーセージと同じような物だと勝手に思い込んでたのよね。」

 

フランに答えたアリスの顔を見るに、真実を知った現場では大分呆れられたのだろう。かなり苦い表情を浮かべている。……私も危ないところだったな。ハリーたちに呆れられる前に知れて何よりだ。

 

「吸血鬼に育てられた弊害なのかもね。これは咲夜にも教えといた方が良さそうだ。」

 

「ですね。咲夜も絶対に知らないと思いますよ。多分、前から知ってたのはパチュリーくらいじゃないでしょうか?」

 

「……一応弁明させてもらえば、言葉としての起源はこっちが先のはずだよ。父上が子供の頃にも『ブラッドオレンジジュース』は存在してたようだしね。」

 

「とはいえ、残念ながら魔法界でもマグル界でもブラッドオレンジジュースは血を入れないのが常識になっちゃってるみたいです。今から血入りオレンジジュースを普及させるのは難しそうですね。」

 

クスクス笑いながら言ってきたアリスに、肩を竦めて苦笑を返す。今度『人間向け』のブラッドオレンジジュースとやらも飲んでみるか。絶対に血を入れた方が美味いと思うんだがな。私が謎のジュースについてを想像していると、今度はレミリアが腕を組みつつ言葉を放った。

 

「最近だと諸外国から色んな料理が入ってきてるし、こういう勘違いは結構有り得そうね。外交の場でやらかしたらナメられちゃうわ。私も気を付けないと。」

 

「別に大丈夫だと思うよ。お姉様が『年寄り』ってのは皆知ってるわけなんだしさ。大目に見てくれるよ、きっと。」

 

「……たった五歳違いの妹に年寄り扱いされるとは思わなかったわ。」

 

「私はまだ子供だもん。セーフだよ、セーフ。大事なのは精神の年齢でしょ?」

 

そのまま今度は適当すぎる年齢談義に移り始めたテーブルを横目に、再び新聞の山へと向き直る。やっぱり紅魔館に帰ってくるとホグワーツとはまた違った意味で気が緩んじゃうな。あっちが『カジュアル』だとしたら、こっちはそのまんま『アットホーム』って感じだ。

 

だが、平穏に微睡んでいるわけにはいかない。ゲラートとのやり取りもあるし、リドルの問題だって片付いたわけではないのだ。レミリアたちが大きな盤面を動かしている間、私はちょこちょこと細かい部分を調整しなくては。

 

騒がしくなってきた魔法界のことを思いながら、アンネリーゼ・バートリはとりあえず朝食でも取ろうかと決意するのだった。……今日は何肉にしようかな。

 



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母の苦悩

 

 

「有り得ません! 絶対に、絶対に有り得ませんからね! 私の目の黒いうちは決して許しませんよ!」

 

杖を振って食器を清めながら激怒するモリーに、アリス・マーガトロイドは困ったような苦笑いを浮かべていた。まあ、母親だったら当然の反応だと言えるだろう。それがモリー・ウィーズリーなら尚更だ。

 

リーゼ様と咲夜、それにパチュリーが紅魔館に帰って来てから数日が経過した今日、咲夜や魔理沙を連れて隠れ穴を訪れているのだ。昼食がてら相談があるとの手紙を受けて、軽い気持ちで遊びに来ちゃったわけだが……参ったな。どうやら厄介な事態に巻き込まれたみたいだぞ。

 

既に咲夜と魔理沙はジニーと遊びに行ってしまったし、アーサーとビルとパーシーは仕事で、チャーリーは食事を終えた直後に上階へと避難済み。残る双子はダイアゴン横丁の出店予定地に泊まり込んでいるらしい。結果として大きな食卓に残されているのは困り顔の私と、決然とした表情を浮かべるロンだけだ。

 

つまり、モリーとロンが先程から激論を交わしているのである。その議論は完全に平行線。『ハリーに付いて行く』と主張するロンと、それに反対するモリーの間に挟まれてしまったわけだ。

 

「僕は、絶対にハリーと一緒に行く。絶対にだ。」

 

「あら、それであなたに何が出来るのかしらね? バートリさんや、ダンブルドア先生のお邪魔になるだけでしょうが! 弁えなさい、ロナルド・ウィーズリー! あなたはまだ子供なんです!」

 

「ママはまた四年生の時みたいにハリーを一人にしろって言うのか? ……確かに足手纏いかもしれないけど、それでもハリーの隣には誰かが居るべきなんだよ。それはリーゼでも、ハーマイオニーでもなく、僕の役目なんだ!」

 

「いいえ、お母さんは許しません。……そもそも、ハリーが例のあの人を探すだなんて部分にも納得してないんですからね! バートリさんもダンブルドア先生も一体全体何を考えているんだか。……マーガトロイドさんは何かご存知なんですか?」

 

ありゃ、矛先がこっちに飛んできたか。困惑半分、心配半分の表情で聞いてきたモリーに、一つ頷いてから返答を返す。うーむ、そうしている間にも食器がどんどん片付いているのが熟練の技を感じさせるな。

 

「必要なことなのよ、モリー。私だって行かせたくはないけど、どうしてもそうする必要があるの。予言のことは貴女も知っているでしょう?」

 

「それは、そうですけど……でも、あんまりです。あの子は充分すぎるほど辛い思いをしてきたっていうのに、最後の最後までこんなことに付き合わせるだなんて。……どうにかならないんですか? ダンブルドア先生や、ノーレッジさんでも?」

 

縋るような表情で問いかけてきたモリーへと、力なく首を振って返事に代える。私だって全てに納得しているわけではないのだ。ハリーの運命、そしてレミリアさんから聞いたダンブルドア先生の自己犠牲。可能ならば別の道を選びたい。

 

だけど、図書館に戻ったパチュリーは既に決心しているようだった。そしてリーゼ様や、レミリアさんもその道を是としているらしい。それならきっと、もう私が口を出せるような段階ではないのだろう。

 

だったら私も覚悟を決めてそれに付き合わなければ。リドルに関して一番責任があるのは他ならぬこの私なのだ。それなのに何もかもをダンブルドア先生たちに任せるわけにはいかない。

 

無意識に杖の柄を撫でながら考えていると、食器を片付け終えたモリーがロンに向かって言葉を放つ。厳しい母親の表情だ。

 

「とにかく、あなたはダメです。ハリーに関しては私に口出しできることじゃありません。でも、あなたは私の息子なの。だからあなたが何と言おうと、そんな危険な旅に付いて行くのなんて断じて許しませんからね。」

 

「どうしてさ! ママだってハリーのことは心配だろ? 僕はそれよりもずっと、ずっと心配なんだ!」

 

「そして、私はあなたがハリーを心配する以上にあなたのことを心配しているの。……あなたよりも遥かに優秀な魔法使いが、何人も何人も例のあの人に殺されてきたんですよ? それなのに自分の息子を向かわせる母親が居ると思う? ……さあ、話は終わりです。上に戻って宿題をなさい。」

 

「……僕は諦めないぞ。ママがなんと言おうと、ハリーと一緒に行くからな!」

 

最後にそう宣言したロンは、勢いよく席を立つと二階への階段を上って行った。……ロンの気持ちも分かるが、今回ばかりは私もモリーに賛成だ。戦場は子供を向かわせるような場所じゃない。

 

ドスドスという荒々しい足音が響いた後、天井からドアがバタリと閉まる音が聞こえたところで……モリーが大きなため息を吐きながら席に着く。毅然とした顔から一転、ひどく疲れた表情だ。

 

「本当にもう、どうしてあんなことを言い出すのやら。……頑固なのはウィーズリーの血ですね。ビルが呪い破りになった時も、チャーリーがドラゴン使いになった時も、パーシーが良い就職先を蹴った時もあんな感じでしたよ。」

 

「まあ、それには同意するけどね。双子の方も自分の道を貫いてるみたいじゃないの。八月には店を開くんでしょう?」

 

「ええ、今じゃ悪戯専門店なんてのは些細な心配事ですよ。ロンの問題に比べれば遥かにマシです。……こんな風に思う日が来るとは思いもしませんでしたけどね。」

 

弱々しい苦笑を浮かべて言うモリーは、壁にかかった時計へと目をやっている。九本あるうちの二本……件の双子の針は、アーサーやビル、パーシーなんかと同じように『仕事中』を指しているようだ。

 

うんうん、頑張ってるじゃないか。早くも夢を叶え始めた双子の努力に微笑みつつも、物憂げなモリーへと慰めの言葉を送った。

 

「困った事態なのは確かだけど、それだけ大切な友達が出来たってことでもあるわ。貴女の子育ては見事の一言ね。揃いも揃って自慢の子供たちじゃないの。」

 

「こうなってしまっては素直に喜べませんけどね。……サクヤも良い子に育ってるじゃありませんか。礼儀正しくさせるコツを教わりたいくらいです。」

 

「んー、あの子も家だともう少し騒がしいのよ? 今日は『余所行きモード』みたい。」

 

「それを使い分けられるっていうのが重要なんですよ。うちの子たちはそこが全然ダメなんです。」

 

やれやれと嘆息するモリーに、頰を掻きながら曖昧な笑みを返す。なにせさっきの咲夜は必要以上に美しいマナーで昼食を取っていたのだ。もうちょっと加減ってやつを教えるべきかもしれない。がっついていたチャーリーなんかは謎の生命体を見る目になってたし。

 

反面、魔理沙は『我が家の如く』という表現がピッタリの食事風景だった。あっちにはもう少しマナーを教えるべきだな。その中間くらいのジニーが一番自然に見えた気がするぞ。

 

うーん、足して割れば完璧なんだけどな。対照的な二人の食事の仕方を思い出していると、モリーが食卓に置いてある調味料なんかを整えながら話しかけてきた。もう片付けが癖になっているようだ。

 

「コゼットやアレックスもきっと喜んでますよ。あんなに立派に育ってるんですもの。」

 

「……そうだと良いわね。」

 

風に揺れる銀髪と、嬉しそうに細められた青い瞳が脳裏によぎる。本当に、そうであることを願うばかりだ。あの二人に恥じないようにと育ててきたつもりだが、ちょっと変わった趣味を持つようになってしまったのも事実なのだから。

 

喜んでいるというか、苦笑している可能性も大いにありそうだな。二人の反応を想って微笑んでいると、モリーが塩の入った容器を弄りながら口を開いた。

 

「あと少し、あとほんの少しで決着が付くんですよね? それが終われば、ハリーは普通の人生を取り戻せる。……そうなんですよね?」

 

「そうしてみせるわ。今度こそね。」

 

もう終わらせなければならない。でないとハリーも、そして私も前に進めないのだから。悲しげな表情で頷くモリーを前に、机の下の手をそっと握りしめるのだった。

 

───

 

そして空が赤みがかってきた頃に隠れ穴を御暇した私たちは、煙突飛行で私の実家へと戻って来ていた。魔理沙を送るのと同時に、開店前の双子の店を見に行ってみることになったのだ。組合に口利きをしたのは私なんだし、様子くらいは確認しておかねばなるまい。

 

変な外観になってなければいいんだが……まあ、悪戯専門店に『落ち着き』を求めるのは不毛か。若干の諦めを感じている私へと、暖炉の煤を払っていた魔理沙が声をかけてくる。

 

「んで、モリーと何の話をしてたんだ? 私たちが戻った時には世間話になってたけど、そもそも相談を聞きに隠れ穴まで行ったんだろ?」

 

「まあ、ちょっとね。子育てについて話してたのよ。」

 

もう使われていない店の方へと歩きながら答える私に、魔理沙は肩を竦めながら話を続けてきた。ちなみに咲夜は移動しつつも床に落ちた洋服なんかを手早く畳んでいる。もちろん散らかした張本人にジト目を送りながらだ。

 

「大体の内容は分かるけどな。ロンのことだろ? ……咲夜、後で片付けるから放っといてくれ。それに私は無造作に投げ捨ててるわけじゃなくて、取り出し易いように置いてるだけだ。一見すると汚れてるように見えるかもしれんが、実はこれで完璧な状態なんだよ。」

 

「へえ? 貴女は下着をこんな場所に『置いておく』の? 不思議だわ。いつ活用するのかしらね。」

 

「……よし分かった、私の負けだ。だからもう勘弁してくれ。」

 

年頃の乙女としてそれはさすがに問題だぞ。素直に降参の言葉を口にした魔理沙へと、未だ人形が並ぶ店内に入りながら答えを返す。生活スペースよりもむしろこっちの方が綺麗だな。埃もあんまり無いし、わざわざ掃除してくれてるらしい。

 

「ロンの『主張』を知ってたの? ……それなのに貴女は何も言わないのね。」

 

「おっと、意外か?」

 

「まあ、そうね。意外だわ。貴女は真っ先に付いて行くって言うタイプでしょう?」

 

玄関を開けて涼やかな風を感じながら問い返してみると、私の背に続く魔理沙は苦笑してから頷いてきた。

 

「よく分かってるじゃんか。……でもよ、去年は色々あったんだ。無責任に首を突っ込むことの恐ろしさを実感したんだよ。痛い目を見た、ってやつだな。」

 

「パチュリーとの個人レッスンのこと?」

 

「いや、それとは別件だ。……だから、今後はもう少し慎重になろうと思ってな。後先見ずに突っ走ったりはもうしないさ。」

 

ふむ? 最後に出てきた咲夜が若干心配そうな表情に変わっているのを見るに、よほどの『痛い目』に遭ったようだ。内心で少しだけ心配しつつも、ドアの施錠を確認してから大通りに向かって歩き出す。

 

「パチュリーからは随分と強力な力を手に入れたって聞いてたから、ちょっとだけ心配だったんだけど……その様子なら大丈夫そうね。」

 

「ああ、ノーレッジからも色々と学んだぜ。魔道具の使い方だけじゃなく、魔女としての在り方なんかもな。」

 

それはそうだろう。私もパチュリーから同じ事を学んだのだから。私の横に並んでそう言った魔理沙は、左右の店々を順繰りに眺めながら言葉を続ける。

 

「だからまあ、付いて行きたいとは言わないさ。頼まれれば迷わず頷くけどな。」

 

「ロンにも反対ってこと?」

 

「いやいや、それはまた別の話だ。私はロンの覚悟を知ってるから応援してるけど、同時に止めるヤツが正しいとも思ってる。……ってことで、賛成も反対もしないってわけさ。そもそも私が口を出すべきことじゃないしな。」

 

「驚いたわね。やけに大人になったじゃないの。」

 

女子、一年会わざれば刮目して見よ、だな。微笑みながら感心していると、魔理沙は首を振って否定してきた。やけに苦々しい表情を浮かべながらだ。

 

「残念ながら、私は自分が子供だってのを実感しただけだ。大人には程遠いさ。」

 

「そう言えるってこと自体が確かな成長なんだと思うけどね。……ちなみに、咲夜はどうなの? ハリーたちに付いて行きたいと思う?」

 

続いて魔理沙とは反対側に並ぶ咲夜に聞いてみれば、我らが一人娘はかっくり首を傾げながら返事を寄越してくる。

 

「もちろん思わないよ。だって、私が行っても邪魔になるだけでしょ? リーゼお嬢様の邪魔になるのは嫌だもん。」

 

「そりゃあそうなんだけどね。でも、心配ではあるんでしょう?」

 

「ちょっとだけね。」

 

むう、何だかドライな感じだな。内心の照れを隠しているという様子ではなく、本心からそう思っているという表情だ。疑問に思って魔理沙の方に問いかけの目線を送ってみると、彼女は苦笑しながら答えを送ってきた。

 

「咲夜はハリーのことが……あー、苦手なんだよ。」

 

「別に苦手じゃないわ。嫌いでもないしね。単に好きじゃないだけよ。」

 

「ほらな? こんな具合さ。」

 

これはまた、意外な新事実だ。仲が良くないってことか? 全然知らなかったぞ。ちょっとだけ混乱しながらも、咲夜に向かって質問を飛ばす。

 

「だけど、リーゼ様は六人で居ることが多いって言ってたわよ?」

 

「それはリーゼお嬢様や魔理沙が居るからだよ。それに、ハーマイオニー先輩やロン先輩のことは友達だと思ってるし。」

 

「じゃあ、ハリーは?」

 

「んー、表現するのは難しいけど……知り合い、とかじゃない? あるいは顔見知りとか?」

 

ええ……そうなのか? ハリー本人が聞いたら悲しみそうな答えに顔を引きつらせたところで、魔理沙が苦笑を深めながら口を開いた。

 

「リーゼがハリーにかかりっきりなのが不満なんだろ? 咲夜は。それだけの話さ。別にハリー当人がどうこうってわけじゃないと思うぜ。」

 

「違うわよ! ……そんな子供っぽい理由じゃないわ。」

 

「どうだかな。何にせよ、アリスの考えてるほど深刻な問題じゃないだろ。もっと『思春期っぽい』アレだよ。」

 

「違うって言ってるでしょうが!」

 

なんだ、そういうことか。咲夜が顔を赤くしながら魔理沙を追っかけ始めたのを見るに、かなり正解に近い答えなようだ。それならまあ、放っておいても平気かな? 咲夜がこのまま成長していけば解決するだろうし。

 

しかし、ハリーも大変だな。あっちもあっちで咲夜の境遇には思うところがあるようだから、この状況は彼にとって複雑なはずだ。そして、この関係を自覚していないリーゼ様のなんと罪深いことか。

 

隠れ穴でジニーが言っていた、『女ったらし』の称号にもそれなりの理由があったわけだ。……うーん、私としても複雑だぞ。初恋の相手が女ったらしか。どういう顔をすればいいんだ?

 

元気良くダイアゴン横丁の大通りを走り回る二人の姿を眺めながら、アリス・マーガトロイドは小さなため息を吐くのだった。

 



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演出と批評

 

 

「何よ? そんな顔したって声明は出さないからね。」

 

魔法省地下一階の私の執務室の中、泣きそうな表情を浮かべるブリックスを前に、レミリア・スカーレットは冷たく言い放っていた。どれだけ急かそうと今は動かんぞ。外向きの理由だってちゃんとあるだろうが。

 

「しかし、国際協力部には各国魔法省から山のように手紙が届いています。これ以上こちらで捌くのは……その、限界なんです。部長は酷いノイローゼで、ふくろうが部屋に入ってくると悲鳴を上げるようになっちゃったんですよ?」

 

「楽しそうな職場じゃないの。次からはコウモリを使うようにしなさいな。……とにかく、どこの誰から催促されようが、イギリスは戦後処理でそれどころじゃないの一点張りで返しなさい。紛うことなき事実でしょう?」

 

「でも、もう無理なんです。……だってそうでしょう? グリンデルバルドに対抗できるのはスカーレット女史だけなんですから。遠く離れた僕の世代でも常識ですよ。誰に聞いたってそう答えます。」

 

「知らないわよ、そんなもん。人を頼る前に自分で何とかしなさいよね。」

 

すげなく返してやると、ブリックスは困り果てたという表情で額を押さえ始める。言いたいことは山ほどあるが、私相手だとどう言ったら良いのかが分からないのだろう。哀れな下っ端の苦悩だな。

 

つまりはグリンデルバルドの一件について、毎度の如くロビン・ブリックスが国際魔法協力部から派遣されてきたのだ。私がひらりひらりと世界中からの手紙をあしらっている所為で、その皺寄せが国際協力部にいってしまったらしい。

 

あそこの部長には悪いが、ノイローゼが悪化してふくろうを撃ち殺し始めたところでこの姿勢を変えるつもりはないぞ。今は他国が混乱を深めている隙にフランスとマクーザを引き込む時期なのだ。先ずは自陣を固める。盤面に大きく介入するのはその後になるだろう。

 

幸いというか何というか、イギリス魔法界は自国内の戦争が一段落した直後だ。戦後処理で忙しいというのも嘘ではないし、他国への言い訳には事欠くまい。知らんぷりして淡々と書類を片付け始めた私に、ブリックスは弱々しい説得を続けてきた。

 

「じゃあ、せめてそう書いて送り返してくださいよ。『こっちは忙しいからグリンデルバルドなんか知ったこっちゃない』って。僕たちがいくら言い訳を並べても、倍の手紙が返ってくるだけなんです。」

 

「ならそれにも言い訳を書いて送り返しなさい。そしたらいつかは諦めるでしょ、きっと。」

 

「もう自動筆記羽ペンがおかしくなるまでそうしました。……知ってますか? 今の国際協力部にまともな文章を書ける羽ペンは存在しないんですよ? 大抵の羽ペンはひどい暴言しか書かなくなっちゃいましたし、僕が使ってたやつなんて自分から暖炉に飛び込んでいったんです。」

 

「あら、『羽ペン』なら魔法ゲーム・スポーツ部にまだ沢山残ってるじゃないの。クィディッチの薀蓄を披露し始めるのが鬱陶しいけど、機能としては充分でしょ。あれを使いなさいな。」

 

肩を竦めて言ってやると、ようやくブリックスは諦めたようだ。疲れたような表情で大きなため息を吐いた彼は、小さく頷いてから口を開く。

 

「……分かりました、いつもと同じ返事を書いておきます。でも、部長はもう限界だと思いますよ? 一週間でこれなんですから、来月までは絶対に持ちません。」

 

「これが終わったらいくらでも休んでいいから、今だけは何とか耐え凌ぐようにと伝えておきなさい。」

 

「部長は泣いて喜びますよ。ただまあ、最近はよく泣いてますからね。もう別に珍しくもないですけど。」

 

言うようになったじゃないか、下っ端君。軽めの皮肉と共に部屋を出て行ったブリックスに鼻を鳴らしたところで……今日は千客万来だな。入れ替わるように今度はブン屋が入室してきた。ヨーロッパが誇るペン持つ英雄、リータ・スキーターどのだ。

 

ノックも無しに入ってきたスキーターは、いつものワニ革ハンドバッグをソファに置きながら言葉を放つ。相変わらず『無礼』を体現しているような女じゃないか。

 

「どうも、失礼しますよ。……ご機嫌いかがざんすか? スカーレット女史。」

 

「上々よ。他人の混乱ってのは見てて楽しいしね。そっちは?」

 

「同じく、上々ざんす。他の記者は『グリンデルバルド復活』に比重を置いた記事でしたけど、私の記事は就任演説の内容を詳しく書いてましたからね。冷静になった後でこっちが評価されるのは当然ざんしょ?」

 

「事前に連絡を受けてたのはソヴィエト以外じゃ貴女だけでしょうしね。話を持ちかけてあげた私に感謝なさい。……それで、演説の内容に対しての反応はどうなの?」

 

マグルに対する危惧と、魔法界の現状に関する説明。グリンデルバルドは私たちの目標に関しての大演説を長々と行ったはずだが……うーん、スキーターの表情を見るにあまり正面切って受け取られてはいないらしい。そりゃそうか。別に期待してなかったさ。

 

「アジア圏ではそれなりの議論になってるみたいですけど、その他の地域ではお察しですね。グリンデルバルドへの悪感情からまともに聞いてないって感じざんす。」

 

「まあ、そんなところでしょうね。……だけど、アジア圏で議論になってるってのは予想外の成果だわ。上手く利用できないかしら?」

 

ソヴィエトに地盤があるのは認めていたが、まさかアジア全体でそうなるとはな。やっぱり厄介な男だ。余程に説得力のある演説をかましたのだろう。……ふん、私ならもっと上手く出来るさ。多分。

 

内心で演説の勉強をしようと決意した私へと、スキーターは勝手にソファへと座り込みながら言葉を寄越してきた。よし、あそこは後でしもべ妖精に掃除させよう。

 

「内容だけなら私から見ても納得できるレベルの演説だったんですけどね、ヨーロッパ側の新聞社はどこも重要な部分を『省略』しちゃってる所為で上手く伝わってないみたいざんすよ?」

 

「端っからそっちには期待してないわよ。好意的な記事を書くはずないしね。」

 

「ま、私からすればどうでも良い事ざんす。マグルのことなんか知ったこっちゃないしね。……それで、次はどう動けば? 何なら『レミリア・スカーレットとゲラート・グリンデルバルドの隠された繋がり』って記事でも出しましょうか?」

 

「あら、試してみる? 代わりの『専属記者候補』はダースで存在してるわけだけど。」

 

薄く微笑みながら言ってやれば、スキーターは大仰に両手を上げて返事を返してくる。なら聞くなよな。時間の無駄だぞ。

 

「やめときましょ。例のあの人の一件で私の記者としての名声は鰻登りだしね。その上今回の騒動が終わったら貴女が居なくなるってんなら、私としちゃあ後ろ暗い繋がりが清算できて大満足ざんす。だから最後まで付き合わせてもらいますよ。」

 

「こっちとしては貴女をそのままにしとくってのがかなり不安なんだけど……まあ、立つ鳥も偶には跡を濁すってことかしら。貴女程度の小悪党なら許容範囲内でしょ。」

 

「澄み切った川なんて退屈ざんしょ? 私たちみたいなのが少しは居ないとね。」

 

「一緒にしないで頂戴。……せめて貴女が早死にすることを祈っておくわ。」

 

ニヤニヤ笑っているブン屋に首を振ってから、差し当たりのぼんやりした指示を出す。こいつの使い所はもうちょっと後だ。今は適当に勢いをつけてもらおう。

 

「取り敢えずはグリンデルバルドに関しての記事をガンガン出しなさい。民衆の受け入れ易いように適度に叩きつつも、各所で演説の内容を取り上げること。『グリンデルバルドが言ってるから信用できないけど、この部分は確かに正しい』みたいなふんわりした文章でね。貴女は得意でしょう? そういうの。」

 

「なら、マグル学に詳しい著名人への紹介状が欲しいざんす。勿論、実際どう思ってるかはどうでも良いけどね。その辺は私が上手いこと『省略』しときますよ。」

 

「名前だけ使いたいってわけ? ……まあいいわ。何人か見繕っておくから、適当に取材してきて頂戴。ちなみに『本命』の識者は今まさにダンブルドアが探してくれてる最中よ。そっちの意見は省略しないように。」

 

「それは重畳。後々活用させてもらいましょうかね。」

 

言いながら私が手早く書き上げた紹介状を受け取ったスキーターは、ハンドバッグにそれを仕舞い込むと……こうしちゃいられないとばかりにドアへと歩き始めた。こいつのことは大っ嫌いだが、仕事の早さだけは認めてやってもいいかもな。

 

「今はまだ目立ちすぎないようにね? 貴女の出番はもう少し先なんだから。」

 

「はいはい、分かってますよ。どんな脚本なのかを楽しみに待っておくざんす。」

 

私の忠告を受けてひらひらと長すぎる赤い爪を振ったスキーターは、そのまま私の執務室を出て行く。……しかし、アジアか。もし利用するとなれば、グリンデルバルド側から干渉することになりそうだな。

 

私では影響力も薄いし、今はヨーロッパと新大陸への対処で手一杯だ。よし、その辺は一度リーゼを連絡に向かわせて詳細を詰めてみよう。グリンデルバルド側の視点がどうなっているのかも気になるし。

 

脳内で今後の予定を整理しつつ、手元の羊皮紙に確認事項を纏め始めたところで……ふと頭の中に疑問がよぎる。そういえば、新大陸には誰を連れて行こうか? スクリムジョールは決定済みだが、もう一人くらいは動かし易い部下を連れて行くべきかもしれない。

 

表向きの訪問の目的は今回の戦争への援助に対する感謝で、裏向きは当然グリンデルバルドに関しての説明をするためだ。となると……やっぱりアリスかな。人形娘なら両方の目的について詳しいし、外交官としての立ち振る舞いも問題ないだろう。

 

あーもう、面倒くさいな。新大陸に行くのなんぞ考えるだけでも苛々してくるが、マクーザを引き込まないことには世界の意見はバラけたままだ。ならば、せめてアリスにもこの不幸を共有してもらおうではないか。

 

迫る『出張』を思ってうんざりしながらも、レミリア・スカーレットは再びペンを走らせる作業に戻るのだった。

 

 

─────

 

 

「こういうのを一触即発って言うんだろうね。……ふむ、ギリギリまで膨らんでいるものを見ると破裂させたくなっちゃうのは私だけかい?」

 

……残念、返答はなしか。今は冗談に付き合う気分ではないらしい。私の質問を無視するゲラートに鼻を鳴らしながら、アンネリーゼ・バートリはしもべ妖精が用意した紅茶に口を付けていた。薄いな、これ。イギリス人には物足りないと思うぞ。

 

場所はソヴィエト魔法界の頂点たる、中央魔法議会議長室だ。世界を揺るがす大騒動の震源地となっているこの場所へ、レミリアからの報告を伝えに来たのである。しかしまあ、面白い部屋だな。

 

古式ゆかしい豪華な部屋だってのは当然として、一際目を引くのは部屋の奥に置かれた金細工の椅子だ。床より一段高い台の上に置かれたその『玉座』には、ロシアの皇帝のみが座ることを許されているらしい。議長は皇帝の下だってのを表現しているのか?

 

もちろん本当に皇帝が座るわけではなく、あくまでも議長への戒めとして設置しているのだろうが……エントランスホールといい、ソヴィエト闇祓いの様子といい、ここは形式に拘る国みたいだな。

 

もう座れる者の居なくなってしまった椅子を眺める私へと、羽根ペンを走らせながらのゲラートが注意を放ってきた。

 

「一応言っておくが、座ろうとはするな。かなり強力な魔法がかかっているぞ。……就任時の説明によれば、座った者の血統に反応する魔法らしい。」

 

「ふぅん? そう言われると俄然試したくなってくるな。私はやるなと言われたことは大抵やってきたんだ。だったら今回だってそうすべきだろう?」

 

「余計なことをする天才だな、お前は。……あの椅子にかかっているのは恐らく『本物の』魔法だ。吸血鬼ですら危ういかもしれんぞ?」

 

「……なら、やめておこうか。それはちょっと怖いしね。」

 

イギリスにモルガナやパチュリーが生まれたように、この国にも本物の魔女は居たはずだ。ゲラートがこういう言い方をするということは、きっとそういう存在が作った椅子なのだろう。ちょびっとだけ残念だが、好奇心で座るには危なすぎるな。

 

諦めてソファに座り直した私へと、ゲラートは先程から行なっていた現状確認を続けてくる。

 

「とにかく、『反対派』の急先鋒となっているのはポーランドとギリシャだ。ソヴィエト国内の反対派と協力して、議会への干渉を強めているらしい。……俺が言うのもなんだが、当然の反応だと言えるだろうな。」

 

「実に愉快な状況じゃないか。就任直後に解任決議を起こされた議長だなんて、歴史上キミ以外存在しないだろうね。ここまでくると喜劇として通用するぞ。」

 

「……連中が何をしようが、議会の過半数は確保してある。『強硬手段』以外で崩されることはまず無いだろう。」

 

「だが、民意はどうなんだい? まともな思考回路を持つ魔法使いなら、ゲラート・グリンデルバルドが議長になるのを是とはしないはずだが。」

 

何せかなり強引な手段で議員になって、その直後に数の暴力で議長へと就任しているのだ。昔のイギリス魔法界も大概酷かったが、こちらの魔法界も古くさい政治構造をしているらしい。民意もクソもないじゃないか。

 

呆れる私の疑問に対して、ゲラートは意外な答えを返してきた。

 

「こちらの調べによると、ソヴィエト魔法界の民意は均衡しているようだ。……イギリスの常識を持ち込まないことだな、吸血鬼。この国では誰もがスカーレットに賛成しているわけではない。ヨーロッパ大戦を『敗北』と捉えている魔法使いはお前が思っているよりも多いぞ。」

 

「……なるほどね。同じ色でも見え方は人によって違うわけか。一つ勉強になったよ。」

 

「更に言えば、国内の反対派の半数近くは俺の議長就任そのものに反対しているわけではなく、他国との関係悪化を懸念しているだけだ。本質的には概ね受け容れられていると言って問題ないだろう。」

 

「いやはや、ここがイギリスじゃないってことを改めて実感する気分だね。ヨーロッパの連中が聞いたら驚くぞ。」

 

ヨーロッパとは常識が反転しているな。この国ではレミリアの方が悪者ってわけだ。……うーむ、私もソヴィエトに移り住むべきかもしれない。一緒に悪口を言うお友達が沢山できそうだし。

 

懐の小瓶から薄すぎる紅茶に血を注ぎつつ、今度は私から報告を飛ばす。ゲラートの話でソヴィエトの動きは凡そ理解できた。次はイギリスの目線を共有すべきだろう。

 

「それでだ、イギリス側の状況だが……まあ、こっちも順調と言えば順調に進んでるよ。フランスと新大陸の初動は抑えてあるし、近いうちにレミィが説得に向かうからね。残念ながら『風船』が破裂することはなさそうだ。」

 

「アフリカはどうなっている? あそこの戦士どもは厄介だぞ。……五十年前も幾度となく手痛い被害を被ったからな。」

 

「現時点では静観しているが、戦端が開けば間違いなく介入してくるだろうね。……その辺はレミィの調整に期待かな。」

 

「スカーレットにはアフリカの議会を侮るなと伝えておけ。あの国の魔法は奥が深い。俺たちとはまた違ったものを見ているはずだ。」

 

真剣な表情で言ってくるゲラートに、一つ頷いて同意に代える。そもマグルに対する考え方からしてヨーロッパやアジアとは正反対なのだ。下手に突けば『革命』の大きな障害になるかもしれない。

 

ふむ、アフリカの議会相手に限るなら、もしかしたらレミリアよりもダンブルドアの方が相性が良いかもしれないな。帰ったら提案してみようと心の中のメモ張に記しながら、次に当面の動きについてを口にした。

 

「何にせよ、暫くはドイツに対する働きかけとアジア側への問題の周知を繰り返してくれ。レミィが思ってたよりも反応が良いみたいだし、この段階でここの民意を固められればかなりデカいぞ。」

 

「言うは易し、だな。アジアは香港自治区が纏まらない限りは纏まらないだろう。そして、あの街が『纏まる』などということは未来永劫有り得まい。少なくとも日本魔法省が反対の立場を取っている以上、東西のバランスを調整するために香港は中立を保ち続けるはずだ。」

 

「相変わらずアジア情勢は複雑怪奇だね。あの悪名高き混沌の都が、一種のバランスキーパーになってるわけだ。……香港をどうにかして引き込むのは無理なのかい? キミがダメなんだったら、レミィの方から働きかければ良いじゃないか。」

 

二人揃って無理なんてことが有り得るか? 首を傾げる私へと、ゲラートは即座に否定の言葉を寄越してくる。

 

「無理だろうな。あの街には表も裏も存在していない。今や明確な指導者は歴史の闇に消え、裏側を取り纏める者すら居ない始末だ。」

 

「呆れたね。それでどうやって成立してるんだい?」

 

「アジアにとって必要だからだ。……世界の全てから追われる者でも、あの街だけは受け入れてくれるだろう。香港特別魔法自治区はそういった後ろ暗いものを持つ魔法使いたちが集まり、暗黙の不確かなルールの上で成り立っている場所なんだ。何一つ明確な法など存在しないが、外敵にだけは一致団結する。……香港を引き込めばアジア情勢は一気に進展するだろうが、現状では放っておくのが一番だろうな。不用意に手を出せば痛い目に遭うぞ。」

 

「つまり、香港はアジア魔法界の必要悪ってわけだ。親近感が湧くじゃないか。」

 

聞けば聞くほど面白い場所だな。間違いなく人外も大量に隠れ潜んでいるのだろう。アジア圏の文化を知るのは『移住先』の生活で役立つだろうし、今度行ってみるのも良いかもしれない。

 

まだ見ぬ香港へと思いを巡らせる私に、ゲラートは書き上げた書類を壁から伸びるパイプに入れながら声をかけてきた。何処かへ送ってるのか? ソヴィエトじゃ紙飛行機を使おうなどと言うアホは現れなかったらしい。

 

「スカーレットに確認しておけ。高みの見物を気取るのは結構だが、この混乱を扱いきれなくなる前に対処しろとな。時期を逃せば我々ですら波に飲まれかねんぞ。」

 

「んふふ、『原因』が言うと説得力があるね。……ま、伝えておくよ。他には?」

 

「こちらの現状はここに纏めておいた。スカーレットの計画の問題点も指摘してある。これを見せれば十分だ。」

 

言いながらゲラートが杖なし魔法で飛ばしてきた羊皮紙に目をやると……おお、これは凄いな。理路整然とレミリアの計画への『ダメ出し』が書き連ねてある。隙間なく、ビッシリと、ハーマイオニーのレポートよりも細かい字でだ。

 

「これは絶対に、絶対にこの手で渡してみせるよ。いやぁ、今からレミィの反応が楽しみだ。額に入れて我が家のリビングに飾るべきかもしれないな。」

 

こんなもん渡したら激怒するぞ、あいつ。……よしよし、見せる時は咲夜が近くに居る時にしよう。咲夜に取り乱すところを見せたくはないだろうが、同時に我慢できるはずもない。かなり愉快な表情の変化を楽しめそうだ。

 

呆れた表情で突っ込みを放棄したゲラートを横目に、アンネリーゼ・バートリは手に入れた『悪戯グッズ』を懐へと仕舞うのだった。

 



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不思議の店のアリス

 

 

「この街の全てが鬱陶しいわ。全てがね!」

 

カーテンを閉め切ったホテルの一室で不満を撒き散らすレミリアさんを見ながら、アリス・マーガトロイドは苦い表情を浮かべていた。うーむ、そんなに嫌なのか。私としては色々と興味深い街なんだけどな。出張に付いて行けると聞いた時はちょっと嬉しかったくらいだぞ。

 

カーテンの向こうに広がっているのは、世界に名高きビッグ・アップル。言わずと知れたニューヨークの街並みである。マグルの進歩を象徴するような高層ビルが立ち並ぶ、これ以上ないってほどに近代的な大都市。私の中の魔女も、人間も、そして魔法使いも好奇心を擽られているのだが……吸血鬼であるレミリアさんにとってはただただ忌々しいだけらしい。

 

正直なところ、私にはよく分からない感覚だな。リーゼ様もフランも、パチュリーも小悪魔も、そしてエマさんや美鈴さんまでもが、揃いも揃って新大陸と聞くと嫌そうな顔になってしまうのだ。まるで木箱いっぱいのレタス食い虫を見た時のような表情に。

 

来る前までは単なるイメージで嫌いなのかと思っていたのだが、目の前のレミリアさんは本気でうんざりした表情だし……むう、不思議だ。人外特有の何かがあるのかな? でも、私は別に嫌って感じはしないぞ。

 

この騒がしい街を好きかと聞かれれば困るが、嫌いかと聞かれれば迷わず否定できる。好奇心はそそられるものの、特に思うところはない。つまりは普通。それが魔女である私の感想なのだ。

 

謎の嫌悪感に首を傾げる私へと、レミリアさんはぷんすか怒りながら声をかけてきた。

 

「失敗したわね。どうせパチェの用意した移動方法で一瞬なんだから、こんなに早く着くべきじゃなかったのよ。夜までこの街で待機だなんて……悪夢! 悪夢よ!」

 

「仕方ないじゃありませんか。マクーザ側には夜に話し合うって言っちゃってるんですから。……そもそも、何がそんなに嫌なんです? 私は面白い街だと思いますけど。」

 

「神秘が薄いのよ、この大陸は。その中でもニューヨークは一等地ね。現実感が強すぎて上手く妖力が確保できないし……ああもう、イライラするわ!」

 

「神秘、ですか。」

 

実感は無いが、理解は出来る。『神秘が薄い』か。確かに新大陸を表現するのに相応しい一言だ。……うーん、やっぱり興味深いな。卵か、鶏か。人外が少ないから神秘とやらが薄くなったのか、元より神秘が薄いから人外が住み着かなかったのか。

 

きっとここは『人間の国』なのだろう。人が切り拓き、人が築いた国。だからこそ妖怪たちの入り込む隙間がないわけだ。いやはや、見事だと感心する反面、少し寂しい気もするな。もうちょっと『不思議』があっても良いと思うぞ。

 

神秘という新たな要素に感心していると、レミリアさんが部屋のソファに腰を下ろしながら口を開く。マクーザ側が用意してくれた豪華な部屋なのだが、彼女にとってはソファすらも座り心地が悪いようだ。何度も何度も座り直している。

 

「紅茶を淹れて頂戴、アリス。何か『イギリス的』なものがないと頭がおかしくなりそうだわ。」

 

「いいですけど……そんな調子で話し合いの時は大丈夫なんですか? マクーザの説得に失敗しちゃうと、かなり厄介な展開になるんですよね?」

 

「話し合いの場ではどうにか自制するわよ、どうにかね。……っていうか、何なのよこのソファは! 全然落ち着かないし、おまけに合皮! 合皮なんて大っ嫌いだわ! 紛い物はもう沢山よ!」

 

うわぁ、これは酷いな。とうとうソファをぶん殴って形を整え始めたレミリアさんは、どう見ても話し合いに影響しそうな程のイライラっぷりだ。行動が昔のフランみたいになっちゃってるぞ。

 

沸点が限りなく低くなっているレミリアさんを尻目に、せめて落ち着かせようとティーセットを探すが……マズいな、コーヒーしかない。茶葉やティーバッグのあるべき場所には、何故か不自然な空白が存在するだけだった。

 

「あー……コーヒーはどうですか? 紅茶は無いみたいなんです。」

 

「……紅茶が無い? 紅茶が、無いですって? そんな場所がこの世に存在する? 地獄にだって紅茶はあるのよ?」

 

「するみたいですね、私もビックリです。こういうホテルには普通用意されてるものだと思うんですけど……無いのは茶葉だけですし、もしかしたらルームメイクのミスとかかもしれませんね。」

 

何たって、高価そうな陶器のティーポットは確かに置いてあるのだ。まさかこれでコーヒーを淹れろというわけでもないだろう。タイミングの悪すぎるトラブルに顔を引きつらせていると、無言で立ち上がったレミリアさんがドアの方へと歩き始める。

 

「あの、何処へ?」

 

「決まってるでしょ。間抜けな従業員を一人ずつ順番にぶん殴ってくるわ。すぐ終わるからここで待ってなさい。」

 

「すぐに貰ってきます! 貰ってきますから! だから、部屋から絶対に出ないでくださいね!」

 

助けて、リーゼ様。あまりにも本気の表情を浮かべているレミリアさんを慌てて止めてから、殺気が満ちる部屋を出て足早に廊下を進む。やりかねないぞ、今の彼女なら。ニューヨークの平和を守るためにも、急いで紅茶を入手しなければ。

 

こんなことならもっと魔法で紅茶を淹れる練習をしておけばよかった。ダンブルドア先生やアメリアなんかは美味しい紅茶を出せるのだが、私の出した紅茶はあんまり美味しくないのだ。……ただまあ、パチュリーのよりかはマシかな。あれは薄すぎて香りの付いた水に近いし。

 

帰ったら絶対に練習しようと決意しながらエレベーターに乗り込み、フロントのある一階のボタンを連打する。なまじ高いフロアなのが裏目に出たな。もどかしい下降の時間を過ごした後、ドアが開いた瞬間に急いで隙間を抜けると……ええ? そこは見知らぬ小さな店の中だった。

 

「へ?」

 

思わず漏れ出た声と同時に振り返ってみれば、エレベーターではなく曇りガラスのドアが目に入ってくる。……どういうことだ? 魔法で『繋げ』られたか? でも、全然気付けなかった。である以上、並の技量で出来ることではないはずだ。

 

落ち着け、アリス。何にせよ異常事態だぞ。混乱する思考を鎮めつつ、即座に杖を構えて店内を見回すが、人の気配は全く感じられない。ドア以外の窓は表側の張り紙か何かのせいで光が入ってこないようになっており、埃っぽい店内には薄暗い静謐が漂うばかりだ。

 

「……誰か居るなら出てきなさい。」

 

杖を振って明かりを灯しながら言ってみるが、声は一切返ってこない。周囲の魔力がやけに強い気もするし、なんだか嫌な雰囲気だな。薄気味悪い状況に少しだけ顔をしかめた後、ゆっくりと静かな店内を調べ始めた。

 

うーむ、間取りこそごく一般的な日用品店という感じだが、棚やカゴに並ぶ品物は『魔法的』な代物ばかりだ。というか、『本物』が無造作にちょこちょこ交じっているぞ。埃の積もったカウンターの横のワゴンには……十二面鏡? こんな物を放置しとくべきじゃないだろうに。

 

あまりにもあんまりな品物の数々を見て、警戒の度合いを一段階上げる。この店は間違いなく名のある魔法使い……いや、魔術師か魔女の縄張りだ。人形をいつでも展開できるようにしながらも、慎重に店の奥まで進んで行くと──

 

「ひぅっ!」

 

ビックリした! 急に足首を擦る柔らかい感覚を受けて、思わず全力で飛び退ってしまう。心臓が大きく脈打っているのを自覚しつつ、先程立っていた場所へと目をやってみると……猫? クリクリとしたグリーンの瞳の黒猫が、尻尾をゆらゆら揺らしながらそこに座っていた。この子が足元に擦り寄ってきたらしい。

 

「……レベリオ(現れよ)。」

 

普通だったら苦笑しながら撫でてやる場面だが、今は明らかな緊急時なのだ。とりあえず暴露呪文で調べてみると、黒猫は首を傾げながらにゃあおと返事を寄越してくる。……うん、普通の猫だな。なんか恥ずかしくなってきたぞ。

 

「もう、ビックリさせないで頂戴。……何処から入ってきたの? キミ。」

 

全然逃げようとしないし、この辺に住み着いている通い猫か何かなのだろうか? 情けない一人芝居にちょっとだけ顔を赤くしながら、頭を撫でて問いかけてみると、黒猫は私の手に顔を擦り付けてからごろりとお腹を見せてきた。ううむ、可愛いな。

 

紅魔館だと『実験動物』以外の生き物はふくろうとコウモリくらいだし、猫を触るってのは結構新鮮な体験だ。ゴロゴロ言い始めた黒猫に微笑みながらお腹を撫でていると……いきなり耳をピンと立てた黒猫は、立ち上がって店の奥へと走って行く。

 

「あれ、もう行っちゃうの?」

 

もうちょっと撫でたかったな。何となく声をかけながら腰を上げて、猫の走り去った方に視線を送る。やけに大きな暖炉の横に開きっぱなしのドアがあるようだ。あっちまで店が続いてるって雰囲気でもないし、店主の生活スペースでもあるんだろうか?

 

少しだけ緩んでしまった気を引き締めて、今度はそちらを探索しようと足を踏み出したところで……おお、戻ってきた。やっぱり猫は気分屋だな。シャカシャカという音と共に再び猫が走り寄ってくる。

 

「おかえり、猫ちゃん。……あら、何を持ってるの?」

 

紙? いや、カードかな? 戻ってきた猫は私の目の前に座り込むと、口に咥えた一枚の紙を差し出してきた。ペラペラの薄いやつじゃなくて、ある程度の硬さがある長方形の白いカードだ。不思議に思いながらもそれを受け取った瞬間──

 

「馬鹿弟子を育ててくれた礼だよ。紫の小娘にもよろしく言っといてくれ。」

 

うなじにぞわりとした感覚が走る。突如として背後から聞こえてきた女性の声に、杖を構えながら振り返ろうとしたところで、今度はぐいと後ろに肩を引かれて倒れ込んだ。体勢を崩されたことに焦りつつも、素早く立ち上がってみれば……何なんだ、一体。目の前には見覚えのあるホテルのエレベーターホールの風景が広がっていた。

 

「お客様? 大丈夫ですか?」

 

「ええ、ちょっと……その、立ちくらみしちゃったみたい。もう大丈夫よ。」

 

慌てて近付いてきたベルマンに上の空で答えてから、もう一度周囲を見回してみるが……そこにはもう寂れた店内も、棚に並ぶ魔道具も、人懐っこい黒猫の姿もなく、多数の人が行き交う豪華なロビーがあるばかりだ。

 

「部屋までお送りいたしましょうか? ご希望でしたら、当ホテル専属のお医者様を呼ぶことも可能ですが。」

 

「いえ、本当に大丈夫だから。心配かけてごめんなさいね。」

 

心配そうに気遣ってくれるベルマンに手を振ってから、コツコツと大理石の床を踏んでロビーの方へと歩き出す。……確かに元居たホテルだな。また飛ばされたということか? だけど、どうやって? 姿あらわしした感覚なんて無かったぞ。

 

私が白昼夢を見ていたのではないとすれば、かなりの技量を持った魔女の仕業ということになる。これでもパチュリーから魔女同士の戦い方については教わっているのだ。可愛い猫にちょっとだけ油断していたのは認めるが、そう簡単に二度も飛ばされたりはしないはず。

 

狐につままれたような感覚に眉をひそめながら、左手に握り締めていた物へと目を落とす。一枚の白いカード。真っ白なそのカードをひっくり返してみると、裏側には短い一文と共に小さなコインが貼り付けられていた。

 

「……なるほどね。」

 

上には上があるわけか。完全にやり込められたことに悔しさを覚えながらも、早足でエレベーターホールへと踵を返してボタンを押す。こうなってしまった以上、もう紅茶どころではあるまい。レミリアさんには悪いが、こっちを片付けるのが優先だ。

 

電子音と共に開いたエレベーターの中へと入り、沈み込むような上昇の感覚を味わいながら上階に戻った後、小走りでレミリアさんの居る部屋に戻ってドアを開ける。そのまま急いでリビングルームに入ってみると、ソファに座っていた怒れる吸血鬼が文句を放ってきた。

 

「遅いわよ、アリス! 単に紅茶を持ってくるだけなんだから……ちょっと、何があったの?」

 

私が何も言わないうちに疑問げな表情になったレミリアさんは、ソファを離れて私に近付いてきたかと思えば……どうしたんだ? 私の周りをくるくると回りながら質問を寄越してくる。

 

「何これ? 貴女の周りだけ神秘が濃いわよ? どこぞの神にでも会ってきたの?」

 

「えーっと……神ではないと思いますけど、魔女には会ってきました。つまり、魔理沙の師匠に。」

 

魅魔。リーゼ様がその力を認め、パチュリーをして強力な魔女だと言わしめるほどの大魔女。その署名が入ったカードを渡してみると、レミリアさんは目を細めながら書いてある一文を読み上げた。

 

「『香港には貸しがあるから、上手く使いな』ね。……引っ付いてるコインは何なの?」

 

「分かりません。説明らしい説明はゼロでしたから。いきなり小さな店に飛ばされたかと思えば、それを渡された直後に戻されちゃいました。……してやられたってわけです。」

 

「まあ、仕方がないわよ。魅魔は魔女の中でも桁外れの存在らしいからね。まだ百年も生きてない『ひよっこ』の貴女じゃ太刀打ち出来ないでしょ。」

 

「道の長さを思い知りましたよ。」

 

きっと、格が違うってのはああいうことを言うんだろうな。情けなく呟いた私に、レミリアさんは苦笑しながら声をかけてくる。

 

「何を落ち込んじゃってるのよ。仕方がないって言ってるでしょう? お父様の世代からずっと長生きしてるバケモノ級の魔女なんだし、貴女がどうにか出来る方がおかしいの。……そこら中から恨みを買いまくってる癖に生き残ってるってことは、つまりは誰も殺せなかったってことでしょ? そういう存在と自分を比べるのなんて時間の無駄。天災にでも遭ったと思っときなさいな。」

 

「そうかもしれませんけど……ただ、一応は善意でそれをくれたみたいです。弟子を育ててくれた礼だとかって。」

 

「へぇ? 香港、香港ね。……香港自治区にとって意味のある物ってことかしら? 紋章が刻まれてるってのは分かるんだけど、少なくとも私には覚えがないわ。」

 

当然、私にもさっぱりだ。見えている面には龍と五つの花弁がある花が彫り込まれているのだが、特に文字のようなものは見当たらない。言いながらカードからコインを剥がしたレミリアさんは、隠されていた裏側を見てピタリとその動きを止めた。

 

「どうしたんですか?」

 

「……やっぱり怖い女ね、魅魔って魔女は。香港自治区独立の経緯は知ってる? もちろんマグル側じゃなく、『こっち側』の経緯よ。」

 

「えっと、十九世紀後半に何人かの魔法使いが先頭に立って独立運動を起こしたんですよね? それも、かなり過激なやつを。当時は隠蔽のために世界中が大騒ぎになったって本で読みました。」

 

「正確には五人よ。悪名高き混沌の都の生みの親たち。イギリスから独立だけさせた後、何をするでもなく歴史の闇に消えていった責任感皆無の五人組。……ほら、こいつらよ。」

 

忌々しそうな表情でレミリアさんが差し出してきたコインには……ふむ、見覚えがあるぞ。テッサと卒業旅行に行った時、ホテルのパンフレットに誇らしげに載っていた紋章だ。傘と小船、それに包まれるように描かれた猫、鈴、狐。かの有名な香港特別魔法自治区の紋章である。

 

「……つまり、魅魔さんは香港自治区の『創始者たち』と何か関係があるってことですよね?」

 

「どうかしらね? 私はその中の一人が魅魔なんじゃないかとすら思えてきたわ。混沌の都を生んだ魔女。……どう? 噂に聞く魅魔ならやりかねないと思わない?」

 

「……思います。だとすれば、多分猫がそうなんでしょうね。さっきも黒猫を使いにしてたみたいですし。」

 

「どっちにしても、このコインが何らかの意味を持ってるのは間違いないわ。貴女もよくご存知の通り、魔女ってのは無駄なことに時間を割くような存在じゃないもの。……となれば、先ずは誰に見せればいいのかを調べないとね。うんざりよ。古い魔女ってのはどうして『なぞなぞ』を出したがるのかしら? 手早く正解を寄越してくれれば苦労しないのに。」

 

大きなため息を吐きながらソファに戻ったレミリアさんに、苦笑いで曖昧な頷きを送った。それはきっと、誰かが悩み、答えを出す姿を見るのが愉しいからなのだろう。魔女ってのはそういう生き物なのだから。

 

うーん、私も気を付けないといけないな。パチュリーも昔よりかは謎めいたことを言う頻度が高まっている気がするし、それを反面教師にしていかなければ。歳を取ると魔女は自然とああなっちゃうのかもしれない。

 

自分の将来に一抹の不安を覚えながらも、アリス・マーガトロイドは年季の入ったコインを見つめるのだった。

 



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修行の終わり

 

 

「あー……何なんだ? こいつらは。動く毛玉か?」

 

目の前のケージの中でモゾモゾしているピンク色の謎生物を眺めつつ、霧雨魔理沙は店の主人たちにそう問いかけていた。動きもノロいし、自然に放したらすぐ死にそうな見た目だな。つまり、ハグリッドはそれほど興味を持ちそうにないタイプの生き物だ。

 

七月も序盤が終わろうとしている今日、『ウィーズリー・ウィザード・ウィーズ』の開店作業を手伝いに来ているのである。双子は一刻も早く店を開きたいらしいが、商品の整理やら内装の調整やらが追いつかないということで救援を頼まれたのだ。バイト代もくれるみたいだし、その点に不満はないんだが……まさか生き物まで扱うとは思ってなかったぞ。

 

ケージの中央で身を寄せ合う謎生物を見ている私に、陳列棚を整理しながらのジョージが答えを寄越してきた。

 

「『ピグミーパフ』だ。パフスケインっているだろ? ペットとして人気のやつ。あれをもっと小さく出来ないかと思って色々試してみたんだよ。結果として繁殖にも成功したから、店の目玉の一つにしようってわけさ。」

 

「パフスケインは本でしか見たことないからよく知らんが……要するに、猫とかカエルとかと同じようなペットにするつもりなのか?」

 

「いや、そういう『役立つ』タイプのペットじゃない。純然たる愛玩動物だ。元になったパフスケインからして何の役にも立たない魔法生物だしな。」

 

「愛玩動物、ね。」

 

まあ、人気は出そうだな。ネズミと豚を足して割ったような顔と、もふもふの毛に覆われた手のひらサイズの胴体。まるで……そう、ピンクの綿菓子からひょっこり顔が出ているような感じだ。魔法族にこういう生き物がウケるのはホグワーツの生活を通して学習済みだぞ。

 

毒にも薬にもならなさそうな生き物を見物していると、今度は魔法で天井にポスターを貼り付けているフレッドが話しかけてくる。

 

「本当は紫色のも店頭に出す予定だったんだけどな。どうもピンクになりやすいみたいで、紫の方は中々増えてくれないんだよ。……紫と紫を掛け合わせてもピンクが生まれてくるんだ。素人には荷が重いぜ。」

 

「ハグリッドに聞いてみたらどうだ? スクリュートとかいう訳の分からん『キメラもどき』を生み出せたんだ。こんなもんを増やすのなんか朝飯前だろ。」

 

「もう手紙を送ったさ。今は返信を待ち侘びてるところだ。……ピンク一色だと見た目にインパクトが無いし、出来れば開店に間に合って欲しいんだけどな。」

 

「私はあると思うぞ、インパクト。」

 

何せ蛍光色の真っピンクなのだ。普通の動物じゃ絶対に有り得ない類の色だぞ。アンブリッジの洋服だったり、ロミルダの手帳なんかに使われているようなやつ。もう少し目に優しい色に出来なかったのかと呆れる私に、棚を整理し終わったジョージが声を放った。

 

「ま、そっちは単なる変化球さ。悪戯専門店なんだから、本命の悪戯グッズで勝負しないとな。……そら、こっちを手伝ってくれ。なるべくギッシリ詰めてくれよ? その方が見たときにワクワクするだろ?」

 

「それには同意するぜ。」

 

苦笑しつつもジョージの指差す木箱から商品を取って、下の方の棚にどんどん詰め込んでいく。店内はカラフルなポスターや飾りに覆われており、スペースの殆どを占める陳列棚には悪戯グッズがギッシリだ。店の中央にはワゴンや『実演用ディスプレイ』なんかが設置されている。

 

これは流行るだろうな。身内の贔屓目抜きにしても入っただけで楽しくなってくる店内だし、ホグズミードのゾンコの店にも負けてないぞ。イギリス魔法界の悪戯っ子たちはこの店で財布を空っぽにしていくに違いない。

 

繁盛する店内を幻視しながら『カナリア・クリーム』の包みを色別に並べていると、杖を振って『食べられる闇の印』の陳列に入ったジョージが声を上げた。困ったような苦笑いを浮かべながらだ。

 

「参ったな、やっぱりこういう魔法は苦手だ。どうやってもぐちゃぐちゃになっちまう。」

 

「経営してるうちに慣れるだろ、そんなもん。……結局二人だけでやることにしたのか?」

 

「貯金は全部使っちまったからな。リーが手伝うって言ってくれてるんだが、あいつも新しい仕事で忙しいはずだ。商売が軌道に乗るまでは二人で頑張るさ。」

 

「夏休み中だったら手伝えるぜ? 魔法が使えないからあんまり戦力にはならんけどな。」

 

今までは魔法禁止をそんなに気にしちゃいなかったが、こういう場面だとやっぱり痛いな。魔法が使えりゃ倍以上のスピードで作業が進むのに。肩を竦めながら言ってみれば、ジョージは嬉しそうな表情で返事を返してくる。

 

「マジか? あんまりバイト代は出せないぜ?」

 

「別にタダでいいさ。なんなら今日の分もな。……いつの日か『現物支給』で返してくれるなら、だが。」

 

「それならお安い御用だ。いつか家が一杯になるくらいの悪戯グッズを渡してやるよ。」

 

「へへ、そいつは楽しみだな。」

 

ジョージと二人してケラケラ笑っていると、梯子から降りてきたフレッドも話に入ってきた。えらく拘っていたポスターの位置をようやく決めたようだ。どうせ隙間なく貼るなら大して変わらんだろうに。

 

「いっそのこと、卒業したらここに就職しないか? その頃には高給取りになってる自信があるぜ?」

 

「それも面白そうな将来像だが、私は故郷に帰るからな。イギリスで就職ってのは無理そうだ。」

 

「そっか、やっぱり日本に帰っちまうのか。……寂しくなるぜ。気軽に行き来できるような距離じゃないしな。」

 

ちょっとだけしんみりと言ったフレッドの言葉を受けて、ジョージも頷きながら口を開く。厳密に言えば、私が帰るのは幻想郷だ。行き来するのはかなり難しいだろう。

 

「ああ、寂しくなるだろうな。……どうしても無理なのか? イギリスで暮らすってのは。俺が言うのもなんだが、悪くない国だぜ?」

 

「そりゃあこの国も嫌いじゃないんだけどさ、あっちには待ってくれてる人が居るからな。……何にせよ、まだまだ先の話だろ? 私は来学期でようやく四年生なんだ。まだ半分だぜ。」

 

私だってイギリスを離れるのは寂しいが、魅魔様のところに帰りたいってのも本音なのだ。……リーゼなんかは幻想郷に行くのをどう思ってるんだろうか? あいつだってハリーたちとは友達なんだし、会えなくなるのは辛いはずだぞ。

 

似たような境遇の黒髪吸血鬼を思い浮かべる私に、双子はそれぞれ同意の返事を寄越してくる。私と同じく、今は問題を先延ばしにすることに決めたようだ。

 

「……そうだな、まだずっと先の話だ。それより今は自分たちの店をどうにかしないとな。じゃないとお前に持ちきれないほどのお土産を渡せなくなっちまう。」

 

「それにだ、もしかするとその頃には二店舗目を出せるくらいに繁盛してるかもしれないぜ? そしたら日本支店を出しちまえばいいんだよ。マホウトコロにだって悪戯っ子は居るはずだろ?」

 

「国際問題にならなきゃいいけどな。『外来種』が猛威を振るうのが目に浮かぶようだぜ。」

 

私の呆れたような返答に笑う双子を横目にしつつ、立ち上がって疲れてきた腰を伸ばす。……いやはや、イギリスでの生活ももう半分が目前なのか。一年生の頃は不安でいっぱいだったってのに、今は終わってしまうのが寂しくて仕方がない。

 

喜ぶべきか、悲しむべきか、なんとも複雑な気分になるぞ。……ただまあ、イギリスを選んで良かったってのは間違いないだろうな。魔法の修行だけじゃなく、人間として成長している実感が確かにあるのだから。ナイスな選択だったぞ、昔の私。

 

うん、双子の言う通りだ。ずっと未来のことよりも、先ずは目の前の問題を終わらせなければ。双子の店開きも、ハリーの抱える問題も、私の魔法の修行も。片付けなければいけない問題は山ほど残っているのだから。

 

微かに見えてきた修行の終わりから目を逸らしつつ、霧雨魔理沙は再びカナリア・クリームの棚に向き直るのだった。

 

 

─────

 

 

「ふぅん? 奇遇じゃないか。ゲラートとの話し合いでも香港の話題は出たぞ。」

 

紅魔館の西側三階。今はアリスの工房と化している部屋の椅子に座りながら、アンネリーゼ・バートリは手の中のコインを調べていた。うむ、やっぱりこの雰囲気は落ち着くな。ここはムーンホールドがベースになっている区域なのだ。

 

天窓まで吹き抜けになっている高い部屋の壁には、棚に入った無数の人形たちがずらりと並んでいる。その大きさは指人形サイズから一メートル近いものまで様々なのだが……あの隅っこに置いてある作りかけの下半身は何なんだ? 今ある部分だけで三メートルはあるぞ。

 

絶対に聞かないでおこうと決意した私に、作業台の上のミシンを弄っているアリスが返事を返してきた。見慣れぬ器具が大量に備え付けられた巨大な作業台と、その隣に併設されている人形の各種パーツが入った素材棚。魔女らしくもあり、職人らしくもある。アリスにぴったりの部屋だな。

 

「レミリアさんは魅魔さんが創始者の一人で、そのコインは香港自治区を動かすのに使えるって考えてるみたいなんですけど……リーゼ様はどう思いますか?」

 

「魅魔なら有り得る、とだけ言っておこうか。あの魔女は世界のあちこちで迷惑をかけまくってたからね。香港の成立に関わってるってのは大いに納得できるよ。」

 

「でも、どう使えばいいのかが分からないんですよね。魔理沙に関してのお礼を言われただけで、その辺は教えてくれなかったんです。」

 

苦笑しながら言ったアリスは、ミシンから離れて木工器具のようなものを弄り出した。空いたミシンをすぐさま人形が使い始めているが……もう何でもありだな。部屋の各所で大量の人形が作業に勤しんでいるのを見るに、今では人形が人形を作っているようだ。

 

っていうか、マグルなんかよりもこっちの方がよっぽど脅威じゃないか? アリスの目標である自律人形が完成したら、自我を持った人形が勝手に『繁殖』しちゃいそうだぞ。

 

うーむ、いつか人形が人間に宣戦布告する日が訪れるのかもしれない。そしたらマグルと魔法族は共通の脅威に抗うために団結しそうだな。……ふむ、面白い。人形の国ね。そしたらアリスは人形職人から創造主様にランクアップするわけか。

 

心の中で物凄くどうでも良いことを考えている私に、人形の切り出した木材をチェックしているアリスが話を続けてくる。ちなみに切り出した張本人形はうむうむ頷きながら満足げだ。これで自我が無いってんだから訳が分からんな。

 

「だから、とりあえず香港に行ってみることになったんです。……リーゼ様も一緒にどうですか? 同行者が美鈴さんだけだとちょっと不安なんですよね。通訳は間違いなく必要でしょうけど、私一人じゃ美鈴さんを『制御』できる気がしません。」

 

「んふふ、私にだってその自信はないけどね。ただまあ、ちょうど香港には行ってみたいと思ってたところだ。渡りに船だし、一緒に行くよ。……いっそのこと咲夜も連れて行ってみるかい? 夏休みの小旅行と洒落込もうじゃないか。」

 

「んー……私は楽しそうで良いと思いますけど、レミリアさんが何て言いますかね? 反対されるんじゃないですか?」

 

「なぁに、文句は言わせないさ。クリスマス休暇の時は構ってやれなかったし、この辺で咲夜のご機嫌を取るべきだってのはあいつも分かってるはずだよ。」

 

あの親バカは嫌がるだろうが、咲夜が行きたいと言えば止められまい。ならば特に問題ないのだ。私の前に置かれたテーブルの上で紅茶を淹れ直している人形を見ながら断言してやると、アリスも然もありなんと同意の頷きを寄越してきた。

 

「それなら四人で行きましょうか。小悪魔はパチュリーに『監禁』されちゃってますし、エマさんはそもそも外出嫌いですしね。」

 

「よし、決まりだ。」

 

あっちの料理には美鈴が詳しいだろうし、私の知らない酒なんかも多いはず。おまけにアリスと咲夜が一緒となれば、これはもう大いに楽しめそうじゃないか。パチリと手を鳴らしながら宣言する私に、アリスは少しだけ曇った表情に変わって言葉を放ってくる。

 

「でも、こんなにのんびりしてて良いんでしょうか? リドルの件はまだ解決してないのに。」

 

「そりゃあ気にはなるけどね。……ここで問題になるのは、リドルの死がダンブルドアの死とイコールだってことさ。今ダンブルドアに死なれるわけにはいかず、結果としてリドルを殺せない。あの男は本当に悪運が強いみたいだね。」

 

運命、予言、分霊箱、そして革命。何度も何度も自分以外の理由で私たちの手をすり抜けていくわけだ。つくづく運だけはあるヤツだな。ここまで来ると呆れを通り越して感心すら覚えてくるぞ。

 

「それは、そうなんですけど……不安ですね。また何かやらかしたりしそうです。」

 

「リドル本人は認めたくないだろうが、さすがにもう無理だと思うよ。イギリスでの敗戦であの男の支配力は激減したわけだからね。生き残った死喰い人も殆どが組織を離れただろうし、ゲラートが戻ったとなれば尚更だ。どっちを選ぶかと聞かれれば誰もがゲラートを選ぶはずだぞ。」

 

今なお付き従っているのなど古参のお友達だけだろう。その古参ですら生き残っていてまともに使えそうなのはロジエールやドロホフ、クラウチ・ジュニアくらいのもんだ。権威を失い、手足を捥がれたリドルに出来ることなど高が知れてるさ。

 

大きく鼻を鳴らしながら言った私へと、アリスはかなり複雑そうな表情で首肯を返してきた。……もうあんなヤツを気にする必要なんかないってのに、この子にとっては捨て置けるような問題ではないようだ。

 

「今はどうにも出来ないってことは分かってるんですけどね。どうしても考えちゃうんです。……色々なことを。」

 

「キミは昔から責任感の強い子だったからね。……考えてみると不思議なもんだよ。私とパチェ、こあとエマに育てられたってのに、どうしてこんなに立派になるのやら。」

 

「反面教師ってやつですよ、きっと。」

 

「んふふ、その可能性は確かにありそうだね。」

 

戯けるように言ってきたアリスに微笑みを返してから、机の上で待機している給仕用の人形を手に取って口を開く。くすぐったさそうに身をよじっているのが何ともリアルだ。ハーマイオニーの毛玉よりかは間違いなく感情豊かだぞ。

 

「とにかく、今はあまり考えないようにしておくんだ。捜索は続けてるんだし、もう少しすればきちんとした報せが入ってくるさ。だから今は……そうだな、私に人形の作り方でも教えてくれたまえよ。何か簡単なやつを一つでいいから。」

 

「人形を、ですか? そうですね、それなら指人形を……いや、もうちょっと実用的な子の方が良いかもしれません。いつも使える方が愛着が湧くでしょうし。となるとその給仕用の子みたいな大きさで、お茶を淹れたり、お片付けをしてくれる感じの──」

 

おおっと、これは失敗したかな? 勢いよく作業台を離れたアリスは、瞳を輝かせて喋り捲りながらこちらに近付いてきた。……元気付けようと思って口を滑らせたのだが、ちょっと元気になり過ぎてしまったようだ。

 

参ったな、この様子だと結構な時間がかかるぞ。私の想像しているものよりも数段複雑な人形を作らされるに違いない。指人形どころか藁人形でも良かったくらいなのに。

 

「体型はどうしますか? あと、服装とか、髪の色とか、目の色とかも。それに、素材も色々あるんですよ? 布だって中に何を入れるかで変わってきますし、木にもそれぞれ良さと欠点があるんです。陶器はちょっと良い思い出が無いから苦手なんですけど……でも、一応作れますから。もしそうしたいなら中庭の窯で──」

 

まるで訪問販売員のような口調で話し続けるアリスを前に、アンネリーゼ・バートリは自らの失策を悟るのだった。

 



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香港特別魔法自治区

 

 

「ほら、見えてきました。あれが香港特別魔法自治区の入り口です。」

 

記憶よりも少しだけ……というか、かなり煌びやかになっている駅を指差しながら、アリス・マーガトロイドはコンパートメントの三人に語りかけていた。我らがロンドンの発展にも目を見張るものがあったが、香港はこの半世紀でそれ以上に変化してしまったようだ。

 

魅魔さんから渡されたコインのことを調べるために、リーゼ様、咲夜、美鈴さん、そして私の四人で香港旅行にやって来たのである。もちろんパチュリーの魔法なら一瞬で移動できたのだが、折角ということで列車を使うことに決まった。美鈴さん曰く、こういう風情を楽しんでこその旅行らしい。

 

7と1/2番線からヨーロッパ特急に乗り込み、五時間掛けてイスタンブールまで移動して、別の列車に乗り換えてシルクロード経由で香港へ。魔法の列車にしてはそれなりに長い移動時間だったが……うん、懐かしくて苦ではなかったぞ。このルートを通るのは二度目なのだ。

 

しかし、香港の駅舎はえらく変わっちゃってるな。道中の風景なんかは五十年前の卒業旅行当時のままだったのに、ここに来ていきなり記憶との齟齬が生じてしまった。何と言うか、近代的だ。あるいは『マグル的』と言うべきなのかもしれない。

 

遠くに見えてきた香港自治区の駅を眺めながら首を傾げる私へと、隣で窓にべったり張り付いている咲夜が声をかけてくる。異国の景色に興味津々のご様子だ。

 

「凄いね、アリス。この辺全部が魔法使いの街なの?」

 

「ええ、そうよ。……って言うか、そのはずなんだけどね。どうも昔より街そのものが拡がってるみたい。建物もこんなに高くなかったはずだし。」

 

何せ夕暮れに光るビル群は記憶よりも高く、多くなっているのだ。こんなのどうやって隠蔽しているんだろうか? その魔法界らしくない変化に驚いていると、車内販売で買ったシェリー酒を飲み干したリーゼ様が声を放つ。

 

「話には聞いていたが、実際見てみると不思議なもんだね。近代的なのに神秘が濃いぞ、ここは。目に映るものと感覚がズレてる所為で酔っちゃいそうだよ。」

 

「あー、分かります。私も違和感凄いですよ。こんな場所があるんですねぇ。」

 

「おや、美鈴もそうなのかい? この辺はキミにとっては故郷だろうに。」

 

「残念ながら、微妙に違いますよ。ヨーロッパ圏の人だと一緒にしがちなんですけど、実はイギリスとフランスくらいに違うんです。……私がこっちに居た頃は、の話ですけどね。」

 

そうだったのか。美鈴さんの返答を受けて分かるような、分からないような表情を浮かべたリーゼ様は、やがて肩を竦めながら口を開いた。どうやら考えるのを放棄したようだ。

 

「ふぅん? ……まあ、何でもいいさ。言葉は通じるんだろう?」

 

「それも厳密に言えばちょっと違うんですけどね。通じることは通じると思いますよ。……訛りもあるでしょうし、古くさい表現にはなるかもですけど。」

 

「それでも全く話せない私よりはマシだよ。英語以外の会話は任せたぞ、美鈴。それにアリスも。」

 

「私も広東語は『片言以下』くらいの実力なんですけどね。だから美鈴さんの同行が必要だったわけですし。」

 

現地の人の早口が相手だと、なんとか聞き取れるが話すのは難しいってとこだろう。殆どの場合は美鈴さんに頼ることになりそうだ。私が苦笑して返したところで、甲高いブレーキ音と共に列車が速度を落とし始める。

 

「それじゃ、混む前にさっさと行こうか。咲夜は私かアリスから離れないようにね。……美鈴もだぞ。」

 

「もうそんなに子供じゃないです!」

 

「私もです!」

 

「咲夜には一応言っただけだが、キミには本気で言ってるんだからな。忘れないように。」

 

年の差二千歳以上とは思えない二人に注意を放ったリーゼ様に続いて、私たちもコンパートメントを出て歩き出す。ホグワーツ特急よりも荒めのブレーキによろめきながら、たどり着いたドアの前で開くのを待っていると……うわぁ、これは凄いな。列車のドアが開いた瞬間、記憶とは全く違ったホームの光景が見えてきた。

 

「……この様子だと、私の記憶は何の助けにもならなさそうですね。何もかもが変わっちゃってます。」

 

もう建物の形状からして違うし、下手すれば場所さえ違う気がしてきたぞ。ホームの壁一面には隙間なく宣伝用のポスターが貼られ、その上からスプレーか何かで別の宣伝文句が重ね書きされている。目に痛い色でピカピカ光るポスターくらいならまだマシな方で、喋るポスターや歌うポスター、果ては店に来るようにと恫喝してくるポスターまである始末だ。……この混沌とした雰囲気だけは記憶の中と同じだな。

 

治安の悪さを一瞬で感じさせるホームへと降り立った私に、リーゼ様がクスクス笑って返事を寄越してきた。私と咲夜はマイナス方向の感情を顔に浮かべているが、リーゼ様と美鈴さんは何故か嬉しそうな表情だ。

 

「んふふ、実に良い雰囲気じゃないか。ここは『妖怪向き』の街らしいね。」

 

「気に入りましたか。」

 

「ああ、気に入ったよ。……見たまえ、あのポスターなんか凄いぞ。人間の脳みそをバラ売りしてるんだとさ。後で冷やかしに行こうじゃないか。」

 

「……古いポスターですし、もう店が潰れてることを祈っておきます。」

 

ノクターン横丁でもそんなものは売ってないぞ。えらく物騒な文言が書いてあるボロボロのポスターを無視しつつ、列車を降りた乗客の声が満ちてきたホームを通り抜けると……うーん、これぞ無法地帯。見えてきた駅の構内には所狭しと出店が並んでいる。どの店も無許可であることが一目で分かるハリボテ具合だ。

 

もちろん地面に『足を付けている』店もあるが、その上に乗っかってる店や天井からロープか何かで吊るされている店、宙に浮いている店すら大量にあるぞ。縦横無尽に張り巡っている木組みの足場がそこまでのルートを提供しているようだ。まるで出店の壁で出来た三次元的な迷宮だな。

 

「……ねぇ、アリス? ここってその、大丈夫なの?」

 

「間違いなく大丈夫じゃないから、絶対に私から離れないようにね。……何処から外に出るのかしら?」

 

見回してみても確認できるのは無数の小さな出店だけで、案内用の看板など一つとして存在していない。というかまあ、誰かに剥ぎ取られちゃったのだろう。本来看板があったような形跡のある場所には、英語と中国語で書かれた『両替承ります』という胡散臭い手書きの看板がぶら下がっている。

 

喧しい呼び込みの声に顔を顰めながら咲夜の手をしっかり握っていると、愉快そうな表情で周囲を眺めていたリーゼ様が進むべき方向を指し示す。

 

「あっちじゃないか? 来慣れてるような連中があっちに向かって行ってるみたいだぞ。」

 

「従姉妹様、従姉妹様、あれ買ってもいいですか? 焼き鳥みたいです。」

 

「後にしたまえ。それに、あんな形状の鳥は魔法界にだって居ないと思うよ。正しくは『焼き鹿』なんじゃないか?」

 

「んー、『焼きトナカイ』っぽくもありますけどね。……まあ、タレが美味しそうなら何でもいいですよ。肉は肉です。」

 

これはまた、私なら絶対に食べたくない見た目だな。角に目が生えてるトナカイなんて自然の生き物には存在しないはずだぞ。ニコニコ微笑みながら謎の肉を焼いているおじさんの店を横切って、目移りしまくっている美鈴さんを制御しながら出店の迷路を進んで行くと……ようやくか。駅の出入り口らしき巨大なアーチが視界に入ってきた。

 

そして、その付近には多種多様な言語のプラカードを持ちながら呼び込みをしている案内人たちの姿がある。五十年前は怪しすぎて無視したのだが、その所為でかなりの時間迷い歩く羽目になったんだったか。若き日の苦い経験を思い出しつつ、先頭を歩くリーゼ様に問いかけを送る。

 

「案内人、どうしますか? 雇います?」

 

「いいや、ここでは無視だ。こういうのはそれぞれのホテルで手配させた方がハズレが無いからね。こんな胡散臭い連中に道先を任せる気にはなれんよ。」

 

「昔もそう思って無視したんですけど、結果としてホテルにすらたどり着けなかったんです。」

 

「なぁに、何とかなるさ。いざとなったら上空から確認すればいいじゃないか。この街だったら私が飛んでても誰も何も言ってこないはずだ。」

 

それはまあ、そうかもしれない。何故なら駅構内の時点で飛ばないと入れない店なんかが沢山あったからだ。訛りの強い英語でしつこくアピールしてくる案内人をあしらって、落書きだらけになっている大きな石造りのアーチを抜けてみれば……おお、ここから見た景色だけは面影があるな。懐かしき香港自治区の大通りが見えてきた。

 

左右に立ち並ぶ異国の雰囲気が漂う店々、頭上に連なる提灯の明かりや不規則に設置されている野晒しの暖炉、壁という壁を埋め尽くす看板と路上に落ちた大量のビラ。通りに犇めく雑踏から発せられる言語には統一性がなく、明らかにヒトではない存在が普通に歩き回っている。そして空には飛翔術の影が見えたり、巨大なウミツバメが飛んでいたり。時刻が黄昏時なのも相俟って、まるで別世界に迷い込んだような雰囲気だ。

 

「いやぁ、正しく混沌の都だね。この光景を見てるとイギリス魔法界が『まとも』に思えてきちゃうぞ。」

 

リーゼ様が呆れ半分、感心半分くらいで言うのに、私たち三人も深く頷く。何もかもが不確かで、全てが許される街。そんな香港自治区の風景に圧倒されている咲夜の手を引きながら、観光客でごった返す駅の階段を下りていると、隣を進む美鈴さんが喧騒に負けない声でリーゼ様に向かって話しかけた。

 

「それで、どうします? 私としてはホテルに向かいがてら食べ物屋さんを巡ってみたいんですけど。」

 

「それも悪くないが、どうせ行くなら美味い店がいいな。数が多すぎるから絞り込まないと勿体ないぞ。」

 

「あー、それもそうですね。……今から戻って案内人に聞いてきましょうか? 付いて来るのは邪魔くさいですけど、オススメの店を聞くだけなら問題なさそうですし。」

 

マズいな。この二人に舵を取らせたら明日になってもホテルにたどり着けないぞ。踵を返そうとした美鈴さんを慌てて止めて、遠くの刃物店に興味を持ち始めた咲夜の手を引っ張りながら提案を放つ。うん、咲夜もダメみたいだ。ここは私がしっかりしなければ。

 

「先ずはホテルです。拠点を確保してからの方が満喫できますし、少しでも明るいうちに探しておくべきですよ。香港は夜になると建物の位置が変わっちゃうんですから。」

 

「でもほら、美味しそうですよ? あの店なんか特に。アリスちゃん、包子好きでしたよね?」

 

「ダメったらダメです。店は逃げないんですから、後回しにしても問題ないでしょう?」

 

正確に言えば香港の店は逃げたりもするが、今は黙っておくべきだろう。断固としてホテル探しを主張する私を見て、美鈴さんはがっくり肩を落としながら渋々頷いた。

 

「まあ、アリスちゃんがそこまで言うなら……。」

 

「分かってくれて何よりです。それじゃ、行きましょうか。……咲夜、貴女も諦めなさい。ナイフはこの前買ったばかりでしょ?」

 

「それは料理用のナイフだよ。あっちのは違うみたいだし、ちょっと見てきちゃダメ? さっと見たらすぐ『止めて』戻ってくるから。」

 

「ダメよ。料理用以外のナイフが必要になるとは思いたくないしね。」

 

未練がましく唸りながら刃物店を見つめる咲夜の手を引いて、ホテルがある方向……『あるはずの方向』へと歩き出す。苦笑しつつのリーゼ様と未だ包子の屋台を見ている美鈴さんが付いて来ていることを確認してから、片手で地図を開いて目的地までの道のりを頭に叩き込んだ。

 

「よし、こっちで合ってるわね。」

 

「……本当に? もうスタートからして地図と違うように見えるよ?」

 

「大丈夫よ。多分あの辺の店が新しく建っただけでしょ。……多分ね。」

 

だって、そうじゃないと説明が付かない。だから合ってる……はずだ。今度こそ迷わずたどり着いてみせるぞ。小さな決意を胸に秘めながら、心配そうな咲夜にしっかりと頷くのだった。

 

───

 

「ほらね、こっちだったでしょ?」

 

そしてすっかり陽も落ちた頃、巨大なホテルの玄関先でえへんと胸を張る咲夜を前に、少し赤い顔で俯く私の姿があった。……何故だ。あの道で合ってたはずなのに。絶対合ってたはずなのに。

 

「……キミ、実は方向音痴だったりするのかい? 新発見だぞ。」

 

ちょっと呆れた表情で聞いてくるリーゼ様へと、ジト目を返しながら口を開く。迷いまくった挙句、案内役を咲夜と交代した途端にホテルが見つかってしまったのだ。

 

「違います。香港の街と相性が悪いだけです。そうに違いありません。」

 

「まあ、いいけどね。そんなアリスも乙なもんだよ。」

 

「本当に違うんですからね! だって、方向音痴だなんて言われたことないですもん。だから違うはずです。今回は特殊なケースだったんですよ、きっと。」

 

「はいはい、分かってるよ。キミは方向音痴なんかじゃないさ。」

 

むぅ、信じてないな? 含み笑いをしながらホテルに入って行くリーゼ様を睨め付けていると、美鈴さんが私の肩に手を乗せて慰めの言葉をかけてきた。

 

「大丈夫ですよ、アリスちゃん。私も全然分かんなかったですもん。……私たち、方向音痴仲間ですね!」

 

「違いますってば!」

 

うんうん頷きながらリーゼ様の背に続く美鈴さんに言い放ってから、苦笑している咲夜と共に私もエントランスへと進む。このままじゃダメだ。明日あたりにもう一度案内役を買って出て、そこで挽回しなければ。

 

後でこっそり周辺の地図を確認しておこうと心に決めてから、ドアマンが開けてくれた大きなドアを抜けると……うーむ、外観通りの高級そうなホテルだ。この前行ったニューヨークのホテルよりも数ランク上かもしれない。

 

ロビーの奥にはアジアンテイストの豪華なラウンジが見えているし、各所でスタッフが用はないかと目を光らせている。外のごちゃごちゃした街並みとは別世界の雰囲気じゃないか。ホテル周辺には怪しい出店が無かったし、この街は富裕層と貧困層がはっきり分かれているようだ。

 

そういった部分もまた、この街の『混沌』を深めている要因の一つなのかもしれない。品の良さそうな客たちを眺めながらフロントへと近寄って行くと、リーゼ様が早速予約の確認をしているのが目に入ってきた。うむうむ、フロントデスクに背伸びして乗っかってるのが何とも可愛らしいぞ。目の保養だ。

 

「やあ、予約したバートリだ。案内を頼むよ。」

 

「お手数ですが、確認の為にこちらに杖を当てていただいてもよろしいでしょうか? ……はい、ありがとうございます。確認いたしました。すぐにご案内させていただきます。」

 

ふむ、面白い確認方法だな。フロントスタッフが差し出した金属製のプレートにリーゼ様が杖を置くと、そこに嵌っていた黒ずんだ小石が一瞬にして青い宝石へとその姿を変える。どういう仕組みなんだろうか?

 

「リーゼ様、予約の時点で杖を使いましたか?」

 

好奇心から囁きかけてみると、リーゼ様は一つ頷きながら答えを返してきた。

 

「ああ、手紙に杖を当ててくれと書いてあったからね。それがどうかしたのかい?」

 

「いえ、ちょっと気になっただけです。」

 

なるほど。その時点で小石を使わなかったってことは、杖そのものではなく漏れ出る魔力でチェックしているのか? ……うーん、香港の魔法技術の高さが垣間見える方法だったな。こと安全性から言えば、本人確認の方法はグリンゴッツよりも上だぞ。

 

ただまあ、これだと他人が代わりに受付を済ませることは出来ないはずだ。その辺の兼ね合いもあってグリンゴッツは鍵を使った方法を選んでいるのかもしれない。魔力の使い方に秀でた小鬼がこの方法を知らないとは思えないし。

 

魔法界の安全システムについて思考を巡らせていると、いきなり咲夜が手を引いて私を促してくる。

 

「どうしたの? 案内の人が困っちゃってるよ?」

 

「あら、ごめんなさいね。ちょっと考え事をしてたの。」

 

「……魔女の悪い癖だと思うよ、それ。パチュリー様も、アリスも、それに魔理沙も。後でゆっくり考えればいいだけなのに、何か気になることがあるとその場で考え出しちゃうんだもん。」

 

「あー……まあ、そうなんだけどね。こればっかりは魔女の性ってやつなのよ。」

 

呆れた表情で引っ張ってくる咲夜に従って、目線で先導するベルマンに謝ってからエレベーターの方へと歩き出す。いけない、いけない。こういうことをしているからどんどん変人になっていくのだ。もっと気を付けないと。

 

特に今回の旅行中は私がしっかりしなければ。美鈴さんは早くもベルマンにホテル周辺の美味しい飲食店のことを聞き始めちゃったし、リーゼ様はホテルのリーフレットを読んでバーの品揃えを確認している。……この二人はコインのことなんか既に忘れちゃってそうだな。

 

この地を訪れた目的を達成するためにも、私がきちんと二人を『制御』しなくては。内心で気合を入れ直しながら、アリス・マーガトロイドはやけに大きなエレベーターへと足を踏み入れるのだった。

 



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イタリアン・ナイトクラブ

 

 

「どうしてこう、悪いヤツの溜まり場ってのは総じて小汚い場所なんだろうね? 綺麗好きな小悪党が存在したっていいだろうに。」

 

尤も、品格を理解できないからこそ小悪党止まりなのかもしれんが。薄暗いナイトクラブの店内に踏み込みながら、アンネリーゼ・バートリは呆れたため息を零していた。外観から想像は付いていたが、やっぱり好んで来たいとは思えない場所だな。

 

香港旅行の二日目。昼間に四人で観光しつつも情報収集をした後、アリスと咲夜をホテルに戻して美鈴と二人でこの場所を訪れたのだ。……うん、正解だったな。色取り取りの照明に照らされる店内には半裸の女がウロウロしてるし、こんな場所に咲夜を連れて来るわけにはいかんぞ。

 

ちなみにこの店の建っている場所は、ホテルのコンシェルジュに『絶対に近付くべきではない』と警告された地区の一つである。通りにはピンク色のネオンが瞬き、並ぶ出店では人間の手足なんかを普通に取り扱い、路地裏にはボロ切れを着た欠損だらけの死体が転がっているような……まあ、香港自治区の中でも深い場所というわけだ。

 

不規則に置かれた丸テーブルと、それを囲む安っぽいソファ。広い店内に充満するクスリの臭いに、響き渡る怒声と嬌声。中央のステージでは服だか紐だか分からんような物を着ているバカ女が踊り、それに間抜けな男どもが群がっている。うーむ、小悪魔だけは喜びそうな場所だな。

 

この世の掃き溜めのような光景を見て嘆息する私へと、さっきから声をかけられまくっている美鈴が返事を寄越してきた。

 

「ありきたりな場所ですねぇ。こういう店はどの時代も……あ、結構でーす。連れが居ますので。子連れなんですよ、私。」

 

「ぶっ飛ばすぞ、美鈴。もう少し賢い断り文句を考えたまえよ。」

 

「いやぁ、さすがに面倒くさくなってきまして。モテる女は辛いですね。」

 

だからって子連れはないだろう、子連れは。へらへら笑いながら肩に置かれた男の手を捻っている美鈴を尻目に、疲れた気分で首を振ってから店の奥へと歩き出す。おお、可哀想に。手首が一回転してるぞ、そいつ。

 

昼間の情報収集の甲斐あって、このナイトクラブの主人がある程度の影響力を持った人物ってのは分かったのだが……本当なのか? 私の経験から言えば、影響力を持った人物というのは須らく体面にも拘るもんだ。こんな店を『顔』にするなど有り得んぞ。

 

「それで、どうします? 店の人に聞いてもまともな答えが返ってくるとは思えませんけど。……そもそも、どれが店員なんですかね? あの床で寝てる人とか?」

 

背後の悲鳴を無視しながら歩調を合わせてきた美鈴に、肩を竦めて答えを返した。私はもう店の有様を見てやる気半減だ。さっさと終わらせようじゃないか。

 

「なぁに、とにかく入っちゃいけないような場所を目指せばいいのさ。小悪党ってのは大抵店の奥で踏ん反り返っているもんだしね。レミィだって紅魔館の一番奥を自室にしているだろう? あれと一緒だよ。」

 

「まあ、確かにそんなイメージはあります。お嬢様が小悪党だったらそれはそれで怖いですけどね。……ちなみにその場合、大悪党なのは誰なんですか?」

 

「決まってるだろう? この私さ。」

 

至極適当な相槌を放ちながら見えてきた大きなドアに入ろうとすると、その前に立っていた巨漢がずいと進路を塞いでくる。ほら、当たりだ。簡単じゃないか。

 

『ここから先は紹介状が必要だ。』

 

なるほど、さっぱり分からん。私に対して早口の謎言語で何かを言ってきた太っちょを横目に、隣の通訳妖怪へと質問を送った。『国際語』たる英語を話せよ、アホめ。私がアジア系に見えるのか?

 

「なんて言ってるんだい?」

 

「えーっと、この先に進むには紹介状とやらが必要みたいです。どうします?」

 

「いつも通りにやるだけさ。」

 

美鈴にそう言ってから刺青だらけの太っちょに向き直って、胡乱げな表情で見ているその瞳を覗き込む。不法侵入は吸血鬼の十八番だ。分かり易いように簡単な単語で話してやるから、ありがたく私の魅力にひれ伏すがいい。

 

「私は、この先に、進みたいんだ。だからそこを退きたまえよ、下っ端君。」

 

おやおや、バウンサーまで質が低いときたか。私の魅了で即道を空けた太っちょに呆れながらも、美鈴が開けてくれた分厚いドアを抜けてみると……んー、こっちもこっちで微妙だな。見えてきたのは先程の店内よりかはグレードの高い、高級客用らしきラウンジだった。

 

「あちゃー、こっちもありきたりです。さっきの店の奥にこれがあることといい、独創性がゼロですね。つまんないですよ、これじゃあ。」

 

「心底同意するよ。」

 

バーを中心とした円形の空間には一人掛けの黒いソファとガラスのテーブルが並び、一つ一つのテーブルは赤いビロードのカーテンで仕切られている。なんとまあ、悪党気取りの小金持ちが好みそうな内装ではないか。

 

ここまでくると本格的にハズレな気がしてきたな。バカバカしい気持ちでラウンジを見回す私たちに、胡散臭い笑顔の黒ベストの男が話しかけてきた。先頭の私を見て一応は英語を選んだようだが、訛りが強すぎて聞くに堪えんぞ。

 

「いらっしゃいませ、お客様。お席にご案内させていただきます。」

 

「勝手に座るから結構だよ。それより、店の主人を呼んできてくれ。用があるんだ。」

 

再び瞳を紅く光らせて言ってやると、ウェイターらしき男はこっくり頷いて店の奥へと向かって行く。それを確認しながら適当なソファにどっかり座り込んだところで、私の後ろに立った美鈴が提案を寄越してきた。

 

「私、この店はハズレだって方に今日の夜食の選択権を賭けます。昼間は蟹を食べ損ねちゃいましたし。」

 

「私もハズレだと思うから賭けにならないぞ。……まあ、夜食はキミに任せるよ。蟹には賛成だからね。」

 

「えへへ、それなら無問題です。早く終わらせて食べに行きましょうよ。」

 

「それにも賛成だ。」

 

レミリアやゲラートもそれぞれの方向から香港のことを探ってくれているし、むしろそっちに期待すべきなのかもしれないな。この街は外から見ると面倒な場所なのだろうが、こんなもん内側からだって探るのは至難の業だぞ。

 

どこまでもややこしい街に鼻を鳴らしていると、店の奥からこちらに近付く五人の男の姿が目に入ってくる。真ん中を歩く三十代ほどの若い男がこの店の主人に違いない。何せアホみたいな紫のスーツを着ているのだから。ジャラジャラと金のネックレスをぶら下げているのが『間抜け感』を助長してるぞ。

 

そのまま私たちの居るテーブルの目の前までたどり着いた紫スーツは、私の背中の翼を見て一瞬怪訝そうに目を細めると、やや畏まった様子で声をかけてきた。……ふぅん? 一流ではないが、三流でもないわけか。発せられた言葉も割と流暢な英語だ。黒髪ながら顔付きがアジア人のそれではないし、もしかするとこっちの人間じゃないのかもしれない。

 

「お初にお目にかかります、お客様。この店を取り仕切っております、サルヴァトーレ・マッツィーニと申します。何かご用がお有りとのことでしたが。」

 

「なるほどね、ピザ屋の出身か。それならこの退屈な内装にも納得がいくよ。貧乏人が一山当てて、生意気にも他国で店を出してみたってわけかい?」

 

「えぇ……。」

 

私のいきなりの挑発を聞いた背後の美鈴から呆れたような吐息が漏れるが、構わず薄っすらと笑みを浮かべて脚を組む。レミリアにレミリアなりの交渉術があるように、私にも私なりのそれがあるのだ。先ずは突っついて反応を見させてもらうぞ。

 

果たしてマッツィーニは……むう、やはり与し易いバカというわけでもないらしい。いきり立って前に出てきた護衛らしき大男たちを手で抑えると、ニコニコ微笑みながら返事を返してきた。

 

「恥ずかしながら、その通りでして。成り上がりでは内装も上手く整えられませんでした。やはり本場の方から見ると違いますか。」

 

「粗が目立つと言わざるを得ないね。それらしい安物を使うくらいなら、無い方がまだマシだと思うよ。……まあいい、本題に入ろうか。私はアンネリーゼ・バートリだ。今日はちょっと聞きたいことがあってキミの店を訪れたのさ。」

 

「ご意見は参考にさせていただきます。……私にお答え出来ることなら喜んで答えさせていただきますが、その前にこちらからも一つよろしいでしょうか?」

 

「構わないよ。何だい?」

 

何を知りたいのかは大体分かるけどな。首を傾げて聞いてやれば、マッツィーニは私の翼に目をやりながら問いかけを放ってくる。やっぱりそこが気になるか。

 

「バートリ様は『紅のマドモアゼル』と何かご関係がお有りで? ……いや、もしかしたら無礼な質問なのかもしれませんが、あの方の関係者に失礼があったとなれば私の首が物理的に飛びかねません。この哀れな成り上がりを安心させてはいただけませんか?」

 

「レミィとは幼馴染だよ。私もイギリスの吸血鬼でね、香港には旅行で来てるんだ。」

 

その言葉がマッツィーニに届いた瞬間、ほんの刹那の間だけ彼のブラウンの瞳が打算の光を宿した。瞬きする間もなく柔和そうな笑顔に戻ってしまったが……ふん、分かり易いじゃないか。私がレミリアとの繋がりを持つという事実は、この男にとってかなり魅力的に映ったようだ。

 

「なんと、幼馴染。そうでしたか。となると、私は既に大変な失礼をしてしまったようですね。本来ならばこちらからご挨拶に伺うべきだというのに、こんな場所までご足労いただくなど……本当に申し訳ございませんでした。」

 

後ろ手で周囲の護衛を更に下がらせたマッツィーニは、仰々しくお辞儀しながら謝罪を送ってくる。そりゃあポーズも多分に含まれているだろうが、レミリアがこの男にとって重要だというのは嘘ではないのだろう。

 

レミリアの影響力が薄い香港自治区に店を構えているのにこの態度ということは、つまりは本国……イタリア魔法界との繋がりを保っているということだ。うーん、向こうから派遣された雇われか? 香港とイタリアを結ぶ、裏側の外交官ってやつなのかもしれない。

 

意外にも当たりを引いたのかもしれんぞ。頭を下げ続けているマッツィーニに頷いてから、対面の席を手で示す。

 

「別に怒っちゃいないさ。私はそこまで狭量じゃないよ。それより、座りたまえ。そのままだと話が出来ないだろう?」

 

「では、失礼して。……お飲み物は如何いたしましょうか? 当店では生き血等もそれなりの種類をご用意できますが。」

 

「ふぅん? 珍しいね。そういう客もよく来るのかい?」

 

「ありがたいことに、他種族の方々からもご贔屓を賜っております。その辺りの事情は香港に来て驚いたことの一つですね。ヨーロッパではあまり見ない種族も、ここではそれほど珍しくありませんので。」

 

まあ、そうだろうな。そのことは昼間の観光中に嫌ってほど実感したのだ。角やら羽やらが引っ付いているならまだマシな方で、明らかに人間のカタチをしていない生き物も普通に通りを歩いていた。

 

「面白い街だよ、まったく。ヨーロッパの人間至上主義者どもを連れて来たら面白いことになりそうだね。」

 

適当な返事を返しながら、差し出されたメニューに目を通してみると……こりゃ酷いな。ずらりと物騒なメニューが並んでいる。ピクシーの素焼きに、テボの熟成肉、それに水中人の肝臓だと? こんなゲテモノ料理を誰が食うんだよ。私なら絶対に嫌だぞ。

 

私の呆れ顔の理由を汲み取ったのだろう。マッツィーニは苦笑しながら詳しい事情を教えてくれた。

 

「当初はごく平凡な料理しか扱っていなかったのですが、お客様のご要望で徐々に追加されていきまして……今では随分と複雑なメニュー表になってしまいました。ここまでくると仕入れも一苦労ですよ。」

 

「普通なら仕入先が無いと思うけどね。それが存在してるってのが香港らしいよ。……私は普通の紅茶で結構だ。美鈴はどうする? 何か頼んでもいいぞ。」

 

「あれ、いいんですか? それならこれと、これと……あとこの、水中人の肝ってのもお願いします。何事もチャレンジですしね。」

 

「……じゃあ、それで頼むよ。」

 

食性は種族それぞれだということか。隣の席のソファを持ってきて、食べる気満々でテーブルに着いた美鈴をジト目で眺める私を他所に、マッツィーニはウェイターに注文を伝えてから話を切り出してくる。

 

「それで、ご質問がお有りとのことでしたが。」

 

「質問というか……要するに、香港の顔役と話したいことがあってね。誰か心当たりはないかい? 紹介は出来なくても構わないから、なるべく影響力のある人物を頼むよ。」

 

紹介状が不要なのはさっき証明したはずだ。私がここに来た目的を伝えてみれば、マッツィーニはちょっと困ったような表情になって返答を寄越してきた。

 

「それは難しいご依頼ですね。……『外』の方には理解し難いかもしれませんが、この街における立場の上下というのはひどく曖昧なものなのです。もちろん香港にも影響力を持った人物というのは少なからず存在しています。しているのですが……何と言えばいいのか、ある地点までたどり着くと横一列になってしまうんですよ。」

 

「ふむ、突出したリーダーが存在していないってことかい? つまり、合議制に近いシステムなわけだ。」

 

「対外的にはそういった説明になることも多いのですが、内部の実情は微妙に違いまして。ルールに則った明確な合議制というわけではなく、取引や貸し借りで影響力を均衡させている感じですね。例えば私はここから西側の地区には強く出られますが、北側には頭が上がりません。そういった柵が重なり合って、結果的に全体のバランスが保たれているわけです。」

 

「……それはまた、厄介だね。状況によって力関係が変化するわけか。察するに、『独走』を許さないのが暗黙のルールになっているんだろう?」

 

ある場所での強者は、ある場所での弱者になるわけだ。しかもそれらは明文化されているわけでもないらしい。想像以上に面倒くさいシステムに額を押さえる私へと、マッツィーニは首肯しながら追加の説明を放ってきた。

 

「その通りです。出過ぎた杭は一斉に打たれることになります。……バートリ様の具体的な目的がどんなものであれ、香港そのものに影響を及ぼせる人物などこの街には居ません。かと言って地区の代表者全員の賛意を受けるというのも難しいでしょう。誰かが賛成すれば誰かが反対する。それが香港自治区という街なのですから。」

 

「……だが、香港そのものの危機には団結する。そうなんだろう?」

 

「もちろん団結するでしょうね。しかし、かなり稀な例ですよ、それは。私が知る限りでは香港が団結したのはただ一度だけ。独立運動の時だけです。……百年近く前の事件なので伝え聞いた話になりますが、あの時だけは長年の確執を忘れて協力し合ったとか。今では信じられない話ですよ。打算と取引の都市が一つに纏まったわけですからね。」

 

まるでお伽話を語るかのようなマッツィーニを前に、腕を組んで思考を回す。確かに有り得そうもない話だが、魅魔ほどの魔女が無駄な助言をするとも思えない。やはりコインが鍵か。

 

考えている間に運ばれてきた紅茶に口を付けてから、再びマッツィーニへと問いを飛ばした。ちなみに美鈴は……水中人の肝臓を微妙な表情で食べている。少なくとも美味くはなかったらしい。

 

「では、昨今の魔法界を騒がせているゲラート・グリンデルバルドの演説に関してはどんな受け止め方をしているんだい? キミの考えと香港全体の考え、その両方を聞きたいね。」

 

「グリンデルバルドですか。……紅のマドモアゼルの関係者に言うのもなんですが、『間違ってはいない』というのがこの街の総意でしょうね。そして、私もそれには同意見です。大通りの様子を見れば分かっていただけるように、この街はノーマジの文化を数多く受け入れています。同時にその危険性もヨーロッパよりは認識していると言えるでしょう。」

 

「しかし、表立って賛意を表明するつもりはないと。」

 

「この街の住人にとっては、未来の魔法界よりも明日の昼食の方が大事なのです。香港では人の命にそれほどの値が付きません。誰もが刹那的に生き、そして呆気なく死んでいきます。それなのに未来の魔法界の為にと動こうとする者は……残念ですが、『物好き』に分類されるでしょうね。」

 

マグルの危機なんぞこの街にとっては所詮他人事に過ぎないわけか。そんなもんなるようになれという気持ちなのだろう。刹那を生きる連中にとっては、ゲラートの言葉は遠すぎるようだ。ヨーロッパ側とはまた違った意味で問題だな。

 

ひょっとしたら、『ここは魔法界の一部である』という認識すら薄いのかもしれない。この場所は魔法界であるのと同時に、私たちの世界と重なっている部分も多いのだ。だとすれば魔法界の為に動くなんてのは以ての外だろう。正しく『別世界』の話なんだし。

 

肝をきっちり完食した美鈴が次に食べ始めた麺料理の臭いに顔を顰めつつ、本題に入るために懐から例のコインを取り出す。ここで出すつもりはなかったが、マッツィーニは思ったよりもこの街の上層に食い込んでいるらしい。一度反応を窺ってみるのも一つの手だろう。

 

「香港の仕組みについては概ね理解したよ。魔法界の騒動に対する反応の理由もね。それでだ、もう一つだけ聞きたいことがあるんだが……このコインが何だか分かるかい?」

 

私がガラスのテーブルにパチリと置いたコインを見て、マッツィーニは……ほう? やっぱり当たりか。目を見開いて息を呑んでいる。明らかにただのコインを目にした時の表情ではない。

 

「それを何処で手に入れ……いや、違いますね。誰から渡されたのですか?」

 

「理解が早くて助かるよ。知り合いの魔女から貰ったんだ。何なんだい? これは。心当たりがあるようじゃないか。」

 

どこか恐れているかのようにコインを見るマッツィーニへと問うてみれば、彼は苦々しい笑みを浮かべながら答えを寄越してきた。

 

「バートリ様が香港の顔役を探しているというのであれば、もう薄々は勘付いているのでは? ……御察しの通り、香港の創始者たちの身分を証明するものですよ。当然ながら実際に目にしたことはありませんでしたが、噂だけはうんざりするほど聞いています。会合なんかで毎回話題になりますから。」

 

「ま、そこは予想通りだよ。……どうかな? これがあれば香港の意見を纏めることが出来ると思うかい?」

 

さて、どう出る? このコインの値はどのくらいだ? ポーカーフェイスで核心へと迫る疑問を放ってみると、受けたマッツィーニはさほど迷わずに大きく頷いてくる。よしよし、上々。香港にとってはそれだけの価値がある代物らしい。

 

「可能でしょうね。正直言って、後から参入してきた私にはそれほどの意味を持ちませんが……古参の代表たちにとっては違うはずです。もしそのコインが本物だと証明できたなら、香港の大部分は容易に纏まるでしょう。そこに『紅のマドモアゼル』の影響力が加われば、香港全体の意思を統一することも不可能ではないと思います。」

 

「結構、結構。それならキミが場を整えてくれるかい? マッツィーニ。これから魔法界は大きく、激しく動くことになる。……ならば半世紀前の大戦時も、先のイギリスでの戦争時も目立てなかったイタリア魔法界はそろそろ波に乗る必要があるだろう? もしキミが私の手助けをしてくれたなら、レミィへの土産話の中にキミの話題を加えられるよ?」

 

「……かしこまりました。数日は掛かると思いますが、必ず代表たちに話を通してみせましょう。」

 

うむうむ、思ったよりも早く事が進みそうだな。私も結構こっち方面の才能があるんじゃないか? あいつの想定を上回ったことは間違いないだろうし、帰ったらレミリアに自慢してやろう。

 

深々と頭を下げながら言うマッツィーニを見て、アンネリーゼ・バートリは満足げに鼻を鳴らすのだった。

 



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凋落

 

 

「これは、新たに財務の専門部署を設けるべきかもしれませんね。まさかこんなところで問題が浮き彫りになるとは思いませんでしたよ。」

 

テーブルの向かい側で頭を抱えるボーンズの声に、レミリア・スカーレットは苦笑しながら頷いていた。そういえば魔法省には財務に関する独立した専門部署が存在していないな。誰一人として気にも留めなかったから、今まで全然気付かなかったぞ。

 

七月も後半に差し掛かった今日、魔法大臣執務室で毎度お馴染みの報告会を開いているのだ。参加者は私、ボーンズ、スクリムジョール、そして……ウィゼンガモットの議長職に留まっているチェスター・フォーリーの四人である。

 

政務を司る魔法大臣と、武力を司る執行部長と、法務を司る評議会議長。イギリス魔法省全体の運営を話し合う場としては本来在るべき姿だというのに、私以外の三人はどこかやり難そうな表情だ。魔法省とウィゼンガモットが連携を取るという事態に慣れていないのだろう。

 

長年の問題が解消したと喜ぶべきか、新たな問題を発見したと悲しむべきか。なんとも微妙なところだな。ぎこちないテーブルを見て内心で呆れていると、件のフォーリーが言葉を放つ。

 

「財務の専門部署が過去に存在していたという記録はあります。『魔法金融管理部』という部署が。しかしながらグリンゴッツの進出に伴いその影響力を減らし続け、最終的には十八世紀半ばの魔法大臣が魔法大臣室へと吸収してしまいました。……当然、ウィゼンガモットは権力の集中を避けようと反対しましたが、当時の政権に押し切られてしまったようです。この時勢に専門部署が存在しないのは嘗ての政治腐敗の名残というわけですな。」

 

「やけに嫌味なご説明をどうも、フォーリー。……ただまあ、その当時の魔法大臣が俗物だったのは確かなようね。財務を自分の管轄にして何をやったのかは想像が付くわ。」

 

「何にせよ、イギリス魔法界の財政を司る部署を再建するというのはウィゼンガモットとしても大いに賛成できます。そも独立していないことこそがおかしいのですから。」

 

「そうすべきでしょうね。こうやって問題が出てきちゃってるわけだし、さすがに無視し続けるわけにはいかないでしょ。」

 

私とフォーリーのやり取りを聞いて、ボーンズとスクリムジョールも同意の首肯を寄越してきた。……つまりはまあ、国庫の金が無くなってきたわけだ。今回の戦争の犠牲者への補償、修復魔法ではどうにもならない物的被害の補填、他国へのお礼や魔法戦士たちに対する賃金。積み上げてきたガリオン金貨が一斉に出て行ってしまったのである。

 

うーむ、迂闊だったな。魔法界というのは魔法で色々と代用できるだけに、金そのものの価値がそれほど高くない。食うや食わずの状況に陥ること自体がそもそも少ないし、金は趣味や娯楽に使うものという認識が強いのだ。

 

だからボーンズも私も油断していた。まさかこんな事態に陥るとは……マグルの政治家が聞いたら笑うだろうな。資本主義に染まったあの連中にとっては、自分の財布の中身を確認しない私たちなど三流以下なのだろう。

 

意外なところにあった落とし穴にため息を吐く私を他所に、ボーンズは手元の書類を眺めながら詳細を詰め始めた。

 

「先ず、現在財政を担っている魔法大臣室の中の職員を独立させます。今回の財政難を専門的な視点から考える必要がありますし、業務の量的にも魔法大臣室は手一杯ですから。それでどうでしょう?」

 

「初手の対処としては異存ありませんが、将来的には魔法大臣室出身以外の職員を入れるべきでしょうな。理由は言わなくとも分かるはずです。」

 

財務が魔法大臣の『紐付き』になっているままではダメだということだろう。フォーリーの冷たい意見を受けたボーンズは、ちょっとだけムッとした表情で返事を返す。さっきから思っていたが、この二人はどうも相性が良くないな。フォーリーは私に対する以上にボーンズに対して刺々しいし、いつも丁寧なボーンズもフォーリーにだけはどこか素っ気ないぞ。

 

「当然、最終的にはそうします。私は公金を身勝手に浪費するつもりはありませんので。……それとも、フォーリー議長にはそう見えましたか?」

 

「そこが最も重要な部分だと思ったので突っ込んだまでですよ。もしかしたら大元の問題を自覚していないのかと思いましてね。分かっているのであれば結構です。」

 

おお、喧嘩か? 互いに目を細めて睨み合う二人だったが、その間にうんざりした表情のスクリムジョールがするりと割り込む。面白いな。この二人が険悪だとスクリムジョールがクッション役になっちゃうわけだ。

 

「未来の展開も結構ですが、目下の対処はどうしますか? まさか軽々に造幣するわけにはいきませんし、小鬼がそれを許さないでしょう。このままでは国庫の蓄えが減っていくばかりです。」

 

「グリンゴッツから借りるってのは……まあ、やめといた方がいいでしょうね。対等な取引だったらともかくとして、国家としてあの連中に借りを作るわけにはいかないわ。」

 

「それに、他国から借りるというのも悪手です。この一年で借りは充分すぎるほどに作りました。これ以上は後々に響いてしまうでしょう。」

 

その通りだ。今のイギリスはどの国とも円滑な関係を築けているが、この状態が未来永劫続くはずはない。いざ険悪になった際にその話題を持ち出されたら厄介だぞ。

 

私に答えたスクリムジョールの言葉に頷いてから、ソファに凭れ掛かって口を開く。

 

「解決法はそれこそ選り取り見取りだけどね。どの方法にもデメリットは付き物よ。社会保障を削るか、税を増やすか、一時的な国債を発行するか。……そもそもイギリス魔法界の連中は国債って制度を理解できるのかしら?」

 

「さすがに国債は理解できるでしょうが、税に関してはあまり浸透していないと思いますよ。魔法省の大半の職員はどれだけ差し引かれているかも分かっていないはずです。」

 

「バカみたいな話じゃないの。それでよく今まで成り立ってたわね。改めて考えると凄い話だわ。」

 

そういえば、税に関しての話題など口にしたこともないな。……これって結構マズいんじゃないか? 魔法界の住人にとって、マグル界の税制度なんてのは意味不明でちんぷんかんぷんだろう。これもまた二つの世界を分かつ亀裂の一つか。

 

スクリムジョールの説明を受けて、私が『革命』に関わる新たな問題のことを考えていると、難しい顔で黙考していたボーンズが弱々しい声色の提案を放った。彼女にとっても財政問題など専門外だ。どうしたら良いかがよく分からないのだろう。

 

「とにかく魔法省内でのコスト削減を試みましょう。……それでどうにかなるとは思えませんが、即座に実行可能な対処などそれくらいです。大掛かりな制度に関しては後々専門家を交えて話し合う必要がありそうですね。」

 

「魔法界に財政の専門家が居るとは思えないけどね。……いっそのこと、マグルの首相に協力してもらったら? 『あっちのイギリス』は財政難を乗り越えたばかりだし、対処法についても色々と詳しいでしょ。」

 

「そうですね、マグル界に協力を求めることも視野に入れておきましょうか。私たちでは経験が少なすぎます。」

 

結局問題を棚上げしただけになってしまったが、これはもう仕方がないだろう。ここに居る『世間知らず』の四人組ではどうしようもないのだ。どうやら新部署はマグル生まれが重用されることになりそうだな。

 

ボーンズが財政の書類を忌々しそうに横に除けたところで、今度はフォーリーが話題の口火を切る。持ってきた書類を私たちに渡しながらだ。

 

「では、私からも議題を一つ。……この書類を読めば分かるでしょうが、今回の逮捕者に対する裁判は大規模な合同裁判を行うべきです。一人一人やっていては来年までかかってしまうでしょう。」

 

「別にそれでいいんじゃないの? 反対する人なんか居ないでしょ。」

 

「問題は合同裁判自体ではなく、その裁判の中での判断基準です。新しいアズカバンのシステムが決まらなければ、罰に相当する刑期も決められません。結果として裁判を行うことが出来ず、故に勾留の為の費用も嵩む。コストを削減すると言うのであれば、真っ先にこの問題を解決していただきたいですな。」

 

「あー……アズカバンね。そういえばあったわね、その問題。」

 

先日行ってきた新大陸への出張で、スクリムジョールがマクーザの牢獄の『社会見学』を済ませてきたはずだが……そちらに問いかけの目線を送ってみると、執行部長どのは疲れたような表情で返事を口にした。

 

「既に再建計画は纏まっていますが、当然ながら完成するまでには時間がかかります。途中で細々とした問題も出てくるでしょうし、実際に再建が完了するまでには……そうですな、最短でも半年はかかるでしょう。どういったシステムになるかは大半が決まっているので、『判断基準』の方だけはどうにかなりますが。」

 

「んー、裁判だけ終わらせても仕方がないのよね。……あれだけの量だと監視なんかのコストもバカにならないわけだし、いっそのこと全員死刑にしちゃえば? 無理?」

 

そんな余力が残されているかは甚だ疑問だが、一応はリドルに戦力を『奪還』されないように守っておく必要があるのだ。少なくない労力と金をその為だけに使うのなど堪ったもんじゃないぞ。今のイギリスにチンピラどもを養う余裕などないのだから。

 

だからダメ元で聞いてみたわけだが……むう、やっぱりダメか。苦笑するボーンズ、目を逸らすスクリムジョール、真顔のフォーリーの中から、先んじてウィゼンガモットのご老人が返答を寄越してきた。

 

「国家の状況や個人的な理由で法を曲げるわけにはいきませんな。安易な極刑など以ての外です。」

 

「ま、知ってたけどね。だったら大人しく再建を待つ他ないでしょ。……重要な区画だけを優先的に完成させて、とりあえず放り込んじゃうってのはどう? 今だって間に合わせの留置場もどきに詰め込んでるんだから、ハリボテの牢獄だって大差ないでしょ?」

 

途中で思い付いた提案を放ってみると、今度は三人共が真面目に考え始める。そりゃあ安全性は少しばかり落ちるかもしれんが、逃げ出そうとしたならその時は本当に殺してしまえばいいのだ。こっちもコストが減って大満足だぞ。

 

物騒なことを考える私を他所に、スクリムジョールが手元の書類に何かを書き込みながら口を開く。

 

「悪くありませんな。それでしたら、刑の軽い者に刑務作業として建設を手伝わせるというのも可能になります。無論根幹に関わる部分に触れさせるわけにはいきませんが、単純作業でしたら問題ないでしょう。」

 

「あら、良いじゃない。鼻先に減刑をぶら下げれば尚良いわ。模範囚は刑期を減らすだとかって適当に煽ててやりなさいよ。確かマグルも同じようなことをやってたでしょ?」

 

「そして、マクーザもそういったシステムを採用していました。吸魂鬼の居ない監獄では維持のためのコストが増えますので、イギリスも本格的な刑務作業を導入すべきだと考えていたところです。モデルケースとしては打って付けでしょうね。」

 

うむ、悪くないぞ。罪人を働かせるのは古来からの定番だ。スクリムジョールの前向きな意見を聞いて、ボーンズもこっくり頷いてから賛意を表明してきた。

 

「私としても異存は有りません。いくつかの問題も解決しますし、今後はその方向で調整していきましょうか。……減刑のシステムに関してはウィゼンガモットにお任せしても?」

 

「恐ろしく手のかかる作業になりますが、何とかやってみましょう。合同裁判の調整と、新たな法制度の確立。いきなり仕事の量が増えましたな。」

 

「新しい魔法省へようこそ、フォーリー。今や上層部ってのは椅子に踏ん反り返ってるだけじゃダメなのよ。さっさと慣れなさい。」

 

出世が羨まれていたあの頃は何処へやら。今じゃ昇進は過酷な労働を意味する単語になってしまった。誰もが謙遜に謙遜を重ねて昇進を拒む今の魔法省は……うーむ、変な組織になっちゃったな。

 

私がうんざりした表情のフォーリーへと肩を竦めたところで、部屋のドアからノックの音が響いてくる。ボーンズが入室の許可を……出す間も無く、義足を踏み鳴らしながら無礼を絵に描いたような男が入室してきた。二度目の引退間際のアラスター・ムーディ闇祓い局長どのだ。

 

「邪魔するぞ、ボーンズ。……ふん、頭が勢揃いか。話が早いな。」

 

「悩ましいわね。ノックしたことを褒めるべきか、許可を得る前に入ってきたのを咎めるべきか。普通なら迷わず後者なんだけど、貴方の場合は前者になりそうよ、ムーディ。」

 

「無駄話は好かん。とっととこれを読んだらどうだ。」

 

私の呆れたような言葉をバッサリ切り捨てたムーディは、今日も元気に義眼を回しながら一枚の書類をテーブルに叩き付ける。それに四人で目を通してみれば……おやまあ、こっちが先に進展したか。

 

闇祓い局に直接送られてきたらしいその書類によれば、フランス東部で死喰い人の残党を発見。フランス魔法省が即座に闇祓いを派遣して一戦交えたようだ。死喰い人が迷わず逃走を選んだ為に大規模な戦闘にはならず、フランス側に少数の怪我人を、死喰い人側に多数の拘束者を出したらしい。

 

「哀れなもんね。イギリスで尻尾を切って、今度はフランスで脚を切ったってところかしら? 腕は六月にアリスが切っちゃったわけだし。」

 

首魁たるリドルは発見されなかったようだが、状況からしてその場に居たのは間違いあるまい。凋落した闇の帝王の末路に鼻を鳴らしていると、真っ先に書類を読み終わったスクリムジョールが声を上げた。

 

「隠れ家らしき建物の中で少数の杖作りを保護、ですか。朗報ですな、これは。」

 

おっと? 言葉に従って後半の文章を読んでみると、確かにそんなようなことが書かれている。『衰弱がひどいためにフランス魔法省で一時保護』か。我らがオリバンダーも恐らく救出されたのだろう。

 

「今年の一年生は無理でしょうけど、来年からはまたオリバンダーの杖が手に入りそうね。……帰って来たら無理矢理にでも弟子を取らせましょうか。親族に見習いがいるんでしょ? そいつを当てればいいわ。今回の騒動で杖作りの重要性は再認識されたわけだしね。」

 

私の脚を組みながらの提言に、ボーンズも深々と頷いて同意してきた。この際ダイアゴン横丁の店も何らかの形で保護すべきだろうな。コスト削減と言った直後にするのもなんだが、こればっかりは国庫を度外視してでもやるべきだろう。

 

「そうですね、落ち着いたら提案してみましょう。……オリバンダー氏にまだ杖を作る元気があればいいのですが。」

 

「死んでないなら作るわよ、あの男なら。オリバンダーが杖を作るのを止めるってのは死ぬ時くらいでしょ。」

 

まあ、死んでも冥府で作り続けるかもしれんが。あの老人に会ったのは数えるほどだが、それでもそのことだけは分かるぞ。私の言葉にボーンズが苦笑しながら首肯したところで、最後に書類を読み終わったらしいフォーリーが声を放つ。

 

「イギリスの魔法使いも少なからず居たようですし、これでまた一時勾留者が増えますな。迎えには誰が?」

 

「わしが行く。この戦闘で指揮を執った男とは知り合いだからな。」

 

なるほど、お友達のルネ・デュヴァルか。即座に答えたムーディの言葉を聞きながら、全員が読み終わった書類を手に取って口を開く。良いタイミングだし、こっちの用事も済ませちゃおう。

 

「私も行くわ。フランスにはちょっと用があるしね。シャックルボルトあたりも付けて頂戴。」

 

「かしこまりました。拘束者はそれなりの数のようですから、魔法警察からも人員を動かしましょう。」

 

スクリムジョールの返答に頷いて、手元の書類を読みながらソファに沈み込む。攫われていた杖作りが居たということは、今回発見された場所は長く使っていた拠点なのだろう。いよいよ逃げ場がなくなってきたらしいな。

 

イギリスを追われ、フランスも追われ、次は何処に逃げるつもりだ? ……まあ、何処に逃げようが無駄だろうさ。拘束者のリストの中にスネイプの名前は無い。つまり、私たちの付けた『首輪』は健在だということだ。

 

ふん、惨めな逃亡生活をもう少しだけ続けるがいい。私たちの計画が進行したら殺しに行ってやるよ。精々必死に逃げ惑って、残り短い人生を楽しんでくれ。

 

もうさほど重要ではなくなった書類をテーブルに投げ捨てながら、レミリア・スカーレットは目下の重要な問題へと思考を移すのだった。

 



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鈴の魔女

 

 

「どうしよう、どれがいいかな? アリスなら分かる?」

 

怪しげな店内に並ぶ呪符を見比べながら聞いてくる咲夜に、アリス・マーガトロイドは困ったような苦笑を返していた。残念ながら、どれも大した代物じゃないぞ。この品質だと悪戯専門店の商品とあんまり変わらないくらいの効果しかないだろう。

 

香港旅行の五日目、接触を得ることが出来たこの街の有力者たちとの会合に行ったリーゼ様や美鈴さんとは別行動で、咲夜と一緒にショッピングを楽しんでいるのだ。本来こんな事をしている場合じゃないのだが、咲夜を一人にさせられないということでこの割り振りになってしまった。

 

……まあ、仕方ないか。通訳も護衛も兼任できる美鈴さんがリーゼ様に付いて行くのは当然のことだ。正直言って全然役に立ててない感じはあるが、かといって出しゃばったところでどうしようもない。もうちょっと語学を勉強しておくべきだったな。

 

内心で活躍の機会がないことを残念がりながらも、今度はガラスケースに入った呪符を品定めし始めた咲夜へと助言を送る。高級品っぽく置かれてはいるが、こっちも中の下くらいの品質だ。

 

「んー、値段と釣り合ってない品物なのは確かだと思うわよ? このくらいの呪符ならパチュリーの方が上手く作れるんじゃないかしら。」

 

「そうなの? ……魔理沙が興味を持つと思ったんだけど、だったらお土産は何か別の物にした方がいいかな?」

 

「まだ時間はあるんだし、焦らず別の店も見てみましょうよ。これにお金を出すのはちょっと勿体無いわ。」

 

店内にビッシリと並ぶ呪符には、一応呪力が籠っている。籠ってはいるのだが……お世辞にも丁寧とは言い難い作りなのだ。きっと『本職』向けではなく、観光客向けの店なのだろう。他人の商売に文句を言うつもりはないが、お金を落としていこうとも思えないぞ。

 

「うん、そうだね。他の店に行こっか。」

 

私の忠告を素直に受け入れた咲夜は、一つ頷いてから店の出入り口へと歩き出す。その後ろに続いて薄暗い店内を出てみると、ここ数日で見慣れた香港自治区の大通りの雑踏が目に入ってきた。

 

「あら、さっきよりも混んでるわね。お昼時だからかしら? ……逸れないように気を付けてね、咲夜。」

 

「大丈夫だよ、慣れたもん。アリスこそ迷子になったらダメなんだからね?」

 

「余計な心配はしなくていいの。」

 

もうそのイメージは取っ払ってくれ。クスクス笑いながら言ってくる咲夜にジト目で返してから、二人で賑やかな大通りを進んで行く。しかし、本当に騒がしい街だな。この大通りに比べればダイアゴン横丁なんて『お通夜』だぞ。

 

道路にはみ出した飲食店のテーブルで見たこともない料理を食べている小鬼たちや、大声で客引きをしている蒸気の昇る蒸籠が積み上げられた出店の数々。大量のドクシーにリードを付けて散歩している変なおじさんが横を通ったり、店先で小さなお婆さんが居眠りをしている杖屋があったり。

 

リーゼ様によれば裏側は多少物騒らしいが、この大通りだけを見れば賑やかで楽しげな街にしか見えない。……もしかして、ダイアゴン横丁にノクターン横丁が引っ付いているのと同じ理屈なんだろうか? きっと多くの人が集まる街というのは、明るい場所と暗い場所に二極化していくのだろう。

 

明らかに粗悪な箒が格安で売られている店を横目に考えていると、咲夜が私の手を取って引っ張り始めた。また気になる店を発見したようだ。

 

「アリス、あの店はどう? 小物屋さんとかかな?」

 

「どれ? ……うん、綺麗なお店ね。いいんじゃない? ちょっと覗いてみましょうか。」

 

咲夜が笑顔で指差しているのは、何と言えばいいのか……そう、品のある店だ。古いが、汚くはない。木造の壁からは丁寧に使われてきた歴史を感じるし、軒先には美しい風鈴がいくつも吊るされている。建物自体はともすれば見過ごしそうな小ささだが、目に留まれば入らずにはいられないような雰囲気があるぞ。

 

その不思議な魅力に従って入り口の引き戸をカラカラと開けてみれば、美しく整えられた店内が見えてきた。うーむ、絶対に高級店だと一目で分かる陳列の仕方だ。商品同士の間にあるスペースがやけに広いし、統一性のない品物はその殆どがケースの中。ちょっと気後れしちゃうな。

 

「……良いお店だけど、お土産を買うって感じではないわね。」

 

「うーん、そうだね。小物屋さんっていうか、美術品のお店なのかな?」

 

「まあ、入りましょうか。開けちゃったわけだし。」

 

店のドアを開けて入らないというのはさすがに失礼だろう。イメージとの違いに躊躇う咲夜へと肩を竦めて、一歩店内に足を踏み入れた瞬間……ヤバいな、これは。身体が魔力に包まれるぞわりとした感覚と共に、私の中にある魔女の部分が警鐘を鳴らしてくる。

 

「……やっぱりやめましょうか。」

 

どうやら、この店は誰かの『工房』らしい。店として存在している以上、入ったところで一触即発の事態にはならないだろうが、それでも避けるに越したことはないはずだ。今はオフの装備だし、咲夜も一緒。ここは速やかに御暇させてもらおう。即座に結論を出しながらキョトンとする咲夜の手を取って、急いで店を出ようとしたところで──

 

『へっへっへ、そう邪険にするこたぁないだろうに。何も取って食いやしないから、少しくらい覗いていきなよ。』

 

店の奥から嗄れた広東語がかかってしまった。声の出所に素早く視線を送ってみれば……やっぱり『同業者』か。物凄い角度で腰を曲げて、先端に金色の鈴が付いた長い杖を突いている皺くちゃの老婆の姿が目に入ってきた。顔付きこそアジア系だが、私やパチュリーなんかよりもよっぽど魔女っぽい見た目だ。

 

「……勝手に入ったのは謝るけど、縄張りを侵すつもりはないわ。」

 

しかし、最近は魔女に関わることが多いな。厄介なタイプじゃなければいいんだが。とりあえず使い慣れた英語でこちらの言い分を述べてみれば、老婆は皺くちゃの顔を更に皺くちゃにして、独特な訛りの英語で返事を返してくる。どうやら笑っているらしい。

 

「おや、イギリス人かぇ。そりゃあお前さん、ここは店なんだから勝手に入るだろうさ。何を謝る必要があるんだい? ……嫌だねぇ、欧州の魔女は。縄張り、縄張りって喧しいこったよ。どうしてそう協調ってもんを知らないのかね?」

 

どうやら敵意は無いらしいが……むう、耳に痛い言葉だな。こっちの魔女はそうじゃないのか? 私たちの会話を不思議そうに見守る咲夜を背後に隠しつつ、いつでも展開できるように取り出していた人形を仕舞い直しながら返答を口にした。とにかく、戦闘にはならなくて済みそうだ。

 

「ここの魔女は違うってこと?」

 

「そんなもん当たり前さね。足りないものは融通し合うし、知らないことは教え合う。あたしらにとって時間は何より貴重なものなんだから、そっちの方が効率的とは思わんかぇ? ……まあ、勿論対価は頂くけどね。等価交換は物事の基本さ。」

 

うーむ、文化の違いか、それとも『魔女密度』の違いなのか。何にせよ香港の魔女事情はヨーロッパのそれよりも幾分融通が利くようだ。予想外の展開を受けて反応に迷う私へと、老婆は店内を手で示しながら話を続けてくる。随分と奥まで続いているのを見るに、拡大魔法か何かを使っているらしい。

 

「この街じゃあ金さえ払えば誰でも客さ。人間だろうが、妖怪だろうが、魔女だろうがね。ほれ、折角なんだから見て行ったらどうなんだい? そこいらの店みたいな紛い物は置いちゃいないよ?」

 

……どうしよう。先程までの危機感は鳴りを潜め、好奇心の方が上回ってきてしまった。少しだけ逡巡した後、結局は店の中へと歩を進める。魔女は好奇心には勝てないように出来ているのだ。ここで帰ったら後で絶対に後悔しちゃうだろうし。

 

「それじゃ、ちょっとだけ見ていこうかしら。……咲夜、商品には触れないようにね。ジッと見るのもダメよ。あと、もし話しかけてきても無視するように。」

 

「商品が話しかけてきたりするの?」

 

「するの。つまり……そうね、パチュリーのコレクション部屋と同じような場所だと思いなさい。」

 

分かっていただけたようで何よりだ。私の具体的な例を聞いた咲夜が引きつった顔に変わったところで、やり取りを見ていた老婆が片目だけを見開きながら声をかけてきた。

 

「おやおや、そっちのお嬢ちゃんはあんたの弟子かぇ? 可愛いもんさね。私がひよっこの頃を思い出すよ。」

 

「弟子じゃないわ。魔女志望でもないしね。……それより、人形は置いてないの?」

 

刀掛けに掛けられている日本刀、曇った銅鏡、干からびた何かの手首に、青墨で書かれたらしい仏教画。それっぽい店の商品を見回しながら聞いてみると、老婆はこくりと頷いて私たちを店の奥へと先導し始める。うむうむ、あるなら良し。先ずは人形を見なければ始まらないのだ。

 

「それならこっちにいくつかあるよ。……人形、人形ね。真っ先にその質問をしてくる欧州の魔女には二人ほど心当たりがあるんだが、あんたはどっちなんだい?」

 

「英語の発音でイギリス人だって気付いているんでしょう? お察しの通り『まとも』な方よ。あんなヤツと一緒にしないで頂戴。」

 

「へっへっへ、そうかい、そうかい。そりゃあ失礼したね。ってことは、あんたは図書館の魔女の弟子ってわけだ。遠路遥々ご苦労なこったよ。」

 

言いながら店の奥へと歩いて行く老婆を見て、思わず苦い表情が顔に浮かぶ。私が誰なのかはお見通しってわけだ。ケースの中をカサカサと動き回る小指サイズの本を横目に、内心の疑問を言葉に変えて老婆に放つ。

 

「やけに詳しいじゃないの。情報も扱ってるの?」

 

「あたしに言わせてもらえば、あんたらイギリスの魔女はちょっと目立ちすぎだよ。『紅のマドモアゼル』に纏わる話を入手するのは簡単さね。それがこの街ともなれば尚更だ。売れるほどに価値のある情報じゃないさ。」

 

「……あんまり嬉しくない事実ね、それは。レミリアさんはともかくとして、私は一応目立ってないつもりだったんだけど。」

 

「はん、だとしたら考えが甘いよ、小娘。スカーレットは元より欧州じゃあ大物の妖怪なんだ。昔は父親の方が悪名を轟かせてたもんだが、若い今の連中にとっては娘の方が有名さね。魔法界で上手く立ち回ってることを妬んでるヤツも居れば、新しい人外の在り方を示したって尊敬してるヤツも多い。この街で商売してりゃあ、その辺の情報なんかは勝手に耳に入ってくるのさ。」

 

うーん、魔女にとって手の内を知られるというのは結構致命的な事態だ。そりゃあ私にもいくつかの隠し札はあるし、パチュリーともなれば言わずもがなだろうが……幻想郷に行ったらもう少し気を付けた方が良さそうだな。

 

恐らく先達なのであろう老婆の言葉を聞いて、内心ちょびっとだけ反省したところで……おお、美しい。ガラスケースに入っているやや大きめの日本人形が見えてきた。やっぱり黒髪は良いな。綺麗だし、趣があるぞ。

 

「日本人形……というか、市松人形ね。桐塑じゃなくて木製。保存状態も良好。いつ頃作られた物なの?」

 

早足で近付いて人形を調べ始めた私に、老婆は何故か呆れた雰囲気で返答を寄越してくる。その後ろの咲夜も同じ顔だ。……何かやっちゃったか?

 

「あたしは知らないよ。二十年くらい前にふらりと立ち寄った客が二足三文で売っていったのさ。それなりの呪力は感じるが、詳細は不明さね。作者らしきサインもなけりゃ、説明書きも付いちゃいない。だったら人形のことなんかあたしにはさっぱりだよ。」

 

「髪の毛の材質からして江戸後期の作品だと思うんだけど……参ったわ、その辺のことが書いてある本は置いてきちゃったのよね。迷ったんだけど、必要なさそうだったから布人形の資料を優先しちゃったの。」

 

「あのね、普通なら迷いもしないと思うよ。いつも読んでる分厚い本のことでしょ? 『盾』になりそうなやつ。」

 

歩み寄ってきた咲夜の言葉を聞いて、人形をあらゆる角度から眺めつつ返事を送る。でもでも、今まさに必要になってるじゃないか。やっぱりアジア圏全部の国の人形録を持ってくるべきだったんだ。油断しちゃったな。

 

「あれは盾にするには勿体無い一冊よ。……これ、取り出して見せてもらうわけにはいかないの?」

 

後半を老婆に向かって言ってみると、先輩魔女は意地の悪そうな笑みで返してきた。魔女の笑みは万国共通か。

 

「手に取って調べたいなら買うこったね。あんたも魔女なら賢い金の使い方は知ってるんだろう? 自分の『趣味』にこそ惜しむべきじゃないのさ。」

 

「……値札がないけど、幾らなの?」

 

「英ガリオンなら八百ってところさね。魔女の好で両替の分はサービスしといてあげるよ。」

 

「むう……。」

 

悩む、悩むぞ。人形の古さと質、纏っている呪力、保存状態なんかを考えれば適正どころか格安と言ってもいいくらいだ。最近は戦争で忙しくて人形を作れてなかったから、貯金自体はそんなに増えていないが……私の日本人形のコレクションは多くない。手に入る機会そのものが少ないわけだし、ここで逃すのはあまりに惜しすぎる。

 

というかまあ、欲しいもんは欲しいのだ。これが一千ガリオンだったところで、私は結局買ってしまうだろう。理屈で色々な言い訳を積み上げながらも、素直な欲求に従って老婆へと返答を放った。

 

「買うわ。」

 

「へっへっへ、それでこそ魔女だ。ちょっと待ってな。売りに来た時に入ってた木箱が残ってたはずだから、それもオマケで付けてあげるよ。」

 

そう言って店の奥へと歩いて行く老婆を見送りつつも、懐の拡大魔法がかかった小袋から金貨を取り出していると……おや、咲夜が腰に手を当ててこちらを睨んでいる。どうしたんだ?

 

「咲夜? どうしたの?」

 

「さっきは無駄遣いしないようにって言ってたアリスが、全然迷わず八百ガリオンの人形を買うの? 私がお小遣いでナイフを買おうとしたら止めたくせに。」

 

「……これはほら、研究費用みたいなものなのよ。パチュリーが本を買うのと一緒。仕方ない出費なの。」

 

「ふーん? でも、パチュリー様は本を買ったりしないよ。勝手に増えるんだもん。……それに、私だってナイフを買うのは『仕方ない出費』なの。良いメイドになるにはナイフに詳しくなくちゃダメなんだよ?」

 

どこの世界の常識なんだ、それは。ぷんすか怒っている咲夜に詰め寄られて、思わず一歩たじろぐ。昔なら研究費用と言えば素直に納得してくれていたというのに……どうやら咲夜も日々成長しているようだ。もう適当な言い訳じゃ誤魔化せないか。

 

明後日の方向へと目を逸らしつつ、ジト目で覗き込んでくる咲夜へと白旗を振った。この論争は長引けば不利になってしまうだろう。だったら早めに『停戦協定』を結ぶべきなのだ。

 

「……分かったわ、ここを出たらさっきの店に戻りましょう。ナイフは私が買ってあげるから。」

 

「本当? えへへ、アリス大好き。」

 

「……貴女、随分と強かになったわね。」

 

途端に顔を輝かせてご機嫌になった咲夜へと、今度は私がジト目を送る。恐ろしい子だ。年長の扱い方というものをよく分かってるじゃないか。この辺はフランの教育の成果が色濃く出てるな。

 

『甘え上手』を受け継ぎつつある咲夜を戦慄の視線で眺めていると、傍に浮かせた木箱を従えた老婆が店の奥から戻ってきた。使っているのは単純な浮遊魔法だが、見る者が見れば一目で分かる熟練の杖捌きだ。やっぱりかなりの先達らしい。

 

「ほら、これだよ。入れ方は知らないから自分で入れとくれ。」

 

「それじゃ、その間に代金を確認しておいて頂戴。」

 

木箱と交換で金貨を分け入れた袋を渡すと、老婆はそれも浮かせて店の奥へと飛ばしてしまう。確認しなくていいのか? 私の訝しげな視線に気付いたのか、老婆は鼻を鳴らしてから説明してきた。

 

「小鬼じゃあるまいし、一々確認したりはしないよ。大体、こんなところで出し渋るヤツはそもそも魔女になんかなれんさね。相手が魔女なら確認は不要さ。」

 

「まあ、それはそうなんだけどね。」

 

苦笑しつつも展示ケースから人形を取り出し、傷付けないように慎重に箱へと仕舞い込む。市松人形の着ている着物の感触は柔らかな絹だ。塗りもかなり丁寧だし、庶民向けではなさそうだな。当時の富裕層向けに作られた呪具なのだろうか?

 

よしよし、ホテルに戻ったらじっくり調べてみよう。好奇心を抑えながら人形が収まった木箱の蓋を閉じて、金貨を取り出した布袋の中にそっと入れた。

 

「……さて、これで失礼するわ。長居するとまた何か買っちゃいそうだしね。」

 

「あたしとしちゃあ大歓迎なんだがね。ま、今日は充分儲けたさ。続きは今度に取っとくよ。」

 

布袋を懐に仕舞ってから、老婆が先導するのに従って店の玄関へと戻る。途中に並ぶ興味深い商品の数々を見物しつつ、たどり着いた引き戸から外に一歩を踏み出したところで……店に残る老婆がやおら声をかけてきた。

 

「いい取引だったよ、若い魔女。あんたは長生きしそうだし、ご贔屓になってくれたら嬉しかったんだけどね。」

 

「あら、また来るかもしれないわよ? 今度は人形をもっと仕入れておいて頂戴。」

 

「へっへっへ、そりゃあ無理さね。あたしは幻想の郷に支店を出す気はないよ。この街のことは気に入ってるし、見届ける責任もあるんだ。だからあたしはここで生きて、ここで死ぬのさ。」

 

「……貴女も知ってるの? あの場所のことを。」

 

『幻想の郷』。その単語を受けて思わず振り返って尋ねてみれば、老婆は右手に持つ長い杖をコツンと鳴らして答えてくる。今気付いたが、先端の鈴は音を立てていない。中が空洞になっているようだ。

 

「覚えときな、小娘。八雲をあんまり信用しないこった。あの妖怪は大した理想家だが、同時にどこまでも打算的なのさ。あれに比べりゃ悪霊女の方がまだマシさね。あいつの言葉を真に受けると足元掬われるよ。」

 

「それは──」

 

言葉の真意を問いかけようとした瞬間、どこからか綺麗な鈴の音が聞こえたかと思えば……またこれか。古い魔女ってのはどうしてこっちの返答を聞かないんだ? 一瞬にして目の前にあったはずの店は消え去って、コンクリートの古ぼけた壁に変わってしまった。

 

「……どういう意味だったのかな?」

 

「さてね。幻想郷や八雲さん、それに魔理沙の師匠のことまで知ってるみたいだったけど……謎掛けに次ぐ謎掛けでもううんざりよ。早くホテルに戻って人形を調べたいわ。」

 

壁に小さく描かれた鈴の絵。それを見ながらため息を吐いていると、咲夜が私の手を引いて歩き始める。

 

「きっと考えても無駄だよ、アリス。こういうのは直感で受け取るべきなんじゃない? ……それよりほら、早く行こう? 先ずは約束通りナイフを買わないとね。人形を調べるのはその後だよ?」

 

「……本当にもう、強かになっちゃって。」

 

切り替えの早い咲夜に苦笑してから、手を引かれるがままに賑やかな通りを進んで行く。いやはや、世界ってのは本当に広いな。魅魔さんしかり、さっきの老婆しかり、他国にも本物の魔女は確かに存在しているわけか。

 

今なお広がり続ける世界にやれやれと首を振りながら、アリス・マーガトロイドは咲夜の手をしっかりと握り直すのだった。

 



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蝙蝠八化け、九尾は九化け

 

 

「詰まる所、君は我々に何を望んでいるのかね? ゲラート・グリンデルバルドに協力しろとでも?」

 

長テーブルの中央に座っている老人がそう口にするのを、紅美鈴はこれ以上ないってほどに退屈な気分で眺めていた。まーだ掛かるのか。普通に英語で話すもんだから通訳としての仕事もないし、さすがに飽きてきちゃったぞ。

 

香港独立魔法自治区。その中心部に聳え立つ一際高いビルの一室で、この街の有力者たちと従姉妹様が話し合いをしているのだ。部屋の中央に座る従姉妹様を囲むように弧を描く長テーブルが設置されており、そこに香港の各地区を束ねる十三人の男女が並んでいる。

 

そして当然、私は従姉妹様の斜め後ろで立ちっぱなしだ。……もう一脚くらい椅子を準備してくれてもいいんじゃないか? 意地の悪い連中だな。内心でため息を吐く私を他所に、脚を組んで肘掛けに頬杖を突いている従姉妹様が返答を放った。苛々しているのを見るに、こっちも牛歩の議論にうんざりしてきたらしい。

 

「彼個人ではなく、掲げている主義に賛同して欲しいと言っているんだよ、私は。キミたちだってマグルの技術の進歩についてはよくご存知のはずだろう? ならば、演説の内容にそれなり以上の理を感じたはずだ。」

 

「認めよう。確かにあの演説は良く出来ていた。しかし、香港は国際政治に関わるつもりはない。意識を変えるなり、マグルと戦争を始めるなり、君たちで勝手にやればいいではないか。」

 

「ふぅん? だからコインに関しても無視すると? 香港の住人は借りたものを返さないわけだ。創始者たちは草葉の陰で嘆いてるだろうね。」

 

従姉妹様の反論を聞いて、それまで勢いよく喋っていた短髪の老人が顔を歪める。さっきからずっとこの流れだな。十三人の内の半分以上は香港は関わるべきではないと主張しているのだが、同時に本物だと確認されたコインを無視することも出来ないらしい。結果として議論は膠着状態に陥ってしまったわけだ。

 

「……無論、受けた恩義は覚えている。香港は常に借りを返す街だ。しかしながら、君は創始者ではない。違うか?」

 

面子の中では比較的若めのスキンヘッドの男が片言の英語でそう言うのに、従姉妹様は大きく鼻を鳴らしながら答えを返した。

 

「さっきから言っているように、既に創始者の同意は受け取ってあるんだよ。だからこそ私がこのコインを持って、この場所に座ってメッセージを伝えているんだ。私の言葉は創始者の言葉だと思ってもらおうか。」

 

うーん、さすがは吸血鬼。自信満々の表情で迷いなく言い切っているが、その内容は婉曲表現というか……まあ、ほぼ嘘だ。私が聞いた限りでは魅魔とやらの同意など得ていないはずだし、グリンデルバルドに協力しろとのメッセージも受け取ってはいない。

 

とはいえ、香港の人間にとっては無視できる言葉ではなかったようで、テーブルに並ぶ十三人は……ふむ? 事前に事情を知らされているマッツィーニの反応が薄いのは理解できるが、左端に座ってる女も変な反応が目立つな。

 

ボブの金髪にパンツスーツ姿。一見して怪しいところは見当たらないものの、従姉妹様の言葉に困ったような苦笑を浮かべているのがどうにも気になる。真剣に考えている他の代表たちとは違って、外野から見物してるような雰囲気があるぞ。

 

それに、強い。巧妙に隠してはいるが、微かに漏れ出る妖力が木っ端妖怪とは段違いの質だ。人間じゃないのは当然として、魔法界の住人でもないだろう。間違いなく『こっち側』のイキモノだな。

 

んー……やっぱり邪魔だなぁ、あいつ。他の連中は警戒に値するようなレベルじゃないのだが、あの女が部屋に居る所為でさっきから気を抜けないのだ。これでも一応護衛の任に就いている自覚はある。相手の力量がよく分からない以上、護衛対象たる従姉妹様との距離を空ける訳にはいかない。

 

あれだけ上手く妖力を隠せるってことは、どちらかといえば妖術を得意とするタイプか? ますます面倒くさいな。術やら何やらで複雑なことをしてくる妖怪は苦手だ。このまま大人しくしててくれればいいんだが。

 

まあ、従姉妹様もあの女の違和感には気付いているはずだ。お嬢様や妹様が力で押し潰すのを得意としているのに対して、従姉妹様はどちらかと言えば技術で翻弄するタイプだし、細やかな探知なんかもスカーレット家のゴリ押し姉妹よりかは上手いだろう。

 

だったら最悪、二対一の形に持ち込めばいいか。それで負けるとはさすがに思えないぞ。私が謎の女に関する考察に決着を付けたところで、従姉妹様が手の中のコインを弾きながら口を開いた。

 

「正直に言わせてもらえば、香港の傍観主義にはもううんざりしてるんだよ。スカーレットと関係を持つ私がこんな提案をしてるって時点で分かると思うが、魔法界は近いうちに大きく動くぞ。そこに中立など存在しない。ここで協力しないということは、それ即ち敵対するということだ。」

 

「……それは脅しですか?」

 

「善意の忠言さ。香港が国際社会から孤立した時、何処かの誰かが無償で助けてくれると思ったら大間違いだぞ。キミたちはあくまで必要悪。必要が無くなったら切り捨てられる程度の存在なんだ。……アジアのバランサーを気取るのは大いに結構だが、アジアが纏まった後にキミたちの居場所があると思うのかい? ここらで協調の意思を示すべきだと私は思うがね。」

 

厳しい視線で聞いてきたヨーロッパ系の中年女性に冷たい返答を送った後、従姉妹様は肩を竦めて話を続ける。もちろん冷たい微笑を浮かべながらだ。

 

「持ち込んだ私が言うのもなんだが、コインの件は一旦置いておこう。こんなものは結局のところ切っ掛けに過ぎないからね。……本音で話そうじゃないか。香港の国際的な存在価値は年々薄れているぞ。昔の仲が悪かった国際間なら居場所に困らなかっただろうが、今はもう協調の時代に突入している。分かるだろう? 『グレーゾーン』の必要性そのものが薄れているのさ。それとも、内側のキミたちからじゃそれに気付けないかな?」

 

「だとしても、国と国との軋轢が消え去ることなど到底有り得ん。魔法界に国家の区切りがある限り、中立を保つ香港がお払い箱になることはないはずだ。」

 

「ふん、どうかな? 一時的にせよ魔法界は一つの目的に向かって纏まるぞ。他ならぬ私たちがそうしてみせる。そうなった時、何一つ手助けをしなかった香港は孤立するはずだ。……というか、そういう流れに持っていくよ。邪魔者を皆で殴れば仲が深まるだろう? 共通の敵は団結の元さ。私もキミたちと同じく借りを返す主義だからね。……それが良いものにせよ、悪いものにせよだ。」

 

「残念だが、そう簡単にこの街に手出しは出来んよ。世界の裏側に我々の根は広がっている。君たちでは全てを断ち切ることなど出来ないだろう。」

 

どこか誇りを感じる表情で言った短髪の老人に対して、従姉妹様は肩を竦めながら冷徹な返事を返した。かなり挑戦的な口調だ。

 

「そりゃあ絡み合う根を焼き尽くすのは面倒だが、私たちなら出来るし、必要とあらばやるさ。私たちをその辺のヌルい政治家と一緒にしないでくれたまえ。イギリス、フランス、ドイツ、ソヴィエト、そしてアメリカ。手駒は十二分に揃っているし、その覚悟もある。……わざわざくれてやったチケットを破り捨てて、私たちの革命を邪魔する道を選ぶのかい? だったら手段を選ばず叩き潰すぞ。味方か、敵か。二つに一つだ。私がこの場所に来た時点でもう傍観の道など存在しないんだよ。」

 

従姉妹様の断固とした宣言を聞いて、十三人の代表たちがそれぞれの表情を顔に浮かべる。怒ったようなのが三分の一、苦い顔なのも三分の一、そして残りはどこか興味深そうな表情だ。

 

先程まで応対していた老人が黙り込んだのを見て、恐る恐るという感じでマッツィーニが声を上げた。どうやら援護してくれるらしい。

 

「発言してもよろしいでしょうか? ……正直なところ、私としては協力することに確たるデメリットを感じられないのですが。ノーマジの問題が香港にとって共通のものであるというのは間違いありませんし、早期に立場を決めれば国際的な地位も高まるでしょう。そもそも、皆様は何が問題だと思っているのですか?」

 

「当然、香港の中立性が薄まることを問題視しておるのだ。それに、そこの小娘どもがもし失敗したらどうする? 負ける馬に賭けた香港はいい笑いものじゃよ。」

 

これまでずっと黙っていた白髪の老人に続いて、その隣のアフリカ系の若い女性も頷いてから口を開く。これ、従姉妹様はきちんと誰が誰だか把握しているのだろうか? ……まあ、してないか。これだから人数の多い話し合いはよく分からん。人種が様々なのが唯一の救いだな。少なくとも見た目では判断できるわけだし。

 

「更に言えば、公に提案している者がグリンデルバルドだというのも問題ですね。バートリ氏の後ろに誰がいるのかは想像できますが、大半の魔法使いたちは知る由もないでしょう? ここで香港が立場を決めれば、彼らはそれを『香港がグリンデルバルドの支配下に落ちた』と受け取るはずです。」

 

「別に今すぐ明言しろとは言わないよ。然るべきタイミングで旗を掲げてくれればいいんだ。今日の私が欲しいのはその保証さ。」

 

「つまり、『然るべきタイミング』とやらはそう遠くないうちに訪れると?」

 

「その通りだ。そして、それが香港にとってのタイムリミットでもあるね。その時点で明確な立ち位置を定めないのであれば、私たちとしてはキミたちを排除する他ない。……魔法族に中立の『逃げ道』があってはならないんだよ。彼らを問題に向き合わせることこそが重要なんだから。」

 

従姉妹様の返答を受けて、若い女性は納得したように引き下がった。……もう従姉妹様の言葉がどこまでブラフなのかは私にも分からんぞ。ひょっとして、協力しない時は本気で香港を潰すつもりなのか?

 

私は政治には詳しくないが、出来るのとやるのとには大きな差があるはずだ。この街を敵に回すのは厄介そうだし、そもそもお嬢様やグリンデルバルドにはそのことを伝えてすらいないはず。……うーむ、恐ろしいな。何の保証もない空手形を堂々とベットしているわけか。

 

私が若干呆れた視線を大嘘吐きの吸血鬼に送ったところで、例のパンツスーツの女がテーブルをコツンと鳴らす。……おおっと? 途端に年寄り連中が注目し始めたぞ。やっぱりかなりの実力者らしい。

 

「ご存知の通り、私は主人の代理として来ているのですが……どうでしょうか? バートリ氏の提案に乗るのもアリなのでは? 魔法族が非魔法族の存在に向き合うというのは私も、私の主人も大いに賛成するところです。今の香港は中立地帯としての繁栄を享受していますが、そも成立した当初の理念は少し違ったはずでしょう? それを思い出してみてください。」

 

「……異種族間の共存と理解、ですか。」

 

「その通りです。『香港は全てを受け入れる』。世界のはぐれ者たちが唯一暮らせる場所として創られたこの場所が、魔法族と非魔法族の亀裂を塞ぐために動く。それがそんなにおかしなことですか? ……この街が掲げるべきははぐれ者たちを守るための中立であって、利益を得るためにそれをやっているのでは本末転倒でしょう。今回は実益ではなく理念で動きなさい。私の主人もそれを望むはずです。」

 

その穏やかながら命令的な言葉を聞いて、代表たちは難しい表情で黙り込んでしまった。全てを受け入れる、ね。どっかで聞いたような理念だな。誰が言ってたのかと記憶を漁り始めた私を他所に、短髪の老人が従姉妹様に向かって質問を放つ。

 

「……具体的には何を望んでいるのかね? 香港にどう動けと?」

 

「欲を言えばキリがないが、立場を明確にして欲しいっていうのが一番かな。誰よりこの問題を知るであろう香港が、これまで頑なに中立を保ち続けたこの街が、この問題に関しては積極的に動く。そのインパクトが欲しいんだ。……私たちはこの問題をなあなあで終わらせるつもりは無いのさ。魔法族がどれだけ嫌がろうとも、今回ばかりは真正面から向き合ってもらう。そのためにも、先ずはとにかく大きな話題にする必要があるんだよ。世界の全てが注目するような話題にね。」

 

「だからグリンデルバルドが、スカーレットが、そして香港が必要だというわけだ。……いいだろう、私は賛成する。他の者はどうかね?」

 

おや? あの女が意見を出した途端、一気に話が進んだな。中央に座る短髪の老人がそう言ったのに、年嵩の連中はさほど迷わず同意を返した。マッツィーニを除いた若い連中は少し意外そうに目を見開いているが、それでも僅かに遅れて同意を示す。

 

その光景を見た従姉妹様は、至極満足そうにペチペチと手を叩いた。……左端の女に目線を固定したままでだ。

 

「結構、結構。これで話は決まりだね。細かい連絡はマッツィーニを通して送らせてもらうよ。一緒に革命を楽しもうじゃないか。」

 

「かしこまりました。お任せください。」

 

働いてくれたご褒美ってことか。マッツィーニにとっては従姉妹様との、延いてはお嬢様との繋がりこそが何よりの利益なのだろう。イタリア男が嬉しさを隠しきれない感じでお辞儀したところで、金髪の女が再び声を上げた。

 

「では、これにて閉会ですね。……バートリ氏は残っていただけますか? 少しお話したいことがありますので。」

 

「ああ、構わないよ。私も聞きたいことが出来たしね。」

 

そのやり取りを聞いて、先ずは年嵩の連中がさっさと部屋を出て行く。暗に席を外せと言ったわけか。随分素直に従うじゃないか。その後に続いて若い連中も部屋を出たところで……パタリと閉まったドアを横目に、従姉妹様が大きく伸びをしながら口を開いた。

 

「ふん、香港は『テストケース』ってわけだ。八雲も随分と悪趣味なことをするじゃないか。大事な箱庭のために魔法界を玩具扱いかい?」

 

テストケース? 呆れた声色で放たれた言葉に対して、金髪の女は苦笑いで返答を返す。先程までの丁寧な態度はどこへやら、ちょっと高圧的な砕けた口調だ。

 

「まあ、御察しの通りだ。成立自体は幻想郷の方が先だがな。いきなり人妖に深い関わりを持たせるのは不安だったから、スペルカードルールの適用前に香港で『軽く』試してみたんだよ。」

 

「それはそれは……おめでとう、大成功じゃないか。ごちゃ混ぜの街は上手く機能しているみたいだよ?」

 

「残念だが、香港と幻想郷は違う。幻想郷の妖怪はより妖怪らしい意識を保っているし、人間は魔法を使えない。条件が異なっている以上、向こうではここまで上手くはいかないだろうな。」

 

口調も、雰囲気も、そして妖力も。『本性』を隠すことなく曝け出した金髪女は、従姉妹様への説明を続ける。なるほど、隙間妖怪の知り合いだったのか。

 

「喜べ、バートリ。紫様はお前のことを気に入っているぞ。以前は金髪のサイドテールが一番だったらしいが、今はお前に注目しているそうだ。」

 

「なんだそりゃ。覗き趣味もいい加減にしておきたまえよ。……そもそも、キミは八雲の部下か何かなのかい? それなりの大妖怪に見えるが。」

 

「部下ではない。私は紫様の式だ。」

 

「……式? 驚いたね。あの女は大妖怪を式にしてるのか。やってることが滅茶苦茶だぞ。」

 

うーむ、確かに凄いな。式ってことは私とお嬢様のような関係ではなく、パチュリーさんと小悪魔さんの関係に近い状態だ。つまり、西洋風に言えば使い魔。契約というよりかは支配に近い関係性だと言えるだろう。

 

感心半分、呆れ半分の従姉妹様の言葉を受けて、金髪女はしたり顔で大きな胸を張って頷いた。……嫌々式をやってるってわけでもないっぽいな。『取引タイプ』じゃなくて『心酔タイプ』か。

 

「ふふん、そうだ。紫様はその辺の大妖怪なんかとは格が違うからな。お前たちもそれ相応の対応をした方が身の為だぞ。」

 

「はいはい、気を付けるよ。……話を纏めると、魅魔に加えて八雲も創始者のメンバーだったわけか。私のブラフはあんまり効いてなかったようだね。老人どもは知っていたんだろう?」

 

「まあ、そうだな。厳密に言えば私もその内の一人に数えられている。今回の会談は私とお前の話し合いに過ぎなかったわけさ。もちろん若い連中は知らないはずだが。」

 

「だったら最初から二人で話せばいいだろうが、まったく。……となると、残り二人は誰なんだい? 気になるから教えてくれ。もう別に隠すことでもないだろう?」

 

紋章が刻まれたコインを示しながら言った従姉妹様に対して、金髪女は何かを思い出すような表情で答えを返す。

 

「一人は『こちら側』の魔女だ。幻想郷にも誘ったんだが、断られてしまってな。今もこの街に住んでいるよ。もう一人は……何と言えばいいか、紫様の古馴染みの妖怪だ。魅魔もそいつも私は好かん。詳しく語らせないでくれ。」

 

「ふぅん? ……まあいいさ。それで、本題は? わざわざ話す時間を作ったってことは、八雲からの伝言か何かがあるんだろう?」

 

「伝言というか、連絡だな。この件が終わったら早く引っ越して欲しいそうだ。スペルカードルールは完成しつつあるし、次代の『調停者』の育成もほぼほぼ終わった。後はルールを知らしめるための大事件を起こすだけだ。」

 

「こっちとしてもそのつもりだよ。ただし、私は最低でも後二年、ひょっとすると四年はこっちに残ることになる。どんな『大事件』を希望しているのかは知らんが、詳細はレミィと詰めてくれ。」

 

四年? ……あー、咲夜ちゃんの卒業までってことか。確かに一人だけ残していくわけにはいかないし、そうなると従姉妹様かアリスちゃんあたりが残ることになるだろう。いやまあ、お嬢様は反対するだろうが、紅魔館だけ送って主人がこっちに残るのなんて意味不明だ。

 

従姉妹様の言葉に納得する私を他所に、金髪女は少し焦った表情で返事を寄越してきた。

 

「何? 四年? ……ちょっと待て、紫様のご希望はお前の方だ。レミリア・スカーレットを残してお前が来るわけにはいかないのか?」

 

「無理だよ。八雲が何を重視しているのかは大体分かるが、故に私はまだこっちを離れる訳にはいかないんだ。レミィが嫌ならあと数年待ちたまえ。」

 

「いやいや、それは……まあいい、結局は紫様のご判断次第だ。あの方が否と言うなら引き摺ってでも連れて行くし、許可したのならば私に異存などない。」

 

「なんとまあ、八雲には優秀な式が居て羨ましい限りだよ。」

 

明らかに皮肉半分の言葉だったが、金髪女にはそう聞こえなかったようだ。ちょっと嬉しそうにしながらうんうん頷いている。

 

「そうだろう、そうだろう。さすがは紫様のお気に入りだな。話の分かるヤツじゃないか。……とにかく、今日は私の顔見せが出来たならそれで充分だ。移住に関しての細かいやり取りは私が受け持つことになるから、以後よろしく頼むぞ。」

 

「了解したよ。……ちなみに、名前は? まだ聞いてないわけだが。」

 

「おっと、これは失礼した。藍だ。八雲藍。九尾だよ。」

 

そう言った瞬間、金髪女の腰の辺りにもこもこの尻尾が九つ出現して、青白い炎で宙空に『八雲藍』という文字が浮かび上がるが……うえぇ、九尾? 最低最悪のゴミ妖怪じゃないか。思わず苦々しい表情を浮かべた私に気付くことなく、金髪九尾は尻尾と炎をかき消してドアに向かって歩き始めた。

 

「では、私は行く。近いうちにまた会おう、バートリ。」

 

「八雲にもよろしく言っといてくれたまえ。……今も『見てる』のかもしれないけどね。」

 

早く出てけ、イヌモドキ妖怪め。帰ってネズミでも食ってろ。部屋を出て行く金髪九尾の背中に声を放った従姉妹様は、椅子から立ち上がりつつ私に問いかけを飛ばしてくる。

 

「九尾ね。こっちの狐妖怪だったか? 私は関わったことの無いタイプなんだが……キミには何か思うところがあるようだね、美鈴。」

 

「ありますよ、ありありありのありまくりです。九尾狐にロクなのは居ませんからね。……狐妖怪は尻尾の本数が増えるに従って『性悪度』も増すんです。中原の妖怪だったら誰もが知ってることですよ。」

 

「ま、主人に似て癖のあるヤツってことか。精々気を付けることにするよ。」

 

「そんなんじゃダメです。追っ払いましょうよ、あんなの。落とし穴に油揚げでも入れとけば勝手に引っ掛かりますから。埋めて証拠隠滅しちゃえば無問題でしょう?」

 

その方が世のため人のため妖怪のためになるのだ。かなり本気の提案だったのだが、従姉妹様は冗談として受け取ってしまったらしい。くつくつと笑いながら小さく肩を竦めてきた。

 

「はいはい、考えとくよ。」

 

「いやいや、本当にそうした方が良いんですってば。狐妖怪には嫌な思い出しかないんです。あの性悪どもが関わると絶対に厄介な事態になりますよ? 九尾ってのは昔から武人の邪魔ばっかりする連中で、無粋で、卑怯で、恥知らずで、不貞で──」

 

従姉妹様への必死の説得を続けながらも、紅美鈴は近付いてくる厄介事の気配を感じ取るのだった。

 



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発つ者、残る者

 

 

「何だよ、私も行きたかったぜ。」

 

ダイアゴン横丁の石畳を踏みしめながら、霧雨魔理沙は並んで歩く銀髪の親友に愚痴を放っていた。イギリス魔法界とはちょっと違った雰囲気みたいだし、聞けば聞くほど面白そうな街じゃんか。

 

七月末のお昼時、旅行に行っていたらしい咲夜がお土産を携えて人形店を訪ねてきたのだ。香港特別魔法自治区なる場所に、リーゼやアリスと共に一週間ほど滞在していたとのことだが……むう、羨ましいぞ。こっちじゃ売ってないような魔道具も沢山あったらしい。

 

まだ見ぬその場所を想像している私へと、当の咲夜は苦笑しながら言葉を返してきた。

 

「仕方ないでしょ。行く時は急だったから、魔理沙も一緒にだなんて提案できなかったのよ。お土産で我慢して頂戴。」

 

「まあ、お土産はありがたいけどさ。……それで、リーゼは何しに行ったんだ? 話を聞く分だと単なる旅行ってわけじゃないんだろ?」

 

「んー、よく分からないわ。お仕事の話にはなるべく口を出さないようにしてるから。でも、貴女のお師匠様が関係してたらしいわよ? 魅魔さん、だったっけ?」

 

「……まさか、会ったのか?」

 

思わず驚愕の表情で立ち止まって聞いてみると、咲夜は首を振りながら否定の返答を寄越してくる。……いやまあ、そりゃそうか。魅魔様は幻想郷に居るはずだもんな。

 

「残念ながら私は会えなかったけど、アリスは会ったみたいよ? アメリカでコインを渡されたんですって。会ったっていうか、一言声をかけられたってくらいだったらしいけど。」

 

「アメリカ? コイン? ……訳が分からんぜ。一から説明してくれ。」

 

「説明も何も、そのまんまよ。お仕事でレミリアお嬢様がアメリカに行くことになって、それに付いて行ったアリスが魅魔さんから謎のコインを貰って、その所為でリーゼお嬢様は香港に行くことになったの。」

 

「ますます分からん。相変わらず説明が下手すぎるぞ。」

 

知る人ぞ知る事実だが、咲夜は噛み砕いた説明というのがド下手なのだ。簡潔すぎたり、主観が入りすぎたり、あるいは客観的すぎたり。頭はいいはずなのにどうしてこうなっちゃうんだろうか? 実に不思議だな。

 

何にせよ咲夜にとっては嬉しくない言葉だったようで、ちょっと顔を赤くするとプイとそっぽを向いてしまった。

 

「そんなこと言うならもう知らない。詳しく知りたいならアリスから聞きなさいよ。説明上手なアリスからね。」

 

「あー……すまんすまん。そんなに怒るなよ。」

 

「怒ってないわ。効率的な道を示しただけよ。」

 

「……ノーレッジの言い訳の仕方にそっくりだぞ、それ。いよいよ似てきたんじゃないか?」

 

私の指摘を受けた咲夜は、何かに気付いたようにハッとした後……今度は難しい顔で黙り込んでしまう。彼女にも思い当たるところがあったようだ。頼むからノーレッジみたいにはならないでくれよ?

 

そのまま二人で『ミセス・ブーリンのマストなマント専門店』と書かれた建物を通り過ぎると、もはや見慣れたカラフルな店が目に入ってきた。言わずもがな、ウィーズリー・ウィザード・ウィーズである。今日も双子を手伝いに行くと言ったら、咲夜も一緒に来てくれることになったのだ。

 

遂に開店間近となった悪戯専門店の店頭には、派手なピンク色の電飾がこれでもかってくらいに光っているが……うーむ、やっぱりクソ目立つな。三人でマグル界に『買い出し』に行った時は色々と大変だったものの、これはそれだけの価値がある成果だと言えるだろう。

 

ダイアゴン横丁では基本的に電飾の類は一切設置されていない。街灯だったりショーウィンドウから漏れる明かりなんかで夜も普通に明るいため、特にそういったものが必要ないのだ。看板を照らす明かりを設置する店さえ少ない気がするぞ。

 

そんな中いきなり現れたカラフルな明かり。……ジョージの慧眼だったな。客引きとしてはこれ以上ないってほどに優秀な代物だろう。少なくとも無視して通り過ぎるというのは有り得ないはずだ。

 

感心してうんうん頷いている私を他所に、隣の咲夜が呆れたような声を放つ。

 

「……近くの店の人に怒られないの? あれ。景観を完全に無視してるじゃない。」

 

「悪戯専門店だからって大目に見られてるみたいだぜ。物珍しいってのもあるんだろうけどさ。」

 

「私なら自分の店の隣にあれがあったら嫌だけどね。」

 

そうかな? 賑やかで良くないか? 感性の違いに首を傾げながら悪戯専門店に近付いて行くと、店の前で看板を持って立っている派手な格好の小人がチラシを突き出してきた。何度会えば顔を覚えるんだよ、こいつ。記憶力ゼロか?

 

「だから要らないっての。毎日のように会ってるだろうが。」

 

「……誰なの?」

 

「知らん。フレッドが宣伝にって雇ったんだけど、一言も喋らないんだよ。もしかしたら喋れないのかもしれないけどな。」

 

「何よそれ。……あの、私もチラシは要りませんから。お店の準備を手伝いに来たんです。」

 

咲夜の言葉を理解しているのかしてないのか、機械的な動きでチラシを引っ込めた無愛想な小人は、再び『ウィーズリー兄弟の悪戯専門店、近日開店!』の看板片手に道行く人々にチラシを突き出し始める。仕事はきちんとしているようだが、よく分からんヤツだな。

 

仏頂面の看板持ちを尻目にドアを抜けて中に入ってみれば、ほぼほぼディスプレイが完成した店内の光景が見えてきた。紫のピグミーパフもハグリッドの助言のお陰で順調に増えてるし、この分だと二色揃って売りに出せそうだ。

 

「これはまた……目が痛くなるような店内ね。あの人形は何なの?」

 

「ん? そいつは『ゲーゲー・トローチ』用のディスプレイだ。今は動かしてないけど、魔法で人形の口からトローチが出てくるんだよ。それを横のカップで掬い取るって寸法さ。面白そうだろ?」

 

「……ノーコメントよ。」

 

こいつは私の意見も取り入れてもらった仕掛けなのだ。かなり複雑なオリジナルの魔法が使われているんだぞ。胸を張って説明していると、店の奥からフレッドがひょっこり顔を出す。

 

「おっと、来たか。……あれ、サクヤも一緒なのか? どうしたんだ?」

 

「うちに遊びに来ててな。手伝いに行くことを話したら、一緒にやるって言ってくれたんだよ。」

 

「おいおい、サクヤと遊ぶならそっちを優先してていいんだぞ? サクヤも悪かったな。付き合わせちまったか。」

 

「特にやることもなかったですし、別にいいですよ。それに、お片付けは好きなんです。これでもメイド見習いですから。」

 

ちょっと申し訳なさそうなフレッドに咲夜がそう返したところで、店内を見回しつつ双子の片割れに問いを送った。あるはずの物が見当たらないぞ。

 

「ありゃ? 『爆発ソース』用のディスプレイはまだ届いてないのか? 今日の朝一で届くはずだろ?」

 

「ああ、その所為でジョージがちょっと出てるんだ。実演用の人形がソースの爆発に耐え切れなかったみたいでな。急いで改良してくれてるらしい。そいつを確認しに行ってるんだよ。」

 

「……だったらソースにも年齢制限をかけた方がいいんじゃないか?」

 

「大丈夫だとは思うんだが、もしかしたらそうなるかもな。……まあ、いざとなったら膨らみ薬の割合を減らすさ。それで何とかなるはずだ。」

 

私は試してない悪戯グッズの一つだから何とも言えんが、フレッドの表情を見る限りではそうなる可能性が高そうだ。だったら包装にも注意喚起の一文を加えないといけないな。面倒な状況に鼻を鳴らしていると、興味深そうな表情で『伸び耳』のディスプレイを突っついていた咲夜が質問を放ってくる。

 

「それで、私は何を片付ければいいの? 私の判断基準でやるとなると、この店そのものを『片付ける』必要があるんだけど。」

 

「片付けというか、掃除を頼めないか? 双子も私も苦手でな。店の中で商品が破裂したこともあったし、結構汚れてそうなんだ。」

 

「一応魔法で綺麗にしようとはしたんだけどな。間違えてゴミと一緒に糞爆弾とか『汚し箒』まで消しちまったんだよ。それ以降手作業でやってるんだ。」

 

「……掃除は別に構わないけど、どれがゴミかの区別が難しすぎるわ。捨てそうになったら止めて頂戴ね。」

 

かなり不安そうな表情で頷いた咲夜は、早速とばかりに棚の手前に置いてあった小汚い布に手を伸ばしているが……それは半透明マント。れっきとした商品だぞ。これは難しい作業になりそうだな。

 

明らかに汚い物を摘む感じで半透明マントを持ち上げている咲夜を見ながら、霧雨魔理沙は顔に苦笑を浮かべるのだった。

 

 

─────

 

 

「八雲紫の式、ねぇ。」

 

テーブルの向かい側で縫い物をしているリーゼを眺めながら、レミリア・スカーレットはどっかりとソファに寄り掛かっていた。あーあ、また針が曲がってるぞ。思いっきり指に刺して曲げちゃったらしい。これで何回目だよ。

 

真夜中の紅魔館のリビングには、私とリーゼ、そして不器用吸血鬼の隣で人形作りを『指導』しているアリスと、向こうのテーブルで我関せずと本を読んでいるパチュリーの姿がある。香港旅行の報告会を行なっているのだ。

 

しかし、聞く限りでは微妙な成果だな。香港を味方に出来たのはもちろん大きいのだが、どうにも八雲の手のひらで転がされていた感が拭えないぞ。事の始まりから終わりまで。今回はあの女の介入が多すぎた。

 

魅魔と八雲の関係性こそ謎だが、繋がりがあること自体は間違いあるまい。してやられた感覚に顔を顰める私へと、針を交換したリーゼが報告を続けてくる。

 

「今後の連絡役はその式……九尾狐の八雲藍とやらが務めるそうだ。」

 

「ふーん? 知らないタイプの妖怪ね。でもまあ、式ってことは大したことないヤツなんでしょ?」

 

「いや、かなり強いと思うよ。大妖怪の中でも上位の存在なんじゃないかな。狐妖怪に詳しいらしい美鈴もそう言ってたしね。……彼女は九尾がお嫌いのようだが。」

 

「……大妖怪を式にしてるの?」

 

凄まじいな。神とかがやるようなことだぞ、それは。呆れ半分で問いかけた私に、荒々しい仕草で作りかけの人形に針をぶっ刺したリーゼが返答を寄越してくる。アリスがため息を吐いてるじゃないか。不器用にも程かあるぞ。

 

「八雲にはそれだけの『容量』があるってことだろうさ。想像以上に厄介な存在みたいだね。」

 

「……まあ、それでもやりようはあるわ。パチェは何か知らない? 狐妖怪とやらについて。」

 

独立した『世界』を創ってるって時点で相当だが、まさかそこまでとは思わなかったな。内心で胡散臭い隙間妖怪への危険度をいくらか上げつつも、黙って本を読んでいる『知識担当』へと質問を送ってみれば、いつものようにノータイムですらすらと返事が返ってきた。

 

「狐妖怪はアジア圏だとそれなりにメジャーな妖怪よ。人を騙して食料を巻き上げる程度の小物から、皇帝を騙して国を傾ける大物まで選り取り見取りね。主に妖術の類を得意としていて、妖力の大きさや生きた年月に伴って尻尾の数が増えていくらしいわ。尾の数は基本的に一尾から九尾まで。……つまり、その八雲藍とやらは狐妖怪の中でも最上位の存在よ。」

 

「ふぅん? 分かり易い種族だね。尻尾の数がステータスか。」

 

「それに、国によっては神として祀られているケースもあるらしいわよ。その所為か若干プライドは高め。インドの象妖怪ほどじゃないらしいけどね。……あくまで本の情報だけど、ある程度正確なものだと思うわ。」

 

「よく分かったよ、我らが司書さん。もう読書に戻ってもらって結構だ。……プライドが高め、ね。会話から察するに、八雲紫に心酔しているようだったが。」

 

少なくとも、その辺の木っ端じゃないっていうのだけは間違いなさそうだな。リーゼがパチュリーの方からこちらに向き直るのと同時に、私も視線を戻して口を開く。

 

「元より妖怪なんてのは変わり者の集まりなんだから、種族全体の性格から外れたヤツだっているでしょ。温厚な狼人間も、ぐーたらな死神も、ユルい仙人も、素直な吸血鬼も……一人くらいは居るはずよ。多分ね。」

 

「それは怪しいところだと思うぞ。」

 

うーむ、言ってて自信が無くなってきたな。私たちは結構ステレオタイプな存在だったのかもしれない。妖怪の在り方についての疑問が生じたところで、それまでリーゼの人形作りに集中していたアリスが声を上げた。その表情を見るに、完璧を目指すのはもう諦めたようだ。

 

「狐妖怪の性格に関しては置いておきましょう。それより、今重要なのは八雲紫さんが接触してきたってことですよね? ……要するに、そろそろ移住のことを現実的に考える必要があるわけです。」

 

「……魔法界における諸処の問題は徐々に片付けるとして、問題はどうやって紅魔館を『持って行く』かね。ムーンホールドを持ってきた時みたいに、転移魔法でどうにか出来る?」

 

「さすがに距離が遠すぎますし、かなり難しいと思いますよ? ……というか、そもそも幻想郷が何処に存在しているのかが分かりませんから、座標を定めようがありません。それに時期の問題もあります。咲夜は夏休みが明ければ四年生。まだ四年間も学校が残ってるんです。」

 

「……途中でホグワーツをやめるってのはダメなの?」

 

一応とばかりに提案を放ってみると、リーゼとアリスどころかパチュリーまでもが呆れた表情で反対意見を浴びせかけてくる。おのれ、味方はゼロか。

 

「ダメに決まってるだろうが。キミが子離れ出来ないからって、咲夜を学校から引き離すのは論外だぞ。入れたからにはきちんと卒業させたまえよ。それが親としての責任ってもんだろう?」

 

「そうですね。咲夜本人も卒業したいと思ってるでしょうし、こっちの都合で引き離すのは可哀想ですよ。ホグワーツは何も魔法を学ぶだけの場所じゃありません。咲夜の人生にとって大切なことを学べる場所なんですから。」

 

「人格形成において重要なこの時期に学校をやめさせるってのは私も反対ね。私が言うのもなんだけど、社会性は大事よ。それは紅魔館じゃ学べないの。咲夜は私なんかと違ってそっち方向にも目があるんだから、素直に卒業まで通わせておきなさい。」

 

感情的にも理性的にも三人の意見が正しいことは分かっているのだが……ぐぬぬ、紅魔館から離れるというのは当主としてのプライドが許さん。でも、咲夜から離れるというのは親としての心情が許さんのだ。

 

とはいえ、フランに八雲との交渉を任せるのはさすがに無理だろう。経験の少ないフランではあの胡散臭い女の相手は務まらないはずだ。当然ながらコミュニケーション能力皆無の紫しめじもダメだし、人形娘では力の差が大きすぎてナメられる可能性がある。

 

「……リーゼが当主代行で行くってのは?」

 

「嫌だね。私だってまだ二年残ってるんだ。途中で終わらせて去る気はないし、そのことは八雲藍を通して伝えてある。大体、キミが行けば万事解決だってのに、わざわざ私が行く理由がないじゃないか。」

 

「だって、私が咲夜と離れ離れになっちゃうじゃないの! そんなの嫌よ! 絶対嫌!」

 

バタバタと両手両足を振り回して抗議してやると、リーゼはやれやれと首を振りながら私を無視して話を進め始めた。こいつめ、咲夜と残れるからって余裕綽々じゃないか。ズルいぞ!

 

「諦めたまえ、親バカ吸血鬼。……ふむ、今更ムーンホールドを独立させるのも面倒だし、紅魔館がなくなったら私は何処かに部屋を借りる必要があるかもね。パチェ、あのトランクの部屋を広げるってのは可能かい?」

 

「可能よ。っていうか、あのバカバカしいテントを使えばいいじゃないの。ワールドカップの時にレミィが買ったやつ。」

 

「それは御免だね。私の美的センスがあんなものに住むことを許さないんだ。多少狭くともトランクの方が百倍マシだよ。」

 

何でだよ、良いテントだったろうが! 淡々と計画を組み立てていく二人にジト目を送っていると、アリスがリーゼの作業を修正しながら声を放つ。今度は縫うところを間違えたようだ。

 

「リーゼ様が残るってことは、エマさんも残るんですよね? んー……私はどっちにとっても大して重要じゃないでしょうし、どうせなら残ってもいいですか? 人形店にトランクを置けば新しく部屋を借りる必要もなくなります。」

 

「ああ、それでいいか。私、アリス、咲夜、エマが居残り組で、レミィ、フラン、パチェ、こあ、美鈴が先行組。これでいこう。決定だ。」

 

「ちょっと待ちなさい! 私はまだ納得してないわよ!」

 

「別に反論を喚いていてもいいけどね、フランも咲夜を卒業まで残すのは賛成だと思うよ。なんなら呼んできてみようか?」

 

卑怯なり、性悪。今のフランに詰め寄られたら私は折れるしかないと分かった上での提案か。……『革命』に今年いっぱい時間を取られるとして、下手すると三年間も咲夜と離れ離れ? 頭がおかしくなっちゃうぞ、そんなもん。

 

暗雲が立ち込めてきた移住計画のことを思いつつ、レミリア・スカーレットは大きくため息を吐くのだった。

 



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プリベット通り四番地

 

 

「……言っとくけど、遅れてないぞ。時間通りだ。」

 

真昼のプリベット通りに面する小さな公園。閑散としたその公園のベンチに座っているスーツ姿の爺さんへと、アンネリーゼ・バートリは聞かれてもいない言い訳を述べていた。何せご老体は『十年間待ってましたよ』みたいな雰囲気を醸し出しているのだ。いやまあ、この炎天下で十年も待ってたらミイラだろうが。

 

「ほっほっほ、別に待ってはいませんよ。わしも先程到着したところです。」

 

「だったらそういう雰囲気を出すのはやめたまえよ。ベンチに落ち着きすぎだぞ。」

 

「それが老人というものなのですよ。……では、行きましょうか。」

 

立ち上がったダンブルドアに続いて、公園を出て通りを歩き出す。八月に入る直前、ダンブルドアから一緒にダーズリー家を訪問しないかという手紙が送られてきたのだ。手紙には日にちと時刻の指定があるだけで、どんな用件なのかは詳しく書かれていなかった。

 

しかしまあ、クソ暑いな。これだからこの季節は好かん。忌々しい太陽の光を能力で弱めつつ、汗一つかかずに隣を歩くダンブルドアへと問いかける。随分と涼しげな表情じゃないか。魔法でも使ってるのか?

 

「それで、今日は何をしに行くんだい?」

 

「ある程度の予想は出来ているのでは?」

 

「そりゃあ出来てはいるが、私はそんなことをする必要性を感じないけどね。あの一家は今までハリーに対して散々な仕打ちをしてきたんだ。わざわざ説明する意味があるのかい?」

 

リドルに関することなのは間違いないとして、タイミングとして有り得るのはハリーを連れて行く『旅行』についての説明といったところだろう。律儀なダンブルドアのやりそうなことではないか。呆れた表情の私へと、ダンブルドアは苦笑しながら返事を寄越してきた。

 

「さて、もしかすれば貴女の言う通りなのかもしれません。ダーズリー家の方々がハリーをただ疎ましく思っているという可能性は大いにあるでしょう。……しかし、そうではない可能性も確かに存在しているのだとわしは考えます。」

 

「まーた始まった。キミはあれだね、素直な人間に見せかけた捻くれ者さ。もっと額面通りに物事を受け取ることを覚えたまえよ。裏の裏なんてのは表でしかないんだぞ。」

 

「ううむ、耳に痛い言葉ですな。ですが、愛とは難解なものなのですよ。……愛するがあまり憎むこともあれば、憎んでいたはずなのに愛することもある。己の自覚せぬ想いを秘めていることがあれば、失って初めてそれに気付くこともあるのです。わしは自分自身の経験と、セブルスと、そしてトムからそれを学びました。」

 

「スネイプやリドルが抱える矛盾に関しては認めてもいいがね、ダーズリー家のそれはもっと単純なものだと思うよ。キミの想像ほどにはこんがらがっちゃいないだろうさ。」

 

憎んでいるとは言わないまでも、間違いなく疎んではいるはずだ。でなきゃあんな状況には陥るまい。鼻を鳴らして断言する私に対して、ダンブルドアは通りに並ぶ無個性的な家々を眺めながら反論してくる。

 

「しかしながら、バーノン氏とペチュニアはハリーを手放さなかったでしょう? 無論わしとしてはそうあって欲しいと願っていましたが、彼らにはそうする選択肢も確かにあったはずです。文句を言いながら、冷たく当たりながら、それでもハリーを遠ざけることだけはしなかった。何故だと思いますかな?」

 

「分かり切ったことだろう? 世間体やら何やらを気にしたのさ。それだけの話だよ。」

 

「さて、さて。わしは彼ら自身ですら気付いていない感情がそうさせたのだと思いますよ。彼らは確かにハリーを『家族』だと認めているはずです。……現に、彼らがやったのはハリーを『常識』に従わせることだけではありませんか。無意味な暴力を振るうこともなければ、マグルの学校にもきちんと通わせようとしていた。彼らは自分たちの世界……『正しい世界』へとハリーを引き込もうとしただけです。本当にどうでも良い存在なのであれば、素直にホグワーツへと追い払ったとは思いませんかな?」

 

「重要なのは奥底に眠る感情ではなく、実際にハリーが受けた仕打ちの方だ。彼は物置に押し込められた挙句、自分の両親のことさえも歪曲して伝えられていたんだぞ? バーノンたちが実際にどう思っていたかはこの際問題じゃないんだよ。……あの家はハリーにとって『帰るべき場所』じゃなかった。それが全てさ。そうである以上、私はあの家族に対して良い感情は持てないね。」

 

本当は愛していたから全てを許せと? そんなもんは単なる言い訳に過ぎない。私はハリーがどれだけホグワーツに恋い焦がれているのかをよく知っているのだ。それは両親の面影や、魔法の魅力だけが影響しているわけじゃないはずだぞ。

 

『あの家に帰りたくない』。仮にも自分たちが育てている子供にそう思わせるような連中に同情の余地などあるまい。冷たく吐き捨てた私へと、ダンブルドアは何故か嬉しそうな表情で頷いてきた。

 

「ほっほっほ、そう思うのは貴女がハリーの友達だからなのでしょうな。重畳、重畳。だからこそハリーは一人にはならないのです。……ですが、わしはダーズリー家の方々にも彼らなりの考えがあるのだと思いますよ。特にペチュニアは複雑な想いを抱えているのでしょう。……今でも思い出します。彼女が子供の頃に送ってきた手紙の内容を。魔法の世界に足を踏み入れたリリーへの憧れと同時に、大好きな彼女から離れたくないという想いが伝わってくるものでした。……愛故に憎むこともあるのですよ、バートリ女史。愛する者に置いていかれるというのは辛いものなのですから。」

 

少し寂しげな表情のダンブルドアがそう言ったところで、見覚えのある一軒の家の前に到着する。……何にせよ、私が重きを置くのはハリーの方だ。彼の視点を重視するか、それとも全員の視点を鑑みるか。結局のところその違いでしかないのだろう。

 

「決着の付かない問答は終わりだ、ダンブルドア。私が私である限り、キミの言葉には頷かんよ。さっさと用件を済ませようじゃないか。」

 

「いやはや、貴女がゲラートに似ているのか、それともゲラートが貴女に影響されたのか。不思議なものですな。貴女と話していると彼と話している気分になりますよ。」

 

訳の分からんことを呟いたダンブルドアは、インターホンを押して応答を待っているが……誰しも自分のことは分からないらしいな。ゲラートと似ているのは私じゃない、お前の方だぞ。考え方こそ正反対かもしれないが、ゲラートとダンブルドアはどちらも理想家であり夢想家なのだから。

 

対する私やレミィは身内が最優先の利己主義者だ。常に全体を重視するゲラートやお前とは全然違うだろうに。私が老人の背中へと肩を竦めたところで、インターホンから女性の声が聞こえてきた。ふむ、ペチュニア・ダーズリーか。

 

「はいはい、どなたでしょうか?」

 

「これはこれは、約束も無しに押しかけてしまって申し訳ない。アルバス・ダンブルドアと申しますが、ハリー・ポッターはご在宅ですかな?」

 

そして返答は息を呑む音の後に沈黙。当たり前だな。予想できていた反応に鼻を鳴らしながら、スタスタと玄関の方へと歩いて行く。やるだけ無駄なのだ、こんなやり取りは。そのことは二年前にブラックが実証済みだぞ。

 

「私には浪費できる時間が腐るほど残っているが、キミはそうじゃないはずだ。さっさと行こう。そこに居ると長く待たされることになるぞ。」

 

「礼節の問題ですよ、バートリ女史。招かれてから入る。ごく自然なことではありませんか。」

 

「こちとら生まれながらに招かれざる客なもんでね。知らんよ、そんなことは。」

 

適当に返しながら杖を抜いて、柵と玄関を次々に開錠して進んで行くと……おや、さすがだな。開いたドアの先ではバーノンが仁王立ちしていた。私の『非常識』な行動はお見通しのようだ。

 

「やあ、バーノン。また会うことになって残念だよ。せっかくの休日だったようだが、それもこれまでだ。ご愁傷様。」

 

「何の用だ、小娘! 家には入れんぞ! そこで止まれ!」

 

「そう言って追い返せたことが一度でもあったかい? もう諦めたまえよ。」

 

消していた翼を出現させながら言った私へと、バーノンは尚も文句を言い募ろうとするが、その後ろから現れた長身の老人を見て疑問げな表情に変わる。気を付けろ、常識人代表。そいつは非常識の親玉だぞ。

 

「初めまして、でよろしいかな? バーノン氏。わしはアルバス・ダンブルドアと申す者じゃ。この名に聞き覚えは……うむ、あるようじゃな。大いに結構。話が早くて助かるのう。」

 

「『あれ』を教える学校の校長だろう? ふん、知っておるわ! いい歳をして何をやっているんだか……嘆かわしい!」

 

「『あれ』はとても複雑なもの故、この歳になってもまだ解明し切れないのじゃ。そのことに関する議論も大歓迎なのじゃが、今日は他に話題があってのう。入ってもよろしいかな?」

 

「よろしいわけがあるか! ダメだ、入るな。あと一歩でも進めば警察を……小娘! 入るなと言っているだろうが!」

 

時は金なり。制止の言葉を無視してリビングの方へと歩いて行くと、ドアの隙間からこちらを覗き見ている子豚ちゃん……というかまあ、もう子豚とは言い難い体型になってしまったダドリー・ダーズリーの姿が見えてきた。肥らせ呪文でも使ったのか? こいつ。えらい変わりようだぞ。

 

「おっと、ダドリーちゃん。久し振りだね。ハリーはどこだい?」

 

「……部屋に居る、はずだ。」

 

「なら呼んできてくれたまえ。じゃないと話が始まらないんだ。」

 

私がリビングへと足を踏み入れながら言ってやると、ダドリーは曖昧に頷いてから素直に二階へと上って行く。父親よりも適応力があるじゃないか。もしくは判断するための脳みそが不足しているかだな。

 

キッチンの奥で彫像のように突っ立っているペチュニアを無視して、勝手にダイニングチェアへと腰を下ろして待っていると、今度はゆったりとした動きのダンブルドアが部屋に入ってきた。『門番』の説得は成功したようだ。

 

「ふむ、良いリビングですな。非常に整頓されておる。しもべ妖精が見たら仕事が無いと嘆きそうなお部屋じゃ。……おお、ペチュニア。久しいのう。壮健そうでなによりじゃよ。」

 

かなり複雑な表情のペチュニアは、口をパクパクさせてダンブルドアに何かを返そうとした後……結局は何も言わずに微かな目礼を寄越してくる。それを気にする様子もなく、ダンブルドアは私の隣の椅子へと腰掛けた。

 

続いてリビングに入室してきたバーノンは、ドカドカと荒々しい歩調でテーブルに近付くと、一言も発せずにダンブルドアの向かいの席に座り込む。どうやらやり方を『無言の抗議』に切り替えたようだ。あんまり意味ないと思うぞ、それ。

 

そのまま三人が囲むダイニングテーブルに気まずい沈黙が訪れたところで……頭上から慌ただしい足音が聞こえてきた。ハリーがダドリーからお客様の存在を知らされたようだ。バーノンの大声に気付かなかったってことは、ひょっとして寝てたのか?

 

果たしてその予想は正しかったようで、数秒後にはリビングに髪をぐっしゃぐしゃにしたハリーが飛び込んでくる。どういう寝方をしたらそうなるんだよ。

 

「リーゼ! それに……ダンブルドア先生?」

 

「おはよう、ハリー。髪が『スカイダイビング状態』になってるぞ。」

 

「ほっほっほ、ごきげんよう、ハリー。夏休みを存分に楽しんでいるようじゃな。」

 

「はい、あの……ひょっとして、ヴォルデモートに関する件で──」

 

ハリーからその言葉が出た瞬間、キッチンの方から何かが割れる音が響く。……ペチュニアが驚いて皿を落としてしまったようだ。視線が集中したことでようやく自分がやったことに気付いたのだろう。ハッと息を呑んだペチュニアは、黙って破片を拾い始めた。

 

その光景を横目に、ハリーがちょっと気まずい雰囲気を漂わせながら質問を言い直す。

 

「……『例のあの人』に関する件で何か進展があったんですか? 今すぐ出発するとか? それなら準備をしてきますけど。」

 

「そう慌てないでおくれ、ハリー。今日はバーノン氏やペチュニアに対しての説明をしに訪れたのじゃ。安全とは言い難い旅になるじゃろうて。ならば、保護者への説明を省くわけにはいかないじゃろう?」

 

「……それだけ、ですか?」

 

拍子抜けしたように肩を落としたハリーは、おずおずとバーノンの横に座りながら髪を撫で付け始めた。私と同様、彼にとってもあまり重要な用件には感じられなかったようだ。

 

てれびじょんの前のソファでこっそり聞いているダドリー、未だ口を閉じたままのバーノン、破片を片付け終わったペチュニア。それらを順繰りに見た後、ダンブルドアはバーノンに向かって説明を語り出す。

 

「さて、わしらが今日この家にお邪魔したのは、ハリーを旅に連れて行く許可をいただくためなのです。時期も、回数も、期間も、向かう先も定かではありませんが、来学期の間にハリーはホグワーツを離れる必要がありましてな。そう、つまり……ヴォルデモート卿との決着を付けるために。」

 

「……ちょっと待て、その『なんとか卿』は犯罪者だったはずだ。『あれ』で人を殺して回っているとかなんとか。違うか?」

 

「いかにも、その通り。六月にはイギリス魔法界で大きな戦いを起こし、結果として少なくない犠牲者が出ております。その際わしらは勝利を収めましたが、肝心のヴォルデモート卿を取り逃がしてしまいましてな。それを追う必要があるのですよ。」

 

「待て、待て! 何故この小僧がそれに付いて行く必要がある? まさか、お前たちの世界では子供まで戦いに巻き込むのか? いい大人が一体何を……情けないにも程があるぞ! そんなことが許されるはずがないだろうが!」

 

うーむ、珍しく私たちにとっても納得できる類の『常識』だな。テーブルを叩いてダンブルドアを怒鳴りつけたバーノンは、隣のハリーを指差しながら続きを捲し立ててきた。当のハリーはちょっと驚いたような表情を浮かべている。

 

「許さんぞ、そんなことは! そっちの警察は一体全体何をしている? 政府は? 軍隊は? そいつらがまともに働かないからといって、どうして小僧を引っ張り出す必要があるんだ! ……信じられん。これだからお前たちの世界は我慢ならんのだ。わしは去年、その小娘から確かに聞いたぞ! なんちゃら卿は危険なテロリストなのだと! そんな奴が居る場所に子供を連れて行く大人が何処にいる! そんなことをして恥ずかしいとは思わんのか!」

 

「うむ、うむ。貴方の言葉は大いに正しい。わしらとしても子供を巻き込まずに決着を付けたくはあるのですが、これには深い事情がありましてのう。……どうしてもハリーでなくてはヴォルデモート卿を滅ぼせないのです。である以上、わしらはハリーを連れて行く必要があるのですよ。」

 

「何だそれは。話にならん! 許可など絶対に出さんからな!」

 

今や顔を真っ赤にして激怒しているバーノンに、今度はハリー本人が説得を繰り出した。……なんとまあ、奇妙な構図だな。私としても予想外の展開だ。

 

「バーノンおじさん、ダンブルドア先生の言うことは本当なんだよ。僕とヴォルデモートには魔法的な──」

 

「やめろ、小僧! この家で『まの付く言葉』は禁止だと言っておるだろうが!」

 

「あー……そうなると説明するのが物凄く難しくなっちゃうんだけど、とにかくそうしなくちゃいけない理由があるんだ。僕も納得してるし、そうするつもりでいる。だからその、許可だけ出してくれれば充分だよ。」

 

困ったような表情のハリーの言葉を受けて、バーノンは理解し難いものを見るような目でハリーを見返している。いやまあ、確かに説明するのは難しそうだな。運命やら魂の欠片やらに関してをバーノンが理解できるとは思えんぞ。

 

「さっぱり意味が分からん。そのなんちゃら卿は人を殺している。だったら小僧、お前も死ぬ可能性があるということだ。違うのか?」

 

「そりゃあ、可能性で言えば確かにあるだろうけど……。」

 

「そんな場所にわざわざ行く必要があるか? 少なくともわしらの世界では子供をそんな場所に連れて行ったりはせんぞ! 何故ならそれは、恥ずべき行為だからだ!」

 

「だけど、そうしないとヴォルデモートはまた復活しちゃうんだよ。またいつの日か沢山の魔法使い……じゃなくて、沢山の人が死んじゃうことになるかもしれないんだ。だから、ここで終わらせなくちゃならない。その為には僕が行く必要があるんだよ。他の誰でもない、僕がね。」

 

熱を帯びてきたハリーの説明を聞いたバーノンは、若干気圧されたように口を噤むと……困惑気味の表情を浮かべながら、黙って聞いているペチュニアの方へと顔を向けた。

 

その視線を受けたペチュニアは、ほんの僅かな間だけハリーのことを見ると、ダンブルドアに向かって質問を放つ。端的で、物事の本質を突いた質問を。

 

「リリーにこれ以上捧げろと? 貴方はそう言うのですか? ダンブルドア。」

 

……これは、痛い所を突いてきたな。憎しみと、哀願と、叱責が綯い交ぜになったようなその言葉を聞いて、私とダンブルドアの表情が苦く歪む。対してハリーやバーノンの表情は驚きに満ちたものだ。ペチュニアから『リリー』という単語が出るとは思っていなかったのだろう。

 

「すまぬ、ペチュニア。これで最後じゃ。必ず最後にしてみせる。……じゃが、今回だけはハリーがどうしても必要なのじゃ。」

 

「……何れにせよ、私に言うべきことはありません。その子がそうしたいと言うなら好きにさせます。」

 

一転して無表情に戻ったペチュニアは、そう呟くとキッチンでの作業に戻ってしまった。……どんな感情で放った言葉なのかはよく分からんが、彼女が魔法界を憎む理由だけは少し分かった気がするな。

 

とはいえ、バーノンだけはペチュニアの表情から何かを感じ取ったようだ。腕を組んで何かを考え込んだかと思えば、うんざりしたような表情で口を開く。

 

「……いいだろう。お前の好きにしろ、小僧。もうわしの知ったことではない。だからこれ以上この家に厄介事を持ち込むな。」

 

「えっと……許可をくれるって意味だよね?」

 

「許可も何もあるか。わしらは知らん。それだけだ。……そら、これで話は終わりだ! さっさと出て行ってもらおうか!」

 

まあ、私としてはどうでもいいさ。ハリーが納得済みならダーズリー家のことなど知ったこっちゃないし、許可とやらが得られたならダンブルドアも満足だろう。未だペチュニアの方を気にしているダンブルドアが立ち上がるのに続いて、席を離れながらハリーへと提案を送る。

 

「そうそう、近いうちにロンの家に行こうと思うんだがね。キミも来るかい? モリーには聞いていないが、間違いなく歓迎してくれると思うよ。」

 

「うん、行きたい。……友達の家に遊びに行ってもいいかな? バーノンおじさん。ほら、いつも行ってるウィーズリーおじさんの家だよ。もしかしたら夏休みの後半はそっちに居ることになるかも。」

 

「構わんが、迎えには来させるな。もう常識を知らん客は御免だ。」

 

「なら、手紙で詳細を送るからトランクの中で待っていたまえ。ブラックにも伝えておくよ。」

 

何たって、モリーとロンの話し合いが『泥沼化』しているのは目に見えているのだ。私一人が間に挟まれるのは嫌だぞ。となれば、より多くの人間を巻き込む必要があるだろう。もうアリスは行きたくないらしいし。

 

ハリーが頷いたのを確認してから、律儀に挨拶しているダンブルドアを背に玄関へと向かう。約束通りハーマイオニーの家にも行かなきゃいけないし、ゲラートへの連絡事項も溜まっている。八月ものんびり過ごすってわけにはいかなさそうだな。

 

楽しみ半分、面倒半分くらいの気持ちで、アンネリーゼ・バートリはくつくつと笑うのだった。

 



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普通魔法レベル試験

 

 

「うーん、滅茶苦茶になっちゃったわね。」

 

ここに来て混乱が困惑に変化しつつあるな。魔法省の執務室に取り寄せた世界各国の魔法界の新聞を眺めながら、レミリア・スカーレットは愉快そうに微笑んでいた。いい塩梅じゃないか。計画通りの反応だぞ。

 

八月に突入したばかりのイギリス魔法省では、私の出した公式声明に関しての議論が忙しなく行われている。そりゃあそうだろうさ。明言こそしていないが、内容としてはグリンデルバルドに賛成するという旨の声明なのだから。

 

近い将来魔法界そのものが露見する可能性、その時の混乱に関する懸念、マグルへの無理解に対しての問題提起。私、ボーンズ、フォーリー、そしてスキーターで考えた声明の内容はそんなところだ。……まあ、概ね予定通りの文面だと言えるだろう。

 

当然、反応は様々だ。私が言うならと真剣に考え始める者も居れば、スカーレットも老いたかと否定的に受け取る者も居る。……ふん、それでいいさ。態度はどうあれ、少なくとも魔法族はこの問題を知った。それなら第一段階としては上々の成果だろう。

 

現時点で一番厄介な展開は問題が広まらないという状況に陥ることだが、嘗ての大犯罪者であるグリンデルバルドに対する危機感や、敵対していた私が事実上賛同するというインパクトでそれは避けることが出来た。

 

となれば、次に行うべきは各国上層部に対する誘導だ。八月中にはイギリス魔法省に続いて、マクーザ、フランス魔法省、ドイツ魔法議会、香港自治区が次々と賛意を表明してくれる手筈になっている。……それで大きな流れは作れるはず。あとはその勢いを強めればいい。

 

もちろんダンブルドア本人や、彼が用意した『識者』たちも適切なタイミングで使う必要があるだろう。民衆の興味を途絶えさせないように、段階的にだ。その辺の調整はスキーターに任せるか。あの女はそういう小細工が得意だろうし。

 

執務机をコツコツと叩きながら今後の展開について考えていると、ノックの音と共に名乗りの声が聞こえてきた。また来たのか、小僧。

 

「あの、ブリックスです。いつもの用件で来ました。つまり、その……各国の有力者から手紙が届いてまして。」

 

「分かってるわよ。入りなさい。」

 

うんざりした気分で許可を出してやると、ゆっくりとドアが開いて……おやまあ、今日も大量に持ってきたな。そこそこの大きさの木箱を両手で抱えたブリックスが入室してくる。あれに手紙が満載になっているわけだ。ブリックスごと暖炉に放り込みたくなってくるぞ。

 

「国際協力部経由で届いた分はこちらになりますけど……今日も全部読むんですか? 目が悪くなっちゃいますよ?」

 

「近視の吸血鬼なんて聞いたことないわよ。もちろん全部読むし、必要とあらば返事も返すわ。こういう地道な根回しが後々功を奏すんだから。」

 

「でも、前までは無視してたじゃないですか。」

 

「あの時とは状況が違うでしょうが。いいからここにぶち撒けなさい。」

 

私の催促に従って、ブリックスは慌てた様子で木箱の中身を執務机にぶち撒けた。もう手紙なんて見るのも嫌だが、ここで味方を増やしておかないと後が辛い。どれだけ億劫でもやらねばならんのだ。

 

早速とばかりにクソ分厚い手紙の封を切った私に対して、ブリックスが恐る恐るという表情で疑問を寄越してくる。隠し切れないイライラが伝わってしまったらしい。

 

「えっとですね、国際協力部でも話題になってますよ。予言者新聞に載ってたスカーレット女史の声明。……みんなビックリしてました。マグルへの露見だなんて考えたこともなかったって。」

 

「ふーん? ちなみに貴方はどう思ってるの?」

 

「あー……正直言って、よく分かりませんでした。マグルの世界のことには詳しくありませんし、どんな風に隠蔽してるのかもボンヤリとしか知りませんから。」

 

「……ちょっと待ちなさい。まさかとは思うけど、周りの連中もそんな感じだったりするの?」

 

『どんな風に隠蔽しているのかもボンヤリとしか知らない』? 正気かこいつは。頼むから自分一人がアホだったと言ってくれ。そんな私の願いも虚しく、ブリックスは情けない表情でこっくり頷いてきた。

 

「マグル生まれの職員はある程度納得してたみたいですけど、殆どは僕と同じ感想でしたよ? スカーレット女史が言うんだからそうなのかも、って感じですかね。今度マグル対策口実委員会の職員に隠蔽魔法に関して聞いてみようってことになりました。」

 

思わず読んでいた手紙を机に投げ捨てて、思いっきり頭を抱えてため息を吐く。……マグルの世界に関してはまあいいさ。元よりそれを理解させるのも目的の一つなのだ。だけど、隠蔽魔法に関しての理解不足は予想外だぞ! いくらなんでもアホすぎるだろうが!

 

マズい。これはマズい事態だ。イギリス魔法界だけの問題であれば大丈夫だが、これが魔法界全体の『常識』だったら結構危ないかもしれないぞ。私やグリンデルバルドは基本的な知識ありきの声明を出しているが、そもそもそれを知らなければ内容が意味不明だろう。

 

ひょっとすると、私は魔法族の間抜けっぷりを見誤っていたのかもしれない。あまりにもバカバカしい落とし穴に顔を引きつらせつつも、キョトンとした表情のブリックスへと質問を送る。『一般魔法使い代表』どのに聞いてみようじゃないか。

 

「具体的にどこが分かり難かったかのかを教えて頂戴。今後の参考にしたいの。」

 

「僕の意見がスカーレット女史の参考に、ですか? ちょっと照れますね。」

 

いいから早く言え! 私がぶん殴りたくなっているのに気付くはずもなく、ブリックスはご機嫌な様子で私の声明の『問題点』を語り始めた。

 

「えーっと……先ず、マグルの文明の進歩が云々って部分は全然理解できませんでした。『年々マグルたちは居住圏を拡げている』ってところが唯一分かったくらいですね。科学技術がどうこうってところも、そもそも以前のことを知らないので進歩してることが分かり難かったです。」

 

「そこは予想通りよ。後々専門家に分かり易く説明させる予定だから、今回はあえてあんな感じに書いたの。……他には?」

 

「他には、マグルとの技術力の差の辺りも難しかったです。だってほら、僕たちには魔法があるわけじゃないですか。そりゃあマグルも頑張ってるなとは思いますけど、やっぱり魔法の方が便利ですよ。」

 

「……それもまあ、想定してた反応ね。後日『マグルの力』に関する資料を公開する予定だから、それを見れば考えが変わるでしょ。それより、マグル以外の部分に関してはどうだったの?」

 

やきもきしながら核心部分について聞いてみると、ブリックスはさほど迷わずに答えを返してくる。イラつくほどに能天気な笑みでだ。

 

「マグル以外ですか? さっきも言いましたけど、隠蔽魔法に関してはちょっと分からなかったです。マグル避け呪文とかなら身近なんですけど、位置発見不可能呪文やら探査妨害術なんかについては詳しくなくて……要するに、マグルから見えなくなるんですよね? だったら大丈夫だと思うんですけど。」

 

「見えなくなるんじゃなくって、別のものに見せたり地図に載らないようにしたりする呪文よ。……あのね、魔法省にだって、ホグワーツにだって、ダイアゴン横丁にだってかかってる呪文でしょうが。なんで知らないのよ。」

 

「隠蔽に関わってる部署でもないと詳しくは知らないですよ、普通。イモリ試験で出てきたような気もしますけど、もう忘れちゃいました。スカーレット女史ははかなり問題視してるみたいでしたけど、何が問題なのかが……その、分からなくて。」

 

「一番の問題は写真には普通に写っちゃうってことね。今まではマグルの政府専門の忘却術師をおいとけば、あとは個人の写真だけを警戒してればよかったんだけど、マグル界の冷戦が終わった最近になって軍事情報の一般公開が……まあ、こんなこと言っても無駄でしょうけどね。人工衛星って知ってる?」

 

全然期待しないで問いかけてみると、ブリックスは予想通りの返事を寄越してきた。どうやら隠蔽魔法の明確な効果も新聞で説明する必要がありそうだ。それが分からなければ何が問題なのかも伝わらんぞ。

 

「衛星? 月とか、ガニメデとかのあれですか?」

 

「天文学はちゃんと学んでいたようで何よりよ。ちなみに、マグル避けやら位置発見不可能呪文やらは呪文学の内容なの?」

 

「確かそうだったはずです。フリットウィック先生から教わった記憶がありますから。」

 

「なら、ダンブルドアに呪文学のカリキュラムを変えさせるように言っとかないとね。フクロウとイモリにも今後は絶対に出題させるわ。これ以上間抜けが増えるのは御免よ。」

 

これだからホグワーツは嫌いなんだ。他の学校ではきちんと教えてることを祈るばかりだな。マグル界の説明だけでも手一杯なのに、魔法のことまで説明しなくてはならんとは……何が『魔法使い』だよ、まったく!

 

「あの、参考になりましたか?」

 

「ええ、とても参考になったわ。どうやら私は自分の目線で話しちゃってたみたいね。次からは気を付けないと。」

 

「それは良かったです。では、失礼します。」

 

満足そうな様子で部屋を出て行くブリックスを見ながら、巨大なため息を吐いて額を押さえる。まさかアホすぎて操り難いという事態が生じるとは……政治は奥が深いな。また一つ勉強になったぞ。

 

民衆への理解をまた一つ深めながらも、レミリア・スカーレットは疲れた気分で手紙の山に向き直るのだった。

 

 

─────

 

 

「つまり、夏休みに入ってからずっとこんな調子なのかい?」

 

昼下がりの隠れ穴のリビングで、アンネリーゼ・バートリはテーブルの向かい側に座るジニーへとそう問いかけていた。だとしたら毎日がこの空気か。地獄だな。

 

八月の初週。約束通りにハリーと一緒に隠れ穴を訪れてみたところ、そこではロンとモリーが『冷戦』を行なっている真っ最中だったわけだ。私たちに付いて来ようとするロンと、それを認めまいとするモリー。互いに一歩も譲らぬ状況が続いているらしい。

 

うーむ、ロンもモリーも私たちを歓迎してくれてはいるのだが、お互いのことだけは無視する所為でどうにもぎこちない空気になってしまうな。今も向こうのソファでハリーを挟んで別々の話題を捲し立てている。連れて来た『羊』は効果を発揮しているようだ。

 

助けを求めるハリーの視線を無視しながらの私の質問に、最大の『被害者』たるジニーは非常に迷惑そうな表情で頷いてきた。

 

「もう本当に、本当にうんざりだわ。何をするにも私を間に通すんだもん。『ジニー、ご飯だからロンを呼んできて』、『ジニー、靴下がどこにあるかママに聞いてきてくれ』ってな具合にね。私は伝書ふくろうじゃないっての。……最近じゃパパもパーシーも残業を喜ぶようになっちゃったくらいよ。家に帰りたくないんだって。気持ちは分かるけどさ。」

 

「ふぅん? 双子が自分たちの店にかかりっきりなのは知ってるが、長兄と次兄はどうしたんだい?」

 

「ビルはこれ幸いにってロンドンで一人暮らしを始めちゃったの。……『ヌラー』と暮らす予行練習だかなんだかってね! 今頃二人でイチャイチャしてるに違いないわ! 不潔よ!」

 

「ってことは、デラクールは結局イギリスに残ったわけか。」

 

とっくの昔に各国からの援軍はそれぞれの故郷に帰国しているはずだ。それでもロンドンに居るということは、つまりはそういうことなのだろう。私のニヤニヤしながらの言葉を受けて、ジニーは納得してませんよという声色で詳しい状況を教えてくれる。

 

「あっちの魔法省は早くも辞めるつもりみたい。呪い破りは出張が多いから、自分もイギリスで仕事を見つけて働きに出る予定なんですって。この前聞いてもいないのに自慢げに話してくれたわ。……もう『新婚気分』ってわけよ。」

 

「別にいいと思うけどね、私は。モリーは反対してないのかい?」

 

「ママはロンの問題で手一杯だもん。だからビルのことは私が見張ってるの。……ちなみにチャーリーもそろそろ仕事に戻るって言ってた。半年くらい掛けて、アフリカでドラゴンの繁殖地を整備するんだってさ。今日はクィディッチのアマチュアリーグの試合を観に行ってるわ。」

 

「ま、戦争はもう終わったんだ。それぞれの暮らしに戻るべきだろうさ。」

 

ビル、チャーリー、双子が家を離れるわけか。そりゃあ寂しくなるだろう。もしかしたらジニーが長兄の『お付き合い』に口を出すのも、その辺の寂しさの裏返しなのかもしれないな。目の前でぷんすか怒る赤毛の末娘を見て考えていると、いきなりリビングにカツカツとガラスを叩く音が響いた。

 

「おっと、ふくろう便か。」

 

「何だろ? ……取ってくるね。あっちの二人は役に立たなさそうだし。」

 

話に夢中で音に気付かないロンとモリーをジト目で睨め付けた後、苦労人の赤毛娘が窓を開けて郵便物を受け取る光景をボーッと眺めていると……んん? ジニーは驚いたような表情になったかと思えば、何通かの手紙を抱えて小走りでダイニングテーブルに戻ってくる。

 

「アンネリーゼ、ほらこれ! 貴女のもあるわよ!」

 

「私のも? ……ああ、なるほど。ようやく結果が届いたわけか。」

 

差し出された手紙を受け取ってみると、そこには見慣れたホグワーツの校章が描かれていた。つまり、フクロウ試験の結果だ。本来なら七月中に届くはずだったのだが、戦いのゴタゴタで少し遅れてしまったらしい。マクゴナガルの予想通りになっちゃったな。

 

「ロン、ハリー! それにママも! ちょっと休戦してこっちにおいでよ。試験の結果が届いたから。」

 

ダンブルドアも隠れ穴に行くという話は聞いていたようだし、私の分も纏めてここに送ってくれたわけか。ジニーの呼びかけを背にしながら、封を切って便箋を取り出してみると……うーん、微妙。悪くもないが、良くもないって感じの結果だな。

 

成績は五段階。大いによろしいの『優・O』、期待以上の『良・E』、まあまあの『可・A』、よくないの『不可・P』、そしてどん底の『落第・D』だ。説明文にはそれ以下を表す『トロール並・T』の存在があるが……まあ、あくまでジョークだろうさ。多分。

 

そして私の成績は防衛術と呪文学が優で、変身術と天文学が良。魔法史、薬草学、魔法薬学、ルーン文字学は可となっている。落第なしの八フクロウか。筆記の適当っぷりを実技でカバーできたようだ。フランにはギリギリ自慢できる結果だな。

 

「どうだったの? リーゼ。」

 

「幸いにも不合格は無しだよ。順当に八ふくろうだ。」

 

「……本当だ。おめでとう、でいいんだよね?」

 

「いやまあ、あんまり意味はないんだけどね。ありがとう。……それよりほら、キミたちも早く見てみたまえよ。私なんかよりもキミたちの結果の方が重要だろう?」

 

慌てて駆け寄ってきたハリーに言ってやると、彼は神妙な面持ちで自分宛の封筒を手に取ってそれを開いた。ロンも祈るように結果を取り出しているし、モリーも今ばかりは口を出さずに見守っている。

 

手紙に目を通す二人のことを残る三人が緊張した表情で見つめていると……先ずはハリーが、一瞬遅れてロンもその表情を崩す。どうやら満足のいく結果だったようだ。

 

「……うん、悪くないよ。予想通り占い学は落としてたけど、残りは全部合格。リーゼと同じ八フクロウだ。それに、防衛術と呪文学は優も取れてる。」

 

「こっちも占い学はダメだった。魔法史も不可だな。……でも、他は全部通ってる! 七フクロウだ! 僕にしては悪くない結果だよ!」

 

言いながら二人がテーブルに置いた結果を、ジニーやモリーと一緒になって覗き込む。……うむ、悪くないぞ。ロンの落とした魔法史は進路と関わらない科目だし、二人とも落とした占い学は言わずもがなだ。重要な杖魔法関連の科目はどれも良い成績を取れてるじゃないか。

 

「良いと思うよ。二人ともよく頑張ったじゃないか。」

 

「凄いわよ、ロン。七フクロウだなんてフレッドとジョージを合わせたよりも多いじゃないの。ハリーとアンネリーゼなんか八ふくろうだし……今日はお祝いしないとね? ママ。」

 

「……そうね、二人ともよくやりました。見事な結果です。今日はご馳走を作りましょうか。」

 

どうにか毅然とした表情を崩すまいとしているモリーだが、隠し切れない喜びが漏れ出ているぞ。ロンの成績は彼女にとって冷戦を忘れさせるほどの快挙だったようだ。……しかし、双子はどんな成績だったんだよ。一人あたり三フクロウってことか? 凄まじいな。

 

改めて二人が悪戯専門店を開いて良かったと思い直す私へと、嬉しそうな顔のハリーが声をかけてきた。

 

「ハーマイオニーはどうだったんだろ? ……もちろん合格してるかって意味じゃなくて、優を一個でも逃したのかって意味なんだけどさ。」

 

「それはハーマイオニーの家に行った時にでも聞いてみるよ。私は逃してない方に賭けるけどね。」

 

肩を竦めて言ってから、ニマニマと自分の成績を見ているロンを引っ張って部屋の隅へと移動する。さすがに忘れていないとは思うが、一応釘は刺しておかねばなるまい。

 

「なんだよ、リーゼ。ハーマイオニーの件だったら僕も逃してない方に賭けるから意味ないぜ?」

 

「そんなことは分かってるさ。そうじゃなくて、モリーへの説得の件だよ。……再来週私がハーマイオニーの家に行ったら、そのまま彼女と両親を連れてダイアゴン横丁でいつもの『お買い物会』をやる予定だ。その時モリーに最終的な決断を聞くからね? よく覚えておきたまえ。」

 

「……どうしてもママの許可がないとダメなのか? つまりさ、ホグワーツに行った後だったらママにはどうしようも──」

 

「キミね、旅の主催がダンブルドアだってことを忘れてるぞ。私はあの爺さんがそれを許すとは思えないけどね。」

 

私の呆れたような台詞を聞いて、ロンもダンブルドアのことを思い出したらしい。がっくりと肩を落としながら渋々頷いてきた。

 

「そうだったな、忘れてたよ。……分かった。再来週がタイムリミットってことか。」

 

「……ま、頑張りたまえよ。もちろん応援はしてないけどね。私もどちらかと言えば反対派なわけだし。」

 

「でも、許可があれば連れてってくれる。そうなんだよな?」

 

「約束は守るさ。だからキミも許可が出なかった時は素直に諦めるように。」

 

真剣な表情で念を押してやると、ロンは再び渋々といった様子で小さく頷く。そのままトボトボとテーブルへと戻って行く赤毛のノッポ君を見ながら、食事の下拵えを始めたモリーに内心でエールを送る。どうにか耐え切ってくれ、モリー。

 

しかし、ハーマイオニーの方はどうなっているのやら。ロンが感情で説得を続けているのに対して、ハーマイオニーが理詰めでそれを行なっているのは容易に想像できるぞ。後はグレンジャー夫妻がどれだけ抵抗しているかだな。

 

うーむ、厳しそうだ。夫妻が魔法界のことに詳しくない以上、完全に状況を把握できていない可能性もあるだろう。その辺は私がきちんと説明しないといけないな。

 

あまり面識のないグレンジャー夫妻のことも心の中で応援しつつ、アンネリーゼ・バートリはモリーに肉料理を要求するため歩き出すのだった。

 



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昔話

 

 

「ねぇ、脱ぐのはどうしてもダメなの? その方が描き甲斐があるのに。」

 

イーゼルを設置しながらちょっと悪戯げな表情で聞いてくるフランに、アリス・マーガトロイドは断固とした拒否の返答を放っていた。そんなの無理に決まってるじゃないか。恥ずかしすぎるぞ。

 

「ダメよ。それならデッサン用の等身大人形を作ってあげるから、それで我慢して頂戴。」

 

「えー、それだとつまんないんだもん。……あれぇ? ひょっとして恥ずかしいの? あ、赤くなった。やっぱり恥ずかしいんだー。芸術を分かってないなぁ、アリスは。」

 

「そんなもん恥ずかしいに決まってるでしょうが!」

 

紅魔館の地下室に響き渡る大声で言った私に、フランは巨大なカンバスを張りながら返してくる。もちろんニヤニヤ笑いながらだ。これは誰の悪影響なんだ? ……小悪魔か。よし、後で文句を言いに行こう。

 

「でも、裸婦画なんか珍しくもないじゃん。一緒にお風呂に入ったこともあるんだし、何が恥ずかしいのさ。なんなら私も脱ごうか? 二人とも裸なら恥ずかしくないでしょ?」

 

「状況が意味不明になるからやめて頂戴。……フランに裸を見られるのは別にいいんだけど、それが絵として残るってのが嫌なのよ。描いた直後に燃やすっていうなら別だけどね。」

 

「それはさすがに嫌かなぁ。折角描いたならどっかに飾りたいもん。」

 

「なら、やっぱり嫌。飾るだなんて論外よ。知らない人に見られたらと思うとゾッとするわ。」

 

ああもう、こんなことなら軽く引き受けるんじゃなかった。リビングでお茶を飲んでいたところ、ふらりと上がってきたフランに絵のモデルになって欲しいと頼まれたのだ。特に予定もなかったから二つ返事でオーケーしたものの、地下室に入った途端に服を脱いで欲しいと言われたのである。

 

一瞬フランが『そっちの』趣味に目覚めてしまったのかと疑ったが、話を聞いてみれば単に裸婦画に挑戦してみたかっただけらしい。……そもそも、何故私が了承すると思ったんだ? フランの中ではそういうイメージなのだろうか?

 

その辺りが若干不安になりつつも、用意されていた丸椅子に座って姿勢を整えていると……準備が終わったらしいフランがカンバスの横から覗き込むように声をかけてきた。おねだりする時の表情だ。レミリアさんならともかく、私はそんなんじゃ屈さないぞ。

 

「……どうしても、どうしてもダメ?」

 

「どうしても、どうしてもダメよ。大体、小悪魔あたりに頼めば簡単に引き受けてくれるでしょう? 裸婦画を描きたいならそっちに頼みなさいよ。」

 

「小悪魔はほら、体型がああだからさ。描き甲斐ってもんがないんだよね。あれだと陰影とかが簡単すぎるよ。断崖絶壁でつまんなーい。」

 

「……小悪魔が聞いたら泣くわよ、それ。」

 

確かにまあ、簡単ではありそうだな。種も仕掛けもない直線で済むだろうし。いやでも、それを言うなら私だって描き甲斐があるというほどではないはずだ。紅魔館だとモデルとして相応しいのはエマさんや美鈴さん、後はギリギリでパチュリーくらいじゃないか?

 

何の役にも立たなさそうなことを考えている私に、フランは絵の具を出したり混ぜたりしながら肩を竦めてくる。

 

「ま、普通の人物画でもいいんだけどさ。一回くらいは裸婦画も描いてみたいんだよね。エマにもパチュリーにも断られちゃったし、レミリアお姉様は描いてる途中が鬱陶しそうだし、美鈴は曲線が多すぎて描くのが面倒くさそうだし……んー、今度リーゼお姉様にでも頼んでみようかな。小悪魔よりかは描き甲斐あるでしょ。」

 

「……それは勿論、裸婦画の話なのよね?」

 

「そうだけど? ……えぇ、急にどうしたの? なんか怖いよ、その顔。」

 

「別に何でもないわ。何でもないけど、その時は私も絵にチャレンジしてみようかしら? ほら、人物画っていうのは人形作りにも通ずるところがあると思わない? 人体の構造とか、関節の動きとか、肌の質感とか、そういうのが。……一応言っておくけど、あくまで学術的な興味よ? 私の人形は幼い感じの作品が多いし、良い経験になると思うのよね。そういう風に考えた場合、モデルとしてリーゼ様は相応しいと思うの。うん、そうだわ。そうすべきよ。フランもそう思わない?」

 

邪な感情など一切ないのだ。これはそう、一人の人形師としての価値ある提案なのだ。他意はないのだ。真剣な表情で問いかけてみると、フランは何故か一歩後退りながら頷いてきた。

 

「……いやまあ、いいんじゃないの? 別に。それならアリスと私が相互にモデルになるのでも問題ないと思うけどね。」

 

「それだとダメなの。分かる?」

 

「さっぱり分かんないけど、もういいよ。嫌な予感がするし。……でも、リーゼお姉様が了承してくれるかは微妙だと思うよ? よく考えたらリーゼお姉様は写真に写るのも嫌いだもん。絵もダメなんじゃないかなぁ。」

 

「それは……そういえば確かにそうね。何でなのかしら?」

 

レミリアさんの写真はよく新聞に載っているし、この地下室には友人たちと一緒に写ったフランの写真が沢山置かれている。となれば、別に吸血鬼としての習性というわけではないはずだ。首を傾げて聞いてみると、フランは注意を交えながら解説を寄越してくれた。そういえば絵のモデルをしてたんだっけ。興奮しすぎて忘れてたぞ。

 

「動いちゃダメだよ、アリス。……バートリ家の家訓にそんなのがあったから、もしかするとその所為なんじゃないかな。」

 

「写真に写るなって家訓?」

 

「違う違う。写真なんて『最近』発明されたばっかりじゃん。そうじゃなくて……えーっと、なんだったかなぁ。痕跡を残すな、みたいな家訓なんだよね。」

 

「ひょっとして、『影も在らず』ってやつ?」

 

バートリ家の紋章の下にあるラテン語の一節だ。思い出したそのモットーを口に出してみると、フランは大きく頷いて肯定してくる。

 

「そうそう、それだよ。自分の存在を徹底的に隠せとか、操られるのではなく操れとか、なんかそんな意味だったはず。バートリのは分かり難いよねぇ。スカーレットのなんか単純すぎて笑えるくらいなのに。」

 

「スカーレットのはどんな家訓なの?」

 

「『支配なくして安寧なし』だよ。分かり易いでしょ?」

 

「……まあ、レミリアさんらしいモットーではあるわね。」

 

うーん、家訓か。ちょっと憧れちゃうな。代々人形作りだったマーガトロイド家にも紋章はあったのだが、家訓は定められていなかった。魔法界だとブラック家の『純血よ永遠なれ』とか、フォーリー家の『古きを為せ』あたりは有名な家訓だ。ちなみにヴェイユ家は『不実な富者よりも忠節ある貧者たれ』だったはず。

 

いっそ自分で定めちゃおうかと思い始めた私に、フランは筆を動かしながら話を続けてくる。

 

「だからムーンホールド側には代々当主の肖像画なんかが全然残ってないでしょ? 紅魔館側には邪魔くさいほど飾ってあるのに。」

 

「あー、言われてみればそうかも。……面白い対比じゃないの。スカーレットが表でバートリが裏ってのは代々の伝統だったわけね。」

 

私の納得の言葉を受けて、フランは……おや? 首を横に振りながら詳しい経緯を教えてくれた。どうやらそう単純な話でもないらしい。

 

「厳密に言えば、そうなったのはお父様の代からかな。お父様の弟……つまり、リーゼお姉様のお父様ね。が婿入りすることで繋がりが出来たから、結果的にそうなったって感じ。本来の家格で言えばバートリの方が格上だもん。」

 

「あら、そうなの? スカーレットも相当な名家に思えるんだけど……。」

 

「それはここ千五百年くらいで一気にのし上がったからだよ。お父様も政治上手だったし、何よりお爺様がかなりのやり手だったみたい。バートリ家との縁談を纏めたのもお爺様だってことになってるしね。」

 

「うーん、長命種の『名家観』はちょっと理解し難いわね。……それより、『ことになってる』ってのはどういう意味なの? 実際は違うってこと?」

 

興味を惹かれて問いかけてみると、フランはよくぞ聞いてくれたとばかりに頷いた後、クスクス笑いながら返事を返してくる。

 

「あのね、実は殆ど駆け落ち同然だったんだってさ。当時のバートリ家のご令嬢は吸血鬼的にもとんでもない美人だったみたいで、社交の場でも人気の的だったんだけど……リーゼお姉様のお父様に一目惚れしちゃったらしいの。それで強引に攫って『自分のモノ』にしちゃったんだって。」

 

「……へ? リーゼ様のお母様が攫ったの? 攫われたんじゃなくて?」

 

「ね、面白いでしょ? 当然バートリ側としては一人娘が上り調子のスカーレットの次男坊を攫っちゃって大騒ぎだし、スカーレットとしても目上のバートリに正面切っては文句を言えない。結果としてなし崩し的に婿入りってことになっちゃったんだってさ。ドラマがあるよねぇ。」

 

「それはまた、凄まじいわね。……でも、夫婦仲は円満だったんでしょ? それはリーゼ様から聞いたことがあるわ。」

 

男女が逆であれば時代的に無くもない話だろうが、女性の方から攫うってのは聞いたことがないぞ。当時のバートリ家の混乱っぷりが目に浮かぶようだ。

 

「そりゃまあ、当代随一の美女なわけだしね。おまけに目上の家の一人娘ともなれば、攫われた方だって悪い気はしないでしょ。普通婿養子となるとギクシャクするらしいけど、経緯が経緯だけにバートリ側も丁重に迎え入れてくれたらしいし……最終的には色々と上手く纏まっちゃったってわけ。」

 

「確かに面白い逸話ね。それでバートリとスカーレットも仲良くなったと。」

 

「一緒に『困難』を乗り越えたわけだしね。だからまあ、言ってみればリーゼお姉様のお母様がスカーレットとバートリの架け橋になったって感じかなぁ。ちょっと乱暴すぎる架け橋だったけどさ。」

 

苦笑しながら話を締めたフランは、私の見知らぬ器具を使ってカンバスの表面をゴリゴリ削り始めた。家に歴史あり、だな。スカーレット家がバートリ家に振り回されるのもその頃からの伝統だったわけか。

 

しかし、当代随一の美女ね。……むう、見たい。凄く見たい。何せリーゼ様は昔、『私はどちらかと言えば母上似かな』と言っていたのだ。同じ黒髪だったらしいし、それはもう大人版リーゼ様と言っても過言ではないだろう。

 

「フランはどんな方だったか覚えてる? リーゼ様のお母様。小さい頃から一緒に遊んでたってことは、見たことあるんでしょう?」

 

好奇心に従って尋ねてみると、小さな画家さんはバケツに絵の具を次々と絞り出しながら答えてくる。……この様子だと、結局抽象画に行き着きそうだな。

 

「んー……背が低くて、活発な感じだったかなぁ。バートリ卿は物静かなタイプだったから、尚更そう見えたのかも。」

 

「そうなると、リーゼ様とはあんまり似てないわね。背はまだ分からないけど、活発って感じではないし。」

 

「でもでも、口調はそっくりだったよ。余所行きの時は完璧なお嬢様なのに、私たちだけになると今のリーゼお姉様みたいな口調になっちゃうの。こっそりお菓子をくれたり、一緒になって悪戯もしてたなぁ。今にして思えばちょっと皮肉屋なところもあったかも。」

 

「……前言撤回するわ。やっぱり似てるのかもね。」

 

リーゼ様のルーツはそこにあったわけだ。小柄で活発か。悪くないな。というかまあ、むしろ良いぞ。あと五百……いや、千年後くらいか? 気の長い楽しみが出来てしまった。

 

となると、それまでは死ぬわけにはいかないな。待ち時間が長すぎる気もするが、それだけの価値は……待てよ? それこそ人形でどうにかならないか? 大人版リーゼ様人形。私は物凄いことを思い付いてしまったようだ。お前は天才だぞ、アリス。

 

「具体的に、身長はどのくらいだった? 160くらい? もっと小さい?」

 

「具体的に? 多分、それよりもう少し小さいくらいじゃないかな。多分ね。私も小さかったからよく分かんないよ。」

 

「じゃあ、仮に身長は155ってことにしましょう。体型は? 髪の長さは?」

 

「全体的に細っそりした感じで、胸はあんまり無かったかな。今のアリスと同じくらい。髪は肩まであって、先の方だけ軽くウェーブが……ねぇ、アリス? なんか企んでるでしょ? そんな顔してるもん。」

 

「何も企んでないわ。信じて、フラン。」

 

穢れなき真っ直ぐな瞳で弁明してみると、フランは更に疑いの表情を強めてしまった。何故だ。

 

「いや、絶対嘘じゃん。何その顔。……もう教えない! 後でリーゼお姉様に怒られたくないもん!」

 

「フラン? これは大事なことなの。今はまだ説明できないけど、どうしても必要なことなのよ。」

 

「前から思ってたんだけどさ、アリスって紅魔館で一番嘘吐くのが上手いよね。……でも、私は騙されないよ。そういう真面目くさった顔のアリスは大抵なんか企んでるんだもん。前にリーゼお姉様の子供の頃の人形を作った時もそうだったじゃん! あの時は私も怒られちゃったんだからね!」

 

「だけど、怒られるだけの価値はあったじゃないの。私はあの選択を一切悔やんでないわ。」

 

お陰でマーガトロイド家に家宝が一つ生まれたのだから。まあ、私の代で断絶の可能性もあるが。曇りなき表情で言い切った私に、フランは曇りまくりの表情でジト目を寄越してくる。

 

「ほら、今回もそういうのでしょ! 私には分かるんだからね! リーゼお姉様に言いつけちゃうから!」

 

「やめなさい、フラン。やめなさい。それは禁断の一手よ。……そうだわ、何か欲しい物はないの? ゲームとか、画材とか、何かあるでしょう? 等価交換といきましょうよ。」

 

「……ゲームでもいいの? お姉様はあんまりやり過ぎるからって買ってくれないんだけど。」

 

「何でも構わないわ。だって私たちはお友達でしょう? レミリアさんには言わなきゃバレないわよ。そしてバレないんだったら無いのと一緒。ね?」

 

危なかった。内心の焦りを隠してにこやかに聞いてみると、フランは悩みながらゆらゆらと翼飾りを揺らし始める。勝ったな。フランがこうなったらもう陥落間近なのだ。少し待っていれば了承の返事が飛んでくることだろう。

 

ニコニコと微笑みながら悪友の返答を待ちつつ、アリス・マーガトロイドは脳内で新しく作る人形の素材をリストアップするのだった。

 



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グレンジャー歯科医院

 

 

「やだ! やだやだやだ! やぁぁぁだぁぁぁ!」

 

視線の先であらん限りに暴れながら泣き叫んでいる男の子を見て、アンネリーゼ・バートリは透明にしている翼をぷるりと震わせていた。……どんだけ嫌なんだよ。というか、親の方も容赦なさすぎないか?

 

「いいから行くの! ちゃんと歯磨きしないからそうなるんでしょうが!」

 

「するもん! 今度からちゃんとするもん! だからもう帰ろうよ!」

 

「ダメです。それに、ここの先生は痛くしないって有名だから……こら! どこ行くの!」

 

話の途中で母親らしき女性の拘束を振りほどいた男の子は、目の前の建物から離れるべく全速力で通りの向こうへと駆けて行く。つまるところ、彼は『グレンジャー歯科医院』に断固として入りたくなかったようだ。

 

「待ちなさい、ロブ! 待ちなさいったら!」

 

「やだもん!」

 

何者にも侵されぬ自由を得た男の子の捨て台詞を背にして、恐る恐る『拷問医院』へと歩き出す。民家らしき建物がすぐ隣にあるのを見るに、どうやら住宅に医院部分が併設されているようだ。……マグルの家の基準はいまいち分からんが、ダーズリー家よりは遥かに大きいな。かなり儲かっているらしい。

 

医院側と住宅側。一瞬どちらを訪ねようかと迷った後で、とりあえずは医院側のドアを開く。普通に営業時間中みたいだし、ハーマイオニーも夏休み中は雑務を手伝っていると言っていたのだ。こっちに居る可能性の方が高いだろう。

 

入り口を抜けた途端に微かなアルコールの匂いを感じつつ、それなりに人気のある待合室に入ってみれば……うーむ、不思議な空間だな。皆どこか緊張した様子でソファに座って順番を待っている。窓際の女の子なんか処刑を待ってるみたいな雰囲気だぞ。

 

その異質な空気に若干引きながら、受付らしきカウンターへと近付いてみると……私が声をかける間も無く、白衣を着たふくよかな女性が身を乗り出して質問を捲し立ててきた。

 

「あら、お嬢ちゃん。初診ですか? お母さんかお父さんは? 一人で来たの?」

 

「残念ながら、客じゃないんだ。ハーマイオニー・グレンジャーの友人でね。彼女は居るかな?」

 

「まあまあ、ハーミーのお友達! ちょっと待ってて頂戴ね。今呼んできますから。」

 

少し驚いたような反応の後、女性はカウンター裏のドアへと引っ込んでいく。……ふむ、どうやらハーマイオニーのことをよく知っている職員のようだ。昔から勤めてたりするんだろうか?

 

しかし、もう少し時間を考えるべきだったな。ハーマイオニー経由で午後からダイアゴン横丁に行くことは伝えてあるものの、肝心の訪問時間を伝え忘れてしまった。まさか午前からこんなに混んでるとは思わなかったぞ。昼までに捌き切れるのか? こんな数。

 

拷問医院の意外な繁盛っぷりに感心していると、診察室らしき方向に繋がる通路の奥から……おや、ハーミーパパだ。白衣に身を包んだグレンジャー氏が歩み寄ってきた。

 

「こんにちは、アンネリーゼ君。……それとも『バートリさん』と呼んだ方が良いのかな? 頭の固い私たちには少し難しいんだが、ハーミーが言うには私なんかよりもずっと歳上なんだとか。本当なのかい?」

 

「年齢に関してはそうだが、呼び方は好きにしてくれたまえ。キミたち夫婦にとっての私は……まあ、そうだね。『娘の友人』だよ。それ以上でもそれ以下でもないさ。」

 

「うん、それなら分かり易い。だったら精一杯歓迎したいところなんだが、ちょっとだけ予約が立て込んでいてね。それに、ハーミーにも買い物を頼んでしまったところなんだ。あの子が戻るまで少し待っていてくれるかい?」

 

本当に申し訳なさそうな表情で言うグレンジャー氏に、肩を竦めて頷きを送る。予想通りの展開だな。

 

「もちろん構わないさ。私も訪ねる時間を伝えておくべきだったと反省してたところだ。あっちのソファで大人しく待ってるよ。」

 

「いやいや、せめて飲み物くらいは出させて欲しいな。付いて来てくれるかい? 向こうに職員用の休憩スペースがあるんだ。」

 

「ふぅん? なら、お邪魔させてもらおうかな。」

 

悪くないな。見知らぬ施設にちょびっとだけ興味があるのも確かなんだし。先導するグレンジャー氏に従っていくつものドアを横目に歩いて行くと、やがて目立たない位置にある雰囲気の違うドアの前へとたどり着いた。まだ廊下の先があるのを見るに、予想以上に大きな建物らしい。奥側に広がっていたわけか。

 

「さあ、ここだよ。二十分くらいでハーミーは帰ってくると思うから、それまでは……ああ、丁度良かった。コートニーさん、このお嬢さんに何か飲み物を用意してもらえませんか? ハーミーのお友達なんです。」

 

そのまま『職員専用』と書かれたドアを抜けてみれば、大きなテーブルが中央に置かれた休憩室らしき室内が目に入ってくる。椅子の一つに座っていた女性に声をかけたグレンジャー氏は、私に一つ頷いてから慌ただしい様子で仕事へと戻っていった。

 

「あらまあ、ハーミーちゃんのお友達だなんて! こっちへいらっしゃいな。コーヒー……じゃないわね。ジュースか何かあったかしら?」

 

「あー……コーヒーで構わないよ。紅茶があれば尚良いが。」

 

「それなら紅茶にしましょうか。ちょっと待ってて頂戴ね、今淹れますから。」

 

マグルの歯科医院では世話焼きのおばちゃんしか雇っちゃいけない決まりでもあるのか? ニコニコ顔で紅茶を準備し始めた女性を横目に、部屋の設備を見回していると……ドアが開いて三人の白衣を着た女性が入ってくる。こっちは若いな。というか、女性ばっかりなのはどういう訳なんだ?

 

「だけど、あれはもう交換するんでしょ? だったら別に……あら、可愛い。この子は誰なの? コートニー。」

 

「わぁ、綺麗な黒髪ね。迷って入ってきちゃったの?」

 

「そうじゃなくて、ハーミーのお友達なんですって。あの子が通ってるのは全寮制の学校らしいし、きっといいトコのお嬢様なのよ。やっぱり雰囲気が違うわよねぇ。こういうのが育ちの差ってやつなのかしら?」

 

「あー、分かるわ、それ。うちの子とは大違いだもの。雰囲気がもう落ち着いてるのよね。こんにちは、お嬢ちゃん。十歳……なわけないか、ハーミーのお友達なら。十一か十二歳かしら?」

 

……マズいぞ。どうやっても十六歳には見えないだろうし、五百歳ですと言うのは論外だ。私がどう答えようかと迷っている間にも、当人を差し置いて姦しい会話はどんどん進んでいく。

 

「ちょっとコートニー、安物の紅茶なんかじゃなくてオレンジジュースでも出してあげなさいよ。冷蔵庫に入ってるはずでしょ? 今朝ドナが入れてたのを見たもん。」

 

「お嬢ちゃんが紅茶でいいって言うんだもの。きっと育ちの悪いあんたと違って飲み慣れてるのよ。……でも、そうするとティーバッグはマズいかもね。茶葉ってどこに置いたんだった? グレタが旅行のお土産に買ってきてくれたやつ。」

 

「戸棚に仕舞ってあるはずよ。……そっちじゃなくて、上の戸棚。そうそう、そのビン。どうせなら甘めのやつにしときなさいよね。私たちが飲んだって味が分かんないんだから。紅茶も味が分る人に飲まれた方が幸せでしょ。」

 

「ねえ、お嬢ちゃん? クッキーは要らない? チョコのやつと、シナモンのやつと……あれ? ピスタチオのやつはどこに行っちゃったの? 誰か食べた?」

 

凄まじい勢いだな。ホグワーツの女生徒といい勝負じゃないか。強引に座らされた椅子でちょっとだけ気圧されつつも、とりあえず手近な質問の答えを返した。

 

「クッキーは要らないよ。紅茶もティーバッグで結構だ。私はハーマイオニーが戻ったらすぐに──」

 

「きゃー、可愛い。聞いた? ねえ聞いた? すっごく可愛い口調よ、この子。抱き締めちゃいたいわね。」

 

「それよりお嬢ちゃん、ちょっとお口を見せてくれない? ……ほら、見なさいよあんたたち! こんな綺麗な歯並び見たことある? 矯正したのかしら?」

 

「天然でしょ。この感じは間違いないわ。神様は不公平よねぇ、顔も歯並びも良いだなんて……あら、上の三番は尖っちゃってるわね。ここを削れば完璧よ。」

 

なんて恐ろしい会話なんだ。削らんぞ、私は。言われるがままに口を開けながら抗議の視線を送っていると、一人の女性が奥に置いてあったゴム手袋を嵌め始める。騙したな、ハーミーパパ! 診察する気満々じゃないか!

 

「ちょーっとだけ見せて頂戴ねー……真っ白よ、真っ白。やっぱり犬歯以外はパーフェクトみたい。舌も綺麗だし、歯のズレも隙間もないわ。惚れ惚れするわね。」

 

「私は犬歯もこれでいいと思うけどね。形は綺麗だから、チャームポイントで通用するでしょ。……見て見て、歯石も一切無いじゃない。ツルツルよ、ツッルツル。若いって羨ましいわ。」

 

「でも勿体無いわよ。ここだけ削れば『良い歯』の見本として飾れるくらいなのに。教科書に載ってたやつより綺麗じゃないの。」

 

「こうして見てみると骨格も大事だっていうのがよく分かるわね。歯磨き粉は何を使ってるの? フロスは? 歯ブラシは?」

 

早く帰ってきてくれ、ハーマイオニー。そして私を救い出してくれ。自分の口腔を多数の人間に覗き込まれるという訳の分からん状況を受けて、久々に情けない表情を浮かべるのだった。

 

───

 

「あー……うん、それは災難だったわね。でも、褒められたんでしょう? 良い歯並びだって。」

 

そしてハーマイオニーが帰ってきた後、住宅側のリビングへと誘われた私は、紅茶を飲みながら栗毛の友人に怒りをぶつけていた。顔が笑ってるぞ、ハーマイオニー。友人の災難を笑うとは何事だ。

 

「キミね、一体全体どういう場所なんだい? あそこは。変な職員ばかりじゃないか。普通は他人の歯並びなんかに興味を持たないぞ。」

 

「んー、魔法界だとそうでもないんだけど、こっちだと歯並びは一種のステータスなのよ。だからパパもママも仕事に困らないってわけ。魔法界だと簡単に『弄れる』から興味が薄いのかも。」

 

「まあ、繁盛してるのはよく分かったよ。私には縁のない場所だってこともね。」

 

そこそこの値段がしそうなソファに身を預けて言ってやると、ハーマイオニーは苦笑しながら返事を寄越してくる。しかし、やけに写真が多いリビングルームだな。ハーマイオニーの写真なんか数え切れないほど飾られてるぞ。

 

「あの人たちのお墨付きを貰えたなら確かに縁はないでしょうね。……私の友達が訪ねてくるのなんて初めてだから、みんな興奮しちゃったのかも。」

 

「ま、ドリル無しなんだったら別にいいけどね。それで、グレンジャー夫妻はいつ頃仕事を抜けられそうなんだい? ダイアゴン横丁に行く前に話しておきたいんだが。」

 

「えーっと、つまり……『あの件』について聞きに来たのよね? 許可を得たかどうかってことを。」

 

よしよし、いいぞ。途端に表情が曇ったのを見るに、グレンジャー夫妻は一人娘を危険に晒すことを是とはしなかったようだ。内心の喜びを隠しつつ大きく頷いてやれば、ハーマイオニーはため息を吐きながら弱々しい声で説明してきた。

 

「現時点では反対なんですって。この後事情を知ってるであろうモリーさんと話して最終結論を下すらしいわよ。……私は納得してないけどね。」

 

「んふふ、それだけ心配してくれてるってことだよ。……どうかな? ホグワーツを離れて冷静になってみて、頭の良いキミならそもそも通るはずのない提案だって気付いた頃だろう?」

 

苦笑を浮かべながら言ってやると、ハーマイオニーは渋々という感じで首肯を返してくる。

 

「学校に居た時から薄々は気付いてたわよ。だけど、望みがあるなら賭けてみたいじゃない。……ねえ、リーゼ? 貴女はどう思ってるの? 未成年だとか、大人としての責任だとか。そういうのを抜きにした、友達としての貴女の意見を聞かせてくれない?」

 

「ふむ、難しい質問だね。……端的に言えば反対かな。私が思うに、重要なのは物理的な距離じゃないんだよ。『その瞬間』に側に居ないとダメってことはないんじゃないかな。」

 

「どういう意味?」

 

首を傾げて聞いてきたハーマイオニーへと、苦笑を深めながら口を開いた。参ったな。私がこんな話をする日が来るとは思わなかったぞ。

 

「つまりだね、ハリーにとってのキミたちは……そう、日常なんだ。帰るべき場所だよ。全部やり終えたハリーをホグワーツで迎えてあげたまえ。それは私にも、ダンブルドアにも、他の誰にも出来ないことなんだから。」

 

言葉にして説明するのは難しかったが、ハーマイオニーには私の思うところが伝わったようだ。ほんの少しだけ寂しげな笑みを浮かべると、深いため息を吐いてこくりと頷く。

 

「……うん、興味深い意見だったわ。私の役目は一緒に戦うことじゃないってわけね。」

 

「ハリーには安心して腰を下ろせる場所が必要なのさ。これまでの数年間だってそうだっただろう? キミたちに弱音を吐けるから、ハリーはいざという時に迷わず前を向けたんじゃないかな。運命や戦いとは関係のない、生き残った男の子が『ただのハリー』に戻れる場所でいてあげたまえよ。」

 

「うー……悔しいけど、納得よ。気持ちだけで付いて行くよりも、そっちの方が役に立てそうだわ。」

 

ぐしゃぐしゃと髪を掻き回しつつそう言ったハーマイオニーは、ソファに凭れ掛かって天井を見上げながらポツリと呟いた。吹っ切れたような、それでいて悔しそうにも見える表情だ。

 

「ん、分かった。もう付いて行くのは諦める。……本当は分かってたのよ、足手纏いにしかならないってことくらい。それでも我儘を言ってたのはつまらない意地の所為ね。ハリーや貴女にとって胸を張れる友達でいたかったの。バカみたいだわ。」

 

「んふふ、相変わらずキミは変なところで抜けてるね。私やハリーにとって、キミたち二人は胸を張って自慢できる友達だよ。とっくの昔にそうなってたんだ。……気付いてなかったのかい?」

 

「なら、私は勝手に勘違いしてた大間抜けさんってことね。……私はホグワーツで帰りを待つわ。ハリーと、そして貴女の帰りを。だから約束して頂戴、リーゼ。本音を言わせてもらえば、ヴォルデモートとの決着なんか私にとっては二の次なのよ。私にとって大切なのは、貴女とハリーが無事に帰ってきてくれるってことだけ。だからそれだけは約束して欲しいの。もしそれさえ叶うなら、他の全てを放り投げて帰ってきてくれたって構わないわ。」

 

真剣な表情で右手の小指を差し出してきたハーマイオニーに対して、私も真面目な顔で頷きながら小指を出す。

 

「約束するよ、ハーマイオニー。私は大嘘吐きの吸血鬼だが、今回ばかりはきちんと守ろう。ハリーは必ず無事に帰してみせるさ。」

 

「貴女もよ、リーゼ。ハリーだけじゃなく、二人とも無事に帰ってこないと意味がないの。」

 

「いやまあ、それは約束するまでもないと思うけどね。……分かったよ、ちゃんと二人で帰ってくる。約束だ。」

 

苦笑しながらも小指を合わせると、ハーマイオニーもクスリと微笑んでそれを絡めてきた。……なんだか懐かしいやり取りだな。こんな風に約束したのはいつ以来だろうか。

 

小指の先にほのかな温かさを感じつつ、アンネリーゼ・バートリは静かに微笑むのだった。

 



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諸刃

 

 

「マリサ、ドラゴン花火を取ってきてくれ! 奥に在庫が残ってるはずだから!」

 

フレッドの大声の指示を聞いて、霧雨魔理沙は大急ぎで店の裏手の倉庫へと駆けていた。さっき補充したばっかりだってのに、もう無くなったのか? とんでもない売れっぷりだな。あんなもん誰が何処で使ってんだよ。

 

八月中旬。双子の悪戯専門店が開店してから二週間が経った今、店は『盛況』という単語では足りないような有様になっている。一年続いた戦争で鬱憤が溜まっていたのか、それともマグル問題で騒がしくなってきた魔法界に当てられたのか。何にせよイギリス魔法界の悪ガキたちは悪戯グッズが欲しくて堪らないようだ。

 

双子としてもここまで繁盛するとは思っていなかったようで、店内には『売り切れ』の札が掛かっている棚も多くなってしまった。……商品の仕入れが間に合わんぞ、こんなもん。今日は特に客が多いし、いよいよ厳しくなってきたな。

 

売れすぎて困るという訳の分からん状況にため息を吐きながら、奥に仕舞ってあったドラゴン花火満載の木箱を慎重に取り出していると、倉庫に飛び込んできたジョージが焦った表情で声をかけてくる。またしても何かが足りなくなったらしい。

 

「マリサ、『水筒ライター』の在庫が何処にあるか分かるか? 今朝確認した時は残ってたよな?」

 

「あー……カナリア・クリームの上にあったはずだ。ほら、あの黄色いテープが貼ってある木箱。あれが最後だと思うぜ。」

 

「これか。……くそ、あと三十個でこいつも品切れだ。ドラゴン花火は? 何個残ってる?」

 

「こっちもこれがラストの箱だから、あと二十個かな。夕方には無くなっちまうと思うぜ。」

 

というか、この客数だと夕方まで持つかすら微妙なとこだろう。私の返答に苦い表情を浮かべたジョージは、倉庫の壁に寄りかかりながら額を押さえ始めた。『困った』を絵に描いたようなポーズじゃないか。

 

「マズいぞ、かなりマズい。水筒ライターもドラゴン花火も週末まで入ってこないし、ピグミーパフに至っては餌に愛の妙薬を混ぜ込んでるのに繁殖が追いつかない。……こういうのを嬉しい悲鳴って言うんだろうな。」

 

「だったらもう少し嬉しそうにしろよ。その表情だとただの悲鳴だぜ。去年のアンジェリーナがやってたみたいな、『嘆き』の方。」

 

「そんなジョークを言ってる場合じゃないぞ。開店直後の稼ぎ時に商品が足りなくて休業なんて以ての外だ。イメージ的にも良くないし……これは、ゾンコとの取引を真面目に考えるべきかもな。」

 

ゾンコとの取引? ……ああ、一昨日言ってたあれか。こっちの独自商品を数種類卸す代わりに、向こうからも商品をいくらか融通してもらうってやつ。私は悪くない提案だと思ったけどな。

 

床に下ろした木箱からドラゴン花火を取り出しつつ、ジョージに向かって意見を放つ。

 

「別にいいんじゃないか? ホグワーツ生が学校に戻れば、今度はあっちが繁盛する番だろ? ダイアゴン横丁とホグズミードなら上手いこと共存していけると思うぜ?」

 

「それはそうなんだけどな。俺たちもあの店には世話になったし、店長とも知り合いだ。悪い取引じゃないんだろうさ。……ただ、独自性が薄まるってのが心配なんだよ。ブランド力じゃゾンコの方が格上だからな。『新規参入』の俺たちは目新しさで勝負する必要があるってわけだ。」

 

「そいつは結構だけどな、商品の殆どが品切れなんじゃ目新しさもなにもないぜ。……いやまあ、ずらりと並ぶ空っぽの棚ってのは確かに目新しいかもしれんが。」

 

「そりゃまたおっしゃる通り。……仕方ない、背に腹はかえられないか。後でフレッドとも相談してみるよ。」

 

肩を竦めてそう言った後、ジョージは水筒ライターの木箱を浮かせて店に戻って行く。経営ってのも大変だな。外から見れば騒がしくて楽しい悪戯専門店でも、内側の人間は色々と苦労しているようだ。

 

……うーん、霧雨道具店はどうだったっけ? あんまり覚えていないが、週に一度くらいは従業員全員できちんと話し合いをしていた気がする。人里の流通がどうのこうのって理由で、数回に一度は稗田のとこのお嬢様も参加してたっけ。

 

ふむ、店の経営か。それもちょっと面白そうだな。認めるのは癪だが、私の中に流れる商売人の血がそう思わせるのかもしれない。魔女っぽい店といったら……占い師とか、魔道具屋とか、薬師とかか?

 

何れにせよ図書館と人形作りはダメだな。ライバルが強豪すぎるぜ。含み笑いをしながらドラゴン花火を抱えて店に戻ると、混み合う店内の入り口付近に見知った姿が見えてきた。モリーと、咲夜か? 珍しい組み合わせだな。

 

「よう、お二人さん。どうしたんだ? まさか悪戯グッズを買いに来たわけじゃないよな?」

 

犇めく客の合間を縫って二人に近寄った後、それだけは絶対に有り得ないという確信を持って問いかけてみると、私に気付いたお堅いコンビは揃って頷きながら返事を返してくる。

 

「あら、魔理沙。そうじゃなくて、モリーさんが店の様子を見たいって言うから案内役として付いてきたのよ。今日はリーゼ様と一緒に買い物に来てて……ねえ、それより裏に入れてくれない? 話すならもっと落ち着いた場所にすべきでしょ?」

 

「本当にもう、どうしてこんな店が繁盛するのやら。嘆かわしいわ! ……フレッドとジョージは何処かしら? 忙しいの?」

 

混みっぷりに心底うんざりした顔の咲夜に対して、モリーは文句を言いながらもどこか嬉しそうな表情だ。そりゃそうか。息子の商売がこれほど繁盛してたら嬉しいだろうさ。

 

「あーっと……ご覧の通り、今はかなり忙しくてな。バックヤードで待っててくれるか? これを補充したら行くから。咲夜は来たことあるから分かるだろ?」

 

「それじゃ、勝手に入っちゃうわよ?」

 

抱えた荷物を示しながら言ってやると、咲夜は軽く肩を竦めてからモリーを裏手へと導いて行った。それを尻目にドラゴン花火を急いで棚に補充して、半透明マントについてを客に説明しているフレッドにそっと耳打ちする。

 

「おい、フレッド。モリーが来てるぞ。とりあえず裏に案内しといた。」

 

「ですから、このお値段でここまで透明になるマントは世界の何処にも……少々お待ちください。」

 

私の声にピキリと顔を引きつらせたフレッドは、客に一言断ってからこっちに振り向くと……おお、焦ってるな。額に汗を滲ませながら小声で指示を出してきた。

 

「今は無理だ。とてもじゃないけどお袋の相手なんて出来ないぞ。……頼めるか? マリサ。店の方はジョージと二人で何とかするから。」

 

「いやまあ、別にいいけどよ。そんなに怒ってる感じじゃなかったぞ。単に様子を見に来ただけじゃないのか?」

 

「何にせよ任せる。上手くやってくれ、我らが弟子よ。……ああ、お待たせしました。上半身に限って言えば完全に透明になることも可能で──」

 

……相手しとけってんならしとくけど、店の方は本当に二人で大丈夫なのか? 営業スマイルに戻ったフレッドを背にして再び店の裏に入ってみれば、勝手に紅茶を淹れようとしている咲夜と興味深そうに帳簿を捲っているモリーの姿が目に入ってくる。さっそくやりたい放題だな。

 

「お帰り、魔理沙。茶葉が何処にあるか分かる? この前はここにあったのに、無くなっちゃってるの。」

 

「あれは使い切っちまったから、こっちのティーバッグを使ってくれ。それとモリー、双子は客の対応で忙しくてな。しばらく手を離せそうにないんだ。」

 

咲夜にティーバッグがぐちゃぐちゃに詰め込まれたビンを押し付けながら言ってやると、モリーは疲れたようなため息を吐いてから頷きを寄越してきた。

 

「どうやらそうみたいね。これだけ儲かってるならさぞ忙しいんでしょう。……これは負けを認めるしかなさそうだわ。あの子たちにはこの仕事が向いてるみたい。」

 

「私も唯一にして最良の選択肢だと思うぜ。……もう双子を許してやってくれよ。悪戯専門店なんてふざけてるように見えるかもしれんが、経営に関しては二人とも大真面目なんだ。頑張ってるぞ、あいつら。」

 

「許すも何もありません。後はもう母親としてあの子たちの成功を祈るだけです。」

 

「そうじゃなくって……つまりだな、それを言葉にして伝えてやって欲しいんだよ。あいつらもああ見えて気にしてるみたいなんだ。隠れ穴に全然帰らないのもその所為だと思うぜ。もちろん単純に忙しいってのもあるんだろうけどな。」

 

咲夜が不満そうにインスタントの紅茶を淹れるのを横目にしながら頼んでみれば、モリーは帳簿をパタリと閉じて苦笑を返してくる。ちょびっとだけ嬉しそうにも見える苦笑だ。

 

「そうね、きちんと伝えないといけないわね。あの二人はどうせまともな食事なんて用意できないんでしょうし、偶には帰って来させないと。……それに、貴女にもお礼を言っておくわ。サクヤから聞いたわよ? 開店する前からずっと手伝ってくれてたとか。ありがとうね、マリサ。」

 

「お礼を言われるほどのことじゃないさ。私はヒマだったから手伝ってるだけだしな。夏休み中は魔法も使えないし、実際はあんまり活躍できてないんだ。」

 

「毎日のように来てるって時点でお礼を言うべきなのよ。……そういえば、お給料はちゃんと貰ってるの? 子供だからってタダで手伝わされてるんじゃないでしょうね?」

 

「えっと、それはだな……開店前は金に余裕がなかったみたいだし、商売が軌道に乗るまでは必要ないって私から──」

 

これはヤバいぞ。モリーは私の台詞を聞いて眉を吊り上げると、こちらが言い終わる前にすっくと立ち上がってしまった。

 

「そんなことは許せません! 他所様のお嬢さんをこき使ってお給料も渡さないだなんて、あの子たちは一体何を考えているのかしら! 自分たちは庭掃除一つやるのにもお小遣いを要求してたっていうのに!」

 

「いやいや、本当に私から言い出したんだよ。フレッドとジョージはむしろ払ってくれようとしたんだ。だからほら、怒ることじゃないんだって。……それより、今日は何で咲夜とモリーだけなんだ? 他の連中は? 一緒に来たんだろ?」

 

慌ててモリーを止めながら話題を変えようとする私に、山ほどの砂糖を紅茶に投入している咲夜が口を開く。そんなに入れたら病気になるぞ。

 

「リーゼお嬢様はいつもの三人とお話中よ。ロン先輩を三人がかりで説得してるみたい。」

 

「んん? リーゼとハリーはまあ分かるが、ハーマイオニーは『付いて行く派』じゃなかったのか?」

 

「いつの間にか意見を変えたみたいよ。その辺を聞く前に四人でカフェに行っちゃったから、詳細はちょっと分からないけど……。」

 

変な状況だな。リーゼあたりが説得したのか? 首を傾げる私を他所に、モリーはすとんと椅子に腰を下ろして神妙な表情になってしまった。彼女にとってロンの問題は『給料未払い』を忘れさせるほど大きなもののようだ。

 

そんなモリーを心配そうに見ながら、咲夜は別グループに関しての説明を続けてくる。

 

「あと、アーサーさんとジニーとグレンジャー夫妻はグリンゴッツとペットショップに行ったわ。グレンジャー夫妻がふくろうを買いたいって言うから、その案内をしてるの。ついでにお金も下ろしてくるんですって。」

 

「ふくろう? 今更だな。」

 

疑問を口にしてみると、咲夜ではなくモリーがその理由を教えてくれた。かなり同情的な声色だ。

 

「去年連絡を取れなかったのが本当に怖かったんですって。ハーマイオニーは魔法界に就職するつもりみたいだし、良い機会だから連絡用のふくろうを一羽飼うことに決めたらしいの。……私もグレンジャー夫妻の気持ちはよく分かるわ。さぞ不安だったことでしょう。」

 

「なるほどな。教科書とかはその後買いに行くのか?」

 

「そのつもりよ。魔理沙はもう買っちゃった? なんなら一緒に行こうかと思ってたんだけど……この混み具合じゃ無理そうね。」

 

騒がしい店内へと繋がるドアを眺めながら言った咲夜に、渡された紅茶を一口飲んでから返答を返す。まあ、無理だな。夕方も夕方で混むだろうし。

 

「だな。横丁に住んでりゃ本屋なんかいつでも行けるし、自分のは今度買っとくぜ。」

 

「それなら買っといてあげましょうか? 単純に二冊ずつ買えばいいんだから簡単よ。後でアリスに頼んで人形店に送ってもらうから。」

 

「いいのか? それなら頼む。あと安全手袋と、マントとかもな。咲夜のも小さくなっちゃってるだろ? 身長はほぼ同じなんだし、必要そうなのは全部二個ずつ注文しておいてくれ。」

 

「……別にいいけどね。色とかの拘りはないわけ? 何も言わないならこっちで勝手に決めちゃうわよ?」

 

言わなくても分かるだろ、そんなもん。あれば黒、なければ何でもだ。目線でそのことを伝えてやると、咲夜はちょっと呆れた顔で了承の頷きを飛ばしてきた。ちゃんと伝わったらしい。

 

そんな私たちのやり取りをどこか懐かしそうな表情で見ていたモリーは、腕まくりをしながら立ち上がると私に向かって声をかけてくる。何だ? 双子を殴りに行くんじゃないよな?

 

「さて、マリサ。私も少し手伝います。このままだと双子と話す時間も作れなさそうですからね。……サクヤはそのことをみんなに伝えてくれるかしら? 夕食にはジョージとフレッドを引き摺ってでも連れて行くからって。」

 

「それは構いませんけど……モリーさんが手伝うんですか? 悪戯専門店を?」

 

「あら、私だって伊達に何十年も主婦をしちゃいないのよ? 裏側の作業だったら問題なく手伝えるわ。さあ、指示を頂戴、マリサ。」

 

「……マジかよ。」

 

頼もしいっちゃ頼もしいが、モリーにあんな商品を見せるのか? 『ずる休みスナックボックス』とか、『ジョーク鍋』とか、おまけに『ウンのない人』とかを? どんな反応をするのかは目に見えてるぞ。

 

やる気満々のモリーを前に、霧雨魔理沙は今日一番の情けない表情を浮かべるのだった。

 

 

─────

 

 

「ふーん? 国際魔法使い連盟もようやく重い腰を上げたってわけ?」

 

魔法省地下三階の食堂にあるバルコニー席。アトリウムの光景が見下ろせるその席で、レミリア・スカーレットは向かいに座るダンブルドアへと問いかけていた。予想よりも少しだけ早いな。やはり香港の協力を得たのが大きかったようだ。

 

八月も下旬に入り、イギリス魔法省は昇進やら異動やらで慌ただしい時期を迎えている。九月からはホグワーツを卒業したての新たな職員たちが入省し、また忙しない一年が始まるわけだ。……特に新人教育係に任命された連中は今頃大慌てで指導用の書類を作成しているのだろう。今年から提出を義務付けられてしまったのだから。

 

そんなわけで『外部顧問』たる私も暇ではいられない時期なのだが、急に訪ねてきたダンブルドアの所為で昼下がりのティータイムを過ごす羽目になってしまった。普通なら爺さんのお茶になど付き合っちゃいられないのだが、持ってきた知らせが無視できない内容だったのだ。

 

曰く、近いうちに国際魔法使い連盟が『国際合同カンファレンス』を開くつもりらしい。なんでもダンブルドアの知り合いが今の連盟次長を務めているようで、そこから内々に検討しているとの手紙が届いたそうだ。情報が漏れてるぞ、ポンコツ連盟。

 

紅茶をティースプーンでかき混ぜながらの私の問いに、ダンブルドアは魔法省名物のレモンティーを一口飲んでから答えてくる。ここの従業員はいつからソヴィエト贔屓になったんだ? イギリス人ならストレートの紅茶を名物にしろよな。

 

「連盟としてもさすがに無視できなくなったのでしょう。イギリス魔法省、フランス魔法省、ドイツ議会、ソヴィエト議会、マクーザ、そして香港自治区。これだけの賛意がある以上、もはや魔法界の国際機関としては静観していられないはずです。……貴女としては予想通りの展開ですかな?」

 

「当たり前でしょ。連盟が動くのも私の計画に含まれてるわ。……ただし、『カンファレンス』なんて穏便な方法になるのは予想外だったけどね。私かグリンデルバルドあたりが『証人喚問』されると思ってたの。」

 

「名目はともかくとして、実際はそれに近いものになるはずです。各国からの質疑に貴女とゲラートが受け答えるという状況になるでしょうな。」

 

「ふん、それなら望むところよ。一気に『説得』を進められて楽になるだけだわ。」

 

私もグリンデルバルドも論戦で遅れを取るような素人ではないのだ。強硬にグリンデルバルドに反対している国々も連盟からの召集があれば参加せざるを得ないだろうし、その場でどんどんひっくり返していこうじゃないか。

 

となると、グリンデルバルドとの原稿合わせなんかを……する必要はないな。変に協調して足並みを揃えようとするよりも、各々で勝手に突っ走ったほうが良い結果を生みそうだ。私もグリンデルバルドも他人を盛り立てるようなタイプじゃない。下手に組み合わせたところで反発し合って無茶苦茶になるだけだろう。

 

だからまあ、それぞれスタンドプレーでやればいいさ。カンファレンスとやらが私の独演会になるか、グリンデルバルドのそれになるか、いざ尋常に勝負といこうじゃないか。どっちに転んでも計画に不都合はないんだし。

 

でも、どうせなら勝ちたいぞ。……よし、今からボーンズたちと一緒に演説内容を考えておこう。内心で『最優先課題』を定めた私へと、ダンブルドアはアトリウムの天井に煌めく幾何学模様を見ながら口を開く。

 

「わしからも連盟の知り合いに話を通しておきましょう。それと、アフリカの大評議会にも連絡を取らねばなりませんな。カンファレンスの前にあちらを纏められれば大きな力になってくれるはずです。」

 

「……可能なの? 私は無理だと判断して計算から外したわけだけど。あの国はちょっと価値観が違いすぎるんだもの。良くて中立、下手に突けば反対になりかねないって感じに考えてたわ。」

 

「ほっほっほ、ならばわしにお任せください。彼らはマグルと魔法族を大きく区別していません。前提条件が違うから話にズレが生じてしまうのですよ。同じ目線で話し合えばきちんと理解してくれるはずです。」

 

「まあ、出来るってんなら任せるけどね。……でも、カンファレンスの対策は怠らないように。事がグリンデルバルドに関係している以上、間違いなく貴方に対する質疑も出てくるわよ。」

 

私が一応『名誉顧問』であるように、ダンブルドアも国際魔法使い連盟の名誉会員のはずだ。参加を要請されるだろうし、そうなれば当然質問も飛んでくる。私の忠告に苦笑したダンブルドアは、椅子の背に身を預けながら了承の返答を放ってきた。

 

「ううむ、参りましたな。そういった問答は苦手なのですが……分かりました、なんとか準備はしておきましょう。」

 

「苦手だろうが何だろうがやるのよ。私がグリンデルバルドと同じ側に回ったことで、貴方に一縷の望みを託してる反対派も居るはずでしょう? そういう連中の希望を打ち砕いてもらわないと困るの。」

 

「悪役の台詞ですな、それは。」

 

悪役なんだから合ってるだろうが。鼻を鳴らして返答に代えてから、立ち上がってアトリウムを見下ろしながら話を続ける。……おっと、また暖炉の一つがパンク状態に陥っているようだ。死喰い人が変な繋げ方をした所為で煙突ネットワークが不調らしい。あそこは使用禁止にした方がいいかもな。

 

「そういえば、スネイプからの連絡はまだなの? さすがに音信不通が長すぎない?」

 

なにせ三ヶ月も連絡がないのだ。死んではいないし、戻ってきてもいないということは未だ潜入中なんだろうが……手紙の一通くらいは送れないのか? どんな状況なんだかさっぱり想像が付かんぞ。

 

ダンブルドアとしても気にしていた問題のようで、少し顔を曇らせながら返事を寄越してきた。

 

「わしとしても心配なのですが、こちらから連絡するわけにもいきません。今は待つ他ないでしょう。」

 

「スネイプに関しては貴方の管轄だから、外野からとやかく口を出したりはしないけどね。……生きているのと無事であることは別の話なのよ? その辺をもっと気を付けた方がいいと思うけど。」

 

私の言葉を受けて難しい表情で黙考し始めたダンブルドアを尻目に、残っていた紅茶を飲み干して大きく伸びをする。スパイってのは諸刃の剣だ。万が一撥ね返されれば傷付くのはこっちなんだぞ。リドルに上手く利用されなきゃいいんだけどな。

 

まあ、スネイプが死んで傷付くのはダンブルドアだ。私じゃない。あの男を利用したところで然程大きなことは出来ないだろうし、精々リドルの寿命がちょびっと延びる程度のはず。うん、問題ないさ。

 

何れにせよ、もうリドルが詰んでいることは決定済みなのだ。あとはキングを取られるまで何手かかるかという問題だけ。……潔くリザインしてくれれば楽なんだけどな。そしたら隣の遥かに複雑な盤面に集中できるのに。

 

二面打ちも楽じゃないなと嘆息しつつ、レミリア・スカーレットはついでに昼食も済ませちゃおうとメニューを開くのだった。

 



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駆け込み乗車

 

 

「いいか? ハリー。動きがあるときは必ず私に連絡を送ってくれ。他の誰かを通さず、直接私にだ。分かったね?」

 

置いてけぼりになるのを心配する親バカを横目に、アンネリーゼ・バートリは聞こえよがしに鼻を鳴らしていた。この被害妄想犬め。お前にもちゃんと伝えるって言ってるだろうが。

 

九月一日。今年もホグワーツ特急に揺られて学校に戻る日が訪れたのだ。ハリーはロンやジニーと一緒に隠れ穴から煙突飛行で、ハーマイオニーはいつものように両親と自動車で、そして私と咲夜は姿あらわしでそれぞれキングズクロス駅に到着している。

 

ちなみに魔理沙は『もう子供じゃない』という本人の主張により、今年から一人で来ることになっているのだが……まだ姿が見えないぞ。まさか寝坊してないだろうな? これはアリスの懸念が的中してしまったのかもしれない。

 

そのことを心配しながらも9と3/4番線のホームに集まった友人たちと挨拶を交わしていたところ、護衛役として付いて来たらしい大型犬おじさんがハリーにしつこく話しかけ始めたのだ。ただでさえ小雨で気分が落ち込んでるってのに、この上『間接的恨み節』か? いい加減にしろよな、ブラック。

 

「キミね、心配しなくても私かダンブルドアから伝えるよ。ずっとそう言っているだろう? ……もう行こう、ハリー。後で手を洗うんだよ? 野良犬は汚いからね。放っておくと病気になっちゃうぞ。」

 

「ですが、貴女たちは分霊箱についてを『伝え忘れて』いたじゃありませんか。信用できませんね。……ハリー、まだ話は終わってないぞ。些細なことでも構わないから、どんどん手紙を送ってきてくれ。なにせ私は時間に余裕があるんだ。恋の相談からクィディッチの悩みまで、何だって一緒に悩めるさ。」

 

「そりゃあそうだろうさ。何故ならキミは仕事をしていないからね。少しはルーピンを見習いたまえよ。魔法省に新設された人狼相談室に就職したそうじゃないか。……何なら私が仕事を斡旋してあげようか? サーカスの曲芸犬なんてどうだい? 無職の元指名手配犯よりはマシな肩書きだろう?」

 

「その不機嫌っぷり、雨の日のフランドールにそっくりですよ。あいつも湿気と太陽、それとニンジンが大嫌いでしたから。……まさかバートリ女史もニンジンがお嫌いなんですか? そんな子供じみた好き嫌いなんてありませんよね?」

 

こいつ、調子に乗ってるな? 吸血鬼のパンチの威力を思い出させてやろうか? 弱り切った表情のハリーを挟んでブラックと睨み合っていると……ええい、引っ込んでろ、人狼カウンセラーめ。苦笑を浮かべたルーピンが止めに入ってくる。こいつも護衛役の一人なのだ。

 

「まあまあ、二人とも。シリウスはしつこすぎるし、バートリ女史も……ほら、ハリーが困ってますよ? この辺にしておきましょう。」

 

「ふん、私は別に怒っちゃいないさ。ハリーに小汚い野良犬が纏わり付いてくるから追っ払おうとしているだけだ。友人として当然の行いだろう?」

 

「私も別に怒ってはいませんよ。ただ、名付け子が悪い吸血鬼に誘導されるのを防いでいるだけです。名付け親としては当然の行いだと思いますがね。」

 

何を言っているんだ、犬ころめ。私は善なる吸血鬼だぞ。普通の吸血鬼を知らないからそんなことが言えるんだからな。抗議の意思を込めてブラックを睨め付けていると、素早く近付いてきたハーマイオニーが私を強引に車内へと引っ張り始めた。

 

「さあさあ、もう行きましょう、リーゼ。ハリーはシリウスと暫く会えないんだから、今日くらいはゆっくり話させてあげましょうよ。」

 

「離したまえ、ハーマイオニー。私はあの大型犬が余計な指示を出すのを止めなくちゃならないんだ。放っておいたらハリーのペットとしてホグワーツに付いて来かねんぞ、あのおっさんは。」

 

「いいから行くの! ……大体、私から見ればよく似た二人だと思うわよ? 貴女とシリウス。」

 

……嘘だろう? 私を抱きかかえるようにして車両の中に引き摺り込んだハーマイオニーに、これでもかというくらいのジト目を返す。言っていいことと悪いことがあるんだからな。

 

「全然似てないぞ。私に生えてるのはカッコいい翼で、ブラックのはボサボサの尻尾だ。私の肌は白くてツルツルだが、あいつのは変な日焼けをしている上にガサガサだ。そして何より私が可愛いのに対して、あの犬ころは可愛くない。……全然、これっぽっちも、全く、似てないじゃないか!」

 

「そっくりよ。もうちょっと客観視してみれば分かるわ。特にハリーへの態度なんかをね。」

 

「……意味が分からないぞ、ハーマイオニー。ひょっとして具合でも悪いのかい? あるいは変な呪いにかかってるとか?」

 

「うーん、不思議だわ。人ってどうして自分のことになると分からなくなっちゃうのかしらね。」

 

急に哲学的なことを言い出したな。本当に大丈夫か? 私を抱っこしたままでどんどん列車の廊下を進むハーマイオニーに、されるがままで困惑していると……おっと、居たぞ。先にコンパートメントを確保してくれていた咲夜、ジニー、そしてロンの姿が見えてきた。

 

「ハ、ハーマイオニー先輩? 何でそんな、何して……ズルいです! 私もやったことないのに!」

 

おお? 私たちがドアを抜けた瞬間に慌てて立ち上がった咲夜は、悔しそうな表情でハーマイオニーを糾弾し始める。何事かと首を傾げる私を他所に、ハーマイオニーは私の脇に手を入れると……何をしたいんだよ。そのまま咲夜に差し出した。物じゃないんだぞ、私は。

 

「はい、あげるわ。持てる?」

 

「もちろん持てます!」

 

「いやいや、待ちたまえよキミたち。私は自前の足を持ってるんだぞ。普通に自分で歩けるさ。」

 

抗議をしつつも身をよじってハーマイオニーの拘束を抜け出してみれば、何故か咲夜は悲しそうな表情に変わってしまう。……一体全体何なんだ? この状況は。ジニーは呆れたように雑誌を読むのに戻ってしまったし、ロンはずっと窓の外を眺めたままだ。誰か助けてくれよ。

 

「あー……どうしたんだい? 咲夜。私には状況が理解できないんだが。」

 

「……いえ、何でもありません。一介のメイド風情には過ぎたる願いだったんです。忘れてください。」

 

「本当にどうしちゃったんだ、キミは。なんかアリスに似てきた気がするぞ。」

 

こういう意味不明なやり取りは昔の……というか、最近のアリスもよくやっていた覚えがあるぞ。トボトボと席に戻った咲夜を腑に落ちない気分で見つめていると、我関せずと荷物を棚に載せていたハーマイオニーが声を放った。

 

「ロン、監督生のコンパートメントに行きましょうよ。今年は話し合うことが多いみたいだし、出発前に行っておいた方がいいわ。」

 

「……うん、分かった。」

 

うーむ、言いながら立ち上がったロンは傍目にも明らかなほどに落ち込んでいる。無理もあるまい。先日行われた『お買い物会』にて、ハリーに付いて行くことを満場一致で撥ねられてしまったのだから。

 

私とモリーは一貫して反対、ハリーも内心では反対だし、ハーマイオニーは意見を変えてしまった。カフェで四人で話し合った後、父親の顔をしたアーサーに優しく諭されていたようだが……まだ納得には程遠いという雰囲気だな。

 

ただまあ、ロンの意見に納得できる部分が無かったと言えば嘘になる。彼はハリーと『対等』な人間が側に居るべきだと主張していたのだ。私やハーマイオニーでも、ダンブルドアでも、ブラックやルーピンなんかでもなく、他ならぬ自分が側に居るべきだと。

 

同性で、同い年で、親友。だからこそハリーは気兼ねなく弱音を吐けるし、同じ視点に立って一緒に問題に向き合えるというのがロンの主張だった。……勢いだけで言ってたわけじゃなかったんだな。ちょっと驚いたぞ。

 

だったら尚の事ハリーの『日常』でいるべきだ、というハーマイオニーの説得には一応頷いていたものの、本心から受け入れるのはまだ先の話になりそうだ。これに関しては時間が解決してくれることを祈るばかりだな。

 

ノロノロとコンパートメントを出て行くロンと、困ったような表情で彼に付いて行くハーマイオニーを見送ったところで、雑誌から顔を上げたジニーが口を開く。見たことないタイトルの雑誌だ。後で貸してもらわねば。

 

「ねえ、マリサは大丈夫なの? そろそろ出発の時間になるわよ?」

 

「……最悪、アリスあたりが姿あらわしで送ってくれるだろうさ。少なくとも空飛ぶ車でホグワーツに乗り込んだりはしないと思うよ。」

 

「マリサならやりかねないけどね。……そういえばさ、アンネリーゼは今年の防衛術の先生について何か知らない? フクロウの年なんだから『まとも』な先生が来てくれないと困るんだけど。」

 

「ああ、そういえばその問題もあったね。とはいえ、私は知らないよ。パチェやアリスじゃないし、ルーピンでもムーディでもないはずだ。」

 

完璧に忘れていたが、そういえば防衛術の担当教師は誰になるんだろうか? 咲夜の隣に座って候補を思い浮かべていると、コンパートメントのドアが開いてハリーが入ってきた。ようやくブラックから解放されたようだ。

 

「あれ、ロンとハーマイオニーはもう行っちゃったの?」

 

聞きながら何気なくジニーの隣に腰掛けたハリーに、ささっと前髪を整えた赤毛の末妹が頷きを返す。……うーん、もどかしい関係だな。私としてもジニーなら文句はないし、その辺の馬の骨よりかはこっちと結ばれて欲しいのだが。

 

「今年は話し合うことが多いからって監督生のコンパートメントに行っちゃったの。それより、ハリーは何か知らない? 今年の防衛術の先生について。」

 

「僕は当然知らないけど……リーゼも知らないの? 毎年知ってたから、てっきり今年も知ってるんだと思ってたよ。」

 

「今年は別の事に気を取られてたし、もうホグワーツの教師が誰だろうがさして重要じゃないからね。普通に求人を出して、普通に応募してきたヤツになるんじゃないかな。」

 

ひょっとしたら、そいつは二年以上教師を続けられるヴェイユ以来初の教師になるかもな。何たって今年中にリドルは死ぬはずなのだ。ってことは、訳の分からん呪いとやらも今年で終わりだろう。

 

私がぼんやり考えている間にも、今度は窓越しのホームを心配そうに見回している咲夜が声を上げた。魔理沙が遅れないかが不安らしい。

 

「良い人が来るといいんだけどね。ジニーやルーナにとっては大事な年なんだし。」

 

「まあ、私の学年はなんだかんだで毎年優秀な先生だったのよね。アリスさん、ルーピン先生、ムーディ先生、ノーレッジ先生。……んー、ちょっと見劣りしてても目を瞑ってあげよっか。変な個性がなければそれで充分よ。」

 

「ここ二年は『個性的』だったしね。僕としても普通の授業をしてくれればそれで文句なしかな。」

 

『本の虫』の次か。ハードルが上がってるんだか下がってるんだかよく分からんな。苦笑しながらのハリーが話題を纏めたところで、出発の汽笛が鳴り響く。……おいおい、魔理沙? 本当に寝坊か?

 

「アリス、怒るでしょうね。」

 

「あの子は『一時間前行動』をするタイプだからね。絶対に怒るぞ。」

 

私と咲夜が深々と頷き合っていると、ゆっくりと動き始めた車窓を眺めていたジニーがポツリと呟いた。かなり呆れた表情だ。

 

「そうでもなさそうよ? ほら、あそこ。」

 

言いながら指差した方向に視線を送ってみれば……何をしているんだよ、お転婆魔女見習い。暖炉が設置されている場所からトランク片手に大慌ての魔理沙が走ってくるのが目に入ってくる。制服の上着は羽織っただけだし、髪はこれでもかってくらいにぐしゃぐしゃだ。起き抜けなのは明白だな。

 

「本当にもう、おバカなんだから……。」

 

咲夜が頭を抱えて嘆き始めたところで、徐々にスピードを上げる列車に近付いた魔理沙は……お見事。杖の先から出したロープを後方車両の入り口に絡み付けると、それを引っ張って中へと入り込んでいく。ド派手な一年のスタートじゃないか。

 

「……僕、同じような光景を見たことあるよ。マグルの映画にああいうアクションシーンがあったから。ダドリーがビデオを借りてきて観てたのをこっそり覗いてたんだ。」

 

「まあ、アリスさんのお説教は免れたみたいね。ホームでママが呆然としてるし、そっちから伝わる可能性は大いにあるでしょうけど。」

 

「それに、あの様子だと絶対に忘れ物をしてるぞ。そうなった時ホグワーツに送る羽目になるのはアリスなんだ。吼えメールが一緒じゃなきゃいいんだけどね。」

 

ハリー、ジニー、私が魔理沙の『アクションシーン』への感想を述べているのを尻目に、勢いよく立ち上がった咲夜がコンパートメントのドアへと向かいつつ声を寄越してきた。もちろんぷんすか怒りながらだ。

 

「私、迎えに行ってきます! あのおバカが今のを『武勇伝』にする前に!」

 

「もう遅いんじゃないかな。こっち側のコンパートメントの生徒はみんな見てたと思うよ?」

 

「だから調子に乗る前に回収しないとダメなんです! ついでにルーナも探してきます!」

 

正しい選択だと思うぞ。双子なき今、ホグワーツの生徒たちは次なる『悪戯エリート』を求めているはずなのだから。ピシャリとドアを閉めて出て行った咲夜に肩を竦めてから、ジニーの横に置いてある雑誌を指差して問いを放つ。

 

「それ、読んでもいいかい?」

 

「ん、いいわよ。暇潰しにってホームで買ってみたんだけど、失敗だったわ。難しいことしか書いてないの。クィブラーを読んでた方がマシね。同じ意味不明でも、あっちは楽しめるもの。」

 

「ふぅん? 難しいこと、ね。」

 

手に取った雑誌の表紙には……おー、レミリアとゲラートだ。アホ丸出しのドヤ顔吸血鬼と、写真写りの悪すぎる悪人面がデカデカと載っている。うーむ、ゲラートは宣伝写真の専門家を雇うべきだな。迫力はあるのだが、良い印象は絶対に受けないぞ、こんなもん。

 

その横に並ぶ見出しには『魔法界、迫る混沌』だとか、『マクーザ議長、マグルに対する懸念を表明』なんて文字がズラリだ。これは確かに『難しい雑誌』だな。定期刊行誌じゃないみたいだし、ホームに来た親向けに売り出したのだろうか?

 

まあ、悪くない。こういうのも魔法界の露見に関する問題が広まっている証拠の一つだ。問題を広めることに成功した以上、あとはこの見世物みたいな状況をより真剣なものへと昇華させる必要があるわけか。

 

その辺はレミリアの頑張りに期待だな。あいつは文句を言いつつも愉しんでいるようだし、放っておいても勝手に頑張ってくれるはず。ホグワーツに行く私はどちらかと言えばリドルの問題に集中すべきだろう。

 

分かり易い魔法界の変化に大きく頷きながら、アンネリーゼ・バートリは『難しい』雑誌を読み始めるのだった。

 



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大当たり

 

 

「んー、新顔は居ないみたいだな。」

 

星空が映し出された天井には無数の蝋燭が浮かび、四つの長テーブルは空の食器で埋め尽くされている歓迎会前の大広間。グリフィンドールのテーブルからいつも通りの教員席を眺めていた霧雨魔理沙は、向かい側に座る咲夜へと声をかけていた。

 

出発時に『多少』の波乱があったホグワーツ特急の旅も終わり、毎度お馴染みの陰気馬車で城に到着したはいいものの、予想に反して新しい教師の姿が教員席になかったのである。今居ないということは、即ち遅刻。新しい防衛術の担当はムーディ並みの図太さというわけだ。

 

うーむ、またしても癖のある教師になりそうだな。内心でため息を吐く私へと、咲夜は何故かジト目で返事を返してきた。

 

「ってことは、新しい先生は時間を守れない人みたいね。……貴女と同じで。」

 

「しつこいぞ、世話焼きメイド。最終的には間に合ったんだから同じことだろ? 乗り方が他人とちょっとばかし違ったってだけだ。」

 

「本当に信じられないわ。時間に遅れる人ってどういう神経をしてるのかしら?」

 

「あのな、お前と違って私たちの時間は待ってくれたりしないんだよ。たまには遅れることだってあるさ。」

 

『時間』に甘やかされている銀髪娘に文句を言ってやれば、咲夜はお澄まし顔で小さく鼻を鳴らしてくる。羨ましいぜ、まったく。早く誰かをお前の世界に連れて行けるようになってくれよな。具体的には私を。そしたら色々と調べてみよう。

 

……いやいや、違うだろ、霧雨魔理沙。魔女なら『自分で時を止める方法を見つけ出す』って決意すべきところだ。噂に聞く逆転時計だって何処かの誰かが作り出した物なんだろうし、時間を止める魔道具を作るのだって不可能ではないはずだぞ。

 

脳内の『一人前の魔女になったらやりたいことリスト』に新たな項目を記入していると、咲夜の隣に座るリーゼが奇妙な動きをしているのが目に入ってきた。テーブルを見渡しながら杖を振って、少し離れた位置にある大皿を引き寄せている。一体何をおっぱじめたんだ?

 

「何してんだよ、リーゼ。食器泥棒か? ホグワーツのを盗まなくてもお前の家には沢山あるだろ。」

 

「キミは相変わらず無礼なヤツだね。妙な邪推はよしてくれ。私は『肉が出てきそうな』皿を予め確保しているだけだよ。六年生ともなれば、どの皿に何が出てくるのかが大体分かってくるのさ。」

 

「……新入生用に少しは残しといてやれよ。ここに来て初めての夕食が野菜だらけだったら可哀想だろうが。」

 

「嫌だね。今宵、弱肉強食が世の理だってのを彼らは学習することだろう。これが私から新入生に送る最初の教えだ。」

 

なんという外道なんだ。ニヤニヤ笑いながら訳の分からん理屈を言い放ったリーゼに対して、その更に隣に座っているハーマイオニーが注意を飛ばした。心底呆れた感じの表情だ。

 

「そんなことしちゃダメよ。返してきなさい、リーゼ。いくら貴女だって大皿十枚分のお肉は食べ切れないでしょう?」

 

「食事ってのは選ぶ楽しさも重要なのさ。心配しなくても食べ切れなくなったら余りを下げ渡すよ。私は慈悲の心を持ってる優しい吸血鬼なんだ。」

 

「……不思議だわ。私たちが大人になるのと同時に、リーゼが子供っぽくなってる気がするの。視点の違いによる錯覚なのかしら?」

 

「思うに、私はキミたちが忘れてしまった悪戯心を持ち続けているんじゃないかな。今のグリフィンドールに足りないのはそれさ。だから私が『補充』してやってるってわけだよ。」

 

アホみたいな会話だな。何の役にも立たなさそうな議論にやれやれと首を振っていると……おっと、ケイティだ。早足で近付いていたケイティ・ベルが、私とロンの間に座っているハリーに向かって何かを突き出す。顔が真っ青だぞ。

 

「はい、ハリー! これをあげるわ! 受け取って!」

 

「ケイティ? ……これ、キャプテンのバッジじゃないか。やっぱり君が今年のキャプテンなんだね。」

 

「だけど、いらないの! 私には無理よ! ……私にオリバーやアンジェリーナみたいなことが出来ると思う? 無理無理無理。絶対に無理。これが送られてきた時は頭がどうにかなりそうだったわ。てっきりハリーがキャプテンになるんだと思ってたの。」

 

「いや、普通にケイティがやるべきだと思うけど。……僕は六年生で、ケイティは七年生でしょ? クィディッチの経験だって一年多いんだしさ。」

 

まあ、私も順当な人選だと思うぞ。三人で首を傾げていると、ケイティは足をダシダシ踏み鳴らしながら話を続けてきた。今夜の時点で若干おかしくなっちゃってるな。グリフィンドールに伝わるキャプテンの呪いは未だ健在らしい。

 

「絶対に、無理! 私がレギュラーに上がったのはハリーが入ってきた年だから、経験としては同じようなもんよ。何より性格的に向いてないの。ハリーもそう思うでしょ?」

 

「そりゃあ、これまでの『ウッド路線』って感じじゃなくなるかもしれないけどさ。ケイティにだって充分務まるよ。僕たちも出来る限り支えるから。……それに、僕もキャプテンなんか無理だよ。今年はちょっと忙しくなりそうなんだ。」

 

ハリーの返答を聞いて絶望的な表情を浮かべたケイティは、差し出したバッジをゆっくりと移動させると……正気かよ。今度は私に向かって懇願してくる。勘弁してくれ。

 

「じゃあ……マリサ! マリサはどう? リーダーシップもあるし、経験年数は私たちの次に長いし、四年生からキャプテンをやっておけば今後数年は安泰でしょ? お願い、マリサ。助けると思って。ね?」

 

「ダメに決まってんだろ、そんなこと。……大丈夫だって、ケイティ。お前ならやれるよ。」

 

「今現在で四人しかチームメイトが居ない上に、新メンバーの候補も全然決まってないのに? ビーターゼロなのに? 五連続優勝が懸かってるのに? ……ああ、ダメ。考えてたら吐きそうになってきたわ。お腹も痛いし、目眩もするの。助けて、マリサ。」

 

「あー……募集すれば人は集まるさ。マクゴナガルだって協力してくれるだろうから、何とかなるだろ。多分な。多分。」

 

『ダメかもな』という内心を隠して笑顔で言ってやると、ケイティは虚ろな瞳で力なく頷いた後、幽鬼のような足取りで元居た席へと戻って行く。キャプテンの呪いには躁と鬱、二つの側面があったわけか。そういえばウッドもたまにあんな風になってたな。

 

「……大丈夫かな? ケイティ。」

 

「大丈夫じゃないだろうが、かと言ってどうしようもないだろ。新入生にブラッジャーにビビらない力自慢が二人と、箒とクアッフルの扱いが上手いようなヤツが居ないことには……っていうか、ジニーはどうなんだ? あいつ、隠れ穴で少人数クィディッチをした時は普通に上手かったぞ。」

 

ハリーに答えている途中で思い出したが、ジニーは中々の飛び手だったはずだ。ビーターに向いているかはともかくとして、チェイサーだったら問題なく務まるだろう。そう思ってロンに聞いてみると、彼も納得の頷きを返してくる。さっきまではちょっと不機嫌だったのだが、ケイティの『惨状』を見た後では意地を張る気にもならなくなったらしい。

 

「いいかもな。キーパーの時は興味なかったみたいだけど、チェイサーならやる気になるかもしれないぞ。ジニーは……居た。聞いてくるよ。」

 

「ダメみたいだよ、ロン。食事が始まってからにしよう。」

 

そう言ったハリーの指差す方向に目をやってみれば、教員席の後ろのドアからゆったりとした動作で大広間に入ってくるダンブルドアの姿が見えてきた。どうやら歓迎会が始まるようだ。

 

しかし……うーん? 何故か教師たちはいつにも増して緊張した雰囲気だな。よく見れば着ている服も例年よりフォーマル寄りな気がするぞ。スプラウトは下ろし立てと一目で分かるパリッとしたローブだし、いつもはヨレヨレの妙ちきりんなローブを着ているトレローニーですらきちんとした格好で座っている。

 

「なあなあ、教員席の様子が変じゃないか? どっかのお坊ちゃんが入学してくるとか?」

 

「あるいは、新しい防衛術の先生がすごく偉い人なのかもな。外国からの客員教授とか?」

 

ロンと二人で予想し合っていると、リーゼが呆れたように正解を教えてくれた。

 

「ダンブルドアがあの場所に立つ最後の歓迎会だからに決まっているだろう?」

 

そうか、そういうことか。その言葉を聞いた私たち全員がハッとした表情を浮かべて、次に何となく服装を整え始める。……それならあの雰囲気にも納得だな。

 

「なんか、そう思うとこっちまで緊張してきたな。来年の歓迎会ではマクゴナガルがあそこに立ってるわけか。」

 

「まだそうと決まったわけじゃないけどね。」

 

私に応じたハリーの呟きにリーゼ、ロン、ハーマイオニーの三人が苦い表情を浮かべたところで、玄関ホールに繋がる大きな扉が勢いよく開け放たれた。ちびっ子魔法使いたちのご入場だ。

 

鮮やかな深緑のローブを纏ったマクゴナガルを先頭に、オドオドとした様子の整列した一年生たちが入場してくる。……小さいな、あいつら。私もあんなに小さかったっけ? 何にせよビーターは無理そうだ。

 

そしてロンも私と同じ結論に達したようで、苦笑いで肩を竦めながら言葉を放ってきた。

 

「見たところビーターは無理そうだな。いくら学生用のボールでも、あんなチビどもに当たったら死んじゃうぜ。一発でお陀仏だ。」

 

「……ロン、物騒なことを言わないように。怖がっちゃってるわよ、あの子。」

 

言うハーマイオニーの視線を辿ってみると……これは可哀想だな。ちょうどロンの近くを通り過ぎようとしていた一際小さな女の子が、絶望の表情でこちらを見ながらぷるぷる震えている。怖ろしいことを言う赤毛のノッポ先輩の台詞を聞いてしまったらしい。

 

「あー、君! 大丈夫だから! 今のはちょっと言い過ぎただけだ! 悪くても二、三ヶ月入院するくらいで、死にやしないよ!」

 

ロンが慌てて付け足した『補足』に安心するということは当然なく、女の子は更に怯えたような顔になって足早に遠ざかって行く。小さな両手をギュッと握りしめて、今にも泣きそうなご様子だ。

 

「……参ったな、もしかしたらマグル生まれの子だったのかも。悪いことしちゃったみたいだ。」

 

「まあ、あの子がグリフィンドールを希望する可能性はなくなったみたいだね。……いやぁ、残念だな。嗜虐心を唆る雰囲気の子だったのに。」

 

「良くやったわ、ロン。あの子は貴方を恨むかもしれないけど、結果的に見れば悪い吸血鬼から救ったってことなんだから。」

 

「んふふ、嫉妬かい? ハーマイオニー。心配しなくてもキミを蔑ろにしたりはしないよ。私は遊んだ後にちゃんと帰ってくるタイプなんだ。」

 

またかよ。再開されたリーゼとハーマイオニーの漫才から意識を逸らして、ノロノロと進んで行く新入生たちの列を眺めていると……それがピタリと止まった後、教員席の前に置かれた椅子の上から歌声が聞こえてきた。毎度お馴染み、組み分け帽子の嗄れ声だ。

 

 

ほつれた糸と  へたれた布地  私は古いくたびれ帽子  今じゃ流行りはとうに過ぎ  被ればみんなに笑われる

 

そんな老いぼれ帽子でも  決して忘れぬことがある  一千年のその昔  四つに分かれた寮のこと

 

 

紅く気高きグリフィンドール  恐れを知らぬ獅子の寮  勇気と名誉を望むなら  紅の扉を開くべし!

 

青く揺蕩うレイブンクロー  英知を生みし鷲の寮  知識と理性を望むなら  青き扉を叩くべし!

 

黄色く固きハッフルパフ  清く正しき穴熊寮  義理と友誼を望むなら  黄色い扉を抜けるべし!

 

緑に流れるスリザリン  鋭く見つめる蛇の寮  力と強さを望むなら  緑の扉を選ぶべし!

 

 

君が望むはどの扉?  四つに分かれたその道を  選ぶ助言がほしいなら  私が担おう、その役目!

 

私を持って、被ってごらん?  秘めたる望みを見せてごらん?  心に隠れたその想い  頭に隠したその素質  組み分け帽子が見つけ出そう!

 

 

去年よりも短めの歌が終わると、在校生たちから大きな拍手が沸き起こる。ふむ、今年の歌は何というか……基本に帰った感じだったな。四つの寮と自分の役目についてを説明する、正に組み分け帽子の歌という内容だった。

 

「悪くはないけど、普通だったな。」

 

「組み分け帽子なりに日常が戻ったことを示したのかもね。あるいは、ホグワーツを去るダンブルドアを気遣ったのかもしれないが。」

 

「そうか? 気遣うってんなら校長のことを歌詞に入れても良かったと思うけどな。そのくらいの役得があってもみんな納得するだろ。何十年も勤めてるんだから。」

 

「んふふ、これこそがあの爺さんの好きだった日常なのさ。変に奇を衒う必要なんかないんだよ。」

 

日常ね。確かにダンブルドアならそういうのを望みそうだな。うーん、クスクス笑いながら言うリーゼが何となく大人っぽく見えてしまう。……その周囲に独占中の大皿が無ければ、だが。

 

「では、名前を呼ばれた者は椅子に座って帽子を被るように! ……アーチャー・シリル!」

 

マクゴナガルの声で始まった組み分けを見物しながら、グリフィンドールに誰かが選ばれる度に大きな拍手を送っていると……おや、さっきのぷるぷるちゃんの番だ。アーモンド色のショートボブの髪を揺らして、今なおぷるぷる震えている。

 

「リヴィングストン・アレシア!」

 

「あいつはハッフルパフだな。絶対そうだ。」

 

「そう? 私はレイブンクローだと思うけど。組み分け帽子の歌を真面目に聞いてたもの。」

 

私と咲夜が話しているのを他所に、マクゴナガルの呼びかけに従って歩み出たリヴィングストンが恐る恐るという動作で帽子を被るが……おー、ここに来て三年振りのハットストールか。一分、二分、三分と経っても帽子は黙したままだ。

 

「随分と長いな。どの寮で迷ってんだろ?」

 

「スリザリン以外なのは間違いないだろうね。リヴィングストンってのはイギリス魔法界じゃ聞かない家名だから。」

 

「ってことは、やっぱマグル生まれか。」

 

「まあ、私としてはどうでも良いよ。早く終わって食事の時間に移ってもらいたいね。」

 

リーゼが心底興味のない様子で愚痴った瞬間、皺くちゃの古ぼけた帽子が口を開いた。ついに決まったらしい。

 

「グリフィンドール!」

 

「うお、マジかよ。」

 

驚いたな。全然グリフィンドールっぽくなかったし、こっちに入ってくるとは思わなかったぞ。……とはいえ、新顔は盛大に歓迎すべきだ。周囲の生徒たちと一緒に歓迎の拍手を送っていると、小走りで近付いてきたリヴィングストンは少し離れた席へと座り込む。

 

「ふぅん? 勇敢って感じには見えないけどね。獅子って言うより猫だよ、あれじゃあ。借りてきた子猫ちゃんだ。」

 

「素質か望みの問題なんでしょ。……多分ね。」

 

遠くでほとんど首無しニックにビビりまくっているリヴィングストンを眺めながら、リーゼとハーマイオニーがコソコソ囁き合っている間にも、どんどん組み分けは進行していく。そして最後の生徒がハッフルパフに組み分けされたところで、マクゴナガルが帽子と椅子を持って教員席の後ろに退いた。

 

それを見た生徒たちが水を打ったように静まり返る中、鷹揚な動作で立ち上がったダンブルドアが大声を張り上げる。例年と同じく、柔和で穏やかな笑みを浮かべながらだ。

 

「うむうむ、今年も良き組み分けじゃった。ようこそ、新たな仲間たちよ。お帰り、懐かしき生徒たちよ。再びホグワーツでの一年が始まることを共に祝おうではないか。……さて、例年通りの説明に移ろうかのう。先ずは持ち込み禁止用品についてなのじゃが──」

 

そこでチラリと手元の羊皮紙に目をやったダンブルドアは、笑みを苦笑に変えながら続きを話す。

 

「聞くところによると、ダイアゴン横丁の大通りに『まっこと愉快な専門店』が開かれたとか。簡単に言えば、その店の商品は全て持ち込み禁止になったようじゃ。詳細な商品名は管理人のフィルチさんがリストアップしてくださったので、知りたい者は玄関ホールに貼り出されているリストを読むように。」

 

「やるじゃんか、フィルチ。わざわざ『商品カタログ』を作ってくれるだなんて良いヤツだな。」

 

「だな。みんな見に行くぜ、きっと。兄貴たちに通販もやるようにって伝えておくべきかもな。」

 

あー、その手があったか。それなら長期休み以外の時期にも客を確保できそうだ。よし、後で双子に提案の手紙を送っておこう。ロンの発案に感心している私を他所に、ダンブルドアはいつも通りの注意事項を続けてきた。

 

「それと、禁じられた森に関しては立ち入り禁止じゃ。他にも危険な場所は多々あるので、新入生は談話室に戻った後に監督生の注意をきちんと聞くことをお勧めするよ。後は……おお、忘れるところじゃった。防衛術の担当教師についてを話しておくべきじゃな。」

 

おっと、ここは大事だな。その言葉を聞いて、生徒たちが……特に今年試験がある五年生と七年生が身を乗り出して興味を示す。それを見て小さく微笑んだダンブルドアは、大広間の生徒たちを見渡しながら今年の防衛術教師の名前を口にした。

 

「困ったことに新たな教師が見つからなくてのう。そこで、今年の防衛術はとりあえずわしが担当することになったのじゃ。よろしく頼むよ、生徒たち。」

 

瞬間、五年生と七年生を中心とした歓声が巻き起こる。……なるほどな、今年の防衛術は今世紀最大の大当たりってことか。ダンブルドアはどこか申し訳なさそうだが、この決定に文句を言うヤツなどイギリス魔法界には存在しないだろう。

 

暫く歓声が収まりそうにない大広間の中で、霧雨魔理沙は会心の笑みを浮かべるのだった。

 



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リッキーちゃんとぷるぷるちゃん

 

 

「くそ、来週の頭まで防衛術は無いみたいだ。それまで校長の授業はお預けだな。」

 

手に持った真新しい授業予定表を見ながら呟くロンへと、アンネリーゼ・バートリは曖昧な頷きを返していた。あの爺さん、自分が死んだ後はどうするつもりなんだ? 『とりあえず』って言ってたし、それまでに正式な教師を探しておくってことなのだろうか?

 

歓迎会後の獅子寮談話室では、ハーマイオニーによる新入生への長すぎる『ルール説明』が行われている。それを横目にハリー、ロン、私で新たな授業についてを話し合っているのだが……私の記憶が確かなら、ロニー坊やも監督生だったはずだぞ。ロンが自主的に説明をサボっているのか、それともハーマイオニーから戦力外通告されてしまったのか。なんとも微妙なところだな。

 

几帳面にメモを取っている背の低い一年生……リヴィングストン、だったっけ? アーモンド色の子猫ちゃんを眺めながら考えていると、ローテーブルの隣に座って予定表に何かを書き込んでいたハリーが口を開いた。

 

「でも、ダンブルドア先生が授業を受け持つのは良いことだよ。みんなが先生の価値を再確認するだろうしね。」

 

「……先に言っとくけど、だからって『自分が死ぬべき理論』に繋げるのはなしだぞ。」

 

ジト目で先手を取ったロンに対して、ハリーも同じような表情で返事を放つ。ロンも大分調子が戻ってきたらしいな。いつも通りに近い雰囲気だ。

 

「別にそんなつもりはないよ。単にダンブルドア先生の評価が上がるのは良いことだってだけ。……それよりさ、ハーマイオニーが居ないうちに話しておきたいことがあるんだけど。」

 

急に声を潜めたハリーに従って、怪訝そうな表情のロンと共に顔を近付ける。ハーマイオニーには内緒ってことか? 面白そうじゃないか。ちょっとワクワクし始めた私に、ハリーは寮点の重要性を語るミス・優等生の方を見ながら囁きかけてきた。

 

「ほら、ハーマイオニーは今月で成人でしょ? だから誕生日プレゼントはどうしたらいいかと思ってさ。僕、魔法界のしきたりには詳しくないから……成人する年ならこれを贈るべき、みたいなのってあるの?」

 

「んふふ、成る程ね。それは確かにハーマイオニーには内緒にした方が良さそうだ。……ただまあ、私の知る限りではこれといった決まりは無かったはずだよ。形に残る物を贈る場合が多いってくらいかな。」

 

「うん、お菓子とかの消え物よりはそっちの方が良いと思う。杖のホルダーとか、アクセサリーとか、そういう長く使える物を贈るのが無難じゃないかな。」

 

「……アクセサリーは難易度が高すぎるよ。女物どころか男物もよく分からないし。だけど、ホルダーならどうにか選べるかも。」

 

私たちの答えを聞いたハリーが悩ましそうな顔で言うのに、肩を竦めて提案を送る。被っちゃうのも興醒めだし、ここは役割分担しようじゃないか。

 

「なら、ハリーがホルダーでいいんじゃないかな。私は端っからアクセサリーを贈るつもりだったからね。もう注文済みだよ。」

 

「あーっと、実は僕ももう決めてたんだ。腕時計にしようと思って。夏休み中に良いのを見つけたから、その……買ってみたんだよ。」

 

「チャーリーの意見は取り入れちゃいないだろうね?」

 

「もちろんさ。今回は僕が自分で選んだんだ。……ビルにはちょこっとだけ相談したけどね。」

 

まあ、あのお洒落な長兄ならば問題なかろう。少し赤い顔で付け足したロンに頷いたところで、新入生たちに注意事項を伝え終わったらしいハーマイオニーが戻ってくる。ようやく解放されたチビどもは明らかにホッとした表情だ。

 

「新入生がみんな良い子たちで助かったわ。今年のグリフィンドールはトラブルが少なそうね。……なんか、変な雰囲気じゃない? 何の話をしてたの?」

 

「新しい予定表についてさ。今週は防衛術が無いことを悲しんでたんだよ。」

 

適当に話題を逸らしてやると、ハーマイオニーは慌ててロンの持つ予定表を覗き込んだ。相変わらず勉強方面の話題は効果覿面だな。

 

「あら、本当。……何にせよ今年は防衛術クラブを開く必要がなさそうで助かったわ。ダンブルドア先生の授業だったらそんな心配は無用でしょうしね。」

 

「僕の場合、問題なのは他の授業かな。イモリ試験対策って今からやるべきだと思う?」

 

「闇祓いを目指すのであれば、勿論やるべきだわ。フクロウと違って複数の教科に関わる問題もどんどん出てくるらしいから、全体的な理解度を上げておかないと後で辛くなっちゃうわよ? ……貴方の場合、確かに防衛術は問題ないでしょうけどね。」

 

最後の台詞をちょっと半眼で言ったハーマイオニーから、ハリーが苦い表情で目を逸らす。ハーマイオニーのフクロウ試験の成績は『防衛術以外』全て優だったのだ。唯一良になってしまった防衛術で、我らがハリーは優を取った。そのことがミス・勉強としては少し妬ましいらしい。

 

なんとも可愛らしい嫉妬じゃないか。成人間際のハーマイオニーが見せる子供っぽさに苦笑しつつも、二人の間に入ろうとしたところで……おっと、ジニーだ。赤毛の末妹どのが近付いて声をかけてきた。

 

「やっほ、みんな。マリサからクィディッチの話を聞いてさ、この際やってみようかと思ってるんだけど……ケイティ知らない? 姿が見えないのよね。」

 

「具合が悪そうだったし、早めに女子寮に引っ込んじゃったんじゃないか?」

 

「ありゃ、そう。だったら明日の朝にでも話してみるわ。」

 

「それより、希望ポジションはチェイサーなんだろうな? ビーターはダメだぞ。危ないから。」

 

去って行こうとするジニーに食い下がった兄バカに、当の妹は面倒くさそうな声色で背中越しに返答を放る。

 

「そんなのどっちでも良いよ。チェイサーもビーターも楽しそうだしね。他に集まった面子次第かな。」

 

「ビーターはダメだからな!」

 

「なんならキーパーでもいいんだけど? ロンより上手いと思うよ、私。」

 

おお、辛辣。どこの家も末妹は怖いな。口をパクパクさせるロンを尻目に遠ざかる赤毛娘を見送っていると、我関せずと手帳に羽ペンを走らせていたハーマイオニーが新たな話題を投げてきた。

 

「んー、姿あらわしの集中講義は来年からみたいね。……残念だわ、楽しみにしてたのに。」

 

「ふぅん? 二月の頭からか。受講資格は……『講義が終了する四月末までに成人する者』らしいよ。ロンも普通に受けられそうだね。」

 

「……本当だ。僕、てっきり来年になるのかと思ってた。パパから制度が新しくなったって聞いてたから。」

 

兄バカモードから一転、私の言葉に喜びを露わにしたロンに対して、講義を受けられないハリーは残念そうな表情だ。前までの基準ならハリーにも受ける資格があったのだが、魔法省の改革の余波でこの辺もしっかりしたものに変わったらしい。

 

そんなハリーの肩をポンポンと叩きながら、慰めの台詞を口にする。

 

「ハリーには私が教えてあげるよ。来年の夏休みは自由に動けるだろうし、十七歳になったら魔法省で試験を受ければいいじゃないか。」

 

「いいの?」

 

「姿あらわしは便利な魔法だからね。来学期の集中講義まで待つのは嫌だろう?」

 

「まあうん、出来れば早めに使えるようになりたいかな。……実はちょっと憧れてたんだ。」

 

顔を綻ばせて言うハリーに、クスクス笑いながら首肯を返した。……来年の夏休みの予定を入れるのはいいことだ。意識的にではないにせよ、それは運命を乗り越えた先を望んでいるということなのだから。

 

姿あらわしの話題で盛り上がる三人を見ながら、アンネリーゼ・バートリは深々とソファに身を埋めるのだった。

 

 

─────

 

 

「──が乱獲した所為で、個体数が一気に減っちまったわけだ。……ふん、とんでもねぇこった。お前さんたちはそんなことをしちゃあならんぞ? 無断で捕まえると一発で牢獄行きだからな。」

 

ハグリッドの感情を込めた説明を聞きながら、霧雨魔理沙は周囲の生徒たちに合わせて一歩後ろに下がっていた。……ってことは、そいつは『無断で捕まえた』個体じゃないんだよな? 先にそれを明言してくれないと説得力が無いぞ。

 

歓迎会から一夜明けた現在、私と咲夜は午前中二コマ続きの飼育学を受けている真っ最中なのだ。記念すべき学期初授業ってことで気合が入っているのか何なのか、ハグリッドはとんでもない魔法生物を用意してくれたのである。

 

禁じられた森の縁に特設された背の高い鉄柵の向こうに見えているのは『エルンペント』。一言で表すとしたら……そう、超巨大なサイだ。太い四肢に鎧のような分厚い皮膚、頭と一体化している大きな角、鞭のようにしなやかで細長い尻尾、そして私くらいなら難なく踏み潰せそうなサイズ感。

 

つまり、クソ怖い魔法生物なわけだ。鉄柵はハグリッドが全力で体当たりをかましても歪みすらしなさそうな見た目だが、かといってエルンペントの突進を止められるとは思えない。おまけに足を踏み鳴らして不機嫌そうなご様子だし、角の付け根には膿袋のようなものが脈動している。

 

きっとあれは毒とかだぞ。絶対そうだ。じゃなきゃハグリッドがあんなに嬉しそうに説明するはずがない。私が毒の種類について考察し始めたところで、楽しそうに話していたハグリッドがキョトンと首を傾げてきた。ようやく生徒たちの反応に気付いたらしい。

 

「──が分かるか? ほれ、皮膚を見てみろ。あの分厚い皮膚が呪文を弾いちまうんだ。あんまり目立たねえが、長い尻尾も強力だな。それに……おい、どうした? お前さんたち。そんな遠くじゃ良く見えねえだろ? もっと近くに来てもいいんだぞ?」

 

「いや、あの……怖いんですけど。」

 

一緒に授業を受けているハッフルパフの誰かから上がった正直な感想に、その場の全生徒が共感の頷きを放つ。なにせ巨人と同じくらいの威圧感なのだ。好き好んで近付きたいとは思えない生き物だぞ。

 

そんな教え子たちの総意を受けたハグリッドは、一瞬だけポカンとした後で……豪快に笑いながら追加の説明を寄越してきた。

 

「なんだ、そんなことを考えちょったのか。心配はいらねえ。エルンペントは大人しい生き物だからな。そりゃあ発情期には他のオスを爆破しちまったりもするが──」

 

「『爆破』する? どういう意味なんだ?」

 

聞き逃せんぞ、その単語は。私が横槍を入れると、ハグリッドは朗らかな表情で『爆破』の詳細を語り始める。

 

「おお、良い質問だな、マリサ。あの角の付け根の袋に気付いた生徒はおるか? あそこには体内で作られた破裂液がたっぷり詰まっちょるんだ。角で突き刺した後にそれを注入して、相手を破裂させちまうって寸法でな。……どうだ? 神秘的な生き物だろう?」

 

なるほどな。私はよく理解できたし、周りの生徒たちもそれは同様らしい。ハグリッドが同意の返答を待ったところで、生徒たちは一斉に後退し始めたのだから。

 

「ハグリッド先生、もしかして神秘的って言った? 猟奇的の言い間違いかしら?」

 

「『めちゃくちゃ危険』を脳内で翻訳した結果、『神秘的』って単語になったんだろ。いつものハグリッド語だ。」

 

私と咲夜がコソコソ話している間にも、慌てた様子のハグリッドの解説は続く。

 

「いやいや、逃げる必要はねえ! エルンペントが人に角を刺した例は山ほどあるが、そいつは余計なことをして怒らせたからだ。アフリカじゃ大事にされている魔法生物で、基本的には穏やかな性格だから──」

 

ハグリッドがそこまで言った瞬間、鉄柵の方から轟音が響いてきた。反射的にそちらに目をやってみると……わお、凄いな。なぎ倒した鉄柵を思いっきり踏み付けている『穏やかな魔法生物』の姿が見えてくる。肌寒いイギリスの気候が気に入らなかったのか、それとも閉じ込められているのがお気に召さなかったのか。何にせよエルンペントの不満は限界を超えてしまったようだ。

 

「これ、逃げるべき? それとも死んだフリの方がいいのかしら?」

 

「どっちかって言ったら逃げるべきだろうな。準備はしておこうぜ。」

 

さほど緊張感のない咲夜に答えたところで、ハグリッドが大慌てでエルンペントに向かって走って行く。相変わらず凄まじい度胸だな。駆け寄るだけでも今年一年分くらいの勇気が要るぞ。

 

「大丈夫だ、心配いらねえ! 今日はちょっとばかし機嫌が悪いってだけで……こら、リッキーちゃん! そんなことをしちゃダメだろうが! パパちゃんの言うことを聞きなさい!」

 

重低音の唸り声を放つ『リッキーちゃん』に近付いたハグリッドは、猫撫で声で注意しながら首にかかっていたどデカい鎖を掴むと、それを引っ張って鉄柵の中へと誘導し始めた。

 

「リッキーちゃん! ダメっ! メッ! 悪いんだが、誰か魔法で鉄柵を直してくれるか? 俺はちょっと手が離せねえから……こら! パパちゃんはボールじゃありません!」

 

重量級のトーキックを食らっているハグリッドの指示を受けて、生徒たちが静かに『生贄』を探し始める。……ここからでは魔法が届かない。つまり、鉄柵を直すためにはリッキーちゃんに近付く必要があるわけだ。

 

無言の押し付け合いの中、咲夜と同時にため息を吐いて、これまた同時に杖を抜いて鉄柵へと走り出した。さっと行って、パパッと直して、すぐに戻ろう。ハグリッドが一応は抑えているわけだし、危険はないはずだ。多分。

 

「いくわよ? 魔理沙。」

 

「おし、オッケーだ。……レパロ(直れ)!」

 

杖を構えた咲夜と合力して鉄柵へと修復呪文を放つと、ぐっしゃぐしゃになっていた鉄柵が徐々に形を取り戻し、左右の柵との連結部分も元通りになっていく。なっていくのだが……ハグリッドが中に残ったままだぞ。いいのか? これ。

 

「マリサ、サクヤ、よくやった! グリフィンドールに十点!」

 

「それは嬉しいんだけどさ、ハグリッドは大丈夫なのか? どうやって出るんだよ。」

 

「おお、大丈夫だ。向こうに世話用の出入り口があるからな。この子を落ち着かせたらそっから出る。……よし、今日の授業は終わりだ! 次回までにエルンペントに関してのレポートを羊皮紙半巻き! 運が良ければ次回は餌やりを出来そうだから、食性についてを中心に書くように!」

 

後半を遠巻きに見ている生徒たちに言った後、ハグリッドはゆっくりゆっくりエルンペントを引っ張って行ってしまった。微妙な気分でそれを眺めていると、杖をホルダーに仕舞った咲夜がポツリと呟いてくる。

 

「なら、運が悪いことを願いましょうか。あの生き物への餌やりはちょっと嫌だわ。」

 

「同感だぜ。トレローニーあたりに運気の下げ方を聞いておくべきかもな。あるいは運気を上げまくってリッキーちゃんをアフリカに帰すってのもアリだが。」

 

まあ、初授業らしい内容ではあったな。この滅茶苦茶具合のお陰で、ホグワーツに帰ってきたってのを実感できたぜ。やれやれと首を振ってから、昼食を取るために咲夜と二人で城に向かって歩き出す。

 

「午後は何だっけ? 変身術?」

 

「その前に魔法史よ。宿題はやってあるんでしょうね?」

 

「それは『やった』の定義次第だな。」

 

「教科書丸写しは『やった』に入らないわよ。」

 

じゃあ『やってない』になるな。肩を竦めて返答に代えて、それを見た咲夜が深々とため息を吐いたところで……ありゃ、通用口の隅っこで誰かが蹲っている。ローブの色からしてグリフィンドールの生徒らしい。

 

咲夜もその姿が目に留まったようで、首を傾げながら私に問いかけてきた。

 

「どうしたのかしら? あれ。」

 

「具合でも悪いのかもな。声かけてみようぜ。……よう、どうしたんだ?」

 

小走りで近付いて、蹲る小さな背中に声を投げてやれば……リヴィングストン? びくりと震えてこちらに振り返ったのは、昨晩ホグワーツに入学したばかりのぷるぷるちゃんだった。

 

「あーっと、リヴィングストンで合ってるよな? 大丈夫か?」

 

「っ! ……あの、何でもないです。大丈夫です。」

 

「いや、何でもないってことはないだろ。目が真っ赤だぞ。泣いてたのか? 誰かにいじめられたとか? 私がぶっ飛ばしてやろうか?」

 

おいおい、まさか泣いてるとは思わなかったぞ。ちょっと焦って矢継ぎ早に質問を繰り出してみると、リヴィングストンはぷるぷる震え始めた後、首をブンブン振りながら城内に駆け込んで行ってしまう。

 

「……大丈夫ですから。大丈夫なんです。」

 

止める間も無く遠ざかって行く小さな後輩を見て、咲夜が呆れたように突っ込みを入れてきた。

 

「思うに、『ぶっ飛ばしてやろうか?』が怖かったんじゃないかしら。焦りすぎよ、魔理沙。」

 

「……ちょっと失敗したかもな。こういうのはお前の方が向いてるぜ。」

 

「まあ、大丈夫でしょ。大丈夫って何回も言ってたわけだし。何が大丈夫なのかは知らないけど。」

 

「これだもんな。……もっと他人に興味を持ったらどうなんだ? もう四年生なんだから、今度は私たちが下級生の面倒を見る番だろ?」

 

素っ気ない咲夜に苦言を呈してみると、当の銀髪メイド見習いは鼻を鳴らしていつもの答えを寄越してくる。

 

「そうかもね。リーゼお嬢様に言われたらそうするわ。」

 

「へいへい、分かってたさ。お嬢様方の仰せのままにってな。」

 

ダメだこりゃ。言うだけ無駄だな。リヴィングストンのことは……よし、後でハーマイオニーにでも相談してみよう。ハリーやロンに相談するよりは頼りになりそうだし、リーゼはそもそも論外だ。

 

新たに生まれた問題のことを考えつつも、霧雨魔理沙は大広間に向かって一歩を踏み出すのだった。

 



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継ぎ接ぎの屋敷

 

 

「穢らわしい雑種! 血を裏切る者! 異形、罪人、出来損ない! クズども! ここから立ち去れ! お前たちのような塵芥が、由緒正しきブラック家の敷居を跨ぐなど──」

 

玄関ホールの壁際で延々とこちらを罵倒し続ける肖像画を前に、アリス・マーガトロイドは微妙な気分で顔を顰めていた。うーむ、老いたな。学生時代はそこそこ整った顔立ちだったのに。

 

秋も深まってきた今日、私は何故かブラック邸の片付けを手伝う羽目に陥ってしまったのだ。先ずブラックとルーピンが二人がかりで挑み、揃って『敗退』した二人はトンクスに助けを求め、それでもどうにもならなかったからフラン経由で私が呼ばれたのである。

 

来る前はいい大人が三人揃って片付けも出来ないのかと呆れたものだが、実際に作業を始めてみると……まあうん、確かにここは厄介な屋敷だった。至る所に『血を裏切る者防止魔法』が蔓延り、ドクシーやら何やらがそこら中に巣を作り、屋根裏部屋はグールお化けの集会所。イギリス魔法界が誇る純血名家の総本山は、放置されていた十五年間で立派な『お化け屋敷』に変わってしまったらしい。

 

そして極め付きがこれだ。大声で呪詛を喚き散らす等身大の肖像画に向かって、肩を竦めて言葉を放つ。

 

「久し振りじゃないの、ブラック。貴女がホグワーツを卒業して以来だから……ざっと五十年振りくらいかしら? あんまり嬉しくない再会の形ね。」

 

ヴァルブルガ・ブラック。シリウス・ブラックの母であり、私の在学中には一年上の先輩だった女性だ。当然のようにスリザリンだったからあまり関わりは無かったが、従妹のルクレシアと一緒に何度か突っかかってきたのを覚えている。

 

要するに、リドルの取り巻きの一人だったわけだ。当時を思い出しながら変わり果てた姿に嘆息していると、当の肖像画どのはピタリと罵倒を止めてこちらを見つめたかと思えば……うわぁ、やっぱりそうきたか。先程よりも大声で叫び始めた。

 

「賢しらな売女め、身の程を知らぬ愚か者め! 早くここから出て行け! ああ、忌まわしや。骨肉の恥、狼人間、裏切り者、あばずれ。魔法界の汚点どもがよくも我が屋敷に──」

 

うーん、ダメみたいだな。端から『そういう目的』で作られたのか何なのか、まともな会話をするのは無理そうだ。スラスラ出てくる悪態の語彙にちょっと感心しながらも、杖を振って元々かかっていた暗幕を被せ直す。いつもこんな調子だと気が滅入りそうだし、『骨肉の恥』どのが応急処置として被せていたのだろう。

 

すると途端に大人しくなったヴァルブルガの肖像画を、そのまま壁から剥がそうとしてみるが……むう、永久粘着呪文か? 面倒なことになってるな。そう簡単には退去してくれなさそうだ。

 

ため息を一つ吐いた後、複雑に杖を振って解呪を試みていると、上階から埃まみれの木箱を浮かせたトンクスが下りてきた。また何か余計な物を発掘してきたらしい。

 

「あら、トンクス。今度はどんな『純血グッズ』を見つけたの? 混血が使うとピカピカ光るインクとか?」

 

「それも面白そうだけど、違うっぽいかな。単なる木箱に見えるんだけどさ、どうやっても開かないんだよね。何が入ってるんだろ? アリスさんなら開けられる?」

 

「開けないで処分した方がいいと思うけどね。そこに置いて頂戴。」

 

「でもさ、気になるじゃん。結構重いし、もしかしたらガリオン金貨が大量かもよ? そしたら全額マグルの孤児院とかに寄付しちゃおうよ。」

 

皮肉が効いていて面白そうな提案だが、ブラック家がガリオン金貨を後生大事に保管するとは思えないし、どうせ中身はロクな物じゃないぞ。それでも一応粘着呪文の解呪を中断して、トンクスが床に置いた木箱を調べてみると……むむ、これも中々の封印だな。幾重にも魔法が重なっている所為で非常に解呪し難い状態になっている。

 

「面倒ね。……壊しちゃダメかしら?」

 

「別にいいと思うよ。何ならこの家ごと壊したってシリウスは怒らないんじゃないかな。もう何もかもが気に食わないみたいだし。」

 

「片付けてるのがバカバカしくなる台詞じゃないの。」

 

「それでも片付けるくらいにハリーのことが大事ってことなんだよ、きっと。……まあ、私たちとしてはちょっと迷惑だけどね。」

 

苦笑しながら言ってきたトンクスに、やれやれと首を振って返事に代えた。トンクスの言う通り、今回の片付けの目的はハリーの住む場所を確保することにあるのだ。

 

来年の夏休み以降はハリーがダーズリー家を離れることが出来るようになる。名付け子を溺愛するブラックがその機を逃すはずもなく、ハリーが独り立ちするまではここで一緒に暮らそうという魂胆らしい。

 

ちなみに、ハリーにはサプライズだか何だかで内緒にしてくれとのことだったが……本当に喜ぶのだろうか? 私ならこんな屋敷には絶対に住みたくないぞ。素直にアパートでも借りるべきだと思うけどな。

 

リーゼ様の『親バカ認定』にもそれなりの理があるなと考えを改めつつ、木箱をいくつかの呪文で更に詳しく調べてみれば、かかっている呪文の詳細が明らかになってきた。

 

「これ、合言葉で開くみたいね。」

 

「合言葉? だったら一つしかないよ。ブラック家が他の文句を選ぶわけないもん。」

 

「大っ嫌いな言葉だけど、家捜しする身としては単純で助かるわ。……『純血よ永遠なれ』。」

 

ブラック家の家訓にもなっているフランス語の一節を呟いた瞬間、勢いよく木箱の蓋が開く。妙なところで素直というか、期待を裏切らないというか、非常にブラック家らしい防犯システムだな。

 

予想通りすぎる合言葉に私が呆れている間にも、トンクスは好奇心の赴くままに木箱の中を漁り始めた。

 

「ブラック家でこの合言葉だと年がら年中開きまくって困りそうだけどね。……ありゃ、金目の物は入ってないみたい。書類とか、写真とかばっかりだよ。残念だなぁ。」

 

「こそ泥みたいな感想はやめて頂戴。……見たところ、歴代の家族写真みたいね。古い世代の家族を描いた絵もあるわ。破けてるのがやけに多いけど。」

 

「きっと『裏切り者』のところだけ破いちゃったんだよ。ってことは、ママの写真もなしだね。ママが小さい頃の写真は家にないから、あればパパが喜んだんだけど。」

 

「この様子だと望み薄だと思うわよ。タペストリーの名前も、写真も、肖像画も。『血を裏切った者』の痕跡は徹底的に消してるみたいだしね。……それで存在が消えるわけでもないのに、バカなことをやってるもんだわ。」

 

結局のところ、認めたくないから目を逸らしているだけなのだ。当時のブラック家は頑として認めなかっただろうが、きちんと調べれば完全な純血じゃなくなっているのは傍目にも明らかなのだから。こうやって相応しくないものを削り取ることで、純血の虚像を取り繕っていただけに過ぎない。

 

いやはや、こればっかりはさっぱり分からないな。リドルが愛を理解できないように、私は純血主義を理解できそうにないぞ。どれだけ考えてみてもそこまでする価値があるようには思えないのだ。

 

一部分が焼け焦げた絵画を見ながら冷たく言い放った私に、トンクスは困ったように頷いてきた。小さな焼け焦げは母親らしき女性の手の中にある。つまり、この絵の中で『消された』のは赤ん坊だったのだろう。描かれた後にスクイブとでも判明したのか? ブラック家の業を物語っているような絵だな。

 

「でも、それももう終わりだよ。唯一家名を継げるシリウスがあんな感じなんだもん。これからは『ウィーズリー方面』に向かっていくんじゃないかな。」

 

「そう願うばかりよ。問題はブラックにお嫁さんが見つかるかどうかだけどね。あの性格だと誰も……あら、取っておくべき写真を見つけたわ。」

 

見つけ出した写真を差し出しながら言ってやると、トンクスは感慨深い表情でそれを受け取った。色褪せた写真の中で微笑んでいるのは若き日のレギュラス・ブラック。死喰い人を裏切り、リドルの不死に挑んだブラックの弟だ。

 

当初は『恐れをなして死喰い人から逃げ出そうとしたところを殺された』ということになっていたのだが、今はもうダンブルドア先生やレミリアさんの働きかけで名誉を取り戻している。生前死喰い人に対して多大な損害を与えたということで、十七年前に遡って勲二等のマーリン勲章も授与されたそうだ。

 

分霊箱のことは明言できないからちょっとあやふやな理由になっていたが、それでも新聞の隅には顔写真付きの小さな記事が載っていた。名誉の復権としては充分だと言えるだろう。

 

考え方こそ純血主義に寄っていたらしいが、命を懸けて分霊箱の一つを破壊しようとした人物を無下には出来ない。少し離れた親戚のトンクスにとっても思うところがあるようで、神妙な顔付きでその写真を眺めていたかと思えば……おお、ビックリしたぞ。急に顔を上げて提案を寄越してくる。

 

「ねね、クリーチャーにあげたらダメかな? この写真。」

 

「あー、良いんじゃないかしら。きっと喜ぶわ。」

 

「だよね、だよね。……クリーチャー! こっちに来てくれない?」

 

トンクスが大声で名前を呼ぶと、すぐさまパチンという音と共に老年のしもべ妖精が現れた。彼こそがクリーチャー。ブラック家に仕えている酷すぎる名前の使用人で、ブラックによれば『死ぬ前に一瞬だけまともになっている』しもべ妖精だ。

 

このクリーチャーが分霊箱の一つだったスリザリンのロケットを破壊できずに苦しんでいたしもべ妖精だったようで、長年所持していたロケットの効果もあってか以前は『純血以外』の存在を執拗に忌み嫌う捻くれた性格をしていたらしい。

 

それをダンブルドア先生が見つけ出し、亡き主人の命令通りに分霊箱を破壊できたどころか、その名誉まで回復された今となっては……まあ、普通のしもべ妖精らしい態度に戻っている。言葉の端々に『純血感』は残ってしまったようだが。

 

姿あらわしの衝撃でちょびっとだけよろけたクリーチャーは、トンクスに向かってぎこちない動作でお辞儀をしながら口を開いた。

 

「お呼びでしょうか、血を裏切ったお嬢様。」

 

「うんうん、血を裏切った私が呼んだよ。……はいこれ、プレゼント。レギュラスさんの写真が見つかったんだ。クリーチャーが欲しいかと思ってさ。」

 

戯けたように応じたトンクスが差し出した写真を見て、クリーチャーは……うーむ、見事な忠誠心だな。落ち窪んだ瞳に大粒の涙を浮かべながら、丁寧な仕草でそれを受け取る。どうやら喜んでもらえたようだ。

 

「ありがとうございます、血を裏切ったお嬢様! クリーチャーには勿体無いほどの品でございます!」

 

「えへへ、喜んでもらえたなら良かったよ。……そういえば、シリウスは何してた? 物置の方を手伝ってたんでしょ?」

 

作業開始から今の今まで一切の進展を見せていない『ブラック担当箇所』のことをトンクスが聞くと、クリーチャーは途端に表情を曇らせながら答えてきた。彼は主人であるブラックのことが嫌いなのだ。そこだけは昔も今も変わっていないらしい。

 

「シリウス坊っちゃまは大切な家財を破壊して回っております。歴史あるブラック家の家財をです! ……お優しい裏切り者のお嬢様、どうか坊っちゃまをお止めください。坊っちゃまは錯乱しておいでです!」

 

「うーん……シリウスの『錯乱』は生まれつきのことみたいだしね。ちょっと無理そうかな。」

 

「ですが、坊っちゃまは……申し訳ございません、失礼させていただきます。坊っちゃまに呼ばれてしまいました。」

 

言葉の途中で物凄く嫌そうに顔を歪めたクリーチャーは、不服っぷりを全身で表現しながら指をパチリと鳴らして消えていく。残された私たちの間になんとも言えない空気が漂った後、額を押さえたトンクスが沈黙を破った。

 

「シリウスにも問題があるよね、あれは。クリーチャーに対して冷たすぎるよ。もっと大事にしてあげればいいのに。」

 

「分かり易い負の連鎖ね。嫌われてるから嫌って、だから更に嫌いになる。……ブラックはクリーチャーを通して昔を思い出すのが嫌で、クリーチャーは優しかったレギュラス・ブラックと比較しちゃってるんでしょ。」

 

「いっそのことホグワーツに送ってみるのはどうかな? 恩人のダンブルドア先生のことは尊敬してるみたいだし、クリーチャーも喜ぶんじゃない?」

 

「それが一番かもね。後で提案してみましょうか。」

 

ブラックもいい加減うんざりしているようだから、否とは言わないだろう。私とトンクスが頷き合ったところで、今度はルーピンが階下からひょっこり顔を出す。何故か全身が小麦粉を被ったかのように真っ白だ。何をやらかした?

 

「ちょっとリーマス、何してんのさ。スノーボールクッキーみたいになってるよ?」

 

「粉砂糖だったら嬉しかったんだけどね、残念ながらこれはドクシー用の殺虫剤だよ。どうも使い方を間違ったみたいで、容器が破裂しちゃったんだ。」

 

「もう、相変わらず変なところで抜けてるんだから。……ほら、綺麗にしてあげるからこっちにおいでよ。世話が焼けるなぁ。」

 

「いや、別に自分で……分かったよ。分かったからその目はよしてくれ、トンクス。」

 

ジト目で頰を膨らませるトンクスに、スノーボールルーピンが苦笑しながら近寄っているが……来た時から思ってたけど、なんか妙に距離が近いな。前はこんなに気安くなかったはずだぞ。

 

ひょっとして、そういうことなのだろうか? 訝しげな視線で微笑ましいやり取りを続ける二人のことを見ていると、それに気付いたトンクスが慌てて言い訳を述べてくる。聞いてもいないのにだ。

 

「あーっと、どうしたの? そんな顔しちゃって。私はリーマスが……ルーピンさんが病気になるかもって心配してるわけだけど。だってほら、ドクシー用の殺虫剤なんて何が入ってるか分かんないでしょ? 万が一危ない材料が使われてたら……なんか言ってよ、アリスさん。」

 

「いやまあ、無理に聞いたりはしないけどね。私は別にいいと思うわよ? 二人ともきちんとした大人なんだし。」

 

「聞いてるのと一緒じゃん、それ! 私、下を手伝ってくる! ……あんたも行くのよ、リーマス!」

 

そして、それは言ってるのと同じだぞ。赤い顔で言い放ったトンクスは、苦笑を強めたルーピンを引っ張って階段を下りて行ってしまった。いやはや、微笑ましいな。分かり易いにも程があるぞ。

 

しかし、ルーピンとトンクスか。性格は正反対で、歳の差もある。それなのに何がどうなったらああなるのやら。相変わらず色恋沙汰は複雑怪奇だな。私にはまだまだ早いらしい。

 

遥か歳下のトンクスより『遅れている』のをちょびっとだけ情けなく思いつつ、アリス・マーガトロイドは肖像画の取り外し作業に戻るのだった。

 



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モラトリアム

 

 

「しかしまあ、思ってた以上に退屈だね。チェスでもどうだい? ハリー。」

 

談話室の真っ赤なソファの上で仰向けに寝転がりつつ、アンネリーゼ・バートリはテーブルで羽ペンを走らせるハリーに問いかけていた。ちなみにハーマイオニーは午前最後の授業中で、ロンはハリーの隣で居眠り中だ。秋の過ごしやすい気温に敗北しちゃったらしい。

 

「もうチェスは飽きたよ。リーゼにもロンにも全然勝てないしね。……一応聞くけど、宿題をやらなくていいの?」

 

「一応答えるが、やらなくていいのさ。理由は言うまでもないだろう? 去年と同じだよ。」

 

「だったら暇だろうね。……どうせやることがないなら、ルーン文字をやめなきゃよかったのに。ハーマイオニーが残念がってたよ?」

 

「彼女一人を残すのは心苦しいが、ハーミーにも独り立ちする時が訪れたのさ。それに、私はもう石やら木やらを削るのはうんざりなんだよ。……あっちへ行きたまえ、毛玉。私の胸は休憩スペースじゃないぞ。」

 

私の『まだ』平らな胸に乗ってこようとするクルックシャンクスを追い払いながら言ってやると、ハリーは無言で肩を竦めて呪文学の宿題に向き直ってしまう。つまり、六年生になって授業が減った所為でヒマヒマ状態に陥ってしまったわけだ。

 

うーむ、パチュリーが六年生を『モラトリアム』と評していた意味がよく分かったぞ。確かにこの時期は人格形成に影響を及ぼしそうだ。将来に備えて勉強する者が居れば、自分の趣味に時間を傾ける者も居る。空いた時間をどう使うかで未来の姿が決まってくるのだろう。

 

歓迎会の翌朝に行われた授業選択によれば、ハリーはフクロウで落とした占い学に加えて魔法史と飼育学をやめて、ロンも同様の三教科を、ハーマイオニーは飼育学のみをやめたらしい。……ハグリッドにはもう伝えたんだろうか? 職業選択的にやむなしとはいえ、三人揃ってやめたってのは残念がると思うぞ。

 

そして私はルーン文字と魔法史を予定表から抹消した。杖魔法の授業はそれなりに役に立っているわけだし、ペアでやる授業をやめちゃうのはハーマイオニーに悪いということで、消去法的にその二つを切り捨てたわけだ。

 

しかし、ここまで暇になるとは思わなかったな。五年生で終わりの飛行訓練も自動的に消えるので、ハリーやロンは四つ、ハーマイオニーでさえもが授業二つ分の余裕が出てくることになる。

 

ダンブルドアは防衛術の授業があるので仕事の話は出来ないし、かといってやるべき宿題も作業もない。お陰でこうして暇を持て余しているわけだが……ふむ、何かホグワーツでやれる趣味を見つけるべきだな。このままだと七年生の生活も退屈になっちゃうぞ。イモリ試験を受ける気などさらさらないわけだし。

 

流し読んでいたクィブラーを置いて考え始めた私へと、教科書とレポートを見比べているハリーが疑問を放ってきた。

 

「そういえばさ、スカーレットさんは大丈夫なの? 物凄い騒ぎになってるみたいだけど。国際魔法使い連盟の……カンファレンス? がどうとかって今朝の新聞に載ってたよ?」

 

「ま、平気だろうさ。本人曰く、全て計画のうちらしいからね。……どこまでが強がりなのかを見物しようじゃないか。」

 

「僕はちょっと心配かな。グリンデルバルドの問題とかもあるし。……新聞にはグリンデルバルドがスカーレットさんを排除するために立てた壮大な計画かもって書いてあったよ。油断させて後ろから刺すつもりなんだって。」

 

「ゲラートの策にしてはお粗末すぎるし、レミィもそれで刺されるほどバカじゃないよ。記事を書いたヤツは陰謀のセンスがないみたいだね。」

 

安直すぎるぞ。どうせなら『集めた連盟の代表たちを二人で皆殺しにしようとしている』くらいのことは書けんのか。呆れる私に、ハリーは小首を傾げながら新たな質問を飛ばしてくる。

 

「『ゲラート』? ……ひょっとしてグリンデルバルドとは知り合いなの?」

 

「おや、鋭いじゃないかポッター君。ゲラートとはちょっとした因縁があってね。本来なら軽々に話せるようなことじゃないんだが……まあ、キミたち相手なら今更だろうさ。他人に聞かれたら内緒にしてくれたまえ。」

 

「それはいいんだけどさ、結構親しい相手だったりするの? 名前で呼んだってのもそうだけど、リーゼは人を呼ぶときに感情が出るから。何となく分かるよ。」

 

むう、そうか? 意外な指摘を受けて起き上がった私へと、ハリーは羽ペンを置いて話を続けてきた。ちょっと困惑気味の表情だ。

 

「だけど、グリンデルバルドって悪い魔法使いなんだよね? スカーレットさんとかダンブルドア先生と戦ったんでしょ? ……まさか、実は良い人だったとか?」

 

「んふふ、少なくとも『良い人』ではないよ。そうだな……善悪云々よりかは、『認めている』って感じかな。簡単に言えば気に入ってるわけさ。私の人物評価の基準はそこにあるからね。」

 

レミィが損得で、ダンブルドアが善悪で、フランが好悪で他者を判断するように、私は認否でそれを行うのだ。ハリーは私の曖昧な答えを聞くと、尚更分からなくなったという顔で口を開く。

 

「僕、ヴォルデモートみたいな人なのかと思ってたよ。魔法史の教科書には魔法族上位主義者って書いてあったから。」

 

「大きく間違ってはいないが、それが全てでもないってことさ。リドルが個人の利益を求めたのに対して、ゲラートは種族の利益を追求したわけだ。……ただまあ、この辺は考えても無意味だと思うよ。ゲラートほど意見の分かれる魔法使いは他に居ないだろうしね。」

 

忌むべき犯罪者であり、冷徹な革命家であり、誇るべき英雄であり、夢見がちな思想家でもある。知らぬ者からすれば訳が分からんだろうな。ゲラートは直接話さないことには判断を下せない類の人物なのだ。後世の歴史家たちはさぞ苦労することだろう。

 

黒でも白でもない男を思って嘆息する私に、ハリーは少し悩むような素振りを見せた後……どうやら疑問を放り投げてしまったようだ。再び羽ペンを手に取ってぼんやりした感想を述べてきた。

 

「よく分かんないけど、そんな人と知り合いのリーゼが凄いってのは何となく理解できたよ。」

 

「なんだそりゃ。」

 

「だってそうでしょ? スカーレットさんとは幼馴染で、ノーレッジ先生とは友達で、ダンブルドア先生ともグリンデルバルドとも知り合い。改めて考えると凄いことなんじゃない?」

 

「……まあ、傍から見ればそうかもね。かの有名な『生き残った男の子』とも友達なわけだし。」

 

最近は無理に隠さなくなった稲妻型の傷痕を指して言ってやると、ハリーは苦笑しながらそれを掻く。自分の有名具合を忘れすぎだぞ。

 

「あー、そう言えばそうだったね。もうすっかり慣れちゃったから忘れてたよ。……ヴォルデモートはまだ見つかってないの?」

 

傷痕から色々なことを連想したのだろう。思い出したように聞いてきたハリーに、首を振りながら答えを返す。

 

「意外なことに、まだ逃げ延びてるよ。夏休み中にフランスで一戦やらかしたそうだが、それ以降は音沙汰なしだ。レミィはアルバニアの森かイタリアの小島なんかに逃げ込んだと踏んでいるようだね。」

 

イタリアの方は新しく出来た『お友達』を通して確認中だし、アルバニアには国際合同闇祓い特別チームが捜査に向かっている。今月中には当たりか空振りかがはっきりすることだろう。脳内で情報を整理していると、ハリーは少し心配そうな表情で懸念を示してきた。

 

「もし逃げ切られたらどうするの? ヨーロッパじゃなくて、もっと別の国とかに。」

 

「逃がさないし、逃げ切れないさ。可能性があるとすれば魔法文化の薄いオーストラリアか南米あたりだが、レミィだってそんなことは重々承知しているはずだしね。あとはマグル界に身を隠すって手もあるが……プライドの高いリドルにそれが出来ると思うかい?」

 

「そりゃあ無理だろうけどさ。あんな気持ち悪い顔がお隣さんになったら嫌だしね。目立ちすぎだよ。」

 

そういう意味でもないんだが……うーむ、確かにそうだな。リドルの顔で『やあ、ご近所さん。いい天気だね!』なんて言われたら即通報するだろう。いやまあ、闇の帝王はご近所付き合いなんかしないと思うが。

 

カツラとサングラスを着けて買い物に行くリドルを想像する私を他所に、ハリーはインク壺に羽ペンの先を浸しながら続きを話す。彼はもうちょっと真面目なことを考えているようだ。

 

「でも、いざ見つかった時のために準備はしておかないとね。」

 

「そんなに気負わなくても大丈夫だよ。その辺はダンブルドアから言ってくるだろうさ。……何にせよ、とりあえずは新しい生活に慣れるのを優先したまえ。」

 

あえて軽めに言ったところで、午前の授業を終えたらしい生徒たちが談話室に戻ってきた。一気に騒がしくなった周囲に苦笑しつつ、羊皮紙を片付け始めたハリーに声をかける。

 

「それじゃ、ロンを起こして昼食に行こうか。ハーマイオニーは大広間で待ってるって言ってたしね。」

 

「うん、それにケイティとの話し合いもあるんだ。予想以上に応募が多いから、今週末に最初のビーター選抜をするんだってさ。」

 

「いやはや、やる事が多くて羨ましい限りだよ。」

 

私のからかい半分の台詞にジト目を寄越してきたハリーは、机に突っ伏して寝ているロンをぺちぺち叩いて起こし始めた。……うーん、やっぱり趣味は見つけるべきかもな。出来れば幻想郷でも続けられそうなやつを。

 

頬っぺたに机の痕が付いているロンを眺めながら、アンネリーゼ・バートリは先ず何を試してみようかと思案するのだった。

 

 

─────

 

 

「もうダメだわ。本当にもう、なんでこんな……お終いよ。誰か助けて。」

 

『絶望』を全身で表現しているケイティを横目に、霧雨魔理沙は深々とため息を吐いていた。確かにこいつはダメそうだな。私の知る限りでは、ビーターってポジションはブラッジャーと自分の頭を区別できないと務まらなかったはずだし。

 

新学期が始まってから初めての週末に入り、私たちグリフィンドールチームは第一回目のビーター選抜試験を実施しているのだ。僅か一週間でそれなりの数の応募があった時には私も、新キャプテンたるケイティも希望を見つけたような気持ちになったのだが……今の私たちは厳しい現実を見せつけられている。

 

練習用ブラッジャーの一撃で墜落しかけるくらいならまだマシな方で、酷いヤツだと空中で静止するのが精一杯という有様だ。そして極め付きが今試験を受けているあいつ。何を思ったのか棍棒で自分の頭を殴って気絶してしまったあいつだ。何しに来たんだよ、本当に。

 

立ち会ってくれているフーチの応急手当を受けている間抜け君を見て、私と共に観客席に座っているケイティは頭を搔きむしりながら地団駄を踏み始めた。そら、毎年のようにうちのキャプテンが狂い出したぞ。今のケイティならブラッジャーさえ弾き返せればヴォルデモートでもチームに入れかねんな。

 

「無理よ、無理。もう無理! 連携の訓練もやり直さないといけないのに、この上ビーターまで一から育てろっていうの? 初戦まで二ヶ月ちょっとしかないのに? ……マリサ、私のことを思いっきり殴ってみてくれない? もしかしたら全部夢かもしれないから。」

 

「夢じゃないぞ。夢ならもっと上手くいってるはずだろ? ……それにまあ、まだ一回目だしな。今回一番良かったヤツを『キープ』して募集を続けてみようぜ。」

 

「自信のある生徒は今回の試験に応募してるはずよ。つまり、後から応募してきた生徒が今日一番マシだった子を上回る可能性は低いってわけ。そうは思わない?」

 

「……思うけど、何にでも例外は付き物だろ? 可能性はまだあるさ。」

 

やけに説得力のあるケイティの推論を無理やり捻じ曲げたところで、試験に使っていたブラッジャーを回収したハリーとロンが急上昇して観客席に近付いてくる。私とケイティが遠くの観客席から観察して、箒に乗った二人は参加形式で細かい動きをチェックしているのだ。

 

「一応戻ってきたけど、今の三年生について何か話し合うことはある? 僕の感想としては次を始めるべきとしか言えないよ?」

 

「僕もハリーに賛成だ。進めちゃっていいよな?」

 

「うん、こっちも同感。……ちなみに、あと何人残ってるの?」

 

二人に頷いてから私に聞いてきたケイティへと、手元の羊皮紙をチェックしながら答えを返す。残念ながら『残弾』は残り僅かだぞ。

 

「三人だ。今の間抜け君の友達っぽい三年生が二人と、二年生が一人。」

 

「了解よ。……再開しちゃって、ハリー、ロン。あとはノンストップでやっていいから。私たちはここでクィディッチの守護天使に祈っとくわ。」

 

半ば諦めているような表情で指示を出したケイティは、本当に手を組んで祈りを捧げ始めた。ブツブツ呟いている内容を聞くに、祈りというよりかは脅しに近そうだが。守護天使を脅してどうすんだよ。天罰が下るぞ。

 

それを尻目に飛んで行ったハリーとロンが次の生徒へと試験開始の合図を送るが、飛び立った三年生は既に望み薄の状態になっている。前傾姿勢すぎるし、棍棒を持つ手をフリーに出来ていない。飛行訓練の授業を二年間受けてあれってことは……まあうん、そういうことだ。

 

「ダメっぽいな。」

 

「だけど、あと二人残ってるわ。あと二人、あと二人……。」

 

そんなケイティの祈りも虚しく二人目の三年生も残念な結果に終わり、最後に迎えた二年生。やけに背の高い坊主頭の男子生徒は、ハリーの合図を受けて空に……おお? 悪くないんじゃないか? 片手なのに姿勢が安定してるし、スピードもそれなりにあるぞ。

 

隣のケイティも私と同じ感想を抱いたようで、身を乗り出して二年生の動きを観察しながらポツリと呟いた。光明を見出したような表情だ。

 

「……物凄く上手いってわけじゃないけど、これまでで一番の飛びっぷりね。期待できるかも。」

 

「残り物には福があるみたいだな。」

 

私とケイティが話している間にも、ロンの解き放った練習用ブラッジャーが二年生へと向かっていく。二年生はちょっと怯んだような表情を見せるが、きちんとそれを目で追って……お見事! 棍棒で敵役のロンの方へと弾き飛ばした。

 

「『打った』ってよりかは『防いだ』って感じだったけど、それなりに素質はありそうじゃんか。体勢もそんなに崩れてないしな。」

 

「そうね、悪くない……というかむしろ良いわ。丁寧に教えれば初戦に間に合うかも。」

 

徐々に表情が明るくなってきたケイティに胸を撫で下ろしつつ、羊皮紙に目を落として二年生の名前を確かめる。ニール・タッカーか。聞き覚えのない名前だが、よくよく思い出してみれば談話室で見かけた気がするな。

 

「タッカーだとさ。知ってるか?」

 

「あー……去年双子の『被験者』になってた子の一人だったはずよ。嬉しそうにバイト代を貰ってたのを見た記憶があるから。」

 

「ってことは、身体は頑丈なわけだ。」

 

一年生の頃に双子の悪戯グッズの被験者になって医務室行きになっていないということは、つまりはそういうことなのだろう。ケイティが大きく同意の頷きを放ったところで、タッカーが数回ブラッジャーを防いだのを確認したハリーがこちらに目線を寄越してきた。もうオッケーということか。彼も合格だと感じたらしい。

 

それにケイティが手を振って応えた後、ハリーとロンが二人がかりでブラッジャーを押さえ込むのを眺めながら口を開く。

 

「何にせよ、これで『キープ』は決定だな。もう一人くらいあのレベルのヤツが応募してくるのを祈っとこうぜ。」

 

「そうね。貴女の話によればジニーはかなり上手いみたいだし、あと一人くらいなら何とかなるかも。……いけるかも!」

 

うーむ、感情の起伏が激しすぎるぞ。立ち上がって天高く拳を突き上げるケイティを微妙な気分で目にしながら、霧雨魔理沙は是非ともそうなって欲しいとクィディッチの守護天使に祈りを送るのだった。

 



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進歩

 

 

「ほっほっほ、好きなソファに座ってくれるかね? 教科書は後から使うので、今は仕舞っておいてくれて結構じゃ。」

 

なんとまあ、今年の防衛術も個性的な授業になりそうだな。教室に並ぶ色とりどりのソファ、ぐにゃぐにゃした形の妙に背の低いテーブル、壁を埋め尽くす杖の振り方や呪文の発音が描かれているポスター、そして何より教卓の後ろに見える『階下』の存在。様変わりしてしまった防衛術の教室を見渡しながら、アンネリーゼ・バートリは小さく鼻を鳴らしていた。どうやらイギリスの英雄どのにはリフォームの才能もあったらしい。

 

九月二週目の月曜日、遂に私以外の同級生たちが楽しみにしていた防衛術の初授業が始まろうとしているのだ。教卓の横に置かれた安楽椅子に座るダンブルドアの声を受けて、教室に入ってきた生徒たちはワクワクした表情で二人掛けのソファに腰掛けている。

 

「座り心地が良さそうだな。他の授業も全部これにすればいいのに。」

 

「落ち着きすぎて寝ないようにね、ロン。ダンブルドア先生の授業で居眠りだなんてバカのやることよ。」

 

「そんなこと分かってるよ。去年だって寝なかったのに、今年に寝るわけないだろ?」

 

話しながらも教卓に近い位置にある赤いソファを確保したハーマイオニーとロンに続いて、私とハリーも隣の黒いソファへと座り込んだところで……ご老体がゆったりと立ち上がって杖を振った。途端に天井から下りてきた鎖で吊るされた黒板に生徒たちが注目する中、その前に立ったダンブルドアが微笑みながら口を開く。

 

「ごきげんよう、生徒たち。少し早いが、揃ったようなので授業を始めることにしようかのう。その分早く終わらせてしまおうではないか。その方がお得な気分になれるじゃろう?」

 

茶目っ気たっぷりに肩を竦めたダンブルドアがもう一度杖を振ると、黒板に長すぎる名前が浮かび上がった。おいおい、今更自己紹介か? お前の名前を知らんような生徒がホグワーツに居るわけないだろうが。

 

「では、最初にお決まりの自己紹介をしておこうか。わしはアルバス・パーシバル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドア教授じゃ。専門分野は変身術と防衛術、それにお菓子と靴下の品評にも些か以上の自信を持っておる。他にも細々とした肩書きは多いのじゃが……まあ、そこは割愛じゃな。諸君らにとって重要なことはただ一つ。わしが『それなり』に魔法を使えるということじゃ。」

 

そこでパチリとウィンクしたダンブルドアに対して、グリフィンドールとハッフルパフの六年生たちが拍手を送る。突っ込みどころは満載だが、さすがにホグワーツの六年生ともなれば『変人耐性』が付いてくるらしい。色々と流すことに決めたようだ。

 

拍手を受けて嬉しそうに一礼したダンブルドアは、うろうろと教卓の周囲を歩きながら話を続けてきた。

 

「さて、ここに集まった諸君らには言うまでもないことじゃろうが、六年目から全ての授業が必修ではなくなっておる。つまり、これからの授業では将来の職種において必要となる専門的な知識を学ぶことになるわけじゃ。必然的に難易度は増し、伴う努力の量も増してくるじゃろうて。」

 

そこでダンブルドアはピタリと立ち止まると、三度杖を振って黒板に新たな文字を浮かび上がらせる。『無言呪文』という文字をだ。

 

「それを象徴するのが無言呪文の存在じゃ。他の授業では五年生の後半で既に習っているかもしれぬが、防衛術におけるこの技術の必要性はそれらを凌駕することじゃろう。……時に、君たちは古代の魔法がどんなものだったかを知っているかね? 今より千年以上前の、まだホグワーツが成立する以前の魔法を。……ふむ、ピンとこないようじゃな。ならば実際にやってみせようではないか。」

 

ほう? 『古代の魔法』と聞いて身を乗り出す生徒たちと同じように、私も興味を惹かれて注目していると……ダンブルドアは見たこともないほどに複雑に杖を振りながら、ラテン語の長々しい呪文を唱え始めた。六月にマクゴナガルが寮の護りを起動させた時も中々のものだったが、今回のはそれよりなお複雑に見えるな。

 

「……何だか凄いね。ハーマイオニーはどんな魔法だか分かる?」

 

「残念だけど、全然分からないわ。こんなに長い呪文は見たことも聞いたこともないもの。察するに、とっても大規模な魔法なんじゃないかしら。」

 

ハリーとハーマイオニーが期待を膨らませている間にも、ダンブルドアの朗々とした詠唱の声はどんどん大きくなっていき……生徒たち全員が来たる衝撃に備え始めたその瞬間、ダンブルドアが勢いよく杖を振り下ろすと──

 

「……おい、何も起こらないじゃないか。遂にボケたのかい? ダンブルドア。」

 

閃光も、音も、衝撃もなし。キョトンとする生徒たちを代表して文句を言ってやると、ダンブルドアは悪戯げに微笑みながら黒板を指差して返答を寄越してくる。

 

「ほっほっほ、きちんと成功しておりますよ。皆も黒板に注目してくれるかね? ほれ、先程あった『無言呪文』という文字が消えているじゃろう? ううむ、不思議じゃな。書いてあった文字が消えるとは、正に魔法じゃ。」

 

やっぱりボケてたか。大袈裟に驚いたフリをするダンブルドアを冷めた視線で眺めていると、彼は苦笑しながら今やった『寸劇』の意味を説明してきた。

 

「うむ、うむ。バカバカしいじゃろう? 要するに、今わしが使ったのは『清めの呪文』なのじゃ。現代ではホグワーツの一年生でも軽々と使える魔法が、嘗てはこれほど難しい魔法だったというわけじゃな。……分かるかね? 進歩したのじゃよ、諸君。より短く、より使い易く、より効率的に。何人もの偉大な先人たちの努力により、君たちは食べこぼしを綺麗にする時にこんな詠唱をしなくてもよくなったわけじゃ。」

 

……なるほど、そういうことか。生徒たちの大半が納得の表情を浮かべるのを見て、ダンブルドアは我が意を得たりとばかりに解説を続けてくる。

 

「そして、その一つの到達点こそが無言呪文……発声を必要としない呪文なのじゃよ。見事な発明だとは思わんかね? 今やわしらは杖を振るだけで呪文を放つことが出来るのじゃ。……じゃが、忘れるなかれ。相対する者もまたそうであるということを。無言呪文を使えるのと使えないのでは大きな差が出来てしまう。一瞬を争う魔法での闘いの中では、その差は埋めようもないほどに大きなものとなってしまうのじゃ。」

 

言いながらダンブルドアが黒板をコツンと杖で叩くと、またしても新たな文字が浮かび上がった。今度は有言呪文、無言呪文、杖なし魔法という三つの項目と、それぞれの利点や欠点が詳しく書かれている。

 

「熟練の魔法使いの闘いにおいては、この三つの魔法の選択が非常に重要なものとなってくる。込め得る魔法力が大きな有言呪文、速度において勝る無言呪文、そして単純ながら杖を必要としない杖なし魔法。どれが正しいというわけでもないのじゃ。……読み合いじゃよ。どの方法でどんな呪文を使ってくるか、こちらの魔法に対してどのように対処してくるか。目まぐるしく進展する闘いを読み切り、適した方法を選び続けた者こそが勝者となれるわけじゃな。」

 

杖なし魔法のことまで教えるのか。あれは熟練の魔法使いでも使える者が限られている技術のはずだぞ。意外に思う私を他所に、力強さを感じさせる笑みで一つ頷いたダンブルドアは無言呪文についての話を締めてきた。

 

「故に、先ずは無言呪文じゃ。五年生までは単純な魔法でのみ必要とされた技術じゃが、六年生以降はあらゆる場面で必要となるじゃろうて。無言呪文の感覚をマスターしないことにはイモリ試験など夢のまた夢じゃな。……おっと、心配は無用じゃよ。わしが必ず使えるようにしてみせるからのう。では、杖を持ってこちらに来てくれるかね? 折角そのための場所も用意したのじゃ。一年振りの『実践授業』をやってみようではないか。」

 

ひょいと杖を振りながら言ったダンブルドアは、カラカラと天井に引っ張られていった黒板の下を潜って階下への階段を下りて行く。慌てて移動を始めた生徒たちの背に続きながら、三人に向かってここまでの感想を放った。

 

「呆れるほどに真っ当な授業だね。パチェやムーディよりかは、アリスやルーピンの授業に近い感じだ。」

 

「まあ、真っ当すぎて意外には感じるな。校長の授業なんだし、もっとヘンテコになるかと思ってたよ。」

 

「良いことじゃないの。これぞ生徒の求めていた……あら、結構広いわね。やり易そうだわ。」

 

ロンに答えたハーマイオニーの言う通り、階段の下は結構な広さになっているようだ。奥行きもあるし、ソファが置いてある上階の床下も練習スペースになっているらしい。メゾネット教室ってわけか。

 

明るい色の板張りの床にはクッションや標的用のカカシ……もちろん翼なしだ。が所々に設置されており、壁際に並ぶ棚には多種多様な魔道具がぎっしり詰まっている。恐らく呪文の練習に使う物なのだろう。

 

そして部屋の奥には懐かしき決闘用の舞台まで置かれているようだ。その『防衛術らしい』練習スペースに生徒たちが顔を輝かせる中、ダンブルドアはいつものニコニコ顔で指示を出してきた。

 

「それでは、このリストにある通りの二人組になってくれるかね? 片方が衝撃呪文を、片方が盾の呪文を、それぞれ無言で唱えるのじゃ。呪文を発声する時と同じ振り方、同じタイミングをイメージしてみると良いじゃろう。……よいか? 強く、正確に念じるのじゃ。無言呪文は意志の力で唱えるものなのじゃから。」

 

言ったダンブルドアの横に貼り出されているリストに目をやってみると、私の名前の横にはハリーのそれがあるのが見えてくる。……ま、妥当なところだな。ハリーも私も無言呪文で苦労する段階などとうに過ぎているのだから。私は百年ほど前にパチュリーから習って、ハリーも四、五年生の練習で基本的な無言呪文は習得済みだ。

 

「いつも通りの練習になりそうだね、リーゼ。」

 

「星見台を借りる手間が省けたと思おうじゃないか。」

 

苦笑するハリーと肩を竦め合ったところで、リストを確認した他の生徒たちもペアを組み始めた。ハーマイオニーはロングボトムと、ロンはラベンダー・ブラウンとペアになったらしい。二人もハリーの練習に付き合う間にいくつかの無言呪文を習得しているし、むしろ教える立場になりそうだな。

 

そんな生徒たちの動きを尻目に、とりあえずハリーと隅っこの方に移動してみるが……さて、どうしよう。今更こんな基礎的なことをするのは時間の無駄だ。ハリーもそれには同感のようで、困ったように笑いながら問いを寄越してくる。

 

「どうするの? 一応ダンブルドア先生の言う通りにやっておく?」

 

「お断りだね。そんなことをしても退屈なだけだし、ここは生徒の自主性ってやつを示そうじゃないか。……折角あんな物が置いてあるんだ。使わないと損だろう?」

 

ニヤリと笑いながら奥に見えている決闘用の舞台を指して言ってやると、ハリーも挑戦的な笑顔で頷いてきた。……前から思っていたんだが、基本的には優等生なのに勝負事になるとやけにノリが良くなるな。誰かと競い合うのが好きなのかもしれない。

 

「いいね、久々にやろうよ。……ただし、あの変な魔法はなしだからね。杖魔法だけだよ?」

 

「……善処はするさ。」

 

ハリーとは練習の息抜きに何度もやり合っているが、一度だけ隙を突かれそうになった際に妖力弾を使ったことがあるのだ。唯一勝てそうだった時に使われたのを未だ根に持っているらしいが……負けず嫌いはこっちも一緒。いざとなったらやっぱり使うぞ。

 

そんな思いを胸に秘めつつ台に上って、作法通りにハリーと向き合って杖を眼前に立てる。それを下ろした後に振り返って五歩歩いてから……いつものタイミングで向き直ってみれば、最速で呪文を放ってくるハリーの姿が見えてきた。

 

エクスペリアームス(武器よ去れ)!」

 

やっぱり一手目は武装解除か。初見の相手ならともかく、そんな癖は学習済みだぞ。笑みを浮かべながら赤い閃光を盾の無言呪文で弾いた後、突き出した杖を捻って普段は使わない呪文を撃ち込む。ぐるぐる巻きにしてあげようじゃないか。

 

インカーセラス(縛れ)。」

 

途端に私の杖先から生まれた縄がハリーの足を絡め取……らないな。衝撃呪文か何かの無言呪文で迫りくる縄を吹き飛ばしたハリーは、動作を組み合わせるように杖を振って二手目を繰り出してくる。

 

グリセオ(滑れ)。……ヴェンタス(吹き飛べ)!」

 

「おお? やるじゃないか。フィニート(終われ)。」

 

初めての組み合わせだったが、悪くないな。床をツルツルにした上で突風を吹かせるわけか。普通なら踏ん張りが利かずに転んじゃうだろうが、残念なことに私は翼持つ吸血鬼なのだ。空中で姿勢を立て直して呪文を終わらせた私に、ハリーはジト目で文句を寄越してきた。

 

「……反則だよ、それは。」

 

「んふふ、種族的な違いは仕方がないだろう? 人間に翼が無いことを恨みたまえ。」

 

軽口を交わしながらも無言呪文でやり合っていると、いきなりハリーがそのうちの一発をスライディングで避けて本命の有言呪文を放とうとするが……その直前に私の沈下呪文が地面に激突する。ふふん、絶対に避けてくると思ったぞ。

 

「エクスペリ──」

 

デプリモ(沈め)。……おや、大丈夫かい? 凄い音がしたぞ。」

 

舞台に空いた穴に滑り込むように消えて行った決闘相手に声をかけてみると、ムスっとした表情のハリーが穴の中からひょっこり顔を出した。額が赤くなっているのを見るに、勢いそのままでどこかにぶつけてしまったようだ。

 

「……そう来るとは思わなかったよ。」

 

「いやまあ、決闘らしい手ではなかったかもね。ほら、掴まりたまえ。」

 

ハリーの手を掴んで舞台まで引っ張り上げたところで、急に横から拍手の音が聞こえてくる。音の出所に視線を送ってみれば、楽しそうな表情で手を叩いているダンブルドアの姿が見えてきた。

 

「ほっほっほ、見事じゃな、二人とも。六年生の決闘とは思えぬほどの内容じゃ。……ううむ、わしの授業内容では少々退屈かもしれんのう。」

 

「おっと、嫌味かい? 今更私たちが衝撃呪文なんかを練習しても意味ないだろうに。時間を有効に使わせてもらってるだけだよ。」

 

申し訳なさそうな表情を浮かべるハリーに代わって文句を飛ばしてやると、ダンブルドアは苦笑いでこっくり頷いてくる。彼としても予想済みの展開だったようだ。

 

「おっしゃる通り。故にハリーは貴女とペアにしたのですよ。……とはいえ、ハリーの成長に驚いたのは本音です。バートリ女史には教師の才能があるようですな。」

 

「私の教え方の問題じゃなくて、ハリーには元から素質があったのさ。多分ね。」

 

「無論、その可能性もあるでしょうな。……さて、ハリーよ。今週末は何か予定が入っているかね? 出来れば校長室で話をしたいのじゃが。」

 

ダンブルドアの提案を受けて、舞台の穴を修復していたハリーが慌てたように返事を返す。六月の話の続きをするわけか。

 

「はい、空いてます。一応クィディッチの練習はありますけど、ケイティには参加できない日があるかもって伝えてありますから。」

 

「であれば、クィディッチの方を優先してくれて構わんよ。今のグリフィンドールチームは大変じゃろう? 日曜であれば朝、昼、夜のどの時間が好都合かね?」

 

「あー……それなら、夜にお願いします。夕方には練習が終わるはずなので。」

 

「では、夕食後に校長室で話そうか。」

 

そう言ったダンブルドアは踵を返して生徒たちの指導に戻ろうとするが、思い出したように追加の情報を放り投げてきた。

 

「おお、忘れるところじゃった。ハリーよ、わしは今ペロペロ酸飴にハマっているのじゃ。」

 

ウィンクしながらの言葉を聞いて、ハリーはキョトンとした表情になってしまう。……もっと分かり易く伝えてやれよな、カッコつけめ。事前情報なしだと老人の戯言にしか聞こえんぞ。

 

「えっと、お土産に持ってこいってことかな?」

 

「もしくは、校長室の合言葉を伝えようとしたのかもね。きっと老人なりのジョークなんだろうさ。若い私たちには理解し難いわけだが。」

 

「そっか、なるほど。……『若い私たち』?」

 

「……何か文句があるのかい?」

 

ジロリと睨め付けてやると、ハリーはわざとらしく目を逸らして舞台の修復具合をチェックし始めた。それに鼻を鳴らしてから、ロングボトムに指導しているダンブルドアを横目に思考を回す。

 

まあ、今年のハリーへの指導はダンブルドアに任せて大丈夫そうだな。何だかんだで私が教えるよりも上手いだろうし、呪文の練習をしながらだったらハリーとの話も弾むはずだ。

 

となると、私は空いた時間をソヴィエトとの連絡に当てなければ。カンファレンスとやらの対策について話し合う必要があるし、週末の二日をかければ行って帰ってくるには充分だろう。……もうレミリアとゲラートは直接連絡を取れるはずだが、お互い嫌がって私を間に挟もうとするのだ。子供か、あいつらは。

 

世話の焼ける魔法界の重鎮二人のことを考えつつ、アンネリーゼ・バートリは大きくため息を吐くのだった。

 



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タカとハト

 

 

「しかし、結構な面子じゃないの。さすがのポンコツ連盟も気合を入れてきたみたいね。」

 

廊下から響いてくる改修工事の騒音に眉をひそめながら、古臭いソファに座るレミリア・スカーレットは渡されたリストに目を通していた。ヨーロッパ、アジア、北アメリカどころか、アフリカや南米の有力者たちまでもが名を連ねている。うむうむ、序盤の見せ場を飾るには上々の顔触れじゃないか。

 

ようやく九月の上旬が終わろうとしている今日、国際合同カンファレンスについての話し合いをするためにフォーリーの執務室を訪れているのだ。『純血のお友達』を通して一足先に参加者のリストを入手したらしいが……やるじゃないか。私ですらまだ手に入れてなかったんだぞ。

 

とはいえ、入手できたことにはそれなりの理由があるようだ。イギリス純血主義者たちのコミュニティの根幹に関わる理由が。……先程聞いたフォーリーの解説によれば、一言で『純血主義の名家』といってもそのルーツは些か異なっているらしい。元々ヨーロッパ各地に散らばっていた名家が社会構造の変化から力を失い、純血主義の風潮が強いイギリスやドイツ、スペインなんかに逃げ込んで現在の形になったんだとか。

 

イギリスで有名なブラック家、マルフォイ家、レストレンジ家、ロジエール家あたりは元を辿れば全てフランスからの『移住組』で、フォーリー家、オリバンダー家、スラグホーン家、そして一応ウィーズリー家なんかが元からイギリスに存在していた『定住組』となる。ちなみにシャフィク家やシャックルボルト家のようにヨーロッパ以外から入ってきた血筋もあるとのことだった。

 

ここで面白いのが移住組にはタカ派が多く、定住組にはハト派が多いという点だ。祖国を追われ、他国に落ち延びざるを得なかった祖先たちの恨みを継いでいるのか、そもそも『そういう家』だったから追い出されたのか。何れにせよ移住組は半純血やマグル生まれに対して攻撃的になることが多いらしい。

 

反面、定住組はそこまで頓着しないことが多いそうだ。……まあ、よく考えれば当然のことか。長らくイギリスの名家として存続しているということは、つまりはこの国での地位を確立しているということになる。マグル生まれが増えようが大した影響はないのだろう。

 

対して、移住してきた者は新たに地位を築き上げねばならなかったわけだ。縁組によって移住組同士の繋がりを強化し、排他的になることで身内間で得られる利益を増していく。それを長年続けてきた結果、リドルの起こした『反乱』に軒並み引き摺り込まれていった、と。

 

うーむ、面白い。もちろん一概には当て嵌まらない家……例えば百年戦争以前に自発的にイングランドへの帰属を選んだマルフォイ家や、古くからウェールズに根を張っていたのにも関わらずタカ派の代表格になったゴーント家、機密保持法制定によって一転して排他的になったヤックスリー家のような『例外ケース』も多々あるが、要因の一つとしては充分に説得力のある話だった。純血主義者の内部情報か。事前に知ってればもっと色々な手を打てたんだけどな。

 

ともかく、自分たちを追い出した大陸側を恨んでいた移住組とは違って、定住組であるフォーリー家は普通に長年の繋がりを保っていたわけだ。我らがウィゼンガモットの議長どのはそのコネを利用してこのリストを入手したらしい。

 

リストを眺めながら純血主義について思考を巡らせている私へと、執務机で書類のチェックをしているフォーリーが返事を放ってきた。

 

「貴女とグリンデルバルドの目的を達成するには好都合なはずです。聴衆は多い方が望ましいでしょう?」

 

「ま、そうね。このカンファレンスでどれだけ同意を得られるかで今後の展開が変わってくるはずよ。こっちでも色々と対策は練ってるけど、貴方の方からも話の通じそうな有力者たちに事前の根回しを──」

 

そこまで言ったところで、部屋の外から何かが倒れたような轟音が響いてくる。ああもう、うるっさいな! ドアの方をぎろりと睨んだ後、苛々と足を揺すりながら口を開いた。

 

「こんな喧しい場所でよく仕事が出来るわね。私なら怒鳴り散らしてるわよ、こんなもん。」

 

「……そもそもの発端は貴女にあったはずですが? 十階を改修したいと言ったのをもうお忘れですかな?」

 

「そうだけど、こんなに早く始まるとは思ってなかったのよ。よく資金を確保できたわね。」

 

改修工事自体はずっと前からやろうと思っていたことだが、今の魔法省には先立つものが無い。だから本来はもうちょっと先にやるつもりだったのだ。私の疑念に対して、資金を集めた張本人どのは事もなさげに答えを返してくる。

 

「名家に話を持ちかけたら一瞬で集まりました。ヴォルデモートの一件で落ち目になっていますし、この辺で存在感を示したかったのでしょう。つまり、『私たちは魔法省に対して協力的です』というポーズなわけです。ガリオン金貨で信頼が買えるなら安いものですよ。この程度の出費は彼らにとって何の痛手でもありませんしね。」

 

「そりゃまた羨ましいことね。……ボーンズが怒ってたわよ? 『十階の改修よりもやるべきことがあるはずです!』って。」

 

「仮にも魔法大臣ならば、国民の『善意』を当てにすべきではありませんな。彼らはウィゼンガモットの為になるなら、と言って資金を提供してくれたのです。他の場所に使うわけにはいきませんよ。」

 

「まあ、私は別にいいんだけどね。一々階段を下りてくるのはうんざりだったし、懐を痛めずにエレベーターが開通するなら願ったり叶ったりよ。」

 

個人的に一番大きいのはそこだろうな。あの陰気くさい神秘部の廊下を通らなくてよくなるのは大歓迎なのだ。エレベーターの他にも廊下をエボニーの板張りにしたり、小さなシャンデリアを吊るしたり、各所に『庭園の背景』付きの窓を設けたりするらしい。……そりゃあ倹約生活中のボーンズは怒るだろうさ。自分が爪に火を灯している隣でシャンパンを一気飲みされてるようなもんだし。

 

どんどん仲が悪くなる大臣と議長を思ってため息を吐いたところで、フォーリーが話のレールを元に戻してきた。

 

「カンファレンスには政治的な有力者の他に、連盟側が招待したマグルに関して詳しい魔法使いも数名出席するそうです。生半可な演説では賛意を得られないかと。」

 

「あら、心配? 私が『生半可な演説』をするとでも?」

 

「内容そのものは心配していませんが、どんな演説にも必ず反対する人間は出てくるものでしょう? 質疑応答に関してのシミュレーションもしておいた方が良いと思いますが。」

 

「ボーンズとやってるわよ。マグル界に関する部分がちょっと不安だけど、何とか詰め込んでおくわ。」

 

そこらの魔法使いよりは遥かに詳しくなっている自覚があるが、それでも理解し切れない部分は多々残っているのだ。その辺はまあ、付け焼刃で何とかするしかないな。肩を竦めて言ってやると、フォーリーは呆れたような表情で質問を寄越してくる。

 

「一応聞きますが、グリンデルバルドとは打ち合わせをしていますか? ……まさか『同盟相手』と連携を取らずにカンファレンスに臨むわけではないのでしょう?」

 

「……そのうちやるわよ。」

 

「もうあまり余裕はないと思いますがね。色々と因縁があるのは承知していますが、個人の感情で連携が鈍っていては元も子もないのでは?」

 

ええい、そのうちやるって言ってるだろうが。額を押さえるフォーリーから目を逸らして、天井を見上げながら曖昧な返答を飛ばす。ちょうど今週末、リーゼがモスクワに向かう予定だ。その時ペタンコ吸血鬼を通して詳細を詰めれば問題ないだろう。直接顔を合わせるのは嫌だし。

 

「そうね、近いうちに話し合うわ。近いうちにね。」

 

「……そう願っておきます。こんなことで計画に遅れが出るのは論外ですから。」

 

「それより、国内純血派の動きはどうなの? さっきの話からするに、大半は『擦り寄り路線』を選んだみたいだけど。」

 

都合の悪くなってきた話の矛先を適当な方向に変えてやると、フォーリーは難しい表情で少し黙り込んだ後、現在の状況を噛み砕いて説明してきた。

 

「選んだというか、最早それ以外の道などありませんよ。ヴォルデモートに協力していた家と徹底的に縁を切るのが今の純血派の『流行り』になっています。……選択肢が一気に狭まった以上、状況が落ち着いた後は大規模な婚姻問題が浮上してくるでしょう。一貫して反死喰い人派だったシリウス・ブラックなどは引く手数多のはずです。家柄も立場も申し分ない上に、ハリー・ポッターの名付け親という『特典』まで付いてくるのですから。」

 

「もういい歳のおっさんだけどね。」

 

「まだ四十にもなっていないのでしょう? 我々からすれば充分すぎるほどの若さですよ。若い娘を嫁にという家も多いでしょうが、未亡人となった死喰い人の元嫁を押し込もうとする家もあるはずです。……実は私の孫娘もまだ未婚でして、鬱陶しいほどに縁談の誘いがきています。貴女との関係が改善した最近はそれがより顕著になりました。」

 

「もっと喜びなさいよ。選択肢が多いのは良いことでしょ。」

 

皮肉げな笑みを浮かべて言った私に、フォーリーはこれでもかってくらいの仏頂面を返してくる。こいつでも孫娘は大事らしい。どこの馬の骨だか分からんようなヤツには渡したくないわけか。

 

しかしまあ、ブラックも大変だな。血を裏切るのが大好きなあの男としては純血の名家の娘などむしろマイナスポイントだろうし、死喰い人の元嫁なんぞ考慮にすら値しないはずだ。今頃見合い写真を暖炉で燃やしまくっているに違いない。

 

大人気の血統書付き犬もどきに哀れみの念を送りつつ、ふと思い出した家名を口にした。

 

「マルフォイ家はどうなったの? 変な名前の息子が家督を継いだって聞いてるけど。」

 

「ドラコ・マルフォイですな。現在のあの家はかなり微妙な立場に置かれています。戦争が終わる直前に魔法省側に傾いたものの、それまでは死喰い人の中枢にいたわけですから。排斥するほどではないようですが、同時に関わりたい相手でもないのでしょう。『社交の隙間』に落ちてしまったわけです。」

 

「無視されてるってこと?」

 

「端的に言えばそうなります。ナルシッサ・マルフォイが精力的に動いていますが、芳しい成果は出ていないようですな。今回の改修にも一際目立つ額を寄付してきました。生き残りに必死なのでしょう。」

 

「……まあ、順当な結果ではあるわね。」

 

とはいえ、排斥されないギリギリのラインには留まれたわけか。ルシウス・マルフォイの決死の策は功を奏したらしい。腕を組んで考える私へと、フォーリーは僅かに哀れみを感じる表情でポツリと呟いた。

 

「年頃の一人息子が残ったのは幸いでした。婚姻の手が残されていますし、断絶するということだけは有り得ないはずです。……あまり幸せな人生とはいかないでしょうが。」

 

「それこそ相手次第でしょ。良い嫁が来るって可能性もあるんじゃない?」

 

「そう願うばかりですよ。マルフォイ家の一件には私にも責任がありますし、ほとぼりが冷めたら縁組みに協力するつもりです。」

 

そう言って深々と息を吐いたフォーリーは、執務椅子に身を預けると話のレールをカンファレンスへと戻してくる。

 

「何にせよ、今はカンファレンスに集中すべきですな。先ずは上の意識を変えねば何も始まりません。」

 

「ま、そういうことね。時期は来月初旬で確定として、会場が何処になるかは決まったの?」

 

「難航しているようです。イギリスとソヴィエトは勿論使えませんし、アメリカやフランス、ドイツに関しても中立とは言い難い。しかし、ポーランドやギリシャではグリンデルバルドに対しての安全確保が難しすぎます。……ヨーロッパならスイスかイタリア、アジアなら日本あたりになるのではないでしょうか。」

 

「んー、縁のない場所ばっかりね。」

 

スイスならジュネーヴ、イタリアならローマあたりか? 日本だと……さっぱり分からんな。極東はさすがに遠すぎるし、出来ればヨーロッパが会場になって欲しいところではあるぞ。

 

明確になってきたターニングポイントを前にして、レミリア・スカーレットはグリンデルバルドに渡す報告書の内容を考え始めるのだった。……よしよし、皮肉七割増くらいにしてやろう。

 



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記憶

 

 

「……この時期にこんなことをしている余裕があるのかい?」

 

モスクワの地下深くにある議長室の応接用ソファに腰掛けながら、アンネリーゼ・バートリは呆れた表情で言い放っていた。ロシアね。そりゃあ私には馴染み深い国名だが、若い連中は混乱すると思うぞ。

 

週末で休みに入った私は、美鈴と共にソヴィエト……じゃなくてロシア魔法議会へと出張に来ているのだ。開催日が十月の初旬に決まったカンファレンスに向けての情報共有が目的だったのだが、訪れてみればこっちの議会は『改称作業』の真っ最中だったのである。

 

茶請けに出された蜂蜜ケーキの横取りを企む美鈴を妨害している私に、執務机で書類を読んでいるゲラートが淡々とした口調で説明してきた。さっきしもべ妖精におかわりまで頼んでただろうが、食いしん坊妖怪め。私の分は絶対に渡さんからな。

 

「マグルに対しての理解を訴えかけている張本人が、五年も前に使われなくなった古い国名を使い続けているのでは話にならん。カンファレンスが始まる前に『ロシア連邦中央魔法議会』に修正しておく必要があるだろう。」

 

「……まあ、そう言われればそうかもね。」

 

「国境線こそそのままだが、これで一応の体裁は保てるはずだ。……それで、スカーレットの方はどうなっている? こちらは演説の内容を整え、香港やドイツを通じて他国への働きかけを進めつつ、国内の反対派を鎮めているわけだが。まさか何もやっていないわけではないだろうな?」

 

「レミィの方も色々と対策を進めてるらしいよ。細かいことは……ほら、これに書いてあるから読みたまえ。」

 

杖を振って持ってきた羊皮紙の束をゲラートの方に飛ばしてやると、それを見事にキャッチした世紀の大悪党どのは……いいぞ、その顔が見たかったんだ。読み進めるうちにどんどん苦い表情になっていく。この前『ありがたいご指摘』を受けたレミリアの反撃はそれなりに効いたらしい。

 

「……イギリス魔法省では随分とインクの価値が低いようだな。無駄なことばかりが書いてあるぞ。」

 

「おや、奇遇だね。二ヶ月前に同じような台詞をレミィからも聞いた覚えがあるよ。仲が良いようでなによりだ。」

 

ぎろりと睨め付けてきたゲラートの悪態を受け流してやると、お偉い議長どのは大きく鼻を鳴らしてから読み終わった羊皮紙を横に放り投げた。これで『報告バトル』は引き分けにもつれ込んだわけか。第二ラウンドが楽しみだな。

 

「スカーレットは未だ知らないらしいが、カンファレンスの会場は日本に決定済みだ。戻ったら伝えておけ。」

 

「おっと、それは新情報だね。具体的には何処になるんだい? あんな小さい島国に細かい区分があるのかは知らんが。」

 

「離島にあるマホウトコロが場所を貸すらしい。……日本はヨーロッパ大戦の影響が薄く、連盟内での発言力もそれなりに保有している、スカーレットにも俺にも傾いていない中立の場所だ。会場としては妥当なところだろう。」

 

言いながら立ち上がったゲラートは壁に並ぶ備え付けの戸棚の一つを開けると、その中から一冊の薄い冊子を取り出して渡してくる。ほう? どうやらマホウトコロの入学案内のようだ。ページ数もそこそこあるみたいだし、手紙一枚で済ませるホグワーツとは大違いだな。

 

「『善き魔法の在る処』マホウトコロ呪術学院、ね。悪しき魔法使い代表のキミとは相性が悪そうな学校じゃないか。」

 

「それには同意しよう。マホウトコロはダームストラングとは正反対の魔法学校だからな。あの学校では闇の魔術の一切を否定し、善なる魔法との区別を明確にしている。……つまり、七大魔法学校の中で最も『狭量』な学校だ。」

 

「ふぅん? ってことは、善なるダンブルドア閣下は好意的に見ているわけだ。ホグワーツに戻ったら彼にも聞いてみることにするよ。」

 

ダームストラングやカステロブルーシュは闇の魔術を普通に教え、ホグワーツやボーバトン、イルヴァーモーニーは習うべきではないと情報だけを示し、ワガドゥはそもそも区別せず、マホウトコロは完全に否定しているわけか。いやはや、魔法学校も国際色豊かだな。

 

羊皮紙ではなく普通の紙のパンフレットを捲って文化の違いを再確認している私へと、ゲラートは執務机に戻りながら説明を続けてきた。

 

「だが、マホウトコロが中立を宣言した以上は信用できるだろう。これで安全は確保された。ならば、後は俺とスカーレットで各国の『頭』を説得すれば良いだけだ。」

 

「んふふ、どうかな? この機にキミを殺そうとする『英雄志願者』はわんさか出てくると思うよ。あるいは単なる復讐者かもしれんが。」

 

「そう簡単にやられるほど耄碌してはいないし、マホウトコロの校長がそれを許すまい。」

 

「マホウトコロの校長? ……この老婆か。ただの婆さんにしか見えないぞ。」

 

パンフレットの最後のページに校長として載っていたのは、桜色の着物を着た華奢な老婆の写真だ。背筋をきっちり伸ばした姿で、マクゴナガルをちょっと柔らかくしたような雰囲気を感じる。ニコリとこちらに微笑みかけてくる老婆を見ながらの私の疑念に、ゲラートは首を振って解説を寄越してきた。

 

「その女は俺やアルバスと同世代だ。その上、こちらで言う呪文学においてはアジア屈指の名声を誇っている。……詳しくはアルバスに聞け。俺は会ったことがないが、あいつとは知り合いだったはずだ。」

 

「……ホグワーツの変な爺さんといい、ボーバトンの『大きな彼女』といい、魔法学校の校長ってのはどいつもこいつも癖のある存在らしいね。」

 

「でなければ校長など務まらん。特にホグワーツ、マホウトコロ、ワガドゥの三校では現校長が半世紀近くもその座に留まっている。アルバスがヨーロッパで有名なように、アジアやアフリカではそれぞれの校長の名が通っているわけだ。」

 

「うーん、世界は広いね。この数年でそれを実感してるよ。」

 

世界はヨーロッパだけにあらず、か。そりゃあ頭では分かっていたが、実例を目にしてみるとやはり驚くぞ。片手の指で数えられる程度とはいえ、『ゲラート、ダンブルドア並み』の魔法使いは確かに存在しているわけだ。

 

一つ頷きながらパンフレットをテーブルに置いたところで、ずっと黙っていた美鈴が声を上げる。視線を私の糖蜜ケーキに固定したままでだ。

 

「えっとですね、いまいちよく分かんないんですけど……そのカンファレンスとやらで参加者を納得させれば革命完了ってことですか?」

 

「レミィの言によれば、そこまでやってようやく折り返し地点らしいよ。指導者層の理解を得られても、肝心の民衆の考え方を変えないと意味がないからね。」

 

「その通りだ。カンファレンスなど意識革命への足掛かりを得るための場に過ぎん。先ずは比較的知識を持った著名な魔法使いたちを説得して、そこからは彼らの力によって問題を広めていくことになるだろう。『完了』と言えるのはまだまだ先の話だ。」

 

私とゲラートの答えを受けた美鈴は、額に皺を寄せて何かを考えていたかと思えば……やがて小さく肩を竦めて私の置いたパンフレットを読み始めた。思考を放棄したようだ。だったら聞くなよな。

 

しかし……ふむ、日本か。ちょっと興味があるし、付いて行けそうなら私も行ってみようかな。折角あんな面倒くさい言語を習得したのだから、移住前にも使っておかないと勿体無いだろう。帰ったらレミリアと話してみるか。

 

美鈴の読んでいるパンフレットの表紙を横目に、アンネリーゼ・バートリは良い考えだとうんうん頷くのだった。

 

 

─────

 

 

「記憶? なんだそりゃ。」

 

月曜朝の大広間。いつも通りの選択肢盛り沢山な朝食を取りながら、霧雨魔理沙は隣に座るハリーへと問いかけていた。記憶を、『見た』? 面白い表現だな。

 

なんでも昨日の夜、ハリーが校長室でダンブルドアからの個人指導を受けたそうだ。杖魔法を習いながら例の『犠牲問題』について議論を交わしたようだが、結局は決着が付かず先送りになったらしい。

 

そこまではまあ、予想済みの出来事だ。簡単に結論が出る類の議題じゃないし、ハリーとしてもたった一回で終わるとは思っていなかったようで、然もありなんと受け止めていた。

 

今話題になっているのはその後行われたという『思い出話』の方である。私の質問にハリーが答える間も無く、一緒に聞いているハーマイオニーやロンが興味深そうな表情で続いてきた。……ちなみに咲夜はリーゼが城を出ている所為で寡黙気味だ。『お嬢様成分』が足りていないらしい。

 

「映像として見たってこと? 凄いわね。ダンブルドア先生の魔法なの?」

 

「何の記憶……っていうか、誰の記憶だったんだ?」

 

確かにそれも気になるな。私たちから次々と出てくる疑問に苦笑したハリーは、フォークを置いて詳しい解説を寄越してくる。

 

「魔法の道具を使ったんだよ。ダンブルドア先生は『憂いの篩』って言ってた。保存した記憶を水盆に落とすと、水底に記憶が映って……こう、その中に潜っていける感じ。言葉で説明するのは難しいんだけどさ。」

 

「記憶の持ち主の視点になれるってことか?」

 

「そうじゃなくて、僕は僕としてその場に居るんだよ。もちろん記憶の中の人に話しかけたり、物に触ったりは出来ないけどね。記憶の世界に入り込んでる、って言えば分かり易いかな。まるで当時のその場にタイムスリップしたみたいだった。」

 

「それは……凄いな。興味深いぜ。」

 

うーむ、どういうカラクリなんだろうか? 例えば、今の私は背後にあるスリザリンのテーブルを見ることが出来ない。だからそこに誰が居て、何をしているのかは記憶には残らないが……ハリーの説明からするに、そこだけが空白になっているというわけでもないようだ。

 

あるいは記憶の持ち主の状況次第なのかもしれんな。たまたまそういう記憶を見たってことか? 謎の魔道具に関して考えを巡らせる私を他所に、ハリーは水の入ったコップを弄りながら説明の続きを語り出す。

 

「それでね、昨日見せてくれたのはパパやママの入学式の記憶だったんだ。シリウスやルーピン先生も勿論居たし、スネイプ先生とかフランドールさん、それにサクヤのパパとママも居たよ。ダンブルドア先生本人の記憶だったみたい。」

 

ハリーの声を受けて、それまで興味なさそうにしていた咲夜が驚いたように顔を上げる。そっか、全員同級生だもんな。ハリーはあえて省いたようだが、裏切り者の『鼠小僧』もそこに居たはずだ。

 

「私の両親、ですか。」

 

「うん、みんな小さかったから今とは全然違ったけど、フランドールさんとサクヤのママ……コゼットさんはすぐに分かったよ。フランドールさんは見た目が全然変わってなかったし、コゼットさんはサクヤそっくりの綺麗な銀髪だったから。あの頃のサクヤより大人しそうな雰囲気ではあったけどね。」

 

だろうな。私も写真で見たことあるが、咲夜の母親は穏やかで優しそうな印象だった。どちらかといえばキリッとしたタイプの咲夜とはまた違った雰囲気だ。私が分かるぞと大きく頷いていると、ハーマイオニーが柔らかい吐息を漏らしながら言葉を放つ。

 

「良かったわね、ハリー。写真で見るよりも身近に感じられたんじゃない?」

 

「そうだね、見られてよかったよ。ダンブルドア先生は僕が自分のルーツを知るべきだって思ってるみたい。来週末もまたパパやママに関する記憶を見せてくれるんだって。……それでさ、サクヤ。君も一緒にどうかな? ダンブルドア先生に聞いてみたら、構わないって言ってくれたんだよね。」

 

「えっと、私もその記憶を見られるってことですか?」

 

「そうそう。サクヤも僕と同じように写真の中でしか両親のことを知らないわけでしょ? だから動いて、喋ってる姿を見られるのは……あー、良いことなんじゃないかと思って。それにほら、お婆ちゃんも居たよ? テッサ・ヴェイユさん。もしかしたらそっちも見られるかも。」

 

身振り手振りを交えつつ、ハリーは咲夜をどうにかして同行させようとしているようだ。きっと自分の感動を同じ境遇の咲夜と共有したいのだろう。対して我らが銀髪ちゃんは……うーん、困ってるな。ハリーと一緒は気後れするが、両親の姿は確かに見たいってところか? スプーンを持つ手をにぎにぎしながら葛藤している。

 

やがて咲夜は意を決したように口を開くと、チラリと私を見ながら言葉を放った。

 

「だったら魔理沙も一緒に行きましょうよ。それが良いわ、そうしましょう。」

 

「いやいや、なんでだよ。……そりゃまあ興味ないって言ったら嘘になるが、全然関係ない私が見ても仕方ないだろ。そもそも大人数で使えるようなもんなのか? その憂いの篩ってのは。」

 

「んー……ダンブルドア先生を入れて四人でしょ? それならギリギリ何とかなりそうかな。」

 

「ほら、大丈夫じゃないの。……ねえ、お願い魔理沙。一緒に行ってよ。ね?」

 

何が『ね?』だよ。それが効くのはレミリアとリーゼだけだぞ。上目遣いで縋るような目線を向けてくる咲夜に、頭を掻きながら返事を返す。

 

「私は別にいいけどな、結局はダンブルドア次第だぞ。人数の問題だって確実に大丈夫なわけじゃないんだろ?」

 

「でも、大丈夫だと思うよ。次の防衛術でマリサのことも頼んでみるから。」

 

呆れた顔で言う私に対して、ハリーはどこか嬉しそうな表情だ。どうしても咲夜に見せたかったらしい。……改めて複雑な関係性だな。いつもは間に挟まれているリーゼが居ないと、それがより顕著になる気がするぞ。

 

記憶に関しての話が一段落したところで、ちょびっとだけ羨ましそうなロンが話題を変えてきた。彼も興味があるようだが、さすがにハリーや咲夜を優先すべきと考えたらしい。

 

「そういえばさ、次回のビーター選抜は今週じゃなく来週になるみたいだぜ。あと一人確保すればとりあえずは試合が出来るし、応募者が増えるのを待つんだって。」

 

「あら、チェイサーは結局ジニーに決まったの?」

 

サラダにレモンドレッシングをかけながらのハーマイオニーの問いに、ソーセージをもう一本取った私が答える。

 

「ん、決まったぜ。どう考えてもジニーが一番いい動きしてたからな。本人はビーターでも構わないって言ってくれてるんだが──」

 

「ダメだ。絶対ダメ。」

 

「とまあ、こんな感じでロンが止めるからチェイサーで決定さ。先週の選抜で『まとも』だったのはタッカーだけだし、来週に期待するしかないだろうな。」

 

この調子だと望み薄だが。疲れたように言った私の言葉を聞いて、ハリーとロンも深々と頷く。まあ、祈るだけならタダなのだ。だったらせめて祈っとくさ。

 

そのままテーブルの会話が一瞬止まったところで、コーンスープを片付けた咲夜が口を開いた。ちょっと気まずそうな表情だ。

 

「クィディッチの問題もありますけど、先輩たちはハグリッド先生の小屋に行った方がいいんじゃないですか? ……落ち込んでましたよ、ハグリッド先生。みんな飼育学をやめちゃったって。」

 

咲夜のおずおずという提案を受けて、六年生三人組は一気に暗い表情になってしまう。イモリ試験に向けて余計な教科を残せないのは分かるが、確かに一言伝えとくべきだろうな。

 

「……そうね、食べ終わったら行きましょうか。きちんと説明すればハグリッドも分かってくれるはずよ。」

 

「説明以前に、小屋に入れてくれればいいんだけどね。」

 

ハーマイオニーに答えたハリーの懸念に、三人は深くため息を吐く。……ま、多分大丈夫だろ。ハグリッドも頭では理解してるだろうし、許してくれるはずだ。むしろハグリッドに会いに行くにあたって注意すべきなのは、最近柵の近くを通る生徒に角で掬った泥をぶん投げるという遊びを覚えてしまったリッキーちゃんの方だと思うぞ。

 

いきなり食事の進みが遅くなった三人に苦笑しつつ、霧雨魔理沙は遠くにあるデニッシュを取るために手を伸ばすのだった。

 



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大人と子供

 

 

「ふぅん? 憂いの篩ね。……まあ、良いことだと思うよ。ダンブルドアも粋なことをするじゃないか。」

 

一年生の頃からサイズがピッタリなままの保護手袋を嵌めながら、アンネリーゼ・バートリは保護用ゴーグルをかけているいつもの三人に返事を返していた。両親の記憶か。色々と思うところはあるが、どう転んでも悪影響にはならないだろう。

 

昨晩遅くにモスクワからホグワーツに戻ってきた私は、仮眠を終えて一コマ目の薬草学の授業を受けている最中なのだ。温室の中で作業の準備をしながらの三人の話によれば、私が居ない間にダンブルドアが魔道具を使ってハリーに両親の記憶を見せたらしい。

 

ダンブルドアが何を思ってやっていることなのかは知らんが、ハリーにとって良い機会なのは間違いあるまい。明るい表情で賛意を表明した私へと、当のハリーは困ったような顔で説明を続けてくる。

 

「それでね、ダンブルドア先生が今週末も見せてくれるって言うから、ついついサクヤも誘っちゃったんだけど……ダメだったかな?」

 

「ん? 咲夜も一緒に見られるってことかい?」

 

「うん、アレックスさんとコゼットさんも記憶の中に居たんだ。だからサクヤにも見せてあげたくてさ。ダンブルドア先生にはもう了承をもらってあるよ。」

 

「だったらダメもなにもないよ。咲夜本人がオーケーしたなら私に止める権利はないさ。……いやまあ、別に止めようとも思わないけどね。」

 

ふむ、ちょうど良いタイミングなのかもしれないな。あの子はもう少し『ヴェイユ』を知るべきだと考えていたところだ。レミリアは目を背けて見ないフリをしているようだが、咲夜はまだ人間か人外かを明確に選んでいない。このままなし崩し的に幻想郷に連れて行くわけにはいかないだろう。

 

きちんと両方の世界を見せて、その上で咲夜自身に決めさせるべきだ。……あの親バカを説得するのは億劫だが、この辺は一度レミリアと話し合う必要があるな。タイムリミットもあるわけだし、咲夜がこっちに残るのであれば色々と準備する必要が出てくる。近いうちに紅魔館できちんと話すか。

 

親バカと話し合う苦労を思って額を押さえる私に、ゴーグルが大きすぎて隙間が出来てしまっているロンが口を開く。学校の備品はやっぱりダメだな。見た目がかなり間抜けだし、私はゴーグル無しでいこう。

 

「でも、サクヤはリーゼに口を出して欲しいみたいだったぜ? 止める気がないなら背を押してあげた方がいいんじゃないか?」

 

「あの子が頼ってくるのに応えたいのは山々だが、そろそろ咲夜には自分の判断を大事にしてもらいたいのさ。いつまでも私やレミィから言われるがままに動くのは不健全だろう? たまには反抗するくらいになってくれないとね。」

 

『反抗する咲夜』というのは想像するだけでダメージが大きいが、かといって唯々諾々と私たちに従うのは宜しくない。本人がどう思っているかはさて置き、私にとっての咲夜は使用人ではなく娘に近い存在なのだから。

 

悩ましい表情で答えた私に対して、ハリーにマウスピースを渡しているハーマイオニーが肩を竦めてきた。

 

「私から見ればサクヤは割としっかりしてる方だと思うけどね。判断基準が確立してるっていうか、何を重視すべきかをきちんと定めているっていうか……まあ、そんな感じで。」

 

「おや、そうかい?」

 

「あまりにも迷いがないから、逆に危なっかしく見えちゃうんじゃない? あの子の場合、迷う余地がないんじゃなくて迷わず選択しただけなのよ。選択肢そのものは沢山あったんじゃないかしら。」

 

「……うーん、難しいね。アリスの時も色々と悩んだ覚えがあるが、こればっかりは慣れじゃどうにもならなさそうだ。」

 

アリスの場合は……そうだな、親離れのタイミングがいきなりすぎて困った記憶があるぞ。あの子がホグワーツに入学して数年が経った頃、私に対して急に余所余所しく接するようになっちゃったのだ。

 

それまでは時たま無防備に甘えてきてくれたというのに、ある時期を境にそれが無くなったどころか、私が額にキスしようとすると真っ赤になって慌てて離れていくようになってしまった。プライドが邪魔して誰にも相談できなかったが、あの時は物凄く寂しかったぞ。パチュリーやエマに対しては普段通りだったのだから尚更だ。

 

少ししたら大分落ち着いたのだが……今思えば、あれがアリスなりの反抗期だったのかもしれないな。他には反抗らしい反抗もなかったし。子育ての謎について腕を組んで考え込んでいると、三人が何ともいえない表情で私を見つめているのが目に入ってくる。

 

「……何だい?」

 

「いや、そこでマーガトロイド先生の名前が出てくるとは思わなかったから。何かこう、ちょっとビックリしちゃって。」

 

「そういえば、マーガトロイド先生はリーゼの屋敷で育ったんだもんな。それは知ってたんだけど……うん、やっぱり変だ。違和感が凄いよ。」

 

「リーゼとマーガトロイド先生の立場が逆ならしっくりくるのよね。私たちにとって同級生のリーゼが『お母さん』してるのが想像できないし、大人っぽい雰囲気のマーガトロイド先生が『子ども』のイメージも難しいわ。頭がこんがらがっちゃいそうよ。」

 

なんだその理不尽な文句は。口々に意味不明な台詞を寄越してくる三人にジト目を送りつつ、腰に手を当てて反論を言い放った。

 

「キミたちね、アリスこそが私にとっての『娘』なんだぞ。もちろん咲夜も愛しているが、アリスに関しては一人で育てたっていう自負があるからね。」

 

パチュリーや小悪魔、エマなんかはどちらかといえば『妹』に近い感覚で見ている節があるが、私にとってはそうじゃないのだ。そして、私がアリスに向けている感情は咲夜に対するそれともまた違う気がする。

 

二人への愛情に優劣を付ける気は微塵もないが……言うなれば、咲夜が『紅魔館全体で育てている一人娘』なのに対して、アリスは『私個人が庇護すべき存在』ってところか。咲夜に関してはレミリアの親バカっぷりが激しすぎて一歩引いてしまうのだ。咲夜のことは父親の目線で見ていて、アリスは母親の目線で見ているというのが近いかもしれない。

 

形容し難いニュアンスをどう伝えようかと迷っていると、その前にスプラウトの指示が聞こえてきた。どうやら話し込んでいる場合ではなかったようだ。

 

「さあ、ネビルが早くも最初の種を取り出しましたよ! 皆さんも急いで課題に取りかかるように!」

 

スプラウトの指し示す方向に目をやってみれば……やるじゃないか、ロングボトム。顔に擦り傷やら打撲痕やらを作りまくったロングボトムが、誇らしげに高々とグレープフルーツ大の緑色の種を掲げているのが見えてくる。彼はこのところこれまで以上の熱意で薬草学に取り組んでいるのだ。六月の戦いが切っ掛けだったのかは知らないが、何にせよ将来の目標を薬草学に関係することに定めたらしい。

 

「それじゃ、僕たちもそろそろ作業に入ろうか。……最初に僕とロンで触手を押さえ込むから、リーゼとハーマイオニーで種を取ってくれる? ロンもそれでいいよね?」

 

「まあ、そうだな。僕たちの顔がボロボロになっても誰も悲しまないだろうし。」

 

ロングボトムの勇姿を目にして今日の課題……『スナーガラフ』に向き直ったハリーとロンの優しさを受けて、私とハーマイオニーが即座に頷きを返す。一見すると単なる古ぼけた切り株にしか見えないが、スプラウトの説明によれば一度触れると頂点に空いた穴から五、六本の棘だらけの触手が襲いかかってくるらしい。ちなみに目的である種は触手が出てくる穴の中。つまり、忌々しいそれを回収するには触手をどうにかする必要があるわけだ。

 

正直言ってそんなもんで私の肌が傷付くとは思えないが、かといって率先して触れたいものでは当然ない。ここは男を見せてくれた二人に任せることにしよう。か弱いリーゼちゃんはここで応援してるからな。

 

緊張した表情のハリーとロンは切り株を囲むように位置取ると、そのまま息を合わせて飛びかかるが……うーむ、これは時間がかかりそうだな。ハリーは素早く伸びてきた触手にアッパーカットを食らい、ロンは手にしていた剪定バサミを奪われてしまった。想像していたよりも棘が多いし、スナーガラフは手に入れたハサミをぐるんぐるん振り回している。なんとも愉快な植物ではないか。

 

慌ててハサミを取り返そうとしている二人を眺めつつ、隣のハーマイオニーへと声をかけた。ハリーたちの戦いは暫く続きそうだし、忘れないうちに十月の予定を伝えておこう。

 

「ところで、十月の序盤あたりも城を空けることになるかもしれないんだ。今回よりも長くなりそうだから、咲夜のことをよろしく頼むよ。」

 

「もちろん構わないけど、またどこかに行くの? 最近は忙しいのね。」

 

「本決まりじゃないんだが、日本に行くかもしれなくてね。キミも国際カンファレンスのことは知っているだろう? レミィが参加する予定だから、付いて行こうと思ってるんだよ。」

 

ハリーが隙を突いて二つの触手を固結びにしたようだが、結び目がハンマーのようにロンへと襲いかかっている。策が裏目に出たみたいだな。そんな奮闘を横目に言ってやると、ハーマイオニーは少し驚いたように返事を寄越してきた。

 

「あら、会場は日本になるの? だったら何かお土産を頼もうかしら。……それとも、そんな余裕なさそう?」

 

「いや、平気だよ。カンファレンスの少し前に現地に着いて、終わった後も何日か観光に残るつもりだからね。アリスも一緒みたいだし、どうせ買い物には行くことになるさ。」

 

「んー、羨ましい日程ね。それなら色々とお願いするわ。日本製の物はこっちで買うと高くって。……さて、そろそろ手伝いましょうか。うちの騎士さんたちは頼りにならなさそうだし。」

 

「んふふ、そのようだね。危なっかしくて任せておけないよ。」

 

まったく、切り株一つに苦戦するとは何事だ。ハーマイオニーと一緒にやれやれと首を振りながら、触手に翻弄されている二人の援護に入るのだった。よしよし、全部引っこ抜いて単なる切り株にしてやろう。

 

───

 

そして薬草学の授業も終わり、城に戻った私は談話室に向かって一人で廊下を歩いていた。ハリーとロンは昼休みまでクィディッチの練習で、ハーマイオニーは数占いの授業。それぞれ別の予定が入っていたわけだ。

 

うーむ、昼食までどうしようか。まだいい感じの趣味は見つけられていないし、パチュリーを見習って本でも読むか? 生まれた暇をどう潰そうかと考えていると、通り過ぎようとした分かれ道の先から微かに……喧嘩? 怒鳴り声のような物音が聞こえてくる。

 

好奇心に従ってピタリと立ち止まって耳を澄ませてみれば……ふむ、面白そうじゃないか。『マグル生まれ』だとか、『穢れた血』って単語が聞こえてきたぞ。これでスリザリン生が関わってるのは確定だな。ついでに言えば、声の主が時勢を理解できてないアホなのも確定だ。

 

一瞬だけ逡巡した後で、くるりと身を翻して声の出所へと歩き出す。どうせ談話室に戻っても暇になるだけなのだ。だったらいっそトラブルに首を突っ込んでみることにしよう。面倒くさくなりそうならマクゴナガルあたりにぶん投げちゃえばいいわけだし。

 

一つ頷きながらも普段はあまり通らない二階北側の廊下を進んで行くと、怒鳴り声が近付くのと同時に現場の状況が目に入ってきた。人気のない廊下に居るのは蹲っているグリフィンドールの女の子が一人と、それを囲むスリザリンの男子生徒が三人。背丈を見るに全員一年生のようだ。なんだよ、ガキの喧嘩か。期待外れだな。

 

もうこの時点で興味は薄れてしまったが、折角来たんだし一応関わってみるかと足を踏み出そうとしたところで、私とは逆方向からその集団に歩み寄っている人影が視界に映る。おやまあ、こいつも夏休みの間に随分と背が伸びたな。ホワイトブロンドの髪をオールバックに撫で付けた、我らが青白ちゃんのご登場だ。

 

マルフォイの方は私の存在には気付いていないようで、一直線に一年生の集団へと向かって行ったかと思えば……おっと? 意外な展開じゃないか。何故かスリザリンのバカガキどもを叱り始めた。

 

「何をしている、お前たち! 授業はどうした? こんなところで下らないことをしている暇があるのか?」

 

「授業に行く途中で穢れた血を見つけたんです、マルフォイ先輩。だから僕たちで追い出してやろうと思って。こんなヤツ、ホグワーツに相応しくないでしょう?」

 

「内心どう思っているにせよ、時勢を鑑みればそれは大声で喧伝すべき内容ではないな。賢い蛇は寡黙なものだ。お前たちも誇り高きスリザリンの一員ならば、舌は使うべき時に使え。」

 

「でも、でも……こいつはグリフィンドールです! だからどうでも良いじゃないですか。僕たちはちゃんと教師に見られないようにやってます。」

 

なんとまあ、スリザリンは優秀な新人を獲得したようだ。したり顔で言うリーダー格らしきクソガキを見て、マルフォイが疲れたように額を押さえたところで……わざと大きめに靴音を鳴らしながら近寄った私が声を放つ。そら、怖い吸血鬼の登場だぞ。

 

「んふふ、懐かしいね。同じような台詞を私が一年生の頃にも聞いた気がするよ。……久し振りじゃないか、マルフォイ。最近は構ってくれない所為でハリーが悲しんでたよ?」

 

「……これは、バートリ女史。ご無沙汰しております。」

 

「おお、ゾワっとするね。……薄気味悪い敬語はやめたまえ。キミの立場はレミィから聞いているが、あからさま過ぎるとかえって嫌味だぞ。これまで通りで結構だ。」

 

「では、そうさせてもらおう。」

 

うーん、変わったな。父親が死んだからか、当主になったからか、それともリドルが失脚したからか。何にせよマルフォイはプライドよりも建前を優先できるようになったらしい。必要ならば私相手にでも媚びへつらうわけだ。

 

しばらく見ない間に大人になっちゃった青白ちゃんに苦笑していると、リーダー格のクソガキが私に向かって文句を飛ばしてきた。私のことを知らんのか、こいつは。

 

「お前もグリフィンドールか? 下級生の癖してマルフォイ先輩に失礼だぞ。」

 

「これはこれは、驚いたね。キミは今のやり取りを聞いて何か違和感を感じなかったのかい? 一年生にしたって察しが悪すぎると思うよ。……まさか、脳みそを家に忘れてきたとか? それは大変だ。早く両親に手紙を書いて届けてもらいたまえ。空っぽの頭で字が書ければの話だが。」

 

憎ったらしいガキの台詞を受けて、大人気なく十倍くらいの皮肉を返してやると、みるみるうちに顔を真っ赤にしたクソガキは……おや、蛇寮にしては勇敢じゃないか。杖を抜いてこちらに向けてくる。

 

ふふん、とにかくこれで『正当防衛』は成立だな。五百歳と十一歳だろうが法は法。『命の危険』がある以上、杖を向けられたら反撃せねばなるまい。私は順法精神溢れる善良な吸血鬼なのだ。ユースティティアの加護は我にあり。

 

ムーディを見習ってイタチに変えてやろうと最速で呪文を放つと、慌てて間に割り込んできたマルフォイが無言呪文でそれを防ぐ。成長したな、青白ちゃん。

 

「……正気か? バートリ。相手は一年生だぞ。」

 

「『うちの寮生を苛めていたスリザリンの』一年生だろう? 私がお優しく諭してあげるとでも思ったのかい? 残念ながら私はハーマイオニーとは違うんでね。愛すべき目玉グルグル人間と同じく、身体で覚えさせるタイプなのさ。」

 

ニヤニヤ笑いながら杖を振ってそこを退けと伝えてみると、マルフォイは呆れたような表情で返答を寄越してきた。彼は私よりも大人なようだ。

 

「僕がきちんと言い聞かせておく。苛めのことも、お前のこともな。それで充分だろう?」

 

「どうかな? 私にはそうとは思えないけどね。……ま、いいさ。スリザリンの監督生どのの手腕に期待してあげよう。ただし、次に同じようなことをしたら容赦しないよ?」

 

「分かっている。……行くぞ、お前たち。口は閉じたままでだ。これ以上問題をややこしくしないでくれ。」

 

むう、不完全燃焼だな。今日の私はイタチを振り回したい気分だったんだが。困惑顔のクソガキ三人組を引き連れたマルフォイは、結構な早足で廊下の奥へと消えて行く。一刻も早く悪しき吸血鬼から下級生たちを引き離すべきだと考えたようだ。

 

それに鼻を鳴らした後で、ずっと隅っこで蹲っていたグリフィンドール生へと近付いてみると……あー、誰だっけ、こいつ。アーモンド色の子猫ちゃん。リヴィングストンだったか?

 

「やあ、リヴィングストン。災難だったね。大丈夫かい?」

 

しゃがんで声をかけてみると、リヴィングストンは目尻に涙を浮かべながら小さく頷いてきた。手には母親が縫ったらしい手作りの鞄が握られていて、辺りには教科書が散乱している。破かれちゃったのか?

 

「ほら、泣いてたら可愛い顔が台無しだぞ。鞄を破かれたのかい? 見せてごらん。直してあげるから。」

 

どうやら組み分け帽子は今年も盛大な間違いを犯したようだな。こいつは仲良しこよしのハッフルパフに入れるべきだったと思うぞ。制服の袖で涙を拭いながら問いかけてやると、リヴィングストンは目を瞑ってされるがままになった後、再び頷いて鞄を差し出してくる。なるほど、『だんまりタイプ』か。

 

レパロ(直れ)。……そら、これで元通りだ。他に壊された物は?」

 

修復呪文で手早く鞄を直した後、杖を振って教科書を集めながら質問を送ってみれば、リヴィングストンはふるふると首を振ってからか細い声でお礼を言ってきた。これはまた、昔のパチュリーが『大声』に思えるような声量じゃないか。

 

「……ありがとう、ございます。」

 

「まあ、同じ寮だしね。別に構わないさ。……それより、早く次の教室に行った方がいいと思うよ。授業はもう始まっちゃってる時間だぞ。」

 

肩を竦めて言ってやると、リヴィングストンは……何だ? 私の制服の袖を掴んで何かを訴えかけてくる。いやいや、喋ってくれよ。黙ってたら何も分からんぞ。

 

「何だい?」

 

笑顔の仮面を被ってなるべく優しい声で聞いた私に、リヴィングストンは袖を握ったままの上目遣いでポツリと自身の要求を呟いた。

 

「あの……教室まで、一緒に。呪文学です。」

 

「……いいけどね、暇だし。」

 

面倒くささと上級生としての自覚、呆れと庇護欲。それらを載せてみた結果ギリギリ承諾に傾いた天秤に従って、リヴィングストンと一緒に呪文学の教室に向かって歩き出す。こいつ、こんな調子でこの先大丈夫なんだろうか? ルーナのように割り切っているわけではないようだし、気弱さもロングボトムが一年生の頃より酷いぞ。

 

うーむ、こんなことなら無視して談話室に戻っておくべきだったな。ちょっとだけ嬉しそうな顔で付いてくる子猫ちゃんを尻目に、アンネリーゼ・バートリは小さくため息を吐くのだった。

 



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憂いの篩

 

 

「あんなに馴れ馴れしくしちゃって、一体全体何様のつもりなのかしら? 信じられないわ。お嬢様が嫌がってるのなんて一目瞭然でしょう? それなのに……無礼よ! 無礼!」

 

ぶつくさ文句を喚く咲夜の背に続きながら、霧雨魔理沙は呆れ混じりの苦笑いを浮かべていた。嫉妬ってのはやっぱり怖いな。私も気を付けることにしよう。

 

九月三週目の土曜日、いよいよ校長室に『記憶』とやらを見に行く日になったのだ。木曜日に空き教室で行なわれたハーマイオニーの成人記念パーティーには上機嫌で参加していた咲夜だったが、今は不機嫌を体現したかのような有様になっている。近くに私しか居ないから取り繕うのをやめたのだろう。

 

もちろん咲夜はロンが真っ赤な顔でハーマイオニーに腕時計をプレゼントしたことに怒っているわけではなく、リーゼがキザったらしい台詞付きで指輪を贈ったことが原因でもない。……いや、あるか? まあ多分そうではなくて、彼女の苛々の根源は我が寮の気弱な一年生、アレシア・リヴィングストンにあるのだ。

 

どうもリヴィングストンは頻繁にスリザリン生に苛められていたようで、偶然通りかかったリーゼが気まぐれにそれを助けたらしい。結果として刷り込みを受けたヒナのように、穢れを知らぬ一年生は邪悪な吸血鬼に懐いてしまったというわけだ。

 

リーゼの袖を掴んでちょこちょこ付いてくるリヴィングストンは……何というか、一年生にしたってちょっと幼い雰囲気だった。話を聞くにやっぱりマグル生まれだったようだし、慣れない魔法界で余程に心細かったのだろう。リーゼが一人になるとそそくさと近寄って、私たちには聞こえないか細い声で話しかける、というのが最近の日常になっている。

 

そして当然、それを見た『お嬢様中毒者』たる咲夜が良い気分になるはずもなく、日を追うごとにその不機嫌度合いが増しているわけだが……リーゼやレミリアが関わるとガキに戻っちゃうな、こいつは。十一歳の女の子に嫉妬してどうすんだよ。

 

奇妙な状況に頭を抱えつつ、荒々しい歩調で三階の廊下を進む咲夜へと声をかけた。

 

「大目に見てやれよ、リヴィングストンはまだ一年生なんだから。特に今は環境が変わったばっかりで不安な時期だろ? 放っておいても少しすれば落ち着くって。」

 

「ほら、そういうの! そういうのが気に入らないのよ。ハーマイオニー先輩も、ロン先輩も、ポッター先輩も、それに貴方も! 一年生だからって何でもかんでも許しちゃって。甘やかすとロクなことにならないんだからね。」

 

「いやまあ、それをお前が言っても説得力ないけどな。……何にせよ、リーゼだって嫌ならはっきりそう言うだろ? あいつは一年生だからどうこうって我慢するようなタイプじゃないはずだ。それなのに追い払わないってことは、あいつも許可してるようなもんじゃんか。」

 

「違うわよ! リーゼお嬢様は大人だから仕方なく我慢してるの。そうに違いないわ。」

 

それだけは絶対にないと思うぞ。たとえハイハイすら出来ない乳児相手だろうが、リーゼは身内以外に対してなら無慈悲にノーを叩き付けるはずだ。分かってるくせに認めようとしない咲夜にやれやれと首を振ったところで、目的地である巨大なガーゴイル像の前にたどり着く。

 

「ま、その話は後にしようぜ。今は『記憶』に集中すべきだ。リーゼだって好きにしろって言ってくれたんだろ?」

 

「それは……そうだけど。」

 

「だったらしっかり切り替えとけよ。こんな機会滅多にないんだからさ。……ペロペロ酸飴。」

 

事前にハリーから教えてもらった合言葉を告げてみると、命を吹き込まれたガーゴイル像は素早い動きで道を空けた。覚え易くて素晴らしいな。ノーレッジの時よりセンスのある合言葉に感心しつつ、現れた螺旋階段を下って行く。

 

「だけど、今回は誰の記憶なのかしらね? ……というかそもそも、記憶ってどうやって手に入れるの? 脳みそを切り取るとか?」

 

「んなわけないだろ。ダンブルドアが誰かの脳みそを切り取ると思うのかよ。ハーマイオニーによれば、そのための魔法があるんだとさ。」

 

後でそれも調べとかないとな。『記憶』ってのは中々興味深い分野だし、利用方法も色々とありそうだ。二人で話しながらも見えてきた古オークのドアをノックしてみれば、中からダンブルドアの深い声が聞こえてきた。

 

「お入り、二人とも。」

 

「失礼します、ダンブルドア先生。」

 

「おっす、来たぜ。」

 

ドアを抜けた咲夜がペコリとお辞儀しながら挨拶したのに続いて、私も軽く手を上げて言葉を放つ。……うーむ、ソファに座るハリーが苦々しい表情なのを見るに、今日の話し合いでも確たる結論は出なかったようだ。『犠牲問題』の解決はお預けだな。

 

まあ、その辺は私が口を出すべきことじゃないさ。部屋の奥で居眠りしている不死鳥を眺めながら考えていると、ダンブルドアが杖を振って壁際の戸棚を開きながら声を上げた。

 

「さてさて、それでは早速『思い出話』の準備をしようかのう。ハリーから既に聞いているはずじゃが、これから特殊な道具を使って過去の世界を覗き見ようと思っておる。言わずもがな、ハリーと咲夜の両親に関する記憶じゃ。」

 

「分かっちゃいたが、私はちょっと場違いってこったな。」

 

「ほっほっほ、わしとてそうじゃよ。しかしながら、魔理沙よ。役立つ知識というのは思わぬところから手に入るものなのじゃ。もしかすると、君にとっても得られるものがあるかもしれないよ?」

 

「だったら嬉しいんだけどな。……ま、過去の記憶とやらに興味があるのは間違いないし、見せてくれるってんならありがたく見物させてもらうぜ。」

 

苦笑しながら返答を口にして、ダンブルドアが美しい彫刻の入った半円形の戸棚から出した魔道具に近付く。これが『憂いの篩』か。持ち手のないゴブレットのような形をした大きな石造りの水盆で、カップ型の上部は土台から離れて宙に浮いている。私の胸ほどの高さにあるカップ部分を覗いてみれば、どうやら内側だけが銀製になっているようだ。見るからに魔法の道具って感じの代物だな。

 

もう一度杖を振って憂いの篩を少し手前に移動させたダンブルドアは、周囲に集まった私たちに懐から取り出した小瓶を見せてきた。光る銀色の……糸? のようなものが中に入っている。

 

「これが今日君たちに見せようと思っている記憶じゃよ。」

 

「前回はダンブルドア先生の記憶でしたけど、今回もそうなんですか?」

 

「いいや、今日の記憶はわしのものではない。君から咲夜も一緒にとの提案を受けた後、手紙で頼んで送ってもらったのじゃ。……これはフランドールの学生時代の記憶じゃよ。」

 

ハリーに答えたダンブルドアから出てきた名前に、私たち三人ともが驚きを顔に浮かべた。フランドール・スカーレットか。意外な名前が出てきたな。

 

「咲夜のためってんなら一応は納得だが、フランドールが困るんじゃないのか? 記憶が失くなっちゃうってことなんだろ?」

 

フランドールとは一年生の頃に話したっきりだが、咲夜の話と合わせれば学生時代のことを大切に想っているのは明らかだ。そう易々と貴重な記憶を渡すか? 生じた疑問を口に出してみると、ダンブルドアは柔らかく微笑みながら説明を寄越してくる。

 

「おお、その心配は無用じゃ。抜き出した記憶は失くなったりしないからのう。無論、自身の記憶を封じ込める目的であればその限りではないのじゃが、今回のこれは言わば……そう、コピーじゃよ。フランの方にも同じ記憶がきちんと残っているはずじゃ。」

 

「へえ? ……面白い仕組みだな。だったら色んなことに利用できそうじゃんか。裁判とか、授業とか、上手くすれば娯楽にだって。」

 

「実にスマートな意見じゃが、残念なことに現存する憂いの篩はここにある一つだけでのう。製法も失われておるし、手広く利用することは出来ないのじゃ。……更に言えば、卓越した開心・閉心術師であれば見せたくない記憶を守ったり、ともすれば偽の記憶を創り出すことも不可能ではない。魔法界では記憶とて確実なものとは言えないのじゃよ。」

 

「んー、ますます面白いな。『偽の記憶』か。」

 

ダンブルドアの言い方からすればかなりの難易度を誇る技術のようだし、単に偽の情景を思い浮かべるってわけではないのだろう。記憶という新たな分野に思いを巡らせていると、隣の咲夜が肘で脇腹を小突いてきた。

 

「貴女ね、考えるのは後でも出来るでしょう? それより早く妹様の記憶を見てみましょうよ。折角送ってくださったんだから。」

 

「ま、そうだな。そうすっか。」

 

ふむ、憂いの篩を挟んだ向かいのハリーもやけにソワソワしているようだし、私の疑問は後回しにしておくか。肩を竦めてから手でダンブルドアを促してやると、校長閣下はクスクス笑いながら小瓶の中の記憶を杖で掬い取り、それをふわりと水盆の中央に投げ込んだ。

 

途端に青白く光る靄が水面から漂い始めたかと思えば、中の液体がじわじわと銀色に変わっていく。どことなく神秘的な光景に息を呑んでいると、ダンブルドアが静かな声で私たちに指示を送ってきた。

 

「三人とも、もう少し近付いてくれるかね? 引き込まれるような感覚に身を委ねるのじゃ。」

 

『引き込まれるような感覚』ね。本に集中する時みたいな感じか? その言葉に従って、顔を水面に近付けてみれば……うーん? モヤモヤでよく見えないが、水底に何かが映ってるような気がするな。不思議に思いながらも、もっとよく見ようと更に身を乗り出すと──

 

 

「──なんだから、次からはやったらダメだよ? フラン。」

 

「んー、それは分かってるんだけどさ。ジェームズが大丈夫だって言ったんだもん。」

 

「何度も言ってるでしょ? ポッターたちの言葉を安易に信じちゃ、ダメなの! 彼の言う『大丈夫』は、大抵の場合『減点される』って意味なんだから。」

 

……なるほど、これは確かに『記憶の世界に入り込む』って表現が相応しいな。まるで夢の中で唐突に場面が切り替わった時のように、ふと気付いた時にはもうホグワーツの教室らしき室内に立っていた。目の前の席では今と少しデザインの違う制服姿のフランドールと、咲夜そっくりの女の子が授業の準備をしながら話している。

 

「……お母さん?」

 

いつの間にか隣に立っていた咲夜が呟くが、銀髪の女の子……コゼット・ヴェイユはこちらに応えることなく、インク壺や羊皮紙なんかを机に並べながら会話を再開した。うーむ、ちょっとだけ切ない気分になるな。記憶はあくまで記憶。未来から覗き見ている私たちは傍観者でしかないわけだ。

 

「とにかく、あの四人組とはあんまり関わらない方が──」

 

「おいおい、ヴェイユ。ひどい台詞じゃないか。俺たちは正義の名の下にいじめっ子どもを懲らしめただけだぞ? ……よう、ピックトゥース。調子はどうだ?」

 

「やっほ、パッドフット。まあまあかな。……っていうか、また髪型変えたの? 今回のはなんかバカっぽいよ。前のに戻したら?」

 

「これが今の流行りなんだよ。お子ちゃま吸血鬼には分からんか。」

 

いきなり割り込んできたのは……ブラックか? 当然っちゃ当然だが、今とは全然違う見た目だな。まだ少年のあどけない雰囲気が残るブラックに続いて、背後に立つ三人の男子生徒も会話に入ってくる。

 

「僕から見てもバカっぽいけどね。長すぎて邪魔じゃないのか? それ。せめて後ろで縛るべきだぞ。その方がクールだ。」

 

「クールかどうかはさて置き、バカっぽいっていうのは僕も同感かな。海藻を被ってるみたいだと思うよ。水中人のガールフレンドでも出来たのかい?」

 

「僕はいいと思うけど……うん、みんなが言うならダメなのかも。戻した方がいいんじゃないかな? パッドフット。」

 

「なんとまあ、嘆かわしい連中だな。我が悪友たちはお洒落ってものを理解できないらしい。センスがあるのは俺だけか?」

 

つまり、こいつらがジェームズ・ポッター、リーマス・ルーピン、そしてピーター・ペティグリューの若かりし頃ってわけだ。興味深い表情で『じゃれ合い』を眺める私たちに、少し離れた場所に立つダンブルドアが解説を寄越してきた。

 

「三年生の春の記憶じゃよ。五人がこの名で呼び合っているということは、既に彼らは動物もどきの技術をある程度習得していたということになるのう。……ううむ、脱帽じゃな。」

 

そういえばそういうことになるのか。……今の私よりも年下なのに動物もどきね。よく考えたら凄い連中だな。ダンブルドアの説明に感じ入っている私たちを他所に、やり取りを終えたらしい男子生徒四人組はフランドールの後ろのテーブルに移動する。

 

それをジト目で見送ったコゼット・ヴェイユは、フランドールに向かって再び注意を投げ始めた。面倒見の良い優しいお姉さん、って感じの雰囲気だな。後輩に嫉妬する咲夜とは大違いだぞ。

 

「ああいう悪い人に関わると悪い子になっちゃうんだからね? ただでさえフランは純粋なんだから、もっと気を付けないとダメだよ。」

 

「フラン、純粋なの? 昨日管理人室に糞爆弾を投げまくったのに?」

 

「ほら、そういうの! そういうのがダメなんだってば。どうせ言い出したのはポッターかブラックでしょ?」

 

「シリウスだよ。湿気ってきたから全部使っちまおうぜ、って。」

 

うーん、学生時代のブラックたちは双子とどっこいのことをしてたようだ。あんまりな返答に額を押さえたコゼット・ヴェイユは、クィディッチ談義で盛り上がっている後ろのテーブルに振り向いて文句を飛ばす。

 

「ちょっとブラック? フランは貴方たちと違って年頃の女の子なんだから、変な物を扱わせないでよ。」

 

「変な物って? 具体的に言ってくれないと分からないな。」

 

「……そういうところが『顔以外』を重視するまともな女の子に嫌われる原因なんだからね。もし水中人以外をガールフレンドにしたいなら、もう少しデリカシーを身に付けた方がいいわよ、ワカメ頭さん。」

 

冷たく言い放ったコゼット・ヴェイユにブラックが引きつった表情を浮かべたところで、教室のドアが開いて教師らしき女性……おお、写真で見たことのある咲夜のお婆ちゃんだ。テッサ・ヴェイユが入室してきた。こっちから見ると三代揃い踏みだな。

 

「はーい、席に着いてねー。オスカー、食べ物を教室に持ち込まないように。オリヴィア、ペットもよ。……さてと、前回出した宿題を忘れてきた子は居ないでしょうね? 回収するから机の上に出して頂戴。」

 

慣れた様子でサクサク授業を開始したテッサ・ヴェイユの指示に従って、大半の生徒が宿題とやらを机に出すが……フランドールのは傍目にも短い羊皮紙だし、ジェームズ・ポッターとブラックに関してはそもそも出していない。しまったという表情を浮かべてルーピンとペティグリューを睨んでいる。

 

「おい、ムーニー。どうして宿題のことを教えてくれなかったんだ? そこのワカメ頭君はともかく、教えてくれれば僕はやったぞ。」

 

「それはだね、我が友よ。君たちに宿題のことを記憶できる程度の能力があると信じていたからさ。先週あれだけしつこく言われたのに、何をどうすれば忘れることが出来るんだい?」

 

「仕方ないだろ? 僕たちには記憶すべきことが他にも沢山……あー、ヤバいな。エバンズが怒ってる。見てみろよ、パッドフット。こっちを睨んでるぞ。」

 

「嫌だね。石頭の優等生様を見たって楽しい気分にはならないはずだ。だったら見ない。それが賢い選択だろ?」

 

ブラックとコソコソと話し合うジェームズ・ポッターの視線を辿ってみると、不機嫌そうな顔でこっちを睨んでいる綺麗な赤褐色の髪の女の子が目に入ってきた。あれがリリー・ポッター……っていうか、この時点ではリリー・エバンズか。ややこしいな。

 

私が生真面目そうな女の子を見ている間にも、事態はどんどん進行していく。杖を振って羊皮紙を集めたテッサ・ヴェイユは、腰に手を当てて悪童二人の方に詰問を放った。

 

「それで、今日の言い訳は? 一応聞いてあげるから言ってみなさい。」

 

「あーっと……僕はその、クィディッチの練習が忙しくて。ヴェイユ先生だってグリフィンドールに優勝して欲しいでしょう?」

 

「俺は……まあ、無駄な足掻きはしないさ。もう言い訳のストックが無いしな。」

 

なんとか言い訳を絞り出したジェームズ・ポッターと、カッコつけてカッコ悪いことを言ったブラックの言葉を聞いて、テッサ・ヴェイユは呆れ果てたような声色で減点を宣言する。そりゃそうだろ。もうちょっとマシな言い訳はなかったのかよ。

 

「はいはい、二人まとめてグリフィンドールから十点減点。……言っとくけど、もちろん宿題は消えて無くなったりしないからね? 今日のと合わせて次回にきっちり提出すること。……それじゃ、授業を始めよっか。今日の内容は魔法力への抵抗を持つ闇の生き物についてよ。学期末試験にも、二年後のフクロウ試験にも出てくる内容だからちゃんと覚えるように。」

 

「マジかよ、血も涙もないな。お前のとこの『お母上様』といい勝負じゃないか?」

 

「残念ながら、我が愛すべき母上どのは血と涙に加えて常識と分別もないからな。まともな人間じゃ勝負にならないさ。」

 

大して気にしてない様子の悪童たちは、そのまま取り出したくしゃくしゃの羊皮紙に授業の内容を書き取ろうとするが……小鳥の形をした折り紙がジェームズ・ポッターの頭に舞い下りたかと思えば、物凄い勢いで脳天を突き始めた。授業中にこっそり送る手紙か。この辺は今と変わらないな。

 

「何だよ、一体誰が──」

 

小鳥を捕獲して開いた途端に苦い顔になったジェームズ・ポッターの後ろに回って、ハリーと共に文面を覗いてみると……ふーん? どうやらこの時期の二人はまだ仲が良くなかったらしい。

 

「『もし僅かにでも良心が残っているなら、これ以上グリフィンドールの点を減らさないで頂戴。L.E.より、大間抜けの目立ちたがり屋さんへ』か。……結構キツいこと書くじゃんか、お前の母ちゃん。」

 

「あー……二人が仲良くなったのは上級生になってからだったみたい。この頃はちょっと嫌われてたのかも。」

 

「『ちょっと』?」

 

手紙を読むジェームズ・ポッターに対して明らかな軽蔑の目線を向けているリリー・エバンズを指差してみると、ハリーは自信のなさそうな顔で黙り込んでしまった。……ただまあ、二人がいずれ仲良くなるってのはハリーの存在によって証明されている。心配することはないはずだ。ないよな?

 

かなり落ち込んだ表情のジェームズ・ポッターを横目に考えていると、コゼット・ヴェイユに顔を近付けてジッと見ている咲夜の姿が目に入ってきた。ハリーがこっちのやり取りを気にしているように、咲夜は自分の母親のことが気になるらしい。

 

「フラン? 間違っちゃってるよ、そこ。クィンタペッドは四本脚じゃなくて五本脚。」

 

「でもでも、元々は人間なんでしょ? 余計な一本はどこから出てきたの?」

 

「それは……私も分かんないけど、そういう呪いを受けたんじゃない?」

 

「うぅー、直すのめんどくさいなぁ。フラン、羊皮紙削るの苦手だよ。すぐビリってなっちゃうんだもん。」

 

ふくれっ面で間違い箇所を修正し始めたフランドールに、コゼット・ヴェイユは優しげな笑みを浮かべて提案を送る。

 

「それじゃあ、今度のホグズミード行きの時に消せるインクを買いに行こっか。私も色インクを補充しないとだし。」

 

「ん、行く! いつだっけ? 今週末?」

 

「もう、せっかちさんだなぁ、フランは。もうちょっと先だよ。イースター休暇の最後の方。」

 

「そっか、イースター休暇ももうすぐなんだ。……楽しみだね、コゼット。」

 

……こうして見ると、一番変わったのはフランドールなのかもしれないな。見た目こそ今と同じだが、発する雰囲気は正反対だ。昔の天真爛漫とした太陽のようなフランドールと、今の謎めいた月のようなフランドール。

 

きっと成長せざるを得なかったのだろう。望む、望まぬに関わらずだ。私に置き換えてみれば、咲夜を喪ったようなもんなのだから。……アリスも、フランドールも、こういう過去を背負って生きてきたわけか。

 

滅多に見せない切なげな表情で母親の姿を眺める咲夜を前に、霧雨魔理沙は深々と息を吐くのだった。

 



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ビーター

 

 

「あの……これ。上手く出来ました。」

 

おずおずと天文学の課題らしき天体図を差し出してくる子猫ちゃんを前に、アンネリーゼ・バートリは苦笑いで小首を傾げていた。上手く出来たのは結構だが、何故それを私に渡してくるんだ。シニストラに見せればいいだろうに。

 

九月も終わりが見えてきた今日、夕食後の談話室でのんびり過ごしていた私の下に、リヴィングストン……アレシアが近寄ってきたのだ。この子は最近事あるごとに謎の『報告』を寄越してくるのだが、今回のそれは天体図らしい。

 

几帳面に纏められた九月の夜空を受け取って、アレシアに向かってぼんやりとした感想を放つ。何を言えっていうんだよ。私は天文学者じゃないんだぞ。

 

「あー……そうだね、綺麗に纏まってると思うよ。一年生にしては上出来なんじゃないかな。」

 

「……はい。」

 

ソファに身を埋める私の適当な評価を聞いたアレシアは、嬉しそうに頷くとそのまま隣に座り込んでしまう。膝を抱えた独特な座り方でだ。……うーん、またしても謎。口数が少ないというのも影響して、子猫ちゃんの行動は意味不明なことが多い。普通に座ればいいじゃないか。

 

無言で満足そうにしているアレシアを怪訝な思いで眺めていると、目の前のテーブルで数占いの宿題を片付けていたハーマイオニーが声をかけてきた。ちなみに他の四人も一緒だ。呪文学のレポートを仕上げているハリーとロンはまたかという苦笑で、ひらひら花と悪魔の罠の違いを纏めている魔理沙は疲れたように額を押さえ、悲哀薬の調合手順を調べている咲夜は苛々と膝を揺すっている。どうしたんだ? 悲嘆草のエキスを入れる手順が分からなくなったとか?

 

「綺麗に描けたから見せたかったのよね? アレシアは。」

 

おいおい、この子は十一歳の女の子だぞ。ネズミを捕ってきた毛玉に対するのと同じ態度で話しかけるハーマイオニーに呆れていると、当の子猫ちゃんは口を噤んだままでこっくり頷いた。ふむ、ハーマイオニーとは何とかコミュニケーションを取れるようになってきたな。最初の頃は全然ダメだったのだが、監督生どのの必死の頑張りが功を奏したようだ。

 

そしてアレシアの静かな返答を受け取ったハーマイオニーは、どうだとばかりにハリーとロンの方にしたり顔を向けている。警戒していた子猫ちゃんを懐かせることに成功して嬉しいのだろう。だったらいっそ引き取ってくれよ。私は苦手だぞ、こういう気弱なタイプは。

 

レミリアしかり、パチュリーしかり、美鈴しかり……というかまあ、紅魔館の連中は全員そうだが、多少図太いヤツの方が付き合っていて楽なのだ。ハリー、ハーマイオニー、ロンもどちらかといえばはっきりものを言うタイプだし、魔理沙なんかは言わずもがな。一年生の頃のアリスや咲夜にしたって気を遣いながらも要求はきちんと伝えてきた。

 

だがアレシアは……扱い難いな。慕ってくれるからには無下に突き放せないが、引っ付かれっぱなしってのは普通に邪魔くさい。ハーマイオニーは今だけ大目に見てあげなさいと言うものの、さすがにそろそろ『外の世界』に解き放ちたくなってきたぞ。

 

厄介な状況に内心でため息を吐きながら、アレシアに向かって質問を送る。現状確認をしてみようじゃないか。

 

「それでだ、アレシア。ホグワーツでの生活も一ヶ月が過ぎようとしているわけだが、授業の調子はどうなんだい? 友達は?」

 

何故こんな親みたいな質問をしなければいけないのかと呆れながら放った問いかけに、アレシアはいつものか細い声で答えてきた。

 

「友達はアンネリーゼ先輩だけです。授業もあんまり……上手くいってない、かもしれません。だけど、飛行訓練だけは褒められました。フーチ先生が点数を沢山くれたんです。」

 

「ふぅん? 飛行訓練ね。箒が得意なわけだ。」

 

ナチュラルに『友達』から省かれたハーマイオニーがショックを受けているのを横目に聞いてやれば、アレシアは珍しく自信ありげな表情で首肯してくる。

 

「得意、みたいです。」

 

「いいじゃないか。誰か話しかけてこなかったのかい? 私からすれば意味不明だが、箒の扱いが上手いヤツは大抵注目されるもんだしね。」

 

どこぞの生き残った男の子や、金髪魔女見習いがそのことを証明済みだ。首を傾げながらの私の疑問に、アレシアは途端に沈んだ顔になって返事を寄越してきた。

 

「声は……かけられましたけど、きちんと受け答えが出来ませんでした。その、緊張して。そしたらみんな、『怖がらせてごめんね』って離れて行っちゃったんです。」

 

「……なるほどね。」

 

まるで『気弱版パチュリー』みたいな逸話じゃないか。ただまあ、我が家の司書どのと違って一応友達を作りたいとは思っているわけだし、同じ寮の同級生から嫌われているわけでもないようだ。落ち込んだ表情で自分の膝に顔を埋めるアレシアを見て、どうしたもんかと腕を組んで考えていると……話を盗み聞いていたらしい魔理沙が薬草学の宿題を放り出して近付いてくる。嫌な予感がするタイミングだな。

 

「アレシアは飛ぶのが上手いのか? どんくらい? クィディッチに興味は?」

 

「キミね、まさかアレシアをビーターにスカウトするつもりかい? 絶対に無理だぞ。人には向き不向きってものがあるんだ。」

 

「最悪チェイサーでもいいさ。私かケイティ、もしくはジニーがビーターをやるから。……もう四の五の言ってられるような状況じゃないんだよ。人並み以上に飛べるなら誰だって大歓迎だ。」

 

「……いよいよ切羽詰まってきたわけだ。」

 

ジニーの名前が出たのにロンが黙っているのがそれを証明しているな。兄バカが主張を曲げるほどにチームの人材不足は深刻らしい。勢いよく詰め寄ってくる魔理沙に驚いて私の背中に身を隠したアレシアは、ひょこりと顔だけを出して返答を呟いた。もうこの時点で向いてないのは分かるだろうに。

 

「あの……無理です。怖いです。」

 

「そんなこと言わずに選抜試験だけでも参加してみろよ。もし一年生でレギュラーになれれば、みんな羨ましがって話しかけてくるぜ? それにほら、私もハリーもロンも選手だしさ。知ってるヤツが居れば怖くないだろ?」

 

「怖いと思うけどね。特にロンなんかはむしろマイナスじゃないのか?」

 

ハリーのことはそうでもないようだが、アレシアはロンを明らかに怖がっているのだ。どうやら歓迎会の一件が未だに尾を引いているらしい。肩を竦めながら突っ込みを入れて、言葉を発さなくなった子猫ちゃんの方に目をやってみれば……おお? 意外にも迷ってる感じだな。ギュッと掴んだ私の腕を見つめながら、葛藤しているような表情を浮かべている。

 

「おや、その気があるのかい? アレシア。」

 

「……箒で飛ぶのは気持ち良かったんです。でも、フーチ先生が一年生にクィディッチは早いって。」

 

「ハリーも私も一年の頃からやってるし、新しく入ったビーターは二年生だ。そんなことないと思うぜ。フーチのは……あれだ、一年生が調子に乗らないようにって警告みたいなもんだよ。単なる恒例行事さ。」

 

まあ、ギリギリ嘘ではないな。真実とも言い難いが。好機とばかりに説得を仕掛けてきた魔理沙に続いて、事態を静観していたハリー、ハーマイオニー、ロンも介入してきた。咲夜だけが押し黙ったまま宿題に没頭しているようだ。うむうむ、真面目なのは良いことだぞ。

 

「不安な気持ちは分かるけど、興味があるならチャレンジしてみたら? 僕たちも出来る限り協力するから。」

 

「そうね、私も良いことだと思うわ。アレシアは友達を作りたいんでしょう? 得意なことを切っ掛けにすれば色々と上手く進むんじゃないかしら?」

 

「そうだな、うん。僕もほら、歓迎会の時は変な冗談を言っちゃったけど、クィディッチは本当に楽しいからさ。試すだけ試してみたらどうかな?」

 

六年生三人が普段より優しさ五割増しくらいの声色で言うのに、アレシアは難しい顔で逡巡すると、私に目線でどうしたら良いかと問いかけてくる。やっぱり最後はこうなるわけか。

 

「他人に委ねるんじゃなく、キミ自身で決めたまえ。私からは何も言わないさ。」

 

あえて素っ気なく返してやれば、アレシアはちょっと泣きそうな表情で苦悩した後……やがて魔理沙の方に微かな頷きを放った。うーむ、私はこの子にクィディッチなんて無理だと思うけどな。せめてハーマイオニーの言う通り、何かの切っ掛けになることを祈ろうじゃないか。

 

「おっしゃ、決まりだ。箒は私かハリーかロンのどれかを貸すから、週末の選抜に向けて明日あたり四人で少し練習してみようぜ。」

 

「あの……はい。」

 

練習の面子を聞いて既に後悔しているような雰囲気のアレシアだったが、今更やめますとも言えないのだろう。諦めたように了承の返事を呟くと、無言で私の翼を弄り始める。擽ったいからやめてくれ。

 

しかしまあ、アレシアの学園生活もグリフィンドールのクィディッチチームも前途多難だな。中々騒がしいスタートを切った六年生の生活のことを思いつつ、アンネリーゼ・バートリは先程まで読んでいた雑誌に手を伸ばすのだった。

 

 

─────

 

 

「やっぱ上手いな。上手いけど……あれだとポジションが違うぜ。」

 

競技場の上空を猛スピードで飛び回るアレシアを見ながら、霧雨魔理沙は半笑いで眉尻を掻いていた。箒捌きに天性の才能はあるし、動体視力もいい。立体的な空間の把握も問題なければ、咄嗟の判断力も充分だ。……しかし、クィディッチプレーヤーに不可欠な要素である『度胸』が皆無ってのは問題だぞ。

 

第二回目のビーター選抜試験も後半に差し掛かり、とうとうアレシア・リヴィングストンの出番が来たのである。訓練場でやった練習の時もかなり驚いたが、広い競技場で見ると改めて実感するな。他の候補者とは別格の飛びっぷりだ。天はアレシアから積極性を奪い、対価として余りあるクィディッチの才能を与えたわけか。

 

箒捌きだけで言えば私が一年生の時より遥かに上手いし、ハリーによれば彼が一年生の頃よりも上らしい。とまあ、それだけだったら万々歳だったのだが……今のアレシアはブラッジャーを弾こうとするのではなく、泣きそうな表情で逃げ回っているのだ。

 

観客席からすばしっこい動きで棍棒片手にブラッジャーを避け続けるアレシアを眺めていると、隣に座っているケイティが困ったような声色で返事を返してきた。

 

「うん、上手いわ。物凄く上手い。……シーカーだったら、の話だけど。」

 

「だよなぁ。」

 

苦笑いで同意してから、腕を組んで考える。ブラッジャーを避ける動きといい、直線のトップスピードといい、アレシアの飛び方はシーカーだったら百点満点のそれだ。とはいえ、シーカーは試合を決する重要なポジション。ただでさえ新人を三人も抱える今、経験豊富なハリー以外にスニッチを任せるのはさすがに怖い。

 

チームとしての単純な総合力でいえばアレシアをシーカーに、ハリーをビーターに当てた方が安定するだろうが、クィディッチってのは机上の論理で上手くいくスポーツではないのだ。いきなりアレシアに大役を課すのは酷だし、メンタル面はプレーにも影響するだろう。

 

難しい表情で頭を悩ませる私に対して、同じような顔をしているケイティが口を開く。彼女もポジションについて考えているようだ。

 

「先ず、あの子のチーム入りは確定ね。性格がどうあれ、あれだけの才能を見逃す余裕は今の私たちには無いわ。……マリサがシーカーをやって、ハリーをビーターに、あの子がチェイサーってのはどう?」

 

「きっついぞ、それは。チェイサー二人が新人で試合を組み立てられるか? 百五十点差の前に私がスニッチを捕れるかのギャンブルになるぜ?」

 

「まあ、そうよね。……だけど、あの子にビーターは無理じゃない? シーカーのプレッシャーに耐えられそうな感じでもないし、そうなるとチェイサーに当てるしかないと思うわよ?」

 

「ジニーをビーターに当てて、アレシアをチェイサーにってのが一番丸いかもな。それなら何とかなりそうじゃないか?」

 

妥協案として最上なのはそれだろう。ケイティもそう思ったようで、私の提案に肩を竦めて頷いた後、ハラハラした表情で『逃走劇』を見守っているハリーとロンに試験終了の合図を放った。前回と同じく、今回も彼ら二人が参加形式で審査しているのだ。

 

「んー、そうするしかないかもね。ロンには悪いけど、ジニーが頷いてくれるなら任せるべきかな。……ハリー、ロン! ブラッジャーを捕まえちゃって! もう大丈夫だから!」

 

その声を受けた二人がホッとした顔で飛び回るブラッジャーを捕獲に行くが……おいおい、マジかよ。逃げ切れなくなったのか、はたまた手に持つ棍棒の使い道を唐突に思い出したのか。辿った思考の詳細は不明だが、アレシアがいきなり棍棒をブラッジャーに叩きつける。

 

急ターンの遠心力を利用した見事な一撃を食らったブラッジャーは、凄まじい速度でロンの方へと向かって……おお、あれは痛いぞ。我らがキーパーどのの胸に激突した。一応ロンも自衛用の棍棒を持っているのだが、球威がありすぎて防ぐ余裕さえなかったようだ。

 

「うわぁ……肋骨が折れたんじゃないか? あれ。」

 

「練習用とはいえ勢いが凄かったし、その可能性はあるわね。……無事だといいんだけど。」

 

私たちがヨロヨロと地面に下りていくロンに哀れみの目線を送っている間にも、ハリーがこれ以上の犠牲者を出さないためにと急いでブラッジャーを捕獲する。そしてロンを『退場』させた張本人たるアレシアはかなり気まずげな表情だ。意図してロンに打ち込んだのではないらしい。

 

しっかしまあ、見事な一撃だったな。箒のスピードを利用して打ち込むってのは中々出来ることじゃないはずだぞ。おまけに打つ瞬間は両手で棍棒を握ってたから……脚だけで急ターンをコントロールしたってことか?

 

ケイティにも同様の疑問が生じたのだろう。地面に下りてブラッジャーを押さえ付けているハリーを見ながら、私に対して問いを寄越してきた。

 

「マリサ、あの子がブラッジャーを打つ瞬間を見てた? 両手でこう……こんな感じで棍棒を箒の柄に押し付けて、固定した状態で打ってたわよ。」

 

「ああ、見てた。まるで箒で打ったみたいだったな。普通ならあんな状態じゃ当てられないし、打った後に体勢を崩すと思うんだが。」

 

「バランス感覚が異様に良いみたいね。……ねえねえ、やっぱりあの子はビーターとして育ててみない? 試合であれが出来たら物凄い武器になるわよ?」

 

「そりゃあそうだが、性格がなぁ。」

 

最大の問題点を指摘してやると、ケイティはビシリと私を指差しながら反論を述べてくる。瞳にウッドが、そしてアンジェリーナが持っていた狂気が宿っているぞ。

 

「だけど、よく考えたらチェイサーでも同じことよ。相手がタックルしてくる時だってあるし、ブラッジャーも普通に襲ってくるんだから。それなら最初からビーターとして育てた方が後々のためでしょ?」

 

「いやいや、ビーターはブラッジャーに向かっていかなきゃだが、チェイサーは避けるだけだ。全然違うぞ。」

 

「同じよ、同じ。……試合中に一撃でいいの。さっきやったあれを敵の誰かにヒットさせることが出来れば、実質七対六に持ち込めるわ。飛びっぷりそのものは何の問題ないんだから、あの子にはそれだけ叩き込めばいいのよ。そしたら、そしたら……今年も優勝杯を取れるかも!」

 

うーむ、怖い。そう言うケイティは『欲望』という題が相応しい表情になってしまった。優勝の目が出てきたことで、取り憑いている悪霊まで表に出てきてしまったらしい。後で塩を振り掛けとこう。こっちの悪霊に効果があるのかは知らんが。

 

でもまあ、確かに今のは凄かったな。相手の選手を一人『機能不全』に陥らせるという作戦はグリフィンドールらしくないと思うが、現在のバランスを崩すくらいならアレシアをビーターに入れちゃうのもアリかもしれない。正直言ってあのビビりっぷりだとチェイサーとしても微妙な気がしてきたし。

 

兎にも角にも、これで試合が出来る最低限の人数は揃ったのだ。アレシアをどのポジションに入れるにせよ、そこが空白になっているよりはマシだろう。こういう悩みを持てるようになったことを喜ぼうじゃないか。

 

恐る恐るという様子でフーチに応急処置されているロンに近付いていくアレシアを眺めつつ、霧雨魔理沙は楽観主義でいこうと心に決めるのだった。

 



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太公望

 

 

「……やあ、九尾狐。不法侵入は犯罪だよ?」

 

昼下がりの陽光に煌めく湖面に糸を垂らしながら、アンネリーゼ・バートリは背後から近付いてくる気配にそう言い放っていた。全然釣れないし、故に全然楽しくない。どうしろっていうんだよ、こんなもん。

 

いつも通りに生まれた授業の隙間時間、ハグリッドの小屋にあった釣竿を借りて湖で釣りをしているのだ。何か面白そうな暇潰しはないかと聞いてみたところ、ハーマイオニーからの提案があったので試してみたのだが……うむ、これはダメだな。ちゃぷちゃぷ波打つ水が気になって仕方がないし、退屈すぎて暇潰しの体を成していない。勧めてくれたハーマイオニーには悪いが、釣りは候補から外すべきだろう。

 

そんなわけでもう帰ろうかと思い始めたタイミングで、背後から覚えのある気配が近寄ってきたというわけだ。八雲藍。香港で会った九尾狐の気配である。今日は纏う妖力を隠すつもりはないらしい。

 

私の背中越しの挨拶を受けた八雲藍は、くつくつと笑いながら隣に座り込んできた。なんとまあ、独特な服装だな。ちょこっとだけフリルが付いている、漢服のような青白の……なんて呼べばいいんだ? この服。帽子も変だし、幻想郷の流行りがこれだとしたら行きたくなくなってきたぞ。

 

「まさか不法侵入を吸血鬼に咎められるとはな。心配しなくても人避けの結界は張った。誰にも見つからないさ。……それより、お前は釣りが好きなのか?」

 

「いいや、物は試しでやってみてるだけだよ。どうも私には向いてないらしくてね。もうやめようと思ってたところだ。」

 

肩を竦めて言ってやると、八雲藍は苦笑しながら広い袖口を弄り始める。何事かと私が視線を送ったところで……手品のつもりか? 妖術が得意な狐妖怪どのはそこから長い釣竿を取り出した。ハグリッドお手製の木の竿とは違い、金属製のリールが付いているやたら本格的な代物だ。

 

「私は好きだぞ、釣り。考え事をするのに向いているからな。」

 

「さっと入れてさっと釣れるなら楽しいかもしれないけどね。こうも待ち時間が長いと退屈だよ。」

 

「分かってないな、それが釣りの醍醐味なんじゃないか。一生幸福でいたいなら釣りを覚えろとはよく言ったもんだ。」

 

「アジアの格言か何かかい? イギリス人に言わせてみれば、釣竿ってのは片方に釣り針を、もう片方に間抜けを引っ付けた棒らしいけどね。」

 

魚が欲しいなら網か杖を使うべきなのだ。単なる糸じゃないし、棒でもない。それが工夫ってもんだろうが。私が大きく鼻を鳴らすと、八雲藍は横にあった餌を勝手に付けながら話題を変えてくる。

 

「まあ、今日は釣り談義をしに来たわけじゃない。……近いうちに日本を訪れると聞いたものでな。その機会に紫様が直接お前と話したいそうだ。」

 

「迂遠に過ぎるぞ、それは。キミがホグワーツで平然と釣りをしてるって時点で、八雲紫にとって物理的な距離は関係ないことが証明されてるじゃないか。フランが世話になった時は紅魔館にひょっこり現れたわけだしね。それなのにわざわざ日本で会う必要があるのかい?」

 

「気分の問題だ。幻想郷に移住するのであれば、『こちら側』の日本も知っておくべきだろう? ……もっと喜べ、バートリ。これは光栄なことなんだぞ。」

 

「こっちとしては迷惑極まるよ。……そもそもだね、八雲紫が話し合うべき相手はレミィだぞ。紅魔館の責任者は一応あいつなんだから。」

 

レタス食い虫が付いた針を湖に投げ込んだ八雲藍に指摘してやれば、彼女は竿をリズミカルに揺らしながら返事を寄越してきた。なんだそりゃ。釣りのテクニックか何かか?

 

「前にも言ったように、紫様のお気に入りはお前の方だ。レミリア・スカーレットじゃない。」

 

「……人間に対しての価値観が八雲紫と重なっているからかい?」

 

さすがに同一であるとまでは言わないが、これまでの話を総括するに被っている部分が多々あるのだろう。薄々勘付いていた予想を口に出してみれば、八雲藍はこっくり頷いて肯定してくる。こっちの事情をどんだけ詳しく知ってるんだよ、隙間妖怪は。余程頻繁に覗き見ているらしい。覗き魔め。

 

「その通りだ。紫様は最近のお前の行動をいたくお楽しみでな。移住計画ついでにそういうことも話し合いたいと言っていた。……当然、受けるだろう? まさか断りはしないよな?」

 

「いやまあ、隙間妖怪と『人間談義』をするのは別にいいんだけどね、こと移住の件に関してはレミィの方とやってくれたまえよ。私はそういう面倒な仕事が嫌だから裏側に引っ込んだんだ。」

 

「……いいだろう、それなら移住計画に関しては私とレミリア・スカーレットで詳細を詰めておく。」

 

「そうしてくれ。最近の私は昔ほど家の経営に情熱を傾けられなくてね。レミィに任せておけば生活には困らないだろうし、後は趣味に生きることにするよ。釣りを試してるのもそのためなんだ。」

 

レミリアは幻想郷でも自分の権力を確立しようとしているらしいが、私はそれほど興味がない。フランと対等に付き合えるような友達を見つけて、アリスと咲夜……向こうに付いて来てくれるのであればだが。あたりを生活に慣れさせたらもう余生だ。その後は好き勝手やらせてもらうさ。

 

うーむ、不思議だな。昔はもうちょっと権力欲があった気がするんだが、現在は面倒くささの方が遥かに勝る。政治に勤しむレミリアやゲラートの姿を見ていると、それだけでお腹いっぱいになってしまうのだ。あの苦労をわざわざ背負い込もうとは思えんぞ。

 

ひょっとすると、私は生来遊び人気質だったのかもしれんな。バートリ家の当主としては褒められたもんじゃないだろうが、今や面倒を見るべき家人はアリスとエマ、それに一応パチュリーと小悪魔だけだ。だったらこんな具合でも誰も文句は言うまい。また数百年生きれば何かやる気になるかもしれないし、それまではのんびり暮らすとしよう。

 

『好きに生きろ』と言ってくれたのだから、父上もきっと許してくれるはずだ。平穏無事な生活を目指すことに決めた私へと、八雲藍は呆れた表情で声をかけてきた。

 

「なんとも鬼らしからぬ台詞だな。私としては幻想郷で騒ぎを起こされないのは好都合だが……何と言うか、それでいいのか?」

 

「この百年は大いに働き、大いに学んだからね。だったら次に行うべきは長い休養なのさ。やりたいことをやりたいだけやる。それが妖怪ってもんだろう? ……さっきから引いてるぞ、八雲藍。」

 

「おっと、釣れたか。」

 

私が一時間待ってもヒット無しなのに、何でこいつの竿にはものの数分でかかるんだよ。さっきやってたみたいにヒュンヒュン振らないとダメなのか? リールを巻く八雲藍をジト目で観察していると、彼女は糸の先にある魚影を見て質問を飛ばしてくる。

 

「何だ? あれは。」

 

「水魔だよ。調理次第では食えないこともないが、オススメはしないね。少なくとも私は御免だ。」

 

「……なら、リリースしておこう。」

 

グリンデローか。タコと人間を足して割ったような水魔を釣り上げた八雲藍は、両手をぶんぶん振り回して威嚇する下等生物を興味深そうに眺めた後、術で浮かせて湖の中央へとぶん投げた。直接触るのは嫌だったようだ。気持ちは分かるぞ。

 

すると耳障りな悲鳴を上げながら飛んでいった水魔を……ナイスキャッチ。いきなり湖中から伸びてきた巨大な触手が掴み取る。大イカは八雲藍のお陰でお昼のおやつをゲットしたらしい。あの大きさじゃ小腹の足しにもならんだろうが。

 

「……奇妙な場所だな、ここは。あんなものが居て生徒が危険じゃないのか?」

 

「昔は私もそういう常識的な疑問を持ててたんだけどね。今じゃ気にも留めなくなっちゃったよ。ホグワーツってのはそういう場所なのさ。」

 

「まあ、ホグワーツが『ちょっとおかしい』という噂は私も聞いている。こういう意味だとは思わなかったがな。」

 

ちょっとおかしい? 誰が言ったのかは知らんが、間違った噂を流すのはいただけないな。『かなりおかしい』だろうが。新しい餌を付ける八雲藍を横目に嘆息していると、釣り好きの九尾狐は沈んでいく大イカの触手を見ながら口を開いた。

 

「とにかく、日本に着いたらちょうど良いタイミングで紫様が『スキマ』を開く。準備だけはしておいてくれ。」

 

「マホウトコロで合流するってことかい? カンファレンスには各国の要人が集まるし、それなりの警備が敷かれているはずだぞ。」

 

「マホウトコロか、宿泊先か、それとも単なる街中か。何処だろうが大して変わらん。境界はあらゆる場所に存在するからな。紫様にとって魔法使いの警備など無いのと一緒だ。」

 

「大層なこったね。便利そうで羨ましいよ。」

 

『境界』ね。確かにそれが無い場所など存在しないだろう。そも存在することによって非存在との境が生まれてしまうのだから。……さぞ退屈なんだろうな、八雲紫は。サイコロの目を操れてはゲームにならん。そんなもん面白くもなんともないはずだ。

 

いやはや、やっぱり力を持つにしてもほどほどが一番だな。己の力を持て余して世に関わらなくなっていくのは『反則級』の妖怪の常だ。内心で強大すぎる隙間妖怪に哀れみの念を送りながら、再び竿を振り始めた八雲藍へと質問を放つ。

 

「思うんだがね、キミの主人はその気になれば人妖の共存なんか一瞬で叶えられるんじゃないか? 幻想郷だけに留まらず、この世界全てをそうすることだって出来るだろうさ。」

 

「……だとしたらどうだと言うんだ?」

 

「別にどうもしないよ。わざわざ制限を課している理由は何となく分かるしね。それが八雲紫なりの『ハウスルール』なのであれば、ゲームの参加者たる私にとやかく言う資格はないさ。」

 

色々と思うところはあるが、私は他人の愉しみに口を出すほど無粋じゃないのだ。軽い口調でそこまで言ってから、皮肉げな笑みで続きを付け足した。……だが、参加するからにはこっちも納得できるルールじゃないと困るぞ。公正なディーラーを気取るのであれば、最後まで演じ抜いてもらわなくては。

 

「しかしだね、いきなりテーブルをひっくり返して勝ちを宣言するのだけはやめてくれよ? ……ひょっとすると私と八雲紫は同じ色にベットすることになるのかもしれんが、そんな方法で勝っても全然面白くないからね。やらないと決めたなら最後までやらない。それだけは守ってもらおうか。」

 

私の言葉を受けた八雲藍は、少しの間無表情で湖面を見つめていたかと思えば……やれやれと首を振った後、困ったような苦笑いで返答を寄越してくる。意味を正しく受け取ってくれたようだ。

 

「なるほどな、紫様がお前を気に入っている理由が少し分かった。あの方が何に重きを置いているのかをよく理解しているようじゃないか。……その心配は無用だ、バートリ。お前の察している通り、紫様はルールを守るだろうからな。あの方を誰より知っている私が保証しよう。」

 

「ならいいんだけどね。」

 

端的に答えてから湖の方に向き直ると、またしても八雲藍の竿がしなっている光景が目に入ってきた。何でそんなに釣れるんだ? やっぱり竿の違いか? ハグリッドめ、よく釣れるって言ってたじゃないか。

 

「妖術でも使ってるんじゃないだろうね? 八雲藍。幾ら何でも釣れすぎだぞ。」

 

「そんなものは使っていない。単純な技術の差だ。……それと、藍でいい。この国がどうだかは知らないが、日本では相手のことをフルネームで呼ぶことは少ないぞ。八雲と呼ばれるのは未だ畏れ多いしな。」

 

「んふふ、これは失礼したね。イギリスでもフルネームで呼ぶことはそんなにないんだが、キミの名前は短くて呼び易いんだ。……まあ、良い名前だとは思うよ。八雲紫が付けてくれたのかい?」

 

「よく分かったな。紫様が私を式にする際に付けてくださった名前だ。」

 

リールを巻き上げながら誇らしげに首肯してくる藍に、湖面に視線を向けたままで含み笑いを返す。フランと同じく私も日本語は『クソ面倒』な言語だという認識だが、僅かな文字数で複数の意味を持たせられるという部分だけは気に入っているのだ。咲夜の名前に数多くの意味が込められているように、こいつの名前からは八雲紫の意思が透けて見えるぞ。

 

香港で美鈴に聞いたところによれば、『藍』の文字が表すのはインディゴ。陽が昇る直前の空の色だ。私が気に入る理由は主にそこなのだが……八雲紫は少し違った意味でこの名を付けたのだろう。荀子の逸話くらい私も知ってるさ。

 

式というか、もしかしたら内弟子のような関係性なのかもしれないな。今度は普通の魚を釣り上げた九尾狐を見ながら考えていると、藍はちょっとだけ驚いたような表情でポツリと呟いた。ちらりと背後に視線をやりながらだ。

 

「……驚いたな、バレるとは思わなかったぞ。」

 

「八雲紫の式たるキミが人間をナメてるようじゃまだまだだね。ここはイギリスが誇る魔法の牙城だよ? 城の主も相応の人間なのさ。」

 

クスクス笑いながら言ってやれば、藍は魚を湖に戻してから私に向かって肩を竦めてくる。九尾狐どのはイギリス魔法界のことを一つ学んだようだ。

 

「覚えておこう。……では、面倒なことになる前に私は帰る。私が同席するかは不明だが、日本で迎えがあるというのだけは覚えておいてくれ。」

 

「はいはい、了解だ。」

 

突如開いた『スキマ』へと竿を片手に消えて行く藍に手を振ってから、未だ微動だにしない私の竿を忌々しい気分で睨んでいると……背後から芝生を踏みしめる音と共に、聞き慣れた深い声が聞こえてきた。

 

「これは、お邪魔してしまいましたかな? だとすれば申し訳ない。」

 

「なぁに、もう用は済んでたさ。そもそも不法侵入してたのはあっちだしね。」

 

私の隣に歩み寄りながら開口一番謝ってきたのは、言わずと知れたホグワーツの校長閣下だ。藍の人払いはこいつには効果がなかったらしい。何かの違和感を感じ取って様子を見にきたのだろう。

 

ダンブルドアは私の返答を聞くと、広い湖を見渡しながら問いを送ってくる。

 

「ならば良いのですが……ううむ、残念ですな。是非とも不思議な魔法についての話を聞いてみたかった。『そちら側』のお知り合いですか?」

 

「ま、そんなところだよ。私たちの移住先の管理人みたいなもんさ。……そういえば、ダンブルドア。キミもマホウトコロのカンファレンスには出席するんだろう?」

 

「無論、出席しますとも。その場で精一杯のジョークを取り入れた『遺言』を遺す予定です。笑いが取れるといいのですが。」

 

「いつも通りで結構なことだが、あっちの校長と知り合いってのは本当なのかい? ゲラートがそんなようなことを言ってたんだ。」

 

ふと思い出した話を振ってみれば、ダンブルドアは何かを懐かしむような表情で返事を寄越してきた。

 

「知り合いというか、遠い昔に共同研究をした仲でして。連絡は年に一度ほどのペースで取り合っておりますが、最後に直接会ったのは……ふむ、もう二十年近く前になるかもしれません。」

 

「となると、第一次戦争の中期か。あの頃のキミはイギリスを離れる余裕なんて無かったし、相手がこっちに来たってことかい?」

 

「ええ、ホグワーツ特急の改修を手伝ってもらったのですよ。その際ノーレッジとも顔を合わせていたはずです。」

 

「パチェと?」

 

ホグワーツ特急の改修ってことは、フランが卒業した年にイギリスに来ていたことになる。厳密には十八年前か。確かにあの時はパチュリーも作業に参加したはずだ。嫌々だったようだが。

 

「ノーレッジの魔法に随分と感心していましたから、向こうは彼女のことを覚えているかもしれません。……ノーレッジの方は忘れているでしょうが。」

 

「だろうね。あの紫しめじが一度会っただけの人間を覚えてるわけないよ。」

 

断言しながら竿を上げて、糸を巻き付けて片付けに入ってみると……おい、餌どころか針まで消えてるじゃないか。水魔かなんかに千切られちゃったらしい。我ながら間抜けすぎるな。気付かぬうちに太公望の真似事をしてたってわけだ。

 

「ほっほっほ、風情がありますな。もうやめてしまうのですか?」

 

ダンブルドアも針のない糸に気付いたようだが、さすがに自覚なしのアホだとは思わなかったらしい。ならばセーフだ。バレないように尤もらしく頷きつつ、適当な返答を飛ばす。

 

「ホグワーツの湖でやってても、釣れるのは変なのばっかりだしね。もうやめるよ。次は渭水でやるさ。」

 

一時間ちょっとの釣果は九尾狐一匹と自己犠牲ジジイ一人か。やっぱり私に釣りは向いてないみたいだな。……よし、今度はもっと良い竿を用意して再チャレンジしてみよう。幾ら何でもこの有様では引き下がれんぞ。せめて一匹くらいは釣らなくては。

 

苦笑するダンブルドアを横目にしつつ、アンネリーゼ・バートリはパチュリーに釣りの本を送ってもらおうと決意するのだった。

 



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サンデー・ランチ

 

 

「局長のガウェインは当然として、よく要人警護なんかをしてるシャックルボルトも決まりでしょ? だからあと二枠なんだよね。……あーあ、何かいい手がないかなぁ。行きたいよ、私も。」

 

ロンドンのウェストミンスターにある一軒のパブの中。テーブルに突っ伏して足をバタバタさせるトンクスの声を聞きながら、アリス・マーガトロイドはサラダのドレッシングをどれにしようか迷っていた。シーザーか、イタリアンか、フレンチか。これは難しい選択だぞ。

 

九月最後の日曜日、レミリアさんが忘れていった書類を魔法省に届けた帰りにトンクスと昼食を取ることになったのだ。ご飯の美味しいパブを見つけたと言われて付いて来たわけだが……うーむ、繁盛してるな。マグル界で話題になってる店なのかもしれない。

 

昔のマグル界では昼食なんてサンドイッチと水でさっと済ませていたものだが、最近はきちんと食べるようになってきた気がする。食の多様化の所為か? それとも栄養学の進歩? 改めて見てみると結構興味深い変化だな。紅魔館に帰ったらパチュリーに議論を吹っ掛けてみよう。

 

ちなみに魔法界では三食がっつり食べることが多い。理由は言わずもがな、ホグワーツでの経験によるものだ。良く食べ、良く学び、良く育つ。十八世紀の中頃に校長を務めたディリス・ダーウェントが定めた校訓で、その頃から三食しっかり摂ることが伝統になったらしい。

 

うむうむ、偉大な校長だな。イギリス魔法界の平均寿命が他国よりちょびっとだけ長いのも、ひょっとしたらその辺が影響しているのかもしれないぞ。結局シーザードレッシングに決めたサラダを頬張りながら思考を回していると、突っ伏したままのトンクスが話を続けてきた。

 

「プラウドフットなんかこれ見よがしに日本語の本をデスクに置いちゃってさ。あいつ、簡単な挨拶しか話せないんだよ? 『コニチハ』とか、『シツレイマシタ』くらい。そんなんで随行員が務まるわけないっての。」

 

「聞いてる分には簡単な挨拶すら間違えてるみたいだけどね。……貴女はどうなのよ。喋れるの? 日本語。」

 

「……喋れないけど、身振りでどうにかするもん。それにほら、顔を変えればそれっぽくなるでしょ?」

 

言いながらくしゃみを我慢するような表情になったかと思えば、トンクスの顔が途端にアジア系のそれへと変化する。相変わらず七変化ってのは便利だな。とはいえ、英語しか喋れないのではさしたる意味を持たないだろう。

 

つまるところ、トンクスはカンファレンスの随行員になりたくて堪らないらしいのだ。マホウトコロが提示したカンファレンス参加者の随行員の最大人数は、一人につき通訳を含まず二名ずつ。イギリス魔法省からの参加者はアメリアとスクリムジョールなので、護衛に付く闇祓いは最大四名。……まあ、普通に考えたら新人のトンクスは選ばれないだろう。

 

私の知る中では他にもダンブルドア先生やチェスター・フォーリー、あとは勿論レミリアさんなんかもイギリスからの参加者なわけだが、この辺は闇祓い局に護衛を要請しなかったらしい。レミリアさんは私とリーゼ様を連れて行く予定なので当然として、ダンブルドア先生は誰を随行員にするつもりなんだろうか?

 

もしかしたら一人で行くのかもしれないな。実力的に護衛なんか必要ないだろうし、ダンブルドア先生が語学に堪能なのは有名な話だ。マーミッシュ語を話せるのだから日本語だって話せるだろう。となれば通訳も不要なはず。

 

あんまり関係ないことを考え始めた私へと、一瞬でいつもの顔に戻ったトンクスが提案を寄越してきた。

 

「ねー、アリスさんからガウェインに言ってやってよ。『随行員に悩んでるなら期待の新人にしなさい』ってさ。アリスさんの言うことなら簡単に聞くはずだしね。」

 

「いつから『期待の新人』になったのよ。そもそも遊びに行くんじゃないんだから、付いて行っても大して面白くないでしょ。」

 

「それがね、ガウェインによれば観光する時間もちょこっとだけあるらしいんだよ。マホウトコロじゃなくってトーキョーのホテルに泊まるんだって。そこの警護は交代制になるから、空き時間で近くには出られそうなの。随行員の数を制限した分、頼めば日本の闇祓いも警護に付いてくれるみたいだしね。」

 

「あら、そうなの? ……ちなみに貴女、東京がどんな街なのか分かってる?」

 

イタリアンドレッシングを選んだトンクスに聞いてみれば、彼女はサラダを頬張りながら曖昧な返答を返してくる。

 

「よくは知らないけど、日本の首都なんでしょ? だったら買い物する店も沢山あるはずじゃん。」

 

「それこそロンドンでいいじゃないの。マグル界では流通も進化してるんだから、品揃え的には大して変わらないでしょう?」

 

「そりゃあそうだけどさ、そういうことじゃなくって……旅行先でショッピングがしたいの。分かるでしょ? この気持ち。」

 

まあ、その気持ちは理解できるぞ。明確に買いたい物があるわけではなく、ショッピングがてら異国の街をぶらぶらしたいのだろう。非日常というのは楽しいもんだ。トンクスの主張に苦笑しながら頷いたところで、ウェイターが注文した料理をテーブルに運んできた。

 

「ほらね、美味しそうでしょ?」

 

「値段にしては量も多いわね。」

 

私が頼んだのはサンデーローストのセットで、トンクスのはインドカレーだ。メインとなるロースト肉はかなりの分厚さだし、大きめのヨークシャー・プディングが四つも付いてるぞ。食べ切れるかな。

 

前菜にサラダを頼むべきではなかったと後悔する私を他所に、トンクスは早速とばかりにナンを千切ってカレーを食べ始める。

 

「しっかしさ、アリスさん的にはどうなの? グリンデルバルドが国際魔法使い連盟のカンファレンスに出席するってのは。アリスさんってちょうどヨーロッパ大戦を経験した世代でしょ?」

 

「そりゃあ世代としてはそうだけどね。当時のイギリス魔法界はそれなりに平和だったから、むしろマグルの大戦の方が印象に残ってるくらいよ。……だからまあ、そんなに気にはならないけど。」

 

「ふーん、そんなもんなんだ。じゃあさじゃあさ、マグルの危険性に関しての主張にも賛成? ……かっらいなぁ、これ。」

 

カレーの辛さに顔を顰めるトンクスへと、肩を竦めて返事を放る。甘いのもあるって頼む時言われたのに、わざわざ辛いのにチャレンジするからそうなるんだぞ。

 

「賛成というか、筋は通ってると思うわ。上手く付き合うためには相手を理解しないといけないでしょう? 魔法族のためにも、マグルのためにも、そろそろこの問題に向き合うべきなのよ。」

 

「んー、パパもそう言ってた。『魔法界には鎖国を解くべき時が訪れたんだよ』って。パパに言わせてみれば、スカーレットさんがグリンデルバルドに賛成したのも時勢的に仕方ないことなんだってさ。」

 

「レミリアさんによれば、大陸の方でもマグル生まれには徐々に問題が浸透してるらしいわ。……貴女はどう思うの?」

 

ローストビーフを切り分けながら問いかけてみると、トンクスはナンを片手に難しい表情で答えてきた。

 

「正直分かんないけど、スカーレットさんが言うならそうなのかなって思うよ。よくよく考えてみればさ、スカーレットさんの言う通りにすれば大抵の問題は解決してきたわけじゃない? ヨーロッパ大戦の時もそうだし、第一次魔法戦争の時もそうじゃん。……それに、今回の戦争だってそうだよ。前回と違ってスカーレットさんと魔法省が協力したから、例のあの人相手にたった一年で勝てたわけでしょ?」

 

「そう言われればそうなんだけどね。きちんと自分の頭で考えないとダメよ? レミリアさんが魔法族に求めているのは無条件の賛成じゃなくて、自分で決断して問題に対処することなんだから。」

 

「それ、ママにも同じこと言われたよ。……だけどさ、そろそろ魔法界も学ぶべきなんじゃないかな。グリンデルバルドが脅威になるって言われて、誰も真に受けなかったからヨーロッパ大戦が起きた。例のあの人が脅威になるって言われて、当時の魔法省が本気にならなかったから魔法戦争が大規模になった。……だったら今回こそは最初から真面目に考えるべきなんだよ。何でこんな簡単なことが分かんないのかなぁ、反対派の人たちは。」

 

うーん、いつの間にやらトンクスも立派な『スカーレット派』になってしまったようだ。……しかしまあ、内情を知っている私からすれば奇妙な状況だな。イギリスの魔法戦争はともかくとして、ヨーロッパ大戦はほぼほぼマッチポンプだぞ。

 

それを骨の髄まで利用し続けるレミリアさんの強かさを褒めるべきか、魔法族がある意味で騙されていることを嘆くべきか。私の立場ではどうにも決めかねるところだが……知ってて黙ってるんだから私も同罪だな。所詮私も吸血鬼に育てられた魔女ってことだ。

 

壮大すぎるペテンを思って苦笑いを浮かべる私に、トンクスは水差しからコップへと水を注ぎながら話題を締めてくる。

 

「何にせよ、来月のカンファレンスで色々決まるっしょ。……参加者も大物ばっかりだし、絶対魔法史の教科書とかに載るよね。だったらやっぱり行きたいなぁ。写真とかに写り込んでさ、それが教科書に載ったら子供に自慢できるじゃん。」

 

「闇祓いとして魔法戦争に参加したって時点で充分自慢できるでしょ。このイギリスを守るために戦ったってことなんだから。あとは良い相手を見つけて、子供を授かれば目標達成よ。」

 

クスクス笑いながら言ってやると、トンクスは……おや? 何故か急に頰を赤らめたかと思えば、カレーの載ったプレートを横に除けて真剣な表情で言葉を放ってきた。

 

「あのね、あのね……えっと、そう遠くない話になるのかも。」

 

「ん? どういう意味?」

 

ルーピンのことだったらもうバレバレだぞ。ようやく付き合ってることを明言する気になったわけか。微笑みながら優しく聞いてみると、トンクスは気まずげな半笑いで予想の数段上の報告を寄越してくる。

 

「つまりさ、その……できちゃったんだよね。本当はそのことを相談しようと思ってご飯に誘ったの。」

 

「『できちゃった』? ……へ? 子供がってこと?」

 

いやいや……ええ? フォークを落としながら呆然と問いかける私に、トンクスは恥ずかしそうな顔で首肯してきた。

 

「ん、そういうこと。相手はもちろんリーマスね。付き合ってるのには気付いてたでしょ? ……でも、ママとパパにはまだ言ってないんだ。リーマスが不安がってて。」

 

「ちょ、ちょっと待ってね。一旦落ち着かせて頂戴。」

 

もう食事どころじゃないぞ。食べかけのサンデーローストを横に追いやって、急に伝えられた重大報告へと意識を回す。混乱する思考をどうにか纏めようとしている私へと、トンクスは更なる追撃を飛ばしてきた。

 

「リーマスがね、この子が狼人間になるのを心配してるんだ。自分の苦悩を背負わせるのが怖いって言ってた。……だから、思い切ってアリスさんに相談してみようと思ってさ。その、どうなの? この子が狼人間になる可能性ってどのくらい? 魔法省の書庫で調べようとはしたんだけど、書いてある数値がバラバラで全然わかんないの。ほぼゼロって書いてるのもあれば、八割以上っていうのもあったし。それを読んでたら怖くなってきちゃって。」

 

「……明確に知りたいならパチュリーに聞いてみるべきだけど、私の知る限りでは相当低いはずよ。ルーピンは生まれながらの狼人間じゃないし、貴女はそもそも狼人間ですらないわけでしょ? 微々たる確率なんじゃないかしら。……少なくとも、八割ってのが絶対に有り得ないことは断言できるわ。どうせ反人狼主義者が捏造した根も葉もない研究結果よ。そんなのは頭から消しちゃいなさい。」

 

『感染』した狼人間が狼人間を産んだ前例が無いわけではないが、確かそれは両親共に狼人間のケースだったはずだ。おまけに私が知っているのは十三世紀末という古い情報だから、真実ではない可能性すらあるだろう。専門分野ではない遺伝の知識を総動員して考えていると、私の答えを受けたトンクスが俯きながら口を開く。

 

「私はね、生まれてくる子が狼人間だって構わないんだ。今は脱狼薬もあるし、偏見も収まってきてるでしょ? きちんと愛して育てれば、リーマスみたいな立派な魔法使いになってくれるはずだもん。……そうだよね?」

 

「当たり前でしょう? 貴女の夫が……というか、夫になるべき人がそれを証明してるじゃないの。」

 

「うん、だからリーマスにもそう言ったんだけどさ、かなり悩んでるみたい。えっとね、その……『不幸な人生を歩ませるくらいなら、産まない方がいいのかもしれない』って言ってた。本心じゃないとは思うの。いつもはそんなこと言う人じゃないし、すぐ後に青い顔で謝ってきたから。……それでも、その言葉が耳から離れなくて。」

 

暗い声色のトンクスの台詞を聞いて、思わず額を押さえてため息を漏らす。……これは、難しい問題だな。私としてはそんなことないと声を大にして言ってやりたいが、外野が軽々に口を挟んでいいレベルの話じゃない。

 

ごちゃごちゃした内心を表情に出さないように気を付けつつ、テーブルを爪でカリカリし始めたトンクスへと質問を放った。

 

「大前提として、貴女は産みたいのよね?」

 

「もちろんだよ。折角私のところに来てくれたんだもん。もし最終的にリーマスがダメって言っても……産むと思う。」

 

「それなら先ず、テッドとアンドロメダに全てを打ち明けなさい。貴女のことを一番真剣に考えてくれるのは両親よ。二人も色々なことを乗り越えて結婚したんだし、何より実の娘のためだもの。世界の誰より親身になって考えてくれるわ。……ルーピンと結婚する気ではあるんでしょう?」

 

「する……んじゃないかな。リーマスはそれも悩んでるみたいだけど。狼人間だからって。」

 

ええい、うじうじと悩むんじゃない、ルーピン! やることやったなら責任を取ったらどうなんだ! この段階で迷うのは褒められたことじゃないぞ! どこまでも優柔不断な優男に怒りの思念を送りつつ、脳をフル回転させて慎重に選んだ言葉を口にした。

 

「パチュリーにこのことを話してもいい? 遺伝に詳しい彼女なら私よりも正確な数値を出せるはずよ。そしたら本当に小さな可能性だってことが分かるから。……それと、もし良ければフランにも。」

 

「ノーレッジさんにはこっちからお願いしたいくらいだけど……フランドールさんにも? どうして?」

 

「あの子にルーピンのことを叱ってもらうべきよ。ブラックだと『男の友情』がどうたらこうたらで手加減する可能性が高いわ。フランなら手加減なしでボコボコにしてくれるはずだから。」

 

「あー……ボコボコはちょっとマズいけど、アリスさんがそう言うなら話してもらった方がいいのかも。リーマスも一人で悩むよりは相談相手が居た方がマシになるだろうし。」

 

よし、決まりだ。今のフランならこういう問題もきちんと扱えるだろう。うじうじ悩むルーピンの迷いを払ってもらおうじゃないか。……その過程で骨が数本折れちゃうかもしれないが、そんなことは知ったこっちゃあるまい。

 

多少は脚色してやろうと心に決める私へと、トンクスはちょっとだけ明るさを取り戻しながら話しかけてくる。

 

「でも、アリスさんに相談して良かったよ。最近はリーマスとの仲もギクシャクしちゃってたし、気が付くと悩んじゃって仕事にならなかったんだ。随行員になろうとしてたのも、単にイギリスから離れたいだけだったのかもね。そんなことしても解決したりしないのに。」

 

「もっと他人を頼りなさい、トンクス。両親も、私も、ロバーズや闇祓い局のみんなも。こういう時は頼って欲しいって思ってるんだからね?」

 

「……ん、そうする。」

 

しみじみと言ったトンクスの返答に大きく頷いてから、サンデーローストの皿を手繰り寄せた。久々に頭を使った所為で疲れちゃったぞ。栄養を補給せねば。気軽に訪れた昼食の席で、まさかこんな大問題が出てくるとは……人生ってのはこれだから油断できないんだ。

 

冷めてしまったローストビーフを口に運びつつ、アリス・マーガトロイドはフランへの『報告』を頭に纏め始めるのだった。

 



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とある人形使いの詭弁

 

 

「お帰りなさいませ、アンネリーゼお嬢様。」

 

ふにゃりとした笑みで放ってきたエマの挨拶に頷きながら、アンネリーゼ・バートリは暖炉の中から紅魔館のエントランスへと足を踏み入れていた。いやはや、長距離の煙突飛行には未だに慣れんな。横着せずにホグワーツの敷地外まで出てから姿あらわしすれば良かったぞ。

 

十月の初旬に入り、いよいよカンファレンスのために極東へと移動する日がやってきたのだ。列車、船、ポートキーの連続使用、あるいはマグルの飛行機。選択し得る移動手段は多々あったのだが……列車だと香港旅行と同じようなルートになってしまうし、船旅など論外ということで、私たちは一番楽であろうパチュリーの転移魔法で移動することになっている。

 

慣れた動作で服に付いた煤を払ってくれるエマに身を任せつつ、階段の手すりを滑り台にして遊んでいる妖精メイドたちを見ながら問いを送った。紅魔館は今日も平和なようだ。

 

「レミィとアリスの準備は終わってるかい?」

 

「荷造りは終わってるみたいです。今は二人ともリビングに居ますよ。」

 

「パチェは?」

 

「えーっと、そっちはまだ図書館で転移魔法の準備中ですね。そろそろ終わるとは思いますけど。」

 

私の荷物は準備済みだし、パチュリーが転移の用意を整えたら出発だな。エマの状況説明を聞きながらカーテンを閉め切った廊下を進んで、たどり着いたリビングのドアを開けてみれば……何をしているんだ? 明らかに苛ついている雰囲気のフランと、顔に苦笑を浮かべたアリスが部屋の隅っこで話している。レミリアはソファからそのやり取りをチラチラ見ているようだ。

 

「やあ、戻ったよ。……キミ、またフランに変なことをしたのかい?」

 

「違うわよ! なんかルーピンがどうのこうのって話みたいなんだけど、私には内緒とか言って交ぜてくれないの。あんたは何か知ってる?」

 

「残念ながら、知らないよ。……まあ、内緒って言うなら聞くべきじゃないんだろうさ。確かに気にはなるけどね。」

 

部屋に入ってきた私にも気付かぬ様子で小声の議論を続ける二人を横目に、レミリアの対面のソファに座り込みつつ言ってやると、姉バカ吸血鬼どのは尚も金髪二人組の方を気にしながら口を開いた。

 

「フランは大丈夫かしら? 私が日本に行ってる間に騒ぎを起こしたりしないわよね?」

 

「六月だって立派に当主代行を務め上げたんだから、数日くらいなら平気だよ。パチェや美鈴も居るしね。」

 

「だから心配してるんじゃないの。私も貴女もアリスも、ついでに言えば咲夜も居ないのよ? 館に残るのは『不安要素』ばっかりじゃない。」

 

「……そう言われるとそうかもね。」

 

おまけに小悪魔と妖精メイドだもんな。エマも流されやすいタイプだし、行くのがちょっと怖くなってきたぞ。目を逸らしながら曖昧な同意を返した私へと、レミリアは一つため息を吐いてから話を続けてくる。

 

「まあいいわ、いくらなんでも紅魔館が崩壊したりはしないでしょ。……それで、咲夜の様子はどうだったの? 寂しがってなかった?」

 

「私がホグワーツを離れるのは寂しがってたよ。あとはまあ、お土産に日本のナイフを頼まれたくらいかな。」

 

「あんたのことなんかどうでも良いのよ。私のことは? 『レミリアお嬢様が遠くに行っちゃうのが悲しいです!』とか言ってたでしょ? 言ってたわよね?」

 

「言うわけないだろ。学期中はそもそも『遠く』に居るんだから、紅魔館だろうが日本だろうが大して変わらんさ。」

 

姉バカの次は親バカか。忙しないヤツだな、こいつ。呆れた口調で言い放った私に、レミリアはエマの淹れた紅茶を一気飲みしてから文句を飛ばしてきた。もっと優雅に飲んだらどうなんだ。

 

「そんなわけないでしょうが! ……さては嘘を吐いて私と咲夜の仲を引き裂こうとしてるのね? この泥棒コウモリ!」

 

「おや、引き裂くほどの仲があったのかい? キミみたいな勘違いちゃんが犯罪を起こすんだろうね。精々気を付けたまえ。……というか真面目な話、最近の咲夜は思い悩んでいるみたいなんだよ。ダンブルドアがハリーと咲夜に過去の記憶を見せてるって手紙で知らせただろう? もう三回ほど見に行ってるんだが、行く度に複雑な表情で戻って来るんだ。両親の姿を見て思うところがあるらしくてね。」

 

前半を悪戯げに、後半を真剣な表情で語ってやれば、レミリアも態度を改めて返事を寄越してくる。真面目モードに切り替わったらしい。

 

「……見るのをやめさせるべきってこと?」

 

「いやいや、そうじゃないよ。これは咲夜が成長するために必要な儀式なんだろうさ。私たちはあの子が『ヴェイユ』のことを知るのを邪魔すべきじゃないだろう? ……つまるところ、そろそろ覚悟しておくべきだってことだよ。あの子が今思い悩んでいる何かに決着を付けた時、どっちの世界を選ぶのかを聞いてみようじゃないか。タイミングとしてはちょうど良いだろうしね。」

 

人外か、人間か。スカーレットか、ヴェイユか。幻想郷か、イギリスか。ホグワーツでの生活を通して人間らしい暮らしというのも学べたはずだ。本来ならアリスのように成人まで待ってやりたかったところだが、レミリアが幻想郷に移動する前に咲夜の結論を聞いておかねばなるまい。もし魔法界に残るのであれば住居や戸籍、財産なんかをきちんと残してやる必要があるわけだし。

 

私の言葉を受けたレミリアは、エマが紅茶を注ぎ直すのを無表情で眺めていたかと思えば……おお、効いてるみたいだな。いきなり頭を抱えて巨大なため息を吐く。久々に見る疲れ切った表情だ。

 

「分かってたし、そうすべきだとは思ってるんだけどね。……それでも答えを聞くのは怖いわ。このまま魔法界で暮らしたいって言われたらどうすればいいのよ。」

 

「どうするも何もないだろうが。咲夜の選択が全てさ。キミも親を自負するなら覚悟を決めたまえ。」

 

「そうだけど、そうなんだけど……こっちを選んでくれるわよね? そうよね? エマはどう思う?」

 

もっと堂々と構えたらどうなんだ。情けない顔で問いかけたレミリアへと、茶菓子のクッキーを準備し始めたエマが答えを返す。

 

「んー、咲夜ちゃんなら九割くらいの確率で紅魔館に居たいって言ってくれると思いますけどね。」

 

「……そうじゃない可能性が一割もあるってこと? 十パーセントも? 低すぎない? 九割って。」

 

「えっと、じゃあもうちょっと高くします? そう言われると低い気がしてきました。」

 

そういう話じゃないだろうが。エマとアホな会話をしているレミリアを尻目に、クッキーを齧りながら紅茶に舌鼓を打っていると……おっと、向こうの議論は終わったようだ。アリスとフランがこっちに歩み寄ってきた。

 

「戻ってたんですね、リーゼ様。お帰りなさい。」

 

「お帰り、リーゼお姉様。私にもクッキーちょーだい。」

 

「ただいま、二人とも。……ちなみに、何を話してたのかは私にも内緒なのかい?」

 

クッキーの皿をフランに差し出しながら聞いてみれば、二人は気まずげな表情で顔を見合わせた後、揃って首を縦に振ってくる。やっぱり内緒らしい。

 

「そのですね、かなり複雑な事情がありまして。当人の了解なしに話すべきじゃない話題なんです。もう少ししたら一段落するはずなので、そしたら話せると思います。」

 

「どっちにしろ、お姉様たちが日本に行ってる間に解決すると思うよ。……っていうか、私が力尽くで『解決させる』から。」

 

パシンと拳と手のひらを合わせたフランは、どう見ても『武力』を行使する気満々だ。……本当に大丈夫なんだよな? アリスの表情からして物騒な感じの問題ではなさそうだが、ここまで怒るフランってのも最近は珍しいぞ。

 

そこはかとなく不安に思いながら首を傾げていると、フランが新たなティーカップを準備し始めたエマへと指示を送った。我が家の有能なメイドはレミリアからの終わらない質問を適当にあしらったようだ。

 

「エマ、私も近いうちに外出するから、そのつもりでいてね。」

 

「あれ、珍しいですね。分かりましたけど……それだと当主も半当主も当主代行も居なくなっちゃいますよ? その場合、誰に指示を仰げばいいんでしょうか?」

 

「二、三時間で帰ってくるから平気だよ。もちろん夜ね。一人で行くから。」

 

『半当主』ってのは私のことか? エマの頭の中ではどういう組織図になってるんだ? 謎の当主制度に関して頭を悩ます私を他所に、ハッと顔を上げたレミリアが勢いよく会話に参加してくる。親バカから姉バカに復帰したようだ。少しは落ち着けよな。

 

「ちょっと、どこに行くつもりなの? 夜に外出なんて不健全よ!」

 

「どこでもいいでしょ。……大体、吸血鬼なんだから昼に外出する方が不健全じゃない?」

 

「さては夜遊びね? 姉の居ぬ間に夜遊びする気なのね? あれに行くんでしょ! あの……踊るとこ! ダメよあんな場所! いかがわしい輩が沢山居るんだから!」

 

「何その『踊るとこ』って。……子供だよねぇ、お姉様は。情報がふっるいし。」

 

確かに古いな。ナイトクラブのことを言ってるのか? フランが素っ気なく放った辛辣な評価を受けて、時代遅れ吸血鬼は翼をぷるぷるさせながらソファの上に立ち上がった。

 

「古くないわよ! ……エマ、紅魔館の当主として命じるわ。フランは外出禁止! ダメ、外出!」

 

「はい、分かりましたー。」

 

「じゃあ後で当主代行として撤回しとくよ。外出オッケーね。」

 

「はーい、了解でーす。」

 

うーむ、忠誠というのは移ろい易いもんだな。私も気を付けねば。ニコニコと返事を返すエマを見ながらうんうん頷いていると、今度は私の隣に座ったアリスが声をかけてくる。毎度お馴染みの姉妹漫才は無視することに決めたようだ。

 

「そういえば、ホテルはどこにしたんですか? マホウトコロに宿泊するわけではないんですよね?」

 

「よく分からんから、東京の一番高級そうなホテルにしたよ。もちろんマグル側のね。……日本の魔法界には変なホテルしかなかったんだ。どのホテルもベッドが無い上に公衆浴場。値段はそれなりなのに意味不明さ。」

 

「客層云々じゃなくて、文化の違いなんだと思います。日本は火山帯にある島なので、ドイツやハンガリーみたいに古くから温泉の文化が……温泉?」

 

おお、何だ? 何故か自分の口から放たれた言葉にびっくりしたような顔になったアリスは、顎に手を当てて何かを黙考し始めたかと思えば、かなり真剣な表情で私に質問を飛ばしてきた。

 

「リーゼ様、予約したホテルには温泉がありますか?」

 

「無いよ。きちんとしたバスルームがありそうだったから選んだんだ。プールはあるらしいけどね。」

 

「……しかしですね、私の事前調査によれば温泉は日本の重要な文化みたいなんです。これを知らないままでは幻想郷に行った時に困ってしまいます。凄く、凄く困ってしまいます。」

 

「あー……そうなのかい? でも私は公衆浴場なんぞに入るつもりはないぞ。他国の文化にケチを付ける気はないが、バートリの淑女としては以ての外の行いだ。」

 

たとえそれが同性だとしても、見ず知らずの他人に裸身を見せるなど我慢ならん。シャワーとかいう忌々しい発明品が広まってしまった以上、他人が居る浴場では流水の危険もあるわけだし。『流水発生機』のことを考えながら嫌そうな表情で言ってやると、アリスは真面目くさった顔で同意を返してくる。

 

「そうでしょう、そうでしょう。気持ちはよく分かります。……とはいえ、日本では一緒にお風呂に入ることで信頼を表現するという文化が重んじられているんです。互いに一糸纏わぬ姿になることで武器や暗器の携帯が無いことを示し、身も心もさらけ出すことで本音の話し合いが円滑に進む。……素晴らしい文化だと思いませんか?」

 

「いやまあ、思わないかな。私は嫌だよ、そんなの。」

 

意義は理解できなくもないが、やりたいかどうかはまた別の話だ。私の端的な否定を受けたアリスは、一瞬だけ怯んだ顔になったかと思えば……なんか変だぞ。いきなりにっこり笑って口を開く。

 

「そうですね、嫌ですよね。慣れない文化ですもんね。……だからこそ、練習が必要なんです! 一度試してダメなら諦めましょう。しかし、試さずに諦めるというのは消極的すぎます! ……ふむ、そうなるといきなり他人が居る浴場に入るというのは敷居が高すぎますね。かといって一人で入っては意味がありません。それじゃあ練習になりませんから。」

 

そこで腕を組んで一拍置くと、アリスは『会心の策を思い付いたぞ!』と言わんばかりの表情で私に提案を寄越してきた。やけにテンションが高いな。そんなに旅行が楽しみなのか?

 

「ああ、良いことを思い付きました。なら、私が一緒に入るっていうのはどうですか? 私ならほら、身内ですから。何一つ問題はないわけでしょう? 流水のことも知ってますから湯船の調整なんかも出来ますし、せっかく日本に行くなら温泉を体験してみたいと思ってたところなんです。浴場を貸し切れる施設もあるらしいですから、そこで試してみましょうよ。私が良さそうなところを探しておきます。それでいいですよね? ね?」

 

「しかしだね、私は別に試したく──」

 

「それに、実は私も不安だったんです。知識を重んじる魔女として試さないわけにはいかないんですけど、一人で知らない人が入ってる温泉に行くのは抵抗がありますから。でもでも、リーゼ様と二人ならとっても楽しめそうですね。家族が相手なら何の気兼ねもなく入れますし、きっと良い練習になりますよ。頼もしいです! さすがです! やっぱり私はリーゼ様が一緒じゃないとダメです!」

 

「……そんなに不安だったのかい?」

 

むう、そう言われると放っておけないな。あんまり気は進まないんだが、アリスが心細いと言うなら一緒に行ってあげた方がいいのかもしれない。悩みながら問いかけてみると、アリスはこれでもかというくらいに大きな頷きを返してくる。そんなにもか。

 

「はい、不安です。最近はそれが憂鬱で食事が喉を通らなかったほどでして。こうなった以上、リーゼ様が一緒じゃないと無理かもしれません。」

 

「んー、アリスがそこまで言うなら別にいいんだけどね。……でも、変な浴場は嫌だぞ。綺麗なところにしてくれよ?」

 

「任せてください。綺麗な温泉で、二人っきりで練習しましょう。二人っきりで。」

 

「……というか、そういう風習があるならレミィも練習した方が良いんじゃないか? 主に外交をやるのはあいつの方なんだし。」

 

未だフランと問答を繰り広げている姉バカを指差して言ってやれば、アリスはピタリと動きを止めた後、神妙な表情で首を横に振ってきた。

 

「それは、えーっと……私が恥ずかしいんです。最初はリーゼ様と二人っきりじゃないと無理です。一度二人でやってみて、慣れたら三人で行けばいいじゃないですか。そしたら二回も行けますし。」

 

「私は二回も行きたくないけどね。……ま、何でもいいよ。やけに気にしてるみたいだし、アリスのやりたいようにやってくれたまえ。」

 

「はい!」

 

物凄く良い返事を飛ばしてきたアリスは、満面の笑みで幸せそうにクッキーを頬張り始める。よく分からんが、アリスが嬉しそうでなによりだ。何となく腑に落ちない気分で紅茶に口を付けたところで、やおら私の横に立ったエマがポツリと呟いた。

 

「私、責任感じちゃいますよ。アリスちゃんは真面目に育てたつもりだったんですけどね。一種の反動なんでしょうか?」

 

「なんだそりゃ。これ以上ないってくらいに真面目な良い子に育ってるじゃないか。」

 

「……まあでも、これはこれで幸せでしょうし、妙な男に誑かされちゃう心配もなさそうですしね。そう思うと複雑な気分になります。」

 

「話の趣旨がいまいち分からんが、アリスを誑かすようなヤツを私が許すと思うのかい? その心配は無用だよ。」

 

そんなヤツは庭の花壇の肥料にしてやるさ。大きく鼻を鳴らして言ってやると、何故かエマは無言でスタスタと棚の方に移動してから、そこに置いてあった手鏡を持ってきて私の方に向けてくる。……何だ? 行動が意味不明すぎるぞ。

 

「顔に何か付いてるってことかい? 髪が乱れてるとか?」

 

「いえいえ、今日も可愛らしいですよ、お嬢様。それでこそです。」

 

「……それはどうも。」

 

何なんだ、一体。にへらと笑いながら手鏡を戻しに行ったエマを見送ったところで、廊下に通じるドアが開いて我が家の司書どのが入室してきた。彼女の背後からいくつかの魔道具を持った小悪魔と美鈴も入ってくるのを見るに、ようやく転移魔法の準備が整ったらしい。

 

「準備が出来たからいつでも飛べるわ。行き先はホテルのトイレの中よ。」

 

「トイレ? ……キミね、もっとマシな場所はなかったのかい?」

 

「貴女とアリスだけだったら適当な路地裏でもよかったんだけど、そこの『お日様嫌い』が一緒な以上はホテルの中のどこかに飛ばすしかないでしょ。だったらトイレが妥当よ。ロビーのど真ん中にいきなり出現したいって言うなら別だけどね。」

 

「それはそれは、おっしゃる通り。」

 

明確な理由を聞いて白旗を上げた私に続いて、ご機嫌百点満点のアリスと、フランに注意を放ちつつのレミリアも立ち上がる。……さてさて、今年二度目のアジア旅行か。カンファレンスまでは数日が空くし、とりあえずはアリスと観光を楽しむことにしよう。

 

謎の染料で床に魔法陣を描き始めたパチュリーを見ながら、アンネリーゼ・バートリは旅のプランを頭に描くのだった。

 



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電気街

 

 

「……凄い人の数ですね。人口密度が高い街なのは知ってましたけど、こうやって実際に見てみると新鮮な気分になります。」

 

古さと新しさをシェイカーに突っ込んで、ぐちゃぐちゃに混ぜたものを組み直している最中のような……何とも言えない不思議な街並みだ。香港とはまた別の意味で混沌としているな。人気の無いビルの屋上から日本の電気街の風景を見下ろしつつ、アリス・マーガトロイドは隣のリーゼ様に声をかけていた。

 

パチュリーの転移魔法で宿泊先のホテルのトイレに飛ばされて、三人で個室から出てきたことに奇異の視線を送ってきた不幸な女性の記憶を修正した後、チェックインして昼間は動けないレミリアさんを部屋に残してからリーゼ様と二人で東京見物に訪れたのである。

 

先ずは雰囲気を知ろうということで、フランから頼まれたゲーム機を買うためにホテルの人に聞いた電気街に来てみたわけだが……あの人混みに入っていくのはちょっと気後れしちゃうぞ。杖を握りながら言った私に、同じく杖を手にしているリーゼ様が返事を寄越してきた。土地勘もないし、ここまではビルからビルへと短距離の姿あらわしで移動してきたのだ。

 

「ふむ、一言で表わせば……『チープ』な街だね。安物のプラスチック製品を見た時みたいな気分になるよ。外側は光沢があって滑らかなものの、ペラペラとどこか頼りない感じだ。綺麗だが、軽い。そんな印象かな。」

 

「あー、上手い言い方ですね。何となく分かります。……でも、これがきっと次世代のマグル界の風景なんですよ。ロンドンも徐々にこんな雰囲気になっていくんじゃないでしょうか?」

 

「だとすれば私としては歓迎しかねるね。若い連中から古臭いと言われようが、こんな街に住みたいとは思えないぞ。」

 

苦笑しながら手すりに寄りかかったリーゼ様に、私も同じ表情で首肯を返す。観光する分には興味深いものを感じるが、確かに住みたいとは思えないな。見慣れぬ他国だというのも多少は影響してそうだ。

 

似通った感想を抱いたニューヨークのことを思い出したところで、ふと生じた疑問をリーゼ様に送った。

 

「そういえば、神秘は大丈夫なんですか? ここもかなり近代的な街ですけど。」

 

「平気だよ。感覚としてはロンドンと変わらないか、むしろ若干濃いくらいかな。……そういう意味ではまだマシかもね。この国には人外の住む隙間がギリギリ残っていそうだ。」

 

「日本にはそういった逸話が多いみたいですしね。ニューヨークに行った時はレミリアさんがイライラして大変でしたから、大丈夫そうなら良かったです。……とりあえず、あの辺に下りてみましょうか。」

 

ビルに挟まれた無人の路地裏を指差してみると、リーゼ様はこくりと頷いて姿くらましで消えていく。私も杖を振って地上に下りてから、二人で杖を仕舞って大通りがあるはずの方向へと歩き始めた。治安が良い国だと聞いていたのだが、さすがに路地裏ともなるとスプレーの落書きが目立つな。それでもロンドンのダウンタウンに比べれば遥かにマシだが。

 

ちなみに、服装はもちろんマグル界でも違和感のないものに着替えてきている。リーゼ様は翼を仕舞うためのやや大きめのパーカーとカーキのハーフパンツ、それに美鈴さんが何処かで買ってきたワッペンだらけの黒いキャップ姿で、私はロングスカートとセーターだ。……待てよ? これって所謂デートと呼ばれる状況なんじゃないか? 強弁すればそうだと言えなくもないはずだぞ。

 

更に言えば、出発前に二人っきりで温泉に入るという約束も取り付けてあるのだ。粘って良かった。諦めなくて良かった。そして何より撮影機能付きの人形を作っておいて本当に良かった。ひょっとすると今回の日本滞在中に生涯秘すべき家宝が生まれることになるかもしれない。ホテルに戻ったら偽装用の『背中流し機能』を急いで設定しなくては。

 

あまりにも楽しみなイベントのことを考えながら、ポーカーフェイスでリーゼ様と一緒に歩いていると……これは凄いな。大通りに出た途端、人の密度が一気に増したぞ。左右のビルの看板には『パソコン』だの『エアコン』だのといった直接的すぎるカタカナが並び、道の端にはビラや風船なんかを配っている人が沢山居るようだ。

 

「……車道が場所を取ってる分、下手すると香港よりも混んでそうだね。迷子にならないように気を付けるんだよ? 私から離れちゃダメだぞ。」

 

「だから私は方向音痴じゃないんですってば。……でもまあ、この街だと確かに逸れちゃうかもしれませんね。一応手を繋いでおきますか?」

 

よし、今のは自然な流れだったんじゃないか? 果たしてリーゼ様もそう思ったようで、別段迷わずに左手を差し出してきた。凄いぞ、私。やるじゃないか。

 

「おや、いつまで経っても子供だね、アリスは。不安なら繋いでおこうか。」

 

「そうしましょう。慣れない土地で離れ離れになっちゃうと面倒ですし。」

 

ううむ、文句一つない素晴らしい展開だな。もしかしたら日本は私に幸運を運んできてくれる国なのかもしれない。柔らかい手の感触を全神経を集中させて味わいつつ、二人で一緒に大通りを進んで行く。

 

ビルから下げられたカラフルな垂れ幕には漢字、ひらがな、カタカナ、英語が交じった多種多様な売り文句が描かれ、大通りに繋がる細い道では車が歩行者の間を縫うようにして通行している。……実に情報量が多い街だ。日常的に見ている人間なら必要な情報を選別できるのだろうが、他国の魔法界出身となると処理しきれないぞ。

 

リーゼ様も暫くは物珍しそうに異国の喧騒を眺めていたが、やがて顔を上げると私に問いを放ってきた。むう、ボーイッシュな格好がグッとくるな。今なら何をされても許しちゃいそうだ。

 

「それで、フランには何を買えばいいんだい? ピコピコを頼まれたんだろう?」

 

「えーっと……これですね。私もよくは分からないんですけど、人気の品なのでゲーム屋に行けば絶対にあるそうです。」

 

片手で取り出したフランの『似てるのがあるから間違えないように! それと、レミリアお姉様には内緒にすること!』という書き込みが入ったチラシのようなものを見せてみると、リーゼ様はかっくり首を傾げてから困ったように口を開く。チラシには様々な商品が載っているが、フランは買うべき物に丸を付けてくれたらしい。

 

「『似てるの』どころか、全部同じに見えるぞ。何が違うんだい?」

 

「うーん、色じゃないですか? 形も微妙に違うみたいですし、分かる人には分かるんですよ、多分。」

 

「まあいいさ、可愛い妹分のために探してあげようじゃないか。……それにしても、建物がイメージと全然違うね。もっとこう、瓦の屋根が並んでるもんだと思ってたんだが。上から見たときもちらほらとしか無かったぞ。ビルばっかりだ。」

 

「首都の中心部で、尚且つ商業地区だからじゃないでしょうか? 普通の住宅街に行ったら沢山あると思いますよ。」

 

ヨーロッパ系が珍しいのだろうか? すれ違う人がやたらと顔を見てくるのにやり難さを感じつつ応じてみれば、リーゼ様は難しい顔で考え込みながら返答を呟いた。……ポニーテールに纏めた黒髪がゆらゆらしているのがどうにも気になっちゃうな。非常に触り心地が良さそうだ。

 

「ってことはだ、この辺の殆どの建物は新しく建ったものってことかい?」

 

「かもしれませんね。日本はマグルの大戦後の半世紀で一気に発展したみたいですし。」

 

「ふぅん? 住んでる連中は大変だろうね。私はロンドンの変化でさえも追いつけないってのに、よくもまあ適応できるもんだ。」

 

しみじみと言いながら『牛丼テイクアウト』と書いてある地面に置かれた旗を興味深そうに見つめていたリーゼ様は、やおら何かに気付いたような表情になってその先にある看板を読み上げる。

 

「『テレビゲーム』って書いてあるぞ。あそこじゃないか?」

 

「見てみましょうか。」

 

店頭に置かれたディスプレイ用らしきテレビにはフランがいつもやっているような画面が映っているし、ここで間違いなさそうだ。ガラスのドアを開けて店内に入ってみると……うわぁ、物凄い狭さだな。ひと二人がギリギリすれ違える程度の隙間を残して、あとは独特な絵の描かれたパッケージが並ぶ棚で埋め尽くされている。謎のケーブルや機械なんかもちょこちょこ置いてあるらしい。

 

「ああ、これはダメそうだね。私にはさっぱり分からんよ。頼んだぞ、アリス。」

 

「んん……私も全部同じような物に見えちゃいますし、店員さんに聞いてみましょうか。」

 

「それが賢明な選択かもね。……驚いたな、ピコピコにはアダルト向けもあるのか。」

 

なんだそれは。恐ろしい世界だな。堂々と『アダルト向け美少女ゲーム』と書かれた区画へとリーゼ様が引き寄せられるのを急いで止めつつ、商品を整理しているエプロン姿の男性店員へと話しかけた。

 

『すみません、これって置いてますか? この、丸が付いている商品。英語のチラシですけど、日本語の製品で構いませんから。』

 

『……あの、置いてます。持ってきますので少々お待ちください。』

 

私の顔を見て驚いたように停止してしまった店員だったが、我に返ると慌てて店の奥へと駆けて行く。……変だったかな? 私の日本語。結構自信あったんだけど。

 

「驚いてたみたいですし、もしかしたら発音が変だったんですかね?」

 

「いやまあ、他国の人間から急に声をかけられたからだと思うよ。さすがに今はそこまで珍しくもないはずだが、パチェによれば昔は閉鎖的な国だったらしいからね。」

 

「私としてはよく分からない感覚ですね……。」

 

純血主義……とは全然違うだろうし、人間至上主義者の他種族に対する反応とも違う気がする。既知への排斥というよりは、未知への困惑ってのが近いのかな? 同じ島国でも大航海時代に世界を広げたイギリスとは違って、日本は長いこと鎖国していたからなのかもしれない。

 

うーむ、日本の歴史ももうちょっと詳しく学んでおいた方が良さそうだな。そりゃあ話に聞く幻想郷はまた違うはずだが、調べておいて困るということはあるまい。後で本屋に行って歴史の本でも買ってみようかと考えていると、商品を抱えた店員が小走りで戻ってきた。

 

『あのですね、こちらが本体になるんですけど……これで遊ぶにはこっちのカセットが必要なんです。持ってますか?』

 

『あー……じゃあ、それも買うわ。』

 

『ただ、カセットにも種類がありまして。まだ本体が発売したばかりなので四種類しか置いてないんですが、つまりはゲームの内容がこれで決まるんです。こっちがハードで、こっちがソフトってことですね。どれにしましょう?』

 

私が浮かべている表情を見て、ゲームに詳しくないことを察してくれたのだろう。男性店員は何とか噛み砕いて説明しようとしてくれているのだが……まあうん、四種類だけなら全部買っちゃうか。大した値段じゃなさそうだし。

 

『……全部買うから、纏めてお会計して頂戴。』

 

『かしこまりました。では、こちらへどうぞ。』

 

いやはや、こんなことなら出発前にもう少し詳しく聞いておくべきだったな。ちょびっとだけ後悔しながらレジへと進み、店員がゲーム機を梱包してくれるのを横目にリーゼ様へと問いを飛ばす。

 

「いいですよね? 帰った後で違うって言われる方が怖いですし。」

 

「だね。フランも選択肢が増える分には怒らないだろうさ。これが最善の選択だと思うよ。」

 

リーゼ様と深々と頷き合いながら会計を済ませて、狭苦しい店から出て大通りに戻る。これで一応目標達成だ。自然なタイミングですぐさま手を繋ぎ直しながら、不可解そうな表情で『モミモミ椅子』という看板を見ているリーゼ様に向かって質問を送った。

 

「次はどうします? 目に付いた店にでも入ってみますか?」

 

「んー……先ずは観光案内の雑誌でも買ってから、カフェで作戦会議をしようじゃないか。この街は当てもなく歩くには意味不明すぎるしね。」

 

「それじゃあ、とりあえず本屋を探しましょうか。ちょうど買いたい本もあったんです。」

 

本屋とカフェか。ますますデートっぽいな。楽しすぎる展開に心を躍らせながらも、リーゼ様の手を引いて人混みの中を歩き出すのだった。

 

───

 

そしてさほど苦労せずに見つけ出した本屋で観光案内の雑誌を入手し、適当に入ってみたカフェらしき建物の店内。注文した『本日の紅茶セット』を待ちながら、私とリーゼ様は手に入れた雑誌を捲っていた。

 

「当然といえば当然だが、地区によって特色があるみたいだね。……私は食べ物が気になるかな。アリスは?」

 

「私はもちろん人形と、あとは洋服ですかね。着物とか買ってみませんか? ベタベタな観光客って感じの選択かもですけど、こんな機会にしか買えないわけですし。」

 

「着物は基本的にテーラーメイドなんだろう? だったら翼がある限りは無理だよ。見えなくは出来ても消せるわけじゃないからね。……そういえば、温泉はどうするんだい?」

 

「もう専門の情報誌を買ったので、今日の夜にでも詳しく調べておきます。」

 

本屋に大量にあったから、良さそうなのを十冊ほど仕入れておいたのだ。そりゃあ可能性としては極小かもしれないが、もしもリーゼ様が温泉を気に入った場合、何度も行けるという『ジャックポット』は残されているのだから。ここまで幸運が続いている以上、もしかしたらもしかするかもしれないぞ。

 

どうにかキリッとした顔を保った私の言葉を聞いて、リーゼ様は若干気が乗らないような表情ながらも頷いてくる。むむ、良くない兆候だな。冷静になって考えを翻されたらマズいし、明日にでも早速行くことにしよう。

 

「先に言っておくが、露天風呂とかいうのは嫌だぞ。私も同じような雑誌をチラッと見たけど、あんなもん淑女が入るべき場所じゃないからね。絶対に御免だよ。」

 

「もちろん除外してます。二人っきりで、内湯で、綺麗な温泉にしますから。」

 

「ならいいんだけどね。」

 

こうなったからには、予約が埋まっていたら忘却術を使ってでも確保しなければ。私は悪い魔女なのだ。目の前に桃源郷が見えている以上、他人への迷惑など気にしてられない。ここは強硬手段でいかせてもらうぞ。

 

きっと私が魔法を学んだのはこの日の為なのだろう。内心で固く決意したところで、女性店員がトレイに載せた紅茶を運んできた。結構本格的だな。きちんとポットごと用意してくれたらしい。

 

『こちら本日の紅茶セットです。本日の茶葉はダージリンで、ケーキはチーズケーキとなっております。』

 

『どうもありがとう。』

 

注いでくれたお礼を言って、店員が去って行った後に口を付けてみると……んー、微妙。同時に飲んだリーゼ様もそう思ったようで、苦笑しながら感想を寄越してくる。

 

「ダージリンというか、厳密にはブレンドなのかな? 不味いとまでは言わないが、少なくとも美味くはないね。」

 

「まあ、値段もお手頃ですし、妥当なところじゃないですか? ポットに入ってたのが期待値を上げちゃいましたね。」

 

「そうかもね。……何にせよ、飲めないほどじゃないさ。」

 

ふむ、大人しく紅茶を口に含むリーゼ様は、昔よりも随分と丸くなった気がするな。五十年前とかなら『こんなもん飲めたもんじゃない』と突っ撥ねていたはずだ。あの頃のお嬢様然としたリーゼ様も偶には見てみたいぞ。

 

セットメニューみたいに日替わりで『苛烈リーゼ様』と『穏やかリーゼ様』を交互に楽しめれば最高だろうな。我ながら訳の分からないことを考え始めた私を他所に、当の穏やかリーゼ様はフォークでチーズケーキを切り分けながら疑問を放ってきた。

 

「しかし、他のカンファレンス参加者は大丈夫なのかね。各国の要人ともなれば、魔法使い『らしい』魔法使いが多いわけだろう? そんな集団を一気に受け入れる日本魔法省はさぞ迷惑していることだろうさ。随行員を制限したのも、実はその辺の懸念があったからなんじゃないのか?」

 

「その対策かは分かりませんけど、参加者には事前に案内用の冊子が配られたみたいですよ。ちょっと待っててくださいね、確かここに……ほら、これです。」

 

私が拡大呪文のかかった布袋から取り出したそこそこ分厚めの冊子を渡すと、リーゼ様は興味深げな表情で受け取ってそれを開く。表紙からして気合いが入っているな。やけに良い品質の紙だし、見事な墨絵で日本の観光名所がいくつか描かれている。

 

「ふぅん? ……神経質なほど丁寧な案内だが、問題は他国の連中がこれを真面目に読むかどうかだね。」

 

「さすがに参加者は政府高官とかなんですから、ちゃんと読むはずですよ。……多分。」

 

なんか、言ってて自信がなくなってきたぞ。レミリアさんなんかは一顧だにしなかったし、かく言う私もそこまで真面目に読んではいない。そしてリーゼ様もパラパラと流し読んだだけで私に返してきてしまった。もしかしたら他国の人たちもこういう反応なのかもしれないな。

 

私が冊子を作った人に同情の念を送ったところで、チーズケーキを一口食べたリーゼ様が観光の件に話を戻す。

 

「ま、その辺はどうでもいいさ。明後日から三日間はマホウトコロでカンファレンスで、その後も少し残るんだろう? 残してきた咲夜や美鈴なんかには悪いが、のんびり観光するとしようか。」

 

「それは大賛成ですけど、八雲さんとの話し合いはいつ行うんですか?」

 

「藍のやつ、詳しい日にちを指定していかなかったんだよ。日本に来たら迎えがあるとだけ知らされているんだ。……困ったもんだね。こういう伝え方をされると、予定を立てるのが──」

 

リーゼ様が文句らしきことを口にした瞬間、何の予兆もなく私たちの間の空間に拳大の裂け目が開いて、そこからひらりと一枚の紙が落ちてきた。これが噂に聞く『スキマ』? ……まさか、今のやり取りも見られてたってことか?

 

「『カンファレンス一日目の昼間、ホテルまで迎えに行きますわ』ね。……おい、覗き屋。こんな迂遠なことをせずに直接来て話したまえよ。」

 

紙に書かれた文字を読んだリーゼ様が虚空に向かって抗議を呟くと、再び裂け目が開いて返答らしきものが書かれた紙が落ちてくる。なんとも珍妙なやり取りだな。

 

「……ふん、面倒くさいヤツだな。」

 

「なんて書いてあったんですか?」

 

「『私と話す前に、先ずはご自分の目でこの国のことを知ってもらいたいんです』だとさ。他人を駒にするのは好きだが、駒にされるのは気に食わん。非常に苛々してくるよ。」

 

「……それに、見られているのを自覚できないってのも厄介ですね。」

 

うーむ、パチュリーが昔言っていた通り反則級の能力だな。妙な存在と関わってしまったことを悲しむべきか、それとも敵に回さなかったことを喜ぶべきか。私が知る限りではぶっちぎりで強力なその力について思考を巡らせていると、リーゼ様がチーズケーキの最後の一口を頬張りながら肩を竦めてきた。

 

「まあ、考えるだけ無駄さ。どれだけ考えたところで対処のしようがないわけだしね。だったら気にしないのが一番だ。……それより、さっさと飲んでショッピングに戻ろうじゃないか。キミはあの変な形の人形が気になっているんだろう?」

 

「気になっているというか……その、新しい分野だったので知っておくべきかと思いまして。」

 

「じゃあ見に行ってみようじゃないか。その後別の地区に行って洋服でも見つつ、美味しそうな食事処を探せばいいさ。」

 

「そうですね、そうしましょう。」

 

急いでチーズケーキを片付けながら、再び観光雑誌を捲り始めたリーゼ様に同意を返す。そうだった、今は『実質デート』中なんだった。この貴重な時間を無駄にするわけにはいかない。目一杯楽しんでおかなくては。

 

まだまだ余裕が残っている夢の日々に心を弾ませつつ、アリス・マーガトロイドは満面の笑みでチーズケーキを口に運ぶのだった。

 



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善き魔法の在る処

 

 

「さて、そろそろ時間よ。そっちの準備は……こら、人形娘! シャンとしなさい!」

 

ホテルのソファの上でニマニマしているアリスへと、レミリア・スカーレットは本日何度目かの叱責を放っていた。一体全体どうしちゃったんだ、こいつは。昨日リーゼと温泉とやらに行った後から様子がおかしいぞ。

 

日本滞在の三日目、遂に訪日した目的となるカンファレンスが開かれる日になったのだ。ここから三日間に渡って私の政治家としての戦いが続くことになるわけだが……付いて来るはずの人形娘は、その緊張感をぶち壊しにする雰囲気を醸し出している。

 

昨日の夕方ホテルに帰ってきてからというもの、あっちでニマニマ、こっちでソワソワ。そして時たまリーゼに視線を送ったかと思えば、少し赤い顔でクッションなんかを抱き締めながら足をバタバタさせる始末だ。まさか酔っ払ってるんじゃないよな?

 

あまりにも普段と違う様子に困惑する私へと、アリスはいきなりキリッとした表情に変わって返事を寄越してきた。ちょっと怖いぞ、その変化。

 

「私は大丈夫です、レミリアさん。むしろ絶好調と言えるくらいです。……マホウトコロにはポートキーで行くんですよね?」

 

「当然でしょ。ボーンズやスクリムジョールはウミツバメでの移動を選んだらしいけど、私は『羽毛派』の背中に乗って太陽に近付くのなんか御免だわ。……それより日傘はちゃんと持ったの? マホウトコロによれば領内では必要ないらしいけど、中に入るまでは使うことになるんだからね。」

 

「もちろん準備してあります。それにほら、専用の人形も作っておきましたから。」

 

言いながらアリスが示した先には、真っ黒な分厚い日傘を持ってふんすと胸を張っている人形の姿がある。『日傘ちゃん一号』ってところか? 使い道が限定的すぎるぞ。

 

まあ、きちんと働いてくれるのであれば文句はない。日焼け止めクリームも塗ったし、資料の詰まったカバンも持ったし……おっと危ない、精神安定剤代わりのフランと咲夜が肩を並べている写真も持っていかなくては。ストレスの溜まる場所ではこれが一番必要なのだ。

 

危うく忘れるところだった『最重要アイテム』を懐に仕舞ったところで、ベッドルームの方から大きく伸びをしているリーゼが現れた。余裕綽々だな、ねぼすけ吸血鬼め。

 

「おはよう、二人とも。まだ出発してなかったのかい?」

 

「あと数分で出るわよ。……あんたも八雲との話し合いでは気を抜かないようにね。最初にナメられたら終わりなんだから。」

 

「んー、今日はそういう話にはならないと思うけどね。移住関係の話題はキミと藍との話し合いで出るんじゃないかな。……おや、アリス? どうしたんだい?」

 

話の途中でリーゼが呼びかけた先を見てみれば、またしても挙動不審になっているアリスの姿が目に入ってくる。本当にどうしちゃったんだよ。不安を通り越して心配になってきたぞ。

 

「へ? 別にどうもしてませんよ? ただあの、今日のリーゼ様もリーゼ様だなぁと思いまして。……それよりですね、夜に暇潰しで雑誌を読んでたら、昨日よりも良い温泉を見つけちゃったんです。偶々! 偶々なんですけどね! カンファレンスが終わったら行ってみませんか?」

 

「キミ、そんなに温泉が気に入ったのかい? ……私はやっぱり好きにはなれないかな。苦手だよ、あの雰囲気は。」

 

うむ、私も同感だ。リーゼの話を聞く限り、共同浴場など淑女の行くべき施設ではない。そんな否定的な私たちの視線に怯むことなく、アリスは常に無いハイテンションで説得の言葉を飛ばしてきた。いつもは落ち着いてるヤツがこうなるとちょっと不気味だな。

 

「だからこそ、だからこそ練習をしましょうよ。それにレミリアさんはまだ行ってないわけじゃないですか。話を聞いただけで判断するのは早計でしょう?」

 

「あのね人形娘、言っておくけど私は興味ないわよ? そんな場所にスカーレットの当主が行くわけには──」

 

「じゃあレミリアさんはいいです。それよりリーゼ様、もう一回。もう一回だけ行ってみましょうよ。私、リーゼ様が居ないとやっぱりダメみたいで……。」

 

おい、何なんだよ。私が最後まで言う間も無くバッサリ切り捨てたアリスは、リーゼに向かって弱々しい感じに頼み込んでいるが……何だってそんなに必死になるんだ? 温泉には魔女を魅了する何かがあるのだろうか?

 

「……まあ、キミがそこまで言うなら。」

 

果たしてリーゼは人形娘の最後の台詞に心を動かされたようで、渋々ながらも同意の返答を返している。こいつもこいつでちょろいヤツだな。普通のおねだりなんかはダメだと言えるものの、こういう感じに頼られると否とは言えないらしい。普段はしっかり者の人形娘が相手だってのも影響してそうだ。

 

そんな甘々吸血鬼の承諾を得たアリスは、尤もらしく頷きながら口を開いた。口元が緩んでいるのを見るに、温泉に行けるのがよっぽど嬉しいようだ。

 

「やっぱりリーゼ様は頼りになりますね。……それじゃあ行きましょうか、レミリアさん。カンファレンスなんかパパッと終わらせちゃいましょう。」

 

「あんたね、パパッと終わらせちゃダメでしょうが。各国の有力者を説得しないといけないんだから。……ま、確かにそろそろ時間だからね。ポートキーを持っときましょ。」

 

急に元気になったな、人形娘。リーゼと二人して釈然としない表情を浮かべながらも、事前に送られてきたマホウトコロの校章が刻印された鉄のプレートを手に取る。これが日本魔法省が用意したポートキーなのだ。

 

「頑張ってきたまえよ、二人とも。明日は私もゲラートとの接触のために同行するから。」

 

「初日はどこも様子見するはずだから、大した議論にはならないと思うけどね。行ってくるわ。」

 

「行ってきます、リーゼ様。」

 

リーゼのかけてきた言葉に私とアリスが返事を送った瞬間、ぐいと下腹部が引っ張られるような感覚と共に、周囲の景色がひび割れるように歪み……気付いた時には木々に囲まれた広場の中央に聳える、巨大すぎる樹の根元に立っていた。カエデの一種か? 異様なほどに真っ赤な葉っぱだな。センスのある色だし、後で調べて紅魔館にも植えさせよう。

 

しかしまあ、正に『大自然』って感じの場所じゃないか。すぐさまアリスの人形が日傘を差してくれるのを確認したところで、走り寄ってきたローブ……じゃないな。着物とローブの中間くらいの服に、金色の細いマフラーのようなものを首に巻いた若い男が英語で声をかけてくる。マホウトコロが用意した案内役か? これが日本の魔法使いの服装らしい。

 

「お待ちしておりました、スカーレット女史。『善き魔法の在る処』へようこそ。校舎までは私がご案内いたします。」

 

「お願いするわ。……ひょっとして、校舎までは結構歩くの? 完全に『森の中』って雰囲気だけど。」

 

「いえいえ、他国の魔法学校と同じように隠されているだけです。少し先に湖がありまして、そこから……まあ、見ていただいた方が早いかと。言葉で説明するのは難しい隠蔽が施されているものですから。」

 

苦笑しながら言った男の先導に続いて、アリスと共に歩き出すが……湖だと? まさか『流水関係』じゃないだろうな? 若干不安になりつつも、そのまま木々の間の道とも思えぬような道を進んでいくと、さほど歩かないうちに大きな湖が視界に入ってきた。なんとまあ、ホグワーツの湖よりも遥かに大きいぞ。

 

「えらく大きな湖ね。」

 

「非魔法族には普通の小島だと思わせているのですが、実は島がこう……ドーナツのような形になっていまして。中心に海に繋がっている巨大な湖があるんです。」

 

「……まさか、湖の中に学校があるんじゃないでしょうね?」

 

「いえ、湖の『上に』学校があるんですよ。あるいは『下に』と表現すべきかもしれませんが、『中に』ではありませんね。」

 

謎かけみたいな台詞だな。ちらりとアリスの方を見てみれば、彼女もかっくり首を傾げている。そんな私たちの反応にくすりと微笑んだ男は、やがてたどり着いた湖のほとりにある木組みの短い桟橋へと向かい始めた。見渡す限り建物なんか一つも無いし、いよいよきな臭くなってきたぞ。

 

「言っておくけど、濡れるのは嫌だからね?」

 

「大丈夫です。『入り口』の水は魔法で作り出した幻影ですので、濡れる心配はありません。……では、私の後に続いてください。変に慎重になるとむしろ危険ですから、迷わず一気に飛び込んでくださいね。」

 

おいおい、正気か? 軽い感じでそう言った男は、躊躇うことなく桟橋の先から湖へと飛び込んでいってしまう。それに一瞬だけ呆然とした後、困ったような表情のアリスへと指示を出した。

 

「悪いけど先に行って頂戴、アリス。大丈夫そうだったら人形経由で伝えてくれない? 命の危険はともかくとして、流水云々の問題があるってのは大いに有り得るわ。」

 

「これは、そうした方が良さそうですね。……それじゃ、行きます。」

 

意を決したようにぴょんと飛び込んだアリスが湖中に消えていったのを見送って、人形と共に取り残された桟橋の上で暫し待っていると……おっと、大丈夫なようだ。日傘を持っている人形が親指を立てて促してくる。ゴーサインのつもりらしい。

 

「……本当に、本当に大丈夫なんでしょうね?」

 

最後にもう一度確認してみると、人形は大きな頷きを返してきた。ええい、なるようになれだ。物騒な入り口を作り出したヤツに怨嗟の念を送りつつ、思い切って桟橋の先から湖へと飛び込んでみれば……なんだこりゃ。ぐるりと視界が一回転したような感覚の後、目の前には静かで薄暗い神秘的な世界が広がっていた。

 

「改めてようこそ、スカーレット女史。マホウトコロは貴女の来訪を心より歓迎いたします。」

 

どうやら、瓦の屋根が付いた巨大な桁橋の袂に立っているらしい。等間隔に置かれた木灯籠が橋を怪しげに照らし、その遥か先には煌びやかな光に包まれた美しい和風の楼閣が聳えている。上を見上げれば真っ暗な闇がどこまでも続いており、桁橋と楼閣以外の場所は波一つない鏡のような水面があるばかりだ。

 

……どういうことなんだ? 転移したってことか? 微笑みながら言ってきた男に曖昧な頷きを返したところで、状況を把握しているらしいアリスが耳元で説明を囁いてきた。

 

「どうも領域そのものが『反転』してるみたいです。つまり、この湖面を境に上下が逆転してるってことですね。薄い膜のように湖が広がっていて、さっき下にあった湖面が今も下にある感じなんだと思うんですけど……凄まじく高度な魔法ですよ、これ。」

 

むう、まるで鏡の中の世界だな。どこか厳かで、静謐な世界。水面が僅かに光っている気がするのは日光の所為か。要するに、この世界では忌々しい太陽は湖の向こう側のずっとずっと『下』にあるわけだ。そりゃあ日傘は不要だろうな。

 

「……見事なものね。長く生きた私でも見たことのない光景だわ。」

 

水面にちょこちょこと浮かんでいる蓮の葉を横目に言ってやれば、案内役の男は少し誇らしげに返答を寄越してくる。

 

「そう言っていただけると嬉しいですよ。私は非魔法族の生まれなので、初めてここに立った時には感動したものです。正に魔法の世界ですからね。……さあ、こちらへ。この橋は昔から『濯ぎ橋』と呼ばれていまして、入ってきた新入生たちの穢れを洗い落とし、まっさらな状態で善き魔法を学ばせるという意味があるんです。そのため一人の新入生に対して一人の最上級生が付き、この長い橋を渡る間にマホウトコロでの決まり事を教えるというのが伝統になっています。」

 

「ふーん? 教師が教えるんじゃないのね。」

 

説明を口にしながら歩き出した男に続いて、板張りの橋をゆっくりと進みつつ質問を飛ばす。欄干の赤が色鮮やかだな。いっそ全部赤くしちゃえばいいのに。

 

「最上級生は卒業の前に指導者としての責任を学び、下級生は一年間世話になった相手と別れることで自立を学ぶ、というのが目的なんだそうです。なので最初の一年は指導者となる最上級生と一緒に行動することが多いですね。」

 

「ホグワーツみたいに寮で分けられてたりはするの?」

 

「マホウトコロは他校と比べて学生数が少ないので、寮は三つしかありません。……というかまあ、実際は一つで充分な生徒数なのですが、クィディッチで競う相手が居ないのは寂しいということで無理矢理三つに分けられたそうです。ちなみに、やむを得ない理由がある場合を除いて五年生までは通学することになっています。」

 

通学? まさか毎日ウミツバメに乗って登校するのか? 地獄だな。私の呆れた表情を見た案内役は、苦々しい笑みで追加の解説を放ってきた。何を考えているのかが分かってしまったようだ。

 

「ああいや、今は基本的に転移での……そちらで言うポートキーでの通学が主になっています。ひと昔前まではウミツバメで登校していたらしいので、どうも外国ではそのイメージが強いようでして。現在ではウミツバメを使うのは入学時と卒業時のような重要なイベント時や、外からのお客様を持て成す時くらいですよ。」

 

「あら、そうなの?」

 

「普通に時間がかかりますし、雨の日なんかは大変ですからね。……ただし、クィディッチの訓練のためにと箒で海を渡って通学してくる生徒は居ます。今ヨーロッパのリーグで有名な日本のプレーヤーたちも軒並みそのクチですよ。もちろん全体から見ればごく少数ですけどね。」

 

「凄まじいわね。クィディッチに力を入れてるってのは知ってたけど……毎日ここまで箒で来るの?」

 

狂ってるな。『頑張ってて凄い』とかじゃなくて、もはや狂気を感じるような逸話だぞ。アホみたいな話に半笑いを浮かべる私へと、案内人は頭を掻きながら困ったような愛想笑いを返してくる。

 

「あくまで一部の生徒だけですよ。私はそういった『体育会系』ではなかったので、スカーレット女史が呆れる気持ちはよく分かります。……それにですね、マホウトコロは何もクィディッチだけが取り柄というわけではないんですよ? 祓魔学や符学にも力を入れていますし、最近では在校生が薬学で大きな功績を挙げました。ドラゴンの血の新しい効用を発見したようでして。靴磨き薬に使えるんだそうです。」

 

「それはどうでも良いんだけど……そもそもどんな教科があるの?」

 

「そちらで言う呪文学と変身術を合わせたものが呪学、防衛術が祓魔学、符学は……ルーン文字でしたか? あれに近いですね。その三教科に薬学、史学、飛行学、天文学、非魔法学を加えた八教科が四年生までの基礎課程となります。そして五年生からは専門課程……生物学、植物学、古史、癒学の四つの授業の中から好きなものを追加し、十五歳となる九年生が最終学年です。」

 

「……んん? 九年生で十五歳ってことは、七歳の子供が入学してくるってこと?」

 

私が思わず口にした一言に、案内人は首肯を寄越してきた。プライマリースクールとセカンダリースクールを兼ねているわけか。

 

「その通りです。更に言えば、希望すれば卒業後三年間……つまり十八歳までは学校に留まってより専門的な教育を受けることが出来ます。その場合は各教授に直接『弟子入り』するわけですね。最近は二十歳が成人とされている非魔法界との兼ね合いもあってか、そういった選択をする生徒も増えてきました。」

 

「面白いシステムね。最長で十二年間もここで学ぶことになるわけ。……『非魔法学』ってのは? どういう内容なのかしら?」

 

「非魔法界で暮らすための最低限の知識を教える授業ですね。この国は国土が狭いので、全員が全員人里離れた場所に隠れ住むというわけにはいきませんから。大抵の場合卒業後には非魔法族と同じ土地で暮らす必要があるため、そこで困らないように早いうちから非魔法界の一般常識を学ぶわけです。……実は下級生が通学する理由の一つがそれでして。幼い頃からマホウトコロで過ごしていると、いざ外の世界に出た時に困ってしまいます。なので常識の基盤が形成される七歳から十歳までは親元で暮らし、それからようやく寮での生活になるわけです。」

 

「こっちで言うマグル学ってことね。初年度からの必修になってるってことは、ヨーロッパよりは理解度が高そうじゃないの。」

 

当然そうだと思って放った言葉だったのだが……違うのか? 案内役の男は近付いてきた楼閣へと目を逸らしながら、情けなさそうな顔で首を横に振ってくる。入り口は開きっぱなしの木製の大扉で、校舎の殆どの部分も木材で作られているようだ。各所から外に突き出している空中回廊がやたら複雑に交差しているのを見るに、この学校もホグワーツと同じく面倒な造りになっているらしい。

 

「非魔法界出身の生徒はある程度理解がありますが、代々続く魔法族の出身となると……残念ながら、『理解度が高い』とは言えない状況ですね。この国の魔法界にはかなり閉鎖的な部分が残っているんです。」

 

「つまり、『歴史ある名家』が存在しているわけね。純血主義的な考えもあるってこと?」

 

「いえいえ、非魔法族出身に対して冷たく当たるということはありません。それは恥ずべき行為だとされていますし、優秀であれば家系に取り込むための『援助』をするくらいです。……それよりもむしろ、名家同士の争いの方が深刻ですね。古い家には所謂『派閥』のようなものがありまして、大きく三派に分かれて千年以上前から延々争い続けているんですよ。時に盟を結び、時に裏切り、時に謀殺し、といった具合でして。」

 

「あー、なるほどね。そっち方面に進んでいったわけ。」

 

原点こそ同じだが、イギリスとは全然違う状況だな。外敵ではなく内憂。名家の派閥争いか。スカーレットの当主としては馴染みのある問題に苦笑する私へと、案内役は更に詳しい事情を教えてくれた。

 

「五百年ほど前は各大名……各地を治める君主のようなものですね。に従って血みどろの争いを繰り広げていたそうです。その頃は学院内でも決闘による死者が多数出ていたようですし、日本魔法界の暗黒期というわけですよ。その後勅命によって三派閥の間で和睦が結ばれ、十七世紀の初めに非魔法族の戦乱も終息したことから大規模な争いは無くなりましたが、小規模なものは今尚続いています。日本魔法界が抱える問題の一つですね。」

 

「ふーん? ……ちなみに、マホウトコロの校長はどの派閥なの?」

 

「無派閥です。校長は寛政の頃……十八世紀末に頭角を現してきた元非魔法族の家の出身でして、現校長の代になるまでは三派閥を利用して生き残っていたため『蝙蝠の家』と呼ばれていました。お気を悪くなさらないで欲しいのですが、日本での蝙蝠というのは『どっち付かず』といった意味があるものですから。」

 

「別に気にしたりはしないわよ。イギリスでもそんなに愛されちゃいないしね。」

 

『伝染病の媒体』よりかは百倍マシな評価じゃないか。肩を竦めて言った私に対して、男は胸を撫で下ろしながら校長についての説明を続けてくる。

 

「でしたら良かったです。……とにかく、元々はあまり評判の良い家ではなかったのですが、現校長の代になってからは評価が一変していますね。賄賂は決して受け取らず、どんな脅しにも屈さず、泣き落としすらも冷徹に払い除けるため、『揺れず折れずの桜枝、如何な色にも染まりゃせん』と三派閥の長たちは嘆いたそうです。」

 

「校長の名前をもじって皮肉ったわけね。上手いこと言うじゃない。……しかし、写真で見た限りでは温厚そうな雰囲気だったんだけど。実際はそうでもないの?」

 

「基本的には温和で礼儀正しい方ですが、譲らないところは決して譲らないという一面もありますね。……何にせよ、今では三派閥も中立を保つ校長の必要性を認め、非魔法族出身の魔法使いからも尊敬されています。偉大な方ですよ。」

 

「へぇ? アジア圏での名声は伊達じゃないってことね。」

 

私がそう答えたところで、たどり着いた木製の巨大な門の奥から一人の女性が歩み寄ってくるのが見えてきた。噂をすれば、か。横に退いて頭を下げた案内役の男を追い抜いて堂々と近付く私へと、桜色の着物を着た老婆は美しい所作で深々と頭を下げてくる。

 

「いらっしゃいませ、レミリア・スカーレット女史。かのご高名な『紅のマドモアゼル』をお迎え出来るのは当校にとって大変な名誉でございます。」

 

「ごきげんよう、サクラ・シラキ。貴女のことはダンブルドアから聞いているわ。カンファレンスの取り仕切り、期待しているわよ。」

 

丁寧だが、卑屈ではないな。礼儀の表し方というものをよく分かっている女じゃないか。白いひっつめ髪にかんざしを挿した白木桜は、私の言葉を受けてゆっくりと顔を上げた。一見すれば柔和な笑みを浮かべているようにしか見えないが……ふん、この辺はダンブルドアと同じだな。前に立つ者に背筋を正させるような雰囲気を滲ませている。この女も相応の場数を踏んできたのだろう。

 

「あらあら、そう言われてしまえば不手際をお見せするわけにはいきませんね。皆様が議論に集中できるように誠心誠意努力させていただきます。……私は吸血鬼ではありませんが、若い頃は『蝙蝠の娘』と呼ばれていました。これも何かのご縁でしょう。お困りごとがございましたら、何なりと仰せ付けください。」

 

「そうさせてもらうわ。……ダンブルドアはもう到着してるの?」

 

「ええ、一時間ほど前に。朝食がまだだということでしたので、先程まで生徒たちと一緒にお食事を取られていましたわ。相変わらず粋なお方ですね。」

 

なーにをのんびりやってるんだ、あのジジイは。額を押さえながらため息を吐いた後、頰に手を当てて上品に微笑む白木へと口を開いた。

 

「まあいいわ、カンファレンスの開始まで休める部屋はある?」

 

「もちろん準備してございますわ。私はここでお客様方をお迎えしなければいけませんので、また後ほどご挨拶に伺わせていただきます。」

 

言いながら目線で指示を送った白木に従って、案内役の男が再び先導し始める。……カンファレンスの参加者は少なくないのに、わざわざここで全員出迎えるつもりか? ご苦労なこったな。

 

とにかく、いよいよ本番だ。リーゼにも言ったように初日は様子見するヤツが多いだろうが、グリンデルバルドからの問題提起自体は今日行われるだろう。先ずはそれに対する参加者たちの反応を見て、敵味方に色分けしなければ。

 

黒い御影石の広い玄関へと足を踏み入れながら、レミリア・スカーレットは翼をはためかせて気合を入れ直すのだった。

 



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条件と対価

 

 

「……やあ、八雲紫。直接会うのは二十年振りくらいかな?」

 

『スキマ』を抜けてアスファルトの道路に出ながら、アンネリーゼ・バートリは目の前に立つ大妖怪へと挨拶を放っていた。ふむ、外か。てっきり室内に繋がってるんだと思ってたんだけどな。

 

レミリアとアリスがマホウトコロに旅立ってから数時間後。そろそろ正午になろうかというところで、異国のテレビ番組を楽しんでいた私の隣に突如として見覚えのある亀裂が開いたのだ。無言の招きに従ってそこに入ってみた結果、住宅街らしきこの場所に出たわけだが……奇妙な感覚だったな。煙突飛行とも、姿あらわしとも、パチュリーの転移魔法とも違った感覚。スムーズすぎてむしろ不気味だったぞ。

 

違和感に眉根を寄せる私に、マグルの服装の八雲紫が返事を寄越してくる。私にはよく分からんが、なんだかお洒落な感じだ。こいつはマグルの文化にも詳しいらしい。

 

「ごきげんよう、アンネリーゼちゃん。また会えて嬉しいですわ。」

 

「『アンネリーゼちゃん』はやめてくれ。ついでに言えばその胡散臭い口調もだ。鳥肌が立っちゃうよ。」

 

「あら、それなら口調はこっちにしようかしら? 呼び方は……そうね、リーゼちゃんの方が良かった?」

 

「私がやめて欲しいのは『ちゃん』の部分なんだけどね。」

 

建物の形状こそ微妙に違うものの、雰囲気はイギリスのマグルの住宅街なんかと一緒だな。狭苦しい異国の町並みを横目にしながら言ってやると、八雲紫は困ったような表情で頰に手を添えるが……うーむ、相変わらず動作の一つ一つが胡散臭い女だ。芝居じみているというか何というか、考えた上で行なっている動作なのが透けて見えているぞ。

 

「でもでも、私はずっとちゃん付けで呼んでたから、今更変えるのは難しいのよ。……このままじゃダメ?」

 

かっくり小首を傾げて聞いてきた八雲紫に、額を押さえながら頷きを返した。分かっちゃいたが、大妖怪だけあって面倒な性格をしているヤツだな。こういうタイプは真面目に取り合うとバカを見るのだ。適当に流しておくべきだろう。

 

「別にいいけどね。……それで、ここは? 見たところ単なる住宅街のようだが。そもそも東京なのかい?」

 

「豊島区……って言ってもピンとこないでしょうけど、アンネリーゼちゃんが居たホテルからそう遠くないわ。この近くに私の行きつけの喫茶店があるの。落ち着いた雰囲気で居心地が良いし、コーヒーや紅茶も美味しい店だから、どうせならそこで話そうかと思って。ご飯も結構イケるのよ?」

 

「ふぅん? ……まあ、何でもいいさ。目的地があるならさっさと行こうじゃないか。」

 

「それじゃ、付いて来て頂戴。」

 

先導し始めた八雲紫に続いて、中心街より遥かに人通りの少ない道路を歩き出す。久々に話してみて改めて実感したが、この女は違和感の塊だ。態度、口調、立ち振る舞いどころかその見た目まで。一から十までしっくりこない。

 

『掴み所がない』って言葉がこれほど似合う妖怪には会ったことがないな。早々にやり難さを感じている私へと、八雲紫はゆったりとしたペースで歩きながら話しかけてきた。

 

「それで、どうかしら? 日本に来た感想は。住み易そう? 気に入ってくれた?」

 

「神秘もそれなりに濃いし、色々と興味深い国ではあるが、好んで住みたいとまでは思わないね。この国はあらゆる場所が狭すぎるよ。おまけに右も左も人工物ばっかりだし、人外が住むには向いてないんじゃないか?」

 

「うーん、イギリスの妖怪がそう思っちゃうのは理解できるけど、日本にも広大な自然が残っているような場所は沢山あるのよ? ロンドンだけがイギリスじゃないように、東京だけが日本じゃないわ。」

 

「いやまあ、それに関しては認めてもいいけどね。……そもそもだ、『こっち側』の日本の感想を聞いて何か意味があるのかい? キミの箱庭は全く違う世界なんだろう?」

 

魔理沙の話によれば文明のレベルからして段違いらしいじゃないか。狭い道でどうにかすれ違おうとしている自動車を眺めながら言ってやれば、八雲紫は苦笑を浮かべて肩を竦めてくる。

 

「んー、その通りなんだけどね。私はこっちの日本も嫌いじゃないから、感想を聞いてみたかっただけなの。アンネリーゼちゃんだって非魔法界のイギリスをそんなに嫌ってはいないでしょう?」

 

「……さて、どうかな。昔ほど嫌ってはいないかもね。」

 

「あらあら、可愛い反応。……ねーえ? 抱っこしちゃダメかしら? ずっとギューってしてみたかったのよね。」

 

「キミ、私のことをどういう視点から見てるんだ? さっぱり分からんぞ。」

 

意味不明だ。急にフレンドリーになった隙間妖怪から一歩引きつつ聞いてみると、八雲紫は私をジッと見つめたままで後ろ向きに歩きながら答えてきた。自動車にぶつかっても知らんからな。

 

「私と趣味が合いそうな可愛い後輩ちゃん、って感じかしらね。考え方が合いそうな子は好きよ。扱い易いし、私に利益を与えてくれるから。」

 

「……随分と打算的な評価じゃないか。そういうのは堂々と口にするもんじゃないと思うぞ。」

 

「だけど、個々人の関係なんて突き詰めればそんなものでしょう? 誰だって利益を齎してくれる相手を嫌いになったりはしないわ。逆に言えば趣味の合わない相手とは話してても面白くないし、価値観が違うと一緒に居て面倒くさいだけでしょ? ……だから私は貴女のことがだーい好きよ、アンネリーゼちゃん。」

 

どこか妖艶な雰囲気でくすりと微笑んでくる八雲紫に、大きく鼻を鳴らして返答を飛ばす。嘘ではないが、同時に真実でもなさそうだな。まあ、たとえ本音だったところで嬉しくもなんともないが。

 

「はいはい、どうも。好意はありがたく受け取っておくよ。……とはいえ、私がキミをどう思うかはまた別の話だ。キミは些か以上に胡散臭すぎるからね、八雲紫。」

 

「むー、残念。振られちゃったわね。またチャレンジしてみることにするわ。……それと、紫でいいわよ。藍と同じ苗字だからややこしいでしょ? 藍が名前で呼ばれてるのに私はフルネームってのもなんかムカつくし。」

 

「大事な式なんだろう? もっと優しくしてやりたまえよ。」

 

「だって優しくしても全然成長してくれないんだもの。地力はあるのに、何をするにも私の判断が必要な子に育っちゃったわ。私が欲しいのは与えられた仕事を十全に熟す子じゃなくて、私では思い付かないようなことをしてくれる子なのに。……どこで育て間違えちゃったのかしらねぇ。」

 

くるりと前に向き直って人差し指を唇に当てる八雲紫……紫へと、どうでも良い気分で適当な相槌を送る。他人の子育てに口を出すのはご法度だ。どう突いても面倒なことになるのだから。

 

「知らんし、興味ないよ。」

 

「でもまあ、最近はちょこちょこ自分で何かを始めるようにはなってきたしね。これからに期待ってところかしら。……この前なんて自分の式が欲しいって言ってきたのよ? 式の式だなんて面白いこと考えると思わない?」

 

「知らんと言ってるだろうが。『マトリョーシカ式神』大いに結構。勝手にやらせておきたまえよ。」

 

「あらまあ、上手いこと言うわね。」

 

ええい、話の進まんヤツだな。感心したようにポンと手を叩いた紫をジト目で睨め付けたところで、彼女は煉瓦造り……というか、『煉瓦造り風』の建物のドアを開く。どうやら喫茶店とやらに到着したらしい。

 

「さあさあ、ここが目的地よ。話の続きは中でしましょ。」

 

チリンチリンとベルが鳴る音を耳にしながらドアを抜けてみれば、落ち着いた感じの店内の光景が目に入ってきた。手前にはカウンター席があり、奥に軽く仕切られたテーブル席があるようだ。席同士の空間に余裕があるし、この前アリスと行ったカフェよりは居心地が良さそうだな。中心街から外れているからか?

 

『こんにちはー。奥の席を使ってもいいかしら?』

 

『いらっしゃい、紫ちゃん。おや、今日は可愛いお連れ様が居るんだねぇ。どうぞどうぞ、奥でも何処でも好きな所を使っとくれ。』

 

エプロンを着た中年の女性がニコニコしながら言うのに従って、紫と二人で奥のテーブル席へと進んで行くが……『紫ちゃん』だと? やけに親しい呼び方だし、まさかあの女性も物凄い大妖怪とかじゃないだろうな?

 

「人間にしか見えないが、ひょっとして妖怪がやってる店なのかい?」

 

カウンターの奥で作業をしているマスターらしき男性と、先程応対してきた女性。二人を交互に見ながら聞いてみれば、紫はキョトンとした表情になった後……笑いを堪えているような声色で答えを寄越してきた。

 

「違うわよ、アンネリーゼちゃん。人間のフリして常連になってるだけなの。近所の大学生って設定でね。……もう、笑わせないで頂戴。可愛いらしすぎる勘違いだわ。」

 

「……それは失礼したね。」

 

今この瞬間、こいつの評価は『苦手』から『嫌い』にランクアップしたぞ。忌々しい気分で席に着いたところで、紫がテーブルに置いてあったメニュー表を差し出してくる。

 

「好きなのをどーぞ。奢っちゃうから。」

 

「結構だ。自分の分は自分で払うさ。」

 

誰がお前なんかに奢られるもんか。私が選んでいる間に水とおしぼりを運んできたさっきの店員へと、メニューを指差しながら日本語で注文を伝えた。

 

『アイスティーとクラブハウスサンドを頼むよ。』

 

『私はいつものね。今日はコーヒーで。』

 

『はいはい、かしこまりました。すぐに持ってきますからね。』

 

愛想の良い笑顔でカウンターの方に去って行く店員を尻目に、メニュー表を元の場所に戻して話を切り出す。また関係のない話題を持ち出されたら堪らんのだ。さっさと会話を進めることにしよう。

 

「それで? 店に入ったことだし、そろそろ本題に入ろうじゃないか。今日は何の話をするために私を呼んだんだい?」

 

「んん? 別にこれといってないわよ? 『本題』なんて。単にアンネリーゼちゃんと話をしたかっただけですもの。」

 

「……まさかとは思うが、私は世間話の相手をするために呼ばれたってことなのか?」

 

「うん、そんな感じ。……ねえねえ、やっぱり呼び方は『リーゼちゃん』にしていいかしら? その方が友達っぽいと思わない?」

 

こいつ、正気なのか? 明るい笑顔で聞いてくる紫に、痛む頭を押さえながら返答を返した。なんて面倒くさい相手なんだ。

 

「もちろんダメだ。友達じゃないんだから、友達っぽくする必要はないだろう?」

 

「えー……意地悪だなぁ、リーゼちゃんは。」

 

「キミね、勝手に呼ぶんだったらそもそも聞かないでくれたまえよ。一体何の意味があって質問したんだい?」

 

「一応聞いとこうかと思って。……じゃあじゃあ、リーゼちゃんは人間のことをどう思ってるの? これは『ちゃんと聞く方』の質問だから安心して頂戴。」

 

両手でテーブルに頬杖を突いて聞いてくる紫へと、気持ちを切り替えながら口を開く。落ち着け、私。まともにやり合うだけ損だぞ。自分のペースを保って受け答えせねば。

 

「そうだね……昔だったら『矮小な存在』と答えていただろうが、今は別にどうとも思わないかな。人間って括りで判断したりはしないよ。虫けら並みのヤツもいるし、尊敬に値するヤツもいる。そんなところさ。」

 

「うーん、良いわね。グッドな答えよ。……それじゃあ、妖怪に関してはどう思っているのかしら?」

 

「それこそ千差万別で答えようがないよ。人間の評価と同じさ。括りが大きすぎてどうとも言えないね。」

 

「ふむふむ、リーゼちゃんは二つの質問に同じ答えを返すってことね。……なら、三つ目の質問。その考え方を他の妖怪に伝えることは出来る?」

 

パチュリーのよりも黒の強い紫の瞳を細めて放たれた問いに、即座に首を横に振って返事を送る。そんなもん聞くまでもないだろうが。

 

「それは無理かな。……自分で言うのもなんだが、吸血鬼ってのは人外の中でも人間にかなり『近い』存在だ。ハーフヴァンパイアなんてのも居るわけだしね。そういう連中相手だったらやりようはあるかもしれないが、人間から『遠い』タイプ相手だと先ず不可能だと思うよ。魚に肺呼吸を教えるようなもんさ。そもそも構造上できないわけだし、そうなると当然理解もできない。……大多数の妖怪にとって人間ってのは敵であり餌なんだ。かくあれと与えられた認識を変えるのは難しいんじゃないかな。」

 

「でも、リーゼちゃんは変われた。そうでしょ? そりゃあ生まれ持った固定観念を変えるのは難しいけど、不可能ではないんじゃない?」

 

「私を知能指数の低い木っ端どもと一緒にしないでもらいたいね。どんな経緯を辿って私の認識が変化したかはキミもよくご存知のはずだろう? 果実が欲しいからといって木を折るような連中が同じ結論に至れると思うのかい? ……妖怪ってのは人間の畏れから生まれる存在なんだ。である以上、全員が全員仲良しこよしになれるわけがないだろうに。……まあ、今の私が言っても説得力に欠けるかもしれんが。」

 

言いながら何故か温められているおしぼりで手を拭いた私へと、紫は大きくため息を吐いてから首肯してきた。

 

「そうなのよねぇ、そこが問題なわけよ。私たちみたいな大妖怪クラスになれば自己を確立できるから、必ずしも人間の畏れが必要なわけじゃないんだけど……んんー、低級妖怪は無理よね。本能に流されちゃう部分が大きいし、あの子たちも生きるのに必死だから。」

 

「だからこそキミは件の箱庭を創ったんだろう? 力ある者が定めたルールの上でなら、人妖の共存が可能だと思ったわけだ。違うのかい?」

 

「私一人で創ったわけじゃないし、その理由も様々なんだけどね。少なくとも私の目的は人妖の共存で間違いないわ。……だけど、今のままじゃ不健全なわけよ。ルールを破った時の罰が怖いから共存してるんじゃ意味ないでしょ? 妖怪が本当の意味で人間という存在を認めない限り、私の望む幻想郷が完成したとは言えないわ。……人間の方だってまだまだダメね。大多数はルールに縋って生き延びようとするだけで、人妖犇めく幻想郷で独立しようとしている者なんかごく僅かよ。」

 

「ふぅん? だから切っ掛けとして『スペルカードルール』を導入してみる、と?」

 

私が核心に触れたところで、料理を運んできた店員が皿をテーブルの上に載せる。よしよし、美味そうなサンドイッチじゃないか。八雲のは……パスタか? やけに赤みが濃いな。

 

『はい、どうぞ。アイスティーとクラブハウスサンド、それにコーヒーとナポリタンですよ。』

 

『ありがとう。いつも通り美味しそうね。』

 

『まあまあ、紫ちゃんったらお上手なんだから。……あら、いらっしゃいませー!』

 

ベルの音に気付いて入ってきた客の案内に向かった店員を見送って、とりあえずはクラブハウスサンドへと手を伸ばす。うむ、見た目通りの美味さだな。一口食べて自分の選択に満足しながら顔を上げてみると……何のつもりだ? フォークに巻き付けたパスタをこちらに差し出している紫の姿が目に入ってきた。

 

「はい、あーん。」

 

「……意味が分からないんだが。」

 

「これ、日本で作られた料理なんですって。だからあーん。食べてみたいでしょ? 美味しいのよ? ここのナポリタン。」

 

「お断りだね。興味ないよ。」

 

もちろん嘘だ。本当は興味津々だが、こいつに食べさせてもらうなど恥ずかしくて我慢ならん。後日アリスと買い物に行った時にでも食べてみることにしよう。

 

私の冷たい拒絶を受けた紫は、さも残念そうな表情でパスタを自分の口に運び直す。

 

「むむー、中々仲良くなれないわね。意外にも照れ屋さんなの?」

 

「常識があるんだよ、私は。ホグワーツで培った常識がね。それより質問の答えはどうなんだい?」

 

「ん? もちろん大正解よ。それなりに安全で、派手で面白くって、それでいてやり甲斐のある決闘方法。つまり、一種のゲームね。一緒に遊べば仲良くなるんじゃないかと思ったの。」

 

「……まあ、悪くない方法ではあるのかもね。」

 

弾幕を作り出すの自体はそう難しいことではない。ルール上は被弾そのものが問題になるわけであって、相手にダメージを負わせる必要はないのだから。極論、綿毛がぶつかる程度の威力でも構わないのだ。魔理沙の話を聞くに幻想郷は凄まじいレベルで神秘が濃い場所のようだし、それなら人間でもちょっと訓練すれば扱えるようになるだろう。

 

なら、後はそれを組み合わせて『スペル』に変えるだけでいい。より美しく、より避け難い弾幕に。とはいえ完全に避けられない弾幕はルール違反なので、制作するに当たって頭も使うことになる。私もいくつか作ったが、結構苦労したぞ。

 

頭の中で『弾幕ごっこ』のことを考えつつ、美味しそうにパスタを頬張る紫へとぼんやりとした疑問を放つ。

 

「やってみて面白かったのは認めよう。もちろん多少の差は残っちゃうだろうが、このルールならある程度対等に戦えるって部分にも同意するよ。……だが、いきなり人妖が仲良く弾幕ごっこを始めるとは思えないね。」

 

「へーきへーき、最初は強制的に押し付けちゃうから。これ以外の方法で戦ったら死刑、みたいな感じで。」

 

「おいおい、それだと人食性の妖怪が全滅しちゃわないかい?」

 

「それは大丈夫よ。そもそも『餌用』の人間は住人とは別に供給してあるから。」

 

……そういう部分はドライなんだな。私が何を思っているかに気付いたのだろう。紫は困ったように苦笑しながら言い訳を述べてきた。

 

「私だって嬉々としてやってるわけじゃないけど、こればっかりは仕方ないわ。食べなきゃ死んじゃう子もいるんだもの。『神隠し』ってことにして、人間界から最低限必要な数だけを調達してるのよ。」

 

「実に猟奇的だね。片手で人間を攫って妖怪の餌にしつつ、もう片手では人妖の融和を押し進めているわけだ。ひどいペテンじゃないか。」

 

「うー、そんなに責めないで頂戴よ。リーゼちゃんだって人間を食べたりするでしょう?」

 

「昔の話さ。今は主に牛や豚だよ。……死体を盗んでくるんじゃダメなのかい? 味は多少落ちるかもしれんが、死にたてだったら栄養的には問題ないだろう?」

 

思い付いた提案を飛ばしてみると、紫は首を横に振って否定の返事を寄越してくる。ダメなのか。良い考えだと思ったんだけどな。

 

「奇妙なことに、人間界では生きている人間よりも死んだ人間の方がきちんと管理されてるの。生きている人間が突如として居なくなってもそんなに騒ぎにならないのに、それが死体だと大騒ぎになっちゃうのよ。戦争があった頃は簡単に調達できたんだけどね。今は色々と難しくなっちゃったわ。」

 

「管理者の苦労ってわけだ。……ま、その辺は個人的にはどうでも良いかな。精々苦労してくれたまえ。」

 

「最近だと苦労してるのは主に藍なんだけどね。一応は自殺志願者なんかを優先的に狙ってるから、標的を見つけ出すのも一苦労なの。」

 

どうやらあの九尾狐も美鈴や小悪魔並みに扱き使われているようだ。金髪九尾にちょびっとだけ同情の念を送った後、アイスティーで喉を潤してから口を開く。

 

「何にせよ、キミの箱庭なんだ。キミの好きにすればいいさ。余程に受け入れ難いルールじゃない限り、中途参加者たる私は従うよ。」

 

「やっぱり変わったわねぇ、リーゼちゃん。達観したというか、穏やかになったというか……大人になったって感じ。昔はもっと尖ってたのに。」

 

「イギリス魔法界のトラブルが全部解決したら、私は長い『夏休み』に入る予定だからね。あくせく働くのはレミィに任せるさ。」

 

「んー……それならそれなら、私の仕事を色々と手伝ってくれない? そんなに頻繁にあるわけじゃないし、大して忙しくはならないと思うわ。夏休みの暇潰しにどうかしら?」

 

ナポリタンとやらを完食した紫が人差し指を立てて言ってくるのに、やる気ゼロの声で返答を返す。

 

「ヤダよ、面倒くさい。私は幻想郷じゃ日がな一日のんびり過ごす予定なんだ。無意味かつ有意義な時間を奪わないでもらおうか。」

 

「だけど、私でしかあげられない特典もあるわよ? ……人間界と幻想郷を行き来できる権利ってのはどうかしら? イギリスのお友達のこと、気になるでしょ? ちょくちょく遊びに行ってあげるのもいいんじゃない?」

 

「……キミは本当に油断できない女だね。ますます嫌いになったよ。」

 

私にとってはかなりの価値がある条件で、尚且つ紫にとっては容易く実現できる内容だ。あの三人の未来を見届けられるってのは喉から手が出るほど欲しい『特典』だぞ。

 

乗せられてるなと感じつつも、目線で続きを促してやると……紫はこれでもかってくらいの胡散臭い笑みを浮かべながら要求を伝えてきた。

 

「私は幻想郷のトラブルを解決するための『調停者』を育て上げたんだけどね、その子にはちょっとだけ……そう、欠けてる部分があるのよ。そこを埋めるのをリーゼちゃんに手伝って欲しいの。」

 

「よく分からんね。能力的なことを言っているのかい? 妖力の扱い方を教えるとか?」

 

「そうじゃなくって……まあ、あの子に関しては直接話した方が分かり易いかも。今度幻想郷に案内するから、その時会って決めてくれればいいわ。」

 

『調停者』ね。藍の話にもちょこっとだけ出てきていたが、どんなヤツなんだろうか。……紫の言から察するに、面倒くさいヤツなのは間違いなさそうだが。

 

それでも対価が対価なだけに結局引き受けちゃうんだろうなと思いつつ、アンネリーゼ・バートリは疲れた気分で残ったサンドイッチに食らいつくのだった。

 



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弾劾

 

 

「──から目を逸らし、非魔法族の進歩をも無視すると? 最早そんな時間は残されていない。今の諸君らはそのことを理解しているはずだ。……どうも分かっていない者が多そうなのではっきりさせておくが、俺はそうすべきだと言っているのではないぞ。そうしなければならないと言っているんだ。この場に他の道を示せる者が居るのであれば、立ち上がって声を上げてみろ! ……居ないようだな。それなのにまだ話し合う必要があるのか?」

 

議場の中央に設置された演台で挑発的な弁舌を振るうグリンデルバルドを見ながら、アリス・マーガトロイドはこっそり苦笑いを浮かべていた。役者が違うな。どうやら反対派の中にはレミリアさんとグリンデルバルドに対抗できるような弁論家は居ないらしい。『ふたり舞台』になっちゃってるぞ。

 

昨日から始まった国際合同カンファレンスの会場となっているのは、マホウトコロの中心部にある広い畳敷きの大広間だ。畳の上には大きな赤いカーペットが敷かれており、その上に参加者の数だけ椅子やテーブルが設置されている。他国の文化に合わせてくれたのだろうか?

 

円形に並べられた百脚近いテーブルの中央には演台が置かれていて、基本的にはそこに立つ人物が発言なり質疑の応答なりをやっているのだが……今日はレミリアさんとグリンデルバルドしかまだ立っていないぞ。昨日はマグル学の専門家だったり他国の大臣なんかもちらほらと話していたんだけどな。初日の様子見は終わり、二日目は本格的な議論の時間に突入したらしい。

 

そんなわけで矢面に立つことになった二人だったが、さすがに演説やらディベートやらはお手の物らしく、先程から次々と投げかけられる質問をバッサバッサと切り捨てまくっているのだ。レミリアさんが高圧的に踏み潰したかと思えば、グリンデルバルドが冷徹な理詰めで抑え込む。……うーむ、二人よりも周りの方が疲れてきてるみたいだな。

 

参加者用のテーブルの後ろに設置されている随行員席で私が考えている間にも、何度目かのグリンデルバルドに対する質疑応答は終わったようだ。ロシアの議長どのは悠然とした足取りで演台を離れて、レミリアさんとは逆側のテーブルに戻って行った。

 

しかし、暇だな。他の随行員たちはそれぞれの『陣地』で書類の整理を手伝ったり、参加者に助言を送ったりと忙しいようだが、もちろんレミリアさんは私ごときの助言など必要としていない。おまけにさっきまで話し相手になってくれていたリーゼ様は姿を消してグリンデルバルド側のテーブルに行ってしまったし、議論の内容も同じようなものばかりになってきている。

 

これは、二日目中盤にしてもう煮詰まっちゃいそうだな。レミリアさんによれば、この後ダンブルドア先生も発言する予定なのだ。それで更に議論の方向性が定まるだろう。ヨーロッパ諸国の代表の中にはグリンデルバルドへの反感から強硬に反対している者も少なからず居るようだが、感情を抜きにすれば発言の理を認めているはず。もはや大勢は決したらしい。

 

「では、次に進みましょう。発言したい方はいらっしゃいますか?」

 

演台の正面に座るマホウトコロの校長が進行するのを聞きながら、大広間の左側にある中庭へと目を向けた。風情を感じる広大な日本庭園の中心部には、十月だというのに満開の大きな桜の木が聳え立っている。よく見ると、マホウトコロの生徒らしい数人の子供たちがそこに登って議論を覗き見ているようだ。

 

低学年らしき小さな女の子を引っ張り上げている長身の男の子と目が合ったので、にっこり笑いながらひらひらと手を振ってみると……おー、赤くなっちゃった。おませさんだな。リーゼ様もこのくらい簡単なら苦労しないのに。

 

それに気付いた女の子が男の子を木から突き落とそうとし始めたのを眺めていると、そそくさと外側から近付いてきた……デュヴァル? フランス闇祓いのルネ・デュヴァルが話しかけてくる。相変わらず実力に見合わない貧相な風体だ。国際場裡においても『擬態』は健在らしい。

 

「どうも、ミス・マーガトロイド。ご無沙汰しております。」

 

「久し振りね、デュヴァル。フランス魔法大臣の付き添いで来てるの?」

 

「その通りですが、少々厄介なことが判明しまして。」

 

厄介なこと? 表情を真剣なものに改めた私を見て、やけに緊張した声色のデュヴァルは小声で話を続けてきた。

 

「実は、先程本国から緊急連絡があったのです。シャモニーで先の戦争の残党を捜索していた部隊が、死喰い人が反グリンデルバルドの過激派と接触した痕跡を見つけたそうでして。破棄された資料を復元した結果、このカンファレンス中の暗殺を狙っている可能性が大きいとのことでした。」

 

「……ちょっと待って、死喰い人がグリンデルバルドを殺そうとしているってこと?」

 

「いえ、今回の件に関しては死喰い人が中核というわけではなさそうです。元より過激派が企んでいた計画を後押ししている、と言うべきでしょうね。……グリンデルバルド議長の暗殺計画自体は以前から懸念されていたことですが、これで更に実行の可能性が高まりました。用心してください、ミス・マーガトロイド。私は他の信頼できそうな知人にもこのことを知らせてきます。」

 

言うと、デュヴァルは身を屈めながら素早い動きで別のテーブルへと向かって行くが……むう、死喰い人の目的がいまいち分からないな。グリンデルバルドの復帰で削ぎ取られた影響力を取り戻そうということか? もしくは単に混乱が目的なのかもしれない。勢力を立て直す隙を作るための混乱が。

 

何にせよ、デュヴァルの言う通り用心すべきだ。発言し始めたスイス魔法大臣の話を聞いているレミリアさんに近付いて、こっそり耳元で報告を囁いた。

 

「レミリアさん、グリンデルバルドの暗殺はやっぱり起こるかもしれません。今しがたデュヴァルが知らせてくれたんですけど、死喰い人が関わっている可能性もあるとか。シャモニーで暗殺を計画していた連中と死喰い人が接触した痕跡を見つけたそうです。」

 

「ふーん? ……まあ、そんなに気にしなくていいでしょ。事が起こったら対処すればいいわ。」

 

軽い感じで肩を竦めてきたレミリアさんは、至極どうでも良さそうな表情だが……そんなに悠長に構えちゃって大丈夫なのか? 首を傾げる私に対して、我らが弁舌強者の吸血鬼どのは苦笑しながら続きを語る。

 

「あのね、グリンデルバルドの近くにはリーゼが付いてるのよ? ついでに言えば私やダンブルドア、貴女やデュヴァルなんかも居るし、各国代表の護衛だって生半可な連中じゃないわ。誰がどう頑張ってもこの状況であの男を殺すのは無理でしょ。……恐らく、リドルも別に期待してないんじゃないかしら? さすがにそこまでバカじゃないと思うわよ。」

 

「単なる揺さぶりってことですか?」

 

「っていうか、『殺せればラッキー』くらいの気分で焚き付けただけでしょ。どこぞの実行犯が失敗して全滅したところで、死喰い人の懐は痛まないわけだしね。」

 

発言の要点をメモしながらのレミリアさんの説明を聞いて、曖昧に頷いてから元の席に戻った。ふむ、言われてみれば確かにそうかもしれない。リドルはレミリアさんやダンブルドア先生の実力を嫌というほど知っているはずだ。ここまで強力なカードが揃っている場所に残り少ない戦力を差し向けたりはしないだろう。

 

となると、適当に情報を流して過激派の背を押しただけか。……いよいよやり方が姑息になってきたな。余計なことをして多方面に迷惑をかけるのはやめて欲しいぞ。私が小さくため息を零したところで、スイス大臣の質問に対応するために再びグリンデルバルドが演台に立つ。マグル界への対処を行うとして、どの国の誰が音頭を取るのかと聞かれたようだ。

 

「無論、先頭に立つべきは国際魔法使い連盟……つまり、ここに居る全員だ。この問題は単一の指導者の手によって解決すべきものではない。魔法界全体として向き合っていく必要がある以上、連盟が旗を振るのは当然のことだろう?」

 

「グリンデルバルド議長が旗頭になるつもりはないということですかな?」

 

「民意次第だ。各国の魔法使いが選んだ代表たる諸君らが俺を旗頭に選ぶのであれば、老い先短い身命を賭して役目を全うしてみせよう。だが、選ばれないのであれば余計なことをするつもりはない。あくまでロシア魔法界代表としての役割に徹する所存だ。」

 

「……なるほど、理解いたしました。」

 

どうやらスイス大臣はグリンデルバルドが連盟中での権力を握ることを危険視しているらしい。うーん、気持ちは分からなくもないな。そんな懸念を危なげなく躱したグリンデルバルドが席に戻ろうとするが、参加者の一人がそれに待ったをかけた。テーブルの上に置いてある小さな国旗からするに、デンマークの代表のようだ。

 

「私からもグリンデルバルド議長に質問してよろしいでしょうか?」

 

「今の質問内容に関わることでしたら問題ございません。どうぞ。」

 

進行役たるマホウトコロの校長の許可を受けて、演台に戻ったグリンデルバルドへとデンマーク代表が問いかけを送る。感情を押し殺しているような無表情でだ。

 

「では、グリンデルバルド議長にお聞きしたい。……貴方の両手は血に染まっているはずだ。多くの罪もない魔法使いたちの血に。だというのに、まるで過去など無かったかのように恥ずかしげもなくこの場で発言している。私にとっては信じられない行いですよ。貴方に罪悪感はないのですか?」

 

「……質問内容が不適当です。グリンデルバルド議長、答える必要は──」

 

「構わん、『質問』に答えよう。」

 

制止しようとした進行役の言葉を遮ると、グリンデルバルドはデンマークの代表を真っ直ぐに見つめながら口を開いた。……一気にきな臭い雰囲気になってきたな。各国代表たちも騒ついている。レミリアさんだけが愉快そうな面持ちだ。

 

「俺は自分の為したことを余すことなく覚えている。殺した相手の顔も、名前も、怨嗟の声もな。この両手が夥しい量の血にまみれているのも承知の上だ。……だが、後悔はしていないぞ。若い頃のたった一つを除いて、俺は己の所業を一片たりとも恥じてはいない。全てはより大きな善のために行ったことだ。」

 

「恥知らずめ。お前は自分がどれだけの死体の上に立っているかを理解していないのか?」

 

「では聞くが、お前は俺に何を望んでいるんだ? 死んで詫びろと? 死者のために祈れと? ……冗談ではない。俺が行うべきは犠牲に見合うだけの革命を成し遂げることだ。積み上げた死体に向かって懺悔するのではなく、それを踏み越えてでも魔法族の未来のために手を伸ばすことだ。……俺は死ぬまでそれをやめるつもりはないぞ。この身が単なる肉塊に変わるまで、魔法族のために行動してみせる。それが俺の責任の果たし方だ。」

 

無表情で淡々と、迷いなく言い切ったグリンデルバルドに気圧されるかのように、額に汗を滲ませたデンマークの代表が一歩後退った。……理性的に狂っているな。ダンブルドア先生とはまた違った形での自己犠牲の権化だ。個人ではなく、種族のためにその身を捧げる怪物。リーゼ様がダンブルドア先生とグリンデルバルドが似ていると言っていた理由がようやく理解できたぞ。

 

だけど、やっぱり私はこの男を好きにはなれそうにない。私の知る限り、『正しさ』とは一つだけが明確に存在しているわけではないはずだ。……グリンデルバルドは怖くないのだろうか? 自分が間違っているかもしれないと、誤った道を歩んでいるかもしれないと不安になったりはしないのだろうか? もしそうだった時、積み上げた犠牲はそのまま純然たる悪行に変わってしまうのに。

 

きっと、それでも迷わず進める者だけが世界に変革を及ぼせるのだろう。それが良いものにせよ、悪いものにせよだ。グリンデルバルドも、レミリアさんも、そしてある意味ではリドルも。そうやって大きな波を生み出してきたのだから。

 

そんなグリンデルバルドの威圧感に会場全体が凍り付いた瞬間、ゴクリと喉を鳴らしたデンマークの代表が……嘘だろう? そこまでするのか? 杖を抜いて白い老人へと呪文を撃ち込んだ。

 

「やはりお前は死ぬべきだ、グリンデルバルド!」

 

同時にデンマークの随行員が杖を抜き、他の国々の随行員の中からもちらほらと閃光が放たれる。妙だな。曲がりなりにも国の代表がこんな感情的なことを仕出かすのか? 疑問を感じつつも素早くホルダーへと手を伸ばして、グリンデルバルドに向かう呪文の対処を──

 

「あらまあ、残念賞。」

 

する間も無く、グリンデルバルド本人、ダンブルドア先生、そしてマホウトコロの校長が信じられないスピードで空中の閃光を撃ち落としてしまった。抜いたのすら視認できなかったぞ。ニヤニヤしながら呟いたレミリアさんの声を聞きながら、苦い思いで他の連中の制圧に移る。杖魔法だとまだまだ上が居るわけだ。

 

「他には構うな! グリンデルバルドだけを──」

 

ステューピファイ(麻痺せよ)!」

 

余計なことを喚く近くに居た男を気絶させた後、レミリアさんの周囲に七色の人形を展開させていく。護衛の必要などないことは重々承知しているが、それでも役割は全うすべきだろう。無表情で全方位から飛んでくる呪文の対処をしているグリンデルバルドをチラリと確認してから、手近なもう一人を気絶させたところで……ありゃ、もう制圧し終わっちゃったらしい。呆気ないな。

 

「……えっと、これで終わりですかね?」

 

「終わりでしょ。戦力の想定も出来ないアホが立てた計画なわけだし、所詮こんなもんよ。イギリスの戦争に比べたら張り合いがないけどね。」

 

退屈そうなレミリアさんがやれやれと首を振るのを横目に、一応杖を構えたままで慌ただしく動く周囲の参加者たちを見守る。絶対にやりそうもないヤツが暗殺を企てたわけだし、誰が敵なのか分かったもんじゃないぞ。

 

「……ポリジュース薬です! 暴露呪文を!」

 

そこで不意に響いた声の出所を見てみると、倒れたデンマーク代表に杖を向けているデュヴァルの姿が目に入ってきた。あー、そういうことか。デンマーク代表の顔が他人のものに変わっていくのを見るに、下手人たちは皆入れ替わっていたということなのだろう。

 

「これはこれは。実行犯もお粗末だけど、各国代表も間抜けを晒すことになったわね。入れ替わってるのに誰も気付かなかったわけ? ……まさかイギリスは下手を演じちゃいないでしょうね? 二年前の二の舞は御免よ。」

 

レミリアさんの言葉を受けて、イギリス勢のテーブルへと目をやってみれば……大丈夫そうだな。アメリアとフォーリーを囲んで周囲を警戒しているスクリムジョールやロバーズらの姿が見える。他国よりも遥かに落ち着いているし、二度の戦争で得た経験は充分に発揮されているらしい。

 

「大丈夫みたいですね。……カンファレンスは中断でしょうか?」

 

「んー、そうね。さすがに一時中断にはなると思うわ。この国の闇祓いの捜査も入るでしょうし、入れ替わった人物の安否確認も必要だもの。……しっかし、マホウトコロにとっては不運だったわね。防ぐのは難しいやり方だったけど、会場の責任者な以上はマホウトコロの落ち度になっちゃうわ。」

 

まあ、その通りだ。国際カンファレンスの参加者全員を事前に暴露呪文で調べようとするのなんてムーディくらいのものだろう。普通なら失礼すぎてやらないし、やれない。『常識』に付け込まれたマホウトコロはちょっと可哀想だな。

 

杖を片手に毅然とした声で指示を出しているマホウトコロの校長に対して、アリス・マーガトロイドは静かに同情の念を送るのだった。

 



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蛇舌

 

 

「おいおい、大丈夫なのか? これ。」

 

朝食時の大広間。届いたばかりの予言者新聞を見ながら、霧雨魔理沙は思わず呟きを漏らしていた。『マホウトコロで開催中の国際合同カンファレンスで暗殺未遂』? 久々にインパクトのある見出しじゃないか。眠気が吹っ飛んじゃったぞ。

 

「暗殺未遂? ……リーゼは平気なのかしら? 参加してるのよね?」

 

私と同じタイミングで自分の購読している新聞を開いたハーマイオニーに続いて、ガツガツと朝食を食べていたハリーとロンも心配そうな表情で紙面を覗き始める。そして隣の咲夜は……こいつ、また『止めた』な? どうやら既に私の持つ新聞を読み終わった後のようだ。お澄まし顔でサラダを頬張っているのを見るに、少なくともリーゼやレミリアに怪我はないらしい。

 

「僕にも見せてくれ。まさか怪我してないよな? 怪我したら載ると思うか?」

 

「スカーレットさんの随行員として行くって言ってたから、もし何かあったら載るんじゃないかな。……どう? 大丈夫そう?」

 

頭を寄せ合って記事をチェックする六年生三人組へと、呆れた声色で言葉を放つ。私はまだ見出ししか読んでいないが、それでも断言できることはあるのだ。

 

「あのな、普通に考えてリーゼが怪我するわけないだろ。あいつをどうにか出来るレベルの暗殺者だったら未遂で終わるはずないしな。『マホウトコロに生存者なし』が妥当だぜ。」

 

「それだと暗殺じゃなくて襲撃になると思うけど……まあ、お嬢様方がやられるのは有り得ないって部分には賛成よ。死者どころか、怪我人すら出なかったみたいね。」

 

ヴィネグレットのかかったロケットを食べながら肩を竦める咲夜の言う通り、記事を読む限り死傷者は一人も出なかったようだ。暗殺者たちはポリジュース薬でカンファレンスの参加者と入れ替わっていたらしいが、誰かを傷付ける間も無く議場で全員拘束されたらしい。おまけに『元』になった人物も即日救出されたとか。お粗末すぎる暗殺劇だな。

 

「死者ゼロ、怪我人ゼロ、そしてカンファレンスの遅れもゼロだ。今日も普通に再開されてるらしいぜ。」

 

「というか、そもそも誰を狙った犯行だったの?」

 

「グリンデルバルドを狙ったんだとさ。あの爺さんは四方八方から恨まれてるみたいだし、別段驚くようなことでもないだろ。」

 

私からしてみればヴォルデモートより遥かにマシという印象だが、大陸側だとまた違った捉え方があるのだろう。載っていた写真の中からこちらを睨め付けてくるグリンデルバルドを見ながら、乗り出していた身を戻したハリーに答えたところで、未だハーマイオニーの持つ新聞を覗き込んでいるロンが口を開いた。

 

「でも、日程に遅れが出なくて良かったな。校長の授業のこともあるしさ。」

 

「貴方が授業の心配をする日が来るとは思わなかったわ。……よく考えたらダンブルドア先生も大変ね。土、日、月でカンファレンスに出席して、明日には授業に復帰だなんて。一日くらいお休みすべきじゃないかしら?」

 

読み終わったらしい新聞をロンに渡すハーマイオニーの言葉を受けて、ハリーがスクランブルエッグを皿に盛りながら返事を送る。心配事が解決して食欲が戻ってきたらしい。

 

「ダンブルドア先生が休むのには賛成だけど……変な話だよね、授業一つ中止に出来なかった暗殺だなんて。犯人は今頃悔やんでるんじゃないかな。」

 

「普通に再開する連盟も連盟で図太いと思うけどな。会場になってるマホウトコロもそうだし、参加者も同じだ。魔法使いの国際機関だけあって全員どっかおかしいぜ。……そういえば、リーゼは終わってもすぐには帰ってこないんだろ?」

 

「そうみたい。カンファレンスが終わった後もマーガトロイド先生と観光する予定だから、帰りは木曜以降になるって言ってた。」

 

「羨ましいぜ、まったく。私も行きたかったんだけどな。」

 

日本か。幻想郷生まれの私にとっては複雑な土地だ。故郷っちゃ故郷だが、実際に足を踏み入れたことは一度もない。……改めて考えると意味不明だな。『こっちの世界』に関しては今やイギリスの方が詳しくなっちゃったぞ。

 

うーむ、ホグワーツを卒業する前に一度くらいは行っておくべきかもな。境界を分かつ博麗大結界がある以上、幻想郷に戻ったら気軽に出られたりしないのだ。どうせならこっち側の日本もきちんと見ておくべきだろう。

 

「……なあ、咲夜。来年か、再来年の夏休みとかに旅行に行ってみないか?」

 

思い付いた提案を小声で咲夜に飛ばしてみると、我らが銀髪ちゃんはきょとんとした顔で小首を傾げてきた。

 

「旅行? 急にどうしたのよ?」

 

「いやなに、幻想郷に戻る前に日本に行っておくべきだって気付いたんだよ。一人で行くのもなんだし、咲夜もどうかと思ってさ。」

 

「そんなこと言われても、レミリアお嬢様が許可を出してくれるかしら? ……っていうか、幻想郷は日本じゃないの?」

 

「日本かどうかと聞かれたら日本かもしれんが、文明のレベルは段違いだぞ。自分の故郷をあんまり悪く言いたくはないんだけどな。正直言って、こっちに比べると相当生活の質が落ちる感じなんだ。」

 

マグル界には電気があり、魔法界には魔法がある。しかし幻想郷には……まあ、色々と不思議な力はあるっちゃあるが、少なくとも人里には水洗トイレなんか無かったぞ。帰る段階になったら絶対に新型のをマグル界で買って持ち帰るつもりだ。魔法で稼働させれば向こうでも使えるだろうし。

 

私の深刻そうな表情を見て不安になったのか、咲夜は朝食を中断して恐る恐る質問を寄越してきた。

 

「……私、ホグワーツと同じくらいの生活になると思ってたんだけど。違うの?」

 

「悪いが、全然違う。飯なんかは食材からしてこっちの方が遥かに美味いし、清潔感も断然こっちが上だ。……つまりだな、幻想郷にあるのは『村』なんだよ。『町』じゃない。」

 

「えっと、噂に聞くホグズミード村みたいな感じってこと?」

 

「ホグズミードに人口をいくらか足して、代わりに陽気さと魔法を引いた感じだな。」

 

特に魔法の部分がデカいぞ。私的には陽気さの部分も結構デカいがな。説明を聞いてどんどん顔を曇らせていく咲夜へと、具沢山なサンドイッチをいくつか取りながら話を続ける。人里では有数の名家だった私の実家でさえも、魔法で利便化された魅魔様の家に比べると天と地なのだ。普通の民家なんぞ言わずもがなだろう。

 

「こっちのマグル界と同じようなのを想像してると痛い目に遭うぞ。幻想郷の人里は本当に古い暮らしをしてるんだから。……ただまあ、紅魔館内は大丈夫だろ。アリスやノーレッジが居るし、何よりレミリアがそんな暮らしを許さないさ。こっちと同水準の生活は送れると思うぜ。」

 

「それは良かったけど……不安になってきたわ。食材の仕入れなんかは大丈夫なのかしら? お嬢様方に変な物をお出しするわけにはいかないのよ?」

 

「少なくとも、こういうのをコンスタントに手に入れるのは難しいかもな。」

 

フォークに刺した分厚いベーコンを突き出して言ってやれば、咲夜は困ったような表情で悩み始めてしまった。私も昔はそこまで気にしていなかったが、一度文明の味を知ってしまった今はもう無理だろうな。トイレだけじゃなくて色々な物を持って帰る必要がありそうだ。

 

三年後のお買い物に備えて金を貯めようと決意したところで、咲夜の反対側におずおずとアレシアが座り込んだ。どうやらこの子はリーゼが出かけている間、私を仮の『保護者』にすることに決めたらしい。クィディッチの練習で世話を焼いているからなのか何なのか、妙に懐かれるようになってしまった。

 

そして、その手には無骨なビーター用の棍棒が握られている。『先ずは道具に慣れるべき』というケイティの指示を変に解釈しちゃったようで、最近のアレシアは常に身の丈に似合わぬ棍棒を持ち歩くという奇行を行なっているのだ。

 

「……あの、おはようございます。」

 

「おう、おはよ。……何度も言うが、棍棒は持ち歩かなくてもいいんだぞ? 重いし、邪魔だろ?」

 

「でも……これを持ってると、スリザリンの人たちが近付いて来ないんです。」

 

そりゃあそうだろうさ。私だって知らないヤツが棍棒片手に闊歩してたら近付かない。何故ならどう考えても危ないヤツだからだ。……なんか、色々と変な方向に進み始めてないか? 少し不安になってきたぞ。

 

ゴトリと音を立ててテーブルに棍棒を置くアレシアを横目にしながら、霧雨魔理沙はこいつも立派なホグワーツ生になってきたなとため息を吐くのだった。

 

 

─────

 

 

「まあ、ほぼ成功と言えるだろうさ。これで指導者層の意思はある程度統一できたわけだしね。」

 

窓の外に広がる逆さまの世界を眺めつつ、アンネリーゼ・バートリは同室している二人へと語りかけていた。視線の先では箒に乗った数名の生徒が、自動車サイズのウミツバメたちとじゃれ合いながら次々と湖面に突っ込んでいる。明るい場所でクィディッチの練習をするために『境界』を抜けて表側へと飛び出して行ったのだろう。ここでしか見られないような光景だな。

 

グリフィンドールチームも今頃練習を頑張っているのだろうかと考え始めた私に、座椅子に座っているレミリアが返事を寄越してきた。カンファレンス三日目も半分が過ぎ、お昼時の小休止の真っ最中なのだ。午前中の論戦を凌ぎ切った私たちは、レミリアに与えられた控え室で作戦会議をしているのである。

 

「そうね、本来昨日の午後にやる予定だったダンブルドアの演説と、さっきの香港自治区の話が効いたみたい。だからまあ、午後は説得するってよりも詳細を詰める感じになるんじゃないかしら? 後は民衆を問題に向き合わせるだけだしね。」

 

「徐々に私たちの手を離れ始めるわけか。……ふむ、思ったよりも時間がかからなかったね。やるじゃないか、レミィ。」

 

「元々問題の土壌はあったってことでしょ。そこに私とグリンデルバルドで水を注ぎまくったんだから、芽が出るのが早いのは当たり前よ。……だけど、油断は禁物だからね。各国代表はある程度の脳みそを持っているからこの問題のことを理解できたの。頭蓋骨の中が空っぽな民衆に浸透させるのはまた別の難しさがあるわよ?」

 

「民意の誘導はキミの得意分野じゃないか。味方も増えたんだし、何とかなるさ。」

 

軽く言う私をジト目で睨んだレミリアは、やれやれと首を振った後に部屋の隅で電気ポットを弄っているアリスへと話しかけた。この学校では普通に電化製品が使えるらしく、各所にマグルの機械が置いてあるのだ。

 

「アリス、お茶はまだなの?」

 

「ちょっと待ってくださいね、昨日まではここを押せばお湯が出てきてたんですけど……んー? 何ででしょう?」

 

どうやら慣れない電化製品に四苦八苦しているようだ。首を捻っているアリスに助言を送ってやりたいのは山々だが、紅魔館内で二番目に電化製品を使い慣れている都会派魔女に分からないのであれば私に分かるはずもない。……いよいよアリスも『時代遅れ』の仲間入りかもしれんな。これで残るはフランだけか。

 

物悲しい気分で壁際のプラグを確認し始めたアリスを見つめていると、入り口の襖の奥から声が投げかけられる。

 

「失礼します、スカーレット女史。お食事をお持ちしました。入ってもよろしいでしょうか?」

 

うーむ、昨日と同じくたどたどしい英語だな。『読み上げてる感』が凄いぞ。お昼になるとマホウトコロ側が豪勢な日本料理を用意してくれるのだが、それを運んでくるのは職員でもしもべ妖精でもなく、この学校の生徒たちなのだ。

 

単純に人手が足りないのか、それとも社会勉強の一環なのか。何にせよ大変だなと同情する私を他所に、パパッと姿勢を整えたレミリアが入室の許可を放った。ガキ相手に見栄を張ってどうするんだよ。

 

「構わないわ、入って頂戴。」

 

「では、失礼します。」

 

一言断った後、部屋に独特な形状のトレイを持った数名の生徒が入ってくる。二日目とは違う面子だな。アジア系は幼く見えるから自信はないが、ホグワーツで言う二、三年生くらいの男女五人組だ。

 

「こちら筍の炊き込みご飯と、松茸とハモの土瓶蒸し、それに近海で獲れた魚介のお刺身の盛り合わせとなります。山葵は刺激が強いので先ずは少量からお試しください。それでこれが、えーっと──」

 

他の四人がテーブルに料理を並べている間に、最も歳上らしき男子生徒が一つ一つの料理の説明をしていたのだが……忘れちゃったのか? 途中で口籠ったかと思えば、見る見るうちに顔が青くなっていく。哀れな。

 

『……高山、助けてくれ。伊勢海老の香味バター炒めって英語でなんて言うんだっけ? お前も先生の説明を聞いてただろ? 忘れちゃったんだ。』

 

『俺だって忘れたけど、海老なんだからシュリンプだろ。イセ・シュリンプじゃないのか?』

 

『忘れたのは香味バター炒めの部分なんだよ。それに伊勢海老はシュリンプじゃなくてロブスターだ、このバカ!』

 

おいおい、丸聞こえだぞ。小声の日本語でもう一人の男子生徒に相談し始めた説明役君だったが、どうやら私たちが日本語を理解できることに気付いていないらしい。微笑ましいやり取りに苦笑する人外たちの中から、一番優しいアリスが助け舟を出した。

 

『えっとね、日本語で構わないわよ。三人とも理解できるから。』

 

『へ? ……あー、そうでしたか。それは失礼しました。こちらが伊勢海老の香味バター炒めと秋野菜の吹き寄せ、それとこっちは蛤のお吸い物と茶碗蒸しになってます。この保冷魔法がかかった小箱には柿のシャーベットが入ってますので、お召し上がりの直前に開けてください。』

 

顔色を青から一転、真っ赤になって早口で説明する男子生徒の声を聞きながら、私の分を配膳してくれている女の子に質問を送る。この際電気ポットの問題も解決してもらおう。

 

『キミ、あのポットのお湯の出し方が分かるかい? 上のボタンを押しても出てこなくて困ってたんだ。』

 

『ポットですか? 任せてください、見てきます!』

 

これはまた、元気な子だな。両手をがっしりと握った後、女の子はポットに近付いてあれこれ弄り始めた。あまり目にしたことのない緑がかった黒髪に、蛙と蛇を模した奇妙な髪飾りを着けている。見たところ咲夜や魔理沙の一、二個下といったところだろう。

 

『んうぅ……あっ、分かりました! ロックがかかってたんですよ。ほら、ここのツマミを動かすとお湯が出るようになります!』

 

『ロック? なるほどね、安全装置みたいなものか。ありがとう、助かったよ。』

 

『いえいえ、お安い御用です! ……ところでですね、カンファレンス? が終わったら日本観光なんかはしていく予定ですか?』

 

『まあね。せっかく来たんだし、適当にぶらつく予定ではいるよ。』

 

美味しそうな料理を横目に上の空で返してやると、女の子はずいと身を寄せて懐から取り出した謎のチラシを見せてきた。やけに粗い字だな。手作りなのか?

 

『でしたら是非ここに! 東京からは少し遠いんですけど、ここは由緒正しい神社なんです! 他の神社がどうかはともかく、この神社は吸血鬼さんにもご利益がありますから! 家内安全、学業成就、無病息災、商売繁盛、病気平癒、何でもござれの──』

 

『おい、蛇舌! 頼むからお客様に迷惑をかけるな! ……すみません、無視してください。こいつはちょっとおかしなヤツなんです。転入組なんで魔法界のこともよく知らないですし。』

 

説明役の男子生徒が割り込むと、女の子はそちらを睨んだ後でチラシを仕舞ってすごすごと引き下がる。『おかしなヤツ』ね。他の生徒たちも迷惑そうな表情を浮かべているし、ダンブルドアやアリスよりはパチュリーやルーナに近い生徒のようだ。つまりはまあ、『はみ出し者』らしい。

 

『……蛇舌ってのは? それが名前ってわけじゃないんだろう?』

 

ちょびっとだけ可哀想になって問いかけてみれば、女の子はどんよりした雰囲気を漂わせながら説明してくれた。コロコロと表情が変わる子だな。顔も整っているし、こういうタイプは人気が出ると思うんだが。

 

『蛇と話せるんです、私。校長先生は凄い特技だって言ってくれたんですけど、大多数の人たちは……その、不気味だと思ってるみたいで。』

 

『ああ、キミはパーセルマウスなのか。……奇遇だね、私の友人もそうなんだよ。』

 

サラザール・スリザリンの血筋……ではないよな? さすがに。新大陸の方にも遠い縁者が居るらしいから断定は出来ないが、可能性としては限りなく低いだろう。あの家系とはまた別のパーセルマウスってことか?

 

『本当ですか? その人も吸血鬼さんだとか?』

 

『いや、キミより少し年上の人間だよ。あとはまあ、有名どころだとヴォルデモートなんかもそうかな。知ってるかい? 闇の帝王を自称するアホなんだが。』

 

ハリーもヨーロッパ圏ではそれなりに有名人だが、日本では知らない者も多いだろう。彼よりももう少し有名であろうトカゲ男の名前を出してみると、女の子はかなり嫌そうな顔で頷いてくる。よくご存知だったようだ。

 

『……知ってます。悪い魔法使いなんですよね? やっぱり蛇舌はヨーロッパでも悪いイメージなんですか?』

 

『こっちでも印象は良くないが、個人的にはどうとも思わないかな。ヴォルデモートはともかくとして、私の友人は立派な人間だしね。……ま、パーセルマウスそのものに大した意味なんかないさ。私に翼が生えているように、キミは蛇と喋れる。それだけの話だよ。』

 

肩を竦めて言ってやると、女の子は大輪の笑みで返してきた。少しは励ましになったようだ。

 

『はい! ……ありがとうございます、お陰でちょっとだけ気が楽になりました。』

 

『なら良かったよ。』

 

『それじゃあ、日本を楽しんでいってくださいね。ここは良い国ですから。』

 

ぺこりとお辞儀して他の生徒たちと共に部屋を出て行く女の子を見送ってから、テーブルに並ぶ美味しそうな料理へと向き直る。さてさて、良いことをした後は褒美の時間だ。肉らしい肉が無いのは不満だが、今日のところはこれで満足しておくとしよう。

 

不慣れな箸を手に取りながら、アンネリーゼ・バートリはどれから食べようかと品定めを始めるのだった。

 



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異常者

 

 

「……どうしたんですか? リーゼ様。」

 

アンニュイな表情で窓越しの東京の雑踏を眺めるリーゼ様へと、アリス・マーガトロイドは恐る恐る問いかけていた。もしかして、さっきまでやっていた洋服選びがつまらなかったんだろうか? あるいはこのカフェ……というか、ドーナツ屋が気に食わないのかもしれない。ドーナツそのものはともかくとして、アイスティーはお世辞にも美味しいとは言えない味だし。

 

三日間続いたカンファレンスが『無事』に終わり、レミリアさんが仕事のために帰国したのが昨日の夜。余裕のあるリーゼ様と私は東京に残って観光を楽しんでいるのだ。ホテルでもリーゼ様と二人っきりだし、出かけた先でも二人っきり。私としては夢のような状況なわけだが……マズいな、テンションが上がりすぎて着せ替え人形状態にしたのが問題だったか?

 

洋服屋を巡った午前中の所業を思い返してどんどん頭が冷えてきた私に、リーゼ様は窓際のカウンターテーブルに頬杖を突きながら返事を寄越してくる。

 

「いやなに、大したことじゃないんだけどね。カンファレンスが終わった直後、私はレミィの連絡事項を伝えるためにゲラートのところに行っただろう? その時彼とちょっとした昔話をしたんだよ。それを思い出していたのさ。」

 

「昔話?」

 

「ゲラートにしては珍しいことに、あの暗殺者の言葉に関して思うところがあったようでね。……つまり、ヨーロッパ大戦の頃の話をしてたってわけだ。」

 

「議場ではグリンデルバルドが圧倒してたみたいですけど……ひょっとして、本心では気にしてたってことですか?」

 

似合わないな。私はグリンデルバルドの人となりに詳しいわけではないが、あの老人が犠牲者に懺悔するようなタイプだとは思えない。暗殺者に対する反論も本心からのものに聞こえたぞ。

 

意外に感じて首を傾げる私へと、リーゼ様は苦笑しながら返答を返してきた。

 

「んー、キミが考えてるような『気にしかた』じゃないと思うよ。議場でゲラートが言った台詞こそが彼の本音なんだろうさ。必要なければやらないが、必要とあらば迷わずやる。それがゲラート・グリンデルバルドって人間だからね。舗装されていない道を拓くのに、足元の草木を気にしてたら一歩も進めないのはよくご存知のはずだ。」

 

『より大きな善のために』か。グリンデルバルドに悪人という言葉は似合わない気がするが、善人では絶対にないだろう。一人の魔法族のために一人のマグルを殺し、二人の魔法族のためなら一人の魔法族を殺すような男なのだから。冷徹な灰色の老人。苛烈すぎる改革者。

 

私がグリンデルバルドのことを考えている間にも、どこか暗い声色のリーゼ様の話は続く。

 

「ゲラートが気にしていたのは、当時の自分は最善手を選べていたのかって点だよ。昔はゲラートも私も、ついでに言えばフランもまだまだ未熟だったからね。思い返してみると反省点が山ほどあるんだ。……要するに、二人で大昔の『反省会』をしてたってわけさ。あの頃の自分たちをぶん殴りたくなるような反省会をね。」

 

疲れたように笑うリーゼ様は、そのまま力なくドーナツを食べ始めた。うーん、難しい話題だな。やったこと自体ではなく、より『効率化』できたであろうことを反省しているわけか。あの暗殺者が聞いたら憤慨しそうな話ではないか。

 

私もドーナツを一口頬張ってから、ガラス越しの道行く人々を横目に質問を送る。先日行った電気街と同じく、平日だというのにお祭りでもやっているかのような混みっぷりだ。

 

「リーゼ様はどうなんですか? 『最善手』以外の部分に関しては後悔してます?」

 

「自分でも酷い話だとは思うんだが、実は全然してないんだ。初手の打ち損ないと、最後に負けたのが悔しかったくらいかな。……見損なったかい?」

 

「私がリーゼ様を見損なうってのは天地がひっくり返っても有り得ませんよ。諸手を挙げて賛成は出来ませんし、今だったら何とかして止めようとすると思いますけど……まあ、結局はリーゼ様の味方になっちゃうんでしょうね。」

 

そこが私の弱さだな。もしリーゼ様が世界の全てにとっての不利益になったとしても、私はきっと目の前の吸血鬼を裏切れないだろう。こればっかりは善悪や理屈じゃないのだ。リーゼ様に対する親愛が、思慕が、敬意がそれを許してくれないのだから。

 

困ったような苦笑で言った私へと、リーゼ様はほんの少しだけ真紅の瞳を細めた後で……身内にしか見せない優しげな表情で手を伸ばしてきた。

 

「んふふ、嬉しいことを言ってくれるじゃないか。キミは本当に可愛いね、アリス。」

 

背伸びして頭を撫でながらの言葉に、されるがままでその感触を味わう。……最近疑問に思い始めたのだが、私がリーゼ様に向けている感情はかなり倒錯的なものなんじゃないだろうか? 親代わりの見た目が幼い同性の吸血鬼に六十年近く片想いしてるってのは、精神分析医に言わせれば憤死するほどの異常っぷりなのかもしれない。

 

ただまあ、それに気付いてからは諦めて開き直ることにしている。家族への愛情だと無理に納得しようとすること半世紀以上。これだけ時間をかけてダメだったならもうダメだ。それなら異常者らしく幸せを目指すことにしようじゃないか。フロイトだのラカンだのが何を言ってこようが知ったこっちゃあるまい。開き直った私は無敵だぞ。そう思って積極的に行動したからこそ日本旅行中は全てが上手くいっているわけだし。

 

心の中の分析医たちに向かってあっかんべーをしていると、リーゼ様が手を引っ込めて話に戻ってしまった。一日中しててくれても良かったのに。

 

「とはいえだ、この光景がゲラートにも理があったことを証明しているだろう? 端から端までコンクリートの地面、ぎゅうぎゅう詰めのビル、そしてそこに隙間なく蠢くマグルたち。……百年前じゃ想像も付かないような光景さ。それが魔法界なら尚更だ。『これ』の危険性を認識していた魔法使いは彼だけなんだよ。」

 

窓の外に広がる『これ』を示しながらのリーゼ様に、小さく頷いてから同意を放つ。マグル界の進歩は足し算ではなく掛け算のスピードで進んでいる。パチュリーはどこかの段階で一時的に停滞すると踏んでいるようだが、魔法界が露見する方がそれより早いだろう。

 

「確かに先見の明はありましたね。……もしもダンブルドア先生とグリンデルバルドが仲違いしていなければどうなってたんでしょうか? グリンデルバルドの思想をダンブルドア先生の穏やかなやり方で進めていれば、色々と結果が違ってた気がします。」

 

「そこだよ、そこが私にとっての最も大きな反省点なのさ。私たちが百年前の夏に余計なことをしなければ、魔法界はもっと早い段階で健全な形になっていたかもしれないわけだ。我ながら余計なことを仕出かしたもんだよ。」

 

「だけど、何もしなくても決裂した可能性だってありますよ。あるいはダンブルドア先生がグリンデルバルドに影響されちゃう可能性だって……無くはないはずです。あんまり想像は出来ませんけど。」

 

自分で切り出しておいてなんだが、そんなのは所詮可能性の話だ。『もしも』の分岐点は数え切れないほどにあったのだから。私のフォローを受けたリーゼ様は、深々とため息を吐いた後で考えを振り払うように首を振った。

 

「何にせよ、百年前の私は信じられないほどの大間抜けだったってことさ。無駄に行動力がある分手に負えないよ。……昔はこういう後悔とは無縁だったんだけどね。最近は暇な時間が有り余っている所為か、色々と考えちゃうんだ。」

 

「成長したってことなんですよ、きっと。」

 

ドーナツを食べ切って言ってみると、リーゼ様はくつくつと笑いながらアイスティーを飲み干す。

 

「ま、そうかもね。……さてと、次はどこへ行くんだい? ハーマイオニーに頼まれた物もあるし、ハリーたちへのお土産も買っておきたいんだが。」

 

「それなら、出来たばっかりだっていうデパートにでも行ってみますか? さっきチラシを貰ったんですけど、色んなお店が入ってるみたいですよ?」

 

「ふぅん? そうしてみようか。」

 

頷きながら立ち上がったリーゼ様に続いて、重ねたトレイを持って席を立つ。どうやらセルフで片付けないといけないようだ。店員の対応そのものは過剰と言えるほどなのに、変なところでサービスが抜けてるんだな。これもこの国の国民性……あるいは風習? のようなものなのかもしれない。

 

しかし、リーゼ様がそんなことを悩んでいたとは知らなかった。リーゼ様と、レミリアさんと、パチュリーと美鈴さん。この辺の四人はそういう悩みとは無縁だと思っていたのだが……変なフィルターをかけて見ちゃってたのかもしれないな。

 

でも、弱音を吐いてくれるってのは少し嬉しい。もっと寄り掛かってくれてもいいのに。自動ドアを抜けるリーゼ様を追いながら考えていると、外に出た彼女はくるりと振り返って小さな手を差し出してくる。

 

「ほら、迷子になっちゃダメだぞ?」

 

「えへへ、そうですね。」

 

私が言わずともリーゼ様の方から手を繋いでくれるとは……ダイアゴン横丁とかももっと人口過多にならないだろうか? 人混みが一気に好きになったぞ。

 

「それで、どっちに進めばいいんだい? 私にはさっぱり分からんよ。何処も同じに見えるぞ。」

 

おっと、案内をしなければ。無心で手をにぎにぎしてたのから復帰して、辺りを見渡しながら答えを返す。

 

「えっとですね……姿あらわししちゃいます? 方角は分かるんですけど、こうまで入り組んでると細かい道のりが分かり難いですし。」

 

「そうしようか。」

 

手を握っていたい私としては苦渋の決断だが、リーゼ様のテンションが落ちてしまえば元も子もないのだ。ビルの屋上を伝ってさっさと移動しちゃった方が良いだろう。

 

何やかんや理由を付けて付添い姿あらわしに出来ないかなと思案しつつも、アリス・マーガトロイドはとりあえず人気のない路地裏を目指すのだった。

 

 

─────

 

 

「あのな、こんな複雑なフォーメーションが可能だと思うのか?」

 

満面の笑みで羊皮紙に描かれた新フォーメーション案を見せてきたケイティに対して、霧雨魔理沙は額を押さえながら意見を放っていた。笑顔ってのは時に狂気を感じさせるものらしい。化粧でも隠し切れない濃い隈と、爛々と輝くブラウンの瞳。今の彼女の笑顔が正にそれだ。

 

十月も半分を過ぎ、遂に今年のシーズン開幕が近付いてきた夕食前の競技場。我らがグリフィンドールチームも練習に励んでいたわけだが、この土壇場になってケイティが新しいフォーメーションを試そうと言ってきたのである。しかも滅茶苦茶複雑なやつをだ。

 

ハリーと二人でパスの練習をするジニー、敵役のロンへとブラッジャーを打ち込んでいる新ビーターのニール・タッカー、そしてその周囲をオロオロと飛び回っているアレシア。そんな競技場の光景を眺めながら言った私へと、ケイティは笑顔をストンと掻き消して口を開く。クソ怖いな。いきなり表情を変えないでくれよ。

 

「私、昨日寝ずに考えたんだけど……ダメかな? ゴロドク・ガーゴイルズが新しく考案したフォーメーションを基礎に改良してみたの。シーカーがいかに素早くスニッチを捕るかっていうテーマを追求した、攻守のバランスが良い効率的な──」

 

「ケイティ、私はフォーメーションそのものに文句があるわけじゃないんだ。考え方としては悪くないと思うし、今のチームには向いてるとも思う。……問題はだな、新しく入った三人には難しすぎるって点だよ。このフォーメーションだと点差や相手の動きに応じての変化が多すぎるだろ? 少なくとも基本フォーメーションに慣れるまではそっちを練習させるべきじゃないか?」

 

なるべく刺激しないように、ゆっくりと冷静に説明してやると……まーた始まったぞ。躁の次は鬱だ。ケイティはどんより落ち込みながら弱々しく頷いてきた。

 

「……そうだね、その通りだよ。バカみたいに張り切って無謀なことをするよりも、先ずは基礎を固めるべきだよね。どうしてそんな簡単なことに気付けなかったんだろ? キャプテン失格だよ、私。居ない方がマシかも。」

 

「居ないと困るし、失格じゃないさ。ニールはギリギリ通用しそうなレベルになってきたし、ジニーも最近は連携が取れてるだろ? アレシアは……まあ、今も逃げ腰だけどさ。棍棒とお友達にはなったじゃんか。ここまで持ってこれたのはケイティが頑張ったからなんだぞ。」

 

「……そうかな? いけるかな?」

 

「いけるって。大体、他のチームにだって新人は居るわけだろ? うちには経験豊富なシーカーが残ってるんだし、このままいけば初戦は五分に持ち込めるはずだ。初戦で五分なら、次からは五分以上さ。つまり、優勝もそう難しくないってこった。」

 

意味不明かつ希望的すぎる観測だが、言うだけならタダなのだ。真面目くさった表情で元気付けてやると、ケイティは見る見るうちに明るさを取り戻していく。何度も繰り返した所為でこの作業にももう慣れちゃったぞ。

 

「言われてみれば……そうかも。優勝できるかも!」

 

「ああ、出来ると思うぜ。だから今は基礎を完璧にするのを目指そう。後から色々付け足せるように、最初は土台をしっかりさせないとだろ? ……ってもまあ、今日は終わりにしといた方が良さそうだな。そろそろ夕食の時間だ。」

 

「ん、本当だ。……みんなー、今日は終了! 後片付け始めるよー!」

 

練習用ボールケースに立て掛けられている時計を確認したケイティは、飛び回る五人に大声で指示を出し始めた。それを横目にボールケースへと近付いて、ハリーが投げてきたクアッフルをキャッチして中へと仕舞う。

 

「ナイスパス、ハリー。……ロン! そっちにケースを持ってくか?」

 

「いや、大丈夫だ! もう捕まえたから!」

 

毎回敵役をやっている所為でブラッジャーの『捕獲』が上手くなっているロンに手を振って了解を伝えてから、近くに下りてきたジニーへと話しかけた。

 

「どうだ? 新しいグリップの調子。」

 

「微妙かな。慣れの問題なのか相性の問題なのか、握った時に違和感があるのよ。……前のに戻すべき? それともこっちに慣れるべき?」

 

「やり難いなら戻しちゃってもいいんじゃないか? グリップなんか好みの問題なんだし。」

 

「んー、折角買ったのに勿体無いって思いが先行しちゃうのよね。……ま、それで不便になってたら意味ないか。後で戻しとくわ。」

 

肩を竦めて言ったジニーと一緒に、練習で使った小道具なんかをカゴに回収していく。道具との相性問題はクィディッチプレーヤーの常だ。私はおっちゃんの店で試させてもらってるから他よりマシだが、それでも結構お蔵入りになった道具はあるぞ。

 

「殆ど未使用なんだったら何か他の物と『トレード』しちゃえよ。その辺は他寮のチームも受けてくれるからさ。」

 

「あら、そうなの?」

 

「さすがにスリザリンは無理だろうけどな。ハッフルパフかレイブンクロー相手だったら割とよくやってるんだよ。競技場前の掲示板に書いとけば誰かが何かと交換してくれるかもしれないぜ。」

 

そういうところで助け合わないと遣り繰りが厳しいのだ。たまに一般の生徒も利用してるし、フーチなんかも普通に使ってたぞ。……ちなみに、一度だけダンブルドアがクィディッチ専用とかいう靴下を『出品』してるのも見たことがある。次に掲示板を見た時には無くなっていたが、あれは結局どうなったんだろうか?

 

ジニーに助言しながら妙なことを思い出したところで、ケイティが再び大声を張り上げた。片付け終了か。

 

「オッケー、終わり! 荷物を置いたら着替えてご飯!」

 

その簡潔な指示に従って、全員で喋りながら更衣室へと歩き出す。途中にあった用具置き場にボールケースなんかを仕舞った後、女子と男子に分かれて更衣室に入った。

 

「毎回思うんだけどさ、シャワールームくらい設置してくれたっていいよね。」

 

汗でベタついたユニフォームを脱ぎながらのジニーの言葉に、深々と頷いて同意を送る。いくら魔法で綺麗にしても、やっぱりシャワーを浴びないと気分は晴れないのだ。

 

「本当だよな。魔法でパパッと作って欲しいぜ。……あとは訓練場の方にも更衣室を作って欲しいってのもあるな。」

 

「あっちだとユニフォームのままで談話室に戻る羽目になるもんね。……今度ハーマイオニーに頼んでみよっか。監督生集会で議題にしてもらいましょ。」

 

「意味ないと思うけどな。毎年キャプテン陣が訴えても変わってないわけだし。」

 

ポニーテールに纏めていた髪を解きながら応じたところで、ユニフォームを上手く脱げないでバタバタしているアレシアの姿が目に入ってきた。……なんとも間抜け可愛い光景だな。苦笑しながらユニフォームを引っ張って脱がせてやると、すっぽり出てきた後輩がちょっと赤い顔でお礼を言ってくる。

 

「……ありがとう、ございます。」

 

「それはいいけど、髪がくしゃくしゃになっちゃってるぞ。」

 

「あぅ。」

 

少し前までは一緒に着替えるのすら恥ずかしがっていたのだが、今はさすがに慣れたようだ。慌てて髪を整え始めたアレシアに背を向けて、私も手早く着替えを進めていると……うお、びっくりした。いきなりアレシアが短い悲鳴を上げたかと思えば、部屋にどデカい打撃音が響き渡る。何だよ、一体。

 

慌てて振り返ってみると、ビーター用の棍棒を握っている半裸のアレシアと、彼女から距離を取っているジニーとケイティの姿が見えてきた。ついでに言えばべっこり凹んだロッカーもだ。

 

「ちょちょ、何やってんの? アレシア。危ないって。」

 

「私、びっくりして……その、反射的に振っちゃったんです。どうしましょう。殺しちゃったかもしれません。」

 

おいおい、やけに物騒だな。ジニーの注意に衝動的殺人の言い訳みたいな台詞を返したアレシアは、蒼白な顔で凹んだロッカーの反対側を指差している。どういうことだ? 反射的に『殺ロッカー』しちゃって意味か?

 

首を傾げる私とジニーを他所に、一足先に状況を把握したらしいケイティが苦笑しながらアレシアへと近付いていった。

 

「大丈夫だと思うよ。小汚いし、誰かのペットじゃないでしょ。……それより、今のスイングは良かったんじゃない? ジャストミートだったみたいだしさ。それをブラッジャーに当てられれば──」

 

いいから着替えろよな、風邪引くぞ。下着にシャツを羽織っただけの状態で指導し始めた躁状態のキャプテンの視線を辿ってみれば……ああ、ネズミか。どうやらアレシアはロッカーに潜んでいたネズミに驚いてしまったようだ。

 

しっかしまあ、反射的に重い棍棒を振るってのは結構凄いことだぞ。アレシアを背後から驚かすのはやめておいた方が良さそうだ。反対側の壁までふっ飛んでいる哀れな小動物を見ながら考えていると、訝しげな表情のジニーがポツリと呟いた。

 

「……スキャバーズ?」

 

「へ? スキャバーズって──」

 

そこまで聞き返したところで、即座にロッカーを開けて杖を取り出す。ジニーもスキャバーズの正体が誰なのかを思い出したようで、私と同じタイミングで杖を構えた。

 

「ケイティ、杖を持ってアレシアを守っといてくれ! ……間違いないのか? ジニー。」

 

キョトンとしている二人に注意を放ってからジニーに確認してみると、彼女はピクリとも動かないネズミを目を細めて観察した後、視線を切らずにしっかりと頷いてきた。

 

「間違いないわ。あの忌々しいネズミもどきとは十年以上一緒だったんだもの。見間違えたりしないわよ。……死んでるのかしら?」

 

「かもな。私が確認するから、援護してくれ。」

 

「気を付けてね。いざとなったら躊躇しちゃダメよ。」

 

ジニーに首肯しながら右手に杖を構えて、ポケットに入れた左手にはミニ八卦炉を握った状態でそっと近付く。そのまま一メートルほど挟んだ距離まで接近してから、慎重に上から覗き込んでみると……うん、気絶してるっぽいな。もしくはジニーの言う通り死んでるのかもしれんが。

 

「ノックダウンしちまってるみたいだ。……ハリーとロンを呼んできてくれるか? 拘束して校長のとこまで運ぼう。」

 

「それには賛成だけど、その前に全員ちゃんと服を着るべきね。とりあえずは魔法で適当にぐるぐる巻きにしちゃいましょ。こんな覗きネズミが窒息して死んだところで心は痛まないし。」

 

まあうん、そうだな。ジニーは知らないようだが、こいつの犯行はこれで二度目なのだ。死喰い人かつ覗きの常習犯に容赦する必要は一切ないだろう。ピクリとも動けないようにしてやるさ。

 

しかし、何だって今更ホグワーツに侵入してきたんだ? ハリーを狙って? それとも情報を入手するため? ……何にせよ、校長はもう帰ってきている。ここで考えているよりはあの爺さんに任せた方がいいだろう。

 

インカーセラス(縛れ)。」

 

見窄らしい覗きネズミに呪文を放ちながら、霧雨魔理沙は大きく鼻を鳴らすのだった。

 



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獅子と鼠

 

 

「あら、もう拷問を始めてたの? 待っててくれたら私がコツを教えたのに。」

 

フランと共に暖炉の中からホグワーツの校長室へと足を踏み入れつつ、レミリア・スカーレットは部屋の面々に問いかけていた。ダンブルドア、マクゴナガル、ブラック、そして壁際に置かれた椅子に縛り付けられているピーター・ペティグリュー。ルーピン以外の面子は全員到着しているようだ。

 

カンファレンスでどうにか目的を果たして次なる一手の準備をしていたところ、息つく間も無くペティグリューを捕縛したという報告がダンブルドアから入ってきたのである。慌てて魔法省から紅魔館に戻り、既にお出かけの準備を済ませていたフランと二人でホグワーツを訪れてみたわけだが……ネズミ男の右腕が失くなっちゃってるぞ。トカゲ復活の際に捧げたとかいう手首どころではなく、肩口から綺麗さっぱりとだ。

 

それを指差して言った私に対して、ダンブルドアが苦笑しながら説明を送ってきた。ブラックは怒り心頭の表情で気絶しているらしいペティグリューを睨み付けており、マクゴナガルはそんなブラックが妙なことをしないように見張っているようだ。

 

「腕は最初からこうだったのですよ。イギリスでの戦いには参加しなかったようですし、フランスの小競り合いで失ったのかもしれません。」

 

「死喰い人の中じゃ杖腕を失くすのがブームみたいね。ご主人様とお揃いがいいのかしら?」

 

適当な相槌を放ちながらもチラリとフランの方に目をやってみると、無表情でペティグリューを眺めている我が妹の姿が視界に映る。感情が窺えない分、分かり易く怒っているブラックよりも遥かに怖いな。私がフランにこんな顔をされたら泣いちゃうかもしれないぞ。

 

「それで、詳しい状況は? 誰が捕らえたの?」

 

ぷるりと翼を震わせつつもダンブルドアに聞いてみれば、老人は困ったような表情で『ネズミ捕り』の経緯を教えてくれた。

 

「直接捕らえたのはグリフィンドールのクィディッチチームですよ。曰く、女子更衣室に潜んでいたようでして。それを見つけたアレシア・リヴィングストンという一年生が驚いてビーター用の棍棒で殴ってしまったらしいのです。その後ジニーと魔理沙が『スキャバーズ』だと看破して、ここまで連れてきてくれたというわけですな。あの二人もチームの一員ですから。」

 

「女子更衣室? 呆れて言葉も出ないわ。」

 

「ふーん。……それじゃ、とりあえず潰しちゃおっか。」

 

『潰す』? ポツリと呟いたフランはスタスタと椅子に拘束されたペティグリューに近付くと、いきなり足を振り上げて……おお、惜しい。勢いよく股間目掛けて小さな足を振り下ろしたが、素早く杖を振って椅子ごと覗き魔を移動させたダンブルドアの所為で外れてしまったようだ。マクゴナガルは大口を開けて呆然としているし、ブラックも怒りを忘れて顔を引きつらせている。

 

「ありゃ、外れちゃったね。ざーんねん。」

 

言いながら肩を竦めたフランの足下の床にヒビが入っているのを目にして、ダンブルドアは滅多に見れない焦った表情で彼女を止めにかかった。私は止めないぞ。フランに嫌われるくらいならネズミ男のを潰しちゃった方がマシだし。

 

「フラン、落ち着くのじゃ。リーマスがまだ到着しておらぬし、わしは『その』光景を見るのには耐えられんよ。お願いだからそれだけはよしておくれ。」

 

「そう? ダンブルドア先生が言うならやめるけど……ポンフリー先生なら治せるはずでしょ? 一、二回くらいやっちゃってもいいんじゃないかな。」

 

軽い感じで本気だか冗談だか分からない言葉を返したフランは、大人しくソファに座って足を組み始める。……何れにせよ、さっきダンブルドアが見事なスピードで杖を振らなければポンフリーが呼ばれていたのは確かなのだ。本気八割くらいの台詞なのかもしれない。

 

フランのあんよが汚れなくて良かったと胸を撫で下ろしていると、私たちの出てきた暖炉に緑色の炎が渦巻いて、次の瞬間にはヨレヨレのスーツを着たルーピンが……おやまあ、酷い顔だな。ちょっとびっくりしたぞ。

 

何せ、暖炉から出てきたルーピンの顔は傍目にも明らかなほどに腫れ上がっているのだ。ブラックも友人の変化に気付いたようで、驚いたようにルーピンへと質問を飛ばした。

 

「おい、その顔はどうしたんだ? 何かあったのか?」

 

「あー……まあ、これに関しては自業自得なんだ。気にしないでくれ、パッドフット。」

 

「自業自得? だが、それにしたって……物凄い腫れだぞ。癒しの呪文は?」

 

「このままでいいんだ。これは自分への罰みたいなものなんだよ。情けないことを考えていた自分へのね。」

 

何故か質問者のブラックではなくフランを見ながら答えたルーピンに、ソファの上のフランは大きく鼻を鳴らしている。その無言のやり取りに残りの四人が疑問符を浮かべるが、ルーピンは詳しく解説せずにペティグリューの方へと向き直った。

 

「……私も幾分草臥れてしまったという自覚はありますが、彼には劣りそうですね。ずっと気絶したままなんですか?」

 

「その通りじゃ。話を聞く時は君たちも同席すべきだと思ってのう。揃ったことだし、起こしてみるとしようか。」

 

「だけどさ、ハリーはいいの? グリフィンドールチームが捕まえたってことは、ハリーも知ってるってことでしょ?」

 

「先に君たちと話すべき、と言っておったよ。その間に考えを纏めておいてくれるそうじゃ。」

 

ダンブルドアの返答を受けて、フランは少し意外そうな表情で小さく頷く。私としても意外だな。ハリーにとっては間接的とはいえ、両親の仇とも言える存在なのだ。リーゼはまだ日本だし、彼女が諭したわけでもないだろう。傷痕小僧もちょっとは成長しているらしい。

 

ブラックが小声で捕縛の経緯をルーピンに説明しているのを横目に、ペティグリューの椅子の前に部屋の全員が集まった。それを確認したダンブルドアが杖を振って蘇生呪文をかけると、パチリと目を覚ましたネズミ男は驚愕の表情でバタバタ暴れ始める。どれだけ足掻こうがもう無駄だぞ。この状況で逃げられるヤツなど魔法界に存在すまい。

 

「久し振りじゃな、ピーター。自分の置かれている状況が理解できるかね?」

 

「私は……違う! 私は警告しに来たんだ! 信じてください、ダンブルドア先生! 何もやましいことは──」

 

「驚きだな。ホグワーツの女子更衣室に何の警告を伝えに来たんだ? お前のご主人様が覗きに来るとでも? だったらよくやったと褒めてやるが。」

 

いきなり喚き始めたペティグリューの言い訳を、ブラックの冷たい声が遮った。まあうん、確かにそうだな。行動の説明になってないぞ、覗き魔。そんな獰猛な笑みを浮かべる犬もどきへと、ネズミ男は卑屈な半笑いで返事を返す。

 

「……ああ、パッドフット。懐かしき我が友。また会えて嬉しいよ。」

 

「私も会えて嬉しいよ、ピーター。大量殺人鬼にされた礼をまだ言えてなかったからな。お陰でゴミ漁りが随分と上手くなった。お前のお陰だ。」

 

「それは……すまなかった。だけど、ああするしかなかったんだ。私には他の選択肢なんて──」

 

「どうやら見解の相違があるようだな。私なら友のために死ぬことを選んだだろう。お前以外の三人も迷わずそれを選んだはずだ。友を裏切り、売って、挙句その仇に媚びへつらうことなどしない。お前以外の誰もがな!」

 

おー、怒ってるな。今にも殴りつけそうな雰囲気で怒鳴るブラックを説得するのは無理だと感じたのか、ペティグリューは情けない表情でルーピンとフランに縋り始める。ルーピンは知らんが、フランはもっと無理だと思うぞ。

 

「そうじゃない、そうじゃないんだ。私だって簡単に今の道を選んだわけじゃ……君たちは分かってくれるだろう? ムーニー、ピックトゥース。」

 

「何を分かれと? ジェームズを裏切った理由かい? それともシリウスを陥れたことの方か? ……残念だが、私には分からないよ、ピーター。どれだけ考えても納得できる理由が出てくるとは思えないね。」

 

「っていうかさ、とりあえずピックトゥースって呼ぶのやめてくれる? 不快だから。」

 

ルーピンの淡々とした拒絶と、フランの背筋が凍るような声色の指摘。取り付く島もない二人の言葉を聞いて、哀れなドブネズミはダンブルドアへと弱々しく話しかけた。

 

「お願いです、ダンブルドア先生。私は確かに間違ったことをしました。だけど、今回は本当に何も企んでいない! 更衣室に忍び込んだのも、あの金髪の女の子に伝言を頼もうと思ったからなんです! 私はあの子のことを『助けた』から! だから話を聞いてくれるんじゃないかと──」

 

「落ち着いてゆっくりと話すのじゃ、ピーター。話は最後まできちんと聞こう。されど、赦すかどうかは別の話じゃよ。そしてそれを判断するのはわしではない。分かるじゃろう?」

 

穏やかながら威厳あるダンブルドアの言葉を受けたペティグリューは、泣きそうな表情でポツリポツリとここに居る理由を語り出す。

 

「……私は、警告を伝えに来たんです。セブルスのことを伝えに。」

 

「セブルスの?」

 

「私が出てきた時には、既にセブルスはご主人様……『例のあの人』に怪しまれていました。その、そちらの陣営のスパイなのではないかって。」

 

そら見たことか。私の懸念通りじゃないか、のんびりジジイめ。呆れた気分で応接用ソファの肘掛に腰を下ろした私を他所に、ダンブルドアは厳しい表情で話の続きを促した。

 

「仮にセブルスの危機が本当だとして、何故君がわしらにそれを伝えるのかね?」

 

「セブルスは、彼は捕まる前に私に選択を迫ったんです。このまま帝王と共に死ぬか、逃亡者として生き続けるか、最後に寝返って自分の危機をダンブルドア先生に伝えるか、どれかを選べと。自分は帝王からの監視があるから迂闊に離れられないと。私は……私は正しい道に戻りたかったから、だから一も二もなく寝返る道を選択しました。」

 

「どうだかな。単に負けそうだから逃げただけじゃないのか?」

 

ブラックの的を射た突っ込みに、ルーピン、フラン、私の三人がこくりと頷く。ダンブルドアやマクゴナガルも内心ではそう思っているだろうさ。そしてスネイプもそう思ったからこそペティグリューに話を持ちかけたのだろう。今なおリドルに付き従っているのは忠実な連中ばかりだ。その中で簡単に裏切ってくれるのなんてこいつくらいなわけだし。

 

そんな私たちの反応に苦い表情を浮かべながらも、ペティグリューはスネイプに関しての報告を続ける。

 

「その後、セブルスは私の腕を切り落としました。私が寝返る決意をした瞬間、例のあの人から与えられた腕が私を……締め殺そうとしたので。そして魔法薬で応急処置をしてから、『地図』を使ってホグワーツに忍び込んでダンブルドア先生に伝えろと言ってきたんです。帝王が隠れている場所と、自分の任務が失敗しかけていることを。」

 

「地図……なるほど、忍びの地図を使ったわけじゃな。隠れている場所とは?」

 

「ヌルメンガード城です。帝王は残った部下と一緒にあの場所に居ます。」

 

あー、ヌルメンガードか。グリンデルバルドの脱獄騒動の所為で、今は放棄されて廃墟同然になっているはずだ。山奥で人気もない場所だし、その堅固さだけは未だ健在。言われてみれば隠れ潜むには絶好の場所かもしれないな。

 

しかしまあ、残党を利用した後は嘗ての本拠地を再利用ね。本人がどう思っているのかは知らないが、どこまでもグリンデルバルドの後追いをする男だな。案外ファンだったりするんだろうか? そうであったところでロシアの真っ白ジジイは喜ばないだろうが。

 

私が至極どうでも良いことを考えていると、ペティグリューが恐る恐るという感じで問いかけを放った。まるで当たり前の質問かのように、するりと会話に差し込むようにだ。

 

「あの、私は赦されますか?」

 

おいおい、これはまた……救いようがないアホだな、こいつ。怯えと、疑念。そして微かに覗く小さな期待。半笑いの表情で聞いてきたペティグリューの言葉を受けて、彼以外の全員が呆気に取られてしまう。この程度の情報で赦されると本気で思っているのか? 友を裏切り、死に至らしめた罪がこんなことで雪がれると? 吸血鬼にしたって有り得ない台詞だぞ、今のは。

 

ダンブルドアが憐憫と、諦めの表情で黙っているのを見て、ペティグリューはなおも問いを続けた。……どこまでも哀れな男だな。こいつはこんな舞台に立つべきではなかったのだ。なまじ壮大な運命に関わってしまったばかりに、到底背負いきれないものを、抱えてはいけないものを手に取ってしまったわけか。

 

「私は、私は正しい道に戻ってこられましたか? ジェームズは、リリーは私を赦してくれますか?」

 

縋るように、願うように口にしたペティグリューは、その場の全員の乾き切った表情を確認すると……青い瞳を絶望の色に染めた後、項垂れながら溜め込んできたものを吐き出すように言葉を放つ。

 

「私は……僕は怖かっただけなんだ。十五年前も、三年前も、今だって! 誰もが君たちのように立ち向かえるわけじゃない。僕だって君たちのようになりたかったさ。だけど、無理なんだ! ……僕には無理なんだよ。怖くて、手が震えて、自分が死ぬ時のことを考えちゃうんだ。僕だって君たちと一緒に背中を合わせて戦いたかった。勇敢で、信頼できる強い仲間でいたかった。……でも、どうしても無理なんだ。出来ないんだよ、僕には。」

 

獅子の群れに交ざってしまったネズミか。ネズミのままで生きれば幸せだったろうに、分不相応な獅子の道を夢見たが故にこんな結果を迎えてしまったわけだ。組み分け帽子も残酷なことをするもんだな。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で嗚咽するペティグリューを見て、フラン、ブラック、ルーピンの三人は遣る瀬無い表情を浮かべている。

 

「……危険を冒して有力な情報を届けてくれたことは魔法省に報告しよう。三年前、咲夜とその友人を救おうとしたことも判断材料にはなるじゃろうて。しかしながら、重い刑は避けられないはずじゃ。」

 

ひどく疲れた声色のダンブルドアが事務的な口調で説明すると、ペティグリューは俯いたままで微かな呟きを返す。

 

「……私の知る情報は全て渡します。だからもう、終わらせてください。全てを。」

 

言い終わると、ペティグリューは俯いたままで動かなくなってしまった。……まあ、ここから先はフランの問題だ。今になって被害者面をするなと怒るもよし、哀れんで赦すもよし、もう関わりたくないと放置するもよし。妹さえ納得すれば私はそれで満足なのだから。

 

それより、私が考えるべきはリドルとの決着についての方だな。攻める先はヌルメンガードに決まった。である以上、あとは戦力と作戦を整える必要があるだろう。スネイプの件もあるし、ここからは迅速な行動が要求されるはずだ。

 

先ずは日本で人形娘と暢気に遊んでいるリーゼを呼び戻して、次にグリンデルバルドにヌルメンガードの情報を要求して……おっと、オーストリア魔法省にも話を通さないとな。うちの『負債』が逃げ込んだことは、ヌルメンガードをしっかりと片付けておかなかったことで相殺できるだろう。討伐するとして指揮権は絶対に握りたいし、余計な口を出されないように根回ししておかなくては。

 

一つの戦いの終わりが迫ってきたのを感じつつ、レミリア・スカーレットは脳内で盤面を組み立てるのだった。

 



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脚本家

 

 

「それで、詳細は纏まったのかい?」

 

人気の無い防衛術の教室の中、杖を振って授業の後片付けをしているダンブルドアに対して、教卓に腰掛けたアンネリーゼ・バートリは質問を飛ばしていた。日本からイギリスに戻ってきた翌日、午前最後の防衛術の授業が終わったところだ。生徒たちは既に教室を出て昼食へと向かっている。

 

どうやら、私とアリスが日本で遊び呆けている間に状況が大きく進展してしまったらしい。レミリアの知らせを受けて慌てて帰ってきたのが昨日の夕方。夜にペティグリューの件に関して思うところがあるらしいハリーの相談に乗ってから、深夜には紅魔館に戻ってレミリアと話し合い、明け方から先程までかけてロシアに居るゲラートと情報の擦り合わせを終わらせて、今はダンブルドアとの打ち合わせを始めたところだ。過密スケジュールにも程があるぞ。

 

うーむ、暢気に温泉巡りなんかしている場合じゃなかったな。あんまりにもアリスが楽しそうにするもんだから、久々に見る子供っぽい彼女が新鮮でついつい付き合ってしまった。内心で反省している私へと、ダンブルドアは難しい表情で返答を返してくる。

 

「戦力や全体の作戦に関してはスカーレット女史が整えてくれております。そちらは心配ないでしょう。……わしらにとって問題なのは、如何にして決着の時を『演出』するかということですな。」

 

「ま、そうだね。改めて考えてみると結構難しいと思うよ。」

 

ヌルメンガードを占拠する不法侵入者どもを討伐するのは決定事項として、重要なのはハリーとリドルの決着の付け方だ。リドルがハリーに致死性のある呪文を放ち、ハリーがそれを受け、そしてダンブルドアが護りの魔法を使う。そんな一連の流れをリドルから疑われないように行う必要があるのだから。

 

ハリーが分霊箱になっていると気付いた上でリドルが彼を殺そうとするかは微妙なところだし、ダンブルドアが護りの魔法を使おうとしていることを察した場合も同様だろう。かの魔法の恐ろしさを一番理解しているのはリドルのはずだ。そうと知りながら不用意に死の呪文を撃ち込むほどアホではないはず。

 

更に言えば、全てを諦めて自死する可能性すらある。分霊箱が在る限り、リドルには『次』があるのだから。……ただまあ、そう易々とはその選択肢を選ばないだろうな。復活に手間と時間がかかることは彼もよくご存知なわけだし、自身の魂が摩耗していることにも気付いているはずだ。復活を繰り返す度に死なないまでも下等な存在に堕ちていく以上、出来れば避けようとはするだろう。

 

脳内にリドルの取り得る手段を並べている私に、ダンブルドアはカラフルなソファの一つに座りながら口を開いた。改めて考えると奇妙な状況だな。この爺さんは自分が死ぬための舞台を整えているわけか。

 

「基盤となる作戦は既に考えてあります。しかしながら、トムの動きによっては現地で修正する必要が出てくるでしょう。……先に知っておきたいのですが、貴女が本気で姿を隠そうとした場合、どこまで気付かれ難い状態になれますかな?」

 

その言葉を聞いた瞬間、気配と姿を消して息を止める。一切の音を立てないようにダンブルドアの背後に移動した後、杖を頭に突き付けた状態で能力を解除した。プディングの味を語るよりも、食べさせてやった方が早いのだ。

 

「こんなもんだよ。気付けたかい?」

 

「……これは、驚きましたな。全く分かりませんでした。」

 

「だろうね。面倒だし疲れるから滅多なことじゃここまでしないが、本気で潜んだバートリの吸血鬼を見つけ出すのは難しいぞ。少なくとも人間には絶対に無理だ。リドルや死喰い人に気付かれないように動けるのかを心配しているのであれば、その心配は無用のものだと言っておこうか。」

 

バートリ家には近くの者に音や体重の動きを感じさせない特殊な歩法や、空気の揺らぎを最小限に抑えるための身体の動かし方、挙げ句の果てには一時的に心臓を止めて心音を消す技法まで伝わっているのだ。当然ながら妖力も体外に出さないように出来るし、体臭や体温なんかもある程度調整できる。同族さえも畏れた『影も在らず』は伊達じゃないぞ。

 

ちょっと自慢げに言った私に対して、ダンブルドアは感心したように頷きながら話を続けてきた。うむうむ、分かってくれたようで何より。ゴリ押し姉妹の姉は『卑怯』だと断じてくるし、妹には『目』の位置で探知されてしまい、美鈴なんかには普通に勘付かれてしまうのだ。これが正常な反応なんだからな。

 

「でしたら、バートリ女史には姿を潜ませた状態でのハリーの護衛をお願いします。最後の瞬間、わしは杖を失っているはずですので。いざ不測の事態が起こった際、素早く対処できないかもしれません。」

 

「ハリーの護衛は私としても望むところだが……ふむ、いまいち想像が付かないね。どんな状況に持っていくつもりなんだい?」

 

「先ず、わしがトムとの決闘で敗北します。トムがハリーに対して死の呪いを撃ち込むのを、わしが外野から大人しく見物しているというのは……まあ、それなり以上の違和感がありますからな。わしが十全の状態ではトムが警戒するでしょうし、上手く『無力化』されてみせますよ。」

 

そりゃそうだ。ダンブルドアの性格的に有り得ない事態だし、そんな状況になればリドルも訝しむだろう。納得の首肯を返した私へと、ダンブルドアは作戦の続きを話す。

 

「そしてわしが敗北したのを見たハリーが前に出て、トムと決闘を繰り広げるわけです。……どうですかな? 有り得そうな展開でしょう?」

 

「ふぅん? ……ま、『ストーリーライン』に文句はないよ。それより、キミとハリーの距離はどうなんだい? 護りの魔法がどんなものかは知らないが、遠くから使えるようなものではないんだろう?」

 

「あの魔法において重要なのは想いの強さであって、物理的な距離ではありません。ある程度離れていたところで問題はないでしょう。むしろバートリ女史に気を付けていただきたいのは、咄嗟にハリーを守ってはいけないという点です。護りの魔法を正常に動作させるためにも、ハリーは呪文をその身に受ける必要があるのですから。」

 

「重々承知さ。……頼むからしくじらないでくれよ? ダンブルドア。私は目の前でハリーに死なれるのなんざ御免だからな。」

 

私にとっての最悪の結果はそれだ。強めの口調で念を押してやると、ダンブルドアは苦笑しながらしっかりと頷いてきた。

 

「今回ばかりは文字通り命懸けで成功させてみせますとも。バートリ女史が側に居るならハリーの方も心配ないでしょう。難しいのは四人……というか、トムから見れば三人だけの状況をどうやって作り出すかですな。周囲に闇祓いたちが居るのにも関わらず、ハリーが決闘を挑むというのも無理がありますから。」

 

「そこは現地で組み立てるしかないだろうね。幸いにも地の利はこっちにあるわけだし、リドルが居る場所さえ判明すれば何とかなると思うよ。」

 

ヌルメンガードは私の古い『友人』だ。建築時からの付き合いなのだから内部構造は手に取るように分かるし、リドルが知らないであろう隠し通路なんかも全て把握している。何を思ってあの要塞に逃げ込んだのかは知らんが、我らが忠実なる友はお前の味方をしたりはしないぞ、ポンコツ帝王め。

 

小さく鼻を鳴らす私へと、ダンブルドアは厳しい表情で手の中の杖を弄りながら言葉を寄越してくる。

 

「もう一つ気がかりなのはセブルスのことです。まだ無事ならば良いのですが……。」

 

「死んではいないんだろう? キミはそれを確認できると言っていたはずだ。」

 

「生きていることは間違いありませんが、もしかするとトムからの拷問を受けて情報を引き出されているかもしれません。そうなれば一気に問題は複雑になってくるでしょう。その覚悟もしておく必要がありますな。」

 

「……まあ、蓋を開けてみなければ分からんよ。この機を逃さないためにも、臨機応変にいこうじゃないか。」

 

不確定要素は多々あるが、これが最大のチャンスなのは間違いあるまい。仕損じるわけにはいかんぞ。アリスのためにも、ハリーのためにも、全てを終わらせなくてはならないのだ。

 

自らの死を『成功』させるために思い悩む老人を前に、アンネリーゼ・バートリは翼をゆらゆらと揺らすのだった。

 

 

─────

 

 

「そこまでの数は不要よ。指揮の混乱を抑えるためにも、今回は少数精鋭でいきましょう。」

 

魔法省地下一階の廊下を歩きながら、レミリア・スカーレットは隣を進むスクリムジョールに話しかけていた。そりゃあ募集すれば国内外から人は集まるだろうが、作戦の性質上緻密な行動が求められるはずだ。もし混乱が起こればリドルに利用されちゃう可能性もあるし、有象無象を取り入れるよりも信頼の置ける人員で固めた方が良いだろう。

 

ペティグリューの告解から一夜が明けた今日、魔法省に戻った私は彼の情報を元にしてヌルメンガード攻略のための作戦を組み立てているのである。先程まで行っていた大臣室での話し合いの結果、国際合同部隊ではなくイギリスの闇祓いを中心に部隊を構築することに決まった。

 

今回の戦いでの私の役目は、全体の流れをダンブルドアの作戦へと繋がるように操ることだ。邪魔な死喰い人どもをリドルの下から引き離し、ダンブルドアの舞台に余人を介入させないように調節する。……うーむ、結構難しい作業になりそうだな。

 

エレベーターへと向かいながら考える私に、スクリムジョールもまた何かを熟考しているような表情で返事を返してきた。

 

「完全にイギリス魔法省内の人員だけで部隊を構築しますか?」

 

「んー……民間からも他国からも、人によっては受け入れてもいいと思ってるわ。こっちの作戦を尊重する脳みそがあって、尚且つ経験と実力が伴ってるようなヤツはね。……例えばデュヴァルとか、ああいう魔法使いは組み込んでも問題ないんじゃない?」

 

「デュヴァル氏ですか。確かにあの方は参加を希望してきそうですな。フランスの前哨戦で少なくない身内を殺されているわけですから。」

 

「イギリスの魔法戦士の中にも因縁があるヤツは多いし、誰を受け入れるかの判断もロバーズと話し合う必要がありそうね。」

 

特に元騎士団員なんかは挙って参加してくることだろう。ブラック、ルーピンあたりは当然として、エメリーン・バンスやディーダラス・ディグルなんかも来たがりそうだな。エレベーターに乗り込みながら言ってやると、スクリムジョールは地下二階のボタンを押して頷いてきた。

 

「向こうも雑兵は『逃避行』の中で振るい落とされているはずですから、量ではなく質の戦いになりそうですね。……しかし、ロバーズも不運なことです。局長に昇進して初めて指揮を執る戦いがヴォルデモートとの決戦とは。」

 

「あの男が不運なのは今に始まったことじゃないでしょ。経験不足が指揮に響かなきゃいいんだけどね。」

 

「その辺りは私がフォローしてみましょう。ロバーズとて歴戦を潜り抜けているわけですし、恐らく大丈夫だとは思いますが。」

 

スクリムジョールが若干心配そうに受け合ったところで、エレベーターが一つ下の階に到着する。開いたドアを抜けながら、代わりに入り込む職員たちを横目に口を開いた。

 

「そう祈っておきましょ。あとは……ボーンズとの話し合いでも出たけど、ヌルメンガードの詳細な構造に関してはオーストリア魔法省とロシア議会から情報が届くはずよ。ロシアは部隊も送ってくれるみたい。それは受け入れる必要がありそうね。」

 

「……改めて考えると妙な話ですな。ヨーロッパ大戦では本拠地として利用し、ダンブルドア校長に敗北してからは半世紀もの間捕らわれていた場所を、今度はスカーレット女史が攻略するのを手伝うわけですか。グリンデルバルド議長も奇妙な状況に陥っているものです。」

 

「『空き家』を荒らされてさぞ迷惑してるでしょうね。私にとってはいい気味だけど。」

 

私に置き換えてみると……よく知らないチンピラに紅魔館を利用されているようなものか? なんとまあ、考えただけで苛々してくる状況ではないか。ロシアの議長閣下は腸煮えくり返っているだろうな。

 

後でリーゼに真っ白ジジイの反応を聞こうと決意したところで、闇祓い局の入り口に寄り掛かっている男が目に入ってくる。義足に義眼、白髪と半々になったダークグレーの髪、その下にある欠損だらけの顔。見間違いようがないな。二度目の引退を果たした我らがマッド-アイどのだ。

 

「あら、ムーディ。退職後に口出しする上司は嫌われるわよ?」

 

「口出しなどせんわ。わしも作戦に参加することを伝えに来ただけだ。……ロジエールはわしが片付ける。ヴォルデモートは他の魔法使いにくれてやっても構わんが、あの男はわしの獲物だ。理由は分かるだろう? スカーレット。」

 

「……いいわ、作戦に組み込んであげる。」

 

「ならば結構。」

 

端的に応じたムーディは、そのまま私たちとすれ違ってエレベーターの方へと去って行った。……第一次戦争の際、闇祓いを最も多く手にかけたのがエバン・ロジエールなのだ。嘗ての部下たちの無念を晴らそうということなのだろう。

 

当時は平の闇祓いだったスクリムジョールもそのことに思い至ったようで、神妙な表情で遠ざかるムーディの背中を見ながらポツリと呟く。

 

「あの頃はクラウチ元部長とムーディ局長が対立していましたが、闇祓いのほぼ全員が局長の側に付きました。それは局長が常に先頭で進み、そして常に最後尾で退がる人だったからです。……確かに奇妙な人かもしれませんし、苛烈なところもありますが、局長は仲間を見捨てる選択だけは決してしませんでした。だからこそロジエールに対しては人並み以上の思いがあるのでしょう。」

 

「左目と片足の仇でもあるしね。……まあ、やりたいってんなら任せるわよ。私は人の獲物を横取りするほど無粋じゃないわ。」

 

「感謝します、スカーレット女史。」

 

「貴方が感謝することじゃないでしょ。」

 

深々と頭を下げてきたスクリムジョールに苦笑してから、闇祓い局のドアを抜けてみると……おやまあ、大混乱だな。古ぼけたヌルメンガード周辺の地図を中心に、慌ただしく動き回っている闇祓いたちの姿が見えてきた。

 

「残念なことに響いてるみたいね、経験不足。」

 

「そのようですな。……ロバーズ!」

 

額を押さえながら頷いたスクリムジョールが大声で呼ぶと、大量の羊皮紙を抱えた新局長が小走りで近付いてくる。なんとも頼りない様子ではないか。

 

「これは、スカーレット女史。それにスクリムジョールまで? 大臣との話し合いは終わったのか?」

 

「先程終了した。それより、この混乱はどうなっているんだ? 編成の状況は?」

 

「それがだな、ヌルメンガードの資料が少ない所為で割り振りが上手く進まないんだ。人員の追加もあるんだろう? それを確定してもらわないことには編成なんて無理だぞ。」

 

「人員の追加に関してはともかく、ヌルメンガードの詳細は後々オーストリアやロシアから届くと知らせたはずだが? 何故五十年前の地図を引っ張り出しているんだ?」

 

闇祓いとしてはほぼ同期だからなのか、いつもより砕けた口調で訊ねるスクリムジョールに……本当に大丈夫なんだろうな? こいつ。ロバーズはポカンと大口を開きながら聞き返した。

 

「……そうなのか? 参ったな、連絡の行き違いがあったみたいだ。それじゃあ苦労して倉庫から出したあの地図は──」

 

「不要だ。数時間も経てば遥かに詳細で正確な地図が送られてくる。……編成についての連絡も送ったはずだが、それも見ていないのか?」

 

「あー……送られてきてないな。というか、気付かなかったのかもしれない。私のデスクに送ったのか?」

 

「そのはずだが。」

 

呆れ半分、苛々半分で言ったスクリムジョールの言葉を受けて、ロバーズは額をぺちりと叩きながら弱々しい表情で返答を口にする。ダメかもしれんな、これは。

 

「ずっとこっちに居たから、その……デスクの方は確認してなかったんだ。ちょっと待っててくれ、見てくるから。」

 

「あるいは、目の前に居る私が口頭で伝え直した方が早いかもしれんな。……とりあえずは局員だけを五つのグループにバランス良く振り分けてくれ。細かい調整はそれを基準に行なわせてもらう。」

 

「ああ、了解した。」

 

「それと、決行日は十月の末になりそうだ。かなり短い準備期間になるが……いけそうか? ロバーズ。」

 

順調に進めば恐らくハロウィンの前日、十月三十日が決行日になるはずだ。作戦の規模と性質から考えれば破格の短さだと言えるだろう。真剣な表情で問いかけたスクリムジョールに対して、ロバーズは即座に首肯を返してきた。ほう? ちょびっとだけ見直したぞ。

 

「やってみせるさ。」

 

「ならば、期待させてもらおう。……編成と同時進行で省外からの受け入れについても話し合いたい。テーブルを準備してくれ。」

 

「あーっと……今すぐにか?」

 

「悪いが、私もスカーレット女史も多忙なんだ。一時間で纏めさせてもらうぞ。」

 

途端に情けない顔に戻ってしまったロバーズは、それでも急いで職員たちに指示を出し始める。……まあ、スクリムジョールとの凸凹コンビっぷりも悪くないみたいだし、何とかなりそうかな?

 

微かな不安を感じている私へと、スクリムジョールが小さくため息を吐きながら声をかけてきた。

 

「ロバーズは不器用な男ですが、能力も熱意も備えています。あの様子なら問題ないでしょう。」

 

「まあうん、何となく理解できたわ。上手く手綱を握ってあげなさいよね。」

 

「……努力はします。」

 

うーむ、なんだか自信なさそうに見えちゃうのは気のせいか? 部屋の奥でテーブルを片付けようとしてコーヒーカップを倒しているロバーズを見ながら、レミリア・スカーレットはやれやれと首を振るのだった。書類がびったびたになってるぞ。

 



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戦いの前に

 

 

「だって、集中できるわけないもの。勉強なんかやってる場合じゃないわ!」

 

これはまた、ミス・勉強から発せられた台詞とは思えないような内容だな。教科書をカバンの中にぶん投げたハーマイオニーを尻目に、ソファに座るアンネリーゼ・バートリは杖磨きクリームの蓋を開けていた。

 

十月も終わりが近付いてきた午前中の談話室で、ハリーと一緒に杖のメンテナンスをしていたところ、授業に行ったはずのハーマイオニーとロンが戻ってきたのだ。ダンブルドアの計らいでハリーは授業免除になっているのだが、どうやら今日は二人も『自主休講』することに決めたらしい。

 

「あー……無理しなくて大丈夫だよ? 僕のことは気にしないで授業に──」

 

「そんなの無理に決まってるでしょう? 友達が戦いに行くのよ? それに比べたら……ええそうよ、イモリ試験なんかクソ食らえだわ!」

 

「勘弁してくれ、ハーマイオニー。当日に雨が降ったらどうするつもりなんだい?」

 

苦笑しながら言った私へと、今度は忙しなく膝を揺すっているロンが口を開く。奇妙な状況だな。ハリーは随分と落ち着いているというのに、残る二人の方が慌てているじゃないか。

 

「そうだよ、雨! 雨が降ったらどうするつもりなんだ? リーゼが動けないと大変だろ?」

 

「心配ないよ、パチェが同行する予定だからね。今世紀最大の豪雨だとしてもどうにかなるだろうさ。」

 

「だけど、晴れてるに越したことはないだろ? オーストリアの天気予報ってどっかに載ってないのかな? ……そうだ、新聞! 僕、新聞を取ってくるよ!」

 

予言者新聞にそんなピンポイントな情報が載ってるわけないだろうが。止める間も無く新聞を探しに行ったロンを見送ったところで、ハーマイオニーも急に立ち上がって声を放ってきた。

 

「じゃあ私は……そう、呪文集を取ってくるわ! 何か役立つ呪文が見つかるかも!」

 

「昨日も、一昨日も、その前もそう言って調べてたじゃないか。もう大丈夫だよ。習得すべき呪文は習得し終えたさ。」

 

「でも、見落としがあるかもしれないじゃない。ちょっと待っててね、部屋にあるから。昨日も寝る前に読んでたの。」

 

うーむ、説得失敗だ。居ても立ってもいられないという雰囲気のハーマイオニーは、小走りで女子寮への階段を上って行く。その姿を横目に肩を竦めたところで、杖の柄を磨いているハリーに話しかけた。

 

「……キミは大丈夫なのかい? あと数日で決戦の日になるわけだが。」

 

「うん、不思議と落ち着いてるんだ。怖くもないし、不安でもないよ。ロンとハーマイオニーが慌ててるから逆に冷静になれたのかも。」

 

「んふふ、そこはあの二人に感謝すべきかもね。……ダンブルドアの策に関してはどうなんだい?」

 

手を動かしながら何気ない風を装って問いかけてみると、ハリーは困ったような笑みで返事を返してくる。ふむ、予想外の表情だな。強気に反対してくるか、落ち込んで受け入れるかだと思っていたんだが。

 

「正直なところ、未だに分からないんだ。自分がどうすればいいのか、何を望んでいるのかが。……ダンブルドア先生には死んで欲しくないし、僕だって当然死にたいわけじゃない。パパやママが救ってくれた命を無駄にしたくはないけど、イギリス中の魔法使いを落ち込ませたくもない。……我儘な答えだよね。我ながら情けないよ。」

 

「そして当然の答えでもあるね。そもそもそんな選択を迫られているのが理不尽なことなのさ。……ただまあ、私は決めたよ。」

 

「決めた?」

 

「キミがダンブルドアを出し抜いて犠牲になろうとするのであれば、私はそれを出し抜いてキミが死ぬ前にリドルを殺すさ。……どうだい? こういうのを『我儘』って言うんだよ。これに比べればキミのなんか可愛いもんだろう?」

 

まだまだ我儘に慣れてないな、ポッター君。そこだけはダドリーちゃんを見習うべきだぞ。クスクス笑いながら言ってやれば、ハリーはポカンとした顔で私の選択の問題点を指摘してきた。

 

「だけど、それだとヴォルデモートは復活しちゃうよ?」

 

「身悶えするほど忌々しい事態だし、私としても苦渋の決断だが、それでもキミが死ぬよりはマシなのさ。これまでの全ての苦労を無に帰す行為なのも承知の上だ。レミィあたりは本気で怒るかもしれないね。……それでも私はやるぞ。そのことだけは覚えておきたまえ。」

 

冗談でも脅しでもなく、本気だ。どれだけの人間の苦労を蔑ろにすることになろうとも、ハリーが死ぬくらいならその前に全てをぶち壊してやる。ゲラートと違って私の天秤は正確無比に物事を量ったりはしない。身内の命は他の全てよりも重いのだから。

 

私のどこまでも自分勝手な宣言を聞いて、ハリーは頭を抱えて大きくため息を吐いてしまった。

 

「……ズルいよ、リーゼ。そんなこと言われたらどうしようもないじゃないか。」

 

「恨んでくれても結構だが、考えを翻すつもりはないよ。私は夏休みにハーマイオニーと約束したんだ。キミを無事にホグワーツに帰すってね。である以上、キミが死ぬってのは呑めない提案なのさ。」

 

「つまり、僕には選択の余地がないってこと?」

 

「ダンブルドアとリドルが死ぬか、それとも本当の意味では誰も死なないか。その二択だよ。選択肢の内容が変わっただけさ。好きな方を選びたまえ。」

 

うむうむ、これでかなりマシな選択肢になったぞ。いざとなったらアリスとフランには土下座してでも謝ろう。レミリアには……まあうん、あいつにもきちんと謝らないとな。二十年分の苦労が水泡に帰すことになっちゃうわけだし。

 

磨き終えた杖をチェックしながら言ったところで、ハーマイオニーとロンが二人一緒に戻ってくる。やけにタイミングが良いし、ひょっとしたら話の切れ目を狙ってくれたのかもしれない。

 

「残念だけど、オーストリアの天気は載ってないみたいだ。……でも、イギリスは全体的に晴れだよ。だからオーストリアも晴れるんじゃないかな。」

 

「ロン、意味不明よ。」

 

「……さすがに分かってるさ。言ってみただけだよ。」

 

早速呪文集を捲り始めたハーマイオニーの突っ込みにジト目を返したロンは、ソファに座ってハリーと正対してから新たな話題の口火を切った。今度は真剣な表情でだ。

 

「ハリー、その……君に言っておきたいことがあるんだ。照れ臭いから一度しか言わないし、残りの時間は自然に過ごしたいから蒸し返したりもしない。聞いてくれるか?」

 

「……聞くよ。」

 

おっと、真面目な話っぽいな。席を外そうかと目線で問いかけた私に小さく首を振った後、ロンは真っ直ぐにハリーの目を見つめながら語り出す。

 

「気付いてないみたいだけどさ、僕は君のことを誰より尊敬してるんだ。……言っとくけど、『生き残った男の子』だからじゃないぞ。最初はそうだったけど、今は違う。四階の廊下でも、禁じられた森でも、天文台でも、そして例の墓場でも。普通なら怯えて太刀打ち出来ないような相手に対して、君が常に勇敢に立ち向かったことを知ってるからだ。そして、その為に必死に努力してる姿を一番近くで見てたからだ。」

 

『尊敬』ね。意外な単語に僅かな驚きを浮かべる私とハーマイオニーを気にすることなく、ロンは組んだ指を強く締めながら話を続ける。

 

「昔の僕は君みたいになりたいって思ってた。特別なものを背負ってて、それなのにどんな時でも折れない君みたいに。……でも、今は違うよ。今の僕は君の隣に立ちたいんだ。まだ叶いそうもないし、実力不足なのは分かってる。だけど、絶対に闇祓いになって君が背中を預けてくれるくらいの存在になってみせるから。……だから、まだ死なないでくれよ、ハリー。頼むから無事に帰ってきてくれ。僕は君とずっと友達でいたいんだ。」

 

最後はぐちゃぐちゃになった想いを吐き出すように、青い瞳をほんの少しだけ潤ませながら言ったロンへと、ハリーが意を決したように何かを答えようとしたその瞬間──

 

「……ああ、ロン!」

 

横合いからハーマイオニーが勢いよくロンに抱き着いた。ボロボロと涙を流しながら、感極まったと言わんばかりの表情でだ。……うーん、不思議だな。直前までは私も感傷的な気分になっていたのに、ハーマイオニーの姿を見て冷静さが戻ってきちゃったぞ。

 

そのことに柔らかく苦笑していると、抱き着かれたままのロンが頬を染めながら言葉を放つ。

 

「答えはいらないよ。僕はただ、自分の気持ちをきちんと伝えておきたかっただけなんだ。……あとは君が決めてくれ。僕はもうとやかく言ったりはしないから。」

 

「うん、分かった。……ありがとう、ロン。」

 

一言に想いを込めて言ったハリーの礼を受けて、ロンは静かに頷いてからハーマイオニーを宥め始める。……むう、『我儘』の件が恥ずかしくなってきたぞ。ロンの言葉に比べると酷すぎる台詞じゃないか。

 

暫く泣き止みそうにないミス・感激屋を見ながら、ソファに身を預けてちょっと反省するのだった。

 

───

 

そして深夜。生徒たちが寝静まった城を抜け出した私は、敷地の外に出てから姿あらわしで紅魔館へと戻ってきていた。……リドルとの決着に備えて、私が気にかけるべき相手はここにも居るのだ。

 

エントランスに出現して杖を仕舞った私に、わざわざ待っていたらしいエマが声をかけてくる。……ちょっとびっくりしたぞ。どうして分かったんだ?

 

「お帰りなさいませ、アンネリーゼお嬢様。」

 

「やるじゃないか、エマ。戻るとは伝えてなかったはずだぞ。」

 

「お嬢様がアリスちゃんを放っておくわけありませんからね。そろそろ帰ってくると思ってました。」

 

「それはそれは、優秀さに磨きがかかっているようで大いに結構。……アリスは部屋かい?」

 

遊び疲れてその場で寝てしまったのか、エントランスの隅でひとかたまりになって熟睡中の妖精メイドたちを横目に聞いてみると、エマは首を振りながら返答を寄越してきた。

 

「リビングに居ます。さっきまで人形の整備をしてたみたいで、今は一休みしてるところです。」

 

「なら、リビングに行くよ。紅茶は不要だ。」

 

「はーい。」

 

お辞儀しながら見送ったエマを尻目に、リビングに向かって廊下を進む。僅かに欠けた満月を窓越しに見つつ、たどり着いたリビングのドアを抜けてみると……ソファに座って一人で人形を弄っているアリスの姿が目に入ってきた。

 

「やあ、アリス。」

 

「……あれ、リーゼ様? 戻ってたんですか?」

 

「今戻ったところだよ。エマから整備の休憩をしていると聞いて来たんだが……どうやら休憩になってないみたいだね。」

 

「ですね。気になっちゃうと止まらないんです。魔女の性ですよ。」

 

苦笑しながら言ったアリスの隣に座ると、彼女は困ったように頰を掻いて話を続けてくる。

 

「……えっと、心配して来てくれたんですか?」

 

「まあ、そうだね。さすがに見抜かれちゃったか。」

 

「パチュリーも昨日の昼に作業部屋まで来てくれましたから。私の持ってる人形の本を読みたくなったなんて言ってましたけど、心配して様子を見に来てくれたんだと思います。」

 

「うーん、相変わらず不器用なヤツだね。もっとマシな言い訳があるだろうに。」

 

あたふたとありもしない理由を捲し立てているパチュリーの姿が容易に想像できるぞ。呆れてため息を吐く私に、アリスは柔らかい笑みで口を開く。

 

「でも、私は大丈夫です。こうするためにここまでやってきて、遂にその日が来ただけなんですから。もういい歳なんですし、そう簡単に揺らいだりはしませんよ。」

 

「んー、そりゃあそうかもしれないけどね。……おいで、アリス。今日の私は理屈抜きでキミを甘やかしたい気分なんだ。」

 

手を広げて促してやると、アリスは驚いたように目を見開いた後で……うむ、それでいいのだ。おずおずと私の胸に顔を埋めてきた。覚悟を決めていようが、納得していようが、渦巻く感情は確かにあるはずなのだから。

 

「……良い匂いがします。」

 

「そうかな? 私は香水とかは滅多に使わないんだが。」

 

「そういうのじゃなくて、リーゼ様の匂いですよ。私しか気付かない、私しか知らない匂いです。……安心します。」

 

「ふぅん? ……微妙に恥ずかしいが、キミが満足してくれるなら我慢しようじゃないか。」

 

うーむ、出来れば無臭でありたいんだけどな。ちょっとむず痒い気分の私を他所に、アリスは胸に押し付けた頭をぐりぐりと動かし始める。

 

「……私は幸せ者ですね。こうやって甘えられる存在がずっと生きていてくれるんですから。」

 

「ふむ、確かにそうだね。吸血鬼が親代わりになる数少ないメリットなんじゃないかな。」

 

その他のデメリットが多すぎるかもしれないが。サラサラの金髪を撫でながら頷いてやると、胸元のアリスは更に抱き着く力を強めて答えてきた。シャツ越しの吐息が擽ったいな。

 

「今朝、テッサたちのお墓にも報告してきました。だから、私は覚悟も準備も出来てます。出来てますけど……もうちょっとだけこうしてたいです。」

 

「んふふ、好きなだけ甘えてくれたまえ。今夜の私はアリスだけのものだよ。」

 

どれだけ成長したとしても、やっぱりアリスは可愛い我が子なのだ。たまにはベタベタに甘やかしたってバチは当たらないだろう。微笑みながらそう囁いてやると、アリスはピクリと震えた後で……やけに真剣な表情で顔を上げる。どうしたんだ?

 

「私のもの、ですか?」

 

「そうさ、今夜はなんでもお願いを聞いてあげようじゃないか。」

 

「……なるほど。」

 

そうポツリと呟いたアリスは、少し難しい顔で何かを考えていたかと思えば、一つ頷いた後で『ぐりぐり』を再開した。なんだか分からんが、何かしらの結論を導き出したようだ。

 

久々に全力で甘えてくれるアリスに満足しながら、アンネリーゼ・バートリは頭を撫でる作業に戻るのだった。

 



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重石

 

 

「……まさか、フランも行くの?」

 

遂に迎えた十月三十日の昼前。紅魔館のエントランスで出発の準備を整えていたアリス・マーガトロイドは、真っ白な腕に日焼け止めクリームを塗りながら歩み寄ってくるフランに問いかけていた。

 

レミリアさんは魔法省側の人員と共に魔法省から、リーゼ様はダンブルドア先生やハリーと一緒にホグワーツから出発する予定なので、紅魔館からヌルメンガードに向かうのは私とパチュリーだけだったはずなのだが……私の疑問を受けたフランは大きく頷いて肯定の返事を寄越してくる。やっぱり一緒に行くつもりらしい。

 

「日光はパチュリーがどうにかしてくれる予定なんでしょ? だったら私も行くよ。今日は満月じゃないし、真昼間なら能力もきっちり制御できるしね。」

 

「でも、レミリアさんには言ってあるの?」

 

「言ってないけど、行くの。ハリーもシリウスもリーマスも参加するのに、私だけ優雅にお留守番なんて有り得ないよ。……ピーターに全部終わらせるって約束しちゃったしさ。」

 

「……まあ、気持ちは分かるけどね。」

 

ペティグリューは彼自身の安全のために今は魔法省の勾留室に居るはずだが、状況が落ち着いた後は改修中のアズカバンに移送される予定だ。十五年前のスパイ行為、ラデュッセルに対する協力、そしてリドルの『復活幇助』。今回の情報提供による減刑を加味しても、もしかしたらアズカバンで一生を終えることになるかもしれない。フランは未だ彼を赦していないようだが、それでも思うところはあるのだろう。

 

うーむ、これは現地でレミリアさんに怒られちゃうかもしれないな。私には止められないぞ。人形の武装をチェックしながら言い訳を考え始めたところで、いつも通りの雰囲気の美鈴さんが二階から下りてきた。

 

「ありゃ? 妹様も同行するんですか?」

 

「ん、するよ。だから一応私の分の日傘も用意しといて。」

 

「はいはい、了解です。……エマさーん! 日傘もう一本いるみたいでーす!」

 

さほど気にすることなく日傘を……というか、日傘の在り処を知っているであろうエマさんを探しに行った美鈴さんを見送りつつ、チェックの終わった人形を小さくして服の各所に仕舞っていく。当然ながら今回はフル装備だ。今日の戦いで準備不足だなんて悔やんでも悔やみきれないだろうし。

 

「アリス、後ろ塗ってくれない? 翼が邪魔で塗りにくくってさ。」

 

「いいわよ、貸して頂戴。」

 

頼んできたフランからクリームの容器を受け取って、かなり多めに掬い取ったそれをフランのうなじやら肩やらに塗っていると……図書館の方からパチュリーと小悪魔が歩いて来るのが見えてきた。あっちも準備は終わったらしい。

 

「……私はレミィに説明するのは嫌よ。」

 

動き易い格好で立つフランを見て状況を察したのだろう。先手を取って予防線を張ってきたパチュリーに、擽ったそうに身を捩っているフランが返答を放つ。翼の付け根が弱いらしい。リーゼ様も苦手だった気がするし、吸血鬼共通の弱点なのだろうか?

 

「私が直接言うからへーきだよ。それより、日光はどのくらい防げるの? 日傘は常に持っといた方がいい感じ?」

 

「私が魔法を展開した後は必要ないわ。作戦区域全体が夜になるから。展開に少し時間がかかるでしょうし、それまでのために持って行った方が良いとは思うけど。」

 

「ふーん? ……ま、いいや。どうせ持つのはアリスの人形だし。だよね?」

 

クリームを塗っている私に確認を求めてきたフランへと、目線で肯定して答えに代えるが……『夜になる』? やけに仰々しい表現だし、どうやら十八番の大規模魔法を使うつもりのようだ。パチュリーにはパチュリーの魔法があることは重々承知しているものの、こういう時は少し羨ましく感じてしまうな。派手な魔法もたまには使ってみたいぞ。

 

塗り終わったクリームを返しながらどんな魔法を使うのかと思案していると、小悪魔がせっせと床に魔法陣を描き始めた。もはや見慣れた転移用の魔法陣だ。

 

「手伝うわ。」

 

「あらー、アリスちゃんは優しいですねぇ。どっかの上司とは違って。……どっかの上司とは違って!」

 

「二度も言わなくても聞こえてるわよ。口より手を動かしなさい。」

 

ジト目の小悪魔の抗議を素っ気なく流したパチュリーは、人形に陣を描かせている私に向き直って話しかけてくる。……いつも通りの冷静な師匠にしか見えないが、彼女もダンブルドア先生のことについて思うところがあるはずだ。大丈夫なんだろうか?

 

「時間的にレミィたちはもう布陣を終わらせてるはずだから、向こうに着いたら直接彼女に到着を知らせて頂戴。」

 

「パチュリーは?」

 

「私はすぐに移動して大規模魔法の準備に入るわ。ヌルメンガード周辺を見下ろせるような位置に立つ必要があるの。」

 

「だけど……その、ダンブルドア先生と会わなくてもいいの?」

 

おずおずと聞いてみると、パチュリーは視線を逸らしながらポツリと呟きを返してきた。私には分かるぞ。これは何かを取り繕っている時の表情だ。

 

「放っておいても会いに来るわよ、あの男なら。……これは甘えだと思う?」

 

「んー……ダンブルドア先生風に言うなら、『信頼』なんじゃないかな。」

 

「……そうかもね。」

 

きっとそうだ。パチュリーは最後に会いに来ると信じていて、そしてダンブルドア先生なら必ずそうするだろう。素っ気ないように見えるが、実は信頼に裏打ちされているわけか。私の知っているものとは少し違う、なんとも不思議な関係性だな。

 

微笑みながらホルダーの杖をそっと撫でたところで、私の操る人形たちと一緒に魔法陣を描き終えた小悪魔が口を開く。頬に塗料が付いちゃってるぞ。

 

「はい、完成です! いつでも跳べます!」

 

「結構。……準備はいいかしら?」

 

陣の中央に移動しながら問いかけてきたパチュリーは、私とフランが頷いたのを確認すると、そっと腕を動かして転移魔法を起動させる。……いよいよだな。

 

「そんじゃ、頑張ってきてくださいねー。」

 

「行ってらっしゃいませ。」

 

私たちが陣の中に入ったのを見て、美鈴さんとエマさんが手を振ってきたのに応えようとした瞬間、身体が地面に沈み落ちるような感覚がしたかと思えば……むう、寒いな。そこは既に慌ただしい陣地の中だった。

 

二十張りほどの白い天幕と、それを包むように周囲一帯を覆う半透明の青白い膜。恐らく隠蔽魔法の障壁だろう。ヌルメンガード城は数百メートルほど先に聳え立っているが、あそこからは何の変哲もない地面にしか見えないはずだ。

 

そして辺りを見渡せば山、山、山。噂には聞いていたが、想像以上に辺鄙な場所だな。天幕から天幕へと動き回る味方の中から顔見知りを探す私に、パチュリーが杖を抜きながら指示を寄越してくる。

 

「それじゃ、私は行くわ。そうね……あの崖の上に居るから、少ししたら魔法が展開するってレミィに伝えて頂戴。」

 

ここからだとヌルメンガードの西側に見えている、かなり高所の崖を指してそう言うと……ううむ、パチュリーにしてはやけに迅速な行動だな。返事をする間も無く紫の大魔女は姿くらましで消えてしまった。

 

きっと、パチュリーはレミリアさんと一緒に居るであろうダンブルドア先生と顔を合わせたくなかったのだろう。彼女が望んでいるのは騒がしい陣地の中ではないのだ。もっと静かな場所で会って、別れたい。その気持ちは何となく理解できるぞ。

 

不器用な師匠のことを思って遠く離れた崖を見つめていると、私たちに向かって誰かが声をかけてきた。

 

「……ピックトゥース?」

 

「お、パッドフットだ。ハリーとお姉様たちは?」

 

「あっちの指揮所になっている天幕に居るが……驚いたな、お前が来るとは思わなかったぞ。」

 

「そりゃ来るでしょ。参加する理由はそっちと同じだよ。」

 

言わずもがな、シリウス・ブラックだ。フランの返答に苦笑しながら頷いたブラックは、私たちをレミリアさんの居る天幕へと案内し始める。

 

「まあ、そうだな。それでこそだ。……スカーレット女史の所まで案内します、マーガトロイドさん。」

 

「お願いするわ。……ちなみにこっちの面子はどうなってるの? レミリアさんが忙しいみたいだったから、詳しくは聞けてないのよね。」

 

「総指揮がスカーレット女史で、スクリムジョールとガウェイン・ロバーズが現場指揮を執るそうです。元騎士団の連中も参加してますよ。」

 

スクリムジョールも前線に出るのか。少し意外に感じつつも、前を歩くブラックに更なる質問を飛ばす。

 

「アメリアは魔法省に残ってるのよね? 国外からは?」

 

「ええ、ボーンズさんは来てませんね。万が一に備えて、ということらしいです。他国からは……フランスとイタリアから闇祓いの小隊と、それにロシアからも内部の案内役としてそれなりの数が参加しています。全体から見ると小数ですが。」

 

「つまり、ほぼイギリスの魔法使いってわけね。」

 

フランスから出てきたのは間違いなくデュヴァルだろう。それにロシアからグリンデルバルドの使いが来るのも納得できるが……イタリア? もしかしてリーゼ様が香港で作ったという繋がりを強化するためなのだろうか?

 

『ヴォルデモート討伐』に参加させることでイタリア魔法省の発言力を増し、それを貸しにするってところか。こんな大舞台までもを政治に利用するとは……レミリアさんにとってはリドルとの決戦も一つの通過点に過ぎないらしい。改めて恐ろしい吸血鬼だな。

 

考えながらもいくつかの天幕を通り過ぎたところで、視線の先に一際大きな白布の屋根が見えてきた。下には大きなテーブルが置かれており、それをレミリアさん、ダンブルドア先生、スクリムジョール、ロバーズ、シャックルボルト、ムーディ、デュヴァルで囲んでいる。隅っこの椅子にはリーゼ様とハリー、ルーピンが座って話しているようだ。随分な面子だし、間違いなくあれが指揮所なのだろう。

 

「ハリーは大丈夫そう?」

 

重要人物が集まっているその天幕に近付きながら問いかけてみると、ブラックは心配そうな表情で曖昧な首肯を返してきた。

 

「受け答えこそ落ち着いていますが、内心では緊張しているはずです。」

 

「そうでしょうね。……でも、あの子ならきっとやり遂げるわ。」

 

十一歳の誕生日、私とハグリッドが初めて魔法界の存在を知らせてからもう五年以上。今や立派な青年に成長したハリーを見ながら言ってやれば、日傘の下で話を聞いていたフランもクスクス笑って肯定してくる。

 

「うん、私もそう思う。……信じてあげなよ、パッドフット。ジェームズの息子だからじゃなくて、ハリー自身をね。そこらの魔法使いなんかよりよっぽど色んなことを経験してきたんだから。」

 

「……それでも心配するのが私の役目なのさ。信じるのはお前とムーニーに任せるよ。」

 

「融通が利かないなぁ。」

 

名付け親としての責務か。フランが苦笑しながらブラックに答えたところで、私たちのことを見つけたらしいレミリアさんが天幕の陰ギリギリに立って声を放ってきた。予想通りの『姉バカモード』だ。

 

「フラン? どうしてここに……こら、人形娘! なんでフランを連れて来ちゃったのよ! 危ないでしょうが!」

 

「あー……詳しくはフランからどうぞ。それと、パチュリーはもう大規模魔法の準備に向かいました。あと少ししたら展開するそうです。」

 

愛する妹が原因でこうなったレミリアさんは、幼馴染のリーゼ様か妹たるフラン本人にしか止められないのだ。伝えるべきことを伝えながら流してやると、フランが前に出て相手を受け持ってくれる。

 

「やほー、レミリアお姉様。お姉様が居ないのが寂しくて来ちゃった。怪我しないかも心配だったしね。」

 

「へぁ? ……そ、そうなの? 本当に?」

 

「嘘に決まってるじゃん。単に参加したいから来たの。……やっほ、ムーニー。ハリーも元気?」

 

「ちょっ、フラン? ひょっとして照れ隠しなの? 照れ隠しなのね?」

 

さすがだな。姉を翻弄しつつルーピンとハリーの方へと近寄って行くフランと、慌ててそれを追うレミリアさんを何ともいえない気分で眺めていると……ゆったりと私の隣に立ったダンブルドア先生が穏やかな声色で質問を送ってきた。きっとパチュリーのことを聞かれるのだろう。

 

「よく来てくれたのう、アリス。早速ですまぬが、ノーレッジの居る場所を教えてくれないかね? 少し話をしたいのじゃ。」

 

「はい、分かってます。パチュリーはあの崖の上に居ますから、行ってあげてください。」

 

ほら、やっぱり。大きく頷いて姿くらましするダンブルドア先生を見送ってから、ロバーズやデュヴァルと挨拶を交わした後、ルーピンと何かを話しているリーゼ様の方へと歩み寄る。浮かべているのが悪戯げな表情なのを見るに、戦闘のことを話しているわけではないらしい。

 

「ふぅん? ってことは、ニンファドーラは不参加なわけだ。来たいとは言わなかったのかい?」

 

「言いましたが、幸いにもテッドとアンドロメダが止めてくれました。もうすぐ五ヶ月ですからね。とても戦闘になんか参加させられませんよ。」

 

「男の子か女の子かは? 最近は生まれる前に分かるんだろう?」

 

「まだはっきりとは分からないみたいですが、癒者によれば男の子の可能性が高いとのことでした。……生まれるまでは確たることを言えないものの、恐らく人狼の特性も受け継いでいないだろうと。安心しましたよ、本当に。」

 

おお、その話か。こっそり聞き耳を立てていると、ハリーも嬉しそうな表情で会話に交ざっていく。ブラックの言う通り、一見した限りでは落ち着いてるみたいだな。ちなみにフランはレミリアさんに捉まってしまったようだ。迷惑そうな顔で姉の『お小言』をあしらっている。

 

「もうすぐ五ヶ月ってことは、えーっと……四月くらいに生まれるってことですよね?」

 

「ああ、そうなるね。生まれたら顔を見に来てくれるかい? ハリー。」

 

「もちろん行きたいです。」

 

「それじゃあ、その時一緒にジェームズの墓にも報告に行こうか。……約束だぞ。」

 

和やかな笑顔のルーピンがハリーの肩を叩いたところで、私に気付いたリーゼ様が声をかけてきた。

 

「おっと、アリス。調子はどうだい?」

 

「大丈夫です、落ち着いてます。」

 

そのはずだ。紛れもない本心を伝えてみると、リーゼ様は私に顔を近付けて……ぬああ、近いぞ。確かめるように瞳を覗き込んできた。

 

「……ふむ? ちょっと顔が赤い気がするが。」

 

「大丈夫です。というか、更に大丈夫になりました。」

 

「なんだそりゃ。……まあいいけどね。」

 

内心の動揺を鎮めながら言うと、リーゼ様はコクリと頷いて離れてしまう。それを少しだけ残念に思いつつ、近寄ってきたブラックと話し始めたハリーを見ながら口を開く。

 

「さっきブラックとも話してたんですけど、ハリーの様子はどうですか? 見た限りでは大丈夫そうですけど。」

 

「今は落ち着いてるよ。出発する時はひどい慌てっぷりだったけどね。」

 

「……何かあったんですか?」

 

心配になって聞いてみれば、リーゼ様はまたしても背伸びして私に顔を近付けてから、耳元でこっそり囁いてきた。吐息が耳にかかってゾクゾクするな。

 

「それがだね、出発直前にジニーがハリーにキスしたのさ。いやぁ、私もびっくりしたよ。談話室で準備していた私たちに急に近付いてきたかと思えば、ハリーの胸ぐらを掴んで強引にキスしたんだ。『ちゃんと帰ってきてね』って。……んふふ、ハリーにとっては何よりの気付け薬になったんじゃないかな。少々効果が強すぎた可能性はあるがね。」

 

「それはまた……やりますね、ジニーも。」

 

「これでまた一つハリーを無事に帰す理由が増えたってわけだ。ジニーは返事も聞かずに真っ赤な顔で離れて行っちゃったからね。あのままじゃ可哀想だよ。」

 

うーむ、頑張ったじゃないか、ジニー。内心でウィーズリー家の末娘に賞賛を送りつつ、リーゼ様に向かって質問を放つ。

 

「戦いが始まったらリーゼ様はハリーの護衛に付くんですよね?」

 

「その予定だよ。先にリドルの位置を特定しないことには話が進まないから、ある程度状況が確定するまではここで待機らしいけどね。多分下層で大規模な戦いになって、それを潜り抜けて上を目指すことになるんじゃないかな。」

 

「……私がリドルと会う可能性はあるんでしょうか?」

 

「んー、分からないな。リドルが前線に出てくるかどうかだね。……会いたいのかい?」

 

リーゼ様の端的な問いを受けて、縦横どちらかに首を振ろうとするが……結局はどちらにも振れずに曖昧な返答を口にした。

 

「……自分でもよく分かりません。」

 

「なら、私が勝手に決めようじゃないか。……会うべきじゃないよ、アリス。会わなくても後悔するだろうが、会えばキミの心が傷付くだけだ。傲慢な私はそうなるのが我慢できないからね。キミは決断しなくていい。もしこの選択で後悔したときは、私に全責任を押し付けたまえ。選んだのはキミじゃなく、この私なんだから。」

 

「それは……逃げです。リーゼ様に押し付けるなんて出来ません。」

 

「思うに、キミはもっと背を向けることを学ぶべきだよ。見たくないものは無理に見なくていいんだ。……まあ、そう言っても無駄なのは承知してるさ。だから今回は私が強引に目を塞ぐよ。キミは今日、リドルと会わない。いいね?」

 

……やっぱりリーゼ様は優しいな。彼女の言う通り会っても会わなくても、どんな会話を交わしても私は後悔するだろう。そして私はそうと知っているのに見て見ぬ振りを出来ない。存在しない『最善』を追い続けてしまうのだ。

 

俯いて迷う私へと、リーゼ様は優しく微笑みながら話を続けてくる。

 

「前にも言ったが、もっと甘えていいんだよ? 私にも、他人にも、そして自分にもだ。……キミはこれまで必死に頑張ってきたじゃないか。もう充分なんじゃないかな。単なる重石にしかならないのであれば、わざわざ背負っておく必要はないんだよ。誰もそれを棄てることを非難したりはしないさ。キミはこれから永く生きていくんだから、必要なものだけを選別しないと重くて潰されちゃうぞ。」

 

「でも……私が棄ててしまえば、そこで全部終わっちゃうんです。テッサが居ない今、背負えるのはもう私だけなんですから。」

 

「リドルがああなったのはキミやヴェイユが失敗したからじゃなくて、あの男が自分で選択したからだ。だったら結果を背負うべきはリドル本人だろう? ヴェイユでもなければ、キミでもないよ。」

 

リーゼ様が真剣な表情で語りかけてくるのに、小さな頷きを返す。……『重石』か。確かにそうかもしれない。嘗ての友人に対する気遣いが、いつの間にか義務感に変わってしまった。今更後戻りなんて出来ないのに。

 

だけど、やっぱりモヤモヤは残る。もうどうにもならないと分かっているのに、それでもどうにかしようとしてしまう。……我ながら情けないな。いつまでもうじうじと何をやっているんだか。

 

「とにかく、キミはリドルとは……ええい、毎回毎回タイミングの悪い男だな。来るなら来ると連絡すればいいだろうに。すまないが、ちょっと待っててくれ。追っ払ってくるよ。」

 

リーゼ様が新たに天幕に入ってきた誰かの対応に行くのをぼんやり眺めつつ、アリス・マーガトロイドは煮え切らない己の心を恨めしく思うのだった。

 



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さよなら

 

 

「……あら、レミィたちとの打ち合わせは終わったの?」

 

肌寒いオーストリアの山地。山間に覗く僅かな平地に聳え立つヌルメンガード城を眺めながら、パチュリー・ノーレッジは背後から近付いてきた老人に声をかけていた。懐かしい光景だな。最後にこの城を訪れたのは何十年前になるのだろうか?

 

背中越しに放った質問を受けて、ゆるりと私の隣に立った老人……ダンブルドアが返答を寄越してくる。相変わらず律儀な男だ。アリスから私の居場所を聞いてわざわざ足を運んだのだろう。予想を裏切らないヤツだな。

 

「ほっほっほ、その途中で君がここで準備をしていると聞いてね。顔を見せに来たのじゃよ。」

 

「そう。」

 

端的な返事を返しつつ魔法の構築を進めていると、ダンブルドアは目を細めてヌルメンガードを見ながら口を開いた。今日の私にレミィが課した役目は二つ。緊急時に彼女が自由に動けるように広範囲に渡って日光を防ぐことと、ヌルメンガードごとリドルたちを閉じ込める巨大な『檻』を作ることだ。

 

「いやはや、予想外じゃったよ。まさか最期の場所が此処になろうとは……ううむ、人生というのは驚きに満ちているものじゃな。大昔に母が作ってくれたチェリーパイは端がスカスカだったのじゃが、わしの人生は最後までぎっしりになりそうじゃのう。後世の歴史家たちが食べ飽きないかが心配じゃ。」

 

「諧謔を感じる結末じゃないの。グリンデルバルドはゴドリックの谷で親友に敗れ、貴方はヌルメンガードで教え子と共に死ぬ。運命ってのはどこまでも皮肉屋みたいね。」

 

「否定はせぬよ。しかしながら、時に素晴らしい結果を運んできてくれるのも運命の為せる業じゃろう? 山あれば谷あり。結局はそんなものじゃよ。」

 

「爺さんが言うと説得力が増すわね。」

 

この老人にとって今は谷なのだろうか? それとも山? 作業の手は休めずに肩を竦めた私に対して、ダンブルドアは雲一つない青空を見上げつつポツリと呟く。顔には清々しい笑みを浮かべながらだ。

 

「うむ、天気は上々。絶好の旅立ち日和じゃな。……荷造りは全て終わらせたと思うのじゃが、わしもいい歳じゃからのう。大事なことをボケて忘れてしまっているかもしれん。何かあったら始末を頼めるかね?」

 

「私なんかに頼まなくてもマクゴナガルがきちんと処理してくれると思うけどね。……ま、気が向いたらやってあげるわよ。」

 

「君がそう言ってくれるなら安心じゃ。どうやら振り返らずに目的地まで行けそうじゃな。」

 

『旅立ち』か。本の中の登場人物の台詞で何度も読んだし、使い古された表現ではあるかもしれないが……この男が言うとしっくりくるな。ダンブルドアはこれから旅に出るわけだ。遥か遠くへと、片道の旅に。

 

「……不思議ね。私、貴方が死ぬってことを未だに実感できていないの。頭では理解しているんだけど、それがふわふわと浮かんで心に定着しない感じ。興味深い感覚だわ。」

 

まるで……そう、結末を聞いてしまった本を読んでいる時のような感覚だ。確かにそうなるのだと分かっているのに、本当にそうなるようには思えない。私が全てを読み切らないうちは心の中で確定しないような、あの不条理で不確かな気持ち。

 

結末が覆ることを期待しているのではなく、気に入らない終わり方を嫌がっているわけでもない。ただ、実感できないのだ。懐から触媒を取り出しながら言ってみると、ダンブルドアは苦笑いで頷いてきた。

 

「実はわしもそうなのじゃ。今更迷ってはおらぬが、未だに実感らしき実感がなくてのう。自分が死ぬ時というのはもう少しドラマチックな気分になるものだとばかり思っていたよ。……いつものように朝を迎え、いつも通りに業務をこなして、いつの間にかここへ来てしまった。五十年前の決闘の時は緊張した覚えがあるのじゃが。」

 

「互いに長生きしすぎたのかもね。若い頃はもっと感受性が豊かだった気がするわ。」

 

とはいえ、私たちより長生きしているリーゼやレミィなんかは感受性豊かと言って差し支えない状態だ。これが妹様なら分かる気もするが、あの二人は長い『吸血鬼生』の中でそれなりに経験を積んでいるわけだし、もしかして長命な種族と人間との精神構造の差が影響しているのだろうか?

 

自分の心中に渦巻く不思議な気持ちを解明しようとしていると、少し離れた場所に誰かが姿あらわししてきたのが視界に映る。思わず目をやってみれば……おやまあ、場の平均年齢は横這いのままか。黒いコートを身に纏ったグリンデルバルドがこちらに歩み寄ってきた。

 

「驚いたわね、貴方は来ないものだと思ってたけど。」

 

近付いてくるグリンデルバルドに話しかけてみると、彼は忌々しそうな表情でヌルメンガードの方を向きながら応じてくる。

 

「俺の城をつまらん小蝿が占拠していると聞いてな。追い払いに来ただけだ。……大体、ロシアに情報提供を求めてきたのはお前たちの方だろう?」

 

「知らないわよ、そんなもん。私は魔法省とは深く関わってないしね。……本当に来たくないんだったら代理を寄越すなり、リーゼに任せるなり出来たでしょう? その点どうなのかしら?」

 

ダンブルドアに会いに来たって素直に言えよな。訳の分からん意地を張るグリンデルバルドに訊ねてみれば、白い老人は私を睨みながら刺々しい返事を返してきた。

 

「……さすがは吸血鬼の『友人』だな。性格の悪さが問いに滲み出ているぞ、魔女。」

 

「突っかかってきたから反撃しただけよ。そっちこそリーゼの意地っ張りが移ったんじゃなくって? 若い頃から偏屈なんだから、これ以上悪化したら目も当てられないわよ?」

 

ダンブルドアを挟んでグリンデルバルドと皮肉の応酬をしていると、ダンブルドアがくつくつと笑いながらそれを止めてくる。これだから老人と話すのは嫌なんだ。どいつもこいつも素直じゃなさすぎるぞ。

 

「まあ、そこまでにしようではないか。……ゲラート、君も作戦に参加するのかね?」

 

「その通りだ。『攻め下手』なスカーレットなどに俺の兵を任せる気にはならんし、ヴォルデモートは革命の障害になりかねん。何より俺の城を勝手に使われるのは気に食わないからな。小蝿にはそろそろ退場してもらうべきだろう。」

 

リドルも不憫だな。ここに居る三人に加えて、リーゼやレミィ、挙げ句の果てには妹様まで出てきているのだ。弱っている死喰い人相手にこれとは……過剰戦力にも程があるぞ。分霊箱のことがなければヌルメンガードを一気に吹っ飛ばして終われるんじゃないか?

 

内心でちょっと哀れんでいる私を他所に、爺さん同士の会話は進んでいく。

 

「分かっているとは思うが、トムを……ヴォルデモートを殺さないように頼むよ? それはわしの役目じゃからのう。」

 

「承知の上だ。分霊箱のことは吸血鬼から聞いている。……準備は整っているのか?」

 

「うむ、全て終わらせておるよ。」

 

「そうか。」

 

グリンデルバルドがダンブルドアを見ないままで短く答えたところで、やっと編み終わった大規模魔法を起動させた。……まあ、短い準備期間にしてはまずまずの出来栄えと言えるだろう。これなら役割は充分に果たせるはずだ。

 

「……相変わらず見事じゃな。」

 

「理不尽、と言うべきだな。」

 

先ず、ヌルメンガードを中心とした広範囲の空中にポツリポツリと黒い染みのようなものが滲み出る。じわじわと広がるそれはダンブルドアとグリンデルバルドが感想を述べている間にも空間を侵食していき、やがて要塞の周囲をすっぽり包む直径数キロほどの真っ黒なドームになった。

 

結果としてヌルメンガードの周辺は完全な暗闇に包まれる。これでレミィや妹様は日光や天候を気にせず動けるし、姿くらましも煙突飛行もポートキーも妨害済みだ。である以上、リドルはもうこの『夜の檻』から出られないだろう。

 

「さて、残る私の役目はこのドームを維持するだけよ。全てが終わるまで誰も出られないし、誰も入れないから安心して事に臨んで頂戴。」

 

維持のための術式をチェックしながら言ってやると、杖明かりを灯したグリンデルバルドが満足そうに頷いてきた。

 

「悪くないな。これなら思った以上に簡単に終わりそうだ。……先に行くぞ、アルバス。」

 

そう言ったグリンデルバルドが飛翔術でレミィたちの居る方向に飛んで行くのと同時に、ヌルメンガードの各所から防衛魔法の白い光が上空へと昇り始める。さすがに死喰い人たちも襲撃だと気付いたのだろう。今度はこちらが攻め手で、向こうが守り手になるわけだ。攻守逆転だな。

 

私の作ったドームよりも遥かに小さい障壁が、ヌルメンガードを囲むように出来ていくのを眺めていると……同じ光景を見ているダンブルドアが穏やかな表情で声をかけてきた。

 

「では、わしも行くよ。……これでお別れじゃな、ノーレッジ。永く続く君の未来が素晴らしいものになることを祈っておくよ。」

 

「……そうね、これでお別れね。」

 

私は……何と言うべきなんだ? 出発前に会話のシミュレーションをしてきたはずなのに、まるで消失呪文で消しちゃったかのように言葉が出てこない。私が焦りながら脳内の書庫を漁っている間にも、ダンブルドアは杖を取り出して飛翔術の準備を──

 

「……さよなら、アルバス。」

 

ぽろりと、まるで零れ落ちるかのように。意図せず口から放たれた私の言葉を受けたダンブルドアは、少しだけ驚いたように目を見開いた後……柔らかい笑顔で挨拶を返してくる。

 

「さらばじゃ、パチュリー。」

 

……ああ、ようやく実感が持てた。この男は、ダンブルドアは死ぬんだ。ふわふわと浮いていた心が定まるのを感じながら、杖を振って白い影となって飛んで行くダンブルドアをただ見つめる。

 

その姿を紫の瞳に映し続けながら、パチュリー・ノーレッジは深く、深く息を吐くのだった。

 

 

─────

 

 

「さすがね。」

 

仮設の指揮所となっている防衛魔法がかかった天幕の中、空を覆っていく漆黒のドームを見上げながら、レミリア・スカーレットは呆れ半分で呟いていた。我らが司書どのも今じゃ立派な化け物か。この規模の結界はそうそう見られるもんじゃないぞ。

 

現在の指揮所には私、リーゼ、フラン、連絡役のキングズリー・シャックルボルト、それにハリー・ポッターと細々とした職員たちが数名残るだけになっている。その他の人員はそれぞれの指揮官に従って、全員配置に移動済みだ。

 

ルーモス(光よ)。……噂には聞いていましたが、凄まじい規模の魔法ですね。六月にホグワーツが無傷だった理由がようやく理解できました。」

 

「まあ、これで死喰い人は袋の鼠ってわけよ。あとは作戦通りに要塞を……あら、気付いたみたいね。慌てっぷりが目に浮かぶようだわ。」

 

私が杖明かりを灯すシャックルボルトに返事を返している間にも、ヌルメンガードの各所から防衛魔法の光球が空に昇り始めた。うーむ、対応が早いっちゃ早いな。リドルはきちんと『防災訓練』を実施していたようだ。敵の態勢が整い切る前に急いで作戦を進めた方がいいかもしれない。

 

「こっちの存在はバレちゃってるわけだし、一帯の隠蔽はもう解いて結構よ。さっさとおっ始めましょ。」

 

職員の一人に指示を出してから、指揮所の中央に置いてあるテーブルへと移動する。その上に張られている地図に目をやってみると……よしよし、正常に動作しているようだ。味方を表す白い駒が陣内で慌ただしく動いているのが見えてきた。

 

それぞれの駒には名前が彫り込まれており、その名前の人物と駒の動きが連動しているらしい。イタリア魔法省が今回の作戦のためにと貸してくれた魔道具なのだが……思わぬ幸運だったな。ダンブルドアやデュヴァルなんかが驚いていたのを見るに、かなり珍しい魔道具のようだ。

 

こっちとしては『作戦にはイタリアも参加していた』という名目作りのために呼んだだけなのだが、良い感じのオマケが付いてきたじゃないか。運すら引き寄せる自分の政治センスにうんうん頷いていると、陣を囲んでいた隠蔽魔法の膜が消え去ると共にダンブルドアが天幕に入ってくる。パチュリーとの話は終わったらしい。

 

「状況はどうですかな? スカーレット女史。」

 

「見れば分かるでしょ。そろそろ始まるところよ。」

 

私がそう言ったところで、地図上の駒がジリジリとヌルメンガードの方へと向かい始めた。真っ暗なのと距離がある所為で肉眼では見えないが、作戦通りにロバーズ率いる闇祓いたち専門職が正面から、スクリムジョール率いる魔法戦士や他国の魔法使いたちが西側から侵攻しているようだ。

 

ちなみにムーディやデュヴァルはロバーズ組、アリスやブラック、ルーピンなんかはスクリムジョール組に参加している。そして生意気にも指揮権を寄越さなかったグリンデルバルド率いるロシア闇祓いは……ふん、協調性のないヤツらだ。陣の先頭あたりで静止しているらしい。大御所気取りか?

 

まあ、大した問題はあるまい。認めるのは癪だが、グリンデルバルドの用兵の能力は本物だ。それなり以上の経験もあるし、こちらの作戦は伝達済み。ならば下手な動きはしないだろう。

 

私が駒の動きを確かめながら敵の受け手について考えていると、ふらりと近寄ってきたフランが杖を抜いて未使用の駒をこつりと叩いた。途端にフランの名前が刻まれた駒が地図上のこの天幕に移動したのを確認した後、彼女は何も言わずに天幕を出て歩き出す。

 

「ちょっとフラン? お散歩なら後にしなさい。今は危険よ。」

 

「あのね、私は戦いに来たんだってば。日光はなくなったし、シリウスとリーマスの方を手伝ってくるよ。アリスもそっちなんでしょ?」

 

「ちょちょっ、待ちなさい! 怪我したらどうするの!」

 

「しないし、待たない。……お姉様こそきちんと指揮してよね。失敗したらもう二度と口きいてあげないから。呼び方も『オマエ』に逆戻りだよ。」

 

何だって? 昔を思い出させる冷たい口調で言い放ったフランは、呆然と立ち止まった私に振り向くと……今度はクスクス微笑みながら言葉を付け足してきた。おねだりする時の蕩けるような甘い声色でだ。

 

「でも、成功したら好きなだけほっぺにちゅーしてあげる。だから頑張ってね。」

 

最後にパチリとウィンクすると、フランはシャラシャラと翼を鳴らして飛び去ってしまうが……ほっぺにちゅー? ちゅーだと? フランが、私に? そんなの何百年振りだろうか。これは負けられない理由が増えてしまったようだ。『好きなだけ』って言葉も付いてるわけだし。

 

「うーん、賢いね。飴と鞭の使い方をよく分かってるじゃないか。」

 

「前にも言ったような気がするけど……やっぱりリーゼより大人っぽいよね、フランドールさんって。」

 

「……まあ、今のやり取りに限って言えばそうかもね。悪女の手管だよ。どうしてこんな風に育っちゃったのやら。」

 

何が悪女だ。姉が大好きなだけだろうが。天幕の隅に座っているペタンコ吸血鬼と傷痕小僧の会話を聞き流しながら、何としても勝たねばと決意を新たにしていると、死喰い人たちの作った防衛魔法の青白い膜が小さく脈動するのが目に入ってきた。味方が障壁を破るための攻撃を開始したらしい。周りが真っ暗だと余計派手に見えるな。

 

「急拵えの魔法ですし、長くは持たないでしょう。相手もそれは分かっているはずです。」

 

同じ方向を見つめるシャックルボルトが深い声で呟くのに、首肯しながら返答を飛ばす。

 

「態勢を整えるための時間稼ぎでしょうね。もしくはこの隙にドームを破って逃げようとしているのかもしれないけど……ま、それは考慮しなくていいでしょ。」

 

「ヴォルデモート一人が逃げるだけの小さな隙間も空けられませんか?」

 

「敵味方問わず、この場の魔法使いが全員協力したところで針の穴すら怪しいと思うわよ。パチェが魔法を解かない限り、誰もこのドームからは出られない。それは前提条件にして問題ないわ。」

 

穴を空けるのが可能なのは私、リーゼ、フラン、もしかしたらアリスってくらいだろう。つまり、人間には不可能だ。杖魔法だと技術云々ではなく力押しで空ける必要がある以上、ダンブルドアやグリンデルバルドでも無理なはず。

 

シャックルボルトが引きつった表情で納得の頷きを送ってきた瞬間、轟音と共にスクリムジョールが担当している西側の障壁が……おー、壮観。ひしゃげるように一気にぶっ壊れてしまった。合流したフランが能力を使ったらしい。

 

私とリーゼだけが苦笑を、他の全員が驚愕の表情を浮かべる中、唯一その中間くらいの顔になっているダンブルドアが口を開く。

 

「いや、見事ですな。彼女にとってはあんな障壁など有って無いようなものですか。そして一部分が崩壊すれば……うむ、全体も崩れたようです。」

 

「ドームと今の、どっちの驚きが大きかったのかしらね? 後で捕らえた死喰い人に聞いてみたいもんだわ。」

 

連鎖するようにボロボロと崩れていく障壁を横目に肩を竦めて、気を引き締めながら地図に向き直る。……これでお互いを阻むものはなくなった。遂に直接杖を交える時間が訪れたわけだ。ここまで大規模な攻め戦の指揮を執るのは久々だし、油断しないように正確に作戦をなぞらねば。

 

地図の上部に描かれたヌルメンガードへと迫っていく白い駒たちを確認しつつ、レミリア・スカーレットはコキリと首を鳴らすのだった。

 



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狩る者を狩る者

 

 

「ほら、何してんのさ。早く行こうよ。」

 

無残に崩れていく障壁を背にこちらを促してくるフランへと、アリス・マーガトロイドは困ったような苦笑を返していた。相変わらず滅茶苦茶だな。私の小さな友人の前では防衛魔法など毛ほどの意味も持たないようだ。

 

スクリムジョールの指揮に従って敵方の構築した障壁を破ろうとしていたところ、ふらりと現れたフランがいきなり『きゅっ』しちゃったのである。あまりにもあんまりな光景に大多数の味方は度肝を抜かれているが……さすがに立ち直りが早いな。スクリムジョールが前に進み出て指示を出し始めた。

 

「もう杖明かりは各自の判断で灯して結構。二班と三班、それとイタリア勢は作戦通り城の後方を確保するように。……そちらの指揮は任せたぞ、ドーリッシュ。」

 

「了解しました。……二、三班、およびイタリア闇祓いは私に続け! 城壁沿いに後方に向かうぞ!」

 

「一班はこのまま私と共に中庭の制圧を援護する。いいかね? 迷ったら撃つな。この視界の悪さで最も恐れるべきは同士討ちが起こることだ。確実に敵だという判断が出来た時だけ攻撃したまえ。それ以外の場合は防御や周囲の味方の援護に専念すること。」

 

そりゃそうだ。視界が確保できていないのに適当に呪文を放つなど自滅行為だろう。スクリムジョールの冷静かつ基本的な指示を受けた全員が頷いて、それぞれの指揮官に続いて移動していく。私も杖明かりを灯して歩き出そうとしたところで、フランが袖を引いて話しかけてきた。

 

「ねえねえ、私はどっちに行けばいいかな?」

 

「レミリアさんからは何も言われなかったの?」

 

「あー……言われなかったっていうか、言われる前に出てきちゃったんだよね。」

 

「なら、スクリムジョールに付いて行っていいと思うわ。私もブラックもルーピンも一班だし。」

 

後方を塞ぐグループはあくまで抑えだ。城内に突入するのはロバーズ率いる本隊と、私たち一班ということになっている。フランにとっても知り合いが多い一班で否はないようで、こっくり頷くと私と一緒に移動し始めた。

 

そのまま周囲を警戒しながらヌルメンガードに近付いていくと……うーむ、ここから見ると大きいな。分厚い滑らかな石の城壁が広い敷地を守り、その奥には巨大すぎる石柱のような城が聳え立っている。さすがに嘗ての大犯罪者の根城だけあって、一筋縄では攻略できなさそうだ。

 

「能力でぶっ壊しちゃおうか? 城壁。少し可哀想だけど、ヌルメンガードとしても死喰い人に利用されてるのは嫌だろうしさ。」

 

無骨な城壁を指差しながら軽く聞いてきたフランに、苦笑いを浮かべて首を横に振る。それはそれで困っちゃうのだ。

 

「ダメよ。城壁はそのまま敵の逃げ道を塞ぐ壁にもなるわけだし、きちんと門から侵入する必要があるわ。そういう作戦だしね。」

 

「ふーん? ……あんまり良い選択じゃないと思うけどね。私が参加してないならそれしかないだろうけど、壁を壊す手段があるならそっちを選ぶべきじゃない? ただでさえ攻撃側は不利なんだから、お行儀良く『順路』に従ってちゃダメだよ。敷地から敵が逃げたところで結局パチュリーのドームからは出られないわけだしさ。……というかそもそも、西側に門なんてあったっけ?」

 

「監獄として利用され始めた頃に造られた入り口があるのよ。私たちがそっちから入って、ロバーズたちが正門から入る予定になってるんだけど……何か心配なの?」

 

敵が待ち構えている可能性のある中庭を正面と西側から挟撃するわけだ。安全を確保できないうちに飛翔術で飛び込むのは危険だし、私は悪くない作戦だと思ったんだけどな。歩きながら何かを考え込んでいるフランに問いかけてみると、彼女はいつにも増して大人っぽい表情で肩を竦めてきた。

 

「いやまあ、私なら違う選択をするってだけ。後方の抑えを正門に回して、そっちが騒いでる間に後方の城壁をぶっ壊して直接城に突入するかな。早いし、意表を突けるでしょ?」

 

「随分と型破りな戦術ね。……気になるならスクリムジョールに意見してみる?」

 

「んーん、指揮には従うべきだよ。……でも、ちょびっとだけ心配かな。ロバーズとスクリムジョールのことはよく知らないけど、レミリアお姉様はああ見えて結構杓子定規な作戦を立てがちだからさ。臨機応変に対応するタイプじゃなくて、綿密に作った計画を正確に進めるタイプなんだよね。上手く行ってる時はとことん強い癖に、いざ躓くと派手にすっ転んじゃう感じ。そうならなきゃいいんだけど。」

 

「……なんか、不吉な予想ね。」

 

『派手にすっ転ぶレミリアさん』というのは割と想像し易いぞ。顔を引きつらせて呟いた私に、フランは苦笑しながらレミリアさんの『指揮考察』を纏めてくる。

 

「つまりさ、レミリアお姉様は守勢の指揮官なんだよ。ヨーロッパ大戦も、第一次魔法戦争も、この前の戦争も。どれも基本的には受け手側だったでしょ? お姉様みたいな『計画タイプ』は守勢だと相性が良くて強いんだけど、いざ攻勢に出ると融通が利かなくて策に嵌りがちなんだよね。拠点攻めってのは事前の計画なんてあってないようなものだから。」

 

「詳しいわね。……私は指揮に関してはさっぱりだわ。第一次も第二次も外様の魔法戦士だったから。」

 

「昔は他にやることないからそういう勉強もしてたんだ。……いっそのことグリンデルバルドに指揮を任せちゃうべきだと思うけどね。一番拠点攻めの経験が豊富なのはあいつなんだし、古巣のヌルメンガード相手なら尚更だよ。政治的な理由で出来ないってのは分かってるけどさ。」

 

むう、グリンデルバルドに指揮を任せるのはさすがに無理だろうが、確かにスクリムジョールやロバーズも大規模な攻勢の経験はあまりなかったはずだ。そう言われるとなんだか心配になってくるな。やけに冷静な表情のフランに対して曖昧に頷いていると、暗闇の先に大きな鉄柵が見えてきた。あれが西側ゲートか。意外にも見張りは居ないようで、周囲はひっそりと静まり返っている。

 

「……解錠する。周囲の警戒を厳に。」

 

僅かに訝しみながらもそう指示を出した後、杖を構えて鉄柵に歩み寄って行くスクリムジョールと数人の魔法戦士たちを横目にしつつ、偵察用の人形を三体取り出して壁の向こうへと飛ばした。妙に静かだし、待ち伏せを警戒しておいた方が良いだろう。

 

「よう、ピックトゥース。よくスカーレット女史が参加を許したな。」

 

「あのね、私は大人なんだから許可なんかそもそもいらないの。そっちこそ『偉大なるお母上様』からのお許しはいただいたの? これから親戚たちをぶっ殺してきますってちゃんと伝えた?」

 

「それが悲劇的なことに、我が母上どのの肖像画はマーガトロイドさんの手によって屋敷から永久に退去済みなんだ。……どうせなら持ってくれば良かったかもな。盾になったかもしれない。お前もそう思わないか? ムーニー。」

 

「どうかな。母親の肖像画を盾にして親戚と戦う君の姿はかなり見てみたいが、そうなると『ムーニー』の名が相応しいのは君の方になっちゃいそうだ。……ジレンマだよ。私はこの名前を気に入ってるからね。満月の夜なら張り合えたんだけどな。」

 

フランが近付いてきた旧友たちと馬鹿話しているのを耳にしながら、左目の視界を城壁を越えた人形に繋いでみると……うーん、真っ暗で何も見えないぞ。城壁に囲まれた中庭部分は見通しの利かない暗闇に包まれている。私が思っていたよりも月明かりというのは明るいものだったようだ。

 

もうちょっと微調整してくれよと師匠たる大魔女に抗議の念を送りつつ、緊張感のない会話を続ける『忍び』たちを背にスクリムジョールへと歩み寄った。

 

「……スクリムジョール、明かりを飛ばしちゃっていい? 暗すぎて中庭が確認できないのよね。」

 

こっちの位置なんかもうバレバレだろうし、特に問題ないだろう。解錠作業を進めるスクリムジョールにとってもそれは同感だったようで、さほど迷わずに首肯してから周囲の味方に指示を出し始める。

 

「そうですな、今更問題ないでしょう。……全員、中庭上空に明かりを飛ばせ! 先に中庭の視界を確保する!」

 

その声に従って味方たちが明かりを飛ばすのを尻目に、もう一度中庭で待機させていた人形に視界を繋げてみれば……んー、敵は居ないみたいだな。城内で迎え撃つつもりなのか?

 

「少なくとも人影は確認できないわ。透明になって潜んでいる可能性はあるけどね。」

 

「意外ですな。中庭を捨てるほどの余裕があるとは思えませんが。……あるいは、展開する時間がなかったのかもしれません。指揮所のスカーレット女史はそう予想しているようです。」

 

「何にせよ、ロバーズたちとは普通に合流できそうね。拍子抜けだわ。」

 

わざわざ部隊を分けた意味がなくなっちゃいそうだな。微妙な気分で肩を竦める私に、スクリムジョールは鉄柵に当てた杖をゆっくりと捻りながら首を振ってくる。

 

「油断は禁物です。窮鼠は何をしてくるか分かりませんよ。……開きました。」

 

「それじゃ、慎重にいきましょうか。」

 

「そうすべきでしょうな。……全員隊形を保ったまま続け! 中に入るぞ!」

 

甲高い金属音と共に開いた鉄柵の先へと、スクリムジョールの指示で味方が警戒しながら進んで行く。基本的には殺風景な平らな土の地面で、ヌルメンガード城と正門を繋ぐように精緻な石畳があるばかりだ。『中庭』というよりも、単なる『広場』と呼ぶべきなのかもしれない。

 

そして、正門の方からはロバーズ率いる闇祓いたちが歩いて来ているのが視認できる。向こうも解錠にはそれほど手間取らなかったようだ。城と正門の真ん中あたりで合流した後、スクリムジョールとロバーズがレミリアさんに報告の守護霊を送りながらの短い作戦会議に入った。

 

「……居ないじゃん、敵。本当にここなの?」

 

私の背中に寄り掛かってきたフランが呟くのに、明かり一つ漏れていないヌルメンガード城を見上げながら返答を返す。……確かに大人しすぎる気もするな。姿は見えず、攻撃も無し。何を考えているのだろうか?

 

「防衛魔法の障壁が張られたんだから、城内に居るのは間違いないはずよ。」

 

「でもさ、普通城門で一戦交えない? 色々と魔法がかかってるんだからそれなりに持つだろうし、ちゃんと『杖眼』も付いてるじゃん。勿体無いよ。」

 

「まあ、私もそう思うけどね。さっきスクリムジョールも言ってたんだけど、準備する時間が足りなかったんじゃないかしら。城内での防衛に的を絞ったんじゃない?」

 

「んー……そうかなぁ。にしては防衛魔法の展開が早すぎるくらいだった気がするけど。」

 

どこか腑に落ちない様子のフランがキョロキョロと周囲を見回し始めたところで、作戦を決めたらしいロバーズが声を上げた。うーむ、ちょっと緊張しているな。大丈夫か?

 

「城の入り口を破ったらスクリムジョール班は上階への階段を確保してくれ! 我々は事前に決めた五班に分かれて一階を制圧する!」

 

作戦通りだな。ロシアとオーストリアが提供してきた図面によれば、ヌルメンガードは中層あたりから行き来できない二つのブロックに分かれた後、上層で再び合流するような造りになっているらしい。本格的なチーム分けは中層からになるのだろう。

 

考えながらも味方の集団に交じって城の巨大な石扉に近付いていくと、ずっと黙考していたフランが話しかけてくる。

 

「アリス、さっき人形飛ばしてたよね? 一応聞くけど、城壁の上ってきちんとチェックした?」

 

「城壁の上? 通り過ぎたのがまだ暗かった時だから、よくは見てないけど──」

 

「なら、調べて。すぐに。」

 

急に真剣な表情になったフランに気圧されつつ、中庭の上空で待機させていた人形に指示を送ろうとした瞬間……びっくりした。先程私たちが突破してきた鉄柵と正門が轟音と共に閉まったかと思えば、僅かに遅れてヌルメンガード城の石扉が勢いよく開け放たれる。

 

慌ててそちらに視線を向けてみると……ヤバいぞ、これは。石扉の奥から雄叫びを上げて突っ込んでくる数体の巨人の姿が目に入ってきた。イギリスに全てを輸送したわけじゃなかったのか。

 

「あーもう、やっぱりじゃん! なんでこんな初歩の策に引っかかるのさ! 上からも来るよ!」

 

全員の視線が巨人に向いたところで、フランが警戒の声を発するのと同時に左右の城壁の上から呪文の閃光が降り注ぐ。城壁の上に潜んでいたのか? 内心の動揺を抑えながら即座に人形を味方の防御に当てて、ロバーズに駆け寄って言葉を放った。

 

「ロバーズ、今度はこっちが袋の鼠よ! 進むか退がるか決めて頂戴!」

 

つまり、私たちは身を隠せる障害物のない中庭に誘い込まれたわけだ。前方から迫る巨人と、後方を塞ぐ正門。おまけに左右の頭上からこれでもかというくらいに呪文を撃ち込んでくる死喰い人たち。宜しくない状況に焦りながら出した私の意見を聞いて、ロバーズは刹那の間だけ迷った後に指示を──

 

「おー、やるじゃん。」

 

出す間も無く、フランの気の抜けた声と同時に再び状況が進展していく。……グリンデルバルドか。私たちの隙を突いて攻撃してきた敵方だったが、攻撃に夢中な彼らの隙を更に突くようにして赤い影の集団が襲いかかった。飛翔術を使ったロシアの闇祓いたちだ。どうやら私たちは飛翔術で切り込む隙を作るための『餌』にされたらしい。

 

次々と左右の城壁の上に下り立っていく銀朱ローブの集団は、素早く陣形を組んで死喰い人たちを城の方へと押し込み始める。頭上からの攻勢が弱まった隙に巨人の対処に人形を向かわせようと城の方に目をやってみると、ちょうど一際大きな八メートルほどの巨人が『破裂』しているところだった。

 

「きゅ、ってね。……巨人は私がなんとかするから、早くロシアの援護と入り口の確保をしなよ。敵が混乱してる今なら飛翔術で城壁に上れるでしょ? 一階の制圧はその後。」

 

時折飛んでくる呪文をぺちぺち叩き落としながらのフランの言葉を受けて、ロバーズが我に返ったように大声を張り上げる。

 

「スクリムジョール班は城壁に移動してロシア勢の援護を! 我々は巨人の攻撃をいなしながら城の入り口を確保する! 行くぞ!」

 

これはどうにかなりそうだな。お世辞にも良いスタートとは言えない状況だが、フランとロシア勢の活躍もあり、二転三転した後で最終的にはこちらの有利に転んだらしい。味方の損害も大きくないみたいだし、このまま城内での戦いに移れるだろう。……とはいえ、危ない状況だったのは事実だ。スクリムジョールが言っていた通り、窮鼠相手に油断は禁物ってことか。

 

視線の先で『ひき肉』になっている哀れな巨人を見ながら、アリス・マーガトロイドは気を引き締め直すのだった。

 



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無償の愛

 

 

「キミね、しっかりしたまえよ。ゲラートが気付かなかったら危ないところだったんだぞ。」

 

杖を振って連絡用の守護霊を飛ばしているシャックルボルトを横目にしながら、アンネリーゼ・バートリはポンコツ指揮官へと文句を飛ばしていた。地図上の駒の動きを見るに立て直したようだが、先程までこいつは初歩の伏兵戦術にしてやられていたのだ。

 

どうやら無抵抗なのをいいことに、ロクに安全確認をせずに中庭まで一気に進軍した結果、案の定伏兵に遭ったらしい。……あんなもん警戒して然るべきだろうが。私も注意したし、ゲラートからも一度進言があったのにも拘らず、調子に乗ったポンコツどのは『相手が準備を整える前に』とか言って無理矢理作戦を押し通したのだ。

 

私の言葉を受けてこちらを睨みながら翼をぷるぷる震わせているレミリアへと、呆れた表情で更なる追撃を放つ。お偉い吸血鬼に気を使って誰も注意しないみたいだし、ここは遠慮なく突っ込める私が言っておくべきだろう。

 

「これといった制限時間はないし、全体の状況としては九対一くらいでこっちが有利なんだぞ。である以上、速戦即決の必要も奇策を弄する意味もないんだ。キミは頭が悪いわけじゃないんだから、もっと慎重に石橋を叩きまくってから渡りたまえよ。」

 

「……分かってるわよ。」

 

「だったらいいんだけどね。……わざわざ兵を伏せて後から進軍してたゲラートにも礼を言っておくんだよ? 調子に乗り易いレミィちゃんの失敗を予測して手を残しておいてくれたんだろうさ。キミが作戦に固執しがちなのは大戦の頃からの悪癖だしね。」

 

「分かってるって言ってるでしょうが! しつこいわよ!」

 

ぷんすか怒る小さなレミィちゃんに肩を竦めてから、大きなテーブルの上の地図に目をやった。ガウェイン・ロバーズ率いる本隊が一階の制圧を始めたようだし、そろそろ私たちも動くべきだな。結局リドルの発見情報は得られなかったが、今姿を見せていないということは恐らく上階で指揮を執っているのだろう。その辺は道中で連絡をもらうとするか。

 

「それじゃ、私たちも行くとしようか。あんまりのんびりしてると決着が付いちゃいそうだしね。」

 

天幕の隅の椅子に座っているハリーとダンブルドアに向けて言ってやると、彼らはこっくり頷いてから杖を片手に立ち上がる。中庭の制圧は終わっているし、城の入り口までは飛翔術で移動しても問題ないだろう。

 

「ハリー、よく覚えておきたまえ。隠し通路に入るまで私は透明になって姿を隠すが、常にキミの側に居るからね。」

 

「うん、頼りにしてるよ。」

 

うーむ、ちょっと笑顔がぎこちないな。さすがに緊張してきたらしい。そんなハリーと一緒に天幕を出たところで、背後からレミリアとダンブルドアの会話が聞こえてきた。

 

「では、行ってまいります、スカーレット女史。大戦の後期から数えて五十年以上。長らくお世話になりました。」

 

「……私は誰かに別れを言うのは嫌いなの。だから何も言わないわ。」

 

「ほっほっほ、それこそがわしにとって一番嬉しい言葉ですよ。嘗ての貴女なら何食わぬ顔でそれらしい別れの言葉を述べていたでしょう。……貴女にとっての別れを言いたくなくなる『誰か』になれたのであれば、わしの頑張りもそう捨てたものではなかったということですな。」

 

「あーもう、最後の最後まで心理分析? 生憎だけど、誰かさんのお陰でカウンセラーはもう不要なの。とっとと行って、綺麗に終わらせてきなさい。」

 

プイと顔を背けたレミリアに苦笑しながら、ダンブルドアは素直になれない吸血鬼に向かって深々と一礼すると、シャックルボルトにも会釈してから晴れやかな表情で私たちの方へと歩み寄ってくる。

 

「それでは行こうかのう。ハリーはわしの肘を掴んでくれるかね? 姿あらわしは使えないので、飛翔術で移動することになるのじゃ。……バートリ女史は如何なさいますかな?」

 

「姿を消して普通に飛ぶよ。キミは知らんかもしれないが、吸血鬼の飛行スピードは飛翔術より上なんでね。」

 

「おや、思わぬところで新たな知識が増えましたな。活かせるタイミングがもう無さそうなのが悲しいところですが。」

 

「『末期ジョーク』は反応に困るからやめたまえ。先に行くぞ。」

 

言いながら能力で姿を消して、闇の中に聳えるヌルメンガードへと飛び立った。後方から白い影が付いて来ているのを確認しつつ、中庭上空にたどり着くと……残党処理中か? 城の方を警戒しながら、拘束した死喰い人どもを中庭中央に集めている赤ローブたちが目に入ってくる。イギリス勢はもう全員城の中に入っているようだ。

 

僅かに遅れて到着したダンブルドアが適当な位置に着陸したのを見てから、私もその隣に下り立ったところで……おっと、ゲラートだ。黒いチェスターコートを身に纏ったロシアの議長どのが私たちに近付いてきた。普通は『議長』が前線には出ないと思うのだが、彼にとってはそんな常識など関係ないらしい。

 

「……行くのか? アルバス。未だヴォルデモートの正確な位置は把握できていないようだが。」

 

「間に合わなくなっては元も子もないからのう。細かい情報は上階に移動しながら入手するよ。」

 

「把握しているとは思うが、ヌルメンガードの中層は東西の二ブロックに分かれている。道の選択には気を付けろ。……お前がハリー・ポッターか。」

 

ダンブルドアに注意を放ったゲラートは、次にその隣に立つハリーへと視線を送る。睨むでもなく、怯むでもない真っ直ぐな瞳で見返しながら頷いたハリーを前に、ゲラートは興味深そうに目を細めたかと思えば……不意に視線を逸らして再びダンブルドアへと向き直った。

 

「俺は今度こそ革命を成功させる。その後はこの身が朽ち果てるまで魔法界のために働くつもりだ。悪いが、お前の言葉をそのために利用させてもらうぞ。」

 

「ほっほっほ、そのために残したのじゃ。思う存分利用してもらわねばむしろ困るというものじゃよ。……この機会に一つアドバイスするとしたら、全てを終わらせた後に余暇を過ごすべきじゃな。君はここまで休みなく歩み続けてきた。わしに合流する前に自分の人生を楽しむべきではないかのう。」

 

「残念だが、俺はお前と同じ場所には行けまい。色々と余計な事をやり過ぎたからな。……もし俺が狂わせなければ、お前の人生はもっと安らかなものになっていただろう。それが俺の唯一の後悔だ。」

 

中庭の宙空に漂う魔法の明かりに照らされた、ヌルメンガードの外壁に刻まれている『より大きな善のために』という文字。それを見つめながら呟くように言ったゲラートへと、ダンブルドアはゆっくりと首を振って答える。

 

「それは間違っているよ、ゲラート。全てはわしが選んだことなのじゃ。失ったものも多いが、得たものもまた多い。わしにとっての君は最後まで敵ではなく、友じゃった。一瞬たりともそのことを悔やんだ覚えはないよ。」

 

「……そうだな、俺にとってのお前も友だった。それだけは出逢った時から変わっていない。」

 

世間の評価とは違って、結局最後までこの二人は『敵』にはなれなかったわけか。漆黒の空を見上げながら瞑目したゲラートは、何かを思い出したかのように苦笑してから口を開く。彼にしてはかなり珍しい、人間味のある柔らかな表情だ。

 

「長々と語るのは俺たちの流儀ではないな。……さらばだ、アルバス。」

 

「ほっほっほ、そうじゃな。わしらはもう充分に語り合ったからのう。……さらばじゃ、ゲラート。」

 

短いやり取りを終えると、ダンブルドアとゲラートは踵を返してそれぞれの方向へと歩き始めた。ゲラートは中庭の中央に居る指揮下の闇祓いたちの方へ、ダンブルドアは石扉が開け放たれているヌルメンガードの方へ。

 

ハリーが慌ててダンブルドアに続くのを見て、私もそちらへ足を踏み出そうとしたところで……ピタリと立ち止まったゲラートが、私にしか聞こえない声量で声をかけてきた。

 

「アルバスを頼むぞ、吸血鬼。」

 

「……はいはい、任されたよ。その代わり、キミはもう少し素直になりたまえ。」

 

うーむ、よく私の居る位置を正確に把握できたな。私の返答を受けて聞こえよがしに鼻を鳴らした後、再び歩き出したゲラートを首を傾げて見送ってから、小走りでハリーたちの方へと駆けて行くと……おいおい、巨人の死体か? これ。石扉の前にそれらしき肉片が散乱しているのが視界に映る。

 

「何体分かな。私は五体だと思うけど、キミはどうだい?」

 

追い付いたハリーにこっそり問いかけてみれば、彼は嫌そうな表情で『ミンチ』から目を背けて答えを寄越してきた。

 

「分かんないし、知りたくないよ。……誰がやったのかな? まるで物凄い力で握り潰されたみたいだ。こんな魔法があるんだね。」

 

「これは杖魔法じゃないよ。フランが軽く片付けたんだろうさ。あの子が参加してきたのはリドルにとっても予想外だったみたいだね。」

 

「……嘘でしょ? あの優しそうなフランドールさんが?」

 

半笑いで顔を引きつらせたハリーへと、肩を竦めながら頷きを……ああ、見えないんだったっけ。いっそのことハリーも消しちゃえば良かったな。それならお互いの姿も視認できるわけだし。我ながら不便な能力に苦笑しつつ、きちんと言葉で返事を返す。

 

「あの子もスカーレットで、尚且つ吸血鬼だってことだよ。」

 

「よく分かんないけど……とにかく、怒らせるべきじゃないっていうのだけは理解できたよ。」

 

「んふふ、賢明だね。」

 

私がクスクス微笑んだところで、先頭のダンブルドアに続いて私たちも城の内部に足を踏み入れた。……戦闘の所為で随分とボロボロになっているように見えるが、それはこの前来た時もそうだったはずだ。この辺はどちらかというと『脱獄騒ぎ』の時の痕跡だろうな。

 

「よし、先ずは北側の廊下にある中層に続く隠し通路の入り口に向かうよ。そこを抜け切る前にリドルの居場所が判明することを祈ろうじゃないか。」

 

「かしこまりました。……ハリーよ、杖を構えておくのじゃ。ここからは油断は禁物じゃからのう。それと、もし誰かが飛び出してきても不用意に呪文を放たないように。味方の可能性もあることを忘れてはならんぞ。」

 

「はい、分かってます。」

 

あまり物音は聞こえないが、戦闘自体は当然行われているはずだ。ダンブルドアの言う通り警戒しておいた方が良いだろう。……アリスも心配だが、フランのことも別の意味で心配だな。やり過ぎてなければいいんだが。

 

杖を構えて歩き出すダンブルドアとハリーに続きながら、アンネリーゼ・バートリはヌルメンガードが崩壊しないことを祈るのだった。

 

 

─────

 

 

「了解したわ。それじゃあ私たちはこのまま上に向かうから。」

 

獅子の守護霊に伝言を託してスクリムジョールの下へと飛ばしつつ、アリス・マーガトロイドは目の前の薄暗い上り階段に向き直っていた。外から見ると単純な形だったが、この城は思ったよりも入り組んだ構造になっているらしい。

 

中庭の伏兵をなんとか退けた私たちは、現在下層の制圧を終わらせている真っ最中だ。道中散発的な抵抗はあったものの、その全てを危なげなく処理している。……死喰い人たちは中庭の策にかなりの兵力を傾けたようだし、それが失敗に終わって余裕がないのだろう。

 

ちなみに味方は基本的に六人一組で行動しているのだが、私のグループは四人だけだ。私、フラン、ブラック、そしてルーピン。……恐らくスクリムジョールはフランの扱いに困ってこういう組分けにしたのだろう。私たち三人はフランの『制御役』ってところか。

 

はめ殺しの窓から真っ暗な外を眺めているフランを横目に考えていると、近付いてきたルーピンが質問を送ってきた。

 

「先に進むんですか? この階が二手に分かれている『根元』なんですよね?」

 

「そうみたいね。そして、私たちは西側の『切り込み担当』になったわ。東側はロバーズたちが担当するみたい。」

 

「まあ、戦力的には妥当な選択だと思います。私とシリウスはおまけみたいなものですけど。」

 

「フランが居る以上、私だって単なるおまけよ。……行くわよフラン、ブラック。上に進む許可が出たわ。」

 

窓の外を指差して何かを話している二人に指示を飛ばしてから、偵察用の人形を先行させつつ大理石の階段を上り始める。……ホグワーツに比べて無骨な城だな。この階段といい、通路といい、全てがあえて狭めに造られているようだ。暮らし易さではなく防衛し易さを重視したのだろう。

 

とはいえ、安っぽさは欠片もない。華美ではなく重厚。リーゼ様が好みそうな『重み』のある雰囲気だ。……そりゃそうか、建設にも関わっているわけなんだし。

 

階段を上りながら一人で納得していると、私に歩調を合わせたフランが話しかけてきた。

 

「リーゼお姉様たち、もう城に入ってるんだよね?」

 

「ええ、今頃は隠し通路を使って上ってきてるはずよ。……心配?」

 

「ううん、心配はしてないかな。何も言わないけど、レミリアお姉様は大まかな運命を読んでるんだと思うんだよね。だから多分へーきだよ。」

 

「……そういえば、最近のレミリアさんは能力について話さなくなったわね。どうしてなのかしら?」

 

レミリアさんの読む『運命』が確実なものではないことは私もよく知っているが、それでも一つの行動方針にはなるはずだ。リドルの問題だけじゃなく革命に関しての手助けにもなるはずなのに、何故レミリアさんは運命のことを口にしなくなったのだろうか?

 

首を傾げる私に対して、フランは苦笑しながら返答を寄越してきた。

 

「んー……色々と思い当たる節はあるんだけど、正解は分かんないや。単に誰にも教えない方が運命が確定し易いのか、それとも余計な口を挟むべきじゃないと感じてるのか、あるいは舞台に上がった以上は演者として動くつもりなのか。……能力の性質からしてあやふやなもんだしね。確かな答えはお姉様のみぞ知るってやつだよ。」

 

「聞いたことはないの?」

 

「それはちょっと無粋かなって思ってさ。そもそも私は好きな能力じゃないしね。本を読むとき、真っ先に結末を確認するようなもんじゃん。その方が確実なのは分かってるんだけど……あんまり健全なことじゃないんだよ、きっと。もしかしたらお姉様もそれに気付い──」

 

フランがレミリアさんの能力について語っている途中で、折れ曲がった階段の先から何かがぶつかるような音が聞こえてくる。即座に話を切り上げて、杖を構えつつ先行している人形に視界を繋いでみると……これはまた、驚いたな。人形の視界越しに懐かしい顔が見えてきた。

 

倒れ伏す二人の死喰い人らしき黒ローブの隣に立っているのは、同じような服装のセブルス・スネイプだ。杖を持っているのを見るに、彼が二人の死喰い人を片付けたらしい。

 

「スネイプよ。」

 

緊張しながら私の言葉を待つ三人に端的な報告を送ると、彼らは三者三様の表情を顔に浮かべてきた。フランは驚きを、ルーピンは安堵を、そしてブラックは……うーん、疑ってるな。疑念をありありと宿しながら口を開く。

 

「無傷ですか?」

 

「見たところそうみたい。怪我らしい怪我もしてないようだし、杖も普通に持ってるわ。」

 

「……だったら私たちも杖は構えたままで行くべきです。ピーターの証言によればスネイプは疑われていたはずでしょう? それなのにこの緊急時に堂々と動けますかね? 裏切っている可能性も考慮すべきだと思いますが。」

 

「私は大丈夫だと思うけどね。……ただまあ、服従の呪文で操られている可能性は否定できないわ。慎重にいきましょう。」

 

使い慣れた二体の人形を脇に従えて、いつでも杖を振れるように臨戦態勢で階段を上っていくと、私たちの姿を確認したスネイプが先んじて声をかけてきた。ぱっと見た分では正気っぽいな。記憶にある通りの仏頂面だ。

 

「お久し振りです、マーガトロイド女史。早速ですが報告を──」

 

そこまで言ったところで、杖を下ろしたままのスネイプは目を見開いてピタリと言葉を止める。視線の先に居るのは……フランだ。そういえば、十数年振りの再会になるのか。

 

「……やっほ、スネイプ。学生の頃以来だね。」

 

困ったように手を上げながら挨拶を放ったフランに対して、スネイプは僅かに目を背けた状態で返事を返す。フランのことを嫌っている、という雰囲気ではないな。どこか申し訳なさそうにも見える表情だ。

 

「ああ、その……久し振りだ、スカーレット。」

 

おいおい、本当に操られているのか? あまりにもスネイプらしからぬ気弱な態度を訝しんでいると、フランの後ろからブラックが歩み出てきた。もちろん杖は構えたままでだ。

 

「悪いが、思い出話の時間は後にしよう。私たちが今聞きたいのはお前が誰に仕えているかだ。……随分と自由に動けているようだな。また主人を変えたのか?」

 

「……相変わらず思い込みが激しいな、ブラック。考え無しの貴様には想像もつかないだろうが、吾輩は校長から与えられた任務を遂行するために様々な手段を使っているのだ。……どうせ理解できないのであれば黙って話を聞いていたまえ。吾輩が説明すべきは貴様ではない。」

 

『仇敵』たるブラックに冷たい無表情で言ってから、スネイプは私に向かっての説明を再開してくるが……うーむ、時折フランの方を気にしているな。彼にとってフランの存在は何か大きな意味を持っているようだ。

 

「帝王は現在東側の上階で指揮を執っております。ポッターたちが行き先を迷っているのであれば、そちらに向かわせるべきかと。ロジエールやドロホフといった主力も東側です。こちらには大した人員は残されていません。」

 

「上層じゃなく、中層に居るってこと?」

 

「上層は牢獄に改装されていますので。帝王はそれがお気に召さなかったようですな。」

 

「あー、なるほどね。」

 

まあ、それは何となく想像できるな。私がちょっと呆れながら頷いたところで、ブラックが再び横槍を入れてきた。ちなみにフランは落ち着かない様子で黙っていて、ルーピンは一人で周囲を警戒している。やるじゃないか、パパさん予備軍。

 

「マーガトロイドさん、先にこいつの立場を確認すべきです。もしかしたら虚報でこちらを撹乱しようとしているのかもしれません。……本当に裏切っていないと言うのであれば、開心術を受けられるはずだ。抵抗するなよ? レジリメンス(開心)!」

 

ブラックはさすがに疑いすぎのような気もするが、確かに一番手っ取り早いのはそれだろう。開心術をかけるブラックのことを見守っていると……どうしたんだ? 急にそれを切り上げたかと思えば、ブラックは敵意剥き出しでスネイプに杖を突き付けた。

 

「貴様、閉心術を使ったな? 見られたら疚しい記憶でもあるのか? ……答えてみろ、スネイプ!」

 

「裏切ってはいないが、記憶を見せるわけにはいかない。まだ吾輩は全てを終えていないのだ。」

 

「訳の分からないことを……マーガトロイドさん! やはりこいつは信用できません!」

 

「吾輩は貴様の信用など必要としていない。やるべきことが残っていて、そのためには記憶を秘する必要がある。それだけの話だ。」

 

どういう意味だ? 激昂するブラックと、冷静な口調で謎めいた弁解をするスネイプ。その間に割り込んで、スネイプに向かって問いかけを飛ばす。

 

「ちょっと落ち着きなさい、ブラック。……スネイプ、貴方は開心術を受け入れるつもりはないということ? 相手がブラックではなく、私だとしても?」

 

「如何にも、その通りです。私にはそうする理由がありますので。……何も聞かずに信じていただきたい。」

 

「それが難しい提案だっていうのは分かってるわよね? 貴方はペティグリューを逃した段階でリドルに疑われていたはずよ。彼が逃げた以上、その疑いが増したのは明白だわ。それなのに今は城内を自由に歩き回り、リドルや中核の死喰い人たちの配置をも知らされている。そして、開心術を受け入れるつもりもない。……信じたいのは山々だけど、あまりにも疑わしい材料が多すぎるわ。」

 

「でしょうな、言っている自分でも怪しいという自覚はあります。……ですが、言えません。私がこれから何をするのかも、どうしてするのかも、誰にも伝えるわけにはいかないのです。」

 

……参ったな、真意が全く掴めないぞ。単にこちらを惑わそうとしているにしては奇妙な台詞だが、かといって易々と頷けるようなものでもない。私が判断に迷っていると、やおら歩み寄ってきたフランがスネイプに質問を放った。真っ直ぐに彼の黒い瞳を見つめながらだ。

 

「スネイプ、一つだけ聞かせて。内緒にするのはハリーの為なの?」

 

「無論、違うとも。ポッターの為でも、校長の為でも、自分の為でもない。」

 

はっきりと断言したスネイプは、いきなり手に持っていた杖を振り上げる。即座に反応した私とブラックだったが……フラン? 何故かフランが私たちを抑えた隙に、スネイプが滑らかな動きで杖をくるりと回すと──

 

「彼女の為だ。」

 

杖先から美しい牝鹿の守護霊が生み出された。しなやかな動きで私たちに近付いてきた牝鹿は、呆然とそれを見つめるフランの前で立ち止まったかと思えば……そのままふわりと消えてしまう。牝鹿の守護霊を使う魔法使いを見たのはこれで二度目だ。

 

スネイプの言う『彼女』というのが誰なのかをその場の全員が理解したのだろう。私、ルーピン、ブラックですらもが黙り込む中、悲しげな表情のフランがポツリと呟いた。

 

「……そっか、ずっと変わってないんだね。」

 

「永遠に。」

 

一切の迷いなく答えたスネイプの言葉を受けて、フランは私に向き直って口を開く。

 

「大丈夫だよ、アリス。スネイプは信用できると思う。理屈じゃ説明できないけど、信じて。」

 

「……分かったわ。リドルの居場所をレミリアさんとリーゼ様たちに伝えましょう。」

 

杖を振って連絡用の守護霊を生み出しながら、遣る瀬無い気分で深々とため息を吐いた。……もう一人の牝鹿の守護霊を使う魔法使いというのは、ハリーの母親であるリリー・ポッターその人なのだ。美しいと思う反面、残酷だとも感じてしまうな。スネイプは決して報われない愛を貫いているわけか。無償の愛と言えば聞こえはいいが、あまりにも悲しすぎるぞ。

 

「もう何をするのかは無理に聞かないけどさ、私たちは何か手伝えないの?」

 

私が守護霊に伝言を託している間にフランが送った問いかけに、スネイプは頷きながら返答を返す。

 

「私はポッターと帝王が決着を付けるその瞬間を目にする必要がある。こちら側の上階に行けば窓越しに見ることが叶うはずだ。」

 

「なら、一緒に行くよ。大事なことみたいだしね。」

 

「……感謝する、スカーレット。」

 

決着が付く瞬間、か。それはつまり私にとっての恩師と、そして嘗ての友人が死ぬ瞬間ということだ。……スネイプに付いて行くならもう話すことは出来ないだろう。だったらせめて私も見届けなくては。

 

伝言を受け取って消えていく獅子の守護霊を見送りながら、アリス・マーガトロイドはそっとイトスギの杖を握り締めるのだった。

 



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ブリキの人形

 

 

「もう一つ先の出口まで進もう。その方が展望台に近いはずだからね。」

 

背後に続くハリーとダンブルドアに声をかけながら、アンネリーゼ・バートリはカビ臭い隠し通路を進んでいた。歩く度に舞う埃やら行く手を阻むクモの巣やらにはうんざりするが、それはこの通路が誰にも見つかっていない証拠だ。甘んじて受け入れようじゃないか。

 

現在の私たち三人は、アリスの報告に従ってヌルメンガード東側中層の隠し通路をひたすら上っているところだ。東側でリドルが指揮を執るのに選びそうな場所として、壁がガラス張りになっている広場……私やゲラートが嘗て『展望台』と呼んでいたフロアに当たりを付けたのである。

 

無論、確実にそこに居るという保証は一切ない。指揮所のレミリアに頼んで外からリドルの姿を確認できないか試してもらっているのだが……頼むからそこに居てくれよ、リドル。他には思い当たる場所がないぞ。

 

脳内の図面を再確認しながら願う私に、明かりを灯した杖を翳しているダンブルドアが話しかけてきた。爺さんの癖して健脚だな。ハリーの方がよっぽど疲れているようだ。

 

「それで、どんな場所なのですかな? その『展望台』というのは。」

 

「フロア全体が仕切りのない一つの広場になっているんだよ。東側からは唯一ここに繋がる山道が見下ろせるから、見張り用にと壁を全面ガラス張りにした結果、当時のゲラートの部下の間で『展望台』という名前が広まっちゃってね。いつしか私やゲラートもそう呼ぶようになったのさ。」

 

「見張りのための場所、というわけですか。」

 

「内装自体はそれなりに豪華なんだけどね。この城が『正しい持ち主』の手にあった頃は、城の住人たちが集まって談笑するような……まあ、景色の良い休憩用の広場って感じの場所だったかな。ランチタイムには大いに賑わったもんだよ。」

 

通りすがりに目にした当時の光景を思い出しながら言ってやると、ダンブルドアは意外そうな表情で返事を返してくる。

 

「それはまた、イメージするのが難しい情景ですな。」

 

「キミね、当時のゲラートの部下たちだって普通の人間だったんだぞ。年がら年中人を殺しまくってたわけじゃないさ。ゲラートも平時は必要以上に締め付けなかったし、最盛期は賑やかな城だったんだ。」

 

世間では『悪い魔法使いたちの集団』というイメージが根付いているが、私としては良くも悪くも『理想家の若者たち』という印象が強い。いつ来ても展望台では小規模なディベートが行われていたものだ。時折ゲラートもそれに交じっていたのを覚えている。

 

だが、ゴドリックの谷での敗北によって彼らは二派に分かれた。各地に身を潜めてゲラートの再起を待つという集団と、ヌルメンガードに立て籠もって革命を押し通すという集団に。前者は現在のゲラートの地盤を固める要員となり、そして後者の結末は……残念ながら、歴史が語る通りだ。最後まで理想に殉じて決死の抵抗をしたようだが、結局は息を吹き返したヨーロッパ連合軍に敗北したらしい。

 

彼らにとってのここは古き魔法界を崩すための牙城であり、同志と理想を語り合える家であり、最期まで寄り添ってくれた墓というわけだ。その後少数の生き残った幹部たちとゲラート本人を閉じ込める牢獄となり、今では死喰い人どもの最期の地となっている。

 

私と同じく、ヌルメンガードも様々な歴史を目撃してきたわけか。半世紀もの間隠し通路を守り抜いてくれた古い友に労わりの念を送っていると、少し息切れしているハリーが急な階段を上りながら口を開いた。

 

「他の味方はどうなってるのかな? 西側のシリウスたちはまあ、マーガトロイド先生やフランドールさんが一緒だから大丈夫だと思うけど……東側は?」

 

「詳細は分からないが、私たちより下層に居るのは間違いないだろうね。さっき微かに戦闘の音が聞こえてきたし、それなりの抵抗には遭ってるんじゃないかな。」

 

「彼らが東側の敵を引き付けてくれればくれるほど、わしらの作戦の成功率は増すはずじゃ。信じて任せようではないか。」

 

私に続いたダンブルドアの言葉にハリーが頷いたところで、通路の先に古びた木の梯子がかかっているのが目に入ってくる。いよいよ到着だな。私の記憶が正しければ、あれが展望台の直近となる出口のはずだ。

 

「よし、キミたちは杖明かりを消して待っていたまえ。私が先行して敵が居ないかを調べてくるから。」

 

「気を付けてね、リーゼ。」

 

ハリーの声を背に梯子を上って、落とし戸の横にある錆びついた鉄のレバーを引く。すると上で何か重い物が動くような音がしたかと思えば、落とし戸の隙間から微かに光が漏れてきた。各出口の詳細まではさすがに覚えていないが、石像か何かで戸が隠されていたのだろう。

 

ゴリゴリという石同士が擦れ合うような音が止んだのを確認してから、能力で姿を消して慎重に落とし戸を開いてみると……ふむ? 誰も居ないな。ひょっこり顔を出した先には、松明に照らされた無人の廊下があるのが見えてくる。展望台はすぐ近くだし、リドルがそこだとすれば警備くらいは居ると踏んでいたんだが。

 

「近くに敵は居なさそうだよ。上がっておいで。」

 

下の二人に指示を飛ばしながら廊下に出て、集中してもう一度周囲の気配を探ってみるが……うーん、やっぱり誰も居ないみたいだな。マズいぞ。ここがもぬけの殻ということは、リドルが展望台に居ない可能性が増してくる。レミリアからの連絡も無いし、また別の場所を探す必要があるかもしれない。

 

若干不安になってきた私に、落とし戸から出たダンブルドアが所見を述べてきた。ハリーはその後ろで服に付いた埃を払っている。

 

「静かすぎますな。」

 

「だね。……どうする? 私一人で展望台を確認して──」

 

そこまで言ったところで、ダンブルドアの隣に細身の山猫の守護霊が出現した。シャックルボルトの守護霊、つまりはレミリアからの連絡だ。ギリギリ確認が間に合ったらしい。

 

『そちらの指定した階層にヴォルデモートらしき姿を確認しました。一人です。』

 

深いバリトンの声で端的に報告した守護霊は、用は済んだとばかりにふわりと消えていく。こちらの状況を気遣って短く纏めてきたのだろうが……一人だと? 意外だな。ダンブルドアも同じ感想を抱いたようで、怪訝そうにポツリと呟いてきた。

 

「不穏ですね。あからさまな不自然さを感じます。」

 

「同感だし、『らしき』って部分も気になるが、それでも行くしかないさ。……展望台に通じる扉は向こうだ。すぐに着くぞ。」

 

「……そうですな、行きましょうか。」

 

たとえ罠だとしても、今更立ち止まるわけにはいかない。緊張した表情のハリーを間に挟むようにしてダンブルドアを先頭に廊下を進んで行くと、数分も歩かないうちに大きな両開きの扉が目に入ってくる。死の秘宝のマークが中央に彫り込まれたダークオークの重厚な扉。あれが展望台に通じる扉だ。

 

「そこを抜ければ展望台だ。……それじゃ、私は気配を消してハリーに付く。やり取りは任せたぞ、ダンブルドア。今日の主役はキミなんだから。」

 

「お任せを。……では、始めましょうか。」

 

覚悟を秘めた表情のダンブルドアが杖を振ると、両開きの扉が軋みを上げながらゆっくりと開いていき……むう、暗いな。私しか見えてなさそうだ。暗闇に沈む懐かしき展望台の風景と、その中央に佇む一人の黒ローブの姿が見えてきた。フードを下ろしている所為で顔は判別できないが、レミリアの報告通りならあれがリドルなのだろう。

 

正方形の大理石がタイル状に組み合わさった床、隅に設置されている固定された石のベンチ、そして細工の入った枠に嵌め込まれた四方を覆うガラスの壁。私の記憶にある展望台には多数のテーブルや小さな花壇なんかも置かれていたのだが、それは撤去されてしまったらしい。他に潜んでいる敵は居ないかと真っ暗な展望台を見回していると、黒ローブがゆったりとした動きで左手に持った杖を振る。

 

途端に壁にかかっている松明に緑の明かりが灯る中、黒ローブがフードを上げながら声を放った。

 

「久しいな、ダンブルドア。そしてハリー・ポッター。俺様の用意した舞台へようこそ。」

 

果たしてフードの下にあった顔は……リドル、だよな? おいおい、今度は何をやらかした? 怖気を誘う声はまるで声帯を持たない生物が無理やり音を出しているかのようだし、露わになった顔は所々がボロボロと『崩れて』いる。左目は虹彩の区別が付かないほどにどす黒く充血しており、おまけに口の半分は削り取られたかのように歯茎が露出している有様だ。

 

前から人間らしからぬ見た目ではあったが、これほどではなかったはずだぞ。完全に『バケモノ』のそれじゃないか。もうトカゲとすら呼べない姿を見てドン引きする私とハリーを他所に、ダンブルドアは険しい表情を浮かべて返答を返す。

 

「また魂を分けたのじゃな? トム。……なんという愚かなことを。これ以上は無理だという自覚はあったはずじゃ。」

 

「だが、俺様はやりきったぞ! ……貴様らが分霊箱を破壊して回っていることには既に気付いている。それなのに聡明なヴォルデモート卿が何の対処もせずに死に向かうとでも思ったのか? 俺様を侮るなよ、ダンブルドア! 失ったのであれば、増やせばいい。それだけの話だ。」

 

「その身体はもう長くは持つまい。そして魂が限りなく小さくなってしまった以上、死した後はどこまでも矮小な存在として現世に囚われ続けることになるはずじゃ。君はそれを分かっているのかね?」

 

「それでも死ぬよりは、消えて無くなるよりは遥かにマシだ! ……俺様は諦めないぞ。どれだけ矮小な存在になろうとも、いつか必ず復活を遂げてみせる。俺様は死なない。死ななければいつかはやり遂げられるはずだ。」

 

いやぁ、私からすると絶対に死んだ方がマシだと思うのだが、リドルにとってはそうじゃないらしい。……とはいえ、マズい事態だぞ。分霊箱を更にもう一つ作ったってことか? そうなるとダンブルドアの作戦ではリドルを殺せなくなってしまう。

 

しかし、冷静に考えれば復活など出来るんだろうか? 日記帳、指輪、髪飾り、ロケット、カップ、ハリー、大蛇、そして新たな一つ。魂を裂くこと八回。……八回だぞ。単純に半分ずつ分けていったと考えると、今のリドルの魂は元々あった量の二百分の一以下になっているということになる。もうゴミみたいなもんじゃないか。

 

うーむ、その状態で死ねないと思うとゾッとするな。あいつ、本気で理解してやってるのか? 行き着く先は前回の亡霊もどきの比じゃないんだぞ。虫ケラ以下の塵芥のような存在として、ずっとずっと死ねずに存在し続けるってのは……私たち人外からしても恐怖に値するような状況じゃないか。

 

それはもう『生きている』とは言えまい。仮に何かの幸運で復活するにしたって、数百年……下手すれば数千年かかるくらいのレベルだ。だったらこのまま殺しちゃっても問題ないだろう。そんな遠い未来のことなんぞ知ったこっちゃないし。

 

さほど問題はないなと考えを改めた私に対して、ダンブルドアはまた違う意見を持っているようだ。憐憫と決意の表情を浮かべているのを見るに、大方リドルを殺しきることでその地獄から救いたいとでも思っているのだろう。

 

……分かっているのか? ダンブルドア。もうお前が死ぬ必要すらなくなったんだぞ。このまま普通にリドルの息の根を止めても、考え無しのアホが行き着く先は自業自得の生き地獄だ。ハリーの中にある魂の欠片を破壊する必要もないし、新たな分霊箱など尚更どうでも良い。目の前に立つ壊れかけのポンコツ帝王のお陰で、状況はむしろ『好転』しているんだからな。

 

「……キミ、状況をきちんと理解しているかい? 今すぐリドルを殺せば全てが丸く収まるんだぞ。」

 

我慢できずにダンブルドアの近くに立って囁きかけてみると、お人好しすぎる爺さんは口を動かさないようにしながら予想通りの答えを送ってくる。ええい、自己犠牲中毒め。

 

「ですが、それはトムを永劫の苦しみに突き落とすのと同義です。」

 

「だからどうした。自業自得さ。……そもそもだ、新たな分霊箱を特定しない限りはどうにもならないぞ。ついでに言えば、あの状態だと仮に『死に切った』ところでロクな結果にはならないはずだ。塵みたいな魂を狭量な冥府の連中が受け入れるとは到底思えないしね。」

 

「だとしても、現世に存在し続けるよりは遥かに救いがあるはずです。どうせこの場を生き延びたところでわしの命は残り僅か。ならばせめてトムを救うために使いたいと思います。新たな分霊箱については……時間を稼ぎます故、スカーレット女史に探すようにと伝えていただけませんか? あの姿を見る限りでは、魂を分けてからそう時間は経っていません。恐らくこの城の中にあるのでしょう。」

 

ここまで堕ちたリドルでも、こいつにとってはまだ『生徒』か。ダンブルドアが小声でそこまで言ったところで、リドルが窓際へと歩きながらこちらに問いを寄越してきた。ぎこちない動きだな。まるで油が切れたブリキ人形のようだ。

 

「どうした? お得意の説教をしなくてもいいのか? 折角久々に会えたというのに、黙っていては退屈だ。死ぬ前に俺様を楽しませてくれ。」

 

「……では聞くが、君は何故たった一人でわしらを待ち構えていたのかね? わしらが『二人』でここに来るという保証などなかったはずじゃ。」

 

「ああ、良い質問だ。俺様はその質問を待っていた。……我が忠実なる朋輩が教えてくれたぞ。貴様らが稚拙な計画を立てて俺様を殺しに来ることを、俺様の大切な分霊箱を破壊したことを、そしてそこの忌々しい小僧が分霊箱になっているということを! ……もう分かったはずだ、ダンブルドア。セブルスは貴様を裏切ったのだ。今の今まで気付かなかったのか? あの男が本当に怨んでいたのは、殺したかったのは、他ならぬハリー・ポッターだということに!」

 

……どういうことだ? スネイプが分霊箱を破壊したことをリドルに密告したということか? 訝しむ私と蒼白な顔を驚きで染めるハリーを背に、私たちの前に立つダンブルドアは静かな声で話を続ける。

 

「……驚きじゃ。まさかセブルスが君に分霊箱のことを話すとは思っておらなんだ。」

 

「貴様の言う愛の力などその程度のものだったということだ。……お笑い種だな。まさか本気で信じていたのか? 十五年も前に死んだ、自分に振り向かなかったマグル生まれの女のために人生の全てを捧げると? 憎い男と自分を裏切ったあばずれとの間に生まれた小僧のために命を懸けると? そんな愚かなことをする人間が本当に存在するとでも? ……少なくとも、セブルスは貴様が思うほど愚かではなかった。あの男は俺様すらも欺いて貴様らの陣営の奥深くに入り込むことで、貴様らにとって最も致命的な一撃を与えられる瞬間を辛抱強く探していたのだ。」

 

「ううむ、確かにわしはセブルスのことを見誤っていたようじゃな。……その『致命的な一撃』がこれということかね?」

 

「セブルスは俺様に色々なことを教えてくれたぞ。貴様が老いて満足に杖を振れなくなっていることも、死ぬ前に俺様とハリー・ポッターと相討ちにさせることで全てを終わらせようとしていることもな! 愚かな老人だ。杖腕を失くしたからといって老いた貴様と成年にも満たぬ小僧に俺様が負けるとでも?」

 

ふむ? 仔細が違っているな。ダンブルドアは寿命が近いとはいえ杖捌きは健在だし、ハリーと相討ちって部分も似て非なる表現だ。……状況がこんがらがっていて解きほぐすのが難しいが、スネイプが裏切ったというのも正解というわけではないらしい。

 

「ほんの少しの間だけ離れるよ。レミィとアリスに連絡を入れてくる。」

 

ハリーの耳元で囁いた後、リドルの不気味な声を背に少し離れた位置にある石柱の陰へと移動する。守護霊は目立つからダメだな。アリスから渡されている指人形を使おう。もう一つの分霊箱の件もあるし、報告によればアリスは現在スネイプと行動を共にしているはずだ。直接真意を問いただしてもらおうじゃないか。

 

「貴様の言う通り、『今回』の俺様の身体はもう長くは持たないだろう。……だが、老いぼれと小僧を殺すには充分な時間が残っているぞ! 一方が生きる限り、他方は生きられぬ。『次』に進む前に忌々しい運命を終わらせてやろう!」

 

どうせ死ぬならその前に懸念材料を片付けておこうってことか? 『残機』があると信じているリドルとしてはノーリスクの戦いだとでも思っているのだろう。……ああもう、厄介な状況だな。もはやこれはハリーのためというよりかは、無謀な自滅をしようとしているポンコツ帝王と、自己満足を貫こうとする犠牲バカのために働いているに近いぞ。

 

私としてはリドルが永劫の苦しみとやらに落ちようが、ダンブルドアが残りの歳月を後悔と共に過ごそうがさほど影響はないのだが……アリスはきっとダンブルドアと同じ結末を望むだろう。だったら私も一応は動いてみようじゃないか。他の誰でもなく、あの子のために。

 

「いいかい? 今から言う伝言を録音したら、アリス、レミィの順で伝えてくれ。迷子にならないでくれよ? 時間は限られてるんだから。」

 

柱の陰で手のひらの上の小さな人形がふんすと頷くのを確認してから、アンネリーゼ・バートリは小声で伝言を呟くのだった。

 



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編纂者

 

 

「……分かったわ。レミリアさんにも急いで伝えてきて頂戴。」

 

ここに来て新たな分霊箱、か。リーゼ様の報告を再生し終えた指人形に魔力を補給してから窓の外へと放しつつ、アリス・マーガトロイドは先頭を歩くスネイプの背を見つめていた。……分からないな。何を考えて動いているんだ?

 

西側中層の入り口でスネイプと再会した私たちは、リドルの姿が確認されたという『展望台』が見える位置まで移動しているのだ。こちら側には殆ど死喰い人が居ない上、ある程度の配置を知っているらしいスネイプが一緒なため、かなりスムーズな移動になっている。

 

反面、指揮所から届けられた情報によれば東側は中々の激戦になっているらしい。顔見知りの闇祓いたちの無事を祈っていると、近付いてきたルーピンが質問を寄越してきた。ちなみにブラックは未だにスネイプを警戒していて、フランは静かに最後尾を歩いている。

 

「バートリ女史からの報告だったんですか?」

 

「ええ、作戦通りリドル……ヴォルデモートと接触したんだけど、色々と予想外の展開になっているらしいわ。」

 

「予想外? ハリーに何か危険が?」

 

途端に振り返って聞いてきたブラックに首を振ってから、我関せずと進み続けるスネイプに声をかけた。色々と教えてもらいたいことがあるのだ。

 

「ハリーは大丈夫よ。……それよりスネイプ、貴方に質問があるの。答えてくれる?」

 

「答えられることであれば、なんなりと。」

 

「じゃあ一つ目。貴方がヴォルデモートに五つの分霊箱の破壊と、ハリーが分霊箱になっていることを伝えたっていうのは本当?」

 

「貴様、どういうことだ!」

 

激昂するブラックをルーピンが抑えるのを横目に、無言で回答を待っていると……スネイプは背を向けたままで簡潔に答えてくる。感情の窺えない乾いた口調でだ。

 

「紛れもない事実です。私が教えました。」

 

「……理由はあるのよね?」

 

「無論、帝王からの信頼を得るためです。……他にも虚実を織り交ぜた様々な情報を提供しております。戦場にポッターと『老衰した』校長が来ることや、その二人で帝王を滅そうとしていること。より不自然さのない状況を作り出すために、スカーレット女史やバートリ女史は前線に出てこないであろうことなども伝えました。私自身も長く連絡を取れていなかったので、予想が多分に入ってしまいましたが……概ねその通りの状況になっているようですな。彼女の存在だけは私にとっても完全に予想外でしたが。」

 

そりゃあそうだろう。本人以外の全員にとって予想外の参加者なのだから。背中越しにちらりとフランを見て最後の部分を呟いたスネイプへと、考えを整理しながら返事を飛ばす。納得できる部分はあるが、気になる部分もまた多いな。

 

「信用を得るために情報を渡したのは分かったけど、そこまで詳しく話す必要はあったの?」

 

「ある程度ポッターや校長にとって不利益になる可能性はありましたが、メリットの方が上回ると考えましたので。」

 

「まあ、それに関しては色々と言いたいことがあるんだけど……その前に二つ目の質問よ。ヴォルデモートは新たな分霊箱を作ったらしいわ。それが何処にあるのかを知ってる?」

 

今や杖を振りかねないほどに怒っているブラックを無視して聞いてみれば、スネイプは僅かな間考え込むように沈黙した後、お馴染みの謎めいた返答を返してきた。

 

「言えません。」

 

「知らない、とは言わないのね。その答えの理由は?」

 

「それも言えません。ただ信じていただきたい。」

 

またそれか。あの守護霊を見た今、スネイプのことを信じてはいるが……どうして肝心な部分を語らないんだ? 私の疑問を代弁するかのように、ブラックがルーピンの拘束を振り払ってスネイプを問い詰め始める。

 

「一体全体何を考えているんだ、スネイプ! 新たな分霊箱が作られたのであれば、それはお前が必要以上に情報を与えた所為だぞ。この事態のどこが『ある程度の不利益』だ! 何故余計なことをヴォルデモートに教えた!」

 

「吾輩が教えるまでもなく、以前から帝王は分霊箱に関しての懸念を抱いていた。帝王は貴様が思うほど愚かな男ではない。……分からないのか? 『ブラック』がヒントを与えてしまったのだ。ほんの小さな、普通なら見過ごす程度のヒントを。」

 

「私が? どういう意味だ。」

 

「貴様ではない、レギュラス・ブラックがだ。……校長やスカーレット女史にしては珍しい失敗でしたな。大勢が決したことによる油断か、それとも小さな記事なら問題ないと思ったのか。何れにせよ、レギュラス・ブラックへのマーリン勲章授与を記事にすべきではなかった。帝王は記事に気付き、思い出しましたぞ。嘗てレギュラス・ブラックという男が死喰い人に参加していたことを。そして自分がかの男のしもべ妖精を分霊箱の『防御テスト』に使ったことを。」

 

むう、そういうことか。……迂闊だったな。リドルは十七年も前に姿を消したレギュラス・ブラックのことをきちんと覚えていたわけだ。後半を私に対して言ったスネイプは、顔を歪める私たちに構うことなく続きを話す。

 

「遠からず分霊箱の破壊が露見すると確信した私は、状況を掌握するために価値があるうちに情報を提供しました。帝王が最も恐れているのは死喰い人の崩壊でも、自らの凋落でもありません。自身の『完全なる死』です。である以上、分霊箱を破壊されたことに気付いた帝王が何をするかは容易に想像できましたので。ポッターが分霊箱になっていることを教えたのはそれを防ぐためですよ。」

 

「……だが、その上でヴォルデモートはハリーを殺そうとするかな? もう一つ作ったとはいえ、残る分霊箱が少ないことに気付いたんだろう? 最も死を恐れているというのであれば、むしろハリーを残そうとするはずだ。現世に残るための大事な楔なんだから。」

 

確かにそうだ。残り二つしかないのだから、わざわざ自分で破壊しようとはしないはず。顎に手を当てながら発せられたルーピンの推理に、スネイプは即座に否定を返した。

 

「逆だ、ルーピン。帝王はポッターを殺すために新たな分霊箱を作ったのだ。……あの帝王がいつ死ぬかも分からないポッターに自分の命を託すと思うのかね? 猜疑の塊となった帝王は、スカーレット女史か校長が己を滅ぼすためにポッターを手にかけることすら考えただろう。帝王は確かな保証が欲しかったのだ。不確かなポッターではなく、確実に機能する新たな分霊箱が。」

 

「しかし、それはハリーを殺す理由にはならない。たとえそれが不確かな一つだとしても、無いよりはあった方がマシなはずだ。」

 

「帝王は次なる復活に長い時間がかかることを予想している。その時、分霊箱たるポッターが既に死んでいるであろうこともだ。……だが、その場合予言はどうなる? 一方が生きる限り、他方は生きられぬ。ポッターが寿命で死ねば、帝王の勝利ということになるのか? それとも運命は誰かに引き継がれてしまうのか? 帝王は不確定要素を嫌ったのだ。どうせ勝手に『壊れる』分霊箱なのであれば、いっそ予言を打ち破るために自分で殺そうというわけだよ。」

 

言いながらたどり着いた階段を上り始めたスネイプに、手に持った杖を握り締めて問いかけを送る。……本当にバカだ、リドルは。これ以上魂を裂けばどうなるかを分かっていないのか? 待ち受ける地獄は『長い時間』どころじゃないんだぞ。

 

「貴方の情報がその考えに拍車を掛けたってことね。」

 

「その通りです。今の帝王に私の情報を信じ込ませるのは非常に難しい作業でしたが、真実を多分に混ぜることでどうにかそれが叶いました。帝王は未成年のポッターと衰えた校長を展望台へと『誘い込んだ』と思っているのでしょう。彼らを殺し、予言を打ち破った後で『自壊』して、長い時間を経た上で復活するというのが帝王の立てたプランです。」

 

嫌な方法だな。フランやルーピン、ブラックなんかも顔を顰めるのを他所に、スネイプはリドルに関しての続きを口にした。

 

「更に言えば、最後に残る新たな分霊箱に関してもそこまで拘ってはいないようですな。作ってから自壊するまでの短い間だけ無事なら問題ないと考えているのでしょう。現世に留まるための『アンカー』としての機能が必要なのは、命が尽きて魂が引っ張られるその瞬間だけですから。……帝王は今回の死が分霊箱というシステムを利用した最後の復活になると予想しています。『次』の機会に魂の再生と新たな不死に至るための方法を探すつもりのようです。その辺りの事情も躊躇なくポッターを殺そうとすることに繋がっているのかもしれません。」

 

「……つまり、もう諦めてるのね。どうせ負けるなら何かを道連れにしていこうってわけ?」

 

「イギリスで大敗した以上、もはや挽回の目などありませんよ。だからペティグリューを逃がしたのです。あの小物は私が逃がしてやったと思っているのでしょうが、彼は帝王が今回の作戦を誘発させるために解き放った『撒き餌』に過ぎません。さすがに私を連絡役として校長に接触させるのは危険だと考えたのでしょう。対してあの小男なら然したる情報を持っていませんので。……とはいえ、ペティグリューを逃すのは私としても苦渋の決断でした。出来ればこの手で殺してやりたいと考えていましたから。アズカバンで苦しんでくれれば良いのですが。」

 

これまで淡々と喋っていたスネイプだったが、最後の部分だけは僅かな憎悪を感じさせる声色だったな。……憎んでいるのか、ペティグリューを。リリーを裏切り、死に追いやった原因の一人であるあの男を。

 

セブルス・スネイプ。どこまでも歪な男だ。まるで愛の薄暗い側面を体現しているかのようじゃないか。……でも、少しだけ理解できる。もしリーゼ様が誰かに殺されたら、私はきっと復讐のために全てを捧げるだろう。どれだけの時間がかかろうが、私はそれを完遂するまで絶対にやめないはずだ。

 

背を押し、前を向かせてくれるのが愛ならば、絡み付き、逃がすまいと囚え続けるのもまた愛なのだろう。ダンブルドア先生とは違う愛の形を貫く男へと、階段の最後の一段を蹴りながら質問を放った。

 

「もう一つだけ聞かせてもらえる? 私たちは新たに作られた分霊箱を探す必要があるの?」

 

「ありません。」

 

「……そう。」

 

それはつまり、スネイプがどうにかするという宣言に他ならない。ブラックが寄越してきた本当に大丈夫なのかという問いかけの目線に対して、一つ頷くことで答えに代える。……信じてみよう。嘗てダンブルドア先生が教えてくれたように、信じることに確証も保証も必要ないのだから。

 

尚も疑わしげなブラックだったが、それでも黙って前に向き直ったところで……スネイプが一つの部屋のドアを開いた。その背に続いて入ってみれば、薄暗い石造りの狭い室内が目に入ってくる。家具の類は殆どなく、木製の小さな丸椅子が二脚と、ボロボロのカーテンが窓にかかっているだけだ。

 

「……この部屋は?」

 

もしもの時のために抜けたばかりのドアへといくつかの魔法をかけながら聞いてみると、スネイプはカーテンに歩み寄って返事を返してきた。

 

「目的の部屋ですよ。バートリ女史に合図を送っていただけますか? 帝王を滅する準備が整った、と。」

 

言いながらスネイプがカーテンを開くと……あれが『展望台』か。怪しげな緑の光で埋め尽くされたガラス張りの階層が窓越しに見えてくる。この部屋は展望台より少しだけ高い階層に位置しているようで、若干見下ろすような位置取りだ。そしてその室内で繰り広げられているのは──

 

「……闘ってるね、ダンブルドア先生。」

 

窓に近付いたフランが呟いた通り、ダンブルドア先生がリドルと杖を交えているらしい。動き自体はどこかぎこちないながらも、リドルの杖捌きには確かな余裕を感じるが……ダンブルドア先生は苦しそうな表情で防戦一方だ。

 

あまりにもダンブルドア先生らしからぬその様子を目にして、フランが不安げな顔で話しかけてきた。

 

「本当に苦戦してるわけじゃなくて、時間稼ぎのための芝居なんだよね?」

 

「そのはずだけど、一応急ぎましょうか。あの状態が長続きするのは不自然でしょうし。……連絡を送っていいのね? スネイプ。」

 

「問題ありません。」

 

再会してからここまでの道中、スネイプは他の部屋に入ってもいなければ、何かを手にしているような仕草すら見せなかったぞ。もう分霊箱を持っているということか? ……ええい、信じると決めたんだろうが、アリス。だったら貫け。

 

渦巻く疑念を胸に仕舞い込み、リーゼ様に送るための指人形へと伝言を託し始めた私を尻目に、ダンブルドア先生の背後で時折呪文を放っているハリーを心配そうに見つめているブラックが声を上げた。無表情で展望台の光景を眺めているスネイプに対してだ。

 

「それで、分霊箱はどこなんだ? 壊す方法は準備してあるんだろうな?」

 

「心配は無用だ、ブラック。貴様は何もせず、ただ黙って見ていたまえ。吾輩が責任を持って全てを終わらせる。」

 

無感動な口調で答えたスネイプに、ブラックは大きく鼻を鳴らしてから引き下がる。それを横目に伝言を録音した人形を放してやると、『伝言ちゃん二十八号』はビシリと敬礼してからふわふわと廊下の方へと飛んで行った。

 

これで後は見守るだけだな。視線を展望台の方に戻して、変わり果てた姿のリドルに小さくため息を吐く。……結局、私は最後の最後までどっち付かずのままだ。憎み切れなかったが、救えもしなかった。我ながら情けない話じゃないか。

 

せめて全てが終わる瞬間を見届けようと覚悟を決めながら、アリス・マーガトロイドは嘗ての友人を遣る瀬無い想いで見つめるのだった。

 



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運命の終わり

 

 

「どうした、ダンブルドア! この程度か? 俺様を失望させないでくれ!」

 

見た目の割には元気そうだな。杖を振りながら調子に乗りまくっている間抜け君に嘆息しつつ、アンネリーゼ・バートリは僅かな焦りを感じていた。……ダンブルドアの芝居のセンスには脱帽だが、時間稼ぎもそろそろ限界だぞ。

 

アリスとレミリアに新たな分霊箱についての連絡を送った後、ダンブルドアがいつもの『愛談義』を吹っ掛けて時間を稼ごうとしたものの、我慢しきれなくなったかのようにリドルが闘いの火蓋を切ってしまったのだ。向こうは向こうで制限時間があるみたいだし、当然といえば当然のことなのかもしれない。

 

ダンブルドアは決着が付かないように手加減しつつ、『衰えている』設定を守り通すかのように危なげな雰囲気を保ち続けているのだが……さすがにこの状況がずっと続けばリドルも違和感に気付くだろう。そうなる前に状況が進展してくれないと困るぞ。

 

とはいえ、リドルの方も十全とは言い難いご様子だ。杖腕ではない方で杖を振っているからなのか、それとも崩壊寸前の身体の所為なのか、何にせよ噂に聞くほどの杖捌きではない気がする。そこらの闇祓いよりは上だろうが、アリスに比べるといくらか劣っているという具合だな。いやまあ、比較対象が悪いのかもしれんが。

 

更に言えば、リドルには自分の腕が落ちているという自覚すらないらしい。闘いが始まった直後と比較して身体の崩壊が進んでいるのは明らかだし、それに従って呪文のキレが失われているような気がするのだが、身体の状態と反比例して気分は高揚しているようだ。ひょっとして、正常な判断が出来なくなっているのか? あの有様では脳をやられてしまったのかもしれんな。

 

リドルが生み出した燃え盛る大蛇が噛み付くのを、ダンブルドアが必死に……必死なフリをしながらどうにか防いでいるのを眺めていると、私の隣で杖を構えているハリーがポツリと呟いた。

 

「リーゼ、居る?」

 

「もちろん居るよ。……キミももうちょっと本気で援護しちゃっていいんだぞ。リドルにはまだ余裕がありそうだし、『か弱い未成年』の芝居も度が過ぎれば怪しまれちゃうからね。」

 

「それは分かったけど、それよりこれ。」

 

私の『演技指導』に対して僅かに苦笑しながら、ハリーがリドルから見えないように差し出してきたのは……おお、『伝言ちゃん』じゃないか。アリスの方で何か進展があったようだ。姿を潜ませている所為で私のことを発見できなかったらしい。

 

「キミの陰で確認するから、少しの間だけ派手に動かないでくれ。」

 

「うん、了解。」

 

ハリーの背中に隠れつつ、受け取った指人形を手のひらに乗せてツンツン突いてやると、伝言ちゃんはアリスの声で報告を語り始めた。

 

『リーゼ様、新しい分霊箱の方はこっちでどうにかします。後はそちらのタイミングで進めちゃってください。』

 

ふむ? ゴーサインは嬉しいが、『どうにかします』ってのが若干引っかかるな。『どうにかしました』じゃないってことは、まだ破壊そのものは出来ていないってことか? 色々と気にはなるが……まあいい、準備が整ったというのであれば進めるだけだ。

 

ハリーにも報告の内容が聞こえたようで、無言呪文をリドルに撃ち込みながらこっそり話しかけてくる。

 

「ダンブルドア先生に伝えてきて。ヴォルデモートは僕のことなんか眼中にないみたいだし、こっちは多分大丈夫だから。」

 

「……すぐに戻るよ。」

 

いつでも妖力でハリーへの呪文を逸らせるように警戒しつつ、今度は闘いの余波で壊れた石柱の破片を浴びせかけられているダンブルドアへと近付いて行くと……彼は私が口を開く前に杖を振って床の大理石を剥がして盾にした後、その陰に隠れながら短く問いを放ってきた。よく気配に気付けたな。ゲラートといい、ダンブルドアといい、爺さんになると感覚が鋭くなるのか?

 

「準備が整いましたか?」

 

「その通りだ。あとは計画通りに進めて問題ないよ。」

 

「では、わしは見事に『負ける』ことにしましょう。」

 

言いながらパチリとウィンクしたダンブルドアは、自ら壁にしていた大理石を無言呪文で粉々に砕くと、猛然とした勢いで杖を振り始める。そこまでの余裕はないだろうに、こんな時でもダンブルドアはダンブルドアのままだったようだ。

 

「トムよ、そろそろ決着を付けようではないか。たとえ分霊箱が残っていたとしても、わしのやることは変わらぬ。ここが君の終の場所じゃ。その魂ではもはや復活など叶うまい。」

 

「黙れ、老いぼれが。俺様は必ず蘇る。そして、それが最後の復活となるだろう。……俺様が復活するのは貴様も、ハリー・ポッターも死した後の、スカーレットですら生きている保証が無い世界だ。ならば一体誰が俺様を止められる? 今度こそ全てを手にしてみせるぞ!」

 

「鬼の居ぬ間に、というやつかね? ほっほっほ、随分と後ろ向きじゃのう。わしには敗北宣言に聞こえるよ。」

 

「負け惜しみか? 俺様は死を乗り越え、貴様らにはそれが出来なかった。それだけの話だ。……もう気付いただろう? やはり死ぬことこそが最大の弱さなのだ! それを克服した俺様を止められる者など何処にも居ない!」

 

高らかに宣言しながらリドルが撃ち込んできた緑色の炎を、ダンブルドアは渾身の盾の呪文で受け止めた。その顔に強気な笑みを浮かべながらだ。

 

「分かっておらぬな、トム。死を受け容れることこそが本当の強さなのじゃ。君は恐怖から目を逸らし、逃げ回っているだけじゃよ。乗り越えたわけではない。」

 

「抗ったのだ、俺様は! そして打ち克った! 襲い来る冷たい死を喰らって、より高い存在に至ってみせた! ……最後に立っている者こそが勝者だろう? それは貴様でも、ハリー・ポッターでも、スカーレットでも、そしてヴェイユやマーガトロイドでもない。俺様だ! この俺様だけだ!」

 

「全てを棄て去って、辿り着いた場所に価値があるのかね? 君の前には誰も居らず、隣にも、後ろにも居らぬ。……孤独じゃ。焼け野原の上に、たった一人で立ち尽くす。勝利を分かち合う者はなく、祝ってくれる者も居ない。わしにとっては死よりも遥かに恐ろしい結末じゃよ。そんなものは勝利とは言えんのう。」

 

「何故分からない? それに耐えられる者こそが、壊されぬ者こそが唯一至れる道なのだ! 俺様は耐えたぞ! 全てを切り棄て、未だこうして立ち続けている! 俺様だけが歩み通せた道の先でな!」

 

異様な声で叫びながらのリドルが叩き付けるように大きく杖を振った瞬間、それまで以上の勢いで緑の炎が鞭のようにダンブルドアへと襲いかかり……見事な負けっぷりだな。ダンブルドアは何とか防いだものの、衝撃に耐え切れなかったかのように杖を手から離す。

 

「ハリー、分かってるね?」

 

カラカラと大理石の床を転がる杖をリドルが即座に回収するのを横目に問いかけてみれば、私の隣に立つハリーは迷わず頷いて肯定の返事を寄越してきた。

 

「大丈夫、覚悟は出来てるよ。」

 

「リドルに気付かれる可能性があるからもう会話は難しいが、私は最後までキミの隣に居るからね。キミは一人じゃない。そのことを忘れないように。」

 

私がポンと背中を叩いて言ったところで、ダンブルドアの杖を奪ったリドルが声を上げる。もちろん勝ち誇るような笑みを浮かべながらだ。

 

「老いた英雄は膝を突き、そして最強の杖は相応しき者の手に。……ようやく手に入れたぞ、ニワトコの杖。わざわざ此処まで運んできてくれてご苦労だったな、ダンブルドア。」

 

「……その杖を手にした者の末路を知っておるかね?」

 

ニワトコの杖のことを知っていたのか。オリバンダーか嘗てのゲラートの部下あたりからヒントを得たのかもしれんな。消耗した表情で地面に座り込みながら聞くダンブルドアに、リドルは見下すような薄い笑みで答えを返した。

 

「俺様は本当の意味では死なない。そしてもはや負けることもない。故にこの杖の忠誠は永久に俺様に向けられることとなる。貴様がニワトコの杖に踊らされる最後の愚か者となるのだ。蘇った後、この杖は主人である俺様の下に戻ってくるだろう。……さあ、終幕だ。何か言い遺すことはあるか?」

 

「……すまなかったのう、トム。わしは君を救えなかった。せめて、君の旅路に終わりの時が訪れることを祈っておくよ。」

 

「忌々しい男だ。どこまでも教師面か? 俺様の道に終わりなどない。永遠にな! ……無駄なことを祈りながら死んでいけ。アバダ──」

 

「エクスペリアームス!」

 

興醒めしたような声色のリドルが杖を振り上げたところで、ハリーから放たれた武装解除の赤い閃光が闇の帝王へと一直線に飛んでいく。それを危なげなく防いだ後、リドルは杖を構えるハリーに向かって歪な口を開いた。

 

「俺様たちの闘いに立ち入ることすら出来なかった小僧が今更何のつもりだ? ……黙って見ていろ、ハリー・ポッター。貴様もダンブルドアの後で殺してやる。」

 

「その前に僕と闘ってもらうぞ、ヴォルデモート。あの墓場の夜の続きをしよう。一対一の決闘だ。……それとも、仮面のお友達が周りに居ないと怖くて闘えないのか?」

 

「これはこれは、驚いたな。まさか俺様を挑発しているのか? 貴様のような未熟な小僧が、この俺様を? 闇の帝王を? ダンブルドアを打ち負かし、ニワトコの杖を手に入れた最強の魔法使いを?」

 

「でも、お前は僕を殺せなかった。いつだってそうだ。十五年前も、四階の廊下でも、学生時代の亡霊も、お前の指示を受けたラデュッセルも、対抗試合の時も、軍隊を使ってすらも。全て失敗してきたじゃないか。」

 

ダンブルドアの前に出ながら言ったハリーへと、リドルは怒鳴るような口調で反論を繰り出す。明らかにイラついている表情だ。

 

「どれも貴様自身の力ではない! ……どうやら勘違いをしているようだな、ハリー・ポッター。貴様など選ばれただけの単なる小僧に過ぎんのだ! ダンブルドアが、スカーレットが、バートリが、マーガトロイドが! 忌々しい連中が貴様を守り続けたからこそ今まで生き延びていることに気付けないのか? それをまるで自分の力で成したかのように語るのは滑稽だぞ!」

 

「分かっているさ。……だから、今日は僕自身の力で立ち向かう。もう終わりにしよう、ヴォルデモート。お前もそれを望んでいるはずだ。」

 

異形の眼光を真正面から睨み返しながら、ハリーはゆっくりとした歩調で無防備にリドルへと近付くと……杖を眼前に立てながら言葉を放つ。

 

「お辞儀をしろ、トム・リドル。決闘の作法は知っているんだろう?」

 

「……愚かなガキだ。いいだろう、杖慣らしに貴様から殺してやる。そこで見ていろ、ダンブルドア! 貴様が必死に守り続けた小僧が無惨に死んでいく姿をな!」

 

よし、上手いぞハリー。これで状況は完全に整った。私が内心でガッツポーズしている間にも、杖を振り下ろした二人はくるりと振り返って距離を取るように歩き出す。

 

気配を完全に殺しながらハリーの隣に張り付いていると、彼はリドルに背を向けている状態で小さく声をかけてきた。先程までリドルに向けていた強気な表情ではなく、困ったような苦笑を浮かべながらだ。

 

「あんな口上を述べた後で言うのは情けないんだけど、多分すぐに負けちゃうと思う。もうヴォルデモートは手加減しないだろうから。……そしたらダンブルドア先生を信じて終わりを受け容れるよ。」

 

情けなくなんかないぞ。それが出来る人間はそれほど多くないのだから。そっと手を握ることでそのことを伝えてやると、ハリーは驚いたように目を見開いた後、力強く頷いてから決闘相手へと向き直る。

 

展望台の中央で視線を交えた運命に定められた二人は、僅かな間だけ無言で見つめ合っていたかと思えば、同時に杖を振り上げて勢いよく呪文を放った。

 

エクスペリアームス(武器よ去れ)!」

 

アバダ・ケダブラ(息絶えよ)!」

 

それぞれの杖先から飛び出した赤い閃光と緑の閃光が二人を挟む空中で鬩ぎ合うが……刹那の後には赤い閃光が弾かれ、ほんの少しだけ軌道を変えた緑の閃光がハリーに向かって飛んでくる。直撃コースではなくなったな。これは僅かに逸れるか?

 

果たして閃光は予想通りにハリーの身体には当たらず、彼が右手に持っていた杖に激突した。柄以外が吹き飛んでしまった杖がカラカラと後方に転がるのを見て、リドルは嘲るように言葉を寄越してくる。

 

「褒めてやろう、ハリー・ポッター。ニワトコの杖を持った俺様の一撃を逸らすとは思わなかったぞ。……だが、これで終わりだ。もう貴様と俺様の間には誰も居ない。俺様は遂に運命を打ち破ったのだ!」

 

狂喜の顔で叫ぶリドルへと、ハリーは勝気な笑みで返事を返した。彼のことを良く知る者にしか気付けない程度の、ほんの僅かな憐憫の念を滲ませながらだ。

 

「どうかな? トム・リドル。僕はお前が思うほど一人じゃないぞ。お前が棄ててしまったものを、僕はずっと持ち続けている。それが僕の強さだ。」

 

「……貴様の愚かさは『弟子』に受け継がれたようだな、ダンブルドア。目の前でこの小僧を殺して証明してやる。俺様こそが唯一正しい道を選んだのだと!」

 

ヨロヨロと立ち上がろうとしているダンブルドアに宣告したリドルは、見せつけるように大きく杖を振り上げると、凄惨な笑みでハリーに対して呪文を放つ。運命を終わらせるための、最後の呪文を。

 

「アバダ・ケダブラ!」

 

襲い来る緑の閃光を見て私がハリーの手を握り、ハリーがそれを強く握り返したその瞬間、ひどく安らかな表情のダンブルドアがポツリと呟いた。生徒に語りかける時のような、柔らかい声色でだ。

 

「愛じゃよ、トム。」

 

その言葉と共にハリーの胸元に緑色の閃光が触れた途端、目を開けていられないほどの眩い光が周囲を包む。咄嗟に能力で緩和しようとするが……くそ、ダメか。光で目が見えなくなるという初めての体験に戸惑いつつ、ハリーの手だけは決して離すまいと握り締めていると──

 

「……ハリー?」

 

ちかちかと光る視界の中、私の手を握ったままで倒れているハリーの姿が見えてきた。背筋が凍りつくような焦りを感じながら、慌てて胸元に耳を当ててみると……良かった、きちんと脈打っている。どうやら気絶しているだけらしい。

 

安堵の吐息を漏らしつつ光の収まった周囲を見回してみれば、少し離れた場所でうつ伏せに倒れているダンブルドアと、膝を突いてボロボロと崩れていく自分の身体を呆然と見つめるリドルの姿が目に入ってきた。……ダンブルドアは己の死に様を見事に演じ切ったようだ。

 

何故かあらぬ方向へと手を伸ばしながら細かい灰のようなものになって消えていくリドルを横目に、姿を現してハリーに向かって蘇生呪文をかけると、何度目かの呪文でようやく彼は目を覚ます。

 

「ハリー、身体に違和感は?」

 

「……ん、平気だよ。戻ってきたんだね、僕。」

 

『戻ってきた』? どういう意味だ? 瞳孔がきちんと動いていることを確認しながら首を傾げる私に、ハリーは倒れ伏すダンブルドアの方を見ながら説明してきた。

 

「さっきまでダンブルドア先生と話してたんだ。真っ白なキングズクロス駅みたいな場所で……先生は『境の場所』って言ってた。」

 

「境の場所? ……辺獄のことかい? よく帰ってきてくれたね。」

 

「色々と話した後に、ダンブルドア先生がもうお帰りって言ってくれたんだ。先生は『先』に進むけど、僕はまだそうすべきじゃないからって。……ひょっとして、ただの夢だったのかな? 凄く長く話してたはずなのに、全然時間が経ってないみたいだし。」

 

「それを判断するのはキミ自身だよ。その顔を見るに、キミは夢じゃないと確信しているんだろう? だったら誰にも文句は付けられないさ。キミは確かにダンブルドアと語り合ったんだ。それでいいじゃないか。」

 

立ち上がろうとするハリーに肩を貸しながら言ってやると、彼は私の言葉を噛み締めるように頷いてくる。……何れにせよ、今は考えるべきではないのだ。壮大な長い運命は遂に幕を閉じ、ここからはようやく自由な人生が始まるのだから。

 

ただまあ、先ずは後片付けをしないとな。ハリーも、アリスも、パチュリーも、フランも、そしてもしかしたらレミリアも。この結末を消化するには時間がかかるだろう。私はそれを手助けしていかなければ。

 

「……これで、やっと全部が終わったんだよね? 全然実感が湧かないよ。」

 

私に体重を預けながらダンブルドアの方へと歩み寄ろうとするハリーに、肩を竦めて返答を返す。

 

「きっとホグワーツに戻って、ハーマイオニーとロンに会えば実感が湧くよ。あの場所に帰るまではまだ全部が終わったとは言えないからね。」

 

「……そうだね、帰ろう。ダンブルドア先生を連れて。」

 

ダンブルドアを仰向けに寝かせた後、そのブルーの瞳をそっと閉じたハリーが呟くのに、軽く背を叩くことで返事に代えた。……辺獄で何を経験したのか、どんな話をしたのかは分からんが、私の予想以上にハリーは冷静に事態を受け止められているようだ。あの世の待合所でも『授業』とはな。大したヤツだよ、本当に。

 

ダンブルドアの皺くちゃの手を取っているハリーを見ながら、アンネリーゼ・バートリは長い物語が終わったことを実感するのだった。

 



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勝者なき勝利

 

 

「まだなの? スネイプ。もう時間が無いわよ?」

 

視線の先でダンブルドア先生が杖を奪われるのを目にしながら、アリス・マーガトロイドは微動だにしないスネイプへと催促の言葉を飛ばしていた。状況が進展したのを見るに、リーゼ様は私の伝言を受け取ったらしい。つまり、遠からず決着が付くということだ。

 

ブラック、ルーピン、フランも心配そうな表情で窓越しの展望台のやり取りを見つめる中、その背後に立つスネイプは尚も変わらぬ無表情でこれまで通りの返答を返してくる。

 

「まだその時ではありません。信じて待っていただきたい。」

 

ああもう、やきもきするな。湧き上がってくる不安に耐えながら頷いた私に、スネイプは懐から二つのクリスタル製らしき小瓶を取り出して話を続けてきた。厳重に封がされた片方には透明な液体が入っており、コルクが嵌められただけのもう片方には銀色に光る何かが入っているようだ。

 

「マーガトロイド女史、貴女に一つお願いしたいことがあります。」

 

「聞くわ。」

 

「私の懐にこれがあることを覚えておいてください。全てが終わった後、貴女がたにはいくつかの疑問が残るでしょう。それを解消するための物です。」

 

説明しながらスネイプは銀色の方の小瓶を示してくるが……これは、記憶か? よく見てみれば、入っているのは銀色に光る細い糸のような物質らしい。中に誰かの記憶を保存しているようだ。

 

「記憶ね。誰のものなの?」

 

「私のものです。貴女がたを見つける少し前に取り出しておきました。ここに仕舞っておきますので、忘れないようにしてください。」

 

言うと、スネイプは私に示した方の小瓶を自分のローブのポケットに入れてしまう。……今渡すんじゃダメなのか? またしても謎の行動だな。不可解すぎる頼みを受けて曖昧に首肯した私を他所に、スネイプは丸椅子を踏み台にして窓に張り付いているフランへと声をかける。ここからでは全く聞こえないが、展望台ではハリーとリドルが何かしらの問答を始めたようだ。

 

「スカーレット、君にも一つだけ聞きたいことがある。」

 

「ん?」

 

「……君は私を恨んでいるか? 気遣いは無用だ。本音を教えてくれ。」

 

……ようやく仮面が崩れたな。これまで貫いていた無表情ではなく、ほんの僅かな悔悟の念を滲ませながら放たれた問いに、フランはくるりと振り返って答えを送った。柔らかい苦笑でだ。

 

「恨んでないよ。憎んでもいない。……だって、これまでずっとリリーのために戦ってきたんでしょ?」

 

「しかし、全ての原因を作ったのは私だ。私が帝王に予言のことを知らせなければ、リリーは死なずに済んだかもしれない。」

 

「あのね、みんなそうなんだよ。守人や隠れ家の選択とか、あのハロウィンの日の行動とか……私も、シリウスも、リーマスも、アリスも、ダンブルドア先生やお姉様たちだって色々な失敗をして、その結果こうなっちゃったわけでしょ? だから責任を独り占めするのはズルいよ、スネイプ。それは私たち全員で背負うべきものなんだから。」

 

いつになく真剣な表情でそこまで言い切ったフランは、少しだけ悩むように目を瞑った後、丸椅子から降りてスネイプの顔を覗き込みながら続きを口にする。

 

「死者の代わりに語るっていうのはフェアじゃないかもしれないけど、これだけは確信があるから言っちゃうね。……リリーは貴方に感謝してるよ。ハリーを守るために、一番危険な場所でずっと頑張ってくれたんだもん。それとも、私の言葉じゃ足りないかな?」

 

「……いや、充分だ。君の言葉なら信じられる。」

 

驚いたな、こいつも笑うのか。初めて見る微笑みでそう答えたスネイプは、液体が入っている方の小瓶の封を切りながら窓の方へと視線を戻した。展望台の中央ではハリーとリドルが決闘の作法をこなし、互いに背を向けて距離を取るように歩いている。

 

「スネイプ、もう決着が付くぞ。まだなのか?」

 

リドルに向き直ったハリーから一瞬たりとも目を離すまいとしているブラックの呟きに、スネイプは懐に手を入れた状態で返事を飛ばす。

 

「まだだ。」

 

「だが、もうハリーは──」

 

「黙って見ていろ、ブラック! 貴様が心配せずとも吾輩はやり遂げる。ポッターを助けるためでも、校長に使命を全うさせるためでもなく、リリーの仇を討つためにな。」

 

展望台に視線を固定しながらの二人がやり合っている間にも、リドルが放った緑色の閃光とハリーの赤い閃光が鬩ぎ合って……リーゼ様が介入したのか? 一瞬で弾かれた赤い閃光だったが、僅かに軌道が逸れた緑色の閃光はハリーの杖に激突した。

 

折れた杖がハリーの背後に転がり、それを見たリドルが勝ち誇るような表情で口を開くが……ハリーは真っ直ぐに見返して勝気な笑みを浮かべると、リドルに何かを言い返す。

 

それに対して呆れ混じりの嘲りの表情になったリドルは、後方でヨロヨロと立ち上がったダンブルドア先生に短く何かを告げると、ハリーに向かって杖を振り上げて高らかに呪文を──

 

「遅くなって悪かった、スカーレット。借りを返すよ。」

 

リドルの放った緑の閃光がハリーの胸元へと吸い込まれ、ダンブルドア先生が安らかな表情で何かを呟き、展望台全体が眩い光に包まれたその瞬間……スネイプが吹っ切れたような明るい口調でそう言ったかと思えば、小瓶の中の液体を懐から取り出した何かに振りかけた。

 

液体がかかった部分から焼け焦げるように崩れていくのは……写真か? くしゃくしゃになった古い白黒写真だ。途中まで引き裂いたかのように上半分だけ破れているその写真の中には、懐かしいデザインのホグワーツの制服を着た三人の学生らしき人影が──

 

「ハリー!」

 

ブラックの悲鳴のような叫びを聞いて慌てて展望台に視線を戻すと、いつの間にか光が収まっている展望台には倒れ伏すダンブルドア先生とハリー、そして……黒い灰のようなものになって崩れ去っていく自分の身体を、ただ呆然と見つめているリドルの姿があった。

 

偶然か、因縁か、それとも運命なのか。リドルはやおら顔を上げたかと思えば、まるで私がここに居ることを知っていたかのように真っ直ぐこちらに目を向ける。ダンブルドア先生から奪った杖を放り投げ、何かを求めるかのように差し出された左手に、思わず私が届くはずもない手を伸ばしたところで……彼はふわりと細かな灰になって消えていった。崩れるように、サラサラと。手は最期までこちらに伸ばしたままで。

 

……分からない。私は、悲しんでいるのだろうか? 表現できないぐちゃぐちゃな感情が自分の中に溢れてくるのを自覚つつ、伸ばした左手をいつまでも下ろせないでいると、背後から何かが倒れるような鈍い音が聞こえてくる。

 

「……スネイプ?」

 

いち早く振り返ったフランが駆け寄っていく先を見てみれば、横たわるスネイプの姿が目に入ってきた。先程から微かに感じていた嫌な予感に従って、私も慌てて近付いてその顔を覗き込んでみると……やっぱりか。少しだけそんな気はしていたのだ。フランへの質問も、暗に回収しろと言っていた記憶のことも、つまりはそういうことなのだろう。

 

「……死んでるわ。」

 

「ど、どうして? 癒しの魔法は?」

 

「死んでるのよ、フラン。もう間に合わないの。」

 

信じられないという表情で問いかけてくるフランに力なく首を振ってから、スネイプの瞼をそっと閉じる。詳しいことは謎のままだが、きっと分霊箱を破壊するために必要なことだったのだろう。……随分と安らかな死に顔じゃないか。彼が何を思って死んでいったのかを遺された記憶は説明してくれるのだろうか?

 

ぺたりと脱力するように座り込んだフランを前に、どう声をかけようかと迷っていると、ルーピンがおずおずという口調で報告を寄越してきた。ブラックはこちらの騒ぎに気付いていないようで、未だ窓に張り付いたままだ。

 

「ハリーは無事のようです。バートリ女史に支えられてはいますが、きちんと自分の意思で立ち上がりました。……大丈夫か? ピックトゥース。」

 

「……んーん、ダメかも。全部終わったら軽くなると思ってたんだけどね。重いままだよ。……借りなんか返さなくてもよかったのに。あれは私のお陰なわけじゃなくて、リリーとスネイプの絆が強かったから元通りになれたんだよ?」

 

悲しそうにスネイプへと語りかけるフランを横目に、立ち上がって展望台の方に視線を向ける。リーゼ様に支えられたハリーが倒れたままのダンブルドア先生へと近付き、何か声をかけているようだ。

 

……フランの言う通りだな。今日、ようやく全てが終わった。だけど、背負っているものを全て下ろせるわけではないのだ。きっとこの重い荷物は、これから歩む長い時間をかけて向き合うべきものなのだろう。

 

親友の遺してくれた杖をそっと手に取って、アリス・マーガトロイドは静かに目を瞑るのだった。

 

 

─────

 

 

「酷い有様じゃないの。」

 

戦いが終わり、撤収の準備に入っている指揮所の中。デュヴァルに肩を借りた状態で天幕に入ってきたムーディへと、レミリア・スカーレットは苦笑しながら言い放っていた。木製の義足は根元から折れているし、片腕には赤く染まった包帯が巻かれている。また傷が増えてしまったようだな。

 

勝つべくして挑み、そして勝った。にも関わらず、現在の自陣は悲痛な空気に包まれている。……理由はもちろんダンブルドアの死だ。死者は少し離れた天幕に収容されているのだが、未だ多くの魔法使いたちがその周囲で英雄の死を嘆いているらしい。

 

まあ、私も人のことは言えんな。『勝った』という実感はまるで湧いてこないのだから。事後処理で忙しくて詳細は聞けていないが、アリスの簡潔な報告を聞く分に今日の勝者はダンブルドアとスネイプだ。そして、その両者ともがもうこの世に居ない。だったら誰も喜んでいないのは道理というものだろう。

 

内心でため息を吐く私に、ムーディは隅に置いてあった椅子に腰掛けながら答えてきた。心なしか声にいつもの覇気がない気がするな。こいつもこいつでダンブルドアの死を悼んでいるのかもしれない。

 

「ふん、ロジエールめにしてやられたわ。」

 

「でも、勝ったんでしょう? ロバーズからの報告で聞いたわよ? 『因縁の決闘』のこと。」

 

「生かして捕らえられなかった以上、勝ちとは言えん。……愚かな男だ。見返りのない忠義を全うするとは。あれほどの腕であればもっと別の道があっただろうに。」

 

闇の帝王の右腕、エバン・ロジエール。黎明期から今日までリドルに付き従ってきた最古参であり、最も忠実な死喰い人と呼ばれた男だ。ダンブルドアが決着を付けた後も生き残っていたのだが、リドルの死を聞いても投降に応じず、最後はムーディとの決闘に敗れて主に殉じたらしい。

 

……リドルと同日に死ぬというのは、あの男にとって相応しい末路なのかもな。ロジエールは死喰い人にしては珍しく、損得抜きでリドルに付き従っていた者の一人だ。他にもアントニン・ドロホフやバーテミウス・クラウチ・ジュニアのように投降を拒絶した死喰い人は案外多い。

 

ドロホフはロバーズが仕留め、クラウチ・ジュニアは追い詰められて自害したそうだ。何とも物好きな連中ではないか。あんな男にどんな魅力を感じていたのやら。後味の悪い結果に鼻を鳴らしていると、甲斐甲斐しくムーディの傷を調べていたデュヴァルが質問を寄越してきた。

 

「こちら側の死傷者は少数ですが、やはりダンブルドア校長の死の影響が大きいのでしょう。戦勝を祝うという雰囲気ではありませんね。……こんな時に聞くのは心苦しいのですが、葬儀はいつになりそうですか?」

 

「構わないわ、外交上必要な情報ってのは分かるもの。さっきイタリアの指揮官からも同じことを聞かれたしね。……対外的な葬儀は後日改めて行われるでしょうけど、簡単な葬儀と埋葬は明後日にホグワーツで執り行われる予定よ。」

 

「随分と急ですね。もし許されるのであれば、私も参加したいのですが。」

 

「好きになさい。来るもの拒まず、慎ましやかにっていうのがダンブルドアの遺言なのよ。前者を守る限り、後者は守れないと思うけど。」

 

たとえ急な葬儀だとしても、イギリス中の魔法使いたちがホグワーツに押し掛けるだろう。……むう、しくじったな。事前に会場の整理のことを考えておくべきだったかもしれない。帰ったらボーンズやマクゴナガルと相談しなければ。

 

ダンブルドアのことだから間違いなく完璧な遺言状を遺してあるとは思うが、それを実行する苦労はまた別の話だ。さすがのマクゴナガルも一人で処理するのは難しいだろうし、手伝ってやる必要があるだろう。

 

まあいいさ、後片付けくらいはこっちでやってやるよ。頭の中でスケジュールを整理し始めた私へと、ムーディが鋭い口調で問いを飛ばしてきた。

 

「どこまでが計算で、どこからが計算外だった? もう全てが終わったのだ。腹の内を見せてみろ、スカーレット。」

 

「スネイプの死以外は概ね計算通りよ。……近いうちに元騎士団の連中には全てを話すわ。誰が何を知っていて、何を知らないのかがごちゃごちゃだしね。私としても不明な点がいくつかあるし、一度整理させて頂戴。」

 

「ならばいい。」

 

短く言うとムーディは片足で立ち上がり、座っていた椅子に向かって杖を構えたかと思えば……おいおい、一応は魔法省の備品なんだぞ。やりたい放題だな。杖を振ってバラバラに破壊した後、手頃な木片に呪文をかけて折れた義足にくっ付ける。

 

二、三度義足を踏み鳴らして調子をチェックしたムーディは、そのまま天幕の外へと歩きながら言葉を放ってきた。

 

「何にせよ、わしの役目は終わりだ。一足先に帰らせてもらう。」

 

「薄情なヤツね。後片付けを手伝っていこうとは思わないわけ?」

 

「それは最早わしの役目ではあるまい? 勝手にやるんだな。知ったことではないわ。」

 

弁えているというか、ドライというか。非常にムーディらしい態度に苦笑しながらその背を見送っていると、同じ表情のデュヴァルが声をかけてくる。

 

「では、私も部下たちと撤収作業に入ります。……機会を与えてくれてありがとうございました、スカーレット女史。あまり喜ばしい結末にはなりませんでしたが、それでも私にとって一つの決着になったようです。これでようやく部下の墓に報告することが出来ます。」

 

「こちらこそ協力に感謝するわ、デュヴァル。フランスの大臣にもそう伝えておいて頂戴。」

 

「お任せください、必ず伝えます。」

 

ぺこりとお辞儀をして去って行くデュヴァルから目を離して、次は何をしようかとテーブルの上の書類に手を伸ばしたところで……おや、大魔女どのも撤収の準備に入ったらしいな。これまでヌルメンガードの周辺を覆っていた真っ黒なドームが、空間に溶けるように滲んで消えていくのが見えてきた。

 

うーむ、外はもう夜も間際だったのか。真っ暗なドームの中よりは遥かに明るい赤が混じった宵の空を少しだけ眺めてから、再び目の前のテーブルへと向き直る。……残念だが、私には達成感に浸る余裕も死者を悼む暇もない。ダンブルドアの葬儀の手配や他国への連絡、あとは新聞の記事の内容を考えたり、革命の件だってまだまだ途中なのだから。

 

ふとダンブルドアの遺体が収容されている天幕の方へと目をやって、僅かな間だけ動きを止めてから……ええい、バカバカしい。私がやるべきことはこっちだ。羽ペンを手に取ってサインが必要な書類に手早く自分の名前を記入していく。

 

ダンブルドアは見事にやり遂げた。それなのに私が途中で立ち止まるわけにはいかない。あのジジイには一度負けたが、二度目はないのだ。冥府でしかと見届けるがいいさ。お前がやり残したことを私が達成する瞬間をな。

 

全部終わったら墓の前で勝ち誇ってやろうと心に決めながら、レミリア・スカーレットは小さく笑みを浮かべるのだった。

 



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The Elder Wand

 

 

「……キミね、もう少し分かり易く悲しんだらどうなんだい? 無表情だとちょっと不気味だぞ。」

 

撤収作業に入っている自陣の天幕の中、無言で仮設ベッドに寝かされているダンブルドアの遺体を見つめるゲラートへと、アンネリーゼ・バートリは苦笑いで声をかけていた。泣くでもなく、話しかけるわけでもなく、ただ黙って無表情でジッと見てるってのは……うん、怖いな。怪しすぎるぞ。

 

全てが終わった後、展望台で味方との合流を果たした私とハリーは、ダンブルドアの遺体を連れて自陣へと戻ってきたのだ。そして現在ハリーは別の天幕に収容されているスネイプの顔を見に行っている。フランたちから事の経緯を伝えられているのだろう。

 

そんな中、ロシアの議長どのがダンブルドアが眠っている天幕に入ったと聞いて様子を見に来てみたわけだが……うーむ、予想通りといえば予想通りの光景だな。ゲラートが泣き崩れるってのは想像できないし、感傷的に語りかけるのも似合わない。非常に『らしい』反応だと言えるだろう。

 

天幕の入り口に寄り掛かって軽口を叩いた私へと、ゲラートはダンブルドアに視線を固定したままで返事を寄越してきた。

 

「不思議な感覚だ。どう言い表せばいいのかが分からん。……お前には分かるか? 吸血鬼。」

 

「キミの感情はキミだけのものだし、それに一々名前を付けて喧伝する必要はないさ。あるがままで心の中に仕舞っておきたまえよ。」

 

「ふん、お前にしては随分とまともな台詞だな。……唯一明確なのは羨ましいという感情だけだ。死に際を自分らしく飾れる者は多くあるまい。俺の最期もこうありたいものだな。」

 

「まあ、見事な死に様ではあったよ。主役として舞台を全うしたわけだしね。」

 

言いながらゲラートに歩み寄って、懐に持っていた物を差し出す。ダンブルドアからは何も言われていないが、これの処遇を決めるのはゲラートに任せるべきだろう。少なくとも私じゃないし、イギリス魔法省でもない。

 

「それより、これをどうにかしてくれないか? 私は興味がないし、単なる遺品として処理するのは何か違う気がするからね。ダンブルドアと共に埋めるか、あるいはキミが再び所持するか。選択肢としてはそんなところだろうさ。」

 

私が差し出した物……ニワトコの杖を見て、ゲラートは僅かに目を見開いてからゆっくりとそれを手に取った。そういえば、この杖の忠誠は今誰に向いているのだろうか? 入り組み過ぎていてよく分からんな。

 

それは嘗ての所有者たるゲラートにとっても同じだったようで、やおら杖先から火花を散らすと訝しげな表情で口を開く。

 

「ニワトコの杖か。……奇妙な状態になっているな。俺を拒絶するほどではないが、昔ほど素直というわけでもないようだ。アルバスが最後まで所有者だったのか?」

 

「んー、かなり複雑なやり取りがあったからね。一度ヴォルデモートがダンブルドアから奪った……というか、ヴォルデモートに『奪わせた』んだが、その後間接的にとはいえダンブルドアがヴォルデモートを滅したわけだ。両者が死んだからキミに所有権が戻っているのか、はたまた死んだどちらかに向いたままなのか、もしくは間を通されたハリーに移っているのか。私にはさっぱり分からんよ。」

 

全て有り得そうな気がするし、全てしっくりこない気もする。不可解な状況に置かれた最強の杖のことを考えていると、ゲラートがくつくつと笑いながら答えを返してきた。なんとも愉快そうな表情だ。

 

「恐らく、誰も本当の意味での所有者ではないのだろう。魔力の通りからすれば生きている中で最も近いのは俺のようだが、十全に使えない以上はもはや『最強の杖』とは言えん。……アルバスはこの杖の宿命をも葬っていったというわけだ。」

 

「つまり、もう単なる杖と変わらないってことかい?」

 

「それでも強力なことは強力だろうが、誰かが俺を打ち倒したところで杖の忠誠は得られないはずだ。そもそもが俺に向いているわけではないからな。……ならば、ここで行き止まりだ。未来永劫この杖を完全な状態で従えられる者は居なくなった。」

 

言うと、ゲラートは節くれだった杖をダンブルドアの組まれた手の中にそっと差し込む。ダンブルドアと共に埋葬するってことか。五十年来の持ち主の手に戻ったニワトコの杖を見ながら、嘗ての持ち主はポツリと呟いた。

 

「この杖はアルバスの手元に在ることを望むはずだ。歴代の所有者たちとは違い、アルバスは真の意味で敗北しないまま己の選択によって死んでいったからな。……ニワトコの杖はようやく終の主人を得ることが出来たわけだ。最強の杖は無敗の主人の下に。それが正しい選択だろう。」

 

「いいのかい? 昔のキミはこの杖にえらく執着していたもんだが。」

 

「分かりきった問いはやめろ、吸血鬼。今の俺が死の秘宝に対して然程興味を持っていないことは知っているはずだ。力も、不死も。最早俺にとって大きな意味を持っていないからな。……では、俺は部隊を連れて本国に戻る。スカーレットにもそう伝えておけ。」

 

おっと、もう帰るのか。……っていうか、指揮所はすぐ近くなんだから直接伝えろよな。ダンブルドアの遺体に背を向けて天幕の出口へと歩き出したワガママ議長に、ため息を吐きながら報告を送る。

 

「一応知らせておくが、ダンブルドアの葬儀は明後日ホグワーツで行われる予定だ。来るかい?」

 

「またしても分かりきった問いだな。当然不参加だ。……俺が参加しては場の雰囲気が悪くなる。そのくらいの自覚はあるさ。」

 

「いやはや、気遣いが出来る老人になってくれて嬉しいよ。頑固なだけだと疎ましがられるだろうからね。昔とは大違いじゃないか。」

 

「お前も減らず口を治したらどうだ? 少しは人に好かれるようになるかもしれんぞ。……少しはな。」

 

余計なお世話だ。これでも友人は多い方なんだからな。皮肉を口にしながらロシア闇祓いたちが待機している区画に歩み去って行くゲラートを見送って、何となしにダンブルドアの遺体へと向き直った。

 

むう、奇妙な感覚だな。私にとってのダンブルドアは……何だったんだろうか? 教師とは言えないし、友人でもない。かといって他人でもなければ、単なる知人というのも違う気がする。同盟相手? 仕事仲間? それとも協力者?

 

これは、私もゲラートのことをとやかく言えんな。いつの間にか先程の彼と同じように黙って遺体を見つめていた自分に苦笑しつつ、踵を返して天幕の出口に向かう。答えを出す前に場所を譲るべきだ。こんな中途半端な私よりも、ダンブルドアに別れを言いたい者は沢山居るはずなのだから。

 

自嘲しながら天幕を出ると、入り口から少し離れた場所に立っているシャックルボルトが話しかけてきた。顔を見たいという魔法使いが多すぎるので、彼が『入退室管理』をしているのだ。レミリアの補佐から葬儀屋の真似事まで。闇祓い局が誇る便利屋も大変だな。

 

「もうよろしいのですか? バートリ女史。」

 

「ああ、もういいよ。撤収にはまだ時間がかかりそうかい?」

 

どうやら私が天幕の中に居る間にパチュリーがドームを解除したらしい。宵闇に沈む空を見上げながら聞いてみると、シャックルボルトは首を振って返答を寄越してくる。

 

「いえ、もうすぐ終わります。我々闇祓いはオーストリア魔法省への引き継ぎのために暫く残りますが、他国からの援軍や魔法戦士の方々は順次ポートキーで帰還する予定です。」

 

「ちなみに、ロシア勢は勝手に帰るそうだ。さっき指揮官どのが言ってたよ。レミィにも伝えておいてくれたまえ。」

 

指揮所に戻るのは面倒なので伝言の伝言を頼んでみれば、シャックルボルトは嫌な顔一つせずに了承の首肯を送ってきた。使い易すぎて損するタイプだな、こいつ。

 

「かしこまりました、伝えておきます。」

 

「任せたよ。」

 

苦労人の闇祓い局副長にひらひらと手を振った後、立ち並ぶ天幕の間を縫って歩き出す。ハリーのことはフランたちに任せておいて大丈夫だろう。ホグワーツに帰ったら話す機会はいくらでもあるわけだし、ハリー本人も今はスネイプのことが気になっているはずだ。

 

正直なところ、私もスネイプが何故死ぬことになったのかは結構気になっているのだが……それより先ずはアリスだな。自陣に戻る際には毅然としていたが、内心では思うところがあるはずだ。どこかできちんと話を聞いてやらなければ。

 

キョロキョロと見慣れた金髪を探しながら片付けが始まっている陣地を進んでいくと、同じような仕草をしている紫しめじが反対側から歩いてくるのが目に入ってきた。考えることは一緒か。……いや、ダンブルドアの居る天幕を探しているって可能性もあるな。

 

「やあ、パチェ。お疲れさん。ずっとドームを維持していたんだろう?」

 

とりあえず軽めに言葉を放ってみると、パチュリーはいつも通りの様子で私に近付いてくる。見たところ落ち込んでいる感じはしないが、こいつのことだからな。内心ではどう思っているのか分からんぞ。

 

「本を読みながらだったから大して疲れてないわよ。面倒なのは起動までであって、維持の方は魔力を注ぐだけだしね。……そんなことより、アリスはどうなの?」

 

「私も今探しているところだが……キミ、どこまで状況を把握しているんだい?」

 

「概ね把握しているわ。維持の途中、レミィから何度か報告をもらったから。」

 

「なら、ダンブルドアのことも知っているんだろう? 会わなくていいのかい?」

 

紫の瞳を見据えながら問いかけてやると、パチュリーはふと何かを思い出すような顔になったかと思えば……小さく首を横に振ってきた。

 

「会わないわ。もう別れは済ませたもの。これ以上は蛇足よ。」

 

「……まあ、キミがそう言うならいいんだけどね。えらくサッパリしてるじゃないか。」

 

「あら、心配してくれるの? 珍しいこともあるもんね。」

 

ええい、普通するだろうが。皮肉げに微笑みながら言ってきたパチュリーは、遠くを見つめるような表情に変わって続きを語る。……ふむ、無理しているという雰囲気ではないな。

 

「私は生きているダンブルドアを見送ったわ。私にとっての物語はそこで終わりなの。エピローグも、あとがきも無し。だったら後は本を閉じるだけよ。」

 

「……望めば続きを読めるのにかい?」

 

「読みたくないもの。他人の別れ方に文句を付けるつもりはないけど、私はもう本を閉じて本棚に仕舞っちゃったのよ。である以上、いつか読み返す気になるまで開くつもりはないわ。」

 

いつもより比喩表現が多くて分かり難いが、とにかく死に顔を直接見るつもりはないってことか。……うーん、パチュリーにしては感情的な選択だな。ダンブルドアの死を認めたくないからというよりは、認めているからこその選択なのだろう。

 

どこまでも不器用な友人に苦笑しつつ、再び歩き出しながら返事を返す。まあ、私からは文句などないさ。決着の付け方は人それぞれだ。パチュリーがそれで納得できるというのであれば、彼女の友人たる私から言うべきことは何もない。

 

「ならいいさ。……それじゃ、アリスを探すとしようか。あの子はキミと違って繊細だからね。きちんと気遣ってあげないとだろう?」

 

「一言多いわよ、性悪吸血鬼。こんな日くらいは皮肉を抑えられないの?」

 

「んふふ、それは無理な相談だ。キミが本を読むように、私は皮肉を呟くのさ。それが妖怪ってもんだからね。」

 

騒がしい天幕の間を紫の友人と並んで進みながら、アンネリーゼ・バートリはいつものように肩を竦めるのだった。

 

 

─────

 

 

「探したよ、アリス。」

 

翼を揺らしながら私が居る天幕へと入ってきたリーゼ様に、アリス・マーガトロイドは困ったような苦笑を返していた。ううむ、リーゼ様は私が会いたいと思った時に必ず現れるな。どうして分かっちゃうんだろうか?

 

「すみません、ちょっと一人で考え事をしてたんです。今椅子を──」

 

そこまで言った私が杖を取り出す間も無く、リーゼ様の後ろから入ってきたパチュリーが杖なし魔法でティーテーブル、椅子、そして紅茶を出現させる。パチュリーも一緒だったのか。彼女がここに居るということは、周辺を覆っていたドームは解除されたということだ。思ったよりも長く考え込んでいたらしい。

 

「準備する必要はなさそうですね。ありがと、パチュリー。」

 

「構わないわ。それより……その、どうなの? 話したいことがあるかもしれないと思って来たわけだけど。いやまあ、無いなら別にいいんだけどね。あるなら聞くわ。もちろん無理に話せって言ってるわけじゃないのよ? あるなら。仮にあるならの話よ。」

 

やけに早口で喋りながら椅子に座ったパチュリーは、そわそわと組んだ指を動かしていたかと思えば……一つため息を吐いてからリーゼ様に言葉を放った。どうやら気を使わせちゃったようだ。

 

「……やっぱり私には向いてないわ。進行は任せたわよ、リーゼ。」

 

「んふふ、相変わらずのひどい導入だったが、何をしに来たのかは伝わっただろう? アリス。」

 

「ええ、それはもう充分に。……だけど、私は大丈夫です。色々と経験して生きてきましたから。自分でも予想外なくらいにきちんと受け止められてます。」

 

後悔もあるし、悲しくもある。でも、リドルはきちんと死ぬことが出来たのだ。もし分霊箱が残ったまま死んだとしたら、向かう先は生き地獄だっただろう。それを避けられたことに安心したというのが大きいのかもしれない。

 

こればっかりはダンブルドア先生とスネイプに感謝するばかりだな。スネイプの方は救おうとしてやったわけではなさそうだったが、それでも結果は結果だ。落ち着いた後で色々と考えてしまうのは容易に想像できるものの、今は冷静な気分で受け止められている……気がする。少なくとも自分では。

 

そんな私の表情をジッと覗き込んでいたリーゼ様だったが、少しすると柔らかく息を吐きながら口を開いた。本心からの言葉というのが伝わったらしい。

 

「……そうか、それならいいんだけどね。何かして欲しいことがあったら遠慮せずに言いたまえよ?」

 

「えへへ、それじゃあ何か考えておきます。それまで取っておいてください。」

 

「よしよし、何を言われるのかを楽しみに待ってようじゃないか。」

 

そう言ってクスクス笑ったリーゼ様に笑みを返してから、取り出したクリスタル製の小瓶をテーブルに置く。リドルのこともあるが、先程まで私が考え込んでいたのはこっちの件だ。スネイプから預かった記憶。彼の遺した『説明』。

 

私がコトリと置いたそれを見て、興味深そうな表情のパチュリーが質問を寄越してきた。私がスネイプにしたのと同じ質問をだ。

 

「あら、記憶ね。誰のものなの?」

 

「スネイプの記憶らしいの。行動の謎を説明をするものだって聞かされてたから、彼が亡くなった後に回収しておいたんだけど……パチュリーなら映像に出来る?」

 

「私一人が覗き見るだけなら可能だけど、大人数で見たいと言うのであれば専用の魔道具がないと無理ね。……『回収した』ってことは、渡されたわけじゃないってこと?」

 

「えっと、『ここに仕舞っておきますので、忘れないようにしてください』って言われたの。だから多分回収しろっていうことなんだと思って。私たちと会う前に取り出したものらしいから、その時点で自分の死を覚悟してたんじゃないかな。」

 

私の予想を聞いて、紅茶を一口飲んだリーゼ様が顔を顰めながら疑問を飛ばしてくる。話の内容云々ではなく、単純に紅茶が薄すぎたのだろう。パチュリーが魔法で出した紅茶の味は相変わらずらしい。

 

「にしたって、『回収しろ』ってのは迂遠なやり方じゃないか。小瓶一つ渡せない理由があったってことかい?」

 

「まだ確証はないんですけど、私はスネイプが破れぬ誓いを結んでいたんじゃないかと思ってるんです。分霊箱の情報や、それに関する記憶の譲渡が条件に抵触するような内容だったんじゃないでしょうか?」

 

『破れぬ誓い』。結んだ者同士の命を担保にする魔法の契約だ。ここでずっと考えていた仮説を送ってみると、リーゼ様とパチュリーはそれぞれのポーズで悩み始める。そんな黙考する二人を見ながら、持っていた追加の情報を口にした。

 

「スネイプは破壊する瞬間まで分霊箱を取り出そうとはしませんでした。ずっと懐に持っていたのにも関わらずです。私たちが在処や詳細について聞いても、ただ信じて欲しいと言ってはぐらかすだけだったのは……分霊箱を秘匿するようにという誓いがあったからじゃないかな、と。」

 

「現場に居た貴女がそう判断するのであれば、破れぬ誓いを結んでいたという点に反論はないわ。だけど、それなら出会った時に渡していて然るべきじゃない? そこで死ねない理由があったってこと? ……私はスネイプに関しての詳細をまだ聞いてないから、判断材料が少なすぎて何とも言えないわね。」

 

「……私が思うに、スネイプの行動について語るのはその記憶を見た後でいいんじゃないかな。彼がリドルを滅するために命を落としたって部分はほぼ間違いないわけだろう? その彼が説明のために記憶を遺したというのであれば、私たちは先ずそれを見るべきなのさ。」

 

思考の材料を欲するパチュリーと、目の前の『答え』を指差すリーゼ様。対照的な返答を寄越してきた二人に苦笑しつつ、記憶が入った小瓶を手に取って話を進める。

 

「となると、誰が見るかを考えた方がいいですね。……フランには見せてあげたいんです。スネイプも多分、それを望むと思います。」

 

「私としてはハリーにも見せてあげたいね。スネイプが死んだって報告を受けた時、かなりのショックを受けてたみたいだから。気持ちにケリを付けるためにも見ておいた方がいいだろうさ。どんな真実にせよ、人伝てに聞かされるよりはマシなはずだ。」

 

「何にせよ、大人数で見たいなら憂いの篩を使うべきね。私の所持している魔道具じゃ二、三人が限界だけど、あっちなら無理すれば四、五人はいけるでしょ。」

 

そうなるとフラン、ハリー、そして身寄りのないスネイプの遺産整理をすることになるであろうマクゴナガルは決定として……あと一人か二人か。記憶は見た後に回収することも出来るが、見る度に僅かながら劣化するわけだし、何よりそう何度も見られることをスネイプは望まないはずだ。出来れば一度で終わらせてあげたいな。

 

悩む私に、『ニルギリの香りがするお湯』を飲み干したリーゼ様が話しかけてきた。

 

「キミも見ておきたまえ。スネイプが小瓶のことを頼んだのはキミなんだろう? だったら見るべきだと思うよ。」

 

「……いいんでしょうか? 私が見ても。」

 

「それはスネイプのみぞ知ることだが、少なくともブラックやルーピンが見るよりは喜ぶだろうさ。それだけは断言できるよ。」

 

「それはまあ、そうかもしれませんけど。」

 

苦い笑みで同意した私に肩を竦めてから、リーゼ様は未だ黙考しているパチュリーの肩を叩きながら立ち上がる。

 

「そうと決まればさっさと帰ろう。ホグワーツにハリーを送る時、マクゴナガルに記憶のことは伝えておくよ。校長室で待ってるだろうからね。」

 

「今日はそのままホグワーツに滞在するんですか?」

 

「明日は咲夜の誕生日だし、そのつもりだったんだが……んふふ、心細いなら今日だけ一緒に寝てあげようか? ホグワーツには早朝に戻れば問題ないからね。」

 

後半をパチュリーに聞こえないように囁きかけてきたリーゼ様に、ちょっと顔が赤くなっているのを自覚しながら頷きを返す。……今回はまあ、百パーセント邪心は無しだ。寝る時に色々と考えちゃいそうだし、リーゼ様が隣に居てくれれば安心して眠れる気がするぞ。

 

「それじゃあ、マクゴナガルに詳細を伝えたら紅魔館に戻るよ。……ほら、パチェ。いい加減に再起動してテーブルと椅子を片付けてくれたまえ。もう天幕も仕舞わないといけないんだから。」

 

「……ん、分かったわ。」

 

まだまだ考え足りない様子のパチュリーが上の空でテーブルを消し去ったのを横目に、凝り固まった身体を解しながら天幕の出口へと歩き出す。……今日はもう考えるのはよそう。ダンブルドア先生、リドル、そしてスネイプ。どうせ不器用な私は後からごちゃごちゃ考えちゃうのだ。

 

だから今日だけ。今日だけは全部心の奥に仕舞い込んで、リーゼ様に甘えてぐっすり寝よう。私には全てを預けて寄り掛かれる存在が居るのだから。

 

赤と黒が入り混じった宵の空を見上げつつ、アリス・マーガトロイドは白い息を吐くのだった。

 



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死者からの贈り物

 

 

「おや、早いね。おはよう、ハリー。」

 

日が昇った直後のグリフィンドール談話室。人っ子一人いない静かなそこで書き物をしていたアンネリーゼ・バートリは、男子寮からの階段を上ってきたハリーに声をかけていた。一応は寝間着を着ているものの、いつもの寝癖が付いていないし……ふむ、どうやら眠れなかったようだ。そりゃそうか。

 

誰かが居るとは思っていなかったのだろう。声を聞いて少し驚いたような顔になったハリーは、私だと分かると笑顔に変わって挨拶を返してくる。

 

「おはよう、リーゼ。……ひょっとして寝てないの?」

 

「いいや、家に戻って少し寝たよ。寝てないのはレミィやマクゴナガルあたりだろうさ。レミィは私が出てくる時も仕事をしてたし、マクゴナガルは校長室で今も頑張ってるはずだ。……そう言うキミはどうなんだい? 髪がいつもの『スカイダイビング状態』じゃないみたいだが。」

 

「寝た……のかな? ベッドでずっと考え事をしてて、いつの間にかこんな時間になってたんだ。多分、気付かないうちに少し寝たんだと思う。」

 

うーむ、少なくともしっかり寝たというわけではないようだ。ちょっと心配だな。羽ペンを置いてハリーの顔色を確認し始めた私を他所に、当の本人は窓のカーテンを開きながら話を続けてきた。

 

「……変な気分だよ。全部終わって、もうダンブルドア先生もスネイプ先生も居ないだなんて。」

 

「寂しいかい?」

 

「それも勿論あるけど……僕、スネイプ先生と話をしたかったな。五年生の終わりに全てを聞いた時、今度会ったらきちんと話そうって決めてたんだ。でも、結局会えないまま終わっちゃった。それが残念だよ。」

 

窓越しの寒そうな校庭を見ながら呟くハリーへと、ソファに寄り掛かって口を開く。そういえば、スネイプはあれ以降ホグワーツに戻らないままだったな。

 

「スネイプが遺した記憶のことはフランたちから聞いているだろう? 明日行われるダンブルドアの葬儀の後で見ることになるそうだが……どうする? 見たいならキミも参加できるよ?」

 

「見たいけど……僕が見てもいいのかな? スネイプ先生がそれを望むと思う?」

 

「選ぶのはキミさ。決して傷付かないのが死者の特権なら、選択できるのは生者の特権なんだから。……見たいと思うなら見たまえ。だが、見るべきではないと少しでも感じているのであれば見ない方が良いと思うよ。スネイプの真実が必ずしもキミにとって優しいものだとは限らないからね。」

 

フランやアリスの話を聞くに、スネイプが最後まで愛したのは、最期まで殉じたのは『リリー』だ。あの男の行いはハリーやダンブルドアの為でもなければ、『リリー・ポッター』の為ですらないのかもしれない。である以上、ジェームズ・ポッターの息子たるハリーへの憎しみは見せかけだけのものではないはず。

 

真剣な声色で放った私の忠告に対して、ハリーは校庭を眺めながら暫し悩んだ後……くるりと振り返って返事を寄越してきた。それでも見るのか。

 

「見るよ。スネイプ先生に救われた僕はきっと、あの人が抱えていたものを知るべきだと思うから。ここで目を背けたら絶対に後悔するだろうしね。」

 

「……なら、後でマクゴナガルに伝えておくよ。」

 

もはや見慣れたグリフィンドールの瞳だな。決意に輝くグリーンの瞳に苦笑しながら言ったところで、新たな人物が談話室に上がってくる。我らが赤毛のノッポ君だ。こっちも寝癖ゼロだな。

 

「あー……おはよう、二人とも。さっきハリーが部屋を出て行く音が聞こえたからさ。一人になりたいのかとも思ったんだけど、どうしても気になって上がってきちゃったんだ。」

 

「つまり、キミも眠れなかったわけだ。」

 

「いやまあ、もしハリーが何か話したくなったらいつでも相手を出来るようにって思ったんだよ。それにほら、僕は別に疲れてないしな。これくらい何でもないさ。」

 

「んふふ、いじらしい行動じゃないか。後でハーマイオニーにも聞かせてやりたまえよ。好感度が上がるぞ。」

 

クスクス笑いながら提案してやると、ロンはバツが悪そうな赤い顔で向かいのソファに腰を下ろした。ハリーもちょっと照れ臭そうな苦笑いを浮かべている。

 

「あんまりからかわないでくれよ、リーゼ。……ちなみに、ハーマイオニーの様子はどうだった? ちゃんと寝れてたか?」

 

「私は家に帰ってたから分からないが、泣き疲れてぐっすり寝てるんじゃないかな。昨日は私の一生分を上回るくらいに泣いてたからね。」

 

ハリーの無事を喜んでロンやジニーも涙ぐんでいたが、ハーマイオニーの泣きっぷりに比べれば些細なものだろう。ハリーと私に抱き付いて涙をボロボロ零していたミス・友達想いを思い出して微笑む私に、ロンの隣に座ったハリーが相槌を打ってきた。

 

「リーゼの一生分を上回ってそうなのには同意するけど、リーゼが泣いてるところっていうのがそもそも想像できないかな。……リーゼって泣いたりするの?」

 

「随分と失礼な質問じゃないか。私だって泣いたことくらいあるさ。……直近だと二百五十年ほど前にね。」

 

むう、言われてみれば結構前だな。その辺の時期から我を忘れるほど怒ったり、心の底から喜んだりしなくなった気がする。己の感情を制御できるようになったと肯定的に捉えるべきか、長い年月で凝り固まってしまったと否定的に捉えるべきか。

 

自分の感情の平坦さを思って微妙な気分になっていると、ロンが興味深そうな表情で質問を飛ばしてきた。

 

「じゃあ、僕たちの葬式では泣いてくれるか?」

 

「想像できないし、したくもないね。縁起の悪いことを言わないでくれたまえ。葬式のことを考えるのは老後で間に合うさ。」

 

「まあ、うん。ちょっと悪趣味な質問だったかもな。」

 

申し訳なさそうにポリポリと自慢の赤毛を掻き始めたロンに、肩を竦めて別の話題を投げかける。今の私にとっては遥か先の話だ。考える必要などないだろう。

 

「とにかく、先ずは明日の葬儀に向き合うべきだね。恐らく上級生は会場の設営を手伝わされるぞ。」

 

「大広間でやるのかな?」

 

「いや、校庭になるんじゃないかな。埋葬は湖のほとりになるようだし、大広間だと参列者を収容し切れないはずだ。少なくともレミィはそう考えてるみたいだよ。」

 

私の返答を受け取ったハリーは、複雑そうな表情で曖昧な頷きを寄越してきた。まだまだ思うところがあるのだろう。それに小さく苦笑した後で、書き終わった書類を手に立ち上がる。一番の薬は時間だ。嘗てアリスとフランを癒してくれたあの薬なら、ハリーのこともいずれは癒してくれるはず。

 

「それじゃ、私は校長室に行ってくるよ。」

 

「今日も仕事なのか?」

 

「なぁに、咲夜が起きてくるまでには戻ってくるさ。私は優先順位ってものを弁えてるんでね。」

 

ロンの疑問に肩越しに答えながら、談話室の出口に向かって歩を進める。どれだけ忙しいとしても、こんな時なればこそ咲夜の誕生日を疎かにするわけにはいかない。マクゴナガルには悪いが、手伝いもほどほどに戻らせてもらおう。

 

十五歳になった咲夜へのお祝いの台詞を考えつつ、アンネリーゼ・バートリはホグワーツの廊下を歩き出すのだった。

 

 

─────

 

 

「……よう、咲夜。誕生日おめでとう。」

 

女子寮の自室のベッドで目を覚ました霧雨魔理沙は、自分の顔を覗き込んでいる銀髪の親友へと寝起きの第一声を放っていた。起きた時びっくりするからやめて欲しいのだが、こいつは時折私の寝顔をジッと見つめるという奇行を仕掛けてくるのだ。どうやら今日はその日だったらしい。

 

「ありがと、魔理沙。それとおはよう。」

 

真顔でそう言うと、咲夜は私の側を離れて自分のベッドに戻ってしまう。……うーむ、この奇行の理由は未だに謎だな。特にこれといった被害があるわけではないものの、なんだか最近は頻度が増えているような気がするし、そろそろきちんと意味を聞くべきなのかもしれない。

 

ただまあ、今日やるべきことではないだろう。今日は十月三十一日、つまりは咲夜の誕生日なのだ。……そして、全校生徒がダンブルドアとスネイプの死を知る日でもある。考えただけで大広間に行くのが億劫になってくるな。

 

昨晩遅く、リーゼとハリーはホグワーツに帰ってきた。ちなみに私たちが帰りを迎えたのは談話室ではなく校長室だ。ハーマイオニー、ロン、私、咲夜、ジニーの五人で心配しながら待っていたところ、ふらりとやって来たマクゴナガルが校長室に連れて行ってくれたのである。

 

そこにはスラグホーンやフリットウィック、それにスプラウトなんかも居て、待っている間私たちに昔のホグワーツの思い出話なんかをしてくれたのだが……きっと心配する私たちを気遣ってくれたのだろう。授業の時より随分と優しい雰囲気だったし。

 

そして午後九時を回った頃、遂にリーゼとハリーが校長室の暖炉に現れたのだ。ハーマイオニーやロン、ジニーなんかはハリーに抱き付いて帰還を喜んでいたし、私も彼が無事に帰ってきてくれて嬉しかった。勿論それは嬉しかったのだが……唯一咲夜だけが別の方を見ているのが気になって、そちらに視線を向けた時、見てしまったのだ。

 

部屋の隅でリーゼの話を聞くスラグホーンやフリットウィックの沈んだ表情と、涙を流すマクゴナガルとスプラウトの姿を。……何故だか分からんが、衝撃だった。マクゴナガルやスプラウトのあんな顔ってのは私には想像できないものだったからだ。

 

私と咲夜以外の面子が気付く前に毅然とした表情に戻っていたものの、一夜明けた今でもあの顔が頭に焼き付いて離れない。私にとってのマクゴナガルやスプラウトは『強い教師』だったのに、もっとずっと弱くて身近な一人の人間になってしまった気がする。

 

……私はきっと、ダンブルドアの死というのを本当の意味で理解していなかったのだろう。ハリーだけがちゃんと分かっていたのだ。だからあんなに議論を重ねていたわけか。自分のバカさ加減を思って重苦しい気分でノロノロとベッドから這い出た私へと、咲夜がルームメイトを起こさないように小声で話しかけてきた。

 

「多分、授業は中止よね? ついでに言えばハロウィンパーティーも。」

 

「だろうな。……朝にダンブルドアについての知らせがあるんだと思うぜ。そしたらもうパーティーなんかやる気分じゃないだろ。」

 

「そして、今年は私の誕生日も中止ね。誰も祝う気分じゃないでしょ。祝われる気分にもなれないし。」

 

「それは……そんなことないだろ。」

 

上手く反論できなくて曖昧な返事を返すと、咲夜は困ったような笑みで首を横に振ってくる。

 

「私だってそこまで子供じゃないわよ。こんな日に能天気に喜んでいられないわ。……呪われてるのかしらね、私の誕生日って。良くないことばっかり起こってる気がするの。」

 

「確かに色々あったかもしれんが、お前が生まれた日だろうが。それでお釣りが来るさ。」

 

少なくとも私にとってはそうだぞ。アンニュイな雰囲気の咲夜に今度ははっきりと反論してやれば、我らが銀髪ちゃんは驚いたように青い目を見開いた後……少し赤い顔でそっぽを向いて小さく頷いてきた。

 

「……ならいいんだけど。」

 

「『不幸と幸せは一定理論』は好きじゃないけどよ、来年からは良いことが続くかもだろ? あんまり変なこと考えんなよ。お前が生まれたことを祝ってるヤツは沢山居るんだから。」

 

「もう、分かったってば。素直に祝われてあげるわよ。」

 

なんだそりゃ。苦笑いで髪を纏めていたヘアゴムを取って、ナイトテーブルの上にある小鏡を見ながら寝癖をチェックし始めたところで、シュシュを外して同じ作業をしている咲夜が話題を変えてくる。夜寝た時と同じ位置で起きたのに、何だってこんなにぐしゃぐしゃになってるんだ? これこそ呪いだぜ。

 

「リーゼお嬢様、今日もお忙しいのかしら? 昨日の夜も先生方と校長室に残ってたし。」

 

「お前の誕生日なんだから、どんだけ忙しくても顔を見せには来るだろ。……もしかしたらレミリアも来るかもしれないぞ。校長の葬式はホグワーツでやるってハリーが言ってたからな。色々と準備があるんじゃないか?」

 

具体的な日付は聞けていないが、そう先の話ではないはずだ。明日か、明後日とかか? よく知らないイギリスの葬式についての知識を掘り起こしていると、やけにソワソワしている咲夜の姿が目に入ってきた。レミリアの名前が効いたらしい。

 

「そうね、レミリアお嬢様がいらっしゃる可能性があるならきちんとした格好で……マズいわ。制服にアイロンをかけておかないと。今日の報告の時もそうだし、ダンブルドア先生の葬儀があるなら皺くちゃの服で出るわけにはいかないでしょう? 魔理沙のもやるわよ。」

 

「私のはともかく、お前のはいつもパリッとしてるだろうが。……逞しいこったな。私はそこまで気が回らんぜ。」

 

そういえば、正装ってことは三角帽子も出しておかないとか。ブラシで髪を整えながらどこに仕舞ったかを思い出していると、テキパキと身嗜みを整えた咲夜がベッド脇のプレゼントを整理し始める。今年も数は沢山あるが、山の大きさとしては小さ目だな。小物が多いようだ。

 

「こうなった以上、プレゼントのお礼の手紙も日を空けた方がいいのかしら? さすがに特殊なケースすぎてよく分からないわ。」

 

「そこまで気を使わなくてもいいんじゃないか? ほぼほぼ身内からなんだろ?」

 

「だけど、ブラックさんからとか、ルーピン先生からのもあるし、ハグリッド先生やモリーさんからのも……あら、これは誰からかしら? 差出人が書いてないわね。」

 

んー? なんか、覚えのあるやり取りだな。怪訝そうな表情で赤い包装紙に包まれた長方形のプレゼントを手に取った咲夜は、それを回しながらどこかにカードが挟まっていないかを確かめているが……一年生の時も同じ包装紙を見た気がするぞ。

 

咲夜もそのことに気付いたようで、真剣な顔に変わると私に問いを寄越してきた。

 

「これ、三年前にアルバムを貰った時と同じ包装紙よね?」

 

「多分な。侵入者騒ぎのゴタゴタで有耶無耶になっちまったけど、あの時のは結局誰からだったんだ?」

 

「ダンブルドア先生からだと思うわ。尋ねるのは無粋な気がして、はっきりとは聞いてないんだけど……どういうことなのかしら?」

 

「もしそうだとしたら、ヌルメンガードに行く前に準備しといたってこったろ。つまりはまあ、ある意味での形見というか、遺産みたいなもんなんじゃないか?」

 

ダンブルドアは死を覚悟していたわけだし、その上で贈ったのであればそれに近い物のはずだ。私の言葉に小さく首肯した咲夜は、かなり慎重な手付きで箱の包装を解き始める。

 

すると赤い包装紙の中から出てきたのは……木箱だ。古ぼけた飾り気のない木箱で、これといった特徴は見当たらない。貴重な物という雰囲気ではないし、これ自体は単なる入れ物に過ぎないのだろう。中に入っている物が本命ということか。

 

「……開けるわよ?」

 

「おう。」

 

金属の留め具をパチリと外した咲夜に短く答えて、背後に移動しながら木箱が開くのを見守っていると、中にはクッションに包まれた三つの小瓶が入っているのが見えてきた。小瓶は薄っすらと銀色に輝いている。

 

「これって、記憶だよな?」

 

憂いの篩を使う時にダンブルドアから見せられた銀の糸を思い出しながら呟くと、咲夜もこくりと頷いて肯定してきた。

 

「そうみたいね。……小瓶にラベルが貼ってあるわ。『結婚式』、『ヴェイユ』、それに『ムーンホールド』。どういう意味かしら?」

 

「それぞれに纏わる記憶なんじゃないか? 『結婚式』は多分、お前の母ちゃんと父ちゃんの結婚式の記憶ってことだろ。『ヴェイユ』もまあ、アルバムのことを思い出せば何となく分かる気がするが……『ムーンホールド』ってのは何だろな?」

 

どっかで聞いたような気がするな。首を捻る私に、咲夜が小瓶を見つめながら答えを教えてくれる。

 

「バートリ家のお屋敷の名前よ。今は紅魔館とくっ付いちゃってるけど、昔は別の場所にあったんですって。不死鳥の騎士団の本部にも使われたらしいわ。」

 

「あー、アリスかリーゼから聞いた覚えがあるぜ。ってことは、そこの記憶ってことか。」

 

「……でも、どうしてダンブルドア先生は私にこれを遺してくださったのかしら? 記憶ってことは、憂いの篩で見ろってことなのよね?」

 

難しい表情で小瓶の一つを手に取る咲夜へと、私も腕を組んで悩みながら口を開く。いくつか有り得そうな理由は思い付くが、ダンブルドア本人に答えを聞けない以上は永遠の謎だ。

 

「元々お前に見せる予定の記憶だったんじゃないか? ペティグリューが情報を持って来なければ、週末の『記憶ツアー』はまだ続くはずだったわけだろ?」

 

「その可能性はあるわね。何にせよ、見てみる他ないわ。……一緒に見てくれるでしょう?」

 

「そりゃあもちろん構わんが、先ずは新校長に許可をもらわないとだな。今の校長室を管理してるのはマクゴナガルなわけだし。」

 

「なら、少し落ち着いてからお願いしてみましょうか。マクゴナガル先生は暫くお忙しいでしょうし、余計なことに気を使わせるのは申し訳ないわ。記憶は逃げたりしないしね。」

 

うむ、そうした方がいいだろう。パタリと木箱を閉じた咲夜に頷いてから、自分のベッドに戻って着替えを始める。やっぱりダンブルドアは大したヤツだな。死んでからも『特別授業』を継続するとは思わなかったぞ。

 

とはいえ、ダンブルドアがどれだけきちんと身辺整理していたとしても、イギリス魔法界はこれから混乱するはずだ。……マクゴナガルも可哀想な立場に立たされちゃったな。忙しすぎて死を悼む暇もないだろう。

 

何か出来ることがあれば手伝おうと心に決めつつ、霧雨魔理沙は畳み忘れて皺くちゃになっている制服を手に取るのだった。

 



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揺るがぬ者

 

 

「貴方も来てたのね、ハグリッド。」

 

カササギの鳴き声が聞こえる墓地の一角で、アリス・マーガトロイドは古馴染みの大きな友人に話しかけていた。目的の墓にはいくつもの花が供えられているのを見るに、私や彼の前にも数人がこの場所に来てくれたようだ。

 

十月三十一日。命日のお参りとリドルのことを報告するため、テッサのお墓があるロンドン郊外の墓地を訪れたのである。コゼットやアレックスには咲夜の近況を伝えないとだし、ダンブルドア先生のことも話す必要があるということで、今日は長居するつもりで来たわけだが……ハグリッドが居るのはちょっと予想外だったな。てっきり小屋に籠ってるものだと思ってたぞ。

 

ダンブルドア先生の死はハグリッドにとってショックな出来事のはずだ。先生のことを世界の誰より尊敬していたのは目の前に居る彼なのだから。少し心配しながらの私の声を受けたハグリッドは、慌てて振り返って返事を寄越してきた。

 

「おっと、マーガトロイド先輩。ご無沙汰しちょります。……あー、足元に気を付けてください。どうも持ってきた花にレタス食い虫が引っ付いとったみたいで、剥がしてた最中なんです。今回収しますから。」

 

まあうん、素っ頓狂な警告のことはこの際見逃そう。思っていたよりも冷静な態度でそう言うと、ハグリッドは多種多様な花が交ざった大きな花束を横に置いてから、地面に落ちたレタス食い虫をひょいひょい拾い始めるが……そのままポケットに仕舞うのはどうかと思うぞ。いつの日かひっくり返した時、カラカラのレタス食い虫がどっさりって光景が目に浮かぶようだ。

 

しかし、顔をよく見ると目元が真っ赤になってるな。やはりダンブルドア先生のことで昨夜は泣き明かしたらしい。芝生に同化するレタス食い虫を的確な動きで捕獲しているハグリッドへと、杖を振って手伝いながら声をかける。直接触るのはもちろん嫌だし、人形に触らせるのもなんか嫌なのだ。

 

「大丈夫なの? その顔からしてまともに寝てないんでしょう?」

 

「……俺は大丈夫です。ダンブルドア先生が選んだことっちゅうのは理解しとりますから。あの方らしい最期なのも分かります。だから、暫くすれば気持ちに決着を付けられるはずです。……明日になったらまた泣いちまうでしょうけど。」

 

悲しそうな笑顔で呟きながら私が集めたレタス食い虫を受け取ったハグリッドは、テッサの墓に向き直って話を続けてきた。十五年が経った今でも綺麗な墓だ。訪れる人がきちんと掃除してくれているからだろう。墓の状態は眠っている人の人望を表すわけか。

 

「だけど、その……マーガトロイド先輩は大丈夫ですか? 色々と考えることがあるんじゃねえかと思って。俺はそれが心配です。」

 

うーむ、またしても予想外の展開だな。逆に心配されちゃうとは思わなかったぞ。ハグリッドも教師になって色々と変わっているようだ。そのことに微笑みながら、肩を竦めて返答を返す。

 

「そりゃあ大丈夫ではないわよ。でも、それを口に出来るんだから大丈夫なの。リーゼ様も、パチュリーも、貴方も居るしね。遠慮せずに吐き出せる相手が居る限り、私はまだまだ腐ったりしないわ。」

 

「……そうですね、あの方たちなら寄り掛かったところで小揺るぎもせんでしょう。大したもんです。」

 

苦笑しながら頷いたハグリッドは、花束を小分けにして並ぶ墓に供え始める。……仲良く並ぶヴェイユ家の四人の墓。咲夜が出す答え次第では、いつの日かここに彼女の墓も並ぶことになるかもしれない。私たちが来れなくなるこの場所に。

 

ええい、余計なことを考えるんじゃない、アリス。まだ何も決まってないだろうが。埒も無い暗い考えを振り払ってから、私も持ってきた花を供えていく。

 

「……ねえ、ハグリッド? リドルがここにハッフルパフのカップを埋めていったのは知ってる?」

 

それぞれの墓前に花を置く途中でふと思い出したことを問いかけてみると、ハグリッドはきょとんとしながら曖昧な首肯を送ってきた。

 

「ええ、知っとります。分霊箱の一つだったんでしょう? ダンブルドア先生が話してくださいました。」

 

「……ここに立った時、リドルはどんな顔をしてたと思う? テッサの死は肉体を取り戻す前から知ってたみたいだけど、実際に墓を前にしたら何か感じたりしたのかしら?」

 

状況を鑑みるに、埋めた時期はリドルの復活から私たちがカップを発見する間のどこかだ。彼が易々と分霊箱の隠し場所を明かすとは思えないし、元々どこにあったにせよ此処には自分で埋めたはず。……リドルはこの場所をカップの眠る地に選んだ。である以上、何の感情もなしに墓の前に立ったとは思えない。

 

後悔か、怒りか。懐古か、決別か。勝ち誇ったか、それとも……悲しんだか。この場所に立つリドルを幻視する私に、ハグリッドがおずおずと己の見解を語ってくる。

 

「俺には例のあの人……リドル先輩の考えは理解できません。理解したいとも思えねえです。」

 

「まあ、そうよね。」

 

そりゃあそうだ。私にとっては道を誤った友人だとしても、ハグリッドにとっては憎い敵に他ならないだろう。杖を折られた原因であり、数多くの友人を間接的に、あるいは直接殺しているわけなのだから。苦い笑みで同意した私へと、ハグリッドは難しい表情で言葉を続けてきた。

 

「だけど、あの人はここに来たんでしょう? 来る必要なんかなかったのに、向き合う必要なんかなかったのに、確かにここに来た。……マーガトロイド先輩にとってはそこが重要な部分なんじゃないでしょうか? その行動だけは誰にも否定できない事実っちゅうことなんですから。上手くは言えねえですけど、俺はそうなんだと思います。」

 

ポリポリと頭を掻きながら言うハグリッドに、小さく頷きを返す。……その通りだ。この場所に立ったリドルがどんな顔をしていたにせよ、彼はテッサの墓に向き合った。それだけは間違いないのだから。

 

「……貴方は相変わらず物事の本質を見抜くのが上手いわね。だからダンブルドア先生は貴方を領地の番人に選んだのかしら?」

 

「まあ、あれです。俺は頭が良くありませんから。愚者の一言ってやつですよ。ダンブルドア先生が昔言っちょりました。『賢者は百の言葉で語り、愚者は一言で語る。だとすれば、本当に愚かなのはどちらなのかのう。』って。……俺には難しい教訓でしたけど、『考えすぎるな』ってことなんだと解釈してます。ほどほどが一番なんですよ、きっと。」

 

「んー、やっぱりダンブルドア先生はいつまでも先生ね。また一つ教わっちゃったわ。」

 

『愚者の一言』か。マグル界のことわざとは似て非なる教訓だな。説明好きのパチュリーに聞かせたら怒りそうだ。……もしかしたら、今の私は愚者になるべきなのかもしれない。あれこれフィルターを通して受け止めるのではなく、真っ直ぐにあるがままを受け入れるべきなのだろう。

 

墓に彫られた親友の名前を見つめながら考える私へと、ハグリッドが立ち上がってしみじみと呟いた。

 

「本当に偉大な人です。こんなことを言うのは恐れ多いのかもしれませんけど、俺にとってはもう一人の親父みたいな方でした。」

 

「……そうね、貴方とダンブルドア先生の関係はそうだったのかもしれないわね。」

 

「いつまでも世話になってばっかりで、結局ロクな孝行を出来んかったのが無念です。……俺はあの方の期待に応えられたんでしょうか?」

 

遠くに浮かぶ雲を眺めながら力なく言ったハグリッドに、ジト目を向けて答えを飛ばす。そんなの分かり切ったことだろうが。

 

「あのね、ダンブルドア先生は貴方を常に尊重してたでしょう? 誰に何を言われようが、貴方に大切な鍵を預けることを躊躇わなかったわ。それが答えよ。」

 

「……そんなら、いいんですが。」

 

少し潤んだ瞳を袖口で拭ったハグリッドは、深々と息を吐いてから口を開く。彼にしては珍しい、年相応の草臥れた表情だ。

 

「それじゃあ、俺はホグワーツに戻ります。明日の準備を手伝わなきゃならねえですから。……マクゴナガル先生も悲しいでしょうに、弱音の一つも吐かずに毅然としとりました。だったら俺たちも頑張らないといけません。」

 

「明日は私も早めに顔を出すようにするから、マクゴナガルにそう伝えておいて頂戴。何か手伝えることがあるなら手伝うからって。」

 

「必ず伝えておきます。」

 

言うと、ハグリッドはテッサの墓を僅かな間だけ見つめた後、ゆっくりと墓地の出口の方へと歩いて行く。いつもより寂しげに見える大きな背中が遠ざかるのを見送ってから、私もテッサの墓へと向き直った。

 

「……終わったよ、テッサ。」

 

遠い昔の私は、この言葉を口にする時は晴れやかな気分なんだと思ってたっけ。だけど、実際はそんな気分になれないでいる。……それでも伝えることは出来たのだ。きちんとここに来て、全ての終わりを報告できた。今はそのことを噛み締めよう。

 

静かな墓地に肌寒い冬の風が吹くのを感じながら、アリス・マーガトロイドはそっと親友の墓に手を当てるのだった。

 

 

─────

 

 

「当日は別路線の車体も使っちゃいなさい。ホグワーツ特急だけじゃ足りないのは目に見えてるわ。……それと、ホグズミードの連中が勝手に移動しないように見張り役を派遣すること。ホグワーツの受け入れ態勢が整わないうちに敷地内に入られたら面倒よ。」

 

ダンブルドアの葬儀に向けて作られた魔法省地下二階の『特別対策室』の中で、レミリア・スカーレットは職員たちに対して矢継ぎ早に指示を出していた。ええい、どいつもこいつも暗い顔でノロノロ動きおって。仮にも公職なら私情より仕事を優先したらどうなんだ。

 

ヌルメンガードの戦いから一夜明けた現在、私たち上層部は勝利を祝う間も無く葬儀の準備に追われている。……というかまあ、厳密に言えば私たちがやっているのは混乱の収拾だ。残念ながら未だ葬儀の準備には入れていない。最悪の場合、そっちはマクゴナガルに任せることになるかもしれんな。

 

ダンブルドアの死と、葬儀の日付を朝刊で知ったイギリス魔法使いたちの動きは早かった。知らせるのを夕刊にすれば良かったと後悔するほどにだ。朝刊が配達された一時間後には葬儀に参列しようとする人が押し寄せたホグズミードからの『救援要請』が届き、三時間後には魔法省のアトリウムも抗議に来た魔法使いたちで一杯になってしまったのだから。彼らは予言者新聞が『不謹慎なジョーク』を報じたことが我慢ならなかったらしい。当然、発信源である新聞社自体にはそれ以上の抗議があったようだが。

 

そしてダンブルドアの死がジョークではないと理解した連中は人でごった返すホグズミードに向かい、そこで再会した同級生たちに『ダンブルドア先生の思い出話をしながら久々に校庭を歩こうか』なんて余計な提案をして、結果的に葬儀の準備で忙しいホグワーツに迷惑をかけるわけだ。彼らには『私有地に入るためには許可が必要』という常識を思い付く脳みそなどないのだから。

 

そんな負の連鎖を防ぐためにも、当日に列車で参列するようにと急いで連絡を送りまくっているわけだが……後手に回っちゃったな。自分でもこの事態を予想できなかったことには少し驚いている。普段の私なら事前に想定しておいて然るべき展開なのに。

 

リドルの件に決着が付いて気が抜けたか、久々の指揮で疲れが出たか、あるいは気付かぬうちにダンブルドアの死に動揺していたのか。手元の書類を読みながら自己分析を始めた私へと、部屋に入ってきた職員が報告を飛ばしてきた。

 

「スカーレット女史、フランス魔法省からホグワーツに馬車を着陸させていいかとの問い合わせがあったんですけど……どうします?」

 

聞き覚えのある情けない声に顔を上げてみれば、しょんぼりしているブリックスの姿が見えてくる。今日は一段と頼りない雰囲気だな。こいつにとってもダンブルドアの死はショックだったようだ。

 

「許可しなさい。ボーバトンの馬車を使うってことは、オリンペも参列するってことでいいのよね?」

 

「えっと……はい、マクシーム校長も参列するようです。参列者のリストも送ってきてくれました。」

 

言いながらブリックスが差し出してきた書類に目を通してみると……むう、思ったよりも重要人物が多いな。デュヴァルやオリンペどころか、フランス魔法大臣その人まで出張ってくるらしい。個人の葬儀が目的で魔法大臣が他国を訪問するというのはかなり異例の事態だ。

 

数日後に儀礼的な葬儀をもっと大々的にやる予定なので、他国の外交官なんかはそっちに出席するつもりなんだろうが……フランスは上手く立ち回ったみたいだな。駐在する外交官だったら今回参列するのは『出しゃばり』になってしまうかもしれないが、魔法大臣自らとなれば『訃報を聞いて駆けつけた』という美談になるはずだ。

 

いやまあ、あそこの大臣はダンブルドアと知り合いだったし、もしかしたら本当にそういう気持ちで参列するのかもしれんが。何でもかんでも損得に結び付けてしまう自分に苦笑していると、ブリックスがおずおずと質問を寄越してきた。

 

「あのですね、僕たち職員も参列して大丈夫なんでしょうか? 出来れば行きたいと思ってるんですけど。」

 

「他国からの参列者を案内するのは国際協力部の役目でしょうが。出来ればじゃなくて、嫌でも行くのよ。」

 

「あー……なるほど。そういえばそうですね。」

 

自身の役職を思い出したらしい間抜け君に対して、額を押さえながら念を押す。頼りにならなさそうだから自分でやりたいのは山々だが、今の私にはそんな余裕などない。その辺は協力部に頑張ってもらわないと困るのだ。

 

「五階に戻ったら部長に言っときなさい。他国からの参列者に関しては全てを任せるって。……後日の葬儀だったらともかく、明日のまでは手が回らないの。手伝ってる余裕なんかないからね。」

 

「えーっと、つまり問題はこっちで処理してもいいってことですか?」

 

「そういうことよ。……仮に私が協力部の部長だったら、先ずはヨーロッパ特急に張り紙を貼りまくるわね。他国からの個人単位の参列者はあの列車を使う可能性が高いわ。ホグワーツ特急への乗り換えについて案内した方がいいんじゃない?」

 

「わ、分かりました。やっておきます。」

 

私のアドバイスを受けたブリックスが部屋を出て行くのを見送って、次は何を処理しようかと書類に向き直ったところで……おっと、今度はロバーズか。闇祓い局長どのが私の居るテーブルへと近付いてくるのが目に入ってきた。

 

「お疲れ様です、スカーレット女史。会場の警備に関する書類を持ってきました。駅やホグズミードは魔法警察に任せて大丈夫なんですよね?」

 

「そっちはどちらかと言えば案内の側面が強くなるでしょうし、わざわざ闇祓いを割くまでもないでしょ。……それより、少しは寝たの? 隈が酷いことになってるわよ?」

 

ロバーズは西側の指揮官としてダンブルドアの死に責任を感じてしまったらしく、ヌルメンガードから戻った直後は私ですら同情するレベルで憔悴していたのだが……その後スクリムジョールから事情を説明されたからなのか、今では多少マシになっているようだ。それでも疲れの色は濃いが。

 

「しかし、スカーレット女史やスクリムジョールは寝ていないんでしょう? 私だけが休むわけにはいきませんよ。」

 

「私たちは事務仕事で終わりだけど、あんたは実際に警備の指揮を執るんでしょうが。家に一度帰って寝ておきなさい。闇祓いは休むのも仕事のうちよ。」

 

「ですが、配置の詳細がまだ──」

 

「そんなもん当日に決めればいいでしょ。……いいから四の五の言わずに帰りなさい。今は大仕事を終えてハイになってるんでしょうけど、明日までは絶対に持たないわよ? 葬儀に集まったイギリス中の魔法使いたちの前で疲れ切った顔を晒すつもり? イギリスの英雄たるダンブルドアの葬儀なればこそ、貴方たち闇祓いは毅然とした態度で臨まないといけないのよ。」

 

どれだけの魔法使いが悲しみに沈もうとも、政治機関たる魔法省が、イギリスの武力たる闇祓いが揺らいではならないのだ。真剣な口調で放った私の台詞を聞いて、ロバーズはハッとした表情になったかと思えば……苦笑しながら小さく頷きを返してきた。言わんとしていることが伝わったらしい。

 

「……どうやら、私は自分の立場を充分に理解していなかったようですね。」

 

「そのようね。……そろそろ自覚を持ちなさい、ロバーズ。貴方はイギリス魔法界の矛よ。である以上、部外者相手には僅かな弱みですら見せるわけにはいかないの。ダンブルドアの死で不安になっている魔法使いたちに見せるべき顔は、疲れ切った頼りない闇祓い局長の顔じゃないわ。ダンブルドア亡き後も揺るがない姿を見せつけなさい。」

 

「一から十までおっしゃる通りです。……分かりました、家に帰って休んでおきます。」

 

そう言って深々とお辞儀をすると、ロバーズは気合いを入れるかのように両手で頬を叩いて部屋を出て行く。……まあ、あの男もあと二、三年経てば『らしく』はなるだろう。ムーディやスクリムジョールもそうやって学んできたのだから。それまでは局長研修期間ってところだな。

 

さて、私は私の仕事をせねば。ホグズミードの方はともかくとして、キングズクロス駅にイギリスの流儀を知らん他国の魔法使いが集結すれば何が起こるかなど明白だ。マグル対策口実委員会にも事前対処をさせないとだし、むこうの首相にも一報入れておく必要がありそうだな。その辺りの詳細を詰めるためにも、一度ボーンズのところに行っておくか。

 

マクゴナガルとの打ち合わせがてら咲夜の顔を見に行く予定だったのだが、どうやらそれは叶わぬ願いになりそうだ。席を立って職員たちの間を抜けながら、レミリア・スカーレットは『娘の誕生日に仕事』というありきたりな不幸にため息を吐くのだった。

 



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英雄の葬儀

 

 

「おやまあ、大盛況じゃないか。屋台でも出せば儲かりそうだね。」

 

天文台の縁から見たこともないほどの大量の椅子が並ぶ校庭を見下ろしながら、アンネリーゼ・バートリは皮肉げな笑みを浮かべていた。『英雄』の葬儀ってのはいつの世も同じだな。多くの悲しみと僅かな打算。参列者の中には偽りの泣き顔を被っている連中も居るのだろう。

 

十一月一日の朝、我らがアルバス・ダンブルドアの葬儀がそろそろ始まる予定なのだ。校庭に敷き詰められた数千もの椅子の上には、多種多様な格好の魔法使いたちが犇めいている。昨日生徒総出で準備を手伝った時はさすがに多すぎると思ったのだが……うーん、むしろ足りなくなりそうだな。どんだけ来てるんだよ。

 

椅子の大群の先にはエボニーで作られた『メインステージ』が設置されており、その脇にはマクゴナガルとボーンズ、エルファイアス・ドージが座っているようだ。あの三人が弔辞か何かを読むつもりなのだろう。

 

しかし……ふむ、役者が足りていない感は拭えないな。ゲラートは気を使って欠席だし、唯一の肉親であるアバーフォース・ダンブルドアは喪主役を固辞したらしい。そして我が家の司書どのは背後で揺り椅子に座りながら本を読んでいる。私は普通に生徒に交じって参加する予定だったのだが、彼女に誘われてここから見ることになったのだ。

 

ホグワーツの生徒が座る区画からハリーたちの姿を探し出そうとしている私に、本に目を落としながらのパチュリーが相槌を寄越してきた。

 

「屋台なんか出しても不謹慎だのなんだのって撤去されるのがオチでしょ。……ダンブルドアは怒らないでしょうけどね。むしろ喜ぶんじゃないかしら。」

 

「まったくだよ。あの爺さんがこんな厳粛な雰囲気を望んでいたとは思えないね。安エールでも飲みながら、盛大に騒いで送り出すべきなんじゃないか?」

 

昨日の朝にマクゴナガルからの報告があって以来、ホグワーツを包む鬱々とした空気にうんざりしながら言ってやると……目の前の紫しめじからではなく、踊り場に続くドアの方から返事が返ってくる。残る『送別会』の参加者たちが到着したらしい。

 

「そうもいかないのが世の中ってもんなのよ。……天幕を準備して頂戴、パチェ。そこの図太いのとは違って、私たちのお肌は繊細なんだから。」

 

「私はリーゼお姉様の案に賛成だけどね。主役はダンブルドア先生なんだから、『ホグワーツ風』にパーっとやるべきじゃない?」

 

大きな日傘に二人で入りながら現れたのは、我が幼馴染の吸血鬼姉妹だ。レミリアの指示を受けたパチュリーが杖なし魔法で布屋根と大きめのティーテーブル、ついでに三脚の椅子を出現させたのを見て、私も椅子の一つへと座り込む。

 

「三対一だよ、レミィ。多数決の原理に従って、今すぐ下に行って葬式をパーティーに変えてきたまえ。キミが騒げば皆聞くだろう?」

 

「そんなことしたら頭がおかしくなったと思われるでしょうが。……ダンブルドアが生きてた頃は何をするにも常識外れだったんだから、葬式くらいは常識の範疇でやるべきなのよ。」

 

「死んでようやく常識の型に嵌められるってわけかい? 実に悲劇的な話じゃないか。死者の要望も少しは聞くべきだと思うよ。」

 

「そもそも葬式ってのは死者のためじゃなく、生者のためにやるもんなのよ。知らなかったの?」

 

席に座りながら私の冗談に鼻を鳴らして答えたレミリアは、オーク材の無骨なティーテーブルに肘を突いて大きくため息を吐いた。翼の動きに元気がないし、見た目以上に疲れているようだ。

 

「眠いわ。ヌルメンガード攻略の下準備の時点で忙しかったし、下手すると六日は寝てないわよ。もうベッドに入りたい気分だから早く終わってくれないかしら?」

 

「嘆かわしいね。キミはダンブルドアを利用しまくったんだから、葬式くらい真面目に見届けたまえよ。祟られるぞ。」

 

「私はダンブルドアの死に場所を整えて、葬儀の手配をして、墓石まで選んでやったのよ? もう充分貢献したと思わない? これで祟られるんなら怒鳴り返してやるわ。」

 

「それでもキミはここに来て、葬式が終わるまでは帰らないつもりなんだろう? ……んふふ、素直じゃないね。この面子相手に強がっても無駄だろうに。」

 

ニヤニヤ笑いながら言ってやると、レミリアはムスッとした顔でそっぽを向いてしまう。図星を突かれてご立腹のようだ。それを見て更に笑みを強める私を他所に、天幕ギリギリに立って校庭の様子を眺めているフランが口を開く。

 

「でもさ、本当にレミリアお姉様は下で参列しなくていいの? 天幕くらい言えば用意してくれるっしょ?」

 

「今日はいいのよ。後日行われる対外向けの葬儀の時にそれらしい弔辞を読むから。……ここならわざとらしい表情を取り繕わないで済むしね。」

 

問い詰めても口には出さないだろうが、それがレミリアなりのダンブルドアに対する礼儀ということなのだろう。人間のように粛々とではなく、私たちは姦しい妖怪の流儀で送る。その方がダンブルドアも喜ぶはずだ。

 

不器用な幼馴染の横顔を見て苦笑していると、フランも同じような笑みで話を続けてきた。

 

「それならいいんだけどさ。……アリスは呼ばないの? ホグワーツには来てるんでしょ?」

 

「あの子は私たちほど『常識』ってやつを棄ててないからね。久々に会う知り合いとも話したいだろうし、下で参加すべきだよ。」

 

「そっか。……うー、夜だったら私も下に行ったんだけどなぁ。騎士団のみんなと話したかったよ。」

 

「式が終わったら旧騎士団員はブラック邸に集まるらしいから、その時に好きなだけ話せるさ。」

 

恐らくダンブルドアを偲んで酒でも飲み交わすのだろうが……うーむ、ブラック邸でダンブルドアを偲ぶってのもちょっと皮肉な話だな。残念そうに呟いたフランに肩を竦めて返したところで、微かに聞こえていた騒めきが急に静まる。いよいよ葬儀が始まるようだ。

 

席を立ってフランの隣で下を覗いてみると、椅子の大群に囲まれた一筋の道を進んでいる奇妙な集団の姿が見えてきた。紫のビロードに包まれた大理石の棺をホグワーツの教師たちが壇上へと運んでいるらしい。精一杯腕を伸ばしているフリットウィックと、中腰になっているハグリッドの対比がなんとも珍妙だな。本人たちは大真面目なのだろうが、若干の『ホグワーツらしさ』が漏れちゃってるぞ。

 

「……なんだかヘンな感じ。いきなり棺が開いて、ダンブルドア先生が生き返っても誰も驚かないんじゃないかな。『ほっほっほ、見事に騙されたようじゃのう』とか言ってさ。」

 

それはさすがに大ブーイングだろうが、確かに現実感がない光景だな。死ぬ瞬間を目撃した私ですらそうなのだから、参列者たちなど言わずもがなだろう。フランがポツリと謎の感想を漏らしたところで、風に乗って奇妙な歌声が耳に届く。独特なリズムの透き通るような音色だ。

 

「……水中人ね。死者を送る歌だわ。」

 

未だ本を読みながらのパチュリーの解説に従って、湖の方へと視線を送ってみると……おお、うじゃうじゃ居るな。湖面ギリギリで水中人たちが歌っているのが目に入ってきた。寄り添うように湖中を漂っている大イカの姿も見える。

 

不思議な歌声に参列者たちが戸惑う中、足を止めずに棺を運んでいた教員たちは、やがてたどり着いた壇上に置かれた安置台の上にそれを置いた。口元が微かに動いているのを見るに、それぞれ別れの言葉をかけているようだ。

 

そんな教員たちの姿を目にした参列者たちもダンブルドアの死を実感し始めたようで、校庭の空気が一気に厳粛になっていく中……席に座ったままのレミリアが軽い感じで声を上げる。

 

「……んじゃ、こっちも始めましょうか。パチェ、ショットグラスを出してくれる? ワインじゃ格好が付かないし、最初だけはスコッチでいきましょ。良さそうなのを準備してあるから。」

 

「はいはい、食器は私が出すわ。つまみは誰が持ってきてるの?」

 

「私だよ。エマと美鈴に頼んで色々作ってもらっちゃった。……待ってね、バッグに入れて持ってきたから。ひっくり返ってないといいんだけど。」

 

「私はブラッドワインを持ってきたよ。1945年産のね。正直言ってちょっと惜しいんだが……まあ、開けるなら今日だろうさ。」

 

四人でテーブルの上に持ち寄った品を並べつつ、パチュリーが出したショットグラスにレミリアが持ってきたスコッチを注ぎ合う。……これがイギリスの妖怪流の『葬式』なのだ。手土産持参で集まって、飲んだり食べたりしながら騒ぐだけ。

 

その辺の木っ端妖怪ならいざ知らず、私たち大妖怪にとっては死など一つの通過点に過ぎない。だから名目上は死者を送るためとして、宴会目的で人外たちが集まるわけだ。それが形骸化してこんな感じになっちゃったらしい。

 

ダンブルドアも半分妖怪みたいなもんだし、こういう送り方でも文句は言ってこないだろう。校庭から聞こえてくるボーンズのそれらしい演説を背に、グラスを掲げながら四人同時に声を放った。

 

「ダンブルドアに。」

 

揃った言葉の後でカチンとグラスを合わせ、ショットグラスの中のスコッチを一気に飲み干す。……さてさて、エマお手製のジャーキーはどこだ? あれがないと始まらんぞ。

 

「……おい、レミィ。ジャーキーを返したまえ。それは私のだぞ。」

 

「あんたに渡すと全部食べちゃうでしょうが。フラン、先に必要な分だけ取っちゃいなさい。早くしないと性悪吸血鬼に持ってかれちゃうわよ。」

 

「私、ジャーキーはいいや。その代わりドライフルーツ多めにちょーだい。」

 

「レーズンは要らないけど、無花果は私も食べるわ。あと、マカロンも残しておいてね。」

 

マカロンをつまみにするのなんか紅魔館で一人だけだろうが。無用な心配をし始めたパチュリーを横目に寝不足吸血鬼からジャーキーを奪い取って、ブラッドワインを注いだグラス片手に天文台の縁へと移動する。湿っぽい空気を肴にしてやろうじゃないか。

 

「ふむ、まだボーンズが話してるのか。よくもまああんなに話すことがあるもんだね。」

 

「どれどれ? ……こっからだとよく聞こえないね。パチュリー、どうにか出来ない?」

 

私の『実況』を受けて近付いてきたフランの頼みに、マカロンを厳選しながらのパチュリーが返事を返す。たまにチョコレートなんかと一緒に飲んでるヤツも見るが、酒と一緒に甘いものを食べるってのは未だに理解できんな。ちなみにフランは甘いつまみ許容派で、レミリアは否定派だったはずだ。

 

「個人じゃなくて魔法大臣としての弔辞なわけだし、大した内容じゃないと思うけど……はい、これで聞こえ易くなるはずよ。」

 

パチュリーがちょちょいと手を振った途端、テーブルの中心あたりからボーンズの声が聞こえてきた。なんでも出来るな、こいつ。利便性だと本能で操る妖術より体系化された魔術の方が上か。

 

『ディペット校長の退任後、四十年に渡ってホグワーツの校長職を務め上げ、イギリスを襲った悲劇からもこの城を守り抜いた功績は歴代校長の中でも随一のものと言えるでしょう。今のイギリス魔法界を担う魔法使いたちは皆ダンブルドア校長の背を見て──』

 

「こんな話より靴下の話でもした方がいいんじゃないか? あの爺さん、魔法を使うにあたって適した靴下は何かって論文を出してるらしいぞ。」

 

ボーンズの真面目な話に茶々を入れてやると、持ってきたらしい蜂蜜酒をグラスに注いでいるパチュリーが素っ頓狂な相槌を打ってくる。

 

「あの論文は良く出来てたけど、素材の入手難度を考慮していないのはいただけないわ。論文ってのは学術的な利益を提示する場なんだから、理論上の最適解と現実的な答えの両方を示すべきよ。」

 

「それはそれは、ダンブルドアも冥府で喜んでいるだろうさ。あんなもんを真面目に読んでる物好きが居るとは思わなかったしね。」

 

どの層に向けての論文だったのかは定かではないが、読者が片手で数えられる程度なのは間違いないだろう。呆れた口調で言ったところで、今度はワインを飲んでいるレミリアが演説の感想を口にした。今はヨーロッパ大戦のことを話しているようだ。

 

「あら、上手いわね。グリンデルバルドを貶さずにダンブルドアの功績を際立たせてるわ。原稿を作る時間はそんなに無かったでしょうに、ボーンズも中々やるようになったじゃない。」

 

「昔は引っ込みがちだったのにね。エドガーさんが死んでから一気に立派になっちゃった気がするよ。……そういえばさ、姪っ子が今ホグワーツに居るんじゃないっけ?」

 

思い出したように問いかけてきたフランに、首肯しながら返答を送る。友人と言えるほどには親しくないが、顔見知り程度の付き合いはあるのだ。

 

「スーザン・ボーンズだね。ハッフルパフの同級生だよ。確か、クィディッチの代表選手でもあったんじゃないかな。他寮のチームはうろ覚えだから自信はないが。」

 

「おー、ハッフルパフなんだ。どんな感じの子なの?」

 

「穏やかだけどはっきりしてる、ってタイプかな。ハッフルパフ生にしては珍しく、授業でも積極的に発言してるよ。」

 

「へー……イギリス魔法界って狭いよねぇ。それが良いことなのか悪いことなのかは分かんないけどさ。」

 

絡み合う繋がりを柵と取るか、利益と取るかで変わりそうだな。しみじみと言いながらのフランが席に戻ったところで、ボーンズの演説も終わったようだ。彼女が舞台を下りる代わりに、今度はエルファイアス・ドージが椅子から立ち上がる。

 

「どんなヤツなんだい? あいつは。『ドジのドージ』って渾名くらいは聞いたことあるが。」

 

ゆっくりと壇上に上る爺さんを眺めながらテーブルに疑問を投げると、フラン、レミリア、パチュリーの順で三人それぞれの人物評を寄越してきた。元騎士団員らしいし、パチュリーにとっては同級生だ。私以外は全員ご存知なわけか。

 

「んっとね、気の良いお爺ちゃんって感じかな。ムーンホールドが拠点になってた頃はよくお菓子をくれたんだ。杖魔法もそこそこ上手かったと思うよ。」

 

「実力はともかくとして、ドージは陣頭に立って杖を振るタイプじゃないけどね。私としては……そうね、可もなく不可もないって印象が強いわ。妙な癖もなければ目立った功績もない。そんな男よ。」

 

「能力的な評価はレミィに概ね同意だけど、私はあまり好きな人物じゃないわね。学生の頃からダンブルドアに負んぶに抱っこの男だったわ。」

 

ふむ、綺麗に分かれたな。フランは好意的で、レミリアは中庸の評価を、そしてパチュリーは否定的なようだ。魔法で聞こえてくるドージの演説を耳にしながら、マカロンを頬張る魔女へと質問を放つ。

 

「『ダンブルドア信者』がお嫌いかい? パチェ。」

 

「ダンブルドアもドージもお互いのことを『友人』と表現するでしょうけど、私には依存する子供と親にしか見えないもの。ドージが在学中からダンブルドアに頼りっきりだったのに対して、ダンブルドアがドージを頼っているところはあまり見たことがないわ。それが健全な関係だと言えるかしら?」

 

「だが、ダンブルドアはドージを遠ざけはしなかったんだろう? 卒業旅行も一緒に行く予定だったそうじゃないか。」

 

「反面、卒業以降は必要以上に関わらなかったわ。彼はダンブルドアにとってのグリンデルバルドにも、私にもなれなかったのよ。……一応言っておくけど、能力云々の話をしてるんじゃないからね。ダンブルドアはドージを対等に見ようとしたけど、ドージはそれに応えなかった。そこが納得できないの。」

 

うーん、ドージのことを語るパチュリーはどこか怒っているようにも見えるな。百年以上もダンブルドアの側に居たのにも関わらず、彼を支えるどころか負ぶさっていたことが気に食わないらしい。

 

珍しく身内以外の評価に『感情』という要素を含ませたパチュリーに驚いていると、フランがドライフルーツを弄りながら反論を飛ばした。

 

「だけどさ、仕方ないんじゃない? ダンブルドア先生の同級生で『対等』になれるのなんてパチュリーくらいのもんじゃん。ドージさんは騎士団にも迷わず参加したし、よくダンブルドア先生と二人で楽しそうに話してたよ? ……ダンブルドア先生をヨイショしすぎってのには同意するけど、ちゃんと友人ではあったんじゃないかな。そういう形もあるんだよ、きっと。」

 

「……一方的な期待は時として重荷になるのよ、妹様。ドージはそれを理解していないわ。」

 

「でも、救いにもなるでしょ? 絶対に味方でいてくれる人が居るっていうのは支えになると思うよ。ダンブルドア先生だって完全無欠の存在じゃないんだし、ドージさんが居て助かった部分も確かにあるんじゃない?」

 

おお、フランとパチュリーの論戦ってのはかなり珍しいぞ。普段の司書どのはフランに対して遠慮がちだし、我が妹分もパチュリーに深く干渉することはない。決して仲が悪いというわけではないのだが、お互いのテリトリーを侵さないような関係を保っているのだ。

 

ちょびっとだけワクワクしながらやり取りを見守っていると……ええい、余計なことを。パチュリーが抗弁する前にレミリアが間に入ってくる。

 

「貴女たち、ダンブルドアにしか分かり得ないことを議論しても仕方がないでしょう? ドージに関しての真実は壇上の棺の中よ。である以上、わざわざ葬式の日に暴こうとするもんじゃないわ。」

 

ワイン片手に大人の意見を語っているが、多分こいつは二人の『喧嘩』に焦って止めに入ったのだろう。ヘタれている翼が内心を表しているぞ、心配性吸血鬼め。こういう議論をやってこそ相互理解が進むんだろうに。

 

何にせよレミリアの仲裁は効果があったようで、パチュリーとフランは互いに議論の席から離れてしまった。うーむ、勿体無いな。私としてはパチュリーにもいつかは『妹様』以外の呼び名を使って欲しいのだが。

 

「まあ、そうね。私に私の価値観があるように、ダンブルドアにもダンブルドアなりのそれがあるんでしょう。そこは否定しないわ。」

 

「……そだね、ダンブルドア先生にしか分かんないなら私たちがとやかく言っても無駄だもんね。」

 

そして、こちらの議論が終わったタイミングでドージも弔辞を読み終わったようだ。畳んだ原稿を懐に仕舞った後、ドージは僅かな間だけダンブルドアの棺を見つめてから、意気消沈したどんより顔で舞台を下りて行く。……パチュリーの評価はともかくとして、少し物悲しくなる光景だな。百年来の親友の死ね。あの男はどんな気持ちで今日という日を迎えて、どんなことを考えながらこの場所に来たのだろうか?

 

両親や知り合い、使用人の死は何度か見てきたが、私は未だ親しい友人の死というのを経験したことがない。こればっかりは想像できない感情だな。……いやはや、やっぱり葬式は好かん。こういう光景を見てしまうと、嫌でもハリーたちの旅の終わりを考えてしまうのだ。

 

紅魔館の面子は滅多なことじゃ死にそうにないし、ゲラートは友人という感じではない。私にとって最初に訪れる『友人の死』は彼らの中の誰かになるはず。その時のことを思うと今から憂鬱になってくるな。

 

だが、今じゃない。その点は本当に感謝しているぞ、ダンブルドア。いつかその日が来るとしても、私たちにはまだまだ時間が残されているのだ。嫌な方向へと流れる思考をワインと一緒に飲み下したところで、ドージに続いて壇上に上がったマクゴナガルが弔辞を読み始めた。

 

「……頑張ってるじゃないか、マクゴナガルのやつ。泣くと思ったんだけどね。」

 

毅然とした表情で原稿に目を落とさずにハキハキと喋るマクゴナガルを見て、ボトルからワインを注ぎ直しつつ言ってやると、椅子に座ったままのフランもキッパーを噛み千切りながら感想を述べてくる。美鈴がよく作るちょびっとだけ辛いやつか。後で私も貰おう。

 

「無理してるんじゃないかな? 少し心配かも。」

 

「立場は人を強くするものよ、フラン。マクゴナガルはダンブルドアの長年の教え子としてではなく、ホグワーツの新校長としてあの場に立っているんでしょう。彼女にとっては痩せ我慢すべき時で、私たちはそれを邪魔すべきじゃないの。だから後で顔を合わせた時は無理に慰めちゃダメよ?」

 

「……よく分かんないけど、そうするよ。レミリアお姉様ったら珍しくまともなことを言ってる顔だもんね。」

 

「……ちょっと待ちさない。いつもは? いつもの顔はどんな顔なの?」

 

唐突に始まった姉妹漫才を尻目に、マクゴナガルの弔辞はどんどん進んでいく。……ところで、グリフィンドールの寮監はどうなるんだろうか? 今年のマクゴナガルはめちゃくちゃ忙しいだろうし、今後もそのままとはいかないはずだぞ。

 

教師陣でグリフィンドール出身となると……フーチかバーベッジ、あるいはハグリッドってことになるな。まあ、その三人ならフーチが妥当だろう。来年はハリーたちの就職に関わる重要な年だし、出来れば上手いことやってもらいたいもんだ。

 

それに、防衛術と変身術の担当の問題も出てくるぞ。変身術はもしかしたら今学期一杯マクゴナガルで持たせるのかもしれないが、防衛術はそうもいかないはずだ。長年の悪評に加えてダンブルドアの後任か。少なくともイギリス魔法界の魔法使いは誰一人就きたがらないだろうな。

 

「……そういえば、結局ダンブルドアも一年持たなかったことになるわけか。」

 

ふと考え付いたことを口に出してみると、姉妹漫才を無視して蜂蜜酒をちびちび飲んでいるパチュリーが応じてきた。

 

「防衛術の呪いのこと? だったらダンブルドアの死は無関係よ。アリスも私も続けようと思えば続けられたはずだしね。」

 

「そんなことは分かってるさ。ただ、諧謔のある結末になったと思ってね。……呪いに抵抗し得た魔法使いがどれだけ居たのかは知らないが、結果だけ見れば二年以上続けたのはテッサ・ヴェイユだけだったわけだろう? キミでも、ダンブルドアでも、アリスですらもなく、ヴェイユただ一人だ。」

 

「……偶然に意味を持たせたがるのは貴女の悪い癖よ。そこに意味なんてないわ。」

 

「偶然に意味を持たせてこその人生じゃないか。それが酒の席なら尚更だ。『たわ言』も突き詰めれば真実になる。私がダンブルドアから教わったことの一つだよ。」

 

ぱちりとウィンクしながら言ってやれば、パチュリーはやれやれと首を振って返事に代えてくる。そりゃあ私だって百パーセント本気で言っているわけではないが……リドルの呪いに真正面から食ってかかったのはヴェイユだけだぞ。それは紛うことなき真実なのだ。

 

美鈴がジョークとしてフランに持たせたらしい炒り豆を床にぶん投げながら考えていると、マクゴナガルが弔辞を締めたのが聞こえてきた。これで全員終わりか。次は何をするのかとレミリアに問いかけようとしたところで、参列者たちのどよめきが耳に入ってくる。

 

「どうしたの? トラブルじゃないでしょうね?」

 

同じことに気付いたらしいレミリアの声を背に、縁に戻って校庭の様子を確かめてみると……おや、ケンタウルスたちだ。禁じられた森から弓を携えたケンタウルスが大量に出てくるのが見えてきた。

 

「ケンタウルスたちのお出ましだよ。ダンブルドアを弔いにきたか、あるいは集まった魔法使いを皆殺しにしようとしているかのどっちかだね。」

 

「私は前者に賭けるわ。皆殺しにするつもりならもっと上手く奇襲するでしょ。」

 

パチュリーが私の冗談を素っ気なくあしらったのと同時に、ケンタウルスたちは一斉に矢を番えた後、参列者たちから遠く離れた位置へとそれを放った。弓なりに飛んでいった大量の矢が校庭の地面に刺さったのを確認すると、森の守護者たちは波が引くように木々の奥へと戻って行く。

 

「……えっと、あれがケンタウルス流のお葬式ってこと? ヘンなの。」

 

「弔砲ならぬ弔弓ってことなんじゃないか? 私もよくは知らんが。」

 

「まあ、弔意は伝わったでしょ。参列者たちはちょっとビビっちゃってるみたいだけど。」

 

騒つく校庭を見下ろしながら推理する私たちへと、いつものように頼れる司書どのが答えを教えようとした瞬間……おおう、びっくりしたぞ。パチュリーの目の前の空間が燃え上がったかと思えば、炎が形を持つかのように真紅の不死鳥が出現した。ダンブルドアが飼っていた焼き鳥だ。

 

「……あら、フォークス。もう行くの?」

 

さほど驚いた様子のないパチュリーに短い鳴き声を返した後、不死鳥は彼女のコップから蜂蜜酒を一口飲むと、紫の大魔女の手に頭を擦り付けてから翼を広げて校庭へと飛んで行ってしまう。別れを告げに来たってことか?

 

どこか悲しげな鳴き声を響かせながら参列者たちの上空を一周した焼き鳥は、一度空高く舞い上がってからダンブルドアの棺へと一直線に急降下していき……壇上を覆い尽くすように純白の炎が燃え広がったかと思えば、刹那の後には何事も無かったかのようにそれが消え去った。不死鳥の姿も忽然と消えている。

 

「……まさか、死んだのかい?」

 

おずおずとパチュリーに声をかけてみると、彼女はテーブルに残された真紅の尾羽根をくるくると弄びながら返答を寄越してきた。先程抜け落ちた……というか、焼き鳥が意図的に置いていったらしい。

 

「フォークスの種族名を思い出してごらんなさい。『不死』鳥がそう易々と死ぬわけないでしょうが。ホグワーツを去って行っただけよ。……恐らくもう二度と誰かに仕えることはないでしょうね。不死鳥は永い生の中、たった一つの忠義を全うする生き物だから。」

 

「ふぅん? 羽毛派にしては中々やるじゃないか。」

 

「そうね、気高い生き物だわ。」

 

言いながら真紅の羽を懐に仕舞ったパチュリーは、グラスの中の蜂蜜酒を飲み干してから立ち上がる。スタスタと踊り場に通じるドアへと歩いて行くその背に、レミリアが疑問げな表情で問いを投げかけた。

 

「ちょっと、どこ行くの? 埋葬はこれからよ?」

 

「もう帰るわ。弔辞が終わった以上、ここから先は宗教の領分よ。魔女が居たって仕方がないでしょう? ……天幕やらテーブルやらは勝手に消えるから放置しておいて頂戴。」

 

「えぇ、本当に帰っちゃうの? 花くらい供えてけばいいのに。」

 

フランの呆れたような声を受けたパチュリーは、ピタリと立ち止まって小声で返事を口にする。

 

「……花はまた今度供えに来るわ。約束だからね。」

 

約束? 謎の台詞を残してドアを抜けて行くパチュリーの背を見送ってから、最初の一杯以降誰も手を付けようとしないスコッチをグラスに注ぐ。……まあ、確かにこの先は形式的な儀式が続くだけだろう。棺を埋めて、墓石を置いて、参列者が一人一人別れを告げていくわけだ。

 

……いや、全員は無理か。数が数だけに何時間かかるか分からんぞ。それとも一日かけてやるつもりなのだろうか? 今後の展開について考えている私を他所に、レミリアとフランも自分たちの予定を話し始めた。

 

「レミリアお姉様は魔法省に戻るんでしょ? 私は校長室でスネイプの記憶を確認した後、シリウスの家で騎士団の人たちと会うから……んー、今日は帰るのが遅くなるかも。」

 

「ああ、それは心配しなくても大丈夫よ。陽が落ちたら迎えに行くわ。」

 

「私、一人で帰れるんだけど? っていうか多分アリスも来るから、お姉様は来なくていいよ。」

 

「それでも行くわ。元騎士団員に事情を説明するって約束を……ねえ、フラン? どうしてそんなに嫌そうな顔になっちゃうのかしら? 反抗期なの? また反抗期になっちゃったのね?」

 

再開した姉妹漫才を横目に、アルコールが喉を灼く感覚を楽しみながら校庭を見下ろす。……ま、私はもう少しここで飲んでおくか。アリスが頃合いを見てフランのことを迎えに来るだろうし、それまでは適当にのんびりしていよう。

 

悲しみが支配するホグワーツの校庭を眺めつつ、アンネリーゼ・バートリはジャーキーをあむあむ齧るのだった。

 



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エボニーの男 上

 

 

「それじゃあ、天文台でお酒を飲んでたってこと?」

 

ダンブルドア先生の葬儀が終了……してはいないが、埋葬が終わってからおよそ一時間後。ホグワーツ三階の廊下を校長室に向かって進みながら、アリス・マーガトロイドは隣を歩くフランに問いかけていた。どうやら彼女とリーゼ様、パチュリー、レミリアさんの四人は天文台で独特の『お見送り会』を楽しんでいたようだ。

 

奇妙な話に目を瞬かせる私に対して、フランはクスクス笑いながら頷きを返してくる。

 

「だってほら、吸血鬼が悲しそうな顔で死者の冥福を祈るってのはヘンでしょ? 騒いで送り出す方が私たちっぽいじゃん。大体、何に祈ればいいのさ。下手に祈ったらダンブルドア先生の立場が悪くなっちゃうよ。」

 

「それはそうかもしれないけど……どのくらい飲んだの? 酔っ払ってないでしょうね?」

 

「パチュリーは途中で帰っちゃったけど、その後も結構飲んだから……えっと、分かんない。でもまあ、酔ってはいないよ。私、お酒強いもん。」

 

ちなみにこれは真実ではない。フランは別にアルコールに強いわけではなく、表面上の変化が微小だから分かり難いだけだ。本人は酔っていないと主張していたのにも関わらず、紅魔館のダイニングを数度半壊させているのがその証左だと言えるだろう。フランとしては嘘偽りなく自分が酒に強いと思い込んでいるようだが。

 

とはいえ、普通の人間に比べればよっぽど強いのは確かだ。今日のフランは……うん、本当に酔ってはいなさそうだな。少なくとも無闇矢鱈に能力を使おうとはしていないし、必要以上にベタベタとくっ付いてくる気配もない。素面と判断して問題ないだろう。

 

ダンブルドア先生の葬儀の日にホグワーツが半壊しなくて良かったと胸を撫で下ろす私へと、器用に陽光が当たる場所を避けながらのフランが話を続けてきた。

 

「いやー、懐かしいねぇ。実はこの廊下、一回使用不能にしちゃったんだよね。入ったばっかの頃にピーブズに脅かされて、反射的に能力を使っちゃったの。三日くらいでダンブルドア先生が直してくれたんだけどさ。」

 

「……ダンブルドア先生で三日ってことは、随分と大規模に壊したみたいね。」

 

「んー、丸っきり崩落させたってわけでもないんだけどね。ひょっとしたら私の能力の所為で修復が難しかったのかも。あの頃は枷が掛かってたから制御は楽だったんだけど、壊れ方自体はあんまり変わってなかったみたいだから。」

 

「あー、そういうこと。それなら納得だわ。」

 

破壊の仕方が関係しているのか何なのか、フランが能力で壊した物には修復魔法が効き難いのだ。修復魔法は物同士の繋がりを再構築する魔法だが、フランの能力だとこう……断面がズタズタになってしまって、普通にやっても繋がってくれないのである。

 

結果として物理的に直す必要が出てくるため、よく美鈴さんが苦労しているというわけだ。フランとしても多少は申し訳なく思っているようで、困ったような半笑いで感覚の詳細を説明してきた。

 

「未だに謎なんだよね、私の能力って。パチュリーの推理によれば、『目』の潰し方で何か変わるらしいんだけど……『きゅっ』でも『ぷちっ』でも大して変わんないの。『ぐちゃっ』だと何か違うような気はするんだけど、見た目じゃよく分かんないし。」

 

「前から思ってたんだけど、『目』を認識できるのと手の中に移動させられるの、そして干渉できるのって全部別の力なんじゃないかしら?」

 

「パチュリーはそう考えてるみたい。ちなみに負担が大きいのは認識するやつだけなんだってさ。……まあ、今更どうでもいいんだけどね。寝る時以外は翼飾りも邪魔とは思わなくなってきたし。」

 

つまり、寝る時は今でも邪魔なのか。自分に翼飾りが付いていると想像してみると……うーむ、確かに邪魔そうだな。賢者の石が背中とベッドの間に挟まって痛そうだ。だからフランは寝相が良くないのかもしれない。

 

なんとも俗っぽい問題点に苦笑したところで、校長室のガーゴイル像の前に到着する。平時と変わらず校長室を守る忠実な石像へと、ハグリッド経由でマクゴナガルから伝えられている合言葉を放った。

 

「ダンブルドア。」

 

式場の準備中にハグリッドから聞いた話によれば、当代の校長が逝去するとホグワーツ自体が新たな合言葉を定めるらしい。入室するに相応しい者であれば気付けるような合言葉をだ。……不思議な城だな。魔女となって年月が経った今でも、この城を完全には理解できそうにないぞ。

 

ホグワーツ城には『感情的』な部分が多すぎるのだ。この城に存在する無数の仕掛けからは、生徒を守ろうという明確な意思を感じる。創始者たちでも、卒業生たちでも、校長でもない、ホグワーツそのものの意思を。

 

だとすれば、それはどこから生まれた意思なのだろうか? 螺旋階段を下りながら『自律』に繋がる問題について思考を回す私に、フランが思い出したように質問を送ってきた。

 

「そういえばさ、咲夜の様子はどうだった? 校庭で会ったんでしょ?」

 

「ん? ……ああ、咲夜ね。レミリアさんとフランに会いたいって言ってたわよ。」

 

「えへー、そっかそっか。私に会いたいかー。だったらシリウスの家に行く前に顔を見せてあげないとね。」

 

レミリアさんも大概だが、フランも咲夜が関わると甘々だな。ご機嫌な様子でしゃらしゃらと翼飾りを揺らしているフランは、たどり着いた古オークの扉を開く。すると中には……ふむ、揃っているな。真新しい執務机で書き物をしているマクゴナガルと、応接用のソファに座って紅茶を飲んでいるハリーの姿が見えてきた。他の家具なんかはそのままだし、とりあえず執務机だけを新調したようだ。

 

「やっほー、二人とも。」

 

「お邪魔するわよ、マクゴナガル。ハリーもこんにちは。」

 

「お久し振りです、マーガトロイドさん。フランドールもよく来てくれましたね。」

 

「こんにちは、マーガトロイド先生、フランドールさん。」

 

それぞれに挨拶を交わし合ったところで、壁に掛かった歴代校長の肖像画の中にダンブルドア先生のそれがあるのが目に入ってくる。穏やかに微笑んでくるダンブルドア先生の姿を見て、胸が少しだけキュッとなるが……過去に囚われてちゃダメだな。絵画の住人たちはあくまで助言者に過ぎない。それを忘れないようにしなくては。

 

そんな私を見てそれでいいとばかりに大きく頷いたダンブルドア先生は、一緒に描かれている安楽椅子から立ち上がると額の外へと消えて行く。別の場所にある絵に移動したらしい。

 

「……大丈夫なの? マクゴナガル。」

 

肖像画から目を離しながら一言に色々な思いを込めて聞いてみると、マクゴナガルは静かな微笑みを浮かべて首肯してきた。……強くなったな。四十年前に初めて会った時からは想像も付かないような貫禄だ。

 

「大丈夫ですよ、マーガトロイドさん。私は一人ではありませんから。……ただし、物理的な仕事の量は大丈夫ではないかもしれませんが。」

 

「それは……まあうん、困ったわね。防衛術はどうするか決まったの?」

 

生真面目なマクゴナガルがこういう言い方をするということは、本当に切羽詰っているのだろう。言葉の途中で微笑みを苦笑に変えて言ってきたマクゴナガルに、同じ表情で問いを返してみれば……彼女は額を押さえながら弱々しい返答を寄越してくる。そんなに忙殺されてるのか。

 

「防衛術に関しては校長先生が……前校長がクラスごとの詳細なカリキュラムを残してくださいましたので、暫くは専任なしでも問題ないほどです。手の空いた教師が持ち回りで授業を行うと言ってくれていますしね。……むしろ問題なのは変身術の方かもしれません。二足の草鞋を履くのがここまで難しいのは予想外でした。」

 

「まあ、暫くは色々と忙しくなるでしょうしね。……誰か変身術の授業を受け持ってくれそうな人は居ないの? 防衛術はともかく、そっちは引く手数多でしょう?」

 

「情けない話なのですが、どうも自分が担当していた教科だけに厳しく審査してしまっているようでして……その、安心して任せられる人が見つからないんです。」

 

「それはまた、貴女らしい逸話だわ。」

 

本人に自覚がある分、尚のこと何とも言えない話だな。誰か推薦できそうな知り合いは居ないかと記憶を漁る私に、ぽすんとソファに座り込んだフランが提案を飛ばしてきた。

 

「やってあげれば? アリス。マクゴナガル先生もアリスだったら文句ないでしょ?」

 

「それはもう、願っても無い話です。文句などあろうはずがありません。……どうでしょう? マーガトロイドさん。今学期の残りの期間だけお願い出来ませんか?」

 

ぬう、最初からそのつもりだったな? 本当に申し訳なさそうに言ってくるマクゴナガルに……仕方ないか。頷くことで白旗に代える。ここで断るのはあまりに薄情だ。私なら一応の教師経験はあるわけだし、新校長どのの負担も少しは軽く出来るだろう。

 

「……あくまで臨時よ? 今学期だけだからね。」

 

「ありがとうございます。これでようやく校長の業務に集中できそうです。……では、そろそろ準備に入りましょうか。」

 

ホッと息を吐きながらぺこりと頭を下げたマクゴナガルは、壁際にある半円形の戸棚に近寄るとそれを開いた。中には私も数度見たことがある『憂いの篩』が仕舞われている。……要するに、今から私たちはスネイプが遺した記憶を見るつもりなのだ。

 

無理をすればもう一人か二人くらいは見ることが出来たのだが、死者のプライバシーに関わるということで私、フラン、マクゴナガル、そしてハリーの四人でチェックすることになった。ハリーに関してはスネイプ本人が望むかは微妙かもしれないが……理由はどうあれ、彼は長年ハリーのために命を懸けて任務に臨んでいたのだ。ならば見届ける権利はあるだろう。

 

杖を振って水盆を手前に運んだマクゴナガルへと、記憶が入っているクリスタル製の小瓶を渡す。フランに手を引かれながらのハリーも近付いてきたのを確認した後、マクゴナガルは記憶を取り出しつつ確認の言葉を放ってきた。

 

「記憶を入れますよ? 篩の使い方は問題ありませんね? ポッター。」

 

「はい、大丈夫です。何度も使わせてもらってますから。」

 

「結構。……それではいきましょうか。」

 

言いながらマクゴナガルが杖で掬い取った記憶をふわりと水盆の中に落とすと、中の液体が見る見るうちに銀色に変化し始める。水面から真っ白な靄が浮かぶと同時に水底に映し出された記憶に向かって、潜り込むようなイメージで集中していくと──

 

 

 

……むう、どうやらかなり古い記憶らしいな。いつの間にか記憶の世界に入り込んでいた私の目の前に、九歳か十歳程度の黒髪の男の子がしゃがみ込んでいるのが見えてきた。背の低い植込みに隠れて何かを覗いているようだ。スネイプ、だよな? ここまで遡るのは予想外だったぞ。

 

「どこかな? ここ。」

 

「セブルスがこの姿ということは、恐らく彼が幼少期に住んでいた場所……コークワースなのでしょう。イングランド中部の工業都市です。」

 

「確か、リリーも住んでたとこだよね。……二人には悪いけど、空気が濁ってそうな感じがするよ。住みたいとは思えないかも。」

 

マクゴナガルと話しているフランの言う通り、お世辞にも住みやすそうとは言えない雰囲気だ。遠くには工場から伸びた黒煙を上げる煙突がいくつも立っていて、手前の判で押したような造りの集合住宅の壁は落書きだらけになっている。『移民は出て行け』か。この街の状況を窺わせるような落書きだな。

 

私たちの居る場所は数少ない緑がある公園らしいが……遊具は殆どが壊れており、無事なのは二つあるうちの片方しかないブランコと、錆付いて滑りそうにない滑り台だけだ。その滑り台の隣の木陰にスネイプと同世代くらいの子供が居るのが目に入ったところで、私と同じ方向に視線を向けたハリーが声を上げた。

 

「あれって……ママ? それに、ひょっとしてペチュニアおばさん?」

 

何? それを聞いてよく見てみると……確かにリリーだ。姉らしきブロンドの少女と仲良くお喋りしていたリリーは、いきなり立ち上がってラディッシュ・ブラウンの髪を靡かせながらブランコの方へと駆けて行く。スネイプはあの二人のことを覗き見ていたようだ。

 

「チュニー、見てて! 絶対できるから!」

 

「ダメだってば! 危ないわよ、リリー!」

 

「大丈夫よ! 絶対、ぜーったい出来るもん!」

 

そう言うとリリーは今にも壊れそうなブランコに立った状態で乗って、男の子顔負けの勢いで揺らし始めたかと思えば……おおう、記憶じゃなかったら絶対に止めてるな。振り子運動の頂点ですっぽ抜けるようにジャンプした。このシーンだけでもリリーがやんちゃだったことが分かってしまうぞ。

 

「リリー!」

 

ペチュニアの甲高い悲鳴が響く中、リリーは物理法則を明らかに無視した軌道で飛んでいった後、ふわりと柔らかく地面に着地する。魔法を使ったようだ。魔法族の子供特有の、本能で操る原初の魔法を。

 

「……ほらね、ほらね? 出来たでしょ?」

 

「だけど、危ないわ! それに、ヘンよ。他の人に見られたら怪しまれちゃうでしょう?」

 

「怪しまれるって、何を?」

 

「それは……その、とにかくダメなの! もうやっちゃダメ! 失敗したら大怪我しちゃうんだからね!」

 

ふむ、きちんとお姉さんしているな。リリーの手を掴んでお説教するペチュニアを新鮮な気分で眺めていると、がさりと茂みから出てきたスネイプが二人に声をかけた。誰が見ても古着と分かるぶかぶかで毛玉だらけのセーターに、丈が合っていない穴の空いた布ズボン、そして大人版スネイプよりも短い髪は適当に切った感じのボサボサ具合だ。少なくとも良好な家庭環境とは言えないらしい。

 

「ダメじゃないよ。だって君は魔女なんだ。だから、魔法を使うのは普通のことなんだよ。」

 

「誰? ……リリーに変なこと言わないで! 失礼よ!」

 

「お前には話しかけてない。僕はそっちの子に話しかけてるんだ。」

 

顔見知りというわけではないのか。妹の前に立ち塞がったペチュニアへと冷たい声色で言い放ったスネイプに、姉の裾を握り締めているリリーも口を開く。当然のことながら、明らかに警戒している表情だ。

 

「チュニーの言う通りよ。失礼だわ、貴方。私、魔女なんかじゃないもの!」

 

「違うんだ、悪口で言ったわけじゃない。僕は……僕は魔法使いなんだよ。分かるかい? 僕は君と同じなんだ。つまりその、仲間だってこと。」

 

ぎこちない笑顔を浮かべながら足元の花を摘んだスネイプは、それをリリーの方へと差し出した。花が不自然に開いたり閉じたりを繰り返しているのを見るに、スネイプも既に魔力をある程度コントロールできているようだ。

 

「まほう、つかい? ……魔法?」

 

不思議な動きを驚いたように見つめていたリリーが、呟きながら恐る恐る花へと手を伸ばしたところで……急に二人の間に割り込んだペチュニアがスネイプの持っている花をはたき落す。恐怖と、敵意を露わにした顔付きだ。僅かに使命感も覗いているな。妹を守ろうとしているらしい。

 

「気持ち悪い! ……触っちゃダメよ、リリー。この子、きっとスピナーズ・エンドの子だわ。変な病気を持ってるのかも!」

 

「……でも、チュニー? もしかしたらこの子は私と同じなのかも。」

 

「同じじゃないわよ! リリーはヘンじゃないもの。……もう行きましょう。やっぱり向こうの綺麗な公園で遊んだ方が──」

 

ペチュニアがそこまで言ったところで、頭上からべきりという鈍い音がしたかと思えば、落ちてきた太めの枝が彼女の脳天に激突した。痛みに頭を抱えるペチュニアへと、スネイプが憎しみを秘めた表情で言葉を飛ばす。

 

「一人で帰ればいいだろ、マグルめ。お前と僕たちは違うんだ。僕たちはお前なんかに出来ないことが──」

 

「チュニーに何するの!」

 

うーむ、もどかしいというか何というか。ペチュニアにもスネイプにも子供特有の不器用さが残っているな。怒鳴りながら勢いよくスネイプを突き飛ばしたリリーは、そのまま姉の手を引いて公園から出て行ってしまった。尻餅をついたままで呆然とそれを見送っていたスネイプだったが、やがて立ち上がると惨めそうな表情で地面を蹴ってから二人と逆方向に歩み去って行く。

 

「不器用だねぇ、スネイプ。」

 

「きっと同じ境遇の……魔法族の友達が欲しかったんでしょうね。」

 

哀愁漂う小さなスネイプの背を見ながら、フランと二人で感想を述べたところで……どうやら場面が切り替わるようだ。世界がボロボロと崩れて真っ白になった後、パチリとフィルムが嵌るかのように新たな場面が眼前に広がった。

 

 

 

「──に学校があるんだよ、僕たちみたいな魔法使いのための学校が。リリーも行くだろう?」

 

場所こそ同じ公園だが、さっきの場面からは結構な時間が経っているらしい。少しだけ背が伸びているスネイプの問いに、隣の縁石に座り込んでいるリリーが返事を送る。あまり良い出会いではなかったようだが、普通に話をするくらいには仲良くなったってことかな?

 

「行かないと魔法使いになれないの?」

 

「絶対じゃないけど、普通は行くよ。子供の頃は見逃されてた魔法も、大人になると勝手に使っちゃいけなくなるんだ。きちんと杖を買って、学校でルールを学ばないとね。」

 

「……でも、不安だわ。チュニーはやめた方がいいって言うの。同じ学校に入った方が楽しいはずだって。」

 

「あいつはマグルだから妬んでるだけだよ。」

 

膝に止まったトンボに視線を固定しながら吐き捨てるように言うスネイプを、立ち上がったリリーが腰に手を当てて叱り付ける。……さっきの場面でも引っかかったが、随分とマグルを嫌っているな。マグルの父親と純血の母親。他に影響を受けそうな存在はこの街に無さそうだし、家庭環境がそうさせているのだろうか?

 

「チュニーはチュニーよ。『マグル』じゃないわ!」

 

「違うよ、リリー。僕は単に『魔法使いじゃない』って意味で言っただけなんだ。……だけど、ごめん。謝るから怒らないでよ。」

 

「ん、許してあげる。……それよりセブったら、服が毛玉だらけよ? ほら、取ってあげるからジッとしてて。」

 

甲斐甲斐しく毛玉を取り始めたリリーの手を、スネイプが真っ赤な顔でやんわりと払い除けた。同時に膝に止まっていたトンボが何処かへ飛んで行ってしまう。周囲にも沢山飛んでいるし、川が近いのかもしれないな。

 

「いや、大丈夫だから。自分で出来るよ。」

 

「それに、なんだかお酒の臭いがするわ。……セブのパパ、最近もずっと飲んでるの? 服に零されちゃったとか? 何か気晴らしでもあれば明るくなるんじゃないかしら?」

 

「あの人はお酒が気晴らしなんだよ。他には何にも好きじゃないみたい。……汚くてごめん。」

 

情けなさそうに自嘲しながら呟いたスネイプへと、リリーがいきなりハグをする。花咲くような笑顔でだ。

 

「セブは汚くなんかないわ! 汚かったらハグなんか出来ないでしょ? 私は出来るもん。」

 

良い子だな。リリーがにっこり笑って言うのに、赤い顔のスネイプがおずおずと頷きを返した。

 

「……うん、リリーが言うならそうなのかも。」

 

「そうだよ! ……ホグワーツかぁ。チュニーと離れるのは嫌だけど、セブが行くなら行ってみようかな。私にも入学案内が届くと思う?」

 

「絶対に届くよ。もし届かなかったら、僕が校長先生に頼むから。」

 

真剣な顔のスネイプがそう約束したところで、再び場面が切り替わっていく。……マクゴナガルとフランはどこか寂しげで、ハリーは困ったような表情だ。三人ともこの二人の物語の結末を知っているからだろう。ハッピーエンドとは言えない結末を。

 

 

 

「知らない、知らない! リリーなんか早く行っちゃえばいいのよ! 私、寂しくもなんともないわ!」

 

ここは……9と3/4番線のホーム? 真紅の列車が停車中の見慣れたキングズクロス駅のホームで、神経質そうな瘦せぎすの女性の隣に立ったスネイプが少し遠くの言い争いを見ているようだ。女性はスネイプの母親なのだろうか? ひどく冷たい雰囲気だが、その右手はしっかりとスネイプの左手を握っている。

 

「どうしてそんなひどいことを言うの? ……チュニーがホグワーツに転校できなかったのは私の所為じゃないのに! 校長先生のお手紙にもきちんと理由が書いてあったじゃない!」

 

「どうしてそれを、どうして手紙のことを知ってるの? ……見たのね! 私の部屋に入って勝手に見たんだ! 最低よ、リリー! 最低の行為だわ!」

 

「それは……悪かったけど、でもチュニーもひどいわ! 暫く会えなくなるのにそんなこと言うなんて!」

 

「そんなの知らない! 早く『生まれそこない』たちの学校へ行っちゃいなさいよ! 清々するわ!」

 

互いに涙を流しながら言い合う二人の間に、両親らしき困り顔の男女が割り込んだ。リリーには母親が、ペチュニアには父親が諭しているようだ。その後泣き顔のリリーがトランクを持って車両に入って行くのを目にして、スネイプも母親へと別れを告げてからホグワーツ特急に乗り込む。

 

恐らくリリーを探しているのだろう。他と比べるとやや小さめの古ぼけたトランク片手に通路を進むスネイプだったが、急にギョッとした顔になったかと思えば壁際にその身を退ける。何事かと前方を確認してみると──

 

「ありゃ、私じゃん。」

 

半笑いで現在のフランが言うように、翼飾りを揺らしながらの過去のフランが通路を進んでくるのが見えてきた。服装以外の見た目はほぼ同じだが、雰囲気はやっぱり違うな。並べて見てみるとより顕著な気がするぞ。

 

「うわー、何か恥ずかしいなぁ。ここですれ違ってたんだ。全然覚えてなかったよ。」

 

「ってことは、ホームには私も居るわけね。……タイミング的にはフランがコゼットと出逢う前かしら?」

 

「そだね。この後コゼットの居るコンパートメントを見つけて、そこで初めて顔を合わせるはずだよ。……懐かしいなぁ、本当に。この私はまだ何にも知らないんだね。」

 

そして、ホームに居る私もまだ何も知らなかった。分かり易く何かに気付いたような顔になった後、何故か翼を小さく畳んだ過去のフランを感慨深い気分で見送ってから、再び歩き出したスネイプの背を追って足を進める。コゼットの姿を見たい気もするが、スネイプの記憶な以上は遠くまで離れられない。ちょっと残念だな。

 

やがてスネイプはリリーのことを発見したようで、一つのコンパートメントのドアをノックすると中へと入って行った。

 

「リリー、大丈夫? あいつと喧嘩してたみたいだけど。」

 

「……見られちゃってたんだ。恥ずかしいな。」

 

「あの……ごめん。話は聞こえなかったんだけど、泣いてたのは見えちゃったんだ。これ、洗濯したばっかりだから。」

 

そう言ってハンカチを押し付けたスネイプは、わざとらしく泣いているリリーを見ないようにしながらトランクを荷棚に載せる。未だ器用とは言い難いが、多少は気遣いが上手くなっているようだ。

 

「ありがと、セブ。……こんなはずじゃなかったんだけどな。チュニーに悪い事しちゃったのかも。」

 

「それは違う……と思う。時間を置けばきっと仲直り出来るよ。」

 

「だといいんだけど。」

 

過去の二人は知る由もないが、結果的に姉妹の亀裂は埋まらなかったわけか。沈んだ様子でリリーが返したハンカチを受け取ったスネイプは、落ち着かなさげにキョロキョロと視線を彷徨わせた後で……ぎこちない笑顔で新たな話題を繰り出した。元気付けようというつもりらしい。

 

「あのさ、リリーはどの寮に入りたいか決めたの? この前話した四つの寮。僕は変わらずスリザリンなんだけど。」

 

「うん? ……そうね、私はまだ決めてないわ。レイブンクローもちょっといいかなとは思ってるんだけど。」

 

「それは……うん、悪くはないと思うよ。でも、やっぱりスリザリンが一番じゃないかな。本物の魔法使いならスリザリンに入るべきなんだから。結束も固いし、何かあったら先輩たちが守ってくれるんだって。ママが教えてくれたんだ。」

 

一緒の寮になりたいのだろう。身振り手振りでスリザリンの良さを伝えようとしているスネイプを、なんとも微笑ましい気分で眺めていると……いきなりコンパートメントのドアが開いて黒髪の少年が顔を出した。その容姿を端的に表現すれば、ハシバミ色の瞳をした一年生の頃のハリーだ。

 

「おっ、ジェームズじゃん。この頃は本当にハリーそっくりだよね。瞳と鼻の形がちょびっとだけ違うくらいかな?」

 

「ええ、本当に。ブラックも後ろに居ますね。」

 

フランとマクゴナガルの会話を他所に、ジェームズは驚いたようにスネイプとリリーのことを見ると、ニヤリと勝気な笑みを浮かべながら口を開く。ハリーとの最も大きな違いは性格だな。

 

「おっと、これは失礼。空いてると思ったもんでね。……それと、一番良い寮はグリフィンドールだ。スリザリンじゃない。」

 

「おいおい、いきなり過ぎるぞ、ジェームズ。間違ってはいないけどな。」

 

ジェームズとブラックは出会った直後だろうに、もう意気投合しているようだ。しかしまあ、二人とも『悪ガキ感』が凄いな。ハリーも同じような感想を抱いたようで、若干恥ずかしそうにこめかみを押さえている。そしてスネイプもそう思ったらしく、僅かな敵意を滲ませながら返答を放った。

 

「……僕はそうは思わないな。」

 

「へぇ、そうか? ……まあ、そう思うんならスリザリンがお似合いなのかもな。僕は絶対にグリフィンドールに入るよ。」

 

「なら、君とはあまり関わらないことになりそうだ。」

 

「そいつは結構なことで。……行こうぜ、シリウス。もっと話の分かりそうなヤツが居るコンパートメントを探そう。急がないと列車が出ちまうよ。」

 

肩を竦めてそう言ったジェームズは、コンパートメントのドアを乱暴に閉めて去って行ってしまう。過去側の二人も現在側の四人も気まずい空気で沈黙する中、リリーが呆れたような口調でそれを破った。

 

「……失礼な人たちだったわね。気にしないほうがいいわよ、セブ。」

 

「気にしてないよ、あんなの。……だけど、やっぱりグリフィンドールは好きになれそうにないかな。」

 

つまり、これがジェームズとスネイプの因縁の始まりなわけか。いやはや、ため息を吐きたい気分になるな。スネイプがドアの方を睨みながらそう呟いたところで、出発の汽笛が鳴り響く。ゆっくりと真紅の列車が動き出すと共に、場面がまたしても切り替わった。

 



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エボニーの男 中

 

 

「ほっほー、素晴らしい! 見たかね? 諸君。既存のやり方に縛られていては進歩できない。それをミス・エバンズが証明してくれたようだ! ……さあ、彼女に拍手を!」

 

松明で照らされた石造りの壁に、湯気が立ち昇る大鍋の数々。次なる場面はホグワーツの地下教室のようだ。席に座っている四色のネクタイを着けた生徒たちへと、スラグホーン先生がハイテンションな口調で語りかけている。学年も寮もバラバラみたいだし、魔法薬学の授業中ではなさそうだな。スラグ・クラブの集まりだろうか?

 

そんなスラグホーン先生の横に立つリリーは、恥ずかしそうな顔で頬を染めながらぺこりとお辞儀すると、奥の席に座っている黒髪のスリザリン生……おお、スネイプだったか。随分と背が伸びたな。スネイプの隣へと戻って行った。

 

「セブ、ごめんね。調合は殆ど貴方がやってくれたのに、スラグホーン先生が何か勘違いしちゃったみたいで……。」

 

「いいよ、リリー。実際のところ、あそこでベラドンナを使うことを思い付いたのは君なんだ。だったら称賛されるべきは君の方だよ。」

 

申し訳なさそうに小声で謝るリリーに対して、スネイプの方は心からそう思っている様子だ。二人で調合した魔法薬をスラグホーン先生に褒められたってことか。まだまだ仲の良さは続いているらしい。

 

「これって、ママとスネイプ先生が何年生の頃なんでしょうか?」

 

「恐らく二年生の頃でしょう。三年生のリリーは髪型を変えていたはずですからね。」

 

「ん、それで合ってると思うよ。二年の後半かな。私がジェームズたちと連み始めたばっかの頃。」

 

私の隣で記憶を見ているハリーたち三人の会話が終わるのと同時に、スラグホーン先生がクラブ活動の終了を告げる。三々五々に教室から出て行く生徒たちに続いて、スネイプとリリーもドアへと向かい始めるが……その背に一人の男子生徒が待ったをかけた。着けているのは緑色のネクタイ。つまり、スリザリン生のようだ。

 

「スネイプ、ちょっといいかな? 話があるんだ。」

 

「マルシベール? ……分かった。すまない、リリー。少し彼と話してから行くよ。」

 

「なら、今日はもう寮に戻ることにするわ。おやすみ、セブ。」

 

「ああ、おやすみ。」

 

マルシベールか。親子二代に渡ってリドルに仕えた『エリート死喰い人』で、黎明期から参加していた父親は第一次戦争の後期に死亡。息子である目の前の彼はアズカバンから脱獄した後、六月の戦争で命を落としていたはずだ。フランによれば学生時代のスネイプと非常に仲が良かったとか。

 

廊下に出て行くリリーの背を見送っていたスネイプへと、マルシベールが皮肉げな笑みで声をかける。

 

「まだ名前で呼んでくれないんだな。僕だけじゃない、君はスリザリンの仲間たちのことを苗字でしか呼ばないね。……あの女のことは名前で呼んでいるのに。」

 

「他意はないよ。……それに、他人を名前で呼ばないのは君も同じだ。」

 

「それには同意しよう。これが僕の流儀なもんでね。……だが、僕は『穢れた血』のことを名前で呼んだりはしていないよ? そこが君と僕との最も大きな違いさ。」

 

放たれた蔑称にピクリと反応したスネイプに、マルシベールは聞こえよがしにため息を吐いた後で話を続けた。困惑、呆れ、苛つきをあからさまに表しながらだ。

 

「僕は君のことを心配しているんだよ、スネイプ。スリザリンの中で孤立したくないのであれば、あの女から距離を取るべきだ。大した見た目でもないわけだし、リスクとメリットが釣り合っていないだろう? このままだと先輩たちから睨まれるぞ。君もスリザリン生なら賢い蛇でいるべきだと思うけどね。」

 

「……忠告はありがたく受け取っておくよ。」

 

「またそうやってはぐらかすつもりか? ……マルフォイ先輩が君を気に入っていたから表立って責めてくるヤツは居ないが、あの人はもう卒業しちゃったんだ。スリザリンで孤立することの意味は君もよく分かっているはずだよ。……クソったれのレストレンジなんかはこれ見よがしに責め立ててくるぞ? 新しく出来たブラック家の『お義姉さま』を笠に着て大威張りってわけさ。」

 

「分かってる。上手く立ち回ってみせるよ。」

 

無表情で口にしたスネイプの返答に気が入っていないことに気付いたのだろう。マルシベールは再び大きくため息を吐くと、荷物片手にドアの方へと歩き始める。

 

「忠告はしたからな。君が孤立した時に叩く側に回るつもりはないが、助けもしないぞ。僕はそんなにお人好しじゃないんだ。」

 

「それでも忠告してくれたことには感謝する。……ありがとう、マルシベール。」

 

「礼を言うくらいなら行動で示してくれ。ルームメイトが『はぐれ者』だと色々と苦労するんだ。」

 

背中越しに言いながら教室を出たマルシベールを見送ったスネイプは、ゆっくりと机に腰掛けると誰にともなくポツリと呟く。どこか寂しげな表情だ。

 

「……分かっているさ、そんなことくらい。」

 

同時に場面が切り替わるのを見ながら、疲れた気分で額を押さえた。後ろ盾のない半純血のスリザリン生と、マグル生まれのグリフィンドール生か。認めるのは癪だが、確かにホグワーツでは成立し難い関係だな。

 

 

 

「そら、スニベルス。もっときちんと歩いてみろよ。純血のお友達に支えてもらわないとあんよが出来ないのか?」

 

そして新たな場面は……こりゃ酷いな。ホグワーツの校庭で地面に呪文をかけるジェームズとブラック、そして足を滑らせながらもなんとか立ち上がろうとしているスネイプの姿が目に入ってきた。地面をツルツルにされているらしい。

 

何度も地面に倒れ込みながら、少し離れた場所に落ちている杖へと手を伸ばすスネイプだったが……届きそうになったその瞬間、ブラックの放った閃光が杖を遠くへと弾き飛ばす。

 

「おっと、すまん。手が滑っちまった。滑ってるものを見ると滑りやすくなるみたいでな。」

 

「お前は転ぶなよ? パッドフット。親友がこんな惨めな姿になってるのは見たくないしな。」

 

「安心してくれ、我が友。俺はスケートが得意なんだ。……スニベリー、お前はどうだ? 上手く滑ってみろよ。もう慣れただろ?」

 

これはまあ、擁護できないな。ハリーもそう思っているようで、心底情けなさそうな表情で実の父親と名付け親の『若気の至り』から目を逸らしている。マクゴナガルも呆れ果てたように眉間を押さえる中、何かに気付いたような顔のフランが肩を竦めて声を上げた。

 

「心配しなくてもそろそろ『天罰』が来るよ。かなり物理的なやつがね。」

 

天罰? 囃し立てる二人のことをスネイプが憎々しげに睨み付けたところで、現在のフランがよく分からないことを口にしたのと同時に……わお、凄いな。いきなり突っ込んできた過去のフランがブラックをぶん殴った。驚くほどに綺麗なフォームだ。

 

「おりゃ! ……まーたやってる! あんなにフランが注意したのに、なんでやるのさ! そこに座りな、プロングズ。今度は忘れないように叩き込んであげるから。」

 

「ピックトゥース? ……おい待て、やめろ。僕たちは単にスニベルスとじゃれ合ってただけだぞ? お前が怒るようなことは何も──」

 

「ふーん、そう? じゃあフランもじゃれてあげるよ。」

 

冷たい声色で端的に言い放ったフランは、流れるような動作でジェームズの右肩をがっしり掴むと、空いている右手でボディーブローを食らわせる。容赦ないな。そりゃあ手加減はしているのだろうが、ジェームズの表情を見るにそこそこの威力は保っているようだ。

 

お腹を押さえて蹲るジェームズに鼻を鳴らしたフランは、吹っ飛ばされたままで動かなくなっているブラックを一瞥した後、杖を抜いてスネイプの方に呪文を飛ばした。解呪しようというつもりらしい。

 

「えっと、フィニート(終われ)! ……あれぇ? フィニート・インカンターテム(呪文よ終われ)! フィニート!」

 

「……まあほら、この頃の私は杖魔法がそんなに上手くなかったからさ。今はそうじゃないんだよ?」

 

全然解呪できない過去の自分を見て、現在のフランがハリーに向かって聞かれてもいない言い訳を述べている間に……コゼットだ。小走りで近付いてきた私の名付け子が杖を抜いて呪文を放つ。

 

「フィニート。はい、出来たよ。」

 

「ありがと、コゼット。……なんで失敗しちゃうんだろ? ちゃんと練習してるのに。」

 

「ほらほら、落ち込まないの。この前は成功してたわけだし、今日は調子が悪かっただけだよ。それでも気になるなら後で練習すればいいでしょ?」

 

「ん、する。……スネイプ、立てる? 怪我は?」

 

素直にこくりと頷いたフランは、くるりと表情を心配そうなものに変えてスネイプの方へと歩み寄る。対するスネイプは……なんとも微妙な顔になってるな。ありがたいとは思っているが、同級生の女の子に助けられて恥ずかしい気持ちもあるのだろう。

 

「平気だよ、スカーレット。……その、悪かった。また迷惑をかけたみたいだ。」

 

「メーワクなのはスネイプじゃなくて、あっちのバカ二人なんだけどね。」

 

「まあ、私もフランの言う通りだと思うよ。……あのさ、スネイプ。スリザリンの先輩たちは何もしてくれないの? 普通こういう時って先輩が出てくるのがスリザリンの流儀じゃない?」

 

うむうむ、優しい子だな。さすがは私の名付け子だ。フランに続いて声をかけたコゼットへと、スネイプは目を伏せながら返事を返す。

 

「僕の問題は僕が片付ける。それだけだよ。」

 

「……そうなの? でも、ポッターたちはしつこすぎるよ。無関係な私が言うべきじゃないかもしれないけど、先輩か先生に相談した方が──」

 

「僕のことは放っておいてくれ、ヴェイユ。君はハッフルパフだ。スリザリンじゃない。」

 

杖を拾ってコゼットの助言を振り払ったスネイプは、そのまま城へと歩み去ろうとするが……途中で立ち止まると、バツが悪そうな顔で短く言葉を付け足した。

 

「……乱暴に言ってすまない。だけど、自分で何とかするから。」

 

そう言って今度こそ足早にスネイプが去るのと同時に、記憶の世界が崩壊していく。……あまり気分の良い記憶ではなかったな。ジェームズに対する憎しみはこうやって培われていくわけか。

 

 

 

「僕は、まだ迷っている。もちろん闇の帝王が間違っているとは思っていない。そうは思っていないが……決心が付かないんだ。」

 

革張りの黒いソファと、湖中が覗けるガラス張りの窓。冷えた空気が漂うスリザリンの談話室の中で、青年になったスネイプが誰かと小声で話している。大人版スネイプに近い顔付きを見るに六年生か七年生まで時間が進んだようだ。

 

ソファに座って組んだ手に視線を落としながら言うスネイプへと、背凭れに腰掛けているもう一人のスリザリン生が囁きかけた。切り揃えられた髪には育ちの良さが表れているが、どことなく冷淡そうな雰囲気を感じさせる青年だ。マルシベールか?

 

「迷うな、スネイプ。グリンデルバルドを破ったダンブルドアや、あの忌々しい雌蝙蝠でさえもが帝王と互角には戦えていないんだぞ。だったら勝ったも同然だ。君は新しい魔法界を作りたくないのか?」

 

「それは……作りたいさ。僕だってその一員になりたい。だけど、帝王はマグル生まれを排斥するつもりなんだろう?」

 

「まだあの女に拘ってるのか? ……そんなに気になるなら、功績を挙げて帝王にお願いすればいいじゃないか。穢れていても一応は魔法使いなんだ。『飼う』ことくらいは許していただけるかもしれない。」

 

「……やめてくれ、マルシベール。そういう言い方は好きじゃない。」

 

窓の外で揺らめく大イカを横目にしながら首を振るスネイプに、マルシベールは真剣な表情で更なる説得を繰り出す。どうやら死喰い人に入るようにと誘っているらしい。余計なことをするじゃないか。

 

「だったら考え方を変えろ。帝王が権力を握った後、あの女の生活はどうなると思う? 落ちぶれてゴミだらけの貧民街に隠れ住むのが精々だろうさ。……それを君が救うんだ。あの女を助けるんだよ。そのためには地位が必要だろう? 新しい世界での地位が。」

 

「……だから死喰い人に入れと?」

 

「君が帝王の作る世界を望んでいるのであれば、それで万事解決のはずだ。正しき高貴な血の魔法界と、あの赤毛の女。その両方が手に入るんだぞ。……僕は君のことを認めているが、それでも半純血なことには変わりない。なら、早いうちに入っておいた方がいいんじゃないか? 血筋だけの能無しにナメられるのは嫌だろう?」

 

笑みを浮かべながら言うマルシベールの爛々と輝く瞳を無言で見つめていたスネイプだったが、やがて立ち上がると葛藤しているような表情で口を開く。

 

「……少し歩いてくる。考えたいんだ。」

 

「構わないが、決断は早めに頼むよ。マルフォイ先輩が推薦してくれるらしいし、僕の父やロジエールさんも口を利いてくれる。こんなに良い条件で入れるヤツは他に居ないんだぞ。……よく考えろよ? スネイプ。いざ魔法界が変わった時、君がどこに立っているかはこの選択次第なんだからな。」

 

マルシベールの声を背に談話室を出たスネイプは、傍目にも懊悩している様子で歩を進める。恐らく目的地などないのだろう。

 

「嫌なヤツだよね、マルシベール。私は大っ嫌いだったよ。あいつ、マグル生まれのことは七年間ずっと『物』扱いしてたんだ。下級生を上手く利用して他寮のマグル生まれに嫌がらせしてたしね。」

 

「典型的な純血主義者って感じね。……フランに対してはどうだったの?」

 

「基本的には関わってこなかったかな。避けてたみたい。ハッフルパフ生のことで文句を言いに行った時も、ヘラヘラしながら口先だけで謝ってたよ。そういうタイプが一番ムカつくんだってのに。」

 

蛇寮らしい逸話だな。穴熊寮相手というのは珍しいが。とはいえ、人物評では中立を保つマクゴナガルがフォローしてこないのを見るに、あまり良い性格をしていなかったのは確かなようだ。

 

私がマルシベールの人となりについて考えていると、地下通路を進んでいたスネイプがいきなり曇った表情になった後、歩くスピードが目に見えて遅くなった。何事かと視線の先に目をやってみれば……今度はこの組み合わせか。女性らしく変わっているリリーと、キョトンとした顔で首を傾げているフランの姿が目に入ってくる。こちらを見るリリーの方もどこか気まずげだな。スネイプと何かあったらしい。

 

「……そっか、こんなタイミングだったんだ。」

 

現在のフランが何かに気付いたようにハッと呟くのを他所に、過去のスネイプは下を向いて小さく息を吐いてから、意を決したようにすれ違う二人へと話しかけた。

 

「やあ、スカーレット。それと……リリーも。」

 

「やっほー、スネイプ。」

 

「……久し振りね、セブ。」

 

そして訪れる微妙な沈黙。……何があったんだ? 私の疑問を代弁するかのように、過去のフランがおずおずと問いを放つ。

 

「えっと、喧嘩?」

 

すると途端にモジモジし始めた二人へと、過去のフランが再び口を開いた。困ったような苦笑いでだ。

 

「むー、仲直りしないの?」

 

「私からはしないわ。セブが私のことを……その、あの言葉で呼んだのが悪いのよ。」

 

「あの言葉?」

 

「だから……穢れた血って。」

 

ふむ? これまでのスネイプのことを思うに、本心から言った台詞ではなさそうだな。スネイプ本人も苦々しい表情で俯く中、フランが急にぷんすか怒り始める。大人のそれではなく、子供の純粋な怒り方だ。

 

「スネイプ? ごめんなさいしないとダメだよ! それってとっても酷い言葉なんだから!」

 

「いや、スカーレット、色々と訳があるんだよ。」

 

「スネイプ?」

 

うーむ、子供の正論っていうのはやっぱり強いな。二度呼びかけながら握った手を振りかぶるフランを見て、その威力を知っているであろうスネイプは引きつった顔に変わった後、後悔を滲ませつつリリーへと声をかけた。

 

「リリー、その……すまなかった。もちろん本気じゃなかったんだ。ただ、色々と思うところがあって、それで……本当にすまなかった。」

 

「……うん、許してあげる。もうあんな言葉使っちゃダメだよ?」

 

「ああ、約束する。」

 

本気で悔やんでいるのが伝わったのだろう。ほんの少しだけ微笑みながらのリリーの言葉を聞いて、スネイプはしっかりと約束を交わす。それを見る私、マクゴナガル、ハリーは穏やかな表情を浮かべているが……どうしたんだ? 現在のフランだけは何故か悲しげな顔だ。

 

疑問に思って問いかけようとしたところで、スネイプが過去のフランへと礼を送った。仲直りした二人を見て嬉しそうに翼をはためかせる過去のフランと、悲しそうに二人を見つめる現在のフラン。何となく印象的な対比だな。

 

「スカーレットも、その、ありがとう。君にはいつも助けられてばかりだね。」

 

「ふふん、いつか返してよね、スネイプ。」

 

「分かった、いつか返すよ。……それじゃあね、リリー、スカーレット。」

 

先程よりも晴れやかな面持ちで歩き出したスネイプは、ふと何かを思い出したように逆方向へと進む二人の方を振り返る。楽しそうに談笑しながら遠ざかるリリーとフランの背を見て、どこか切なげな微笑みを浮かべた後……小さく首を振ってから再び足を踏み出した。

 

 

 

そしてまたしても場面転換。今度は……何処だろうか? 暗闇の中でざわざわと風に揺られる木々と、微かに聞こえるふくろうの鳴き声。薄暗い夜の森の中のようだ。土気色の顔でぽつんと木の根元に立つ黒ローブ姿のスネイプに、唐突に誰かの声が投げかけられる。

 

「こんばんは、セブルス・スネイプ。……久し振りじゃな。ホッグズヘッド以来かのう。君から呼び出されるとは思わなかったよ。」

 

闇夜の中からゆったりと姿を現したのは、紫のローブを着込んだダンブルドア先生だ。杖を握ったままで悠然と近付いてくるダンブルドア先生へと、スネイプがいきなり手に持っていた杖を放り投げて跪いた。

 

「ご報告があってお呼びしたのです、ダンブルドア先生。帝王はリリーを狙っています。どうか彼女を守っていただきたい。」

 

「落ち着くのじゃ、セブルス。……何故ヴォルデモートがリリーを狙うと? それに、どうしてそのことを死喰い人たる君がわしに伝えるのかね?」

 

「貴方は両方の理由をご存知のはずだ!」

 

驚いたな。顔を上げて言い放ったスネイプは、見たこともないほどに感情的な表情だ。焦っているようであり、縋るようであり、そして後悔しているようでもある。そんなスネイプへと、ダンブルドア先生は見定めるような表情で返事を返した。

 

「さよう、わしは知っておる。君が学生時代にリリーのことを気にかけていたことも、彼女とジェームズとの間に予言の子が生まれようとしていることもね。」

 

「ならば守っていただけるのでしょう? リリーは、どうかリリーだけは。……私の所為なんです。私が帝王に予言のことを知らせてしまったから──」

 

「リリーだけかね? 夫や生まれてくる赤ん坊のことなど気にも留めぬと?」

 

僅かな威圧感を滲ませながら問いかけたダンブルドア先生に対して、スネイプは真正面からそれを受け止めて口を開く。

 

「私が願うのはリリーの命と、彼女の幸せだけです。それ以外は何も望みません。……彼女がポッターや子供の存在を望むのであれば、どうか彼らのことも救っていただきたい。」

 

どこまでも真っ直ぐな愛だな。たとえ自分に振り向かなくとも、想い人が憎い相手を愛そうとも、それでもリリーの幸せを願うのか。迷うことなく断言したスネイプの台詞を受けて、ダンブルドア先生はブルーの瞳をほんの少しだけ見開いた。彼にとっても予想外の言葉だったようだ。

 

「君もよく知る通り、戦争は一進一退の状況じゃ。ヴォルデモートは自らの敗北を恐れ、予言で示されたリリーたちのことを執拗に狙ってくることじゃろう。……セブルスよ、死喰い人となった今の君はリリーを守るために何を差し出せるかね?」

 

「リリーを、守るために?」

 

しゃがんでスネイプと目線を合わせながら聞いたダンブルドア先生へと、スネイプは自らの手のひらをジッと見つめた後で……相対する者の背筋をぞわりと震わせるような表情で答えを口にする。鋼のような冷たい決意を滲ませながら。

 

「全てを。」

 

 

 

再び世界の崩壊と再構築。次の場所は……ゴドリックの谷か? 夜の闇に沈む見覚えのある町並みを横目に、街灯に照らされた石畳の上をスネイプが小走りで駆けている。ひどく切羽詰まった表情だ。

 

「ここって……ジェームズたちの家の近くだよ。」

 

辺りをキョロキョロと見回しながらフランが言うのに、残る傍観者たる三人が驚きを浮かべた。そうか、隠れ家となっていたポッター家の近くなのか。ハリーも神妙な表情で周囲を見渡す中、いきなり遠く離れた一軒の家が眩い光に包まれる。展望台で見たのと同じ光だ。……まさか、これはあのハロウィンの夜の記憶なのか?

 

記憶を見ている全員がそのことに気付いたのだろう。私とマクゴナガルがハリーとフランのことを見つめるのを他所に、必死の形相で駆けるスネイプはドアが破壊された家に到着すると、玄関にあった戦闘の痕跡を目にして慌てて中へと入って行く。

 

いくつもの穴が空いている玄関を抜け、激しい戦いの跡が残る廊下を進んで行くと……ジェームズだ。床に倒れ伏す黒髪の男性の姿が目に入ってきた。最期の瞬間までリリーたちを守るために戦ったのだろう。折れた杖を固く握り締めたまま絶命している。

 

「……ジェームズ。」

 

呆然とその姿を見ているフランが立ち止まったのに対して、スネイプは一切立ち止まらずにその先へと向かい……そして、たどり着いた部屋の光景を見てようやく足を止めた。

 

「……リリー?」

 

ベビーベッドの上で泣きじゃくる稲妻型の傷を刻まれた幼いハリーと、そこに手を伸ばすように倒れているリリー。返事が返ってくることを願うように呟いたスネイプだったが、リリーがピクリとも動かないのを見てその場に膝を突く。

 

「嘘だ。そんなこと……嘘だ! リリー、起きてくれ。リリー!」

 

小さなハリーの泣き声など聞こえないかのようにリリーへと取り縋ったスネイプは、彼女の見開かれたグリーンの瞳を見ると……想い人を抱き締めて声にならない叫びを上げる。苦しみと悲しみ、そして怒りが綯い交ぜになったような叫び声だ。

 

「……知らなかったわ。スネイプもこの場に居たのね。」

 

「私も知りませんでした。最初に着いたのはブラックで、次にハグリッドが駆け付けたとばかり……アルバスは知っていたのでしょうか?」

 

「分からないけど、多分知っていたんじゃないかしら。……大丈夫? ハリー。」

 

この夜は本当に色々なことが起きた夜だった。多くの死と、それ以上の悲しみが。魔法省での戦いを思い出しながらハリーに問いかけてみると、彼は消え入りそうな声で返答を寄越してくる。

 

「僕、僕……全然覚えていませんでした。パパとママの叫び声と、それに緑の光。僕の中にあった記憶はそれだけだったんです。スネイプ先生がここに来てただなんて。」

 

混乱したように呟くハリーは、泣きじゃくる過去の自分へと近付いていく。運命が始まったハリーと、運命を終えたハリー。その二人が目を合わせたところで、途絶えないスネイプの叫び声と共に世界が崩れた。

 

 

 

「貴方なら守れたはずだ! アルバス・ダンブルドアとレミリア・スカーレットの二人がかりで守れなかったと? そんなことは有り得ない! 有り得るはずがない!」

 

スネイプの怒声が響いているのは見慣れたホグワーツの校長室だ。執務机に着いているダンブルドア先生は、部屋を歩き回りながら激怒するスネイプへと落ち着いた声で語りかける。

 

「彼らは……いや、わしらは間違った者を信用してしまったのじゃ。」

 

「殺すべきだった! あの時リリーを置いて家から出ずに、ノコノコ現れたブラックを殺しておけばよかった! ……私は憎いですよ。リリーを殺したヴォルデモートのことが、秘密を漏らしたブラックのことが、守り切れなかった貴方のことが、そして予言を伝えた自分自身のことが!」

 

「わしも悔やんでおるよ。全てを悔やんでおる。……じゃが、過去は変えられないのじゃ。変えるべきではない。」

 

「貴方の御託にはもううんざりです! ……リリーはもう居ない。である以上、私が生きている理由も最早ありません。」

 

死ぬ気なのか。ピタリと立ち止まって力なくソファに座り込んだスネイプに、ダンブルドア先生は身を乗り出しながら言葉を放った。

 

「しかし、ハリーは生きておる。あの子の瞳を見たかね? リリーと同じ瞳じゃった。」

 

「私が愛しているのはリリーです。ポッターとの子供など知ったことではありません。」

 

「それがリリーが命懸けで護った子だとしてもかね?」

 

ダンブルドア先生の質問を受けて、顔を上げたスネイプは憎々しげな表情で返事を飛ばす。

 

「貴方は……卑怯だ。この上なく卑怯な人だ。」

 

「分かっておる。こんな台詞を語る自分が情けなくて仕方ないほどじゃ。……わしらはヴォルデモートが本当の意味で死んだとは思っておらぬ。何れ再び現れ、今度こそハリーを殺そうとするじゃろう。」

 

「まさか、守れとでも? 私にリリーとポッターとの子を守れとでも?」

 

「そのまさかじゃよ。君が上手く立ち回っていたのであれば、ヴォルデモートは君が裏切ったことを未だ知らぬはずじゃ。ならばわしにも、スカーレット女史にも出来ぬことが君なら出来るじゃろうて。……力を貸してくれないかね? セブルス。」

 

深々と頭を下げるダンブルドア先生に対して、スネイプはギュッと手を握り締めた後で……ゆっくりとソファから立ち上がって口を開いた。強く握った所為か、手のひらからは血が滴り落ちている。

 

「……いいでしょう。ですが、理解していただきたい。私はリリーのためにやるのだということを。貴方でも、赤ん坊でも、他の誰でもなく、彼女の望みを叶えるためだということを。そのことだけは決して忘れないでください。」

 

「……すまぬ、セブルス。」

 

再び頭を下げたダンブルドア先生を背に、スネイプは校長室の出口へと足を踏み出すが……思い出したように立ち止まると、振り返らずに問いを投げかけた。

 

「スカーレットは……フランドール・スカーレットはどうしていますか?」

 

「スカーレット女史によれば、ずっと部屋に籠っているそうじゃ。コゼットとジェームズ、リリーとピーターの死、そしてシリウス・ブラックの裏切り。彼女にとっては辛いことが多すぎた。仕方のないことじゃろうて。……会いたいかね? 君が望むのであれば伝えられるが。」

 

ダンブルドア先生の提案を聞いたスネイプは、背を向けたままで寂しげな苦笑を浮かべた後、首を横に振って答えを返す。

 

「合わせる顔がありませんよ。全ての切っ掛けを作ったのは私なんですから。……恩を仇で返した男の顔など見たくもないでしょう。」

 

そう呟いてドアへと歩き出したスネイプへと、ダンブルドア先生が何かを言おうとするが……結局言葉にはせずに、去り行くスネイプの背を見送っただけだった。

 



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エボニーの男 下

 

 

そして切り替わった場面は……おっと、再びホグワーツの校長室らしい。執務机に座っているダンブルドア先生の視線の先で、スネイプが部屋をうろつきながら悪態を放っている。安眠を妨げられているカゴの中のフォークスは実に迷惑そうな顔付きだ。それでもスネイプの浮かべている表情には負けるが。

 

「凡庸、傲慢、規則破り、目立ちたがり屋、怠惰。ポッターはまるであの男の生き写しです。わざわざ危険に飛び込んで周囲に迷惑をかけている。それに付き合わされる我々はいい迷惑ですよ。」

 

「じゃが、他の先生方は概ね好意的に見ているようじゃよ? 名声に驕らず、他者を尊重し、勉学への熱意もそれなりに持ち合わせていると。」

 

「ではお聞きしますが、四階の廊下の件はどうお考えなのですか? 賭けてもいい。あそこに侵入したのはポッターたちです。バートリ女史がそのことを明らかにしてくれるでしょう。」

 

ハリーたちが一年生の頃の記憶か。スネイプの『名推理』に苦笑したダンブルドア先生は、手元の紅茶を一口飲んだ後で思い出したように話題を変えた。

 

「そのことはわしの方でも考えておこう。……それより、君はバートリ女史をどう思うかね?」

 

「掴み所がありませんね。良くも悪くも嘘が上手い方だと思っています。貴方との相性が良くないのは見ていて分かりますが、ポッターの近くに潜ませるには最適な性格かと。」

 

「ふむ、君はどちらかといえば好意的に捉えているようじゃのう。」

 

「必要とあらば割り切れる方だと感じましたので。」

 

うーん……大きく間違ってはいないが、正しくもないな。リーゼ様は身内を最優先するだけであって、スネイプが思っているような割り切り方ではないだろう。『リーゼ様学』の第一人者たる私が心の中で反論するのを他所に、ダンブルドア先生は困ったように笑いながら頷きを返す。

 

「ううむ、そうかもしれぬな。……何れにせよ、四階の警戒は怠らないように。我々が気付かぬうちに掠め取られては意味がないからのう。」

 

「重々承知しております。」

 

軽く首肯して請け負ったスネイプは、そのまま校長室の出入り口へと向かって行く。その背を見ながらダンブルドア先生が物憂げな表情になったところで、記憶の世界が崩れ始めた。

 

 

 

「しかしまあ、実に興味深いね。恋愛ってやつは私には理解不能さ。『一途で献身的な愛』と言えば聞こえはいいが、言い換えれば単なる搾取だろう? そんなものを賛美する世の風潮はどうかと思うよ。」

 

おお、リーゼ様だ。どうやら魔法薬学の授業後らしい地下教室で、制服姿のリーゼ様が大鍋の中を覗き込みながらスネイプへと話しかけている。大鍋に入っているのは紫に近いピンク色の液体……低等級の愛の妙薬かな? 授業でこれを扱ったらしい。

 

器材の片付けを進めながらかなり迷惑そうな表情になったスネイプは、それでも律儀に返答を返した。他の生徒はもう出て行った後みたいだな。教室の中に居るのはリーゼ様とスネイプだけだ。

 

「私と世間話をしている暇がお有りなのですか? バートリ女史。貴女はポッターが第二の課題で溺死しないかを心配すべきだと思いますが。私としてはそんな結末も乙なものですがね。」

 

「それがお有りなのさ。『知識』に助けを求めたからね。キミにとっては残念なことに、ハリーが魚の餌になる未来は避けられたわけだ。……それよりキミ、どうして第二の課題の内容を知っているんだい? バグマンに磔の呪いをかけて聞き出したとか?」

 

「先日ディゴリーが水中での魔法植物の採集方法に関して質問に来たのですよ。泡頭呪文のことをやけに詳しく聞かれたので、恐らく第二の課題に水中での活動が関係しているのだと推察したまでです。……ディゴリーは自身の実力で解決する気のようですな。ディゴリーは。」

 

繰り返しながらこれ見よがしに胸元のバッジ……なんだありゃ。『ホグワーツの真の代表選手、セドリック・ディゴリーを応援しよう!』と書かれたピカピカ光るバッジを示したスネイプに、リーゼ様は素早い杖捌きで取り替え呪文を撃ち込んだ。即座に反応したスネイプの盾の無言呪文に防がれてしまったが、手に持っている『スピュー』と書かれた謎のバッジとすり替えようとしたらしい。一体全体何をやっているんだ? この二人は。

 

「そのバッジの流行はとうに過ぎたぞ、スネイプ。いよいよキミも流行り廃りについていけない歳になったようだね。」

 

「私は本当に気に入ったものは長く使い続けるタイプですので。そちらこそ、私のローブを何着無駄にすれば気が済むのですか? 永久粘着呪文の乱用は法で禁じられていたはずですが。」

 

「今のは単純な取り替え呪文じゃないか。お茶目な悪戯だよ。一々目くじらを立ててると子供に嫌われちゃうぞ。」

 

「『今のは』という部分に貴女の悪意が表れていますな。それに、私は子供に好かれたいとは思っていません。嫌ってくれた方が面倒が少なくて助かります。」

 

大仰にやれやれと首を振るリーゼ様と、面倒くさそうな口調を隠そうともしないスネイプ。不思議なテンポで進む二人の会話を何とも言えない気分で眺めていると、リーゼ様が話題を振り出しに戻す。バッジのことはよく分からなかったが、とにかく対抗試合の頃の記憶だというのははっきりしたな。

 

「まあ、キミが子供嫌いなのはどうでも良いよ。一目で分かることだしね。……この辺で話を戻そうじゃないか。愛とは何なんだい? スネイプ。無知蒙昧な吸血鬼に教えてくれたまえ。」

 

「何故それを薬学の教師である私に聞くのかが疑問ですな。『専門家』である校長に聞けばよろしいかと。あの方なら喜んで答えてくれるはずです。」

 

「ダンブルドアはこっちから聞かずとも勝手に語り出すだろうが。あの男の持論は聞き飽きたんだよ。……だが、キミなら面白い答えが返ってくるかと思ってね。」

 

愛の妙薬を妖力でちゃぷちゃぷ弄びながら問いかけるリーゼ様に、スネイプはさほど間を置かず返事を口にした。

 

「言葉で説明できるようなものではありませんよ。誰かを愛さなければ愛は理解できません。それが異性に対する愛であれば尚更です。」

 

「ふぅん? ……だったら分かり易く例を出そうじゃないか。あるところに一人の哀れな男が居たとしよう。男はずっと幼馴染の女性に片想いをしていたが、結局彼女は振り向かずに他の男と添い遂げた。その後紆余曲折あって女性は死に、男は彼女の遺児を守り続けている。……どうかな? 男は愛さなければ良かったと後悔していると思うかい?」

 

「……その話を聞いて先ず思うのは、貴女の性格が捻じ曲がっているということですな。」

 

「んふふ、自覚してるよ。」

 

クスクス笑いながら肩を竦めたリーゼ様は、徐にボコボコと沸騰する愛の妙薬に浸した指先をぺろりと舐めると、顔を顰めて続きを語る。美味しくはなかったらしい。

 

「しかしながら、気になって仕方がないのさ。キミは何ら利益を得ていないじゃないか。あまりにも一方的すぎるとは思わないのかい? 私ならそんなもん絶対に御免だぞ。」

 

「……『男』は利益を得ています。彼女に出逢って、親しくなれた。たとえ振り向いてはくれなくとも、男の記憶にはそんな日々が残っている。それは充分すぎるほどの利益だと言えるでしょう。」

 

「分からんね、さっぱり分からん。全然釣り合ってないじゃないか。」

 

「『それ』の価値は人それぞれだということですよ。……貴女とてスカーレットやマーガトロイド女史に頼まれれば頷くでしょう? そこに対等な対価を求めたりはしないはずです。」

 

スネイプの言葉を受けたリーゼ様は動きを止めて考えた後、素材棚に移動して一つのビンを手に取りながら口を開いた。ビンの中では乾いたピクシーの羽がかさかさと揺れている。

 

「ふむ、それには同意しよう。フランやアリスが相手であれば、私は対価など求めないはずだ。何故ならその二人は私にとって身内だからね。……んー、難しいな。私が言っているのはそういうことじゃないんだよ。私はフランやアリスに惜しみなく与え、彼女たちも返してくれるからこそこういう関係になったわけだろう? だが、キミとリリー・ポッターは違うじゃないか。キミは与え続け、彼女はそれを受け取り続けている。死した後でさえもね。」

 

「一概にそうであるとは頷きかねる認識ですが、仮にそうだとして何か問題がありますか?」

 

「私にとっては問題ないし、むしろ好都合とすら言えるよ。今聞きたいのはキミの主観の方だ。……リリー・ポッターでなければよかったとは思わないのかい?」

 

ぬう、さすがリーゼ様。ズバズバ言うな。……とはいえ、スネイプも別に怒っているという雰囲気ではない。ダンブルドア先生と話している時よりも自然体な気さえするくらいだ。スネイプとリリーの関係にもやけに詳しいみたいだし、ひょっとしてこういう会話を時折していたのだろうか?

 

「貴女は本当に遠慮というものを知らない方だ。古い友人のことを思い出しますよ。……そんなことは一度たりとも考えたことがありません。リリーで良かったと今でも思っています。」

 

「うーん、やっぱり分からんな。友愛と家族愛は理解できるが、恋愛と無償の愛についてはさっぱりだ。」

 

「四種の愛ですか。……そもそも、そうやって筋道立てて論ずるものではないと思いますがね。愛とは学ぶものではないはずです。である以上、理論的な説明など不可能でしょう。」

 

「そりゃあそうかもしれんがね、最近の私は色々と思うところがあるのさ。……まあまあ面白かったよ、スネイプ。あの爺さんの説教は綺麗すぎて呑めたもんじゃないが、キミの話は味に深みがあって私好みだ。眠れない夜はまた呑みに来るよ。」

 

最近はあまり見せない吸血鬼の笑みで言うリーゼ様に、スネイプは眉間を押さえながら短く応じた。

 

「では、私は貴女の快眠を祈るべきですな。」

 

「おお、酷い台詞だね。実際のところ、キミは一年生の頃から私の質問を拒まないじゃないか。実は聞いて欲しかったりするのかい?」

 

「……私が貴女に話すのを躊躇わないのは、貴女が私とリリーの関係に大した興味を持っていないからです。度々聞きには来ますが、本音で言えばどうでも良いのでしょう?」

 

「おや、だとしたら怒るかい?」

 

地下通路に続くドアまで歩いてからくるりと振り返ったリーゼ様へと、スネイプは回収したレポートらしき羊皮紙の束を整えながら答えを送る。

 

「その方が気楽に話せるのですよ。校長は私を哀れみますが、貴女は私を本心から哀れんではいない。そして私は同情してもらいたいわけでも、慰めてもらいたいわけでもありませんから。」

 

「んふふ、よく分かってるじゃないか。吸血鬼に何を語ろうが無駄なのさ。神だったらお為ごかしの赦しだったり慰めだったりをくれるかもしれんがね。私たちはただ適当に聞き流すだけだよ。」

 

「……ポッターたちへの態度を見るに、最近の貴女は吸血鬼らしくなくなってきているようですが?」

 

「おおっと、そこまでだ。私は暇潰しにキミの話を聞きたいから残っただけであって、身の上相談をしたいわけじゃないんでね。余計な話題に移る前に失礼させてもらおうか。」

 

言うとさっさと教室を出て行ってしまったリーゼ様にため息を吐いた後、スネイプは無言で授業の片付けに戻った。……うーむ、奇妙な関係だな。お互いにそこまで興味がないからこそこういう話を出来るということか。

 

 

 

再び場面転換。……ふむ、今度は見覚えのない室内だな。豪奢なシャンデリアに照らされた壁いっぱいに本棚が並ぶ部屋で、黒いソファに座っているスネイプが向かい側の男女と話している。家具の一つ一つが高価そうな見た目だ。どことなくブラック邸に似た雰囲気があるかもしれない。

 

「セブルス、私は魔法省に投降する。これ以上帝王に従っていては家を疲弊させるだけだ。ドラコの将来も地に落ちるだろう。……そうなる前にスカーレットらにありったけの情報を差し出し、見返りとして息子の安全を求めるつもりだ。」

 

「……何故それを私に告げるのですか? ルシウス。投降すると言うのであれば、貴方は誰にも相談せずにひっそりと行動すべきでしょう?」

 

「私には責任があるからだ。お前を巻き込んだ責任が。だから一言断っておこうと思ってな。……それに、閉心術に長けたお前であればこの会話のことも隠せるだろう。」

 

相手はマルフォイ夫妻か。疲れたような笑みで言うルシウス・マルフォイへと、スネイプは僅かに顔を歪ませながら忠言を放つ。

 

「帝王は貴方の裏切りを決して許さないはずです。」

 

「分かっている、私は近いうちに死ぬだろう。もしかしたら妻も死ぬかもしれない。……だが、スカーレットと上手く交渉できればドラコは死なずに済むはずだ。」

 

「仮に帝王が勝利しても、魔法省が勝利しても、マルフォイ家は『裏切り者』の汚名を着せられることになりますよ?」

 

「自分でも意外なことに、今の私にとって一番大事なのは家ではなく息子なんだ。……死を前にしてようやく気付けたよ。愚かしいと思うかね?」

 

気付くのが遅かったという意味なのか、それとも家を最優先できないことを言っているのか。私は情けなさそうな微笑みの真意を読み取れなかったが、スネイプには分かったらしい。ゆっくりと首を横に振って返事に代えると、ルシウス・マルフォイに向かって静かに語り始めた。

 

「学生時代からずっと、貴方は半純血の私の後ろ盾になり続けてくれました。そのことには深く感謝していますし、死喰い人に入ったのは私の選択です。一切恨んでおりません。……ただ、この機会に一つだけお聞きしたい。どうして貴方は私を守り続けてくれたのですか? 貴方が私と共にホグワーツで過ごしたのはたった一年だけだったのに。」

 

本当に疑問だったのだろう。心底分からないという表情で問いかけたスネイプに、ルシウス・マルフォイは困ったような苦笑を返す。

 

「お前の努力を惜しまぬ性格を気に入ったというのが一つ。口の堅さを評価したというのが二つ目。そして三つ目の理由は……お前がスリザリンに組み分けされた後、私の隣に座ってきたからだ。」

 

「……座ったから、ですか。」

 

「奇妙な理由だと思うかね? ……私も思うよ。だが、本当にそれだけなんだ。あの歓迎会の日、どこか沈んだ表情で私の隣に座り込んできたお前を見て、何故か気にかけてやろうという気持ちになった。切っ掛けなんてそんなものだ。……そして、結果として私は信頼できる友を得ることが出来た。我ながら良い選択をしたものだと今では思っている。」

 

「それはまた、奇妙な話ですな。実に貴方らしい。」

 

言うスネイプも、ルシウス・マルフォイも、その隣のナルシッサ・マルフォイも笑みを浮かべている。穏やかな笑みを。……こんな表情もするんだな。それぞれの複雑な立場を感じさせないような柔らかい空気だ。

 

暫くそんな雰囲気を噛み締めるように黙っていた三人だったが、やがてナルシッサ・マルフォイがスネイプにおずおずと話しかけた。

 

「セブルス、一足先に楽になる私たちを赦してください。そして不躾な願いだとは分かっていますが、私たちが二人とも死んだ時はドラコのことをお願いしたいのです。」

 

「私も生き残れるとは限りません。」

 

「それでも私たちよりは可能性があるでしょう。……マルフォイ家を食い物にしようとせず、ドラコのことを想って守ってくれそうなのは貴方だけなのです。こうなってみて初めて本当に頼りになる友人がどれだけ少ないのかを実感しました。」

 

「セブルス、私からもお願いしたい。出来る範囲で構わないんだ。ドラコのことを気にかけてやってくれないか? 最悪の場合、あの子はイギリス魔法界の中で孤立することになってしまうだろう。……私には妻が居たから耐えられたが、ドラコが同じような存在と出逢えるかは未知数だ。どうか見守ってやって欲しい。」

 

頭を下げるマルフォイ夫妻に対して、スネイプは何かを口にしようとするが……自嘲するように小さく首を振った後、二人に向かって承諾の返答を飛ばす。

 

「分かりました。私も長く生きられる保証はありませんが、出来る限りのことはしましょう。」

 

「ありがとう、セブルス。」

 

「感謝するのは私の方です、ルシウス。……貴方が生き残れることを祈っておきます。」

 

「そうだな、まだ死ぬと決まったわけではない。全てが終わって生き残っていたら、三人で……いや、ドラコも一緒に四人で酒でも飲もう。その日が来ることを祈っておくよ。」

 

ルシウス・マルフォイが笑顔でそう言ったところで、記憶の世界がボロボロと崩れ落ちていく。……結局この中で生き残ったのはナルシッサ・マルフォイだけだったわけだ。少しだけ切ない気持ちになるな。

 

 

 

「セ、セブルス、どうして? どうしてこんな──」

 

「放っておけばお前は自分の腕に絞め殺されていたのだ、ペティグリュー。先ずは命を救った吾輩に感謝すべきだと思うがね。」

 

おおう、いきなり刺激の強い場面だな。石造りの古ぼけた小部屋の中で、肩口から血を流すペティグリューにスネイプが魔法薬らしき液体をぶっかけている。ペティグリューがホグワーツに逃げ込んでくる直前か。かなり最近の記憶までたどり着いたらしい。

 

痛みに涙を浮かべながら嗚咽を漏らすペティグリューに、スネイプは無表情で事務的に治療しながら話を続けた。本当はやりたくないですと今にも口にしそうな雰囲気だ。

 

「治療が終わったらすぐに変身してここを離れろ。そしてホグワーツに向かい、ダンブルドアに伝えるのだ。吾輩の状況と帝王がヌルメンガードに潜んでいるということをな。」

 

「だけど、その……私はどうなる? 捕まってしまうのか? つまり、アズカバン行きになってしまうんじゃ?」

 

「では、また逃げるのかね? 世界のどこかでネズミとして生き、下水の中で一生を終えるのか? ……覚悟を決めろ、ペティグリュー。腕がこうなった以上、帝王はお前の裏切りに気付いているはずだ。他に道があるのであれば聞かせてもらおうか。」

 

「それは……うん、そうだな。それに、もしこの情報を伝えれば許してもらえるかもしれない。もう十五年も前の──」

 

ペティグリューが半笑いでそこまで言ったところで、スネイプはくるりと背を向けながら遮るように指示を出す。……ペティグリューには見えていないようだが、その顔は隠し切れない憎しみで染まっている。彼にとっては『もう十五年も前』の話ではないのだろう。

 

「お前たちが学生時代に作った忌々しい地図はここにある。何かに使えるかもしれん。持っていけ。」

 

「わ、分かった。……でも、君は大丈夫なのか? ご主人様に疑われるんじゃ?」

 

「吾輩は上手くやってみせる。しかし、そう長く持たないであろうことは校長に伝えてくれ。……もう行け、ペティグリュー。時間が無いぞ。」

 

厳しい表情で促したスネイプに従って、慌てて頷いたペティグリューはネズミに変身すると地図を咥えて部屋の外へと飛び出して行く。無感動な顔でそれを見送った後、スネイプは隅に置いてあった小さな丸椅子に腰掛けた。

 

「……ここからが私たちにとっての謎なんだよね?」

 

「そうなるわね。」

 

ジェームズの死を見てからずっと黙っていたフランへと、私が首肯を返したところで……リドル? ゆったりとした歩調のリドルが部屋の中に入ってきた。当然ながらまだ新たな分霊箱は作っていないようで、青白い身体の各所は無事なままだ。いやまあ、それでも異形ではあるが。リーゼ様風に言えば『トカゲ人間』の状態だな。

 

闇の帝王の姿を見て即座に立ち上がったスネイプに、リドルは左手に持った杖を親指で撫でながら口を開く。右手のローブの先端は私の所為でひらひらと頼りなく揺らめいている。こういう場合、少しは申し訳なく思うべきなのだろうか?

 

「セブルス、小鼠めは情報を伝えに行ったようだな。」

 

「予想通り簡単に転びました、我が君。これでダンブルドアは慌てて攻め込んでくるでしょう。」

 

「全て計画通りというわけか? 頼もしい言葉ではないか。……俺様を裏切ってはいないだろうな?」

 

開心術か。前半と後半でがらりと声色を変えた後、覗き込むように目を合わせたリドルに対して、スネイプは真正面からそれを見返した。暫くの間探るように見つめていたリドルだったが、やがて視線を外すと小さく鼻を鳴らす。

 

「ふん、相変わらず空虚な心だ。お前の中にあるのはポッターへの憎しみだけか。」

 

「その通りです、我が君。」

 

「だが、マグル生まれの妻を殺したのは俺様だぞ? お前はあの女が欲しかったのではないのか? ヴォルデモート卿が憎くはないのか?」

 

「何度もご説明申し上げたように、私はマグル生まれの女などにいつまでも拘ったりはしません。あの女が欲しかったのは、それがポッターの持ち物だったから奪ってやりたかっただけです。……それよりも、これでいよいよ計画が進行します。老いたダンブルドアはポッターの息子を連れて貴方を殺しにやって来るでしょう。それがこちらの罠だとも知らずに。」

 

再び瞳を覗き込んできたリドルに淡々と答えたスネイプは、異形の顔を直視したままで自分の願いを口にする。……なるほど、スネイプはこうやってリドルに本当の役割を隠し続けたのか。ジェームズへの憎しみを前面に出すことで、その後ろに潜ませたリリーへの愛から目を逸らさせたわけだ。閉心術師として一流の彼だからこそ可能なやり方だな。見事だと思う反面、ちょびっとだけ悲しい気分にもなるが。

 

「どうかポッターの息子を殺していただきたい。それで私の復讐は完遂します。」

 

「言われずとも殺してやるとも。全ての懸念を潰してから俺様は『次』へと進むのだ。ついでにあの忌々しい老人の息の根も止めてやろう。……とはいえ、それに固執して『次』への道を断つつもりはないぞ。」

 

「例の策ですか。全てを話してはいただけないので?」

 

「俺様は誰かを信じるほど愚かではない。お前に話す必要があるのであれば、然るべき時に話してやろう。……裏切るなよ? セブルス。俺様は常にお前を見張っているぞ。」

 

疑心を露わにして言ったリドルは、深々と頭を下げるスネイプを背に部屋を出て行った。足音が遠ざかり、聞こえなくなった後もずっと頭を下げ続けていたスネイプは……一分近くもそうしていた後、ようやく顔を上げる。憎悪の感情をありありと浮かべた顔を。

 

 

 

「破れぬ誓いを?」

 

そして、次の場面は先程より少し広い石造りの部屋の中だった。松明に灯る緑色の炎に照らされているのはスネイプとリドル、ストライプスーツ姿のエバン・ロジエールの三人だ。窓の外には不自然なほどの漆黒が広がっているのを見るに、どうやらヌルメンガードの戦いが始まった直後らしい。

 

無表情で放たれたスネイプの問いを受けて、薄ら笑いを浮かべたリドルが頷きながら返答を送る。

 

「そうだ、破れぬ誓いを結んでもらう。この俺様とな。」

 

「我が君、私は貴方を裏切るつもりはございません。その上で聞いていただきたいのですが、万が一私が誓いを破れば貴方も共に死んでしまいます。賢明な策とは言えないかと。」

 

「分かっていないな、セブルス。それこそが俺様にとってのメリットなのだ。……今から俺様は新たな分霊箱を作る。俺様にとって最後の分霊箱を。その後この身体は魂を引き裂いた衝撃に耐えられず、緩やかな崩壊へと向かうだろう。身体が崩壊し切る前にダンブルドアと予言の子を殺し、俺様は『次』へと向かうわけだ。」

 

説明しながらコツコツと靴音を鳴らして部屋の隅まで歩いたリドルは、そこで蠢く黒い布袋をジッと見つめて続きを語る。……布袋の方から微かにくぐもった声が聞こえてくるな。入っているのは人間か。

 

「だが、俺様は全てが上手く運ぶなどと妄信していない。ヴォルデモート卿はそこまで愚かではないのだ。分かるだろう? エバン。」

 

「その通りでございます、我が君。」

 

「故にセブルス、俺様とお前は破れぬ誓いを結ぶのだ。新たな分霊箱を守り、その在処を決して他言しないという誓いをな。……恐らく敵方の指揮官はスカーレットだろう。あの愚かな蝙蝠はお前がまだ味方だと思っている。それはつまり、死喰い人の中でお前だけがこの暗闇の檻から出られる可能性があるということだ。分霊箱を手にしたままでな。」

 

「……全てが終わった後で私がスカーレットめに分霊箱を渡すとでも?」

 

心外だという声色で呟いたスネイプに対して、リドルは満面の笑みで返事を返す。たがが外れたような、ひどく原始的なものを感じさせる笑い方だ。

 

「そうではないぞ、セブルス。そうではないのだ、我が忠実なる友よ。俺様はお前の働きに満足している。このままズルズル進んだところで、『今回』はもう何一つ得られなかっただろう。しかし、お前の働きのお陰でダンブルドアとハリー・ポッターを殺せるようになった。俺様は全ての懸念を潰してから『次』に進めるようになったのだ!」

 

大仰な手振りを交えつつそこまで言ったリドルは、ストンと笑みをかき消して言葉を繋げる。後に残ったのは蛇のような無表情だ。

 

「だが、俺様は何度も信頼を踏み躙られた。ルーサー、サディアス、ザガリー、そしてルシウスまでもが偉大なるヴォルデモート卿を裏切った! 小物を加えれば裏切り者の数は膨大な量だ! ……俺様はもはや死者しか信じられない。ベラ、コーバン、ロドルファス、アミカス、フレデリック。俺様に忠義を尽くして死んでいった者しか信じられないのだ! それを不満に思うか? セブルス!」

 

「……とんでもございません、我が君。用心深くなるのは当然のことかと。私はただ裏切り者どものことを憎むばかりです。」

 

「ああ、素晴らしい答えだ。お前がヌルメンガードを無事に出た暁には、スカーレットやダンブルドアに尻尾を振って生き延びた虫けらどもに礼をしに行ってくれることを俺様は確信している。……それでも俺様は安全策を講じねばならなかった。だから誓いが必要なのだ。破れぬ誓いが。アバダ・ケダブラ(息絶えよ)!」

 

話の途中で急に振り返ったかと思えば、リドルは黒い布袋の方へと死の呪いを放つ。布袋から聞こえていた呻き声がピタリと止んだところで、リドルは膝を突いて苦しそうな、それでいてどこか恍惚としているような叫び声を上げた後……立ち上がって懐から取り出した何かをスネイプのローブのポケットに差し込んだ。魂を裂いたのか。

 

「さあ、左腕を出せ。エバンが結び手をやる。」

 

「……かしこまりました。」

 

差し出された青白い手首をスネイプが握るのと同時に、リドルもスネイプの手首を掴む。それを見たロジエールが進み出て、交差する腕の中心に杖を置いた。

 

「では、誓いの内容を確認させてもらおう。セブルス、お前は今闇の帝王から渡された分霊箱を誰にも見せずに守り抜き、ヌルメンガードを出た後は自分が考え出した最良の隠し場所に隠すことを誓うか?」

 

「……誓おう。」

 

「この契約について他言せず、分霊箱の隠し場所を死ぬまで内に秘め、もし暴かれそうになった時は命を懸けて抵抗することを誓うか?」

 

「誓う。」

 

「結構。……我が君、契約の内容に異存はございますか?」

 

「問題ない。これで結べ、エバン。」

 

リドルの許可を得たロジエールは、こくりと頷くと腕に絡み合った光の鎖に錠をするように杖を捻り、やがて鎖が融け入るように腕の中へと消えていったのを確認してから杖を下ろす。……破れぬ誓いが結ばれる瞬間を見たのは初めてだ。思っていたよりもずっと呆気ないな。こんな簡単に命を担保に出来てしまうのか。

 

そして握っていた腕を離したリドルは、自分の左腕を見つめるスネイプへと話しかけた。酷薄な笑みを浮かべながらだ。

 

「お前が誰かにその分霊箱のことを話せば、その瞬間お前と俺様は死ぬ。破壊した時も同様だ。そして俺様が万が一ダンブルドアに敗れた時や、あの老人の思惑通りハリー・ポッターと相討ちになった時も俺様は死ぬ。忌々しい蝙蝠どもが殺しに来た時や、何もしない内に身体が崩壊した時もそうなるだろう。……だが、どの道を辿っても本当の意味で俺様は死なない。お前は俺様の『カナリア』となったのだ。」

 

……そういうことだったのか。新たな分霊箱に何かがあれば、誓いを破ったスネイプと共にリドルは死ぬ。ハリーという分霊箱を残したままで。最悪ハリーとダンブルドア先生を殺せなくとも、自らの『命』を守ることを優先したわけだ。

 

恐らく、リドルはハリーとダンブルドア先生を殺した後にすぐさま自死するつもりだったのだろう。現世に留まる際、分霊箱が必要になるのはアンカーとして機能するその一瞬だけだ。……だからスネイプは同時に破壊することに拘ったのか。ハリーを殺した後ではスネイプの分霊箱が残り、先にスネイプが破壊してしまえばハリーが残る。リドルは最後に最悪のなぞなぞを残していったらしい。打ち破るにはスネイプの命が必要になるなぞなぞを。

 

どこまでも往生際が悪い嘗ての友人にため息を吐く私を他所に、リドルはスネイプの顔を覗き込みながら話を続けた。

 

「俺様は復活の危険性をよく理解している。分霊箱での復活はこれで最後になるだろう。『次』で新たな方法を模索するつもりだ。……セブルス、俺様が復活するまでにスカーレットらに探りを入れておけ。あの連中はもっと効率的な方法を知っているはずだ。いいな?」

 

「お任せください、我が君。」

 

となると、スネイプを新たな分霊箱の守護者にするのは単なるおまけなのだろう。徐々に皮膚の各所が黒ずんできたリドルを横目に考えていると、ロジエールが丸椅子に置いてあったボーラーハットを手に取って口を開く。

 

「それでは我が君、私は指揮を執りに下へ行ってまいります。そろそろ魔法省の無能どもが中庭に到着する頃でしょう。盛大に歓迎してやらなければなりません。」

 

「ダンブルドアとハリー・ポッターは疑われないように展望台へと誘導しろ。ハリー・ポッターを殺せるのは俺様だけだ。そして、ダンブルドアはこの手で殺す。……残りの小物はお前に一任するぞ。」

 

「お望みのままに。」

 

芝居じみた動作で一礼したロジエールがドアへと歩いて行くのに、リドルが思い出したように追加の言葉をかけた。態度も、声色も、口調も変わっていないが……何故か僅かな人間味を感じさせるような雰囲気だ。

 

「……長らくご苦労だった、エバン。最期に俺様のために多くを殺して、そして誇り高く死んでくれ。」

 

「そのお言葉、身に余る光栄でございます。我が身続く限り魔法省の走狗どもを殺し、貴方様の部下として恥じぬ死に様を演じてみせましょう。いつの日かヴォルデモート卿が魔法界に戻ってきた時、より多くの魔法使いたちの畏怖を手に入れられるように。」

 

これも一つの忠義か。薄っすらと笑いながら帽子を胸に当てて大仰な礼をしたロジエールは、そのまま軽い足取りで部屋を出て行く。リドルはパタリと閉じたドアを無言で暫く見つめた後、スネイプに向き直って指示を飛ばした。

 

「俺様の真実を知って尚この城を生きて出られるのはお前だけだ。全てを覚えておけ、セブルス。そして密やかに伝えるのだ。ヴォルデモート卿は戻ってくると。また忠実な部下を手に入れ、全てを支配しに戻ってくると。魔法界に俺様の名を決して忘れさせるな。」

 

「必ず。」

 

「では行くのだ。適当な部屋に入って自分を痛め付け、スカーレットには拷問を受けて閉じ込められていたとでも言っておけ。俺様はしもべの働きに報いる。復活した後で地位と名誉、望むだけの財産を与えてやろう。」

 

「我が君が復活するのであれば、それに勝る褒美などございません。地盤を整えて待っております。いつまでも。」

 

深々と頭を下げながらそう答えたスネイプは、満足そうに頷くリドルを背にドアを抜けて、杖明かりを灯してヌルメンガードの廊下を歩き出す。そうして暫くの間歩き続けていたスネイプだったが、唐突に廊下の途中で立ち止まると杖明かりを消して小声で話し始めた。

 

「私の遺産は全てドラコ・マルフォイに相続してください。死後の名誉も、下らないマーリン勲章も望みません。……ただ一つだけお願いしたい。もし私の働きに報いてくれるのであれば、どうか墓はリリーが眠っている場所の近くに。彼女の墓が見守れる場所に。それだけが私の望みです。これを見ているのが誰なのかまでは分かりませんが、ここまで見たのであればその理由が分かるはずだ。」

 

記憶の傍観者に対する遺言か。……真っ暗闇の中で呟くスネイプは、一体どんな顔をしているのだろうか? どんな想いで最期のあの瞬間、自らの命を犠牲にして分霊箱を破壊したのだろうか?

 

ハリーも、フランも、マクゴナガルも、そして私も。無言で押し黙ったまま暗闇の中で立ち尽くしていると、記憶の世界が崩壊すると共に身体が上へ上へと引っ張られていく。全ての記憶を見終わったようだ。報われない愛だと知りながら、それを最期の一瞬まで貫いた男の物語を。

 

遠ざかる記憶の世界を見つめながら、アリス・マーガトロイドはどうしようもない切なさを感じるのだった。

 



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曇天

 

 

「大丈夫かい? ハリー。」

 

薄寒い曇天のゴドリックの谷。一年前に私がプレゼントしたスーツを着ているハリーに、アンネリーゼ・バートリはそう問いかけていた。アリスに丈を直してもらって良かったな。どうやって長くしたのかは知らんが、あの頃に比べて背が伸びたハリーにぴったりになっている。

 

十一月三日、セブルス・スネイプの葬儀が執り行われたのだ。参列者はハリーと私を除けばホグワーツの教員たちと、旧騎士団員の中から数名、それにマルフォイ親子などの数少ない友人だけ。ダンブルドアの盛大な葬儀が記憶に新しい所為かもしれんが、ちょびっとだけ寂しさを感じる光景だな。

 

悲しげな表情で墓前に花を供えているナルシッサ・マルフォイを横目に考えていると、ハリーは沈んだ声色で返事を返してきた。

 

「僕、本当に自分が嫌になるよ。何も知らずにスネイプ先生を嫌ってた自分が。」

 

「スネイプ自身が秘密にしていたんだから仕方がないだろう? ……それに、墓をこの場所に出来たのはキミが頼み込んだからじゃないか。」

 

「でも、僕に出来たのなんかそれだけだ。」

 

「充分だと思うがね。スネイプにとっては他の何よりも報いになっただろうさ。」

 

スネイプの墓が設置されているのは、リリー・ポッターの墓から少しだけ離れた丘の上だ。ここからだとちょうど彼女の墓が真っ直ぐ見える。意図したことではないんだろうが、彼女の隣のジェームズ・ポッターの墓は手前の木に隠れて見えないというおまけ付きだ。

 

諧謔のある位置取りに苦笑を浮かべる私に、ハリーは弱々しく頷きながら口を開いた。

 

「記憶のこと、マーガトロイド先生やフランドールさんから聞いた?」

 

「まあ、ざっくりとは聞いたよ。それがどうしたんだい?」

 

「僕の勝手な想像かもしれないけど、スネイプ先生はママとの思い出を誰かに憶えておいて欲しかったんじゃないかな。だって、ヌルメンガードでの行動を説明するだけなら昔の記憶まで見せる必要はなかったわけでしょ? 墓の位置だってどうにかなったはずだ。……だから、僕は憶えておくよ。スネイプ先生のことを。それがきっと僕のすべきことなんだと思う。」

 

「……そうかもね。」

 

なんとも複雑な関係だな。父を恨み、母を愛し、そして自分のために死んだ男か。神妙な顔付きでスネイプについて語るハリーを眺めていると、視界の隅に花を供えているブラックの姿が映った。いつもの不良中年スタイルは鳴りを潜め、きっちりしたスーツを身に纏っている。

 

しかしまあ、ブラックもブラックでひどい顔だな。ハリーかフランあたりから記憶のことを聞いたのだろう。後悔しているような、申し訳なさそうな表情だ。冥府のスネイプは今更なんだと鼻を鳴らしているだろうさ。

 

情けない顔の犬もどきを見てやれやれと首を振ったところで、芝生を踏み締めて近付いてきた……おや、マルフォイだ。小洒落たダークスーツ姿の青白ちゃんがハリーに声をかけた。遺言通り、彼がスネイプの遺産を相続したらしい。

 

「ポッター、話がある。来てくれるか?」

 

「……分かった、行くよ。」

 

ハリーの答えを受けて目線でこちらにも問いかけてきたマルフォイに、軽く頷いて了承の意思を伝える。今更マルフォイが何かをするとは思えない。二人で話したいなら好きにさせるべきだろう。

 

犬猿の仲だった二人が並んで遠ざかって行くのを、なんだか奇妙な気分で見送っていると……ゆっくりと歩み寄ってきたアリスが話しかけてきた。彼女にしてはかなり珍しいパンツスーツ姿だ。似合ってないとまでは言わないが、違和感が物凄いな。

 

「リーゼ様、お疲れ様です。この後はホグワーツに戻るんですか?」

 

「ん、そうだね。ポッター夫妻の墓に寄った後、ハリーと二人で学校に戻る予定だ。……ちなみに、何で今日はスカートやローブじゃないんだい? 一昨日はローブを着てたじゃないか。」

 

葬儀の開始前はごたごたしていて聞けなかった疑問を投げかけてみれば、アリスは目をパチクリさせながら回答を寄越してくる。

 

「私はほら、見た目だけは若いままなので大人っぽい喪服が似合わないんです。ローブで来ようかとも思ったんですけど、たまにはスーツもいいかなと思いまして……似合ってないですか?」

 

「いやまあ、似合ってなくもないんだけどね。私にとってのキミはスカート姿なんだよ。だからちょっと違和感があったのさ。」

 

うーむ、自分で言ってて意味不明だ。謎のレッテルを貼られて困ったように自分の姿を見下ろすアリスに微笑んでから、丘の下に広がるゴドリックの谷に視線を向けつつ話題を変えた。木々が黄色に染まっているな。もうすぐ落葉か。

 

「フランの調子はどうだい?」

 

「落ち込んではいますけど、昔ほど塞ぎ込んではいません。あの子も大人になったみたいですね。……夜になったらお参りに来るって言ってました。」

 

「いやぁ、微妙な気分になるね。こういう場合、あの子が悲しみを受け流せるようになったことを喜ぶべきなのかな?」

 

「んー、何となく分かります。小器用なフランっていうのは確かに微妙ですしね。……ホグワーツの雰囲気はどうなってます?」

 

苦笑いで放たれたアリスの質問に、肩を竦めて返事を送る。当然ながら『良い雰囲気』とは言えない状態なのだ。

 

「まるでお通夜さ。さすがに今現在のこの場所に比べればいくらかマシだが、特にスリザリンが酷いね。ダンブルドアに加えて死喰い人に参加していた親戚の死、そして追い打ちとして嘗ての寮監の訃報。大広間での食事時なんかは地獄の空気だよ。」

 

「だけど、明日から授業が再開されるんですよね。……教員たちは大丈夫なんでしょうか?」

 

「そっちこそ大丈夫なのかい? 変身術を受け持つことになったんだろう?」

 

アリスだって色々と考える時間が必要だろうに。若干心配になって問いかけてみれば、アリスは明るい表情でしっかりと答えてきた。

 

「今は何かに没頭してたい気分なんです。紅魔館に居ても無心で人形を作るだけですし、一人でそうしてるよりも生徒と触れ合ってた方が良いでしょうから。きっと渡りに船の提案だったんですよ。」

 

「なら良いんだけどね。」

 

うん、本心からの言葉……みたいだな。顔を近付けてジッと見つめて判断してから、微かに頬が赤くなってきたアリスから身を離す。どうやら身体が冷えてきたらしい。

 

「ほら、ほっぺが赤いぞ、アリス。冷える前に戻りたまえ。」

 

「へ? ……そうですね、寒いですもんね。風邪を引く前に帰っておきましょうか。」

 

いやいや、魔女は風邪なんか引かないはずだぞ。それでも心配な私としては文句などないが。何やら慌てて手を振り始めたアリスは、杖を抜きながら思い出したように報告を飛ばしてきた。

 

「えっと、明日の朝にホグワーツに向かいますので、咲夜にもそう伝えておいてくれますか? 部屋は昔使ってたとこになるみたいです。」

 

「了解だ。午前中は色々と準備があるだろうから、昼休みにでも咲夜を連れて遊びに行くよ。」

 

「はい、待ってますね。」

 

にっこり笑ってから杖を振って姿くらまししたアリスを見送って、ハリーとマルフォイの方に視線を移すが……むう、まだ話し込んでいるな。表情はぎこちないながらもギスギスした雰囲気じゃないし、二人のためにも放っておいた方が良さそうだ。

 

暫く待つことになりそうだと小さくため息を吐いたところで、今度はルーピンが近寄ってきた。葬儀だからなのか、さすがにスーツがヨレていないな。あるいはニンファドーラが整えてくれたのかもしれないが……まあ、あっちはルーピン以上に『しっかりしたスーツ』というイメージが似合わない。多分自分でどうにかしたのだろう。

 

「どうも、バートリ女史。ハリーは一緒じゃないんですか?」

 

「彼は今大事な話をしててね。用があるなら少し待っていてくれたまえ。」

 

親指で背中越しにハリーたちの方を指して言ってやると、ルーピンは意外そうな表情で曖昧に頷いてくる。三年次の教師だった彼もハリーとマルフォイの関係は知っているはずだ。

 

「仲直り、ということですか?」

 

「そこまで分かり易い会話ではないと思うよ。ハリーもマルフォイも色々と経験したからね。ここらで区切りを付けようってことなんだろうさ。」

 

「子供の成長は早いですね。二人とも私が教師をしていた頃とは大違いだ。……それでですね、実はちょっとした報告がありまして。フランドールから聞いているでしょうし、こんな時に話すべきではないのかもしれませんが、ヌルメンガードの戦いから無事に戻った後で話がとんとん拍子に──」

 

「ニンファドーラと結婚したってことかい?」

 

いい歳のおっさんがモジモジするなよな。不気味だぞ。先手を取って話を進めてみれば、ルーピンはどこか気まずげな顔で首肯してきた。

 

「厳密に言えば、『結婚する』ですね。まだ籍は入れていないんです。バートリ女史にもお世話になったわけですし、きちんと報告しておかなければと思いまして。」

 

「おめでとうと言っておくよ。式はいつになるんだい? 私はともかく、フランは呼んであげて欲しいんだが。」

 

「もちろん呼ぶつもりですが、今のところは予定していないんです。トンクスが妊娠していますから。」

 

「あー、なるほど。……それよりキミ、結婚するなら呼び方を変えたまえよ。」

 

いくらニンファドーラ本人が自分の名前を嫌っているとしても、夫になる人間が旧姓呼びっていうのは微妙な気がするぞ。呆れた気分で指摘してやると、ルーピンは情けない苦笑で言い訳を寄越してくる。

 

「いや、そうですね。頭では分かっているんですが、呼び方を変えるというのは存外恥ずかしいものでして。」

 

「仮に愛称で呼ぶなら、頼むから『ドーラ』にしてくれ。他には胸焼けしそうな呼び方しか思い浮かばないからね。私から言えるのはそれだけだ。」

 

私の理不尽な台詞にルーピンが苦笑を強めたところで、ようやくマルフォイと話し終えたらしいハリーが戻ってきた。晴れやかとは言えないが、少なくとも沈んだ表情ではないな。意義のある会話が出来たようだ。

 

「終わったよ、リーゼ。それとこんにちは、ルーピン先生。」

 

「やあ、ハリー。君にもしっかり伝えておかないとね。トンクスとのことなんだが──」

 

ハリーに報告し始めたルーピンの声を背に、少し遠くの木陰に並んでいるポッター夫妻の墓を眺める。世代は次に向かうわけだ。そして、いつかはハリーたちの子供の世代へと繋がっていくのだろう。

 

……実に面倒くさいが、紫の仕事は受けるべきだな。手段がない頃は諦められていたことでも、見届けるチャンスが出来てしまった今はもう無理だ。こっちのゴタゴタが収束し始めた以上、折を見て本人か藍あたりが顔を出すだろうし、その時にでも話を進めてみるか。

 

ゴドリックの谷に漂う秋の匂いを感じながら、アンネリーゼ・バートリは腕を組んで息を吐くのだった。

 

 

─────

 

 

「どうなっちゃうんだろうな、色々と。」

 

四階の廊下の窓際に寄りかかりながら校庭を見下ろしつつ、霧雨魔理沙はポツリと呟いていた。今日もダンブルドアの墓には各国から魔法使いたちが訪れまくっているようだ。葬儀が終わって三日が経つというのに、墓参者は途絶える気配を見せていない。

 

授業が始まった月曜日。午前中最後のマグル学を終えた私と咲夜は、寮に戻るために廊下を歩いているのだ。何でも明後日から変身術を受け持つアリスがホグワーツに到着しているようで、談話室でリーゼと落ち合ってから教員塔に会いに行くことになっている。

 

現在のホグワーツは……まあ、ちょっとばかし落ち込み気味の雰囲気だ。教員たちはどこか元気がないし、生徒たちも上の空。唯一騒いでいるのはピーブズくらいのもんだが、あのポルターガイストでさえもが悪戯にキレをなくしている気がするぞ。みんな構ってくれないから張り合いがないのだろう。

 

湖のほとりで真っ白な墓に花を供えている民族衣装の爺さんを眺めていると、咲夜が肩を竦めて応じてきた。どこの国の魔法使いなんだろうか? ワールドカップで同じような服を見かけた気がするな。

 

「どうにもならないでしょ。マクゴナガル先生が校長になって、アリスが変身術の先生になって、それで終わり。暫くすれば活気も戻ってくるわよ。」

 

「ドライな意見だな。」

 

「あのね、私はダンブルドア先生のことを尊敬してるわ。スネイプ先生のこともね。……だけど、いつまでもそれに引き摺られてたって仕方がないでしょう? きっちり見送って、次に進む。それが私たちのやるべきことなのよ。」

 

「いやまあ、そうかもしれないけどよ。……そんな簡単に割り切れるようなもんじゃないだろ。」

 

言っていることは大いに正しいが、分かっていてなお上手く出来ないのが人間というものだろう。窓から離れて咲夜の背に続きながら、姿勢の良い後ろ姿へと質問を飛ばす。

 

「そういえば、ダンブルドアから贈られた記憶はどうすんだよ。リーゼにすらまだ言ってないんだろ?」

 

私が知る限りでは憂いの篩の使用許可も得ていないはずだぞ。それを聞いてピタリと立ち止まった咲夜は、振り向かないままで返答を返してきた。

 

「今日、リーゼお嬢様とアリスに話してみるわ。マクゴナガル先生にお願いするタイミングを計ってもらうつもりよ。」

 

「リーゼやアリスとも一緒に見るのか?」

 

「……それはまだ決めてないわ。」

 

ふむ? 何かを悩んでいる時の声色だな。私としては二人も一緒に見たほうが上手く進むような気がするのだが、軽々な助言はトラブルの元。その辺は咲夜当人に決めさせるべきだろう。

 

すれ違う数名の生徒たちを横目に、咲夜に追い付いて話題を変える。

 

「こうもゴタついてるってことは、クィディッチリーグは延期かな。この雰囲気でやっても盛り上がらないだろうしさ。」

 

「何も聞かされてないの?」

 

「ん、聞いてない。……中止にはならないといいんだけどな。ケイティは来年で卒業だから、これが最後のリーグなんだ。あれだけ頑張ったのに中止になったら悲しすぎるぜ。」

 

二年生の時も中止になったが、あの時は三大魔法学校対抗試合というそれなりに盛り上がるイベントがあったし、グリフィンドールチームからの卒業者も居なかった。……今にして思うと、あの年卒業した代表選手は色々と無念だったのかもな。ハッフルパフなんかはディゴリーの件もあったわけだし。

 

大雨の中で私に声をかけてくれたディゴリーのことを思い出していると、前方から『ペット』を散歩させているルーナが歩いてくるのが目に入ってきた。握ったリードの先には首輪が付いており、首輪には何も付いていない。つまり、首輪そのものを散歩させているようだ。

 

「よう、ルーナ。リードで繋がなくても首輪は逃げないと思うぜ。付いても来ないだろうけどな。」

 

『いつも通り』のルーナに挨拶を放ってみると、彼女は大きな銀灰色の瞳を瞬かせながら頷いてくる。

 

「分かってるよ、そんなこと。プリンピーを捕まえようとしてるだけだもん。」

 

「プリンピーが居るのは湖よ、ルーナ。水棲の生き物なんだから、城には棲んでないと思うけど。」

 

「陸棲のも居るんだよ。パパの調査によれば、こうやって空の首輪を引き摺ってるといつの間にか嵌ってるんだって。それを調べてるの。」

 

「あー……そう、なるほどね。」

 

便利な言葉で受け流した咲夜に対して、ルーナは尚も謎生物の説明を続けた。ちょっと安心するな。こんな時でもルーナはルーナのままだったわけか。

 

「ガルピング・プリンピーは幸せを運んできてくれるんだよ。それって、今のホグワーツには必要なものでしょ? だから捕まえるんだ。」

 

「幸せ? ……捕まるといいわね。」

 

「うん、捕まえたら二人にも見せてあげる。きっと元気が出るよ。人を丸呑みに出来るくらい大きいらしいから、もしかしたらこの首輪じゃ小さすぎるかもしれないけど。」

 

おいおい、想像以上に危険な生き物じゃないか。あっけらかんとした表情でそう言うと、ルーナはカラカラと首輪を引き摺りながら去って行く。それを見送った後で、再び談話室へと歩を進めながら口を開いた。

 

「ま、ガルなんちゃらプリンピー無しでもちょびっとだけ元気出たぜ。」

 

「そうね、ルーナを見てると落ち着くわ。……あの子、フクロウ試験の年なのに大丈夫なのかしら?」

 

「大丈夫だろ。ジニーによればとびっきり良くはないけど、別段悪いとも言えない成績らしいから。テストの順位でいうと自分より上だって言ってたしな。」

 

「あら、そうなの。だったら問題なさそうね。」

 

拍子抜けしたように納得した咲夜は、そのままひょいひょいと危険な段を避けながら中央階段を下りていく。私もそれに続こうとしたところで……うーむ、また墓掃除をするつもりか。校庭の方で『お墓掃除セット』を手にしたハグリッドが歩いているのが視界に映った。こんなペースでピカピカにしてたらそのうち削れてペラペラになっちまうぞ。

 

まあうん、咲夜の言う通り暫くすれば落ち着くだろう。ハグリッドも、ホグワーツもだ。今のこの場所に必要なのは心の整理をする時間なのだから。……ガルなんちゃらが居ればなお良いのかもしれないが。

 

「早く来てよ、魔理沙! リーゼお嬢様はもう到着してるかもしれないのよ?」

 

「へいへい、今行きますよっと。」

 

動く階段の先から呼びかけてくる咲夜に向かって、霧雨魔理沙は足を踏み出すのだった。

 



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小さな社会

 

 

「あー……やっぱりダメかも。違和感がありすぎてどうにもならないよ。」

 

恨めしそうに手の中の杖を睨みつけるハリーへと、アンネリーゼ・バートリは然もありなんという頷きを返していた。これも合わなかったか。オリバンダーはもう店を再開しているだろうし、週末にでも連れて行くべきだな。

 

ダンブルドアの葬儀から一週間が経った今、ホグワーツはぎこちないながらもゆっくりと日常に戻り始めている。マクゴナガルの毅然とした態度が功を奏したのか、はたまた一致団結して彼女を支えようとする教員たちに心打たれたのか、生徒たちも表面上はいつもの雰囲気を取り戻しつつあるようだ。

 

そして我らがハリーにも同様のことが言えるようで、時折思い悩む姿を覗かせるものの、基本的には平時通りの様子を見せてくれるようになったのだが……うーむ、ここに来てかなり現実的な問題が浮上してしまったな。言わずもがな、ハリーの杖問題である。

 

ヌルメンガードでリドルに折られてしまった長年の相棒は当然使い物にならず、落ち込むハリーに当面の予備として紅魔館に転がっていた第一次戦争の頃の『戦利品』をいくつか渡してみたのだが、やはり杖との相性問題は深刻らしい。呪文が使い難くて仕方ないようだ。

 

他の生徒に無言呪文の指導をしているフリットウィックを横目にしながら、弱り切った表情で杖を机に置いたハリーへと提案を放った。

 

「明日か明後日に杖を買いにダイアゴン横丁まで行こうか。事情が事情だし、マクゴナガルも許可してくれるだろうさ。」

 

「そうすべきよ、ハリー。合わない杖は事故の元だわ。」

 

見事な無言呪文でボロボロのスニーカーにタップダンスをさせているハーマイオニーに続いて、腕に絡み付くベルトを解こうと四苦八苦しているロンも同意してくる。何の呪文が失敗したんだ? 巻き付け呪文か?

 

「二年生の時の僕みたいになる前に買ってきちゃえよ。……ダメだ、全然解けない。切るしかなさそうだな。ディフィンド(裂けよ)!」

 

「腕を切らないようにね。……土曜日は昼間に練習があるから、日曜日でもいいかな?」

 

「いつでも構わないよ。今の私は超ヒマだからね。……エバブリオ(泡よ)。」

 

こうも寒いと釣りをする気にもならんのだ。迷い込んできたらしいロングボトムのカエルを泡に閉じ込めて遊ぶ私に、ハーマイオニーが呆れ顔で疑問を寄越してきた。

 

「スカーレットさんを手伝わなくてもいいの? 新聞で見たけど、随分と忙しいみたいじゃない。」

 

「ダンブルドアの『国葬』の話かい? あれは私には手伝えないジャンルの仕事だよ。仲良しのボーンズやスクリムジョールが手助けしてくれるだろうさ。」

 

予言者新聞の記事によれば、ダンブルドアの『お偉いさん向け』の葬儀はかなり盛大なものになるらしい。無論マグル側のそれほど大規模にはならないはずだが、魔法界側の国葬と言って差し支えないレベルのものにはなるだろう。

 

当日はホグワーツも休みになるのかと考えていると、フリットウィックがキーキー声で授業の終了を宣言した。

 

「時間です! 宿題は出しませんが、次の授業で無言呪文のテストをしますからね。よく練習しておくように!」

 

「それって、要するに宿題ってことじゃないか?」

 

おっしゃる通り。小声で突っ込んだロンが疲れたように教科書をカバンに仕舞うのと同時に、私も羊皮紙なんかを片付けて席を立つ。お次は昼食だ。早く行かなければ肉がなくなってしまうぞ。

 

「急ごうじゃないか、諸君。今日の私はサクサクのキドニーパイを食べるって決めてるんだ。」

 

「無かったらどうするのよ。」

 

「厨房に行くさ。しもべ妖精たちもきっと喜ぶよ。」

 

あいつらなら自分たちを『具』にしてでもパイを焼き始めるに違いないぞ。ジト目で睨んできたミス・スピューに肩を竦めてから、教室を出て肌寒い廊下を歩き出す。昼休みの開始を祝う生徒たちの喧騒を尻目に進んで行くと、歩調を合わせてきた三人の中からロンが話題を繰り出した。

 

「そういえばさ、クィディッチのシーズン初戦は十二月に入ってからになるんだってよ。スリザリン対ハッフルパフだ。……つまり、僕たちの初戦は冬休み直前ってわけさ。」

 

「クソ寒い中ご苦労なことだね。レイブンクローには勝てそうなのかい?」

 

「キャプテンになったチョウ・チャンのやつ、練習を完全非公開にしてるんだよ。何か秘策があるに違いないぜ。クリービー兄弟が探りに行ってくれてるから、その情報に期待だな。」

 

パパラッチ兄弟はとうとうスパイの真似事までし始めたのか。五年生になったというのに落ち着きを見せないクリービー兄に呆れながら、何の気なしに窓の外へと目をやってみると……わお、珍しい人物が歩いているな。

 

「ダンブルドアの墓参りに来たのかね?」

 

マホウトコロの校長どのだ。独特な黒い『着物ローブ』を着た数名の護衛を引き連れて、静々と校庭を横切っている。確か日本魔法界だと服の色が役職や立場を表すはずだが……黒はこっちで言う闇祓いだったか? アリスに教えてもらった風習を思い出しながら呟いてみれば、私の視線を辿った三人が反応してきた。隣にはマクゴナガルも居るな。新校長として案内しているらしい。

 

「あれって……マホウトコロの校長よね? 新聞で写真を見たことがあるわ。」

 

「本当だ、四人も護衛が付いてるぜ。僕もあんな風に歩いてみたいもんだよ。」

 

「息苦しいだけだと思うよ。少なくとも僕はそうだったしね。」

 

苦笑しながらハリーが『経験談』を語っている間にも、お客様一行はゆったりとした速度でダンブルドアの墓がある方へと消えて行く。それを見送った後、再び大広間に向かいながら口を開いた。

 

「東の果てから墓参りか。『国葬』の方に出席すればそれで済むのに、わざわざホグワーツまで来るってことは……ふむ、私が知ってる以上に親しかったのかもね。」

 

「この前はワガドゥの校長も来てたみたいよ? 物凄いお爺ちゃんだったってラベンダーが教えてくれたわ。……マクゴナガル先生も大変ね。まさかお迎えしないわけにはいかないでしょうし。」

 

「いっそのこと『入場料』を取ればいいんだよ。一人十ガリオンでも喜んで墓参りに来るだろうさ。」

 

「そんなことを考えるのは貴女だけよ、リーゼ。悪魔の発想ね。」

 

吸血鬼なんだから仕方ないじゃないか。やれやれと首を振るハーマイオニーに皮肉げな笑みを返しつつ、大広間に続く角を曲がったところで……これはこれは、気まずい瞬間だな。スリザリンの集団とばったり出くわしてしまった。先頭に立っているのは我らが青白ちゃんだ。

 

「おや、マルフォイ。今日もカチカチのスリックバックだね。髪を傷めると将来後悔するよ?」

 

「『出会い頭』の心配をどうも、バートリ。僕は安物の整髪料を使ったりはしていないから、無用な心配だとだけ言っておこう。」

 

むう、つまらんな。もう昔みたいにキャンキャン吠えかかったりはしてくれないのか。『当主バージョン』のマルフォイに軽くあしらわれて退屈な気分になっていると、私の後ろのハリーがおずおずと声を放つ。

 

「……やあ、マルフォイ。」

 

「……どうも、ポッター。」

 

うーん、ぎこちないにも程があるぞ。中途半端に手を上げて挨拶したハリーに、これまた中途半端に頭を下げて応じたマルフォイは、そのままお互いに何とも言えない雰囲気で見つめ合うと……ほぼ同時にそれぞれの進む先へと向き直った。

 

「えっと……それじゃ、また。」

 

「ああ、また会おう。」

 

そりゃあ同級生なんだから嫌でも会うだろ。謎のやり取りにハーマイオニーとロン、スリザリンの生徒たちが唖然とする中、二人は別々の方向にさっさと歩き出してしまう。中々面白い光景じゃないか。四年生の頃のチョウ・チャンとの会話を思い出すぞ。

 

「おいおい、ハリー? マルフォイと何があったんだ?」

 

まあ、奇異には映るだろうな。我に返ってハリーに追いついたロンの質問に、ハーマイオニーもクエスチョンマークを浮かべながら続いてきた。

 

「そうよ、貴方たちったらまるで……『初デート』みたいな雰囲気だったわ。」

 

「気持ち悪い比喩表現はやめてよ、ハーマイオニー。この前のスネイプ先生の葬儀の時に少し話をしたんだ。……何て言うか、いつまでも子供のままじゃないってことだよ。僕も、マルフォイもね。」

 

いつもより大人びた表情でそう言ったハリーは、玄関ホールに足を踏み入れながら続きを語る。

 

「それにさ、マルフォイは闇祓いを目指すことにしたんだって。だからまあ、いつまでも険悪なままだと困るでしょ?」

 

「……嘘だろ? ってことは、順調に行けば僕たちとマルフォイが同僚になるってことか?」

 

それは私も初耳だな。ピタリと足を止めて驚愕を露わにするロンへと、ミス・勉強が現実的な指摘を飛ばした。

 

「あるいは、マルフォイだけが闇祓いになるって可能性もあるわね。成績に差があることを忘れてるわよ。」

 

「『順調に行けば』って言ったろ? 不吉な未来予想はやめてくれよ。」

 

「予想を現実にしたくないなら勉強を頑張りなさい、ロン。闇祓いの門は狭いのよ? 一学年に三人も候補が居たら、どんな基準で振るい落とされるかは貴方もよくご存知でしょう?」

 

おおっと、今日のハーマイオニー様は鞭を振るうおつもりらしい。打ちのめされたロンの歩みが途端に遅くなったのに苦笑しながら、たどり着いた大広間の扉を抜ける。……よしよし、キドニーパイは健在だな。しもべ妖精は腎臓を失わずに済みそうだ。

 

しかし、マルフォイが闇祓いね。彼本人の望みというよりは、政治的な理由で選んだ進路なのだろう。闇祓いが家柄によって採用されない職業というのは有名な話だ。実力主義のあの局にはコネが利かないのである。

 

そこに長年悪い噂が絶えなかったマルフォイ家の当主が入ることになれば、家のイメージはガラリと変わるだろう。……無論、通常の入局よりも遥かに困難な道になるはずだが。希望したのに門前払いされた日には良くない噂も立つだろうし、青白ちゃんはハイリスク・ハイリターンの道を選んだらしい。

 

まあ、同窓の好で応援くらいはしてやるさ。ハリー、ロン、マルフォイが並んで入局するところも見てみたいし。生き残った男の子と、血を裏切ったウィーズリー家と、マルフォイ家の当主が同期ね。もし叶えば派手な世代になりそうじゃないか。

 

そんな日が来ることを想像しながら、アンネリーゼ・バートリは席に着いてキドニーパイへと手を伸ばすのだった。

 

 

─────

 

 

「いいかしら? 変えた後の色を強くイメージするの。上から塗るのではなくて、表面そのものが変化する感じでね。それと、発音には細心の注意を払って頂戴。間違えると自分の色が変わっちゃうから。……コロバリア(変色)。こうよ。」

 

変色呪文の説明をしながら生徒たちを見渡すアリス・マーガトロイドは、奥の席でコソコソ話しているグリフィンドール生に内心で苦笑していた。授業風景ってのはいつの世も変わらないな。この呪文は期末試験に出すから聞いておいた方がいいと思うぞ。

 

十一月も半分を過ぎた今日、午後一番の変身術の授業を行なっているのだ。相手はレイブンクローとグリフィンドールの四年生なのだが……うーむ、この組み合わせが一番対照的だな。真面目にメモを取っているレイブンクロー生に対して、グリフィンドール生はお喋りしている子が目立っている。本人たちはバレていないと思っているようだが、ここから見てると一目瞭然だぞ。

 

マクゴナガルが校長の業務に慣れ始め、私が教師のカンを取り戻した頃、ダンブルドア先生の対外的な葬儀が行われると共にホグワーツもようやく落ち着いてきたらしい。私の知るホグワーツの雰囲気が戻りつつあるのだが、同時にお喋りや悪戯まで戻ってくるのはいただけないな。

 

微笑ましい変化に心の中では首を振りつつ、杖を取り出して生徒たちに指示を放つ。こういうのは口で注意しても無駄なのだ。教師のやるべきことは授業内容に興味を持たせること。そうすればお喋りなど勝手に収まるはずなのだから。

 

「それじゃ、実際にやってみましょうか。今からレイブンクローに青い小物を、グリフィンドールに赤い小物をそれぞれ五個ずつ渡すわ。寮ごとに相談して、それをより芸術的な色に変えて頂戴。一番出来が良い小物には十五点、二番目には十点、三番目には五点よ。もちろん一位から三位までを独占すれば三十点ね。分かり易いでしょ?」

 

言いながら杖を振って、赤と青のティーポット、小箱、手鏡などをテーブルに出現させた。すると生徒たちは……うーん、可愛いヤツらめ。途端に大慌てで集まって寮ごとに相談し始める。競争と報酬。教師ってのは悪知恵を働かせないとな。

 

悪どい笑みを心に秘めつつ見守っていると、レイブンクローは五チームに分かれてそれぞれの小物を担当し、グリフィンドールはわいわい騒ぎながら全員で意見を交わし始めた。こんなところにも寮の特色が出るわけか。

 

しかし……ふむ? グリフィンドールでリーダーシップを発揮しているのはどうやら魔理沙のようだ。勝気な笑みで机に腰掛けている魔女見習いが全員の意見を纏めて、それを隣の咲夜が羊皮紙にメモしている。

 

ああいうのも一つの才能だな。人付き合いが上手い魔理沙に感心していると、件のリーダーどのが私に向けて質問を飛ばしてきた。

 

「よう、アリス! 形は変えてもいいのか?」

 

「授業中は『マーガトロイド先生』よ、魔理沙。だけどまあ、良い質問ね。本来の用途を損なわないのであれば変えても構わないわ。形も、大きさもね。」

 

「おっしゃ、だったら巨大ポットにしようぜ。人が入れるくらいのやつ。」

 

なんだそりゃ。謎の提案にグリフィンドール生が盛り上がる中、レイブンクローの生徒たちは若干悔しげな顔付きだ。『単純おバカ』な獅子寮に発想力で負けたのが気に入らないのだろう。

 

もっと争うのだ、生徒たちよ。それが向上に繋がるのだから。悪役の気分でうむうむ頷きながら、二寮の戦いを暫く観戦していると……むう、やっぱり気になるな。ふとした瞬間に思い悩むような顔になる咲夜の姿が視界に映る。

 

ダンブルドア先生から誕生日プレゼントとして贈られてきたという記憶の話を少し前にしてくれたのだが、咲夜はそれを見る際にリーゼ様にも私にも同席を頼んでこなかったのだ。

 

これまでの咲夜であれば、絶対に『一緒に見よう』と言ってきたはず。無論、こちらから一緒に見ようと提案したのを断られたわけではないのだが……成長したということなのだろうか? ちょっとだけ寂しい気持ちになるな。

 

何にせよ、リーゼ様と私の意見は咲夜の好きなタイミングで好きなように見るべきだというものに一致した。やっぱり一緒に見て欲しいと頼まれればそうするし、一人で見るようなら黙って見守る。ダンブルドア先生が何を思って咲夜に贈ったのかは分からないが、あの人が無駄なことをするはずがない。きっと咲夜にとって意味のある記憶なのだろう。

 

マクゴナガルも憂いの篩の使用を快諾してくれたし、後は咲夜本人の選択次第だ。窓の外の湖を横目に考えていると、やおら近付いてきた一人のレイブンクロー生が話しかけてきた。

 

「マーガトロイド先生、これの『本来の用途』というのは具体的に何を指すのでしょうか?」

 

ぴっちり整えられた制服に、真っ直ぐな栗色のロングヘア。確か……ベーコンだったかな? 何とか頭に叩き込んだ名前を引っ張り出しながら、差し出してきた物の『用途』を答える。

 

「あー……木靴だから、当然履くんじゃないかしら?」

 

「つまり置物としての木靴ではなく、実用品としての木靴ということですね?」

 

「えっと、その辺の解釈はあなたたちに任せるわ。」

 

「ですが、実用品としての芸術性と展示品としての芸術性は異なります。そこを指定していただかないことには先に進めません。」

 

なんとまあ、小さなパチュリーみたいな台詞じゃないか。こちらを見据えてくる明るいグリーンの瞳にたじろぎつつ、脳内で整えた返答を口にした。この場合融通が利かないと捉えるのではなく、熱心に取り組んでいると評価すべきだろう。

 

「そうね、貴女の言う通りだわ。審査する以上、ルールは明確にしないとね。……それじゃ、実際に履くための木靴だと断定しましょう。靴としての芸術性を求めて頂戴。」

 

「分かりました。……あの、真面目に答えてくださってありがとうございます。」

 

後半の台詞をちょっと恥ずかしそうに言ったベーコンは、スタスタと自分のグループへと戻って行く。ううむ、理屈屋だという自覚はあるわけか。そうなるとパチュリーよりも大分マシだな。

 

ホグワーツが生んだ『理屈屋代表』のことを思う私を他所に、去り行くベーコンへとグリフィンドールの輪の中から皮肉げな声が投げかけられる。

 

「あぁぁら、『カピカピベーコン』が質問を終えたみたいよ。相変わらずカッチカチで食べられたもんじゃないわね。」

 

先程お喋りしていた子だな。ロミルダ・ベインだったか? 典型的な『クイーン・ビー』っぽい雰囲気に苦笑しつつ、止めようと口を開きかけたところで……私やベーコンよりも素早く咲夜がベインに噛み付いた。

 

「私は妥当な質問だと思ったけど? 意義を理解できないからって文句を言うのはどうなのかしら。しかも、とびっきり頭の悪そうなやつを。」

 

「……何よ、ヴェイユ。レイブンクローからの点数稼ぎのつもり? 自寮より他寮が大事なの?」

 

「『身内の恥』を外に晒す前に処理したいだけよ。」

 

引きつった笑顔で睨み付けるベインと、お澄まし顔で肩を竦める咲夜。二人の間の見えない火花が大きくなったところで、するりと魔理沙が入り込む。かなり迷惑そうな表情でだ。

 

「あのな、喧嘩は今朝やったばっかりだろ。今日はもうやめとけって。……悪かったな、ベーコン。ロミルダのことは無視してくれ。ついでに言えば咲夜のこともな。」

 

「……私は別に気にしてないわ。」

 

僅かな呆れを覗かせながら答えたベーコンが席に着き、咲夜とベインも鼻を鳴らしてお互いに視線を逸らした。……うーん? 周囲の生徒たちがやれやれという表情を浮かべているのを見るに、これは今年の四年生的には『恒例行事』のようだ。

 

となると、結果的には変に介入しなくて良かったのかもしれないな。生徒には生徒の世界があるということなのだろう。……まあ、そりゃそうか。私の学生時代がそうだったように、四年生ともなればそれなりに安定した『パワーバランス』が築けているはずだし。

 

いやはや、教師ってのは改めて厄介な仕事だな。益体も無い考えに沈み込む暇すらないと喜ぶべきか、子供の扱いで苦労することを悲しむべきか。今の私にとっては何とも微妙なところだぞ。

 

二メートル近い色取り取りのティーポットと、精緻な模様が出来つつある『原寸大』のティーポット。やっぱり私の感性はレイブンクローに傾きそうだなと思いながら、アリス・マーガトロイドは教卓に頬杖を突くのだった。

 



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痛敗

 

 

「ドローレス・アンブリッジ? ……そういえば居たわね、そんなヤツも。」

 

対外的なダンブルドアの葬儀という大仕事を終えて以来、燃え尽きたような虚無感が漂うイギリス魔法省。どこか仕事に身が入らない職員たちを他所に、レミリア・スカーレットは大臣室でボーンズとの打ち合わせを進めていた。

 

大規模な葬儀の所為で国庫が更に心許無くなったという報告と、葬儀に参列してくれた各国代表への『お礼』の検討という頭が痛くなるような話が一段落して、今は新部署についての話し合いを行なっているのだが……ボーンズの報告によれば、新たに設立される魔法金融管理部の部長に我らがカエル女が名乗りを上げてきたらしい。めげないヤツだな。根性だけは認めてやっても良さそうだ。

 

「どっかの木っ端部署に飛ばしたはずだけど、今はどうなってるの?」

 

履歴書に添付された写真の中からニタリと微笑みかけてくるアンブリッジ。些かやつれた気がする顔を横目に聞いてみると、ボーンズは腑に落ちないという声色で返答を返してきた。

 

「私も全部署の細かい動きまでを把握しているわけではありませんが、その書類を見る限りでは屋敷しもべ妖精転勤室所属のままのようです。……どうやって候補に入り込んだんでしょうか?」

 

「また『お願い』して回ったんでしょ。未だに聞いてくれるヤツが残ってたのはちょっと予想外だったけど。……何にせよ、こいつを部長に据えるくらいなら脳が腐ったグールお化けを任命した方がマシよ。あるいはレタス食い虫をね。他の候補は?」

 

「自薦では目ぼしい候補が居ませんね。他薦でしたらスカイラー・アボットと、グリム・フォーリーが複数の推薦を得ています。」

 

「あらまあ、我らが議長どのの姪孫は人気があるみたいね。」

 

グリム・フォーリー。確か……議長閣下から見ると妹の孫だったか? 魔法界の複雑な家系図を記憶から掘り起こしている私に、ボーンズは呆れたような表情で追加の情報を寄越してくる。

 

「グリム・フォーリーはまだ入省して数年な上に神秘部所属です。『金庫番には向いていない』という人物評がフォーリー議長から直接送られてきましたし、大方取り巻き議員たちが勝手に推薦したのでしょう。」

 

「まあうん、神秘と金融ってのは相性が悪いわ。無意味にウィゼンガモットの縁者を当てるのは宜しくないし、フォーリーも反対なら候補から外して良さそうね。……アボットはどうなの? マグルの職員として首相官邸に忍び込ませてる魔女だったかしら?」

 

「そうですね、一応の所属としてはマグル連絡室だったはずです。能力的には申し分ない上に、最低限の金融の知識もあるのですが……彼女を動かすと今度は官邸側に入り込める人材を探す必要が出てきます。お手上げですよ。」

 

あっちを埋めればこっちが空くわけか。二進も三進も行かない状況にため息を吐きつつ、アンブリッジの書類を机に放り投げて提案を飛ばす。

 

「もう大臣室の担当をそのまま部長にしちゃっていいんじゃないの? それが一番無難でしょ。」

 

「私としては文句なしの提案ですが、フォーリー議長は気に入らないようですね。頭だけは魔法大臣室以外からと要求されています。」

 

「頗る面倒くさいわね。……いっそのことグリンゴッツから誰か引き抜けないかしら?」

 

「少々危険では? 引き抜いた人物がグリンゴッツの『紐付き』になっている可能性もありますよ? それなら紐の先が大臣室に繋がっていた方がまだマシなはずです。」

 

ボーンズの言う通りグリンゴッツのネズミを招くというリスクはあるが、あの銀行で培われた知識は是非とも欲しい。何か方法はないかと思考を回した後で……ダメだ、思い付かんな。肩を竦めて口を開く。

 

「良さそうな人物が思い浮かばないし、一旦置いときましょうか。とりあえずはアボットを部長に据えると仮定して、マグル側に潜入できそうなヤツも同時に探してみましょ。」

 

「それが落とし所ですね。……では、アズカバンの管理部署に関してはどうしますか? ウィゼンガモットから引き離した後、執行部の傘下として『仮置き』しているわけですが。」

 

「看守はともかく、監獄長は出来れば闇祓いから引き上げたいわね。闇の魔法使いを閉じ込める監獄として機能させる以上、ラデュッセルみたいな内通者が出る可能性は常に付き纏うわ。せめてトップは信頼できる人物を置けるような仕組みを作らないとでしょ?」

 

囚人と看守が癒着するのは世の常だ。吸魂鬼が居なくなった今、看守の数は否が応でも増えるだろう。つまり、癒着の危険性も増すということになる。ボーンズもそのことは重々承知しているようで、首肯しながら返事を送ってきた。

 

「監獄長は基本的に事務職ですし、闇祓い局を引退した後の職場としては適しているかもしれませんね。……ですが、最初の一人はどうしますか? 今の闇祓い局は働き盛りばかりですよ?」

 

むう、確かにそうだな。ロバーズは局長になったばかりだし、副局長のシャックルボルトも監獄長に当てるには惜しい人材だ。そして他の闇祓いはどいつもこいつも中堅どころ。となれば最初は他から持ってくるしかないだろう。

 

「……引退したヤツを復帰させましょう。ムーディはもう動かないでしょうし、アルフレッド・オグデンあたりはどう?」

 

「オグデンさんですか。」

 

「心配なのは分かるけど、思想や能力的に問題ないのはあの男くらいよ。」

 

三ヶ月ほど前に老衰で死亡した元魔法警察部隊長のボブ・オグデンの孫であり、ウィゼンガモットの評議員を務めているティベリウス・オグデンの息子。第一次魔法戦争の際には闇祓いの副局長……ムーディの右腕として活躍した男だ。ひょろりとした優男で、どちらかというと絡め手を使う印象が強い。ムーディが執念深い獰猛な猟犬なら、オグデンは用心深い冷徹な蜘蛛ってとこかな。

 

食えない性格のために他部署からは好かれていなかったが、少なくとも局員やムーディは信頼していたし、私も不足を感じたことはない。つまりはまあ、闇祓いとしての『汚れ役』を一手に引き受けていたわけだ。あの頃はお綺麗事だけでは全てが解決しなかったのだから。

 

そして第一次戦争が終わったと同時に闇祓いにのみ許される早期引退制度を使い、今はコーンウォールで細々と年金生活を送っているはず。いつも嘘くさい笑みを浮かべていたオグデンのことを思い出しつつ、ボーンズに向かって言葉を放つ。

 

「あんまり付き合いがなかった貴女からは胡散臭いヤツに見えたかもしれないけど、あれはあれで一本筋の通った闇祓いだったのよ。打診だけはしてみましょ。断られたらまた別の人物を探せばいいわ。」

 

「まあ、スカーレット女史がそうおっしゃるなら。……そういえば、意識革命の方はどうなっているんですか?」

 

「今は動きようがないわよ。『ダンブルドアショック』が落ち着くまでは騒ぎ立てるわけにはいかないわ。印象も悪いしね。」

 

最低でも年明けまでは停滞するだろうな。……だが、そこからはまた動くつもりだぞ。身体を伸ばしながら翼を広げて、コキリと首を鳴らして話を続ける。

 

「頃合いを見てスキーターに記事を書かせるわ。ダンブルドアが死の直前、マホウトコロで何を言っていたかを思い出させてやらないと。」

 

「……少し気が引けますね。死者の言葉を利用するというのは。」

 

「あのね、『死者』たるダンブルドア本人からの了承は得てるんだから、遠慮する必要なんか一切ないのよ。むしろ骨の髄まで利用してやるのが私たちの役目でしょうが。」

 

ニヤリと笑いながら言った私に、ボーンズは困ったような苦笑で頷いてきた。

 

「そうですね、ダンブルドア校長が遺してくれたものを欠片も無駄にせず利用しましょう。それが政治家たる私たちの弔い方なんですから。」

 

「政治の道理を分かってきたみたいじゃないの、ボーンズ。私たちには私たちなりの責務と矜持があるのよ。……んじゃ、私はフォーリーのところに行ってくるわ。何か伝言はある?」

 

「財務関係の法整備を急いで欲しいと伝えていただけますか? 新しい廊下の内装に拘っている暇があるなら、羽ペンを動かせと。」

 

「言うようになったじゃないの。伝えておくわ。」

 

ひらひらと手を振りながらドアを抜けた後、エレベーターを目指して地下一階の廊下を歩き出す。……そろそろ私の『引き継ぎ』も始めないといけないな。リドルの問題が片付いた以上、幻想郷に旅立つ日は近付いて来ているのだから。

 

向こうでは今ほど忙しくならないといいなと願いつつ、レミリア・スカーレットは引き継ぎの内容を脳内に纏め始めるのだった。

 

 

─────

 

 

「落ち着け、アレシア。ほら、深呼吸。」

 

ぷるぷる震えるユニフォーム姿の後輩へと、霧雨魔理沙は笑顔で声をかけていた。懐かしいな。初試合の時は私も緊張したっけ。『初出場』の時はそんなことを考える暇もなかったが。

 

十二月の中盤、とうとうグリフィンドールの初試合の日がやってきたのだ。先に行われたスリザリン対ハッフルパフは二十点差でハッフルパフの勝利。つまり、今日三十点差以上で勝てばグリフィンドールは一応の首位を名乗れるようになる。

 

ケイティは血走った目でブツブツ呟いており、ハリーやロンはある程度落ち着いている雰囲気で、ジニーとニールは少し緊張しているようだ。そしてアレシアは言わずもがな、極度の緊張状態に陥っているらしい。過呼吸寸前といったご様子じゃないか。

 

「でも、私……上手くできるかどうか。」

 

「私が初めて『乱入』した時は派手に墜落したんだぜ? とてもじゃないが、それより酷いことになるとは思えんな。」

 

「お陰で僕は死なずに済んだんだけどね。……先ずは何にも考えずに飛ぶといいよ、アレシア。歓声が徐々に遠ざかって落ち着いてくるから。」

 

新しい杖をユニフォームの裏に仕舞いながら援護してきたハリーに続いて、苦笑を浮かべるロンも励ましを放つ。

 

「僕の初試合も酷いもんだったよ。いきなりアホみたいにゴールを決められたんだ。……要するに、みんな同じだってことさ。そんなに気負わない方がいいぜ。」

 

「あの……はい、頑張ってみます。」

 

うーむ、あんまり効果はなさそうだな。全然緊張が解れていない顔のアレシアが震えながら頷いたところで、フーチの合図が聞こえてきた。同時にケイティが箒を片手に呼びかけてくる。

 

「行くよ、みんな! ……勝ってダンブルドア先生の墓に勝利報告をするんだからね。レイブンクローの選手を全員亡き者にしてでも!」

 

そうなった場合、さすがにダンブルドアは喜ばないと思うぞ。狂気に支配されているケイティに続いて、私も愛箒たるスターダストを片手にグラウンドへと向かう。逆サイドから近付いてくるレイブンクローチームは……クリービー兄弟の情報通り、ビーターとチェイサーが一人ずつ新人だな。お手並み拝見といこうじゃないか。

 

「どうも、ケイティ。ストレスでちょっと痩せたんじゃない? この上負かしちゃうのが申し訳なくなってくるわね。」

 

「ごきげんよう、チョウ。うちのシーカーの実力を忘れちゃった? 貴女が今シーズン初キャッチを披露するのは今日じゃないわよ。」

 

にっこり笑いながら二人の女性キャプテンが握手を……相手の手を圧し折ろうとするのを握手と呼ぶならだが。握手を交わしたところで、フーチがそれぞれのポジションへと移動するように指示を出してきた。

 

そのままチェイサーとしてのポジションに到着して、一番遠いキーパーの移動を待ちながら観客席へと目をやってみると、寒空の下にはためく大きな紅い横断幕が見えてくる。雪や雨にならなくて本当に良かったな。この寒さでのプレーは地獄だが、観戦するのも地獄だろう。天候が悪ければ尚更だ。

 

晴れ渡る空に感謝しながら手袋がきちんと固定されていることをチェックしていると、フーチの短い笛の音が耳に届く。慌てて箒に跨って次の合図を待って……試合開始の長い笛が響き渡った瞬間、思いっきり地を蹴って空へと飛び上がった。

 

さてさて、兎にも角にもフォーメーションを整えなければ。大歓声の観客席が上から下へと移動するのを尻目に、ボールケースから飛び上がったクアッフルの行方をチェックする。ケイティと相手のチェイサーが競り合った後、弾かれたクアッフルは──

 

「マリサ!」

 

「おうよ!」

 

こっちに来たか。私の方に零れ落ちた赤茶色のボールへと、全速力で飛びながら手を伸ばす。レイブンクローのチェイサーも負けじと向かってくるが……いいぞ、ニール! その背中にブラッジャーがぶち当たった。

 

「ナイスだ、ニール!」

 

そう叫びながらクアッフルをキャッチして、前傾姿勢で相手のゴールに向かう。チェイサーの一人はケイティが妨害しており、もう一人は逆サイドだ。私をマークするヤツがブラッジャーで体勢を崩した今なら単独でゴールを狙えるはず。

 

「マリサ、一人で!」

 

「分かってる!」

 

早くもフォーメーションは滅茶苦茶だが、先制点は喉から手が出るほど欲しい。ケイティの声に従ってスコア・エリアまで一直線に飛んだ後、レイブンクローのキーパーの直前まで接近してから……そら、どうだ! くるりと逆さになって下側から放るようにボールを投げた。密かに練習していたナマケモノ型グリップロールだ。

 

あまり球威のないクアッフルは驚愕の表情を浮かべるキーパーの股下を通過していき、弧を描きながら三つあるうちの一番低いゴールへと吸い込まれていく。おっし、先制点! これはデカいぞ。

 

『──してゴール! グリフィンドールが先制点! 見事なナマケモノ型グリップロールからのフットスルー・シュートを決めました!』

 

今日の日替わり実況はフィネガンか。卒業したジョーダンに代わって実況しているシェーマス・フィネガンの声を聞きながら、大きく手を振って歓声に応える。そのまま守備位置に戻りつつ状況を確認してみると……うーん、アレシアはやっぱり緊張気味っぽいな。上空でオロオロと右往左往しているようだ。

 

ニールは頑張っているのでビーターは実質二対一に。そしてその皺寄せはシーカーに行っているらしい。チョウ・チャンがフリーで悠々とスニッチを探しているのに対して、ハリーは時折飛んでくるブラッジャーを避ける作業を強いられている。

 

キツい状況だなと小さくため息を吐いてから、クアッフルを手にしたレイブンクローのチェイサーの妨害に動こうとしたところで……そのチェイサーがポカンとした表情であらぬ方向を見ているのが視界に映った。思わずその視線を辿ってみれば──

 

『おっと? レイブンクローのシーカーが……急降下しています! スニッチをもう見つけたのか?』

 

うっそだろ? 早すぎるぞ。実況が競技場に響くのと同時に全力で箒を引いて方向転換する。チョウのフェイントかもしれんが、ここは十点を捨ててでもハリーの援護に動くべきだ。ケイティもそう考えたようで、ジニーに指示を出してから私と同じ方向へと飛び始めた。

 

「ジニー、ディフェンスしてて!」

 

すると、レイブンクローのチェイサーもボールを持っているヤツ以外はチョウの方へと向かい出すが……ってことは、フェイントじゃないのかよ。この試合は早くも終盤を迎えたらしい。

 

「マリサ、ブラッジャーを頼める?」

 

「やってみる!」

 

ケイティの声を受けて、トップスピードでチョウを追うハリーの横合いへと進路を変える。今のハリーにはブラッジャーを避けている余裕などないはずだ。である以上、彼に襲いかかるブラッジャーを止めるにはチェイサーが引き付けるか、最悪当たりに行くしかない。

 

早速二個あるうちの一つがハリーに向かうのを……おっし、いいぞ! ニールが見事に割り込んであらぬ方向へと打ち返した。この場合敵のビーターに打ち返すと二度目のチャンスを与えることになるので、ニールの選択は最善手に近い手だ。

 

レイブンクローのビーターが悔しそうな表情で溢れブラッジャーを追いかけて行くのと同時に、もう一人の鷲寮ビーターがハリーを狙って残るブラッジャーを弾く。ニールはもう追いつけないし、ケイティはチェイサー二人の妨害で手一杯。そしてアレシアは上空で真っ青な顔をしており、チョウに迫りつつあるハリーは見てすらいない。

 

前を横切っても逸れるような球威じゃないし、これは私が受ける他なさそうだな。諦めの半笑いを浮かべながらブラッジャーの軌道に割り込んで、なるべく衝撃を受け流せる姿勢を取ってから──

 

「ぐっ……。」

 

右肩への衝撃と、一瞬後に襲ってくる激痛。折れたか、良くてヒビかだな。ふらふらと高度を落としながら呻きつつ、シーカー二人の戦いを確認するため顔を上げてみれば、とうとうチョウに追いついて競り合っているハリーの姿が見えてきた。

 

並んで手を伸ばしている二人のシーカーはあらん限りにその身を乗り出し、そして刹那の後に歓喜の表情で握った手を振り上げたのは──

 

「報われないな、おい。」

 

チョウ・チャンの方だった。早くも試合終了。150対10でグリフィンドールの敗北ってわけだ。……あー、やっばいな。百四十点差で最下位スタートか。遠くを飛ぶケイティは呆然としているし、ハリーは心底悔しそうな表情を浮かべている。

 

これは、総じて運が悪かったな。アレシアが試合に慣れる前にチョウがスニッチを見つけてしまい、結果としてビーターが十全に機能する前にシーカーの戦いが始まってしまった。しかもかなり差があるスタート地点でだ。

 

ハリーは普通なら追いつけない距離を追いついたし、まさか初試合のアレシアを責めるわけにもいかない。ニールは二度のファインプレーを見せて、レイブンクローのスコアが百五十ってことはジニーとロンは見事にディフェンスをやり切ったのだろう。味方どうこうというよりも、素早くスニッチを見つけたチョウが天晴れだったな。

 

ズキズキと痛む肩を押さえながら、箒から降りて地面に立つ。パパッと終わって、しかも負け。こういう試合が一番悔しいぜ。……まあいいさ、まだ巻き返しの目は残っている。何が起こるか分からないのがクィディッチなのだから。

 

グラウンド脇から大急ぎで近付いてくるポンフリーに苦笑しつつ、霧雨魔理沙は恨めしい思いでレイブンクローの大歓声を耳にするのだった。

 



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継承

 

 

「折角招待してくれたんだし、今年のクリスマスは隠れ穴にお邪魔することになるかも。シリウスも一緒にね。本当はブラック家のお屋敷でパーティーを開きたかったみたいなんだけど、会場としてあまりにも向いてないから諦めたんだって。」

 

賢明な選択だな。サンタクロースは純血主義者じゃないだろうし。談話室のソファに座って杖を磨きながら言うハリーを横目に、アンネリーゼ・バートリは釣りの専門誌を読み進めていた。彼は先日オリバンダーの店で買った新しい杖……ナナカマドに不死鳥の風切羽、27センチ。死喰い人の襲撃の際に被害を免れた物の一本らしい。が余程に気に入ったようだ。最近は暇さえあれば磨きまくっている。磨り減ったりしないのだろうか?

 

十二月も後半に差し掛かった現在、クリスマス休暇にホグワーツに残るための申請が始まっているのだが、今年のハリーはブラック邸で休暇を過ごすことに決めたそうだ。……これも運命を乗り越えたことによる変化だな。もはや彼の安全を脅かす者は居ないし、『家』がダーズリー家である必要もなくなったのだから。

 

嬉しそうにクリスマスの予定を話すハリーへと、彼の足に寄り掛かってクィディッチのテクニックブックを読んでいるジニーが返事を返した。ロンはそんな妹の姿をどこか落ち着かない様子でチラチラ見ており、ハーマイオニーはそれに呆れ顔を浮かべている。

 

「ん、歓迎するよ。付き合って初めてのクリスマスなんだから、出来れば一緒に過ごしたいし。」

 

「あー……そうだね、うん。」

 

うーむ、割とあっけらかんと言うジニーに対して、ハリーは未だに照れ臭そうだな。……つまりはまあ、この二人はめでたく正式に付き合うこととなったのだ。具体的に何があったのかまでは知らないが、いつの間にかこんな感じになっていた。あの餞別のキスが切っ掛けになったのは間違いあるまい。

 

私としてはジニーがハリーを支えてくれるのは望ましい展開だし、ハーマイオニーや咲夜、魔理沙やルーナなんかも祝福している。そして兄バカどのも今の親友にはそういう存在が必要だと分かっているようで、時折『くっつき過ぎ』を注意する以外は黙って見守っているのが現状だ。やや注意がしつこい感はあるが。

 

妹の恋愛を気にする前に自分のそれをどうにかしろよなと考える私を他所に、テーブルで宿題を片付けている魔理沙が口を開いた。肩の骨折はポンフリーの治療によって早くも治ったようで、試合後三日ほど装着していた固定器具は既に無くなっている。

 

「賑やかなパーティーになりそうじゃんか。……私はどうすっかな。ハリーも居ないんだったらホグワーツに残るのもつまんないし、ダイアゴン横丁に帰っとくか。」

 

「マリサも私の家に来ちゃえば? サクヤの家に行くのかもしれないけどさ。」

 

「んー……咲夜はどうすんだ? やっぱ紅魔館でパーティーか?」

 

ジニーからの質問を受けた魔理沙が咲夜に問いを回すと、銀髪メイド見習いは首を傾げた後でこちらにパスしてきた。

 

「えっと、どうなんでしょう? リーゼお嬢様。」

 

「毎年恒例のちょっとしたパーティーは開くかもしれないが……そうだな、クリスマスは魔理沙と一緒に隠れ穴に行っといで。年末を紅魔館で過ごせば問題ないさ。」

 

「でも、パーティーがあるならお料理の準備なんかもありますし。」

 

「なら、紅魔館でのクリスマスパーティーは無しにしようか。私もアリスも隠れ穴に行くよ。そっちでモリーを手伝ってあげてくれ。……人数が増えるかもしれないが、構わないかい? ジニー。」

 

今年のクリスマスはちょうど満月だからフランは地下室で大人しくしていると言ってたし、咲夜が隠れ穴に行けばレミリアも勝手に引っ付いてくるだろう。パチュリーなんかは言わずもがな、クリスマスパーティーが無くなったところで何ら痛痒を感じまい。そう思ってジニーに聞いてみれば、赤毛の末妹どのは肩を竦めて頷いてくる。

 

「ママが嫌がると思う? 歓迎するに決まってるよ。」

 

「それじゃ、今年のクリスマスパーティーは隠れ穴でってことで決定だ。食材なんかも持って行くよ。肉とか、肉をね。」

 

「いいな、それ。リーゼが用意するってことは豪華なやつなんだろ?」

 

「なんなら牛ごとでも構わないよ。」

 

まず食べ切れないだろうが、丸焼きにでもすれば派手さはあるはずだ。嬉しそうなロンに私がそこそこ本気の提案を口にしたところで、レポートと格闘中のハーマイオニーも話に参加してきた。

 

「そうなると私も行きたくなってくるわ。パパとママに話してみようかしら?」

 

「なんだったら私が迎えに行くよ。姿あらわしでパパッとね。」

 

「うーん、お願いすることになるかも。……楽しいクリスマスになりそうね。」

 

微笑みの中に僅かな寂しさを混ぜたハーマイオニーは、恐らくダンブルドアのことを思い出しているのだろう。それを感じ取った場の全員がなんとも言えない表情になった瞬間、談話室の入り口を抜けて生徒が入ってくる。もはや見慣れたアーモンド色の子猫ちゃん。アレシア・リヴィングストンだ。

 

ふむ、まだ沈んでいるみたいだな。どんよりした空気を身に纏ったアレシアは、棍棒片手に談話室を横切って女子寮の方へと消えて行く。もう誰も棍棒のことを気にしなくなったのがホグワーツらしいぞ。

 

「まだ試合のことを気にしてるの? アレシアったら。」

 

心配そうに呟いたハーマイオニーに、魔理沙が頭を掻きながら返答を放った。困りっぷりを存分に表した顔付きだ。

 

「っぽいんだよな。ケイティは別に責めてなかったし、私としても仕方ないことだったと思うんだが……それでも責任を感じてるみたいなんだ。試合の後にこっそり泣いてたぜ。」

 

確かにあの試合はアレシアのオロオロっぷりが目立ったな。魔理沙は怪我をしてでもチャンスを作ったし、同じ新ビーターのニール・タッカーは予想以上に動けていた。その辺と自分を比較してしまったのだろう。

 

難しい問題に悩む面々の中から、唯一我関せずと宿題に取り組んでいた咲夜が声を上げる。

 

「泣いて、気にしてるってのは悪くないことよ。諦めてるんだったら話は別だけどね。代表選手を辞めたいとは言ってきてないんでしょう?」

 

「そうだな、そこまでは言ってないはずだ。」

 

「だったら挽回するつもりはあるってことよ。腐ってないならそこまで心配しなくてもいいんじゃない?」

 

小さく鼻を鳴らしてそう言うと、咲夜は教科書と宿題を見比べ始めるが……まあうん、その通りだ。未だ棍棒片手に生活しているのが何よりの証拠だろう。大人な意見に苦笑しながら、雑誌を閉じて口を開く。

 

「咲夜の言う通りだね。アレシアもクリスマス休暇には家に帰るみたいだし、久々に両親に会えば気持ちの整理を付けられるだろうさ。今は見守ってやりたまえよ。……というか、より『ヤバい』のはベルの方だと思うが。大丈夫なのかい? キミたちのキャプテンどのは。」

 

暖炉の近くで膝を抱えて座りながら、パチパチと音を鳴らす薪を見つめて独り言を呟いているベルを指差して言ってやると……ハリー、ロン、魔理沙は苦い表情で首を振ってきた。もちろん横にだ。

 

「『大丈夫』ではないみたい。迷走してるよ。フォーメーションを頻繁に変えちゃう所為で練習も停滞気味なんだ。言ってることがチグハグな上に、本人はそれに気付いてないらしくて。」

 

「それに、知ってるか? ケイティのやつ、朝食前に毎回祈ってるんだぜ? 次の試合でレイブンクローが百五十点差で負けますようにってな。『グリフィンドールが百五十点差で勝ちますように』じゃないのが怖いよ。」

 

「ついでに言えば、この前廊下ですれ違ったチョウを見ながら杖を掴んでたな。無表情なのが怖くて声をかけたら、『ごめんごめん、無意識なんだ』って言われたぜ。あいつ、このままだと何かやらかすぞ。」

 

三人からの笑えない報告を受けて、その場の全員が顔を引きつらせる。ウッドやジョンソンなんかは分かり易い『イカれ方』だったから笑い話に出来たが、ベルのはジョークに出来ない類の逸話だな。さすがの私もドン引きだぞ。

 

「……どうにかならないのかな? 私、チームメイトから『犯罪者』を出すのは嫌なんだけど。」

 

ジニーの冗談だか本気だか分からない懸念に、ハリーがため息を吐きながら明確な答えを返した。

 

「一番の薬は次のハッフルパフ戦で勝つことだよ。欲を言えばそれなりの点差でね。」

 

「……負けられないな。優勝杯だけじゃなく、ケイティの人生が懸かってるんだから。」

 

いやぁ、冗談じゃなく懸かってそうなのが本当に怖いな。クィディッチは人生を狂わせるものらしい。……来年キャプテンになりそうなハリーがああならないことを祈るばかりだ。

 

ロンの覚悟を秘めた台詞を耳にしながら、アンネリーゼ・バートリは奇妙な状況に苦笑いを浮かべるのだった。

 

 

─────

 

 

「なんとか今年は乗り切れそうね。……頑張ったじゃないの、マクゴナガル。」

 

手の中のティーカップを見つめながら深々と息を吐いているマクゴナガルへと、アリス・マーガトロイドは労いの言葉をかけていた。先程クリスマス休暇で家に帰る生徒たちを駅まで送ったところだ。今年の仕事も一段落って感じだな。

 

教員用のやや手狭な休憩室の中には、マクゴナガル、スラグホーン先生、スプラウト、それに私の姿がある。寒い外での引率を終えて、温かい紅茶で休憩しているというわけだ。

 

「皆さんの協力のお陰です。それに、アルバスが細かい指示を遺してくれましたから。……助けられてばかりですね。」

 

「しかしだね、ミネルバ。新しい校長というのは得てしてそんなものだよ。アルバスが新米校長だった頃を思い出してごらん。彼も色々と苦労して、そして周りに助けられていただろう?」

 

「そうなんですか? ……あの頃の私は授業を成功させるのに手一杯でしたから、そこまで見ている余裕がありませんでした。」

 

「アーマンドと同時にハーバートも居なくなってしまったからね。私やテッサ、シルバヌスなんかは色々と苦労したのを覚えているよ。」

 

もう四十年前の話か。しみじみと言ったスラグホーン先生に、スプラウトも懐かしそうな表情で口を開く。

 

「ミネルバも私も新人でしたからね。今思えば色々と情けない失敗をしたものです。」

 

「それが今やホグワーツを支える重鎮というわけだ。いやはや、時の流れは早い。実に早いよ。……ふむ、私も今学期一杯で退職すべきかな。」

 

カップの縁をなぞりながら急に放たれたスラグホーン先生の言葉を受けて、マクゴナガルが驚いた顔で返事を返す。

 

「辞めてしまわれるのですか?」

 

「アルバスからはあくまで代役として頼まれていたからね。……いい歳なのさ、私も。今のホグワーツに必要なのは年老いた熟練の教師ではなく、若さと熱意を兼ね備えた教師だ。次代を担う若者に君たちの姿を見せておく必要があるんだよ。」

 

「それは……そうかもしれませんが。」

 

「アルバスは去った。ならば私も去るよ。いつまでも古いものに囚われていては前に進めないからね。……なに、心配はご無用。彼ほど綺麗にとは言わないまでも、私も去り際はそれなりに拘るタイプなんだ。後任の候補は探しておこう。」

 

クスクス微笑んで請け負ったスラグホーン先生は、席を立ってドアへと向かいながら話を続ける。洒落た格好や立ち振る舞いの所為で若々しく見えるが、私の学生時代から教師をしている人なのだ。この上無理に止めるべきではないだろう。

 

「君たちにも一つ助言をしておこう。年老いて動けなくなる前に、身に付けたものを後に継ぎたまえ。私やアルバスがテッサたちに継ぎ、テッサたちが君たちに継いだようにね。このホグワーツはそうして強くなってきたんだから。」

 

言いながらパチリとウィンクすると、スラグホーン先生は飄々とした歩みで休憩室を出て行った。それを見送ったスプラウトが難しい表情で声を上げる。

 

「変わりそうですね、ホグワーツも。マーガトロイド先生も教師に復帰するのは今学期だけなんでしょう?」

 

「そうね、長々とやるつもりはないわ。私の本質は教師じゃないもの。」

 

「授業の評判も良いみたいですし、続けてくれれば助かったんですけど……そうなると来年は魔法薬学、防衛術、変身術の席が空きますね。基礎学科から三つですか。今から混乱が目に浮かぶようです。」

 

「大丈夫よ、貴女たちが居るんだから。……スラグホーン先生は若い子を入れるつもりみたいだけど、防衛術と変身術はどうするの?」

 

現在の防衛術は授業数が少ない追加学科の教師を中心に、何とか持ち回りで行なっているのだが……残念ながら新しい教師が入ってくるという目処は立っていない。後半をマクゴナガルに問いかけてみれば、彼女は困ったような表情で返答を寄越してきた。

 

「変身術の方は何とか探してみますが、防衛術はやはり難しそうですね。これまでの評判に加えて、アルバスでさえもというイメージが付いてしまったようでして。」

 

「呪いはもう解けてるわけだけど、そんなこと証明のしようがないしね。……とりあえずは他国から短期契約で招いちゃったら? 早い話、とにかく誰かが二年間続ければ良いわけなんだし。」

 

「それも考慮に入れておきましょうか。」

 

ホグワーツでの教師経験というのは大陸側でもそこそこの箔になるだろう。応募してくる者は多いはずだ。私の提案に諦め半分で頷いたマクゴナガルは、コキコキと首を鳴らして席を立つ。どうやら休憩は終わりのようだ。

 

「何にせよ、今はクリスマスパーティーのことを考えなければいけませんね。今年も城に残る生徒は居ます。最近は色々あったのですから、せめてクリスマスくらいは楽しませてあげなければ。」

 

「ま、そうね。フリットウィックも飾り付けの準備をしてたし、ハグリッドはロックケーキを焼くって張り切ってたわ。私たちも何か用意しましょうか。」

 

「歯を折る生徒が出なければいいのですが。……今からポピーに薬を用意してもらうべきかもしれませんね。」

 

私の報告にスプラウトが苦笑いで応じてくるが……ロックケーキ云々はともかく、今年はホグワーツでクリスマスを迎えることになりそうだな。隠れ穴には昼間の準備を手伝いに顔を出して、年末は紅魔館。このプランで行こう。

 

変わりつつあるホグワーツのことを考えながら、アリス・マーガトロイドは大きく伸びをするのだった。

 



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Lotus Land

 

 

「苦難の年、結束の年、協調の年。……どう思う? どれが一番しっくりくるかしら?」

 

十二月二十八日の夕刻。紅魔館のリビングのソファにだらりと寝そべるレミリアの質問を受けて、アンネリーゼ・バートリはどうでも良い気分で空返事を返していた。どれを選ぼうが大して変わらんだろうに。

 

「全部入れればいいじゃないか。私なら勝利の年と表現するが。」

 

「悪くないわね。だけど、結束と協調は被ってるし……最初に苦難を持ってきて、結束の力で勝利したって感じにしましょうか。分かり易い美談は誰もが好きでしょ? 私は嫌いだけど。」

 

「好きにしたまえ。そこまで深く聞いてる職員が居るとは思えんがね。大抵は早く終わることを願ってるだけだよ。」

 

「真面目に聞こうとする職員はごく僅かだけど、難癖付けようとするヤツは沢山居るのよ。隙を見せるわけにはいかないわ。」

 

それはまた、ご苦労なことだな。……つまるところ、イギリス魔法省が誇る外部顧問どのは年始の挨拶の内容を考えているわけだ。一月二日の朝に魔法省の職員がアトリウムに集められて、魔法大臣やら各部長やらレミリアやらの挨拶を聞かされるらしい。想像しただけで面倒くさそうな行事じゃないか。

 

まあ、私には関係のない話だ。先日行われた隠れ穴でのクリスマスパーティーを終えた今、年が明けるまでは何もする気にならん。レミリアの対面のソファで仰向けに寝転がりながらうとうとしていると、リビングのドアが開いた音が耳に届く。首をもたげて目を向けてみれば……おお、エマじゃないか。カートを押しているのを見るに、何か食べ物を持ってきてくれたらしい。

 

「……あの、お二人とも淑女にあるまじき格好になってますけど。」

 

「年末なんだから淑女は休みよ。」

 

「右に同じだ。キミもだらけていいんだよ、エマ。」

 

「いえいえ、私には恥じらいがありますから。」

 

私たちには無いってことか? するりと失礼な発言を滑り込ませたエマは、テーブルに放置してあった空の食器を回収してから紅茶を淹れ始めた。それを横目にむくりと起き上がって、手足を伸ばしながら質問を飛ばす。ずっと寝転がってた所為で翼が痒くなっちゃったぞ。

 

「咲夜は?」

 

「妖精メイドたちと一緒に『大掃除』の準備をしてます。明日一気に館中をお掃除するつもりみたいです。……咲夜ちゃんが居るとあの子たちも働いてくれるので助かりますよ。」

 

「年末に掃除? 変なことをやるもんだね。ゆっくりしてればいいだろうに。」

 

「えっとですね……今年の汚れを綺麗にして、ピカピカな状態で新しい年を迎えるんだそうです。お友達からそういう仕来りがあるって聞いて感銘を受けたんだとか。」

 

発信源は間違いなく魔理沙だな。ってことは日本……というか、幻想郷の仕来りか。年末まであくせく働いてどうするんだよ。呆れる私を他所に、エマはクッキーを皿に盛りながら話を続けてくる。

 

「美鈴さんは面倒くさがってましたけど、私は良いことだと思いますよ? みんなでお掃除するのは楽しそうですし。」

 

「まあ、好きにやってくれたまえ。館が綺麗になるのに文句はないさ。」

 

目の前に置かれたクッキーをひょいひょい口に運びながら言ったところで、部屋に新たな人物が入ってきた。疲れ果てた様子の小悪魔だ。いつも着けている赤いナロータイをゆるゆるの状態にして、ベストを脱いだシャツの胸元を大きく開けている。どれだけ開けても真っ平らなのは変わらんが。

 

「うぁー、疲れました。今年の蔵書整理、やっと終了です。」

 

「それはそれは、お疲れ様です。」

 

「知ってます? 本の出版数って毎年毎年アホみたいに増えてるんですよ? このままの勢いで増加すると私は過労死します。……特に今年は芸術系の本が大量でした。もう絵なんか見るのも嫌です。パチュリーさまったら、『試しにやってみましょう』とか言って作風で分類させるんですもん。これまで通りのアルファベット順でいいじゃないですかぁ。」

 

うーむ、意味不明な状況だな。本の整理をした結果絵が嫌いになるとは。独特な『職業病』に苦笑しつつ、エマから紅茶を受け取っている小悪魔へと問いを放つ。

 

「図書館の改装はどうなっているんだい?」

 

「咲夜ちゃんの協力もあって順調に進んでますけど、あんなの一生かけても終わりませんよ。……ちなみに人間の一生じゃなくて、魔女や悪魔の一生って意味です。」

 

「つまり、永遠に終わらないと言いたいわけだ。」

 

「だって、人間が存在する限り本も増え続けるわけじゃないですか。だから図書館の面積も半永久的に増していくので、改装もその都度必要になるわけです。……いっそ滅びませんかね、人間。昔の偉い悪魔が滅ぼそうとした理由がようやく分かりました。」

 

病んでるな。どデカいため息を吐きながら紅茶を一気飲みした小悪魔に、寝転がったままのレミリアが突っ込みを入れる。

 

「そんなバカみたいな理由じゃないでしょ。……まあ、同情はするわ。増えども減らない仕事ってのは確かに地獄ね。悪魔だけに。」

 

「残念ながら、今はそんなジョークじゃ笑えませんね。愛想笑いすら浮かんできません。……せめて新人を増やして欲しいですよ。その辺の悪魔を騙くらかして契約させちゃえばいいわけですし。」

 

「あんたね、自分がやられたことを忘れたの? 『犠牲者』を減らそうとは思わないわけ?」

 

「逆ですよ、逆! 私がやられたんだから他の悪魔もやられるべきなんです! 先輩なんだから堂々と扱き使えますしね。もし契約できたら私の仕事を全部丸投げしてやりますよ。」

 

やっぱり悪魔はダメだな。悪魔同士で上下関係を作ると上の悪魔が楽をしようとするので、結果的に全体の効率はあまり上がらないのだ。これで痛い目を見た召喚者は結構多い。単一の悪魔のみを使役するか、複数使役するにしたって互いは同格に定めるべきだろう。

 

ただまあ、パチュリーほどの魔女がそんな『常識』を知らないとは思えないし、小悪魔の野望は永久に叶わなさそうだ。そうとも知らず悪どい笑みを浮かべる苦労悪魔に対して、無言で哀れみの念を送っていると……エマが唇に人差し指を当てながら、思い出したように疑問を投げてきた。こいつがこの仕草をすると何故か色っぽく見えるな。私やレミリアがやっても『悪戯娘』なのに。

 

「そういえば、幻想郷の件はどうなってるんですか? 九尾狐さんは全然いらっしゃらないみたいですけど。」

 

「よくは知らんが、藍も忙しいんじゃないか? 隙間妖怪は冬眠するみたいだしね。その間は彼女が幻想郷の管理業務をやってるらしいよ。」

 

「冬眠、ですか。コウモリさんたちみたいですね。」

 

館に住み着いているコウモリ用の冬眠室がある方を見ながら呟いたエマに続いて、レミリアが呆れたような顔で相槌を打つ。

 

「暢気な生態で羨ましいわね。私も冬中『お寝んね』してたいわ。」

 

「気を付けたまえよ、レミィ。ずっと昔に夢と現の境界を操ってるって聞いただろう? 今も見てるのかもしれないぞ。」

 

「だったら好都合よ。……おいこら、隙間妖怪! さっさと使いを寄越しなさい! こっちだって色々と準備があるんだから!」

 

虚空に向かってレミリアが文句を喚くが……うん、反応なしだな。見ていて反応しないのか、それとも本当に見ていないのか。神とかと一緒で、こういうところが一方的な観察者の厄介な部分なのだ。

 

結果としてリビングに舞い降りた微妙な静寂を、ソファから身を起こした独り言吸血鬼が打ち破った。ちょっとバツが悪そうな表情だ。

 

「……見てる上で無視してるんだったら絶対に復讐してやるわ。」

 

「そんなこと言ったって確認しようがないじゃないか。今回はキミの負けだよ。」

 

「ああもう、面倒くさいわね! 」

 

ぷんすか怒りながらクッキーをやけ食いするレミリアを尻目に、窓に近付いて深々と雪の降る庭の風景を眺める。……まあ、紫のことだ。どうせ絶妙に迷惑で、かつ絶妙にちょうど良いタイミングで話を進めに来るに違いない。

 

そして、冬が明けたら私の『仕事』とやらの説明もあるのだろう。『調停者』に直接会うと言ってたし、幻想郷に行くことになりそうだな。……よし、ホグワーツに戻ったら魔理沙から聞き取りをしておくか。この数年常にゴタついていた所為で幻想郷のことはちょこちょことしか聞けていないのだ。さすがに腰を据えて調査しないとマズい気がしてきたぞ。

 

隙間妖怪が創った箱庭のことを考えながら、アンネリーゼ・バートリは美鈴と共に雪だるまを作っている妖精メイドたちを見つめるのだった。大掃除の準備はどうしたんだよ。

 

 

─────

 

 

「幻想郷について? ……いやまあ、別に話せるぜ。そのくらいなら談話室でよかったじゃんか。」

 

テーブルに置いたミニ八卦炉を起動して温風を吹き出させながら、霧雨魔理沙は星見台に立つリーゼへと返答を送っていた。こんなところまで連れてくるもんだから何かと思ったぜ。

 

クリスマス休暇を終えた生徒たちがホグワーツに戻ってきてから数日後、空き時間にリーゼから声をかけられたのだ。内密の話があると言って咲夜と共に星見台に誘われたわけだが……『幻想郷について』ね。どうやらレミリアたちの移住の時が近付いているらしい。アリス、咲夜、リーゼが残るってのは私も聞いているが。

 

私の言葉を受けたリーゼは、日本の夜空が映し出された天井を見つめながら返事を寄越してくる。ちなみに咲夜は八卦炉に手を翳した状態で停止中だ。相変わらず寒さに弱いな。

 

「一応だよ、一応。周りに人が居る場所でペラペラ話すようなことじゃないだろう? ……それじゃ、先ずは人里とやらについて聞こうか。キミは前にリーダーが居ると話していたね。」

 

「おう、稗田のお嬢様だな。私はガキの頃に人里を出たから詳しくないが、あの人が人里全体の顔役になってるのは確かだぜ。お師匠様曰く、過去の自分の記憶を継いでるんだとさ。そっくりそのままってわけでもないらしいが。」

 

「記憶を? ……なるほど、そういうタイプか。妖怪ではないんだね?」

 

「多分な。人間であって、尚且つ妖怪の賢者にもある程度意見できる存在だから頼りにされてるんだ。内情はそうでもないみたいだけどな。」

 

物事には常に表と裏があるのだ。苦笑しながら言ってやると、話を聞いていた咲夜が横から入ってきた。

 

「内情って?」

 

「魅魔様に聞いた話なんだが、実際は賢者に頭が上がらないみたいなんだよ。人里の纏め役として体良く利用されてるってこった。里の人間をコントロールするために八雲が創り出した虚像のリーダーってわけさ。」

 

「それって……どうなの?」

 

「どうもこうもないぜ。結局のところ八雲に逆らえる存在なんかごく僅かだからな。稗田のお嬢様も仕方なく従ってるんだろ。……幻想郷じゃ人間なんて弱いもんなんだから、八雲が定めた『人里の人間は襲ってはいけない』ってルールに縋る他ないんだよ。撤回されればそれこそ地獄だ。だからまあ、本当の意味での『自治』なんて無理なんだろうさ。」

 

昔だったら里の人間を騙していたのかと憤慨したかもしれないが、今なら稗田のお嬢様の気苦労がよく分かるぞ。上手いこと人里の希望を保ったままで、八雲との交渉を重ねていたのだろう。中間管理職みたいだな。

 

『裏事情』を耳にして微妙な表情で考え込んでしまった咲夜に代わって、皮肉げな笑みのリーゼが話を進めてくる。何も出来ない人間を嘲っているのか、あるいは歪んだ構造しか作れない賢者を馬鹿にしているのか。どっちにしろ快くは思っていなさそうだ。

 

「ふむ、人里では基本的に妖怪を敵視……というか、恐れているわけだ。そこは紫の話通りだね。」

 

「『紫』? 八雲紫か? ……インチキ賢者に会ったのかよ。だったら私から話を聞くまでもないだろ。」

 

「では聞くが、キミだったら裏付けも取らずにあの女の話を信用するかい?」

 

「あー……そうだな、しないぜ。お前の言う通りだ。」

 

神社に行った時に何度か会った胡散臭い大妖怪のことを思い出しながら答えると、リーゼは然もありなんと頷いてから次なる疑問を口にした。

 

「他の実力者は? 紫の話によれば、『幻想郷は一人で創ったわけではない』らしいが。」

 

「それは知らんかったが、『妖怪の山』なんかはある程度独立してる……ような気がするかな。人里から見ると大きな湖を挟んだ位置にある山だよ。天狗が住んでるんだ。」

 

「曖昧な台詞だね。そこも完全に独立してはいないってことかい?」

 

「っていうか、よく分からんってのが大きいな。私は森の中にある魅魔様の家にずっと居たから、殆どの知識は聞き齧りなんだ。森と、人里と、神社。直接目にしてるのはそのくらいだぜ。」

 

なんとも情けない話だが、当時の私の実力では危なくてそれ以外の場所なんか行けなかったのだ。森も魅魔様の縄張りしか出歩けなかったから、全てを知っているとは言えないし。肩を竦めてお手上げのポーズをする私に、リーゼは杖を振って大きな羊皮紙を出現させながら提案を飛ばしてくる。

 

「地図を描けるかい? ある程度形がはっきりすれば想像し易くなるんだが。……とりあえずは魅魔からの情報やキミ自身の予測を基にしてもらって構わないよ。」

 

「んー、そういうことならなんとか描けるぜ。人里を中心とすると……東に神社、南に立ち入り禁止の大きな畑があって、西に森だ。魅魔様と私が住んでたとこな。そんでもって北西に大きな湖を挟んで妖怪の山がある感じ。北東はずっと森が広がってて、そっちには入ったことない。南東のここには竹林があるけど、そっちもよく知らんぜ。迂闊に入ると迷うって魅魔様に警告されてたんだ。」

 

我ながら下手くそな地図を描きつつ説明していくと、近寄ってきた咲夜が南側を指差して話しかけてきた。

 

「ここの畑はどうして立ち入り禁止なの?」

 

「クソ強い大妖怪の縄張りなんだとさ。人里だと近付くのはタブーになってるし、魅魔様によれば妖怪ですらも避けるみたいだ。」

 

「ふぅん? 『実力者』の一角なわけか。」

 

ニヤリと笑いながら言ったリーゼに、本心からの忠告を送る。

 

「言っとくけど、お前らでも安易に行かない方がいいぞ。魅魔様だって近寄らないほどなんだからな。相性が悪いとか何とかって。」

 

「それはまた、尚更興味が湧いてきたよ。……まあ、その辺は紫にも聞いてみるとしようか。里には人間、山には天狗、森には魔女、畑にはその大妖怪。では神社はどうなんだい?」

 

「八雲だよ。そこは賢者の縄張りだ。参拝する分には安全だがな。」

 

「しかし、キミの見知った場所には神社が含まれていたじゃないか。紫と親しいわけじゃないみたいだし、頻繁に参拝するほど信心深いわけでもないだろう?」

 

怪訝そうな表情で聞いてきたリーゼへと、地図上の神社を見ながら口を開く。

 

「友達っていうか何ていうか……そういうヤツが居たんだよ、神社には。そいつに会いに行ってたんだ。」

 

「……『調停者』のことかい?」

 

「おいおい、仰々しいな。本質的には間違っちゃいないが、調停者っていうか巫女だよ。しかも見習いのな。今はどうなってるか分からんが。」

 

「詳しく聞かせてくれ。どんなヤツなんだい?」

 

うーん? やけに興味を持つな。何かを熟考しながら問いかけてくるリーゼに、首を傾げて質問を返した。

 

「いいけど、あいつのことなんか聞いてどうすんだよ。」

 

「近いうちに会う予定なのさ。紫からちょっとした……そう、仕事を頼まれててね。その巫女に関係することらしいんだよ。」

 

「あいつに? 幻想郷に行くってことかよ。」

 

気軽に行ったり来たり出来るのは羨ましいな。賢者と直接関わってる特権ってことか。ちょびっとだけ驚きつつも、首肯してきたリーゼへと返答を口にする。

 

「まあいいや、八雲主導なら問題ないだろ。そうだな……一言であいつを表せば、『浮いてるヤツ』だ。」

 

「ルーナみたいな性格ってことかい?」

 

「いや、そういうんじゃないんだよ。何に対しても拘らないっていうか、本当の意味で関心を持たないっていうか……そんな感じだな。離れてるんだ、あらゆる物事から。」

 

「ふむ? 淡々としてるってことか。」

 

リーゼの噛み砕いた表現を受けて、困った気分で曖昧な訂正を加えた。難しいな。あいつの性格を上手く説明するのは至難の業だぞ。

 

「端的に言えばそうかもしれんが、表面上はそうでもない。つまりだな、つまり……漂う霞みたいなもんだよ。近付けるけど、掴めはしないってことだ。伝わるか?」

 

「ニュアンスは何となく伝わったが……結局は紫の言う通り、会って実際に確かめるしかないってことか。」

 

「だな、あいつのことを言葉で表現するのは難しいぜ。ただまあ、悪いヤツではないかな。良いヤツでもないが。」

 

「一番面倒くさい類の評価だね。」

 

あいつは自分を一番上に置いて、その他の存在を完全に同じ位置に置いている気がする。私のことも同様にだ。ある意味では平等なんだろうが、ある意味ではドライとも言えるだろう。

 

「まあなんだ、会ったら魔理沙は元気にやってると伝えてくれ。大した反応は無いだろうが、話の種にはなるだろ。」

 

「……『友達』じゃないのかい?」

 

「その辺もあいつと話せば分かるさ。価値観が独特なんだよ。」

 

私の『生存報告』なんかを気にしたりはしないはずだ。あいつは常にふわふわと、掴み所なく浮いているのだから。ぼんやりした人物評価を聞いて何かを考え始めたリーゼを横目に、八卦炉を操作して風量を弱める。部屋は暖まってきたし、温度も下げるか。……これを使い熟せるようになった今なら、あいつに興味を持たせることが出来るのだろうか?

 

ま、無理か。懐かしい紅白の巫女装束を思い出しながら、霧雨魔理沙は苦笑いでため息を吐くのだった。

 



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お引越し計画

 

 

「では、分かり易いようにもう一度言うぞ。私は八雲紫様の代理としてこの館を訪れたんだ。移住の件についてレミリア・スカーレットと話し合うためにな。……それを理解した上で通さないつもりなのか?」

 

冬の太陽が力なく照らす真昼の紅魔館の門前。苛々と九本の尻尾を揺らしている狐妖怪の言葉に、紅美鈴は腕を組みながら大きく頷いていた。年末にみんなで頑張って大掃除をしたばかりなんだぞ。冬毛の狐妖怪なんかを入れたら館が抜け毛まみれになっちゃうだろうが。

 

従姉妹様と咲夜ちゃん、ついでにまたしても教師を始めたというアリスちゃんがホグワーツに戻ってから二週間ほど経った今日、いきなり香港で会った九尾狐が館の正門に現れたのだ。そのままズカズカと館に入ろうとするので止めたところ、何故か高圧的に文句を言い始めたというわけである。これだから狐妖怪ってのは度し難い。

 

「勿論ですとも。お嬢様が許可を出すまでは入れるわけにはいきませんね。使いの者に確認を取らせていますので、このままここでお待ちください。」

 

「『使いの者』というのがさっき貴様が話しかけていた低級妖精だとすれば、話の流れを理解していたようには見えなかったぞ。……そも私と貴様は香港で会っているはずだが?」

 

「狸が化けてる偽物かもしれないじゃないですか。大体、狐妖怪を家に上げたらどうなるかなんて世界の常識でしょう? 先に言っておきますけど、館に油揚げはありませんよ。探しても無駄ですからね。」

 

「ほう、この私を盗人扱いすると? ……寒空の下で客人を待たせた挙句、終いにはこの扱いか。館はそれなりの規模だが、家の顔たる門番は質が低いらしいな。となれば主人の格も高が知れているというわけだ。」

 

じわりと妖力を滲ませて威嚇してくる九尾狐に、にへらと笑いながら肩を竦めた。その程度でビビるわけないだろうが、小狐め。安い挑発は無視された時に痛いぞ。

 

「誰が何と言おうが決まりは決まりなので。怪しい妖怪をほいほい入れるわけにはいかないんですよ。」

 

「……お望みならば押し通ってやろうか?」

 

「おっと、怖いですねぇ。本気で出来ると思ってます? 力関係も分からないほどではないんでしょう?」

 

「はっきり分かっているさ。私が上で、貴様が下だ。」

 

よしよし、話が分かり易くなってきたぞ。素早く握られた呪符を見て、こちらもへらへら笑いながら気を巡らせたところで……むむ、時間切れか。館の方から猛スピードで飛んできた真紅の槍が、轟音と共に私と狐妖怪の間に突き刺さる。

 

「そこまでよ。決闘をしたいならもっと遠くでやって頂戴。そこだと私の館に被害が出ちゃうでしょうが。」

 

日光が当たらない二階の窓の奥から介入してきたのは、我らが紅魔館の当主どのだ。ご飯抜きにされる前にと私が即座に一歩退くと、金髪九尾も呪符を仕舞って妖力を収めた。残念だな。今日のところはお預けらしい。

 

「門番の教育がなっていないぞ、スカーレット。」

 

「そうかしら? 私は悪くない対応だと思ったけど。疑わしきは阻めが吸血鬼の館なのよ。こちとら見知らぬ隣人を招き入れるほど広量じゃないんでね。……まあいいわ、リビングに案内してあげなさい、美鈴。」

 

いつもより若干カッコつけながら言ったお嬢様が窓から離れたのと同時に、九尾狐を顎で促して玄関へと歩き出す。私の態度に再びイラっとした表情を覗かせた金髪九尾だったが、それでも素直に背中に続いてきた。庭を見て文句らしきことを呟きながらだ。

 

「……趣のない庭だな。」

 

「何故だか教えてあげましょう。今は冬なんです。知ってます? 冬って。草木が枯れる時期なんですよ。一つ勉強になりましたね。」

 

「ああ、そういえばここはイギリスだったな。日本の庭では冬には冬なりの美しさを表現するものなんだが……まあ、風情を理解しないイギリス人にそれを求めるのは酷か。」

 

何だよ、冬の美しさって。枯れ木でも飾るのか? ふふんと鼻を鳴らしながら意味不明なことを語る九尾へと、内心のイライラを隠した笑顔で皮肉を飛ばす。お嬢様をバカにするのは構わんが、愛する庭をバカにされるのは我慢ならんのだ。

 

「それはそれは、実に興味深いです。例えば雪に飛び込んで穴を空けまくるとかですか? 得意ですもんね、狐。ネズミを捕ってるんでしたっけ? あの辺の雪にやってみてくださいよ。ぴょーんって。」

 

「……よーく分かった。貴様は大陸の妖怪なわけだ。古い伝聞を鵜呑みにして狐妖怪に偏見を持っている狭量な連中の一匹か。」

 

「私は歴とした『現行世代』ですし、それでなくても自業自得じゃないですか。あれだけのことをやらかして許されるわけないでしょう?」

 

「どの九尾のことを言っているのかは分からんが、私に限って言えば大きな迷惑をかけた覚えはないぞ。それに『現行世代』だと? 法螺を吹くのも大概にしろ。三千年も前の話じゃないか。」

 

何が法螺だ。そのまんまの意味だろうが。玄関を抜けながら態度でそのことを伝えてやれば、九尾狐は僅かな驚愕を浮かべて問いかけてきた。

 

「……貴様、まさか本気で言っているのか?」

 

「だったら何だって言うんですか。レディに歳を尋ねるのはこっちでも無礼ですよ?」

 

「それがどうなったら『若い』吸血鬼に仕えることになるんだ。経緯がさっぱり分からんぞ。」

 

「別にいいでしょ、どうだって。私はここが気に入ってますし、不自由も感じてません。それだけの話です。」

 

『若い』九尾狐に物の道理を説いてやると、彼女は不可解そうな顔で黙り込んでしまう。好き勝手にやるのが妖怪だろうが。私はそれを真摯に実行してるだけだぞ。気に入ったものを守ろうとするのは私の習性なのだ。

 

そのまま到着したリビングのドアを開けてみれば、既にソファに座っているお嬢様と少し離れた椅子で本を読んでいるパチュリーさん、そして紅茶の準備をしているエマさんの姿が目に入ってきた。茶菓子は……おお、スポンジケーキだ。余ったら貰おう。というか、何としてでも余らせよう。

 

しかし、パチュリーさんまで居るのは予想外だったな。てっきり『焚書』による蔵書整理を提案した小悪魔さんを罰するのに忙しいとばかり思っていたぞ。それ以降一日の自由時間が一分だけになった同僚を哀れみつつ、ヴィクトリアスポンジケーキに視線を固定したままでお嬢様の後ろに移動すると、私に続いて入ってきた金髪九尾も無言で対面のソファに腰を下ろす。

 

そして舞い降りる不自然な沈黙。話し合いをするんじゃないのか? 暫くの間エマさんが給仕する微かな音だけが部屋に響いていたが……ニヤニヤ笑うお嬢様が一向に口を開こうとしないのを見て、九尾狐は大きなため息を吐きながら話の口火を切った。

 

「……驚いたな。歓迎の言葉は無しか?」

 

「貴女は客人ではなく、交渉相手でしょう? 私はリーゼほどヌルくないわよ、八雲藍。」

 

「初手で交渉相手を挑発するのは如何なものかと思うがな。……私としてもさっさと帰りたくなってきたし、手早く話を進めよう。今日決めたいのは三つだ。場所と、時期と、条件。意味は分かるだろう?」

 

うんざりした様子でサクサク話を進め始めた九尾へと、エマさんが淹れた紅茶を一口飲んだお嬢様が答えを送る。懐から一枚の羊皮紙を取り出しながらだ。

 

「なら、その内二つは既に決まっているわ。時期は今年の七月上旬。そして場所はこの二箇所のどちらかよ。」

 

言いながらお嬢様が机に広げたのは……地図、かな? 線がぐにゃぐにゃでへったくそだが、一応地図らしき見た目の絵だ。地図上の二箇所に赤いインクで丸が付いているのを確認して、金髪九尾は難しい表情で応じてきた。

 

「霧の湖の近くと、神社北西の森か。……地図はどうやって手に入れた?」

 

「内緒よ。吸血鬼には秘密が多いの。」

 

「大方悪霊魔女の弟子から聞き取ったんだろう? ……このどちらかと言われれば、霧の湖の近くがこちらにとっては好都合だ。もう一つの場所は神社に近すぎる。」

 

「ふーん? だったらそっちでいいわよ。場所もこれで決定ね。」

 

森とやらが断られるのは予想していたらしい。やけに素直に同意したお嬢様へと、九尾狐は怪訝そうな顔で釘を刺してくる。湖の少し北西にある大きな山を指差しながらだ。……山だよな? これ。もしかしてピラミッドか?

 

「先に言っておくが、妖怪の山を利用するのは不可能だぞ。あそこの天狗たちは易々と操れるような存在ではないからな。」

 

「あら、心配してくれるの?」

 

「個人的には貴様らがどうなろうが知ったことではないが、移住した直後に潰されてはこちらの計画が狂う。……外界で人間相手にどれだけやれたにせよ、幻想郷の妖怪たちは一味違うぞ。そのことはよく覚えておけ。」

 

「さて、どうでしょうね。」

 

クスクス微笑みながら返したお嬢様にやれやれと首を振った後、九尾狐は最後に残った『条件』とやらの話を切り出した。

 

「まあいい、仮にこの場所としておこう。次に条件の話だが……七月にこちらに来るのは誰なんだ? バートリが来ないことは承知しているが。」

 

「私と妹、それにそこの魔女と後ろに居る門番。あとは魔女の助手の低級……今はもう中級悪魔かしら? が一匹と、大量の妖精メイドたちよ。」

 

「つまり、バートリに加えてそこのメイドと金髪の魔女、それに銀髪の人間は来ないわけか。」

 

「よくご存知みたいじゃないの。合流するのは数年先になるわ。」

 

『銀髪の人間』が居残り組なのにまだ納得できていないのだろう。どこか忌々しそうに言うお嬢様へと、金髪九尾はさして迷うことなく首肯を放つ。こっちもこっちで予想していたらしい。

 

「結構だ。移住後にスペルカードルールを広める手伝いをしてもらうが、そこに関しても異存はないな?」

 

「とにかく騒ぎを起こせばいいんでしょ? だったら簡単よ。やり方はこっちに任せてもらえるってことでいいのよね?」

 

「その辺の詳細は到着してからになるが、好き勝手にやれるわけではないということは把握しておいてもらおうか。」

 

「……まあ、後々ね。後々決めましょ。」

 

『好き勝手』にやる気なのを隠そうともしないお嬢様の返答を受けて、九尾狐は僅かに眉を顰めるが……結局は何も言わずに話題を次に進めた。

 

「何にせよ、こちらの準備はほぼ終わっている。七月と言うなら七月までは待つが、それ以上はないからな。自分で定めた期日は守ってもらうぞ。」

 

「……期日を守るためにも、早めに転移のための座標が必要なのだけど。」

 

あー、そういえばその問題もあったっけ。唐突にポツリと割り込んできたパチュリーさんに、金髪九尾は少し悩んだ後で返事を返す。

 

「ならば、こちらで測定したものを近いうちに送ろう。ヨーロッパの魔女の術式には詳しくないが、恐らくそれで問題ないはずだ。」

 

「相対的な情報にして頂戴ね。形式の違いはあれど、それならこっちのやり方に合わせ易いわ。」

 

「覚えておこう。」

 

短く応じた九尾狐は、すっくと立ち上がると話を締めながらリビングのドアへと歩いて行く。結局紅茶には口を付けなかったな。勿体無いじゃないか。スポンジケーキを残したのは評価してやるが。

 

「では、私は帰る。決めるべきことは決まったし、居心地が良いとは言えない場所だからな。細かい部分については幻想郷に到着した後でまた話し合おう。」

 

「こっちとしては色々と聞きたいことがあるんだけど?」

 

「迂闊にペラペラ喋ると思うか? 情報が欲しいんだったらバートリや見習い魔女から手に入れることだ。……まあ、頭を下げるのであれば触りくらいは教えてやるが──」

 

回答として見上げながら見下ろすという謎のポーズを取ったお嬢様を見て、九尾狐は苦笑を浮かべて肩を竦めた。

 

「その気は無いらしいな。だったら自分で入手しろ。」

 

そう言うと、九尾狐はドアを開けた先に広がっていた『スキマ』へと入って行くが……隙間妖怪は冬眠中じゃなかったのか? 眠っている時も問題なく使えるのか、あるいは行使する権利を『委譲』できるのか。どっちにしろ嫌な力だな。全然気付けなかったぞ。今のうちに何らかの対策を考えておいた方がいいかもしれない。

 

厄介な能力のことを考えている私を他所に、お嬢様とパチュリーさんが今の話し合いについてのおさらいを始めた。エマさんは九尾狐が残した紅茶を飲みながら一息ついているようだ。自由だな。

 

「んー、概ねこっちの条件通りね。サクサク進みすぎた感はあるけど、特に文句のない話し合いだったわ。」

 

「そう? 私はもっと情報を引き出すべきだったと思うけど。美鈴といい、貴女といい、どうして初っ端から喧嘩腰なのよ。」

 

「仲良くするのはリーゼがやってくれてるじゃないの。取り込まれて部下扱いされるくらいなら、ある程度警戒された方がマシってことよ。」

 

「……まあ、交渉は任せるわ。その辺は専門外だし、苦手だし、興味もないしね。」

 

『どうでも良い』という感情を声色で見事に表現しきったパチュリーさんは、再び本に目を落としながら続きを語る。

 

「目下私がやるべき作業は、幻想郷を包む『大結界』とやらに干渉されないように図書館魔法を改良することよ。紅魔館が何処に立っていようが構わないけど、新しい本が『入荷』しなくなるのは悪夢だもの。それが終わるまではそれ以外の事象に労力を傾けるつもりはないわ。」

 

「はいはい、好きにして頂戴。……ただし、転移魔法だけは何とかしてよね。最初から八雲に借りを作るのは嫌だもの。移動は私たちでやる必要があるわ。」

 

「平気よ、下準備は終わってるから。あとは必要な情報を入力して、起動に足る魔力を確保するだけ。魔力の方は賢者の石の備蓄でどうにかなるはずだし、情報の方はさっき確約をもらったわ。転移魔法に関しての心配は不要よ。」

 

「ふーん? となると……そうね、あとはリーゼからの情報に期待しましょうか。金髪の小娘から色々と聞き出してくれてるらしいし。そこまで深くは知らなさそうだけど、それでも無いよりはマシでしょ。」

 

背凭れに身を沈めて自分の肩を揉み始めたお嬢様を横目にしつつ、スツールに座っているエマさんへと質問を送った。お嬢様が政治ゲームに悩むように、我ら裏方には裏方の悩みがあるのだ。

 

「エマさん、エマさん、食料とかはどうします? この前咲夜ちゃんから聞いた情報によると外部からの仕入れは難しそうですし、今から貯蔵しといた方がいいですかね?」

 

「そうですねぇ……どれだけ貯蔵しても結局は一時凌ぎにしかなりませんから、いっそ家畜とか種とかを買った方が良いかもですね。貯蔵分はそれが軌道に乗るまでの繋ぎにしましょう。」

 

「そうなると畜舎や温室の増築も必要ですね。畜舎は裏庭にあるのを大きくするとして、温室はどうします?」

 

私が趣味で使っているガラス張りの温室はあるが、あれはあくまで家庭菜園用の小さなやつだ。正門に通じる庭園にドカドカと置きまくるのは景観が良くないし、裏庭は畜舎で埋まってしまうだろう。

 

食べ物と庭。どちらかを選ぶなんて出来ないと苦悩する私に、エマさんが人差し指を立てて提案を寄越してくる。

 

「ムーンホールド側の中庭はどうですか? 陽当たりはそこまで良くないですけど、広さはそこそこありますし、土は悪くないので軽く整備すれば普通の畑としても使えるはずです。」

 

「いやまあ、私としては文句ないんですけど……従姉妹様が許してくれますかね? 自慢の庭みたいじゃないですか。」

 

「平気ですよ、景観そのものにはあんまり興味ないみたいですから。お気に入りの月時計に干渉しない位置取りだったら文句は言わないはずです。今度手紙で聞いてみましょう。」

 

「なら、先に畜舎の方を進めときます。許可が出たら中庭に取り掛かるってことで。」

 

畜舎か。今から裏手の山で木を切って乾燥させるのは手間だし、木材を買う必要がありそうだな。……よし、どうせならちょっと高いのを買い込んじゃおう。イギリスの木材は暫く弄れなくなるのだ。今のうちに色々と楽しんでおかねば。

 

この機に大工道具も新調しちゃおうかなと考えつつ、紅美鈴は掃除よりも遥かに楽しそうなお仕事に胸を躍らせるのだった。

 



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名探偵リーゼちゃん

 

 

「……どうしたんだい? アリス。」

 

ホグワーツの教員塔にあるアリスの自室。二年生の頃と同じく人形に埋め尽くされたその部屋の中で、アンネリーゼ・バートリは首を傾げながら問いかけていた。朝起きてこの部屋に置いてあるトランクから出た後、ドレッサーの前で髪を梳かしていたのだが……鏡越しにこちらをジッと見つめるアリスの姿が目に入ってきたのだ。

 

私の呼びかけを受けたアリスは驚いたようにびくりと震えた後、あまりにも意味不明すぎる返事を返してくる。

 

「いや、えーっと……同棲するのってこんな感じなのかなと思いまして。」

 

「いやまあ、全然違うと思うけどね。キミと私はそもそも家族だし、昔から一緒に住んでるし、恋人ですらないだろう? そして何より女同士じゃないか。無理やり当て嵌めるとしても『ルームシェア』が精々だよ。」

 

デラクールと同棲中のウィーズリー家の長兄のことでも考えていたのか? 何故か私の言葉にダメージを受けているような顔になった鏡の中のアリスは、あたふたと手を振りながら素っ頓狂な言い訳を述べてきた。

 

「それはまあ、そうなんですけど……最近は同性が好きな人も社会的に認められてきたわけじゃないですか。その辺の社会情勢について考えてたんです。」

 

「朝起きていきなり考えるにしてはヘビーな内容だが……そうだね、私は別に偏見はないよ。大昔からあることだしね。」

 

というか、正確に言えばどうでも良いというのが本音だ。父上の知り合いには一歳未満の赤子しか愛せないとかいう頭のおかしな吸血鬼も居たらしいし、そういう連中に比べれば遥かに正常な嗜好だろう。私の知らんところの恋愛事情にまで口を挟む趣味などないさ。

 

一応は議論に乗っかった私に対して、アリスは恐る恐るという態度で話を続けてくる。続くのか、この話。どうやら本気で同性愛について考えていたらしい。普通、朝のコーヒータイムに何の切っ掛けもなくそんなことを考えるか? 魔女の思考は相変わらず理解不能だな。

 

「仮にですよ? もし仮にそういう感情を向けられたとしたら、リーゼ様は嫌になりますか?」

 

「恋愛のことはさっぱり分からんが、根底に好意があるなら嫌にはならないと思うよ。受け入れるかどうかはその時になってみないと何とも言えんがね。……まさかキミ、誰かに言い寄られてるのか?」

 

路線としてはやや外れている気もするが、それにしたってアリスから『恋愛話』が出るというのは珍しいことだ。慌てて振り向いて送った疑問に……むう、怪しいな。アリスは大きく首を振りながら否定の返答を寄越してきた。

 

「いやいやいや、違いますよ。全然違います。そういう相手は居ません。」

 

「本当だろうね? ……頭ごなしに否定するつもりはないが、隠れて付き合うのだけは許さんぞ。相手が出来たらきちんと紹介したまえよ? 私がしっかり見定めてあげるから。」

 

もしそんな日が訪れたとなれば、私は魅了と開心術と真実薬で真意を問い質さねばならんのだ。しかし、前に同性云々の質問を挟んできたということは……ひょっとして、相手は女性なのか?

 

うーむ、なんか納得できてしまうな。アリスは親の贔屓目抜きで美人なのにも関わらず、学生時代から今の今まで恋人は一人も作らなかった。それどころか異性に惹かれている様子すら全く見せなかった始末だ。

 

これが紫の社会不適合魔女なら『だろうね』で済むが、アリスの場合は平均以上の社交性を誇っているわけだし、異性と出会う機会は多かったはず。学生時代に言い寄られたことも一度や二度ではないだろう。それはそれで気に食わんが。

 

まさか、ヴェイユに恋していたとか? ……どうなんだろう。ヴェイユが結婚する時は素直に祝っていたような覚えがあるが、思い当たる相手なんてそれくらいだ。身内以外ではぶっちぎりで心を許していたし、有り得ない話ではない気がする。むむう、だとすれば大問題だな。気付けなかった私は親代わり失格だぞ。

 

アリスを見ながら驚愕の予想について考察していると、金髪の人形使いどのは焦った表情で否定の言葉を重ねてきた。怪しいぞ。実に怪しい。

 

「本当に違うんですってば。私に好きな『人』は居ません! 人形に誓って嘘じゃありませんから!」

 

「……それならいいんだけどね。」

 

ヴェイユに関しての真実は……うん、尋ねるべきではないだろう。相談してきたら真摯に応じる。親の役目はそんな感じのはずだ。もし将来的に女性の恋人を紹介されたとしても、動揺せずに受け入れてあげねばなるまい。どこからか攫ってきた赤子を紹介されるよりは全然マシだし。

 

今年で遂に七十になる見た目だけは若いままの義娘が、かなり年下であろう『彼女』を紹介してくる光景を想像して微妙な気分になっていると、少し赤い顔のアリスはコーヒーを淹れる人形を横目に軽く話題を逸らしてきた。

 

「だけど、ホグワーツではそういう話も結構聞きますよね。同室のルームメイトとどうこうみたいな話は私の学生時代にもありました。」

 

「私も聞き覚えはあるが、殆どは根も葉もない噂だろう? 去年あたりに咲夜と魔理沙が『そう』だっていう噂が立ったくらいだしね。」

 

「……一応聞きますけど、事実ではないんですよね?」

 

「私の知る限りではね。」

 

肩を竦めて答えてやれば、アリスは若干困ったような表情で考え始めてしまうが……やがて苦笑いで首を振って平時の顔に戻る。私と同じく、『有り得ない』という結論に達したようだ。もしそうならもっと色気のあるやり取りをするだろうし。

 

「まあ、この話題はこの辺にしておきましょう。どう足掻いても妙な方向に向かっちゃいそうですしね。……そういえば、リーゼ様はリヴィングストンと親しかったりするんですか?」

 

「アレシアか。親しいといえば親しいが、それがどうしたんだい?」

 

「授業で少し孤立気味なのが気になってるんです。最近は元気もないみたいですし。」

 

「あれでもキミが来る前よりはマシになってるんだよ。『棍棒なし』の頃のアレシアはルームメイトにすらまともに話しかけられなかったんだ。『棍棒あり』になってから徐々に改善してきたんだが、この前のクィディッチの敗けが響いてるみたいでね。」

 

子猫ちゃんは練習に出ているらしいし、授業を休んでいるわけでもないのだが、今なお元気のない状態が続いているのだ。問題の規模こそ違えど、一年生の頃のジニーに近い雰囲気だから心配しているのかもしれない。アレシアを苦しめているのはバジリスクとトム・リドルではなく、ブラッジャーとケイティ・ベルだが。

 

棍棒片手にどんより沈んでいる子猫ちゃんを思い出している私に、アリスは難しい表情で口を開いた。

 

「心配ですね。今年の一年生は尖った子が居ないので、リヴィングストンは余計に目立っちゃってるんです。」

 

「アレシアに関しては次の試合の結果如何で変化があるだろうさ。……ちなみに、授業中の咲夜の様子はどうなんだい? 当然っちゃ当然だが、私はあの子が授業を受ける姿ってのはあんまり見たことがないんだ。」

 

「咲夜が居る授業は……面白いですよ、色々と。四年生の変身術はグリフィンドールとレイブンクローの合同授業なんですけど、四年生の中でもとびっきり『濃い』面子の集まりなんです。咲夜、魔理沙、ベインのグリフィンドール三人娘は良い感じにバランスが取れてますし、そこにレイブンクローのベーコンやらミルウッドやらが絡むと更に混沌としてきますから。」

 

「ミルウッドってのは知らんが、ベーコンには覚えがあるね。レイブンクローが誇る期待の真面目ちゃんだろう? ハーマイオニーが褒めてたよ。」

 

厳密に言えば名前が美味しそうだから覚えたのだが、そんなアホっぽい逸話は口にしない方がいいだろう。顔をなんとか記憶の中から検索する私へと、アリスは人形が用意したコーヒーを飲みながら応じてくる。

 

「上級生ではぶっちぎりでリーゼ様たちの『カルテット』が悪名高いですけど、次の世代だとあの辺でしょうね。教員の間でも要注意グループになってます。」

 

「まあ、色々とトラブルを起こしている自覚はあるよ。解決してる自覚もあるがね。」

 

ただし、これから先は教員たちのマークが必要ない四人組になるだろう。……なるよな? 何となく不安になりながらテーブルに着いて、私の分も淹れてくれた人形からコーヒーたっぷりのマグカップを受け取った。にっこり笑って丁寧な仕草で渡してくるのを見るに、この人形は穏やかな性格を設定されているようだ。

 

ふむ、『悪戯っ子』好きのアリスにしては珍しいな。静々とテーブルの端まで下がっていくレアな性格の人形を眺めつつ、ミルクを追加している作者どのへと別の話題を放る。

 

「教員の雰囲気はどうなんだい? 防衛術の授業は未だに滅茶苦茶なわけだが。」

 

「割と落ち着いてきてますよ。防衛術だけは確かに混乱が続いてますけど……まあ、仕方がない部分もありますから。持ち回りだとどこまで進んでるかが分かり難いですしね。」

 

現時点で一番ひどいのはトレローニーの授業だったが、僅差で二位のハグリッドも中々だった。あの二人は『日替わり教師』のメニューから外すべきだな。持ち回りの教師が混乱する原因はここにあるんじゃないだろうか?

 

反面、選択授業勢の中でもバブリングやベクトル、バーベッジあたりの授業はそれなりに形になっていた気がする。ダンブルドアの遺した授業計画が綿密だったというのもあるんだろうが、少なくともクィレルの授業よりは遥かに生徒ウケが良かったぞ。

 

一部の『特例』を除いてホグワーツの教師はまあまあ優秀なんだなと改めて実感しつつ、テーブルに頬杖を突いて返事を返す。

 

「ま、ギリギリ今学期は持ちそうかな。今年ハリーたちが六年生で本当に良かったよ。この調子でイモリかフクロウがあったらと思うとゾッとするね。」

 

「リーゼ様たちが六年生の今年も、七年生と五年生はホグワーツに存在してるんですけどね。」

 

「ジニーはもう諦めてたよ。歓迎会でダンブルドアが担当になった時の喜びは何処へやら、今じゃ立派な『フクロウ・ノイローゼ』の罹患者さ。」

 

全体的な内容としてはそこまで悪くもないのだが、ダンブルドアの授業が良かっただけに嫌でも比較してしまうのだ。……新任が比較されて自信を失わずに済んだのは一つの利点なのかもしれないな。リドルが死んでなお一年で辞められるのは悪夢だろうし。

 

さすがにそこまでは計算してないだろうなとため息を吐いてから、どす黒いカフェインの塊を飲んでいると……アリスが徐に人形のお腹を擽りながら話を進めた。恥ずかしそうに悶えているのが妙にリアルだ。また『感情』の再現度を上げたらしい。

 

「とはいえ、イモリが絶対評価なのに対してフクロウは相対評価ですから。平均点が下がれば評価もそれに見合うものになるはずです。……それより昨日マクゴナガルから聞いたんですけど、咲夜はまだダンブルドア先生から渡された記憶を見てないみたいですね。軽々に見ようとしないってことは、何か引っかかっているんでしょうか?」

 

「それに関しては待ちの一手さ。催促するのは違う気がするし、逆もまた然りだ。向こうから相談してくれない限りはお手上げだよ。」

 

私たちには言い辛い悩みだとしても、魔理沙あたりが受け持ってくれるはずだ。ジニーやルーナとも仲良くなったみたいだし、今の咲夜なら一人で思い悩むことはないはず。だったら過度に干渉するよりも様子を見守るのが正解だろう。

 

弱々しい笑みで言った私に、アリスも同じような顔で同意してくる。こういう問題に対しては吸血鬼も魔女も形無しだな。

 

「もどかしいですけど、その方が良さそうですね。……レミリアさんには内緒にしておきましょうか。」

 

「だね。咲夜が『手紙攻勢』を食らったら可哀想だし、私が食らうのは普通に面倒くさいよ。」

 

親バカ吸血鬼には悪いが、今だけは引っ込んでおいてもらうとしよう。私たちだって我慢して引っ込んでるんだからおあいこだ。鼻を鳴らしながらコーヒー飲み干して、立ち上がって大きく伸びをする。そろそろ一日を始めるとするか。

 

「それじゃ、大広間に行こうか。コーヒーで目が覚めたら今度はお腹が空いてきたよ。」

 

「そうですね、行きましょうか。」

 

クスクス微笑みながら席を立ったアリスを尻目に、先にドアを抜けて廊下に出てみると……おお、さっむいな。いきなり部屋に戻りたくなる気温が出迎えてきた。雪が降りそうな天気だし、今日飛行訓練がある生徒は運が悪いらしい。

 

「物凄く寒いぞ。気を付けたまえ、アリス。」

 

「……本当ですね。防寒魔法が切れちゃってるんでしょうか?」

 

目をパチクリさせながら杖を振ったアリスだったが、呆れたような表情に変わると杖を仕舞って白い吐息を漏らす。

 

「きちんとかかってますね。つまり、外は更に寒いってことです。」

 

「ってことは、今日は城から出るべきじゃないわけか。……冬は嫌いじゃないんだが、こればっかりは歓迎しかねるよ。」

 

「うーん、私はもう少し過ごし易い季節の方が好みですけど……リーゼ様はどうして冬が好きなんですか?」

 

歩き出した私に続きながら世間話を放ってきたアリスに、窓の外の薄く積もった雪を横目に返答を送る。

 

「一番は空気の匂いだね。冬の夜の透き通ったようなあの匂いが好きなのさ。あとはまあ、ベッドに入った時に気持ちいいってのもあるかな。寒い日のベッドは格別だろう?」

 

「あー、それはちょっと分かりますね。……逆に夏は嫌いなんですか?」

 

「嫌いだよ。暑いし、虫が多いし、日差しも強い。私に限らず、吸血鬼は大抵夏が嫌いなのさ。」

 

母上なんかはよくドレスを捲り上げて父上に注意されていたもんだ。幼い頃の私が真似するようになると途端にやめてしまったが。遥か昔の光景を思い起こしている私へと、アリスは廊下を進みながら相槌を寄越してきた。

 

「何と言うか、イメージ通りですね。……となると、幻想郷に行った後は苦労するんじゃないですか? 日本の夏はイギリスよりも暑いみたいですよ?」

 

「らしいね、パチェから聞いた覚えがあるよ。幻想郷はそこまでじゃないことを祈るばかりさ。」

 

幻想郷育ちの魔理沙が『こっちの夏は涼しくていいな』と言ってたし、望み薄かもしれないが。憂鬱な気分で応じたところで、人気の無い朝の廊下に居る一人のレイブンクロー生の姿が目に入ってくる。きっちり整った冬用の制服と、上級生は誰も使っていない学校指定のマフラー。さっき話に出てきたベーコンだ。

 

「何をしているんだ? あの子は。」

 

しゃがんでいる……というか、もはや四つん這いに近い格好で中央階段の手すりに張り付いているわけだが、どう見ても『優等生』って格好じゃないぞ。身を隠しながら下を覗き見ているのか? 謎のポーズをしているベーコンを指して聞く私に、アリスは何ともいえないような表情で答えてきた。

 

「状況はさっぱり分かりませんけど、あんまり見られたい格好じゃないってことだけは分かります。……道を変えましょうか。」

 

「本当は寒いから嫌なんだが、期待してたハーマイオニーに免じて情けをかけてあげようか。」

 

下を覗くのに夢中で本人は気付いていないようだが、腰を上げている所為でここから見るとかなりお間抜けな格好なのだ。アホらしい気分になりつつ踵を返そうとしたところで、急に振り返ったベーコンと目が合ってしまう。うーむ、気まずい瞬間だな。

 

とりあえず軽く手を振ってやると、ベーコンは硬直したままでじわじわと顔を赤く染めていき……慌てて立ち上がって聞いてもいない弁解を述べてきた。

 

「あのっ、私……落し物! 落し物なんです!」

 

「私が思うに、キミは落し物ではないんじゃないかな。ここまで自分の意思で歩いてきたわけだろう?」

 

「そうじゃなくて、落し物をしたってことです! それを探していて……でも、見つかりました! なので失礼します!」

 

真っ赤な顔で勢いよくそう主張したベーコンは、早足で廊下の先へと消えて行く。それを見送った後で、階段に近付きながら口を開いた。

 

「うーん、元気な子だね。印象と違ったよ。」

 

「いや、いつもはクールな感じなんですけどね。……何を見てたんでしょうか?」

 

「いい質問だ。確かめてみようじゃないか。」

 

ニヤリと笑って中央階段の手すりから身を乗り出してみれば……おやまあ、金銀コンビじゃないか。一階の廊下でお喋りしている見慣れた二人が視界に映る。壁に貼ってあるゾンコのポスターを前に何かを相談しているらしい。

 

「咲夜と魔理沙だね。ベーコンはあの二人をこっそり見てたってわけだ。……うん、ますます分からん。仲が悪いわけじゃないんだろう?」

 

「そのはずです。友達ってほど親しくはないみたいですけど、授業では普通に会話してましたし……私も分かりません。どうして隠れて見てたんでしょうか?」

 

「理由は不明だが、悪意がある感じではなかったかな。『先輩』や『先生』が問い詰めるほどのことでもないし、放っておいていいんじゃないか?」

 

「気になりますけど、考えても答えは出なさそうですね。」

 

首を傾げるアリスに頷いてから、一階に向かうためにそのまま階段を下り始めた。……六年生に六年生の事情があるように、四年生には四年生のそれがあるのだろう。今度さりげなく二人に聞いてみるとするか。

 

踏むと噛み付いてくる段を飛び越しながら、アンネリーゼ・バートリはどんどん複雑化する人間関係を思って苦笑するのだった。

 



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人か、妖か

 

 

「何て言うか、普通だったな。……悪い意味じゃないぞ? 普通に良い結婚式だったってことだ。」

 

記憶を映し終えた憂いの篩から身体を離しつつ、霧雨魔理沙はぼんやり立ち尽くす親友に声をかけていた。ダンブルドアはこれを見せることで咲夜に何を伝えたかったんだろうか? 私にはさっぱり分からなかったぞ。

 

一月も終わりそうな今日、咲夜に頼まれて二人でダンブルドアから贈られた記憶を見ることになったのだ。先ずは『結婚式』というラベルが貼られていた記憶を見てみたわけだが、そこには幸せそうなヴェイユ夫妻の結婚式の記憶があるばかりで、特に重要そうな会話も光景も見当たらなかったのである。

 

見たいものが沢山あるであろう咲夜に代わって、私がダンブルドアの見せたい部分を探し当てねばと気合を入れて臨んだのだが……うーむ、よく分からなかったな。私の言葉に咲夜が曖昧な頷きを返したところで、校長室の主人たるマクゴナガルが話しかけてきた。私たちが記憶を見ている間、執務机で書き物をしていたようだ。

 

「戻りましたか。……無理に話を聞いたりはしませんが、紅茶の一杯くらいは飲んでいきなさい。考えたいことがあるなら記憶が鮮明なうちに考えておくべきですよ。」

 

いつもより優しさ五割増しくらいの声色で言った新米校長どのは、杖を振って応接テーブルに紅茶を出現させる。まあ、そうだな。若干拍子抜けしている私と違って、咲夜は記憶を見ることで何かを感じ取ったようだし、そうした方が良いのかもしれない。率先してソファに座ってやると、咲夜もおずおずと隣に腰を下ろしながら口を開く。

 

「私……どう言えばいいのか分かりません。マクゴナガル先生は私のお母さんとお父さんの結婚式を覚えていますか?」

 

「勿論ですとも。暗い時代でしたが、それを忘れられるような素晴らしい結婚式だったことを覚えています。記憶の中に私の姿はありませんでしたか?」

 

「ありましたけど、もう随分と前のことですし……その、忘れちゃってるかと思いまして。」

 

「それは心外ですね。私は大事な生徒の結婚式を忘れるほど薄情ではありませんよ。それがヴェイユ先生の娘さんのものであれば尚更です。……ええ、今でもはっきり思い出せます。フランドールのぎこちないスピーチも、みんなで用意したケーキの味も、照れたように微笑む二人のことも、まるで昨日のことのように鮮明に。」

 

最初は戯けるように語っていたマクゴナガルは、最後には僅かに瞳を潤ませて感慨深い表情になってしまった。そのまま少し俯いて深く息を吐くと、今度は校長どのから咲夜に対して質問が放たれる。

 

「両親が恋しくなりましたか?」

 

「いえ、そうじゃないんです。そうじゃなくて、私は……やっぱりよく分かりません。言いたくないわけじゃないんですけど、自分の気持ちをどう表現すればいいのかが分からなくて。」

 

「……であれば、無理に言わなくても構いませんよ。私から貴女に伝えておくべきことはたった一つ。私たちには聞く用意があるということだけです。私も、マーガトロイドさんも、バートリ女史も、恐らくスカーレット女史やフランドールも。話したいことが出来たら貴女の好きなタイミングで話してみなさい。皆きちんと受け止めてくれるはずですから。」

 

「……はい、そうします。」

 

教師としてのそれと、個人としてのそれが混ざり合った穏やかな微笑みで言ったマクゴナガルに、咲夜はぎこちない笑みで首肯を返す。……何が引っかかっているんだろうか? こういう時は自分の経験の無さが恨めしいな。同じ記憶を見たというのに、私には皆目見当が付かないぞ。

 

ちょっとだけ情けない気分で甘めの紅茶を飲んでいると、マクゴナガルの背後から聞き覚えのある柔らかい声が飛んできた。肖像画の中のダンブルドアだ。安楽椅子に座ってこちらを安心させるような笑みを浮かべつつ、深いブルーの瞳を真っ直ぐ咲夜に向けている。

 

「迷うのは君が健全な心を持っている証拠じゃ。……しかし、忘れるなかれ。どちらの道も君にとってそう悪いものではないということを。どのアイスクリームにもそれぞれの良さがあるのじゃ。ストロベリーか、バニラか。真に大切なのは君が食べたい方を選ぶということじゃよ。」

 

いやはや、ダンブルドアは肖像画になってもダンブルドアのままだな。謎めいた発言に私とマクゴナガルが首を傾げているのを他所に、咲夜だけはおぼろげに真意を理解しているような顔付きで返事を口にした。

 

「でも、選ばなかった方は食べられません。折角私のことを想って用意してくれたのに。……私、本当はもうどちらを選ぶのかを決めています。それなのに悩んでいるのは、選ばなかった方が溶けて無くなってしまうのが申し訳ないからなんです。それは贅沢な悩みなんでしょうか?」

 

「ほっほっほ、優しい悩みじゃのう。……わしが思うに、アイスクリーム自体はどうでも良いのじゃ。それを渡した者が望んでいるのは君の笑顔なのではないかね? たとえ差し出したアイスクリームが選ばれなかったとしても、君が笑顔になってくれればそれで満足なのだと思うよ。」

 

そう言ってパチリとウィンクすると、肖像画の中のダンブルドアは立ち上がって絵の外へと消えて行く。尚も悩んでいる表情でそれを見送った咲夜は、紅茶を飲み干してからソファを離れた。

 

「紅茶をご馳走さまでした、マクゴナガル先生。それと、憂いの篩を使わせてくれてありがとうございました。……私、少し自分で考えてみることにします。」

 

「そうですか。……アルバスから受け取った記憶はまだあるのでしょう? 見たくなったら遠慮せずに言いなさい。憂いの篩はいつでも使えますからね。」

 

「ありがとうございます。」

 

ペコリとお辞儀してからドアへと歩き出した咲夜に続いて、私も急いでカップを空にしてその背に続く。……そんな目で見なくても分かってるよ、マクゴナガル。相談に乗ってやれってことだろ? 言われなくてもそうするさ。

 

目線で訴えかけてくる校長どのに肩を竦めて頷いた後、咲夜と共に螺旋階段を上って三階の廊下に出ると……ありゃ、もう外が暗くなってるな。記憶を見る時は毎回こうなのだが、体感以上に時間が経っちゃっているらしい。

 

「今何時だ?」

 

常に時計を持ち歩いている咲夜に問いかけてみると、彼女は懐から取り出したお気に入りの懐中時計をチェックしつつ答えてくる。何度見てもカッコいい時計だな。懐中時計には少し憧れがあるのだが、いつもこれを目にしている所為でどの店に行っても見劣りしてると感じてしまうのだ。キリがないし、そろそろ妥協して買うべきなのかもしれない。

 

「えっと……夕食直前よ。直接大広間に行きましょうか。」

 

「そうすっか。」

 

端的に応じてから、咲夜と並んで見慣れた廊下を歩き始めるが……むう、どう切り出せばいいんだ? ダンブルドアとの会話で何かしらの選択について悩んでいることまでは察せたが、比喩が入りすぎていて具体的な内容までは分からなかったぞ。

 

どういう風に聞けばいいのかと悩んでいると、やおら咲夜の方から話の口火を切ってきた。やや沈んだ表情でだ。

 

「良い人だったわね、私の両親。みんなから祝福されてたわ。……これまでの記憶でもそうだったけど、どうやら私のお父さんとお母さんは善良な人みたい。」

 

「……それなのに何で残念そうな顔なんだよ。極悪人の方が良かったのか?」

 

「そんなわけないでしょ。そのことに関しては普通に嬉しいし、安心してるわよ。……ただ、アリスも妹様もちょっと大袈裟に言ってるんだとばかり思ってたの。私に気を使ってね。だけど、本当に良い人だった。それが少しだけ……そう、怖くなっちゃって。」

 

「怖くなった? どういう意味だ?」

 

自分の両親が良いヤツなのが怖い? 意味不明な言葉にきょとんとする私に対して、咲夜は難しい顔で訥々と語ってくる。

 

「だからね、つまり……私はあの人たちに相応しい娘なのかってことよ。」

 

「いやいや、相応しいも何もないだろ。そういう感じに子供を『評価』するタイプの人たちには見えなかったぞ。」

 

「それはそうなんだけど、そうじゃなくて……ああもう、難しいわね! 上手く説明できないわ。イライラしてきちゃったじゃないの!」

 

なんだそりゃ。わしゃわしゃと自慢の銀髪を掻き毟った咲夜は、荒々しい歩調で廊下を進みながら話を続けてきた。こういう咲夜は珍しいな。完全に『素』が出ちゃってるぞ。

 

「結局は私の問題なのよ。それは分かってるの。両親がどう思うかじゃなくて、お嬢様方がどう反応するかでもなくて、私自身が引き摺っちゃうってこと。」

 

「あー……すまんが、よく分からん。両親が良い人だから、自分が相応しいかが心配ってことか? お前だって別に悪いヤツじゃないだろ。友達は居るし、成績も良ければ、身の回りの仕事なんかもきっちりやってて、人格も問題ない。何が引っかかってんだよ。」

 

「……お嬢様方には内緒にしてくれる?」

 

ピタリと立ち止まって聞いてきた咲夜に、内心で驚きながら肯定の返答を返す。……リーゼやレミリアには知られたくないってことか? 『お嬢様至上主義者』のこいつらしからぬ発言だな。

 

「おう、約束する。言ってみろよ。」

 

「……先に断っておくけど、私はお嬢様方のことが好きだし、尊敬してるし、ずっとお仕えしたいと思ってるわ。そのことを前提にして聞いて頂戴ね? ……それでもお嬢様方は吸血鬼なのよ。私だっていつまでも何も知らない子供じゃないの。お嬢様方が必ずしも『善良』なことばかりやってきたわけじゃないことくらい理解してるわ。これから先にそういう選択をする可能性があるってこともね。」

 

「……まあうん、そうだな。妖怪ってのはそういうもんだ。」

 

罪もない人を殺したことがあるかもしれないし、人間を食ったことも多分あるのだろう。彼女たちが妖怪である以上、それは私たちが豚や牛を殺して食うのと同じようなことなのだから。

 

ちょっと気まずい気分で首肯した私に、咲夜はため息を吐きながら続きを語る。

 

「もちろん責めるつもりはないわ。今の私にはそういう部分も含めた上で、吸血鬼たるお嬢様方の従者になる覚悟があるの。……でも、お父さんとお母さんはどう思うかしら? 実際にその時が訪れた時、私に出来るかどうかは分からないけど……もしかしたら私がお嬢様方に命じられて人を殺したり、捌いたりする日が来るかもしれないわけでしょ? 自分の娘が人間を殺してバラバラにした挙句、その肉をブルーレアに焼いてる姿を想像してみなさい。少なくとも誇らしい気分にはなれないはずよ。」

 

「そりゃまあ、そうかもしれないけどさ。だけど……それはまた別の話だろ。上手くは言えんが。」

 

今度はこっちが口籠る番か。言われてみれば確かにそうだな。現実問題としてリーゼやレミリアが咲夜に人間を殺させたり捌かせたりするかは甚だ疑わしいところだし、人間たる咲夜だったり『元人間』のノーレッジやアリスなんかが居る以上、この先人肉を食べようとするかも微妙な気がするが……可能性って話になると無いとは言い切れないのだ。あいつらも歴とした妖怪なのだから。

 

それに、人間を食べる食べないに関わらず『悪事』は普通に行いそうだな。レミリアなんかは他人への迷惑を躊躇するタイプじゃないし、リーゼやフランドールにしたって身内以外にはそれほど拘らないはずだ。その結果として見知らぬ人間が死のうが、あの吸血鬼たちは私たちほど気にしないだろう。

 

妖怪と人間。両方の『常識』を知っている身としては微妙な問題に悩んでいると、咲夜が困ったような苦笑いで口を開いた。

 

「さっきも言った通り、結局は自分の問題なのよ。両親が私の選択を悲しむかどうかなんて誰にも分からないわけだしね。……それでもやっぱり気になっちゃうの。紅魔館に引き取ってもらったのも、マクゴナガル先生やダンブルドア先生なんかが気遣ってくれるのも、結局はお父さんとお母さんが遺してくれた繋がりがあったからでしょう? ポッター先輩と同じように、私も両親に色々なものを遺してもらってるわけよ。その恩を仇で返すのはどうなのかと思って。」

 

「仇ってのは言い過ぎだろ。……まあ、お前が何を悩んでるのかは大凡理解できたよ。解決が難しい問題ってこともな。」

 

本人も言っているように、これは咲夜自身の捉え方によるところが大きい問題だ。自覚があるだけまだマシだが、それでも解決には何らかの切っ掛けが必要だろう。

 

私としては似たような境遇のアリスあたりに相談すべきだと思うのだが……うーむ、約束してしまった以上は私から詳細を話すわけにはいかないし、咲夜は相談するのを躊躇っているご様子だ。まさか無理やり話させるわけにもいかないだろう。

 

厄介なことになってきたな。人間としての善性と、妖怪としての常識。二つの狭間で悩む親友を見ながら、霧雨魔理沙は小さくため息を零すのだった。

 



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ガールズトーク

 

 

「もううんざりだよ。『どこへ、どうしても、どうやって』だってさ。僕に言わせりゃドン底、ドン詰まり、ドンケツだ。」

 

メゾネット教室の練習スペースで苛々と杖を振りながら愚痴るロンを前に、アンネリーゼ・バートリはアホらしい気分でクッションに腰掛けていた。ロンの相談に乗るか、それとも真面目に授業に取り組むか。どっちを選んでもロクな結果にはならなさそうだな。

 

二月も二週目に突入した晴れた日の午後、私たちは楽しい楽しい防衛術の授業の真っ最中なのだ。今日の日替わり教師は我らがシビル・トレローニーということだけあって、教室の光景は惨憺たる有様になっている。

 

まあ、トレローニーが頑張ろうとしているのは認めよう。三年生の時のハーマイオニーの評価や、五年生まで占い学を続けていたハリーやロンの話を聞く分に、あまり良い教師ではないというイメージだったのだが……瓶底眼鏡どのはダンブルドアが組み立てた授業スケジュールを完遂しようと必死に努力しているらしい。ミス・占い嫌いさえもがその『姿勢だけ』は認めているほどだ。

 

とはいえ、実際に上手く行くかどうかは別の話。根本的に知識不足なのか、それともこれが素の教え方なのかは分からんが、トレローニーの説明があまりにも抽象的すぎる所為で生徒たちは苦戦を余儀なくされている。今日の課題は侵入者避け呪文なのだが、ロープで区切られた円の中への侵入を防げたのは未だハーマイオニーただ一人。……これは次の授業に持ち越されそうだな。そもそもトレローニー自身が成功していないのだから宜なるかなというものだろう。

 

生徒と一緒に練習しているへっぽこ予見者を見ながらため息を吐いていると、ロンが先週から始まった姿あらわしの集中講義に関する文句を再開した。ちなみにハーマイオニーは向こうでグリフィンドールの学友たちへの指導を行っており、ハリーはロンが魔法をかけている輪っかの中に出たり入ったりを繰り返している。当然ながら妨害される気配はゼロだ。

 

「みんな軽々と使ってたから、こんなに難しい魔法だなんて思わなかったよ。……リーゼ、コツを教えてくれ。使えるなら知ってるだろ?」

 

「どっちのコツを聞いてるんだい? 姿あらわしか、侵入者避けか。」

 

「もちろん両方だ。」

 

「だったら教えてあげようじゃないか。どっちのコツも『どこへ、どうしても、どうやって』さ。姿あらわしも侵入者避けも目標と動機、それに手順をはっきりさせないと上手く作用しないんだ。集中講義の教師が誰なのかは知らんが、そいつは正しいことを言ってると思うよ。」

 

パチュリーが私に姿あらわしを教える際にも同じようなことを言っていたのだから、その教師が優秀なのは間違いないだろう。クッションの毛玉を毟りながら放った私の答えを受けて、ロンは不満そうな表情で返事を寄越してきた。

 

「だけど、上手くいかないぞ。どっちの呪文もだ。」

 

「それはだね、ロナルド君。コツ以前に杖の振り方が違うからじゃないかな。姿あらわしの方はともかくとして、今のキミが間違えてるのはそこさ。」

 

「……どうして今の今まで教えてくれなかったんだ?」

 

「今の今まで聞かれなかったからね。……求めよ、さらば与えられんってやつだよ。神だって図々しく要求しないと応えてくれないんだから、吸血鬼相手なら言わずもがなだろう?」

 

パチリとウィンクした私にジト目を向けた後、ロンは杖を下ろして教科書を再確認し始める。それを横目に毛玉を纏めて『ピグミーパフもどき』を作っている私へと、輪っか侵入運動から解放されたハリーが声をかけてきた。

 

「ハーマイオニーから聞いたんだけど、姿あらわしに失敗すると『バラけ』ちゃうんだよね? 夏休みの練習の時は大丈夫なの?」

 

「あー……多分治せるよ。多分ね。ダメだったら聖マンゴに行けばいいさ。トランクに詰めて持って行ってあげるから。」

 

「……僕、やっぱり来年の集中講義まで待つことにしようかな。よく考えたらホグワーツに戻った後は使えなくなるわけなんだし。」

 

「それでもいいが、八月にブラックと旅行に行くんだろう? その時使えれば何かと便利だぞ。私も日本に行った時は頻繁に使ったしね。」

 

肩を竦めながら唆してやれば、ハリーはバラける恐怖と姿あらわしの便利さを天秤にかけて苦悩し始める。この前彼に聞いたところによると、ブラックは愛しい名付け子と二人で夏休みに大陸の国々を回るつもりらしい。マグルのサイドカー付きのバイクを新車で買って、アーサーと一緒に『改造』を楽しんでいるんだとか。お古の空飛ぶバイクはハグリッドにプレゼントしたそうだ。

 

ま、別に文句はないさ。色々と制限があった所為で遠出できなかったハリーにとっては良い経験になるはずだ。同行者がブラックというのがやや不安なところだが、今の彼はプリベット通りに縛り付けられる必要などない。成人祝いに自由な旅を満喫するのも一興だろう。

 

とうとう呪文を成功させたのか、付き合いのいいハッフルパフの生徒たちから拍手喝采を浴びているトレローニーを眺めつつ考えていると……同級生たちへの『授業』を一段落させたらしいハーマイオニー先生が戻ってきた。生徒たちとハイタッチする瓶底眼鏡どのの方を見て、実に不満そうな表情を浮かべながらだ。

 

「あの人、そもそも上級の防衛術を習ってないんじゃないかしら? だとしたら今までの授業の有様にも説明が付くわ。」

 

「だが、助け合うことの重要さは学べているみたいじゃないか。イモリには出題されないだろうけどね。」

 

「……まあ、今回ばかりは仕方がないわ。ダンブルドア先生が居なくなってみんな苦労してるんだから、私たち生徒も協力していかないと。」

 

諦めたようにやれやれと首を振ったハーマイオニーは、ハリーに目線を送って呪文の練習を促す。今度は彼女が輪っか侵入運動をするようだ。もっとマシな練習方法はないんだろうか?

 

「そういえば、ジニーとはどうなってるんだい?」

 

杖を振りかぶったハリーに質問を飛ばしてみると、彼はあらぬ方向へと呪文を放ちながら少し赤い顔で応じてきた。まーだ慣れてないのか。もう付き合って何ヶ月も経ってるだろうが。

 

「あー……うん、悪くないよ。」

 

「つまり、良くもないわけだ。」

 

「いや、そういうわけじゃないんだけどさ。……ジニーには内緒にしてよ? 僕、何をどうしたらいいのかが分かんないんだ。付き合った人って何をすべきなの?」

 

「そりゃあキミ、こっそり恋文を送りあったりするんじゃないのか? あとは一緒に散歩したり、買い物に行ったりするんだろうさ。」

 

何を今更という顔で言ってやると……何だ? ハーマイオニーが微妙な表情になったかと思えば、おずおずと問いを繰り出してくる。

 

「あのね、リーゼ。恋文を送り合うっていうのはちょっと古いんじゃないかしら? 今の人はその、あんまりやらないと思うわよ?」

 

「……だが、散歩や買い物はするんだろう? 三分の二が正解ってことは、即ち私の感覚は『現代的』ってことだ。」

 

「それはそうかもだけど……えっと、リーゼって誰かと付き合ったことあるの?」

 

無言で目を逸らした私を見て、ハーマイオニーは然もありなんと頷きながら口を開く。なんか嫌な方向に話が進み始めているな。

 

「そうよね、安心したわ。……まあその、リーゼはまだ知らなくてもいいんじゃないかしら。ハリーの場合は知らないとマズいでしょうけど。」

 

「キミ、私を子供扱いしてるね? 言っておくが、男女が何をするかなんてとっくに知ってるんだぞ。私にそういう経験が無いのは人間と吸血鬼の恋愛観が違うからだよ。それだけの理由さ。」

 

生々しい『ガールズトーク』はお好きじゃないのだろう。私の発言を聞いてそそくさとロンの方へと避難していったハリーを他所に、ハーマイオニーは興味深そうな顔付きで話を続けてきた。

 

「どの辺が違うの?」

 

「人間はくっ付いたり離れたりするようだが、吸血鬼は『番』になったらそれを貫くんだ。要するに、不貞は吸血鬼の倫理観だと重罪なのさ。血筋に混乱が出るし、同族への背信は何よりの罪だからね。他人をいくら裏切ろうが笑い話で済むけど、身内に対するそれは許されないんだよ。」

 

「単に付き合うのもダメってこと? ……だからその、『清純なお付き合い』って意味ね。」

 

「罪とまではいかないものの、結果的に成婚しないのであれば褒められた行為ではないだろうね。相手が『格下』の人間だったら別だが。……一応断っておくと、私個人の考え方じゃないぞ。吸血鬼全体としての価値観の話だ。」

 

同格相手だと話は別だが、『ペット』相手ならいくら遊ぼうが大した問題にはならないのだ。父上や母上はそういう話とは無縁だったものの、知り合いの中には人間の美男美女をペットにして『楽しんでいた』吸血鬼も存在している。

 

ちなみにエマなんかはそういった経緯で生まれたハーフヴァンパイアの一人だ。父上の親戚の家で誕生した後、『ペット贔屓の実父を疎む義母に冷遇される』という絵に描いたような苦難に陥っていたところを、先方の家を訪れた父上が見るに見かねて引き取ったらしい。バートリ家に来た当初は何もかもに怯える暗い性格をしていたのだが、いつの間にかあんな感じになってしまった。

 

更に詳しく言えば、ハーフヴァンパイアにも人間寄りの短命早熟な者と吸血鬼寄りの長命晩熟な者の二種が存在している。人間寄りの者はそのまま殺されるか『家畜』として扱われ、エマのような吸血鬼寄りは一定の権利を与えられて下働きなんかになっていくわけだが……改めて人間側の常識から考えると残酷な所業だな。あくまで別種であるという認識の上で交わるからこういうことになるのかもしれない。この辺は魔法界の純血主義にも繋がるものがありそうだ。

 

社交の場でちらほら見た『首輪付き』の人間を思い出していると、ハーマイオニーは困ったような顔で返事を返してきた。

 

「何て言うか、昔の貴族社会みたいね。」

 

「言葉を選ばなくても結構だよ。他種族の文化なんてのは大抵異常に見えるもんだしね。人間側の視点から端的に表現するなら……そうだな、『古臭くてお堅い選民思想』ってのがピッタリかな。どこかで聞いたような話じゃないか。」

 

「それぞれの文化や倫理観があるのは尊重したいんだけど、リーゼが『本命吸血鬼』以外の人間を取っ替え引っ替えするっていうのは……ちょっと嫌かも。」

 

「心配しなくても、私は吸血鬼的に言うと既に『異常』な価値観を持ってるからね。そうはならないと思うよ。……というかそもそも、吸血鬼で同世代の異性ってのが存在しないんだ。少なくともヨーロッパ圏だと望み薄だね。である以上、吸血鬼の社会も変化せざるを得ないんだろうさ。」

 

同性ならばレミリアやフラン以外にも生きていそうな心当たりはあるものの、どうやら私たちの世代は男女比が偏ってしまったようで、異性となると全く思い付かないのだ。……バートリ家の純血性も私の代で終わる可能性があるな。個人的にはもはやそこまで拘ってもいないのだが、レミリアなんかはどう思っているんだろうか? あいつは家に傾ける情熱が強いし、もしかしたら気にしているのかもしれない。

 

とはいえ、今更吸血鬼らしい吸血鬼にアプローチされてもレミリアは嫌がるだろう。私ほどではないにせよ、あいつもあいつで価値観は変化しているはずだし。スカーレット家の婚姻問題へと思考を飛躍させていると、ハーマイオニーが腕を組みながら話を締めてくる。

 

「何にせよ、リーゼにとっては遠い話なのよね? つまり、身体がきちんと成長するまでは関係ないんでしょう?」

 

「まあ、そうだね。一応それに足る人格は形成されてると自負してるけど、吸血鬼の社会でも惚れた腫れたは身体がある程度成長した後の話らしいし、何よりキミたちの社会倫理的にこの姿の私とどうこうってのは……平たく言って異常なんだろう?」

 

「うーん、単純な年齢で考えると年上なわけだから一概に判断できないけど……そうね、『正常である』とは言えないんじゃないかしら。その辺は特殊なケースすぎて何とも言い兼ねるわ。」

 

「とにかく、私が誰かに恋の相談を仕掛けるのは早くても二、三百年先ってことだよ。それより今はハリーだろう? 私としてはジニーと上手いこと添い遂げてもらいたいわけだが……人間的に言うと、初めての恋人と結婚するっていうのは珍しいことなのかい?」

 

話のレールを強引に元に戻してやれば、ハーマイオニーは頰を掻きながら苦笑を寄越してきた。珍しいことらしい。

 

「それなりの美談になるくらいには珍しいけど、有り得ないってほどでもないわ。私としても二人が別れて気まずくなるのは嫌だし、上手く行ってもらいたくはあるわね。」

 

「なら、先ずは外堀を埋めようじゃないか。……ロン、キミも協力したまえ。『妹の別れた彼氏が親友』と『妹の夫が親友』。どっちが良いんだい?」

 

ハリーと一緒に小さくなって話から避難しているロンに質問を投げると、赤毛のノッポ君はかなり嫌そうな表情で渋々回答を口にする。

 

「どっちかって言えば後者さ。どっちかって言えばね。……大体、結婚だのを考えるのはまだ早いよ。ハリーは十六歳で、ジニーは十五歳なんだぞ。頼むからミュリエル大おばさんみたいなこと言わないでくれ。」

 

「早いのかい? ……そもそも魔法界の適齢期はいつなんだ? 周りの魔法使いはバラバラでよく分からないんだよ。」

 

ポッター夫妻やアーサーとモリー、咲夜の両親なんかは卒業してすぐに結婚したようだが、テッサ・ヴェイユは三十歳の辺りだったはずだし、特殊なケースとはいえルーピンは更に遅い。マクゴナガルも相当遅かったはずだ。すぐに死別してしまったらしいが。

 

自分の知る情報を整理しながら悩む私に、ハーマイオニーが横から答えを差し出してきた。

 

「昔は二十歳付近が多かったみたいだけど、今はもう少し遅いはずよ。……まあ、平均はあくまで平均って考えた方が良いと思うわ。昔だって晩婚はあったし、今の早婚も珍しくないもの。」

 

「それ以前に、僕とジニーは付き合い始めたばっかりなんだ。結婚のことなんか考えたこともないよ。……もしかして、考えるべきなの?」

 

青い顔で後半を付け足したハリーへと、我慢できなくなったかのようにロンが口を開く。一刻も早くこの話題を終わらせたいという表情だ。

 

「いいか? 今の僕たちが考えるべきは侵入者避け呪文のことだ。それが終わったら姿あらわしとクィディッチのことで、その後は今学期の期末試験のこと。そして来年はイモリ試験と就職のことを考えなきゃいけない。……仮に、万が一、もしかして結婚のことを考えるとしてもそれからだろ? 絶対に今じゃないぞ。」

 

「あー……うん、僕もロンに賛成かな。先ずは闇祓いだよ。他のことにうつつを抜かして就けるような職業じゃないわけだしね。」

 

「……まあそうね、それは正しいわ。しっかりとした職を手に入れてからでも遅くないはずよ。」

 

うーむ、ハリーは話題から逃げるように同意して、ハーマイオニーは大真面目に納得してしまったな。私としてはジニーの恋模様の方がお勉強より楽しい話題なんだが……いいさ、そっちは放っておいても勝手に進展してくれるだろう。今は様子見といくか。

 

何度も呪文を成功させて有頂天なトレローニーを尻目に、アンネリーゼ・バートリは毛玉集めを再開するのだった。

 



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新大陸

 

 

「つまり、委員会とやらの設立は確定してるって認識で問題ないのね?」

 

イギリス魔法省の大臣室の中。暖炉に『送身』されているフランス魔法大臣の顔に向かって、レミリア・スカーレットは確認の言葉を投げかけていた。隣の椅子にはボーンズが座っており、その斜め後ろにはスクリムジョールが立っている。お馴染みの面子で秘密の作戦会議をしているわけだ。

 

「ええ、問題ありません。連盟加盟国から一人ずつ委員を選出して、彼らによる合議によって方針を決定するというシステムになりそうです。……正式名称を『非魔法界対策委員会』にするか『融和促進委員会』にするかで割れているようですが。『対策』という単語が些か攻撃的ではないかと文句をつけられているようですな。」

 

「そこはどうでも良いわ。心の底からね。……合議制ってことは、議長に当たる席もあるはずよ。誰が有力なの?」

 

カンファレンスや水面下で進めていた働きかけの甲斐あって、マグルに対する問題における国際的な機関の設立までは漕ぎ着けたわけだが……議長の席を確保できるかどうかが次の分水嶺だな。そりゃあ建前上は平等かもしれないが、話し合いの進行権を握っている議長の力は大きいだろう。ここを取り零すわけにはいかんぞ。

 

頭の中に候補を並べながら聞いてみると、フランス大臣は難しい表情で返答を送ってくる。宜しくない顔だな。『身内』の魔法使いではないらしい。

 

「委員会の設立自体がようやく決まった直後なので、精度の高い情報とは言えないのですが……アルバート・ホームズが北アメリカの委員兼議長にと検討されているようです。」

 

「アルバート・ホームズ? 聞いたことのない名前ね。」

 

北アメリカの委員ということは、即ちマクーザの魔法使いということになる。身内とは言えないまでも、協力的ではあるんじゃないか? 首を傾げる私に、意外なところから説明の声が飛んできた。苦い顔をしているスクリムジョールからだ。

 

「ホームズはここ十年ほどで一気にのし上がってきた魔法使いです。マグルに対する優遇案や非魔法界からの技術流用に力を入れていて、主に非魔法界出身の『第一世代魔法使い』たちからの支持を基盤に活動しています。議会内の派閥の一つである『統一協会』のリーダーでもあったかと。」

 

「そこだけ聞く分にはマグルへの理解がある委員向きの魔法使いなわけだけど……貴方の顔を見るに、良くない説明が続くのよね?」

 

「大前提として、私はマクーザの内情に詳しいわけではありません。去年の夏にスカーレット女史の随行として向こうに行った際、大昔に国際研修で知り合った闇祓いの友人から聞いた話なので、あくまで人伝の噂話だということを念頭に置いて聞いてください。」

 

随分と入念に予防線を張るな。スクリムジョールは部屋の全員が頷いたのを確認してから、その『噂話』とやらを語り始めた。

 

「ホームズは議会入りした当初から非魔法族優遇派の急先鋒だったので、主流である秘匿派や分離派、同じ野党である魔法族優遇派などの政敵が非常に多かったらしいのですが……彼と争った有力な政敵が次々と死亡しているんです。当然ながら闇祓い局は最も利益を上げたホームズに疑いの目を向けたものの、一つ一つを見れば事件性が無い上にホームズ自身に繋がる証拠が得られなかったため、逆に『強引な捜査』として当局が叩かれる原因になってしまったとか。」

 

「……まあ、きな臭くはあるわね。」

 

「更に言えば、数名の議員を『スカウラーの子孫である』と議会で激しく糾弾しています。標的になった議員はホームズの過激な支持者からの私刑に遭ったり、それを怖れて国外への移住を余儀なくされたようです。……本人は涼しい顔で無関係を主張したそうですが。」

 

『スカウラー』というのは、新大陸の移住当時に魔法界の治安を維持するためという名目で生まれた傭兵集団だ。ヨーロッパ各国の政治機関が主導して、まだ未熟な新大陸の魔法界を支えるためにと作られたシステムなわけだが……本国の監督から遠く離れ、強い権力を与えられた彼らは次第に本来の目的を見失っていった。ついでに言えば文明人としての理性も失くしちゃったようだが。

 

その結果として起こったのが、悪名高きセーレム魔女裁判を代表する数々の事件だ。スカウラーたちは金儲けのために罪もないマグル……新大陸風に言えばノーマジたちを『悪しき魔女』に仕立て上げ、懸賞金を巻き上げるというマッチポンプを行なっていたらしい。他にも悪事を止めようとした同胞たる魔法使いを売り渡したり、最盛期には堂々と拷問や殺人なんかを楽しんでいたんだとか。当時の新大陸における移住者たちの宗教観が拍車を掛けたのには同意するが、抑止力なき権力が暴走した代表例だと言えるだろう。

 

だが、そんなスカウラーたちの隆盛も十七世紀末のアメリカ合衆国魔法議会……通称マクーザの設立によって終わりを迎えることとなる。政府に所属する闇祓いたちとの長きに渡る血みどろの戦いの果てに、スカウラーという犯罪者集団は歴史から姿を消したわけだ。少なくとも表面上は。

 

難を逃れて生き延びた少数のスカウラーたちはノーマジの社会にその身を隠し、非魔法族との婚姻を重ねることでマクーザの執拗な追跡を逃れる道を選んだらしい。魔法力を隠すために魔法使いとして生まれた子供をあえて『間引き』、ノーマジとして生まれた子供にマクーザに対する憎しみを植え付けることで怨嗟の念を引き継いでいったんだとか。つまりはまあ、イギリス魔法界の純血主義と正反対の事態が起こったわけだ。どっちにしろバカバカしいのは変わらんが。

 

新大陸における魔法史の権威がスカウラーの子孫に当たる人物を数名特定したところ、その全員が魔法使いではないのにも拘らず、存在すら明確に知らされていない魔法界への強い憎しみに染まっていたらしい。……そしてそんなスカウラーたちの逆恨みが原因となって起こったのが、新大陸の魔法族と非魔法族を完全に分断する『ラパポート法』制定の切っ掛けとなった、かの有名なドーカス事件だ。

 

これはマクーザの財務を司るトラゴット管理官の一人娘であるドーカス・トゥエルブツリーズが起こした事件で、蒙昧な彼女は一目惚れしたノーマジの青年に魔法界についてをペラペラ話してしまった。それだけであれば単純な国際機密保持法の違反で済んだのだが、不幸なことにその青年はスカウラーの子孫の一人だったのである。

 

魔法族に対する憎しみをきちんと引き継いでいた青年……バーソロミュー・ベアボーンは、ドーカスの好意を利用して近隣の魔法族や魔法界そのものに関する情報を入手し、それが全て揃った後に彼女の杖を盗んで行動を起こした。北アメリカの魔法史上最も大規模な機密保持法違反に繋がる行動を。

 

ベアボーンはノーマジのありとあらゆる新聞社を回って魔法界の存在を暴露し、非魔法界の『そういう研究』における著名人たちに手紙を送りまくり、『振ると強い反動を感じる』ドーカスの杖を誰彼構わず見せつけ、マクーザの本部がある建物の位置を手作りのビラで喧伝した後、最終的には手に入れた情報にあった魔法族の住処の一つを襲撃しようと企んだらしい。数人の武装した友人たちと共にだ。

 

だがしかし、ベアボーンの魔法界を白日の下に晒そうという計画はそこで潰えた。彼が『邪悪な』魔法族だと思い込んで襲撃した集団は単なる無関係なノーマジたちで、彼はマクーザが対処する間も無く非魔法族の警察によって逮捕されてしまったそうだ。新聞社の方も殆どは彼の話を真に受けず、事態はそのまま収束へと向かい始めたらしい。

 

とはいえ、世にはベアボーンの言葉を信じる変わり者も居るし、彼以外のスカウラーの子孫もまた存在している。当時ワシントンの中心部にあったマクーザ本部は郊外への移動を余儀なくされ、ドーカスが情報を漏らした魔法族も安全のためにと移住させられた。他にもベアボーンがばら撒いたビラの回収や、それを信じて行動に移そうとするノーマジたちの記憶修正などを行った後、最終的にはラパポート法という非魔法族との婚姻や友人関係を禁じる悪法の制定へと繋がったわけだ。

 

事件直後もドーカスは軽率な行動で魔法界を露見の危険に晒したと叩かれまくったわけだが、現代ではむしろラパポート法制定の切っ掛けになったことこそを叩かれている。当初大いに賛成されたこの法律は、結果として新大陸の魔法界に様々な歪みを及ぼすことになったからだ。

 

話は戻ってヨーロッパからの大規模な移住当時。スカウラーの所業を風の便りで知ったヨーロッパの魔法使いたちは、当然ながらよく分からん物騒な土地への移住を躊躇った。そうなるとマクーザを構成する魔法使いの殆どがノーマジ出身の『新参魔法使い』になる上、人口に対する魔法族の数も少なくなってしまう。無論、旧大陸から移住したノーマジたちが魔法使いごと土着の同族を……要するにインディアンたちを殺しまくったことも影響しているのだろうが。

 

その後徐々に新大陸の人口が増えるにつれて魔法族も増加していくのだが、『歴史』という基盤を持たない彼らは慣れ親しんだノーマジ寄りの魔法文化を形成せざるを得なかったわけだ。それがようやく形になってきた頃、いきなり二つの世界を厳しく分断するラパポート法が制定されればどうなるかなど言わずもがなだろう。

 

混乱は停滞を招き、停滞は新たな混乱を生んだ。ノーマジに親戚を持つ大多数の魔法使いたちが不満を感じ始めたのに対して、マクーザ上層部は罰則を強化することで対応しようとしたのである。ラパポート法が度重なる改定によって一番厳しくなった時期……十九世紀中盤の北アメリカ魔法界においては、『健康的な生活を送るにあたって不可避の接触』しか許されていなかったんだとか。アーサー・ウィーズリーなんかは即座に監獄行きだろうな。

 

そうして完成したのが現在のマクーザの状況だ。1965年にラパポート法が廃止された後も、親ノーマジ派と反ノーマジ派の溝は終ぞ埋まらなかった。反ノーマジ派がスカウラーの子孫たちの危険性を説けば、親ノーマジ派がそれを生み出したのは魔法界だと非難し、親ノーマジ派が自分たちのルーツになっているのは非魔法界だと説けば、反ノーマジ派たちは既に分離しているものだと反論する。そんな感じで延々と進歩のない議論をやり合っているらしい。

 

ちなみに現在の最大派閥は反ノーマジ派の中で最も穏健な姿勢を取っている『秘匿派』なのだが、彼らは非魔法族の技術を危険視しているが故に私の革命に乗ってきたようだ。どうせ隠し切れなくなるのであればさっさと向き合っておこうというわけである。……まあうん、ここに関しては正しい判断だと言えるだろう。

 

そこにいきなり飛び込んできた、きな臭い噂を持つ親ノーマジ派の男。主流派を押し退けて委員の席に自分をねじ込んだというのも気になるし、親ノーマジ派の癖にスカウラーの悪評を利用するというのも少し違和感を覚えるな。腕を組んで考え込んでいると、ボーンズが静かな口調で話を再開した。

 

「何れにせよ、先ずはホームズという男に関する情報を入手すべきですね。非魔法界に対する問題はこれから更に大きくなっていくでしょう。そうなれば当然利権云々の話も出てきますし、そこへの対処を誤れば意識革命の障害になるはずです。噂を鵜呑みにするのは危険ですが、旗頭となる議長に相応しいかはきちんと見極める必要があります。」

 

「おっしゃる通りですな。マクーザの闇祓いとはうちのデュヴァルが連絡を取り合っていたはずですので、私はそこから情報を引き出せないか試してみましょう。」

 

「そうね、私は直接マクーザの議長に連絡を入れてみるわ。あとは香港自治区の方にも聞いてみましょうか。ホームズに後ろ暗い部分があるのであれば、あの街はそれを掴んでいるはずよ。裏には裏の繋がりがあるわけだしね。」

 

イタリアのマフィアや、ドイツの小鬼たち。そういう暗い噂が付き纏う連中にも相応のルールがあり、独自の情報網が存在しているのだ。それが集まる香港自治区の魔法使いなら何かを知っているかもしれない。

 

肩を竦めながら言った私に、フランス大臣は首だけで頷いてから口を開く。重い空気を塗り替えるような明るい声色でだ。会話の雰囲気を操作する手腕はボーンズより上だな。この辺は年の功か。

 

「そういえば、連盟が国際協調のためのイベントを計画していることをご存知ですか? 最近は国際間の繋がりが深まってきていますし、それを強化するために何かしようという考えらしいです。」

 

「忙しないわね。来年のワールドカップじゃダメなの?」

 

「そこまで大規模なものではなく、次代を担う年若い学生たちが関わるイベントにしたいそうです。若いうちから他国との交流を持たせようという理念なようでして。」

 

「対抗試合をやったじゃないの。惨憺たる結果ではあったけどね。」

 

生徒間の絆とやらは深まったような気がするが、代表選手の一人が死亡したのだ。さすがに良い結末だったとは言えないだろう。やれやれと首を振る私へと、フランス大臣は困ったような顔で返事を寄越してきた。

 

「正にそれが問題なのです。もはや嘗てのような『三大魔法学校』ではなく、『七大魔法学校』の時代でしょう? イルヴァーモーニーやカステロブルーシュは自分たちが省かれたことに……その、不満を持っているようでして。そこからの圧力もあったようですな。まあ、ワガドゥやマホウトコロは然程気にしていないそうですが。あの二校は歴史が長いのである程度の余裕があるのでしょう。」

 

「あー、そういうこと。……いいんじゃない? 別に反対はしないわよ。適当に『七大魔法学校なんちゃらかんちゃら』を開けばいいじゃないの。ガキどもにとっては良い経験になるでしょ。」

 

対抗試合には様々な事情があって審査員として参加したが、基本的にイベントごとなんぞに興味などない。そもそも開催される頃には幻想郷に行ってるだろうし、勝手にやってくれというのが私の偽らざる本音だ。

 

とはいえボーンズとしては無視できないようで、苦い表情でフランス大臣へと質問を送り始める。

 

「ホグワーツは色々と忙しい時期なのですが……開催されるとして、いつ頃になりそうですか?」

 

「ああいや、私も連盟の知り合いから『検討している』という手紙を貰っただけですので、本当に開催されるかすら定かではないのです。悪いことではないので順当に行けば現実になるでしょうが、連盟の方も校長が変わったばかりのホグワーツには気を使うでしょうし、そこまでの負担にはならないかと。開催地もイギリス以外になりそうですな。」

 

「そうですか。……カンファレンスで他国と関わった所為で勢いが付いたのかもしれませんね。」

 

「まあ、そこで話が大きくなったというのは有り得そうですね。それにヨーロッパは共通の敵を持って繋がりを深めましたから、アジアやアメリカの魔法使いたちも乗り遅れまいとしているのかもしれません。……いやはや、つくづく時代の節目だというのを感じますよ。非魔法族のことといい、魔法界の変化といい、お互い難しい時期に大臣になってしまいましたな。」

 

苦笑いで言うフランス大臣に、ボーンズも同じ顔で首肯を返す。数年前から起こり始めた変化の波は未だ弱まらずか。確かにこの二人は苦労する時期にトップになっちゃったらしいな。

 

この波の行く末を見届けないままで幻想郷に行くのは少し勿体無い気もするが……ま、向こうでまた波を起こせばいいさ。面白そうな土地だし、それなりのゲームは愉しめるだろう。こっちのゲームの続きはリーゼに見届けてもらうとするか。

 

変化を続ける魔法界のことを思って、レミリア・スカーレットは小さく笑みを浮かべるのだった。

 



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カメと靴

 

 

「んー? ……まあ、悪くないんじゃないか? かなり状況はマシになったわけだろう?」

 

向こうのテーブルで同級生と一緒に宿題をしている咲夜のことを見つめながら、アンネリーゼ・バートリはロンに空返事を返していた。マクゴナガルによれば先日二つ目の記憶を見たらしいが、それ以降少し元気がないような気がするな。思い切って声をかけるべきか? しかし、咲夜から相談してこないのに出しゃばるってのは……うーむ、悩ましい。どうすれば良いのか分からんぞ。

 

月初めに開かれたロンの誕生日パーティーも無事に終わり、イースター休暇が迫る三月も半ばの今日、夕食後の談話室にて毎度のお喋りを楽しんでいるのだ。先日行われたシーズン二戦目の結果についてロンとハリーが議論を交わしているのだが、私はそんなことより咲夜の様子が気になって仕方がないのである。

 

この前とうとう我慢できなくなって魔理沙にそれとなく聞いてみたものの、金髪魔女見習いは頑として口を割ろうとしないし……あーもう、気になるな。ロミルダ・ベインと仲良く言い争いをしている咲夜を眺める私を他所に、ハリーとロンは優勝するための得点計算を再開した。ちなみにハーマイオニーはその隣でジニーに勉強を教えている。フクロウ試験が迫ってきた今、赤毛の末妹どのにハリーといちゃこらする暇などないらしい。

 

「スリザリンがレイブンクローに百七十点差で勝ったんだから、全寮共に一勝一敗なわけでしょ? グリフィンドールが最終戦でスリザリンに勝たなきゃいけないのは当然として、ハッフルパフ対レイブンクローの結果次第で優勝ラインが大きく変わりそうだね。」

 

「出来ればハッフルパフに勝ってもらいたいな。レイブンクローはスリザリンとの差を縮めるためにギリギリまで粘るはずだ。」

 

「そこが問題だよね。……まあでも、最終試合ってだけマシじゃない? ボーダーラインがはっきりした状態で試合が出来るわけだしさ。」

 

勉強する時より数倍真剣な表情で話し合うクィディッチバカ二人へと、ジニーの答案用紙を採点しながらのハーマイオニーが声を放った。生徒どのの顔がどんどん曇っていくのを見るに、あまり良い点数にはならなさそうだ。

 

「アレシアの様子はどうなの? この前の試合でもちょっとぎこちなかったみたいだけど。」

 

「あー……悪化はしてないって感じかな。活躍ってほどじゃないけど、一応ブラッジャーには触れたわけだからさ。ハリーが速決した所為で勝ったっていう実感があんまりないみたいなんだ。」

 

ロンの言う通り、先日の対ハッフルパフ戦は初戦より多少マシ程度の短い試合となったのだ。クィディッチに興味がない私としては長々と続くより良いと思うのだが、他の生徒たちは不完全燃焼気味らしい。二試合続けてというのが響いたのだろう。

 

頰を掻いて苦笑するロンに、ハーマイオニーが答案用紙を返しながら返事を送る。そら、受け取ったジニーの顔色が髪と正反対になってきたぞ。

 

「まあ、最近は前ほどリーゼやマリサにベッタリって感じでもないしね。同級生とも少しは話してるみたいだし、練習も引き続き頑張ってるんでしょう? このまま進めば大丈夫じゃないかしら。……だけどジニー、貴女の場合はこのまま進むと魔法薬学がギリギリ不可になっちゃうわよ。四年生の辺りを重点的に復習することをお勧めするわ。」

 

「うん、思ってたよりもヤバいみたいね。……いっそのこと薬学は捨てちゃおうかしら? 強化薬の九種の調合法なんて一生かけても覚えられる気がしないし。」

 

「そもそも何を目指すつもりなの? 進路指導はイースターなんだから、もう決めておかないとダメよ? 六年生からの授業選択もそれに左右されるんだし。」

 

後輩の指導に熱が入ってきたハーマイオニーへと、ジニーがちょびっとだけ恥ずかしそうな顔で答えを口にした。

 

「えっとね、その……報道に興味があってさ。つまり、予言者新聞社に入りたいと思ってるんだよね。変かな?」

 

おー、予言者新聞か。意外な進路が飛び出してきたな。ハリーやロンも驚いているし、まだ誰にも明かしていなかった事実のようだ。

 

「変じゃないわよ。報道は社会の仕組みの中でも大切なものだし、それを目指すのは立派なことだと思うわ。……でも、予言者新聞社じゃないとダメなの? 何て言うか、あんまり良いイメージが無いのよね。」

 

「ま、そうだね。スキーターみたいなのが重用される新聞社な上に、今の編集長をやってるドブ・フォックスも中々の曲者だぞ。レミィ経由で色々と『頼もしい』逸話を聞いてるよ。」

 

スキーターが真実よりも本人の社会的名声を重視しているのはお馴染みの事実だし、フォックスにしたって自社の売り上げこそがこの世で一番といったご様子なのだ。困り顔のハーマイオニーと皮肉げな笑みの私の言葉を受けて、ジニーは小さくため息を吐きながら応じてくる。

 

「それでもイギリスの最大手はやっぱりあそこなのよ。……私、リータ・スキーターのことは大っ嫌いだけど、彼女のやってることが凄いってことは認めざるを得ないわ。だって、今やイギリスどころかヨーロッパの誰もが彼女の記事に左右されてるじゃない。そりゃあ対抗試合の頃の記事は本当にムカついたし、根も葉もない捏造ゴシップばっかりだったけど……最近はマグル問題の牽引役とかって高い評価を受けてるでしょ? あれってひょっとしてスカーレットさんと連携を取ってるの?」

 

最後の問いを私に投げかけてきたジニーへと、軽く頷きながら口を開く。少なくとも彼女にはそれに気付ける脳みそがあったらしい。イギリス魔法界の大抵の魔法使いよりも賢いことが証明されたな。

 

「ご明察。予言者新聞社は今やレミィの優秀な部下なのさ。……失望したかい?」

 

「あら、逆よ。むしろ魅力が増したわ。私もそのくらいのことをやってみたいの。世の中を良い方向に進めるために魔法省と連携を取ったり、あるいは敵対したりってことをね。」

 

「ふぅん? 結構な野心があるみたいじゃないか。……何にせよ、悪くない夢だと思うよ。給料もそこそこみたいだしね。」

 

座っていたソファに寝転がりながら賛意を表明した私に続いて、ハーマイオニーも……おや? 栗毛の先輩どのはちょっと苦い表情だ。一概に賛成というわけではないらしい。

 

「ジニーの夢は否定しないわ。応援したいとも思うしね。……だけど、魔法省と繋がってるっていうのは良くないことなんじゃないかしら? 報道と政府は別個のものであるべきよ。」

 

「ハーマイオニーはスカーレットさんのやり方に反対ってこと?」

 

「理解はできるけど、賛成はしないわ。……世の中を変えるのに凄く効率的なやり方だとは思うの。でも、危険よ。スカーレットさんの立ち位置にもし悪意を持った魔法使いが立ってたら? 権力を持った人が必ずしも正しいことをするとは限らないじゃない。」

 

「そうなった時は逆に政府に抵抗する記事を書くのよ。それが報道の役目でしょ?」

 

熱意を持ちながら理念を語るジニーに、ハーマイオニーは冷静な口調で現実を繰り出した。既に『悪意を持った吸血鬼』が支配していることは教えない方が良さそうだな。

 

「でもね、ジニー。ヨーロッパ大戦の時も、第一次魔法戦争の時もそうはならなかったのよ。どちらの有事にも予言者新聞社は政府の方針に追従して事態を過小評価する記事を書いたり、違法な捜査を正当化したりしたわ。今の予言者新聞が『まとも』なのは政権を握っているボーンズ大臣やスカーレットさんがまともだからでしょう? いつの日かそれがひっくり返った時、深い繋がりは良くない方向に作用するんじゃないかしら。」

 

「……ハーマイオニーは私が『そういう記者』になるんじゃないかって思ってるの?」

 

「そうじゃなくて、あくまで繋がりは断ち切るべきだって言いたいのよ。それと、ジニーが予言者新聞社の中で『そうじゃない記者』を目指すのであれば、それは難しい道になるかもしれないってことを伝えたいの。」

 

大真面目な顔の先輩を見て、自分の進路に関して真剣に考えてくれていることが分かったのだろう。ジニーは少しだけ照れ臭そうに微笑むと、ハーマイオニーに向けて首肯を返す。

 

「うん、ちゃんと考えることにする。でもまあ、とりあえずはフクロウ試験を突破しないとね。予言者新聞社は一応エリート揃いなわけだし。」

 

「そうね、一歩一歩進んでいかないとね。報道方面となると、魔法史は外せないわ。大抵の職業で軽視されがちな科目だから、試験対策の参考書があんまりないんだけど……明日にでも図書館に行って良さそうなのを探してみましょうか。」

 

「それならルーナも誘っていい? あの子も飼育学の勉強をしないとだから。クィブラーの編集をしながら魔法生物の研究をするつもりなんですって。パパが編集長だから就職は大丈夫でしょうけど、資格をいくつか取るらしいから、そのために飼育学を良以上で突破しないといけないのよ。」

 

「それじゃ、三人で行きましょうか。」

 

笑顔で頷いたハーマイオニーを横目に、アドバイスを挟む暇もなかった彼氏どのと兄バカどのの肩をポンと叩く。実に情けなさそうな表情だな。クィディッチの話をする時みたいな積極性が欲しいもんだ。

 

机に放置していたハンドメイドルアーの雑誌を手に取りながら、アンネリーゼ・バートリは咲夜が同じような相談をしてきた時には醜態を晒すまいと決意するのだった。

 

 

─────

 

 

「んんん……どうしてこうなっちゃうのかしら? ちょっと待っててね、今原因を考えるから。」

 

目の前で起き上がれずにもがいているひっくり返った陸亀を見ながら、アリス・マーガトロイドはかっくり首を傾げていた。さっぱり分からん。何をどうすればカメになっちゃうんだ?

 

イースター休暇を明日に控えた午前最後の授業中、珍しく呪文が成功しない魔理沙への指導を行なっているのだが……革靴の材質を変えるはずなのに、何をどうやっても陸亀になっちゃうのである。杖の振り方は間違っていないし、呪文の発音も正確。なのにカメ。意味が分からん。

 

やはり魔法は奥が深いな。不可解すぎる現象に思考を巡らせている私へと、魔理沙は困ったような半笑いで追加の説明を寄越してきた。

 

「あのよ、さっきまでは小さいミドリガメだったんだ。その時は発音が間違ってるんじゃないかと思ってアクセントの位置を変えてみたんだが、そしたら今度は陸亀になっちまったってわけさ。……ミドリガメの方が正解に近かったか?」

 

「いえ、陸亀の方が近いわ。蛇革の靴に変えたいんだしね。爬虫類って部分も合ってるんだから、完全に失敗しているわけではないはずよ。」

 

「あー……そうなのか? 理屈は欠片も理解できんが、そこまで大きく間違ってないってのだけは何となく分かったぜ。何となくな。」

 

「もしかしたら革靴の方に問題があるのかもしれないわね。こっちの靴で試してみてくれる? レパリファージ(姿よ戻れ)。」

 

哀れな陸亀を解呪して革靴に戻した後、私の差し出したスニーカーに魔理沙が変身呪文をかけると……何でだよ。今度はトゲトゲの甲羅の見覚えのない大型のカメになってしまう。本格的に意味不明だぞ。

 

「貴女、カメが好きなの?」

 

「いやいや、別に好きじゃないぞ。嫌いってほどでもないが。……そもそもだ、カメにしようと思ってカメになってるわけじゃないんだからな。」

 

じゃあ何故カメになるんだ。久々にぶち当たった難題に対して、魔女のプライドを背に何とか解決しようと考えていると、魔理沙が同級生たちと『どの靴がより蛇革か』を議論している咲夜の方を見ながら口を開いた。グリフィンドール生たちは肌触りを、レイブンクロー生たちは模様を重視しているらしい。

 

「アリスは咲夜のことが気にならないのか? リーゼはそれとなく聞いてきたぜ? しつこくはなかったけどさ。」

 

「授業中は『マーガトロイド先生』よ。……気になるに決まってるでしょう? 何か話してくれるの?」

 

「悪いが、細かいことを話すのは無理だ。他人の秘密……というか、喧伝すべきじゃないことをペラペラ話すようなヤツにはなりたくないからな。」

 

「賢い選択ね。魔女は語るべきことだけを語るべきよ。言葉は力を持ってるんだから。」

 

獰猛だな、こいつ。杖に噛み付こうとしてくるカメをいくつかの呪文でチェックしながら言った私に、魔理沙は然もありなんという顔で首肯を返してくる。

 

「去年ノーレッジにも同じようなことを言われたぜ。無意味な多弁より価値ある一言を選べってな。本当に賢いヤツは一言で語るんだとさ。口が堅い云々とは少し違うかもしれんが。」

 

「あら、何処かで聞いたような台詞ね。」

 

「何処かでっていうか、アリスもノーレッジから聞いたんだろ?」

 

「マーガトロイド先生だってば。……人伝にもう一人の先生から聞いたのよ。道は違えど、賢者が辿り着く結論は同じみたいね。」

 

パチュリーは長々と説明することが好きなはずだが、実際はそんなことを思っていたのか。クスクス微笑みながら答えてやれば、魔理沙はきょとんという表情になった後……とりあえず流すことにしたのだろう。肩を竦めて話を戻してきた。

 

「ふーん? ……まあ、私が言いたいのはそういうことじゃなくてだな、アリスの方から咲夜に声をかけてやって欲しいってことだよ。黙って見守るのも大切だけどさ、今のあいつはそれを待ってると思うぜ?」

 

「リーゼ様じゃなくて、私なの?」

 

「私が思うに、な。本当に正解なのかは分からんが、私が相談相手になれるような問題でもないんだよ。一番適してるのはアリスだと思うぜ。……私から言えるのはこの辺までだな。これ以上は咲夜本人から聞いてくれ。」

 

「んー、貴女が言うならそうしてみましょうか。今度部屋に呼んで話を聞いてみるわ。」

 

レミリアさんは夏休みの前半でイギリスを去るつもりのようだし、咲夜がその辺に関わる問題で悩んでいるのであれば早めに解決すべきだろう。……ただし、最悪判断を先延ばしにも出来るはず。私とリーゼ様、それにエマさんは残る予定なのだから。

 

深く干渉せずに見守っているあたり、リーゼ様も同じようなことを考えていそうだな。レミリアさんとしてはもちろん早めの答えを欲しているのだろうが。最近顔を合わせていない紅魔館の小さな当主のことを思い浮かべていると、魔理沙は安心したように笑顔で頷いてくる。良い友達じゃないか。

 

「おう、頼むぜ。このままなし崩し的にってよりかは、きちんとした決着を付けた方がスッキリするだろうしな。」

 

「ちなみに、貴女は何か悩んでないの? 例えば将来の悩みとか。ホグワーツを卒業するなら、イギリスで就職するのも不可能じゃないわよ?」

 

保護者である魅魔さんに関しては詳しくないが、魔理沙の話やアメリカでの短い接触を鑑みるに、弟子のことをそれなりに大切に思っているようだ。ならば魔理沙本人が希望すれば一考はしてくれるだろう。向こうで勃発した咲夜とベインの口論を聞き流しつつ問いかけてみれば、魔理沙は少しだけ寂しげな苦笑で返答を口にした。

 

「いや、私は帰るぜ。咲夜がどんな選択をしたとしてもな。」

 

「イギリスより幻想郷が好きってこと?」

 

「そうじゃないんだ。……イギリスも好きになったし、こっちで暮らして死んでいくのも悪くない人生だと思う。だけど、私は魅魔様に借りを返さなくちゃいけないんだよ。義務感じゃないぞ。そうしたいって感じてるんだ。要するにまあ、恩返しってやつだな。」

 

「……うん、悪くない考え方だと思うわ。私もリーゼ様に対して同じような感情を持ってるわけだしね。」

 

親孝行、みたいなものだろう。ほうと息を吐きながら言った私に、魔理沙は照れ臭そうな笑みで話を続けてくる。

 

「だから、幻想郷に帰るのは決定事項なのさ。……フクロウ試験は自分の実力を確かめるために受けるが、イモリ試験は受けないつもりだ。上の学年の時間はこっちの世界を満喫するために使おうと思ってるんだよ。休暇でヨーロッパを回ったり、クィディッチを楽しんだりとかな。もちろん魔法の勉強を疎かにする気はないが。」

 

「しっかりしてるわね、貴女。四年生でそこまで考えてる子は珍しいわよ。……今年の夏に大陸の方に連れて行ってあげましょうか? 私がこっちに居られる時間も少ないから、ちょうど馴染みの人形店を巡ろうかと思ってたの。」

 

「マジでか。是非とも行きたいぜ。フランスは寄る予定か?」

 

勢いよく食い付いてきた魔理沙へと、革靴に縄張り争いを仕掛け始めたカメを止めつつ返事を返す。カメというのは穏やかな生き物だと思っていたが、実際はそうでもないらしい。物凄いスピードで噛み付きを繰り返しているぞ。

 

「フランスとドイツ、それにイタリアは行くつもりよ。フランスで何処か行きたい場所があるの?」

 

「行きたいっていうか、観たいものがあるんだよ。アレシアに聞いたんだけどさ、マグルの自転車の大っきなレースがあるんだろ? 毎年家族で応援に行くらしいんだけど、あんまり楽しそうに話すもんだから興味が出てきてな。観れたりするか?」

 

「私も詳しくないけど、多分観れる……はずよ。どうせなら革命記念日に合わせて行ってみましょうか。パレードとかもやるはずだしね。」

 

大昔に見たシャンゼリゼ通りのパレードを思い出しながら提案してやれば、魔理沙はワクワクを抑えきれない様子で何度も頷いてきた。さっきはちょっと大人っぽく見えたのに、もう子供に戻っちゃったな。

 

「楽しみだな。『旅行』ってのは全然やったことないからさ。幻想郷に戻ったら出来ないだろうし、今のうちに満足するまでやっておきたいんだ。」

 

「なら、夏休み前に行きたい場所をリストアップしておきなさい。それを元に計画を立ててあげるから。」

 

「七月の中盤だったら、ヨーロッパリーグの公式戦も観れるかもな。この前ウッドがチーム宛てに公式試合に出られるかもって手紙を送ってきたんだ。上手く日程が噛み合えばいいんだが。」

 

そういえば、ハリーもブラックと一緒に大陸を巡るって言ってたっけ。微妙に時期がズレているが、上手く行けば何処かで会えるかもしれないな。そんなことを考えながら暴れ回るカメをスニーカーに戻して、魔理沙に向かって白旗宣言を放つ。原因不明だ。後でパチュリーに相談の手紙を送っておこう。

 

「旅行の方はともかくとして、カメの方は無理ね。悪いけど私の知識じゃどうにもならなさそうだわ。次の授業まで預からせて頂戴。」

 

「ん? ああ、それはもうどうでも良いぜ。牛革やら合皮やらを蛇革に変えられなくて困ることがあるとは思えんしな。……それより、咲夜の件は忘れないでくれよ? 旅行には咲夜と一緒に行きたいし、その時沈んだ顔ってのは嬉しくない事態だろ?」

 

「ええ、近いうちに話を聞いておくわ。」

 

私の首肯を受け取ると、魔理沙は満足した顔で同級生たちの方へと戻って行く。……本当は一人でささっと行く予定だったけど、こうなったらリーゼ様も誘ってみようかな? パリはロマンチックな場所が多いし。

 

むしろ美味しいレストランとかの方が喜ばれそうだなと苦笑しつつ、アリス・マーガトロイドは行き先の候補を頭に並べ始めるのだった。

 



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一流

 

 

「ふーん? クィディッチね。……魔法使いってのはどうしてこんなにクィディッチが好きなのかしら? それぞれの学生の研究発表会とかじゃダメだったの?」

 

すっかり使い慣れたイギリス魔法省外部顧問室のソファに座りながら、レミリア・スカーレットは立ったまま報告しているブリックスへと問いかけていた。私としてはどこまでも興味が湧かないイベントだな。ワールドカップでかなり詳しくなった自覚はあるが、だからといって好きかどうかは別の話なのだ。

 

私の理不尽な文句を受け取ったロビン・ブリックスは、手元の書類を捲りながら律儀に答えを寄越してくる。

 

「えーっとですね……急に決まったことなので、長い準備期間が必要な催しは無理みたいなんです。」

 

「あら、対抗試合の時の準備期間に比べれば全然マシだと思うけど?」

 

「あれはそこまでの下準備が必要ないイベントでしたので。」

 

「どうかしらね。私が思うに、ドラゴンと生徒を向き合わせるのに『そこまでの下準備』を必要としなかったのがバグマンの失態の一つなんじゃない?」

 

つまるところ、先日フランス大臣が言っていた『七校の交流』が国際間で形になってきたらしいのだ。連盟は七大魔法学校を仲良しこよしにするための手段として、魔法使いとしてはお決まりのクィディッチを選択したらしい。各校の代表チームでトーナメント戦を行うんだとか。

 

まあ、私情を抜きにすれば良い選択ではあるな。各校にはそれぞれの競技場が既にあるわけだし、やるのが世界的なスポーツなら言語の壁も然程影響しないはずだ。新大陸では『クォドポット』というクィディッチから派生した競技の方が主流なようだが、それでも北アメリカにはクィディッチの公式チームがいくつかあるし、イルヴァーモーニーの各寮にもチームがあるらしい。特に問題ないだろう。

 

私が放った嫌味に対して、ブリックスは愛想笑いを浮かべながら曖昧な首肯を返してきた。何だかんだでこういうところが気に入られるんだろうな。こいつはあまり人の悪口を言わないのだ。敵を作ろうとしないヤツは出世できないが、人間としては好かれるだろう。若き日のコーネリウス・ファッジを思い出すぞ。

 

「いやぁ、僕にはそれを判断することは出来ませんけど……バグマン部長は張り切ってるみたいですよ? 国際協力部に頻繁に打ち合わせに来てますから。」

 

「……ひょっとして、イギリス魔法省は今回のイベントを魔法ゲーム・スポーツ部主導にするつもりなの?」

 

「まだ確定してません。うちの部長はやる気がなくて、尚且つバグマンさんはやる気満々なので、もしかしたらそうなるかもしれませんね。」

 

「私の管轄じゃないし興味もないけど、あんな男に国際機関との連携を任せるべきではないとだけは伝えておくわ。外部顧問としてね。」

 

真剣な表情で言ってやると、ブリックスは目を逸らしながらまたしても曖昧に頷いてくるが……知らないぞ、私は。国際協力部としては長い戦争で疲弊しているから、ヒマヒマ状態が続いていたゲーム・スポーツ部にぶん投げたいって気持ちは分かる。とはいえ、ぶん投げたものが大きくなって返ってくる可能性を考慮しないのは問題じゃないか?

 

ま、いっか。それで苦労するのは見て見ぬ振りをした協力部と、延いては全ての責任者であるボーンズだ。死喰い人に比べれば『可愛らしい』問題だし、去り行く私としては知ったこっちゃあるまい。さすがのバグマンも『こっちの方が盛り上がりそうなので、ブラッジャーの代わりにドラゴンを使います』とは言わないだろうし。

 

ブリックスから渡されたふわふわした計画書を横に退けて、別の問題に話を移す。今の私には他に考えるべきことがあるのだ。

 

「七校合同のクィディッチイベントに関しては理解したわ。私は関わらないから好きにやって頂戴。……それより、『委員会』の方はどうなってるの?」

 

「あーっと、マグルへの対策を話し合う委員会ですよね? 正式名称はまだ未定で、イギリスから誰が出るかも未定ですけど、議長はもう本決まりみたいです。アルバート・ホームズって人だとか。」

 

「……まあ、順当ではあるわね。」

 

フランス大臣からの知らせを受けた後、手分けしてホームズに関する情報を集めたのだが……分かったのは彼がマグルの専門家と言って差し支えない知識と経験を保有しており、かつ恐ろしく用心深い男だという事実だけだ。きな臭い噂は多く、逆に有能さを感じる逸話も多々集まったものの、ついぞ肝心な部分には辿り着けなかったのである。

 

記録上の出身地はマサチューセッツとニューハンプシャーの州境にある田舎町で、年齢は三十三歳と議員にしてはやや若め。魔法学校を卒業せずにフランスの親戚の家で魔法を学び、新大陸に戻ってからは数年の杖認可局でのキャリアを経てマクーザの議会入りを果たしたらしい。……だが、出身地とされている田舎町は過疎により消えていたし、フランスの親戚とやらも記録を調べたら死亡済み。結婚はしておらず、存命の身内も居らず、目立った友人関係もない。議会入りする前や私生活についての記録は殆ど見つからなかったのだ。

 

議会での主張は最初期から一貫して『ノーマジ贔屓』のものばかりで、やり過ぎな内容と現実的な内容が半々ほど。前者はあくまでポーズなのだろう。マクーザから取り寄せた公開議事録を見るに、弁はそれなりに立つようだ。無論、やり合っても負ける気はしないが。

 

所属している派閥は自身がリーダーをしている『統一協会』で、凶悪犯の捜査を担当する闇祓い局とは頗る仲が悪く、もっと身近な治安維持を担当している魔法保安局とはベタベタの関係らしい。ちなみに統一協会の理念は『ノーマジと魔法族との境を無くし、種として統一すること』なんだとか。派閥の規模としては小さいようだが、影響力はそこそこあるようだ。

 

そして、最も気になっているスクリムジョールが教えてくれた『黒い噂』に関しては……残念ながら、何一つ確かなことは分からなかった。香港自治区の窓口になっているサルヴァトーレ・マッツィーニ曰く、『普通に生きていたらもう少し情報が集まるはずなので、不自然であることは間違いない』とのことだ。要するに意図的に自分のことを隠そうとしていることまでは分かったが、実際に何を隠しているのかは不明ということである。

 

うーむ、一番厄介なタイプだな。出来れば議長の席には他の分かり易い人物を当てたかったが、ホームズのマグルに対する知識は本物だし、推す声も中々に強かった。私、ダンブルドア、パチュリー、グリンデルバルドで決めた目標は『魔法族に自分の頭で考えさせる』というものだ。だからそこまで深く干渉しなかったのが裏目に出ちゃったな。

 

今からでも私が影響力をフルに使えば、強引に議長の席をもぎ取ることも不可能ではないはずだが……まあうん、それは目的に沿った行為ではない。強行策を取れば後々に響くヒビを入れちゃうかもしれないし、民意がホームズに向いているのであれば従うべきだろう。

 

スキーターが煽りまくっている甲斐あって、ヨーロッパの魔法使いたちのマグルに対する意識は改善されてきている。他国の動きもそう悪くないようだし、委員会が正式に稼働し始めれば更に加速していくだろう。後は委員会主導で勝手に話し合ってくれるはずだから、そこで私の手から離れていく予定だったのだが……このままだと嫌なしこりが残っちゃいそうだな。グリンデルバルドやマッツィーニなんかは調査を継続しているらしいので、私が去る前に何か明確な情報が入ってくることを祈るばかりだ。

 

入手したホームズの顔写真……快活そうな表情の中にどこか人形めいた無機質さを覗かせる男を思い出していると、ブリックスが気遣うような声色で質問を飛ばしてきた。

 

「あの、何か心配なんですか?」

 

「んー……ちょっとだけね。ホームズって男は嫌な噂が多いのよ。それが委員会に悪影響を及ぼさないかが心配なの。折角ここまで漕ぎ着けたのに、その所為で潰れちゃったら目も当てられないわ。」

 

「調べておきましょうか? ……僕の権限で出来ることなんて高が知れてますけど。」

 

お人好し感を漂わせながら本気で案じてくるブリックスに、苦笑を浮かべて首を振る。それほど役には立たないが、忠誠心がある小型犬ってとこかな。餌くらいはくれてやろうという気にさせるヤツだ。

 

「ボーンズやスクリムジョールが動いてくれてるから平気よ。ついでに言えばグリンデルバルドなんかもね。」

 

「あー、なるほど。それなら僕の立ち入る隙はなさそうですね。」

 

「というか、貴方はそろそろ自分の出世を考えなさい。上層部との繋がりもあるし、目指そうと思えばもう少し上に行けるでしょう?」

 

「えっと、部長にもそう言われちゃいました。実は東ヨーロッパの区長補佐にならないかって打診されてるんです。」

 

東欧の区長補佐か。そこまで大きな役職ではないが、ブリックスの若さだと大抵は役職なしの下働きだ。普通はあと二、三年経ったあたりでその辺の役職になるのを考えるに、協力部だと結構な出世と言えるのかもしれない。

 

「あら、良かったじゃないの。東欧はこれから連邦解体で大きく動くし、ロシアとの関係も改善されつつあるわ。波に乗ればそのまま出世できるかもしれないわよ?」

 

ポーランドとは昔から仲が良いし、問題が起こるとすればハンガリーかチェコあたりだろうが……まあ、この時勢なら暫くは穏やかに進むだろう。本心から口に出した私の言葉に、ブリックスは何故か困ったような顔で応じてきた。

 

「いやその、ありがたい話だとは思うんですが……大丈夫なんでしょうか? 僕で。」

 

「貴方ね、折角のチャンスを棒に振るつもりなの? 目の前に快速のレールがあるのよ?」

 

「棒に振るというか……つまり、迷惑をかけちゃうんじゃないかと思いまして。期待してくれるのは嬉しいんですけど、僕よりもっと経験豊富な人も居ますし。それにですね、出世にはあんまり興味がないんです。お給料はもう充分貰ってますから。」

 

うーん、この前ボーンズが嘆いていた『最近の若い職員は云々』を思い出すな。昔は他人を蹴落としてでも出世を目指したもんだが、近頃の世代はむしろ協調を重視するらしい。役職をどうぞどうぞと譲り合う光景も珍しくないようだ。

 

私はまあ、大昔の政敵を暗殺してたような時代を知っているので、これも順当な文明化の一つなのかななんて思っていたのだが……実際に変化を目の当たりにしてみると中々興味深いな。ブリックスの発言は昔の魔法省では絶対に聞けなかったものだぞ。

 

ハングリー精神による成長が衰えたと捉えるべきか、職員同士が尊重し合う先進的な機関になったと捉えるべきか。……むう、物凄く微妙だな。部内や部署間の出世競争が沈静化すれば、結果的に省内の連携力は増すだろう。だが反面、個々人の能力で見れば昔に劣ってくる可能性も捨てきれない。

 

良いことなのか悪いことなのかはさっぱり分からんが、兎にも角にも時代は変わりつつあるということか。さすがに上層部の権力闘争が収まるとは思えないものの、これから先は『最近の若い職員』たちが魔法省を動かしていくのだから。

 

その典型例たるブリックスへと、しみじみとした思いで助言を送った。

 

「貴方の将来についてそこまで意見するつもりはないけど、今回の話は受けておきなさい。……今の給料だと結婚した時に厳しくなるわよ。子供が出来たら尚更ね。薄給な所為で趣味とかに金をかけられなくなるのは嫌でしょう?」

 

「結婚だなんて。……その、相手も居ませんし。」

 

「さて、どうかしらね。神秘部の女性職員と良い仲だって聞いてるけど?」

 

変わり者集団の一人と昼休みに逢瀬を重ねているようじゃないか。さらりと言ってやれば、ブリックスは驚愕の表情で口を開く。

 

「へ? ……な、何で知ってるんですか?」

 

「外部顧問は何でも知ってるのよ。政治家ってのは人間を操る職業だからね。自分の『庭』の人間関係はそれなりに把握しているの。」

 

「……僕、今までで一番スカーレット女史を恐ろしく感じてます。職員同士の恋愛がどうなったら政治に関わるんですか?」

 

「愛ってのは弱みにも強みにもなるのよ。それをナメてると痛い目に遭うの。……変人の爺さんから嫌ってほど教わったわ。」

 

組織を操って地位を得るのは二流、人を操って忠誠を得てこそ一流なのだ。ニヤリと笑って肩を竦めた私に、ブリックスはきょとんとした顔で首肯してきた。

 

「よく分からないですけど、区長補佐の件は受けることにします。……結婚を考えるわけではないですよ? 一応です。一応。」

 

「はいはい、頑張りなさい。男も女も金は一つのステータスよ。何をするにも必要になるんだから、持っておくに越したことはないわ。」

 

「スカーレット女史の見た目でそういうことを言われると悲しい気分になりますね。」

 

「余計なことを言ってないで仕事に戻りなさい。次は区長を目指すためにあくせく働くのよ。」

 

じろりと睨んで言い放ってやると、ブリックスは慌ててお辞儀してから部屋を出て行く。……まあ、あの感じならそう悪くないレールに乗れそうだな。特急ではないが、鈍行でもない。ちょうど良いスピードで出世しそうではないか。私の審美眼もまだまだらしい。

 

次世代の若人たちのことを考えながら、レミリア・スカーレットは目下の仕事に向き直るのだった。

 



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狭間の存在

 

 

「んん……そうね、難しい問題ね。」

 

ううむ、まさかこんな相談が飛び出てくるとは思わなかったぞ。沈んだ表情で紅茶を飲む咲夜を前に、アリス・マーガトロイドは腕を組んで悩んでいた。人外と人間の倫理観の違いか。私も若い頃に悩んだ覚えのある問題だな。

 

三月末に始まったイースター休暇の後半。先日受け取った魔理沙からの助言に従って、咲夜を教員塔の自室に呼び出してみたのだ。そこで慎重に話を聞いてみた結果、『人間であるヴェイユ家の実娘』と『人外であるスカーレット家の義娘』の間で悩んでいることを打ち明けられたのである。

 

しかし、情けないぞ。倫理や道徳の差異に苦悩するのは私だって通ってきた道なんだから、気付いて然るべき問題だったのに。……魔理沙がリーゼ様じゃなく私に話を持ちかけてきたのにも納得だな。咲夜はどうやら自分の悩みを申し訳なく思っているようだし、リーゼ様やレミリアさんには話せないだろう。尤も、あの二人は相談されても怒ったりしないだろうが。大慌てで『家族会議』を開くに違いない。

 

容易に想像できる吸血鬼たちの反応を頭に描いていると、咲夜がおずおずと補足を述べてきた。いかんいかん、こんなことを考えてる場合じゃないな。

 

「あのね、別に悩んでるってほどでもない……と思うの。ただ、ちょっとだけ申し訳ないかなって。お父さんもお母さんも、お爺ちゃんもお婆ちゃんも、凄く良い『人間』だったみたいだから。」

 

「まあ、気持ちは分かるわ。私もテッサに伝えられなかったことがいくつかあるし、それを後ろめたいと思ったことも一度や二度じゃないもの。リーゼ様との考え方の違いに戸惑ったりもしたしね。」

 

「アリスはどうやって決着を付けたの?」

 

「んー……正直に言うと付けてないわ。今でも昔の思い出話とかを聞くとちょっと引いちゃうし、さすがに擁護できないなぁなんて思うことだって沢山あるわよ。」

 

吸血鬼たちの語る『やんちゃ時代』の逸話は、人間の感性で言うと極悪と断言できるものが多い。だから魔女になった後でもそういう話を聞くと顔を引きつらせてしまうのだ。『人間ミックスジュース』なんかは聞いた後で少し具合が悪くなってしまったぞ。

 

私の本心を知って驚いた顔になる咲夜に、椅子の背凭れに寄り掛かって続きを語る。柔らかい苦笑を浮かべながらだ。

 

「だけど、私も貴女と一緒でリーゼ様が好きなのよ。そんな逸話じゃもう揺るがないくらいにね。だからまあ……要するに、どうしようもないんじゃないかしら。貴女が人間として生まれた以上、人外的な部分が受け入れ難いと思っちゃうのは当然なんじゃない?」

 

「でも、それはダメなことだよ。お嬢様方に対して失礼だし、お父さんやお母さんに対しても……何て言うか、不義理なことだと思う。このままじゃどっち付かずでしょ?」

 

「それで良いのよ。パチュリーも私も魔女でしょう? 魔女ってのは正に『どっち付かず』な存在なの。人間だけど、人外。両方の道から外れていて、尚且つ両方の道に足を置いているって感じかしら。二つの境界を跨いで立ってるわけね。」

 

「……私は魔女じゃないよ? パチュリー様もアリスも魔女だからそれで許されるかもしれないけど、私は単なる人間だもん。」

 

うーむ、『許される』か。責任感が強すぎる子に育っちゃったな。しっかりしているを通り越して心配になってくるぞ。そのことに内心で頭を抱えながら、咲夜の瞳を覗き込んで口を開く。やや薄めの透き通った青。理知的で正義感が強かったアレックスの瞳だ。

 

「これは私が紅魔館の吸血鬼たちから学んだことの一つなんだけど、善悪の判断をするのはあくまで自分自身なの。許すも許さないもないわ。……もちろん社会的善悪や種族的な倫理観は存在するでしょうし、それはある程度尊重すべきだと思うけどね。それでもやっぱり最後に決定するのは主観者たる自分なのよ。」

 

「じゃあ例えば、人を殺しまくるのが良いことだと思ったらやるべきってこと?」

 

「実際にグリンデルバルドはやったし、レミリアさんもやったでしょう? あの二人にとっては目的じゃなくて過程だったわけだけど。」

 

そして、リドルもやった。それは口に出さなかった私へと、咲夜は困惑の顔付きで反論を飛ばしてくる。

 

「だってそれは戦争だったり、相手が悪い魔法使いだったからでしょ? ……つまりその、社会的に悪いって意味ね。」

 

「それが真理よ。結局のところ、善悪なんてのはその程度のあやふやさしか持ってないわけ。貴女が両親に対して申し訳なく思う日が来るとすれば、それは自分が思う『悪いこと』をした時よ。紅魔館で働くことが悪いことだと思う?」

 

「思わない、けど……そういうことなの? なんか違う気がするよ?」

 

分かり易く疑問符を浮かべている咲夜の質問を受けて、人形に紅茶のお代わりを注いでもらいながら話を進めた。咲夜も立派に思春期に突入だな。こういう明確な答えのない悩みを持ち始めたのがその証左だろう。ここは『パチュリー式』で問題を整理してみるか。

 

「大前提として、個々を重視する人外と全体を重視する人間との倫理観がかけ離れていることを念頭に置くべきね。である以上、人間であるアレックスやコゼットの倫理観と、吸血鬼であるリーゼ様やレミリアさんの倫理観もまた同一ではない。ここまでは同意できる?」

 

「ん、出来る。」

 

「ここで問題になってくるのが貴女や私、パチュリーなんかの立場よ。二つの種族の狭間で育った私たちの倫理観もまた、どちらとも少し違ったものになっちゃうわけ。……パチュリーはまあ、人格形成が終わってから魔女になったんだけどね。一番深い関わりを持ったのがリーゼ様なあたりが影響してるんだと思うわ。そこはどう? 納得できる?」

 

「出来る……と思う。」

 

むむむと悩みながら首肯した咲夜に、くすりと微笑んで結論を語る。可愛いもんだな。

 

「だから、考えても答えは出ないの。人間にも人外にもなりきれない私たちは、私たちなりの倫理観を作っていくしかないのよ。貴女はそれがアレックスやコゼットのものと反することや、もしくはリーゼ様たちと違ったものになることを気にしてるみたいだけど、そも根幹が違うんだから同一のものとして考えるのは不可能なんじゃないかしら。」

 

「お父さんやお母さんが悪いって思うことをしちゃっても仕方ないってこと?」

 

「そうじゃないわ。それがダメだと思うのであれば、貴女の判断でダメだと決定すべきってことよ。私が見る限り貴女は立派な人間に育ってる。紅魔館の常識と魔法界の常識をきちんと学んだ今なら、自分にとっての正しい倫理観を形成できるはずよ。私たちが貴女に望んでいるのは、自分で『悪いこと』だと判断したことをやらないってことなの。」

 

「ええ? ……つまり、自分で決めちゃえってことなの?」

 

拍子抜けしたように聞いてきた咲夜へと、こくりと頷きながら肯定を返す。平たく言えばそういうことだな。

 

「大切なのは他人がどう思うかじゃなくて、自分がどう思うかなのよ。自分自身の信義に反することを、そうと自覚しながらやることが一番良くないの。だから……そうね、貴女がそうすべきだと思うのであればリーゼ様たちに歯向いなさい。逆にそうすべきじゃないと思うのであれば、人間の倫理観で否定されるようなことでもやるべきよ。そんな風に選択していけば誰に恥じるわけでもない生き方は出来るわ。」

 

「……だけど、お父さんとお母さんは私の選択を悲しむかも。」

 

「ならそうじゃない方を選べばいいじゃないの。それでリーゼ様たちが悲しむと思うなら逆も然りね。人間としての道徳か、人外としての常識か。選択を迫られたらその都度自分の心に従いなさい。どちらかに一貫する必要はないのよ。貴女が正しいと思う方を選択することこそが重要で、尚且つ私やリーゼ様たち、きっとアレックスやコゼットもそれを望んでいるんだから。」

 

「でも、選べなかったら? どっちにも申し訳なくて、どちらかを選ぶことが出来なかったら?」

 

不安げな表情で問いかけてきた咲夜に、ピンと指を立てながら答えを送った。

 

「それは有り得ないわ、咲夜。本当の意味で選択を決めかねることは無いのよ。物凄く微妙なラインに問題が置かれていることはあるけど、必ず自分の中ではどちらかに寄っているものなの。それを決められないのは自分の本心以外に別の要因があるからね。例えば……『そうすべき』と『そうしたい』の間で揺れてたりとかが分かり易いかしら?」

 

「その時はどうすればいい?」

 

「心が重きに傾く方に従いなさい。私はテッサにリーゼ様とグリンデルバルドの関係を明かしたいと思ってたけど、明かすべきことじゃないから結局話さなかったわ。今でもその選択が正しいものだったのかは分からない。……でも、そうしたの。それが全てよ。倫理観や善悪じゃなくて、自分の意思でそれを選んだ。だから私は納得できてるんじゃないかしら。」

 

私の言葉を受けて納得半分、疑問半分という顔になってしまった咲夜へと、頰を掻きながら続きを語る。上手く話せないのがもどかしいな。咲夜が開心術を使えれば楽なのに。

 

「私たちは『常識』から外れた独特な存在なんだから、道しるべになる社会規範なんて存在しないのよ。だからね、咲夜。もし選択に迷った時は社会じゃなく、人を規範にしなさい。尊敬できる人がどうするか、どっちを選ぶか。そう考えれば良いんだと思うわ。……私はリーゼ様やパチュリー、ダンブルドア先生やテッサなんかを通して自分の倫理を形成したの。色々と混ざっちゃってる所為で四人のそれとは少し違うんでしょうけど、これがアリス・マーガトロイドだって胸を張れるくらいの価値観を作れたわ。貴女もそれを作りなさい。参考になる人は周りに沢山居るでしょう?」

 

「うん……難しかったけど、何となく分かった気がする。」

 

「まあ、今日みたいに相談には乗れるわ。私やパチュリーなんかは同一ではないにせよ、貴女と近い位置に属してるわけだからね。」

 

私の根幹には実の両親や可愛がってくれた祖父の考え方も含まれている。だからこそ私は人形作りになっているのだ。反面、幼い頃から紅魔館で育った咲夜はまた違うのだろう。人間の世界から人外の世界に移った私やパチュリーに対して、咲夜は人外に育てられて人間の世界を今学んでいるのだから。

 

ただまあ、こういう悩みを持てるようになったということは、即ち彼女にとって人間の世界も価値を持ち始めたということだろう。うん、悪くないぞ。人外としての価値観に染まり切ってしまうよりは健全なはずだ。嘗て骨の髄まで『吸血鬼』だったリーゼ様やレミリアさんですらそのことを認めている以上、これは良い変化なはず。

 

うーん、つくづくホグワーツに通わせたのは正解だったな。入学する前の咲夜なら、何の疑問も持たずに紅魔館で生活していただろう。あのまま育っていたら人間を殺すことだって躊躇わずに行なったかもしれない。……本人は気付いていないようだが、彼女はとっくの昔に倫理観の形成を始めているのだ。先輩たるハリーたち、友人たるジニーやルーナ、同級生たる魔理沙やベイン、教師たるダンブルドア先生やマクゴナガル。そんな存在が少しずつ、少しずつ咲夜の認識を変えた結果がこの悩みに繋がっているのだから。

 

いやはや、私の母校は大した学校じゃないか。純血だろうが、マグル生まれだろうが、吸血鬼だろうが、魔女だろうが、人外に育てられた人間だろうが。この学校は平等に全てを受け入れ、大切な教えをきちんと授けてくれるらしい。敵わないな、本当に。パチュリーをして偉大だと言わしめたのは伊達じゃないわけだ。

 

幸いにも咲夜はまだ四年生。このままのペースで成長してくれれば、卒業する頃には自分なりの倫理を形作れているだろう。『後輩』に大事なことを教えてくれた母校に感謝の念を送りつつ、アリス・マーガトロイドは静かに微笑むのだった。

 



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どろぼう

 

 

「ふぅん? 男子だったのか。名前は?」

 

夕焼けを反射するホグワーツの湖に糸を垂らしつつ、アンネリーゼ・バートリは隣で巨大な釣竿を振っているハグリッドに話しかけていた。ふん、バカめ。そんな粗雑な竿で釣れるもんか。私のは日本で買ったマグル製の高級品だぞ。文明の差をしかと目にするがいい。

 

四月も後半に差し掛かった雨上がりの夕刻、通り雨が止んだのを確認して夕食前の空き時間に一人で湖に来てみたところ、森番どのが先んじて釣りをしていたのである。私の姿を見たハグリッドは遠慮して帰ろうとしたのだが、竿の威力を見せ付けたくて一緒にやろうと誘ってみたのだ。ハグリッドのは……おいおい、単なる木を削ったやつか? 私のはカーボンだぞ、カーボン。正直カーボンが何なのかはさっぱり分からんが、雑誌には今後主流になると書いてあった。だからきっと良く釣れるのだろう。

 

自慢の釣竿をひゅんひゅん振りながら放った相槌を受けて、小癪にも流木の周辺を狙っているハグリッドが先日産まれたルーピンの息子についての説明を続けてくる。糸が引っかかっても知らんからな。慣れないうちはチャレンジするなと本に書いてあったぞ。

 

「祖父と父から名前を貰ったんだそうです。エドワード・リーマス・ルーピンっちゅうことですわ。」

 

「無難だね。ルーピンっぽい名付け方だが、ニンファドーラっぽくはないかな。」

 

「トンクス……っちゅうか、今はルーピンですけど。彼女は名前で苦労したそうですから、むしろ賛成したみたいですよ。『無難が一番』なんて言っちょりました。アンドロメダは不満そうでしたけどね。」

 

「狼人間云々の問題はどうだったんだい? 前に話を聞いた時は大丈夫そうとか言ってたが。」

 

釣り雑誌で学んだテクニックを駆使しながら問いかけてみると、いきなりヒットしたハグリッドが糸を手繰り寄せつつ答えを返してきた。……ラッキーだったな。総合成績では私が勝つんだから、最初のヒットくらいは譲ってやるよ。

 

「そっちは大丈夫だったんですけど、どうも七変化の方が遺伝したようでして。くしゃみすると顔が変わっちまうんだとか。」

 

「それはまた、後々困りそうな体質だね。『本物の顔』が分かんなくなったりしないのか?」

 

「トンクスが言う分には、本物の顔は何となく分るらしいんです。最初のうちは頻繁に変わるものの、物心が付いたら落ち着いてくるって言っちょりました。」

 

そんなもんなのか。中々の大物を釣り上げたハグリッドに頷いてやれば、彼は手早く餌を付け直して再び湖へと糸を垂らす。チラッと見えたが、針がデカすぎるぞ。何であんなのにかかるんだ? さすがに気付けよ、鱗付きどもめ。薄気味悪い目が常時開いてるだろうが。

 

粗悪な針に騙されるなとおバカな魚たちに念を送っていると、ハグリッドが思い出したように新たな話題を投げかけてきた。

 

「そういえば、バートリさんは知っとりますか? 七大魔法学校合同でクィディッチのイベントが開かれるかもしれないっちゅう話。この前マクゴナガル先生から聞いたんですけど。」

 

「ああ、知ってるよ。代表チームでトーナメント戦をするつもりなんだろう? レミィによれば、ゲーム・スポーツ部のバグマンはリーグ戦を希望してるらしいけどね。」

 

ちなみにボーンズやマクゴナガルはトーナメント戦を、ゲーム・スポーツ部や魔法生物規制管理部の一部の職員たちはリーグ戦を希望しているらしい。トーナメント派は単純に面倒くさいから試合数を減らしたくて、イベント好きのお気楽ゲーム・スポーツ部はその逆。そして規制管理部の魔法生物狂いどもは珍しい生き物が居る東アジアやアフリカに行く名目が欲しいのだろう。

 

トーナメント戦だったら一校シードとして初戦三試合、準決勝二試合、決勝一試合の計六試合で済むはずだ。反面リーグ戦になってしまうと計二十一試合、ホグワーツの試合単品で見ても六試合になってしまう。色々と忙しいマクゴナガルや大事を済ませた後のボーンズが嫌がるのもよく分かるぞ。

 

同情する私に対してハグリッドはリーグ派のようで、もじゃもじゃの髭を撫で付けながらそれらしい意見を飛ばしてきた。イギリスが本格的な冬に入る前に南アフリカに移送されたサイもどき……エルンペントだったか? に会えるかもと思っているのかもしれない。

 

「リーグ戦の方が実力が反映されますし、生徒たちも色んな国に行けて楽しいんじゃないかと思うんですけど……バートリさんはどう思いますか?」

 

「断然トーナメント派だよ。試合自体はそれぞれの学校の競技場でやるんだろう? 代表選手と応援の生徒を他国に向かわせる苦労や、逆に他校の生徒を受け入れる時の調整、そして観戦に来るであろう保護者たちの誘導。対抗試合の時より忙しくなりかねんぞ、そんなもん。」

 

あの時は二校が『ホテル付き』で来てくれたからあの程度で済んだのだ。二十一試合中何試合をホグワーツでやることになるのかは知らんが、その準備だけを想像しても面倒くささが溢れてくる。その上他国での滞在のことまで考えたら……過労死するんじゃないか? マクゴナガルのやつ。

 

何にせよハグリッドはピンと来なかったらしく、新たな大物を釣り上げながら首を傾げてきた。……どうした、カーボン。まだピクリとも来てないぞ。この私が買ってやったんだから根性を見せてみろ。糸もリールも針も一番良いやつを揃えてるじゃないか。

 

「そりゃあ準備は大変かもしれませんけど、生徒たちに色々な国の魔法学校を見せるってのは良いことなんじゃないでしょうか? 若いもんの国際協調が目的のイベントみたいですし。」

 

「いやまあ、私としては何処の誰が楽しもうが、あるいは苦労しようがどうでも良いんだけどね。……想像してみたまえよ、ハグリッド。ホグワーツの代表選手を決めるとして、シーカーには誰が選ばれると思う?」

 

「そりゃあハリーだ。そうに決まっとる。あれ以上のシーカーなんてこの学校に居ないでしょう?」

 

「その通り。七年生で、イモリ試験を控えている、闇祓い志望のハリーが選ばれるわけだ。」

 

私の言葉を聞くと、ハグリッドは途端に勢いを失くして返事を寄越してくる。何が問題なのかにようやく気付いたようだ。

 

「あー……なるほど、言わんとしてることが分かりました。そいつは確かに問題ですね。」

 

「だろう? 最悪リーグ戦になったとして、どれだけの時間が持ってかれるのかを考えてごらんよ。ハリーは『良い成績』と言って問題ないレベルだが、それでもハーマイオニーほどじゃない。闇祓いを目指すのであれば勉強の時間が必要なのさ。」

 

「そいつは……まあ、難しい問題ですね。クィディッチの成績が闇祓い選抜の『特殊技能枠』に含まれるとは思えねえですし。」

 

「特殊技能枠? 知らん制度だね。七変化とかが対象になるのかい?」

 

ニンファドーラが闇祓いになれたのは結構な疑問だったんだが、そういうシステムがあったわけか。私が内心で納得しながら放った質問に、ハグリッドは巨大な頭を縦に振ってきた。

 

「そういうやつです。持ってると試験の時にちょっとばかし加点があるんだとか。外国語とかも含まれるって聞いたことがあります。」

 

「ハリーやロンには……ふむ、あんまり思い浮かばないな。パーセルタングとか?」

 

ただまあ、蛇と関わる機会がないので試せていないが、そのパーセルタングにしたって失われている可能性が大きいだろう。パチュリーの考察によれば、あれはハリーの中にあったリドルの魂の欠片が影響していたはずだ。それが無くなった今はもしかしたら話せなくなっているかもしれない。

 

今度蛇を用意して試してみるかと考えている私を他所に、ハグリッドは首肯しながら他の例を挙げてくる。

 

「小鬼語は対象になってるみたいですし、蛇語も多分含まれるんじゃないでしょうか。あとはアニメーガスも含まれるって聞いとります。マクゴナガル先生は闇祓いになるときにそれで加点を貰ったらしいです。あの方なら加点なしでも問題なかったでしょうけど。」

 

「アニメーガスか。ハリーやロンに習得させるのもアリだが……まあ、そんなに甘くはないだろうね。その時間を勉強に回した方が最終的な点数は上がりそうだ。」

 

「俺もそう思います。あの呪文は向き不向きもあるので、単純な技術の問題だけじゃ……おっと、デカいのがかかりました。やっぱり夕方はよく釣れますね。」

 

忙しなく動く糸を手繰りながらニコニコ顔で言ってきたハグリッドは、私の用意した大きめのクーラーボックスがすっからかんなのを見て笑みをかき消す。……何故なんだ。パチュリーから借りた本や雑誌は読み込んだし、道具も高級品を揃えた。隣の巨大自慢男が言う通り時間も悪くないはずだぞ。

 

つまり……そうか、私にかかるはずだった魚をハグリッドが横取りしていたわけか。それなら説明が付くぞ。バートリ家の主人たる私が魚一匹釣れないはずなどない。だからそうに違いないのだ。そうあるべきだ。

 

巨体を精一杯縮こまらせながら今日一番の大物を針から外すハグリッドへと、アンネリーゼ・バートリは渾身のジト目を送るのだった。この盗っ人め。許さんからな。

 

 

─────

 

 

「いい? 私たちは強い。だから絶対勝つし、故に絶対連覇するし、つまり絶対百十点差を付ける。絶対そうなるって信じて全力を尽くしましょう。結果として明日疲労で死んでも勝てば良いわ。」

 

無茶苦茶な発破をかけてくるケイティに頷きながら、霧雨魔理沙は呆れた半笑いを浮かべていた。ここに来てようやく鬱でも躁でもないキャプテンの姿が見れたな。今の彼女から感じるのは冷静な狂気だけだ。どっちにしろ怖いのは変わらんが。

 

かなり暖かくなってきた五月の中盤、遂に今シーズンの優勝が決まる最終試合の日が訪れたのだ。グリフィンドール対スリザリン。グリフィンドールが百十点差以上で勝てば私たちが優勝で、スリザリンが勝てば点差に関係なくスリザリンが優勝となる。一応その他の結末になるとレイブンクローが優勝なのだが、私たちは目標以下の点差でスニッチを捕るつもりなどない。たとえ三位や最下位になるリスクがあろうとも、一位以外は目指していないのだから。

 

ケイティの檄……というか脅しがチームの全員に伝わったところで、グラウンドの方からフーチの声が聞こえてくる。今日は負けられんぞ。連覇のためにも、チームのためにも、そして負けたら自殺しかねんケイティのためにも。

 

決意を固めながらチームメイトと一緒にグラウンドの中央まで歩いて行くと、緑のユニフォームに身を包んだスリザリンチームの姿が見えてきた。これまで通りのガタイが良いチェイサー、ビーター陣に加えて、長身のキーパーとシーカーのマルフォイ。予想通りのメンバーを揃えてきたようだ。

 

最近あまり目立ったことをしなくなったマルフォイを複雑な気分で眺めていると、整列した相手のビーターの声が耳に届いてくる。アレシアに話しかけているらしい。

 

「よう、チビ。逃げ回るだけのお荷物ちゃんが相手に居てくれて嬉しいぜ。うちが優勝したら何かプレゼントしないとな。」

 

おいおい、いくら試合前の『挑発タイム』でも一年生相手には遠慮しろよな。お前は五年生だろうが。助け舟を出そうかと口を開きかけたところで、先んじて私の隣のジニーが声を放つ。性悪吸血鬼直伝の皮肉げな表情でだ。

 

「プレゼントはやめておきなさいよ、シーボーグ。イースター休暇でニッケルスにこっ酷く振られたのをもう忘れちゃった? 彼女、プレゼントのセンスが絶望的って言ってたわよ。名前入りの指輪が重かったんですって。」

 

「……喜んでくれてたはずだ。フランス製の特注品だぞ。今日勝ったら優勝を手土産にもう一度アタックするさ。」

 

「ええ、知らないの? ニッケルスったら、貴方の隣に立ってる後輩と付き合い始めたらしいけど。」

 

ジニーがわざとらしい『びっくり仰天』の顔で口にした報告を受けて、スリザリンのビーターは隣に並んでいるチェイサーのことを驚愕の表情で見つめ出すが……うわぁ、敵チームとはいえ同情もんだな。チェイサーは真っ青になって目を逸らしているし、それを見たビーターは今にも殴りつけそうな顔付きに変わっていく。修羅場ってやつか。

 

「……おい、嘘だよな? ウィーズリーの言ってることは本当じゃないだろ? だってお前、ニッケルスのことについてよく相談に乗ってくれてたじゃないか。」

 

「違うんです、先輩。つまりですね、向こうも傷付いてたわけじゃないですか。だからその、慰めてる間に……分かるでしょう? 良い雰囲気になっちゃって、ニッケルス先輩の方からキスしてきたから──」

 

「ふざけるなよ、ベイジー! 俺はキスなんかしたことないぞ!」

 

あーあ、始まっちゃったよ。憤怒の表情で殴りかかったビーターの棍棒を、チェイサーが必死の顔で避け始めた。それをスリザリンのキャプテンが止める間も無く、呆れ果てたと言わんばかりのフーチが仲裁に入る。

 

「やめなさい、今から最終戦が始まるんですよ! 色恋沙汰は代表選手として試合を終えてからでいいでしょう! 神聖な競技場を何だと思っているんですか!」

 

ごもっとも。同時に止めに入ったスリザリンキャプテンのウルクハートやマルフォイなんかの働きもあり、二人は両端に引き離されたが……まーだ睨んでるぞ、ビーター君。想い人とのキスというのが効いているようだ。

 

「いいですか? 正々堂々プレーしなさい! ……チーム内でもですよ。」

 

フーチがお決まりの注意に珍しい台詞を追加したのを聞いた後、それぞれのポジションへと向かって歩き出す。全力で応援してくれているグリフィンドール生たちに大きく手を振ってから箒に跨って、フーチの笛を合図に晴れ渡った春の大空へと飛び上がった。

 

うんうん、調子良いな、スターダスト。チームで金を出し合って買ったプロ御用達の高級クリームを使った甲斐があったぜ。ご機嫌な相棒をひと撫でしてから、クアッフルの行方を確かめるため空中を見回す。

 

『さあ、試合開始です! 最初にクアッフルを手にしたのは……グリフィンドールのキャプテン、ケイティ・ベルだ! 執念のキャッチを見せました! 実際どう思っているのかは分かりませんが、顔を見るにそんな感じでしょう! 防衛術の教科書に載っていた『肝臓を狙う鬼婆』の挿絵にそっくりです!』

 

今日の実況はレイブンクローのミルウッドがやっているようだ。来年の実況の座をフィネガンと争ってるだけあって的確な表現をするな。そんなことを考えながら『鬼婆』の補佐をするために飛んでいると、素っ頓狂な内容の実況が耳に入ってきた。

 

『ゴールに向かって一直線に飛ぶベルですが、スリザリンの若きエース、ベイジーの妨害が……おーっと、ここでシーボーグの打ったブラッジャーがベイジーに当たってしまった! 連携ミスでしょうか?』

 

故意だぞ。どうやら恋人を取られたシーボーグは寮の勝利よりも復讐を優先することに決めたらしい。壮絶になってきた試合に顔を引きつらせたところで、私に近付いてきたジニーがペロリと舌を出しながら詳しい事情を教えてくれた。ちなみにマークを外れたケイティは易々とゴールを決めている。

 

「あのね、シーボーグは卒業したら結婚することまで考えてたみたいなの。指輪を贈ったのも婚約のつもりだったんですって。ニッケルス的にはそれが重かったらしいんだけどね。」

 

「それは……うん、怒るのも無理ないな。知ってて教えたのか?」

 

「当たり前でしょ。情報戦もクィディッチのうちよ。私はまだチェイサーとしては未熟だから、こういうところで活躍しないとね。」

 

うーむ、怖い。そう言ったジニーはやおらシーボーグの方に顔を向けると、大声で追加の『真実』を言い放った。

 

「ねえ、シーボーグ! これは知ってるかしら? ニッケルスったら先週寮に帰らなかったらしいんだけど、同じ日にベイジーも帰ってないのよね。偶然だと思う?」

 

笑顔で放たれたジニーの言葉を受け取って、シーボーグは一瞬きょとんとした顔になったかと思えば……わお、キレちゃってるぞ。真っ赤になってベイジーを睨み始める。偶然ではないと判断したようだ。

 

「『効果的』なのは認めるが、さすがにやり過ぎじゃないか? ちょっと可哀想になってきたぜ。」

 

「そうでもないわよ。実はニッケルスったら、シーボーグと付き合ってる頃からベイジーと『深夜のお出かけ』をしてたの。スリザリンの女子の間じゃ有名な話だったみたい。」

 

「それって……二股かけてたってことかよ。とんでもないな。」

 

「だからまあ、ニッケルスが巻き込まれることに罪悪感なんか感じないし、女たらしのベイジーにしても然りね。一途なシーボーグに関しては私も可哀想だと思うけど、そんな女に騙され続けるよりは真実を知った方が良いでしょ? シーボーグったら色々と貢いじゃってたみたいだし。私は知らせるタイミングをちょーっとだけ調整しただけよ。」

 

まあうん、私もベイジーやニッケルスに同情する気は失せたな。哀れなシーボーグと巻き込まれたスリザリンチーム、延いてはスリザリン寮そのものは可哀想だが……ここは清濁併せ呑もう。どうせ暫くすれば冷静に戻るだろうし、こっちだってキャプテンの命が懸かってるのだ。

 

───

 

そして私とケイティがそれぞれゴール三回、ジニーが一回を決め、内輪揉めしているスリザリンチームも何とか計三回のゴールを決めた試合中盤。スコアが70-30になったところで、いきなりマルフォイが急上昇するのが目に入ってきた。スニッチを見つけたのか?

 

『シーボーグ、徐々に落ち着いてきたようです。何があったのかは不明ですが、どうやらウルクハートの拳を使った説得が功を奏し……ここでマルフォイが動きます! スニッチを捉えたのでしょうか?』

 

僅かに遅れてハリーも動くが、その視線がマルフォイの少し先に向いているのを見るに、どうもフェイントではなく本当にスニッチが飛んでいるようだ。現状どっちのチームも条件を余裕で満たしている。つまり、これで優勝が決まるぞ。

 

ケイティが出した援護に入れというハンドサインを視認して、とりあえず全力でハリーの方に向かうが……遠すぎて私の位置からは介入できんな。ケイティも、ジニーも恐らく間に合わないだろう。ロンは当然ゴール前だし、ニールも私の背後に居たはずだ。

 

ハリーは空気抵抗を減らす姿勢で全力飛行しているものの、その前を飛ぶマルフォイの顔からするにスニッチは近くにありそうだし……どうする? この位置から何が出来る?

 

『スリザリンのシーカー、マルフォイが矢のように飛びます! それを追うポッターもぐんぐん伸びてきますが……これは間に合わないか!』

 

私が必死に思考を巡らせている間にも、マルフォイは箒から離した片手を前に伸ばし始める。ハリーは……僅かに後ろだ。万事休すかと脱力しかけたところで、横合いからマルフォイ目掛けてブラッジャーが突っ込んでいった。

 

マジかよ、アレシアか? 良くやったぞ! 信じられないような球威で飛んでいくブラッジャーは、片手で飛行するマルフォイへと……嘘だろ? マルフォイには当たらずに、彼の目の前を横切ってしまう。外したのか。

 

『リヴィングストンが打ち込んだブラッジャーがマルフォイへと向かうが……あー、外れた! 外れてしまいました! グリフィンドール、ここで痛恨のコントロールミス! 球威がありすぎたようです!』

 

実況のミルウッドの言う通り、球威が強すぎて本来ブラッジャーに備わっている誘導が利かなかったのだろう。グリフィンドールの応援席が悲鳴に包まれ、スリザリンの応援席では高らかに緑の応援旗が振られる中、ふと目に入ったアレシアの顔は……何故か見たこともないほどの満面の笑みだ。

 

どうしたんだよ。ショックでおかしくなっちまったのか? 私が呆然とそれを見ていると、実況の声が笑みの理由を教えてくれた。

 

『あーっと、どうしたんでしょうか? マルフォイが慌てて振り返っていますが……これは、ポッターだ! ポッターがスニッチを捕っています! グリフィンドールに百五十点が入りました! 試合を制したのはグリフィンドールだ!』

 

……ええ? 急いで視線を戻してみれば、誇らしげに握り締めた手を掲げているハリーと、悔しそうな顔で項垂れているマルフォイの姿が視界に映る。なんだそりゃ。全然意味が分からんぞ。最後までマルフォイが先行してたじゃないか。

 

きょとんとしながらも大歓声に沸くグラウンドの中央に着陸したハリーに合流して、その握り締めた手に思いっきりハイタッチをかましてやると、彼は興奮した表情で褒め言葉を連発し始めた。私の後に着陸したアレシアに向かってだ。

 

「凄いよ、アレシア! 完璧なコントロールだった! あんなのプロだってそうそう出来ないよ!」

 

「あの……はい。上手くいきました。」

 

どういうことだ? 下りてきた他のチームメイトも何が起こったのか分かっていないようで、喜びきれない私たちを代表して最後に合流したロンが問いを投げかける。ちなみにケイティは滂沱の涙を流していてそれどころではないらしい。

 

「僕、てっきりアレシアが外しちゃったんだと思ったんだけど……何がどうなったんだ? ゴールからじゃ全然分かんなかったぞ。」

 

「アレシアはブラッジャーをスニッチに当てたんだよ! 多分、あのタイミングでマルフォイに当てても彼はスニッチに食らいついてたと思う。だけど、掴む直前にスニッチに当たったからマルフォイは取り零して、僕がそれをキャッチできたんだ!」

 

ブラッジャーを、スニッチに当てる? そんなもん狙って出来ることじゃないだろ。そう思ってアレシアの方に振り向いてみると、視線が集まった彼女は真っ赤な顔でぼそぼそと『言い訳』を述べてきた。

 

「あの……人に当てるのはまだ怖かったんですけど、スニッチなら大丈夫なので。ずっと練習してた打ち方なら間に合うかな、と。」

 

「じゃあ、本当に狙ってやったの? マジ?」

 

引きつった顔で聞いたジニーに、アレシアはもじもじと箒を弄りながらこっくり頷く。マジらしい。それは確かにプロ顔負けのテクニックだな。

 

「そう……です。あの、ダメだったでしょうか?」

 

「ダメなわけないでしょう? ……よくやったわ、アレシア! 最高のプレーよ!」

 

箒を手放してアレシアに抱き着いたジニーに続いて、私も背後からアーモンド色の頭を抱き締める。どうしたらいいのかとオロオロするアレシアのつむじにキスした後、ようやく湧いてきた達成感と共に全力で腕を振り上げた。グリフィンドールの優勝だ!

 

未だ鳴り止まないグリフィンドール応援席からの歓声を全身に浴びながら、霧雨魔理沙は今日のMVPの頭をぐっしゃぐしゃに撫で回すのだった。

 



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無国籍ガール

 

 

「達成感とはかくも虚しいものなわけか。……ジニー、手が止まってるよ。」

 

優勝記念の寮を挙げたパーティーから早一週間。あの時の喜びっぷりが微塵も感じられない面子を前に、アンネリーゼ・バートリは儚い気分で指摘を飛ばしていた。クィディッチシーズンが終わった後に何が来るかなど誰もがご存知だろう。慈悲なき試験期間だ。

 

現在私たちが居るホグワーツの図書館は、ある種の一体感のようなものに包まれている。どうにかして試験を『やり過ごそう』という一体感に。その中で唯一緊張感がない私の言葉を受けて、ジニーは恨めしそうに返答を口にした。他には六年生三人と金銀コンビ、そしてルーナも一緒だ。ルーナだけはどちらかといえば私に近い雰囲気だが。

 

「……やるわよ。やってやるわ。」

 

「ならいいんだけどね。……ほら、ロン? キミも止まってるじゃないか。分からないところがあったのかい? だったら分かるまで復習したまえ。」

 

ミス・勉強から任じられた『勉強監督』の権力を振りかざす私へと、ロンもまたジト目で答えを寄越してくる。アンネリーゼ監督はスパルタだぞ。ちょっとの休憩も見逃さないからな。

 

「リーゼ、問題ってのは考える時間が必要なんだ。だから羽ペンが止まる。それは仕方ないことだろ?」

 

「キミがやってるのが薬学の素材の暗記じゃなければその言い訳が通用しただろうね。問題を読んだら反射的に答えられるようになりたまえ。イモリでは時間の使い方も一つの課題だぞ。」

 

「君、ハーマイオニーから何か飲まされたのか? 『勉強が好きになる薬』みたいなのを。」

 

「安心したまえ、ロナルド君。今も昔も私は勉強が嫌いさ。だがしかし、この立場になって気付いたんだが……勉強『させる』ってのは中々面白いんだよ。苦しむキミたちを安全地帯から見てるのは良い気分なんだ。」

 

ニヤニヤ笑いで言ってやれば、荒んだ表情のハリーがロンの肩をポンと叩く。苦難を前にして友情の絆が深まったらしい。

 

「何を言っても無駄だよ、ロン。リーゼは僕たちとは違う場所に行っちゃったんだ。『イモリ無し』の場所にね。」

 

「だけど、イモリ試験は来年だろ? まだ僕たちもイモリ無しではあるはずだ。」

 

「キミたちは『イモリ予備軍』なのさ。それ即ち今年の期末試験も手を抜けないってことだ。……分かったら黙って集中したまえ。鞭でぺちぺち叩いちゃうぞ。」

 

鞭を振る動作をしながら鼻を鳴らしてやると、ハリーとロンは嫌そうな顔で目の前の羊皮紙へと向き直った。問題児二人組はこれでいいとして、諦め半分のジニーや楽しそうに飼育学の教科書を読んでいるルーナ、終始無言で私が作った模擬テストを解いているハーマイオニーなんかも問題ないだろう。となると……ふむ、次は金銀コンビだな。

 

椅子から立ち上がって向かい側に座っている金銀コンビの手元を覗いてみれば、それぞれ羊皮紙に何を書き進めているのかが目に入ってくる。咲夜はマグル学の論述対策、そして魔理沙は夏休みの旅行日程だ。こいつには本当に鞭が必要かもしれんな。

 

「おい、不良魔女娘。キミは何をしてるんだい?」

 

「見りゃ分かるだろ? ヨーロッパの行きたい所を調べてリストアップしてるのさ。アリスに纏めとけって言われてるんだ。」

 

「アリスからの『宿題』を片付けてるって部分は褒めてあげてもいいが、勉強をやってないのはいただけないね。」

 

金色の頭をツンツンしながら注意してやると、魔理沙は迷惑そうにそれを払い除けて抗弁してきた。生意気なヤツめ。私は監督だぞ、監督。偉いんだからな。

 

「あのな、私にとってはこっちの方が『勉強』なんだよ。心配しなくても試験の成績は上位一割に入ってやるぜ。それなら文句ないだろ?」

 

「なんとまあ、残りの九割が可哀想になってくる台詞じゃないか。」

 

「私は日々努力してるからな。貯金がある分、ラストスパートは必要ないのさ。」

 

「継続型の強みってわけだ。……聞いたかい? 諸君。来年からは少しずつ貯金した方が良さそうだよ? 来るべき『冬』に飢え死にしたくないだろう? 今年の冬を越えられればの話だが。」

 

アリとキリギリスから何も学ばなかったらしい『その日暮らし』のハリー、ロン、ジニーに肩を竦めてやれば、むすっとした顔の彼らからではなく、貯金残高が最高額のミス・勉強から返事が返ってくる。溢れんばかりの貯金で早くも模擬テストを解き終えたらしい。

 

「リーゼの言う通りよ。こと勉強においては努力は嘘を吐かないの。……解き終わったから採点して頂戴。時間はどのくらいかかってた?」

 

「あー……四十分ってとこかな。参考にした本によれば通常一時間かかるテストみたいだし、上々のスピードじゃないか。」

 

「三十分まで短縮しないとダメよ。それに、点数が悪かったらどんなに早くても意味ないわ。」

 

もはやスポーツ選手みたいな会話だな。言いながら目線で急かしてくるハーマイオニーに従って、教科書を横目に答え合わせを始めるが……このレベルになってくると採点するのも一苦労だぞ。これは防衛術だからギリギリ理解できるが、魔法薬学とかルーン文字になると模範解答を見ても正誤を判断できなさそうだ。

 

七年生の勉強はあまり手伝えないかもしれないなとため息を吐く私を他所に、ルーナが手すきになったハーマイオニーに声をかけた。ルーナからハーマイオニーに話しかけるってのは珍しいな。ミス・勉強としてもその自覚はあるようで、ちょびっとだけ緊張した表情だ。

 

「あのね、ハーマイオニー。論文の書き方を教えてくれない?」

 

「論文? それは構わないけど……私も一つしか書いたことないわよ? 数占いの課題で書く機会があったの。基本的な構成を習っただけだから、本格的なものとなると自信が無いわ。」

 

「それでも全然知らない私よりはマシだよ。……私、自分が調べたことをきちんと纏めてみたいの。私は『変』だから上手く説明できないけど、文章ならなんとかなるんじゃないかと思って。だからつまり、自分のためじゃなくて他人が読むための論文を書いてみたいんだ。そうするには色んな決まりを守って書かないといけないんでしょ?」

 

「……なら、一緒に勉強してみましょうか。私も七年生になったらチャレンジするつもりだったから、今のうちに学んでおくのは悪くないことだわ。ハリーとロンもやるわよ。防衛術のを書かないといけないんでしょう?」

 

これまでのように自分の世界を押し通そうとするのではなく、外界に歩み寄ろうとしているルーナに心打たれたのだろう。前半を優しげな笑顔で、後半を勉強妖怪の顔で言ったハーマイオニーに対して、ハリーとロンが口々に反論を放つ。

 

「ハーマイオニー、僕たちが書くのは『小』論文だぞ。本物の論文とは全然違うだろ? ついでに言えば、それが必要になってくるのは闇祓いの入局試験だ。イモリを突破した後のことを考えるのは早すぎるよ。」

 

「僕が思うに、先ずは筆記の論述を勉強すべきじゃないかな。徐々にこう、レベルアップしていくべきでしょ? いきなり論文は無謀だよ。」

 

「あら、貴方たちは闇祓いの入局試験要項を読み込んでいないようね。魔法学校の在学中に論文を執筆していた場合、その評価も加算されるのよ。もちろん大きなものではないと思うけど、どんな出来でもマイナスになることは有り得ないんだし、小さな点数の積み重ねが重要だってことは理解してるでしょう?」

 

ほう、論文も加点対象なのか。この前巨大自慢男から聞いたやつ以外にも色々あるんだな。お澄まし顔で説明したハーマイオニーへと、ロンが絶望の表情で確認を飛ばす。

 

「まさか君、七年生になったら本気で論文を書かせるつもりなのか? 冗談じゃないぞ。イモリの勉強で手一杯になるのは目に見えてるだろ?」

 

「書くべきよ、ロン。論文を書いたって段階で他の受験者との差を作れるし、その経験は小論文の時に役に立つわ。イモリの勉強から少し時間を割いたとしても、充分にお釣りが来るメリットだと思わない?」

 

「思わない。闇祓いってのは論文が書けることを重視する職業じゃないはずだ。もっとこう……度胸とか、杖捌きとか、そういうのでアピールすべきだろ? 『ガリ勉君』が入るタイプの職場じゃないんだよ。」

 

「貴方はご存じないみたいですけど、闇祓いは軒並み『杖捌きも上手いガリ勉君』なのよ。両方できて当たり前の世界なの。貴方、今の局長のロバーズさんが何ヶ国語話せるのかを知ってる? 頭も良くないとやっていけないわよ?」

 

うーむ、ハーマイオニーの言い方からするに、あの情けない感じの局長も中々のエリートらしい。……ひょっとして、ムーディも論文を出してたりするのだろうか? スクリムジョールのは容易いが、グルグル目玉のは想像できんな。

 

私が至極どうでも良いことを考えている間にも、正論に押され気味のロンがなんとか挽回しようと口を開く。この二人の将来像が目に浮かんでくる構図じゃないか。

 

「だけど……そう、入局してからは書いたりしないはずだ。魔法省で論文を書く機会があるのなんて神秘部くらいだしな。」

 

「だからこそ在学中にやっておくべきなんでしょうが。統計の取り方とか、文章の書き方とか、データの纏め方とか。論文を書いて後々役に立つことは多いはずよ。きっと無駄になったりしないわ。」

 

大人な意見を受けたロンが万事休すという顔になったところで……仕方ない、助けてやるか。私が採点を終えた答案用紙を割り込ませると、途端にミス・勉強はこっちに食い付いてきた。湖の魚もこれくらい食い付きが良ければ楽なんだけどな。

 

「終わったよ、ハーマイ──」

 

「どうだった? 何問間違えてた?」

 

「百点満点で八十二点だ。内容がほぼ七年生なことを考えれば上出来中の上出来じゃないかな。」

 

「じゅ……嘘でしょう? 十八点も落としてたの? 十八?」

 

おっと、本人的には全然上出来じゃなかったようだ。顔を引きつらせながら間違い箇所を確認し始めたハーマイオニーを見て、目線で助かったと伝えてくるロンに礼は食べ物でと返した後、魔理沙の『宿題』を掠め取って採点を開始した。ついでにこっちもチェックしてやろうじゃないか。

 

「おい、意地悪吸血鬼。まだ途中だぞ。」

 

「いいじゃないか、金髪魔女っ子。私も大陸の観光名所には詳しいんだ。スケジュールに無理がないかを見てあげるよ。……キミ、フランスとイタリアが別の国家ってことを理解しているかい? 同じ日にマルセイユとナポリの予定が被ってるわけだが。しかもその後パリに戻るってのは不可能だと思うよ。キミが見るべきなのは観光案内じゃなくて、地図だね。」

 

「……ダメなのか? 姿あらわしがあるだろ?」

 

「国境を跨ぐ姿あらわしには特殊な許可が必要なんだよ。申請やら出国チェックやらが面倒だから、一日の間に行ったり来たりは無理じゃないかな。」

 

呆れながら魔法界の常識を教えてみると、魔理沙は愕然とした顔で疑問を寄越してくる。そんなんだからホグワーツは常識がないって言われちゃうんだぞ。

 

「でも、お前らは好き勝手にあちこち行ってるみたいじゃんか。アメリカとか、日本とか、ロシアとかにさ。」

 

「それはだね、魔理沙。私たちには図書館の大魔女と、紅のマドモアゼルが付いてるからさ。レミィが許可を取れないなんてことは有り得ないし、取るのが面倒ならパチェが何とかしてくれるわけだ。紅魔館の地図に国境なんてないんだよ。」

 

「……アリスは出来ないのか?」

 

「可能かもしれないが、あの子は真面目だからね。基本的にルールを守ると思うよ。」

 

私の予想を聞いた魔理沙が頭を抱えたところで、同じく大陸旅行に行く予定のハリーが会話に参加してきた。勉強よりもこっちの話題が楽しいと判断したようだ。

 

「シリウスは大陸で旅行するならマグル側の交通機関を使った方が楽だって言ってたよ。なんとか協定っていうのがあるから、イギリスとアイルランド間みたいに出入国審査が必要ないんだって。だから僕たちはバイクで行く予定なんだ。大陸に入る時だけは審査を受けるらしいけどね。」

 

「審査って?」

 

「そりゃあパスポートの確認とか、滞在期間を報告したりとか……マリサ、パスポート持ってる?」

 

「……持ってないとマズいのか? それが何なのかすら分かんないんだが。」

 

無自覚不法入国者の発言を受けて、ハリーは困ったような表情で説明を続けるが……そういえば咲夜も持ってないな。当然私も、レミリアもだ。パチュリーやアリスは持ってたりするんだろうか? もちろん有効期限は切れているだろうが。

 

「あー、マグル的に言うとマズいかな。他の国に行く時、自分の国籍とか身分を証明するものなんだよ。マリサは日本人なんでしょ? だったら普通は日本のパスポートを持ってて、あとはイギリスの学生ビザとかを取るべきなんだと思うけど……魔法界ってどうなの? 僕、そっちの制度はよく知らないから。」

 

首を傾げるハリーへと、間違い箇所の復習を中断してルーナと論文関係の参考書を読んでいたハーマイオニーが答える。魔法界側から見ても魔理沙は不法入国者のはずだが、そこまで知らない彼女は真っ当な手段でイギリスに来たと思っているようだ。何を以て『真っ当』とするのかは謎だが。

 

「基本的に『学生ビザ』みたいなシステムは存在しないわ。ホグワーツの学生は他国からの留学だとしてもイギリス魔法界の所属として扱われるから。だから未成年魔法使いに対する制限なんかも学生全員に適用されるわけよ。パスポートに関しては……まあ、杖が代わりになってるって認識でいいんじゃないかしら? アメリカとかは入国した直後の杖の登録を義務付けてるみたいだけど、ヨーロッパは必要ない国が多いわね。未成年なら尚更よ。」

 

「ってことは、私はパスポットがなくても大丈夫なわけだ。杖があるからな。」

 

「パスポートよ。そして、『大丈夫』かどうかは意見が分かれるわね。魔法界で暮らす分には平気かもしれないけど、マグル界だと貴女は存在しないってことになっちゃうの。……日本での戸籍はある?」

 

「えっとだな、多分ないぜ。……ヤバいか?」

 

どんどん話が怪しい方向に進んで行くな。それを感じ取って神妙な表情になっている魔理沙へと、ハーマイオニーが腕を組みながら首肯を放った。

 

「ヤバいわ。例えば異国の街中で杖を失くして迷子になったら、貴女は誰の助けも得られなくなるわけよ。日本人であることも証明できないし、マグル界の記録上だとイギリスの学生でもない。杖がないと魔法界側の本人確認も受けられないしね。そうなると……どうなるのかしら?」

 

「んー、その国の魔法省にたどり着ければどうにかなるかもね。でも、マグル側だと不法入国ってことになるんじゃないかな。どう見ても未成年なんだから、いきなり犯罪者ってことにはならないと思うけど……無国籍の少女として保護されるとか? 何にせよ、面倒なことになるのは間違いないよ。」

 

マグル界に詳しいハリーが予想したところで、ロンとジニーが青い顔の魔理沙に助言を繰り出す。『不法入国』ってのが効いたらしい。

 

「大丈夫だ、マリサ。魔法省に行けばパスポートを貰えるよ。僕もエジプトに行く時に作ってもらったけど、手続きには五分もかかんないから。動かない変な写真を撮って、名前とか年齢を書けばそれで終わりさ。」

 

「そうね、簡単だったわ。パーシーのは苗字が『ウィルズリオ』になってたけど平気だったし、大した物じゃないわよ。」

 

随分と軽く言うウィーズリー兄妹だが……ハリーとハーマイオニーが微妙な表情になっているのを見るに、マグル的には『大した物』みたいだぞ。そんな簡単に作っちゃって大丈夫なのか?

 

何にせよ魔理沙は気が楽になったようで、明るい顔に戻って肩を竦めてきた。

 

「んじゃ、私も旅行の前にパスポットを作っとくか。咲夜とハリーも作るだろ? 一緒に行こうぜ。」

 

「よく分からないけど、あった方がいいなら作っておきましょうか。」

 

「僕は……うん、マグル側の制度を使って申請しようかな。『本物』の方が色々と安心だし。」

 

それがいいだろう。組織ぐるみの偽造を断ったハリーに大きく頷いてから、木の椅子に背を預けて図書館の天井を見上げる。……私はどうしようかな。アリスからは一緒に行こうと熱心に誘われているのだが、未だに紫からの連絡が一切ないのが問題だ。もしかしたら夏休み中に調停者との顔合わせをさせるつもりなのかもしれない。

 

……まあ、どっちにしても問題ないか。あいつはイギリスだろうが大陸だろうが一瞬で隙間を繋げられるだろう。ってことは七月前半にハリーの姿あらわしの特訓とレミリアたちの引越しを手伝って、中盤から大陸旅行ってとこかな。

 

今年もイベントが多くなりそうな夏休みのことを考えながら、アンネリーゼ・バートリはパタリと翼を動かすのだった。

 



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ヴェイユ

 

 

「それじゃあ、入れるわよ?」

 

真剣な表情で小瓶から記憶を取り出す咲夜を前に、霧雨魔理沙はこっくり頷いていた。向こうではマクゴナガルが疲れた顔で書類にサインを繰り返しており、私たちの間には石造りの大きな水盆が置かれている。つまり、ダンブルドアから贈られた最後の記憶を見ようとしているのだ。

 

期末試験が終わり、学期末特有の緩やかな空気に包まれているホグワーツ城。誰もが夏休みの予定を楽しそうに話し合う中、咲夜から『ヴェイユ』のラベルが貼られた記憶を見ようと言われて校長室に来てみたわけだが……やっぱり前ほど悩んでいる感じではないな。詳細は聞けていないものの、アリスとの話し合いが良い方向に働いたってのは何となく分かるぞ。

 

だからまあ、記憶を見ることに対しても前ほど気負ってはいない。やや気を抜きながら記憶が水盆に落ちていくのを見守っていると、いつものように液体が銀色に変わって靄が漂い始めた。そのまま底に映る映像へと意識を沈めていけば──

 

 

ここは……ふむ、この前見た記憶と同じような雰囲気だな。どうやらまたしてもムーンホールドが舞台の記憶らしい。かなり広めの古式ゆかしい部屋の中には、椅子に腰掛けたテッサ・ヴェイユとダンブルドアの姿がある。ダイニングテーブルを挟んで談笑しているようだ。

 

「ほっほっほ、懐かしいのう。まだ君が新人の頃じゃったか。」

 

「そうですね、ミネルバやフィリウスが二年生の頃だったはずです。パパとママもまだまだ元気でしたしね。……自分の未熟さを痛感した事件でしたよ。最初から最後まで全然役に立てませんでしたから。『慎重さ』ってものの重要性も学べた気がします。」

 

「じゃが、見事に解決したではないか。」

 

「見事って感じじゃないですよ。……色んな人が犠牲になっちゃいましたし。」

 

事件? 何の話だ? 隣で一緒に聞いている咲夜に問いかけの目線を送ってみるが、彼女もよく分からないらしい。かくりと首を傾げてしまった。

 

「結末はともかく、あの事件を通して君とアリスの絆は深まったように見えたよ。……本当に懐かしいのう。フランスと言えば、ご両親のお墓には行けているかね?」

 

「最近はちょっとご無沙汰ですね。コゼットの子供が産まれたら顔を見せに行こうとは思ってるんですけど。」

 

「そうしてあげなさい。曾孫の顔を見れるのは彼らにとって大きな喜びじゃろうて。」

 

「曾孫、ですか。……あーあ、私ももうすぐお婆ちゃんってことですね。何だかなぁ。」

 

テーブルに突っ伏してぼやいたテッサ・ヴェイユに、ダンブルドアがクスクス微笑みながら相槌を打つ。咲夜が母親のお腹にいた頃か。ってことは、えっと……第一次魔法戦争後期の記憶ってことになるな。

 

「おや、君もとうとう老人の仲間入りかね?」

 

「うー、変な感じです。この前までコゼットは小さかったのに、もうその子供だなんて。早すぎて追いつけないですよ。」

 

「わしから見れば、君もこの前まで小さかったんじゃがのう。……ううむ、言われてみれば実に不思議じゃ。」

 

「ダンブルドア先生は昔からそんな感じですし、アリスも若いままだから尚更混乱します。私だけ駆け足で進んでるみたいな気分ですよ。」

 

ふわふわした蜂蜜色の長髪を掻き回すテッサ・ヴェイユへと、ダンブルドアは苦笑しながら返事を口にした。もし私が本物の魔女になったら、咲夜もこんな気持ちになるんだろうか? ……まあ、状況が少し違うか。そもそも紅魔館には不老の存在が沢山居るわけだし。

 

「しかしながら、嬉しいじゃろう? 初孫の誕生というのは。」

 

「そりゃ、小躍りしたくなるくらいには。ベタベタに甘やかしちゃうと思いますよ、私。ホグワーツに入ってきたら無条件で加点しちゃいそうです。可愛いから五十点、みたいに。」

 

「うーむ、それは困るのう。今から各寮で君の孫の奪い合いが起こりそうじゃ。」

 

「どの寮になると思います? 夫と私はグリフィンドールで、コゼットはハッフルパフ、そしてアレックスはレイブンクロー。もしスリザリンだったら三代で全制覇ですね。四代だったらボーバトンとホグワーツを纏めて制覇になっちゃいます。」

 

ホグワーツは分かるが、『ボーバトン制覇』ってのはどういう意味なんだろうか? 私のちょっとした疑問を尻目に、ダンブルドアはテッサ・ヴェイユの瞳を覗き込みながら質問を飛ばす。明るいヘーゼルの瞳だ。角度によって色が違って見えるのが不思議だな。

 

「スリザリンでも構わないと?」

 

「あ、ひょっとして試してます? 悪い癖ですよ、それ。」

 

「ほっほっほ、君には通じんのう。」

 

「そりゃそうですよ。何十年も同僚をやってるんですから。……もちろんスリザリンでも構いません。あの寮にはあの寮なりの良さがありますもん。結束と矜持、そして揺るがぬ一貫性。もし私の孫がスリザリンに選ばれたら、それはつまり仲間想いで誇りを大事にする人だってことです。」

 

迷いなく断言したテッサ・ヴェイユは、くるりと暗い顔に変わって続きを語る。苦い後悔を滲ませた声色だ。

 

「……それを上手く導けなかったのが私の後悔ですね。教師になってからも学生の頃と同じ失敗をしちゃいました。」

 

「……難しい問題じゃのう。何か声をかけたいとは思うのじゃが、わしは君を慰められる立場に居らぬ。同じ失敗を何度も何度も繰り返しているわけなのじゃから。」

 

「難しいですね、教師って。新人の時もそう思いましたし、今でも変わらずそう思います。」

 

「そして、校長を長く続けたわしもそう思うよ。教育とは一生を賭けても解けぬ難問のようじゃな。」

 

驚いたな。そう語るダンブルドアは見たこともないほどに弱々しい表情だ。死喰い人になった教え子たちのことでも考えているのだろうか? 熟練教師二人の弱音を耳にして、ちょびっとだけ切ない気分になったところで……部屋のドアが開いて見覚えのある男女が入室してきた。お腹が大きくなっているコゼット・ヴェイユと、彼女の夫であるアレックス・ヴェイユ。要するに咲夜の両親だ。

 

「ありゃ、コゼット? どうしたの? 何かあった?」

 

慌てて立ち上がって心配そうに問いかけるテッサ・ヴェイユに、その娘は困ったような苦笑いで返答を返す。

 

「違う違う。フランに会いに来たらお母さんもこっちに居るって聞いたから。……幾ら何でも心配しすぎだよ。お母さんも私のことを産んだんでしょ?」

 

「それはそれ、これはこれなの。ほら、早く座んなさい。」

 

「もう、分かったよ。」

 

ふにゃりと笑いながら席に着いた妊婦さんに続いて、その隣に座った夫がダンブルドアと挨拶を交わし合う。咲夜と全く同じ色の瞳だ。顔付きが違うだけに違和感が凄いな。

 

「どうも、ダンブルドア先生。」

 

「元気そうで何よりじゃ、アレックス。闇祓い局の方はどうかね?」

 

「いつも通りですよ。クラウチ部長が圧力をかけてきて、それを局長が無視して、代わりにオグデンさんがやり返してます。可哀想に、文句を言いに来た執行部の職員がノイローゼ状態になってました。これで今月の被害者は三人目です。」

 

「相変わらずアラスターとアルフレッドのコンビは凶悪なようじゃのう。」

 

オグデンってのが誰だかは知らんが、ムーディとコンビを組めるってことはまともな魔法使いではないのだろう。過去の闇祓いたちの話をする二人へと、テッサ・ヴェイユが然もありなんという表情で入っていった。

 

「アルフレッドったら、この前も職員を一人『使用不能』にしたんでしょ? 省内だと実力行使で責め立てるアラスターより悪名高いかもね。あの子は理屈でネチネチ責めるタイプだもん。」

 

「まあ、頼りになる人ではありますよ。前で引っ張るって性格ではないですけど、あの人が居るから僕たちは背中を気にせずに済むわけですし。クラウチ部長も書類に付け入る隙が無くて困ってるみたいです。」

 

「小器用だねぇ。私にもちょっと分けて欲しいよ。」

 

疲れたように呟いたテッサ・ヴェイユは、杖を振って娘夫婦二人の紅茶を準備しながら続きを語る。十五年前の闇祓い局か。中々興味深い話題だな。

 

「そういえば、ルーファスとガウェインはどうしてる? あの凸凹コンビ。……フランクも入れれば凹凸凹って感じかな? ルーファスが凸ね。」

 

「先輩たちも相変わらずですよ。ロバーズ先輩とスクリムジョール先輩が突っ走って、フランクさんがそれをフォローしてます。今日出てくる時もオグデンさんに三人揃って叱られてました。ミドルトンを追跡中にマグルのタクシーを巻き込んじゃったそうでして。幸いにも怪我人は出なかったみたいですけどね。」

 

「捕まったの? ミドルトン。」

 

「いえ、途中でロジエールが増援に駆けつけて、道路を滅茶苦茶に破壊して逃げていったんだとか。お陰でケンジントンの大通りが今も通行止めですよ。記憶処理にもえらく手間がかかったそうです。」

 

今も昔も死喰い人の迷惑さは変わらずか。暗い報告にため息を吐いた部屋の面々は、そのまま暫くの間戦況について話していたが……やがてダンブルドアがコゼット・ヴェイユを見ながら話題を変えた。

 

「……ううむ、その子が生まれる頃にはもう少し穏やかな情勢になっていて欲しいものじゃのう。ギリギリまで勤務を続ける決意は変わらないのかね?」

 

「はい、一人で家に居るよりも安心ですから。先日もあんなことがあったばかりですし。」

 

「おお、ブリックス夫人のことじゃな。……うむ、あれはまっこと危ないところじゃった。わしらと、そして死喰い人たちが母の強さを思い知った事件じゃったのう。」

 

「凄いですよね。アーサーさんたちが駆け付けるまでロビンを一人で守り抜いたんですから。……もう家も絶対に安全とは言い切れませんし、だったら省内に居た方が良いと思うんです。タダで闇祓いが護衛してくれるなんて凄いじゃないですか。」

 

可愛らしく戯けながら言ったコゼット・ヴェイユに続いて、アレックス・ヴェイユも力強く頷いて同意してくる。……その考えが裏目に出ちゃったわけか。

 

「先輩たちやオグデンさんも気にかけてくれるみたいですし、局長も構わないって言ってくれてるんです。家で一人にさせておくよりは安心できますよ。」

 

「ふむ、言われてみればそうかもしれんのう。生まれる前から闇祓いたちの手厚い護衛付きとは……ほっほっほ、その子は大物になりそうじゃな。」

 

優しい笑顔でヴェイユ夫妻に語りかけたダンブルドアの台詞を聞いて、テッサ・ヴェイユも首肯しながら話に乗っかってきた。

 

「当たり前ですよ、ダンブルドア先生。私の孫なんですから。……多くは望みませんけど、出来れば何かを貫ける子になって欲しいですね。『不実な富者よりも忠節ある貧者たれ』。私が望むのはそれだけです。」

 

ずっと前にアリスから聞いたことがあるヴェイユ家のモットーを引用したテッサ・ヴェイユへと、コゼット・ヴェイユが自身の考えを口にした。お腹をそっと撫でながら、どこまでも慈悲深い母親の笑みでだ。

 

「私はなーんにも望まないかな。骨の髄まで愛して、寂しそうにしてたら抱き締めて、悪いことをしたらきちんと叱って、良いことをしたら思いっきり褒めてあげるの。お母さんがそうしてくれたみたいにね。……あとはこの子の選択次第だよ。選んだことを全力で応援してあげたいんだ。この子が立派な成人になるのを見届けられるなら、他には何も要らないって思っちゃうの。甘いかな?」

 

「甘いわね。子育てっていうのはそんなに簡単なものじゃないわよ? もっとずっと複雑で、難しくて、それでいて幸せなものなの。そのうち嫌でも思い知らされるわ。」

 

パチリとウィンクしながら言うテッサ・ヴェイユを横目に、私と共に記憶を見ている咲夜の顔をちらりと覗く。……苦しそうな表情だ。母親の願いが叶わないことを知っているからだろう。彼女が望んだ唯一の願いが。

 

ああもう、本当に遣る瀬無い気持ちになるな。幾ら何でもあんまりじゃないか。こんなにも自分の子供を愛していたのに、一目見ることすら、たった一度抱くことすら出来なかっただなんて。

 

やり場のない悔しさを感じている私を他所に、過去の幸せそうな会話は進んでいく。朗らかな笑顔で口を開くアレックス・ヴェイユ。彼はどんな想いでフランドールに妻と子供を託したのだろうか?

 

「僕は……そうですね、健康でいてくれればそれに勝るものはないです。あとはまあ、男の子でも女の子でも一緒にクィディッチを出来れば文句なしですよ。」

 

「クィディッチはどうかなぁ。私もお母さんも、それにお父さんも熱心じゃなかったからね。」

 

「なに、僕が教えるよ。ジェームズもフランクさんも息子にやらせるって言ってたし、競争相手には困らないさ。いつか三対三のクアッフル戦をやろうって約束してるんだ。親連合対子供たちでね。」

 

「気が早すぎるよ、三人とも。」

 

呆れたように夫の肩をぺちりと叩くコゼット・ヴェイユへと、ダンブルドアが苦笑しながらフォローを放つ。

 

「ほっほっほ、男親というのは得てしてそういうものなのじゃよ。……楽しみじゃのう。君たちの子供たちがホグワーツに入学してくる時が。」

 

「すぐですよ、きっと。その日のためにも今は頑張らないといけませんね。」

 

「うむ、そうじゃな。……では、わしはそろそろホグワーツに戻るよ。家族の団欒をいつまでも邪魔するのは悪いしのう。」

 

立ち上がったダンブルドアは三人の別れの言葉を受け取ると、ゆったりとした歩調で部屋のドアへと歩いて行く。それに従って徐々に崩壊していく世界の中、楽しそうに話す祖母と両親の姿をジッと見つめる咲夜の姿が目に入ったところで──

 

 

ふと気付くと、現在のホグワーツの校長室に戻っていた。役目を終えた憂いの篩から身を離して、とりあえずマクゴナガルに戻ったことを報告しようとするが……どうしたんだ? 新校長どののひどく慌てた顔が視界に映る。羽ペンをぽろりと落としちゃってるぞ。

 

何事かとその視線を辿ってみると、立ち尽くしたままで青い瞳からポロポロ涙を零している咲夜の顔が見えてきた。おいおい、咲夜が泣いてるのなんか初めて見たぞ。どうしよう。どうすればいいんだ?

 

「さ、咲夜? 大丈夫か?」

 

「何かあったのですか? サクヤ。」

 

大急ぎで近付いてきたマクゴナガルと二人揃って声をかけてみると、咲夜はぼんやりと私たちの方に向き直ってから、驚いたように目元を拭って返事を寄越してくる。

 

「……びっくりしました。泣いてます、私。」

 

「それは見れば分かります。さあ、こっちに座りなさい。今紅茶を出しましょう。」

 

素っ頓狂な返答を聞いてソファへと案内しようとするマクゴナガルだったが、咲夜は首を振った後で水盆の中の記憶を丁寧な手つきで回収すると、ぺこりとマクゴナガルにお辞儀しながら言葉を放った。

 

「ありがとうございます、マクゴナガル先生。だけど、大丈夫です。もう決心が付きましたから。」

 

「決心? ……それは悪いものではないんですね?」

 

「はい、良いものです。私がそう決めたから、多分そうなんだと思います。」

 

「……そうですか。」

 

疑問を呑み込んで穏やかに首肯したマクゴナガルを背に、咲夜は校長室の奥の方へと歩いて行くと……今度はダンブルドアの肖像画に向かって深々と頭を下げる。対する絵の中のダンブルドアは目を細めて嬉しそうな表情だ。

 

「ダンブルドア先生もありがとうございました。見て良かったです、記憶。」

 

「うむうむ、上々の顔じゃ。どちらのアイスクリームを選ぶか決めたようじゃな。」

 

「いいえ、決めません。私、両方食べちゃうことにしました。」

 

くすりと微笑んで言った咲夜の決断を受けて、深いブルーの瞳を見開いたダンブルドアは……快なりという笑顔で大きく頷いた。

 

「それでこそじゃ。それでこそじゃよ、咲夜。君はわしが思う以上の結論を導き出してくれたようじゃのう。……では、行きなさい。君にはもうわしの助言も、過去の記憶も不要じゃよ。二つのアイスクリームを平らげて先へと進みなさい。君が選んだ道は遥か先まで続いているのじゃから。」

 

「はい!」

 

もう一度深くお辞儀した咲夜は、晴れ晴れとした顔で私の手を引いて出口へと歩き始める。……よく分からんが、良い顔だな。これなら心配しなくても大丈夫そうだ。きっとダンブルドアの言う通り、こいつは見事な結論を自分の中で導き出したのだろう。

 

軽い足取りで螺旋階段を上る親友に引っ張られながら、霧雨魔理沙はホッと息を吐くのだった。

 



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忠節ある富者

 

 

「んー、私は遠出しないと思うわ。強いて言うならダイアゴン横丁くらいじゃないかしら? パパとママがこの前買ったふくろうをえらく気に入っちゃって、甘やかしすぎるもんだから肥満気味らしいの。ふくろうショップで健康グッズを仕入れないと。」

 

布張りの座席に腰掛けて苦笑するハーマイオニーの話を聞きながら、アンネリーゼ・バートリは車窓を横目にぼんやり頷いていた。見慣れたホグワーツ特急の車窓。つまり、学期を終えた私たちはキングズクロス駅に向かっている最中なのだ。

 

マクゴナガルが挨拶するという違和感たっぷりの学期末パーティーを終え、憑き物が落ちたかのように穏やかになったケイティ・ベルがハリーとロンにチームの将来を託したのが昨日の夜。一夜明けて朝食を食べた後、例年と同じようにセストラルが牽く陰気馬車に揺られてホグズミード駅まで移動して、先程全校生徒が真紅の列車に乗り込んだところなのだが……ルーナやジニー、アレシアや魔理沙なんかと別のコンパートメントに乗っている咲夜が別れ際にこっそり耳打ちしてきたのだ。『紅魔館に戻ったら大事な話があります』と。

 

ぬう、そんなこと言われたら気になって仕方ないじゃないか。実のところ、紅魔館に帰ったら私とレミリアからも話をしようと思っていたのだ。イギリスか、幻想郷かという話を。咲夜の方の話題は何だろうかと悩む私を他所に、欠伸しながらのロンがハーマイオニーに相槌を放つ。

 

「僕もそんな感じになりそうかな。成人祝いにビルとパーシーがどっかに連れてってくれるって言ってたから、もしかしたら日帰りでクィディッチ観戦とかには行くかもだけど。」

 

「あら、いいじゃない。私も兄か姉が欲しくなってくる話だわ。取締局の仕事は順調なの?」

 

「最近マグル問題が大きくなってるだろ? その影響でマグル関係の部署の待遇がどんどん良くなってるみたいなんだ。……まあ、これまでが悪すぎたのかもしれないけどな。何にせよパパとパーシーの給料が上がってママは大喜びだよ。」

 

「取締局にも影響があったのね。マグル連絡室とか、対策口実委員会なんかがオフィスを広げたのは広報で読んだけど。」

 

魔法省の広報なんか読んでるのか。毎月広報室からせっせと送られてくるのを、レミリアが一瞥すらせずに焚き付けにしているのは内緒にしておこうと考えていると……魔法界の旅行雑誌を読んでいるハリーが別の話題を場に投げた。談話室でも魔理沙と盛り上がっていたのを見るに、彼は大型犬との旅行が楽しみなようだ。

 

「ロンやハーマイオニーは行ったことある? フランス魔法省って。」

 

「僕はないな。ちなみにビルは行ったらしいけど、フランスの話をすると惚気話に繋がるから聞かない方がいいぞ。」

 

「私も実際に行ったことはないわね。もちろん本では読んだけど。……動く壁画のホールは一度実物を見てみたいわ。挿絵の段階でもう美しかったもの。」

 

「うん、それ。どうせパリには行く予定だから、シリウスがついでに見に行こうって手紙で提案してきたんだよね。リーゼは見たことある?」

 

今度は私に飛んできた質問に、肩を竦めながら返答を返す。壁画なんかに興味はないぞ。紅魔館の芸術担当はフランなのだ。

 

「私もないかな。……ただし、ゲラートがぶっ壊した旧魔法省だったり、出来かけの段階は見たことがあるよ。昔は明るい色の近未来的な建物だったんだが、今は古臭い造りになってるらしいね。」

 

建て直した後に懐古的な建物になるってのには皮肉を感じるな。未来派から古典派へ。芸術の都は忙しないもんだ。建築家たちの流行の移り変わりを感じていると、ハリーは難しい顔で返事を寄越してきた。

 

「でもさ、体験としてはそっちの方が貴重なんじゃない? この本に『47年の末に改装工事を始めた』って書いてあるし、古いフランス魔法省を知ってる人はそんなに居ないと思うよ。」

 

「こう見えても『年寄り』なんでね。……まあ、魔法界の観光名所に関してはブラックに任せていいんじゃないかな。キミはマグル側で色々と見たいものがあるんだろう?」

 

「そうだね、ずっと行ってみたかった場所が沢山あるんだ。卒業した後は忙しくなるだろうから、今のうちに行っておかないと。」

 

輝く笑顔で言うハリーに首肯してから、緑だらけの田舎の景色へと視線を戻す。……むう、やっぱりダメだな。咲夜のことが気になりすぎて話に身が入らん。今年の列車の旅は長く感じることになりそうだ。

 

───

 

そして予想通り例年より長く感じた移動を終え、ようやくたどり着いた9と3/4番線のホーム。トランク片手に車両を出た私たちの方に、赤ん坊を抱いたルーピンが近付いてきた。おおう、小さいな。ぶん投げたらかなり遠くまで飛ばせそうだ。

 

「お帰り、みんな。」

 

背後にニンファドーラとブラック、モリーなんかを従えながら挨拶してきたルーピンへと、六年生三人組が満面の笑みで近寄って行く。もちろんルーピンがふわふわな人気者になったわけではなく、その手の中の赤ん坊が目当てなのだろう。

 

「ルーピン先生! ……小さいですね。それに、赤毛? もしかして変身しちゃったんですか?」

 

「そうなんだよ。ここ暫くは明るいブロンドだったんだけど、今朝急に赤毛になっちゃってね。抱いてみるかい?」

 

「でも、僕……ちょっと待ってください。一応手を綺麗にしますから。スコージファイ(清めよ)。」

 

慌てて自分の手を清潔にするハリーを尻目に、ニンファドーラに歩み寄って声をかける。髪の色がショッキングピンクじゃなくなってるな。子供とお揃いの赤毛にしたようだ。モリーと並んでるとウィーズリー家の人間にしか見えないぞ。

 

「やあ、ニンファドーラ。母親になった気分はどうだい?」

 

「やっほ、バートリさん。……それがね、すっごく大変なの。闇祓いの訓練の時よりきついくらいだよ。モリーさんに色々教えてもらってるんだ。」

 

内容とは裏腹になんとも楽しそうな表情だし、そう悪くない生活を送れているようだ。『幸せ密度』の高さにやれやれと首を振っていると、咲夜たちも合流して赤ん坊を囲み始めた。ルーナですらもが目を輝かせているぞ。

 

「大人気じゃないか、キミの小さなびっくり人間は。」

 

「いやー、まさか七変化が遺伝するとは思わなかったよ。ノーレッジさんから可能性はあるって言われてたんだけど、すごく小さなものらしかったから全然考えてなかったの。狼人間の方を気にしすぎてたみたい。」

 

「まあ、他にない力があるのは良いことじゃないか。これといったデメリットはないわけだろう?」

 

「親としては子供の顔がくるくる変わっちゃうのは困るんだけどね。リーマスが写真を撮りまくってるんだけど、全部違う赤ん坊に見えちゃうの。整理する時に混乱すると思うなぁ。……私が変身する度に文句を言ってたママの気持ちが少し分かったよ。」

 

変な悩みだな。七変化はアルバムを作るのが難しいという新たな知識を獲得したところで、今度は微妙な表情のモリーが話しかけてくる。喜ぼうとしているが、どうにも喜びきれないという感じの顔だ。

 

「バートリさん、これを。」

 

「ん、手紙? どうしたんだい?」

 

これはまた、ウィーズリー家らしからぬ堅苦しい封筒じゃないか。差し出された手紙を受け取りながら問いかけてみると、モリーは深々とため息を吐いた後で説明を放ってきた。

 

「うちのバカ息子が八月に結婚式を挙げる予定なんです。スカーレット女史とマーガトロイドさん、それにフランドールやノーレッジさん、サクヤの分の招待状も入ってますので、お暇でしたら参加してやってください。」

 

「おやまあ、遂にゴールインか。キミはまだ反対なのかい?」

 

「いえ、あの子が決めた相手ですから。母として祝わないわけにはいきませんよ。」

 

態度と台詞が全然合ってないぞ。これも一種の親バカか。頰に手を当てながら憂鬱そうな顔で呟いたモリーは、未だ赤ん坊を囲んでいるハリーたちの方に視線を移すと、やや明るい表情に変わって続きを語る。

 

「それでも孫は楽しみですね。……絶対にボーバトンなんかには行かせません。うちの孫はホグワーツですとも。ええ、絶対に。」

 

「それはさすがに気が早いんじゃないかな。生まれた後で考えたまえよ。」

 

まだ見ぬ初孫の進路を考え始めたモリーに対して、呆れ顔で助言を送ったところで……おっと、咲夜がこっちに近付いてきた。

 

「こんにちは、モリーさん、ルーピンさん。」

 

「わお、新鮮。『ルーピンさん』か。ちょっと照れるね。みんなまだトンクスって呼んでくるから。」

 

「いい加減慣れなさい。……久し振りね、サクヤ。クリスマスに会った時より背が伸びたんじゃない?」

 

「そう、ですか? 自分じゃよく分からないです。」

 

聞き捨てならんな。言われてみれば、見上げる時の角度がちょびっとだけ急になってる気がするぞ。横で聞いている私がもう伸びるなと無言で念じているのを他所に、咲夜は困ったような顔で話を続ける。

 

「だけど、困っちゃいます。お洋服がすぐに着れなくなっちゃって……またアリスに直してもらわないと。」

 

「あら、新しいのをどんどん買ってもらいなさい。女の子の洋服っていうのは親にとって楽しみの一つなんだから。でしょう? バートリさん。」

 

「ん? ……まあ、そうだね。アリスは何でも自分で作っちゃうタイプだったから、買ってあげる楽しみってのは咲夜が初かな。何なら店ごと買ってあげるよ。」

 

「んー……でも、お店で買うよりアリスに作ってもらった方が可愛いんですよね。サイズもぴったりにしてくれますし。だからこそすぐ着れなくなっちゃうんですけど。」

 

遠慮しているという感じではなく、本心からそう思っている雰囲気の咲夜の言葉を聞いて、ニンファドーラが思い出したようにお願いを寄越してきた。

 

「ああそうだ、マーガトロイドさんに子育て用の人形を頼みたいんだった。モリーさんから話を聞いて、私も欲しいと思っちゃったんだよね。ダメかな?」

 

「『子育てちゃん』か。アリスも久々に作れて喜ぶんじゃないかな。ホグワーツから戻ったら伝えておくよ。」

 

少なくとも嫌がりはしないだろうし、もしかしたらフランが一緒に作りたがるかもしれんな。ニンファドーラに請け負ったところで、ルーピンたちの方も一段落付いたようだ。さっきまで人間だった大型犬の尻尾に大喜びでじゃれ付く赤ん坊を背に、ハリーたちがこちらに近寄ってくる。

 

「リーゼ、僕はもう行くよ。一旦シリウスの家に荷物を置いてから、みんなでパパとママのお墓に赤ちゃんを見せに行くんだって。」

 

「私もそろそろ行くわ。両親が到着してないみたいだし、渋滞に巻き込まれてるんじゃないかしら。電話して位置を聞いた後、姿あらわしで近くまで行こうと思うの。」

 

「それじゃ、私も帰るとするか。レミィが首を長くして待ってるだろうしね。」

 

「今年も買い物はみんなで行こうな。詳しいことは手紙で伝えるよ。」

 

ロンの言葉に全員で頷いてから、他の学友たちにも挨拶をした後で咲夜と一緒に暖炉へと歩き出す。そのままいつも通りにフルーパウダーを投げ入れて、いつも通りに不快な煙突飛行を終えてみると……おいおい、危ないな。紅魔館のエントランスの風景が視界に映ると共に、いきなり妖精メイドが顔面に突っ込んできた。

 

「おおっと。……キミね、暖炉は飛び込むものじゃないぞ。何をしているんだい?」

 

ぶつかるギリギリでキャッチして首根っこを掴みながら問い質してみれば、妖精メイドは能天気を絵に描いたような笑顔で返事を返してくる。妖精メイドにもそれぞれ個性があるのだが、こいつはとびっきりやんちゃな性格のようだ。

 

「おー、従姉妹様だ! おかえりー! みんなで遊んでたの!」

 

「はいはい、ただいま。遊ぶなら他でやりたまえ。火はついていないが、打ち所が悪いと一回休みになっちゃうぞ。」

 

「はーい!」

 

注意してから仲間の方へとぶん投げてやると、十五匹ほどの妖精メイドたちはどこからか持ち出したゴムボールで人数非対称の謎の球技をやり始めた。また新たな遊びを開発したのか。遊ぶことに関しては他の追随を許さん連中だな。小さく鼻を鳴らしながら煤を払ったところで、苦笑を浮かべた咲夜が声をかけてくる。

 

「実感しますね、帰ってきたって。」

 

「ま、そうだね。これでこそ紅魔館だよ。」

 

肩を竦めて言い放ってから、トランクを適当に放置して一階の廊下を進んで行く。やがてたどり着いたリビングのドアを開けてみると……うむ、揃ってるな。ソファに座るレミリアとフラン、給仕をしているエマの姿が見えてきた。ジメジメ魔女どのは咲夜から直接答えを聞くのが怖くて、小悪魔は焚書事件の『懲役』を終えていないのだろう。美鈴は門前かな?

 

「ただいま、諸君。」

 

「ただいま戻りました、レミリアお嬢様、妹様、エマさん。」

 

「お帰り、二人とも。そしてここに座りなさい。大事な話があるっていうのはリーゼから聞いているでしょう?」

 

あー、ヤバい。まだ伝えてないっけ。咲夜の話とやらで頭が一杯だったぞ。お澄まし顔のレミリアの指示を受けて、咲夜はとりあえず従いながらも小首を傾げる。

 

「えっと、私からも話があるんですけど……その件ですか?」

 

「そうね、咲夜からも……んん? ちょっと性悪、どういうことよ。」

 

「つまりだね、人伝に連絡するのは危険だってことだよ。こういう事態を招きかねないからね。……ホグワーツを出る時に咲夜から大事な話があるって言われたんだ。その上で私やレミィからも咲夜に話があるってことさ。」

 

空々しい言い訳をしつつ状況を整理してやると、途端にレミリアは翼を畳んで小さくなってしまう。列車に乗った時の私と同じく、『大事な』という部分に良くないものを感じ取ったらしい。そんなレミリアを横目にしながら、興味深そうな表情のフランが話を進めてきた。

 

「んじゃ、先にこっちの話からしちゃおっか。別に複雑なものじゃないしね。」

 

「フ、フラン? まだ早いんじゃ──」

 

「もう先延ばしにしたって仕方ないでしょ。……あのね、咲夜。今日私たちが聞きたいのは、貴女がどっちの道を選ぶかってことなの。私たちと一緒に幻想郷に行くか、それともイギリス魔法界に残って魔法使いとして暮らすか。……まだ決められないって言うならそれでもいいからね? ホグワーツの卒業までは時間が残ってるんだしさ。」

 

咲夜の隣に移動して顔を覗き込みながら問いかけたフランに、我らが銀髪ちゃんは間髪を容れずに口を開こうとするが……その前に私が言葉を付け足す。懐かしいやり取りだな。アリスの時を思い出すぞ。

 

「いいかい? 咲夜。これはキミにとって非常に重要な選択だ。キミが私たちのことを好いてくれるのは嬉しいが、それでも人間と人外には大きな隔たりが──」

 

「リーゼお嬢様、それは嘘です。だってお嬢様とハーマイオニー先輩たちには『隔たり』なんて無いじゃないですか。」

 

クスクス微笑みながら話を遮ってきた咲夜に、バツが悪い気分で弁解を飛ばした。その『例』を持ち出してくるのは少しズルいぞ。

 

「……それはだね、特殊なケースなわけだよ。普通はもっと遠い存在なのさ。」

 

「私、そうは思いません。お嬢様方もエマさんも、パチュリー様や美鈴さんやアリスや小悪魔さんも……何て言うか、私にとってはそれほど遠い存在じゃないんです。私は人間ですけど、みんなを『別の存在』だなんて意識したことはありませんから。この前ようやくそのことに気付けました。吸血鬼とか、人間とか、妖怪とか、魔女とか。それに囚われすぎるのは良くないことなんですよ、きっと。」

 

驚いたな。咲夜が私に『反論』してきたのなんて初めてじゃないか? 明るい表情でハキハキ喋る咲夜をなんとも不思議な気分で眺めていると、彼女は顔を上げて吸血鬼たちの顔を順繰りに見てから続きを語り出す。

 

「私は両方の世界を捨てたくないんです。スカーレットも、ヴェイユも。どっちも私を形作る大切な要素ですから。どちらかを選ぶなんて出来ませんし、したくありません。……だから私はホグワーツを卒業して立派な魔法使いになって、その後は紅魔館に永久就職してバリバリ働いて、両親に胸を張れる生き方をしながら、お嬢様方にお仕えするに相応しい一流のメイドになってみせます。私は忠節ある貧者にも、不実な富者にもなりません。忠節ある富者に……欲張って全部手に入れられる人間になりたいんです。」

 

なんとまあ、確かに欲張りさんだな。グッと両手を握り締めながら宣言した咲夜は、困ったような笑みで話を締めてくる。

 

「つまりですね……私は幻想郷に行きますけど、ヴェイユであることを棄てたりはしません。私には沢山の親が居て、その全員を大切にして生きていきたいんです。とっても我儘で、もしかしたら不義理な選択かもしれませんけど……でも、そう決めました。だからそれを貫こうと思ってます。こんな私でもお仕えすることを許していただけるでしょうか?」

 

最後の最後でちょびっとだけ不安そうになってしまった咲夜へと、私、フラン、レミリアが答えを口にした。それぞれの笑みを浮かべながらだ。

 

「んふふ、良い選択だと思うよ。それでこそ吸血鬼の館で育った人間だ。全てを欲しがる強欲さがないと、全てを手に入れることなんて出来ないからね。この館のメイドに相応しい気概じゃないか。」

 

「えへへー、百点満点だよ、咲夜。花マルのちゅーをあげちゃう。ぜーんぶ手に入れちゃいなよ。咲夜ならきっとそれが出来るから。」

 

「そうね、見事な選択だわ。貴女を形作った全てのものに誇れる存在になりなさい。スカーレットと、ヴェイユと、バートリ。それにマーガトロイドやノーレッジにも。……私が望むのは貴女が我儘を貫き通すことだけよ。その覚悟があるのであれば、受け取ったものを全部食べ尽くして生きなさい。」

 

「はい、やってみせます!」

 

元気良く返答を返した咲夜に、満足げな雰囲気のレミリアが大きな頷きを送る。

 

「なら、先ずはホグワーツを立派な成績で卒業しないとね。本気でうちのメイドになりたいなら中途半端な成績じゃダメよ? ヴェイユ家は未だここに在りってのを示して、魔法省の各部署から誘いを受けた後、それを全部蹴って私に仕えると言い放ってやりなさい。三年後、イギリスのボンクラどもにスカーレットの名を思い出させてやるの。いいわね?」

 

「任せてください、レミリアお嬢様。必ず思い出させてやります!」

 

「大いに結構。だったら私は幻想郷でその知らせを楽しみに待っておくことにするわ。」

 

気取った顔の中に喜びを隠し切れていない親バカ吸血鬼のことは放っておくとして、咲夜の成長は私にとっても嬉しいことだな。私たち相手にも自分の意見をはっきり主張できるようになったわけか。

 

うーん、これは魔理沙に礼を言う必要がありそうだ。この件に関してはアリスやダンブルドアも手伝ってくれたようだが、やはり咲夜にとって一番大きな切っ掛けになったのはあの魔女っ子の存在だろう。旅行中にでも何かプレゼントしてやるか。

 

フランに抱き着かれて何度もほっぺにキスされている咲夜を見ながら、アンネリーゼ・バートリは静かに微笑むのだった。

 



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楽園の素敵な巫女

 

 

「あー、感動したわ。可愛いわねぇ、咲夜ちゃん。人外に育てられた人間ってのは何人か知ってるけど、ああも真っ直ぐに成長するのは珍しいわよ?」

 

『煉瓦造り風』のカフェのテーブル席。大仰に語りかけてくる紫の話を聞き流しながら、アンネリーゼ・バートリはチキンカツカレーとやらを頬張っていた。美味いな。認めるのは癪だが、こと揚げ物に関してはイギリスより日本の方が美味い気がする。何か理由があるんだろうか?

 

夏休みが二日目に突入した今日、魔法で冷やしまくった紅魔館のリビングでゴロゴロしていた私の下に、いきなり隙間妖怪が連絡を寄越してきたのだ。昼食を取った後で例の『調停者』に会わせたいということで、案内に従ってスキマに入ってみたのだが……まさか日本の路地裏に出るとは思わなかったぞ。頭では理解していたものの、こうまでスムーズにユーラシア大陸をひとっ飛びというのには中々慣れんな。

 

そんなわけでこの前も寄った喫茶店でカレーを注文したところ、食べている間中覗き魔の世間話に付き合わされているというわけだ。どうやらこいつは先日の咲夜の『欲張り宣言』を覗き見ていたらしい。

 

「黙って食べたまえよ。そしてプライバシーという単語を噛み締めたまえ。キミが嫌われる原因の一つはそこにあるんだからな。」

 

「私、好きな子のことはなんでも知りたくなっちゃうタイプなの。リーゼちゃんの今日の下着の色も知ってるのよ? これって愛だと思わない?」

 

「歯痒いよ。キミの悪行を止められる存在はこの世に居ないのか? 居れば私は協力を惜しまないんだが。」

 

変態妖怪に軽蔑の眼差しを向けながら言ってやると、紫はぺろりと舌を出して肩を竦めてくる。ぶん殴りたくなる顔じゃないか。当たるなら実行してるんだけどな。

 

「止められるっていうか、ちょーっとだけ相性が悪い存在は幻想郷に居るんだけどね。」

 

「誰だい? そいつとは仲良くなる必要がありそうだから聞いておきたいね。」

 

「無理だと思うわよ? 冥府の裁定者をやってる子だから。幻想郷が担当地区なんですって。」

 

「……それは確かに無理かな。キミの相手をするのは面倒くさいが、そいつの相手をするのは鬱陶しそうだ。」

 

冥府の裁定者ということは、つまるところ聞く耳を持たない『独善屋』ということだ。『多様な価値観を重んじる懐が深い賢くて高貴な吸血鬼』である私とは致命的に性格が合わないし、下手すると紫以上に関わりたくない相手になるだろう。救いはないのかとため息を吐いたところで、お喋り妖怪がようやく本題を切り出してきた。

 

「まあ、友好を深めるための世間話はこの辺にしておきましょうか。今日はうちの子にリーゼちゃんを引き合わせたくて来てもらったわけだけど、その点は大丈夫よね?」

 

「大丈夫も何もないだろうに。私が持っている情報は魔理沙からの人物評と、キミからの会って話して欲しいという依頼だけだ。具体的に何を望んでいるのかが分からないから答えようがないね。」

 

「んー、今日は別に何も望んでないわ。会って、自己紹介して、それで終わりよ。その上でリーゼちゃんに私からのお仕事を受けるか決めて欲しいの。」

 

「……契約前に確たる内容を明かさないのは卑怯だと思うよ。」

 

ドリアとかいう珍しい料理を食べている紫に文句を伝えてやると、彼女は悪びれもせずにニコニコ笑いながら返答を口にする。

 

「でも、受ける気なんでしょう? ……心配だわ。こんなにチョロくて大丈夫なのかしら? 軽々しく変な大人に付いて行ったら絶対ダメよ? あんなことやこんなことをされちゃうんだから。」

 

「変な大人はキミだし、私は子供じゃない。どうでも良い無駄話をしている暇があるなら早く食べ終えたまえよ。キミとの食事は苦痛でしかないんだ。拷問だよ、拷問。」

 

「うーん、片想いって辛いわねぇ。」

 

「キミのそれは『歪んだ欲求』だよ。『片想い』だなんて綺麗な表現を使わないでもらおうか。」

 

カレーを食べ終えながら訂正してやれば、紫もドリアの最後の一口を平らげて立ち上がった。やっと移動か。えらく長い昼食に感じたぞ。

 

「今日こそ奢ってあげちゃう。いいわよね? 私ったら尽くすタイプなの。」

 

「好きにしたまえ。もう問答する気力も残ってないよ。……そもそも急に連れて来られたから、日本円なんて持ってないしね。」

 

疲れた気分で吐き捨ててから店員の声を尻目に店を出て、異国の住宅街の風景を眺めながら支払いが終わるのを待っていると……カランカランというベルの音と共に紫もドアを抜けてくる。しかし、七月だってのにアホほど暑いな。ものの一分で店内に戻りたくなってきたぞ。ジメジメしてるのも気に食わん。

 

「幻想郷は涼しいかい?」

 

スキマを開けるために人気の無い路地を目指しながら聞いてみれば、紫は苦笑を浮かべて首を横に振ってきた。まあ、知ってたさ。

 

「ここほどじゃないけど、それでも暑いわ。日差しも強いし、夜行性の妖怪にとっては暮らし難い環境かもしれないわね。……ちなみに日本だと七月初旬はまだ涼しい方よ。今日はちょっと暑めだけど、基本的にはこれからが夏本番なの。」

 

「憂鬱になってくるよ。……夏が暑いってことは、冬は比較的暖かいんだろう?」

 

「どうかしら? イギリスの北部とかに比べれば気温は多少マシでしょうけど、雪はこれでもかってくらいに積もるわよ。台風も地震もあるし、梅雨には雨が降りまくるし、今の時期は虫も多いわね。」

 

「地獄のような環境じゃないか。」

 

天災が多い上に夏は暑くて冬は寒いってことか。うんざりしながら言ってやると、路地裏に入った紫はスキマを開いてパチリとウィンクしてくる。何故かご機嫌なご様子だ。

 

「だけど、その分秋の実りは豊かだし、春の花も美しいわ。四季がはっきりしてるのよ、幻想郷は。それぞれの季節を司る神性や妖精たちがわんさか居るからね。……さあ、どうぞ。入って頂戴。」

 

「それじゃ、キミの箱庭にお邪魔するとしようか。」

 

紫の案内に従って、ギョロギョロと目玉が蠢くスキマに足を踏み入れてみれば……むう、緑の匂いだ。刹那の後には田舎特有の濃い自然の香りと共に、幻想郷の景色が目の前に広がっていた。遠くには深い森や巨大な山、広い竹林や草原なんかが見えており、眼下には長い石階段が続いている。周辺が一望できる小高い場所に出たようだ。

 

「ようこそ、幻想郷へ。」

 

私の後から出てきた紫がやけに穏やかな声をかけてくるのに、周囲を見渡しながら質問を飛ばす。景色の九割が緑色だが、それでも特徴的なものはいくつかあるな。遠方に見えるあの一際大きな山が『妖怪の山』だろう。となると、背の低い建物が密集しているあそこが魔理沙の生まれ故郷……『人里』か。

 

「思ったよりも人口が多いみたいだね。そして同時に思ったよりも文明レベルが低いようじゃないか。……ここは東の端にあるとかいう『神社』かい?」

 

「そうよ、博麗神社。ちょっと年季が入ってるけど、それでも立派なものでしょう?」

 

「いやまあ、基準となる神社を知らないから何とも言えないが……面白くはあるね。これが鳥居ってやつか。レミィが気に入りそうな色だ。」

 

石階段の頂点、つまりは私の隣に聳えている巨大な真紅の鳥居をぺちぺち叩いていると、紫は軽く首肯してから大雑把な案内を送ってきた。上にある看板みたいな板が神社側に向いてるな。神道の仕来りはよく知らんが、神域への『門』なんだったら反対側に向けるべきじゃないか?

 

「今日は晴れてるから景色がよく見えるわね。あの遠くにある山の手前に湖があるでしょう? あそこが貴女たちにプレゼントする土地よ。人里側じゃなくて、山側のほとり。」

 

「ふぅん? 魚は棲んでるかい?」

 

「普通の魚は知らないけど、人魚とか妖精とかはちらほら居るわ。……そっちで言う水中人よりは人間に近い見た目だけど。」

 

「おや、楽しみだね。人魚フィッシングはやったことがないんだ。」

 

人間に近いということはそれなりの大きさなんだろうし、竿はデカいのを用意しといた方が良さそうだな。『大物』の存在に胸を躍らせる私を他所に、紫は神社側に向き直ってこちらを促してくる。

 

「まあ、細かい案内はまた今度にしましょ。今日の目的地はこっちよ。……春だったら自慢の桜並木が見れたんだけどね。当然ながらもう散っちゃってるわ。また来年に期待かしら。」

 

「桜はマホウトコロで嫌ってほど見たからもういいよ。それぞれの神社でそれぞれの神を祀っているんだろう? ここにはどんな神が居るんだい?」

 

「あー……それが、あんまり強い神性じゃないのよね。特にご利益もなければ罰が当たったりもしないから、気にしないでいいと思うわ。」

 

「なんだそりゃ。」

 

魔理沙が『八雲の縄張り』と評していたから、てっきり強い神性が住み着いているんだとばかり思っていたぞ。拍子抜けした気分で石畳の上を進んでいくと、やがて瓦屋根の大きな建物が近付いてきた。マホウトコロの校舎によく似た建築様式だな。伝統的な日本建築ってことか。

 

「表側が社で、裏側が住居ね。本来ならもう少しごちゃごちゃしてるんだけど、小さな神社だから全部纏めて一つの建物になってるの。そろそろ建て替えるべきかしら?」

 

「それは自分で考えたまえ。……あっちにある小屋みたいな建物は何だい?」

 

解説してきた紫に疑問を投げてやれば、彼女は何かを探すように忙しなく視線を動かしながら答えてくる。

 

「単なる倉庫よ。ガラクタが沢山詰まってるだけ。……あの子が居ないわね。寝てるのかしら? れいむー! 可愛いゆかりんが来てあげたわよー!」

 

れいむ? 調停者の名前か。そういえば聞いてなかったな。紫が大声の日本語で建物に呼びかけると……おっと、あれが噂の巫女どのか。右手の方から奇妙な格好をした少女がひょっこり現れた。赤いリボンで濡羽色の髪を纏めており、年齢は魔理沙より少し若いか同い年ほど。紅白の着物とワンピースの中間みたいな服装だ。何故か肩周りがぱっくり開いている。暑いからだろうか?

 

『……何よ? 寝てたんだけど?』

 

『こんな真昼間によく寝れるわね、貴女。暑くないの?』

 

『暑いけど、動いてたらもっと暑いでしょ? だから寝てたの。』

 

紫に返事をしながら建物の軒先にあった謎の箱を覗いた巫女は、小さく舌打ちしてからくるりとこちらに振り向いてきた。疑念をありありと宿した表情だ。

 

『それで、何なのよ。妖怪でしょ? そいつ。気配で分かるわ。退治してみせろってこと?』

 

『全然違うわ、大ハズレ。……じゃじゃーん! 霊夢、貴女にプレゼントよ! お友達を持ってきたの!』

 

私を指差して高らかに宣言する紫に、巫女と二人でジト目を向ける。なーにが『持ってきた』だ。私は物じゃないぞ。

 

『キミね、順を追って説明したまえよ。意味不明だぞ。』

 

ここは暑いから喫茶店の時ほど我慢してやらないからな。半袖のジャケットを脱いで翼を広げながら日本語で文句を放つと、紫は私たちを交互に見ながら適当すぎる説明を繰り出してきた。

 

『あら、簡単な話よ。私は二人に仲良くなって欲しいの。じゃないとリーゼちゃんはお友達の成長を見届けられないし、霊夢は食料の供給を打ち切られるってわけ。……どうかしら? 仲良くなる気になったでしょう?』

 

こいつ、やっぱり嫌いだ。これまで強気だった巫女も焦った表情になっているのを見るに、『食料の供給』とやらは彼女にとって無視できないほどの大事らしい。どうぞどうぞと催促してくる陰険妖怪を睨め付けながら、巫女に歩み寄って手を差し出す。紫に従うのは癪だが、ここは大人である私が切っ掛けを作るべきだろう。

 

『アンネリーゼ・バートリだ。紫に弱みを握られている可哀想な吸血鬼だよ。』

 

自己紹介と一緒に私が伸ばした手を見て、紅白巫女は驚いたような、それでいて怪訝そうな表情で自分の手をにぎにぎした後……ゆっくりとした動作で慎重に握ってきた。握る力は強くも弱くもないし、体温は熱くも冷たくもない。なんか不思議な感じだな。

 

『きゅうけつき? ……まあいいわ、博麗霊夢よ。妖怪と仲良くするつもりはないけど、紫の件に関しては同じ立場として同情してあげる。』

 

随分と生意気な挨拶じゃないか。さすがはあの魔女っ子の友人だな。自分の手を握っている華奢で真っ白な手を眺めつつ、アンネリーゼ・バートリは皮肉げな笑みを浮かべるのだった。

 

 

─────

 

 

「全部大切にする、か。……いいと思うぜ、お前なら出来るさ。」

 

すっかり『夏の住処』となったマーガトロイド人形店のダイニングでサンドイッチを頬張りながら、霧雨魔理沙は銀髪の親友に向かって大きく頷いていた。今日は旅行に備えて運輸部でパスポットを作るため、アリスが私と咲夜を魔法省まで連れて行ってくれる予定なのだ。その前に三人で腹ごしらえをしているのである。

 

どうやら咲夜はここ暫く悩んでいた問題への決着を付けたようで、食べている間に自分が導き出した結論のことを話してくれたわけだが……うん、確かに欲張りな答えだな。だけど、二兎を追わないヤツは二兎を手に入れられない。器用なこいつなら両方捕まえることが出来るだろう。

 

両手に兎を持ってえへんと胸を張る咲夜を想像する私に続いて、アリスも嬉しそうな表情で口を開く。

 

「私としても文句なしの答えね。……フランスに行ったらヴェイユ家にも行ってみましょうか。オルレアンに大きなお屋敷があるのよ? 咲夜のひいおじいちゃんやひいおばあちゃんのお墓もそこにあるの。」

 

「まだ残ってるの?」

 

「由緒あるお屋敷だからね。今は親戚の方が管理してくれてるはずよ。ヴェイユ姓ではないみたいだけど。」

 

「ってことは、私にとっても親戚なんだよね? ちょっと緊張しちゃうかも。ずっと放っておいて怒ったりしてないかな?」

 

そういえば、咲夜はフランスだとかなりのお嬢様なんだっけ。……まあ、イギリスでも一応はスカーレット家のお嬢様だが。食べかけのパニーニを見つめながら不安げに呟いた咲夜へと、アリスは苦笑を浮かべて返事を返した。

 

「大丈夫よ、貴女を引き取ったのがレミリアさんってことは伝わってるらしいから。フランス魔法界でレミリアさんの身内が歓迎されないって展開はまず有り得ないわ。」

 

「そういう話はリーゼもよく言ってるけどよ、そもそも何でフランスだとレミリアの影響力が強いんだ? イギリスの吸血鬼なのに。」

 

生じた疑問をそのまま口に出してみれば、アリスは私のおでこをぺちりと弾きながら言葉を寄越してくる。困ったような呆れ顔だ。

 

「貴女、魔法史をちゃんと勉強してる? フランス魔法界とレミリアさんの関係については授業で何度も出てきてるはずよ?」

 

「そりゃまあ、大戦の頃にグリンデルバルドに抵抗してたのは知ってるが……『特にフランス』ってのが分かんないんだよ。ギリシャとか、ポーランドとかも結構な激戦区だったんだろ?」

 

「ポーランドが主に大戦前期、ギリシャが後期の戦場だったのに対して、フランスは大戦中常に激戦区だったの。占拠されるまでも必死に抵抗したし、占領下にあった頃はレジスタンスが活発に活動してたから。掃討戦の旗頭になったのもフランス魔法省だしね。だからレミリアさんとの繋がりが一番深い国なのよ。……下手するとイギリスよりも。」

 

「そうなのか? でも、今はイギリス魔法省とベタベタじゃんか。」

 

二個目のサンドイッチを掴みながら聞いてみると、アリスは額を押さえて首を横に振ってきた。どうやらホグワーツで四年目を終えた私がするような質問ではなかったようだ。

 

「それはここ最近……ファッジ元大臣あたりからの話ね。それ以前は良好と言えるほどの関係じゃなかったのよ。大法廷で真実薬を飲まされたことだってあったんだから。」

 

「マジかよ、真実薬? 度胸があるヤツも居たんだな。」

 

「そんなこと……無礼です! 無礼千万です!」

 

まあでも、多分効かなかったんだろうな。あいつが『真実』を明かしてたら今の関係性にはならないだろうし。衝撃の事実に驚く私とぷんすか怒る咲夜を横目に、アリスは懐かしそうな顔で話を締める。

 

「色々あったってことね。……要するに、苦境にあった頃にレミリアさんが手助けしたことをフランスはまだ覚えてるの。あそこは世界で最も『親スカーレット派』の魔法使いが多い国なのよ。実際にフランス魔法界で地位を得ていない分、むこうの政府としても持ち上げ易いんでしょう。」

 

「恩人は近すぎない方が有難味があるってわけか。なんか微妙な気分になる話だな。」

 

「下手に実行力を持っちゃうと反対せざるを得ない場合も出てくるからね。レミリアさんもダンブルドア先生もイギリスでは叩かれた時期があったでしょう? 遠くに居る『英雄』を尊重するってくらいがちょうど良いのよ、きっと。」

 

そんなもんなのか。大人な意見を口にするアリスへと、咲夜がヴェイユ家に関しての質問を再開した。彼女にとっては英雄の苦悩より親戚問題の方が重要なようだ。

 

「オルレアンってパリの近くだよね? パリに泊まってる間に日帰りで行ける?」

 

「姿あらわしなら余裕よ。実際にお屋敷があるのはオルレアンの少し南東だけどね。パリとブールジュの間って言えば分かり易いかしら?」

 

「ブールジュはピンと来ないけど……何となくは分かる、かな。アリスはもちろん行ったことあるんだよね?」

 

「テッサの里帰りによく付いて行ってたからね。ヴェイユおじ様やおば様にも可愛がってもらったわ。瀟洒でスマートなおじ様と、お喋り好きの勝気なおば様だったのよ?」

 

ふむ、曽祖母の方はテッサ・ヴェイユに似た性格らしいが、曽祖父の方は誰とも被ってないな。記憶で見たヴェイユ家の面々を思い出しつつ、私も話題に入っていく。

 

「フランスの名家ってことは、当然フランス魔法省に勤めてたんだろ?」

 

「おじ様はね。魔法運輸管理局の局長……つまり、フランス魔法界の物流とかポートキーとかを管理するトップだったはずよ。通貨に関する仕事なんかもやってたみたい。」

 

「こっちで言う魔法運輸部の部長みたいなもんか。そこまで目立たないイメージだけど、重職ではあるんだよな?」

 

「他国と陸続きのフランスではイギリスよりも地位が高かったみたい。だからまあ、そこそこの影響力はあったんじゃないかしら? 私も細かいパワーバランスについては詳しくないけど。」

 

なるほど、『立地』が違えば部署ごとの重要度も変化するわけか。きちんと考えれば当たり前のことだが、視点がイギリスの魔法使いだと気付き難い事実だな。感心しながら頷いた後、さっきまで旅行計画を話し合うのに使っていたパンフレットを手に取って話を続ける。もちろんマグル界と魔法界の両方のを準備しておいた。

 

「何にせよ、パリに滞在するならフランス魔法省にはやっぱり行ってみたいな。あとは魔法博物館と宮殿も外せないし、ベタにエッフェル塔とか大聖堂とか……なあ、アリスはどっか行きたいとこないのか? 私たちの行きたい場所ばっかりになっちまうぜ?」

 

「私はめぼしい人形店に行ければそれで充分よ。観光名所は大体見ちゃってるし、今回は案内する楽しみを味わうことにするわ。」

 

「そう言われるとなんか申し訳ない気分になってくるな。……これはどうだ? トルコから来た魔法使いの劇団だってよ。パリの劇場で七月末まで演劇をやってるらしいぜ? こういう突発系のイベントならアリスも見たことないだろ?」

 

魔法界側の観光パンフレットに載っていたイベントを指差して提案してみると……おいおい、どうしたんだ? かなり嫌そうな顔になったアリスは、キョトンとする私たちにバツが悪そうな声色で曖昧な返事を放ってくる。

 

「何て言うか、パリでの観劇っていうのには……あんまり良い思い出がないのよね。二人が観たいなら構わないけど。」

 

「いやまあ、別にどうしても観たいってほどじゃないさ。だろ? 咲夜。」

 

「そうね。……でも、何があったの? 少し気になるかも。」

 

おずおずと問いかける咲夜に同意の頷きを重ねてやれば、アリスは苦笑いで何かを思い出すように瞑目すると……やがて小さくため息を吐きながら口を開いた。

 

「んー……午後の受付開始までは時間があるし、フランスでのちょっとした思い出話をしましょうか。咲夜にとっても、魔理沙にとっても完全に無関係ってわけじゃないしね。」

 

「フランスに縁がある咲夜は分かるが、私も? どういう意味だ?」

 

「パチュリーから聞いたことないかしら? フランスの魔女の話。私たちと同じく、『本物の魔女』って意味ね。」

 

「魔女……そういえば聞いたことあるな。詳しくは全然知らんが。」

 

去年の六月、ホグワーツでの戦いの時にノーレッジが言っていたはずだ。生きている間に関わった本物の魔女は三人だと。魅魔様と、アリスと、そしてもう一人。それがアリスの言う『フランスの魔女』ってことか。

 

興味を惹かれて身を乗り出す私を見て、アリスはテーブルに頬杖を突きながらゆっくりと語り始める。苦い表情だな。少なくとも愉快な思い出ではないらしい。

 

「今から五十年近く前の話よ。まだマクゴナガルが小さな女の子で、フランには翼飾りがなくて、ダンブルドア先生が校長じゃなかった頃の話。私はホグワーツを卒業した後、魔女としての修行をしながらムーンホールドで自律人形の研究をしてたんだけど──」

 

五十年も前か。思ったよりも昔の話だな。朗々と語るアリスの昔話を聞きながら、霧雨魔理沙は三つ目のサンドイッチにかぶりと食らい付くのだった。

 



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アリス・マーガトロイドとグラン・ギニョール座の怪人
1949年6月27日


 

 

「荷物? ……私にですか?」

 

閉め切られたカーテンの隙間から朝陽が差し込む、穏やかな静けさに包まれたムーンホールドのダイニング。長いテーブルの端っこで一人寂しく食後の紅茶を飲んでいたアリス・マーガトロイドは、大きな木箱を片手で持っているエマさんにかくりと首を傾げていた。

 

ホグワーツ魔法魔術学校を卒業してから早四年。捨食の法に続いて捨虫の法も習得した私は、堂々と『本物の魔女』を名乗れるようになったのだが……染み付いた生活というのはどうにも捨て難いもので、今なお食事をしたり睡眠を取ったりしているわけだ。私の中の人間としての魂がそうさせるのだろうか?

 

ただまあ、せめてリーゼ様と同じ夜型に直すべきだな。わざわざ一人分の朝食を準備してくれるエマさんに悪いし。研究に夢中になって気を抜くと『規則正しい』生活サイクルに戻ってしまうことを反省する私に、テーブルの上に木箱を置きながらのエマさんが返事を返してくる。いつも通りのほんわかした笑顔でだ。

 

「ええ、屋敷の玄関にででんと置いてあったんです。ほら、上に宛先があるでしょう? 差出人は書いてないみたいですけど。」

 

その言葉に従って木箱の上面を見てみると……おお、本当だ。『フランスより、イギリスの人形作りさんへ』と達筆なフランス語で書かれているカードが貼ってあるのが目に入ってきた。特徴のない硬質な白いカードに書いてあるのはそれだけで、エマさんの言う通り差出人らしき署名は見当たらない。

 

「不思議な荷物ですね。ふくろう便の転送タグも付いてないみたいですし、知り合いからなら『人形作りさんへ』なんて迂遠な書き方はしないはずです。誰からの荷物なんでしょうか?」

 

ダイアゴン横丁の実家宛ての配達品はこっちに転送してもらえるように手続きしてあるので、そっちに届いた荷物というならある程度納得できるのだが……直接ムーンホールドにか。つまり、フランスのお爺ちゃんの知り合いからではなく、私本人に送られた荷物だということだ。私が人形作りであることを知っているフランス人なんてヴェイユ家の人たちくらいなんだけどな。

 

もちろん作った人形はちょこちょこ販売しているので、それを買った人物からという可能性もあるだろう。まさかクレーム付きで送り返されてきたとか? それはちょっとショックだな。片開きらしき木箱を前に悩む私へと、エマさんが好奇心に彩られた表情で口を開く。

 

「開けてみましょうよ、アリスちゃん。何か危ない物が出てきたら私が守ってあげますから。こう見えても結構強いんですよ? 私。」

 

「んー、それじゃあ開けてみましょうか。頼りにしてますからね?」

 

「はーい、お姉ちゃんに任せてください!」

 

うーむ、本当に可愛らしい人だ。メイド服から覗く真っ白な手をギュッと握って請け負うエマさんに微笑んでから、木箱の側面に付いていた真新しい真鍮の留め具を外して、彫り込まれた引手に手をかけて開けてみると……これはまた、美しいな。中に入っているのは見事なビスクドールだった。

 

専用の金具で固定されている一歳児くらいのサイズのそれは、私がこれまでに見たどのビスクドールよりも精巧な作りをしている。ボディは……驚いたな、この大きさでオールビスクなのか? 革でも紙でも木でもコンポジションでもなく、指先まで全てビスクで作られているようだ。それなのに可動部が大量に存在しているのが凄まじいぞ。

 

しかし、どういう製法なんだろうか? 真っ白な肌は磁器にも関わらず柔らかな質感を感じさせるし、指の関節の一つ一つまで作り込まれているのが一目瞭然だ。ビスクドールにおいて質感と可動性は二者択一のはず。そりゃあちょうど良いバランスで作ってこその『名作』かもしれないが、ここまで両立できている作品にお目にかかったのは初めてだな。

 

そして、纏っている服は当然のようにテーラーメイド。フリルが付いた可愛らしい青と白のドレスで、これだけでも芸術品であることを主張できるような美しさだ。……服だけは専門家に頼んだのかもしれないな。そう思わないとやってられないぞ。

 

あまりの完成度に人形作りとして敗北感を覚えつつ、服から目を離して人形の瞳に視線を移す。……どの部分も等しく凄いが、その中でも際立っているのはこの瞳だ。透き通るような淡いグレーの瞳。吹きガラスでも、ペーパーウェイトでもない。そもそもガラスなのか? これは。生きているかのようなリアルさだな。

 

木箱に顔を近付けて食い入るように観察する私へと、隣のエマさんが自身の感想を述べてきた。

 

「わー、綺麗なお人形ですねぇ。これがビスクドールってやつですか?」

 

「分類としてはそうですね。だけど、一般的な製法ではないみたいです。少なくとも私はこんなビスクドールを見たことがありません。特にこの瞳。まるで生きてるみたいじゃないですか。」

 

むむむ、分からん。眼球の素材は間違いなくプラスチックではないし、もちろん磁器でも金属でもない。やっぱり一番近いのはガラスのように思えるのだが、本当にそうなのかもどんな製法を使っているのかもさっぱりだ。……人形を作るときは何より眼に拘れとお爺ちゃんが言ってたっけ。他の部分がどんなに精巧な作りをしていても、眼が『死んで』いればそれは駄作なのだと。この作品はその言葉を証明しているな。

 

『生きて』いる眼を調べながら祖父の偉大な教訓を噛み締める私に、エマさんがちょっとだけ困ったような顔で返答を寄越してくる。

 

「うーん、とってもリアルではありますけど……私はアリスちゃんのお人形の方がいいですね。少し怖いですよ、この子。」

 

「それは嬉しいですけど、『怖い』ですか?」

 

「だってほら、今にも動き出しそうじゃないですか。いやまあ、アリスちゃんのお人形さんは実際に動くんですけど、そうじゃなくて……その、ギギギって動くような雰囲気が嫌なんです。」

 

「あー、何となく伝わりました。確かに愛玩用じゃなくて、どちらかと言えば芸術品って感じの人形ですもんね。」

 

指摘されて改めて見てみれば、どことなくホラーな雰囲気はあるかもしれない。要するにリアルすぎるということなのだろう。私が目指す『お友達』としての人形ではなく、ケースに入れて飾っておく『美術品』としての人形なわけだ。ホラームービーの題材としてはこっちだろうな。

 

意外な視点に苦笑して同意する私へと、エマさんはコクコク頷きながら話を続けてきた。これほど出来が良い作品でさえも、見る者次第では気に入ってもらえないわけか。人形作りってのは本当に難しいな。

 

「そうそう、そういうことです。夜中にアリスちゃんのお人形が廊下を歩いてても『迷子になっちゃったのかな?』ってなりますけど、この子が歩いてたら全力でお嬢様の部屋に逃げ込みますよ。……それより、結局誰から送られてきたんでしょうか? 凄く高価な物なんですよね? これって。」

 

「まあ、低めに見積もってもこの屋敷の家具と遜色ない値段ではあるはずです。……やっぱりお爺ちゃんの知り合いの人形作りとかから送られてきたのかもしれませんね。かなりのベテランじゃないと作れないような作品ですから。」

 

「だけど、亡くなってることを知らないって有り得ますか? 十年も前の話ですよ?」

 

「でも私にはフランスの人形作りの知り合いなんていませんし、こんな高価な人形をいきなり送りつけてくる人にも心当たりがありません。……むう、謎です。」

 

ヴェイユおじ様なら余裕で買えるし、人形作りの参考にと贈ってくれそうでもあるが、それならきちんとした手紙が付いているはずだ。あの人がその辺を怠るとは思えない。腕を組んで悩んでいると、恐る恐るという様子で人形を見ていたエマさんが声を上げる。ビスクドールを怖がるハーフヴァンパイアか。奇妙な構図だな。

 

「アリスちゃん、アリスちゃん、箱の奥に何かありますよ。白い封筒みたいなやつが。」

 

「封筒?」

 

エマさんが指差す位置をよく確かめてみれば……ふむ、あれか。人形に隠れるような位置に手紙が貼り付けられているのが見えてきた。一応人形に触れないように慎重に手を動かして、高価そうな白い封筒を取り出してみる。リーゼ様が使うような『お高い』封筒だな。こういうのってどこに売ってるんだろうか?

 

「これ、開けてもいいんでしょうか?」

 

しっかりと青い封蝋で封がされているのを見て尻込みしていると、エマさんが目をパチクリさせながら新たな情報を送ってきた。

 

「いいと思いますけど……フランス魔法界の紋章ですね、それ。上に交差する杖とアヤメの花が描かれているでしょう? それが国家の所属を表してるんです。古い家には大体付いてますよ。」

 

「そういえば、ヴェイユ家の紋章にもアヤメの花が付いてた気がします。……よく知ってましたね、他国の紋章のことなんて。私は全然知りませんでした。」

 

「それがですねぇ、お嬢様が他家の紋章を頑として覚えたがらないので、昔から私が紋章官の真似事をしてたんです。その名残で一応魔法界の紋章も勉強してるんですよ? さすがに他国となると家名までは特定できませんけどね。」

 

紋章官か。時代を感じる役職だ。エマさんの意外な特技に感心しながら、慎重に封蝋を剥がして中の便箋……じゃないな。入っているのはカードらしい。箱の上面に貼られていたのと同じような白いカードを取り出してみると、表面にまたしても短いフランス語が書かれているのが目に入ってくる。

 

「『ミラージュ・ド・パリ、六月十二日。グラン・ギニョール劇場にて待つ。』……どういう意味なんでしょうか?」

 

ちんぷんかんぷんだぞ。今日は六月二十七日なので六月十二日はとっくの昔に過ぎているし、『グラン・ギニョール劇場』という名前にも覚えがない。劇場ってことはもちろん観劇できるような施設なんだろうけど、私はそっち方面には疎いのだ。ギニョール人形と何か関係があるのだろうか? でも、目の前にあるのは指人形じゃなくてビスクドールだぞ。

 

「どっちの単語にも心当たりがありませんね。……エマさんは分かります?」

 

「私も分からないです。ひょっとして、十二日に待ち合わせをしたかったとか? だとすれば日付を間違えちゃったおっちょこちょいさんってことになりますね。」

 

「さすがに日が空きすぎてますし、それはないと思いますけど……どうなんでしょう?」

 

エマさんと二人揃って暫し悩んだ後、肩を竦めて降参の白旗を上げた。ムーンホールドで分からないことがあったら行く場所はただ一つだ。ここで考えていても答えが出ないなら、最近運動不足が深刻化してきた『そろそろ動いた方がいい大図書館』を頼るべきだろう。

 

「よし、図書館に行ってきます。書き方からして『グラン・ギニョール劇場』と『ミラージュ・ド・パリ』は固有名詞っぽいですし、パチュリーなら何か知ってるかもしれませんから。」

 

「うんうん、それが良いと思います。木箱を持っていくなら私が運びましょうか? 結構重いですよ?」

 

「いえ、魔法で運ぶので大丈夫です。」

 

となると、さっき片手で持っていたのはハーフヴァンパイアの膂力の為せる業か。陽光が苦手になるのは困るが、力持ちなのはちょびっとだけ羨ましいな。どうでも良いことを考えつつ長年の相棒であるブナノキの杖を抜いて、木箱に浮遊魔法をかけて席を立った後で……おっと、言うべきことを忘れてた。廊下に続くドアの前で振り返って口を開く。

 

「ご馳走さまでした、エマさん。ご飯も紅茶も美味しかったです。」

 

「えへへ、それは良かったです。謎が解けたら私にも教えてくださいねー。」

 

「はーい。」

 

危ない、危ない。わざわざ作ってくれたんだから、ちゃんとお礼を言わなければ。ニコニコと手を振ってくるエマさんに同じ動作で応じてから、ダイニングルームを出て静かな廊下を歩き出す。

 

さて、最近のパチュリーはフランドールさんの翼飾りを作っているはずだし、図書館じゃなくて研究室に居るかもしれないな。まあ、どちらにせよ小悪魔さんは間違いなく扱き使われていることだろう。質問ついでに手伝ってあげた方がいいかもしれない。

 

貴重なはずの賢者の石を量産している師匠に苦笑しつつ、もうすっかり『家』になったムーンホールドの廊下をどんどん進む。きっちり閉め切られた古めかしい鎧戸、重厚さを感じる分厚い板や滑らかな石の壁、スッキリとした中にも主張を欠かさない高価そうな家具の数々。実に落ち着く雰囲気だ。広すぎるというのはちょっとだけ難儀だが。

 

見慣れた月時計がある中庭を通り過ぎ、やがてたどり着いた図書館に隣接する研究室のドアをノックしてみると、中からいつも通りの平坦で小さな声が聞こえてきた。

 

「入りなさい。」

 

師匠たる魔女の許可に従って、他の部屋より頑丈なドアを開いて中に入ってみると……なんだこりゃ。二メートル近くある巨大な漏斗を支えてぷるぷる震えている小悪魔さんと、揺り椅子に座ってジッとそれを見ているパチュリーの姿が視界に映る。どういう状況なんだ?

 

「えっと、何してるの?」

 

「アリスちゃん、助けてください! 可愛い悪魔が人権を無視した労働を強いられてますよ! 奴隷労働です! 奴隷労働! この部屋の中だけまだ十九世紀です!」

 

「何度も言っているように、貴女は悪魔なんだから人権があるはずないでしょう? ……少しでも動いたらお仕置きだからね。あと七滴落ちるまではそのままよ。」

 

「魔女なんだから魔法でやってくださいよ! なんでここだけ人力……っていうか、悪魔力なんですか!」

 

ううむ、相変わらずの二人だな。ため息を吐きながら杖を振って漏斗を空中に固定して、無理な姿勢から解放された小悪魔さんを確認してから言葉を放つ。つまらなさそうな顔になってしまった揺り椅子の上の師匠にだ。

 

「もう、意地悪はやめなよ。悪い癖だよ、パチュリー。」

 

「あら、意地悪なのが魔女でしょう? ……それに、何の意味もなくやらせてたわけじゃないわ。本の虫干し作業をサボった罰よ。」

 

「あんなもん延々やってたらおかしくなっちゃいますよ! 開いて、置いて、開いて、置いて。思い出すだけでも気が狂いそうです。……もう我慢なりません! アリスちゃん、やっつけちゃってください! あの邪悪な魔女を一緒に退治しましょう! 正義は我らにあり!」

 

私の背中に隠れてぶんぶん両手を振り回す小悪魔さんへと、パチュリーは素っ気ない口調で新たな指示を飛ばした。まあうん、日常的な光景だな。使役している悪魔の『反乱』が日常になってるのは変かもしれないが。

 

「無駄口を叩いている暇があるなら融解薬の材料を揃えておきなさい。アリス、貴女も少し手伝って頂戴。今日中に作って熟成させないといけないの。」

 

「ぬうう……いつの日か下剋上してやりますからね! いつの日か! 革命からは逃げられませんよ!」

 

べーっと舌を出しながら素直に材料を準備しに行った小悪魔さんを見送って、早くも作業を始めたパチュリーに慌ててカードを差し出す。調合に入った後は集中して忘れちゃうかもしれないし、先に質問を終わらせておこう。

 

「あのね、パチュリー。手伝いの前に聞きたいことがあるの。……これ、何だか分かる? そこの木箱がいきなり私宛てに送られてきて、その中にビスクドールと一緒に入ってたんだけど、差出人の署名がどこにも無かったから──」

 

「少し待ちなさい。」

 

カードに書かれたフランス語を一瞥してそう言うと、パチュリーはちょちょいと手を振りながら解説を寄越してきた。さすがだな。私にはさっぱり分からなかったこれらの言葉も、図書館の魔女にとっては既知のものだったらしい。

 

「『ミラージュ・ド・パリ』はフランス魔法界最大手の新聞よ。イギリス魔法界で言う予言者新聞、アメリカ魔法界で言うニューヨーク・ゴーストね。」

 

「じゃあ、六月十二日って書いてあるのは……もしかして、その日の新聞を見ろってこと?」

 

「多分ね。はい、これよ。」

 

さっきのは引き寄せ呪文だったのか。図書館の方から飛んできた新聞をキャッチしたパチュリーは、それをひょいと私に渡してくる。予言者新聞よりややぶ厚めのそれを開いて、目ぼしい記事はないかと探してみれば……うーん、一面に載ってる事件以外は大したことなさそうだな。ボーバトンの校長のゴシップとか、ニースの近くで今頃冬眠から目覚めた山トロールが発見されたとか、その程度。恐らくカードを書いた人物が見せたかったのは一面にデカデカと載っているこの記事だろう。

 

『パリ連続少女誘拐事件の第二の被害者、死体で発見される』という見出しの下には、凄惨な事件の詳細が書き連ねてある。四月の中頃から始まった魔法族の未就学児を狙った連続誘拐事件で、現在までに四歳から九歳までの四人の少女が行方不明になっているようだ。

 

そして、どうやら第二の被害者である六歳の女の子が死体で……『欠損が激しい』死体で発見されたらしい。パリ十四区の路地裏に遺棄されているところを、通りかかったマグルの男性が見つけたのだとか。残る三人の少女は未だ発見されていないので、付近の住民は少しでも気になったことがあればフランス魔法省に連絡して欲しいと文末に書かれている。

 

「……これを見せたかったってこと? だとしたら悪趣味に過ぎるよ。」

 

新聞に載っている犠牲者となった女の子の白黒写真。可愛らしい笑顔で微笑んでいるその少女を遣る瀬無い気持ちで見ながら呟くと、何かを黙考していたパチュリーが声をかけてきた。

 

「……一緒に送られてきたビスクドールとやらはその木箱の中?」

 

「うん、そうだよ。見る?」

 

「ええ、見せて頂戴。」

 

揺り椅子を離れて研究台に移動したパチュリーに促されて、浮遊魔法で木箱を台の上に置いてみると……片開きの戸を開いた師匠は中の人形を見て僅かに眉根を寄せた後、かなり慎重な手付きでそれを調べ始める。口では別の解説を行いながらだ。

 

「『グラン・ギニョール劇場』というのはパリの有名な見世物小屋よ。魔法界ではなく、マグル界のね。私は当然観に行ったことがないから詳しくないけど、所謂スプラッターショーの先駆けらしいわ。戦前はそこそこ話題になってたみたい。」

 

「そこで『待つ』ってことは、送り主はそこの関係者なのかな?」

 

スプラッターショーか。凄惨な事件が載っている新聞を見せたことと何か関係があるのだろうか? だけど、そんな場所に知り合いは居ないぞ。マグル側の見世物小屋というなら尚更だ。

 

思考を回す私に、ふと手を止めたパチュリーは厳しい顔で返答を返してきた。彼女にしては珍しい表情だ。侮蔑と、嫌悪と、微かな怒りが綯い交ぜになったような顔。こんなパチュリーは初めて見るかもしれない。

 

「……少なくとも、これを送ってきたのがマグルじゃないことは断言できるわ。そして単なる魔法使いでもないわね。」

 

「どういう意味?」

 

「この人形、『本物』よ。全てではないけど、各所に人間が素材として使われているわ。縮小した後で磁器に変化させたのか、それとも全く違う独自の魔法を使ったのかは分からないけど……普通の変身術ではないということだけは間違いなさそうね。つまり、作ったのは私たちと同じ本物の魔女か魔術師ってことよ。」

 

「人間を、素材に?」

 

なんだそれは。背筋に冷たいものが走るのを感じる私へと、パチュリーは更なる所見を送ってくる。

 

「恐らく、素材になったのはその新聞に載っている犠牲者の少女なんでしょう。人種や年齢的な特徴が一致するわ。」

 

「それじゃ、記事に書いてあった『欠損』っていうのは……。」

 

「『材料』として採取されたってことでしょ。ビスクドールの状態を見るに両足と両腕、胸の辺りと臀部、顔の各パーツと眼球……あとは髪も本物を使っているわ。殆ど内臓しか残らなかったでしょうに、闇祓いたちはよく身元を特定できたわね。」

 

淡々と放たれるパチュリーの分析を耳にしながらも、視線は紙面上の少女の写真から動かせない。まだ六歳になったばかりの、何の罪もない少女。写真を撮ってもらえるのが嬉しかったのだろう。はにかむような、幸せそうな微笑みを浮かべている。

 

手をギュッと握りながら看過できないと口を開こうとした私に、パチュリーが先手を取って警告してきた。家族としての顔ではなく、先達たる魔女としての顔だ。

 

「貴女が何を思っているのかは大体分かるけど、先ずは深呼吸して冷静になりなさい。私としても悪趣味だと思うし、嫌悪感だってあるわ。だけど……魔女は人外なのよ、アリス。自分の定めた『主題』のためならこういうことを平気でやる連中だって珍しくないの。むしろ躊躇う方が少数派なくらいね。」

 

「それは……分かるけど。でも、放っておけないよ。放っておくべきじゃないでしょ?」

 

「放っておけとは言ってないわ。私は冷静になりなさいと言ってるの。何処の誰かは知らないけど、貴女にこんな物を送り付けてきた時点で穏やかな状況じゃないのは分かるでしょう? 義憤に駆られて感情的な行動を取るのは危険よ。……いいから一度深呼吸なさい。ひどい顔になってるわよ、貴女。」

 

いつもと同じテンポの、いつもと同じ抑揚の声。それを聞いて徐々に冷静さが戻ってくるのを感じつつ、深くお腹に息を吸い込んでから……それを吐き出して質問を口にする。

 

「……どうすればいいかな?」

 

「それは貴女がどうしたいかに依るわね。最初に目的地を決めなさい。でないと道を決められないわ。その場の判断でふらふらと歩けば迷うだけよ。」

 

「私は……先ず、この子を家に帰してあげたい。ご両親の下に帰して、きちんと埋葬してあげたい。」

 

理性的な思考を通さずに発した願いを受けて、パチュリーはビスクドールを……『少女』のことを様々な器具で精査しながら指摘を飛ばしてきた。

 

「問題点がいくつかあるわね。一つはビスクドールの素材に人間が使われているという証明が難しいこと。これは魔法界の魔法じゃないわ。故にこちらの常識じゃ説明できないの。いきなり両親の下に持って行っても、たちの悪い悪戯だと断じられる可能性が高いでしょうね。」

 

「……信じてくれないかな?」

 

「両親にとって誰でもない貴女の言葉は無力よ。……だけど、貴女には知り合いが居るでしょう? フランス魔法界に対する影響力を持っている知り合いが。」

 

「そっか、ヴェイユおじ様。あの人なら話を聞いてくれるよ。」

 

ヴェイユおじ様なら世迷い言だと断じたりはしないはずだ。光明を見出した私に、パチュリーは的確なアドバイスを続けてくる。

 

「それに、変身術の専門家であるアルバス・ダンブルドアっていう知り合いも居るわね。あの爺さんに手紙でも書かせて、私の説明をそのまんま伝えさせなさい。名声は権威を、権威は信頼を、信頼は納得を齎すものよ。私と違ってダンブルドアはその使い方をよく知っているわ。……実際のところ、ダンブルドアならこのビスクドールの真実を見抜けるでしょうしね。」

 

「うん、分かった。すぐにホグワーツに行って、テッサとダンブルドア先生に伝えてくる。」

 

早速木箱を持ってホグワーツへと向かおうとすると、パチュリーが真剣な表情で注意を投げてきた。

 

「その後直接フランスに行くつもり?」

 

「もちろんそうだよ。捜査してる闇祓いの人たちにこのことを伝えないといけないし、ご両親への説明だってしないといけないかもでしょ? 大した説明は出来ないと思うけど、首を突っ込むからにはやるべき事をやらないと。……ダメかな?」

 

「貴女はもう立派な成人よ。『人形』というのが貴女のアイデンティティに関わっている以上、私なんかよりも遥かに怒っていることは理解できるわ。だから私には止める権利なんて無いわけだけど……それでも推奨は出来ないわね。グラン・ギニョール劇場に行くつもりなんでしょう?」

 

「……だって、まだ行方不明になってる子は居るんだよ? 助けられるかもしれないし、それが出来るとすれば犯人と同じ存在の私たちだけでしょ? ヒントを得られる可能性があるなら行ってみないと。」

 

単純な戦闘に限れば一概にそうとも言えないが、相手が『そうである』と知っていないと見えないものもあるだろう。如何に未熟な修行中の私だとしても、それだけは一般の魔法使いより上のはずだ。何とかしなければという思いを胸に答えると、パチュリーは難しい顔でため息を吐いてくる。

 

「悩ましい事態だわ。貴女はまだ名が通っていないから問題ないでしょうけど、私が直接出向くとより厄介な展開になりかねないのよ。ここ数十年で表向きのパトロンであるレミィの名前が一気に影響力を持っちゃったからね。先に彼女から大陸の人外に話を付けてもらわないと、形式上レミィに囲われてる私は迂闊に他者の縄張りを侵せないの。……それまで待てない?」

 

「大丈夫だよ、私だってもう魔女なんだから。……本当に危なくなったらすぐに逃げ帰ってくるし。」

 

未熟な学生時代とは違うのだ。力強く頷きながら返事を放つと、パチュリーは尚更不安そうな表情になってしまった。

 

「私も若い頃は妙な自信を持ったりしたけど、そういう時は大抵派手にすっ転んだものよ。……せめてリーゼと一緒に行ったら? 吸血鬼なら魔女よりも遥かに自由に動けるし、彼女の場合はそもそも気付かれずに侵入できるはずだしね。」

 

「そりゃあ、リーゼ様が一緒なら頼もしいけど……やっぱり一人で行くよ。迷惑かけたくないし、パリには何度も行ってるんだから。そろそろ私だって一人でやれることを証明しないと。」

 

魔法族としての成年をとうに過ぎ、今や二十一歳……マグルとしての成年も遂に超えてしまったのだ。だったらいつまでもリーゼ様やパチュリーに頼りっきりというわけにはいかないだろう。私が首を突っ込むと決めたのだから、ちゃんと自分で解決せねば。

 

私の返答を聞いたパチュリーは、困ったように腕を組みながら暫し沈黙するが……やがて小さく肩を竦めると、諦めたように送り出してくる。

 

「まあ、何れにせよリーゼには話すわ。そして話せば勝手に追いかけて行くでしょう。なら問題ないのかもね。」

 

「……そうかな?」

 

「本を賭けてもいいわよ。あの心配性吸血鬼が貴女を放っておくわけないでしょう?」

 

むう、パチュリーが本を賭けるということは、天地がひっくり返ってもそうなる自信があるということだ。嬉しいような、それでいて申し訳ないような気分になりつつも、浮遊魔法で木箱を浮かせてドアへと歩き出す。リーゼ様が来るんだったら、せめて下準備くらいは自分の手で終わらせておかなくては。

 

「とにかく、私はホグワーツに行ってくるね。リーゼ様には無理に起こして伝えなくて大丈夫だから。」

 

「しつこいようだけど、警戒を怠らないようにね。常に全てを疑いなさい。それが魔女という生き物の強さよ。」

 

「うん、覚えとく。」

 

師匠の忠言を背に研究室を出て、姿あらわしが出来る中庭を目指してひた進む。許可なくホグワーツに入るのは問題だが、緊急事態なら話は別だ。幼い子供の命がかかっているんだし、ディペット校長も許してくれるだろう。

 

先ずは頼れる親友に事情を説明しようと心に決めながら、アリス・マーガトロイドは新たな事件の始まりを感じるのだった。

 



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ホグワーツの新米教師

 

 

「ねえ、ホラス? どうしてこんなことになっちゃったの? 私には全然分かんないよ。」

 

惨憺たる有様の地下教室を前に、テッサ・ヴェイユは大きくため息を吐いていた。充満する鼻を突く臭気と、大鍋からデロデロと溢れ出る蛍光色の粘液。酷すぎるな。悪夢の中だってもう少しマシな光景が見られるはずだぞ。

 

採点する教師にとっても地獄の学期末テスト期間が終わり、生徒たちが家に帰る準備を始めている六月二十七日の昼前。今年の夏休みは前半に休暇をもらえることになった私も自室で色々と準備を進めていたところ、魔法薬学の教師たるホラス・スラグホーンからの救援要請を受け取ってしまったのだ。

 

『ちょっとしたトラブル』の解決を手伝って欲しいという紙飛行機の手紙を読んで、仕方ないなぁと軽い気持ちで地下教室まで来てみたわけだが……うん、全然ちょっとしてないな。どうやら私はまたしても先輩教師に騙されてしまったらしい。

 

ジト目で睨み付ける私へと、ホラスは自慢の髭を弄りながら言い訳を放ってくる。ダンブルドア先生やディペット校長を真似ているつもりらしいが、生えない部分がある所為でセイウチにしか見えないぞ。

 

「いやなに、昨晩ベッドの中で非常に画期的な調合方法を思い付いてしまってね。それを試していたんだよ。」

 

「あー……そう。『画期的』ね。私もそう思うよ。何をどうしたらこうなるのかさっぱり分かんないもん。ピーブズが厨房のゴミ箱に増殖爆竹を投げ込んだ時より酷いんじゃない?」

 

「うん、失敗であることは認めよう。だが、これがいずれ偉大な成功に繋がるんだ。つまりだね、必要なプロセスなんだよ。分かるかい?」

 

「後片付けを手伝わされる私からすれば違うけどね。単なる失敗だよ。っていうか、大失敗。ヴェンタス(吹き飛べ)。」

 

言いながら杖を抜いて、空気を入れ換えるために突風を吹かせた。まあ、もう慣れたさ。ホグワーツで一番の新米教師はこの私なのだから。である以上、先輩教師たちから扱き使われるのは仕方がないことなのだ。

 

新人が入ってきたら絶対に、絶対に優しくしてあげよう。私はこの経験を反面教師にしてみせるぞ。もう何度目かも分からんような決意を固める私に、ホラスも杖を振って粘液を消し去りながら話しかけてくる。

 

「夏休みの予定は決まったかい? 今年は長めにもらえることになったんだろう?」

 

「んー、オルレアンの実家に帰ろうかなって。パパとママが帰ってこいって煩いんだよね。……嫌になっちゃうよ、本当に。」

 

「ほっほー、それは富める者の悩みというやつだね。帰っておきなさい、テッサ。嫌になれるうちに帰っておくんだ。それが良い人生を送る秘訣だよ。」

 

深い経験を感じさせる笑みで言ってくるホラスへと、思わず反射的に頷きを返す。……何だかんだでやっぱり熟練の教師だな。未だに私は『生徒扱い』を抜け出せないらしい。

 

ホグワーツの教師になってもうすぐ四年。全然成長できていない自分にやれやれと首を振っていると、粘液の処理を終えたホラスが思い出したように言葉を寄越してきた。

 

「ああ、フランスに行くなら忘れないうちに伝えておこう。向こうの魔法省に勤めている私の友人の──」

 

「お見合い話ならやめてね、ホラス。どうせ家に帰ったらママからしつこく言われるんだから。」

 

「君が嫌なら無理にとは言わないが……お見合いもそう悪いものではないよ? 重要なのは出会いの形ではなくて、相手の人柄だろう?」

 

「結婚なんてまだ早いよ。それに、私は『ヴェイユ』じゃなくてきちんと『テッサ』を見て欲しいの。……これって我儘?」

 

実家から届いた山のようなお見合い状。開封もせずにクローゼットの奥に仕舞い込んだそれらのことを考えつつ聞いてみれば、人生の大先輩は苦笑いで助言をしてくれる。

 

「いいや、我儘なんかじゃないさ。それは非常に先進的で、かつ当然の望みだ。しかし、それに縛られすぎるのも良くないね。私はお見合い結婚で幸せになった夫婦を数多く知っているよ? ……何れにせよ、君はまだ焦るような歳じゃない。ゆっくり考えなさい。」

 

「……ん、そうする。」

 

ホラスの言う通りだ。私はまだ二十代前半、人生これから。……いつまで使えるのかなぁ、この言い訳。タイムリミットがあることを自覚しつつ、今日のところは目を逸らして教室の片付けに集中するのだった。

 

───

 

そして悪夢のお掃除作業も終わり、ご機嫌なホラスに見送られて薬学の教室を出た後、薄暗い地下通路を歩いていると……ああもう、早くも次のトラブルか。前方の空き教室の中から二人の生徒が『飛び出てくる』のが目に入ってきた。自前の足で自発的に出てきたというよりも、誰かに外まで吹き飛ばされたというご様子だ。本当に退屈しない学校だな!

 

「こら、何やってんの!」

 

とりあえず怒鳴りながら近付いてみれば、杖を片手に立ち上がろうとしている二人の下級生と、教室から顔を覗かせる一人の上級生がこちらに視線を送ってくる。二年の優等生コンビと五年生の秀才どのだ。教員会議で名前が頻出する濃い面子じゃないか。

 

「今日はハッフルパフ以外が減点される日みたいね。……ミネルバ、フィリウス、エバン。それぞれ言い訳はあるかしら? 私は聞く耳くらい持ってるわよ?」

 

私が『怒ってますよ』と腰に手を当てて放った問いかけに対して、先ずはグリフィンドールの二年生が応じてきた。十三歳にしてはやや高めの身長に、キリッとした眉が特徴的な女生徒。筆記の学年トップであるミネルバ・マクゴナガルだ。

 

「言い訳はしません。ですが、間違ったことをしたとも思っていません。私たちにはロジエールに挑む正当な理由があったんです。」

 

「なら、その『正当な理由』とやらを教えて欲しいわね。」

 

「彼がレイブンクローの二年生にちょっかいをかけたんです。つまり、その……個人の名誉に関わるようなちょっかいを。口外しないで欲しいと頼まれたので口にするつもりはありませんが、黙って看過するにはあまりに無礼な行いでした。同級生として許せません。」

 

「だから決闘を仕掛けたってこと? 五年生相手に?」

 

度胸だけは評価するが、そういう時は教師を頼ってほしいぞ。痛む頭をさすりながら発した質問に、今度は隣のレイブンクロー生が答えてくる。平均よりもかなり小さな身長と、きっちり整えられた栗色の髪。二年生のレイブンクローではリーダー格となっているフィリウス・フリットウィックだ。ちなみにこっちは実技のトップ。総合だと僅差でマクゴナガルに軍配が上がるが。

 

「僕たちは話し合いで決着を付けようとしましたが、ロジエールがいきなり杖を抜いたんです。だからこちらも応戦せざるを得ませんでした。最初から決闘を吹っかけたわけではありません。」

 

「なるほどね。……それで、そっちの言い分は? エバン。」

 

二人の二年生が睨む先に話のテーブルを回してみると、洒落たネクタイピンを着けているスリザリン生が返答を寄越してきた。エバン・ロジエール。私が七年生の年に入学してきた男子生徒で、六、七年生を差し置いて現在のスリザリン寮のリーダーとなっている秀才だ。

 

「何かしらの不幸な行き違いがあったことは認めましょう。二年生である彼らに怪我をさせかねなかった行為だったことも反省しています。……しかしながら、先に杖を出してきたのは彼らの方ですよ。とても可愛らしい火花を私に放ってきましてね。穏便に取り押さえようとしたのですが、中々どうして才能がある二人組のようだ。こんな結末になってしまいました。いや、我ながら情けない話です。」

 

薄っすらとした笑みで言ったエバンに、フィリウスが怒りに染まった顔で反論を繰り出す。この小さな二年生はレイブンクローとグリフィンドールでハットストールを起こした後、レイブンクローに組み分けされたらしい。そしてマクゴナガルは同じ経緯を辿ってグリフィンドールに行き着いた。結果として誕生したのがこの奇妙な二人組。時に競い合い、時に協力し合う勇猛果敢なレイブンクロー生と思慮深いグリフィンドール生というわけだ。

 

「この上嘘を吐く気か、ロジエール!」

 

「おや、小鬼もどきが何かを言っていますね。自分に不都合なことを忘却するのは血の為せる業ですか? 小さな頭で覚えておけるのは貸した金額だけのようで。」

 

皮肉げな口調で挑発するエバンへと、フィリウスを抑えながら注意を飛ばす。

 

「エバン、その発言はいただけないわね。ホグワーツでは誰もが平等よ。そのことを忘れないように。」

 

「おっと、これは失礼しました。私としたことが重要なことを忘れていたようです。この学校は『慈善事業』に力を入れているんでしたね。……謝罪するよ、ミスター・フリットウィック。君は確かに薄汚れた小鬼の血が混じった『半ヒト』だが、ヴェイユ先輩の言う通りこの学校では平等だ。今日の諍いは水に流して共に勉学に励もうじゃないか。」

 

「スリザリンから二十点減点。……理由を説明して欲しい?」

 

「理由は必要ありませんが、不本意であるということは伝えておきましょう。貴女なら何が正しいのかを理解できるはずだ。フランス名家の『正しい血』を継承する魔女であり、リドル先輩と友人だった貴女ならね。」

 

リドル。その名前に僅かに心が揺れるのを感じながら、顔には出さずに口を開いた。エバンは一年生の頃にリドルと親しくなり、彼が卒業した後もボージン・アンド・バークスに頻繁に顔を出していたらしい。

 

「二つ間違えてるわよ、エバン。私は何が正しいのかをきちんと理解しているし、リドルとは今でも友人だわ。『だった』じゃないの。」

 

「本当ですか? あの方が今どこに居るのかもご存知ないのでしょう? そんな薄っぺらな関係を『友人』と呼べますかね?」

 

「リドルの方がどう思っているにせよ、私はまだ友人だと思ってるの。……貴方はどこに居るかを知ってるみたいね。」

 

「知っていますよ。言いませんがね。」

 

肩を竦めて答えたエバンは、大仰に一礼してから話を打ち切ってくる。リドルがボージン・アンド・バークスを辞めたことは風の知らせで聞いているものの、その後の消息はまったく分からないのだ。教えて欲しいのは山々だが、まさか生徒から無理に聞き出すわけにもいかない。もどかしいな。

 

「それでは、この辺で失礼してもよろしいでしょうか? 水掛け論では話が進みませんし、これ以上減点されては寮の皆に迷惑がかかってしまいます。私の軽い口が余計なことをする前にお暇したいのですが。」

 

「……行っていいわ。ただし、もう問題を起こさないように。」

 

「勿論ですとも。清く正しい学生生活を送りますよ。今までもそうしてきたわけですしね。」

 

こういう時は経験の浅い自分が恨めしいな。どうにか正しい方向に導いてあげたいという思いはあるのだが、実際にどうしたら良いのかが分からない。エバンの方からもそれが透けているからこうやってナメられちゃうのだろう。

 

遠ざかるスリザリン生の背を見ながら自分の未熟さにため息を吐いた後、気持ちを切り替えて二年生二人に声をかけようとしたところで……彼らの背後からこちらに近付いてくる人物の姿が目に入ってきた。

 

「ありゃ、ダンブルドア先生。どうしたんですか?」

 

立派な髭と、すらっとした長身。最近はスーツじゃなくてローブ姿なことが増えてきた、変身術の熟練教師であるアルバス・ダンブルドア先生だ。ホラスやシルバヌスのことは本人の要望で名前で呼ぶようになったのだが、ダンブルドア先生やビーリー先生なんかは未だにこういう呼び方をしている。何というか……こう、切り替えるタイミングを逃してしまったのかもしれないな。

 

私の呼びかけを受けたダンブルドア先生は、いつも通りの穏やかな微笑みで返事を返してきた。

 

「ほっほっほ、先程一階の廊下で出会ったミス・バーンスタインが色々と教えてくれてね。勇敢な同級生のことを助けてあげて欲しいと頼まれてしまったのじゃよ。」

 

バーンスタイン? 確か、引っ込みがちなレイブンクローの二年生……なるほど、ミネルバが言っていた『ちょっかい』をかけられた生徒というのはバーンスタインのことだったのか。驚きを顔に浮かべる『勇敢な同級生』二人に、ダンブルドア先生は柔らかい声色で続きを語る。

 

「心配せずともミス・バーンスタインの顔は綺麗な状態に戻っておるよ。彼女は呪いで多少『ごちゃついて』しまった顔を他人に晒してでも、君たちの危険を伝える方が重要だと考えたようじゃ。……友のために上級生に食ってかかる心意気は天晴れじゃが、次からは先ず医務室に行くべきじゃな。新任の校医さんはとても優秀な方なのじゃから。」

 

優しさと威厳を兼ね備えた雰囲気のダンブルドア先生に諭されて、申し訳なさそうに小さくなってしまった二年生二人へと、イギリスの英雄どのは茶目っ気たっぷりにウィンクしながら褒め言葉を付け足した。

 

「しかしながら、同級生を想うその心は実に素晴らしいものじゃ。他者の為に行動するというのは容易な選択ではない。それが危険を伴うのであれば尚更じゃよ。そのことに敬意を表して、レイブンクローとグリフィンドールに十点ずつを差し上げよう。」

 

「……ありがとうございます!」

 

「ありがとうございます、ダンブルドア先生。」

 

「うむ、うむ。それでは医務室に行きなさい。ミス・バーンスタインが君たちのことを心配して待っておるよ。早く無事な姿を見せてあげねばのう。」

 

元気に勢いよく頭を下げたフリットウィックと、礼儀正しく深々とお辞儀したマクゴナガル。礼をするのも対照的な二人の二年生は、ダンブルドア先生に促されて一階に続く階段の方へと早足で歩いて行く。小さくなっていくその姿を見送りつつ、何とも情けない気分でダンブルドア先生にお礼を放った。

 

「助かりました、ダンブルドア先生。こんなに綺麗に終わらせるのは私には無理でしたから。……全然成長できてないですね、私。教師っぽくなれないままです。」

 

「ふむ、今日は一段と悩んでいるようじゃな。……無理に教師らしくある必要はないと思うがのう。歳を取ったわしには話せないことでも、君が相手なら話せるじゃろうて。逆もまた然りというだけのことじゃよ。」

 

「だけどこう、私がなりたいのは『友達先生』じゃないんですよね。……分かります? この感覚。」

 

仮にダンブルドア先生が相手であれば、さっきのエバンの態度は変わっていたはずだ。別に偉ぶりたいわけでも、無理に尊敬して欲しいわけでもないのだが……むむう、上手く言えないな。もどかしい気持ちを顔で表現しながら聞いてみると、ダンブルドア先生はクスクス微笑んで頷いてきた。

 

「分かるよ、テッサ。わしも大昔に同じことを悩んだからのう。」

 

「ダンブルドア先生にもそんな時期があったんですか?」

 

「ほっほっほ、わしとてこの姿のまま生まれてきたわけではないのじゃよ。多くのことを学んできたし、それに勝る数の失敗もしてきた。……君はホグワーツに入学したての頃、上級生が眩しく見えなかったかね? 見事な杖捌きで易々と呪文を使う先輩たちのことが。」

 

「そりゃあ、見えました。アリスと二人でカッコいいねって話してましたもん。」

 

うーん、今では遠い昔に思えるな。まだ子供だった一年生の頃を思い出しながら同意した私に、ダンブルドア先生は人差し指を立てて話を続ける。

 

「しかし、上級生になった後は『こんなものか』と思ったじゃろう? 想像していた以上に平凡で、ひどく日常的なものを感じたはずじゃ。あるいは感じすらしなかったかもしれんのう。」

 

「んー、言われてみれば。」

 

「結局のところ、人生というのはその繰り返しなのじゃよ。入学する前は杖を持てることを羨み、杖を手に入れた後は上級生を尊敬し、上級生になると目指す職業に期待する。そして目指す職業に就いた後の姿が……ほれ、今の君だということじゃ。」

 

「……なんか、夢のない話ですね。」

 

思い当たる節があるからそう思ってしまうのだろうか? 苦い顔で文句を呟いた私へと、ダンブルドア先生はゆったりと首を振りながら口を開く。先達の同僚としてではなく、懐かしい教師としての表情だ。

 

「そうかね? わしはこれほど夢のある繰り返しは他にないと思うよ。……全ては繋がっているのじゃ。嘗ての君が憧れていた場所に今の君が立っており、そして今の君はもっと先にある場所に憧れておる。それを人は進歩と呼び、また成長と呼ぶのじゃから。……何より素晴らしいのは、この繰り返しが個別のものではないということじゃな。君が誰かの背中を眺めている時、君の後ろに居る誰かも君の背中を眺めている。そうやって世代は受け継がれていくわけじゃよ。」

 

むう、急に壮大な話になってきたな。感慨深そうに言ったダンブルドア先生は、目をパチクリさせている私に気付くと、申し訳なさそうに苦笑しながら話題を締めてきた。

 

「ううむ、わしは相変わらず話を纏めるのが下手じゃな。ついつい余計なことばかりを口走ってしまう。……つまりだね、テッサ。君が杖を手に入れ、上級生になり、そして教師になったように、いつの日か『友達先生』を抜け出せる日も必ず訪れるというわけじゃよ。無論、その先には新たな背中が待っているわけじゃが。」

 

「えっと……要するに、悩みはなくならないってことですか?」

 

「うむ、そういうことじゃな。だから諦めてほどほどに悩むのじゃ。どうせ尽きない悩みなら、愚者になって適当に受け止めるのが一番じゃよ。わしの友人には真正面から悩み抜いて、猛スピードで先へ先へと進んで行く賢者も居たのじゃが……まあ、あの生き方は唯一無二。他の誰にも真似できんじゃろうて。」

 

どこか自慢げに、それでいてほんの少しだけ羨ましそうに言ったダンブルドア先生だったが……気を取り直すように首を振ると、私に一つの報告を送ってくる。ダンブルドア先生にも目指す背中があるのだとすれば、その『猛スピード』の人なんだろうか?

 

「さて、さて。こんな話題も楽しいものじゃが、今日はわしらに客人が訪ねて来ていてのう。この辺で移動しておこうではないか。実のところ、ミス・バーンスタインに助けを求められる前は君を探していたのじゃよ。」

 

「客人、ですか?」

 

「さよう。少し前にアリスがホグワーツに駆け込んできたのじゃ。彼女によれば、わしと君に重要な話があるとのことじゃった。心当たりはあるかね?」

 

「アリスが? 心当たりは無いですけど……だったら早く行かないとダメじゃないですか! ほら、行きましょう。私の悩みなんか後回しです!」

 

アリスは私と違って常識人なので、『ホグワーツに駆け込む』などという非常識な行為は早々しないはず。つまり言葉通りに重要な話があるということだ。いつもの彼女がする『重要な話』は人形の服のボタンの数とか、バートリさんへのクリスマスプレゼントについてとかだが……今回はどうも違うらしい。

 

親友の『重要そうな重要な話』が気になって慌てる私へと、ダンブルドア先生は微笑ましげな顔で応じてきた。

 

「それでは行こうか。大広間で待ってもらっておるのじゃ。」

 

「はい!」

 

先導するダンブルドア先生の頼もしい背に続きながら、テッサ・ヴェイユは久々に親友に会えることに小さな笑みを浮かべるのだった。

 



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ヨーロッパ特急

 

 

「ちょちょ、待ってよアリス。何か食べ物を買っておかないと。……ヨーロッパ特急の車内販売が美味しくないのは知ってるでしょ? またべちゃべちゃのパイを食べるつもりなの?」

 

慌ただしく行き交うスーツ姿のマグルたちと、彼らが発する喧騒で埋め尽くされているキングズクロス駅。人の隙間を縫って早足で歩いていたアリス・マーガトロイドは、背中に投げかけられた親友の声を聞いて足を止めていた。食事の心配なんて後でいいじゃないか。

 

「あのね、そんな場合?」

 

「私が思うに、そんな場合だよ。急いでホームに行ったって列車が早く出たりはしないし、車内でご飯を食べても到着が遅れるわけじゃないでしょ? ここで買っとけば向こうで食事する時間を削れるじゃん。」

 

むう、珍しく合理的な意見だな。渋々頷いた私を見て、テッサは駅に併設された売店の一つへと入って行く。私も水と軽食くらいは買っておくか。フランスに着いたら色々と忙しくなりそうだし。

 

つまり、私とテッサは二人でフランス魔法省に向かうことになったわけだ。ホグワーツで事の経緯を説明した結果、何故かそういう流れになってしまったのである。元々夏休みはオルレアンの実家に帰るつもりだったようで、期末試験が終わった今なら多少予定を繰り上げても問題ないというのがテッサの主張だが……うーむ、私に気を使ってそう言ってくれたのかもしれないな。

 

何にせよ、ホグワーツを出てくる際にダンブルドア先生がディペット校長に事後承諾を取り付けてくれると約束してくれた。ついでにフランス魔法省宛の紹介状も書いてもらってある。私のような小娘の説明では納得してくれないだろうが、ダンブルドア先生の紹介状があるなら話は別だ。加えてヴェイユおじ様の仲介もあれば、闇祓いたちも真剣に受け止めてくれるだろう。

 

……というか、受け止めてくれないと困るぞ。パチュリーが教えてくれたように、何かをするなら先ず目的を定めるべきだ。道中冷静になって整理してみたのだが、私が最初に行うべきはフランス当局への情報提供のはず。

 

使われている魔法が私たちのものである以上、捜査に使える情報なのかは分からない。それでも何かのヒントになる可能性はあるし、それは残る少女の救出や犯人の逮捕に繋がるかもしれないのだ。それに、上手く話が進めばこの子の両親にも連絡してくれるだろう。

 

もちろん犯人を取っ捕まえてやりたいという気持ちはあるが、私だって自分の力量くらいは把握している。新米魔女一人よりもフランス闇祓い隊の方が優秀なのは間違いないし、相手も『本物』なんだから一人で挑んだところで返り討ちに遭う可能性が高いはず。だからまあ、リーゼ様が合流するまでは下手に動かず下準備に徹した方が良さそうだな。

 

結局のところリーゼ様頼りになっている自分を情けなく思いつつ、せめてフランス魔法省への連絡だけは先に済ませておこうと決意していると……水の小瓶と紙袋を手にしたテッサが近付いてきた。私が思考に沈んでいる間に買い物を済ませてしまったらしい。

 

「ほい、無難にサンドイッチね。アリスの分も買っといたよ。」

 

「ん、ありがと。……それじゃ、行きましょうか。」

 

二人で大きなトランク……中に例の木箱が入っているトランクを協力して持ちながら、7と1/2番線のホームに向かって歩き出す。卒業旅行の時も利用した大陸への移動を司るホームで、今回使うヨーロッパ特急はそこから出ているのだ。

 

「ねえ、テッサ? ホグワーツを飛び出してきて本当に大丈夫だったの? 毎年学期末はギリギリまで忙しいって言ってたじゃない。」

 

少なくとも去年はそう愚痴っていたはずだぞ。すれ違う人の足にトランクがぶつからないように気を付けながら聞いてみると、テッサは呆れと怒りが半々くらいの顔できっぱり応じてきた。

 

「へーきへーき、ダンブルドア先生が何とかしてくれるって言ってたでしょ? ……大体、仮に大丈夫じゃなかったとしても一緒に行くよ。一人にするわけないじゃん。」

 

「だけど、ヴェイユおじ様に連絡を入れてくれるだけで良かったのよ? リーゼ様が後から追いかけてきてくれるでしょうし。」

 

「犯人がどこの大馬鹿野郎かは知らないけど、これはアリスに送られてきたんだよね? ……だったら一人になっちゃ、ダメなの! 何でそんな簡単なことが分かんないかな。後でバートリさんにも怒られると思うよ。そうなっても私は味方してあげないからね。」

 

「……怒られるかな?」

 

恐る恐る問い返してみれば、テッサは神妙な表情で大きく首肯してくる。怒られるのか、私。それは困るぞ。

 

「絶対心配するだろうし、だから絶対怒られるよ。簡単に予想できて、かつ至極真っ当な反応だと思うけどね。……っていうか、何で一緒に行かないの? 私からするとそこが謎なんだけど。」

 

「……だって、迷惑かけたくなかったんだもん。リーゼ様はあんまり人目に付くのが好きじゃないし、私だって一人で出来るってことを証明したかったから。」

 

「たまーに子供になっちゃうよねぇ、アリスって。バートリさんが絡むと特に。それで心配かけてたら元も子もないんじゃない?」

 

そんなことはない……はずだ。生温かい目線で言ってくるテッサに、弱々しい口調で反論を送った。

 

「フランスの闇祓いに事情を説明して、この子を家に帰してあげることくらいは一人で出来ると思ったの。……もう二十歳を過ぎちゃったのよ? 私たち。何でもかんでも親に頼るわけにはいかないわ。」

 

「どうかな、バートリさん的には頼って欲しいんだと思うけど。……まあ、フランス魔法省に行ってパパに頼むくらいなら二人でも大丈夫でしょ。でも、グランなんちゃらには絶対行かないからね。その辺は闇祓いの仕事だよ。」

 

「それは、そうかもしれないけど。」

 

テッサにはまだ吸血鬼のことや、本物の魔女のことを明かしていない。ダンブルドア先生は人形を見て何か気付いていたようだったが、テッサは闇の魔法使いの仕業だと考えているはずだ。『一般的』な犯罪者の犯行だと。

 

そろそろ打ち明けるべきかもしれないと悩み始めたところで、魔法界側のホームに通じる壁が見えてくる。周囲のマグルの視線に注意しつつ、二人で寄りかかるようにしてそこを抜けると……うわぁ、予想以上に混んでるぞ。平日は比較的空いてるはずなのに。

 

「……どうしてこんなに混んでるのかしら?」

 

「うっわ、本当だ。どっかの国からの団体客が帰るとこに鉢合わせちゃったみたいだね。」

 

うんざりした声色で放たれたテッサの推察通り、どうやらアジア圏からの団体客が国に帰るところのようだ。イギリス魔法界では滅多に見ない格好のアジア系の魔法使いたちを、スーツを着た案内役らしき男性四人が誘導しようと頑張っている。成功しているとは言えなさそうだが。

 

「何度も言っているように、客室に全ての荷物を持ち込むのは不可能です! 一旦荷物車に預けないと……フォーリー部長、通訳してくれませんか? この人たち、絶対に英語を理解していませんよ。」

 

「四日間も振り回された挙句、今ようやくそれに気付いたのかね? 私は初日にこの連中の『イエス』が単なる相槌に過ぎないことに気付いていたが。ちなみに彼らが発する『オーケー』は、『よく分からないけど面倒だから適当に頷いておこう』という意味だ。実に愉快な気分になるよ。」

 

「嫌味はいいから早く通訳してください。このままだと荷物の検査が出来なくなりますよ? それはつまり、この人たちが持ってるトランクの中身を確かめないまま出国させちゃうってことです。そうなったらさすがに愉快な気分にはなれないでしょう?」

 

「より愉快になると思うがね、私は。上手く行けば他国の税関で全員捕まってくれるかもしれないだろう?」

 

うーむ、イライラしているな。責任者らしき男性が部長と呼ばれてるし、他国からの観光客の案内……というか監視? をしているということは国際魔法協力部の職員なのだろう。三十代くらいにしか見えないけどな。それで部長ということは、結構なエリートさんなのかもしれない。

 

神経質そうなグレースーツ姿の男性を眺めていると、テッサが私の手を引いて緑色の客車に入って行く。ホームの状況を目にして早く席を取るべきだと考えたらしい。

 

「ほらほら、急いでコンパートメントを確保しないと。あの人たちが全員乗車した後に探してたらフランスまで座れないよ。」

 

「どうして車両数を増やさないのかしらね? 大戦はもうとっくに終わったのに。」

 

「パパも愚痴ってたよ。イギリスは海峡を渡ることに対して敏感すぎるって。まだ国際協力部は出入国制限を続けてるんだってさ。ああやって『監視員』を付けてるのもその辺の影響なんでしょ。」

 

テッサはさっさと制限を解くべきだと思っているようだが……うーん、私としては分からなくもない措置だな。イギリス海峡はこの国にとって大いなる盾なのだ。他国からの侵略を防ぎ、イギリスの独立を保ってきた自然の防壁。そこを通過できるヨーロッパ特急に敏感になるのは理解できる気がする。

 

こういう食い違いは生まれ育った環境の違いを感じさせるな。人生の半分をイギリスで過ごしている以上、テッサのことを『フランス人である』と言えるかは怪しいところだが。国家による感覚の違いについて黙考していると、前を進むテッサが一つのコンパートメントのドアを開いた。

 

「おっしゃ、空いてるね。……相変わらず古臭い内装だなぁ。こういうところに拘らないとナメられちゃうと思うけど。」

 

「まあ、それには同意しておくわ。確かにこれは改装すべきかもね。」

 

ぱっと見の印象はホグワーツ特急より豪華だが、一つ一つの質を見ていくと真紅の列車に軍配が上がるのだ。椅子は硬すぎるか沈みすぎるかのどっちかだし、備え付けのテーブルは細かい傷だらけ。窓に付いているカーテンなんて『お婆ちゃんの家』にありそうなデザインだぞ。

 

自前の列車をきちんと整備できているホグワーツを褒めるべきか、魔法省が他国からの観光客を持て成す場を整えていないことを嘆くべきか。……これはさすがに後者かな。マグル側にはよっぽど豪華な列車がゴロゴロしているわけだし。

 

魔法でトランクを固定しながらため息を吐いたところで、ドアの向こうの廊下が一気に騒がしくなってくる。ホームに居た団体さんが乗り込んできたらしい。

 

「どこから来た人たちなのかしら?」

 

「そりゃあアジアでしょ。見た目がアジア人なんだから。」

 

「大雑把すぎない? それ。」

 

「だって、違いなんて分かんないもん。向こうもヨーロッパ系の違いは理解できないみたいだしね。お互い様だよ。」

 

身も蓋もない言い草だな。廊下から響いてくるやけに早口に聞こえる謎言語を耳にしつつ、ふと窓越しのホームへと目をやってみると……何をしているんだろうか? 数名の駅員が一人の男性を取り囲んでいるようだ。

 

「ダメ、触らない! 絶対に触るダメよ! 私、権利あるよ!」

 

「申し訳ありませんが、荷物のチェックをさせていただかないことには──」

 

「ダメ! ダメダメダメ! これ触る、私あなた訴える! これ個人の荷物! 個人の権利!」

 

なんとまあ、大騒ぎだな。興味を惹かれてよく見てみれば、どうやら駅員たちは男性の持つカバンを調べようとしているらしい。ここまで聞こえてくる片言の怒鳴り声で駅員たちを威嚇しつつ、ホームに続くゲートへとジリジリ移動していた男性だったが、隙を突いて一人の駅員がカバンに呪文を撃ち込む。

 

「うっわぁ、あれは御用だね。」

 

同じ光景を眺めていたらしいテッサが呟くのと同時に、小さなカバンから大量の絨毯が『湧き出て』くることを確認した駅員たちは、一斉に男性に拘束呪文を放った。躊躇がないな。要するに、あの髭を編み込んでいるアラブ系の男性はイギリスで禁じられている空飛ぶ絨毯を持ち込もうとしたわけか。

 

一瞬で拘束された男性を横目にしつつ、なんだか疲れた気分で口を開く。空飛ぶ絨毯なんて誰が買うんだ? 私は箒で飛ぶのがあまり好きじゃないが、それでも絨毯よりは遥かにマシだぞ。

 

「あれが車両を増やさない原因なのかもね。」

 

「まあうん、魔法省の姿勢にもちょびっとだけ説得力が出たかな。こうやって直接運び込んだ方がこの前あった『渡り絨毯事件』より成功し易いだろうしね。」

 

あー、あれはひどい事件だったな。予言者新聞によれば北海を渡る絨毯の群れがマグルに目撃された所為で、結構な規模の記憶修正が必要になったそうだ。下手人は密輸のためにデンマークから三百枚以上の絨毯を放ったらしいが、殆どの絨毯が海を渡り切れず力尽きて墜落したんだとか。

 

どこまでもアホらしい事件について思い出していると、いきなりコンパートメントのドアがノックされた。何事かと視線を送ってみれば、困り果てたような表情の若い女性の姿が目に入ってくる。見た感じ私たちと同い年くらいかな?

 

見覚えのない女性がノックしてきたことに困惑しながらも、とりあえずそっとドアを開けてみると……女性は隙間からひょっこり顔を出して質問を寄越してきた。

 

「あのですね、宜しければ相席させていただけませんか? どうも団体さんが乗っているようでして……その、他に女性だけの席がないんです。」

 

やや訛りのある英語と、漆黒の髪と対照的な白い肌。東ヨーロッパの訛りだな。気弱そうな女性を観察している私を他所に、テッサが明るい声色で返事を返す。

 

「勿論どうぞ。指定席じゃないわけですし、一緒に使うのは当然ですよ。」

 

「助かります。」

 

ホッとしたように息を吐いた女性は、私の向かいのテッサの隣に……ええ、こっちに座るのか? 何故か私を見て一瞬固まった後、そのままそそくさと私の隣に座り込んできた。置いてあるトランクが邪魔になるし、どう考えてもテッサの隣に行く場面だったと思うぞ。

 

「えーっと、トランクは向こうに置きましょうか。邪魔でごめんなさいね。大きすぎて荷物棚に載らなかったの。」

 

まあ、悪いのはこっちか。本来この大きさの荷物は荷物車に入れるのがマナーなのだが、事情が事情だけに無理やり持ってきてしまったのだ。固定を解いてトランクをテッサの隣に置き直すと、女性はふにゃりと微笑んでお礼を言ってくる。どことなくエマさんに似た雰囲気を感じるぞ。

 

「ありがとうございます。私、マリー・ラメットと申しまして、イギリスでの仕事が終わってフランスに帰るところなんですけど……お二人はどこかへご旅行ですか?」

 

おっと、フランスの人だったのか。にしては英語の発音がそれっぽくないな。小さな疑問を胸に秘めつつ、こちらも笑顔で返答を口にした。

 

「アリス・マーガトロイドです。私たちはその逆ですね。仕事というわけではないんですが、フランス魔法省に用がありまして。……ちなみにお仕事は何をされているんですか?」

 

「記者見習いなんです。『ミラージュ・ド・パリ』ってご存知ありませんか? フランス魔法界の新聞なんですけど。」

 

「はい、知ってます。そちらの魔法界では最大手の新聞だとか。」

 

「そこで働いているんです。……まだ見習いだから記事は書かせてもらえないんですけどね。今回イギリスに来たのも簡単な取材を命じられただけですし。」

 

なんともタイムリーな話題だな。今日知ったばかりの知識で付け焼き刃の相槌を打つ私を尻目に、昔からよくご存知なはずのテッサはふむふむ頷きながら問いかけを飛ばす。

 

「ってことは、ボーバトンの卒業生なんですか? ……私はテッサ・ヴェイユ。一応フランスの出身です。」

 

「いえ、出身はダームストラング専門学校です。私は疎開組ですから。……ヴェイユってことは、ひょっとして『あの』ヴェイユ家の方なんですか?」

 

「あー、多分そうですね。オルレアンのヴェイユです。」

 

ポリポリと頰を掻きながら苦笑いで肯定したテッサへと、ラメットさんは口に手を当てて上品に驚きを表現した。仕草だけ見ればテッサよりもよっぽど『お嬢様』っぽいな。サイドに纏められたお洒落な感じの三つ編みもそれっぽいし。

 

「驚きました。ヴェイユ家の方もこういう車両に乗ったりするんですね。」

 

「いやいや、そこまで大した家じゃないですよ。普通に列車に乗ることもあれば、昼食をサンドイッチで済ませたりもします。」

 

テッサが駅で買ったサンドイッチを示しながら言ったところで、喧しい汽笛と共に列車がゆっくりと動き出す。ちらりとホームを見てみれば、先程の魔法省職員らしき四人組が手を振って見送っているようだ。……厳密に言えば、部長と呼ばれていた人だけは仏頂面で直立不動だが。二度と来ないで欲しいという感情が顔に出ちゃってるぞ。

 

あんなんで大丈夫なのかと私が呆れている間にも、テッサとラメットさんは同じ『疎開組』として盛り上がり始めた。テッサがホグワーツに来たように、ラメットさんも戦禍を逃れるためにダームストラングへと入学したらしい。

 

まあ、こういう出会いも列車の旅には付き物だろう。急いたところで列車の速度が速くなるわけではないし、今は会話を楽しんでおくか。ダームストラングでの生活ってのにはそこそこ興味があるぞ。

 

徐々にスピードを上げる列車の中で、アリス・マーガトロイドは水のボトルの封をぱきりと切るのだった。

 



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矛と盾

 

 

「うーん、お二人が羨ましいです。私もホグワーツを選べば良かったかもしれませんね。」

 

困ったような微笑みで呟くラメットさんを前に、テッサ・ヴェイユは微妙な表情を浮かべていた。これまでの話を聞く限りでは間違いなくそうなのだろうが、かといって大っぴらに同意するのはさすがに失礼な気がする。この人にとっては曲がりなりにも母校なわけだし。

 

列車がキングズクロス駅を出発してから一時間とちょっと。たまたま相席になったマリー・ラメットという記者さんとお喋りを楽しんでいたのだが、彼女が語るダームストラングでの生活はお世辞にも楽しそうとは言えない内容だったのだ。パパとママに感謝すべきかもしれないな。ホグワーツを選んでくれてありがとうって。

 

ちなみに、彼女は私たちより一個だけ上の学年だったらしい。当時のダームストラングはどちらかといえば『グリンデルバルド派』の生徒が多かったようで、『スカーレット派』であるフランス人のラメットさんは色々と苦労したそうだ。同じ疎開した仲間とグループを組んでどうにか卒業したんだとか。グリフィンドールとスリザリンの確執が可愛らしく思えてしまう逸話だな。

 

その後ソヴィエトで通訳の仕事に就いた後、祖国解放の知らせを受けてすぐさまフランスに飛び、語学の知識を活かして新聞社に就職。現在は先輩記者の補佐をしながら報道記者としての勉強をしているらしい。

 

起伏に富んだ人生に感心する私を他所に、アリスがかくりと首を傾げながら質問を口にした。……うん、少しは落ち着いてきたみたいだな。本人に自覚があるかは不明だが、ホグワーツに来た時は冷静とは言えない状態だったのだ。ダンブルドア先生もそれに気付いたから私の同行を認めてくれたのだろう。実を言えば夏休み突入までにやるべき仕事はまだまだ残っていたわけだし。

 

「ワガドゥやイルヴァーモーニーを選ばなかったのはどうしてなんですか? 大多数の疎開者はそっちに行ったって聞いてますけど。」

 

「母はイルヴァーモーニーにすべきだって言ったんですけど、アメリカは遠すぎるって父に反対されちゃいまして。グリンデルバルドも母校には多少気を使っていたようですし、どうせならダームストラングの方が安全だという結論に至ったみたいです。」

 

「懐に入り込むってことですか。……豪気な選択ですね。」

 

「でも、同じ選択をした人は結構居たんですよ? ちなみに一番人気がなかったのはホグワーツですね。イギリスはグリンデルバルドにとっての『次の標的』という認識が強かったので、疎開先としてはむしろ敬遠されてたみたいです。」

 

むむう、ちょっと分かるな。アメリカは物理的に距離があるし、グリンデルバルドはついぞアフリカを攻めようとはしなかった。『大陸が纏まったら次はイギリス』というのが大方の予想で、ある意味では実際にそうなったわけだが……それをダンブルドア先生が返り討ちにしちゃったわけだ。

 

ラメットさんも同じようなことを考えているのだろう。どこか誇らしげな様子でヨーロッパ大戦についての話を続けてくる。

 

「だけど、結果的にはホグワーツが最良の選択肢だったみたいですね。『紅のマドモアゼル』とアルバス・ダンブルドア氏が踏み入らせることを許さなかったわけですから。……本当に羨ましいです。ホグワーツでの楽しそうな生活のことも、ダンブルドア氏に普通にお会いできることも。」

 

「フランスでも有名人なんですか? ダンブルドア先生って。レミリアさんが有名なのはよく知ってますけど。」

 

「勿論ですよ! ヨーロッパ最優の魔法使いとして広く認められています。……あの、まさかとは思いますけど、マーガトロイドさんは紅のマドモアゼルと親しかったりするんですか? 『レミリアさん』ってお呼びする方は初めて見ました。」

 

同席した当初からやけにアリスとの距離が近かったラメットさんが、これまで以上に身を寄せながら送った疑問を受けて……あちゃー、もう答えてるようなもんじゃんか。アリスは目を泳がせながら曖昧な首肯を返す。

 

「いや、その……親しいってほどではないんですけどね。ただ、私の育ての親が少しだけ関係を持っていまして。だからこういう呼び方を許されているんです。」

 

「凄いです。それって、それって……凄いことですよ! もしかして直にお目にかかったりしました? どんな方なんですか? サインとか持ってたりします?」

 

おお、いきなりのハイテンションだな。目を輝かせて問いを連発するラメットさんに、アリスは困り果てた表情で首を横に振った。

 

「ごめんなさい、何も言えないんです。あまり口外するなって言われてるので。」

 

「それは……そうですよね、すみませんでした。私ったらつい興奮しちゃって。はしたなかったですね。」

 

途端に身を引いて小さくなるラメットさんに苦笑しつつ、さっき車内販売で買ったビスケットを一つ食べて口を開く。これはまた、パッサパサでまっずいな。これっぽっちも甘くないし、乾き切ったパンを食べてるみたいだ。ホグワーツ特急の車内販売を見習って欲しいぞ。

 

「記者としては追求する場面なんじゃないですか? 『紅のマドモアゼルの謎に迫る!』みたいな感じで。」

 

「とんでもない。紅のマドモアゼルのことを無理に暴こうとするのはフランス魔法界じゃタブーなんです。人前に出るのを嫌がっていらっしゃるのは明らかですし、きっとそれに足る理由があるのでしょう。でしたら私たちはそっとしておくべきですよ。受けた恩を仇で返すわけにはいきませんから。」

 

きっぱりと断言するラメットさんは、どこまでも真剣な表情だ。パパも昔同じようなことを言ってたな。私だってスカーレットさんのことは物凄く尊敬しているが、大陸側では彼女に対する『尊敬度合い』が段違いらしい。

 

うーむ、ヘンな感じだな。もちろんスカーレットさんやダンブルドア先生がイギリスで尊敬されていないわけではないのだが、フランスやポーランドの方が高く評価しているのは明白だ。大戦そのものに関してもイギリス魔法界では対岸の火事という認識が強いし、ホグワーツの常識で話していると痛い目を見ちゃうかもしれない。

 

私自身がどう思っていようと、フランスでの私の発言は『ヴェイユの発言』になってしまう。だから改めて気を付けようと決意したところで、列車が徐々に速度を落とし始めた。一つ前の停車駅であるカレーはとっくの昔に過ぎているし、私たちの目的地であるパリ北駅に近付いているようだ。

 

キングズクロス駅と同様に、隣人たるマグルたちから隠されている魔法界のホーム。車窓からそれが見えるのを確認して、荷物を整理するために慌てて席を立つ。結局検札には誰も来なかったし、その上到着のアナウンスも無しか。どうやらこの路線の職員たちは本格的にやる気がないらしい。

 

「ほらほら、二人とも準備しとかないと。カレーでは早めに出発したみたいだし、急いで出ないとローザンヌまで行くことになっちゃうよ。」

 

「恐ろしい列車よね。定時運行するって発想はないのかしら?」

 

「イギリスへの入国はポートキーだったので、私は初めて乗るんですけど……確かに少し不安になる列車ですね。お二人が一緒で良かったです。」

 

悲しい事実だが、ラメットさんのやんわりとした不満こそが他国からの旅行者の総意だろう。遅く着くのはまあ我慢できるが、早く出ちゃうのは怖すぎる。私だって乗り慣れていなければ不安になるはずだぞ、こんなもん。

 

それでも文明人としてゴミなんかは綺麗に片付けつつ、ビスクドールの入ったトランクの固定を慎重に解いていると……おや、今回はさすがにやるのか。甲高い汽笛と共に送音魔法のアナウンスが聞こえてきた。生徒たちの『居眠り明け』の声にそっくりだぞ。

 

『間も無く、えー……パリ北駅? パリ北駅に到着します。お降りになる方はお忘れ物のないようにご注意を──』

 

「間も無くっていうか、もう着いてるんだけどね。」

 

アリスの冷静な指摘通り、アナウンスは列車がホームに停車してからもまだ続いている。卒業旅行の時に乗った寝台急行はもっとしっかりしてたんだけどな。『ぽんこつアナウンス』に呆れながらも、三人で揃ってホームに降り立ってみると……うーん、パリの空気だ。ロンドンとどう違うのかと聞かれても上手く説明できないが、それでもそう感じてしまう。やっぱり私はフランス人なわけか。

 

行き交う魔法使いたちを眺めながら帰郷を実感していると、小さなスーツケースを持ったラメットさんが声をかけてきた。

 

「お二人は魔法省に用があるんですよね? 私は会社に報告に行かないといけないので、これで失礼させていただきます。……お陰で楽しい旅が出来ました。またどこかでお会いしましょう。」

 

綺麗な所作で頭を下げてきたラメットさんに、私たち二人も挨拶を返すと……彼女はもう一度軽く礼をしてから暖炉が並んでいる方へと歩み去って行く。列車の質は悪かったが、出会いだけは悪くない旅だったな。

 

「さて、私たちも行きましょうか。魔法省に直通のエレベーターがあるのよね?」

 

「ん、そのはず。出来たばっかりだから私も使ったことないんだよね。ホーム内にあると思うんだけど……。」

 

どこだっけかなぁ。気を取り直すようなアリスの呼びかけに従って、エレベーターを探して駅のホームを彷徨い始めた。以前の魔法省はグリンデルバルドの攻勢で大規模に破壊されてしまったので、今は再建している最中なのだ。そのついでにホームからの直通エレベーターを設置したらしい。

 

パパからの手紙で知った情報を頼りに右往左往していると、ホームの奥の方に真新しい四基のエレベーターが並んでいるのが目に入ってくる。五人の小鬼がぞろぞろ入って行くそれを指差して、隣を歩くアリスへと声を放った。

 

「多分あれじゃないかな。今まさに仏頂面の小鬼が使ってるやつ。」

 

「そうみたいね。……でも、どうしてあんなに不機嫌そうなのかしら? グリンゴッツの小鬼だって『愛想が良い』とは言えないけど、あの小鬼たちは明らかにイライラしてるじゃない。」

 

「小鬼はフランス魔法界が嫌いなんだよ。こっちの魔法使いたちも小鬼が嫌いだけどね。」

 

やれやれと首を振りながら教えてみれば、好奇心を顔に貼り付けたアリスが質問を飛ばしてくる。新しい知識にすぐ食い付くのは学生の頃から変わらんな。

 

「どうしてなの?」

 

「ずーっと昔に南フランスの方で珍しい鉱石が発見されたんだけど、その利権を巡って死者が出るくらいの争いを起こしたんだよ。発見したのが小鬼で、土地の所有者はもちろんフランス人。となれば何が起こるかなんて簡単に分かるっしょ?」

 

「あー……魔法史の教科書で読んだ覚えがあるわ。でもそれって、三百年以上前の事件じゃなかった?」

 

「小鬼たちには関係ないみたい。三百年前からずっとフランスの魔法使いは鉱石を横取りした悪いヤツらってわけ。イギリスにもドイツにもイタリアにもスペインにも。どこに行ったって小鬼の大きな銀行があるのに、フランスにだけ無いのはそういう歴史があるからなんだよ。」

 

イギリスに純血問題があるのに対して、フランスには根深い小鬼問題があるわけだ。頭が痛くなる話をしながらエレベーターに乗り込むと、アリスは感心したように相槌を寄越してきた。

 

「面白い……って言っていいのかは分からないけど、興味深い話ではあったわ。よく知ってたわね。魔法史は苦手なはずなのに。」

 

「パパがしつこく話してくるんだもん。当時のヴェイユ家は小鬼にも利益を分配すべきだって主張した数少ない家の一つだから、小鬼もヴェイユの魔法使いに対してはそこまで冷たく当たってこないの。……ヴェイユ家が代々フランス魔法界の金融とか運輸に関わってるのもその所為みたい。いくら仲が悪くても小鬼と断交するのは不可能だからね。せめて顔が利くヴェイユ家を当てようってわけ。」

 

「あら、ますます興味深いわ。小鬼の味方に回って立場が悪くならなかったの?」

 

「多分なったけど、それでも崩れない地盤があったってことなんじゃない? ヴェイユ家と連携を取って分配派に回った家も大物だったからね。バルト家ってとこ。レンヌのあたりにお屋敷がある名家なんだけど、代々闇祓いを出してる武官の家系なの。」

 

矛のバルトと、盾のデュヴァル。フランス闇祓いの隊長は大抵この二家から輩出されてきたのだ。イギリス闇祓いは実力主義の風潮が強いが、フランスは家系への信頼を重視することが多い。バルト家やデュヴァル家の跡取りはそれに応えるために、幼い頃から厳しい鍛錬を課せられるんだとか。

 

文官の家系で良かったと今更胸を撫で下ろしていると……わお、凄いな。地下に降りたエレベーターのドアが開くと共に、出来かけの壁画に囲まれたエントランスホールが見えてきた。話には聞いていたが、昔と全然違うじゃないか。

 

「……綺麗だねぇ。何年も改修してるのが頷けるホールだよ。」

 

「本当ね。まだ未完成だから分かり難いけど、フランスの歴史を表しているのかしら?」

 

アリスの言う通り、四方の壁に掘り込まれている壁画はこの国の歴史上の大事をモチーフにしているようだ。単なる壁画としても見事なのに、その上滑らかに動くらしい。大したもんじゃないか。祖国の政治の中心部が豪華になっていることを喜んでいると、見惚れていたアリスが我に返って歩き出す。

 

「見学したいのは山々だけど、それは後に回しましょう。今はこっちが先決よ。」

 

そう言ってトランクをポンと叩いた親友に頷いてから、私も頰を叩いて気を引き締める。そうだった、先ずは犠牲になった少女のことを考えなければ。壁画なんかまた今度暇な時にでも見ればいいのだ。

 

二人でトランクを運びながら案内カウンターらしき場所に近付いていくと、その直前で私の背中に声がかかった。懐かしい、安心する声だ。振り向かなくても誰だか分かるぞ。これで色々と探す手間が省けたな。

 

「テッサ? それに……アリス君かね? これは驚いた。一体どうしたんだい?」

 

言わずもがな、我が父上どのだ。細身のスーツと山高帽子、娘としては正直やめて欲しい時代遅れのハンガリアン・ムスタッシュ。驚いた表情で歩み寄ってくるパパに、笑顔を浮かべながら返事を送る。

 

「やっほ、パパ。会えて良かったよ。全然違う建物になってるから運輸局の場所がちんぷんかんぷんだし。」

 

「私からすると娘の行動がちんぷんかんぷんだがね。休みはまだ先だろう? 大体、来るなら来ると手紙で連絡を……久し振りだね、アリス君。元気そうで何よりだ。」

 

「お久し振りです、ヴェイユおじ様。急に押しかけてしまってすみません。」

 

「いやいや、アリス君ならいつでも歓迎だよ。妻も大喜びするはずだ。我が家に泊まってくれるんだろう?」

 

むむう、実の娘に対する態度と大違いじゃないか。愛想の良い笑顔でアリスに話しかけるパパの手をグイと引いて、ここに来た理由へと強引に話題を移す。

 

「そういうのは後。今日はちょっと深刻な話をしに来たの。……今パリで起こってる連続誘拐事件って知ってるでしょ?」

 

「当然知っているとも。保安局が血眼になって捜査しているよ。もう四人も攫われてしまったからね。」

 

「その事件の犯人から……っていうか、犯人らしきヤツからアリスに荷物が届いたの。あんまり嬉しくない荷物がね。」

 

「それは……ふむ、午後の仕事はキャンセルした方が良さそうだね。先ずは私のオフィスに行こうか。話はそれからだ。」

 

私の顔付きを見て冗談でも何でもないことを察したのだろう。パパは表情を真剣なものに改めると、コツコツ靴音を鳴らしながら先導し始めた。

 

後はパパに事情を話して、闇祓い隊の偉い人に仲介してもらって、そしてご両親にビスクドールを渡すだけ。……今更だが、本当に渡すべきなのだろうか? 自分たちの娘が人形の材料にされましたと聞いたらショックを受けるはずだぞ。

 

でも、知らせないわけにもいかないだろう。両親の反応を思って気が重くなるのを自覚しつつ、テッサ・ヴェイユは改装中の階段へと足を踏み出すのだった。

 



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生真面目な護衛

 

 

「信じられませんな。つまりお嬢さんはこう言いたいわけだ。これが『人間』であると。……どこからどう見ても単なる人形ですが?」

 

まあ、そうなるだろうな。胡散臭いと言わんばかりの表情でビスクドールを眺める闇祓い隊の隊長さんに、アリス・マーガトロイドは内心でため息を吐いていた。簡単に信じてもらえるとは思ってなかったさ。

 

フランス魔法省に到着した私たちは、偶々出会えたヴェイユおじ様に事情を説明した後、地下四階にある小さな会議室へと案内されたのだ。そこでヴェイユおじ様が連れてきてくれた隊長さん……ポール・バルトという中年の男性にビスクドールを見せた結果、返ってきたのがこの反応というわけである。

 

「信じ難いことなのは分かりますが、人間が素材として使われているのは事実です。専門家からの同意も得ています。」

 

フランス語で放った私の反論を受けて、バルト隊長は欠片も信じていない様子で適当に頷いてきた。ええい、この石頭め。

 

「なるほど、専門家。闇の魔術に関しては私も専門家ですが、人間を人形の素材にするなど聞いたことがありません。……ヴェイユ局長、こう見えても私は忙しいのですが? いくら貴方でもこんな与太話を──」

 

「これがその『専門家』からの紹介状です。」

 

もう強引に進めちゃおう。話を遮って手紙を突き出した私を迷惑そうにちらりと見た後、無言で促したヴェイユおじ様を確認したバルト隊長は、渋々という感情を隠そうともせずにそれを手に取る。

 

「何を見せられようが私の意見は変わりませんよ? お嬢さん方が本気で信じているということは分かりましたが、こういった『誤通報』は毎日のようにありますから。捜査に協力しようという善意だけ受け取っておきましょう。」

 

そう言って鼻を鳴らしながら手紙の封を開けたバルト隊長だったが……うーむ、分かり易いな。便箋に目を落とすと途端に表情を真剣なものに変えた。差出人の署名を読んだのだろう。変身術の世界的権威であり、ヨーロッパ最優の魔法使いの名を。

 

「これは……本物ですか?」

 

「疑うのでしたらホグワーツに問い合わせていただいても構いません。ダンブルドア先生はいつでもお受けすると言っていました。」

 

「それは、しかし……ダンブルドア氏がこの人形を鑑定したと? あのアルバス・ダンブルドア氏が?」

 

「その通りです。その上で人間が材料に使われていると断定してくれました。高度な変身術を使った、近年稀に見る残虐な犯行だと。」

 

断定したのはパチュリーだし、近年稀に見る云々とは言っていなかったが……とにかく説得力を持たせることが肝要なのだ。果たしてバルト隊長はダンブルドア先生の名前に心を動かされたようで、態度を一変させてビスクドールを観察し始める。名声は権威を、権威は信頼をか。正しくその通りになったな。

 

「今なお信じられませんが、かといってダンブルドア氏の言葉を軽々に否定するわけにもいきませんな。……これが、あの少女? 人間を磁器に? 事実だとすれば唾棄すべき犯罪です。到底許せるものではない。お嬢さんの下に送られてきたのですね?」

 

「はい。差出人は不明で、一緒にこのカードが入っていました。日付は事件のことが載っている新聞のことを示していたみたいです。」

 

「拝見します。……グラン・ギニョール劇場? 確かノン・マジークたちの劇場でしたか。少々お待ちを。」

 

断りを入れながら杖を抜いたバルト隊長は、素早くくるりと振って守護霊を生み出した。……プードルの守護霊? こう言っちゃなんだが、全然似合わないな。彼はがっしりとした体型だし、顔もかなり厳つい方なのだ。

 

私はなんとか内心を隠したものの、隣のテッサはそうもいかなかったらしい。キョトンとする彼女を見て、伝言を託し終えたバルト隊長はバツが悪そうな表情で言い訳を述べてくる。

 

「……昔飼っておりましてね。随分と可愛がっていた所為で守護霊がこうなってしまいました。元々は大型犬だったのですが。」

 

「いやまあ、良い話だと思いますよ。守護霊ってのは本来そうあるべきですし。……ね? アリス。」

 

「そうね、頼もしいんじゃないかしら。……つまりその、精神的な意味で。」

 

微笑ましいというか何というか、少なくとも悪い逸話ではないだろう。微妙になってしまった場の空気をリセットするように、バルト隊長は一つ咳払いをしてから話を進めた。

 

「とにかく、今担当の者を呼びつけました。グラン・ギニョール劇場については部下に内偵させることにしましょう。……一応聞いておきますが、犯人に心当たりはありますか? どんな小さなものでも構いません。」

 

「それが、全く思い浮かばないんです。知り合いというわけではなくて、私の人形を買った人なのかなと思ってます。」

 

「イギリスで人形の製作をしているとおっしゃっていましたな。……ふむ、販売記録などは残していますか?」

 

「残念ながらしっかりとした記録は残していないんです。イギリス国内の知人の店に卸すのが殆どで、あとは親しい人に頼まれて作るくらいですから。フランスの方となると、ヴェイユおば様に数体作ったことがあるくらいですね。」

 

相手が『本物』である以上、バートリ家やパチュリー繋がりという線も残っているが、それなら私宛てにはしないはずだ。リーゼ様が深く魔女と関わったのはパチュリーが初めてと言ってたし、パチュリーの方だって引きこもりがちなんだからそうそう知り合いなんて居ないだろう。

 

私の説明を聞いて黙考するバルト隊長を前に、全てを話せないことをもどかしく思っていると……隣に座っているテッサが小声で促してくる。

 

「アリス、アリス、紋章のことは? 封蝋に押されてたやつ。」

 

「ああ、忘れてたわ。……カードはこの封筒に入っていたんですけど、フランス魔法界の紋章らしきもので封蝋されているんです。」

 

「見せていただけますかな?」

 

「もちろんです。どうぞ。」

 

私が差し出した封筒を受け取ったバルト隊長は、封蝋を目にすると途端に厳しい顔になってしまった。怒っている、のかな? 何事かと困惑する私たちへと、隊長は怒りを秘めた声で解説してくる。

 

「どうやら犯人は我々を……私を挑発しているようですな。これはバルト家の、我が家の紋章です。」

 

「それはまた、何と言うか……挑戦的ですね。」

 

そうだったのか。忌々しそうに封蝋を見つめるバルト隊長を他所に、それまで黙っていたヴェイユおじ様が呆れた口調でテッサに指摘を飛ばす。

 

「テッサ? まさかとは思うが、今の今までバルト家の紋章だということに気付かなかったのかね?」

 

「いやぁ、見覚えあるなぁとは思ってたんだよ? そっかそっか、バルト家の。言われてみれば確かにそうだね。」

 

「……後でお母さんに叱ってもらいなさい。全てを覚えろとまでは言わないが、せめてフランス七家の紋章くらいは記憶してくれないと私が恥ずかしいよ。」

 

「あー……うん、ごめんなさい。」

 

テッサにしては素直に謝っているし、この紋章に気付けなかったのはヴェイユ家の淑女的には結構な問題だったようだ。気まずそうに頰を赤くする親友を何とも言えない気分で眺めていると、疲れたように背凭れに身を預けたバルト隊長が口を開く。

 

「何れにせよ、荷物を送られたお嬢さんの身が安全であるとは言い切れない状況ですな。フランスには滞在する予定ですか?」

 

「勢い任せで来ちゃったので、細かい予定は決めていないんです。とりあえず報告しなければと思いまして。」

 

私が苦笑しながら言ったところで、ヴェイユおじ様が再び話に入ってきた。紳士の笑みを浮かべながらだ。

 

「先のことはともかくとして、今日は我が家に滞在してもらう予定だよ。普通のホテルよりは遥かに安全だという自負もあるからね。」

 

「まあ、それがお勧めですな。ヴェイユ家の本拠に侵入するのは難しいでしょう。……加えて警護にうちの隊員を一人付けます。」

 

「あの、そこまでしていただかなくても……。」

 

闇祓いの護衛? なんだか話が大きくなってきちゃったぞ。おずおずと繰り出した遠慮の言葉に対して、バルト隊長は首を横に振りながら返事を送ってくる。

 

「恥ずかしながら、一連の誘拐事件の手掛かりは殆ど見つかっていないのです。犯人が何を思ってお嬢さんに人形を送りつけたのかは不明ですが、これを無視するわけにはいきません。どうか協力していただきたい。」

 

つまり、囮か。未だ完全に信じてくれたという様子ではないが、一応首輪は付けておこうというつもりなのだろう。分厚いオブラートに包んで頼んできたバルト隊長に、ヴェイユおじ様の方を見ながら曖昧な承諾を放った。

 

「まあその、家主たるヴェイユおじ様が問題ないとおっしゃるのであれば。」

 

「無論私は構わないとも。アリス君の安全が最優先だよ。一人客人が増えたところでどうにでもなるしね。」

 

「護衛に付ける隊員に関しては客人などと扱わなくて結構ですよ、ヴェイユ局長。番犬を一匹増やしたとでも思ってください。いざという時は捨て駒になってでも要人を守るのが我々のやり方ですから。」

 

おお、それっぽい台詞だな。バルト隊長の戦闘職らしい発言に感心したところで、部屋のドアがノックされると共に二人のスーツ姿の男性が入室してくる。どちらかが先程言っていた『担当者』なのだろう。

 

「来たか。……少々お待ちください。」

 

私たちに一言断ったバルト隊長は、そのまま二人の男性に近寄って小声で話し始めた。それを横目に出された紅茶に口を付けていると、ヴェイユおじ様も立ち上がって声をかけてくる。

 

「私も少々外させてもらおうかな。家内にテッサとアリス君が泊まることを伝えてから、局にも早退することを報告してくるよ。話が終わっても帰ってこなかったらここで待っていてくれるかい?」

 

「それはいいけど、早退しちゃって大丈夫なの?」

 

「アリス君が心配だし、今日はそもそも大した仕事が無かったからね。娘が友人を連れて帰ってきたと言えば職員たちも許してくれるさ。」

 

テッサに答えてから洒落た動作で帽子をクイと下げたおじ様は、綺麗な歩き方でドアを抜けて行く。……瀟洒な人だな。テッサはお髭が古臭いと思っているようだが、あの人になら全然似合う気がするぞ。

 

「なんかこう、色んな人に迷惑かけてる気がするわね。」

 

「逆でしょ。これで捜査が進むなら万々歳じゃん。闇祓いだって手掛かりがないなら焦ってただろうし、内心ではかなり感謝してるんじゃないかな。」

 

「だけど、護衛だなんて大袈裟すぎない? 気後れしちゃうわ。」

 

「実質囮にされるようなもんなんだから、護衛くらい当然だよ。一人ってのがちょっとケチくさいけどね。」

 

うーん、闇祓い一人ってのは相当なものだと思うけどな。テッサと英語でコソコソ話をしていると、会話が一段落したらしいバルト隊長がソファに戻ってきた。入室してきた男性のうち一人はとんぼ返りするようだ。若い短髪の男性だけが立ったままで部屋に残っている。

 

「お待たせしました。人形に関してはすぐに専門の部署で精査させます。イギリスで言う……神秘部、でしたか? あれに近い機関が当省にもありますので。何か捜査のヒントを得られるかもしれませんから。」

 

「それは理解できますけど、その……終わったらご家族の下に帰せますよね?」

 

「無論、確証が得られたら責任を持ってお届けします。説明に関しても我々が行いましょう。もしかしたらご両親が感情的になってしまうかもしれませんので。……当然のことだと思いますが。」

 

厳しい表情の中に僅かな悲しさを覗かせるバルト隊長の顔を見て、深く頷くことで同意を伝えた。犠牲者のことを真剣に考えているこの人なら大丈夫だろう。無下には扱わないはずだ。

 

ビスクドールが入った木箱の扉を慎重に閉じたバルト隊長は、次に立ちっぱなしの隊員さんを指して話を続ける。真面目そうな雰囲気の男性だな。私たちより少し年上だろうか?

 

「そして、この男がお嬢さんの護衛に付く闇祓いです。クロード・バルト。……私の不肖の息子ですよ。有事には盾としてお使いください。」

 

「クロード・バルトです。身命を賭してお守りさせていただきます。」

 

おおう、仰々しいな。決闘する時のように杖を眼前に掲げながら宣言したクロードさんは、素早い動きで私の背後に移動した。今この瞬間から護衛開始ってことか。せめて自己紹介を終えてからにして欲しかったぞ。

 

「えっと、アリス・マーガトロイドです。よろしくお願いします。……息子さんも闇祓いだったんですね。」

 

「まだ新人ですがね。……しかしながら、私が幼い頃から鍛えられてきたように、息子にも同じ教えを施しています。それなりの働きは出来るでしょう。それと、もし邪魔になったら遠慮せずに文句を言ってやってください。バカ息子は女性の警護が初めてですので、何か無礼を仕出かすかもしれません。その時は怒鳴りつけていただいて結構です。……クロード、相手が年若いお嬢さんだということを決して忘れないように。ふざけた真似をしたら容赦なく闇祓いの資格を剥奪するからな。」

 

「肝に銘じます、隊長!」

 

「結構。」

 

うわぁ、こういう家系って本当に存在するのか。きっと家でも厳しく育てられているのだろう。親子というよりは『上官と部下』っぽいやり取りが終わったところで、席を立ったバルト隊長が木箱をそっと持ち上げながら話を締めてくる。

 

「では、私はこれで。何かありましたらクロードに伝言させてください。逆にこちらの動きが進展した時も連絡を送ります。」

 

「はい。……ご両親が何か聞きたいようであればお答えしたいと思うので、その時は連絡してください。」

 

「覚えておきましょう。」

 

そう言って軽く頭を下げた後、最後にクロードさんをギロリと睨み付けると、バルト隊長は規則正しい歩調で部屋を出て行った。……さて、後はヴェイユおじ様が帰ってくるのを待つだけだな。背後の気配にちょっとだけやり難さを感じつつ、私がティーカップに手を伸ばしたところで、テッサがクロードさんに質問を投げかける。沈黙に耐え切れなかったようだ。

 

「んっと、クロードさんはお幾つなんですか? 近い世代に見えるんですけど。」

 

「二十二です。今年の冬で二十三になります。」

 

「ってことは、ぴったり同じ世代だ。偶然ですね。」

 

「ええ、偶然ですね。」

 

そして沈黙。終わっちゃったな、話。次はそっちが喋れとテッサが無言で圧をかけてくるのに、ティーカップの模様に興味津々なフリをしてやり過ごしていると……クロードさんが恐る恐るという声色で追加の情報を口にした。

 

「……私がテッサさんと会うのは初めてではありません。幼少期に一度だけお会いしました。」

 

「へ? ……そうなんですか? 参ったな、全然覚えてないです。」

 

「十五年ほど前にランスで大規模な戦いがあったのを覚えておいでですか? その際参戦する者の家族……女性や子供らはまだ安全だったバルト家の屋敷で待機することになったのですが、そこでテッサさんをお見かけしたのです。一言二言ご挨拶しただけで終わったので、覚えていないのも無理はないかと。」

 

「ランスの……あー、思い出した! その頃は髪が長かったですよね? 私が女の子だと勘違いしちゃった所為で、ママがかなり気まずい顔になってたっけ。」

 

なんだそりゃ。容易に想像できる幼少期の親友の失敗を聞いて、私は呆れ顔を浮かべているが……おや? クロードさんは微笑みながら首肯を返す。これまでずっと真面目くさった表情だったのに。

 

「その髪が長かった子が私です。それに、女の子だと勘違いするのはおかしなことではありません。当時は危険な情勢でしたので、緊急時には女児として身分を偽れるようにと髪を伸ばしていましたから。」

 

「バルト家は狙われやすそうですもんね。クロードさんも疎開したとか?」

 

「十三歳まではフランスに居たのですが、もうどうにもならないということでイルヴァーモーニーに逃がされました。卒業した後はフランスに戻り、掃討戦にも参加しています。」

 

「そっか、大変だったんだ。」

 

十三歳まで残っていたというのは凄いな。フランスはほぼ占領下にあったはずだし、レジスタンスの隠れ家で生活していたのだろう。しみじみと言うテッサに対して、クロードさんは苦笑しながら口を開く。

 

「父やヴェイユ局長に比べれば大したことはありませんよ。レジスタンスとしての活動は常に死と隣り合わせだったはずですから。……風の知らせでテッサさんはホグワーツを選んだと聞きました。良い学校でしたか?」

 

「フランスの状況を思うと、ちょっと申し訳なくなるくらいに良い学校だったかな。今はそこで教師をしてるの。」

 

「教師、ですか。……素晴らしいお仕事だと思います。」

 

「闇祓いも尊敬に値する仕事だけどね。」

 

……ふむ? なんだか良い雰囲気だと思ってしまうのは気のせいなんだろうか? テッサはやや砕けた態度になっているし、クロードさんも最初より柔らかい口調だ。紅茶を飲みながら微笑む二人を交互に観察していると、部屋のドアが開いてヴェイユおじ様が戻ってきた。クロードさんが途端に姿勢を正しているのが面白いな。

 

「戻ったよ。話は終わったかい?」

 

「ん、終わった。ねえパパ、クロードさんが護衛に付いてくれるんだって。知ってる?」

 

「ああ、クロード君か。もちろん知っているよ。若い子の中では頭一つ抜けているからね。……頼んだよ、クロード君。アリス君はテッサの大事な親友なんだ。」

 

「お任せください!」

 

気をつけの姿勢で放たれたクロードさんの返事を受けて、ヴェイユおじ様はうんうん頷きながら私たちを促してくる。

 

「それでは、行こうか。妻が早く連れてこいと煩くてね。このままでは吼えメールが届きかねないんだよ。」

 

軽いジョークと共にドアを抜けたヴェイユおじ様の後から、私とテッサ、周囲を警戒しながらのクロードさんも廊下に出るが……さすがに魔法省内は大丈夫じゃないか? やる気があるのは頼もしいけど、このペースでやってたらすぐ疲れちゃいそうだな。

 

人生初の護衛が生真面目な性格なことを確信しつつ、アリス・マーガトロイドは改装中の白い廊下をひた歩くのだった。

 



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パッチワークの屋敷

 

 

「……なにこれ?」

 

オルレアンの南部に広がる広大な敷地。その中心部に聳え立つヴェイユ邸のリビングの中で、テッサ・ヴェイユはうんざりした表情を浮かべていた。目の前にあるのはテーブルにぶちまけられた写真の山。久々に顔を合わせて一息ついたと思ったらもうこれか。だから帰りたくなくなるんだぞ。

 

イライラを声色に表しながら言った私に、対面のソファに座るママはニコニコ顔で答えを返してくる。私と同じ勝気な顔付きとふわふわな髪。細かいパーツはパパに似たのだが、全体として見るとママに近くなるな。……ちなみに先程まで大歓迎されていたアリスはパパやクロードさんと一緒に遠くの席に移動してしまった。きな臭い雰囲気を感じ取ったようだ。

 

「貴女の結婚相手の候補者たちよ。……羨ましいわ。ママの時はこの四分の一もなかったんじゃないかしら? 良い時代に生まれたわねぇ、テッサは。ちょっとしたカードゲームなら出来そうな量じゃない。ハイアンドローをやってみる? 顔の良し悪しで勝敗を決めましょうよ。」

 

「なるほどね、私がママより美人だってのはよく分かったよ。それじゃ、捨ててくるから退いてくれる? カードゲームは後でトランプで付き合ってあげるから。」

 

「あらあら、見てごらんなさい。この人は舞台俳優みたいな顔よ? ……それにほら、こっちはいくらか年上だけど爽やかな顔じゃない。選り取り見取りね。どれがいいと思う?」

 

あああ、鬱陶しいぞ。私の言葉を完全に無視して『おすすめ写真』を押し付けてくるママへと、ドスの利いた声で文句を放つ。イギリスに送られてきたお見合い状はほんの一部に過ぎなかったらしい。

 

「写真を見て気に入ったら結婚しろって言うの? ふくろう通販でバッグを買うんじゃないんだよ?」

 

「分かってないわねぇ、結婚相手なんて革のバッグと大して変わらないのよ。使い続けてればそのうち愛着が湧くわ。手荒に扱うとすぐヨレちゃうけどね。ただ、私が買ったのは最近色落ちしてきちゃって……そろそろ買い換えるべきかしら?」

 

「ちょっとパパ、滅茶苦茶言われてるよ! 放っておいていいの?」

 

頰に手を当ててとんでもないことを呟くママを指差して、離れたテーブルでアリスと話しているパパに呼びかけてみれば……パパはあらぬ方向を眺めながらぼんやりした返答を寄越してきた。ママ相手だと弱腰すぎるぞ。

 

「いやまあ、愛のあるジョークだよ。私はそんなことで怒ったりしないさ。」

 

「聞いてる分には愛なんて感じられなかったけどね。……とにかく、こんな写真は必要ないの! 相手くらい自分で見つけるもん!」

 

私は『通販』で結婚相手を買ったりはしないのだ。腕を組んでふんすと宣言してやると、ママは呆れたように大きなため息を吐いてしまう。呆れたいのはこっちだぞ。

 

「あーあ、頑固な子ねぇ。誰に似ちゃったのかしら? ……勿体無いから会うだけ会ってみれば? パリでしこたま服を買わせた後、日頃の愚痴の受け皿になってもらって、適当な高級レストランでディナーを奢らせちゃいなさいよ。つまんなかったらポイすればいいんだし。」

 

「ありえないよ、ママ。罪悪感とかないの?」

 

「向こうだって年頃の女の子と食事できるんだから安いもんでしょ。歩く時に小指でも絡めてやって、別れ際にはほっぺにキスしてあげなさい。そしたら文句なんて言ってこないわよ。私の世代はそこまで気軽に会えなかったけど、今のご時世なら別段珍しいことじゃないしね。……こんなにちやほやしてくれるのなんて今だけなのよ? 余すことなく満喫するのが正解だと思わない?」

 

「思わない! 結婚っていうのはこう……運命的に出逢って、友達として仲良くなって、きちんと付き合い始めてからデートして、お互いの信頼を深めてからするものでしょ? 私がしたいのはそういうデートじゃないんだよ。高級レストランなんかじゃなくて、公園でのんびり散歩したりとか、なんかそういうの。」

 

恋愛小説だとそういうものじゃないか。モジモジしながら恋愛の在り方を主張した私に、ママは額を押さえてやれやれと首を振ってくる。むむう、何故か小馬鹿にするような表情だ。

 

「貴女、学生時代にボーイフレンドの一人くらいは居たのよね? まさか今まで誰とも付き合ったことがないわけじゃないんでしょう?」

 

「……だったらどうだって言うのさ。」

 

「ああ、嘆かわしい! 私の娘がボーイフレンドの一人すら作れないだなんて! ……あなた、ヴェイユ家は終わりよ! テッサったら私が十一歳の頃より遅れてるわ!」

 

「不潔だよ、ママ! 男の人と付き合うならちゃんと結婚を前提にしないとダメじゃん!」

 

なんという親なんだ。悪女だぞ、悪女! 芝居じみた動作でパパに縋り付いたママのことを、顔を真っ赤にして糾弾していると……ママはけろりとパパから離れて、今度はアリスに絡み始めた。そこらの酔っ払いよりたちが悪いな。

 

「ねえねえ、アリスちゃんはどうなの? 美人さんだし、言い寄ってくる男が山ほど居るでしょう? テッサに恋愛の道理を教えてあげて頂戴。」

 

「あー……私もその、テッサと同じ感じなので。そういうのはよく分からないんです。」

 

「……信じられない。ホグワーツはいつから『修道院』になっちゃったの? 貴女たちも貴女たちだけど、こんなお宝を放置しておく男子生徒もおかしいわ。狂ってるわよ、イギリスの学校は。何かの呪いかしら?」

 

驚愕の顔付きでわなわなしているママを見て、苦い笑みのパパがフォローに入る。物凄く困っているアリスやクロードさんの前で、これ以上ママを『暴走』させるべきではないと感じたらしい。ちなみに私も同意見だ。

 

「いやいや、そう悪いことではないだろう? 貞淑な女性というのは魅力的だと思うよ。それをマイナスに評価する男性など居ないさ。」

 

「ふーん、どうかしら? 女性も少しくらい『遊んで』然るべきだと思わない? 昔のあなたみたいにね。じゃないと不公平でしょう?」

 

「……まあ、結婚してから誠実でさえあれば別にいいんじゃないかな。それ以前の話を掘り返すのはあまり良くないことなのかもね。」

 

ジーッと見てくるママから目を逸らしたパパは、曖昧な結論を口にするとそのまま黙り込んでしまう。昔のパパが『プレイボーイ』だったというのはママから百回以上聞かされた話だ。結婚してからはピタリと大人しくなったようだが。何があったのかは推して知るべしってやつだな。

 

冷や汗を流しながら視線を天井のシャンデリアに固定するパパのことを、ママは暫くの間無言で見つめ続けていたが……やがて小さく鼻を鳴らすと、ソファに座りつつ声を上げた。この家の『序列』は私がイギリスに居る間も変わらなかったらしい。

 

「アリスちゃんが男の子だったら完璧だったのにねぇ。なーんにも文句なしよ。」

 

「なにそれ。私とアリスが結婚するってこと?」

 

「運命的に出逢って、仲良くなって、デートして、信頼を深めたいんでしょ? 全部できてるじゃない。アリスちゃんが可愛い女の子ってこと以外はパーフェクトね。」

 

まあ、そう言われればそうかもしれない。もしアリスが『マーガトロイドくん』だったら……うーん、確かに文句なしだな。料理も上手いし、案外世話焼きだからズボラな私に向いてそうだ。背だけは私より低いのが不満だが。

 

とはいえ、アリスは誰がどう見ても立派な女の子。だからどうにもならんのだ。益体も無い考えを放り投げて、ママの与太話に終止符を打つ。

 

「はいはい、来世に期待だね。……もう部屋に行こっか、アリス。ご飯の前にシャワー浴びたいっしょ?」

 

「ちょっとテッサ? ママの世間話にもっと付き合ってよ。これだけが楽しみで生きてるんだから。夕食なんてまだまだ先でしょ?」

 

「今日はママがご飯を作ってくれるって言ってたじゃん。早く準備に行かないとお手伝いさんたちが全部終わらせちゃうよ?」

 

「うちの使用人は優秀だからそんなことしないわよ。良い感じに楽な作業だけ残しておいてくれるに違いないわ。」

 

なんて迷惑な主人なんだ。飄々と嘯くママにジト目を向けてから、どうしたらいいかと迷っているアリスの手を取って歩き出す。どうせ夕食の時も同じペースで喋り続けることになるだろうし、ここらで休憩しておかないと身が持たないぞ。

 

「とにかく、残りの話は後で聞くよ。クロードさんの部屋はどこになるの? そっちも案内しないとでしょ?」

 

「んー、どこがいいかしらね。二階のゲストルームとか?」

 

人差し指を唇に当ててママが悩み始めたところで……これまでアリスの背後で直立不動だったクロードさんが、かなり慎重な口調で声を放った。ママの勢いに若干引いているらしい。そりゃそうか。

 

「自分に部屋は必要ありません。マーガトロイドさんの部屋の前で夜を明かしますので。」

 

「へ? 私の部屋の前でって……つまり、廊下でってことですか?」

 

「お許しいただけるのであれば、警護のためにそうしたいと思っています。本来室内で待機すべきなのですが、その……さすがに不適切だと考えましたので。年頃の女性のお部屋に足を踏み入れるわけにはいきません。」

 

少し頰を赤くして言ったクロードさんに、ママが肩を竦めながら口を開く。わざとらしい呆れ顔を浮かべながらだ。

 

「どうやらイルヴァーモーニーも修道院になっちゃったみたいね。『愛の巣』たるボーバトンが再開してくれて何よりよ。……バルトの闇祓いに何を言っても無駄でしょうし、好きにしてくれて構わないわ。というか、今の季節なら涼しくてむしろ過ごし易いくらいじゃないかしら? 私も廊下で寝るべき?」

 

「やめてね、ママ。ヴェイユ家が変な家族だと思われちゃうから。」

 

割と本気の顔で悩み始めたママに注意してから、アリスとクロードさんを引き連れてリビングのドアを抜ける。闇祓いも大変だな。毛布とランタンと……それにアイスティーくらいは準備してあげよう。後でお手伝いさんに水筒はないかと聞いておかなくては。

 

初期のゴシック様式……だったかな? あんまり詳しくないが、とにかく十二世紀くらいに建てられたという年季の入った廊下を進んでいると、隣を歩いているアリスが声をかけてきた。増築と修復、解体と改築を繰り返しているので、場所によって建築様式が違うのがなんとも奇妙だ。ママは『パッチワークみたいで面白いじゃない』と評していたが。

 

「相変わらずだったわね、ヴェイユおば様。お元気そうで安心したわ。」

 

「元気すぎるよ。娘としてはもうちょっと落ち着いて欲しいかな。……ごめんね、クロードさん。びっくりしたでしょ?」

 

「いえ、とんでもありません。私の母は幼い時に病死しているので、元気なのは素晴らしいことだと思います。」

 

そうだったのか。アリスも、クロードさんも、そしてリドルも。それぞれの理由で親を亡くしているわけだ。……ホラスの言う通りなのかもしれないな。親が居るというのは私が思うよりも特別なことらしい。

 

でも、結婚はなぁ。孝行したいとは思うのだが、そんな理由で結婚するのもまた違う気がするぞ。苦悩する私を見て、斜め後ろを付いてくるクロードさんが恐る恐る質問を投げかけてくる。

 

「……テッサさんは結婚相手を探しているのですか?」

 

「私が探してるっていうか、パパとママが探してるの。一人娘だからね。早く婿を入れて跡を継いで欲しいみたい。」

 

「しかし、テッサさんは乗り気ではないようにお見受けします。……お嫌ですか? 家を継ぐのは。」

 

「んーん、嫌じゃないよ。私はヴェイユだからね。そのことは誇りに思ってるし、ここで途絶えさせるべきじゃないっていう気持ちもあるから。……だけど、そのためだけに結婚するのは嫌なの。我儘なのは分かってるんだけどさ。」

 

少なくとも他の名家ではこんな我儘など通用しないはずだ。選択肢があるならまだマシな方で、定められた相手と有無を言わせず結婚させられるというのも珍しくないだろう。同じ名家の跡取りであるクロードさんに申し訳ない気分で言ってみれば、彼は大きく首を振りながら返事を寄越してきた。

 

「テッサさんの気持ちはよく分かります。家を大事にしたいという気持ちも、きちんとした繋がりを築いて結婚したいという気持ちも。だからですね、つまり……我儘なんかではないはずです。貴女が誠実な女性だからこそ悩むのではないでしょうか?」

 

「……そう、かな?」

 

「私はそう思います。そして、それはとても魅力的なことです。貴女と結婚する男性は幸せ者ですね。」

 

「えーっと……それはどうも。」

 

むう、なんだか気恥ずかしいな。何故か顔が赤くなるのを自覚しつつ礼を送ると、クロードさんも少しだけ赤い頰を隠すように顔を背ける。そんな私たちのやり取りを見ていたアリスが、困ったような半笑いで気まずい沈黙を破ってくれた。

 

「……ひょっとして私、邪魔?」

 

「ちょっと、変なこと言わないでよ! クロードさんはほら、婚約者とかが居るでしょ? バルト家の跡取りなんだから。」

 

「あの、そういった方には恵まれておりません。弟には婚約者が居るのですが、大戦のゴタゴタで私の縁談については先延ばしになってしまいまして。」

 

「あー……そうなんだ。それはその、大変だね。」

 

これって、まさかアプローチされてるのか? それとも私の自意識過剰? クロードさんは単に自分の置かれた状況を説明してるだけだし、そんなわけない……はずだ。うん、おかしな考えは捨てよう。迷惑だろうし。

 

でも、実際のところどうなんだろう? バルト家はバルト家で跡取りが必要だから、長男を婿には入れないはず。仮に……仮にクロードさんが私を気に入ってくれたとしても、結婚なんて不可能じゃないか?

 

いや、そうでもないな。子供を二人産んでそれぞれの家の跡取りにするってケースがあったはずだ。家同士の繋がりも濃くなるし、別に嫌がられはしない……じゃなくて! アホか私は! 妄想で子供の話まで進めるなんて異常だぞ!

 

ぶんぶんと首を振って訳の分からない考えを振り払いつつ、テッサ・ヴェイユは早足で廊下を突き進むのだった。

 



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おしおき

 

 

「それじゃあ、私はその……ちょっとシャワーを浴びてきますね。」

 

むむう、気まずいな。廊下に立つ生真面目な闇祓いへと、アリス・マーガトロイドは奇妙な気分で声をかけていた。クロードさんを廊下に立たせて優雅にシャワーってのがまず気まずいし、自分がシャワーを浴びることを他人に報告するというのも少し恥ずかしい。早くも護衛の存在が窮屈に思えてきたぞ。

 

魔法省からオルレアンのヴェイユ邸まで煙突飛行で移動して、あっけらかんとした性格のヴェイユおば様に歓迎された後、リビングで小一時間話をしてから部屋に移動することとなったのだ。この屋敷には何度も来ているので部屋自体には慣れているが、ドアの前に闇祓いが立っているという状況はもちろん初。テッサが自分の部屋に行った後でこうやって一応断りを入れているというわけである。

 

私の言葉を受けたクロードさんは、小さく頷いてから注意事項を伝えてきた。

 

「もし何かあった時は杖で音を出すか、あるいは大声を上げてください。それと、出来れば窓とカーテンは閉めたままでお願いします。……この屋敷には強力な防衛魔法がかかっているようなので心配ないはずですが、そうした方が安全なことは間違いありませんので。」

 

「はい、そうします。……失礼しますね。」

 

「私のことは気にせず、どうぞ普段通りに生活してください。」

 

そんなの無理だぞ。愛想笑いで応じつつドアをパタリと閉じて、何となくホッとしながら広めのゲストルームに向き直ると……うわぉ、びっくりした。いきなり涼やかな声が投げかけられる。基本的には私を安心させて、そして時には緊張させる声だ。今回は後者だな。

 

「やあ、アリス。フランスは暑いね。」

 

奥にあるベッドに腰掛けながら流暢なフランス語で挨拶してきたのは……言わずもがな、私の育ての親であり主人でもあるアンネリーゼ・バートリ様だ。ヴェイユ邸の防衛魔法は吸血鬼の侵入を防げるほどではなかったらしい。防げるような施設が魔法界に存在するかは不明だが。

 

自慢の黒髪を後ろで一纏めにしているのは珍しいし、半袖のブラウスと黒いスカート姿というのもあまり見たことがない格好だ。上流階級の女学生さんみたいだな。組まれた真っ白な脚部に視線が吸い込まれそうになるが……うん、今日ばかりはそんなアホなことをしている場合じゃないぞ。何たって私は黙ってムーンホールドを出てきてしまったのだから。

 

怒られたらどうしようとドキドキしつつ、ベッドの端に座るリーゼ様に歩み寄りながら返答を返す。一見した限りでは大丈夫そうだな。赤い唇は緩く弧を描いており、小さなお尻の後ろに両手を突いて胸を反らせるような格好だ。物理的には私を見上げる位置取りなのに、どこか見下ろされている感覚がする挑戦的なこの目付き。足を舐めろと言われたら従っちゃいそうだぞ。リーゼ様はそんなこと言わないだろうが。

 

「どうも、リーゼ様。……よく分かりましたね、この部屋だって。」

 

「んふふ、さっきまでリビングに居たからね。部屋の前まで一緒に来た後、キミが間抜けそうな護衛君と話している間に窓から入ったんだ。……ちなみにヴェイユ邸に来たのはキミたちが到着する二十分ほど前だよ。ヴェイユの父に仲介を頼めば、彼が家に招くであろうことは簡単に予想できたってわけさ。」

 

「……全然気付きませんでした。」

 

リビングで話している時からずっと一緒だったのか。さすがだな。本心から驚きつつそう呟いたところで、リーゼ様は可愛らしくにっこり笑って私の手首を掴むと……グイと引っ張ってベッドに押し倒してきた。流れるような動作でぐるりと上下を入れ替えて、まるで私にリーゼ様が覆い被さるような体勢だ。

 

「あの……あの? ど、どうしたんですか?」

 

なんだこの状況は。強引に押し倒されちゃった。ごくりと生唾を飲みながら上に居るリーゼ様にか細い声で問いかけてみれば、彼女は薄く微笑んだ顔をギリギリまで近付けてくる。私の両手首をがっしり掴んでベッドに押し付けながらだ。いかん、変な気分になってきたぞ。

 

「想像してみたまえ。昼に起きてリビングで優雅に紅茶を飲んでいたら、紫しめじから『アリスにどっかの魔女がちょっかいをかけてきた』と聞かされた時の私の気持ちを。急いでホグワーツに向かってみれば、既にキミとヴェイユが居なかった時の私の焦りを。……どうかな? 想像できたかい?」

 

……なるほど、怒ってるな。先程までの妙な気分が一気に引っ込み、代わりに申し訳ない気分で満たされ始めた私へと、リーゼ様は唇を舐めながら話を続けてきた。湿った唇がなんだか艶かしく見えてしまう。

 

「アリス、私はキミにしつこく教えてきたつもりだ。好奇心と危機感を天秤にかけろと。もし危ないと感じたら軽々に飛び込むなと。……だが、私の言葉はキミの耳を素通りしてたみたいだね。吸血鬼の忠告なんか聞くに値しないと思ったのかい? それとも小煩い親の戯言として受け取っちゃったのかな?」

 

「ちが、違います。私はただ、一人でも出来るって証明したくて──」

 

「おっと、口答えは無しだ。キミにとっては残念なことに、寛容な私はもう居ないんだよ。私が許可した時だけ話したまえ。」

 

あああ、物凄く怒ってるじゃないか! 言い訳しようとした私の口を、リーゼ様は真っ白な右手で塞いでくる。そのまま嗜虐的な表情になったかと思えば、私の右手を掴んだままの左手をにぎにぎし始めた。超至近距離の耳元で囁きながらだ。

 

「悩むよ、アリス。非常に悩ましい。私が何より気に入らないのは、キミが私に断りを入れずにフランスまで来たことだ。紫しめじも、エマも、サボり悪魔でさえもがキミの外出を知っていたのに、家主たる、保護者たる私だけが知らなかったことだ。……この場合、どんな罰が適していると思う?」

 

言うリーゼ様の吐息がかかる耳が、信じられないほど熱く感じる。物凄く軽めの魅了を使っているらしい。……使ってるよな? あるいは私が勝手に興奮してるのか? 混乱する脳内をなんとか纏めようとしている間にも、リーゼ様は顔の位置をちょっとだけ下げて、私の首元ギリギリに唇を寄せながら吐息を漏らす。

 

「ああそうだ、キミは昔から吸血に興味を持っていたね。勝手に居なくなられるのは困るし、この際私のモノだっていう証を刻んじゃおうかな? つまり、首輪だよ。……嬉しいだろう? アリス。快楽に溺れるキミの痴態は見たくないが、危険に飛び込むのをやめさせるためなら仕方がない。私の親心を受け取ってくれるかい? 所有欲の強い吸血鬼の親心を。」

 

これはもうダメかもしれない。全身が火照って、頭がぼうっとしてきたぞ。私の口から外した右手で首をそっとなぞりつつ、首元をちろりと舌で舐めてきたリーゼ様に……半泣きのかすれ声でなんとか言葉を絞り出した。

 

「ごめんなさい、リーゼ様。……心配かけてごめんなさい。反省してます。」

 

「……まったく、もうやっちゃダメだぞ?」

 

私の謝罪を受けて妖艶な雰囲気を一瞬でかき消したリーゼ様は、柔らかく苦笑しながらぺちりと全然痛くないデコピンをしてくる。もう怒っている様子は欠片もないし、全部お芝居だったってことか? そのままゆっくりと私の上から退いて、身を起こしてベッドから降りてしまうが……なんか、凄く勿体無いことをした気がするな。あのまま反抗してたらどうなったんだろう?

 

我ながら頭のおかしなことを考えてるなと思いつつ、キョロキョロと部屋を見回すリーゼ様へと問いかけを飛ばす。身体があっついな。汗もかいたし、喉もカラカラだ。心臓も心配になるくらいのスピードで脈打っているぞ。

 

「えっと、フランスにはどうやって入ったんですか?」

 

「姿あらわしでイーストボーンに移動してから、短距離のポートキーを作って海峡を渡ったんだよ。もちろん無許可でね。」

 

「……大丈夫なんですか? それって。」

 

「着いた直後にこっちの保安局員が駆け付けたけど、私は既に姿を消してたからね。間抜けな人間どもに見つかるほど耄碌しちゃいないさ。」

 

肩を竦めてニヤリと笑ったリーゼ様は、ナイトテーブルに置いてあるレコードプレーヤーを観察しながら続けて質問を送ってくる。最新式のプレーヤーだな。この前来た時に私が興味を持ったから、ヴェイユおじ様がこの部屋に設置してくれたのだろう。あの人はこういう洒落た物を魔法で動くように改造するのが大得意なのだ。

 

「それで、どうなったんだい? パチェから大体のあらましは聞いているが、キミに護衛が付いてるってことは闇祓いどもを説得できたんだろう?」

 

「はい、闇祓い隊の隊長さんにビスクドールを預けて、今日は護衛付きでここに泊まることになりました。グラン・ギニョール劇場には隊員を派遣してくれるそうです。」

 

「意味ないと思うけどね。相手は『本物』なんだから、単なる魔法使いじゃ勝負にならないよ。何も掴めないか、良くて殺されるのがオチじゃないかな。」

 

「殺されるのは良くないと思いますけど……そこまで差がありますかね? 例えば私なんかは闇祓い相手だと普通に苦戦しますよ? 負けちゃう可能性も大きいんじゃないでしょうか?」

 

知識面ではより『深く』知っている自信があるものの、単純な戦闘となれば条件は五分なのだ。まだ人形は戦闘に使えるほどには動かせないし。精々撹乱に使えるかどうかという程度で、結局は杖魔法での戦いになっちゃうだろう。

 

若干情けない思いで放った疑問に対して、リーゼ様は『分かんない』のポーズをしながら応じてきた。可愛いな。

 

「魔女ってのはピンキリだから確たることを言えないが、少なくともパチェだったら闇祓いがダースで挑んでも勝てないよ。そのパチェをして一見ではどうやったか分からない加工が人形には施されていたんだろう? である以上、相手もそれなりの実力者なんだと思うけどね。」

 

「……パチュリーってそんなに強かったんですか?」

 

「パチェはとんでもなく早熟な魔女なんだよ。普通なら二百年経ってようやくたどり着けるくらいの位階にいるんじゃないかな。基本的に引きこもって実験してるタイプだから分かり難いだろうが、本気で戦えば闇祓い程度相手にもならんはずだ。」

 

そうだったのか。私にとってのパチュリーは『探究者』だから、杖を持って戦っているというイメージは全く浮かんでこないが……まあ、確かに闇祓いに負けるとも思えない。言われてみれば至極当然な気がしてきたぞ。

 

そうなると、私はビスクドールの送り主を過小評価していたわけだ。リーゼ様が心配するのも当たり前だな。申し訳ない気分が復活してきた私に向かって、リーゼ様はベッドに腰を下ろしながら口を開く。

 

「何にせよ、私が居ればもう平気だよ。仮になんちゃら劇場に行った闇祓いが死んだら、次は私が行って件の魔女だか魔術師だかを殺してくるさ。」

 

「殺しちゃうんですか。」

 

「そりゃあそうだよ。キミはバートリの家人であり、私の大切な身内だ。それにちょっかいをかけて無事でいられるはずがない。他の人外どもにナメられないためにも、きちんと殺して見せしめにしないとね。……何を思って人形を送り付けてきたのかは知らんが、愚行の対価は徴収すべきだろう?」

 

容赦ないな。『人外的』な考え方に少し怯んだ心を、私を心配してくれてるんだと無理やり納得させる。魔法界に魔法界の法があるように、人外には人外のルールがあるのだ。この場合犯人がそれに抵触したということなのだろう。

 

とはいえ、闇祓いたちを『エサ』にするのは賛成しかねるぞ。ベッドの柔らかさを確かめるようにゴロゴロしているリーゼ様へと、おずおずと提案を口にした。スカートが危ない捲れ方をしているな。部屋には私だけだし、ここは黙って見ておこう。

 

「だけど、グラン・ギニョール劇場に出向いた闇祓いたちに尻尾を掴ませないって可能性もありますよね? というか、リーゼ様の予想通りならその可能性の方が高いはずです。……私が行くのはダメでしょうか?」

 

「キミね、ムーンホールドの図書館に居るパチェと、ダイアゴン横丁を歩いているパチェ。どっちがより脅威だと思う? ……魔女や魔術師が最も力を発揮できるのは自分の『巣』の中なんだ。飛び込むのではなく、引き摺り出す。それが『本物』を相手にする時のコツなのさ。わざわざ相手の指定した場所に行くなんてのは以ての外だよ。」

 

「でも、リーゼ様は反応があれば『殴り込み』に行くつもりなんでしょう?」

 

「私の場合は話が別さ。魔女が守りを得意とするように、『侵入』ってのは吸血鬼の得意分野だ。するりと入って寝首を掻くのはバートリのお家芸だからね。」

 

何てことないように言うリーゼ様だが……うーむ、確かに想像し易い光景だな。彼女の言う通り、一番確実なのは闇祓いを『斥候』に使って居場所を特定した上で、リーゼ様が仕留めに行くという方法なのだろう。

 

しかし、それでは困るのだ。自分の中にある人間の倫理観に従って、リーゼ様へと尚も反論を返す。

 

「なるべく犠牲を出したくないんです。急いで捕まえれば他の誘拐された少女の命を救えるかもしれませんし、一番可能性が高い私が直接行くわけにはいかないでしょうか?」

 

「……ダメって言ったら諦めるかい?」

 

真紅の瞳を真っ直ぐ向けて聞いてきたリーゼ様に、困った顔で肯定でも否定でもない反応を送る。リーゼ様に『絶対ダメ』と言われれば私はきっと諦めるだろう。だけど、出来れば諦めたくない。そんな感情を込めて黙っていると……やがて呆れたような苦笑いになったリーゼ様は、大きなため息を吐きながらやれやれと首を振ってきた。

 

「私としては身内以外の誰がどれだけ死のうが知ったこっちゃないんだけどね。キミは嫌なわけだ。……そもそもキミだって一方的に人形を送り付けられた被害者じゃないか。」

 

「でも、魔女です。相手が本物であるということも知ってます。その上で黙って見ているのは……その、良くないことなんじゃないでしょうか。」

 

「うーん、頑固なところはパチェに似ちゃったね。一番似て欲しくない部分だったんだが……まあ、それも含めてキミさ。どうしてもって言うならそれでもいいよ。真正面からやり合っても負けるとは思えないしね。」

 

「ありがとうございます、リーゼ様!」

 

うむうむ、やっぱりリーゼ様は頼りになるな。手を取ってギュッと握ってお礼を言うと、リーゼ様は翼をパタパタさせながら注意を述べてくる。

 

「ただし、私から決して離れないように。もう突っ走っちゃダメだぞ?」

 

「はい、気を付けます。」

 

「それと、ヴェイユや護衛君に関してはキミがどうにかしたまえ。正直言って邪魔にしかならんから、出来れば付いて来て欲しくないんだ。」

 

「それは……そうですね、何とかしてみます。」

 

私が『やっぱりグラン・ギニョール劇場に行くことにします』と宣言したところで、テッサやクロードさんは間違いなく止めてくるだろう。仮に説得できたとしても一緒に行くという話になるはずだ。リーゼ様が二人のことまで守ってくれるかは微妙なとこだし、対策を考えておかなければ。

 

悩む私に、リーゼ様がすんすんと枕の匂いを嗅ぎつつ声をかけてきた。ルームメイクしたヴェイユ家の使用人さんが香水を振ってくれたのかな? 寝床の匂いを確かめる猫みたいで可愛らしいぞ。

 

「ま、どちらにせよ今日はもう動けないさ。グラン・ギニョール劇場の位置すら分からないわけだしね。パチェが言うにはそれなりに有名な劇場らしいから、明日場所を調べて行ってみようじゃないか。……いや、紫しめじに地図を送らせるべきかな? あいつだけ楽してるのはなんか気に食わんし。」

 

「じゃあ、今日はリーゼ様もここに泊まるんですか?」

 

「当たり前だろう? ベッドが広くて助かったよ。……この臭いだけはいただけないが。髪に移っちゃいそうだぞ。」

 

おお、一緒に寝るのか。思わぬ幸運が飛び込んできたな。嬉しくなる内心を隠しつつ、枕を叩いて香りを消そうとしているリーゼ様に質問を投げる。

 

「テッサには言わない方がいいですよね? ……ご飯とかはどうしましょう。」

 

「んー……翼は隠せるから心配で追いかけてきたと押し通せば問題ないかもだが、ヴェイユの家族にこの姿のことを聞かれたら面倒だ。内緒にしといた方が楽じゃないかな。食料は厨房のを適当に摘み食いするよ。」

 

「ちょっと申し訳ないですけど、そうする他なさそうですね。」

 

「それより、早くシャワーを浴びてきたまえ。あんまり長すぎると護衛君に怪しまれちゃうぞ。」

 

バスルームに繋がるドアを指差して言ってきたリーゼ様に、なるべく平時の顔を保ちつつ提案を放つ。このタイミングならいけるかもしれない。いけるかもしれないぞ、私。

 

「……一緒に入ります? 結構広いバスルームですし、リーゼ様もさっぱりしたくないですか?」

 

「やめとくよ。戦闘になるなら整髪料の匂いとかを付けたくないし、今日は杖魔法でどうにかするさ。」

 

「そうですよね、それが一番ですもんね。じゃあ私はささっと浴びてきます。」

 

普段のムーンホールドで提案するのはあまりに不自然だし、こういう非日常の中でしか出来ない問いかけだったのだが……くう、無念だ。大人になってからは全然チャンスが巡ってこないことを悲しみながら、バスルームに入って手早く服を脱ぐ。

 

しかしまあ、リーゼ様が来てくれたお陰で大分気が楽になったな。側に居てくれると思うと安心感が段違いだし、結局私は『子供』の立場を抜け出せていないらしい。なんとも情けない話じゃないか。

 

それでもあんなに心配してくれて嬉しい気持ちを抑えられない自分に苦笑しつつ、アリス・マーガトロイドはシャワーのノズルをキュッと捻るのだった。まあ、ああいう『お仕置き』をされるなら暫くは子供のままでいいかもしれないな。

 



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袋小路の小劇場

 

 

「やっぱり正気じゃないよ、アリス。……闇の魔法使いから指定された『待ち合わせ場所』に普通行く? 行かないと思うなぁ、私は。」

 

イギリスよりも若干暑く感じる七月直前のパリ。丘の上に聳えるサクレ・クール寺院を横目にしつつ、テッサ・ヴェイユは何度目かも分からなくなった忠言を放っていた。行くべきじゃないぞ、絶対に。

 

実家での一夜が何事もなく明けた今日、昼前に起きてきたアリスがいきなりグラン・ギニョール劇場に行ってみたいと主張し始めたのだ。既に仕事に出ていたパパ以外の全員で何とか止めようとしたものの、結局アリスの意思は覆らず、ならば付いて行くとクロードさんと一緒にパリまで来てしまったのである。

 

何とか引き返させようとする私の言葉を受けて、頑固者の親友はこれまで通りの返事を飛ばしてきた。

 

「最優先すべきは私の安全なんかじゃなくて、誘拐された子たちを早く救出するってことなの。カードには『グラン・ギニョール劇場にて待つ』って書かれてたんだから、私が行けば何らかの反応を示す可能性が高いでしょう? だったら行くべきよ。犯人の尻尾を掴むためにも。」

 

「そりゃあ、私だって誘拐された子たちのことは心配だけど……誘拐犯に『待つ』って言われて素直に行くのはおかしいよ。だよね? クロードさん。」

 

「はい、私もテッサさんに同感です。マーガトロイドさんが直接行くのはリスクが高すぎるように思えます。貴女はフランスの魔法使いではないのですから、もし何かあれば我々はイギリス魔法省に申し訳が立ちません。」

 

「私が自分の意思で行くんだから大丈夫ですよ。……逆に言えば、イギリスの魔法使いたる私の行動を制限する権利はないはずでしょう?」

 

なんか、妙だな。アリスが頑固なのは昔からだが、ここまで強引に話を進めようとする性格ではないはずだ。昨日の時点ではグラン・ギニョール劇場に行く気なんてなかったみたいだし、どんな心境の変化があったんだろうか?

 

切っ掛けは何かと訝しむ私を他所に、クロードさんは困った顔で説得を続ける。

 

「それは正しい認識ではありません。ここがフランスである以上、我々闇祓いには他国からの旅行者の行動を制限する権利があります。」

 

「なら、力尽くで止めてみますか? ……既に一人の女の子が犠牲になっているんです。とても非道なやり方で。クロードさんだって次の犠牲者を出したくはないでしょう? チャンスがあるなら試してみるべきですよ。」

 

「……無論、私だってこれ以上の犠牲は避けたいです。非道な犯人への怒りもあります。しかし、そのためにマーガトロイドさんを危険に晒すというのは褒められた捜査方法ではありません。」

 

「だけど、昨日の調査では何もヒントを掴めなかったみたいじゃないですか。攫われた子たちのことを考えるなら、もう一分一秒でも無駄には出来ません。……お願い、二人とも。早く助けてあげたいの。」

 

それまで早足で進んでいたアリスがピタリと足を止めて、私たちのことを上目遣いで見つめ始めた。ズルいぞ、アリス! そんな顔されたら無下に出来ないじゃないか。私ですらちょびっと揺れてるんだから、きっとクロードさんなんて尚更だ。

 

果たして私の予想通りにクロードさんは心を動かされたようで、懊悩しながらも小さな首肯をアリスに返す。そんな簡単にやり込められちゃって大丈夫なのか? 同じように振り回されている私が言えたことじゃないけどさ。

 

「……私の側を決して離れないでいただきたい。それが絶対の条件です。現場に同僚が居るはずですので、そちらにも連絡を送らせていただきます。」

 

「犯人を警戒させないためにも、確実を期すなら私一人で行動すべきだと思うんですけど──」

 

「でしたら行かせるわけにはいきません。私の任務は貴女を守ることです。護衛すらもさせていただけないのであれば、それこそ力尽くで止めさせていただきます。」

 

きっぱりと言い切ったクロードさんの宣言を聞いて、アリスは何故か少しだけ身を屈めるような仕草をした後……渋々といった様子で頷いてきた。まあ、当たり前の条件だな。一人で行かせるわけないだろうが。

 

「分かりました。……それじゃあテッサはオルレアンで待機してて頂戴。私とクロードさんで行ってくるから。」

 

「あのね、本気で言ってるの?」

 

「無駄だとは思ってるけど、一応言ってみたの。……ダメ?」

 

「ダメに決まってるじゃん! 私も行くよ。置いてくつもりならここで魔法をぶっぱなして騒ぎを起こすからね。」

 

本気だぞ。グラン・ギニョール劇場はここから程近い場所みたいだし、盛大に騒いで治安局の警邏隊を誘き出せば犯人だって気付くだろう。一緒に行けないならそうやって安全を確保した方がまだマシだ。

 

クロードさんは大仰な脅しと受け取ったようだが、アリスには長年の付き合いで本気だということが伝わったらしい。顔を引きつらせて額を押さえると、かなり嫌そうな表情で同行を了承してくる。

 

「……分かったわよ、我儘テッサ。」

 

「分かればいいのよ、頑固アリス。」

 

互いにやれやれと首を振り合ったところで、クロードさんがスーツの内ポケットから取り出した……闇祓い隊の隊章かな? 小さな銀色のバッジを弄り出す。どんな仕組みなのかは不明だが、恐らくあれで同僚さんに連絡を送っているのだろう。

 

「取り急ぎ連絡は入れました。……具体的にはどう動くおつもりですか?」

 

「とりあえず、普通に客として観劇しましょう。時間が合えばいいんだけど。」

 

そう言いながら、アリスは羊皮紙に描かれている地図を頼りに進んでいくが……ここで左に曲がったら遠ざからないか? 横から地図を覗き込んでチェックしつつ、華奢な肩を掴んでくるりと方向転換させる。

 

「逆だよ、アリス。丘がある方に進んだら十八区でしょ?」

 

「……そうね、地図が分かり難いのかもしれないわ。」

 

「いやいや、神経質なくらい正確な地図だと思うけど……そもそもどうやって場所を調べたの? 昨日はずっと家に居たよね?」

 

「図書館から送られてきたのよ。」

 

図書館? よく分からない答えに首を傾げながら、アリスの案内に従って九区の雑多な街中を歩いて行くと……あれがグラン・ギニョール劇場か。狭い袋小路の突き当たりに件の劇場があるのが見えてきた。

 

うーん、入り口は割と普通だな。『よくある小さな劇場』というのがぴったりの雰囲気で、遠目だと三階建てのアパートメントにも見える建物だ。やや大きめの扉の上にかかっている『グラン・ギニョール座』という看板と、入り口の近くに貼られているポスターが一応の『劇場感』を醸し出している。

 

「なんかさ、思ってたよりスプラッターって感じじゃないね。」

 

二人に向かってこっそり感想を囁いてみれば、アリスとクロードさんも拍子抜けしたように応じてきた。

 

「んー……確かにおどろおどろしい雰囲気は一切ないわね。昼間だからかしら?」

 

「私は大衆劇場にはあまり来たことがないのですが、その……普通ですね。良い意味でも悪い意味でもなく、普通です。」

 

まあうん、大体の人が同じ感想を抱くだろう。パリを半日歩けばこういう小劇場は腐るほど見つかるのだから。正直な評価を述べたクロードさんは、劇場の入り口までたどり着くと更に微妙な顔になってしまう。扉の横に貼られている演目のリストをチェックしているようだ。

 

「これは……コメディ、ですよね? 私は演劇に詳しくありませんが、とてもホラーの題名には思えません。」

 

「うわ、本当だ。昼間は殆ど現代喜劇をやってるみたいだね。今日は……やけに早い時間に短編の喜劇が一本と、今やってるメロドラマっぽいやつが一本。そっからずっと空白で、夜にようやくホラーだよ。」

 

「もしかして、あんまり流行ってないのかしら? 上演中だからかもしれないけど、劇場前の通りってここまで閑散としてるものなの?」

 

アリスの言う通り、私たち以外で路地に居るのは物乞いの老人だけだ。少し手前のパン屋の軒先で空き缶を置いて座り込んでいる。……どうせならもっと大きな通りで座ればいいのに。ここじゃあ人通りなんて全然ないだろう。やっぱり縄張りとかがあるのかな?

 

胡座をかいてピクリとも動かない老人を不思議な気分で眺めていると、やおらクロードさんがそちらの方に歩き始めた。

 

「あの方に聞いてみましょう。……もし、ご老人。この劇場はあまり繁盛していないのですか?」

 

アクティブだな。闇祓いの仕事でこういう聞き込みに慣れているのかもしれない。丁寧な態度で問いかけたクロードさんに対して、老人は無言でトマトの絵が描かれた空き缶を突き出す。それに苦笑しながらクロードさんが数枚のフラン紙幣を入れると、老人は嗄れた声で返答を寄越してきた。

 

「昔は繁盛してたよ、昔はね。わしはずっとここに座っとるが、あの頃は一日座れば三日は座らんでも生きていけたほどだ。……だが、戦争が終わってからはダメだね。映画に客を取られちまったらしい。演出家が減って、団員が減って、演目が減って、だから客も減っていく。少なくとも昼間はもう救いようがないよ。」

 

「つまり、夜はまだ繁盛していると?」

 

「少し前までは夜もさっぱりだったが、最近は人が入るようになってきたね。新しい演出家の先生が凄いんだとさ。……悪いことは言わんから、あんたたちも夜に出直しな。昼間に劇場から出てきた連中は全員肩を落としとるが、最近じゃ夜に出てきた客はみんな興奮顔だ。きっと大層な劇をやってるんだろう。物乞いの分際で何を言うかと思うかもしれんが、正直言って昼間のこの劇場に金を払うのは阿呆のやることだよ。」

 

「……ご忠告感謝します。」

 

礼を言いながら紙幣をもう一枚缶に入れたクロードさんへと、老人は満足そうに笑って追加の情報を送ってくる。えらくご機嫌な表情なのを見るに、中々の臨時収入になったようだ。

 

「随分と顔が良い御一行だし、修行中の役者さんか何かかい? ……ここの団員は昼間の劇が終わった後、大抵ドゥエ通りのバーに溜まって一杯やってるよ。話を聞きたいなら行ってみな。仕事の合間に酒を飲むような連中から為になる話が出てくるとは思えんがね。」

 

むう、おっしゃる通り。呆れたように呟いた老人に再度お礼を告げてから、三人で路地の入り口に戻って作戦会議を開く。どうやらアリスやクロードさんも私と同じで、昼間のこの劇場から得られるものはないと判断したらしい。

 

「どうすんの? イマイチっぽいメロドラマを途中から観劇してみる?」

 

「何かヒントが得られそうならそれでも構わないけど……どうかしら? さすがに望み薄だと思わない?」

 

「確たる証拠は何もありませんが、やはり怪しいのは夜の部ですね。……一度どこかのカフェで私の同僚と会ってみませんか? 昨日から内偵に入っていた彼ならいくらかの情報を手に入れているはずですし、警護対象たるマーガトロイドさんとの顔合わせも出来ます。それからご老人に教えていただいたバーに行ってみて、夜になったら戻ってきましょう。」

 

「それがいいかもね。何だかんだで一番怪しいのは団員なんだしさ。」

 

首肯しながら返事を放つと、腕を組んで悩んでいたアリスも頷いてくる。それを確認したクロードさんが再びバッジを弄り始めたところで、大きなトランクを持った背の高い男性が私たちとすれ違って路地に入って行った。

 

いやぁ、すっごい美形だな。切れ目の整った顔と、スラリとした体型を包む細身のスーツ。全身ブランド物っぽいのにトランクだけが古ぼけた年代物だ。お気に入りなのかなと横目で見ている私に……ぬああ、キザったらしいぞ。黒い長髪の男性はパチリとウィンクしてから劇場の方へと歩み去る。グラン・ギニョール座の団員なのかもしれない。

 

「モテモテじゃないの、テッサ。」

 

一連のやり取りを目撃したらしいアリスがからかってくるのを、うぇっという動作をしながら切り捨てた。いくら顔が良くてもああいうのは好かんのだ。多少朴訥な方が印象は良いぞ。

 

「残念ながら、ウィンクが似合うのはダンブルドア先生くらいだよ。若い人がやると軽く見えちゃうもん。」

 

「まあ、それは何となく理解できるわ。ヴェイユおじ様も似合うでしょうしね。」

 

「パパがぁ? ……それはちょっと嫌かな。」

 

パパがウィンクしてくるのを想像して顔を顰めていると、バッジを操作し終えたクロードさんが私たちを先導し始める。同僚さんとの連絡が付いたようだ。

 

「ちょうど今、近くのカフェで打ち合わせをしているそうです。行きましょう。父上……バルト隊長も一緒だとか。」

 

「あら、隊長さんまで?」

 

「マーガトロイドさんが持ってきてくださった例のビスクドールについての情報共有をしていたそうで、私たちが合流するのは好都合だと言われました。」

 

「それは確かに好都合ですね。私も聞きたいですし。」

 

うーむ、クロードさんはどう見ても無言でバッジを弄っていただけだったのだが……謎だ。どういう仕組みになっているんだろうか? 守護霊での連絡は目立っちゃうし、その辺の対策のためにこういう連絡手段を用意しているのかもしれないな。

 

───

 

そして然程歩かないうちに到着した広めのカフェの店内。丸眼鏡をかけた小太りの男性と一緒に座っているバルト隊長を発見した私たちは、半円形のソファ席に腰を下ろしていた。……バルト隊長やクロードさんは何となく闇祓いっぽいけど、眼鏡の人は全然そういう見た目じゃないな。気さくそうにニコニコしているのは好印象だが。

 

とりあえず席に着いた私たちへと、バルト隊長が話の口火を切ってくる。……何故端っこまで詰めてくれないんだ、アリス。狭いってほどじゃないし、別にいいけどさ。

 

「無事で何よりです、お嬢さん方。……そしてクロード、お前は一体何を考えているんだ? 護衛対象を危険に晒すことが闇祓いの仕事だと思っているのか?」

 

「そうではありません、父上。私はただ──」

 

「父上? 職務中は父と思うなと何度も教えたはずだぞ。私は上官で、お前は部下だ。違うか?」

 

「……その通りです。申し訳ございません、バルト隊長。」

 

むう、良くない展開だな。いきなり怒られ始めちゃったクロードさんを見て、アリスがおずおずと助け舟を出した。

 

「違います、バルト隊長。私が無理を言ってお願いした……というか、勝手に飛び出してきたんです。クロードさんは止めようとしました。」

 

「しかし、現にお嬢さんはこの場所に居る。そうでしょう? それが問題なのですよ。……事情は掻い摘んで把握しております。お嬢さんの覚悟は実に素晴らしいものだ。その若さで自らを危険に晒してでも幼い子供を助けようとするのには感服しますよ。さすがはダンブルドア氏の教え子です。ホグワーツの情操教育は見事の一言ですな。」

 

大袈裟に持ち上げた後には……ほら、やっぱり。アリスに褒め言葉を連発したバルト隊長は、一転して厳しい表情で息子を見ながら『落とし』てくる。

 

「だが、市民の善意を唯々諾々と受け入れるのが闇祓いの仕事ではない。危険を冒すのは我々の職責であって、善良な市民の役目ではないはずだ。……仮に、もし仮に協力を受け入れるとしても、我々にはお嬢さんを確実に護衛しなければならない責任がある。新人であるお前一人でそれが出来ると思ったのか? クロード。」

 

「……分かりません。」

 

「分からないのであれば私に報告を回すか、あるいは応援を要請すべきだったな。『分からない』というのはつまり不明瞭。確実ではないという意味なのだから。万が一お嬢さんに何かあった場合、お前はどうやって言い訳をするつもりだ? 『万全の態勢で臨みました』と嘘を吐くつもりだったのか? それとも素直に『早計でした』と非を認めるつもりだったのか? ……ふん、どちらにせよ褒められたものではないな。そんな闇祓いは我が隊に必要ない。」

 

「……おっしゃる通りです。」

 

ぬう、ぐうの音も出ない正論だ。小さくなって落ち込んでいるクロードさんと、何とか援護しようと取っ掛かりを探すアリス。二人の若者がバルト隊長に圧倒されているのを取り成すように、それまで黙っていた丸眼鏡の男性が声を上げた。

 

「まあまあ、隊長。そこまでにしておきましょうよ。クロード君は到着前にきちんと一報入れていますし、護衛対象から離れたわけではないんですから。よくやってるじゃないですか。」

 

「離れていたらこんなものでは済んでおらん。即刻隊章を取り上げていたところだ。……甘さは事故を招くぞ、ヴィドック。そして、我々闇祓いが起こす事故は取り返しがつかないものだ。」

 

「しかしですね、人とは失敗を糧に成長するものでしょう? お叱りはごもっともですが、彼は充分反省しているようじゃありませんか。これ以上は単なる叱責です。教育ではなくなってしまいますよ? ……何よりほら、お嬢さん方が困っていらっしゃいます。」

 

「……これは、失礼しました。」

 

おっと、こっちに飛んでくるのか。ヴィドックさん? に促されて私たちに謝罪してくるバルト隊長へと、慌てて『気にしてません』の手振りをした後、テーブルに置いてあったメニュー表を広げて顔を隠す。……こんなに怒られるとは思わなかったな。言われてみれば軽率な行動だったかもしれない。私たちじゃなくてクロードさんが怒られてるってのが一番キツいぞ。

 

もっと本気で止めればよかったかなぁと後悔しながら現実逃避気味にメニューを眺めていると、丸眼鏡の男性が私とアリスに向かって自己紹介を口にした。

 

「それで……そう、先ずは自己紹介をすべきですね。闇祓いのヴィドックと申します。どうぞよろしく。」

 

「テッサ・ヴェイユです。よろしくお願いします。」

 

「あの、アリス・マーガトロイドです。……ご迷惑をおかけしました。」

 

「迷惑だなんてとんでもない。今回の誘拐事件、我々闇祓い隊は何のヒントも得られず歯痒い思いをしていたんです。マーガトロイドさんが持ってきてくださった情報のお陰でようやく動けるようになりました。心から感謝しております。」

 

アリスと握手をしながらヴィドックさんが頭を下げたところで、神妙な顔付きになったバルト隊長が話を進めてくる。

 

「では、先にビスクドールのことについてお話ししましょう。……現在も鑑定は続いていますし、あまりにも高度な魔法なために断言は出来ないとのことでしたが、調査に当たっている研究者たちは『人間を素材に使っている可能性がある』という一次報告を回してきました。ダンブルドア氏にも連絡を入れて調査を継続する予定です。」

 

「まだはっきりしていないということですか?」

 

「研究者たちが『はっきりする』ことなど有り得ませんよ。断言しないのは彼らの性分なのですから。……我々闇祓い隊としては、何を認めるのにも躊躇するあの連中が『可能性がある』という報告を回してきたことを重視しております。少なくともあの人形に『あまりにも高度な魔法』がかかっていることは間違いないわけですから。である以上、お嬢さんやダンブルドア氏の推理に則った捜査をすべきでしょうな。」

 

アリスの説明を信じていた私としても、こうやって言葉にされると恐ろしいものを感じるな。人間を人形に。一体全体何をどうしたらそんな思考に行き着くのだろうか? 疲れたような声色で放たれたバルト隊長の報告に続いて、ヴィドックさんがグラン・ギニョール劇場についての詳細を教えてくれた。

 

「そんなわけで、現在は人数も増員してあの劇場のことを調べているのですが……まあ、内偵を開始して一日ですからね。そこまで多くの情報は入手できていません。現在分かっているのは団員の中に魔法使いが居ないことと、最盛期に比べてひどく客が減っていること、そして昼の部の演劇が恐ろしくつまらないことだけです。昨日二回と、今日一回。一応観劇しましたが、悪夢のような体験でしたよ。」

 

余程につまらなかったのだろう。本気でうんざりした表情を浮かべるヴィドックさんへと、アリスが首を傾げながら問いを送る。

 

「夜の部はどうだったんですか? さっき劇場の近くに居た物乞いのお爺さんから聞いたんですけど、最近は評判が良いとか。」

 

「ええ、そうみたいですね。観客たちもそういう話をちらほらしていました。しかしながら、昨日は夜の部が行われなかったんです。今日ようやく観られるのが楽しみですよ。」

 

「ヴィドック、お前は観劇をしにあの劇場に行っているわけではないはずだぞ。」

 

「いやいや、もちろん任務を忘れるつもりはありません。そこはご安心ください。……ですが、やはり気になりますよ。常連客は口を揃えて最近の夜の部を褒め称えるんです。どうも腕利きの演出家が入ってきたようで、今じゃ脚本まで任されているんだとか。」

 

落ち目だった一座にとっては救世主ってわけか。それこそ『劇的』な話に感心する私を他所に、ヴィドックさんは声のトーンを落として続きを語り始めた。

 

「そこまでならまあ、別に悪い話ではないんですが……実はその人、最近オリジナルの劇をいくつか手掛けているようでして、その全てが『人形』をテーマにした作品らしいんです。」

 

「それって……。」

 

「怪しいですよね。観客から聞き取りを行った結果、出てくる人形は指人形や操り人形、布人形や機械仕掛けのからくり人形、そして時には可愛らしい着ぐるみだったりと様々らしいんですが、過去にはビスクドールが出てきたこともあったとか。ちなみにジャンルとしてはどれもスプラッターホラーみたいです。」

 

めちゃくちゃ怪しいじゃないか。私の呟きに大きく頷いたヴィドックさんへと、恐る恐る質問を飛ばす。

 

「どんな人なんですか? 団員が全員マグル……ノン・マジークってことは、その人も魔法使いではないんですよね?」

 

「過去一年に遡ってあの劇場内で杖魔法が使われた記録はありませんでしたので、恐らく魔法使いではないはずです。どんな人なのかはまだ謎ですね。若い美形の男性ということだけは団員への聞き取りで分かっていますが、昨日はそもそも劇場に居なかったようでして。本当は夜の部をやる予定だったものの、その人が昼前に外出して戻ってこなかった所為で上演できなかったんだとか。」

 

「それはまた、無責任な人みたいですね。」

 

団員たちはさぞ困っただろうな。私が同情しつつそう言ったところで、アリスがずいと身を乗り出して口を開いた。おおう、『頑固者』の時の顔じゃないか。今度は何をやらかすつもりだ?

 

「夜の部を観に行かせてください。その人が犯人だとすれば、何か動きを見せるかもしれません。……ヴィドックさんの話を聞くに、少なくない闇祓いを配置しているんですよね? だったらそこまでの危険はないはずです。」

 

「それはそうかもしれませんが……どうします? 隊長。」

 

苦笑いになったヴィドックさんが話を振ると、バルト隊長はため息を吐きながらアリスに問いを投げる。

 

「お断りすれば諦めてオルレアンに戻ってくれますかな?」

 

「……断らないで欲しいです。」

 

「お嬢さん、貴女は厄介な人だ。やっていることは信念に基づいているが、同時に他人に迷惑をかけている。我々にとっては少女たちと同様に、貴女も守るべき存在なのです。軽々に『餌』にすることなど出来ません。」

 

「だけど、昨日の時点では私を餌として扱うおつもりだったんでしょう? だからこそクロードさんを護衛に当てた。そうじゃないんですか?」

 

バルト隊長の目を真っ直ぐ見返して指摘したアリスに、隊長は小さく首を振りながら否定を返す。

 

「状況が違いますな。あの時点ではビスクドールの調査が終わっていませんでしたので、犯人がお嬢さんに荷物を送ったという点に関しても半信半疑でした。……しかし、今はもう違う。護衛に関しては熟練の者を増員しますし、出来れば我々が指定する宿泊施設に移っていただきたいとも思っています。」

 

「気に入りませんね。中途半端に餌を投げ入れて、今更惜しくなったから回収するということですか? ……どうせやるならやり通してください。フランス闇祓い隊は小娘一人守り切れないような集団ではないはずです。私を少女たちを助け出すための餌にして、その上で私のことも守り抜く。そのくらいの気概を見せてはいただけませんか?」

 

うっわ、言うなぁ。私がドン引きして、クロードさんが真っ青な顔で止めようとする中……額を押さえて瞑目するバルト隊長の代わりに、愉快そうな表情のヴィドックさんが声を上げた。

 

「いやはや、イギリスの女性というのは恐ろしいですね。……どうします? 隊長。言われてますよ?」

 

「クロードでは手に負えないお嬢さん……女性だということはよく分かりました。大した度胸ですな。イギリス人でなければ闇祓いにならないかと勧誘していたところです。」

 

「もし勧誘されていたらお断りしてました。……私だったらこんな面倒な小娘の相手をしたくはありませんから。」

 

あっけらかんと答えたアリスにヴィドックさんが笑みを強めるが……なんか、二人とも怒ってる感じではないな。物凄く失礼なことを言っていた気がするんだが。私とクロードさんがきょとんとしている間にも、バルト隊長は背凭れに身を預けて返答を口にする。表情こそ厳しいままだが、何故かさっきよりも柔らかい雰囲気だ。

 

「お答えしましょう、マーガトロイドさん。フランス闇祓い隊は小娘一人守り切れないような集団ではありません。それが見えている危険に飛び込もうとする厄介な小娘だとしてもです。」

 

「では、私は安心して『餌』になれるということですね。」

 

「そのようですな。……お陰で先程の息子に対する説教の説得力がなくなってしまったわけですが。」

 

「臨機応変に動けてこそ一流の闇祓いってことですよ、きっと。……何か頼んでもいいですか?」

 

飄々とした態度でメニューを指差すアリスへと、バルト隊長はもうどうにでもしてくれという顔で首肯を放った。ヴィドックさんは丸眼鏡を専用のクロスで拭きながら笑いを噛み殺しており、私とクロードさんは頭の上に疑問符を浮かべている。

 

「好きな物を頼んでください。ご馳走しましょう。」

 

「それじゃ、遠慮なく。……テッサは何にする? バルト隊長が奢ってくれるみたいよ。」

 

こんな空気で頼めるわけないだろうが。にっこり微笑みかけてくる親友を前に、テッサ・ヴェイユは何とも言えない微妙な表情を浮かべるのだった。

 



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グラン・ギニョール座

誤字報告いつもありがとうございます!


 

 

「昼間と比べて随分と混んでるわね。」

 

薄暗い劇場の二階スペース。やや狭めの通路を進みながら、アリス・マーガトロイドは隣のテッサに話しかけていた。一階と二階を合わせて三百席くらいか? 席数自体は少なめだが、それでも外から見たよりは大きかったようだ。奥に広がっていたらしい。

 

カフェで昼食がてらバルト隊長やヴィドックさんとの情報共有を終え、その後物乞いの老人から教えてもらったバーに寄った後、夜の部を観劇するためグラン・ギニョール劇場に戻ってきたのである。五十年ほど前に礼拝堂を買い取って劇場に改装したらしいが……うーむ、それっぽい雰囲気は感じられないな。先入観の所為かもしれない。

 

ちなみにバーでは『演出家』らしき人物は見つからなかった。ヴィドックさんが巧みな話術で団員から聞き出したところによれば、件の演出家どのは人付き合いがあまり良くないらしい。劇場以外の場所で接点を持っている団員は皆無なのだとか。

 

結局バーで得られた情報は演出家が美形の若い男性であることと、団員たちにあまりやる気がないこと、そしてヴィドックさんがお酒に強いという事実だけだ。つまるところ、大した収穫はなかったのである。チケットに書かれた座席番号を確認しながらため息を吐く私に、キョロキョロと辺りを見回しているテッサが返事を寄越してきた。

 

「ひょっとして満席なんじゃない? ……こうなるとバーの団員さんたちの気持ちも分かるなぁ。自分たちが頑張ってやってきても全然お客さんが入らなかったのに、その演出家が来た途端にこれってことでしょ? やる気なくすよ、そんなもん。」

 

「だからって昼間からお酒を飲むのはどうかと思うけどね。演劇の世界は実力が全てってことでしょ。悔しくて努力するならともかく、何もせずに腐ってる人たちに同情は出来ないわ。」

 

「そりゃあそうかもだけどさ。……天才って存在は確かに居るんだと思うよ。それよりずっと多い数の凡才が居るみたいにね。」

 

「物事に向き不向きがあるのは当然でしょ。それはスタートラインの差でしかないわ。どこまで走るかはその人次第よ。……この席ね。」

 

二階席の一番右端にある、舞台袖がすぐ近くの四人並び席。舞台正面の二階席は二列になっているのだが、こっちは一列だけらしい。バルト隊長、私、テッサ、クロードさんの順で席に着いたところで、テッサがポツリと返答を返してくる。劇場に入る前に受けたバルト隊長の説明によれば、ヴィドックさんや他の闇祓い隊員は別の場所に散らばっているんだとか。

 

「んー、どうかな。同じ分だけ頑張っても、走るスピードに差が出ちゃうんじゃない? 一番前を走ってるとそのことに気付き難いんだよ、きっと。」

 

んん、どういう意味だ? ちょびっとだけ悲しそうに呟いたテッサへと、首を傾げながら真意を尋ねようとしたところで……わお、リーゼ様? 私の太ももに子供一人分の重さが乗ってくると同時に、胸にポスンと透明な何かが寄り掛かってきた。リーゼ様が私の膝に腰掛けてきたらしい。

 

どうしよう、汗臭くないかな? 今日は結構歩いたし、気温もそこそこ高かったのだ。汗をかいたという自覚はないが、リーゼ様はかなり臭いに敏感。もしかしたら『こいつ、汗臭いな』なんて思われてるかもしれないぞ。

 

冷たい恐怖が背筋を伝うが、席同士の間隔が狭いので小声で問いかけることは出来ない。何故入る前に魔法で綺麗にしておかなかったのかと後悔する私へと、今度は右隣のバルト隊長が声をかけてくる。

 

「すぐ後ろに非常用の出口がありますので、一応頭に入れておいてください。周囲はノン・マジークだらけですから、さすがに非常口から飛び出すような事態にはならないと思いますが。」

 

「覚えておきます。……結局『演出家』とは接触できなかったんですか? 他の闇祓いの人が調べに入ったんですよね?」

 

「魔法で身を隠して劇場内を探し回ったそうですが、ついぞ見付からなかったようですな。……不自然さを感じます。バーの団員たちの話では、夜の部の責任者はその演出家……エリックという男のはず。それなのに団員たちと接触した様子もなければ、準備自体は座長を中心に行なっていたとか。演劇の裏側に詳しいわけではありませんが、通常責任者というのは中心で指揮を執るはずです。」

 

「闇祓いが内偵に入ってるのがバレた、って可能性はありませんか? だから身を隠しているとか。」

 

我ながら浅い推理を送ってみれば、バルト隊長は難しい表情で曖昧な答えを口にした。

 

「不明ですが、何れにせよ怪しさは増しましたな。先程魔法省に連絡して捕縛の許可を申請しました。ノン・マジークを被疑者として捕縛するのは滅多にないことですから、許可が下りないかもしれませんが……まあ、申請するだけならタダです。通ることを祈っておきましょう。」

 

「やっぱりその辺はどの国も厳しいんですね。」

 

「ノン・マジークへの干渉は機密保持法と対軸にありますから。むこうの犯罪はむこうに裁かせる、というのがヨーロッパ魔法界の基本方針なのですよ。……劇場の関係者に魔法使いが一人でも居れば話は早かったのですがね。一人も居ないのであれば、ここは法的には『非魔法界』。故に我々は強引な捜査を出来ないわけです。」

 

色々と難しい問題だが、国際魔法使い連盟の方針は間違っていないだろう。そういった線引きをきちんとしなければ、向かう先は魔法界の露見なのだから。ぐらぐらと揺れる魔法界と非魔法界の均衡についてを考えていると、左隣のテッサが不満げな顔で話に入ってくる。

 

「だけど、誘拐されたのは全員魔法族の子供なんですよね? 犯人が魔法使いってことも判明したわけでしょう? それなのに、その……ここまで非魔法界に気を使わないとダメなんですか? こうなったらもう『こっち』の問題じゃないですか。」

 

「私としてもそう思いますが、闇祓いとして許可無しに動くわけにはいきません。一番大きかったのはこの建物から魔法反応が出なかったという点ですな。仮に出ていれば団員が全員ノン・マジークだろうが強制捜査は出来たでしょう。しかしながら、出ていない以上は『お役所仕事』の申請を通す他ないのですよ。」

 

バルト隊長としてももどかしいのだろう。微かな苛つきを覗かせながら言ったのに対して、耳元で私にしか聞こえない相槌が放たれた。リーゼ様の皮肉げな声だ。

 

「んふふ、『本物』の魔法なら反応など出ないわけだ。あれはそれぞれの魔女が独自に創り出した魔法だからね。嗅ぎ分けられるのは同じ本物だけだよ。」

 

その通り。パチュリーの魔法がイギリス魔法省の管理の外にあるように、エリックという男が魔術師だとすれば同じことが言えるはずだ。でも、『本物』が使う魔法には物凄く深い部分で共通の要素が必ずある。魔女である私ならそれに気付ける……はず? なんか自信がなくなってきたぞ。

 

パチュリーから習ったことを脳内でおさらいしていると、それまで劇場内を照らしていた弱々しいライトが一斉に消えた。同時に壇上をスポットライトが照らし、舞台袖から一人の男が歩み出てくる。遂に開演するらしい。

 

観客たちの騒めきが静まる中、舞台の中央に立ったタキシード姿の初老の男性……年齢が合わないし、エリックとかいう演出家ではないな。座長さんだろうか? はよく通る声で高らかに語り始めた。

 

「紳士淑女の皆様、我らがグラン・ギニョール劇場へようこそ! ここで大変残念なお知らせがあるのですが、今宵行われるのは演劇ではありません。我々が皆様にお見せするのは……そう、恐怖そのものなのです!」

 

大仰な台詞だな。観客の大半もそう思っているようで、期待しつつも余裕のある態度で男性の口上を聞いているが……三割ほどの客は既に怖がっているような様子だ。素直というか何というか、いくらなんでも早すぎないか? 何が行なわれるのかを知っている常連客なのかもしれないな。

 

「おおっと、今日はお疑いの方が多いようだ。……分かります、分かりますとも。皆様はこんな小さな劇場で観られるものなど高が知れていると思っていらっしゃる。違いますか? ……それで結構、大いに結構。しかし皆様、どうか席を立たずに最後までご覧ください。皆様が買ったそのチケット。全てを終えてこの劇場を出る頃には、皆様はきっとそれを買ったことを誇らしく思うでしょう。だってほら、本物の恐怖とは人間にとって最上の娯楽なのですから。」

 

男性がそう言って両手を広げた瞬間、スポットライトが刹那の間だけ消えて……再び照らされた時には、男性は等身大の人形に変わっていた。面長な顔に、どこか歪な布の胴体。サイズこそ指人形ではないが、ムルゲのデザインそのままのギニョール人形だ。最低限の凹凸がある顔にはのっぺりした顔が描かれており、スポットライトに照らされたままジッと観客の方を見つめている。

 

これはまあ、確かに不気味だな。指人形としてのギニョール人形は私もよく知っているが、等身大になると受けるイメージは変わってくるらしい。恐らくほぼ全ての観客が私と同じようにぞわりと鳥肌を立たせているのだろう。

 

スポットライトの光を独占する直立不動のギニョール人形は、不気味な影を作る顔で観客たちを舐めるようにじっくりと見回した後……おー、びっくりしたぞ。何の脈絡も無く唐突に物凄いスピードで舞台袖に走り去って行く。人間に似た動きだが、同時に人間なら絶対にしない動きで。

 

最前列の観客が小さく悲鳴を上げるのを耳にしたところで、半笑いのテッサがこっそり感想を述べてきた。

 

「……これはちょっと怖いかも。マグルの劇だからってナメてたよ。どうやって入れ替わったんだろ?」

 

「さっぱり分からないわ。思い付くのは最初に喋ってた男性を仕込み穴か何かで舞台下に落として、同時に人形を天井から落とすって方法だけど……暗転の時間は一秒なかったわよね? だったらどれだけ素早く動いてもその方法じゃ不可能よ。」

 

「うーん、『魔法アリ』なら分かるんだけど……使ってないんですよね?」

 

私越しにテッサから飛ばされた疑問に、ポケットから取り出したバッジを確認しながらのバルト隊長が首肯を返す。

 

「闇祓い以外の魔法反応が確認されれば、即座に隊章を通して連絡が入ることになっています。それが無いということは、あくまでノン・マジークの技術ということなのでしょう。大したものですな。」

 

感心したような声色でバルト隊長が言ったところで、舞台袖から古めかしい格好の一組の男女が現れた。前座も終わり、劇に入るってことか。気を取り直して観劇しようとする私に、再びリーゼ様が透明な顔を寄せて囁いてくる。観客たちが静かになったから、両脇のテッサやバルト隊長に聞こえてしまうことを警戒しているのだろう。殆ど耳に唇が触れているような距離だ。

 

「アリス、集中したまえ。キミや観客たちは人間が人形にすり替わったという認識らしいが、私には最初から最後まで人形が喋っているように見えてたぞ。」

 

最初から? ……その言葉を受けてごくりと喉を鳴らしてから、目を閉じて自分の中の魔力を整えていく。リーゼ様の目と、私の目。どちらを信じるかなど言わずもがなだ。つまり、リーゼ様を除いた劇場内の全員が認識を狂わされていたということだろう。もう既に相手の術中にあったわけか。

 

悔しいな。魔法をかけられたことにすら気付けないとは。内心で猛省しつつも、解呪のために雑念を追い払って集中する。こういう魔法は気付けないからこそ難しいのであって、気付きさえすれば私にも対処できるはずだ。私が魔力を動かして対策している間にも、どんどん進む劇は次第に内容を明らかにしていった。

 

ストーリー自体は割と単純なもので、『パリに旅行に来た仲睦まじい男女が、謎のギニョール人形に襲われる』というものらしい。知り合った人間がいきなり殺されたり、古いホテルに閉じ込められて宿泊客の中で疑心暗鬼になったり……まあうん、ありきたりなストーリーだと言えるだろう。物語としての整合性も欠けているし、脚本そのものは少し微妙な気がするぞ。

 

とはいえ、席を立つ観客は一人も居ない。何故なら登場人物の『殺され方』が凄まじくリアルだからだ。例えば斧で腕を切られれば血が噴き出し、耳を塞ぎたくなるような叫び声を上げ、生々しい断面部がはっきりと観客の方に向けられて、漂ってくる血の臭いは本物さながらな上に役者たちの表情も真に迫るもの『らしい』。観客たちは犠牲者が出るたびに悲鳴を上げたり、目を逸らしたり、あるいは気を失ったりしている。

 

だが、術から逃れた私から見れば……ひどく異質な人形劇にしか見えないな。なにせ舞台に立っているのは一人残らず人形なのだ。ギニョール人形以外は木組みのデッサン人形のような造形で、身体の各所に血糊が入ったパックや内臓を模した布袋なんかを堂々とぶら下げている。他の観客たちにはリアルに見えているようだが、私の視点だとどう頑張っても作り物だぞ。

 

ただし、顔だけは違う。首から下は木が剥き出しの単純な造形の癖に、頭部だけは人間と見紛うほどのリアルさだ。木組みの身体と人間の顔。そのアンバランスさも不気味なのだが……やはり一番ゾッとするのは、ギニョール人形を除く全ての人形の顔が『逆向き』になっていることだな。

 

デッサン人形たちは首を捻じ曲げられたかのように顔面が背中側に回っており、目からは赤い鉄錆のような涙を流し続けている。活き活きと後ろ向きの顔で台詞を喋り、ぎこちない動きで演劇を続ける人形たち。あまりにも異様なその劇を観ている私に、リーゼ様が興味深そうな声で三度囁きかけてきた。

 

「どうも魔術師どのはダンテのファンらしいね。……実に分かり易い自己主張じゃないか。自分の身分と、悪意の存在をこうして伝えてきているわけだ。蒙昧な人間には作り物のホラーにしか見えず、私たちにだけ真意が伝わるやり方でね。魔術師としての格は未だ分からんが、ユーモアのセンスはパチェより上みたいだぞ。」

 

十三世紀に生まれた詩人が描いた地獄。そこでは悪しき魔女や魔術師は深い地獄に落とされて、捻じ曲げられた顔から後悔の涙を流すらしい。要するに、この劇はとんでもなく悪趣味な『自虐ジョーク』ってことか。とうとう舞台の奥に追い詰められた二体の人形……最初に出てきたカップルの顔が付いたデッサン人形を眺めつつ眉根を寄せていると、彼らの前に立ったギニョール人形がゆっくりと観客席に視線を向ける。血糊が滴る斧を片手にしながらだ。

 

そのまま最初にそうしたように観客を順繰りに睨め付けていたギニョール人形だったが、私と目が合ったところでピタリと顔を止めると……嘘だろう? いきなり斧をこっちにぶん投げてきた。

 

プロテゴ(護れ)! ……クロード、お二人に張り付け!」

 

「はい!」

 

私が杖を抜く間も無く反応したバルト隊長が盾の呪文でそれを弾き、素早く立ち上がったクロードさんが私とテッサの前に出た瞬間、劇場内の明かりが一斉に消える。暗闇に支配されたホールで観客たちが悲鳴を上げる中、膝の上の重みがなくなると共に耳元で声が聞こえてきた。

 

「杖を抜きたまえ、アリス。始まるみたいだぞ。」

 

始まる? 戦闘ってことか? 波立つ心を抑えつつ、とりあえずリーゼ様の指示に従って杖を抜くが……ええい、何も見えないぞ。空いている左手で隣のテッサの存在を確認しながら、明かりを灯していいかとバルト隊長に問いかけようとしたところで、一階席から呪文の光が放たれる。闇祓いの誰かが明かりを打ち上げたようだ。

 

眩い光に刹那の間だけ目が眩み、手をかざしながら状況を確認してみれば……何だこれは。舞台から飛び降りて観客に襲いかかるデッサン人形たちと、それに対処する闇祓いたちの姿が見えてきた。人形たちは手に手に包丁や手斧なんかを持っており、無差別に手近な人間へとそれを振り下ろしているらしい。

 

「何あれ、人形? ……エクスパルソ(爆破)!」

 

「人形に見えるの? エクスペリアームス(武器よ去れ)!」

 

「そりゃ、あんな人間は居て欲しくないしね。エクスパルソ! ダメ、効かないみたい。」

 

認識を狂わせる魔法は解けているわけか。テッサと会話しながら階下の人形たちへと呪文を撃ち込むが……うん、全然効いてないな。呪文を食らったデッサン人形は大きくよろけるものの、武器を手放す様子も砕ける様子もない。魔法力への抵抗があるのか?

 

勿論ながら経験豊富なバルト隊長もそのことに気付いたようで、大声で劇場内の闇祓いたちに指示を飛ばし始めた。一階席に居る闇祓いは全部で五人だ。二階席のバルト隊長とクロードさんを含めれば計七人。闇祓い七人というのはかなりの戦力だが、観客の数が数だけに苦戦しているらしい。

 

「小手先の呪文は効かんぞ! 魔力を込めた衝撃呪文で吹き飛ばせ! ヴィドック、出口を確保できないのか?」

 

「ドアが開きません、隊長! 破壊も出来ないようです! 強力な防衛魔法が……フリペンド(撃て)! 防衛魔法がかけられています! 解呪には時間がかかるかと!」

 

「ならばヴィドック、お前は他の出口を虱潰しに調べろ! フーケ、観客を集めて囲め! 盾を張るぞ!」

 

舞台袖からどんどん出てくるデッサン人形の数は既に三十体を超えており、逃げ惑う観客たちに次から次へと襲いかかっている。フーケと呼ばれた年嵩の闇祓いがバルト隊長の指示に頷いて、混乱する観客たちを誘導しようとするが……そこにこれまで舞台の上で動かなかったギニョール人形が突っ込んでいった。

 

「観客の皆さん、我々の指示に従ってください! 先ずは一箇所に固まって……フリペンド! フリペンド! こいつ、呪文が──」

 

二度放たれた闇祓いの有言呪文を物ともせず、ギニョール人形は私に投げた物より数段大きい斧を構えて闇祓いに近付くと……呆気なくそれを脳天に突き立てる。直前に盾の無言呪文を使っていたのに。

 

すぐ近くで起こった生々しい死。家族が物盗りに殺された時の記憶は今でも曖昧だが、これは……呆然と立ち尽くす私とテッサを他所に、バルト隊長はクロードさんに短く指示を出してから一階へと飛び降りた。

 

「クロード、二人から離れるなよ! ……その人形は私が受け持つ! リヴィエール、フーケの役目を引き継げ!」

 

そう言うとバルト隊長は物凄いスピードで杖を振り、舞台にかかっていた幕を呪文で引き裂くと、それを操ってギニョール人形に巻き付けていく。

 

「フリペンド! ……姿くらましは? 一人ずつ観客を逃がすのは無理なの?」

 

力任せに幕を振り解こうとするギニョール人形へと、デッサン人形の妨害をいなしながら十重二十重に布を巻き付けていくバルト隊長。我に返って階下の攻防を援護しつつ口にした質問に、クロードさんは首を横に振って答えてきた。

 

「ダメです、妨害されています。……我々も二階の観客を誘導しつつ下に移動しましょう。申し訳ありませんが、協力をお願いできますか? 観客を一箇所に集めて防衛魔法で囲めば状況はかなり改善するはずです。」

 

「当然よ。援護するから移動を……テッサ、大丈夫? テッサ!」

 

先程殺された闇祓いの死体。割れた頭から血を流しているその姿を見つめたまま動かないテッサの肩を叩くと、彼女は蒼白な顔でびくりと震えた後、慌てて何度も首肯しながら応じてくる。

 

「だ、大丈夫。動ける。動かないと。」

 

動揺しているな。どうにかして落ち着かせたいのは山々だが、今はそんな余裕などない。とにかく杖を構えたままでいるようにと助言を送ろうとしたところで……私たちの席の後方にあった非常用のドアが勢いよく開け放たれた。

 

非常階段、だろうか? 開いたドア越しに見える鉄の簡素な階段と、漂ってくる夜の屋外の匂い。急に現れた逃げ道に少しだけ気を抜いた瞬間、天井から落ちてきた何かがテッサに覆い被さる。

 

「へ? ……わっ、アリ──」

 

「テッサ!」

 

デッサン人形だ。天井から落ちてきたデッサン人形は一瞬でテッサを掴むと、素早い動きで非常階段の方へと引き摺っていった。考える間も無くそれを追おうとした私だったが、無情にも目の前でドアが閉ま──

 

「おっと。」

 

る直前、不自然な位置でビタリと停止したかと思えば、物凄い力で手を引かれてドアの隙間を通り抜ける。リーゼ様が助けてくれたらしい。大慌ての表情でこちらに手を伸ばすクロードさんの姿が閉じたドアで見えなくなったのと同時に、カシャンという音を立てて非常階段の踊り場に尻餅をついた。

 

「リーゼ様、テッサを!」

 

「はいはい、分かってるさ。」

 

置き去りにしたクロードさんに申し訳ない気持ちはあるし、劇場の中の状況も気になるが、私にとってはテッサの安全が最優先だ。すぐさまリーゼ様に呼びかけてみれば、彼女は私をお姫様抱っこして非常階段を飛び降りる。全然追えていない私と違って、リーゼ様はテッサを攫ったデッサン人形の行方を把握しているらしい。

 

一秒に満たない短い落下の感覚と、地面に着地する時の僅かな衝撃。ここは……劇場の裏手の路地か? 視界に広がる街灯のない薄暗い路地の先に、テッサを羽交い締めにしたデッサン人形が立っているのが目に入ってきた。さっきは急すぎて気付かなかったが、劇場内のデッサン人形と違って腕が六本付いているようだ。背も二メートル近い長身に作られている。

 

そして、その隣に立つ夜会服を着た男性。長めの黒髪の下にある切れ目を愉快そうに歪めたその男は、仰々しい動作で右足を引いてお辞儀してきた。見覚えのある顔だな。昼間に路地の入り口ですれ違った男か。

 

「こんばんは、イギリスの人形作りさん。やっとお会いできましたね。……貴女に会えるのを待ち望んでいましたよ。」

 

嬉しそうに微笑むその男を前に、アリス・マーガトロイドは手の中の杖をしっかりと握り直すのだった。

 



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人形の魔術師

 

 

「これはまた、予想以上に美しい方だ。顔が醜かったらどうしようかと心配していたのですが、これなら何の問題もありません。『手直し』しなくても充分なほどです。……喋っていただけませんか? 声も聞いておきたいのですが。」

 

芝居がかった身振りと、よく通る高めの声。流暢に喋る男から視線を外さないように気を付けつつ、アリス・マーガトロイドは互いの距離を測っていた。十五メートルくらいか。遠いとまでは言えないものの、テッサを無事に取り戻すには難しい距離だな。

 

「……テッサは無事なの?」

 

男のすぐ横に立つ六本腕のデッサン人形に羽交い締めにされたまま、目を閉じてピクリとも動かない親友。テッサの方をちらりと見ながら問いかけてみると、男は嬉しそうな笑みを浮かべて答えてくる。黒いテールコートに黒いベスト、駄目押しとばかりの黒いボウタイ。そしてシャツは鮮やかな赤だ。人外だけあって無茶苦茶だな。人間のファッションマナーを守る気などさらさらないらしい。

 

「おや、良い声だ。欲を言えば年齢はもう少し幼い方が好みなのですが……まあ、特に問題ありませんね。ちなみに下着はどんなものを着けていますか? 正確な胸の大きさも知っておきたいのですが。」

 

「質問に答えて頂戴。」

 

なんだこいつは。気持ちが悪いヤツだな。ジロジロと身体を眺めてくる男に嫌悪感を覚えながら、厳しい目付きでもう一度飛ばした質問に……男はどうでも良さそうな口調で返事を寄越してきた。

 

「ああ、何でしたっけ? この女ですか? 気絶しているだけで無事ですよ。そんなことより、瞳は青いんですね。私は薄めのグリーンが一番好きなのですが、青も嫌いではありません。明るいブロンドに良く映えています。……それと、吸血鬼さんも姿を現してもらって結構ですよ。このままだと話し難いでしょう?」

 

リーゼ様の存在にも気付いていたのか。男の言葉と共に私の眼前の空間がじわりと歪み、滲み出るように黒髪の吸血鬼が姿を現す。もちろん皮肉げな第一声を放ちながらだ。

 

「ふぅん? そこまで鈍くはないわけだ。意外だね。そんな格好をしているから単なる間抜けなのかと思ったが。」

 

「どうも、マドモアゼル。吸血鬼なのに隠れるのがお下手ですね。簡単に分かりましたよ。」

 

「んふふ、手加減してやったのさ。後で本気を見せてあげるよ。……見えないだろうけどね。」

 

「それは楽しみです。……しかし、貴女も貴女で可愛らしい見た目をしていますね。恥ずかしながら吸血鬼を直に目にしたのは初めてでして、翼の付け根がどうなっているのかが気になります。服を脱いで見せていただけませんか?」

 

お前なんぞにリーゼ様の貴重な柔肌を見せるわけないだろうが。ムカムカする内心を抑えながら文句を言ってやろうと口を開きかけたところで、それより先にリーゼ様が話を進める。かなり呆れた声色だ。

 

「キミが異常性欲者だってのはよく分かったが、それは今必要ない情報なんだ。発情してる暇があるならさっさと小娘を返してくれないか? ムッシュ。」

 

「おっと、これは失礼。まだ名乗っていませんでしたね。私はエリック。しがない人形作り兼魔術師をしております、エリック・プショーと申します。どうぞお見知りおきを。」

 

「バートリだ。……それで、質問の答えは?」

 

「勿論ノンです、マドモアゼル・バートリ。『これ』を返してしまうとお嬢さん方との楽しい会話が終わってしまうでしょう? そんなこと私には耐えられませんよ。」

 

大仰な動作で嘆いたプショーは、人形に捕らわれているテッサの髪を弄りながら話題を変えてきた。苛つく男だ。乙女の髪を勝手に触るなよ。

 

「ところで、私が作ったビスクドールはどうでしたか? イギリスの人形作りさん。見事な出来だったでしょう? ……やはり人形の題材として最も適しているのはあの年頃の少女です。無垢で、可愛らしく、何より弱々しい。弱者への庇護欲というのは愛に似ています。私はあの子を作っている時、確かな愛を感じましたよ。甘美な愛を。」

 

「異常よ、貴方は。そんなものは愛じゃないわ。」

 

「いいえ、間違いなく愛ですよ。私は人形にすることであの子の美しさを永遠のものにしたのです。……うーん、我ながら陳腐な台詞ですね。これではオリジナリティが無い。少々お待ちいただけますか? もっと心に残る台詞を考え出してみせますから。」

 

吐き捨てた私に苦笑しながらそう言った後、本当に腕を組んで考え始めたプショーへと、リーゼ様が退屈そうな顔で批判を投げる。……今気付いたが、周辺がいやに静かだな。プショーがマグル避けのような魔法を使っているのかもしれない。

 

「悪いが、キミの三文芝居に付き合うつもりはないんだ。さっきの劇も全然面白くなかったしね。殺人人形、閉ざされたホテル、捻じ曲がった顔、六本腕の人形、そして永遠の美しさ。……全てが二番煎じじゃないか。演出家としては評価されているようだが、脚本家には致命的に向いてないよ、キミ。」

 

「いやぁ、痛烈ですね。しかしながら、数ある演劇というのは大抵が二番煎じでしょう?」

 

「二番煎じでも面白ければ文句はないし、退屈でもオリジナリティがあれば救いがあるが……キミのは二番煎じかつ詰まらないじゃないか。いいから早くその小娘を渡したまえよ。飽きてきたぞ、私は。」

 

「まあまあ、お待ちください。最後にどんでん返しがあるかもしれないでしょう? 演劇というのは最後まで観てから評価するものですよ。」

 

慌てた様子で言い訳を述べたプショーは、懐から何かを……私の人形か? 私が昔作った人形を取り出しながら口を開いた。

 

「これ、覚えていらっしゃいますか? 貴女が作った人形ですよね? マドモアゼル・マーガトロイド。」

 

「そうよ。」

 

「いやはや、良い出来です。技術的に粗削りな部分は多々ありますが、貴女の人形からは信念を感じる。心打たれました。」

 

「貴方に褒めてもらっても嬉しくないわね。」

 

心の底からの感想を返してやれば、プショーはやれやれと首を振りながら会話を続けてくる。

 

「嫌われてしまいましたね。……ですが、評価は変わりません。私は貴女の人形が素晴らしいものだと感じた。だからそう、欲しくなったのですよ。私も他の魔術師や魔女と同じく、己の欲望には忠実なタチでして。『我慢』というのが苦手なのです。」

 

「悪いけど、貴方に人形を売るつもりはないわ。その子も返してくれないかしら? 私の友人と一緒にね。」

 

「ああいや、欲しくなったのは人形ではありません。貴女ですよ。貴女が欲しくなったんです。」

 

「……どういう意味?」

 

愛の告白にしては直接的すぎる台詞だな。背筋を走る怖気に耐えつつ聞いてみると、プショーはにっこり微笑みながら返答ではなく質問を送ってきた。

 

「マドモアゼル、貴女が目指しているのは意思ある人形だ。自分で考え、自分で動き、泣き、笑い、成長する人形だ。……違いますか?」

 

「だったらどうだって言うのよ。」

 

「やはりそうですか! 私も同じですよ。……私は昔から人間が大嫌いでしてね。愚かで、すぐに裏切り、簡単に惑わされるあの連中には虫酸が走ります。だから私は人形を愛した。私が作った、私を決して裏切らない人形たちを。私の望むままに、意のままに動く人形たちを。……だけど、徐々に不満が湧いてきたのです。罪深い私はそれ以上を欲してしまったのです!」

 

急にハイテンションな早口になって気味が悪いぞ。そこで大きく両手を広げたプショーは、次に自分の身を抱きしめながら言葉を繋げる。ぎこちない、滑稽な動作だ。役者としても三流らしい。

 

「故に私は作ろうとしました。私の操作を必要とせず、私が予想しない言葉で愛を囁き返してくれる人形を。より完成度の高い独立した人形を。そのために魔の道へと足を踏み入れ、魔術師となった私は……遂に完成させたのですよ! 理想の人形をね!」

 

まさか、こいつは自律人形を完成させているのか? 抑えきれない驚愕を自覚していると、あんまり興味なさそうなリーゼ様が声をかけてきた。プショーに対して小馬鹿にするような薄笑いを向けながらだ。

 

「アリス、期待しない方がいいぞ。キミの選んだ道とこいつが選んだ道は違う。だったらこいつがたどり着いた場所はキミの目指す場所とは違うのさ。」

 

「申し訳ありませんが、少し黙っていてくれませんか? マドモアゼル・バートリ。今の私は人形作りとして話をしているのです。吸血鬼の出る幕ではない。……貴女の出番は後で作りますから、ここは舞台袖で大人しく──」

 

「キミにとっては残念なことに、出来る主役ってのは三流の脚本なんぞに従わないのさ。……人間を素材にしてビスクドールを作ってる時点で大体の想像は付くよ。察するにキミ、『脳みそ』を自作できないから既存のものを使っただけだろう? 人間を創造した『偉大なる設計者どの』に膝を屈したわけだ。情けない話だね。」

 

「……これはこれは、鋭い方ですね。」

 

脳みそ? ……つまりこいつ、人間を人形に作り変えたのか。一から自律心を作るのではなく、『完成品』をベースにして思考する人形へと組み直したわけだ。私の予想を肯定するように、プショーは肩を竦めながら『人形作り』の詳細を語り始める。

 

「ゼロから作るより、既存の材料を使った方が早いでしょう? ですから私は心を生み出すのではなく、人間を『改良』することにしたわけです。余計なことを考えないように必要のない部分を切除し、追加のパーツを動かせるように神経を繋ぎ、自我を持たせたままで忠誠心を保つ。……実に難しい作業でしたよ。壊れないように胴体や四肢を取り替えるのも結構な手間ですしね。ぶよぶよした肉なんて好みじゃありませんから。人間というのは脆くていけない。」

 

「ふぅん? ……キミが作ったのは人間の粗悪品であって、『人形』じゃないと思うけどね。」

 

「見解の相違ですね。人形の上位として人間があるわけではなく、人間の改良品が人形なのですよ。私の子供たちは裏切らないし、嘘を吐かない。出来損ないの人間どもとは大違いの良い子たちです。そうは思いませんか? マドモアゼル・マーガトロイド。」

 

「思わないわね。」

 

きっぱりと断言してから、意外そうな顔をする勘違い男に文句を飛ばす。リーゼ様が言っていたように、この男の目指す人形は私の目指す人形とは違うのだ。

 

「裏切らないと設定されたから裏切らない、嘘を吐かないと設定されたから嘘を吐かない。そんなものは単純な操り人形と変わらないわ。……私の目指す人形は時に持ち主を諌め、必要とあらば嘘を吐けるような存在よ。人間に寄り添い、共に成長していけるような自律した人形。家族であり、兄妹であり、親友でもある。そこに植え付けられた忠誠心なんて必要ないわ。違った考えをぶつけ合える存在なればこそ、本当の信頼が生まれるの。」

 

「それは……それでは『人間』になってしまいますよ? 人形ではない。」

 

「私は人形を人間のような存在にすることを求め、貴方は人間を人形にしようとした。そういうことでしょ。私と貴方は違うわ。決定的にね。」

 

「……なるほど、なるほど。貴女は人形が好きだが、人間が嫌いではないわけだ。少しガッカリしました。もしかしたら程度には予想していましたが、まさかそこまで考えが曇っているとは。」

 

曇っているのはお前の方だぞ。睨み付けることでそのことを伝えてやれば、プショーは興醒めしたような態度で投げやりな声を放ってきた。

 

「残念ながら、大幅な再設定が必要なようですね。人形作りの腕に影響が出るかもしれない改良は嫌だったのですが……仕方ない、物事が上手く進まないのはいつものことです。我が身の不運を呪いましょう。」

 

「……キミ、まさかアリスを人形にしようとしているのかい?」

 

「当たり前でしょう? そのために誘き寄せたんですから。……私の『主題』を達成するには人形を作れる人形が必要なのです。しかし、出来の悪い人形を作らせるのは私のプライドが許さない。その点マドモアゼル・マーガトロイドなら問題ありません。思想はともかく、作る人形は見事なものですから。見た目もまあ気に入りましたよ。四肢を弄りすぎると上手く人形を作れなくなってしまうかもしれませんし、既存の状態で美しいのは好都合でした。……何より貴女は魔女だ。老化する心配がないのはかなりのメリットです。年老いた人間ほど醜いものはありませんから。」

 

「そう、そこだよ。そこが疑問なんだ。キミ、どうして魔女だと知って尚アリスにちょっかいをかけたんだ? アリスが魔女であることを突き止められたなら、後ろ盾がどんな存在かも知り得たわけだろう?」

 

リーゼ様が小首を傾げながら口にした疑問に、プショーはなんでもないような表情で軽く答える。

 

「簡単ですよ、吸血鬼相手ならいくらでもやりようがあるからです。さすがにイギリスの人外の縄張りを荒らして、かつ自身の工房に居る『図書館の魔女』を相手にするのは難しそうだったので、こうやって私の縄張りに誘導させていただきましたがね。スカーレットはともかく、バートリなんて名は聞いたことがありませんから。」

 

「……なーるほど。つまりあれだ、キミは吸血鬼の頂点たるバートリ家を、夜の支配者たるこの私をナメてるわけだ。まさかここまで世間知らずの魔術師がのさばってるとは思わなかったよ。フランスの人外も格が落ちたもんだね。」

 

うわぁ、怒ってるぞ。口の端をヒクつかせながら喋るリーゼ様へと、プショーは小さくため息を吐いて首肯を返した。凄い度胸だな。私なら絶対にやらない愚行だぞ、それは。

 

「実際のところ、吸血鬼の時代はもう終わりましたよ。既に衰退した弱点だらけの『出来損ない種族』でしょう? 今は現代的な魔術師の世です。……まあ、一応貴女も人形にはしてあげますから、そこまで気を落とさなくても──」

 

プショーがそこまで言った瞬間、リーゼ様が視認できないスピードで何かを放つ。刹那の後にはテッサを捕らえていたデッサン人形がバラバラに吹き飛び、捕らわれていた親友がこちらに向かって猛スピードで引き寄せられた。……一瞬だったな。何をどうしたのかはさっぱりだが、とにかくテッサを救出できたらしい。

 

妖力で操っているのだろうか? 空中に力なく浮かぶテッサをこちらにひょいと放った後、慌てて抱き留めて親友の重さに唸る私を尻目に、リーゼ様は静かな怒りを秘めた声でプショーに宣告する。テッサめ、ちょっと太ったな。重いぞ。

 

「さて、捕らわれの小娘は救出したことだし、次はキミを苦しめてから殺すよ。命乞いの語彙を整えておきたまえ。」

 

「そんな娘は端からどうでも良いですよ。……とはいえ、先ずは貴女を処理した方が良さそうですね。ルーマス・ソレム(太陽の光よ)!」

 

杖魔法? 意外な攻撃手段に私が驚く中、杖から射出された陽光がリーゼ様に浴びせかけられるが……うーん、そりゃそうだ。陽光を受けて平然としている吸血鬼を見て、プショーは引きつった笑みで問いを呟いた。予想と違う反応だったらしい。

 

「……どういうことでしょうか? 陽光は吸血鬼にとって最大の弱点なのでは?」

 

「どういうことだろうね。冥府でじっくり考えたまえ。」

 

リーゼ様が鼻を鳴らして応じた直後、何の脈絡もなく周囲の光がブツリと消え失せる。先程劇場内で経験した暗転。誰もがあれを『真っ暗になった』と表現するだろうが……これに比べればまだ明るかったな。今目の前にあるのは純粋な闇だ。目を瞑っても、その上から手で塞いでも、絶対に経験できない本当の闇。リーゼ様が能力を使ったわけか。

 

だけど、これだと私も身動きできないぞ。テッサを抱えたままで身を屈めていると、急に何かが壊れるような轟音が聞こえてきた。その直後に巨大な水音が、更に一瞬を挟んで爆発音と建物が崩れるような音が響く。……ひょっとして、プショーは視界ゼロで戦えているのか?

 

でも、私には何も出来ない。杖を握りながらそのことを情けなく思っていると、すぐ近くで木材が折れるような音がしたと共に、唐突に世界の明るさが戻ってきた。明るさに眩む目を瞬かせた後、急いで周囲を確認してみれば……不満そうな表情ですぐ側に立つリーゼ様の姿が視界に映る。ついでに言えば盛大に壊れた路地の光景もだ。

 

「……逃げられちゃったよ。足を捥いでやったんだけどね。どうも自分のことまで『改良』してたみたいだ。」

 

うんざりしたように報告してきた無傷のリーゼ様は、私の目の前に革靴付きの足をぽいと投げてきた。プショーの足、か? 地面に落ちた時にカランという乾いた音を立てたし、『自前』の足ではないようだ。

 

「えっと、何があったんですか?」

 

半壊している路地に面するアパートメント、雨でも降ったかのように濡れている地面、周囲に転がる大量のデッサン人形の残骸。それらを順番に指して聞いてみれば、リーゼ様はため息を吐きながら戦闘の顛末を語り出す。

 

「生意気にも杖魔法で流水を生み出してきたんだよ。あの建物はそれを妖力弾で吹き飛ばした時に勢い余って壊しちゃったんだ。それでまあ、近付いて足を掴むところまでは上手くいったんだが……周囲に大量の人形を潜ませてたみたいでね。そいつらがキミたちの方を狙ったもんだから、私はこっちに戻らざるを得なくなって、その間にプショーは自分を人形に運ばせてとんずらってわけさ。初手の妖力弾で片腕も潰してやったんだが、あの様子だとそっちも改良済みかな。痛がってるようには見えなかったしね。」

 

「リーゼ様は怪我してませんか?」

 

「するわけないだろう? ……ま、今回の戦闘で色々と分かったよ。あの男の作る人形が必ずしも視界を頼りにしていないってことや、吸血鬼に詳しくないってことがね。」

 

「でも、陽光や流水を使ってきたんですよね? 結構調べたみたいですけど。」

 

少なくともプショーはリーゼ様が魔法界における一般的な吸血鬼じゃないことは知っていたわけだし、あまり効果がない十字架やら木の杭やらを使ってこようとはしなかった。そこそこ詳しくはあるんじゃないか?

 

テッサが気絶しているだけなのを再確認しながらの私の質問に、リーゼ様はニヤリと笑って返答を送ってくる。

 

「例えばだ、アリス。プショーが最初に使ってきた陽光の呪文。あれをレミィに使ったとして、効果があると思うかい?」

 

「あると思いますけど……無いんですか? エマさんは陽光を避けてますよ?」

 

「んふふ、勉強不足だね。確かに普通の吸血鬼は陽光を浴びれば重度の火傷を負うし、激痛が走るし、徐々に身体が崩れて灰になっていくわけだが……それでも即座に死ぬほどではないんだ。私以外の吸血鬼でも、文字通り『死ぬ気で』我慢すれば短時間なら陽光の中で動くことが出来るのさ。である以上、あれは悪手なんだよ。初手に使うのであれば動きを制限できる流水を利用するのがベストであって、陽光なんか当てても吸血鬼を怒らせるだけだ。怒った吸血鬼が何をするかなんて言わずもがなだろう? 火傷だって陽光から外れれば再生しちゃうわけだしね。」

 

「要するに、夜に吸血鬼を相手にするときは先ず流水を使えってことですか。」

 

吸血鬼の家人たる私にはあまり使い所がない情報だな。私が苦笑しながら放った言葉を受けて、リーゼ様は肩を竦めて頷いてきた。

 

「その通り。これがもしパチェだったら準備を重ねて、周辺一帯に大雨でも降らせただろうさ。しかし、プショーはそうしなかったわけだ。……直に吸血鬼を見たことがないっていうのは嘘じゃないみたいだね。使った流水にしたって本来細かく降らせるべきなのに、あいつは大きな波として放ってきた。対吸血鬼の戦術に詳しくないのは確定だよ。思ったより新参の魔術師なのかもしれないぞ。」

 

「もしかして、パチュリーより若かったりするんでしょうか?」

 

「どうかな。にしてはあの人形は魔の領域に入りすぎているし、百から二百歳ってとこじゃないか? ……あとはまあ、自分が前に出て戦うタイプの魔術師でもないらしいね。本人が杖魔法を使ってたのを見るに、あの男は使役した人形に戦わせるのを主たる戦法としているみたいだ。」

 

「……同じ『本物』でもパチュリーとは結構違うんですね。」

 

パチュリーは自分で強力な魔法を行使する魔女だ。対するプショーのやり方は……あまり認めたくはないが、私の目指す戦い方に近いものがあるな。脳裏に師匠たる紫の魔女を思い浮かべている私に、リーゼ様は人形の残骸を手に取りながら答えてくる。

 

「魔女や魔術師なんて千差万別だからね。吸血鬼は生まれながらの『種族』だが、キミたちのそれはむしろ『在り方』だ。至るまでの道筋が様々なら、至った後の目的地も多種多様。同じ本物でも基本的には別種の存在だと思った方がいいよ。悪霊や吸血鬼が魔女になった例もあるほどさ。」

 

「覚えておきます。」

 

悪霊というのはイメージが湧いてこないが、吸血鬼が魔女ってのは凄そうだ。まだまだ知らない世界があるんだなと改めて実感していると、腕の中のテッサが呻きながらモゾモゾと動き始めた。目を覚ましかけているらしい。

 

「おっと、それじゃあ私は消えるよ。逃げたネズミの対処については後で話し合おう。」

 

「へ? ……あの、でも──」

 

私が言い切る間も無く、リーゼ様は滲むように姿を消してしまうが……これ、どうやって説明すればいいんだ? 私がやったことにしないといけないのか? 特にあのアパートメントとか。

 

路地裏に広がる惨憺たる光景を眺めながら、アリス・マーガトロイドは痛む額を押さえるのだった。

 



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偶然の出会い

 

 

「……あーもう、本当にダメ。」

 

フランス魔法省の地下三階。出来たての通路にあった木製のベンチに座りながら、テッサ・ヴェイユは情けない気分で独り言を呟いていた。何の役にも立てなかったどころか、結果だけ見れば単なる足手纏い。一体全体何のために付いて行ったんだ、私は。

 

グラン・ギニョール劇場で起こった騒動から二、三時間が経過した現在、私たちは『安全地帯』であるフランス魔法省での待機を余儀なくされている。バルト隊長によればフランス魔法省は事件の危険度を数段階上げたそうで、今や治安保持局の局長どころか魔法大臣まで交えた会議をしているようだ。

 

まあ、無理もないか。劇場の戦いでは死者が五名も出てしまったのだから。闇祓いが二人と、観劇に来ていたマグルが三人。もちろん負傷者の数はそれより多い。バルト隊長も足を怪我したようだが、処置をされながら毅然として働いていた。……犯人に捕まってアリスのお荷物になった挙句、何一つ役に立てなかった私とは大違いだな。

 

数時間前の私の記憶は、劇場内で上から降ってきた何かに羽交い締めにされたところで途絶えている。そして目が覚めた時には全てが終わっていた。私を取り戻そうとしたアリスが何とか犯人を追い払って、それと同時に劇場の中の人形たちが一斉に動かなくなったそうだ。後に残ったのは数多の怪我人と、気を失った状態で楽屋に監禁されていたグラン・ギニョール座の団員と、意味不明な状況に混乱する観客たち。記憶修正作業は現在も終わっていないらしい。

 

そんな慌ただしい魔法省のベンチで、特にやることもなく大人しく座っている私。アリスは犯人のことを説明するのに忙しいみたいだし、運輸局のパパでさえもが他局の応援に動いているというのに……私は何をやっているんだろうか? かといって出しゃばっても迷惑だよなぁとため息を吐いていると、私の前に立った誰かが話しかけてくる。

 

「あれ、ヴェイユさん? どうなさったんですか? こんなところで。」

 

透き通るような高めの声を聞いて、ゆっくりと顔を上げてみれば……ラメットさんだ。ヨーロッパ特急で知り合った記者見習いのマリー・ラメットさんが立っているのが目に入ってきた。キチッとしたスーツ姿で、肩には『報道』と書かれた腕章を着けている。取材に来たのかな?

 

「ありゃ、ラメットさん? 取材ですか?」

 

「ええ、先輩たちの付き添いで来てまして。今パリで起こっている連続誘拐事件に進展があったみたいなんです。……ヴェイユさんはどうしてこんな場所に?」

 

「私は……何と言えばいいのか、その事件に関わってまして。より厳密に言えば勝手に首を突っ込んでるだけなんですけどね。」

 

関係者なのはアリスであって、私じゃない。私は意味もなく付いて行って迷惑になってるだけだ。苦い思いで曖昧な説明を口にすると、ラメットさんは少しだけ私の顔を見つめた後、困ったように苦笑しながら隣に座り込んできた。

 

「んー、元気がないみたいですね。何があったんですか? ……実は私、詳しいことは全然知らないんです。今日も先輩たちの荷物持ちとして来ただけで、仕事が終わるまで適当に待ってろなんて言われちゃいました。だからほら、相談に乗るくらいは出来ますよ?」

 

「いやいや、そんなの悪いですよ。」

 

「いいえ、ここで会ったのも何かのご縁です。……これは外しておきましょうか。個人として話を聞かせてください。」

 

うーん、良い人だな。優しげな笑みで腕章を外したラメットさんに、頰を掻きながらぼんやりとしたあらましを語る。折角気を使ってくれてるんだし、ちょっと話すだけなら問題ないだろう。

 

「えっとですね、実はアリスが事件に巻き込まれてるんです。フランスに来たのもその所為なんですけど……まあその、私は付いて来るべきじゃなかったのかなと思いまして。放っておけなくて無理やり引っ付いて来たのに、全然役に立ててないどころか迷惑ばっかり。それに落ち込んでたってわけですよ。」

 

「マーガトロイドさんが? お怪我とかはしていないんですよね? 死者がどうこうって先輩が言ってましたけど……。」

 

「アリスは無事ですよ。彼女は役にも立ってましたしね。……私は全然ダメでした。初めて人が死ぬ瞬間を見て、それが怖くて上手く動けなくなっちゃったんです。正直に言うと、まだ怖いくらいでして。」

 

斧で殺された闇祓い。フーケと呼ばれていたベテランらしき男性。私はあの人のことを何も知らないが、きっと家族や友人が居たはずだ。……パパやママから聞かされていた大戦の話、学生時代にマグル生まれの子から教えてもらったマグルの戦争、新聞の中で繰り広げられていたスカーレットさんとグリンデルバルドの攻防。あの頃はこういうことが日常だったのだろう。

 

理解した気になっていて、実際は何一つ分かっていなかったわけだ。人間の死というのは私が思うよりもずっと、ずっと重いものだったらしい。あまりに呆気なく起こった殺人のことを思い出していると、ラメットさんは私の手をそっと握りながら語りかけてきた。

 

「……ショックですよね。私も目の前で人が死んだのを見たことがあります。ダームストラングの五年生の時、私たちのグループのリーダーをしていた人が殺されたんです。グリンデルバルド派の最上級生と口論になって、最終的にはお互いに杖を抜く事態にまで発展しました。……死の呪いで一瞬でしたよ。放った当人も呆然としていたくらいです。」

 

「それって……どうなったんですか?」

 

「騒ぎを聞きつけた教官たちがやってきて、その場に居た全員が寮に押し込められて三日間外出禁止になった後、呪いを放った生徒が退学になって終わりです。フランスに戻ってから調べたんですけど、殺された生徒のご両親も大戦で亡くなったんだとか。……あの人が生きてた証拠は何一つ残ってませんでしたよ。ダームストラングで私たちのことを必死に守ってくれた人なのに、こんな結末だなんてあんまりだと思いました。……だから私は記者を目指すことにしたんです。忘れるべきじゃないことを、忘れさせないために。」

 

もしかしたら、殺された人はラメットさんにとって大切な人だったのかもしれない。だって『あの人』と口にした時、彼女はひどく切ない顔をしていたのだ。私が何も言えずに儚げな横顔を見つめていると、ラメットさんは苦い笑みで話を続けてくる。

 

「ごめんなさい、私の身の上話になっちゃってますね。つまり、私が言いたいのは動揺するのは仕方がないってことなんです。ヴェイユさんはホグワーツで教師をしているとおっしゃっていましたよね? もし私が生徒だったら、人の死に一切動揺しないような人には教えてもらいたくありません。ヴェイユさんの反応は至極真っ当なんじゃないでしょうか?」

 

「それはそうかもしれませんけど……でも、アリスはきちんと動けてました。それが少し気になっちゃって。」

 

……ああ、そうだ。目の前で人が死んだのと同じくらい、私にとってはそれがショックだったのだ。同じ速度で一緒に歩いていたはずの親友。だけど、実際はそうじゃなかったのかもしれない。

 

学生時代にアリスの方が成績が良かった時も、人付き合いが上手かった時もこんな気分にはならなかったのに。素直に凄いと思えたし、自分の親友が優秀なんだと誇らしくなったくらいだ。でも、今は……何故だかアリスの背中がずっと遠くに見えてしまう。

 

私はきっと、アリスが危ない時には隣に立って一緒に戦うことになるのだと思っていた。おバカな私は何の保証もなくそうなるのだと信じていたのだ。それなのに、蓋を開けてみればこの結果。隣に立つどころか邪魔になってるじゃないか。

 

どこで差が付いちゃったんだろう? 昨日までは横顔を見ていたはずなのに、今日見えるのは遠い背中だ。そのことが情けなくて、悔しくて、寂しくて堪らない。このままズルズルと引き離されてしまえば、足手纏いにしかならない私はアリスに付いて行けなくなってしまう。今日のような出来事があった時、私は彼女を見送ることしか出来なくなっちゃうじゃないか。

 

そんなのは嫌だぞ。他の誰に負けようが、追い越されようが構わないけど、アリスとだけは対等の存在でありたいのだ。無意識に手を握りながら唇を噛む私に、ラメットさんが何かを言おうとしたところで……両手にマグカップを持ったクロードさんが近付いてきた。

 

「テッサさん、ここでしたか。こちらの方は?」

 

「あら、その隊章……闇祓いの方ですか? マリー・ラメットと申します。ミラージュ・ド・パリの記者です。」

 

「闇祓い隊のクロード・バルトです。……申し訳ありませんがそちらの方は一般の方ですので、取材はご遠慮願います。」

 

おっと、勘違いされちゃってるな。丁寧だがきっぱりと言い放つクロードさんへと、誤解を解くべく口を開く。

 

「ああいや、違うの。ラメットさんは昨日知り合った人で、ちょっと相談に乗ってもらってただけだから。」

 

「それは……失礼しました、ラメットさん。無礼な発言をお許しください。」

 

「いえいえ、本来取材に来ているわけですしね。勘違いされるのも仕方ないですよ。……では、私はこれで失礼します。先輩たちが探しているかもしれませんし。」

 

おっとりした笑顔で立ち上がったラメットさんは、腕章を着け直した後で私に助言を寄越してきた。

 

「ヴェイユさん、マーガトロイドさんと貴女の反応が違うのは当然のことなんだと思います。だけどそれは……何と言えばいいか、悪いことではないんじゃないでしょうか? 同じ考え方の二人組より、別々の考え方をする二人組の方がずっと素敵ですよ?」

 

「素敵、ですか。」

 

「はい、そうです。その方が並べた時に見栄えが良いですしね。」

 

「あー……なるほど?」

 

『見栄え』ね。独特なワードチョイスだな。分かるような、分からないような発言と共に去って行ったラメットさんを見送っていると、クロードさんが私にカップを渡しながら怪訝そうな表情でポツリと呟く。中に入っているのはコーヒーか。気を使って持ってきてくれたらしい。

 

「どうぞ、コーヒーです。……五階までご案内した方が良かったでしょうか?」

 

「ん、ありがとう。案内って?」

 

「報道発表が行われているのは五階の大会議室ですから。三階に来ても何もありませんし、迷ってしまったのかと思いまして。」

 

「んー、もしかしたらそうなのかも。まだ記者見習いって言ってたから。」

 

だとすれば、偶然迷い込んだ先で私と出会ったわけか。運命を感じるな。意外にもアイスだったコーヒーを飲みながら考えていると、隣に座ったクロードさんが言い辛そうに話題を変えてきた。

 

「……申し訳ありませんでした、テッサさん。」

 

「へ? いきなりどうしちゃったの?」

 

「きちんと謝罪しておくべきだと思いまして。……私は貴女とマーガトロイドさんのことを守れませんでした。護衛として恥ずべき結果です。」

 

「んー……あの状況じゃ仕方なかったって言っても納得できないよね、クロードさんは。」

 

苦笑を浮かべて聞いてみれば、生真面目な闇祓いさんは予想通りの首肯を返してくる。

 

「貴女が連れ去られようとした瞬間、マーガトロイドさんは見事に反応しました。しかし、私は出来なかった。……護衛任務に就いている闇祓いにも関わらず、あの時の私は父の戦闘に僅かに気を取られていたんです。」

 

「いやー、父親が危ない目に遭ってる時に集中なんて出来ないんじゃないかな。」

 

「ですが、すべきでした。私は闇祓いなんですから。……お二人が無事で本当に良かった。マーガトロイドさんにも謝罪と感謝をすべきですね。」

 

「……私たちはともかく、クロードさんは大丈夫なの? その、犠牲者の方のこととか。知り合いだったんでしょ?」

 

同僚が二人も亡くなったのだ。私たちよりショックは大きいだろう。おずおずと問いかけてみると、クロードさんは目を伏せながら小さく頷いてきた。

 

「皆覚悟はしていますから。闇祓いにとって死者を悼むのは二の次です。先ずは犯人を捕らえなければいけません。」

 

「そっか。……難しい職業だね、闇祓いって。尊敬するよ。」

 

人の死に関わる仕事か。こんな風に動揺している私には務まらないような職種だな。しみじみと私が言ったところで、クロードさんが自分のカップをベンチに置いて立ち上がる。

 

「少し待っていてくれますか? やはり先程の記者さんを案内してくることにします。あの腕章を着けている状態で立ち入り禁止の部屋に迷い込んでしまうと、あらぬ誤解を招いてしまいそうで心配です。ここで案じているくらいなら行動に移すべきでしょうし。」

 

「あー、そうした方がいいかもね。ここで待ってるから行ってきてあげて。」

 

「すぐに戻ってきます。」

 

律儀に断った後でラメットさんが去った方向へと歩いて行くクロードさんを横目に、ベンチに深く座り直してからもう一度コーヒーに口を付けた。まあうん、確かにちょっと心配ではあるな。クロードさん曰く『何もない』階に来ちゃうほど慣れていないようだし。

 

しっかし、随分と長く聞き取りをしているようだが、アリスは大丈夫なんだろうか? 飲み物とかはちゃんと用意してもらってるのかな? ……問題ないか。バルト隊長は気が回る人っぽいし、アリスの方も遠慮して頼めないような性格ではないのだから。

 

なんだか心細い気分で廊下を歩く職員たちを眺めつつ、テッサ・ヴェイユは一人寂しくコーヒーを嚥下するのだった。

 



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応援

 

 

「どうするんですか? リーゼ様。かなりの大事になってきましたけど。」

 

パリ六区にある隠された魔法族の居住地区。その中心に聳える十階建てのホテルの一室で、アリス・マーガトロイドは困った気分で問いかけていた。とうとう私はヴェイユ邸にすら帰れなくなってしまったらしい。ドアで隔てられた隣の部屋には女性の闇祓いが詰めていて、廊下や左右の客室にもそれぞれ闇祓いが居るそうだ。頼もしいといえば頼もしいが、これじゃあ身動きが取れないぞ。

 

フランス魔法省で何度も何度もプショーのことを説明させられた後、今日は護衛し易いホテルに泊まってくださいと強引にここまで連れてこられたのだ。テッサとも引き離されちゃったし、クロードさんの姿も見えない。何だかちょっと不安だな。

 

ちなみにプショーとの戦闘については、当然ながら嘘を交えた説明をしてある。彼が人形を操って戦うことや私を狙っていることは普通に伝えたが、リーゼ様の存在や『本物』に関わる話題は省いたわけだ。申し訳ないという気持ちはあるものの、こればっかりは仕方がないだろう。……ついでにアパートメントや地面はプショーが壊したことにしておいた。

 

棚から水の小瓶を取り出しながら聞いた私に、リーゼ様はベッドの上で大欠伸をしてから答えてくる。眠くなってしまったようだ。

 

「実に面倒くさい事態だね。プショーどうこう以前に闇祓いが邪魔すぎるよ。パリに居ることがバレた以上私はキミから離れられないし、キミは闇祓いの監視から離れられない。これじゃあ攻めに転じられないじゃないか。」

 

「……魔法省にビスクドールを持って行ったのは失敗だったんでしょうか?」

 

「今更言っても詮無いことだが、結果だけ見れば失敗だったかもね。最良の選択はキミがムーンホールドに残り、私が単独で狩りに来るってパターンだったわけだ。」

 

ぐうの音も出ないな。パチュリーやエマさんが居ればプショーは易々と手を出せないだろうし、リーゼ様も私の護衛をする必要なく自由に動けたわけだ。……一人で何とかしようと飛び出してきた結果、色々な人に迷惑をかけてしまっている。情けない話じゃないか。

 

劇場に居たマグルや闇祓いの人だって、その方法なら死なずに済んだかもしれない。椅子に座ってぬるい水を飲みながら落ち込んでいると、リーゼ様が肩を竦めて話を続けてきた。

 

「ま、そこまで心配しなくても大丈夫だよ。キミが魔法省で説明してる間に連絡を送っておいたからね。明日になれば自由に動けるようになるさ。」

 

「連絡、ですか?」

 

「紅魔館にね。」

 

つまり、レミリアさんにか。確かにフランス魔法省はあの方の言葉を無視できないだろう。……だけど、『紅のマドモアゼル』が関わったら更に大事になっちゃうんじゃないか? 雪だるま式に問題が大きくなることを危惧する私に、リーゼ様は追加の情報を飛ばしてくる。

 

「ついでに応援も寄越してくれるそうだよ。二人居れば片方が自由に動けるし、これで大分やり易くなるんじゃないかな。」

 

「レミリアさん本人は紅魔館から動けないんですよね? ってことはまさか、ムーンホールドからパチュリーが来るんですか?」

 

「いや、美鈴だよ。あの門番はフランスの裏側に詳しいからね。大戦の頃はレミィの『お使い』を何度もやってたし、パリでプショーを狩り出すんだったらパチェより向いてるはずだ。案外多方面に顔が利くから、フランスに入っても他の人外に嫌な顔をされないって点も好都合かな。」

 

うーむ、美鈴さんか。レミリアさんがムーンホールドを訪れた際に初めて会った妖怪さんで、その後もちょくちょくムーンホールドを訪問しているので知らない仲ではないのだが……『強い』って印象はあんまりないな。『食いしん坊』というイメージならピッタリだが。

 

いつもニコニコしている優しそうな赤髪の門番を頭に浮かべる私へと、リーゼ様はもぞもぞとベッドに潜り込みながら話を締めてきた。

 

「何にせよ、今日はもう寝ようじゃないか。久々に動いた所為で疲れちゃったよ。本番は明日からだ。」

 

「……もう出来ることも無さそうですし、そうしましょうか。」

 

何とも悲しいことに、この部屋は立派なツインルームだ。である以上、私とリーゼ様は問題なく一人一つのベッドを使えてしまう。そのことに小さくため息を吐きつつ、寝るための準備をしようと椅子から立ち上がるのだった。

 

───

 

そして翌日の早朝。耳朶を打つコンコンという音に目を覚ましてみると、眠そうな顔で部屋の窓を開け放っているリーゼ様の姿が目に入ってきた。艶やかな黒髪が寝癖でちょっとだけ跳ねているのを見るに、彼女も今さっき起きたばかりのようだ。

 

「キミね、玄関から入りたまえよ。迷惑だぞ。」

 

「いやぁ、なんか凄い警備だったもんですから、一々身分を説明するのが面倒くさくなっちゃいまして。……おっ、アリスちゃん。おはようございます。」

 

「……美鈴さん? おはようございます。」

 

寝ぼけた頭で反射的に挨拶を返した後、徐々に違和感が頭をもたげてくる。……ここは地上八階のはずだぞ。まさかとは思うが、壁をよじ登ってきたのか? 窓枠をひょいと乗り越えて部屋に入ってくる美鈴さんを不可解な気分で眺めていると、リーゼ様が伸びをしながら質問を投げた。

 

「レミィは何だって?」

 

「朝一でフランス魔法省に連絡を入れるって言ってました。私が、えーっと……何でしたっけ? お嬢様の私兵? みたいな存在で、アリスちゃんの護衛を引き継ぐってことになるらしいです。」

 

「予想はしてたが、中々強引な要求だね。」

 

「それがですね、一応の大義名分らしきものはあるんですよ。何でも書類上だとお嬢様がアリスちゃんの共同後見人になってるみたいでして。」

 

共同後見人? ……あー、そういえばそうだったな。両親と祖父の葬儀の後、墓地でパチュリーと初めて会った時のことを思い出している私を他所に、リーゼ様は苦笑しながら話を進める。彼女も今の今まで忘れていたようだ。

 

「ああ、なるほど。あの時は魔法省を納得させるためにレミィの名前を借りただけのつもりだったんだが……世の中何が役に立つか分からんもんだね。」

 

「もちろん成人してるから今更後見も何もないんですけど、その線からゴリ押して納得させるって言ってました。……そんなことより、ルームサービスを頼んでいいですか? 朝ご飯を食べてこなかったからお腹が空いてるんです。」

 

「あと少しだけ我慢したまえ。自由に動けるようになったらルームサービスよりマシなレストランで朝食を取ろうじゃないか。」

 

「はーい。」

 

言いながら戸棚にあったスナックを漁り始めた美鈴さんを横目にしつつ、ベッドから出て顔を洗うためバスルームに向かう。フランス魔法省からすればこの部屋を使っているのは私一人なんだから、美鈴さんが食べまくっちゃうと私が食べたと思われるわけか。それは嫌だな。

 

大食い女のレッテルを貼られることを恐れていると、再びベッドに横になったリーゼ様が声をかけてきた。

 

「先にシャワーを使っていいよ、アリス。どうせ私は湯を溜めないと入れないわけだしね。」

 

「じゃあ、ぱぱっと入っちゃいますね。」

 

バスルームのドアを抜けながら答えた後、ドアを閉めて服を脱ぐ。……そこそこのランクのホテルらしいが、やはりヴェイユ邸に比べると幾分狭いな。そして当然、ムーンホールドよりも遥かに狭い。感覚がマヒしちゃいそうだぞ。

 

そのまま熱いシャワーで目を覚ましつつ髪を洗って、花の香りがする液体石鹸で身体を洗う。最近は液体石鹸が増えてきたな。個人的には嫌いじゃないのだが、リーゼ様はあまり好きではないらしい。ヌルヌルしてるのが嫌なんだとか。

 

もしかしたら、肌を伝う液体を嫌うのは吸血鬼の防衛本能なのかもしれない。さすがに液体石鹸は『流水』にカウントされないようだが。……というかそもそも、どこからが流水になるんだ? 仮にアイスティーをぶっかけたら火傷しちゃうんだろうか?

 

しかし、リーゼ様はアイスティーだろうがレモンティーだろうが普通に飲むし、なんなら水だって全然飲む。体内はセーフで、外皮がアウトってことかな? ならひょっとして、普通の吸血鬼の口腔に杖を突っ込んで陽光を射出してもノーダメージになったりするんだろうか?

 

リーゼ様が小さなお口をあーんと開けているところに、自分が杖を突っ込んでいる姿を想像して……イカれてるのか、私は。シャワーを水に変えて頭を冷やす。邪な思念を洗い流しつつ、わしゃわしゃと金髪を掻き毟った。

 

これはそう、家族に対する親愛なのだ。なまじリーゼ様の見た目が幼いから、庇護欲とそういうのが混ざり合って変な感じになっているだけなのだ。じゃないと私は相当頭がおかしいヤツだぞ。

 

家族への親愛が口腔に杖を突っ込むことに繋がるかは横にぶん投げておいて、自制心をフル稼働させながら熱いシャワーで身体を温めなおした後、タオルで全身を拭いて服を着て部屋に戻ってみれば……大丈夫なのか? これは。私がバスルームに居た短い時間で、酒瓶を二本も空にしている二人の姿が見えてくる。フランス魔法省からアルコール依存症だと思われるのは確定だな。

 

「これは不味いね。ビールにシロップを入れてるのか? こんなもんは邪道だよ、邪道。」

 

「常飲したいかはともかくとして、私はそれなりに美味しいと思いますけどね。飲み易くないですか?」

 

「飲み易い酒なんてのは酒じゃないのさ。……おや、アリス。おかえり。」

 

「えっと……お次をどうぞ、リーゼ様。お湯も今溜めてますから。」

 

かなり砕けた雰囲気だし、リーゼ様と美鈴さんはもしかしたら相性が良いのかもしれない。……いや、この有様からするに『悪い』と言うべきか? バスルームに入っていくリーゼ様を微妙な気分で見送ってから、杖魔法で濡れた髪を手早く乾かしていると、美鈴さんが新たなお酒の封を切りながら話しかけてきた。禁酒カウンセラーを紹介されちゃうかもしれないな。

 

「アリスちゃん、アリスちゃん、これ冷え冷えに出来たりします?」

 

「ワインですか? ……はい、どうぞ。」

 

無言呪文で美鈴さんが持っているワインを冷却した私に、飲兵衛妖怪は嬉しそうな顔でラッパ飲みしながらお礼を送ってくる。凄まじいな。ワインをそうやって飲むところは初めて見たぞ。

 

「いやぁ、ありがとうございます。お酒は冷えてる方が好きなんですよね、私。昔はそうそう味わえなかったですから。」

 

「……そんなに飲んじゃって酔ったりしないんですか?」

 

「そりゃあ酔うために飲んでるんだから酔いますけど、酔ってても酔ってない時と変わりませんから、結局酔ってないのと一緒なんですよ。」

 

「無茶苦茶なこと言いますね。」

 

訳の分からない言い訳を寄越してきた美鈴さんは、私の突っ込みを尻目に戸棚を漁ってチーズやナッツを取り出すと、それをつまみにしながら話題を変えてきた。あれの代金も魔法省持ちになるのだろうか? だとすれば申し訳ないな。

 

「それより、どんなヤツなんですか? 例の魔術師って。」

 

「えっとですね……今分かっているのは大量の人形を使って戦うってことと、人間を人形に作り変えること、それと吸血鬼にはあんまり詳しくないってことくらいです。見た目は背の高い男性で、本人は杖魔法を使ってました。」

 

「ふむ、人形使いですか。アリスちゃんに似てますね。」

 

美鈴さんには練習中の人形劇を見せたことがあるのだ。その辺から連想したのだろう。似てると指摘されてちょっと苦い顔をする私へと、美鈴さんは慌てて言葉を付け足してきた。

 

「いやまあ、根本が違うなら別物でしょうけどね。人間を人形にってのはむしろ道士のやり方を思い出します。」

 

「キョンシーとかですか?」

 

「おお、よく知ってますね。昔は大規模な野戦の後、大量に出た死体の処理が面倒だからって道士に片付けを『外注』したりしてたんですよ。放っておくと疫病とかになっちゃいますから。そこで運搬のために術をかけて、『本人』に自分の足で歩かせたのが始まりなんですけど……いつの間にか道士や邪仙なんかの間で『死体バトル』が流行ってきちゃった結果、あんな風になったみたいです。」

 

『昔』というのが具体的にいつなのかは不明だが、どう控えめに解釈しても二、三百年は前の話だな。割と闇が深い逸話を軽く話す美鈴さんは、一転して嫌そうな顔になって続きを語り出す。

 

「まあ、私は大っ嫌いでしたけどね。高名な武人が死ぬなり死体を盗んで『改造』するどころか、一番酷い時期は死体にするため暗殺するってのが横行してたんです。本来死体を片付けるために生まれた技術なのに、そこまで行っちゃうと本末転倒ですよ。」

 

「それからどうなったんですか?」

 

「不満を持った武人と術師との間で一戦交えまして、途中までは均衡してたんですけど……段々面倒くさくなってきたんでしょうね。邪仙たちが一斉に味方を見捨てるって感じで収束しました。同時に死体バトルも廃れちゃったわけです。」

 

「それはまた、奇妙な結末ですね。……仙人には詳しくないですけど、あんまり良い存在じゃないっていうのは分かりました。」

 

ぐちゃぐちゃになっているリーゼ様のベッドを綺麗にしながら応じた私に、美鈴さんは半笑いで訂正を入れてくる。どう説明すればいいのか悩んでいるような表情だ。

 

「いやいや、仙人自体はそこまで悪い存在じゃないんですよ。修行バカかつ独善的な人外ですけど、無闇に暴れ回るってタイプではないわけですし。……見方を変えればアリスちゃんたち魔女に近いのかもしれませんね。魔女が自身の定めた目標のために研究を重ねるように、仙人たちは天人目指して修行を重ねているわけです。」

 

「天人?」

 

「天界に居る『退屈屋』たちですよ。桃を食べて、寿命が来たら死神を追っ払って、また桃を食べる連中です。何が楽しくて生きてるんですかねぇ、あいつら。……もしかしたら生きるために生きてるのかもしれませんけど。憐れなもんですね。」

 

珍しく皮肉げな笑みを浮かべる美鈴さんはあまり好きではないようだが、私としては興味を惹かれる存在だな。天界に住む天人。この世にはそんな種族も居るのか。自分の知る世界のちっぽけさを感じつつ、美鈴さんに更なる問いを放つ。

 

「じゃあその、仙人の中でも邪仙っていうのが悪い存在ってことですか?」

 

「んー……『悪い』っていうのは正しくないかもしれません。あの連中は邪悪なわけじゃなくて、欲望に素直なだけですから。キョンシーの件にしたって単に面白そうだから始めて、飽きたからやめただけだと思いますよ。私としては仙人や天人より分かり易くて好きですね。……もちろん邪魔になったら敵対しますけど、あの連中はあんまりそれを引き摺りませんから。大抵の邪仙は後先考えず、刹那を愉しんで生きてるんです。」

 

「何と言うか、妖怪らしい妖怪ですね。」

 

「仙人や邪仙は厳密に言えば人間のままなんですけどね。アリスちゃんたち魔女が限りなく人間に近い人外なのに対して、仙人たちは限りなく人外に近い人間って感じです。」

 

むう、そうだったのか。知識で高みを目指す魔女と、修行で高みを目指すという仙人。色々な存在が居るんだなと感心したところで、バスルームの扉が開いてリーゼ様が戻ってきた。ほかほかリーゼ様だ。レアだな。

 

「狭すぎるぞ、ここのバスルームは。使い難いことこの上なかったよ。こんなことなら杖魔法で全部済ませれば良かったかもね。」

 

「これでも平均よりはかなり大きいんですけどね。」

 

「私の基準はムーンホールドなのさ。だからこのレベルの……おっと、レミィからの連絡がこっちの魔法省に届いたらしいね。」

 

話の途中で別室に繋がるドアの方を見ながら呟いたリーゼ様は、美鈴さんに素早く近付いて二人同時に姿を消すが……人が来るってことか? ちょっと待って欲しいぞ。この酒瓶や食べかけのつまみの山はどうすればいいんだ。

 

顔を引きつらせる間も無く、無情にもドアがノックされる音と共に女性闇祓いの声が聞こえてきた。

 

「起きていらっしゃいますか? ミス・マーガトロイド。朝早くに申し訳ないのですが、緊急でお聞きしたいことが──」

 

「今行きます! 少しだけ待っててください!」

 

こうなったら片付けるまで部屋に入れるわけにはいかんぞ。慌てて服装を整えつつ、アリス・マーガトロイドはドアへと早足で向かうのだった。

 



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イギリスとフランス

 

 

「……これは、驚きました。覚えていらっしゃらないでしょうが、私は貴女をお見かけしたことがあります。第一次ボーバトン防衛戦の折に、グリンデルバルドめが姿を現わすという知らせを持ってきてくださいましたね。」

 

おー、懐かしいな。お嬢様が妹様に嫌われる原因になった戦いのことだっけか。頭の隅に残るぼんやりとした記憶を掘り起こしつつ、紅美鈴はにこやかな笑みで返事を返していた。私だって外面を取り繕うくらいは出来るのだ。疲れるからあんまりやりたくないけど。

 

「懐かしいですね。あの頃はお嬢様の使いとしてヨーロッパを広く回っていたので、行く先々で様々な方とお会いしました。戦友と生きて再会できるのは嬉しいことです。」

 

「いや、本当にその通りです。スカーレット女史はお元気でいらっしゃいますか?」

 

「ええ、今はイギリスの片田舎で穏やかに生活していますよ。大戦の後片付けを手伝えなくて申し訳ないとの伝言を預かっております。」

 

「そんな……滅相もない! 戦時にはあれだけ精力的に動いてくださったのですから、事後処理くらいは我々の手でやらねば申し訳が立ちません! スカーレット女史には些事など気にせず、ゆるりとお過ごしくださるようお伝えください。」

 

アリスちゃんが泊まっていたホテルのグラウンドフロア。広いラウンジのソファに座る私の前で可哀想になるくらい焦っているのは、フランス魔法界の最重要人物たる魔法大臣だ。その背後では闇祓い隊の隊長が直立不動の姿勢を取っており、邪魔が入らないように周囲を六名の闇祓いが厳重に警戒している。……んー、窮屈だなぁ。早く話を済ませちゃおう。

 

ちなみに隣には『真面目モード』の私に胡乱げな目を向けているアリスちゃんが居て、その隣には姿を消した従姉妹様が座っているようだ。気配の消し方が適当なので私には分かるが、闇祓いたちではまず気付けないだろう。意図してやってるなら絶妙な匙加減だな。

 

要するに朝にアリスちゃんが呼び出しを受けた後、部屋でもう一本ワインを開けてから一階に飛び降りて、何食わぬ顔で玄関からホテルに入り直してみたところ……そこにはフランス魔法大臣が駆け付けていたというわけである。朝早くからご苦労なことじゃないか。大臣になってもこれじゃあ出世の魅力が半減だな。

 

何事かと遠巻きにこちらを眺めるラウンジの客たちを横目に、ハンカチで汗を拭う大臣に本題を切り出した。もちろん丁寧な余所行きの口調のままでだ。

 

「それでですね、お嬢様からの手紙にも書かれていたと思いますが、現在そちらの闇祓いに警護していただいているアリス・マーガトロイドはスカーレットの身内でして。これ以上フランス魔法省のお手を煩わせるのも申し訳ないので、今後の護衛はこちらで引き受けたいんです。」

 

「いえその、我々としてもまさかマーガトロイドさんがスカーレット女史の関係者だとは露知らず、昨晩起きた事件で危険に晒してしまい……本当に申し訳ございませんでした。警護が甘かったと痛感しております。」

 

「その点に関してはお気になさらないでください。お嬢様も特に拘ってはいないようですから。……では、そういうことで。」

 

愛想笑いの限界が近付いていることを感じて、さっさと話を纏めちゃおうとするが……ぬう、やっぱダメか。闇祓いの隊長がするりと会話に割り込んでくる。がっしりとした体型の四、五十ほどの魔法使いで、立ち姿を見るに右足を怪我しているらしい。巧妙に隠してはいるが、見る者が見ればバレバレだぞ。

 

「その前に、私からも少々よろしいでしょうか? ……マーガトロイドさんは犯人から狙われています。紅のマドモアゼルのお身内とおっしゃるのであれば、尚のこと我々闇祓いに警護させていただきたい。汚名返上の機会をいただけませんか?」

 

「申し訳ありませんが、お断りさせていただきます。」

 

「……一度失敗した我々では信用に値しないということですかな?」

 

「そうではなく、私には私の守り方があるということです。それは大人数で行うような方法ではありませんから。」

 

にっこり笑いながらきっぱりと言い放つと、隊長さんはやや気圧された顔になるが……おお、根性あるな。真剣な声色で食い下がってきた。

 

「でしたら少人数で……いえ、私一人でも構いません。どうかご一緒させていただきたい。こちらの事情であることは重々承知しておりますが、我々闇祓いは身内を殺されているのです。このまま易々とは引き下がれません。」

 

「残念ですが、答えは変わりません。スカーレットの身内はスカーレットの流儀で守らせていただきます。」

 

「……犯人は特殊な魔法を使います。数十体もの人形を軽々と操り、それらは魔法力への抵抗を持っている。もし戦闘になった場合、貴女一人で対処するのは難しいかと。」

 

「おや、スカーレットの私兵が信用できないと? ……自分で言うのもなんですが、結構強いんですよ? 私。」

 

練った気を身体から滲ませつつ聞いてやれば、隊長さんや周囲の闇祓いたちは冷や汗を流しながら硬直してしまう。遠くに居る客たちは一斉に目を逸らし、大臣は真っ青な顔になって、隣のアリスちゃんも……ありゃ、アリスちゃんはビビってる雰囲気じゃないな。むしろ『そこまでやらなくても』と呆れてる感じだ。さすがは従姉妹様が育てた魔女。大物になりそうじゃないか。

 

そのことに小さく微笑みながら気を収めると、隊長さんはゴクリと喉を鳴らしてから口を開いた。ビビってはいたが、それでも唯一動けそうだった人間はこいつだけだ。隊長の地位は伊達じゃないらしい。

 

「紅のマドモアゼルの私兵を侮るつもりは毛頭ございません。勘違いさせてしまったのなら謝罪します。」

 

「いえいえ、私もちょっと大人げなかったですね。久々に身体を動かせる仕事なのではしゃいじゃってるみたいです。……まあ、私たちとしても身内に手を出されて黙っているわけにはいかないんですよ。その辺を汲んではいただけませんか?」

 

「……私からこれ以上要求するのは無礼に過ぎますので、後は大臣のご判断のままに。」

 

納得はしていないという意思を言外に伝えてきた隊長さんは、それでもゆっくりと引き下がる。うんうん、こういう武人然とした人間は好きだぞ。とはいえ、付いて来られても邪魔なのは変わらない。恨むなら自分の実力不足を恨んでくれ。

 

「それでは、もうよろしいですか? 大臣。」

 

滝のような汗をせっせと拭っている大臣に質問を飛ばすと、彼はペコペコお辞儀しながら了承の言葉を寄越してきた。こいつもこいつで油断できんな。一見した限りでは小心な役人にしか見えないが、お嬢様によれば終戦直後に物凄い支持率で大臣になった人物らしい。レジスタンスの中心人物として活躍していたんだとか。確か名前は……デュヴァル、だったかな?

 

「はい、はい。当然ですとも。しかしながら、もし人手や情報が必要になったら何なりとお申し付けください。フランス魔法省は最優先で事に当たらせていただきますので。」

 

「ご配慮感謝します。」

 

いつもは浮かべないキチッとした笑みでそう言った後、アリスちゃんを目線で促してホテルの出入り口に向かう。そのまま魔法族が行き交う通りに出ながら、深々と息を吐いて表情を崩した。いやー、疲れたな。こういうのは本当に苦手だぞ。

 

「うへぇ、顔の筋肉がおかしくなっちゃいそうですよ。アリスちゃん、適当に姿くらまししてくれますか? 闇祓いの尾行があるかもですから。」

 

「へ? ……尾行までするんですか?」

 

「しますよ、あの隊長なら。マグル側の適当な路地にでも飛んでください。そしたら従姉妹様に姿を消してもらいましょう。後々偶然見つかったらその時はその時です。」

 

フランス語から英語に戻して頼みつつ、アリスちゃんの肩を掴んで付添い姿あらわししてもらった先は……ふむ、小汚い路地裏だな。いきなり現れた私たちに驚いて、数匹のネズミが汚ったないゴミ箱にダイブをかましているぞ。

 

壁沿いに並ぶゴミ箱の中身が生ゴミであることを確信させる、周囲に漂うツンとくる臭いに顔を顰めたところで、ポンと背中を叩かれると共に従姉妹様の姿が見えてきた。というか、私の姿が消えたのか。一緒に消えると見えるようになるのはどういう仕組みなんだろうか?

 

「ほら、これでいいだろう? さっさとこの『どん底』を出ようじゃないか。」

 

「はーい。……先ずは朝ご飯にしましょうよ。もう我慢は無理です。」

 

「キミ、こんな場所でよく食事のことを考えられるね。……分かったから早く歩いてくれ。ここに長居すると臭いが付いちゃうぞ。」

 

心底嫌そうな従姉妹様の先導で路地を出てみれば、時刻の割には結構な人通りが目に入ってくる。昔は全然見分けが付かなかったけど、今はフランス人とイギリス人の違いがよく分かるぞ。通りを歩く人間たちは……何と言うか、仕草がフランス人なのだ。後はまあ、単純にイギリス人より洒落っ気があるな。身嗜みに気を使ってる感じ。

 

「どこですか? ここ。」

 

道路を走る近代的な形の自動車、少し広めの歩道、まだ開店してないカフェのテラス席で朝っぱらから議論をしている男性たち。キョロキョロと通りを見回しながら問いかけてみると、アリスちゃんが返答を返してきた。

 

「十三区の端っこです。一番尾行し難いのはここかなぁと思いまして。……単なるイメージですけど。」

 

「十三? 全部で十二区じゃなかったですか?」

 

「マグル界だと一世紀くらい前に二十区に再編されたみたいですね。魔法界では大戦が始まる少し前に変わってます。十三区は……えっと、昔の十二区かな? ほんの少しだけ東寄りの南端です。そこそこ人口が多い地域らしいので、直感で何となく選んじゃいました。」

 

パリが広がったわけじゃなくて、より細かく分けたってことかな? アリスちゃんの説明を耳にしながら人を避けて歩いていると……なんか、中文の看板が沢山あるぞ。すれ違う顔もちらほらと東洋系が交じっているし、アジアからの移民が盛んな地区なのかもしれない。

 

むむむ、馴染んだ料理も悪くないが、フランスに来たからにはフランス料理が食べたいな。イギリスという国は嫌いじゃないものの、こと食に関してはフランスの方が上だろう。なにせこの国の連中は食事をするのにアホみたいな時間をかけるのだから。

 

頭の中で『滞在中に食べたい物リスト』を製作し始めた私へと、先頭を進む従姉妹様が残酷な報告を口にした。拍子抜けしたような声でだ。

 

「全然店が開いてないね。この時間だから無理もないが、選り好みするのは難しそうだぞ。サンドイッチで手を打つかい?」

 

「嫌です! 朝食を軽視するのはヨーロッパの悪習ですよ。クロワッサンやらサンドイッチやらで昼まで持つわけないじゃないですか。」

 

「キミは一、二週間食べなくても『持つ』だろう? 妖怪なんだから。」

 

「可能不可能で言えば可能ですけど、『出来る』と『やりたい』には天と地ほどの差があるんです。……ほら、あそこ! あの店は開いてるみたいですよ!」

 

いいさ、フランス料理は昼に回そう。もうこの際量があれば何でも良い。視線の先にあった営業中っぽいカフェを指して言ってみれば、従姉妹様とアリスちゃんはどうでも良い感じで頷いてくる。どうしてそんなに興味が無いんだ? 二人はお腹が空いてないんだろうか?

 

「どこでもいいよ。キミの好きにしたまえ。」

 

「そうですね、あの店にしましょうか。」

 

「はい、決定です。透明化を解いてください。」

 

従姉妹様に能力を解いてもらいつつ入店してみると……ぬう、結局パンなのか? テーブルに座る客はどいつもこいつもバゲットやらクロワッサンやらスコーンやらを食べているようだ。これじゃあいつもと変わらないじゃないか。

 

しかし、店を出てまた探し歩くのは面倒くさい。立ち止まった私を追い抜いて従姉妹様とアリスちゃんは窓際の席に座ってしまったし、もう観念するしかなさそうだな。

 

出端を挫かれた思いですごすごと席に着いて、素早く近付いてきた店員さんに三人それぞれ適当な料理を頼む。もちろんフランス語で。……何故だか知らんが、お嬢様は基本的にその国の言語で話すことを重視する。だから使いになる私もそうしろと勉強させられてしまったわけだ。紅魔館での生活は気に入っているが、語学の勉強だけは辛い日々だったな。二度とやりたくないぞ。

 

「従姉妹様、従姉妹様、どうしてお嬢様が言語を重視するか知ってます? フランスではフランス語を、ドイツではドイツ語を喋れ、みたいな感じに。」

 

料理を待つ間の暇潰しに問いかけてみると、従姉妹様は窓の外を眺めながら答えを寄越してきた。

 

「それはレミィ云々というか、吸血鬼全体の流儀だよ。吸血鬼は基本的に礼儀知らずだが、それでも人間より礼儀深いところは確かにあるんだ。その一つが言語だね。」

 

「郷に入れば郷に従えってことですか?」

 

「いーや、もっと単純なプライドの問題さ。例えばアリス、ロンドンを歩いてる時にいきなり訳の分からんアジアの言語で話しかけられたらどう思う?」

 

「そうですね……困ってるんじゃないかと思って、どうにかコミュニケーションを取ろうとします。」

 

急に投げかけられた質問に答えたアリスちゃんのことを、従姉妹様はきょとんとした顔で見つめた後……苦笑いで話を続けてくる。予想と違う答えだったらしい。

 

「とまあ、優しいアリスなんかはこう思うものの、大抵のヤツは『ここはイギリスなんだから英語を喋れよ』と迷惑に思うわけだ。」

 

「だからフランスではフランス語を喋れってことですか。」

 

「いやいや、フランスの場合は少し違ってくるんだよ。……次にパリの街中を思い浮かべたまえ。そこを道行くフランス人に英語で話しかけたとしようじゃないか。すると彼らはこう思うわけだ。『あー、はいはい。ここはフランスだけど、ヨーロッパの中心はイギリスだと思ってるから英語で話しかけてきたんですね』と。」

 

「ええ……そこまで捻くれてますかね?」

 

恐ろしい思考回路だな。ドン引きしながら聞き返してみると、従姉妹様は皮肉げな表情で肩を竦めてきた。

 

「人間の感性は知らんが、フランスの吸血鬼はそう思うヤツが多かったよ。『歴史あるフランス』をイギリス人風情が軽視してるのが気に食わないらしくてね。『そら、通じるだろ?』と言わんばかりに英語で話しかけられるのがお気に召さないようだ。だから一応私たちもフランスではフランス語を喋るし、ドイツではドイツ語を喋るようになったのさ。イギリスに来たら嫌でも英語を喋ってもらうがね。」

 

「いやぁ、全員が全員捻じ曲がった感性を持ってるとは思いたくないんですけど……アリスちゃんはどう思います? フランスには何度か来てるんですよね?」

 

「んー……どうなんでしょう? 確かに英語で話すと嫌な顔をされる時はありましたけど、単純に通じてないだけかと思ってました。実際のところ英語を話せない人は結構多いみたいですし、頑張って片言の英語で伝えようとしてくれる人も沢山居ましたよ?」

 

「ほらほら、一概にそうでもないみたいじゃないですか。」

 

アリスちゃんの言葉を借りて従姉妹様に指摘してみれば、彼女は大きく鼻を鳴らして応じてくる。大抵の吸血鬼がそうであるように、従姉妹様も美談がお嫌いなようだ。

 

「ふん、人間は誇りってものをすぐに忘れる生き物だからね。吸血鬼ですら持っているプライドを失くしちゃったんだろうさ。少なくとも私はイギリスで英語以外を使われたら無視するよ。」

 

「……そんなに愛国心がある人でしたっけ? 従姉妹様って。」

 

「愛国心なんぞ欠片もないが、軽んじられるのは気に食わないんだ。譲るべきは私じゃなくて相手の方だろう? 何故私がイギリスに来て英語も話せない間抜けに譲歩する必要があるんだい?」

 

「まあ、吸血鬼の性格の悪さがよく分かる逸話でした。アリスちゃんが譲り合いの精神を学べたのにも納得です。これぞ反面教師ってやつですね。」

 

私が言い終わった直後に従姉妹様がぶん投げてきた塩の小ビンをキャッチしていると、店員さんがプレートに載せた料理を運んできた。さっきまではパンの気分じゃなかったのだが、いざ目の前にすると美味そうだな。

 

「……アリスちゃん、それだけで足りるんですか? 死んじゃいません?」

 

私と従姉妹様より明らかに少ない量……バターが塗られたバゲットとジャム、それに申し訳程度の切られたバナナとカフェオレだけ。を見て驚愕の思いで聞いてみると、アリスちゃんは苦笑しながら頷いてくる。

 

「私は魔女ですから。習慣として食べてるだけで、別に量は必要ないんです。これで充分ですよ。」

 

「便利っちゃ便利ですけど、ちょびっとだけ悲しい話ですね。お腹が空いたりもしないんですか?」

 

「んー、私の場合はまだ空腹感らしきものが残ってますけど、パチュリーはもう感じないみたいですね。あくまで味を楽しむために飲み食いしてるんだとか。」

 

私は魔女にはなれんな。空腹感は最高のスパイスなのだから。……そして、フランス人にもなれそうにない。どうやらここではアリスちゃんのメニューこそが『正常』で、私や従姉妹様は食べすぎなようだ。

 

朝食だけはイギリスに軍配が上がりそうだと考えていると、従姉妹様がムスッとした顔で自分の頼んだ料理に手を伸ばした。……わお、気が利いてるな。トーストの焼き目がクマさんになってるぞ。『お子様』のために趣向を凝らしてくれたらしい。

 

「……少しこの国が嫌いになったよ。」

 

「サービス精神があるじゃないですか。従姉妹様が思うほど捻くれてはいないみたいですね。」

 

「黙って食べたまえ、美鈴。次は本気で投げるぞ。」

 

オリーブオイルの小瓶を指差して宣言してきた従姉妹様に、にへらと笑い返してから料理に向き直った。言われなくても食べるとも。そしたら適当に魔術師の情報を集めて、次は豪華な昼ご飯だ。うーん、楽しみ。今から何を食べるか決めておいた方が良いかもしれないな。

 

朝食を食べながら昼食のメニューについてを考えつつ、紅美鈴は昼前のおやつの候補も選出し始めるのだった。

 



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社会の敵

 

 

「……まあその、悪い人の溜まり場って雰囲気は確かにありますね。」

 

パリ十九区の細い路地の先にある一軒のバー。地下のドアを抜けた先に広がっていた怪しげな客で賑わう店内を見て、アリス・マーガトロイドは少しだけ気後れしながら呟いていた。奥の席で生肉らしきものを食べているのは人間なのか? 一人だったら絶対に入らないような店だな。

 

十三区のカフェで朝食を済ませた後、ふらふらと観光しようとするリーゼ様と美鈴さんを何とか誘導して、パリの裏側における『社交場』へと案内してもらったわけだが……これは、もっと明確に聞いておくべきだったのかもしれないな。私にはここが魔法界側の店なのか、それとも人外たちの店なのかが判断できないぞ。

 

古いバー独特の臭いに顔を顰める私へと、リーゼ様が堂々とテーブル席に向かいながら応じてくる。テーブル席は全部で十卓ほどで、手前にはお馴染みのカウンター席もあるようだ。

 

「汚ったない店だね。せめて綺麗な椅子を探そうじゃないか。この分だと立ってた方がマシかもしれんが。」

 

「あの、リーゼ様? 翼が見えちゃってますけど。」

 

「この店にそんなことを気にする客は居ないよ。だろう? 美鈴。」

 

「ま、そうですね。もっとヘンなのが沢山居るわけですし、コウモリの仮装をしてるくらいじゃ注目に値しないですよ。」

 

にへらと笑って頷いた美鈴さんに続いて、私もリーゼ様が選択した席に座り込むが……よく見ると小鬼のグループが居るな。つまり、この店はあくまで『魔法界の裏側』というわけだ。ちょびっとだけ安心したぞ。

 

小鬼を見て安心するという初めての体験をしている私を他所に、美鈴さんがキョロキョロと薄暗い店内を見回し始めた。誰かを探しているようだ。

 

「誰を探しているんですか?」

 

「情報屋ですよ。大戦の末期頃からこの店に住み着いてるはずなんですけど……んー、居ませんね。奥に引っ込んでるんでしょうか?」

 

『情報屋』か。本の中でなら度々登場する職業だが、実際に存在するとは思わなかったぞ。非日常の展開にほんの少しだけわくわくしながら、美鈴さんへの問いを重ねる。

 

「だけど、その人は魔法界の情報屋さんなんですよね? 探しているのは魔術師ですよ?」

 

「ああいや、その情報屋ってのは古馴染みの人外ですよ。『文明的』な生活が好きみたいで、昔から魔法界で生活してるんです。……そういう人外って結構居るんですよ? アリスちゃんやパチュリーさんだって言わばそうなわけですしね。」

 

「あー、言われてみれば納得です。身分を偽れる手段があるなら都会の方が便利ですし、マグル界よりは生活し易いでしょうしね。」

 

マグル界では奇妙に映る風体でも、魔法界ならそこまで気にされないだろう。である以上、どちらの方が簡単に生活できるかなど言わずもがなだ。私が納得の首肯を放ったところで、美鈴さんが注文を取りに来たらしい女性店員に質問を送った。……物凄い格好だな。スカートが短すぎて太ももまで見えちゃってるぞ。『そういうサービス』もやっている店なのかもしれない。

 

「あのー、ちょっと聞いてもいいですか?」

 

「何でしょうか? お客様。」

 

「スカーレットの使いで来たんですけど、アピスさんって居ます?」

 

瞬間、バーの空気が凍りつく。離れたテーブルでこそこそ話をしていた小鬼たち、くちゃくちゃと生肉を食べていた黒ローブの怪しい人、カウンター席で大声を出していた男性の集団。その他にもちらほら居た店内のあらゆる客が一斉に口を閉じて、ぐるりとこちらに視線を向けてきた。なんだこれ。めちゃくちゃ怖いぞ。

 

異様な状況に身体を硬直させてしまった私を尻目に、美鈴さんはなんでもないような顔でもう一度聞き直す。さっきまで騒がしかった店内が、今は耳に痛いほどの静けさだ。

 

「居ませんかね? だったら出直してきますけど。」

 

「少々お待ちください。」

 

それまでの愛想笑いをかき消した女性店員は、平坦な声でそう言うと早足でカウンターの奥へと姿を消すが……これ、大丈夫なのか? 客やバーマンは動きを止めてジッとこちらを見たままだし、どんなに頑張っても友好的とは解釈できない雰囲気だぞ。

 

とはいえ、あまりにも視線が集まりすぎていてリーゼ様や美鈴さんに聞けるような状態ではない。二人とも平然としているし、多分大丈夫なはず。落ち着かない気分で無理やり自分を励ましていると、店の奥から先程の女性店員と共に奇妙な人影が現れた。

 

一言で表現するなら……そう、背が低い厚化粧の太ったおばさんだ。身長こそ小鬼サイズだが耳は丸いし、鼻も尖っていない。小人症の人間なのだろうか? にしては肌の色が人間離れしているな。顔は厚塗りされた化粧で真っ白だが、ドレスの袖口から覗く手は薄い緑色。指も妙に細長い気がするぞ。

 

のっしのっしと私たちが囲んでいるテーブルまで歩いてきたマダムは、グリーンのギョロっとした瞳で美鈴さんのことを睨み付けると、やけに甲高い声で質問を飛ばし始める。たぷんたぷんの顎を揺らしながらだ。美鈴さんよりよっぽど『妖怪』っぽいな。

 

「あんた、イカれちまってるのかい? それとも単なる世間知らずの大間抜けなのか? ここがどんな国で、誰の名前を口に出したのかを理解してるんだろうね?」

 

「してますとも。レミリア・スカーレットの名前を出して、情報屋のアピスさんに会わせて欲しいと頼んだんです。」

 

「だったらあんたはやっぱり大間抜けさ。この店までたどり着けたことは褒めてやるがね、フランスで紅のマドモアゼルの名を騙ったヤツが行き着く先は地獄だよ。魔法大臣の名を騙ろうが、シャルルマーニュの名を騙ろうが私の知ったことじゃないが、その名前だけは許されないんだ。」

 

甲高い声だろうがなんだろうが、ドスを利かせることは出来るらしい。かなりの大迫力で威嚇してくるマダムに対して、美鈴さんはへらへらと笑いながら返事を返す。

 

「いやぁ、少し意外です。思ったよりスカーレットに感謝してたんですねぇ、こっち側の住人たちも。」

 

「法より恩義が優先されるのがこの世界なんだよ。そいつを忘れたら畜生と変わらないだろう? ……さて、覚悟は出来てるんだろうね? せめてもの情けとして、ガキは痛めつけるだけで済ませてやるさ。感謝するんだね。」

 

「それも面白そうなんですけど……はい、これ。納得してもらえました?」

 

美鈴さんが懐に手を入れたのを見て、周囲の客たちが一斉に杖を抜いたり手を振り上げたりするが……彼女が取り出した指輪を目にした途端、マダムが素早く指を立ててそれを制した。バーに漂う空気が緊張から困惑に変わっていく中、マダムは慎重な手付きで指輪を受け取る。

 

「……有り得ないよ。」

 

「そう思うんなら確かめてみてくださいよ。貴女は大戦中もこの国に居たんでしょう? だったらやり方を知ってるはずです。」

 

あの指輪に何か意味があるのだろうか? 古ぼけた鉄のシンプルなリングで、特に飾りや宝石のようなものは付いていない。もはや機械とかの『部品』に近い見た目だな。露店で売っていたらたとえ1クヌートでも誰も買わないだろう。私が怪訝に思っている間にも、マダムは疑惑の目付きで指輪をテーブルに置くと、そこに向けてパチリと細長い指を鳴らした。

 

すると焼け焦げるように表面の鉄が消えていき、指輪は真っ赤な宝石へとその材質を変える。継ぎ目のないルビーのリングだ。信じられないかのようにそれを暫く見つめていたマダムは、急に顔を上げると鋭い口調で店員に指示を出す。

 

「羊皮紙を持ってきな! 切れっ端でもなんでも構わないから、大急ぎでだ!」

 

「は、はい! アクシオ(来い)!」

 

羊皮紙? 指示を受けた女性店員がびくりと震えた後、慌てて杖を抜いて店の奥から羊皮紙を呼び寄せる。客たちが固唾を呑んで見守る中、背伸びしたマダムはテーブルに置いた羊皮紙に指輪の側面を押し当てると、それをコロコロと転がした。

 

すると羊皮紙には……おお、文字だ。指輪を転がした後に焦げ跡のような文字が浮かび上がっている。『アイリスは決して枯れず』という読み難い歪なフランス語の一文を読むと、マダムは深く息を吐いて脱力した。

 

「驚いたね。……あんた、本物の紅のマドモアゼルの使者か。」

 

「最初からそう言ってるじゃないですか。勝手に疑ったのはそっちでしょう?」

 

「信じられるわけがないだろう? この街でスカーレットの名を騙って甘い蜜を吸おうとするヤツがどれだけ居ると思うんだい? ……何にせよ、私はあんたに謝罪すべきみたいだね。」

 

「謝罪は不要ですから、アピスさんを呼んでください。あの人に聞きたいことがあるんです。……後はまあ、何か食べ物があれば満点ですね。」

 

全然気にしてない様子で肩を竦めた美鈴さんの発言を受けて、マダムは苦笑しながら店員や客たちに大声で呼びかける。あの指輪が身分を証明する物だったってことかな?

 

「このテーブルに一等高級な料理を持ってきな! それと、アピスを呼び付けるんだよ! どうせそこらの路地裏で売れない絵でも描いてるんだろうさ。……何してんだ! あんたらも探しに行くんだよ! もう店は閉店なんだから、少しは紅のマドモアゼルのお役に立ったらどうなんだい!」

 

おおう、凄い剣幕だな。マダムの言葉に慌てて立ち上がった客たちは、姿くらまししたり駆け足で出口へと向かい出す。……生肉を食べてた人も猫背でパタパタ走ってるぞ。裏社会のイメージが壊れるな。

 

いきなり友好的な雰囲気になったマダムを不思議な気分で見つめていると、それまで黙っていたリーゼ様がバーカウンターの方を指差しながら声を上げた。

 

「私は料理は結構だから、ウィスキーとつまみをくれないか?」

 

「アシャ、持ってきな! ……見た目通りの年齢じゃないらしいね。」

 

「おや、細かい事情を聞きたいかい?」

 

「不要だよ。話したいなら聞くが、こっちから質問するほどバカじゃないさ。私だって身の程は弁えてるんだ。」

 

アシャと呼ばれた先程の女性店員が小走りで持ってきたウィスキーを開けると、リーゼ様はグラスに注いで舐めるように飲みながら話を続ける。実に興味深そうな表情だ。

 

「しかしまあ、キミたちはグリンデルバルドのことが余程にお嫌いらしいね。フランス魔法界の裏側がここまでどっぷりスカーレット派だとは思わなかったよ。」

 

「私たちみたいなはぐれ者にとってもこの国は故郷だからね。……昔からフランス魔法界には二つの顔があったのさ。闇祓いたちが『正当』な方法でルールに従わないゴロツキどもを追い出し、私たちがイタリアのクソマフィアや能無しの移民どもを『不当』な方法で追っ払ってるんだよ。だから両方のルートからフランスを支配しようとしたグリンデルバルドは共通の敵ってわけだ。国が侵略されてる時に表も裏もないさね。」

 

「ふぅん? 占領中はどうしてたんだい?」

 

「レジスタンスへの物資の輸送を手伝ったり、集めた情報を闇祓いどもにくれてやったりしてたよ。グリンデルバルドは『より大きな善』とやらに夢中で、足元を這い回るちんけな小悪党なんぞ眼中になかったみたいだからね。楽な仕事だったさ。」

 

それを聞いたリーゼ様は少し苦い顔になると、椅子の背凭れに身を預けて無言でウィスキーを味わい始めた。……もしかしたら心当たりがあるのかもしれない。無論味方としてではなく、敵としてだろうが。

 

いやはや、まさかマダムも目の前に居る少女がグリンデルバルドの『上司』だとは思っていないだろうな。事情を知っている身からすれば奇妙な構図を眺めていると、美鈴さんが指輪を回収しながら口を開く。いつの間にか鉄に戻ってしまったようだ。魔法の品のようだし、ひょっとしてパチュリーが作ったんだろうか?

 

「闇祓いとも上手くやってるってことですか?」

 

「まさか。……あの時はあの時、今は今さ。私らはお天道様に顔向けできない裏側で、あいつらは堂々と歩ける表側だ。それを履き違えるつもりはないよ。」

 

「悲しい話ですねぇ。大戦で必死に戦った苦労は報われなかったわけですか。」

 

「人を殺した後に善行を積もうが、人殺しは人殺しだろう? 一度染めたらそれまでなのさ。手前で染めといて今更白くなろうってのは我儘ってもんだよ。……どうせ落ちない色なら骨の髄まで染み込ませないとね。薄汚い色でも染め抜けば本物になるんだから。」

 

ひどい台詞だな。厚化粧の顔をニヤリと歪ませたマダムに、くつくつと喉の奥で笑いながらのリーゼ様が皮肉を放った。

 

「んふふ、キミはとんでもない悪人だね。自分が正しいと思ってやってるヤツには救いがあるが、開き直ってるヤツはもう救えない。立派な『社会の敵』になれたみたいじゃないか。」

 

「なれたも何も、こちとら生まれた時から社会の敵さ。私は世にも珍しいしもべ妖精との混血だからね。魔法界ってとこはこんな化け物を受け容れるほど広量じゃなかったんだ。だから、私が生きられる場所はこっち側だけなんだよ。」

 

しもべ妖精の血が混じっていたのか。聞いたことのない話に驚いたところで、入り口のドアが開いて誰かが入ってくる。……長身の女性だ。腰まで伸びた長いベージュのウェーブがかった髪に、カラフルな汚れが付いた青いジャンプスーツ姿。あの人が情報屋か?

 

「おっと、来たかい。……それじゃ、私は奥に引っ込んでおくよ。何を話すのかは聞くべきじゃないし、聞きたくもないからね。」

 

「賢明な判断だね。協力感謝するよ。」

 

リーゼ様の声を背にマダムと料理を置いた店員がカウンターの奥へと消えて行き、代わりにジャンプスーツの女性が近付いてきた。結構な美人さんだな。『情報屋』って言葉のイメージから、てっきり男性だと思っていたぞ。

 

いよいよ話が進みそうなことに安心しつつ、アリス・マーガトロイドはそっと座り心地の悪い椅子に座り直すのだった。

 



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情報屋

 

 

「……どうも、紅さん。」

 

うーん、相変わらず声と見た目が一致しない妖怪だな。キュートすぎる声で挨拶してきたアピスさんに手を振りながら、紅美鈴は笑顔で返事を返していた。癖のある長髪と猫背の長身、薄汚れた軍の払い下げらしき迷彩柄のリュックサック、絵の具で汚れた青いジャンプスーツ。彼女の中では『身嗜み』という項目の優先度がかなり下に設定されているようだ。

 

「やーやー、アピスさん。とりあえず座ってくださいよ。元気にやってました?」

 

「さっきまでは元気でした。つまり、創作活動の邪魔をされて強引に呼び出される前までは。……誰なんですか? この人たち。っていうか、吸血鬼?」

 

「知り合いですよ、知り合い。ちなみにこっちの子は魔女です。」

 

「……なんか、怖いんですけど。いきなり殺されたりしないですよね?」

 

被害妄想も健在か。面倒くさい反応に内心でため息を吐きながら、不安そうな顔で躊躇うアピスさんを強引に席に着かせる。小心なこの妖怪とは千年以上の付き合いなのだが、毎度毎度初見の相手から殺されないかを心配するのはやめて欲しいぞ。私が紹介したヤツに殺されかけたのなんて一度か二度くらいなのに。

 

「しませんって、この方は良い吸血鬼ですから。……ね? 従姉妹様、ね? 花とか小鳥とかを愛でて過ごしてる、穏やかで心優しい吸血鬼ですもんね?」

 

「花も小鳥も嫌いだし、場合によっては初対面の相手をいきなり殺すさ。それが妖怪ってもんだろう?」

 

「あーほら、そういう冗談はダメなんですってば。アピスさんは怖がりなんですから。」

 

余計なところでサディスティックになるのは吸血鬼の悪い癖だぞ。途端に席を立って逃げ出そうとするアピスさんの肩を押さえつつ、従姉妹様にお願いの目線を送ってみると、黒髪の吸血鬼は渋々といった様子で普通の自己紹介を口にした。

 

「ま、今日は情報を買いに来ただけさ。私はアンネリーゼ・バートリだ。よろしく頼むよ、情報屋さん。」

 

「バートリ? 同族狩りのバートリ? ……吸血鬼の中でもとびっきり危ない部類じゃないですか。そんなのと同席なんて無理ですよ。」

 

「……へぇ? 随分と古い呼名を知ってるじゃないか。」

 

『同族狩り』? 微かな警戒を滲ませて言った従姉妹様は、疑問げな表情の私とアリスちゃんを見て苦笑しながら説明してくる。

 

「大昔のバートリ家は吸血鬼の裏切り者の始末も請け負ってたんだ。父上の代にはもうやらなくなってたけどね。だから心無い一部の吸血鬼が『同族狩り』なんて呼ぶようになったのさ。……依頼したのは自分たちだってのに、失礼しちゃうよ。」

 

「えっと、リーゼ様はやってないってことですよね?」

 

「残念ながら、私に依頼が来たことは一度もないね。そもそも吸血鬼の数が減ってるから当然っちゃ当然だが。」

 

吸血鬼を始末する吸血鬼か。バートリ家も中々に奥が深い家系らしい。アリスちゃんの質問に肩を竦めて答えると、従姉妹様はアピスさんに向けて問いを投げかけた。先程までの適当なものではなく、見定めるような顔付きでだ。

 

「それでキミ、バートリの仕事をどこで知ったんだい? 極一部の古い吸血鬼しか知らない事実のはずだが。」

 

「……情報源は明かせません。一応情報屋なので。」

 

「ふぅん? 気に食わないね。どこまで黙っていられるか試してみようか?」

 

「ぼ、暴力はやめてください。……これだから嫌なんです。人外は気に入らないことがあるとすぐ暴力に訴えます。少しくらい文明的に話そうとは思わないんですか?」

 

椅子の上で縮こまりながら非難するアピスさんへと、従姉妹様は不気味なものを見るかのような目付きで呆れ声を放つ。まあうん、気持ちは分かるぞ。

 

「驚いたね。本当に妖怪なのか? こいつ。『文明的に話そう』だって? ……初めて見たぞ、そんなアホみたいな台詞をのたまう人外は。」

 

「貴女が無学で野蛮だからアホだと思うんです。私はただ、知性ある存在として最も理性的な選択を……紅さん、やっぱり私は殺されるかもしれません。あの吸血鬼の目を見てください。殺してやるって語ってますよ。」

 

「ああもう、従姉妹様! 脅さないであげてくださいよ。あんまり怖がらせると何も喋ってくれなくなるんですから。」

 

これじゃあ話が進まないじゃないか。疲れた気分で注意した私に、従姉妹様は鼻を鳴らしてやれやれと首を振ってくる。『やれやれ』したいのはこっちだぞ。

 

「はいはい、無学で野蛮な吸血鬼は黙ってることにするよ。さっさとそこの『妖怪もどき』から情報を引き出してくれたまえ。私が我慢していられるうちにね。」

 

「そうしてもらえると助かります。……さて、アピスさん。ご飯を食べながら話しましょうか。さっき小さい変なおばさんが用意してくれたんです。」

 

気を取り直してテーブルに並んでいる料理を勧めてやると、アピスさんは従姉妹様の方を警戒したままでおずおずとポタージュに手を伸ばした。わざわざ一番遠い場所にあったスプーンを選び、尚且つそれを紙ナプキンでゴシゴシ拭いてからだ。露骨すぎる行動だな。

 

「お腹が空いてるから食べますけど……毒とか、そういうのは入ってないんですよね?」

 

「あのおばさんが私たちを殺そうとしてなければ大丈夫なはずです。……大体、貴女は毒なんかじゃ死なないでしょう? 無用な心配ですよ。」

 

「私が死ぬような毒が存在するかもしれないじゃないですか。そして、それを口にするのは今日かもしれません。保証なんてどこにもないんです。」

 

「そんなこと言ってたら何も出来ないじゃないですか。……まあいいです、アリスちゃんもどうぞ。お腹空いてるでしょう?」

 

少し緊張が解れてきたらしい『最年少人外』に声をかけてやれば、アリスちゃんは苦笑いでやんわりとした断りを入れてくる。そんなんじゃ大きくなれないぞ。……いや、魔女だから関係ないか。すっかり忘れてたな。

 

「いえ、私は大丈夫です。……あの、貴女は妖怪なんですよね? どんな種族なんですか?」

 

「秘密です。その情報だけは売れません。種族はそのまま弱点に繋がりますから。」

 

「あー……なるほど、それは失礼しました。」

 

スープをちょっとずつ飲みながらボソボソと放たれた返答を受けて、アリスちゃんは怯んだように頷いてから口を閉じるが……やがて沈黙に耐えきれなかったかのように再びアピスさんに問いを送った。私は食事に夢中で、従姉妹様はだんまりを決め込んでいる。アリスちゃんにとってはかなり居心地の悪い空間らしい。

 

「それじゃあ、その……絵を描かれるんですか? 服に絵の具の汚れが付いちゃってますし。」

 

「描きます。最近は絵の勉強をしてるんです。……食事が肉体の糧なら、絵画は精神の糧ですから。こういうものを楽しむことこそが文化的な生活に繋がるんだと確信しています。」

 

「それはまあ、そうかもしれませんね。絵を楽しむ余裕があるってことは良いことですから。」

 

「……見たいですか? 私の絵。」

 

『見て欲しい』という感情の篭った質問に対して、アリスちゃんは他所行きの笑顔を浮かべながら首肯を返した。会話の取っ掛かりになると判断したようだ。

 

「いいんですか?」

 

「紅さんの友達なら特別に見せてあげます。……どうぞ、これです。最近描いた中では一番の手応えを感じました。」

 

ちょびっとだけ嬉しそうな声と共に、アピスさんがリュックサックから取り出したのは……うわぁ、凄いな。麻薬中毒の三歳児が脳震盪を起こした状態で描いたような絵だ。多分パリの風景画だと思うのだが、沢山描かれているのが建物なのか二足歩行の牛なのかが判断できない。絵を分断している無数の青い線は……セーヌ川か? あるいは青いミミズの大群かもしれないが。

 

ジッと見ていると不安になってくる絵を前にして、アリスちゃんは目をパチパチさせながら一瞬言葉に詰まった後、どうにか絞り出したと言わんばかりの声量で感想を口にした。

 

「凄く……個性的な絵だと思います。こんな絵を見たのは初めてですから。これがアートってやつなんですね。」

 

「見る目がありますね、貴女。最近は現代美術がどうこうと独り善がりな絵ばかりが持ち上げられていますが、鑑賞する者を選ぶ絵など二流以下です。写実主義こそ至高であって、キュビズムなんてものは自己満足のパズルに過ぎません。抽象画に至っては議論にすら値しませんね。あれは絵ではなく、『汚れ』ですから。」

 

これ、写実画のつもりだったのか。世界がこんな見た目だったら私は絶望して自死するかもしれないぞ。戦慄の気分で『落書き』を見つめる私を他所に、アリスちゃんは引きつった笑顔で口を開く。彼女も私と同じ感想を抱いているようだ。口に出すつもりはないらしいが。

 

「しゃ、写実? ……まあはい、そうですね、素人としては分かり易い絵の方が助かります。」

 

「その通り、分かり易さこそが重要なんです。絵とは現実を確かめるための手段であり、鑑賞者は私の絵を通して世界が安定していることを認識するわけですね。不安定な絵から汲み取れるのは不安だけであって、それは一時的に感情を揺さぶるかもしれませんが、精神の糧として適したものではありません。」

 

あまりにも不安定な絵を指して自慢げに主張したアピスさんは、ご機嫌な様子で話し続けながらリュックサックから更なる絵を取り出した。今度のはやや小さめの作品だ。ふむ、私が題を付けるとすれば……『世界で一番不細工なチンパンジー』かな。

 

「こっちは数ヶ月前に仕上げた自画像です。クールベの作品にも劣らない出来だと自負しています。」

 

クールベとやらが誰なのかは知らんが、とにかく失礼なことを言ってるのは理解できるぞ。稀に見るハイテンションでえへんと大きな胸を張るアピスさんへと、アリスちゃんは見事なお世辞で対応する。

 

「わぁ……これは、深い絵ですね。さっきの絵は分かり易い美しさでしたけど、こっちはメッセージ性を感じます。」

 

多分本心から言ったのは『わぁ』の部分だけだな。どうやってあの短時間で準備したのかは謎だが、兎にも角にも見事な鴨肉のローストを頬張りながら推理していると、アピスさんはおかしくなったキツツキみたいに首を振り始めた。褒められたのが余程に嬉しいのだろう。つまり、これまでは誰も褒めてくれなかったわけだ。

 

「そうです、そうです! この絵はこう……四つの領域に分かれていて、それぞれが喜び、苦しみ、愛、恐怖を表しています。それらは同一であり、かつ分かたれている概念であることを一つの絵に纏めることで表現して──」

 

「ふぅん? 私は下手くそだと思うけどね。足の指を使ったとしても私ならもっと上手く描けるよ。」

 

おおう、容赦ないな。ウィスキーが入ったグラス片手に一刀両断した正直な吸血鬼は、ピタリと口を噤んだアピスさんへと辛辣な評価を続ける。アリスちゃんが頭を押さえているのが目に入っていないようだ。

 

「キミは先ず線の引き方を勉強すべきだよ。遠近感も狂ってるし、色の選択もひどすぎるが、何より線がおかしいね。どうしてこんなにぐにゃぐにゃなんだい? 盲目のトロールでももっと真っ直ぐな線を引けるぞ。」

 

「……貴女に見せてるわけではありません。こっちの芸術を理解できる魔女さんに見せてるんです。」

 

「おや、『鑑賞する者を選ぶ絵は二流以下』じゃなかったのかい? キミの絵はこの世のどんな絵画より人を選ぶと思うがね。察するに売れてないし、評価されてもいないんだろう? 世の人間たちはそんな絵のことを『駄作』と呼ぶんだよ。これ以上絵の具を無駄にする前に筆を折った方がいいんじゃないかな。」

 

吸血鬼の笑みできっぱりと断言した従姉妹様のことを、アピスさんは暫くの間ぷるぷる震えながら睨んでいたが……あー、泣いちゃった。ポロポロと涙を零しつつしゃくり上げ始めた。生れながらのいじめっ子といじめられっ子か。相性が悪い二人だな。

 

「わた、私だって頑張って描いてるんです。絵の学校に行って勉強して、毎日朝から晩まで筆を握ってるのに、それなのに……それなのにどうしてバカにするんですか? 貴女に人の心は無いんですか?」

 

「無いよ、吸血鬼だからね。キミだって妖怪なんだから無いだろう?」

 

「貴女は人でなしです。外道です。悪魔です。」

 

「だから全部合ってるよ。ずっと吸血鬼だって言ってるだろうが。……おい美鈴、いつまでこんな無駄話を続けるつもりなんだい? 早く本題に入りたまえよ。『絵の具汚れ展覧会』に付き合ってる暇なんかないはずだぞ。」

 

イライラと翼を揺らす従姉妹様に促されて、ため息を吐いてから本題を切り出す。折角アリスちゃんが話し易い空気を作ってくれてたのに、僅か一分でもうこれだ。ここから持ち直すのは難易度が高すぎるぞ。

 

「もう従姉妹様は黙っててください。絶対に喋っちゃダメですからね! ……ほら、アピスさん。悪口吸血鬼は黙らせましたから。」

 

「……あの吸血鬼とは喋りたくありません。嫌いです。情報も売りませんから。」

 

「いやいや、違うんです。情報はアリスちゃん……こっちの魔女ちゃんのために欲しいんですよ。口の悪い吸血鬼はおまけで付いてきたに過ぎません。私もちょっと邪魔だなぁと思ってたくらいでして。」

 

従姉妹様がぎろりと睨め付けてくるが、先に状況をややこしくしたのはそっちじゃないか。私はそれを必死に解決しようとしているだけだぞ。無言の文句を黙殺する私へと、アピスさんはアリスちゃんに視線を向けながら疑問を投げてきた。

 

「……魔女さんのため、ですか?」

 

「そうですとも。アピスさんの絵を気に入ったことからも分かるように、とっても優しい良い子なんですけど……変質者みたいな魔術師に命を狙われちゃってるんです。魔法族の少女を誘拐してる魔術師のことを知ってます?」

 

「勿論知ってます。情報屋ですから。……あの男に関する情報が欲しいんですか?」

 

「ええ、出来れば工房の場所を教えて欲しいんです。やられる前にやっちゃおうと思ってまして。」

 

人外の基本ルールを語る私の頼みを受けて、アピスさんは困ったように微笑むアリスちゃんを見ながら少し悩んだ後……ピンと立てた人差し指を示してくる。

 

「一本で売ります。」

 

「おお? やっすいですね。本物の魔術師相手ですし、三、四本は取られると思ってたんですけど。」

 

「本来なら四本ですけど、芸術を理解する魔女さんに免じて一本、紅さんに免じて一本、そして情報が不明瞭なので一本おまけします。だから一本です。」

 

「いやぁ、持つべきものは話が分かる友人ですね。」

 

アリスちゃんの努力は無駄にならずに済んだわけか。しみじみと言いながら鉛筆程度の大きさの金属の棒を懐から抜いて、アピスさんへと差し出した。ヨーロッパじゃあまり流通していない妖怪の通貨だ。棒自体も価値の高い金属らしいが、どちらかといえば貸し借りを明確にするために使っている部分が大きい。アジアの人外相手なら色々と使い道があるだろう。

 

従姉妹様とアリスちゃんが不思議そうな目で棒を見る中、それをリュックサックに仕舞ったアピスさんはスラスラと魔術師の情報を語り始める。

 

「確かに受け取りました。……では、お話ししましょう。件の魔術師は流れ者で、三十年ほど前にパリに移ってきたばかりです。当時パリを縄張りにしていた魔女が南の方に移った後、空いた隙間にするりと入ってきました。他の人外とはあまり関わりを持っていないみたいですね。」

 

「いいですね、繋がりの薄い流れ者なら気軽に始末できます。」

 

「工房の位置は十五区と十四区の境にあって、古い小さなノン・マジークの家を乗っ取ったみたいです。あとは大戦で出た犠牲者を人肉業者からよく『購入』してたようで、それが一番深い人外との関わりってことになります。実験か何かに使っていたんじゃないでしょうか? ……基本的には迷惑がられてますから、殺しても文句は出ないと思いますよ。最近ちょっと目立ちすぎですし。」

 

「人外の中でも話題になってるんですか? 誘拐事件とやらは。」

 

あまり目にしたことがない生魚を食べつつ聞いてみると、アピスさんはこっくり頷いてから話を続けてきた。

 

「わざわざ死体を片付けないで残したあたり、意図的に事件にしてるのは明白ですから。嗅ぎ回る闇祓いたちを迷惑に思ってる人外は結構多いです。……人間を『人形』にしてるってことはもう知ってますか?」

 

「知ってます。アリスちゃんがちょっかいをかけられた時に本人が言ってたんだとか。」

 

「普通の人形にする以外にも色々と試してるみたいです。身体はそのままで脳だけ弄ったり、逆に脳だけそのままで身体を全部『換装』したり。……十二年前に一区で通り魔事件があったんですけど、あれも多分そいつの仕業ですね。身体が人間のままでどこまでやれるかを試したんじゃないでしょうか? 結局負荷に耐えきれず、屋根から屋根に飛び移る途中で壊れて墜落したらしいですけど。」

 

「悪趣味なヤツですねぇ。」

 

人間を弄って実験に勤しんでいたわけか。なんとも魔術師らしい魔術師だな。ありきたりな逸話に適当な相槌を打った私に、アピスさんもつまらなさそうな口調で同意してくる。

 

「加えて独創性もあまりないみたいですね。通り魔事件にしても、実験にしても、特徴的な部分が全然ありませんから。没個性的な人外なんて笑えませんよ。ちなみに名前はパリに来た当初から一貫してエリック・プショーと名乗ってます。……見た目の説明は必要ですか?」

 

「アリスちゃんが直接見てるので不要です。」

 

「なら、工房の詳細な位置を説明します。……トータルで見るとそれなりの量の死体を購入しているので、『戦力』はそこそこあるかもしれません。紅さんなら心配ないでしょうけど。」

 

「木っ端が多くても意味ないですよ。死んだ後まで働かされるのはちょっと可哀想ですし、なるべく壊してあげることにします。」

 

場所さえ分かればこっちのもんだ。これは今日中に方が付きそうだな。……現在アピスさんがせっせと描いている地図を解読できればの話だが。うーむ、字は綺麗なのになぁ。書法家になるんじゃダメなんだろうか?

 

まあ、絵描きも数十年やってればそのうち飽きるだろう。前は馬の調教に夢中になってたし、その前は時計技師、そして更に前は料理の研究をしていたはずだ。多趣味というか、飽きっぽいというか、アピスさんはそういう妖怪なのである。

 

しかし、ここまで上達しそうにないのは初めてかもしれない。時計技師としてはかなりの腕まで到達してたし、料理もまあまあ美味かった。馬は……どうなったんだっけ? 結構なスピードで飽きちゃったから全然覚えてないな。

 

長年付き合っていても謎が多い情報屋の経歴を思い出しつつ、紅美鈴はどうやって地図を描くのをやめさせようかと悩むのだった。

 



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魔術師の工房

 

 

「地図に描いてあるムカデの集合体みたいなものが線路だとすれば、目的地は多分この家ですね。……随分とボロボロに見えますけど。」

 

マグルの鉄道がすぐ近くを通っているパリ十五区の外れ。目の前に立つ古ぼけた一軒家を見つめながら、アリス・マーガトロイドは少しだけ緊張していた。見た目は伝統的なパリの民家といった具合だな。二階建ての細長い造りで、庭らしい庭は無し。没個性的なこの家が魔術師の工房だとは誰も思うまい。

 

とんでもない絵を描く変わり者の妖怪から情報を仕入れた私たちは、その足で魔術師の工房へと殴り込みをかけようとしているのである。とんとん拍子に進む状況に困惑していないと言えば嘘になるが、リーゼ様や美鈴さんが関わっているならこんなものだろう。さすがに半日足らずで住処まで特定できたのは予想外だったけど。

 

板が打ち付けてある二階の窓を見上げながら考えていると、リーゼ様が錆び付いた柵を開けて敷地へと入って行く。躊躇ないな。防衛用の魔法とかはかかっていないんだろうか?

 

「あの、プショーが中に居るかを確認しなくてもいいんですか? 家の前で張り込んだりとか。」

 

ペンキが剥がれたドアに手をかけるリーゼ様に聞いてみれば、彼女はべキリという音と共にドアを開きながら……破壊しながら返事を返してきた。

 

「魔術師がお行儀良くドアから入るわけないじゃないか。危険無くして報い無し。先ず突っ込んでから考えればいいさ。」

 

「分かり易くていいですねぇ。私が先行しましょうか?」

 

「キミはアリスの護衛役だ。ピッタリくっついておきたまえ。」

 

「はいはーい。」

 

ドアノブが取れてしまった半開きのドアを蹴り飛ばしたリーゼ様の指示を受けて、美鈴さんが私の背後にささっと移動する。そしてドアの向こうにあったのは……むむ、真っ暗だな。どうやら玄関の先は長い直線の廊下になっているらしい。外からの明かりである程度の距離までは見えるが、廊下の奥は真っ暗闇だ。

 

とはいえ、まともに見えていないのは私だけだったようで、リーゼ様と美鈴さんは当然のように奥を指しながら話し始めた。リーゼ様は分かるけど、美鈴さんもか。案外夜目が利く種族だったりするのかな?

 

「なんとまあ、うんざりするほど長い廊下じゃないか。拡大魔法か? ずーっと先に下り階段が見えるね。」

 

「魔術師の工房なんだから当たり前ですけど、外観通りの広さではないみたいですね。……どうします? 素直に『順路』に従いますか? 片っ端から壁をぶっ壊してみてもいいですけど。」

 

「迷うところだが……まあ、とりあえずは普通に進んでみようか。従わないとたどり着けないタイプだったら厄介だし、強行するのは行き詰まってからにしよう。」

 

そう言って玄関を抜けていくリーゼ様に続いて、私も真っ暗な廊下を歩き出す。……ドアも窓もないな。歩くたびにギシギシと音を立てる板張りの床、ありきたりな花柄の壁紙、そして等間隔に設置された蝋燭がない燭台。そんな内装が延々続いているようだ。

 

そのままリーゼ様の背中を追って五十メートルほど歩いたところで、我慢できずに小さく声を上げた。普通の目しか持っていない私にはこの辺りが限界だ。まだまだ先は続いているようだし、想像していたよりも遥かに長い廊下だったらしい。明かりを用意しないとまともに進めないぞ。

 

「……杖明かりを灯してもいいですか? 何も見えなくなってきました。」

 

「ああ、構わないよ。プショーが中に居るとして、さすがに入ったのはバレてるだろうしね。」

 

「それじゃ、ルーモス(光よ)。」

 

リーゼ様の端的な了承の返答を聞いて、ホルダーから抜いた杖に明かりを灯してみると……うわぁ、不気味だな。前も後ろも普通の家っぽい廊下がずっとずっと続いている。入ってきた玄関の明かりが微かに見えているのでまだマシだが、ちょっとした悪夢に出てきそうな光景だ。

 

「……何を考えてこんな廊下を作ったんでしょうか?」

 

青白い杖明かりに照らされた、延々と続く不気味な廊下。そこを歩き続けながら疑問を発してみると、最後尾を進む美鈴さんが応じてきた。

 

「単なる趣味じゃなければ防衛のためでしょうね。狭い通路ってのは色々と便利ですから。例えばほら、ああいうことをしたりとか。」

 

『ああいうこと』? 苦笑しながら美鈴さんが視線を送っているのは、私たちが通ってきた背後の廊下だ。玄関に続くその細長い通路をよく見てみると……ひょっとして、崩れてる? 崩れてるじゃないか!

 

杖明かりが届かない距離なのではっきりとは確認できないが、入り口側から徐々に床板が崩れ落ちているらしい。こちらに近付いてくる崩落の光景を指差して、私が口をパクパクさせていると……面倒くさそうな顔のリーゼ様が暢気に批評を寄越してきた。

 

「分かるよ、アリス。ありきたりな仕掛けだと言いたいんだろう? さっき『妖怪もどき』も言ってたが、プショーにオリジナリティが欠けてるのは間違いないらしいね。」

 

「いやいや、それはどうでも良いんです。このままだと落ちちゃいますよ? 結構なスピードで崩れてますし、走った方がいいんじゃないですか?」

 

「無駄だよ。キミの目じゃ見えないだろうが、前の方からも崩れてきてるからね。挟み撃ちってわけさ。」

 

「じゃあ尚更どうにかしないとマズいじゃないですか!」

 

どうしてそんなに余裕なんだ。のんびりした口調で説明してきたリーゼ様に言い放つと、彼女はジト目で背中の翼をパタパタ動かしてくる。……そっか、翼か。そりゃそうだ。リーゼ様は飛べるんだった。

 

「アリスは私が持つよ。美鈴は足に掴まりたまえ。」

 

「おっけーです。……でも、落ちたらどうなるんですかね? どうせ向かう先は下り階段なんですし、あえて落ちてみましょうか?」

 

「やめておいた方がいいんじゃないかな。幾ら何でも『強制ショートカット』ってことはないと思うよ。どうせ別の場所に繋げてあるとか、延々落ち続けることになるとか、そんな感じだろうさ。」

 

リーゼ様と美鈴さんが話している間にも、バキバキという音が前後から迫ってくる。前方から崩れてくる床板が私にも視認できるようになったところで、リーゼ様が私の胸あたりに手を回してぐいと持ち上げた。脇の下に腕を通すような格好だ。……昨日みたいに横抱きにされるのを期待してたんだけどな。密着度が高いからこれもまあ悪くはないが。

 

「よっと。……なるべく動かないでくれたまえよ?」

 

「はい、了解です。」

 

うなじに当たるリーゼ様の息にドキドキしていると、それまで足を置いていた床板が物凄い勢いで壊れた後、その下にあった真っ暗な空間へと落ちていく。……いくら待っても落下音が聞こえてこないな。とんでもなく深いか、あるいは底なんて無いのかもしれない。

 

抱えられた状態で眼下の深淵を見つめる私に、リーゼ様がゆっくり飛行しながら声をかけてきた。ちなみに美鈴さんはリーゼ様の左足首を片手で掴んでいる。私だったら掴むのも掴まれるのも一苦労な状態だが、二人にとってはなんてことないようだ。

 

「懐かしいね。十年くらい前にキミを抱っこして中庭を飛んだのを思い出すよ。」

 

「私が箒に上手く乗れないから、空に慣れさせるためにやってくれたんですよね。……重くないですか?」

 

「重さは平気だが、大きくて持ち難くはなったかな。……魔女ってのはちっちゃくなれないのかい? 若返ることは出来るんだろう?」

 

「薬とかを使えば不可能ではないですけど、子供の姿だと社会的な制限がありますから。二十代か三十代くらいの姿が一番生活し易いんじゃないでしょうか?」

 

パチュリーはそもそも外出しないので、賢者の石を呑んだ卒業時の年齢で止めているが……私は三十歳手前くらいの大人の女性になろうかな。そんなことを考えていると、リーゼ様が苦々しい声色で意見を飛ばしてくる。

 

「私としては若い方がいいかな。欲を言えばまだ背が伸びてなかった二年生か三年生の頃がベストだが、卒業直後の姿でもギリギリ許容範囲だよ。」

 

「……大人の私は嫌ですか?」

 

「キミがそうしたいなら我慢するさ。だけど、あんまり大人になり過ぎちゃうのは少し寂しい気がしてね。並んで歩いた時に違和感が凄いだろう? 親子が逆転しちゃうよ。」

 

むむう、リーゼ様がそう言うなら卒業直後まで戻しちゃおうかな? 確かにリーゼ様と並ぶ分にはそっちの方が収まりが良さそうだし、事情を知らない人にリーゼ様を指して『お子さんですか?』なんて聞かれた日にはどう反応していいか分からないぞ。

 

ただまあ、どっちにしろリーゼ様の方を親と思う人は居ないだろう。良くて姉妹ってとこかな。抱っこされて運ばれながら年齢についてを思考していると、視線の先に薄っすら階段らしきものが見えてきた。その手前五メートルほどの床板は無事なようだ。

 

「つくづく意味不明な構造ですね。階段も直線みたいですし、拡大魔法どころか空間を弄ってるんでしょうか?」

 

「アリスちゃん、こういうのを細かく分析してるとおかしくなっちゃいますよ。適当に受け入れるくらいがちょうどいいんです。」

 

「……まあ、『適当に受け入れる』技術に関しては結構自信があります。ホグワーツで嫌ってほど学びましたから。」

 

ぷらんぷらん揺れながらの美鈴さんが寄越してきたアドバイスに、苦笑いで頷いて応じたところで……おっと、到着か。リーゼ様が階段の目の前にそっと降ろしてくれる。美鈴さんは靴を脱ぎ捨てる時のように雑に振り落とされたようだが。

 

「……従姉妹様、ちょっとは私に気を使ってくれてもいいんですよ?」

 

「キミは頑丈だから平気だろう? ぞんざいな扱いは信頼の証だよ。」

 

「礼節の問題ですよ、これは。」

 

呆れたように言いながら、美鈴さんはノーモーションで……びっくりしたぞ。いきなり壁をぶん殴ると、砕けた壁の破片を緩やかな下り階段の先に投擲した。距離を測りたかったらしい。

 

「おー……こっちも長いですね。私には見えないんですけど、従姉妹様は終点が見えてます?」

 

「見えてるよ。コンクリートっぽい灰色の地面が覗いてるだけだがね。」

 

「歩かせるのが好きみたいですねぇ、件の魔術師さんは。私はまだ会ってないですけど、段々嫌いになってきまし──」

 

うんざりしたように愚痴りながらの美鈴さんが、何気なく階段の一段目に足を置こうとしたところで……へ? 何が起こったんだ?その姿が一瞬にして下方へと消えていく。落とし穴に落ちた時みたいな消え方だ。

 

「め、美鈴さん?」

 

慌てて近付いて確かめてみれば、尋常ではないスピードで階段を下りていく美鈴さんの姿が目に入ってきた。下りていくというか、あれは斜めに落下していると言うべきなのかもしれないな。階段の段鼻ギリギリをなぞるようにして、三十五度くらいの浅い角度で『落ちて』いる。物理学者が見たら困惑しそうな光景だ。

 

「……どうしましょう?」

 

謎すぎる状況に当惑しながらリーゼ様に問いかけてみると、彼女はアホらしいと言わんばかりの顔付きで額を押さえて答えてきた。

 

「『斜めに落ちていく門番』というのはそれなりに愉快な光景だったが、落ちたからには追わなきゃいけないだろうね。……キミはどうなってるんだと思う? 私は見た目の角度と実際の角度が違うんじゃないかと予想してるんだが。」

 

「えーっと……そうですね、その可能性はあると思います。私たちには緩めの階段に見えてますけど、実際は九十度の落とし穴なんじゃないでしょうか?」

 

「なら、さっきと同じように『攻略』しようか。この『びっくりハウス』は翼がある種族向きじゃないみたいだね。」

 

大きくため息を吐きながら再び私を抱っこしたリーゼ様は、ひょいと階段の方へと一歩を踏み出す。すると……おお、不思議な感じだな。感覚としては明らかに落下しているのだが、視覚的には斜めに移動している。認識のズレで少し気持ち悪くなってきたぞ。

 

軽い乗り物酔いの時のような気持ち悪さに耐えつつ、背中に当たるリーゼ様の感触で気を紛らわせながら暗闇の中を結構な時間落下していると、底が見えると共に降下のスピードが緩やかになっていく。リーゼ様が調整してくれているらしい。

 

そして着地したのは打放しのコンクリート床。正に『地下室』って感じの雰囲気だな。くらくらする感覚に耐えながら杖明かりを翳してみれば、中々に不気味な光景が見えてきた。いくら人形好きの私でもこれはぞわりと来るぞ。

 

「人形、ですね。」

 

四方を灰色のコンクリートに囲まれた地下室の中には、信じられない数の多種多様な人形たちが立ち並んでいる。大きさは指人形サイズからトロール顔負けの巨大なものまで様々で、姿形もいっそ清々しいほどにバラバラだ。かなり広い空間なので端までは光が届いていないが、それでも千体を優に上回っているのは間違いないだろう。

 

一番近くに立っている等身大のピエロ人形を眺めながら呟いた私に、リーゼ様が身も蓋もない評価を送ってきた。

 

「何事も程々が一番ってのがよく分かる光景だね。キミの作業部屋より『人形密度』が高い空間は初めて見たよ。」

 

「これ、全部プショーが作ったんでしょうか? だとしたらとんでもない腕ですね。ここまで多様な作風を取れるっていうのは異常ですよ。」

 

なにせ伝統的な糸が付いたマリオネットやぬいぐるみのような布人形、リアル寄りの蝋人形や人体模型もあれば、電気を使うらしい機械仕掛けの自動人形まで置いてあるのだ。素材も機構も分野も違う膨大な数の人形たち。これだけ種々雑多な人形を作るためにはどれほどの知識が必要になるのだろうか?

 

不気味さと、驚愕。そして僅かな敗北感。そんな感情に支配されている私を他所に、リーゼ様は先に『墜落』していた美鈴さんに声を……なんて事をしてるんだ、あの人は!

 

「それで美鈴、キミは何をしているんだい?」

 

「ご覧の通り、人形を片っ端からぶっ壊しまくってるんですよ。」

 

けろりとした顔で本人が自供しているように、美鈴さんは一心不乱に人形を壊して回っているようだ。とんでもない犯罪行為をしている『殺人形妖怪』に大急ぎで駆け寄って、左腕をがっしり掴んで蛮行を止めにかかった。

 

「ストップです、美鈴さん! ストップ! ……気でも狂ったんですか?」

 

「いやぁ、アリスちゃんからの冷たい目線は従姉妹様のより効きますね。……よく考えてください、アリスちゃん。件の魔術師は人形使いなんですよ? だったら後々動き出すに決まってるじゃないですか。」

 

「でも、全然動いてないじゃないですか!」

 

「分かってないですねぇ。こういうのは部屋の半分くらいまで進むと、いきなりギギギって動き出して一斉に襲いかかってくるもんなんですよ。物語のアホな登場人物とかは騙されるんでしょうけど、賢い私はこの身に宿りし『かしこ力』で事前に解決しちゃうわけです。」

 

言いながら巨大な鎧人形を右手一本で持ち上げた美鈴さんは、それを思いっきり振りかぶって……あああ! オートマタが! 精巧な自動人形が集まっている区画にぶん投げてしまう。ちゃんと見たかったのに!

 

無残に破壊された十体ほどのオートマタを呆然と見つめた後、我に返って悪事を続けようとする超極悪妖怪の服をがっしり握り締めて、それを全力で後方に引っ張った。もうやらせないぞ、大量虐殺者め!

 

「ダメです! もうダメです! ……動いてから対処すればいいじゃないですか! 疑わしきは罰せずが世のルールでしょう? 作者がどうあれ、人形に罪はありません!」

 

「ところがアリスちゃん、妖怪の世界では疑わしきは討てが原則なんですよ。恨むならわざとらしく人形を配置した魔術師を恨んでください。」

 

「ダメですってば! ……リーゼ様、助けてください! このままだと全部壊されちゃいます!」

 

美鈴さんにずりずりと引き摺られながら助けを求めてみると、リーゼ様は何故かジト目で返答を寄越してくる。

 

「……私抜きで随分と楽しそうにしてるね、二人とも。敵地で遊ぶのはやめた方がいいと思うよ。」

 

「遊んでないです! 愚行を止めてるんです!」

 

「私だって遊んでないですよ。事前の対策は兵法の基本でしょう? 罠がありそうなら先んじてぶん殴っておく。それが出来る武人ってもんなんです。」

 

「聞いたことないですよ、そんなの!」

 

ええい、こうなったら魔法で止めるしかないな。人形を守るためなら仕方がないのだ。杖を抜いて何の呪文を使おうかと考え始めたところで、リーゼ様が鋭く注意を飛ばしてきた。

 

「……漫才はそこまでにしておきたまえ。お客さんだぞ。」

 

お客さん? 急に声色が変わったリーゼ様のことを訝しむ間も無く、美鈴さんが素早い動きで私を抱えてリーゼ様の横に移動した。急すぎる移動でぐえってなっちゃったぞ。そのことに抗議しようと顔を上げてみれば──

 

「いやはや、本当ならもう少し奥で待っている予定だったのですが、頭のおかしな行動を取り始めたので我慢できずに出てきてしまいましたよ。……それ以上壊さないでいただけますか? ここは単なるギャラリーですので。」

 

プショーだ。昨日と同じように燕尾服姿で、昨日と同じように五体満足。リーゼ様に捥がれたという腕と足は『修理』したらしい。人形たちの隙間を縫ってこちらに歩み寄りつつ、かなり迷惑そうな顔付きで説明を放ってきたプショーに対して、リーゼ様が大きく鼻を鳴らしながら返事を返す。

 

「ふん、だったら分かり易く看板でも立ててそう書いておきたまえよ。あの廊下と階段の先にこれがあったら勘違いするヤツが出ても仕方がないだろう?」

 

「まともな常識がある存在ならいきなり壊したりはしないと思いますが……まあ、いいでしょう。改めて私の工房にようこ──」

 

と、格好を付けた動作でプショーがお辞儀しようとするが……うーむ、容赦なさすぎるぞ。刹那の間に近付いた美鈴さんが燕尾服の変質者を蹴り飛ばした。一瞬で移動したのが妖術なのか体術なのかは不明だが、何にせよ彼女は会話の終了を待つほどお行儀が良くなかったらしい。

 

凄まじい速度でボールのように吹っ飛んでいくプショーを見ながら、アリス・マーガトロイドは美鈴さんを敵に回すことの厄介さを再認識するのだった。……味方でもちょっとだけ厄介かもしれないが。

 



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空虚なもの

 

 

「ありゃ、防がなかったですね。」

 

んー、肉を蹴った時の感触じゃないな。膝に残る奇妙な感覚に首を傾げつつ、紅美鈴はえらい速度で飛んでいく魔術師のことを見送っていた。まあ、多分死んだだろう。ゾウくらいなら即死する威力で蹴ったわけだし。

 

アピスさんからの情報を基に魔術師の工房に突入したのがちょっと前で、斜めに落下するという新鮮な体験をしたのがついさっき、そして私たちの眼前でペラペラ話し始めた魔術師を蹴ってやったのが今だ。術師なんぞの会話に付き合っていても良いことなどあるまい。無視してぶっとばすのが賢い行動だぞ。

 

戦い慣れていないアリスちゃんが引きつった顔で魔術師を……あーあ、千切れちゃった。空中で綺麗に『分離』した魔術師を目で追っているのを他所に、仏頂面の従姉妹様が私に苦言を呈してくる。

 

「キミね、もっと過程を楽しんだらどうなんだい? 一瞬で終わっちゃうとつまらないじゃないか。」

 

「そういうことをやってるから取り逃がすんですよ。……従姉妹様って相手を追い詰めた後に勝ち誇り始めて、なんやかんやで逆転されちゃうタイプですよね。私は先ず殺してから考えるタイプなんです。大抵の場合、死体は反撃してきませんから。」

 

「言うじゃないか、ぽんこつ門番め。夕食抜きにしちゃうぞ。」

 

「あー、そういうの! そういうのはズルいですよ! ……さすがは従姉妹同士ですねぇ。図星を指された時のお嬢様の反応にそっくりです。」

 

形勢が悪くなるとすぐさま盤をひっくり返そうとするな。しかも、一切悪びれずにだ。それもまた吸血鬼の強みかもしれないとため息を吐いていると、微妙な表情のアリスちゃんが魔術師が飛んでいった方向をおずおずと指差した。

 

「……どうするんですか? あれ。」

 

「確認してきますからここに居てください。普通に死んでると思いますけどね。」

 

軽く返事を返しつつ、コンクリートの地面を蹴って壁際まで移動してみると……おお、生きてるのか? 立ち並ぶ雑多な人形たちの向こう側で、魔術師の上半身がもがくように右手を動かしているのが目に入ってくる。下半身は腰のあたりから千切れて、左腕もどっかにいっちゃったみたいだが、頭はきちんとくっ付いているようだ。思ったより頑丈だな。

 

「わお、ひょっとして生きてます? しぶといですねぇ。」

 

右腕を掴んでぶら下げながら聞いてみれば、魔術師は困ったような苦笑で返答を寄越してきた。血は流れていないし、特に痛みも感じていないらしい。そういえば従姉妹様が身体を改造してるとかなんとかって言ってたっけ。

 

「生きていますよ。『生きている』の定義次第かもしれませんが。」

 

「そういう哲学問答は苦手なのでやめてください。……へぇ? 内側は金属で出来てるんですね。内臓とかは入ってないんですか?」

 

「胴体部には基本的に入っていませんよ。しかし頭部には脳が収納されていますので、そこだけは丁寧に扱っていただけると助かります。……降参しますから、話し合いをしませんか? そもそもそのつもりで出てきたんですけどね。」

 

「残念ですけど、私は『話が早い』タイプなんですよ。今度からは白旗を持って登場してください。」

 

にへらと笑って言った後、くるりと身を翻して従姉妹様とアリスちゃんの所に戻る。移動の衝撃で魔術師の断面から幾つかの金属片が落っこちているが……まあ、平気だろう。半分になっても大丈夫なんだし、この程度何でもないはずだ。

 

「どもども、お二人とも。捕虜を持ってきました。まだ生きてるみたいですよ、こいつ。」

 

手に持った『戦利品』を高々と掲げて宣言してやれば、待っていた二人は対照的な反応を送ってきた。アリスちゃんは驚愕を、従姉妹様は納得をだ。

 

「……胴体も生身じゃなかったんですね。」

 

「なるほどね、自分も『お人形さん』になってたわけだ。変質者にはお似合いの姿だよ。」

 

「頭の中は生って言ってましたけどね。降参したいみたいですよ?」

 

三人で囲んだ地面の中心に上半身を放り投げつつ報告してみると、コンクリートの床に落ちた魔術師は情けない顔で口を開く。

 

「いやはや、またしても不運ですね。工房を突き止められるかもとは思っていましたが、吸血鬼に加えてこんな化け物みたいな存在が一緒なのは予想外でした。お陰で何かをする前にこのザマですよ。色々と歓迎の準備を整えておいたのですが。」

 

「はいはい、キミが油断してたのはよく分かったよ。吸血鬼を敵に回すべきじゃないと理解できたかい?」

 

「それはもう、心の底から理解させていただきました。他の人外と距離を置いていたのが裏目に出ましたね。本から手に入る吸血鬼の情報など高が知れていたようです。……一応聞いておきますが、見逃してくれませんか?」

 

「ダメに決まっているだろう? この私の強大さを知れたことを喜びながら死んでいきたまえ。」

 

ほら、やっぱりやってるじゃないか。従姉妹様がありきたりな感じに勝ち誇り始めたのを見て、私がやれやれと首を振ったところで……何だ? 魔術師がクスクス笑いながら話を続けてきた。随分と余裕があるな。

 

「まあ、そうでしょうね。……非常に残念ですよ。これはお気に入りだったのですが。」

 

「『これ』?」

 

「この身体ですよ。私は他人を見下ろせる背の高い男性というのが一番好きでしてね。何度か改良も加えましたし、長く使っているので愛着があるんです。魔法力を行使できるというのも中々便利でした。」

 

どういう意味だ? 私とアリスちゃんがきょとんとするのを尻目に、従姉妹様だけは言わんとすることに気付いたらしい。物凄く面倒くさそうな顔になったかと思えば、大きくため息を吐きながら魔術師に文句を呟く。

 

「頗る面倒なヤツだね、キミは。その身体は『本体』じゃないのか。」

 

「当たり前でしょう? 訳の分からない化け物どもの前に不用意に出て行くと思いますか? ……脳だけは元々付いていた部品を残していますが、見て、聞いて、話して、動かしているのは遠く離れた『私』ですよ。遠隔操作は得意なんです。」

 

「脳だけを残す必要があるのかい? そこまでやるなら丸っきり作り物でも問題ないだろうに。」

 

「脳まで取ったら魔法を使えなくなってしまうじゃありませんか。それに、脳が稼働していると既存のパーツが使い易くなりますからね。この身体は全身を入れ替えていますが、もしもの時に『接続』できるように残してあるんです。」

 

つまり、目の前で無残な姿になっている『これ』は単なる操り人形ってことか。……それは確かに面倒だな。アピスさんですらこの身体を『魔術師』だと思っていたようだし、そうなると本体の情報はゼロ。振り出しに戻っちゃったぞ。

 

また一からやり直すことを思ってうんざりしている私に対して、アリスちゃんは別の部分に怒っているらしい。魔術師を睨み付けながら非難し始めた。

 

「……非道に過ぎるわよ、貴方。脳が動いてるってことがどういう意味なのかを理解しているの?」

 

「ええ、分かっていますとも。ジャンメール氏……この身体の素材になった人間の名前ですが、彼はまだ『生きている』ということを言いたいんでしょう? 感覚器官とは切り離されているので見ることも聞くことも出来ませんし、如何なる刺激も受けていないはずですが……興味深いとは思いませんか? 彼は今何を考えているんでしょうね? いや、そもそも考えることが可能なのかも不明です。 外界を観測できない個は存在していると言えるのでしょうか? 興味が尽きませんよ、本当に。」

 

「一人で勝手に実験してればいいじゃないの。自分の脳みそを水槽にでも浮かべてみなさいよ。」

 

「気にはなりますが、自分で確かめたくはありませんね。ジャンメール氏の状態は『生き地獄』と称するにぴったりの状況ですから。魔法力を生み出すための部品になるなんて御免ですよ。それこそ死んだ方がマシ、というやつです。」

 

いけしゃあしゃあとのたまう魔術師にアリスちゃんが侮蔑の目を向ける中、今度は従姉妹様が冷たい声色で言葉を放つ。

 

「しかしだね、どうしてキミはそのことをわざわざ教えてくれるんだい? 黙って死んだフリをすれば良かったじゃないか。そしたら私たちはキミを殺したと勘違いしてたかもしれないよ?」

 

「その方法は合理的かもしれませんが、同時に退屈極まる選択です。……こんなもの単なる暇潰しに過ぎないんですよ。マドモアゼル・マーガトロイドは是非とも欲しいですが、折角力ある吸血鬼や大妖怪がゲームに参加してくれたんですから、主催者たる私としてはどんどん盛り上げていくべきでしょう? 貴女も長命な妖怪なら理解しているはずだ。人生とは長いゲームだということを。」

 

「んふふ、ようやく真っ当な台詞が出てきたじゃないか。その通り、生とは最高のゲームさ。生きとし生けるものは皆それを遊んでいるだけなんだ。……だが、魔術師が『妖怪の常識』を口にするのは少し意外だね。お堅い理屈屋連中は中々理解してくれないものだと思っていたが。」

 

「他の魔術師や魔女と考え方が違うのは当然ですよ。私は人間から魔術師に至ったわけではなく、魔術師として生まれた存在ですから。存在としてはむしろ妖怪に近いのかもしれませんね。」

 

んん? よく分からんな。生まれた時から『魔術師』だなんて有り得るか? 私が疑問に思っているのを他所に、アリスちゃんが鋭い口調で指摘を飛ばした。

 

「昨日の夜は『理想の人形を作るために魔の道に踏み込んだ』と言っていたはずよ。」

 

「おっと、初心な方だ。私の言葉を信じてしまったんですか? ……あれは『エリック・プショー』に付けた設定ですよ。人形で遊ぶなら設定に拘らないといけませんからね。ある程度本物の私に近いプロフィールであることは確かですが、同一であるとまでは言えません。人形でごっこ遊びをしたことはありませんか? 私は別人の設定で遊ぶのが好きだったんです。自分ではない誰かになれるのは楽しいものですから。」

 

「アリス、こいつの話は適当に聞いておきたまえ。そもそも本当に魔術師なのかすら怪しくなってきたぞ。『生まれながらの魔術師』なんて存在するわけないだろうが。」

 

「そこは本当なんですけどね。……まあ、魔術師という部分は間違っているかもしれません。『私』は女性ですし、最初は魔女と呼ばれていたような気がしますから。長年色々な設定の人形に意識を移したり操ったりしてきた所為で、今や自己が曖昧になっていましてね。こうして喋っている自分自身が間違いなく『本体』だという確信を持てないんです。困ったものですよ。」

 

おいおい、やっばいヤツだな。自己の確立というのは妖怪にとって最も重要な部分だ。それが出来ていないのに平然としているあたり、私たちとは全然違う存在なのかもしれないぞ。従姉妹様もそう思ったようで、警戒のレベルを明らかに上げながら返事を返す。

 

「凄まじく不気味な存在だね。……つまりあれか、キミは魔女という怪異として生まれた妖怪なわけだ。それなら微妙にズレてるのも納得だよ。」

 

「ああ、そうかもしれませんね。あるいはその記憶が『私』という人形に植え付けられたもので、実際の本体は普通に魔女だったり魔術師だったりするのかもしれません。遠隔操作用以外にもある程度の自我を持った人形をいくつか作りましたから。……しかし、そうなるとマドモアゼル・マーガトロイドの立場が複雑になってしまいます。『私』は『エリック・プショー』を通して人形を作れるわけですから、彼女を人形にすると『人形が操る人形を作れる人形が作った人形を作れる人形』ということになるわけです。」

 

「無意味な早口言葉はやめてくれ。……本体がとっくに死んでる可能性を考慮すべきだと思うけどね。今すぐ自分の頭を割って確かめてみたらどうだい? 出てきたのが綿の塊だったら面白いことになるぞ。」

 

「それはまた、背筋が凍る話ですね。主人を失くしたのに気付かず、虚構の目的を目指し続ける人形ですか。悪くないストーリーです。今度試してみることにしましょう。」

 

発言とは裏腹に、魔術師……じゃなくて、結局魔女なのか? とにかく目の前の人形は愉快そうな笑みを浮かべている。別にどうでも良いと感じているのだろう。私だったらめちゃくちゃ怖いけどな。自分が誰かに作られた人形で、それを自覚せずに生きてるってのは恐怖に値する状況だと思うぞ。

 

魔術師か、魔女か、人間か、人形か、妖怪か。当人ですら自分が何なのかを理解していないあやふやな存在は、壊れかけの人形を通して話の続きを語り出した。

 

「まあ、そこまでいくと禅問答ですよ。自分が何であるかなんてことはさほど重要じゃないんです。大切なのは楽しんでいるか否かでしょう? 私は楽しんでいます。なら問題ありません。」

 

「それには同意しようじゃないか。その上で言わせてもらえば、私はキミの存在が『楽しくない』んだ。必ず見つけ出して殺してみせるよ。」

 

「そこまで嫌われると少し悲しいですね。……こちらとしても貴女がたを相手取るのは面倒だと理解しましたし、マドモアゼル・マーガトロイドを引き渡して終わりにしませんか? 望むならそれなりの対価を用意できますよ? 私にとっては『人形を作れる』という付加価値がありますが、貴女にとってはそうでもないでしょう?」

 

「相変わらず吸血鬼に詳しくないようだね。悪いが、アリスは私のものなんだ。そして吸血鬼って存在は自分のものを誰かに渡したりはしないのさ。交渉は不可能だと思ってもらおうか。」

 

まあうん、吸血鬼に対して身内を引き渡せってのは有り得ない提案だろうな。即答で拒否した従姉妹様へと、人形は困ったような苦笑で代案を提示する。

 

「では、こうしましょう。次の一戦で決めるのはどうですか? 正直言って貴女は私のことを探し出せないと思いますし、私としても吸血鬼に延々付け狙われるのは望ましくありません。次のゲームで負けたらマドモアゼル・マーガトロイドは諦めます。その代わり舞台に彼女を連れて来てください。」

 

「嫌だよ。何が悲しくてキミの準備した舞台でやり合わなくちゃならないんだい? 心配しなくても探し当ててみせるさ。こっちはちょうど大きなゲームが終わって退屈してたところだったんだ。世にはノーヒントで特定の存在を探し出せる妖怪ってのも居るんでね。」

 

ニヤリと笑う従姉妹様の脅しは……まあ、ギリギリ嘘ではないな。『反則級』の連中ならどこに隠れようが一発で見つけられるだろう。どいつもこいつも癖が強いから頼むのは難しいかもしれないが、別に不可能ってほどではないはずだ。私もいくらか心当たりがあるし。

 

私がうんうん頷きながら納得していると、人形はやおら微笑みを浮かべてアリスちゃんに話しかけた。やけに楽しそうな雰囲気だ。

 

「いいえ、受けますよ。貴女ではなく、マドモアゼル・マーガトロイド本人がね。確か……テッサ・ヴェイユでしたか? 今日はどこで何をしているんでしょうね? あのお嬢さん。」

 

「……どういう意味?」

 

「私が言いたいのは、『お姫様』から目を離すべきではないということですよ。更に言えば、誘拐した少女もまだストックが残っています。全身がきちんと無事なのは一体だけですけどね。ご友人のおまけくらいにはなるでしょう?」

 

「テッサに何を──」

 

おおっと、危ない。勢いよく詰め寄ろうとするアリスちゃんを止めて、従姉妹様に続きを任せる。迂闊にアリスちゃんを近寄らせるべきではないのだ。こいつが抜け目ない存在なのはさすがに理解できたのだから。

 

「ヴェイユを攫ったわけか。……良い手だね。フランス当局の話によれば、闇祓いが一人護衛に付いていたはずだが?」

 

「闇祓い如きが何かの役に立つとお思いですか? ……もちろんお姫様は五体満足ですし、傷らしい傷もありません。餌としては悪くないでしょう? 食い付いてくれると助かるのですが。」

 

「うーん、難しいところだね。私としてはそこまでの価値を感じないかな。ヴェイユが死んだところでノーダメージだよ。」

 

「さて、どうでしょうね? それが真実にせよ嘘にせよ、貴女はマドモアゼル・マーガトロイドの意思を無視できないようだ。ならば人質としての価値はあるはずです。」

 

薄ら笑いの人形と何かを黙考する従姉妹様が睨み合っているのを、もごもご言っているアリスちゃんの口を塞ぎつつ眺めていると……やがて従姉妹様がイラついている時の口調で話を進め出す。

 

「いいだろう、乗ってやろうじゃないか。場所は?」

 

「十七区の外れに廃劇場がありましてね、地図は私の胸ポケットに入っています。そこでお待ちしていますよ。」

 

「ふん、どうせ『お待ちしている』のは人形の向こうに居るキミじゃないんだろう?」

 

「それはそうですが、ルールはきちんと守りますよ。今回のゲームは次で最終戦です。決着が付いたら私は『暫くの間』マドモアゼル・マーガトロイドのことを諦めますし、貴女がたもしつこく私を追わない。条件を呑んでいただけますか?」

 

暫く、ね。嫌な一言を付け足した人形に対して、従姉妹様は無言で薄暗い天井を見上げた後、冷たい声で質問を投げかけた。

 

「契約を破ることの危険性は理解しているかい?」

 

「これでも人外としてそれなりに生きてきましたからね。破っていい手形とそうでないものの違いはよく理解しています。……自分で決めたゲームのルールを無視するほど落ちぶれてはいませんよ。人間ならば唾棄される程度で済みますが、人外にとっては赦されざる行いですから。お望みであればお好きな方法で正式な契約を結びますよ?」

 

「それを理解しているのであれば結構だ。次で最後、終わった後は互いに不干渉、人質の安全を保証。それと……そうだな、終わったらヨーロッパから出て行ってもらおうか。近場をうろちょろされるのは目障りだからね。」

 

「おや、条件を追加できる立場ですか?」

 

クスクス笑いながら言った人形に、従姉妹様もまた吸血鬼の笑顔で応じる。……おー、怖い。いつもの皮肉げな感じの笑顔ではなく、冷酷な鬼としての笑顔だ。

 

「それがだね、追加できる立場なんだよ。……私はキミのゲームに『乗ってあげてもいい』と言ってるんだ。『交ぜてください』と頼み込んでるわけじゃない。ヴェイユが殺されるのはアリスにとって耐え難い痛手だろうし、私としても悲しむ彼女のことは見たくないが、結局のところそれだけだ。別にこのまま追いかけっこを続けてもいいんだよ? そうなった時、自分がどうなるのかが分からないのかい?」

 

「安い脅しですね。見付け出した後、苦しめて殺すとでも言うんですか? 自分で言うのもなんですが、私に対してはあまり効果がないと思いますよ。」

 

「簡単に殺すわけないだろう? 見付け出したキミに与えるのは永劫の『退屈』だよ。古今東西の力ある人外たちが唯一恐れるもの。それを与える方法を私はよく知っているんだ。」

 

従姉妹様が放った『とびっきりの脅し』を受けて、人形は僅かな間だけ口を噤む。私としても一番怖いのはそれだな。物や土地、建物なんかに強大な人外が封印されているという逸話は世界各地に転がっているが、あれは殺せないから仕方なく封印しているわけではなく、殺すより残酷な所業だから封印しているだけなのだ。

 

力ある人外は死など恐れないし、消滅させたところで後に残るものなど何もない。故に私たちにとって最悪の拷問は永い退屈というわけだ。たった五百年間山に封印されただけで『二度と戻りたくない』と弱音を吐いていた友人を思い出していると、人形が先程よりやや慎重なトーンで話を再開した。

 

「それは確かに勘弁願いたいですね。……まあ、構いませんよ。フランスに住むのもそろそろ飽きてきましたし、終わったら別の土地に移ります。」

 

「大いに結構。それじゃ、始めようか。」

 

「ええ、楽しみましょう。お互いに。」

 

端的な受け答えと共に、人形は残っていた右腕を振り上げると……伝言を終えたら不要ってことか。それを自分の頭に勢いよく振り下ろす。結果としてぐしゃりと潰れて変な汁が出てきた頭部を見ながら、従姉妹様が大きく鼻を鳴らして口を開いた。

 

「あんまり楽しめそうにないゲームだし、パパッと終わらせようじゃないか。……安心したまえ、アリス。ああいう手合いはルールを守るよ。無事だと明言した以上、ヴェイユは無事さ。」

 

「でも、私が巻き込んじゃった所為で──」

 

「気持ちは分かるが、後悔したり謝ったりするのは後で本人相手にやりたまえ。ちゃんと救い出してあげるから。……正直言って負ける気はしないからね。あいつ、本気で勝てる可能性があると思ってゲームを吹っかけてきたのか? だとしたら相当なアホだが。」

 

前半を優しげな声でアリスちゃんに、後半を呆れ声で私に言った従姉妹様へと、半笑いで同意の返答を送る。

 

「人質を取ったのは悪くない選択でしたけど、『人数制限』を明確にしなかったのは相当間抜けですね。人外のゲームに慣れてないんでしょうか?」

 

「かもしれないね。押さえるべき部分を押さえていないし、初心者丸出しのゲームルールだよ。仕来りはある程度理解してたみたいだが、実際にやるのは初めてってとこじゃないかな。」

 

「まあ、今回は痛い目を見てもらうとしましょうか。これも勉強ってもんですよ。」

 

いきなり砕けた感じに話し始めた私たちを見て、クエスチョンマークを浮かべたアリスちゃんが疑問を寄越してきた。

 

「あの、どういうことですか?」

 

「人質の安全は保証した癖に、時間や人数の指定をしなかったってことさ。……ま、とりあえずはここを出よう。昼食でも取りながら話そうじゃないか。」

 

「いやいやいや、早くテッサを助けに行きましょうよ!」

 

「急いては事を仕損じるのさ。私に任せておきたまえ。」

 

のんびりした発言に慌てて反論を飛ばすアリスちゃんを横目にしつつ、私も二人の背に続いて歩き出す。事の発端から二日とちょっと。そろそろお嬢様は大陸側の人外との交渉を終えただろう。それはつまり、もう一人の魔女がフランスに入れるという意味に他ならない。

 

酒は酒屋に、茶は茶屋に。だったら魔女のことは魔女に任せるべきなのだ。次の戦いでは楽が出来そうだなと考えながら、紅美鈴はランチの内容へと思考を切り替えるのだった。

 



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鬼ごっこ

 

 

「……へ?」

 

ゆっくりと開いた瞼の向こう側。そこにあった光景が自分の部屋ではないと脳が認識した瞬間、テッサ・ヴェイユは反射的に硬いマットレスから飛び起きていた。オレンジ色の豆電球に照らされた古い木の丸椅子、大量の照明が備え付けられた鏡台、所々穴が空いている時代遅れなデザインのソファ。薄暗い小部屋の中にある埃まみれの家具たちは、どれもこれも見覚えのない物ばかりだ。

 

どこなんだ? ここは。見知らぬ場所と訳の分からない状況に暫し呆然とした後で、慌てて自分の服装をチェックする。……うん、乱れてないな。杖もしっかりとホルダーに収まっているようだ。それを抜いて杖明かりを灯してから、部屋を調べつつ記憶の確認を始めた。

 

私の中に残っている最後の記憶は……えっと、実家の自室のベッドで横になっていた記憶だな。グラン・ギニョール劇場での騒ぎが一段落した後、魔法省で行われたアリスの事情聴取が長引きすぎた所為で、パパの手によって強引に家へと帰されてしまったのだ。割と粘ってはみたのだが、アリスのことは任せろと言われて渋々頷いてしまった。

 

ちなみに家に帰る時はクロードさんも一緒だったはずだ。一応は巻き込まれた形になった私を心配して、引き続き護衛に付いてくれることになったんだとか。本人は真面目くさった顔で任務ですなんて主張していたが、どうもバルト隊長に頼み込んでくれたらしい。

 

そしてオルレアンの屋敷に到着した後はアリスを案じるママの質問攻勢をどうにか捌きつつ、お手伝いさんが用意してくれた軽めの食事をクロードさんと二人で食べてから、一旦部屋に戻ってベッドに倒れ込んだ後……むう、思い出せるのはそこまでだな。いきなりこの部屋で目を覚ましたのである。

 

いくらお間抜けな私でも、あのまま寝ちゃったというのはさすがに有り得ないはず。パパとアリスが帰ってくるまでは起きて待っていようと考えていたし、劇場での出来事がショックで目も冴えていた。そもそもベッドに倒れ込んだのはほんの一瞬で、すぐにシャワーを浴びて着替えようと思っていたのだ。

 

っていうか、この状況は寝た寝てないどころの話じゃないな。これっぽっちも見覚えのない場所だし、実家の空き部屋じゃないことは明らかだ。だからまあ、私は要するに……誘拐されたってことなのか?

 

「……嘘でしょ?」

 

独り言を呟きながらようやく回り始めた頭で現状を自覚して、大急ぎで一つだけあるドアを開けようとしてみるが……ダメだ、開かない。それに、よく見るとここだけ真新しい鉄製だ。必要以上に頑丈なのが伝わってくるぞ。

 

アベルト(解錠せよ)。」

 

咄嗟に試してみた解錠呪文は効果がないし、ガンガン叩いてみてもビクともしない。自分の身体を勝手に運搬されたという恐怖と、閉じ込められたという焦りを感じつつ、こうなったら壁をぶち破ってやろうと破砕呪文を使おうとしたところで──

 

「誰か閉じ込められているんですか?」

 

ドアの向こう側から声が投げかけられた。聞き覚えのある、ハキハキとした真面目そうな声……クロードさんだ! 緊急時だからか物凄く頼もしく聞こえる声に安心しながら、ドアを叩きまくって返事を叫ぶ。

 

「クロードさん? クロードさんだよね?」

 

「その声……まさか、テッサさん? ご無事ですか? お怪我は?」

 

「んっと、無事だと思う。気付いたらここに居たの。クロードさんは大丈夫?」

 

「私は大丈夫です。……少し待っていてください、今すぐ開けますから。アロホモラ(開け)! アベルト!」

 

呪文を使っているし、どうやらクロードさんも杖を持っているらしい。反対側から何度か解錠呪文を試していたみたいだが、私の時と同じく上手く作用しなかったようだ。やがて切迫した声色で質問を寄越してきた。

 

「ダメですね、かなり高度な施錠呪文がかかっているようです。……中がどうなっているのかを教えていただけませんか?」

 

「結構狭い部屋で、古い楽屋みたいな雰囲気なの。出入り口はそこだけみたい。家具もあんまりないかな。」

 

「ドアの横の壁を破壊しようと思うのですが、テッサさんが避難できる空間がないのであれば別の手段を考えます。どうですか?」

 

「んー……もしそっち側が広い空間なら、先にこっちから試してみてもいい? 私も杖を持ってるんだよね。」

 

長年愛用しているイトスギの杖を構えつつ問いかけてみれば、クロードさんはすぐさま了承の返答を返してくる。

 

「こちらは広い廊下ですし、杖があるならその方が安全ですね。私は少し離れておきますから、十秒後に試してみてください。思いっきりやってもらって構いません。」

 

「ん、分かった。」

 

遠ざかる微かな足音を耳にしながら、遅めのペースで十秒数えた後……よっし、いくぞ。ありったけの魔法力を込めた有言呪文をドアの横の壁に撃ち込んだ。

 

コンフリンゴ(爆発せよ)!」

 

すると轟音と共に滑らかな石の壁が吹っ飛び、これでもかという大きさの穴が空いてしまう。壁には何の呪文もかかっていなかったらしい。だったらもっと弱めでも問題なかったな。今更すぎるけど。

 

若干の『やり過ぎ感』に顔を引きつらせつつ、そろりそろりと穴を抜けてみれば……通路だ。寂れたゴシック様式の長い通路が目に入ってきた。ちらほらと設置されている夕陽が差し込む窓の位置からするに、地上二階くらいの高さに居るようだ。何にせよ外が見えると安心するぞ。

 

「お見事です、テッサさん。」

 

「まあうん、ちょっとやり過ぎちゃったかも。……ここって何処なの? 普通の家とかじゃなくて、そこそこ大きな建物みたいだけど。」

 

「それが、私も先程別の部屋で目覚めたばかりで何も分からないんです。……また護衛の任を果たせませんでしたね。」

 

「護衛というかその、何があったのか全然覚えてないんだよね。クロードさんは何か覚えてる?」

 

それなりに豪華な……というか、嘗ては豪華だったであろう通路の奥から歩み寄ってくるクロードさんに疑問を送ってみると、彼は口惜しそうな顔で状況を説明してくれた。

 

「テッサさんの部屋の中に侵入者が潜んでいたんです。私がドアの前で待機して、テッサさんが一人で中に入ったことは覚えていますか?」

 

「うん、それは覚えてる。その後すぐにベッドに倒れ込んで、そこで記憶が途絶えてるんだよね。」

 

「恐らく部屋に潜んでいた犯人に気絶させられたのでしょう。私はずっと廊下で待っていたのですが、急にドアが開いて盾の呪文を使う間も無く失神させられてしまいました。……父なら咄嗟に反応できたはずです。」

 

「それはちょっと予想できない事態だし、仕方ないんじゃないかな。……犯人の顔は見た?」

 

自分の部屋に侵入者か。ゾッとするような事態だな。そのことに気持ち悪さを感じながら聞いてみれば、クロードさんははっきり首肯してから口を開く。

 

「はい、見ました。テッサさんが魔法省の廊下で話されていた黒髪の女性です。」

 

「黒髪の……嘘でしょ? ラメットさんのこと?」

 

「間違いありません。私に杖を向けてきたのは確かにあの女性でした。……フランスに来る際、列車で出会ったとおっしゃっていましたよね? 監視のために意図的に乗り込んだのではないでしょうか?」

 

「でも、でも……アリスは若い男が犯人だって言ってたよ?」

 

あの優しそうな人が私を攫った? 親身に相談に乗ってくれたのに。認めたくない事実を受けて反論してみると、クロードさんは難しい表情で推理を続けてきた。

 

「真っ先に思い浮かぶのはその男と共犯であるという可能性ですね。少女たちを攫う際にも女性の方が警戒されないでしょうし、劇場での戦いは一人で実行したにしては規模が大きすぎます。マーガトロイドさんが外で戦っていた間も劇場内の人形が統制された動きをしていたのは、もう一人の犯人が別に動かしていたからではないでしょうか?」

 

「……だけど、信じられないよ。あんなに優しそうなラメットさんが誘拐事件の犯人の一人?」

 

「凶悪事件の犯人というのは得てしてそういうものなんです。それまで普通に生きてきた人間が、ふとしたことで道を踏み外してしまう。そんな犯罪者を私は何度も見てきました。」

 

ふとしたこと……もしかしたらダームストラングでの生活や、そこで見た死がラメットさんをおかしくしてしまったのかもしれない。そりゃあ全部が嘘という可能性もあるのだろうが、あの話をしていた時のラメットさんは確かに悲しんでいたように思えるのだ。魔法省の廊下での話を思い起こしている私へと、クロードさんが話を続けてくる。

 

「何にせよ、私たちを攫ったことには理由があるはずです。マーガトロイドさんに対する人質として使おうとしているのかもしれません。」

 

「それは……それはダメ! これ以上アリスのお荷物にはなれないよ。早くここから出てラメットさんが犯人だって伝えないと。」

 

慌てて窓を開けようと取っ手に手をかけるが……ぐぬぅ、全然動かないぞ。それならぶっ壊してやると杖を向けた私に、クロードさんが制止の声を飛ばしてきた。

 

「待ってください、窓には防衛魔法がかかっているんです。テッサさんを見つける前に色々と試してみましたが、外壁や窓は何をしても壊れませんでした。姿くらましも出来ないようですし、守護霊や隊章を使った連絡すらも妨害されています。」

 

「じゃあ、ポートキーは?」

 

「私は作れないので試していませんが……ひょっとして、作れるんですか?」

 

「これでもホグワーツで呪文学を教えてるからね。ちょちょいのちょいだよ。」

 

正直に言うと数ヶ月前にようやくイギリス魔法省の試験を通ったばかりなのだが、少しカッコつけるくらいならバチは当たらないだろう。部屋を出る時に私が壊した壁の破片に杖を向けて、ポートキーを作るための呪文をかけてみれば……よしよし、いけそうだ。まさか試験以外で初めて作るポートキーが無許可のものになるとは思わなかったな。

 

「ポータス。……これ、無許可のポートキー製造で捕まったりしないよね?」

 

「緊急時ですし、私が証言するので大丈夫です。時間はいつですか?」

 

「二十秒後にしといたよ。行き先はオルレアンね。」

 

二人で破片を手に持って五秒、十秒、そして二十秒。空間がひび割れるように歪んだ後、ポートキー特有の下腹部が引っ張られる嫌な感覚と共に……ぐぅ、痛ったいな。思いっきり頭をどこかにぶつけてしまった。

 

絶対たんこぶになっているであろう頭頂部をさすりつつ、何がどうなったのかと周囲を見回してみると、さっきと全然変わっていない廊下の光景が目に入ってくる。移動を妨害されたってことか?

 

「ったいなぁ。……ポートキーもダメみたいだね。」

 

「そのようですね。ポートキーの妨害まで出来るということは、犯人は想像以上に高度な妨害魔法を……足音が聞こえます。私の後ろにぴったりくっ付いていてください。」

 

クロードさんも頭を打ったようで、痛そうな顔で途中まで話していたが……急に表情を真剣なものに改めると、杖を構えて右手の廊下の先を注視し始めた。足音? 私には聞こえないぞ。

 

「んっと、私も杖を持っとくね。」

 

「いざとなったら反対側に走ります。準備だけはしておいてください。」

 

「うん、了解。」

 

それでも素早く指示に従って、クロードさんの背後で杖を握り締めていると……なんだあれ。三十メートルほど先の曲がり角から、ピンクのうさぎがひょっこり顔を覗かせているのが視界に映る。昔アリスと遊びに行ったマグルの遊園地に居たような着ぐるみのうさぎだ。なんだか妙に薄汚れているが。

 

ファンシーな見た目のうさぎはそのまま全身を現すと、剽軽な仕草で一礼した後、こちらに向けてふりふりと両手を振り始めた。遊園地だったら抱き着きたくなるかもしれないが、この状況では不気味なだけだ。廃墟然とした廊下と合ってなさすぎるぞ。

 

「……何? あれ。」

 

「分かりませんが、まともな感性の持ち主ならあんなことはしません。警戒しておいた方がいいかと。」

 

「それには同意するよ。」

 

こそこそと話している私たちを他所に、うさぎは返事がないのを確認してがっくり肩を落とすと、一度曲がり角の奥に引き返して……ああ、これは絶対に良くない展開だぞ。両手に手斧と鉈を持った状態で再び姿を現す。まるで出来の悪いホラー小説みたいな展開じゃないか。

 

「エクスペリアームス!」

 

即座に武装解除術を放ったクロードさんだったが、赤い閃光が当たったうさぎが平然としているのを見ると、私に対して鋭く呼びかけてきた。彼も友好的な『お友達』では絶対にないと判断したようだ。

 

「逃げましょう。テッサさんは進路を確認しながら小走り程度の速度で進んでください。私はあの着ぐるみを妨害しつつ後ろ向きで進んでいきます。エクスパルソ(爆破)!」

 

「わ、分かった。」

 

迫ってくるうさぎの進行方向の床を崩しながら言ったクロードさんに頷いて、左手の廊下へと走り出す。行き先は私が決めなくちゃいけないってことか。えっと、外に出るためには……とにかく下に行くべきだ。先ずは階段を探そう。

 

「フリペンド! ……デプリモ(沈め)!」

 

クロードさんが放つ呪文の音を耳にしつつ、彼のジャケットを後ろ手に掴んだ状態で廊下を進んでいくと……うわぁ、ヤバいぞ。前方の突き当たりからも奇妙な存在が飛び出してきた。

 

姿を現したのは背丈が一メートルほどの人形で、野暮ったい女の子用のパジャマのような服を着ており、頭部が大きい所為で三頭身くらいのフォルムになっている。顔は厚化粧の男性にも女性にも見える曖昧なデザインだが、太い眉の下にある目だけが異様に巨大だ。真っ赤なルージュが引かれた口が笑みの形で固定されているのを見るに、頭部のパーツが動くタイプの人形ではないらしい。所々塗装が剥がれているし、顔は単なる絵なのだろう。

 

薄気味悪い姿にぞわりと総毛立ちながらクロードさんに指示を仰ごうとしたところで、人形はいきなり……ああもう、怖すぎるぞ! 不自然な動作で全力疾走し始めた。もちろんこっちに向かってだ。

 

「クロードさん、前からも人形が来てる! 少し先で曲がるよ!」

 

「任せます! プロテゴ!」

 

ちらりと振り返った時に目に入ったが、どうやらうさぎは私が壊した壁の破片をぶん投げてきているらしい。明らかに殺傷能力がある速度の石つぶてに怯えながら、クロードさんを信じて前を向いて進み続ける。そのまま一番近い曲がり角を右に曲がってみると……階段だ。すぐそこに下り階段があるのが見えてきた。

 

「クロードさん、階段! 下り階段! 下りていいよね?」

 

「問題ありません。大きな音を出しますが、構わず進んでください! ボンバーダ(粉砕せよ)!」

 

天井を爆破して道を塞いだのかな? 爆発音と一緒に何かが崩れるような音が響く中、恐怖に後押しされて下り階段へと駆け寄っていく。一段目が目の前に迫ってきたところで、クロードさんに注意を投げかけた。

 

「もうすぐ階段だよ。後ろ向きで下りられる?」

 

「道を塞いだので大丈夫です。全速力で下りましょう。」

 

きちんと前を向いて並走し始めたクロードさんに首肯してから、急な階段を二段飛ばして駆け下りていくと……これ、下りすぎじゃないか? 明らかに一階より下の高さまで階段が続いている。地下に繋がっているようだ。

 

「ごめん、クロードさん。地下に続いてるっぽいね。上に行っちゃうと逃げ道が減るだろうし、一階に行けば出口があるかと思って、それで……。」

 

息を切らしながら不安な気分で謝った私に、クロードさんはぎこちない笑顔で首を振ってきた。

 

「仕方ありませんよ。他に道らしい道はありませんでしたしね。……追ってくる音は聞こえませんし、ここからは私が先行します。ルーモス。」

 

そう言うとクロードさんは前に出て、歩調を緩めながら徐々に薄暗くなっていく階段を下り続ける。その頼もしい背中を見ながら、私も杖明かりを……今度は何だ? 前方の暗闇から何かが聞こえてきた。泣き声?

 

「聞こえてるよね? この声。」

 

「……子供の泣き声ですね。もしかしたら攫われた少女が閉じ込められているのかもしれません。」

 

「あるいは、また悪趣味なホラー人形が居るのかも。」

 

「その可能性もありますが、どちらにせよ一本道です。警戒しながら前に進みましょう。」

 

ごもっとも。すすり泣くような声に内心ではびくびくしているが、もし本当に攫われた子供が泣いているのだとしたら放っておけない。子供を庇護する教師としての責任感を奮い立たせて、クロードさんと一緒に慎重に最後の一段を降りると──

 

「だれ?」

 

泣き声がぴたりと止んで、見通せない暗闇の先から誰何の声が飛んできた。幼い、少しだけ舌足らずな声だ。恐怖と拒絶を滲ませたその質問に、クロードさんがハキハキとした口調で返事を返す。

 

「フランス魔法省所属、闇祓い隊隊員のクロード・バルトです。そちらはどなたでしょうか?」

 

一見した限りでは随分と広い空間なのに、物が一切無いのがちょっと不気味だな。背後には私たちが下りてきた階段と壁があるものの、左右と前方には見通しの利かない空虚な闇だけが広がっている。たどり着いたコンクリートの床をゆっくり進みながら、暗闇の先に放ったクロードさんの問いかけに対して、見えない誰かは必死な声色で返答を寄越してきた。

 

「やみばらい? ……助けて! 助けてください! お家に帰りたい!」

 

胸が締め付けられるような子供の懇願。そんな声を聞かされたら罠だの何だのを疑っていられないぞ。悲痛な叫びに思わず駆け寄ろうとした私を……クロードさん? クロードさんが手で止めてくる。無言で首を横に振りながらだ。

 

放っておけないという私の抗議の目線にもう一度首を振った後、クロードさんは緊張した表情で再び質問を送った。

 

「任せてください、必ず助けます。……その前にお名前を聞かせていただけますか? それと、どういう状況なのかも。」

 

「シャルロット・ラノワ、七歳です。足に鉄の縄が付いてて動けないんです。早く助けて!」

 

「もう大丈夫です、落ち着いてください。……お母様の名前を言えますか?」

 

「ネリー! ネリー・ラノワ! ママに早く会いたいよ!」

 

クロードさんの顔を見るに全部合っているようだし、本人確認は充分だろうと彼の肩を掴んでみると……懊悩している様子の若き闇祓いは、最後にもう一つだけ質問を追加する。

 

「あと一つだけ、これで最後です。……お母様の髪の色は何色でしたか?」

 

「どうしてそんなことを聞くの? 早く来て! お腹が痛いの。悪い子だってぶたれて、それからずっとズキズキ痛むの。もうやだよ! 早く助けて! ここから出して!」

 

「答えてください。お母様の髪の色は? それさえ教えていただければすぐにでも助け──」

 

厳しい表情のクロードさんが問いを重ねた瞬間、ひどく冷たい声が暗闇の奥から返ってきた。それまでと同じ少女の声だが、同時に少女なら絶対に出さない声だ。

 

「あーもう、つまんないな、お前。泣いてんだから早く助けろよ。」

 

吐き捨てるような台詞が私たちに届いた刹那、いきなり周囲が明るい光で照らされる。光に眩む目で何とか状況を確認しようとする間も無く、すぐ隣で何かが地面に落ちるような鈍い音がしたと共に、首を掴まれて強引に身体を仰向けに倒された。

 

「やだっ、離れ……レラシオ(放せ)!」

 

胸の上にのしかかっている何かに向けて呪文を放つが、ビクともせずに首を絞める力が強まっていく。全身を暴れさせながら少しずつ回復していく視界で正体を確かめてみると……女の子だ。長い金髪の女の子が私の首を絞めながらニヤニヤ笑っているのが見えてきた。

 

「苦しいの? 苦しいんでしょ? やめて欲しい? ……ほら、なんとか言えよ。ギリギリ喋れるはずだから。」

 

嗜虐的な顔付きの白いワンピース姿の少女の言葉を受けて、視線を動かしながらどうにか口を開く。クロードさんも私の隣に倒れているようだ。目を閉じてぴくりとも動いていない。

 

「やめて、やっ……息ができ──」

 

「嘘吐くなよ。出来てるでしょ? 息。じゃなきゃもう気絶してるはずだもん。」

 

「本当にくる、苦しいの。やめ……。」

 

「いいねぇ、その顔。出来損ないのクソ闇祓いが生意気なことするから劇が台無しになっちゃったけど、その顔に免じて許してやるよ。……本当はさ、僕が被害者のフリして一緒に出口を探す予定だったんだ。他にも人形を準備したり、色んな仕掛けを設置したりしてたんだよ?」

 

楽しそうに語る少女に何度も何度も無言呪文を撃ち込むが、彼女は意にも介さず話し続ける。ダメだ、苦しくて頭がチカチカしてきた。私はここで死んじゃうんだろうか?

 

「あーあ、残念だな。本当ならもう暫く暇が潰せるはずだったのに。……あの吸血鬼、全然来ないんだもん。超ヒマだよ。次からは時間を指定すべきかもね。」

 

目の前で喋っているはずの少女の声が段々遠くなっていく。白に染まり始めた視界の中、私の耳元で足音がしたかと思えば……ラメットさん? 無表情の黒髪の女性が私のことを覗き込んできた。何の感情も浮かんでいない、ひどくのっぺりとした顔だ。

 

「そのままだと死んでしまいます。本当に絞まっていますよ。」

 

「え? ……うわ、マジじゃん。相変わらず人間って弱いね。んじゃ、死んじゃう前に気絶させてやってよ。化け物どもに安全を約束しちゃってるからさ。」

 

「はい。」

 

嘲るような少女の命令に従って、ラメットさんが私に杖先を向けてくる。目の端に涙を滲ませながら、為す術なくそこから赤い光が撃ち出されるのを──

 

冷たいコンクリートの地面に押さえ付けられながら、テッサ・ヴェイユの意識は闇に落ちていくのだった。

 



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貪欲な蒐集者

 

 

「暑いわ。それに久々に歩いて疲れたし、なんだか頭も痛くなってきたかも。」

 

パリ七区にある小さなカフェの店内。テーブルに着いた途端に不平不満を連発してくる師匠を前に、アリス・マーガトロイドはため息を吐きながら眉間を押さえていた。頼もしいっちゃ頼もしいが、団体行動には著しく向いていないな。リーゼ様が既に嫌そうな顔になっちゃってるぞ。

 

十五区にあった魔術師……というか魔女の工房でテッサが人質にされていると聞いた後、何度も何度も早く助けに行こうとリーゼ様と美鈴さんを急かしてみたものの、結局『応援』が到着する宵時まで引き延ばされてしまったのだ。こうなったら私一人で乗り込もうかと思ったのも一度や二度ではないのだが、未熟な私だけではどう考えてもミイラ取りがミイラになるだけ。結果としてこんな時間になってしまったのである。

 

もう準備は出来たはずだと焦っている私を他所に、リーゼ様が珍しく小洒落た格好をしているパチュリーに文句を投げかけた。ちなみに私たちが居るのは適当に入ったカフェのテーブル席で、美鈴さんは本日四度目の食事を取っている。幸せそうな顔で夢中になっているのが今だけは恨めしいぞ。

 

「早くも文句か。図書館から転移してきたばかりなんだろう? 出不精もそこまでいくと病気だね。重病だよ。」

 

「あのね、私はこの店を探すのに十分も歩かされたのよ? もう限界。図書館に帰りたい。早く本が読みたいわ。」

 

「キミは本当に……情けないよ。今度から強制的に運動させるべきかもね。というかそもそも、服装が季節に合ってなさすぎるぞ。そんなに着込んでたら暑いのは当然だろう?」

 

そこに関してはまあ、リーゼ様に同意だな。茶色いブーツに落ち着いた色のロングスカート、そしてブラウスに厚めのカーディガンを着た上からストールを羽織っている。この季節でも夜は涼しいので奇異に思われるほどではないが、ちょっと季節感がズレているのは間違いないだろう。

 

「……だって、何を着たらいいのか分からなかったんだもの。だからマグルのファッション誌に載ってたやつをそのまま魔法で作って着てきたわ。最近の雑誌だし、大きく間違ってはいないはずよ。」

 

「その服で戦えるんだろうね? 実に動き難そうだが。」

 

「貴女と違って動かなくても戦えるもの。私は頭脳派なのよ。貴女と違ってね。」

 

「季節のことを考えられる頭脳があれば尚良かったんだけどね。……レミィは何て?」

 

いつも通り皮肉を交えながら聞くリーゼ様に、パチュリーもまた応戦しつつ返事を返す。

 

「多少厚着でも貴女みたいな破廉恥な服装よりは遥かにマシでしょ。スカートが短すぎるわよ。……例の魔術師だか魔女だかは他の人外にも迷惑がられてたみたいだから、そいつを討伐する目的に限って入国の許可を取り付けてくれたんですって。具体的に誰に取り付けたのかは知らないけどね。」

 

「この辺の顔役だろうさ。……それと、私は動き易さを重視してるんだ。別に破廉恥なわけじゃない。アリスの教育に悪いから訂正してもらおうか。」

 

「どうかしら。もう少しで膝が見えちゃいそうだけど? 『膝は女性にとって最も醜い部分』ってフランス人の言葉を知らないの?」

 

「それでも見えないように歩けるのが淑女ってもんだろうが。私にはテクニックがあるんだよ、淑女としてのテクニックが。ズボラなキミと一緒にしないでくれたまえ。」

 

ああもう、そんな話をしている場合じゃないんだぞ! テーブルをバンと叩いて注目を集めてから、淑女の在り方を語り合う二人に催促を飛ばした。美鈴さんだけはそれでも我関せずと食べ続けているが。

 

「はい、その話は終わりです。終わり! 早くテッサを助けに行きましょうよ!」

 

「びっくりするじゃないか、アリス。そんなに焦らなくてもヴェイユの安全は保証されて──」

 

「いいから行くんです! いいですね?」

 

「……まあ、いいけどね。」

 

まったくもう、暢気すぎるぞ。気圧されたような半笑いで頷いたリーゼ様は、急いでデザートを片付けている美鈴さんを促しつつ席を立つ。パチュリーも目を丸くしながら大人しく立ち上がる中、お代をテーブルに叩き付けて真っ先に店を出た。強引に動かなければいつまで経っても事態が進行しないのだ。もう遠慮しないからな。

 

「さあさあ、廃劇場とやらに行きましょう。目の前に姿あらわしするってことでいいですよね?」

 

路地裏目指して進む私に追い付いてきたリーゼ様に問いかけてみると、彼女は慌ててポケットに手を入れながら首肯してくる。

 

「それは構わないが、場所は──」

 

「覚えてます。先に行きますからね。」

 

有無を言わせず手近な路地に飛び込んで、建物の陰に身を隠しながら姿あらわししてみれば……ここか。石造りの寂れた建物が目に入ってきた。古臭いゴシック様式の大きな劇場だ。長年手入れがされていないのは明らかだし、屋根にはいくつか穴が空いている。

 

入り口の手前に放置されている看板は当時の宣伝に使われたものだろうか? 掠れたペンキで『ハンニバル』と書かれた板を見ながら考えていると、私に続いてリーゼ様とパチュリーも姿あらわしで現れた。美鈴さんはリーゼ様に連れてきてもらったようだ。

 

「おや、中々大きな劇場じゃないか。昨日の掘っ建て小屋とは大違いだね。」

 

「……魔法がかかってるわね。入れるけど出られないって類の魔法だと思うわ。解呪してみる?」

 

「すぐに出来るかい?」

 

「普通にやってたら二、三十分はかかりそうね。隠蔽する気はゼロだけど、開き直って複雑な構成にしてるみたいだから。」

 

……悔しいけど、パチュリーを連れてきたリーゼ様の判断は正解らしい。だって私には魔法がかかっていることなんてさっぱり分からないのだ。私が蚊帳の外で二人の会話を聞いている間に、美鈴さんが何気ない動作で入り口のドアを開けてしまう。

 

「ありゃ、開いてますよ?」

 

「キミね、私たちの会話を聞いてたかい? 入るのは楽だが出るのは……まあいいか、行こう。出ようと思えば出られるだろうさ。」

 

「貴女、何のために私を呼んだの? そういう感じで強行するなら必要ないでしょうに。」

 

美鈴さんに突っ込みながら付いて行くリーゼ様と、文句を口にしつつその背に続くパチュリー。その更に後ろから私も慌てていくつも並んでいるドアの一つを抜けてみれば……うーん、中もボロボロだな。そこにはエントランスホールらしき空間が広がっていた。左右には弧を描く上り階段が設置されており、奥には入り口と同じように複数のドアが見えている。恐らく劇場スペースに繋がっているのだろう。

 

興味深そうに歩き回る美鈴さんと無言で天井を眺めるパチュリーを尻目に、リーゼ様が大きく鼻を鳴らして口を開いた。

 

「で? どうすればいいんだい? パチェ。私たちを導いてくれたまえ。そのために呼んだんだから。」

 

「魔女だって常に道を知ってるわけじゃないのよ。……下はある程度落ち着いてるけど、上階には魔力が渦巻いてるわね。あと、そのドアのすぐ先に何かが居るわ。とりあえず分かるのはそのくらいかしら。」

 

パチュリーが静かな口調で言った瞬間、五つ並んでいた前方のドアが全部開いて、どこからともなく陽気な音楽が鳴り響き始める。私だけが即座に杖を構えて臨戦態勢になる中、残りの三人が冷めた目線を送るドアから……人形? 大量の小さなブリキ人形たちが手に手にミニチュアの楽器を持って行進してきた。

 

ドラムやブラス、シンバル等を器用に鳴らす三十体ほどのブリキ人形たちは、私たちの目の前に綺麗に整列した後、そのまま三十秒ほど演奏を続けていたが……やがて指揮杖を持った一体の人形が音楽に合わせて前に進み出てくる。指揮者役ってことか。

 

「ようこそ、気取り屋のイギリス妖怪の皆さん! ようこそ! ようこそ! 心から歓迎します! ようこそ、気取り──」

 

「もうちょっと語彙を増やしたまえよ、ぽんこつめ。」

 

コミカルな声で喋り始めた指揮者人形をリーゼ様が容赦なく蹴っ飛ばすと、地面に転がった人形は尚も指揮杖を上下させながら話を続けてきた。

 

「ようこそ! 人質は地下に居ます。早く助けてあげて! ようこそ、気取り屋のイギリス妖怪の皆さん! 早く助けてあげて! ようこそ! 人質は地下に居ます。早く──」

 

「だそうだが、どうする? キミは上を怪しんでいるんだろう?」

 

壊れたレコードのように喋り続ける人形をぐしゃりと踏み潰したリーゼ様の質問に対して、パチュリーは地面を注視しながら返答を返す。ちなみに指揮者人形が潰された途端、他のブリキ人形たちはぴたりと演奏を止めてしまった。あれだけの人形を作る魔女にしては粗雑な作品だな。伝言のために急いで作った間に合わせの人形なのかもしれない。

 

「二手に分かれていいんじゃないかしら。……言っておくけど、二人ずつじゃないわよ? 三対一に分かれるってこと。」

 

「美鈴か私は単独行動でも問題ないだろうし、悪くない提案だね。……それじゃ美鈴、地下は任せたぞ。」

 

「うわぁ、やっぱり私が除け者ですか。寂しいですねぇ。」

 

「キミは殺しても死なないだろうしね。ちゃちゃっと捜索してきたまえ。」

 

足元の木の床を指しながら言ったリーゼ様に、美鈴さんは渋々といった様子で了解の頷きを放つ。そのまま下り階段を探して右奥のドアを抜けていく美鈴さんを見送った後、私たち三人も上階に行くために上り階段を途中まで上ったところで、リーゼ様がかなり不安になることをポツリと呟いた。

 

「……そういえば美鈴のやつ、ヴェイユの顔を知ってるのか?」

 

言われてみれば確かにそうだ。名前と『私の友人である』という基本的な情報は知っていたようだが、直に会ったことは一度もないはず。手すりを握ったままで顔を引きつらせる私に、リーゼ様は肩を竦めて適当すぎる慰めを寄越してくる。

 

「まあ、美鈴だってそこまでバカじゃないさ。詳しい容姿を聞かなかったってことは、きっとどこかで見たことがあるんだよ。きっとね。きっと。」

 

「……そう思いますか?」

 

「思わないけど、今更どうしようもないじゃないか。時既にってやつだよ。ああ見えて仕事は早い方だから、追いかけても間に合わないぞ。」

 

「それなら……そう、守護霊に伝言を託しましょう。」

 

杖を構えて守護霊の呪文を使おうとする私だったが、軽く息を切らせているパチュリーがそれを止めてきた。……まさか、こんな短い階段でバテたのか? その辺のお婆ちゃんだってこの程度じゃ疲れないはずだぞ。

 

「妨害されてるから無駄よ。……それより、少し休まない? 疲れたわ。」

 

「パチュリー、本気で言ってるの? 冗談だよね?」

 

「……ジョークよ、ジョーク。本気なわけないでしょ。」

 

心底呆れているトーンで問いかけてみれば、パチュリーは目を泳がせて再び階段を上り始める。ムーンホールドに帰ったら絶対に運動させよう。もう運動できないとかいうレベルじゃなくて、筋肉が退化していることすら疑ってしまうぞ。

 

師匠のとんでもない発言に今日一番の恐怖を覚えた後、美鈴さんが消えていった階下のドアを見下ろしてため息を吐く。……幾ら何でもそこまで抜けていないと信じよう。本当に知らないのであれば普通は聞いてくるはずだ。誰を助けるのかも分からないのに救出に行くほどおバカではあるまい。

 

赤髪の門番を信じて前に向き直ったところで、一階と同じくボロボロになっている二階の廊下が目に入ってきた。開け放たれた近くのドアからは劇場の二階席が覗いており、廊下の最奥には更に上へと通じる上り階段が設置されている。外観を見るに三階建てくらいの高さはあったし、特に不自然ではないだろう。

 

「ふぅん? デカいステージだね。……天井の高さはあるが、三階席はないみたいだ。」

 

開いていたドアを抜けて客席やステージを確認し始めたリーゼ様の後ろから、私もひょっこり顔を出してみると……張り出し式の大きなステージと、無数の観客席が並んでいる広い劇場スペースが見えてきた。結構な数の客席が壊れているし、ステージにかかっている幕は穴だらけだが、それでも格式高い劇場だったことが一目で分かる見事な空間だ。

 

これは確かにグラン・ギニョール劇場とは大違いだなと納得したところで、リーゼ様の疑問げな声が耳に届く。何かを見つけたようだ。

 

「……ステージに置いてあるあれは何だい? 小さな家?」

 

「家? ……本当ですね、ミニチュアのお屋敷でしょうか?」

 

あれを『家』と表現するあたりがリーゼ様の育ちの良さを表しているが、何はともあれミニチュアの屋敷であることは間違いないな。大きめのドールハウスだろうか? ぽつんとステージの中央に置かれている所為なのか、やけに存在感があるそれを不思議な気分で眺めていると──

 

「ダメよ、アリス。」

 

急に手を引かれてハッと我を取り戻す。眠りから覚めた時のように周囲の光景がいきなりはっきりする中、私の手を離したパチュリーが額を押さえながらやれやれと首を振った。

 

「油断しすぎよ、二人とも。……リーゼは間に合わなかったわね。別に大丈夫だと思うけど。」

 

間に合わなかった? どういう意味かとリーゼ様のことを探してみるが、私のすぐ隣に居たはずの吸血鬼の姿が忽然と消えている。きょろきょろと視線を彷徨わせる私に、パチュリーが呆れた声色で説明を繰り出してきた。

 

「あの屋敷の中に引き摺り込まれたんでしょ。敵が仕掛けた魔法というか、あのドールハウスがそういう性質の魔道具だったみたいね。……鏡、本、絵画。見た者を内側に誘う魔道具ってのは珍しくないわ。あれもその一つなんでしょう。吸血鬼であるリーゼを引き込めたのを見るに、そこそこ強力な代物なのかしら?」

 

「じゃあ、早く助けないと。」

 

「『助け』は不要ね。リーゼはこの程度で死ぬほどやわじゃないでしょ。……というか、ピンチなのはむしろ私たちの方だと思うけど。私たちの合計戦力を百とすると、私が九で貴女が一よ。残りの九十は早くも居なくなっちゃったってわけ。」

 

私は一か。まあ、妥当な数値ではあるな。情けない気分で手の中の杖を握り直したところで、ドールハウスを見ていたパチュリーがステージの端へと視線を移した。ドールハウスを視界に入れないように気を付けながら、釣られて私もそちらを確認してみると……グラン・ギニョール劇場に居た巨大ギニョール人形だ。昨日と同じように斧を手にしたそいつは、生気を感じない面長な顔を真っ直ぐこちらに向けている。

 

「パチュリー、あれ。」

 

「ええ、貴女の好きな人形ね。」

 

「いや、そういうことじゃなくて。」

 

平時と変わらぬ様子で返事を寄越してきた師匠に、どうすればいいのかと指示を仰ごうとした瞬間……うわ、走ってきたぞ。ギニョール人形はひとっ飛びで舞台に近い位置の二階席に飛び移ったかと思えば、そのまま凄まじいスピードでこちらに駆けてきた。

 

「パ、パチュリー? なんか走ってきてるけど、どうすればいいの?」

 

「貴女はどうもしなくていいわ。私がするから。」

 

言うとパチュリーは何処からともなく分厚い真っ黒な本を取り出して、迷うことなく真ん中くらいのページを一度開いた後、何かをポツポツと呟きながら勢いよくバタンと閉じる。すると本を閉じた時の風圧で紫色の髪がふわりと広がるのと同時に、十メートルほど先まで迫っていたギニョール人形が……わお、本に挟まれた虫みたいだ。左右から物凄い力で押し潰されたかのようにぺしゃんこになってしまった。

 

「あれって……パチュリーの魔法、なの?」

 

「どう見ても魔法でしょ。妹様の能力を研究してた時の副産物よ。彼女の能力より遥かに矮小で、不完全で、弱々しい魔法だけど……それでもこの程度の威力はあるの。」

 

「仕組みに関してはよく分からないけど、フランドールさんの能力が凄いってことは少し分かったよ。」

 

でなきゃこの現象を『弱々しい』と表現したりはしないだろう。巨大ギニョール人形は本来の指人形と違って大半が木製だったようで、今や小さな木片になって散らばっている。プショーのように頭部に脳みそが入っていなかったことに安心していると、再び黒本を開いた師匠が中の文字を指でなぞり始めた。改めて見ても記憶にない本だな。戦闘用のグリモワールなんだろうか?

 

「……キャッチして頂戴、アリス。」

 

「きゃっち? ……わわ、危ないよ。リーゼ様が入ってるんでしょ?」

 

中のリーゼ様はびっくりしたと思うぞ。言葉と共にこちらに飛んできたドールハウスを慌ててキャッチした私に、パチュリーは肩を竦めながら応じてくる。大きさは私が精一杯手を広げてギリギリ持てるくらいだが、重さは全然ないな。近くで見るとかなり精巧な作りだ。

 

「油断した罰よ。……引き込まれないように妨害してあるから、普通に持って構わないわ。」

 

「持っちゃうと歩き難いんだけど、浮遊魔法じゃダメなの?」

 

「試してみてもいいわよ。効果はないと思うけどね。……さすがにリーゼを引っ張り出すのは時間がかかりそうだし、そのまま持って行きましょう。そのうち勝手に出てくるでしょ。」

 

「……大丈夫なのかな? リーゼ様。」

 

言いながらドールハウスの窓を覗き込んでみるが、中にはミニチュアの廊下があるだけでリーゼ様の姿は見当たらない。外からは見えなかったりするんだろうか? なるべく揺らさないように気を付けてパチュリーの背に続いていくと、紫の師匠は二階の廊下に戻って上り階段の方へと向かいつつ話しかけてきた。

 

「しかし、人形を操るっていうのは貴女の魔法の参考になるんじゃない? よく観察して、盗めるところは盗んじゃいなさい。戦闘は私が受け持つから。」

 

「……私の魔法はこんなのとは違うよ。人間を人形になんかしたくないもん。」

 

「別にそこまで同じになれとは言ってないわ。共通しそうな部分だけ参考にしちゃえばいいのよ。……魔法は手段であって目的じゃないでしょう? 火で暖を取るのも、料理をするのも、誰かを焼き殺すのも使い手の意図次第。火はただ火よ。そこを勘違いしていると先に進めないわ。」

 

「……そうだけど。」

 

明確な反論が出来なくて口籠る私を他所に、斜め前を進むパチュリーは中途半端な位置に右手を上げて円を描くように小さく回す。何をしているのかと抱えたドールハウスの上から覗き見ていると……いきなり右手のドアから飛び出てきたうさぎの着ぐるみが派手にすっ転んだ。足に巻き付いている木の蔓のようなものが引き倒したらしい。

 

手斧を持ったピンク色のうさぎは起き上がろうとバタバタ暴れていたが、床板から伸びた蔓は物ともせずに全身に絡み付いていき、最終的には隙間からピンク色の何かが覗く蔓の塊になってしまった。所々に咲いてる白い花が中々綺麗だな。

 

突如として起こった『食着ぐるみ植物』の捕食シーンに顔を引きつらせる私に構うことなく、蔓の操り手であろうパチュリーは足を止めずにどんどん進んで行く。襲ってこようとした敵の人形を撃退したってことか。この程度の襲撃にはノーコメントなようだ。

 

「ただまあ、貴女とは操り方が少し違うみたいね。魔力の糸ではなく、事前の命令によって動いているのかしら? ……どう思う? 遠く離れた状態でも動かせるのは便利かもしれないけど、細かい制御が出来ないのは問題じゃない? だから自己判断力を増すために脳を再利用する方向に進んでいったとか? リーゼからの連絡は大雑把すぎて分かり難かったのよね。」

 

「えっと、私たちが『魔術師』だと思ってた人形のことは直接操ってたみたい。視界とか聴覚とかも繋げてたし。」

 

「そうなると、単純に一度に操れる数に限界があるのかもね。貴女が魔力の糸で操る数に限界を感じて半自律人形にしたように、こいつらを操っている魔女も主要な人形以外は独立した自動人形にしたんでしょう。……ほら、やっぱり貴女の方針と似てるじゃないの。参考になると思うわよ。」

 

会話の途中で上階から階段を駆け下りてきた三頭身の不気味な人形を、開いた魔道書から滲み出た銀色の液体で覆い尽くしたパチュリーは、カチカチの球体に変わったそれを背に階段を上り始めた。……流れ作業だな。彼女にとっては『魔法力への抵抗』など何の意味も持たないらしい。

 

『犠牲』になっていく人形たちがちょっとだけ憐れになってきたところで、短い階段を上りきった私たちの視界に直線の真っ直ぐな三階の廊下が映る。ずっと奥に左に続く突き当たりがあって、廊下の左手には八つほどの扉が、右手には外の景色が見える窓が並んでいるようだ。建物全体で見ると最上階の右端に居るってことかな?

 

「一つ一つ見ていく?」

 

並ぶドアを指差して聞いてみると、パチュリーは魔道書の表紙を撫でながらゆっくりと首を振ってきた。横にだ。

 

「その必要はなさそうね。」

 

答えと同時に八つの扉が内側から勢いよく開いて、中から多種多様な人形たちが廊下に出てくる。ゾロゾロと姿を現した二十体ほどの人形はどれもこれも異様な見た目だ。ブリキの蛇の胴体に木製の女性の上半身がくっ付いているものや、顔だけがリアルな人間になっている二足歩行の鹿、足があるべき場所に四本の手があって、首の上が巨大な足に、そして手に顔面が付いている布人形。もうここまでくると『人形』じゃないな。単なる『異形』だぞ。

 

全然人間の見た目じゃないのに、人間のような動作をする不気味な存在たちが近寄ってくるのを目にして、パチュリーが冷たい表情で辛辣な評価を言い放った。ちなみに私はドールハウスを抱えるのに精一杯で何も出来そうにない。早く出てきてくれ、リーゼ様。

 

「ホラーハウスを経営するセンスはゼロね。恐怖を与えるには然るべき手順が必要なことを理解していないのかしら? これだとホラーじゃなくてパニックよ。」

 

その批評に反論するかのように『異形』たちが私たちの方へと殺到してきた瞬間、薄ら笑いを浮かべたパチュリーが懐から真っ赤な小石を取り出して、ボソボソと呟きながらそっと本の表紙にそれを当てる。

 

直後、廊下が紅い炎に染まった。目を開けていられないほどの凄まじい熱気と、轟々と燃え盛る真っ赤な炎。意思を持つかのように『異形』たちに纏わり付く紅炎は、易々とその身体を燃やし尽くしていく。

 

ひりつくような熱が空間を支配する中、二足歩行の鹿だけが何とか這いずって私たちの方へと手を伸ばすのが微かに見えるが……ダメみたいだな。その身体中を炎が舐めるように通過すると、刹那の後にはなんだか分からない真っ黒な塊に変わってしまった。

 

パチュリーはホグワーツの卒業と同時に魔女になったわけだから、私との差は五十年弱。半世紀後の私はここまでの魔法を易々と行使できるようになっているのだろうか? ……全然想像できないぞ、そんな光景。人形の魔女は自分のことを『魔女として生まれた妖怪』と称していたが、パチュリーにこそその言葉が相応しいように思えてきちゃうな。

 

あまりの迫力に一歩も動けない私を尻目に、パチュリーは目の前の惨状を確認して一つ頷くと、愛おしそうに本をポンポンと優しく叩く。すると忽ち炎が消え去って、焦げ臭さと共に変わり果てた廊下の様子が明確になってきた。

 

「……凄いね、パチュリー。いつも静かに研究してたから、こんなに戦えるだなんて知らなかったよ。」

 

「全て研究の副産物よ。一の知識は百の事象に応用できるの。百の知識は万の手段を明らかにして、万の知識は百万の法則に繋がるわ。魔女という存在は積み上げた知識の分だけ強くなれるのよ。私はそれを蒐集することを決して怠らなかっただけ。貪欲に、勤勉にね。」

 

うーむ、魔女の中の魔女だな。師匠のカッコいいところを見て感心する私へと、パチュリーは足を動かしながら指摘を寄越してくる。さっきのキリッとした声とは違って、やや気まずげな声色だ。

 

「それと……まあその、消してあげた方がいいと思うわよ、それ。」

 

「それ?」

 

パチュリーが目を逸らしながら指差しているのは、私が持っているドールハウスだが……わお、燃えてるぞ。ミニチュアの屋敷の二階部分に先程の炎が燃え移ってしまったようだ。慌ててドールハウスを床に置いて、杖魔法で水をぶっかけ──

 

アグアメンティ(水よ)! ……あ。」

 

やっばい。反射的に鎮火させた直後、中に『入って』いるのが吸血鬼であるリーゼ様だということに気付く。流水が苦手な吸血鬼だということに。びったびたになったドールハウスから視線を外して、恐る恐るパチュリーの方に顔を向けてみると……彼女は手に持った本を弄りながら曖昧な慰めを放ってきた。

 

「……まあ、死にはしないでしょ。黙っておけばバレないわよ。多分ね。」

 

「その『多分』、どっちにかかってるの?」

 

「もちろん両方よ。……ほら、早く行きましょ。今はリーゼよりヴェイユのことを心配すべきでしょう?」

 

スタスタと黒焦げの廊下を進むパチュリーに促されて、私もドールハウスの水気を無言呪文で起こした突風で吹き飛ばしてから後に続く。……聞かれたら正直に白状すべきだが、聞かれないうちは黙っておこう。きっとそれが正解のはずだ。

 

ちょびっとだけ焦げたり湿ったりしているドールハウスを持ち上げつつ、アリス・マーガトロイドは気まずい気分で歩き出すのだった。

 



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魔女と魔女

 

 

「──ッサ、テッサ、大丈夫なの?」

 

身体を揺すられる感覚に目を覚ましたテッサ・ヴェイユは、自分の肩を掴んでいる誰かのことを反射的に突き飛ばし……あれ、アリス? 目の前に居るのはジト目で尻餅をついている親友と、紫の髪の美しい若い女性だった。どういう状況なんだ、これは。

 

どうやら埃まみれの物置のような部屋に寝かされていたらしい身体を起こして、何があったのかを思い出そうとする私のおでこに、立ち上がったアリスが強めのデコピンを打ち込んでくる。痛いじゃないか。なにするんだ。

 

「テッサ? 助けに来た親友を突き飛ばすとは何事よ。お尻を打っちゃったじゃないの。」

 

「えっと、ごめん? 私、何がどうなってるのか……ひょっとして、ノーレッジさん? お久し振りです。」

 

床に直接寝かされていた所為で痛む身体を伸ばしつつ、とりあえず先程目に入った紫髪の……ノーレッジさんで合ってたよな? 昔アリスの家に遊びに行った時に会った女性に挨拶を放ってみると、彼女はジッと私のことを見つめながら返事を返してきた。

 

「ええ、久し振りね。……記憶がぼんやりしているの?」

 

「えーと、そうですね。そもそもここが何処なのかが──」

 

そこまで口にしたところで、唐突に頭がはっきりしてくる。見覚えのない寂れた楽屋、不気味な着ぐるみと三頭身人形、クロードさんとの逃走劇、そしてラメットさんと金髪の女の子。それらの記憶が戻ってきた瞬間、ノーレッジさんに対して一気に言葉を捲し立てた。

 

「そう、そうなんです! 私、家に帰った後に攫われて、クロードさんも一緒で、犯人はラメットさんと女の子で、それで着ぐるみと人形に襲われたんです!」

 

「うん、全然分からないわ。私が診察している間に落ち着いて整理して頂戴。」

 

言いながらやけに短い真っ黒な杖に光を灯して、何故か私の目を覗き込みながら左右に動かし始めたノーレッジさんに、なるべく分かり易いように自分の状況を伝え直す。私とクロードさんが一緒に攫われたこと、目が覚めたらこの建物に居たこと、人形たちに追いかけられたこと、地下で私の首を絞めた金髪の女の子のこと、そこでラメットさんの姿を目撃したこと。全ての報告を終えると、ノーレッジさんの隣に立っているアリスが難しい表情で口を開いた。

 

「……ラメットさんが? どういうことなのかしら。」

 

「どういうことも何も、犯人の仲間だったんだよ。……アリスが戦ったっていう男の人は居なかったけどさ。」

 

「そっちはもう解決したわ。気にしなくて大丈夫よ。」

 

「解決? ……そういえばさ、闇祓いは一緒じゃないの? っていうかどうしてアリスとノーレッジさんがここに居るの?」

 

徐々に動き出した頭で弾き出した疑問を受けて、困ったように押し黙ったアリスは……あ、その顔。何かを誤魔化そうとしてる時の顔だな。私には通じないぞ。

 

「ちょっとアリス? なんか誤魔化そうとしてるでしょ?」

 

先手を取って指摘してみれば、アリスは更に困った顔で身体をゆらゆらと動かし始める。迷ってるな? 何を迷っているのかはまだ分からないが、それは逡巡している時の動作だ。白状しろと顔を近付けてジーッと見つめていると、私の首を触っていたノーレッジさんがポツリと呟きを漏らした。……さっきまであった小さな痛みがなくなってるな。治してくれたらしい。

 

「捨虫の法を修めた以上、いずれはバレることよ。長く付き合っていくつもりなら表面的なことは話してあげてもいいんじゃない? それを奇異に感じるほどホグワーツの卒業生っていうのは『まとも』じゃないと思うけど。」

 

「でも、リーゼ様のことは?」

 

「リーゼのことを話すかどうかはリーゼが決めるべきだけど、貴女のことを話すかどうかは貴女の自由よ。……貴女とヴェイユの間にあるのはそんなに弱い繋がりじゃないんでしょう? 想像している以上にすんなり受け入れてくれると思うわよ。」

 

理性的な声の中に優しげなものを含ませているノーレッジさんに促されて、アリスは弱々しい表情でゆっくりと私に向き直る。……何のことを話しているのかはさっぱりだが、とにかくアリスが私に何かを明かそうとしていることは分かったぞ。

 

「あのね、テッサ。私は……その、魔女なの。」

 

「いやいや、そんなの初めて会った時から知ってるけど。私だって魔女だしさ。」

 

「そうじゃなくて……もっとこう、本質的な意味での魔女なのよ。パチュリーは全然歳を取ってないでしょ? リーゼ様もそう。私も少し前にそういう存在になっちゃったの。」

 

「……んんん? どういうこと?」

 

バートリさんが少女の姿であることや、私の診察を続けるノーレッジさんが前に会った時と同じ年齢に見えることは当然分かっているが……アリスも何かしらの魔法薬か魔法でそういう体質になったってことか?

 

首を傾げて目をパチクリさせる私へと、アリスは懊悩している顔でふわふわした説明を続けてきた。

 

「より深い存在っていうか、魔法を使い易い存在っていうか、そういうのになったの。人間とは違う存在にね。……この説明で分かる?」

 

「全然分かんない。だって、何も変わってないじゃん。変なツノとかも生えてないし、尻尾も生えてない。何が変わったのさ。」

 

「いや、そういう分かり易い変化じゃなくて……助けて、パチュリー。上手く説明できないよ。」

 

何なんだ、一体。困り果てた表情のアリスがノーレッジさんに助けを求めると、彼女は私の診察を切り上げてドアの方に移動しながらそれに応じる。

 

「細かい説明は後にしなさい。一からやってたら時間がかかるしね。……この世にはマグル界や魔法界とは別の社会があって、私やアリスはそっちにも所属してるってことよ。そして今回の事件の犯人はその社会に所属している存在で、対処のために私がここに来たってわけ。」

 

「……別の社会?」

 

「詳細は後でゆっくり教えるわ。今が緊急時であることは貴女にも理解できているでしょう? 取り敢えずは表面的にざっくりと認識して頂戴。」

 

「えーっと、えっと……ざっくりとも分かんないです。ごめんなさい。」

 

申し訳ないが、意味不明だ。情けない顔で白旗を上げる私に、ノーレッジさんは肩を竦めて強引な纏めを飛ばしてきた。

 

「つまりね、ヴェイユ。この事件の犯人は闇祓いにどうこう出来る存在じゃないけど、私ならどうにか出来るってことよ。分かったら大人しく付いて来なさい。貴女が現在抱えている疑問や、これから生じるであろう疑問に関しては全てが終わった後でアリスが一つ一つ答えるわ。今はそれを呑み込んで私に従って頂戴。」

 

「あの……はい、分かりました。後でアリスに全部聞きます。」

 

ここまでの説明では何一つ分からなかったし、親友が言っていたことは物凄く気になるが、それらに丁寧に答えている余裕がないことくらいは私だって理解している。ノーレッジさんに首肯した後、アリスに目線を送ってみると……彼女はごめんのポーズをしながら小さく頷いてきた。後できちんと話してくれるということだろう。

 

モヤモヤする内心をどうにか抑えつつ、杖があるのを確認したところで……ちょっと待った、クロードさんは? 部屋の中に生真面目な闇祓いの姿がないことにようやく気付く。

 

「クロードさんは一緒じゃないんですか?」

 

不安になって聞いてみると、ノーレッジさんは即座に状況説明を寄越してきた。

 

「貴女が捕らわれていることを犯人から知らされて、この建物……廃劇場に入った後、三階まで一気に上がってこの部屋に倒れている貴女を見つけたのよ。他の人間はまだ見ていないわ。」

 

「じゃあ、探さないと! 地下で気を失った時は一緒だったんです。クロードさんも気絶させられちゃってたから、きっとどこかの部屋に──」

 

「死んではいなかったのね?」

 

あまりにも冷静な声で突っ込まれて、身体が勝手に動きを止める。……死んでいなかった、はずだ。そうだと思う。だけどあの時は目が眩んでいたし、急に首を掴まれた私は冷静じゃなかった。

 

「……はっきりとは分かりません。倒れていたクロードさんを見ただけなので。でも、生きてる可能性があるなら探さないと!」

 

「まあ、そうね。先ずは移動しましょう。」

 

そう言ってドアを抜けていくノーレッジさんに、アリスが……何故か床に置いてあったミニチュアの屋敷を両手でよいしょと抱えたアリスが続く。さっきの会話もちんぷんかんぷんだったが、その行動もかなり意味不明だぞ。

 

「アリス? それって何なの?」

 

「詳しく説明する時間はないけど、とっても大事な物なのよ。なるべく安静に持って行かないといけないの。ちなみに浮遊魔法は効果がないわ。」

 

「そうなの? ……よく分かんないけど、一緒に持とうか? それだと杖が動かせないでしょ?」

 

「大丈夫よ。その代わり何かあったら守って頂戴。私じゃなくて、ドールハウスの方をね。」

 

そんなに大事なのか。どう見たって荷物にしかなっていないわけだが、アリスの表情は真剣そのものだ。だったら気に掛けた方が良さそうだな。心の中に小さな疑問が一つ追加されたところで、部屋を出た私の視界に廊下の惨状が映った。何が起こったのか予想が付かない状態だ。

 

右側の曲がり角は火事でもあったかのように真っ黒に焦げており、その手前にはいくつもの木のボールのような物体が点在している。ボールをしっかり見てみると、腕や足らしきものが所々から飛び出ているわけだが……ひょっとして、グラン・ギニョール劇場で目にしたような木の人形が『丸められて』いるのか? 何をどうしたらそうなるんだ?

 

「ねえ、あれって──」

 

我慢できずに疑問を口に出そうとしたところで、ノーレッジさんの進行方向である左側の廊下の先から何かが走ってくるのが見えてきた。石像っぽい材質の全裸の男だ。陸上選手のような見事なフォームでこっちに向かって全力疾走している。

 

なにあれ。理解が及ばない異質な光景にひぅと息を呑んだ私を他所に、ノーレッジさんは落ち着いた動作でいつの間にか持っていたハードカバーの大きな黒い本を開くと、そこに描かれていた複雑な図形にたおやかな白い指を這わせた。

 

すると次の瞬間、全裸の石像は巨大なハンマーでぶん殴られたかのように横に吹き飛び、壁に叩き付けられてバラバラになってしまう。……なんじゃこりゃ。魔法? でも、誰も杖を振ってないぞ。

 

そのまま何事もなかったかのように再び歩き始めるノーレッジさんと、むしろドールハウスとやらに破片がぶつからないかを気にしているアリスを見て、何から尋ねるべきかと口をパクパクさせる私に……ノーレッジさんが背を向けたままで注意を飛ばしてきた。

 

「質問は後よ、ヴェイユ。そのことを忘れないように。……さっきから工夫がなさすぎるし、誰かが近付くと自動で迎撃するように条件付けされているのかしら?」

 

「じゃないかな。もし操ってるなら小出しにしても何の意味もないって気付くだろうし、やっぱり全部を全部操作してるわけじゃないみたいだね。」

 

「つまり、近くには居ないわけね。……何もかもが不条理だわ。人質であるヴェイユをあっさり救出させた上、この程度の仕掛けしか置いてないだなんて。まさかこれで対処できると思っているほどバカではないはずよ。」

 

「うん、謎だね。……この部屋は調べなくていいの? クロードさんを探すんでしょ?」

 

通過しようとしているドアを指差したアリスへと、ノーレッジさんは首を振って答える。

 

「見てもいいけど、誰も居ないわよ。この距離なら一々ドアを開けなくても生きた人間が居るかどうかは判断できるわ。……三階には居ないのかもね。」

 

「もしかして、地下なのかな? ……テッサが人形に追いかけられたのってこの階?」

 

アリスが歩きながら放ってきた問いに、軽く開けて覗き込んでいたドアから身を離して応じた。ノーレッジさんのことを信用していないわけではないが、それでも気になるものは気になるのだ。中は彼女の言う通り無人の小部屋だったけど。

 

「違うと思う。窓からの景色がもう少し低かったし、廊下の構造も違うから。一個下の階とかじゃないかな。」

 

「部屋はあった?」

 

「ここほどじゃないけど、いくつかあったよ。私も部屋の一つに閉じ込められてたわけだしね。」

 

「んー……表側は二階席になってたから、ステージの上の部分が部屋になってたとか? そっちを調べてみましょうか。」

 

ドールハウスを慎重に持ち直しながら提案したアリスへと、曲がり角の先を覗き込んだノーレッジさんが了承を送る。一度身を引っ込めて本の最初の方のページを開いた後、廊下に響いた謎の轟音が止んでからだ。角の先に何かが居て、それを何らかの方法で撃退したらしい。

 

「いいんじゃない? さすがに地下の方も片付いてるでしょうし、上下から虱潰しで捜索していきましょ。」

 

「美鈴さん、大丈夫かな?」

 

「私たちの中で一番『大丈夫』であろう存在を気にしてどうするのよ。私たちがこの程度で済んでるなら、あっちは無傷だって断言してもいいくらいだわ。」

 

めーりんさん? どうやらアリスとノーレッジさんの他にも誰かが来ているらしい。そして会話から察するに、その『めーりんさん』とやらはノーレッジさんより強いようだ。もう本格的に訳が分からないぞ。

 

その人が誰なのかを聞いてみたいのは山々だが……質問は後、質問は後。今最優先すべきはクロードさんを助け出すことだ。だったらその邪魔になるようなことはやらない方がいいはず。全部覚えておいて、後でアリスに一気に聞こう。

 

心のメモ帳に『めーりんさん』という名前を記したところで、曲がり角の先に下り階段があるのが見えてきた。手前には粉々になったブリキの破片が散乱しているが、あれに関しては気にすべきではないだろう。もうさすがにノーレッジさんがやったってことは分かるさ。

 

二人が通過するドアを手早く開けて確認しつつ、結局何の収穫も得られないまま階段に到着して、それを下りて二階の廊下に足を踏み入れたところで……うわぁ、気味が悪いな。二十メートルほど先に奇妙な人形が突っ立っているのが目に入ってくる。

 

人間と同じサイズの胴体に、小さすぎる手足や顔。男性のフォルムなのに女物のドレスを着ているそいつは、ぺこりとぎこちない動作でお辞儀して通路の奥を指差した。

 

「……劇場がある方よね? 行けってこと?」

 

人形の姿形には一切触れずに発されたノーレッジさんの疑問に対して、不気味な人形はこっくり頷くことで返答に代えた後、急に自分の小さな頭を壁に打ち付け始める。かなりのスピードと威力でだ。

 

「えぇ……何してるの? あれ。」

 

脈絡がなさすぎる行動にドン引きしつつ呟いた私に、ノーレッジさんが鼻を鳴らして回答を寄越してきた。

 

「『自殺』してるんでしょ。何の意味があるのかは分からないけど、それはこれまで出てきた人形にも言えることよ。……行ってみましょうか。他にヒントは無いわけだしね。」

 

「大丈夫かな? 罠じゃない?」

 

「敵地に突入してるわけなんだから、今更罠も何もないでしょ。そこで情報が得られなかったら二階の裏手に回ってみればいいわ。」

 

アリスに答えながら本の裏表紙を軽くノックしたノーレッジさんは、途端に頭を打ち付けていた壁に沈み込んでいくアンバランス人形を尻目に、他より豪華で大きいドアを抜けていく。あれが二階席とやらに続くドアらしい。言われてみれば確かに劇場って感じの雰囲気だな。

 

ドールハウスを持つアリスと二人でその背に続いてみると、間違いなく千席以上はある広い劇場のステージに……あの少女だ。白いワンピースに裸足の少女が不機嫌そうな顔付きで座り込んでいるのが見えてきた。その隣には無表情のラメットさんも立っている。

 

「下りてきなよ、そっちに階段があるから。」

 

「不要よ。」

 

少女の呼びかけに端的に応じたノーレッジさんが、ピンと立てた人差し指をゆっくりと一階席に向けた。すると客席が独りでに動き出して、分解したりくっ付いたりしたそれは数秒で階下への階段に変わる。そのくらいじゃもう驚かないぞ。

 

そこを悠々と下りていくノーレッジさんへと、未だ舞台にぺたりと座っている少女がやる気のない拍手をし始めた。

 

「おーおー、凄いじゃん。ぽっと出の新参魔女だから油断してたよ。吸血鬼の靴でも舐めて力を手に入れたの?」

 

「私は本を沢山読んだのよ。ただそれだけの話。……こちらとしても少々予想外だったわ。まさか『先輩』がこんなに大したことないとはね。」

 

「言ってくれるね。……あんたさぁ、友達いないでしょ。」

 

気怠げに立ち上がってお尻の埃を払いながら罵倒してくる少女に、劇場の中央を横切るやや広めの通路まで進んだノーレッジさんが返事を返す。これまでの冷静なものと違って、若干苛々している声色でだ。

 

「……貴女も魔女なら意味のある会話をして欲しいわね。それは今関係ないでしょう?」

 

「いーや、あるね。僕が頑張って作って設置した人形を遠慮なく壊してくれちゃってさ。もっとこう、楽しんで『攻略』しなよ。地下室にも行かないし、真っ直ぐ人質の居る部屋に行くとか……つまんないって言われない? あんた。」

 

「別に面白くある必要なんてないもの。私はただ、一番効率的なルートを──」

 

「ほらほら、出たよ。集団に一人はいるよねぇ、こういうヤツ。こっちが楽しもうとしてるのにさ、理屈立てて無自覚に邪魔するのはやめてくんない? 迷惑だから。分かる? めーわくなの。」

 

やれやれと首を振りながら文句を捲し立ててくる少女を見て、ノーレッジさんは口の端をヒクヒクさせた後……いきなり手に持っていた本の表紙をべちんと叩いた。目障りな虫を叩き潰す時のような動作だ。

 

「あれ? もしかして怒っちゃっ──」

 

それに少女が半笑いで反応しようとした瞬間、その小さな肢体が真っ赤な業火に包まれる。華奢な幼い少女が焼かれるのを目にして、思わず瞼を閉じてしまうが……数秒後には再び少女の声が劇場に響いた。

 

「おいおい、勘弁してよ。図星だからって普通可愛い女の子を燃やす? ……あーもう、折角作った服なんだけど? 弁償してよね、弁償。」

 

まさか、無事なのか? 物凄い炎だったぞ。恐る恐る目を開けてみれば、舞台の上で全裸になっている少女の姿が目に入ってくる。長い金髪はサラサラと変わりなく揺れているし、細い未成熟な身体は火傷一つない真っ白だ。服だけが燃えてしまったらしい。

 

「ごちゃごちゃ余計なことを言う方が悪いのよ。……それで? 投了するってことでいいのかしら?」

 

「いやー、投了ってわけじゃないんだけどね。人形をいくら向かわせても無駄みたいだし、直接やり合おうと思ってさ。あんたらもその方が話が早くて助かるでしょ?」

 

「『直接』? その身体は貴女の本体じゃないみたいだけど?」

 

「本当に鬱陶しいなぁ。一々言葉尻を捕らえないで、何となくのニュアンスで受け取ってよね。これが今日の僕にとっての本体なの! それでいいじゃん、別に。どいつもこいつも『本物』であることに拘りすぎなんだよ。」

 

ぺちぺちと真っ平らな胸を叩く全裸の少女に、ノーレッジさんは冷たい声で質問を放った。

 

「誘拐した少女の身体なのね?」

 

「うん、そう。最初に捕まえた子。ピーピー泣き喚いて会話にならなかったから、この話し方は適当に演じてるだけだけどね。……ちなみにさ、元に戻すのは無理だから遠慮しないで戦ってくれていいよ。脳みそを大分弄っちゃったんだ。僕の操作なしだと本当の『お人形さん』になっちゃうし、どうせあと三日も持たないだろうから。内臓がもうダメみたい。子供はすぐ死ぬから弄るのが難しいんだよね。」

 

「……そう。」

 

詳しいことは理解できないが、とにかくあの少女が誰かの手によって操られていて、もう元には戻らないということだけは分かったぞ。ギュッと杖を握り締める私を他所に、少女は後ろを向きながら両手をぱちんと合わせる。

 

「あとほら、あれが残ってる人質ね。隠して探させても良かったんだけど、地下の化け物がそろそろ抑えきれなくなりそうだからさ。ヤバいのが戻ってくる前にここに居る面子で決着を付けようと思ったんだ。……魔女二人だけでも手一杯なのに、残りの連中が加わったらどうにもならないよ。アンフェアな勝負だなぁ。本当はもっと沢山人形を用意してたんだよ? 殆どを地下に割く羽目になっちゃったけどさ。」

 

少女の言葉と共にステージの天井から下りてきたのは、細い糸のようなもので吊るされている一人の男性と二人の少女……クロードさんだ。二人の少女は誘拐されていた子たちだろうか? 力無くぶら下がっているのを見るに、意識はないらしい。

 

クロードさんの姿を目にして私が安堵している間にも、少女はノーレッジさんとの話を続けた。かなり挑戦的な顔付きだ。

 

「吊るしてる糸は操れるけど、今すぐ勝負を受けるなら手を出さないって約束するよ。あの三つは『トロフィー』ってわけ。僕が勝ったら僕のもので、あんたが勝ったらあんたにあげる。どう? 受ける?」

 

「いいでしょう、相手をしてあげるわ。……アリス、そっちは任せたわよ。」

 

そっち? それに、私はどうすればいいんだ? アリスと私が戸惑っているのを気にすることなく、ノーレッジさんが素早く本を開いて何かを呟くと……一瞬にして舞台の上に立っていた少女が勢いよく斜め上に吹っ飛んでいき、ふわりと浮き上がったノーレッジさんもそれを追って行ってしまう。少女が激突した所為で空いたステージの天井近くの穴。その向こう側で戦うつもりらしい。

 

「ちょ、どういうこと? どうするの? 私たち。」

 

「多分、場所を移し……プロテゴ(護れ)!」

 

ええい、いきなりだな。ノーレッジさんが入っていった穴を見ながら二人で呆然としていると、それまで微動だにしなかったラメットさんがこちらに無言呪文を放ってきた。ドールハウスを持ったままで器用に盾の呪文を使ったアリスを援護するため、私も杖を振って武装解除術を撃ち込む。

 

エクスペリアームス(武器よ去れ)! ……ラメットさん、どうしてこんな──」

 

むう、聞く耳持たずか。私が語りかけるのを無視して応戦してきたラメットさんに、今度はドールハウスを床に置いたアリスが反撃を放つ。撃ち込まれているのは私にも理解できる杖魔法だ。それならなんとか戦えるぞ。

 

ステューピファイ(麻痺せよ)! テッサ、話は後よ。先ずは無力化しちゃいましょう。」

 

「分かった! プロテゴ!」

 

アリスの言う通り、詳しい事情は後で聞くべきだな。親友と二人並んで攻撃と防御を分担しながら、中々の杖捌きで無言呪文を飛ばしてくるラメットさんへとジリジリ近付く。ラメットさんは想像以上に戦い慣れているようだが、二対一ならこちらが上だ。この状態なら負ける気はしないぞ。

 

初めての杖での実戦に集中しつつ、テッサ・ヴェイユは親友と一緒にステージの上のラメットさんへと迫っていくのだった。

 



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落ちない終わり

 

 

「……っ! デパルソ(除け)!」

 

破砕呪文で浴びせかけられたステージから剥がれた木片を衝撃呪文で吹き払いつつ、アリス・マーガトロイドはちらりと頭上に視線を送っていた。ようやくここまで接近できたな。ステージの天井から糸で吊るされたクロードさんと二人の少女。早くラメットさんを無力化して助け出さねば。

 

パチュリーと少女の身体を操っている魔女が戦いの場を移し、私とテッサがラメットさんと杖を交え始めてから一分ほど。戦況としてはかなり有利な状態を保てている。ラメットさんの杖捌きは見事なものだが、それでも二対一を覆せるほどではないらしい。このままいけば近いうちに押し切れるだろう。

 

戦闘の余波か、あるいは老朽化で穴が空いている箇所に足を置かないように気を付けつつ、舞台袖へと後退を続けるラメットさんに呪文を撃ち込む。もちろんテッサと息を合わせながらだ。

 

「ステューピファイ!」

 

「エクスペリアームス!」

 

ブナノキとイトスギの杖から放たれた二つの赤い閃光は、ほぼ同時にラメットさんに向かって飛んでいき……よし、決まったな。片方を何とか無言呪文で打ち消したラメットさんだったが、もう片方の閃光が身体に激突した。杖を手放して倒れたのを見るに、テッサの武装解除を食らったようだ。

 

アクシオ(来い)。……テッサ、一応縛っちゃってくれる? 動かないし、呪文の衝撃で気絶したんだと思うわ。」

 

「ん、分かった。」

 

引き寄せ呪文で落ちた杖を回収した後、テッサがラメットさんを縛り付けるのを尻目に人質たちへと向き直る。終始無言だったラメットさんのことも気になるが、事情を訊くのは後回しだ。先ずは三人を助け出さねば。

 

ディフィンド(裂けよ)。……モリアーレ(緩めよ)!」

 

あの高さから落ちたら怪我をしちゃうだろうし、一人一人落ち着いて救出していこう。慎重に狙った切断呪文で糸を切って、落ちてきた四歳くらいの赤毛の少女をクッション呪文で受け止めたところで……背後からテッサの鋭い警告が響く。

 

「ひゃっ、プロテゴ! アリス、スペア持ってる!」

 

スペア? 何事かと慌てて振り向いてみれば、ギリギリで呪文を防いでいるテッサと、彼女に追撃を撃ち込もうとしているラメットさんの姿が目に入ってきた。スペア……スペアの杖か! 戦闘職の魔法使いは持つことがあると耳にしたことはあるが、実際に持っているのは初めて見たぞ。

 

何にせよ、援護しなければ。至近距離で戦う二人の横合いから、失神呪文を放とうと杖を振り上げ──

 

「だめだよ、お姉ちゃん。」

 

「ちょっと、何を?」

 

ようとした瞬間、気を失っていたはずの救出した少女が私の腕を抱いて妨害してきた。いきなり目覚めて混乱しているのか? 多少乱暴に振り解こうとするが、私の杖腕を抱き締めている少女は決して離れようとしない。

 

「離して、今は──」

 

「だめだもん!」

 

防戦一方のテッサを見て、もう我慢できないと少女ごと杖をラメットさんに向けようとすると……痛ったいな! 少女は私の手首にがぶりと噛み付いてくる。手加減ゼロの本気噛みだ。めちゃくちゃ痛いぞ。

 

「いっ……たいわね! ステューピファイ!」

 

子供でも顎の力は強いんだななんて場違いなことを考えつつ、それでも強引にラメットさんの方に失神呪文を飛ばすと、空中を走る二つの閃光が同時に標的へと吸い込まれた。一つは私が放ったラメットさんへの呪文で、もう一つはラメットさんが放ったテッサへの無言呪文だ。

 

「テッサ!」

 

あの速度で放たれた無言呪文であれば、そこまで強力な魔法じゃないはず。そう自分を励ましながら倒れ込むテッサに駆け寄ろうとするが……ええい、何なんだこの子供は。未だ私の手首に歯を立てている少女が妨害してくる。どういう育て方をしてるんだよ!

 

「お願いだから離して頂戴。怖いのはわかるけど、私たちは貴女を助けに来たの。もう大丈夫よ。」

 

落ち着け、アリス。きっと怯えているだけだ。痛みを我慢しながらにっこり笑って語りかけてやると、少女は噛み付いたままで上目遣いになった後、私の手首から口を離してクスクス微笑んできた。口の周りが私の血で真っ赤だぞ。

 

「そんなの知ってるよ。でも、何であたしが元のままだと思ったの?」

 

「へ?」

 

その言葉の意味を認識する間も無く、少女はそれまで以上の物凄い力で私の手首に噛み付くと、堪らず落としてしまった杖を遠くに蹴り飛ばす。……まさか、この子も『人形』になっているのか?

 

即座に杖を取り戻すために動こうとするが、少女は掴んだままの腕を背中に押し付けるようにして私をうつ伏せに倒してしまった。直後に子供では有り得ないような腕力で頭をステージに押し付けられると……くそ、動けないな。加えてズキズキと痛む杖腕はもうまともに使えそうにない。背中に染み込む生温かい液体は私の血だろう。力が全然入らないし、さっきの噛み付きで腱か何かが傷付いてしまったようだ。

 

「……人質は無事じゃなかったの?」

 

何とか頭を横にして背中にのしかかる少女に問いかけてみれば、彼女は先程と同じく可愛らしい口調で返事を寄越してくる。これも『キャラクター』を演じているわけか。不気味なヤツだな。

 

「無事だって保証した女の子は一人だけだもん。だからぶら下がってるもう一人は弄ってないよ。二分の一を外しちゃったね、お姉ちゃん。」

 

「……後学のために聞かせて欲しいんだけど、今の貴女は二つの身体を同時に操ってるってこと?」

 

「あれ、時間稼ぎ? ちょっと稼いだところで無駄だと思うけど……うん、そうだよ。上で図書館の魔女と戦ってる『僕』と、ここでお姉ちゃんを押さえ付けてる『あたし』。二体くらいならギリギリなんとかなるんだ。」

 

「大したものじゃない。私の師匠と戦いながらこんなことが出来るだなんてね。」

 

話しながら左手で杖なし魔法を使おうとするが、何一つそれらしい手応えを感じない。杖腕でも十全に使えないのに、左手じゃ無理か。万事休すかと焦る私へと、少女は得意げな表情で自慢してきた。

 

「えへへ、凄いでしょ。実は自分でも中々凄いと思うんだ。テストは何回もやったんだけど、実戦となるとすっごく難しいの。……でも、そろそろ負けちゃいそうかな。強いね、あの魔女。子供の身体なのに全然容赦してくれないし。」

 

「降参する? 口利きしてあげましょうか?」

 

「そんなのしないよ。あたしの目的はお姉ちゃんだもん。」

 

「あら、どこかへ連れ去るつもりなの? それなら全力で抵抗して時間稼ぎさせてもらうけど。」

 

みっともなく暴れ回ってやるぞ。笑みを浮かべながら強がりを言う私に、少女は顔を近付けて否定してくる。唇に付着した私の血をぺろりと舐めながらだ。

 

「この身体はあんまり弄れてないから魔法がまともに使えないし、お姉ちゃんを連れて吸血鬼や図書館の魔女から逃げ切るのは難しそうかな。……だけど、それよりもっと良い方法があるんだ。お姉ちゃんの頭の中に『種』を仕掛けるの。」

 

「種?」

 

「そう、種。お姉ちゃんの思考を誘導して、あたしの所に戻ってこさせるための種。人間を人形にするために色々実験してた時の副産物。……かなり痛いけど、我慢してね。これが終わったらお姉ちゃんもあたしたちと一緒になれるから。」

 

そんなの嫌だぞ。恍惚とした声色で喋る少女の唇が、私の耳にゆっくりと近付く。全力で暴れようとする私の頭を片手で易々と固定した少女は、そのまま耳元で囁いてきた。

 

「いくよ? お姉ちゃん。大丈夫だからリラックスしてね。」

 

直後に少女の舌が耳に触れ、背筋にぞわりとしたものが走った瞬間──

 

「なーにをしてるんだ、キミは。うちの娘に変なことをしないでもらおうか。」

 

私にのしかかっていた少女の身体が、くの字に折れてステージの壁へと吹っ飛んでいく。何が起こったのかと急いで身体を起こしてみると、不機嫌そうな表情で立っているリーゼ様の姿が目に入ってきた。

 

「……リーゼ様?」

 

「いかにも、アンネリーゼ・バートリ様だよ。」

 

「ドールハウスから出てこられたんですか?」

 

「ああ、出てきたとも。怒りと不満と憎しみと共にね。」

 

おー、怒ってる。左手で耳をさすりながら杖が落ちている方へと移動する私を他所に、リーゼ様はステージの奥へとズンズン進んで壁に打ち付けられた少女を持ち上げると……うわぁ、凄い光景だな。幼い少女の顔面を容赦なくぶん殴り始めた。

 

「こいつの所為で随分と苦労させられたよ。アホみたいな数の人形に襲われたり、訳の分からん仕掛けに付き合わされたり、火で炙られたり、水責めにあったり、突風で吹き飛ばされたりね。絶対に許さんからな、キミ。」

 

……それって、半分以上は私とパチュリーの仕業じゃないか? 右手首に癒しの呪文をかけながら話すべきかと迷っていると、少女は泣き顔で言い訳を叫び出す。

 

「やめて、痛いよ! 痛い! ……もうしないから殴らないで! 大体、あたしが用意したのは人形と時間稼ぎの謎解きだけ──」

 

「煩いね。私のフラストレーションは限界を超えてるんだ。泣き叫んでも無駄だよ。死ぬまでやるからね。」

 

「や、やめっ……この身体がどうなってもいいの? 身体の持ち主に罪は──」

 

「どうせもう元には戻らないんだろう? だったらこれは『キミ』だよ。『攫われた少女』じゃない。吸血鬼にありきたりな道徳観を期待しないでもらおうか。」

 

冷たく言い放ったリーゼ様は、少女の首を掴んで思いっきりステージに叩き付けてから……一切の躊躇なくその頭を踏み潰した。ぐちゃりと割れた頭部と、びくりと痙攣した後で動かなくなった胴体。それを一瞥してから赤黒いものに塗れた足を嫌そうに振った後、リーゼ様は杖を抜いて清めの呪文を放ちつつ私に声をかけてくる。

 

「汚いね、スコージファイ(清めよ)。さて、アリス。今の状況を……おいおい、怪我してるじゃないか。見せてごらん。」

 

途端に心配そうな表情になって駆け寄ってきたリーゼ様に手を取られながら、顔を潰された少女の亡骸を見て小さく息を吐く。……私なら絶対に殺せなかったな。そして、殺したことを一概に正しいとも思えない。もう元の少女に戻らないとしても、私ならそれを躊躇なく『破壊』することなんて出来ないはずだ。

 

私の考え方が甘いのか、それともリーゼ様が苛烈なのか。答えが出なさそうな問題に悩みながら、無残な死体のことをジッと見つめていると……リーゼ様が慎重な手付きで私の手首をペタペタと触診し始める。それでも私はこの吸血鬼を否定できそうにないな。こんな風に私の怪我に焦ってくれるリーゼ様もまたリーゼ様なのだから。

 

「結構深くやられたみたいだね。動かせるかい? 変に治療すると後々問題が出るかもしれないし、先ずはパチェに……そういえば、パチェはどうしたんだ?」

 

「えっと、今はどこかで魔女と戦ってます。」

 

「んん? じゃあ私が始末したのは?」

 

「つまりですね、同時に何体か操ってるみたいなんです。パチュリーが戦っている方の人形は魔法を受けても平然としてましたし、こっちのより強力なものなんじゃないでしょうか?」

 

そうじゃないなら、パチュリーが未だに戻って来ないのはおかしいだろう。ある程度戦いが継続しているということは、それなりに強力な人形ということだ。推理を交えながら送った返答を受けて、リーゼ様は倒れているテッサを指差して質問を重ねてきた。

 

「ふぅん? まあ、ヴェイユは救い出したんだろう? 気を失っている状態を『救い出した』と表現できるかは分からんが。……隣に倒れてる人間は誰だい?」

 

「マリー・ラメットって名乗ってきた、フランスに来る時の列車で知り合った女性です。テッサによれば犯人の共犯者なんだとか。」

 

「共犯者? ……いまいち分からんね。あれも人形ってことかい?」

 

「その可能性はありますけど……すみません、私も理解しきれていないんです。普通に杖魔法で攻撃してきて、私の失神呪文で気絶させましたから、強力な人外とかではないと思います。」

 

話している間にようやく右手を診察し終えたらしいリーゼ様は、倒れたままで動かないラメットさんへと歩み寄りながら口を開く。やや警戒している様子だ。

 

「あるいは魔女の弟子なのかもね。キミがパチェに師事しているように、魔女が弟子を取ることは珍しくないんだ。体の良い小間使いとして扱うのが殆どだが……ふむ、本当に気絶してるな。捨て駒にでもされちゃったのか?」

 

「後で事情を訊いてみましょう。……良かった、テッサも気絶してるだけです。呪文で起こしていいですか?」

 

つま先でラメットさんの顔をつんつんするリーゼ様に聞いてみると、彼女は少し考えた後で首を横に振ってきた。ダメなのか。

 

「寝かせといた方が楽だと思うよ。『こっち側』のことは教えていないんだろう?」

 

「いえ、あの……救い出す時、事情を説明するためにちょっとだけ話しちゃいました。ダメだったでしょうか?」

 

「いやまあ、キミが話すに足ると判断したんであれば別にいいけどね。私のことも話しちゃったのかい?」

 

リーゼ様のことは……話してない、よな? 『こっち側』の存在だというのは伝えたかもしれないが、ここに来ていることや吸血鬼であることまでは明言しなかったはずだ。首を左右に振ることで応じると、リーゼ様は肩を竦めて結論を口にする。

 

「なら、やっぱり寝かせておこう。どうせもう終わりみたいだし、今更説明すべきことを増やしても──」

 

リーゼ様が面倒くさそうに何かを言おうとしたところで、頭上から微かな物音がした後、ステージ天井の穴からパチュリーが姿を現す。向こうも決着が付いたようだ。見た限りでは無傷だな。

 

「あら、リーゼ。やっとドールハウスから出られたのね。『偉大なる吸血鬼』の癖に何の役にも立てなかった気分はどうかしら?」

 

「心配しなくてもさっきアリスの危機を颯爽と救ったよ。キミが目を離した所為で生じた危機をね。」

 

「ほんの少しだけ挽回できて良かったじゃない。その前まではずっと私が守ってたわけなんだし。……アリス、大丈夫?」

 

「私は大丈夫だけど、パチュリーは? 魔女はどうなったの?」

 

平時通りに見えるパチュリーに問いかけてみると、彼女はステージに着地しながら端的に答えてきた。

 

「片付けたわ。……こっちも聞きたいんだけど、どうして人質が一人死んでるのかしら? それもかなり凄惨なやり方で。」

 

「それは私がやったんだよ。」

 

「遂に自供したわね、極悪吸血鬼。大人しく罪を償いなさい。アズカバンに本くらいは差し入れてあげるわ。」

 

「本なんか要らんし、魔法使い如きの牢獄に入るつもりもないよ。アリスを襲ってたから踏み潰しただけさ。チェックが甘いぞ、ぽんこつ魔女め。」

 

うーむ、暢気だな。私がラメットさんを拘束している間にいつもの漫才を始めた二人は、残る人質を救出しながらお互いへの口撃を続ける。喧嘩するほど仲が良いってやつか。少なくともパチュリーがこういう態度になるのはリーゼ様と小悪魔さんに対してだけだし。

 

「あのね、悪いけど今日は貴女より私の方が活躍してるでしょう? おもちゃのお屋敷で延々お人形さんごっこをしてたのはどこのどなた? 私はその間にアリスを守りながらヴェイユを見つけ出して、ついでに敵方の最高戦力を片付けたんだけど?」

 

「キミの方が重労働なのは当然のことだろう? キミたちを働かせることこそが当主たる私の仕事なんだから。私はいざという時のために閉じ込められたフリをしていたのさ。……それよりほら、どうしたんだい? 早くこの小娘が人形じゃないかを調べたまえよ。二度も同じミスをやらかさないようにね。」

 

「人間よ、人間。全身生身だし、妙な『加工』は施されていないわ。……そんなことより、閉じ込められたフリっていうのは撤回なさい。どう考えても嘘でしょうが。全然出られなくて焦ってたら、偶々アリスの危機に遭遇できただけでしょう?」

 

「私がそうだと言ったらそうなんだよ。あの程度の魔道具にこの私を閉じ込めておけるわけが……おい、その目はやめたまえ。ただでさえ悪い性格が更に悪く見えちゃうぞ。ほら、その目! その目だよ、ジメジメ魔女め。」

 

とびっきりのジト目になっているパチュリーに、リーゼ様が嫌そうな表情で文句を言ったところで……客席の一番奥にあるドアから第三の人外が入ってきた。服がボロボロになっている美鈴さんだ。

 

「どもー、みなさん。ひょっとしてもう終わっちゃいました?」

 

「おや、一番役に立たなかった迷子の門番が帰ってきたようだね。何処をほっつき歩いてたんだい?」

 

「ひどいですねぇ、地下でずっと戦ってたんですよ? 雑魚ばっかりでしたけど、数が多かったので退屈はしませんでした。概ね満足です。……結局人質らしき人物は見付けられませんでしたけどね。」

 

苦笑しながら近付いてきた美鈴さんは、ぐるぐるに縛られているラメットさんを指差してにっこり頷いてくる。

 

「まあでも、無事みたいじゃないですか。ヴェイユちゃんでしたっけ? 良かったですね。」

 

「あの、その人は犯人の仲間です。テッサはこっちですね。」

 

「あー……まあ、どっちにしろ救出成功ですよ。これからどうするんですか?」

 

やっぱり顔を知らなかったのか。呆れた顔になった私から目を逸らした美鈴さんの疑問に、リーゼ様が腕を組んで返事を返す。……本当にこれで終わりなのか? なんだか呆気ない幕引きだな。

 

「どうするもなにも、キミが助けたことにするんだよ。私はここに居なかったし、パチェのことは……アリス、キミからヴェイユに口止めしておいてくれ。」

 

「それはいいですけど、パチュリーは別にレミリアさんの部下って扱いでいけるんじゃないですか? 何かあればダンブルドア先生だって知り合いなわけですし。」

 

「私はそれでも問題ないと思うけどね。キミは嫌なんだろう? パチェ。」

 

リーゼ様の質問を受けて、パチュリーは当然とばかりの顔付きで大きな首肯を放った。

 

「当たり前でしょう? どうせこの後事情聴取だの状況説明だのをしないといけないのよ? 初対面の闇祓い相手に私がそれをやれると思うの?」

 

「いやぁ、威張って言うことじゃないと思いますけどね。……ってことは、私が全部やらなきゃいけないんですか? 何をどう話せばいいのか分かんないんですけど。」

 

面倒くさいという感情を声色で伝えてきた美鈴さんへと、リーゼ様がどうでも良さそうに適当な返答を送る。

 

「姿を消して助言してあげるから何とかしたまえ。幸いにも役立たずの護衛君は絶賛気絶中だ。多少筋が通らないストーリーでも納得せざるを得ないだろうさ。……こいつ、結局何のために護衛に付いてたんだ? 一度も守れてないじゃないか。」

 

「貴女には言われたくないと思うけどね。ドールハウスの中に──」

 

「ええい、しつこい魔女だな。いつまでもネチネチ言ってると嫌われちゃうぞ。……とりあえず外に出ようか。そこで私とパチェが姿を消して、ヴェイユと口裏を合わせてから魔法省に行けばいい。そしたらさっさと事情を話してイギリスに帰ろう。そこの『共犯者』を犯人として突き出せば闇祓いどもも満足するだろうさ。」

 

「……でも、ラメットさんが色々と話しちゃったりしませんか? 魔女のこととか、人外のこととか、もしかしたら吸血鬼のこととかも。」

 

撤収する気満々のリーゼ様に聞いてみれば、彼女は皮肉げな吸血鬼の笑みで答えてきた。

 

「それを誰かが信じると思うかい? マグルが魔法を信じないように、魔法族だって人外を信じないよ。自分たちの狭い常識に当て嵌めようとするだけさ。それでもその女が騒ぎ続けたら……まあ、フランスの人外どもが勝手に処理してくれるんじゃないかな。『お喋り』の末路がどうなるかなんて相場が決まっているだろう?」

 

「……そういうものなんですか。」

 

「そういうものなのさ。だからそんなに心配しなくても平気だよ。……結局魔女と決着を付けられなかったのだけは不満だが、ゲームのルールは守らないとね。私たちが追わない限り、向こうももう手を出してこないはずだ。これにて終幕だよ。」

 

軽い口調で終わりを宣言したリーゼ様は、そのまま劇場の出口へと歩き出してしまう。気絶しているクロードさんと少女、テッサとラメットさんを宙に浮かせたパチュリーがその背に続き、私も微妙な気分で足を踏み出す。

 

なんかこう、総じて奇妙な事件だったな。犯人の魔女は最後まで本当の姿を現さなかったし、全体を通して謎の行動が多すぎた。本気で私を攫おうとするのであれば、もっと効率的なやり方が幾らでもあったはずだ。

 

何ならヨーロッパ特急の時点で仕掛けてくれば易々と私を攫えただろう。それなのにわざわざ闇祓いへの報告を看過して、グラン・ギニョール劇場で手の込んだ待ち伏せをした後、魔女にとって大切なはずの工房を呆気なく捨てた挙句、この廃劇場に粗だらけの罠を仕掛けた。

 

うーん、モヤモヤするな。掴み所が無いというか、行動が一貫していないというか……まあ、ここで悩んでいても仕方がないか。先ずはテッサへの説明と、バルト隊長に対する報告の内容を考えなければ。リーゼ様とパチュリーの存在を削るとなると、美鈴さんが大活躍したことになりそうだな。

 

腑に落ちない感情を胸の奥に仕舞い込みつつ、アリス・マーガトロイドは出口に向かって廃劇場の通路を歩くのだった。

 



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クロード・バルト

 

 

「……ねえ、まだ話してくれないの?」

 

ジト目でこちらを見つめてくるテッサから目を逸らしつつ、アリス・マーガトロイドはこの一時間で何度目かの返答を放っていた。もうちょっと待って欲しいって言ってるじゃないか。

 

人質を助け出した私たちは廃劇場から出た後、ボロボロの服を着替えた美鈴さんと一緒にフランス魔法省に移動したのである。リーゼ様は毎度のように姿を消して、パチュリーは報告が終わるまで図書館に居ると言い残して何処かへ行ってしまった。……この時間に図書館が開いているとは思えないし、ひょっとして忍び込むつもりなのだろうか?

 

ちなみにテッサに対しての『説得』は、美鈴さんが着替えを入手する間に済ませてある。『パチュリーのことは話さずに、美鈴さんに助け出されるまでずっと気絶していたことにして欲しい』という強引な説得を。かなり困惑した様子だったものの、私の真剣な顔を見て一応は頷いてくれたのだが……二人っきりになった今、抑え込んでいた疑問が吹き出してきたらしい。結果として先程から説明しろとせっつかれているわけだ。

 

「後で絶対に話すから、今は勘弁して頂戴。魔法省じゃどこに耳があるか分からないわ。」

 

今私たち二人が居るのは、リーゼ様に助言されながらの美鈴さんがバルト隊長に何があったのかを報告している間、ここで待っていてくださいと通された応接用らしき小部屋だ。もちろん盗聴されているなどとは疑っていないが、事が私だけの問題ではない以上、念には念を入れるべきだろう。『お喋り』がどうなるのかはリーゼ様が教えてくれたわけだし。

 

そう思って送った言葉に、テッサはソファから身を乗り出して呆れたような声を寄越してきた。

 

「あのね、こんな部屋で誰が聞いてるってのよ。……私は闇祓いに嘘まで吐いちゃったんだからね? 納得できる説明が欲しいもんだわ。」

 

「後で説明するってば。レストランにでも行って、そこでゆっくり話しましょう。」

 

「……絶対だからね?」

 

ムスッとした顔で渋々首肯したテッサは、そのまま立ち上がって部屋を歩き回りながら話題を変えてくる。本来は何の目的で使われる部屋なんだろうか? テーブルとソファが置いてあるだけで、他には目立った家具がない小さな部屋だ。ソファはやけに高価そうな一品だし、もしかしたら司法取引とかをするための場所なのかもしれない。

 

「クロードさん、大丈夫かな? 起こす前に検査するって言ってたけど。」

 

「見たところ気絶してるだけみたいだったし、心配ないと思うわ。……私としては女の子の方が心配ね。監禁されている間はどんな生活だったのかしら? トラウマになったりしてないといいんだけど。」

 

「……結局一人だけしか助からなかったんだよね?」

 

「そうなるわね。」

 

第一の被害者がパチュリーと戦った子で、第二の被害者はビスクドールにされた女の子。そして恐らく第三の被害者が私を襲った子だから、第四の被害者が救出された女の子なのだろう。『プショー』の元になった人やグラン・ギニョール劇場での死者も含めれば、今回の事件の犠牲者の数は私が知るだけでも十名近くになってしまう。

 

神妙な顔で黙り込むテッサと、額を押さえてため息を吐く私。部屋の空気が重苦しくなったところで、ドアが軽くノックされると共に入室の許可を求める声が飛んできた。

 

「テッサさん、マーガトロイドさん、入ってもよろしいでしょうか? クロードです。」

 

「わ、クロードさん? 入って入って。」

 

「では、失礼します。」

 

何で急に前髪を整え始めたんだ? 謎の行動をするテッサの許可に従ってドアを抜けてきたのは、二つのマグカップを手に持ったクロードさんだ。彼はおずおずとカップをテーブルに置くと、気まずげな表情でテッサに謝り始める。そう来ると思ったぞ。

 

「……テッサさん、申し訳ありませんでした。私は結局何の役にも──」

 

「あーほら、私はこの通り元気だしさ、クロードさんは『ホラー人形』から守ってくれたじゃん。だから気にしないで……っていうのは無理かもだけど、とにかく私は感謝してるから。謝らなくても大丈夫だよ。飲み物持ってきてくれたの?」

 

ソファに戻って早口で遮りながら聞いたテッサに、クロードさんは落ち込んだ顔のままで肯定の返事を口にした。……グラン・ギニョール劇場では私を守れず、ヴェイユ邸ではテッサを守れず、廃劇場では気絶している間に全てが終わったわけか。相手が相手だけに仕方ないとはいえ、本人はやっぱり気落ちするだろうな。

 

「はい、スカーレット氏の私兵だという女性……マーガトロイドさんのお知り合いの方の報告がまだかかりそうでしたので、お飲み物をと思いまして。」

 

「ありがとうございます。……検査はどうだったんですか?」

 

「全く異常ありませんでした。単に気絶していただけのようです。」

 

私の質問に答えたクロードさんは、部屋に一つだけあるドアを横目に話を続ける。マグカップに入っているのはコーヒーか。イギリスだったら紅茶を出してくれる場面なんだけどな。

 

「未熟ですね、私は。まだまだ学ぶべきことがあると痛感しました。……そういえば、ここに来る途中でマリー・ラメットへの尋問もそろそろ始まると聞きましたよ。」

 

「尋問? 真実薬とかを使うのかな?」

 

「黙秘すればそうなるでしょうね。父が開心術師の申請もしていたようですから。」

 

「……なんか、遣る瀬無い気分になるよ。あの人の言ってたことが全部嘘だとは思いたくはないんだけどなぁ。」

 

コーヒーを飲みながら寂しそうに呟いたテッサへと、私もマグカップに口を付けてこくりと頷く。ヨーロッパ特急では良い人に見えたんだけどな。廃劇場での彼女は冷徹な表情で一言も喋ってくれなかったし、全部見せかけのものだったんだろうか?

 

苦い液体を嚥下した私たちがカップをテーブルに置いたのを確認して、やおらクロードさんが杖を抜いてドアへと呪文を放った。……施錠呪文? 何をしているんだ?

 

「どうかしたんですか? クロードさん。」

 

「あまり意味はないでしょうが、一応やっておこうと思いまして。……ご安心ください、マリー・ラメットは杖魔法で操られていただけですよ。テッサさんと魔法省の廊下で話しているのを見た時、保険として利用しようと考えたんです。『手直し』する時間が無かった所為で服従の呪文を使う羽目になってしまいましたが。」

 

「何を──」

 

不穏なものを感じて杖に手をやろうとするが……くそ、身体がピクリとも動かないな。意識ははっきりしているし、口も問題なく動くのに、首から下だけがまるで言う事を聞いてくれない。向かいに座っているテッサの混乱した顔付きを見るに、彼女も同じ状態のようだ。コーヒーに何か入っていたのか?

 

そんな私たちに構うことなく、クロードさんはテッサの隣に座り込んで会話を進めてきた。声も、顔も、口調も。先程までのクロードさんと全てが同じなのにも拘らず、『別のもの』であることを確信させる雰囲気だ。

 

「とはいえ、結果として大した役には立ちませんでした。ダームストラングでは服従の呪文に抵抗する方法をきちんと教えているようですね。お二人を襲わせるのが精々で、当初予定していた『物語のスパイス』としての役目は果たせず終いです。信じていた人物に裏切られるというのは悪くないストーリーだったと思うのですが……一言も喋ってくれないのでは盛り上がりませんし、そこまで衝撃的な展開に導けません。結局マリー・ラメットが口を開いたのはテッサさんが死にかけた時だけでしたよ。」

 

「……ど、どういうことなの? クロードさんも犯人の仲間だったってこと?」

 

愕然とした顔で問いかけるテッサへと、クロードさんは苦笑を浮かべながら穏やかに応じる。

 

「そう、その反応。私が欲しかったのはそれなんです。……いっそのことテッサさんを操れば良かったのかもしれませんね。しかし、どちらにせよ人形にするには時間が足りませんでしたし、それでは美しいストーリーになりません。もどかしいですよ。グラン・ギニョール座でストーリーを作るときはもっと簡単だったのですが、現実が舞台となると不確定要素が多いようです。様々な場面でいくつも失敗をしてしまいました。」

 

「『貴女』が脚本家としても演者としても未熟なのはよく分かったけど、その前にテッサの質問に答えて頂戴。……大体、これはルール違反じゃないの? 貴女は廃劇場での戦いで決着を付けると約束したはずよ。」

 

「無論、約束は守ります。私は貴女やテッサさんに危害を加えるつもりはありませんし、だからこそ動きを制限するだけの魔法薬を使ったんです。……私はただ、話をしたいだけですよ。マリー・ラメットから闇祓いたちが真実を引き出すか、貴女の怖い保護者が戻ってくるか、それとも職員の誰かが異常に気付くか。その短い時間を『エピローグ』のお喋りに使いたかっただけです。余計な抵抗をされると貴重な時間が減ってしまうので、こんな方法を取らせていただきました。そこは謝罪しておきましょう。」

 

「……その身体も人形なの?」

 

戦意がないことにほんの少しだけ安心しながら、クロードさんに……『魔女』に向けて質問を放つ。私には人外のルールというものがよく分からないが、リーゼ様や美鈴さんは廃劇場で『終わり』であることに疑いを持っていなかった。だったら魔女が言っていることは本当なのだろう。

 

「それは答えに悩む質問ですね。この肉体は今までクロード・バルトとして生きてきたものですし、脳以外は特に弄っていません。である以上、図書館の魔女ですら気付けないほどに限りなく『人間』だと言えるかもしれませんが……まあ、『人形』と定義して差し支えないのではないでしょうか? 自発的に動いているわけではなく、『私』が操っているんですから。」

 

「いつからなの?」

 

「最初からですよ。ビスクドールを貴女に送る以前に弱々しい少女の姿で油断させて攫った後、少し頭を弄って操るための改良を施しました。『挑戦状』を受け取った貴女が選択するであろう手段はいくつかありましたが、情報を得るため闇祓いに接触するというのは予想の中の一つでしたから。……一応人外のルートにも別の人形を潜ませておいたのですが、まさか一番手を出し難い厄介な情報屋を頼るとは思いませんでしたよ。お陰で折角用意した人形がお蔵入りです。」

 

「……つまり、今までずっと操っていたってこと? 廃劇場に攫われる前も?」

 

てっきりそのタイミングで人形にしたのかと思っていたが、出会った当初からずっと『魔女』だったのか。ゾッとしながら問いかけた私に、クロードさんを操っている魔女は即座に首肯してきた。

 

「その通りですが、気付かなかったのは当然のことですよ。父上ですら完璧に騙されていたのですから。……コツを教えてあげましょう。人形にする前に徹底的に調べるんです。口調、立ち振る舞い、性格、視線の動かし方、食べ物や異性の好み、何気ない癖、善悪の判断基準、そしてもちろん詳細な経歴。なぞり切るには経験が要りますが、私は長年の『お人形ごっこ』で慣れています。貴女の近くに居たのは紛れもなく『クロード・バルト』ですよ。……役者としてはそれなりだと見直してくれましたか?」

 

「悪いけど元のクロードさんを知らない以上、私には何とも言えないわね。……まあ、気付かなかったのは認めるわ。」

 

「アンフェアな勝負は好みではないので、ヒントはしっかり提示したのですが……全く気に掛けてくれませんでしたね。ビスクドールと一緒に渡した手紙にバルト家の紋章で封蝋がしてあったでしょう? ならば手紙の差出人はバルト家の人間なわけです。単純明快で、至極当然の帰結ですよ。あれだけ分かり易く身分を示したのに、どうして完全に無視されてしまったのかはむしろ疑問でした。」

 

あの紋章はそういう意味だったのか。バルト隊長の発言から、犯人が闇祓いを挑発しているんだと思い込んでいたが……よく考えてみれば魔女は最初から最後まで闇祓いなんて気にも留めていなかったし、もうちょっと深く考えるべきだったな。

 

内心でそのことを反省しつつ、魔女に向かって最大の疑問を投げかける。

 

「……最初からクロードさんのことを操っていたなら、何故私を襲わなかったの? 何度だってチャンスはあったはずよ。」

 

「決まっているでしょう? そんな結末は面白くないからですよ。これは私が脚本を書いた演劇なんです。それを自分の手で台無しにしたりはしません。クロード・バルトに与えられた役は『観察者』であって、実際に手を下すのは他の人形の役目ですから。……それに、貴女が思うほどチャンスはありませんでしたよ。貴女の側には常に翼が付いた保護者が居ましたからね。強いて言うなら初日に魔法省からヴェイユ邸に移動する途中と、今この瞬間がそれに当たるのかもしれませんが……ご存知の通り今は契約の所為で手を出せませんし、初日の時点ではあまりに早すぎた。私も私で色々と苦労していたんです。」

 

そういえば、リーゼ様はヴェイユ邸のリビングの時点からずっと一緒だったって言ってたな。廃劇場では居なくなったが、代わりにパチュリーが側に居てくれた。唯一二人が離れたあの時……操られている少女に押し倒されたあの時が一番危険な瞬間だったわけか。結局それもリーゼ様に妨害されてしまったが。

 

「それなのに、グラン・ギニョール劇場で戦った時は随分と侮ってかかったのね。」

 

初日のヴェイユ邸の時点でリーゼ様の存在に気付き、それを警戒していたというのであれば、プショーのあの態度は筋が通らないはずだぞ。生じた疑念を言葉に変えてみると、魔女は困ったように微笑みながら返答を寄越してくる。

 

「貴女はまだ理解しきれていないようですね。『プショー』、『僕』、『あたし』、そして『クロード・バルト』。皆単なる登場人物に過ぎないのですよ。それぞれのバックボーンがあり、それぞれの考え方をする独立した演者たち。彼らの思考が脚本家であり演出家でもある『私』と異なっているのは当然のことでしょう? ……廃劇場で『クロード・バルト』が『僕』の遊びを邪魔したように、演者たちは時に私の意思に反する行動だって選択します。役になり切ってこそのお人形ごっこなんですから、そればかりは仕方がないことなんです。」

 

「自分で操っている癖に自分の意思に反する? 意味が分からないわ。……それなら『貴女』の目的は何なの? 一体全体何のためにこんなことを仕出かしたの?」

 

「私はただ、貴女と遊んでみたかっただけなんです。本気で吸血鬼や大妖怪に勝てるだなんて思っていませんし、貴女を人形にすることにだって拘っていません。……一応補足しておきますと、貴女の人形作りの腕を認めているのは本心ですよ? 本当に嬉しかったんです。自分以外にも人形を『主題』にする魔女が居るというのは。だから一緒に遊びたくなっただけなんですよ。」

 

「……何を言っているの? 『遊びたかった』?」

 

あまりにも理解し難い発言に思わず聞き返してみれば、魔女は気安い態度で説明を重ねてきた。口調こそクロードさんの丁寧なものだが、悪戯の種明かしをする子供を思わせる雰囲気だ。

 

「そうです、私は貴女と友達になりたかったんです。そのために頑張って脚本を書いて、適した人形を揃えて、舞台を整えて、貴女に『お人形ごっこ』を仕掛けたわけですが……申し訳ないことに、色々と上手くいきませんでした。予定ではもっとずっと劇的で、苦難に満ちて、最後には達成感があるストーリーだったんですよ? 計算外だったのは貴女の保護者が思っていたよりも過保護だったのと、スカーレットの私兵とかいうあの化け物の存在ですね。図書館の魔女だって想定していたよりも強大な魔女でしたし、貴女も『新米魔女』にしては肝が据わっていた。……だから最後に説明しておかなければと思ったわけです。本当はもっときちんとした劇に招待するつもりで、こんな中途半端な結末になる予定ではなかったということを。でないと貴女は私のことを誤解してしまうでしょう? ……つまり、『三文芝居』をする三流の脚本家だと。」

 

話している間にどんどん落ち込んでいく魔女は、心底申し訳なさそうな顔付きで言葉を繋げる。

 

「私が世間知らずで未熟な所為で、貴女に人形劇を楽しんでいただけませんでした。私はどうやら自分勝手な脚本を書いていたようです。……もっと勉強しないといけませんね。深く反省しています。」

 

「……本気で言ってるの? 私と『遊ぶ』ため? そのために人をあんなに殺したの?」

 

「ええ、そうですよ? ……もしかして、怒っていますか?」

 

「当たり前でしょう? 貴女の狙いが私なら、私だけに突っかかってくればいいじゃない。下らない『お人形ごっこ』とやらのために他人を巻き込んだのは許せないわ。」

 

睨みながら言い放ってやると、魔女はキョトンとした顔になった後……にっこり笑ってパチパチと手を叩いてきた。もう完全に『クロードさん』の顔じゃないな。純粋な子供のような笑み。あれはその奥に潜む魔女の笑みだ。

 

「良い人なんですね、貴女は。そんなところも気に入りました。やっぱり物語の主人公は善人に限ります。……ですが、人間なんて全員ゴミみたいな存在ですよ。私はそれをよく知っているんです。あんなものに優しくしているといつか痛い目に遭いますよ?」

 

前半をニコニコ顔で、後半を能面のような無表情で言ってきた魔女へと、冷たい声で否定を送る。

 

「私は貴女の方が余程に気に入らないわ。人間がゴミだなんて思ったこともないしね。」

 

「可哀想に、騙されているんですね。そこも不憫で可愛らしいですが……しかし、友達としては貴女が不幸になるのを放っておけません。」

 

「いつ『友達』になったのかしら?」

 

「だって、一緒に遊んだじゃありませんか。だからもう……ああ、なるほど。楽しくなかったから意地悪をしているんですね? 困りました。機嫌を直してはくれませんか?」

 

なんなんだこいつは。今の流れで何をどうしたら『友達になった』なんて結論に辿り着けるんだよ。不気味な気分で沈黙する私に、何やら勝手に納得したらしい魔女は大きく頷いて提案を飛ばしてきた。

 

「では、暫く待っていてください。今回は失敗してしまいましたが、次はもっともっと面白い『人形劇』を上演してみせます。……そうですね、それが良い。どうせ契約で貴女とは暫く関われなくなるんですから、その間に沢山勉強してみせますよ。いつの日かまた遊びましょう。その頃には貴女ももう少し『魔女らしく』なっているでしょうしね。」

 

嬉しそうにそう言うと、立ち上がった魔女はいきなり杖を抜いてテッサに向ける。何をする気だ? 危害を加えるつもりはないと言っていたはずだぞ。慌てて私が制止しようとする前に、それまで黙っていたテッサがはっきりと魔女を睨め付けながら口を開いた。挑戦的で、恐れを知らない瞳。グリフィンドールの瞳だ。

 

「私には話の流れがさっぱりだし、クロードさんを操ってるとかいうあんたが何なのかも分かんないけど……でも、一つだけ断言できることがあるよ。アリスはあんたと違う、全然違うよ。」

 

「同じですよ、テッサさん。貴女のご友人は魔女だ。人間じゃないんです。」

 

「人間じゃなかろうがアリスはアリスだし、あんたはあんたでしょ。私の親友をあんたなんかと一緒にしないで。」

 

「……困りましたね、テッサさんは私の大事な友達に悪い影響を与えそうだ。口ではこんなことを言っていますが、内心ではどう思っているのやら。詳しい事情を知ればきっとテッサさんは貴女を裏切り、離れていきますよ。人間は『違うもの』を怖がるんです。誰だって怖いものを近くに置きたくはないでしょう?」

 

私に語りかけながら杖の先でテッサの額を小突く魔女へと、テッサは哀れみの表情で反論を放った。

 

「当ててあげるよ、それはあんたの体験談でしょ? ……だけど、アリスはそうはならないよ。私が居るもん。私はアリスが何であろうと怖がったりはしないし、離れたりもしないから。」

 

「ほら、人間はすぐに嘘を吐く。こんな薄っぺらな言葉は何の保証にもなりません。……もうテッサさんは『人質』ではない。ならば殺しても問題ないのかもしれませんね。手出しする気はありませんでしたが、何れ貴女が悲しむならここで殺しておいた方が──」

 

「やめなさい、それをやったら私は貴女を追い続けるわよ。絶対に許さないわ。」

 

「そうですか? それは素晴らしい。尚のこと魅力的な選択になりました。私を追ってきてくれるなら、次のゲームまでの時間が短くなりますしね。」

 

愉快そうに肩を竦めた魔女は、私に見せ付けるように右手に持った杖をテッサの胸元に移動させる。胸中の恐怖を抑えながら必死に杖なし魔法でなんとかしようとする私を他所に、テッサは自分に向けられている杖先を見て一瞬だけ息を呑んだ後、私にちらりと目線を送って小さく微笑んできた。私たちにだけ理解できる、『ごめんね』の笑みだ。

 

「今は恨めしいと思うかもしれませんが、いつの日か私に感謝しますよ。人間との繋がりなど無い方がいいんですから。アバダ──」

 

初めて耳にする『最悪の呪い』。それを唱え切る直前、魔女は……クロードさんは急に左手を動かして杖を持つ右手首を掴んだかと思えば、杖先を強引に自分の喉元に向け直して──

 

「──ケダブラ。」

 

驚愕と安堵が混ざり合ったような不思議な表情になった後、はっきりと禁じられた呪文の残りを言い切った。刹那の間だけ部屋を照らす緑色の光と、直後に力なく倒れるクロードさんの身体。……何が起こったんだ? 自死したということか? だけど、どうして?

 

倒れた拍子にクロードさんの胸ポケットから零れ落ちた闇祓い隊の隊章。それが床を転がって彼の顔の近くへと寄り添うように転がっていくのを見ながら、アリス・マーガトロイドは呆然と息を吐くのだった。

 



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人と魔女

 

 

「んー……ぼんやりとは理解できたかな。まだまだ分かんないことは多いけどさ。」

 

透明のコップに入ったオレンジジュースを揺らしつつ、テッサ・ヴェイユは金髪の親友へと話しかけていた。『本物の魔女』か。ざっくりとした説明を聞く限りでは、人間とそこまで違うようには思えないんだけどな。単に長生きになったって認識じゃダメなんだろうか?

 

クロードさん……というか、『敵の魔女』に操られていた彼が自死してから一夜が明けた現在、私たちはフランス魔法省の食堂で朝食を取っている。あの直後にラメットさんから事情を訊き出したらしい数名の闇祓いが突入してきて、私たちは別室で保護されたままこんな時間になってしまった。

 

ラメットさんは操られている間の記憶を失っていたそうだが、自分に服従の呪文をかけたのがクロードさんであることはきちんと覚えていたらしい。グラン・ギニョール劇場で戦いがあった日の夜、私と別れた後に魔法省で迷っているところをクロードさんに呼び止められて、人気の無い小部屋に誘導されて服従の呪文をかけられたんだとか。

 

クロードさんのことは……うん、まだショックが抜けきっていない。ずっと操られていたというのはもう理解しているのだが、それでも恨んだり嫌ったりすることが出来ないのだ。『もし本当のクロードさんと普通に出会えていたら』なんて思いがぐるぐる頭を巡っている。

 

もしかしたら、私はクロードさんに惹かれていたのかもしれないな。だけど、あのクロードさんは魔女が操っていたクロードさんなわけで……ああもう、上手く考えが纏まらないぞ。どうしようもない内心の惑いを自覚する私へと、アリスが『自分たち』に関する説明を続けてきた。

 

「リーゼ様が小さな女の子のままなのも、何て言うか……そういう事情があるの。」

 

「バートリさんも魔女ってこと? つまり、『魔女の家系』的な家なの? 見所のある子を養子にして魔女の勉強をさせてるとか?」

 

「いや、そうじゃないのよ。パチュリーは魔女だけどリーゼ様は魔女じゃないし、美鈴さんも違うわ。……その辺は私の一存じゃ深く教えられないの。もし気になるならリーゼ様に掛け合ってみるけど、話す許可をもらえるかは彼女次第ね。」

 

「まあ、そこは無理しなくていいよ。アリスはバートリさんのことを信頼してるんでしょ?」

 

長年の付き合いで分かりきった問いを投げてみれば、アリスは即座に頷いて肯定してくる。そりゃあそうだろうな。アリスにとってバートリさんが『最優先事項』であることは重々承知しているのだ。友人としてちょっと嫉妬しちゃうくらいに、彼女は育ての親のことを重視しているのだから。

 

「もちろんよ。一分の隙もないくらいに信頼してるわ。」

 

「だったら大丈夫かな。アリスが信じるなら私も信じるよ。バートリさんに関しては根掘り葉掘り聞いたりしない。……簡単に纏めるとさ、アリスは杖魔法とは少し違う魔法の専門家になって、かつ物凄く長生きになっちゃったってことなの?」

 

「あー……そうね、簡略化して言うとそうなるわ。老化しないし、だから老衰じゃ死なないし、食事も取らなくていいし、睡眠の必要もないの。」

 

ううむ、便利そうだな。ちょびっとだけ羨ましく思う私へと、アリスは不安そうな上目遣いで質問を寄越してきた。

 

「……嫌いになった?」

 

「何を? まさか私がアリスをってこと?」

 

「うん、そう。……だって、不気味でしょ? 人間じゃなくなっちゃったのよ? 私。」

 

申し訳なさそうな苦笑いで言うアリスに対して、ジト目できっぱりと返事を放つ。何を言っているんだ、こいつは。十年来の付き合いで私の性格を学ばなかったのか。

 

「そりゃあ、残念ではあるかな。一緒にお婆ちゃんにはなれなさそうだし、アリスだけ若いままってのは羨ましいから。……でも、脅されたって友達をやめるつもりはないからね。魔女だろうが何だろうがアリスはアリス、私の大切な友達のままだよ。……言っとくけど、次こんなバカみたいな質問したらぶん殴るよ。私がこの程度で無二の親友を見限るわけないっしょ?」

 

「ん、そうだね。……ありがと。」

 

「お礼もいらないの! 当たり前のことでしょうが。」

 

なんだか恥ずかしくなって目の前のバゲットを無意味に千切りながら、慌ただしく動き回る職員たちを横目に話を続けた。朝食を省内で食べる職員はそこそこ存在しているようで、テーブルが並ぶ広い食堂はそれなりに騒がしい空間になっているのだ。そんなことをしようとするヤツが居るかは不明だが、ここなら盗み聞きするのは困難だということでアリスは話してくれたのである。

 

「他の人には言わない方がいいんだよね? ……別に言ったところで問題ないと思うけど。アリスが考えてるほど『人間やめました』って感じはしないし。」

 

「そうかもしれないけど、あんまり口外しないでくれると助かるわ。パチュリーや私はともかくとして、リーゼ様はそう思ってるみたいだから。」

 

「『そう思ってる』って? 拒絶されるかもってこと?」

 

「というか、単純に目立つのが嫌いなのよ。……あとはその、リーゼ様の問題はレミリアさんにも関わってきちゃうの。」

 

スカーレットさんに? 話がいきなり深刻な方向に進み始めたのを感じて、慌てて手を振りながら話題を打ち切る。手に負えなさそうな問題には関わるべきじゃない。私はそのことをホグワーツのモットーから学んだぞ。

 

「なら、絶対に話すべきじゃないね。口外しないって約束するよ。……ねね、今アリスは食べ物を食べてるわけでしょ? それって無意味ってことなの?」

 

小さな皿に盛られているフルーツを指差して聞いてみると、アリスは首を横に振りながら解説してきた。無意味ってわけではないのか。

 

「食べる必要がないってだけで、食べられないわけじゃないのよ。栄養摂取というよりも、味を楽しんでいるわけね。」

 

「ってことは、これからも一緒に美味しいレストランに行けるわけだね。安心したよ。……それに、アリスより私が先に死ねるのも嬉しいかな。」

 

「何よそれ。縁起でもないことを言わないで頂戴。」

 

「でもさ、順当に行けば実際そうなるわけでしょ? アリスが先に死んじゃったら私はどうしたらいいか分かんないもん。私が先なら安心だよ。」

 

アリスには悪いが、これは本音だ。私は親友の死に心を痛めなくても良い。自分でも狡い思考だとは思うけど、それでもやっぱりホッとしてしまう。そんな私を見て、アリスは僅かに不安そうな表情でブルーベリーを突き刺したフォークをこちらに向けてくる。お行儀が悪いぞ。

 

「その話は今からずっと、ずーっと先にして頂戴。まだ聞きたくないわ。叶うなら一生聞きたくないしね。」

 

「ごめんごめん、もう言わないよ。」

 

うーん、意地悪な話題だったかな。……だけど、いつか『その日』は来るのだ。ノーレッジさんやバートリさんはアリスと同じ時間を生きているようだし、それなら私の大事な親友は一人にならないだろう。

 

そのことに心の中で安心しつつ、しんみりした空気を振り払うように話題を変えようとしたところで……私たちが食事しているテーブルに近付いてくる人影が見えてきた。目の下に濃い隈があるバルト隊長だ。

 

クロードさんが死んでから顔を合わせるのは初だな。まさか恨み言を言われたりするんだろうか? 思わず口を噤んで緊張する私たちを目にして、バルト隊長は苦笑しながら歩み寄った後、テーブルを指して静かに声をかけてくる。

 

「ご一緒してもよろしいですかな?」

 

「勿論です、どうぞ。」

 

やや緊張した声色のアリスの許可に従って席に着いたバルト隊長は、ふと遠い目で短く息を吐くと……そのまま深々と頭を下げてきた。

 

「先ずは謝罪します。貴女がたに付けた護衛は敵に操られていました。それを見抜けず配置したのは隊長である私の責任です。本当に申し訳なかった。」

 

「いえ、そんな……。」

 

これはまた、気まずいにも程がある状況だな。バルト隊長は数時間前に息子を喪ったばかりなのだ。それなのにこんなことを言われても何と返したらいいか分からないぞ。私が曖昧な相槌を呟くと、バルト隊長はハキハキとした口調で報告を続けてくる。

 

「先程事件に関する大まかな整理が終わりました。マリー・ラメット氏はやはり操られていただけのようですな。生き残った少女は少々の衰弱が見られますが、癒者によればすぐに良くなるそうです。今はご両親と再会して病院でぐっすり眠っています。」

 

「それは良かったですけど……あの、クロードさんのことは──」

 

「クロード・バルト隊員は殉職扱いとなり、後日葬儀が執り行われる予定です。それと……そう、ビスクドールについては今日中にご両親の下に帰される予定となっております。こちらで責任を持って説明させていただきますので、その点はご心配なさらずに。」

 

事務的なトーンで淡々と説明してくるバルト隊長を前に、私がどうすればいいのかと迷っていると……アリスが小さな声で話を切り出した。バルト隊長の目を真っ直ぐに見つめながらだ。

 

「バルト隊長、クロードさんのことなんですけど──」

 

「ご配慮は無用です。私は息子が闇祓いになった時からこんな日が来ることを覚悟していました。私も、息子も、数ある職業の中から闇祓いという職を選んだ。バルト家の人間だからではなく、自分で選んだ道なのです。ならば文句を言うのは筋違いというものですよ。」

 

「そうじゃないんです。そうじゃなくて……最期の瞬間、操られていたクロードさんはテッサを殺そうとしました。犯人はテッサを殺すつもりで、だから当然そう命じたはずなのに、クロードさんは自分に向けて死の呪いを放ったんです。……何の根拠もない推測なんですけど、あの一瞬だけはクロードさんが自分の意思で行動したんじゃないでしょうか? 犯人の強力な支配を拒むくらい、クロードさんは人を……テッサを殺すことに耐えられなかったんじゃないでしょうか?」

 

そう、私もずっとそう思っていた。あの時クロードさんは杖を強引に自分の喉元に向け直したのだ。それはひょっとして、私を守るためにやってくれたんじゃないだろうか? 無言で話を聞いているバルト隊長に、金髪の親友は目を逸らさずに自分の考えを語り続ける。

 

「闇祓いとして決断したんだと思います。テッサを守るために、支配されている自分に死の呪いを撃ち込むことを。きっとそれしか止める方法が無かったから。……私はそれを凄いことだと思いますし、心から感謝しています。」

 

「……クロードは、息子は最期にどんな表情を浮かべていましたか?」

 

「ホッとしたような、やり切ったような表情でした。」

 

「そうですか。」

 

ポツリと呟いて瞑目したバルト隊長は、十秒ほど重苦しい顔付きで沈黙していたかと思えば……やがてガタリと席を立った。何故だろうか? どこが違うとまでははっきりと言えないが、さっきよりも悲しそうに見える表情だ。

 

「私には何も言えません。私は操られていた息子の変化にすら気付けなかった無能な父親ですから。……ですが、教えてくださったことには感謝します。もし息子が最期の瞬間に闇祓いであったなら、私は心置きなくクロードのことを誇りに思える。同じ闇祓いとして、バルト家の人間として、そして何より息子として。」

 

誇りに、か。遣る瀬無い気持ちで押し黙る私たちに、バルト隊長は重々しく宣言してから歩き去って行く。

 

「犯人は必ず捕まえてみせます。たとえ奴が地の果てまで逃げたとしても、私の全てを懸けて追い続けることを誓いましょう。それが無能な父親である私に出来る、部下であり、息子でもあるクロードへの唯一の弔い方なのですから。」

 

そのまま食堂の出口へと遠ざかっていくバルト隊長の背を見つめながら、深々と息を吐いて言葉を漏らす。アリスがホグワーツに駆け込んできてから僅か三日。私の人生の中でも一番濃い三日間だったな。

 

「……捕まえられるのかな? バルト隊長。」

 

「分からないわ。相手が本物の魔女である以上、難しいとは思うけど。」

 

「大体さ、これで終わりって言い切れるもんなの? あいつ……クロードさんの身体を操ってたあいつは『また遊びましょう』って言ってたじゃん。」

 

心の中にあった懸念を吐き出してみると、アリスは困ったような顔でぼんやりした返答を寄越してきた。

 

「私にもよく分からないんだけど、暫く……人間の価値観からすると結構な時間は関わってこないつもりみたい。テッサが人質に取られた時にそう約束したから。『今回は次で最後』って。」

 

「口約束なんでしょ? 守らないかもしれないよ?」

 

「私もそこは不安なんだけどね。パチュリーたちは全然疑ってないみたいなの。……私たち人外は何もかもがあやふやだから、せめて自分で決めたルールだけは守るってことなのかも。」

 

「……いまいち分かんない価値観だけど、ノーレッジさんが言うならそうなのかな。」

 

スカーレットさんの私兵とかいう『めーりんさん』がどうなのかはともかくとして、ノーレッジさんが並大抵の魔女じゃないことは実際に見て理解している。その彼女が疑ってないなら大丈夫なのかもしれないが……んー、やっぱり気にはなるな。

 

「ノーレッジさんやバートリさんにはきちんと伝えておきなよ? どれだけ先かは知らないけど、もしかしたらまた変なちょっかいをかけてくるかもしれないってことでしょ?」

 

「うん、伝えとく。」

 

素直に首肯しながら細かく切られたバナナを口に運ぶアリスだが……むう、心配だなぁ。その時私が側に居られるかは分からないのだ。話を聞くに彼女たちの世界における『暫く』は、私の寿命より長いかもしれないのだから。

 

……でも、『本物の魔女』のことを聞けて良かった。アリスは他の人に話が伝わるのをかなり警戒しているようだし、きっと私だから話してくれたのだろう。そのことは素直に嬉しく思えるぞ。

 

オレンジのジャムを塗ったバゲットを頬張りつつ、信じてくれたのだから誰にも話さないようにしないとと考えていると、ナシだけを的確に除けているアリスが話題転換してきた。本物の魔女とやらになってもナシは苦手なままらしい。やっぱりアリスはアリスじゃないか。

 

「これからどうなるのかしら? ……壮大な意味じゃなくて、今日どうなるのかって意味ね。」

 

「『めーりんさん』の説明次第なんじゃない? 私たちはそこまで問い詰められなかったし、あの人が代わりに色々説明してくれてるんじゃないかな。」

 

キリっとした印象の赤髪の美人さんを思い出してまあ大丈夫だろうと思う私を尻目に、アリスは何故か不安げな表情で口を開く。

 

「心配だわ。何て言うか、その……心配よ。」

 

「なにそれ。スマートそうな人だったし、上手くやってくれるっしょ。」

 

ぬるくなってしまったコーヒーを処理しながら言ってやると……ぬう、なんだその顔は。生温かい目になったアリスは、やれやれと首を振って相槌を打ってきた。

 

「まあ、多分大丈夫でしょう。テッサはこのままフランスに残るつもりなの?」

 

「ママがひどく心配しちゃってるから、何日かは居ようかなって。アリスは?」

 

「パチュリーが早く帰りたがってるし、一緒にイギリスに帰ろうと思ってるわ。」

 

「えー、何日かうちに泊まってけばいいじゃん。もう安全なんでしょ? ……一人じゃ寂しいんだけど。」

 

強がってはいるが、色んなことがあった所為で人恋しくなってるのだ。滅多にしない上目遣いで不満を述べてやれば、アリスは苦笑しながら『仕方ないなぁ』と頷いてくる。まだ効き目はあるらしいな。私も結構いけるじゃないか。

 

「んー……リーゼ様次第かしら。頼んではみるわ。もし私だけじゃなくて彼女も残るとなると、滞在先はホテルになりそうだけどね。」

 

「バートリさんもうちに泊まればいいじゃん。……っていうか、もうフランスに来てるの?」

 

「まあその、リーゼ様は神出鬼没だから。それに他人の家には泊まらないと思うわ。そういうのが嫌いな方なの。」

 

「そりゃ、『娘の友人の実家』に泊まるのはちょっと嫌かもしれないけどさ、うちは実質ホテルみたいなもんじゃんか。」

 

部屋なんかいくつも余ってるんだから、こういう時に有効活用すべきなのだ。そう思って放った提案に、アリスは首を横に振ってきた。そういうことでもないらしい。

 

「どっちにしろパリで観光するような気分じゃないでしょう? そうね……南部、南部に行きましょうよ。マルセイユとか、モンペリエとかで買い物するのはどう? リーゼ様にその辺のホテルを取れないか提案してみるから。」

 

「……ま、別にいいけどね。煙突飛行ならすぐだしさ。」

 

アリスもきっと、この数日間の暗い気分を忘れたいのだろう。やや無理している感じの明るい声で発された誘いに対して、私も態度を装いながら首肯を返す。……とにかく整理する時間が必要なのだ。誘拐事件も、『本物の魔女』の話も、クロードさんのことも。この短時間で決着を付けるには大事すぎたのだから。

 

……うん、クロードさんのお墓には落ち着いた頃にお参りに行こう。実際に何が起こったのかは断言できないが、私はクロードさんが命を救ってくれたのだと信じている。だったらきちんとお礼を言って、真摯に冥福を祈らなければ。

 

アリスが残したちょっと苦いナシを頬張りつつ、テッサ・ヴェイユは事件が終わったことを感じるのだった。

 



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先へ

 

 

「本当に、本当に申し訳ありませんでした。色々とご迷惑をおかけしたみたいで……。」

 

むう、そんなに謝らないで欲しいぞ。何度も頭を下げてくるラメットさんに恐縮しつつ、アリス・マーガトロイドは制止の言葉を投げかけていた。こっちが申し訳ない気分になってきちゃうじゃないか。

 

「いえいえ、そんなに謝らないでください。ラメットさんは操られていただけなんですから。」

 

「ですが、その所為でマーガトロイドさんたちは危険な目に──」

 

「それはラメットさんだって同じじゃないですか。お互いに被害者なんですよ。悪いのは犯人です。」

 

美鈴さんが……というか、美鈴さんを『操縦』していたリーゼ様が実際にどうやってフランス魔法省を説得したのかは不明だが、兎にも角にも今回の事件は終わりということになったらしい。もちろん闇祓い隊は未だ犯人を捕まえるための捜査を続けているし、パリを騒がせている連続誘拐事件が公的に解決したとは言えない状態ではあるものの、私はもう自由に動いていいそうだ。もしかしたらレミリアさん関連の政治パワーでゴリ押したのかもしれないな。

 

それでも昨日一日は一応フランス魔法省が用意してくれたホテルで大人しく過ごして、明けた七月一日の早朝。モンペリエのホテルに移動しようとする私たちのことを、ラメットさんがロビーで待ち構えていたわけだ。どうやら彼女は自分が操られていた時の行動についてを謝りに来てくれたらしいが……人外の都合に巻き込んだのはこっちなんだし、何だか後ろめたい気分になってくるぞ。

 

私の心からの発言を受けたラメットさんは、尚も申し訳なさそうな顔で口を開く。ちなみに美鈴さんは向こうのラウンジで二度目の朝食を取っており、リーゼ様は透明なので居場所を特定できず、パチュリーは『フランスの図書館を巡ってから帰るわ』と言い残して昨日の段階で居なくなってしまった。人外に団体行動をさせるのはひどく難しいことのようだ。

 

「情けないです。服従の呪文への対処法は学校で嫌というほど教わったのに、いざという時にこれでは何の意味もありませんね。」

 

「仕方ありませんよ、不意打ちだったって聞いてますし。」

 

「だからこそですよ。『今から服従させます』と言って服従の呪文をかけてくる魔法使いなんて存在しません。だから咄嗟に対処できるようにと教官に叩き込まれていたんですけど……平和ボケしていたのかもしれませんね。もう一度ダームストラングでの教えを思い出す必要がありそうです。」

 

「それはまた、聞きしに勝る『実践的』な学校みたいですね。」

 

ホグワーツでは『使ってはいけない』と教えられるだけなのだが、ダームストラングでは実際に使って対処法を学んでいるらしい。どちらの教育方針が正しいのかはさて置いて、『闇の魔術に最も近い学校』の異名は伊達じゃなさそうだ。そのことに顔を引きつらせながら、気になっていたことを問いかけてみる。

 

「あのですね、ヨーロッパ特急で初めて会った時、私との距離がやけに近かったように感じたんですけど……あれはどうしてだったんですか? テッサがそのことを思い出した結果、ラメットさんが怪しいと誤解しちゃったみたいでして。」

 

あの時は大して意識していなかったものの、今思い返してみれば確かに不自然な行動だった気がするぞ。昨日はやる事がなかったのでテッサと長く話していたのだが、廃劇場でクロードさんから『ラメットさんが犯人の仲間』と伝えられた際、彼女はそのことに思い至って納得の一助となってしまったようなのだ。

 

そこまで気になっているわけではないが、この際だからと送ってみた疑問に対して……うわぁ、真っ赤っかだな。何故か急激に顔を赤くしたラメットさんは、目を伏せながらか細い声で説明を寄越してきた。

 

「そ、そうだったんですか。変な勘違いをさせてしまったみたいですね。それに関してはその、私が全面的に悪いみたいです。」

 

「いや、別に嫌だったってわけじゃないんですよ? 単に気になっただけなんです。どうしてだったのかなぁ、くらいに。」

 

「あのですね……つまり、マーガトロイドさんが魅力的な方だったので近くに座りたかっただけなんです。本当にただそれだけの話でして。これといった深い意味は無いんですよ。」

 

みりょ……? ポカンとする私を見て、ラメットさんはこの上なく恥ずかしそうに話を続けてくる。なまじ肌が白いだけに顔の赤さが際立っているな。

 

「私、ダームストラングに居た頃に女性とお付き合いしていたんです。私たち疎開者のグループを引っ張ってくれていた人で、その当時は閉鎖的な環境でしたから……『そういう感情』が芽生えてしまいまして。向こうも乗り気でしたし。」

 

「あー……なるほど。」

 

「その人は結局在校中のトラブルで亡くなってしまったんですけど、何と言えばいいか……マーガトロイドさんによく似た人だったんですよ。金髪碧眼で、髪の長さも背の高さも同じくらいでした。だから凄く気になっちゃって。実はその、声もそっくりなんです。」

 

「そう、ですか。それは……えーっと、光栄です?」

 

なんだこの状況は。どう反応すればいいのかと混乱する私を他所に、ラメットさんは自分の指を弄りつつ結論を述べてきた。チラチラと私を覗き見ながらだ。

 

「要するにですね、あわよくばお近付きになれたらなぁと思っただけなんです。それ以上の意味はありません。……迷惑ですよね?」

 

「迷惑ってわけじゃないですけど……まあその、びっくりはしてます。」

 

自身の胸中を正直に語ってみると、まだ少し頬に赤みが差しているラメットさんはくすりと微笑んで肩を竦めてくる。

 

「まあ、こんなことになっちゃいましたし、もう迷惑はかけられません。大人しく諦めることにします。顔を見れば脈がないのは分かりますから。……でも、もし興味が湧いたら連絡してくださいね。」

 

「きょ、興味?」

 

押し付けられた名刺を思わず受け取って呟いた私に、ラメットさんはちろりと舌を出しながら首肯してくる。先程までの『淑女』なイメージはもはや消え、今の彼女は小悪魔さんよりよっぽど『小悪魔』な表情だ。

 

「私、色々と教えちゃいますから。フランスには様々な愛の形があるんですよ? 連絡、待ってますね。」

 

そう言って早足で去って行くラメットさんの背を呆然と見送った後、何とも言えない気分で名刺を懐に仕舞った。残念ながら、私の恋愛観は至極ノーマルだ。ほんのちょっとだけ親代わりへの親愛が強いくらいで、女性に興味があるわけではない。『色々と教えて』もらう機会は永遠に訪れないだろう。……多分。

 

少なくともダームストラングは『修道院』ではなかったという事実を学びつつ、ラウンジで朝食にしては多すぎる食事を取っている美鈴さんのテーブルに近付いて、彼女の向かいの席へと腰を下ろす。『出来る女モード』のストレスなのだろうか? いつにも増して食べてる気がするな。

 

「お待たせしました、美鈴さん。もう出られますよ。」

 

「んぐ……ちょっと待っててくださいね、今全部食べますから。結構イケるんですよ、ここのご飯。」

 

「全然待ちますから、もっとゆっくり食べてください。そんなに勢いよく食べると喉に……リーゼ様、どうしたんですか?」

 

会話の途中で膝の上に柔らかな重みが乗ってきたのを感じて、小さな声に変えて後半を語る。……席が二つしかなくて良かったな。お陰で私はこの感触を膝で味わえるのだから。よくやったぞ、ホテル。

 

「悪いが、座る場所がないんで失礼するよ。……何の話だったんだい?」

 

「操られていた時の行動に関してを謝られちゃいました。後はまあ、軽く世間話を。」

 

「ふぅん? 律儀な人間だね。……それより早く食べたまえよ、美鈴。私はさっさとモンペリエに行きたいんだ。アリスとデートする予定だからね。」

 

デートか。単なる冗談だと分かっていてもドキッとする言葉に動揺しつつも、そんな内心を隠して質問を口にする。

 

「向こうに行ったら何をするんですか?」

 

「ヴェイユに案内させればいいさ。私にも聞きたいことがあるだろうし、それに答えながら適当に観光するよ。無論、答えられるところまでだが。」

 

「ありゃ、従姉妹様ったら優しいですねぇ。私はてっきりあの女の子には何にも教えてあげないのかと思ってましたよ。」

 

大盛りのパスタを頬張りながら言う美鈴さんに、リーゼ様はもぞもぞとお尻の位置を調整してから皮肉を返す。こういうことをするお店に行く男性の気持ちが今理解できたぞ。

 

「アリスにとって大事な友人であれば、そこらの人間よりは優先度が上がるってわけさ。それだけの話だよ。」

 

「まあ、私はどうでも良いんですけどね。……だけどモンペリエで堂々と歩き回るなら、こっちでも堂々としてくれれば良かったじゃないですか。そしたら私は面倒くさい説明を延々しなくて済んだわけですし。」

 

「それはまた別の話だね。姿や身分について根掘り葉掘り聞かれるのは面倒だし、それ以前に何故私が『仇敵』たるフランス闇祓いどもに協力しなきゃいけないんだい? ……精々苦労すればいいんだよ、あんな連中は。捕まるはずもない魔女を追いかけていればいいさ。」

 

うーむ、リーゼ様はフランス闇祓いが嫌いなのか。大きく鼻を鳴らして吐き捨てたリーゼ様へと、おずおずという口調で問いを飛ばした。

 

「もうフランスを出たんでしょうか? 魔女。」

 

「出たよ。それは昨日情報屋が確認してるからね。だろう? 美鈴。」

 

「ええ、アピスさんがフランスを出たって断言してましたから、間違いなくこの国には居ないと思いますよ。行き先は不明ですけどね。」

 

そんなことまで確認していたのか。私たちは『多分魔女であろう人外』が実際にどんなヤツなのかを結局掴めなかったのに、アピスさんはどうやって出国したことを確認したんだ? 私が少し驚いている間にも、リーゼ様と美鈴さんは魔女に関する会話を続ける。

 

「行き先を追うつもりはないさ。そういう約束だからね。……暫くは、だが。」

 

「ですねぇ、思い出した頃に探して殺しておきましょうよ。まだアリスちゃんのことを諦めてないみたいですし。……今回は後手だったんだから、次はこっちが先手を取る番です。」

 

「百年後くらいかな? やや短い気もするが……ま、ギリギリ『暫く』の範疇だろうさ。都合の良いように解釈させてもらおうじゃないか。」

 

「その時は私も交ぜてくださいよ? 忘れちゃってても仲間外れにするのは無しですからね。」

 

百年後? まだ二十年そこらしか生きていない私にとっては信じられないくらい先の話だな。あまりにもスケールが大きい会話に戸惑いながら、パスタを片付けて鶏肉入りのガルビュールに移っている美鈴さんに話しかけた。私ならあれ一品だけでお腹いっぱいになっちゃいそうだ。

 

「魔女のことはまあ、後々改めて考えましょう。時間はたっぷりあるわけですし。……美鈴さんもモンペリエに行くんですよね? 私たちと一緒に行動するんですか?」

 

「迷ったんですけど、一人で動くことにします。適当に食べ歩いた後で勝手に帰りますよ。……あーでも、後で通貨の調達だけお願いできますか? 人間の貨幣はすぐ変わるからよく分からないんですよね。」

 

言いながら美鈴さんが懐から出したのは、布の小袋に入ったいくつかの宝石だ。換金して欲しいということなのだろう。こういうのってマグルの宝石商に持っていって大丈夫なのかと悩む私を尻目に、リーゼ様が小馬鹿にするような声色で突っ込みを入れる。

 

「キミね、金にしておきたまえよ、純金に。宝石なんて今日日流行らんぞ。時代は金さ。」

 

「お嬢様も同じようなことを言ってましたけど、金の価値って結構変わってるんですよ? 銀の方が価値があった頃もありましたし、いまいち信用できないんですよねぇ。」

 

「信用云々じゃなくて、最近は金の価値が鰻登りだって意味さ。逆に宝石は下がってるぞ。キミの財産がどこまで目減りしてるか見ものだね。」

 

「……マジですか? 二百年くらい前にアピスさんに金はダメだって言われて、全部宝石と取り換えてもらったんですけど。」

 

ひょっとして、美鈴さんって結構お金持ちなのか? そりゃあ長生きしてるんだから貯め込んでいるのかもしれないが、何かこう……そういうのには疎いイメージがあるぞ。レミリアさんの下で働いてるわけだし。

 

私が若干失礼なことを考えているのに気付くことなく、妖怪二人の『経済談義』は続いていく。私にとって人外の金銭事情は謎が深い部分だな。リーゼ様は『子供はそんなことを気にしなくていい』と教えてくれないし、エマさんは『あるところにはあるんですよ』なんてはぐらかしてくるのだ。

 

「騙されたみたいだね。あの情報屋は現在進行形で大儲けしてるだろうさ。……変なヤツだと思ったが、そういう方面には鼻が利くのか。腐っても情報屋ってことかな。」

 

「……昔からそうなんですよねぇ。ちょっと前は阿片でボロ儲けしてましたし、その更に前はチューリップで稼いでました。ああ見えて強かな妖怪なんですよ。」

 

「ふぅん? ……名前くらいは覚えておいても良さそうかな。人外の情報屋はここ三百年くらいでどんどん減ってるからね。イギリスにはロクなのが残ってないんだ。」

 

「覚えて損はないと思いますよ。アピスさんとは長い付き合いですけど、それなりに有益な取引が出来てますから。……金は返して欲しいですけどね。」

 

ガルビュールを最後の一滴まで平らげながら肩を落とした美鈴さんに、リーゼ様はクスクス微笑んで立ち上がった。

 

「んふふ、勉強代だと思いたまえよ。金なんざ永く生きていれば勝手に貯まるさ。……それじゃ、行こうか。ヴェイユとは向こうで落ち合うんだろう?」

 

「はい、そのつもりです。昨日はボートを借りて釣りでもどうかなんて話してたんですけど……。」

 

「釣りぃ? そんなもんはアホのやることだね。非効率な魚獲りは流水好きの愚かな人間どもに任せておきたまえ。賢い私たちは釣れた後の料理を楽しむのさ。」

 

「まあ、そうですよね。釣りはやめておきましょうか。」

 

そりゃそうだ、吸血鬼が釣りなんかするはずないか。苦笑いで首肯しつつ、私と美鈴さんも席を立って歩き出す。……あまり綺麗な結末ではなかったが、何にせよ事件は終わったのだ。リーゼ様とお出かけなんて滅多に出来ないことだし、今だけは素直にそれを楽しむことにしよう。

 

「いいじゃないですか、釣り。私は結構好きですけどねぇ。昔はよくやってたんですよ? 龍になりかけの鯉を釣ったこともあります。可哀想だから離してやりましたけどね。元気でやってるといいんですけど。」

 

「一体全体何が楽しくてやってるんだい? 魚が欲しいなら妖力を使って効率的に獲りたまえよ。妖怪なんだから。」

 

「そういうことじゃないんですよ。いいですか? 釣りというのは瞑想に近い行いであって、武人は精神統一のために昔から──」

 

うーん、傍から見てると美鈴さんが独り言を喋っているようにしか見えないし、後ろじゃなくて隣を歩いてあげた方がいいかもしれない。ドアを開けてくれたドアマンが不気味そうな顔になっちゃってるぞ。

 

仲良く釣りについて語り合う二人の妖怪に小走りで追い付きつつ、アリス・マーガトロイドは晴天の外へと一歩を踏み出すのだった。

 



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サクヤ・ヴェイユと七つの杖
パスポット


 

 

「──になったから、結局その日は食べられなかったのよ。でも最終日になんとか席を取れたの。まあその、リーゼ様が店員に魅了を使った可能性はあるわけだけど。」

 

アリスが語る五十年前のフランス旅行の思い出話を耳にしつつ、霧雨魔理沙は『フランスの魔女』についてを黙考していた。後半は単なる旅行の話になっちゃってるが、前半は色々と興味深い内容だったな。人間を人形のように操る魔女か。

 

現在の私たちが座っているのは、イギリス魔法省地下六階の廊下にある木製のベンチ……つまり、マグル旅券管理局の前にある小さな待合所だ。マーガトロイド人形店で始まったアリスの昔話だったが、結局運輸部で『パスポット』の申請を終えた段階になっても終わらず、完成するまでの待ち時間もこうして語り続けているというわけである。

 

まあ、話の内容としてはかなり面白かった。私はフランスの魔女の存在に興味を惹かれたし、咲夜は祖母や曽祖父、曽祖母のことを知れたのが嬉しかったようだ。山場が終わって耳を素通りし始めている私と違って、銀髪ちゃんは今もふむふむと頷きながらアリスが語る祖母とリーゼとの会話に夢中になっている。

 

しかし……うーん、私が一番気になったのはノーレッジの戦いっぷりだな。アリスの話から考えるに、魔女という存在は年齢イコール実力というわけではないらしい。当然っちゃ当然のことだが、努力さえ怠らなければ二段飛ばしで前に進めるということだ。

 

もちろんそれぞれの目指すもの……『主題』だったか? それによって歩む速度は変わってくるだろうし、方向も全く違うものになるだろう。ノーレッジにとっての『知識』、アリスやフランスの魔女にとっての『人形』。私もそろそろそういう目的地を定めるべきなのかもしれない。

 

要するに、『魔女になりたいから魔女になる』ではダメなのだ。あくまで最初に目的があって、その手段として魔女になる。そういうことなのだろう。……アリスもノーレッジもホグワーツの上級生になる段階でそれを決めていたらしい。そして私は夏休みが明ければ五年生。だったらこのままふわふわしているわけにはいかないぞ。

 

僅かな焦りを自覚する私を他所に、咲夜が昔話を終わらせつつあるアリスへと質問を送った。

 

「お婆ちゃんはリーゼお嬢様が吸血鬼だってことを知ってたの?」

 

「最終的にはね。レミリアさんが正体を明かした段階で気付いてたみたいだから。……だけど、結局誰にも言わないでいてくれたわ。本物の魔女のこととか、リーゼ様や美鈴さんのことは墓まで持って行ってくれたの。」

 

「アリスが秘密にして欲しいって言ったからなのかな?」

 

「多分ね。気になることは沢山あったでしょうけど、いつも黙って私を信じてくれたの。……自慢の親友よ。」

 

少しだけ寂しげに呟いたアリスを見て、私と咲夜がしんみりした気分で黙り込んだところで……おっと、完成したみたいだな。でっぷり太った旅券局の職員が目の前のドアから姿を現わす。朗らかな表情の三十代くらいの男性だ。

 

「お待たせしました。こちらがキリ……キリシャメ? さんのパスポートで、こっちがヴェイユさんの物となります。」

 

「あー……どうも。」

 

もう何も言うまい。私の名前が英語圏で通用しないことは重々承知しているのだ。礼を言いながら受け取った旅券の名前を確認して、きちんと『マリサ・キリサメ』になっていることに胸を撫で下ろしていると、アリスがベンチから立ち上がって職員に世間話を放った。私たちが申請書に記入している時もちょこっと話してたし、どうやら顔見知りの職員らしい。相変わらず顔が広いな。

 

「早めに処理してくれて助かったわ。予約が溜まっていたんでしょう?」

 

「そういうシーズンですからね。……まあ、時間はかからない作業なので問題ありませんよ。休んでいるライアンが聖マンゴを退院するまでの辛抱です。」

 

「単なる骨折くらいならすぐよ。退院したらトロールウォッチングは程々にって伝えておいて頂戴。」

 

「私の分の気持ちも込めて伝えておきましょう。……無駄だと思いますけどね。何が楽しいのかはさっぱり分かりませんけど、病院のベッドの上で次は川トロールを見に行くんだって張り切ってましたから。」

 

『トロールウォッチング』? 世には変な趣味を持った魔法使いが居るんだな。苦笑する職員に見送られて廊下を歩き出したアリスに続いて、私たちも一つお辞儀をしてからその背を追う。

 

「このまま帰るのか?」

 

古めかしい板張りの床と、所々塗装が剥げている白い壁。そして各所にさり気なく使われているエボニーの木材。それらを神経質に掃除しているしもべ妖精を横目に聞いてみれば、アリスは緩い歩調で進みながら応じてきた。

 

「そのつもりだけど、何か見たいものがあるの?」

 

「見たいものっていうか、単純に魔法省が気になるんだよ。初めて来たからな。」

 

きっと何度も来ているアリスは見慣れているんだろうが、この建物は……何と言うか、かなりカッコいいぞ。地下に広がる巨大施設ってだけでワクワクするのに、黒をベースとしたアトリウムのデザインは私の好みにぴったりだ。どこか近代的で、かつ魔法使いのイメージを崩さない程度には古臭い。好奇心をぐいぐい惹かれる内装じゃないか。

 

廊下の窓から人が行き交うアトリウムを見下ろしつつ言ってみると、クスクス微笑んだアリスが提案を寄越してくる。色取り取りの紙飛行機が飛び交っているのがなんともコミカルだな。古いようで新しく、重苦しいようで悪戯心があり、キチッとしているようでいい加減。イギリス魔法界をそのまんま表現しているような雰囲気だ。

 

「それじゃあ、三階の食堂に行ってお茶でもする? レモンティーが美味しいのよ。バルコニー席ならアトリウムを見ながらゆっくり出来るしね。」

 

「いいな、それ。行こうぜ。咲夜もいいだろ?」

 

「いいけど、職員以外が使っちゃっても大丈夫なの?」

 

「一般開放されてる食堂だから平気よ。お昼時を過ぎた今なら空いてるでしょうしね。」

 

肩を竦めながらエレベーターのボタンを押したアリスに、咲夜がこっくり首肯したところで……おー、新聞で見た顔だ。間を置かずに到着したエレベーターの中に立っていたのは、我らが魔法法執行部の部長どのだった。

 

「あら、スクリムジョール。久し振りね。」

 

「これは、ミス・マーガトロイド。ご無沙汰して──」

 

一分の隙もなく完璧に着込んだ三つ揃えと、姿勢のお手本のようにピンと伸びた背筋。見た目通りの堅苦しい態度でアリスに応対しようとしたルーファス・スクリムジョールだったが、その後ろに立つ咲夜の姿を見て一瞬硬直したかと思えば、一抹の動揺を声色に表しながら問いかけてくる。

 

「……彼女がアレックスとコゼットの娘さんですか?」

 

「そうよ、サクヤ。サクヤ・ヴェイユ。会うのは初めてだったかしら?」

 

「スカーレット女史から何度か話は伺っておりましたが、実際に顔を合わせるのは初めてですな。……どうも、ミス・ヴェイユ。」

 

「初めまして、スクリムジョール部長。」

 

そういえば、過去の記憶にもスクリムジョールの名前は出てきたっけ。確か当時は咲夜の両親の同僚だったはずだ。微妙な空気を感じながらエレベーターに乗り込んだ私たちに、スクリムジョールは静かな声でありきたりな質問を口にした。

 

「何階ですか?」

 

「三階よ。さっき旅行のために旅券局に行ってきたところで、帰る前に食堂でお茶でもしようかと思ってるの。」

 

「旅行にお茶ですか。……羨ましい話ですな。私はここ数日家に帰れていませんよ。」

 

「そうなの? そんなに忙しい時期じゃないと思ってたけど。」

 

アリスが怪訝そうな顔で送った疑問に対して、スクリムジョールは苦い表情で返答を返す。国家の要人がこんなに近くに居るってのは不思議な気分だな。紅魔館の連中は慣れてるのかもしれないが、小市民たる私は緊張してくるぞ。

 

「スカーレット女史の『引き継ぎ』がありますから。あの方がイギリスを離れれば何が起こるかなど明白でしょう? である以上、今のうちから対処しておく必要があるわけです。」

 

「……なるほど、そういうことね。アメリアも忙しいの?」

 

「私以上に忙しいようですな。甚だ迷惑なことに、連盟が余計なイベントを企画してくれましたから。浮かれているあの連中が知らせを受けた時にどんな顔をするのか楽しみですよ。それだけが心の支えです。」

 

「なんとまあ、随分とやられてるみたいね。貴方からそういう愚痴を聞いたのは初めてだわ。」

 

うーむ、確かにやられているみたいだな。よっぽど忙しいようだ。苦笑いでアリスが同情したところで、エレベーターが振動と共に地下三階に到着した。

 

「ま、頑張って頂戴。魔法省も独り立ちする日が来たってことよ。それはそんなに悪いことじゃないでしょう?」

 

「身から出た錆であることは承知していますが、それを磨くのが自分になるのは予想外でした。……ミス・ヴェイユ、君のご両親は食堂のバナナケーキが好きだった。昔から味が変わっていないので、気が向けば食べてみるといい。」

 

最後に咲夜に声をかけたスクリムジョールは、そのままアリスに目礼してから更に上階へと昇っていくが……バナナケーキ? あの顔からそんな名詞が出てくるとは思わなかったな。多分スクリムジョールはイギリス魔法界で一番『バナナケーキ』って言葉が似合わない男だぞ。

 

「まあうん、気にかけてくれたみたいだな。不器用な感じはしたけどさ。」

 

「そうみたいね。……案外優しい人なのかしら?」

 

「『ヴェイユ』が関わるとみんな優しくなっちまうんだろうさ。お前の両親の人徳の為せる業だぜ。」

 

「……ん、食べてみることにするわ。バナナケーキ。」

 

大したもんだよ、まったく。柔らかく微笑みながら咲夜が頷いたところで、その姿を嬉しそうに見ていたアリスが三階の廊下を歩き始める。この階には何があるんだっけ? 魔法事故惨事部だったか?

 

「なあなあ、この階の部署は何をやってるんだ?」

 

六階よりも廊下が豪華だし、省内での地位が高いのは分かるが……実際に何をしているのかはよく分からん部署だな。並ぶ部屋のプレートを順繰りに眺めながら聞いた私に、アリスは呆れ顔で答えを教えてくれた。

 

「貴女は本当に知識が偏ってるわね。……まあ、そういうところも魔女に向いてるわけだけど。惨事部は主に『後片付け』をする部署よ。忘却術師の本部やリセット部隊、誤報局とかマグル連絡室なんかがあるの。記憶修正や修復呪文のスペシャリストたちが所属しているわけ。」

 

「ああ、そういう仕事か。でも実際のところ、目立たない部署ではあるんだろ?」

 

「第一次魔法戦争ではあまり役に立たなかったからね。……反面、前回の戦争ではこの部署の重要性が再認識されたわ。ロンドンでの戦いをマグルに気付かれずにやれたのはここのお陰よ。記憶修正薬を混ぜ込んだ霧をどんなルートで広げて、どんな順番で引かせるかを計算したのがこの部署なの。『数百年に一度の自然現象』って名目で紅い霧のことを納得させたのも誤報局の功績だしね。大昔にも同じことがあったってでっち上げたらしいわ。」

 

「へぇ、結構大規模な仕事をしてる部署だってのは何となく分かったぜ。……就職先として人気がない理由もな。」

 

華々しくはないが、大変ではあるわけか。そりゃあ人気は出ないだろう。すれ違うヨレヨレスーツの職員たちに労わりの念を飛ばしていると、咲夜が廊下にあった就職案内のパンフレットを一つ抜き取ったのが目に入ってくる。

 

「何に使うんだよ、そんなもん。」

 

幻想郷に魔法事故惨事部はないぞ。あるのは一方的なルールの押し付けだけだ。そう思って放った問いに、咲夜はふんすと鼻を鳴らして答えてきた。

 

「決まってるでしょう? 卒業したらここからの誘いも受けないといけないから、そのために勉強するのよ。何をしている部署なのか詳しく知っておかないと。」

 

「お前、まさか本気でレミリアの『指令』を実行するつもりなのか?」

 

「逆になんで本気じゃないと思ったのよ。やってみせるわ。そのための『時間』は人より沢山あるんだから。」

 

「私はあくまで発破をかけただけなんだと思うけどな。……お前がやる気なら応援するけどよ。」

 

現実的に考えると難しいんじゃないか? 特に執行部と神秘部の二つが難関だろう。片やエリート揃いの実力主義部署、片や変わり者が集まった頭脳明晰集団。どっちもそれ専門に勉強してどうにか入れるような部署なのだ。

 

親友が茨の『勉強道』を歩もうとしていることを止めようか迷っている間にも、先導しているアリスが大きな石のアーチを潜ると……こりゃまた、想像してたよりも全然広いな。無数のテーブルが並ぶ食堂の風景が見えてくる。カウンターらしき場所の奥ではしもべ妖精たちが注文を待ちわびているようだ。

 

「ここにもしもべ妖精か。あいつらが『労働中毒』なのはどこも変わらんな。」

 

入ってきた私たちを目にして、仕事が増えることに大きな瞳を輝かせているしもべ妖精たち。『どうか複雑で面倒な料理を注文してください』という目線に苦笑しつつ呟くと、咲夜が複雑そうな表情で首肯してきた。

 

「ハーマイオニー先輩の考え方は素晴らしいと思うけど、あの種族に関しては人間の物差しで考えない方がいいのかもね。」

 

「私は単に、やりたいことをやらせてやれば良いんだと思うけどな。働きたいってんなら働かせてやるべきだろうさ。それでこっちが困るわけでもないんだから。」

 

あんまり興味がない『スピュー問題』を適当に切り上げながら、ガラガラのバルコニー席に三人で腰を下ろす。……良い景色じゃないか。アリスがさっき言っていたように、アトリウムが一望できる位置にバルコニーがあるらしい。設計したヤツの拘りを感じるぞ。

 

「さて、何を頼むか早く決めましょう。一応カウンターで注文するシステムになってるんだけど、ここまで空いてるとしもべ妖精が注文を取りに来ちゃうわ。そうなると簡単なメニューが頼み辛くなるのよね。」

 

容易に想像できるアリスの忠告を受けて、慌てて咲夜と二人でメニュー表を手に取る。昼食は出てくる前に人形店で済ませちゃったから、重いものは腹に入らんのだ。期待するしもべ妖精にお茶とケーキだけを注文するのは気が咎めるぞ。

 

「私はバナナケーキとレモンティーにするわ。魔理沙は?」

 

「ちょっと待ってくれ。……ああもう、迷うぜ。なんでこんなにメニューが豊富なんだ? このメニュー表をそのままホグワーツの掲示板に貼り付ければ、みんな魔法省に就職したがるんじゃないか?」

 

「あら、良い案ね。食堂を売りにするのは盲点だったわ。今度アメリアに提案してみようかしら?」

 

アリスが真面目に感心している間にも、もう待ち切れないとばかりにカウンターから出てきた小さな影がこちらに歩み寄ってきた。ぐぬぬ、私はこういうのをさっと決められない性格なのだ。名物とかいうレモンティーは飲みたいが、アップルティーも気になるし、茶菓子はどれも美味しそうだぞ。

 

迫り来る緑色の小さな『タイムリミット』を横目にしつつ、霧雨魔理沙は大慌てで思考を巡らせるのだった。

 



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人間として

 

 

「いいぞ、ハリー! その調子だ! 『ギュッとなってドン』をイメージすれば簡単さ。」

 

邪魔すぎるぞ、このおっさん。名付け子へと意味不明な助言をするブラックを鬱陶しく思いつつ、アンネリーゼ・バートリはイライラ声で注意を飛ばしていた。向こうで大人しくジャーキーでも齧ってろよな。

 

夏休みも五日目に突入した土曜日の午後、ハリーに対して姿あらわしの指導を行なっているのだ。本来トランクの小部屋でやるつもりだったのだが、現在の私たちが居るのはブラック邸のエントランス。つまり、またしても子離れ出来ない『犬おじさん』がしゃしゃり出てきたのである。

 

ちなみにすぐ近くの階段には赤ん坊をあやしているニンファドーラとルーピンが腰掛けており、リビングではビルとアーサーがバイクの部品を弄っているようだ。ブラック邸は立派な『裏切り者たち』の溜まり場に生まれ変わったみたいじゃないか。代々の当主は草葉の陰で喜んでいるだろうさ。

 

「ブラック、次にふざけた指導法でハリーを惑わせたらドッグフードを取り上げるからな。何が『ギュッとなってドン』だ。そんなもんで姿あらわしが使えるようになると本気で思っているのかい?」

 

「バートリ女史、我々の世代はそう教えられたんです。それで皆できるようになった。である以上、この方法は間違っていません。そうは思いませんか?」

 

「微塵も思わないね。香草じゃ伝染病は防げないし、地球の端っこは崖じゃないし、精神論じゃ姿あらわしは習得できないんだ。『太古』の常識を持ち込むのはやめてもらおうか。私やハリーは年若い現代人なんだよ。」

 

「……どうやら姿あらわし云々の前に、『年若い』の定義を議論する必要がありそうですね。」

 

レディに無礼な発言をするブラックに手近な置物をぶん投げてやると、生意気にも盾の無言呪文で弾き飛ばした名付け親ではなく、右眉が半分なくなっているハリーが口を開く。さっき『バラけ』てしまった時、半分だけどっかに旅立ってしまったのだ。元気でやっていればいいんだが。

 

「あー……僕、出来ればルーピン先生に教えてもらいたいかな。今までで一番しっくり来たのはルーピン先生の教え方だし。」

 

「私にかい? ご指名とあらば喜んで教えさせてもらおうかな。テディを頼むよ、ドーラ。」

 

「はいはい、ママのところに来ましょうねー。……ちょっと、何でそんな顔なのよ。ママの抱っこは嫌なの?」

 

抱いていた赤ん坊をニンファドーラに渡したルーピンは、腕まくりをしながらハリーへと歩み寄るが……おい、それじゃあ私は何をしに来たんだよ。古臭い精神論が否定されるのは理解できるが、私の現代的な指導法が間違っているとは思えんぞ。

 

まあいい、そのうちボロが出るさ。そしたらハリーは私を頼ってくるに違いないのだ。お手並み拝見とばかりに悠々と階段に移動して、ニンファドーラの隣に座って見学を始める。

 

「やあ、小さな変装の達人君。今日は黒髪なのか。センスがあるね。」

 

気まぐれにニンファドーラの胸の中の赤ん坊に話しかけてみると、幼体の人間どのはキャッキャと喜びながら私の伸ばした指を握ってきた。愚かなおチビだ。夜の支配者の指を握っていることを理解していないらしい。私に慄くのはもう少し大人になってからだな。

 

「キミ、差し出されればライオンの指でも握るのかい? もっと考えてから行動した方がいいと思うよ。」

 

「バートリさん、テディはまだ二ヶ月と半分なんだよ? ようやく首がすわってきた段階なのに、そんなの判断できるわけないって。」

 

「ふぅん? キミの顔とかも判別できないのかい?」

 

「それは別だよ。ママの顔は分かるもんねー? ねー、テディ。ねー?」

 

『ねー』の度に顔を嫌そうに背けているのを見るに、確かに判別できているようだ。しつこい母親のことをぷよぷよの手で押し退けている赤ん坊を、それでいいのかと微妙な気分で眺めていると……出たな、犬ころ。いつの間にか犬に変身していたブラックが近付いてくる。もちろんおチビは毛だらけのお友達に大喜びだ。

 

「……ハリーが小さな頃にこいつが何をしていたのかが目に浮かぶようだよ。どうせ彼の反応で味を占めたんだろうさ。」

 

「ここまで喜んでるのを見ると、本当に犬を飼おうかって気持ちになってくるよ。……よく言うじゃん、赤ちゃんの時に出会えば最高の親友になるって。」

 

「飼えばいいじゃないか。おチビがおっさんにじゃれ付いてたって悲しい事実を知る前に、可愛らしい本物を用意してあげたまえよ。それが親心ってものだろう?」

 

「んー、今度規制管理部に行ってみようかな。あそこで飼ってる犬が赤ちゃんを産んだらしいんだよね。里親を探してたみたいだから、タイミングとしてはバッチリなの。」

 

規制管理部? あの魔法生物狂いどもが頭が一つしかない普通の犬を飼うのか? 本日初めて二メートル先の目印ぴったりに姿あらわししたハリーを横目に、ニンファドーラへと適当な相槌を打つ。ルーピンが指導を始めてから僅か数分。だからあれは先程までやっていた私の指導の成果に違いないのだ。

 

「何のために犬なんて飼ってるんだい? 魔法生物の餌にするとか?」

 

「ノグテイルの駆逐用だよ。ほら、農園を荒らす魔法生物。あれが出た時に追っ払うため、十五頭くらい常に飼ってるんだって。」

 

「ふぅん? なるほどね。犬種は?」

 

「真っ白なサルーキってやつ。一昔前は全部グレイハウンドだったんだけど、最近は半々くらいになってるんだってさ。とにかく足が速くないとノグテイルに追い付けないらしいの。」

 

ふむ、知らん犬種だ。最近は犬の種類が増えすぎだぞ。遠い国から持ち込んだり、それを交配させて新たな種類を生み出したり。ここ数百年で一番同族の種類を増やしているのは犬なのかもしれんな。……別に自分たちが望んで増えたわけではなさそうだが。

 

まあ、犬の事情なんてどうでも良いか。吸血鬼は犬に嫌われがちだし、吸血鬼の方だって犬は好きじゃないのだから。ヤツらは昔から人間の『お友達』なのだ。だったら人間の敵である吸血鬼を嫌うのは当然のことだろう。

 

ドラッグでもやっているかのように興奮するおチビと、それにぶんぶん尻尾を振りまくっている犬もどきに冷めた視線を送ったところで……おっと、ウィーズリー親子のご登場だ。謎の複雑そうな機械を二人で持っているアーサーとビルは、こちらに向かって言葉を投げてきた。

 

「シリウス、ちょっとガレージに来てくれないか? 息子が良い感じにブースターを調整してくれたんだよ。上手く動くか試してみたいんだ。」

 

「これで大分スピードが出るようになったと思いますよ。あと、割り込み呪文も組み入れておきました。信号待ちで常に先頭に入れた方が便利でしょう?」

 

『ブースター』? バイクのことは一切分からんが、それでも不安になるような発言だな。ブラックが人間花火になるのは構わんが、ハリーも一緒なことを忘れないで欲しいぞ。『オモチャ』に熱中する男どもとの温度差を感じているニンファドーラと私を他所に、ブラックはすぐさま人間に戻って二人に歩み寄って行く。小汚いお友達を取り上げられたおチビは不満顔だ。

 

「素晴らしい! 割り込み呪文は私一人じゃどうにも出来なかったんだ。やるじゃないか、ビル。」

 

「呪い破りの仕事でスペインに行った時、向こうの魔法使いにコツを教えてもらったんです。ここで使うことになるとは思いませんでしたけどね。」

 

「さすがはアーサーの息子だな。ウィーズリー家は暫く安泰だ。……さあ、早くガレージに行こう。この前付け足した呪文との相性も見ておかないと。」

 

アーサーに代わってビルと二人で機械を運んで行くブラックを見送ったところで、残ったウィーズリー家の家長が苦笑しながら注意を寄越してきた。

 

「練習は無理なくやるんだよ? ハリー。まだ君は一応未成年なんだ。何かあったら大事になってしまうからね。」

 

「はい、程々にしておきます。」

 

「どうかな? キミたちが改造してる『オモチャ』を魔法省に突き出した方が大事になると思うけどね。……あるいはモリーに知らせるってのもアリだが。」

 

横から突っ込みを入れてやると、途端にアーサーはしどろもどろになってしまう。殺人犯が置き引きを注意してるようなもんだぞ。説得力皆無だ。

 

「いや、まあ……互いに見なかったことにしておきましょう。そうした方がお互いの為です。」

 

「キミも賢くなってきたみたいだね。レミィの影響かな?」

 

「バートリさんの影響も少しはあると思うけどなぁ。」

 

余計なことを呟いたニンファドーラにジト目を向けている間に、アーサーは逃げるようにガレージの方へと消えてしまった。それにやれやれと首を振ったところで……ちょっと待て、急にどういうつもりだ。ニンファドーラが私におチビを渡して立ち上がる。思わず受け取っちゃったじゃないか。

 

「バートリさん、テディ持ってて。おトイレ行きたくなってきちゃった。」

 

「いやいやいや、私は吸血鬼だぞ。」

 

「吸血鬼でも抱っこは出来るでしょ。サクヤちゃんとかアリスさんを育てたわけだし。」

 

「アリスは既に大きかったし、咲夜の時は使用人が……おい、ニンファドーラ。待ちたまえ。こんなもんどう扱えばいいのか──」

 

私の文句を尻目に、ニンファドーラはクスクス微笑みながら階段を上っていってしまうが……どういう神経をしているんだ? 赤ん坊を吸血鬼に預ける変人なんてダンブルドアくらいだと思っていたぞ。

 

「……動くんじゃないぞ、おチビ。偉大なる吸血鬼からの命令だ。私は凄い力を持ってるんだからな。」

 

こいつ、ちゃんと分かってるのか? キャッキャと笑うおチビを慎重に抱っこしつつ、アンネリーゼ・バートリは母親の帰還を待ち望むのだった。

 

 

─────

 

 

「……っ。」

 

また切っちゃったな。湧き上がってくるイライラを押し殺しながら、パチュリー・ノーレッジは治癒魔法で指先の傷を治していた。これでもう何度目だろうか? どうやら私という魔女は自分で思っていたよりも不器用だったらしい。

 

深夜の紅魔館の図書館。小悪魔が自室に戻っている所為で静寂に支配されるその場所で、一人寂しく閲覧机の上で慣れない作業を行なっているのだ。目の前に置かれているのは真紅の羽根と、金属のペン先。これらを組み合わせて羽ペンを作ろうとしているのである。

 

無論、魔法でやれば一瞬で出来るだろう。ペン先無しの単なる羽ペンを作るのだって簡単だ。だけど、長く使うなら取り替えが可能な金属製のペン先を付けるべきだし、この作業だけは手作業で行いたい。小難しい理屈じゃなく、そうすべきだと私の心が判断してしまったのだから。

 

とはいえ、ここまで苦戦するのは予想外だったな。鮮やかな真紅の羽根……フォークスが置いていった尾羽根を見つめながら、自分の手先の鈍さにため息を吐いていると──

 

「……あの、パチュリー様。こんばんは。」

 

びっ……くりしたぞ。急に投げかけられた声に心臓を高鳴らせつつ、そうとは気付かれないように冷静な態度を装って返事を返す。声をかけてきたのは言わずもがな、咲夜だ。入ってくる気配を感じなかったし、時間を止めてここまで来たらしい。相変わらず恐ろしい能力だな。

 

「あら、咲夜。こんな時間にどうしたの?」

 

咲夜にとっての私のイメージは、『賢くていつも冷静な魔女』であるはず。そう思ってくれるように振舞ってきたし、そう思って尊敬して欲しいという見栄もある。だから『パチュリー様像』を崩すまいと無理して平静な対応をした私に、咲夜はおずおずと隣の席に座りながら話を切り出してきた。

 

「相談……というか、悩みがありまして。」

 

「悩み? 聞いてあげるから話してごらんなさい。私に解決できるものなら解決するし、そうでなくても一緒に考えることは出来るわ。」

 

悩み、ね。この前の『スカーレット・ヴェイユ問題』に関わることだろうか? 内心ではどんな悩みが飛び出してくるのかと不安になっている私へと、咲夜は暗い顔でポツリポツリと内容を語り始める。

 

「えっと、悩みっていうのは私の能力のことなんです。……あのですね、もし私の能力が自分の意思でコントロールできなくなって、時間を止めたまま戻せなくなったらどうなりますか?」

 

「それは……うん、難しい質問ね。それが不安なの?」

 

「はい。最近目が覚めた時、勝手に時間が止まってることがよくあるんです。さっきも起きたらこの時間で止まってて、それで怖くなってここに来ちゃいました。もちろんそういう時は自分の意思で解除するんですけど、もしかしたら急に解除できなくなって、独りぼっちでずっと止まった時の中に取り残されたらと思うと……凄く怖くなるんです。心配しすぎなんでしょうか?」

 

なるほど、それは怖くもなるだろう。心細くなって駆け込んできたわけか。慎重にサラサラの銀髪を撫でながら、なるべく優しい声を意識して言葉をかけた。

 

「私は小器用な慰めを言えるようなタイプじゃないから、貴女が納得するまで議論に付き合うことしか出来ないけど……第一に、勝手に時間が止まるのは睡眠時だけなの? それと、最初に止まったのはいつ頃だった?」

 

「今のところは寝ている時だけです。最初に止まったのは去年学校に行った直後くらいでした。」

 

「十五歳になる少し前ってことね。……貴女に宿る力が貴女だけのものである以上、全ては私の経験と知識に基づいた仮説になるわ。その上で言わせてもらえば、貴女の身体や精神の成長が影響しているんじゃないかしら? 徐々に頻繁に止まるようになってる?」

 

むう、本当に難しい問題だな。当然ながら前例など無いし、思考の取っ掛かりになる書物も少ない。かといって今の咲夜に『分からない』を突き付けるのは私の良心が許してくれないのだ。いくつもの仮説を頭の中で組み立てている私に、咲夜は小さく頷いて肯定してきた。

 

「前は二週間に一回くらいだったのが、今は四、五日に一回のペースで止まってます。だからその、段々と寝るのが怖くなってきちゃって。……妹様も昔は能力を制御できなかったんですよね?」

 

「妹様の場合はまた別よ。非常に分かり易い『症状』があったし、常時制御できなかったわけだからね。対して貴女の場合は睡眠時という最も無防備な状態でのみ勝手に能力が発動しちゃうわけでしょう? ……少し調べてみましょうか。この図書館を改装できていることからも分かるように、貴女の能力が昔に比べて強力になっているのは明白だわ。ひょっとすると能力の成長が身体の成長に追い付けていないのかもしれないわね。」

 

「……元に戻せなくなった時はどうすればいいんでしょうか?」

 

「最も可能性が高い対処法は待つことよ。貴女が時間を止めていられる長さ……時間が止まっているんだから長さも何もないわけだけど、貴女の主観的な『時間を止めていられる時間』は徐々に長くなっているでしょう? 能力の成長としては一番分かりやすい現象ね。でも、それは同時に限界があることも示しているの。止められる長さの限界になれば勝手に解除される可能性が高いわ。」

 

口には出さないが、これは普段の私なら絶対に言わないような希望的観測だ。咲夜が眠っている状態で無意識に時間を止めて、自然に目が覚めた状態が今だとすれば、彼女は相当長い間『停止した世界』で眠っていたことになる。

 

魔力の流れを見るに咲夜は充分な睡眠を取っているようだし、現在の時刻は午前一時を回ったところ。彼女が普段通り二十二時あたりにベッドに入り、これまた普段通り七時くらいに目が覚めるのだと仮定すれば、六時間近く時間を止めていたことになってしまう。

 

平時の彼女が止められる限界は精々十分そこら。普段は無意識に力を抑えているのか、あるいは睡眠時だから長く使えているのか。詳細は調べてみないと不明だが、私や咲夜本人が思っているよりも遥かに長く時間を止めておける可能性は大いにあるだろう。

 

我らがメイド見習いに宿る力の強大さを再認識している私に、咲夜は尚も不安そうな顔で問いを飛ばしてきた。

 

「待ってるだけでいいんですか?」

 

「ええ、先ずは慌てず落ち着くべきよ。冷静になれば解除できる可能性もあるしね。……それでもダメなら、自分に失神呪文を撃ち込んでみなさい。行使している張本人である貴女が気絶すれば、結果として能力が解けるかもしれないわ。」

 

物凄く乱暴な方法だが、それも一つの手段だ。咲夜としても止まった時間に取り残されるくらいなら失神した方がマシなようで、具体的な解決策が出てきたことに表情を明るくしている。

 

「それは何となく効果がありそうですね。待ってもダメだったら試してみます。」

 

「貴女の心や体が成長するに従って、そういう症状は徐々に減っていくと思うけどね。起きている間に勝手に止まらないうちはまだ余裕があるわ。仮にどれだけ待っても、あらゆる手段を講じてもダメだった時は……そうね、私かアリスの目の前で仮死しなさい。そのための魔法薬を作ってあげるから。」

 

「か、仮死?」

 

「本当に最後の手段だけどね。貴女が死んでなお時間が止まり続けるということは有り得ないわ。そんなことは神にだって出来ない芸当よ。である以上、貴女が死ねば能力は解除される。そしたら私かアリスが仮死状態になっている貴女を発見して、蘇生すればいいってわけ。その方法なら百パーセント停止した世界から抜け出せるでしょう?」

 

我ながら無茶苦茶なことを言っている自覚はあるし、目の前にいきなり仮死状態の咲夜が現れるなど悪夢の光景だが、絶対の手段を一つ提示しておけばいくらか気が楽になるだろう。そう思って放った提案に、咲夜はホッとしたような声色で応じてきた。知らぬ者からすれば異様なやり取りだろうな。年頃の女の子に仮死の提案か。

 

「そっか、それなら絶対に解けますね。……仮死って痛かったりしますか?」

 

「痛みのない薬を調合してあげるから、お守り代りに持っておきなさい。一応注意しておくけど、軽々には使わないように。リスクがゼロとは言えないんだから、本当にどうしようもなくなった時だけ使うのよ? 時間が動き出した時、即座に私かアリスが処置できる位置でね。」

 

「はい、そうします!」

 

元気な返事じゃないか。仮死の魔法薬でこんなに喜ぶ子はこの世で咲夜だけだろうな。そのことに微妙な気分になりつつも、真紅の尾羽根に向き直って口を開く。

 

「それじゃ、明日……というか今日の睡眠時から詳しい調査を始めましょう。私たちが幻想郷に行く前に方を付けたいしね。薬はアリスと一緒に今日中に作っておくわ。」

 

「お願いします。……ちなみに、それって何をしているんですか?」

 

「羽ペンを作っているのよ。この羽根はちょっと……そう、思い入れがある羽根なの。こっちに居るうちに完成させておきたいから、慣れない作業をしてたってわけ。」

 

「魔法で作るんじゃダメなんですか?」

 

それではダメなのだ。人間としての私が作りたいと思っているのだから、人間としての力で完成させなければ。不条理な感情をバカバカしく思いつつ、それでも咲夜に否定の返答を送る。

 

「ダメなの。きちんと自分の手でやりたいのよ。」

 

「……お手伝いするのもダメですか? 私、細かい作業は得意なんです。アリスほどじゃないですけど。」

 

私の態度から何かを感じ取ったのか、どこか元気付けるような雰囲気で提案してきた咲夜に……まあ、この子ならいいかな。人外たちに手伝ってもらうのは何か違う気がするが、咲夜なら構わないだろう。それが何故なのかは説明できないものの、それを言ったら羽ペンを作っていること自体が不条理なのだ。ここは直感の判断に従っておくか。

 

「……なら、手伝ってくれる? 金具の調整がどうしても上手くいかないのよ。」

 

「任せてください!」

 

一人の時よりも少しだけ音が増えた図書館の中、椅子を寄せてきた咲夜と二人で金具を弄りつつ、パチュリー・ノーレッジは自分の中の曖昧な感情に苦笑を浮かべるのだった。

 



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最たる悪夢

 

 

「監獄長の仕事を引き受けてくれたのは助かるんだけど……まあうん、相変わらずみたいじゃない。普通は歳を取れば丸くなるものなんだけどね。」

 

四つの人影が在るイギリス魔法省の魔法大臣室。部屋の中央のソファの対面に座っている男に対して、レミリア・スカーレットは呆れた気分で語りかけていた。アイスブルーの瞳が覗く細い目と、後ろで縛った真っ黒な長髪。全体的に実年齢よりかなり若く見えるな。こいつが早期引退を選択したのは正解だったらしい。

 

移住の日が迫ってきた七月六日の昼、アズカバンの監獄長にとコーンウォールから呼び寄せたアルフレッド・オグデンが登省してきたのだ。人を小馬鹿にするような笑みを常時貼り付けているのも、アホみたいなカウボーイブーツを履いているのも、それなのにスリーピースのブラックスーツをきっちり着込んでいるのも十五年前のまま。田舎ののんびりした生活もこの男の癖を矯正することは出来なかったわけか。

 

やや小皺が増えた以外は何も変わっていないオグデンは、意味もなくへらへらと口を歪めながら返事を寄越してくる。部屋の隅に立っている元部下のスクリムジョールは慣れている様子だが、私の隣のボーンズは胡散臭いと言わんばかりの顔付きだ。フォーリーとは違った意味で相性が良くないらしい。

 

「いやいや、『相変わらずっぷり』では貴女に遠く及びませんよ。何一つ変化が無いじゃないですか。僕の息子が五歳の時もその見た目でしたし、二十歳になった今でも少女のままです。……久々に会うと少々不気味ですよ? 自覚してますか?」

 

「だから魔法界を去ろうとしているのよ。魔法省をボーンズに、ウィゼンガモットをフォーリーに、執行部をスクリムジョールに、そしてアズカバンを貴方にぶん投げることでね。」

 

「前者三つはどうでも良いですが、最後の一つだけはいただけませんね。……せせこましいロンドンと違って、コーンウォールでの生活は最高でした。広大な土地で好きなだけ馬を育てて、気まぐれに畑を耕し、週に一度はお隣の未亡人のベッドにお邪魔する。あれこそ理想の生活です。アズカバンで犯罪者どもの面倒を見るのとは大違いでしょう? ……一応断っておきますが、お隣さんとは合意の上で『楽しんで』いたんですからね? ウィンウィンの関係ですよ。」

 

節操がないのも変わらずか。そんなんだから妻に逃げられるんだぞ。未亡人のあたりで嫌そうな表情になったボーンズに、人をおちょくるような余計な動作を交えつつ一言断ったオグデンへと、疲れた気分でため息を吐きながら問いを返す。

 

「そうは言いつつも、貴方はこうしてロンドンに戻ってきたわけでしょう? だったら文句を言わずに働きなさい。」

 

「いやなに、競走馬の飼育というのは僕の想像以上に金がかかる事業だったようで、懐が寂しくなったから金貨を補充しに来たんですよ。アズカバンにぶち込まれた自制心がない能無しどもを管理するだけなら、ソーホーに行ってどの店にしようか一時間以上悩む僕にも務まりそうですしね。」

 

「貴方、あんなに勧めたのに聖マンゴで脳みその手術を受けなかったの? もしくは下半身のをね。」

 

「ムーディ局長だって受けなかったじゃないですか。間違いなく脳に問題がある局長が手術を拒んでいる以上、右腕たる僕が先んじて『まとも』になるわけにはいきませんよ。諦めて今後も風俗店を巡ることにします。……もちろんマグルのね。ノクターン横丁の店は一度鬼婆をあてがわれて以来避けるようにしていますから。危うく噛み千切られるところでしたよ。」

 

下品な会話に我慢の限界を迎えたのだろう。私が皮肉で応対する間も無く、傍目にもイライラしているボーンズが話を進めてきた。

 

「オグデンさん、大臣室に相応しくない世間話はその辺にしておきましょう。アズカバンは現在改修中なので、囚人たちへの対応には臨機応変な判断が求められます。そこは問題ありませんか?」

 

「心配は無用ですよ、大臣。『臨機応変』は僕が最も得意とするところですから。だろう? ルーファス。」

 

「そうですな。犯罪者を追うためにマグルの下水管を破裂させることを臨機応変と言うのであれば、ですが。」

 

「おっと、暫く見ないうちに可愛げが失せたな。昔はもっと……いや、昔からそんな感じか。失礼、ルーファスは別に変わっていなかった。可愛げがあったのは今の新米局長どのだったよ。」

 

やれやれと戯けるように首を振ったオグデンは、ホルダーから抜いた杖をハンカチで磨きながら言葉を繋げる。ぐにゃぐにゃと捻じ曲がったハナミズキの杖。噂によれば無言呪文が使えず、一際派手な音と閃光を出す癖の強い杖らしい。まるでこの男の厄介な性格を表しているようじゃないか。

 

「しかし、あの『ノロマのガウェイン』が局長になるとはね。おまけに『冷血ルーファス』が執行部長で、『ぽんこつドーリッシュ』が魔法警察の隊長? ……千年はコーンウォールで燻ってた気分になるよ。『偉大なるヴォルデモート卿閣下陛下帝王』が地獄に落ちたなら尚更だ。」

 

「ついでにダンブルドアが死んで、グリンデルバルドが復帰してるわね。貴方ったら一番面白い時期を見逃したわよ。……あとはまあ、貴方のライバルも死んだわ。嘗ての法の守護者どのが。」

 

「それについては心底残念ですよ。あのクラウチが息子を脱獄させた挙句、そいつに手を噛まれて死ぬとはね。あの頑固者が身内のために法を破ったことも、ガキに不意を突かれたのも意外でした。僕が変わらず僕であるように、ジジイになってもクラウチはクラウチのままだと思ってましたから。」

 

「後で花の一本くらいは供えに行きなさい。クラウチが悪霊になって取り憑くとすれば、リストの最上段にあるのは貴方の名前なわけだしね。」

 

互いに闇の魔術への憎しみを持っていたとはいえ、第一次戦争の時期は犬猿の仲だったのだ。憎悪とまではいかないはずだが、『本気で死んで欲しいほど鬱陶しいヤツ』とは思っていただろう。堅物犬と軽薄猿の省内での縄張り争いを思い出しながら言った私に、オグデンは苦笑を浮かべて首肯してきた。

 

「真っ赤な薔薇の花束でも持って墓に行きますよ。あの男に取り憑かれるのは悪夢ですから。僕はあと五十年は人生ってやつを遊び倒すつもりなんです。それなのに耳元でお小言を囁き続けられたら堪りません。」

 

「なら、頑張って働いて遊び倒すための資金を貯めなさい。『吸魂鬼なし』の監獄の基礎を構築するのはやり甲斐がある仕事よ。暫くは暇をしないで済みそうね。」

 

「僕がやりたいのは楽な仕事であって、やり甲斐なんて面倒なものは求めてないんですけどね。……まあ、やれと言うならやりますよ。僕なら簡単に出来るでしょうし。」

 

尊大な台詞を軽く放ったオグデンは、ゆっくりと立ち上がりながら話を締める。

 

「それじゃ、先ずは古参連中への挨拶回りをしてきます。貸しを残したままのヤツが山ほど居ますから。僕の貯金残高を増やすためにも、ここは一肌脱いでもらわないと。」

 

「程々にしておきなさいよ? もう貴方の邪魔をするクラウチも、抑える私も、貴方以上に厄介なムーディも居ないんだから。」

 

「それはまた、寂しくなるほどに張り合いがありませんね。……必要な分だけは遠慮なくやりますが、やり過ぎはしませんよ。僕が欲しいのは権力でも地位でもありませんから。自分が『時代遅れ』なことくらいは自覚しています。だったらそれに相応しく、邪魔くさい年寄り程度に自制しておきましょう。」

 

そう言ってドアの前で振り返って皮肉げに肩を竦めた後、オグデンはカチャカチャとブーツの金具を鳴らしながら部屋を出て行った。長身の背を見送った部屋の全員が疲れたように吐息を漏らす中、疑わしげな表情のボーンズが口を開く。

 

「本当に大丈夫なんですか? あの人は。」

 

「問題ないわ。性格がどうあれ、仕事は出来る男だから。……仮に貴女が十五年前のクラウチの立場に居たとして、ムーディを局長から引き摺り下ろすことがそこまで難しいことだと思う?」

 

「それは……その、どうなんでしょうか?」

 

「別に言葉を選ばなくても結構よ。あんなイカれた問題児を懲戒免職にするのが難しいことなわけないんだしね。……だけど、実際はそうならなかった。それはあの男がムーディの政治的な背中を守っていたからなの。もちろん私やダンブルドアの存在もいくらか影響してたわけだけど、最も大きいのはやはりオグデンの働きよ。人の弱みを握り、揺さぶり、利用する。オグデンは杖捌きより政治の腕で副長になった稀有な闇祓いってわけ。」

 

あの男が政治の道を選べば、まず間違いなく当時のクラウチと伯仲する存在になっていただろう。だが、政治家の息子であるオグデンは闇祓いという職を選び、そこで出会ったムーディの『面白さ』に惚れ込んでしまった。結果として闇祓いの副局長という地位に自ら留まり、ムーディが局長の座を退いた後は自身も引退することを選んだわけだ。

 

変人の周りには変人が集まるんだなと納得していると、スクリムジョールも当時の闇祓いから見たオグデン像を語り始める。

 

「オグデン元副局長は軽薄な言動をする軽薄な方ですが、仕事で手を抜いたことは一度たりともありません。ムーディ元局長が『やれ』と言ったことを、あの人は全て成し遂げてみせました。……表面の態度ではなく仕事の成果で判断してみてください。そうすればあの人がどんな人間なのかが分かるはずですので。」

 

「ま、そういうことね。優秀な真人間を扱えるのなんて当然なの。ムーディやオグデンみたいな厄介な人材を使いこなせてこその魔法大臣よ。上手く操ってみせなさい。そうすればとびっきりの持ち駒が一つ増えるから。」

 

オグデンはじゃじゃ馬だが、駄馬ではないのだ。目先に吊るす餌の選択と鞭のタイミングさえ誤らなければ、そこらの馬とは比較にならないほど働いてくれるだろう。私たちの言葉を受けたボーンズは頭痛を堪えるように顔を顰めた後、諦観の表情で項垂れながら小さく頷いてきた。

 

「それが魔法大臣にとって必要な能力なのであれば、努力だけはしてみましょう。……ちなみに、二十年前の魔法省で有名だったオグデンさんの『女性事情』は単なる噂だったのですか?」

 

「……それは事実よ。というか、噂の方が控え目と言えるかもね。実際は心中沙汰になりかねなかったし、直後に離婚して息子の親権も持っていかれたらしいわ。当たり前のことだけど。」

 

「ということは、任務中に頻繁に賭け事をしていたという噂も?」

 

「厳然たる事実ですな。私も何度か誘われました。無論断りましたが、ロバーズは断り切れずによく付き合わされていたようです。」

 

私とスクリムジョールの答えを聞いたボーンズは、無言で抗議の視線を送ってくるが……仕方がないじゃないか。それでも当時は必要な人材だったんだから。ムーディの所業に比べれば可愛いもんだし。

 

ジト目で見てくる規律を重んじる魔法大臣どのに、目を逸らしながら適当な言い訳を口にする。

 

「まあ、もうさすがに落ち着いてるでしょ。そろそろ爺さんと言えるくらいの歳なんだしね。……昔は諌めてくれる人が沢山居たから、オグデンはああやって暴れてたんだと思うわ。ムーディやヴェイユに叱られてるのはよく見たし、ダンブルドアに諭されたりもしてたもの。……要するに、あの男は捻くれ者の『構ってちゃん』なんじゃない? 止めてくれるのが嬉しいから騒いでるだけで、誰も止めてくれないなら静かにしてるわよ、きっと。」

 

「ヴェイユ先生やダンブルドア先生に、ですか。」

 

「ヴェイユ一家が死んだ時は見る影もないほどに落ち込んでたからね。貴方も覚えているでしょう? スクリムジョール。」

 

「覚えておりますとも。我々闇祓いは皆沈んでいましたが、オグデン副長の落ち込みようは見ていられないほどでした。特にヴェイユ先生から頼まれていたコゼットのことを守り切れなかったことに責任を感じていたようです。」

 

オグデンが軽薄でなくなった唯一の時期。それが第一次魔法戦争が終結した直後なのだ。ボーンズにも思うところがあったようで、やや態度を軟化させながら相槌を打った。

 

「……であれば、私の役目は二人の代わりにオグデンさんの『暴走』を止めることのようですね。」

 

「その立場に立てれば最上ね。……まあ、無理せずやってみなさい。時間はあるわ。」

 

そうは言っても、オグデンの信頼を得るのは難しいだろうな。あの男は見た目と違って忠義深いヤツだが、それを向ける相手は慎重に選ぶタイプのはずだ。そこまで期待せずに苦笑して応じると、スクリムジョールが静かな声で話しかけてくる。

 

「アズカバンの件はこれで解決として、スカーレット女史の引退は具体的にいつになるのですか?」

 

「教えてあげないわよ、そんなもん。百年前にいきなり現れたんだから、消える時も急にってのが道理でしょう?」

 

「それでは困るのですが。」

 

呆れたように文句を言ってきたスクリムジョールに、クスクス微笑みながら軽口を返す。困るがいいさ。それは私の存在の大きさを示しているのだから。

 

「ある程度の引き継ぎはやったし、それなりに後片付けもしたわ。だからこれ以上は自分たちでやりなさい。……イギリス魔法省はもう私の庭じゃなくなるのよ? 自分の庭くらい自分で整備できないとね。」

 

「しかし、お見送りくらいはさせていただけるのでしょう? イギリスを離れるとおっしゃっていたじゃありませんか。」

 

「あのね、ボーンズ。私が『お別れ会』をやった後、みんなに手を振られて旅立って行くようなタイプに見えるの? 私は別れを言うのも言われるのも大っ嫌いなのよ。世界各国に引退の手紙を叩き付けて、返事が届く間も無く消えてみせるわ。……去り際を綺麗にすればスッキリしちゃうでしょう? でも、誰一人として納得しない形で去れば噂は消えないわ。誰もが本当に消えたのかと疑い、私の影を疎み、恐れ、そして望み続ける。スカーレットの名は魔法界で生き続けるの。それが私の去り方よ。」

 

ダンブルドアは見事に去った。殺しても死にそうにないあの男の死を、イギリス魔法界の誰もが認めざるを得なくなるようなやり方で。……だが、私は違うぞ。スカーレットの名を忘れさせたりはしないのだ。いつの日か戻ってくるのではないか、またヨーロッパへの影響力を復活させるのではないか。そう思う誰かが存在する限り、私の名は力を持ち続けるだろう。そして、それは躊躇いに繋がるはずだ。私の縄張りであるヨーロッパを、イギリスを侵すことへの躊躇いに。

 

私が長命な吸血鬼であることはもはや周知の事実。である以上、並み居る偉人と同様の言い訳など通用しない。『もう死んだ』は私には通用しないのだ。……ふん、怯え続けるがいいさ。私の敵対者どもはスカーレットの名を常に案じ、対策しなければならないだろう。それが単なるハリボテであることを知っているのは、我が紅魔館の住人たちだけなのだから。

 

私の『立つ蝙蝠跡を濁しまくる』発言を受けて、ボーンズは引きつった笑みで疑問を放ってきた。

 

「いつか戻ってくる気があるのですか?」

 

「どうかしら? 貴女たちが組み上げた魔法界が見るに堪えないものであれば、全てをぶっ壊しに戻ってくるかもね。……別に私が作ったものを壊していいし、どれだけ変えてもいいんだけど、無様なものにされるのだけは我慢ならないの。私が作った基礎に見合う建物を建てなさい。でなきゃ遠い将来、貴女たちの強大な敵として戻ってきちゃうかもしれないわよ?」

 

「……肝に銘じます。貴女が敵になるのは私の最たる悪夢ですから。」

 

「あら、悪くない評価ね。『最たる悪夢』って部分が気に入ったわ。次の大臣にもきちんと伝えておきなさい。イギリス魔法省にとっての最たる悪夢の内容を。」

 

嘯きながら立ち上がった後、ドアへと足を踏み出して口を開く。大臣室もこれで見納めかな? イギリス魔法界の頂点。中々面白い舞台だったぞ。

 

「ボーンズ、スクリムジョール、二人とも忘れないようにしなさい。スカーレットは消えるけど、死にはしないわ。あなたたちがそれを忘れずに行動する限り、私の影は常にイギリス魔法省に付き纏うでしょう。それが敵を打ち破る矛になるか、それとも自らの首を絞める縄になるかはあなたたち次第よ。……居なくなって初めて生まれる力もあるの。私が去った後、最後にそれを教えてあげる。」

 

神妙な表情のボーンズと、強張った顔のスクリムジョール。二人の返事を聞かずに部屋を出て、魔法省地下一階の廊下を歩き始めた。……もう間も無く私はこの世界を去る。そうなった時、私の敵対者は好機とばかりに動き始めるだろう。

 

だが、そこで気付くはずだ。紅のマドモアゼルが本当の意味で消えたりはしないということを。それに気付いた時のアホ面を拝めないのは残念だが……ま、いいさ。私には次なるゲームが待っているのだから。幻想の郷で行なう、人外たちのゲームが。

 

古いゲームの舞台を降りつつ、レミリア・スカーレットは次の演目の主役を奪い取るために思考を巡らせるのだった。

 



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別離の朝

 

 

「……んぅ。」

 

またか。一切の音が無い静止した世界の中、サクヤ・ヴェイユは柔らかいベッドからもそもそと抜け出していた。カーテンがぼんやり朝陽で照らされているのを見るに、早朝の時間で止まっているらしい。今日はあまりズレなくて済んだな。

 

寝汗で張り付いた白いネグリジェを脱ぎ捨てつつ、髪を纏めていた愛用のシュシュを外してバスルームに向かう。普段ならきちんと服を畳んでから行くのだが、今この世界で動けるのは私だけ。だったら誰に気を使う必要もないだろう。

 

アグアメンティ(水よ)。」

 

杖魔法で陶器の洗面器に水を満たして顔を洗うが……むう、やっぱり水道が使えないのは面倒くさいな。時間が止まっている時に使えない物というのは結構あるのだ。パチュリー様は距離が関係しているのではないかと推察していたが、私もそれで合っている気がする。蛇口を捻ると数秒間だけ水が出た後で止まってしまうのは、きっと水道管の奥の方の水が停止したままだからなのだろう。

 

まあ、それでも便利な能力には違いない。顔を拭いて下着をぽぽいと脱いで洗濯カゴに投げ入れた後、それを持ってスリッパだけを身に着けた状態で部屋に戻る。ベッドと、机と、クローゼットと本棚と小さな暖炉。昔はもっとずっと大きなお部屋を使わせてもらっていたのだが、レミリアお嬢様に頼み込んでここに移してもらった。遠慮したわけではなく、単純に狭い方が落ち着くからだ。

 

それに、広すぎるとお掃除が大変だし。自分の選択が正解だったことにうんうん頷きつつ、クローゼットから出した下着とメイド服を身に着けていく。ちなみに最近はガーターベルトを使うようにしているのだが、これは小悪魔さんからのアドバイスに従った結果だ。使うとソックスがずり落ちなくなりますよって。

 

やけに薄い布切れみたいな下着を勧めてきたり、ヘンなポーズを要求してきたりと小悪魔さんは怪しい発言が多いものの、こればっかりは大助かりだったな。私は丈が長いソックスが好きでよく使っているのだが、あれはずり落ちるとかなり間抜けな見た目になってしまうのだ。メイドとしてそんな姿を晒すのは宜しくない。しかし、これさえあればいつでもピンと張った状態をキープできるのである。

 

学校でも使おうかなと悩みながら着替えを終えて、ベッドを綺麗に整えてからネグリジェを洗濯カゴに回収して部屋を出た。ついでに能力も解除してやれば、一瞬にして世界に音が戻ってくる。

 

鳥や虫の鳴き声、窓を打つ風の音、木材が軋む微かな物音。今日も問題なく能力を解けたことにホッとしながら、カゴを片手に洗濯室目指して一階の廊下を進んでいると……おお、妖精メイドたちがお引越しの準備をしているようだ。ゴミにしか見えない『たからもの』を大事そうに持った妖精メイドの行列に出くわしてしまった。

 

「……貴女たち、そんなに沢山どこに隠してたの?」

 

二つに割れた皿や私が赤ちゃんの頃に使っていたプラスチックのコップ、この館では本物の凶器になり得る水鉄砲、空気が抜けたバスケットボール、持ち主不明の折れた杖。その他にも大量のガラクタを運んでいる五十匹ほどの妖精メイドに問いかけてみると、彼女たちは一斉に『シー!』のポーズをしながら答えを口にする。

 

「色んなお部屋に隠してたの。ないしょだよ、ないしょ!」

 

「お引越しで壊れちゃうかもしれないでしょ? だから安全なところに運んでるの。」

 

「ないしょだからね!」

 

うーん、面白い生態だな。隠し場所を忘れるリスよりは賢いわけか。私が無言でこっくり頷いたのを見て、妖精メイドたちはビシリと敬礼した後でふよふよとすれ違っていった。まあうん、あの程度ならお嬢様方も目くじらを立てたりはしないはずだ。むしろ取り上げて騒がれる方が面倒だろう。

 

結構離れたのにまだ聞こえてくるヒソヒソ声……つまり、普通に騒がしい会話をしながら遠ざかっていく『隠密行動』には不向きな集団を尻目に、洗濯室に入って中央の台にカゴを置く。ここは基本的に館中から洗濯物を集めてくるエマさんと私しか利用しない部屋で、たまに美鈴さんが自分の洗濯物を持ってくるくらいなのだが、ずっと前に一度だけアリスが居たことがあったっけ。

 

私がどうしたのかと聞くと物凄い早口で謎の説明をした後、そそくさと居なくなってしまったのを思い出しながら部屋を出て、今度はレミリアお嬢様の部屋に向かって歩き出す。紅魔館を転移させるのは今日の夕刻なのだ。その前にお嬢様の洗濯物も洗っちゃった方がいいだろう。

 

向こうでは美鈴さんが『洗濯係』になるはずだが……ぬう、不安だな。色落ちさせたりしちゃわないだろうか? 前までは一人で紅魔館の雑務を担当していたんだし、その辺は大丈夫だと思うけど、後で一応確認しておいた方がいいかもしれない。

 

エマさんにも話しておこうと心のメモ帳に書き込みながら階段を上って、二階の廊下をどんどん進んで行くと、やがて紅魔館の中心部にあるレミリアお嬢様の私室のドアが見えてきた。

 

「……えい。」

 

ノックしようと振り上げた手を止めて、能力を使ってから勝手に部屋に入り込む。……明日の今頃はもうレミリアお嬢様は遠く離れた場所で、何年かの間は会えるかも分からなくなってしまう。だから今日だけ。今日だけだ。

 

私しか動けない世界だと自覚しつつも忍び足になって、そろりそろりと天蓋付きのベッドに近付いていくと……愛用の枕をギュッと抱いてすぴすぴ眠っているレミリアお嬢様の姿が目に入ってきた。この場面だけだと小さな女の子にしか見えないな。

 

「……失礼します、お嬢様。」

 

何となく一声かけた後、ベッドに入り込んでレミリアお嬢様を背後から抱きしめて、その髪に鼻を埋めてぐりぐりする。皆の前では何でもないように振舞っていても、寂しいものは寂しいのだ。ほんの少しだけ甘えるくらいなら許されるだろう。

 

安心する匂いと感触を感じながら、最後にもう一度だけギュッと抱き締めてベッドを出た。うん、これで大丈夫。リーゼお嬢様もアリスもエマさんも居るし、数年くらいは耐えてみせねば。ホグワーツを卒業した後、立派に成長した姿をお見せしよう。

 

乱れてしまったベッドを寸分違わぬ位置に戻して、一度廊下に出てから能力を解除する。そして大きく深呼吸してから、ノックをしつつ何食わぬ顔で部屋に呼びかけた。

 

「レミリアお嬢様、咲夜です。少し早いですが、やることがあるとおっしゃっていたので起こしに来ました。」

 

本当はもうちょっと後に起こす予定だったのだが、早い分には問題ないと言われていたので大丈夫なはずだ。ドアの前で十秒ほど返事を待っていると、中から眠そうな声が返ってくる。

 

「んー……少し待って頂戴。」

 

「はい。」

 

言われた通りに待つこと一分。メイドらしくジッと動かず待機する私に、レミリアお嬢様が入室の許可を送ってきた。

 

「もう入っていいわよ。……おはよ、咲夜。」

 

「おはようございます、レミリアお嬢様。早めに来ちゃったんですけど、大丈夫でしたか?」

 

「ん、構わないわ。今日はやることが多いし、むしろ助かったくらいよ。」

 

吸血鬼が早起きというのはおかしいのかもしれないが、レミリアお嬢様は私が物心付いた頃から不規則な生活をしているのでそこまで珍しいことでもない。ちなみに妹様はほぼ夜型生活で、リーゼお嬢様が昼型生活という状態だ。妹様が吸血鬼にとって正しい生活サイクルを送っているのに対して、リーゼお嬢様はホグワーツでの癖が抜けないのだろう。

 

不規則な生活を一手に支えているエマさんの『メイド力』に改めて感心しつつ、レミリアお嬢様の朝の準備を手伝うために時間を止めて、大きなクローゼットから必要な物を取り出していく。今日は大事な移住の日だし、お嬢様はお気に入りのドレスを選ぶはず。靴も磨きたてのやつにしておくべきだな。

 

ベッドの近くにドレスやヘアブラシ、一度濡らして軽く絞ったタオルや歯磨きセットなどを用意した後、能力を解除して時間を動かした。

 

「髪を整えますね。」

 

「ん。」

 

最近は然程抵抗なく身の回りの世話をさせてもらえることに内心で喜びつつ、殆ど自分でやってしまうリーゼお嬢様はどうすれば『攻略』できるのかと悩んでいると……タオルで顔を拭いていたレミリアお嬢様が閉め切った遮光カーテンを横目に口を開く。

 

「うー、昼前までに残りの手紙を書き終えないといけないわね。物理的な転移の準備は問題なさそう?」

 

「一応割れ物なんかは緩衝材で包んだりしましたけど、パチュリー様は衝撃はないだろうって言ってましたし、特に問題ないと思います。」

 

「それはどうかしら。あの魔女は昔、自信満々に同じことを言って紅魔館とムーンホールドを『衝突』させたのよ。前科がある以上、今回も気を付けた方がいいでしょうね。」

 

「……家具も固定しておきますか?」

 

パチュリー様が失敗するというイメージは私にとって難しいものだが、お嬢様にとっては至極簡単なものだったらしい。大欠伸をしながらこくりと頷いたレミリアお嬢様は、眠そうな顔で別の予定を語り始めた。私に聞かせようとしているわけではなく、脳内の思考を整理するための独り言に近いのだろう。

 

「美鈴に温室の件を確認しないとだし、リーゼにも私無しの魔法界での注意事項を……そういえば、フランはちゃんと戻ってきてるのよね?」

 

「えっと、私もさっき起きたところなので分かりません。陽が昇ってもエマさんが何も言ってこないってことは、多分深夜に戻ってきたんじゃないでしょうか?」

 

昨日の夕方、妹様はブラックさんやルーピン先生たちに別れを告げに行ったそうだ。ゴドリックの谷や私の両親の墓、それにアズカバンにも寄ると言ってたっけ。私の答えを受けたお嬢様は不安げに翼を揺らした後、組んだ足に頬杖を突いて小さく首肯する。

 

「ま、そうね。戻ってこなかったらエマが知らせに来るでしょ。……念のため着替えたら地下に行くとして、そのエマは何をしているの?」

 

「昨日の夜の時点ではリーゼお嬢様やアリスの荷物を整理してました。今は倉庫で備品のチェックをしてるんじゃないでしょうか? それが終わったら二人で私とエマさんの荷物の整理を終わらせる予定なんです。」

 

「忙しないわね。……バートリの使用人を褒めるのは業腹だけど、エマがこっちに残るのはかなりの痛手だわ。美鈴一人で広くなった館を管理できるか不安だし、パチェから小悪魔を借りようかしら?」

 

お嬢様もやっぱり不安なのか。……そういえば美鈴さんが館を管理していた頃は『ムーンホールド地区』が無かった上に、住人もレミリアお嬢様と妹様だけしか居なかったんだった。この際妖精メイドたちは計算から外しちゃっていいだろう。

 

パチュリー様のお世話の分は小悪魔さんが居るから差し引きゼロとしても、ほぼほぼ二倍の広さを一人でどうにかするのは大変そうだな。家畜小屋や畑なんかの維持業務もあるわけだし、幻想郷の『偵察』なんかも自由に動ける美鈴さんがやることになるはずだ。

 

本人はとんでもなく忙しくなることに気付いているのだろうかと疑問に思い始めた私を他所に、自己完結したらしいお嬢様は思考を切り上げて着替えに移る。

 

「……その辺の些事は向こうに着いた後で考えましょうか。今日の夜からマーガトロイド人形店での生活になるわけだけど、そっちは大丈夫なの? 今は金髪の小娘が住み着いているんでしょう?」

 

「寝室なんかはアリスや魔理沙が片付けておいてくれるそうです。パチュリー様がトランクを改造してくれましたし、リーゼお嬢様の住居も確保できました。」

 

「人形娘やリーゼなんかどうでも良いのよ。いい大人なんだから勝手にどうにかするでしょ。それより、貴女の部屋は?」

 

「まだ未定なんです。人形店は寝室が三つあるのでそのうちの一つになるか、もしくはトランクの中の部屋に住むか……向こうに行ってから適当に決めることにします。なんなら魔理沙と相部屋でも問題ないくらいですし。」

 

物置とかはさすがに嫌だが、部屋であればどこでも構わないのだ。苦笑しながら返答を口にすると、お嬢様は不機嫌そうな様子で注意を飛ばしてきた。

 

「貴女の好みに口を出すつもりはないけど、嫌なら嫌ってはっきり言うのよ? 一年の大半はホグワーツに居るんだし、夏の間だけマグルの高級ホテルに泊まり込んだっていいくらいなんだから。」

 

「それはむしろ落ち着きませんよ。私は多少狭い方が好きなので心配いりません。……お嬢様は私が居なくても平気ですか?」

 

「全然平気じゃないし、嫌だし、困るけど、それでも何とか我慢するわ。だから貴女も我慢しなさい。代わりに卒業したらずっと一緒よ。」

 

「……はい。」

 

ちらりと私を見ながら放たれた台詞に、切ない気分で返事を返す。レミリアお嬢様の方も寂しいと思ってくれるのであれば、私もなんとか我慢できそうだ。そのまま整え終わった髪をチェックしてから、パジャマを回収してカゴに入れた。

 

ついでにベッドを整えようと枕に手を伸ばしたところで、立ち上がったレミリアお嬢様は歯ブラシを咥えながらドアへと歩き出す。

 

「それじゃ、先ずはフランのところに行ってくるわ。その後は執務室で手紙を書くから、暇な時に美鈴を呼びつけて頂戴。朝食は不要よ。」

 

「かしこまりました。」

 

ぺこりとお辞儀しながらお嬢様の背を見送って、ベッドや小物の整理をした後に私も部屋を出た。次は……むむむ、どうしよう。今美鈴さんに知らせに行くのは早すぎるだろうし、エマさんにやることはないかと聞きに行くか。

 

そうと決まれば目指すは倉庫だ。階段を下りて一旦洗濯室に戻ってお嬢様の洗濯物を置いた後、ムーンホールド側の地下にある一番大きな倉庫に向かって歩を進めていると、月時計がある中庭に急に誰かが現れたのが視界に映る。パチュリー様? どうやらパチュリー様が中庭に姿あらわししてきたらしい。

 

「こんな朝早くに外出してたんですか? パチュリー様。」

 

珍しく図書館でも研究室でもない場所で出会った紫の大魔女に声をかけてみれば、パチュリー様は少しだけバツが悪そうな表情で肯定の言葉を寄越してきた。聞いちゃ悪かったのかな?

 

「ああ、咲夜。……そうね、少し出てたわ。墓参りに行ってたの。両親の墓と、ついでにもう一箇所。」

 

「そうだったんですか。……転移の準備は大丈夫ですか? 何かお手伝い出来ることがあれば言ってくださいね?」

 

「終わってるから平気よ。そっちこそ人手が必要ならこあを使っていいからね? 放っておいても働く貴女と違って、あの悪魔は要求しないと働かないの。忙しい時に遊ばせとくのは勿体無いし、何かあったら遠慮なく引っ張り出しなさい。」

 

うーむ、容赦がないな。小悪魔さんの抗議が聞こえてきそうな発言を曖昧な笑みで受け流すと、パチュリー様は図書館の方へと向かいながら会話を締めてくる。

 

「私は夕方まで図書館に居るつもりだから、何かあればそっちに来て頂戴。」

 

「はい、了解です。」

 

ふわりと浮き上がって私が歩くのと同じくらいのスピードで飛び去って行くパチュリー様に一礼した後、再び倉庫がある方向に足を踏み出す。……『両親の墓』か。そりゃあパチュリー様は元々人間なんだから、よく考えればご両親のお墓が存在しているのは当たり前だ。幻想郷に旅立つ前にお参りに行くのもおかしくはないだろう。

 

でも、なんだかひどく意外な行動だと感じてしまうな。同じ魔女でもこれがアリスなら変だと思わないのに。『人外感』が強いからなのか、それとも年齢の問題なのか。自分の中の謎を解明しようとしていると、ちょうど地下からの階段を上ってくるエマさんの姿が目に入ってきた。

 

「エマさん、おはようございます。」

 

「あれ、咲夜ちゃん? 早起きさんですねぇ。」

 

そう言ってニコニコ微笑みながら頭を撫でてくるエマさんに、倉庫に続く階段を指差して問いを投げる。

 

「早く目が覚めちゃいまして。……備品のチェックはもう終わりましたか?」

 

「ええ、問題ありませんでした。あれだけ用意しておけば暫くは持つはずです。咲夜ちゃんは自分の荷物の整理に入っちゃっていいですよ? 後はそんなにやることもありませんし。」

 

「実はですね、さっきレミリアお嬢様を起こしてきたんですけど……家具の固定、やっぱり必要みたいです。」

 

「あー……そうですか、要りますか。」

 

私の報告を受けて困ったような笑みを浮かべたエマさんは、がっくり肩を落としながら諦めの首肯を送ってきた。

 

「まあ、やれと言われたならやるしかありませんね。どう考えても全部は無理ですし、倒れ易そうな家具だけ固定することにしましょう。……美鈴さんにも応援を頼みましょうか。」

 

「残念ながら、美鈴さんはレミリアお嬢様が使うみたいです。中庭でパチュリー様が小悪魔さんはフリーだって言ってましたけど。」

 

「じゃあ、そっちに救援要請を回しましょう。水回りのパイプを閉じる作業とかも残ってますから、家具の固定を追加するとなると二人だけじゃ間に合わないかもしれません。」

 

「いざとなったら私が能力を使って間に合わせてみせますよ。」

 

グッと手を握って宣言してみると、エマさんは首を横に振ってやんわりとした注意を放ってくる。優しげな『お姉ちゃん』の顔だ。

 

「無理はダメですよ、咲夜ちゃん。時間が増えても咲夜ちゃんの体力が増えるわけじゃないんですから。自己管理が出来てこそ良いメイドです。常に健康であることが長く働く秘訣なんですよ?」

 

「でも、間に合わなかったら大変ですよ?」

 

「その時は向こうで美鈴さんが何とかしてくれますよ。……よし、それじゃあ先ず図書館に助けを求めに行ってから、ムーンホールド側の家具を手分けして固定していきましょう。」

 

一度伸びをしてから歩き出したエマさんに続いて、私も廊下を進むが……いいのかな? それで。美鈴さんが困りそうな気がするぞ。あるいは長年一緒に働いてきた『戦友』への信頼ってやつなのかもしれない。

 

単に問題をぶん投げただけの可能性を意識的に頭から排除しつつ、サクヤ・ヴェイユは忙しくなりそうな一日が始まったことを感じるのだった。

 



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短い別れ

 

 

「向こうではあまりやり過ぎないでくれよ? 私は細かく何度も賭けるタイプだが、キミは一度に大きく賭ける。今回は相手が相手だし、万が一負けた時のことも考えておきたまえ。紫は私とキミの接触を制限するつもりらしいから、幻想郷で何かあっても援護できないからな。」

 

紅魔館のリビングの中、対面のソファで咲夜が淹れた紅茶に舌鼓を打っている幼馴染へと、アンネリーゼ・バートリはそこそこ真面目な忠告を放っていた。幻想郷についてはまだまだ知らないことだらけだが、油断できるような土地じゃないことは判明しているのだ。

 

七月十日の夕刻、広いリビングルームには紅魔館の住人が勢揃いしている。レミリア、フラン、パチュリー、美鈴、小悪魔と一応妖精メイドたちが遂に幻想の郷へと旅立つからだ。少し離れたテーブルではパチュリーがアリスに何かを教えており、もう一つあるソファではフランが咲夜にお別れのキスをしまくっていて、部屋の隅ではエマが美鈴と小悪魔に管理業務を引き継いで……いないな。のんびり談笑しているぞ。大丈夫なのか?

 

まあうん、引き継ぎ不備で困るのは移住組であって、私たち居残り組じゃない。別にいいかと視線を戻した私に、レミリアが皮肉げな笑みで肩を竦めてきた。

 

「心配しなくても上手くやるわよ。制限があったヨーロッパ大戦も、ハンデがあった魔法戦争も私は勝ったわ。である以上、幻想郷でも勝つの。当たり前の流れでしょう?」

 

「その自信がむしろ不安を呼び起こすわけだが……ま、いいさ。最悪キミがボロ負けしても、アリスや咲夜はどうにか出来るからね。賢い私は管理者とのコネを使って生き延びるよ。」

 

「コネっていうか、利用されてるだけでしょうが。吸血鬼としてのプライドを失くしたの?」

 

「ふん、メリットがデメリットを上回ってると判断しただけさ。取引だよ。長いものには一旦巻かれてみて、後々気に入らなくなったら内側から崩せばいいんだ。それが吸血鬼ってもんだろう?」

 

足を組んで肘掛に体重を預けながら言ってやれば、レミリアは小さく鼻を鳴らして返答を寄越してくる。

 

「あら、そう? 私なら巻かれずにぶっ壊してやるけど。……まあいいわ、とにかく咲夜のことは任せたわよ。私が居ない間に何かあったら承知しないからね。」

 

「たった数年だろう? トカゲ問題が解決した今、そこまで大きな問題が起こるとは思えないけどね。」

 

「私が危惧してるのはそういう分かり易い問題じゃなくて、咲夜の『思春期系』の問題よ。……言い寄ってくる馬の骨はこっそり排除しなさいよね。スカーレットの名を使って脅してもいいから。」

 

「親バカが過ぎるぞ。咲夜はもう子供じゃないんだから、その辺は自分で処理できるさ。」

 

ホグワーツでの生活を通して多少寛容になっている私に対して、箱入り吸血鬼どのはそうもいかないらしい。勢いよくソファから立ち上がると、私を指差して糾弾し始めた。政治のお勉強ばっかりしてるとこうなるわけか。

 

「ほら、それ! そういう親の無関心が子供を非行に走らせるのよ! ……ああ、心配だわ。咲夜は美人だし、賢いし、可愛いし、性格も良いから『狙われ』やすいのは明らかじゃない。」

 

「まあ、仮に誰かに惹かれる様子を見せたら対処はするさ。素行調査とか、そういうのをね。」

 

「その時は闇祓いを使いなさい。そのためにある部署なんだから。」

 

「おや、それは初耳だ。ハリーやロンには進路を考え直すように言っておかないとね。」

 

場末の私立探偵じゃないんだぞ、闇祓いは。アホらしい気分で適当な返事を返した後、パチュリーから何かを渡されている咲夜を横目に話題を変える。随分と嬉しそうだな。何を受け取ったんだろうか?

 

「マグル問題はどうなるんだい? ダンブルドアが死に、キミとパチェが去るわけだが。」

 

「あとは残ったジジイだけで何とかなるでしょ。本来グリンデルバルドが提起した問題なんだから、後始末をするのがあいつなのは当然のことよ。」

 

「ちゃんと引き継いだのかい?」

 

「そもそも連携を取ってないんだから引き継ぎもクソもないわ。私は私がやるべき部分を終わらせた。それが全てよ。」

 

結局最後まで『仲良し』にはなれなかったわけか。ロシア魔法界の頂点に立つ白い老人のことを考えていると、レミリアが天井のシャンデリアを見上げながらポツリと呟いた。

 

「私たちの革命がどこに行き着くのかは、最初から最後まで『観客』だったあんたが見届けなさい。私は満足するまで遊んだから一足先に劇場を出るわ。」

 

「んふふ、そうさせてもらおう。……私はアリスたちと一緒にカーテンコールまで観ていくよ。感想くらいは後で教えてやるさ。」

 

「それはそれは、ありがたいことね。」

 

苦笑を浮かべて大きく伸びをしたレミリアは、やおら振り返って背凭れ越しに紅魔館の住人たちを暫し眺めると……柔らかく微笑みつつ深々と息を吐いて、ゆるりと首を振ってから口を開く。

 

「そろそろ時間ね。」

 

「だね、行こうか。」

 

二人揃って紅茶を飲み干した後、ソファを離れつつ全員に声をかけて正門の方に移動する。話しながら長い廊下を通り抜け、夏の花が咲き誇っている黄昏時の庭を横切り、居残り組だけが敷地外へと出ると……正門の内側に残ったフランが話しかけてきた。他の面々もそれぞれ別れを交わしているようだ。

 

「リーゼお姉様、ハリーたちのことをお願いね。もちろん咲夜のことも。」

 

「任せておきたまえ。その代わり、フランにはレミィのことを任せるよ。私たちが合流するまで上手く制御してやってくれ。」

 

「えへへ、やってみるよ。友達も頑張って作ってみるから。」

 

「なら、向こうに行った時に紹介してもらえるのを楽しみにしておこうか。」

 

名残惜しい気分でさらりと金髪を撫でた後、転移魔法の準備をしているパチュリーに仕草で別れを告げる。紫の魔女が苦笑いではいはいと手を振ってきたのを確認してから、一歩引いて敷地の境界から離れた。まあ、私たち人外にとってはそこまで長い別れじゃないさ。ほんのひと時、瞬く間だ。

 

とはいえ、人間たる咲夜にとっては話が別らしい。ちょびっとだけ涙ぐんでいる咲夜にレミリアたちが代わる代わる語りかけた後、一人一人とハグをした我らが銀髪ちゃんは、離れ難い気持ちを断ち切るようにこちらに駆け寄ってくる。

 

すると視界に映る紅魔館が徐々に薄れていき、正門の向こう側の面々が蜃気楼のように歪み始めた。何かがひび割れるような異音が周囲に響く中、レミリアと目を合わせて互いに頷き合った瞬間──

 

「おやまあ、一瞬だね。」

 

目の前にあったはずの紅魔館が刹那の間に消え失せ、敷地をそっくり切り取ったような巨大なクレーターだけが……おいおい、各所に突き出ているパイプから水が噴き出してきたぞ。

 

「……エマ、あれは?」

 

締まらない光景を見てエマに問いかけてみると、メイド長どのは半笑いで言い訳を述べてくる。

 

「あー、近くの川から水を引いてたんですけど、館が無くなったから抑えが利かなくなったみたいですね。館側の元栓はきちんと閉めたんですよ?」

 

「放っておいても大丈夫なのかい?」

 

「水が溜まれば勝手に止まるんじゃないでしょうか? 良いことじゃないですか。紅魔館の跡地は立派な湖になるわけですね。」

 

「吸血鬼の館の跡地が湖ね。アホみたいな話だよ、まったく。」

 

何とも諧謔のある結末だな。杖を抜きながらやれやれと首を振った後で、咲夜を慰めているアリスに指示を放つ。新たな住処に行くとしようじゃないか。

 

「それじゃあ、ダイアゴン横丁に行こうか。エマは私が連れていくよ。咲夜を頼めるかい?」

 

「了解です。……ほら、咲夜。」

 

「……うん。」

 

寂しそうな顔で頷いた咲夜がアリスの手を取ったのを見て、エマの二の腕を握って姿あらわししてみれば……これはまた、ひどい有様だな。軒先に荷物が山積みになっているマーガトロイド人形店が目に入ってきた。ついでに不機嫌そうな表情でその上に腰掛けている金髪魔女見習いもだ。

 

「やあ、魔理沙。荷物は中に運んでくれても良かったんだよ?」

 

薄暗い宵時のダイアゴン横丁を横目に言ってやると、三段重ねになった巨大トランクの上からひょいと降りた魔理沙が返答を寄越してくる。何故かお疲れのご様子だ。

 

「よう、リーゼ。……私は昼過ぎからずっと一人で荷物を運び続けてたんだが? ここに残ってるのは四分の一あるかないかくらいだぜ。」

 

「あー……なるほど、それはご苦労。あとでアメでもあげるよ。」

 

「絶対に飴玉なんかじゃ済ませないからな。何だってこんなに荷物があるんだよ。」

 

「淑女だからさ。」

 

至極適当に返してから杖魔法でいくつかのトランクを浮かせて中に入ると、アリスも苦笑しながら人形に荷物を運ばせ始めた。そしてさっきまでしょんぼりしていた咲夜はいつもの顔に戻っている。魔理沙の前で弱みを見せたくないのだろう。私にも同じような相手が居るからよく分かるぞ。

 

「残りは私がやるわ。ありがとね、魔理沙。」

 

「……魔法さえ使えりゃとっくの昔に終わってたんだけどな。改めて未成年の制限が鬱陶しく感じたぜ。」

 

そういえば、魔理沙はまだ夏休み中は魔法禁止なんだっけ。ってことは、昼からせっせと全部手作業で運んでいたのか。さすがの私も悪い気分になってくるな。

 

トランクを荷物だらけの店スペースに下ろしながら、珍しく『労わり』という感情が湧いてくるのを感じていると、背後でエマが魔理沙に声をかけているのが聞こえてきた。この二人は初対面ではないが、親しいというわけでもないはずだ。一応挨拶しているのだろう。

 

「これからよろしくお願いしますね、魔理沙ちゃん。基本的にはお嬢様と一緒にトランクの中で生活しますけど、家事なんかは私がやりますから。」

 

「いやいや、私も手伝うぜ。そもそも私はアリスの家に居候してる身分だしな。おまけに生活費とか学費はリーゼから出してもらってるんだから、何かやらないとこっちの気が済まないんだ。」

 

言われてみればそうだったな。それなら荷物を運ぶのは当然の行いだろう。心の中から去っていった『労わり』にもう来るなよと手を振りつつ、荷物の中から私の居住区画となるトランクを探す。

 

「魔理沙、茶色い大きなトランクはどこだい? 私の城になるやつ。」

 

「城かどうかは知らんが、それっぽいやつなら二階に運んだぜ。……アリスは昔の自分の部屋に住むんだろ? 咲夜はどうすんだ?」

 

「どうする? 咲夜。キミの好きにしたまえ。」

 

投げられた質問をそのままパスしてみれば、咲夜は悩むように私と魔理沙の顔を交互に見た後、取り敢えずの結論を飛ばしてきた。

 

「今日はトランクの中で寝ることにします。今からお部屋を準備するのは大変ですし、トランクの中ならもう整ってますから。」

 

「まあ、細かいことは明日にでも考えようか。先ずは片付けをしないと何も出来なさそうだしね。」

 

私たちの荷物が多すぎるのか、それともアリスの実家が狭いのか。階段を上ってたどり着いた荷物だらけのリビングを見ながら苦笑した私に、名義上の家主たるアリスも同じ表情で首肯してきた。紅魔館の掃除用具入れがちょうどこの部屋くらいの大きさだったな。

 

「ですね。今日はご飯を食べて、取り急ぎ使う小物だけ出して終わりにしましょう。……魔理沙、食材はあるのよね?」

 

「あっと、食材か。食材、食材……はこんな感じだな。シリアルと、パンと、あとはチョコシリアルがあるぜ。それにほら、こっちにはビスケットもあるし。」

 

リビングの横にあるダイニングと一体化しているキッチン。そこの戸棚を開けて大量のシリアルの箱を出してくる魔理沙を目にして、エマが困ったように微笑みながら口を開く。もちろん残る三人はこれでもかという呆れ顔だ。何を食って生きてるんだよ、こいつは。

 

「お買い物に行った方が良さそうですね。お店はまだ開いてるんでしょうか?」

 

「えっとだな、この時間なら漏れ鍋を抜けてマグル側のスーパーに行った方がいいと思うぜ。そっちが開いてるかは正直分からんが、横丁の店はもう確実に閉まってるはずだ。」

 

アリスのジト目を避けながら言った魔理沙に、ため息を吐いてから提案を送った。前途多難だな。

 

「買い物は諦めて今日は外で食べようじゃないか。……エマと咲夜は着替えてきたまえ。メイド服で外をうろつくのは賢明な選択じゃないはずだ。」

 

「そういえばそうですね。私の人間界用の服ってどこに仕舞ったか覚えてますか? 咲夜ちゃん。」

 

「えーっと……夏服は確か、私のと一緒に赤いスーツケースに詰め込んだはずです。探しましょう。」

 

「赤いのなら店の方で見た気がするな。探してくるぜ。」

 

ドタバタと動き始めたエマ、咲夜、魔理沙を眺めながら、椅子に座って一休みしていると……おや、ご機嫌だな。柔らかい笑みを浮かべているアリスの姿が視界に映る。

 

「どうしたんだい? アリス。」

 

「へ? ……ああいや、何でもないんです。ただ、この家が賑やかなのが嬉しくなっちゃいまして。広い紅魔館も良いですけど、狭い家も悪くありませんね。」

 

「そうかな? 私にはよく分からないよ。」

 

「んー、実家だからそう思っちゃうのかもしれません。両親や祖父が居た頃を思い出しますよ。さすがにここまで賑やかではなかったですけど。」

 

嘗ての家族か。懐かしそうにキッチンの調理台を撫でるアリスに、何とも言えない思いで相槌を打つ。ほんのちょびっとだけ妬ましいな。『娘』を実の両親に取られちゃった気分だ。私の知らないアリスというのは見ていて楽しいものではないらしい。一種の独占欲なんだろうか?

 

「……だが、今も悪くないだろう?」

 

「勿論ですよ。……さて、私も下を探すのを手伝ってきますね。人形を使えばすぐですから。」

 

「ああ、行っておいで。」

 

廊下の先の階段を下りていくアリスを見送ってから、慣れない家の匂いをすんすんと嗅ぐ。……百年前はレミリアやフランとは疎遠になっていたし、パチュリーや美鈴とは知り合っておらず、アリスも咲夜も生まれていなかった。

 

その頃に比べれば人数が減った今でも賑やかに過ぎるな。そのことに小さく苦笑した後、椅子の背凭れに身体を預けて腕を伸ばす。咲夜の卒業まであと三年。昔の私からすれば一瞬だろうが、今の私だと存外長く感じそうじゃないか。

 

それでも再会する日は必ず来るのだ。そのことに鼻を鳴らしてから、アンネリーゼ・バートリは唇で緩い弧を描くのだった。

 



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最後の役者

 

 

「蜂の巣を突いたようなって表現はこういう時に使うんだろうな。……ほら、読んでみろ。ここまで分厚い予言者新聞ってのは滅多に見れねえぞ。」

 

呆れ半分、困惑半分の顔で箒屋のおっちゃんが渡してきた新聞を受け取って、霧雨魔理沙は深い苦笑を浮かべていた。確かに分厚いな。スキーターあたりがここぞとばかりに書きまくったんだろうか?

 

リーゼたちがマーガトロイド人形店に越してきてから数日が経った今日、ようやく荷物の片付けが一段落したので、ウィンドウショッピングがてら咲夜の箒を選びに二人で行きつけの箒屋を訪れているのだ。これまで箒に一切興味を持たなかった咲夜が自分の箒を欲しがったのは意外だったが……多分、憂いの篩で見た記憶の中の父親の発言が影響しているのだろう。クィディッチを教えたいって言ってたもんな。

 

まあ、それに関しては文句などないし、むしろ歓迎しているくらいだ。正直言って箒への興味が長続きするかは微妙なところだと思うが、こうして咲夜と二人で箒屋に来れるってだけでまあまあ嬉しい。私が文句を言う対象が居るとすれば延々二本の箒の前で悩み続けている咲夜ではなく、全てをぶん投げて魔法界から消え失せた『紅のマドモアゼル』の方である。

 

私はてっきり色々と整理を付けた上で幻想郷に旅立つのだと思い込んでいたのだが、魔法界の反応を見る限りではそうでもないらしい。予言者新聞の一面に載っている端的な見出しが全てを物語っているな。『大混乱』という見出しが。

 

どうやらレミリアは姿を消す直前に世界各国へと『お別れ状』を送り付けていたようで、これはどういうことなのかとイギリス魔法省に連日問い合わせが殺到しているらしい。手紙の内容は知る由もないが、説明不足だったのだけは間違いないだろう。

 

そして当然のことながら、政治に関わらない一般の魔法使いたちも何が起こったのかと混乱しているわけだ。騒動を煽ることにかけては天才的な予言者新聞社が、今日も元気に世界各地の混乱を大袈裟に伝えているのを確認していると……箒を手にした咲夜が私とおっちゃんの居るレジに近付いてきた。どちらにするかを決めたらしい。

 

「決めたわ、これにする。」

 

「スタースウィーパーの新型か。いいと思うぜ。二択で迷ってたコメットも良い箒だけどな。」

 

「試乗で上手く飛べたのはコメットだけど、乗った時にこっちの方がしっくり来たのよ。……言ってる意味が分かる?」

 

「ん、分かるぜ。要するにスコア的にはコメットの方が上だけど、乗り心地ならスタースウィーパーってことだろ? タイムの差は誤差レベルだったし、悪くない決め方じゃないか?」

 

さっき裏手の庭で試乗させてもらった時は、コメットの方が直線のスピードが出ていたのだ。とはいえ所詮数秒差。プロが計測するならともかくとして、初乗りの数秒なんて乗り方や慣れの差でしかないだろう。

 

首肯しながら言った私の後から、おっちゃんも然もありなんという表情で同意を放つ。

 

「まあ、そうだな。小娘の言う通りだ。しっくり来たってんならスタースウィーパーにしておいた方が良いだろうさ。……カスタマイズするなら足置きやらグリップやらも選んでいきな。すぐに付け替えてやるよ。」

 

「カスタムは私が手伝うから平気さ。器具も自前のがあるしな。」

 

「おいおい、大した箒バカになったみたいじゃねえか、小娘。今年も優勝して俺の店を宣伝してくれよ? お前さんのお陰でホグワーツ生の客が増えたぜ。」

 

くつくつと笑いながらスタースウィーパーを包んでいくおっちゃんに、ちょびっとだけ呆れた気分で返事を返す。繁盛するのは結構だが、サービスしまくってるって聞いてるぞ。

 

「それはいいけどよ、ちゃんと儲けは出てるのか? 『オマケ』を付けまくってるらしいじゃんか。」

 

「長い目で見れば得なんだよ。ホグワーツ生の子供は大抵ホグワーツに入るわけだろ? 気に入ってくれりゃあ何代にも渡ってお得意さんになってくれるって寸法さ。……それにまあ、出身寮のチームが連覇してるのは鼻が高いからな。気分が良くて値引きもしたくなるってもんだ。」

 

「ありゃ、グリフィンドール出身だったのかよ。知らなかったぜ。」

 

「こう見えても学生時代は名ビーターで鳴らしてたんだ。優勝したのは結局一回だけだったけどな。……あの時の嬉しさだけは死ぬまで忘れねえだろうさ。」

 

学生の頃を思い出しているのだろう。遠い目で天井を見つめていたおっちゃんは、やがて苦笑いで忠言を寄越してきた。

 

「優勝に慣れるんじゃねえぞ、小娘。負けっぱなしだった俺の一番新鮮な思い出は唯一の優勝だが、勝ちっぱなしのお前らの代は負ければそのことが頭に残っちまう。そいつはあんまり歓迎できない事態だろ?」

 

「そうは言ってもな。強いチームが全力でやっても負けることがあるのがクィディッチじゃんか。」

 

「ま、そうだな。だからこそやってても観てても飽きないスポーツなのさ。……ほれ、お嬢ちゃん。アメリカ製の箒はこっちの部品と規格が違うから注意しな。詳しくはそこの小娘に聞けば大丈夫なはずだ。」

 

「おい、私が『小娘』でこいつが『お嬢ちゃん』なのはどういうわけだよ。同じ学年の同じホグワーツ生だろうが。」

 

咲夜に包んだ箒を渡したおっちゃんへと文句を投げてみると、彼は豪快に笑いながら意味不明な答えを投げ返してくる。

 

「当然、雰囲気の差ってやつだ。『お嬢ちゃん』になりたいならもう少し言葉遣いを勉強しときな、小娘。」

 

「失礼なヤツだな。贔屓の客への態度がそれかよ。」

 

「これがダイアゴン横丁流の親愛表現なのさ。……そら、ついでにこれも持っていきな。今朝届いた試供品だ。お嬢ちゃんと仲良く使えよ?」

 

言葉と共にひょいと放ってきたのは……おっ、良いじゃんか。フライト・アンド・バーカー社製の新作らしき箒磨きクリームだ。ここの箒は癖が強くて一部のプロ以外には好かれていないが、代わりにクリームを作るのはとことん上手い。今回のも期待できそうだな。

 

「あんがとよ。さっきの暴言はこれに免じて許してやるぜ。……んじゃ、行くとするか。」

 

店の出入り口に向かいながらニヤリと笑ってやれば、代金を払った咲夜も慌てて礼を言ってからついてきた。箒に慣れていない銀髪ちゃんは分かっていないようだが、代金自体も結構値引きされているらしい。これは今年も宣伝してやる必要がありそうだ。

 

「アドバイスありがとうございました。」

 

「おう、大事に使ってやってくれ。」

 

「はい、大事にします。」

 

両手で抱えるように箒を持った咲夜が店を出たのを確認してから、マーガトロイド人形店がある方向へと歩き出す。買い物を続けるにしたって一度荷物を置きに戻った方が良いだろう。そろそろお昼ご飯の時間だし。

 

「しかし、買ったはいいが……練習は暫く出来ないな。夏休みの後半にでもロンの家に行ってみるか?」

 

明後日からは遂に大陸旅行が始まるし、さすがに旅行に箒を持っていくのはやり過ぎだ。少し残念な気持ちで親友に話しかけてみると、咲夜は肩を竦めて応じてきた。

 

「……ロン先輩とかジニーとかと一緒にやる前にちょっとだけ練習させてよ。旅行から戻ったら、アリスに頼んで紅魔館の跡地にでも連れて行ってもらいましょう。」

 

「負けず嫌いのメイドさんは下手なのを見られるのが嫌なわけだ。」

 

「あんまり生意気言うと宿題見せてあげないからね。」

 

「おっと、それは困るぜ。」

 

ジト目で脅してきた咲夜に、両手を上げて降参の意思を示す。こいつは既に膨大な量の宿題を四割近く片付けているらしいのだ。そして私は一割も進んでいない。楽しい旅行中に宿題のことなんか考えたくないし、夏休み後半に咲夜の手助けが必要になるのは間違いないだろう。

 

フクロウ試験の年だからなのか例年よりも多い宿題を思って辟易しつつ、角を曲がってマーガトロイド人形店がある通りに入る。そのまま顔馴染みのご近所さんに手を上げて挨拶した後、たどり着いた人形店のドアを開けてみれば、店頭スペースを大量の人形が掃除している光景が目に入ってきた。

 

「あら、二人ともお帰りなさい。箒は買えた?」

 

ドアが開閉する音に気付いたのだろう。奥の方からひょっこり顔を出して問いかけてきたアリスに、咲夜が手に持った箒を見せながら肯定を返す。

 

「うん、買えたよ。それより、ここも掃除するなら手伝ったのに。」

 

「大した手間じゃないから人形たちだけで充分よ。……でもまあ、棚とかは修繕が必要かもね。ショーウィンドウも曇っちゃってるし。」

 

「再開するのか? この店。」

 

せっせと働く人形たちを横目に聞いてみると、アリスは曖昧に頷きながら返答を口にした。

 

「んー、こっちに居る間だけやろうかと思って。今はもう人形ってご時世じゃないし、そこまでお客さんは来ないでしょうけどね。……お爺ちゃんは私に跡を継がせるのを楽しみにしてたから、少しの間だけでも『マーガトロイド人形店』の店長さんになりたくなったのよ。」

 

「……なるほどな。いいじゃんか、アリスの人形店。だよな? 咲夜。」

 

「そうね、アリスの人形なら今の時代だって売れるでしょ。いっそのこと人形劇もやってみたら?」

 

「それも楽しそうだけど、先ずは店の再開を目指すことにするわ。旅行から帰ってきたら色々と手配しないとね。」

 

教師から人形屋さんか。アリスらしい変遷だな。しっくり来る職業だなと納得しつつ、ショーウィンドウを指差して提案を送る。

 

「ショーウィンドウのことは双子に聞けば解決すると思うぜ。店を開く時に内装工事を頼んだ店が安くて丁寧だったって言ってたからよ。」

 

「そうなの? それじゃあ今度聞いてみることにするわ。」

 

「棚とかもそこに頼めばいいんじゃないか? アリスなら自作できそうだけどさ。」

 

「ええ、自分で作れる物は自分で作るつもりよ。なるべく昔の店構えのままにしたいしね。」

 

デカい人形も頻繁に作ってるみたいだし、その程度の木工作業ならお手の物だろう。案の定な答えをアリスが寄越してきたところで、階段の上からエマが大声で呼びかけてきた。

 

「アリスちゃん、お昼ご飯が出来ましたよー!」

 

「はーい、今行きます! ……だって、二人とも。行きましょうか。」

 

うむ、良いタイミングで帰ってきたらしい。人形を停止させて店の奥に入っていくアリスに続いて、私と咲夜もダイニング目指して歩を進める。こういうのも悪くないな。幼い頃の霧雨道具店での生活を思い出すぞ。

 

人の気配……いやまあ、厳密に言えばほぼ人外だが。が増えたことに微笑みつつ、霧雨魔理沙は美味そうな匂いに向かって足を動かすのだった。

 

 

─────

 

 

「んふふ、愉快な状況じゃないか。もっと楽しそうな顔をしたまえよ。キミからすれば長年の宿敵が消え去ったわけなんだから。」

 

ロシア魔法議会の奥深くにある議長室。窓に映ったまやかしの景色を眺めている白髪の老人へと、アンネリーゼ・バートリはクスクス笑いながら語りかけていた。今日の茶菓子も中々美味いな。食べたことがないケーキだし、最近生まれた料理なのかもしれない。幻想郷に行ったら美鈴に自慢してやろう。

 

アリスたちが楽しみにしている大陸旅行が明日に迫っている中、ゲラートの様子を見物しに遥々モスクワを訪れてみたのだ。もちろんレミリアが魔法界を去ることは事前に伝えてあったのだが、目の前の爺さんはなんとも不機嫌そうな気配を漂わせている。まさかここまで唐突に去っていくとは思っていなかったらしい。

 

しもべ妖精が準備したチョコレートが層になっているケーキを頬張る私へと、ゲラートは納得していませんという不機嫌顔で文句を飛ばしてきた。

 

「やろうと思えばもっと綺麗に消えることが出来たはずだ。……この状況は俺への嫌がらせか?」

 

「かもね。あるいは単に面倒くさかったのか、もしくはその方が面白いと思ったのか。何れにせよ私は知らんし、興味もないよ。重要なのは魔法使いたちが紅のマドモアゼルの『失踪』に混乱してるって事実だけさ。」

 

「忌々しい限りだ。居なくなって尚迷惑を被るとはな。……スカーレットから何か伝言は?」

 

「驚くかもしれんが、一切無いよ。」

 

端的に答えてやると、ゲラートは巨大なため息を吐いてから疲れたように椅子に腰を下ろす。レミリアに見せてやりたい姿だな。きっと翼をはためかせながら小躍りするだろう。

 

「……ふん、もう驚かんさ。そうなるとお前が何をしに来たのかが疑問だが。」

 

「そんなもん決まっているだろう? キミが困ってる姿を見物しに来たんだよ。」

 

私の愉快な返答に再び深いため息を吐いた後、ゲラートは一枚の羊皮紙を魔法でこちらに飛ばしてきた。ロシア語で最上段に書かれている文字は……『アルバート・ホームズについての調査報告書』? 確か委員会とやらの議長になった男だったか?

 

「なんだい? これは。この男を殺して欲しいとか?」

 

「違う。それはスカーレットが処理せずに残した『懸念』だ。……お前はどう思う?」

 

ふむ? 懸念ね。羊皮紙に書かれているのは簡単な経歴と業績、そして報告書を書いた人物の所見らしい。さらっと読んだ限りでは良くも悪くも『政治家っぽい』人物という印象だな。奇妙な点は多々あるものの、ゲラートやレミリアと比較しちゃうとまだマシに思えるぞ。こいつの何が問題なんだ?

 

「言わんとしていることがよく分からないね。どの辺を『懸念』してるんだい?」

 

「スカーレットの調査と同じようなことしか掴めなかったが、俺が気になっているのはその男の『過程』が欠落しているところだ。」

 

「過程が欠落? 独特な表現だね。……つまり、出世がスムーズすぎるって意味かい?」

 

調査者の所見にもクエスチョンマーク付きで同じようなことが書かれているな。私が口にした疑問に対して、ゲラートは首肯しながら補足を述べてきた。

 

「そうだ、上手く行き過ぎている。声は大きくてもそこまで邪魔にならない政敵だけが残り、致命的な障害となる政敵は軒並み消えているだろう? 事故、スキャンダル、不自然な辞任。敵を排除するのは結構だが、ホームズが『関わっていない』ケースがあまりに多い。ここまで来るとむしろ不自然だ。」

 

「んー、なるほどね。敵を蹴落としたことを懸念しているわけではなく、表向き蹴落としていないのに敵が減ってることを疑っているわけか。……この『対立議員をスカウラーだと糾弾した』っていうのはどうなんだい? 充分派手な動きに思えるがね。」

 

「それで消えたのは取るに足らない小物ばかりだ。俺には『本命』から目を逸らすための茶番にしか見えんな。……ホームズが本気で『非魔法界問題』を解決しようとしているのであれば、こういう男が旗頭になるのはそう悪くない事態だろう。濁った部分を隠せるのも政治家の才能だ。そのことはスカーレットが証明している。」

 

レミリアをある種の褒め言葉の例に出したゲラートは、続けて『懸念』の部分を話し始める。

 

「だが、議長の座を単なる踏み台として捉えているなら話は別だ。問題に対する民意を恣意的に操作されるのは我々の望むところではない。我々が目指しているのは魔法族が自主的にこの問題へと向き合うことだからな。」

 

「うーん、勝手だね。民意を操ることで問題に向き合わせて、向き合った後は自分で考えろと突き放すわけか。」

 

「全ては魔法族のためだ。試行錯誤の苦しみも妥協の痛みも無く、ただ与えられただけの結論になど何の意味もあるまい? 魔法族の全員が傷を負って得た結果なればこそ、それに価値を感じ、重んじることが出来る。そうは思わないか?」

 

「さて、どうだろうね。私は祖先たちが痛みに耐えて手に入れたものを、何の躊躇もなく軽々と棄て去る連中を何度も見てきたよ。悪いが、私はキミほど人間に期待していないんだ。」

 

人間の世代はすぐに移ろい、変わっていく。故に新たなものを創り出したり、適応していけることを今の私は認めているが……同時にひどく『忘れっぽい』種族であることも学んだのだ。

 

何度も何度も繰り返してきた愚行。歴史が語るそれらのことを思い出しながら言ってやると、ゲラートは皺だらけの顔を歪めてきっぱりと主張してきた。

 

「しかし、残るものもある。……俺はまだ魔法族を見限ってはいないぞ、吸血鬼。いつの日か我々の行いは何かの礎となるだろう。俺が死に、灰になり、グリンデルバルドという名が歴史から消え去ったとしても、この土台だけは必ず遺してみせる。いつか在る魔法族のためにな。それが俺の為すべきことだ。」

 

「……キミはダンブルドアよりも人間に期待しているのかもしれないね。私はあの爺さんこそが人生を賭けた夢想家だと思っていたが、もしかしたらキミにこそその言葉が相応しいんじゃないか?」

 

「俺は夢想家ではない。アルバスは人がすべき事をするのだと信じ、スカーレットはそうするようにと高みから誘導したが、俺は自分でそれを行うことを選ぶ。夢想家のように想うだけでは何も実現できないはずだ。」

 

「実行する夢想家か。……んふふ、それを革命家と呼ぶことを知っているかい?」

 

夢想家と、政治家と、革命家なわけか。そりゃあ相容れないのは当然だな。信じて身を引いたダンブルドア、信じずに操って動かそうとしたレミリア、先頭に立って強引に引っ張ろうとするゲラート、ついでに言えば観察して考えるだけのパチュリー。よくもまあここまで性質の違う役者が揃ったもんだ。

 

うーむ、面白い。こんな劇を最前列で観られる機会はもう無いかもしれんな。今や三人の役者が舞台を降り、残るは革命家ただ一人。ここらで半世紀の『ロスタイム』を取り戻して欲しいところだが……ふむ、アルバート・ホームズか。『皇帝』の相手としては些か見劣りするかもしれんぞ。

 

報告書に書かれた名前を見つめる私に、ゲラートは鼻を鳴らして答えてくる。

 

「結局俺は革命と言えるほどのことは出来なかったがな。……何れにせよ、ホームズへの調査は継続する。この男が俺の土台を崩しかねん害虫であれば、然るべき対処をする必要があるだろう。」

 

「ま、私も気には留めておくよ。香港自治区を使いたい時は連絡したまえ。」

 

「ああ、利用させてもらおう。」

 

しかしまあ、元気な爺さんだな。友であるダンブルドアが死に、敵であるレミリアが去って少しはショボくれているかと思ったんだが……むしろやる気になってるじゃないか。心配して損したぞ。

 

来た意味はあんまりなかったなと苦笑しつつ、アンネリーゼ・バートリはケーキの最後の一口にフォークを突き刺すのだった。

 



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思春期

 

 

「おいおいおい、咲夜! こっち来いよ! 凄いぞ!」

 

恥ずかしいな、もう! 両手を振って大声で呼びかけてくる親友に駆け寄りながら、サクヤ・ヴェイユは少し赤い顔で注意を放っていた。素直にはしゃげるのはちょっと羨ましいが、リーゼお嬢様が近くに居るのにそんな姿は見せられない。格式ある紅魔館のメイド見習いである以上、十五歳の淑女として相応しい振る舞いをしなければならないのだ。

 

「大声はやめて頂戴、魔理沙。『お上りさん』だと思われちゃうわよ?」

 

「実際そうなんだから別にいいだろ。それより見ろよ、クソ豪華なコンパートメントだぜ。ホグワーツ特急とは大違いだ。」

 

「言葉遣い。」

 

端的な指摘を飛ばしてから、魔理沙の肩越しにドアの向こうを覗いてみると……ふん、紅魔館に比べれば大したことないじゃないか。『そこそこ』豪華なコンパートメントの内装が目に入ってくる。ソファのような見た目の大きな椅子と、中央にある黒檀のテーブル。窓にはベルベットのカーテンがかかっているらしい。

 

つまり、私たちはフランスに向かうためにヨーロッパ特急へと乗車しているのだ。香港自治区に行った時と同じホームから出る緑色の列車で、リトアニア行きとギリシャ行き、そして私たちが乗っているイタリア行きの三種類があるんだとか。列車のことはよく分からないが、先頭の機関車がホグワーツ特急よりも一回り大きいのが印象的だった。

 

ちなみに私たちが乗るのは一等車のコンパートメントだ。リーゼお嬢様がどうせならということで予約してくれたらしい。フランスまでは一時間半ほどだから勿体無い気もするけど……まあ、お嬢様が二等車というのは有り得ないか。三等車なんて以ての外だろうし。

 

まあまあ座り心地の良い座席に腰を下ろしながら納得していると、私たちの後から入ってきたアリスとリーゼお嬢様の会話が聞こえてきた。やや呆れ声のアリスが苦笑しながら話しかけているようだ。

 

「変わりましたね、ヨーロッパ特急も。特にイタリア行きはひどい路線って有名だったんですけど、その面影は微塵もないです。」

 

「キミがよく愚痴ってたのを覚えてるよ。三等車も変わってたのかい? さっきホームから覗いていたみたいだが。」

 

「そっちはそもそもコンパートメントじゃなくなってました。マグル界でよく見る左右に二席ずつ並んでるタイプになったみたいです。椅子の座り心地は今の方が良さそうでしたけどね。」

 

「ふぅん? 私は乗ったことがないシステムの席だね。ハリーたちと乗った地下鉄みたいな感じなのかい?」

 

疑問げな顔で対面の窓側に腰掛けたリーゼお嬢様に、アリスが怪訝そうな目付きでカーテンを見つめながら返事を返す。どうしたんだろう? 気に入らないデザインだったのかな?

 

「あれともちょっと違いますね。地下鉄は立つ人のために間が広くなってますから。……ことこの列車に関しては、クラウチの仕事振りを認めざるを得ないみたいです。これなら他国から旅行に来る富裕層も満足でしょう。」

 

「クラウチ? ……あー、なるほど。あの男が協力部の部長時代に客車を新しくしたわけか。」

 

「そう聞いてます。あのべちゃべちゃのパイがもう食べられないと思うと、ほんの少しだけ寂しくもありますけどね。」

 

そういえばこの前アリスの思い出話を聞いた時、この列車のことも出てきてたっけ。お婆ちゃんがフランスに行くときに毎回乗っていたとかって。それに今私が乗っているんだと思って感慨深くなっていると、興奮しっぱなしの魔理沙がコンパートメント内をあちこち弄りながら話題を変えた。初めての海外旅行が余程に嬉しいようだ。

 

「でもよ、エマは留守番で本当に大丈夫なのか? 一緒に来れば良かったのに。」

 

「心配しなくても、エマは昔から外出が大っ嫌いなんだよ。近くに買い物に行くとかならともかくとして、何日も掛ける旅行となると引っ張り出される方が迷惑だろうさ。それにハーフヴァンパイアだからね。陽光を避けて旅行ってのは難しいだろう?」

 

「そりゃまあ、そうだけどさ。一人で留守番ってのはなんか申し訳なくなるんだよ。」

 

「エマはエマで結構楽しんでると思うけどね。大量の材料を準備してたみたいだし、ひたすらお菓子作りをやってるんじゃないかな。」

 

うん、間違いないな。エマさんの一番の趣味はお菓子作りなのだから。私たち紅魔館組の表情から心配ないことが伝わったようで、魔理沙は明るい顔に戻って予定を確認し始める。

 

「お菓子作りね。……まあいいや、パリで降りたらとりあえずホテルに行くんだろ? その後は買い物か?」

 

「そうね、荷物を置いたら適当にショッピングでもしましょう。今日は休日だし、明日は革命記念日だから混んでるかもしれないけど。」

 

「そんでもって明後日にオルレアンか。結構忙しいスケジュールだな。」

 

「管理してくれてる方に連絡を入れてあるから、明後日にオルレアンに行くのは確定だけど……他の細かい予定はそこまで気にしなくても平気よ。行きたいところがあったらその都度変更すればいいわ。」

 

オルレアン。魔理沙とアリスから出たその地名にドキッとするのを自覚しつつ、顔には出さずにテーブルに置いてある雑誌へと手を伸ばす。ヴェイユの本拠に行くのは緊張するが、この機会に見ておきたいという気持ちがあるのも確かなのだ。

 

どんなお屋敷なんだろうか? 楽しみなような、気後れするような。自分でもはっきりしない感情に戸惑いながら、ぼんやりと手に取った雑誌に目を落としてみれば……何の雑誌なんだ? これは。

 

表紙には見出しがずらりと並んでおり、その中央には自信満々の表情で笑うレミリアお嬢様の顔写真が載っている。どうやらお嬢様の『失踪』についてを特集しているらしい。興味を惹かれてページを捲っていると、リーゼお嬢様が疲れたような口調で声をかけてきた。

 

「咲夜、読むなら表紙をこっちに向けないでくれ。その顔のレミィを見てると気分が悪くなってくるんだ。」

 

「えっと……はい、気を付けます。」

 

仲が良いのか悪いのか。基本的には前者だと思うのだが、こういう時は小さな疑念が湧いてきちゃうな。苦笑いで雑誌を膝に置いて、観光スポットに関してを話し合っているアリスと魔理沙を横目に読み進めていると……おっと、出発するようだ。汽笛の音と共にスムーズな動作で列車が動き出す。

 

「動いたぜ、列車。写真を撮っとくか?」

 

「キミね、この駅からの列車には毎年乗っているだろう? 一々興奮しすぎだぞ。」

 

「ホグワーツ特急とは方向が逆じゃんか。こっちに進むのは新鮮なんだよ。……あれ、カメラはどこいった? 荷物車に入れたトランクの中か?」

 

慌てた様子で持ち込んだリュックサックを漁る魔理沙に、リーゼお嬢様がため息を吐きながら助言を放った。我が親友どのは旅行のために最新式のカメラを買ったらしいのだ。それもきちんと双子先輩の店でバイトして稼いだお金で。

 

「さっきホームの写真を撮った後、そのリュックサックに入れてたぞ。カメラに足が生えていない限りは絶対あるから探してみたまえ。」

 

「そういえばそうだったな。……おし、あった。撮ってくれよ、リーゼ。」

 

「はいはい、『お上り陛下』の仰せのままに。」

 

もう抗議するのも面倒くさいという雰囲気のリーゼお嬢様は、窓の前で親指を立てる魔理沙へとカメラを向ける。……私だったら余計なプライドが邪魔して出来ない行為だが、魔理沙は躊躇なくやってのけるな。

 

むむう、こういう部分は本当に羨ましいぞ。普通なら呆れられたり笑われることでも、この金髪の魔女見習いはプラスの評価に変えてしまうのだ。人懐っこい笑みと態度で瞬く間に他人との距離を縮めてしまう。

 

とはいえ、努力したところで私は魔理沙にはなれない。反射的に丁寧な態度を取り繕ってしまうし、いきなりフレンドリーな性格になったら不気味に思われるはずだ。そもそも無理してやるようなものではないだろう。

 

んー、悩ましいな。隣の芝生だから青く見えているという自覚はあるのだが、それでも魔理沙の人付き合いの良さは私にとって羨望の対象なのだ。どうにかして私なりの『人付き合い術』として取り入れたいと思うけど、そういう風に理屈立てて考えている時点で無理だろうし……ああもう、やめやめ。

 

魔理沙は魔理沙、私は私。毎回たどり着く結論に今日も行き着いて、首を振ってから雑誌に向き直った。自分の性格がこうである以上、こればかりはどうしようもない問題だ。私は私のやり方を貫くとしよう。

 

「途中で軽食が出るんだよな? だったらテーブルの上を片付けておいた方がいいか? というか、席の横のこのレバーは何なんだ?」

 

「頼むから少し落ち着きたまえよ。『何でちゃん』時代のハーマイオニーを思い出すぞ。」

 

「魔理沙、それはリクライニングのレバー……じゃないみたいね。何かしら? これ。何も動かないけど。」

 

うーん、賑やかな旅になりそうだな。騒がしい会話を繰り広げる三人を眺めつつ、サクヤ・ヴェイユはくすりと微笑んで雑誌のページを捲るのだった。

 

 

─────

 

 

「……あいつ、絶対に許さんからな。キミは夜の支配者を敵に回したぞ! 強大な力を持った闇の種族をな! よく覚えておきたまえ!」

 

銅像のフリをするパフォーマーに威嚇するリーゼ様の腕を引っ張りながら、アリス・マーガトロイドは至極微妙な気分でパリの大通りを歩いていた。先程銅像だと思ってふらりと近付いたリーゼ様が、いきなり動き出したパフォーマーにびっくりしちゃったのだ。吸血鬼のプライドがそれを許さなかったらしい。

 

晴天の日曜日の午後。ヨーロッパ特急での移動を終え、コンコルド広場の近くにあるマグルのホテルに荷物を置いた私たちは、マレ地区でショッピングをしている真っ最中だ。滑らかに舗装されたアスファルトの道路、行き交うお洒落な格好のパリジェンヌたち、カラフルな看板と小綺麗な店の数々。久々に来ただけに変化を実感するな。何というか、こう……浮いちゃってないか心配になるぞ。もっと格好に気を使えばよかったかもしれない。

 

ホテルでマグルらしい服装に着替えてから外に出たのだが、既製品を着ているリーゼ様や魔理沙と違って咲夜と私の服は自作の代物。一応古臭くないデザインであるという自負はあるものの、パリっ子相手だと自信がなくなってくるな。

 

数歩前を歩いている白いシャツに黒のハーフパンツ、腰に薄手のジャケットを縛り付けている魔理沙と、水色のワンピースに白いカーディガンを羽織っている咲夜。二人を客観的に比較してみれば……まあ、大丈夫か。別段見劣りはしていないだろう。素材が良いからなのかもしれないが、パリでも通用する二人組に見えるぞ。

 

安心して息を吐く私に対して、未だパフォーマーの方を睨んでいるリーゼ様が文句を口にする。ちなみにリーゼ様は半袖のパーカーにショート丈のジーンズだ。彼女はパーカーがお気に入りのようで、マグルの服装をする時は大体着ている気がするな。フードが好きなのだろうか?

 

「離したまえ、アリス。まだ説教の途中なんだぞ。私はあの銅像男に分からせてやらないといけないんだ。」

 

「ああいうパフォーマンスなんですってば。つまり、大道芸ですよ。あの人はあれでお金を稼いでいるんです。」

 

「趣味が悪すぎるね。脅かされて金を払うような物好きが存在するのかい? 意味不明だよ。」

 

「まあ、リーゼ様ほど驚いてくれればやり甲斐がありそうですね。背中がぶわって広がってましたよ。」

 

多分、びっくりして服の中の翼を広げちゃったのだろう。可愛らしい反応を思い出して苦笑していると、リーゼ様がジト目で言い訳を寄越してきた。

 

「偶々油断してただけさ。普段ならあの程度の擬態には騙されないよ。咲夜や魔理沙が迷子にならないか心配で、そっちの方に気を取られてたから……おい、アリス。ちゃんと聞いてるかい? 偶々なんだぞ。数百年に一度あるかないかくらいの偶々なんだからな。」

 

「そうですね、偶々ですね。珍しいものを見れて嬉しいです。」

 

「キミ、信じてないね? その顔は信じてないだろう? 正直に言いたまえよ。」

 

「信じてますって。リーゼ様がビクってなるのは初めて見ましたもん。だからかなり珍しいことだっていうのはよく分かってます。」

 

めちゃくちゃ可愛かったぞ。その姿を脳の記憶領域に刻みつけている私を尻目に、リーゼ様は忌々しそうな表情でポツリと呟く。

 

「……後で殺しに行こうかな。」

 

「急に恐ろしいことを言い出すじゃないですか。……ダメですからね? あの人は見た目が子供なリーゼ様が近付いてきたから、良かれと思ってやってくれたんですよ、きっと。」

 

「良かれと思って脅かしたってことかい? イカれてるね。あんなにジッとしてるのも変だし、確実に精神疾患を抱えてるぞ。」

 

うーむ、今はさすがに冗談なことが分かるが、昔のリーゼ様なら本当に殺してたかもしれないぞ。……いや、幾ら何でもそこまでしないか? どうだろう。自信を持ってきっぱりと言い切れないあたりが昔のリーゼ様の性格を物語っているな。

 

私が『苛烈リーゼ様』の反応を予想している間にも、やや温厚になった現在のリーゼ様は鼻を鳴らして素っ頓狂なことを言い出した。

 

「近くにムーディが居れば良かったんだけどね。あいつを銅像男にぶつけてやれば面白い展開になっただろうさ。」

 

「間違いなくフランスの治安局と揉める展開になったでしょうね。……ムーディは引退して何をしてるんでしょうか? 『老後の引退生活』が全然想像できませんけど。」

 

「そのうち何かやらかして新聞に載るだろうから、そうすれば分かるんじゃないか?」

 

「身も蓋もない予想ですけど……まあ、そうなるかもしれませんね。」

 

とてもじゃないが、ムーディが『大人しく』老後を過ごすとは思えない。然もありなんと頷いたところで、先を歩いていた若人二人が私たちに声をかけてくる。またしても入りたい店を見つけたようだ。

 

「よう、お二人さん! ここに入ろうぜ。帽子が沢山売ってるんだ。」

 

「魔理沙と選びっこしたいの。いい?」

 

「勿論いいけど、随分と混んでるわね。」

 

人気の店なのだろうか? 人でごった返す店内を見て尻込みする私へと、リーゼ様が肩を竦めて提案してきた。少し離れたカフェらしき建物を指差しながらだ。

 

「なら、私は向こうのカフェで待ってることにしようかな。そろそろ休憩したいしね。三人でゆっくり選んでおいで。」

 

「あー、それなら私もカフェに行きます。ほら、咲夜。お財布を預けておくから、二人で好きなのを買っていいわよ。」

 

チップ用の紙幣は別に持ってるし、カフェくらいなら財布が無くても大丈夫だろう。そう思って咲夜に財布を渡すと、二人は元気に返事をしてから賑わう店内へと入って行く。

 

「ん、ありがと。選んでくるね。」

 

「んじゃ、買ってくるぜ。終わったらカフェに行くからな。」

 

「ええ、待ってるわ。」

 

いやはや、元気だな。昔の私なら帽子選びに付き合えたかもしれないが、今はもうこの店内に入っていけるほどの活力がない。意外なところで年齢を感じて苦い気分になる私に、リーゼ様が再び歩き出しながら話しかけてきた。

 

「別に一人でも良かったんだよ? キミはファッションに興味があるんだろう?」

 

「帽子はまあ、そこまで変化がありませんから。今も昔も同じようなデザインじゃないですか。」

 

「そうかな? 例えばああいうのは昔は見なかったぞ。」

 

言いながらリーゼ様が視線を送っているのは……わお、ド派手だな。ピンクを基調としたカラフルなキャップを被っている若い女性だ。着ている洋服も物凄い色使いじゃないか。魔法界でだってあんなのは滅多に見ないぞ。

 

とはいえ、道行く人々はそこまで気にしていない。昔だったら十人中十人が振り返っただろうが、今は精々一人というところだ。下着が見えちゃいそうな長さのスカートに眉をひそめていると、リーゼ様も渋い表情でため息を吐く。

 

「参ったね、私にはあの格好が進歩しているのか後退しているのか判断できないよ。パチェに聞いておけばよかったかな?」

 

「私にも分かりませんけど、あの格好が流行になるのは嫌ですね。……嫌味じゃなくて、恥ずかしくないのかが本気で疑問です。」

 

「恥ずかしいんだったらあんな格好はしてないだろうさ。そりゃあ淫魔業界も衰退するわけだよ。私には連中といい勝負に見えるしね。」

 

衰退してたのか、淫魔業界。就職活動中のサキュバスとかが多いのだろうか? 謎の情報を手に入れたところで、リーゼ様と共に涼しいカフェの店内に入る。当世風の動的な感じではなく、昔ながらの落ち着いた雰囲気の店内だな。客層も心なしか大人しい気がするぞ。テラス席でチェスをしているお爺さんたちとか、一人で静かに本を読む妙齢の女性、ペンを走らせている大学生らしき集団なんかが長居しているようだ。

 

何となく声を潜めさせる客層に気を使いつつ、席に着いて店員に私がハーブティーを、リーゼ様がアイスティーとケーキを頼む。そのまま足からじんわりと疲れが抜けるのを感じていると、リーゼ様がぴくりと顔を上げて苦笑を浮かべた。

 

「おや、咲夜が能力を使ったね。何をやっているんだか。セール品でも手に入れるために使ったのか?」

 

「……制限させた方がいいと思いますか?」

 

咲夜の能力は非常に強力だ。自衛の手段として一級品なのは素直に嬉しいが、彼女はまだ十五歳の未熟な少女。色々と不安になって問いかけてみれば、リーゼ様は悩みながら曖昧な答えを返してくる。

 

「んー、咲夜なら大丈夫って思っちゃうのは親の欲目かな? これまでは強く言わずとも最小限の使用に留めてたみたいだしね。」

 

「そもそも使ってるかどうかを判断できるのがリーゼ様だけなんですよね。……だけど、最近はよく使ってる感じがしませんか?」

 

「みたいだね。パチェの訓練の甲斐あって、制御が容易になってきたみたいだ。……不安かい?」

 

「咲夜の自制心は信頼してますけど、あの能力はちょっと魅力的すぎますから。」

 

『もし時間を止められたら』と想像するのは私だけではないだろう。だが、咲夜はそれを実行できてしまうのだ。便利すぎるものは人を狂わせる。そのことを懸念する私へと、リーゼ様は腕を組んで応じてきた。

 

「好きに学ばせるのが一番だと思うけどね。私が光を操れるように、レミィが運命に介入できるように、咲夜は時間を止められる。それは咲夜という存在から切り離せない一つの要素なんだ。だったら無理に制限するんじゃなく、自分で線引きを決めさせるべきだよ。一生付き合っていく力なんだから。」

 

「そうですけど……その、咲夜も年頃じゃないですか。変なことに使ったりしませんかね?」

 

「変なことって? 試験のカンニングとかかい? あの子はきちんと勉強してるから心配ないと思うよ。自分を試す場だってのは魔理沙を通して理解してるみたいだしね。」

 

「いや、そういうのじゃなくてですね。だからその……つまり、思春期的なあれですよ。」

 

きょとんとするリーゼ様に、恥ずかしい気分で『実例』を示す。少なくとも思春期真っ盛りの私だったら我慢できていなかっただろう。その『対象』にこういう話をするのは気が引けるな。

 

「……要するに、好きな子にちょっかいをかけたりとかですよ。時間が止まってるなら何でも出来るでしょう? 本当に『何でも』。相手が動けない間にやりたい放題です。」

 

「……キミ、凄いことを考えるね。私は全然思い付かなかったぞ。そんな子に育てた覚えはないんだけどな。」

 

「いやいやいや、普通考えますって! 人間はそういうものなんですから。私が特別おかしいわけじゃないんです!」

 

戦慄の目を向けてくるリーゼ様へと、真っ赤な顔で弁解を放つが……考えるよな? もしかして私がヤバいだけなのか? いかん、自信がなくなってきたぞ。もうさすがに自分の趣味嗜好が『異常』であるという自覚はあるのだ。

 

自身の異常性を再認識して恐怖する私を他所に、リーゼ様は何とも言えない表情で困ったように口を開く。

 

「まあうん、私は近くに居れば能力を使ったかを認識できるからね。それっぽい気配を感じたらキミに手紙を送るよ。そしたらほら、遠回しに注意してあげてくれたまえ。」

 

「リーゼ様が言うんじゃダメなんですか? 私、そういう会話を咲夜としたくないんですけど。」

 

「私だってしたくないよ。……『親』に指摘されたら落ち込むんじゃないかと思ったんだが。」

 

「あー……まあ、そうですね。それは分かります。」

 

私がリーゼ様にそんなことを指摘されたら恥ずかしくて我慢できないぞ。二人揃って気まずい空気になったところで、女性店員が注文の品を持ってきてくれた。嫌な雰囲気をリセットしてくれたことに感謝しつつ、ハーブティーを一口飲んで強引な結論を口にする。

 

「咲夜を信じましょう。あの子なら大丈夫ですよ。」

 

「そうだね、そうしよう。惚れた腫れたの話にはまだ心当たりがないし、きっと大丈夫さ。きっとね。」

 

全然解決していないが、かといって長々と話すのは精神的に疲れる話題なのだ。この辺で終わらせておくのが正解だろう。私の意味不明な言葉に乗ってきたリーゼ様は、苦笑いでアイスティーに口を付けるが……どうしたんだ? 途端に不機嫌そうな顔になってしまった。

 

「……何だい? これは。」

 

「アイスティーじゃないんですか?」

 

「甘ったるくて変な味だぞ。アイスティーかと聞かれればアイスティーかもしれないが、私はこれをアイスティーと呼びたくないね。」

 

なんだそりゃ。リーゼ様が飲んでみろとばかりに差し出してきたグラスを受け取って、絶対に彼女が口を付けた場所以外に触れないように注意しながら飲んでみると……うーん、確かに変だ。やたらフルーティで甘いアイスティーって感じだな。別に美味しくないわけではないのだが、アイスティーだと言われてこれを出されたら腑に落ちないかもしれない。

 

「言わんとしていることは分かりました。しっくりこないですけど、間違いなく紅茶ではあるみたいですね。最近のパリではこういうのが流行ってるんでしょうか?」

 

「なんかこう、出端を挫かれた気分になるよ。やっぱりこの国とは相性が良くないね。」

 

それでも素直に飲むあたり、本当にリーゼ様は穏やかになったと感じるぞ。目に見えてテンションを落としている彼女を前に、しょんぼりしている姿も良いなと内心でテンションを上げていると、金銀コンビがカフェに入店してくるのが視界に映る。無事に帽子を買えたようだ。

 

夏らしい白いつば広帽子の咲夜と、ロゴが入った黒いキャップを被っている魔理沙。元気いっぱいの様子で私たちに近寄ってくる二人を目にして、アリス・マーガトロイドは買い物がまだまだ続くことを予感するのだった。

 



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再演

 

 

「広い家だったな。……本当に良かったのか? 手放しちゃって。」

 

パリ滞在の三日目。夕食を食べるためにレストランに向かう途中で、霧雨魔理沙は隣を歩く親友に問いかけていた。昼に姿あらわしでオルレアンの屋敷に行って、墓参りを済ませてパリに戻ってきたところなのだ。ヴェイユ邸はまるで別々の時代の建築物を組み合わせたような奇妙な構造だったが、魔法界基準で考えればそこまでおかしくもないだろう。ジョークの分かる金持ちの屋敷って感じだったな。

 

前を進むリーゼとアリスの背中を眺めながら言った私に、咲夜は薄っすらと微笑んで首肯してくる。街灯の光が上手い具合に銀髪に反射して綺麗だな。いつもより控え目なお嬢様然とした笑みも相俟って、なんだか今の咲夜は別人のように大人っぽく見えるぞ。

 

「ん、いいの。ああ言ってもらえたのは嬉しかったけど、私には過ぎたるお屋敷だしね。きちんとフランス魔法界に貢献してる人が使うべきよ。」

 

「……そっか、お前がそう言うならいいんだけどよ。」

 

咲夜は全然顔を出さなかったことを責められるかもと心配していたようだが、実際はそんなことなど一切なく、大歓迎してくれた親戚のお爺ちゃんは『望むなら屋敷はヴェイユである貴女の物です』とまで言ってくれたのだ。

 

でも、咲夜はそれを丁重に断った。『私の家はもうありますから』と。……あの時のお爺ちゃんの顔は関係ない私の心にも残るものだったな。ほんの少しだけ寂しそうに、それでいてどこか嬉しそうな表情で『家と呼べる場所が貴女にあるなら、ヴェイユ局長はきっと喜んでいるでしょう』と呟いていたのだ。アリスによれば、あのお爺ちゃんは嘗て咲夜の曽祖父の下で働いていた人なんだとか。

 

皺くちゃの顔で嬉しそうに咲夜を見つめるお爺ちゃんのことを思い出していると、銀髪ちゃんは地面を蹴りながらポツリポツリと話を続けてくる。

 

「明日こっちの魔法省に行って、ちゃんと相続放棄の手続きをしてくるわ。そうすれば多分あの方に引き継がれるはずだから。」

 

「あんだけ広い屋敷をずっと綺麗に保っててくれたんだもんな。大したもんだぜ。」

 

「うん、私も紅魔館の管理が大変だったから苦労が分かるの。残ってくれてたお手伝いさんたちにも何か報いないとね。その辺はアリスと相談してみるわ。」

 

屋敷の管理はどうやら親戚のお爺ちゃんが中心となって、嘗てヴェイユ邸で働いていた使用人が手伝う形で継続していたようだ。珍しくリーゼが素直に賞賛していたのが印象的だったな。『朽ちぬ忠誠を得る主人は良い主人だ』とかって。

 

まあうん、確かにそうかもしれない。亡くなったのはもう大分前なのに、給料もなしに自主的にやってたってことなんだし、きっとそれは主人の人柄が良かったからこそ出来ることなのだろう。しんみりした気分になったところで、咲夜が明るい声で話題を切り替えてきた。

 

「だけど、お墓に挨拶できたのは良かったわ。幻想郷に行く前にもう一度来たいわね。」

 

「いいな、その時は二人で来ようぜ。成人になって、姿あらわしを使えるようになってさ。」

 

「それもいいかもね。」

 

リーゼやアリスが一緒の旅行も悪くないが、二人でする旅行も楽しいはず。私たちが数年後の卒業旅行を想像していると、前を歩いていたアリスが急に立ち止まる。あらぬ方向を見つめながらだ。

 

「どうしたんだい? アリス。店はまだ先だぞ。」

 

怪訝そうな表情のリーゼの言う通り、マグルのガイドブックに載っていた店はもう少し先のはずだ。追いついてしまった私たちも何事かと疑問に思う中、アリスは無言で薄暗い脇道の方へと歩き出した。視線の先には……物乞いか? 薄汚れたボロボロの服を着た老人が、路地の入り口でトマトの絵が描かれた空き缶を置いて座っている。

 

強張った顔で物乞いの前に立ったアリスは、恐る恐るという声色で老人に質問を投げかけた。

 

「貴方は……どうしてここに? 有り得ないわ。五十年も経ってるのに。」

 

んん、どういう意味だ? 知り合いなのか? リーゼに問いかけの目線を向けてみるが、彼女も不思議そうに小首を傾げている。そんな私たちに構うことなく、老人が無言で空き缶を突き出したのを受けて、一瞬硬直したアリスは懐から出したフラン紙幣をそこに入れた。

 

すると老人は愉快そうに笑った後、横に置いてあった新聞をアリスに差し出す。

 

「ほら、読んでみな。夜の部がまた始まるよ。」

 

「待ちなさい、貴方は──」

 

新聞を受け取ったアリスが何かを聞こうとした瞬間、老人が……おいおい、どういうことだ? 刹那の間に人形になってしまった。どう頑張っても人間には見えない、デッサン人形のような単純な造形の人形に。

 

先程老人が居たはずの場所に置いてある、胡座をかいたポーズの木製人形。それを呆然と見つめるアリスに、真剣な表情に変わったリーゼが声をかける。

 

「ふぅん? 懐かしい見た目の人形だね。気に食わない記憶を思い出すぞ。」

 

「……あの老人、『前』の時にも会いました。グラン・ギニョール劇場があった路地に座り込んでいたんです。」

 

「そしてまた新聞でのメッセージか。何が書いてあるんだい?」

 

ここまで来れば私と咲夜にも分かるぞ。この前アリスから聞いた昔話に出てきた『フランスの魔女』。そいつが関わっているということなのだろう。緊張した気分で懐に持っているミニ八卦炉を起動させて、同時に咲夜がポケットから杖を抜いたところで、アリスは渡された新聞を開いて読み始めた。

 

微かに届く街灯の明かりを頼りに私も覗き見てみると、表紙に『ニューヨーク・ゴースト』と英語で書かれているのが目に入ってくる。どっかで聞いたなと記憶を漁っている私に、同じように覗き込んでいる咲夜が答えを教えてくれた。

 

「確か、アメリカ魔法界の新聞ね。紅魔館の図書館で読んだことがあるわ。」

 

「ああ、そうだったな。いつだったかハーマイオニーが言ってた気がするぜ。……アリス、何かそれっぽい記事はあるか?」

 

「少し待って頂戴。それと、私とリーゼ様から離れないようにね。」

 

言われなくてもそうするさ。さっきまでの楽しい旅行の気分は吹き飛び、今や警戒心でいっぱいなのだから。リーゼがさり気なく周囲に目を配らせる中、新聞を流し読みしていたアリスが声を上げる。何かそれらしい記事を発見したらしい。

 

「……多分、これよ。」

 

言いながら全員に見えるように広げてきた紙面には……『議員宅強盗未遂事件』? 記事によれば、マクーザの議員の家に侵入した男が返り討ちに遭って死亡したそうだ。夜中に議員が家に帰ったところで鉢合わせて、どうにか犯人を撃退したんだとか。被害に遭った議員の名前はアルバート・ホームズ、そして死亡した侵入者の名前は──

 

「『ポール・セヴラン・バルト元フランス闇祓い隊隊長』? ……これってアリスの話に出てきた人だよな?」

 

「……そうよ。だけど、バルト隊長が強盗? 信じられないわ。きちんとした方だったし、もう百歳近いお歳のはずなのに。」

 

「日付を見るに、今朝発行されたばかりの新聞みたいだね。」

 

リーゼの指摘通り、新聞の発行日は今年の今日。つまり事件が起こったのは昨日の夜ということになる。……一体どういうことなんだろうか? 事件そのものも不可解だし、それを例の魔女が知らせてきたこともよく分からん。悩む私たちへと、リーゼがデッサン人形に歩み寄りつつ話しかけてきた。

 

「これはフランス魔法省に行くべきかな。ヌルメンガードの戦いにも参加していた……デュヴァル、だったか? あの隊長はアリスの知り合いなんだろう? そいつに詳しい事情を聞いてみようじゃないか。元隊長が関わってるなら、フランスにも連絡が入ってるはずだしね。」

 

「……そうしましょうか。」

 

リーゼの提案に緊張した表情のアリスが頷いた瞬間、何かが壊れるような異音が周囲に響く。びっくりして視線を送ってみれば、デッサン人形の頭を踏み砕いているリーゼの姿が目に入ってきた。冷たい顔だな。怒っているというよりかは、苛ついているという雰囲気だ。

 

「レミィが消えたのを知って動き出したのかもしれないね。私ですらこれが人間に見えていたあたり、技術も前よりマシになってるみたいだ。……とはいえ、契約違反だぞ。まだ五十年しか経ってないじゃないか。」

 

ぐりぐりと木片を踏み付けるリーゼは、そのまま何かを考えるように沈黙するが……やがて顔を上げると、肩を竦めながら私たちを促してくる。

 

「まあいいさ、向こうが約束を破るならこっちにも考えがある。細かいことは後で考えるとして、今はフランス魔法省に行ってみよう。」

 

「姿あらわししますから、そこの路地に入りましょう。……魔理沙、魔道具は持ってる?」

 

「当然持ってるぜ。いつでも使えるように起動してある。」

 

「なら、それから手を離さないように。咲夜は何か感じたら躊躇せずに能力を使いなさい。いいわね?」

 

アリスの注意に咲夜が首肯した後、フランス魔法省に向かうために四人で薄暗い路地に入って行く。……この分だと旅行は中止かな。残念だと思う気持ちはあるが、安全には代えられないだろう。さすがに我が儘を言うべき状況じゃないってのは分かってるさ。

 

くそ、行きたい所も見たいものもまだまだあったのに。傍迷惑なことをするフランスの魔女に怒りの思念を飛ばしつつ、霧雨魔理沙は杖を抜いたアリスの二の腕を掴むのだった。

 

 

─────

 

 

「ふぅん? 壁が完成してるね。五十年も経ってるわけだし、当然っちゃ当然だが。」

 

『歴史』に囲まれたフランス魔法省のエントランスホール。青白い魔法の明かりに照らされた壁画が四方で蠢く空間の中で、アンネリーゼ・バートリはホルダーに真っ白な杖を仕舞っていた。直に見たレミリアやアリス、写真や挿絵で見たハリーやハーマイオニー。周囲の皆はこのエントランスホールを『美しい』と表現していたものの、私からすれば少々不気味に思えるな。やっぱり壁は動かないのが一番だぞ。

 

現在の時刻は七月十五日の十九時。パリを訪れて買い物やら観光やらを楽しみ、久々に立ち寄ったヴェイユ邸で咲夜が自身のルーツを学び、マグル界で美味いと評判のレストランに向かっていたところまでは順調な旅だったのだが……その道中で厄介な人外からちょっかいをかけられた結果、私は楽しみにしていたステーキとワインを取り上げられてしまったというわけだ。

 

五十年前に一悶着あった、顔も名前も判明していない謎の魔女。正直言って契約のことはすっかり忘れていたが、あの魔女は確か『暫く』手を出さないと約束したはず。人外にとって五十年が暫くと言えるはずもないし、これは明らかな契約違反だ。非は向こうにありと他の人外どもに示す必要があるだろう。

 

だがまあ、とりあえずは情報を仕入れるべきだな。魔理沙と共に姿あらわししたアリスに続いて歩を進めつつ、記憶の中から五十年前に使った情報屋の名前を掘り起こす。アピスだったか? 魔法界側の情報は闇祓いの隊長から手に入るだろうが、人外側の情報はこっちの業者から入手しなければならないし、あの『妖怪もどき』がまだフランスに住み着いていることを祈っておこう。

 

後で一人で探してみるかと黙考していると、壁画を眺めながら歩いている咲夜が疑問を口にした。感心したような表情なのを見るに、この子は動く壁が嫌ではないようだ。

 

「新聞に書いてあった侵入された議員の人……アルバート・ホームズってどこかで聞いた気がするんですけど、ひょっとして有名人なんでしょうか?」

 

「レミィから名前が出たのを覚えてるんじゃないかな。ホームズはマグルへの対処を主導する委員会の議長候補だからね。……いや、もう本決まりだったかな?」

 

そういえば、そっちもそっちでやけにタイムリーな名前だな。出発前にゲラートから教えてもらったことを思い出しつつ答えた私へと、今度は魔理沙が質問を飛ばしてくる。

 

「どんなヤツなんだ?」

 

「強かな議員で、後ろ暗い部分もあるらしいね。ただし、レミィとゲラートが手を組んでも確たることは分からなかったみたいだよ。」

 

「なんか、怪しいな。……例の魔女と関係があるとか?」

 

「まだ情報が少なすぎて何とも言えないさ。私たちに分かっているのはポール・バルトが何らかの理由でそいつの家に侵入して、見つかって殺されたという『記事が出たこと』だけだよ。……新聞の内容がそのまま事実とは限らないからね。そのことは我らが偉大なる予言者新聞が教えてくれただろう?」

 

あの頃は人間に然程興味がなかったのでそこまで覚えていないが、ポール・バルトは典型的な武人然とした性格だったはず。つまりはまあ、ムーディと違って『まとも』な闇祓いだったということだ。五十年の間に何かがあったことは否定できないものの、あの男が他国の議員の家に不法侵入するというのはどうも似合わない気がするぞ。

 

アリスも同じようなことを考えているのだろう。記事が載っていた新聞を片手にしながら、厳しい顔で同意を放ってきた。

 

「元闇祓い隊隊長の百歳近い老人がアメリカに渡って、わざわざマクーザの議員の家を選んで侵入した挙句、返り討ちに遭って死亡だなんておかしすぎます。おまけにあの魔女がこうやって『宣戦』してきたとなれば、新聞に載っていない込み入った事情があるのは間違いないはずです。」

 

「まあ、不自然なのは明白だね。これがうちの引退した局長どのだったら疑問にも思わないが。」

 

あのグルグル目玉が仕出かしそうな行動を、真っ当な人間がするはずないのだ。かなりの説得力を感じる結論に行き着いたところで、アリスが受付らしきカウンターに居る若い女性にフランス語で声をかける。そこそこ美人だな。イギリス魔法省の受付は大抵髭だらけの小汚いおっさんなのに。

 

『すみません、闇祓い隊のデュヴァル隊長はご在省ですか? 急用があるんですけど。』

 

『失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?』

 

『アリス・マーガトロイドです。名前を本人に伝えていただければ分かると思います。』

 

『かしこまりました、少々お待ちください。』

 

ふむ。連絡を取ろうとしているということは、デュヴァルはまだ省内に残っているらしい。受付の女性がカウンターの下でペンを動かした後、そのまま数分間待っていると……来たか。エレベーターから出てきた小役人風の男がこちらに小走りで近寄ってきた。ペコペコと頭を下げながらだ。

 

「何かこう、頼りなくないか? ムーディやスクリムジョールとは大違いだな。」

 

「失礼よ、魔理沙。……確かにちょっと弱そうだけど。」

 

まあ、あの姿を見れば誰もがそう思うだろうな。新五年生二人が噂の『擬態』に騙されているのを他所に、アリスがデュヴァルへと挨拶を投げる。

 

「ダンブルドア先生の葬儀振りね、デュヴァル。」

 

「ご無沙汰しております、ミス・マーガトロイド。……姿を消したスカーレット女史に関するご用件でしょうか?」

 

あー、そういえばそういうタイミングか。声を潜めて神妙な面持ちで聞いてきたデュヴァルに対して、アリスは苦笑しながら否定を返した。

 

「いえ、違うの。やっぱりフランス魔法省は混乱してる?」

 

「大混乱と言うべきでしょうね。大臣も私も事前に知らされていた数少ない人間の一人ですが、ここまでの混乱になるのは予想外でした。……先ずはこちらへどうぞ。下の静かな部屋にご案内しましょう。貴女がスカーレット女史の関係者だと知る者はちらほらと居ます。そういう魔法使いに姿を見られたが最後、質問責めに遭ってしまいますので。」

 

「……そうした方が良さそうね。付いて行くわ。」

 

デュヴァルの表情を見て大袈裟ではないと判断したのだろう。困ったような半笑いで歩き出したアリスと共に、私たちもエレベーターへと足を進める。マグル界を歩くために翼を服の中に入れたままで良かったな。『レミリアショック』の真っ只中にあるフランス魔法省で、翼付きの吸血鬼が無防備に歩き回るのは危険なことみたいだし。

 

やたら凝った装飾のエレベーターで地下四階まで降りて、廊下を足早に進んでたどり着いた場所は……何の部屋なんだ? ここは。それなりに豪華な内装の小さな部屋だった。テーブルとソファだけがあるその部屋の中で、アリスが何とも言えない顔付きでソファに腰を下ろすのを怪訝に思っていると、最後に座ったデュヴァルが魔法で紅茶を出現させてから話を切り出してくる。

 

「ここなら落ち着いて話せるはずです。では……そうですね、改めて初見の方に自己紹介をしておきましょうか。私はルネ・デュヴァルと申しまして、フランス闇祓い隊の隊長職を拝命しております。以後お見知りおきくだされば幸いです、はい。」

 

「あーっと、マリサ・キリサメだ。よろしく。」

 

「サクヤ・ヴェイユです。よろしくお願いします。」

 

「私とはヌルメンガードの戦いで顔を合わせているはずだが、殆ど話してないから一応名乗っておくよ。アンネリーゼ・バートリだ。」

 

アリス以外の三人の自己紹介を受けたデュヴァルは、咲夜の名を聞いて僅かに顔を引きつらせた。ヴェイユの名に反応したか、あるいはレミリアから事情を知らされていたのかもしれないな。

 

「無論、バートリ女史のことは覚えておりますが……貴女がスカーレット女史のご令嬢でしたか。申し訳ありませんが、少々お待ちいただけますか? やはり職員にお茶を用意させましょう。私などが出した紅茶では──」

 

「デュヴァル、いいのよ。このままでいいから。今日は至急尋ねたいことがあって来たの。」

 

急にそわそわし始めたデュヴァルに待ったをかけた後、アリスは新聞を差し出しながら質問を口にする。

 

「知りたいのはポール・バルト元隊長の事件についてよ。……端的に聞くけど、どういうことなの?」

 

「バルト元隊長の? 事件のことはもちろん我々も把握しておりますが……これはまた、予想外の用件ですね。お知り合いだったのですか?」

 

「知り合いと言えば知り合いね。五十年前、彼の長男が……元隊員のクロード・バルトさんが死亡した事件に関わっていたの。」

 

「それは全く知りませんでした。そういえば父からスカーレット女史の介入があったと聞いた記憶がありますが……そうですか、ミス・マーガトロイドも関わっていたのですか。」

 

意外そうな表情で薄い頭を掻いたデュヴァルは、新聞の記事を横目にフランス側の認識を語り始めた。苦い顔だな。やはりマクーザからの抗議があったのか。

 

「申し訳ありませんが、事件の詳細に関しては殆ど分かっていないんです。今朝方急にマクーザから連絡があって、大臣が治安次局長をすぐさま北アメリカに派遣しました。詳しい情報は彼から入ってくることになっています。」

 

「バルト元隊長が死亡したというのは事実なの?」

 

「そこは間違いないようですね。……実際のところ、フランス魔法省としても困惑しているんです。バルト元隊長は老いてなお聡明な方でしたし、意味もなく他国の重鎮の家に侵入するなど考えられません。私も新人の頃はお世話になりましたが、どうしてもあの方とマクーザから知らされた事件の犯人像が一致しないんです。」

 

「私も同意見ね。だから気になってここに来たのよ。……そもそも、マクーザの報告の内容はどういったものなの?」

 

アリスの疑問を受けたデュヴァルは、テーブルの端に置いてあった質の良い羊皮紙を手に取ると、それに胸ポケットから出した万年筆で何かを書き込みながら答えを返す。

 

「物盗り目的であることが濃厚であり、ホームズ氏の行いは完全な正当防衛であるというのがマクーザ側の主張ですね。……『帰宅したホームズ氏がカーテンの隙間から明かりが漏れていることに気付き、不審に思って杖を構えたままで静かに窓から入ってみたところ、寝室のクローゼットを漁っているバルト元隊長を発見。杖を向けて両手を上げろと警告した結果、従わずにホルダーから杖を抜いたのが見えたので、止むを得ず失神の無言呪文を放った。』だそうです。……少々お待ちください、今資料を用意させます。」

 

言うとデュヴァルは杖を振って羊皮紙を紙飛行機にしてから、ドアを開けてそれを何処かへ飛ばした。闇祓い隊のオフィスにでも連絡を送ったのだろう。そのまま戻ってきたデュヴァルへと、アリスがありありと疑念を浮かべながら問いを放つ。

 

「失神呪文で死亡したってこと?」

 

「連絡が入った時点では検視を行なっていなかったようですが、マクーザはバルト元隊長が高齢だったためにショックで死亡したという判断をしているそうです。」

 

「……まさかマクーザの報告を鵜呑みにしてはいないでしょうね?」

 

「当然疑っておりますとも。突っ込める部分は多々ありますが、バルト元隊長が『敵地』で杖をホルダーに仕舞うなど天地がひっくり返っても有り得ませんし、明かりを漏らすというのも絶対にやらない行動です。バルト元隊長は現役引退後に訓練教官として数年勤めましたが、そういう部分には人一倍厳しい方でしたから。」

 

なるほどな。長年闇祓いとして戦ってきたような人物が、老いたからといってありきたりな油断などしないというわけか。本人に教えを受けた闇祓いだからこその視点に納得していると、いきなり廊下に続くドアが開いて……なんだこいつは。黒い猫と犬の中間のような生き物が入室してきた。口には書類らしきものを咥えている。

 

私が青く光る大きな目を不気味に思っている間にも、デュヴァルの近くに駆け寄った黒猫犬は書類を渡し、そのまま器用に尻尾でドアを閉めて去って行った。

 

「何だい? あれは。」

 

「マタゴですね。フランス魔法省では大昔から飼育しているみたいです。頭が良いので警備とかもやってるんだとか。」

 

つまり、魔法生物か。デュヴァルから書類を受け取ったアリスは、私に解説した後でそれを読み始める。多分、新大陸から送られてきた捜査報告書的なものなのだろう。

 

「……アルバート・ホームズの証言が殆どを占めてるわね。事件の状況が閉鎖的だからかもしれないけど、あまりに一方的な報告書に思えるわ。」

 

「死者は抗弁できないというわけですよ。そのあたりは現地に向かった次局長が追及してくれるはずです。……何れにせよ、今分かっているのはそこまでですね。」

 

うーん、期待していたほどの情報は手に入らなかったな。疲れたように纏めたデュヴァルへと、書類を読み終えたらしいアリスが額を押さえながら返事を飛ばした。

 

「部外者が出しゃばって申し訳ないんだけど、情報が揃った頃にまた来てもいいかしら? ……アルバート・ホームズのことはレミリアさんもきな臭い人物だと思っていたみたいなの。残った私たちとしても捨て置けないわ。」

 

「でしたら、明後日あたりになればもう少し詳しいことが判明するはずです。……そちらに私が出向きましょうか?」

 

「それはさすがに悪いわよ。私が出直すわ。」

 

となると、まだフランスには滞在することになるな。……んー、明日の昼にでも情報屋探しをやってみるか。アリスも成長しているわけだし、魔女っ子や咲夜には他者にない力がある。私が少し離れても大丈夫なはずだ。

 

大体、いつ来るかも分からん敵にビクビクしていては何も出来ない。ホテルに三人を残して、私が単独で情報を仕入れるのがベストだろう。一番の問題はあの情報屋が見つかるかどうかだが……まあ、他にもツテはあるさ。見つからなかったらその時はそっちを頼ってみるか。

 

今からでもレストランは間に合うんじゃないかと思い直しつつ、アンネリーゼ・バートリは『ステーキを奪還作戦』を提案するタイミングを計るのだった。

 



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ぎゃっぷ

 

 

「おい、咲夜? お前の番だぞ。」

 

ぬう、ちょっとくらい待ってくれてもいいじゃないか。急かしてくる魔理沙に抗議の目線を送りつつ、サクヤ・ヴェイユは頭をフル回転させて次の手を考えていた。ルークは動かせないし、残ったナイトもダメ。だけどクィーンがここを離れると抑えが利かなくなっちゃうから……ああもう、分かんない! さっぱり分かんないぞ!

 

アリスがパリの路上で『フランスの魔女』からの宣戦布告を受けたのが昨日の夜。魔法省に行って頼りなさげな闇祓い隊の隊長さんから話を聞き、ホテルに戻って一夜を過ごした私と魔理沙は、現在広いリビングルームでチェスボードを挟んで激戦を繰り広げている。ちなみにアリスは向こうのソファでずっと人形の整備をしており、リーゼお嬢様は朝方に情報屋を探しに行くと言い残して姿くらまししてしまった。

 

明日再び魔法省に行くことになっているのだが、それまではフランスを離れることが出来ないし、かといって無防備に観光するわけにもいかない。だから朝からホテルに缶詰状態で、魔理沙と延々チェスをしているのだが……今のところ六戦やって二勝四敗。これ以上負けるのは私のプライドが許さないぞ。

 

テーブルに身を乗り出して長考の姿勢に入った私を見て、魔理沙はため息を吐きながらアリスに声をかける。

 

「よう、アリス! そろそろ十一時だけど、昼メシはどうするんだ? 朝みたいにルームサービスか?」

 

「お昼前に一度リーゼ様が戻ってくるらしいから、そしたら考えましょう。」

 

「外に食べに行こうぜ。ずっとホテルに篭りっきりじゃ気が滅入っちまうよ。さすがにチェスにも飽きてきたしな。……上手く説明できないが、こうやって警戒して疲弊するのは相手の思う壺なんじゃないか?」

 

椅子の背凭れに寄り掛かりながら訴えた魔理沙へと、アリスが悩んでいる時の表情で返答を返す。人形を弄る手は休まず動かしながらだ。

 

「それはそうだけど、正直言って私もどうしたら良いのかが分からないのよ。貴女は普段通りに過ごすべきだと思う?」

 

「だってよ、いつ仕掛けてくるかも、本当に仕掛けてくるかも、どうやって仕掛けてくるかもさっぱりなわけだろ? ……きちんと普段から警戒しておくのが大事であって、こうやって構えてても敵は突っ込んでこないんじゃないか? 現状だとタイミングを選べるのは相手の方なんだからさ。」

 

「……まあ、一理あるわね。」

 

渋い顔付きで魔理沙の主張を認めたアリスに、私も駒を動かしながら意見を放つ。ここにポーンを動かせば大丈夫なはずだ。たぶん。もう分かんないからそういうことにしておこう。

 

「それに、いざとなったら私が時間を止めるから平気だよ。ほんの一瞬だけ自由になる時間があれば、私は誰にだって勝てるもん。」

 

別に威張っているわけではなく、実際そうであるはずだ。魔理沙だろうがポッター先輩だろうがダンブルドア先生だろうが、もしかしたらアリスだろうがパチュリー様だろうが。物理的にどうにもならない相手じゃない限り、停止した時間の中で対処できるはず。

 

自分の発言に納得しつつ、魔理沙が即座に返してきた妙手に唸っていると……どうしたんだ? 急な静寂を感じて顔を上げてみれば、何とも言えない表情で私を見ている二人の姿が視界に映った。

 

「……何?」

 

「いや、えらい自信だなと思ってよ。『誰にだって勝てる』か。」

 

「厳然たる事実よ。例えば貴女は凄い魔道具を持ってるけど、時間が止まった世界では無力だわ。今この瞬間時を止めて、ナイフで首を裂けばそれで終わりじゃない。一切抵抗できないでしょ?」

 

「おいおい、えげつない台詞だな。」

 

私だって『えげつない』とは思うけど、やれるんだから仕方がないじゃないか。呆れたように言ってきた魔理沙にふんすと鼻を鳴らしていると、苦笑しながらのアリスが一つ頷いてから口を開く。

 

「それは正しいわ。多分、本気の戦いになれば私でも咲夜には勝てないでしょうね。……ナイフで首を裂くって部分には賛成できないけど。」

 

「あくまで一例だよ。」

 

もちろん本当に人を殺したりはしないぞ。精々無力化するために武器を奪ったり、縄で縛っちゃったり程度の対処になるだろう。あらぬ疑いをかけられてジト目になっている私に、アリスは肩を竦めながら話を続けてきた。

 

「でもね、咲夜。パチュリーには多分通用しないと思うわよ。ほんの少しの準備する時間さえあれば、ダンブルドア先生なんかも対処できるんじゃないかしら? その他にも貴女の能力を上回る存在は大勢居るの。それを忘れないようにね。」

 

「……そうかな?」

 

「そうよ。例えば、近寄ったり触れたりしたら自動で発動する魔法を予め仕掛けておけばいいじゃない。止まった世界で動けるのが貴女だけなら、その貴女をトリガーにするのが最適解だもの。」

 

むう、それは厄介そうだな。口籠る私へと、アリスは尚も『例』を提示してくる。

 

「私だったら……そうね、事前に魔力の糸を周囲に張り巡らせておくわ。生物ではなく『物』である以上、私の人形は貴女の世界でも動けるはずよ。トリガーたる貴女が糸に触れれば、それに繋がっている半自律人形に対処させることが出来るんじゃないかしら?」

 

「んぅ……分かんない。動くのかな? 試してみる?」

 

「いいわね、やってみましょう。時間を止めて私に近付いてみて頂戴。」

 

ソファに座っているアリスが特別何かしたようには見えないが、この一瞬で周囲に魔力の糸とやらを巡らせたのだろう。やってやろうじゃないかと能力を使って、凍った時間の中でアリスに歩み寄ると──

 

「……動けるの? 貴女。」

 

アリスが弄っていた人形が急にふわりと浮き上がったかと思えば、私の目の前で腰に手を当てて『どうだ』と言わんばかりのポーズで胸を張り始めた。……むむ、部屋の反対側まで離れてもまだ動いているな。投げたナイフとかは私から離れると止まるのに。

 

釈然としない気分で能力を解除すると、動き出したアリスが戻ってきた人形をキャッチしてクスクス微笑む。ちょっと悔しいぞ。こんなに簡単に対処されてしまうとは思わなかった。

 

「やっぱり出来たみたいね。……これなら私にも勝ち目があるかも。」

 

「魔力の糸ってまだ私に付いてる?」

 

「ええ、しっかりと。見えないし触れないけど、物凄い量が絡み付いてるわよ。」

 

「ズルいよ、そんなの。」

 

自慢の能力をやり込められたことに不満を感じる私を他所に、興味深そうな顔の魔理沙がアリスに案を送る。……くうう、触れられないってことは、いくらパタパタ服を叩いても解けないってことだ。服を全部脱げば取れたりしないだろうか? あんまりやりたくはないけど。

 

「んじゃあよ、何かあった時に止まった時間の中で咲夜を手助け出来る人形を用意しとけば良いんじゃないか?」

 

「あら、それは名案ね。何体か咲夜の命令に従う人形を用意しておきましょうか。お手柄よ、魔理沙。これで選択肢が増えたわ。」

 

「へへ、そうだろ? ……ノーレッジも言ってたしな。魔女の戦いは選択肢の潰し合いだって。事前に準備できるならしておくべきだぜ。」

 

「んー……私が思うほど危険な状況じゃないのかもしれないわね。貴女の八卦炉もあるわけだし。」

 

魔理沙を見ながら呟いたアリスだが……うーむ、そもそも魔理沙の魔道具って何が出来るんだろうか? 使っている場面は何度か目にしてるけど、戦闘に使用できそうなのは去年の六月にホグワーツの校庭を抉った『あれ』だけだぞ。

 

椅子に戻って劣勢のチェス盤に向き直りつつ、魔理沙に対して問いを投げかけた。

 

「アリスはああ言ってるけど……まさか貴女、あの『砲撃』をパリで使うつもりなの?」

 

「使えるか使えないかで言えば使えるが、幾ら何でもあれだと被害が大きすぎるだろ。もっと穏便な手段を選ぶさ。」

 

「『穏便な手段』って?」

 

「それは状況によるぜ。……お前が思ってるより色んなことが出来るんだよ、こいつは。私もきちんと使う練習をしてるしな。」

 

曖昧な説明をしながら八角形の魔道具……『ミニ八卦炉』をポケットから出した魔理沙が、ニヤリと笑ってそれを私に向けると──

 

「わぷ。……何するのよ。」

 

いきなり魔道具から吹き出した強い冷風が、私の顔面にぶわりと激突する。……一瞬で髪がボッサボサになった私が文句を言うと、魔理沙は風を止めて笑いながらウィンクしてきた。

 

「どうだ? 面白いだろ。」

 

「貴女は面白いかもしれないけど、私は面白くないわ。髪がぐちゃぐちゃになっちゃったじゃないの。」

 

「悪い悪い。……例えばの話、これの超強力版を相手にぶつけてやればいいのさ。多分死なないが、吹っ飛びはするだろ。他にも色々出来るんだぜ?」

 

まあうん、確かに使い勝手は良さそうだ。呪文が不要だから杖魔法より早いし、魔理沙の語りっぷりからするに無言呪文に比べて強力でもあるんだろう。得意げな親友にはいはいと首肯してから、鏡の前で髪を整えようと立ち上がったところで……リーゼお嬢様だ。窓から見慣れた黒髪の吸血鬼が入室してくる。

 

「やあ、諸君。戻ったよ。……咲夜、今まで寝てたのかい? 髪がひどいことになってるぞ。」

 

「違います! 魔理沙が魔道具を使ってですね、それで風を……もう、魔理沙! 説明してよね!」

 

ぬああ、リーゼお嬢様の前でこんな姿を晒すことになるとは。恥ずかしい思いで魔理沙に言い放ってから、即座に時間を止めて洗面所へと駆け込む。そこで髪を整えた後、リビングルームに戻って悪友の頭をぺちんと叩いてから時間を動かした。

 

「って。……おい、叩いたな? 咲夜、私のこと叩いたろ?」

 

「私は一歩も動いていませんわ。」

 

「なんだよその口調。髪も一瞬で整ってるし、お前以外に出来るヤツなんかいないだろうが。」

 

「さて、何のことだか。……お帰りなさいませ、リーゼお嬢様。情報屋さんは見つかりましたか?」

 

ツンと澄ましながら魔理沙の非難を黙殺して、アリスの隣にぽすんと腰を下ろしたリーゼお嬢様に問いかけてみれば、彼女は肩を竦めてやれやれと首を振ってくる。見つからなかったのかな?

 

「情報屋を探し出すのに情報屋を使っちゃったよ。私の伝手からはあんまり精度の高い情報が手に入らなかったんだ。だから残るは五十年前にも頼った美鈴の知り合いだけなんだが……覚えているかい? アリス。アピスって『妖怪もどき』のこと。」

 

「覚えてます。凄い絵を描く妖怪さんですよね?」

 

「そう、そいつだ。馴染みの情報屋によれば、今はスイスに居るらしくてね。この近くで心当たりがある情報屋はアピスで最後さ。」

 

「ってことは、スイスまで行くんですか?」

 

うーん、スイスか。物凄く遠いというわけではないものの、パリからだと気軽に行けるような場所じゃない……はず? いやでも、どうなんだろう? オルレアンまでは一瞬だったし、実際はそうでもないのかな? だけど、パリとオルレアンの距離の五倍くらいは離れていた気がするぞ。

 

実はあまりよく分かっていない大陸側の国々の位置を思い浮かべて、頭の中にクエスチョンマークを量産している私を尻目に、リーゼお嬢様はこっくり頷いてアリスに肯定を送る。やっぱり行くらしい、スイスに。

 

「スイスと言ってもチューリッヒとかじゃなくてローザンヌらしいんだ。そんなに離れていないし、さっと行ってさっと戻ってこようじゃないか。本来行くつもりだった国だから新しく入国を申請する必要もないしね。」

 

「そういえばそうですね。ご飯はどうします?」

 

「向こうで食べよう。観光は出来なさそうだが、食事くらいは現地のを楽しむべきだろうさ。」

 

「なら、準備してきます。」

 

ソファを離れてベッドルームの方へと歩いて行くアリスを見送ったリーゼお嬢様は、次にやり取りを眺めていた魔理沙に声をかけた。

 

「おい、魔女っ子。今のうちにガイドブックを読み漁って、良い感じのレストランをピックアップしておきたまえ。スイスで食事できるチャンスは一度だけだぞ。」

 

「おっと、そうだな。折角だし調べとくか。ローザンヌの近くならどこでも大丈夫か?」

 

「ジュネーヴでもいいよ。どうせその辺から国境を越えるんだしね。」

 

「よしよし、任せとけ。良い店を見つけ出してみせるぜ。」

 

もはやチェスなんて知ったこっちゃないとばかりの様子で、魔理沙は勢いよくテーブルを離れてガイドブックが入ったリュックの方へと駆けて行くが……うん、これは遠回しなリザインと受け取って問題ないだろう。つまり、私の勝ちだ。

 

無言でうんうん頷きながら文句を付けられる前にとチェスセットを片付けていると、リーゼお嬢様が今度は私に指示を出してきた。

 

「咲夜、髪を縛れる何かを持ってないかい? 今日は暑いし、適当に結んで──」

 

そこまで聞いた瞬間に時間を止めて、持ってきた『お世話セット』の中から小さなコウモリの飾り付きのヘアゴムを取り出し、すぐさまリーゼお嬢様の下に戻って時間を動かす。この行動は出来るメイドっぽいな。いい感じだぞ、私。

 

「どうぞ、リーゼお嬢様。」

 

「……んふふ、いいね。八十点ってとこかな。私が話を切り出す前に用意できれば百点満点だよ。」

 

ぐぬぬ、これでも八十点か。でも、確かにエマさんなら顔を見ただけで用意しそうな気がする。言われずとも行動するのが一流の使用人ということなのだろう。ヘアゴムを差し出した状態で悔しがる私に、リーゼお嬢様は微笑みながら手を伸ばしてくるが……何かを思い付いたような表情になったかと思えば、手を引っ込めて新たな指令を寄越してきた。

 

「着けてくれるかい? 咲夜。」

 

「へ? ……髪に触ってもいいんですか?」

 

「まあ、キミならいいよ。面倒くさいなら自分で着けるが──」

 

「やらせていただきます!」

 

リーゼお嬢様は他者に髪を触らせるのを嫌うはず。これまでエマさんとアリス、それに妹様くらいにしか許していなかった『お触り許可』を、この私に出してくれたということは……つまりはそういうことなのだろう。信頼の証というわけだ。

 

嬉しい気持ちが胸に広がっていくのを感じつつ、ソファの後ろに回って恐る恐るリーゼお嬢様の黒髪に手をかける。さらっさらだな。質の高い絹糸みたいだ。

 

「ではその、失礼します。」

 

「ああ、キミに任せるよ。」

 

慎重に、慎重に。手の中を滑る芸術品のような髪を一つに纏めて、真っ白なうなじを見つめながらヘアゴムを指で伸ばす。そのままそれで縛ってみれば……うん、良いんじゃないかな。綺麗に纏まった気がするぞ。

 

「終わりました、リーゼお嬢様。」

 

角度を変えながらチェックした後、リーゼお嬢様にぺこりとお辞儀してみると、彼女は手鏡で自分の髪を確認して感想を述べてきた。

 

「いいね。縛る位置がいつもよりちょっと下だが、これがキミの好みなのかい?」

 

「えっと、こっちの方がお似合いかなと思いまして。大人っぽく見えますし。」

 

「ふぅん? ……それじゃ、今日はキミ流のアンネリーゼ・バートリで行くとしようか。またお願いするよ。」

 

「はい!」

 

やった、気に入ってくれたみたいだ。心の中でグッとガッツポーズをしながら、今度髪型の本でも読んでおこうと決意したところで……アリス? 何とも言えない顔でこちらを見ているアリスの姿が目に入ってくる。何かを葛藤しているような表情だな。

 

「どうしたの? アリス。」

 

怪訝に思って近寄って話しかけてみると、アリスはリーゼお嬢様の方をジッと見つめながら私に『教え』を施してきた。

 

「何でもないわ。だけど咲夜、貴女はもう少しセンスを磨くべきね。見た目が可愛らしいなら可愛らしい髪型の方が似合うものよ。」

 

「そうかな? 私は可愛い子が大人っぽい髪型をする……ぎゃっぷ? もいいと思うけど。」

 

「……なるほどね、やるじゃないの。盲点だったわ。」

 

何の話なんだ? これは。勝手に何かに納得したらしいアリスは、真剣な表情で黙考しながら離れて行く。凄く重要なことを考えている時の顔だな。きっとフランスの魔女への対策を練っているのだろう。

 

私も気を抜かないようにしようと気持ちを切り替えつつ、サクヤ・ヴェイユは自分の外出の準備に取り掛かるのだった。

 



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順応者

 

 

「ここだね。」

 

ローザンヌの中心部からは少し外れた、レマン湖沿いの住宅地区。騒がしい水鳥の鳴き声を耳にしながら見つけた小さな一軒家を前に、アンネリーゼ・バートリは同行者たちに宣言していた。くそ、本来ならここで釣りが出来る予定だったのに。苦労して調べたパーチ用の仕掛けも無駄になっちゃったし、つくづく忌々しい状況だな。

 

フランスを出てジュネーヴで中々美味い昼食を取った後、パリで手に入れた情報を基にここまでやってきたわけだが、情報が正しいならこの家がアピス……美鈴の馴染みの情報屋の現在の住まいであるはずだ。敷地に入ってドアをノックしようとすると、魔理沙が塀を指差して話しかけてくる。

 

「こっちにハリーの家にあったやつが付いてるぞ。『イントフォン』だっけ? ノッカーの代わりになるやつ。」

 

「インターフォンだ。……ふん、生意気だね。人外の癖に人間の技術を使うとは。プライドを失った妖怪はこれだからいけない。」

 

「電動歯ブラシを使ってるお前に言えたことじゃないと思うけどな。」

 

それはそれ、これはこれだ。余計なことを言う魔女っ子をぎろりと睨め付ける私を他所に、アリスが塀にあったインターフォンのボタンを押す。……この手応えのない感じがどうも気に食わんな。ノックの方が分かり易いじゃないか。

 

「ちゃんと押したのかい? 反応がないが。」

 

「えっと、押しましたけど……ここを押せばいいのよね? 咲夜、合ってる?」

 

「私に聞かれても分かんないよ。もう一回押してみたら?」

 

なんだかデジャヴを感じるな。呆れ顔の咲夜がもう一度ボタンを押したところで、ドアの方から微かな物音が響いてきた。どうやら妖怪もどきはご在宅らしい。

 

「おい、妖怪もどき。ドアを開けたまえ。五十年前に会ったバートリだ。」

 

ドアの向こうの気配にとりあえず名乗ってみれば、かちゃかちゃと金具を弄るような音がした後、上の方にある覗き穴がぱかりと開く。そして同時に投げかけられる特徴的な可愛らしすぎる声。間違いなくあの妖怪もどきの声だ。

 

「……吸血鬼が何の用ですか? この家に輸血パックはありませんよ。」

 

「なーにが輸血パックだ。キミは情報屋なんだから、情報を買いに来たに決まってるだろうが。早く開けたまえ、客だぞ。」

 

「紅さんはイギリスを離れたと聞きました。貴女は信用できません。だから情報も売りません。帰ってください。」

 

きっぱりとした端的な返答と共に、開いていた覗き穴がぱたりと閉じるが……はいそうですかと帰るわけないだろうが。げしげしとドアを蹴りつつ、妖怪もどきへの『交渉』を続ける。

 

「黙って開けないと痛い目に遭わせるぞ。こちとら遥々スイスまで来てるんだ。手ぶらじゃ絶対に帰らんからな。」

 

「やめてください、蹴らないでください。……け、警察を呼びますよ? いいんですか?」

 

「キミ、警察ごときが何かの役に立つと本気で思っているのかい? 自主的に開けないと蹴破っちゃうぞ。それでもいいなら抵抗を続けたまえ。」

 

「本当に呼びますからね。スイスの警察は優秀だから即座に来ますよ。そうなったら困るのはそっちです。きっと面倒なことになるんですから。」

 

アホかこいつは。もうドアをぶっ壊しちゃおうと妖力弾を放とうとしたところで、アリスが慌てて止めに入ってきた。

 

「ちょちょ、リーゼ様! ……さすがに強引すぎますよ。私が交渉しますから。」

 

「……まあ、別にいいけどね。長くは待たないぞ。」

 

心優しいアリスと立ち位置を交換して一歩下がると、彼女はドアの奥に居るであろう妖怪もどきに穏やかな声色で語りかけ始める。

 

「アピスさん、覚えてますか? アリスです。あの時の魔女です。」

 

「……覚えてます。絵を褒めてもらいましたから。」

 

「あの時の事件で戦った魔術師……というか魔女がまたちょっかいをかけてきまして、アピスさんの力をお借りしたいんです。対価はきちんと支払いますから、どうか情報を売ってもらえませんか?」

 

アリスの誠心誠意という感じのお願いを受けたアピスは、暫くの間沈黙していたが……やがて小さな声で反応を寄越してきた。

 

「……困ってるのは吸血鬼じゃなくて、魔女さんなんですか?」

 

「はい、そうなんです。別の情報屋からは全然情報が手に入らなくて、これはもうアピスさんを頼るべきだと思ってここまで来たんですよ。」

 

「……なら、そこの吸血鬼に変な真似をさせないと約束してください。それが絶対の条件です。」

 

無礼なヤツだな。訳の分からん条件に不機嫌になる私へと、アリスはジッと見ることで己の内心を伝えてくる。……ああもう、分かったよ。不承不承頷いてやれば、アリスは明るい表情でドアへと了承の返事を投げた。

 

「約束します。リーゼ様は暴れ回ったりしません。」

 

「……分かりました、今開けます。」

 

そもそも必要もなく暴れ回ったりしないんだからな、私は。言葉と共に鍵を開けるガチャリという音が三回、五回、十回……こいつ、いくつ鍵を付けているんだ? 二十回近くも聞こえた後、ようやくドアが動き出す。隙間からひょっこり顔を出したボサボサ髪のノッポ女を見ながら、隣の魔理沙が余計な一言を囁いてきた。

 

「お前、北風と太陽って寓話を知ってるか? 今度読んだ方がいいぜ。」

 

「よく知ってるよ。北風が凍死させるぞと脅して旅人から荷物を巻き上げる話だろう?」

 

「……どうやら、お前が読んだのと私が読んだのは違う話みたいだな。」

 

私はあの寓話から偉大な教訓を学び取ったぞ。『話すより殴った方が早い』という教訓を。ため息を吐きながらドアの向こうへと進んで行く魔理沙に鼻を鳴らした後、私もやけに分厚いドアを抜けてみれば……なんかこう、異質な家だな。通路には所狭しと未開封の荷物が並んでおり、壁には無数のケーブルが伝っている。アピスが取り入れた人間の技術はなにもインターフォンだけではなかったらしい。

 

「こんなに大量のケーブルを何に使ってるんだ? ……実に不気味だね。ハリーが見せてくれたコミックブックにこんな内装の施設が出てきたよ。そこでは機械が人間を製造してたんだ。」

 

「リーゼお嬢様、足元に気を付けてくださいね。何か変な……機械の破片? みたいな物が沢山転がってます。」

 

「この家にアーサー・ウィーズリーを連れてきたら興奮でショック死するかもね。イギリスが遠いのが残念だよ。」

 

半開きのドアから覗ける巨大な機械が鎮座している小部屋を通り過ぎて、咲夜と話しながら廊下の先にあったリビングらしき部屋に入室してみると、そこには長く生きた私でも見たことがないような禍々しい内装が広がっていた。狂ってるな。何をどうしたらこうなるんだよ。

 

「わぁ……飾ってるんですね、絵。凄い量じゃないですか。」

 

つまるところ、アリスが引きつった笑みで呆然と呟いたように、リビングルームには『アピス画伯』が描いたらしき絵が壁一面に貼り付けられているのだ。昔見た時は『絵の具の無駄』としか思わなかったが、ここまで大量にあると一種の宗教的な畏怖すら感じるな。カルト宗教が信奉する聖域みたいだぞ。

 

殆ど隙間なく貼り付けられている『怪作』の数々を唖然と眺める私たちに、テーブルに着いたアピスは暗い表情でポツリポツリと説明してきた。ベージュのボサボサ髪は相変わらずだが、着ている服はジーンズとヨレヨレの白いTシャツだ。そして首には音楽が聴ける耳あて……ヘッドフォンだっけ? をかけている。

 

「残念ながら、結局一枚も売れませんでしたから。……私の作品は時代に先行しすぎていたみたいです。芸術大国を謳っているフランスも高が知れていましたね。私の高尚な絵を否定して、ピカソやシャガールの『落書き』の方を高く評価するだなんて。とんだ愚行ですよ。」

 

「あー……なるほど、理解できる人が居なくて残念でしたね。もう描いていないんですか?」

 

そうであって欲しいという感情を隠し切れていないアリスに、勘違い画家はコーヒーメーカーを弄りながら返答を返した。

 

「時代が追いついたらまた描くことにします。……一枚差し上げましょうか? きっと百年もすれば物凄い値が付きますよ?」

 

「えーっと、やめておきます。私には勿体無い代物ですから。……ちなみに、今は何をやっているんですか?」

 

おぞましい絵を押し付けられるのをなんとか避けたアリスの質問を受けて、アピスはよくぞ聞いてくれたとばかりに早口で喋り始める。代わりとなる趣味を見つけたようだ。

 

「パーソナルコンピューターですよ。インターネットの存在を知っていますか? あと十年……いえ、五年もすれば『そこ』が世界の中心になるはずです。世界を牛耳る通貨も、武力も、宗教もインターネットに支配されるでしょう。生活するにあたって誰もがこのシステムに頼ることになります。間違いありません。」

 

「よくは知りませんけど、離れた場所の人とやり取りが出来るんですよね。電話の上位互換みたいなものなんですか?」

 

「全く違います。これはもう一つの世界を創造したに等しい行為です。私は昔から人間の創造性に驚かされてきましたけど、まさかここまでのものを創れるとは思いませんでした。……近い未来、文明は一つ先に進みますよ。だからその時に備えて、今のうちからこのシステムに慣れておきたいんです。必ず来ます、インターネットの時代が。私はそう信じていますから。」

 

そう言いながら、アピスは部屋の隅に置いてあるテレビジョンのような機械を恍惚と見つめているが……ふん、大袈裟なヤツだな。あんなもんで世界が変わるわけないだろうが。

 

ぽかんとしているアリスや金銀コンビを尻目に、妄想家の変わり者妖怪を鼻で笑いながら意見を飛ばす。

 

「どうかな、キミが思うほどあの『箱』は世界に広がっていないみたいだけどね。」

 

「それは貴女が前時代的な世間知らずの妖怪だから知らないだけです。知的な目敏い人間はとっくの昔に動き出しています。製本技術や、無線通信や、映像送信による進歩とは比較になりませんよ。きっとプロメテウスが人間に火を与えた時と同じ規模の変化が起こるでしょう。」

 

「バカバカしいね、幾ら何でも誇大妄想に過ぎるぞ。人間の生活は『最近』色々と変わったばかりじゃないか。もう大きな変化なんて暫くないはずだ。」

 

「これから更に変わるんです。そして、それに追いつけない人外は淘汰されていきます。夜闇を照らす電球が現れた時、蒸気の力を使った機械が現れた時、島一つ吹き飛ばす爆弾が現れた時、貴女はそれを予期していましたか? ……私はしていましたよ。人間はこれまで私の期待を裏切りませんでした。だから今回も恐らく裏切らないでしょう。私は新たなものを否定するのではなく、肯定して利用してみせます。貴女たちには生き難くなった人間の世も、私にとっては未だ単なる『餌場』です。新たな時代には新たな恐怖を。それが賢い妖怪の生き方ですよ。」

 

淡々と語るアピスが、今だけは大妖怪と呼ぶに相応しい存在に見えるな。……私たちが否定したものを、こいつは取り入れて生きてきたわけか。媚びへつらって享受するのではなく、我がものとして取り込んで利用する。在るが儘の妖怪を隔離して『保存』しようとした八雲紫とは対極の存在なのに、両者共に人間に期待しているというのには諧謔を感じるぞ。

 

持論を語り終えたアピスが立ち上がって棚からマグカップを取り出すのを、四人それぞれに黙考しながら眺めていると、現代に適応した大妖怪どのはやおら本題にレールを戻してきた。

 

「それで、今日欲しい情報は何ですか? 大抵の情報なら取り扱ってますけど。インターネットのお陰でより広範囲の『品』を仕入れられるようになりましたから。」

 

「えっとですね、玄関で言ったように五十年前に関わった魔女についての情報が欲しいんです。あとは先日アメリカで起こった不法侵入騒動についても。……マクーザの議員の家に侵入者があったことを知っていますか?」

 

「もちろん知っています。そして、その二つは同一の情報に繋がると思いますよ。……前回私は不明瞭な情報を売ってしまいました。あれは魔術師ではなく、ただの人形だったわけですから。それに免じて二本で売ります。」

 

やっぱりあの謎の金属棒が必要なのか。親指と人差し指を立てるという独特な方法で対価を示してきたアピスに、肩を竦めて返事を送る。

 

「あの棒はヨーロッパの人外の間じゃ流行ってないんだ。キミだってフランスで商売をしていたなら知っているだろう? 支払いは別の方法にしてくれたまえ。」

 

「天然物の金地金でも構いません。百トロイオンスで売りましょう。」

 

「……見合う情報を持っているんだろうね?」

 

「多くはありませんが、それなりの情報であることは自負しています。」

 

結構な金額じゃないか。咲夜と魔理沙はピンときていないようだが、アリスには中々の対価であることが伝わったらしい。……まあ、その程度なら問題ないさ。持ってきた布袋から取り出したインゴットを机に出すと、アピスはそれを持ち上げて重さをチェックした後、部屋の隅にある木箱に投げ入れた。雑な扱いだな。

 

「確かに受け取りました。……では、お話ししましょう。ポール・バルトは闇祓いを引退した後もずっと五十年前の事件の犯人を追っていました。息子を喪ったことが効いたのか、かなりの執念だったようですね。十年ほど前、まだフランスに住んでいた私のところまでたどり着いたほどです。」

 

「バルト隊長が? ……人外の存在に気付いたってことですか?」

 

「そこまでではなかったみたいですけど、薄っすらと『人並み外れた強力な魔法使い』の存在は認識していました。そんな存在を調べるため、裏の情報網を辿りに辿っていたら私に行き着いたようです。……その際、彼は私から二つの情報を買おうとしました。五十年前に起こった連続誘拐事件の情報と、当時マクーザの杖認可局に所属していた若い職員についての情報を。」

 

「当ててあげるよ、その職員の名はアルバート・ホームズだ。違うかい?」

 

驚愕を顔に浮かべるアリスを横目に、コーヒーが入ったカップをテーブルに置くアピスへと問いかけてみれば、妖怪もどきは小さく頷いてから話を続ける。ちなみに用意したコーヒーは自分の分だけだ。客を持て成そうという気など一切ないらしい。

 

「その通りです。前者の情報は紅さんや貴女たちが関わっていたので高額となり、結局ポール・バルトは買うことを断念しましたが、後者は普通に売りました。私にはそれほど特異な人物には思えませんでしたが、彼は資料を見て何かに気付いていたようです。……私が持っているポール・バルトに関する情報はここまでですね。次は魔女についてをお話しします。」

 

そう言ってコーヒーを一口飲んだアピスは、アリスの方を見ながら魔女のことを語り始めた。

 

「あの魔女がフランスを出た後に向かったのはアメリカです。新大陸の情報は手に入り難いのでその後の動向は不明ですが、数ヶ月前に香港自治区で『鈴の魔女』と一戦交えています。魔女本人は姿を現さなかったものの、人形を使った戦い方からして仕掛けたのは間違いなく件の魔女でしょう。」

 

「鈴の魔女……長い杖を持った老婆ですか?」

 

「そうです、貴女とそちらの銀髪の人間が去年の夏に会った魔女です。」

 

そういえば、香港自治区で買い物をしていた時に現地の魔女と話したと言っていたな。そのことを何故アピスが知っているのかと眉根を寄せていると、アリスが心配そうな表情で質問を重ねる。

 

「無事なんですか?」

 

「どちらのことを聞いているのか分かりませんが、両者共に無事ですよ。件の魔女の方も本気で殺しにかかったというわけではないようですし、鈴の魔女はかなりの実力者ですから。あくまでちょっとした小競り合い、という感じです。……とはいえ、鈴の魔女は香港自治区を中心として広い繋がりを持っています。彼女に手を出してしまったことで、アジア圏ではお尋ね者のような状態になっているみたいですね。」

 

「……『小競り合い』の原因は何なんでしょう?」

 

「不明瞭ですが、発端が件の魔女の方にあるのはほぼ確定だと思います。鈴の魔女は大昔からあの一帯を縄張りにしていて、他の魔女を縄張りの中に住まわせるほどの温厚さを見せていましたから。若い魔女相手にトラブルを起こすほど愚かではないでしょうし、相手が何かをしてきて、鈴の魔女がそれを退けたという線が濃厚ですね。」

 

『先達』相手に無礼を働くのは変わらずか。四方八方に迷惑をかけているアホにため息を吐いていると、のそりと立ち上がったアピスが壁際の戸棚に向かいながら話を締めた。

 

「更なる情報が欲しいのであれば、先ずは鈴の魔女にコンタクトを取るべきです。新大陸は神秘が薄い所為で人外があまり残っていません。数少ない北アメリカの人外を仕切っていた大悪霊も百年ほど前に姿を消してしまいましたし、外からこれ以上の情報を手に入れるのは難しいと思いますよ。……一応これがアルバート・ホームズの写真です。ポール・バルトは写真を見た時に大きな反応を示していましたから、何か意味があるのかもしれません。」

 

『大悪霊』というのは魅魔のことだろう。……ふむ、鈴の魔女か。その魔女は紫の関係者のようだし、去年調べていたコインの件を鑑みれば新大陸を縄張りにしていた魅魔とも繋がっていたはず。そっちから調べてみるのもアリかもしれないな。

 

どうせ夏休み中は『調停者関係』の仕事で何度か呼ぶかもと紫に言われているのだ。その時に話を通せばいいだろう。今後の展開を組み立て始めたところで、視界に息を呑むアリスの顔が映る。

 

「アリス? どうしたんだい?」

 

「……五十年前に私の護衛に付いてくれた闇祓いのことを覚えてますか? リーゼ様。」

 

「ぼんやりとはね。魔女に操られていた若い男だろう? ポール・バルトの息子の。」

 

「見てください。」

 

真剣な表情のアリスが渡してきたのは、アピスが持ってきたアルバート・ホームズの写真だ。そういえばゲラートの報告書には写真が付いていなかったなと思いながら、顔を拝んでやろうと視線を送ってみると──

 

「……ふぅん? 似てるね。」

 

「そっくりですよ。クロードさんが三十代になったらきっとこんな感じになるはずです。……バルト隊長が反応したのにも納得ですね。」

 

記憶の隅にあった、生真面目そうな闇祓いの顔。それに生き写しの男が微笑む写真を見ながら、アンネリーゼ・バートリは事件が繋がっていることを確信するのだった。

 



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縄張り争い

誤字報告いつもありがとうございます!


 

 

「んー……いっそのこと、新大陸に行ってアルバート・ホームズを攫ってみるかい? あの土地に足を踏み入れるのは嫌だが、キミは他人の空似じゃないと確信しているんだろう?」

 

フランス魔法省の廊下を歩きながら提案するリーゼの背中を、霧雨魔理沙は呆れた気分で眺めていた。人外ってのはすぐに強引に解決しようとするな。分かり易いのは嫌いじゃないが、もう少し慎重になった方が良いんじゃないか?

 

一昨日の夜に『フランスの魔女』からのメッセージを受け取った私たちは、昨日えらく近代的な人外の情報屋からポール・バルトやアルバート・ホームズに関する情報を入手し、そして今日は闇祓い隊の隊長からの報告を聞くためにフランス魔法省を訪れているわけだ。ちなみにアメリカの事件の詳細を確認した後はそのままイギリスに戻る予定になっている。私の初旅行は本日で終了か。予定の一割程度しか消化できなかったな。

 

自転車のレースは結局ホテルのてれびじょんでしか観られなかったし、事前に取っておいたクィディッチの独立リーグのチケットも紙切れになってしまった。残念な気分で小さくため息を吐いていると、前を進むアリスがリーゼに返事を送る。厳しい表情でだ。

 

「リーゼ様も偶然なんかじゃないことは分かっているはずです。バルト隊長と魔女を繋げる線があるとすれば、それは間違いなくホームズの存在でしょう? ……問題は彼がマクーザの議員で、かつ委員会の議長だってことですね。」

 

「前者はそこまで問題じゃないさ。新大陸の議会なんぞ知ったこっちゃないからね。だが、後者は……確かに厄介だぞ。迂闊に手を出せば『意識革命』の方に影響が出るかもしれない。それはちょっと歓迎しかねる事態だ。」

 

「レミリアさんやダンブルドア先生が頑張って築いたものですもんね。……何とかホームズを議長の座から引き摺り降ろせませんか?」

 

「私からゲラートに頼んでみようか。そっちはボーンズを動かしてくれ。レミィが居ない以上、私たちが持っている政治的な手札はその二枚だけだからね。」

 

魔法戦争を勝ち抜いたイギリスの魔法大臣と、元大犯罪者であるロシアの魔法議会議長。私からすれば大した面子だと思うのだが、リーゼはまだ不足だと考えたらしい。了解の首肯を返したアリスに、思い出したように言葉を重ねる。

 

「それと、リータ・スキーターも動かそう。今は随分と評価されてるみたいだし、あの女にホームズのスキャンダルでも書かせれば有利に働くだろうさ。」

 

「受けてくれますかね? レミリアさんとは一種の同盟関係にありましたけど、私たちとは殆ど無関係ですよ?」

 

「もちろん何か利益を提示する必要はあるだろうが、渦中のホームズのスキャンダルが『おいしいネタ』なのは間違いないはずだ。レミィから聞いてる性格を鑑みるに、食い付かせるのはそう難しいことじゃないと思うよ。」

 

まあ、なんとなく想像は付くぞ。スキーターなら嬉々としてあることないこと書きまくりそうだな。一人で納得している私を尻目に、アリスは魔女への対策を纏め始めた。……ちなみに咲夜はずっと無言でリーゼの後頭部を見つめっぱなしだ。歩く度にぴょこぴょこ揺れるポニーテールが気になって仕方ないらしい。首を微かに動かして黒い尻尾を追いながら、掴むのを我慢しているかのように指先をピクピクさせている。猫かよ、お前は。

 

「先ずはホームズを議長の座から降ろして、それから『物理的に』対処するのが良さそうですね。その間に八雲さんから情報を入手できそうですか?」

 

「ああ、大丈夫だと思うよ。夏休み中に会う予定になってるからね。……最大の問題は新大陸が私にとって完全な『アウェイ』であることかな。アピスによれば魔女は北アメリカを拠点にしているようだし、攻めに行くのであれば向こうの人外についての情報を入手しておきたいんだが……魔女っ子、キミから魅魔に頼んでくれないか? 可愛い弟子の頼みなら無下にはしないはずだろう?」

 

おっと、私に話が飛んできたか。振り返って問いかけてきたリーゼに、頬を掻きながら返答を放った。

 

「魅魔様は生粋の気分屋だから、どんな反応が返ってくるかは私にも分からんぜ。……というかそもそも、お前は魅魔様に会えるのか? 少なくとも私の方には連絡を取る手段なんかないぞ。」

 

「さぁね。紫に引き合わせてもらえないか頼んでみるが、実際に会えるかどうかは未知数かな。……あの悪霊が気まぐれなのは私も重々承知しているよ。だから少しでも確率を上げておきたいんだ。イギリスに戻ったらお涙頂戴の師弟愛を深める手紙でも書いてくれたまえ。私が届けてあげるから。」

 

「手紙を書くのは別に構わんが、魅魔様にはそんなもん通用しないと思うぞ。『今日は雲が少ないから頼みを断る』とか、『昨日の夜は星が遠かったから受けてやるよ』みたいなことを平然とやってくるから、結局ギャンブルなのは変わらんぜ。運次第だよ。」

 

苦笑しながら言ってやると、リーゼは然もありなんと肩を竦めて前に向き直る。……でも、手紙を届けられるかもしれないってのは僥倖だな。この機にきちんと勉強して頑張ってますって知らせよう。ちょびっとくらいは喜んでくれるかもしれないぞ。

 

師匠に手紙を送れると知って少しご機嫌になったところで、今度は咲夜がおずおずと口を開く。ようやくポニーテールの誘惑に打ち克ったらしい。

 

「やっぱりレミリアお嬢様には会えないんですか? 魔法界の政治の問題だったら、お嬢様に相談するのが一番だと思いますけど。」

 

「レミィたちは神社への立ち入りを禁じられていて、私は神社から出るのを禁じられているからね。直接会うのは難しそうかな。伝言くらいは頼めば可能かもしれないし、それも紫に聞いてみるよ。」

 

「……意地悪な妖怪ですね。会うくらいなら別にいいじゃないですか。」

 

ムスッとした顔で文句を呟いた咲夜に、リーゼが苦笑いでフォローを口にした。

 

「まあ、あからさまに不自然な措置だし、紫にも紫なりの計画があるんだと思うよ。それを完遂するためには私とレミィを引き離す必要があるんだろうさ。」

 

「まさか、リーゼお嬢様とレミリアお嬢様を仲違いさせようとしてるとか?」

 

「どうかな、私はそこまで単純な計画じゃないと踏んでるけどね。恐らく、私の立ち位置を紅魔館側から神社側……つまり調停者側にズラそうとしているんだと思うよ。だったら今のところは大人しく従っておくさ。対価となる利益は得ているわけだしね。」

 

『今のところは』か。なんだか不安になる余計な一言を耳にしたところで、先導するアリスが私たちに声をかけてくる。闇祓い隊のオフィスに到着したらしい。

 

「ここよ。……すみません、デュヴァル隊長は居ますか?」

 

フランス語で『フランス闇祓い隊』と書かれた簡素なプレート。その下にあるドアが無い入り口を抜けたアリスは、手近な職員に質問を投げかけた。……へぇ、大きな部屋だな。中央には巨大な木製の円卓が置かれており、それを囲むように仕切りの付きのデスクが二十台ほど設置されているようだ。奥の壁には色取り取りのピンが刺さったフランス、ヨーロッパ、全世界の三つの縮尺の地図が貼られていて、その間に二つのドアが並んでいる。きっと偉い人の個室とかに繋がっているのだろう。

 

一昨日も見た魔法生物……マタゴだっけか? が円卓の上で丸くなって昼寝しているのを眺めていると、歩み寄ってきた職員がアリスに返事を返した。

 

「ああ、アリス・マーガトロイドさんですね。話は隊長から聞いております。どうぞこちらへ。」

 

うーむ、私より綺麗な英語だな。見事な発音の『イギリス英語』で先導し始めた若い男性職員は、部屋を横切って世界地図とヨーロッパの地図に挟まれているドアに近付くと、ノックしながらフランス語で中に呼びかける。知らない単語だから定かではないが、多分ドアのプレートに書かれているのは『隊長室』とかなのだろう。

 

『隊長、マーガトロイドさんがいらっしゃいました。』

 

『入ってくれ。』

 

私にも理解できる簡単なやり取りの後、職員が開けてくれたドアを抜けてみると……うーん、狭いな。思ったより狭めの個室が目に入ってきた。壁には一切の飾りがなく、書類棚とデスク、そして風もないのに葉を揺らす謎の観葉植物があるばかりだ。

 

殺風景すぎる部屋に拍子抜けする私を他所に、椅子から立ち上がったデュヴァルが杖を振りながらこちらに話しかけてくる。今日も貧相な見た目だな。本当に大丈夫なのか? この人。

 

「どうも、皆さん。狭い部屋で申し訳ありません。今椅子を用意します。……ロジェ、紅茶の準備を。」

 

『了解です、隊長。』

 

指示を受けた職員が部屋を出るのと同時に、デュヴァルが出現させた椅子に咲夜と並んで腰を下ろすが……これだと紅茶を持ってこられても置く場所がないぞ。応接セットくらい設置したらどうなのかと呆れていると、アリスが早速とばかりに話を切り出した。

 

「マクーザからの新たな報せはあった?」

 

「マクーザからというか、現地に行った治安次局長からの報告になりますが……やはり妙ですね。皆さんは『国際保安局』という組織をご存知ですか? つい最近マクーザに新設された組織らしいのですが。」

 

「国際保安局? 知らないわね。……リーゼ様はどうですか?」

 

「私も知らんね。名称からするに、国際的な動きをする組織だってのは分かるが。」

 

椅子には座らず部屋の隅に移動したリーゼの返答を聞いて、デュヴァルは首肯しながら話を続ける。この部屋にもマタゴが居たのか。性悪吸血鬼は隅っこで寝ている魔法生物にちょっかいをかけようとしているらしい。可哀想だから寝かせといてやれよな。

 

「その通りです。マクーザ曰く、国境を跨ぐ犯罪者を追うために作られた組織なのだとか。」

 

「……それは闇祓いの領分でしょう? わざわざ組織を新設する必要があるの?」

 

「それがですね、かなり複雑な事情があるようでして。マクーザ内部で闇祓い局と保安局……フランスで言う治安パトロール隊、イギリスで言う魔法警察部隊のようなものですね。その二部署のいがみ合いが深刻化した結果、保安局が捜査権を拡大するためにゴリ押しで設立を可決させたそうです。国内の凶悪犯はこれまで通り闇祓いが対処し、国外での捜査をその部署が担当することになったと聞いています。」

 

「要するに保安局が議会内の権力闘争で闇祓い局を上回って、捜査権の分割に成功したわけね。……まあ、新部署については理解したわ。それが今回の件と関係あるの?」

 

政治ってのはどの国でも複雑だな。イギリスに置き換えると魔法警察と闇祓い局がいがみ合って、ウィゼンガモットが魔法警察を優遇する案を議決したってとこか。微妙な表情になっているアリスの疑問に、デュヴァルは神妙な顔付きでこっくり頷く。

 

「その部署設立の立役者であり、責任者である国際保安局局長に就任した魔法使いこそがアルバート・ホームズなのです。」

 

「おいおい、委員会の議長はどうなったんだい?」

 

「ここも複雑な部分なのですが、マクーザの議員と国際保安局局長と委員会の議長。これらは北アメリカの法においては兼任可能な役職なんです。身分としては国際保安局局長の職に就いており、かつマクーザの議員と委員会の議長に選出されているという状態ですね。国際連盟の規約にも一応は違反していません。」

 

「二足どころか三足の草鞋か。……それで、その組織がどうしたんだい?」

 

嫌がるマタゴを無理やり持ち上げようとしているリーゼの質問に対して、デュヴァルはデスクの上にあった書類を読みながら応じる。やめてやれよ、性悪吸血鬼。床のカーペットに爪を立てて必死に抵抗してるぞ。

 

「バルト元隊長の事件の捜査をその部署が担当しているようでして。元々北アメリカではこういった事件は保安局の魔法保安官たちが捜査するのですが、いつの間にか担当が国際保安局に変わっていたそうです。マクーザの闇祓いはそれに対して猛抗議をしているのだとか。越権行為であると。」

 

「ふぅん? 部署の責任者が被害者だから無理やり首を突っ込んできたとか?」

 

「そういったプライドの問題である可能性もありますが、そもそも国際保安局は保安局の傘下にある部署です。『ライバル』の闇祓いが捜査権を握ったなら理解できる動きですが、身内の保安局が捜査権を持っているのにわざわざ事を荒立てる必要がありません。参加しようと思えば裏から捜査に参加できたはずです。」

 

んんん、またしても複雑だな。つまり保安局とやらの下に国際保安局があって、そこと闇祓い局の仲が悪いわけだ。闇祓い局は保安局とは完全に別の組織ってことか。イギリス魔法省のように魔法法執行部の下に闇祓い局と魔法警察があるのではなく、闇祓い局は闇祓い局で独立してるって感じかな?

 

……それはまあ、確かに対立しそうな構図に思えるぞ。事件が起きた時にどっちの担当かで揉めたりしているのだろう。イギリスの組織図なら『親』である執行部がそれを明確に定められるが、アメリカの組織図ではそれが出来ないわけだ。

 

私でも分かるような欠陥を何故放置しているのかと訝しんでいると、黙考していたアリスが自身の見解を口にした。

 

「つまり、ホームズは自分で事件を捜査することに拘ったわけね。多少強引な手を使ってでもそれを貫こうとした。……怪しすぎるわ。恣意的にバルト元隊長を『悪者』にしたと思う?」

 

「不明ですが、やろうと思えば可能なはずです。そして現地の次局長はそれを疑い、私もマクーザが提出してきた捜査報告を疑っています。……この事件、思っていたよりも根が深いのかもしれません。魔法大臣も疑念を抱いているようなので、近々マクーザに対して公的な質問状を──」

 

と、そこまでデュヴァルが言ったところで、ドアの向こうから騒がしい音が響いてくる。何事かと私たちが黙って耳を澄ますと、口論のような声が聞こえてきた。

 

「──だから、これ以上の立ち入りはご遠慮願いたい。今隊長を呼んでくるからここで待っていてくれ。」

 

「我々は連盟から捜査権を承認されています。ここで足止めするのはその意に反する行いですよ?」

 

「いいから少し待っていてくれ! すぐに呼んでくると言っているだろうが!」

 

どうしたんだ? イライラを多分に含んだ怒鳴り声の直後、ドアが強めにノックされると共に先程案内してくれた職員が隙間から顔を覗かせた。背後に居る誰かに室内を見せまいとしているかのような格好の職員は、アリスをちらりと見てからデュヴァルに報告を放つ。

 

『隊長、来てください。マクーザの国際保安局とかいう連中が押し入ってきています。連中、かなり強引ですよ。連盟から『お墨付き』を得たようでして。』

 

『国際保安局が? ……分かった、すぐに行こう。』

 

マクーザという単語は分かったものの、早口な所為で何を言っているのか理解できなかったな。私と同程度のフランス語力しかない隣の咲夜も首を傾げているが……むう、リーゼとアリスは何故か鋭い表情だ。もしかしたら招かれざる客なのかもしれない。

 

「少々お待ちください。」

 

ぺこりとお辞儀してそそくさと部屋を出るデュヴァルを見送って、マタゴを離してドア側の壁に歩み寄ったリーゼと一緒に聞き耳を立てる。さっき聞こえてきたのは英語だったし、入ってきた連中とは多分英語で話すはずだ。それなら私にも理解できるぞ。

 

「これはどうも、私はフランス闇祓い隊の隊長のルネ・デュヴァルと申します。本日はどういったご用件でしょうか?」

 

「お初にお目にかかります、デュヴァル隊長。私はマクーザ国際保安局局長を務めております、アルバート・ホームズと申します。本日は危急の用件でフランス魔法省を訪れたため、止むを得ず強引な手段を──」

 

今、アルバート・ホームズって言ったよな? 部屋の全員に確認の目線を送ってみると、リーゼは興味深そうな表情で、アリスは緊張しながら、咲夜は驚いた顔でそれぞれ頷きを返してくる。この壁のすぐ向こうにホームズが居るのか。ポール・バルトを殺し、その息子のクロード・バルトに生き写しだという怪しい男が。

 

いきなりの事態にごくりと喉を鳴らしつつ、霧雨魔理沙はそっとポケットの中のミニ八卦炉を起動させるのだった。

 



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濡れ衣

 

 

「いや、わざわざ北アメリカからお疲れ様です。……それで、危急の用件とは何なのでしょうか? こんな場所まで押し入ってくる以上、かなりの緊急事態であることは容易に伝わってきますが。」

 

言外に『些事だったら承知しないぞ』というニュアンスを含ませたデュヴァルの発言を聞きつつ、アリス・マーガトロイドはリーゼ様の背後で耳を澄ませていた。礼儀正しいデュヴァルにしては珍しく刺々しいな。それでも口調が丁寧なままなのは彼らしいが。

 

フランス闇祓い隊のオフィスでバルト元隊長の事件に関する報告を受けていたところ、いきなり何者かが強引に部屋に入ってきたため、デュヴァルが個室を出て応対しているわけだが……まあ、あの態度も無理はないな。他国の捜査機関が闇祓いのオフィスに勝手に上がり込むなど前代未聞だ。ムーディだったら『先制攻撃』を仕掛けているレベルで無礼な行いだぞ。

 

そして、どうやら入ってきた集団の責任者はアルバート・ホームズその人らしい。五十年前に死んだクロードさんにそっくりの、きな臭い噂が付き纏う男。壁一枚隔てたやり取りに聞き耳を立てる私たちを他所に、オフィスの会話は進行していく。

 

「そんなに身構える必要はありませんよ、デュヴァル隊長。難しい話ではありませんから。……我々は今貴方のオフィスに隠れている、アリス・マーガトロイドを捕縛するためにフランス魔法省を訪れたのです。」

 

へ? ……私を捕縛? バルト元隊長の件じゃなくて? 同じく話を聞いていた魔理沙と咲夜が呆然と私を見て、リーゼ様が不機嫌そうに眉根を寄せる中、壁の向こう側のホームズは尚も説明を続けた。

 

「アリス・マーガトロイドは児童誘拐及び殺人、加えて国際機密保持法違反と魔法不正利用の被疑者なのです。その犯罪の大部分は北アメリカで行われました。故に我々国際保安局が闇の魔法使いである彼女を追い、現在フランスに滞在していることを突き止めたというわけですよ。……そのオフィスから出てきなさい、マーガトロイド。貴女は完全に包囲されています。」

 

いやいやいや、どういうことだ? 児童誘拐と殺人? これっぽっちも身に覚えがないぞ。訳の分からない状況に私が混乱している間にも、デュヴァルがホームズに質問を飛ばす。彼も突然の話に当惑しているような声色だ。

 

「お待ちください、ホームズ局長。状況が全く把握できません。ミス・マーガトロイドとは先の戦争を共に戦った仲ですが、とてもそんなことをする人物には──」

 

「凶悪事件の犯罪者とは得てしてそういうものです。それは闇祓いの長である貴方もよくご存知でしょう? ……いやはや、偶然発見できて本当に良かった。入国直後に捜査の許可をいただこうとこの建物に来てみたところ、部下が廊下を歩くマーガトロイドの姿を目にしたようでして。何が目的でフランス魔法省に入り込んだのかは不明ですが、重職に就く貴方が服従でもさせられたら大変ですから。」

 

そんなことをするわけがないだろうが。謎の容疑をかけられて苛々していると、リーゼ様が徐にドアを開けてしまった。出ちゃって大丈夫なのか?

 

「リーゼ様?」

 

「ここに居ることはバレてるようだし、隠れていても仕方がないだろう? だったら黙ってるより反論すべきなのさ。……やあ、アルバート・ホームズ。うちの家人に何か用みたいだね。」

 

堂々と個室から出て話しかけたリーゼ様に続いて、残った私たちもドアを抜けてみると……わお、思っていたよりもギスギスしているな。オフィスの入り口側に八名の国際保安局員らしき魔法使いたちが立っており、それと相対するようにデュヴァルを含めた六名の闇祓いが私たちに背を向けている。構えてこそいないが、既にデュヴァルとホームズを除いた全員が杖を抜いてるぞ。

 

そんな一触即発の空気を気にすることなく、悠々とした動作でホームズの目の前まで歩み寄ったリーゼ様へと、クロードさんにそっくりな男は薄く微笑みながら返事を返した。リーゼ様は先程まで消していた翼を露わにしているな。もう吸血鬼であることを隠すつもりはないらしい。

 

「『家人』とはどういう意味でしょうか? 吸血鬼さん。」

 

「言葉通りの意味だよ。うちの可愛い娘にふざけた疑いをかけているみたいじゃないか。さっさと撤回して新大陸に帰りたまえ。」

 

「ふむ、ご家族ということですか? ……何にせよ、アリス・マーガトロイドは拘束させていただきます。身内の肩を持ちたい気持ちはよく分かりますが、彼女は凶悪な犯罪者です。公正なマクーザの裁判機関がそれを明らかにしてくれるでしょう。」

 

「ふぅん? 『マクーザの裁判機関』ね。おかしな話じゃないか。アリスはイギリス人で、ここはフランスだ。どうしてこれっぽっちも関係のないマクーザが出しゃばってくるんだい?」

 

挑発的なトーンで問いかけながら覗き込むリーゼ様に、グレースーツ姿のホームズはにこやかな笑みで理由を述べてきた。どこか無機質な笑みだと感じてしまうのは、彼が『人形』かもしれないと疑っているからなのだろうか?

 

「それはマーガトロイドが北アメリカで殺人を犯したからです。魔法族の少女を三名と、少年を一名。去年の春に行方不明になり、秋頃に遺棄された死体を発見したという報道があったはずなのですが……どうやらご存知ないようですね。」

 

「その時期のヨーロッパは偉大なる闇の帝王どのを殺すのに忙しかったからね。……それで? その一件がどうしてアリスに繋がるんだい?」

 

「保安局の捜査の結果、マーガトロイドの犯行であることが明らかになりました。犯人が他国の魔法使いだということを突き止めた保安局が国際保安局に捜査権を委譲し、フランスへの渡航申請を出していることを確認した我々はフランスを訪れ、そして今まさに犯人を追い詰めているわけですよ。理解していただけましたか?」

 

「残念ながら『いただけない』かな。キミたちが保安局から得た『捜査の結果』とやらを提示したまえ。口頭の曖昧な説明じゃ納得できないんだよ、こっちは。」

 

苛々と足を鳴らすリーゼ様の文句に、ホームズは困ったように苦笑した後……やる気なのか? 杖を抜いて真っ直ぐ私の方に向けてくる。

 

「申し訳ありませんが、拘束が先です。心配しなくとも弁護人は付けられますし、裁判もきちんと行なわれますから。そこで詳しい説明があるでしょう。……杖を捨てて両手を上げなさい、マーガトロイド。国際魔法使い連盟から認可された捜査権に基づき、貴女を北アメリカに移送させてもらう。」

 

……どうしよう。当然ながら私は無実だし、捕縛されるのは納得がいかない。だが、ホームズの言葉からするにこの逮捕劇は連盟の許可を得た行為のようだ。である以上、無理に抵抗すれば状況が悪化する可能性があるだろう。

 

しかし反面、ホームズの動きに例の魔女が関わっているのは明白だ。北アメリカに移送されれば何をされるか分かったものじゃないし、もしかしたら正当な裁判を行なってくれないかもしれない。でっち上げの容疑で連盟を動かせるほどなのだから、自分の縄張りで裁判の結果を操作するのなど簡単だろう。

 

急な事態に困惑しつつ、最適解は何かと逡巡していると……やおらデュヴァルが私の前に出た。杖を構えた状態でだ。

 

「……おや、どういうおつもりですか? デュヴァル隊長。フランス闇祓い隊はこの件に関係がないはずですが。」

 

「お忘れのようですが、ここはフランス魔法省です。そしてミス・マーガトロイドはスカーレット女史のお身内だ。はいそうですかと見過ごすわけにはいきませんな。」

 

デュヴァルがそう宣言した途端、残る五人の闇祓いたちも一斉に杖を構えて臨戦態勢に入る。その光景を見て剣呑な雰囲気を漂わせ始めた部下たちを手で抑えつつ、ホームズは静かな声でデュヴァルに忠告を放った。

 

「我々は連盟の認可を受けてこの場に居り、またフランス国内でマーガトロイドを捕縛することに関しても許可を得ています。それに反抗しようとするのがどういう意味なのかをお分かりですか?」

 

「重々承知していますよ。その上で杖を構えているのです。」

 

「……おかしな方だ。レミリア・スカーレットはもう居ないのでしょう? 居なくなった存在に忠義立てする必要がありますかね?」

 

「貴方にとってのそれがどうであるかは知りませんが、フランスの闇祓いの忠誠は錆びるものではありません。連盟か、『紅のマドモアゼル』か。……フランスの魔法使いがどちらを選ぶかなど議論にも値しませんな。あまり我々の忠義を侮らないでいただきたい。」

 

常にない怜悧な口調で断言したデュヴァルを支持するように、闇祓いたちも断固とした表情でジリジリと立ち位置を整え始める。部屋の方々で寝ていたマタゴが唸りながらホームズたちに近付き、リーゼ様が鋭い目付きで手を振り上げたところで──

 

「そこまで! そこまでです! ……杖を下ろしていただきたい、ホームズ局長。デュヴァル、そちらも下ろして構わない。連盟には話を付けた。」

 

いきなり部屋に駆け込んできた小太りの中年男性……フランス魔法大臣だ。大臣がするりと間に割り込む。デュヴァルたちが即座に杖を下ろし、国際保安局の局員たちもホームズの指示で下ろしたのを確認した大臣は、ニコニコと微笑みながらホームズに声をかけた。目は全く笑っていないが。

 

「どうも、ホームズ局長。私の自己紹介は不要ですね? ……大いに結構、それなら端的に説明させていただきます。貴方がたの捜査権は停止していますので、どうぞこのままお帰りください。後は我々フランス魔法省が引き受けましょう。」

 

「……どういうことでしょうか? 自国の少年少女を殺害した犯罪者を目の前にして、何もせず大人しく引き下がれと?」

 

「如何にも、その通りです。ミス・マーガトロイドはフランス魔法省が捕縛し、取り調べを行います。そこで決定的な証拠が得られればマクーザに移送しましょう。……フランスに居る被疑者をフランスの治安維持機関が捕縛する。何かおかしな部分がありますかな?」

 

「納得できませんね。百歩譲ってフランスが捕縛するにしても、取り調べには我々も参加させていただきたい。マーガトロイドが犯罪を犯したのは北アメリカです。ならば、我々には捜査に参加する権利があるとは思いませんか?」

 

薄笑いで問いかけたホームズへと、フランス大臣はニコニコ顔のままできっぱりと返答を叩き付ける。

 

「微塵も思いませんね。その権利が停止されたのですから。……デュヴァル、こちらに居る『観光客』の皆さんを出口までお送りしてくれ。立ち入り禁止の部屋に迷い込んでしまったようだ。」

 

「かしこまりました、大臣。」

 

歩み寄ってきたデュヴァルが無言の圧力をかけるのに、ホームズはほんの少しの間だけ動かないことで抵抗していたが……やがて諦めたように小さく微笑むと、大臣に対して警告を投げかけた。

 

「決して逃がさないようにお願いしますよ? ここまでのことをやった以上、フランスがマーガトロイドを逃がせば国際社会の非難は避けられませんから。」

 

「ご心配どうも。ささ、早く部屋を出てください。このままここに居られると、我々は貴方がたを侵入の容疑で逮捕しなければいけなくなります。そうなれば厄介な書類仕事が増えてしまいますので。」

 

「……この建物を出たらすぐに連盟に確認させていただきます。どんな手を使ったのかは知りませんが、強引な手段は後々に響きますよ。」

 

それはこっちの台詞だぞ。フランス大臣にそう言い放った後、ホームズたちは数名の闇祓いに『警護』されながら部屋を出て行く。それを見送った大臣は、疲れたようにため息を吐いてから私に言葉をかけてきた。

 

「では、ミス・マーガトロイド。貴女は急いでイギリスにお帰りください。騒動を聞き付けた直後に連盟の知り合いに頼み込んで、ホームズたちの捜査権の停止を無理やり通しましたが……まあ、長くは持たないとの報告を受けています。ならば早くボーンズ大臣の下に移動した方がよろしい。今ポートキーを準備させますので少々お待ちください。」

 

「だけど、それだとフランスの立場が悪くなりませんか?」

 

ホームズが言っていた通りの事態になっちゃうぞ。強引に被疑者を『取り上げて』、その結果逃がしましたじゃ面目丸潰れだろう。心配しながら聞いてみると、大臣はなんて事ないように答えてくる。

 

「立場が悪くなる程度でスカーレット女史への忠義を通せるなら安いものですよ。それに貴女が紅のマドモアゼルの関係者だと知れば、フランスの魔法使いたちも納得してくれるはずです。……ボーンズ大臣には既に報告を回していますので、彼女なら上手く対処してくれるでしょう。フランスに居るイギリスの魔法使いを守るのは難しいですが、自国であれば幾らでもやりようがありますから。」

 

言うとフランス大臣は部屋に残った闇祓いに視線で指示を出して、イギリス行きらしきポートキーを作らせた。それを受け取って私に押し付けてきた大臣へと、リーゼ様がニヤリと笑いながら口を開く。

 

「一世紀近く経ってもアイリスは未だ枯れずか。伝えられる機会があればレミィに伝えておくよ。」

 

「協力的なのはフランスだけではないと思いますよ。もしホームズが頑固に食い下がってくるようであれば、それを利用するのも一つの手かと。」

 

「んふふ、レミィに代わって感謝しておいた方が良さそうだね。良い働きだったよ。」

 

物凄い上から目線で褒めたリーゼ様に、フランス大臣は苦笑しながら大袈裟な一礼を送った。同時に魔理沙や咲夜もポートキーになったコーヒーの空き缶に手を触れて、最後にリーゼ様が左手を添えると……大臣が難しい表情で別れを口にする。

 

「バルト元隊長の事件に関する調査はこちらでも継続します。もしかしたらホームズの粗を見つけられるかもしれませんので。……ボーンズ大臣には連盟を警戒するようにとお伝えください。今回の一件、ホームズへの『特別扱い』があまりに過ぎます。協力者のような存在が連盟内に居るのは間違いないでしょう。それも、それなりの地位にある協力者が。」

 

その言葉と共にぐいとおへそのあたりが引っ張られて、ひび割れるように周囲の風景が歪む。確かに他国の闇祓いのオフィスに『強制捜査』を入れるなど並大抵のことでは出来ないだろう。思った以上にホームズは……例の魔女は魔法界の中心部に食い込んでいるのかもしれないな。

 

久々に味わうポートキーでの移動に身を委ねつつ、アリス・マーガトロイドは厄介な状況に小さくため息を吐くのだった。

 



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賢人の条件

 

 

「おいおい、さすがの俺たちでも笑えないジョークだな。マーガトロイドさんがアメリカで殺人? お袋が聞いたら激怒するぜ。」

 

悪戯グッズがぎっしり詰まった棚を整理しながら苦笑するジョージに、レジカウンターに座っている霧雨魔理沙は呆れ顔で返事を返していた。いやはや、本当に笑えないな。無茶苦茶すぎるぞ。

 

「まあな。ヴォルデモートがマグル保護のために募金活動をするって方がまだ信じられるぜ。お陰でヨーロッパ旅行はおじゃんになって、私は場末の悪戯専門店でバイトをしてるってわけだ。」

 

「元気出せよ、マリサ。場末なりのバイト代は出してやるから。」

 

ジョージと瓜二つの苦笑いを向けてきたフレッドが言うと同時に、彼が直していたディスプレイ用のミニ観覧車が動き出す。『遊び飴』が乗っている観覧車だ。ゴンドラの中の人型の飴たちは観覧車が回り始めたことに大喜びしている。早く地上に降りて遊びまくりたいのだろう。

 

夏休みも中盤に差し掛かった七月下旬。フランス魔法大臣の手によってイギリスに逃された私たち……というかアリスは、現在人形店で引きこもり生活の真っ最中だ。あの後魔法省でボーンズ大臣と話し合った結果、状況が落ち着くまでは安全な場所で大人しくしている方が良いという結論に至ったのだとか。

 

無論ただ黙っているわけではなく、ボーンズ大臣やフランスの大臣、魔法法執行部の部長であるルーファス・スクリムジョールやウィゼンガモットの評議長までもが対処に動いているようなのだが、日々魔法省に出かけているリーゼによればホームズはしつこくアリスの身柄を要求しているらしい。国際魔法使い連盟の本部を舞台に熾烈な『政治バトル』が行われているそうだ。

 

今日も朝から家を出て予言者新聞社のスキーターに会いに行っているリーゼのことを考えつつ、大量の浮遊ガムを持ってきた常連の少年の支払いを済ませていると……おお? ベーコンだ。入り口を抜けてくる同学年のレイブンクロー生の姿が目に入ってきた。

 

「よう、ベーコン!」

 

昼時で客が少ないし、ちょっと声をかけてお喋りするくらいなら問題ないだろう。そう思って呼びかけながら手を振ってみると、ベーコンはびくりと震えてキョロキョロ店内を見回した後、カウンターに居る私を見つけて小走りで近付いてくる。何故か少し赤い顔だ。こいつは悪戯とは無縁の優等生タイプの生徒だし、『悪名高き』ウィーズリー・ウィザード・ウィーズに居るのを見られて恥ずかしいのかもしれない。

 

「へ? ……キリサメ? 何してるの?」

 

「バイトだよ、バイト。双子と仲が良かったのは知ってるだろ? その繋がりで雇ってもらってるんだ。」

 

「ちゃんとグリフィンドールの寮監に申請書を出した? 夏休み中のバイトは申請を通さないとしちゃいけない決まりよ。」

 

「あのな、この店が既に校則違反を具現化したみたいな場所なんだから、そこで働くのに申請もクソもないだろ。大体、あんな申請書を真面目に出してるヤツなんてごく少数だぞ。私の知る中じゃハーマイオニーくらいだ。」

 

休みに入る前に自分の両親が経営している歯科医院でのバイト申請を出していたが、受け取った新寮監であるフーチは完全にきょとんとしていた。教師ですら規則のことを知らなかったあたり、グリフィンドールで毎年きちんと出していたのはハーマイオニーただ一人なのだろう。

 

私が肩を竦めて放った返答を受けて、レイブンクローが誇る『監督生予備軍』はムッとしながら注意を投げかけてくる。八月になったら間違いなくこいつにバッジが送られてくるだろうし、確実に私には来ないだろうな。

 

「意味不明な理屈で規則を破るのは良くないわね。私はフリットウィック先生に申請書を出したわよ? 近所の子の家庭教師をしてるの。」

 

「それはそれは、悪戯専門店でバイトするのとは天と地の内容だな。フリットウィックも鼻が高いだろうさ。」

 

「……別に職業に貴賎はないでしょ。ここだって立派な商店よ。」

 

うーん、悪いヤツではないんだよな。私の冗談に目を逸らしながら生真面目なフォローを入れてきたベーコンに、苦笑を浮かべて質問を飛ばした。

 

「それで、今日は何を買いに来たんだ? 大抵の悪戯グッズなら揃ってるぜ?」

 

「悪戯グッズというか、生徒を和ませるためのちょっとしたマジック用品みたいなものを買いに来たの。……夏休みの間だけ週三回のペースで教えてるんだけど、なんだか他人行儀なのが抜けきらなくて。休憩時間の話の種が欲しいのよ。ちなみにマグルの十一歳の男の子ね。」

 

「あー、なるほどな。十一歳か。その歳のマグル相手だったらいくらでもやりようはあるが、あんまり派手すぎると機密保持法に抵触しちまうから……『底抜けスプーン』とかが無難か? 見た目は何の変哲もない普通のスプーンだけど、実際は底が抜けてるから何も掬えないんだ。」

 

地味すぎて魔法族にはあまり売れていないが、マグルが見れば立派なマジックだろう。カウンターの裏にある棚から一本取り出してやると、ベーコンは至極微妙な表情で根本的な疑問を述べてくる。

 

「本来は何に使うものなの? それ。」

 

「そりゃあ食事時とかにさり気なく置いといて、『あれ、スープが掬えないぞ?』みたいな状況に持っていくための代物だよ。」

 

「……そう。」

 

まあうん、説明している私もこの商品はいまいちだと思うぞ。私の商品説明に何とも言えない顔で曖昧に頷いたベーコンは、気を取り直すような口調で会話を進めてきた。

 

「そうね、これにするわ。水が通り抜けるマジックみたいな感じで見せれば話題作りには充分でしょうし。」

 

「はいよ、毎度あり。」

 

どうせ売れてないし、ありったけ値引きしておこうかな。双子も文句は言わんだろう。勝手に商品の値段を下げた私に、ベーコンは財布を懐から出しながらおずおずと問いかけてくる。

 

「……ねえ、ヴェイユは一緒じゃないの?」

 

「ん、咲夜? 家に居るけど、何か用があるのか?」

 

「そういうわけじゃないんだけど、貴女たちはいつも一緒に居るからキリサメだけなのが珍し……『家に居るけど』? どういう意味?」

 

おおう、どうした? 言葉の途中でやけに真剣な表情になって聞き返してきたベーコンへと、スプーンを包みながら口を開く。

 

「だから、家だよ。私たちの家。」

 

「私『たち』の家? ……い、一緒に住んでるの?」

 

「あーっとだな、咲夜の育ての親がレミリア・スカーレットだってことは知ってるか?」

 

なんでそんな剣幕なんだよ。カウンターに身を乗り出してくるベーコンから身体を引きつつ、説明の前提となる情報を確認してみると……ベーコンは分かり易くハッとしながら勢いよく頷いてきた。こいつ、こんなに元気な動きをするヤツだったか?

 

「そんなこと勿論知って……まさか、スカーレット女史が居なくなったから貴女の家に居候してるとか?」

 

「厳密に言えば居候してるのは私なんだけどな。私が住んでるのはアリスの実家なんだよ。そんでレミリアの家が、あー……空になっちまうから、ダイアゴン横丁にあるその家にアリスが戻ってきて、リーゼと咲夜なんかも夏休みの間はそこに住むことになったんだ。」

 

さすがに『レミリアは別の場所に転送された』とは言わない方がいいだろうな。ちょびっとだけ嘘を交えた経緯を口にした私へと、ベーコンは何故か安心したように息を吐きながら何度も首肯してくる。

 

「なるほどね、バートリ先輩やマーガトロイド先生も一緒なら問題ないわ。」

 

「問題?」

 

「だから、その……子供だけじゃ問題があるってことよ。色々と。」

 

「いやまあ、去年までは私一人だったんだけどな。」

 

代金を受け取って包んだスプーンを渡しながら言った私に、頬に赤みが差しているベーコンは早口で別れを告げてきた。変なヤツだな。

 

「それはそれ、これはこれなの。……それじゃあ、失礼するわ。バイト頑張ってね。」

 

「おう、お前も家庭教師頑張れよ。」

 

そそくさと店を出て行くベーコンを怪訝な思いで見送ってから、午後の客に備えるために私も商品の補充を手伝おうと席を立つ。今日のベーコンはいつもと違う雰囲気だったな。やっぱり夏休み中に会ったからそう思うのだろうか?

 

ホームズの件で落ちていた気分が多少マシになったのを感じつつ、霧雨魔理沙はまだまだ売れている『食べられる闇の印』のストックを手に取るのだった。

 

 

─────

 

 

「待て待て、どういうことだい? 『国際指名手配』? 正気の沙汰とは思えんぞ。」

 

ええい、忌々しい新大陸の大間抜けどもめ。アリスじゃなくてリドルを追う時にその積極性を発揮しろよな。苛々と翼を揺らしながらソファに座るアンネリーゼ・バートリは、部屋の面々に苦言を投げかけていた。対面のソファにはイギリスの魔法大臣たるアメリア・ボーンズが座っており、部屋の隅の壁には執行部部長のルーファス・スクリムジョールが寄りかかっていて、少し離れた木の椅子にはウィゼンガモットの評議長であるチェスター・フォーリーが腰を下ろしている。なんか微妙な距離感だな。全員ソファに座った方が話し易いだろうに。ひょっとして仲が悪いのか?

 

フランスでの騒動から一週間が経過した今日、遂にホームズが大きな動きを仕掛けてきたということで、イギリス魔法省の大臣室を訪れているのだ。先程のボーンズの説明によれば、マクーザはアリスを『国際指名手配』しようとしているらしいのだが……この状況でそんな強引な手を押し通せるか? 一体どういうことなんだ?

 

私のイラつきを含ませた言葉を受けて、先ずはボーンズが返事を寄越してきた。顔付きを見るに、彼女も喜ばしい事態とは捉えていないようだ。

 

「大前提として、イギリス魔法界はこの指名手配を受け入れるつもりはありません。連盟にもそのことは明言しています。」

 

「だが、事実として指名手配はされたんだろう? ……訳が分からんぞ。一体全体どういう状況になっているんだい?」

 

「つまり、マクーザが単独で国際指名手配をしたんです。北アメリカでは犯罪者ですが、イギリスでは犯罪者ではないということですね。」

 

「それだと『国際』って単語が相応しくないように思えるんだが。」

 

国際規約に明るいレミリアならこの段階で理解できているのかもしれんが、私にはさっぱり分からん。その感情を発言に滲ませてみると、今度は硬そうな木の椅子に座った老人が解説してくる。ウィゼンガモットの評議長か。私にとっては殆ど『知らない』と言えるような関係しかない人物だな。

 

「マクーザが連盟に対して指名手配を公認するようにと迫っているのですよ。それが叶った暁には、晴れてミス・マーガトロイドは連盟加盟国中の指名手配犯というわけですな。」

 

「……その場合、イギリスでも指名手配となるのかい?」

 

「なりませんよ、拒絶しますので。……ミス・マーガトロイドはイギリス魔法戦争の功労者であり、スカーレット女史の私兵として活躍した魔法使いです。指名手配を受け入れるか拒否するかの話し合いはウィゼンガモットでも行われますが、恐らく拒絶する方向で容易に纏まるでしょう。今のウィゼンガモットはスカーレット女史の色が強い。私としても自国の魔法使いの権利が侵害されるのは望むべきところではありませんので、そこは問題なく進むはずです。」

 

「ふぅん? ……仮に連盟にマクーザの要請が通っても、イギリスに居る限りは安全ってことかい?」

 

段々状況が理解できてきた私の質問に、厳しい表情のボーンズが答えてきた。そう単純な話ではないらしい。

 

「微妙なところですね。……こちらがマーガトロイドさんを引き渡したり、捜査に協力することは拒否できても、イギリス国内における捜査権は確保される可能性があります。」

 

「つまり、向こうの捜査員がこの国に入ってくることは防げないと?」

 

「そういう国際規約があるのです。そして、連盟内での動きを見るにホームズはそれを狙っています。……最も不自然なのはマクーザがホームズの動きを黙認していることですね。議会内のスカーレット派は何をしているんでしょうか?」

 

確かにそうだな。フランスやポーランドほど仲良しこよしとは言えないまでも、新大陸にだって『吸血鬼好き』な連中は存在しているはずだ。部屋に放たれたボーンズの疑問に対して、黙っていたスクリムジョールが声を上げる。

 

「知り合いの闇祓いからの情報によりますと、マクーザ議会もひどい騒ぎになっているようです。闇祓い局と治安局が完全に対立し、議員たちも二派に分かれて足の引っ張り合いを繰り広げているのだとか。」

 

「それはまた、昔のイギリス魔法省みたいな状況じゃないか。……その状態で連盟に要求をゴリ押してるってことは、多数派をホームズが握っているのかい?」

 

「そのようですな。現議長は闇祓いと共に反対派に回っていますが、多数なのはホームズの側です。北アメリカの報道紙は議長の解任決議が行われるのではないかと予想しています。……そうなった場合、ホームズの後ろ盾になっている議員の誰かが議長の座に就くのでしょう。」

 

「政治に関しては素人の意見だが、あまりにも展開が急すぎないか? レミィが去った直後にいきなりこれってのは異常だぞ。」

 

ほんの数ヶ月前までのマクーザはレミリアと足並みを揃えていたはずだ。それが急にスカーレットの身内を国際指名手配ってのは素人目に見てもおかしいぞ。私が足を組みながら口にした問いに、フォーリーが静かな声で応じてきた。

 

「間違いなく準備をしていたのでしょう。スカーレット女史の身内から凶悪な犯罪者が出れば、スカーレット派の勢いは否が応でも衰えます。今や最大の脅威である紅のマドモアゼル当人は魔法界から去りましたし、敵対派閥にとっては願っても無い展開なのでしょうな。……一応聞いておきますが、ミス・マーガトロイドが本当に犯罪を起こしたという可能性は無視して構いませんか?」

 

「無視していいよ。新大陸のぽんこつ捜査機関によれば、誘拐殺人が起きたのは戦争真っ最中の去年の春頃だ。あの頃のアリスに新大陸までお出かけして、子供を攫いまくって殺してる余裕があったと思うかい?」

 

「……まあ、個人的には同意しかねる捜査報告でしたが、客観的に見て可能性がゼロとは言い切れませんな。」

 

「おや、キミはアリスのことを疑っていると?」

 

鋭い目付きで睨んでやると、枯れ木のような老人は重々しい口調で返答を寄越してくる。

 

「そうではなく、客観的な可能性をゼロに近付けるためにこちらも捜査すべきだと言いたいのですよ。主張に正当性を持たせるためにも、我々イギリスも独自に事件を調べましょう。向こうの捜査の粗を見つけて公式な場で糾弾すれば、ホームズたちが動き難くなるのは間違いないはずです。……お任せしてもよろしいかな? スクリムジョール部長。」

 

「妥当な動きですな。……闇祓い副局長のシャックルボルトをマクーザに向かわせましょう。フランスの治安次局長が現地に居ると聞いていますから、連携を取ればそれなりの情報は入手できるはずです。それを基にして闇祓い局に事件を洗い直させます。」

 

そもそもがでっち上げなのだから、事件を調べ直せば何か不自然な点が見つかるかもしれない。私としても捜査し直すのに異存はないと部屋の面々に目線で伝えると、フォーリーが一つ頷いてから自身の動きについてを語ってきた。

 

「では、私は引き続き連盟への圧力を強めることに専念しましょう。イギリス、フランス、ポーランド、ギリシャ、ブルガリア、スイス。ヨーロッパ各国が大袈裟に騒ぎ立てれば、連盟とて軽々に指名手配を断行できなくなるはずです。」

 

「加えてロシアとドイツもだ。北の老人を動かすのは私に任せてもらおうか。」

 

「……バートリ女史はグリンデルバルド議長と関わりがあるということですか?」

 

「詳しく説明するつもりはないが、あるよ。『意識革命』が始まった時、レミィとゲラートの間に入ったのは私だからね。」

 

この部屋の面子になら話しても問題ないだろう。ボーンズは僅かな驚きを浮かべ、スクリムジョールは表情を変えない中、私の返事を受け取ったフォーリーは……ふむ? どちらかといえばプラスの感情を表しながら首肯を放ってくる。

 

「なるほど、スカーレット女史とグリンデルバルド議長を引き合わせたのは貴女でしたか。まさか偶然出会って意気投合するはずもありませんし、誰が接点になったのかは疑問だったのですが……意外なところで謎が解けましたな。」

 

「ダンブルドアだとは思わなかったのかい? あの爺さんはどっちとも繋がりがあったじゃないか。」

 

「最も可能性が高いのはダンブルドア氏だと考えていましたが、それでも違和感は残ります。意識革命の切っ掛けを作りそうなのはグリンデルバルド議長であって、ダンブルドア氏ではありませんから。議長の思想を『正しく』知る機会があり、尚且つスカーレット女史と引き合わせるという奇手を選択する人物。貴女なら納得ですよ。」

 

「奇妙な台詞だね。キミは私のことを殆ど知らないはずだろう?」

 

魔法省はレミリアの庭であって、私の縄張りじゃない。そう思って発した疑問に、フォーリーは落ち着いた様子で答えを返してきた。

 

「今の今まで我々が殆ど知らなかったのにも関わらず、この状況でグリンデルバルド議長を易々と動かせる。その事実から色々と連想したまでですよ。……改めてスカーレット女史の恐ろしさを感じますな。彼女は一体全体どこからどこまでを操っていたのでしょうか? 今まで偶然だと信じ込んでいた部分も、貴女の存在を当て嵌めればスカーレット女史の計画だったのではないかと思えてきました。」

 

「……ふぅん? キミは謎を明らかにしたいのかい?」

 

「気にはなりますが、やめておきましょう。暴いたところで誰も幸せになれないのであれば、地中深くに埋めておくのが正解ですよ。私は掘り起こすべきでない事実があるということを知っています。」

 

「賢明だね。知らなかったら無いのと一緒なのさ。賢く生きすぎたヤツってのは大抵損をするもんだ。」

 

うーむ、この爺さんも中々油断できない人物みたいだな。フォーリーに対する評価を少しだけ上げたところで、ボーンズが話のレールを元に戻してくる。

 

「とにかく、今はそれぞれ出来ることをしましょう。私はマクーザの議長に連絡を取ってホームズに関する情報を集めます。マーガトロイドさんにはもう暫く家から出ないようにと伝えていただけますか? この状況では何が起こるか分かりませんから。」

 

「ああ、伝えるよ。」

 

ホームズか。正直言ってあの人形だか人間だかを殺すのは難しくないが、この状況でいきなりホームズが死ねばアリスにとって好ましくない方向に事態が進むのは明白だ。それに、ホームズを始末したところで根本の問題は解決しない。あいつが人形だとすれば、操っている魔女をどうにかしない限り堂々巡りになるだけだろう。

 

ただまあ、こっちには向こうが知らないであろう最終手段が残されている。いざとなったら紫に頼んでアリスを幻想郷に逃がしてもらえばいいのだ。あるいは隙間妖怪に魔女を消すための協力を要請してもいいのだが……むう、高く付きそうだな。あいつは間違いなく足元を見て対価を要求してくるだろう。

 

それでもアリスのためなら呑んじゃうんだろうなと苦笑しつつ、アンネリーゼ・バートリはその時が来ないことを願うのだった。

 



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拭えぬ影

 

 

「ありえません! マーガトロイドさんが犯罪者? 誘拐? 殺人? ……マクーザに吼えメールを送ってやるわ。ええ、ありったけの量を送ってやりますとも。イギリスの魔法使いを怒らせたらどうなるのかを教えてやらないと。」

 

私の目の前の皿にパスタを盛りながら激怒するモリーさんを見て、サクヤ・ヴェイユは困った気分で半笑いを浮かべていた。物凄い迫力だな。アリス本人より怒っているのは間違いないだろう。

 

夏休みも半分が過ぎようとしている七月の末、私と魔理沙は箒の練習をするために隠れ穴を訪れているのだ。ちなみに明日開かれるポッター先輩の誕生日パーティーのために、ポッター先輩本人やハーマイオニー先輩も泊まり込みで遊びに来ている。私たちはダイアゴン横丁に一旦帰るが、明日のパーティーにはリーゼお嬢様と一緒に参加する予定だ。

 

そんなわけでクィディッチの練習に行く前に、ウィーズリー家の生活感溢れるダイニングで昼食をご馳走になっているわけだが……もう皿の上のパスタは一人前を優に超えてるぞ。誰か止めてくれとテーブルの面々に目線で助けを求めてみると、苦笑しながらのジニーがモリーさんを止めてくれた。

 

「ママ、幾ら何でも盛りすぎだよ。サクヤは小食なんだから、そんなには食べられないって。」

 

「あら、沢山食べなきゃダメよ。残してもいいからお腹いっぱい食べて頂戴。」

 

「そういう風に言われても無理して食べようとしちゃうのがサクヤなの。……ほら、いいから貸してってば。ちょっと減らすから。」

 

言うとジニーはモリーさんからトングを取り上げて、私の皿から自分の皿にパスタを移してくれる。実にありがたいぞ。とても美味しそうなペスカトーレではあるのだが、さすがに限界以上は食べられない。大量に残しちゃうのは申し訳ないと思っていたのだ。

 

「これくらいでいい?」

 

「うん、充分よ。ありがと、ジニー。」

 

「おっけーおっけー。……ママ、真ん中に置いとけばみんな自分で盛るから大丈夫だよ。なんでそんなに盛りたがるのさ。」

 

トングを取り戻そうとするモリーさんにジト目で抗議したジニーに、赤毛の母親が娘そっくりの顔で言い返す。やっぱり親子だな。

 

「昼休みにお父さんとパーシーが帰ってくるんだから、二人の分を残しておく必要があるのよ。食べ盛りがこんなに居たら無くなっちゃうでしょう?」

 

「無くなるわけないじゃん。まだ追加で作ってるんでしょ? ……いいから私に任せてってば。ママが盛るとみんな食べすぎで死んじゃうよ。」

 

やれやれと首を振りながらテーブルの中央にパスタがたっぷり入ったボウルを置いたジニーへと、モリーさんが尚も食い下がろうとするが……その前にテーブルの一番奥に居るビルさんがトングに手を伸ばした。彼は結婚式の準備をするために、最近は隠れ穴に頻繁に戻ってきているらしい。

 

「ジニーの言う通りだよ、母さん。みんなもう子供じゃないんだから、自分の分くらい自分で取れるさ。……そら、それぞれ適当に取ってくれ。味は保証するから。」

 

「本当にもう、張り合いのない子たちね。……ハリー、ハーマイオニー、マリサ、あなたたちも好きなだけ取って頂戴。サラダもありますからね。」

 

おー、何もかもが大量だな。今度は野菜が山盛りになっている巨大なボウルを持ってきたモリーさんへと、みんなでお礼を言いつつそれぞれ手を伸ばしたところで、ロン先輩の隣に座っているハーマイオニー先輩が話題を元に戻してくる。アリスの一件が気になって仕方がないようだ。

 

「それで、マーガトロイド先生はどうしてるの?」

 

「最近はずっと家に居ます。あんまり外に出るべきじゃないってボーンズ大臣に言われたみたいで。ポッター先輩の誕生日パーティーとか、ビルさんの結婚式に出られないかもしれないことを謝ってました。」

 

「残念だけど、そういう事情なら仕方がないさ。フラーも納得してくれると思うよ。……というか、彼女はマクーザに対して怒るんじゃないかな。フランス魔法省に乗り込んで逮捕しようとしたっていうのは強引すぎるからね。」

 

私に応じたビルさんに続いて、ポッター先輩も真剣な表情でこくりと頷く。ちなみにデラクールさんはお仕事中らしい。明日の誕生日パーティーには来るそうだけど。

 

「うん、悪いのはマクーザだよ。……まさか本当に逮捕されたりはしないよね?」

 

「ここはイギリスよ、ハリー。だからイギリスの魔法使いを他国の捜査機関が不当に逮捕することなんて出来っこないわ。そうなったらもう国際問題よ。」

 

「ん、リーゼもそう言ってたぜ。魔法省は断固抗議の姿勢を取るんだってさ。」

 

パスタに入っている海老を頭ごと食べている魔理沙の返答に、自家製らしきドレッシングの瓶を持ってきたモリーさんが反応した。ぷんすか怒りながらだ。

 

「当たり前です。いきなり訳の分からない疑いをかけて、強引にアメリカに移送しようとするだなんて……信じられないほどに無礼だわ。ジニー、吼えメールの残りがどこにあったか覚えてる?」

 

「覚えてるけど、手紙を書くのは食べ終わってからにしなよ。私も書きたいし。」

 

「なら、後でダイアゴン横丁に追加を買いに行きましょうか。ついでにマーガトロイドさんの様子も見てこようかしら? そうなるとお土産に何か作った方が良いかもしれないわね。」

 

「母さん、吼えメールは程々に頼むよ。マクーザにまでウィーズリーの悪名が伝わるのは避けるべきだろ? フレッドとジョージの所為で、イギリス魔法界にはあまねく広まっちゃってるんだから。」

 

苦笑いのビルさんが注意したところで、少し離れた場所にある暖炉に緑の炎が燃え上がると共に、スーツ姿のアーサーさんが姿を現わす。魔法省は昼休みに突入したようだ。

 

「みんな、ただいま。パースもすぐに……おっと、来たみたいだね。」

 

「ただいま帰りました、母さん。みんなも久し振りだね。」

 

「お帰りなさい、二人とも。さあさあ、席に着いて頂戴。今日はパスタを作りましたからね。」

 

うーむ、慌ただしいな。私たちに挨拶しながらパーシー先輩がビルさんの隣に、アーサーさんが家長らしく一番上座に腰を下ろしたのを見て、モリーさんが素早い動きで皿を持ってくる。紅魔館では住人たちの食事の時間がバラバラなことが多かったので、こういう『大家族』って雰囲気は新鮮だ。

 

何となくこちらを笑顔にさせる光景に微笑んでいると、アーサーさんが革のブリーフケースから何かを取り出した。困惑しているような表情でだ。

 

「サクヤ、マリサ、君たちはこれの詳細を知っているかね? さっきアトリウムで配られていたんだが。」

 

そう言ってアーサーさんがテーブルの中央に置いたのは……わお、凄まじいな。予言者新聞の号外だ。見出しには目が悪い人でも絶対に見逃さないような大きな文字で、『権力の妄執者、アルバート・ホームズの蛮行』と書かれている。

 

「賭けてもいいけど、これを書いたのはスキーターだと思うよ。見出しがもう『スキーター調』だもん。」

 

「そうね、『蛮行』ってあたりがスキーターっぽいわ。『妄執者』の部分はちょっと文学的すぎてゴシップ記者っぽくないけど。」

 

ジニーとハーマイオニー先輩がよく分からない議論をしている間に読み進めてみると、これでもかというくらいにホームズの行いを叩いている内容だということが分かってきた。この記事によればホームズは『スカーレット女史の影響力を削ぐために清廉潔白なイギリス魔法界の功労者の罪をでっち上げ』、『腐敗した連盟の威を借りて我が国に対して不当な圧力をかけてきており』、『イギリスの威信を貶めるべく日々怪しげな密会を繰り返している』のだとか。レミリアお嬢様のことを悪し様に書いたリータ・スキーターのことは好きじゃないが、今回の記事だけは好きになれそうだな。

 

そしてそれは私だけの感想ではなかったようで、モリーさんも大きく鼻を鳴らしながらうんうん頷き始める。

 

「スキーターもまともな記事を書くようになったみたいね。後で壁に貼っておきましょうか。」

 

「スキーターのやつ、ボロクソに叩いてるぜ。……見ろよ、ここ。『本紙が取材したマクーザの関係者によれば、ホームズは自身の支持者を利用して敵対議員に脅迫を行うという非人間的な行為を何度も実行している』だってよ。マクーザに行ったってことか?」

 

「大して調べなくても書くだけなら簡単よ。スキーターのことだし、『本紙が取材したマクーザの関係者』ってのは実在しない人物なんでしょ。」

 

「それでも今回はいい気味だよ。……三枚目もぎっしり書いてあるな。裏までだ。これ、文量だけならいつもの新聞の五倍はあるぞ。」

 

魔理沙に突っ込んだハーマイオニー先輩へと、三枚目を手にしたロン先輩が応じたところで、アーサーさんがサラダを頬張りつつ魔法省職員の反応を教えてくれた。

 

「職員たちは混乱してたよ。マーガトロイドさんのことを知っている人は結構多いからね。彼女は……何と言うか、人気があるんだ。人当たりが良いから。」

 

「職員の人たちは魔法省の姿勢を支持してるってことですか?」

 

私が投げかけた質問に、ペスカトーレに入った大量のイカを見て嫌そうな顔になっているパーシー先輩が答える。嫌いなのかな? 美味しいのに。

 

「多分、九割以上が支持するんじゃないかな。スカーレット女史の関係者で、かつ去年の戦いでは例のあの人の杖腕を切り落とし、第一次戦争では不死鳥の騎士団所属。おまけに人付き合いが良くてダイアゴン横丁にも顔が利くとなれば、嫌ってる人なんて殆ど居ないよ。この記事もそれに拍車を掛けるだろうしね。」

 

むう、アリスは私が思うよりも『人気者』だったらしい。ちょびっとだけ感心する私を他所に、ビルさんがおかわりを皿に取りながら同意を返す。

 

「だろうね、グリンゴッツの呪い破りの中にも『ファン』がいるくらいだから。……ホームズが何を考えているのかは分からないけど、ここまで強硬に拒絶されるのは予想外だったんじゃないかな。」

 

「そう? 私は至極当然の反応だと思うけど。」

 

「それはジニーがイギリスの……というか、ヨーロッパの魔法使いだからそう思うんだよ。僕は何度か仕事でアメリカに行ったことがあるけど、向こうじゃスカーレット女史の影響力はヨーロッパほど大きくないんだ。『紅のマドモアゼルの部下』って立場がどれだけの価値を持つかは、マクーザの中に居ると分かり難いんじゃないかな。」

 

「ふーん。……ま、ざまあみろだよ。」

 

母親そっくりの仕草でジニーが鼻を鳴らしたところで、ずっと記事を読んでいたポッター先輩が根本的な疑問を口にした。

 

「でもさ、変だよね。マーガトロイド先生が犯人じゃないのは当然として、ホームズはどうしてここまで自信満々に糾弾できるんだろう? これだけ大きな国際問題になってから、やっぱり犯人じゃありませんでしたってなったら大事じゃない? ホームズに同調してるマクーザとか、連盟の協力者とかはそれが怖くないのかな?」

 

「……確かにそうね。ここまで強引に要求をゴリ押せるってことは、何か決定的な証拠でもあるのかしら?」

 

「あるわけないだろ? ハーマイオニー。マーガトロイド先生は犯人じゃないんだから、『決定的な証拠』なんてものは出るはずないんだ。」

 

パスタを頬張りながらのロン先輩の指摘を受けて、ハーマイオニー先輩は難しい表情で首を横に振る。

 

「捏造してるって可能性を考慮すべきよ、ロン。もしスキーターの記事通りホームズの目的がスカーレットさんの影響力を削ぐことなら、そこまでのことをやったっておかしくないわ。スカーレットさんには味方が多かったけど、同時に敵も多かったでしょう? そういう人たちが協力してるのかもしれないじゃない。」

 

「ハーマイオニーの言う通りだね。スカーレット女史が居なくなったことで空いた穴は途轍もなく大きいんだ。今の国際社会はそれをそのままにしておこうという者と、代わりに誰かの存在をねじ込もうとしている者に分かれてる。後者の連中はスカーレット女史の影響力を払拭したいんだよ。ホームズの行動はそういう人たちにとって都合の良いものなんじゃないかな。」

 

パーシー先輩が重々しい口調で放った意見を聞いたテーブルの面々は、それぞれ無言で考え始めた。……この場では私と魔理沙だけしか知らないが、ホームズの裏には例の魔女が居るはずだ。それを含めると事態はより複雑になってくるな。

 

魔女がアリスを狙っているとして、殺そうとしているのか捕縛しようとしているのか。本気でレミリアお嬢様の影響力を削ごうとしているのか、それともそれはアリスを捕まえるための手段に過ぎないのか。

 

一体何が目的なんだ? アリスか、魔法界そのものか、はたまた別の何かか。私が頭を悩ませていると、魔理沙が呆れたような半笑いで声を上げる。

 

「しかしよ、レミリアも大したもんだな。居なくなった後もあいつを中心に大騒ぎしてるじゃんか。」

 

……まあうん、確かにそうだな。ホームズと戦っているのも、アリスを守っているのもレミリアお嬢様の存在に他ならないだろう。姿がなくとも、遠く離れていても、結局のところ国際社会はお嬢様を中心に動いているわけだ。これって結構凄いことなんじゃないだろうか?

 

未だ魔法界に鎮座し続ける『紅のマドモアゼル』のことを思って、サクヤ・ヴェイユは紅魔館の主人への尊敬度合いを一つ上げるのだった。

 



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中庸の存在

 

 

「ねえ、何してんの?」

 

尋常ではない暑さの神社の境内。畳敷きの部屋に繋がる縁側で書類を読んでいたアンネリーゼ・バートリは、背後からかけられた声に小さくため息を吐いていた。こっちから話しかけると迷惑そうな顔をする癖に、構わないでいると今度はちょっかいをかけてくるわけか。気まぐれな猫みたいなヤツだな。

 

八月に突入した夏の日の午後、紫に会うために幻想郷の博麗神社を訪れているのだ。約束通りの時間に出現したスキマに入ってみたところ、胡散臭い隙間妖怪の姿はそこになく、代わりに紅白巫女が待っていたというわけである。彼女によれば幻想郷の管理者どのは少し忙しいので、神社で小一時間待っていてくれとの伝言を預かっているらしい。

 

ちなみに今日紫に会うのは、もちろん魔女に関する情報を入手するためだ。アピスから聞いた香港自治区での騒動の詳細を知りたいのと、新大陸の人外事情に詳しいであろう魅魔と引き合わせてもらおうと思って来たわけだが……ええい、鬱陶しいな。紙のヒラヒラが付いた謎の棒で私を突っついてくる巫女に、迷惑ですと顔に表しながら日本語で返答を返す。なんかピリピリするぞ、それ。

 

「その棒はどっかにやってくれ。何だか知らんが、嫌な感じがするんだ。」

 

「当たり前じゃない。あんたは妖怪で、これは御幣なんだから。神道の祭具の一つよ。」

 

「キミね、巫女の癖に祭具をそんな雑に扱っていいのかい?」

 

「普通の人ならダメだけど、私は巫女だからいいの。……それで、それは何なの?」

 

肩越しに覗き込んでこようとする巫女へと、うんざりした気分で答えを送る。この場所はただでさえ信じられないほどに暑いんだから、余計なことをして体力を使わせないでくれ。

 

「キミには関係のない報告書だよ。英語は読めるかい?」

 

「読めないし、内容はどうでも良いわ。私が気になってるのはその紙よ。……変なの。やけに厚いし、ザラザラしてるし、なんか汚いわね。」

 

「羊皮紙を知らないのか?」

 

「ようひし?」

 

本当に知らんのか。……そういえば、アジアでは昔から竹簡や植物紙を使ってたんだっけ。美鈴だかパチュリーだかから聞いたような話を思い出しつつ、巫女に読み終わった羊皮紙を渡して説明する。何で私がこんなことをしなきゃならんのだ。

 

「動物の皮から作った紙だよ。イギリスの魔法界じゃこれが主流なんだ。」

 

「動物の皮? ……不思議ね。紙にするために皮を剥いでたら、動物が居なくなったりしないの?」

 

「羊皮紙を使ってる絶対数が少ないからね。一部の魔法界以外じゃどこも植物紙だよ。羊皮紙は紙としての寿命が長いから、私はこっちを好んで使っているが。」

 

私の解説を受けながら羊皮紙を光に透かしたりパタパタ振ったりしていた巫女は、やがてそれを返してから別の質問を寄越してきた。

 

「他には何かないの? 面白い物。」

 

「……私を何だと思っているんだい? 私はここに紫と話をしに来たわけであって、キミを楽しませるために来ているわけじゃないんだが。」

 

「妖怪を神社で待たせてやってるんだから、せめて楽しませるくらいのことはしなさいよ。何かあるでしょ? あんたは『魔法界』から来たんだから。」

 

訳の分からん強引な理屈で迫ってくる巫女に……ああ、あの写真があったっけ。懐から一枚の写真を取り出す。先日隠れ穴で開かれた、ハリーの誕生日パーティーの時に撮った集合写真。こいつの『友人』である魔理沙も映っているので、話題作りにと一応持ってきてみたわけだ。

 

「ほら、写真だよ。魔理沙も居るぞ。」

 

ハリーを中心に全員で撮った写真を渡してやると、巫女は目をパチクリさせながらそれをまじまじと眺め始めた。ウィーズリー家の面々や学友たち、ブラックやルーピン夫妻、そしてハリーたちの隣で落ち着かない様子の私。……写真に写ったのは初めてかもしれないな。こうして見ていると奇妙な気分になってくるぞ。

 

「……動いてる。」

 

「そりゃあ動くさ。魔法界の写真だからね。」

 

「魔理沙のやつ、背が伸びてるわ。……あんた、妖怪なのに人間と『近い』のね。どうして?」

 

写真から出ようとする私を苦笑しながら引き止めているハーマイオニーとロン、それを困ったように見つめる中央のハリー。そんな写真の中の面々を前に心底不思議そうに呟く巫女へと、何とも言えない思いで返事を飛ばす。

 

「私にだって分からんよ。気付いたらこうなってたんだ。」

 

「……あんた、変よ。かなり変。もしかしたら紫より変かも。」

 

無礼なヤツだな。私の表情を目にしてそう言った巫女は、写真を返してから部屋の奥へと移動した。幾ら何でも隙間妖怪より変ってのは有り得ないだろうが。

 

そのまま背の低い棚を片っ端から開けていた巫女だったが、全ての段を確認した後で不機嫌そうな顔になると、再び縁側に戻って声をかけてくる。

 

「……なんか持ってない? 食べ物か、飲み物。お腹が空いたわ。」

 

「何なんだ、キミは。ここはキミの家なんだから、食べ物を出すとすればキミの方だろうが。」

 

行動が意味不明だぞ。私の呆れ声に対して、巫女は薄い胸を張って堂々と答えてきた。魔理沙以下、咲夜以上だな。私はまだまだ伸び代があるので別枠だ。

 

「だって、なーんにも無いのよ。もう昨日採った山菜しか残ってないわ。……何かと交換しない? 異国の山菜は貴重でしょ?」

 

「生憎だが、私はその辺の草を好んで食べたりはしないんだ。三食肉で問題ないくらいだよ。である以上、山菜なんぞ不要さ。」

 

「……嘘でしょ? 肉を食べまくってるの? どうやって?」

 

「どうやってと言われてもね。普通に店で買って食べてるんだが……まさか、人里には売ってないのかい? 肉。」

 

人里があるはずの方向を指差して問いかけてみると、紅白巫女は苦い表情で曖昧な首肯を返してくる。

 

「売ってるけど、高いわ。それに数が少ないから私には売ってくれないのよ。里の物は里の人間に優先されるの。」

 

「閉鎖的だね。……まあ、当然っちゃ当然か。人里の外は総じて妖怪のテリトリーなんだろう? そんな場所からのこのこやって来て、いきなり肉を売ってくれと言われたら断るだろうさ。」

 

外の世界の常識からすると閉鎖的に思えるが、そうでもしないと生き残れないような土地なのだろう。これもまた閉鎖環境における歪みの一つかと考える私に、巫女は不満げな様子でポツリと呟く。

 

「昔は魔理沙がたまに持ってきてくれたの。あいつが居なくなってからはご飯と味噌汁ばっかりよ。紫は肉を『支給』してくれない癖に、その辺の動物は獲っちゃダメだって言うし。」

 

「ふぅん? ……魔理沙とは仲が良かったのかい?」

 

肯定か、それに近い返答を予想して放った質問だったのだが……んん? 巫女は難しい顔でどちらとも言えない回答を口にする。

 

「……分からないわ。仲が良いってどういうこと?」

 

「難しい質問だね。……上手くは言えんが、その他の人物より優先するってことなんじゃないか? 一緒に遊んだり、会話をする時に優先的に対象になるような存在だよ。」

 

「それなら私と魔理沙は仲が良くないわ。少なくとも私は魔理沙を『優先』したりはしないもの。」

 

随分ときっぱり言うな。魔理沙から聞いていた人物評に繋がるような発言を受けて、興味を惹かれて問いを重ねた。

 

「キミにとってのそういう存在は居ないのかい? 親しいというか、大切というか、そういう対象は。」

 

「居ない……と思う。みんな一緒よ。差なんてないわ。」

 

「仮にだよ? 仮に魔理沙と人里の見知らぬ男が同時に死にかけていたとしようじゃないか。どちらか一人しか助けられないとしたら、キミはどちらを助ける?」

 

「何? その質問。変なの。……まあいいけど。多分、近い方を助けるんじゃない? その方が助かる確率が上がるでしょうし。」

 

近い方……つまり、助け易い方を事務的に優先するってことか。なるほど、これは確かに問題があるな。紫や魔理沙が言っていた意味がようやく分かってきたぞ。

 

巫女の行動は実に『正しい』ものだ。私情にとらわれず公正に判断するのであれば、助かる確率が高い方を先に助けるのが正解だろう。しかし、それは人間として『正常』な判断ではない。熟練の闇祓いからこの答えが出てきたならある程度納得できるが、十代の少女から出てくる答えではないはずだ。

 

紫が施した『調停者』を目指した教育の成果なのか、それとも巫女当人の性格なのか。巫女を横目に黙考していると、突然部屋の中央にスキマが開いた。待ち人が到着したらしい。

 

「やっほー、二人とも! ゆかりんが来たわよ!」

 

何故か得意げな顔で勢いよくスキマから飛び出してきた紫を、巫女と二人揃って無視していると……何なんだよ、こいつは。くるりと悲しげな表情に変わった隙間妖怪は、畳の上に崩れ落ちて泣き真似をし始める。

 

「……どうして無視するの? 寂しいわ。私はこんなにも二人のことが大好きなのに。誠心誠意慰めてくれないと立ち直れないかも。例えばほっぺにチューするとか。」

 

「それじゃ、私は境内の掃除に行ってくるわ。話があるんでしょ? 後は二人でごゆっくりどうぞ。」

 

「おい、待ちたまえ紅白巫女。この面倒な女と私を二人っきりにするつもりかい? 掃除なんか後回しにしたまえよ。ここはキミの家なんだから、家主が同席するのは当たり前のことだろう?」

 

「やだ。」

 

恐ろしく端的な返事と共に巫女は縁側から飛び降りて、そこにあった草履を履いて石階段がある方向へと駆けて行ってしまった。クソ暑い外の方が隙間妖怪よりまだマシだと判断したようだ。賢いヤツめ。

 

遠ざかる紅白の背中を羨ましく思っている私へと、けろりと胡散臭い笑顔に戻った紫がにじり寄ってくる。

 

「で、どうだった? あの子の『問題』に気付いたんでしょ?」

 

「会話を覗き見てたのか。つまり用事があったというのは嘘なわけだ。殴ってもいいかい?」

 

「やーん、怒らないでよ。……要するにね、あの子にとって世界の全ての人間は等価値なの。っていうか、妖怪も含めてそうなのかもしれないわね。別に嫌ってるわけじゃないけど、好いてもいない。利益があれば感謝するけど、それに囚われたりもしない。何処にも止まらないで、あらゆる存在から浮いている。そういう子なのよ。」

 

やや真面目な口調で送られた説明を聞いて、小さく鼻を鳴らしてから肩を竦めた。中庸の存在か。

 

「人妖の調停者としては理想的なんじゃないか? 大体、キミがそうあれと育てたんだろう?」

 

「そういうわけでもないのよね。いつの間にかあんな感じになっちゃってたの。……だから、それをリーゼちゃんにどうにかしてもらいたいのよ。あの子に情ってものを教えてあげてくれない?」

 

「……色々と疑問があるね。何故自分でやらずに私にやらせるのかも分からんし、そもそもあれで『完成』しているように思えるんだが。常に中立の立場から物事を判断できるってのは理想的な性格じゃないか。」

 

「間違えない人間なんて間違ってるじゃないの。そんなの私の好みじゃないし、何より美しくないわ。……私はあの子を幸せにしてあげたいのよ。このままだと完全無欠の調停者として孤独に過ごすことになっちゃうでしょ? きちんとお友達を作って、たまーに情に流されて失敗して、最期は沢山の人に惜しまれながら死んで欲しいの。それが美しい人生ってもんじゃない。」

 

立てた人差し指を私の眼前に翳しながら言ってくる紫に、呆れ果てた気分で文句を飛ばす。勝手すぎるぞ、こいつ。

 

「当ててあげるよ、キミは自分が人間だったらそういう人生を歩みたかったと思っているんだろう? 儚い生を他の人間と共に生きて、死んでみたかったわけだ。……自分の願望をあの巫女に背負わせるのはやめたまえ。キミにとっての『理想の人生』が、彼女にとってもそうであるとは限らないんだぞ。」

 

「……リーゼちゃんは今のままの霊夢の方が幸せだと思うの?」

 

「それを判断するのは私でも、キミでもないってことだよ。望むのはあの巫女本人なんだ。本気で子を想うのであれば、無理やり自分の好みに『矯正』するのはやめておきたまえ。世には孤独を好む人間だって確かに居るんだから。私はそれを悪いことだとは思わないしね。」

 

ダンブルドアにダンブルドアなりの生があったように、パチュリーにはパチュリーの生がある。その違いは個性であって、正誤や優劣をつけられるようなものではないはずだ。自分より遥かに長生きしている大妖怪に説教してやると……なんだこいつ、気味が悪いな。隙間妖怪は嬉しそうに口の端を震わせたかと思えば、いきなり私を抱き締めてきた。何のつもりだよ!

 

「何するんだ、キミは。離したまえ。」

 

「ああもう、良いわぁ。リーゼちゃんは本当に私好みの妖怪よ。そうね、人間の子育てに関しては貴女の方が経験豊富だものね。確かにそうかもしれないわ。自分でも気付かないうちに願望を押し付けちゃってたのかも。」

 

「ええい、いいから離し……この、馬鹿力め!」

 

どういう力をしてるんだ。全力で抜け出そうとしても身動きできないぞ。大きな胸の間に挟まれてジタバタ動く私を他所に、紫はご機嫌な声色で話を続けてくる。

 

「でも、選択肢は与えてあげたいの。もし本当に霊夢が中庸の存在であることを望むのであれば、私はそれを肯定するわ。だけどリーゼちゃんと付き合っていれば何か変わるかもしれないでしょう? それに期待するくらいは許されると思わない?」

 

「……知らんよ、それはあの巫女次第だ。」

 

「期待してるわ、リーゼちゃん。貴女ならあの子を変えられるかもって思うの。もし貴女がそのために努力してくれるのであれば、私は貴女のことも大切にするわ。……殺してあげましょうか? アリスちゃんに迷惑をかけてる魔女のこと。大好きなリーゼちゃんのためなら頑張っちゃうわよ? 尽くすタイプって言ったでしょう?」

 

抜け出すのを諦めてされるがままになっている私の耳元で、紫が怪しげに囁きかけてくるが……ふん、こちらの状況など当然お見通しなわけだ。その誘惑に一瞬だけ悩んだ後で、胸元から紫を見上げつつ返答を返した。

 

「とりあえずは結構だ。キミに頼むと高く付きそうだからね。……アリスが本当に危なくなったら頼むかもしれんが。」

 

「だったらいっそのこと、アリスちゃんの危機を願っておこうかしら? そしたらそれを私が助けて、対価としてリーゼちゃんにあんなことやこんなことを命令しちゃうの。……あ、その顔。上目遣いでその顔はむしろゾクゾクしてくるから、私以外にやっちゃダメよ? 涎が出てきちゃった。」

 

変質者め。ジト目で睨み付ける私にそう言った後、紫は私を解放しながら続きを語る。

 

「まあでも、リーゼちゃんに嫌われるのは怖いし、最低限の協力くらいはタダでやってあげちゃう。……私から連絡しておくから、アリスちゃんと一緒に香港自治区に行って適当に大通りをぶらついてみて頂戴。そしたら向こうから招待してくれると思うわ。」

 

「『鈴の魔女』がかい? ……アリスも一緒じゃないとダメなのか?」

 

「んー、一緒の方がいいんじゃない? あの子は同族に甘いから、その方が交渉が楽になるでしょうし。」

 

むう、出来れば今はアリスを安全な場所から出したくないのだが……仕方ないか。香港自治区が『無法地帯』である以上、ホームズたちだって迂闊に手を出せまい。さっと行ってさっと帰ってくれば大丈夫なはず。

 

移動の方法を脳内で組み立てている私に、紫はもう一つの情報を送ってきた。言わずとも話が進むのは楽だが、それだけ覗かれてるんだと思うと微妙な気持ちになるな。

 

「あと、魅魔の方は私からは何とも言えないわね。あいつはあいつで弟子のことを覗き見てるでしょうし、手助けする気があるなら勝手に介入してくるんじゃない?」

 

「キミと同じで面倒なヤツだね。これだから『反則級』は扱い難いんだ。……まあ、分かったよ。先ずは香港自治区に行ってみることにするさ。」

 

「あとあと、霊夢のことも頼むわよ? アリスちゃんのピンチだから今は忙しいでしょうけど、暇を見てちょくちょく遊びに来てあげて頂戴。……はいこれ、移動用の呪符。神社の境内に直通だから。」

 

「暇があったらね。……そういえば、レミィたちはどうしてるんだい?」

 

そんなには来ないと思うぞ。百枚はあるであろう和紙の束を渡してきた紫に、適当に応じてから話題を変えてやると、彼女は拍子抜けしたような顔で肩を竦めてきた。

 

「まだ全然動いてないわ。門番ちゃんが時々湖の周囲を歩き回ってるくらいかしら。……最近一部の好奇心旺盛な天狗がちょっかいをかけに行ったらしいけどね。あとはまあ、湖に住む妖精とも一悶着あったみたい。気になる?」

 

「気にはなるが、会えないんだろう?」

 

「悪いけど、まだダメなのよ。レミリアちゃんが約束通り大きな騒ぎを起こした時、リーゼちゃんは私の所属でいてもらう必要があるの。だから暫くは神社から出ちゃダメね。」

 

「……ま、いいけどね。」

 

その『ルール』から色々と読み取れることはあるが、そも紫を頼らないと行き来できない今は従っておくべきだろう。……土着の妖精と一悶着か。レミリアたちの抱えている問題は、私たちの問題よりも随分とのんびりしたものらしい。

 

魔法界では騒ぎの中心にいる『紅のマドモアゼル』どのが暢気にやっていることを恨めしく思いつつ、アンネリーゼ・バートリは忌々しい気分で大きく鼻を鳴らすのだった。

 



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魔女の妖怪

 

 

「……相変わらずの人混みですね。この街は一年中こうなんでしょうか?」

 

足を踏み入れるのは人生三度目となる混沌の街。種々雑多な存在が歩き回る香港自治区の大通りを進みつつ、アリス・マーガトロイドは隣のリーゼ様に呟いていた。久々に外を出歩けるのは嬉しいが、場所が場所だけに油断できないな。この街には表と裏があり、加えてそのそれぞれに二つの側面があることを今の私は知っているのだから。

 

八月五日のお昼過ぎ。私とリーゼ様は『鈴の魔女』とコンタクトを取るために、香港特別魔法自治区のメインストリートをぶらついているのである。イギリスからロシアへ、ロシアから自治区の繋ぎ役だという男の店へと移動し、そこでお昼ご飯を食べた後にこうして大通りを適当に歩いているわけだが……本当に向こうから接触してきてくれるのだろうか? この人混みの中から特定の存在を見つけ出すのは困難だと思うぞ。

 

やたらと爪が鋭い大男たちが道端で昼間から酒を飲んでいるのを眺める私へと、先程出店で買った牛串焼きを頬張っているリーゼ様が返事を返してきた。ちなみに咲夜と魔理沙はイギリスでお留守番中だ。今頃エマさんの『お料理教室』を受講しているはずだし、帰った後の夕食が楽しみだな。

 

「んふふ、愉快な街じゃないか。ここならキミが出歩いても問題ないしね。」

 

「……そういえば私、もう国際指名手配されちゃってるんですよね? なんか実感が湧いてこないんですけど。」

 

日々忙しく動いてくれているリーゼ様によれば、私は自分が知らぬ間に指名手配犯になってしまったらしい。国際魔法使い連盟では結局承認されなかったようだが、北アメリカでは立派な凶悪犯罪者に認定されたのだとか。

 

展開が急すぎてよく分かっていない私に、リーゼ様は忌々しそうな顔でタレのかかった牛肉を噛み切りながら頷いてくる。

 

「あくまで新大陸では、の話だけどね。……ウィゼンガモットの評議長を知っているかい? 今回はあの爺さんが上手く立ち回ったみたいで、ヨーロッパ各国から一斉に拒絶の返答を叩きつけたらしいんだ。ホームズは連盟上層部との太いパイプを持っているようだが、これを無視して押し通すのはさすがに無理だと判断したんだろうさ。指名手配を連盟に承認させるのは諦めたみたいだよ。」

 

「なんか、申し訳ない気分になってきます。私のために色んな人が動いてくれてますね。」

 

「キミは紛うことなき冤罪被害者だし、こうなってきたら個人じゃなくイギリスという国家の面子の問題だよ。気にする必要なんかないさ。……今は指名手配論争が一段落して、今度はイギリス国内における捜査権の議論に移ってるらしいね。捜査員をイギリスに入れたがっているホームズに対して、フォーリーが主権を盾に拒んでるってわけだ。……まあ、こっちの議論はやや劣勢のようだが。大戦の頃に制定された自由捜査協定を振り翳してゴリ押そうとしてるみたいでね。」

 

「グリンデルバルドの対処のために制定された協定ですよね? ……あれって闇祓い以外にも適用されるんですか?」

 

皮肉にもレミリアさんの手によって締結したこの協定は、国家を跨いで活動するグリンデルバルドの軍隊に対抗するために作られたものだ。『自国で騒ぎを起こされたが、国境を越えられたのでもう追えない』という事態を防ぐために存在していたわけだが……まさかこういう形で不利に働くとは思っていなかったな。

 

あまり詳しくない国際規約を思い出しつつ聞いた私に、巨大なローストビーフが吊るしてある出店に引き寄せられているリーゼ様が答えてきた。あれを削ぎ落として売っているらしい。

 

「対象は明確に決まっていないらしいんだよ。『闇祓い』ってシステムがない国家もあるからね。それにイギリスはリドルを追うために協定を利用しまくったから、同じように使おうとしているホームズのことを声高に叩けないんだ。だから不利になってるってわけさ。……やあ、店主。ソースは選べるのかい?」

 

「辛いの、甘いの、しょっぱいの。三つあるよ。」

 

「じゃあ、辛いのを一つ頼もうか。」

 

「今用意するよ。」

 

癖の強い片言の英語で愛想良く応じてきた店主は、見事なナイフ捌きで肉を削ぎ始める。それを横目に財布からお金を出しつつ、リーゼ様への質問を重ねた。この街は通貨のシステムが特殊なので、支払いは私が担当しているのだ。

 

「それじゃあ、近いうちに……えっと、国際保安局でしたっけ? あの人たちがイギリスに入ってくるかもしれないってことですか?」

 

「まあ、そうなるかな。一応人形店に忠誠の術でもかけておこうか。守り人が私なら、少なくとも普通の魔法使いは手出し出来なくなるだろうし。」

 

「それだとリーゼ様が家に入れなくなっちゃいますけど……。」

 

「どうせ九月に入ればホグワーツだからね。そこまで不便はないよ。あと問題になるのは人形だと思われるホームズ当人なわけだが、五十年前の『プショー人形』の戦い方を見るに、魔法族を人形にした時の戦力はあくまで普通の魔法使いに毛が生えた程度だ。だったら今のキミやエマの敵じゃないだろうさ。」

 

出店の店主から紙のカップに入った肉を受け取ったリーゼ様は、そう言って肩を竦めると再び歩き出す。お代を支払ってからその背を追って、隣に並びつつ話を続けた。

 

「魔女本人が来たらどうします?」

 

「それこそ絶好のチャンスじゃないか。……あの魔女の最も厄介なところは、本人が決して姿を見せないって点だ。こっちが見つけ出す前に向こうから出てきてくれるなら願ったり叶ったりだよ。」

 

「……私たちが追いかけている『魔女』は本当に存在するんでしょうか? いつだか美鈴さんが言ってたみたいに、本人不在で人形が動いてるって可能性はありませんか?」

 

プショー、少女たち、クロードさん。全て『人形』で、全てに操り手が居た。……だけど、その操り手が人形じゃないという保証はどこにもないのだ。相手が魔女だという情報だって不確かなものだし、五十年前にプショーを通して本人ですら自信がないと言っていたはず。

 

顔の見えない操り手を不気味に思いながら呟いたところで、何処からか透き通るような鈴の音が響いてくる。心を落ち着かせるようなその音に視線を上げてみれば──

 

「……ええ?」

 

静寂に包まれた無人のメインストリートが目に入ってきた。あれだけ居た通行人たちや、呼び込みをする店員たち、それどころか隣を歩いていたリーゼ様の姿までもが綺麗さっぱり消えている。視線を落としていたのはほんの一瞬だけなのに。

 

音一つない静かな香港自治区。そこにポツンと立っている私へと、背後から嗄れた声が投げかけられた。

 

「へっへっへ、久し振りだね。こっちへお座りよ。」

 

慌てて振り返ってみれば……間違いない、去年出会ったあの老婆だ。道のど真ん中にある簡素な木のテーブルと椅子。そこに座っている鈴の魔女の姿が見えてくる。

 

「……これは、貴女がやったの?」

 

「そりゃあそうさ。自然に起こることに思えるかい?」

 

「だけど、どうやって? ……こんな規模の魔法、有り得ないわ。幾ら何でも不可能よ。」

 

幻術の類なのだろうか? 景色はどこまでも続いており、私と老婆以外の生き物は存在していない。香港自治区の風景を『写し取って』、別の空間に構築しているとか? にしたってこれは大規模すぎるぞ。事前に作っていたというならまだしも、少なくとも目に見える部分は先程歩いていた大通りの風景そのままだ。

 

何をどうしたのかと思考する私に、老婆は皺くちゃの顔を愉快そうに歪めながら口を開いた。

 

「あたしの工房はこの街そのものなんだ。だからこの街の中ではこんなことも出来ちまうのさ。これでも永く生きてる人外だから、それなりの術は使えるんだよ。……そら、どうしたんだい? さっさと座りな。あたしから話を聞きに来たんだろう?」

 

「リーゼ様……私と一緒に居た吸血鬼はどうしたの?」

 

「吸血鬼のお嬢ちゃんは『表側』に置いてきたよ。心配しなくてもきちんと連絡はしておいたさ。安全は保証するから、少し二人で話させてもらいたいってね。……魔女の話を魔女とするんだ。だったら魔女だけで話すのは当然のことだろう?」

 

言いながら老婆が椅子に立て掛けてある長い杖を小突くと、チリンという音と共にテーブルにお茶とお菓子が現れる。……相手が『格上』である以上、私に選択権なんてなさそうだな。諦めて対面の椅子に腰掛けた私に、老婆は思い出したように話しかけてきた。

 

「そういえば、予想が外れたね。あんたとはもう会わないかと思ってたんだが……へっへっへ、数奇なもんだよ。これだから生ってのはやめられないんだ。幻想の里には行かなかったのかい?」

 

「まだこっちでやることが残ってるの。あと数年後に行くわ。」

 

「あの八雲が『お預け』を呑むのは珍しいねぇ。……まあ、気持ちは分かるさね。あんたたちは面白い。鬼ってのは好きじゃないが、吸血鬼はそこまで嫌いでもなくなったよ。」

 

「貴女もその、八雲さんと同じで人間が好きなの?」

 

羊羹の一種だろうか? 漆塗りの小皿に置いてある謎の黄色いお菓子と、湯飲みの中の緑茶。それを見ながら放った質問を受けて、鈴の魔女は謎めいた返答を寄越してくる。

 

「八雲とは違うよ。あたしは人間のことは嫌いじゃないが、別に憧れちゃいないからね。あたしが好きなのはこの街だ。あいつが幻想郷を我が子のように想うのと同じように、あたしにとってはこの街が大切なのさ。……八雲が抱える一番の歪みは、自分が妖怪であることを肯定しながら人間に憧れてるとこなんだよ。だが、あたしは違う。今までもこれからも魔女だし、それで充分満足してるからね。無い物ねだりをしたりはしないのさ。」

 

「えっと……?」

 

どういう意味だ? 首を傾げる私ヘと、老婆は苦笑いで手を振ってきた。

 

「こりゃまた、失礼したね。こいつはあんたに話すべきことじゃなかった。単なるババアの愚痴さ。聞き流してくれていいよ。……それじゃ、本題に入ろうか。もう一人の『人形の魔女』の話に。何を聞きたいんだい?」

 

緑茶を一口飲んでから本題を切り出してきた鈴の魔女に、居住まいを正して問いを投げる。リーゼ様が話に参加できない以上、私が頑張って情報を入手しなければ。

 

「……先ず、例の魔女がこの街で貴女と小競り合いを起こしたというのは事実なの?」

 

「事実だよ。あんたら、この街の人間にアルバート・ホームズのことを根掘り葉掘り調べさせてたらしいじゃないか。それを鬱陶しく思ったんだろうね。嗅ぎ回る人間を遥々消しに来たから、あたしが追っ払ってやったのさ。」

 

「街の住人を守るために戦ったということ?」

 

「人間同士の諍いや、妖怪同士の争いに進んで関わるつもりはないけどね。同族があたしの縄張りであたしの街の住人を殺そうとするなら話は別さ。自分の管理する土地で好き勝手にやられるのは魔女の名折れだ。丁重にお引き取り願ったってわけだよ。」

 

そういう事情だったのか。切っ掛けがこちらにあることをちょびっとだけ申し訳なく思いつつ、ニヤリと笑みを浮かべる先輩魔女への質問を続けた。

 

「魔女本人が来たの?」

 

「いいや、一戦やり合ったのは人形だよ。人形を操る人形さ。……まあ、その『奥』にいるヤツのことも覗かせてはもらったけどね。」

 

「……『本体』を特定したってこと?」

 

「具体的な居場所までは分からんさ。あたしが覗けるのは曖昧な記憶だけだからね。……鈴の音は追憶の音なんだよ。魔を祓い、正しい道を教え、迷う者を導く音色だ。迷いを齎すのは大抵の場合未来じゃなく、過去だろう? だからあたしはそいつを覗けるのさ。鈴の音の導くままにね。」

 

うーむ、難解だな。パチュリーならば理解できたかもしれないが、私には読み解くのが難しい発言だ。要するに、自身の魔法の性質を説明している……んだよな? ここに来ていきなり『魔女っぽく』なってきた会話に困惑していると、鈴の魔女は少し沈んだ顔で続きを語る。

 

「あたしが覗き見たのは人形の魔女の……『魔女の妖怪』のルーツさ。あたしに探られてることに勘付いたんだろうね。すぐに逃げちまったが、それでもあの子が『始まった』瞬間は見ることが出来た。……憐れな子だよ。あたしやあんたは自分の意思で魔の道を選んだけどね、あの子は否が応でもそうするしかなかったんだ。」

 

同情しているのか? 悲しそうな表情で話していた老婆は、私の目を真っ直ぐに見つめながら言葉を繋げた。落ち窪んだグレーの瞳には魔女とは思えないほどの慈悲深い光を宿している。

 

「あたしはあんたの敵になるつもりはないが、あの子の敵にもなれないよ。あの子はあたしたちの同族じゃない。それでも確かに魔女なんだ。あたしはあの子の記憶を見てそう感じたね。」

 

「ちょっと待って頂戴、話について行けないわ。……『魔女の妖怪』というのはどういう意味? 魔女じゃないの?」

 

「あの子は始めから魔女として生まれたのさ。そう望まれて、畏れられて、だからそうなっちまったんだ。夜への畏れが吸血鬼を生んだように、魔女への畏れがあの子を生み出したんだよ。」

 

思い出すのは五十年前に聞いたプショーの台詞だ。魔女に至ったのではなく、魔女として生まれた存在。あの時はリーゼ様も美鈴さんも半信半疑だったようだが、目の前の老婆はそれを肯定している。

 

混乱する私へと、老婆は年相応の草臥れたような雰囲気で意外な単語を口に出してきた。

 

「あんたは『魔女狩り』ってもんを知ってるかい? 欧州の魔法界じゃ軽く語られてる事件だけどね、非魔法族や新大陸の魔法界にとっては中々凄惨な歴史なのさ。」

 

「それは……もちろん知っているわ。」

 

「知識として知ってるだけで、理解しちゃいないだろう? ……別に責めてるわけじゃないよ。当時のヨーロッパの魔法使いたちが凍結呪文で『火あぶりごっこ』を楽しんだり、水の上を歩いてみせて非魔法族をからかってたのは知ってるからね。だからまあ、イギリスの魔法使いにとっては間違いなく単なる『マグルの愚行』なんだろうさ。あたしも当時の人間たちを直に見て愚かしいと思ったし、そいつは御尤もな意見だと同意するよ。」

 

直に、か。ということはこの魔女は最低でも十六世紀頃には生きていたわけだ。魔法史で学んだ歴史を記憶から掘り起こしている私に、老練の魔女は顔を顰めながら会話を続ける。

 

「だけどね、そこで苦しんだヤツってのは確かに存在してるんだ。魔女ではなく、魔女のレッテルを貼られた普通の人間たち。凍結呪文も泡頭呪文も使えないただの人間たちは、生きたまま焼かれたり水底に沈められる他無かったんだよ。……あの妖怪のルーツはそこさ。妖怪ってのは人間の恐怖から生まれるものなんだ。形のない多数の恐怖が、いつの間にか実体として生まれ落ちるわけさね。」

 

「それって……つまり、例の魔女は魔女狩りの恐怖から生まれたということ?」

 

多くの人間たちが畏れ、無知故に迫害した魔女に対する恐怖。あるいは無実の罪で火刑に処されたり、凄惨な拷問を受けた『魔女ではない魔女』たちの恐怖。それらが形を持った妖怪だということか?

 

私が喉を鳴らしながら放った疑問に、鈴の魔女は神妙な顔付きでこくりと頷いた。

 

「あの子のことを知りたいなら、新大陸の歴史を探りな。魔法界と非魔法界の魔女狩りを繋げた連中のことを。数百年経った今なお新大陸に悪名を轟かせている連中のことを。」

 

「……ひょっとして、スカウラーのことを言っているの?」

 

「残念だが、あたしから言えるのはここまでさ。さっき言ったように、あたしはあんたの敵でもあの子の敵でもないからね。……加えて一つだけ言うとすれば、あの子は邪悪なわけじゃないよ。ただ純粋なんだ。その二つは隣り合わせにあるものだから分かり難いかもしれないが、あんたがその違いを理解してくれることを祈っておくさね。」

 

「ちょっと待って、まだ聞きたいことが──」

 

話を締めたかと思えば、やおら傍らの杖に手を伸ばした鈴の魔女のことを止めようとするが……ぐぅ、痛ったいな。魔女が長い杖に手を触れた途端に座っていた椅子が消えて、その場に尻餅をついてしまう。お尻をさすりながら立ち上がってみると、そこには騒めきに支配された混沌の街の大通りが広がっていた。どうやら『表』に戻されてしまったらしい。

 

むう、鈴の魔女のお陰で謎が一つ解消されたが、代わりにいくつか増えちゃったな。魔女狩りが生んだ妖怪、そしてスカウラーとの関わり。結局例の魔女……『魔女の妖怪』の居場所に繋がるヒントは得られなかったが、その根幹に迫ることは出来たわけだ。

 

ホームズが所属しているマクーザが治める土地であり、神秘が薄い人間が支配する大陸。アピスさんも、鈴の魔女もその土地を示した以上、今度は新大陸を調査する他ないだろう。私が指名手配されている北アメリカを。

 

謎が謎を呼ぶというのはこういう状況のことを言うんだろうなと嘆息しつつ、アリス・マーガトロイドはリーゼ様を探して歩き出すのだった。

 



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受難の始まり

 

 

「なあ、アリスが言ってたのってこの色だよな? それともこっちか? 違いが全然分からんぞ。」

 

ちょびっとだけ明るかったり暗かったりしているのは分かるが、私からすればどれも『青』だ。棚に並ぶ大量の青い布を見比べながら、霧雨魔理沙は困り果てた気分で隣の咲夜に問いかけていた。こういう違いをどうでも良いと思っちゃう人間だからこそ、私は白と黒が好きなのかもしれないな。

 

ホグワーツから五年生の教科書のリストが送られてきて、ついでに咲夜が『優等生バッジ』を手に入れた八月の上旬。私たちはアリスからのお使いを遂行するために、ダイアゴン横丁にあるマダム・マルキンの洋装店を訪れているのだ。

 

今月の中頃にあるビルとデラクールの結婚式に向けて、私と咲夜の新しいドレスローブを縫ってくれるということで、家を出られないアリスの代わりに材料の布を買いにきたわけだが……よく考えたら、今のアリスにそんなことをやっている余裕があるのだろうか?

 

先日リーゼと二人で香港自治区に行った際、例の魔女は北アメリカに深く関わっているとの情報を手に入れたようで、今はリーゼが動き回ってそれを調べているものの……まあうん、やっぱり新大陸の情報は入手が難しいようだ。現状では有力な手掛かりを掴めていないらしい。

 

リーゼは北アメリカを縄張りにしていた魅魔様との接触を望んでいるようだが、そっちもそっちで音沙汰なし。我が気まぐれな師匠は今頃何をしているのだろうかと思考していると、咲夜が手元の『お使いリスト』を確認しながら返事を寄越してくる。

 

「買うのはロイヤル・ブルーよ、魔理沙。濃いブルー。」

 

「だけどよ、『濃いブルー』だけでも五十種類はあるぞ。……もう大人しくマダム・マルキンに聞こうぜ。箒なら違いが分かるが、布はさっぱりだ。」

 

「私もナイフなら分かるんだけど、こっちはちんぷんかんぷんね。勉強すべきかしら?」

 

「アリスが居るんだから必要ないだろ。……おーい、おばちゃん! 手伝ってくれ! 私らだけじゃお使いが達成不可能なんだ!」

 

ミシンの音が響いてくる店の奥に呼びかけてみれば、すぐさま中年の女性が愛想の良い笑顔でこちらに近付いてきた。この店の主人であるマダム・マルキンだ。もう少しでホグワーツの新入生たちが制服を買いに来る時期なので、今からその準備をしているらしい。

 

「はいはい、今行きますよ。……マーガトロイドさんからお使いを頼まれたの? 今は人形店に戻ってらっしゃるのよね?」

 

「ご明察。私たちに服を縫ってくれるらしくてさ、そのために布が要るんだよ。ウィーズリー家の長男が結婚するのを知ってるか?」

 

「ああ、フランスのお嬢さんと結婚するんだとか。噂になってるわよ。」

 

さすがはダイアゴン横丁で一二を争う『噂好き』だな。情報通のマダム・マルキンに首肯してから、咲夜がお使いリストを渡すのを横目に続きを語る。私は夏休みの間ダイアゴン横丁をぶらつくことが多いので、彼女からよく噂を教えてもらっているのだ。

 

「そうそう、対抗試合の時にボーバトンの代表だったフランスのお嬢さん。それで近々結婚式があるから、アリスがドレスローブを仕立ててくれるんだとさ。私たちもお呼ばれしてるんだよ。」

 

「あらまあ、良いわねぇ。マーガトロイドさんは落ち着いた服が好みだから、きっと大人っぽく作ってくださるわ。」

 

「詳しいじゃんか。アリスはよく来るのか?」

 

「イギリス魔法界で一番布の品揃えが良いのはこの店ですからね。マーガトロイドさんは昔からのお得意様なの。ホグワーツの制服のデザインにも助言をもらってるのよ? ……最近マグル製の新しい布をいくつか仕入れたから、出来れば直接本人とお話ししたかったわ。」

 

お世辞で言っているわけではなく、本気で残念そうな顔付きだな。一種の趣味仲間ってわけか。リストを一瞥しただけで的確に布を選別していくマダム・マルキンに、苦笑しながら返答を送る。

 

「今はほら、『指名手配問題』があるからさ。迂闊に外出できないんだよ。」

 

「そう、それよ。本当に忌々しいわ。マクーザの連中は何を考えているのやら。たった一ヶ月足らずでスカーレット女史への恩義を忘れて、その上マーガトロイドさんに迷惑をかけるだなんて……信じられない連中ね。恩知らずの、恥知らずの、礼儀知らず。イルヴァーモーニーでは何を教えているのかしら? 濡れ衣の着せ方でも教えてるの?」

 

おおう、火がついちゃったらしい。途端にぷんすか怒り出したマダム・マルキンは、どうもスキーターの記事をきちんとチェックしているようだ。カウンターまで運んだ布を必要な長さに切りながら、尚もブツブツと文句を続けた。

 

「ボーンズ大臣の姿勢は尤もよ。ダイアゴン横丁の住民はみんなそう言ってるわ。大国だか何だか知りませんけど、イギリス魔法界はあんな粗暴な国に屈したりしませんからね。今の魔法省は例のあの人だって退けたんだから、マクーザなんて……何かしら?」

 

ん、どうした? 急に『苦言』を停止させたマダム・マルキンが見ているのは、店の前の大通りだ。釣られて私たちも視線を向けてみると、ダイアゴン横丁のメインストリートで何か騒ぎが起こっているのが目に入ってくる。

 

どうやらスーツ姿の十名ほどの男たちを、その三倍ほどの横丁の住人たちが取り囲んでいるらしいが……むう、穏やかじゃない雰囲気だな。スーツの集団も、住人たちも。随分と剣呑な表情を浮かべているぞ。

 

「おいおい、何だ? 良くない感じだな。」

 

「そうね、普通じゃないわ。……行ってみる?」

 

私と咲夜がショーウィンドウ越しに騒ぎを眺めながら相談している間にも、手早く布を包んだマダム・マルキンはこうしちゃいられないとばかりに小走りで店を出て行く。新たな噂を仕入れられると判断したようだ。

 

「見てきますからお代は置いておいて頂戴。」

 

「……まあうん、私たちも行ってみっか。」

 

「ちょっと待って、代金を……はい、オッケーよ。行きましょう。」

 

慌てて代金をカウンターに置いた咲夜と一緒に、私も店を出て集団に近付いてみると……おお、おっちゃんだ。人だかりの中心で、箒屋のおっちゃんが三十歳ほどのスーツ姿の眼鏡の男性と睨み合っている。何やら口論をしているらしい。

 

「ここはイギリスだ。分かるか? イギリスの魔法界にある、由緒正しい商店街なんだ。だからあんたらに口出しされる覚えはないし、そんな義理もない。とっとと海を渡って家に帰るんだな。」

 

「先程丁寧にご説明した通り、我々は国際魔法使い連盟に認可された捜査権に基づいて捜査を行おうとしているだけです。そこを退いていただきたい。捜査を邪魔するのは権利の侵害ですよ。」

 

「だったら言わせてもらうが、あんたらがウロつくと大事な客が寄り付かなくなるんだよ。それは権利の侵害に当たらないのか?」

 

そうだそうだと囃し立てるダイアゴン横丁の住人たちと、それを忌々しそうに睨み付けるスーツの一団。『国際魔法使い連盟に認可された捜査権』? ……つまり、こいつらはホームズの部下たちなのか? 見たところホームズ本人は居ないようだが、とうとう連盟がイギリスでの捜査を認めてしまったということなのだろう。

 

「ヤバいんじゃないか? これ。横丁じゃマーガトロイド人形店の場所なんか常識だし、すぐにバレちまうぜ?」

 

「でも、リーゼお嬢様はあの人たちが入国したことを知ってるんじゃない? まさか魔法省に許可も取らずに捜査に来たわけじゃないでしょうし。」

 

私と咲夜が顔を合わせて話しているのを尻目に、リーダーらしき眼鏡の男性がおっちゃんに反論を放つ。かなり苛々している口調でだ。

 

「海外出張までして凶悪な殺人犯を追っている我々に対して、イギリス魔法界の住民たちは僅かな協力もしてくれないと? 我々は殺人犯を捕らえることで、この町の治安をも守ろうとしているのですよ?」

 

「悪いが、余計なお世話なんだよ。……まさか歓迎されるとでも思ってたのか? ヒーローみたいに迎え入れてくれるとでも? 残念ながら、今お前さんたちが目にしてるのがダイアゴン横丁の総意だよ。ここじゃあお前らは招かれざる客で、『凶悪な殺人犯』とやらは身内ってこった。市民の協力を期待してるなら考え直した方が身の為だぞ。」

 

「……貴方たちがやっているのは犯罪者の隠匿行為です。我々に捜査権がある以上、拘束するのも可能だということを知っておくべきですね。」

 

「おう、やってみろよ。ここに居る全員を拘束して、マクーザの裁判所か何かでありもしない罪をおっ被せてみな。……イギリスの魔法使いには安い脅しなんぞ通用しねえんだよ。俺たちは戦争を終えたばかりなんだ。平和ボケしてる北アメリカの魔法使いと一緒にしないでもらおうか。」

 

腕を組んで堂々と言い放つおっちゃんへと、縁なし眼鏡の男性はため息を吐きながら何かを言おうとするが……ふと私たちの方に目を向けたかと思えば、いきなり歩み寄って腕を掴んできた。何すんだよ、こいつ。

 

「君たち、フランス魔法省でマーガトロイドと一緒に居た子たちだね。少し話を聞かせてもらおうか。私はジャック・フリーマン。イギリスでの捜査を認められている、マクーザ国際保安局の次局長だ。」

 

「……嫌だって言ったら?」

 

「出来れば任意で話を聞かせてもらいたいが、我々には同行を強制する権利が──」

 

「おい、子供相手に乱暴なことをするんじゃねぇよ!」

 

強く握られた腕を引っ張って抵抗する私と、次局長とかいう男を止めようとするおっちゃん。それに対してフリーマンが空いている手で杖を抜こうとしたところで、急にあらぬ方向から眩い閃光が瞬く。ああもう、今度は何だ? その場の全員が視線を送った先に居たのは──

 

「あーら、まあ! ショッキングなシーンざんす! 『マクーザ捜査官、イギリスでの捜査権を盾に未成年に暴行』。明日の朝刊のトップニュースはこれで決まりざんすね。」

 

イギリスが誇る捏造の達人、リータ・スキーターだ。フラッシュを焚いたばかりのどデカいカメラを手にしている専属カメラマンを引き連れながら、ウキウキ顔で手に持ったメモ帳に自動筆記羽ペンを走らせているスキーターは、物凄い勢いで私に近寄ってくると……この状況で取材する気かよ。さも心配しているかのような表情を浮かべつつ、掴まれている二の腕を指差して質問し始めた。

 

「お嬢ちゃん、痛い? 必要以上の力で掴まれていると感じる? 暴力だと判断する? この男に恐怖を感じて答え辛いなら、頷くだけでも結構ざんすよ。」

 

「あー……そうだな、ちょっと痛いかな。」

 

「なるほどね。なるほど、なるほど。不憫ざんす。苦痛を感じていると。」

 

ちらりとスキーターの手元のメモ帳を覗き込んでみると、どうやら私は『他国の不当な捜査に怯える何の罪もない幼い少女』で、『単に通りを歩いていただけなのにいきなり暴力を振るわれ』、『腕に専門的な癒者の治療が必要なほどの怪我を負っている』らしい。よくもまあ一瞬でここまで誇張できるもんだな。

 

「それで、どういう意図で我が国の未成年に暴行を加えているんざんしょ? マクーザは捜査権さえあれば未成年を痛め付けても構わないと判断しているってことかしら? それはアルバート・ホームズの指示? それとも貴方の独断? ……ボゾ、もっと写真を撮りな。折角の『良いシーン』なんだから数枚ぽっちじゃ勿体無いざんす。」

 

「私は別に、そんなつもりは──」

 

何度もフラッシュを焚きまくるカメラマンを見て慌てて手を離したフリーマンへと、スキーターはにじり寄りながら問いを連発した。その間も自動筆記羽ペンはとんでもないスピードで動き続けている。水を得た魚、ゴシップを得たスキーターだな。

 

「ダイアゴン横丁の住民に歓迎されないのを受けてどう思った? 連盟の捜査権があるのにこの対応は納得できない? ……なるほど、不当だと考えているんざんすね。『捜査権を手にした我々に逆らうとは何事か』と思っていると。」

 

「待て、私はまだ何も言って──」

 

「言い辛いことは無理に言わなくても大丈夫ざんす。たとえ取材相手が終始無言でも、表情から真意を読み取るのが一流の……あら、その手は何ざんしょ? まさかジャーナリストを力尽くで遠ざけようとしているとか? マクーザは他国の市民の知る権利に介入しようとしているってこと?」

 

「ち、違う! それは違う! 私はただ、落ち着いて話を聞いてもらおうとしているだけだ!」

 

至近距離で捲し立ててくるスキーターの肩を軽く押したフリーマンに、わざとらしい驚愕の顔を向けた予言者新聞社のエースどのは、それまで以上の猛烈な勢いで『客観的事実』を並べ立て始めた。

 

「情報規制、報道に対する抑圧、権利の乱用、傲慢、市民の声を無視。……ボゾ、撮ったね? 私のことを『強制的に排除』しようとした場面を撮ったざんしょ?」

 

「撮りました、スキーターさん。」

 

「良い仕事ざんすよ。大陸側の紙面に載せる写真はこれで決まりざんす。編集長に翻訳用自動羽ペンの追加を頼まないとね。あらゆる国にばら撒いてやりましょ。」

 

『特ダネ』の入手を喜んでいるスキーターたちを見て、このままではマズいことになるとフリーマンは感じたのだろう。敵意が無いことを身振りで必死に表現しながら、スキーターに弁明しようと口を開くが……その前にまたしても『火種』が飛び込んでくる。

 

「待っていただきたい、我々は……何だ? これは。」

 

フリーマンの足元にちょこちょこ歩いてきた足の付いた黒い球体。スーツの一団がこぶし大のそいつを不思議そうに見つめるのを他所に、ダイアゴン横丁の住人たちは示し合わせたように目を閉じて鼻と口を手で塞いだ。もちろん私も、咲夜も、スキーターもカメラマンもだ。だって私たちはこれが何なのかをよく知っているのだから。

 

「何をしているんだ? 一体何が──」

 

一斉に奇妙なポーズになったイギリスの魔法使いたちに何かを問いかけようとしたフリーマンだったが、ポンという軽い音と共に台詞を途中で途絶えさせてしまう。……というかまあ、喋りたくても喋れないんだろうな。何せ今のフリーマンは悪戯小僧たちが生み出した激辛ガスで咳込みまくっているのだから。『囮爆弾』の新型は完璧にその役目を果たしたらしい。

 

「よう、お二人さん。今のうちに逃げようぜ。どうせ暫くは追ってこれないさ。激辛粉の量をかなり増やした特製煙幕だからな。……本当は死喰い人に使いたかったんだけど、機会が無くて倉庫の肥やしになってたんだよ。」

 

「しかし、マクーザの捜査官も大したことないな。ホグワーツ生ならあれが何なのか分からなくてもとりあえず逃げるぜ? 危機管理がなってない証拠さ。イルヴァーモーニーではきちんと悪戯を『教えて』いないのか?」

 

私と咲夜の手を引いて真っ赤な煙幕の外まで誘導してくれたのは、言わずと知れたウィーズリー・ウィザード・ウィーズの店主二人組だ。騒ぎを聞きつけて助けに入ってくれたのだろう。騒動を大きくすることで助けようとするのは双子らしいが。

 

「……大丈夫なんですか? あれ。」

 

小走りで駆けながらの咲夜が遠ざかる『被害者』たちを指して放った質問に、フレッドが肩を竦めて返答を返す。

 

「俺たちはイギリス魔法界の流儀を懇切丁寧に教えてやっただけさ。現にお偉い捜査官以外の連中は平然としてるだろ? これくらいのことで参ってたらこの国で捜査なんか出来っこないぜ。」

 

「不運な連中だな。いきなりスキーターとお前ら二人に遭遇するなんて難易度が高すぎるぜ。あとはグルグル目玉が居れば『イギリス魔法界のフルコース』じゃんか。」

 

「まあ、一筋縄じゃいかないってのは学べただろうさ。この国じゃお堅い常識なんて通用しないんだよ。……そら、多分もう大丈夫だ。後はアンネリーゼに報告すれば何とかしてくれるだろ。」

 

私に答えながら人形店がある方向を指差したジョージは、懐からいくつかの悪戯グッズを取り出してこっちに押し付けてくる。咲夜にはフレッドが渡しているようだ。どれもこれも危険すぎて販売できないとお蔵入りになったやつだな。

 

「大した役には立たないだろうが、無いよりマシなはずだ。上手く使えよ、後輩。」

 

「いいのか?」

 

「どうせ売り物には出来ないからな。横丁はあいつらがウロつくことになるだろうし、夏休み中はもう出歩かない方が良いと思うぞ。それでも何かあったら店に駆け込んでこい。匿ってやるから。」

 

「おう、ありがとよ。」

 

私に続いて咲夜がお辞儀しながらお礼を言うと、双子は揃った動作で手を上げてから来た道を戻って行った。……まさかもう一度悪戯を仕掛けるつもりじゃないだろうな? その辺が若干不安になりつつも、その姿を背にマーガトロイド人形店へと走り出す。

 

咲夜と二人で見慣れた角を曲がって、そのまま人形店に駆け込もうとすると……ありゃ? 何故か人形店があるはずの場所が無くなってるぞ。建物が消えているわけでも入れないわけでもなく、『場所』が無くなっているのだ。左右のお隣さんの建物がぴったりくっ付いていて、その間にあるはずの人形店が忽然と消えている。

 

「……どういうことなの?」

 

呆然と聞いてくる咲夜に、私も狐につままれたような気分で返事を口にした。そんなこと言われたって、私にもさっぱり分からんぞ。

 

「場所は絶対に合ってるはずだ。住んでるんだから間違えようがないしな。……何かの魔法じゃないか? 防衛魔法的な──」

 

「大正解だ、魔理沙。忠誠の術だよ。」

 

うお、びっくりするだろうが。急に背後からかけられた声に慌てて振り返るが、そこにあるのは何も無い空間だけだ。……まあ、今更それに驚いたりはしないが。リーゼの声で話しかけられた以上、姿を消した状態の吸血鬼が居るということなのだろう。

 

当然ながら『お嬢様教徒』の咲夜も声の主を特定できたようで、さほど驚かずに背後の空間へと報告を投げかける。

 

「リーゼお嬢様、ホームズの部下たちが──」

 

「大丈夫だ、分かってるよ。だから術をかけたわけだしね。ほら、早く読みたまえ。そして覚えるんだ。二人とも二度目だから慣れたもんだろう?」

 

「守られる側は経験あるけど、部外者の立場から見たのは初めてだぜ。こういう風に見える……っていうか、見えなくなるんだな。守り人は誰なんだ?」

 

「当然、この私だよ。故に私は中に入れないから、詳しいことはエマとアリスから聞きたまえ。私はこのまま魔法省に行かないといけないんだ。」

 

透明なままでそう言うと、リーゼは私たちに見せていたマーガトロイド人形店の住所が書かれた紙を回収した後、注意を交えた別れの言葉を飛ばしてきた。

 

「悪いが、夏休みが明けるまでは大人しくしていてもらうことになるかもしれない。私は暫く家に戻れないから、エマとアリスの言うことを聞いて慎重に生活するように。マクーザはともかくとして、魔女とホームズは何をしてくるか分からないからね。ホグワーツに行くまでは我慢しておいてくれたまえ。……それじゃ、失礼するよ。」

 

そもそも気配を感じ取れないので本当に居なくなったのかは分からんが、とにかくリーゼが『失礼した』のを受けて、咲夜と一度顔を見合わせてから人形店に……いつの間にか認識できるようになっていた人形店に向かって歩き出す。兎にも角にも、アリスとエマの話を聞こう。じゃなきゃ何をどうすればいいのかさっぱり分からん。

 

どんどん生活が窮屈になることを恨めしく思いつつ、霧雨魔理沙は早くこの一件が解決することを願うのだった。

 



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厄介な国

 

 

スコージファイ(清めよ)。一体全体何なんだ? この国は。……くそ、全然落ちないぞ。スコージファイ! 本当に忌々しい国だな、イギリスってのは! スコージファイ!」

 

緑色に光るスーツを何とか元の色に戻そうとしている三十ほどの男を観察しながら、姿を消しているアンネリーゼ・バートリは小さく鼻を鳴らしていた。ホームズのことも『魔女の妖怪』のことも気に食わんが、こいつに限っては同情してやってもよさそうだな。

 

十二名の新大陸の捜査官たちが『本当に忌々しい国』に入国してから早五日。彼らは既に常識的な魔法界がある北アメリカに帰りたくなっているらしい。イギリス魔法省が貸与している地下四階の狭いオフィスの中では、集団ホームシック状態の国際保安局員たちが口々にイギリスのことを罵っている。

 

姿と気配を消している私が聞いているのも知らず、この年齢層が若めの捜査団のリーダーをしている国際保安局の次局長……ジャック・フリーマンとかいう神経質そうな眼鏡の男が文句を再開した。エリートの文官って感じの見た目だし、ホグワーツ上がりの『非常識人』たちとは致命的に相性が悪そうだな。

 

「私はただ、通りすがりの男性にマーガトロイドを目撃していないかと丁寧に尋ねただけなんだぞ? それなのに次の瞬間にはブランド物のスーツがこの有様だ! スコージファイ。……ああくそ、全然落ちない! 何をどうしたらこうなるんだ? スコージファイ、スコージファイ!」

 

「どれだけ頑張っても落ちないと思いますよ、次局長。私のスーツも真っ赤になったまま元に戻っていませんから。どうもこっちではそういう『悪戯グッズ』が普通に市販されてるみたいですね。『七色水風船』とかって言うんだとか。専用の魔法薬じゃないと落ちないらしいです。」

 

「こんな悪質な『悪戯』がこの世に存在するか? アメリカなら間違いなく犯罪になっているぞ。……それで、その魔法薬とやらはどこに行けば手に入るんだ? 給料何ヶ月分も叩いてようやく買った一番良いスーツなのに、この先ずっと光り輝く緑色のままじゃ困る。何としても綺麗にしないと。」

 

「ダイアゴン横丁に専門の店があるんです。ウィーズリー・ウィザード・ウィーズとかいうふざけた店が。そこに行けば売ってるみたいですよ。……昨日買いに行ったら売り切れてましたけどね。入荷の目処は立っていないらしいです。」

 

革靴に付着した『瞬間接着ガム』をどうにか取ろうとしている局員の答えに、フリーマンは緑色のスーツを床に叩き付けながら返事を吐き捨てる。ちなみに他の局員たちも一人残らず何らかの『悪戯被害』に遭っているようで、現在部屋に居る七名の男性はどいつもこいつも愉快な格好だ。双子は悪戯グッズが売れまくって喜んでいるだろうな。

 

「そんなもの嘘に決まっている! あの商店街のバカどもは我々に何一つ売ろうとしないじゃないか。コップ一杯の水でさえもだ! ……お前たちは知っているか? ヤツらは我々の顔写真を隠し撮りして『指名手配書』を作っているんだぞ。これではどちらが犯罪者だか分からないじゃないか!」

 

「次局長、落ち着いてください。ホームズ局長がそういう反応も有り得ると言っていたじゃありませんか。」

 

「だが、ここまでとは言っていなかった! 紅のマドモアゼルだか何だか知らんが、ヤツらの『教祖様』の身内だからとイギリスの連中は庇い立てを──」

 

フリーマンが顔を赤くしながら局員に喚いている途中で、部屋の壁から何かを引っ掻くような音が鳴り響き始めた。『猫の爪研ぎ』レベルの可愛らしい音ではなく、『エルンペントのツノ研ぎ』レベルの爆音だ。

 

「……今朝あたりから頻繁に聞こえてくるようになったが、この騒音は何なんだ? こんな音は生まれてこの方聞いたことがないぞ。誰かイギリス魔法省が隣の部屋で何を飼っているか知っている者は居るか?」

 

「我々にも分かりません。このフロアを使っているのは魔法生物の管理を担当する部署らしいんですが、職員に聞いても答えてくれないんです。省内の機密だとかって。」

 

「何が機密だ。これも嫌がらせに違いない。そうに決まっている! ……忌々しい、本当に忌々しいな! 抗議しようにもボーンズ大臣は常に『留守』だし、スクリムジョールとかいう冷血男は取り付く島もないし、おまけに外交を司る部署の部長は『アメリカ訛りの英語は聞き取れない』と主張して会話にならない有様だ! まともな人間はこの国に一人も居ないのか?」

 

居ないぞ。だってここはイギリス魔法界なんだから。ストレスの塊となったフリーマンの嘆きを耳にしつつ、折角偵察に来たのにロクな情報は手に入らなさそうだと拍子抜けしていると……部屋の隅に一つだけあるボロボロの机で書き物をしている若い職員が、不幸の真っ只中にいる次局長どのに問いかけを放った。椅子にしたって簡素な丸椅子が三脚しかないし、我が国の魔法省が非協力的なのは間違いなさそうだ。

 

「……こんなことでマーガトロイドを捕まえられるんでしょうか? ホームズ局長は折を見て例の調査報告を公開するって言ってましたけど、それでイギリスの魔法使いたちが考えを翻すとは思えません。市民の妨害がある状態で捜査なんて不可能ですよ。」

 

「弱音を吐くな、ハドソン。我々は国際保安官として正義を貫こうとしているんだから、胸を張って堂々と捜査を続けるべきだ。陰湿な嫌がらせに屈する我々ではないと連中に示してやれ。そうすればいつか感謝される日が来るだろう。」

 

「ですが、このままでは何の手掛かりも得られません。マーガトロイドの住居は忠誠の術に守られているようですし、張り込もうにも商店街の連中が邪魔してきます。一度本国に戻って態勢を整えるべきではないでしょうか?」

 

「まだ五日だぞ。たった五日でおめおめ帰国したとなれば、闇祓い局の無能どもに叩かれるのは目に見えている。そうなればホームズ局長の議会内での立場が悪くなってしまうはずだ。連盟に対してあれだけの啖呵を切った以上、我々は何かしらの成果を挙げる必要が……誰だ?」

 

フリーマンが励ますように局長に声をかけている途中で、部屋のドアがリズミカルに連続でノックされる。鋭く放たれたフリーマンの誰何を受けて、ドアを勝手に開けた長身の男が薄ら笑いで返答を返した。知らん顔だな。ノックの仕方からするにこいつも『非常識人』みたいだが。

 

「どうもどうも、お邪魔しますよ。北アメリカの皆さんに差し入れを持ってきたんです。もう三時になりますし、小腹が空いているでしょう?」

 

「……失礼ですが、どなたでしょうか? 私の記憶が確かなら貴方とは初対面のはずです。」

 

「ああ、これは失敬。僕はアルフレッド・オグデンと申しまして、アズカバンの監獄長をやっております。以後お見知りおきを。」

 

あー、こいつがムーディの『相方』とかいう食わせ者の元闇祓い副長か。テンガロンハットにスーツ、そして足元はカウボーイブーツという奇妙な格好をしたポニーテールの初老の男は、ズカズカと室内に踏み込みながらフリーマンへと手に持っていた物を差し出す。剥き出しの手の平サイズの白パンをだ。

 

「ご丁寧にどうも。私はマクーザ国際保安局所属、ジャック・フリーマン次局長です。……それで、これは何でしょうか?」

 

「だから差し入れですよ。パンです。好きでしょう? パン。誰だって好きなはずだ。みんな狂ったように食べているんですから。僕は嫌いですけどね。」

 

たった一つの包まれてすらいないパンを渡してくるオグデンを前に、フリーマンは意味が分からないという顔付きで黙り込んでしまうが……安心しろ、ホグワーツ生の私から見てもこれはさすがに意味不明だ。ムーディの元右腕というだけあって、イカれっぷりも引けを取っていないな。

 

バカにされているのか、それともオグデンがバカなだけなのか。それを悩んでいる様子のフリーマンへと、バカにしているらしいバカはパンを押し付けながら話を続けた。かなり皮肉げな口調でだ。

 

「いやぁ、揃いも揃って参っているようですね。僕からボーンズ大臣に進言してあげましょうか? 他国の捜査官をこんな物置小屋に閉じ込めておくだなんてあまりに失礼ですから。……知ってます? ここって昔、魔法生物から採取した魔法薬の材料を保管しておく部屋だったんです。通常の保管庫には置いておきたくない材料……要するに、臭いがキツかったりするやつをここに隔離していたわけですね。臭い物には蓋をしておくに限りますから。ああいや、別に皆さんがそうだと言っているわけではありませんよ? 大昔の話です。つまり、一週間ほど前の。」

 

ごく最近じゃないか。ペラペラとよく回る舌で楽しそうに語るオグデンに、フリーマンは常識的な態度を装いながら穏やかに応じる。大人なヤツだな。年齢的にはどう見てもオグデンの方が上だが。

 

「ご配慮には感謝しますが、大臣への進言は不要です。……それより、アズカバンとはイギリス魔法界の牢獄でしょう? そこの管理者が我々に何のご用でしょうか? イギリス魔法省にお邪魔させてもらっている以上、何かご用でしたら最大限の協力をさせていただきますが。」

 

「用? そんなものありませんよ。僕は冷やかしに来ただけです。ミス・マーガトロイドを探すのに随分と手こずっているようなので、どれだけ意気消沈しているのかを見物に来てみました。……まあはい、思った以上に『やられている』ようでびっくりしていますが。パンを食べて元気を出してくださいよ。美味しいと思いますよ、そのパン。しもべ妖精に頼んだら一瞬で持ってきてくれたんです。何度も言うように、僕は嫌いですけどね。」

 

こいつは人の怒らせ方に精通しているようだな。へらへら笑いながらいけしゃあしゃあと言うオグデンに対して、フリーマンは目元をピクピクさせているが……それでも責任ある社会人としての対応を続けた。

 

「心配しなくても我々は士気旺盛ですよ。必ずマーガトロイドを捕らえてみせます。……お話がそれだけでしたらもうお戻りになった方がよろしいのでは? アズカバンは改装の真っ最中で忙しいと聞いていますが。」

 

「士気旺盛? それは良かった。だってそうでしょう? 新設の部署がこれだけ国際社会を引っ掻き回した挙句、何一つ成果を得られなかったらとんでもない大問題ですからね。僕がアルバート・ホームズの立場なら夜逃げの準備をしますよ。……それと、僕は暇なので気を使っていただかなくても結構です。うちは部下が優秀なんですよ。靴の裏のガムを取るのに何時間もかけたりしません。その分を仕事に回していますから。」

 

細い目で国際保安局の局員たちを順繰りに見つめるオグデンは、大仰に両手を広げながら小憎たらしい笑顔を浮かべているが……なるほど、つまりこいつもこの連中の偵察に来たわけか。静かに観察している私と違って、オグデンはあえて突っつくことで反応を見るつもりらしい。

 

アリスのためなのか、スクリムジョールあたりに頼まれたのか、それとも興味本位の行動なのか。何にせよ見物させてもらおうと壁に寄りかかる私に気付くはずもなく、オグデンはデスクに居る若い局員が敵意を滲ませているのを目敏く発見すると、勢いよく歩み寄りながら彼に話しかけた。

 

「おや、かなり若いのも居ますね。貴方のお名前は? イギリスは良い国でしょう? 五日間を過ごした感想はありますか?」

 

「……ハドソンです。下っ端の私なんかと話しても仕方がないと思いますが。」

 

「そんなことはありませんよ! 僕はその辺の偏屈な年寄りどもと違って、年齢で人を判断したりはしません。卑屈にならないでください、ミスター・ハドソン。貴方は誇りあるマクーザ国際保安局の局員なんですから。……まあ、現状では役立たずの迷惑集団ですけどね。北アメリカには『冤罪』って英語は伝わっていないんですか? 知性ある由緒正しいイギリスにはそういう単語が存在しているんですよ? 一つ学べましたね。『劣化版ホグワーツ』でも教えるようにと伝えておいてください。」

 

「我々は……我々はきちんとした根拠に基づいて捜査しています! 子供を誘拐する際にマーガトロイドを目撃した人物が居ますし、五十年前にフランスで起きた未解決の誘拐殺人も──」

 

我慢できなくなったのだろう。ハドソンとかいう若い金髪の局員がオグデンに言い返したところで、慌てて駆け寄ったフリーマンがそれを抑える。このメガネの次局長はオグデンが揺さぶりをかけていることに気付いたらしい。それなりに頭は回るわけか。

 

「そこまでだ、ハドソン。……オグデン監獄長、聞きたいことがあるのでしたら私がお答えしますよ。」

 

「いやぁ、もう充分です。誘拐の目撃者と五十年前の事件ね。ルーファスと大臣に良いお土産が出来ましたよ。」

 

おやまあ、がらりと雰囲気が変わったぞ。それまでの軽薄そうな態度をかき消したオグデンは、悪意を多分に含んだ冷たい笑顔で満足そうに頷いた。そういえばレミリアはこいつを『闇祓いの皮を被った狡猾な政治屋』と表現していたな。勝つ為だったら躊躇なく相手の足を舐められるヤツだと。

 

ムーディとは違う厄介さを感じる私と同様に、フリーマンもこの男の『やり方』を把握したらしい。厳しい表情でドアを指差すと、何かを考えているオグデンに鋭く言葉を放つ。

 

「……用がお済みならもうよろしいでしょう? お帰りはあちらです。」

 

「ご丁寧にどうも、フリーマン次局長。……帰る前に一つだけ忠告しておきましょうか。僕はある人に恩義と負い目を感じていましてね、その人はミス・マーガトロイドの親友なんです。だから僕は貴方がたの邪魔になると思いますよ。ここらで恩返しをしておかないと死ぬまで出来ないかもしれませんから、僕もそれなりに必死でして。やる気がある僕ってのは中々厄介ですし、気を付けた方がいいんじゃないですかね?」

 

「……覚えておきます。」

 

「ええ、しっかり覚えておいてください。じゃないと後悔しちゃうことになりますから。」

 

嘘くさい酷薄な笑みでテンガロンハットを胸に当ててお辞儀したオグデンは、そのまま鼻歌を歌いながら部屋を出て行く。……まあ、あの食えない男は現状味方だ。だったら私としては文句などないさ。

 

しかし、『アリスの親友』ってことはヴェイユに負い目を感じているのか。オグデンは当時の闇祓い副長だし、ひょっとしたら咲夜の両親の死が関係しているのかもしれないな。私がオグデンについてを黙考していると、フリーマンが大きくため息を吐きながら口を開いた。

 

「本当に厄介な国だな。どいつもこいつも癖が強すぎるぞ。……ハドソン、もう挑発に乗るなよ? ああいう手合いは外面を取り繕って無視するのが正解だ。」

 

「はい。……申し訳ありません、つい感情的になりました。」

 

「褒められた行いではないが、気持ちは分かるさ。ヒックス、後であの男のことを調べておいてくれ。私はホームズ局長に報告を送ってくる。厄介な連中に目を付けられてはいるが、何の進展もないという忌々しい報告をな。」

 

「了解しました、次局長。」

 

局員の一人に指示を出してからドアを抜けるフリーマンの背にぴったり張り付いて、私も『物置オフィス』を後にする。大した情報は入手できなかったが、オグデンのお陰でヤツらの『根拠』の一端を知ることは出来たな。

 

今回の誘拐殺人の目撃者と、五十年前の事件との関わりか。前者はまだ分からんが、後者はある程度予想が付くぞ。あの事件の犯人をアリスに仕立て上げようというつもりなのだろう。当事者は殆ど生きていないだろうし、私たちが強引に解決したから不明瞭な部分が多いのも確かだ。やろうと思えば不可能ではないのかもしれんな。

 

だが、話を大きくしていけばどこかで粗が出るはず。鈴の魔女が示した新大陸の線は追う準備にまだ時間がかかりそうだし、先ずは表側の政治ゲームに介入してみるか。レミリアの『品揃え』には到底及ばないものの、私だって強力な駒を一つ持っているのだから。

 

魔法省の職員たちに睨み付けられる中を堂々と歩くフリーマンのことを見送りつつ、アンネリーゼ・バートリはホームズの駒も大変だなと小さく苦笑するのだった。

 



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悪霊マーケット

 

 

「むぅ……。」

 

お野菜が随分と高いな。肉は魔法界の方が高いのに、野菜となるとマグル界の方が高くなるのはどういう理由なのだろうか? 膨大な量の野菜たちを前にしつつ、サクヤ・ヴェイユはかっくり首を傾げていた。

 

八月が残り半分となった今日、私は一人で食料品を補充するためにロンドンのスーパーマーケットを訪れているのだ。忠誠の術に守られていてもお腹は減るし、だから食事をしなくてはならない。とはいえエマさんは日光の下に出られないので、こうして私がマグル界に出て買い物をしているというわけである。

 

ちなみに何故一人で買い物に来ているのかといえば、能力を使ってダイアゴン横丁を抜け出してきたからだ。ちょくちょく時間を止めながら移動すれば尾行は難しいし、私一人ならいざという時に逃げ易いということで、自分から『補給係』に立候補したのである。

 

アリスはかなり心配していたものの、まさか渦中の彼女が家を出るわけにはいかないし、リーゼお嬢様は守り人の制約で人形店に入れない。あとは信用できる元騎士団員の人に配達を頼むという手段もあったのだが、迂闊に秘密を広めることがどれだけ危険かは私だって知っているのだ。だったら比較的安全に動ける私が行くべきだろう。

 

そんなわけでダイアゴン横丁の入り口たる漏れ鍋を抜けて、少し離れたマグルの巨大スーパーマーケットに来ているわけだが……ぬう、ここまで広いとなんだかワクワクしてくるな。大量に並んでいる木箱の中の生鮮食品、無数の棚に詰め込まれたシリアルや缶詰、ずらりと設置されているフリーザー、あらゆる種類の肉が揃っているお肉売り場、そして何より行き交う大勢のマグルたち。一体全体この建物にはどれだけの商品があって、どれだけのマグルが日々訪れているんだろうか?

 

スケールの大きさに圧倒されながらも、エマさんから頼まれた品物を次々とカゴに入れていく。……一応保存食の類も買っておくべきかな? マグル界の品物だし、どれが何なのかはさっぱり分からないけど。

 

まあ、それっぽい物を適当に買っておこう。棚を巡りながら保存が利きそうな缶詰なんかをカゴに放り込んで、ついでにパスタの袋やシリアルの箱をいくつか入れると……ぐぅ、重い。巨大なカゴを二つ載せた買い物用のカートは、全力で押さないと動かないほどの重さになってしまった。

 

こうなると独力で持って帰るのは間違いなく不可能なわけだが、幸いにも私はアリスから魔法がかかった布袋を借りてきている。それに入れるまでの辛抱だと自分を励ましつつ、お肉のコーナー目指して必死にカートを押していると──

 

「おやまあ、とんでもない量だね。大丈夫かい? お嬢ちゃん。」

 

珍しい色の長い髪にキャップを被った、黒い半袖のシャツとジーンズ姿の二十代ほどの若い女性。何となく貫禄を感じる美人さんに話しかけられてしまった。キリッとした顔に溢れる自信を滲ませたその女性は、大量の商品が入ったカゴを見ながら話を続ける。量が多すぎる所為で心配されちゃったのかな?

 

「おいおい、お嬢ちゃんの家にシェルターでも建てたのか? 冷戦はあったまらないままで終わったって聞いてるが……ほら、押してあげるよ。どこに行こうとしてたんだい?」

 

「いえ、あの……一人で大丈夫ですから。」

 

「遠慮するなよ、お嬢ちゃん。私は可愛い女の子ってのが三度のメシより好きでね。苦労してる姿を見たら手伝わずにはいられないのさ。」

 

悪戯げな笑み……リーゼお嬢様のような強かさを秘めたものではなく、どちらかといえば魔理沙の『悪戯っ子』なものに近い笑みを浮かべたお姉さんは、私の返事に構わずカートを押して歩き始めてしまった。

 

「本当に大丈夫ですから。知らないお姉さんにご迷惑をおかけするわけには──」

 

「『お姉さん』だって? こいつは驚いた、お姉さんか。そんな呼び方をされたのは久々だよ。……んー、悪くないね。それでいこう。今日の私は通りすがりの親切なお姉さんだ。」

 

「えっと……?」

 

どう見積もっても二十代前半の域を出ないだろうし、お姉さんはお姉さんじゃないのか? 素っ頓狂な発言に困惑する私へと、お姉さんはご機嫌な感じに喉の奥を鳴らしながら口を開く。

 

「それで、行き先は? 言っとくけど手伝わないって選択肢は無いよ。私は意思の押し売りってやつが大得意でね。そうと決めたら絶対に曲げないタチなんだ。手伝うと決めたらお嬢ちゃんが嫌がっても手伝う。そういう性格なのさ。」

 

「……じゃあその、お肉のコーナーにお願いします。そこで最後ですから。」

 

「はいよ、仰せのままに。」

 

うーむ、ちょっとヘンな人だな。断るのは無理そうだと諦めた私に対して、片手一本で軽々とカートを押すお姉さんは周囲を見回しつつ話題を投げてきた。あの細い腕のどこにそんな力があるんだろうか?

 

「しかしまあ、混んでるね。大量生産と大量消費の時代か。お嬢ちゃんはバカみたいだと思わないかい?」

 

「さすがにバカみたいとは思いませんけど、凄い品物の数だとは確かに思います。」

 

「私はバカみたいだと思うけどね。……何もお偉い聖人みたいに清貧な暮らしをしろとまでは言わないさ。富むのも増やすのも大いに結構。繁栄ってのは見てて気持ちが良いもんだ。惨めな衰退よりもよっぽど華がある。」

 

到着したお肉コーナーの冷蔵ケースを眺めながらそう言ったお姉さんは、次に一転して文句を呟き始める。

 

「だけどさ、増えたもんはいつか減るのが世の常だ。増えれば増えるほど減った時の痛みは強くなっていく。自分たちの代では減らないとタカを括っているのか、あるいは永遠に減らないと信じて疑っていないのか。……どっちにしろ大バカさ。火に触れるまで熱さが分からないってんじゃあ救えない。本当に賢いヤツは熱さを予想して遠ざけるんだよ。暖は取れるが、熱すぎはしないくらいの位置にね。それなら火傷しないで済むだろう?」

 

「えーっと……すみません、よく分からないです。」

 

ちんぷんかんぷんだ。比喩的な消費社会への批判なのか、哲学的な深い話なのか。パチュリー様なら分かるのかなと困っていると、お姉さんはくつくつ笑いながら謝ってきた。

 

「ああいや、悪かったね。気にしないで聞き流してくれ。単なる偏屈な年寄りの戯言さ。」

 

「年寄り?」

 

「そんなことより、肉を買わなくていいのかい? ……ここまで大量に並んでると美味そうに見えるな。私も買ってくか。」

 

ポンと私の背を叩いて促したお姉さんに従って、奇妙な台詞に小首を傾げながら店員さんの一人に注文を伝える。言動も変だし、行動も変だが、何故かマイナスのイメージが湧いてこない人だな。何というかこう、豪快な雰囲気が多少の違和感を押し流してしまう感じだ。

 

今まで会ったことが無いタイプの人だが、強いて言えば美鈴さんに近いかな? 鹿肉を値切ろうとしているお姉さんを横目にお肉を受け取って、バーコードが記載されたシールを貼ってもらったそれをカゴに載せた。これで買い物完了だ。あとは支払いを済ませるだけ。

 

『補給任務』を果たせそうなことにホッとしつつ、レジはどこだっけと天井の案内プレートに目をやったところで……巨大な鹿肉を手にしたお姉さんが再びカートを押し始める。

 

「はん、この店じゃ値札の通りにしか売らないんだとよ。値切れない店ってのはつまらなくてダメだね。買い物の楽しみの半分は値切ることにあるってのに。……あとはレジで大丈夫かい?」

 

「はい、大丈夫です。……ありがとうございます。」

 

「いいんだよ、私が勝手にやってることなんだから。」

 

ニヤリと笑って肩を竦めたお姉さんは、通路のど真ん中を堂々と進みながら続けて問いを飛ばしてきた。私はすれ違う時に退くタイプだが、この人は退かせるタイプらしい。

 

「見たところお嬢ちゃんは学生さんだろ? 友達は居るかい?」

 

「何人か居ます。同世代より上が多いですけど。」

 

「へぇ、面白いね。……ちょっとしたゲームをしようか。心理ゲームだ。先ずはその中で一番親しい友達を思い浮かべてごらん。そしてそいつに一番似合う数字を教えてくれ。」

 

「数字ですか? ……七、かな?」

 

魔理沙をイメージしてパッと思い浮かぶ数字は七だ。何の理由もなく直感で放った答えを聞いて、お姉さんは何故か満足そうにうんうん頷いてくる。

 

「七か、悪くないね。むしろ良いくらいだ。七ってのは矛盾と力を表す強い数字なのさ。……ってことは、その子は金髪だろう? 当たってるかい?」

 

「……当たってます。どうして分かったんですか?」

 

「種明かしはまだ先さ。それじゃあ次は……そうだな、その子に一番合ってる色を教えてくれ。」

 

驚く私を見て愉快そうに微笑むお姉さんに、質問の回答を口にした。今度は色か。白か黒で迷うところだけど……うん、黒かな。私にとっては黒のイメージの方が強い気がするぞ。

 

「黒ですね。」

 

「なるほどね。つまりその子はちょっと生意気で快活な女の子で、お嬢ちゃんと同い年ってわけだ。」

 

「凄いです、また当たってます。」

 

どういうトリックなんだろうか? 完璧に当たっていることに目を丸くする私へと、お姉さんは到着したレジにカゴを載せながらパチリとウィンクしてくる。

 

「その通り、私は凄いのさ。……種明かしは会計を済ませてからにしようか。金は渡すから、この肉の分も代わりに払っておいてくれ。一服してから戻ってくるよ。」

 

「分かりました。」

 

言うとお姉さんはジーンズのポケットから紙タバコの箱を取り出して、店の出入り口へと歩いて行ってしまった。多分外に灰皿があるのだろう。それを尻目にカゴからコンベアに商品を移すと、恰幅の良い女性店員さんが手伝いながらバーコードを読み取ってくれる。

 

「あら、お使い? 大変ねぇ。こっちは私がやるから袋に詰めちゃいなさいな。」

 

「へ? ……あの、はい。ありがとうございます。」

 

左右のレジで会計している人は自分でコンベアに流しているし、この店員さんが特別親切なんだろうか? よく分からないマグルの会計システムに困惑しつつ、スキャンが終わった商品を紙袋に詰め込んでいくと……改めて結構な量になってるな、これ。どこで布袋に詰め替えよう。

 

何にせよマグルから見えなくなる位置まではカートで運ぶ必要があるな。二度手間であることに辟易しながらいくつかの重い紙袋を再びカートに戻して、慣れないマグルの紙幣で会計を済ませた後、重いカートを押してレジを抜けたところで──

 

「……あれ?」

 

周囲の音が消えると共に、世界の動きが完全に静止する。能力は使っていないはずだけど……これは、どう見たって時間が止まっているな。無意識に使っちゃったってことか?

 

とうとう起きている時も勝手に発動するようになったのかとヒヤリとしながら、早く元に戻そうと能力を解除しようとすると──

 

「ああ、終わったかい。釣りは取っといていいよ。小遣いにしときな。」

 

平然と歩いているお姉さんが私に近付いてきた。……有り得ないぞ。どうして動いているんだ? 止まった時間の中を動けるのは私だけのはずなのに。

 

「どうして……動いているんですか?」

 

呆然と立ち尽くす私が送った疑問に、お姉さんはレジに腰を下ろしながら応じてくる。他に動いている人は居ないし、世界は間違いなく止まっているはずだ。

 

「難しいことじゃないよ。私はお嬢ちゃんの世界に入り込んだだけさ。だから厳密に言えば私が動いてるんじゃなくて、お嬢ちゃんが私のことを『許容』してるんだ。お嬢ちゃんのお陰で私は珍しい体験が出来てるってわけだね。」

 

「……貴女は何者なんですか?」

 

状況からするに絶対にマグルではないし、もしかしたら人間ですらないかもしれない。私の世界に侵入するのはパチュリー様にだって出来なかったことだ。である以上、警戒すべき事態なはず。

 

杖とナイフを構えながら訊いた私を見て、お姉さんは戯けるように両手を上げて答えてきた。

 

「おっと、敵意はないよ。お嬢ちゃんはうちの馬鹿弟子の大事な友達だからね。傷付けたりはしないさ。」

 

「弟子? まさか、魔理沙の師匠……魅魔さんなんですか?」

 

「大正解だけど、呼び方は『お姉さん』のままにしておくれ。そっちの方が気分が良いからね。」

 

言いながらキャップを脱いで珍しい色の……濃い緑色の長髪を掻き上げた魅魔さんは、停止した世界を興味深そうに観察しながら会話を続ける。

 

「しっかし、凄い力だね。永く生きてきたが、こういう力を持ってる人間は初めて見たよ。あのバカはつくづく面白い能力を持った人間に縁があるじゃないか。『浮く』巫女といい、時を止めるお嬢ちゃんといい、これも一つの才能かもしれないね。」

 

「えっと、魔理沙に会いに来たんですか?」

 

「いいや、バカ弟子には会わないさ。あいつは一人で修行を頑張るって宣言して、私はそれを認めたからね。私の方からそれを破るわけにはいかないだろう?」

 

ほんの少しだけ寂しそうな顔……きっと私じゃなければ気付けなかったであろう、魔理沙が魅魔さんのことを思い出す時そっくりの顔を見て、ナイフと杖をそっと仕舞う。大丈夫そうだな。この人は間違いなく魔理沙の師匠だ。だって、無駄に強がりなところが良く似ているのだから。

 

「魅魔さんに会いたがってましたよ、魔理沙。口には出しませんし、上手く隠してますけど、私には分かります。」

 

「『魅魔さん』じゃなくて『お姉さん』だ。……あのバカにはまだ会えないさ。里心は修行の大敵だからね。あいつが胸を張って修行の成果を持って帰ってくる時を待つことにするよ。」

 

「……師弟だけあってそっくりですね。決めたら絶対に曲げないところとか、妙な部分に対して律儀なところとかが。」

 

少しだけ呆れながら言ってみると、魅魔さんはポリポリと頬を掻いて苦笑した後、気を取り直すように手を叩いて話題を変えてきた。

 

「まあほら、バカ弟子の話はいいんだよ。今日は別の話をしに来たんだから。……お嬢ちゃんは予想が付くかい?」

 

「『魔女の妖怪』のことですか?」

 

「ああ、その通りさ。正直言って、最初は手助けしてやるつもりなんか無かったんだけどね。コウモリ娘にも人形の魔女にもこの前手を貸してやったばかりだから、今回は黙って見物してようと思ってたんだ。」

 

香港自治区の時のことを言っているのかな? 去年の旅行のことを思い出している私に、魅魔さんは困ったような表情で続きを語る。

 

「だけど、一番世話になってるお嬢ちゃんに何の礼もしてないことに気付いたんだよ。こんなんでも一応保護者だからね。うちのバカ弟子に良くしてもらってるのに、知らん振りしたままなのは薄情なんじゃないかと思い直したわけさ。」

 

「私に、ですか。」

 

「そうだ、お嬢ちゃんにだ。……実はね、私はお嬢ちゃんたちが探している妖怪に二度会ってるんだよ。当時の新大陸に居た本物の魔女は私だけだったからね。『仲間』を見つけたとでも思ったんだろうさ。ボロボロの格好で私のねぐらを訪ねてきて、いきなり自分の境遇を語り始めたんだ。弟子入りしたいとも言われたっけな。」

 

「ちょ、ちょっと待ってください。今メモを──」

 

急に重要そうなことを語り始めた魅魔さんに、ポケットを探りながら制止の言葉を飛ばすが……ああもう、待ってって言ってるじゃないか。魅魔さんは構わず『昔話』を続けてしまう。

 

「だが、あの小娘は明らかに魔女じゃなかった。魔女にとって必須である『主題』を持っていなかったからね。何も目指してない魔女なんて魔女じゃないんだよ。……だからまあ、当時の私は無下に追っ払っちゃったわけさ。何でかはもう忘れたが、あの日の私はとにかく機嫌が悪かったんだ。結構こっ酷く追い返したのを覚えてるよ。」

 

『当時』というのはいつのことなんだろうか? 口を挟むタイミングを計っている私に対して、肩を竦めながら薄く笑った魅魔さんはピンと人差し指を立ててきた。ここからが面白いと言わんばかりの表情だ。

 

「そんでもって、次に会ったのはその百年後くらいだ。ちょうど合衆国憲法が制定された頃、本拠地を首都のニューヨークに移した私の店にひょっこり現れたんだよ。随分と小綺麗な格好になってたし、口調からも田舎臭さが抜けてたから、最初は誰だかさっぱり分からなかったんだが……そういえばちょっと前に自称魔女が訪ねてきたことを思い出してね。」

 

「合衆国憲法ってことは……ええと、十八世紀の終わり頃ですよね?」

 

ということは、初めて訪ねてきた時というのは1690年前後か。……まあ、魅魔さんにとっての百年後『くらい』にどれだけ振れ幅があるのかにもよるけど。

 

「おや、よく勉強してるじゃないか。それで合ってるよ。……その日の私はコーヒーが上手く淹れられて気分が良かったから、詳しく話を聞いてやったんだ。そしたらやれ人形が好きだからそれを主題にしただの、人間は信用できないから嫌いだのって延々つまらん話をした後、また『弟子にしてください』って言われたんだよ。」

 

「弟子にしたんですか?」

 

「はん、まさか。断ったさ。魔女としてはまだ欠けてるものがあったからね。先達の人外らしく適当で無責任な説教をしてやったよ。どこがダメなのかを懇切丁寧に教えてやったってわけだ。」

 

つまり、例の魔女は二回も『門前払い』を食らったのか。でも、魅魔さんは魔理沙は弟子にしている。ただの人間である魔理沙を。何が違ったのかと考えていると、魅魔さんは嘗ての魔女の妖怪に関する話を締めてきた。

 

「そしたら意気消沈した顔で慌てて出て行って、それ以来一度も訪ねてこなかったよ。妖怪の社会にも馴染めてなかったみたいだし、以降それらしい噂は全く聞かなかったね。……ま、私の実体験としての関わりはそれだけさ。とはいえ、これだけだと大した情報にならないだろう? だから今日はこれを持ってきたんだ。」

 

言いながら魅魔さんがポケットから出したのは、小瓶に入った見慣れた銀の糸……記憶だ。ひょいと放られたそれをキャッチしてまじまじと見つめる私に、緑髪の大魔女は詳しい説明を寄越してくる。

 

「そいつは今話した二つの場面の記憶さ。最初に会った時は聞いてもいない身の上話を語ってきたし、二度目の時はあの小娘の根幹に迫る話をした。どうやら結構な嘘吐きらしいが、この二つの記憶で語ってるのは多分本音だ。多少は参考になると思うよ。」

 

「根幹? どういう意味ですか?」

 

「それは見てのお楽しみだ。……一回見たら消えるようになってるから気を付けな。自分の記憶を残すのは好きじゃないからね。今回は特別サービスさ。」

 

「……あの、ありがとうございます。」

 

ぺこりとお辞儀をしながらお礼を言うと、魅魔さんは購入した鹿肉をひょいと掴んで別れを告げてきた。掴み所のない、気まぐれな猫のような笑顔でだ。

 

「用心するんだよ、お嬢ちゃん。私がこうして侵入できたように、お嬢ちゃんの能力をどうにか出来る存在ってのは結構居るからね。どんな強力な能力もただ使うだけじゃあダメなんだ。工夫してこそ本当の力になるのさ。」

 

「はい、覚えておきます。」

 

「それじゃ、コウモリ娘と、人形の魔女と……まあその、バカ弟子にもよろしく言っといてくれ。ちゃんと学ぶまでは帰ってくるなってね。」

 

ちょびっとだけ照れ臭そうな声でそう言った魅魔さんは、ひらひら背中越しに手を振りながら遠ざかると……私が瞬きした間に姿を消してしまう。なんだかカッコいい感じの魔女さんだったな。魔理沙もいつかあんな風になるんだろうか?

 

意外な出会いと、意外な成果。手に持った記憶が入った小瓶を見つめながら、サクヤ・ヴェイユは早く帰って知らせなきゃと荷物に向き直るのだった。

 



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五人

 

 

「うん、だから僕たちも早めに切り上げて帰ってきたんだ。……いや、別に楽しめなかったわけじゃないんだよ? 充分すぎるほど色んな場所には行けたから。シリウスも満足してたみたいだしね。」

 

うーむ、悪いことしたな。ブラックとの大陸旅行についてを語るハリーを前に、アンネリーゼ・バートリは珍しく申し訳ない気分になっていた。つまり、彼は指名手配騒動を気にして予定を繰り上げて帰ってきてしまったらしいのだ。方々に迷惑をかけまくってるじゃないか、ホームズのやつ。

 

八月が終わりそうな夏の日の午後、私たち新七年生四人組は新学期の教材を揃えるために、ダイアゴン横丁でいつものお買い物会を開いているのだ。漏れ鍋でハーマイオニーが合流した時はジニーとルーナも一緒だったのだが、今は私たちとは別行動をしている。二人で洋服を見に行くつもりらしい。

 

モリーが一緒じゃないのは珍しいなと考えている私を他所に、ロンがうんざりした顔で相槌を打った。ちなみに私たちが居るのは毎年休憩に使っているカフェの店内だ。今年はえらくきっちり指定されていた魔法薬学の消耗品の補充を済ませて、教科書を買いに行く前に小休止しているのである。

 

「僕も一緒に行きたかったよ。家に居るとママが無理やり『手紙攻撃』の手伝いをさせてくるからさ。最近はどの店でも吼えメールが品切れになってるんだって。ママと同じようなことをやってるヤツが居るに違いないぜ。つまり、吼えエアメールの絨毯爆撃を。」

 

「あら、私も書いたわよ。吼えメールじゃなくてきちんとした抗議の手紙をね。連盟の捜査制度を曲解して利用したりとか、他国の主権への侵害を行なったりとか、そういう部分に対する抗議文を羊皮紙三巻き分書いてやったの。」

 

「賭けてもいいけど、マクーザは読まずに捨てたと思うぞ。ママがやり過ぎなのはともかくとして、強制的に『聞かせる』ならやっぱり吼えメールが一番だよ。兄貴たちがもっと強力な手紙を開発しようとしてるから、それが出たらトップが入れ替わるかもしれないけどな。」

 

「貴方ったら少し前までは吼えメールが大嫌いだったのに、随分と大人になったじゃないの。」

 

双子が作る吼えメールの『上位互換』か。悪夢のような話だな。呆れたようにハーマイオニーが返事を返したところで、ハリーがアイスココアを飲みながら問いを投げてきた。心配そうな表情だ。

 

「だけどさ、リーゼは堂々と出歩いちゃって大丈夫なの? マーガトロイド先生もサクヤもマリサも家に閉じこもってるんでしょ? マクーザの捜査官は手掛かりが掴めなくて焦ってるだろうし、そうなったらリーゼを標的にするんじゃない? フランスで一緒に居るところを見られたって言ってたしさ。」

 

「国際保安局の連中に詰め寄られたらか弱い少女を演じるさ。イギリス魔法界が誇るダイアゴン横丁のど真ん中で、翼付きの吸血鬼を『強制連行』しようとしたらどうなると思う? それこそこっちの思う壺だよ。スキーターがすっ飛んでくるんじゃないかな。」

 

「あー……それは確かに騒ぎになるかもね。相手がリーゼなら本当に連行するのは不可能だろうし。」

 

「そういうことさ。……まあ、アリスのことはそこまで心配しなくてもいいよ。時間はこっちの味方だからね。向こうは大半の札を切っちゃっただろうし、ここを凌げば次はこっちの番だ。」

 

先日咲夜が魅魔から渡されたという記憶。ホグワーツに行ったらそれを憂いの篩で確認してみる予定なのだ。あの魔女は大嘘吐きで気まぐれだが、わざわざ無駄なことはしないはず。恐らく記憶の中には『魔女の妖怪』に繋がる何かしらの情報があるのだろう。

 

アイスティーをストローで吸いながら考えていると、ハーマイオニーが然もありなんと同意してくる。彼女もホームズ側の攻勢は息が長いものではないと考えているらしい。

 

「そうね、こんな状況が長続きするはずないわ。時が経てば経つほどマクーザ側の綻びは大きくなっていくはずよ。そしたらきっとボーンズ大臣やスクリムジョール部長がそれに気付くでしょう。」

 

「それと、スキーターもな。……昨日の朝刊を見たか? マクーザの捜査の粗をほじくりまくってたぜ。『後付けや推測に基づく根拠が多すぎる』って書いてあった。まるで本物の報道記事みたいな内容だったよ。」

 

「私も読んだけど、あれってどうやって調べたのかしら? 思い返せば対抗試合の時もそうだったわよね? あの時と同じで他人に漏れるはずがないような話が沢山載ってたわ。創作にしてはやけに真実味がある内容だったし。」

 

「どうでもいいさ、そんなこと。今はマーガトロイド先生のピンチなんだ。スキーターが『宜しくない』ことをやってたって今だけは目を瞑るよ。」

 

首を傾げてスキーターの謎を解明しようとするハーマイオニーに、ロンが『清濁併せ呑む宣言』をしたところで……おや、マルフォイじゃないか。髪をきっちり撫で付けた青白ちゃんが通りを一人で歩いているのが目に入ってきた。なんとも暑そうなスリーピースのスーツ姿でだ。

 

「マルフォイが居るよ。買い物かな?」

 

発見したスリザリン生を窓越しに指差して報告してみると、ハリー以外の二人は何とも言えない表情でそちらを見つめる。『比較的良い子』になったマルフォイへの態度を未だに決めかねているようだ。反面ハリーはそうでもないようで、自然体で軽く応じてきた。

 

「本当だ、かなり暑そうな格好だね。やっぱり『マルフォイ家の当主』だから下手な格好は出来ないのかな?」

 

「だろうね。名家の当主で適当な格好をするのはキミの名付け親くらいだよ。マルフォイ家はまだ微妙な立場だし、他家に隙を見せるわけには……おっと、こっちに気付いたぞ。」

 

私がキビキビ歩く青白ちゃんを眺めながら話している途中、ふと振り返ったマルフォイは自分を見つめる四人が誰なのかに気付くと……立ち止まって苦い顔をした後、身を翻してカフェの入り口へと進む方向を変える。こっちに来るつもりのようだ。ジロジロ見られて怒ったか?

 

ロンとハーマイオニーが何故か居住まいを正す中、カフェに入ってきたマルフォイは私たちが囲んでいるテーブルに近付くと、若干気まずげな顔付きで挨拶を放ってきた。

 

「どうも、諸君。無視するのもなんだから挨拶をと思ってね。」

 

「やあ、マルフォイ。気遣いが出来る男になったようでなによりだよ。家の方は落ち着いたのかい?」

 

「ある程度は落ち着いたが、まだまだ忙しいことに変わりはない。……まあ、今はそちらの方が忙しいようだが。」

 

立ったままで応対してくるマルフォイに、手振りで椅子を勧めつつ返答を送る。アリスのことを言っているのだろう。立ち振る舞いといい、話題のぼかし方といい、立派に『名家の当主』をやってるみたいじゃないか。

 

「まあね、忙しくさせてもらってるよ。キミの方にも噂が入ってきてるのかい?」

 

「ああ、色々と入ってきている。……心配しなくても今の僕は選択の余地なくスカーレット派だ。である以上、マクーザとは敵対の姿勢を取るさ。」

 

「んふふ、良い選択だね。この状況を上手く利用したまえよ。私もアリスも負ける気はないから、こっちにベットしておけば配当が得られるぞ。」

 

「残念ながらイギリス魔法界はほぼ全員が同じ色にベットしているようだから、大した配当は得られないだろうな。……それとポッター、先日墓参りに来てくれたと聞いている。軽く掃除もしてくれたと。感謝しておこう。」

 

墓参り? ……あー、スネイプの墓のことか。私が一人で納得している間にも、席に着いたマルフォイへとハリーが穏やかに返した。数年前じゃ想像も出来ないような状況だな。まさかこの五人でこの時期、このカフェのテーブルを囲むことになるとは。

 

「ううん、当然のことだよ。ナルシッサさんは元気?」

 

「壮健だ。最近は僕が動けるようになってきたから、父上たちのことを整理するのに集中できている。……クィディッチのことについては知っているか?」

 

「クィディッチ? ……そういえば今学期はマルフォイがスリザリンのキャプテンなんだよね? そのこと?」

 

きょとんとしながらハリーが飛ばした疑問に、マルフォイは首を横に振って答える。

 

「今年は恐らく学内のリーグは中止になるぞ。国際間で試合をするようなんだ。」

 

「国際間で?」

 

「そうだ。『七大魔法学校対抗トーナメント』と銘打って、各校の代表チームでトーナメント戦をするらしい。参加校はホグワーツ、ダームストラング、ボーバトン、マホウトコロ、ワガドゥ、イルヴァーモーニー、カステロブルーシュの七校で、一年間かけて順次試合を行うと聞いている。まだ公式発表はされていないが、連盟内の知り合いが教えてくれたんだ。」

 

あーっと、そういえばそんな話があったな。アリスの騒動で完全に忘れていたぞ。ハグリッドとの会話を思い出している私を尻目に、ロンが我慢できないといった様子でマルフォイに質問を投げかけた。

 

「ちょっと待ってくれ、四年生の時みたいなイベントがあるってことか? こんなゴタゴタしてる時に?」

 

「そもそもトーナメントの話自体は春先から進んでいたらしい。そこに北アメリカとイギリスの騒動があって、連盟はここで中止したらむしろ国際間の繋がりにヒビが入ると判断したようだ。」

 

「どうかな、私は連盟内のクィディッチ狂いどもが開催をゴリ押した線を推すけどね。」

 

「その可能性もあるが、どちらにせよ開催はほぼ確実だろう。歓迎会の時に校長から説明があって、九月中に代表選手を選ぶことになるはずだ。もし出たいなら気に留めておいた方がいいと思うぞ。」

 

私の邪推をさらりと流したマルフォイへと、ハリーが目をパチクリさせながら小さく頷く。本音で言わせてもらえばこんな時期にやらないで欲しいぞ。仲良くクィディッチを出来るような状況じゃないだろうに。

 

「うん、覚えておくよ。……マルフォイは立候補するの?」

 

「そのつもりだ。代表選手になれれば経歴に箔が付くし、何より母校が『第一回目』のトーナメントで優勝するのは僕としても望むところだからな。」

 

「そっか。……じゃあ、もしかしたら一緒にプレーできるかもしれないんだね。」

 

「かもしれないな。その時はよろしく頼む。」

 

おー、それは面白い展開だな。どっちもポジションはシーカーだが、チェイサーだってやれなくはないだろう。頷き合う二人を不思議な気分で眺めていると、ハーマイオニーが話題のレールを切り替えた。彼女は男三人ほど興味がないようだ。

 

「まあ、クィディッチについては後々公的な発表があるはずよ。……それより、新任の教師が誰になるのかを知ってる? 貴方のところには色々と情報が集まったりするのよね?」

 

「防衛術の教師はフランスから招くと聞いている。イギリスでは『まともな』応募が一切なかったらしい。薬学と変身術の詳細は不明だが、どちらも決まってはいるそうだ。」

 

「フランスから? ……イモリの年だし、貴方たちは全員闇祓いを目指すんでしょう? どれも重要な教科だから良い先生が来てくれるといいんだけど。」

 

「少なくとも魔法薬学は必要教材のリストがしっかりしていたし、そこまでおかしな教師ではないはずだ。あとは運に任せるしかないだろう。……では、僕はこれで失礼する。注文もせずに長々と居座るのは店に悪いしな。」

 

話の切れ目を受けて席を立ったマルフォイに、四人で別れの言葉を告げると……彼は私に対してポツリと助言を寄越してくる。

 

「バートリ、もしお前がボーンズ大臣と連携を取っているのであれば、もっと名家を上手く利用しろと伝えるべきだな。イギリス魔法界は徐々に実力主義の風潮が固まってきているが、連盟は未だ古い権威に弱い。名家の方も名誉挽回のチャンスを逃したくはないから、このタイミングで頼れば必死に協力してくるはずだ。」

 

「……フォーリーだけでは足りないと?」

 

「フォーリー議長の手腕に不足があるわけではないが、名家の社会というのが常に多角的に物事を判断することはお前もよく知っているだろう? 一方向からだけではダメなんだ。正面からフォーリー議長が押す間に、背後から別の誰かが相手の足を引っ張る。僕はそういう戦い方をすべきだと思うがな。」

 

「んふふ、つくづく成長したね。覚えておこう。」

 

私の首肯を確認したマルフォイは、今度こそ背を向けてカフェを出て行った。……なるほどな、地位があるフォーリーでは手が回らない『汚れ役』を誰かにやらせろということか。リドルの所為で落ち目になっている名家の人間は喜んで飛びつくだろう。たとえ汚れ役だと理解していても、それでイギリスでの地位を取り戻せるなら嬉々として実行するはずだ。

 

長らく社交界を離れていた所為で忘れていた『由緒ある足の引っ張り合い』。そのやり方を思い出して苦笑する私を他所に、ロンが感心したような顔で口を開く。

 

「……なんか、大人になったな、あいつ。ちょっと悔しいよ。先を越された気分だ。」

 

「数年前の私たちが如何に子供だったのかを実感するわね。私たちもきちんと大人になりましょうか。来年の今頃はもう働きに出てるんだから。……順当に行けば、だけど。」

 

「やめてよ、ハーマイオニー。順当に行かなかった時のことを考えちゃうから。」

 

ため息を吐きながら突っ込んだハリーを見て、ハーマイオニーとロンが苦笑いでそれぞれの飲み物に口を付ける。六年生のモラトリアムは終わり、現実と向き合う時が訪れたわけか。

 

アリスの騒動と、対抗トーナメントと、三人の就職問題。どんどん積み重なる課題にやれやれと首を振りながら、アンネリーゼ・バートリはアイスティーの氷を思いっきり噛み砕くのだった。

 



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ホグワーツへ

所用により次回更新がちょっとだけ遅れそうです。申し訳ございません!


 

 

「まあ、私のことは気にせずに学校生活を楽しんできなさい。咲夜は監督生としてしっかり下級生の面倒を見て、魔理沙はクィディッチを頑張ること。あとは二人ともフクロウ試験の存在を常に意識するようにね。魔法界に残らない貴女たちにはそれほど関係ないかもしれないけど、フクロウ試験はこれまで学び取ったことを証明する場よ。私としては一年後に良い成績を取った貴女たちを褒めてあげたいわ。だから出来れば頑張ってみて頂戴。」

 

リビングの暖炉の前に立った私と咲夜に言葉をかけてくるアリスへと、霧雨魔理沙は大きく頷きを返していた。心配しなくたって全部頑張るさ。イモリを受ける気がない私にとっては、今年のフクロウが最初で最後の『力試し』の場だ。この前魅魔様に会った咲夜が『ちゃんと学ぶことを期待してた』って言ってたし、だったら手を抜くわけにはいかないだろう。

 

今年も新学期が始まる九月一日の午前中、私たちはホグワーツに戻るべくキングズクロス駅へと出発する直前なのだ。ダイアゴン横丁を出歩けないので学用品は買えなかったが、必要な物は代わりにリーゼが揃えてくれているはず。教科書や消耗品なんかはホグワーツ特急の中で受け取ることになっている。

 

着替えの手間を省くために既に制服を着ている私たちへと、今度はアリスの隣のエマが声をかけてきた。いつものふにゃりとした笑顔でだ。

 

「アリスちゃんのことは私が守りますから、心配しないで学業に専念してくださいね。それと……はい、お弁当です。列車の中で食べてください。」

 

「あんがとよ、エマ。行ってくるぜ。」

 

「ありがとうございます、エマさん。……アリス、憂いの篩で記憶を確認したら連絡するからね。」

 

ほんのり温かい大きめのランチボックスをそれぞれ手にした後、咲夜が心配そうな表情で送った発言に対して、アリスは首肯しながら笑顔で口を開く。

 

「ええ、任せたわ。安全な連絡の方法はリーゼ様が知ってるはずだから、私に何か用がある時は彼女に頼んで頂戴。」

 

「うん、分かった。……気を付けてね。その、色々と。」

 

「大丈夫よ、こっちのことはこっちで何とかしてみせるわ。……ほら、もう行かないと列車が出ちゃうわよ?」

 

「ん、行ってきます。」

 

背を押してくるアリスに促されて、先ずは咲夜が緑の炎と共に姿を消す。それに続いて私も暖炉に入ってから、フルーパウダー片手に別れの挨拶を放った。

 

「よう、アリス。いざとなったら幻想郷に逃げ込んじゃえよな。お前も知ってるだろうけど、あの土地を管理してるのは文字通り桁外れの連中なんだ。強力な結界もあるし、向こうに行っちまえば『魔女の妖怪』とやらだって易々と手出しできなくなるはずだぜ。」

 

「最終手段としては候補に入れてあるわ。だけど、ホームズの存在は軽々に無視できないでしょう? 人外が魔法界に悪さをしようとしているなら、それを止めるべきなのもまた人外よ。魔法界は私の故郷だし、ギリギリまでは粘ってみるつもりなの。」

 

「その気持ちは分からんでもないが、私が言いたいのは無茶するなってことだよ。最悪リーゼ単独でもケリを付けられるかもしれないだろ? ヤバいと思ったら迷わず逃げろよな。」

 

「そんなに心配しなくても逃げ時の判断くらいは出来るわよ。……行ってらっしゃい、魔理沙。今年は魔法史も頑張るように。」

 

「残念だが、それだけは約束できんな。……んじゃ、行ってくるぜ。9と3/4番線!」

 

他の授業は面白いものの、魔法史だけは教師の癖も相俟ってどうしても興味が湧かんのだ。小言を言われる前にと慌ててフルーパウダーを足元にぶん投げて、行き先をはっきり口に出してみれば……おー、混んでるな。一瞬の移動の後、混み合う駅のホームの光景が視界に映る。

 

先に到着した咲夜はどこかと視線を彷徨わせていると、急に誰かに手を掴まれて引っ張られた。びっくりしたぞ。

 

「うぉっと……シリウス? いきなりどうしたんだ?」

 

「いいから来るんだ、マリサ。急がないとハイエナどもが噛み付いてくるぞ。」

 

「『ハイエナ』?」

 

どういう意味かとシリウスの見ている方向に目を向けてみれば……うお、フリーマンだ。マクーザの捜査官が私の方に来ようと必死に人混みを掻き分けている。わざわざホームで張り込んでいたらしい。

 

「退いてください、我々は保安官です! 退いて……退いてください! 何故こっちに寄ってくるんですか! ハドソン、私に構うな! 列車に入られる前にあの少女を確保──」

 

「でも次局長、私も動け……動けません!」

 

何やってんだよ、本当に。引き寄せ呪文でもかかっているかのように纏わり付く『善良な一般市民』たちを、フリーマンら四名の捜査官は物凄い形相で押し退けようとしているが……まあ、あの数じゃ無理だろ。次第におしくらまんじゅうの中心へと姿を消していった。もう殆どコントだな。

 

「あー……後でお礼を言っといてくれよ。悪しき違法捜査を妨害した勇敢なる市民たちにさ。」

 

「気にしなくていいと思うがね。皆嬉々として協力してくれたわけなんだから。……そら、列車の中に入ればもう安全だ。ホームは『イギリス魔法界』だが、列車の中は『ホグワーツ』だからね。連盟の捜査権ではホグワーツの自治権を侵害することは出来ないのさ。」

 

「咲夜はもう中なのか?」

 

「君の前にモリーが引き摺って行ったから、既に中に居るはずだ。……クィディッチを頑張れよ、マリサ。君の飛びっぷりならホグワーツの代表選手も夢じゃないはずだ。フランドールの分まで私やリーマスも応援に行くつもりだから、最強の学校が何処なのかを他校の連中に教えてやってくれ。」

 

「へ? ……ああ、頑張るぜ。」

 

最強の学校? よく分からんことを言ってきたシリウスの勢いに押されて頷いた後、真紅の列車に入って咲夜の姿を探す。……ちらりと振り返った時に見えたが、フリーマンは足に満面の笑みでしがみついている三歳くらいの女の子を引き剥がそうと四苦八苦しているようだ。

 

家族の誰かを見送りに来たらしいその少女は、詳しい事情を知らずに遊びだとでも思っているのだろう。楽しそうな幼い女の子を強引に払い退けるわけにもいかず、フリーマンは眼鏡をずり下げながら困り顔を浮かべている。あいつはそこまで悪いヤツじゃないのかもしれんな。ホームズの指示に従っている任務に忠実な部下ってとこか。

 

多分イギリスが世界で一番嫌いな国に躍り出たであろうアメリカ人を尻目に、コンパートメントを覗き込みながら通路を歩いていると、やおら背後からポンと肩を叩かれた。

 

「やあ、マリサ。久し振りだね。」

 

「おっ、ネビルじゃんか。久し振りだな。夏休みは楽しめたか?」

 

振り返った先に居た今年七年生のちょっとドジな先輩に返事をしてみると、ネビルは笑顔で夏休みの出来事を語ってくる。さすがに最上級生ともなるとキリッとして見えるな。当時を知らない下級生たちは、ネビルの『ドジ武勇伝』を信じてくれないかもしれないぞ。

 

「うん、ばあちゃんが『例のあの人撲滅記念旅行』に連れて行ってくれてさ。ドイツの魔法植物園とか、小鬼の銀行の本店とかに行けたんだ。……それより、マーガトロイド先生は大丈夫なの?」

 

「あー、そうだな。もちろん大丈夫ではないが、マクーザの捜査官に見つかってもいないぜ。外出できないのが目下の問題って感じだ。」

 

「そっか。……ばあちゃん、怒ってたよ。あんなに怒ったのは久々に見たくらいに。何か困ったことがあったら言ってね。僕に出来ることなんか高が知れてるけど、少しくらいなら協力できるから。」

 

「あんがとよ、ネビル。」

 

穏やかな表情で請け負ってくれたネビルは、通路の先を指差しながら追加の助言を寄越してきた。

 

「それと、アンネリーゼを探してるなら一個向こうの車両に居たよ。いつものメンバーも一緒にね。」

 

「お、そっか。行ってみるぜ。」

 

咲夜もどうせリーゼを探すだろうし、先にそっちと合流しておくか。ネビルに手を振って別れた後、アリスのことを心配してくる数名の生徒の質問をやり過ごしてから、吸血鬼と人間四人が同乗しているコンパートメントのドアを開く。

 

「おっす、来たぜ。」

 

「あら、マリサ。大丈夫だった? マクーザの捜査官がホームに居たみたいだけど。」

 

「シリウスと『勇敢な市民たち』が助けてくれたからな。咲夜ももう乗り込んでるはずだ。」

 

ハリーの隣に座っているジニーに返答を返した私に、リーゼが窓の外を指しながら声を上げた。お得意の底意地が悪そうな笑みでだ。

 

「ちょうどそこにフリーマンが居るぞ。手を振ってあげたまえよ。わざわざ見送りに来てくれたわけなんだから。」

 

「趣味が悪いわよ、リーゼ。この前もダイアゴン横丁で散々煽ってたじゃないの。」

 

「ああいう手合いはイジめたくなるんだよ。……おや、ガキどもに服を引っ張られてるぞ。親が叩くと子も叩くわけか。教育の重要性がよく分かるね。」

 

「うーん、さすがに可哀想になってくるわね。」

 

ハーマイオニーの言う通り、フリーマンの現在の状況は同情に値するものになっている。なにせ十名ほどの子供に取り囲まれて殴ったり引っ張られたりしているのだ。あの歳の子であれば痛くも痒くもないはずだが、精神的には来るものがあるだろう。

 

『鬱憤晴らしのマスコットキャラ』と化しているフリーマンが恨めしそうにこちらを見る中、ニコニコ顔でそちらに手を振っていたリーゼがトランクを示して指示を出してきた。楽しそうだな。吸血鬼の性格の悪さは不治の病なわけか。

 

「キミと咲夜の学用品はそこに入ってるから、必要な物を移し替えておきたまえ。」

 

「おう、分かった。……そういえば、今年はクィディッチ関係の何かがあるのか? さっきシリウスがそれっぽいことを言ってたんだが。」

 

ジニーとハーマイオニーに荷物の整理を手伝ってもらいながら問いかけてみると、ロンが疑問の答えを教えてくれる。しょんぼりした表情でだ。

 

「七大魔法学校対抗の国際トーナメント戦をやるんだってさ。だから学内のリーグは多分中止だ。……僕は最終学年にクィディッチ無しってわけだよ。」

 

「おいおい、嘘だろ? ってことは私も無しか?」

 

「マリサの腕ならチェイサー枠で代表の選抜を抜けられるんじゃないかな。僕は絶望的だけどね。」

 

「あーっと、つまり学校全体から七人選出するってことか。……狭い枠だな。特にチェイサーは転向が簡単なだけにキツいぞ。かなりの人数が応募してくることになるはずだ。」

 

そういうことなら勿論代表を目指す。目指しはするが……校内全体で三人しかない枠を狙わないといけないのかよ。厳しい顔で黙考する私に、ハリーが補足を述べてきた。ハリーは当然シーカーの枠を狙うだろうし、身内の贔屓抜きにしても校内最優のシーカーは彼だ。だからまあ、他寮のシーカーがチェイサーに流れてくることも考えられるだろう。

 

「まだ詳しいことは全然分からないけど、多分そうなるんじゃないかな。……最有力の優勝候補はやっぱりマホウトコロだよね?」

 

「だと思うよ。私がカンファレンスで行った時に見た限りでは、マホウトコロの連中は軒並みクィディッチに『イカれてる』からね。」

 

「まあ、詳細は夜の歓迎会でマクゴナガル先生が教えてくれるでしょ。……あーあ、私も代表チームに入るのはキツいかなぁ。一応挑んではみるけどさ。」

 

然もありなんと語ったリーゼに対して、残念そうな表情のジニーが愚痴を漏らしたところで……甲高い出発の汽笛が鳴ると共に、咲夜がドアを開けてコンパートメントに入ってくる。

 

「あ、ここに居た。探したんだけど? 魔理沙。」

 

「悪い悪い、先にこっちを見つけちまったんだ。ほら、お前の荷物も分けといたぞ。すぐ監督生のコンパートメントに行かなきゃいけないんだろ? ちゃちゃっと移しておけよ。」

 

「はいはい、今やるわ。……お久し振りです、皆さん。」

 

私に向けるものとは大違いの態度で七年生組に挨拶した後、ジニーとぱちんとタッチしてから荷物の整理を始めた咲夜に、リーゼが軽く言葉を投げかけた。

 

「記憶に関しては学校に到着してからで大丈夫だから、今は監督生の仕事に集中していいよ。真面目にやらないと赤毛のノッポ君みたいになっちゃうからね。」

 

「……リーゼ、それって僕のことか?」

 

「他に誰が居るんだい? 『名ばかり監督生』の汚名を返上したいのであれば、今年こそ業務を頑張りたまえ。」

 

「まあうん、今年は忙しいからな。後任の連中にも経験が必要だろうし、ほどほどに頑張るよ。」

 

不真面目な自覚はあるらしいロンがボソボソと言い訳を口にしたのを受けて、真面目筆頭のハーマイオニーがぷんすか文句を言い始める。

 

「どんなに忙しくても『徹底的に頑張る』のよ、ロン。最上級生の監督生というのは全ての生徒の模範だわ。変なことをしたらタダじゃおかないわよ。」

 

「……ほら見ろ、リーゼが余計なことを言うから火がついちゃったじゃないか。」

 

「どうせ集会の途中くらいで演説が始まるんだから、今のうちからウォーミングアップをさせておくべきなのさ。準備運動は大切だからね。」

 

更なる『余計なこと』を言うリーゼにハーマイオニーがジト目を向けたところで、手早く荷物の整理を終えた咲夜がゆっくりと立ち上がった。

 

「それじゃあ、早めに監督生のコンパートメントに行っておきますね。終わったら戻ってきます。」

 

「私たちも行くわ。貴方も立つのよ、ロン。」

 

「僕らは一番年上なんだし、別に急がなくても……分かったよ、分かったから服を引っ張らないでくれ。ただでさえヨレちゃってるんだから。」

 

意気揚々と真面目君たちの集会に赴く咲夜と、ハーマイオニーに『連行』されていくロン。監督生三人が居なくなって広くなったコンパートメントの中で、ハリーにクィディッチの話題を振ろうとするが……何だあいつは。カーテンを閉めていないドアのガラス越しに、怪しすぎる人影が通路を横切るのが目に入ってくる。

 

真っ黒なフード付きの分厚いローブを着ていて、目深に下されたフードから覗く顔はまるで骸骨のようだ。百人中百人が闇の魔法使いだと判断しそうな見た目の初老の男は、幽鬼のような真っ白な顔をこちらに向けると、猫背のぎこちない動作でお辞儀してから通り過ぎて行った。満月のような黄色い瞳が実に不気味だったな。

 

「……あいつ、まさか新任の教師か? 子供を大鍋で煮て食ってそうな見た目だったが。」

 

「何て言うか、凄く……闇の魔法使いっぽかったね。本物の死喰い人よりも『死喰い人らしい』人は初めて見たよ。実際に死喰い人だったって可能性はあるけどさ。」

 

「全財産賭けてもいいけど、スリザリン出身の魔法使いよ。別にそれが悪いとは言わないけど、どう見てもスリザリンな雰囲気だったわ。」

 

私、ハリー、ジニーの順で発された感想を聞いて、最後にリーゼがやれやれと首を振りながら総括してくる。

 

「亡きダンブルドアに祈ろうじゃないか。あいつが闇の魔法使いじゃなくて、イモリやフクロウの対策を教えてくれる真っ当な教師で、生徒を殺して食おうとしていないことを。私は最低でもどれか一つは外れてると思うけどね。」

 

まあ、自信を持ってそうならないとは言えないようなヤツだったな。人を見た目で判断するのは好きじゃないが、さっきの男はあまりにもあんまりだったぞ。マクゴナガルは何を考えて教師に任命したんだ?

 

今年も何かが起きそうな予感をひしひしと感じつつ、霧雨魔理沙は一年くらい穏やかな学生生活があってもいいんじゃないかとため息を吐くのだった。

 



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七つの城

 

 

「うーん、感慨深いね。ヒヨコどもの行進を見られるのも今年で最後か。記念にちょっと脅してみるべきかな?」

 

無数の蝋燭が浮かぶ古城の大広間。その中央をおどおどしながら通過していく新入りたちを横目に、アンネリーゼ・バートリはポツリと言葉を漏らしていた。一年生の頃のハリーたちもあんな感じだったな。それが今や最終学年か。何とも不思議な気分になってくるぞ。

 

新たな学期がスタートする九月一日の夜、私たち七年生にとっては最後となる歓迎会が始まろうとしているのだ。さすがに七年生ともなると感慨深くなっている私に対して、隣に座っているハーマイオニーが突っ込みを入れてくる。

 

「絶対にダメよ、リーゼ。私たちは最上級生として新入生を導かなくちゃいけないんだから、脅すなんて以ての外でしょう?」

 

「しかしだね、ハーマイオニー。その程度で参ってたらホグワーツでやっていけないだろう? 少し脅かしてやった方がチビどものためだよ。……やあ、新入生諸君。常識知らずのホグワーツにようこそ。この学校じゃ毎年誰かしら死んでるから、次の犠牲者にならないように気を付けて生活したまえ。」

 

手近なチビどもに笑顔で助言を送ってみると、小さな一年生たちは『不安』を『恐怖』に変えて通り過ぎて行く。可愛いもんじゃないか。初心な連中はからかい甲斐があって面白いな。

 

「ちょっとリーゼ! ……大丈夫よ、誰も死なないわ。この城はイギリスで一番安全な場所なの。きっと楽しい学校生活になるから。」

 

大慌てで私の小粋なジョークをフォローしたハーマイオニーは、次にぷんすか怒りながらお小言を寄越してきた。どうしてそんなに怒るんだ。嘘は言っていないぞ。

 

「純粋な新入生たちに何てこと言うのよ。去年のアレシアみたいになったら大変でしょうが。……大体、死者が出た年なんて全体の半分くらいじゃないの。」

 

「半分も死者が出てたら相当だと思うけどね。五年生の時は山ほど死んだわけだし、強ち間違いでもないだろうさ。」

 

「言い方ってものがあるでしょ。……それに、今年は平和よ。もう全部終わったんだから。」

 

「さて、どうかな。あそこに何か起こしそうな男が座ってるぞ。」

 

教員テーブルの右側を指差して指摘してやると、ハーマイオニーは苦い表情で黙り込んでしまう。キングズクロス駅を出た時に列車で見た男。フードを目深に被った黒ローブの男がそこに座っているのだ。

 

今にも死の呪いを放ちそうな怪しさ満点の骸骨男を眺めつつ、明日誰かが殺されたとなれば犯人はあいつだろうなと思っていると、向かいに居るハリーが不安そうに口を開いた。

 

「本当に死喰い人……っていうか、元死喰い人じゃないよね? マクゴナガル先生が採用した教師なわけだし。」

 

「僕は身分を偽ってるんだと思うけどな。見ろよ、あのギラギラした目。新入生の中から『獲物』を探してるのかもしれないぜ。」

 

「ロン、偏見はいけないわ。確かに物凄く怪しく見えるけど、きっとちゃんとした先生なのよ。じゃなかったらマクゴナガル先生が選ぶはずないもの。」

 

やや自信なさげに放たれたハーマイオニーの発言を受けて、同じく『見た目で判断しない派』らしい咲夜だけが曖昧に頷いたところで、魔理沙とジニーがそれぞれ別の教師についてを口にする。

 

「それと、あのお婆ちゃんも新顔だよな。見た感じ優しそうな雰囲気だし、あっちはまあ大丈夫だと思うぜ。」

 

「右側の端っこに居る人も新任ね。魔法薬学と、防衛術と、変身術。どれの担当が誰なのかしら?」

 

「分からんが、黒ローブは変身術っぽくないかな。雰囲気からして薬学か防衛術だと思うよ。……おっと、組み分けが始まるみたいだぞ。我らが歌う帽子のご登場だ。」

 

私が話している途中にフリットウィックが椅子を運んできたのを目にして、その上に置かれた継ぎ接ぎだらけの帽子を指して言ってやると、他の在校生たちも徐々にお喋りをやめて帽子に注目し始めた。毎年恒例のお歌の時間がやってきたわけだ。

 

急に静まり返る大広間を新入生たちだけが怪訝そうに見回す中、組み分け帽子はゆったりとしたペースで高らかに歌い出す。私たちにとってはこの歌も最後だ。今年くらいは真面目に聴いてやるか。

 

 

帽子に足はないけれど  わたしも旅することはある  ここから見えない別の土地  ここでは知れない別の物  思い浮かべて楽しむくらい  きっと帽子も出来るはず

 

遠い景色を見てごらん  海の果てにある景色  森の奥にある景色  聞いた話でいいのなら  私が教えてさしあげよう

 

北に潜むは雪の城  鷲が守りしダームストラング  他より深きその城は  強き教えを施さん!

 

美しきは花の城  星が瞬くボーバトン  他より華麗なその城は  耽美な教えを施さん!

 

南に聳えし岩の城  夢より生まれしワガドゥは  他より優しく健やかで  自然の教えを施さん!

 

東に佇む海の城  水面に映るマホウトコロ  他より固く忠実で  善なる教えを施さん!

 

密林に在る金の城  精霊が棲むカステロブルーシュ  他より自由なその城は  自在な教えを施さん!

 

人が築きし山の城  四つを結ぶイルヴァーモーニー  他より進みしその城は  新たな教えを施さん!

 

他とは違う六つの城  秘密と魔法に囲まれし  我らが学ぶ六つの城  どれも魅力があるけれど  だけど案ずることなかれ  偉大なりしはホグワーツ!

 

最も古き魔法の城  竜が眠りしホグワーツ  四つの柱に支えられ  他より偉大なその城は  正しき教えを施さん!

 

紅き獅子が支えしは  勇気と正義を重んじる  気高く挑みしグリフィンドール!

 

緑の蛇が支えしは  力と野心を重んじる  怜悧に進みしスリザリン!

 

青き鷲が支えしは  英知と知識を重んじる  賢く学びしレイブンクロー!

 

黄の穴熊が支えしは  友誼と義理を重んじる  固く結びしハッフルパフ!

 

早く私を被ってごらん  他より優れしこの城の  他より優れしこの帽子  迷い戸惑う君たちの  道を示してさしあげよう!

 

 

うーむ、あの帽子はホグワーツの宣伝大使の座を狙っているらしいな。組み分け帽子の歌が終わって拍手する生徒たちを他所に、呆れた気分でハーマイオニーに感想を呟いた。

 

「つまり、他の学校よりもホグワーツの方が優れていると主張しているわけだ。なんとも図太い帽子だね。……他校のことを歌に取り入れるのは珍しいんじゃないか?」

 

「んー、そうね。少なくとも私たちの世代では初だし、聞いたこともないわ。クィディッチで他校と関わるからなのかしら?」

 

「もしかしたら、遠回しな応援歌なのかもね。帽子もクィディッチ好きとはいよいよ狂ってるぞ。お陰で肝心な組み分けの説明が短くなってるじゃないか。」

 

最低限の説明はあったが、その部分はいつも通りの内容だったな。……しかし、帽子はどうやって他校のことを知ったんだ? 『聞いた話』と歌っていたし、校長室に居る間に歴代校長からちょくちょく聞かされたのかもしれない。

 

何にせよ入学した後で他校の『学校案内』を受けても仕方がないだろうと同情していると、フリットウィックがアルファベット順で新入生たちの名前を呼び始める。

 

「では、呼ばれた生徒は椅子に座って帽子を被るように! アバークロンビー・ハリエット!」

 

あの感じはマグル生まれか? 呼ばれた黒髪の男子生徒がかなり緊張した面持ちで椅子に歩み寄り、『謎の歌う帽子』を恐る恐る被るのを眺めていると……おいおい、本格的に怪しいな。教員テーブルの骸骨男が、ニタリと笑いながら身を乗り出して組み分けの様子を見つめ出す。黄色い瞳が爛々としているぞ。

 

「……案外ロンの推測が当たってるのかもね。普通、あんなに真剣に組み分けを見るか?」

 

獲物を見定めているようにしか見えんぞ。次々と各寮に分けられていく新入生たちのことを、毎回大袈裟な拍手で送り出している骸骨男を指して言ってやれば、ハーマイオニーが歯切れの悪い口調で擁護してきた。

 

「真剣に組み分けを見るのは良いことでしょう? きっと生徒のことを考える良い先生なのよ。」

 

「心にもないことを言わない方がいいと思うよ、ハーマイオニー。別にそこまでフォローしてやる必要はないさ。誰がどう見たって怪しいんだから。」

 

快楽殺人犯が人を殺した時のような満面の笑み。あまりにも不気味すぎる笑顔で子供のように拍手する黒ローブを横目に、諦めが悪いハーマイオニーに肩を竦めていると……おやまあ、恵まれた体格だな。とんでもなくがっしりとした一年生が教員テーブルの前に歩み出る。

 

「オリバンダー・マドンナ!」

 

オリバンダーの姓に驚いているのか、似合わなさすぎる名前を哀れんでいるのか、それとも女子であったことが意外だったのか。何れかの理由で騒ついている在校生たちを気にすることなく、昔の仔トロールたちを思い出す体格の新入生は堂々と椅子に座って短髪の上から帽子を被った。

 

「強そうな見た目だな。……『強そう』って女の子に対しての褒め言葉になるか?」

 

「人によるけど、迂闊に言うべきじゃないのは間違いないわね。オリバンダーさんの孫とかなのかしら?」

 

「歳を考えれば曾孫ってのも有り得るだろ。オリバンダー家は横に広がってないみたいだし、血縁関係があるのはほぼ確実だけどな。」

 

ロンとジニーが推理しているのを尻目に、二十秒ほど迷っていた帽子が高々と寮の名前を宣言する。さすがにこの程度ではハットストールとは言えないが、やや長めの組み分けだったな。

 

「グリフィンドール!」

 

「お、グリフィンドールか。どこで迷ってたんだろうな?」

 

「レイブンクローとかじゃない? ハッフルパフって感じの雰囲気じゃないし、杖作りに関係があるのは何となくレイブンクローな気がするわ。」

 

「血筋的にスリザリンもアリだし、そもそも杖作りを目指してるかも分かんないけどな。オリバンダー家だからって絶対に杖作りになる必要はないだろ。そこは本人の自由だぜ。」

 

金銀コンビが会話している間にも、グリフィンドール生たちが盛大に拍手して迎えるテーブルにオリバンダーが座り込む。随分とムスッとしているな。グリフィンドールが嫌だったのか?

 

離れた位置に座った新入生の態度を怪訝に思いつつ、その後も続いていく組み分けを見守っていると……よしよし、あいつで終わりだ。最後の男子生徒がスリザリンに組み分けされた後、フリットウィックが帽子と椅子を片付け始めた。

 

「やっと夕食だね。毎年思うんだが、食べながら見るんじゃダメなのか? 絶対にその方が楽しめるぞ。」

 

「お前な、それだと後から席に着く新入生たちが可哀想だろ。歓迎会で一番歓迎すべき相手に食べ残しを食べさせてどうすんだよ。」

 

「ああ、なるほどね。盲点だったよ。賢いじゃないか、魔理沙。」

 

「私が賢いわけじゃなくて、お前が自己中心的すぎるだけだぜ。」

 

仕方ないじゃないか、吸血鬼なんだから。ジト目の魔理沙にウィンクを返しつつ、立ち上がったマクゴナガルに早く食事を開始しろと念を送っていると……彼女はキリッとした表情で全校生徒を見渡しながら口を開く。

 

「お帰りなさい、在校生たち。そしてようこそ、新入生たち。今年も皆さんは秋から夏にかけての十ヶ月をこの城で過ごすことになります。勉学に励むも良し、クラブ活動に打ち込むも良し、あるいは将来の目標に向かって自分を高めるのも良いでしょう。一年生の皆さんは七年間という期間が長く思えるかもしれませんが、今年が最後となる七年生は短かったと感じているはずです。過ぎ去った後で『もっとやっておけばよかった』と思わないように、下級生の皆さんには今のうちから努力しておくことをお勧めしますよ。」

 

ダンブルドアの挨拶を思い出させる切り出し方で、ダンブルドアの百倍は真面目な内容を語ったマクゴナガルは、次に教員テーブルを示しながら話を続ける。そんな挨拶だとホグワーツがまともな学校だと勘違いされちゃうじゃないか。

 

「そして、今年は新たな先生を三人お迎えしています。先ずは変身術を担当してくださるバイロン・チェストボーン先生。魔法事故惨事部に所属していた元リセット部隊の隊長さんで、変身術の雑誌などに数多く寄稿していらっしゃる高名な方です。」

 

紹介に従って席を立ったのは、こちらから見て右側の端にいる六、七十代ほどの小太りの男性だ。あまり特徴を感じない青いローブの男は、ぺこりと軽くお辞儀してから再び腰を下ろす。あの年齢で元惨事部ね。つまり、第一次魔法戦争の『役立たず期』に所属していたわけか。態度からもそんなにやる気を感じないし、ちょっと不安になる教師だな。

 

そんな私の内心を気にするはずもなく、マクゴナガルは黒髪の老婆に視線を移して次なる紹介を口にした。

 

「次にマリー・ラメット先生。元々はミラージュ・ド・パリというフランスの新聞社で記者をされていた方です。昔から教職に憧れがあったということで、フランスからお招きして防衛術の担当をお願いすることになりました。」

 

……マリー・ラメットだと? 五十年前に事件に関わったあのマリー・ラメットか? 咲夜と魔理沙もアリスから名前を聞いていたようで、三人で顔を合わせて驚く中、立ち上がったラメットは穏やかな笑顔で自己紹介を放つ。当時アリスと同い年くらいだったから、今は七十前後ってことになるな。

 

「ごきげんよう、皆さん。マリー・ラメットです。新しいことにチャレンジするのは難しい歳かもしれませんが、皆さんと一緒に精一杯学んでいきたいと思いますので……どうかよろしくお願いしますね?」

 

そう言ってお茶目な感じにウィンクしたラメットに、生徒たちがまあまあの規模の拍手を送った。『優しげで冗談が通じそうなお婆ちゃん先生』ってとこか? ある程度の人気は確保できたらしい。

 

「なあ、リーゼ。あの人って五十年前の事件に関わってた人だよな? ……このタイミングで偶然ホグワーツの教師になるって有り得るか?」

 

「有り得るか有り得ないかで言えば有り得るだろうさ。もちろん怪しくはあるけどね。……ただまあ、ラメットは五十年前も犯人扱いされただけで実は何の関係もなかったんだよ。」

 

「だから今回もそうだってのは安直すぎると思うけどな。」

 

「とはいえ、素直に怪しむのもそれはそれで安直だろう? ……後で探りに行くよ。五十年前といい、今回といい、本当に何の関係もないなら無自覚に厄介なヤツだね。」

 

最低限身体が人形じゃないかは私でも確認できるだろう。魔女お得意の『脳手術』を施されているならどうにもならないが、まさか怪しいからといっていきなり追い出すわけにもいかない。嫌な時期に面倒な女が来ちゃったな。

 

魔理沙に肩を竦めながら新たな問題にため息を吐いていると、拍手をしていたマクゴナガルが最後の一人の紹介を始めた。紹介される前に狂気じみた笑顔で勢いよく立った骸骨男のことをだ。

 

「そして最後にメイナード・ブッチャー先生。長年薬学の研究をされている方で、前任のスラグホーン先生のご紹介で魔法薬学の授業を引き受けてくださいました。」

 

ほう、スラグホーンの紹介なのか。マクゴナガルの紹介にうんうん頷いた黒ローブは、フードを取って薄気味悪い顔をさらけ出しながら自己紹介を語り出す。血色が悪い上に髪が疎らで、ひどく痩せているせいで餓死寸前の病人に見えてしまうな。リドルに匹敵する『人外っぽさ』を醸し出しているぞ。

 

「こんばんは、可愛い生徒たち。校長閣下のご紹介に与りましたメイナード・ブッチャーです。何か困ったことがあったらいつでも話しかけてください。」

 

うーん、不気味。話している内容はまともなのだが、地の底から響くような嗄れ声が全てを台無しにしているな。新入生どころか下級生の大半があまりにも闇の魔法使いっぽいその雰囲気に怯える中、ハーマイオニーの拍手を皮切りにパラパラとした歓迎の音が投げかけられる。ミス・監督生が義務感に駆られて拍手したのは間違いないだろう。

 

「……どうだい? ハーマイオニー。これでもまだ真っ当な教師だと思うのかい?」

 

「声がちょっと特徴的なだけで、言ってることはまともだったじゃないの。」

 

ふん、怪しいもんだぞ。目を逸らしながら擁護するハーマイオニーに鼻を鳴らしていると、歪にニヤリと笑って着席したブッチャーを見たマクゴナガルが話を再開した。あんなもん絶対に悪役の笑い方だろうが。

 

「さて、細かい注意事項は食後に回しますが、食事に入る前にもう一つだけ重要な連絡をさせてもらいます。……今年一年をかけて『七大魔法学校対抗クィディッチトーナメント』が開催されることが決定しました。先程組み分け帽子の歌に出た七校がそれぞれ代表チームを選出し、トーナメント戦で優勝を争うという内容です。試合は各校の競技場で行われる予定なので、ホグワーツに他校の生徒が滞在することや、あるいは他校に応援のためにお邪魔することがあるかもしれません。そういった時にはホグワーツ生としての誇りと節度を忘れずに行動するよう心掛けてください。」

 

途端に騒つく大広間の生徒たちに、マクゴナガルは声を少しだけ大きくして続きを語る。

 

「よって学内のクィディッチリーグは中止となり、今月末に代表選手選抜のための公開試験を行います。参加を希望する生徒は二週目の終わりまでにフーチ先生に申請するように。公開試験で実力を示した後、全校生徒の投票によって代表選手を決める予定です。」

 

そういう方法で選出するのか。魔法界にしては民主的なやり方にマクゴナガルの流儀を感じていると、魔理沙と咲夜がこそこそ話をし始めた。

 

「うへぇ、投票制かよ。そうなると各寮で票が割れそうだな。誰だって自寮のヤツが代表になって欲しいだろうしさ。」

 

「でも、全校生徒が参加できるなら公平なシステムよ。そうじゃないとその人が代表選手に相応しいかを誰が判断するかで揉めるでしょう? 今回は炎のゴブレットみたいな魔道具を使えないんだから。」

 

「まあ、そうだけどよ。……全校生徒の前で試験ってのはさすがに緊張しそうだな。」

 

「いつも全校生徒の前で試合をやってるでしょうが。今更何言ってるのよ。」

 

そりゃそうだ。呆れた顔で突っ込む咲夜に、魔理沙は頭をポリポリ掻きながら返答を返す。

 

「『試験』ってなると別なんだよ。……よう、ハリー。月末までみっちり練習しておこうぜ。ロンとジニーもやるだろ?」

 

「だね、後で細かいルールをフーチ先生に聞きに行こうよ。僕はもちろんシーカーの代表を目指すけど、『併願』できるならチェイサーも狙いたいから。キーパーとかビーターは専門的だからさすがに無理だろうけどさ。」

 

「僕は……うん、一応受けてみようかな。試験で調子が良かったら選ばれるかもしれないし。」

 

「ニールとアレシアも誘ってみましょ。最悪自分が選ばれなかったとしても、グリフィンドールの『弾数』は多い方が良いわ。」

 

顔を寄せ合って『作戦会議』を始めたグリフィンドールチームの面々を前にして、咲夜やハーマイオニーと一緒にやれやれと首を振る。他のテーブルもトーナメントの話題一色なのを見るに、暫くの間はクィディッチの話に付き合わされそうだ。

 

アリスの問題に集中させてくれよと大きなため息を吐きつつ、アンネリーゼ・バートリはマクゴナガルの食事開始の合図を待ち望むのだった。

 



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パクパク

 

 

「あーら、ヴェイユ。元気そうで何よりよ。私、今年はモナコ旅行に行ったの。地中海の風は心地よかったわ。私に合ってるみたい。」

 

相変わらず元気なヤツだな。ウェーブがかった黒髪をわざとらしく靡かせながら隣に座ってきたベインへと、サクヤ・ヴェイユはうんざりした気分で返答を放っていた。地中海だろうがイギリスだろうが風は変わらないと思うぞ。塩っ気のことを言っているのか?

 

「おはよう、ベイン。今日は曇り空だけど、貴女の頭はお天気みたいね。眩しいからどっかに行って頂戴。」

 

「あら? ひょっとして監督生バッジを手に入れて調子に乗ってるのかしら? それともモナコが羨ましくて嫌味を言ってるの?」

 

「どっちでもないわ。単に寄ってくる虫を追っ払ってるだけよ。」

 

皿の上のオムレツを粛々と細かくしながら答えてやれば、ベインはサラダのトングに手を伸ばして『無駄話』を続けてくる。歓迎会から一夜明け、授業日初日の朝ごはんを食べている最中なのだ。魔理沙は向かいで苦笑しており、ジニーはポッター先輩たちとクィディッチ談義を行っていて、ハーマイオニー先輩は新入生たちに朝食のルールを教えているらしい。

 

「水平線に沈む夕陽、美しい夜景、豪華な食事。最高だったわ。……どう? 羨ましくなってきた?」

 

「全然ならないわ。貴女の旅行に比べれば、このオムレツの中に入っているのが牛肉なのか豚肉なのかの方が気になるわね。」

 

「ふん、強がりね。私には分かるわ。……貴女の大事なお嬢様は何処に行っちゃったの? くっ付いてないなんて珍しいじゃない。」

 

「マクゴナガル先生とお話し中よ。食事は黙って食べなさい、ベイン。モナコがどうだったかは知らないけど、イギリスにはテーブルマナーってものがあるんだから。」

 

必要以上に美しい所作でオムレツを食べてやると、ベインは徐々に苛々してきた様子でサラダにフォークを突き立てた。リーゼお嬢様はアリスのことをマクゴナガル先生に説明しているのだ。憂いの篩の使用許可についても話すと言っていたし、今日か明日には魅魔さんから渡された記憶を確認できるだろう。

 

何か敵の魔女に関することが判明するといいなと考えながら口をもぐもぐさせていると、ベインが若干バツが悪そうな顔付きで話題を変えてくる。

 

「……マーガトロイド先生のことはどうなのよ。マクーザの人たちが探してるんでしょう?」

 

「あんな連中にアリスを見つけられっこないわ。……まさか、貴女はアリスが殺人犯だと思ってるの?」

 

「思ってるわけないでしょ! あんなお洒落な人が殺人なんかするわけないじゃないの! 失礼なこと言わないでくれる?」

 

何だその判断基準は。勢いよくそう主張したベインは、視線を逸らしながら小さな声を追加してきた。

 

「私が言いたいのは、マーガトロイド先生のことを本気で疑ってる生徒なんかグリフィンドールに居ないってことよ。だから貴女たちは堂々としてればいいんじゃないのって思っただけ。」

 

「……もしかして、励まそうとしてる?」

 

「違うわよ! 私はただ……そう、旅行。旅行の自慢をしに来たの! ついでに『事実』を教えてやっただけでしょ。私が貴女を励ますわけないじゃないの。本当に失礼な人ね。不愉快だから友達のところに戻るわ!」

 

やたら早口で言い切ったかと思えば、ベインはサラダを持ってテーブルの離れた場所へと行ってしまう。その背をきょとんと見ている私に、魔理沙がくつくつ笑いながら話しかけてきた。

 

「心配してくれたみたいじゃんか。不器用にも程があるぜ、ロミルダのやつ。」

 

「……そうね、不器用すぎるわ。」

 

そんなんじゃあ素直にお礼を言えないじゃないか。何故かさっきよりちょびっとだけ美味しく感じるオムレツを食べながら、魔理沙にボソボソと返したところで……今度は彼女の方にレイブンクローの男子生徒が声をかける。同学年のミルウッドだ。

 

「やあ、マリサ。久し振りだね。元気だった?」

 

「おう、ミルウッド。頗る元気だぜ。わざわざどうしたんだ?」

 

「あー……いや、大したことじゃないんだけどね。ほら、マーガトロイド先生のこと。マリサが親しくしてたのを知ってるからさ。だからその、伝えておこうと思って。レイブンクロー生は誰も疑ってないし、マクーザの強引なやり方に怒ってるってことを。」

 

レイブンクローのテーブルを示しながら言ったミルウッドは、魔理沙の返事を聞く間も無く少し赤い顔で話を締めてしまう。

 

「何て言うか、困ったら僕たちレイブンクロー生も味方になれるから。マーガトロイド先生はレイブンクローの大先輩だからね。それを一応言っておこうと思っただけなんだ。それと、クィディッチの選抜も応援してるよ。」

 

言うとすぐさま小走りで大広間を出て行くミルウッドを見送った後、魔理沙と二人で顔を見合わせた。どうしてあんなに急いでいたんだろうか?

 

「変な雰囲気だったけど……まあ、ミルウッドも励ましてくれたみたいね。」

 

「だな、今度お礼を言っとくよ。アリスの人気は衰えてないみたいじゃんか。」

 

魔理沙の言う通り、生徒の大半はアリスが無実であることに疑いを持っておらず、むしろマクーザのやり方に怒っているようだ。フィネガン先輩なんかは昨日の夜、自分がいかに大量の指名手配書をダイアゴン横丁から撤去したかを談話室で自慢していた。基本的に貼り付けた直後に住人たちが剥がしてしまう所為で、手付かずの物を見つけ出すのは難しいんだとか。

 

訳の分からない状況になってきている『指名手配騒動』を思ってため息を吐いていると、ようやく新入生たちへの注意を終えたらしいハーマイオニー先輩が私の隣に座り込む。可哀想な一年生たちはやっと朝食が食べられることにホッとしているようだ。

 

「今年も良い子が多くて助かったわ。去年入ってきた二年生もそうだったし、連続して穏やかなのは珍しいわね。」

 

「でもよ、面白いのが一人居るじゃんか。オリバンダー家の『ムスッとちゃん』がよ。」

 

「話はちゃんと聞いてくれてたし、別に悪い子ではない……はずよ。去年のアレシアとは違った意味で孤立気味だけど。」

 

「常に仏頂面だもんな。あれじゃあ気軽に話しかけるのは難しいぜ。」

 

確かに無愛想すぎる感じはあるな。このままで大丈夫なんだろうか? 一人で黙々とサンドイッチを食べている大柄な一年生を横目に心配していると、ハーマイオニー先輩が話題を切り替えた。

 

「まあ、オリバンダーに関しては少し経過を見てみましょう。……貴女たちは新任の先生の授業ってある? 七年生は今日変身術があって、金曜日に防衛術、魔法薬学は来週までお預けなんだけど。」

 

「こっちは午前中の最後が薬学だな。そんでもって明後日に防衛術があるみたいだ。」

 

「後で薬学の感想を聞かせて頂戴。随分と、その……『特徴的』な先生だったし、どんな授業になるのか気になるわ。」

 

「いいけど、初日はどこも様子見になるんじゃないか? あんまり参考にはならんと思うぜ。」

 

大きなソーセージを齧りながら放った魔理沙の言葉に、ハーマイオニー先輩は曖昧に首肯して結論を述べる。

 

「まあそうね、どちらにせよ今月中にはどんな先生なのかが判断できるでしょう。……あら、もうこんな時間? 早く食べて授業に行かないと。貴女たちも急いだ方がいいわよ。」

 

そう言って物凄い早さで食事を片付けたハーマイオニー先輩が、公開試験の話し合いに夢中で全然食事が進んでいないポッター先輩たちを急かしに行くのを尻目に、私と魔理沙もせっせと皿を空にしていく。……飼育学の次はあの黒ローブの人の授業か。ちょっとだけ不安になってくるな。

 

それでも朝食の時間が削られて焦っている新入生たちよりはマシだと自分を励ましつつ、サクヤ・ヴェイユはマグカップの中のスープを飲み干して一息つくのだった。

 

 

─────

 

 

「どうも、可愛い生徒たち。改めて自己紹介をしておきましょうか。私はブッチャー、メイナード・ブッチャーです。……どうぞよろしく。」

 

『邪悪な魔法使い』を絵に描いたような笑みで自己紹介してくるブッチャーを前に、霧雨魔理沙はぷるりと背筋を震わせていた。一コマ目の授業でハッフルパフの一年生が泣いたっていうのは嘘じゃないらしいな。そりゃあ泣くだろ、こんなもん。そこらのゴーストなんかじゃ相手にならないレベルの不気味さだぞ。

 

今年も新学期一発目だった飼育学を終え、続けて迎えた午前最後の授業。いつもの地下教室で始まった魔法薬学の初回授業は、もう既にお通夜のような雰囲気になっている。理由はもちろんブッチャーの薄気味悪さだ。教壇に立った時の『ヒヒッ』という笑い方といい、猫背で黒ローブという怪しい風体といい、意味もなく身体の前で動かしている青白い骨張った手といい、絵本の中から抜け出してきた悪い魔法使いそのまんまじゃないか。

 

厳しかったスネイプとは違った理由で生徒を沈黙させているブッチャーは、引きつった笑顔で授業説明を続けてきた。いきなり大声を出すことで生徒たちをビクッとさせてからだ。

 

「五年生! ……そう、五年生。皆さんは五年生です。そうでしょう? つまりそれは、大事な年だということを意味しています。何故だか分かりますか? ミス・ベイン。」

 

「それは……フクロウ試験があるから?」

 

ロミルダにしては珍しい小さな声量で放たれた回答に対して、ブッチャーはベチベチと手を鳴らしながら大仰な動作で何度も頷く。ぶっ壊れた人形みたいだな。頭がガックンガックンしているぞ。

 

「イヒッ……せ、正解です! その通り! フクロウ試験! 今年の皆さんはフクロウ試験!」

 

独特な区切り方で至極当然のことをハイテンションで語るブッチャーは、急にエネルギーが尽きたかのように元気を失くして呟き始めた。会話の緩急が凄いな。ちょびっとだけ面白くなってきたぞ。

 

「そうなんです、フクロウ試験。……きっと悩んでいるでしょう、不安でしょう。ですが、安心してください。私は努力! あなた方に良い成績を取ってもらうための努力をします。魔法薬学を分かり易く覚えてもらうための、努力を。」

 

「……何かこう、不思議な喋り方ね。意味が分からないほどじゃないんだけど、上手く頭に入ってこないわ。」

 

「同意するぜ。服のセンスや笑い方はさて置き、話が上手いタイプじゃないのは間違いなさそうだな。」

 

隣の席の咲夜とこそこそ話をしていると、続きを話そうとしたらしいブッチャーは……おい、どうした? ピタリと動きを止めたかと思えば、無言で口をパクパクし出す。目を大きく見開きながらだ。

 

「あら、故障したのかしら?」

 

「どういう言い草だよ。幾ら何でも『故障した』はないだろ。」

 

素っ頓狂な表現をする咲夜に突っ込みを入れている間にも、ブッチャーはずっと虚空を見つめながらパクパクを繰り返している。三十秒ほどその光景を生徒が為す術なく見ているという異様な状況が続いた後、ブッチャーはいきなりぐるりと黒板に向き直った。どうやら『直った』らしい。私からすれば尚も異常に見えるが。

 

「今日は復習を……復習! 髪を逆立てる薬を作りましょう。先学期にもホラス教授に、スラグホーン先生に習っていると思いますが、完璧に作れた方が嬉しいはずです。先ずは準備運動を……ヒヒッ、フクロウに向けての準備運動をしようと思います。材料はあちらに、手順はここに、質問は私に!」

 

素材棚、手順が浮き上がってきた黒板、そして自分のことをテンポ良く示したブッチャーは、困惑するグリフィンドールとハッフルパフの五年生にニタリと笑いかけるが……要するに、調合を開始しろってことか。確かにこれは分かり難いな。

 

「……材料を取ってくるから、器材を準備しといてくれ。」

 

同級生たちは様子を窺っている感じだし、誰かが動かないと事態が進行しなさそうだ。咲夜に一声かけてから素材棚に歩み寄ると、ブッチャーは黄色い満月のような瞳で私の動きをジッと追い始めた。何だよ、勝手に準備しちゃダメなのか?

 

何とも言えないやり辛さを感じつつ、生徒たちが戦々恐々と見守る中で一人材料を回収して、ブッチャーの視線に緊張しながら席に戻ってみれば……まあうん、これで正解みたいだな。特に注意されることなく一連の流れをやり終える。それを見た同級生たちもちらほらと素材棚に向かい出した。

 

「『偵察』ご苦労様。……これってペアでやっていいのかしらね?」

 

「特に言及してないってことは、個人でやれってことなんじゃないか?」

 

「でも、スラグホーン先生は同じ魔法薬をペアで作らせたわよね? ……ブッチャー先生、調合は一人で行った方がいいんでしょうか?」

 

うお、勇気あるな。ビシリと手を上げて質問した咲夜の声に、教室中が静まり返って注目する中……ブッチャーはまたしても『パクパク』した後、やがて嗄れ声で答えを口にする。

 

「調合……調合は一人です。一人で。」

 

「分かりまし──」

 

「しかし! 二人でも構いません。つまり、ペアでも。好きな方で……好きにどうぞ。」

 

「……分かりました、ありがとうございます。」

 

途中大声で遮られてさすがの咲夜も肩を震わせたものの、一瞬後には冷静な表情で礼を言って目の前のテーブルに視線を落とした。ブッチャーに質問するという勇敢な行動に同級生たちが尊敬の念を送る中、銀髪ちゃんは眉間に皺を寄せてポツリと呟く。

 

「……少なくとも質問には答えてくれるみたいね。驚かせるのはやめて欲しいけど。」

 

「手探りすぎるぞ、この授業は。ムーディが防衛術をやってた年もここまでじゃなかったよな?」

 

「厳密に言えばムーディさんは教師をやってないけどね。」

 

「そういえばそうだが……まあ、同じようなもんだろ。アグアメンティ(水よ)。」

 

ボウルに魔法で水を注いで、そこにカラカラに乾いたネズミの尻尾を入れながら肩を竦めていると……おいおいおい、何だよ! 本気でビビったぞ! ブッチャーが猛スピードで私の目の前まで駆け寄ってきた。亡者が走るのにそっくりの動きだったな。

 

「ミス・キリサメ!」

 

「……な、何だ?」

 

「ネズミの尻尾はしっかりと計算して適した量の水に浸けた方がよろしい。大量の水に浸けると必要な成分が流れ出てしまいますからね。そのことは1927年のバハーレフによる比較実験で明らかになっています。今回作る髪を逆立てる薬に必要なのは尻尾の中に含まれる目に見えない成分であって、尻尾そのものではありません。何が必要で何が不要なのかを正確に知っておけば、調合の際に細かい手順を知らなくとも自ずと適した方法が──」

 

打って変わって早口でハキハキと語り始めたブッチャーは、教室中の生徒たちが目をまん丸にして見ていることに気付くと……また押し黙ってパクパクしてから、ボソボソと喋りながら教壇に戻って行く。

 

「……イヒッ、必要な分の水量は黒板に書いてあります。計算の仕方も書いてあるので、チャレンジしてみても……水量の計算に挑んでみてもいいでしょう。それと、質問は私に。」

 

「……驚いたぜ。アレシアあたりがこの授業で気絶しないかを賭けないか? 私はする方に賭けるからさ。」

 

「それじゃあ賭けにならないでしょ。……ほら、口より手を動かす。今日はみんな真面目に調合すると思うから、適当にやってると一人だけ悪目立ちする羽目になるわよ。」

 

「あー……そうだな、そうなりそうだ。私も真面目にやっとくか。」

 

何たって、調合に失敗したら何をされるか分かったもんじゃないのだ。居残りでブッチャーと二人っきりなんて事態は是が非でも避けたいぞ。あるいは実験の『材料』にされるかもしれないし。

 

教壇から生徒たちを舐め回すように観察するブッチャーを横目に、霧雨魔理沙は今年の魔法薬学は『ハズレ』かもしれないなと苦笑するのだった。

 



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魔女の記憶

 

 

「やあ、二人とも。記憶はちゃんと持ってきたかい?」

 

ホグワーツの校長室のソファに座るアンネリーゼ・バートリは、入室してきた五年生二人に声をかけていた。んー、二人ともちょっと眠そうだな。久々の学校生活で疲れてしまったようだ。

 

授業日初日が何事もなく終了し、ホグワーツにやってきた夕食後の談話時間。各寮の談話室で穏やかに過ごしている生徒たちを他所に、私たち三人は魅魔から渡された記憶の確認をしようとしているわけだ。

 

ちなみに私は授業には一切出ていない。朝にマクゴナガルと情報の共有をした後、姿と気配を消してマリー・ラメットに一日中張り付いていたからだ。……残念ながら、何一つそれらしい成果は得られなかったが。

 

マクゴナガル曰く、イギリスで防衛術を希望する教師がとうとう『ヤバそうなの』しか居なくなってしまったため、とりあえず近場のフランスとドイツに募集を出してみたところ、僅か数日でマリー・ラメットが応募してきたそうだ。十年ほど前まではミラージュ・ド・パリで報道記者を続けており、そこを引退した後は『バックラー』という防衛術の月刊誌の編集をしていたらしい。

 

そしてそこも引退した直後に教員の募集を見つけて、熱意によってマクゴナガルを説得した後、晴れてホグワーツの教師となったわけだ。……まあ、一つ一つを見ればそこまで不自然な経歴じゃないな。マクゴナガルとしても人格、能力共に不満はないようだし、身体が『生身』であることも確認済み。本当に偶然である可能性も考えておくべきかもしれない。

 

人形か、人間か。その判断が難しいことにうんざりしていると、金銀コンビが私とマクゴナガルに挨拶しながら歩み寄ってきた。

 

「こんばんは、リーゼお嬢様、マクゴナガル先生。記憶もちゃんと持ってます。」

 

「よっ、お二人さん。……変わってないな、この部屋は。」

 

「久し振りですね、二人とも。……私の色に変えるべきかとも思うのですが、何をどうしたら良いのかが分からないんですよ。私にとっての『校長室』はずっとこの雰囲気でしたから。」

 

執務机でほんの少しだけ寂しそうに微笑むマクゴナガルに、魔理沙が慌てたようにフォローを送る。確かにここは『マクゴナガルの校長室』って感じではなく、『ダンブルドアの校長室』のままだな。

 

「いやいや、別に無理することはないだろ。変えたくなった時に変えればいいんだと思うぜ。……それよりよ、ブッチャーは大丈夫なのか?」

 

「ブッチャー先生ですよ、マリサ。……『大丈夫』とは?」

 

「生徒たちが怪しんでるぞ。不気味だし、話し方も変だし、笑い方も怖い。下級生ともなると『怯えてる』に近い状態だぜ。あんなんで教師が務まるのか?」

 

魔理沙から発された苦言に対して、マクゴナガルは額を押さえてため息を吐くと、困ったような顔で曖昧な返答を口にした。

 

「ブッチャー先生は悪い方ではありません。むしろ『善人』と断定できるほど立派な方なのですが……まあ、授業を繰り返せばそのうち落ち着くでしょう。心配は無用ですよ。」

 

「善人? ……ならいいんだけどよ。」

 

明らかに信じていない様子の魔理沙がぽすんとソファに座ったのを尻目に、戸棚を開けて憂いの篩を引っ張り出す。ハリーや金銀コンビはよく使っていたようだが、私はあまり馴染みがない魔道具だな。宙に浮かぶ水盆部分を物珍しい気分で眺めていると、咲夜が懐から小瓶を出して私に示してきた。

 

「これが魅魔さんの記憶です。一度しか見られないって言ってました。」

 

「ま、一度で充分さ。……水盆を使わせてもらうぞ、マクゴナガル。」

 

「マーガトロイドさんへの疑いを晴らすためであれば、何であろうと好きに使っていただいて構いません。……私は席を外しましょうか?」

 

「そこまでしなくていいよ。パパッと見て戻ってくるさ。誰も入ってこないように見張っておいてくれたまえ。」

 

マクゴナガルが了解の頷きを返してきたのを確認して、咲夜を目線で促してやれば、彼女は杖で小瓶の中の銀色の物体を掬い取って水盆に放る。魔理沙も近付いてきて水盆を見つめる中、底に揺蕩う見慣れぬ風景に集中していくと──

 

 

おー、面白いな。これが記憶の中か。気付いた時には木造の小さな一軒家の前に立っていた。アスペンの木がポツンと立っているデカい庭と、その周辺に広がるコーン畑。遠くにサイロのような背の高い建物が見える以外は全部畑だ。『ど田舎』であることは間違いないらしい。

 

そして、夕陽に照らされたウッドデッキで揺り椅子に座っている緑髪の女。木の蔓のような物で何かを編んでいるのが嘗ての魅魔なのだろう。長い髪を後ろで纏め、明らかに男物の服を着ているそいつを新鮮な感覚で見ていると、いつの間にか近くに立っていた魔理沙がポツリと感想を呟く。

 

「カッコいいぜ、魅魔様。開拓者って感じの服装だな。」

 

「実際そうなんだろうさ。咲夜から聞いた魅魔の発言からすると、この記憶の舞台は1700年前後の北アメリカだ。つまり、植民地化真っ盛りの時代だよ。……もしかしたらスペイン継承戦争の最中かもね。新大陸でも一悶着あったって聞いてるぞ。」

 

「えっと、ヨーロッパの戦争ですよね? イギリスとフランスが戦ったんでしたっけ?」

 

疑問を口にしながら近寄ってきた咲夜に、肩を竦めて返事を送る。

 

「正直言って、実際に見物に行った私にもよく分からなかったよ。あの頃のヨーロッパ人間界は国がくっ付いては分かれ、征服してはされてを繰り返してたからね。イギリスとフランスが戦ったってのは何となく理解できたが、そこにローマやらスペインやらポルトガルが関わってくると意味不明だ。私としてはイギリスがイギリスになった時期って印象の方が強いかな。」

 

「それはハーマイオニー先輩から教えてもらいました。1707年ですよね。最初の国家が誕生した偉大な年だって言ってましたから。」

 

「偉大かどうかは分からんが、何にせよ新大陸もギスギスしてたはずだよ。親の仲が悪いと子も喧嘩するってわけさ。……まあ、この場所はあんまり関係ないみたいだけどね。」

 

鳥や虫の鳴き声と、コーン畑が風に揺られる音だけが響く静かな空間。未舗装の砂利道を歩く人は無く、走る車も当然無し。まだ蒸気機関ですらまともに実用化される前だし、この頃の新大陸なら人外が入り込む隙間がありそうだな。

 

ここから僅か三百年で現在の状態になるわけか。改めて人間の発展を実感している私に、魅魔のことをジッと見つめている魔理沙が問いを寄越してきた。過去の師匠が気になっているらしい。

 

「この広い畑、全部魅魔様の畑なのか?」

 

「魅魔は畑仕事って感じの性格じゃないし、ただの隠れ蓑なんじゃないか? にしてはきちんと管理されている気もするが。」

 

「魔法でやってたのかもな。……どっちにしろ新鮮だぜ。私は幻想郷で森に住んでる魅魔様しか知らないからさ。」

 

淀みない動作で器用に蔓を編み上げて、いかにも魔女っぽいお守りのような物を作り上げた魅魔を魔理沙と二人で眺めていると……一人周囲を見回していた咲夜が声を上げる。何かを発見したようだ。

 

「誰かこっちに来てますね。」

 

ふむ? 咲夜が指差す方向に目をやってみれば、ちょうど背の高いコーンの間からがさりと人影が現れたところだった。白が強い灰色の長い髪と、ボロボロの布切れのような衣服。素足を泥で汚しているホグワーツの一年生ほどの少女は、私たちの方……というか、魅魔が居る一軒家を見てホッとしたような笑顔になる。

 

この記憶は魅魔と魔女の妖怪の記憶のはず。ということは、こいつが五十年前に人形の向こう側に居た『本体』なのか? 薄汚れた少女は額に滲む汗を身に纏ったボロ切れでグイと拭った後、裸足でよたよたと一軒家に向かって進んできた。

 

「……『魔女』って見た目でもなければ、『妖怪』っぽくもないね。一見した限りでは単なる栄養失調の浮浪児だよ。」

 

「痛くないのか? あれ。裸足で砂利道を歩いてるぞ。」

 

「でも、なんだか嬉しそうよ。どういう状況なのかしら?」

 

私たち傍観者三人が話しているのを気にするはずもなく、少女は家の十メートルほど手前まで歩み寄ると、デッキで編み物を続ける魅魔に呼びかけを放つ。期待しているような、そうであって欲しいという感情を滲ませた声だ。

 

「あの! ……貴女は魔女ですか?」

 

そして返答は沈黙。夕陽で横顔を染める魅魔が手元に目を向けたままなのを見て、少女はゆっくりと歩を進めながら話を続ける。

 

「別にその、責めに来たわけじゃありません! 私も魔女なんです! 貴女のことは近くの街の妖怪さんに教えてもらいました。私、私……同じ仲間に会いたくて! それでここまで来たんです!」

 

媚びるような笑顔で必死に主張する少女に、魅魔はちらりと視線を動かすと……編み物を再開しながら素っ気ない口調で言葉を投げた。

 

「はいはい、それで? 悪いけど今日の私は仕事を受けるような気分じゃないんだよ。昨日は大雨が降って、昼間は雲が低かったし、おまけに今日の夕陽は明るすぎる。これじゃあやる気が起きないのさ。」

 

「雨? ……そ、そうですね。昨日は雨が降りました。だから私、昨日はあまり長い距離を歩けなかったんです。この辺は原住民が多いですから、白人が一人で歩くのは危ないですし、見つからないように森を横切って来たんですけど──」

 

「分からないかい? 帰れって言ってるんだよ、私は。」

 

うーむ、この日の魅魔は不機嫌らしいな。気分屋なのも、不機嫌になる理由が謎なのも相変わらずだ。それをよく知るであろう魔理沙が呆れたような半笑いになる中、少女は傍目にも焦っている表情で食い下がる。

 

「あの、あの……お願いします、話を聞いてください! 私、独りぼっちなんです。でも、同じ魔女が居るって聞いて! それでここまで来たんですけど……貴女は私と同じ魔女なんですよね? つまり、仲間なんですよね?」

 

「私は魔女だが、『仲間』じゃないさ。……そもそもだ、こっちとしてはお前さんが魔女だとは思えないんだけどね。人間だろう? 気配で分かるよ。」

 

「違います! ……私、魔女です。魔女だって言われて、石を投げられて、縛られて、殴られて、だから逃げてきたんです。人間は誰も守ってくれませんでした。友達だって言ったのに、ご飯を分けてくれたのに、最後にはやっぱり私を突き出したから……だから、私は人間なんかじゃありません! 私、人間なんか大っ嫌いです!」

 

「そうかい。」

 

『興味ありません』というのを声色だけで見事に伝えてくる魅魔に、少女は泣きそうなくしゃくしゃ顔になった後……膝を突いて手を組みながら懇願を始めた。今気付いたが、瞳も灰色だな。こっちは黒が強いグレーだが。

 

「お願いします、私をここに置いてください。私、人間の世界じゃ生きられません。……何でもします! 掃除も、洗濯も、畑仕事も出来ます! その他のことだって覚えてみせます! 決して怠けたりしません! どうかここに置いてください!」

 

地面にひれ伏して祈るように頼んでくる少女へと、魅魔は尚もつまらなさそうな表情で口を開く。一つ大きなため息を吐いてからだ。

 

「つまり、お前さんは弟子入りを希望してるのかい?」

 

「弟子? ……はい、弟子! なりたいです! 弟子にしてください! お願いします!」

 

「へぇ? ……お前さんの主題は? 生を懸けて追う望みは何だい? それを知らなきゃ判断のしようがないね。」

 

「しゅ、主題? あの、私……頭が良くないのでよく分かりません。ごめんなさい。でも、教えてもらえれば答えられます。どういう意味なんでしょうか?」

 

随分と必死だな。縋るような顔付きでギュッと手を握って問いかける少女に、魅魔は冷徹な無表情で質問を重ねる。

 

「望みだよ。他の全てを踏み潰してでも叶えたい望みさ。お前さんが本当に魔女なんだったらそれを持っているはずだ。どうして魔女になったんだい?」

 

「望み? ……望みですか?」

 

「……はい、もういいよ。やっぱりお前さんは魔女じゃないね。この質問に即答できない魔女なんてこの世に居ないのさ。主題なき魔女は魔女に非ず。そして、今の私は一から弟子を育てるような気分じゃない。……そら、もう帰りな。これ以上の話は言葉の無駄だよ。私は言葉を無駄にするのが大っ嫌いなんだ。感情と違って、言葉は有限なものだからね。使えば使っただけ価値を失っていくのさ。」

 

「待って、待ってください! あります! 望みはあります! 美味しいパンとか、綺麗なお洋服とか、それと……そう、友達! お友達が欲しいです! 私を裏切らない、人間以外のお友達! 私と一緒の魔女のお友達! 私の望みはそれです!」

 

大慌てで言い募る少女へと、魅魔は魔女の……いや、あれは悪霊の笑みだな。底意地の悪い悪霊の笑みで笑いかけた。

 

「もう遅いよ。チャンスってのはいつも一瞬なんだ。それを掴めないようなヤツを弟子にするつもりなんかないさ。」

 

「お願いします、もう独りは嫌なんです! いきなりこの姿で生まれて、魔女だって嫌われて、誰も私を好きになってくれない。もう、もう耐えられません! お願いだから助けてください! 私と一緒に居てください!」

 

大粒の涙を流す少女の発言……恐らく『いきなりこの姿で生まれて』の部分にほんの少しだけ興味深そうな感情を覗かせた魅魔だったが、結局は揺り椅子から立ち上がって大きく伸びをすると、素気無く別れの言葉を口にする。

 

「答えはノーだ。だから帰りな。どこだかは知らんが、ここじゃないどこかにね。……面白い台詞のお代に一つだけ助言をしてやるよ。お前さんが本当に自分のことを魔女だと思うなら、人間を上手く利用するんだ。連中を嫌って遠ざけてるだけじゃ、この土地で上手く生きられないのは当たり前だろう? 仮面を被って、役を演じるのさ。か弱い少女と悪意ある魔女を演じ分けてみせな。必要以上に嘘を吐くのは愚かなことだが、必要な分だけ嘘を吐くのは魔女に必要な技術だよ。」

 

「待ってください! お願いですからここに置いてください! ……何でもします、どんな命令でも聞きます、何だって差し出します。弟子じゃなくて、小間使いで構いません! 奴隷みたいに所有物としてでも構いません! だからどうか──」

 

涙を拭いながら掠れた声で必死に懇願する少女は、ふと顔を上げて目の前の一軒家が忽然と消えているのを確認すると、瞳に絶望を宿して呆然と周囲を見回す。魅魔のやつ、容赦ないな。家ごと姿をくらましたようだ。

 

「あの……あの! 魔女さん? 魔女さん!」

 

立ち上がって家があった場所に駆け寄る少女だったが、もはやそこに在るのが背の低い芝生だけなのを見て……地面に蹲って大声で泣き喚き始めた。行動が完全に子供のそれだな。妖怪として生まれて間もないのは間違いなさそうだ。

 

「やだ、やだよ! お願いします、出てきてください! もう無理なんです! ……もう一人は無理なんです。怖くて、寂しくて、死んじゃいたくなるんです。ご飯もお洋服も要りません。命じられれば何だってやります。だからどうか、一人にしないで。私を側に居させてください!」

 

そのまま数分間地面を掻き毟りながら声にならない叫びを上げていた少女だったが、やがて幽鬼のようにゆらりと身を起こすと、泣き腫らした目で夕陽を見つめてポツリと呟く。

 

「『主題』。……それがあれば仲間になれるんですね? また来ます。仮面を被って、役を演じる。それが魔女ならやってみせます。そうすれば、私はもう──」

 

ブツブツと口を動かしながら歩き出した少女は、沈んでいく夕陽に背を向けるようにして東の方へと遠ざかって行った。……なるほど、これが魔女としてのルーツか。

 

うーん、ある意味では魔理沙に似ている始まり方だな。魔女になりたいという目的があって、それから主題を探し始めたと。全ての発端に魅魔の存在があるのも同じだ。……『仮面を被って、役を演じる』ね。あの性悪悪霊め。お前の余計なアドバイスが今の問題の一端を担ってるじゃないか。

 

金髪魔女見習いとしても思うところがあるようで、少女の背を複雑そうな表情で眺めている。魅魔はあの少女を弟子にしなかったが、魔理沙のことは弟子にした。両者共に主題が無かったのにも拘らずだ。その辺が引っかかっているのかもしれんな。

 

少女の背中が小さくなっていくのと同時に、記憶の世界が崩れ始める。咲夜によれば次は約百年後に再会した場面のはずだ。この記憶では魔女の妖怪についての深い部分を知れたが、現在の居場所に繋がるヒントは得られなかった。私が望んでいたほどの情報ではなかったな。

 

次こそは取っ掛かりが得られることを期待しつつ、アンネリーゼ・バートリは真っ白になった世界を紅い瞳に映すのだった。

 



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主題

 

 

「ダメだね、てんでダメだよ。商売上がったりさ。もう魔女なんて存在は流行らないのかねぇ。」

 

ここは……店、かな? 質の悪い曇ったガラスのショーウィンドウと、木製の棚に並ぶ雑多な小物。ガラスの向こうの馬車が行き交う通りを横目に、霧雨魔理沙は在りし日の師匠の会話を聞いていた。この場面はさっきよりずっと都会が舞台なようだ。

 

リーゼと咲夜が興味深そうにキョロキョロと狭い店内を見回す中、カウンターの奥の丸椅子に座っている魅魔様が話を続ける。相手は近くの棚に寄りかかっている金髪の若い女性……おいおい、八雲紫じゃないか? 驚いたな。魅魔様はいんちき賢者と話しているらしい。両者共に過去の存在であることを感じさせるのは古臭い服装だけで、中身の姿は私が知っているものと何も変わっていない。

 

「そっちはどうなんだい? 例の箱庭。私は上手くいくはずないと思うけどね。」

 

「もー大忙しよ。鬼の移住やら人里の管理やらにも手間が掛かるし、一番面倒なのは大結界の構築ね。五十年以内には張りたいと思ってたんだけど、この分だともう少しかかっちゃうかも。境界を作った時は簡単だったのに。」

 

「はん、度を過ぎた結界は妖怪の在り方を歪ませるよ。自分の中に根幹がある私たち魔女と違って、『こっち側』に存在の根拠がある連中は分断されたら弱くなるはずさ。その辺はどう考えているんだい?」

 

「それでも神秘が薄い外界よりはマシでしょ? 実際のところ、幻想郷に居る妖怪はこっちの妖怪より遥かに強力じゃない。」

 

うーん、深い議論をしているな。まだ博麗大結界が無かった頃か。興味を惹かれたらしいリーゼが近付いて聞き耳を立てる中、魅魔様は呆れたような苦笑で反論を放った。

 

「それは表面的な妖力の差でしかないだろう? 私が言ってるのは存在としての強度の方だよ。……妖怪ってのは忘れられたらお終いなのさ。それを無理やり引き止めようとしてるのがあんたのやり方だ。無理に仕組みを弄れば歪みが生じる。それが分からないほどガキじゃあるまいに。」

 

「忘れられたら諦めて消えろってこと? それは消える心配がない、力ある者だから言える台詞よ。傲慢だわ。傲慢魔女ね。商売のセンスも無いし。」

 

「後半がただの悪口になってるよ、若作り妖怪。……仕方ないじゃないか、私たちは『力ある者』なんだから。強きが残り、弱きは消える。どうしてそれを素直に認められないんだい? 人間と妖怪にしたってそうさ。どっちが上とか、どっちが強いとかじゃないんだ。単に別の生き物なんだよ。なまじ存在の根底に関係性があるから、あんたは関わりが持てるもんだと勘違いしてるだけだね。」

 

「ほら、それ。妖怪と人間が互いに影響し合っているのは事実でしょう? だって昔はすぐ側にあったものじゃない。なら、歪んでいるのは今の状況よ。私の考え方じゃないわ。」

 

ふんすと鼻を鳴らして主張する賢者に、魅魔様は額を押さえながらため息を吐く。

 

「変わらないものなんて無いんだよ、紫。温かかったスープがいつか冷めるように、美しかった花がいつか枯れるように、妖怪も人間も変わっていくのさ。あんたが昔の関係性を追い求めるのは勝手だが、そいつは今の人妖にとって幻想の景色に過ぎないんだ。自分の願望にどれだけ多くの存在を巻き込むつもりなんだい?」

 

「必要とあらば、いくらでも。……私は諦めないわよ。何を犠牲にしてでも私の理想の世界を創り上げてみせるわ。」

 

「呆れた。度し難いエゴイズムだね。私も相当なもんだが、あんたには負けるよ。あんたは我儘を押し通そうとする子供さ。それもバカみたいな強大な力を持った、躾のなってないクソガキだ。いよいよ始末に負えないよ。」

 

「なーにがクソガキよ。私は純粋で素直な美少女なだけでしょ。他の連中は変化に屈したけど、義憤に燃える正義のゆかりちゃんは諦めなかったの。どう? 凄い?」

 

えっへんと大きな胸を張ってウィンクする賢者へと、お師匠様ははいはいと手を振って話題を打ち切る。認めたというか、もう抗弁するのも面倒くさいといった様子だ。

 

「そりゃまた結構なことで。あんたと話してると頭が痛くなってくるよ。何も買わないならさっさと帰ってくれ。」

 

「私じゃなくても買わないでしょ、こんなガラクタ。……意地を張ってないで幻想郷に来なさいよ。この土地にしぶとくしがみ付いてる大妖怪なんてあんたくらいじゃないの。他はみーんな神秘が残る旧大陸に行っちゃったわ。本当は寂しいんでしょ? 素直になったら?」

 

「寂しくないし、私はここが気に入ってるんだ。あんたの箱庭に住むなんて死んでも御免だね。」

 

むう、この時点の魅魔様は幻想郷に移住する気がなかったのか。ノーレッジが会った時は引っ越しの準備をしていたと言ってたし、百年の間に考えを変えることになったわけだ。その理由は何なのかと首を傾げていると、棚にあった不思議な鏡を弄っていた賢者が肩を竦めて声を上げた。

 

「ふーん? まあいいけどね。どうせ来ることになるんだし、今日のところはこれで帰るわ。」

 

「大した自信じゃないか。何を根拠に言ってるんだい?」

 

「カンよ、乙女のカン。私の可愛さに運命も頭を垂れるってわけ。」

 

なんだそりゃ。クスクス笑いながら鏡を棚に戻した賢者は、いきなり開いた不気味なスキマの中へと消えて行く。その姿をうんざり顔で見送ると、魅魔様はピョンとカウンターの上に乗ってきた黒猫を撫でつつポツリと呟いた。

 

「本当に度し難いね。幻想だと知ってなお追い続けるなんてのはバカのやることさ。……お前さんもそう思うだろう?」

 

返事としてにゃーんと鳴いた黒猫へと微笑みかけた魅魔様は、カウンターの下からキャットフードらしき物を出して手ずから与え始める。半分ほどを食べた後でプイと何処かへ行ってしまった猫に苦笑した後、キャットフードの紙袋を元の場所に戻したところで──

 

「おや、いらっしゃい。」

 

チリンチリンという控え目なベルの音と共に、小さな人影が店内に入ってきた。……まさか、あの少女なのか? 前の場面よりもやや成長した感じがある十三、四ほどの見た目で、灰色の長髪にはよく手入れされていることを窺わせる艶があり、薄水色の高価そうなドレスを着ている。あの時の汚れっぷりとは比較にならない格好だ。『イイトコのお嬢様』って雰囲気だな。

 

「こんにちは、魔女さん。私のことを覚えていますか?」

 

私たち傍観者は気温を感じないので気付かなかったが、これは冬場の記憶だったようだ。可愛らしいフリルが付いた手袋を外しながら言った少女に対して、魅魔様がきょとんとした表情で返答を返す。

 

「さて、さて。私は記憶力は良い方だと思うんだけどね。……ちょっと待ちな、今思い出すから。」

 

「じゃあ、その間に商品を見させてもらいますね。」

 

うーむ、本当に変わったな。自信を滲ませた微笑を浮かべて店内を物色する少女は、さっきの記憶で見たボロボロの少女とは似ても似つかないほどに……そう、余裕を感じる。泥だらけだった肌は神秘的で透き通るような白さだし、立ち振る舞いも洗練されてる気がするぞ。

 

あまりの変わり様に驚く私を他所に、目を瞑って黙考していた魅魔様がピンと指を立てながら口を開いた。どうやら思い出したらしい。

 

「ああ、そうだ。あの時の小娘だね? 百年くらい前に私が南部に住んでた頃、弟子入りしたいとか言ってきた浮浪児だろう? えらく小綺麗になってるから気付けなかったよ。」

 

「はい、大正解です。……あの時はちょっと落ち込みましたけど、魔女さんのアドバイスのお陰でこんなに立派になれました。今では感謝しています。」

 

「アドバイス? ……あー、そうかい。それは良かった。うん、アドバイスね。」

 

忘れてるな、これは。というかまあ、魅魔様的には別にアドバイスとして放った言葉ではなかったのだろう。そんなお師匠様の感情に気付いているのかいないのか、少女は店の奥にあったミニチュアの屋敷……ドールハウスかな? を興味深そうに観察しながら会話を続ける。何故だか知らんが、リーゼがそれを見てムスっとした顔になっちゃってるぞ。

 

「仮面を被って、役を演じる。その言葉に従って頑張ってきました。最初は辛い生活でしたけど……今はほら、この通りです。使用人が何人も居る屋敷に住めているんですよ?」

 

「へぇ? 私の記憶が確かなら人間嫌いだったはずだが、使用人ならアリってことかい?」

 

「いえいえ、人間なんか側に置いたりしませんよ。あんな連中は信用できませんから。脳を弄って人間を人形にしてみたんです。私を裏切らない、忠実なお友達に。それなら心配ないでしょう?」

 

「そいつはまた、立派な悪い魔女になれたようで何よりだよ。……主題を定めたようだね。」

 

グリーンの瞳を細めて何かを見定めるような顔付きで聞く魅魔様に、少女は嬉しそうに大きく頷きながら応じた。

 

「はいっ、定めました。私の主題は人形です。そのために研究を重ねて、ある程度の場所には到達できたと感じています。……それでですね、ここからが本題なんですけど。」

 

「……何だい?」

 

「今度こそ弟子にしてくれませんか? 人外に出会ったのは数えるほどですけど、みんな貴女のことを恐れていました。偉大な太古の魔女だって。だから私、貴女に弟子入りしたいんです。あの時よりもずっと、ずっとお役に立てると思います。」

 

それまでの明るい表情が僅かに翳り、どこか不安を覗かせながら頼んでくる少女に……魅魔様は小さく鼻を鳴らして答えを送る。

 

「ダメだね。」

 

「……理由を聞かせてくれませんか? 直せるところなら直しますから。」

 

「お前さんの成長っぷりは見事なもんだし、私の言葉が一助になってるなら嬉しいことさ。可愛らしい見た目も嫌いじゃないしね。……だが、ダメだ。お前さんは未だに主題を定めていない。私は弟子に対しては責任を持とうって決めてるんでね。他の魔女みたいに単なる使いっ走りにするつもりはないのさ。だから、中途半端な魔女は端からお断りだよ。半端に始めたら半端な結末にしか辿り着けないだろう?」

 

「さっきも言った通り、主題は定めています。人形です。私は『人形の魔女』です。」

 

胸元で右手を握って主張する少女へと、魅魔様は薄っすらと微笑みながら指摘を飛ばす。私が幻想郷での修行中に何かを間違えた時、何度も何度も目にした顔だ。

 

「本当に? 本当にそれがお前さんの望みかい?」

 

「……本当です。どうして疑うんですか?」

 

「いやなに、私は自他共に認める大嘘吐きでね。嘘を吐くことにかけてはこの世で一番だって自信があるほどさ。……だから他人の嘘を見抜くのも得意なんだよ。もしかしたら本人ですら気付いていない嘘だとしても、私の前じゃあ何の意味もないってこった。」

 

「私、嘘なんて……吐いてません。本当に人形が好きで、そのために努力してきました。」

 

途中で少しだけ口籠った少女に、魅魔様は静かな口調で続きを語る。検分するような、読み解くような目付き。ノーレッジと同じ魔女の目付きだ。

 

「お前さんはまだ辿り切れていないのさ。自分の奥底に潜む願望をね。別に人形が好きなことを疑ってるわけじゃないよ。お前さんは確かに人形が好きで、それは主題に繋がるものなんだろうが……そうじゃあないんだ。魔女が追う望みっていうのは絶対のものでないといけない。それこそが全ての基礎になるんだから。」

 

「私、私……違います。本当に人形が──」

 

「そら、仮面が剥がれてるよ。夕陽の下のボロボロの少女のお出ましだ。自信がなくて、弱くて、何も持っていない。誰にも助けてもらえず、それなのに嫌われはする。……それがお前さんだよ。分厚い仮面を被っていようが、お嬢様の役を演じていようが、それらしい主題で塗り固めようが、本当のお前さんが消えてなくなったりはしないのさ。……もう一度聞くよ? お前さんの望みはなんだい? 今のお前さんじゃなく、何も持っていなかった頃のお前さんの望みだ。仮面の下の自分と向き合ってごらん。そうしないと本当の望みには辿り着けないよ。」

 

ドレスをギュッと握り締めて目を泳がせる少女へと、魅魔様が怪しげに語りかけたところで……パリンと何かが割れるような音が響いたかと思えば、黒い影が物凄いスピードで店の奥へと駆けて行った。さっきの黒猫か?

 

「あーあー、あのバカ。売り物にじゃれ付くなっていつも言ってるのに。……割れちまってるじゃないか。」

 

呆れたように呟きながらカウンターを出た魅魔様は、隅の棚の前に落ちているガラスの破片を拾い始める。どうやら黒猫がじゃれてガラス製の何かを落としてしまったようだ。

 

張り詰めるような緊張感が弛緩していく中、少女は慌てたように店内を見回すと、先程ジッと見ていたドールハウスをよいしょと持ち上げてカウンターに持ってきた。屋敷としてはミニチュアだが、私が精一杯手を広げても持ち難そうな大きさだ。

 

「あの、これをください。」

 

「おっと、良いね。そいつはずっと買い手がなくて困ってたんだ。……弟子の件はもういいのかい?」

 

意地の悪い笑みで問いかけた魅魔様に、少女は目を逸らして小さく首肯する。何かを恐れているような表情だ。

 

「ずっと居座るのはお仕事の邪魔でしょうし、また後日に出直します。」

 

「へぇ? ……ま、いいけどね。見ないフリをしてたって消えちゃくれないよ。認めて先に進むのが賢いやり方さ。それはよく覚えときな。」

 

どういう意味なんだろうか。謎めいた助言をする魅魔様は、カウンターに戻ってドールハウスを調べると……困ったようにため息を吐いた後、丸椅子にどさりと身を預けながらひらひらと手を振った。

 

「値段を忘れちまったからタダでいいよ。持っていきな。」

 

「でも、悪いですから──」

 

「余計な説教を垂れたお詫びさ。考えてみりゃ、私がお前さんの主題に口を出す権利なんてないわけだからね。お前さんの前に余計なことばっかりするヤツが来てたから、そいつの悪癖が移っちまったみたいだ。いいから持っていってくれ。それで私の気が済むんだから文句はなしだよ。」

 

強引に纏められた少女は目をパチクリさせてから、出しかけていた財布を仕舞って代わりにお洒落な布袋を取り出すと、それにドールハウスを入れてお礼を口にする。拡大魔法がかかっている布袋らしい。

 

「……ありがとうございます。また来ますね。」

 

「おう、気が向いたらまた来な。」

 

店に入ってきた時の明るさは見る影もなく、今の少女は百年前のあの子を思わせる雰囲気だ。魅魔様に言われたことが余程にショックだったらしい。恐らく弟子入りを断られた部分ではなく、その後にあった主題の話が。

 

ベルの音と共にトボトボと店を出て行く少女を見送った後、魅魔様は大きく伸びをして一つ欠伸をしてから……カウンターに身を乗り出して『独り言』を喋り始めた。はっきりとリーゼの方を見ながらだ。私たちは『傍観者』のはずだぞ。

 

「よう、コウモリ娘。あの小娘がこの頃住んでたのはボストンの郊外だ。この場面の後で気になって調べてみたのさ。最低でも半世紀くらいはそこで暮らしてたみたいだから、気になるなら探ってみな。何か手掛かりが得られるかもしれないよ。」

 

「……これはまた、驚いたね。久々にゾッとしたよ。記憶の中から語りかけてくるとは、いよいよバケモノらしくなってるじゃないか。」

 

「別に当時の私が話してるわけじゃないよ。銀髪のお嬢ちゃんに渡した記憶にそういう術を仕込んでおいただけさ。……ほれ、外の景色が止まってるだろ? 要するに記憶の再現はもう終わってるんだ。私はそこに追加の一節を付け足しただけだよ。種明かしすると大したことないだろう? この程度なら杖持ちどもにだって出来るさ。」

 

言われてショーウィンドウの向こうに視線を送ってみると、確かに外を歩く通行人たちは動きを止めている。リーゼも納得がいったようで、肩を竦めて頷きながら返事を返した。

 

「なるほどね、そういうことか。……追加の情報はそれだけかい? あの小娘はまた来ると言っていたわけだが。」

 

「結局来なかったからね。ああでも、一度だけ手紙を貰ったよ。私が幻想郷に移る少し前くらいに、暫くの間修行のために旧大陸に行きますって手紙を。」

 

「ふぅん? その後フランスに移り住んで、アリスに目を付けたわけか。……それで終わりかい?」

 

さすがは吸血鬼、強欲だな。もっと情報を寄越せと声色に表したリーゼに、魅魔様はケラケラと笑いながら首を横に振る。

 

「おやおや、母親そっくりで容赦がないね。もうすっからかんさ。大事な部分は見せてやったんだから文句を言うんじゃないよ。……あの小娘の主題が何なのかに気付いたかい?」

 

「『友達』。私はそう推察したがね。あの小娘……『魔女の妖怪』は友達が欲しくて人形を作っているわけだ。人形は結果であって、根本の望みじゃないのさ。だからキミは弟子入りを断ったんだろう?」

 

うん、私も同じ解釈だ。あの少女は最初の記憶で一人になることをひどく恐れていた。本人が実際に気付いているかは不明だが、リーゼの推察はある程度当たっているような気がするぞ。

 

そんな私の考えに反して、魅魔様は指でバッテンを作りながら口を開く。

 

「不正解だよ、コウモリ娘。近いが、そうじゃない。私の答えとは相似だが同一じゃないね。人形がそうであるように、友達の方も結果でしかないのさ。」

 

「……なら、キミは何だと予想しているんだい?」

 

「教えてやらないよ。もうヒントは必要以上に提示したんだ。だったら後は自分で考えな。……私が銀髪のお嬢ちゃんに免じて手伝ってやるのはここまでさ。これ以上を望むなら高い対価を払ってもらわないとね。」

 

「ふん、ケチな魔女だね。」

 

リーゼの反応を見て愉快そうに口元を歪めた魅魔様は、ちらりと私の方に視線を移して話しかけてくる。……うおお、緊張するぞ。何を言われるんだろうか?

 

「あー……元気でやってるかい? バカ弟子。」

 

「ん、やってる。色々学んでるぜ。」

 

「そうか、ならいい。手紙も読んだよ。……まあうん、残りの修行期間も上手くやりな。私の弟子なんだから半端は許さないからね。」

 

「おう、分かった。上手くやる。」

 

何だかぎこちないやり取りを終えて、魅魔様はバツが悪そうな顔で頭をポリポリと掻くと、リーゼに向き直って別れを告げた。くそ、何だってもっと良い感じの台詞を思い付かないかな、私は。折角久々に師匠と話せたってのに。

 

「じゃ、これで終わりだ。ボストンの郊外だからね。忘れるんじゃないよ。」

 

「助かるっちゃ助かるが、もうちょっと正確な位置を教えてくれても良いんじゃないか? 私たちから見れば『二百年前のボストンの郊外』だろう? 探し当てるのは中々骨が折れそうだぞ。」

 

「情報屋を頼ればいいじゃないか。あの油断ならない多趣味な女をね。あいつは私が『現役』の頃もよく利用してた情報屋だ。少ないヒントだろうが大して問題ないだろうさ。」

 

「……アピスのことかい? そこまでの妖怪だったのか? あいつ。」

 

驚いたように問い返したリーゼに、魅魔様は指をパチリと鳴らしながら返答を送る。同時に周囲の景色がパラパラと崩れ、身体が上へ上へと引っ張られ始めた。記憶の再現が終わろうとしているらしい。

 

「知らなかったのかい? あいつはそこそこ長く生きてる大妖怪だよ。……ま、精々頑張りな、コウモリ娘。ついでにバカ弟子もね。」

 

遠ざかっていく過去の魔道具店と、魅魔様のいつもよりちょびっとだけ柔らかい声。意識が現実の世界へと浮上するのを感じながら、霧雨魔理沙は師匠からの不器用なエールに小さく微笑むのだった。

 



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白か、黒か

 

 

「じゃあその、アピスさんにもう一度会いに行くんですか?」

 

ちょっと心配だな。リーゼ様とアピスさんは相性が良くないし、変に拗れちゃったりしないだろうか? 人形店のリビングの椅子に座っているアリス・マーガトロイドは、右手に持った手鏡へとそう問いかけていた。

 

リーゼ様がハリー経由でブラックから借り受けたという『両面鏡』。嘗てジェームズとブラックが秘密の連絡に使っていたというその魔道具で、魅魔さんの記憶に関してを話し合っているのだ。割と貴重な魔道具なのに、ブラックはどうやって入手したんだろうか? ブラック邸の倉庫にでも保管されていたのかな?

 

まあうん、何にせよ煙突ネットワークを使うよりは安全だろう。ウィーズリー家の双子といい、忍びの地図を作った五人といい、『悪戯っ子たち』も中々侮れないなと考えを改めている私に対して、鏡の中のリーゼ様が返答を寄越してくる。彼女が持っている方の手鏡には私の姿が映っているはずだ。

 

「ああ、そうなるね。私が直接ボストンとやらに出向いてもいいんだが、慣れない土地で慣れないことをするよりはアピスに任せた方がまだマシだろう? 近いうちにスイスに行って、調査を依頼してくるよ。」

 

「……でも、少し同情しちゃう内容ですね。具体的に何があったのかまでは推し量るしかありませんけど、あまり良い生まれ方じゃなかったのは何となく分かりました。」

 

「大方、魔女狩りのスケープゴートにでもされたんじゃないかな。妖怪ってのは人間たちの恐怖から生まれる存在なんだ。である以上、あの魔女が生まれた土地では『魔女』に対する恐怖が蔓延っていたということになる。それが形と意思を持つほどにね。……そんな場所に見ず知らずの少女がいきなり現れればどうなるかなんて明白だよ。自分や身内を『魔女』にされたくない人間どもにとっては好都合だったろうさ。嬉々として怪しい少女を魔女に仕立て上げたはずだ。」

 

昔パチュリーとヨーロッパや北アメリカの魔女狩りについてを議論したことがあるが、師匠は魔女狩りという現象のことを『不十分な知識が生んだ集団ヒステリー』と評していた。過ぎ去った後でなら愚かな行為だと分かるようなことでも、内側に居る者たちは至極真面目に取り組んでいるものなのだと。

 

これで例の魔女が人間を嫌う理由の一片は窺い知れたなと納得している私へと、リーゼ様は疲れたようにため息を吐きながら話を続ける。

 

「まあ、あの魔女が悲劇的な生を歩んでいようが何だろうが、それがキミにちょっかいをかけていい理由にはならない。それはそれ、これはこれさ。あまり同情しない方が良いと思うよ。」

 

「それは……はい、気を付けます。」

 

「とにかく、アピスには何としてでも仕事を受けさせるから、キミはもう暫く大人しくしておいてくれたまえ。現状イギリス魔法界は協力的だし、新大陸から入ってきた捜査員たちもぽんこつばかりだ。キミが外に出られなくて不便な以外は特に問題ないだろうさ。」

 

どうやらリーゼ様は校庭の湖で釣りをしながら話しているようで、言葉と共に手に持った竿をヒュンと振っているが……会話を始めてから結構な時間が経つというのに、まだ一匹も釣れてないみたいだぞ。

 

こんなにも釣れないものなのかと訝しみつつ、その感情は胸に仕舞ったままで返事を返す。テッサが学生時代に釣りをしていた時は簡単に釣れてたんだけどな。水魔の所為で普通の魚が減っちゃったんだろうか?

 

「それに関しては考えがあるんです。魔法薬で年齢を変えちゃおうかと思ってまして。魔女や妖怪相手ならともかく、普通の魔法使いはそれで欺けるでしょうし。」

 

「おや、いいね。幼くなるってことかい?」

 

「ですね。加齢する魔法薬は魔法界にもいくつかありますけど、大幅に若返る薬は少ないですから。十歳前後の姿になろうと思ってます。大昔にパチュリーから作り方を習った薬なので、ポリジュース薬なんかと違って闇の魔術検知棒にも引っ掛からないはずです。」

 

「素晴らしいじゃないか。小さいのが一番だよ。背が高くて良い事なんて一つもないからね。」

 

謎の理論で嬉しそうにうんうん頷くリーゼ様へと、別の話題を切り出した。魅魔さんの記憶以外にも、もう一つ気になっていたことがあるのだ。

 

「そういえば、ラメットさんはどうだったんですか? ホグワーツに赴任してきたんですよね?」

 

「今のところ怪しい行動は見せていないね。とはいえ、完全にシロだとも言い切れない。……本当に厄介だよ。どれが人形でどれが人間かの判断が付かないってのは。」

 

そう、それが例の魔女の一番厄介な点だ。五十年前にクロードさんがそうだったように、全く疑っていなかった人物が人形の可能性もあれば、ラメットさんがそうだったように疑っていた人物が無関係の可能性もある。

 

タネが分かっていても判別できないことを歯痒く思っていると、鏡に映る光景が午前中の青空になったと共に、リーゼ様が少し遠くなった声で話を纏めてきた。両面鏡を地面に置いたようだ。リールを巻く音がするし、遂に釣れたのかもしれない。

 

「何にせよ、ラメットへの警戒は続けるよ。残り二人の新任教師も調べないといけないしね。」

 

「どんな人なんですか? 変身術と魔法薬学の教師。」

 

「片や怪しすぎる闇の魔法使いもどきで、片ややる気を感じない平凡な爺さんだ。どっちもあの魔女には似合わない気がするし、そこまで心配してないけどね。」

 

「『闇の魔法使いもどき』? どっちの教師の話ですか?」

 

どういう人物評なんだ、それは。一体全体どんな人物なのかと顔を引きつらせる私に、リーゼ様は呆れたような声色で応じてくる。

 

「魔法薬学の方だよ。リドルと並んで歩いていたらどっちを通報すべきか悩む感じのヤツさ。……まあ、マクゴナガルから詳しい話を聞いた限りでは、むしろ一番安全なんじゃないかな。」

 

「よく分からない状況ですね……。」

 

「色々な人生があるってことさ。……くそ、何故この湖の鱗付きどもは餌だけ食べていくんだ? 無礼な連中め。素直にかかるならリリースしてやろうかとも思ったが、こうなったら絶対に釣り上げて食ってやるからな。その時に後悔しても遅いぞ! 精々怯えて暮らすがいいさ!」

 

こちらからは見えないが、どうもリーゼ様は湖の魚に怒鳴っているらしい。そんなことしたら逃げちゃって尚更釣れなくなるんじゃないかと心配していると、鏡を持ち上げたリーゼ様が会話を締めてきた。実に不機嫌そうな顔付きでだ。

 

「……アピスとの話が付いたらまた連絡するよ。小さくなって出歩けるようになったら一緒に魔法省に行こう。ボーンズやスクリムジョールがキミと直接情報を擦り合わせておきたいみたいだからね。」

 

「はい、了解です。」

 

私の返答と同時に鏡の中が真っ暗になったのを確認して、両面鏡を布で包んで戸棚に仕舞う。……さて、そうと決まれば薬の調合を急がねば。正直言って製薬は苦手な分野なので、思っていたよりも手間取っているのだ。パチュリーが有事のためにと材料を残していってくれて助かったな。私だけだと素材の入手すら困難だったかもしれないぞ。

 

椅子から立ち上がって自分の部屋に移動しようとしたところで、キッチンの方から声が投げかけられた。

 

「あれ、アリスちゃん。お嬢様との作戦会議は終わったんですか?」

 

クッキーでも作っているのかな? 白いふにゃふにゃの塊……小麦粉を練ったものらしき物体を調理台で小さく千切っているエマさんに、こくりと首肯しながら口を開く。紅魔館に居た時は日々の雑務で忙しかったようだが、この家は狭いので暇を持て余しているようだ。

 

「ええ、終わりました。……クッキーですか?」

 

「いえいえ、もっと手の込んだお菓子ですよ。出来てからのお楽しみです。」

 

「あー……なるほど、楽しみにしておきます。私は魔法薬の調合に戻りますね。何かあったら呼んでください。」

 

「はいはーい、頑張ってくださいねー。小さなアリスちゃんにまた会えるのは楽しみですから。」

 

ご機嫌な様子で千切った白い塊を麺棒で伸ばして、間に何かを挟みながら何層にも重ねているエマさんの返事を背に部屋へと戻る。今日も口の中が甘くなることは確定だな。間違いなく美味しくはあるのだが、毎日食べているとしょっぱい物も欲しくなってくるぞ。

 

虫歯の痛みとは無縁の魔女で良かったと苦笑しつつ、アリス・マーガトロイドは自室のドアをそっと開くのだった。

 

 

─────

 

 

「では、実際に杖を振ってやってみましょう。ペアを作ってくれますか? 交代交代で相手を『黙らせて』みてください。」

 

穏やかな笑顔で捉え方によっては物騒な指示を出してくるラメット先生を前に、サクヤ・ヴェイユは隣の席の魔理沙と顔を見合わせていた。初回から杖を使うのか。効果や理論の説明はさらっとしかやらなかったし、意外にも『実践タイプ』の先生なようだ。

 

九月初週の木曜日。大広間でお昼ご飯を食べ終えた私たちは、二階の教室で防衛術の初回授業を受けているのだが……うーん、特に怪しい雰囲気は感じられないな。木のキチッとした椅子に座っているラメット先生は、比較的分かり易い授業を無難な感じに進めている。

 

今までの防衛術の先生の中でいうと、ルーピン先生の授業に近い形式だ。偽ムーディ先生ほど苛烈ではなく、パチュリー様ほど理論を重視せず、ダンブルドア先生ほど遊び心がない。良い意味で『丸め』の授業だと言えるだろう。

 

五十年前の事件に関わった人物ということで、ちょっとだけ警戒しながら話を聞いていたわけだが……なんか、大丈夫そうに思えるぞ。温厚そうな笑みを浮かべているラメット先生を横目に立ち上がって、教室の後ろにある『実践スペース』へと移動していると、背後を付いてくる魔理沙が声をかけてきた。

 

「普通だな。教室の内装も普通だし、授業内容もぶっ飛んでない。『まとも』な教師みたいじゃんか。」

 

「油断は禁物よ、魔理沙。リーゼお嬢様も一応警戒しろって言ってたじゃないの。」

 

「ってもなぁ。いきなり『貴女は魔女に操られている人形ですか?』って聞くわけにもいかんし、判断のしようが無いぜ。」

 

「それはまあ、そうなんだけど……。」

 

むむむ、難しいな。そもそもラメット先生はアリスの現在の状況をどう思っているんだろうか? 五十年も前のこととはいえ、自分が服従させられた事件を忘れてしまうとは思えない。だったらアリスのことも覚えているはずだぞ。

 

黙らせ呪文の練習をする生徒たちのことを、ニコニコ微笑んで見守っているラメット先生を観察しながら考えていると……ええい、ズルいぞ。不意打ち気味に放ってきた魔理沙の呪文を食らってしまう。

 

「……!」

 

「おー、怒ってるな。何か抗議したいのは分かるが、黙ってちゃさっぱり分からんぜ。」

 

そっちが黙らせたんじゃないか! 魔理沙にジト目を向けながら自分に反対呪文を撃ち込もうとするが、慣れない呪文な上に無言なので中々上手くいかない。思っていたよりも厄介な呪文だな。

 

自力での解呪を断念して魔理沙を思いっきり睨み付けてやると、金髪の悪戯娘は苦笑しながらこちらに杖を向けてきた。

 

「おいおい、解呪してやるからそんなに睨むなよ。ちょっとした悪戯じゃんか。」

 

「……シレンシオ(黙れ)!」

 

「うおっと。……油断も隙もないヤツだな。そういう目的の練習じゃ──」

 

「シレンシオ! ……エクスペリアームス(武器よ去れ)!」

 

今度はこっちの番だぞ。喋れるようになった瞬間に飛ばした黙らせ呪文を避けられたのを見て、二の矢三の矢を放っていくが……ぬう、やるな。盾の呪文で赤い閃光を見事に防ぎながら、魔理沙はこちらに文句をぶん投げてくる。

 

「プロテゴ! おい、武装解除は……プロテゴ! 武装解除は違うだろうが! 黙らせ呪文の練習だろ? エクスペリアームス!」

 

「プロテゴ! ……そっちだって撃ってきてるじゃないの! もう容赦しないからね。エイビス(鳥よ)オパグノ(襲え)!」

 

「っと、そっちがその気なら受けて立つぜ。フィニート(終われ)! ……フリペンド(撃て)ブラキアビンド(腕縛り)!」

 

私の杖先から飛び出した小鳥たちを終わらせ呪文でかき消した魔理沙は、流れるような動作で衝撃呪文を使ってこちらの体勢を崩してから、これで決まりとばかりに腕縛りを撃ち込んでくるが……ほんの一瞬だけ時間を止めてそれを避けた後、お返しの黙らせ呪文を杖から飛ばす。美鈴さんが言ってたぞ。勝てば官軍って。

 

「シレンシオ!」

 

「あっ、お前──」

 

「どうしたのよ、魔理沙。黙ってちゃ何も分からないわ。」

 

ふふんと胸を張って言ってやると、魔理沙は半眼で私の制服の胸ポケットを指差してくる。いつも愛用の懐中時計を入れているポケットだ。要するに、時間を止めたことを糾弾しているのだろう。さすがに魔理沙には気付かれるか。上手いことやれたと思ったんだけどな。

 

「……いいじゃないの、別に。真面目な場での決闘じゃなかったんだから。偶に使うくらいならバチは当たらないでしょ?」

 

「……。」

 

「ああもう、分かったわよ。ちょっと卑怯だったわ。でも、先に不意打ちしてきたのはそっちなんだからね。」

 

無言の抗議に根負けして解呪してやったところで、控え目な拍手の音が耳に届く。釣られて周囲を見てみれば……わお、いつの間にか注目されていたようだ。遠巻きに私たちのことを眺めている同級生たちと、拍手しながらゆったりとした歩調で歩み寄ってくるラメット先生の姿が目に入ってきた。

 

「見事な決闘でしたよ、二人とも。ですが、今はあくまで黙らせ呪文を練習するための時間です。練習スペースもそこまで広くありませんし、何と言えばいいか……もう少し穏やかにやってくれると助かります。」

 

「あの、すみませんでした。つい熱くなっちゃいまして。」

 

「あー……そうだな、悪かった。ど真ん中でドンパチやってたら邪魔だもんな。」

 

うう、失敗しちゃったな。魔理沙と二人でラメット先生にぺこりと頭を下げて、周囲の生徒たちにも目線で謝る。そんな私たちの姿を見た同級生たちが『いいよいいよ』と手を振って練習に戻る中、ラメット先生が私に向かって話しかけてきた。

 

「……サクヤ・ヴェイユさん。もしかして貴女は、テッサ・ヴェイユさんにご縁のある方ですか?」

 

「えっと、そうです。テッサ・ヴェイユは私の祖母なので。」

 

「そうですか、お孫さんでしたか。……ごめんなさいね、急にこんなことを聞いちゃって。貴女は知らないでしょうけど、私は大昔にテッサさんと少しだけ関わったことがあったの。名簿で貴女の名前を見た時、そのことを思い出したのよ。」

 

柔らかさを感じる口調に切り替えつつ、私を見て懐かしそうに目を細めたラメット先生だったが……一転して心配そうな表情になると、気遣うような声色で続きを話す。

 

「……私は報道記者をやっていたから、イギリスでの戦争の犠牲者のことも知る機会があったの。随分と遅くなってしまったけど、お悔やみ申し上げるわ。テッサさんと、それにご両親のことも。」

 

「わざわざありがとうございます。……実はその、私もラメット先生のことを知っていたんです。アリスが話してくれまして。」

 

この際だから探ってみようとアリスの名前を出してみれば……おお? 予想外の反応だな。ラメット先生はほんのちょっとだけ恥ずかしそうな苦笑いで、困ったように頰に手を当てた。照れている、のか?

 

「あらあら、そうだったの。ちなみにマーガトロイドさんは私のことを何て?」

 

「人物評というか、五十年前の事件の話をしてくれた時に出てきただけなので……律儀な人だったとは言ってました。」

 

「じゃあその、『告白』については聞いていないのかしら?」

 

「こくはく?」

 

何の話だ? 隣で会話を聞いている魔理沙にちらりと問いかけの目線を向けてみるが、彼女も何のことだか分からないようだ。そんな私の反応を確認すると、ラメット先生はホッとしたように息を吐きながら曖昧に説明してくる。

 

「ああいえ、聞いてないのなら気にしないで頂戴。五十年前の私は若かったから、まあその……色々と、ね?」

 

「色々と、ですか。」

 

「そう、色々と。……マーガトロイドさんがホグワーツで教師をしていたと聞いて本当に驚いたわ。こういうのも一つの運命なのかしら。あと三、四十年早ければ良かったんだけど、今の私はもう妻も子供も居ますからね。」

 

『妻』? 夫の言い間違いだろうか? 英語のアクセントにも若干の訛りがあるし、あんまり得意じゃないのかなと内心で首を傾げながら、遠い目になっているラメット先生に当たり障りのない質問を送った。

 

「お子さんがいらっしゃるんですか?」

 

「ええ、二人。二人とも養子ですけどね。もう独り立ちして立派に働いてくれているわ。……そんなことより、マーガトロイドさんは大丈夫なの?」

 

「私はよく知らないんですけど、多分大丈夫だと思います。……ラメット先生はアリスのことを信じてくれるんですか?」

 

対外用の言い訳を交えつつ聞いてみると、ラメット先生は人差し指を唇に当てながら応じてくる。歳を感じさせない仕草をする人だな。淑やかな雰囲気があるからよく似合っているが。

 

「んー、マクーザの発表が一概に正しくないとは思っていますよ。イギリスがこれだけ一致団結して要求を撥ね退けるという事実こそが、マーガトロイドさんの人柄を如実に表していますから。……半世紀前にほんの少し関わっただけの私でも、あの方に『誘拐殺人』なんてものが似合わないのはよく分かりますしね。」

 

そこまで言ったラメット先生は、次に何かを悩んでいるような難しい顔になって続きを語り始めた。ひょっとすると、これがラメット先生の記者としての顔なのかもしれない。

 

「しかし、何の理由もなくマクーザがイギリスの魔法使いを犯罪者に仕立て上げるとも思えません。それも権威ある紅のマドモアゼルの身内を。ですから……うーん、分かりませんね。記者をやっていた頃なら伝手を辿って調べたかもしれませんけど、今の私は教師ですから。毎日の授業内容を考えるだけで精一杯です。」

 

真剣な表情から一転して後半を戯けるような微笑みで言ったラメット先生は、私に一声かけてから生徒たちの指導へと戻っていく。

 

「とにかく、個人としてはマーガトロイドさんは本当の犯人ではないと考えています。私がそう思ったところで何が変わるわけでもありませんけどね。……さて、そろそろ指導に戻ることにしましょうか。教師が世間話をしていては示しがつきませんから。二人とも見事な杖捌きだったので練習は不要かもしれませんが、復習としてやってみてください。」

 

「……はい、分かりました。」

 

「おう、了解だぜ。」

 

苦戦しているレイブンクローのミルウッドの方へと去って行くラメット先生を見送って、魔理沙と二人で意見を交わす。見た目通りの人っぽいな。

 

「これといった怪しさは感じなかったわね。結婚してお子さんも居るみたいだし、本当に偶然このタイミングで赴任してきたのかしら?」

 

「実際に話してみると、そんな気もしてきたな。……まあ、これ以上はリーゼに任せるべきだろ。これで実は人形でしたってんならもうお手上げさ。」

 

まあうん、そうだな。魔理沙の言う通りお手上げだ。明確な判断を下すのが不可能な以上、とりあえずのところは普通に教師として接する他ないだろう。役に立てなくて申し訳ないが、あとはリーゼお嬢様にお任せするか。

 

モヤモヤする状況に親友と二人でため息を吐いてから、サクヤ・ヴェイユは黙らせ呪文の練習へと戻るのだった。

 



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奇妙な生

 

 

「おいおい、アホほど混んでるな。……どうする? 訓練場の方に行くか?」

 

大量の生徒でごった返すクィディッチ競技場を見ながら、霧雨魔理沙は呆れた気分でチームの面々に問いかけていた。衝突事故が起こるぞ、こんなもん。向こうでポンフリーが地面に寝かせた生徒を診ているようだし、もう起きた後なのかもしれんが。

 

切り良く始まった九月一週目も終わり、新学期に入ってから初めての休日である晴天の土曜日。朝起きて朝食を食べた後、グリフィンドールチームの六人で公開試験に向けての練習をしに来たわけだが……まあうん、考えることは皆同じだったらしい。広い競技場は未だ嘗てない混みっぷりになっている。

 

上空で飛び回る五十名ほどの生徒たち、それを疲れた様子で監督しているフーチとフリットウィック、練習用の仮設ゴールポストを増設しているハグリッド。混沌としている競技場を前に額を押さえる私へと、ハリーが困ったような苦笑で応じてきた。観客席にもちらほらと生徒が居るし、試験に参加しない生徒も見物に来ているようだ。

 

「あー……どうかな、この調子だと訓練場の方も混んでると思うよ。」

 

「僕もハリーに同感だ。それに、キーパーの練習はこっちでしか出来ないしな。広く使うのは諦めて隅っこを確保しようぜ。」

 

まあ、確かにそうだな。ゴールポストがあるのは競技場だけだ。チェイサーもシュートの練習とかをする必要があるし、狭いスペースでもこっちで練習した方がマシだろう。ロンが指差したグラウンドの隅に目を向けた私たちに、今度はジニーが用具置き場の方を指しながら言葉を投げてくる。

 

「クアッフルも備品を使うのは無理みたいね。自前のを取ってくるわ。正式な競技用じゃないけど、『エアクィディッチ』をするよりはいいでしょ。」

 

「あの……私、手伝います。ブラッジャーが残ってるかもしれませんし。」

 

ジニーに続いてアレシアが歩いていったところで、黙って全体を見渡していたニールが声を上げた。我らがノッポのビーター君は三年生になって洒落っ気がついてきたようで、去年の短髪から一変して髪を伸ばしているようだ。生真面目な性格なのは変わっていないが。

 

「どうもレイブンクローとハッフルパフのチームが合同で練習してるみたいですね。ほら、あそこ。北側のポストを三本全部確保してますよ。」

 

「うお、本当だ。この混みっぷりじゃライバルも何もないわけか。賢い選択だが……しくったな。まさかうちとスリザリンが合同練習するわけにもいかんし、こうなると単独でやるしかないぞ。」

 

「そうですね、スリザリンは……あそこに居ます。仮設ポストを一本確保してるみたいです。南側のポストは他の生徒が多くて練習どころじゃありませんし、僕たちは今ハグリッド先生が地面に突き刺してるポストを確保しましょう。」

 

素晴らしい行動力だぞ、後輩。言うや否や箒に跨ってそちらに飛んで行くニールを見送っていると、ハリーがスリザリンが練習している方を見ながらポツリと呟く。

 

「無理かな? スリザリンとの合同練習。」

 

「……本気で言ってるのか? ハリー。」

 

「試験までこの状況が続くとすれば、向こうもどこかと合同でやりたいはずだよ。場所の確保も人数が多い方が楽だし、紅白戦もやり易いでしょ? ……多分ハッフルパフとレイブンクローは九月中ずっと合同でやるつもりだから、僕たちが申し込める相手はスリザリンだけだ。」

 

うーん、スリザリンとか。嫌そうな顔のロンに答えたハリーに対して、南側で練習している他の生徒たちを眺めながら提案を送った。一応他にも選択肢はあるぞ。

 

「他の生徒に話を持ちかけるのはどうなんだ? グリフィンドール生も沢山居るじゃんか。」

 

「うん、それも悪くないと思うけど……レベルが高い練習相手になるのはやっぱり他チームだよ。ちょっとマルフォイと話してくるね。無理そうだったら諦めるから。」

 

おやまあ、こっちの先輩も行動力があるらしいな。ファイアボルトに乗ってスリザリンチームの方へと飛んで行ったハリーを見て、ロンがため息を吐きながら話しかけてくる。

 

「断られると思うけど……まあ、確かにあっちの生徒たちと合同練習ってのはキツいか。クィディッチが上手くて代表チームに不参加な生徒なんてそうそう居ないもんな。」

 

「練習の段階で躓くとは思わなかったぜ。他校はどうやってチームを選出してるんだろうな?」

 

「ホグワーツと同じような方法なんじゃないか? そもそも他の学校のクィディッチ事情を知らないから何とも言えないよ。あとでハーマイオニーにでも聞いてみよう。」

 

「そういえば、朝飯を食った後で咲夜と二人で応援に来るって言ってたな。」

 

それらしい姿はないかと観客席を見回してみるが、栗色の髪と銀髪のコンビは見当たらない。さすがにまだ来てないか。……ちなみにリーゼは学校を出てスイスに行っているそうだ。あの変な情報屋に調査を依頼するとかなんとかって。

 

トラブルになっていないことを祈りつつ、やや石が多めな玉石混淆の生徒たちの練習をぼんやり観察していると、ハリーが素早い動きでその間を縫って戻ってきた。もう話が終わったのか。

 

「断られたか?」

 

このスピードで帰ってきたってことはその可能性が高いな。開口一番でロンが聞くのに、ハリーは首を横に振って曖昧な返答を返す。

 

「ううん、少し考えさせてくれって言われたよ。チーム内で話し合うんだって。だからまあ、今日のところは六人での練習かな。」

 

「意外だな。……意外だ。」

 

何とも言えない表情で眉根を寄せるロンに、苦笑いで同意の頷きを放つ。確かに意外だな。スリザリンもそれだけ切羽詰まっているんだろうかと考えていると、続いて笑顔のニールが近くに下り立った。こっちの交渉は上手くいったらしい。

 

「ハグリッド先生に頼んで確保できました。ポスト二本と、パスの練習が出来るくらいには広い空間です。ブラッジャーを使うのはちょっと難しそうですけどね。」

 

「こうなるとビーターは厳しいよな。下手にブラッジャーを使うと他の生徒の方に飛んでいっちまうだろうし。」

 

「まあ、アレシアと二人で普通のボールを弾き合うことにします。コントロールの練習にはなりますから。」

 

プロは頑丈な網で囲ったスペースで練習してるみたいだし、そういうのも準備した方がいいのかもしれない。問題が山積みなことに軽く息を吐いたところで、ジニーとアレシアも戻ってきたようだ。何故か手ぶらで。

 

「どうしたんだ?」

 

ブラッジャーはともかくとして、クアッフルまで持っていないのはどうしてなのかと質問を飛ばすと、ジニーはぷんすか怒りながら練習している生徒たちを睨み始めた。

 

「私物のボールまで無くなってたのよ。誰かが勝手に使ってるに違いないわ。絶対に見つけ出して説教してやるんだから。」

 

「えっと、多分備品と間違えて持っていっちゃったんだと思います。用具置き場は空っぽになってました。」

 

アレシアがおずおずと寄越してきた補足を受けて、ジニー以外の全員が苦い笑みを浮かべる。なるほどな。今までは代表チームの連中しか使わなかったから私物と備品の見分けが付いたが、一般の生徒から見ればそうもいかないわけか。

 

「公開試験までは寮で保管した方が良さそうだね。」

 

ハリーの尤もな発言に揃って首肯したところで、鋭い眼光のジニーが箒に跨って飛び立った。どうやら『無自覚ボール泥棒』を見つけたらしい。

 

「ハリー、怒れるジニーをフォローしてやってくれよ。私たちは先にハグリッドのところに行っとくからさ。あのままだとトラブルになりかねんぞ。」

 

「……僕が?」

 

「当たり前だろ、彼氏なんだから。」

 

適当な台詞で問題をぶん投げた後、箒に乗ってハグリッドが二本目のゴールポストを地面にぶっ刺してる方へと地面を蹴る。とにかく練習だ。午前中でこの賑わいっぷりということは、午後は更に混むだろう。貴重な時間を無駄にしないようにしなくては。

 

情けない表情のハリーが一人取り残されるのを尻目に、霧雨魔理沙は頰をパチリと叩いて気合を入れ直すのだった。

 

 

─────

 

 

「うあぁ、可愛いです。やっぱり小さなアリスちゃんは良いですねぇ。昔を思い出しますよ。」

 

むう、そういうものなのか? 吐息を漏らして大絶賛してくるエマさんへと、アリス・マーガトロイドは自分の身体をチェックしながら返事を返していた。低くなった視界、真っ平らな胸、そしてエマさんの反応からするに、子供の姿になるための魔法薬の調合は完璧だったらしい。

 

「まあその、確かに懐かしい気持ちになります。……こんなに背が低かったんですね、私って。」

 

先日遂に姿を偽るための魔法薬を完成させた私は、いざ若返らんとそれを飲んでみたわけだが……想像していた以上に不思議な気分だな。さっきまで見下ろしていたリビングのテーブルが、今は目線と同じ高さにある。本当に昔の実家に戻ってきたみたいだ。

 

しかし、服は予め脱いでおくべきだったかもしれない。小さくなった所為でぶかぶかの服から抜け出そうとしている私のことを、急にエマさんがひょいと持ち上げてきた。

 

「はーい、お姉ちゃんに任せてくださいね。お着替えしましょう。」

 

「……エマさん? 一応言っておきますけど、精神的には何一つ変わってないんですからね? 大人の私のままです。」

 

「そんなこと言ったって、可愛いものは可愛いんだから仕方がないじゃないですか。お嬢様が見たら大喜びしますよ。今のアリスちゃんなら背丈がお嬢様より低いですからね。」

 

「ちょちょ、エマさん! 服は自分で着れますって。私が本当にこの歳だった頃も自分でやってたじゃないですか!」

 

赤ちゃんじゃないんだぞ。流れるような動作で服を着せてこようとする『世話焼きお姉さん』に、慌てて注意を送って自力で着替えていく。そんな私のことを至極残念そうに見守りつつ、エマさんは頰に手を当ててポツリと呟いた。

 

「私が初めてアリスちゃんと会った時より少し幼いですし、あの頃に出来なかったからこそ今やりたいんじゃないですか。……髪も伸ばすんですよね?」

 

「ええ、そっちの魔法薬も今飲みます。」

 

よしよし、ぴったりだ。私がこの家に居た頃に使っていた服に着替え終え、続けて小瓶に入った深緑色の魔法薬を飲み干すと……おおう、頭がムズムズするぞ。むず痒いような感覚と共に、肩の少し上までだった金髪がぐんぐん伸び始める。

 

「おー、面白いですね。早送りしてるみたいです。」

 

「髪を伸ばす魔法薬は既存の物もいくつかありますし、特に珍しくはないんですけどね。」

 

ふむ? 順調なのは結構だが、伸びすぎじゃないか? 後ろ髪が床に付き、前髪も膝下まで到達したところで、ようやく髪の成長が停止した。視界が金髪のカーテンに遮られちゃってるぞ。

 

「……ただまあ、これはちょっと伸びすぎましたね。効果が強すぎたみたいです。」

 

材料の分量を誤ったかな? パチュリーに知られたら叱られちゃいそうだ。大量の髪の毛で息苦しくなるという人生初の体験をしている私に、エマさんが苦笑いで応じてくる。これだと幾ら何でも長すぎるし、バッサリ切らないとダメだろう。

 

「うーん、そういう妖怪みたいな見た目になっちゃってますよ。切りましょうか?」

 

「お願いします。」

 

「じゃあ、座って待っててください。ハサミと櫛を取ってきますから。」

 

パタパタと道具を取りに行ったエマさんを見送って、椅子に腰掛け……いったいな。足で髪を踏ん付けてしまった。グイと引かれた頭を摩りつつ、髪を踏まないように気を付けて慎重に椅子に移動する。

 

うーむ、新鮮だ。人生で一番髪を長くした時期でも肩の少し下くらいまでだったので、ここまで長いと何もかもがぎこちないぞ。頭の重さに辟易しつつ、机の上にあった手鏡で自分の姿を確認していると、散髪道具一式を持ったエマさんが戻ってくるのが肩越しに映った。

 

「梳きバサミも持ってきました。ちょっと梳かないと重い感じになっちゃいますしね。」

 

「変な気分ですよ、本当に。とりあえずこの辺でばっさり切ってくれますか?」

 

「勿体無い気もしますけど……まあ、長すぎても仕方ないですもんね。いきますよ?」

 

『シャキシャキ』というよりも、『ジョキジョキ』という感じで大量の髪を切っていくエマさんに、自分でも前髪を切りながら話しかける。切った髪は人形作りに使おう。自分の髪を使うのは何となく気後れするが、ただ捨てるよりはマシだろうし。髪は買うと結構高いのだ。

 

「とにかく、これである程度自由に動けますね。私の学生時代を知ってる人なんて今はもういい歳ですし、まさかこの姿を見て『アリス・マーガトロイド』だとは思わないはずです。」

 

「面影は全然ありますけど、人間界じゃ若返るのは珍しいことみたいですしね。もし身分を聞かれたら何て答えるんですか?」

 

「んー、悩みますね。簡単には調べられないような立場がベストなんですけど……バートリ家の縁者ってことにしましょうか。親戚的な。」

 

バートリ家の家系なんて魔法界の人間には辿りようがないだろうし、適当にそんな感じで問題ないだろう。軽く放った提案に対して、エマさんはクスクス微笑みながら頷いてきた。

 

「じゃあ、私とも遠い親戚ってことになりますね。名前はどうします? アリスって名前は目立たないのでそのままでも大丈夫かもしれませんけど。」

 

「そもそも名乗ることがあるか分かりませんし、必要になればその場で適当な偽名を考えるつもりだったんですけど……決めておいた方がいいですかね?」

 

「念には念を入れておきましょうよ。姓はカトリンでどうですか? 姓じゃなくて名前みたいな響きですけど、私の家名なんです。」

 

「……初めて知りました。」

 

エマさんがバートリ家に入った経緯は掻い摘んで聞いていたが、実家の名前は今の今まで知らなかったのだ。実家に居た頃はあまり良い待遇ではなかったようだし、わざわざ問うべきことではないと思っていたのだが……。

 

ちょびっとだけ心配している私へと、エマさんは懐かしむような声色で話を続ける。

 

「だから私は一応『エマ・カトリン』なんですよ? 本筋は百五十年くらい前に断絶しているので、実はカトリン家最後の吸血鬼なのかもしれません。ハーフですけど。」

 

「そうだったんですか。」

 

「まあ、私は家を棄てた身ですから。どちらかを選べと言われれば迷わずバートリを選びますし、カトリンと名乗ることももう無いと思います。……というわけで、偽名として有効活用しちゃってください。そこまで調べられるとは思えませんけど、実際にバートリ家の親戚なわけですしね。真実味はあるんじゃないでしょうか?」

 

「カトリン家、ですか。……他にも吸血鬼の家は沢山あったんですよね?」

 

バートリ、スカーレット、カトリン。リーゼ様が気紛れに語る昔話によれば『社交界』が成立する程度の規模はあったようだし、他にもいくつかの家は存在していたはずだ。私が好奇心から口にした問いに、エマさんは淀みなくハサミを動かしながら答えてきた。

 

「私が知る限りでは二十家くらいですね。分家を作っているところも沢山ありましたから、姓が被っている家も多かったですけど……古い直系の家は八か九家だったと思います。」

 

「今はもう断絶しちゃったんでしょうか?」

 

「イギリスはバートリとスカーレットだけですけど、大陸にはまだ存在しているはずですよ。……ああでも、フランスはちょっと怪しいですね。ドイツに一つと、イタリアに一つ。可能性が高そうなのはそのくらいです。」

 

どちらもあまり馴染みがない国だな。やっぱり『吸血鬼らしい吸血鬼』なんだろうかと考えていると、毛先を整え始めたエマさんが吸血鬼についての話題を締めてくる。

 

「まあでも、関わることはないと思います。イタリアの方はスカーレットと犬猿の仲……というか、向こうが勝手にライバル視していたので関係が薄いですし、ドイツの家はバートリ家に苦手意識を持っていましたから。アンネリーゼお嬢様が大昔に向こうのお嬢様を『イジめて』たんですよ。なので進んで接触してはこないでしょうね。」

 

「……リーゼ様って昔からあんな感じだったんですか?」

 

「んー、そうですねぇ……今とそこまで変わってないんじゃないでしょうか。要領がいいと言うか、悪知恵が働くというか。一番最初に悪戯を始めて、これまた一番最初に『とんずら』するタイプでしたよ。大抵の場合、レミリアお嬢様が逃げ遅れて叱られてました。」

 

うーん、想像に易いな。子供版リーゼ様の悪行を想像している私に、エマさんが何かを思い出しているような口調で言葉を繋げた。

 

「でもまあ、ツェツィーリア様にはバレちゃってましたけどね。当時の私はまだ見習いメイドで、ツェツィーリア様に付いていたメイドの補佐をしてたんですけど、あの方だけがアンネリーゼお嬢様の悪戯を的確に『成敗』できる唯一の存在でした。」

 

ツェツィーリア様……昔フランから聞いたことがある、リーゼ様のお母様の名前だ。興味を惹かれて追加の質問を送ろうとしたところで、エマさんが櫛で切った髪を落とし始める。もう切り終わったらしい。早業だな。

 

「はい、終わりです。中々良い感じに出来たんじゃないでしょうか。」

 

「ありがとうございます。……おー、『髪が長い昔の私』になりました。違和感が凄いですね。」

 

あの頃の私が髪を伸ばしていたらこうなっていたわけか。不思議な気分で手鏡を見つめる私へと、エマさんがぱしぱしと私の服を払いながら口を開く。

 

「慣れないからそう思うだけで、長い髪もよく似合ってますよ。……少しだけ動かないで待っててくださいね。今切った髪を片付けますから。箒を取ってきます。」

 

そう言って遠ざかっていくエマさんの足音を聞きつつ、鏡の中の自分と目を合わせる。……思えばヘンな人生だな。大人になって、少しだけ若返ってから五十年ほど過ごした後、また子供に戻ったわけか。騒動が落ち着いた後は元の姿に戻るつもりだし、我ながら奇妙な変遷を辿っているもんだ。

 

まあ、今更か。人外の生は小説よりも奇なりと納得しつつ、アリス・マーガトロイドは小さな手で自分の髪を弄るのだった。

 



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エリートふくろう

 

 

「えー……であるからして、十七世紀こそが変身術が最も進歩した時代だと言われているわけですな。この時期に改良された呪文こそが現在使われている呪文の原形であり、その当時と大きく変わっていないことから、この時代の変身術を理解することこそが……あー、重要なわけです。」

 

お前の授業こそが呪文だぞ。変身術の歴史を語るチェストボーンの単調な声を聞き流しつつ、アンネリーゼ・バートリはこの授業を『永続自主休講』しようかと本気で悩んでいた。ハーマイオニー以外の生徒たちは『催眠術』にやられているか、あるいは諦めてこっそり自習に励んでいるようだ。ちなみにハリーとロンは前者なようで、私の前の席でこっくりこっくり船を漕いでいる。

 

つまるところ、アピスにアホみたいな金額を払って新大陸での調査を依頼した翌々日、七年生の変身術の授業を受けている真っ最中なのだ。さすがに七年生ともなると授業の選択にもバラつきが出てくるようで、この授業は大きめの教室で四寮合同なのだが……まあうん、レイブンクロー生ですら眠そうにしているのが全てを物語っているな。マクゴナガルは変身術の後任の選択を失敗したらしい。理事会あたりから経歴だけでゴリ押されたか?

 

早い話、チェストボーンの授業は『講義形式』なのだ。分かり易くも分かり難くもない無難な話を延々聞かされるだけで、未だ杖を使う様子は一切無し。比較的実践的だったマクゴナガルや、生徒を飽きさせまいと趣向を凝らしていたアリスの授業に慣れていたホグワーツ生にとっては、とてもとても眠くなってしまう内容なのである。

 

悪くも良くもない平々凡々な授業に鼻を鳴らす私へと、右隣のハーマイオニーが小声で話しかけてきた。

 

「そういえば、昨日私も北アメリカの魔法界についてを調べておいたわ。いまいち事情が把握できないけど、マーガトロイド先生の冤罪を晴らすためには重要なんでしょう?」

 

「おや、頼りになるじゃないか。新大陸の事情はさっぱりだから、後で教えてくれると助かるよ。……ただし、試験勉強を優先してもらって構わないからね?」

 

「あら、全然平気よ。むしろ魔法史の勉強になったくらいだわ。……それに、リーゼの手助けを出来るっていうのは新鮮で楽しいの。今まではずっと頼りっきりだったわけでしょう?」

 

「んふふ、頼り甲斐がある大人に成長してくれて嬉しいよ。今のキミは寄りかかったら潰れちゃいそうな小さな栗毛ちゃんじゃないわけだ。」

 

クスクス微笑みながら言ってやれば、ハーマイオニーも笑みを浮かべて応じてくる。女の子というか、今や『女性』の見た目だもんな。

 

「そうね、もう立派な成人よ。だからどんどん寄りかかって頂戴。……スイスでは成果があったの? 知り合いに何かを聞きに行ったんでしょう?」

 

「探偵みたいな仕事をしているヤツに新大陸での情報収集を頼みに行ったんだよ。成果が出るまでは少しかかるって言ってたから、暫くはその報告待ちかな。」

 

「んー、膠着状態ね。昨日の予言者新聞に載ってたんだけど、マクーザの捜査官も派手に動くのをやめたみたい。ダイアゴン横丁での聞き込みとか、ポスターを貼ったりとか、そういうのは諦めたんですって。」

 

「宜なるかなってとこだね。あれだけ露骨に拒絶されればどうしようもないだろうさ。しぶとくイギリスに残ってるのが意外なくらいだよ。」

 

そろそろ胃に穴が空くんじゃないか? 苦労人の国際保安局次局長どののことを思い浮かべながら返した私に、羊皮紙にメモを取っているハーマイオニーがこくりと頷く。一応授業も聞いてはいるのか。器用だな。

 

「予想を上回る『非協力っぷり』だったんでしょうね。……でも、ちょっと不気味じゃない? これだけの騒ぎを起こしたんだから向こうだって引くに引けないはずよ。何か企んでいるのかもしれないわ。」

 

「間違いなく二の矢は継いでくるだろうね。それが何なのかも大体予想は付いてるわけだが……ま、後手で対応可能だよ。心配ないさ。」

 

「それならいいんだけど。……そもそも、どうしてマーガトロイド先生に拘るのかしら? やっぱりスカーレットさんの影響力を崩すため?」

 

「さてね。何にせよ噛み付いてくるならぶん殴るだけさ。正当防衛ってやつだよ。」

 

実際は例の魔女の意思が半分以上を占めているのだろうが、それを知っているのは人形店の住人だけだ。……まあ、それもある意味では予想に過ぎないわけだが。アリスが主目的で魔法界の混乱は単なる手段なのか、あるいは本気で魔法界にも何か仕掛けようとしているのか。

 

とにかくアピスの調査結果待ちだな。仮面を引っぺがして素顔を拝めば、考えていることもいくらか判明するだろう。結局のところヤツが厄介なのは『よく分からない』からであって、人形の奥から引き摺り出しさえすれば敵ではないはずだ。

 

窓の外を飛ぶ頭の悪そうな羽毛派を横目に黙考していると、チェストボーンが壁の時計を見ながら授業の終わりを宣言した。不思議なもので、講義の内容は頭に入らなくてもその言葉だけは耳に届くらしい。うとうとしていた生徒たちはハッと顔を上げて我先にと荷物を片付け始める。

 

「では、えー……今日はここまで。次の授業では近代の変身術に入りますから、可能なら予習をしておくように。教科書の五十二ページから六十三ページのあたりです。」

 

「終わったか。……うん、宿題を全然出さないのは評価できるな。呪文学なんか絶対に終わらない量を出してきたし。」

 

催眠状態から復帰して意気揚々と席を立ったロンへと、ハーマイオニーがジト目で苦言を送った。彼女はそれを評価できる点だとは思っていないらしい。

 

「宿題は生徒の理解度を確かめるための手段よ。それを出さないってことは、確認するつもりがないってことでしょ。だから本当に生徒を思っているのはフリットウィック先生の方なの。」

 

「羊皮紙三巻きのレポートを要求してくるのにか?」

 

「そのレポートを人数分チェックして採点する苦労を考えてごらんなさい。チェストボーン先生はそれが面倒くさいのかもしれないけど、フリットウィック先生はやってくださるのよ。感謝して然るべきだわ。」

 

「……そうかもしれないけどさ、三巻きだぞ? 三巻き。たった一週間で三巻きだ。」

 

しつこく愚痴るロンに、ハーマイオニーはツンと素っ気無く応じながら教室の出口へと歩き出す。

 

「レポートの内容を考えれば適正な量よ。私は五巻き書くつもりだしね。」

 

「……普通の人間からすれば多いんだよ。つまり、勉強が好きじゃないまともな人間からすれば。」

 

「だったら早くイカれた人間になりなさい。いつまでも『まとも』でいると闇祓いになれないわよ。」

 

食い下がるロンをばっさり切り捨てたハーマイオニーの背を追って、ハリーと一緒に廊下に出てみると……ありゃ、大賑わいだな。小走りで移動している生徒がやけに目立つぞ。疑問に思いつつ廊下の喧騒を眺める私に、苦笑いのハリーが理由を教えてくれた。

 

「競技場の場所取りだよ。早く行かないと練習スペースが埋まっちゃうから、昼休みの前はみんな急ぐんだ。」

 

「ふぅん? キミたちはいいのかい?」

 

「今日はスリザリンが場所取りの当番だからね。僕たちは大広間でサンドイッチなんかを仕入れてから行くんだ。」

 

「スリザリン?」

 

どういう意味だ? いきなり飛び出してきた蛇寮の名前を聞き返してみると、ハリーはきょとんとした顔で返事を寄越してくる。

 

「言ってなかったっけ? グリフィンドールチームはスリザリンチームと合同で練習することになったんだよ。」

 

「それはまた、意味不明な組み合わせだね。何がどうなったらそうなるんだい?」

 

「レイブンクローとハッフルパフのチームが『同盟』を結んじゃったから、お互い選択肢がなかったんだよ。人数が多いとこんな風に役割分担できるしね。まあその……背に腹はかえられない、ってやつかな。代表選手になりたいのはみんな同じだし、練習できなくなるよりはマシってわけ。」

 

「凄まじいね。獅子と蛇の確執もクィディッチの前では無力なわけか。……シーカーの枠は取れそうかい?」

 

箒を片手に走っていくハッフルパフ生を避けながら問いかけてみれば、ハリーは肩を竦めて曖昧な返答を飛ばしてきた。そして哀れなハッフルパフ生は曲がり角で待ち構えていたフィルチに捕まってしまったようだ。校内への箒の持ち込みで連行ってとこか。急がば回れ、だな。

 

「取れるかは分からないけど、努力はするよ。卒業の年にホグワーツ全体の代表として優勝できれば文句なしだからね。ついでにストレートで闇祓いになれれば最高かな。」

 

「んふふ、欲張りさんだね。悪くないと思うよ。キミがスニッチを捕って優勝を決める瞬間は私も見てみたいさ。」

 

「なら、見せられるように頑張るよ。そのためにも先ずは公開試験で……あれ、ジニーだ。どうしたんだろう?」

 

話の途中で玄関ホールを見ながら呟いたハリーに釣られて、私もそちらに視線を送ってみると……確かにジニーだ。こちらに向かってパタパタと小走りで駆けてきたジニーは、私の目の前で急ブレーキをかける。

 

「アンネリーゼ、これ。貴女によ。」

 

私に? そう言って赤毛の末妹どのが両手で差し出してきたのは、ねずみ色の羽毛のぶっさいくなふくろうだ。何故かジニーの手を突っつきまくっているそいつを指差して、首を傾げながら質問を放つ。

 

「ふくろうの派遣を頼んだ覚えはないんだけどね。こいつは何だってキミの指を食おうとしてるんだい?」

 

「魔法省からの手紙を持ってるのよ。大広間に飛び込んできたから、私が手紙を預かっておこうとしたんだけど……『強奪』されるんじゃないかって勘違いしちゃったみたい。魔法省のエリートふくろうだけあって使命感が強いらしいの。」

 

「それはそれは、災難だったね。」

 

ジニーからもこもこの灰色羽毛饅頭を受け取ってやれば、エリート羽毛派は手紙が付いている方の足をグイと突き出してきた。手紙を取って裏を見てみると……おっと、大臣どのからの手紙らしい。『アメリア・ボーンズ』という署名が書かれている。

 

「ふむ、ボーンズからみたいだ。」

 

『公文書伝達』の役目を果たしてどんなもんだいと胸を張った灰色饅頭が、ジニーの方をギロリと睨んでから飛び去っていくのを横目に手紙を読んでいると、至極微妙な表情になっている『強奪犯』どのが口を開く。

 

「なるほどね、魔法大臣のふくろうならあの抵抗っぷりも納得よ。イギリス一の伝書ふくろうってことでしょ? ふてぶてしさもイギリス一だったしね。」

 

「イギリス一にしてはちょっとぶさいくだったけどな。……何が書いてあるんだ? リーゼ。」

 

「覗き込んじゃダメよ、ロン。貴方が授業中にシェーマスに送ってる手紙なんかとはレベルが違うんだから。一国の代表からのお手紙だなんて、そうそう見られる物じゃないのよ?」

 

「僕たちにとってはそうかもだけど、リーゼにとっては今更だろ。スカーレットさんなんかは何百通と受け取ってただろうし。」

 

ハーマイオニーとロンの会話を尻目に、便箋に並ぶ非の打ち所がない筆跡を辿っていくと……ふぅん? どうやらホームズが何か仕掛けてきたようだ。話をしたいので魔法省に来ていただけますかと書いてある。

 

「残念ながら、本題については書いてないね。アリスの件で大臣室への呼び出しを食らっちゃったよ。」

 

「今から行くの?」

 

「そうしておいた方が良さそうかな。校長室に行ってくるよ。煙突飛行が出来るのはあの部屋だけだしね。」

 

ハリーの問いに答えた後、心配そうな顔の面々に手を振ってから校長室へと方向を変えて歩き出す。まあ、動くタイミングとしてはおかしくないな。時間はこっちに利するわけだし、このまま膠着状態が続くのはホームズの望むところではないだろう。

 

うーん、いっそのことアリス本人も呼んでみようかな。姿を偽る魔法薬はもう飲んでいるはずだ。ボーンズだったら変装のことを伝えても問題ないだろうし、張本人たるアリスが一緒の方が話が早いかもしれない。……それにまあ、小さくなったアリスのことを早く見たいし。

 

良い考えだと一人でうんうん頷きつつ、アンネリーゼ・バートリは生徒たちの流れに逆らって廊下を進むのだった。

 



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敵の敵

 

 

「これは……驚きました。一体全体どんな魔法を使ったのですか?」

 

控え目だが格式あるシャンデリアに照らされた魔法大臣室。イギリス魔法界の頂点に相応しい内装のその部屋の中で、アリス・マーガトロイドはアメリアの問いに苦笑を浮かべていた。道中の反応と合わせて考えると、この姿は立派に変装として機能しているようだ。

 

リーゼ様から『大臣室で作戦会議をする』という連絡を受け取った後、人形店から魔法省に移動してここまで堂々と歩いてきたわけだが……うーむ、自分で思っていたよりも気付かれなかったな。『どうして子供が一人で?』という視線は何度か受けたものの、結局アリス・マーガトロイドとして声をかけられたことは一度もなかったし、魔法界の住人たちに若返りに対しての免疫がないのは間違いないらしい。

 

ちなみにエレベーターでマクーザの捜査官らしき男性と一緒になったが、そちらからも怪しまれはしなかった。というか、その眼鏡の男性の方が遥かに怪しかったくらいだ。何故かピカピカ光る緑色のスーツを着ており、非常に怒っている様子で羊皮紙をムシャムシャ食べている鶏を抱えていたわけだが……あれは本当にマクーザの捜査官だったんだろうか? だとすれば何がどうなってああいう状況になったのかが物凄く気になるぞ。

 

心の中の疑問を仕舞い込みつつ、アメリアに向かってぼんやりとした返事を返す。困った時はこの台詞を口にすれば大体解決するはずだ。

 

「パチュリーが作った魔法薬を使ったのよ。」

 

「なるほど、ノーレッジさんですか。あの方が作った魔法薬なら納得です。」

 

ほら、こうなった。『パチュリーならやってのける』という旧騎士団員の共通認識に感謝しながら、黒革のソファに腰掛けると……とんでもなくご機嫌な顔のリーゼ様がすぐ近くに腰を下ろす。彼女は今の私の姿をいたく気に入っているようで、部屋に入った瞬間からあれこれ世話を焼いてくれるのだ。もちろん嬉しいが、同時に複雑な気分にもなるな。大人版の私はダメなのだろうか?

 

「ボーンズ、アリスに飲み物を用意してくれたまえ。……何が飲みたい? 何でも言ってごらん。」

 

「あの、リーゼ様。姿はこうなってますけど、精神的には変わってないんですからね?」

 

「そんなことは当然分かってるさ。……オレンジジュースかい? それともリンゴ? 何でも良いぞ。」

 

「……紅茶でいいです。」

 

分かってないな。エマさんと全く同じ反応にジト目を向けていると、部屋の隅でニヤニヤしていた長身の男が口を開いた。元闇祓い副長のアルフレッド・オグデンだ。その隣のスクリムジョールが同席しているのは理解できるが、こいつがこの場に居るのはちょっと謎だぞ。

 

「いや、確かに凄いですね。その魔法薬、僕にも少し分けてくれませんか? 二十代とは言いませんから、せめて三十代の若かりし頃に戻ってみたいんですが。」

 

「ダメよ、もう無いから。……そもそもどうして貴方がここに居るの? アズカバンの監獄長になったのは知ってるけど、ホームズの問題にも協力してくれるってこと?」

 

「ええ、日々の業務が退屈なので首を突っ込んでみようかと思いまして。頼もしいでしょう?」

 

「頼もしいのと厄介なのが半々くらいね。……コンラッドにはもう会ったの? 彼、神秘部で頑張って働いてるみたいよ。」

 

息子の名前を出してやれば、オグデンは途端に苦い顔になって曖昧な返答を寄越してくる。離婚当時は会わせてももらえなかったらしいが、今はさすがにそんなことはないはずだ。コンラッドだって立派に成人しているわけだし。

 

「……まだ会っていませんよ。向こうは無責任な父親なんかに会いたくないでしょうしね。」

 

「呆れた。……意地を張ってないで会ってきなさい。貴方の元奥さんがどう思っているにせよ、コンラッドの方は別に嫌ってるわけじゃないんだから。今は同じ魔法省で働いているんだし、会わない方がよっぽど不自然でしょう?」

 

「しかしですね、マーガトロイドさん。僕はもう何年も顔を合わせていないんですよ? だからつまり、気まずいじゃないですか。何と声をかければいいのか分かりません。」

 

「『元気でやってるか』とか、『立派になってくれて嬉しい』とかでいいの。コンラッドは内気なタイプだから、貴方の方から話しかけないと始まらないでしょうが。いつもの減らず口はどうしたのよ。こういう時こそ有効活用しなさい。」

 

この男は本当に世話が焼けるな。額を押さえながらアドバイスしてやると、オグデンは目を逸らして小さく頷いてきた。

 

「……分かりました、今度会いに行きますよ。」

 

「今度じゃなくて、ここでの会話が終わったらすぐ行きなさい。他人の子育てに口を出すつもりはないけど、このままじゃコンラッドがあまりに可哀想よ。父親が監獄長になったことは当然知ってるでしょうし、その上で顔を出しに来ないとなると嫌われてるんじゃないかと思っちゃうでしょう? だから今日中に行くの。いいわね?」

 

「分かりましたって。……参りましたね、子供の姿でも貴女は貴女のままだ。二十年前に戻った気分になりますよ。」

 

「貴方も二十年前のまま、大人になりきれない大人みたいね。別にそれが悪いとは思わないけど、せめて息子の前でだけは立派な父親でありなさい。貴方だって実の息子には尊敬されたいでしょう? コンラッドの方も尊敬できる父親であって欲しいでしょうしね。能力的には文句なしなんだから、カッコいいところを見せてあげなさいよ。」

 

パチリと現れたしもべ妖精が人数分の紅茶を用意するのを横目に言ってやれば、オグデンは被っていたテンガロンハットを弄りながら肩を竦めてくる。

 

「……頑張ってはみますよ。コンラッドが捻くれて僕みたいになったら悲劇ですしね。」

 

「心配しなくてもあの子は真面目な良い子に育ってるわ。今は規制管理部と合同でやってる魔法生物の研究プロジェクトに参加してるみたいよ。あの若さで抜擢されるってことは、きっと能力的にも評価されているんでしょう。」

 

「それはそれは、鼻が高いですね。反面教師になれたようでなによりです。」

 

皮肉げな台詞とは裏腹に、オグデンにしては珍しい素直な笑顔を目にして、アメリアが微妙な表情で声を上げた。

 

「……オグデンさんでもそんな態度になる時があるんですね。」

 

「大臣、僕を何だと思っているんですか? 僕にだって頭が上がらない相手は居ますよ。……まあ、この話は終わりにしましょう。今重要なのは北アメリカの勘違い野郎が動きを見せたことです。ルーファスからは大昔の事件を掘り返してきたと聞いていますが、僕が『国際お間抜け保安官』たちから聞き出した情報にあったやつですよね?」

 

「そうですね、本題に入りましょう。……今日の朝にフォーリー議長が連盟内での動きを察知して、それを私に報告してくれました。どうやらアルバート・ホームズが五十年ほど前にフランスで起きた誘拐事件の犯人として、マーガトロイドさんの存在を槍玉に挙げてきたようです。こちらがフォーリー議長が協力者経由で入手した報告書の写しとなります。」

 

言いながらアメリアが差し出してきた書類には……うーん、なるほどな。五十年前の事件の『不審な点』が列挙されているようだ。確かにあの事件はレミリアさんが強引に働きかけた所為で、『人外視点』抜きだと謎が残る結果になっている。半世紀の時を経てそこを突かれたらしい。

 

真犯人に犯人扱いされるという迷惑な状況に辟易する私へと、部屋の隅の壁に寄りかかっているスクリムジョールが話しかけてきた。

 

「正直なところ、1949年に起きた『パリ連続少女誘拐事件』に関する情報はイギリス魔法省に殆ど残っていません。当時は大戦が終わった直後というだけあって、大陸側の問題とは距離を置いていましたから。なので明確な反論を行うことが出来ず、連盟内での論争はやや不利な状況になっているそうです。……事件の顚末を詳しく教えていただけませんか?」

 

「ええ、教えるわ。といっても、私の視点でも明確に解決したわけじゃないのよね。捜査の途中でレミリアさんが私を気遣って色々と手配してくれたから、その辺の事情が抜け落ちていると不審に見えちゃうんじゃないかしら。」

 

前提として断った上で、アメリア、スクリムジョール、オグデンの三人に五十年前の事件の『表向き』の経緯を語る。リーゼ様は私に説明を任せるつもりらしく、しもべ妖精を呼びつけて昼食を頼み始めた。ホグワーツで食べてこなかったらしい。

 

ビスクドールが送られてきたこと、闇祓いの警護が付いたこと、バルト隊長やクロードさんのこと、グラン・ギニョール劇場での戦いのこと、テッサが巻き込まれたこと、『レミリアさんの私兵』が人質を救い出したこと。リーゼ様がステーキを半分平らげたところで掻い摘んだ説明を終えた私に、先ずはオグデンが半笑いで感想を述べてくる。

 

「いやはや、自分の人生がいかに平凡なものなのかを実感しましたよ。貴女とヴェイユ先生が魔法戦争のずっと昔にそんな事件に巻き込まれていたとは知りませんでした。」

 

「そうですな、驚きです。……ということは、フランス闇祓い隊には詳しい情報が残っていると?」

 

「詳しいかどうかはともかくとして、『犯人未逮捕の未解決事件』として残っているはずよ。」

 

「では、デュヴァル隊長に確認の連絡を送ってきます。フォーリー議長にも報告を回しておきましょう。連盟内の協力者はとにかく反論の材料を欲しているでしょうから。」

 

私の返事を受けてキビキビとした動作で部屋を出て行くスクリムジョールの背を見送りながら、今度はアメリアが難しい顔で意見を口にした。

 

「ポール・バルト元闇祓い隊隊長が関わっていたというのも気になりますね。その方はホームズの自宅に侵入して亡くなった被疑者だったはずです。……マーガトロイドさんの騒動で有耶無耶になってしまったようですが。」

 

「ホームズの知り合いがこの事件の犯人で、バルト元隊長はそのことを追及しに行って返り討ちに遭い、それをもみ消すためにマーガトロイドさんを犯人に仕立て上げようとしているとか? ……んー、ちょっと飛躍しすぎですかね? ホームズの後ろ盾の『ご老人』の誰かが犯人だとすれば有り得なくもないように思えますけど。政治家にとって後ろ盾の失脚はそのまま自分の失脚に繋がりますから、多少強引な手を使うのも理解できますよ。」

 

闇祓いの顔に戻っているオグデンの推理を聞いて、リーゼ様が無言で『やるじゃないか』という笑みを浮かべる。正解に近い答えだと判断したのだろう。もみ消すためではなく私の身柄そのものが狙いで、後ろ盾の老人ではなく操り手の魔女が犯人なわけだが、大まかな流れとしては私の予想とも重なっているな。

 

相変わらずの勘の良さに感心する私を他所に、立ち上がったアメリアが部屋を歩きながら状況を整理し始めた。

 

「だとすれば、想像以上に複雑な状況になりますね。整理しましょう。ホームズの狙いは五十年前と去年の二つの誘拐殺人の揉み消しと、もしかすればスカーレット女史の影響力を削り取ること。彼が尽力するに足る位置に居る人間が真犯人であり、マーガトロイドさんは五十年前の事件に関わっていて、かつスカーレット女史の関係者だから標的にされた。そういうことですね?」

 

「僕としては面白いストーリーだと思いますが、全てが単なる予想であることをお忘れなきように、大臣。その推理で行くと五十年前の事件を掘り起こすメリットがホームズ側にありませんし、現在の膠着状態を打破するために持ち出してきたのは明白です。ならば今回の動きは受動的な行いであって、本来の目的ではないはずでしょう? 僕はスカーレット女史への……延いてはマーガトロイドさんへの『攻撃』が主目的で、揉み消しの方は副次的な『オマケ』なんだと思いますけどね。」

 

「……先程と言っていることが違いますが?」

 

「視点を変えるのは重要ですから。可能性なんてそれこそ無限にあるんですし、一々拘泥していると痛い目に遭いますよ? ……ポール・バルトの動きこそが始まりなのか、あるいは偶々時期が重なっただけなのか。それが一つのヒントになりそうですね。バルトが地下深くに埋めたものを掘り出そうとした結果、ホームズはそれを隠すために別の場所に目を向けさせようとしているのかもしれません。」

 

そこは私たちにも分からない部分だな。魔女にはバルト隊長を人知れず始末することだって出来たはず。それなのにわざわざ事件にして、それを『開演の合図』として私たちに知らせてきた。……バルト隊長が辿り着いたからこそ始めたのか、あるいは始めようと思っていた時期と重なったから利用したのか。ホームズの顔をクロードさんそっくりにしていることといい、何かしらの意図を感じるぞ。

 

オグデンとは少し違った視点で黙考していると、ステーキを食べ終えたリーゼ様が満足そうに背凭れに身を預けながら口を開く。悪戯げな笑みを浮かべながらだ。

 

「キミたちはあれだね、考えすぎってやつだよ。ホームズの目的がどこにあるかとか、レミィの影響力云々なんてのは然程重要じゃないのさ。重要なのはこっちが殴られたってことと、どう殴り返せば相手により大きな痛みを与えられるかってことだろう?」

 

「僕好みの愉快な意見ですが、実際にどうしろと?」

 

「つまりだね、アリスの無実を証明しようとするのは守りの手でしかないってことだよ。そんなもんは下々の連中にやらせておきたまえ。事実としてアリスはやってないんだから、そこまで難しいことじゃないだろうさ。……私たちが打つべきは攻めの手だ。バカ正直に真正面から殴り合わず、卑怯な手段で背中から刺したまえよ。訳の分からん国際保安局とやらを潰せばホームズの動きは制限されるだろう? 国際保安局があるのはどこだい?」

 

「……マクーザを利用しろと?」

 

アイスブルーの瞳を真っ直ぐ向けながら聞くオグデンに、リーゼ様はやれやれと首を振って補足を飛ばした。

 

「自分たちの看板を掲げて大騒ぎされれば迷惑に思うヤツだって居るはずだ。そういうヤツを利用してホームズの背中を刺させればいいのさ。……ボーンズ、この前調べておくように言っておいた件はどうなったんだい? 誘拐事件の目撃者が居るらしいって話。」

 

「他国のことですので調査に手間取っていますが、マーガトロイドさんを目撃したという証言があったことは間違いないようです。……そういえば、オグデンさんからも同じことを調べるようにという依頼がありましたね。」

 

「確かに依頼しましたね。目撃者云々のことを国際保安局の若いのから聞き出しましたから。……僕はともかく、ミス・バートリはどこでそのことを知ったんですか? 生意気にも国際保安局は情報規制を敷いていたはずですが。」

 

「レミィがそうであるように、私も吸血鬼なのさ。吸血鬼は何でも知ってるんだ。知らなかったのかい?」

 

至極適当にオグデンへと嘯いたリーゼ様は、アメリアに視線を戻してニヤリと笑いながら提案を送る。

 

「こっちが派遣してる人間じゃなく、向こうの闇祓いに国際保安局の調査内容をチェックさせたまえよ。マクーザ内では国際保安局と闇祓い局が対立しているんだろう? 敵の敵は味方さ。冤罪の可能性が大だとか何だとか主張して、『より信頼できる実績ある機関』に調査して欲しいとかって煽てまくりたまえ。マクーザの方だってイギリスの抵抗っぷりは予想外だろうから、和解の逃げ道を示せば喜んで食い付いてくるはずだ。身内の失態は身内が解決する方が望ましいしね。」

 

「おや、悪くありませんね。確かにそろそろ弱気になってくる議員が出てきてもおかしくはないでしょう。北アメリカの闇祓いはプライドが高いですし、魔法戦争を通してスカーレット女史の存在の大きさも理解しているはずです。おまけに本音を言えば国際保安局の失態を望んでいる上、それを明らかにしたのが自分たちとなれば言い訳も出来る。……橋渡しは僕に任せていただけませんか? 現役の頃の知り合いに頼んでみましょう。順調に出世していればそれなりの重職に就いているはずですから。」

 

「……分かりました、オグデンさんにお任せしましょう。外部からは調べられないことでも、内部からなら見えてくるかもしれませんしね。」

 

うーん、実に攻撃的な手だな。向こうの闇祓い局と協力するということは、マクーザ内の権力闘争に間接的に介入するということを意味している。そうなると事態が更に複雑になるぞ。それを考慮してか難しい表情で許可を出したアメリアへと、リーゼ様は食後の紅茶を楽しみながら話を続けた。

 

「それに、そろそろ北の老人も動き始めるはずだ。そうすればマクーザは更に弱気になるだろうさ。……初動で仕留め切れなかったのがホームズの失敗だよ。様子見をしていた連中もこれでこっちに付くだろうし、あとはズルズル落ちていくだけじゃないかな。」

 

グリンデルバルドか。私以外の二人も誰のことを言っているかに気付いたようで、アメリアはどこか苦い顔を浮かべ、オグデンはただでさえ細い目を更に細めてリーゼ様を観察する。かなり興味深そうな表情だ。グリンデルバルドとの繋がりの詳細が気になるのだろう。

 

そんな視線に気付いているのかいないのか、リーゼ様はパンパンと手を叩いてしもべ妖精を呼び出しながら会話を締めた。

 

「とりあえずは難しいことを考えず、順当に詰めて行けばいいんだよ。後手の強みはそこにあるんだからね。そうすれば相手の方が勝手にボロを出すだろうさ。……やあ、しもべ。何かデザートを持ってきてくれたまえ。甘ったるいやつじゃなく、さっぱりしているやつをだ。果物系がいいな。」

 

「かしこまりました、お嬢様。」

 

慣れた様子で命じるリーゼ様と、これまた命じられることに慣れた感じのしもべ妖精。久々にお嬢様っぽい部分を見せているリーゼ様を横目に、紅茶を一口飲みながら思考を速める。

 

ホームズの方はやや動きが重くなってきたようだし、となると問題なのは魔女の方だな。グリンデルバルドが動くのが早いか、それともアピスさんからの調査報告が上がってくるのが早いか。それで対処の順番が変わりそうだ。

 

結局のところ自分だけでは何も出来ないことを悔しく思いつつ、アリス・マーガトロイドは小さな手でティーカップをソーサーに置くのだった。

 



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異変への道

 

 

「正直に言わせてもらえば、拍子抜けだわ。『隔離』された妖怪たちがまさかここまで腑抜けているとはね。私はてっきり人外同士で派閥争いを楽しんでいるんだと思ってたんだけど……何なの? この状況。意味不明よ。」

 

霧の湖が紅く染まる、夕暮れ時の幻想郷。紅魔館のリビングのソファに座って九尾狐に問いかけるお嬢様の後ろに立ちつつ、紅美鈴は全くだと大きな頷きを放っていた。私はもっと刺激的で波乱に満ちた生活を期待していたのだが、これなら魔法界の方がまだ張り合いがあったぞ。死喰い人は弱いけど、やる気だけはあったわけだし。

 

私たちが紅魔館と共に新たな土地に移り住んでから二ヶ月が経過した現在、ある程度館の内部が落ち着いたので幻想郷の調査に入ってみたところ、この土地がとんでもなく『平和』だということが明らかになったのである。さすがに人妖が仲良しこよしとはいかないものの、互いのテリトリーを明確にした状態で争いを避けているようなのだ。

 

原因はまあ、どちらかといえば妖怪の側にあるらしい。どうもこの土地の妖怪は兎にも角にもやる気がないようで、『人間が減りすぎると困るから』という理由でちょっかいをかけるのをやめているようだ。大妖怪や中級クラスの妖怪は人里に近付かず大人しくしていて、人間を襲おうとするのは本能に流されがちな低級妖怪くらいなんだとか。

 

別にそれが悪いこととは言わないが、何かこう……変だぞ。人間の恐怖を必要としている妖怪が人間を気遣って、結果として人間たちも余計な波風を立てないように『妖怪退治』を行わなくなる。ある種の『遠慮合戦』を思って腑に落ちない気分になっていると、九尾狐が妖術でこれ見よがしにお茶を出現させながら口を開いた。紅茶を出さなかったことを根に持っているらしい。

 

「不満か? ……ちなみに私は不満を持っているぞ。何故か客人たる私の分の茶が無いことに対してな。」

 

「あんたがアポイントメントも無しに押しかけてきて、挙句こっちでは貴重な紅茶を要求する図々しい狐だって事実はどうでも良いのよ。……まあそうね、不満だわ。八雲紫の目的が人妖の共存なのであれば、この状況で見事に成立してるじゃないの。私には立派に『共存』してるように見えるけど?」

 

「では聞くが、このまま年月が経てばどうなっていくと思う?」

 

「そんなの決まってるでしょ。人間の妖怪に対する恐怖が薄れていって、結果として恐怖を存在の拠り所とする妖怪がどんどん力を失っていき、だから人間は更に妖怪を恐れなくなる。その連鎖が延々続くだけよ。妖怪が消え失せるまでね。」

 

軽い口調で妖怪の衰退を予想したお嬢様へと、金髪九尾が鼻を鳴らして首肯を送る。大正解だったようだ。

 

「如何にも、その通りだ。付け加えれば、博麗大結界によって幻想郷が外界から隔離されていることもその連鎖に拍車を掛けている。断絶された外からの恐怖を受け入れられない以上、この土地の妖怪はこの土地の人間に影響され易くなるからな。外界で普通に『忘れ去られる』よりも遥かに早いスピードで事が進むだろう。」

 

「事が進むだろう、じゃないでしょうが。何をのんびり話してるのよ。八雲紫は解決しようとしていないの?」

 

「しているじゃないか。その手段がお前たち……つまり、『確固たる存在を持った外の妖怪』なわけだ。」

 

「……ふーん? 私たちが騒ぎを起こせばこの問題が解決するとでも?」

 

真紅の瞳を訝しむように細めたお嬢様に、九尾狐は冷静な表情でこくりと頷く。尤もらしい口調で語りながらだ。

 

「緩やかな衰退には得てして気付き難いものだ。気付いた時にはもう遅いというのが世の常だろう? だから、先ずは多少強引な手段で妖怪たちの目を覚まさせる。その後人間たちにも適当な刺激を与えて、なあなあの状態に終止符を打てば……まあ、少しは状況が改善するはずだ。人妖の両方に危機感を持たせることが重要なんだよ。」

 

「そこで颯爽とスペルカードルールが登場するってわけ? なんとも悪趣味な計画ね。……それで、その『茶番劇』の内容を知っているのは誰なのよ。まさか私たちだけってわけじゃないんでしょう?」

 

「各地の顔役には内々で了承を取り付けてある。山を縄張りにしている天狗の長、地底にある地獄の管理者、人里の指導者などにな。唯一冥界の裁定者は確たる答えを出してこなかったが……立場上賛成できないだけで、今回ばかりは黙認してくるはずだ。このまま幻想郷が『滅亡する』のはあの連中にとっても望むところではないだろう。」

 

「滅亡するのは妖怪であって、幻想郷そのものじゃないと思うけどね。人間からすればそっちの未来の方が幸せなんじゃない?」

 

まあうん、そうだろうな。妖怪は人間を必要としているが、人間としては妖怪なんて物騒な存在は居ない方が良いのだから。皮肉げな薄笑いで指摘したお嬢様へと、九尾狐は僅かに疲れを覗かせながら首を横に振る。

 

「紫様が妖怪の居ない幻想郷を許容すると思うか? あの方は目指すもののためなら何度だってやり直すはずだ。たとえ一旦全てを白紙に戻すことになってもな。」

 

「それはそれは、最低最悪の『創造主』も居たもんね。気に入らなきゃぶっ壊して創り直すってわけ? 外の狭量な神々の方がまだ可愛げがあるわよ。」

 

「あの方は出来るし、いざとなれば迷わずやるぞ。だからお前たちには頑張ってもらう必要があるんだ。……私たちだって長い年月をかけて創り上げた箱庭を『おじゃん』にしたくはない。叶うなら正常な状態に戻したいと思っているさ。」

 

「ふん、正常ね。それが誰にとっての『正常』なのかはさて置いて、八雲紫が『人間の楽園』も『妖怪の楽園』も望んでいない我が儘妖怪だってことは理解したわ。……つまるところ、私たちに妖怪向けと人間向けの二つの騒ぎを起こせって言ってるの?」

 

呆れたような声色のお嬢様の言葉を受けて、お茶を一口飲んだ九尾狐は肯定の返事を飛ばしてきた。うーん、面倒くさそうだな。話の流れはよく分からんが、一回より二回の方が面倒なのは間違いないはずだ。

 

「端的に言えばそうなるな。ただし、妖怪向けの方は現在お前たちがコソコソ動いているものを継続してもらえればそれで充分だ。ちょうど良いところで私たちが止めに入って、上手い具合に纏めてみせよう。」

 

「……ま、近所の木っ端どもを傘下に入れてるのには当然気付いてるわけね。端からこっそり動けるだなんて期待してなかったわよ。」

 

「当たり前だろう? 結界の中は紫様の世界であり、延いては私の管理する庭でもある。お前たちの動きなど逐一把握しているさ。」

 

「だけどね、八雲藍。私ったら他人の庭を荒らすことが大得意だし大好きなの。一応警告しておいてあげるわ。吸血鬼を自由にさせとくと痛い目に遭うわよ?」

 

平らな胸を張ってしたり顔を見せるお嬢様へと、金髪九尾はさして気にしていない様子でぞんざいに応じる。まだまだ余裕があるらしいな。お嬢様が起こす騒動を制御できるという余裕が。

 

「心配は無用だ。お前如きが紫様の上を行けるはずがないからな。新参妖怪の『格付け』をする良い機会にもなるし、どうせなら全力で騒いでみせろ。この騒動如何で幻想郷でのお前たちの立ち位置が決まるぞ。」

 

「いつまでそんな余裕を見せられるかしらね? ……とにかく、妖怪向けの騒ぎについては理解したわ。人間向けの方はどうなるの?」

 

「そちらに関しては私たちが用意した台本に従ってもらう。恐らくスペルカードルールを使った初の諍いになるはずだ。幻想郷内の全存在に、新たな決闘方法を印象付ける大きな諍いにな。」

 

「台本ねぇ? ……まあ、今は置いておきましょうか。後のことは後から考えればいいわ。お望み通り私は好きにやらせてもらうから、細かい調整はそっちで勝手にやりなさい。」

 

ひらひらと手を振りながら言い放ったお嬢様に、九尾狐はゆったりとした動作で席を立って応答した。ああもう、ソファに抜け毛が付いてるぞ。アホみたいな尻尾を引っさげてるからそうなるんだ。迷惑なヤツだな。

 

「言われずともやらせてもらうさ。……お前は外の恐怖を十二分に取り入れた、『健全な状態』の妖怪だ。そんなお前が派手に暴れれば暴れるほど、幻想郷の妖怪たちは嘗ての力を思い出し、また現在の衰退がどれほどのものかを自覚するだろう。だから精々頑張ってくれ。紫様の箱庭をより美しくするためにな。」

 

そう言って懐から取り出した呪符に狐火を灯した金髪九尾は、すぐ近くに開いたスキマの中へと消えて行く。謎の目玉が覗く薄気味悪い空間が閉じたのを確認して、お嬢様が大きく息を吐きながら額を押さえた。

 

「あー……もう、本当に面倒くさいわね。入り組みすぎよ、この土地は。イギリスの複雑さは私好みだったけど、幻想郷の複雑さはただただ鬱陶しいわ。」

 

「まあ、ちょっと分かります。八雲紫の目指す場所にいまいち納得できないから、それに付き合わされるのは疲れるってことでしょう?」

 

「あら、的確な表現ね。その通りよ。例えばグリンデルバルドの革命は私も納得できるものだったからやってて面白かったけど、八雲のそれは同意できないから退屈だわ。『遊び』じゃなくて、『仕事』な感じ。妖怪どもも関わってくるのは木っ端だけで、顔役連中は引っ込みっぱなしだし……全然ゲームにならないじゃないの。一人でチェス・プロブレムをやってる気分よ。」

 

「でもでも、八雲たちの計画が進行すればもう少し面白くなるんじゃないですか? 妖怪のやる気を取り戻させるのが目的みたいですし。」

 

迷惑狐が残していった抜け毛をバシバシ掃いながら問いかけた私に、紅茶を飲み干したお嬢様は不機嫌顔で相槌を打つ。

 

「それはそうだけど、あの女の手の中ってのが気に食わないのよ。私が主導して私が望む方向に運ぶならともかくとして、あの女が吊るした餌に邁進するってのはイラつくわ。吊るされているのが欲しいものだったとしても、素直に手を伸ばすのは負けた気分になるでしょ?」

 

「負けず嫌いですねぇ。……おや、また湖の妖精たちが来てるみたいですよ。庭でうちの連中と『戦争ごっこ』をしてます。」

 

話の途中で換気のために開けた窓の外を眺めてみれば、木の棒で叩き合ったり泥団子を投げ合ったりしている小さな妖精たちの姿が目に入ってきた。今日は……おお、珍しくこっちが劣勢だな。なんちゃってメイド服を着た妖精たちが押されているようだ。

 

しかしまあ、作戦のさの字もないような争いだな。あまりにも原始的な戦いを見て呆れていると、お嬢様も近付いてきて見物を始める。

 

「他の妖怪に比べればまだ気概があるわよ、あのアホどもは。もう二十回以上負けてるのにしつこく挑んでくるわけでしょう?」

 

「どうですかね、私は負けたことを記憶できてないだけだと思いますけど。……あいつは妖精にしては妖力が強そうじゃないですか? ほら、青髪の一際騒いでるヤツ。」

 

「青髪? ……へー、妖精にも強力なのって存在するのね。うちの妖精を凍らせちゃってるわ。氷の妖精ってことなのかしら?」

 

「夏場は見かけませんでしたし、それに近い存在なんじゃないですかね。冬が近付いてきたから参戦するようになったんじゃないでしょうか。」

 

あの妖精が居るから劣勢になっているわけか。両手に鋭い氷柱を持ってぶんぶん振り回している青髪妖精は、一騎当千のご様子で妖精メイドの集団に切り込んでいくが……いやいや、さすがに孤立しすぎだぞ。二十匹ほどに囲まれて数の暴力でピチュってしまった。

 

それを見たお嬢様は私と同じ感想を抱いたようで、バカらしいと言わんばかりの表情でポツリと呟く。

 

「妖力の大きさと知能の高さは別みたいね。他の野良妖精はもうちょっと考えて行動してるみたいだし、あの氷精がとびっきりアホなのは間違いなさそうよ。」

 

「妖精基準で頭が悪いのはヤバいですね。ああいう存在って何を考えて生きてるんでしょうか。」

 

「何も考えてないに決まってるじゃないの。その辺の虫とかネズミとかと一緒よ。幸せそうで羨ましいわ。……そういえば、パチェの様子はどう? まだ不調が続いてる?」

 

敵方の主力が一回休みになった所為で、『第二十回目くらいの庭の戦い』は趨勢が決したようだ。奪った氷柱を振り回す妖精メイドたちへの興味を失ったらしいお嬢様の質問に、困った気分で首肯を返す。

 

「喘息みたいな症状が続いてますね。この土地はあまりにも神秘が濃すぎて身体が受け付けないんだとか。薬を作るって言ってましたけど、まだ暫くかかりそうです。」

 

「私は絶好調この上ないけどね。今の状態なら、ロンドンどころかイギリス全土を霧で覆うのも不可能じゃないわ。」

 

「私もちょっと引くレベルで力が戻ってますけど、パチュリーさんはダメみたいです。魔女云々というよりも、賢者の石を呑んだことが影響してるんじゃないかって予想してました。周囲の魔力やら妖力やらに影響され易くなってるみたいでして。」

 

「何にせよ、戦力半減ね。……まあ、私と貴女がこれだけ力を増している以上、そこまで気にしなくても大丈夫でしょうけど。」

 

正直言って、幻想郷の神秘の濃さは外の世界とは比較にならない。ロンドンが濃いとか、新大陸が薄いとかいうレベルじゃないのだ。これなら逃げ込んでくる妖怪が多いのにも納得だな。外で消えかけていようが、この土地だったら元気いっぱいに戻るだろう。

 

とはいえ存在としての強度はまた別の話だし、強くなっているのは私たちだけじゃない。他の妖怪も外の連中よりは遥かに強大なはずだ。……ってことは、煽りを食っているのは人間なわけか。

 

いや、そうでもないかな? これだけ神秘が濃ければ人間の術師とかも強い力を使えるだろうし、全体的なバランスとしてはそんなに変わらないのかもしれない。全部纏めて外より上がっているということか。

 

悪どい顔付きで『残党狩り』をしている妖精メイドたちを横目に思考を巡らせていると、お嬢様が廊下に続くドアへと歩きながら声を上げた。仕事に戻るらしい。

 

「んじゃ、今日の夜も『戦力増強』に努めるわよ。そんでもってある程度整ったら妖怪の山とやらに攻め込んでみましょ。傘下に降るなら良し、抵抗するならぶっ潰せばいいわ。」

 

「えぇ……さっき九尾狐が天狗の長には話を通してるって言ってましたけど、それなのに攻めちゃって平気なんですか? 妖怪の山って天狗の縄張りなんですよね?」

 

「知らないわよ、そんなもん。好きにやれって言ってたしね。私は素直な吸血鬼だからそれを実行しようとしてるだけよ。それが終わったら地底とやらも攻めるし、人里も支配するわ。全部欲しいから全部奪うの。それが吸血鬼ってもんでしょ?」

 

肩を竦めてからドアを抜けて行ったお嬢様を見送りつつ、まあいいかと問題をぶん投げて紅茶のカップを片付ける。私の大昔の経験によれば天狗はまあまあ強いし、地底に住んでいるとかいう鬼は普通に強い。その他にも私の知らない妖怪がウジャウジャ居るだろう。外の世界ではもう戦えない強大な妖怪たちが。

 

だったら文句などあろうはずがない。本気で死にそうになるような戦いこそが私の望みなのだから。この世に生を享けて数千年。適度に怠けながらも修行は続けているし、大昔に暴れ回っていた時よりも私は強くなっているはず。ここらで一つ腕試しといこうじゃないか。

 

愉快になってきた状況に微笑みを浮かべつつ、紅美鈴は来たる戦いの日を待ち望むのだった。

 



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悪戯吸血鬼

 

 

「ま、全力は尽くしたさ。これでダメなら諦めが付く程度にはな。」

 

九月二十八日の夕食時の大広間、皿に取ったサクサクのフライドチキンを頬張りつつ、霧雨魔理沙は苦笑しながら呟いていた。今日の午前中から先程にかけて、クィディッチトーナメントの代表を決める公開試験が競技場で行われていたのだ。

 

日曜日を丸々使ってシーカー、チェイサー、ビーター、キーパーの順で試験を行ったので、最も参加者が多かったチェイサー希望である私の出番は昼休憩の直後だったのだが……まあうん、失敗と言えるほどの失敗はなかったし、上々の動きを見せられたと言えるだろう。自分的にはほぼベストの内容だった気がするぞ。プレーのために昼食の量を調整した所為でお腹は減っているが。

 

そんな私に対して、二つ隣の席に座っているロンは暗い顔で相槌を打ってくる。彼は夕方に行われたキーパー試験でゴールを十回中五回も決められてしまったのだ。二回に一回。良い結果だとは言えないだろうな。

 

「僕は諦めきれないよ。自分で自分が理解できない。どうしてあんな簡単なシュートを防げなかったんだ?」

 

「緊張してたんでしょ。観客席からでもそれが分かったわ。貴方ったら、いつもの実力の半分も出せてなかったわよ?」

 

「……何にせよ、キーパーはハッフルパフのボーンズで決まりさ。ノーミスで十球防いだからね。僕だってホグワーツのためを思うなら彼女に投票するよ。」

 

ハーマイオニーに力無く答えたロンの言う通り、キーパーは恐らく穴熊寮のスーザン・ボーンズになるだろう。あそこまで上手いプレーヤーじゃなかったはずだし、ロンとは逆に調子が良かったのかもしれない。まあ、地力があるのは間違いないだろうが。

 

「んー、私も代表になるのはちょっと無理そうね。シーカーはハリーで、チェイサーはマリサとマルフォイ、それにレイブンクローのロイドってとこじゃないかしら? 客観的に見ればその三人がベストだったわ。」

 

無理に明るい声を出している感じのジニーに、咲夜がおずおずと追加の予想を送った。スリザリンと合同練習をしていたのでマルフォイがシーカーの試験を切ったのは知っていたが、チェイサーとしてあそこまで上手いのは予想外だったな。私としても彼は選ばれると思うぞ。

 

「それと、グリフィンドールからはリヴィングストンも入りそうね。ビーターではあの子だけ動きのレベルが違ったわ。クィディッチに詳しくない私でも分かるくらいに。」

 

「だな、アレシアは本決まりだろうさ。あがり症も二年生になってマシになったみたいだし、本来の実力が出せたんだろうよ。」

 

咲夜に応じた私の言葉に、その場の全員が納得の首肯を寄越してくる。グリフィンドールチームの中で最も良い動きをしたのは私でもハリーでもなく、引っ込みがちな二年生なのだ。『才能』って言葉で事を片付けるのは好きじゃないが、アレシアを前にするとその主義が揺らいでくるな。去年の決勝戦で見せたような棍棒捌きを何度も繰り出していたのだから。

 

現時点でスカウトが目を付けてもおかしくない我らがビーターちゃんが、遠くの席でリスのようにパンを頬張っているのを眺めていると……お、マクゴナガルだ。黒いローブ姿の校長閣下が教員席の後ろのドアから現れたかと思えば、キビキビとした動作で前に歩み出てくるのが目に入ってきた。何かお知らせがあるらしい。

 

「皆さん、食べながらで結構ですので聞いてください! ……歓迎会で説明した通り、代表選手は全校生徒の投票によって選ばれることとなります。今日一日かけて行われた公開試験での動きを鑑みて、ホグワーツの代表に最も相応しいと思った人物の名前を書いてこの投票箱に入れるように。投票箱は来週の日曜日の夕食前まで玄関ホールに設置されますので、それまでに投票を済ませてください。」

 

言いながらマクゴナガルが指差しているのは、彼女に続いて出てきたフィルチが持っている大きな箱だ。青みがかった重厚な金属製の箱で、側面にはスニッチやクアッフルの絵が彫り込まれている。投票のためにわざわざ作ったのか?

 

生徒たちが校長の発言をお喋りの肴にする中、マクゴナガルは尚も投票に関しての説明を続けた。箱を苦労してくるくる回しているフィルチを示しながらだ。見た目通り、結構な重さらしい。

 

「フィルチさんが見せてくださっているように、四面それぞれに投票用の穴とポジションを表す細工が施されています。寮に戻った後で監督生が全生徒に四枚の投票用紙を配りますから、一つのポジションにつき一票を投じるようにしてください。……投票しないという選択は可能ですが、同じポジションに四枚使用するのは禁止ですからね。あくまで一つのポジションに投票できるのは一度だけです。投票箱には魔法がかかっていますので、よからぬ考えは通用しませんよ。投票用紙以外の紙を使った場合は無効になりますし、同一人物が二度同じポジションに投票することも不可能です。」

 

うーん、一ポジションにつき一票投じる権利があるということか。公平さを重視するなら妥当な制限ではあるな。……加えてマクゴナガルは『悪戯っ子』たちへの対策もきちんと考えたらしい。言い方から察するに、投票用紙の方にも何らかの魔法がかかっているのだろう。

 

「どうする? 手分けして均等に入れるか?」

 

どうやら公開試験に参加した生徒も投票は出来るようだし、身内の票はどうしようかと小声で相談してみると……ハーマイオニーが呆れたように注意を放ってきた。

 

「マリサ、そういう『談合』はすべきじゃないわ。それぞれ好きな人物に入れるべきよ。」

 

「だけどよ、他寮は絶対に票を合わせてくるぜ。……シーカーはハリーに集中させないとだな。チェイサーはどうする?」

 

「マリサに集めるってことでいいわよ。私が実力不足なのは分かったし、あれだけのプレーを見れば他のチェイサー選抜に参加した生徒も納得してくれるでしょ。マリサが代表になるのがホグワーツのためで、かつグリフィンドールのためだわ。」

 

ジニーが難しい表情で乗ってきたのを見て、ハーマイオニーはやれやれと首を振ってポツリと呟く。監督生どのは票合わせが好きではないらしい。

 

「まあ、いいけどね。四寮ともにこういう手段を取ったとなれば、結局決定打になる票を左右するのは『公正さ』を持った一部の生徒ってことになるわ。寮の利益よりも学校の利益を優先する賢い生徒が代表を決めるってわけ。」

 

「逆も然りだけどね。公正さが裏目に出て、正直者がバカを見る展開にならなきゃいいが。」

 

それまで黙々とステーキを頬張っていたリーゼの警告に、ハーマイオニーが苦い顔になったところで……マクゴナガルが最後の報告を大広間に投げかけた。

 

「各校の代表選手が決定した後は、十月の末にリヒテンシュタインで初戦の対戦相手を決めることになります。……今回のトーナメントは全校生徒が一丸となって臨むべきイベントです。国際魔法使い連盟は今後数年おきにこのイベントを継続していくつもりのようですから、第一回目の優勝校の名は長く魔法史に刻まれることになるでしょう。私はそこにホグワーツの名が刻まれることを心から望んでいますし、また生徒たちもそうであることを確信しています。四つの柱が支えてこそのホグワーツだということを決して忘れないように。」

 

ホグワーツとしての勝利を願うなら、いがみ合わないで協力しろってことか。去って行くマクゴナガルを見ながら、ハーマイオニーが我が意を得たりとばかりに大きく頷いているのを他所に、リーゼが興味深そうな表情で意外な部分に食い付いた。

 

「ふぅん? リヒテンシュタインか。連盟の本部がある土地だね。」

 

「スイスの隣にある小さな国だよね? 連盟の本部でトーナメント表を決めるってことなのかな?」

 

「かもね。……まあ、先ずは代表に選ばれることに全力を尽くしたまえ。どんな手段で得ようが一票は一票だ。それが民衆に選ばれるコツだよ。」

 

「レミリアみたいなことを言うなよな。」

 

ハリーに答えた性悪吸血鬼に突っ込みを入れてから、再びフライドチキンに向き直る。国際魔法使い連盟か。私からすると良い印象はない組織だな。ヨーロッパ大戦の頃はグリンデルバルドにボコボコにされて、第一次魔法戦争ではまともにイギリスを手助けしてくれず、第二次では殆どレミリアの部下扱いで、挙句現在進行形でアリスに迷惑をかけているわけだし。

 

「そういえば、マーガトロイド先生の件はどうなってるんだ? 五十年前のフランスの事件がどうこうってやつ。予言者新聞が反論を書いてたけど。」

 

パスタを頬張りながらのロンの問いに、リーゼが不機嫌そうな顔で曖昧な返答を返す。

 

「真偽を巡って議論、議論、また議論さ。連盟内では殆ど代理戦争状態なんだよ。スカーレット派と反スカーレット派のね。」

 

「優勢なのよね? ヨーロッパ各国はもちろんイギリスに付いてくれてるんでしょう?」

 

「やや劣勢からやや優勢へ、そして今は我が世の春さ。ヨーロッパ各国に加えてロシアがこっちに付いたからね。それに引き摺られていくつかの国もひっくり返ったし、上手くいけば攻めに転じられるかもってとこかな。」

 

「……ひょっとして、リーゼがグリンデルバルド議長を動かしたの?」

 

ハーマイオニーが恐る恐るという感じで送った疑問へと、リーゼは悪戯げにウィンクすることで応じているが……よく考えれば凄いことをやってるな。ある意味では国際魔法界の頂点を『操作』しているわけか。

 

レミリアの存在が大きすぎて気付かなかったが、実はリーゼも中々大規模なことをやれるらしい。吸血鬼ってのは種として政治家に向いてるのか? 人を騙すのは得意そうだもんな。チキンのおかわりを皿に取りながら考えていると、ハリーが苦笑を浮かべて話を纏めた。

 

「まあうん、僕たちはクィディッチに集中しよう。試験勉強のことだってあるし、いざ何かあった時のために今出来ることを済ませておかないとでしょ? 一つ一つやっていかないとね。これまでそうやって上手く解決してきたんだから、今回だってきっと大丈夫だよ。」

 

「そうね、だったら私は勉強に集中するわ。貴方たちはクィディッチで忙しくなるんだし、イモリの対策を手伝う準備をしないと。」

 

「僕はまあ、キーパーの代表は望み薄だし……うん、練習に付き合いながら闇祓いの試験の勉強をやっとくよ。ハリーに教えられるくらいになっとくから、そっちはクィディッチに集中してくれ。」

 

「そして私がアリスの問題に集中するわけだ。……んふふ、いいね。それでこそだよ。」

 

うーむ、何と言えばいいか……しっかりしているな。こういう時は四人が最上級生だってことを実感するぞ。これまで何度もトラブルを乗り越えてきたからこそ、自分のやるべき事をきちんと見定められるのだろう。

 

ま、ハリーの言う通りだ。私は私に出来ることを地道にやっていこう。骨だけになった元フライドチキンを皿に戻しつつ、霧雨魔理沙は先ず腹を満たすためにミートパイへと手を伸ばすのだった。

 

 

─────

 

 

「それでは、今日の授業は終了……終わります。次回までに沈み薬の活用法についてのレポートを提出してください。羊皮紙半巻きです。それと、質問は私に。」

 

むう、今日の調合は上手くいかなかったな。引きつったような笑顔で授業の終わりを宣言したブッチャー先生を見ながら、サクヤ・ヴェイユは苦い表情を浮かべていた。何がダメだったんだろうか?

 

私の誕生日が月末に控える十月の初日、午後最初の魔法薬学の授業で今年初めての失敗をしてしまったのだ。五年生としては比較的簡単な『沈み薬』を作るという内容だったのだが、二度やり直したのにも拘らず結局薬は未完成のまま。隣で調合していた魔理沙は完璧だったし、このままだと先行きが不安すぎるぞ。

 

さすがは自他共に認める『非常識学校』の生徒だけあって、同級生たちはブッチャー先生の独特な話し方や雰囲気に慣れてきたらしい。子供だったら泣き叫ぶような笑みをさらりと受け流し、今週末まで行われている投票に関するお喋りをしながら続々と教室を出て行くが……よし、質問しに行こう。今の私にとってはクィディッチの代表が誰になるかよりも、沈み薬の調合がどうして失敗したかの方が気になるのだから。

 

「ちょっと待っててね、魔理沙。ブッチャー先生に質問してくるから。」

 

「へ? ……待つのはいいけどよ、ブッチャーに質問する生徒なんてお前くらいだぞ。ちゃんと答えてくれるのか?」

 

「授業内容そのものは真っ当だし、多分答えてくれるでしょ。大体、いつもおっしゃってるじゃないの。『質問は私に』って。」

 

片付けを進める魔理沙に肩を竦めて答えた後、教卓で生徒たちが提出した小瓶を整理しているブッチャー先生に歩み寄る。そのまま声をかけてみれば、先生は勢いよく顔を上げて反応してきた。

 

「ブッチャー先生、質問が──」

 

「答えましょう! 質問は私に!」

 

「……あの、はい。」

 

今のはちょっと怖かったぞ。何もそんなに大声で言わなくてもいいのに。ギラギラと瞳を怪しく輝かせてこちらの言葉を待つブッチャー先生に、私が提出した小瓶を指差しながら質問を送った。

 

「今日の調合が上手くいかなかったので、復習するためにその理由を知りたいんです。手順通りにやったつもりだったんですけど──」

 

「これですね? つまり、これがミス・ヴェイユが提出した薬ですね? 見てみましょう。」

 

「……お願いします。」

 

どうしてそんなに食い気味なんだ? 謎の勢いに少し引きつつも、こくりと頷いてブッチャー先生が小瓶から薬を出すのを見守る。動作の一つ一つがやけに怪しげだな。偏見を持つまいとしている私すら、この人が魔法薬を弄っていると毒薬に見えてきちゃうぞ。

 

そんな私の失礼な内心に気付くことなく、薬をシャーレに移したブッチャー先生は臭いを嗅いだり、杖で突いてみたり、揺らして何かを確かめた後、またしても急に顔を上げて口を開いた。

 

「満月草!」

 

「……はい?」

 

「ミス・ヴェイユ、貴女は満月草を微塵切りにする時にゴブリン銀のナイフを使いましたね? 満月草はゴブリン銀に反応して有する成分を変えます。この特性を意図的に引き出す調合……例えば戯言薬の効果を高めたり、あるいは水魔用の治療薬に痛み止めの効果を持たせたりといった利用法も多々ありますが、沈み薬の調合の際は邪魔な成分になってしまうんです。恐らくミス・ヴェイユの調合が失敗してしまったのはその所為でしょう。これは私がきちんと注意を黒板に記載しなかったから起こったことであって、貴女の調合に問題はありません。……しかし、希少なゴブリン銀製のナイフを持っている学生が居たのは予想外でした。特殊なケースなのでそこまで過敏になる必要はありませんが、ゴブリン銀に反応する素材というのはいくつか存在しています。教科書にもその点に関する情報が載っているはずですので、ゴブリン銀のナイフを使用し続けるのであれば時間があるときに二百十二ページのリストを──」

 

人が変わったかのようにハキハキと喋っていたブッチャー先生だったが、目をパチクリさせている私に気付くとピタリと話を止めてしまう。そのまま暫く口をパクパクさせた後、手を中途半端な位置まで上げて彷徨わせたかと思えば……ありゃ、元に戻っちゃったな。毎度お馴染みの不自然な話し方で纏めてきた。

 

「要するに、銀。ゴブリン銀のナイフです。ゴブリン銀が……ヒヒッ、満月草に反応しただけですね。ナイフを変えれば問題ありません。つまり、材質を。貸し出しも出来ます。」

 

「そうだったんですね。……えっと、先程の説明も分かり易かったです。ありがとうございました。」

 

「気にしないで平気……結構です。教師は生徒の質問に答えるものですから。」

 

微妙に目を逸らして応じてきたブッチャー先生の態度に、何となくデジャヴを感じながら席に戻る。既視感を明らかにしようと記憶を探っていると、私の分の荷物も片付けてくれていた魔理沙が話しかけてきた。

 

「どうだった? 答えてくれたか?」

 

「ええ、予想以上にきちんと答えてくれ……そうよ、パチュリー様。パチュリー様に似てるのよ。」

 

「ノーレッジ? いきなり何だよ。ノーレッジがどうしたんだ?」

 

「ブッチャー先生とパチュリー様が似てるって話。そう思わない?」

 

既視感の正体を突き止めてテンションを上げる私に対して、魔理沙は首を傾げながら半笑いで反論を述べてくる。

 

「いやいや、全然似てないぞ。ノーレッジは闇の魔法使いって雰囲気じゃないし、不気味に笑ったりもしないだろ。」

 

「そうだけど、そういう意味じゃなくて……パチュリー様って急に冷たい顔になる時があるでしょ? よく知らない人だと怒ってるんだと勘違いしちゃうような顔に。」

 

「あー、あるな。難しい説明をどう伝えようかって困ってる時とかだろ? 個人授業をやってもらってた頃に何度も見たぜ。それがどうしたんだ?」

 

「ブッチャー先生の場合、あの笑いがそれに当たるんじゃないかしら? ……パチュリー様と一緒で、話すのに慣れてない感じがしない?」

 

それに、さっきの長台詞なんかパチュリー様そっくりだ。長々と『知識』を語るのに夢中になった後、置いてけぼりになっているこちらの反応に気付いて急に話を切り上げてから、バツが悪そうな表情で噛み砕いた纏めを口にするだなんて……そのまんまじゃないか。図書館で同じやり取りを何度も見たぞ。

 

魔理沙にも思い至る部分があったようで、教科書をカバンに入れながら私の推論に乗っかってきた。

 

「んー……言われてみればそうだな。『開き直ってない版』のノーレッジってとこか?」

 

「なにそれ。」

 

「ブッチャーはもしかしたら不器用なりに気を使おうとしてるのかもってことだよ。ノーレッジの場合は諦めて『対人能力』を切り捨ててるじゃんか。だから一周回って堂々としてるだろ?」

 

「……なるほどね、言わんとしてる意味は分かったわ。」

 

まあうん、確かにパチュリー様はある意味堂々としているな。『人付き合いなんて無理だけど、それが何?』って感じに。他人を撥ね退けられる強さがあるというか何というか、相手が身内以外だと無理に気を使ったりしないのは同意できるところだ。

 

私からすれば優しい紅魔館の賢者なわけだが、部外者の視点だと違うんだろうなと考えていると、魔理沙がブッチャー先生の方を横目にしながら話を続けてくる。深い苦笑を浮かべながらだ。

 

「でもよ、仮にお前の予想が当たってるんだとしたらあまりにあんまりな不器用っぷりだぜ。単にオドオドしてるとかだったらまだ救いがあるんだけどな。あれじゃあ勘違いされても仕方ないだろ。」

 

「実際のところ、授業の内容だけで見れば良い先生なのよね。新任なのにスネイプ先生やスラグホーン先生に見劣りしない授業なわけでしょ? それって結構凄いことだと思わない?」

 

「言われてみればそう思うが、他の生徒は気付いてないだろうな。見た目とか口調のインパクトが強すぎるんだよ。もう『怪しい魔法使い』でイメージが定着しちゃってるから、今更どうにかするのは難しいんじゃないか?」

 

「……まあ、まだ十月に入ったばかりよ。ブッチャー先生が教職に慣れるかもしれないし、逆に生徒たちが察するかもしれないわ。」

 

カバンを持ってドアに向かいながら肩を竦めた私へと、魔理沙も荷物片手に同じ動作を返してきた。

 

「全部予想だけどな。実際にヤバい魔法使いだって可能性もまだ残ってるだろ。」

 

「ブッチャー先生はマクゴナガル先生が採用した上に、リーゼお嬢様が警戒を取り下げたのよ? それを踏まえれば私の予想に説得力が出ると思わない?」

 

「ああ、それもあったか。……そうだな、そう考えるとお前の予想が合ってる気がしてきたぜ。」

 

「でしょ?」

 

生徒たちがちらほらと移動している地下通路に出て、魔理沙にふふんと胸を張りながら一階への階段へと足を進める。ホグワーツでは貴重な『安全な階段』を上って一階の廊下にたどり着いたところで、魔理沙がピタリと止まって問いを寄越してきた。

 

「次はどこだっけ?」

 

「今日のラストは貴女の大好きな魔法史でしょ。二階よ。」

 

「うへぇ、マジかよ。午後最後の魔法史なんて絶対寝ちまうぞ。」

 

「安心しなさい。抓って起こしてあげるから。」

 

何だその顔は。友人想いな私にジト目を向けてきた魔理沙は、ため息を吐きながら中央階段目指して歩き出す。その態度に小さく鼻を鳴らしつつ続こうとしたところで……おお、リーゼお嬢様だ。玄関ホールの方向からお嬢様が歩いてくるのが目に入ってきた。

 

「リーゼお嬢様だわ。」

 

「ん? ……本当だ。リーゼのことはすぐ見つけるな、お前。」

 

「主人を素早く発見できるのなんて当たり前でしょ。私はメイド見習いなんだから。」

 

「どの辺が『当たり前』なのかはよく分からんが……一人で何してんだろ? 最近はあんまり授業に出てないんだよな? あいつ。」

 

魔理沙の言う通り、最近のリーゼお嬢様は外出が多くて授業に参加していないらしい。そもそも五百歳なわけだし、杖魔法もパチュリー様から習っているので出る義務も必要もないのだろうが、参加したいのに忙しくて参加できないんだとしたら気の毒だな。

 

その辺りを心配しながら廊下のど真ん中を歩くリーゼお嬢様を見つめていると、彼女は何かを発見したような顔になった後、ニヤリと笑って壁際に移動する。すると……おー、凄い。途端に目立たなくなったというか、存在感が希薄になったというか。ああいう技術のことを『気配を消す』と表現するのだろう。

 

「あれってどうやってるのかしら? 妖力を使ってるとか? それとも人間にも出来る技なの?」

 

「分からんが、凄いな。最初っから注目してないとあんなもん気付けないぞ。……何をする気なんだ?」

 

魔理沙が疑問を口にしたところで、リーゼお嬢様は滑らかな動作で一人の背が低い女子生徒……リヴィングストンだ。教室移動をしているらしいリヴィングストンの背後に立って、いきなりその両肩をポンと叩いた。どうやら脅かしているらしい。

 

「……まあ、何をする気だったのかは判明したわね。」

 

「技術の無駄すぎるぞ。何をやってるんだよ、あの吸血鬼は。」

 

びっくりして尻餅をつくリヴィングストンと、愉快そうにクスクス笑うリーゼお嬢様。廊下で繰り広げられた悪戯の一部始終を目撃して、魔理沙と顔を見合わせながら微妙な表情を浮かべる。まあうん、私としてはお嬢様が楽しそうで何よりだ。

 

「……じゃあ、行きましょうか。」

 

「実に無駄な時間だったな。」

 

「私はリーゼお嬢様の日常を垣間見れて満足だけどね。」

 

そう言ってくるりと中央階段に向き直ってから、仕掛けが無いはずの一段目に足を──

 

「やあ、二人とも。」

 

「ひゃぅっ。」

 

「うぉっ……っと、びっくりするだろうが!」

 

置こうとした瞬間、目の前にパッとリーゼお嬢様が現れた。びっくりしたぞ。さっきまで向こうに居たはずなのに、一瞬で姿を消してここまで移動したらしい。正に神出鬼没だな。

 

「んふふ、乙女の悪戯をこっそり見ていた罰だよ。」

 

「気付いてたんですか。」

 

「そりゃあそうさ。あれだけあからさまに視線を向けられたら嫌でも気付くよ。私を覗き見たいのであれば、もっと気配の隠し方を勉強したまえ。」

 

「お前じゃないんだから、気配なんて消せるわけないだろ。」

 

文句を言いながら落としてしまったカバンを拾った魔理沙に、リーゼお嬢様は至極ご機嫌な様子でうんうん頷いて去って行く。

 

「いやぁ、今日は大漁だね。さっきロングボトムも驚かせたし、次はマルフォイでも狙ってみようかな。キミたちは勉学に励みたまえ。真面目にやらないと私みたいになっちゃうぞ。」

 

うーん、自由なお方だ。翼を揺らしながら遠ざかるリーゼお嬢様の背を見送った後、魔理沙が巨大なため息を吐いてから移動を再開した。

 

「……最高の反面教師だな、あいつは。あれが七年生のやることかよ。」

 

「リーゼお嬢様は今も昔もリーゼお嬢様ってことでしょ。完璧だから変わる必要なんてないのよ。」

 

「さすがに今回は意味不明なヨイショをしても無駄だぞ。あの悪戯吸血鬼をフォローするのは不可能だぜ。」

 

それでも諦め悪く擁護するのがメイドの役目なのだ。沈黙することで忠義を貫く私に、魔理沙は滑る段をぴょんと飛び越えつつ呆れ声を送ってくる。

 

「何にせよ、あいつが学校生活を楽しんでるってことは判明したな。少なくともこれからビンズの『朗読会』に参加する私よりもな。」

 

「まあ、そうね。あの様子ならアリスの件も心配なさそうだわ。グリンデルバルド議長のお陰で余裕が出てきたのかしら?」

 

今朝の予言者新聞の記事によれば、ロシア魔法議会のグリンデルバルド議長がホームズの委員長解任決議を仕掛けようとしているらしい。私としては頭がこんがらがってくる状況だな。『非魔法界への対策を話し合う委員会』はまだ正式名称すら決まっていないのにも拘らず、もう委員長の解任決議だなんて滅茶苦茶すぎるぞ。

 

アリスの指名手配問題とマグル問題、連盟内の代理戦争やマクーザとイギリス魔法省のいがみ合い、それにレミリアお嬢様の存在やグリンデルバルド議長の動き。あらゆる物事が絡み合ってぐっちゃぐちゃになっている感じだ。ここまで来ると、蚊帳の外の私からだと何がどうなってるのか理解できないな。

 

それを片付ける苦労を思えば、リーゼお嬢様の『ストレス発散』も仕方がないことなのだろう。あまりにも複雑な状況にうんざりしつつ、サクヤ・ヴェイユはとりあえず紅魔館のメイドとして主人の行動にそれっぽい理由を付けるのだった。

 



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選手発表

 

 

「ハリー、キミはあれだね。杖じゃなくてプレゼントのセンスを磨くべきだよ。洋服なりアクセサリーなり、選択肢は山ほどあったわけだろう? 何をどうしたら杖磨きクリームに行き着くんだい?」

 

十月初週の日曜日。生徒たちが今か今かと投票の結果発表を待つ夕食時の大広間で、アンネリーゼ・バートリは呆れ果てた気分で額を押さえていた。杖磨きクリームか。ジニーはさぞ反応に困っただろうな。

 

昼間に今年度初のホグズミード行きがあったので、ハリーはジニーとデートを、私はハーマイオニーやロンと三本の箒で適当に食事なんかを楽しんだわけだが……デートの結果を聞かされた私たちは、口々にハリーへと『ダメ出し』しているわけだ。

 

私の発言に続いて、隣の席のハーマイオニーが大きく頷きながら文句を放つ。ちなみに咲夜と魔理沙はまだ大広間に到着しておらず、ジニーはレイブンクローのテーブルに出張してルーナとお話中だ。

 

「リーゼの言う通りよ、ハリー。杖磨きクリームは違うわ。絶対に違う。どうしてそれを選択肢に入れちゃったの?」

 

「だって、良いクリームなんだ。僕が使っていいなと思ったからプレゼントしただけさ。ジニーだって喜んでくれたよ。」

 

「別に杖磨きクリームをプレゼントすること自体を責めてるんじゃないの。デートの締め括りのプレゼントとして選んだことを疑問視しているのよ。」

 

「そもそもどうして僕のプレゼントを君たちが『疑問視』するのさ。ジニーと僕の問題でしょ? ……何かをプレゼントして責められる日が来るとは思わなかったよ。」

 

ムスッとした顔で反論するハリーに、長机に頬杖を突きながら指摘を飛ばす。この辺はロンの方がまだ一枚上手だな。私が『目を離したフリ』をした隙にハーマイオニーに小さなペンダントをプレゼントしていたし。

 

「つまりだね、それらしくラッピングして渡したことが問題なんだと思うよ。デートが終わろうってその瞬間、綺麗な包装の小箱を渡されたジニーは期待しただろうさ。そしてワクワクしながら開けてみたら、出てきたのは『あなたの杖がピカピカに! トロールだって使えちゃう!』と書かれた杖磨きクリームだったわけだ。……どうかな? 何を『疑問視』しているのか伝わったかい?」

 

「煽り文句はちょっとアレだけど、本当に良いクリームなんだよ! 独自成分としてムーンカーフの涙が入ってるんだ。……ロンだって気に入ってたよね? 二人に言ってやってよ。」

 

「あー……うん、良いクリームだな。僕はまあ、中々のプレゼントだと思うよ。貰ったら嬉しいはずだ。少なくとも僕は嬉しいし。」

 

「ハリー、友達へのプレゼントとガールフレンドへのプレゼントは別なの。そりゃあ普段はジニーだって気にしないでしょうし、杖磨きクリームだろうが箒磨きクリームだろうがプレゼントするのは素晴らしいことだと思うけど……今日はデートだったのよ? しかもかなり久々の、二人っきりでのデート。そうなっちゃうと話は別だわ。」

 

『男の友情モード』のロンを完全に無視して、乙女心の複雑さを何とか伝えようとするハーマイオニーだったが……うーむ、全然伝わらんな。ハリーは何が問題なのかさっぱり分からないという顔付きで口を開く。私でも理解できるレベルの話なんだぞ。

 

「だからプレゼントしたんだよ。普段ならしないけど、今日はした。僕としてはよくやったって自分を褒めたいくらいさ。」

 

「よくやったはよくやったけど、私が言いたいのはそうじゃなくて……ああもう、ダメね。リーゼ、任せたわ。」

 

「私もダメかな。……まあ、ハリーにしては頑張ったよ。そう思っておこうじゃないか。」

 

投げやりな褒め言葉にハリーが抗議のジト目を向けてきたところで、魔理沙と咲夜が話しながら近付いてきた。こっちの二人も同級生たちと一緒にホグズミードに行ったはずなのだが、三本の箒でもゾンコの悪戯専門店でも会わなかったな。どこを巡っていたんだろうか?

 

「ホグズミードは楽しめたかい? 二人とも。」

 

席に着いた二人に問いかけてみれば、金銀コンビは微妙な表情で曖昧な首肯を返してくる。

 

「えーっと……そうですね、それなりには。」

 

「そうだな、マダム・パディフットの店を冷やかしに行ったところまでは楽しかったぜ。より厳密に言えば、そこでジェレミー・シートンがハッフルパフの五年生とイチャついてるのを見るまではな。……ロミルダのやつ、シートンに片想いしてたんだよ。」

 

「シートンたちったら、瞬間接着ガムで口をくっ付けられたみたいになってました。だからその、ベインが『悲劇のヒロインモード』になっちゃいまして。後半はずっと慰めてたんです。」

 

「大泣きしっぱなしだったんだよ。……ちなみに今も寮で泣いてるぜ。代表選手の発表も夕飯も、この世の全てがどうでもいいんだとさ。失恋のショックで世界の真理を悟ったみたいだ。」

 

普段いがみ合っている咲夜が慰めに入るということは、ベインは相当落ち込んでいるのだろう。七年生たちが何とも言えない顔で黙り込む中、魔理沙は肩を竦めながら結論を口にした。

 

「まあ、三日も経てば元通りになるだろ。ロミルダが悲劇のヒロインになったのはこれで八回目だからな。一週間後くらいにシートンが女ったらしだって噂が流れて、それで終わりさ。」

 

「それはそれは、一番の被害者はシートンってことになりそうだね。」

 

根も葉もない噂が流されることが確定した、哀れなグリフィンドールの六年生に憐憫の念を送っていると……おや、フィルチが投票箱を抱えて大広間に入ってきたぞ。どうやらそろそろ発表が始まるようだ。

 

青い金属製の箱をよっこらよっこら運ぶフィルチが教員テーブルの前まで到着したところで、生徒たちもお喋りを止めて注目し始める。一応私もシーカーにハリー、チェイサーに魔理沙、キーパーにロン、ビーターにアレシアの名前を書いて投票済みだ。

 

全校生徒が用務員どのの一挙手一投足に注目する中、教員テーブルの後ろのドアが開いて校長閣下が登場した。いつもより少し高価そうなローブだな。マクゴナガルも気合が入っているらしい。

 

「さて、誰になるかな。自信はどうだい?」

 

「試験はとっくに終わってるわけだし、なるようにしかならないよ。名前を呼ばれなかったら全力で応援に回るさ。」

 

比較的落ち着いている様子で言ってきたハリーに対して、魔理沙とロン、それにレイブンクローのテーブルから急いで戻ってきたジニーは緊張している表情だ。口では諦めると言っていた赤毛の兄妹も、内心では期待しているらしい。

 

そんな三人を見て苦笑を浮かべていると、教員テーブルの中央に置かれた投票箱の前に立ったマクゴナガルが声を上げた。

 

「では、夕食の前に代表選手の発表を行います。選ばれた者は夕食の後で詳しい説明を行いますので、私のところまで来るように。……最初はキーパーです。」

 

おおう、サクサク進めるな。ダンブルドアなら絶対に勿体ぶっていた場面だが、マクゴナガルは余計な茶番を挟む気など無いようだ。宣言した後で軽く杖を振って、投票箱を宙に浮かせてゴールポストが彫り込まれた面を生徒たちに向ける。

 

そのままマクゴナガルがもう一度杖を振ると……おー、凝ってるな。彫り込まれていたゴールポストのリングの中に白く光る文字が浮かび上がってきた。あれが最多の票を獲得した生徒の名前なのだろう。

 

教員テーブルの教師たちも身を乗り出して確認しようとする中、マクゴナガルがよく通る声でその名前を読み上げる。

 

「ホグワーツ代表キーパーは、スーザン・ボーンズ!」

 

途端、ハッフルパフのテーブルから盛大な拍手が沸き起こった。……まあ、妥当だな。私から見てもキーパー試験で良い動きをしていたのはスーザン・ボーンズだ。誰もが納得できる結果だと言えるだろう。

 

「……そんな顔しないでくれ、みんな。『もしかしたら』と思ってただけで、僕だってこうなることは分かってたさ。素直にボーンズを応援することにするよ。」

 

んー、残念だったな。気まずい気分になっている私たちへと、苦笑いで言いながらロンが拍手するのに、ハーマイオニーが柔らかい声色で相槌を打つ。

 

「すぐに拍手できるのはカッコいいと思うわよ。……そうね、一緒に応援しましょ。私とリーゼだけだと細かいテクニックとかがさっぱり分からないもの。隣で解説してくれると助かるわ。」

 

「ん、任せといてくれ。」

 

ロニー坊やも大人になったな。二人のやり取りを横目にぺちぺち拍手していると、マクゴナガルが宙に浮いたままの投票箱を回転させて……次はビーターか。二本の棍棒が交差している面をこちらに向けた。

 

「続いてビーターです。」

 

そう言ったマクゴナガルが杖を振ると、それぞれの棍棒の上に名前が浮かび上がる。遠すぎて読めない生徒たちが固唾を呑んで見守る中、マクゴナガルは選ばれた生徒の名を大声で言い放った。

 

「ホグワーツ代表ビーターは、ギデオン・シーボーグとアレシア・リヴィングストン!」

 

「おっし、グリフィンドールから先ず一人だ!」

 

真っ先に拍手を始めた魔理沙に続いて、グリフィンドールとスリザリンのテーブルを中心とした拍手が大広間を包む。シーボーグとやらのことはよく知らんが、様子を見るにスリザリン生らしい。そういえば試合の時に名前を聞いた気がするな。

 

そして少し離れた場所に座っている子猫ちゃんは……おやまあ、喜ぶどころか真っ青な顔だぞ。周囲の同級生たちが祝福の言葉を投げかけるのに呆然と頷いている。まだ二年生なのに選ばれるとは思っていなかったようだ。

 

「大丈夫なのかい? アレシアは。今にも倒れそうな顔色だが。何故試験を受けたのかが疑問になるようなご様子だぞ。」

 

死刑宣告でも受けたかのような子猫ちゃんを指差して呆れ声で聞いてみると、心配そうな表情のハリーがフォローを飛ばしてきた。

 

「多分大丈夫だと思う。多分ね。アレシアの場合、実力の半分でも出せれば活躍できるわけだし。」

 

「どう見ても実力の一割すら出せない感じの雰囲気だけどね。本番までにどうにかなることを祈っておくよ。」

 

「あー……そうだね、後でフォローしておいた方がいいかもしれない。」

 

急に注目されたからなのか、緊張どころか泣きそうになっているアレシアを見て、ハリーが困ったような苦笑を浮かべたところで……お次はチェイサーか。マクゴナガルがクアッフルが彫り込まれた面を向けたのが目に入ってくる。

 

「続いてチェイサーの三人です。」

 

三度マクゴナガルが杖を振って、クアッフルを囲むように三つの名前を浮かび上がらせた。魔理沙とジニーがごくりと喉を鳴らす中、マクゴナガルが発表した名前は──

 

「ホグワーツのチェイサー代表は、ドラコ・マルフォイ、シーザー・ロイド、マリサ・キリサメ!」

 

「っし!」

 

魔理沙が渾身のガッツポーズをするのと同時に、四寮全てのテーブルから拍手が上がる。マルフォイは当然スリザリンだし、ロイドとやらはレイブンクロー生のようだ。ハッフルパフはまあ、付き合いがいいから拍手してくれているのだろう。これで全寮から最低一人の選手が出たことになるな。

 

「おめでと、マリサ。私の分も頑張ってよね。」

 

「おう、任せとけ。絶対勝ってみせるぜ。」

 

ちょびっとだけ悔しそうな顔付きのジニーが出した手に、ばしんと勢いよくタッチした魔理沙へと、周囲のグリフィンドール生たちが口々にお祝いを浴びせていく。まあ頑張れと私も拍手をしながら、ちらりと蛇寮のテーブルに目をやってみれば……うん? 向こうは微妙な雰囲気だな。

 

何かこう、あまり喜んでいない感じの生徒がちらほら居るぞ。大半の生徒はマルフォイやシーボーグに声をかけているのだが、端の方に固まっている二割ほどの生徒が白けた空気を醸し出している。クラッブやゴイルなんかもそっちの『盛り下がり集団』に所属しているようだ。

 

「スリザリンはヘンな空気だね。何か知ってるかい?」

 

ハーマイオニーの耳元に口を寄せて問いかけてみると、栗毛の監督生どのは拍手をしながら疲れた顔で答えを教えてくれた。

 

「あっちの集団に居るのは、身内が最後まで抵抗した死喰い人だったりした子たちなのよ。今のスリザリンは二派に分かれてるってわけ。何て言うか、『元死喰い人組』は立場が弱いみたい。」

 

「なるほど、マルフォイなんかは一発逆転したから滑り込みで『勝ち組』所属なわけか。相変わらず政治の色がモロに出る寮だね。」

 

「良くないことだとは思うんだけど、他寮の……それもスリザリンのことだから手を出せないのよ。監督生集会でマルフォイにそれとなく言ってみたんだけどね。今はどうにもならないんですって。」

 

「ま、難を逃れた名家としてはわざわざ関わりたくない相手だろうしね。子供にも『お付き合い』をやめるようにキツく言ってるんだろうさ。私もすぐにどうこうするのは難しいと思うよ。時間を置くしかないんじゃないかな。」

 

ホグワーツの小さな政治屋たちも生き残りを賭けて必死なわけだ。温度差を感じる蛇寮を見ながら口元を歪めたところで、マクゴナガルがスニッチが彫り込まれた面を生徒たちに示す。

 

「最後にシーカーの代表を発表します。」

 

勝負を決める花形ポジションだけあって、生徒たちがこれまで以上に注目する中、マクゴナガルの魔法でスニッチの上に浮かんだ名前は──

 

「ホグワーツ代表シーカーは、ハリー・ポッター!」

 

これで何度目だろうな、全校生徒の前でハリーの名前が発表されるというのは。六年間騒ぎの中心に居続けた『生き残った男の子』どのは、最終学年も穏やかに過ごすことを許されなかったようだ。今年は能動的に騒動に飛び込んだあたり、例年よりも救いがあるが。

 

グリフィンドールのテーブルから今日一番の盛大な拍手が沸き起こるのを聞きつつ、アンネリーゼ・バートリは然もありなんと鼻を鳴らすのだった。知ってたさ。

 



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七人の代表選手

 

 

「それでは、クィディッチトーナメントに関する説明を始めましょうか。」

 

大広間の教員テーブルの裏にある小部屋の中で、霧雨魔理沙はマクゴナガルの言葉にこっくり頷いていた。小さなテーブルを囲んでいるのは七人の代表選手とマクゴナガル、そしてフーチの計九人だ。ハリー曰く、三年前の対抗試合の説明もこの部屋で行われたらしい。

 

真面目な表情のハリー、マルフォイ、ボーンズ。緊張している様子のアレシア、シーボーグ、ロイド。そしてこれ以上ないってくらいにワクワクしている私。そんな代表選手たちの顔を順繰りに確認したマクゴナガルは、取り出した羊皮紙をテーブルの中央に置いて口を開く。細かい文字がびっしり書いてあるな。連盟から送られてきた書類か?

 

「一回戦が十一月の後半に行われることは決まっていますが、会場も対戦相手もまだ未定です。投票開始前に説明した通り、全ては十月の末にリヒテンシュタインで決まることになります。」

 

「トーナメント表だけではなく、試合会場もそこで決まるということですか?」

 

意思が強そうな目付きと、お洒落な感じに編まれたブロンドの三つ編み。ハッフルパフの七年生であるスーザン・ボーンズの質問を受けて、マクゴナガルは首肯しながら詳細を語り始めた。現魔法大臣のアメリア・ボーンズとは親戚らしい。叔母なんだっけか。

 

「その通りです。初戦はシード枠が一つだけありますが、そうでない場合は対戦相手か自校の競技場で試合が行われることになります。組み合わせを決めると同時に代表選手の交流を目的としたパーティーも開かれる予定なので、十月の末までにフォーマルな服を用意しておいてください。」

 

「フォーマルな服……というと、スーツとかでしょうか? 制服はダメなんですよね?」

 

ちょっとボサボサの金髪に、薄いレンズの縁なし眼鏡。レイブンクローチームの一員で、確か六年生のシーザー・ロイドだ。こいつとは試合以外であまり関わったことがないな。自信なさげにおずおずと放たれた問いかけに、マクゴナガルはハキハキとした口調で返答を口にする。

 

「夜会というほど形式張ったものではないようなので、スーツでもドレスローブでも構いませんよ。ですが、制服はやめておいた方がいいでしょう。現地までの移動は連盟側が用意したポートキーで行う予定です。」

 

「パーティーは連盟の本部で行われるのですか? それと、参加者は代表選手だけなのでしょうか?」

 

「各校からは代表選手と校長だけですが、それとは別に各国の要人や著名人も招かれるそうです。イギリスからはルーファス・スクリムジョール執行部長や、チェスター・フォーリー評議長などが参加することになっています。会場は連盟本部の敷地内にある建物を使うようですね。」

 

おー、結構な面子だな。マルフォイの疑問に答えたマクゴナガルは、テーブルの上の羊皮紙を示しながら説明を続けた。

 

「それともう一点、来週末までに話し合ってチームの象徴となる杖を決めてください。ここに記載されている通り、連盟は各校にシンボルとなる杖を提出することを要請してきています。教員が決めてもいいようなのですが、ホグワーツとしては代表選手である皆さんの意見を尊重することにしました。」

 

「『杖を決める』? どういう意味だ?」

 

「言葉通りの意味です。素材と、芯材。それを七人で話し合って決めてください。オリバンダー氏に製作を依頼することになるので、杖に関しては来週がタイムリミットですからね。」

 

「それはまた、変なルールだな。クィディッチとは関係ないじゃんか。」

 

クィディッチは魔法使いにしては珍しく、『杖を使わない競技』であることが一つの売りなのだ。よく分からん気分で私が飛ばした言葉に対して、マクゴナガルも怪訝そうな表情で頷いてきた。

 

「私としても真意を掴めませんが、必要だと言われたなら準備する他ありません。気負わずに、ピンときた杖を選んでもらえれば結構です。実際に使用することを目的としているわけではないようですから。」

 

「しかし、いきなり杖を選べと言われても……。」

 

よく鍛えていることを窺わせる太い首と、ブラウンの短髪の下にある精悍な顔立ち。体格が良い所為で一人だけ後ろの方に座っているスリザリンのギデオン・シーボーグの発言に、それまで黙っていたフーチが強引な纏めを返す。ホグワーツの審判どのは杖なんぞどうでも良いようだ。

 

「それは適当で構いませんよ。フォーマルな服とやらも、パーティーの会場についても深く考える必要はありません。……今最も重要なのは初戦までの練習スケジュールです! たった二ヶ月弱という短い期間で代表選手間の連携を深め、フォーメーションや作戦を練り込む必要があります。」

 

「競技場は使えるんですよね?」

 

「もちろんですとも。競技場だろうが訓練場だろうが校庭だろうが教室だろうが、校内のあらゆる場所を自由に使ってもらって構いませんし、教員一同も協力を惜しまないつもりです。当然、時間が許す限り私も練習に参加します。あなたたちが勝つためなら球拾いや箒磨きだって喜んでやりますから、遠慮なく声をかけてください。」

 

おおう、凄まじい気合いの入りようだな。ボーンズの問いに勢いよく答えたフーチに続いて、マクゴナガルが苦笑しながら補足を加えた。

 

「代表選手の中には試験を控えた七年生が三人、五年生が一人居ます。学生の本分が勉学である以上、それを疎かにするのは教師として推奨できませんが……是が非でも勝って欲しいという気持ちがあるのも確かです。よって私たちにはフーチ先生のように練習の手助けをするのではなく、勉学の面で皆さんをフォローさせてください。個人授業が必要な時は各教師に遠慮なく申し込むように。こちらも全力で取り組みますから。」

 

うーん、頼もしいというのが半分、ちょっと気後れするのが半分って感じだな。個人授業か。これまで冷静に説明していたマクゴナガルも胸の内には熱いものがあったようだし、この分では他の教師も同様なのだろう。となると個人授業とやらが『熱血レッスン』になるのは間違いなさそうだぞ。

 

この場に居る生徒たちはハーマイオニーほど勉強が好きではないようで、代表選手が七人揃って微妙な顔になる中、席を立ったマクゴナガルが話を切り上げてくる。

 

「では、あとはこの書類を見ながら代表選手同士で話し合ってください。……生徒も教師も皆さんのことを応援していますからね。何か困ったことがあればチーム内だけで背負おうとせず、周囲の友人たちや教師を頼りなさい。あなたたちは学校の代表なんですから、ホグワーツの全員が味方であることを忘れないように。」

 

「校長先生のおっしゃる通りです。言っておきますが、ボール拾い云々は大袈裟でもなんでもありませんからね。優勝の手助けになるなら何だってやってやりますとも。遠慮は一切無用ですよ。」

 

マクゴナガルに続いて力強く請け負ったフーチが部屋を出て行くと、代表選手たちは示し合わせたかのように深々と息を吐いた。いやはや、教員たちの気迫は充分に伝わったぜ。これは想像以上のプレッシャーになりそうだな。

 

「で、どうするよ。全員試合で顔を合わせてるわけだし、ありきたりな自己紹介は不要だろ?」

 

とりあえず話を進めるために声を上げてやれば、マルフォイが真面目くさった表情で応じてくる。

 

「自己紹介が不要なことには同意するが、キャプテンは先に決めておこう。何をするにもリーダーは必要だ。纏め役が居ないと話が進まないぞ。」

 

「でしたら七年生の誰かにしてください。下級生としては出しゃばるわけにはいきませんし、出しゃばるつもりもありません。それで問題ないよな? シーボーグ、キリサメ、リヴィングストン。」

 

「ああ、俺はそれでいい。」

 

「こっちも賛成だぜ。」

 

ロイドの呼びかけに六年生のシーボーグ、五年生の私、そして無言でコクコク頷いた二年生のアレシアが賛成したのを受けて、マルフォイがハリーとボーンズに声を放つ。

 

「まあそうなるだろうな。僕としても責任を負うべきは七年生だと思っているし、三人の中から決めよう。……自薦する者は居るか?」

 

「私としては自分以外を推すかな。私は根っからのキーパーだし、キャプテンの経験もないからね。他のポジションに詳しくないからチェイサーやビーターに指示を出すことが出来ないよ。押し付けるようで悪いけど、ポッターかマルフォイがやってくれない?」

 

「僕は……うん、マルフォイが最適だと思う。次点でマリサだけど、七年生から選ぶならマルフォイだよ。」

 

「マルフォイは分かるが、何で私なんだよ。」

 

七年生が全員ダメだとしても、上に六年生二人が居るだろ。妙なことを言い出したハリーに呆れ声で聞いてみると、彼は苦笑しながら彼なりの理由を述べてきた。

 

「最初に発言したのがマリサで、話を進めようとしたのがマルフォイだからね。何かを始める時、一番最初に動き出す。きっとリーダーっていうのはそういう人がなるべきなんだよ。だから僕はマルフォイを推すかな。……それに、二人ともチェイサーでしょ? シーカーは他の選手から遠くなりがちだし、キーパーも同じだ。そういうプレースタイルに慣れてるチームならともかくとして、急拵えのチームなら指示を出し易いチェイサーがキャプテンになるのが最適だと思うよ。」

 

「納得の理由ね。頼めない? マルフォイ。私たちも勿論フォローするから。」

 

「……分かった、受けよう。」

 

リーダーの資質か。私がどうであるかはさて置き、中々に説得力を感じる理由だったな。ボーンズの言葉に諦めたような顔付きで首肯したマルフォイは、マクゴナガルが残していった羊皮紙を読みながら話し合いを進め出す。

 

「なら、そうだな……先に厄介そうな『杖』とやらを決めてしまおう。何か意見はあるか?」

 

「イギリスとしての杖なのか、ホグワーツとしての杖なのか、チームとしての杖なのか。その辺が分からんと何とも言えないぜ。」

 

「明記されていないが、政治的にはその全ての意味を持っているはずだ。……連盟も面倒なことを考えるな。」

 

まったくだ。私に答えたマルフォイがため息を吐く中、ボーンズがピンと指を立てて口を開いた。

 

「パッと思い付くのはイギリス魔法省の象徴になってるエボニーだけど……木材とか芯材って、確かそれぞれに特徴があるのよね? 一応そういうところにも気を使った方が良いんじゃない? 変な杖を選んで私たち個人が他国に笑われるならまだしも、イギリス全体の代表として笑われるのは宜しくないわ。」

 

「……僕は杖の性質に関してはさっぱりです。図書館で本を探してきましょうか?」

 

困ったように笑うロイドの提案に、マルフォイが額を押さえつつ首を横に振った。

 

「いや、それには及ばない。……言い出しておいてなんだが、杖に関しては後回しにしよう。暫定的にエボニーとして、各自で暇な時に木材と芯材のことを調べておいてくれ。このままでは知識が足りなさすぎて適当にすら決められなさそうだ。」

 

「まあ、俺もそれが良いと思います。代表として恥ずかしくない程度には気を使うべきでしょうし。」

 

「そうだね、こういう問題こそ周りの人を頼った方がいいんじゃないかな。あとで詳しそうな人に聞いてみるよ。」

 

『詳しそうな人』ってのはハーマイオニーのことだろうな。シーボーグとハリーが同意したのに頷いてから、マルフォイは本題となるクィディッチの話題を場に投げる。

 

「では、具体的な練習の話に移ろう。基本的に練習は平日の朝と昼休みと夕食後、加えて休日の午後としたいんだが……どうだ?」

 

「平日の方は文句ないが、休日は午前中もいけるんじゃないか?」

 

「可能不可能で言えば可能だが、トーナメントは一年中続くことになる。そうなるとさすがにオーバートレーニングだし、休日の午前中は休憩や勉強に当てるべきだろう。場合によっては平日も数日おきに昼を空けることを考えているしな。」

 

一年中、ね。私の発言を受けて言外に初戦で終わるつもりはないと伝えてきたマルフォイに、他の六人が納得の頷きを返す。確かに少しくらい休憩があった方がメリハリがつくか。それに七年生三人はイモリ試験に人生が懸かっているのだ。勉強の時間だってないと困るだろう。

 

「いいんじゃないかしら。練習の詳しい内容はどうするの?」

 

「最初はチェイサーとビーターがそれぞれ連携の確認をすべきだと思っている。そこの息が合わなければフォーメーションどころではないし、チームとして動くのはそれからだ。キーパーとシーカーの練習は外部の協力者を頼ろう。」

 

「なら、それぞれのチームに声をかけましょう。……フリーシュート対策の練習相手が選り取り見取りね。キーパー冥利に尽きるわ。」

 

ま、練習相手には困らんだろうな。全ての寮から選手が参加しているし、みんな喜んで協力してくれるはずだ。ボーンズが苦笑いで肩を竦めたところで、マルフォイが『作戦会議』の終わりを宣言した。

 

「今日はそんなところだな。結局練習を始めてみなければ分からない部分が多いし、詳細は一回目の練習で詰めていこう。平日の朝練は六時から競技場で行うことにする。つまり、明日の六時から練習開始だ。」

 

「へいへい、頑張って起きますよっと。」

 

全員が全員うんざりした表情だが、誰からも文句は出てこない。正直言って、ここに居る面子は朝練に慣れているのだ。どのチームだって毎年やっていることなのだから。楽しいと思ってやっているかは別の話だが。

 

戯けながら半笑いで席を立って、七人で部屋を出て無人の大広間を抜けた後、玄関ホールで別れてそれぞれの寮に向かって歩き出す。

 

「……大丈夫なのか? アレシア。一言も喋ってなかったが。」

 

私、ハリー、アレシアの三人になったところで、階段を上りながら終始無言だった後輩に質問を送ってみると……うわぁ、不安になるな。アレシアは青い顔で自信なさげに問い返してきた。

 

「あの、私……大丈夫なんでしょうか?」

 

「聞きたいのは私なわけだが、出来れば大丈夫であって欲しいと思ってるぜ。」

 

「頑張ります。……頑張りはします。」

 

うーむ、これさえなければ頼もしいビーターなんだけどな。俯いて自分に暗示をかけるかのように呟いたアレシアを前に、ハリーと二人で顔を見合わせる。私が朝起きられるかの心配など些細なものだったらしい。チームの明暗を左右するのは今年もアーモンド色のぷるぷるちゃんなわけか。

 

朝練の時に他の四人に『アレシアの取り扱い方』を伝えようと心に決めつつ、霧雨魔理沙は不安な気分で三階への階段を上るのだった。

 



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疑念の種

 

 

「杖、ですか。……連盟は何に使うつもりなんでしょう?」

 

ダイアゴン横丁の大通りにあるカフェの店内で、アリス・マーガトロイドは首を傾げながらリーゼ様に問いかけていた。先日遂にホグワーツの代表選手が決まったらしく、今はその話を聞いていたのだが……象徴となる杖か。面白いことを考えるな。

 

今年も十月に入り、母校であるホグワーツでは色々なことが動き出している反面、私を取り巻く環境は停滞している。国際保安局の捜査官はイギリスでしぶとく粘っているし、連盟内の議論は優位な状況を保ちつつ結果が出ないままで、アピスさんからの調査報告は未だ届かずといった具合だ。

 

そんな中、リーゼ様が私の様子を見にダイアゴン横丁に顔を出してくれたので、一応安全のためにと忠誠の術をかけっぱなしの人形店から出てきたわけだが……うーむ、可愛いな。今日のリーゼ様はいつもと違う髪型な所為で可愛さ五割増しだ。どうも咲夜がホグズミードで買ったバレッタをプレゼントして、ハーマイオニーがそれに合うようにセットしてくれたらしい。

 

サイドの髪を複雑に編み込んで、そこにコウモリをモチーフにした銀のバレッタを着けているリーゼ様を見て目を癒している私に、リーゼ様もまた同じような顔付きで私を見ながら返事を返してきた。

 

「そこはマクゴナガルも知らないらしいね。ただ杖を準備するようにと通達されたらしいよ。……アリス、ずっとその姿で居たらどうだい? 別に不便ではないんだろう?」

 

「普通に不便ですよ。高い所の物が取れませんし、手が小さいので人形作りにも影響が出るんです。だから騒動が落ち着いたら元に戻ります。」

 

「残念だね、実に残念だ。……本当に残念だよ。」

 

いくらリーゼ様の頼みでも、こればかりは頷けないぞ。子供の姿はそのくらい不便なのだから。残念を三連発してきたリーゼ様は、窓の外を眺めながら話を戻してくる。

 

「まあ、杖とやらは然程重要じゃないさ。重要なのはリヒテンシュタインで行われるパーティーの方だ。パーティーにはホームズ含め各国の要人が集まるから、ゲラートはそこで一手仕掛けるつもりみたいだね。」

 

「解任決議ですか?」

 

「というか、厳密に言えばその土台作りってとこかな。連盟のお偉いさんやホームズ本人を交えた『会談』を行うらしいよ。その場で論戦をふっかけて色分けしようってことさ。ついでに冤罪騒動に対する言及もね。」

 

つまり、ホームズの連盟内の協力者を炙り出そうというつもりなのだろう。アイスティーをストローで吸いながら頷いた私に、リーゼ様は尚も説明を続けてきた。

 

「当然、私も行くつもりだ。ボーンズに頼んで無理やりパーティーへの参加を捻じ込んでもらったよ。会談自体はパーティーとは別日になりそうだが、どうせなら参加しておこうと思ってね。」

 

「ホームズと直接会うってことですか。」

 

「そこが悩みの種なんだけどね。遠回しな手段は諦めて、サクッと殺しちゃうのも一つの手だと考えているんだが……キミはどう思う?」

 

「……難しいところですね。」

 

ホームズの立場が揺らぎ始めた今なら、彼が『不審死』してもどうにか有耶無耶に出来るかもしれないが……まあ、ギャンブルに出るよりは確実な手を選択した方が良いだろう。ストローで氷を揺らしつつ、リーゼ様に返答を投げかける。

 

「とりあえずはグリンデルバルドに任せるべきだと思います。委員会のためにも先ず政治的にホームズをどうにかするっていうのが当初の目的で、グリンデルバルドがそれを実現しつつあるわけですから、今無理に動いて状況を引っ掻き回すのは良くないんじゃないでしょうか?」

 

「んー、そうだね。分かり易い手段を使うのはゲラートが引き摺り降ろしてからにしようか。……キミも出るかい? パーティー。ずっと家に居るんじゃ暇だろう?」

 

「……それはまた、とんでもなく大胆な提案ですね。ホームズが魔女の操っている人形だとすれば、子供の姿だろうが私であることには気付くと思いますよ?」

 

「だから面白いんじゃないか。散々好き勝手されたんだから、ちょっと挑発してやってもバチは当たらないはずだ。目の前でおちょくってやりたまえよ。私が近くに居れば何も出来ないさ。」

 

クスクス笑いながら言ってくるリーゼ様に、微妙な表情で曖昧な首肯を送った。

 

「まあその……挑発云々を抜きにしても、パーティーには少しだけ興味がありますね。ホグワーツ以外の学校については殆ど知りませんから、各校の生徒がどんな雰囲気なのか見てみたいです。」

 

「私もきちんと見たことがあるのはボーバトン、ダームストラング、マホウトコロの生徒だけかな。他の三校はワールドカップの時にチラッと見かけたくらいだ。」

 

「カステロブルーシュが魔法薬学、ワガドゥが変身術でそれぞれ名高いですね。ちなみにマホウトコロが防衛術、ボーバトンが呪文学に精通しているのも有名な話です。」

 

他国から見るとホグワーツやイルヴァーモーニーはバランス良く教えているという印象らしい。そしてダームストラングはまあ、闇の魔術に深い造詣があるといった感じだ。

 

私が自分の中の知識を漁っていると、リーゼ様は鼻を鳴らして自身の認識を語ってくる。

 

「イルヴァーモーニーはホグワーツの『真似っこ学校』なんだろう? イギリス魔法界の出身者が創設したわけだし、当然っちゃ当然のことだろうが。」

 

「いや、詳しく紐解くとそういうわけでもないんですけどね。イゾルト・セイアはホグワーツに通わなかったみたいですし、ほぼオリジナルの学校を構築したんじゃないでしょうか? もちろん多少は参考にしているでしょうけど。」

 

とはいえ、参考にしているのは他校も同じなはずだ。ホグワーツとワガドゥが長い歴史を持っていて、他は軒並み後発の魔法学校なのだから。マホウトコロだけは日本という国の性質上独自の魔法文化を形成したらしいが、それでもいくらか影響は受けて……いるのか?

 

むう、自信が無くなってきたな。カンファレンスの時にマホウトコロ校内に展示されていた昔の文書を見た限りでは、どうやら『魔法処』というシステムが作られる以前にも魔法学校に似た施設はあったらしいし、私が思っているよりも歴史は古いのかもしれない。

 

うーん、そうなってくるとカステロブルーシュあたりも本当に『後発』なのかが怪しくなってくるぞ。ボーバトン、ダームストラング、イルヴァーモーニーの三校は明確な設立時期がはっきりしているものの、考えてみればワガドゥ、マホウトコロ、カステロブルーシュの三校はどの本を読んでも明記されていなかったはずだ。

 

イギリスではホグワーツこそが『最も古き由緒ある魔法の学校』ということになっているが、実際は違う可能性もあるなと思考を巡らせていると……どうしたんだ? リーゼ様がニヤニヤ笑いながら窓の外を眺めているのが目に入ってきた。何を見ているのかと視線を辿ってみると──

 

「あれって、国際保安局の人ですよね?」

 

緑色の光るスーツを着た眼鏡の男性が、何故かびしょ濡れの状態で通りを歩いているのが視界に映る。何があったのかと訝しみながら問いかけてみると、苦笑を浮かべたリーゼ様が応じてきた。

 

「次局長のフリーマンだよ。ジャック・フリーマン。……うーん、哀れなもんだね。私が思うに、今回の騒動の一番の被害者はあの男さ。」

 

「あの人は人形じゃないんでしょうか?」

 

「だと思うよ。あまりにも人間らしい災難に遭いすぎてるからね。……おお、ガキは容赦がないな。」

 

私たちが話している間にも、駆け寄ってきた六歳ほどの少年たちがフリーマンに何かを投げつける。もう盾の呪文で防ぐのも面倒くさいといった諦め顔でそれを受けた哀れな次局長は、至近距離で弾ける癇癪玉を完全に無視して歩いているが……まあうん、あれはちょっと可哀想だな。イギリスの悪戯っ子たちの『標的』になってるじゃないか。

 

ここまで響く物凄い大音量なのに、気にも留めていないあたりがむしろ憐れみを誘うぞ。要するに慣れてしまったということなのだろう。それは慣れるまで同じ悪戯を食らっているという意味に他ならない。

 

何とも言えない気分でその光景を眺めていると、リーゼ様が徐に窓をコンコンと叩いた。ちょうどフリーマンが近くを通り過ぎようとしているタイミングでだ。

 

「ちょちょ、何してるんですか?」

 

「なに、紅茶でも奢ってやろうかと思ってね。あの姿を見てると、一周回ってこっちが迷惑をかけている気分になってくるだろう?」

 

「いやいや、あの人は私のことを拘束しようとしてるんですよ?」

 

「平気だよ、今のキミは可愛い十歳のアリスちゃんなんだから。」

 

そりゃあそうだけど、わざわざ招く必要があるのか? 適当な発言で私の抗議を受け流したリーゼ様は、音に気付いたフリーマンへと手招きしているが……相変わらずいきなり凄いことをするな。無茶苦茶だぞ。

 

『翼付き』の招待を受けたフリーマンはギョッとしながらその場に立ち止まるが、やがてカフェの入り口へと移動して店内に入ってくる。すぐさま女性店員が『招かれざる客』に文句を言うのに、リーゼ様が取り成すように声を上げた。

 

「お客様、申し訳ありませんが当店は『国際保安局お断り』でして──」

 

「構わないよ、私が呼んだんだ。ちょっと話をしたくてね。悪いが入れてやってくれたまえ。」

 

「……かしこまりました、こちらへどうぞ。」

 

具体的にリーゼ様が誰なのかは分かっていないようだが、兎にも角にも『翼付き』が言うならと店員はフリーマンをこちらに案内する。そのまま席に着いた眼鏡の次局長へと、リーゼ様が皮肉げに笑いながら話しかけた。

 

「やあ、フリーマン君。私のことはご存知かな? 八月の終わり頃に会った時は自己紹介をする暇もなかったわけだが。」

 

「存じております、ミス・バートリ。スカーレット氏のご親戚で、今は頻繁に大臣室に出入りをしているとか。」

 

「情報収集を怠っていないようで何よりだよ。こっちの女の子は私の親戚だ。大人しくさせておくから気にしないでくれたまえ。……最初に疑問を晴らしておきたいんだが、キミは何故びしょ濡れなんだい?」

 

「少し離れた商店でマーガトロイドのことを聞いてみたところ、追い出された挙句に水をかけられましてね。前方と頭上からかけてきた水は防げたのですが、後方と左右のを防げませんでした。お陰でこのザマです。」

 

説明を聞いてもいまいち理解できないような状況だな。四方八方から同時に水をかけられたってことか? 謎すぎる返答に顔を引きつらせる私を尻目に、リーゼ様はクスクス微笑みながら肩を竦めた。

 

「同情はしておくよ。ついでに助言もしておこうかな。……諦めて北アメリカに帰りたまえ、フリーマン君。これは挑発でもなんでもなく、心からキミに同情しての助言だ。キミだってここでそんなことをしていても意味がないことには気付いているんだろう?」

 

「助言には感謝しますが、何も得られずおめおめと帰国するわけにはいきません。我が国で苦しんでいる遺族のためにも、そしてイギリスの安全のためにも、我々はマーガトロイドを見つけ出さねばならないのです。」

 

「ふぅん? イギリスのためにも、ね。健気なもんじゃないか。」

 

「それが国際保安官としての責務ですので。……こちらからも貴女に質問があります。マーガトロイドは何処に隠れているのですか? 貴女はフランスでマーガトロイドのことを『家人』と言っていました。ならば現在の居場所を知っているはずです。もしダイアゴン横丁の人形店に隠れているのであれば、秘密の守り人を教えていただきたい。」

 

本人も守り人も目の前に居るぞ。水滴が付いたままの眼鏡を拭きながら聞いたフリーマンへと、リーゼ様は首をかっくり傾げてわざとらしい返事を返す。

 

「さてさて、見当もつかないね。見つけたら夕食までに帰って来るようにと伝えておいてくれたまえ。」

 

「……私には貴女を強制的に連行する権利があります。」

 

「おいおい、この前の騒動で懲りなかったのかい? それにだ、連盟の捜査権で吸血鬼を連行するとかなり面倒な事態になるぞ。……自分でもよく分からないからこの機会に聞いておこうかな。そもそも私はイギリス魔法界の所属なのかい? 北アメリカでは吸血鬼は『ヒト』なのか?」

 

「どういう意味でしょうか?」

 

本気で分かっていない様子のフリーマンに、リーゼ様はピンと指を立てながら疑問の内容を解説し始める。

 

「つまりだね、吸血鬼という生き物は国際魔法使い連盟の制限が及ぶ存在なのかということだよ。キミたちは『イギリスの魔法使い』を強制的に連行できるかもしれないが、『イギリスの吸血鬼』を連行できるかは不明瞭なはずだ。」

 

「それは詭弁です。」

 

「詭弁だからこそ有効なのが政治の世界だろうに。トロールを『ヒト』にするかどうかで大揉めした連盟だぞ? それが吸血鬼ともなれば荒れに荒れるだろうね。そういう面倒な議論が嫌なら私を連行するのはやめておきたまえ。」

 

「……まあ、本気でやろうとは思っていませんよ。この国が吸血鬼を特別視していることは嫌というほど理解しましたから。」

 

疲れたようにため息を吐いたフリーマンに対して、リーゼ様もまたため息を吐きながら話題を切り替えた。

 

「そうだね、私のことはどうでも良い。……どうかな? 本音で言えば、少し疑念が湧いてきたんじゃないか? キミはまだアリスが犯人であると本気で信じているのかい?」

 

「無論、信じています。」

 

「問題はキミが『何を』信じているかってことさ。アリスが犯人であるという部分を信じているのか、それともそうだと主張しているホームズのことを信じているのか。……捜査内容を客観的に鑑みて、アリスが犯人であることを疑っていないと杖に誓えるかい? それを聞かせてくれたまえよ。」

 

リーゼ様の問いかけにピタリと動きを止めて沈黙したフリーマンは、窓の外に広がるダイアゴン横丁を見ながら口を開く。重苦しい表情でだ。

 

「……ホームズ局長は私を引き上げてくれた恩人です。」

 

「質問の答えになっていないね。……ま、いいさ。キミの気持ちはよく分かった。その上でもう一つ助言をあげよう。本気で捜査官という職に誇りを持っているのであれば、それに恥じない行動を選択したまえ。たとえそれが恩人の意思に反する行為だとしてもだ。個人か、公人か。どっち付かずで居るといつか痛い目に遭うぞ。」

 

「……貴女にはそれが出来ると?」

 

「出来ないし、やろうとも思わないね。私は個人であることを尊重することに決めてるんだ。だからまあ、私がキミなら無実の人間を投獄することになってもホームズを立てようとするんじゃないかな。」

 

あっけらかんと主張したリーゼ様は、ぽかんとするフリーマンへと言葉を繋げる。

 

「だが、キミは私じゃないだろう? ジャック・フリーマン。だったら他者がどうであるかなんてどうでも良いんだ。自分できっちり選択したまえ。私が言いたいのは、どっち付かずは良くないってことなんだから。」

 

リーゼ様の助言を受けたフリーマンは、暫くの間難しい顔付きで黙っていたが……やがてガタリと席を立つと、一言だけ残してカフェを出て行った。

 

「助言に感謝します、ミス・バートリ。先程の同じ台詞は建前でしたが、これは本心からの感謝です。」

 

肯定でも否定でもなく、感謝を口にしたフリーマン。その緑色の背が出口を抜けていくのを横目にしつつ、リーゼ様は鼻を鳴らしてポツリと呟く。

 

「難儀な男だね。責任感が強すぎて損をするタイプだぞ、あれは。やっぱり好き勝手に生きるのが一番さ。」

 

「あの人、捜査を洗い直すつもりなんでしょうか?」

 

「分からんが、疑念の種は植え付けた。芽吹くかどうかはフリーマン次第かな。植えるだけならタダなんだから、こういうのはどんどんやっていかないとね。」

 

うーむ、吸血鬼の本領発揮ってわけだ。フリーマンは先程の『説教』に何かを見出していたようだが、リーゼ様にとっては適当に放った台詞に過ぎないのだろう。こういうところはレミリアさんのやり方に通じるものがあるな。……まあ、どんな意図だろうが切っ掛けは切っ掛けだ。結果的にそれが良い方向に働くのであれば、そう悪い行いではないはず。

 

吸血鬼は人を惑わす種族なんだなと改めて実感しつつ、アリス・マーガトロイドはアイスティーの残りを飲み干すのだった。

 



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杖診断

 

 

「まあ、順調っちゃ順調だよ。今年は珍しいことに、誰もハリーのことを殺そうとしてないからな。その分目の前の問題に集中できるってわけさ。」

 

暖炉の前の一人掛けソファの上で肩を竦める魔理沙に、サクヤ・ヴェイユは呆れた顔で頷いていた。身も蓋もない言い方だけど、確かにその通りだ。私が一年生の時から去年の四年生まで。毎年誰かしらがポッター先輩の命を狙っていたわけなんだし、それ抜きだとすれば順調なのは当然のことだろう。

 

十月の二週目が終わろうとしている金曜日の夜、私と魔理沙と七年生の四人は談話室でお喋りの真っ最中だ。魔理沙とポッター先輩が代表チームの練習についてを話してくれていたのだが、二人によれば比較的スムーズに連携が固まってきているらしい。

 

呪文学の宿題を片付けながら言った魔理沙に、防衛術のレポートを仕上げているポッター先輩が応じる。ちなみに魔理沙のは私が、ポッター先輩のはハーマイオニー先輩がお手伝い中だ。

 

「アレシアも慣れてきたみたいだよ。チーム全員が気を使ってくれてるっていうのもあるけど、アレシア本人も成長してるみたいだね。」

 

「相方はスリザリンのシーボーグなのよね? あの体格が良い六年生。気難しそうな見た目だけど、アレシアは怖がってないの?」

 

「それがシーボーグのやつ、かなり慎重に接してるんだよ。ああ見えて案外気が回るタイプだったみたいでな。新しい一面を垣間見れた気分だぜ。」

 

ハーマイオニー先輩の質問に答えた魔理沙へと、外国の新聞を読んでいるリーゼお嬢様が相槌を打つ。ロシア語かな? 私は全然読めないぞ。

 

「杖とやらはどうなったんだい? 決まったのか?」

 

「よく分からんし、もうエボニーでいいんじゃないかってなってるな。ハーマイオニーが調べてくれたところによると、エボニーの杖の持ち主は『信念を貫く』とか『自立している』とかって特徴があるらしいしさ。悪くはない素材だろ。」

 

「ふぅん? 『杖診断』ってわけだ。……アカシアはどうなんだい? 私の杖はそれなわけだが。」

 

「そこまではちょっと分からないわ。それに、杖に関しては意見が分かれる本が多かったの。杖作りによって同じ杖でも全然違った見解があるみたい。」

 

ハーマイオニー先輩が困ったような表情で言うのに、薬学の課題を進めているロン先輩が提案を投げた。

 

「オリバンダーに聞いてみるのはどうだ? 杖作りの方じゃなくて、一年生のオリバンダー。何か知ってそうじゃないか?」

 

「あー、オリバンダーか。……でもよ、まだ一年だぜ? つまり十一歳ってこった。オリバンダー家とはいえ、さすがに詳しくは知らないんじゃないか?」

 

「あれだけ歴史が長い杖作りの家で育ったら、嫌でも詳しくなりそうに思えるけど……もう寝ちゃったか? 見当たらないな。」

 

魔理沙に返事をしながら生徒たちで賑わう談話室を見回すロン先輩へと、ポッター先輩が校庭側の窓際を指差して『発見報告』を送る。

 

「あそこに居るね。今日も一人で本を読んでるみたい。」

 

「まだ友達は出来てないってわけか。……どうする? 呼んでみるか? いきなり上級生の集団に呼び出されたら驚くかな?」

 

「それは気にしすぎだろ。……おーい、オリバンダー! ちょっとこっちに来いよ! 聞きたいことがあるんだ!」

 

ロン先輩の懸念を流した魔理沙が大声で呼ぶのに、オリバンダーはムスッとした顔を上げて素直に近付いてくるが……私だったらあまり知らない上級生に呼ばれるのは怖いけどな。魔理沙基準だとそうでもないってことか。

 

「……なんですか?」

 

太っているというよりも『がっしりしている』と表現すべき見た目のオリバンダーへと、魔理沙が杖についての質問を始めた。しかしまあ、随分と貫禄がある一年生だな。ブラウンの短髪の下のそばかすだらけの顔には、上級生相手だというのに面倒くさいという表情を隠すことなく浮かべている。十一歳とは思えない太々しさだぞ。もしかしたらハーマイオニー先輩と同じように、九月生まれとかなのかもしれない。それにしたって図太すぎる気もするが。

 

「トーナメントの代表選手が杖を決めなきゃいけないってのは知ってるか? 噂になってると思うんだが。」

 

「噂話をする相手が居ないので知りません。……杖?」

 

「『チームの象徴となる杖』を一本選べって主催者側から言い付けられてるんだよ。オリバンダーが……ダイアゴン横丁の杖作りのオリバンダーが作るってマクゴナガルが言ってたんだが、そっちからも聞いてないか?」

 

「ひいお爺ちゃんが? ……知りませんでした。意外ですね。ひいお爺ちゃんは『持ち主が居ない杖』を作るのは嫌いなはずなんですけど。」

 

心底意外そうに呟くオリバンダーへと、リーゼお嬢様が興味深そうな顔付きで質問を飛ばした。

 

「おや、ギャリック・オリバンダーは曽祖父なのか。息子の息子の娘ってことかい?」

 

「息子の娘の娘です。別段違いはないでしょうけど。」

 

「ふぅん? 息子が跡を継ごうとしているのは風の知らせで聞いてるが、キミはどうなんだい? 杖作りに興味は?」

 

「なれるかは分かりませんが、なりたいとは思っています。……私は『将来の夢』を聞くために呼ばれたんですか?」

 

うーん、愛想が悪いな。『ムスッと顔』に戻ってしまったオリバンダーに、ポッター先輩が取り成すように言葉をかける。見た目通り気難しい性格らしい。

 

「ごめんごめん、そうじゃないんだよ。聞きたいのは杖のことなんだ。代表選手で選べって言われてるんだけど、僕たちには杖に関する知識がなくてさ。詳しく知ってたら教えて欲しいと思って。」

 

「……それなりには知ってます。私はよく店の手伝いをしていたので、その時にひいお爺ちゃんが色々と教えてくれました。」

 

「じゃあよ、先ずエボニーの杖の特徴を教えてくれ。今最有力の候補はそれなんだ。」

 

魔理沙が放った本命の問いかけに対して、オリバンダーは予想以上にスラスラと回答を寄越してきた。記憶の中の知識を読み上げているような口調でだ。

 

「黒檀は不死鳥の羽根やドラゴンの心臓の琴線が芯材なら防衛術に向き、ユニコーンの毛が芯材なら呪文学に向きます。意志が強くて目的意識がはっきりしている所有者を好み、頑固で疎外的な人が杖に選ばれることが多いです。魔法力の伝達自体は並以上ですが、どちらかと言えば繊細な呪文を使うのが得意な杖ですね。」

 

「ふぅん? ……エボニーにユニコーンの毛、19センチ。キミはこの杖をどう見る?」

 

「そこまで短い黒檀の杖は聞いたことがありませんけど、黒檀は短ければ短いほど扱いが難しくなるはずです。まともに使えているなら非常に実力のある魔法使いが持ち主で、かつかなり頑固な性格なんだと思います。」

 

「大正解だ。これは参考にして良さそうだね。」

 

誰の杖のことを言っているのかは分からないが、とにかくリーゼお嬢様としては納得の考察だったらしい。愉快そうな笑みを浮かべつつ、真っ白な杖を抜いてオリバンダーに示す。

 

「こっちはどうだい? アカシアにドラゴンの心臓の琴線、25センチ。私の杖だ。」

 

「アカシアの杖に選ばれる魔法使いは稀で、ひいお爺ちゃんの店には殆ど置いてません。ですが、選ばれさえすれば魔法使いの力を最大限に引き出すと聞いています。長さが25センチならバランスが良く、ドラゴンの心臓の琴線が芯なら比較的乱暴な扱いにも耐えられる杖ということになりますね。……白いアカシアの杖を見たのは初めてなので、私には細かいところまで判断できません。ひいお爺ちゃんの店で買った杖ですか?」

 

「今から百年ほど前にね。」

 

リーゼお嬢様の返答を受けて、オリバンダーは驚きながら白い杖を見つめる。そんな一年生へと、今度は魔理沙が自分の杖を抜いて質問を口にした。

 

「なら、こいつはどうだ?」

 

「クリですね。クリは使い手や芯材に左右され易い素材で、何か一つの才能に秀でた所有者を好むとされています。ドラゴンの心臓の琴線が芯材なら収集癖があり物質欲が強く、ユニコーンの毛が芯材なら公明正大で私情に左右されず、不死鳥の羽根が芯材なら忠誠心があり個人を重んじる、といったように組み合わせによって求める性格がガラリと変わる杖です。長さによっても変化しますけど、そこまでは複雑すぎて覚えていません。」

 

「……収集癖と物欲か。なんか嫌な評価だな。」

 

魔理沙のは確かドラゴンの心臓の琴線が芯材だったはずだ。当たっているなとうんうん頷いている私を他所に、ポッター先輩も杖を差し出す。みんな当初の目的を忘れていそうだな。杖診断の会場になっちゃってるぞ。

 

「これはどうかな? ナナカマドに不死鳥の風切羽なんだけど。」

 

「ナナカマドはあらゆる杖の中で最も防衛術に向いている杖で、特に護りの魔法においては他の杖を遥かに上回る適性を発揮します。ナシほどではありませんが、リンゴやポプラと同じように闇の魔法使いに使われることを嫌うため、高名な闇祓いに使い手が多いとひいお爺ちゃんは教えてくれました。……ニワトコの杖の持ち主と惹かれ合うとも言ってましたね。」

 

ニワトコの杖と? それを聞いたリーゼお嬢様が目を丸くしてポッター先輩を見る中、私も自分の杖を抜いてオリバンダーに見せてみる。脱線した話題を修正するのは、自分の杖を見てもらってからにしよう。気になるし。

 

「これはどう? 28センチ、芯は不死鳥の羽根よ。オリバンダーさんはこれを私に売ってくれた時、何故か不思議そうな顔をしてたんだけど。」

 

「イチイですか。……イチイは絶対に平凡な魔法使いを選びません。特殊な運命や才能を持った魔法使いにだけ忠誠を示し、よって歴史に名を残す英雄や悪人が所有者になることが多いそうです。互いに所有者を守ろうとする柊の杖とは相性が悪く、また同じく英雄の持つ杖とされるイトスギとも反発し合うとか。」

 

むう、良い評価なのか悪い評価なのか分かり難いな。英雄か、悪人か。とにかく偉大なことをする所有者が多いわけだ。……まあうん、そう考えれば悪い気はしないかな?

 

微妙な気分になりながら杖を引っ込めた私に、オリバンダーはやや言い難そうに情報を追加してきた。

 

「……例のあの人の杖もイチイに不死鳥の羽根です。それに大魔女モルガナの杖もひいお爺ちゃんは同じ組み合わせだと睨んでいました。長年杖を研究していても謎が多い、良くも悪くも特別な杖だと。」

 

ヴォルデモートと同じ組み合わせ? ……なんか、一気にケチが付いちゃったな。そういえば杖を買った時、アリスも少し反応していた気がするぞ。あれはそのことを知っていたからなのか。

 

何だかモヤモヤする感情を内心に残しながら、サクヤ・ヴェイユは自分の杖を見つめるのだった。

 

 

─────

 

 

「あーくそ、上手くいかんな。私のパスが強すぎるか?」

 

地上に居る時よりも数段寒く感じる秋風を我慢しつつ、霧雨魔理沙はマルフォイとロイドに対して質問を飛ばしていた。十月も半分が過ぎた水曜日の早朝、毎度お馴染みの朝練を行なっているのだ。今日は初めて全ポジションが参加する試合形式での練習をしているわけだが、どうにもチェイサー三人の連携が噛み合っていない気がするぞ。ポジション別の練習では上手くいってたんだけどな。

 

ちなみに敵役としてグリフィンドールとハッフルパフの混成チームが手伝ってくれており、観客席にはレイブンクローとスリザリンの選手たちも顔を出している。恐らく今日の練習を観察することで、今度相手役を務める時の参考にするつもりなのだろう。

 

わざわざ朝に起きて手伝ってくれている連中のためにも、私たちは結果を出さなければならない。そう思って気合を入れながら放った問いに、少し先を飛んでいるロイドが答えてきた。

 

「どちらかと言えば、僕がパスを受け損ねたのが問題だね。早いパスを受けるのが難しいのは当然だけど、それは同時に敵にカットされ難いって意味でもあるはずだ。キリサメはそのままでいいよ。こっちで調整してみせるから。」

 

「だったら遠慮なくいかせてもらうぜ。……マルフォイ、そっちはどうだ? やり難くないか?」

 

「当然やり難いが、レベルが高くてやり難いのはむしろ歓迎すべき事態だ。ロイドの言う通りこっちで合わせる。タイミングはこのままでいこう。」

 

「おっし、それでこそだ。……もういいぞ、ジニー! 再開してくれ!」

 

待ってくれていた敵役チェイサーのジニーに合図を送って、練習試合を再開する。……マルフォイの言う通り、このチームはレベルが高い。全校生徒の中から各ポジションのスペシャリストを選出したんだから当たり前だが、それだけに高望みをしてしまうのだ。

 

形になれば強いものの、不完全では意味がない。その辺のバランスが難しいなと考えながら上空からのマルフォイからのパスを受けて、そのままゴール向かって箒を走らせた。

 

「ロイド!」

 

途中でハッフルパフのチェイサーの妨害を受けたので、斜め下のロイドに全力でパスしてみれば……あちゃー、またダメか。クアッフルには当然物理法則が適用されるため、基本的に上から下へのパスが最もスピードが出る。故にカットし難くてタイムラグも少ないのだが、勢いがありすぎると片手でパスを受けるのもまた難しいわけだ。

 

「悪い、キリサメ!」

 

悔しそうに顔を歪ませるロイドが掴もうとしたこぼれ球を、横から抜けてきたジニーが掻っ攫った。ニヤリと笑ってボールを確保した赤毛の友人は、素早くくるりと反転してゴールへ向かおうとするが……お見事。アレシアの打ち込んだブラッジャーがジニーの脇腹に激突する。練習用でもあれは痛いぞ。

 

「いいぞ、リヴィングストン! 完璧だ! 非の打ち所がない!」

 

大袈裟に褒め称えるシーボーグへと、アレシアが恥ずかしそうな笑顔で棍棒を控え目に突き上げた。当初の予想とは裏腹に、ビーター陣が一番上手くいっている理由がこれだ。シーボーグはとにかくぷるぷるちゃんを褒めまくって緊張を緩和させる作戦を選択したようで、スリザリンとグリフィンドールとは思えないやり取りをしつこいほどに繰り返しているのである。

 

とはいえ、そのお陰でアレシアは事あるごとに褒めてくれるスリザリンの上級生を怖がらなくなった。おまけに失敗してもすぐさまフォローが入るので、伸び伸びとプレーできているようだ。

 

協調性があるスリザリン生と臆病なグリフィンドール生。六年生と二年生の性格も体格も凸凹なコンビのことを横目にしつつ、ジニーが落としたボールを私が拾うと……良い場所に居るじゃんか。それを予期していたようなポジションに居たマルフォイが視線でパスを要求してくる。あいつ、本当にシーカーだったのかが疑問になるほどチェイサーが上手いな。

 

「ほらよ!」

 

つまるところ、マルフォイはポジション取りが絶妙なわけだ。小手先の技術で勝負するんじゃなくて、居て欲しい時に居て欲しい場所に居るようなタイプ。もしかしたらシーカーとして上空から試合を俯瞰していた経験が働いているのかもしれないなと考察していると、パスを受け取ったマルフォイが敵キーパーのロンの前でボールをひょいと放り、それを自分が乗っている箒の尾で弾き飛ばした。

 

チェイサーがよくやる箒を使ったシュートを目にして、球威がある球が来ると身構えたロンだったが……よしよし、成功だな。マルフォイのシュートに見せかけたパスは緩い速度で上に打ち上がり、それをロイドが拾ってシュートを──

 

「うお、やるな。」

 

する前に、赤毛のキーパーどのが強引に上がってきてシュートコースを塞ぐ。ロンのやつ、絶好調じゃんか。その動きを公開試験の時に見せろよな。

 

ロンが勝利を確信した笑みでシュートを阻むのに、少し離れた場所を飛んでいるジニーがガッツポーズしているが……うーん、残念。ロイドはシュートしようとした球を自由落下で落としてしまった。ロシアのナショナルチームがよく使うテクニックで、『ジャグリング』とかって言うんだとか。ゴール前で何度もフェイントを交えた細かいパスをして、キーパーを混乱させるわけだ。

 

ロンが顔に浮かべている感情を喜びから驚愕に変える中、再びボールを持ったマルフォイが彼の下を通り過ぎて、完全にフリーの状態で見事にシュートを決める。今回のジャグリングは完璧だったな。これなら実戦でも問題なく通用するだろう。

 

「代表チームのゴール! これで40対0!」

 

審判役をやってくれているフーチが笛を吹いた直後、悔しそうな表情のロンがカウンターのために急いでクアッフルを投げようとするが、その前にずっと上空を飛んでいたハリーが急降下するのが目に入ってきた。

 

「キリサメ、ポッターを援護しろ! あれはフェイントじゃない!」

 

「はいよ、任せとけ!」

 

マルフォイの指示を受けて一番近い私が援護に向かおうとするものの、近付く間も無くハリーは捕らえたスニッチを拳に握って突き上げてしまう。試合終了か。思ってたよりも早めに終わっちゃったな。

 

「試合終了です! 190対0で代表チームの勝利!」

 

フーチが高らかに試合の終わりを宣言するのと同時に、飛行していた全選手が競技場の中央へと向かい始めた。昨夜の小雨でべちゃべちゃになっているグラウンドに着陸してハリーにハイタッチしてやると、彼は申し訳なさそうな顔付きで『言い訳』を述べてくる。

 

「練習なんだし、本当は早く終わらせても仕方がないんだけど……見つけたから思わず捕っちゃったよ。ダメだったかな?」

 

「まあいいんじゃないか? そろそろ朝メシの時間だし、反省会をしてちょうど良いくらいだろ。そっちから見てチェイサーの動きはどうだった?」

 

「パスの失敗は課題として、全体的な動きそのものは良かったと思うよ。お世辞でも何でもなく、プロの連携みたいだった。」

 

「そりゃまた、嬉しい評価だな。」

 

照れ臭い気分でハリーの肩をバシンと叩いてやれば、下りてきたボーンズも話に乗っかってきた。

 

「そうね、チェイサーとビーターは予想以上の動きよ。お陰で私の練習になってないわけだけど。」

 

「あー、そっか。敵からのシュートがあんまり無かったな。」

 

「まあ、キーパーは試合形式じゃなくても練習できるからね。気にしないで頂戴。……マルフォイ、キャプテンとしてはどう?」

 

ボーンズが苦笑しながらマルフォイに振ると、オールバックのキャプテンどのは一つ首肯してから評価を纏める。セットするのに時間がかかりそうなのに、朝練の時も隙なくこの髪型だな。何時に起きてるんだ? こいつ。

 

「ああ、悪くなかった。予想以上だ。これなら他のポジションに関わる練習をしても問題ないだろうし、昼休みはビーターとキーパーが合同でブラッジャーへの対処を含めたディフェンスの特訓、シーカーはチェイサーを交えたフェイントの練習をしよう。」

 

「とりあえず土台は形になったってわけか。」

 

「相手のやり方が予想できる学内のリーグと違って、トーナメントは一度も戦ったことがない他校のチームが相手になる。特に初戦は情報がゼロだから、どんな相手にも対応できるように基礎を重視していきたい。このまま土台固めを続けつつ、ポジション間の連携を深めていこう。」

 

ポジション内の訓練からチーム全体の訓練へと移行していくわけだ。マルフォイの計画に全員が納得して頷いた後、シーボーグがおずおずと問いを口にした。

 

「ドラコ先輩、パーティーの件はどうなっているんでしょうか? もう半月ありませんけど、何か準備する物とかは?」

 

「杖はエボニーに決まったし、着ていく服以外は特に準備しなくていいそうだ。ロイド、そっちは大丈夫か? 何を着るかで悩んでいたようだが。」

 

「幸い母がスーツを買ってくれましたから、それを着るつもりです。特に高級な品ってわけではないんですけど、普通のスーツで問題ないんですよね?」

 

「学生だからその辺は問題ないだろうし、不安なら僕のアクセサリーを貸そう。適当に着ければ箔が付くはずだ。……他に不安な者は?」

 

ハリーはリーゼからプレゼントしてもらった一張羅を着るらしいし、ボーンズやマルフォイ、シーボーグなんかは名家の出身だけあって慣れているはずだ。私のはアリスが作ってくれるから問題ない。そんなことを考えていると、視界の隅で遠慮がちに手が上がる。アレシアの小さな手が。

 

「あの、私……魔法界の正装がよく分かりません。何を着ていけばいいんでしょうか?」

 

「マグル界のドレスでも問題ないと思うが……どうなんだ? ボーンズ。僕は女性の正装にはあまり詳しくない。」

 

「私は逆にマグル界のドレスがどんなものなのかがいまいち掴めないわ。……もう学校に持ってきてるの?」

 

「いえ、代表になったお祝いに両親が買ってくれるようなんですけど、現物はまだ無いんです。何と言うか、両親の方もどんな服を買えばいいのかが分からないようでして。」

 

その言葉に、代表チームの全員が難しい顔で悩み始めるが……これはまた、面白い光景だな。スリザリンの二人も真剣に考えてるぞ。昔のホグワーツなら名家出身のスリザリン生が、マグル生まれのためにマグル界のドレスについてを考えるなんてジョークにもならなかったはずだ。

 

まあうん、悪くない変化ではあるな。敵役をしてくれていた面々が悩む私たちを見て何事かと近付いてくる中、霧雨魔理沙は奇妙な状況に苦笑いを浮かべるのだった。

 



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テーラーの幸せ

 

 

「良かった、ぴったりですね。採寸してないから不安だったんですけど、これなら問題なさそうです。」

 

ニコニコ微笑みながら堂々と嘘を吐いたアリス・マーガトロイドは、ボーイッシュな『なんちゃって正装』姿のリーゼ様にうんうん頷いていた。ネックだろうがウェストだろうがヒップだろうがバストだろうが、採寸などしなくてもミリ単位でサイズを完璧に把握しているので、そもそもぴったりじゃないはずがないのだ。わざわざそのことを口に出すつもりはないが。

 

今月最後の日曜日である十月二十六日のお昼前。現在の私たちは魔法省地下一階の小部屋を借りて、リーゼ様のために作った『お洒落スーツ』のチェックをしている真っ最中だ。やはりリーゼ様は中性的な格好がよく似合うな。ホグワーツの制服姿も可愛らしくて大好きだが、こっちもこっちで堪らない。要するに何を着ても素晴らしいということなのだろう。

 

警戒されずにリーゼ様の肢体をジロジロ見ることが出来る状況を遺憾無く有効活用している私に、当の本人は『着せ替え人形』にされることに慣れている様子で相槌を打ってくる。エマさんに同じことを何度もされているからかな?

 

「ふぅん? 対抗試合のダンスパーティーの時の服に似てるね。」

 

「あの時よりはちょっとだけフォーマル寄りにしておきました。どうですか? 軽い手直しくらいならここでも出来ますけど。」

 

「問題ないよ、動き易くて文句なしだ。現代的でカッコいいしね。……つくづく良い時代になったもんさ。昔は正装となると嫌でもドレスを着させられてたよ。」

 

「嫌いなんですか? ドレス。」

 

翼を出すための背中側の穴を調整しながら聞いてみれば、リーゼ様は擽ったそうに身を震わせて首肯してきた。付け根をいきなりギュってしたらどんな反応をするんだろうか? 無防備すぎて何だかゾクゾクしてくるな。

 

「大嫌いさ。昔は忌々しいコルセットを着ける必要があったしね。私と同じく、母上もあの『拘束具』を憎んでいたよ。」

 

「あー、コルセットですか。私は使ったことがないんですけど、苦しいってのはよく耳にします。」

 

「私や母上は痩せていたからまだマシだったが、多少『健康的』な体型になると拷問に早変わりだ。衰退してくれて何よりだよ。……そういえば、キミの服はどれなんだい? その服でパーティーに出るわけじゃないんだろう?」

 

「私のは普通に子供用の青いドレスですよ。小さくした人形を仕込めるようにはしましたけど、別段目立つような服ではないはずです。」

 

つまるところ、私たちは連盟が主催するパーティーのためにリヒテンシュタインに移動する直前なのだ。マクゴナガル率いる代表選手たちはホグワーツから、そして招待客であるリーゼ様と私、スクリムジョールやフォーリーなんかは魔法省からポートキーで移動する手筈になっている。無論イギリスからの参加者はそれだけではなく、他にも数名の著名人が招かれているらしい。

 

ちなみに私の外的な身分は、予定通りリーゼ様の親戚ということになっているそうだ。アメリアがギリギリで参加を捻じ込んでくれたのだとか。必要以上に身体を近付けて、ショートパンツの丈を確認するフリをしながらタイツに包まれたリーゼ様の内腿をジッと見つめていると、部屋のドアがノックされると共に呼びかけが聞こえてきた。くそ、タイムアップか。折角のタイツなのに。内腿なのに。

 

「バートリ女史、マーガトロイドさん、そろそろ出発の時間です。大臣室への移動をお願いします。」

 

「ええ、今行くわ。……それと、今日の私はまだ十歳の『アリス・カトリン』よ。『マーガトロイドさん』はやめて頂戴。」

 

「向こうに行ったら直しますよ。……マイナス六十歳ってのは中々のものですね。」

 

「聞こえてるわよ。」

 

好きで『若作り』しているわけじゃないんだからな。ドア越しに呟いたロバーズに鋭い指摘を送ってから、実はとっくの昔に終わっていたチェックを切り上げて使っていたメジャーなんかをトランクに仕舞う。リーゼ様は身分が身分だけに最初からこの格好だが、私は向こうに着いたら着替えるってことで大丈夫なはずだ。控え室を用意してくれるらしいし。

 

「ほら、トランクは私が持つよ。キミは小さいんだから無理しちゃダメだ。」

 

「いやいや、私の荷物なんですから私が──」

 

「なぁに、どうせ部屋を出たら持つのはロバーズさ。」

 

相変わらずこの姿だと優しくしてくれるリーゼ様は強引にトランクを引ったくって、ドアを抜けるや否や廊下で待っていたロバーズにそれを押し付ける。そして当然のようにそれを受け取ったロバーズは、トランク片手に私たちのことを先導し始めた。荷物持ちをさせられることに疑問はないのか?

 

「こっちです。……お似合いですよ、バートリ女史。雰囲気が出ています。こう、独特の雰囲気が。」

 

「どうも、局長君。『お世辞感』をもう少し抑えてくれれば嬉しかったかもね。」

 

「本心ですよ。……本心っぽく聞こえませんでしたか?」

 

「本心っぽくはなかったが、『言わなきゃいけない』って内心は聞こえてきたかな。ついでに言うとその質問で更に減点だ。落第だよ。」

 

真紅の絨毯が敷かれた廊下を進みながらダメ出しするリーゼ様に、ロバーズはやり難そうな苦笑を浮かべて押し黙る。この辺のやり取りはレミリアさんもリーゼ様も変わらないな。吸血鬼の前だと新局長どのは『下っ端』に戻ってしまうようだ。

 

そのまま大臣室に到着した私たちが、ノックをしてから部屋に入ってみれば……揃っているな。ウィゼンガモットの紋章が入った黒い儀礼用ローブ姿のフォーリーと、毎度お馴染みのスリーピースで決めたスクリムジョール、それにもう一人の護衛役であるシャックルボルトが待っていた。もちろん部屋の主たるアメリアも居るが、彼女は今回イギリスに残るはずだ。

 

「揃いましたね。よくお似合いですよ、バートリ女史。」

 

「どうも、ボーンズ。……女性を褒める時はこうやるんだよ、局長君。余計な一言を付け足すんじゃなく、態度で語るんだ。」

 

「……勉強になります。」

 

アメリアの褒め言葉を例にロバーズを『教育』したリーゼ様は、次にシャックルボルトへと話しかける。直接会うのは久々だが、彼も私の姿に関しては説明を受けているはず。マクーザに出張していたんだっけ?

 

「やあ、シャックルボルト。マクーザはどうだった? 何か掴めたかい?」

 

「お久し振りです、バートリ女史、ミス・マーガトロイド。現地の闇祓いやフランス側の協力もあり、面白い事実を突き止められました。ミス・マーガトロイドのことを目撃したという女性が存在しないという事実を。」

 

「おやまあ、それは面白いね。虚偽の捜査報告ってわけか。」

 

「それが奇妙な話でして、現地の魔法保安官が目撃証言を受けたのは事実のようなんです。その際に目撃者の女性が記入していった名前も住所も、マクーザ側が管理する在住魔法使いリストの原本にきちんと登録されていたのですが……どれだけ探しても『本人』が見つからないんですよ。住所には魔法界とは一切関わりのないマグルが住んでおり、リスト上ではその女性が卒業しているはずのイルヴァーモーニーにも名前が残っていなかったそうでして。」

 

つまり、書類上だけ存在している人物だったってことかな? 首を傾げる私を他所に、スクリムジョールが鼻を鳴らして口を開く。

 

「『役者』を雇い、ご丁寧に原本まで改竄して目撃者の存在を仕立て上げたということか?」

 

「その線が濃厚かと。ですが、保安局は原本の登録情報の方が間違っているのだという言い訳を叩き付けてきました。目撃者の女性は確かに存在しており、ミス・マーガトロイドのことを目撃したというのも事実であるが、聞き取りの際に住所を間違えて記入していった所為で追えなくなってしまったという言い訳を。」

 

「イルヴァーモーニーに名前が残っていなかった点は?」

 

「原本の方が間違っているのだから、そもそも卒業生ではないのだと主張しています。他国の学校を卒業した生徒であると。」

 

どんどん苦しい言い訳になっていくな。自由入学のヨーロッパと違って、北アメリカでは魔法族のイルヴァーモーニーへの入学は義務のはずだ。他国の学校を卒業した後に北アメリカに移住するというのはもちろん可能だし、そういった魔法使いも複数存在しているだろうが、割合として少数なのは間違いないはずだぞ。

 

「尚のこと面白いじゃないか。目撃者が『間違えて』記入していった住所が、たまたまミスで原本とやらに登録してあった住所と一致したわけだ。どれだけ低い確率の偶然なんだろうね?」

 

まあ、そういうことになってしまうな。仮に目撃者と原本を管理する部署がそれぞれミスをしていたとしても、目撃者が間違えて記入していった住所と原本に記載されてあった住所が一致するはずなどない。保安局の言い分通りなら、それらは独立した別個のミスなのだから。

 

なまじ名前が一致してしまったから下手な言い訳をせざるを得なかったのかな? 呆れ果てたようにやれやれと首を振るリーゼ様へと、シャックルボルトもまた僅かな呆れを滲ませながら重々しく応じた。

 

「いよいよ取り繕うことが出来なくなってきたようですね。向こうの闇祓いも疑いを深め、かなり協力的に動いてくれています。この分ではマクーザの状況がひっくり返るのも時間の問題かと。」

 

「ま、順当な結果だよ。話し合いではキミたちやゲラートにそこを突いてもらうとしようか。……今日の夜にパーティーで、一日空けて火曜日に会談だろう? 具体的な参加者は誰になるんだい?」

 

ソファに腰を下ろしたリーゼ様の問いかけに、今度はフォーリーが返答を口にする。非常に重そうなローブだな。いくら儀礼用にしたって、あそこまで何枚も重ね着する必要があるのか? 吸血鬼社会はコルセットの呪縛から抜け出せたようだが、ウィゼンガモットは歴史の重みを捨て切れなかったらしい。

 

「ヨーロッパ側の注目度は高いようですから、各国の要人が軒並み参加するはずです。公式な会談ではないので我が国と同様に魔法大臣クラスは出てきませんが、それに次ぐ立場にある人物を送り込んでくるでしょうな。」

 

「というか、そもそもどうしてボーンズは出ないんだい?」

 

「面子の問題ですよ。急遽決まった非公式な会談に国のトップが駆け付けるようでは、他国からイギリスが侮られてしまいます。他国も主催者であるグリンデルバルド議長の顔を潰さない程度には重職で、かつトップ以外の人物を派遣するでしょう。」

 

「なるほどね、自分が政治家に向いてないことがよく分かったよ。私にはアホらしい意地の張り合いにしか思えないからね。レミィが体裁を重んじるように、私は実利を重んじる吸血鬼ってわけだ。」

 

背凭れに身を埋めながら額を押さえるリーゼ様へと、フォーリーが表情を崩さずに続きを語った。うーん、私も向いてないみたいだ。だって同意見なんだから。

 

「そういった効率的ではないやり取りも政治には必要なのですよ。……アジアはあまり注目していないようですが、香港自治区や日本は人を出してくると聞いています。その他にもパーティーの『ついで』に顔を出そうという国はいくつかあるようです。」

 

「まあうん、それなりに大規模な会談になるってのは理解できたよ。ホームズがどんな言い訳を寄越してくるのか楽しみにしておこうじゃないか。」

 

リーゼ様が投げやりな感じに纏めたところで、部屋の時計をちらりと見たスクリムジョールが徐にテーブルへと近付く。そこに置いてあった白い封筒を手に取ると、パーティーに赴く面々を促してきた。

 

「時間ですな。封筒そのものがポートキーになっているそうですので、各員手を触れてください。」

 

封筒か。連盟らしい事務的なポートキーだな。イギリスだったら何かそれらしいものをポートキーにするのに。拍子抜けしながらリーゼ様の隣で封筒に人差し指を乗せると、アメリアが別れの言葉をかけてくる。

 

「こちらでも動く準備だけはしておきますので、何かあれば連絡を送ってください。それと、ホグワーツの代表チームには私も応援していると伝えていただけますか?」

 

「ええ、伝えておくわ。」

 

ホームズの件で色々と忙しいが、やっぱりアメリアもホグワーツの……姪っ子の勝利を祈っているわけか。私がこっくり頷いて請け負ったのと同時に、耳鳴りと共に周囲の景色が歪み始める。ポートキーでの移動が始まるようだ。

 

浮遊するような、沈み込むような、吸い込まれるような。形容し難い独特な感覚にうんざりしつつ、アリス・マーガトロイドはリヒテンシュタインへと旅立つのだった。

 



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国際魔法使い連盟

 

 

「……ここが連盟の本部なのか? 何かこう、思ってたのと違うんだが。」

 

お昼時の陽光を浴びている巨大な『砦』を前に、霧雨魔理沙はぽかんとしながら呟いていた。私が持っていた勝手なイメージでは、もっと近代的なビルっぽい建物だったわけだが……うん、どう見ても砦だ。山と同化している古ぼけた砦。これが国際魔法使い連盟の本部らしい。

 

遂に訪れた七大魔法学校対抗クィディッチトーナメントの開催記念パーティーの当日、私たち代表選手七名と校長であるマクゴナガルは着替えなんかを入れたトランクを抱えて、ポートキーでリヒテンシュタインの山中にやってきたわけだ。ちょっと寒いし、マフラーを持ってくれば良かったな。そこそこ標高が高い場所なのかもしれない。

 

しかしまあ、ボロボロじゃないか。どうやら私たちが到着したのは城門のすぐ内側にある広場らしいが、背後にある石積みの城壁には所々に穴が空いているし、いくつかある側塔は半分以上が半ばから崩れている。山の高低差を利用した砦は堅固な雰囲気を感じさせるものの、『昔なら』という枕詞が付くのは間違いなさそうだ。

 

それでもここからずっと上に見える、一際大きな石造りの建造物……多分あれこそが連盟の本部として使われている建物なのだろう。の屋根の上には誇らしげに国際魔法使い連盟の旗章が掲げられており、その旗だけは太陽の光を反射して真新しい光沢を帯びている。まるでこの場所の価値を主張しているかのようだ。

 

興味深い気分でキョロキョロと周囲を見回していると、顔を顰めて首を振っているマルフォイが私の呟きに応じてきた。出発前も嫌そうな顔になってたし、こいつはポートキーでの移動が苦手らしい。

 

「何故驚いているんだ、キリサメ。実際に来たことがあるかはともかくとして、この砦のことは魔法史の教科書で嫌というほど目にしたはずだぞ。」

 

「ビンズには悪いが、私は魔法史にあんまり興味が無いんだよ。……お前も来るのは初めてか?」

 

「ああ、初だ。大抵のことは各国にある支部で処理されるから、ここに直接足を運ぶ機会があるのはごく一部の魔法使いだけだろう。」

 

『ポートキー酔い』が治ってきたらしいマルフォイの説明に、馬が一頭もいない寂れた厩舎を横目にふんふん頷いていると、引率役であるマクゴナガルが私たちを促しつつ歩き始める。教師らしく解説をしながらだ。

 

「行きますよ、皆さん。……国際魔法使い連盟は全世界の魔法使いの権利と安全を守るために設立された機関です。十一世紀頃に活躍していた魔法戦士たちの自警団を母体として、徐々に現在のような国際機関へとその役割を変えてきました。連盟を率いているのは厳正な審査を受けて『上級大魔法使い』に選出された一握りの魔法使いで、現在存命なのは世界全体で五名だけですね。ちなみにダンブルドア先生もその内の一人だったんですよ。」

 

全世界でたった五人か。大したもんだな。最後の部分をちょっと誇らしげに言ったマクゴナガルは、左右に石像が並ぶ長い石階段を上りながら続きを話す。今私たちが居る城門がある広場から、頂上の本部まで一直線に繋がっているらしい。

 

「左右に設置されている石像は歴代の上級大魔法使いたちを象ったものです。一番手前にあるそれが、初代上級大魔法使いのピエール・ボナコーの像ですね。」

 

「トロールの権利を主張した人ですよね? その所為でこの砦から追い出されかけたと教科書に書いてありました。」

 

「その間抜けな逸話だけが広く伝わっていますが、ボナコーは現在の連盟の基礎を作った偉人でもあるんですよ。公正な博愛主義者で、あらゆる国家や人種を貴賎なく扱ったと文献に記されています。……その博愛精神をトロールにまで向けた結果、あの有名な事件に繋がったというわけですね。」

 

ロイドの質問に苦笑しながら答えたマクゴナガルへと、今度はスーザンが沢山ある建物の一つを指して疑問を送った。山の斜面を利用して階段状にいくつかの階層が作られているらしい。上っていく途中にある横道の先には、庭があったり建物があったりと結構バリエーション豊かだ。

 

「あの建物は何でしょうか? それなりの大きさですけど。」

 

「私が以前来た時と変わっていないのであれば、あれは職員たちの宿舎です。ここは山奥ですからね。もちろん煙突ネットワークは繋がっているはずですが、他国から派遣されている魔法使いも多いですし、大抵の職員はあそこに住んでいるはずですよ。」

 

「……大変なんですね、連盟の職員も。」

 

「名誉職である側面が強いですからね。繋がりを作るために我慢して勤めている職員も多いそうです。ボーンズ大臣も昔数年ここに派遣されていましたよ。本人曰く、『外界から隔離された監獄のような暮らし』だったのだとか。歴史が古いというだけあって規則も多いそうですから。」

 

監獄ね。……つまりあれか、お偉いさんたちの『若い頃は連盟の本部に派遣されて苦労したもんだ』みたいな経験談になる場所なのか。世界各国の政治家の卵たちが『修行』する施設なわけだ。

 

ちらほらとすれ違うお揃いの黒ローブを着た職員たちに、私が多少の同情を覚え始めたところで……おっと、あれは誰だか分かるぞ。階段の半分くらいで左右に並んでいた石像が途絶え、その最後に真新しいダンブルドアの石像が立っているのが見えてくる。上級大魔法使いとやらに選ばれた人間が死ぬと、新しく石像が追加されていくってことか。

 

「ダンブルドアだな。……本人は石像にされるのを望んじゃいないだろうが。」

 

あの爺さんはそういう権威めいたものが好きではないはずだ。そう思って口にした言葉に、マクゴナガルは柔らかい笑みで応じてきた。

 

「それを理解してくれる人が居ることを、アルバスはきっと喜んでくださると思いますよ。あの方を知っている魔法使いにとってはこの石像はちょっとしたジョークですね。……分かる人にだけ分かれば良いんです。少なくともホグワーツの魔法使いは分かっています。ならばアルバスは満足しているはずですから。」

 

ホグワーツの生徒だったら首を傾げてしまうような、やたらキリッとした表情のダンブルドア像。それを見た私たちがお揃いの苦笑を浮かべたところで、階段の上の方からでっぷり太った黒ローブの中年男性が駆け下りてくる。転びそうでハラハラするな。よく転がりそうな体型だし、コケたら一番下まで一直線だぞ。

 

「申し訳ない、申し訳ない! 到着の時間が正しく伝わっていなかったようでして! ……いや、本当に申し訳ない。ホグワーツからいらっしゃった皆さんですね? 案内役のレンダーノと申します。」

 

「校長のマクゴナガルです。そして、こちらの七名が代表選手となります。」

 

「どうもどうも、マクゴナガル校長。生徒の皆さんもどうも。……ああ、その石像! アルバス・ダンブルドア上級大魔法使いの像ですね。石像職人が気合を入れて作ったということでして、さすがはヨーロッパの英雄だけあって凛々しいお顔だと私も日々尊敬の念を強めております。この場所に前校長の像が並んでいるのは、ホグワーツの方にとってはさぞ誇らしいことでしょう。」

 

「ええ、素晴らしい出来栄えだと生徒と共に感心していたところです。……このまま上ってもよろしいでしょうか?」

 

レンダーノとしてはもっと大仰な感想が飛び出てくることを期待していたようで、ニコニコ微笑みながら無言で待機していたが……マクゴナガルが愛想笑いで促したのを受けて、慌てた様子で先導し始めた。連盟の魔法使いから見たダンブルドアと、ホグワーツの魔法使いから見たダンブルドアは違うということか。どっちが『本物』なのかは言わずもがなだろうが。

 

「はい、はい、そうですね! こちらへどうぞ。足元にお気を付けください。……既にダームストラングとマホウトコロ、カステロブルーシュの三校は到着しております。パーティーは十七時からですので、ホグワーツの皆様も控え室でそれまでお待ちください。」

 

「昼食はどうなるのでしょうか?」

 

「専用の部屋を用意してあります。各校の交流が目的ですから、出来ましたらそこで他校の生徒と歓談しながらという形で昼食を取っていただきたいのですが……まあ、ダームストラングとカステロブルーシュには断られてしまいましたので、控え室で食べた方が無難かもしれません。昼食会にと準備したのは広い部屋なので二校だけだと寂しいでしょう。」

 

うーむ、秘密主義のダームストラングは何となく分かるが、カステロブルーシュもか。早くも足並みが揃わなくなったのが主催者側としては不満なのだろう。苦い顔のレンダーノに、マクゴナガルはポーカーフェイスで返事を返す。

 

「マホウトコロがそこで昼食を取るのであれば、ホグワーツも出向きましょう。生徒たちは制服のままで構いませんか?」

 

「問題ございません。夜に開かれるパーティーと違って、かなりラフな昼食会になるはずですので。」

 

「それと、イギリス魔法省からの招待客は既に到着していますか? 少し話したいことがあるのですが。」

 

「イギリス魔法省からの招待客ですか? ……少々お待ちください、今確認いたします。」

 

階段を上りつつ懐から出した羊皮紙をチェックするレンダーノだが……危ないな、こいつ。何度も躓いて転びかけてるぞ。ハラハラしながら見守っていると、頼りない案内役はパッと顔を上げて質問の答えを放った。

 

「えーっとですね……はい、イギリス魔法省からのお客様は到着しているようです。その他の著名人の方々は夜のパーティーに合わせて少し遅めになるようですが。」

 

「では、生徒たちを控え室に置いたらそちらに案内していただけますか?」

 

「お任せください。」

 

請け負いながら階段の頂上に到着したレンダーノは、そこにあった石レンガのアーチを潜って建物の入り口に進んで行くが……アーチの上になんか書いてあるぞ。何語か分からん文字を見て立ち止まった私に、マクゴナガルが解説を投げてくる。

 

「ラテン語ですね。『杖を向けた先に必ずしも敵が居るわけではない』という意味です。ボナコーの遺した格言ですよ。」

 

「んー……格言ってのはどれもそうだが、これも真意がいまいち掴めん台詞だな。」

 

「恐らく、常に協調の道を探れということを伝えたかったのでしょう。この建物には各所にこういった格言が刻まれていますから、探してみるのも面白いかもしれませんよ。」

 

「お勉強も出来る建物ってことか。」

 

まあうん、ちょっと興味はあるな。見つけたところでラテン語なんて読めないわけだが。そのまま門を通り過ぎて、やたらと大きな玄関を抜けてみると、飾り気のない古臭いエントランスホールが目に入ってきた。

 

ホグワーツほどごちゃごちゃしておらず、イギリス魔法省ほどカッコよくなく、フランス魔法省ほど荘厳ではないその場所を通り抜けたレンダーノは、窓が等間隔に並ぶ通路を進みながら口を開く。……強いて言うなら、フランス観光で見物に行った教会だか修道院だかに近い雰囲気だな。ゴシック建築ってほど凝っていないので、あそこから装飾を抜いた感じだ。

 

「ホグワーツの皆様には一階の部屋を用意させていただきました。基本的に敷地内であれば自由に散策していただいて構いませんが、屋外は崖になっている場所が多々あるのでご注意ください。」

 

「立ち入ってはいけない場所はありますか?」

 

「特にございませんが、三階から上は職員たちが使うオフィスなどが多いので、入ったところで見るものは無いと思います。あとは……そうそう、夜のパーティーが行われるのは別の建物です。あそこですね。」

 

言いながらレンダーノが指差したのは、窓越しに眼下に見えている比較的新しめの建物だ。建物自体があの大きさだと、会場はホグワーツの大広間よりもいくらか広そうだな。私を含めた代表選手たちがそれを確認したところで、案内役どのは一つのドアを開いて中に入った。

 

「こちらがホグワーツの皆様の控え室となります。そこのベルを鳴らしていただければ職員がすぐに来ますので、何か必要な物がある際には遠慮なくお申し付けください。」

 

「……広いな。」

 

シーボーグが思わずといったトーンで呟いたのに、その後ろのアレシアも無言でこくこく頷く。私としても予想外の広さだ。本来何に使う部屋なのかはさっぱり分からんが、教室と同じくらいの広さがあるぞ。

 

センターテーブルを挟んだ三人掛けくらいのソファが四脚と、部屋に三つある大きな窓の近くに安楽椅子が二脚ずつ、その他にもお菓子が満載のカゴや氷の入った水差しとコップのセット、インスタントの紅茶やコーヒーなんかも置いてあるようだ。着替え用の仕切られたスペースもあるし、至れり尽くせりじゃないか。

 

とはいえ、部屋そのものの雰囲気は『控え室』という感じではない。会議室か何かを今日のために模様替えしたのかなと考えていると、マクゴナガルが代表選手一同に指示を出してきた。

 

「私は魔法省の皆さんに挨拶をしてきますので、昼食会に行く準備をしてここで待っているように。ミスター・マルフォイ、私が不在の間の取り纏めを任せますよ。」

 

「任せてください、校長。」

 

「では、行ってきます。……案内をお願いできますか? レンダーノさん。」

 

「はい、かしこまりました。こちらになります。」

 

レンダーノの背を追って部屋を出て行ったマクゴナガルを見送って……ふう、やっと寛げるな。代表選手たちは思い思いに部屋を調べ始める。

 

「紅茶を飲む人は居るかな? 一息つきたいから淹れようと思うんだけど……うん、銘柄は微妙みたいだ。一番マシなのはこれかな。」

 

「私にもお願いするわ。……これはまた、凄い景色ね。大自然って感じ。」

 

「僕にもお願い出来るかな? 何だか緊張して喉が渇いちゃったよ。昼食会か。ここに来て一気に代表選手の自覚が湧いてきた気分だ。」

 

ロイドの呼び掛けに応じたスーザンとハリーを尻目に、菓子が入っているカゴをチェックすると……うーん、こっちもいまいち。用意してくれた物に文句を言うのはアレだが、面白みのない菓子しか置いてないな。具体的に言うと、逃げたり殴りかかってきたり食べると気絶したりしないような菓子しか置いていないようだ。

 

イギリスがおかしいのか、このラインナップが『お堅い』のか。それを黙考する私に、シーボーグが声をかけてきた。

 

「キリサメ、カゴごとこっちに持ってきてくれ。腹が減ってきたよ。」

 

「昼食会があるって言ってるだろうが。この感じなら豪華な料理が出るだろうし、今食い過ぎると後悔することになるぞ。」

 

「がっつき過ぎると白い目で見られるからな。こういうのは適度に腹を満たしておくものなんだよ。」

 

「経験者は語るってやつか。」

 

戯けながらカゴをテーブルまで持って行くと、部屋の隅にトランクを置いたマルフォイが難しい表情で昼食会についての予想を口にする。

 

「協調性があるワガドゥは参加するはずだが、イルヴァーモーニーとボーバトンは未知数だな。マホウトコロも恐らく参加してくるだろし、最悪の場合三校だけでの昼食会になるかもしれないぞ。」

 

「気まずいわね。……マリサは日本語が話せるんでしょう? マホウトコロの生徒とのコミュニケーションは任せたわよ。」

 

「うへぇ、通訳ってことかよ。日本語は問題ないけど、ワガドゥは何語で話しかければいいんだ?」

 

スーザンに肩を竦めて問い返してみれば、彼女は下唇を噛みながら曖昧な返答を寄越してきた。悩んでいる時の顔だな。女子三人は名前で呼び合うようにもなったし、そのくらいの機微はもう分かるぞ。

 

「英語で問題ない……と思うわ。アフリカは言語がバラバラな土地だけど、学校の公用語としては話者が多い英語が使われているはずよ。」

 

「えっと、他の国の生徒にも基本的には英語で問題ないんだよね?」

 

自信なさげに質問したハリーに、マルフォイが腕を組みながら応答する。

 

「話せない言葉で話すのは不可能だから、会話は英語でやる他ないが……最初の挨拶くらいは歩み寄るべきじゃないか? キリサメ、日本語での挨拶を教えてくれ。話そうとする姿勢を見せるのはプラスに働くはずだ。」

 

「挨拶か。日本語だと挨拶も沢山あるんだが……まあ、一番無難なのは『初めまして』かな? その後に自己紹介が続く感じだ。私だったら『初めまして、霧雨魔理沙です』ってな具合に。」

 

「ファーストネームが後なんだったか? 俺ならシーボーグ・ギデオンだな。」

 

「そこは別にいいんじゃないか? 正直言って日本人にはイギリス人の名前と姓の区別がつかんから、気を使って日本式にしてくれてるのか、それとも最初だけ日本語で洋風に自己紹介してるのかが分かり難くなると思うぞ。」

 

スーザンやアレシア、ハリーやシーザーあたりはファーストネームだと分かりそうなもんだが、私は純日本人であるとは言い難い身の上なのだ。だったら私の常識で判断しないほうが身の為だろう。

 

ロイドとアレシアが結局全員分用意してくれた紅茶を受け取りながら、ソファに座って唸っているシーボーグに返事を返してみると……おいおい、面白い光景だな。みんな揃って『初めまして』を練習し始めたぞ。

 

「『ハジメマシテ、ドラコ・マルフォイ』……どうだ? キリサメ。発音は間違っていないか?」

 

「最後に『です』が必要だぞ。それだと急に人格が分裂して自分自身に挨拶し始めたヤツみたいで不気味だからな。……私は普通に英語でいいと思うんだが。さすがに自己紹介くらいは日本の連中も聞き取れるだろ。」

 

「我々は曲がりなりにもイギリスの代表なんだ。である以上、多少は他国の魔法使いに気を使うべきだろう。」

 

真面目くさった表情でそれらしい台詞を放ったマルフォイだったが、その後の日本語の練習は暗澹たる有様だ。……まあうん、歩み寄ろうとしてるってのは伝わるんじゃないかな。下手くそであればあるほど、それっぽく見えるわけだし。

 

突如として始まった『日本語講座』にやれやれと首を振りながら、霧雨魔理沙は自分ももうちょっと英語の発音に気を使おうと決意するのだった。

 



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十中八九

 

 

「おや、美味そうじゃないか。これだけあるなら私たちが食べちゃっても問題なさそうだね。」

 

昼食会とやらの会場に足を踏み入れながら豪語するリーゼ様に、アリス・マーガトロイドは困った気分で頷いていた。本当にいいのかな? リーゼ様はともかくとして、私は生徒でも学校関係者でもないわけだが。

 

リヒテンシュタインの連盟本部に到着した後、私たちの控え室に挨拶に来たマクゴナガルから『昼食会が開かれるそうです』と聞き出したリーゼ様が、空腹だからと勝手にこの場に乗り込んでしまったのだ。一人にさせるのは不安で私もついてきたのだが……何か、人が少なくないか? 見たところホグワーツとマホウトコロ、それにワガドゥの生徒らしき二十名ほどしか参加していないぞ。お陰でちょびっとだけ寂しい雰囲気になっちゃってるな。

 

いきなり現れた吸血鬼に会場の全員が注目する中、それを全く気にしていないリーゼ様は料理が並んでいる中央の長テーブル目掛けて突っ込んでいく。

 

「アリス、キミも食べたまえ。どうせ夜のパーティーでは腹にたまらんような物しか出ないぞ。」

 

「いや、私は……まあその、ちょっとだけで問題ありません。」

 

「そうかい? 思ってたよりも美味そうだぞ? ……やあ、ホグワーツの代表選手諸君。楽しんでいるかい?」

 

まるで招待した張本人かってくらいに堂々としているな。肉を皿に取りながら呼びかけたリーゼ様に、近付いてきたハリーが返事を返す。シッティングビュッフェか。多分連盟は人数が多くなることを予想してこの食事形式にしたのだろう。殆どのテーブルが使われていないのを見るに、完全に裏目に出ているわけだが。

 

「リーゼ、もう到着してたんだね。昼食会に呼ばれたの?」

 

「呼ばれていないが、私だってホグワーツの生徒だ。だったらここで食べる権利はあるはずだろう?」

 

「それは分かんないけど……まあ、大丈夫じゃないかな。料理がかなり余りそうな状況だしね。」

 

また少し背が伸びているな。今やジェームズよりも高いんじゃないか? 呆れたような表情で応じるハリーのことを眺めていると、ニヤニヤしながら歩み寄ってきた魔理沙が話しかけてきた。何だその顔は。

 

「よっ、アリスちゃん。小さくて可愛いぜ。リーゼお姉ちゃんに連れてきてもらったのか?」

 

「……私は完全武装の人形を持ってきてるんだからね。」

 

「おお、怖いぜ。……実際のところ、こうして見てると変な気分になるな。騒動が収まったら元に戻るんだろ? 何か落ち着かないし、私としてはその方が助かるんだが。」

 

「その予定よ。……盛り上がってないみたいね、昼食会。」

 

新鮮な反応だな。リーゼ様やエマさんと違って、魔理沙は『子供な私』をマイナスに捉えているようだ。そんな魔理沙に問いを送ってみると、彼女は苦笑しながら説明を飛ばしてきた。

 

「あー……まあな、盛り上がってはいないかな。一通り自己紹介は済ませたんだが、そっからは各校で固まって黙々と食事って感じだ。校長たちはあっちで喋ってるけどよ。」

 

魔理沙が指し示した方向に視線を向けてみれば……なるほど、三校の校長は一つのテーブルを囲んで歓談しているらしい。質の良い緑のローブを着たマクゴナガル、桜色の着物姿のマホウトコロの校長、そして茶色のローブに毛皮のマントを着けているワガドゥの校長が笑顔で言葉を交わしている。

 

サクラ・シラキさんだっけ? 淑やかな微笑を浮かべているマホウトコロの校長とはカンファレンスで会ったが、ワガドゥの校長はダンブルドア先生の葬儀でチラッと見かけたくらいだな。飾り付きの長い髭に覆われた柔和そうな顔と、恐ろしく高齢であることを感じさせる小さな体格。見た目だけは余生を送っているお爺ちゃんって感じだが……うーむ、さすがは名高きワガドゥの長老。醸し出す雰囲気はダンブルドア先生に負けず劣らずだ。

 

マクゴナガルも相当の魔法使いだと思うのだが、あのテーブルでは少し見劣りしてしまうな。内心で新校長にエールを送っていると、追加の料理を取りにきたらしいマホウトコロの男子生徒たちのひそひそ話が耳に入ってきた。こちらもホグワーツと同じく制服姿だ。独特な『着物ローブ』って感じのやつ。

 

『見ろよ、吸血鬼だぜ。初めて見た。血を飲んだりはしないのかな?』

 

『飲むだろ、吸血鬼なんだから。飲まないなら何でその名前なんだよってなるじゃんか。』

 

『いやまあ、そうだけどさ。見たところ肉を取ってるぜ。血じゃないぞ。』

 

『だから、あれの他に血も飲むってことだろ。普通に考えて血だけ飲んでたら栄養が足りないだろうが。それだと蚊と一緒じゃんか。』

 

肘で突き合いながら小声で話すマホウトコロの生徒二人に、リーゼ様がくるりと振り返って日本語で声をかける。あーあ、聞かれちゃった。知らないぞ、私は。

 

『おいおい、無礼な連中だね。蚊はないだろうが、蚊は。目上への態度ってやつを教えてあげようか? イギリスの魔法使いは杖も手も早いぞ。吸血鬼ともなればその百倍は早いしね。』

 

まさか日本語を理解できるとは思っていなかったのだろう。びくりと震えた男子生徒二人は、傍目にもそれと分かるほどに慌て出すが……残念ながら、リーゼ様はちょうど良い暇潰しを見つけたと判断してしまったらしい。意地悪な笑みで詰め寄り始める。

 

『ほら、何とか言いたまえよ。その台詞は人間を猿と呼ぶ以上に無礼なことなんだぞ。ふむ、そうだな……謝罪の証として血をもらおうか。ナイフはどこだ? フォークで突き刺すのもいいが。』

 

『いや、その……すみませんでした。まさか言葉が分かるとは──』

 

『ふぅん? 分からなかったら言ってもいいと思っているわけだ。尚のこと許せないね。首と手首のどっちがいい? より痛いと思う方を教えてくれ。そっちから血を流してもらうから。……ああそうだ、腹を切るのもアリだぞ。得意だろう? 日本人なんだし。』

 

絶好調の様子で脅しまくるリーゼ様に、男子生徒二人はどうすればいいのかと真っ青の状態だ。もういいだろうと止めに入ろうとすると、その前に駆け寄ってきたマホウトコロの女子生徒が……わお、豪快。勢いそのままに男子生徒二人をぶん殴ってから口を開いた。滅多に聞けないような鈍い音がしたぞ。ごつんって。

 

『こら、何してんのよ! ……ごめんね、こいつらが何かした? 私がきつく叱っておくから許してくれないかな? えっとね、ほら! アメもあげるから。日本のアメだよ?』

 

『……一応聞いておくが、キミは吸血鬼のことを知っているかい?』

 

『わあ、可愛い喋り方。ちょっとあんたたち、こんな小さな女の子にちょっかいをかけるのはやめなさいよね! 私たちは代表選手なんだから、それらしく振る舞わないといけないの! 教頭先生から何度も言われたでしょうが! ……それで、何だっけ? 吸血鬼? 何のお話かな?』

 

うわぁ、マズいな。『こんな小さな女の子』へと優しく語りかけた黒いポニーテールの女生徒に、リーゼ様は苛々と翼を揺らしながら質問を重ねる。さっきまでの『からかいモード』と違って、今は本気でイライラしてきた時の顔になっちゃってるぞ。

 

『つまりだね、キミは吸血鬼の存在を正しく理解しているのかと聞いているんだよ。この翼が何だか分かるかい?』

 

『えっと……可愛いわね。よく似合ってるわよ。お母さんかお父さんに買ってもらったの?』

 

『買ってもらっただと? 翼を? ……よーく分かった。マホウトコロの教育の甘さを私は今まさに痛感したよ。』

 

『んっと、どういう意味かな? お姉ちゃんが何かしちゃった?』

 

きょとんとしながら年少の子への対応としては百点満点の話し方をする女生徒は、それが吸血鬼に対してはマイナスの点数になることに気付いていないらしい。先程の男子生徒たちは目の前の問題が理解できているようで、大慌てで女生徒を止めようとしているが……そこに着物の女性がするりと割り込んできた。マホウトコロの校長だ。

 

「ごきげんよう、バートリ女史。カンファレンス以来ですね。」

 

「……やあ、サクラ・シラキ。キミのところの生徒はどうなっているんだい? 私を蚊扱いしたり、ガキ扱いしたりしてくるわけだが。」

 

「あらまあ、大変。うちの生徒がそんなことを? 校長として深く謝罪いたします。」

 

心底申し訳なさそうな表情でぺこりと頭を下げたシラキ校長は、無言で生徒たちの方に一度顔を向けた後、頰に手を当ててリーゼ様との話を再開する。……生徒たちが絶望的な顔付きになっているな。どんな顔を向けたのかまでは見えなかったが、穏やかなだけの人ではないらしい。

 

「お詫びもしたいですし、こちらのテーブルにいらっしゃいませんか? ワガドゥの校長先生も是非にとおっしゃっているんです。」

 

「……ま、構わないよ。邪魔しようじゃないか。魔理沙、アリスを頼むよ。迷子にならないように見てやってくれたまえ。」

 

「おう、任せとけ。まだ小さいから心配だもんな。」

 

迷子になんかならないぞ。肩にポンと置かれた魔理沙の手を払い除ける私を他所に、リーゼ様は校長たちのテーブルへと行ってしまう。それを見送った後、事態を見守っていたハリーが魔理沙に疑問を放った。

 

「……何があったの? 何となくの流れは掴めたけどさ。」

 

「まあ、テーブルで説明してやるよ。……ちなみにこっちの子はリーゼの親戚な。社会見学で来てるんだ。」

 

「初めまして、アリス・カトリンです。」

 

ハリーは事情を知らないのか。だったらお芝居しなければと子供らしいトーンで自己紹介しながらお辞儀してみると、上げた顔の先に至極微妙な表情のハリーが居るのが見えてくる。どうしたんだ? 変だったかな?

 

「あの、僕はリーゼから聞いてますから。つまりその、正体を。」

 

「へ? ……ちょっと、魔理沙?」

 

「おおっと、すっかり忘れてたぜ。悪かったな、アリスちゃん。」

 

ぬう、してやられちゃったな。悪戯成功の笑みでホグワーツ生たちのテーブルへと駆けて行く魔理沙にジト目を向けつつ、アリス・マーガトロイドは早く元の姿に戻りたいという気持ちを新たにするのだった。

 

 

─────

 

 

「おお、嬉しいね。とても嬉しい。自分の知識を誰かに活かしてもらえるのは教師にとって最大の喜びじゃ。貴女の役に立ったのであれば、慣れない文章を苦労して書いた甲斐があったというものじゃよ。」

 

何度も頷きながら嬉しそうに微笑むワガドゥの校長を前に、アンネリーゼ・バートリは皿に取ったシチューの中の兎肉を頬張っていた。マクゴナガル曰く、彼女は動物もどきの勉強をするにあたってこの爺さんの著書を参考にしたらしい。変身術の権威ってわけか。

 

シラキからとんでもなく無礼な日本の小娘に関する謝罪を受け取った後、三校の校長とテーブルを囲んで食事を行なっているわけだが……ふむ、私以外の三人は全然食べていないな。やっぱり爺さん婆さんになると食が細くなるのかと考えている私を他所に、マクゴナガルがワガドゥの校長へと返事を返す。余所行きの丁寧な笑みを浮かべながらだ。

 

「感覚的な部分が非常に分かり易く説明してあったので、あの本のお陰で一歩前に進めましたわ。……ワガドゥではアニメーガスがそれほど珍しくないと聞いておりますが。」

 

「如何にも、その通り。わしらにとって動物たちの姿を借りることは珍しくない。魂の形を身体に表すだけじゃからのう。わしらの魔法はお二方の学校で扱う魔法ほど洗練されておらぬが、故に出来ることもあるわけじゃな。……まあ、良し悪しじゃよ。どちらが優れているといった類の話ではなく、土地や学校の個性の問題じゃ。」

 

「ですが、取り入れたい部分も多々ありますね。……アニメーガスの話で思い出しましたが、オモンディ校長がドラゴンの動物もどきだというのは本当なのですか?」

 

ドラゴンの動物もどき? さすがに興味を惹かれて顔を上げると、苦笑いで首肯するワガドゥの校長の姿が目に入ってきた。凄まじいな。妖怪ジジイはアフリカにも居たようだ。

 

「事実じゃが、最後に変身したのはもう三十年以上前じゃよ。今変身したところで単なる老いぼれドラゴンじゃろうな。昔のように雄々しい姿は見せられまいて。」

 

姓はなく、『ただのオモンディ』と自己紹介してきた老人。先程の会話によれば、ワガドゥでは敬意と親しみを込めて『パパ・オモンディ』と呼ばれているらしい。……そういえばゲラートが一年ほど前にこの爺さんのことを話していたな。

 

今は亡きダンブルドア、そして目の前に居るシラキとオモンディ。この三人は曲者揃いの校長たちの中でも別格だったわけだ。『老いてなお』を地で行く連中に鼻を鳴らしていると、今度はオモンディの方からマクゴナガルに質問が放たれる。

 

「しかし、アルバスのことは本に残念じゃった。あの厄介な男の後を継ぐ者として何か困ったことはないかね? わしでよければ協力させてもらうが。」

 

「まだまだ若輩者ですが、今のところは何とかなっています。アルバスが多くのものを残してくださいましたから。オモンディ校長のお言葉もその一つですね。」

 

「うむ、アルバスは大した男じゃった。華がある男というのは見つけるのにも苦労するものじゃが、あの男にはその中でも一際目立つほどの華があったからのう。才能と、人格と、技術。それら全てを併せ持った魔法使いはわしが知る中ではアルバスだけじゃ。」

 

「ええ、偉人と呼ぶに足るお方でしたね。何よりあの方には茶目っ気がありましたわ。人生には多少の隠し味と寄り道が必要なことを教えてくださいました。」

 

シラキもダンブルドアを偲んで寂しそうな微笑みを浮かべる中、ホグワーツ生たちの方を横目に今度は私が口を開く。マホウトコロの生徒と魔理沙を介して話しているようだ。私が起こした騒動が切っ掛けになったらしい。

 

「キミたちは最近のマグルに……非魔法界に対する意識の変化をどう思っているんだい? その偉大なるダンブルドアがやり残していったことなわけだが。」

 

「個人的には善きことだと捉えています。マホウトコロは非魔法界に比較的近しい学校ですので、何を懸念しているのかも、それを解消するために何をすべきなのかも理解しておりますから。」

 

「わしは……ううむ、難しいのう。ワガドゥではそも二つの世界を別個のものだとは考えておらぬ。各国の同意によって定められた機密保持法のことは重んじるが、わしらにとってはそちらで言う非魔法族も魔法族も同一の存在なのじゃ。垣根を無くすのは良いことじゃと思う反面、問題そのものを理解するのが難しいというのが本音じゃな。」

 

「ふぅん? ……まあ、プラスに考えてくれているというのは分かったよ。」

 

悪くない反応だな。シラキとオモンディの発言を受けて思考を回し始めた私へと、マホウトコロの校長閣下が問いかけを寄越してきた。気遣うような表情でだ。

 

「その件に深く関わっている方が、イギリスと揉め事を起こしていると耳にしましたが……明後日の会談で何か動きがあるのでしょうか?」

 

「多分あるよ。ゲラート・グリンデルバルドが動くからね。あの男が動けば盤面も大きく動かざるを得ないだろうさ。」

 

「グリンデルバルド議長ですか。」

 

内心を読み取れない微笑でゲラートの名を口にしたシラキに、グラスの中のワインを一口飲んでから疑問を送る。こういう質問をしてきたということは、この女も会談に出席するつもりなわけだ。だったら色を付けるために少し探っておいた方がいいだろう。レミリアによれば日本の魔法界ではかなりの権威を持った人物らしいし。

 

「キミはあの男のことをどう思う? 肯定的か、否定的か。好いているか、嫌っているか。教えてくれたまえよ。」

 

「あら、答え難い質問ですね。……良くも悪くも『行動する人物』だと思っています。普通なら立ち止まるような場所で、無理にでも前へと進もうとする方だと。それは周囲から頼もしく、魅力的に見えますが、同時に多くの敵を作る気質でもあるはずです。」

 

うーむ、本質を突いているな。若干言葉を濁して曖昧な返答を返してきたシラキから、オモンディの方へと視線を移してみると……彼は難しい顔付きでゲラートへの評価を述べてきた。

 

「アルバスには華があったが、グリンデルバルド議長には威がある。他人を退かせ、従わせるような威が。……わしは彼が大戦で掲げた理念には賛同しておらぬが、己の主義に殉じることが出来る人物だという点は評価しておるよ。あれは恐らく、決して己を曲げぬ男じゃ。いくら叩かれてもピンと伸びたままじゃろうて。そこだけはアルバスと同じじゃな。」

 

「過去の理念に反対でも、今の理念を正しいと思えば賛成するかい?」

 

「過去も現在もないよ、吸血鬼さん。グリンデルバルド議長は死ぬまで同一の理念しか掲げまいて。わしが見た限り、諦めたり道を変えたりするような人物ではないはずじゃ。今のグリンデルバルド議長は嘗てと同じ理念の別の側面を見せているだけじゃよ。」

 

「故に賛成は出来ないと?」

 

くそ、面倒な爺さんだな。殆どゲラートと関わりがない癖に、あの男の根本にあるものをよく理解しているじゃないか。人を見る目も校長の資質かと苦い思いで聞いた私へと、オモンディは首を横に振って応じてくる。

 

「反対はせんし、正しいと思ったなら賛成もしよう。人は人、行動は行動じゃからな。何処の誰が人を救おうとそれは善なる行動じゃ。……じゃが、警戒を怠るつもりはないよ。アルバスも、スカーレット嬢ももう居らぬ。ならばあの男が嘗ての側面を見せた時、この魔法界の一体誰が止められようか。」

 

「……なるほどね、その懸念は理解できるよ。」

 

「わしはあの男を類稀なる強者だと認めておる。同時に理念のためなら全てを破壊できる男だということも。……表舞台に復帰して以来、あの男は比較的大人しく動いているじゃろう? 今の政界を生きる若い魔法使いたちは見誤っているはずじゃ。グリンデルバルド議長が嘗てどれほどの勢いと力を持っていたのかを、あの男が本来持っている指導者としての才覚と威を。……史書を読むだけでは理解できまいて。だからこそ身を以て知っている我々が警戒する必要があるのじゃ。古き魔法界を生きた我々老人が。」

 

……そうだな、私も忘れかけていたぞ。世界を相手に一歩も退かず渡り合っていた頃のゲラートのことを。彼がもし本気でもう一度同じことをやろうとしたら、果たして止められる者は居るのだろうか? レミリアも、ダンブルドアも居ないこの魔法界で。

 

私は止めんぞ。私は百年前からゲラートの革命を見てきて、あの男がどれだけのものを犠牲にして理想を目指したのかをよく知っているのだから。本気でやり直そうと決断したのであれば、私はそれを甘んじて承認しよう。まさか軽々にその選択を選ぶような男でもあるまい。

 

とはいえ、本人が望むかどうかは話が別だな。私が見たところ、ゲラートはこの意識革命を最後の戦いと捉えているようだし、十中八九オモンディが懸念しているような事態にはならないはずだ。

 

……まあ、それでも一はある。私にとってはかなり面白くなりそうな一つの道が。『もしかしたら』の展開を想像しつつ、アンネリーゼ・バートリは愉快な気分で血のように赤いワインを呷るのだった。

 



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威風辺りを払う

 

 

「変じゃないか? ……っていうか、変だろ? 変だよな?」

 

絶対に変だぞ。連盟本部の控え室の中、黒いドレスに着替えた霧雨魔理沙は鏡の前でそう呟いていた。姿見の中に立つドレス姿の私は……何かこう、女性的すぎる。普段の私とはかけ離れた雰囲気じゃないか。

 

結局最後まで盛り上がりはしなかった昼食会が終わり、控え室で手持ち無沙汰に二時間ほど過ごした後、暇を持て余し始めた頃にスーザンが着替えようと言い出したのだ。

 

だから男子四人を廊下に追い出し、女子三人で協力し合ってドレス姿に変身してみたわけだが……ぬう、やっぱり変だぞ。落ち着かない気分で自分の服装を確認する私へと、テーブルで化粧をしているスーザンが返事を寄越してきた。

 

「どこが変なの? 普通に似合ってるわよ。」

 

「どこがって言うか……慣れてないんだよ、こういう格好に。これじゃあまるで『女の子』みたいじゃんか。」

 

「私が知る限り、貴女は純度百パーセントの女の子だったはずだけど。……アレシア、そっちは大丈夫? ちゃんと着られる?」

 

意味不明だという顔付きで私に突っ込んだスーザンの問いに、まだ着替えを終えていないキャミソール姿のアレシアが答えを返す。

 

「あの……えっと、よく分かりません。この紐は何に使うんでしょうか?」

 

「紐? ……ああ、それはただの飾りよ。全部着た後に首の後ろで縛ってワンポイントにするんじゃないかしら? 着たらこっちにいらっしゃい。私がやってあげるから。」

 

「はい、お願いします。」

 

アレシアのは比較的シンプルな深い紅のワンピースタイプのドレスだ。美しいというよりも可愛らしいと表現すべきそのドレスは、まだ十二歳のアレシアによく似合っている。私もああいうので良かったんだけどな。

 

対して私のドレスは黒を基調とした肩が丸出しの一品だ。所々に付いているレースの部分が擽ったいし、何よりこの……胸を強調する感じがどうにも恥ずかしい。身体のラインがはっきり出る服を着たのは初めてかもしれないな。

 

いつもより三割増しくらいの大きさに見える自分の胸を見て、こういうのって案外簡単に『かさ増し』できるんだなと感心していると、黄色のドレスを着ているスーザンが私に向かって口を開いた。ちなみにこいつのは肩がきちんと隠されている。アリスめ、何故丸出しにしたんだ。

 

「マリサ、髪を整えてあげるからここに座って頂戴。」

 

「私はこのままでいいんだが……。」

 

「ダメよ、下ろしただけだとドレスに合わないわ。一つに纏めて前に垂らすべきよ。そうすれば落ち着いた雰囲気になるでしょう?」

 

「……まあ、任せるぜ。私はもうダメだ。ソワソワして何も考えられん。」

 

兎にも角にも恥ずかしいぞ。こんなに肌を出すのであれば、咲夜かハーマイオニーあたりからクリームを借りてくればよかったな。肩がスースーするのにムズムズしながらスーザンの前に座ると、彼女は手慣れた動作で私の髪を纏め始めた。

 

「そういえば貴女、対抗試合の時のダンスパーティーには出なかったの? 随分と慣れてないみたいだけど。」

 

「ん、出なかった。格式張ったパーティーは苦手だからな。」

 

「出てもいないのに苦手にしてどうするのよ。……気持ちは分かるけどね。何度経験してもフォーマルなパーティーは気疲れするわ。」

 

「多分参加する全員がそう思ってるよな? なのに何でやるんだ? もっとカジュアルなパーティーでいいじゃんか。」

 

その方がみんな助かるだろうに。髪を縛られながら根本的な疑問を放ってやれば、スーザンは苦い笑みで肩を竦めて端的に応じてくる。

 

「そういうものだからよ。……はい、おしまい。次はアレシアね。」

 

「あの、はい。お願いします。」

 

うーむ、これが私か。着替えたアレシアと交代してもう一度鏡の前に立ってみると、まるでイイトコのお嬢ちゃんみたいな姿になっている私が見えてきた。これなら箒屋のおっちゃんも『お嬢ちゃん』って呼ぶだろうな。

 

あー、本当にダメだ。何故か湧いてくる羞恥心に身悶えする中、廊下に続くドアがノックされると同時にマルフォイの声が耳に届く。

 

「そろそろいいか? 僕たちも準備をする必要があるから、早くして欲しいんだが。」

 

「女の子を急かさないでくれる? マルフォイ。そういうところはまだ学生ね。……まあいいわ、入って頂戴。着替えは終わってるから。」

 

呆れたような声色のスーザンの許可に従って、バツが悪そうな表情のマルフォイが部屋に入ってくる。続いて入室してきたハリー、シーボーグ、ロイドと共に、それぞれ私たちへと『褒め言葉』を投げかけてきた。

 

「似合っているぞ、三人とも。それならホグワーツが侮られることはないだろう。」

 

「うん、良く似合ってる。見違えたって言うと失礼かもしれないけど、普段よりずっと綺麗に見えるよ。」

 

「あー……そうだな、良いと思う。俺は服装には詳しくないが、良い感じだ。それは分かるぞ。」

 

「色が……良いね。合ってる気がする。だからつまり、似合ってるってことなんじゃないかな。」

 

差があるな。こなれた様子でスラスラと褒めたマルフォイやハリーに対して、シーボーグとロイドは照れ臭そうにボソボソとお世辞を飛ばしてきたわけだが……それを聞いたスーザンが四人に『評価』を下す。至極微妙な顔付きでだ。

 

「マルフォイは事務的すぎて減点だけど、ポッターとシーボーグはまあまあ良かったわ。ロイドはもう少し褒め言葉を勉強なさい。『色が良い』はいまいちよ。」

 

「……そうですね、今のは自分でもちょっとダメだと思いました。精進します。」

 

情けない顔でお手上げのポーズをしたロイドを尻目に、マルフォイは自分の着替えをするために部屋の隅のカーテンで仕切られたスペースへと入っていく。荷物片手に文句を言いながらだ。

 

「思うに、女性陣もここで着替えれば良かったんじゃないか? そうすれば一気に全員着替えられただろう? ……覗くようなヤツが居ないのは分かっているはずだ。」

 

「ダメに決まってるでしょうが。そういうのは気持ちの問題なのよ。アレシアも嫌よね?」

 

「あの、私は……ちょっと恥ずかしいかも、です。」

 

これは破壊力があるな。僅かに頰を染めて呟いたアレシアの発言を受けて、マルフォイは自分の負けを悟ったらしい。無言で着替えスペースに入ると、苦い表情でカーテンを閉めてしまった。

 

敗退した御曹司どのを然もありなんと見送ってから、仕上げにアクセサリーを着けようとアリスから渡された小箱を開けてみれば……おい、なんだこりゃ。昼食会の時に見れば着け方は分かるって言ってたじゃないか。嘘吐きめ。

 

謎の装飾過多な布切れや、どこに着けるんだか分からないブローチらしき物体。これまでの人生には必要なかったそれらの小物を前に、今後は少しくらい『お洒落』も勉強しようと反省するのだった。

 

───

 

「こちらが会場になります。校長とキャプテンを先頭にお進みください。」

 

そして慌ただしい準備が終わり、『挨拶回り』に励んでいたマクゴナガルが合流した午後五時ちょっと過ぎ。渡り廊下を通って本部の下にある建物の前まで移動した私たちは、ここまで案内してくれたレンダーノの指示で会場に入場するための列を作っていた。

 

キャプテンたるマルフォイの作戦曰く、慣れている者と不慣れな者がペアになった方が良いということで、私にはハリーが、スーザンにはロイドが、アレシアにはシーボーグがそれぞれエスコート役として付くことになっている。それならちょうど男女のペアになるし、各校のキャプテンは何かやることがあるらしい。妥当なペア分けだと言えるだろう。

 

そんなわけでハリーの横に並んだ私へと、スーツ姿の生き残った男の子どのは肘を差し出してきた。……うおお、こういうのって本当にやるのか。気恥ずかしいぜ。

 

「悪いな、ジニーじゃなくて。今日は私で我慢してくれ。」

 

「ちゃんとエスコートしないとそのジニーに叱られちゃうからね。慣れてはいないけど、何とかやってみるよ。」

 

「任せるぜ。私は慣れてないどころか何にも分からんからな。」

 

いつもよりちょびっとだけ頼もしく見えるハリーに応じたところで、レンダーノの合図を受けた職員がドアを開けて大声を張り上げる。余計なことをしないでくれよ。静かに入ればいいじゃんか。

 

「ホグワーツ代表の皆様がご到着です!」

 

その言葉と共にマクゴナガルとマルフォイに続いて厚めのドアを抜けてみると……良かった、暖かい。過ごし易い室温に保たれている広いホールの光景が目に入ってきた。天井には高価そうなシャンデリアが並び、真紅の絨毯の上には白いクロスがかけられたいくつもの丸テーブルが置かれている。無理に奇を衒っていない、伝統的なパーティーの会場って感じだな。

 

既に会場に居た沢山の人たちが注目する中、歩き方に気を使いながらホグワーツに割り当てられたテーブルへと移動していく。会場の一番奥には胸くらいの高さの壇が設置されており、その後ろの壁には七校の校章が描かれた旗がかけられているようだ。

 

左から順にカステロブルーシュ、イルヴァーモーニー、マホウトコロ、ダームストラング、ホグワーツ、ボーバトン、ワガドゥかな? 参加校は奇数なんだから、どっかが中央になるのは当たり前だが……ダームストラングか。

 

意外な選択を怪訝に思いながらテーブルに到着すると、ハリーが私の椅子を引いてくれた。くそう、余裕があるな。シーボーグも同じ行動をしているが、ロイドなんかは一度座ってしまってから慌てて立ち上がってスーザンの椅子を引いてるぞ。

 

「あんがとよ。」

 

「どういたしまして。……僕たちは五番目だったみたいだね。まだ到着してないのはイルヴァーモーニーとダームストラングかな?」

 

会場を見回すハリーに倣って、私も参加者たちのことをチェックしてみれば……うん、そうみたいだな。あのいかにも何か行なわれそうな壇に近い七つのテーブルが、参加校に割り当てられた物なのだろう。

 

各テーブルに着いている正装姿の代表選手たちを眺めていると、同じ方向を見ているスーザンが口を開く。どこか残念そうな表情でだ。

 

「着物じゃないのね、マホウトコロの正装って。ちょっと見てみたかったんだけど。」

 

「ワガドゥのも思っていたのと違いますね。どちらも昼間に着ていた制服の方がよっぽど『それっぽい』です。」

 

マホウトコロの生徒は普通にスーツやドレスを着ており、ロイドが指摘したワガドゥの生徒はピタッとした……何て呼ぶんだ? あれ。襟付きの軍服のような服を着ているな。とはいえ色使いがカラフルなため、重苦しい雰囲気は出ていない。

 

色々な礼服があるんだなと一人で感心していると、マクゴナガルが少し離れたテーブルを示して解説を寄越してきた。

 

「あのテーブルにいらっしゃるのが今回出席する上級大魔法使いの方々ですね。一人だけスーツ姿の男性は現在の連盟の議長です。」

 

「上級大魔法使いが連盟の指導者なんだよな? 議長ってのはそれとは別なのか?」

 

「上級大魔法使いは言わば国際魔法使い連盟の『象徴』です。細かい規則は多々ありますが、分かり易い表現で説明すれば実務を担当するのが議長で、それを承認するのが上級大魔法使いという関係ですね。……魔法史をもう少し真面目に勉強することを勧めておきますよ、マリサ。この辺りのシステムは間違いなくフクロウ試験に登場することでしょう。」

 

「まあうん、覚えとくぜ。」

 

濃い紫色のローブを着た気難しそうな顔の爺さんと、黒ローブ姿の穏やかに微笑むお婆ちゃん、そしてキチッとしたスーツを着ている初老の男性。なんだか知らんが、冷めた雰囲気のテーブルだな。明らかに談笑している様子のないテーブルを見ながら、あれが連盟のお偉いさん方かと大した感慨もなく納得したところで──

 

「……マリサ、ホームズだ。あっちのテーブル。」

 

何? 鋭い口調でハリーが教えてくれた方向に目を向けてみると、確かにホームズが座っているのが視界に映る。同席しているのはマクーザの議員か?

 

「だな。……リーゼはまだ来てないのか?」

 

「到着してないみたいだね。ホームズとトラブルになったりしないかな?」

 

「分からんが、リーゼだってホームズが来ることは知ってるわけだし、迂闊なことはしないだろ。」

 

同じテーブルの連中と談笑しているホームズは……ふん、嘘くさい笑みだな。リーゼのように皮肉げな感じでも、ぽんこつ賢者のように裏がある感じでも、レミリアのように深みがある感じでもなく、無機質な仮面を貼り付けたような愛想笑いだ。『アリスの敵』って先入観があるからかもしれんが、それ抜きにしたって好きにはなれない笑い方だぞ。

 

人形じみた笑みの男に鼻を鳴らす私へと、話を聞いていたらしいマルフォイが警告を飛ばしてきた。

 

「あまりジロジロ見るな、キリサメ。気持ちは分かるが、あの男に対処するのはバートリやフォーリー議長の仕事だ。今日は我慢して代表選手として振舞ってくれ。」

 

「……おう、分かってるさ。」

 

「それに、心配することはないはずだ。僕が知る限り、現状焦るべきはホームズの方だろう。連盟はイギリス側に傾きつつあるからな。」

 

「何の話? ……ああ、アルバート・ホームズね。マルフォイの言う通りよ。あの男はもう長くないわ。」

 

会話に参加してきたスーザンもホームズのことが好きではないようで、ざまあみろと言わんばかりの顔で冷たく言い放つ。国際的な動きについては私より知ってそうだな。

 

「二人とも詳しいんだな。」

 

「マルフォイ家としてもフォーリー議長に協力しているからな。……あの男の初手はイギリスに見事に防がれ、今度はこちらが斬りかかる番だ。おまけにゲラート・グリンデルバルドが身を守るための盾を取り上げようとしている。内心は穏やかではないだろうさ。」

 

「そうね、先手を耐え切ったイギリスが優位に立ったわけ。なりふり構わない攻撃だったから、いざ反転して攻められれば弱いはずよ。」

 

うーん、政治に関わる人間ってのは比喩表現が好きだな。まあ、分かり易い説明ではあったぞ。私が納得して頷いた瞬間、急に会場が静まり返る。何事かと周囲を見回してみると、異常を発見する前に高らかに響いた声が原因を教えてくれた。

 

「ゲラート・グリンデルバルド中央魔法議会議長のご到着です!」

 

ホグワーツ代表の到着を知らせた時より、多少緊張しているような職員の声。釣られて入口の方に視線を送ってみれば……あれがゲラート・グリンデルバルドか。新聞で何度も目にした老人が入場するのが見えてくる。

 

百歳を超えていることなど一切感じさせないピンと伸びた長身と、真っ赤なアスコットタイが特徴的なスリーピースのダークスーツ。気品を感じるお洒落な格好の老人は、左右に銀朱のローブを着た護衛を付き従えながら堂々と割り振られたテーブルへと向かっていく。会場中から集まる好奇の視線など、気にも留めていないご様子だ。

 

しかし、凄いな。ただ歩いているだけなのに目を奪わせるようなあの雰囲気。まるで一瞬にしてこのパーティーの主役の座を奪い取ってしまったかのようだ。ある者は興味深そうに、ある者は好意的な表情で、またある者は嫌悪を滲ませながら。反応こそ様々だが、会場の魔法使いたちは一人残らずあの男に注目しているぞ。

 

つまり、これが『カリスマ』なわけか。ダンブルドアが、レミリアが、そして魅魔様が持っていた資質を、グリンデルバルドもまた持っているらしい。確かな理由は説明できないものの、そこに在るだけで何故か場を支配できてしまう力。形容し難い圧倒的な存在感。それがあの男からピリピリと発されている。

 

後ろに流した真っ白な髪の下にある顔付きからは……うーむ、ダンブルドアのように穏やかな指導者ではなく、むしろ冷徹な支配者であるという印象を受けるな。とはいえ、同じように支配者然としていたレミリアともまた違う気がする。レミリアが細く鋭い絢爛な短剣なら、グリンデルバルドは歴戦を戦い抜いた実用的な大剣といった雰囲気だ。にっこり笑いながら背後に隠し持つのが前者で、あえて構えて見せ付けることで威圧するのが後者って感じ。

 

既知の人物との違いを考察しながら離れたテーブルに着くグリンデルバルドを眺めていると、私の隣に座っているハリーがポツリと呟きを漏らした。

 

「……なんかさ、ヌルメンガードで見た時よりも大きく見えるよ。あの時も存在感はあったけど、それよりもっとがっしりしてる感じ。どうしてなんだろう?」

 

「私には分からんが、グリンデルバルドが大したヤツだってのは一目で理解できたぜ。多分直に見たことがなかった他の連中も同じだろうな。写真だとあの雰囲気は伝わらないだろうさ。」

 

従うか、歯向かうか。こちらにその選択を強いてくるような男だな。少なくとも無視することだけは出来ないだろう。あの存在感がそれを許してくれまい。何をするにしたって目を向けてしまうはずだ。

 

リーゼがやたらと褒めていた理由を実感しながら、霧雨魔理沙はロシアの議長のことをジッと見つめるのだった。

 



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七本の杖

更新再開します。本年もよろしくお願いいたします!


 

 

「キミ、ひょっとしてお洒落が好きなのかい? 毎回毎回やけに小洒落た格好を選ぶじゃないか。目立ってるぞ。」

 

この匂い、香水まで振っているのか? 連盟の議長だか何だかの演説を聞き流しつつ、アンネリーゼ・バートリは迷惑そうな顔のゲラートにちょっかいをかけていた。近くで見なければ分からない複雑な模様が入ったアスコットタイや、派手すぎない程度の金のラペルピン、そして手首に覗くカフリンクス。半世紀前の決闘の内容がファッションセンスを競うものだったら、間違いなくダンブルドアをボロクソに負かしていたな。

 

遂に始まった七大魔法学校対抗クィディッチトーナメントの開催記念パーティー。招かれた客や代表選手たちがお行儀良く『とっても偉い議長のお話』に耳を傾ける中、ロシア議会のテーブルに移動してゲラートとお喋りをしているのだ。招待客は合計で……ふむ、二百人くらいか? 思っていたよりも大人数のパーティーになったな。

 

私を除く全員がきちんと指定されたテーブルに着いていることを確認していると、ゲラートが視線を議長に向けたままで面倒くさそうに応じてくる。今更話を聞いてますアピールをしても無駄だろうに。魔法界で一番の『前科持ち』なんだから。

 

「前にも話したはずだ。『旗』は豪華な方が掲げていて気分が良いものだと。だから外見にも気を使っているに過ぎん。俺個人の趣味ではない。」

 

「ふぅん? お洒落さん扱いされるのが恥ずかしいわけだ。……おい、キミはどう思う? 若作りしすぎだと思わないかい?」

 

同じテーブルに居る闇祓いらしき護衛君に問いかけてやれば、急に訳の分からん吸血鬼に話を振られた哀れな銀朱ローブは驚愕の表情になった後、おずおずと当たり障りのない評価を述べてきた。さすがに英語を喋れるヤツを連れてきているらしい。

 

「その……よくお似合いだと思います。」

 

「阿諛追従は組織を腐らせるぞ。本音で語りたまえよ。きっとこの爺さんは怒らないから。」

 

「……いえ、紛れもない本音です。自分は本心からお似合いだと感じています。」

 

もうやめて欲しいという感情をありありと声色に表した護衛君の褒め言葉を受けて、ゲラートは深々とため息を吐いてから私に注意を飛ばしてくる。つまらん連中だな。

 

「部下にちょっかいをかけるな、吸血鬼。こいつらは真面目な闇祓いだ。イギリスの悪趣味な冗談には慣れていない。」

 

「それはそれは、ロシアがもっとウィットに富んだ国になることを祈っておくよ。……あの議長どのはどっちの派閥なんだい? スカーレット派か、反スカーレット派か。」

 

壁に垂れ下がっている七校の旗の前で、実に退屈な平々凡々とした演説をかましている没個性的な中年男。ロシアのジョークセンスを憂いながらその男を指して聞いてみると、ゲラートはどちらでもない返答を寄越してきた。

 

「中立だ。現状では俺にもスカーレットにもホームズにも近くない稀有な存在だと言えるだろう。あの男は議長に選出されて以来、連盟の……延いては国際魔法社会のバランサーとしての役目に徹している。」

 

「ふぅん? 人間としてはともかく、議長としては中々まともな存在じゃないか。」

 

「それがあの男なりの生存術なのだろう。誰にとっても有用ではないが、かといって邪魔にもならない。結果として対処を後回しにされて生き延びるわけだ。」

 

「つくづく面白くない男だね。話の内容も、生き方もだ。」

 

やれ国際間の協力がどうだとか、やれ若い魔法使いたちの交流がどうだとか。私が聞いている限りでは『パンフレット』にでも書いておけばいいような内容しか喋っていないぞ。レミリアやゲラートの濃い演説に慣れている私としては、耳にしていると眠たくなってくる薄味っぷりだな。

 

中身の薄い演説に対して早く終われと祈っている私に、ゲラートが自身の『感想』を送ってくる。

 

「委員会の話題も、イギリスとホームズの確執も、俺が行う会談の話も避けているな。俺から見れば見事な演説だ。あそこまで完璧に『地雷』を避けるのは難しいだろう。」

 

「世界に蔓延る厄介ごとは見て見ぬ振りってわけだ。連盟の空虚さを表してるね。あれで国際社会のリーダーを気取ってるんだから笑えてくるよ。」

 

そんなんだから大戦でも、魔法戦争でも役に立たなかったんだぞ。バランスを保つための中立と言えば聞こえは良いが、だからといって何もしないのであれば存在している意味がない。『主義による積極的な中立』を保っていた香港自治区と違って、連盟のそれは『躊躇による消極的な中立』だな。

 

毒にも薬にもならんような男を冷めた目線で眺めていると、ようやく話を終えたらしい連盟議長は壇から降りて控えていた人物と交代した。参加者たちの拍手も何処となく空虚な音に感じられるな。賛意や敬意を表すものではなく、あくまでも礼儀としての拍手だ。よくお似合いの音じゃないか。

 

そして『退屈男』の次に壇上に上がったのは……うーむ、こっちは面白そうだな。五分刈りの頭をカラフルな七色に染めているパンキッシュな人間だ。顔付きは男にも見えるし、女にも見える。ストライプのスーツが致命的に髪と合っていないぞ。

 

「誰なんだい? あの愉快な人間は。連盟にも見所のあるヤツが居るじゃないか。」

 

「今回のイベントの総責任者だ。名は確かサミレフ・ソウ。元クィディッチのプレーヤーで、連盟内では無派閥。議長のように意図して無派閥になっているわけではなく、『変わり者』だからどこも受け入れなかった結果らしいが。」

 

「うちのゲーム・スポーツ部の大間抜けといい、元クィディッチプレーヤーってジャンルにはまともな人間が所属していないらしいね。……ちなみに性別は?」

 

「女性だ。」

 

女かよ。耳にクィディッチのゴールポストを模したどデカいピアスを着けているソウは、壇の中央に立つと拡声魔法なしの大声でハキハキと話し始める。声も中性的だな。歳は三十代の前半くらいか?

 

「こんばんは、皆さん! 本日は連盟が企画したイベントのためにお集まりいただき誠にありがとうございます! 私はサミレフ・ソウ! このイベントの取り仕切りを任されている者です!」

 

うーん、間違いなく『体育会系』の人間だな。つまり、パチュリーが蛇蝎の如く嫌うタイプだ。必要以上の声量と独特の話し方ですぐに分かったぞ。手を背後に回して胸を張って喋るソウは、キリッとした顔を保ちながら事務的な連絡を会場に言い渡す。

 

「これから連盟が用意した道具を使って初戦の組み合わせと試合場所を決定しますので、各チームのキャプテンは予めご用意いただいた杖を持って準備しておいてください! ……では、カップをここに!」

 

『カップ』? ソウが壇の脇で待機していた連盟職員の集団に呼びかけると、その中から出てきた二人の職員が黒い布に包まれた大きめの何かを壇上の台に運ぶ。会場の全員がそれに注目する中、ソウは一切勿体つけずに布を剥ぎ取った。運んできた連盟職員たちの呆れたような顔を見るに、本当は勿体つけるべき場面だったようだ。リハーサルとかはしていないのか? 適当すぎるぞ。

 

すると現れたのは……なるほど、優勝カップか。上品な薄い金色に輝く背の高いトロフィーだ。各所に色取り取りの宝石が鏤められている、全長一メートルほどのシャンパングラスのような細長い形の優勝杯。それなりの値段がしそうなそのカップを前にしつつ、ソウはカステロブルーシュのテーブルに指示を投げる。やけにサクサク進めるな。そういう性格なのかもしれない。

 

「では最初に、カステロブルーシュのキャプテンは杖をここに!」

 

ここで各校が用意した『象徴となる杖』の出番か。その声に従って前に歩み出たスーツ姿の大柄な男子生徒が、壇に上がって手に持っていた杖を差し出す。それに首を振って応じたソウは、無言でカップの側面を指差した。何をやっているんだ? 遠くてよく分からんな。

 

興味を惹かれて見守っていると、カステロブルーシュのキャプテンが席に戻った後のカップには……あー、そういうことか。側面にあった宝石に囲まれたスリットに杖が挿し込まれているのが目に入ってくる。七校の選んだ杖が優勝カップの一部になるというわけだ。洒落た演出じゃないか。

 

「悪くないね。文字通り『杖を賭けた勝負』ってことか。勝ち上がった一校が他の六校のプライドの象徴を奪い取るわけだ。」

 

「随分と攻撃的な解釈だな。……俺はあまり好きではない。杖は使ってこその道具だ。トロフィーにされては堪ったものではないだろう。」

 

「まあ、杖作りたちは不満だろうね。」

 

実際に使わないのも、『景品』にされるのも、杖狂いどもとしては首を傾げたくなる使い方だろうな。ゲラートの苦言に肩を竦めたところで、ソウがカステロブルーシュの杖を説明すると共に次の学校のキャプテンを壇上に導く。

 

「カステロブルーシュからの杖はハナミズキ、28センチ、芯材にはルーガルーの毛! クリエイティブで獰猛。時に誠実、時に気まぐれ。魔法薬学に向く。……次にイルヴァーモーニーのキャプテン、杖をここに!」

 

杖の情報は事前に提出していたらしいし、どこぞの杖作りが鑑定して導き出した情報なのだろう。聞いたことのない芯材を興味深く思っていると、イルヴァーモーニーのキャプテンも杖を挿してテーブルに戻っていった。

 

「イルヴァーモーニーからの杖はスネークウッド、31センチ、芯材には角水蛇の角! 知的で用心深く、仲間意識が強い。しなやかに曲がり、あらゆる魔法に適性を発揮する。……次にマホウトコロのキャプテン、杖をここに!」

 

続いてマホウトコロのキャプテン……昼食会で出会ったあの無礼な小娘がカップに挿し込んだのは、イルヴァーモーニーの物よりも更に長い杖だ。白めの木に、赤と白の紐で彩られた持ち手が付いている。何となく民族的な印象を受けるデザインだな。

 

「マホウトコロからの杖はサクラ、39センチ、芯材にはウミツバメの風切羽! 義理堅く、品性を重んじる。善良。癒しの魔法に最適。……次にダームストラングのキャプテン、杖をここに!」

 

唯一制服を着ているダームストラング代表のキャプテンは、堂々とした動作でカップに杖を挿した。ビクトール・クラムほど変な姿勢じゃないな。ということは、あの男ほどクィディッチに人生を捧げていないということだ。この場に限っては減点対象だろう。

 

「ダームストラングからの杖はライム、25センチ、芯材にはセストラルの尾毛! 慎重で、強大。矛盾を孕む。使い手によって適性を変える。……次にホグワーツのキャプテン、杖をここに!」

 

「……皮肉な杖だな。」

 

「ん? どういう意味だい? セストラルの毛はキミのお気に入りだろう?」

 

「大したことではない。個人的な話だ。」

 

ライムの方が気になったのか? 平凡な木材だと思うんだが。苦笑を浮かべてダームストラングの杖を眺めているゲラートのことを、怪訝な気分で見ていると……次はマルフォイの番か。スーツ姿の青白ちゃんは、粛々とカップに歩み寄って杖を挿し込んだ。うむうむ、真っ黒な杖だから目立っているな。いい感じだぞ。

 

「ホグワーツからの杖はエボニー、30センチ、芯材には不死鳥の尾羽根! 頑固で、信念を貫く。忠義に厚い。防衛術に適している。……次にボーバトンのキャプテン、杖をここに!」

 

おっと、マホウトコロと同じくボーバトンも女性がキャプテンか。自信を滲ませた笑みで『大きな校長』が居るテーブルを離れた女生徒は、見せ付けるような優雅な動作でカップに杖を挿し込む。

 

「ボーバトンからの杖はライラック、23センチ、芯材にはデミガイズの毛! 思慮深く、優美な魔法を好む。使い手を熟慮する。呪文学には最良の杖。……最後にワガドゥのキャプテン、杖をここに!」

 

そして最後は独特な服を着た長身の男子生徒だ。昼食会では見なかった顔だな。そういえばワガドゥは参加人数が少なかったっけ。和やかな笑みを湛えながらカップに近付いたワガドゥのキャプテンは、手に持った杖を一つだけ残ったスリットに挿し入れた。

 

「ワガドゥからの杖はバオバブ、33センチ、芯材にはドラゴンの髭! 穏やかで、我慢強い。しかし敵対者には冷酷。変身術に向く。……これで七校が選んだ七本の杖が揃いました!」

 

色も長さも不揃いな七本の杖に彩られた、金色に輝く優勝カップ。まるで七校の違いを表現しているかのようだな。杖がしっかりと固定されていることを確認したソウは、やおら自分の杖を懐から抜いてカップの上部をコツンと叩く。

 

「それでは、次に一回戦の組み合わせを発表します! 公正を期するために組み合わせは『カップが』選びますので、私たち運営側もどんなトーナメント表になるか分かっていません!」

 

カップが選ぶ? 炎のゴブレットのことを思い出すシステムだな。まさかこのカップは『ハリー・ポッター』と書かれた紙を吐き出さないだろうなと心配しつつ、ゲラートと一緒にカップのことを見つめていると──

 

「……うーん、地味だね。これは炎のゴブレットに軍配が上がったかな。」

 

私の呆れたような呟きと共に、カップに挿してある七本の杖の先端に火が灯った。まるで燭台だなと鼻を鳴らしていると、七つの赤い灯火の一つが青色へと変わっていく。ワガドゥの杖に灯った火だ。

 

「第一試合の会場はワガドゥ! 対戦相手は……ボーバトンです!」

 

ああ、そういうシステムなのか。灯っていた火が先に青色になった杖が会場になる学校で、その次が対戦相手ってわけだ。二番目に灯す火を青色に変えたライラックの杖を見て宣言したソウは、続いて色を変えた学校の名を大声で言い放つ。

 

「第二試合の会場はイルヴァーモーニー! 対戦相手はカステロブルーシュです!」

 

ワガドゥとボーバトンもそうだが、こっちも比較的近場で済んだらしい。残るはホグワーツとマホウトコロ、それにダームストラングか。ホグワーツのシードが見えてきたところで、無情にも黒い杖に灯っていた火が青く染まってしまう。シード無しかつ会場校か。最悪だな。

 

「第三試合の会場はホグワーツ! 対戦相手はダームストラングです! よってマホウトコロは初戦シードとなります! ……勝ち上がった四校で再び抽選を行いますので、試合の順番は二回戦の対戦相手とは関係がありません。一回戦の全試合終了後に勝ち残った四校のキャプテンには、次の対戦相手を決めるためにもう一度この場所を訪れていただくことになります!」

 

「よりにもよって大本命のマホウトコロがシード枠か。いまいちな結果になっちゃったね。」

 

『強豪校』がシードなことに会場の大半は苦笑いを浮かべているし、マホウトコロのクィディッチ狂いどももちょっと残念そうな顔付きだ。それを横目にゲラートに話を振ってみれば、彼も興醒めしたような表情で同意してきた。

 

「盛り上がりに欠けるのは間違いないだろうな。連盟も余計なパフォーマンスをしなければよかったと後悔しているだろう。」

 

「ふん、いい気味だよ。……第三試合はダームストラングとホグワーツなわけだが、私とキミは敵同士ってことかな?」

 

「ホグワーツを応援する気など微塵もないが、別段ダームストラングを応援しようとも思わん。俺があの学校を追い出されたことを忘れたか? 他ならぬお前の所為でな。」

 

「おっと、そうだったね。だが、私の所為だって部分は同意しかねるぞ。記憶が確かなら私が落とした本をキミが勝手に拾って読んで、これまた勝手に若気の至りで退校になったはずだ。」

 

心外だという声色で主張してやると、ゲラートはため息を吐きながら突っ込みを入れてくるが……うん? 違ったか?

 

「お前の記憶が当てにならんことはよく分かった。……何れにせよ、トーナメントにはそれほど興味がない。俺にとっての本番は明後日の会談だ。」

 

「ま、そうだね。私もあんまり関心はないが……一応ホグワーツを応援するさ。ハリーも代表選手の一人なんだよ。覚えているかい? ヌルメンガードで会ったはずだが。」

 

「ああ、覚えている。……ハリー・ポッターか。アルバスが身を挺して守った男だ。気には留めておこう。」

 

ゲラートがちらりとホグワーツのテーブルを見ながら口にした言葉を受けて、愉快な気分でうんうん頷く。ハリーとゲラートってのも面白い組み合わせかもしれんな。どうせこの後『歓談タイム』に突入するだろうし、ひとつ引き合わせてみるか。

 

遠くのテーブルでソウの細かな説明を真面目に聞いているハリーを眺めつつ、アンネリーゼ・バートリはクスクス微笑むのだった。

 



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牙城と斜塔

 

 

「イギリスの女性というのはもっとお堅いものだと思い込んでいたよ。だが君は……そう、まるで夏の太陽のような女性だ。自然の覇者、眩い情熱、僕らを照らす女神。その光を僕だけに向けてくれるなら、僕はきっと何だって捧げてしまうだろうね。」

 

ああ、誰か助けてくれ。くっさい台詞を放ってくるカステロブルーシュのキーパーを前に、霧雨魔理沙は困り果てた気分で視線を彷徨わせていた。私が自意識過剰じゃないのだとすれば、どうもこいつは私のことを口説こうとしているらしい。アホみたいな詩的な文句でだ。

 

七本の杖が挿し込まれた優勝カップによって一回戦の組み合わせが決まり、いよいよ本格的な歓談の時間に突入したパーティー会場。先程まで会場を埋め尽くしていた丸テーブルたちは『自分の脚で』壁際まで移動し、今は立食会の様相を呈している。そんな中、中央の大きなテーブルから食べ物を取っていたらこの男に話しかけられてしまったのだ。

 

真っ黒な長いドレッドヘアを左右に垂らし、金のネックレスを着けているカステロブルーシュの代表選手。声をかけられたのに邪険にするのも悪いということで、さっきまでは普通に当たり障りのないクィディッチの話をしていたのだが……どの時点で私に興味を持ったのかは不明なものの、いつの間にかこんな感じになってしまった。

 

見た感じ私よりちょっと年上であろう彼は、反応に困っている私を見て訳の分からん口説き文句を続けてくる。勘弁してくれ、こういうのは慣れてないんだ。

 

「僕の母がよく言うんだ。本当に美しい女性というのは、笑顔が素敵なものなんだって。退屈な女性は退屈な笑みを、嘘に慣れた女性は嘘臭い笑みを、皮肉屋な女性は皮肉げな笑みを浮かべるものらしいよ。……その点君の笑みは百点満点さ。快活で、こちらを楽しくさせてくれる笑み。僕は君の笑顔にやられてしまったんだ。」

 

「あー……っとだな、ありがとよ。褒めてくれるのはまあ、嬉しいぜ。」

 

「運命だとは思わないか? 互いに代表選手に選ばれて、こうやって知り合ったことを。この沢山の人が居る会場で、二人っきりで話していることを。……僕は思うね。これはきっと僕と君との運命なんだ。どうかな? 二人で抜け出してみないかい? 退屈はさせないと約束するよ。」

 

私にとっての『運命』ってのは、ハリーとヴォルデモートや咲夜が抱えているそれのことだ。だからまあ、比べてしまうとこんなもんは単なる偶然にすらならんだろう。そう思って断ろうとすると、キザ男君は私の手を取って引っ張り始めた。おいおい、強引なヤツだな。

 

「ちょっと待った、私は──」

 

「照れなくていいよ、僕の太陽さん。そういうところも可愛らしいけどね。」

 

『僕の太陽さん』だと? ぶん殴りたくなる発言だな。会場の外に連れ出そうとする男に対して、もう強めに拒絶の返答を叩き付けてやろうと口を開きかけたところで……横から介入してきた誰かが、私の手を取っていたキザ男の腕を強めに掴む。先程カップに杖を挿していたワガドゥのキャプテンだ。

 

「私が見たところ、彼女は嫌がっているようですよ。レディを強引に引っ張るのは如何なものかと。」

 

助けに入ってくれたってことか? 穏やかだが有無を言わせないような口調で注意を投げかけたワガドゥのキャプテンに、堪らず私の手を放したキザ男が文句を飛ばす。私に向けていたものとは大違いの冷ややかな笑みでだ。

 

「確か、ワガドゥのキャプテンさんでしたか? 人の恋路を邪魔するのは無粋ですよ。」

 

「『恋路』と言えるようなものではないと判断しましたので。レディは優しく扱うものです。ワガドゥではそう教えられています。」

 

「カステロブルーシュでは『押してダメならもっと押せ』と学ぶんですよ。……本音では嫌じゃなかったんだろう? 僕の太陽。このお邪魔虫に言ってやってくれないか?」

 

「嫌だったし、助かったし、言うとすれば感謝の一言だぜ。ありがとよ、ワガドゥの。」

 

マルフォイは他国の人間に気を使えと言っていたが、これはさすがに許容範囲外だ。カステロブルーシュのバカに言い放った後、ワガドゥのキャプテンに感謝を述べてみると、キザ男は鼻を鳴らしながらやれやれと首を振ってきた。

 

「……あーあ、ダメか。慣れてなさそうだから簡単に『お持ち帰り』できると思ったんだけどな。賭けに負けちゃったよ。」

 

「……まさかお前、私を口説けるかを賭けてたのか?」

 

「そういうことだよ、イギリスのお嬢さん。うちのビーターが無理だって言うから、口説き落とせたら秘蔵の惚れ薬をくれよって吹っかけてみたんだ。……なあ、口裏を合わせてくれないか? 礼はするから。」

 

なるほど、なるほど。このクソ野郎は女の敵なわけだな。『賭けの対象』にされた怒りを拳に込めて、それを憎たらしい顔面にぶち込もうとしたところで、ワガドゥのキャプテンが左手に持っていたワインを……おお、やるな。カステロブルーシュのバカ男にぶっかけた。

 

「おや、失礼。手が滑りました。」

 

「……へぇ? じゃあ、こっちも手が滑るかもしれない、な!」

 

引きつった笑顔でいきなり殴りかかったバカ男の拳を、ワガドゥのキャプテンは予期していたかのような動作でするりと避ける。そのまま見事な体捌きでバカ男の股下に右足を滑り込ませたかと思えば、それを引っ掛けて女の敵を転ばせた。あまりにも滑らかな動作だし、何か武術をやっているのかもしれないな。

 

「……くっそ、お前!」

 

「この辺にしておいた方が良いと思いますが。これ以上はカステロブルーシュの名を貶めますよ。」

 

「関係ないね、そんなこと。売られた喧嘩は買うのがカステロブルーシュの流儀なんだよ。コケにされて引き下がった方がよっぽど恥だ。」

 

立ち上がってワガドゥのキャプテンの胸ぐらを掴みながら宣言したバカ男は、握った拳を大きく振り上げ──

 

「何をしている、カジョ! 貴様、俺の顔に泥を塗る気か? 騒ぎは絶対に起こすなと言ったはずだぞ!」

 

今度はカステロブルーシュのキャプテンのご登場か。剃り込みが入った短髪の大柄な男がその手を後ろからがっしりと掴んだ。周囲をよく見てみれば、どうもこの場のやり取りは注目を集めていたらしい。騒ぎに気付いて駆け付けたってとこかな?

 

遠くからうちのキャプテンどのも早足で歩いて来るのを確認していると、腕を掴まれたままのバカ男がカステロブルーシュのキャプテンに抗議を放った。

 

「こいつが僕にワインをかけてきたんですよ、キャプテン。喧嘩を売られたんです。邪魔しないでください。」

 

「『喧嘩を売られたんです』だと? ガキみたいな台詞を吐くのはよせ。ここは国際的なパーティーの会場なんだぞ。……どういうことかな? ワガドゥのキャプテン。うちのチームメイトは確かにワインを頭から被っているようだが。」

 

「それに足る理由があったからそうしたまでです。」

 

あー、どんどん話が大きくなってるな。睨み合う二人のキャプテンの間に入って、私が経緯を説明する。

 

「そのバカが私を強引に連れ出そうとして、ワガドゥのキャプテンはそれを助けてくれたんだよ。ワインをぶっかけなきゃ私が先に殴ってたぜ。」

 

要約して語った私の説明を聞くと、カステロブルーシュのキャプテンは呆れ果てたようなため息を吐いた後、カジョと呼ばれていたバカ男を睨み付けながら口を開いた。

 

「……なるほど、実に納得がいく説明だ。謝罪する、ワガドゥのキャプテン。うちのバカが迷惑をかけたようだな。それと君にも謝っておこう、ホグワーツの選手。申し訳なかった。この愚か者にはもう君に近付かないようにときつく言い含めておく。」

 

「いやまあ、私はいいけどよ。」

 

「こちらも気にしていません。」

 

うーむ、キャプテンはまともらしいな。私たちに軽く頭を下げてからバカ男を連行していくカステロブルーシュのキャプテンを見送った後で、入れ替わるように歩み寄ってきたマルフォイが説明しろという目を向けてくる。苦笑しながら同じような説明をしてやれば、マルフォイもまたワガドゥのキャプテンに謝罪を送った。

 

「巻き込んでしまって申し訳なかった、ワガドゥのキャプテン。それと、うちのチームメイトを助けていただき感謝する。」

 

「いえ、私の感情的な行動の所為で騒ぎを大きくしてしまいました。こちらもそれを謝罪しておきます。」

 

「いやいや、助かったぜ。……マリサ・キリサメだ。」

 

「オルオチです。生まれ持った姓はありませんので、公的な名前はオルオチ・ワガドゥということになります。ワガドゥの生徒は校名を姓として名乗ることを許されていますから。」

 

へぇ、不思議なシステムだな。私が握手を交わしながら新しく得た知識を頭に刻んでいるのを他所に、マルフォイも手を差し出して自己紹介を口にする。

 

「ドラコ・マルフォイだ。……昼食会の時は居なかったようだが、何か事情があったのか?」

 

「生まれつき身体が弱いので、体調不良で欠席させていただきました。マルフォイ家の噂は聞いております。お会いできて光栄です。」

 

細身だがしっかりした体格だし、身体が弱いってのは意外だな。深い声で柔らかく話すオルオチへと、マルフォイは気遣うような声色で相槌を打つ。内心どう思っているにせよ、本心から気遣っているように感じられる口調だ。こういうのも一つの技術か。

 

「そうだったのか。お大事にと言っておこう。」

 

「専用の薬があるので大きな問題ではありませんよ。……では、私はこれで。ホグワーツと戦えることを祈っておきます。」

 

「ああ、こちらもワガドゥと当たれることを祈っておく。」

 

次の試合まで脱落するなってことか。初戦の勝利を祈る言葉を遠回しに伝え合った後、マルフォイに続いてホグワーツが『陣地』にしている会場隅のテーブルに戻るが……その途中でキャプテンどのが私に苦言を投げてきた。今回ばかりは私は悪くないぞ。

 

「キリサメ、頼むから騒ぎを起こさないでくれ。会場中が注目していたぞ。」

 

「あのな、私は『僕の太陽さん』とかって言い寄られて困ってたか弱い女子生徒だぞ。紛れもない被害者だろうが。」

 

「リヴィングストンが同じ状況になったら通用する台詞だが、お前の場合は自分で対処できたはずだ。そこまで『か弱く』はないだろう?」

 

「拳で対処する直前に助けが入ったんだよ。それが無かったらお望み通りか弱くない姿を見せられてたぜ。」

 

大きく鼻を鳴らしながら主張してやると、マルフォイは額を押さえて注意を返してくる。

 

「生憎だが、僕は拳での対処とやらは望んでいない。もちろん杖での対処もな。」

 

「じゃあどうすりゃいいんだよ。」

 

「そもそもああいう状況に持っていかせないのが一流の……驚いたな。」

 

話を中断して思わずといった様子で呟いたマルフォイは、ホグワーツのテーブルを見ながらピタリと立ち止まってしまった。何に『驚いた』のかと私も視線を向けてみると──

 

「うお、グリンデルバルドだ。」

 

ハリーとグリンデルバルドが立ったままで何かを話している。その近くの椅子にはリーゼが座っており、他のチームメイトたちは会話の邪魔をすまいと少し離れているようだ。まあうん、ロシアの議長どのの邪魔をするのは怖いもんな。至極当然の反応だろう。

 

「……バートリはグリンデルバルド議長と関係があるのか? 先程もロシアのテーブルに居たようだが。」

 

「あるみたいだが、詳しくはリーゼ本人から聞いてくれ。私には言っていい情報とダメな情報の区別がつかないんだ。……何を話してるんだろうな?」

 

「ダンブルドア前校長のことじゃないか? あるいはヌルメンガードの戦いのことかもしれないな。三人とも参加していたはずだ。」

 

やたら迫力があるロシアの議長、愉快そうな笑みを浮かべている性悪吸血鬼、そしてさすがに緊張している顔付きのハリー。それを横目にマルフォイと話し合いながらチームメイトたちが居る方へと近付くと、スーザンが心配そうな顔で声をかけてきた。

 

「大丈夫だった? マリサ。他校の生徒に絡まれたの?」

 

「カステロブルーシュに絡まれて、ワガドゥに助けられたって感じだ。まあ、ある意味では『国際的な交流』が出来たぜ。」

 

肩を竦めて報告したところで、視界の隅にアレシアが……おー、お姉さんしてるな。『小さなアリスちゃん』の世話を焼いている光景が映り込む。リーゼと一緒に行動していたら、アレシアに捕まっちゃったってとこか。

 

「これ、美味しいよ? 食べる? 待っててね、小さく切ってあげるから。」

 

「えっと、大丈夫……です。お腹は空いていないので。」

 

年上相手だと引っ込みがちなアレシアだが、どうも年下の面倒を見る能力は高いようで、昼食会の時もアリスに引っ付いて色々と気を使っていたのだ。そういえば昔妹が居ると言っていたし、年少の子には慣れているのかもしれないな。

 

ステーキを食べ易いように小さく切って『あーん』してあげているアレシアと、半年前まで教えていた六十歳近く年下の元生徒に世話を焼かれて困っているアリス。事情を知っているとかなり面白い光景を眺める私に、シーボーグがカステロブルーシュ代表たちの方を睨み付けながら話しかけてきた。身内の恨みは自分の恨みってわけか。蛇寮の本領発揮だが、まさかグリフィンドールの私が『身内』扱いされる日が来るとは思わなかったな。

 

「ちょっかいをかけてきたのはどいつだ? キリサメ。試合でブラッジャーをお見舞いしてやるよ。」

 

「ポジションはキーパーらしいから機会は無いだろうし、そもそもカステロブルーシュと当たることになるかすら分からんからな。気持ちだけで充分だぜ。」

 

「そうだね、僕たちが睨むべきはあっちのテーブルだ。」

 

苦笑しながらのロイドが顎で指したのは、向こうにあるダームストラングのテーブルだ。……うーん、学校の気質が出るな。立食パーティーだというのに何処からか持ってきた椅子に座って黙々と食事をしているぞ。少なくともダームストラングは交流なんぞに興味がないらしい。

 

対抗試合の時はビクトール・クラムたちをちょっと無愛想だと感じたものだが、こうして比較してみるとダームストラングの中ではまだ愛想が良い方だったのかもしれないな。鬱々とした雰囲気が漂うテーブルを見ながら考えていると、ずっとハリーとグリンデルバルドの方に注目していたマルフォイが鋭い声を上げる。

 

「ホームズだ。」

 

何? 言葉に促されて私もそちらに顔を向けてみれば、三人の方に歩み寄るホームズの姿が目に入ってきた。いい度胸してるじゃんか。明後日に開かれるとかいう会談の『前哨戦』ってわけか?

 

マルフォイと共にさり気なく会話が聞こえる位置まで移動すると、アリスも神妙な表情で……アレシアに甲斐甲斐しく口元を拭かれているので台無しだが。とにかく表情だけは真面目なアリスも付いてくる。もう抵抗するのは諦めたらしい。

 

それでいいのかと呆れている私を他所に、ホームズとグリンデルバルドの前哨戦の火蓋は切られたようだ。先ずはホームズが無難な挨拶を場に投げるのが聞こえてきた。

 

「お初にお目にかかります、グリンデルバルド議長。私はアルバート・ホームズ。マクーザ国際保安局の局長で、同時に合衆国魔法議会の議員でもある者です。委員会の議長に任じられた魔法使いとして、発起人であるグリンデルバルド議長には一度ご挨拶をしておかねばと思っていたのですが……いや、遅くなって申し訳ございません。」

 

「ロシア中央魔法議会議長、ゲラート・グリンデルバルドだ。……国際保安局の局長にして、マクーザの議員にして、委員会の議長『候補』か。随分と忙しくしているようだな。」

 

「いえ、そんな。まだまだ若輩者ですから、苦労するのはむしろ──」

 

「それで、貴官の目的は?」

 

わざとらしい愛想笑いで放たれた台詞を遮ったグリンデルバルドに、ホームズは首を傾げながら問いを返す。リーゼは今のところ介入する気がないようで、ニヤニヤ顔で見守っているだけだ。……とはいえ、いつの間にかホームズとアリスを遮断する位置に移動しているのは見事だな。動作が自然すぎて気付けなかったぞ。

 

「目的、ですか? すみません、質問の意味がよく分からないのですが……。」

 

「目的、目標、目指しているもの。貴官が政治家として、局長として、委員長として成し遂げようとしていることだ。それは何かと聞いている。」

 

「それは……そうですね、より良い魔法界を作りたいと思っております。そのために微力を尽くす所存です。」

 

「空虚な返答だな。」

 

容赦ないな。ばっさり一言で切り捨てたグリンデルバルドは、貼り付けたような笑みを保つホームズへと話を続ける。聞く者を強引に押さえ付けるような力ある声でだ。

 

「目的なき人間というのは得てして脆いものだ。手早く大きなものを作り上げるのはそう難しいことではないだろう。中身に拘らず、ただ手当たり次第に積み上げればそれで済むのだから。……だが、そんなものには何の価値もない。貴官はレミリア・スカーレットのことをどう評価する?」

 

「……勿論、偉大な政治家だったと思っております。ヨーロッパを中心に大きな影響力を持っていた方だと。」

 

「『だった』でも『持っていた』でもない。あの女は今なお政治家で、今なお強大な影響力を保持している。……貴官は『中身』の重要性を理解していなかったようだな。故に軽々にヨーロッパに手を出して、崩し切れずに後悔しているわけだ。」

 

「どういう意味でしょうか?」

 

徐々に笑みが薄らいできたホームズへと、グリンデルバルドは底冷えするような無表情で口を開く。冷たく、強靭。そんな雰囲気だな。

 

「あの忌々しい女は中身の重要性を理解し、土台作りを決して怠らなかった。長い時間をかけて執念深く、効率的に、計算高く。自分の『城』を守るために兵士を集め、巧妙な罠を仕掛け、深い堀を造り、土地そのものをも弄ってきたわけだ。……だからこそあの女の城は主人が居なくなっても朽ちることはない。住人たちはしぶとくそこに住み着き、兵士たちは城自体に誇りを抱き、頑強な城壁は外敵の侵入を防ぎ続けるだろう。」

 

「詩的な表現ですね。……つまり、私の『城』は違うと?」

 

「城ですらあるまい? 貴官はただ使い易い手近な木材を拾い集めて、急拵えの張りぼての塔を建てただけだ。いざ嵐がやって来た時、貴官が使った木材たちは塔を支えようとその身を犠牲に出来るか? 塔の中の住人たちは見限らずその場に留まるか? 兵士たちは嵐を退けようと立ち向かうか? ……それが理解できていないから貴官は負けたのだ。スカーレットも、俺も揺るがぬものを持っている。『目的』のために執念深く築き上げたものをな。貴官にそれが無い以上、スカーレットの城は崩せんよ。あの女の城は間に合わせの軍隊で落とせる程度の城ではない。」

 

……目的か。私の目指すものにも繋がる話だな。主題が魔女を前に進ませるように、目的が政治家を強くするということなのだろう。魅魔様が主題を持たなかった魔女を否定したのと同じく、グリンデルバルドは目的を持たないホームズのことを否定したわけだ。

 

そしてリーゼもそのことを思い出したようで、ホームズに対して嘲るように声をかけた。

 

「んふふ、中身が空っぽなところは持ち主に似たね。考えが甘いんだよ、キミは。どれだけ凝った仮面を被ろうと、結局のところ演じるのは中身の方なのさ。だからキミの芝居は三文芝居のままなんだ。ガワだけ取り繕っても『本物』には届かないよ。」

 

「……比喩表現が多すぎて何のことを言っているのか理解し切れませんでしたが、とにかく歓迎されていないことは伝わりました。私はこの辺で失礼しておきましょう。」

 

「明後日にまた話そうじゃないか、ホームズ君。今度はゆっくりと、徹底的にね。」

 

「楽しみにしておきますよ、バートリ女史、グリンデルバルド議長。では、失礼します。」

 

リーゼとグリンデルバルドに軽く頭を下げたホームズは、一瞬だけちらりと私たちの方を見てから去って行く。『ミニアリス』にはノーコメントか。別段気にしている様子はなかったし、まさか気付かなかったってことはないと思うが……ここで言及しても無意味だと考えたのかな?

 

まあ、妥当な選択ではあるだろう。魔法界的にはここまで完璧な『若返り』は珍しいわけなんだから、いきなり小さな女の子を殺人犯だと糾弾したところで奇異に思われるだけだ。しかもパーティーの会場だもんな。

 

しかし、興味深いやり取りだったぞ。元犯罪者っていうからてっきり独善的な人間なんだとイメージしていたが、グリンデルバルドは中々どうして面白い話をする人物のようだ。こうなると明後日の会談とやらが俄然気になってくるものの、単なる一生徒である私はパーティーが終わったらホグワーツに帰らなければならない。ちょっと残念だな。

 

後でアリスやリーゼから話を聞こうと心に決めつつ、霧雨魔理沙はアレシアに野菜も食べましょうねとあーんされているアリスを微妙な気分で見守るのだった。

 



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幸運の条件

誤字報告いつもありがとうございます!


 

 

「ダームストラングね。……まあ、ホームの試合になって良かったんじゃない? ダームストラングの方が会場になっちゃうと、応援に行けるかすら怪しいわけでしょ?」

 

杖を振って足すくいの呪いをかけつつ、サクヤ・ヴェイユはマットに倒れ込む魔理沙へと話しかけていた。今日の課題は簡単そうだな。苦戦している生徒も少ないし、もしかしたら授業後半は次の内容に進むかもしれないぞ。

 

午前最初の防衛術の授業中、昨日のパーティーに出席した魔理沙からトーナメントの組み合わせについてを聞いていたのだ。突貫旅行に疲れ果てて授業開始ギリギリまで寝ていた彼女曰く、初戦はホグワーツの競技場でダームストラング代表と戦うことになったらしい。

 

となると、ダームストラング生たちはまたあの船に乗ってホグワーツを訪れるのだろうか? それとも普通にポートキー? 懐かしい対抗試合の記憶を思い返している私に、マットから立ち上がった魔理沙が眠そうな顔で返事を返してくる。慣れないパーティーで疲弊しているようだ。談話室で見送った時はちょっと羨ましかったけど、この姿を前にすると行かなくて良かったと思えてきちゃうな。

 

「マクゴナガルとしては迷惑そうだったけどな。ダームストラングからの客はともかく、ホグワーツが会場ならイギリスの魔法使いは山ほど来るだろ。そうなると今の観客席だけじゃ足りないってわけさ。増設するらしいぜ。」

 

「具体的な試合の日は?」

 

「第三試合は十一月最後の日曜日だってよ。要するに十一月の終わり、三十日だ。」

 

「分かり易くていいわね。だいたい一ヶ月後ってわけ。」

 

一ヶ月か。『すぐ』とは言えないが、絶対に『まだまだ』ではない期間だな。短い期間で準備しなければいけないマクゴナガル先生に同情していると、やおら近付いてきたラメット先生が声をかけてきた。向こうのレイブンクロー生への指導は一段落したようだ。

 

「あら、クィディッチトーナメントのお話ですか?」

 

「えっと、すみません。練習に集中しますね。」

 

「いえいえ、そういうつもりで話しかけたわけではありませんよ。貴女たちは進みが早いですし、少しくらいのお喋りなら問題ないでしょう。……教員室で初戦の相手はダームストラングだと耳に挟みました。勝てそうですか?」

 

おっとりした笑顔で語りかけたラメット先生に対して、我が親友のチェイサー代表は曖昧な返答を口にする。……ちなみに私たちはもうこの先生のことをそれほど警戒していない。リーゼお嬢様も『ホグワーツに赴任してきたのは偶然である』という判断を下したようだし、とりあえずは普通に一教師として応対しているのが現状だ。

 

「もちろん勝つつもりだし、そのための努力はするが……ダームストラングチームの情報が全然なくてな。練習の取っ掛かりを探してるところさ。」

 

「取っ掛かりですか。……ダームストラングのクィディッチは高低差を活かすのが伝統ですよ。あとはビーターが攻撃的なところも特徴ですね。守りではなく、攻めのポジションとして活用しているんです。」

 

やけに詳しいアドバイスをし始めたラメット先生だが……そっか、この人はダームストラングの出身だったっけ。魔理沙もそのことに思い至ったようで、肩を竦めて苦笑しながら先生に応じた。

 

「……いいのか? ホグワーツにアドバイスしちゃって。」

 

「出身はダームストラングですけど、今はホグワーツの教師ですからね。ダームストラング、ボーバトン、ホグワーツ。どこも頑張って欲しいというのが本音ですが、やっぱり教え子に勝ってもらうのが一番ですよ。」

 

「なら、ありがたく受け取っておくぜ。」

 

「ただまあ、半世紀も前の情報ですし、そこまで当てにはしないでくださいね。ホグワーツが変わっているように、きっとダームストラングも変わっているでしょう。私が在学していた頃よりは多少『マシ』になっているはずです。」

 

懐かしむような表情でそう言ったラメット先生は、別の生徒の指導のために遠ざかっていく。改めて考えると複雑な経歴を持っている人だな。ダームストラングで学び、フランスで生き、ホグワーツで教えている魔法使いか。

 

レイブンクローのミルウッドの指導を始めたラメット先生を横目に思考していると、魔理沙が頭を掻きながら声を寄越してきた。

 

「高低差ね。……昼の練習でマルフォイに伝えとくか。」

 

「そういえば、マルフォイ先輩とはどうなの? 上手くやれてる?」

 

「ああ、チームそのものは思ってた以上に纏まってるぜ。寮のいがみ合いなんて気にしてる余裕はないからな。シーボーグのお陰でアレシアも随分と慣れてきたし、その辺の事情は一切問題なさそうだ。」

 

「私から見ればちょっとした問題が発生してるけどね。……タッカーがやきもちを焼いてたわよ。練習に夢中な貴女たちは気付いていないでしょうけど、リヴィングストンがシーボーグに『懐いちゃってる』のが不満みたい。」

 

ジニーからハーマイオニー先輩へ、ハーマイオニー先輩から私へ、そして私から魔理沙へと渡った報告を受けて、金髪の友人は頭を抱えてため息を吐く。

 

「あー、そうか。ニールがか。……私が見たところ、去年の段階では別段アレシアに惹かれてる様子はなかったんだけどな。そりゃあ同じポジションの上級生なんだから世話は焼いてたけどよ、それ以上の何かは感じなかったぜ?」

 

「私はタッカーのことをあまり知らないから何とも言えないけど、代表選手になって遠ざかっちゃったから心境に変化があったんじゃない? 来年の学内リーグに影響するかもね。」

 

「……シーボーグは間違いなく『後輩の面倒を見ている』って感覚だろうし、アレシアの方も恋愛云々の感情はないと思うぞ。まあ、ニールに対しても別にないだろうが。」

 

そこは同意できる部分だな。よく練習を見に行っている私からすれば、シーボーグ先輩とリヴィングストンの関係は『面倒見が良い兄と引っ込みがちな妹』に近いものだ。それが恋愛に繋がるかどうかはいまいち分からないものの、少なくとも現状ではそういう関係になる雰囲気など感じられない。

 

まあうん、なるようにしかならないんじゃないか? 他人の恋愛事情にあんまり興味を持てない私へと、私と同程度の『恋愛スキル』しかない魔理沙は諦めの結論を述べてきた。私たち二人にとっては専門外の内容だし、これといった意見が出ないのは仕方がないことだろう。

 

「今はまあ、考えたところでどうにもならんぜ。変に意識させるとトーナメントに影響が出かねないしな。ニールには悪いが、先送りにさせてもらおう。」

 

「ちなみにジニーによると、二年生の中には他にもリヴィングストンのことを好きな子が居るらしいわよ。しかも一人じゃなくて複数人。……庇護欲がそそられるのかしら?」

 

「かもしれんな。同性だって『助けてあげなきゃ』ってなるくらいだし、異性なら尚更のことなんだろ。……アレシアのやつ、案外罪な女に成長するのかもしれないぞ。本人にその気が一切ないあたりが恐ろしいぜ。」

 

うーむ、そうならないとは言い切れないな。まだ十二歳だから幼さが先行しているが、リヴィングストンは中々美形に成長するであろう顔の作りをしているのだ。そこにあのリーゼお嬢様すらをも譲歩させた『甘えスキル』が合わされば……うん、確かに恐ろしい結果になるかもしれない。

 

まあ、私としてはどうでも良いさ。一年生の初期の頃のようにリーゼお嬢様にべったりなままだったらともかくとして、今のリヴィングストンは『警戒』に値するような存在ではない。内心で問題を自己完結させたところで、いつの間にか黒板の前に移動していたラメット先生が生徒全員に指示を放った。

 

「皆さん、注目。足すくいの呪いは問題なく使用できているようなので、次の内容に移りたいと思います。本格的な理論の説明や練習は次回の授業で行いますから、今日は軽く慣れる程度に使ってみてください。」

 

そのままラメット先生が杖を振ると、黒板に『沈下呪文』という文字が浮かび上がる。アリスが地味に使い所が多いと言っていた呪文だし、これは真面目に取り組んだ方が良さそうだ。

 

そのアリスは今頃どうしているんだろうかと考えつつ、サクヤ・ヴェイユはラメット先生の話に耳を傾けるのだった。

 

 

─────

 

 

「……リーゼ様? 起きてますか?」

 

素足を滑らかなシーツが擦る気持ちの良い感覚と、じんわりとした温かさに包まれたベッドの中。カーテンの隙間から差し込む陽光を横目に、アリス・マーガトロイドは幸せな気分ですぐ隣のリーゼ様に囁きかけていた。

 

クィディッチトーナメントの開催記念パーティーが終わった後、私たち『会談参加組』は連盟が用意したファドゥーツ領内のホテルに一泊したのだ。そこでリーゼ様が久々に一緒に寝ようかと誘ってくれたので、一も二もなく飛びついたわけだが……寝顔。目の前にはリーゼ様の貴重な寝顔がある。警戒心が強いから私以外では恐らくエマさんしか知らないであろう、彼女らしからぬ無防備な寝顔が。

 

どうしよう、どうしよう。返事がないってことは、まだ寝ているということだ。だったら邪魔しないように寝かせておくべきだという善良な私が居る反面、今しか出来ない何かがあるんじゃないかと唆してくる私も居る。自分の中の訳の分からない感情を自覚しつつ、とりあえず顔を少しだけ近付けてみると──

 

「……ぅ。」

 

起きない。まだ起きないぞ。ほんの数センチだけの間隔を挟んだ先にあるリーゼ様の唇が動いて、微かな寝息のようなものを漏らした。ここまで無防備なリーゼ様というのは滅多に……具体的に言えば、半世紀に一度くらいしか拝めないはずだ。

 

だからこれは、またとないチャンスなんじゃないか? それはダメだと止めてくる良心と、心の中に巣食う邪悪な欲望が戦うが……勝負ありだな。ものの一瞬で無残に敗北した良心を横にポイして、数センチの隙間を埋めるべく更に顔を動か──

 

「……んぐっ。」

 

「ん? ……おや、アリス? 起きてたのか。どうしたんだい?」

 

そうとした瞬間、寝返りを打ったリーゼ様の肘が私の顎に激突した。その衝撃で起きてしまったらしいリーゼ様が眠そうな顔で聞いてくるのに、顎を押さえつつ返答を放つ。心の中の良心がそれ見たことかと呆れているのを無視しながらだ。お前だって最後は応援に回ってたじゃないか。

 

「いえ、何でもありません。……何でもないんです。」

 

迷わず実行すべきだった。そうしていたらリーゼ様が寝返りを打つ前に事は済んでいたはずだ。私には今後数十年は思い返して幸せになれるであろう思い出が残り、リーゼ様はもうちょっとの間気持ち良く眠れていただろう。パチュリーも決断力を欠くと良い結果は得られないと言っていたのに。

 

そうじゃないだろと文句を言ってくる良心を心の奥底に押し込んでいると、すっかり起床モードで身を起こしてしまったリーゼ様が相槌を寄越してくる。寝起きリーゼ様か。これもまた貴重だな。会談を開いてくれたことに感謝するぞ、グリンデルバルド。お陰で貴重な姿を続々目撃できているのだから。

 

「そうかい? ……んぅ、今何時だ?」

 

組んだ手を上に伸ばして身体を反らせながら問いかけてきたリーゼ様に、部屋の時計を横目に答えを送った。あくまで横目だ。今の私が視線を注ぐべきは、伸びをしている所為でネグリジェ越しに身体のラインを透けさせているリーゼ様の方なはず。

 

「十時ちょっと前ですね。結構寝ちゃってたみたいです。」

 

「ま、問題ないさ。会談は明日だからね。今日は一日オフだよ。」

 

「そういえば、どうして今日じゃないんですか?」

 

「スケジュールの調整をしてたらそうなったらしいよ。パーティーに不参加だけど会談には出るって連中も多いらしいからね。一番適した日が二十八日だったんだそうだ。」

 

くぁと欠伸をしながら説明してきたリーゼ様は、未だ瞼が開き切っていない顔で私を見てくるが……堪らんな、これは。生活感があるあたりが凄く良い。子供の姿になって良かったと今心から思えたぞ。だからこそリーゼ様は一緒に寝ようと誘ってくれたんだろうし。

 

この姿を毎日のように見られるのであれば、私もエマさんのようなメイドを目指すべきかもしれないと真剣に熟考し始めたところで、もそもそとベッドを出たリーゼ様が備え付けの冷蔵庫を開けながら話を続けてきた。実は連盟の敷地にある宿泊施設に泊まるという選択肢もあったのだが、私たちは経験則でマグルのホテルを選んだのだ。大抵の場合、魔法界のホテルよりもマグルのホテルの方が居心地が良いのだから。

 

「だからまあ、今日は適当に観光でもして時間を潰そう。連盟の砦から煙突飛行でミラノに行けるらしいし、そこで咲夜の誕生日プレゼントを……アリス、これは何だと思う?」

 

「オレンジジュースじゃないでしょうか? 炭酸の。」

 

「シュワシュワか。いいね。」

 

むう、リーゼ様は炭酸飲料が好きなのか。私はちょっと苦手なんだけどな。冷蔵庫から取り出した缶ジュースの封を開けたリーゼ様が、寝起きなのに平然と炭酸飲料を飲む光景を眺めつつ口を開く。腰までくらいのショート丈の黒いネグリジェに、これまた黒いタオル地のショートパンツ。隙間からおへそがちらりと見えちゃってるぞ。

 

「なら、朝ご飯……というかお昼ご飯はミラノで食べる感じですか?」

 

「そうしておこうじゃないか。今日の私はミネストローネの気分だしね。ちなみに東ならミュンヘン、西ならジュネーヴ、南東ならヴェネツィアあたりまで行けるそうだ。案外便利な土地みたいだぞ。」

 

そう言って飲みかけのジュースを机に置いた可愛いおへそ……じゃなくてリーゼ様は、次にリモートコントローラーを手に取ってテレビジョンを起動させた。本人に自覚があるかは不明だが、彼女も徐々にマグルの技術に慣れてきているようだ。もはやホテルにある類の電化製品の操作はお手の物らしい。

 

「ふぅん? やっぱりテレビの番組はドイツ語なのか。ほぼドイツだね、この国は。」

 

「でも、マグルの大戦では中立を維持したんですよね。通貨もスイス・フランですし。」

 

「つくづく上手く立ち回ってる国ってわけだ。ローマ帝国の後ろ盾を得て成立し、それが無くなったら『残骸』のドイツに近付いて、ドイツ連邦が解体されたらスイスに倣って永世中立に鞍替えか。賢い生き延び方だね。」

 

まあうん、途中ゴタゴタは多々あったにせよ、結果的には公国存亡の『落とし穴』を見事に避けているな。国際魔法使い連盟の生き延び方にも繋がるものがあるし、もしかしたらこの土地を基盤とする連盟が裏から手を貸していたのかもしれない。

 

ベッドを出ながらリヒテンシュタイン公国の生存術に感心していると、リーゼ様が荷物の中から電動歯ブラシを取り出して歯磨きの準備を始める。毎年のようにハーマイオニーからプレゼントされているようで、彼女が使っているのは常に最新式の一品だ。

 

「この国にも人外は居るんでしょうか?」

 

私も身支度をしようとヘアブラシを手に取りながら質問してみれば、リーゼ様は振動する歯ブラシを咥えたままでこっくり頷いてきた。

 

「居るよ。少なくとも吸血鬼が一体。」

 

「へ? この前エマさんに生き残りの吸血鬼の話を聞いた時は、リヒテンシュタインの名前は出てきませんでしたけど……。」

 

「エマはあいつのことを知らないか、もしくは『生き残っている』とは判断しなかったんじゃないかな。特殊な事情があるからね。」

 

適当な感じに口を電動歯ブラシで震わせながら言ってきたリーゼ様に、怪訝な思いで問いを返す。特殊な事情?

 

「挨拶とかはしなくていいんですか? 狭い国ですし、この近くに住んでるってことですよね?」

 

「挨拶なんてしなくていいよ、面倒くさい。大体、あいつは封印されてるはずだからね。石櫃の中でぐっすり眠ってるだろうさ。運が良ければ干乾びて死んでくれてるかもしれないぞ。」

 

石櫃? ……どういう状況なんだ? それは。クエスチョンマークを浮かべながら長い髪を梳いていると、リーゼ様はバスルームに移動して口を濯いだ後に詳細を語ってくる。

 

「リヒテンシュタインの吸血鬼は相当なアホでね、数世紀前に自分で自分を封印したのさ。どこぞの人間の宗教に感化された結果、罪深い自分が許せなくなったらしいよ。」

 

「……それはまた、変な吸血鬼みたいですね。」

 

「私やレミィよりも少し年上なんだが、かなりの変わり者だったよ。『善良な吸血鬼』を目指してる癖にやってることは邪悪そのものなんだ。目覚めさせたところで絶対に世の為にはならんから、放っておくのが正解なのさ。人間を殺した数なら私たちの世代の中でぶっちぎりだろうね。」

 

うーむ、話を聞いてもよく分からないな。善良な吸血鬼を目指した結果、人間を殺しまくったってことか? しかもその後自分で自分を封印したと。意味不明な経歴を語り終えたリーゼ様は、徐に服を……寝巻きを脱ぎつつ話を締めてきた。

 

「まあ、あのバカが目覚める頃には私たちは幻想郷さ。である以上、キミが関わることはないと思うよ。……私のシャツはどこだ? このトランクに仕舞ったはずなんだが。」

 

もうリヒテンシュタインの吸血鬼のことなんてどうでも良い。今重要なのは半裸のリーゼ様だ。……今ようやく自分が旅行好きであるという確信を持てたぞ。この前の日本旅行然り、今回の小旅行然り。こういう幸運が訪れるのは大抵旅行をしている時なのだから。

 

トランクを漁るリーゼ様の後ろ姿をジッと見つめつつ、アリス・マーガトロイドはシャツがもう少しの間だけ見つからないことを願うのだった。頑張って隠れてくれ。あとでアイロンをかけてあげるから。

 



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オスティナート

 

 

「これはこれは、実に陰気な場所じゃないか。改装前のウィゼンガモットを思い出すね。」

 

連盟本部の地下にある薄暗い議場。滑らかな石が全てを構成しているその空間を見渡しつつ、アンネリーゼ・バートリは隣のアリスに話しかけていた。向かい合った二つの発言台が置いてある楕円形の空間を、十段ほどの石段が取り囲んでいる。あそこに『観客』たちが座るわけか。古式ゆかしい元老院を思わせるような雰囲気だな。

 

昨日ミラノで羽を伸ばした私たちは、ゲラートとホームズの対決を見物するためにこの場所にやってきたのだ。既に石段の半分以上は各国からの参加者……七、八十人くらいか? で埋まっているし、そろそろ始まると見て問題ないだろう。

 

一際目立つボーバトンの校長と、その近くに座って書類を捲っているデュヴァル。中央右手の席で会話しているマホウトコロとワガドゥの校長や、発言台に挟まれた位置の最前列に居る連盟の議長。時代遅れの松明に照らされた既知の顔触れを確認する私に、アリスが小声で語りかけてきた。

 

「スクリムジョールたちはあそこですね。中央中段です。合流しますか?」

 

「いや、私たちは最前列に陣取ろうじゃないか。どうせなら近くで見たいしね。」

 

そう言って階段を下りて、連盟議長とは反対側の中央最前列に移動すると……何だよ、爺さん。近くに居た濃い紫のローブの老人が私を見てポツリと呟く。

 

「……ふん、吸血鬼か。」

 

「何だい? 人間。文句でもあるのか? ここは指定席ってわけじゃないんだろう?」

 

「この場所には上級大魔法使いが座るのが伝統じゃ。」

 

「ふぅん? つまりここはこの議場における『上座』なわけだ。だったら私が座るのが正解だろうが。吸血鬼が嫌いならそっちが退きたまえよ。」

 

上級大魔法使いだか何だか知らんが、百年そこらしか生きていない小僧が文句を言うなよな。顔を引きつらせて私を止めようとするアリスを尻目に言い放つと、紫ローブのジジイは仏頂面で吐き捨てるように『お小言』を投げてきた。

 

「そら、これだ。吸血鬼というのは相も変わらず傲慢な連中じゃな。スカーレットの小娘といい、おぬしといい、伝統を軽んじること甚だしい。こんな連中が持ち上げられるなど世も末じゃ。」

 

「時代についてこられないなら早く墓に入りたまえ。何なら私が引導を渡してあげようか? 文句だけ言う老人なんてのは害でしかないのさ。山に捨てられたくないなら変化に対応するんだね。」

 

「わしは上級大魔法使いじゃぞ!」

 

「そして私は永きを生きる偉大な吸血鬼だ。目上に対する態度を学びたまえよ、偏屈ジジイ。」

 

あんまり生意気だとグーが出るぞ。吸血鬼のグーが。真っ白な眉毛が伸び放題になっているジジイと睨み合ったところで、その隣に居た黒ローブの婆さんが間に入ってくる。こいつも確か上級大魔法使いだったはずだ。具体的に上級大魔法使いとやらが何なのかはよく知らんが。

 

「まあまあ、お二人とも。仲良く座ればいいじゃありませんか。席は沢山あるんですから。」

 

「こんな無礼な小娘が隣に居るのなど我慢ならん! ようやくスカーレットが居なくなったかと思えば次はこれか。おぬしらはわしの寿命をどれだけ削れば気が済むんじゃ?」

 

「さぁね。死ぬまで削れば気が済むかもしれないし、一度死んでみたらどうだい?」

 

「……聞いたか? 今の台詞を聞いたじゃろう? これほど凶悪な種族が何故魔法界にのさばっているんじゃ? 我慢ならん、我慢ならんぞ!」

 

指を差すなよ、へし折っちゃうぞ。顔を真っ赤にして駄々をこねるジジイを冷めた目で見ていると、婆さんがニコニコ微笑みながら強引に言い争いを終わらせた。

 

「ほら、始まるようですよ。静かにしないといけませんね。」

 

その視線を辿ってみれば……おや、ゲラートのご登場か。議場の入り口から階段を下りてくる白い老人は、当然のように発言台の一つに陣取った。そして奥側の発言台の近くに座っていたホームズもそれに合わせて立ち上がる。会談の名を借りた『裁判』がいよいよ始まるわけだ。

 

さすがの偏屈ジジイも口を噤む中、私たちとは反対側に座っていた連盟の議長が腰を上げて何かを言おうとするが……おおっと、残念。その前にゲラートが話し始めたのを受けて、哀れな議長閣下はスッと座り直してしまう。あれはかなり恥ずかしいぞ。

 

「今日は集まっていただき感謝する。これが非公式な集まりである以上、形式張った長い挨拶は不要なはずだ。早速始めさせてもらおう。……先ずはイギリスの魔法使いであるアリス・マーガトロイドに対して、マクーザの国際保安局がかけている疑い。これを一つ目の議論の内容としたい。反対する者は居るか?」

 

さっくさくだな。ありきたりな自己紹介も無しか。こういう場では有り得ないほどの端的さで進行するゲラートが投げかけた問いに、議場の全員が沈黙を以って答える。一拍置いてそれを確認したロシアの議長は、仮面の笑みを被っているホームズに対して最初の口撃を放った。

 

「ロシア中央魔法議会が独自に調査した限りでは、国際保安局の捜査は骨子となる論拠が薄く、アリス・マーガトロイドを犯人だと断定できる証拠が揃っていないと言わざるを得ない。その状況でいたずらに国際間の連携を乱し、強引な捜査を断行した挙句、非を認めずに未だ諦め悪く食い下がっている理由を貴官に聞きたい。」

 

「質問に答える前に私からもお聞きしたいのですが、仮にアリス・マーガトロイドがレミリア・スカーレット氏の関係者ではなかったらヨーロッパの皆さんはここまで必死に庇っていましたか? ……答えは否なはずです。その場合、フランスもイギリスも我々の捜査に協力してくれていたでしょう? 今回の一件は権威が犯罪を揉み消す典型的な悪例なのですよ。皆さんにはどうか公正な立場から物事を判断していただきたい。」

 

「ふん、青臭い小僧めが。それは子供の理屈じゃ。政治家の言葉ではない。」

 

つまらなさそうな表情で呟いた偏屈ジジイに同意するように、冷たい顔付きのゲラートがホームズの発言を切り捨てる。全くだな。今更仮定の話をしたところで意味などないだろうに。

 

「論点をすり替えるのはやめてもらおうか。事実としてマーガトロイドはスカーレットの関係者であり、俺が聞きたいのは杜撰な捜査結果を論拠に国際関係を乱している理由だ。公正な立場から見ようが貴官らの捜査が穴だらけなことは変わらん。」

 

「現在公にしている報告だけではそう見えてしまうかもしれませんが、我々はきちんとした根拠に基づいて捜査を行っています。」

 

「では聞くが、何故『きちんとした根拠』を頑なに公開しないんだ? 当初根拠としていた事件の目撃者は存在せず、形勢が悪くなるや否や半世紀前の未解決事件を持ち出して話を濁し、これだけの状況になってなお貴官はその場凌ぎの言い訳しか口にしていない。……ここまで来ると、本当に根拠が存在しているのかを疑ってしまうわけだが。」

 

「存在していますよ。それに、五十年前の事件に関してもマーガトロイドの犯行であることは明らかです。それについての報告は公開しているはずですが?」

 

また論点をずらしたな。ジジイと揃って鼻を鳴らしていると、議場に聞き覚えのある声が上がった。デュヴァルの声だ。

 

「フランス魔法省治安保持局麾下闇祓い隊隊長のルネ・デュヴァルです。発言してもよろしいでしょうか? ……五十年前の未解決事件については、フランス魔法省からの反証があります。当時の捜査に深く関わった元闇祓いのヴィドック氏が証言してくださいました。彼によればミス・マーガトロイドの行動からは犯人である様子など微塵も窺えず、紛れもない被害者の一人であったとのことです。」

 

「何の意味もない主観的な証言に過ぎませんね。犯人ではなさそうに見えたから犯人ではないと? そんなものは証拠になりませんよ。」

 

「その言葉、そっくりそのままお返ししましょう。国際保安局の調査報告は『ミス・マーガトロイドが犯人であったら』という先入観に基づいたものに過ぎません。特にこの部分など笑えてきますね。『アリス・マーガトロイドは人形を使用する魔法使いであり、故に半世紀前の事件の犯人とは共通点が多い』ですか。杖を使った犯行では私が犯人にされかねませんな。私は杖を使って戦いますから。」

 

「屁理屈はやめていただきたい。人形を使って戦う魔法使いが他に居ますか? 使い手が多い杖ならば注目に値しないかもしれませんが、人形となれば話は別です。私からすれば充分に論拠となる理由に思えますが。」

 

未だ薄ら笑いを保ったままのホームズの反論に、デュヴァルもまた落ち着いた様子で抗弁を送る。

 

「更に、フランス魔法省が導き出した犯人像ともミス・マーガトロイドは一致しておりません。二度に渡るイギリス魔法戦争で活躍した今現在のミス・マーガトロイドであれば、事件の犯人だと疑うのもおかしくはないのかもしれませんが……当時の彼女はまだ二十歳を過ぎたばかりだったのですよ? 魔法学校を卒業して間も無い彼女が数十体もの魔法使いを殺し得る人形を操り、大戦で腕を磨いた闇祓い隊の隊員を七名同時に相手取った上に、そのうちの二人を殺害することが可能だと本気でお思いですか?」

 

「可能不可能で言えば可能でしょうね。才能がある魔法使いではあったのでしょう?」

 

「限度があります。ミス・マーガトロイドが優秀な魔女であることは共に戦ったことがある立場として否定しませんが、幾ら何でも当時の彼女にあの犯行が可能だとは思えません。五十年前の事件の犯人はまず間違いなく『熟練の魔法使い』です。ホグワーツ魔法魔術学校から取り寄せた彼女の成績を見ても、優秀なれどあれだけのことが出来るほどには逸脱していないと言わざるを得ませんね。」

 

学生の頃の成績まで確認したのか。隣に座っているアリスが若干恥ずかしそうな不満顔を見せるのを他所に、ホームズはやや苦めの言い訳を口にした。少しずつ天秤が傾いてきたな。

 

「実力を隠していたのでは? あれほどの犯罪を犯すような人間ならば有り得ない話でもないはずです。」

 

「言わせていただきますが、有り得ない話です。ホグワーツは十一歳から入学するシステムになっています。ミス・マーガトロイドの成績の変化には一貫性がありますし、ホームズ局長の推理通りだとするなら入学当時から『牙を隠して』いたことになりますね。……十一歳の少女が将来人を殺すために実力を隠しますか? ホームズ局長は被害妄想の傾向がお有りのようだ。精神科への受診を勧めておきましょう。」

 

「極論にも程がありますね。そこまでのことは言っていません。私が言いたいのは、魔法を学んでいるどこかの段階で悪しき思想に目覚め、将来を見据えて実力を抑える程度のことはやったかもしれないということです。マーガトロイドの成績に一貫性があるのは、そうなるように計算したからかもしれませんよ?」

 

「『かもしれない』が多くなってきましたな。この議場が貴方の妄想を真剣に論じ合う場ではないことはともかくとして、最後にもう一つだけ情報を提示しておきましょう。今から読み上げるのは当時ホグワーツで変身術を教えていた、元上級大魔法使いでもあるアルバス・ダンブルドア氏のミス・マーガトロイドに対する評価です。彼女が五年生を終える頃のものとなります。」

 

よくもまあそんなもんを掘り出してきたな。ダンブルドアの名前を出すのが有効だと考えたのか? 何故か国際的な会談の場で自分の『通知表』を公開されようとしているアリスが頭を抱えて足をバタバタさせる中、デュヴァルは真面目くさった表情で手元の書類を読み上げ始める。やめてやれよ、可哀想に。

 

「『才はあれど、特筆すべきはむしろ努力の方である。人一倍の努力を惜しまず、己を律することこの上なし。根底にある性質が善良であり、また善行が何故善行たり得るのかを熟慮する慎重さも兼ね備えているため、魔法法に関わる執行部や闇祓いなどの職種に向いていると思われる。』との評価を、ダンブルドア氏はミス・マーガトロイドが所属していた寮の当時の責任者であるメリィソート氏に送付しております。私としては根拠が薄い不躾な予想よりも、名教師と謳われたダンブルドア氏の人物評価を重視したいところですな。」

 

「魔法界に貢献した故人の名誉を汚すようなことは言いたくありませんが、ダンブルドア氏の人物評価が適切なものであるとは思えませんね。死喰い人なる犯罪者集団には多数の教え子が在籍していましたし、若かりし頃はグリンデルバルド議長に同調していたと聞いています。……この場で議長の行いを責めるつもりはありませんよ? ですが、昔の貴方が『危険思想』を持っていたのは厳然たる事実であるはずです。」

 

うーん、変な方向に話が転がっていくな。ダンブルドアとゲラートをある意味で貶したことに議場が騒つくが、当人たるゲラートが粛々と進行することでそれが収まっていく。ホームズの話題逸らしに乗ってやるつもりはないようだ。

 

「整理しよう。つまり、貴官らは人形という珍しい武器を使うからマーガトロイドが五十年前の事件の犯人だと予想しており、去年北アメリカで起きた事件も同じ誘拐殺人だからマーガトロイドこそが犯人だと結論付けたわけだ。……後半の繋がりは強引なように思えるが?」

 

「逆ですよ。北アメリカで起きた誘拐殺人の犯人がマーガトロイドだということを明らかにし、彼女を調べる過程で五十年前の事件を発見したのです。共通点があるなら繋げて考えるのは当然でしょう?」

 

「ならば話を最初に戻そう。北アメリカの事件の犯人をマーガトロイドだとする根拠を示せ、アルバート・ホームズ。それを提示しない限り話が前に進まん。」

 

「目撃者が居ます。マーガトロイドが子供を連れ去るところを目撃した人物が。」

 

そーら、堂々巡りだぞ。一周回って目撃者の件に話が戻ったところで、今度は議場の入り口側から声が放たれた。見ない顔だな。茶色いスーツ姿の中年男性だ。

 

「よろしいかな? ……誘拐の目撃者に関しては、我々マクーザ闇祓いから国際保安局にお聞きしたいことがある。我々がイギリスやフランスと協力して調べた結果、目撃証言をしたとされる人物は北アメリカに存在せず、国際保安局が架空の証言を捏造している可能性が浮かび上がってきた。……これが事実ならば由々しき事態だ。ホームズ局長には納得のいく説明をしていただきたい。」

 

なるほど、あの男はマクーザの闇祓いか。議場の全員がマクーザも一枚岩ではないということを認識すると同時に、ホームズは両手を広げながら小さく肩を竦める。

 

「『存在していない』とまで言われるのは心外ですね。書類に多少の不備があっただけでしょう? 目撃者はきちんと存在していますよ。」

 

「多少の不備? 不備か。……確かに目撃者が証言の際に記入した住所は、社会保険番号に紐付けられている在住魔法使いリストの情報と一致した。『マドリーン・アンバー』という魔法使いの情報とな。だが実際に住所を訪ねてみれば住んでいたのはマグルの老夫婦で、出身校であるはずのイルヴァーモーニーには記録が残っておらず、闇祓いの総力を挙げてもマドリーン・アンバーの影すら見つけられず仕舞いだ。架空の存在であることを疑うのは筋が通っているように思えるが?」

 

「……偶然が重なって起きた事故ですよ。現在保安局がアンバー氏を捜索しています。近いうちに見つかるかと。」

 

「何を根拠に見つかると言っているのかは知らないが、現状最大の論拠が『存在していない』のは確かなはずだ。ならば同じマクーザの魔法使いとして他国での強引な捜査を看過するわけにはいかん。イギリスから手を引け、ホームズ。こうなった以上、最低でも一度マクーザで調べ直すのが筋というものだろう。」

 

うーむ、どんどん変な状況になってくるな。ロシアの議長がアメリカの捜査官を糾弾し、フランスが援護し、今は新大陸の捜査官同士で言い争いをしているわけか。……まあ、今回の会談の目的はこういう議論を他国の目に晒すことにある。目の前でこのやり取りを見れば、ホームズの捜査が如何に適当なのかが嫌でも理解できるだろう。

 

サンドバッグ状態になっているホームズを見ていい気味だと満足していると、今度はスクリムジョールが議場に声を響かせた。次から次へだな。

 

「よろしいでしょうか? イギリス魔法省魔法法執行部部長、ルーファス・スクリムジョールからもホームズ局長に重ねてお聞きしたい。百歩譲って目撃者の件を置いておくにしても、そもミス・マーガトロイドを犯人だとする根拠が薄すぎるように思えます。にも拘らずこのような強引な捜査をしている以上、他にも何かしらの根拠があるはずです。それが何なのかを教えていただきたいのですが。」

 

「殺人事件が発生し、それに関する目撃証言があれば、被疑者を拘束して取り調べを行おうとするのはイギリスの魔法使いから見ても自然な行いのはずです。それを頑なに妨害しようとする方がむしろ不自然ですよ。」

 

「質問の答えになっていませんな。……では、代わりに連盟の議長閣下にお聞きしたい。国際魔法使い連盟は目撃証言があったというただ一点のみの根拠を受けて、軽々にイギリスの主権を侵害するような捜査権を国際保安局に与えたのですか? 加盟国としては捜査権を与えるに足る根拠を提示されたのだと信じたいところですが……お答えください、議長。一体どんな根拠を提示された結果、我が国を荒らす権利を他国に与えるという結論に行き着いたのでしょうか?」

 

スクリムジョールが怒ってますよという感情を声色に表現しながら放った質問に、連盟の議長は……おや? 落ち着いた様子でその場に立って答えを返す。いきなり振られて焦ると思ったんだけどな。そこまで無能ではなかったか。

 

「その件に関しましては現在責任者からの聞き取りや、内部調査機関による調査を行っております。調査が済み次第早急に報告をさせていただきますので、それまでもう暫くお待ちください。」

 

……そうでもないかもしれんな。いっそ清々しいほどに何の中身もない返答をかました議長へと、スクリムジョールが冷たい声で言い募る。

 

「議長ご自身は把握していない、ということでしょうか? まさかとは思いますが、国際魔法使い連盟という機関は責任者たる議長の許可も無しに他国への主権侵害を断行できる組織なのですか?」

 

「調査中なので今はお答えできませんが、イギリスの主権を軽んじているという認識は一切ございません。厳正な話し合いを必要十分なだけ何度も重ねた結果、断腸の思いでイギリス国内での捜査を許可するという結論を出したと記憶しております。」

 

「……話になりませんな。この場の議題からは逸脱するのでこれ以上の追及はやめておきますが、捜査権に関しましては次の連盟首脳会談で議題にさせていただきます。イギリスがこの件を都合良く忘却しないということだけはしっかりと覚えておいていただきたい。連盟と違って、イギリス魔法省には記録を残すという文化が根付いておりますので。あやふやな記憶ではなく、確実な記録を。」

 

「連盟議長として加盟国に不安を持たせたという事実を真摯に受け止め、首脳会談でイギリスの皆様の疑念を晴らすことが出来るように誠心誠意努力させていただきます。」

 

うーん、面の皮の厚さだけは評価できそうだな。限界まで薄めてかさ増ししたような言い訳をスラスラと語る連盟議長が座ったところで、再び話の主導権がゲラートの手に回ったようだ。この会談の主催者であるロシアの議長は、よく知る者でしか気付けない程度の呆れを含ませた声色で話を元に戻した。何回やる気なんだよ、このやり取り。

 

「一向に話が進まないので口を挟ませてもらうが、貴官はいつになったら目撃者と五十年前の事件以外の根拠を提示するつもりなんだ?」

 

「捜査の機密を守るため、公の場では話せない情報も多々存在しています。……目撃証言では足りないということですか? 通常の捜査では充分な証拠になり得るはずですが。」

 

「先程からずっとそう言っているわけだが、貴官は一体何を聞いていたんだ? 足りるわけがないだろう? 現実問題として、もはやこの一件は『普通の犯罪捜査』の範疇には収まらん。イギリスという国家への主権侵害と、マクーザから連盟に対しての過度な政治干渉。そういった国際規模の諸問題を誘発させた以上、一般的な犯罪捜査のルールを持ち出されたところで誰も納得すまい。まだ下らん時間稼ぎをしようというのであれば、ここからの議論は証拠が希薄な状態で捜査に踏み切ったという判断を基に行わせてもらうぞ。」

 

おいおい、本当にもうカードを残していないのか? 私も予想外だったし、隣のアリスやジジイも意外そうな顔をしている。目撃証言だけでここまで押しまくったのかよ。無茶苦茶じゃないか。

 

阿呆もここに極まれりだな。ホームズではなく、連盟の協力者たちがだ。恐らくホームズが連盟へのパイプを活用して捜査権を強引にもぎ取ったのだろう。よく捜査内容を確認しないでこれ幸いと政治工作をした反スカーレット派の連中もアホだし、それに流されて捜査権を承認した議長もぽんこつ過ぎるぞ。

 

要するに、色々と下準備が整う前に問題を大きくしすぎたわけか。反スカーレット派としても予想していなかっただろうな。ホームズがもっと多くの論拠を握っていると判断していたからこそ、ここまで強気に物事を進められていたはずだ。

 

まあ、さすがに趨勢は決しただろう。この馬鹿騒ぎもいよいよ終わりだ。火種自体がどんなに小さくても、無責任に燃料を注ぎまくれば大火になる。そのことを学んだ私や議場の魔法使いたちが呆れ果てる中、ホームズが諦め悪く反論を繰り出そうとしたところで──

 

「おっと?」

 

軽い振動と共に、頭上から低い音が響いてきた。爆発音か? 議場の全員がパラパラと埃が落ちてくる天井に視線を送った瞬間、先程のものよりも大きな爆発音が続いたかと思えば、滑らかな石の天井にピシピシと亀裂が入り始める。

 

何だか知らんが崩れるな、これは。冷静に判断した直後にアリスを抱き寄せて妖力の結界を張ろうとするが、それと同時に数名の魔法使いが天井に杖を向けた。ゲラートと、マホウトコロとワガドゥの校長、そして偏屈ジジイと婆さんだ。魔法で支えようというつもりらしい。

 

「……やけにタイミングが良いじゃないか。この話し合いを有耶無耶にしようって魂胆か?」

 

「かもしれませんね。上で何があったんでしょうか?」

 

「分からんが、双子の店の癇癪玉程度の爆発音ではなかったね。つまり大爆発ってことだ。」

 

さも動揺しているかのような表情のホームズを横目にしつつ、胸の中のアリスと小声で囁き合ったところで、三度爆発音が響くと同時にゲラートが議場の全員に指示を飛ばす。今や完全に崩れてしまった天井を冷静に観察しながらだ。老人たちの魔法がなければ生き埋めだな。

 

「……どうやら、ここから出た方が良さそうだ。俺が残って天井を支えよう。順次外に──」

 

その台詞が終わる間も無く、議場の入り口から……そら、お出ましだ。懐かしき木製のデッサン人形がわらわらと飛び込んできた。手に手に斧を持ったそいつらは、一切の躊躇なく会談の参加者たちを襲い始める。

 

「アリス、キミは手を出すなよ。まだ状況が読めないし、魔女の目的がいまいち分からん。取り敢えずは私の側で大人しくしておきたまえ。」

 

「でも、あの人形は魔法に耐性が──」

 

自分の人形を展開させようとしたアリスを止めたところで、最初に議場に飛び込んできたデッサン人形が粉々に砕かれた。それを指差して肩を竦めた後、私の出番も無さそうだなと鼻を鳴らす。グラン・ギニョール劇場の時と違って、この場に居るのは『凡人レベル』の魔法使いではないのだ。

 

「ふん、わしらが支えてやる。貴様は働け、グリンデルバルド!」

 

単純な衝撃呪文も突き詰めれば立派な攻撃手段か。上級大魔法使いの称号ってのも案外伊達じゃないらしいな。人形たちの出端を挫いた偏屈ジジイの呼びかけに、ゲラートが天井からデッサン人形たちに杖を向け直しながら短く応じた。

 

「では、そうさせてもらおう。……プロテゴ・ディアボリカ(悪魔の護りを)。」

 

珍しく一節一節に力を込めて呪文を呟いたゲラートの杖先から、真っ黒な炎が勢いよく噴き出す。それは楕円形の議場を囲む黒い炎の壁となり、それに触れたデッサン人形は……凄いな。一瞬にして細かな灰になってしまった。

 

呪文の性質の為せる業なのか、それとも単にゲラートの魔法力が大きいからなのか。この杖魔法を知らない私からは何とも言えないものの、とにかくデッサン人形の抵抗力はあの黒い炎の前では無力らしい。たった一つの呪文で議場の安全を確保したゲラートは、次々と炎に飛び込む人形たちを尻目に私に視線を送ってきた。『説明しろ』の目付きだ。

 

むう、そんな目をされても答えられんぞ。私にだって意味不明な状況なのだから。魔女が起こした騒動であることは当然として、何を目的にしているんだ? ……まさか本気でこの議場の全員を殺そうとしたわけじゃないよな? 殺す理由もよく分からんし、天井を崩して木っ端人形を突入させただけで殺せる連中じゃないことはバカでも分かるはず。

 

ってことはやっぱりホームズに対する援護か? にしたって問題の先延ばしにしかならないし、ただそれだけのために連盟の本部を爆破するのはやり過ぎだろうが。

 

ああくそ、本当に面倒なヤツだ。考えてたら段々イライラしてきたぞ。やり方は杜撰な癖に騒動はどんどん大きくなるし、どうせここでの騒ぎもアリスの存在に繋げるつもりなんだろうさ。事態を面倒くさくする才能だけはリドルより上かもしれんな。

 

何れにせよ、吸血鬼は細かい恨みも決して忘れんぞ。この騒動に関してもきっちり清算してもらうからな。ゲラートに仏頂面で分かりませんのポーズをしつつ、アンネリーゼ・バートリは杖を片手に突っ立っているホームズをギロリと睨み付けるのだった。

 



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停滞、後に進展

 

 

「いやぁ、見事にテーブルをひっくり返されましたね。こういうことを出来るのが失うものの無い人間の強みなわけですか。勉強になりました。」

 

大臣室のソファで予言者新聞を読んでいるオグデンの言葉に、アリス・マーガトロイドは苦い表情を浮かべていた。気に食わないが、こいつの表現は的を射ているな。頭を使ってチェスで戦っていたら、いきなりテーブルをひっくり返されて勝敗を有耶無耶にされた気分だぞ。

 

連盟での騒動から一夜が明けた今日、イギリスに帰国した私たちは大臣室で話し合いを行っているのだ。内容はもちろん昨日連盟本部の議場で起こったテロについてである。別に政治的な背景があるわけではないが、少なくともイギリス国内では予言者新聞が見出しに使った『テロ』という呼び方が浸透しているらしい。連続誘拐殺人犯からテロリストか。大出世だな。

 

「笑い事ではありませんよ、オグデンさん。お陰で状況が滅茶苦茶です。……死者が出なかったのは不幸中の幸いでしたね。」

 

執務机に肘を突いて疲れたように額を押さえるアメリアへと、スクリムジョールとリーゼ様がそれぞれ反応を投げた。ちなみにフォーリーはリヒテンシュタインに居残っているそうだ。今は現地で動くことが必要だと考えたらしい。

 

「ですが、軽傷者は出ました。議場の上階で起きた爆発に警備員の一人が巻き込まれたようですね。……現時点では爆発の原因は不明で、議場を襲撃した人形の侵入経路も不明。当然犯人も不明です。」

 

「忌々しいね。これで更に騒ぎが大きくなるぞ。連盟だって本拠地であんなことをされたら面目丸潰れだ。さすがに本気で動き始めるだろうさ。」

 

昨日からずっとイライラしている様子のリーゼ様の懸念に、一人だけ楽しそうな笑みのオグデンが返事を放つ。……まあ、別に本心から状況を楽しんでいるわけではないだろうが。

 

「しかしですね、これで色々と分かってきたじゃありませんか。どう考えてもこの動きは劣勢だったホームズへの矛先を逸らすためのものでしょう? つまりテロの犯人とホームズには繋がりがあり、尚且つテロの犯人は人形を武器にしている。故に五十年前の事件の犯人とホームズは繋がっているというわけですね。……通ってます? 筋。」

 

「私たちからすれば納得がいく推理ですが、国際保安局は間違いなくマーガトロイドさんが起こしたテロだと主張してきますよ。……いよいよ水掛け論になってきそうですね。どちらも明確な証拠を示せない以上、ずるずると問題が続いていくのは目に見えています。」

 

「ま、状況が再び停滞するのは確かでしょうね。僕が思うに、このユーモアに富んだ記事を書いている記者に『もう一人の人形を武器とする魔法使い』の存在を広めてもらうべきなのでは? 分かり易い『真犯人』が居た方が大衆は安心するでしょうし。」

 

テロに関するスキーターの記事を指しながら献策するオグデンを見て、アメリアは口を真一文字に結んで数秒悩んだ後、リーゼ様に向かって曖昧な言葉を飛ばした。

 

「……私は魔法大臣として報道に口を出すわけにはいきません。促すことも、止めることもしないという意味です。」

 

「はいはい、分かってるよ。私は魔法大臣でもなければ政治家でもないからね。事情を知る一般市民としてスキーターとお話ししてくるさ。……それより、イギリス内での『国際ぽんこつ局』の捜査はどうなるんだい?」

 

「現時点では何とも言えません。連盟が昨日のテロをどう判断するかによりますね。……仮にマーガトロイドさんを犯人だとするのであれば、今回連盟の議場を襲撃するのは何のメリットもない無意味な行為ですし、まともな人間が普通に考えればホームズの側に利する行いだということが分かるはずですが。」

 

「なあなあの現状維持にならないことを祈っておくよ。判断の先送りは連盟のお家芸だからね。」

 

うーん、参ったな。投げやりな声色で発されたリーゼ様の呟きを最後に、大臣室の中に短い沈黙が舞い降りる。大きく進展も後退もさせなかったが、停滞を招くという一点においては効果的な一手だったということか。

 

とにかく、連盟が方向を示さないとこちらも動きようがないぞ。イギリス国内での捜査権はどうなるのか、テロの犯人や目的をどう見るのか、昨日論じられたホームズの捜査の粗についてはどう捉えるのか。そこをはっきりしてもらわないと、イギリスの立ち位置も定まらないのだ。

 

だからフォーリーはリヒテンシュタインに残ったのかと今更ながらに納得したところで、部屋のドアがノックされると共に報告が響く。秘書官の声だ。

 

「大臣、またフリーマン氏が面会を希望してきています。追い返しましょうか?」

 

二言目に『追い返しましょうか?』が出てくるあたりに日頃の対応を感じさせるな。その問いにアメリアが答えを送る前に、リーゼ様が勝手に返答を投げかけた。

 

「入れていいよ。どうせ行き詰まってるんだし、いっそのことフリーマン君の意見も聞いてみようじゃないか。」

 

「……本気ですか?」

 

「このタイミングで何を話しに来たのかは知らんが、聞くだけだったら問題ないだろう? 訳の分からんことを言ってきたら追い出せばいいだけさ。」

 

「まあ、バートリ女史がそうおっしゃるなら。……入れて構いませんよ。案内してください。」

 

きちんとした魔法大臣の指示を受け直して、秘書官が了解の返事を口にした二十秒ほど後、部屋のドアが開いて縁なしメガネの男が入室してくる。毎度お馴染みの緑ジャケット姿のフリーマンは、部屋の面々を確認すると隠し切れない『うんざり感』を醸し出しながら口を開いた。リーゼ様、オグデン、スクリムジョール。何故かソファに座っている『謎の子供』を抜きにしても、曲者揃いであることが気に入らなかったらしい。

 

「どうも、皆さん。まさか通していただけるとは思っていませんでしたので、いつものスーツで来てしまいました。」

 

「相変わらず似合っているよ、フリーマン君。その派手なスーツを着ていれば、ダイアゴン横丁の連中も警戒すべき相手を一目で発見できるだろうさ。」

 

「ええ、染めていただいて感謝していますよ。これを着ているとイギリスの魔法使いに近付けた気分になれます。この国では常識的な普通のスーツなんて退屈すぎるみたいですから。」

 

「おや、言うようになったじゃないか。」

 

リーゼ様のジョークに皮肉げに応じたフリーマンは、小さく鼻を鳴らしてから話を続ける。

 

「もう丁寧な態度を取り繕うのはやめました。イギリス魔法界のことはこの二ヶ月半の体験を通してよく理解できましたから。頭がおかしい国でまともに過ごしていたらストレスで死にますよ。部下が円形脱毛症になっているのを見てようやく気付けたんです。バカ正直に応対するのではなく、適当に受け流すべきだと。」

 

「おおっと、聞いたかい? よくぞ真理に到達したね、フリーマン君。この国ではまともな人間は生きられないのさ。キミが答えにたどり着けて嬉しいよ。」

 

「いやぁ、僕も嬉しいです。これで一人前のイギリス男になれましたね。この『頭がおかしい国』はジョークと紅茶で出来ているってことをやっと理解してくれましたか。今の貴方にはそのスーツがよくお似合いですよ。」

 

そういうところだと思うぞ。リーゼ様とオグデンがぺちぺち拍手するのを受けて、フリーマンは一つため息を吐いてから呆れ果てているアメリアに本題を切り出した。

 

「ボーンズ大臣、単刀直入にお聞きします。アリス・マーガトロイドが北アメリカの児童誘拐殺人事件の犯人ではないということを、イギリスという国家に誓って断言できますか?」

 

「出来ますとも。悩む必要もありませんね。……私の言葉が貴方にとっての保証になるとは思えませんが?」

 

今更どうしたんだ? 即答したアメリアを見たフリーマンは、何かを諦めたような苦い笑みを浮かべながらポツリポツリと語り出す。なんだか哀愁が漂っているぞ。

 

「私はこの数日間、北アメリカに戻って独自に事件を洗い直していました。ホームズ局長がリヒテンシュタインに出張している隙を狙って一から調べてみたんです。……結果はまあ、先程の問いでお分かりでしょう? 私にはマーガトロイドが犯人であると結論付けられませんでした。怪しいかと聞かれれば怪しいと答えられますが、ここまで強引な捜査をするほどの根拠は見つかりませんでしたよ。」

 

「ふぅん? ……ちなみに聞くが、キミはどうして今の今まで疑問を持たなかったんだい? ホームズに次ぐ立場なのであれば、それなりの情報は確認できたはずだろう?」

 

「次局長など名ばかりの存在ですよ、ミス・バートリ。国際保安局を設立したのも、それを動かしているのもホームズ局長です。……闇祓いの適性試験を通れず、保安局の事務職として腐っていた私をホームズ局長は引き上げてくれました。最初は指示に従うだけでいい、職務に慣れるまで細かい部分はこちらでやるからと。そう言われて今まで愚直に従ってきたに過ぎません。」

 

「なんとまあ、愚かなもんだね。ホームズの『ワンマン捜査』に疑いを持たず、確かな根拠を知らないままでアリスを追っていたわけか。」

 

やれやれと首を振りながら言うリーゼ様に、フリーマンは情けなさそうな顔でこくりと頷いた。……それを聞くと、今までよりもずっと若く見えてしまうな。元事務職ということは捜査をした経験すらなかったのだろう。

 

「この期に及んで言い訳はしません。自分でも愚かだったと思っています。私は……私たちはホームズ局長のことを信じていたんです。あの人が自信を持ってマーガトロイドが犯人だと断定していたから、恩人である局長の顔を潰すまいと必死になっていたんですよ。」

 

「それで、貴方は私たちに何を望んでいるのですか? まさか懺悔しに来たわけではないのでしょう?」

 

真剣な表情で問いかけるアメリアへと、フリーマンは手を握り締めながら口を開く。

 

「私はマクーザの捜査官です。名ばかりの役職だろうが、経験が足りていない愚か者だろうが、この職に就く際に杖を掲げて正義を貫くと宣誓しました。その誓いだけは破るわけにはいきません。……マーガトロイドに会わせていただけませんか? 私はまだ決めかねています。姿のない目撃者、五十年前の事件、イギリスのマーガトロイドに対する信頼、昨日のテロ、ホームズ局長の判断。マーガトロイドを犯人とすることへの疑いは強まっていますが、同時に犯人ではないと断言できるほどの材料も持っていないんです。だから直接会って話させていただきたい。」

 

「話せば判断できると?」

 

「分かりません。……それでも私は国際保安官として事件を投げ出すわけにはいかないんです。もし真犯人が別に存在するのだとしたら、いたずらに状況をかき乱して犯人に利する行いをした責任を取らなくてはなりません。たとえそれがホームズ局長の意思に反する行動だとしても、私は次局長としてそうしなければならないと判断しました。」

 

スクリムジョールの質問に厳しい顔で応答したフリーマンは、アメリアに向き直って言葉を繋げた。

 

「私はレミリア・スカーレット氏のことを信じてはいませんが、イギリス魔法界の住人たちがマーガトロイド個人を信頼していることはこの身を以て理解しました。誰もが彼女は犯人ではないと確信しているようですから。……どうか直接話させてください。無論私一人だけで出向きますし、必要でしたら杖もお預けします。監視役が付いても構いません。」

 

「困りましたね。……どうですか? バートリ女史。」

 

まあその、もうこの場に居ますとは言えないだろうな。私を横目で見ながらのアメリアに話を振られると、リーゼ様は暫くの間興味深そうにフリーマンのことを見つめていたが……やがて小さく息を吐いた後、答えを待つ彼に疑問を送る。

 

「アリスと話した結果、キミの心がホームズとは違う方向に傾いたとしたら……キミは具体的にどうするつもりなんだい?」

 

「ホームズ局長を説得して、真犯人を追います。」

 

「ホームズがそれを是としなかったら?」

 

「……是が非でも説得しますよ。私は政治に詳しいわけではありませんが、これ以上進めば取り返しがつかないことだけは理解しています。結果として国際保安局が解体されることになろうとも、せめて自分たちの尻拭いくらいはしなければ。それがきっとホームズ局長のためにもなるはずです。」

 

真っ直ぐな態度で語るフリーマンに、リーゼ様は苦笑しながら首肯を返した。根負けしましたという表情だ。

 

「分かったよ、アリスと会わせてあげよう。キミがイギリスで被った苦労のことを考えれば、それくらいは譲歩すべきだろうさ。キミは目的地をきちんと確かめない愚か者だったが、同時に私に一歩譲らせるほどの努力もしたわけだ。……マクーザの闇祓い適性試験とやらは正確じゃないらしいね。」

 

「そのようですな。」

 

遠回しな褒め言葉にスクリムジョールが頷いたところで、リーゼ様が私の耳元でこっそり囁いてくる。

 

「どうやら、元の姿に戻ってもらう必要がありそうだ。そのための魔法薬はあるかい?」

 

「事前に作って保管してあります。……やっぱりこの姿じゃダメですよね。」

 

「まあ、これ以上の余計な混乱を避けるためにも、『大人アリス』の状態で会った方がいいだろうね。……一応聞くが、小さくなる魔法薬はもう無いのかい?」

 

「えっと、ありませんけど……どうしてですか?」

 

首を傾げて囁き返してみれば、リーゼ様は至極残念そうな顔付きで悲しそうに応じてきた。

 

「いやなに、その姿がもう見納めだと思うと残念なだけだよ。……本当に残念だね。」

 

憂鬱そうな顔で項垂れるリーゼ様を前に、アリス・マーガトロイドはそんなにかとちょっと呆れた気分になるのだった。

 



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妖怪の天敵

 

 

「……それは? その荷物。その荷物は何なの?」

 

うーむ、目敏いな。どうして分かったんだ? 手に持っていた竹箒を放り投げてこちらに駆け寄ってくる紅白巫女を見て、アンネリーゼ・バートリはちょびっとだけ感心していた。境内の落ち葉掃除は中断するつもりらしい。

 

「肉だよ。この前キミが愚痴ってたから、手土産にと適当に買って──」

 

「こっちよ! 上がって頂戴! すぐお茶を出すから!」

 

「……この前とはえらく反応が違うじゃないか。」

 

「当然でしょ。この前は勝手に神社を待ち合わせ場所にした迷惑な妖怪だったけど、お土産があるなら立派な客よ。それが肉なら上客ね。」

 

紙袋を抱えた私の手をぐいぐい引く巫女は、縁側に到着すると荷物を奪い取って勝手に封を開け始める。凄まじい食い付きっぷりだな。どんだけ肉を食べてないんだよ。

 

ヌルメンガードの戦いからちょうど一年となる十月三十日の午前中、紫から渡された呪符を使って博麗神社を訪問しているのだ。アリスは一人の時間が欲しいだろうし、ホグワーツはダンブルドアやスネイプの追悼で重苦しい雰囲気だということで、考え事をする場所を借りるために適当な土産を持って来てみたわけだが……ここまで喜ばれるとはな。

 

この前来た時の緑一色とは違い、赤や黄色で彩られた幻想郷の景色。縁側に座りながらまあまあだなとその景色を眺めていると、巫女が満足そうな顔付きで土産の『評価』を下してきた。

 

「あんた、やるじゃないの。これだけあれば暫くは食べ放題ね。肉色の日々だわ。」

 

「そっちの袋は生だから今日か明日中に食べたまえ。こっちのは燻製にしてあるからそこそこ持つはずだ。」

 

「燻製? 燻製肉まであるの? ……今お茶を淹れるわ。お茶だけは紫がバカみたいに届けてくれるから、いいやつが大量に残ってるのよ。お湯を沸かすから待ってて頂戴。」

 

「はいはい、楽しみに待っておくよ。……で、キミは何なんだ? 紫の使いか? 見張り役ってことかい?」

 

素早い動きで奥へと引っ込んでいった巫女の背を見送ってから、落ち葉だらけの庭に佇む黒猫に対して質問を飛ばす。この土地に入った時からジッと私のことを観察している、先端部だけが白い二又の尻尾を持った黒猫だ。微々たる妖力を感じるし、まさかただの猫ではないだろう。

 

そんな種族不明の黒猫妖怪は、急に話しかけられてビクッとした後……何だそれは。単なる猫のフリをしているつもりか? ごろりと寝転がって媚びるようににゃあと鳴いてくる。

 

「……ふぅん? ただの猫だったのかな? 気のせいか。」

 

妖力を全然隠せていないぞ。応じるようにもう一度にゃあと鳴いてくる猫にとぼけながら近付いて、『射程圏内』に入った直後に勢いよく接近してがばりと抱き上げた。バカめ、吸血鬼は素早い生き物なのだ。思い知ったか。

 

「おおっと、暴れるなよ。勢い余って縊り殺しちゃうぞ。」

 

ふぎゃふぎゃ鳴きながら私の拘束を抜け出そうとする黒猫に囁いてやれば、小物妖怪は途端にピタリと大人しくなって『嘘でしょ?』の顔でこちらを見上げ出す。猫の顔でも感情ってのは伝わるものなのかと感心しつつ、縁側に腰を下ろして高い高いするように持ち上げた猫へと問いを投げかけた。

 

「それで、キミは紫の使いなのかい? 見張られるのは構わんが、こそこそされるのは気に食わないね。はっきりしたまえよ。」

 

逡巡するように硬直した後で、ふるふると首を横に振る黒猫だが……なんとまあ、嘘が下手なヤツだな。紫や藍の部下にしてはやけに素直なことを訝しんでいると、猫は身を捩って私の手の中から抜け出してしまう。

 

まあ、放っておいても問題ないか。恐らく私が神社の敷地から出ないようにと見張っているのだろうが、別に現状では出るつもりなどないのだから。そのまま脱兎の如く廊下を駆けていく黒猫の視界を、気まぐれに光を操って真っ暗にしてやれば……おー、痛そうだ。曲がり角の柱に激突した猫は、いきなりの暗闇に大混乱している様子で壁にぶつかりまくりながら奥へと姿を消してしまった。

 

数分もすれば視界は復活するはずだし、これであの木っ端妖怪も吸血鬼を見張るのがどんなに困難なのかを学習できただろう。自分の対処に満足したところで、懐から書類を取り出してチェックを始める。今朝アピスから届いた報告書。要するに、待ち望んでいた北アメリカの調査結果だ。

 

明日は十六歳になる咲夜と一日一緒にいなければならないし、十一月三日にフリーマンをアリスと引き合わせる予定だから、新大陸に直接赴けるのはその後だな。脳内の予定を軽くおさらいしつつ、書類の文章を読み進めていくと……ふむ、魔女が嘗て本拠地にしていたボストン郊外の建物は現存しているらしい。ゼムクリップで挟まれているマグル側の写真を見る限りでは廃墟のような外観だが、アピスの所見によればそれなりの魔力が漂っていたそうだ。それはつまり、工房として今なお利用されている可能性があるという意味に他ならない。

 

そして、アピスが調べ上げたのはなにも建物の場所だけではないようだ。『スカウラーとの関わり』という見出しがついている項には、例の魔女がいかに大量のスカウラーを始末していたのかが明確に纏め上げられている。……ホームズがスカウラーと関係のある議員を糾弾していたというのも、強ちポーズだけの行動ではなかったらしい。

 

アピスの報告が正しいのであれば、魔女は新大陸に住んでいた頃からスカウラーの末裔を『狩り出す』ことを日課にしていたようで、トータルで見ればかなりの執念深さで多くの人間を殺害していることになりそうだ。殺人、失踪、事故。報告書に添付されてある大昔の新聞記事の切り抜きは、私からすれば注目に値しないありきたりな事件ばかりなわけだが……被害者は全員スカウラーに関係がある人物ってことか。あの妖怪、何をどうやってここまで調べたんだよ。

 

情報屋を名乗るにしては随分と長くかかっているなと思っていたが、ここまで掘り下げていたのであれば納得の期間だな。料金以上の働きはしてくれたみたいじゃないか。何枚もある報告書を捲りつつ、内心で妖怪もどきへの評価をちょっとだけ上げる。また何かあったら利用してやるとしよう。いっそ新大陸の案内も依頼しようか?

 

兎にも角にも、これで例の魔女が『魔女狩り』の原因であるスカウラーどもを怨んでいるのははっきりしたな。アリスとスカウラーは何の関係もないわけだし、こっちは私たちの問題とは別の動きなんだろうが、戦う上で相手の思想を知るのは重要なことだ。

 

今までおぼろげにしか見えていなかった魔女の姿が、徐々に形を持ってきたことに薄い笑みを浮かべていると──

 

「はい、お茶。よく分かんないけど、多分これが一番いいやつよ。……何で笑ってるの? 不気味なんだけど。」

 

「妖怪なんだから不気味なのは当たり前だろう? ……私が抱えている問題に進展があったんだよ。こっちがほんの少しだけ有利になるような進展がね。」

 

「問題?」

 

「今の私はどこぞの魔女と一戦交えてる最中でね。かなり厄介な相手なんだが、ようやくその尻尾を掴めそうなのさ。」

 

差し出された湯呑みを受け取りながら話してやると、巫女は自分の分の緑茶を啜ってからあまり興味なさそうに応じてきた。音を立てるとはマナーがなってないぞ。

 

「へー、魔女ね。……どんなヤツ?」

 

「人形を操る魔女だよ。自分は姿を見せず、人間そっくりの人形を使ってこっちを惑わせてくるんだ。人間か人形かの判別が難しいから、どれが敵でどれが無関係な人間なのかが分からないってわけさ。」

 

「ふーん。……ちょっと待ってなさい、肉の代わりに良い物をあげるわ。それでチャラね。貸し借り無しよ。」

 

忙しないヤツだな。がたりと立ち上がって再び襖の向こうへと消えていった巫女を横目に、報告書の残りへと向き直る。フリーマンはまだ迷っていたようだが、迷っているということ自体がこちらに転びかけていることを意味しているはずだ。仮にあの男が協力的になれば、ホームズの動きは大幅に制限できるだろう。

 

だったら私は北アメリカの調査に集中しようじゃないか。魔法界の問題は魔法使いたちに任せて、人外は人外に対処する。尤もな選択だと一人で頷いたところで、片手に何かを持った巫女が戻ってきた。

 

「はいこれ、私が作った神札よ。肉のお礼にあげるわ。」

 

「……そんな危険なものを何故私に渡そうとするんだい?」

 

差し出された長方形の和紙の束から身を引きつつ、ジト目で巫女に質問を送る。……これはまた、予想以上の代物だな。ここからでも嫌な感じがひしひしと伝わってくるぞ。間違いなく退魔の符で、そして確実にその辺で売られている紛い物じゃない。『本物』の神力が篭った強力な符だ。

 

妖怪にとって毒とも言える正の神力を放つ代物を突き出している巫女は、得意げな表情でこれが『お礼』になる理由を語り始めた。

 

「あんたは人形か人間かの判別が難しくて困ってるって言ってたじゃない。だったらこれを怪しいヤツに貼り付けてやればいいのよ。この符は人間には一切害がないけど、魔女とやらが動かしてる人形だったら話は別でしょ?」

 

「それは……なるほどね、その通りだ。魔力で動いている存在にも効果があるのかい?」

 

「妖怪以外に試したことはないけど、これは破魔の符よ。だったら『魔』法にだって効果はあるでしょ。」

 

「ふむ、試してみようか。」

 

私は杖魔法しか使えないが、根底にある力そのものは魔女の魔法と似通っているはず。そう思って杖を抜いて湯呑みにタップダンスを踊らせてみると、巫女は目をパチクリさせながら疑問を寄越してくる。

 

「……これ、何の魔法?」

 

「物にタップダンスを踊らせる魔法だよ。私は触れないから、その札を湯呑みに貼り付けてくれたまえ。効果があるなら動きが止まるはずだ。」

 

「別にいいけど、魔法ってこういうことなの? 火を出したりとか、雨を降らせたりとか、そういうのを想像してたんだけど。」

 

「それも出来るが、タップダンスも出来るのさ。雨を降らせることが出来るのに、湯呑みにタップダンスを踊らせることが出来ないわけがないだろう?」

 

私の理屈に納得がいかないような顔付きになった巫女は、それでも素直に退魔の符を一枚湯呑みに貼り付ける。すると途端にステップを止めた湯呑みを見て、鼻を鳴らしながら胸を張って宣言してきた。湯呑みにかかっていた魔力が霧散したようだ。

 

「ほら、やっぱり効果があるわ。さすがは私が作った神札ね。この程度の魔力なんてゴミみたいなもんよ。」

 

「一言余計だが、そのようだね。……問題は私がそれを扱えるかどうかなわけだが。」

 

湯呑みに貼られた符に手を伸ばしてみると、指先との間隔が数センチになると同時に激しい痛みが襲い始める。それを我慢して中指の先でちょんと触れてやれば……あー、ダメだ。強すぎるぞ、この符は。中指の第二関節くらいまでが灰になってぼろりと崩れてしまった。

 

「ちょっと、変なものを床に落とさないでよ。畳は掃除が大変なんだからね。」

 

「……キミ、心配の言葉とかはないのかい?」

 

「あんたはその程度でどうにかなる妖怪じゃないでしょ。」

 

「まあ、そうなんだけどね。」

 

ぐちゅぐちゅと再生した指を確認して、ため息を吐いてからどうしようかと腕を組む。この分だと布一枚隔てた程度ではどうにもならんし、手袋なんかをしたところで触れないだろう。適当にやっているように見えて、この巫女は中々真摯に修行をしているらしいな。でなければここまでの符は作れまい。

 

私なら……んー、同時に二十枚貼られればちょっとヤバいくらいかな? そのあたりの聖人が聖別した聖水並みの危険性を持つ符を前に、どうしたもんかと悩んでいると、紅白巫女が呆れたように助言を投げてきた。

 

「人間にやらせればいいでしょ。あんたは人間に近いんだから、頼めばやってくれるんじゃない?」

 

「人間か、人間ね。……ま、そうするしかないかな。適当な布に包んで紙袋に入れてくれるかい? 私には運ぶのもキツそうだしね。」

 

肉を入れてきた袋を指して頼んでみれば、巫女ははいはいと頷きながら戸棚を漁って布を取り出す。……しかし、調停者を名乗るには充分すぎるほどの力だな。力を移した符でこれということは、直接的にはもっと強力な手段を所持しているのだろう。

 

紫はこの力で妖怪どもを押さえ付けて、スペルカードルールを強制するつもりなのか? ……何にせよ、なるべく敵対したくない相手ではあるな。打算も込みで仲良くしておいた方が良さそうだ。

 

布で符の束を包む『妖怪の天敵』を眺めつつ、アンネリーゼ・バートリはつくづく底が知れない土地だと額を押さえるのだった。

 



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十六歳

 

 

「張り切ってるわね、聖歌隊。他校の歓迎で歌うのかしら?」

 

校舎二階のベランダから湖のほとりで練習している聖歌隊のことを眺めつつ、サクヤ・ヴェイユはパンプキンパイを片手に呟いていた。うーむ、美味しいな。エマさんからの誕生日プレゼントと一緒に入っていた物なのだが、ホグワーツのしもべ妖精が作るパイに引けを取らない味だぞ。

 

今日は十月三十一日、つまりは私の十六歳の誕生日である。例年通り朝起きた段階で魔理沙やルームメイトたちからのお祝いを受け、例年通り談話室でリーゼお嬢様やグリフィンドールの学友たちからのお祝いを受け、これまた例年通り朝食時の大広間で他寮の友人たちからのお祝いを受けた後、ベランダでのんびり魔理沙と話しているわけだ。つくづく一年分のお祝いが凝縮している日だな。

 

今年十六歳ということは、来年はもう十七歳。要するに成人だ。『大人』か。ついこの前上級生になったばかりなのに、たった一年後には大人になっているというのは……何かこう、ズルくないか? こういう時は遅生まれのデメリットを感じてしまうな。

 

木箱の上に立つフリットウィック先生の指揮の下、寒くなってきた中練習に励んでいる聖歌隊をぼんやり見ながら考えていると、クィディッチの戦術本を読んでいる魔理沙が相槌を打ってきた。

 

「試合の前日に一応歓迎会的なものは開くらしいからな。それにまあ、今夜のハロウィンパーティーでも歌うらしいぜ。」

 

「……私もクラブとかに入れば良かったのかも。ああやって頑張ってる姿を見てるとちょっと焦るわね。」

 

「なんだそりゃ。大体、お前には『真面目ちゃん活動』があるだろ。」

 

「そうだけど、そういうことじゃないのよ。」

 

熱中できるクィディッチがある魔理沙には理解し難いのかもしれないな。……うーん、十六歳か。私は『今年で十六歳です』と胸を張って主張できるほどに成長できているのだろうか? 去年の誕生日は大人に近付けたことを素直に喜べたけど、今年は焦りの割合が大きくなっちゃってるぞ。

 

同じ十六歳の時、ポッター先輩なんかはヴォルデモートと真正面から向き合っていたのに、私はこうしてベランダで自信を持てずにうじうじしている。あの人は普通じゃない運命を抱えているからと言い訳するのは簡単だが、リーゼお嬢様が評価しているポッター先輩にだけはどうしても負けたくないのだ。

 

仮に問いかけてみれば、リーゼお嬢様はきっと私が成長していることを受け合ってくれるだろう。だけど、私が望むのは育ての親としての評価じゃなく、一人の人間として評価してもらうことだ。ある種の尊敬であり、容認。少し驚いた顔で、感心したように『やるじゃないか』と言って欲しい。それがこんなに難しいことだとは思わなかったぞ。

 

被保護者としての立場を抜け切れていないからダメなのかな。私と同じような立場のアリスは、私とはまた別の感情……親愛とか、そういうのをリーゼお嬢様に望んでいるようだが、私が欲しいのは使用人に対する信頼だ。こちらに気を使わず、何かあった時に背中を預けてくれるような信頼。エマさんに向けているような無防備な信頼を私にも向けて欲しい。それを望むにはまだまだ実力不足なのだろうか?

 

……まあ、実力は足りていないな。ついでに言えば精神的な部分もだ。さすがにそれくらいの自覚はあるさ。甘いパンプキンパイを頬張りながらそのことにため息を吐いていると、魔理沙がメモ帳に何かを書き込んでから話題を変えてきた。また有用なフォーメーションを見つけたらしい。

 

「そういえば、聞いたか? ネビルのやつがホグワーツの教師を目指してるって話。卒業したら見習いとしてここで働くつもりらしいぜ。」

 

「そうなの? ロングボトム先輩ってことは、目指してるのは薬草学の教師よね?」

 

「そうそう、スプラウトも乗り気みたいでな。何年か助手って形で色々と教えた後、正式に後継にするつもりなんだとさ。学外から探す手間が省けたって喜んでたらしいぞ。」

 

「……しっかりした将来設計ね。」

 

ロングボトム先輩が教師か。穏やかな性格だし、ハーマイオニー先輩によれば実は結構根気強い面もあるらしい。下級生の面倒を丁寧に見る姿からするに、良い教師になるのは間違いないだろう。

 

……うぅ、ますます不安になってきたな。先輩たちはそれぞれの将来を目指していて、ジニーやルーナも目標を決め、魔理沙なんかは一年生の頃から目的に向かって努力を重ねているというのに、私だけその場で足踏みをしている気分だ。

 

このままではダメだが、かといって具体的に何をどうすればいいのかが分からない。えも言われぬ不安が胸中に渦巻くのを感じていると、いきなりベランダに人影が入ってくる。同級生のロミルダ・ベインだ。

 

「ここに居たのね、ヴェイユ。」

 

「……何か用なの? ベイン。今はアンニュイな気分だから構ってる余裕がないんだけど。」

 

「ふん、大した用じゃないわよ。……はいこれ。少しは身嗜みに気を使いなさいよね。この私みたいに。」

 

そう言って私に小さな箱を押し付けたかと思えば、ベインは踵を返して校舎の中に戻って行ってしまった。きょとんとしながら渡された物に視線を落としてみると、ラッピングされた木箱のような物体が目に入ってくる。

 

「……どういうこと? 身嗜み?」

 

「誕生日プレゼントなんだろうさ。開けてみろよ。」

 

……ああ、そういうことか。苦笑しながらの魔理沙の促しに従って、ラッピングを解いて木箱を開けてみると──

 

「香水、よね? 多分。」

 

「っぽいな。私は馴染みがないからいまいち分からんが、瓶の綺麗さからするに安物ってわけではないんだろうよ。どんな香りなんだ?」

 

確かにそれなりの値段がしそうな見た目だな。黄色い液体が入った小瓶には細工が施されていて、ラベルには私でも見たことがある有名ブランドのロゴが描かれている。そっと蓋を開けて手でパタパタしてみると、控え目な女性らしい良い香りが鼻を擽ってきた。

 

「……生意気にもまあまあ良いセンスじゃないの。キツくないわ。」

 

「素直に褒めろよな、まったく。」

 

呆れたように言ってくる魔理沙にジト目を送った後、ベインの誕生日には何か贈ってやらねばと心の予定表に記載しておく。礼儀どうこうではなく、貰いっぱなしは負けた気がするからだ。

 

……まあうん、少しは私も進歩していることが分かったな。誕生日に女性らしい香水を贈られるというのがその証拠なのだろう。ベインの言う通り、今後は身嗜みにも注意してみるか。

 

私が十六歳になったことを一番実感させたプレゼントを前に、サクヤ・ヴェイユは照れ臭い気分で小さく鼻を鳴らすのだった。

 

 

─────

 

 

「そもそも、目撃者とやらが私の誘拐を目撃したのは具体的に何月何日なの? もしかしたらアリバイを提示できるかもしれないけど。」

 

おっと、今は元の長さに戻ってたんだっけ。数日前まで長かった髪を無意識に触ろうとして失敗しつつ、アリス・マーガトロイドは目の前に座るフリーマンへと問いを放っていた。今更こんな確認をしているのが現状の歪さを物語っているな。

 

十一月に入って数日が経過した今日、元の姿に戻った私は国際保安局の次局長であるジャック・フリーマンとの話し合いを行なっているのだ。アメリアが用意してくれた省内の小部屋の中には、向かい合ってソファに座る私とフリーマン、そして窓際に立つリーゼ様と一応監視役として同席しているロバーズの姿がある。

 

先程まで行なっていた『質疑応答』で、フリーマンは五十年前の事件に関しては一定の納得を得られたらしく、今は根本の原因である去年の春の誘拐殺人の話に移っているのだが……改めて考えると奇妙な状況だな。強弁すればこれも一種の取り調べか。どっちがどっちを調べているかは微妙なところだが。

 

まあ、フリーマンの杖はロバーズが取り上げたみたいだし、まさかの事態は起こらないだろう。ヒマそうなリーゼ様にちょっかいをかけられて困り顔になっている闇祓い局長を横目にしていると、フリーマンが手元の書類を捲りながら答えてきた。

 

「記録が曖昧なんです。私はイギリスに派遣される前、ホームズ局長から四月十一日の午後四時だと聞かされていました。そのことをマドリーン・アンバーと名乗る目撃者が近隣の魔法保安官に証言したのが十三日の午後三時半だと。……十三日の朝刊を見て近所の八歳の少女が行方不明になっていることを知り、金髪の若い女性と一緒に居たところを見たのを思い出して報告に赴いたそうです。証言にあった犯人の身体的な特徴はミス・マーガトロイドと一致しています。」

 

「四月十一日ね。……思い出してみるわ。」

 

「しかし、先日北アメリカに戻って書類を徹底的に確認してみたところ、初期の保安官事務所の調書には十二日の午前八時に誘拐を目撃したと書かれていました。どうもそれをどこかの段階で十一日に修正したようなんです。」

 

「ふぅん? 面白いじゃないか。突けば突くほど綻びが出てくるね。実際に誘拐があったのはどっちの日なんだい? つまり、被害者の子供が自宅に帰って来なかった日は。」

 

去年の四月となると……ふむ、リドルとの戦いに備えてイギリス魔法省が準備を進めていた時期だな。その頃はかなり頻繁に魔法省に出入りしていたはずだから、十一日も誰かと会っていたかもしれないぞ。記憶を掘り起こしている私を他所に、フリーマンがリーゼ様に返答を送る。

 

「十一日ですね。その日の夕食時になっても少女が帰らず、それを不安に思った両親が近所を独力で捜索した後、午後十時頃に管轄の保安官事務所に捜索を依頼してきています。そこは北アメリカに戻った際に直接ご両親から聞き取りましたから、まず間違いないはずです。」

 

「だが、最初に目撃者が『犯行時間』として証言したのは誘拐が行われた後である十二日の朝だったわけだ。滅茶苦茶じゃないか。逆転時計でも使ったのかい? そいつは。」

 

「だからこそ私はミス・マーガトロイドとの話し合いを望んだんですよ。……ここからは私の推測になりますが、本当に誘拐が起こったのは十二日の朝なのではないでしょうか? ご両親の証言によれば、誘拐された少女には『家出癖』があったらしいんです。保安官事務所には過去にも何度か捜索を行なっている記録が残っていました。両親との言い争いの後に家を飛び出して、『秘密基地』にしている近所の廃墟で一夜を明かしたこともあったのだとか。その時も結構な騒ぎになったようですね。」

 

「なんとまあ、恐れを知らない小娘だね。イギリスならグリフィンドール寮に一直線だよ。」

 

呆れたような苦笑いを浮かべるリーゼ様へと、フリーマンは軽く首肯してから推理の続きを語った。

 

「十一日の昼にも食事のマナーを巡って言い争いをしたそうでして、ご両親がすぐに通報せずに独力での捜索を試みたのは、また不貞腐れて家出したのだと思ったからなんだそうです。……ご両親はそのことをひどく後悔していました。喧嘩したままで永遠に会えなくなるとは、なんとも遣る瀬無い話ですよ。」

 

「つまりフリーマン次局長は、少女は実際に家出をしていたのではないかと疑っているわけですね? そして何処かで夜を明かして、十二日の朝に家に帰ろうとしたところを誘拐されたのではないかと。」

 

闇祓いの顔付きで話に入ってきたロバーズの発言に、フリーマンは大きく頷いて口を開く。『修正』される前の初期の目撃証言こそが真実ではないかと疑っているわけか。

 

「その通りです、ロバーズ局長。私は十二日の午前八時こそが本当の犯行時刻なのではないかと考えています。」

 

「待て待て、ごちゃついてきたぞ。目撃者は『架空の存在』だったはずだ。そいつが真実を述べていたのであれば、わざわざホームズがそれを修正する必要があるのかい?」

 

リーゼ様が私の隣に腰を下ろして悩みながら放った疑問に、フリーマンではなくロバーズが応じた。厳しい表情でだ。

 

「あります。……四月十二日は魔法省で自爆テロが起こった日ですから。ルシウス・マルフォイ氏が死亡したあの日です。時間もほぼ同時刻ですし、初期の目撃証言ですとマーガトロイドさんには確たるアリバイが存在しています。」

 

そうか、あの日か。ルシウス・マルフォイが死に、当時ウィゼンガモットの副議長だったシャフィクが拘束されたあの日。厳密に言えばあの自爆テロが起きたのは午前十時頃だったが、記憶が確かなら私は朝から魔法省に居たはずだ。八時に北アメリカで少女を誘拐して、十時にイギリスで自爆テロの捜査に参加というのは……まあうん、客観的に見てもちょっと無理があるスケジュールだろう。

 

あの日一緒に行動していたロバーズもそう思っているようで、私のアリバイについてを詳しく主張し始めた。

 

「あの日は……そう、確か九時を少し回った頃にマーガトロイドさんが闇祓い局に顔を出してくれました。負傷して入院していた私の復帰祝いにとお菓子を持ってきてくれたので、部下たちと一緒に話しながら摘んでいたところ、事件の報告が飛び込んできたので二人で地下十階に移動したんです。」

 

「それ以前にも一応魔法省には居たわ。早朝にレミリアさんと一緒に魔法省に移動して、食堂で朝食を済ませた後に国際協力部に書類を届けてから、そのまま闇祓い局に向かったはずよ。あとはロバーズの言葉通りね。」

 

「ええ、私もイギリス魔法省で起こったテロについては確認済みです。そして恐らくホームズ局長も確認したのでしょう。その時間のミス・マーガトロイドには確かな根拠を持ったアリバイがあるということを。」

 

「故に都合が良い十一日に証言の内容を改竄したってことか。……ふん、詰めが甘いヤツだね。これがどういう意味なのかを分かっているのかい? フリーマン君。架空の目撃者に実際の犯行時刻を証言させることが出来たということは、ホームズは実際の犯行時刻を知っていたということになるんだぞ。犯人しか知り得ないはずの情報をだ。」

 

そうなるな。十一日に少女が帰って来なかったのであれば、十一日に誘拐されたのだと考えるのが自然なはずだ。リーゼ様の鋭い指摘に対して、フリーマンは苦い表情で曖昧な肯定を返す。

 

「前提として、目撃者がホームズ局長の指示で証言したと考えればそうなるでしょうね。ですが、実際の犯行時刻が十二日の朝だというのは私の推測に過ぎません。単純に初期の調書の記載ミスで十一日を十二日としてしまった可能性もあります。」

 

「『午前八時』の部分はどうなるんだい? 目撃者が十一日の午前八時に誘拐を目撃していたのであれば、その数時間後に家でマナーを注意された少女はゴーストだったとでも? ……諦めて認めたまえよ、フリーマン君。百歩譲って目撃者がホームズと繋がっていないにしても、アリスを犯人に仕立て上げるために証言内容を『誰か』が改竄したのは事実じゃないか。キミはそれをホームズだと疑っているからこそ、こうして私たちと話しているわけだろう?」

 

「ミス・マーガトロイドが真犯人である可能性が薄くなったのは認めます。五十年前の事件についても、先程話していただいた内容には筋が通っていました。仮に目撃者が『誰か』に証言を依頼された人物だったとして、その証言自体が実際の犯行時刻を語っていたのだとしたら……そうですね、その『誰か』と真犯人に繋がりがあるということにも同意しましょう。」

 

「その『誰か』がホームズであることは認めたくないかい?」

 

リーゼ様が肘掛に寄りかかりながら飛ばした質問を受けて、フリーマンは苦しむように額を押さえて言葉を漏らした。

 

「ホームズ局長は尊敬できる方です。今までずっとそう思っていました。……何故なんですか? ミス・マーガトロイド。何故ホームズ局長は貴女のことを執拗に犯人にしたがるのですか? 私が調べた限りでは、貴女とホームズ局長に関わりなどないはずです。そこだけがどうしても納得できません。」

 

「それは……ごめんなさい、私にも分からないわ。」

 

言ってあげるべきなのだろうか? ホームズは私と敵対する魔女が作った人形であり、人間のフリをして今までずっと貴方を騙していたのだと。貴方が熱意を持って勤めている国際保安局も、今回の国際間の騒動も、全ては魔女の計画の一つに過ぎないのだと。

 

だけど、それを説明するには前提となる情報が多すぎる。そしてそれは人外の社会にも繋がってしまうものだ。結局残酷な真相を伝えられずに言葉を濁した私へと、フリーマンは無念そうな顔で小さく声を返した。

 

「……何れにせよ、私は連盟に報告を送ろうと思っています。ホームズ局長を通さない、私独自の調査報告を。恐らくそれでミス・マーガトロイドを取り巻く状況は改善するでしょう。」

 

「キミはどうなるんだい?」

 

「分かりません。ホームズ局長についても同じです。在住魔法使いリストの原本に加えて証言内容まで改竄されているとなれば、闇祓い局が議会のお墨付きを得て本格的な内部調査に乗り出すでしょうし、その取り調べを受けるためにマクーザに戻ることにはなると思いますが……もはや私程度では予想も付かない状況ですからね。波に乗っていた反スカーレット派の議員の中には、もう引くに引けなくなった人物もいるでしょう。である以上、マクーザ内部や連盟での議論はまだ続くのではないでしょうか?」

 

「全くもって厄介な状況だよ。種火を消しても燃え広がったものは消えないわけか。……まあいいさ、燃料なしでいつまでも燃え続けることは出来ないはずだ。」

 

フリーマンとロバーズは別のものをイメージしているようだが、リーゼ様が言っている『燃料』というのは魔女のことだろう。北アメリカでの調査。彼女はそこで何かを掴めると考えているらしい。全ての根本である魔女に繋がる何かを。

 

……私が一緒に出向くのはさすがにマズいかな? 公的に指名手配が解かれるのは何時になるか分からないし、幾ら何でも北アメリカにこの姿で入ったら問題が起きるだろう。だけど、そもそもは私の問題なんだからリーゼ様に任せっきりにするのは気が咎めるぞ。

 

それに、レミリアさんがニューヨークで見せたあの態度。神秘が薄い場所というのは吸血鬼を必要以上に『イラつかせる』ようだから、宥める人間が必要になるのは間違いないはずだ。リーゼ様はアピスさんを案内役として同行させるつもりらしいし、そうなると高確率で険悪なムードになるだろう。

 

でもでも、子供の姿になるための魔法薬はもう使い切ってしまった。新たに調合するのは時間がかかってしまうし、材料だって足りない物があるから……うーん、どうしよう。悩ましいな。

 

新たに浮上してきた問題を解消すべく、アリス・マーガトロイドは腕を組んで思考を回すのだった。

 



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引率者

 

 

「えっとね、それはこっちの……ほら、これよ。この旅行記に書いてあるわ。『北アメリカでは杖を使った魔法に対する監視がヨーロッパよりも厳重なので、申請を通していない杖で魔法を使うとすぐさまマクーザの保安官が飛んでくるだろう』ですって。姿あらわしはやめておいた方が良さそうね。」

 

窮屈そうな国だな。隣のテーブルでリーゼにアドバイスしているハーマイオニーをちらりと見てから、霧雨魔理沙は手元のフォーメーション表に視線を戻していた。どうやら黒髪の吸血鬼どのは魔女の手掛かりを探しに北アメリカに行くようで、『不正規ルート』を使って入国する彼女の手助けをするため、ハーマイオニーとジニーと咲夜が手分けして図書館で北アメリカ魔法界のことを調べまくったらしい。

 

ハーマイオニーとジニーには魔女のことを教えていないようだが、それでもタイミング的にアリスを助けるためだということを察したのだろう。結果として二人は自発的に北アメリカでの『注意事項』を調べて、それをリーゼに教え込んでいるわけだ。……不法入国幇助か。規律に厳しいハーマイオニーのもう一つの側面だな。こと友人のためなら一切の躊躇なく法を無視するあたり、彼女がグリフィンドール生であることを実感するぞ。

 

まあ、私としては好ましいと思える点だ。ハーマイオニーにとっては規律よりも優先すべきものがあるということなのだろう。栗毛の先輩の『いいところ』を再確認しながら真紅のソファに沈み込んだところで、向かいのソファに座っているハリーが話しかけてくる。夕食後の談話室でリーゼたちが不法入国の談合を開いているように、私、ハリー、アレシア、ロンは対ダームストラングの話し合いを行なっているのだ。

 

「要するに序盤はマルフォイ……じゃなくて、ドラコが攻めの動きをするってことでいいんだよね? マリサが繋ぎ役で、シーザーが守りってことでしょ?」

 

「ん、最序盤だけはそうなるな。そんでもってビーター陣はギデオンが守りでアレシアが攻めだ。とにかく序盤は攻守のどっちにも傾けられるように動いて、相手の出方を確認してから攻めに寄せるか守りに寄せるかを決めるんだとさ。」

 

先日の練習中、スーザンの提案でチーム内では名前で呼び合おうと決めたのだ。『その方が仲が深まるから』とかいう良い感じの理由ではなく、『ファーストネームの方が短いヤツが多いから』という身も蓋もない理由で。試合中に咄嗟に呼びかける際の時間を短縮しようという狙いらしい。

 

私は別に抵抗がなかったわけだが、ハリー、ドラコ、アレシア、ギデオンあたりはどうも慣れ切っていないようだ。ぷるぷるちゃんもまたちょびっとだけやり難そうに言葉を発した。

 

「だから、ポッター先輩……ハリーを守るビーターはギデオンになります。私はフリーで攻め続けていいそうです。」

 

「僕は妥当だと思う。アレシアの持ち味は攻めだし、練習を見た限りじゃシーボーグは守りに向いてるからな。……一応断っておくと、性格じゃなくてプレースタイルの話だぞ?」

 

「そこは分かってるぜ。二人とも性格と正反対のスタイルだしな。これだからクィディッチってのは奥が深いんだよ。」

 

苦笑しながら補足してきたロンに相槌を打ってから、私にしては珍しくメモを取ったスケジュールの話を切り出す。

 

「一回戦の試合は全部日曜日なんだよな? 今月の十六日にワガドゥ対ボーバトンがあって、二十三日にカステロブルーシュ対イルヴァーモーニー、そんでもって三十日にホグワーツ対ダームストラングだろ? ……結局他校の試合は観戦に行くのか?」

 

「ドラコは観戦すべきだと思ってるみたい。それと、カステロブルーシュの方はビデオカメラで撮れるかもってハーマイオニーがアドバイスしてくれたんだ。ホグワーツと違って、敷地内で普通に電化製品が使えるみたいなんだよ。ワガドゥはダメらしいけどね。」

 

びでおかめら? クエスチョンマークを浮かべる私とロンに対して、マグル生まれのアレシアが説明を引き継いだ。マグル学で聞いた覚えのある名前だな。

 

「あの、ビデオカメラは魔法界の写真の『凄く長い版』です。数時間の映像を記録しておけるカメラですね。」

 

「あー、てれびじょんの番組を撮ってるやつってことか?」

 

「そうです、そうです。」

 

なんとか理解した私と違って、ロンは未だに首を傾げているが……まあうん、使える物は使った方がいいだろう。ハリーに賛成の返事を飛ばす。

 

「いいじゃんか。高い物じゃないなら金を出し合って買おうぜ。『記録』ってことは、何度も見返せるんだろ?」

 

「ハーマイオニーのお父さんが持ってるらしいから、もし必要なら貸してくれるんだって。……問題は誰が撮るかとどこで見るかなわけだけど。」

 

「ああ、そっか。ホグワーツでは見られないのか。……まあいいさ、どっか別の場所で確認すればいいだろ。観戦には全員で行くのか? 少なくともハリーかアレシアは行ってくれないと誰もびでおかめらを操作できないぞ。」

 

「マクゴナガル先生が必要なら移動手段は手配してくれるらしいし、フーチ先生が引率は任せなさいって言ってくれたから、多分全員で行くことになるんじゃないかな。シリウスも個人的に観戦に行くってさ。偵察は任せろって手紙をくれたんだ。」

 

さすがは『名付け親バカ』だけあって行動力が凄いな。他国だろうがお構いなしか。リーゼの言い草にも一理あるなと内心で思っていると、ロンがちょっと羨ましそうな顔で口を開いた。

 

「ワガドゥとカステロブルーシュか。僕も見てみたいよ。どんな校舎なんだろ?」

 

「ワガドゥはもの凄く大きな岩をくり抜いて、それを大昔から校舎にしているらしいです。カステロブルーシュは金の大屋根が特徴的だってグレンジャー先輩が教えてくれました。」

 

「まあ、校舎の中に入れるかは微妙だな。試合は競技場でやるわけだしさ。代表選手として行ったならともかくとして、観客として行くなら外から見るのが精々だろ。」

 

アレシアに続いて肩を竦めながらも、心の中には抑え切れないワクワクがあるのを自覚する。そりゃあ見てみたいさ。リーゼから聞いたマホウトコロの校舎は、私の好奇心を擽るには充分すぎるほどの『不思議っぷり』だった。ならば他の魔法学校も同じなはずだ。

 

二回戦は是非とも他校が会場になって、校舎に代表選手として招かれたい。そのためにも初戦で敗退するわけにはいかんぞと気持ちを新たにしていると、同じようなことを考えていたらしいハリーが声を上げる。

 

「先ずはダームストラングに勝たないとね。」

 

「だな、そのためには練習あるのみだ。最近はどの授業の教師も気を使ってくれてるし、生徒も競技場の整備とかをやってくれてる。ここまでされて初戦敗退ってのは情けなさすぎるぜ。」

 

重いプレッシャーを感じるが、同時に期待されているという喜びもあるのだ。アリスには悪いけど、今だけはこっちに集中させてもらうぞ。終わった後で後悔するのだけは避けないとな。

 

フォーメーションの議論に話を戻しつつ、霧雨魔理沙はまだ見ぬ他国の魔法学校に思いを馳せるのだった。

 

 

─────

 

 

「気に食わないね、この場所の全てが気に食わん。本当にイライラしてくるよ。」

 

うーむ、デジャヴを感じる発言だな。ニューヨークのタイムズスクエアを歩きながら文句を連発するリーゼ様を見つつ、アリス・マーガトロイドはショッキングピンクの髪の下に苦笑を浮かべていた。やっぱりこうなったか。

 

十一月も残り半分になった今日、私とリーゼ様、そして北アメリカの案内役としてリーゼ様が無理やり連れ出したアピスさんは真昼のニューヨークを訪れているのだ。香港自治区のサルヴァトーレ・マッツィーニが北アメリカ行きの『裏ポートキー』を手配してくれたのだが、ピンポイントでボストン行きのものはさすがに準備できず、とりあえずニューヨークからはマグルの乗り物で移動することになったのである。

 

そして何故私が堂々と同行できているかといえば、魔法界に伝わる『伝統的』な変装方法……ポリジュース薬を使ってトンクスの姿に化けているからだ。トンクスは私と同じく背が低くて痩せ型なので動きに違和感が出ないし、私がこっちで動いている間は一応外出しないでもらう約束も取り付けられた。私としては不便をかけて申し訳ない限りなのだが、伝言しに行ったリーゼ様によれば子育てに集中できると喜んでいたんだとか。

 

しかし、この方法は本当に古くから使われているな。それなのに未だ有効なあたり、この薬が如何に完成されたものなのかを表していそうだ。タンブラーの中のポリジュース薬を一口飲みつつ、どうせなら味も完成させてくれれば良かったのにと苦すぎる液体に顔を顰めていると、リーゼ様とは正反対の表情をしているアピスさんが口を開いた。スイスで連れ出された時も香港自治区に移動した時もうんざりしていたのに、今の彼女はひどくご機嫌な顔付きになっている。

 

「私は好きですよ、この街。特にこの通りは素晴らしいですね。少し前までは治安が悪かったそうですけど、ようやく観光地としての体裁が整ってきたみたいです。」

 

「……アピスさんは神秘の薄さが気にならないんですか?」

 

「気になりません。魔女さんだってそうでしょう? 魔女の根幹が自分の中にあるように、私の根幹も私の中にありますから。外側の神秘に大きく影響されたりはしないんですよ。」

 

むう、興味深い話だな。存在の基盤が自己の内にあるか外にあるかということか。リーゼ様たち吸血鬼は人間の恐怖を土台にしているが、私やパチュリーのような魔女は自分が定めた主題を存在の拠り所にしている。その違いのことを言っているのかな?

 

だけど、アピスさんは妖怪じゃないのか? 妖怪というのは基本的に人間の恐怖から生まれる存在のはず。なのに内側に根幹があるのは何故なんだろう? 生じた疑問を口に出そうとしたところで、リーゼ様が代弁するようにアピスさんへと問いを放った。

 

「ふぅん? キミは『成った』タイプの妖怪なのか? 意外だね。大妖怪クラスになると殆どが『発生した』妖怪なはずだが。」

 

「私は努力でここまで上がってきたんです。だから生まれながらに強力な所為で、進歩を忘れた吸血鬼みたいな時代遅れ妖怪とは……魔女さん、野蛮な吸血鬼に注意してやってください。睨まないって約束したのに。」

 

会話の途中で私の背に隠れた……まあ、背が高いので全然隠れられていないが。とにかく隠れようとしたアピスさんは、じろりと睨み付けるリーゼ様を指差しながら私に頼んでくる。やっぱり付いてきて良かったぞ。二人で来てたらどうなっていたんだろうか?

 

「まあまあ、リーゼ様。アピスさんは悪気があってこう言ってるわけじゃないんですから。」

 

「……キミ、ニンファドーラの姿だと全然可愛げがないな。そこも気に食わんぞ。」

 

「そんなことを言われましても。」

 

うーん、辛辣。この土地との相性の悪さも相俟って、今日のリーゼ様は私に対してなんだか冷たいぞ。というかまあ、こっちのリーゼ様が冷たいというよりも、いつも私に向けていた顔が特別優しかったと言うべきなのかな? これが通常モードということなのだろう。

 

リーゼ様に邪険にされるのは普通に悲しい反面、普段の私に対しての態度は特別だったんだなと実感して嬉しくもあるし、同時に『冷たいリーゼ様』というのが新鮮でちょびっとだけ得をしているような感覚もある。胸の内の矛盾する気持ちに困惑しつつ、街灯を意味もなく蹴っ飛ばして鬱憤を晴らすリーゼ様のことを横目にしていると、アピスさんが手元の紙を見ながら案内してきた。

 

「そっちじゃないですよ、野蛮コウモリさん。空港行きのバスはこっちです。子供じゃないんだから適当に歩かないでください。」

 

「よーしよし、いい度胸だ。その目障りなボサボサ髪を掴んで引き摺り回してあげるよ。ニューヨークの人間どもに面白いショーを見せてあげようじゃないか。」

 

「ほら、魔女さん。あんなことを言ってますよ。注意しないと。……や、やめてください! 髪を掴まないでください! 誰か! 凶悪な吸血鬼に襲われてます! 特殊部隊を呼んでください!」

 

「ちょちょちょ、二人とも何をやってるんですか!」

 

私が巨大な映画のポスターに気を取られている隙に騒ぎ始めた二人のことを、大慌てで駆け寄って引き離す。無茶苦茶なことをする二人だな。リーゼ様は環境の所為で沸点が限りなく低くなっているようだし、アピスさんはそんな彼女のことを無自覚に煽りまくるわけか。

 

元気いっぱいの子供を制御するのだってここまで難しくはないぞとため息を吐いてから、苦労して引き離した二人に本気の声色で注意を飛ばした。頼むからもうちょっと大人しくしてくれ。

 

「離れて歩きましょうね、二人とも。この際お互いを無視すればいいじゃないですか。」

 

「私は悪くないぞ。現代かぶれの妖怪もどきが喧嘩を売ってくるのが悪いんだろうが。キミはどっちの味方なんだい? アリス。その姿になってからやけに冷たいじゃないか。」

 

「魔女は常に理性の味方です。つまり、私の味方だということになりますね。……あ、またです。また野蛮コウモリが髪を掴もうとしてます。放っておいていいんですか? 魔女さん。」

 

「いいから二人とも離れてください! ……これ以上騒ぐと怒りますよ。本気で怒りますからね。」

 

『問題児』たちを交互に睨め付けながら宣言してやれば、二人は渋々という表情で引き下がってくれる。……ああ、これは辛い。早くボストンに行って用を済ませないと私の胃が持たないぞ。

 

「……こんな厳しいアリスはアリスじゃないよ。可愛かった私のアリスは何処へ行ってしまったんだい? ピンク色の変な髪の七変化じゃないアリスは。」

 

「空港への移動はバスじゃなくてタクシーにしましょうか。その方が早いですし、他の人に迷惑がかかりませんから。」

 

「どうして迷惑がかかる前提なんですか? 私は現代のルールをしっかりと把握していますし、バスにだって普通に乗れますよ? ……野蛮な吸血鬼がどうだかは知りませんけど。」

 

「そして、空港に着いたらボストン行きの飛行機の離れた席を確保します。私が手続きをしますから、二人は大人しく待っていてください。空港では絶対に騒いじゃダメですからね。ただでさえ警備が厳しい場所なんですから。」

 

「子供の姿のアリスは可愛かったよ。写真を撮っておけばよかったかな。……今度咲夜にも同じ薬を飲ませるってのはどうだい? 一日だけでいいんだ。二人が子供の姿で甘えてきてくれれば、私はあと五百年は頑張れるんだが。」

 

「当然、飛行機の中でも静かにしておいてもらいますからね。たった一、二時間静かにするのは難しいことじゃないでしょう? 子供にだって出来ます。だったら数百年生きている吸血鬼にも、数千年生きている妖怪にもそれは出来るはずです。」

 

「魔女さん、飛行機がどうして飛ぶのかを知っていますか? 私は知ってますよ。チャットルームでドイツの科学者に教えてもらったんです。現代を生きるにはこういう知識を手に入れるのが肝要なんですよね。」

 

淡々と注意事項を伝える私、とうとう現実逃避をし始めたリーゼ様、聞いてもいない現代知識を語るアピスさん。全く噛み合っていない会話であることを無視しつつ、手を上げて目に付いた黄色い車体のタクシーを拾う。こうなったら強引に進めてしまおう。いちいち構っていたらニューヨークから出るのに何時間かかるか分からないぞ。

 

今回の騒動における一番の山場を迎えたことを確信しながら、アリス・マーガトロイドはそれを乗り越えるために気合を入れ直すのだった。

 



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空っぽのお茶会

 

 

「キミね、何度説明させるつもりなんだい? そのドイツ人は嘘を吐いているんだよ。そうに決まってるじゃないか。」

 

風の力で鉄が浮くだと? バカバカしいにも程があるぞ。何度説明しても理解しないアピスにうんざりしながら、アンネリーゼ・バートリはタクシーの助手席から文句を投げかけていた。

 

現在の私と『ニンファドーラ版アリス』とぽんこつ妖怪もどきの三名は、ボストン郊外をタクシーに乗って走行している最中だ。ニューヨークから飛行機に乗ってマサチューセッツ州の空港まで移動し、すぐ近くのボストンを通り抜けて北側に……つまりニューハンプシャー側に向かっているのである。アピスによれば、厳密に言えば魔女の嘗ての工房が存在しているのはローレンスという街の外れらしい。

 

まあ、あの悪霊の説明が大雑把なことにはこの際文句を言うまい。二百年も経てば地図だって多少変わるだろう。今の私をイラつかせているのは遠く離れた魅魔ではなく、後部座席に座っているアピスの方だ。

 

「嘘じゃありません。どうしてそうやって固着観念に囚われるんですか? ……おバカな貴女のためにもっと分かり易く説明してあげましょう。」

 

「そら、まーた始まった。聞いてもいない説明を披露するのはやめたまえ。そも私は飛行機なんぞに興味はないんだ。」

 

「いいですか? 例えばこの車の窓から手を出したとします。すると手は吹きつける風で後ろに押されるでしょう? これが風の力ですよ。前に進むスピードが速ければ速いほど、ぶつかってくる風の力も強くなっていくわけですね。」

 

「その御託はさっき聞いたぞ。……じゃあ言わせてもらうが、高い場所から鉄球を落としたら浮くのかい? 浮かないだろう? 下に落ちるスピードはあるのに、風の力とやらは鉄球の身投げを救ってくれないじゃないか。」

 

飛行機は鉄なんだぞ、鉄。軽い物ならまあ分かるが、巨大な鉄塊がその程度の力で浮くはずがない。自信を持って指摘した私に、アピスはバカにするように小さく鼻を鳴らして応じてきた。ちなみに先程まで仲裁しようとしていたアリスは無言で窓を見つめている。本家ニンファドーラなら絶対にやらないようなアンニュイな表情でだ。

 

「飛行機には風を上手く利用するための翼があるんですよ。鉄球に翼がありますか?」

 

「鉄球には無いが、私にはあるぞ。そして私は風の力とやらを使って飛んだ覚えはないね。実体験として嘘だと断定しているんだよ。」

 

「妖怪の『適当原理』を持ち込まないでください。私は筋の通った航空力学の話をしているんです。」

 

「なら、箒はどうなるんだい? 箒にだって翼は無いが、立派に空を飛んでいるじゃないか。」

 

もう完全に『マグル向き』の議論ではなくなっているが、タクシードライバーの中年男は沈黙を保って前をジッと見つめたままだ。さっきまではアリスと一緒に間に入ろうとしていたが、もう面倒くさくなって運転に集中することにしたらしい。賢明だぞ。この車内で事故になって死ぬのはお前だけなんだから。

 

「だから原理が完全に違うんですよ。貴女は妖力を、箒は魔法力を、飛行機は揚力を使って飛んでいるんですから。……これだから魔法族と妖怪は嫌いなんです。筋道立った知的な話が全然通用しません。訳の分からない発想で思考をショートカットしたり、奇妙な思い込みをしたりで会話になりませんよ。そうなると魔法界の妖怪なんて最低ですね。それが野蛮コウモリ科の生意気盛り属なら尚更……魔女さん、見てください。助手席の凶悪妖怪がシートベルトを外して殴りかかろうとしてますよ。注意しないと。約束を破ってます。」

 

「決めたよ。キミの理論が本当に正しいのか、キミ自身を使って実験してみようじゃないか。首に縄をかけて外にぶん投げてあげるから、風の力を使って上手く飛んでみたまえ。きちんと飛べれば縄が食い込んで絞死、飛べなきゃ後ろの車に轢かれて轢死だ。分かり易いだろう?」

 

「……二人とも、やめてください。今すぐに。」

 

グーを振り上げて後部座席のアピスを脅しつけたところで、アリスの冷たい声が車内に響く。……ポリジュース薬が脳にまで影響してるんじゃないだろうな? だって、私のアリスはこんな声色を出さないはずだ。もっと優しい良い子だぞ。

 

これ以上ないってほどのジト目で放たれた言葉を受けて、ちょっと不安な気持ちで助手席に座り直した。元に戻らなかったらどうしよう。それは嫌だな。ニンファドーラの顔だったらまだ我慢できるが、アリスの顔でこんな表情を向けられたら悲しすぎる。

 

……むう、新大陸に入ってからというもの、イライラと不安が交互に襲ってくるな。前者は主にアピスに対してで、後者はアリスにだ。神秘が薄すぎる所為で精神が不安定になっていることを自覚しつつ、重苦しい車内の雰囲気に不安を加速させていると、運転している男が心底ホッとした様子でポツリと呟く。

 

「もうすぐ着きますよ。」

 

車内で行われる意味不明な議論に辟易しているのだろう。ようやく奇妙な客を降ろせることに安堵している表情の運転手の声に従って、進行方向に目をやってみれば……あー、あれか。アピスの報告書の写真で見た古臭い一軒家が視界に映った。

 

新大陸の一軒家における大きさの基準はいまいち分からんが、少なくとも周囲の家と比較すれば『すごく大きい』と断言できる建物だ。敷地を囲む高いレンガの塀には蔦がびっしりとへばり付いていて、その向こう側には剪定されていない木が何本も見えている。長年手入れがされていないのは明白だな。

 

運転手は目的地が『幽霊屋敷』だったことに不信感を募らせたようだが、アリスが結構な額のチップを上乗せすると途端に機嫌が良くなったらしい。タクシーを降りた私たちにニコニコ顔で手を上げると、そのままもと来た方向へと戻って行った。それを尻目に屋敷に向き直ったところで、真面目な顔付きのアリスが声をかけてくる。真面目なニンファドーラってのは違和感が凄いぞ。

 

「……間違いなく魔女の工房ですね。私でも魔力を感じます。」

 

「それに、神秘も多少マシだね。ここならイライラしないで済みそうだよ。」

 

人外が長く住んでいた所為で、土地そのものにある程度の神秘が宿っているのだろう。やっと冷静な気分で物事を考えられることに息を吐いていると、アピスがジッと屋敷の屋根を見ながら口を開いた。

 

「……発見したことがありますけど、タダじゃ教えたくありません。追加料金を払うなら教えてあげますよ。」

 

「キミ、この上金を取る気なのか? 調査のために滅茶苦茶な金額を持っていっただろうが。」

 

「あれは調査の料金でしょう? そしてここまでの案内でサービスは終わりです。これ以上を欲するなら対価を払ってください。」

 

「……先ずは何を発見したのかを言いたまえ。払うだけの価値があると判断したら払ってあげるよ。」

 

私としてはボロボロの屋根だという感想しか浮かんでこないぞ。ジト目で催促した私に、アピスは一番高い屋根を指差して『発見』の内容を語ってくる。

 

「あの屋根の縁に細かい模様があるでしょう? あれは崩したルーン文字ですよ。人間避けと妖怪避けの結界を張っているみたいですね。我流のものなので判断が難しいですけど、妖怪に対する結界はそこそこ強力なやつです。」

 

「……あれか。模様は確かにあるが、結界があるような感じはしないぞ。」

 

「示威としての結界ではなく、実用的なものなんでしょう。気付かせないで触らせるタイプのやつですよ。触ったら何か害があるのは間違いないでしょうね。……情報料を支払う気になりました?」

 

「……後で払うよ。屋根をぶっ壊せば解術できるかい?」

 

まあ、有益な情報ではあったな。まさか吸血鬼を殺せるほどの結界だとは思えんが、肉体がほぼ人間であるアリスの場合は話が別だ。渋々追加料金の支払いを認めた私に対して、アピスは軽い口調で応じてきた。

 

「私ならもっと穏やかな方法で解術できます。」

 

「キミ、魔術が使えるのか?」

 

「多趣味なんですよ、私は。魔術は流れの魔術師から習いましたし、神力の使い方はエジプトの土着神から、気の使い方は紅さんから学びました。知ることは力です。何もせずに衰退するその辺の妖怪と一緒にしないでください。……解術もいくらかいただきますけど、どうします?」

 

こいつ、本当に油断ならないヤツだな。神力まで使えるのか。さすがに信仰される側ではなく、どこぞの神を信仰して力を借りる側だとは思うが……まあいい、ここは頼んでおこう。会話を横で聞いているアリスもお手上げだという顔をしているし。

 

「やってくれ。」

 

「じゃあ、遠慮なく。」

 

そう言った守銭奴妖怪が徐に蔦だらけの塀に手を当てると、ばちりという音と共に手のひらが一瞬弾かれる。それを受けて興味深そうに首を傾げた後、アピスがもう一度手を当てた瞬間──

 

「はい、解けましたよ。……我流にも程がありますね。こんな雑な構成の結界は初めて見ました。」

 

キンッという金属を弾いた時のような音がしたと同時に、やや呆れ顔のアピスが解術を宣言した。それに一つ首肯してから、門の方へと足を進める。

 

「誰からの教えも受けられなかったようだからね。あとは普通に入っていいのかい?」

 

「いいと思いますけど、よく考えたら私まで入る必要がありますか? ここに到着した時点で『案内』は終わってますよね?」

 

「いいから来たまえよ。私たちが出てくるまで突っ立って待ってるつもりか?」

 

当然鍵がかかっていた錆び付いた門を無理やり開けて、敷地内に入りながら背中越しに言ってやると、アピスは存外素直にアリスの後ろから付いてきた。そして塀の内側は……うーん、予想通りの惨状だな。今が十一月で良かったぞ。夏なら間違いなく草だらけの虫だらけだったはずだ。

 

「『荒れ果てた』って表現がぴったりですね。やっぱりこの工房はもう使っていないんでしょうか?」

 

「みたいだね。こういう部分をどうでも良いと思うのであれば、そもそもこんな気取った家を工房にはしないはずだ。……まあ、中を見てみないとまだ分からんがね。外側だけ荒れているってのはよくある話だろう?」

 

きょろきょろと辺りを見回しているアリスに答えつつ、ギリギリ機能している石畳を踏み締めて玄関まで到着したところで、両開きらしい木の扉の奥から微かな物音が聞こえてくる。何か居るな。こっそり動いているつもりらしいが、吸血鬼の聴力をナメないで欲しいぞ。

 

目線でアリスに警戒しろと伝えてから、足音を消してドアに忍び寄って……それを思いっきり蹴飛ばしてやった。気付かれずに忍び込むのも好きだが、『突入』するのも悪くない。話が早いのは良いことだ。

 

「野蛮に過ぎる訪問方法ですね。見るに堪えません。」

 

「そのうちキミの家でもやってあげるよ。……やあ、人形。ご主人様は留守かい?」

 

蹴り開けたドアの向こうで尻餅をついている、青と白のエプロンドレス姿の八、九歳くらいの幼い少女。アピスに応じた後でそいつに呼びかけてやると、少女は慌てて立ち上がって家の奥へと逃げ出そうとするが……何だこいつは。見事にすっ転んで動かなくなってしまった。人間避けの結界が張ってあった家に人間が居るはずがないし、こいつは魔女が作った人形の一体なのだろう。

 

毛先に緩いウェーブがかかっている肩上までの金髪を揺らす少女は、怯えているような表情をズカズカと乗り込んでくる私に向けると、青い瞳を瞬かせながら質問を飛ばしてくる。声質も見た目も少しだけ子供の頃のアリスに似ているな。無論、アリスの方がずっと可愛らしいが。

 

「だ、誰なの? ビービーのお友達?」

 

「『ビービー』?」

 

「違うの? ……違うんだ。じゃあ、泥棒の人?」

 

「泥棒じゃないし、人でもないよ。私は吸血鬼さ。」

 

うーん? 何かこう、思っていたよりも手応えのない反応だな。警戒半分、好奇心半分くらいの問いを寄越してくる少女は、明らかに隙だらけのご様子だ。戦闘用の人形じゃないってことか?

 

「きゅうけつき? ……血を吸いに来たのね? でも、ここには血が無いわよ。私はほら、お人形だから。人形の家を選んじゃうなんてドジな吸血鬼さんね。」

 

立ち上がった少女が自分の腕を……手首に球体の関節が付いた腕を見せてくるのに、玄関から確認できる屋内をチェックしながら返事を返す。中は比較的片付いているな。奥の方に上り階段が見える、一般的な一軒家の廊下といった具合だ。

 

「血を吸いに来たわけでもないよ。……単刀直入に聞くが、ここは魔女の工房かい?」

 

「そうよ、ビービーの……ベアトリスの工房。もうずーっとビービーは帰って来てないけどね。貴女、もしかしてビービーのことを知ってるの? 元気にしてる? 寂しそうにしてなかった?」

 

「元気かは知らんが、生きてはいると思うよ。」

 

随分とあっさり答えるじゃないか。心配そうな面持ちで聞いてきた少女へと、杖を片手に事態を見守っていたアリスが質問を口にした。

 

「つまりその、貴女は魔女に作られた人形ってことよね?」

 

「ええ、ビービーが作ってくれたの。凄いでしょ? 昔はいつも一緒に遊んでたんだから。熊のティムとか、うさぎのマギーとか、キツツキのジーンとかと一緒にね。……今はみんな動かなくなっちゃったけど、ビービーが戻ったらきっと直してくれるわ。」

 

「……そうなの。貴女のお名前は?」

 

「アビゲイルよ。ビービーが付けてくれたの。ずっと昔に私を作った時にね。」

 

うーむ、予想と少し違う展開になってきたな。やはりこの工房は放棄されていて、嘗て作った人形が主人を待っているだけの場所だということか。あまりにも無防備すぎる振る舞いを見るに、恐らくこの人形は戦闘用ではなく、『お友達』としての機能しか持っていないのだろう。

 

同情しているような顔付きのアリスを横目に考えていると、アビゲイルと名乗った人形がひょこひょこ歩きながら私たちを促してきた。左足が上手く動かないらしい。さっき転んだのはその所為か。

 

「貴女たちが誰なのかはよく分からないけど、とにかく入って頂戴。お客様をいつまでも玄関に立たせておくのは失礼だってビービーが教えてくれたの。……本物のお客様が来たのは初めてだけど、ごっこ遊びでいつもやってたから大丈夫よ。歓迎するわ。」

 

「じゃあその、失礼するわね。」

 

人形に甘いアリスが柔らかい口調で応答するのと同時に、私とアピスも少女の背に続いて廊下を進む。そのままいくつかのドアを通り過ぎて通された部屋は……リビングか? 隅の方に薪も灰も入っていない暖炉がある大きな部屋だった。そして古臭いデザインのセンターテーブルとセットのソファには、十体ほどの手のひらサイズの人形が置かれている。どれもこれも動物をデフォルメしたデザインだ。

 

「ちょっと待っててね、今みんなを移動させるから。」

 

ぎこちなく歩く少女が丁寧な手付きで人形たちを退かすのを尻目に、黙して室内を観察しているアピスへと小声で話しかけた。他に気配らしい気配はないな。どうやら罠もなさそうだ。

 

「何か所見はあるかい? 私は思っていた以上に手掛かりが得られなさそうで拍子抜けしているが。」

 

「私は別に拍子抜けしてませんけど、手掛かりが得られそうにないって部分には同意します。この家は典型的な魔女の『古巣』ですよ。探せば嫌がらせ程度のトラップはあるかもしれませんが、重要な何かが残っているとは思えませんね。大事な物は新しい巣に持って行っちゃったんじゃないでしょうか?」

 

「要するに、あの人形は魔女にとって『大事な物』ではなかったわけか。」

 

「今から八十年以上前の作品であるエリック・プショーはもっと人間らしい見た目でしたからね。あの人形はかなり初期に製作した……所謂、試作品のような物なんじゃないですか?」

 

『試作品』ね。確かにそんな感じはあるな。少女の顔は人間そのものと言っていいほどに精巧な作りだし、肌や瞳なんかにも然したる違和感はないが、少なくともプショー人形は球体関節ではなかった。である以上、どちらが『最新式』かは言わずもがなだろう。

 

「はい、これでオッケーよ。座って頂戴。水はもう出なくなっちゃったから中身は用意できないけど、カップだけは割れてないのが残ってるの。並べれば雰囲気は出るわよね?」

 

いやはや、主人に見棄てられた人形か。先程の会話からするに少女の方はまだ魔女を慕っているようだし、何とも哀れな話だな。……置いていかれたと気付いた上でそうしているのか、それとも気付かないフリをしているのか、あるいは本当に気付いていないのか。ソファに座りながらそのことを黙考していると、空の食器を並べた少女が『お茶会』の開始を宣言する。実に嬉しそうな表情でだ。

 

「どう? お茶会っぽくなった? ……それじゃあ始めましょう。何をお話しする? 私ったら、なんだかワクワクしてきちゃったの。誰かとお話し出来るのなんて何十年振りかしら?」

 

まるでこの家の現状を表しているかのような空っぽのティーカップ。何も入っていないそれを持ち上げて微笑む人形を前に、アンネリーゼ・バートリは奇妙な状況になったなと小さく息を吐くのだった。

 



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自律人形

 

 

「じゃあじゃあ、先ずは自己紹介ね。私の名前は玄関で言っちゃったから、貴女たちのお名前を教えて頂戴? じゃないと上手くお話できないでしょ?」

 

この子の境遇を可哀想だと思ってしまうのは、私の人形作りとしての甘さなのだろうか? 空のティーカップからお茶を飲むフリをする少女を前に、アリス・マーガトロイドは内心でため息を吐いていた。

 

魔女の嘗ての工房に侵入した私たちは、現在そこに住んでいた人形の少女とティーセットが並んだテーブルを囲んでいる。表情、仕草、そして感情の変化。人形らしい球体関節以外はどこを取っても人間そっくりだ。ということは、この子も人間を『改良』して作った人形なのだろうか?

 

人間と全く同じ質感の青い瞳でこちらを見つめてくる少女に、笑顔を意識しながら返事を返した。誰が作ったにせよ、この子に悪意が無いのであれば気を使ったって問題ないだろう。

 

「アリスよ。アリス・マーガトロイド。……この姿はまあ、別の人のを借りてるんだけどね。」

 

「借りてる? どういう意味なの?」

 

「えっとね、私も貴女の作り手と一緒で魔女なの。今は色々と事情があって、姿を魔法で変えているのよ。本物の私は貴女と同じ金髪で、貴女と同じ青い瞳ね。」

 

「ビービーと一緒の、魔女? ……じゃあもしかして、あの子たちを直せる? みんな動けなくなっちゃったの。」

 

途端に身を乗り出して聞いてきた少女……アビゲイルに、彼女が指差した人形たちの方を見ながら曖昧な返答を送る。難しい質問だな。私と件の魔女との『作風』が決定的に違う以上、構造に理解が及ばない可能性も大いにあるだろう。

 

「分からないわ。同じ魔女でも違いがあるの。もしかしたら直せるかもしれないけど、約束は出来ないわね。」

 

「そうなの? ……でも、診るだけ。診るだけならいいわよね? ダメだったらビービーの帰りを待つから。」

 

「ええ、診るだけなら。」

 

「ありがとう、アリス。お願いするわ!」

 

私の答えを受けて花が綻ぶような笑顔になったアビゲイルは、ソファを離れてひょこひょこと人形を置いた棚に近付くと、その中の一体を手にしてテーブルに戻ってきた。テディベアに近い造形の小さな熊の人形だ。作られた当時はまだ可愛らしくデフォルメするのが流行っていなかったはずだし、ある意味では時代を先取りしているな。

 

「ティムよ。一番最後まで動いてて、一番最後まで私の話し相手になってくれたの。……直せそう?」

 

「ちょっと待ってね、調べてみるから。」

 

「いくらでも待つわ。待つのは得意だもの。……吸血鬼さんは何てお名前なの?」

 

ぽすんとソファに座り直して問いかけたアビゲイルに、リーゼ様が軽い口調で応答する。少し心配だったが、とりあえずは『おままごと』に付き合ってくれるつもりのようだ。

 

「アンネリーゼ・バートリだ。……代わりに私からも一つ聞こう。魔女がこの家を離れたのは何年前なんだい?」

 

「ビービーが? えっと、えっとね……ずーっと前よ。細かい時間は分からないわ。時計は随分前に壊れちゃったし、もう何千回も夜が来て、何千回も朝になったから。何日経ったかなんて覚えてないの。」

 

「ふぅん? 『ずーっと前』ね。大体で言えば百年くらいかい?」

 

「自信はないけど、そのくらいは経ってるかも。……それで、そっちのお姉さんは何てお名前なの?とっても背が高いのね。カッコいいわ。」

 

リーゼ様によれば、記憶の中で魅魔さんが魔女からの手紙をもらったと言っていたはずだ。ヨーロッパに移るという手紙を。それが約百年前のことだから、恐らくその時期にこの家を出て戻っていないのだろう。

 

つまり、少なく見積もっても百年ほどは人形たちだけで生活していたということか。熊の人形を調べながら黙考する私を他所に、今度はアピスさんが自己紹介を口にした。

 

「アピスですよ、人形さん。背が高いのは生まれつきです。……他に人形は居ないんですか?」

 

「最初から動いたり喋れたりしなかった子は別の部屋に居るわ。たまにお掃除もしてあげてるの。雨が降った日は水が手に入るから、それを使って拭いてあげてるのよ? 布ももう少なくなってきちゃったし、あんまり頻繁にはやってあげられないけどね。」

 

「一人で家を管理しているんですね。」

 

「だって、もう私だけになっちゃったんだもの。ビービーが帰ってきた時に家が汚れてたらがっかりするでしょ? だからみんなで綺麗にしておこうって大昔に決めたのよ。……家の中から出られないから、庭はどうにもならなかったんだけどね。夏になると虫がいっぱい湧くのが困りものだわ。」

 

『帰ってきた時に』か。きっとそれを望んで頑張っていたのだろう。一世紀もの間、ずっと。残念そうな面持ちで窓の外を眺めるアビゲイルを見て、胸が締め付けられるような気分になっていると……リーゼ様も同じように窓の方を向きながら口を開く。

 

「キミの主人のことを聞かせてくれたまえよ。どんな魔女だったんだい?」

 

「ビービーのことを? いいわよ。ビービーは優しくて、器用で、とっても賢かったわ。何だって知ってたし、何でも出来たの。私は一番年長の人形だから、ビービーがみんなを作り出すところを全部見てきたのよ?」

 

「ほう、最初に作られた『意思ある』人形ってことか。キミが生まれたのはいつのことなんだい?」

 

「アンネリーゼったら、さっきからやけに時間を気にするのね。ビービーが話してくれた慌てん坊の白ウサギみたいだわ。……そうね、私が生まれたのもずーっと前よ。ずっと前にビービーがお出かけした時からもっと前。それで分かる?」

 

むむむと悩みながら放たれた回答を受けて、リーゼ様は苦笑しながら肩を竦めた。アビゲイルから具体的な年月なんかを聞き出すのは無理だと判断したらしい。

 

「まあ、大体は理解したよ。……キミはこの家から出たことがあるかい?」

 

「ないわ。ビービーはよく『大人人形』を連れて家を出てたけど、私はダメだって出してくれなかったの。お外は危ないからって。」

 

「『大人人形』?」

 

「私よりずっと大きくて、ずっと力が強くて、身体が木のままで、全然喋らない子たちのことよ。ビービーはこの家や私たちを守るための人形なんだって言ってたわ。無表情だから少し怖いけど、お願いすれば高いところの荷物なんかを取ってくれたの。だからきっと良い子たちなんじゃないかしら?」

 

嘗て見たデッサン人形のような、戦闘用の人形か。護衛役に付けていたってことかな? 熊の人形の構造が基本的には伝統的な可動人形であることを確認しながら思考していると、リーゼ様がティーカップに手を伸ばしかけた後、バツが悪そうな表情でアビゲイルに応じる。中身が空なことを忘れていたようだ。

 

「その人形はもう家には残っていないのかい?」

 

「大人人形はみんなビービーと一緒に出て行っちゃったの。……ちょっとだけ羨ましいわ。私ももう少し力持ちなら一緒に行けたのかしら?」

 

「かもしれないね。……アピス、杖魔法の痕跡を辿れないように出来るか? 紅茶を出したいんだが、下手に使うとマクーザの連中に辿られちゃうんだ。」

 

「そもそも家主の阻害魔法が残ってますから、敷地内だったら魔法を使っても追跡されませんよ。私の分も出してください。喉が渇きました。」

 

ありゃ、そうだったのか。それなら杖を使って調べた方が早いなと私が杖を抜くのと同時に、ジト目になったリーゼ様も自分の杖を取り出した。

 

「だったら早く言いたまえよ。スコージファイ(清めよ)。」

 

一度食器を纏めて綺麗にしてから、そのまま四つのティーカップに紅茶を出現させたリーゼ様を目にして……おお、喜んでいるな。アビゲイルが満面の笑みで質問を飛ばす。

 

「凄いわ、アンネリーゼ! 貴女も魔法を使えるのね。吸血鬼の魔女なの?」

 

「そんなところさ。キミは飲んだり食べたり出来るのかい?」

 

「一応それらしいことは出来たんだけど、お腹の容器に穴が空いちゃってるから今はダメなの。ごめんなさいね、折角出してくれたのに。」

 

「容器? ……あー、なるほど。口に入れた物がそこに落ちるってわけか。」

 

外側はここまでリアルなのに、身体の中はやけに単純な構造だな。それを怪訝に思いつつ、アビゲイルへと『診察』の結果を送った。

 

「アビゲイル、ティムを直すには一度中身を確認しないとダメそうね。やってみてもいい?」

 

「ええ、大丈夫よ。私も一度背中を開けて調べてみたんだけど、何がどうなってるのか全然分からなかったわ。ビービーは簡単そうにやってたのに。……あら、どこに行くの? アンネリーゼ。」

 

「なぁに、少し探検させてもらおうと思ってね。気にしないで二人と話していてくれたまえ。吸血鬼の習性みたいなものだよ。」

 

「そうなの? 探検は別にいいけど、床には気を付けてね。所々抜けちゃってるから。」

 

私を残して席を外したということは、リーゼ様もアビゲイルに危険はないと判断したということだ。魔女が何か残していないかを調べるつもりなのだろう。ふらりとリビングを出て行くリーゼ様に探索を任せつつ、作業の手伝いのために懐から二体の人形を出す。道具もある程度は常備しているし、多分何とかなる……はずだ。

 

工具片手にふわりと浮き上がった私の人形を見て、アビゲイルは目を輝かせて呟いた。

 

「わぁ……これがアリスの作るお人形さんなの?」

 

「そうよ。貴女を作った魔女とは作風が違うでしょう?」

 

「違うけど、可愛いわ。こんにちは、お人形さん。私、アビゲイルよ。貴女たちのお名前は?」

 

近付いてきてぺこりとお辞儀したアビゲイルに、私の人形たちもお辞儀を返してから……うーん、困ったな。私の方をちらりと見てくる。愛着が湧くと戦闘に使い難くなってしまうから、私は人形に人形らしい名前を付けるタイプではないのだ。

 

「えっと、この子たちにはそれらしい名前が無いの。『上海人形』と『蓬莱人形』って呼んでいるんだけど、これは私の祖父が考案した人形の制作様式なのよ。個体名というか、種類ね。」

 

「そうなの?」

 

「他の子たちは役割の後に番号が付くんだけどね。この子たちは色々なことを手助けしてくれるから、そういうわけにもいかないの。……ただまあ、この様式の人形はこの子たちだけだし、ある意味では固有の名前だと言えるのかも。」

 

「アリスは変わった名付け方をするのね。……よろしくお願いするわ、上海人形、蓬莱人形。」

 

アビゲイルの言葉を受けて、二体の人形が揃ってびしりと敬礼した。……自分でもちょっと変だとは思うが、初めて名前らしい名前を付けるのは自律人形を作った時と決めているのだ。そしてきっと、その時『心』を手に入れるのは最も付き合いが長いこの子たちになるだろう。

 

その時に備えて考えておくべきかと悩みながら、工具を使ってティムを分解していくと、私の作業を見つめていたアピスさんが声をかけてくる。

 

「私も手伝いましょう。工具を貸してください。」

 

「出来るんですか?」

 

「人形は専門外ですけど、こういう作業には慣れていますから。時計技師をやっていたこともあるんです。……人形も面白そうですね。ちょっと興味が出てきました。」

 

時計技師か。分野は違えど、根本となる部分には似ているものがあるな。そんなアピスさんの発言を聞いて、アビゲイルが再び顔を明るくしながら口を開いた。

 

「アピスは時計屋さんなの? じゃあひょっとして、あの時計も直せる?」

 

「時計屋さんではありませんが、直せると思いますよ。部品があれば、ですけど。」

 

「そっか、部品がいるのね。」

 

リビングの隅に置いてある全く動かない振り子時計。それを見ながらしょんぼりしてしまったアビゲイルのことを、アピスさんは少し目を細めて観察した後……ゆっくりと立ち上がって提案を放つ。

 

「見るだけ見てみましょうか? 振り子は無事みたいですし、もしかしたら直せるかもしれません。」

 

「頼めるかしら? ビービーから十時には寝ないとダメだって言われてるんだけど、時計が壊れてから十時が分からなくて不安なの。陽が落ちる時間が季節によってバラバラでしょう? だから時計がないととっても不便だわ。」

 

「壊れたのはいつですか?」

 

「ビービーが出て行ってから、今日までの中間くらいの時期よ。急に動かなくなっちゃったの。」

 

五十年ほど前ということか。……妙な話だな。見たところ古い構造の振り子時計なのに、それまでズレもなく動いていたのか? アピスさんも何かに気付いたようで、時計に歩み寄りながら前言を撤回した。

 

「なるほど、それなら部品は必要ないかもしれません。……やっぱり大丈夫みたいですね。すぐに動きますよ。」

 

「本当?」

 

「魔力で動く時計のようですから、魔力を補給すればいいだけです。……はい、これで暫くは動くでしょう。時間も合わせておきますね。」

 

「凄いわ、アピス! 動いてる! これでビービーとの約束を守れるわね。ありがとう!」

 

やはり魔力で動く物だったのか。パチパチと手を鳴らすアビゲイルに微笑みつつ、私も手元の人形のチェックを終える。人間を部品にしていない、紛うことなき人形だ。これなら私にも手出し出来るぞ。……ただし、こっちには部品が必要だが。

 

「アビゲイル、ティムを直すのは不可能じゃなさそうなんだけど……部品が足りないわ。ここの部分が経年劣化で壊れちゃってるの。新しく同じ部品を作って交換しないと無理ね。」

 

「そっか。……またお話し出来ないのは残念だけど、部品がないなら仕方がないわね。」

 

むう、がっかりさせてしまったな。分かり易く気落ちしているアビゲイルに、どう声をかけようかと悩んでいると、アピスさんがソファに戻りながら話しかけてきた。

 

「魔女さんの工房で直してあげたらどうですか? そこなら部品があるでしょう?」

 

「それは、勿論可能ですけど……どうかしら? アビゲイル。ティムを預かってもいい?」

 

「でも、でも、ビービーは外に出ちゃダメだって言ってたわ。危ないからって。」

 

まあ、そうなるだろう。命令に背けないからこそ人形なのだ。然もありなんと思っている私を尻目に、アピスさんはジッとアビゲイルを見ながら話を続ける。何かを探るような目付きだな。どうしたんだ?

 

「しかし、魔女さんは貴女の主人と同じ魔女です。一緒なら外だって危なくありませんよ。……それとですね、実は私たちは人形さんの主人を探していまして。」

 

「ビービーを?」

 

「そうです。だからもしかしたら、魔女さんと一緒に居ればベアトリスさんに会えるかもしれませんよ。……貴女も付いて行くのはどうでしょう? それならその熊さんも寂しくないでしょうし、貴女もベアトリスさんと再会したいんじゃないですか?」

 

「でも、ビービーは……ダメだって言ってたわ。言ってたの。それに、私が居なくなったらこの家を空けることになっちゃうでしょ?」

 

葛藤している様子のアビゲイルを、紅茶を飲みながらのアピスさんが看視する中、廊下に続くドアの方から呼びかけが飛んできた。リーゼ様が探索を終えたらしい。

 

「ただいま、諸君。……魔女はあらゆる物を持って行ったらしいね。動かない人形や空っぽのタンスなんかがあるくらいで、殆ど何も残っていなかったよ。期待していたような手掛かりは無さそうだ。」

 

「なら、もう行きましょうか。」

 

「え? ……もう行っちゃうの?」

 

「私たちはベアトリスさんを探さなければいけませんから。ここには居ないようですし、別の場所を探してみます。」

 

んん? アピスさん自身は別に探していないし、そこまで急ぐ理由もないはずだ。それなのにいきなりサクサク進め始めた彼女のことをリーゼ様と二人でぽかんと見ていると、アビゲイルが焦ったような表情で引き止めてくる。

 

「だけど、でも……もう少しお話ししましょうよ。あと少しだけ。ね?」

 

「それは難しいですね。私たちはとっても忙しいですから。……それでは行きましょう、二人とも。ベアトリスさんを探すために時間を無駄にするわけにはいきません。」

 

「キミね、何をいきなり──」

 

「いいから来てください。魔女さんも早く。」

 

急すぎるぞ。文句を言おうとしたリーゼ様の手を引いて、アピスさんは玄関の方へと歩き出してしまった。元に戻したティムをソファにそっと置いてから、その背に追いついて問いかけを送る。

 

「アピスさん、一体全体どうしたんですか?」

 

「……魔女さんは気付いていますか? あの子、完全な人形ですよ。人間を素材にしたりはしていない、一から十まで人工物の人形です。だからちょっと試してみたくなりまして。」

 

どうやってそれを確認したんだ? 人間だってある意味では『物』だ。足だけを使っていたら、手だけを使っていたら、眼球だけを使っていたら、脳だけを使っていたら、肌だけを使っていたら。その可能性を無視するのは一見しただけでは不可能なはず。私の内心の疑問を他所に、確信を持っている様子のアピスさんは廊下を進みながら続きを語る。

 

「魔女さんの主題については紅さんから聞いています。意思ある人形、自律する人形、思考する人工物。私としても実に興味深い、非常に先進的なテーマです。……だから私は貴女のことを気に入っていますし、あの人形のことも気になるんですよ。もしあの人形が私たちに付いてくることを選択したなら、それは一種の主人への反抗と捉えられませんか? 自律とは自分で規範を定め、自己の意思に基づいて行動することです。主人が課したルールを自分の意思で破ったのであれば、あの人形は自律していると──」

 

「待って!」

 

私たちが玄関のドアの前まで到着したところで、背中に声が投げかけられた。それを聞いて話を中断したアピスさんが振り返るのを横目に、私も声の主へと視線を動かす。……そこまで言われれば私にだって分かるが、そんなことは有り得ないはずだ。アピスさんの言う通りアビゲイルが『人工物』なのだとすれば、作り手である魔女に逆らうのは──

 

「わ、私も行くわ。私のことも連れて行って頂戴。……私、ビービーを探したい。会いに行きたいの。家を出るのはダメだって言われたけど、それでも会いたいから。もう一人で待ってるのは嫌だから。だからお願い、私も連れて行って!」

 

ティムを片手に抱きながら、必死な表情で私たちに主張してくるアビゲイル。……仮に、もし仮に彼女がアピスさんの言う通り一から作り出した人形だとすれば、この行動は決して有り得ないものだ。創造者の命令よりも、自身の欲求を優先した決断だということになってしまうぞ。

 

自律人形。私の主題に繋がる少女が答えを待つのを、アリス・マーガトロイドはただ呆然と見つめるのだった。

 



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アンネリーゼ・バートリと人形の戯曲
自然の教え


 

 

「……凄えな。あれがワガドゥか。」

 

岩だ。神話にでも出てきそうなレベルの巨大な岩。平坦な荒野にドンと聳え立つその岩を眺めつつ、霧雨魔理沙は感嘆の吐息を漏らしていた。あの中に生活スペースがあるってことか。それなら確かに『城』と言えるだろう。文字通り自然の城塞ってわけだな。

 

十一月十六日の昼過ぎ。私たち代表チームはフーチの引率の下、ワガドゥ対ボーバトンの試合を観るためにアフリカを訪れている。マクゴナガルが手配してくれたポートキーを使ってスペインのどこかの山奥へ、そしてそこからもう一度ポートキーでこの場所に出たわけだが……いやはや、大したもんだな。上手く感想が出てこないぞ、こんなもん。

 

何せ岩というか山だとすら主張できそうなその『校舎』は、ホグワーツ城を遥かに凌ぐ大きさなのだ。下の方に入り口らしき巨大な門が取り付けられていて、岩肌にはぽつぽつと小さな穴が空いている。窓ってことか? あるいは箒で出入りするための場所なのかもしれんな。

 

デカすぎて遠近感が狂いそうなその岩を見つめる私たちに、フーチが微笑みながら説明を寄越してきた。

 

「あれがワガドゥの生徒たちが学ぶ校舎であり、彼らの家でもある『月の山』です。ワガドゥの初代校長は、夢の導きに従ってこの巨大な岩を発見したと伝えられています。そこから長い年月をかけて徐々に中をくり抜いていき、現在も尚その作業は続いているんだとか。」

 

「要するに、千年近くかけてもまだ『未完成』だということですか?」

 

「あの大きさを見れば納得でしょう? 不思議なことに、初代校長が発見するまでは誰もこの岩のことを知らなかったそうです。ホグワーツは四人の創始者の手によって誕生しましたが、ワガドゥは自然の導きによって生まれたというわけですね。……さあ、移動しますよ。ここはポートキーの到着地点ですから、長居するのは危険です。」

 

シーザーに答えたフーチの指示に従って、七人ともが月の山に目を向けたままで移動する。あれだけどデカい上に荒野にぽつんと聳えている大岩を、初代校長とやらが見つけるまで誰も知らなかったなんて有り得るか? ホグワーツよりも更に不思議な『誕生秘話』だな。

 

そして肝心の試合が行われる競技場はといえば……うーむ、こっちも独特だな。月の山からは一キロほど離れた位置にある、巨大な木に囲まれたスペースで試合を行うようだ。観客は既にそれなりに到着しているようで、ここからでも天辺付近の洞の中に人が居るのが見えている。あの木そのものが観客席ってことか。

 

信じられないほどに太い幹と、一番上に傘のように広がっている枝葉。随分と変な形の木だなと思う私に、隣を歩いているハリーが話しかけてきた。

 

「あれって、バオバブ……だよね? テレビで見た時はあんなに大きくなかったけど。百メートル以上はありそうだよ。」

 

「そもそもバオバブを知らん私には何とも言えんが、魔法界のバオバブってことなんじゃないか? ワガドゥが選んだ杖の素材だよな?」

 

「うん、そうだったはずだよ。あれも中をくり抜いてるみたいだね。」

 

「アフリカの魔法使いは何かをくり抜くのが好きみたいだな。……そういえば、びでおかめらはやっぱり使えなさそうか?」

 

ハリーが持っている機械を指差して問いかけてやると、軽くボタンを弄ったハリーが肩を竦めて頷いてくる。ダメだったか。一応持ってきたわけだが、無駄になっちゃったな。

 

「動かないみたいだね。ビデオカメラはカステロブルーシュの時に期待して、今回は自分たちの目で確認しようか。」

 

「だな。……しかし、月の山にも入ってみたかったぜ。中はどうなってんだろ?」

 

「ハーマイオニーによれば、入り口を抜けると大きな玄関ホールに出るんだって。光る水晶が天井に沢山あって、地面は滑らかに磨かれてるらしいよ。誰かの旅行記を読んだって言ってた。」

 

「くっそ、ますます見たくなったぞ。今度その本を借りてみるか。せめて挿絵は見ておかないとな。」

 

疼く好奇心に身悶えする私に、話を聞いていたらしいスーザンが苦笑しながら声をかけてきた。

 

「ワガドゥが今日勝って、次かその次でホグワーツと当たればチャンスがあるかもね。その場合、ボーバトンの方は見られなくなるわけだけど。」

 

「ボーバトンはどんな校舎なんだ?」

 

「荘厳な館みたいな城らしいわね。見事な並木の迷路に囲まれているんですって。叔母さまは行ったことがあるらしくて、昔話して聞かせてくれたの。とても美しい城だったって言ってたわ。」

 

「そっちも捨てがたいぜ。……総当たりなら良かったのにな。」

 

フーチの背に続いてバオバブの根元に近付きながらボヤいてみれば、ギデオンが呆れたような表情でやれやれと首を振ってくる。近くで見るとアホほどデカいな。幹の大半は階段になっているのか? 上の方だけを観戦用のスペースとして使っているらしい。

 

「それだと時間が足りないだろうが。七校のリーグ戦となれば十試合そこらじゃ済まないんだぞ。」

 

「でもよ、勿体無いぜ。せめて一回戦の会場がホグワーツじゃなけりゃな。」

 

「俺としてはホームでやれるのは嬉しいけどな。ホグワーツでやって、ホグワーツが勝つ。きっと盛り上がるはずだ。」

 

「ま、こっちの応援が多くなりそうなのは頼もしいけどよ。」

 

言いながら幹の内部に入ると……おー、面白いな。螺旋状にずっと上まで階段が続いているぞ。所々に吊り下げられている光る石を物珍しく思う私に、ドラコが注意を投げかけてきた。

 

「珍しい景色に見惚れるのは結構だが、偵察に来たことを忘れるなよ。ワガドゥかボーバトン。今日勝った方が三分の一の確率で次の相手になるんだからな。」

 

「僕たちも勝てば、の話ですけどね。」

 

「我々は何としてでも勝つ。だからその心配は不要だ、シーザー。」

 

「……ですね、余計なことを言いました。しっかり観て、後の試合に活かしましょう。そのためにもなるべく接戦になって欲しいところです。」

 

まあうん、そうだな。大差になれば先を見越して手の内を隠そうとするはずだ。少なくとも私ならそうする。その余裕が生まれないほどの僅差になってもらいたいもんだが……っと、危ない。考えている途中で足を踏み外したアレシアを支えてやると、彼女は真っ青な顔でお礼を寄越してきた。

 

「ひぅっ……ありがとうございます、マリサ先輩。」

 

「ほら、また余計な言葉が引っ付いてるぞ。チーム内では呼び捨てだろ?」

 

「あの……はい、マリサ。」

 

うーん、アレシアがモテる理由も分かる気がするな。私にはそっちの趣味など一切ないが、上目遣いで頬を染めて名前を呼んでくる彼女は確かに可愛らしく見えてしまう。どちらかと言えば妹的な存在に対する『可愛さ』だが。

 

さすがにチーム内の面々には歳が離れ過ぎていて通用しないだろうなと思う反面、同世代の男子が悩まされる原因を実感していると、先頭を進んでいたフーチが愚痴を呟いた。

 

「……恐ろしく長い階段ですね。こういう時こそ箒を使うべきでしょうに。」

 

「まあ、面倒くさいのには同意します。一度上るだけなら良い経験で済みますけど、試合の度にとなると嫌になってきそうな高さですね。」

 

「私はもう嫌になっていますけどね。……ようやく終点が見えてきました。ホグワーツならもっと楽な移動手段を用意──」

 

苦笑いで応じたシーザーにフーチが同意したところで、下の方からガタガタという音が近付いてくる。何事かと全員で立ち止まって下を覗き込んでみれば……なるほどな、ワガドゥの連中もバカではなかったというわけだ。

 

螺旋階段の中心の空洞を、ゆったりとしたスピードで昇ってくる昇降機。簡素な木の板を四隅に取り付けられたロープで引っ張っているだけらしいが、階段を上るよりも遥かに楽なのは間違いなさそうだ。何のロープかと思ったらこのためだったのかよ。

 

「……あったようですね、『もっと楽な移動手段』が。下をきちんと調べるべきでした。」

 

疲れ果てた声色でフーチが反省するのを他所に、昇降機に乗っているワガドゥの生徒らしき四人の男女は『何をしているんだ、こいつらは』という目付きで上る必要のない階段を上る私たちを見た後、幹の上部へと消えていった。なんだか知らんが負けた気分になるな。『エレベーターはこちらです』って目立つ色の看板でも立てとけよ。

 

「……行きましょう。ここまで上ったらもう後戻りは出来ません。」

 

どっと疲れが押し寄せてきた面々を、引率役どのが弱々しい声で導き始める。それに無言で従ってぐるぐると螺旋階段を上り、やがてたどり着いた階段の終わりには……こういう感じなのか。この木から直接削り出したらしい木製のベンチが並ぶ観戦スペースが広がっていた。一席一席が独立しているタイプではなく、横に長い椅子が階段状に並んでいる感じだ。

 

競技場側には大きな穴が空いており、不便なくフィールド全体を見渡せるだけの視界を確保できている。独特な木の香りが鼻を擽るその空間の中で、フーチが最前列の席へと進んでいった。

 

「悪くありませんね。この木はちょうど競技場の中央に位置しているようです。」

 

「あっちに階段があるし、もっと上の席もあるみたいだぞ。」

 

「私の経験上、この高さで観るのが一番のはずです。チェイサーが争うのはここからだと少し下くらいですし、無理をして上に行く必要はないでしょう。」

 

そういうもんか。穴の縁に手を乗せて下を覗くフーチに倣って、私も同じように見下ろしてみれば……高いな、これは。予想以上に遠い地面が目に入ってくる。ホグワーツの競技場でプレーするときよりもずっと高いぞ。

 

私の隣で同じ動作をしているドラコもそう感じたようで、難しい顔で懸念を述べてきた。

 

「……ここまで高いと戦術に差が出てきそうだな。ワガドゥが勝った場合、その点についても考える必要がありそうだ。」

 

「暗黙の了解で高度はある程度一定になってるはずなんだけど、ここはギリギリまで高くしているみたいね。」

 

「まあ、許容範囲じゃないかな。フィールドの大きさはきちんとしてるみたいだし、大きな高低差を利用するのはシーカーくらいでしょ? 僕としては上下のフェイントが得意だからむしろ助かるよ。」

 

初見の競技場を見渡しつつ議論する七年生三人を尻目に、ベンチに座って持参した『万眼鏡』のチェックを始める。前回のワールドカップの時に買ったやつだ。……来年にはもう次のワールドカップか。さすがにその次のが開かれる頃には幻想郷だろうし、是非とも観戦に行きたいところだな。

 

来年の一大イベントへと思考を飛ばしていると、何かを発見したような表情のギデオンが声をかけてきた。アレシアは椅子の硬さに顔を顰めており、シーザーは昇降機を調べに行ったらしい。

 

「マリサ、こっちの通貨を持ってないか? 上で何か売ってるみたいだぞ。」

 

「当然持ってないぜ。何かって何だよ。」

 

「知らんが、飲み物らしい。あっちを見てみろ。上に行ったヤツが何か持って戻ってきてるんだよ。」

 

ギデオンが指差す方向へと視線を送ってみれば……ふむ、確かに何か買ってるみたいだな。数名の観客たちが木のタンブラーのような容器を持って上階から下りてきている。気になるぞ。

 

「……イギリスの通貨じゃダメだよな、やっぱり。」

 

「ダメだろうな。諦めるか。」

 

「いっそダメ元で試してみようぜ。英語は通じるんだろ? 交渉すれば何とかなるかもしれないじゃんか。」

 

女は度胸だ。言い放ってから席を立って、付いてきたギデオンと共に短い階段を上ってみると、観戦スペースの隅に予想通り何かを売っているらしいカウンターがあるのが見えてきた。備え付けって感じではないし、他国からの客を持て成すための出店的なものなのかもしれない。だったらチャンスはあるはずだ。

 

「あーっと、ちょっといいか? イギリスから観戦に来てるんだが、こっちの通貨を持ってないんだ。どうにかならんかな?」

 

カウンターの奥に座っている三十代ほどの男性に聞いてみると、彼は眠そうな顔で肩を竦めて返答を口にする。ちょっと癖はあるものの、割と聞き取り易い英語でだ。

 

「代金はこっちの魔法使いさんから貰ってるから、必要な分だけ持っていってくれ。飲み物が無いと困るだろ? どうもあんたたちみたいな外国人を歓迎するために手配したらしいぞ。」

 

「それは助かるが……ひょっとして、あんたは魔法使いじゃないのか?」

 

「おいおい、俺にはそんな大層な力は無いよ。ワガドゥは良い取引先だが、ここの出身ってわけじゃない。俺は近くの村から飲み物を運んできて、そして売ってるだけさ。」

 

「そりゃまた、奇妙な話だな。連れの分も貰ってくぞ。」

 

タダだと言うのであれば貰っておこう。木のタンブラーを人数分取ってギデオンと手分けして持った私に、マグルだかスクイブだかの男性はのんびりした感じに微笑みつつ返事を返してきた。

 

「何が奇妙なもんか。俺の爺さんも、父ちゃんもここに飲み物を卸してたんだ。だから俺も卸すのさ。きっと俺の息子も、そのまた息子もな。」

 

「いやまあ、それに関しては文句なんてないわけだが……気にならないのか? 魔法。今から箒で空を飛ぶスポーツをやるんだぜ?」

 

「俺だってクィディッチくらいは知ってるよ。今日ワガドゥの代表がフランスの代表と戦うことも、スニッチを捕ったら百五十点ってことも、ビックバウンド・フェイントが成功率の低い大技だってこともな。」

 

機密保持法はどこに行ったんだよ。かなりマニアックなシーカーのフェイントのことを例に出した男性は、タンブラーをカウンターに補充しながら続きを語る。下手するとクィディッチに興味のない魔法使いより詳しそうだな。

 

「とはいえ、ペラペラと他所の連中に喋るつもりはないさ。その辺が心配なんだろ? ……ワガドゥとは大昔から持ちつ持たれつでやってるんだ。ここの生徒が動物に変身するって喧伝したところで、俺に何の利益がある? お得意先を失って困るだけだろうな。俺は飲み物を売って、魔法使いさんたちはそれを買う。ただそれだけの話さ。難しいことじゃない。」

 

「あー……まあ、何となくは分かったぜ。飲み物ありがとうな。」

 

そういう話でもないと思うんだが、兎にも角にもそれで上手く行っているらしいし、別に私が口を出すようなことでもないだろう。タンブラーを抱えた状態で階段に戻ると、ギデオンがそこを下りながら呆れたような声を投げてきた。

 

「よく分からなかったな。悪い関係じゃないことは一応理解できたが、あれは連盟的にはアウトなんじゃないか?」

 

「価値観がイギリスともリヒテンシュタインとも違うってことだろ。……どっかから秘密が漏れることを心配しちまうのは、私の心が汚いからなのかね。」

 

「当然の心配だと思うがな。俺だってそう感じたさ。……まあ、ワガドゥにはワガドゥの考え方があるわけだ。それだけはしっかり読み取れたぞ。」

 

「つくづくデカい土地だぜ。岩も、木も、度量もな。それが褒めるべき部分なのかは判断が付かんが。」

 

私たちから見れば危ういが、ある意味では真っ当でもある。そんな感じの関係だったな。そういえば歓迎会の時に帽子が歌ってたっけ。『自然の教えを施さん』って。確かに自然だ。手を加えていないからこその正しさと、だからこその不完全さを垣間見れた気分だぞ。

 

「ほらよ、飲み物を貰ってきたぜ。ワガドゥからの差し入れだ。」

 

チームメイトやフーチにギデオンと手分けしてタンブラーを配った後、席に座って口を付けてみると……おおう、独特。決して不味くはないが、美味いとも言い切れないような味が口の中に広がった。柑橘系プラス甘みってとこか? ベースになっている果物が何なのかもさっぱり分からんし、実に判断に困る味だ。

 

判断しかねる非魔法界との関係と、判断しかねるジュースの味。ここが遠く離れた『別の土地』であることを改めて実感しつつ、霧雨魔理沙は試合の開始を待つのだった。

 



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お医者さんごっこ

 

 

「もう出てきていいわよ、アビゲイル。到着したわ。」

 

急遽拡大魔法をかけたトランクの中に呼びかけながら、アリス・マーガトロイドは元に戻った自分の身体を確認していた。多少の違和感はあるが、この程度なら大丈夫そうだな。……僅か一日でこれか。一年近くもムーディに化けていたクラウチ・ジュニアは、案外凄い精神力を持っていたのかもしれない。

 

北アメリカからダイアゴン横丁の人形店に戻った私は、ポリジュース薬での変身を解いてエマさんにアビゲイルのことを説明した後、こうして彼女をトランクから出すべく呼びかけているのだ。アビゲイルは見事な作りの人形だが、球体関節ではさすがに目立ってしまう。だから道中はトランクの中に隠れてもらったのである。

 

ちなみにイギリスに着いた時点でリーゼ様はホグワーツへと戻ってしまったし、アピスさんはスイスの自宅に帰ってしまった。リーゼ様からは魔女のことをそれとなく聞き出せとの指令を、アピスさんからは自律する人形の調査報告が欲しいとの依頼を受けている。対価としてアピスさんは魔女の調査を継続してくれるそうだ。

 

まあ、別に文句はない。個人的にもアビゲイルが本当に『ゼロからの人工物』なのか、そして『心』があるのかは気になっている部分だし、どうせ調べてみるつもりではあったのだから。私の主題を誰かが達成しているかもしれないというモヤモヤ感。内心に漂うそれを自覚する私に、トランクからひょこりと出てきたアビゲイルが声をかけてきた。

 

「あれ? ……貴女、アリスなのよね? それが本当のお顔なの?」

 

「ええ、そうよ。どうかしら?」

 

「んー、私はそっちの方が好きよ。前のお顔はカッコいい感じで、今のお顔は可愛い感じ。私、可愛い方が好きだもの。髪と目の色もお揃いだしね。」

 

「ありがとう、嬉しいわ。……それと、こっちはエマさん。家の管理をしてくれているメイドさんなの。」

 

微細な好悪の判断。これは私でも再現可能な範囲だな。条件付けを細かくすれば不可能ではないはずだ。一々反応を分析してしまう自分に呆れながら、私たちのやり取りを隣で見守っていた熟練メイドさんのことを紹介してみると、ちょっと気後れするアビゲイルにエマさんが優しく微笑みかける。

 

「こんにちは、アビゲイルちゃん。エマです。よろしくお願いしますね。」

 

「よろしくお願いするわ。……アリスのメイドさんなの? ビービーにも『大人人形』のメイドさんが居たし、魔女はみんなメイドさんを雇っているのかしら?」

 

「私のというか、リーゼ様に仕えているメイドさんね。私もある意味では仕えているようなものだから、同僚って関係に近いわ。」

 

「そうなの? ……そのアンネリーゼはどこ? アピスも居ないわ。」

 

キョロキョロとリビングルームを見回すアビゲイルに、苦笑しながら返事を返す。好奇心が隠し切れていないな。外に出たことがないと言っていたし、平々凡々とした私の家ですら興味津々なのだろう。

 

「アピスさんは別の場所に住んでいるのよ。リーゼ様はまあ、学校に行ってるの。全寮制の魔法学校にね。」

 

「魔法学校? 何だかとってもワクワクする響きね。……もしかして、ビービーはその学校に居たりしない? 家を出る時に魔法の勉強をしに行くって言ってたの。」

 

「残念だけど、その学校に居ないことは確認済みよ。」

 

「……そっか、残念だわ。」

 

花が萎れるようにしょぼんとしてしまったアビゲイルへと、エマさんが軽く手を叩いて話しかける。悲しみ。ここも表面上の再現は可能な部分だ。……表面上だけなら、だが。

 

「まあ、とにかく座ってください。そのクマさんはお友達ですか?」

 

「ティムよ。今は喋れないし動けないんだけど、アリスが直してくれるの。エマにも羽があるのね。アンネリーゼと同じ吸血鬼ってこと?」

 

「ハーフですけどね。人間と吸血鬼の真ん中くらいの存在ってことです。」

 

「そうだったの。……凄いわ、窓から人が見える。あれって人形じゃないのよね? つまり、普通の人たちなんでしょ?」

 

テーブルに移動する途中で通りに面する窓を覗いたアビゲイルは、そこから見える夕暮れ時のダイアゴン横丁の景色にほうと息を吐く。そういえば魔女の工房は高い塀に囲まれていたな。こういった人通りを目にするのも初めてなんだろうか?

 

「人間ですよ。というか、魔法使いですね。ここは魔法族の商店街ですから。」

 

「魔法使い? あれが全部魔法使いなの? ……ヘンな感じだわ。みんなビービーやアリスと同じってこと?」

 

「んーっと、魔女とは少し違いますね。私が吸血鬼と人間の中間にある存在なように、彼らは魔女と人間の中間に位置する人たちって感じです。……この説明で分かりますか?」

 

「魔女の方が魔法使いより凄いってことね? でもでも、魔法を使えるだけで私から見れば凄い人たちだわ。それがあんなに沢山居るだなんて。」

 

エマさんの噛み砕いた説明を受けてぽかんと口を開けたアビゲイルは、窓越しに通行人たちへと手を振り始めた。それにエマさんと二人で苦笑した後、テーブルに着いて追加の解説を放つ。

 

「今は魔法で家を見えなくしてあるから、向こうからはこっちが認識できないわよ。」

 

「あら、残念だわ。ビービーが読んでくれた本にこういうシーンがあったの。窓から手を振る女の子に、新聞配達の男の子が毎日手を振り返してくれるのよ? そうすると女の子は嬉しくなるんですって。それを試してみたかったんだけど、見えないなら無理そうね。」

 

「新大陸でもロマンスの形は変わらないんですねぇ。……お茶を淹れましょう。アビゲイルちゃんは何がいいですか? ジュースもありますよ?」

 

「ごめんなさい、私は飲めないの。お腹の中が壊れちゃってるから。」

 

おっと、そういえば向こうの家でもそんなことを言っていたな。エマさんに応じたアビゲイルに、彼女のお腹を指差して問いを送る。上手く動かないらしい左足も気になるし、一つ一つ対処していこう。

 

「それも直せるかもしれないわ。どんな風に壊れちゃったの?」

 

「本当? えっとね、えっと……見せた方が早いわ。ちょっと待っててね。」

 

言うとアビゲイルは抱えていたティムをテーブルの上に座らせて、席を立ってエプロンドレスを豪快に脱ぐと、真っ白なお腹を……開くのか、そこ。短めのドロワーズの上の下腹部を開いて私に見せてきた。極限まで目立たないようにはなっているものの、服で隠れていた胴体部にはいくつか継ぎ目らしきものがあるな。ぱっと見は少女の裸身そのものだが。

 

「このタンクが割れちゃってるのよ。何かを食べると、ここに落ちてくるようになってるの。」

 

「見せて頂戴。……銅かしら? だけど、それにしては随分と軽そうね。錫? 何にせよ金属ではあるみたいだけど。」

 

「私には分からないわ。直せそう?」

 

「直すというか、全く同じ規格の物を作り直した方が良いのかも。それでもいい?」

 

下腹部の中に嵌っていた容器。壺のような形のそれをチェックしながら聞いてみると、アビゲイルはこっくり頷いて了承してくる。ちなみに球体関節になっているのは肘、手首、膝、そしてソックスで隠れている足首の四箇所だけらしい。その四箇所と同様に広い可動域を確保しなければならない首や肩、それに股関節が球体関節じゃないのは何故なんだ? 内部に関節用のスペースを確保できるか否かということなんだろうか? 指や腰なんかも人間そのものだし、どこかチグハグだな。

 

「構わないわ。……あの、アリス? どうしてお尻を触るの? しかも、そんなに熱心に。」

 

「股関節の作りをチェックしているのよ。他意は無いわ。それと、ちょっとだけ内部を確認させてもらってもいいかしら? 接合部がどうなってるのかを知っておかないとね。合わなかったら大変だもの。」

 

「いいけど……この格好は恥ずかしいから、ササっとお願いね。」

 

椅子に座り直して許可してくれたアビゲイルに近付いて、小さなお腹の中を調べてみれば……うーん、そこまで複雑な作りではないな。口からこのタンクまでは直通らしい。声帯の代わりっぽい部品もここから覗いた限りでは見当たらないし、発声には予想通り魔術的な仕組みを使っているようだ。

 

ついでに胸の内部も覗き込んでみると、むしろ腕部の動作を補助するためにスペースを使っていることが確認できた。タンクがあった場所の少し下……人間で言う骨盤の部分には脚部用の同じ物があるし、可動人形としてはある程度常識的な胴体の構造をしているな。やはり肩や股関節はスペースを確保できるから関節を内蔵型にしており、肘や手首なんかはそれが無理だったから球体関節にしているのか。

 

今のところ人間を素材にしている様子はゼロだが、魔術的な補佐を受けている面が大きいことは理解できたぞ。身体が普通の人形であればあるほど、ここまでリアルな動作をするためには複雑な術式が必要なはず。内部には木製の部品が多いし、それが劣化していないのも魔法のお陰だろう。タンクだけが壊れてしまったのは外部から物質を取り入れる部分だったからかな? 魔法による保護が腐食に追い付かなかったとか? その線で考えると、左足の故障は外的な原因があるということになりそうだ。

 

ふむ、交換した後で元のタンクも一応調べておくか。肌の素材も気になるし、内部が終わったら外部も確認しないと。人形作りとしての好奇心に身を任せて内部をチェックしていると、アビゲイルが私の肩を押しながら注意を投げかけてくる。

 

「ア、アリス、恥ずかしいってば。どうしてそんなにジロジロ見るの?」

 

「へ? ……ああ、ごめんなさいね。私もほら、人形作りだから。どうしても気になっちゃうのよ。」

 

「でも、もうダメ。女の子のお腹の中をジッと見るのはマナー違反だわ。自分じゃあまり掃除できないから見られたくないのよ。」

 

見学は終了とばかりにお腹を閉じてしまうアビゲイルのことを、至極残念な気持ちで見守っていると……いつの間にか戻ってきていたエマさんが、ティーポット片手に少し呆れたような顔で声を上げた。

 

「アリスちゃん、それはさすがにダメですよ。小さな女の子の下腹部を強引に見るだなんて、結構ギリギリの行為です。」

 

「いやいや、それは語弊がありますって。修理のためですよ。人間で言う医療行為じゃないですか。」

 

「要するに、お医者さんごっこですか。……これはお嬢様に報告する必要がありますね。」

 

「エマさん? 冗談ですよね?」

 

人形作りが人形をチェックしているだけじゃないか。頰に手を当てて憂いを帯びた表情になっているエマさんに、慌てて言い訳を放ってみれば、彼女は曖昧に首肯してから無言で紅茶をカップに注ぎ始める。どういう意味の首肯なんだ? 全然分からないぞ。

 

そんな私たちのやり取りをきょとんとした顔で見つめていたアビゲイルは、再びエプロンドレスを身に纏ってから質問を口にした。エマさんが紅茶と一緒に持ってきたお茶菓子のクッキーに目を奪われながらだ。

 

「あのね、アリス。ビービーにはいつ頃会えそう? 探してるのよね? ……久々に誰かと話してたら、なんだかいつもより会いたくなってきちゃったの。」

 

「いつになるかはちょっと約束できないわ。夏頃から探しているんだけど、中々手掛かりが掴めないのよ。」

 

「そもそも、アリスたちはどうしてビービーを探してるの? 同じ魔女だから? ……ビービーも魔女を探してた時があったわ。物凄く長生きの魔女さんを。やっと見つけて会いに行った時は嬉しそうだったのに、帰って来たらしょんぼりしてたの。訳は話してくれなかったけど。」

 

魅魔さんのことか。怪訝そうに首を傾げるアビゲイルへと、ぼんやりとした返答を返す。私のことを狙っているから、その対処のために探しているとは言わない方がいいだろう。

 

「えっとね、私は……そう、ベアトリスから『招待状』を受け取ったのよ。だから探しているの。」

 

「招待状?」

 

「というか、挑戦状って言うべきかしら? 探してみろっていう挑戦状。ゲームみたいなものね。」

 

「つまり、アリスはビービーと遊んでるのね? ……羨ましいわ。私もビービーと遊びたい。一人遊びはもうやり尽くしたもの。」

 

家で一人で遊んでいた時のことを思い出しているのだろう。落ち込んだ顔付きになってしまったアビゲイルを見て、その隣に座ったエマさんがピンと立てた人差し指を近付ける。

 

「じゃあ、私と遊びましょうよ。ベアトリスさん? の代わりにはなれませんけど、ボードゲームはそこそこ得意なんです。」

 

「……いいの?」

 

「勿論ですとも。チェスは知ってますか? ゴブストーンとか、オセロとか、トランプもありますよ。」

 

「トランプは知ってるわ。でも、チェスは難しくてよく分からないの。オセロとゴブストーンは聞くのも初めてよ。」

 

嬉しそうに身を乗り出すアビゲイルに、エマさんがゴブストーンゲームの説明をし始めた。楽しそうに話す二人を横目にしつつ、紅茶を飲んで一息つく。身体は完全に人形だが、会話した印象は人間のそれだな。

 

私の人形も感情表現の面で近いことは出来るが、会話させるのはまた別の話だ。……あー、難しいぞ。こうなってくると頭部を詳しく調べてみたいが、強引にそれをするのは気が咎める。先ずはメンテナンスを任せてくれるくらいの信頼を得ることを目標にするか。

 

信頼。果たして私は作った人形にその感情を持たせることが出来るのだろうかと自問しつつ、アリス・マーガトロイドはちょびっとだけアンニュイな気分でティムの鼻をちょんと突くのだった。

 



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冬の夜

 

 

「だからよ、準決勝に進むのはワガドゥ、イルヴァーモーニー、マホウトコロ、ホグワーツの四校ってこった。」

 

まだホグワーツは決まっていないぞ。ソファに全身を預けながら言ってくる魔理沙に首肯しつつ、サクヤ・ヴェイユは妨害魔法を妨害する魔法がかけられているビデオカメラの映像をチェックしていた。マクゴナガル先生とフリットウィック先生とバーベッジ先生が協力して、ホグワーツ内でも動かせるようにと魔法をかけてくれたらしい。……ちなみに私が気になっているのはイルヴァーモーニー対カステロブルーシュの試合内容ではなく、チラチラと映り込む競技場周辺の景色である。南米の魔法使いたちはこういうところで学んでいるのか。

 

十一月も下旬に差し掛かった寒い日の夜、魔理沙たち代表チームが一回戦第二試合の偵察から帰ってきたのだ。イルヴァーモーニー対カステロブルーシュは180対130でイルヴァーモーニーの勝利。先に行われた第一試合はワガドゥの勝ちだったので、あとは一週間後に行われるホグワーツ対ダームストラングの第三試合を残すのみ。いよいよホグワーツも来客に備えて忙しくなってきそうだな。

 

どんどん神経質になるフィルチさんの所為でロン先輩がうんざりしていたことを思い出す私に、旅の疲れからか眠そうになっている魔理沙が話を続けてきた。片道の移動にポートキーを三回も使ったそうだ。南米の遠さを改めて実感する逸話だぞ。

 

「正直言ってカステロブルーシュの方がチェイサー陣は強かったが、イルヴァーモーニーはシーカーの腕がずば抜けてたな。あいつのフェイントが無けりゃスニッチを捕っても負けてたぜ。」

 

「ポッター先輩よりも上手いの?」

 

「どうかな。フェイントだけで言えばイルヴァーモーニーのシーカーが上かもしれんが、ハリーは基本的な箒の扱いが上手いから……まあ、キャッチ勝負になれば勝てるだろ。むしろ気を付けるべきは私たちチェイサーだ。一々フェイントに反応してたら勝負にならんぜ。」

 

「ふーん。」

 

私の『よく分からない』という感情を汲み取ったのだろう。苦笑いを浮かべた魔理沙は、億劫そうに身を起こして話題を変えてくる。少し離れたテーブルに居るロン先輩とハーマイオニー先輩、そしてリーゼお嬢様の方を見ながらだ。ポッター先輩は疲れからか既に男子寮へと姿を消してしまった。

 

「よっと。……それで、ハーマイオニーとロンは何をしてるんだ?」

 

「勉強よ。ハーマイオニー先輩はイモリ対策で、ロン先輩は闇祓いの試験対策。リーゼお嬢様は二人の手伝いね。」

 

「どこもかしこも大忙しだな。……そういえば、例のお札はどうなったんだ? リーゼがどっかから入手してきたやつ。ラメットたちに貼り付けてみたんだろ?」

 

「全員『シロ』よ。一応チェストボーン先生にも貼り付けてみたけど、一切反応しなかったわ。新任教師の中に人形は居ないってことね。」

 

魔理沙が言っているのは、リーゼお嬢様がこの前何処かから仕入れてきた『退魔のお札』のことだ。お嬢様ですら触れないほどの強力な品らしいが、純然たる人間には何の害も無いということで、私が時間を止めて怪しい人に貼り付けてみることになったのである。

 

服の上からでも問題ないそうなので、背中に貼り付けた後に一瞬だけ時間を動かして確認するという作業を新任の三人にやってみたわけだが、全員が全員何の反応も示さなかった。安心したような拍子抜けしたような気分で答えた私に、魔理沙もまた微妙な顔付きで応じてくる。

 

「ま、ホグワーツが安全なようでなによりだ。となると残る手掛かりは人形店に居る人形だけか。」

 

「私は心配よ。敵が作った人形を家に入れちゃって大丈夫なのかしら?」

 

「直接見てないから断言できんが、リーゼの話を聞く限りでは大丈夫そうに思えたぞ。」

 

「リーゼお嬢様の判断を疑うわけじゃないけど、『可哀想な人形』のフリをしてるって可能性もあるわけでしょ? ……人形店にはエマさんが居るから、そう簡単に妙なことは出来ないでしょうけどね。」

 

エマさんは常々自分が戦闘に向いていないと主張しているが、美鈴さん曰く『いざとなればそこそこ出来る』メイド長だ。こと荒事に関しては美鈴さんの審美眼は紅魔館一だし、仮に人形が暴れ出しても大丈夫なはず。アリスだって普通に強いわけなんだから、人形だらけの『自分の工房』の中ならそこまで危険はないだろう。

 

ぼんやり考えながらいつの間にかついていた制服のシワを伸ばしていると、パチパチと音を鳴らす暖炉を見つめている魔理沙がポツリと呟く。本格的に眠くなってきたらしいな。目がとろんとしているぞ。

 

「ホームズの方はどうなってんだろうな?」

 

「よく分からないわ。イギリスでの捜査は実質停止状態になってるけど、予言者新聞には目立った記事がないし……ああもう、ベッドに行きなさいよ。寝ちゃいそうじゃない。明日も朝練はあるんでしょう?」

 

「あー……そうすっか。」

 

相変わらず眠いと口数が減るな。のそりと立ち上がって素直に女子寮への階段を上っていく魔理沙を見送ってから、リーゼお嬢様たちが居る方へと移動する。少なくとも今週いっぱいはクィディッチに集中させてあげよう。試合当日までは忙しくなるだろうし。

 

宿題を写させてあげるために早めに仕上げておこうと決意した私に、リーゼお嬢様が隣のスペースをぽんぽんと叩きながら声をかけてきた。

 

「魔理沙は寝たのかい?」

 

「疲れてるみたいでしたから、もう休ませました。羊皮紙とペンを貸してもらえませんか? 変身術のレポートを早めにやっておこうかと思いまして。」

 

「んふふ、魔理沙のためか。優しい子だね。」

 

お見通しだな。照れ臭い気分でリーゼお嬢様に曖昧に頷くと、向かいのソファに座っているロン先輩がビデオカメラを指差して声を放つ。

 

「僕にも見せてくれ、試合。練習試合の時にイルヴァーモーニーのキーパー役は僕がやることになってるんだ。動きをなぞれるようになっておかないと。」

 

「ダメよ、ロン。魔法法の勉強をあと四ページはやるって約束したでしょう? 『ご褒美』はそれが終わってからよ。」

 

「……うんざりだよ。法律の勉強までしないといけないとは思わなかったぞ。こんなの学生がやる内容じゃないだろ?」

 

「言っておきますけど、試験を通ったら闇祓いの訓練課程でもっと本格的なのをやるんですからね。魔法法を守らせるための組織なんだから、魔法法について詳しくないといけないのは当然でしょう?」

 

うーむ、法律か。イメージだけでも難しそうな内容だな。ロン先輩が見ている参考書をちらりと覗き込んでみれば……これはまた、ちんぷんかんぷんだぞ。『ヒトたるものの基本的な権利と、魔法法による特例』というページを勉強しているらしい。

 

頭が良さそうなことを勉強しているなと、頭が悪い感想を抱いている私に、ハーマイオニー先輩が苦笑しながら説明をしてくれた。

 

「タイトルは大仰だけど、そんなに難しい内容じゃないわよ。イギリス魔法界で生活していれば何となく知ってるような項目ばかりだわ。」

 

「そうなんですか。……ハーマイオニー先輩も法律を勉強してるんですか?」

 

「一応ね。魔法法執行部も希望進路の一つだから、最低限の範囲は理解しておく必要があるのよ。規制管理部と国際協力部の方は入省してからで問題ないみたいだけど。」

 

「国際協力部は何となく分かりますけど、規制管理部は意外ですね。」

 

その三つが進路の候補なのか。魔法生物にはそんなに関心がないと思ってたんだけどな。かっくり首を傾げる私へと、ハーマイオニー先輩は肩を竦めながら理由を教えてくれる。

 

「『ヒトたるもの』以外の権利についての問題提起をしたいのよ。まだまだぼんやりとしたイメージしかないんだけどね。……だけど、悩ましいわ。国際情勢にも興味があるし、古い魔法法の改正だってしてみたいから、どこを目指すかを未だに決めかねてるの。」

 

「私は執行部か協力部を推すけどね。執行部は誰もが認める出世コースだし、協力部はこれからどんどん重要になっていくだろうさ。先ずどちらかで地位を手に入れて、それからやりたいことに取り組めばいいじゃないか。」

 

「そうなんだけど……うん、何にせよ時間はかかるでしょうね。気の遠くなる話だわ。」

 

「それが人生さ、ハーマイオニー。私の伝手を使えば『近道』だって不可能じゃないが、それは嫌なんだろう?」

 

呆れたように問いかけるリーゼお嬢様に対して、ハーマイオニー先輩は断固とした口調できっぱり回答した。

 

「コネは不要よ。自分の力でやりたいの。」

 

「私は賛成しかねるけどね。目的のためなら手段を選ばない。それが一流の実行者ってもんだよ。レミィもゲラートも必要なら近道をすることを躊躇わなかったぞ。重要なのは目的を達成することであって、過程で胸を張るのは二の次なわけだ。」

 

「その考え方は理解できるわ。正々堂々頑張ったところで、成就しなかったら無駄になるってこともね。それでも『バカ正直』にやってみたいの。……世間知らずな子供の思考だと思う?」

 

「思うが、同時にキミらしいとも思うよ。……何にせよ、私の意見よりもキミの決断を優先したまえ。友人として精一杯の助言はさせてもらうが、結果を背負うのは他ならぬキミ自身なんだから。」

 

大人びた笑みでアドバイスするリーゼお嬢様に、ロン先輩が感心したような顔で口を開く。

 

「リーゼってさ、アドバイスはしても押し付けないよな。ママなんてああしろこうしろって断言するのに、リーゼは最終的には相手に決定権を委ねるだろ? そういうところは大人に見えるよ。」

 

「父上の教えさ。自分を理解できるのはこの世で自分だけなんだから、決断だけは自分でしろと教えられたんだ。どんな優秀な医者も患者の痛みを確認できないし、自身を愛する伴侶でさえも喜びの大きさは明確に共有できない。そう言ってたよ。」

 

「随分と現実的な言葉ね。理知的な方だったの?」

 

興味を惹かれたらしいハーマイオニー先輩の質問に、リーゼお嬢様は何かを思い出すように遠くを見つめながら首肯した。大旦那様か。どんな方だったんだろう?

 

「ジョークこそ下手だったが、私が知る中で最も賢い吸血鬼だったよ。物事には常に原因と過程があり、結果だけを見て判断するのは愚かなことだと常々言っていたんだ。この世には結果だけを語る愚者が多すぎるから、賢く生きたいなら常に原因を探れとね。」

 

「尤もな名言ね。私も同意見だわ。」

 

「あとは……そうだな、家を存続させるコツも教えてくれたよ。『卑怯たれ、狡猾たれ、臆病たれ』ってね。それが上に立つ者としての気質なんだそうだ。得てして生き残るのは自信に満ちた者ではなく、慎重に調べながら進む臆病者だと。」

 

「何となくレミリアお嬢様を連想させる言葉ですね。」

 

言いそうだし、似合う気がするぞ。レミリアお嬢様はああ見えて準備を怠らないタイプなのだ。私が思わず上げた声を受けて、リーゼお嬢様はくつくつと笑いながら頷いてくる。

 

「父上はそもスカーレット家の吸血鬼だからね。レミィと似ているのは当然のことさ。……そんな慎重な父上と、果断な母上との間に生まれたのが私ってわけだ。」

 

「凄く納得できる結果ね。……若干お母様の方に似た感じはあるけど。」

 

「家の中では母上の方が『強者』だったわけだし、宜なるかなってところだよ。父上の筋道立った理性は、母上の怒涛のような感情に勝てなかったわけさ。」

 

「そこは吸血鬼の家も人間の家も同じだな。うちのパパとママもそうだしさ。」

 

ハーマイオニー先輩とロン先輩が苦笑いで応じたところで、リーゼお嬢様はパンと手を叩いて空気を入れ替えた。『卑怯たれ、狡猾たれ、臆病たれ』か。覚えておこう。主人を守るメイドとしても必要な信念であるように思えるし。

 

「さて、休憩の雑談はこの辺にしておこう。時間は有限だぞ、三人とも。イモリもフクロウも闇祓い試験も延期されたりはしないはずだ。タイムリミットは残り半年とちょっと。それを忘れないようにしないとね。」

 

「……もう二ヶ月以上も使ってるんだもんな。逆転時計が欲しいよ。今回は心からそう思う。」

 

「みんなそう思ってるわよ。」

 

疲れたように呟いてから机に向き直った先輩二人を見て、私も気合を入れ直して羊皮紙へとペンを走らせる。私は魔理沙と違ってイモリも受ける気なんだから、フクロウで躓くわけにはいかないぞ。しっかり勉強しておかないと。

 

五年生はやけに時間の進みが早いなとため息を吐きつつ、サクヤ・ヴェイユは停止魔法の効果についてを書き連ねるのだった。

 



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名による絆

 

 

「これはまた、大したもんじゃないか。お祭り騒ぎだね。」

 

並ぶ出店、派手な装飾の数々、そして彼方此方で弾ける花火。『お祭り会場』へと様変わりしているホグワーツの校庭を歩きながら、アンネリーゼ・バートリは苦笑いを浮かべていた。マクゴナガルめ、思っていたよりもユーモアを感じる状態に仕上げてきたじゃないか。ちょっと感心したぞ。湖のほとりで眠っているダンブルドアもこれなら満足だろうさ。

 

今日は十一月の最後の日。要するに、ホグワーツ対ダームストラングの試合が行われる当日である。昨夜開かれたダームストラング代表陣の歓迎会は大人しめの内容だったが、試合当日は遠慮なく騒ぎまくることにしたらしい。ホグワーツ生たちも出店を巡って財布の中身を空にしているようだ。

 

『食べられる闇の印』を頬張っているハッフルパフの下級生たちを見て、双子も出店を出していることを確信する私へと、隣を進むハーマイオニーが相槌を打ってきた。若干呆れたような半笑いでだ。

 

「無許可の出店じゃないことを願うばかりだわ。間違いなく百以上はあるわね。」

 

「まあ、警備もそこそこ気合が入ってるようだし、心配するほどじゃないだろうさ。やっぱりイギリス人が多いね。」

 

「そりゃあ母校代表の試合が母校で行われるんですもの。イギリス魔法界の誰もが観に来るはずよ。……何か買っていく?」

 

「折角だし、見て回ろうか。」

 

ハーマイオニーに頷いてから、カラフルなテントの出店を回っていく。ちなみに咲夜はジニーやルーナと一緒に行動していて、ハリーと魔理沙は選手控え室で試合に向けての最終確認をしており、ロンはその手伝いをしているらしい。細々とした雑用なんかを買って出たようだ。

 

正午の試合開始までは約二時間あるが、この分だと席を取れるかが怪しいし、適当な出店で昼食を買って早めに競技場に向かうべきかな。一応生徒は平時通りに大広間でも食べられるわけだが、のんびり食べていたら地上で立ち見になりかねないだろう。

 

そんなことを考えながらハーマイオニーと出店を覗いていると、背中に聞き覚えのある声が投げかけられた。

 

「ありゃ、バートリさん。久し振り!」

 

「おや、ニンファドーラとルーピンじゃないか。キミたちも観戦に来たのかい?」

 

「リーマスは休みだし、私はまだ育児休暇中だからね。他の闇祓いは警備してるからちょっと申し訳ないけど、楽しませてもらおうと思ってさ。」

 

息子を抱いた『本物の』ニンファドーラの隣で、ルーピンもぺこりと目礼してくる。やはり本物は違うな。アリスバージョンと違ってしっくりくるぞ。見ず知らずの人間であればともかくとして、知っている人間に化けるのは中々難しいことのようだ。

 

「シリウスも来ていますよ。ホグワーツに到着するや否や、最前列を確保しに競技場に行ってしまいましたが。」

 

「想像に易い行動だね。……やあ、おチビ。キミまで応援カラーの服か。」

 

「とっても可愛いわ。よく似合ってるわよ、テディ。」

 

本人はムスッとした顔だし、気に入っているわけではないようだな。どこで買ったのやら、カラフルな四色のホグワーツカラーの服を着ているおチビにハーマイオニーと二人で声をかけた後、ニンファドーラにこの前の『入れ替わり』の礼を送った。

 

「この前は助かったよ、ニンファドーラ。不便をかけて悪かったね。」

 

「ううん、全然平気。テディったら早くもハイハイを覚えちゃって、手間が二倍かかるようになったの。どっちにしろ目が離せないから、家に居るのは苦じゃないよ。何でもかんでも口に入れちゃうんだもん。……昨日なんて、私がちょっと目を離した隙にフルーパウダーを食べちゃうところだったんだから。アリスさんの人形が止めてくれなかったら危なかったよ。」

 

「『子育てちゃん』が役に立っているようで何よりだよ。……人間の赤ん坊ってのはみんなそうなのかい?」

 

今もプラスチックのおもちゃのような物を齧っているおチビを横目に聞いてみると、ルーピンが苦笑しながら曖昧に首肯してきた。フルーパウダーを食おうとするのはかなりアホだな。記憶は全くないが、生後半年の私はもっと賢かったはずだぞ。多分。

 

「この子はやや好奇心が旺盛な性格みたいですけど、口に何かを入れようとするのは珍しくないそうです。……ハーマイオニー、気を付けてくれ。指も齧ろうとするから。加減してくれないから結構痛いぞ。」

 

「もう乳歯が生えてきてるんですね。ハイハイも早い方なんじゃないですか?」

 

「みたいだね。嬉しいような、困るような、複雑な気分だよ。」

 

「リーマスが全然叱ろうとしないから噛み癖がついちゃってるみたい。困ったもんだよ、本当に。」

 

夫をじろりと睨め付けながらボヤいたニンファドーラは、手馴れた動作でおチビのヨダレを拭いてから別れを告げてくる。すっかり母親だな。

 

「んじゃ、私たちは校舎の方に行ってくるね。リーマスと一緒に先生たちに挨拶してこないと。」

 

「じゃあね、テディ。また会いましょ。」

 

「さらばだ、エドワード閣下。フルーパウダーは食べないように。」

 

ハーマイオニーと私の挨拶を理解しているのかいないのか、応じるように手をにぎにぎしたおチビを抱いたルーピン夫妻が遠ざかっていくのを見送って、二人で出店巡りを再開した。

 

「可愛かったわね、テディ。」

 

「まあ、前に見た時よりも人間っぽくはなってたね。進化してたって感じだ。」

 

「独特な感想すぎるわよ、それ。……赤ちゃんは可愛いと思うけど、自分が母親になってる姿は想像できないわ。スーツを着て働いてる姿なら簡単なのに。」

 

「んふふ、なるようにしかならないさ。ニンファドーラだってまさか母親になるとは予想していなかっただろうし、きっとそういうものなんじゃないかな。」

 

おっと、美味そうなサンドイッチの出店があるぞ。そちらに視線を奪われながら言った私へと、ハーマイオニーがしみじみとした声色で提案を寄越してくる。

 

「ねえ、リーゼ。もしもよ? もしも私が誰かと結婚して、そして子供を産んで、その子が女の子だったら……名付け親になってくれない?」

 

「……私がかい? 吸血鬼だぞ、私は。」

 

「そんなの関係ないでしょ。……私、昔は名付け親って仕組みが嫌いだったの。子にとって重要なはずの名前の決定権を他人に委ねるだなんて、親としての義務の放棄みたいで気に入らなかったのよ。だけど、ハリーやサクヤを見て考えが変わったわ。ハリーはブラックさんが、サクヤのお母様はマーガトロイド先生が名付けたわけでしょう? ……自分の子供を守るために、信頼している人との血縁以外の繋がりを持たせる。それは結構頼りになるものなんだって思い直したわけよ。」

 

名による絆か。確かにそれは私たちにとって身近なものだ。ブラックなんかは言わずもがなだし、アリスは名付け子の娘である咲夜を非常に可愛がっており、永く生きた妖怪である美鈴ですら自分が名付けたということで咲夜を特別視している節があった。

 

『実例』の数々を思って同意の頷きを返した私に、ハーマイオニーはちょびっとだけ恥ずかしそうな笑みで話を纏めてくる。

 

「ということで、私はリーゼに頼みたいの。貴女が名付け親になってくれるなら安心よ。私と違って何があっても死にそうにないしね。子供のことを任せられるわ。」

 

「……縁起でもないことを言わないでくれたまえ。」

 

「一応よ、一応。備えあれば憂いなし、でしょ? ……まあ、まだ結婚すら想像できないし、ずっと先の話でしょうけどね。ゆっくり考えておいて頂戴。」

 

思い出すのはアリスがヴェイユから名付けを頼まれた時のことだ。あの時アリスが図書館の本を読みまくって名前を考えているのを見て、私はどうしてそこまで必死になるのかが理解できなかったが……なるほどな、ようやく分かったぞ。そりゃあ必死にもなるだろうさ。

 

血ではなく、名で繋がった娘。もう一人の母親か。名付けによって背負うということなのだろう。名付け親を任された信頼の重さと、子の守護者としての大きな責任を。

 

今では随分と重く感じるそれのことを考える私に、ハーマイオニーはサンドイッチの出店を指差しながら促してきた。

 

「ほら、あの店が気になってたんでしょう? 見てみましょうよ。種類が沢山あるみたいよ?」

 

「……ん、そうだね。」

 

重いが、同時に嬉しくもある。アリスやブラックなんかもこんな気持ちになったんだろうなと苦笑しつつ、出店の方へと歩を進めた。まあうん、ハーマイオニーの言う通り、彼女の子供なんてまだまだ先の話だろう。考える時間はいくらでもあるさ。

 

いつかその日が来ることを想像しながら、アンネリーゼ・バートリは名付けのセンスを磨いておこうと決意するのだった。

 

 

─────

 

 

「……ルーナ、それは外しておいた方が良いと思うわ。本当の意味を理解してる人は少ないでしょうから。」

 

嘗て無いほどに混み合っているクィディッチ競技場の観客席で、友人が首から下げているペンダントを指差しながら、サクヤ・ヴェイユは忠言を放っていた。どうやら死の秘宝のマークを模したペンダントらしいが、多くの魔法使いにとっては『ゲラート・グリンデルバルドの紋章』であるはずだ。他国の魔法使いが多い中ではあまりお勧め出来ないぞ。

 

ジニーとルーナと三人で校庭の出店を巡った後、競技場の席をなんとか確保したわけだが……幾ら何でも混みすぎだな。最前列なんかはとっくに埋まっていたため、そこそこ後ろの方の席になってしまった。おまけにリーゼお嬢様たちのことも見つけられなさそうだとため息を吐く私に、ルーナがきょとんとした顔で返事を寄越してくる。

 

「ダメかな? これ。」

 

「だって、ゲラート・グリンデルバルドを連想しちゃうでしょう? 私は死の秘宝のことを知ってるから分かるけど、普通の魔法使いはそうじゃないはずよ。グリンデルバルドを嫌ってる人間はまだまだ多いわ。」

 

「サクヤがそう言うならそうなのかも。パパが最近死の秘宝に夢中だから、私も着けてみただけなんだ。外しておくよ。私は別に好きってほどじゃないしね。」

 

……私がそのうちの一つを所有していると言ったらどんな顔をするんだろうか? 今や単なる『星見台への合鍵』になっている蘇りの石。レミリアお嬢様が詳細を話してくれたそれのことを思い出していると、ポップコーンを食べているジニーが感心したように話しかけてきた。

 

「それ、童話に出てくる死の秘宝のマークなの? サクヤはよく知ってたわね。私もグリンデルバルドの紋章だとばっかり思ってたわ。」

 

「パチュリー様が詳しかったのよ。ニワトコの杖と、透明マントと、蘇りの石。枠になってる三角がマント、縦の線が杖、丸が石を表しているんですって。」

 

「うん、そうだよ。パパは実在してるって言ってた。私はあんまり興味がないけど、面白い伝説だとは思うな。だって、どれを欲しがるかでその人の望みが分かりそうだもん。」

 

「あら、それは確かに面白そうね。せーので一番欲しい秘宝を言ってみましょうよ。」

 

なんだそりゃ。まあ、別にいいけど。ルーナに応じたジニーの言葉を受けて、彼女の合図と共に一斉に口を開く。

 

「杖かしら。」

 

「私はマント。」

 

「蘇りの石。」

 

ふむ、綺麗に分かれたな。私が杖で、ジニーがマントで、ルーナが石だ。全員で顔を見合わせてから、それぞれの理由を口にした。

 

「やっぱり杖よ。最強の杖。お嬢様方の役に立つには、それが一番有用そうだわ。」

 

「私はマントが一番だと思うけどなぁ。だってほら、ハリーが持ってるやつって便利そうでしょ? 大事な人を守るためならそっちの方が使えそうじゃない?」

 

「私は石が一番だと思う。ママともう一度話せたら楽しそうだもん。パパもそう思って死の秘宝に興味を持ったんじゃないかな。」

 

ジニーはポッター先輩が持っているマントこそが死の秘宝の一つだとは思っていないのだろう。そりゃあ普通はそう思うか。透明マントという物自体はそこまで珍しい魔道具ではないのだから。魔法界ではデミガイズの毛を素材にした、『使用期限付き』の物が流通しているのだ。

 

そして、ルーナの言葉も少し考えさせられるものだな。パチュリー様は興味本位で使うべきではないと言っていたし、だから私も蘇りの石を本来の用途で使ったことは一度もない。そういえば魔理沙も『やめておいた方がいい』と主張してたっけ。

 

曰く、蘇りの石が見せてくれるのはあくまで死者の影に過ぎないらしい。懐かしむだけでは前に進めない。嘗て妹様と見た『みぞの鏡』が望みで人を誘惑するように、蘇りの石は過去で人を縛るのだとパチュリー様は言っていたのだ。

 

両親と話してみたい気持ちは勿論あるが、幸いなことに私はアリスや妹様を通じて充分二人のことを知れている。だから我慢できているんだろうなと一人で納得していると、ジニーが難しい顔で話を続けてきた。

 

「望みっていうか、考え方の違いなのかもね。何にせよちょっと面白い『性格診断』ではあったわ。」

 

「ん、そのくらいに留めておいた方がいいのかも。三兄弟はみんな不幸になっちゃったし、きっと手にしないのが一番なんだよ。」

 

「あれ? マントを手にした人は死から逃げおおせたんじゃなかった? 小さい頃に読んだだけだから、内容はうろ覚えだけど。」

 

「そうだけど、兄が二人死んじゃったら悲しいと思うよ。マントで一人だけ生き残っても辛いだけじゃないかな。物語だと三男は長生きした後、マントを脱いで死を友として迎え入れたって結末だけど……それってつまり、それまでずっと死から隠れてたってことでしょ? あんまり楽しそうな人生じゃないよね。余計なことをしないで、在るが儘に生きた方がいいのかも。」

 

うーん、相変わらず独特な観念だな。ルーナの発言についてをジニーと二人で黙考していると、私たちの近くに誰かが座ってくる。リーゼお嬢様とハーマイオニー先輩だ。

 

「悪いが、詰めてくれるかい? ……探したよ、三人とも。こんなに後ろに居るとは思わなかったぞ。」

 

「ありがとうございます。……でも結構観やすい位置じゃない? 最前列なんて端から無理でしょうし、悪くない場所だと思うわ。」

 

隣の男女に詰めてもらったお礼を言うハーマイオニー先輩に、ジニーが肩を竦めながら軽く応答した。悪いことをしちゃったな。わざわざ探してくれたのか。

 

「でしょ? ……二人は兄貴たちに会った? 校庭に店を出してたんだけど。」

 

「そっちとは会えなかったけど、ルーピン先生とニンファドーラさんには会ったわ。もちろんテディともね。」

 

「うっそ、来てたんだ。いいなぁ、私も見たかったよ。大きくなってた?」

 

「なってたし、歯もちょこちょこ生えてたわ。アーサーさんとモリーさんは見つからなかったの?」

 

むう、赤ちゃんは私も見たかったな。ルーナと一緒に残念がる私を他所に、ジニーはやれやれと首を振りながら答えを放つ。

 

「ダメだったわ。手紙に観に来るって書いてあったから、来てるのは確実なんだけど……まあ、この人混みだしね。ハーマイオニーの両親は来てないの?」

 

「来てないわ。もし勝ち上がったら考えるって言ってたけど。」

 

「じゃあ、考えることになりそうね。少なくとも今日は絶対に勝つわけだし。」

 

強気な笑みを浮かべたジニーが宣言したところで、いつもより立派なローブを着ているフーチ先生が誰かを先導しながらフィールドに出てくる。動き易そうな服装からして、隣に居る二人の見知らぬ魔法使いが今日の審判役なのだろう。競技場の案内をしているようだ。

 

「おや、フーチだね。ボールケースを持ってるし、時間的にもそろそろ始まるんじゃないかな。」

 

「あれって多分、公式な審判員よ。つまり、国際クィディッチ協会の。ボールケースも学内リーグで使うやつより立派だし、なんだか緊張してくるわね。」

 

「控え室の代表たちは緊張どころじゃないだろうさ。……ま、今日ばかりは私も素直に応援するよ。」

 

ジニーの解説を聞いたリーゼお嬢様は、紙で包まれたサンドイッチを頬張りながら微笑んでいるが……むむう、私もちょっとだけ緊張してきたな。魔理沙は大丈夫なんだろうか?

 

大勢の観客たちの興奮が高まっているのを感じつつ、サクヤ・ヴェイユは心の中で親友にエールを送るのだった。

 



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女神の苦笑い

 

 

「悪いが、僕は精神論的な台詞を口にするのが得意ではない。だからこんな言い方しか出来ないが……我々は可能な限りの努力をして、覚悟と自信を持って今日という日を迎えた。ならば我々が勝つのは順当な結果であるはずだ。気負わず、油断せず、無理をするな。そうすれば我々は勝つべくして勝てるだろう。」

 

何が得意ではないだよ。言葉の隅々に気合が滲み出ているぞ。紅でも緑でも青でも黄でもない、ホグワーツの校章が背中に刺繍された黒いユニフォーム。そのユニフォームに身を包んだドラコの『檄』に、霧雨魔理沙はチームメイトたちと共に首肯していた。

 

十一月三十日の正午。遂にホグワーツ代表にとっての一戦目である、対ダームストラング戦が始まろうとしているのだ。体調に不満はないし、愛箒であるスターダストは昨日の夜に念入りに磨いておいたし、新しいグリップの慣らしも済んでいる。万全と言えるコンディションだろう。

 

そう、何もやり残していない。だから心臓の鼓動が早いのは緊張しているからではなく、高揚しているだけのはず。自分に無理やり言い聞かせながら深呼吸していると、かなり落ち着いている様子のハリーが提案を放った。さすがに何度も障害を打ち破ってきただけあるな。もうこの程度じゃ揺るがないわけか。

 

「折角だしさ、杖を合わせようよ。ちょっと憧れてたんだよね、あれ。こんな機会にしか出来ないでしょ?」

 

「いいわね、やりましょう。きっと気合が入るわ。」

 

「……まあ、悪くないな。」

 

ハリーの掲げた杖に、先ずはスーザンとドラコが自分の杖を合わせる。それに不敵な笑みを浮かべたギデオンが続き、次に喉を鳴らしたシーザーとニヤリと笑った私が合わせた。そして最後に少しだけ手が震えているアレシアが背伸びして合わせると……うん、いいな。確かに気合が入ったぞ。その瞬間に全員が流した魔力が反応し合って、重なった七本の杖の先端に眩い四色の火花が瞬く。大昔の魔法戦士たちはこの儀式をしてから戦いに臨んだそうだ。

 

みんな同じ気持ちなのだろう。杖を下ろして頷き合う私たちに、飲み物や万が一の時の替えの箒なんかを準備していたロンが声をかけてきた。その後ろには手伝ってくれている他寮の上級生たちの姿もある。

 

「タイムアウトはいつでも取って大丈夫だからな。必要な物とかは僕たちが準備しておくし、相手の観察も任せてくれ。弱点を見つけてみせるよ。」

 

「ああ、期待させてもらおう。……笛が鳴ったな。行くぞ。」

 

いよいよか。フィールドから響いてくる笛の音と、応じるように高まる歓声。それを耳にしながら選手控え室の出口で箒に跨って、ドラコに続いて一気に上空へと飛び上がった。スニッチやブラッジャーは学生試合用のボールを使うものの、今回は公式戦と同じルールということで、フォーメーションを組んで競技場を一周した後にそのまま空中でポジションにつくらしい。

 

ドラコを先頭にしてチェイサー三人で矢尻の陣形を作り、その中心にハリーが居て、後方をビーター二人とスーザンが塞ぐような形だ。一人でも位置がズレると非常にカッコ悪いわけだが……おしおし、上手くいってるな。それに安心してふと顔を上げると──

 

「……凄いな。」

 

信じられないほどの人で埋め尽くされた、普段とは大違いの競技場の風景が目に入ってきた。観客席が増設されていることもあって、まるで別の競技場みたいだぞ。高所にある観客席どころか地上にも沢山の人が見えているし、誰もが私たちにあらん限りの声援を送ってくれている。

 

ああくそ、最高だぜ。四寮それぞれのシンボルが入った旗や、ホグワーツの校章が刺繍された一際巨大な応援旗。それらを掲げてくれている観客たちへと大きく手を振っていると、ちらりとこちらに振り返ったドラコが話しかけてきた。呆れたような苦笑でだ。

 

「やはりお前は本番に強いな、マリサ。普通は圧倒されて萎縮する場面だぞ。」

 

「バカ言えよ、この歓声が聞こえないのか? こんなもん最高じゃんか。今から勝った時が楽しみだぜ。」

 

「そうだ、お前はそれでいい。……シーザーはやや緊張しているようだから、序盤は僕とお前で大きく動こう。先ずは先制点だ。是が非でも取りに行くぞ。」

 

「おう、任せとけ。今なら何でも出来そうだ。」

 

控え室での緊張なんて、もうどこかへ吹っ飛んでしまったぞ。勝手に浮かんでくる笑みで断言してから、ちょうどフィールドの反対側を飛んでいるダームストラングの選手たちへと目を向ける。斜め一列になっている深い紅のユニフォームの一団。昨夜の歓迎会で見た時も思ったが、シーカー以外は全員がっしりしているな。

 

もしパワープレーで来られたら作戦通りパス連携でいなそうと考えつつ、競技場を一周し終えてそれぞれのポジションへと飛行していると……うお、あいつらも来てたのか。観客席の最前列で、ウッドたち旧チームメイトが手を振っているのが視界に映った。私に何かを叫んでいるようだ。他の歓声が大きすぎて全然聞こえないが、応援してくれてるのははっきり分かるぞ。

 

そちらに笑顔で手を上げてから、定められている開始位置のギリギリ前方に位置取って試合開始を待っていると、二人いる審判の片方がホイッスルを咥えたままで地上のボールケースを蹴り開ける。解放されたブラッジャーが二手に分かれて両チームの方へと飛び、スニッチが物凄いスピードで姿を消して、直上に浮かび上がったクアッフルが地上の審判と選手たちの中間ほどまで到達したところで──

 

『さあ、試合開始です!』

 

そういえば、実況もプロがやるのかな? 先程まで選手の紹介をしていた実況の声と試合開始の笛が高らかに響いた直後、宙に浮くクアッフルへと二人のチェイサーが突進した。最も近い位置に居たドラコと、相手チームのチェイサーがだ。同時に私もクアッフルの方へと全速で飛び、シーザーがディフェンスのためにパスコースを塞ぎに行ったところで……っし、いけるぞ。競り勝ってボールを確保したドラコが相手ゴールへと突き進んでいく。

 

『最初にクアッフルを手にしたのは……おおっと、ホグワーツだ! ここはホグワーツのキャプテン、マルフォイ選手がホームで意地を見せました! そのままクアッフルを片手にゴールへと向かいますが、ダームストラングのチェイサー二人が対処に入ります! ダームストラングは序盤を守りに傾けるようです!』

 

実況の言う通り、ダームストラングは残るチェイサー二人を下げていたらしい。最初に競り合った一人は抜き去っているから二対一。だったら私がフォローに入らねば。フェイントを交えてややレフト側に寄っていくドラコの斜め下で、パスを待ち構えながら相手チームの穴を見定めていると……ここでか。ドラコがこちらを見ずにパスを寄越してきた。

 

『マルフォイ選手、そろそろ逃げ場がなくなって……ここでノールックの巧みなパス! キリシャメ選手にクアッフルが渡ります!』

 

「キリサメだ、間抜け!」

 

まあ、聞こえんだろうな。ってことは試合中ずっと『キリシャメ』かよ。我慢できずに実況席に怒鳴ってから、今度はライト側に向かって全力で飛ぶ。最初にドラコが抜いた敵チェイサーが追ってくるが……ふん、私の箒をナメるなよ。評判こそ良くないが、直線はかなり出るんだぞ。

 

クアッフルを抱えたままで前傾姿勢になり、ゴール前まで矢のように飛んだ後……くそ、位置取りが絶妙だな。相手のキーパーにシュートコースを完全に塞がれてしまった。どこを狙っても入るイメージが湧いてこないし、大人しくパスした方が──

 

「ぐっ……のやろっ!」

 

『あーっと、ここでブラッジャーがキリシャメ選手にクリーンヒットだ! 堪らずボールを……落としません! キリシャメ選手、保持し続けています!』

 

「キリサメだって、言ってんだろうが!」

 

不意を突かれた脇腹の痛みに顔を歪めつつ、何とか耐えて持ったままのクアッフルを……頼むぞ、ドラコ。実況への文句と共に下に投げる。遠慮一切無しの全力でぶん投げたクアッフルだ。取るのは難しいが、パスカットをするのも難しいはず。

 

『キリシャメ選手、凄まじい勢いのパスです! 更に下方に向かったボールに、マルフォイ選手が……追いついた! 危ないパスでしたが、ギリギリ通りました! そのまま一気に飛び上がる! キーパー、間に合うか!』

 

頼むから間に合わないでくれ。一応更なるパスに備えてゴールに近付くが、私を追っていたチェイサーがマークに入っているし、ここでもう一度パスってのは難しそうだ。つまり、ドラコのシュートに賭けるしかない。慌ててシュートコースを塞ぎに行くキーパーと、ドラコを追っていた二人のチェイサーが迫る中、我らがキャプテンどのは気取った感じの微笑を浮かべて──

 

『マルフォイ選手、シュートエリアに入りました! ダームストラングのキーパー、トドロフ選手が素早い動きでそれを防ぎに……これは、これはお見事! ホグワーツが先制点!』

 

なんとまあ、大したもんだな。ドラコが大きくクアッフルを振りかぶったのを見て、競技場の全員が球威のあるシュートをするものだと思ったはずだ。実況も私もそう思ったし、相手のキーパーもそう思って急いでシュートコースに割って入ったわけだが、実際に放たれたのはひょろひょろとしたループシュート。キーパーの頭上をのんびり通過したクアッフルは、すっぽりゴールポストの一つへと収まってしまった。

 

普通、この大事な場面でそんなシュートを放てるか? それを選択する胆力に感心しながら手を上げてやると、涼しい表情のドラコが軽く応じてくる。何にせよ、度胸で上回ったな。これでホグワーツは勢いに乗れるはずだ。

 

この雰囲気が続いている間にハリーがスニッチを捕るのがベストなわけだが……ま、そこまで望むのは強欲か。先制点は手に入れたんだし、ゆっくり確実にゲームを組み立てていこう。耳をつんざくような大歓声がドラコに送られるのを聞きながら、次は私の番だと気合を入れ直すのだった。

 

───

 

そして二度のタイムアウトを経て、現在のスコアは90対70。ダームストラングが一回目のタイムアウトを取るまではこちらが若干優勢だったのだが、向こうもきちんとベンチで対策を練ってきたらしい。70対70まで追い付かれてしまった時点でこちらもタイムアウトを取り、今は調子が出てきたシーザーが連続でゴールを決めて20点リードという状況だ。

 

うーん、互角。こちらのチェイサー陣が劣っているとは思えんが、明確に優っているとも言い切れない。恐らく向こうのチェイサーたちも同じ感想を抱いているのだろう。ちなみにキーパーの防御率もほぼ同じで、ビーターはこちらがほんの少しだけ有利って感じだな。

 

アレシアが執拗に一人のチェイサーを狙い続けている所為で、相手チームはちょびっとだけ全体的な連携の流れが悪くなっている気がする。まだまだやめる気は無いみたいだし、このまま試合が続けば徐々に綻びが大きくなっていくだろう。……アレシアのやつ、案外容赦ない戦法を選択したな。チーム全体の作戦には含まれていない戦法だし、ギデオンが守りを重視している以上、あれは攻めを担当するアレシア個人で決めた作戦のはずだ。

 

今もまた得意の球威が出る打ち方で相手のチェイサーを『イジめている』アレシアを横目に、相手ゴールに向かっているシーザーの補佐をしようと方向を変えていると、少し離れた場所を飛んでいるギデオンが声をかけてきた。

 

「おい、マリサ! ハリーが動いてるぞ!」

 

何? 慌てて上空へと視線を移してみれば……フェイントじゃないな、あれは。とうとうハリーがスニッチを見つけたらしい。同時に実況の声もその動きに言及する。

 

『またしてもリヴィングストン選手の打ったブラッジャーがルセフ選手に激突しました! 私の記憶が確かであれば、これでもう三十回目です。タイムアウトで治療した顔の腫れが早くも元に戻って……ああっと、ホグワーツのシーカー、ポッター選手が動いています! またフェイントか? それともスニッチを見つけたのでしょうか?』

 

「シーザー、そのままかき乱せ! マリサ、僕たちはハリーの援護に入るぞ!」

 

「りょ、了解です!」

 

「おうよ!」

 

ドラコの指示を受けたシーザーがゴールではなく相手ビーターの方へと飛び、私はキャプテンどのと一緒にハリーの援護に向かう。シーザーのやつ、ボールを持ったままで相手ビーターの邪魔をするつもりか。悪くない選択だな。点差はたったの20。学内リーグと違って最終的な得点は関係ないんだから、ここはゴールを捨ててでもスニッチを優先すべきだ。

 

『ホグワーツの選手がフォローに入ります! どうやらフェイントではないようです! スニッチは、あー……居ました! ポッター選手のすぐ近くを飛んでいます!』

 

くっそ、太陽が邪魔で私からは見えないぞ。肝心な相手シーカーは……おいおい、いけるんじゃないか? 距離的にはハリーとそれほど離れていないが、キャッチ勝負であの差は致命的なはず。邪魔さえ入らなければ勝てる距離だぞ。

 

だったら邪魔をさせるわけにはいかん。ジグザグに飛んでいるらしいスニッチを最短距離で追いかけるハリーを見ながら、敵ビーターの一人がフリーのブラッジャーを確保しようとするが……おっし、いいぞ! 素早く飛んできたギデオンが割って入る。敵ビーターの方に飛んでいたブラッジャーを下にはたき落とすような形でだ。

 

『マリノヴァ選手、完璧な位置取りでブラッジャーを……おっと、打ち込めない! ホグワーツのシーボーグ選手が割り込みました! ですが、もう一つのブラッジャーはクリストフ選手が確保しています! その軌道にキリシャメ選手が……これは上手い! クリストフ選手、タイミングをズラしてこれを躱しました!』

 

ああくそ、しくった! 敵ビーターがブラッジャーを打ち込む瞬間に間に入ろうとしたが、ビーターは一度軽く弾くことでタイミングをズラした後、もう一度自分に向かってきたブラッジャーを全力でハリーの方に飛ばしてしまう。そこそこ高度なテクニックだし、知ってりゃ警戒したんだが……ここまで温存してたのかよ。悔しいぞ。

 

何にせよもはや私にはどうにもならない。頼むから誰か止めてくれとブラッジャーの行く先に目を向けると、ドラコが必死の顔で割り込もうとするのが見えてきた。身体で止める気らしい。

 

『球威のあるブラッジャーです! マルフォイ選手が身を挺してシーカーを守ろうとしますが……これは間に合わない! ポッター選手の方へと一直線に飛んでいきます!』

 

速すぎたか。口惜しそうな表情のドラコの眼前を通過したブラッジャーは、スニッチを掴もうと手を伸ばしているハリーの方へと向かっていき……よりにもよってそこに当たるのかよ。彼の顔面に激突して眼鏡を弾き飛ばした。文句なしのクリーンヒットだ。

 

『これは痛恨のヒット! クリストフ選手のブラッジャーにより、ポッター選手はスニッチを取り逃がしました!』

 

だろうな。あの状況で捕れるヤツなんて存在しないぞ。そしてそうなると今度はこっちがピンチになる番だ。ハリーは眼鏡が無くて視界を確保できないだろうし、下手すればレンズの破片が刺さっているかもしれない。キャッチ勝負からは脱落だろう。ならば敵シーカーを妨害できる可能性のあるアレシアを援護しようと小さな二年生のことを探していると、実況の困惑したような声が耳に入ってくる。

 

『さあ、今度はダームストラングにチャンスが回ってきました! シーカーのストエヴァ選手、この機を逃すまいと一直線に……ポッター選手? ポッター選手が手を上げています。どうしたんでしょうか?』

 

そりゃあお前、怪我したんだろうよ。実況の発言に呆れながら、顔に大きな痣を作って鼻血をダラダラ流しているハリーに目をやってみると……何でそんなに笑顔なんだ? 当たり所が悪くておかしくなったか?

 

満面の笑みで握った拳を振り上げているハリーを見て、競技場の全員がきょとんとした後、徐々に歓声が沸き起こってくる。おい、まさか──

 

『もしかして捕った、とか? ……これは、捕ったようですね。ホグワーツのシーカーがスニッチを捕ったようです! これは驚いた。試合終了! 240対70でホグワーツの勝利!』

 

嘘だろ? あの状況で捕ったのかよ。顔面の惨状を見る限りでは信じられないが、ハリー以外では唯一スニッチから目を離さなかったであろう敵シーカーは悔しそうに項垂れているし……マジで捕ったのか。ホグワーツの勝ち? 一回戦突破?

 

両手を振り上げているハリーに半信半疑で箒を寄せてみると、彼は血だらけの顔に満面の笑みを浮かべながら口を開いた。ちょっと怖いぞ。

 

「マリサ、捕ったよ! 僕たちの勝ちだ! ホグワーツは準決勝に行けるんだ!」

 

「お前……凄いな。今回はマジでぶったまげたぜ。どうやったんだ?」

 

「カンで捕ったんだ! 眼鏡が無くてよく見えなかったし、ブラッジャーの衝撃で体勢も崩れてたから、もうやるしかないと思って手を伸ばしたんだよ。そしたらスニッチを掴んでた。掴んでたんだ!」

 

「カンか。……カンね。」

 

要するに、運だな。……うーむ、こういうのも一つの運命なのかもしれない。ハリーなら何となく納得できてしまうぞ。これまで過酷な運命ばかりを課してきた女神が、今日だけは彼に微笑んだわけか。

 

それに、ハリーは諦めずに掴みにいったのだ。私を含めフィールドの全員がもうダメだと思ったのに、彼だけは顔面にブラッジャーを受けても手を伸ばすのをやめなかった。つまりはそういうことなのだろう。それがハリー・ポッターという人間なわけか。そりゃあ勝利の女神も笑うだろうさ。慈悲深い綺麗な微笑みではなく、『はいはい、負けましたよ』という苦笑いだろうが。

 

まあいいさ、何にせよ勝ちは勝ちだ。途中から話を聞いていたらしいドラコと半笑いでアイコンタクトを交わしてから、霧雨魔理沙は練習の日々がまだまだ続きそうなことに会心の笑みを浮かべるのだった。

 



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竜頭蛇尾

誤字報告いつもありがとうございます!


 

 

「凄い怪我だわ。怖いスポーツなのね、クィ……クィディッチ? って。」

 

まあ、間違ってはいないな。リビングのテーブルで朝刊を読んでいるアビゲイルを横目に、アリス・マーガトロイドはパンケーキを食べながら苦笑していた。今日の予言者新聞の一面を飾っているのは、鼻血を出しながら握り締めた拳を振り上げているハリーの写真だ。見出しには『ホグワーツ、初戦突破!』という文字が躍っている。

 

どうやら昨日の試合はホグワーツがダームストラングを下したようで、十二月最初の予言者新聞はその記事で一ページを丸々使っているのだ。極限まで要約すると序盤でリードし、中盤で追いつかれ、後半にスニッチを捕ったらしい。普段はそれほどクィディッチに興味がないものの……うん、私も母校の勝利は誇らしいぞ。こうなると次の対戦相手が気になるところだな。

 

記事の中にあった魔理沙やハリーの活躍を嬉しく思っていると、朝刊を置いたアビゲイルが自分のパンケーキを切り分けながら話しかけてきた。お腹のタンクの修理がこの前完了したので、現在の彼女は物を食べられるようになっている。味もきちんと認識できるらしい。

 

「難しい言葉があるから全部は分からなかったけど、アンネリーゼの通ってる学校が勝ったのよね?」

 

「ええ、そうよ。私も卒業生として鼻が高いわ。代表選手たちが頑張ってくれたみたいね。」

 

「アリスが嬉しいなら私も嬉しいわ。……血はちょっと怖いけどね。ちゃんと治るのかしら? この男の人。」

 

「ホグワーツには優秀な校医が居るからもう治ってるわよ。今頃は朝食時の大広間で時の人になってるんじゃないかしら?」

 

うーん、ハリーならそういう展開にも慣れていそうだな。大広間の状況を想像しながら言った私に、メープルシロップの小瓶を手に取ったアビゲイルが話を続けてくる。ちなみに私はクランベリーソースを選択した。他にもいくつかのベリーが使われている、エマさんの特製ソースだ。文句なしに美味しいぞ。

 

「ねえ、ビービーも好きだと思う?」

 

「ん? クィディッチのこと?」

 

「うん、そう。ビービーが好きなら私も詳しくなった方が良いんじゃないかと思ったの。どうかしら?」

 

「私には何とも言えないけど、魔法界で人気のスポーツではあるわね。好きかどうかはさて置き、知ってはいると思うわよ。」

 

純粋で、健気。それが半月ほどアビゲイルと生活して感じた印象だ。彼女の判断の根底にはいつも例の魔女の……ベアトリスの存在が関わっている。主人というよりも、友人のことを案じているような態度。それを躊躇なく表に出せるのは、作り手のことをとても大切に想っているからなのだろう。

 

作った人形にここまで想ってもらえるのは羨ましいと思う反面、今の境遇が可哀想にもなるな。ベアトリスはどうしてこの子を置いてヨーロッパに旅立ってしまったのだろうか? 私なら絶対に置いていったりしないのに。

 

ベアトリスに対して人形作りとしての憤りを感じていると、キッチンで作業をしていたエマさんが食卓に戻ってきた。曰く、『吸血鬼用』のソースを作っていたらしいが……真っ赤だな。彼女が手に持った皿の上のパンケーキには、私がかけたソースよりも黒が強い赤色のソースがかかっている。原材料は聞かない方が良さそうだ。

 

「おー、魔理沙ちゃんたちは勝ったんですか。クリスマスに戻ってきたらお祝いしてあげないといけませんね。大きなケーキを作りましょう。」

 

「ケーキ? エマはケーキまで作れるの? 凄いわ!」

 

「えへへ、すっごいのを作れますよ? アビーちゃんも一緒にチャレンジしてみますか? 練習がてら午後に二人で作ってみましょう。」

 

「本当? やりたいわ! ケーキを作れるなんてお姫様みたいよ!」

 

お姫様はケーキを食べる側じゃないのかな? 多分絵本か何かから得たのであろう奇妙な知識に微笑みつつ、パンケーキの最後の一切れを口に入れて思考を回す。アビゲイルからの『聞き取り』はさり気なく行なっているが、現状では使えそうな情報は手に入っていない。どうもベアトリスはこの子たちに『仕事』の話をしていなかったようで、アビゲイルが語るベアトリスは魔女ではなく『優しいお姉さん』なのだ。

 

料理があまり得意ではなく、物知りで、お洒落に関心があり、手先が器用。そういった人物像が浮かび上がってくるだけで、魔女としてのベアトリスについては全くと言っていいほどに判明しなかった。唯一分かったのは、アビゲイルが言う『大人人形』に仕事の手伝いをさせていたということだけだ。話さず、指示に忠実で、自我を持っていない人形たち。やはりそれが戦闘用の人形だったのだろう。

 

まあうん、徐々にその姿には近付いている。思想も、名前も、生い立ちも。半年前には一切分からなかった部分が、今やどんどん明らかになっているのだ。進歩はしているぞと自分を励ましながら、人形に淹れさせたコーヒーに口を付けたところで、エマさんとケーキの話をしていたアビゲイルがこちらに話題を振ってきた。

 

「そういえばアリス、ティムはどう? もう少しで直るのよね?」

 

「あー……そうね、動けるようには出来そうよ。ただ、お話できるようにするのはちょっと難しいかも。発声のための術式が重要な部分と重なっちゃってるから、下手に弄ると危なそうなの。」

 

「そうなの? ……でも、動くだけでも嬉しいわ。また一緒に遊べるならそれで充分よ。」

 

「今日か明日にはまた動けるようになるから、楽しみにしておいて頂戴。」

 

お喋りも出来るようにしてあげたいのは山々だが、兎にも角にも術式が独特すぎるのだ。おまけに物凄い量の術が幾重にも重なり合っているから手に負えない。ベアトリスの組み方が特別煩雑なのか、あるいは師であるパチュリーの組み方が簡潔すぎたのか。両方かもしれないなと苦笑する私に、アビゲイルは嬉しそうな笑みでこっくり頷いてきた。

 

「ええ、楽しみにしておくわ! 今日の私はエマのお掃除を手伝って、ケーキ作りを教えてもらって、それからそれから……何をすればいいかしら?」

 

「うーん、そうですねぇ……また文字のお勉強をしましょうか。私が見てあげますから。」

 

「いいの?」

 

「もちろん構いませんよ。」

 

パンケーキを食べながら首肯したエマさんは、すっかり『お姉さん』としてのカンを取り戻しているようだ。……いざベアトリスが見つかった時、私は一体どうしたいんだろうか? アビゲイルのことを知ってしまった今、もはや簡単に殺すという選択は選び辛い。かといって全てを許して仲直りなんて選択肢が存在しないことも理解している。

 

この子を主人に会わせてあげたい。今の私にある明確な望みはそれだけだ。クロードさんやバルト隊長、そして多くの子供たち。ベアトリスはその他にも数多の人間を殺してきたことを忘れるなと戒める自分が居る反面、作り手を殺してしまうことでアビゲイルを悲しませたくないという自分も居るし、ベアトリスの境遇に同情する思いも……ああもう、ダメだな。こういう思考を辿ったってロクな結果には行き着かないものだ。一度頭をリセットしよう。

 

「ご馳走様でした、エマさん。ティムの修理に戻りますね。」

 

「はーい、了解です。頑張ってくださいねー。」

 

「ティムをお願いね、アリス。」

 

楽しそうに会話する二人に微笑みかけてから、席を立って自室へと廊下を進む。……私がどんな選択をしたにせよ、リーゼ様は許す気なんてないだろうな。間違いなく殺すつもりだろうし、見つけたら躊躇なく実行するはずだ。魔女の境遇がどうあれ、アビゲイルの悲しみがどうあれ、彼女にはそれを踏み潰してでも自己の判断を押し通せる強さがあるのだから。

 

ああ、ダンブルドア先生に会いたい。あの人ならきっと別の道を見つけ出せるはずだ。私のようにただ甘いだけではなく、厳しさも兼ね備えた優しい道を。……だけど、もう頼りになる先生は居ない。だから私は自分で決めなければならないのだ。ベアトリスに対して、どんな選択をするのかを。

 

アビゲイルに会うまでは早く見つけて問題を解決したいと思っていたのに、今の私はベアトリスが見つからないことすら祈っている。そのことを自覚しつつも、アリス・マーガトロイドは重い歩みで自室のドアを抜けるのだった。

 

 

─────

 

 

「ふぅん? マクーザは遂に手を引くわけだ。ホームズの野望もここまでだね。」

 

これはさすがに投了だろう。報告してきたフリーマンに相槌を打ちつつ、アンネリーゼ・バートリは大きく鼻を鳴らしていた。案外持ったが、順当な結果ではあるな。結局あいつは国際社会を引っ掻き回しただけで、誰にも益を齎さなかったというわけだ。バカバカしい話じゃないか。

 

十二月一日の午後、ボーンズからの呼び出しを受けた私は魔法大臣室で昼食のステーキを食べつつ報告を聞いているのだ。報告しているのは北アメリカから戻ってきたばかりのフリーマンで、聞いているのはボーンズと私、そして呼んでもいないオグデンである。毎回毎回、こいつはどこから話を聞き付けてくるんだろうか?

 

図々しくも私と同じテーブルでしもべ妖精が用意したパエリアを食べている『煽り屋』のことを怪訝に思っていると、やや憔悴した雰囲気のフリーマンが苦い表情で首肯してきた。マクーザで受けた闇祓いの取り調べは中々にキツかったらしい。

 

「私の『裏切り』の所為で、マクーザ議会は完全に闇祓い側に傾きました。連盟も遠くないうちに纏まるでしょう。当然ながら国際保安局の捜査も公式に打ち切られますし、ミス・マーガトロイドへの容疑も近日中に解かれる予定です。」

 

「真犯人はどうなるのですか? それと、国際保安局の今後は?」

 

「事件については闇祓い局が捜査を引き継ぐことになりました。国際保安局は後片付けをして北アメリカに戻った後……まあ、解体されるかもしれませんね。元々ホームズ局長が一人で成立させたようなものですから、その局長が失脚したとなれば存続は難しいでしょう。」

 

「……ひどい幕引きですね。マーガトロイドさんも、マクーザも、イギリスも、連盟も、そして貴方がたも。苦労を背負っただけで何も得られなかったわけですか。」

 

全くだぞ。ボーンズが額を押さえながらため息を吐くのに、フリーマンは疲れたような苦笑で力無く応じる。

 

「その通りです、申し訳ございませんでした。」

 

「貴方が謝ることではありません。……ホームズはどうなるのですか? 北アメリカで会ったのでしょう?」

 

「……期待外れだったと言われてしまいました。私を次局長にしたのは間違いだったと。これ以上は泥沼だと必死に説得したのですが、未だにミス・マーガトロイドこそが犯人だと疑っていないようでして。もはや国際保安局は使い物にならないので、一人で動くと言われて物別れです。議会の召喚も無視しているようですね。」

 

「呆れて言葉も出ませんね。進退を案じてくれている部下に対して、この上そんな台詞を吐くとは……上に立つべき人間ではありません。議会の召喚を無視するというのも信じ難い行いです。」

 

これ以上ないってほどに呆れ果てているボーンズの発言に、パエリアのムール貝を除けているオグデンが同意を放つ。こいつ、嫌いな物が多すぎないか? 具の半分以上を残しているぞ。

 

「ここまで来ると笑えませんね。僕ですら笑えないってんだから救いようがありませんよ。全ての責任を放棄して悪足掻きですか。もし僕の上司だったらと思うとゾッとします。……ちなみに貴方はどうなるんですか?」

 

「分かりません。何とか部下たちの受け入れ先は探したいと思うのですが、次局長の私は……辞職を迫られるかもしれませんね。私の首だけで済むようにしたいところです。」

 

「もちろん役職を持った人間ではありますが、しかしある意味では功労者でもあるわけでしょう? 貴方はイギリスと北アメリカの和解の道を示したんですから、単に辞職というのはどうにも救いがなさすぎる気がしますね。」

 

「心配してくださるのですか? オグデン監獄長。初めてお会いした時とは正反対の態度ですね。」

 

戯けるように返事を口にしたフリーマンは、バツが悪そうな顔になったオグデンへと言葉を繋げる。弱々しい笑みを浮かべながらだ。

 

「ですが、責任を取るべき立場の人間が責任を取らなければ組織は正しく機能しません。辞職を迫られたら甘んじて受けようと思っています。……正直言って、悪くない気分なんですよ。次局長としてようやく役に立てるわけですからね。それが辞職だというのは情けない話ですが。」

 

「僕に言わせてもらえば、責任を取るべきなのはホームズだと思いますけどね。」

 

「ホームズ局長は恐らく国際保安局局長の任を解かれた後、合衆国議員を……そうですね、罷免されるかもしれません。今回の件で局長の後ろ盾になった議員も軒並み影響力を落としていますし、マクーザ議会は大きく動くでしょう。私程度に理解できる政治的な動きはそのくらいです。」

 

罷免か。滅多にないことだが、状況的に有り得なくはないだろう。マクーザとしてもイギリスに『落とし前』を示すいい機会になるはずだ。ステーキに付いてきたブロッコリーをオグデンの皿に放り投げつつ、今度は私からフリーマンに質問を飛ばす。

 

「委員会の方はどうなるんだい? 機能停止状態なわけだが。」

 

「さすがにホームズ局長が議長のままというのは無理があるでしょうし、再選されるのではないでしょうか? そこは私には分かりません。」

 

「……どうも腑に落ちないね。ホームズは委員会の議長になることで何をしようとしていたんだ? 単純に影響力を高めようとしたにしては微妙な動きじゃないか?」

 

中途半端に終わってしまったからこそ、そこが判明しないままだったな。……ま、いいか。落ちぶれた後で本人に訊きに行くとしよう。ホームズが死んだところで、アリスにもゲラートにも私にも迷惑がかからなくなった頃に。この分ならそう遠い話ではないだろうさ。

 

勝手に自己完結した後で、ボーンズへと今後の展開についての話を振る。

 

「まあいいか。……で、次はどうなるんだい? アリスの問題はほぼ解決して、委員会についてはロシアの議長閣下がどうにかするだろうから、あとは連盟内部の火消しかな?」

 

「フォーリー評議長がこれを機に反スカーレット派を叩くつもりのようですね。私としてもちょうど良い機会だと思っていますし、今なら明確に『敵』を判別できます。当分はそちらに集中することになるでしょう。」

 

「結果的に色分け出来たってのはホームズが残した唯一の功績かもね。……レミィと違って政争には興味ないし、その辺は勝手にやってくれたまえ。これは私もお役御免かな。」

 

うーん、もう表向きの動きに関わる意味はなさそうだな。となると、あとは魔女を見つけて殺すだけか。問題が『一本化』できてすっきりしている私に、オグデンがブロッコリーを投げ返しながら声をかけてきた。生意気だぞ、変人。

 

「随分と引き際が潔いですね。違和感があります。バートリ女史らしくないのでは?」

 

「キミとは数えるほどしか会ってないだろうが。私はさっぱりしている良い女なのさ。」

 

「そうでしょうか? 僕はスカーレット女史と一緒で、執念深い感じだと思っていました。人物鑑定には自信があるんですが……まあいいでしょう。僕も権力闘争には興味ないですし、この辺で業務に集中しておきますか。」

 

そもそも関係なかったんだから、最初からアズカバンに集中しろよな。いけしゃあしゃあと言うオグデンにジト目を送った後、魔女の方へと思考を移す。アリスによれば人形店に居る人形は大した情報を持っていなかったようだし、ここはホームズの方に期待したいところだが……あいつも恐らく人形だもんな。望み薄か。

 

というか、そもそも魔女が『遠隔操作』しているのなら話を聞くどころではないだろう。ホームズの方は試さないよりはマシ程度に思っておいて、アピスの調査に期待すべきなのかもしれない。何故あの変わり者が人形に興味を持ったのかは不明だが、とにかくアビゲイルを人形店で預かる代わりに独自に調査するとアリスと約束していたのだ。腕は確かなようだし、何か掴んでくれることを祈っておくか。

 

散々騒ぎまくった癖に呆気なく終わりを迎えたホームズ。そこにほんの少しの違和感を覚えつつ、アンネリーゼ・バートリは再びブロッコリーをぶん投げるのだった。

 



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当たり年

 

 

「とにかく、監督生権限で寮点の減点をしたいのであれば理由を報告すること。実際に正当な理由があったにせよ、それをきちんと報告しなければ不当な減点ということになってしまうの。全員そのルールを頭に入れておいて頂戴。」

 

厳しいな。権利とそれに伴う義務の話をするハーマイオニー先輩を見ながら、サクヤ・ヴェイユは手元のメモ帳に羽ペンを走らせていた。間接的に注意されているハッフルパフの五年生二人がしょんぼりしちゃってるぞ。

 

十二月も序盤が終わりそうな今日、私たち監督生は月に一度の定期集会を開いているのだ。いつも集会に使っている空き教室の中には各寮から集まった十三人の監督生が……ホグワーツにおける監督生は絶対に各寮男女一人というわけではなく、一つの寮につき最大男女二人ずつの四人までとなっている。新五年生に監督生候補が居る場合、試験で忙しくなる新七年生は監督生を辞退するか指導役として残るかを選択可能らしい。要するにハーマイオニー先輩は指導役として自主的に残ったクチで、ロン先輩は新六年生にも新五年生にも男子監督生の候補が居なかった所為で残らざるを得なかったというわけだ。

 

ちなみに今年はちょうど『世代交代』の年だったらしく、ハッフルパフは二人が、グリフィンドールとレイブンクローとスリザリンは一人が五年生という内訳になってしまった。おまけに七年生は全員が指導役として残ることを選択したようで、ハッフルパフが二人、その他の三寮が一人ずつ追加されている形だ。

 

そんな理由もあって教室内には例年と比較すると少し多い十三人の監督生の姿があり、スプラウト先生とフリットウィック先生が議論の様子を観察している。毎回一人か二人の寮監が監督役として参加するのだが、これまで議論に介入したことは一度も無いし……あくまで生徒の自主性を尊重するということなのだろうか?

 

教室の隅で苦笑しながらハーマイオニー先輩の『お説教』を聞いている二人の先生を横目にしつつ、メモ帳に寮点を加減する際の注意事項を書き連ねていると、話を続けようとするハーマイオニー先輩に参加者の一人が待ったをかけた。『弁舌強者』の彼女に待ったをかけられるのは全監督生の中でただ一人、スリザリンのマルフォイ先輩だけだ。

 

「グレンジャー、その辺にしておけ。話の内容が『監督生としての義務』から『リーダーのあり方』に飛躍しているぞ。加減点についての注意事項はしっかりと伝わっているようだから、議題を次に進めるべきだ。」

 

「これは重要な部分よ、マルフォイ。私たちは先生方と同じく寮の点数を加減できる。だけどそれは軽々に行っていいことではないでしょう? ともすれば先生方より加減点に対して慎重になる必要があるのよ。ここをなあなあにすると監督生という構造自体が腐っていくわ。」

 

「加減点についてが重要なことには同意するが、既に理解している下級生たちに何度も何度も繰り返す意味は無いだろう? ……より分かり易く要約すると、僕は『話が長い』と言っているんだ。最上級生として範を示すのは結構だが、考えを押し付けるだけでは下は育たん。思考の材料はもう提示した。ならば後は個々人で考えるべき問題だと思うぞ。」

 

「私はただ、歴代の監督生たちが受け継いできた考え方を伝えているだけよ。それをどう解釈するかは貴方の言う通り個々人の自由だけど、中途半端な伝え方で終わらせてしまうのは最上級生としての義務の放棄だわ。……意味のない話を長々としていたならともかくとして、必要な話をしていて『話が長い』と言われるのは心外ね。ここは省略していい部分じゃないの。」

 

ほら、始まったぞ。またこの二人の論争のスタートだ。最初は私もハラハラして見ていたものだが、月に一度のペースで行われれば慣れてしまう。五年生の私ですらそうなんだから、六年生や七年生の様子なんて言わずもがな。ロン先輩なんかはうんざり顔を隠そうともせずに、『長くなるぞ』のジェスチャーを周囲に示している。

 

どうかお昼ご飯に間に合う程度で終わってくれと願っていると、隣の席のベーコンがこっそり話しかけてきた。基本的には寮ごとに分かれて座っているのだが、レイブンクローの新監督生である彼女は何故か毎回私の隣に座ってくるのだ。

 

「これでも大分マシになったらしいわよ、グレンジャー先輩の『問題提起』。卒業した先輩から聞いたんだけど、二年前は物凄い激論を交わしてたんですって。」

 

「二年前? ……あー、防衛術クラブの頃ね。」

 

「そう、その所為。……でも、ちょっとだけ羨ましいわ。先輩は監督生集会が一番盛り上がった時期だって誇らしそうに言ってたの。臨時の集会を何度も開いて、全監督生が全力で話し合いに臨んでたって。最終的には全寮と学校を動かしてクラブを実現させたわけだしね。」

 

むう、言われてみれば確かに凄いな。今の私と同じ学年なのに、上級生相手に一歩も引かずにクラブの成立を認めさせたわけか。普通に発言することすら気後れする私じゃ絶対に出来ないことだぞ。

 

ベーコンも同じようなことを考えているようで、マルフォイ先輩に反論を放っているハーマイオニー先輩を眺めながら続きを語る。

 

「私もグレンジャー先輩みたいなことをやってみたいわ。単なる義務として監督生をやるんじゃなくて、もっと能動的に取り組んでみたいの。」

 

「……難しいと思うわよ。私が四年間接した限りでは、ハーマイオニー先輩はかなり特別な人だわ。ポッター先輩が近くに居るから目立たないけど、彼女も結構凄い人なの。」

 

「つくづくグリフィンドールの七年生は『当たり年』よね。学生生活をこれ以上ないってくらいに謳歌してる感じ。そりゃあ良い思い出ばかりじゃないんでしょうけど、でも絶対に記憶に残る学生生活ではあったはずよ。何十年経っても忘れないような七年間。……羨ましいわ、本当に。」

 

ほうと息を吐くベーコンに、私もしみじみとした思いで同意の頷きを送った。現在進行形でクィディッチトーナメントも進んでいるわけだし、激動と表現するに足る七年間だろう。羨ましいと言うのも少し分かる気がするぞ。

 

反面、私に残っているのはあとたった二年半だけ。そりゃあ思い出だって沢山あるし、事件にだって巻き込まれてきたが……うーん、あの四人ほど充実しているとは言えなさそうだな。悪名高きグリフィンドールのカルテットほどには。

 

活き活きとマルフォイ先輩との議論を続けるハーマイオニー先輩の姿を見つめながら、ベーコンと二人で大きくため息を吐くのだった。比較対象が悪いってことは分かっているが、近くに居るからこそ眩しく思えてしまうのだ。先輩が偉大すぎると後輩は苦労するものらしい。

 

───

 

そして集会が昼食に間に合うギリギリの時間に終わり、急いでご飯を食べようと監督生全員で休日の大広間に到着してみると……おー、今年はもうクリスマスの飾り付けが始まっているのか。モミの木を設置しているハグリッド先生の姿が目に入ってきた。

 

「モミの木を見ると嬉しくなるな。クリスマス休暇が近付いてきたって実感が湧くよ。」

 

笑顔で私と同じ方向を見ているロン先輩に、ハーマイオニー先輩が席に着きながら微妙な表情で応じる。……あの飾りは何をモチーフにした物なのだろうか? 足が二十本以上ある生き物なんて限定的なはずだが、見たことも聞いたことも無い形をしているぞ。

 

「私には試験までのカウントダウンに見えるわ。もうクリスマスだなんて信じられない気分よ。早すぎない?」

 

「……やめてくれ、ハーマイオニー。僕もそう見えてきちゃったじゃないか。」

 

「あの、先輩たちは家に帰るんですよね? どっちの便を使うんですか?」

 

鬱々とした空気を感じ取って慌てて話題を変えた私に、二人がそれぞれの返事を返してきた。今年はホグワーツ特急で帰るチャンスが二回あるのだ。例年通りの日と、二十四日の二回。理由は単純で、代表チームがクリスマス直前まで練習したいと申請したからである。ホグワーツの勝利のためなら、ホグワーツ特急のダイヤを変えることすら些事らしい。

 

「僕は練習に付き合うから、二十四日の午後に帰るつもりだ。パパとママも快諾してくれたよ。ジニーもそうするみたいだしな。」

 

「私は二十日に帰るわ。サクヤはどうするの?」

 

「私は二十四日の予定です。それまで魔理沙が残りますし、別々に帰っても仕方がないかなと思いまして。」

 

「クリスマスにはみんなでうちに来いよ。マーガトロイド先生ももう外出できるんだろ? ママがパーティーを開くつもりみたいだからさ。ビルとチャーリーも戻ってくるぜ。」

 

魔法で温かいままのコーンスープをカップに取ったロン先輩へと、私もスープに手を伸ばしつつ返答を飛ばす。パーティーか。楽しそうだな。

 

「んー、リーゼお嬢様次第ですね。多分オッケーしてくれると思いますけど。」

 

「ハーマイオニーはどうだ? もし良ければ両親も一緒にさ。」

 

「相談してみるわ。今年はお婆ちゃんの家に行かないみたいだから、予定的には大丈夫だと思う。昼間よね?」

 

「ああ、もちろん昼だ。クリスマスの夜は家族の時間だからな。ちなみにハリーは大丈夫だってさ。シリウスの家に帰るつもりらしいんだけど、そのシリウスが乗り気だから。」

 

ひょいと大皿から取ったハッシュドポテトを食べながら報告してきたロン先輩に、ハーマイオニー先輩は少しだけ心配そうな顔付きで口を開く。

 

「ダーズリーさんたちはどう思っているのかしら? あっちの家には夏休みも全然帰ってなかったわよね?」

 

「どうとも思ってないだろ。あれだけハリーに冷たくしてたんだから、清々したとは思ってるかもしれないけどな。」

 

「……本当にそう思う? そりゃあハリーへの対応は許せないけど、曲がりなりにも赤ちゃんの頃から育ててきたのよ? このままなし崩し的に別れるっていうのはちょっと寂しすぎるんじゃない?」

 

「僕は口を出さないさ。ハリーの気持ちを尊重するよ。」

 

目を逸らすように人が疎らな大広間を見回しながら不機嫌そうに言ったロン先輩へと、ハーマイオニー先輩が尚も食い下がった。二人ともポッター先輩のことをきちんと考えているみたいだ。ロン先輩はだからこそ怒っていて、ハーマイオニー先輩はだからこそ心配しているのだろう。

 

「部外者の立場から軽々しく許せとは言えないけど、いざ会いたくなった時に会えなくなってたらと思うと心配なのよ。病気とか、そういうのでね。」

 

「言いたいことは分かるけど、やっぱり結局はハリーの問題だよ。……ハリーには変な後押しをするなよ? きっと時間が必要なんだ。ハリーが気持ちに決着を付けたら自分で動くさ。僕たちはそれを見守るべきだろ?」

 

「……まあ、そうね。貴方の言う通りだわ。余計なお節介はやめておきましょう。」

 

疲れたように呟いたハーマイオニー先輩は、気を取り直すように別の話題を場に投げる。私の事情も中々に複雑だけど、ポッター先輩のそれも実にこんがらがっているな。本人はどう考えているんだろうか?

 

「そういえば、年明けの職場見学はどうするの? 私はもちろん行くけど。一日目を魔法法執行部、二日目を国際魔法協力部、三日目を魔法生物規制管理部って内訳で申請したわ。」

 

「僕は一日目に執行部だけだ。ハリーもな。今更別の部署に浮気するつもりはないさ。闇祓い一択だよ。」

 

職場見学か。一月の中頃に魔法省やグリンゴッツ、その他にも予言者新聞社などが仕事内容の紹介をするために七年生を受け入れてくれるらしい。三日間をフルに使う人は珍しいだろうなと苦笑しつつ、先輩たちに質問を送った。

 

「闇祓い局と執行部って同じ扱いなんですか? 傘下にある組織だってことは知ってますけど。」

 

「基本的には大きな括りでしか紹介してくれないみたい。そこはちょっと不満な部分だけど、やってくれるだけマシだわ。」

 

「噂によると、執行部の見学はスクリムジョール部長が直々に案内してくれるらしいぜ。緊張するよな。」

 

スクリムジョール部長が? 学生の案内をするような雰囲気には見えなかったんだけどな。それだけ新入職員が大切だってことなのかもしれない。魔法省の姿勢に感心している私に対して、ハーマイオニー先輩の考えは違っているようだ。サラダを食べながらロン先輩に注意をし始める。

 

「そんな悠長なことを言ってる場合じゃないわ、ロン。『一次面接』のつもりで行くべきね。お忙しいはずの部長が直々に出てくるってことは、きっと職場見学の時点で優秀な生徒に目星を付ける腹積もりなのよ。」

 

「……無いだろ、さすがに。」

 

「いいえ、あるわ。少なくとも私ならそれとなく観察しておくもの。どれだけ真剣に説明を聞いているかとか、一度で理解しているかとかをね。服装も重要でしょうし、制服にはアイロンをかけておいた方が無難よ。」

 

「どんどん嫌になってきたよ。君と話してると世界の全てが試験に繋がってくる気分になるぞ。もうこの話はやめよう。」

 

巨大なため息と共にかぼちゃジュースをコップに注いだロン先輩を見て、同情の半笑いを浮かべながらスープに浸したパンを一口食べた。七年生は大変だな。リーゼお嬢様が心配する気持ちが少し分かったぞ。

 

……うーん、またこの感覚か。周囲が忙しなく動いているのに、自分だけが停滞しているかのような『置いてけぼり感』。フクロウ試験の対策に取り組んでみても、クィディッチの手伝いをしてみても拭えない嫌な感覚。これは何をすれば解消できるのだろうか?

 

クリスマスに人形店に戻ったらアリスに相談してみようかなと考えながら、サクヤ・ヴェイユは自分の中のふわふわした不安を仕舞い込むのだった。

 



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それはワイン!

 

 

「それで、どうだったんだよ。早く教えてくれ。」

 

クリスマス休暇が目前に迫ったクソ寒い日の早朝。薄く積もった雪の上を歩いてくるドラコへと、霧雨魔理沙は大声で呼びかけていた。我らがキャプテンどのは昨日の午後、準決勝の対戦相手と会場を決めるためにリヒテンシュタインに行っていたのだ。結局夕食時になっても帰ってこなかったので、スリザリン以外の生徒はまだ結果を知らない。昨夜は対戦相手が気になってよく眠れなかったぞ。

 

競技場の前に代表選手たちや各寮の協力者たちが集まっているのを見て、苦笑しながらスリザリンの生徒たちと共に近付いてきたドラコは、開口一番で一つの校名を口にする。

 

「ワガドゥだ。二回戦第一試合がマホウトコロ対イルヴァーモーニーで、第二試合がホグワーツ対ワガドゥ。試合会場はワガドゥとイルヴァーモーニーになった。」

 

「ワガドゥで、アウェイか。……まあ、良いとも悪いとも言えないな。」

 

「良いと言うべきだぞ、マリサ。情報が一切無いマホウトコロじゃなかったんだ。アウェイなのはともかくとして、そこは喜ぶべき点だろう。」

 

「あー、そっか。そういやそうだな。」

 

真面目な表情で放たれたドラコの言葉に納得する私を他所に、スーザンが腕を組んで別の意見を述べた。他の面々もワガドゥについてを考えているようだ。

 

「気温差はどうなの? こっちは冬だけど、向こうは夏よね。」

 

「そこは気を使う必要があるだろうな。更に言えば、試合の時期は雨季でもあるらしい。抽選が終わった後、大雨の可能性もあると向こうのキャプテンが教えてくれた。」

 

「敵に塩を送るってわけですか。」

 

「フェアな勝負がしたいんだそうだ。何にせよ情報が増えるのに文句などないし、精々有効活用させてもらうさ。……予定通り今日の昼休みはミーティングにするから、詳しい対策はそっちで話し合おう。先ずはいつも通りの朝練だ。」

 

シーザーの発言に肩を竦めたドラコは、そのまま男子更衣室の方へと歩いて行く。それを尻目に女子更衣室に向かいつつ、一回戦第一試合で観たワガドゥのプレーのことを思い出していると……横に並んだジニーが声をかけてきた。

 

「マリサ、私たち女子は図書館に行くね。昼休みまでに気候とかを調べておくから。」

 

「おう、毎度すまんな。助かるぜ。」

 

「いいのよ。今日の朝練は男子が付き合うから、思いっきり扱き使ってやって頂戴。今朝は寒いからって私たちを気遣ってくれたらしいわ。か弱いお姫様役もたまには悪くないわね。」

 

対戦相手を確認するためだけに来てくれたってことか。ウィンクをしてからホグワーツ城の方へと遠ざかって行くジニーたち女子の一団を見送った後、更衣室に入って着替えを始める。……今日は寒いし、ササっと済ませちまおう。そろそろ寮で着替えるようにすべきかもしれんな。

 

「ワガドゥか。どう思うよ、二人とも。」

 

手早く制服を脱ぎながら質問を投げてみると、スーザンとアレシアがそれぞれ返事を寄越してきた。うーむ、乾燥肌のアレシアは大変そうだ。冬場の練習は毎回保湿クリームを塗らなきゃいけないらしい。

 

「ドラコが言ってた通り、情報があるって点は嬉しいわね。マホウトコロが相手だと一方的に握られてることになっちゃうわけだし、そこだけはイルヴァーモーニーに同情するわ。」

 

「確か、ワガドゥはキーパーが上手いんですよね? キャプテンの人。」

 

「オルオチな。……ダームストラング戦と違ってキーパー勝負になるかもしれないぞ。その辺どうなんだよ、スーザン。」

 

「当然、負ける気はないわよ。抑えてみせるわ。」

 

スーザンが穴熊寮らしからぬ強気な笑みを浮かべたところで、急にアレシアが聞いたことのない悲鳴のような声を上げる。まさかまた『覗きネズミ』が出たんじゃないだろうなと慌てて振り返ってみると……わお、マジかよ。彼女が肌身離さず持っているビーター用の棍棒が、根元からポッキリ折れているのが目に入ってきた。

 

「あの、あの……クリームを仕舞う時にロッカーにぶつけちゃって。でも、軽くなんです。コツンと当たっただけなのに。」

 

「あちゃー、劣化してたのかもな。随分使い込んでたし、ロッカーにぶつけたのは切っ掛けに過ぎないんだろ。」

 

「試合中じゃなかったのがせめてもの救いね。予備ってどこかにあったかしら?」

 

まあうん、壊れ方もタイミングも非常に珍しいが、棍棒が壊れること自体はさして珍しいことではない。だから私とスーザンはそこまで気にしていないものの……むう、アレシアはショックらしいな。未だ嘗てないほどに悲しそうだぞ。

 

「……直らないでしょうか? ずっと一緒だったんです。寝る時も、シャワーの時も、授業中も。」

 

「あーっと……どうだろ、難しいかもしれんぞ。ポッキリだもんな。普通は曲がったりするもんなんだが。」

 

ひょっとして、それが劣化の原因なんじゃないだろうか? あまりの悲しみっぷりを前にそこまで口に出せなかった私に続いて、スーザンも気遣うような声色で所見を送る。

 

「私も厳しいと思うわ。芯が折れちゃってるもの。……見たところとっくの昔に寿命だったみたいだし、この前の試合を頑張って耐え抜いてくれたってことなのよ。もう休ませてあげましょ。」

 

「……はい。」

 

泣きそうじゃないか、アレシアのやつ。そこまで入れ込んでくれたなら棍棒だって満足だろうさ。ビーターの鑑だな。予想以上の落ち込み具合に私とスーザンがやや困惑する中、アレシアは大事そうに折れた棍棒を抱き締めながらポツリと呟いてきた。

 

「同じ型、まだ売ってるでしょうか?」

 

「それってあれだろ? 双子のどっちかが使ってたお下がりだよな? ……かなり古い型だし、もう売ってなさそうじゃないか?」

 

「新しいのじゃダメなの? 私は詳しくないけど、キーパーのグローブと同じように色々と改良されてると思うわよ。」

 

「次の試合までに上手く扱えるようになれるかが不安なんです。二月ですよね?」

 

そういうことか。私はビーターの経験がないからよく分からんが、繊細な打ち分け方をするアレシアにとっては大問題なのだろう。キーパーのスーザンとしても通ずるところがあったようで、困ったような顔で首肯を返す。

 

「二月の後半ね。……とりあえず風邪を引く前に着替えちゃいなさい。それからギデオンとも話し合ってみましょう。今年のカタログって誰かが持ってたわよね?」

 

「ハリーとシーザーが持ってたはずだ。それを見て近い棍棒を探してみようぜ。同じメーカーならそこまで変わってないだろうしさ。」

 

「……はい、そうします。」

 

すんすんと鼻を鳴らしながら棍棒を見つめるアレシアは、まるで想い人と別れることになった恋する乙女だ。うーん、ここに来て新たな問題か。ニールたちも報われないな。我らがぷるぷるちゃんは男子ではなく棍棒に恋していたらしい。

 

しょんぼりと俯くアーモンド色の頭を眺めつつ、霧雨魔理沙はクィディッチプレーヤーらしいぞと苦笑するのだった。

 

 

─────

 

 

「だからさ、クリスマスプレゼントってことでチーム全員で金を出し合って買うことに決めたんだよ。何だかんだでアレシアはまだ十二歳だしな。ビーター用の棍棒は結構高いし、親の理解があっても一人で買うのはキツいだろ。」

 

真っ白な世界が延々と続く田舎の冬景色。車窓に流れる白銀の大地を横目に言ってきた魔理沙へと、アンネリーゼ・バートリは適当な頷きを放っていた。クリスマスプレゼントに棍棒ね。イギリス魔法界のクィディッチプレーヤーともなれば、その非常識っぷりにも納得がいくぞ。

 

十二月二十四日の昼。数日前に今年の授業が終わっているホグワーツを出発した私たちは、毎度お馴染みの真紅の列車に乗ってキングズクロス駅まで移動しているのだ。今年は二十日と今日の二回列車が出ているので、例年なら混み合うはずの車両は中々の空き具合となっている。

 

窓に打ち付ける雪を見ながらぼんやりしていると、私の右隣に座っている咲夜が相槌を打った。魔理沙の隣ではハリーがクィディッチ用品のカタログを読んでおり、その更に隣ではジニーが『支配と凋落』というスキーター著の誰だかの伝記をパラパラと捲っている。ちなみにロンは先程シェーマス・フィネガンとディーン・トーマスに呼ばれて別のコンパートメントへとお出かけ中で、ハーマイオニーやルーナは二十日の列車で帰省済みだ。

 

「そんなに高いの? 棍棒って。」

 

「まあな、普通に考えるよりは全然高いぜ。単純な作りに見えるかもしれんが、別の素材がこう、何層にも重なってるんだよ。ビーター用のは無骨に見えて繊細な作りなんだ。」

 

「ふーん。……まあ、いいんじゃない? リヴィングストンもホッとしたでしょ。リヴィングストン本人がというか、そのご両親がね。」

 

「開催パーティーの時のドレスも安いもんじゃなかったろうしな。クィディッチってのはつくづく金がかかるぜ。突き詰めてくとキリがないんだ。」

 

苦笑しながらボヤいた魔理沙に、カタログに折り目をつけたハリーが同意を送った。折り目だらけじゃないか、そのカタログ。

 

「うん、どれもこれも欲しくなってきちゃうよ。専用の道具が殆ど無いシーカーでさえそうなんだから、ビーターとキーパーは大変だよね。……これ、どう思う? ニューモデルの箒グリップ。新素材なんだってさ。」

 

「どれだ? ……あー、これか。パークスが買うかもって言ってたぜ。ほら、ハッフルパフのチェイサー。贔屓のブランドなんだとさ。」

 

「いいね、それなら休み明けに見せてもらおうか。シリウスがさ、この前の勝ちのお祝いに何でも買ってくれるって手紙をくれたんだ。マリサの分もいいぞって書いてあったよ。」

 

「良い『スポンサー』じゃんか。そういうことなら遠慮なく何か頼んでみるかな。」

 

殺人鬼から無職へ、そしてお次はホグワーツチームのスポンサーか。明るい表情でカタログへと視線を移した魔理沙を眺めつつ、忙しなく人生を謳歌している犬もどきに鼻を鳴らしていると、ジニーがもう我慢できないという顔付きで本をパタンと閉じた。スキーターの書く伝記はお気に召さなかったらしい。

 

「もうダメ、読むに堪えないわ。これは伝記じゃなくてファンタジーよ。ママが大好きなギルデロイ・ロックハートの自伝と同じジャンルね。」

 

「ロックハート? ああ、ハーマイオニーが昔お熱だったあいつか。あの間抜けの本に関してはよく知らんが、スキーターの本を買うのが『ガリオンの無駄』ってことは分かっていたことだろう? 今更何を言っているんだ。」

 

「それでも何かヒントを得られるかもと思ったのよ。報道記者としてのヒントをね。……そう思って注文した時の私をぶん殴ってやりたいわ。これなら七色水風船を十ダース買った方がマシだったかも。」

 

「ちなみに誰の伝記なんだい?」

 

然もありなんと肩を竦めながら問いかけてやれば、ジニーは私に本を放って『被害者』の名前を口にする。

 

「ゲラート・グリンデルバルドよ。こっちにはヌルメンガードに収監されるまでの半生が書かれてて、死んだら『下巻』として議長就任後の伝記を書くつもりみたい。両方無許可なのは間違いないでしょうけどね。」

 

「何? ゲラートの?」

 

飛び出してきた意外な名前に興味を惹かれて、そこそこ分厚めのハードカバーの本を流し読みしてみると……うーん、嘘八百だな。ちらりとチェックした段階で二十近い嘘を確認できたぞ。著者のスキーター曰く、ゲラート・グリンデルバルドには双子の兄が居り、そいつと協力し合って二人分の仕事をこなしていたらしい。何をどうしたらそうなるんだよ。

 

「この双子の兄はどうなったんだい?」

 

「最後の方でダンブルドア先生に殺されたわ。伝説の決闘の最中に弟を守ろうとして死んだ『疑いがある』んですって。要するに、物語形式の空想ゴシップ本よ。ジョークとして見れば面白いかもね。」

 

「私は面白いと思うよ。三つ子にすれば尚良かったとも思うけどね。グリンデルバルド三兄弟の誕生だ。」

 

「悪夢ね。あんな人が三人も居たら世界がめちゃくちゃよ。」

 

死の秘宝も三等分できてちょうど良いじゃないか。杖ゲラートと、石ゲラートと、マントゲラートが世界を支配するわけだ。きっとありきたりなネクタイを禁じて、お気に入りのアスコットタイを唯一の正装に規定するに違いない。これ以上ないってほどにバカバカしい気分で本を返してから、持ってきたピスタチオの袋を開けて備え付けのテーブルにぶちまける。キングズクロス駅まではまだまだかかるだろうし、一杯飲んで過ごすとしよう。

 

「あ、ワインだ。私にもちょっと頂戴よ。」

 

「ジニーは構わないが、咲夜はダメだぞ。キミは酒癖が悪いからね。」

 

「……もう飲みませんってば。」

 

昔咲夜に美鈴が酒を飲ませてしまった時、この銀髪ちゃんがとんでもない泣き上戸だということが発覚したのだ。そして悲劇的なことに咲夜は都合良く記憶を失えるタイプではなかったらしく、以来食前酒すら口にしなくなってしまった。

 

少し赤い顔で甲斐甲斐しくピスタチオを剥いてくれている咲夜に同情しつつ、コルクを抜いたワインをグラスに注ぐ。レミリアはやれデキャンタージュがどうだとか、やれ酸化がどうだとかと喧しいが、私はそこまで拘っていない。飲むのに知識はいらんのだ。ワインを美味しくさせるのは醸造所やソムリエの役目であって、サーブされる側は堂々と味わえばいいのだから。美味ければ褒めるし、不味ければ貶す。それが支配者の役割だろうに。

 

「ハリーはどうだい? これは人間用のやつだぞ。」

 

「僕はやめておくよ。まだお酒の美味しさはちょっと分からないから。」

 

「まあ、無理に飲む必要はないさ。歳を取れば否が応でも味覚は変わるわけだしね。魔理沙は?」

 

「……ちょびっとだけ飲んでみるぜ。酒は初めてじゃないしな。」

 

ふむ、そうなのか。拡大魔法がかかった布袋からグラスを追加していると、ハリーがきょとんとした表情で質問を飛ばす。

 

「日本では未成年もお酒を飲んでいいの? イギリスはまあ、その辺は曖昧なわけだけど。」

 

「あーっとだな、私は田舎育ちだからさ。そういう風習というか何というか、そこまでガバガバ飲むのは日本も基本的にダメだった……かな? イギリスは子供でも飲めるのか?」

 

「外だとダメだし、普通はそんなに飲ませないけどね。マグル界だと買うのは十八歳からだよ。……あれ、十六だっけ? 多分十八だったと思うけど、自信がないや。」

 

もう立派な魔法界の住人になっているハリーが腕を組んで思い出しているのに、ワインを一口飲みながら軽く応じる。

 

「吸血鬼的に言えば、人間が飲酒に年齢制限をかけるのは謎の一つだね。昔は普通に飲んでいたじゃないか。何だって急に制限を作ったんだい?」

 

「身体に悪いからとかじゃないかな。僕は上手く答えられないし、そういう議論はハーマイオニーとすべきだよ。……ちなみにさ、『昔』っていつ頃の話?」

 

「昔は昔さ。人間たちが何かあるとすぐ酒に頼っていた頃だよ。病気の時は酒、魔除けに酒、傷にも酒、寒い日も酒、神事にも酒ってな具合にね。」

 

「思い出話というか、僕たちにとっては『歴史』の範疇だね。アルコールの効果が色々と判明して、必要がない時は使わなくなったってことなんじゃない?」

 

種としての進歩の一つというわけだ。つまるところ、今の人間たちは不必要だと理解した上で飲んでいるわけか。……まあうん、私はそういうところは面白くて好きだぞ。酒、煙草、ギャンブル、絵画、音楽、ファッション、趣味への浪費。そういった無駄なことこそ嗜好にすべきだろう。せっせと合理的に働くアリンコじゃあるまいし、折角知恵の実を食ったのであれば無駄をこそ楽しまなくては。

 

享楽こそが生の華。だから飲みたきゃ飲むべきだ。吸血鬼として導き出した結論にうんうん頷いていると、コンパートメントのドアがコンコンとノックされた。ロンが戻ってきたのかとドアに目をやってみれば、ガラス越しに魔法薬学の骸骨男の姿が見えてくる。

 

「おや、ブッチャーじゃないか。何で乗ってるんだ?」

 

「監督役だろ。こうやって生徒が酒盛りをしないように見張るためのな。」

 

没収される前にと慌ててグラスの中のワインを飲み干しながらの魔理沙の返答と共に、ドアを開けたブッチャーがワインボトルを指差して口を開く。……開いたままで声が出てこないわけだが、声帯をどこかに落としちゃったのか?

 

「どうしたんだい? ブッチャー。悪い魔法使いに声を奪われたか?」

 

「……ちが、違います。ワインですね? それはワイン! そうでしょう?」

 

「そうだね、ワインだ。このワインボトルに入った赤い液体の名前を当てた名推理には脱帽だが、キミには一滴たりともあげないぞ。私は服のセンスが悪いヤツには酒を奢らないことに決めてるのさ。そうなるとキミはダメだよ。地味な黒ローブは落第点だからね。」

 

相も変わらぬ真っ黒な重苦しいローブ。それを指差して明言してやると、ブッチャーは驚愕の顔付きで自身の姿を見下ろした後、口を数秒間パクパクさせてから次なる発言を寄越してきた。

 

「黒……黒は汚れが目立ちません。これは薬学のために、仕事のために着ているローブです。」

 

「キミね、生徒からの人気を得たいなら洒落っ気を出したまえよ。この際言わせてもらうが、その格好は取っ付き難いぞ。私の経験から言っても、黒ローブの魔法使いは大抵無愛想だしね。」

 

「そうではなく、ワイン! それはワイン! ……アルコールは人体に良くありません。度を過ぎた摂取は、未成年の飲み過ぎは体に毒です。お勧めしませんよ。」

 

「心配しなくても私以外はほどほどにさせるさ。それでいいだろう? 魔法界なら別に違法ってわけじゃないはずだ。他に違法にすべき飲み物が腐るほどあるからね。」

 

咲夜が職人ばりの手付きで素早く剥いていくピスタチオを頬張りながら言ってやれば、ブッチャーはまたしてもパクパクした後で……懐から取り出した何かを渡してくる。十匹ほどのカラカラに乾いた虫の死骸をだ。何のつもりだよ。狂ったか?

 

「靴虫の乾物! ……これは肝臓を助けます。つまり、アルコールの分解を。胃腸の働きを補助する効能もありますから、飲酒した後に食べておいた方がいいでしょう。」

 

「……感謝するよ、ブッチャー。酒を飲んでいて虫を渡されたのは生まれて初めてだ。貴重な経験になったよ。実に貴重な経験に。」

 

「ヒヒッ、感謝は不要です。教師は生徒を助けるものですから。蜂蜜で漬けてありますから、美味しいはずですよ。」

 

私の遠回しな嫌味を素直に受け取ったブッチャーは、どことなく嬉しそうにも見える不気味な笑顔でコンパートメントを出ようとするが、背を向けたところで立ち止まって肩越しに問いを投げてきた。

 

「……黒は、黒いローブはダメ。それなら何色が良いと思いますか?」

 

「知らんが、黒以外だ。明るい色がいいんじゃないかな。派手なプリントでもあれば尚良いが。」

 

「明るい色。……そうしましょう。私のローブは明るい色!」

 

最後に大声を上げながら頭をガックンガックンさせたブッチャーは、そのままコンパートメントを出て遠ざかって行く。嵐が過ぎ去った場が沈黙に包まれる中、魔理沙が虫の死骸を一つ手に取ってポツリと呟いた。

 

「どうするよ、休み明けのブッチャーのローブがレインボーカラーになってたら。責任取れよな、リーゼ。……うお、美味いぞこれ。」

 

「そんな物をよく食べられるね、キミ。何虫って言ってた? 随分と異様な見た目だが。」

 

「靴虫って言ってたね。脚が八本あるし、蜘蛛の仲間かな? 初めて見たよ。ロンが帰ってくる前にどうにかした方がいいかも。」

 

「ロンのやつ、蜘蛛が苦手だもんな。誰も食べないなら私が食べていいか? ハニートーストの味がするぜ。」

 

こいつ、正気か? ハリーに応じた魔理沙はその場の全員がドン引きしているのにも構うことなく、靴虫の乾物とやらをひょいひょい口に放り込んでいく。全然抵抗がないみたいだし、まさか幻想郷では虫を食うんじゃないだろうな? だとすれば私は移住を保留させてもらうぞ。

 

「……虫なのよ? 魔理沙。分かってる?」

 

「何事もチャレンジだろ。イナゴの佃煮とかだって存在してるわけだしな。」

 

「でも、虫なの。脚が八本もある虫。そこが重要な点なのよ。」

 

その通りだ。戦慄の表情で親友から身を引く咲夜を横目に、アンネリーゼ・バートリは移住への不安を膨らませるのだった。

 



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お願い

 

 

「こんにちは、二人とも。私、アビゲイルよ。よろしくお願いするわね。」

 

想像していたよりもリアルな造形だな。手首の球体関節以外は人間そのままの人形からの挨拶を受けて、霧雨魔理沙は笑顔で返事を返していた。駅のホームまで迎えに来てくれたアリス曰く、『一人の少女として普通に接して欲しい』とのことだったし、とりあえずはきちんと挨拶しておくべきだろう。

 

「霧雨魔理沙だ。マリサが名前な。よろしく頼むぜ。」

 

「サクヤ・ヴェイユよ。……よろしく。」

 

年少への態度を意識して応じた私に対して、咲夜はやや警戒していることを窺わせる声色だ。そんな私たちを交互に見た人形……アビゲイルは、ひょこひょことリビングの方へと歩きながら話を続けてくる。足が悪いのか?

 

「あのね、エマと一緒にケーキを作ったの。お友達になるためにはお茶会が一番でしょ? 形はちょっと崩れちゃったけど、味は大丈夫なはずよ。期待して頂戴。」

 

「そいつは楽しみだな。……おい、咲夜。態度が悪いぞ。何でそんなに無愛想なんだよ。」

 

「だって、スパイかもしれないじゃないの。私からすれば迂闊に気を許す方がおかしいわよ。警戒して然るべきだわ。」

 

後半を囁き声に変えた私の苦言に、咲夜もまた小声で言い返してきた。リーゼとアリスが『無害』だと判断したなら大丈夫だと思うがな。見た感じは単なる八、九歳の女の子だぞ。咲夜はあの時期に会う機会がなかったから知らないだろうが、容姿そのものは開催パーティーで見た子供版アリスに似ている気がする。……とはいえ、纏う雰囲気が異なっているので受ける印象は大違いだ。子供版アリスが『大人しくて賢そう』だったら、アビゲイルは『明るくて可愛い』ってとこかな。

 

つまるところ、クリスマス休暇でダイアゴン横丁の人形店に帰ってきた私たちは、リーゼたちが北アメリカから連れてきた人形とのファーストコンタクトを交わしているわけだ。壁に手をつきながら歩き難そうにしているアビゲイルを見て、後ろでやり取りを見守っていたアリスに質問を放つ。

 

「直してやれないのか? 足。少し可哀想に思えるんだが。」

 

「直そうかって言ってはみたんだけどね。左足はベアトリスに……例の魔女に直してもらいたいんですって。もうちょっと打ち解けたらまた提案してみるつもりよ。」

 

「『感情的』な選択だな。その辺はどうなんだよ。自律人形かもしれないって件、リーゼから聞いたぜ。」

 

「……調査中だけど、可能性はあるわ。」

 

これはまた、アリスもアリスで複雑な心境らしいな。……まあ、気持ちは何となく理解できるぞ。自分が生を懸けて追っていた主題の『答え』。それがいきなり現れれば混乱もするだろう。少なくとも手放しで喜ぶって気分にはなれないはずだ。

 

難しい顔をするアリスを気にしつつ、アビゲイルの後からリビングルームに入ると……おー、ちょっとした歓迎パーティーってか。色紙を切って作ったらしい飾りで彩られているダイニングテーブルが見えてきた。エマならもっと小綺麗に作るだろうし、アビゲイルが私たちのために用意してくれたのだろう。

 

「……どうかしら?」

 

テーブルの前に立って少し緊張した表情で感想を求めてくるアビゲイルに、にっこり微笑みながら口を開く。誰が作った人形だろうが、私にはこれを邪険にすることは出来ん。

 

「ありがとよ、アビゲイル。気持ちが伝わってくるぜ。」

 

「……そうね、悪くないんじゃないかしら。」

 

「良かったわ。喜んでくれなかったらって思うと不安だったの。ケーキはこれよ! 味が違うやつを二つ作ったから、好きな方を食べて頂戴。こっちがチョコで、こっちがベリーね。」

 

嬉しそうな笑みで私と咲夜の手を引いてきたアビゲイルは、テーブルの上の二つのケーキのことを説明してきた。エマが紅茶を淹れるのを横目にそれを聞いていると、真っ先に席に着いたリーゼがケーキに載っている飾りをひょいと持ち上げる。チョコの板に文字が書いてあるやつだ。

 

「何だい? これは。」

 

「ダメよ、アンネリーゼ。それはマリサとサクヤのなんだから。貴女のはほら、吸血鬼用のクッキーよ。甘い物がそんなに好きじゃないってエマが言ってたから、特別に作ったの。」

 

「おや、気が利くじゃないか。」

 

クッキーに興味を移したリーゼが元に戻した板に書いてあるのは……むう、『仲良くしてね』という下手くそな文字だ。アビゲイルがホワイトチョコレートで書いたらしい。

 

「どうだ? 咲夜。これでもまだ疑うか?」

 

「……油断させるための作戦かもしれないでしょ。『純粋な女の子作戦』。」

 

「私は疑いすぎだと思うがなぁ。」

 

目を逸らしながら呟く咲夜にジト目を向けた後、私たちも席に着いてエマからティーカップと取り皿を受け取った。さて、食うか。バースデーケーキってほど大きくはないが、それでも二つ合わせれば結構な量だ。残すのは気が引けるし、ここは気合を入れて臨むべきだろう。

 

───

 

そして苦笑するアリスにも手伝ってもらいながら何とかケーキを平らげたところで、糖分過多で眠くなってきた私の視界に……クマ? とてとて歩いてくる『クマさん人形』の姿が映る。ファンシーな光景だな。隣にアリスの人形が付き従っているんだから尚更だ。

 

仲良くリビングのドアを抜けてきた二体の人形を怪訝な思いで観察していると、慌てて立ち上がったアビゲイルがそちらに歩み寄った。

 

「ティム、ダメよ。まだバランスの調整中なんでしょう? 転んじゃうわ。」

 

「あら、賑やかだから来たくなっちゃったの? 大丈夫よ、アビゲイル。少しくらいなら平気でしょう。むしろ動きを見せてくれれば調整の手助けになるわ。」

 

「そうなの? ……ほらティム、せめて目の届く場所で練習して頂戴。ありがとう、上海人形。付き添っててくれたのね。」

 

アリスの言葉を聞いて二体の人形を抱っこしたアビゲイルは、そのままテーブルの上にそれを置くが……部屋の『人形密度』が更に高くなったな。隅っこでは『お掃除ちゃん』がせっせと掃除をしているし、キッチンでは洗い物をしている人形や、エマがリーゼのためのつまみを作っているのを手伝っている人形が居る。魔女の工房の面目躍如って光景だぞ。

 

人間界でも魔法界でも滅多に見られない不思議な状況に苦笑いを浮かべる私を他所に、テーブルの上に乗せられたクマ人形は私と咲夜の方へとぎこちなく近付いてくると、ぺこりと不器用な動作でお辞儀してきた。挨拶ってことか。

 

「あー、どうもな。霧雨魔理沙だ。」

 

「サクヤ・ヴェイユよ。」

 

「この子はティム。今は喋れないけど、昔はよくお喋りしてたのよ? ずっと故障してたんだけど、アリスのお陰でまた動けるようになったの。」

 

「そっかそっか、良かったな。」

 

最近の人形ほど毛並みは良くないが、愛嬌のある造形だな。私の発言にこくこく頷いたクマ人形は、アビゲイルの近くに戻ってぽすんと座り込む。……もしかして、こいつも自律人形ってことなんだろうか? アリスに問いかけの目線を向けてみれば、彼女は困ったような表情でかっくり首を傾げてしまった。不明なのか。

 

うーむ、魔女見習いとしてそれなりに興味はあるが、私にはさっぱり理解できない世界だな。そもそも何を以って『自律している』と判断するんだ? そこまで行くと魔法ではなく、哲学の分野だぞ。

 

魅魔様やノーレッジなんかはどんな答えを返してくるんだろうかと想像しつつ、仲良くテーブルに座っているクマ人形とアリスの人形……素人目に見るとどちらも『自律』しているように思える二体の人形を眺めていると、一人離れたソファでワインを楽しんでいるリーゼが声を上げた。

 

「明日の昼間は隠れ穴でパーティーなんだろう? アリスは結局どうするんだい?」

 

「行きます。色々と手助けしてくれたお礼を伝えないといけませんし、ビルにはまだ結婚のお祝いを言えてませんから。」

 

「私がアビーちゃんとティム君と三人で留守番しておきますから、みんなで楽しんできてください。」

 

「留守は任せたよ、エマ。……そういえば、マクーザの闇祓いとの話は済んだのかい?」

 

マクーザの闇祓い? いきなり出てきた言葉にきょとんとする私と咲夜を見て、アリスはリーゼに返答しながらこちらにも説明してくる。

 

「ええ、済みました。……捜査を引き継いだ闇祓いから、一応事情聴取を受けたのよ。さすがに無関係ってわけにはいかないでしょう? 向こうもかなり気を使ってたし、イギリス闇祓い局長のロバーズが同席してって状況だったけどね。」

 

「被疑者から参考人に格下げってわけさ。ま、あくまでも形式上の取り調べってことだね。」

 

「向こうの闇祓い局は別に犯人が居るって前提で捜査するみたいです。今は連盟でのテロを調査しつつ、例の目撃者の線を追っているんだとか。」

 

「選択の余地なんてないだろうさ。国際保安局を取り潰した以上、闇祓い局としてはそっちに全額ベットするしかないんだ。面子を保つために必死に捜査してくれると思うよ。」

 

そういうことか。やっと目に見えて好転してきた状況にうんうん頷きつつ、別の疑問をアリスに飛ばす。アビゲイルはよく分かっていない顔付きだし、作り手の魔女がアリスを狙っていることを聞かされていないのだろう。その辺は言葉を濁す必要がありそうだな。

 

「ホームズはどうなったんだ?」

 

「アメリアによれば、もう間も無くマクーザの議員を罷免されるみたい。委員会の方の議長職についてもグリンデルバルドが解任決議を起こすらしいわ。時期が時期だし、そっちは年が明けてからになりそうだけど。」

 

「呆気ないな。本人は抵抗してないのか?」

 

「それがね、姿をくらましてるみたいなの。マクーザ議会からの召喚にも、連盟の呼び出しにも応じないんですって。」

 

何だそりゃ。あまりの無責任さにぽかんとする私と咲夜へと、リーゼが焼きたてのクラッカーで謎の黒いぷちぷちを掬いながら愚痴ってきた。見たことない食べ物だな。後で貰おう。

 

「私たちとしても予想外の行動でね。ガキじゃあるまいし、まさか全てを放り出して逃げるとは思わなかったよ。一体全体何を考えているのやら。」

 

「でも、立場とか……そういうのはあるわけですよね? それも全部捨てちゃったってことですか?」

 

「合衆国議員は罷免、国際保安局は取り潰し、委員会の議長は解任決議に一直線。まあ、何もかもが捨てる間も無く消え失せたわけだからね。何も残らなかったから逃げちゃったって可能性はありそうだ。」

 

「……信じられないほどに無責任ですね。結局何をしたかったんでしょうか? あの人。」

 

呆れ果てたと言わんばかりの咲夜の問いに、リーゼもまたバカバカしいという表情で返事を返す。ちらりとアビゲイルの方を見ながらだ。

 

「アリスを追い詰める予定で作ったものの、使えなくなったから捨てちゃったのかもね。所詮道具の一つでしかなかったんだろうさ。望みがないなら早めに見切りをつけて、次の作戦の準備をしようってとこじゃないか?」

 

「……普通さ、そんな簡単に見切りをつけられるか? ホームズは十数年か、下手すりゃ何十年もかけて準備した駒なわけだろ? 社会的な立場も頑張って作ったみたいだし、勿体無いとか思わないのかな?」

 

「魔理沙、一つ教えてあげよう。人外にとって数十年なんてのは大した時間じゃないんだ。例の魔女は私よりも若いみたいだし、時間の感覚も相応に『遅い』らしいが……それでも軽くポイできる程度の時間だろうさ。拘泥する方がよっぽど無駄だよ。」

 

「なるほどな。……相変わらずその辺の感覚は理解に苦しむぜ。」

 

私が思うに、時間ってのは長命だろうが短命だろうが等しい速度で流れるものだぞ。だからこそそういう理屈はよく分からん。仮に私が数百年生きても、そこから歩む十年はそれなりの長さのはずだ。思い返す時に短いと感じるのは理解できるが、現在進行形なら無駄にするのを『惜しい』と考えるのが普通じゃないか?

 

まあ、実際に五百年を生きた吸血鬼が判断しているのだ。それを覆せるほどの論拠を持っていない以上、そっちの判断を優先すべきだろう。……こういう感覚は実際に長生きしてみれば分かるものなんだろうか? 十年そこらしか生きていない私には何とも言えない価値観だな。

 

中々に興味をそそられるテーマを受けて、頭の中で思考を巡らせていると……ずっと黙って聞いていたアビゲイルが小首を傾げて質問を口にする。

 

「なんだか難しいお話ね。アンネリーゼもアリスも忙しいってことなの?」

 

「というか、問題が一つ片付いて忙しくなくなってきたってことだよ。まだ残ってはいるがね。」

 

「えっとね、ビービーを探す方はどうなの? 別に催促してるんじゃないのよ? 私、この家に来てからとっても楽しいし、不便を感じてるわけじゃないんだけど……やっぱり早く会いたいの。どうかしら? 手掛かりは掴めた?」

 

正にそれが『残った問題』だとは気付いていない様子のアビゲイルに、リーゼは肩を竦めて端的に応じた。

 

「取り組んではいるが、まだかかりそうだね。キミのご主人様は隠れるのがお上手みたいだ。」

 

「そっか、残念だわ。……あのね、アンネリーゼ。もう一つお願いしたいことがあるの。無理ならいいのよ? ダメだったら諦める。私の我儘だってことは理解してるから。」

 

「前置きは結構だから、『お願い』とやらを言ってみたまえ。」

 

ワイングラスを揺らしながら苦笑したリーゼへと、アビゲイルは言い難そうにモジモジしてから口を開く。

 

「だから、その……他の子も連れてきちゃダメかしら? ティムみたいに、動けない子たちをアリスに直して欲しいの。ティムがね、動けなかった時のことも覚えてるんだってジェスチャーで教えてくれたのよ。喋れないし動けなかったけど、意識はあったみたい。……そうなると家に残してきたあの子たちが可哀想だわ。私が居る時は抱っこして歩き回ったり、話しかけたりしてたんだけど、今は誰も居ない家でずーっとジッとしてるだけ。どんな気持ちかって考えると不安になってくるの。」

 

「ふぅん? それは確かに楽しくなさそうな状況だね。」

 

「そうでしょ? 私だったらとっても寂しいわ。……私は世間知らずだけど、この家に連れてくるのが迷惑がかかることだっていうのは分かってるのよ? だからね、私がその分お手伝いをする。エマとか、アリスとか、もちろんアンネリーゼのお手伝いも。その代わりに残りの子たちを置いてあげてくれないかしら? ビービーが見つかるまでの間だけでいいから。」

 

ギュッと手を組んで頼んでくるアビゲイルを見て、リーゼが腕を組んで考えていると……やおらテーブルの上に居たクマ人形が立ち上がったかと思えば、私と咲夜が空けた皿をずりずりと運び始めた。ひょっとして、片付けをしているつもりなのか?

 

「……貴方も手伝うって言いたいの?」

 

咲夜がポツリと質問を呟くと、クマ人形は大きく首肯してから皿を重ねてテーブルの端へと引き摺っていく。殊勝なクマだな。何とも微笑ましい光景に半笑いを浮かべる私たちを尻目に、アリスがリーゼのことをジーっと見つめ出した。

 

「……新大陸なんだぞ、アリス。遠いんだ。分かってるかい?」

 

「私が行きます。人形を回収して戻ってくるだけでしょう?」

 

「キミを敵の縄張りで単独行動させるわけにはいかんだろうに。」

 

「じゃあ……アピスさん。アピスさんに同行をお願いします。大妖怪らしいですし、それなら問題ないはずです。」

 

アリスのやつ、珍しくリーゼに対して強く出ているな。人形が絡むと頑固になるのは彼女らしいぞ。断固とした口調で返事をしたアリスへと、リーゼは困り果てた表情でため息を吐く。

 

「残念だが、私はキミを預けられるほどにはアピスのことを信頼していないんだ。……分かったよ、私も行けばいいんだろう? あの家に行って、人形を回収して戻ってくる。それだけだからね。長居はしないぞ。」

 

「ありがとうございます、リーゼ様。」

 

「ありがとう、アンネリーゼ! 大好きよ!」

 

アリスはリーゼに勝てないが、リーゼもまたアリスにだけは勝てないのだ。宜なるかなってところだな。アリスとアビゲイルからお礼を言われて微妙な顔になったリーゼは、グラスの中の紅い液体を飲み干してから具体的な予定を語った。

 

「来年にまで持ち越すのは面倒だから、クリスマスが終わったら行くことにしようか。アリスはもう被疑者じゃないし、今回は普通に正規ルートで入ろう。そうすればボストンに直行できるからね。」

 

「アンネリーゼ、私もついて行っちゃダメかしら? どの子を連れて帰ればいいかとか、上手く伝えきれるか不安だわ。」

 

「もう何でもいいよ。幸いなことに今は冬だし、手袋か何かで手首を隠せば大丈夫じゃないか? 好きにしてくれたまえ。」

 

「ならよ、私も──」

 

アメリカには行ったことがないし、いっそ連れて行ってもらおうかと提案を放とうとした瞬間、リーゼがそれをピシャリと封じてくる。何だよ、ケチだな。魅魔様が拠点にしていた土地を私も見たいぞ。

 

「ダメだ。雪だるまはここでストップだよ。」

 

「っちぇ。行ってみたかったのに。」

 

「仮にも魔女を目指しているのであれば、新大陸なんぞに現を抜かしてどうするんだい? あんなバカバカしい土地に行ってみたいなんてのは魔女の台詞じゃないぞ。」

 

「意味不明だぜ、その理屈。」

 

あーあ、折角のチャンスだったのにな。……ま、いいさ。イルヴァーモーニーがマホウトコロに勝って、かつ決勝の会場校になれば行けるだろう。望み薄かもしれんが、そっちのルートに期待しておくか。マホウトコロにだって興味があるわけだし、今年はチャンスが沢山あるのだ。

 

アメリカと日本の魔法学校のことを想像しつつ、霧雨魔理沙は口の端に付いていたクリームをぺろりと舐めるのだった。

 



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隠れ穴のクリスマス

 

 

「そうか、授業は楽しいか。それは良かった。……まあ、アレックスとコゼットの娘だものな。そりゃあそうだ。いつも居眠りしていた俺とは違うか。」

 

朗らかな笑みで語りかけてくるロバーズ局長へと、サクヤ・ヴェイユは愛想笑いで曖昧に頷いていた。同じように闇祓い局の局長だったスクリムジョール部長とか、ムーディさんとは全然違う雰囲気だな。普通に『話しやすいおじさん』って感じだ。ちょっと意外だぞ。

 

今日は十二月二十五日、つまりはみんな大好きなクリスマス。四人で隠れ穴を訪れた私たちは、ウィーズリー家主催のクリスマスパーティーに参加している真っ最中なのだ。家具が隅っこに片付けられたリビングルームは沢山の飾りで彩られており、予想以上の数の参加者たちが手に手にモリーさんの料理を持って談笑している。

 

「えっと、ロバーズ局長の噂も色々と聞いています。アリスの件、ありがとうございました。アリバイの証言とかもしてくれたみたいで。」

 

そんな中、闇祓い局の現局長さんに話しかけられてしまったわけだが……この人もやっぱりお父さんやお母さんの知り合いだったようで、会話の導入はいつも通りお母さんそっくりの顔とお父さんの瞳のことだったな。もちろん悪い気はしないものの、毎度お馴染みのふわふわした不思議な気分になるぞ。

 

私のお礼に対して、ロバーズ局長は大慌てで手を振りながら返事を寄越してきた。うーむ、部下の後ろでどっしり構えているタイプの人ではなさそうだ。愛嬌はあるけど、闇祓いって雰囲気じゃない。それなのに局長。どうにも掴めない人だな。

 

「いやいや、当然のことをしたまでだよ。マーガトロイドさんには随分とお世話になっているし、人としても闇祓いとしても証言をするのは当たり前さ。……しかし、本当に驚きだな。あの時お腹の中にいたのが君なのか。会ったばかりのおっさんにそんなことを言われても困るだろうけどね。」

 

「そんなことはありません。ちょっと照れ臭いですけど。」

 

「すまないね。君としては複雑なんだろうが、ご両親と一緒に働いていた私たちは……おっと、オグデンさん! サクヤちゃんですよ。一声かけてあげてください。」

 

オグデンさん? 話の途中でロバーズ局長が声を投げた方へと目をやってみると、奇妙な格好をした長身の男性の姿が見えてくる。スーツなのに長い革のブーツ。おまけに黒革のカウボーイハット。かなり特殊なファッションセンスだな。

 

初老手前くらいに見える糸目の男性は、呼びかけに応じてこちらに視線を向けると……どうしたんだ? ぽかんと大口を開けて私のことを見つめた後、そわそわと落ち着かない様子でスーツのジャケットのボタンを留めてから、非常にバツが悪そうな顔付きで近付いてきた。

 

「……どうも、ミス・ヴェイユ。アルフレッド・オグデンです。元闇祓い副長で、今はアズカバンの監獄長をしています。」

 

「サクヤ・ヴェイユです。よろしくお願いします。」

 

そして沈黙。やや気まずい空気を感じて私がどうしたらいいのかとロバーズ局長の方を見ると、彼も困惑しているような顔でおずおずと口を挟む。

 

「あーっと……どうしたんですか? オグデンさん。無口な貴方なんて初めて見ましたけど。口調もやけに丁寧ですし。」

 

「いやなに、僕のような不良中年にミス・ヴェイユが毒されてしまっては大変だろう? だから余計なことを喋らない方がいいと思ったのさ。」

 

初めて会った私でも無理していることが丸分かりな態度で戯けたオグデン監獄長は、そのまま私に何かを言おうと口を開きかけるが……結局は何も言わずに軽くお辞儀して足早に遠ざかって行った。まるで逃げ去るかのようにだ。

 

「……私、何か粗相をしちゃったんでしょうか?」

 

「いや、そうじゃないと思うよ。あの人はちょっと変わってるからね。気にしないでくれ。」

 

ポリポリと頭を掻きながらロバーズ局長が苦笑いを浮かべたところで、今度は顔見知りの一団が歩み寄ってくる。ポッター先輩とロン先輩、それにアーサーさんだ。

 

「やあ、ガウェイン。サクヤと話していたのかい?」

 

「ああ、アーサー。そうです。とても懐かしい気分になれましたよ。料理も美味しくいただいています。」

 

「それは良かった。……それでだね、こっちは息子のロナルドとその友人のハリー・ポッターだ。どちらも今年七年生で闇祓い志望だから、何かアドバイスを聞かせてもらえればと思ったんだよ。」

 

「それは良いですね。闇祓い志望は大歓迎ですよ。」

 

快活さを感じる笑みで先輩二人に向き直ったロバーズ局長へと、ポッター先輩とロン先輩はそれぞれ自己紹介を放つ。これも『就職活動』の一つってことか。大変だな。

 

「何度かお会いしてますけど、きちんと話すのは初めてですね。ハリー・ポッターです。」

 

「ロバーズだ。……まあ、君のことはもちろん知ってるよ。ダームストラング戦でのキャッチは見事だった。あの一瞬だけは警備を忘れて喜んでしまったからね。」

 

「ロン・ウィーズリーです。よろしくお願いします。」

 

「ノッポで、赤毛。間違いなくウィーズリー家の魔法使いだね。君の家はボーンズ家やヴェイユ家と並んで私が尊敬する家系の一つだ。よろしく頼む。」

 

ふむ、とりあえずは好印象っぽいな。二人としっかり握手したロバーズ局長は、続けて闇祓いについてを語り始めた。それを真剣な表情で聞く先輩たちを尻目に、するりと場を離れてリーゼお嬢様を探していると……ジニー? 笑顔のジニーが私の手を引いてくる。お嬢様のお世話をしないといけないのに。

 

「ジニー、どうしたの?」

 

「こっちこっち、面白いわよ。」

 

「面白い?」

 

何事かと進行方向に目を向けてみれば……何だあれは。テーブルの上にちょこんと座っている赤ちゃんが、キャッキャと笑いながら目まぐるしく姿を変えているのが見えてくる。ルーピン家の変身赤ちゃんだ。

 

「何あれ。」

 

「ね? 可愛いでしょ?」

 

「そりゃあ可愛いけど、どういう状況なの?」

 

「ドーラに合わせて変身してるのよ。」

 

言われてよく確認してみれば、母親であるニンファドーラさんが変身するのに合わせてテディも変身しているらしい。母が赤毛になれば赤毛に、黒髪になれば黒髪にといった具合に。七変化の英才教育だな。父親であるルーピン先生は苦笑しながらそれを眺めているようだ。

 

変身する度に周囲で見ている人たちが拍手するのが、子供ながらに何だか嬉しいのだろう。赤ちゃんはどんどんテンションを上げながら変身の速度までもを上げている。中々見応えのある母子の合わせ技を見物していると、視界の隅に椅子に座って談笑しているリーゼお嬢様とハーマイオニー先輩の姿が映った。

 

テディの可愛い姿も貴重だが、私にとって優先すべきは常にリーゼお嬢様だ。ぱちぱちと拍手しているジニーから離れてそちらに近付くと、私の接近に気付いたお嬢様が先に声をかけてくる。

 

「おや、咲夜。私のことはいいから楽しんでおいで。酌はハーマイオニーがしてくれてるよ。」

 

「リーゼのことは飲み過ぎない程度に見張っておくから大丈夫よ。」

 

「いえ、私も結構食べたり話したりしましたから。……モリーさんを手伝った方がいいですかね?」

 

「んー、今は行かない方がいいだろうね。デラクールが……じゃなくて、今はもうフラー・ウィーズリーか。彼女が手伝ってるみたいだから。ウィーズリー家の嫁姑問題を解決するためにも、少し二人っきりで作業させるべきだろうさ。」

 

あー、そういう状況になっているのか。若干不安な思いでキッチンの方をちらりと見てから、遠くのテーブルで何かゲームをしている魔理沙を眺めつつ空いている席に腰を下ろした。ビルさんとチャーリーさん、それにブラックさんも一緒だ。スニッチを使ったテーブルゲームをしているらしい。

 

「……賑やかですね。」

 

「だね。交じって騒ぐのも悪くないが、こうして見ているのも乙なもんだ。歳を取って得た知識の一つだよ。」

 

「お婆ちゃんみたいなことを言わないでよ、リーゼ。……パパとママ、大丈夫かしら? 双子に話しかけられてるみたいだけど。」

 

「私は止めに行くべきだと思うよ。見た限りじゃ何か手渡されてるみたいだぞ。マグルからすれば『刺激が強い』であろう何かを。」

 

お揃いのドラゴン革のジャケットを着た双子先輩を不安そうな顔で見つめていたハーマイオニー先輩は、リーゼお嬢様の助言に従って席を立ってそちらに歩いて行く。まあうん、私も間に入るべきだとは思うかな。どう見ても悪戯グッズを渡しているようだし。

 

ハーマイオニー先輩に代わってリーゼお嬢様のグラスにワインを注ぎつつ心配していると、お嬢様は天井のランプにグラスを翳してポツリと呟いた。光に照らされたワインの紅さをジッと観察しながらだ。

 

「実に平凡なパーティーだね。これを勝ち取るのにどれだけの苦労をしたことやら。」

 

「……割に合わないと思いますか?」

 

「これが不思議なことに、思わないんだよ。苦労に見合うものだと思ってしまうのさ。」

 

「それなら良かったです。主人の喜びはメイドの喜びですから。」

 

ふんすと鼻を鳴らしながら言ってみれば、リーゼお嬢様はくつくつと笑って応じてくる。今日のお嬢様は少しだけ大人っぽい雰囲気だな。お酒が入っているからだろうか?

 

「キミから見て、私は変わっているかい? つまり、昔の私と今の私は。」

 

「リーゼお嬢様がですか? ……分かりません。そこまで大きくは変わっていないと思います。私から見れば、ですけど。」

 

アリスはよくリーゼお嬢様が丸くなったと言うし、美鈴さんなんかはレミリアお嬢様が変わったと常々口にしていた。でも、私にとっては……そんなに変わっているとは思えないのだ。

 

パチュリー様が言うには、吸血鬼は人間よりも身内意識が強いらしい。ならば今のお嬢様方はその範囲を広げただけであって、本質的な部分は変わっていないんじゃないだろうか? 昔も今も身内以外には容赦がないはずだ。

 

とはいえ、私は私の物心が付く前のお嬢様方を当然知らない。記憶の中で見た妹様が今の妹様と大きく違っていたように、私の知らないお嬢様方が存在していた可能性も大いにあるだろう。

 

ううむ、それはちょっとヤだな。主人のことを全部知りたいと思ってしまうのは我儘なのだろうか? 思考を飛躍させている私に、リーゼお嬢様はゆったりと頷いて返答してくる。

 

「そうか、レミィやパチェとは意見が分かれたね。あいつらは私が変わったと思ってるらしいんだよ。……おや、プレゼント交換をやるみたいだぞ。行っておいで、咲夜。折角用意してきたんだろう?」

 

「お嬢様は行かないんですか?」

 

「んふふ、私は我儘で頑固だからね。きちんと自分に合わせたプレゼントが欲しいし、相手に合わせたプレゼントを贈りたいんだ。ランダムな交換なんてのは以ての外なのさ。キミの分も後で渡すよ。」

 

「えーっと……はい、楽しみにしておきます。」

 

我儘って言うのかな、それ。プレゼントの流儀を語ったリーゼお嬢様にお辞儀してから、ブラックさんが主導しているプレゼント交換会の会場へと進んで行く。その途中でちらりと振り返ってみれば、私と入れ替わりでお嬢様の隣の椅子に座っているアリスの姿が目に入った。挨拶回りは一段落したらしい。アリスも交換会には参加しないのかな?

 

まあ、アリスがこうやって自由にパーティーに参加できるようになって何よりだ。魔女の方はホグワーツに戻る私たちじゃ手助け出来ないだろうし、多分リーゼお嬢様とアリスが調査を進めていくのだろう。

 

ルーナのお父さんが持っているカラフルな蛍光色の箱。あれ以外だったら何でもいいなと参加者たちが持つプレゼントの箱を見回しつつ、サクヤ・ヴェイユは自分の用意したプレゼントを手に取るのだった。

 



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焼け落ちた幸せ

 

 

「……怖くないわ。別に怖くはないけど、あれは危なくないの? 凄いスピードよ?」

 

そういえば、自動車を見るのは初めてなのか。白い毛糸の手袋を嵌めた右手でポケットの中のティムを、左手で私の手をギュッと握り締めているアビゲイルを横目に、アリス・マーガトロイドは真昼のボストンの街並みを見渡していた。冬は寒くなる土地だと本で読んだ覚えがあるのだが……ふむ? 思っていたほど雪は積もっていないな。日陰なんかに薄く残っている程度だ。もう少し先が冬本番なのだろうか?

 

ニューヨークほど現代的で煌びやかではないが、ニューヨークよりも風情を感じる夕陽が似合いそうな街。年明け直前に私たちがこの街を訪れたのは、ベアトリスの工房にある人形たちを回収するためだ。今回はきちんとマクーザに申請した上で渡航しているので、ポートキーでボストン郊外の公園まで直接移動している。北アメリカで杖魔法を使用するための杖の登録もイギリス魔法省経由で済ませてあるから、あとは三十キロほど離れた位置にある工房へと姿あらわしするだけ。リーゼ様の機嫌が悪くなる前にさっさと終わらせてしまおう。

 

公園の前の道路を走る自動車を警戒するアビゲイルに、イトスギの杖を取り出しながら口を開いた。リーゼ様は……おおっと、既にイライラとコートの中の翼を動かしている。急いだ方が良さそうだ。

 

「アビゲイル、大丈夫よ。自動車はこっちには来ないわ。走っていい場所が決まっているの。」

 

「そうなの? ……あれは生きてるの?」

 

「へ? ……生きてはいないわ。中に人が乗っていて、動かしているだけよ。馬車と同じで単なる移動手段なの。」

 

純粋な視点というのは時に突拍子のない発言を生み出すな。今日のために急遽ロンドンで私が買ってきた白いダウンジャケットとブルージーンズ姿のアビゲイルに説明してから、次にチェスターコートを羽織っているリーゼ様へと呼びかけた。ちなみに私は黒いタートルネックのセーターとジーンズ、そしてベージュのトレンチコートを着ている。私は基本的にパチュリーと同じ『ロングスカート党』の所属なのだが、気温が低いことを予想して珍しくパンツを選択したのだ。

 

「リーゼ様、行きましょう。」

 

「ああ、了解だ。アビゲイルは任せたよ。」

 

言うや否や姿くらまししてしまったリーゼ様の後を追って、私もアビゲイルに一声かけてから付添い姿あらわしを使う。発言が端的になるのはリーゼ様の機嫌が悪い証拠だ。理由が分かっていてもちょっとビクビクしちゃうぞ。

 

「アビゲイル、もう一度魔法で移動するから掴まっててね。ティムのこともしっかり持っておいて頂戴。」

 

「分かったわ。ティム、ギュッてしておいて。離れちゃダメよ。」

 

アビゲイルの指示にこくこく頷くティムを微笑ましい気分で眺めつつ、慣れた姿あらわしの感覚と共に移動した先には……どういうことなんだ、これは。枯れて茶色になった蔦がへばり付いている煉瓦の塀と、黒ずんだ骨組みだけになっている屋敷の姿が目に入ってきた。

 

先に移動したリーゼ様は近くに居るし、場所はここで合っているはず。だが、この様子は……焼け落ちたのか? 事が起きてからはそれなりの時間が経過しているようで、薄く雪が積もっている屋敷の残骸に火の気は一切見当たらないが、一見した限りでは正に『大火事で焼け落ちた屋敷』といった具合だ。

 

「……リーゼ様、これは──」

 

真紅の瞳を鋭く細めて周囲を観察しているリーゼ様に、戸惑いながら質問を放とうとした瞬間、アビゲイルが私の手を離して変わり果てた屋敷へと駆け出してしまう。愕然とした表情でだ。

 

「アビゲイル!」

 

その途中で転んで雪解け水の水溜りに突っ込んでしまったアビゲイルを抱き上げるが、彼女は私の拘束を無言で振り解いてぎこちない歩みで屋敷へと近付いて行く。そのまま見る影もなくなった屋敷の玄関に立つと、泣きそうな顔になりながら大声で人形たちの名前を呼び始めた。

 

「マギー! ジーン! ……アル、ステフ、バート! みんなどこなの? アビーよ! ティムも一緒よ!」

 

「アビゲイル、落ち着いて。」

 

「でも、でも……みんなは? どうしてこんなことになってるの? 私が勝手に出て行ったから? ビービーとの約束を破っちゃったから?」

 

「違うわ、貴女の所為じゃない。……私も手伝うから、とにかくみんなを探してみましょう。崩れたら危ないから手を繋いでね。」

 

転んだ拍子に濡れてしまったアビゲイルの服を杖魔法で乾かした後、震える彼女の手を取って柱や床の一部だけが残る屋敷の中へと歩を進める。震えているのは寒いからではなく、恐怖からだろう。友達を喪ってしまったかもしれないという、底の知れない恐怖。私にも覚えがある恐怖だ。

 

「でも、みんな動けないの。何かあっても逃げられないのよ。私が居たらみんなを運べたのに、私が居なかったから。」

 

「……みんなが居たのはリビングよね?」

 

「うん、そう。家を出る時にソファに座らせてあげたの。私が居ない間も一緒だったら寂しくないかなって思って。それで、それで──」

 

話の途中で到着したリビング……『リビングだったはずの場所』を見て、アビゲイルはぴたりと口を噤んでしまった。あの時あった壁も、棚も、床も、アピスさんが直した時計も、ソファやテーブルも無いリビングルーム。端が焦げた木材や、石造りの暖炉だけがぽつんと残されているだけだ。

 

呆然と立ち尽くすアビゲイルのポケットの中からティムがぴょこんと飛び降りて、ソファがあった場所に歩み寄る。床板すらも残っていないその場所を、何かを探すように歩き回るティムのことを遣る瀬無い気持ちで見つめていると……近付いてきたリーゼ様がポツリと呟いた。

 

「結界は出る時にアピスが直したはずだ。私が調べた際には火の気もなかった。まさか偶然雷が落ちるはずもないし、自然発火やマグルの放火ってのは有り得ないぞ。」

 

「……人外の仕業ってことですか?」

 

「疑わしいのが誰かは言うまでもないだろう? 簡単な消去法だよ。」

 

アビゲイルを見ながら言葉を濁したリーゼ様に、悔しい思いで首肯を返す。神秘が薄い妖怪の居ない土地で、いきなり関係のない人外が遥々この場所を訪れた上で放火するはずなどない。だとすれば可能性が高いのはベアトリス。この家の持ち主だけだ。

 

だけど、どうしてそんなことをする必要がある? この屋敷の人形たちは主人の帰りをずっと健気に待っていたというのに、その見返りがこれだなんて酷すぎるぞ。憤りと悲しみで頭を混乱させていると、アビゲイルの静かな声が場に響く。

 

「……私が悪いんだわ。私がビービーの言い付けを守らなかったから、だからこんなことになっちゃったのよ。私の所為。私の所為なの。」

 

「アビゲイル、違うわ。貴女は何も──」

 

「違わない! きっと罰なのよ! 私、私、本当はビービーを探すためだけじゃなかった! 寂しかったからアリスたちについて行ったの! もう一人は嫌だったから、もっとお話ししたかったから、お友達が欲しかったから、だからアリスたちと一緒に家を出たのよ! ……その所為だわ。私が我儘な悪い子だからこんなことになっちゃったのよ。良い子のままでいれば、きちんとお留守番をしていればこんなことにはならなかったの。ごめんなさい。ごめんなさい、みんな。私の所為でこんなことに。」

 

ソファがあった場所に膝を突いて、蹲って謝り続けるアビゲイル。その背をそっと摩りながら、どう声をかけるべきかと悩んでいると……やおらリーゼ様が背後を振り返った。

 

「ふぅん? 見張ってたのかな?」

 

「……どういう意味ですか?」

 

「お客さんだよ。というか、こっちがお客さんなのかもね。気配を隠そうともしないあたり、何か話があるみたいだぞ。」

 

誰かが近付いてきているということか。急いでティムを回収した後、アビゲイルと自分を守るように七体の人形を展開させる。杖を構えながらリーゼ様の視線の先を注視していると、門の方から誰かがこちらに歩いて来るのが見えてきた。……女性だ。有り触れた服装の見慣れぬ成人女性。人形か?

 

金髪の三十代前後の女性はリーゼ様と十メートルほどを挟んだ距離まで歩み寄ると、無機質に微笑みながら挨拶を飛ばしてくる。見た目は平凡なマグルの女性って感じだな。

 

「こんにちは、ミス・バートリ。」

 

「ごきげんよう、人形。前置きはいいから話すべきことを話したまえ。壊すのはその後にしてあげるよ。」

 

「相変わらず端的ですね。……しかし、参りました。ここで私と貴女がたが出会ってしまったということは、思った以上に劇が進行しているようです。アリスさんもこんにちは。また会えましたね。」

 

「……私と『貴女』はまだ一度も会っていないでしょう? 今この瞬間もね。」

 

リーゼ様から聞いている、魅魔さんの記憶で明らかになった魔女の姿とは似ても似付かないし……やはりその身体もベアトリス本人のものではないわけだ。睨み付けながら言い放ってやれば、人形は肩を竦めて応答してきた。

 

「確かに今話しているのは『私』ではありませんが、この人形は完全に操作するタイプの一品ですから、私とアリスさんが話しているのと近い状態ですよ。この人形も役者の一人である以上、相似であって同一ではありませんがね。……それよりどうでしたか? アルバート・ホームズは。私としてはいまいちな出来でしたが、貴女がたから見れば違うかもしれません。是非とも感想を聞かせてください。」

 

「感想なんて無いわ。貴女は何がしたかったの?」

 

「どうなんでしょうね。今となっては私も自分が何をしたかったのかがよく分からないんです。アリスさんはどう思いますか? 何をしたかったんでしょう? 私は。」

 

「私が知るわけないでしょう?」

 

何なんだ、こいつは。発言がふわふわし過ぎているぞ。困ったように問いかけてきた人形に、刺々しい口調で返事を返したところで……リーゼ様が話に介入してくる。つまらなさそうな表情でだ。

 

「それじゃ、私が当ててあげようか。……キミはアリスを自分と同じ目に遭わせたかったんだ。アリスだけが幸せなのが気に食わなかったんだよ。ありきたりで身勝手な妬みだね。」

 

「おや、自分の推理に自信があるようですね。」

 

「まあね、こう見えても色々と考えてるのさ。つまるところ、キミはアリスを『独りぼっち』にしてやりたかったんだろう? 身に覚えのない罪を着せられて、周囲の人間から嫌われる。そういう状況に持っていきたかったわけだ。嘗てのキミと同じような状況に。……だが、キミの予想に反してアリスは孤立しなかった。キミのことは誰も庇ってくれなかったのに、アリスのことは誰もが守ろうとした。個人どころか国家の利益さえ度外視してね。……聞かせてくれたまえよ。どんな気持ちで見ていたんだい? 悔しかった? 妬ましかった? 理不尽だと感じた?」

 

「残念ながら、その推測は外れです。そんな下らない理由ではありませんよ。……そしてもっと残念なことに、今の私は明確な答えを貴女がたに教えることが出来ないんです。こちらにも制限があるんですよ、色々と。私もまた役者の一人だったようでして。たとえ私個人が全ての答えを教えたいと思っていても、偉大なる脚本がノーと言えば逆らうことなど出来ません。だってほら、それが良い役者というものでしょう?」

 

何だそれは。悪趣味な『脚本』を書いているのは自分自身だろうが。感情の読めない微笑で回答した人形に、リーゼ様は嘲るような笑みで会話を続けた。

 

「同じ魔女なのにアリスは沢山の人に囲まれていて、同じ魔女なのに自分の周囲には誰も居ない。だから同じ場所まで引き摺り下ろしてやりたくなったわけだ。『お友達』が自分より優れているのが、自分以外の友達が沢山居るのが我慢ならなかったんだろう? ……おや? 私の推理は正しかったようだね。」

 

「違うと言っているじゃありませんか。話の通じない方ですね。」

 

「私は嘘吐きなんだ。この世で一番とは言えないものの、それでも類稀なる大嘘吐きなのさ。だから他人の嘘を見抜くのも得意なんだよ。私の答えは全てが正解しているわけではないが、大きく外れてもいないはずだぞ。」

 

口の端を吊り上げながら主張したリーゼ様を見て、人形が初めてその表情を崩す。今の台詞に何か意味があったのだろうか? 訝しむような目付きでジッとリーゼ様のことを見つめる人形へと、黒髪の吸血鬼は実に吸血鬼らしい笑みで言葉を繋げた。

 

「気付いたかい? そうさ、キミの味方なんてどこにも居ないんだ。キミに迷惑をかけられていると言ったら、魅魔は喜んで私に情報を提供してくれたよ。……んー、残念だったね。魅魔もキミのことが嫌いなのさ。薄汚れた灰色の少女には誰も味方してくれないみたいだぞ。」

 

「ブラフですね。あの方は特定の誰かに肩入れするような性格ではないはずです。取引で入手した情報でしょう?」

 

「『仮面を被って、役を演じる』だったか? 魅魔としては迷惑なガキを追い払うため、至極適当に放った台詞らしいよ。……おや? まさかキミ、今の今までそれに気付かず真摯に従っていたのかい? 先輩魔女が教えを授けてくれたとでも? おいおい、冗談じゃないよ。キミは魔女にも妖怪にもなりきれない半端者じゃないか。永久に独りぼっちのままさ。まさか誰かが『仲間』になってくれると本気で思っているんじゃないだろうね? だとしたらさすがに笑えないが。」

 

「……少し黙っていてくれませんか? 貴女は言葉を無駄にしすぎている。そんな言葉に価値はありません。」

 

僅かな敵意を表し始めた人形に、リーゼ様は尚も口撃を捲し立てる。心を惑わす吸血鬼の本領発揮だな。揺さぶりをかけて反応を見ようというつもりらしい。

 

「分かってないね、魔女と違って吸血鬼の言葉は磨り減らないんだ。使えば使うほどに鋭くなっていくのさ。それよりキミ、受け売り以外で何か話せないのか? つくづく空っぽだね。主題がなく、理念もなく、目的すらない。なーんにも無いじゃないか。……聞かせてくれたまえよ。キミ、何のために存在しているんだい? 居なくなったところで誰も気にしないと思うがね。だったら早いとこ消え失せてくれないか? 少々目障りなんだ。誰の役にも立たない癖に迷惑だけは──」

 

「黙っていてくれと言いました。聞こえませんでしたか?」

 

「悪いが、私はお喋りなんだ。泣いて頼まれたってやめないよ。何せ私はキミのことが嫌いだからね。慣れてるだろう? 嫌われるのには。誰かに好かれたことがあるかい? アリスはあるぞ。私だって好きだし、みんな彼女のことが大好きさ。対するキミは……おっと、すまないね。生まれながらの嫌われ者だったっけ。ホームズの頑張りのお陰でよく分かったはずだ。キミが嫌われるのは魔女だからでも人外だからでもなく、キミ自身の問題なんだよ。何をしたって無駄なのさ。アリスとキミは違──」

 

「そこまでです。」

 

杖魔法は使えるのか。右手で素早く杖を抜いて青色の閃光を放った人形は、それをぱちんと払ったリーゼ様に向けて口を開く。静かな怒りを秘めた声色でだ。リーゼ様の口撃は効果があったらしい。

 

「話になりませんね。根拠のない批判になど意味はありません。もう一度だけ言います。黙っていてください。」

 

「ふぅん? 怒っちゃったかい? 許しておくれよ。私は少々お茶目な一面があるんだ。一々激怒するなんて大人気ないぞ。」

 

「……本題に入りましょうか、アリスさん。その卑怯な出来損ないを渡してください。私の人形作りとしての、魔女としての、そして『ベアトリス』としての汚点を掃除しておきたいんです。貴女がここを訪れたことに気付いた時はゾッとしましたよ。同じ人形作りである貴女にそんなガラクタを見られてしまったのは恥ずかしいですが、そこは今更どうにもなりませんね。……言い訳だけはさせてください。初期の作品なんです。まだ私が未熟だった頃、間違いで生み出してしまった出来損ないですよ。今はもっと完成された人形を作れますから。」

 

とうとうリーゼ様を無視して私に話しかけてきた人形に、パッと顔を上げたアビゲイルがおずおずと質問を送った。期待と不安が綯い交ぜになったような表情だ。

 

「……ビービー? ビービーなの?」

 

「そうですよ、私のアビー。この人形の奥に居るのは貴女の主人です。こっちにいらっしゃい。終わらせてあげますから。」

 

「ビービー! ……アリス、離して! ビービーよ! 『私のアビー』って! ビービーの呼び方だわ!」

 

ダメだ、行かせられない。慌てて駆け寄ろうとするアビゲイルを押さえていると、その隙にティムが人形の方へと駆け出してしまう。それを私の人形に止めさせる間も無く、ベアトリスが操る人形は杖を振り上げて駆け寄ってくるティムへと呪文を飛ばす。

 

「アビー、お涙頂戴の『お友達ごっこ』はやめてください。私はもう貴女の……ああ、ティムも残っていましたか。全て処理したと思っていたんですがね。コンフリンゴ(爆発せよ)。」

 

ティムへと一直線に進む赤い閃光が、彼の小さな身体に激突しようとする直前……良かった。リーゼ様の妖力弾が空中で閃光にぶつかって、その軌道を無理やり変えさせる。弾かれた閃光が地面を抉るのと同時に、私の腕の中のアビゲイルが呆然と問いかけを口にした。

 

「ビービー? どうして……その子はティムよ? 忘れちゃったの?」

 

「覚えていますよ、私のアビー。というか、最近思い出しました。……だから壊しに来たんじゃないですか。貴女たちを見ていると本当に気分が悪くなります。その媚びるような態度には虫唾が走りますよ。」

 

「何を言ってるの? 何を、何で……ビービーは私たちが嫌いになっちゃったの?」

 

「そうですね、大っ嫌いです。そんなこと貴女だって分かっているでしょう? 全部焼いたと思ったのに、どうしてしぶとく残ってしまったんですか? ……ああ、嫌になります。早く居なくなってくださいよ。私に操り切れない人形は不要なんです。」

 

忌々しそうな表情で言って再び杖を振り上げた人形だったが、その腕が振り下ろされようとした瞬間、轟音と共に肩口から消し飛んだ。腕を失くした衝撃でぐらりとよろめいた人形は、大した感慨もない口調で妖力弾を放った直後の姿勢のリーゼ様へと言葉を投げる。右肩から流れる大量の血は無視しながらだ。

 

「……何のつもりですか? あの出来損ないに情でも湧きました?」

 

「そういうわけでもないんだけどね。壊されるとアリスが悲しむし、壊せなければキミは悔しいだろう? だったら私のやることなんて決まっているのさ。」

 

「つくづく上手くいきませんね。アリスさんならともかくとして、この段階で貴女にまで邪魔をされるとは思っていませんでした。貴女は本当に厄介な役者ですよ。予測が出来ないワイルドカードだ。」

 

「お褒めに与り光栄だよ。……思い出したぞ。金髪の三十代女性。面長。身長は五フィート六インチほど。その人形、誘拐の『目撃証言』の時に使ったやつだね? マドリーン・アンバーだったか?」

 

そういえば、マクーザからの報告書にあった人物像と一致するな。立ち止まったティムをひょいと掴み上げながら指摘したリーゼ様へと、人形は躊躇うことなく肯定を返す。

 

「そうですよ。そのために人間を改良して作った急拵えの人形ですけどね。その辺の路地裏でクスリの売人をしていたゴミみたいな人間ですし、別に問題ないでしょう?」

 

「そこはどうでも良いが、気になるのは何故迂遠な方法を選択したかだよ。アリスそっくりの人形を作って、実際にそいつに攫わせれば良かったんじゃないか? まさか思い付かなかったわけじゃないんだろう?」

 

「それは私の人形作りとしての美学に反します。アリスさんはそこに存在しているじゃありませんか。既に存在する人物を『改良』するならまだしも、新たに『偽物』を作るのは好きじゃないんですよ。最近更に嫌いになりましたしね。アリスさんも、貴女も、そして私も。オリジナルが一人存在していればそれで充分なんです。」

 

「ふぅん? 哲学的な意見だね。私も一年ほど前に友人から借りた本で読んだよ。『スワンプマン』はお嫌いなわけだ。……それならホームズはどうなるんだい? 私が見た限り、あれはクロード・バルトの偽物なわけだが。」

 

手に持っていたティムを……おっと、いきなりだな。こちらにぶん投げてきたリーゼ様は、私が人形を操ってキャッチするのを尻目に視線で答えを促す。それに対して、ベアトリスの操る人形は何故か表情を明るくしながら返事を寄越してきた。何だってこのタイミングでそんな顔になるんだ?

 

「死んだじゃありませんか、クロード・バルトは。オリジナルがこの世に存在しない以上、アルバート・ホームズは偽物ではありませんよ。少なくともアルバート・ホームズを制作した時点の私はそう思っていたんです。……ミス・バートリ、よく聞いてください。スワンプマンは過去の私の価値観では許容できるものでした。オリジナルが死んで退場しているのであれば、そっくりな誰かが代わりに舞台に上がったところで誰も困りませんからね。しかし、今現在の私はそれを許容していない。泥で作られた偽者が、オリジナルとは違う存在だということに気付いたんです。」

 

「論点がズレてるぞ。私が聞きたいのはだ、何故クロード・バルトの顔を流用したのかって点だよ。……悔しかったのかい? 五十年前に彼はキミの支配を破ったわけだからね。それが心に残っているんだろう?」

 

「……なぞり切ったんですよ、私は。クロード・バルトという人間をこれ以上ないほどに演じ切った。あれはだからこそ起きた事故です。人間ごときが私の支配を破ったわけではありません。」

 

「言うだけならタダだね。キミは人間をナメすぎたんだよ。……理解できないものには手を加えられない。クロード・バルトが最期に自分の意思で腕を動かしたのは、キミが『改良』し損ねた部分がそうすべきだと命じたからさ。」

 

苦笑しながら肩を竦めたリーゼ様に、人形はほんの少しだけイライラしているような声で反論を飛ばす。

 

「まるで見たかのように言いますね。貴女はそれを判断できるほどの材料を持っていないはずですが?」

 

「それがだね、持っているんだよ。私も『それ』を理解していなかった頃に痛い目に遭ったのさ。……キミは私に対して苛々しているようだが、私もキミに対してイラついているぞ。キミはまるで昔の私のようだからね。人間という連中の複雑さを理解せず、表面だけで判断していた頃の愚かな私だ。これ以上未熟な頃を思い出させないでくれたまえ。恥ずかしいから。」

 

「……昔の貴女がどうだったのかは知りませんが、私は明確に理解していますよ。人間という存在の薄汚さをね。ニューヨークのミストレスから情報を得たならご存知のはずです。私は生まれた時にそれを知りました。この身を以って。」

 

「……ま、いいさ。私はあのジジイほど優しくないんだ。好いてもいない相手にそれを懇切丁寧に教えてやるつもりはないよ。話を戻そう。何故クロード・バルトの顔を使ったんだい? その答えをまだ聞いていないぞ。」

 

ゆっくりと歩み寄って覗き込むように見上げるリーゼ様へと、人形は一歩だけ下がってから口を開いた。また無表情に戻っているな。

 

「大した意味はありませんよ。強いて言えば分かり易いと思ったからです。」

 

「意趣返しだろう? ポール・バルトの件にしたってそうさ。キミは気に食わなかったんだ。キミが認めたくない『それ』を示したクロード・バルトのことが、『それ』故に深い場所まで辿り着いたポール・バルトのことが。自分には向けてくれなかったのに、他人が持っていることが我慢ならなかった。そうなんだろう?」

 

「……単なる推測を振り翳し、分かったような気になっているのは見ていて滑稽です。意味のない話はここまでにしておきましょう。その出来損ないどもを渡すつもりがないのであれば、この人形に出来ることはもうありませんね。この辺で──」

 

「また逃げるのかい? 仮面の下の自分と向き合いたまえよ。私には分かったぞ、キミの主題が。そしてキミも本当は分かっているはずだ。コインの裏と表さ。望んでいるからこそ、キミは拒絶しているわけだね。……そうさ、そういうことなんだ。よーく分かったぞ。だから魅魔はキミを弟子にしなかったんだ。当たり前の話だったんだよ。主題そのものが魔女という存在に反しているんだから、骨の髄まで魔女なあの女が弟子に取らないのは当然のことじゃないか。」

 

リーゼ様は何かに気付いたようだ。たどり着いた自分の推理に笑みを浮かべながら、人形を指差して続きを語ろうとするリーゼ様だったが、それを見た人形は徐に残った左手で自分の首を掴むと……また『自殺』か。片手だけでぐしゃりと首を握り潰してしまう。プショーの時の二の舞だな。

 

「……ふん、聞きたくないらしいね。ガキだよ、ガキ。自分の望みを認めたくないのさ。だけど棄てられもしないから、うじうじといつまでも同じ場所を回ってるんだ。そうであって欲しい癖に、そうであることが許せない。迷惑をかけられるこっちとしてはうんざりするよ。」

 

やれやれと首を振りながら吐き捨てるリーゼ様へと、崩れ落ちた人形を見つめながら質問を送った。私にはまだ分からないな。あの魔女の主題は……ベアトリスの望みは何なのだろうか?

 

「結局、ベアトリスの主題は何なんですか?」

 

「予想に過ぎんが、ようやく自信を持てる答えにたどり着けたよ。拘り続けるものこそが主題なのであれば納得さ。一言で表すとすればこれだろうね。」

 

ショックで押し黙っているアビゲイルと、血溜まりに横たわる人形の方をジッと見ているティム。二体の人形たちを横目に、リーゼ様は一つ息を吐いてから自身の推理を口にする。

 

「人間だ。あのガキは『人間の魔女』だよ。」

 

人間。妖怪として生まれ、魔女という種族を押し付けられ、そして人形を作り続ける人外の主題が『人間』? 呆れたように、それでいて疲れたように放たれた答えを受けて、アリス・マーガトロイドは青い目を見開くのだった。

 



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愛故に

 

 

「んー、よく分からんな。『人間の魔女』か。お前はどう思うんだよ。」

 

クリスマスプレゼントとしてシリウスから買ってもらったグローブを専用の液体に浸しつつ、霧雨魔理沙はテーブルで宿題を進めている咲夜に問い返していた。新品のグローブは硬いので、こうやって軟化液で好みの柔らかさに調節する必要があるのだ。

 

1997年の終わりが目前に迫った十二月三十一日の昼過ぎ。私たちは暖かい人形店のリビングで話をしながら、思い思いの作業を進めているわけだが……アビゲイルとティムは部屋に籠りっぱなしだな。北アメリカでベアトリスの操る人形に言われたことが余程にショックだったらしい。

 

まあ、話を聞いた限りでは無理もないだろう。私に置き換えれば魅魔様に『出来損ない』と罵られた挙句、『廃棄処分』されそうになったわけなのだから。心中を察してため息を吐く私へと、咲夜は変身術の教科書を横目にペンを滑らせながら返事を寄越してくる。ちなみに今の話題はベアトリスの主題についてだ。リーゼの推理によれば、例の魔女の主題は『人間』であるらしい。

 

「……私は分からなくもないわ。拘っているからこそ我慢できない。その気持ちはちょっとだけ理解できるもの。」

 

「そこはまあ、私も理解できないってほどじゃないけどよ。結局のところさ、ベアトリスは人間が嫌いなのか? 好きなのか? そこが分からんぜ。」

 

「ある意味ではどっちでもあるんでしょ。大嫌いだけど『もしかしたら』と思ってるし、期待してるけど『どうせダメだ』とも考えてる。そういうことなんじゃない? 殺してやりたいほど憎い相手を愛するようなものよ。」

 

「……やっぱ分からんな。私にとっては縁遠い価値観だぜ。」

 

憎しみと愛なんてのは正反対の感情じゃないのか? 薄緑色の液体から出したグローブの柔らかさをチェックしながら呟いた私に、咲夜は物憂げな表情でポツリと応じてきた。

 

「そりゃあ、貴女は分からないでしょう。眩しいほどに真っ直ぐだもの。……でも、私は何となく分かるわ。捻くれ者だからなのかしらね。届かないなら壊しちゃえって感情が理解できるのよ。」

 

「いやいや、壊したら後悔するだろ。愛してるんだから。」

 

「好きで好きで堪らない相手が、自分を一切見ようとせずに他のヤツを見つめているようなものよ。普通なら我慢できないでしょうし、いっそのこと全部叩き壊してやりたくなるの。その状況で自分を押し殺して相手の幸せを祝福できる人間なんてそう居ないわ。……私はたった一人だけそれをやり切った人を知ってるけどね。妹様が話してくれたから。」

 

「……私も知ってるぜ。アリスとハリーから聞いたからな。」

 

セブルス・スネイプ。感傷的な顔付きの咲夜は、リリー・ポッターへの無償の愛を貫き通した彼のことを言っているのだろう。……なるほど、ほんの少しだけ理解できたぞ。スネイプが愛故に尽くしたように、ベアトリスは望むが故に我慢できないわけだ。歪んだ独占欲のようなものか。リーゼが『ガキ』と評価していたのも分かる気がするな。

 

スネイプが備えていたほどの強さをベアトリスが持っていなかったのか、そもそもスネイプが特別すぎたのか、あるいはスネイプのリリー・ポッターへの感情とはまた違うものなのか。その辺は私には判断しかねるものの、二人の始まりが似通っていて、たどり着いた結論が正反対のものだったってことは分かったぞ。

 

愛ね。巷に溢れる言葉の一つだが、言うは易く行うは難しってやつだな。ハリーや咲夜の両親も、ダンブルドアも、スネイプも。私如きの想像なんかじゃ追いつけないほどの感情と覚悟を抱いていたんだろう。だからこそ彼らは行動できたのだ。それが出来ないのはある意味当然のことであって、成し得た彼らこそが『異常』だったのかもしれない。

 

私なら出来るんだろうか? いざその瞬間がこの身に訪れた時、彼らのように断固として行動することが出来るのか? 少なくとも自信を持って頷けるほど軽いものじゃないなと黙考する私に、咲夜もまた悩んでいるような顔で話を締めてくる。

 

「ベアトリスは我慢できなかったんじゃない? 自分がどうしても欲しかったものが、自分にだけは与えられなかったことに。だから捻くれて、塞ぎ込んで、曲がっちゃったのよ。巻き込まれた私たちからすれば迷惑この上ないけど、その点にだけは同情するわ。」

 

「何て言うかさ、人間的だよな。妖怪っぽくも魔女っぽくもない思考の巡り方だぜ。リーゼやレミリアだったらそうはならんだろうし、ノーレッジも同じだ。妖怪で、魔女なのに、どうしようもなく人間。そういうことなのかもな。」

 

「救われない話よね。アリスは自分のことを『狭間の存在』って言ってたけど、ベアトリスにこそその言葉が相応しい気がするわ。どこにも掴まれず、誰も掴んでくれなかったから隙間に落ちちゃったのよ。自分がそうなったらと思うとゾッとするわね。」

 

私は魅魔様に、ノーレッジやアリスはリーゼに、咲夜は紅魔館の面々に掴んでもらえた。だけど、ベアトリスにはそういう相手が居なかったわけか。生まれた時に周囲に居た人間たちも、助けを求めた魅魔様もその手を掴んでくれなかった結果、こんな状態にたどり着いてしまったと。確かに救われない話だな。

 

ようやくグローブが希望に近い柔らかさになったのを受けて、軟化液を拭き取りながら陰鬱な気分で首を振っていると……やっと起きたのか。リーゼがリビングに入ってきた。その背後にはエマの姿もある。

 

「おはよう、諸君。今年最後の一日を有意義に過ごせているかい?」

 

「真昼間まで寝てたお前よりはな。挨拶ついでにこいつを消してくれよ。普通に流しちゃダメらしいからさ。」

 

「仰せのままに、クィディッチ狂さん。エバネスコ(消えよ)。……グローブを洗ってたのか? 年の瀬にやることじゃないだろうに。」

 

「柔らかくしてたんだよ。硬いままだとボールを掴み難いからな。……アビゲイルとティムは部屋から出てないぜ。今はアリスが話をしに行ってる。」

 

慌てて立ち上がってリーゼの座ろうとした椅子を引く咲夜と、キッチンに移動して朝ご飯……というか昼ご飯を作る準備を始めたエマ。そんな二人に世話を焼かれまくりのバートリ家のお嬢様に報告してやれば、彼女は小さく鼻を鳴らしながら口を開く。

 

「ふん、あんな主人は見限ればいいのさ。労に報いるのは上に立つ者の義務だ。相手がしもべ妖精だろうが、妖精メイドだろうが、人間だろうが、人形だろうが。忠義への対価を支払わないヤツになんか仕える必要はないんだよ。」

 

「……お前は払ってるのか? 対価。」

 

「さて、それは私が答えるべき質問じゃないね。どうだい? エマ、咲夜。満足しているかい?」

 

キッチンのエマと隣の咲夜に問いかけたリーゼへと、ベテランメイドと見習いメイドは間髪を容れずに返答を口にした。どちらも笑顔でだ。

 

「それはもう、充分に。」

 

「私は不満ゼロです!」

 

「ほら、見たまえ。これが出来る主人というものさ。あのガキは問う必要のない忠実な人形を望むのかもしれないが、私は問われたところで問題ないからね。忠誠は作るのではなく、育てるものなんだよ。支配者としての格が違うのさ、格が。」

 

頗るご機嫌な様子でえっへんと凹凸のない胸を張るリーゼに、はいはいと手を振りながら軟化液を入れていたボウルや下に敷いていた新聞紙なんかを片付ける。私から見りゃレミリアと一緒で我儘お嬢様なんだけどな。もしかしたらそのくらいの方が仕え甲斐があるのかもしれない。

 

我儘なほど可愛いってわけか。こういうのも支配者の資質かと苦笑しながらキッチンに移動して、ボウルを流し台に置いてからエマへと声をかけた。

 

「何か手伝うか? 暇だぜ。」

 

「じゃあ、ベーコンを焼いてくれますか? 焦げる直前くらいのカリカリに。」

 

「はいよ、任せとけ。」

 

うーむ、エマは本当に気を使うのが上手いな。最近分かってきたのだが、ここで『大丈夫ですよ』と断るのはどうやら二流の気の使い方らしい。手伝いたいなという相手の感情を汲んで、ほどほどな作業を手伝ってもらう。そういうのが一流なようだ。

 

これも咲夜の言う『メイド道』の技術の一つかと感心しつつ、油を引いていないフライパンにベーコンをいくつか載せる。私はベーコンの焼き方には一家言あるのだ。水で浸したりオーブンを使うのは邪道。カリカリにしたいなら頻繁にひっくり返しながら中火でじっくりってのが一番だぞ。

 

香ばしい匂いを受けて自分の分も焼こうと何枚か追加したところで、近寄ってきた咲夜が更なる量を投入した。こいつも食う気か。

 

「私のもお願いね。……エマさん、卵を手伝います。」

 

「あら、二人ともお昼ご飯が足りませんでしたか?」

 

「そういうわけでもないんですけど、折角ですから。」

 

「……太るぞ。」

 

エマと会話中の咲夜に警告してみると、彼女はムスッとした顔で言い返してくる。友の忠言は素直に聞くべきだぞ。

 

「そっちだって食べる気なんでしょ? 自分はどうなのよ。」

 

「私は日々クィディッチでカロリーを消費しているが、お前はしていない。だから太るぞ。」

 

「……太らないわよ。事実として今現在太ってないじゃない。痩せてるくらいだわ。」

 

「変わらないものなんて無いんだよ、咲夜。グローブが柔らかくなるように、ベーコンがカリカリになるように、お前の体型も変わっていくのさ。お前、この休暇中にどれだけエマのお菓子を食べた?」

 

偉大な師匠の言葉を引用して諭してやれば、咲夜はぎくりとしながらシャツをたくし上げて自分のお腹をチェックした後……そそくさとバスルームの方へと歩いて行った。ハリーが嘗て闇の帝王と対峙したように、彼女にも体重計と向き合う時が訪れたということだ。

 

不利を悟っている顔付きの咲夜を見送りながらベーコンをひっくり返していると、クスクス微笑んでいるエマが話しかけてくる。

 

「意地悪ですねぇ、魔理沙ちゃん。」

 

「私は友人想いなのさ。エマだってぷよぷよの咲夜は嫌だろ?」

 

「私は可愛いと思いますよ。ちょっとくらいぷよぷよの方が安心しますしね。なんかこう、病気とかに強そうじゃないですか。」

 

「そうか? ……うーん、どうなんだろ。」

 

太ってた方が危ない気がするけどな。とはいえ痩せててもまあ、不安っちゃ不安だし……分からん。兎にも角にも私は平気だろう。最近薄っすらと腹筋がついてきたのはやや不安だが。個人的にはカッコいいと思う反面、女らしくないというか何と言うか、そういう面の恐怖はちょびっとだけあるぞ。

 

調理しながら自分のお腹についてを葛藤していると、とんでもなく微妙な表情の咲夜がリビングに戻ってきた。明確な敗北ではなかったが、形勢悪しといったところか? 無言でフライパンの上のベーコンをジッと見つめる『ぷよぷよ予備軍』に、ダイニングテーブルで新聞を読んでいるリーゼが呼びかける。

 

「おいで、咲夜。」

 

「へ? はい。」

 

とてとてと近付く咲夜に向き直ったリーゼは、徐に彼女のシャツを捲ってお腹を観察すると……肩を竦めながらおへその辺りをちょんちょんと突く。突かれる度に咲夜がぴくぴく動いているぞ。

 

「キミね、こんなもん気にするような状態じゃないぞ。私としてはもっと太って欲しいくらいだよ。気にせず沢山食べたまえ。」

 

「でも……あの、増えてました。ちょっとだけですけどね。ほんのちょびっと。」

 

「見たところ背も伸びてるぞ。その分を勘定に入れたまえよ。……というかだ、どこまで伸びるつもりなんだい? キミは。そろそろ打ち止めになってくれ。」

 

「えーっと、すみません。もう伸びないように努力します。」

 

何だそりゃ。……でもまあ、打ち止めになって欲しいのは私も同じだな。三年生の終わり頃はほぼ同じ身長だったのに、今や私よりも咲夜の方が明確に背が高い。同年代の女子と比較すればむしろ私の背が飛び抜けて低く、咲夜も平均より若干下ってレベルなわけだが、それでも差がつきすぎるのは何か嫌だぞ。アリスのことももう抜いてるじゃないか。

 

リーゼと一緒に打ち止めを願いつつ、完成したベーコンを皿に盛ったところで、疲れたような顔のアリスが部屋に入ってきた。ベーコンを食べる気分じゃないのは明白だな。

 

「……起きてたんですね。おはようございます、リーゼ様。」

 

「おはよう、アリス。人形たちの様子は?」

 

「変わりません。アビゲイルは落ち込んでいて、ティムはずっと座り込んだままです。今は私の人形に見張らせてます。……つまりその、もしもの行動に備えて。」

 

「もしも? ……おいおい、まさか自死するかもってことかい? 人形が?」

 

疑わしそうなリーゼの質問に、アリスは向かいの席に腰を下ろしながら首肯を返す。人形の自殺か。それをテーマに論文一本書けそうだな。

 

「もう私にも予想が付かないんです。お手上げですよ。……主人が壊れることを望んでいるのであれば、壊れようとするのが人形ですから。だけどアビゲイルもティムも主人の命令に反することが出来るわけですし、一概にそうなるとも言えません。つくづくパチュリーと話したいですね。一人で考えるのは難しい題目です。」

 

「紫の計画とは直接関わらないはずの内容だし、手紙を届けられないか今度聞いてみるよ。冬眠中だから望み薄かもしれないけどね。……今後はどうする? 『捨て人形』をうちで育てたいのかい?」

 

「ダメでしょうか?」

 

「きちんと世話をするのであれば、別にダメとは言わないさ。……ま、そこは後々でいいか。先ずはキミが満足するまで関わってみたまえ。私は滞在を許可するよ。あの人形たちのためではなく、キミの主題のためにね。」

 

言うと新聞を読むのに戻ってしまったリーゼへと、アリスがこっくり頷きを送る。私はまあ、好奇心抜きでも何か出来ることがあるならしてやりたいな。関わったのは数日だけだが、アビゲイルが悪い子ではないことは分かるさ。また笑顔を見せて欲しいもんだ。

 

エマと一緒にダイニングテーブルへと皿を運びながら、霧雨魔理沙は苦い思いで小さく息を吐くのだった。

 



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無駄話

 

 

「……まさかキミ、ここで年を越したのか? 寂しい爺さんだね。」

 

1998年に入ってから四日が経過した一月五日の昼。咲夜と魔理沙を駅まで送った後でモスクワに移動したアンネリーゼ・バートリは、ロシア魔法議会の議長室で呆れたように問いかけていた。エントランスホールには新年を祝うツリーが飾られていたし、双頭の鷲の像もカラフルな三角帽子を被っていたぞ。それなのにこの部屋は陰気なまま。少しくらい明るく飾ったらどうなんだ。

 

応接用ソファに座ってしもべ妖精が紅茶を淹れるのを横目にする私に、執務机のゲラートは平時と変わらないローテンションで返してくる。こいつに比べれば、その辺の悪魔崇拝者とかの方が『ハッピー・イースター』だの『メリー・クリスマス』だのに縁がありそうだな。

 

「仕事は山のようにあるからな。それに俺はもう百回以上も年を越した。大した感慨が浮かばないのは当然のことだろう?」

 

「そのうち半分は監獄の中でだけどね。クリスマスはどうしたんだい? その日も仕事か?」

 

「ロシアのクリスマスはまだ先だ。そして俺はクリスマスを祝うような性格ではない。その日も仕事をしているだろう。……逆に聞くが、お前は祝ったのか? 吸血鬼のはずだぞ。」

 

「キミと違って友人が多い私はパーティーを楽しんだよ。……何か文句があるのかい?」

 

手元の書類から目を離して怪訝そうな表情になったゲラートを睨め付けてやると、彼は理解できないという声色で質問を投げてきた。

 

「俺の知識が間違っていなければ、クリスマスとは神の子の降誕祭だったはずだ。お前たちにとっては『敵』ではないのか? まさか天使と仲良く賛美歌を歌うような種族ではあるまい。」

 

「キミね、何世紀前の話をしているんだい? 神の子だろうが神だろうが、自分が生まれる前に死んだヤツのことなんぞ知ったこっちゃないよ。私からすれば単なる『バカ騒ぎ』の日さ。掲げる名目が何だろうと、酒の味は変わらないだろう?」

 

「……その考え方だけは見習うべきかもしれんな。お前にとっては『父祖の恨み』など取るに足らんような些事でしかないわけか。」

 

「父祖の恨み? ……あー、なるほどね。確かに私から見れば人間の滑稽な部分さ。よくもまあ何世代も前の出来事であそこまで怒れるもんだよ。」

 

やれ元々はうちの領土だっただの、やれ何百年か前に殺した殺されただの、吸血鬼としては理解に苦しむ部分だな。それで何回殺し合うつもりなんだよ。学習能力がなさすぎるぞ。紅茶を口に含んでやれやれと首を振る私に、ゲラートは曖昧な説明を寄越してくる。薄切りのレモンが良い具合に味を調えている、何ともロシアらしい紅茶だ。薄すぎるのはちょっと減点だが。

 

「感謝は容易く忘れられるが、恨みというのは中々棄て去れないものだ。祖父の恨みが父へ、父の恨みが自分へ、自分の恨みが子供へ。伝えるうちに膨れ上がり、それはやがて行動へと繋がる。そこだけは魔法族も非魔法族も変わらんな。」

 

「そしてまた戦争ってわけだ。魔法界は一つ終わったばかりだからともかくとして、非魔法界はどうなんだい? 局地戦ばかりで五十年前みたいな大戦争は起きそうにないじゃないか。」

 

「非魔法族の戦争を望んでいるのか? お前は。」

 

「おいおい、望んでいるのはキミだろう? 戦えば消耗し、消耗すれば隙が生まれる。魔法族にとって有利に働く隙がね。キミからすれば万々歳って展開なわけだ。」

 

クスクス微笑みながら指摘してやれば、ゲラートは一つ鼻を鳴らして返事を口にした。忌々しそうな顔付きでだ。公の場では見せないような表情だな。

 

「俺が何を望んでいるかは別として、暫くの間大きな戦争は起こらないはずだ。現在の世界では一つの政治形態が『大流行』しているからな。疫病のように感染する、愚かな民主主義が。……政治形態の違いによる摩擦が発生しないのは大きい。主権者が民衆であれば引き金も重くなるだろう。」

 

「おおっと、議長閣下はみんなで仲良く考えるのがお嫌いらしいね。」

 

「民主主義は『遅い』。国家を改善するのも改悪するのも牛の歩みだ。総体として動く以上、右に動くか左に動くかを決めることすらままならないだろう。実際に動くことなど夢のまた夢だな。」

 

「しかしだね、独裁者君。最近タイムスリップしてきたキミは知らないかもしれないが、残念なことに民衆は昔よりも賢くなっちゃってるぞ。嘗ては手に入らなかった様々な情報を手にしてしまった今、彼らは自分たちが『運営』に関われないことをもはや許容できないだろうさ。私としては仕方がない変化だと思うけどね。民主主義の流行は文明化の一側面だよ。」

 

面白そうな議論だし、乗ってやるか。レミリアやパチュリーが幻想郷に行ってしまった所為で、こういう話をする相手が居なくなってしまったのだ。アリスやハーマイオニー相手に過激な『吸血鬼的政治論』をぶつけるのは気が引けるし、エマは聞き役に徹するだけで主張してこない。その他だと魔理沙あたりが割と議論好きなタイプなのだが……まあ、あいつはこういう話題に疎いからな。これからの成長に期待しておこう。

 

反面このジジイ相手なら遠慮の必要は無いなと内心で思っている私に、ゲラートもまた遠慮なく己の考えを述べてくる。

 

「やむを得ない変化だという点には同意するが、俺としては好ましい発展の仕方ではないな。……責任は分散すれば軽くなるぞ。俺には民衆がそれを正しく理解しているようには思えん。」

 

「重いから正しく行使できるとは限らないだろう? 千八百年前に偉大なるヘリオガバルスが何をしたかを思い出してごらんよ。頭がバカだと傷を負うのは手足さ。それを問題視するからこその民主主義や自由主義なんじゃないかな。傷を負うならせめて自分たちの判断でってわけだ。」

 

「義務と権利だ、吸血鬼。権利には常に義務が付き纏う。俺が言いたいのは、そのことを理解している人間がどれだけ居るのかということだ。……十人に一人が主権に対する義務を放棄すれば右足が動かなくなり、三人が放棄すれば歩けなくなる。五人が放棄すれば半身不随だ。そんな状態の国家を健全とは言えん。それなら独裁者が全てを動かした方がまだまともだと言えるだろう。」

 

「キミは民衆が易々と義務を放棄すると考えているのかい? 革命家や政治家たちが苦労して手に入れた主権なんだぞ。文字通り多くの血を流して得た権利だろう?」

 

議論を進めるために心にもない主張をしてみれば、ゲラートはバカバカしいと言わんばかりの顔で抗弁してきた。

 

「お前だって分かっているはずだ。血を流したのが自分たちではないのであれば、民衆は躊躇わず放棄するさ。全員とは言わんが、一部は間違いなく放棄する。そこだけは断言してもいい。……別に俺も独裁体制を許容しろとまでは言わん。芸術家が絵を描き、大工が家を建てて、農家が麦を育て、政治家が政治をする。そうすべきだとは思わないか?」

 

「思うが、芸術家も大工も農家ももう納得しないさ。実際に政治をするかしないかじゃないんだ。出来るようになっちゃったのが重要なんだよ。だからまあ、今更取り上げるのは無理だろうね。たとえ対価となる義務を果たしていなくとも、実際に行使していなくとも、それでも権利を剥奪しようとすれば抵抗してくるぞ。今の世界で最も大きな力を持っている、本質的な意味では無知蒙昧なままの民衆たちが。」

 

「だろうな。……やはり俺は民主主義を好きにはなれん。現存する政治形態の中で最も『無難』であることは認めてもいいが、『最善』であるとは思えない。そんなことを言ったところで無意味なことは分かっているがな。」

 

「ふぅん? ちなみにキミのイチオシの政治形態は何なんだい? 古き良き絶対君主制とか? それとも大穴の全体主義かな?」

 

手のひらを差し伸べて答えをどうぞと促してやると、ゲラートは至極退屈そうに回答を飛ばしてくる。

 

「俺が本当に望む政治形態はもはや実現できまい。現在の状況を踏まえて現実的に言うなら……そう、立憲君主制だな。無論、イギリスのような名目だけの君主制は賛成しかねる。世襲制も好かん。憲法によって君主権力に制限をかけた上で、民衆も納得するであろう選挙君主制にするのが最も『マシ』な政治形態だ。」

 

「選挙? キミにしてはつまらない選択じゃないか。共和制に限りなく近い君主制ってわけだ。愚民どもの要求に妥協するだなんてらしくないぞ。現行の国家で言えば、あー……パッと思い浮かぶ国がないな。形だけの立憲君主制なら山ほどあるんだが、キミは君主に実行力のあるケースを言っているんだろう? 集権させたいんだったらいっそ憲法を抜きにすればいいだろうに。」

 

「それでは誰も納得しない。そのことは先程話したはずだぞ。……まあ、ここで論じていても意味のない議題だ。実現できなければどんな理想も空想に過ぎん。俺にもお前にも実行する気が無いのであれば、こんなものは単なる無駄話だな。」

 

「そりゃそうだ。政治形態の好みなんて食べ物の好き嫌いと一緒だからね。ニンジンが嫌いとか、ハンバーグが好きとか、そういうのと大差ないのさ。ニンジン畑を荒らし回ったり、ハンバーグを出してるレストランに火をつけたりするヤツなればこそ意味が出る議論なわけだ。」

 

然もありなんと話を纏めた私に対して、ゲラートは微妙な表情で別の話題を切り出してきた。何だその顔は。実に分かり易い比喩だっただろうが。

 

「『実行者』についての比喩には頷きかねるが、それは置いておこう。……それで、何の用だ。」

 

「聞くのが遅いぞ。ホームズの件だよ。もう私にとっての価値は無くなっちゃったわけだが、委員会の方がちょびっとだけ気になってね。どうなるんだい?」

 

「どうなるもこうなるもない。議長も委員も解任する。今現在の魔法界で最も無責任な男に委員会を任せるわけがないだろう? 一月の半ばに形式上の解任決議は行うが、誰も反対などしないはずだ。」

 

「……で、次の議長は?」

 

何となく答えが分かっている質問を送ってみると、ゲラートは即答で返してくる。もう我慢できなくなったわけか。

 

「俺だ。既に裏から手は回している。半数以上の賛成は確保できるだろう。……認めよう、失敗だった。最初から他人などに委ねるべきではなかったんだ。アルバスもスカーレットも居ない以上、俺がやる。誰にも邪魔はさせん。」

 

「一応聞くが、若い世代に問題を担わせるってのはどうなったんだい?」

 

「その結果がこれだ。早くも委員たちは目先のことしか考えられない間抜けに利用されかけ、委員会は正式名称すら決まらないうちに泥を塗られる始末。……もはや一刻の猶予も許されん。俺が生きている間に若い連中に問題を『分からせ』てやろう。目を背けようとするなら強引にでも顔を向けさせてやる。泣き叫ぼうが、嫌がろうが知ったことではない。アルバスも、そしてスカーレットですらもが甘すぎたんだ。この期に及んで容赦するつもりなどないぞ。」

 

「おー、怖いね。怒れるジジイのお出ましだ。」

 

意味こそ違えど、ワガドゥの校長の言った通りになったな。ゲラートを止められる者が居なくなったのではなく、止めようとする者が居なくなったわけだ。後に残ったのは革命家と、ステージに向かって無責任に囃し立てる私だけ。そりゃあこうなるだろうさ。

 

とはいえ、方向としては今まで通りだな。ほんの少しスパルタになったってだけだ。一向に走り出そうとしない若い連中を、近所の怖い爺さんが『鬼教官』として怒鳴りつけるってとこか。間違いなく委員会の動きは加速することになるだろう。

 

ゲラートが楽しそうで何よりとしもべ妖精が持ってきたケーキを食べている私に、まだまだ死にそうにない爺さんが再び話のレールを切り替えてきた。

 

「そういえば、ホグワーツはワガドゥと当たるんだったな。」

 

「やめてくれよ、キミまでクィディッチの話か? さすがに食傷気味だぞ。」

 

「クィディッチそのものには興味ないが、試合が行われる会場にその土地の有力者が集まるのは好都合だ。……アフリカか。重要な土地だな。観戦に行くかもしれん。」

 

「観戦じゃなくて、一種のロビー活動に行くんだろうが。……イルヴァーモーニーはいいのかい? そっちも会場になるって聞いてるぞ。」

 

魔理沙の言によれば、マホウトコロ対イルヴァーモーニーは北アメリカが会場のはず。適当な相槌を打った私へと、ゲラートは淡々と返事を投げてくる。

 

「今のマクーザは落ち目だ。その上議会内の混乱でパワーバランスが崩れている。働きかけるのであれば騒動が落ち着いた後にすべきだろう。」

 

「日本は?」

 

「どうせマホウトコロが勝つ。ならば次はマホウトコロ対ホグワーツかワガドゥだ。極東はその時に回せばいい。」

 

「大した自信じゃないか。マホウトコロはそんなに強いのかい?」

 

私が持っている情報としては、あくまで『あれだけクィディッチに力を入れていれば強いだろう』といった程度だ。確信を持ってマホウトコロが勝つと断言できるほどではない。気になって問いかけてみれば、ロシアの議長どのはさしたる感慨もなさそうな顔で首肯してきた。

 

「強い。詳しく知りたいなら試合を観戦しに行ってみろ。……だからといって褒める気にはならんがな。あの学校の連中は頭がおかしい。何故あれだけクィディッチに熱中できるのかが俺には理解できん。」

 

「これはまた、驚きだね。まさかマホウトコロの連中も、ゲラート・グリンデルバルドに頭がおかしいと言われるとは思ってなかっただろうさ。心外だって怒られちゃうぞ。」

 

「俺はホグワーツに行かなくて良かったと思っているが、同じ感想をマホウトコロにも抱いているぞ。ダームストラングには分別が無かったが、常識はあったからな。」

 

「いやぁ、こうなったらホグワーツには是が非でも勝ち上がってもらわないとね。ここらで世界で最も非常識な学校を決めようじゃないか。ワガドゥには荷が重そうだ。」

 

チョコレートのケーキを片付けながら愉快な気分になっている私へと、元大犯罪者が真人間のような真っ当な突っ込みを入れてくる。

 

「競う内容はクィディッチだ。非常識さではない。」

 

「クィディッチは非常識な競技なんだから、それで一番になった学校が最も非常識なんだ。筋は通っているだろう?」

 

「通っていない。」

 

ええい、ノリの悪い爺さんだな。戯けて頷くくらいのことは出来んのか。そんなんだから部屋も陰気なんだぞ。双子の店で売れ残ったクリスマスの飾りを買い占めて、この部屋を飾ってやろうかな。そうすればかなりユーモアのある議長室になるはずだ。

 

天才的な閃きをした自分を自分で褒めながら、アンネリーゼ・バートリは『ハジける蝋燭セット』が売れ残っていることを祈るのだった。

 

 

─────

 

 

「もうダメだ、指先の感覚が無くてボールを掴めん。今日はさむ、寒すぎるぞ。」

 

言葉の途中で吹いた突風に身を縮こまらせながら、霧雨魔理沙はグローブを外して手を息で温めていた。一年の中で一番寒い時期の早朝かつ、吹き飛ばされそうになるほどの強風が吹き荒れていて、更に細かい雪がわんさか降っている始末だ。文句の付けようがないワーストコンディションだな。このままだと誰かが凍死するぞ。

 

イギリスに来てから五回目の年越しを終え、真紅の列車に乗って日常に帰還した私たちは、翌日の早朝からせっせとクィディッチの練習に励んでいるのである。……この地獄のような環境の中でだ。

 

キャッチし損ねたクアッフルを雪でべちゃべちゃになっている地面から救出している私に、あまりの強風で髪がぼさぼさになっているドラコが返事を返してきた。自慢の整髪料もこの状況には勝てなかったらしい。

 

「継続は力なりだ、マリサ。それに年明けの初練習を中止というのは縁起が悪すぎる。」

 

「そういう意味不明な精神論は嫌いなんだろ? 今日はもうやめようぜ。ワガドゥはあったかいし、その次の試合時期にはホグワーツもマホウトコロもイルヴァーモーニーも春だ。寒さに耐えた経験は何の役にも立たないぞ。」

 

「憎しみは人を強くするはずだ。これだけの『苦行』に耐えたのに負けるわけにはいかない。僕はそういった結論に至れる経験も必要だと考えている。」

 

「お前まさか、グリフィンドールチームの呪いを受けたのか? 目を覚ませ、ドラコ。このコンディションでの練習を望むのは単なる被虐症だぞ。それもとびっきりタチが悪いやつだ。」

 

灰色の瞳に静かな狂気を宿しているドラコを救い出そうと訴えかけてみるが、彼は断固とした口調で練習の継続を宣言してくる。ハリーに受け継がれていないと思ったら、こいつに取り憑いていたわけか。

 

「アフリカでは強風が吹くかもしれない。夏でも雪が降る可能性だってゼロではないだろう。ならば特殊な環境下での練習は役に立つはずだ。続けるぞ。」

 

「断言してもいいが、雪は降らないぞ。アフリカは不思議の国じゃないんだ。そんなファンタジーがあってたまるかよ。」

 

使命感に満ちた顔付きで飛び立った狂人に文句を投げかけてから、グローブを嵌め直してボールを脇に挟んだ状態で空へと……あああ、寒い! 箒に跨ってクソ寒い空へと飛び上がった。この寒さと風で箒が傷んだらどうしてくれるんだよ。私の場合は凍傷になってもポンフリーが治せるが、スターダストは直せないんだからな。

 

「シーザー、行くぞ!」

 

愛箒をひと撫でして労わりながら上空で待機していたシーザーにパスを出すと、かなりぎこちない動作でキャッチした彼はスーザンが守っているゴールへと……雪で何も見えないがゴールがあるはずの方向へと飛んで行き、ゴールポストがあるはずの場所へとそれを投げる。アフリカはともかくとして、この場所はファンタジーだな。視界が悪すぎる所為で何もかもが不確かだぞ。

 

入ったのか入っていないのかはさっぱり分からんが、とにかくこぼれ球が出た時のためにゴールに近付いてみれば、きょとんとした表情のスーザンとばったり鉢合わせてしまう。

 

「……マリサ? 何してるの?」

 

「それはこっちの台詞だぞ。シーザーがシュートしたろ? どうなったんだ?」

 

「シュート? いつしたのよ。入ったってこと?」

 

「キーパーのお前に分からんようなことを私が知ってるわけないだろ。……フーチはどこだ? 審判に聞かないとダメだな。」

 

私の顔を狙ってるんじゃないかと思うくらいに当たってくる雪に苛々しつつ、プレーを監督する立場である審判を探して視線を彷徨わせていると、茶色いコートを着た人影が私たちに箒を寄せてきた。

 

「何をしているんですか、二人とも。クアッフルはどうなりました?」

 

コートの首元のファーを雪まみれにしているフーチの問いに、スーザンと二人で返答を返す。何なんだよこの状況は。コントの練習をしてるんじゃないんだぞ。

 

「分かりません、行方不明です。マリサによればシーザーがシュートしたらしいんですが。」

 

「審判も見てないんならお手上げだ。この雪だし、遭難して死んでるかもしれんな。クアッフルの葬式をやるために校舎に戻ろうぜ。こんなもん練習にならんだろ。」

 

「生きている可能性があるなら捜索すべきです。……ミスター・ロイド! 来てください! クアッフルをどこに投げましたか?」

 

うんざりしている私に毅然と応じたフーチは、笛を吹いて唯一の目撃者であるシーザーを呼ぼうとするが……来ないな。きっと風が煩すぎて聞こえないんだろう。というか、シーザーも遭難してるんじゃないか?

 

バタバタとユニフォームが風に煽られる音が虚しく響く中、やおら雪のカーテンの向こうに見えてきた小さな影が私たちの方へと近寄ってきた。シーザーではなく、アレシアだ。寒さで真っ白な顔になっている彼女は私たちのすぐ側まで箒を寄せると、至極微妙な表情で新たな遭難者の情報を寄越してくる。

 

「あの……えっと、誰かが競技場の外に飛んで行っちゃいました。多分ハリーだと思います。観客席に気付かずに通り過ぎちゃったんじゃないでしょうか? 止めようとはしたんですけど、声が届かなかったみたいで。」

 

「……中止だ、中止! こんなもん中止! ドラコに言ってこようぜ。軍事訓練でもここまでじゃないはずだぞ。」

 

「そのためには先ずドラコを探さないといけないけどね。ペリキュラム(救出せよ)!」

 

冷静に突っ込みながら杖を抜いて緊急用の赤い煙を打ち上げたスーザンは、強風でそれが霧散していくのを見て額を押さえた。ドラコの言っていた意味がはっきりと理解できたな。憎しみだ。私たちがこんなに苦労しているのにベッドですやすや眠っている生徒たちや、暖かい土地で練習しているであろうワガドゥの代表選手たち。全てが恨めしくなってきたぞ。

 

親の仇かってくらいに顔面を責め立ててくる雪を憎々しく思いつつ、霧雨魔理沙は憎しみの力を勝利への渇望に変換するのだった。まあ、今現在のところはドラコへの怒りが上回っているが。

 



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理性の裏側

 

 

「どうも、学生諸君。私がイギリス魔法省所属、魔法法執行部部長のルーファス・スクリムジョールだ。諸君らが今日の経験を進路の決定に役立て、将来をより豊かに出来るように私も努力したいと思っている。質問があれば遠慮なく問いかけていただきたい。」

 

イギリス魔法省のアトリウムに設置されている『和の泉』の前で、無表情かつ平坦な口調でホグワーツの七年生たちに語りかけるスクリムジョールを見つつ、アンネリーゼ・バートリは小さく鼻を鳴らしていた。話の中身はともかくとして、もっと優しげな顔をしたらどうなんだ。恐らく学生たちは『厳しそう』という感想を抱いたはずだぞ。今ので志願者が一人減ったのは間違いないな。

 

一月の前半が終わろうとしている今日、ハーマイオニーが待ちに待っていた魔法省での職場見学が始まったのである。無論私はイギリス魔法省なんぞに就職する気はないし、魔法省の方だって複雑すぎる立場の私の就職など望んでいないだろうが……まあ、身分上ホグワーツの七年生であることは確かなのだ。だったら参加する権利はあるだろう。

 

つまり、端的に言えば冷やかしに来たわけだ。職場見学の期間は七年生の授業が中止されているのでホグワーツに居ても暇だし、談話室でぼんやりしているくらいならスクリムジョールを困らせた方が楽しいはず。

 

そんなわけでハリー、ロン、ハーマイオニーが三人とも参加する初日の執行部の見学には、私も一緒に参加しているわけだが……スクリムジョールのやつ、頑なに私の方を見ようとしないな。私の存在に言及したところで進行の障害にしかならないと判断したらしい。賢明じゃないか。

 

「では、早速地下二階に移動しよう。エレベーターを待機させているので、三組に分かれて乗るように。」

 

既存の職員よりも将来の職員が優先ってわけだ。哀れな一般職員たちが生徒たちの移動のために待機させられているのを横目に、スクリムジョールが乗ったエレベーターを選んでするりと乗り込む。ハリーたちも同じエレベーターを選択したのを確認しながら、執行部部長どのの真ん前に立ってジッと冷血男の顔を見上げた。

 

「……何か?」

 

「いやなに、反応が一切無いから私の顔を忘れちゃったのかと不安になってね。」

 

「これは将来の入省者に対する説明会です。申し訳ありませんが、今回ばかりはバートリ女史よりも生徒たちの方を優先させていただきたい。」

 

「私も生徒だよ。執行部に入ろうと考えているんだ。夏になったら部長の椅子を譲ってくれ。」

 

小声で言い訳してくるスクリムジョールに大真面目な顔で主張してみれば、彼は物凄く嫌そうな表情で魔法大臣室がある地下一階のボタンを指し示す。ちなみに乗り合わせた他の生徒たちは気まずそうな顔付きだ。このエレベーターを選択したのが運の尽きだぞ。

 

「……バートリ女史には執行部よりも大臣室が向いているかと。スカーレット女史と同じく、顔が広いようですので。」

 

「椅子を譲るのが嫌なのかい? 私が部長になったら改革を断行できるぞ。先ずはふくろうの使用を魔法法で禁じて、代わりにコウモリの使用を義務付けようじゃないか。ついでに身長が六フィート以上のやつはアズカバンに収監しよう。『バートリ閣下見下ろし罪』でね。別に死刑でも構わないが。」

 

「アズカバンもお勧めですな。皮肉の応酬が出来る相手が居ればオグデンさんも喜ぶでしょう。」

 

「キミ、私が執行部に入るのがそんなに嫌なのか? それならはっきり言いたまえよ。ほら、どうしたんだい? 吸血鬼は意地悪だから入れたくないと正直に言いたまえ。」

 

生意気なヤツめ。目を逸らすスクリムジョールを半眼でジーッと見ながら催促していると、ポーンという音と共に魔法で録音された地下二階の紹介音声がエレベーター内に響き渡った。すると冷血男はキビキビとした動作でエレベーターを出てしまう。逃げたな?

 

「到着したようですな。急ぎましょう。」

 

「おい、待ちたまえよ。嫌なんだろう? 私が入省したら厄介だと感じているんだろう? レミィの方がまだ話が通じたとかって生意気なことを考えているんだろう?」

 

「別のエレベーターに乗った者も揃っているかな? 結構。それでは細かい部署の説明を始めさせていただく。先ずは魔法不適正使用取締局だ。」

 

おのれ、無視しおってからに。分かるんだからな。私は善意には疎いが、悪意には敏感なんだ。お前の考えなんてお見通しなんだぞ。使用に制限がかかっている魔法や未成年の魔法使用などを取り締まる部署の説明をしているスクリムジョールを、渾身のジト目で延々睨み続けていると……隣に立ったハリーが苦笑しながら話しかけてきた。

 

「リーゼ、悪戯はその辺にしておきなよ。スクリムジョール部長も困ってるみたいだしさ。」

 

「困ればいいのさ。誰のお陰で今の地位に居るのかを思い出してもらわないとね。」

 

「えーっと、スカーレットさんのお陰でしょ?」

 

「レミィの功績は私のものさ。私の功績は私だけのものだがね。」

 

この世で自分にのみ許された暴論を口にしてやれば、珍しく真面目にメモを取っているロンがぼそりと突っ込んでくる。

 

「滅茶苦茶だな。」

 

「おおっと、ロニー坊やは文句があるのかい?」

 

新たなチャレンジャーの登場だ。暇潰しの矛先をロンに変えて肘で突きまくっている私に、今度はハーマイオニーが声をかけてきた。……むう、真面目モードの顔じゃないか。

 

「リーゼ、みんなの邪魔をしちゃダメよ。将来に繋がる大事な職場見学なんだから、静かにしてないと迷惑でしょう?」

 

「……分かったよ。」

 

うーん、ぐうの音も出ない正論で普通に注意されてしまったな。周囲の生徒たちも皆大真面目にスクリムジョールの話を聞いているし、吸血鬼流のジョークでは誰一人として笑ってくれなさそうだ。こうなれば新たなオモチャを見つける必要があるだろう。でなければ何のためにここに来たのか分からんぞ。

 

翼をヘタらせながらスクリムジョールと生徒たちを尻目に廊下を進んで、何か面白い物はないかと左右のドアのプレートを確認していると……おお、ここはアーサーが居る部署じゃないか? 『マグル製品不正使用取締局』と書かれたプレートが目に入ってくる。

 

「失礼するよ。」

 

どんな部署なのかとノック無しで踏み込んでやれば、四つのデスクが向かい合うように設置されている手狭な室内の光景が見えてきた。私の記憶によれば待遇が改善されたとか何だとか言ってたはずだが、とても立派なオフィスだとは思えないぞ。数年前はこれより酷かったってことか?

 

右側の棚には書類が隙間なく詰め込まれており、左側の棚には雑多なマグル製品が並んでいる。そして天井からは照明の光を妨害するほどの大量の飛行機の模型が吊るされているわけだが……うーむ、さすがに趣味の色が強すぎないか? アーサーがオフィスを私物化していることを確信する私に、ただ一人在室していた顔見知りの局員が問いを寄越してきた。パーシーだ。

 

「アンネリーゼ? どうしてここに?」

 

「暇潰しさ。ホグワーツの生徒が見学に来ることは知っているだろう? それについて来たんだよ。」

 

「見学……そうか、七年生の職場見学か。参ったな、今日だってことをすっかり忘れてたよ。全然準備をしてないぞ。」

 

「エレベーターに近い部署から順番に説明してるみたいだから、そう遠くないうちにここにも来ると思うよ。アーサーは?」

 

あの未完成の模型が置いてあるデスクがアーサーのデスクなのだろう。それを指差して尋ねてみると、パーシーは眼鏡を外して眉間を揉みながら口を開く。よく見ればデスクの上の作りかけの物しかり、天井から吊るされている物しかり、飛行機の模型は揃って主翼が反転した状態になっている。少なくともアーサーは飛行機が揚力で飛ぶとは考えていないようだ。あるいは説明書をちゃんと読まずに作っただけかもしれんが。

 

「取り締まりのために外出してるんだ。ノクターン横丁でマグルの紙幣の偽造が行われていることを魔法警察が突き止めてね。彼らだけだと偽造なのか本物なのかの判断が付かないから、判別できる父さんが同行しているんだよ。……僕としては父さんがマグルの紙幣を判別できるとは自信を持って言えないけどね。」

 

「ふぅん? 他の局員も行っちゃったのかい? デスクは四台あるようだが。」

 

「ああいや、それは使ってないデスクなんだ。人手が欲しいってスクリムジョール部長に掛け合ったら、とりあえずデスクだけ用意してくれたんだよ。今年入省する職員から確保するつもりだったんだけど……。」

 

「そのアピールをするための見学会の日を忘れていたと。」

 

アーサーもパーシーも根は真面目なのに変なところで抜けてるな。根が不真面目なのに堅実な動きをする双子とは正反対だ。苦笑いを浮かべながらウィーズリー家の不思議についてを考えている私を他所に、メガネの三男どのは弱り切った顔付きで書類棚を漁り始めた。

 

「そういうことだね。……父さんはまだまだ帰ってこないだろうから、こうなったら僕が説明するしかないかな。」

 

「まあ、頑張りたまえ。今年の七年生はキミのことを知ってるわけだし、真面目には聞いてくれるんじゃないかな。」

 

「首席がこの部署に居ることに驚かれるかもしれないね。名実ともに執行部に移ったとはいえ、まだまだ出世街道からは外れた部署だから。」

 

「不満かい?」

 

説明用の書類を探しながら言ったパーシーに問い返してみると、彼は首を横に振って即答してくる。

 

「いいや、満足しているよ。父親と同じ仕事だからってだけじゃなくて、この部署はこれからどんどん重要度を増していくだろうからね。マグルの世界との関わりを深めるなら、彼らの道具を知る必要があるはずだ。その時先頭に立つのはきっとこの部署さ。」

 

「生徒たちにもそんな感じで伝えればいいんじゃないか? 今の魔法界を俯瞰できる賢い生徒なら尤もな発言だと気付けるだろうさ。先見性があるヤツがこの部署を希望するかもしれないぞ。」

 

「それは……そうだね、その通りだ。助かったよ、アンネリーゼ。そういうテーマなら何とか上手く話せるかもしれない。」

 

「役に立てたようで何よりだ。……それじゃ、失礼しようかな。私は別の部署を冷やかしに行ってくるよ。」

 

問題はそこまで見据えられるような賢い生徒がハーマイオニー以外に居るかだな。そこまでは口にせずに廊下に出た後、再び奥へ奥へと進んでいくと……闇祓い局か。ここも覗いてみよう。

 

紅茶くらいは出してくれるだろうと歴史を感じるドアを抜けてみれば、かなり素っ頓狂な光景が目に入ってきた。六人の闇祓いが三対三に分かれて決闘をしているらしい。なーにをしてるんだよ、こいつらは。

 

エクスペリアームス(武器よ去れ)! やあ、ホグワーツの生徒のみんな! 闇祓いはこうした杖による戦いを日夜繰り広げ……バートリ女史? 何をしているんですか?」

 

「こっちの台詞だよ、局長君。職場でバカ騒ぎしてるとスクリムジョールに怒られるぞ。」

 

満面の笑みの棒読みで語りかけてきたガウェイン・ロバーズに指摘してやると、彼は武装解除で吹き飛ばした部下の一人に手を差し伸べながら今の『奇行』についてを説明してくる。

 

「職場見学に来る生徒たちに向けてのデモンストレーションですよ。多少派手な方が面白いかと思いまして。……大丈夫か? プラウドフット。」

 

「頭をデスクにぶつけました。練習の時も聞きましたけど、ここまで強い呪文を放つ必要があるんですか?」

 

「リアリティが大事だろ? ……まあ、デスクは退かしておこう。当り所が悪くて気絶でもしたら生徒たちが引くだろうしな。中止だ、中止! まだ生徒たちは来てなかった!」

 

オフィスの奥の方で『闇祓い局にようこそ!』というプラカードを掲げている局員に作戦の中止を伝えた指揮官どのは、困ったような半笑いで私に歩み寄って疑問を投げかけてきた。悲しいことに、ムーディやスクリムジョールの圧政から解放された闇祓い局はアホの集団になってしまったようだ。前任が厳しすぎた反動なのか?

 

「それで、バートリ女史は何故ここに?」

 

「私も職場見学について来たんだよ。一応ホグワーツ生だからね。ちなみに他の生徒たちはスクリムジョールの長ったらしい説明を受けてるからまだまだ来ないぞ。」

 

「そうですか、まだかかりそうですか。……皆、一旦配置から離れていいぞ! まだ来ないそうだ!」

 

アホ局長の指示を受けて、部屋の各所からくす玉を持っていたり仮装したりしているアホ局員たちが出てくるが……賢い私でも意図が把握できんな。こいつらは自分の職務を何だと思っているんだよ。

 

「くす玉もプラカードも横断幕もギリギリ理解できるが、あの仮装は何なんだい? 毛むくじゃらの化け物と闇祓いの仕事が繋がるとは思えんがね。」

 

「あれはサスカッチですよ。ああいった他種族に対する取り締まりも職務に含まれることを伝えるための仮装です。イギリスだと小鬼の取り締まりが一番多いんですが、小鬼の仮装ってのは……まあその、種族批判と受け取られかねませんから。」

 

「闇祓いの職務内容が正しく伝わるかは疑問だが、楽しい職場だってことは伝わりそうだね。……紅茶を淹れてくれたまえ、サスカッチ君。そこの真っ赤なローブのキミは茶菓子を用意するんだ。」

 

種族問題を気遣うくらいならこんなことをやるなよな。適当に言い放ってから手近なソファにどさりと腰掛けてやると、ロバーズは愛想笑いで首をかっくり傾げてきた。おっさんがその動作をしても可愛くないぞ。

 

「えーとですね、ここは一応部外者立ち入り禁止の部屋なんですが。」

 

「そりゃあそうだ。闇祓い局はイギリス魔法界にとって重要な部署なんだから、部外者なんて絶対に立ち入らせるべきじゃないね。私も部外者立ち入り禁止には賛成だよ。……紅茶はまだかい?」

 

「……今すぐ準備させます。」

 

最初から素直にそうしておけ。私は泣く子も黙るアンネリーゼ・バートリ様なんだぞ。どっかり腰掛けたソファの上で威張っている私に、向かいに座ったロバーズが困り果てた表情で話題を振ってくる。実に迷惑そうだな。とはいえ、迷惑そうにしていると居座りたくなるのが吸血鬼なのだ。こいつはレミリアからそのことを学び損ねたらしい。

 

「そういえば、例の連続誘拐殺人事件の捜査は停滞しているみたいですね。北アメリカの闇祓いたちは手掛かりを得るのに手間取っているようです。事件そのものの厄介さに加えて、ホームズがどこまで『捻じ曲げた』のかが明確にならないようでして。」

 

「ホームズ当人を指名手配したらいいじゃないか。冤罪でアリスを指名手配した結果、自分が指名手配される。自業自得を表現する逸話として有名になるぞ。……もっと良い茶菓子はないのかい?」

 

「オグデンさんも同じことを言ってましたよ。同じようにいきなり現れて、同じように紅茶を要求して、同じように茶菓子に文句をつけていました。」

 

「高貴な私が高価な茶菓子を要求するのは当然のことだろうが。あの迷惑なへらへら男には白パンでもくれてやりたまえよ。きっと喜ぶぞ。」

 

余計なことを言ったロバーズに吐き捨ててやると、彼は怪訝そうな顔で返事を寄越してきた。ホームズはもう『廃棄』されてしまったのかもしれんな。私からすればまだまだ使い道はありそうに思えるが……まあ、所詮ガキの人形遊びだ。状況を立て直すのが面倒になってぶん投げたのかもしれない。

 

「オグデンさんがパン嫌いなことをよく知ってますね。どこで聞いたんですか?」

 

「覚えてないし、オグデンのことなんかどうでも良いよ。それよりホームズを支援していたバカどもはどうなったんだい? つまり、『ホームズ派』だった北アメリカの議員たちは。」

 

「早めに手を引いて逃げ切った者と、撤退のタイミングを見誤って窮地に陥った者に分かれていますね。加えてマクーザの闇祓いたちがホームズのオフィスや自宅を捜索してみたところ、何人かの議員の……あー、『汚点』の証拠が発見されたようでして。」

 

「汚点の証拠? ホームズがそれを使って議員を脅してたってことかい?」

 

ありふれた話じゃないか。呆れた気分で問いかける私へと、ロバーズは少し嫌そうな表情で詳細を語ってくる。

 

「ええ、そうみたいです。違法な薬物の取引の記録とか、国際法で禁じられている魔法生物の密輸の証拠、挙げ句の果てには議員の数名が未成年の少女と『そういうこと』をしている写真なんかが大量に出てきたそうですね。」

 

「ホームズの騒動を切っ掛けに、マクーザの奥深くにあった混沌の蓋が開けられたわけだ。北アメリカ魔法界は大混乱だろうね。」

 

「ホームズに協力していた議員だけではなく、闇祓い局側に立っていた議員の不祥事の証拠も見つかったそうですから、マクーザ内部は荒れに荒れているようですよ。露見を恐れて闇祓いに証拠を握り潰せと迫る議員が居たり、あるいはホームズ側の議員が矛先逸らしのためにスキャンダルを煽ったりでもう滅茶苦茶です。……スクリムジョールは『ホームズ事件』として北アメリカ魔法史に残る騒動になるだろうと言っていました。ホームズが残した火薬庫に、闇祓いが火をつけてしまったのだと。」

 

「最初は一人のフランス元闇祓い隊隊長の死から始まり、それが国際間を揺るがす冤罪事件に発展した後、最終的にはマクーザの土台をぶっ壊しかねない大スキャンダルを誘発させたわけだ。……これ以上ないってくらいに皮肉な話じゃないか。ホームズは自分の意図したことは何も達成できなかったが、意図せずして北アメリカの代表機関であるマクーザを崩壊させたと。」

 

証拠を処分せずにそのままにしておいたということは、あるいはこれもあのガキの『復讐』の一環なのかもしれんな。どうしてスカウラーを駆除した機関であるマクーザに矛先が向けられたのかは不明だが、どうせお得意の逆恨みから生じた行動なんだろうさ。……ふむ? ひょっとして魔法界そのものを引っ掻き回したのもその所為か?

 

魔女狩りを引き起こしたスカウラーが生まれた根本の原因は、当初治安維持機関として連中を送り出した旧大陸の魔法界だ。もしかするとホームズに権力を握らせたり、非魔法界対策への影響力を持たせようとしたのは旧大陸に対する……延いては魔法界全体への復讐を考えていたからなのかもしれない。

 

だとすれば、私が思っていた以上に危ないところだったな。委員会の議長の座を上手く使えばマグルとの関係を悪化させることも不可能ではないだろう。魔法界の露見、非魔法族との軋轢、そして戦争ってとこか? ゲラートが予期し、防ごうとしている魔法界の崩壊。それをベアトリスは逆に引き起こそうとしていた可能性があるぞ。

 

まあ、単なる予想だ。私の視点から推理した根拠の薄い予想に過ぎんが……うーん、そんな気がしてきたな。アリスの冤罪には関係のなかった動きも、そう考えれば必要なピースになってくる。委員会の議長への就任、レミィの影響力を崩そうとしたこと、国際魔法使い連盟への働きかけ、イギリスと北アメリカの不和。アリスを追い詰めるためだけにしてはやり過ぎだった行動に、ある程度の筋を通すことは出来そうじゃないか。それでも僅かな違和感は残るが。

 

「更に言えば連盟内部の上層部数名にも関わりがあるみたいですし、イギリスにも飛び火があるかもしれません。大きな爆弾が破裂してしまったものですよ。」

 

思考の海に沈んでいた意識を、ロバーズの疲れたような声が引き上げた。理由は幼稚だし、行動も稚拙だし、やっていること自体はガキの逆恨みでしかないが……こと抱える憎しみの深さだけは認めてやってもよさそうだな。ベアトリスは自分が始まった瞬間から一歩も前に進めていないのだろう。その時抱えた憎しみに、数百年経った今も囚われ続けているわけだ。

 

「ま、精々頑張りたまえよ。私は私の身内に火の粉がかからない限りはどうでも良いさ。応援くらいはしてあげるから、イギリス魔法省も消火活動に励みたまえ。」

 

ただまあ、そんなことは知ったことではない。鈴の魔女は憐れみからの赦しを、魅魔は無関心からの拒絶を選んだようだが、私は見つけ出して殺すだけだ。私にとって重要なのはアリスに手を出したというその一点だけ。どんな理由があろうと、どんな悲しみを背負っていようと、私は私の大切なものに傷を付けようとした存在を赦すつもりなどない。どこまで逃げようが追いかけて殺してやるよ。

 

私がバートリだからだとか、身内を重んじる吸血鬼だからだとか、そうするのが正しいからとか、相手の行動が間違っているからとかではないのだ。したいからする。それだけのことに過ぎん。

 

いやはや、私にも妖怪らしい部分がきちんと残っているじゃないか。理性の裏側にある部分が。中途半端に生まれたベアトリスにはそれが無いからこそ、ああやってどこにも行けずに苦しんでいるのだろう。欲望に従い切れない妖怪は不幸だな。

 

「あの、バートリ女史? 何を笑っているんですか? 少し……その、怖いんですけど。」

 

「んふふ、何でもないよ。思い出しただけさ。自分が何なのかをね。」

 

若干引いている感じのロバーズに適当な言い訳を返しつつ、アンネリーゼ・バートリは妖怪の笑みでくつくつと笑うのだった。

 



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魔女たちの足跡

 

 

「それじゃあ、両足を同時に上げてみて。……んー、やっぱり少しだけズレちゃうわね。もう一回外させて頂戴。調整してみるから。」

 

術式の変換による遅延が生じているわけか。合わせるために普通に動く右足の動作を遅らせてしまっては本末転倒だし、ここはどうにかして遅延を解消する必要があるな。こくりと頷きながら左足を委ねてくるアビゲイルを前に、アリス・マーガトロイドは内心でため息を吐いていた。難しいぞ、これは。

 

一月も半分を過ぎた今日、北アメリカでベアトリスに拒絶されて以来元気がなかったアビゲイルが、唐突に足を直して欲しいとお願いしてきたのだ。ここ数日ずっと寡黙だった彼女にどんな心境の変化があったのかは不明なものの、前から気になっていた左足を直すのに否などないということで、店舗スペースの奥にある作業部屋でこうして修理に挑んでいるわけだが……やはり術式の差異は如何ともし難いな。

 

当然のことながら、アビゲイルはベアトリスが構築した魔法で動いている。故に左足だけを私の術式にしてしまうと齟齬が生じて動いてくれないのだ。だから私の術式をベアトリスの術式との互換性がある形に調整する必要が出てくるのだが、そこの作業がどうしても上手くいってくれない。一度自分の使い慣れた術式を忘れて考え方を変えなければ無理そうだな。魔術式の構成についてをパチュリーからもっと詳しく習っておけばよかったぞ。

 

……しかしまあ、解読すればするほどにベアトリスの術式は複雑で独特だ。私から見れば非効率的に思える部分も多々あるが、同時に舌を巻くほど見事に作用し合った多重術式も各所に組み込まれている。私には図書館の魔女という師が居るものの、そのパチュリーは誰にも師事していなかったはず。その点においてベアトリスとパチュリーは同じ条件なのに、ここまで魔術式が異なっているのにはもはや感嘆すら覚えるな。

 

恐らくベアトリスはパチュリーのように本から魔法を学んだのではなく、ある種の本能で基礎となる魔法を構築していったのだろう。そして魔女として熟成した後のパチュリーがオリジナルの術式に手を出し始めたように、その時点でベアトリスも書物を通して先人に学び始めたわけか。

 

うーむ、そう考えるとある程度納得できてしまうぞ。まるで正反対だな。パチュリーは人間からスタートして、ベアトリスは魔女として生まれたという点が影響しているのだろうか? ……何れにせよ、魔女の術式というのは辿ってきた道筋を示す情報にもなるらしい。常に手の内を秘すべき魔女の端くれとしては、もう少し自分の術式にも気を使った方が良さそうだ。

 

嘗てお爺ちゃんが使っていた人形作り用のテーブルの上で、膝の球体関節の部分から取り外した左足を分解して術式を弄っている私に、隣の木の丸椅子に座っているアビゲイルがポツリと問いを寄越してきた。ちなみにティムも一緒だ。先程までは作業部屋の探検をしていたのだが、今はアビゲイルの膝の上で大人しく座っている。

 

「ねえ、アリスは……アリスはどうしてビービーが私を捨てたか分かる? ビービーは命令に従わない人形は要らないって言ってたわよね? アリスもそう思う?」

 

「思わないわ。私は必ずしも命令に従わない人形こそを理想の人形としているの。……あんなことを言われた今でも、アビゲイルはベアトリスのことが好き?」

 

「好きよ。嫌いになんてなれるはずないわ。ビービーは私の初めてのお友達で、優しいお姉さんで、大好きなお母さんだもの。」

 

「そうね、そういう感情こそを私は美しいものだと捉えているのよ。アビゲイルはベアトリスが危ない時、ジッとしていろって命令されても動いちゃうでしょう? ベアトリスを助けるためなら、貴女は命令を無視してでも行動しようとするはず。違う?」

 

そうあれと定められたルールを破ってでも自分の判断を貫く。それが自律しているということなのだから。脚部の骨格に刻まれた独特な文字を解読しながら聞いてみると、アビゲイルは首肯してから返答を口にした。……私が知っているどの文字の形状とも大きく異なっているし、もしかしたらベアトリスが創作した独自の魔術記号なのかもしれない。またしても『オリジナル要素』か。これを読み解くのは骨が折れるぞ。

 

「うん、動いちゃうと思う。……ビービーはそれが嫌だったの?」

 

「かもしれないわ。でも、そうじゃないかもしれない。私たちは変な生き物なのよ。本心からの言葉じゃないことを話す時もあるし、自分の考えていることを誤解しちゃう時もあるの。……私にはベアトリスの発言が理解できないけど、貴女のような人形に想われて嬉しくないはずなんてないわ。ベアトリスが本当に人形作りであるならば、あの言葉が本心からのものだとはとても思えないわね。」

 

「じゃあ、ビービーはまた私のことを好きになってくれる? アリスはそう思う?」

 

「そう信じたいわ。」

 

保証はないし、正直に言えば自信もない。だけど、信じるのにその二つは必要ないことを私はダンブルドア先生から学んでいるのだ。少なくともアビゲイルを構成している複雑で手の込んだ術式が、一朝一夕で刻めるような簡単なものではないということは断言できる。アビゲイルは確かにベアトリスの努力の結晶であるはず。ならば同じ人形作りとして期待だけはしてみよう。綺麗に整理された理屈に従うことをパチュリーが教えてくれたように、曖昧で不条理な心に従うことをダンブルドア先生は教えてくれたのだから。

 

リーゼ様から思慕と喜びを学び、テッサから友情と悲しみを学び、パチュリーから知性と尊敬を学び、コゼットから慈愛と成長を学び、リドルから別離と後悔を学び、ダンブルドア先生からは赦しと愛を学ぶ。思えば私は恵まれた環境で育ったものだな。……ベアトリスはきっと『ズルい』と言うのだろう。何故私だけ、と。

 

それに対する言い訳を私は持ち合わせていない。レミリアさんなら定められた運命だと語り、パチュリーなら環境と選択の結果だと、そしてリーゼ様なら単なる偶然だと言うのだろうが……ダメだ、また『もしも』の思考に引き摺られているな。リドルにもしもが無かったように、ベアトリスにもそれは無いのに。私に変えられる部分があるとすれば、それは原因ではなく結果の方であるはずだ。

 

リドルはきっと、愛を理解していた。それでも認めたくないから、向き合いたくないから見えないフリをしていただけだ。もしベアトリスもそうなのであれば、今度こそ私に何か出来ることがあるんじゃないだろうか?

 

そう思ってしまうのは甘さなのか、それとも正しさなのか。高嶺の理想を追い求める私を心の中のリーゼ様が叱る反面、ダンブルドア先生がそれでいいのだと頷いてくる。昔のようにどっち付かずで彷徨う自分の心に苛々していると、アビゲイルが恐る恐るという感じで質問を放ってきた。むう、思考が顔に出ていたのかもしれない。気を付けなければ。

 

「アリスはビービーが嫌い? 喧嘩してるの?」

 

「……分からないわ。多分、ベアトリスの方もそうなんじゃないかしら。好きとも嫌いとも言えないの。とても複雑な感情なのよ。」

 

「私、ビービーとアリスが喧嘩するのは嫌だわ。凄く嫌。それが私の所為ならもっと嫌よ。」

 

「貴女の所為じゃないわ。もちろんティムの所為でもないわよ。これは私とベアトリスの問題なの。」

 

アビゲイルとティムは言うなれば被害者だ。それだけは断言できるぞ。話の途中で自分を指したティムの頭を撫でてやりながら、安心してもらえるように穏やかな声色で語りかけていると、階段に続くドアの方からエマさんがひょっこり顔を出す。

 

「皆さん、休憩にしませんか? お菓子を作りましたから。」

 

「そうですね、そうします。ちょっと停滞気味ですし、リフレッシュが必要みたいです。」

 

「じゃあ、アビーちゃんとティム君は私が運びましょう。……はい、抱っこです。ついでにギューっとしちゃいます。」

 

「あぅ……擽ったいわ、エマ。お茶目さんね。」

 

ニコニコ顔でひょいとティムごとアビゲイルを抱き上げたエマさんの背に続いて、私も階段を上って二階のリビングに移動する。エマさんなりに気を使っているのだろう。吸血鬼としてはハーフだが、優しさは二倍以上だな。

 

専用のルーペを使った細かい作業をしていた所為で疲れた目を揉み解しつつ、既に紅茶の用意がしてあるダイニングテーブルに着くと、用意されている『今日のお菓子』が何なのかが見えてきた。カヌレ、かな? 上の窪みにクリームやら果物やらが載っているのはエマさん流のアレンジなのだろう。

 

「カヌレですか。パチュリーが幻想郷で羨んでるかもしれませんね。」

 

我が師匠はマカロンほどではないにせよ、カヌレも結構好きだったのだ。大切な本に触る手を万が一にも汚さないように、わざわざ魔法で浮かせたフォークでカヌレを食べつつ、お気に入りの揺り椅子の上で読書をしていたパチュリー。紅魔館の図書館で何度も見た姿を思い出しながら呟いてみると、エマさんはクスクス微笑んで話に乗っかってくる。

 

「カヌレは小悪魔さんも作れたはずですよ。三回に一回は型に蜜蝋を塗るのを忘れちゃってましたけどね。だからまあ、幻想郷でも食べられるんじゃないでしょうか?」

 

「材料がありますかね?」

 

「備蓄分がありますから、向こうでも作れないことはないと思いますけど……現地の材料でとなると厳しいかもしれませんね。何を作るにも使うことになる卵とバターと砂糖と小麦粉。家畜から自給できるバターと卵以外は入手が難しそうです。小麦の栽培が成功していることを祈ります。」

 

「うーん、どうですかね。イギリスよりも気温差が大きい土地みたいですし、美鈴さんは苦労しているかもしれませんよ。」

 

美鈴さんのガーデニングスキルはかなりのものだが、『農業』の範疇にある小麦の育成となると未知数だな。しかも日本の気候は小麦に向かないはず。冬は寒いし、収穫の時期は雨が多い。苦戦している可能性は大いにあるだろう。

 

私としても小麦が無い生活というのは中々辛そうだし、是非とも栽培に成功していて欲しいなと思っていると、私の向かいに座っているアビゲイルが問いを送ってきた。私たちの会話に興味を惹かれたようだ。

 

「『めいりんさん』って? アリスとエマのお友達?」

 

「友達というか、同僚というか、えーっと……一番近いのは家族かしらね? 半年前まで一緒に住んでいたのよ。」

 

「でも、居ないわ。……出て行っちゃったの?」

 

「ああいや、そうじゃないの。家ごと遠い土地に引っ越したのよ。私たちは咲夜と魔理沙が学校に通わないといけないから、こっちに残っているわけね。二人がホグワーツを卒業したら合流するわ。」

 

紅茶を一口飲みながら説明してやれば、アビゲイルはふんふん頷いて質問を重ねてくる。少しだけ元気が出てきたらしい。好奇心は時に薬にもなるわけか。

 

「たまに出てくる『ぱちゅりー』とか、『れみりあさん』とかもそうなの? 人間? 吸血鬼? それともビービーやアリスと同じ魔女?」

 

「パチュリーは私の師匠の魔女よ。レミリアさんはリーゼ様と同じ吸血鬼で、美鈴さんは妖怪ね。……具体的に何の妖怪なのかは頑なに教えてくれないけど。」

 

「沢山種類があってとっても面白そうね。他には居ないの? 『こあくまさん』は?」

 

「その名の通り、悪魔よ。パチュリーが大昔に召喚したんですって。あとはレミリアさんの妹の吸血鬼が居るわ。フランドールって名前なの。……ついでに言えば妖精もわんさか居るしね。」

 

まあうん、言われてみれば雑多な構成だな。吸血鬼と魔女と妖怪と人間と悪魔と妖精か。一つ屋根の下で暮らすにはごちゃごちゃしている方だろう。……そこまで混沌としている館なのであれば、人形が追加されても大丈夫なはず。

 

リーゼ様にもエマさんにもまだ相談していないが、私はアビゲイルとティムを引き取ることを考えている。ベアトリスが拒絶した以上、この子たちには行き場が無い。まさか全てが済んだ後で追い出すわけにもいかないし、人形作りとしても個人としてもそんな選択は有り得ないのだ。

 

アビゲイルへのやや甘めの態度を見るに、リーゼ様は許可してくれる……はず。そうすればレミリアさんもオーケーを出してくれるだろう。だから問題はアビゲイルやティム自身の気持ちだ。私たちと一緒に幻想郷に行くということは、ベアトリスと別れることを意味しているのだから。その選択をしてくれるかだけは自信がないな。

 

でも、まだ二年半。私たちがイギリスを離れるまではまだ二年半も残っているのだ。仲を深めて説得するには充分な時間だし、そもそもリーゼ様がベアトリスを……何と言うか、『どうにかしてしまう』可能性だって全然あるはず。今はアビゲイルもティムもショックが抜け切っていないだろうから、ゆっくり慎重に進めていこう。

 

「家ごと引っ越したのよね? どんなお家だったの? 他には誰か居た?」

 

好奇心に彩られた顔で不思議な館についての疑問を連発してくるアビゲイルへと、アリス・マーガトロイドは微笑みながら答えを口にするのだった。

 



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画伯の弟子

 

 

「わぁ……可愛いですね。予想外です。」

 

一見すると蛇にも見えるけど、ちゃんと立派な翼があるな。頭部も鳥そのものだ。ガラス製のケージの中でとぐろを巻いている『オカミー』を観察しながら、サクヤ・ヴェイユは鉛筆とスケッチブックを取り出していた。

 

一月も終盤に差し掛かった火曜日の午後。現在の私たちは外が寒いからという理由で教室で行われることになった、魔法生物飼育学の授業を受けている真っ最中だ。ハグリッド先生がやたら楽しそうに『今日の生き物は面白いぞ』と言っていたので、そういう時は『ヤバい』魔法生物が出てくることを経験則として知っている五年生は戦々恐々としていたわけだが……空き教室の中には巨大なガラスケージと、その中で大人しくしている美しい『蛇鳥』が待っていたのである。

 

深い青の細かい鱗に覆われた長い胴体と、その真ん中あたりから生えている一対の翼。灰色の皮膜が紫色の羽毛で包まれているそれをリーゼお嬢様はどう評価するのだろうかと考えている私に、ハグリッド先生が満面の笑みで応じてきた。『予想外です』の部分は気にしないことにしたらしい。

 

「どうだ、美しいだろう? 観察する時はケージに触れちゃならんぞ。卵を抱えとるから。基本的には大人しい生き物なんだが、卵を守っとる時はちょいと神経質になるんだ。」

 

「卵? ……あー、あれか。銀色だな。」

 

「見た目は硬そうだが、触ってみると柔らかいぞ。子供が卵から出た後は純銀と同じ硬さになるがな。オカミーの卵の殻と純銀の違いを見分けられるのは、この広い魔法界でも小鬼たちだけだ。殻は魔法薬の材料にもなるはずだから、気になるもんはブッチャー先生に詳しく聞いてみるといい。」

 

背伸びして覗き込んでいる魔理沙の質問に答えた後、ハグリッド先生はケージの周囲を歩きながらオカミーについての詳しい説明を始める。

 

「オカミーの最大の特徴は、身体の大きさを自在に変えられるっちゅう点だ。今はケージに合わせて三メートルくらいの体長になっとるが、外に出せばもっと大きくなる。もちろん逆に手のひらに収まる程度の小ささになることも可能だぞ。ちなみに大きさの限界は今でも明らかになっとらん。五、六メートルが限界だと言っちょる研究者が多いものの、俺は若い頃のフィールドワーク中に二十メートル近い個体を見たことがあるからな。近寄った直後に吹っ飛ばされちまったからきちんと観察できんかったが。」

 

『基本的には大人しい』んじゃなかったのか? 体長二十メートルのオカミーに吹っ飛ばされるというのはあまり良い経験ではないように思えるが、ハグリッド先生にとっては必ずしもそうではないようだ。懐かしむような口調で解説の続きを口にした。

 

「今思い返せば、あの個体は鱗に濃いグリーンが交じっとったな。もしかしたら大きさと関係してるのかもしれん。本当に美しい個体だった。……生息地はインドや東アジアの密林で、五頭から十頭くらいの小さな群れを形成して生活しとる。群れの構成は雄よりも雌の方が多く、雄一頭に対して雌三頭ほどのグループを作ることが殆どだ。」

 

「複数の雄が一つの群れに所属しているということでしょうか? 争ったりしないんですか?」

 

「いい質問だ、ベーコン。オカミーは同種で争うことを滅多にせん。傷付いた雄を他の雄が守ろうとすることもあるくらいだ。群れが大きくなると自然と二つの集団に分かれ、小さくなれば他の群れと合流する。生存戦略として身内では争わなくなった賢い生き物っちゅうこったな。」

 

ふむ、確かに顔付きは賢そうだな。スケッチしながら話を聞いていると、オカミーの黄色い瞳がちらりとこちらに向けられた。猛禽類に似た鋭い瞳だ。ちょっとカッコいいと思ってしまう私は子供なんだろうか?

 

「小さい身体の時は主に虫を食うが、大きくなると動物を狙うようになる。獲物が少ない時期は小さくなることで必要な食料の量を減らし、豊かな時期は身体を大きくして成長のために栄養豊富な獲物を狙うっちゅうこった。特に栄養が必要な繁殖期は猿や子鹿、羊なんかも狙うな。時折果物の汁を舐めることも確認されとる。何らかの栄養素を摂取しとるのかもしれん。……おっと、注目! オカミーが卵を動かすぞ。ああやって一時間に一回のペースで卵を回転させるんだ。隠れとった脚が見えるからよく観察するように。」

 

ハグリッド先生の注意に従って顔を上げてみれば、オカミーがするすると蛇のような身体を動かして二つある銀色の卵を回転させているのが目に入ってくる。脚は……あれか、小さいな。地上を動く姿は完全に蛇だし、退化してしまったのかもしれない。

 

スケッチのために見逃すまいと脚を観察していると、今度は魔理沙がハグリッド先生に質問を投げた。

 

「飛ぶんだよな? こいつ。」

 

「滑るように飛ぶぞ。見せてやりたいのは山々だが、卵を守っとるうちは飛ばんだろう。そもそも頻繁に飛ぶ生き物でもないしな。基本的には陸棲で、巣は木の洞や地面の穴の中に作る。よく見る鳥の巣と似た見た目だ。今卵が置いてあるのは俺が作った仮の巣だから当てにしないように。イギリスは寒いから、ちっとばかし手を加えさせてもらった。」

 

「食べ物は丸呑みするんですか?」

 

「獲物によるな。虫やネズミなんかはそのまま呑んじまうが、大きめの生き物になると嘴で絶命させてから呑み込むことが多い。腹の中で抵抗されるのを防ぐためかもしれん。蛇みたいに絞め殺すっちゅう光景はあまり見たことがないから、長い胴体は鞭みたいに打ち付けることに使うんだろう。それで弱らせて鋭い嘴でひと突きってこった。」

 

魔理沙に続いたハッフルパフ生の問いに回答したハグリッド先生は、動かし終えた卵を再びとぐろの中に隠したオカミーを横目に説明を締める。少しだけ悲しそうな表情でだ。

 

「こいつらも他の魔法薬の素材を生み出す魔法生物同様、昔から密猟の被害に遭っとる生き物だ。小さい状態ならコップの中にだって隠せちまうからな。違法に捕獲したバカどもがそうやって運び出しちまうと取り締まりが難しい。お前さんたちがもし魔法生物に関わる仕事に就いた時は、こいつらが安全に暮らせるように手助けしてやってくれ。」

 

───

 

「良い授業だったわね。今学期では一番の内容だったわ。この前やったサラマンダーも可愛かったけど、あの時は生徒の半分が火傷しちゃったし。」

 

そして飼育学の授業後。完成させたスケッチを見ながら一階の廊下を進む私へと、魔理沙が微妙な顔付きで応じてきた。視線を私の描いたスケッチに固定しながらだ。……ハグリッド先生に確認してもらった時の反応からするに、今回の飼育学はかなり高い評価をもらえたはず。これでまた『貯金』が増えたな。

 

「あのよ、怒らないで聞いてくれよ? 友人として指摘させてもらうが……お前さ、絵が下手だよな。別に悪いことじゃないけどよ。」

 

「……そんなことないでしょ。上手く描けてるわ。ハグリッド先生だって褒めてくれたじゃないの。」

 

「いや、下手だぞ。断言してもいいほどに下手だ。ハグリッドはお前が何を描こうが褒めるだろ。参考にならんぜ。」

 

「あのね、私は妹様から絵を習ったの。だから下手なはずがないのよ。貴女の感性の方がおかしいんでしょ。」

 

急に失礼なことを言い出すヤツだな。心外だと声色に表しながら言ってやれば、魔理沙は実に無礼な表現で私のスケッチを評価してくる。

 

「ならよ、お前の描いたオカミーを素直に評価するぞ。怒るなよ? ……『人面ムカデ』だ。何でこんなに足が沢山あるのか教えてくれ。」

 

「足じゃないわよ。身体の上の方にちょこちょこ羽毛が生えてたでしょう? それを描いてるの。見たら分かるでしょうが。」

 

「いやお前、これは……よう、ベーコン! こっち来いよ! ちょっと意見を聞かせてくれ!」

 

会話の途中で廊下の先に呼びかけた魔理沙は、振り返って歩み寄ってきたベーコンに私のスケッチを見せるが……ふん、これで証明されるな。私のスケッチが如何に精緻な物なのかが。

 

「何?」

 

「これを見てくれよ。咲夜のスケッチだ。……下手だろ? 遠慮せずに言ってくれていいぞ。」

 

「うっ。」

 

『うっ』? ベーコンは私のスケッチを目にした途端にひくりと口の端を痙攣させると、顔を上げて魔理沙を見て、私を見て、またスケッチを見た後に感想を述べてくる。

 

「……特徴的ね。凄く特徴的。」

 

「そういうのはいいからよ、下手か上手いかで言ってやってくれ。これを下手と評価して私のセンスがおかしいと言われるのは我慢ならんぜ。正しい感性を咲夜に突き付けてやってくれよ。」

 

「ベーコン、上手いでしょう? 誰が見たってオカミーだって分かるわよね? 魔理沙の変な意見に流されないで頂戴。普通に評価してくれればいいの。」

 

「へ? いやあの……わたっ、私は──」

 

詰め寄る私たちを前に何故か汗をかき始めたベーコンは、キョロキョロと助けを求めるように周囲を見回した後、無人の廊下の曲がり角へといきなり大声を放った。顔が赤いし、瞳孔も変だぞ。どうしちゃったんだ。

 

「あ、先輩! 悪いけど私、先輩に用事があるの。レイブンクロー寮の用事で……レイブンクロー生だから。レイブンクローのあれってこと。つまりほら、私は監督生だから! だからごめんなさいね、それじゃ!」

 

「えぇ……誰も居ないわよね? 誰か通った?」

 

「通ってないぞ。……あいつ、大丈夫か? 変な魔法薬とか飲んでないよな?」

 

汗びっしょりになって瞳孔を開かせながら物凄い早口で私たちに断ったベーコンは、世界大会の優勝が懸かった陸上選手並みの全力ダッシュで曲がり角へと消えて行く。ちょっと不気味な展開にスケッチのことなど忘れて魔理沙と顔を見合わせた後、二人して微妙な表情を浮かべつつ教室移動を再開した。

 

「前から思ってたんだけど、レイブンクローって変わった子が多いわよね。」

 

「アリスとかノーレッジの出身寮なんだぜ? そりゃそうだろ。まともなのはハッフルパフだけさ。」

 

「そこでグリフィンドールを入れないあたりは公正で評価できるわ。」

 

確かにハッフルパフ出身の妹様は、紅魔館の住人の中で頭一つ抜けて『まとも』な方だったな。昔はちょっとおかしかったのだと本人は苦笑しながら語っていたが、一番常識的な吸血鬼は誰かと聞かれれば妹様一択だろう。穏やかで大人っぽいし。

 

つまり、ハッフルパフこそがホグワーツの『常識面』を一手に担ってくれているありがたい寮なわけだ。つくづく苦労人たちが集まる寮だな。私のお母さんも色々と苦労したのかもしれない。

 

常識人たちが集う黄色い寮への評価を少しだけ上げながら、サクヤ・ヴェイユはホグワーツの非常識な階段を上っていくのだった。

 

 

─────

 

 

「うおぉ……この号ってまだ売ってるか? 記念に買っておきたいぜ。」

 

これは心の底から嬉しいな。国際的なクィディッチ雑誌の七大魔法学校対抗トーナメントについての特集記事を見て、霧雨魔理沙は朝食そっちのけで顔を綻ばせていた。ナショナルチームの有名選手や、各国独立リーグの選手たち。今まで写真越しに憧れることしか出来なかった著名な選手たちが、私たちのプレーを評価してくれているのだ。

 

二月六日の朝食時。わざわざグリフィンドールのテーブルまで来てくれたレイブンクローのミルウッドが、定期購読している雑誌にクィディッチトーナメントに関するインタビュー記事が載っていることを教えてくれたのである。……おいおい、ビゴンビル・ボンバーズのチェイサーに名指しで褒められてるぞ。『マリサ・キリサメはホグワーツの攻めの起点だ』って。

 

ヨーロッパリーグの中でも強豪チームの選手から褒められてテンションを上げている私に、ミルウッドが少し顔を赤くしながら応じてきた。こいつも興奮しているらしい。

 

「まだまだ買えるよ。届いたばかりの今月号だからね。レイブンクローの談話室で見せたら、ロイド先輩も大喜びだったんだ。」

 

「そりゃあ喜ぶぜ。……おいハリー、見ろよ! お前の名前も載ってるぞ! アレシアも来い!」

 

ブルガリアのチームであるヴラトサ・ヴァルチャーズで活動している、懐かしきビクトール・クラムのインタビューも載ってるな。『母校であるダームストラングが敗北したのは残念だが、ホグワーツにはそれだけの力があったと認めざるを得ない。ワガドゥはホグワーツのシーカーを侮ると痛い目に遭うだろう。僕の視点から見ても、ハリー・ポッターは警戒に値するプレーヤーだ。』だとよ。高評価じゃんか。

 

あまりにもハイテンションな私を見て事の重大さを認識したのだろう。呼びかけを受けたハリーは反対側に回り込む時間も惜しいといった様子で、長机を乗り越えて雑誌を確認し始める。アレシアもきょとんとした表情で近付いてくる中、自寮の最上級生が食卓を乗り越えるのを目撃した寮監どのが駆け寄ってきた。

 

「ポッター、朝っぱらから何をしているんですか! 七年生としての自覚が──」

 

「だけどフーチ先生、緊急事態なんです! プロのプレーヤーのインタビュー記事が雑誌に載ってるんですよ! ホグワーツチームについてのインタビュー記事が、沢山!」

 

「なんですって?」

 

注意する時よりも遥かに慌てた顔で駆け寄るスピードを上げたフーチは、集まってきた他の生徒を押し退けて雑誌を覗き込む。そこにホグワーツ代表に関する記事が並んでいることを確認すると、こうしちゃいられないとばかりに教員テーブルのマクゴナガルに対して大声を放った。

 

「ミネルバ、煙突飛行を使わせてください! 私は今すぐダイアゴン横丁に行って雑誌を買い占めてくる必要があります! 今すぐです!」

 

「落ち着きなさい、ロランダ。寮監としての注意が先ですし、何よりまだ書店は開いていないでしょう。」

 

「注意など些事です! 今のクィディッチ界を牽引する国際的な選手たちが、我が校の生徒を評価しているんですよ? 落ち着いてなどいられません! 校費で雑誌を買って配布すべきです!」

 

我を忘れて興奮しているフーチの騒ぎっぷりに、他寮の生徒たちも何が起こっているのかを把握し始めたようだ。雑誌を定期購読している者は居ないかと席を立って探し回ったり、定期購読しているものの寮に置きっ放しだった生徒が大慌てで大広間から飛び出ていく。

 

まあうん、それだけの騒ぎになって然るべきだろう。何より嬉しいのは雲の上のスーパースターたちもクィディッチトーナメントには注目しているって点だな。インタビュー記事からは『高が学生の試合』と侮っている雰囲気など微塵も感じられないし、各校の選手たちを次世代のプレーヤーとして対等に評価してくれているのは明白だ。これは練習の活力になるぞ。

 

「見なよ、アレシア! サンデララ・サンダラーズのインタビューにアレシアの名前が出てるよ! 知ってるでしょ? オーストラリア代表の『壊し屋ジョリー』が居るチームだ! ……あれ? アレシアは?」

 

「あーっと、人混みでぺしゃんこになってるな。うちのビーターを通してやってくれ、みんな。ジョリーの進路妨害をしたヤツみたいに頭をかち割られたくはないだろ?」

 

クィディッチ史ではもはや伝説になっている、サンデララ・サンダラーズ対ウロンゴング・ワリヤーズの一戦でジョリーがやらかした大反則。それを例に出しつつ、ハリーと二人がかりでうちの小さな『攻撃担当』を人混みの中から救い出すのだった。この分だと落ち着いて読めるのはもう少し先になりそうだな。

 

───

 

「やっぱりホグワーツだとハリーとアレシアが注目されてるわね。ワガドゥも予想通りキャプテンのキーパーが注目株みたい。イルヴァーモーニーのシーカーも評価が高いわ。……あとはまあ、マホウトコロのエースチェイサーも当然のように高評価よ。ここだけは意外でも何でもないけど。」

 

そしてソワソワして何も手に付かなかった午前中の授業を終え、昼休みの練習時間。予定を変えて空き教室でミーティングをしている私たち代表チームは、スーザンの発言に揃って頷いていた。とどのつまり、インタビュー記事はプロの選手たちの『戦力評価』だ。下手な評論家よりも遥かに鋭い意見を述べているはずだし、トーナメントを勝ち上がるためには参考にすべきだろう。

 

それぞれ一冊を……開店直後にフーチが書店で購入してきてくれた雑誌を手にする代表選手たちの中から、続いて冷静な声色の分析が放たれる。ドラコの声だ。

 

「さすがはプロプレーヤーだけあって、我々の作戦を完璧に見抜いているな。ハイデルベルグ・ハリヤーズのキャプテンのインタビューを読んでみろ。三十二ページだ。」

 

「……あー、これは見事だね。『ホグワーツの選手たちはチェイサー・ビーター陣を攻守に均等に振り分け、臨機応変な動きを可能にしている。恐らく序盤で相手の動きを観察し、中盤から有利な状況を作ろうとしているのだろう。アローヘッドフォーメーションを基礎にした攻めの形と、ハンマーダウンフォーメーションを基礎にした守りの形。相手の出方次第でそれらを使い分けられる優秀なチームだ。』だってさ。高評価だけど、作戦はバレちゃったみたい。」

 

「一戦観ただけで基礎フォーメーションによく気付けるもんだな。結構崩してると思ったんだが。」

 

フォーメーションはジャンケンと一緒だ。だから基礎にしている形を見抜かれると辛いものがあるのだが……うーむ、言い当てられちゃってるな。苦笑いで読み上げたハリーに応じてみると、今度はシーザーが別の記事を口に出した。

 

「パトンガ・プラウドスティックスは完全にワガドゥ寄りの記事を出してますね。『ホグワーツはバランスの良いチームだが、それは同時に付け入る隙が多いことを示している。スニッチを考慮に入れずにチェイサーの得点で攻め切るか、シーカーに期待してひたすら守り切るのが最も有効な戦い方だろう。ワガドゥのチェイサーたちは攻めに徹するべきだ。ノーガードの殴り合いになればキーパーで勝るワガドゥが負けることはない。』だそうです。アフリカのチームですし、そりゃあワガドゥに勝って欲しいんでしょうけど。」

 

「言ってくれるじゃないの。キーパー戦がお望みなら受けて立つわ。後悔させてやるわよ。」

 

おお、気合が入っているな。獰猛な笑みで鼻を鳴らすスーザンが呟いたところで、ギデオンが取り成すように口を開く。

 

「だが、ホグワーツ寄りの記事も多いぞ。ゴロドク・ガーゴイルズのキャプテンはホグワーツを絶賛してる。『ホグワーツの強みは完成された連携だ。各プレーヤーの長所をそのままにしながら、あくまでチームとして動いている。ホグワーツとワガドゥなら間違いなくホグワーツだね。チェイサーとキーパーは互角、ビーターとシーカーはホグワーツが上。ならば勝つのはホグワーツさ。マホウトコロとの決勝戦が楽しみだよ。』ってな。」

 

「……えっと、ワガドゥ戦にはチーム全員で観戦に行くつもりだとも書いてありますね。」

 

「マジかよ。サイン貰えないかな? 私、シャーンのファンなんだが。」

 

アレシアの補足を受けて尊敬するガーゴイルズの女性チェイサーの名前を出してみれば、ドラコがやれやれと首を振りながら話を戻してきた。何だよ、お前だってプロのサインは欲しいはずだぞ。クラムが来た時に書いてもらってたのを知ってるんだからな。

 

「重要なのはこれでホグワーツ、ワガドゥ、イルヴァーモーニーの情報が増え、マホウトコロが更に有利になったという点だ。勝ち上がってくるのがマホウトコロになれば、決勝戦はかなり厳しくなるぞ。」

 

「おまけに今回は観戦にも行けないからね。」

 

まあ、そこも厄介な点だな。準決勝は同じ週の土日でそれぞれ一試合ずつなので、私たちが北アメリカに行くわけにもいかないのだ。ちなみにイルヴァーモーニーの領内ではホグワーツやワガドゥと同じくマグル製品が使えない。よってびでおかめらも使用不可となる。

 

ハリーが疲れたように額を押さえるのに、ドラコもまた悩んでいる様子でとりあえずの結論を場に投げた。

 

「志願者数名が偵察に行く予定だから、それに期待する他ないな。今はワガドゥ戦に集中しよう。……今日の夕方から新フォーメーションの練習比率を高めるぞ。透けている手札を使い続けるわけにはいかない。あと半月で何とかものにするんだ。」

 

それしかないな。結局は練習、練習、練習なのだ。地道に積み上げた努力は決して裏切らない。魅魔様も、ノーレッジも、ダンブルドアもそのことを認めていた以上、きっとそれこそが勝つための秘訣なのだろう。

 

最低でも努力だけはワガドゥの上を行ってみせようと決意しつつ、霧雨魔理沙は自分の名前が載っている部分を切り取って保管しようと雑誌に折り目をつけるのだった。

 



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パッドフットの憂鬱

 

 

「アビゲイル、もう手を離しちゃダメよ? 車道とか、信号とか。こっち側の世界には色々なルールがあるの。それを守らないと危険なのよ。」

 

アビゲイルの手をしっかりと握って注意を送りつつ、アリス・マーガトロイドは実に新鮮な気分でロンドンの歩道を歩いていた。母というのはこういう気持ちなんだろうか? フランや咲夜はどちらかといえば『妹』の感覚が強いが、アビゲイルの場合は『娘』って感じだ。リーゼ様が私に向ける感情が少しだけ分かったかもしれない。

 

小雨が降る二月のロンドンの街中。現在の私とアビゲイルとティムはマグル界のスーパーマーケットで買い物を済ませて、ダイアゴン横丁の自宅に帰ろうとしているところだ。夏休み中に咲夜が買ってきたマグル側の調味料に感銘を受けたので、エマさんから買ってきて欲しいと頼まれてしまったのである。エマさんは料理が趣味だし、私がマグル製の人形のパーツなんかを欲しがるのと同じ感覚なのだろう。目新しい品にわくわくするのは分かるぞ。

 

ちなみに本当は一人で来ようと思っていたのだが、アビゲイルがどうしてもと言うので連れて来てしまった。右手で私の手を取りながら、左手でダウンジャケットのポケットに入っているティムが落ちないように押さえているアビゲイルは、素直に頷きつつ返答を返してくる。

 

「ごめんなさい、アリス。さっきのお店の入り口に綺麗な風船が飾ってあったの。それをよく見たくなっちゃって。」

 

「風船が好きなの?」

 

「遠くから見るのは好きよ。だけど、作るのは苦手。すぐにパンってなっちゃうでしょ? あれが怖いの。」

 

「あー、割れるのにびっくりしちゃうってことね。」

 

可愛らしい苦手意識だな。毛糸のニット帽からはみ出ているふわふわの金髪。歩く度にそれが揺れるのを眺めながら、気になっていた問いを放ってみた。

 

「ねえ、アビゲイル? どうして今日は外に出たがったの?」

 

「……私ね、賢くなりたいの。アリスとか、エマとか、アンネリーゼみたいに。そのためには色んなことを知る必要があるでしょ? だから外に出てみたくなったのよ。」

 

「賢く?」

 

「そう、賢く。私、未だにビービーから嫌われた理由がはっきり分からないのよ。最初は私が勝手に家を出たからだと思ってたんだけど、アリスと話しててそれだけじゃないかもって気付けたの。でも、私はおバカだから、世間知らずだからはっきりとは分からない。このままじゃビービーの気持ちに追いつけないでしょ? ……だから賢くなるの。賢くなって、ダメなところを直して、もう一度ビービーに会う。ビービーときちんと話せるくらいに勉強するのよ。そうすれば仲直り出来るんじゃないかって思ったから、だから……ダメね、上手く纏められないわ。今ので分かった?」

 

自分の内心を何とか伝えようと言葉を絞り出してくるアビゲイルに、複雑な気分で首肯しながら返事を口にする。どこまでも一途な子だな。

 

「ええ、伝わったわ。つまり貴女は、成長しようとしているのね。ベアトリスに相応しい存在になるために。」

 

「そう、そんな感じ。エマには文字を習ってるのよ? もう難しい言葉も沢山覚えたんだから。『交響曲』とか、『鑑定家』とか、『喀血』とか。」

 

「言葉のチョイスは謎だけど……まあ、勉強するのは良いことよ。一の知識は百の事象に応用できるからね。」

 

「うん、頑張るわ。最近はティムも一緒に勉強してるの。指がないからペンを持てないんだけど、両手で挟んで書けるようになってきたのよ。ね、ティム?」

 

アビゲイルの呼びかけにこくこく頷いたティムは、やおら何かを発見したかのように顔を動かした。何を見ているのかと視線を辿ってみれば……マグルのプライマリースクールか。ちょうど下校時刻だったらしく、徒歩で帰宅する生徒たちで門前が賑わっているようだ。

 

敷地内からスクールバスが並んで出てくる光景をぼんやり眺める私へと、同じ方向を見ているアビゲイルが口を開く。彼女にしては大人っぽい表情だな。欲しいのに手の届かないものを見る時のように、ほんの少しだけの哀愁を漂わせている。

 

「……楽しそうね。羨ましいわ。」

 

「アビゲイルも学校に通いたい?」

 

「無理よ。私、人形だもの。それくらいのことは知ってるわ。」

 

「あら、どうかしら。世には狼人間や吸血鬼だって受け入れてくれる学校が存在しているのよ?」

 

当然のことながら、アビゲイルは杖魔法を使えない。だからさすがに望み薄だろうが、それでもホグワーツならと思ってしまうな。……私がまだ小さな下級生だった頃、夏休みでムーンホールドに帰っていた時にパチュリーが話してくれたっけ。『私が四人の創始者の中で一番評価しているのはレイブンクローだけど、最も偉大だと思っているのはハッフルパフよ』と。

 

私が何故なのかと聞くと、在りし日の師匠は本を読みながらその理由を教えてくれた。パチュリー曰く、『レイブンクローは知恵で、グリフィンドールは勇気で、スリザリンは血筋で学校に入れる生徒を選別したわ。でもね、ハッフルパフは四人の中で唯一選ばないことを選んだ。学ぶ者を選別しなかったのよ。学者としてはレイブンクローが、戦士としてはグリフィンドールが、貴人としてはスリザリンが上だけど、こと教師として見るならハッフルパフこそが最上の選択をしたってわけ。』だそうだ。

 

まだまだ未熟だった私がハッフルパフという寮を評価し始めた切っ掛けを想起していると、アビゲイルが寂しそうな顔付きで首を横に振ってくる。

 

「アンネリーゼたちが通ってる魔法学校のことでしょ? ……さすがに人形はダメよ。それに私、魔法使いじゃないわ。」

 

「そうだけど、んー……見学だけしてみるのはどうかしら? 気分を味わうだけ。それくらいなら出来ると思うわよ。」

 

「本当?」

 

「任せなさい。こう見えてもそれなりに顔が利くの。学校の中を探検してみたり、授業の様子を覗いてみたりするだけなら多分平気よ。もちろんティムも一緒にね。」

 

マクゴナガルにとっては迷惑な話かもしれないが、折角前向きになっているアビゲイルのためなのだ。何とかして頼んでみよう。最悪生徒が居なくなる夏休み中ならどうにでもなるはず。胸をポンと叩いて受け合った私へと、アビゲイルは嬉しそうにぴょんぴょん跳ねながら応じてきた。ティムも両手を上げているのを見るに、喜んでくれているらしい。

 

「ありがとう、アリス! ……アリスは優しいわね。私の足を直してくれたし、学校に連れて行ってくれるし、こうやって手も繋いでくれるわ。私、どうやってお返しすればいい?」

 

「しなくていいわよ、私が好きでやってるんだから。」

 

「でも、お礼は大事よ? じゃないと、えっと……そう! フェアじゃないもの。」

 

覚えたてらしき言葉を思い出しながら言うアビゲイルに対して、浮かんできた微笑みのままで返答を送る。

 

「いいのよ、フェアじゃなくても。私と貴女はお友達でしょう? 公平さを求めるならそれは『取引』になっちゃうわ。友情には対価なんて必要ないの。好きなだけ与えて、躊躇わず受け取る。友達っていうのはそういうものなんだから。」

 

「……そうなの?」

 

「そうなの。」

 

ぽかんとした顔で首を傾げるアビゲイルに首肯してから、到着した『漏れ鍋』のドアをコートの雨粒を軽く払いつつ開けた。カウンターの奥でコップを拭いている猫背の店主に目線で挨拶した後、裏手にあるダイアゴン横丁に繋がるアーチへと真っ直ぐ向かおうとするが……その途中で客の一人が声をかけてくる。数本の酒瓶が置いてあるテーブルに居るのは、ハリーの名付け親であるシリウス・ブラックだ。まだ夕方前だぞ。

 

「おっと、マーガトロイドさん。自由の味を満喫中ですか? 私にも覚えがありますよ。」

 

「久し振りね、ブラック。マグルのスーパーに買い物に行っていたのよ。……それより貴方、ちょっと飲み過ぎじゃない? 殆ど空じゃないの、この酒瓶。」

 

「金庫のガリオン金貨が使っても使っても減らないので、こうして地道に消費しているんですよ。苦労して貯め込んだ『純血費用』が放蕩当主の酒代に消えたとなれば、先祖たちは歯噛みして悔しがるでしょう? 実にいい気味です。」

 

「相変わらず屈折してるわね。マグルの慈善団体か何かに募金でもすればいいじゃないの。」

 

何かを求めているわけではなく、浪費したくて浪費しているわけか。ブラックなりの復讐なのかもしれないな。ハリーの前以外だとダメ人間になってしまう指名手配の先達に言い放つと、彼は皮肉げに笑いながら肩を竦めてきた。

 

「もうしましたが、良い気分にはなれませんでした。募金だと『無駄にしている感』が得られないんですよ。……そっちの女の子は誰ですか? やけに似てますけど、まさか隠し子とかじゃないですよね?」

 

「そんなわけないでしょうが。うちで預かってる親戚の子よ。名前はアビゲイルね。」

 

「それはそれは、安心しました。バートリ女史に『誅殺』される哀れな父親は存在しないわけですね。……どうも、アビゲイル。私はシリウス・ブラック。元指名手配犯で、没落しつつある名家の当主で、愛らしい大型犬に変身できる男だ。よろしく。」

 

「……アビゲイルよ。よろしくお願いするわ。」

 

酔っ払いに慣れていない所為か若干引き気味なアビゲイルが、差し出された手をおずおずと握る。気持ちは分かるぞ。私も子供の頃は何となく酔っ払いが怖かったものだ。だから夕食後にリビングでちびちびウィスキーを飲んでいる父に纏わり付いて、それ以上飲まないようにって邪魔をしてたっけ。そうすると父は嫌がりもせずに苦笑しながら構ってくれたが、今思えば迷惑なことをしていたな。

 

懐かしき幼少期の感情を思い起こしながら、ブラックの対面の席に腰掛けて空の酒瓶を指で弾いた。それにしたって限度ってものがあるぞ。

 

「憎っくき祖先への鬱憤晴らしにしては量が多いわね。他にも何かあったの?」

 

「……見合いをしろと言われましてね。嫌になって飲んでいました。」

 

「何よそれは。子供じゃないんだからアホなことをやらないで頂戴。嫌なら断ればいいだけの話でしょう?」

 

「リーマスが受けてみろとしつこく勧めてくるんですよ。ジジイになったらハリーに世話をさせるつもりなのかと。……ハリーの重荷にはなりたくありませんが、ブラックの家名欲しさに結婚するような女になど気を許せません。堂々巡りです。」

 

なんとまあ、鬱屈しているな。その歳で老後の心配か。ジメジメしているブラックにため息を吐きつつ、バーテンのトムへと注文を投げる。見捨てるのも何だし、アビゲイルには悪いが少しだけ付き合ってやるとしよう。

 

「オレンジジュースとアイスティーを頂戴。……お見合いが嫌なら普通に出会いを探せばいいじゃないの。ルーピンがトンクスと出会ったように、貴方も出会えるかもしれないわよ?」

 

「その場合、名家の連中が刺客を送り込んでくるかもしれません。『一般の女性』に見せかけたハニートラップってわけです。」

 

「貴方、ムーディのパラノイアが移ったの?」

 

被害妄想が過ぎるぞ。額を押さえながら指摘してやれば、ブラックはビールを瓶から直接飲んだ後に鼻を鳴らしてきた。

 

「毎日のように送られてくる見合い状を見ればそうもなりますよ。ブラックであることを棄てたいのに、誰もが私をブラックとして見る。うんざりです。」

 

「ブラック家のお金で飲んだくれてる状態で言われても説得力が無いけどね。」

 

カウンターまで飲み物を受け取りに行って、オレンジジュースの方をアビゲイルの前に置きながら言った私へと、ブラックはバツが悪そうな顔で言い訳を寄越してくる。

 

「無実なのにアズカバンに収監されていた分の慰謝料もまだまだ残っています。酒代に困って家の金を使ってるわけじゃありませんよ。」

 

「……何か仕事をしてみたら? 私は誰しもが働かなきゃいけないと思ってるタイプの人間じゃないけど、今の貴方に必要なのは環境の変化よ。お金が余ってるなら趣味でもいいわ。好きなことに熱中してみなさい。良い気分転換になるでしょ。」

 

「趣味ですか。……目下のところ、私が熱中しているのはあれですね。」

 

言いながらブラックが指差したのは……なるほど、あれか。店の壁に貼ってあるポスターだ。『ダイアゴン横丁はホグワーツ代表を応援しています!』と書かれているカラフルなポスター。文字の下にはホグワーツの代表選手たちが編隊飛行している大きな写真が印刷されている。ダイアゴン横丁の各所にあるポスターと違って動かない写真になっているのは、ここが『境の場所』だからなのだろう。基本的にマグルは入ってこられないはずだが、念には念をってことかな。

 

興味を惹かれたらしいアビゲイルが席を立ってポスターに近寄っていくのを尻目に、微妙な気分でブラックへと口を開いた。

 

「つまり、貴方の趣味は『名付け子』なのね。……干渉しすぎると鬱陶しく思われるわよ。」

 

「分かってますよ。だから控え目にしているんじゃありませんか。……私はジェームズが期待していたほどには父代りの責任を果たせなかった。アズカバンに居て会えなかった頃の『借金』を返す必要があるんです。単に成人するまでじゃなく、ハリーが一人前の大人になって自分の家庭を作るまで。それまでは他のことになど構っていられませんよ。」

 

「……言っておくけど、責任を果たすべき相手が居てくれる貴方はまだマシなんだからね。私はそれを果たす機会すら掴み損ねたわ。」

 

「……サクヤは立派に育っています。貴女は間違いなくすべきことをしましたよ。ヴェイユ先生とコゼットはきっと貴女に感謝しているでしょう。」

 

そうかもしれない。でも、確かな答えはもう聞けないのだ。死者は強いが、生者は弱い。ダンブルドア先生が言っていた通りだな。私は未だにコゼットを初めて抱いた時の重みを覚えている。そしてそれを死ぬまで忘れることはないだろう。

 

ブラックと二人して大きなため息を吐いていると、席に戻ってきたアビゲイルが怪訝そうな顔付きで問いを口にする。

 

「アリスとシリウスは悲しいの? どうして?」

 

「あー……悲しいというか、不安というか、悩ましいというか、そんな感じね。死別した人のことを思い出していたの。約束を守れているのかが心配なのよ。」

 

「相手が死んじゃってるのに約束を守るの? ……じゃあ、その相手は大切な人だったのね。だってそれは取引じゃないでしょ?」

 

「そうね、そういうことよ。死んでしまった後もずっと大切なままだから、残された私たちは約束を守ろうとするの。」

 

私の説明を受けて目を瞬かせるアビゲイルに、ブラックも懐かしむような表情で穏やかに語りかけた。

 

「親友が私を信頼して託してくれたんだよ。自分の一番大切なものを、私なら任せられると信じてくれたんだ。だから私はその期待を裏切りたくない。……まあ、君にはまだ少し早い話かもしれないな。」

 

「それって、友情? さっきアリスが話してくれたのと一緒?」

 

ブラックの言葉を何とか咀嚼しようとしているアビゲイルの質問に対して、椅子の背凭れに寄り掛かりながら答えを送った。

 

「愛よ、アビゲイル。何よりも尊くて、強くて、美しいもの。……今はよく分からなくていいの。いつか貴女にも理解できる日が来るわ。それを本当の意味で知ることが出来る日がね。」

 

「……うん。」

 

巷でよく言われている『愛』とはまた違うものなのだ。簡単に説明できるものではないし、理解させようと思って伝えられるものでもない。だが、アビゲイルが本当に自律した人形なのであれば、それを理解できる日がきっと来るはず。誰かを愛せる日が。

 

その日が訪れることを切に願いながら、アリス・マーガトロイドはアビゲイルの頬をそっと撫でるのだった。

 



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隙間を埋める者

 

 

「変化の途上。私の好きな雰囲気です。追いつけない者は取り残され、理解できる者だけが繁栄を享受できる。貴女はどちらなんでしょうね? 吸血鬼さん。」

 

真昼のロンドンの中心部が一望できる、ウェストミンスター宮殿の時計塔の鐘楼。その縁に腰掛けて薄い笑みを浮かべるトレーニングシャツにジーンズ姿のアピスへと、アンネリーゼ・バートリは鼻を鳴らしながら応じていた。面倒な場所に呼び出したかと思えば、開口一番の問いも奇妙だな。相変わらずヘンなヤツだ。

 

「無論、享受する側さ。私は他の吸血鬼と違って頭が柔らかいんでね。」

 

「本当にそうでしょうか? ……世界と同じく、この街も変わりますよ。ミレニアムプロジェクトで近代的な建造物が増え、やがてこの塔をも軽く見下ろすビルが建ち、人間たちは優れた情報端末を手に入れ、相互監視によって魔法族や妖怪が隠れる場所は消え失せるでしょう。」

 

「……随分と嬉しそうに語るじゃないか。」

 

「当たり前です。嬉しいんですから。……やはり貴女は幻想郷に行った方が良い。過去をこそ美しいとする『彼女』の楽園に。今の話を聞いて嫌そうな顔をする貴女は、きっと変化に置いていかれますよ。こっちに残るべきは未来を輝かしいと感じられる一部の妖怪だけなんです。」

 

ふん、今日はやけに大妖怪らしい雰囲気だな。冬の風にベージュの癖毛を揺らすアピスに近付いて、隣に立ちながら口を開く。やっぱりあの覗き魔のことは知っていたわけか。いいだろう、禅問答に付き合ってやるよ。

 

「八雲紫とキミは相容れないということか。」

 

「決して相容れないわけではありませんよ。彼女は過去の人間を懐かしみ、私は未来の人間に期待しているんです。その上で彼女は世界を過去に巻き戻し、私は進歩を早めようとしている。……貴女の知り合いにも居るでしょう? 正反対に見えて、実は同じものを見ていた二人が。」

 

「……よくご存知なようだね。」

 

ゲラート・グリンデルバルドとアルバス・ダンブルドア。二人の老人を思い出しながら頷いた私へと、アピスは大人びた苦笑で穏やかに呟いた。

 

「私と彼女もそうなんですよ。彼女は私のことを否定しないでしょうし、私も彼女のことを否定しません。ただ、同じ場所から別々の方向に進んでいるだけなんです。彼女は前へ、私は先へ。」

 

「らしからぬ哀愁が漂ってるぞ。過去に紫と何かあったのかい?」

 

「いいえ、何一つありませんでしたよ。そしてこれからも何もないでしょう。……分かりませんか? 私と彼女の関係はそういうものなんです。同じものを目指して正反対よりもずっと違う方向に動き出したから、掠りもせずに遠ざかる。それだけの話ですね。」

 

「……紫といい、魅魔といい、キミといい、歳を取ると謎めいた話し方が好きになるようだね。美鈴を見習いたまえよ。あいつは全然変わらんぞ。」

 

昔の美鈴のことを知っているわけではないが、以前からああいう感じだったのは何となく分かるさ。遥か下にある自動車が行き交う橋を眺めながら言ってやれば、アピスは珍しく柔らかい感じの笑みで首肯してくる。

 

「そうですね、紅さんは変わらない。だから私は紅さんが好きなんです。どちらにも寄らず、常に自分を定められている。あれこそ完成された『妖怪』の在り方ですよ。……私はいつまでも満足できないでしょうけど、紅さんはいつの日かきっと満足して終われるはずです。望んだ生を虧くことなく全うできるだなんて、何とも羨ましい話ですね。」

 

「ふぅん? キミは美鈴を羨んでいるのか。」

 

「私にとっての憧れの妖怪ですよ。吸血鬼さんは思いませんか? 紅さんこそが最も生を楽しんでいると。」

 

「……まあ、言われてみればそうかもしれないね。」

 

確かに毎日が楽しそうではあるな。決して愚かではないが、考えすぎもしない。その絶妙なラインで生きている感じだ。紅魔館の門前で居眠りしている姿を思い起こしながら同意すると、アピスはやおら本題を切り出してきた。

 

「幻想郷が『終わる』までは生きていて欲しいものですね。また会いたいですから。……そういえば見つけましたよ、ベアトリス。だから今日はこっちに来たんです。」

 

「……どうやったんだい?」

 

こいつ、どこまでも油断できないヤツだな。ヒントが手に入れば上々程度の期待だったのに、まさかいきなり本人を見つけ出すとは思わなかったぞ。予想外の成果に驚きながら聞いてみれば、アピスは淡々とした口調で返事を寄越してくる。

 

「存在する限り痕跡は残ります。それを地道に辿っていっただけですよ。はいこれ、写真です。」

 

何でもないようにアピスが渡してきたカラーの動かない写真を受け取ってみると、そこには二十歳に少し届いていない程度の女性の姿が収まっていた。白が強いグレーの長い髪、大人しそうな印象を受けるカーキのロングスカート、白いセーターと赤いベレー帽、軽く羽織っているタータン調のショール。髪色こそ珍しいものの、ぱっと見は普通の人間だな。

 

買い物か何かの途中なのか? ショーウィンドウ越しにバッグを見ている場面を望遠で隠し撮りしたらしい。想像よりも成長していたその姿を前に、ようやく片付けられそうだと息を吐きながら質問を投げる。

 

「で、場所は?」

 

「価値あるものには対価が必要ですよ、吸血鬼さん。この世の不変の道理です。」

 

「おや? あの人形をうちで引き取る代わりに、魔女の調査を継続するとアリスと約束したんじゃなかったのかい?」

 

「その通りです。自律人形。無から意識を生み出す技術。私が現在興味を惹かれているのはそれですから。……だから対価はあの人形で構いませんよ。ベアトリスを追うのと並行して人形や意識についての勉強をしておきました。今ならあの人形の謎を解明できる自信があります。ください、あの子。その対価としてベアトリスに関する情報を提示しましょう。」

 

アピスが催促するように手のひらを差し出してくるのを見て、苦い思いで妥協案を口にした。ここに来て厄介な要求をしてくるじゃないか。私はともかく、アリスが呑まないぞ。

 

「アリスが調べて、キミに報告を送る。キミたちが交わした契約はそういう内容だったはずだ。」

 

「あの時は知識が足りませんでしたからね。状況が変わったんですよ、吸血鬼さん。私は学ぶことでそれを手にして、またその途上で以前よりも興味が膨らんだ。自分の手で調べてみたくなったんです。それに魔女さんに約束したのは『調査の継続』であって、その報告ではありません。約束通り調査はしました。結果の報告が欲しいなら別の対価が必要ですよ。」

 

「詐欺師のやり口だぞ、それは。……仮に人形をキミに渡したとして、具体的に何をするつもりなんだい?」

 

「問答をしたり、ストレスを与えてみたり、あるいは物事への反応を観察してみたりですかね。必要なら分解もしますし、可能ならコピーも……そう、コピーも作ります。比較実験は大切ですから。」

 

何が面白いんだよ。何故か説明の途中で自分の発言に含み笑いをした変わり者妖怪を横目に、うんざりしながら思考を回す。これはダメだな。今の『研究計画』を聞けばアリスは絶対にノーを叩きつけるだろう。かといって黙ってアピスに売り渡すのもいただけない。そんなことをしたらアリスは怒るはずだ。多分、未だ嘗てないくらいに。

 

……どうする? 大前提として、情報欲しさに渡すと嘘を吐くのは論外だ。魔女を仕留める代わりにアピスを敵に回すのでは損得が釣り合わんし、約定破りは妖怪の御法度。その場凌ぎのつまらん嘘は候補から除外すべきだろう。

 

そして実際に渡すのも論外。私はアリスに嫌われたくないし、アリスが悲しむ姿を見たくもない。そもアリスを厄介な魔女のちょっかいから解放するためにやっているのに、その彼女が不幸になる結末など本末転倒だ。

 

うーむ、面倒な展開だな。脳内で代案を絞り出しつつ、眼下の街並みを眺めるアピスへと前提を示した。

 

「悪いが、人形は渡せない。アリスが気に入っているからね。私にはまだ言ってこないが、どうも『家族』として受け入れるつもりらしいんだ。である以上、私は否と答える他ないんだよ。」

 

「見つけたのは私たち三人で、連れ出そうと最初に提案したのは私です。その場合、所有権は誰にあるんでしょうか?」

 

「当然アリスさ。曲がりなりにもキミはアリスに委譲したじゃないか。おまけに二対一でこっちが多い。現代的な妖怪を自称するのであれば、流行りの民主主義の原則に従いたまえよ。」

 

「まあ、いいでしょう。そこは認めます。しかし私はあの人形が欲しいんです。私も一応妖怪なので、欲望にはそこそこ忠実なんですよ。おまけを付けてもいいので譲ってくれませんか? 私は結構色々なものを所有していますよ? 物も、情報もです。」

 

内心の読めない微笑で提案してくるアピスに、ふと思い付いた疑問を送ってみる。こいつの要求には違和感があるぞ。態度にもだ。

 

「……キミ、本心から人形を欲しているかい?」

 

「だからこうして交渉しているんじゃありませんか。どうしてそんなことを聞くんですか?」

 

「妙だぞ。本気で自律人形に興味があるのであれば、何故ベアトリスと交渉しないんだ? わざわざ『製品』から地道に追おうとせずに、制作者から直接聞けばそれで済むじゃないか。キミはもう居場所を知ってるわけなんだから。」

 

「なるほど、一本取られましたね。確かにそうです。……義理立てしているのだとは思いませんか? もちろん貴女にではなく、魔女さんに。」

 

試すように問いかけてくるアピスへと、イライラしながら否定を返す。エサで釣るのは好きだが、釣られるのは気に食わん。何が目的なんだ?

 

「そんな殊勝な性格じゃないだろう? キミは私たちと取引するように、ベアトリスとも取引するはずだ。……私の反応を確かめたのか?」

 

「お見事、一つ正解です。……貴女はどうにも吸血鬼らしくない。らしくなさすぎます。だから興味があるんですよ。人形の譲渡を拒否したのは魔女さんのためだけですか? 貴女自身はあの人形のことをどう思ってます?」

 

「キミの『問診』に応じる必要があるのかい?」

 

ジト目で抵抗してやれば、アピスは無言で私が持っている写真を指差した。くそ、忌々しい。情報が欲しいなら答えろということか。

 

「……キミが何を期待しているのかは知らんが、私はあの人形に対して然したる感情を持っていないよ。忠誠の対価が得られなかったのは憐れだと思うし、ベアトリスが『支払い』を拒絶したことを軽蔑もするが、あくまでその程度さ。アリスが了承するならキミに渡しているんじゃないかな。」

 

「人も吸血鬼も妖怪も、等しく鏡を持って生まれることは出来ないわけですね。私が思うに、貴女は主観性を排除しきれていない。帰ったら魔女さんにでも聞いてみるといいですよ。貴女があの人形……アビゲイルでしたか? に向ける態度についてを。面白い意見が出てくるんじゃないでしょうか?」

 

「愚にも付かない哲学の話はやめたまえ。私は話すだけの連中が大っ嫌いなんだ。我思う、故に我在り。それでいいんだよ。」

 

「使い方が違いますよ、吸血鬼さん。私は全てを疑えとまでは言っていないんですから。個が疑うべきは自らが思う自らです。疑わなければ変容しないでしょう? 他者を鏡にして自らを疑問視することこそが──」

 

ええい、鬱陶しい。どんどん面倒くさい方向に進んでいく話を手で止めて、会話のレールを元に戻す。哲学問答は嫌いじゃないが、それは話す相手がパチュリーやハーマイオニーの場合だ。こいつとやったところで苛々するだけだぞ。

 

「講釈は結構。具体的に何を聞きたいのかを明確にしたまえ。」

 

「聞きたいわけではなく、知りたいんです。あの人形と、魔女さんと、吸血鬼さん。貴女たち三者がたどり着く場所がどこになるのかを。……まあ、今日のところは満足しました。ベアトリスの居場所を教えましょう。」

 

やけにあっさり譲ってきたアピスは、ジーンズのポケットから出したくしゃくしゃの紙を手渡してきた。シワを伸ばして書いてある文字を確認してみると……日本の住所? おいおい、またしても予想外だな。ベアトリスは日本に住んでいるらしい。

 

「まさかの極東か。北アメリカのどこかに居るとばかり思っていたんだけどね。」

 

「私もまあ、その点は予想外でした。調査に手間取った理由の半分はそれですし、賢い隠れ場所だと思いますよ。日本は敬遠されがちな土地ですから。言語は世界でも屈指の複雑さな上、長く閉ざされていた島国な所為で文化も独特で、かつヨーロッパからも北アメリカからも遠いですからね。……ちなみに物理的な距離の話ではなく、心理的な意味です。」

 

「面倒くさい土地ってのは理解しているよ。この住所に住んでいるんだね?」

 

「ええ、数年前から住んでいるようですね。殺しに行くんでしょう? 案内は必要ですか?」

 

あまり興味がない感じで言ってくるアピスへと、首を横に振りながら返答を飛ばす。カンファレンスの時にアリスと遊び歩いた場所の近くだし、調べれば私でもたどり着けるだろう。

 

「不要だよ。日本には行ったことがあるし、日本語も喋れるからね。……キミ、ベアトリスには興味がないのかい? 私とアリスと人形。そこに興味を持ったのであれば不可欠なピースだと思うんだが。」

 

「『ベアトリス』には興味ありませんよ。理由は言いたくありませんが、私にとってはそれほど重要ではない存在なんです。魔女さんも連れて行くんですよね?」

 

「それはアリス次第だよ。私一人でも片付けられるだろうし。」

 

「情報屋として助言しますが、魔女さんも連れて行くべきです。絶対にそうすべきなんです。約束してください。」

 

何でそこだけは拘るんだよ。ジッとこちらを見つめながら主張してくるアピスに、怪訝な気分で首肯を放った。何れにせよ私が決めることじゃないぞ。

 

「何だい? 急に。アリスが行くと言うなら連れて行くさ。それだけの話だよ。」

 

「……であれば構いません。魔女さんはきっと行くことを選択するでしょうから。人形を連れて行くかどうかはお任せします。どちらにせよ私としては違いがありませんしね。」

 

「……まだ何か隠していないか? さっきの人形の件といい、今の態度といい、今日のキミには違和感があるぞ。」

 

「沢山のことを隠しているに決まってるじゃありませんか。私は星の数ほどの情報を持っていますが、それを売るか売らないか、店先に並べるか倉庫に仕舞っておくかを選べるのは私だけです。倉庫の奥深くに何が眠っているのかは教えてあげません。今のところ売る気もないので、知りたいのであれば自力で頑張ってください。」

 

謎めいた台詞と共に手を組んで伸びをしたアピスへと、大きく鼻を鳴らしながら口を開く。情報屋の強みを掲げてくるのもムカつくし、トレーニングシャツの下のデカすぎる胸が必要以上に揺れてるのにもイライラするぞ。下着くらい着けろよ、贅肉妖怪め。

 

「情報の対価は結局どうなるんだい?」

 

「強いて言えば、貴女と魔女さんの家に引き続き人形を置いて欲しいことくらいですね。近いうちに顔を見に行きます。あるいは全てが終わるまで見に行かないかもしれません。より面白くなりそうな方を勝手に選びますよ。」

 

「今日じゃダメなのか? 頻繁に訪ねてこられるのは嫌だし、さっさと済ませたいんだが。」

 

「まだ早いんですよ、吸血鬼さん。……貴女はあれですね、未熟ですね。多分覗き見ているニューヨークの大魔女や『彼女』は気付いていますよ。魔女さんはまだ若いので仕方がありませんけど、貴女はもうちょっと年相応に賢くなった方がいいんじゃないでしょうか?」

 

気付く? 何の話だよ。いきなり私をバカにしてきたアピスに対して、突き落としてやろうかなと悩みながら返事を投げる。

 

「私は賢い。余計なお世話だ。」

 

「……まあ、そこが面白いんですけどね。成長できるのは若者の特権ですから。欠けているから変化するのであって、完成してしまえば先にあるのは停滞だけです。彼女もそこに惹かれたんじゃないでしょうか?」

 

「五百歳だぞ、私は。」

 

「生きた年月なんて関係ないんですよ。十歳で全てを学ぶ者も居れば、千年生きたところで子供のままな者も居ます。貴女は今まさに学び、変化している途中なんです。世間知らずの子供のままで五百年を過ごし、ようやく人間に触れたり学校に通ったりして賢くなり始めたってところですね。貴女は恐らく例の魔女を子供だと思っているんでしょうけど、私から見れば貴女だって子供ですよ。」

 

よし、この無礼な妖怪を突き落とそう。心に決めた私がアピスの背を押そうとしたところで、彼女はそれを予期していたかのように立ち上がった。

 

「では、失礼します。……私はあまり趣味が長続きしない性格なんですけど、唯一数千年間も続いている趣味がありまして。それが『情報屋』なんです。私が情報屋をやっているのは何も儲けるためだけではなく、人間や妖怪たちの『物語』を見るのが好きだからなんですよ。貴女と、魔女さんと、人形。今回の物語は久々に当たりな気がします。ここからは私も観客席に移動しますから、是非とも面白い結末にしてください。」

 

「とっとと失せたまえ。もう『高みの見物』をする連中は間に合ってるんだ。見世物にされるこっちとしてはいい迷惑だよ。」

 

最後に余計なことを言ってから妖術か何かで姿をくらませたアピスを見送って、巨大なため息を吐きながら眼下の人間界を展望する。紫も、魅魔も、アピスも。せせこましく動く私たちを見下ろすのがお好きなわけだ。ああいう性格の悪い大妖怪になるんじゃなく、歳を取ったら美鈴のようになりたいもんだな。

 

まあいい、必要な情報は手に入った。……日本か。それほど好きではなく、またそれほど嫌いでもない国だが、必要とあらば赴くのに否などない。行ってサクッとベアトリスを殺してくるとしよう。

 

ようやく問題が解決しそうなことに安心しつつ、アンネリーゼ・バートリは真っ白な杖を振って鐘楼から姿を消すのだった。

 



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月の山

 

 

「まだ入れちゃダメだからね。アイロンがけしてからよ。」

 

世話が焼けるな、まったく。シワだらけのシャツをトランクに入れようとする魔理沙を止めつつ、サクヤ・ヴェイユは必要な物のチェックを進めていた。着替えと、一応予備の制服、それにユニフォームと歯磨きセットと……箒は? 一番大事な箒はどこに行ったんだ?

 

二月三週目の金曜日である二十日。午後最後の授業が空きコマだった私たちは、寮の自室に戻って魔理沙の旅支度を行っているのだ。試合自体は日曜日だが、代表選手たちは会場校からの歓迎を受けるために明日の昼にワガドゥに到着することになっている。

 

そうなると当然ワガドゥの校舎で一泊する必要があるので、ズボラな友人に代わって『お泊り』のための荷物を整えているのだが……ああもう、何で今日まで何一つ準備しておかなかったんだ? 普通こういうのって三日前くらいから準備しておかないと不安になるだろうに。

 

私が三コマ目が終わった段階で『準備はどうなの?』と聞かなければ、恐らく明日の出発ギリギリまでやらなかったんだろうなとため息を吐きつつ、下着を滅茶苦茶に畳んでいる魔理沙へと質問を送った。あれは後で畳み直しだな。

 

「箒は? 試合のための一番大事な道具はどこにあるのよ。もう練習は無いんでしょう? だったら箒置き場から取ってきて頂戴。」

 

「おっと、忘れてた。箒はこれだ。昼休みの最終調整が終わった後にそのまま持ってきたんだよ。」

 

そう言って私に見せてきたのは……ああ、専用の持ち運びケースか。肩に掛けるためのストラップが付いた、長さ六十センチほどの円筒形の細長い革のケースだ。縮小呪文だか拡大呪文だかがかかっているらしく、魔法界では箒を持ち運ぶ時によく使われる一品なのだが、夏休み明けに持っていた物と違う品だぞ。また新しいケースを買ったのか?

 

「ちょっと、また買ったの? 前のケースだって良い物だったじゃない。」

 

「違う違う、クリスマスプレゼントで双子から貰ったんだよ。一回戦突破のお祝いも兼ねてな。内部のクッションが魔法で自動的に箒にフィットする上、外側は頑丈なドラゴン革なんだぜ?」

 

「……貴女って、色々な人から色々な物をプレゼントされてるわよね。グローブはブラックさんから、ケースは双子先輩から、シューズは箒屋の店主さんからで、新型の足置きも誰かから贈られたんでしょう?」

 

「足置きはハリーとアレシアも同じのを貰ったぞ。旧グリフィンドールチームの連中がプレゼントしてくれたんだ。準決勝も頑張れってな。」

 

うーん、ほんの少しだけ負けた気分だ。私も誕生日やクリスマスには多くの人からプレゼントを貰っているが、その半分以上は両親や祖父母の関係者からであって、私個人を見てのプレゼントは数えるほど。対する魔理沙は一年生の時の真っさらな状態から人間関係を構築したのにも拘らず、今や私と変わらない量のプレゼントを受け取っている。

 

むう、人付き合いの上手さの差を見せつけられているみたいだ。別に妬んでいるわけでも、友人へのプレゼントが多いことが嫌なわけでもないのだが……素直に『良かったね』とも思えないな。こんな私はちょっと性格が悪いのかもしれない。

 

自分のダメさ加減に情けなくなっていると、ケースから箒を取り出した魔理沙が箒磨きクリームの蓋を開け始めた。また磨くのか。すり減っちゃうぞ。

 

「荷物の整理はどうなったのよ。」

 

「ケースを見てたら気になってな。少しだけ磨かせてくれ。」

 

「はいはい、お好きにどうぞ。インセンディオ(燃えよ)。」

 

どこまでも箒バカな親友に言い放ってから、鉄製のアイロンの中に魔法で火を入れる。制服のジャケットと、スカートと、シャツと、ユニフォームもやらないとだな。シワシワの服だとバカにされちゃうだろうし。

 

アイロンが熱を帯びるのを待つ間に、アイロン台を用意してカバーをかけていると……専用の布にクリームをつけて箒を磨いている魔理沙が話しかけてきた。ちょびっとだけ呆れたような顔付きでだ。

 

「お前さ、いい嫁さんになりそうだよな。」

 

「何それ。それを言うならいいメイドでしょ。」

 

「まあ、お前の場合はそうなるか。エマも上手いのか? 家事と言うか、何と言うか……こういうことって。」

 

「とんでもなく上手いわ。エマさんの場合は職人よ。家事職人。スピードも、仕上がりも、細やかな気配りも。誰がどうしたって非の打ち所がないくらいなんだから。」

 

エマさんの技術は別格なのだ。私が一やる間に十を終わらせて、おまけに仕上がりの美しさも十倍。アイロンがけも掃除も洗濯も、料理も片付けも着替えの手伝いも、エマさんこそ時間を止めているんじゃないかってくらいにパーフェクトなのである。

 

だから魔理沙が魅魔さんを師と仰いでいるように、私にとっての師匠はエマさんだ。……問題はまあ、追いつけるビジョンが全く浮かんでこないところだが。片手でこう、ちょちょいと摘んで一瞬でシャツを畳むあの技術。私からすればあれこそ魔法だぞ。

 

ふと手近な魔理沙のシャツで試してみた結果、ぐっちゃぐちゃになってしまったことに唸っていると、シャツの持ち主が今度は箒の尾の毛先を整えながら返事を寄越してきた。昨日も一昨日もやってたじゃないか。今更何が気になるんだ。

 

「どんな分野にも達人はいるってことか。」

 

「そういうことね。エマさんはメイド道の達人なの。」

 

アイロンの熱気を確かめつつ軽く応じて、最初に私のシワ伸ばしの餌食になるシャツを台に載せたところで、部屋のドアがノックされると共に呼びかけが耳に届く。

 

「咲夜、魔理沙、居るかい?」

 

「リーゼお嬢様?」

 

どんな状況でも聞き間違えない自信がある声を受けて、慌てて立ち上がってドアを開けると、丸いお菓子の缶を片手にしているリーゼお嬢様の姿が見えてきた。大きめの缶だ。クッキーかな?

 

「やあ、咲夜。談話室でジニーからこっちに居ると聞いてね。……なるほど、魔女っ子の旅支度の途中か。」

 

「はい、アイロンがけをするところでした。」

 

「おっ、何だそれ? チョコかクッキーってとこか? 私にもくれよ。」

 

「クッキーだよ。さっきまで魔法省に行っててね。用事を済ませるついでに国際協力部のオフィスから失敬してきたんだ。渡すのを渋ってたし、多分良いやつなんじゃないかな。」

 

確かに良いやつだな。綺麗な模様が入った缶そのものが既に高級そうだし、中身も一つ一つ包まれている。味はチョコとピスタチオとプレーンがあるらしい。『徴発』された国際協力部はさぞ嘆いていることだろう。

 

リーゼお嬢様が開けた缶から魔理沙がチョコの袋を素早く取るのを横目に、アイロンがけに戻りつつ疑問を投げた。非常に美味しそうだが、がっつく姿をお嬢様に見せるのは恥ずかしい。アイロンがけが終わってからいただこう。

 

「どんな用事だったんですか?」

 

「日本への入国を申請したのさ。ベアトリスがそこに居るみたいでね。明日行って殺してくるよ。」

 

「殺してくるって……ええ? 見つかったんですか? ベアトリス。」

 

サラッと物騒な発言が飛び出してきたな。動きを止めて尋ねた私と同じく、魔理沙もクッキーを齧る体勢のままで目をパチクリさせている。そんな私たちの反応を愉快そうに眺めながら、リーゼお嬢様はあっさりとした口調で説明してきた。

 

「アピスが見つけたのさ。だから一応キミたちにも伝えておこうと思ってね。」

 

「でもよ、日本? 何で日本なんだよ。全然関係ないじゃんか。」

 

「全然関係ないからこそ隠れ場所に選んだんじゃないか? ……まあ、その辺の詳細は知らないし、知る必要もないさ。殺せば全部解決するんだから。」

 

「いやいや、でも……アビゲイルは? あいつはどうすんだ?」

 

もはや食べかけのクッキーなど目に入らない様子で問いかけた魔理沙へと、リーゼお嬢様は肩を竦めながら端的に返す。どことなく不機嫌そうな雰囲気でだ。

 

「どうするとは? どうもしないよ。キミも私があの人形を気遣うと思っているのかい?」

 

「いや、気遣えよ。可哀想だろ。あんなに会いたがってたのに殺しちゃうのか?」

 

「キミね、ベアトリスが何人殺したと思ってるんだ。大人どころか子供だって何十人と殺しているヤツなんだぞ。まさかアビゲイルと仲直りさせて見逃せとでも?」

 

「そりゃあ、そうは言わないが……いや待て、お前ってそんなに正義感があるヤツだったか? かく言うお前も清廉潔白ってわけじゃないだろ。」

 

途中で疑わしげな目付きになった魔理沙に対して、リーゼお嬢様はニヤリと笑って口を開いた。

 

「正義感? まさか。ガキだろうが大人だろうが、私の知らない人間が何人死のうと知ったこっちゃないね。そこは正直どうでも良いかな。……私にとって重要なのはアリスに手を出したって点さ。だから殺すんだ。簡単な話だろう?」

 

「……アビゲイルも連れて行くのか?」

 

「ふん、どいつもこいつもあの人形のことをやたらと気にするじゃないか。アリスが連れて行くと言うなら連れて行くよ。それで何がどうなるわけでもないと思うけどね。……咲夜、火事になるぞ。」

 

「へ? ……わっ。」

 

リーゼお嬢様の指摘を受けてアイロンに目を落としてみれば、ずっと同じ場所に置いていた所為で薄い煙を上げているのが視界に映る。大慌てでアイロンを退かしてみると……あー、やっちゃったな。アイロンの形にくっきり焦げ目がついているシャツがそこにあった。話に夢中で動かすのを忘れていたぞ。

 

「ごめん、魔理沙。」

 

「ん? ああ、シャツなんか別にいいぜ。それよりベアトリスのことだろ。……アリスは納得してるのか? その、殺すことに。」

 

「軽く報告した直後に魔法省に出向いたからね。詳しい話をするのはこの後だ。」

 

「だったらちゃんと話せよな。ベアトリスを許しちゃいけないってのは理解できるが、私にはただ殺すのが正しい結末だとも思えんぞ。」

 

きっぱりとリーゼお嬢様に意見できる魔理沙を少しだけ眩しい思いで見ている私を他所に、お嬢様もまたはっきりとした返事を口にした。

 

「人を殺した妖怪を退治する。それはキミの故郷でも普通に行われていたことだろう? 何をそんなに気にしているんだい?」

 

「お前だって妖怪だろうが。ベアトリスの境遇に何か思うところはないのかよ。」

 

「ベアトリスも私も己の望みを貫こうとしているだけさ。その過程で相反すれば当然争うし、争いに負けた者に待っているのは死だ。ベアトリスを哀れむとすれば、私の身内に手を出したって部分だけだね。その時点で彼女は死ぬ運命だったんだよ。」

 

「……私はそこまで割り切れん。それが人間ってもんなんだよ。」

 

理性ではなく、感情で反対している魔理沙。その姿を見て僅かに興味深そうな顔付きになったリーゼお嬢様は、缶の中のクッキーをひと掴みしてから身を翻す。

 

「ま、キミは試合に集中したまえよ。ここから先は大人の仕事だ。私とアリスで片付けるさ。」

 

「そんなこと言われて集中できるわけないだろうが。」

 

「出来なくてもするんだ。キミが何を考えたところで結末に影響することはないからね。……それじゃ、失礼するよ。クッキーの残りはキミたちにプレゼントしよう。味わって食べたまえ。」

 

底を見せない怪しげな笑みでそう言うと、リーゼお嬢様はそのまま部屋を出て行ってしまう。それを見送った後、私もクッキーを一つ取りながらポツリと呟いた。

 

「子供のままだったみたいね、私たち。」

 

「だな、何も出来んぜ。一緒について行くことも、何か別の結末を示すことも出来ないんだから、私たちに何か言う権利なんてないんだろうさ。リーゼは少なくとも決断して実行しようとしてる。うじうじ文句を言うしかない私よりもよっぽど大人ってこった。」

 

「……準備を続けましょうか。」

 

魔理沙の言う通りだな。私たちには何も言えない。言う権利がない。手伝えていた気になっていただけの子供なのだから。それでいいのかというモヤモヤを抱えて、リーゼお嬢様を見送ることしか出来ないのだ。

 

クリスマス休暇で人形店に帰った時に出会った、あの天真爛漫とした人形の少女。……もう少し優しくしてあげればよかったな。もしベアトリスが見つかった時、アビゲイルがどうなるのかなんて考えもしなかった。今更こんな風に後悔するだなんて情けなさすぎるぞ。

 

私たちがケーキを美味しいと言った時に浮かべたあの笑顔は、果たして今度会った時にまた見ることが出来るのだろうか? それ以前にまた会えるのかすら定かではないのに。

 

自分の大人気ない態度を恥ずかしく思いつつ、サクヤ・ヴェイユはのろのろとアイロンを動かすのだった。

 

 

─────

 

 

「ちょっと待ってくれ、今マフラーを外すから。これを着けて登場ってのはカッコ悪いだろ?」

 

マフラー自体は気に入っているが、向こうは夏なんだから着けたままでは季節感がおかしくなってしまうだろう。アリスが編んでくれた白黒のマフラーを大急ぎで外しつつ、霧雨魔理沙は杖を一振りして持ってきたトランクを開けていた。

 

二月二十一日のお昼過ぎ。フーチ率いる私たち代表選手団は、現在スペインのどこかの山奥でポートキーの『乗り継ぎ』を行なっている最中だ。ポートキーにも国際間の複雑なルールやら距離の制限やらがあるらしく、アフリカまでは直通で行けなかったのである。この前試合を観戦しに行った時もそうだったし、遠く離れた土地であることを実感させられるな。

 

つまりはまあ、試合前日にワガドゥに『前乗り』しようとしているわけだ。私を除く他の六人……というか、フーチを含めた七人は『そんなのいいから試合に集中させてくれよ』という気分らしいが、ワガドゥが歓迎してくれるならそれを受けるのも代表選手としての大事な役目ということで、私たちは向こうの校舎に一泊することになってしまった。

 

まあうん、私としては否などない。『月の山』にはこの前見た時から入ってみたかったし、こんな機会でもなければそれは叶わないだろう。だから月の山で一泊することに対しての不満は一切ないのだが……むう、ベアトリスのことは気になるな。リーゼたちは今頃日本に到着しているのだろうか?

 

咲夜は警戒して距離を置いていたが、私はクリスマス休暇の時にアビゲイルとよくお喋りしていたし、だからこそ彼女がベアトリスのことを大切に想っていることが理解できている。会話の端々でベアトリスのことを愛称で呼ぶアビゲイルは、本当に優しげな表情を浮かべていたのだ。

 

拒絶され、挙句仲直り出来ないままでベアトリスが死んだらアビゲイルはどうなってしまうんだろうか? マフラーを仕舞ったトランクの蓋をパチリと閉じて、大きくため息を吐きながら小さな人形のことを案じていると──

 

「マリサ、急げ。ポートキーは待ってくれないぞ。」

 

「分かってるって。あと十六秒あるだろ? ギリギリで準備するのは得意なんだよ。」

 

「それは自慢げに語るような特技ではないな。あと十秒だ。」

 

「今行くっつの。」

 

まったく、考えている暇もないな。そこそこ焦っている様子のドラコに応じてから、他の全員が指を添えている滑らかな石のキューブに人差し指を置く。……うん、考えるのは後にしよう。既に賽は投げられたのだ。アフリカで試合を行う私に、日本で振られる賽の目を変えることは出来ない。ならば私が介入できる方の目を変えることに集中しなくては。

 

明日の試合に勝つ。それだけを心に定めた私がポートキーに触れているのを確認して、フーチが代表選手全員に注意を放った。

 

「他校の生徒たちの前で無様を晒さないように、着地には気を付け──」

 

「っと。」

 

うーん、間に合わなかったな。フーチが言い切る間も無く始まったほんの一瞬の移動の後、よろけたアレシアを咄嗟に支えながら到着した場所は……円形の大きな広間だ。四方と上下が艶のある黒い岩肌に囲まれた、薄暗い広間のど真ん中。そこに置いてある優に千人は座れそうなどデカいドーナツ型のテーブルの、中心にある穴の中に到着したらしい。

 

暗くてよく分からんが、ホグワーツで言う大広間のような場所なんだろうか? 有り得ないほどの大きさの一枚岩で作られているドーナツテーブル越しに、数百人のワガドゥの生徒たちが私たちのことを囲んでいる。静まり返ってジッとこちらを見つめる生徒たちに若干怯んでいると、壁にかかったワガドゥの校旗を背に座っている誰かが大声を張り上げた。

 

「それ、客人じゃ! 歓迎せよ!」

 

途端、私たちを囲む生徒たちが歓声を上げながら石テーブルをめったやたらに叩きまくり、彼らの背後の壁際に轟々と真っ赤な炎が燃え上がる。テーブルの上の燭台にも一斉に火が灯る中、原始の明かりに照らされた広間に再び声が響いた。さっきは暗くて判別できなかったが、明るくなった今なら分かるぞ。校旗の前で朗々と話しているのはワガドゥの校長だ。

 

「月の山を統べるオモンディの名において宣言する! 今現れた八名は他国からの客人であり、わしらには彼らを持て成す義務があると! 食べ尽くせぬほどの肉を焼き、倉庫に眠っている酒樽を叩き割れ! 水のように流麗な音楽を奏で、全てを包む炎のように激しく舞え! 客人だ! 客人だぞ!」

 

「客人だ!」

 

「そう、客人だ! 我が子らよ、何をボサッとしておるか! 席に案内せよ! 注げ、盛れ、持て成せ! 息つく暇も与えるな! ワガドゥの歓迎の仕方を見せてやれ!」

 

「客人だ! 客人だ!」

 

なんだこの空気は。校長の台詞に『客人だ!』と満面の笑みで拍子を打つ生徒たちは、石テーブルを次々と乗り越えて競うように私たちの方へと駆け寄ってくると、こちらの手を引いて案内し始める。どうやら校旗がかかっている席の反対側に私たちの席があるらしいが……おいおい、案内役とは別の生徒たちが大皿に盛られた料理を運んできているぞ。絶対に食べ切れないであろう量をだ。

 

「こっちだ、客人。こっちの席だ。……みんな、豹のようにしなやかに飛ぶチェイサーを取ったぞ! この美しいお嬢さんは私の客だ! 私が誉れある歓迎役だ! この客人は黒豹の魂を持つゾーイが持て成す!」

 

物凄いスピードでテーブルを乗り越えて、真っ先に私の手を取った黒い長髪の女の子が高らかに宣言するのに、出遅れた周囲の女生徒たちが残念そうに渋々頷く。ひょっとして、本当に競争していたのか? どうも一番最初に手を取ったヤツが『歓迎役』になれるということらしい。

 

「あんたが私の……えっと、歓迎役? になるってことなのか?」

 

「そうだ、客人。客人を歓迎できるのはワガドゥの生徒にとって名誉なことなんだ。この前来たフランスからの客人は好みじゃなかったが、美しい飛び方をするあんたは私の好みだからな。来たら絶対に手を取ってやろうと決めてたんだよ。」

 

背は私より少し高いくらいの細く引き締まった身体と、健康的な印象を受ける褐色の肌。上には他の生徒とお揃いの黄色いTシャツのような服を着ており、下は短い飾りの毛皮が付いた独特なハーフパンツ姿だ。多分これがワガドゥにおける夏用の制服なんだろうが、生徒ごとに若干の個性があるな。ホグワーツと同じくその辺は緩いらしい。

 

「あーっと、それはどうも。よろしく頼むぜ。」

 

黒曜石のような綺麗な髪の下に笑みを浮かべて説明してきた女の子に応答してから、他のチームメイトはどうなっているのかと見回してみれば……全員私と同じような状況っぽいな。競争を勝ち抜いた一人の生徒がそれぞれに歓迎役として付いているようだ。男子には男子が、女子には女子がって感じなのかな? ちなみにフーチにもワガドゥの教員らしき大人の女性が付いている。

 

しかし、凄い騒ぎだな。誰もが楽しそうな顔で私たちに注目していて、楽器を用意したり謎の大掛かりな器具を組み立てたりと大忙しだ。何か歓迎のための催しをしてくれるのだろう。既に私たちの席の近くでは打楽器が鳴り響いているし。

 

「私はゾーイだ。黒豹の魂を持っている。そしてあれが私の妹たちだ。……さあ、座ってくれ。」

 

「マリサ・キリサメだ。マリサでいい。……『黒豹の魂』ってのはどういう意味なんだ?」

 

「こういう意味さ。」

 

気になることが盛り沢山だし、一つ一つ解決していこうとテーブルを外側に乗り越えた後で問いかけてみると、ゾーイは……うお、アニメーガスなのか。一瞬にしてしなやかな体躯の黒豹へとその姿を変えた。グリーンの瞳が壁際の炎を反射してギラギラと獰猛に輝いている。

 

「凄えな。アニメーガスなのか。……『妹たち』ってのは?」

 

我先にと私の前の皿に肉やら何やらを盛り付けていく女の子たちを指して聞いてみれば、ゾーイは人間の姿に戻って返答を寄越してきた。

 

「ワガドゥに入ってきた頃から私が世話をしている子たちのことだ。姉は皆卒業してしまったからな。今では私が最年長になってしまった。」

 

「あー、なるほど。先輩後輩ってことか。」

 

「噛み砕けばそうだが、ワガドゥの中ではもっと深い意味を持っている。一緒に寝て、一緒に食べて、一緒に学ぶんだ。家族だよ。ワガドゥ全体も一つの家族だけど、この子たちはその中でも格別に可愛い。卒業してもずっと妹だ。」

 

「へぇ、いいじゃんか。」

 

一番小さい女の子……ホグワーツの一年生よりも幼い子の頭を撫でながら言ったゾーイに、心からの笑顔で返事を送る。寮の代わりにそういうシステムがあるってことか。悪くないと思うぞ。

 

「あんがとよ。……ん、美味しいぜ。」

 

何て料理なんだろうか? その女の子がモジモジと差し出してきたチップスのような何かを食べている私へと、ゾーイは隣に座って話しかけてきた。

 

「私はホグワーツとダームストラングの試合を観ることが出来た数少ない生徒の一人だ。代表選手以外では成績が良い者しか行くことを許されなかったからな。あの城の中はどうなっているんだ? ホグワーツはいつもあんなに賑やかなのか?」

 

「出店が出たのはあの時だけだぜ。いつもはまあ、もう少し静かな場所だな。そんでもって城の中は……んー、城だよ。西洋の城そのものって雰囲気だ。多少魔法界っぽい賑やかさはあるが。」

 

「城か。私にとっての城は月の山だ。だからホグワーツはとても整って見えた。……もっと教えてくれ、マリサ。私は他の国に興味があるんだ。卒業したら外国に関わる仕事に就きたいとも思っている。私の英語は聞き取り難くないか?」

 

「充分すぎるほどに聞き取り易いぜ。……ならよ、交代交代で質問していかないか? 私もこの国とか、月の山とかに興味があってな。色々と教えて欲しいんだよ。」

 

何と言えばいいか、活き活きしているな。好奇心を隠すことなく笑顔に表して、グイグイとこちらに迫ってくるゾーイは……動的な魅力があるぞ。顔も整っているし、さぞモテるんだろうなと感心しながら提案した私に、ゾーイは嬉しそうに身体を震わせて首肯を返す。

 

「ああ、そうしよう! 最初はマリサから質問してくれ。私は聞きたいことが多すぎて纏められない。この宴はどうせ夜まで続くから、時間は山ほどあるぞ。」

 

「んじゃあ……そうだな、先ずこの城の大まかな構造を教えてくれ。外から見ると山みたいな大岩だったが、中はどうなってるんだ?」

 

「中はだな、いくつかの層に分かれているんだ。その層を掘った代の校長の名前がそのまま階層の名前になっていて、玄関がある一番下が初代校長の──」

 

ゾーイの『妹たち』が用意してくれる食べ物や飲み物を貰いつつ、長姉たる彼女の話に耳を傾ける。ゾーイが歓迎役になってくれて良かったな。私とはかなり相性が良い気がするぞ。

 

身振り手振りを交えて説明してくれるゾーイに微笑みつつ、霧雨魔理沙は新たに得た知識を蓄えていくのだった。

 



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対面

 

 

「おっと、外は思っていたよりも寒いね。……じゃあ、行こうか。」

 

うーむ、空気が重いな。何かを考え込んでいる様子のアリスと、緊張しているような表情でその手をしっかりと握っているアビゲイル。背に続く二人に呼びかけながら、アンネリーゼ・バートリはアジア系の顔がすれ違う階段を上っていた。よく分からんから道案内してくれと言える雰囲気じゃないし、どうにか自力で地図を解読する他なさそうだ。

 

アピスの調査報告に従って日本を訪れている私たちは、現在この国の皇帝……天皇? 大王? 複雑すぎていまいち理解できんが、とにかく帝国だった頃の支配者が住んでいるという宮殿からすぐ近くのメトロ駅を出て、ベアトリスの現在の工房を目指して徒歩移動を始めたところだ。アピスから渡された住所によれば、工房はこの駅から少し歩いたところにあるはず。

 

ここからだと西に宮殿、東にクソ複雑な忌々しい駅があるから、向かう先は北。つまりあっちだ。イギリス魔法省からポートキーでロシアの東部へ、ロシア東部から更にポートキーで日本の魔法省へ、日本の魔法省から職員に姿あらわしで案内してもらって訳の分からん迷宮のような駅へ、そして駅から苦労して地下鉄に乗ってここまでたどり着いたわけだが……うん、パチュリーの転移魔法は便利だったんだな。正規の方法で来ようとすると複雑すぎて話にならんぞ。

 

意地を張らずにアピスに案内を頼めば良かったと後悔する私に、横に並んだアリスが異国の通りを眺めながら声をかけてくる。どっちを見てもビルだらけだ。もしかしたらオフィス街とかなのかもしれない。

 

「こんな近代的な場所に工房があるんですか?」

 

「アピスの調査が正しければね。……まあ、隠れるには絶好の場所じゃないかな。人外からはかなり遠い場所だと思うよ、ここは。」

 

一見して分かるほどに人間の街だな。それなのに歩いていてこれといった感慨が出てこないあたり、私の妖怪としての本能が薄れたのを実感するぞ。昼と夕の中間くらいの微妙な時間帯の街中を、没個性的なスーツ姿のビジネスマンたちが早足で行き交うのを横目にしていると、アビゲイルが私に対しておずおずと問いかけてきた。ちなみにクマ人形は同行していない。アビゲイルが出発する際に一緒に行かないかと誘っていたようだが、彼は人形店に残ることを選択したのだ。

 

「ねえ、アンネリーゼ。ビービーと会ったらどうするの?」

 

おや、ようやくその質問が出てきたか。アリスからベアトリスに会いに行くと聞いて同行を申し出た後、ここまでの道中はやけに大人しかったわけだが……ふむ、どう答えよう? 包み隠さず殺すつもりだと教えるべきか?

 

アリスが固唾を呑んで見守る中、足を進めながら小さな人形に向かって口を開く。知らずに終わるよりは、知って終わった方がいいだろう。それが私に出来るせめてもの情けだ。

 

「全てを話そうじゃないか、アビゲイル。……ベアトリスはアリスの身柄を狙っているんだよ。だから私はアリスを守るために、ベアトリスのことを探していたんだ。北アメリカでキミと出会ったのはその過程で起きた出来事ってわけさ。」

 

「……アリスを取り合って喧嘩してるの?」

 

「少し違うね。そもアリスは私のもので、ベアトリスはそれを横取りしようとしてるんだよ。だったら私が怒るのは当然のことだろう? 私は大事なアリスを渡したくないし、守るためにはベアトリスを排除しなければならない。噛み砕けばそういうことだね。」

 

「なら、私が説得するわ! ビービーにダメだよって言う! それで許してくれないかしら?」

 

恐らくぼんやりとは事態に気付いていたのだろう。さほど抵抗なく現状を受け入れたアビゲイルは、アリスの手を離して私の手を握りながら訴えてきた。その手を握られるままで握り返さずに、哀れな人形へと平坦な口調で否定の返事を放つ。『ダメだよって言う』か。それで済むならこっちも楽だったんだがな。

 

「とてもじゃないが、キミの説得でベアトリスが考えを翻すとは思えないね。……いいかい? アビゲイル。ベアトリスはアリスを狙う道すがらに何人もの人間を殺しているんだ。多くの人や人外に迷惑をかけたし、私との約束も一度破った。もう簡単に許せるような段階じゃないのさ。」

 

「でも、でも……ビービーは良い子よ! 優しくて、私が寂しい時は一緒に居てくれて、いつも仲良く遊んでたの。そんなことしないわ。するはずない。」

 

「したのさ。キミの友達を焼いたように幼い子供を含めた多くの人間の命を奪い、人形に作り変えることで尊厳を貶め、魔法界に大きな混乱を及ぼし、あまつさえこの私に迷惑をかけたんだ。前三つは許してやってもいいが、最後の一つだけは天地がひっくり返ろうとも許せないね。」

 

「……どうするの? 会ってどうする気なの? ビービーは牢屋に閉じ込められちゃうの?」

 

不安げな面持ちで尋ねてきたアビゲイルへと、アリスが堪らず止めようとするのを無視して真実を語る。私が見たところこの人形は無知だが、愚かではない。ここまで話してしまった以上、『結末』も偽らず伝えるべきだろう。

 

「殺すよ。」

 

「……ダメ! 絶対ダメ! そんなのおかしいわ!」

 

握った私の手を進行方向とは反対に引っ張ってくるアビゲイルを、ずりずりと引き摺りながら話を続けた。

 

「ならどうしろと言うんだい? アリスが狙われ続けるのを甘んじて承認しろと? 冗談じゃないよ。こっちはガキの我儘に付き合い続けるほど大人じゃないんだ。言っても分からないなら殴るだけさ。それでもダメなら殺すしかないね。」

 

「ダメだってば、アンネリーゼ! 私が説得するわ! 絶対、絶対に説得してみせる! だからお願い、ビービーを殺さないで! お願いだから!」

 

「もう遅いんだよ、アビゲイル。あの魔女がアリスに手を出してきたのは二度目なんだ。そして私は二度も許すほど優しくはないのさ。アリスの安全とベアトリスの命を天秤にかけて、重きに傾く方を選んだだけだよ。この期に及んで考えを変えるつもりはないね。」

 

「ビービーが死ぬなんてダメ! ……アリス、アンネリーゼを止めて。お願いよ。話し合いで解決しましょ? お願い。」

 

泣きそうな顔で懇願するアビゲイルを見て、アリスは懊悩している表情でポツリと呟く。

 

「私には分からないの。どの道を選べば最良の結果が得られるのかが。まだ答えが出ないのよ。」

 

「誰にとっても最良の結果なんて存在しないさ。あるのは個々の利益と、個々の選択だけだよ。私は数ある選択肢の中からベアトリスの死を選んだ。身勝手な人外らしく、己の利益だけに準じてね。……選べないなら選ばなくていいよ、アリス。今回は代わりに私が選ぶから。結果が気に入らなければ私の所為にすればいいさ。」

 

「……リドルの時もリーゼ様はそう言いました。」

 

「何故なのかを教えてあげよう。それが親の役目だからだ。キミは優しいが、私はそうじゃない。抱え切れない荷物や選択し切れない問題は私に任せたまえ。それを背負えないほど私は弱くないからね。」

 

やはり一人で来るべきだったのかもしれないな。今更ながらに後悔しつつ、あえて突き放すような言い方でアリスに応じていると、アビゲイルがとうとう私の前に回って進路を塞ぎ始めた。

 

「止まって、アンネリーゼ。話を聞いて頂戴。」

 

「嫌だね。悪いがキミにも、そしてアリスにも選択権は与えられていないんだ。恨むなら私を恨みたまえ。私はもう決めたのさ。無力なキミには覆せないよ。」

 

決死の顔付きで立ち塞がった小さな人形を、適当にあしらってからひょいと小脇に抱えてやれば、アビゲイルはバタバタと暴れまくりながら抵抗してくるが……ま、これでいい。アリスと険悪になっちゃうと後々困るだろうし、『親の仇』は私の役目だ。恨まれるのは慣れてるさ。

 

アリスは是とも否とも口にしていない。それなのに私が強引に殺したところを見せつけておけば、この人形の憎しみの大半は私に向くだろう。どうにかして拘束を抜け出そうとするアビゲイルを吸血鬼の膂力で封じつつ、短い橋の先にあった十字路を曲がって目的の建物を探す。もう片方の手に持った地図を確認しながらだ。

 

「んー、ここがこの交差点だから……あの建物だね。普通のビルじゃないか。」

 

周囲と比べるとやや低めの、四階建てくらいの小さなオフィスビル。そこまで古ぼけてもいないし、魔女の工房っぽさはゼロだな。怪訝に思いながらも苦手な結界を建物に張って、逃げられないように封じ込める。こういう妖力を使った小技は得意ではないが、力任せに張ったから小手先の魔法じゃそうそう抜け出せないはず。あとは中に居ることを祈るだけだ。

 

「ビービー、逃げて!」

 

「無駄だよ、結界を張ったから。……アリス、マグル避けを頼むよ。『魔女としてのやり方』でね。杖魔法の使用許可はイギリス魔法省経由で申請してあるが、騒動になる可能性があるのに魔法反応を残すのは宜しくない。念には念を入れておこう。」

 

「既に中に人間が居たらどうするんですか?」

 

「適当に気絶させて魔法で記憶を消せばいいさ。魔女の工房の中に普通の人間が居るとは思えんがね。」

 

すっかり悪役だな。私のことをぽかぽか殴りながら喚き散らすアビゲイルを抱えたままで、一つ鼻を鳴らしてビルの中へと入ってみれば……まあ、そりゃあ気付くか。入り口のすぐ先にあった二基のエレベーターの片方から、ちょうど一人の男性が出てくるところだった。古臭いスーツ姿の若いフランス人っぽい顔立ち。場にそぐわないことこの上ないし、間違いなく人形だろう。

 

「お待ちしておりました。こちらへどうぞ。」

 

マグル避けの魔法を使い終えて人形を展開したアリスと、アビゲイルを持った状態の私に一礼しつつ流暢な英語でそう話しかけてきた人間そっくりの人形は、次にエレベーターのドアを右手で押さえながら左手で中を示した。『本体』が上で待っているということか?

 

「素直じゃないか。リザインのつもりかい?」

 

「我が主人は皆様との対話を望んでいます。どうぞエレベーターの中へ。」

 

「……まあいいさ、案内してくれたまえ。」

 

『お待ちしておりました』ね。構わんさ、誘いに乗ってやろうじゃないか。アリスに目線で離れるなと伝えながらエレベーターに乗り込むと、それを確認した人形は中に入って三階のボタンを押す。緩やかな上昇の感覚の後、電子音と共にドアが開いた先には……これはこれは、ようやく会えたな。灰色の魔女がそこに立っていた。

 

「やあ、ベアトリス。」

 

白が強い灰色の腰上まである長い髪と、黒が強い灰色の瞳。白いセーターと薄いグレーのロングスカートを着ているその女は、そこそこのボリュームがある胸に手を当てて軽くお辞儀しながら挨拶してくる。見た目の年齢は十八、九歳ってとこかな。ほんの僅かな子供っぽさを残しつつも、大人に一歩踏み込んだくらいの年齢だ。まあ、実年齢は三百なわけだが。

 

「初めまして、ミス・バートリ。それにアリスさん。……今すぐ殺しますか? それとも会話のチャンスをいただけるんでしょうか?」

 

想像していたよりも少し低い滑らかな声と、理知的な学者のような雰囲気。柔らかく苦笑しながら聞いてきたベアトリスに、周囲をちらりと見回してから返答を送った。左は窓がある行き止まりで、右には通路か。典型的なオフィスビルの狭いエレベーターホールだな。

 

「私は今すぐ殺すので一向に構わないんだが、抵抗する気はないのかい?」

 

「もう諦めました。あの情報屋から逃げ続けるのはこの惑星に居る限り不可能でしょうし、攻めに転じて貴女を殺すのも至難の業です。詰んでいると理解した上で悪足掻きをするのは無様でしょう? ……それに、私も一応人外の端くれですから。己の死に対してそこまで拘ったりはしませんよ。私が拘るのは『在り方』だけです。それが関わってくるのであれば、無様な悪足掻きをしたかもしれませんね。」

 

「ふぅん? ……想像と違う反応だね。」

 

「私と貴女は初対面ですよ、ミス・バートリ。想像と違うのは当たり前のことです。……もしかして、この『私』も人形なのではないかと疑っていますか?」

 

人形越しの会話はノーカウントってわけか。ある種の開き直りに呆れつつ、急に大人しくなったアビゲイルを地面に下ろして答えを返す。そりゃあ疑うだろ。

 

「無論、疑っているよ。これまでのキミの所業を考えれば自然なことだろう? 自分が人形じゃないと証明できるかい?」

 

「残念ながら、出来ませんね。殺した後で私の頭を割ってもらえれば脳が入っていると思いますが、それが『ベアトリスの脳』であることを証明するのは不可能ですから。私がエリック・プショーだった時もそんな話をしませんでしたか? 私自身、私が本当に人形ではないという確信を持っていないんですよ。ひょっとすると……そう、オリジナルの記憶を移したスペアかもしれません。」

 

「スペアね。可能不可能で言えば可能なのか? 別の脳に記憶を移すというのは。」

 

「所詮脳なんて記録媒体に過ぎませんからね。人形に搭載されている脳の記憶を改竄することだって出来るでしょうし、あるいは魔術的な処理でコピーした記憶を『上書き』すればいいだけです。……仮に後者の方法を選ぶのであれば、人間の脳ほど複雑な記録媒体を使わなくとも実現可能ですよ? 魔術式を刻んだ記録媒体を搭載すればそれこそアリスさんが作るような『人形』にも施せる処置ですし、不可能と言えるほど難しい作業ではありません。記憶と記録というのは私の専門分野なんです。人形を人形たらしめるためには知っておくべき分野ですから。要するに、私が人形である可能性は大いにあると言えるでしょう。とはいえ私自身の認識としては、あくまで私こそが『オリジナル』ですがね。……立ち話もなんですし、座りませんか? 向こうの部屋にソファがありますよ?」

 

さすがは魔女だけあって、長々と語ってくるじゃないか。細い指をおとがいに当てて思考しながら誘ってきたベアトリスへと、私が応答を口にする前に……黙って聞いていたアリスが返事を飛ばした。そしてアビゲイルは未だ不安げな表情でジッとベアトリスのことを見つめている。やけに静かだな。逃げろと騒ぎ立てると思っていたんだが。

 

「ええ、話したいわ。貴女には聞きたいことが沢山あるの。……いいですよね? リーゼ様。」

 

「私も貴女たちと話したいことが沢山あります。実は今日という日を楽しみにしていたんです。……よろしいですか? ミス・バートリ。」

 

むう、どうしよう。余計な話を吹き込まれるリスクと、今すぐここで殺すデメリット、事が済んだ後のアリスの心情やアビゲイルの態度、目の前のベアトリスもまた人形であることへの疑い。色々なものを天秤に載せてやると……ええい、分からん。判断が難しすぎるぞ、こんなもん。

 

「いくら話そうとキミの死は覆らないぞ。」

 

「構いませんよ。私は……『魔女ベアトリス』は今日、ここで死ぬ。それについては呑みましょう。でも、どうせ死ぬなら久々に誰かと話してから死にたいんです。何れにせよ私は逃げられません。それでは保証になりませんか?」

 

「……いいだろう、案内したまえ。」

 

「では、こちらへ。」

 

微笑を浮かべながらベアトリスが廊下の奥へと歩き出すと、ずっとエレベーターのドアを押さえていたスーツ姿の人形が音を立てて崩れ落ちる。操るのをやめたということか。なまじリアルなだけに脱力すると不気味だな。いきなりすとんと死んでしまった人間みたいだ。

 

押さえを失ったエレベーターのドアが自動で閉まろうとして、倒れている人形にぶつかってまた開く。延々と繰り返されるその異質な光景を横目にしつつ、アンネリーゼ・バートリは警戒を緩めないままで廊下の先へと一歩を踏み出すのだった。

 



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ベアトリス

 

 

「さあ、どうぞ。工房と呼べるほどには使い込んでいませんが、これが現在の私の住処です。」

 

ビルの三階と四階を丸ごと使っているらしい大きな部屋を見渡しながら、アリス・マーガトロイドは人形を展開したままでベアトリスのことを観察していた。死を前にした人物とは思えないほどに落ち着いているな。これは長く生きた結果として手に入った落ち着きなのか、それとも何かしらの状況をひっくり返せる策があるからなのか。どちらにせよ油断はしない方が良さそうだ。

 

私たちが足を踏み入れた三階部分のフロアには、現代的な構造のキッチンと一体化しているカウンターテーブル、三人掛けのソファやガラス製のセンターテーブルなどの応接セット、同業たる私には一目でそれと分かる人形作り用の作業台、巨大なスピーカーやCDプレーヤーで構成されているステレオ装置、そしてやけに巨大なビリヤードテーブルなどが置いてある。奥の方には吹き抜けになっている四階部分へと繋がる螺旋階段があるようだ。家具の色合いはカラフルだし、電化製品も多い。当世風のお洒落な部屋といった内装だな。

 

その他に目を引くのは……あの絵だ。部屋の壁に並べて飾ってある同じ筆遣いの七枚の絵画。全て30号ほどの大きさで、暗い雰囲気なのが六枚と明るい色遣いがされているのが一枚。何故か気になってしまうそれらの絵を眺めている私を尻目に、ベアトリスはグレーと黒のチェック柄のソファを手で示して口を開いた。

 

「座ってください。今飲み物を用意します。紅茶とコーヒーのどちらがよろしいですか? もちろんミネラルウォーターもありますが。」

 

「魔女が出した物に口を付けるわけがないだろう? 賢い私は寓話から教訓を学んでいるんだよ。飲み物は不要だ。」

 

「それは残念ですね。……でしたら、チェスはお好きですか? ただ話すだけでは退屈でしょうし、何かゲームをしましょう。トランプもありますよ?」

 

「私はキミを殺しに来たわけであって、遊びに来たわけじゃないんだ。暢気にゲームなんてするはずがないだろうが。」

 

呆れたように断ったリーゼ様へと、ベアトリスは微笑を浮かべながら尚も言い募る。ちなみにアビゲイルは……むう、私にぴったり身を寄せたままで沈黙しているな。どうしたんだろうか? さっきまではあんなにリーゼ様に抵抗していたのに。

 

「冥土の土産に付き合ってくださいよ。飲み物も手慰みも無しでは会話が弾まないでしょう? 何かお好みのゲームはありませんか? メジャーなものであれば大体揃っていますけど。」

 

「しつこいヤツだね。……なら、あれだ。」

 

「あれはビリヤード用のテーブルではありませんよ?」

 

「キミね、私はイギリスの吸血鬼なんだぞ。スヌーカーくらいは知っているさ。」

 

スヌーカー? ビリヤード台じゃなかったのか。どんな球技だったっけ? 聞き覚えのある名称を受けて記憶を漁っていると、ベアトリスは嬉しそうに微笑みながらスヌーカーテーブルへと歩み寄った。確かビリヤードから派生したキュースポーツの一種だったはずだ。いやまあ、テーブルの形を見ればそんなことは誰でも分かるだろうが。

 

「それは重畳ですね。好きなんです、スヌーカー。ここ最近に発明された競技の中では最も面白いと思っています。」

 

「ふん、どうだかね。長々とやるつもりはないし、三フレームだけだ。コインはキミが弾きたまえ。」

 

「では、早速始めましょうか。キューはそこに立て掛けてある物からお好きな一本を選んでください。」

 

そう言ったベアトリスがスヌーカーテーブルをコツンと叩いた途端、端に整理されていた球が独りでにテーブルの各所へと移動する。十五個あるシンプルなデザインの赤い球がローテーションゲームの時のような三角形を作り、六個の数字が入ったカラーボールがバラバラの位置で静止したところで、コイントスをしたベアトリスにリーゼ様が言葉を放った。……私たちはどうしよう。とりあえず座っておくべきか?

 

「裏だ。……あの案内役の他に人形は置いていないのかい? この部屋には見当たらないわけだが。」

 

「人形ですか。人形は先日纏めて片付けましたよ。私は『死後に作品が評価される』というありきたりな現象が嫌いですから、念には念を入れて全て処分しておいたんです。案内に使った人形ももう自壊させましたし、私の認識において現存している『作品』は貴女たちの管理下にある二体だけですね。……裏です。お先にどうぞ。」

 

「吸血鬼流でいかせてもらうぞ。足がついていない云々の文句は受け付けないからな。」

 

一言断ったリーゼ様が……あー、なるほど。背が低くて床に足をつけたままだとショットできないのか。ふわりと浮き上がりつつ構えたキューで白い手球を弾く。手球がぶつかった衝撃で赤い球が一斉に散らばった後、最終的には一球もポケットに入らなかったのを見て、リーゼ様はさほど残念がらずにテーブルを離れて質問を飛ばした。ルールがいまいち分からないな。私が知っているビリヤードのルールとは全然違うようだ。

 

「人形と言えば、ホームズは結局どうなったんだい? 彼も『処分』したのか?」

 

「ええ、廃棄しました。近いうちに彼の別荘にマクーザの闇祓いが強制捜査を入れるはずです。それで今回の誘拐殺人についてはほぼ解決しますよ。別荘の地下室で誘拐された子供たちの『一部』が見つかるでしょうから。」

 

「……今度はホームズを犯人に仕立て上げるつもりなの? 意味不明よ。何のために?」

 

我慢できずに問いを口にした私へと、赤い球を一球だけ角のポケットに落としたベアトリスがプレーを続行しつつ応じてくる。

 

「ちょっとしたお詫びですよ。事件の犯人がいつまでも見つからないと貴女が困ってしまうでしょう? 疑いを晴らしたとはいえ、未解決のままでは今後どうなるか分かりません。だから『アルバート・ホームズが真犯人だった』という形で終結させようというわけです。元来その予定で計画を進めていましたし、彼を犯人にするための小細工もいくつかしておきましたから、呆れるほどすんなりと解決するでしょうね。……吸っても構いませんか?」

 

クッションの反動を利用した見事なショットで黒い球をポケットに入れた後、白い紙タバコの箱を懐から出して聞くベアトリスに、リーゼ様はどうでも良さそうな顔で首肯を返した。

 

「別にいいよ。……キミに話す気があるのであれば、この際最初から聞かせてもらおうか。ポール・バルトを殺したのは何故だい?」

 

今回の事件の発端。そのことを口に出したリーゼ様へと、ベアトリスは細い葉巻のような煙草に古臭いジッポで火をつけてから回答する。杖なし魔法で手元に灰皿を呼び寄せながらだ。リーゼ様が私たちの近くの壁に寄り掛かったままで動こうとしないのを見るに、まだベアトリスの手番らしい。

 

「ポール・バルトですか。ことあの一件に関しては、貴女がたの予想と大きく違っていないと思いますよ。……彼が息子の死の真相を追い続けていたことはご存知ですよね? 五十年前の事件で操られていた息子とそっくりの顔の合衆国議会議員。後悔と責任を背負ったポール・バルトがそんな怪しすぎる人物のことを放っておくわけがありません。調べに来たところを殺しただけですよ。騒がれると邪魔になりますから。」

 

「それだけかい?」

 

「ポール・バルトについては誓ってそれだけです。そろそろ劇を始めようと思っていた時期でしたし、ついでにそれを『開幕のブザー』にしたまでですよ。……本格的な話に入る前に前提を明言しておきましょうか。信じてもらえないかもしれませんが、今日の会話において私は嘘を吐く気はありません。真実を秘匿することはあっても、虚偽を述べることは無いということです。それだけはベアトリスの名に懸けて誓約しておきましょう。死に行く身でつまらない嘘など吐きませんよ。」

 

「ふぅん? 鵜呑みにする気はさらさらないが、頭の片隅には置いておいてあげるよ。……では、ホームズの顔をクロード・バルトとそっくりにした理由は? 本当に真実を語る気があるのなら、この前とは違った理由を聞かせて欲しいものだね。」

 

赤い球は落ちたままだが、黒い球がポケットに入った場合は魔法で自動的に最初の位置に戻るようだ。赤、黒、赤、黒と交互に落としていた灰色の魔女が赤を落とし損ねたのを確認して、リーゼ様がテーブルに近付きながら送った疑問に、ベアトリスは灰皿が置いてある窓際に移動してから答えた。その整った顔には苦い笑みが浮かんでいる。

 

「私にも分かりません。アリスさんの『敵』になるべきはあの顔だと何故か思ってしまったんです。……五十年前のあの日、クロード・バルトが私の命令に背いた理由も本音で言えば分からないんですよ。ここ最近、先日の貴女の言葉をずっと考えていました。クロード・バルトに残っていた人間性が私の支配を破ったのだという言葉を。」

 

「北アメリカでは否定していたようだが?」

 

「あの時貴女と話していたのは人形でしょう? 分かり難い感覚かもしれませんが、私とは似て非なるものなんですよ。あの時の私は冷静ではありませんでしたしね。……ダメです、未だに判別がつきません。私は確かにテッサ・ヴェイユを殺すようにと命令を下しました。クロード・バルトなら殺さないという私自身の無意識下の考えがああいった結末を選ばせたのか、それとも本当に私の糸を引き千切った彼自身の選択だったのか。私に自覚がなく、また張本人たるクロード・バルトが死んでいる以上、真実はもはや誰にも分かりませんよ。」

 

「曖昧な答えだね。キミは単に認めたくないだけなんじゃないか? 人間の『強い』部分を。」

 

赤、黒、赤、青、赤。ひょっとして赤い球とカラーボールを交互に落とす必要があるのだろうか? 連続で淀みなく落としていくリーゼ様の質問を受けたベアトリスは、煙草を咥えて深々と煙を吸い込んでから……それを吐き出して声を上げた。私の隣でずっと押し黙って会話を聞いているアビゲイルの方を、何故か悔しそうな苦笑いで見つめながらだ。

 

「そうかもしれませんね。もしかしたら私は人間という存在を認めたくないがあまり、一つの側面しか見ないようにしていたのかもしれません。……ですが、今となっては無意味なことです。今更遅いんですよ、何もかもが。」

 

「全ては復讐だったの? 貴女が始まった時に受けた仕打ちに対する復讐。自分を助けてくれなかった人間に対する復讐。そうだったの?」

 

ギュッと私の服を握るアビゲイルを片手で抱きながら問いかけると、ベアトリスはリーゼ様が球を弾く音を背景に小首を傾げてくる。何かを諦めるような笑みでだ。

 

「自己分析は苦手なんです。私は結局のところ、誰よりも自分自身を理解しきれていなかったようですから。その上で言わせてもらえば……そうですね、私は人間を恨んでいます。憎んでいると言ってもいいでしょう。」

 

「だから間接的な原因となったスカウラーの子孫たちを殺し、根本の問題を作った魔法界に混乱を及ぼし、自分と違って恩恵を享受しているアリスを困らせたわけだ。」

 

「前二つは正解の一側面を捉えていますが、最後の一つは明確に外れています。私はアリスさんを困らせようだなんて思っていません。彼女のことは嫌いではありませんから。むしろ好いていると言っても過言ではないでしょうね。もしかすると憧れているのかもしれませんが、決して妬んではいませんよ。一緒に暮らせればどんなに楽しいかと想像するほどです。」

 

「であれば、何のためにキミの復讐にアリスを巻き込んだんだい? ホームズを利用して魔法界を混乱させるにせよ、スカウラーの子孫どもを殺すにせよ、アリスを巻き込む必要はなかったはずだ。デメリットはあってもメリットがないだろう? 現に彼女を巻き込んだことで私が出てきて、その結果こうして死に向かおうとしているんだから。余計なことをしなければホームズはまだ健在で、委員会の議長の席に座ったままで、魔法界と非魔法界を対立させることだって可能だったかもしれないぞ。」

 

テンポ良く球を弾きつつ放たれたリーゼ様の疑問に、ベアトリスは一瞬きょとんとした後……クスクスと上品に笑いながら返答を口にした。とびっきりのジョークを聞かされた時のような反応だ。

 

「委員会を利用して魔法界と非魔法界を対立させる、ですか。ミス・バートリは恐ろしいことを考える方ですね。どうやら私は『悪役』として貴女に遠く及ばないようだ。そんな大それた計画、考え付きもしませんでしたよ。」

 

「……可能性の一つとして考えていただけだよ。」

 

バツが悪そうな顔になったリーゼ様がミスショットしたのを見て、ベアトリスは尚も声を抑えて笑い続けながらテーブルに近寄る。さすがにこの反応が演技だとは思えないし、今回ばかりはリーゼ様の推理が外れていたらしい。

 

「まあ、アリスさんに関してはおっしゃる通りです。『友達』に劇を観せたかったから、一緒に遊びたかったから。つい最近まではそれがアリスさんを巻き込んだ理由なのだと思っていました。ですが、私は他ならぬ自分自身の手によって──」

 

「ビービー、どうして逃げないの? どうしてそんなに落ち着いて喋ってるの? 早く逃げないと!」

 

「……もう遅いんですよ、私のアビー。全てが遅かったんです。今の私はそのことを理解し、許容し、そして最期だけは自分の選択を貫こうとしています。心配しなくても貴女をどうこうする気はもうありませんから、せめて余計な口を挟まないで見ていてください。今日の主役は私です。人形如きに邪魔はさせません。」

 

先程までの笑みは掻き消えてしまったな。急に割り込んだアビゲイルへと冷たい口調で応じたベアトリスは、不安げな表情で口を噤んだ小さな人形に鼻を鳴らした後、窓辺に置いてある灰皿の上で燃え尽きていた煙草を見ながら話を戻す。……リーゼ様に対しても、私に対してもベアトリスは穏やかに接してくるのに、どうしてアビゲイルにだけはひどく刺々しい態度を向けるんだ? あんな事があって尚、この子はお前のことをずっと心配していたんだぞ。

 

「とにかく、アリスさんを巻き込んだのは私にとっての失策でした。そこは甘んじて認めさせていただきます。……しかし、それでも全ては繋がっているんですよ。私は結局必要のない行動はしなかったわけですね。『良い労働者』だったんです。私も、そしてホームズも。」

 

「私から見れば全てが中途半端だったけどね。アリスを拘束することも、ホームズに任務を全うさせることも、そして自身が生き延びることも出来なかったわけだろう?」

 

「ああ、素晴らしい。その点における貴女の認識は完璧ですよ、ミス・バートリ。中途半端。正にその通りです。……分かりませんか? まだ過程なんです。中途であり、故に半端。どういうことだと思います?」

 

「何が『どういうことだと思います?』だ。またお得意の言葉遊びか? 悪いが、答えの無い問答に付き合う気はないんだよ。」

 

次々と球を落としていくベアトリスの発言を嫌そうな顔で切り捨てたリーゼ様に、灰色の魔女がキューを構えたままで応答する。申し訳なさそうに苦笑しながらだ。

 

「どうか怒らないでください。私の曖昧な台詞に苛々するのは分かりますが、何も無意味な質問をしているわけではないんです。問題の解答を提示できない私としては、貴女に自力でたどり着いてもらうしかないんですよ。……一つだけ言えるとすれば、私とホームズは等しく脚本通りに動き、脚本家の意図に沿う結果を出しました。それは間違いありません。」

 

「……この前もそうだったが、キミはまるで『脚本家』が別に存在しているかのような話し方をするね。」

 

「今回の戯曲を執筆したのは私です。しかし同時に私ではない。この答えで納得できますか?」

 

「出来ないし、意味不明だ。……ここらで明確にしておこう。もう一度聞くが、キミは本物のベアトリスなんだね? つまり、人形ではない『オリジナル』の。」

 

真紅の瞳で注視しながら尋ねたリーゼ様へと、ベアトリスは真っ直ぐに顔を向けて回答した。

 

「部屋に入る前にも言ったように、私の主観からすれば私は魔女として生まれたベアトリスです。少なくともこの肉体が三百年間『私』だったものであることは断言できますし、髪の毛一本まで人工物ではありません。紛うことなきオリジナルですよ。……信じていただけましたか?」

 

「……難しいね。私の吸血鬼としての本能は嘘を吐いていないと告げているが、培った理性は疑うべきだと主張しているんだ。エリック・プショー、クロード・バルト、アルバート・ホームズ、マドリーン・アンバー。キミは少々やり過ぎたんだよ。今更本物ですと主張されてもすんなりとは信じられないさ。」

 

「では、弁明させてください。私は私ではない存在を演じたことは多々あっても、私であることを演じたことは一度たりともありません。エリック・プショーの時はエリック・プショーとして、クロード・バルトの時はクロード・バルトとして動いていただけです。この前話しませんでしたか? 『偽物』は好きじゃないんですよ。……人形を通して他の人物を騙ることはあっても、人形を通して『ベアトリス』を騙ることは有り得ないと断言しましょう。」

 

黒いカラーボールを綺麗なラインで落としながら言い放ったベアトリスに対して、リーゼ様は感情を秘めた声色で返事をするが……確かに難しいな。私からもベアトリスがこの期に及んで嘘を吐いているようには見えない。だが、同時に彼女が彼女を演じることが不可能ではないことも知っているのだ。リーゼ様が言うように、人形であることを疑うのは当然のことだろう。

 

「まあいいさ。キミは確実な証拠を示すことが出来ないし、よって私も確信を得ることが出来ない。ならばその点を論じていても意味がないわけだ。……皮肉な話だね。他者を演じるのが得意すぎる所為で、自分が自分であることを証明できなくなるとは。」

 

「少し前までは『自己』なんてものに大した意味はないと思っていたんですがね。最近になって痛感しましたよ。私が考えていた以上に、『私である』というのは大切な概念だったようです。……私がファウルを連続しない限り逆転は有り得ませんし、このフレームは私のもので構いませんか? 次に進みましょう。」

 

「……ま、別に構わんよ。私がコンシードしたことにしてあげよう。今度はキミが先番だ。」

 

まだゲームの途中らしいが、場に残った点数だけではリーゼ様が巻き返せないほどの差が付いたようだ。先ずはベアトリスが一勝ということか。勝利した魔女がコツンとスヌーカーテーブルを叩くのに従って、ポケットに入っていた球が初期配置に戻っていく。それを横目にしつつ壁の絵を観察していると、そんな私を見たベアトリスが声をかけてきた。

 

「気に入りましたか? 私が描いたんです。」

 

「……絵も描くのね。」

 

「単なる手慰みですよ。真剣に勉強しているわけではありません。……観戦しているだけでは退屈でしょうし、アリスさんとも少しゲームをしましょうか。その七枚の絵は連作になっていますから、時系列に沿った正しい順番を当ててみてください。ちなみにテーマは『人間』です。」

 

テーマが人間、か。ベアトリスは自身の主題についてをどう思っているのだろうかと考えながら、七枚の絵をよく見るためにソファから立ち上がる。アビゲイルも私の服の裾を握ってついてくる中、キューで球を弾く音と共にリーゼ様とベアトリスの会話が再開したのが耳に届いた。……ようやく会えたというのに、アビゲイルはベアトリスに一切近付こうとしないな。やっぱりこの前の一件が尾を引いているのだろうか?

 

「キミは私が嫌いかい?」

 

「唐突な質問ですね。……貴女に対する感情を言葉で表現するのは難しいですが、嫌ってはいませんよ。五十年前も、そして今も私のゲームに付き合ってくれていますから。友達が居ないので遊び相手は貴重なんです。」

 

「いやなに、この前随分と批判したからね。てっきり嫌われているものだと思っていたんだが。」

 

一枚目は磔にされている灰色の髪の少女の絵だ。地面に突き刺さった丸太に縛りつけられているボロボロの服を着た少女が、磔台を囲む人間たちから石を投げられている場面らしい。……自分が始まった時のことを表現しているのか? 一人だけ投石に参加せず、遠くの家の陰で磔台を見つめている金髪の少女の姿が印象的だな。磔にされている少女を見て悲しんでいるような、それでいてどこか満足しているような曖昧な表情を浮かべている。

 

「これは私の勝手な推測なのですが、貴女はもっと簡単に私を見つけ出せたのではありませんか? 人外とあまり深く関わってこなかった私と違って、貴女にはニューヨークのミストレスのような知り合いが沢山居るはずです。そういった『常識外』の人外の力を借りれば難しいことではないでしょう?」

 

「……どうかな。ご存知の通り、物事には対価が必要なんだ。それをケチっただけかもしれないよ?」

 

「だとしてもやりようはあったはずです。意識的にそうしたのか、それとも無意識のうちにそうしたのかは分かりませんが、貴女はある程度フェアな勝負を貫いた。私としてはそこが嬉しいんですよ。」

 

二枚目は広大なコーン畑の絵だ。夕陽に照らされたどこまでも広がるコーン畑をバックに、アスペンの木がある広場で灰色の髪の少女が蹲る姿が描かれている。私は直接記憶を見ていないから断じることまでは出来ないが、リーゼ様たちから伝え聞いた魅魔さんとの出会いの場面を思わせる情景だな。

 

「キミは約定破りをしたけどね。」

 

「……あれに関しては意図的に破ったわけではありません。私にとって五十年というのは十分すぎるほどの時間だったんです。後から問題に気付きましたが、もう劇が始まっていたので取り返しがつきませんでした。」

 

「知らなかったから云々ってのは人外の世界じゃ通用しないよ。」

 

「そこは私の命で許してください。人外のルールには詳しくないんですよ。これまで距離を置いて生きてきましたから。」

 

三枚目は見覚えのある古い劇場の絵だ。ステージの中央に夜会服の男が立っており、その左右を首が捻じ曲がった人形たちが囲んでいる。グラン・ギニョール劇場がモチーフであることは間違いないだろう。ステージの方を向いていて顔が見えない観客の中には、当時座った席と位置こそ違えど金と蜂蜜色の髪も描かれているな。あの不気味な劇を私たちが観ているシーンを絵に落とし込んだわけか。

 

「……しつこいようだが、命乞いはしないのか? 素直すぎると不気味だぞ。」

 

「貴女ならしますか? いざ死を目の前にした時、助けてくれと相手に乞い願うことを。」

 

「みっともない命乞いはしないが、あらん限りの抵抗はするさ。自分が死ぬこと自体はともかくとして、『アンネリーゼ・バートリを殺すのは容易かった』と思われるのだけは我慢ならん。きちんと後悔させてから死なないとね。」

 

四枚目は北アメリカの工房のリビングの絵だ。床に膝を突いた灰色の髪の女性と、エプロンドレス姿の金髪の女の子が目を閉じて額を合わせている。ベアトリスとアビゲイルか。十体ほどの動物をデフォルメした人形たち……ティムたちが二人のことを囲んでいるな。ほんの少しだけ儀式めいた雰囲気があるぞ。

 

「なるほど、実に貴女らしいですね。……ですが、私はもう諦めたんです。役目を終えた役者は素直に舞台から降りるべきなんですよ。」

 

「脚本を書いたのはキミなんだろう? ならばいつ降りるかを選択するのもまたキミのはずだ。まさか自分の死すらも劇の一部だと言い張る気かい?」

 

「さて、どうでしょうね。何れにせよ私は図々しく舞台に居座るつもりはありません。それがせめてもの意地なんですよ。役者は脚本を認めてしまったが最後、それに従うしかなくなるんです。指示してくるのがどんなに気に食わない演出家だろうが、劇を台無しにすることだけは役者としてのプライドが許しませんから。」

 

五枚目は薄暗い小部屋で鏡と向き合っている女性の絵だ。やはりベアトリスをモデルにしているらしいその灰髪の女性は、両の人差し指で口の端を持ち上げて無理やり笑顔になっているが、鏡の中の彼女は煙草を咥えながら頬杖をついて諦観の表情を浮かべている。そんなことをしても無駄なのだと諭しているかのような態度だ。そして鏡に映った部屋の隅に居るのは……ホームズか?

 

「キミは役者であることに随分と拘るね。魔女であることよりも重視していると感じるほどだ。」

 

「『魔女であること』が先天的に得た私の本能なら、『役者であること』は後天的に築いた私のアイデンティティですから。自分の中の絶対のルールのようなものですよ。それに反するくらいなら死を選んだ方がマシなんです。……今日の私がそうしているように。」

 

「……今日のキミは役者として死ぬということかい?」

 

「またしても大正解です、ミス・バートリ。その通りですよ。今日の私は魔女としてではなく、妖怪としてでもなく、単なる役者として死ぬわけですね。ハムレットが、オセロが、リアが、マクベスが死ななければならなかったように、私もそうしなければならないんです。生き延びてしまっては戯曲が成立しませんから。」

 

鏡越しに小さくしか描かれていない上に絵の中の部屋が薄暗いので分かり難いが、その顔付きはホームズの……というか、クロードさんのそれだ。三十代ほどの見た目だし、どちらかと言えばホームズの方を表していそうだな。やや俯いた状態で膝を抱えて座っているその姿からは、何だか絶望しているようなイメージを感じるぞ。

 

「キミはシェイクスピアの悲劇が好きなのか。」

 

「今は嫌いですが、昔は好きでした。死というのは観客の心を揺さぶるための重要なファクターですから。それに、喜びを表現するよりも悲しみを表現する方が容易いんです。……つまりですね、『悲しみ』は分かり易いんですよ。だから皆簡単に同情してしまう。それが表面だけの演技だとは気付けずに。」

 

「吸血鬼たる私が言うのもなんだが、捻くれた意見だね。別にいいじゃないか。観客からは演者の心の中までは見えないんだから。」

 

「観客席に居る貴女からすればそうでしょうね。しかし、舞台裏で素の顔を合わせる同業者からすれば違います。一度演技なのだと気付いてしまえば、どうしたって悪く見えてしまうものなんですよ。……演劇とはつまるところ秩序立ったペテンです。台本通りに観客を騙し、時には同じ舞台に立つ同業者すらも欺く。そういう役者こそが主役になれる『ゲーム』なわけですね。」

 

六枚目は見覚えのない大きな劇場の絵だ。五十年前にテッサを救出しに行ったあの劇場に少しだけ似ているかな? 三枚目よりも遥かに広いその劇場のステージへと、客席を埋め尽くす大量の観客たちが立ち上がって拍手を送っているものの……ステージの上には誰も居ないぞ。天井の照明は壊れてぶら下がり、幕は破れ、無造作に木材が転がっているステージにはがらんどうの空虚さだけが漂っている。拍手だけが虚しく響く劇場。そんな感じだな。

 

「『秩序立ったペテン』か。言い得て妙だが、観客は騙されることをこそ期待しているわけだろう? ならば一流のペテン師であることは役者として褒めるべき部分だと思うがね。」

 

「そうかもしれません。ですが、気付ける観客も確かに居るはずです。ステージに立っている役者が本当に悲しんでいるわけではなく、ただそれらしい演技をしているだけなのだと。……私は貴女にその役どころを期待しているんですよ。観客席から颯爽とステージに上がり、役者の虚偽を看破する。面白い展開だと思いませんか?」

 

「メタ的すぎるね。それに折角劇に入り込んでいる時にそんなことをされれば、他の観客たちは迷惑に感じるんじゃないか?」

 

「そうですね、必ずしも歓迎される行動ではないでしょう。それが『ハッピーエンド』に繋がっている場面なら尚更です。無粋なことをするなと怒る観客も居るかもしれません。……それでも私はその展開を望んでいるんですよ。そして、それが出来る観客は唯一貴女だけだ。他の観客や舞台上の役者からの文句を封殺できるほどに強く、また進行中の劇を止められるほどの確固たる自我を持っていて、かつ一流の役者として不足がないほどに自分を偽れる貴女だけなんです。……だから疑うことをやめないでください、ミス・バートリ。貴女なら舞台の上の欺瞞に気付き、そしてそれを糾弾できるはずだ。」

 

そして七枚目の絵。他の六枚と違って明るい色遣いがされているその絵は、中央を挟んだ二つの場面で構成されているようだ。右側には灰色の髪の少女と金髪の少女が描かれており、そばかすのある金髪の少女が灰髪の少女に笑顔でパンを手渡している。金髪の少女は一枚目の絵に描いてあった子と同一人物か? 二人とも柔らかい表情だし、優しい印象を受ける絵だな。

 

「キミと話していると頭が痛くなってくるよ。役に殉じようとしているのにも拘らず、キミは同時に演劇が崩壊することを望んでいるのかい?」

 

「分かりませんか? 役者としての私は成功を望み、個としての私は失敗を望んでいるんです。見事な脚本であることは認めていますから、役者としてのプライドに懸けて台本通りの行動をやめるつもりはありません。しかし反面、個人的にはどうにも結末が気に食わない。……私たちが持っている台本には詐欺師の役が存在するのに、犯罪を暴くべき名探偵の名前が載っていないんですよ。だからちょっとしたアドリブで観客席から引き摺り出してやろうと思ったんです。矮小な役者からの、神たる脚本家への小さな抵抗というわけですね。」

 

「……どういう意味だ? 私をその『名探偵役』に仕立て上げようってことか?」

 

「ええ、その通りです。貴女ならその役が務まるはずだ。……考えてください、ミス・バートリ。私は一人の役者として劇を完遂させたいので『答え』を提示する気はありませんが、同時に私自身が望む結末にしてやりたいという身勝手な欲求も抱えています。だからよく考えてください。……今回は貴女の勝ちですね。次で最後のフレームです。そしてそのフレームが終わった時が私の最期でもあります。」

 

対して左側は同じような構図だが人物が違う絵だ。中央を挟んで、右側に描かれている灰色の髪の少女と背中合わせになっている灰色の髪の女性……つまり過去のベアトリスに対する現在のベアトリスが、今度は逆にそばかすの無い金髪の少女へと美味しそうなパンを手渡している。うーん? 手渡すというか、『献上する』って雰囲気にも見えるな。大人になったベアトリスは悔しそうな諦めの表情だが、それを受け取る少女の顔は上手い具合に影がかかっていて感情が読めない。こちらも全体的には明るい絵なのに、そこだけ暗いから少し不気味に思えちゃうぞ。

 

「……私が先番だ。始めるぞ。」

 

「どうぞ、ミス・バートリ。共に最後のゲームを楽しみましょう。」

 

右側がふんわりとした柔らかいタッチで、左側は若干硬質なタッチ。右側は緑が茂る地面や日差しに照らされた小川が背景で、左側は病院のような無機質な床と電球に照らされた白い壁が背景。右側が自然な明るさなのに対して、左側は人工的な明るさといった具合だ。

 

どことなくチグハグさを感じる七枚目の絵を見終わったところで、キューを動かしながらのベアトリスが話しかけてきた。このフレームはリーゼ様が最初のショットをした後、ずっとベアトリスの手番が続いているらしい。

 

「どうですか? アリスさん。順番は分かりましたか?」

 

「少し待って頂戴。整理するから。」

 

一枚目はベアトリスが人外として始まった時、二枚目は魅魔さんと出会った時、三枚目は私と初めて関わった五十年前の事件の時で、四枚目はアビゲイルやティムたちがベアトリスと一緒に居るから二枚目と三枚目の間だ。そして五枚目はホームズらしき人物が描かれているから一番最後ということになる。一、二、四、三、五の順は間違いないとして、問題は六、七枚目をどこに挟むかだな。

 

六枚目は判断材料がなさ過ぎてどうにもならないし、七枚目は絵を構成する二つの場面がそれぞれ全く別の時点に思えるぞ。……というか、どうして私はこんなことを真剣に考察しているんだ? リーゼ様とベアトリスがスヌーカーをしていることといい、よく分からない状況になってるな。

 

意味不明な現状への疑いが出てきたところで、七枚目を最初に、六枚目を最後にすると決定した。六枚目は空虚なれど『フィナーレ』という雰囲気があったし、一つだけ異質な七枚目は最初か最後が似合うはず。だったら七、一、二、四、三、五、六の順だ。

 

「決めたわ。あの唯一明るい雰囲気の絵が最初で、磔の少女、コーン畑、額を合わせる二人、人形たちの劇場、鏡と向き合う女性、空っぽのステージの順番よ。」

 

私の回答を聞いたベアトリスは、くすりと小さく微笑んで黒い球をポケットに落とした後、穏やかな笑みを湛えながら正解を提示してくる。どこか残念そうにも見える笑みだな。外れだったのか?

 

「残念ながら、少しだけ違いますね。一枚だけ明るい絵は最初でも最後でも構いません。ですのでそこは当たっていますが、四番目と五番目を入れ替えた順が正解です。」

 

「……それはおかしいわ。額を合わせている二人は貴女とアビゲイルでしょう? そしてこっちの絵はグラン・ギニョール劇場をモチーフにしているはず。だからこれは貴女がヨーロッパに行った後、つまりアビゲイルたちと別れた後の絵のはずよ。」

 

「さあ、どういうことなんでしょうね?」

 

そもそもその順番だと飾ってあるままじゃないか。謎かけをするように問い返してきたベアトリスへと、正解に納得できずにもやもやしている私が反論を口にしようとするが……その前にアビゲイルが灰色の魔女へと声を放つ。

 

「ビービー、そんな話をしてないで早くごめんなさいしましょう? 私がアンネリーゼとアリスにお願いするから。そうすればきっと──」

 

「口を挟まないで欲しいと言ったはずですよ、私のアビー。余計なことをせずに黙っていなさい。今日の貴女は舞台に上がっていない。これは私とミス・バートリ、そしてアリスさんだけに許された一幕なんです。貴女の台詞などありません。」

 

「……そんなに私のことが嫌いなの?」

 

「大嫌いですね。この部屋の中で貴女のことだけは憎んでいます。理解したなら口を噤んでいるように。私のことを僅かにでも想っているのであれば、せめて最期の舞台くらいは穢さないでください。」

 

突き放すような強い拒絶を飛ばすベアトリスと、それに怯んで泣きそうな顔になっているアビゲイル。やめさせようと口を開きかけるが、今度は手持ち無沙汰にキューの先端を磨いているリーゼ様が介入してきた。

 

「分からないね。どうして私でもアリスでもなく、何の罪もないアビゲイルを憎むんだい? 作品を遺したくないからか?」

 

「違いますよ。そこの出来損ないに限っては違います。そしてその理由を喋るつもりはありません。」

 

「たとえ死に行く身でも、それだけは何故か話さないわけだ。」

 

「その通りです、ミス・バートリ。その通りですよ。先程誓約したでしょう? 今日の私は嘘を吐きませんが、話せないことは話さないんです。……では、何故話せないんでしょうね? その答えも私は既に明示しましたよ。」

 

まるで正解だとでも言うかのように嬉しそうに頬を緩めたベアトリスは、正確かつ手早く赤い球を落とし切ると、次に残った六個のカラーボールへと狙いを定める。急に機嫌が良くなったな。ゲームが終わったら自分の死が待っているとは思えない様子だぞ。

 

リーゼ様はそんなベアトリスのことを訝しげな表情で観察するように眺めた後、一度ちらりとアビゲイルの方に目を向けてから肩を竦めた。悩んでいるな。具体的に何を悩んでいるのかまでは分からないが、今のリーゼ様は何かを熟考している時の顔付きになっている。一体何を考えているのだろうか?

 

「……何にせよ、このフレームはキミの勝ちだね。スヌーカーはこれが嫌なんだ。勝ち行く姿を眺めているだけってのが。」

 

「全くもって同感ですね。私も相手の勝利をただ眺めているのは大嫌いですよ。だからそういう時はちょっとした意地悪をすることに決めているんです。相手が組み上げたものに疵を付け、次の試合の邪魔をしてやるわけですね。ルールに制限されないような小ささで、だけど後々ヒビが広がる程度には深い疵を。」

 

「キミも一応は魔女ってことか。性格の悪さが発言に出ているぞ。」

 

「残念なことに、上には上があるんです。私程度の性格の悪さなんて可愛いものですよ。……折角ですから、このフレームは最後までやらせてください。マキシマムブレイクは久々なんです。最後の最後で147を出すとは、私も役者として捨てたものではないようですね。」

 

イエロー、グリーン、ブラウン、ブルー、ピンクの順で見事にカラーボールを落としながら楽しそうに呟いたベアトリスは、最後に残った黒い球に狙いを定めて……それを角のポケットへと収めてから深く息を吐く。とても満足そうな表情だ。

 

「……これで終わりです。言うべきことは言いましたし、言いたいことも言いました。末期の会話に付き合ってくださって感謝しますよ、ミス・バートリ、アリスさん。」

 

本当に殺してしまっていいのか? この期に及んで迷いが生じ始めた私を他所に、自分が使っていたキューをテーブルに置いたリーゼ様が、新しい煙草に火をつけたベアトリスへと静かに問いかける。探るような目付きでだ。

 

「勝ち逃げは癇に障るが、勝負は勝負だ。……死ぬ前に何か望みはあるかい? 勝ったんだから少しくらいは譲歩してやるぞ。」

 

「では、一つ……いえ、いっそ二つお願いしておきましょうか。」

 

「強欲だね。聞くだけ聞こう。叶えるかどうかは別の話だ。」

 

「一つ目のお願いはあの七枚の絵です。暫く保管しておいてくれませんか? ある程度の期間を空けたら、その後は好きにしてもらって結構ですから。……ちなみに魔術的な要素は一切無いただの絵です。疑うのであれば好きなだけ調べていただいて構いません。」

 

私への『謎かけ』に使った七枚の絵画を指して願ってくるベアトリスに、リーゼ様が釈然としないという顔で言葉を返す。『ただの絵』というのは恐らく真実だろう。間近で見てもそれらしい気配は感じられなかったし。

 

「作品を遺すのは嫌いだったはずだぞ。」

 

「あれだけは特別なんですよ。仕事ではなく趣味の産物ですし、あれは『私』を描いた絵ですから。ダメでしょうか?」

 

「いまいち理解できんが……ま、そのくらいなら構わないさ。倉庫にでも入れておいてあげよう。二つ目は?」

 

さほど迷わずに軽く了承したリーゼ様へと、灰色の魔女は二つ目の願いを口にした。

 

「二つ目は……そう、それですよ。今貴女が持っている疑念。それを晴らして欲しいんです。もし『名探偵』として舞台に上がる気になったなら、迷わず劇に介入して詐欺師のペテンを暴いてください。アリスさんでは難しいかもしれませんが、貴女ならきっと正解にたどり着けるはずです。私はそう信じています。」

 

「キミは死ぬ。であれば、全てはここで終わりのはずだ。」

 

「言ったでしょう? 過程なんですよ、ミス・バートリ。今日の出来事は終幕への過程なんです。私は『オリジナルのベアトリス』ですし、手持ちの人形は全て破棄しました。そこだけは誓って嘘ではありません。それでもこれは過程なんです。……役者として無様な行いをしてまでヒントを残しましたし、許される限りに足掻きました。ならば後は貴女次第ですね。」

 

最後に深く煙を吸った後、灰皿に煙草を押し付けて火を消したベアトリスは、スヌーカーテーブルを離れて部屋の中央まで歩いたかと思えば……くるりと振り返って悪戯げに微笑みながら両手を広げる。自然な笑みだ。友人に笑いかける時のような、一切の裏がない笑み。

 

「期待していますよ、ミス・バートリ。貴女が謎を解いた時、ようやく私は私になれるんです。だからどうか私を見つけてください。ベアトリスという名の哀れな魔女のことを。……そしてありがとうございました、アリスさん。最期に『友達』と遊べて楽しかったです。」

 

言い切るとベアトリスは返事をする間も無く戸棚の方へと手を伸ばし、それに応じるかのようにふわりと飛んできた黒い……拳銃か? 無骨なリボルバーを手に取って、そのまま流れるようにひどく自然な動作で銃口を自分の口の中に入れた後──

 

「ビービー!」

 

……何て、あっけない。乾いた発砲音と、アビゲイルの悲鳴。信じられないほどにあっさりと自分の頭を撃ち抜いたベアトリスが崩れ落ちるのを、アリス・マーガトロイドは呆然と見つめるのだった。

 



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豹と隼

 

 

「おはよう、マリサ。よく眠れたか?」

 

……そうか、ここはワガドゥか。身を起こしたベッドの上で寝惚けている頭を本格的に起動させつつ、霧雨魔理沙は既に起きていたらしいゾーイに頷きを返していた。カートゥーン調のイラストがプリントされた薄めのTシャツに、マグルの有名スポーツブランドのロゴが入ったハーフ丈のパンツ。改めて見ても魔法界っぽくない部屋着だな。月の山特有の『洞穴』みたいな部屋の雰囲気と致命的に合っていないぞ。彼女曰く、半年に一度ほどのペースで大量の古着の『配給』があり、ファッションに拘らない者は無料で手に入るその中から選んで使っているらしい。

 

二月最後の日曜日。ワガドゥでの試合を目前に控えたホグワーツの代表選手たちは、月の山で一夜を過ごしたのだ。私以外の選手たちはワガドゥ側が用意してくれた個室に泊まったようなのだが、私だけは昨日半日で仲良くなった歓迎役のゾーイの部屋に泊めてもらったのである。

 

ゾーイからワガドゥでの暮らし振りを教えてもらう代わりに、私がホグワーツでの生活についてを話す。そんな感じでお互いの知識を交換し続けた結果、いっそ部屋に泊まって夜も話さないかとゾーイが誘ってくれたわけだ。だから彼女の部屋でベッドを借りてお喋りしていたのだが……むう、気付かないうちに寝ちゃってたらしいな。

 

「ん、ぐっすり寝られたぜ。悪かったな、ベッドを占領しちゃって。」

 

「マリサにとっては大事な日だ。おまけに客人だしな。だったらマリサがベッドを使うのは当然のことだろう? 心配しなくても変身すればどこでも寝られるさ。」

 

「アニメーガスってのは便利だな。」

 

黒豹の姿になって寝たということか。感心しながらかなり低めの独特なベッドから這い出た私に、ゴリゴリと音を立てて何かをしているゾーイが返事を寄越してきた。他と同じく岩を削って作ったらしい四畳ほどの狭い部屋には窓がなく、物もあまり置かれていない。ベッドと、小さな本棚と、細い姿見と、背が低いタンス兼机、それに小物やらポスターやらが少しだけ飾ってあるくらいだ。下級生は大きな部屋での集団生活だが、最上級生だけはこの広さの個室で生活しているらしい。

 

「マリサも変身を覚えるべきだぞ。獣の姿になると気持ち良く走れるからな。」

 

「昨日も言ったが、私たち『杖持ち』にとっては難しいんだ。そう簡単に使える魔法じゃないんだよ。イギリスだと動物もどきは数えるほどだしな。」

 

「変な話だ。パパ・オモンディは杖を通せば複雑で洗練された魔法が使えると言っていた。それなのに変身だけが難しくなるのは納得できない。どういうことなんだ?」

 

「そこは変身術の学者の領分だぜ。私には分からん。……窓がないと時間がさっぱりだな。今何時だ?」

 

コーヒーミルで豆を挽いていたのか。使い込まれているのが一目瞭然のミルから挽き終わった粉を出したゾーイは、ベッドに腰掛けている私の質問に肩を竦めて回答してくる。昨夜も淹れてくれたし、彼女はコーヒーが好きなようだ。

 

「まだ七時を少し過ぎたくらいだ。……窓は私も欲しかった。でも、窓がある部屋はオルオチに取られてしまったからな。」

 

「窓付きの部屋もあるのか。」

 

「少ないが、あるぞ。私は星を見るのが好きだから希望したんだ。大部屋に居た頃はいつも星を数えながら寝ていたしな。だから部屋を賭けて、去年の五月に決闘したんだが……惜しいところで負けてしまった。あの時の悔しさは忘れられない。」

 

うーむ、そういう因縁もあったのか。どうやらゾーイとオルオチ……開催パーティーの時に私のことを助けてくれたワガドゥ代表のキャプテンは同級生らしく、昨日の会話でもよく名前が出てきたのだ。二人とも孤児で、ワガドゥに入学したばかりの頃は仲良くしていたらしい。

 

それなのに成長するに従って、オルオチが自分のことをバカにするようになったというのがゾーイの言い分なわけだが……どうなんだろう? 昨日の話を聞いた限りではそうとも言い切れないように思えるけどな。

 

「決闘も強いのか? オルオチって。」

 

「強いぞ。今のワガドゥの生徒で私に勝てるのはオルオチだけだろう。……聞いてくれ、マリサ。あいつは勝った後、私に部屋を譲ると言い出したんだ。『星を見るのが好きなことは知っているから』と言ってな。わざわざ勝ち取ったものを敗者に与えるとは、バカにしているに違いない。私を見下しているんだ。絶対に許せん。」

 

「……単にプレゼントしたかっただけなんじゃないのか?」

 

「いいや、絶対にバカにしている。いつもそうだ。あいつが上から目線で何かを譲ってきたのは今に始まったことじゃないからな。昔は対等な存在として競い合って、結果として勝ち取ったものを譲るなんてことはなかった。それなのにいつからか私が勝てなくなったから、あいつはそれを憐れんで譲るようになったんだ。……実力不足で負けるのは仕方ないが、情けをかけられるのは気に食わん。それを甘んじて受け取ってしまえば、私はまるで食い残しを与えられる弱者じゃないか。私は誇り高き黒豹だ。与えられた肉など食わない。」

 

独特な表現でぷんすか怒っているゾーイに、伸びをしながら苦笑で応じた。複雑な関係だな。幼馴染で、ライバルってことか。ゾーイはオルオチと対等でありたいのだろう。

 

「ま、少し分かるぜ。私にも負けたくない相手ってのが居るからな。昔は一人だったが、今は二人になっちまった。」

 

「では勝て、マリサ。二人ともにだ。私も卒業する前にオルオチに必ず勝つ。今期の最優秀生徒はこのゾーイだ。今日の試合でもあいつをこてんぱんにしてやってくれ。」

 

「おいおい、そんなこと言っていいのかよ。ホグワーツの選手だぞ、私は。」

 

「だが、同時に私が持て成した客人でもある。ホグワーツを応援するつもりはないが、マリサのことは応援しているぞ。」

 

整った女性的な顔に男らしい魅力的な笑みを浮かべているゾーイへと、苦笑を強めながら返答を送る。つくづくカッコいい女だな。

 

「そういうことなら、応援はありがたく受け取っておくぜ。」

 

「ああ、受け取っておけ。このコーヒーもな。飲んで目を覚ましたら朝食に行こう。恐らく他の客人たちも起きたら大広間に来るはずだ。」

 

「あんがとよ。……授業は休みなんだよな?」

 

渡された温かいマグカップを手に取って問いかけてみれば、ゾーイは残念そうな顔付きで首肯してきた。

 

「今日は休みだ。……昔は休みが嬉しかったが、最近はあまり嬉しくない。のんびりしているよりも授業の方が楽しいからな。」

 

「何となく分かるぜ。卒業したらどうするんだ? 他の国と関わるような仕事をしたいんだよな?」

 

「目標はそうだが、卒業したら先ず旅をしたい。仕事をする前にアフリカ以外の土地を見ておきたいんだ。ヨーロッパや、アジアや、アメリカや、オセアニアをな。夢に導かれてワガドゥに入学して以来、ずっとここで暮らしてきた。そろそろ世界を広げてもいいはずだろう?」

 

うーん、やっぱりゾーイは私と相性が良いな。性格だけではなく、望んでいるものが似通っているのだ。私と同じように旅をしたがっている彼女へと、コーヒーを飲みながら提案を飛ばす。

 

「イギリスにも来いよ。今度は私が『歓迎役』をするからさ。」

 

「本当か? それは楽しみだな。凄く楽しみだ。絶対に行くから待っていてくれ。」

 

「おうともよ。」

 

ふむ、異国の友人ってのも悪くないかもな。ホグワーツに帰ったら咲夜に自慢してやろう。……もちろん勝利報告も兼ねてだ。体調は悪くないし、充分に眠れた。これなら今日の試合に不足はあるまい。

 

───

 

そしてコーヒーを飲み終えた後、ゾーイと共に再び訪れたワガドゥの大広間……昨日私たちがポートキーで到着した広間だ。には大量の朝食が準備されていた。当然ながらそれを食べる生徒の数も多いため、岩肌に囲まれた大広間はあちこちから響いてくる話し声で賑わっている。こういうところはホグワーツもワガドゥも変わらないな。

 

「マリサ、こっちだ。妹たちが準備をしてくれている。それとも他の客人たちと食べるか?」

 

「いや、飯はゾーイたちと食うぜ。食い終わったら作戦会議をしないとだけどな。」

 

「そうか、なら来い! アク、セリーナ、盛り付けてくれ。マリサはこっちで食べるそうだ。」

 

『妹たち』の中でも年長らしき二人に呼びかけたゾーイの方へと、遠い席で食事をしているマルフォイに手を上げて挨拶しながら移動している途中で……おお、オルオチじゃんか。歩み寄ってきたワガドゥのキャプテンどのが話しかけてきた。ゾーイは部屋着のままなわけだが、彼はきちんと制服を着ているな。他の生徒たちを見ると全体的に部屋着っぽい服装が多いので、ゾーイがズボラと言うよりもオルオチが特別真面目なようだ。

 

「おはようございます、ミス・キリサメ。お久し振りです。よく眠れましたか?」

 

「久し振りだな、オルオチ。ゾーイのお陰でぐっすりだったぜ。」

 

「安心しました。ゾーイは少々……かなり騒がしい女性ですから、貴女の饗応役になったと聞いて少し不安だったのです。」

 

「まあうん、私も大人しいってタイプではないからな。むしろ相性が良いくらいだ。……お前の話も色々としてくれたぜ。ライバルなんだって?」

 

ニヤリと笑って話題を振ってみれば、オルオチは困ったような笑みで応じてくる。

 

「ライバル、ですか。……光栄ではありますが、私の望む関係とは違いますね。」

 

「……ひょっとしてよ、お前はゾーイのことが好きなのか?」

 

薄々感じていた予想を投げてみると、オルオチは照れるように俯きながら小さく頷いてきた。やっぱりか。鈍い私でも気付けるくらいだったぞ。

 

「まあ、そうですね。好いています。」

 

「ゾーイの方は全然気付いてなかったけどな。何も嫌ってるわけじゃないが、『勝ちたい相手』って側面が大きいみたいだ。」

 

「どうしても上手くいかないのです。何かをプレゼントすると『施しは受けない』と突っ返されてしまいますし、授業や決闘で私が勝つ度に睨まれてしまいます。とはいえ手加減するのは……。」

 

「あー、そうだな。手加減はやめといた方がいいだろうな。それで勝ってもゾーイは嬉しくないだろうし、一番嫌われる行為だと思うぞ。」

 

頭をぽりぽりと掻きながら同意した私に、オルオチも困り顔で首肯してくる。開催パーティーの時は大人っぽいヤツだと思ったが、今は学生相応の雰囲気になっているな。

 

「でしょう? だからどうにもならないのです。私自身も恋愛が上手い方ではありませんから、ずっと進展せずに平行線で……もう最終学年になってしまいました。我ながら情けない話ですね。」

 

「んー、難しいな。残念ながら私もお前と一緒で恋愛は上手くないからよ、これといったアドバイスが出来ないんだ。クィディッチだったら幾らでもアドバイスできるんだが。」

 

「『恋を成就させるのは、月の山の頂に登るよりも難しい』。ワガドゥに伝わる諺です。年少の頃は恋に敗れた兄たちの嘆きを笑って聞いていられましたが、今はもう笑えません。確かにこれは月の山を登り切るよりも難しいですから。」

 

月の山は詰まる所どデカい『岩』だ。傾斜もあるし、高さもある。だから頂上まで登るのは恐ろしく難しいんだろうが……それより恋愛の方が難しいってか。ワガドゥの先人たちは上手いこと言ったもんだぜ。

 

オルオチと二人で恋愛の難しさに唸っていると、駆け寄ってきたゾーイが私と彼の間に割り込んだ。これがオルオチと喋っている私を警戒しての行動なら救いようがあったんだけどな。明らかに彼女はオルオチの方を警戒しているぞ。

 

「何をしている、オルオチ。マリサは私の客だ。妙なことをしたらタダじゃおかないぞ。」

 

「私は対戦相手として体調は万全かと話しかけていただけです。貴女の方こそお客様に無理に食べさせてはいけませんよ? 試合は昼からになります。幸いにも雨は降りそうにありませんが、今日は気温がそこそこ高いですし、食べ過ぎるとプレーに影響が──」

 

「そんなことは言われなくても分かっている! ……いつものように余裕ぶっていると痛い目に遭うぞ。マリサは私と同じ豹だ。素早く駆け、しなやかに襲う。お前など一溜まりもない。」

 

「では、私は遥かな高みからその姿を見下ろしましょう。地上の生き物では私に追いつけませんよ。」

 

よく分からん台詞だが、挑発してるってのは伝わってくるぞ。売り言葉に買い言葉でそういうことを言うからダメなんだろうに。余裕のある笑みで言い放ちながら遠ざかっていくオルオチを見送った後、ゾーイはダシダシと足を踏み鳴らしてから私の手を引いてきた。イライラしているな。こんな感じのやり取りを延々繰り返しているわけか。そりゃあ上手くは行かんだろう。

 

「どこまでも生意気なヤツだ! 叩きのめしてやってくれ、マリサ!」

 

「もちろん勝つつもりではあるけどよ、『遥かな高み』ってのはどういう意味なんだ?」

 

「オルオチはハヤブサの魂を持っているんだ。だから毎回『最速』の魂だと自慢してくる。本当に嫌なヤツだ!」

 

「ハヤブサか。……なるほどな、そいつは手強そうだ。」

 

最速の猛禽か。自慢するだけのことはありそうだな。……いいさ、速いだけではクィディッチは勝てない。豹のようなしなやかさもまた大きな武器になるのだ。ゾーイに代わって私がそれを証明してやるとしよう。

 

「おしおし、気合が出てきたぜ。我ながら良いテンションだ。面白い試合になりそうだな。」

 

「……良い顔だ、マリサ。今のお前は戦士の顔をしている。マリサが男なら惚れていたぞ。」

 

「そりゃまた、光栄なこった。」

 

クスクス微笑みながら褒めてくるゾーイに肩を竦めた後、彼女の妹たちが用意してくれた席に座って食事を始める。気持ちの切り替えは出来たし、あとは必要な分だけ飯を食ってウォーミングアップを済ませるだけだ。

 

来たる試合に向けて闘争心を高めつつ、霧雨魔理沙はパチンと両手で頬を叩くのだった。

 



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セミファイナル

 

 

「いいえ、絶対におかしいわ。これは魔法植物よ。バオバブじゃない。」

 

ロン先輩へと反論を飛ばすハーマイオニー先輩を横目にしつつ、サクヤ・ヴェイユは手に持った木の蓋付きタンブラーをジッと見つめていた。中に入っているのは何なんだろう? 一口飲んでみた限りではジュースのようだが、何の果物を使っているかが分からないどころか、そもそも果物のジュースであるという確信すら持てないぞ。不思議だ。不思議ジュースだな。

 

見事に二が並んだ日曜日の正午。私を含めた多数のホグワーツ生たちは、ポートキーでやってきたアフリカの地にあるバオバブの木を……ハーマイオニー先輩の推理通りならバオバブではないのかもしれないが、とにかく巨大な木をくり抜いて造ったらしい観客席で準決勝戦の開始を待っているのだ。応援に行くことを希望する生徒が多かった所為もあり、競技場までの移動による混乱で既に疲れ果てているものの、私たち応援団の本番はこれから。ワガドゥの関係者から配付されたこの謎ジュースで喉を潤して応援せねばなるまい。

 

「バオバブだってば。ちょっと大きいだけのバオバブなんだよ。ディーンがさっきワガドゥの生徒からそう教わってたんだから間違いないだろ。」

 

「有り得ないわ、ロン。『ちょっと大きい』どころじゃないもの。いくら魔法界だってバオバブはバオバブなりの大きさをしているはずよ。だからこの木は暴れ柳みたいな魔法界にしかない木に違いないわ。」

 

「……もうそれでいいよ。それでいいから僕を解放してくれ。観客席の中から観戦に来てるプロを探さないといけないんだから。絶対にサインを貰って帰るぞ。」

 

前の席のロン先輩とハーマイオニー先輩が繰り広げていた謎の『バオバブ論争』が一段落したところで、私の右隣に座っているジニーが話しかけてきた。ちなみに左にはルーナが、そして少し離れた最前列にはいつの間にか生徒たちに交じっていたブラックさんが座って……座っていないな。もう立ってるぞ。まだ試合開始前なのにも拘らず、『ホグワーツに優勝杯を! ワガドゥなんてやっつけろ、ハリー!』という文字が金銀糸で刺繍された自前の旗を振っている。

 

「ダームストラング戦の時より明らかに観客数が多いわよね? 準決勝だから?」

 

「多分そうでしょ。さすがにワールドカップの時ほどじゃないけど、下で立ち見してる人たちも含めれば凄い数になりそうね。」

 

バオバブの内部にある観客席はとっくの昔に満員になってしまったため、入りきらなかった観客たちは木と木の間に渡された吊り橋の上だったり、あるいは木の根元で観戦する羽目になっているようだ。……根元は角度がありすぎて観辛いだろうけど、あの原始的な構造の吊り橋で観戦するのは単純に怖そうだな。ワガドゥがホグワーツのためにと席を確保しておいてくれて本当に助かったぞ。何の変哲もないロープを渡して、そこに申し訳程度の板をくっ付けてるだけじゃないか。

 

風に揺れる吊り橋から身を乗り出している魔法使いたちの度胸に感心していると、独特な形の単眼鏡のチェックをしていたルーナがポツリと呟いた。やや残念そうな顔付きでだ。

 

「試合が終わったらすぐに帰らなくちゃいけないのは残念だよ。どうせアフリカに来たなら、魔法生物の保護地区にも行ってみたかったな。」

 

「この近くにあるの?」

 

「うん、すぐ近く。みんなワガドゥは変身術が凄いんだって言うけど、本当に凄いのは飼育学なんだよ? すっごく広い土地を保護区として使ってて、そこには他の国じゃ見られない魔法生物が沢山居るんだって。」

 

「へえ、面白そうね。」

 

ハグリッド先生が喜びそうな場所だな。……引率役の一人として同行していたし、もしかしたら試合が終わった後で行くつもりなのかもしれないぞ。明日は普通に授業日だが、あの先生ならやりかねない気がする。

 

ワガドゥの校長先生と一緒に観戦しているマクゴナガル先生に代わって、副校長として全体を統率しているフリットウィック先生。そのフリットウィック先生の更に代役としてレイブンクローの生徒たちを引率しているはずのハグリッド先生の姿を探していると……おっと、試合が始まるのか? 七色の派手な頭の人が箒に乗ってフィールドに出てきた。審判役なのだろうか?

 

私と同時にハーマイオニー先輩もそのことに気付いたようで、座ったまま背伸びをしてフィールドを観察し始める。七色頭さんはかなりの低空飛行をしているし、何か荷物を持っているようだ。ボールケースかな?

 

「そろそろ始まりそうね。あの人は確か国際魔法使い連盟の職員よ。新聞で読んだ限りではイベントの総責任者だったはずなんだけど……まさか、手ずから審判をするつもりなのかしら? あのローブって審判用のローブよね?」

 

「サミレフ・ソウのことでしょ? 元モウトホーラ・マカウズのキャプテンだし、審判くらいは余裕で出来ると思うわよ。現役時代は結構有名な選手だったんだけどね。事故で大怪我したから引退しちゃったの。」

 

「ニュージーランドのチームよね? ポジションはどこだったの?」

 

「チェイサーよ。ロングシュートの精度が凄かったんだから。……ボールケースを持ってるってことは、今日の試合では副審をやるっぽいわね。」

 

引退した後もこうやってクィディッチに関わり続けているわけか。よっぽど好きなんだな。ハーマイオニー先輩とジニーの会話を耳にしていると、ロン先輩が慌てた様子で立ち上がって断りを場に投げた。

 

「もう審判が出てきたのか。席を確保しといてくれ。僕は応援旗を振る手伝いをしてくるから。」

 

「ずっと振ってるの?」

 

「いや、手で振るのはとりあえず選手入場の時だけだ。ダイアゴン横丁の出資で作った旗なんだけど、大き過ぎてずっとは振れないんだよ。点を取った時とかは魔法で振ることになりそうかな。」

 

イギリス魔法界らしいというかなんというか、本末転倒な話だな。ハーマイオニー先輩に答えたロン先輩が合流した上級生男子の集団が、必死の形相で巨大な応援旗を観客席から出して支え始めたのを他所に、フィールドの中央に着陸したソウさんが大声を張り上げる。拡声魔法を使ったらしい。

 

『紳士淑女の皆様、間も無くワガドゥとホグワーツの選手たちが入場してきます! どうか盛大な拍手でお迎えください!』

 

それを聞いた半数くらいの観客たちがフライング気味に拍手する中、フィールドを囲むように楕円形に立ち並んでいるバオバブの中の二本……多分あれが選手用の控え室とかがある木なのだろう。向かい合う位置にある低めの二本のバオバブに空いた穴から、ほぼ同時に箒に乗った二つの集団が飛び出してきた。黒いユニフォームのホグワーツ代表チームと、茶色いユニフォームのワガドゥ代表チームだ。

 

耳をつんざくような大歓声を浴びながらフォーメーションを組んだ選手たちが競技場を一周する間に、実況の声が選手たちの紹介をし始める。実況席がどこなのかはいまいち分からないが、聞こえやすいハキハキとした男性の声だ。今回もプロがやっているらしい。

 

『さあ、一回戦を勝ち抜いた二チームのメンバーを紹介していきましょう。ホグワーツ代表チームはキーパーにボーンズ、ビーターにシーボーグとリヴィングストン、チェイサーにロイドとキリサメ、加えてキャプテンのマルフォイ。そしてシーカーは……ハリー・ポッター!』

 

「そうだ、ハリーだ! 今日スニッチを捕るシーカーの名前だ!」

 

いきなり全力での応援だな。喉が心配になるほどの大声で叫びつつ、ブラックさんが狂喜しながら手に持った旗を振りまくっているのを見ていると、今度はワガドゥ側の選手紹介が耳に届く。

 

『対するワガドゥ代表チームはキーパーにキャプテンのオルオチ、ビーターにワシントンとオチエン、チェイサーにボト、ドゥンビア、ハント。そして……シーカーはアマリ・ワガドゥ!』

 

うーむ、半数くらいは名前なのか姓なのかがさっぱり分からないぞ。奇妙なところで文化の違いというものを実感したところで、フィールドを一周し終えた選手たちがそれぞれのポジションに移動した。それと並行して地上に居るソウさんとは別の審判二人も配置に向かう。審判が合計三人も居るのか。豪華だな。

 

「んー、良くないわね。ワガドゥの初期ポジションが予想と違うわ。」

 

「どう違うの?」

 

「ホグワーツはマリサが前でロイドが後ろでしょ? そしてワガドゥは二人とも前。想定では二人とも後ろのはずだったのよ。序盤はディフェンスを重視するだろうって思ってたの。……やっぱりワガドゥもインタビュー記事を見て作戦を変えてきたのかしら。」

 

つまり予想とは正反対の初期ポジションになっているわけか。ジニーの解説に私が頷いた瞬間、ホイッスルが高らかに鳴り響くと共に四つのボールが解き放たれる。試合開始だ。

 

『試合開始です! 最初にクアッフルを手にしたのは……ハント選手だ! ワガドゥが最序盤の主導権を握りました。既に飛び出していたドゥンビア選手へとパスを回して──』

 

「ヤバいな、対策されてるぞ。」

 

ロン先輩が席に戻ってくるや否や険しい顔でぼそりと漏らしたのに、ハーマイオニー先輩が問いを返した。私も意味が掴めないな。何に対しての発言なんだろうか?

 

「何の話? マルフォイが競り負けたこと?」

 

「そうじゃなくて、アレシアだよ。敵のビーターがぴったり張り付いてるだろ? 普通ビーターは敵にブラッジャーを打ち込み易い位置か、あるいは味方を守り易い位置に陣取るんだけど……あれは完全にアレシアを妨害しにきてるな。」

 

「……本当ね、ブラッジャーを追おうともしてないわ。」

 

「厄介なプレーさ。あれをやられるとお互いにビーターを一人欠くことになるからな。相手の方が上手いから正攻法で勝負しないって言ってるようなもんだし、プライドを捨ててでもアレシアを封じるつもりなんだよ。あのビーターは個人のプレーよりもチームの勝利を優先したってことだ。」

 

リヴィングストンは上手いビーターらしいが、体格で勝る相手にあれだけ徹底マークされては動きようがないだろう。ジニーもそれを見て唸る中、ロイド先輩のタックルを避けたワガドゥのチェイサーがゴールに迫る。

 

『ハント選手、これも避けた! こうなると一対一です! ハント選手の力強いシュートを……防ぎました! ボーンズ選手、見事に指先で弾きます!』

 

「いいぞ、ボーンズ! 今のは上手かった!」

 

ロン先輩が嬉しそうに叫んでいるが……まあうん、素人目にも凄いブロックだったな。箒から殆ど落ちかけていたぞ。執念のプレーでシュートを防いだボーンズ先輩に呼応するように、今度はホグワーツが攻めに転じるようだ。マルフォイ先輩から魔理沙にクアッフルが渡ると、彼女はそれを単独で相手ゴールまで運んでいく。

 

『キリサメ選手、まるでやり返すかのような俊敏な動きでゴールに迫ります! ブラッジャーは間に合わないか! これはまたしても一対一になりそうです!』

 

「ワガドゥのチェイサー、戻ってないね。」

 

「そうね。どうしてなの?」

 

ルーナの言う通り、ワガドゥのチェイサーは一人がゴールを狙う魔理沙を追っているが、残りの二人は中央付近に留まっている。クィディッチに詳しくない私たちの疑問を受けて、イライラしている表情のジニーが答えを教えてくれた。

 

「ナメられてるのよ。キーパーが防ぐって確信があるから、カウンターの準備をしてるわけ。」

 

『巧みなフェイントを交えながらのシュートを……おおっと、防いだ! ワガドゥのキャプテン、オルオチ選手がキリサメ選手のシュートをがっちりキャッチします! やはりこのキーパーを抜くのは難しいか!』

 

「偶然だ! 偶然!」

 

ブラックさんが実況に文句を叫ぶのを尻目に、今度はワガドゥがカウンターを仕掛ける。……行ったり来たりだな。『キーパー戦』というのはこういう意味だったのか。もっとこう、のろのろと試合が動くってイメージだったぞ。

 

ひたすら繰り返されるカウンターの応酬と、ビーターをマークするビーター。それらを無視して悠然と上空を旋回する二人のシーカー。中々特殊な形の試合になりそうだなと素人ながらに思いつつ、手元の謎ジュースに口を付けるのだった。

 

───

 

そして試合開始から一時間半ほどが経過した現在、目まぐるしく攻守が入れ替わり続けるのにも拘らず、両チーム共にスコアだけが伸び悩む展開が続いていた。一応50-70でワガドゥが若干リードしているわけだが……おお、またボーンズ先輩がシュートを防いだぞ。今回もスコアに変動なしだな。

 

「どっちのキーパーも凄まじいわね。合計で何回防いでるの?」

 

「もう数えてないけど、二十回は絶対に超えてるはずよ。……大丈夫かしら? ボーンズ。キーパーとしては有り得ないほど派手に動いてるし、さすがにスタミナが切れてくる頃だと思うんだけど。」

 

私の呟きに応じたジニーの言う通り、今やボーンズ先輩はキーパーとは思えないほどにボロボロの状態だ。タックルで防げば当然身体を痛めるし、顔にボールが当たったことだって一度や二度ではない。

 

それでも凛とした顔付きでシュートを防ぎ続けるボーンズ先輩を尊敬していると、魔理沙が何十回目かの攻勢に打って出るのが目に入ってくる。こっちもこっちで意地の張り合いだな。

 

「厳しいな。マルフォイとロイドが完全にディフェンスに回って下がってるから、マリサは一人で攻めるしかないんだよ。オフェンス-ディフェンスが2-1のワガドゥに対して、ホグワーツはこの三十分間ずっと1-2だ。タイムアウトはとっくに使っちゃってるし、少しずつ不利になってきてるぞ。」

 

「スコアはまだ互角よ。ハリーがスニッチを捕ればいいだけの話だわ。」

 

「だけど、ハリーはまだ一回も見つけてない。多分日差しが強すぎるんだよ。これなら雨の方がマシだったかもしれないな。」

 

うーん、シーカーは試合開始から殆ど動いていないな。ワガドゥのシーカーもポッター先輩も、フェイントすらせずにひたすらスニッチを探しているようだ。ロン先輩とハーマイオニー先輩の会話を耳にしながら早く見つけろと鼻を鳴らしたところで、魔理沙がゴール前で物凄いプレーを繰り出した。

 

『再びキリサメ選手がゴールに迫ります! オルオチ選手、素早い直線的な動きでコースを塞ぎ……ええ? これはまた、危険なプレーが出ました! ホグワーツのゴール! これで十点差です!』

 

「あのバカ、死ぬ気なの?」

 

「落ちたら審判がクッション魔法を使うから死にはしないでしょうけど……まあ、あれは確かに危ないプレーね。相手のキーパーもびっくりしたと思うわよ。」

 

「……マリサ、落ちてないよね? 怖くて目を閉じちゃった。」

 

私とジニーのやり取りを聞いたルーナの問いに頷いてから、まだドキドキしている胸をそっと押さえる。何せあのバカは一度箒の上に立って高いシュートを放つと見せかけて、直後に落下して片手で箒を掴みながら相手キーパーの下を潜り抜けるようにボールを投げたのだ。足を踏み外して落ちたかと思ったじゃないか。

 

観客たちが感心というよりもむしろ呆れている中、魔理沙は得意げな顔で相手キーパーに何かを言い放つ。それを受けたキーパーが苦笑しながら首肯したのを見て、金髪の悪戯娘は満足したように自陣の方へと移動していった。魔理沙は勝ち誇って挑発するタイプじゃないし、キーパーの方もどこか柔らかい表情だったな。どんな会話を交わしたんだろうか?

 

何にせよこれでたったの十点差。スコア的にはほぼ振り出しに戻ったわけだが……疲弊しているボーンズ先輩に対して相手キーパーからはまだ余裕を感じるし、このまま進むと差が大きくなっていきそうだな。そんな心配をしていると、実況の声が事態が進展したことを伝えてくる。フィールドの反対側で動きがあったようだ。

 

『キリサメ選手のトリッキーなプレーの後、カウンターのためにボト選手がクアッフルを運んで……あーっと、シーカーが動いています! 遂にスニッチを発見したようです!』

 

慌ててホグワーツ側のフィールドに目を向けてみれば、ポッター先輩とワガドゥのシーカーが全く同じ方向目掛けて突進しているのが視界に映る。これはフェイントじゃなさそうだな。

 

佳境を迎えた勝負に観客たちが盛り上がる中、両チームの選手たちもシーカーを援護しようと動き出すが……おー、複雑なプレーが起こったな。二人のシーカーが試合を決める前に、四人のビーターたちの勝負が決したようだ。

 

『さあ、両シーカーがじりじりとスニッチに迫り……おっと、ここでビーターたちに面白い動きがありました! 連鎖的なプレーの末、一人無事に抜け出したリヴィングストン選手がワガドゥのシーカー、アマリ選手を狙います!』

 

「へ? 何があったの? ビーターは見てなかったわ。」

 

「シーボーグ先輩が体を張ってリヴィングストンを『救出』したのよ。」

 

ビーターたちのプレーに感心して息を吐きつつ、きょとんとするジニーに極限まで要約した説明を送った。シーボーグ先輩とリヴィングストンは離れていたのにぴったりのタイミングだったし、さっきのタイムアウトの時にこれをやるって決めてたのかな? 二つの場所で起きたプレーが上手く噛み合った感じだったぞ。

 

これまでお互いのチームのチェイサーたちを援護し続けていたシーボーグ先輩と相手のビーター……ワシントンさんだっけ? が両者共にブラッジャーを手元に留めており、それを同時に打ち込んだのだ。ワシントンさんはシーボーグ先輩に、そしてシーボーグ先輩はもう一人の相手ビーターに。

 

そのプレーが起きた一瞬の後、急ターンしたリヴィングストンを追おうとしていたもう一人の敵ビーターの背中にシーボーグ先輩の打った球が激突し、リヴィングストンはその反動でこぼれたブラッジャーを再び急ターンして至近距離からもう一度哀れな敵ビーターにぶち込み、更にそれが跳ね返ってくるや否やワガドゥのシーカーへと思いっきり打ち放ったわけだ。全部合わせても五秒ない濃いプレーだったぞ。

 

つまりワシントンさんは遠くのポッター先輩を狙うよりも近くのシーボーグ先輩がブラッジャーを打つことを妨害する方を選び、シーボーグ先輩も相手シーカーを狙うのではなくリヴィングストンへのアシストを選んだということらしい。

 

ワシントンさんは妨害が僅かに間に合わなかったことに悔しそうな表情を浮かべているし、シーボーグ先輩は棍棒を振り切った直後で体勢を崩していたためモロにブラッジャーを食らっており、もう一人のワガドゥのビーターは……リヴィングストンのやつ、張り付かれて自由に動けなかったことが地味にストレスだったようだな。背後からブラッジャーを受けた直後にそれまでの鬱憤を晴らすかのようなリヴィングストンの『追い打ち』を真っ正面から打ち込まれたため、もはや前後不覚の状態だ。そりゃそうか。リヴィングストンは五メートルも離れていないくらいの位置から全力で打っていたわけだし。

 

そしてビーターが全員絡んだ複雑なプレーを一人生き残ったリヴィングストンが、棍棒を箒の柄に固定するような独特なフォームで打ったブラッジャーは……お見事。脇目も振らずにスニッチに突き進んでいた相手シーカーの横っ面に突き刺さった。シーボーグ先輩の自己犠牲は報われたらしい。

 

『リヴィングストン選手の打ったブラッジャーが、物凄いスピードでフィールドを横切り……当たりました! これは痛い。アマリ選手の顔に激突します!』

 

「行け、ハリー!」

 

ロン先輩が叫び、ハーマイオニー先輩が祈るように手を組み、ジニーが思わず立ち上がって、ルーナが身を乗り出す中、一人だけ盛り上がり切れていない私の視線の先のホグワーツ代表シーカーが……捕ったみたいだな。手を伸ばして何かを掴むような動作をした後、握った右拳を勢いよく振り上げる。私だってホグワーツの勝利は心底望んでいるし、シーカーが他の選手だったら全力で応援できたんだけどな。ポッター先輩が持て囃されるのはほんのちょびっとだけ気に食わないのだ。何よりリーゼお嬢様も褒めるだろうし。

 

『捕りました! ポッター選手がスニッチを握り締めています! 210対70でホグワーツの勝利! 決勝戦に進むのはホグワーツ代表チームです! 互いに一歩も譲らず粘り続けた試合を制したのはホグワーツでした!』

 

まあ、今日のMVPは間違いなくボーンズ先輩だろう。彼女の意地のディフェンスがなければ、スニッチを捕ったところで追いつけない点差になっていたはずだ。次点でリヴィングストン……というか、自分を犠牲にしてでもリヴィングストンを自由にするという決断をしたシーボーグ先輩かな。

 

満面の笑みで握り拳を上げながらフィールドを一周するポッター先輩に小さく鼻を鳴らした後、サクヤ・ヴェイユはそれ以外の選手たちに向けて全力の拍手を送るのだった。……まあうん、ポッター先輩にもちょっとだけ送ってあげよう。ちょっとだけだ。

 



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違和感

 

 

「……しけた顔ね。『厄介な魔女』を倒したんでしょ? ならもっと喜びなさいよ。」

 

古ぼけた鉄のシャベルで縁側付近の雪を除けている紅白巫女からの突っ込みに、アンネリーゼ・バートリは熟考しながら肩を竦めていた。腑に落ちんな。まるでピリオドの欠けた文章を読んでいる気分だ。中途半端に終わったという気持ちの悪さだけが残っているぞ。

 

日本の首都で灰色の魔女との決着を付けた翌日、落ち着いて状況を整理するために博麗神社を訪れているのだ。なにせ今の人形店はのんびり考え事が出来るような雰囲気ではない。アビゲイルは熊の人形と共にずっとベアトリスの死を嘆いているし、アリスは二体に付きっ切りで夜通し慰めており、それに引き摺られているエマも元気がないのだから。

 

だから居辛さを感じて幻想郷に来て、二月下旬なのに大量に積もっている雪をせっせと除け続けている巫女へと事のあらましを語っていたわけだが……んー、もやもやするな。思わず翼を畳みつつ、移動のための道だけを確保している巫女に返事を返す。美鈴より雑な除雪をするヤツなんて初めて見たぞ。もっと丁寧にやったらどうなんだ。

 

「どうしても納得できないんだよ。魔女の……ベアトリスの死に方がね。」

 

「自殺なんでしょ? あっさり自殺する人外なんて珍しくもないと思うけど。何度か妖怪退治をした経験から言わせてもらえば、追い詰めた後で『お前に殺されるくらいなら』とかって自殺する妖怪は沢山居たわよ。」

 

「そうじゃないんだ。確かにそういう手合いは珍しくもないが……ベアトリスの死に方はこう、中途半端だったんだよ。中途半端なのにも拘らず、それを諦めて許容していた感じだね。というか、半端に終わることこそが自分の結末だと認めていたと言うべきかな。意味が分かるかい?」

 

「抽象的すぎてさっぱり分かんない。相談したいんならもっと分かり易く説明して頂戴。」

 

別に相談しに来たわけじゃないぞ。静かに考えていたらそっちが勝手に話しかけてきたんじゃないか。文句を飛ばしてくる巫女に鼻を鳴らした後、拭えない違和感をどうにか言葉に変換する。

 

「要するにだね、私に追い詰められたって様子じゃなかったんだよ。そう、そういうことなんだ。確かに追い詰められて諦めてはいたし、だからこそ自分の頭を撃ち抜いたんだろうが、私に向ける態度があまりにも柔らかすぎたのさ。」

 

「諦観の穏やかさじゃないの?」

 

「そういう雰囲気じゃなくて……あー、面倒だな。自分でも纏まってないから言葉に出来ん。ちょっと待っててくれ、整理するから。」

 

「はいはい、お好きにどうぞ。今年は雪の妖怪だか冬の神だかが張り切っちゃった所為で、暇潰しには困らないからね。除けても除けても尽きないわ。忌々しい限りよ。」

 

ベアトリスは間違いなく私に何かを伝えようとしていた。だからこそ私は形のはっきりしない疑念を抱き、おまけに彼女は自死する直前にそれを晴らすようにと頼んできたわけだが……くそ、分からんぞ。『名探偵』がお望みならもう少し分かり易いヒントを寄越せよな。

 

あの時の会話から察するに、ベアトリス本人としては私やアリスに何かを伝えたかったものの、それが明確になってしまうと『劇』が台無しになるから伝えなかったということなのだろう。劇に従事する役者としては明かせないが、彼女個人としては白日の下に晒したい。そんなところか。会話の各所でそういった感情を示唆してきたし、その点においてはこの認識で合っているはず。

 

しかし、ベアトリスは劇を構成している張本人であるはずだ。昨日はあの灰髪の女性もまた人形なのではないかと疑ったが、少なくともベアトリスの死体は完全な生身だったし、何よりそういう騙し方は彼女の流儀に合わない気がする。事実を捻じ曲げはすれど、完全な嘘は吐かない。ベアトリスの誓約は嘘ではないように思えるぞ。

 

……とはいえ、その可能性自体は捨てきれないな。自分そっくりの人形を作り、諦めて死を受け容れたフリをしてこちらを油断させたとか? 可能不可能で言えば可能だろうが、その場合わざわざベアトリスは私に疑いを持たせるような発言などしないはずだ。むう、やっぱりこの答えはしっくりこないぞ。

 

「ちょっと、考えてるだけなら手伝ってよ。雪掻きしながらでも考え事はでき……やるじゃない。放っておいてもやってくれるの? だったらお茶を淹れてくるわ。」

 

巫女の要求にシャベルを自動で動かすための無言呪文で応じた後、真っ白な幻想郷の景色を眺めつつ思考を進めた。……よし、今回は自分のカンを信じよう。昨日会ったベアトリスは全ての真実を語ってはいないが、同時に嘘を吐いてもいないというカンを。だったらまだ隠された何かがあるはずだ。ベアトリスが明らかにすることを望み、そして望まなかった何かが。

 

盤上の動きそのものではなく主観を信じることに決めた私へと、やおら背後の茶の間に出現した妖怪が声をかけてくる。九つの尻尾が揺れる気配と共にだ。

 

「……悩んでいるようだな。」

 

「やあ、藍。ぐーすか寝ている主人の代わりにご登場か。今はキミがこの土地の責任者なのかい?」

 

「その通りだ。そして私は眠りにつく前の紫様からお前に関する指示を受け取っている。協力を求めるなら与えろという指示をな。……求めるか?」

 

「求めるかだって? 冗談じゃないよ。あの覗き魔には引っ込んでいろと伝えておいてくれたまえ。私は与えられただけの勝利に喜べるほど愚かじゃないんでね。」

 

振り向かないままで肩越しに突っ撥ねてやれば、隙間妖怪の従者たる九尾狐は満足したような声色で応答してきた。ベアトリスが私に『挑戦』を叩きつけてきた以上、これは私の舞台で私のゲームだ。観客なんぞに邪魔はさせん。私が見事に謎を解くのを黙って見ているがいいさ。

 

「そうだな、誇りを忘れた妖怪は弱い。紫様はお前に頼ってもらいたいと思っているはずだが、私としてはこの程度の問題なら自分で解決して欲しいところだ。」

 

「キミが紫と別の意見を言うとはね。意外だよ。」

 

「お前は言わば『同僚』だからな。多忙な紫様のお手を煩わせるのは見ていて我慢ならん。きっちり自分でケリを付けろ。」

 

「同僚だと? 私は紫の従者になったつもりも部下になったつもりもないぞ。あくまで対等な取引相手だ。」

 

心外だと声に表しながら言い放ってやると、藍は懐かしむような口調で返答を口にする。

 

「私も同じような台詞を大昔に紫様に言った覚えがあるぞ。気付いた時にはこんな関係になっていたがな。……『先輩』として生意気な後輩に一つ助言をしてやろう。それならお前も受け取れるはずだ。」

 

「キミがどうだったのかは知らんが、私はあんな胡散臭い妖怪と必要以上に連むつもりはないよ。……それでもいいなら言うだけ言ってみたまえ。」

 

「簡単な話だ。舞台を見ろ、バートリ。劇がまだ終わっていないのであれば、『役者』が舞台に残っているはずだろう? 空っぽのステージに拍手を送るヤツなど居ないさ。もし幕が下りていないなら、そこには誰かが残っているはずだ。」

 

役者? ぼんやりしたヒントを渡してきた藍は、近付いてくる人の気配に耳をぴくぴく震わせながら会話を締める。巫女が茶を淹れ終わったらしい。

 

「アルバート・ホームズが退場し、魔女ベアトリスも自らの手で舞台を降りた今、ステージに残っている役者は誰だ? ……さて、私はこの辺で失礼させてもらおう。博麗の巫女とはまだ直接会うわけにはいかないからな。それと、お前を監視している黒猫のことは決して虐めないように。絶対にだ。」

 

最後の注意だけをやたらと真剣に語ってきた藍が姿を消すのと同時に、襖が開いてトレーを持った巫女が部屋に入ってきた。その上には湯呑みが二つ載っている。

 

「……あんた、変な妖術を使っちゃいないでしょうね? なんか濃いわよ、この部屋の妖気。」

 

「使ってないよ。妙な疑いをかけないでくれたまえ。」

 

鋭いヤツだな。藍は限界まで妖力を抑えていたし、私から見ればそれらしい痕跡など一切ないわけだが、この巫女は『残り香』に気付いたらしい。不機嫌そうな表情でふんふんと鼻を鳴らしながら部屋を見回った後、湯呑みの一つを私に手渡してきた。縄張りを荒らされた猫みたいだぞ。

 

「ならいいんだけど。……で、『考えの整理』は出来たの?」

 

「残念ながら、出来ていないよ。むしろこんがらがってきたね。」

 

藍がヒントを寄越してきたこと自体が一つのヒントになっているな。解決している問題にヒントなど不要だ。である以上、あの九尾狐から……延いては隙間妖怪から見た状況はまだ終わっていないということになる。私の予想通りベアトリスの死が最後のページではないということか。そういえばベアトリス自身も自分の死を『過程』と表現していたっけ。

 

だが、この期に及んでステージに残っている者など居るか? 五十年前の『第一部』から数えればともかくとして、今回はそもそも舞台に上がっていた人数自体が少ないはずだぞ。……ええい、分からん。設問自体が曖昧なことにイライラしてくるな。

 

「あっそう。私は別にどうでも良いんだけど、雪掻きの分くらいは一緒に考えてあげても……ねえ? あのシャベル、地面を掘ってない? 掘ってるわよね? おいこら、聞いてる?」

 

まあ、ゆっくりでいいか。危急の問題はもはや無い……はずだ。全体的な状況を整理しつつ、落ち着いた頃に改めて考えればまた違った──

 

「おいってば、考えてないで早く止めなさいよ! さっき使ってた白い棒はどこ? 庭が穴だらけになっちゃうじゃないの!」

 

「ああもう、何なんだキミは。考え事をしてると言っているだろうが。自分で止めたまえよ。自慢の退魔術はどうしたんだい?」

 

「シャベルはあれ一丁しかないんだから、変に止めて壊れでもしたら大損害なのよ。いいから止めろっての! 私は穴だらけの庭を横切るのも、手で雪掻きをするのも嫌だからね!」

 

シャベルも足りていないのか。紫は何だってこの巫女に必要な物資を補給してやらないんだ? それもまた修行の一環なのかと怪訝に思いつつ、杖を振って終わらせ呪文を飛ばす。

 

フィニート(終われ)。……ほら、止まったぞ。いい教訓になっただろう? 安易な道を選ばず、自分でコツコツやるのが一番ってわけさ。」

 

「何をそれっぽく纏めてるのよ。穴はあんたが塞ぎなさいよね。」

 

どうやらこの土地も考え事には向いていないらしいな。巫女は煩いし、狐はちょっかいをかけてくるし、猫は怯えつつも遠巻きに監視してくるし、隙間妖怪は暢気に眠りながらそれを覗いてくるわけだ。

 

喧しく主張してくる紅白巫女へとおざなりに応対しつつ、アンネリーゼ・バートリは小さくため息を吐くのだった。

 

 

─────

 

 

「……でもよ、考えすぎなんじゃないか? 大抵の場合、こういう事件は綺麗にすっぱり終わるようなもんじゃないだろ。ベアトリスが死んで、アリスは自由になった。それでいいじゃんか。」

 

最良の結末だとは到底思えないが、ロクに協力できなかった私に文句をつける権利などないだろう。何とも言えない気分でリーゼに発言を送りつつ、霧雨魔理沙は頭上の星々を眺めていた。拳銃自殺か。どこまでも魔女らしからぬ最期だな。

 

アフリカの地でワガドゥ代表に辛くも勝利した翌日、現在の私と咲夜はホグワーツの星見台でリーゼからの報告を受けている。彼女はアリスとアビゲイルを連れて日本に行き、そしてベアトリスの自殺を見届けたらしい。つまるところ、夏に始まった一連の事件がようやく終結したわけだ。

 

とはいえ、リーゼはベアトリスの態度から何かしらの違和感を読み取ったようで、こうして経緯を私たちに語っている間も腑に落ちないような顔をしているのだが……んー、分からんな。推理小説じゃあるまいし、人外同士の戦いの終わりなんてこんなもんじゃないか?

 

天井に映し出されている北アメリカの星空。それをぼんやり見上げながら問いかけた私に、ソファに座っているリーゼは不貞腐れたような顔付きで応答してきた。

 

「昨日博麗神社で整理したんだがね、私はどうやらいくつかの疑問を抱えているらしいんだ。一つは今語って聞かせたベアトリスの最期について。……リザインしたのは間違いないとして、彼女は『誰』にそれをしたんだと思う?」

 

「そりゃ、お前だろ。しつこい吸血鬼相手じゃいつまでも逃げ切れないと踏んだから、潔く自らの手でケリを付けたってわけだ。本人もそう言ってたみたいだし、状況もそれで説明がつくじゃんか。……それより博麗神社ってのはどういうことだよ。そんな簡単に行き来できるのか?」

 

「そこは後で話すよ。……あれが私に対してのリザイン? 到底納得できないね。むしろベアトリスは私を手助けしようとしていたんだ。後ろで観戦している私へと、ルールで許される範囲で相手の弱点を伝えてきたのさ。彼女の後にプレーするのが私だと知っていたから、せめて私に勝ってもらおうと足掻いたんだよ。」

 

比喩的すぎるぞ。意味不明なことを呟きながら立ち上がって、松明が並ぶ星見台の壁沿いをぐるぐる歩き始めたリーゼへと、今度は持ち込んだ紅茶を淹れている咲夜が質問を放つ。私としては博麗神社の一件の方が気になるんだがな。

 

「えっと、どういう意味なんでしょうか?」

 

「つまりだね、咲夜。それが二つ目の疑問なんだよ。……結局のところ、ベアトリスは何がしたかったんだ? 彼女がずっと盤を挟んで向き合っていた相手は私だったのか?」

 

「二つ目の疑問はベアトリスの目的ってことですか?」

 

「そうだよ。分かり難いかい? ……例えばヨーロッパ大戦の時、私とレミィはヨーロッパ魔法界という盤を挟んで向かい合っていたわけだ。そして勝ったのはレミィだった。あの時はまあ、最後に黒のキングを取られたからリザインも何もないわけだが、とにかくお互いの顔ははっきりと見えていたのさ。レミィはダンブルドアという駒を使ってゲラートを打ち倒すことを目的としていて、私はゲラートという駒を魔法界の支配者にすることを目的にしていたわけだね。相反するからこそ勝負が成立し、ルールがあればこそゲームになり、勝利条件があるからこそ勝敗が決するんだよ。」

 

改めて壮大な『ゲーム』だな。納得の頷きを飛ばした私たちに、リーゼは歩を進めながら続きを語る。頭の中で考えを整理しているらしい。そういう時に歩きたくなるのはちょっと分かるぞ。

 

「では、ベアトリスの目的……つまり彼女の『勝利条件』は?」

 

「アリスだろ?」

 

「本当に?」

 

私の短い返答を聞いて、ぴたりと立ち止まったリーゼもまた短く問い返してくるが……アリスだよな? それしかないだろ。

 

「今更そこを気にするのか?」

 

「ああ、するとも。今の私は盤を挟んだ相手の顔がベアトリスには見えていないんだから。かといって誰に見えているわけでもないけどね。影で見えないから、そこにライトを当ててやろうとしているわけさ。……キミたちだったらどうだ? もし本当にアリスの身柄を欲しているのであれば、わざわざ『国際指名手配』なんて迂遠な手を選択するかい? もっと確実で簡単な手段が山ほどあるはずだ。『アルバート・ホームズ』という人間をバックボーンから組み上げて、国際保安局なんてものを成立させた上に委員会という余計な部分にまで手を出して、挙句少しコケただけで迷わず計画を放棄? 改めて考えると幾ら何でも意味不明だぞ。」

 

「だからよ、やりたいことが沢山あったってことだろ? スカウラーのこととか、魔法界に対する憎しみとか、アリスの件と合わせてそういうのを一度に全部解決しようとしたら……まあうん、結局全部失敗しちゃったってことなんじゃないのか? お前だってそう推理してたじゃんか。」

 

「しかしだね、魔理沙。実際に会って話してみたところ、ベアトリスはそんなバカなことをやるヤツには見えなかったんだよ。彼女は『結局無駄な行動はしなかった』と言っていた。自分は良い労働者だったと。全ての行動に意味があったのであれば、アリスが本当の目的だとは思えないね。過程として必要な要素だったにせよ、最終的な目的ではないはずだ。……そう、過程。過程だったんだよ。ベアトリス自身も、彼女の目的に見えていたものも過程だったわけだね。面白い推理だと思わないか?」

 

いやいや、面白くはないだろ。言っていることも全然理解できんぞ。悩む私を他所に翼を揺らしながら歩くのを再開したリーゼへと、額に皺を寄せている咲夜が自分なりの纏めを口にした。

 

「要するにベアトリスはアリスを目的にしていないから、彼女にとってリーゼお嬢様は敵ってわけじゃなくて、だから投了した相手もお嬢様ではないってことですか? そしてその相手と今まさにお嬢様が戦ってて、ベアトリスはお嬢様の勝利を望んでいるってことですよね? ……んん? 何か変な感じになっちゃいました。」

 

「まあ、物凄く噛み砕けばそういうことかな。非常に気に食わんが、ベアトリスを詰ませたのは私ではないという気がしてならないのさ。……あるいは、あの魔女は二つのチェスを同時に進めていたのかもね。もう片方の盤面が詰んじゃったから、私と打っていた方もなし崩し的に終わらせたわけだ。軽んじられているようでムカつく話だよ。」

 

「えーっとですね……すみません、よく分かりません。話の趣旨は何とか理解できましたけど、リーゼお嬢様が強く疑う理由がいまいち分からないです。さっき魔理沙が言ってたみたいに、普通にベアトリスが諦めて自殺したって線は有り得ないんでしょうか?」

 

主人の懊悩をどうにか理解しようと必死になっている咲夜に、リーゼは軽く肩を竦めて応じる。『さぁね』のポーズだ。

 

「有り得るんじゃないかな。ベアトリスの目的はアリスで、ホームズが起こした騒動はその余波に過ぎず、全てを失敗した彼女はもうダメだと駒を倒して自殺した。それだけの話だって可能性も確かにあるだろうさ。」

 

「でも、リーゼお嬢様はそうだと思っていないんですよね?」

 

「その通りだ。私は自分のカンを信じることに決めたんだよ。少なくとも一昨日の会話において、ベアトリスは嘘を吐いていないというカンを。彼女は言いたいことを言ったり、言うべきことを言わなかったり、あるいは沈黙や曖昧さを以って答えを濁すことはしたかもしれないが……それでも完全な嘘は言葉にしていないというカンをね。」

 

カン、ね。そこだけはやけに自信がある様子で語ってきたリーゼは、顎に手を当てながら話を続けた。魅魔様風に言うなら、言葉を無駄遣いしなかったってとこかな。

 

「彼女は末期の台詞として私に『疑念を晴らせ』と言ってきた。それはつまり、自分がリザインした相手を代わりに打ち倒せという意味に他ならないだろう? ベアトリスの無念なんぞどうでも良いが、私以外に私の知らない勝者が存在するのはイラつくからね。勝つのは私一人でいいんだ。誰が何の目的で始めた劇だろうと、『探偵役』としてステージに上がるのであればスポットライトを浴びるのはこの私さ。他に主役が居るならぶん殴ってでも場所を空けさせてやるよ。」

 

「……ダメだ、直接ベアトリスとの会話を聞いてない私じゃ追いつけないぜ。お前がまだ『終わってない』って思ってることは分かったが、具体的に私たちは何をすればいいんだ?」

 

「何かは出来るかもしれないが、とりあえずは何もしなくていいよ。私だって何をすべきなのかまではしっかり分かっていないんだからね。……だからつまり、これまで通りさ。キミはクィディッチに、咲夜はフクロウ試験に集中したまえ。」

 

「ようやく分かり易くなったな。」

 

浅く息を吐きながら首肯してやると、リーゼは未だ思案している顔付きで小さく鼻を鳴らす。

 

「兎にも角にも状況は落ち着いたんだ。その上で残った謎に手を付けるのは私の勝手な我儘であって、アリスやキミたちに負担をかけるつもりはないよ。私は一人で『なぞなぞ』をやってるから、キミたちもキミたちの問題を解決したまえ。」

 

「ま、そうさせてもらうぜ。次はいよいよ決勝だからな。……勝ち上がってきたのはやっぱりマホウトコロだとさ。」

 

「決勝戦はいつになるんだい? 私もさすがに観に行くよ。」

 

「まだ未定だが、フーチは五月のどっかになるんじゃないかって言ってたな。日時と会場は来週末に決まる予定だ。」

 

立つ場所を変えて天井の星空を日本のものに変えながら回答してやれば、リーゼはニヤリと笑って返事を返してきた。意地の悪い、からかうような笑みだ。

 

「必死に練習しておきたまえ、魔理沙。初戦で負けるよりも、準決勝で負けるよりも、決勝で負けた方がよっぽど悔しいぞ。」

 

「分かってるよ、そんなこと。……まあ見とけ、絶対勝つから。」

 

リーゼの抱えている懸念が気にならないと言えば嘘になるが、今の私にはクィディッチ以外の物事に構っている余裕がない。……勝つさ。必ず勝ってみせる。優勝に見合うだけの努力は重ねてきたし、これから先もそれを続けていくつもりなのだから。

 

明確な目標へと一直線に目を向けつつも、霧雨魔理沙は日本の星空をジッと見つめるのだった。

 



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過ぎたるもの

 

 

「……ロン先輩、これを全部覚えるんですか?」

 

『連合王国魔法法』というシンプルなタイトルがついた分厚い本。十センチ程度の厚さがあるその本を前に、サクヤ・ヴェイユは戦慄の思いで問いかけていた。想像しただけで頭がおかしくなりそうだな。

 

三月に突入したホグワーツ。先週行われた準決勝の勝利に生徒たちがまだまだ沸いている中、七年生だけは早くもイモリ試験の『助走期間』に入っているようだ。珍しく空きコマがあったので大広間でのんびりしようと訪れてみたところ、グリフィンドールの長机でハーマイオニー先輩とロン先輩が猛勉強していたのである。

 

呆れ半分で聞いた私に、ロン先輩は心底うんざりしている様子で応じてきた。ちなみにポッター先輩と魔理沙は競技場で自主練習をしていて、リーゼお嬢様は人形店に帰っているらしい。

 

「聞いて驚け、サクヤ。この一冊で全部じゃないんだ。この本はあくまで『イギリス共通法』の本であって、イングランド版、ウェールズ版、スコットランド版、北アイルランド版がそれぞれ別に存在してるのさ。地域独自の魔法法ってのもあるみたいでな。」

 

「……まさか、それも覚えるんですか?」

 

「最終的には全部覚えるらしいけど、闇祓いの入局試験に出てくるのはこの本の……ここからここまでだけだ。そんでもって入局後の基礎訓練課程でここをやって、その最後の関門である二次試験の内容がこのあたり。それを突破したらようやく地域別の魔法法に入っていくみたいだな。」

 

気の遠くなるような話じゃないか。説明していくうちにどんどん元気を失くしていくロン先輩へと、苦笑いで相槌を打つ。

 

「何回も試験があるんですね。」

 

「二次試験を突破してもまだ見習いで、訓練課程の最後にある任官試験を突破してやっと闇祓いを名乗れるようになるんだよ。ちなみにその後も出世したいなら昇任試験があるぞ。何人かの闇祓いを指揮する立場になりたいなら、星の数ほどある魔法法を全部覚えなきゃいけないってわけさ。」

 

「加えて言えば、局長・副局長クラスは近隣他国の魔法法も覚える必要があるわよ。この前職場見学に行った時、スクリムジョール部長が教えてくださったでしょう? 国際法の知識も必須だしね。」

 

「僕はそこまでは目指さない。絶対にだ。やるやらない以前にそんなの不可能だしな。」

 

ハーマイオニー先輩の追加情報を受けて、ロン先輩は早くも出世の道を見限っているが……あの頼りなさげな現局長さんや、前局長であるムーディさんは覚えたってことか。実は凄く頭の良い人たちだったらしい。スクリムジョール部長の場合はまあ、そこまで意外でもないが。隙なく覚えていそうな雰囲気があるぞ。

 

「ポッター先輩は大丈夫なんですかね? クィディッチが片付いた後から本格的な試験勉強を始めるわけでしょう?」

 

ふと頭をよぎった懸念を口に出してみれば、ロン先輩とハーマイオニー先輩はお揃いの苦い顔で曖昧に首肯してきた。どう見ても『大丈夫』ではなさそうな顔付きだ。

 

「今も少しずつやってるから、僕らが手伝えばギリギリのラインまでは……うん、持っていけると思う。多分な。」

 

「私は心配よ。先ずイモリで結果を出して闇祓いの入局試験にたどり着けるかすら不安なのに、その試験を突破することまで考えなくちゃいけないわけでしょう? 凄く難しいことだと思うわよ、それって。」

 

「仮にイモリで『足切り』を抜けたとして、闇祓いになるための試験はいつなんですか?」

 

「魔法省の入省試験はどの部署も八月の前半よ。基本的にイモリの成績次第で入省試験が免除になるんだけど、闇祓い局はもちろん関係ないわね。他の部署で試験免除になるレベルの成績で、ようやく試験を受けられるって感じなの。」

 

そういえば八月に入ってから通知されるフクロウ試験と違って、イモリ試験は結果が七月中に届くんだっけ。その理由はイモリの成績を踏まえた上で行われる就職のための試験があるからなわけだ。一つ謎が解けたぞ。

 

「それはまた、楽しくない夏休みになりそうですね。九月から仕事が始まるわけですし、人生最後の夏休みなのに。」

 

「人生で一番来て欲しくない九月になるだろうな。……クィディッチでホグワーツが優勝したら、少し点数に色を付けてくれるとかはないかな? イギリス人だったらホグワーツの勝利が嬉しくないはずないだろ?」

 

私に然もありなんと応答したロン先輩の発言に、ハーマイオニー先輩がバカバカしいと言わんばかりの表情で否定を返す。まあうん、そんなに甘くはないだろうな。

 

「絶対にないわね。一芸としては評価してくれるかもしれないけど、それを点数に絡めてくれるのは魔法ゲーム・スポーツ部だけよ。精々面接での印象が良くなるかもってくらいかしら。」

 

「世知辛いな。闇祓いの技能訓練に飛行学はあるのに。」

 

「複数人で周囲を囲みながら犯人の護送をする時とかに、小回りの利く箒を使う場合があるらしいわ。闇祓いとクィディッチの接点はそれくらいね。……結局のところ試験の成績が全てなのよ。学生生活で勝つのはクィディッチプレーヤーだけど、就職で勝つのは『ガリ勉ちゃん』ってわけ。」

 

「別に勝ち誇らなくてももう誰もバカにしてないよ。ガリ勉のグレンジャーさんは賢い魔女だった。今の七年生はみんなそのことに気付いてるさ。今更気付いたところでもう遅いけどな。」

 

ため息を吐きながら認めたロン先輩へと、ハーマイオニー先輩はクスクス微笑んで肩を竦めた。立場逆転ってことか。

 

「分かればよろしい。それに、貴方の場合はまだ遅くないでしょ。……ああ、考えてたら心配になってきたわ。ハリーは本当に大丈夫なのかしら? 間に合うと思う?」

 

「間に合わせるために僕らが頑張ってるんじゃないか。こうなった以上、ハリーの敗北は僕らの敗北だぞ。それが嫌なら今のうちから勉強しておいて、完璧な試験対策をした後でハリーに最短ルートを示すしかないだろ。」

 

「そうね、それしかないわ。……つくづく六年生のうちに勉強しておけば良かったわね。後悔先に立たずよ。」

 

「全部ヴォルデモートの所為さ。あいつが余計なことさえしなけりゃ、僕たちはかなり余裕のある学生生活を送れてたんだ。これでハリーか僕が落ちたら絶対に恨んでやるからな。」

 

話が巡りに巡って『根本の原因』にまでたどり着いたところで……おや、マルフォイ先輩だ。大広間にスリザリンの最上級生が入ってくるのが視界に映る。今日は珍しく空き時間をクィディッチではなく、勉強に充てるつもりらしい。

 

「マルフォイ先輩ですね。……あの人は大丈夫なんでしょうか? 魔理沙はマルフォイ先輩も闇祓いを目指してるって言ってましたけど。」

 

ポッター先輩と同じ状況……どころか、代表チームのキャプテンをやっているんだからそれ以上に『危険な状況』に置かれているはずだぞ。スリザリンのテーブルで勉強道具一式を広げているマルフォイ先輩を指して疑問を口にしてみると、ハーマイオニー先輩が難しい顔で返事を寄越してきた。

 

「いくら成績が良いマルフォイでも大丈夫ではないはずよ。一体全体何をどうやって処理してるのかしら? 家のこともあるでしょうし、監督生だし、代表チームのキャプテンだし。私なら絶対にパンクしてるわね。」

 

「少なくともキャプテンと監督生は問題なくやり切ってますよね? ……ひょっとして、逆転時計を使ってるとか? さすがに許可が出そうな状況だと思いませんか?」

 

「三年生の時の私程度の状況で許可が出たんだから、今のマルフォイだったらおかしくはないと思うけど……どうなのかしら? 使ってそうな雰囲気は一切感じないわね。」

 

「使ってるかどうかは聞いちゃダメなんだろ?」

 

テキパキと書き物を始めたマルフォイ先輩を見ながら問いかけたロン先輩に、ハーマイオニー先輩が小首を傾げて答えを送る。どうしてダメなんだろう?

 

「んー、聞くのがダメって言うか……つまり、逆転時計の使用自体があまり良いことじゃないのよね。仕方なく慎重に使うべき道具であって、大っぴらに進んで手を出すような道具じゃないわけよ。である以上、触れないで済むなら触れない方がいいんじゃないかしら?」

 

「強力すぎるから、ですか?」

 

「そういうことよ。ホグワーツの生徒に貸し出される逆転時計は制限付きの物だけど、それでも時間を操るのはとても危険なことなの。四年前の私に使用許可が出たのが信じられないほどにね。仮に今許可を得られたとしても、私は怖くて使えないと思うわ。使い方次第ではヴォルデモートを復活させる……というか、『死ななかったことにする』ことすら可能でしょう。時間を操るというのは強力かつ危険な行為なのよ。色々なことを学んだ七年生の私は、人間がその領分に手を出すべきじゃないと考え直したわけ。」

 

真剣な表情で時間操作の危険性を語ったハーマイオニー先輩へと、ロン先輩も頭を掻きながら同意した。

 

「ま、そうだな。僕もジョークとして使いたいとは言ってるけどさ、実際目の前にしたら手を出せないと思うぜ。過ぎたるものなんだよな、多分。魔法にだって出来ちゃいけないことってのはあるんだよ。」

 

「賢い台詞ね。度を過ぎた利便性は時として破滅を運んでくるものよ。魔法界の歴史も、マグルの歴史もそう語っているわ。」

 

「……やっぱり使ってないんじゃないかな。マルフォイだってそれには気付けるだろ。あいつはそういうタイプの人間だと思うぞ。」

 

「まあ、私も使ってないと思うわ。魔法省だって年々管理に気を使うようになってきてるし、今の状況では簡単に貸し出さないでしょう。……さあ、休憩は終わり。面白い議論ではあったけど、今やるべき内容じゃないわ。私たちはもっと差し迫った問題に向き合うべきよ。」

 

そう言うとハーマイオニー先輩はイモリの勉強に戻り、ロン先輩も魔法法を覚えるのに集中し始めるが……『過ぎたるもの』か。人間にとって時間を操るのが危険な行為であるならば、その力を生まれ持ってしまった私はどうすればいいんだろう?

 

うーん、難しいな。先輩たちの言葉にも一理あるとは思ってしまうが、かといって今更どうにもならない。能動的に使いまくって操作を磨くか、あるいは自分自身で能力の使用に制限をかけるべきか。どちらにせよ一生付き合っていかなければならない力なのだ。

 

ある意味では贅沢な悩みであることを自覚しつつ、サクヤ・ヴェイユはポケットの中の懐中時計をそっと撫でるのだった。

 

 

─────

 

 

「……そっか、ビービーはアリスたちに迷惑をかけてたのね。」

 

椅子に腰を下ろして俯いているアビゲイルを前に、アリス・マーガトロイドは何とも言えない気分で小さく頷いていた。当然のこととはいえ、ひどく落ち込んでいるな。彼女の膝に座っているティムも悲しげな雰囲気でしょんぼりしている。

 

ベアトリスの死から一週間ほどが経過した今日、人形店の自室でアビゲイルとティムに対して詳細な経緯の説明をしていたのだ。五十年前の事件のこと、今回の騒動のこと、そしてベアトリスと私たちとの関係。多少落ち着いてきたから話しても大丈夫かと思ったのだが……むう、やっぱりまだ早かったのかもしれないな。

 

二人の反応を見て早まったかと後悔する私に、アビゲイルは静かな悲しみを湛えながら話を続けてきた。

 

「私とティムはどうなっちゃうの?」

 

「貴女たちの希望に沿う形にしたいとは思っているわ。ここに居たいのであれば勿論居てくれて構わないし、私たちと居るのが嫌だと言うなら他の居場所を探すから。」

 

「……他に居場所なんてないわよ。私だってそのくらいのことは分かってるわ。『動く人形』が普通に生きていけるわけないじゃない。」

 

自嘲するように呟いたアビゲイルは、組んだ自分の手を見つめつつ言葉を繋げる。何かを懐かしむような、それでいてどこか悔しそうな表情を浮かべながらだ。

 

「何でこうなっちゃったのかしら? 私はただ、あの家でビービーと一緒に暮らせればそれで良かったのに。それだけで幸せだったのに。」

 

「……ごめんなさい、アビゲイル。」

 

「どうしてアリスが謝るの? 私、アリスやアンネリーゼのことを恨んではいないわ。二人が巻き込まれただけっていうのはもう分かったもの。……ただ悲しいの。ビービーともう会えないことが悲しくて、怖くて、不安になるの。私も泣けたらいいのに。そしたら今よりもずっと楽になれそうな気がするから。」

 

アビゲイルには涙を流す機能が備わっていない。だから彼女はどんなに悲しくても泣くことが出来ないのだ。遣る瀬無い思いでそっと彼女の頰に手を当てた私へと、アビゲイルは膝の上のティムを撫でながら問いかけてきた。

 

「……ねえ、アリス? ビービーは私が壊れた方が良いって思ってるみたいだったわ。もしかしたら、もしかしたらそうすべきなんじゃないかしら? ビービーが居なくなったのに、私がこのまま『生き続ける』のはおかしいと思わない?」

 

「私はそうは思わないわ。貴女たちにこれからも一緒に居て欲しいと思ってるの。……ダメ?」

 

「もう私には分からないのよ。……アリスのことは好きよ? エマも好きだし、アンネリーゼやマリサやサクヤも嫌いじゃないわ。だからきっと、この家に居れば苦しくないと思うの。……だけどね、それはビービーに対してとっても失礼なことなんじゃないかしら? 私とティムだけが幸せになったら、ビービーはどう思う? それが怖いのよ。ビービーを裏切ってるみたいで。」

 

不安を吐き出すように訥々と語ったアビゲイルは、まるで怒られるのを怖がる子供のように縮こまってしまう。その姿に内心で息を吐きつつ、ふわふわの金髪に手を載せて口を開いた。

 

「私も貴女たちのことが好きよ。もっと沢山のことを教えてあげたいし、これまで知らなかった色々なものを見せてあげたい。私にはベアトリスの言葉を代弁することなんて出来ないけど、少なくとも私個人としては貴女たちに側に居て欲しいと思っているの。それだけは覚えておいて頂戴。」

 

「……うん。」

 

「何にせよ、ゆっくり考えて良いのよ。時間はたっぷりあるんだから。今すぐ答えを出そうだなんて思わないで、焦らず自分のペースで考えてみて。この家の住人は待つのが得意なの。貴女たちが納得できる答えを出すまでいつまでも待ってみせるわ。」

 

「……分かった。」

 

こくりと頷いたアビゲイルをもう一度撫でてから、立ち上がって部屋のドアを抜ける。少し落ち着いて考えさせた方がいいだろう。もう全てが終わったのだ。だったら急ぐ必要なんてないはず。

 

自分で自分の肩を揉みながら廊下を進んでリビングにたどり着くと、キッチンで何かをしているエマさんの姿が目に入ってきた。うーん、いつも通りの姿だな。不安定に揺れていた心が定まる感じがするぞ。

 

「エマさん、何か手伝うことはありますか?」

 

「あれ、アリスちゃん? アビーちゃんたちは大丈夫なんですか?」

 

「ちょっと二人で考える時間が必要だと思ったので、席を外してきました。今は落ち着いてます。」

 

「そうですか。……じゃあ、一緒にやりましょう。スコーンを作ってたんです。」

 

笑顔で言ってくるエマさんに、気を使われていることを感じながら歩み寄る。手慰みを欲していることを察してくれたのだろう。スコーン程度のお菓子で彼女が手伝いを必要とするとは思えないし。

 

「生地を伸ばすんですか?」

 

「ええ、こんな感じで伸ばしていって……最終的に細長くした後で切って形を整えるんです。あんまり綺麗にし過ぎないのがコツですね。」

 

「綺麗にし過ぎない、ですか。変なコツですね。」

 

「奇妙なことに、スコーンは多少雑に作った方が美味しく見えちゃうんですよ。食感も良くなりますしね。これだからお菓子作りは奥が深いんです。」

 

手を抜いた方が良い結果になる料理もあるということか。なんだか深い知識を蓄えたところで、私の倍ほどのスピードで生地を整えていくエマさんが話題を変えてきた。

 

「人形店の方はどうするんですか? 指名手配の一件で出端を挫かれちゃいましたけど、元々は再開する予定だったんですよね?」

 

「あー、そうですね。騒動は一段落しましたし、近いうちに再開したいと思ってます。商品は長年作ってた人形が山ほどありますから、実は開店すること自体は難しくないんです。……いっそお菓子も置いてみますか? エマさんのなら売れそうですけど。」

 

ふと思い付いた提案を口にしてみると、エマさんは目をパチクリさせて動きを止めた後……おー、珍しいリアクションだな。そわそわと身体と翼を揺らしながら返事を寄越してくる。エマさんが翼をパタパタさせるところは初めて見たかもしれない。感情を翼の動きに出しがちなリーゼ様やスカーレット姉妹と違って、普段の彼女は邪魔にならないように翼をきっちり畳んでいるのだ。

 

「わ、私のお菓子をですか? ……人形店にお菓子だなんて変じゃないですかね?」

 

「個人商店ですし、別にいいんじゃないでしょうか? それにまあ、この辺はお菓子屋さんがありませんから、上手く行けば流行るかもしれませんよ?」

 

「でも、でも……お嬢様。アンネリーゼお嬢様に許可をいただかないと。」

 

「リーゼ様なら許してくれると思いますけど。」

 

今だってメイド業は休業中みたいなものなんだし、リーゼ様はそれほど拘らないだろう。『やってみたい』という感情を汲み取って促してみれば、エマさんは嬉しそうな顔付きでこくこく首肯してきた。

 

「そうですね、お嬢様にお許しをいただけたなら……やってみたいです。お菓子屋さんはちょっとした夢だったんですよ。いい歳して恥ずかしいですけど。」

 

「いい歳っていうか、吸血鬼的には今まさに働き盛りじゃないですか。……お菓子を置くとなると、保冷用のガラスケースを設置しないとですね。あとは店の前に小さめの黒板か何かでメニュー表を置けばいけるかな?」

 

「あの、少しでいいですからね? 私なんかのお菓子を買っていく人がそこまで多いとは思えませんし、こう……趣味で置いている程度のスペースで充分です。メインはあくまでアリスちゃんのお人形なんですから。」

 

とはいえ、人形の方だって時勢に合っていないんだからそこまで売れはしないだろう。そうなるとお菓子の方がメインになってしまう未来すら有り得るぞ。……まあいいか、それもまた良しだ。どちらにせよ楽しい店になるのは間違いあるまい。

 

停滞期間が終わり、少しずつ前に進んでいる感覚。久し振りの『進歩』の感覚に口元を綻ばせながら、アリス・マーガトロイドはスコーンの生地を雑に伸ばすのだった。

 



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大広間にて

 

 

「決勝戦の会場はマホウトコロ。試合日は五月十七日の正午、雨天決行だ。」

 

ドラコの端的な報告に彼を囲んでいた生徒たちが思い思いの反応をする中、霧雨魔理沙は内心でガッツポーズをかましていた。マホウトコロが会場になったということは、マホウトコロの領内に入れるということだ。リーゼやアリスが話してくれた『逆さ城』を直に見られるぞ。

 

三月初週の土曜日の昼食時、決勝戦の会場を決めるために朝から連盟本部に行っていたドラコが帰ってきたのだ。彼がマクゴナガルと共に会場の抽選に行っていることは既にホグワーツにあまねく伝わっていたため、生徒たちはドラコが大広間に入ってきた瞬間に勢いよく彼を取り囲んだわけだが……うーむ、キャプテンどのは落ち着いているな。予想済みの反応だったのかもしれない。

 

何にせよ、これで決めるべきことは決まった。あとは練習あるのみだ。グリフィンドールのテーブルに戻って食べかけのサンドイッチを手に取っていると、同じタイミングで向かいの席に座ったハーマイオニーが話しかけてくる。

 

「クィディッチの試合だったら当たり前のことなのに、雨天決行ってわざわざ言うのが気になるわね。雨が多い時期なのかしら?」

 

「五月の半ばとなると、日本は梅雨……雨が多い時期のちょっと前だな。マホウトコロは位置的に梅雨入りが早いだろうから、一応付け加えたんじゃないか? 梅雨とはあんまり関係ないが、台風も多い場所だしさ。」

 

「もし台風が重なったら不利よね。向こうは慣れてるかもしれないけど、こっちは経験したことのない天候なわけでしょう?」

 

「ま、確率としては極小だろ。幾ら何でも年がら年中台風が来てるってわけじゃないだろうさ。多少の暴風雨くらいならこっちにだって経験はあるしな。……もちろん晴れるのが一番だが。」

 

聞くところによれば、マホウトコロの競技場は海の上にあるらしい。墜落しても地面じゃないってのは安心だが、地上の風と海風じゃ勝手が違いそうだな。その辺は考慮しておいた方が良いかもしれないぞ。

 

環境面でも色々と対策を練る必要があるなと思考していると、未だドラコを囲んでいる生徒たちの方を横目にしつつのリーゼが近付いてきた。怪訝そうな顔付きだ。

 

「何を盛り上がっているんだい? あの『生徒だまり』は。フィルチでも死んだのか?」

 

「貴女は事あるごとにフィルチさんを殺したがるわね。そうじゃなくて、リヒテンシュタインに行っていたマルフォイが帰ってきたのよ。試合会場はマホウトコロになるんですって。」

 

「ああ、決まったのか。マクゴナガルはウキウキだろうね。決勝戦ともなれば凄まじい観客数になるはずだし、ホグワーツが会場にならなくてホッとしてるだろうさ。面倒事を背負う羽目になったシラキは臍を噛んでるかもしれんが。」

 

「シラキ? ……あー、サクラ・シラキ教授のこと? 一昨年の十一月にダンブルドア先生のお墓参りに来てた、マホウトコロの校長先生よね。『呪文学における十七の原則』を提唱した方。」

 

なんだそりゃ。習った覚えのない学説に首を傾げる私に、ハーマイオニーはサラダを頬張りつつ解説してくる。

 

「六年生の後半で習うから、マリサはまだ知らないはずよ。呪文学の基礎原理の一つで、今現在のところ最も説得力がある主流の説なの。呪文学は多様な呪文を内包する複雑な分野だけど、突き詰めていけば十七の法則で全てを説明できるって内容ね。」

 

「へぇ、面白そうじゃんか。」

 

「面白いわ。三十年くらい前に提唱されて以来、世界各国の著名な呪文学の専門家たちが研究してるんだけど、結局否定し切れた人はまだ居ないのよ。一見すると単純化しすぎているのに、きちんと考えていくと納得せざるを得ない理論ってわけ。」

 

「呪文学で有名なヤツなのか? シラキは。」

 

呪文学はそこそこ興味がある分野ということで聞いてみれば、意外にもリーゼが返答を送ってきた。

 

「ダンブルドアも認めていたほどの権威だよ。パチェは十七の原則に否定的だったがね。彼女に言わせてみれば、もっと簡略化できるんだそうだ。」

 

「あら、ノーレッジ先生がそんなことを言ってたの? 興味深いわね。詳しく聞かせて頂戴。」

 

「詳しく話し始める前に逃げたから知らないよ。というか、そもそもパチェは変身術と呪文学と防衛術というホグワーツにおける分類の仕方にすら懐疑的らしいぞ。彼女とシラキじゃ前提が違うんじゃないかな。マホウトコロではまた違った分け方をしているみたいだしね。」

 

「それはまあ、分からなくもない話よ。教育上必要な分け方と、学術的なグループ分けは違うってことね。例えばホグワーツと神秘部では同じイギリスでも全然違う分類の仕方をしているでしょう? ノーレッジ先生はそのことを言っているんじゃないかしら。」

 

ハーマイオニーが議論に乗り気になったのを見て、リーゼはこのままでは『長話』に付き合わされると危惧したようだ。慌てて話題を変え始める。

 

「それはそうと、マホウトコロへの対策はどうなっているんだい? イルヴァーモーニー戦の情報は入っているんだろう?」

 

「ん、入ってる。……『単純に強い』ってのが素直な印象だな。高い総合力でゴリ押してくる感じだ。イルヴァーモーニーとの点差は四百二十点だとよ。化け物だぜ。」

 

「おやまあ、スニッチの百五十点無しでも余裕で勝っていたわけか。注目選手は?」

 

「ヤバいのはやっぱりキャプテンでエースチェイサーのカスミ・ナカジョウだな。チェイサーの得点の八割がそいつのゴールで、クアッフル保持率もぶっちぎり。一昨年の時点でプロチーム入りが決まってたらしいぜ。トヨハシ・テングがアホみたいな契約金を提示したんだと。」

 

風に靡く短めのポニーテールに、勝気で整った幼顔。あの見た目であればプロになったら人気が出るだろうな。雑誌に載っていたナカジョウの写真を思い出しながら言ってやると、リーゼは不満げな顔で鼻を鳴らしてきた。

 

「連盟本部での昼食会で会ったあの無礼な小娘か。気に食わんね。」

 

「お前が気に食わなかろうが実力は本物だぜ。雑誌曰く、『ホグワーツはナカジョウが飛躍するための踏み台になるだろう』だってよ。」

 

「どうかしらね、踏み台が高すぎて躓かなきゃいいけど。調子に乗ってると派手に転ぶわよ。」

 

ツンとした態度でハーマイオニーが呟くのに、リーゼもまたムスッとしながら首肯する。あくまで雑誌の記者が書いた一文であって、本人が言ってたわけじゃないんだけどな。

 

「まったくだね。無様に転ぶ姿を見物させてもらうとしよう。……そういえば咲夜は?」

 

「監督生の仕事があるのよ。図書館の『未返却者リスト』を整理してるの。毎年この時期になると監督生が催促に来るでしょ?」

 

「もうそんな時期か。……監督生としての咲夜はどうなんだい? 私には仕事についてをあまり話してくれないんだ。」

 

「良くやってるわ。慎重に取り組んでるし、五年生の中じゃ一番ミスが少ないと思うわよ。……でも、その辺がちょっと心配なのよね。あの子ってほら、完璧主義者じゃない? 少しくらい手を抜くことも覚えて欲しいの。」

 

あー、それは分かるな。リーゼも同感なようで、苦笑しながらハーマイオニーに頷きを放った。

 

「抱え込みすぎてパンクしないかが心配ってことだろう? よく分かるよ。」

 

「そういうことね。責任感が強い子だから、処理し切れなくても手放さないでどうにかしようとしちゃうわけよ。私も同じような経験があるから余計心配になっちゃうの。」

 

「んー、あの子は昔からそんな感じなんだよ。パチェは必要ないものを容赦なくバッサリ切り捨てるし、アリスなんかはああ見えてこっそり手を抜くのが上手いわけだが……咲夜は無理にでも処理しようとするからね。なまじ本人に能力があるから今までパンクしたことがないのさ。」

 

最後に謎の『娘自慢』を挟んできたリーゼへと、私も然もありなんと首を振りながら同意を口にする。私は適当すぎるかもしれないが、咲夜はちょっと真面目すぎるのだ。そこは確かに危うく見えてしまうぞ。

 

「その懸念は大いに理解できるが、かといって『手を抜け』って言って抜くようなヤツじゃないからな。そもそも手を抜く理由に納得してくれないだろ。それが分からないからこそ手を抜かないわけなんだから。」

 

「……まあ、そこはキミが見てやってくれたまえ。私たちは今年で卒業だからね。」

 

「リーゼが私に『適当さ』を教えてくれたように、マリサがサクヤにそれを伝えてあげて頂戴。こういうのは同世代の友達から学ぶのが一番よ。」

 

「適当さか。……それだったら毎日のように伝えてるつもりなんだがなぁ。」

 

頭を掻きながら言ったところで、ドラコを囲んでいた人集りがようやく解散したようだ。三々五々に散っていく生徒たちの中から、黒髪の眼鏡君と赤毛のノッポ君がこちらに歩いてきた。

 

「マリサ、今日は夕食前にミーティングだってさ。ドラコがマホウトコロの競技場の説明をしてくれるから、それを聞きつつフォーメーション案を詰めるらしいよ。」

 

「マルフォイは海風のことを気にしてるみたいだったぜ。どっかに資料があればいいんだけどな。」

 

おっと、ドラコも海風の問題には気付いていたのか。ハリーの業務連絡に首肯して答えつつ、ハムサンドに魚の揚げ物を追加で挟んで齧り付く。決勝戦までは残り二ヶ月とちょっと。対策を練るには充分な時間だと言えるだろう。

 

明確になってきた決勝戦のことを考えながら、霧雨魔理沙はいつものように昼食を楽しむのだった。

 

 

─────

 

 

「……ふん。」

 

ようやく春らしい気温になってきたホグワーツ城の中、大量のふくろうが行き交う大広間で今日の朝刊をキャッチしたアンネリーゼ・バートリは、一面の記事を見て小さく鼻を鳴らしていた。『北アメリカの児童連続誘拐殺人事件に大きな進展』か。恐らくベアトリスが言っていた件だろう。

 

記事を流し読みしてみれば、どうやらホームズ派だった議員の一人が別件の司法取引のために『ホームズが真犯人の可能性がある』という情報を吐き出し、それを受けたマクーザの闇祓いがマンチェスターにあるホームズの別荘に強制捜査をかけた結果、魔法で保存されていた被害者の子供たちの『一部』を地下の倉庫から発見したらしい。つまり、ベアトリスが書いた『後片付け』の筋書き通りというわけだ。

 

強硬にアリスを犯人に仕立て上げようとしていたのはホームズこそが真犯人だったからであり、国際魔法使い連盟やマクーザ議会は彼に踊らされた愚か者の集まりで、予言者新聞社は一貫して正義の報道をしていたと紙面は大喜びで主張しているわけだが……ああ、やっぱりスキーターの記事か。今頃あの女は高笑いしているだろうな。これでまた名声を確保できたわけなのだから。

 

そのことにやれやれと首を振っていると、自分の取っている朝刊を読んでいたハーマイオニーが口を開く。興奮している顔付きでだ。

 

「リーゼ、これ! 読んだ?」

 

「読んだよ。キミはどう思った?」

 

「信じられないわ。もちろんマーガトロイド先生が犯人じゃないってことは信じてたけど……でも、ホームズが? 驚きよ。」

 

「納得は出来るかい?」

 

何事かと私の新聞を覗き込んでくる咲夜に朝刊を渡しながら聞いてみれば、ハーマイオニーは悩んでいる様子で自身の考えを語ってきた。ちなみにハリーと魔理沙は毎度お馴染みのクィディッチの朝練中で、ロンとジニーはその手伝いをしているらしい。

 

「出来る、と思うわ。ホームズが真犯人だったのであれば、あそこまで強引な捜査をしたのにも納得よ。……だけど、それならどうしてここまで騒ぎを大きくしたのかしら? もっと穏便に揉み消せなかったの?」

 

まあ、そこだな。ホームズが事件の揉み消しだけを目的としていた場合、わざわざ『スカーレットの関係者』に罪を着せようとするのはリスクが高すぎる行為だ。ブツブツと自問自答しているハーマイオニーの結論を待っていると、彼女は自分の思考を整理するかのように訥々と話し始める。

 

「だからつまり、揉み消しのついでにスカーレット派を叩くことを狙ったってことなんじゃない? この記事もそこに言及してるわ。『結局のところ、今回の事件は反スカーレット派による壮大な自作自演の三文芝居だった』って。」

 

「ま、筋は通るね。」

 

「……不満そうね。何か引っかかるの?」

 

私の顔を怪訝そうに見ながら問いかけてくるハーマイオニーに、肩を竦めて否定を送った。ベアトリスの思い通りに終わるのは癪だが、別段こちらに不利益がないから文句を言えないってところかな。

 

「いいや、私も納得しているさ。……そして今度はホームズを正式に国際指名手配か。どこまでもバカバカしい話だよ。」

 

無意味だ。兎にも角にも無意味に過ぎる。私からすれば、始まりから終わりまでの全ての事象が無駄にしか思えんぞ。喉元に迫り上がってくるモヤモヤ感に眉根を寄せていると、記事を読み終えたらしい咲夜が朝刊を返してきた。

 

「リーゼお嬢様、次のページに委員会の記事もありましたよ。ゲラート・グリンデルバルドが賛成多数で議長に就任したらしいです。名称も『非魔法界対策委員会』で確定して、細々とした役職も決まったんだとか。」

 

「急に動き出したね。さすがはゲラートだよ。無駄なく進めているようで何よりだ。」

 

「あら、本当ね。……非魔法界を調査する機関の設立と、機密保持法の見直しをするんですって。賛成反対はともかくとして、機密保持に一番敏感だったマクーザが発言力を落としたタイミングでやろうとするのは見事だわ。」

 

あー、そういうことか。機を見るに敏ってやつだな。私が対策委員会の記事をチェックしながら感心しているのを他所に、朝刊をテーブルに置いたハーマイオニーが朝食を再開する。

 

「終わってみれば、最も大きな傷を負ったのはマクーザだったわね。次点で連盟ってところかしら。時事についての小論文でテーマになるかもだからおさらいしておかないと。」

 

「結局進路はどうするんだい? キミの場合、詳細を決めるのはイモリ試験の後からでも間に合いそうだが。」

 

「第一志望は国際魔法協力部にするわ。……どうかしら?」

 

「ん、良いと思うよ。今から大きく動くであろう部署だしね。キミが上がっていくための隙は山ほどあるだろうさ。」

 

外交は国の柱の一つだ。大戦直後の流動的な時期にはチェスター・フォーリーがウィゼンガモットへの『近道』として使っていたらしいし、今は亡きバーテミウス・クラウチ・シニアが左遷された頃ほど軽視されてはいない。充分に出世コースに値する部署だと賛成した私へと、ハーマイオニーは目玉焼きを皿に取りながら頷いてきた。

 

「規制管理部と最後まで迷ったのよね。でも、職場見学の時の印象で決断できたわ。何て言えばいいか、協力部には活気があったの。」

 

「レミィがテコ入れした部署の一つだからね。……ちなみに執行部はどうして除外したんだい?」

 

「まだ早いかなって感じたのよ。つまり、暫くは動かなさそうな雰囲気があったわけ。協力部がこれから騒ぎを始める部署なら、執行部は騒動を終えて後片付けに入ってるって印象ね。」

 

「なるほどね、言い得て妙だ。」

 

確かに執行部は大きく動かないだろうな。『スクリムジョール政権』で安定しているイメージだ。ボーンズが大臣を降りたらスクリムジョールがその席に上がるかもしれないが、現職の大臣どのは支持率が高い上にスクリムジョールとの連携も取れている。である以上、あの二人の立場は暫く変わらないだろう。

 

現在のイギリス魔法省のパワーバランスについてを考えていると、今日もスープで済ませようとしている咲夜が質問を口にした。ちゃんと食べなきゃダメだぞ。

 

「じゃあ、何年か協力部に勤めたら執行部に移る感じになるんですか?」

 

「そこまでは分からないわね。希望通りに行くほど甘くないでしょうし、とりあえずは協力部でしっかり頑張ることだけを考えるわ。……そもそも協力部に入れるかすら不明なわけだけど。」

 

「ハーマイオニー先輩を蹴る部署があるとは思えませんよ。……私たちもイースターに進路指導があるんですよね。悩みます、授業選択。」

 

「そういえば五年生はそれがあったわね。何を削るの?」

 

進路指導か。懐かしいイベントだな。五年生の頃のことを思い出している私を尻目に、咲夜はむむむと懊悩しながら返事を放つ。まだ決めかねているようだ。

 

「魔理沙は魔法史とマグル学を削るって言ってたんですけど、私は両方続けたいんです。飼育学とルーン文字学をやめることになりそうですね。」

 

「んー、薬学は? サクヤはあまり興味がないように見えたけど。」

 

「基礎学科もやめられるんですか?」

 

「選択する人が少ないってだけで、やめることも可能よ。進路は狭まっちゃうけど、サクヤの場合はリーゼの家でメイドさんになるんでしょう? 魔法薬の調合はそこまで必要ないんじゃない?」

 

魔法薬学か。ハーマイオニーの言う通り、咲夜の苦手教科の一つだな。成績自体は高い位置をキープしているが、それは他の教科以上に努力しているからだ。レポートを書いている時に一番楽しくなさそうな表情になっている教科なのは間違いないぞ。

 

「でも、イモリ試験や魔法省の入省試験は受けるつもりなんです。レミリアお嬢様からの指令がありますから。」

 

「まあ、六年生以降はやめたい時にやめられるし、何も後戻り出来ない決断ってわけじゃないわ。絶対に必要がない教科だけを削ればいいんじゃないかしら。」

 

「なら、やっぱりルーン文字学と飼育学ですね。……魔理沙はどっちも続けるみたいですから、六年生からは別々の授業が多くなっちゃいそうです。」

 

ほんの少しだけ不安そうに呟いた咲夜へと、クスクス微笑みながら相槌を打つ。いつも引っ付いていた二人組だし、離れるのが嫌なのだろう。

 

「レミィの指示なんて気にしなくていいんだよ。キミの好きなように選択したまえ。魔理沙と一緒の授業がいいならそうして構わないんだ。紅魔館への就職に必須科目なんて存在しないんだから。」

 

「……それは甘え過ぎです。自分に厳しくいかないと。」

 

「私としては、キミにとって楽しい学生生活になればそれ以上は望まないかな。楽しむことが第一であって、自己研鑽なんてのは二の次でいいんだよ。要するに、この私を見習えってことだね。何だったら授業を全部放棄して遊びまくってもいいくらいだ。」

 

両手を広げて主張した私に、ハーマイオニーが呆れ果てた表情で突っ込んでくる。いいじゃないか、真っ白な時間割でも。楽しむことが一番だぞ。

 

「それはさすがにやり過ぎね。……でもまあ、少しは余裕を持つのも大切かも。必要な勉強はすべきだけど、必要ないし苦痛なのであればやらなくて良いのよ。知りたければ知り、やりたければやる。そういうものなんじゃないかしら?」

 

「『勉強好き』のキミが言うと説得力が出るね。ホグワーツには与える義務があるが、キミにはそれを受け取るか拒否するかを選択する権利があるのさ。欲しいものだけを貰っちゃって、要らないものは無視したまえ。パチェもアリスもフランも私もそうしたんだから、キミだってそうすべきなんだよ。」

 

私たちの助言を受けた咲夜は、目をパチクリさせて曖昧に首肯すると、未だ思い悩んでいる様子で逃げるようにスープに口を付けた。……うーむ、難しい。いまいち伝わり切らなかったようだ。レミリアのやつ、余計な一言を残していくなよな。

 

ま、その辺は魔理沙から学べるだろう。あの魔女見習いはホグワーツというシステムを上手く使っているし、その姿を近くで見ていれば気付くことがあるはずだ。来年は色々と余裕が出てくるだろうから、そこで学び取ってくれることを祈っておくか。

 

眉間に皺を寄せている咲夜を見て微笑みつつ、アンネリーゼ・バートリは自分の皿の上のチーズオムレツに向き直るのだった。

 



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進路指導

 

 

「今度そっちの店にも顔を出すわ。また来て頂戴ね。」

 

この調子だと、今日も夕方になる前に売り切れそうだな。店を出て行く近所のペットショップの店員に手を振りつつ、アリス・マーガトロイドはガラスケースの中に売り切れの札を追加していた。昼過ぎの現時点でニューヨークチーズケーキ、チョコレートケーキ、モンブラン、バナナブレッド、アップルパイ、スコーン、クッキーの詰め合わせが完売か。残るはショートケーキが二つとシュークリームが一つだけだ。

 

イースター休暇が間近に迫る三月の末、先々週にオープンしたマーガトロイド人形店は非常に繁盛していると主張できる状態になっている。……売れているのは人形ではなく、エマさんが作るお菓子の方だが。

 

姉貴分であるエマさんのお菓子が飛ぶように売れるのは嬉しい反面、まだ一体も人形が売れていないことが普通に悲しくなってくるな。意地を張らずに『現代基準』の価格に下げるべきか? だけど、値段相応の品だという自負はあるぞ。

 

ちなみに店頭に置いてある人形はどれも動かない人形だ。つまり、『子育てちゃん』や『お掃除ちゃん』のような半自律人形は置いていない。ホームズの一件がようやく片付いたところなのに、そういう人形を売るのはどうかと思って自粛していたわけだが……もう置いちゃおうかな。『子育てちゃん』あたりは使用者の評判も良いし、置けば売れる気がするぞ。

 

あまりの売れなさっぷりに弱気になり始めた私に、二階の居住スペースから下りてきたアビゲイルが声をかけてきた。まだまだ元気があるとは言えない状態だが、最近の彼女はよく店の手伝いをしてくれているのだ。ちょうど良い気晴らしになるらしい。

 

「アリス、どうかしら? 何か手伝うことはある?」

 

「今のところは特にないわ。今日はもう売り切れそうだから、夕方になったら一緒にお買い物に行きましょうか。」

 

「うん、行きたい。エマに何を買えばいいかを聞いておくわね。」

 

今朝商品を作っている時に材料がなくなってきたと言っていたし、マグル側のスーパーまで行く必要があるかもしれないな。二階へととんぼ返りしていくアビゲイルを見送ってから、人形の配置を整えるべく棚に近付いたところで、ベルの音と共に新たな客が入店してくる。

 

「どうも、マーガトロイドさん。」

 

「あら、フレッド。また来てくれたの?」

 

「今日こそは話題のチーズケーキを手に入れようと思って来てみたんですけど……まあ、遅かったみたいですね。」

 

「さっき最後のが売れちゃったわ。残りはその三つね。そっちの店はどう?」

 

悪名高きウィーズリー家の双子の片割れ、フレッド・ウィーズリーだ。カウンターに戻って問いかけてみれば、フレッドはガラスケースを覗き込みながら応じてきた。

 

「イースター直前にしてはいまいちってところですかね。『弾むチョコエッグ』が予想より売れなかったんです。子供向けを狙って大人しくしすぎましたよ。……残ったのを全部ください。」

 

「毎度どうも。……シュークリームは一つしかないわけだけど、ジョージの分はどうするの?」

 

「言わなきゃバレませんから、帰る途中に食っちゃいます。だからシュークリームはそのままください。」

 

悪戯小僧の笑みで肩を竦めたフレッドに苦笑しつつ、小さい紙箱に二つのショートケーキを入れる。これにて今日も完売か。

 

「はい、どうぞ。こっちは早くも店仕舞いね。」

 

「手作りだから生産量には限界があるんでしょうけど、値段はもっと高くしてもいいと思いますよ。あとはまあ、たまにじゃなくて毎日売るとか。」

 

「あくまで同居人の趣味だからこれでいいのよ。……人形も見ていってくれて構わないんだけど?」

 

「貧乏人の俺には手が届きませんよ。美味しいシュークリームとケーキが分相応です。……じゃ、また来ますね。」

 

高級ドラゴン革のジャケットを着ているヤツが言う台詞じゃないぞ。シュークリームを頬張りながら店を出て行くフレッドにジト目で手を上げてから、杖を一振りしてクローズドの看板を玄関のドアノブに掛けた。今日はもう閉めちゃおう。どうせ人形は売れないだろうさ。

 

投げやりな気分で大きく伸びをした後、ガラスケースの中のケーキを載せていたアルミプレートを全部回収して階段を上ると……おお、びっくりしたぞ。リビングの入り口で待ち構えていたエマさんが勢いよく話しかけてくる。

 

「アリスちゃん、どうですか? 売れました?」

 

「今日も売り切れです。ケースの中は空っぽですよ。」

 

「そうですか、そうですか。……えへへ、売れましたか。」

 

溢れんばかりの喜びを顔に浮かべているエマさんは、私の手からプレートを回収してキッチンで洗い始めた。毎度のことながら可愛らしい反応だな。お菓子を出した日はそわそわと売れたかどうかを確認してくるのだ。ちなみに売れ残ったのは情報が広まっていなかった初日とその次だけで、三回目以降は毎回完売している。

 

「きちんと売れて良かったです。売れ残りを自分で食べるのは悲しいですからね。」

 

至極ご機嫌な様子で身体をゆらゆらさせながら、流し台でリズミカルにプレートを洗っているエマさん。その姿を見て微笑みつつ、ソファに座って一息ついていると……おや、着替えてきたのか。お気に入りのエプロンドレスではなく、長袖のワンピースにジーンズを合わせている格好のアビゲイルがリビングに入ってきた。

 

「着替えてきたけど……もう残りが売れたの? すぐに行く?」

 

「早く行って早く帰ってきましょうか。あの直後にフレッドが来て買っていったのよ。」

 

「この前店番を手伝ってた時、勝手に遊び回る飴をくれた人?」

 

「それはジョージ。フレッドは増える癇癪玉をくれた方よ。」

 

まあ、あの双子を見分けるのは慣れていないと難しいだろう。きょとんとした顔付きで小首を傾げるアビゲイルに訂正を送ってから、部屋の隅でお掃除ちゃんを手伝っているティムに声を放つ。『ちりとり役』を買って出たようだ。

 

「私とアビゲイルは買い物に行くけど、ティムも行く?」

 

私の質問に対してティムは首を横に振った後、お掃除ちゃんを手で示して胸を張る。手伝いを続けるということか。ジェスチャーもほぼ理解できるようになってきたな。

 

「偉いわね。それなら二人で行ってくるわ。エマさん、何が必要ですか?」

 

「さっきアビーちゃんに言われてメモしておきました。下の方に書いてあるやつは置いてあったらでオッケーです。」

 

「了解です。……それじゃ、行きましょうか。」

 

テーブルの上にあった『買い物リスト』を手に取りながらアビゲイルを促して、一階に戻って店の玄関から外に出た。まだ少し肌寒い外の気温を感じつつ、一応ドアに鍵をかけていると……午後の曇り空を見上げているアビゲイルがポツリと呟く。

 

「……これでいいのかしら?」

 

「ん? どうしたの?」

 

「お店の手伝いをして、アリスとお喋りして、エマが作ってくれるご飯を食べて。私、今の生活がとっても好きよ。あの家で独りぼっちだった頃と比べると全然違うわ。……でも、これでいいの? 私だけがこうなっていいのかしら?」

 

不安げに曇天を見つめているアビゲイルは、まるで天罰を恐れる罪人のような雰囲気だ。そんな彼女の手をギュッと握りつつ、しゃがんで目線を合わせてから口を開いた。

 

「いいのよ、これでいいの。」

 

「……本当に?」

 

「ええ、保証するわ。」

 

言葉を重ねるのではなく、態度で語った私を見て……アビゲイルは手を握り返しながら小さく首肯してくる。悪いわけがない。誰にも文句は言わせないさ。

 

「うん、分かったわ。……行きましょう、アリス。雨が降ったら大変よ。」

 

「そうね、急ぎましょうか。」

 

頼りない小さな手を握ったままで、昼下がりのダイアゴン横丁の通りを二人で歩き始めた。……早く幸せに慣れて欲しいな。こんな疑問が頭に浮かばないほどに慣れきって欲しい。アビゲイルも、ティムも。そうなって然るべきなのだから。

 

そのために努力していこうと決意しつつ、アリス・マーガトロイドは薄暗い空を見上げるのだった。

 

 

─────

 

 

「では、卒業後は故郷に戻るつもりなんですね? ……一応イモリ試験の成績は日本の魔法界でも通用しますよ? マホウトコロ流の成績評価に直すことにはなりますが。」

 

真剣に私の進路についてを考えてくれているフーチを前に、霧雨魔理沙は困った気分で返事を返していた。日本の魔法界では通用するかもしれないが、幻想郷だと話は別だ。私にとってはあまり意味のない試験だと言えるだろう。

 

「あーっと、そこは大丈夫だぜ。イモリは受けないことにする。それは決めてるんだ。」

 

「そうですか。それが貴女の決定なのであれば、私から言うべきことはありません。卒業したら日本に戻り、家業を継ぐという認識で問題ありませんね?」

 

「ん、そんな感じかな。魔法薬学とか杖魔法はそこで使うかもしれないから、六年生以降も続ける予定だ。飼育学とかを残すのはまあ、単純に興味があるからだよ。そういう決め方はダメか?」

 

「まさか。生徒に学びたいという意欲があるなら、全力で教えを授けるのが教師の役目です。『興味がある』というのは悪くない受講理由だと思いますよ。……そうですね、日本に戻るのであればイギリスの魔法史はそこまで重要ではないでしょう。しかしマグル学は有用かもしれませんよ? あの国の魔法界はマグル界と近いですし、得た知識を活用できる機会は多々あるはずです。」

 

つまるところ、今はイースター休暇の進路指導の真っ最中なのだ。静かな空き教室で寮監であるフーチと『二者面談』を行っているわけだが……幻想郷のことを話せないのは中々キツいな。話し合いが若干ズレちゃってるぞ。

 

そのことに内心で苦笑しつつ、フーチに対して新たな説明を投げる。幻想郷が魔法界でもマグル界でもない以上、『魔法使いが教えるマグル学』はさほど必要のない分野なのだ。

 

「何て言えばいいか、私の故郷はマグル界とは離れてるんだよ。だからそんなに必要ないのさ。これまでの授業で基本的な部分は学べたし、六年生からは外すことにするぜ。」

 

「なるほど、そういうことですか。となると……まあ、妥当な授業選択ですね。必須となる科目が無いのであれば、興味を持てる分野を優先すべきです。六年生からはこれで行きましょう。」

 

「おう、そうするぜ。」

 

いくつかの書き込みが入った授業リストを受け取って頷いた私に、フーチはやや残念そうに微笑みながら口を開く。

 

「貴女の実力であれば、クィディッチの道を歩むことも出来たんですけどね。そこは少し残念です。」

 

「ま、趣味で終わらせることにするよ。プロにならなくても箒には乗れるしな。」

 

「悪くない選択なのかもしれませんね。箒を『仕事』にしてしまうとまた別の苦悩が生まれますから。……何にせよ、貴女は優秀なプレーヤーです。日本はクィディッチが盛んな国ですし、培った箒捌きが何かの役に立つかもしれません。そうなることを祈っておきます。」

 

「私もそう祈っておくぜ。後悔がないように六年生と七年生の学内リーグには全力で打ち込むし、もちろん来月の決勝戦も勝つさ。」

 

席を立ちながら受け合ってやれば、フーチは大きく首肯して応じてきた。

 

「今の貴女が何よりも重視すべきはそこですね。四年生までの成績を見てもフクロウ試験はそれほど心配ないでしょうし、その辺は気にせず決勝戦に集中なさい。」

 

「当然だ、全部を注ぎ込むさ。……んじゃ、そのための練習に行ってくるぜ。」

 

「ええ、私も指導が終わったら手伝いに行きます。廊下でリーヴィスが待っているはずですから、入室するようにと伝えてください。」

 

「あいよ、了解だ。」

 

授業リストを片手に空き教室を出て、ドアの近くでヒマそうに待っていた同級生に声をかけてから、競技場に向かって三階の廊下を歩き始める。就職の問題がない私でさえ結構時間がかかったし、アルファベット順だから咲夜の番はまだまだ先になりそうだな。

 

今頃何をやって暇を潰しているのかと考えながら、中央階段を下りて渡り廊下の方へと進む。そのまま校庭に出てみれば……うおお、思ってたよりも寒いぞ。昨日は暖かかったのに、また気温が下がってしまったようだ。

 

四月に入ってるんだから、いい加減春らしくなれよなと呆れていると、競技場の上空で激しく飛び回っている人影が目に入ってきた。ドラコとシーザーかな? タックルの練習をしているらしい。

 

私も早く合流しようと小走りで競技場に近付いて、女子更衣室に入って手早く着替えを終えた後、ケースから出した箒を片手に軽くストレッチしながらフィールドに入ってみれば……何してるんだ? あいつら。どこかから持ってきたらしい丸椅子に座っているアレシアと、その背後でハサミを構えているスーザンの姿が見えてくる。近くにはハリーも居るようだ。

 

「よう、何してんだ?」

 

歩み寄りながら話しかけてみると、ハリー、アレシア、スーザンの順でそれぞれの反応を寄越してきた。ちなみにギデオンは筋トレ中らしく、ゴールポストの近くで腕立て伏せをしている。

 

「あれ、進路指導はもう終わったの? 僕の時は結構かかったんだけどな。」

 

「えっと、髪が邪魔なのでスーザンに切ってもらうんです。いちいち結ぶのが面倒になってきちゃいまして。」

 

「まさかこんな場所で切ることになるとは思わなかったわよ。切った髪を片付ける必要がなくて楽と言えば楽だけどね。」

 

散髪しようとしていたのか。変な状況だな。ハリーの問いに答えつつ、三人の近くで箒を置いて本格的なストレッチに入った。……まあ、確かに切り時ではあるのかもしれない。今のアレシアはボブというか、ミディアムくらいの長さだ。癖がない綺麗なストレートなのはちょっと羨ましいぞ。

 

「そんなに話すこともなかったからな。……どこまで切るつもりなんだ?」

 

「私はここくらいまでが良いと思うんですけど、スーザンが切りすぎだって言うんです。」

 

「切りすぎでしょ、どう考えても。勿体無いわよ。」

 

アレシアが手で示した位置は……うん、私も切りすぎだと思うぞ。男の子のようなショートヘアになってしまう位置だ。その髪型が悪いとは言わんが、アレシアのイメージと合わなさすぎる。頷くことでスーザンへの同意を表明した私に、アレシアは不満そうな顔で短い髪の利便性を主張してきた。

 

「だって、長いと風に煽られて邪魔なんです。どうせすぐ伸びますし、決勝戦に備えて短くしちゃおうって考えたんですけど……。」

 

「貴女のファンが泣くわよ。私としては今の長さがベストだと思うくらいね。前髪だけ切るのじゃダメなの?」

 

「私のファンなんて存在しませんし、一つに纏めると頭の後ろでぴょこぴょこ動くのが気になって嫌なんです。だから切ります。」

 

「はいはい。残念だけど、そういうことなら切っちゃいましょうか。」

 

うーむ、洒落っ気よりクィディッチか。プレーヤーとしては見事だと褒めたい反面、女の子としては不安になってくるな。入念にストレッチしている私と、スニッチを離してはキャッチするのを繰り返しているハリーが見物する中、アーモンド色の髪を容赦なく切っていくスーザンの手によってアレシアの頭が涼しげになっていく。

 

「このくらい?」

 

「もうちょっと切ってください。前より短くていいんですから。」

 

何故か平時よりきっぱりと発言するアレシアの指示を受けて、どんどん髪が短くなっていくが……その辺にしておくべきじゃないか? ハラハラと見守っている私たちが止めようかと迷い始めたあたりで、ようやくスーザンは短くするのを切り上げた。

 

「ここが限界よ。これ以上短くすると変だわ。アレシアらしくなさすぎるもの。」

 

「でも、もっと短い人も沢山居ますよ?」

 

「短髪は長髪以上に人を選ぶ髪型なのよ。素人がやるとおかしくなっちゃうから、この辺にしておきましょう。」

 

「そういうものですか。……じゃあ、これで大丈夫です。ありがとうございました。」

 

何とか短めのショートボブで思い留まらせたスーザンに心中で拍手を送りつつ、頭をわしゃわしゃして髪の毛を落としているアレシアに感想を飛ばす。

 

「まあ、動き易そうではあるな。それなら問題ないだろ。」

 

「はい、スッキリしました。これなら洗うのも簡単そうです。」

 

身も蓋もない発言だな。アレシアに教えるべきは棍棒の扱い方ではなく、お洒落の流儀なのではないだろうか? 私ですらそう思うあたり、問題がかなり大きいものであることを感じさせるぞ。

 

アレシア以外の上級生三人で微妙な表情になりながら、霧雨魔理沙は小さなビーターの将来に一抹の不安を覚えるのだった。

 



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良いキャベツ、悪いキャベツ

 

 

「ねえ、この植物は何のために存在しているの?」

 

保護手袋を嵌めた自分の手に噛み付いているキャベツを睨みつつ、サクヤ・ヴェイユはうんざりした気分で愚痴を漏らしていた。『噛み付きキャベツ』という魔法植物らしいが、噛み付いてこないお利口なキャベツを知っている身からすれば迷惑この上ないぞ。何故こんな鬱陶しい植物の栽培を手伝う必要があるんだ? 絶滅させちゃえばいいのに。

 

楽しかったイースター休暇が終わり、また授業の日々が戻ってきたホグワーツ。いよいよフクロウ試験を意識せざるを得なくなってきた私たちグリフィンドールとハッフルパフの五年生は、敷地内の温室で午前最後の薬草学の授業を受けているわけだが……ええい、忌々しい限りだな。この百害あって一利ないようなキャベツどもは、受粉の手伝いをしている善良な私たちの手に狂ったように噛み付いてくるのだ。しかも力尽くで引き剥がそうとすると葉が破れてダメになってしまう始末。面倒くさすぎるぞ。

 

とはいえ、薬草学の評価が気になる私としてはイライラに身を任せてキャベツをダメにするわけにはいかない。だから自制して下手に出て、このバカキャベツをどうにか無事な姿で受粉用の鉢に植え替える必要があるわけだ。

 

分厚い葉の表面についている鋭い歯が並んだ植物らしからぬ口で、ギリギリと私の手袋を噛み締めてくるキャベツを死んだ目で見つめていると、隣で作業している魔理沙が相槌を寄越してくる。彼女も非常にイラついている顔付きだ。

 

「知るかよ、そんなこと。私は普通のキャベツが大好きになったぜ。少なくともあいつらは噛み付いてこないし、甲高い声でギャンギャン鳴かないし、唾を吐きかけてもこないからな。……本当に何のために育ててるんだ? こいつら。人間に対しては害しかなくないか?」

 

「普通のキャベツが存在している以上、人間目線だと駆除すべき対象に思えるわね。ナイフを使いたいわ。この邪魔くさい口に突っ込んでやって、私に噛み付いたことを後悔させてやりたい。」

 

「五年生の時のリーゼはやったらしいぞ。キレてぶん殴った後に葉を一枚一枚剥いでいったんだとさ。そのキャベツの悲鳴を聞いた他のキャベツの抵抗が弱まったから、作業がやり易くなったってロンが言ってたぜ。」

 

「……この前の根生姜の授業で失敗してなかったらやってたかもね。だけど今の私は失敗するわけにはいかないのよ。」

 

貯金がないのだ、薬草学は。そのことを残念に思いながらキャベツの抵抗が弱まるのをひたすら待っている私に、背後から誰かが声をかけてきた。見習い中のロングボトム先輩だ。空きコマの時はスプラウト先生の補佐をしているらしい。

 

「サクヤ、下の方をそっと撫でてあげるといいよ。そうすると落ち着くのが早くなると思う。基本的にゆっくり動くのがコツなんだ。噛み付きキャベツには速く動くものにはとりあえず噛み付くって習性があるから。」

 

「分かりました、撫でてみます。」

 

右手に噛み付かれたままで、アドバイスに従って野蛮な魔法植物を左手で撫でてやろうとすると……こいつ、本当に忌々しいな。別の葉についている口が左手にも噛み付いてくる。あまり調子に乗っていると後悔することになるぞ。

 

自制心をフル稼働させて怒りを抑えている私を他所に、噛み付いてくるのを見事な反射神経で避け続けている魔理沙がロングボトム先輩に質問を放った。根本的な質問をだ。

 

「よう、ネビル。私たちは何のためにこいつらが増えるのを手助けしてるんだ? 授業目的がよく分からんぜ。減らす手伝いをするってんなら納得だけどな。」

 

「噛み付きキャベツは特定の魔法生物のエサになるんだよ。僕は飼育学に詳しくないからはっきりとは言えないけど、普通のキャベツだとダメなんだって。持っている栄養の種類が違うんじゃないかな。このキャベツは光合成の他に小動物も食べるから。」

 

「つくづく愉快なキャベツだな。愛くるしい小鳥なんかを食っちまうわけか。ますます気に入ったぜ。」

 

投げやりな態度で皮肉を言う魔理沙へと、ロングボトム先輩は彼らしい生真面目な返答を返す。ちなみに私の両手は噛まれたままだ。一切抵抗していないのに、さっきよりも噛む力が強くなっている気がするぞ。邪悪なキャベツめ。無抵抗な相手がお好きなわけか。

 

「鳥はあまり食べないかな。主にネズミとか、モグラなんかを食べるんだよ。害獣駆除用に植えてる人も居るんだって。」

 

私なら植えないぞ、こんなもん。申し訳程度の『一利』を示したロングボトム先輩が別の生徒の指導に向かうのを見送ったところで、温室の反対側から悲鳴が聞こえてくる。キャベツではなく、人間の悲鳴だ。それに続いてスプラウト先生の怒りの声が温室に響いた。

 

「保護手袋は決して外さないようにと注意したでしょうが、ベイン! 今すぐ医務室に行きなさい。毒がありますからね。」

 

「毒? 私、死ぬんですか?」

 

「貴女が作業開始前の説明を聞いていなかったことはよく分かりました。死ぬには遠く及ばない弱毒ですが、迅速に処置しなければ痒みと痺れが一週間ほど残りますよ。それが嫌なら急ぎなさい。」

 

ベインが噛まれたのか。薄っすらと血が滲んでいる右手を押さえているベインは、友人に付き添われながら大急ぎで温室を出ていくが……何だって手袋を外したんだ? 私は外す気分にはなれないけどな。

 

まだまだ私の両手を解放する気がないらしいキャベツを無感動に観察しつつ、この植物を根絶やしにするための基金があれば募金しようと決意したところで、先んじて植え替えをやり遂げた魔理沙が満面の笑みで自慢してきた。

 

「おっしゃ、終わりだ。葉の欠けはゼロ。これにて私の苦難は終了だぜ。」

 

「……終わったなら手伝ってよ。友達でしょ?」

 

「私は友人の貴重な経験を邪魔したくないんだよ。キャベツから両手を噛まれるだなんて体験は今後二度と出来ないぞ。楽しめよ、咲夜。見守っててやるから。」

 

「いじわる。」

 

ジト目で文句を呟いてから、ドラゴン革の手袋をガジガジと味わっているキャベツに憎悪の思念を送っていると、近付いてきたスプラウト先生が魔理沙に話しかける。

 

「あら、キリサメはもう終わりましたか。見せてください。……問題ないようですね。次は昼休みですし、早めに競技場に行っても構いませんよ。」

 

「いいのか?」

 

「練習の時間が増えて困ることはないでしょう。許可します。器具の片付けは私がやっておきますから、このままで結構ですよ。」

 

「あんがとよ、それなら行ってくるぜ。」

 

また『クィディッチ特例』が発動したな。元気よく駆けて行った魔理沙の背を眺めつつ、これで何度目だろうかと苦笑を浮かべた。マホウトコロとの決勝戦が迫ってきた今、教師たちは代表選手陣への特別扱いを躊躇わないことに決めたようだ。

 

練習がある昼休み前や夕食前は早めの退室を許可したり、宿題を出す際にレポートが短くても構いませんよとこっそり囁いたり、あるいは厨房のしもべ妖精たちに競技場への『ケータリング』を命じたり。用務員のフィルチさんも廊下を走る代表選手を注意しなくなったし、その飼い猫のミセス・ノリスですらもが泥だらけのユニフォーム姿の選手たちを追い回さなくなったほどだ。

 

普通なら他の生徒から文句が出そうな優遇っぷりだが、自校の優勝を目前にしたホグワーツ生たちはそれらを『当然のことである』と判断しているようで、文句どころか自発的に更なる協力をしているらしい。

 

毎日のように活動している『お掃除ボランティア部隊』のお陰で競技場の用具はいつもピカピカだし、レイブンクロー生を中心とした『調査班』は魔法省のゲーム・スポーツ部に資料請求をしてまでマホウトコロの戦術を調べ、裁縫が得意な者たちは新たな巨大応援旗作りに余念がない。ホグワーツが攻められた時以上の団結っぷりに思えるぞ。

 

ダンブルドア先生にも見せたかった光景だなと少ししんみりしたところで、ようやくキャベツが私の両手を解放してくれた。やっと作業を進められそうだな。

 

「……あっ。」

 

しかし運命とは時として非情なものらしく、ハエが留まるような動きで植え替えを進めようとした私の両手に、再びバカキャベツが勢いよく噛み付いてくる。ロングボトム先輩の嘘つき。ゆっくりやってもダメじゃないか。

 

……我慢だ、私。成績のために我慢するんだ。薬草学で良い成績を取った私を、リーゼお嬢様が褒めてくれる場面を想像しろ。それを現実のものにするために今はひたすら我慢するんだ。

 

私が研ぎに研いだナイフを携帯していることを知らない愚かなキャベツを、あらん限りの力で無茶苦茶に切り裂きたくなる衝動を必死に堪えつつ、ただジッと解放の瞬間を待つのだった。

 

───

 

そして今学期一番イライラした薬草学を終え、結局時間内に植え替えられなかった無念をやけ食いで晴らそうと大広間に入ってみると……リーゼお嬢様だ。長机の真ん中くらいの席でハーマイオニー先輩と食事をしているお嬢様の姿が視界に映る。

 

主人を見つけた以上、メイドとしては側に向かわなければ。『癒し』に引き寄せられている私の姿に気付いて、リーゼお嬢様はいつもの笑顔で声をかけてきた。うーん、やっぱりこの笑みだな。少しだけ目を細めて、口の端を吊り上げるような涼やかな笑み。ささくれ立っていた心が落ち着いてくるぞ。

 

「おや、咲夜。ここに座りたまえ。何の授業だったんだい?」

 

「薬草学です。噛み付きキャベツの植え替えでした。」

 

「ああ、あの忌々しい能無しキャベツか。私が神だったら真っ先にこの世界から消してるよ。」

 

「さすがお嬢様です。」

 

その通り、そうすべきなのだ。深々と頷きながら着席した私に、ハーマイオニー先輩が苦笑いで相槌を打つ。

 

「まあ、確かに面倒な魔法植物ではあるわね。フクロウ試験の時は苦労したわ。私たちの年は、害虫避けの薬を塗るっていうのが実技の内容だったの。」

 

「……噛み付きキャベツにですか?」

 

「噛み付きキャベツによ。」

 

マズいぞ、同じ内容になったら上手くできる自信がない。海老のサンドイッチに手を伸ばした状態で静止する私へと、ハーマイオニー先輩はフクロウ試験の話を続けてきた。

 

「落とし穴なのよね、薬草学とか天文学あたりは。そこまで勉強しなくてもまあまあの点数が取れちゃう教科だから、試験の対策を後回しにしがちなのよ。そして気付いた時には後の祭りってわけ。」

 

うーむ、なんだか想像できちゃう展開だな。手に取ったサンドイッチを見つめながら不安になっていると、教員テーブルの方に派手なローブの人影が着席したのが横目に入ってくる。今日は一段と冒険してきたな。不安が吹き飛んじゃったぞ。

 

「ブッチャー先生、どこであのローブを買ったんでしょうか?」

 

「ん? ……おやまあ、今日のは凄いね。『ロックンロール』って書いてあるぞ。プリントされてある顔写真は誰なんだ?」

 

「一昔前に流行ったマグルの有名なミュージシャンよ。音楽に疎い私でも知ってるくらいのね。……本当にどこで買ったのかしら? あんなローブ、ダイアゴン横丁には売ってないと思うけど。」

 

つまり、ブッチャー先生が『イメージチェンジ』を試みているのだ。今年に入ってからというもの、前までの重苦しい黒ローブとは似ても似つかない奇抜なローブを着るようになっているわけだが……まあうん、半分成功ではあるな。少なくとも生徒たちは怖がらなくなったし。

 

スパンコールがふんだんに使用された煌びやかなローブだったり、あるいは大量の青い紐が首元から垂れ下がっている前衛的なローブだったりと、選択そのものは大いに間違っているものの……黒ローブの時の威圧感は完全に掻き消えているぞ。今ではトレローニー先生と同じジャンルの扱いになっている。身も蓋もない言い方をすれば、『変人』というジャンルに入れられたわけだ。

 

三人でロックすぎるローブの感想を呟いたところで、奇行の『原因』たるリーゼお嬢様が適当すぎる結論を口にした。クリスマス休暇の際のホグワーツ特急での会話が切っ掛けなのは間違いないだろう。

 

「ま、悪くない変化だね。質問されることが増えて本人は喜んでいるようだし、闇の魔法使いとも言えなくなったじゃないか。死喰い人があんなローブを着るはずがないだろう? ロックンロールとは程遠い集団なんだから。……具体的にロックンロールが何であるのかまではいまいち分からんが。」

 

「そうね、『闇の魔法使い感』はゼロね。……そういえば、マホウトコロ行きの計画がほぼ纏まったわよ。監督生集会でマクゴナガル先生が話してくださったの。」

 

「議論が紛糾していた自由行動はどうなったんだい?」

 

「残念ながら無しよ。ワガドゥの時と一緒で代表選手たちは前日にマホウトコロに移動した後、向こうの校舎で一泊してから試合に臨むことになるらしいわね。ワガドゥの時と違って試合後にもう一泊するみたいだけど。そして一般の生徒は応援に行って、その日に戻ってくるだけになったわ。」

 

先日の監督生集会で私も耳にした説明をハーマイオニー先輩から受けて、リーゼお嬢様はそこまで興味がない様子でこっくり首肯する。

 

「妥当なところじゃないかな。どうせ日本魔法省が『常識がないホグワーツ生たち』を野に放つのを渋ったんだろうさ。あそこは杓子定規な国だからね。」

 

「そうなの? 私としては、電化製品を作ってる国って印象ね。あとは自動車かしら。」

 

「大体そんな感じだよ。……ちなみにどうして代表陣は二泊するんだい?」

 

「正午に試合があって、その後に表彰式と閉会パーティーでしょ? 試合が数時間程度じゃ終わらない可能性もあるから、マホウトコロとしては余裕を持って最初から二泊の計画にしたかったんですって。十八日をいざという時の『予備日』にするってことね。それをホグワーツ側が了承した感じよ。」

 

基本的には一、二時間。長くても四時間程度で終わることが殆どだが、クィディッチは『シーカーがスニッチを捕るまでは終わらない』という性質上、時に試合時間が常軌を逸するほどの長さになってしまうのだ。

 

私が魔理沙から聞いた『歴史に残るロングゲーム』の話を思い返しているのを尻目に、リーゼお嬢様は納得したような声色で会話を続けた。

 

「クィディッチ文化に強いマホウトコロらしい配慮だね。……あと一ヶ月か。イモリは受けないし、その決勝戦が私の学生時代最後のイベントになりそうかな。」

 

「楽しみね。観戦する時だけは試験のことをすっぱり忘れることにするわ。」

 

……そっか、卒業しちゃうんだ、二人とも。急に現実的になったその事実を寂しく思いつつ、野菜が沢山入っているスープを一口飲む。『最後のイベント』か。出来ることなら卒業していく七年生たちのためにも、勝利で飾ってもらいたいな。

 

今頃必死に練習しているのであろう代表選手たちに心の中でエールを送りつつ、サクヤ・ヴェイユは先輩たちの居ない学生生活を思い浮かべて少しアンニュイな気分になるのだった。

 



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初歩的な推理

 

 

「じゃあ、キミも観戦に行くのか。会場で会えるかもしれないね。」

 

人形店の店舗スペースで丸椅子に座って話しかけてくるリーゼ様へと、アリス・マーガトロイドはカウンターの下を整理しながら頷いていた。ホグワーツでの一回戦は指名手配騒動で観られなかったし、ワガドゥでの準決勝戦はベアトリスとの決着と重なってしまったから、五月の決勝戦でようやく応援に行けるわけだ。この機を逃すわけにはいかないだろう。

 

四月も下旬に差し掛かった今日、人形店に戻ってきているリーゼ様とクィディッチトーナメントの決勝戦についてを話しているのだ。ちなみに本日はエマさんのお菓子を置いている日なのだが、正午を前にして既に売り切れかけている。日に日に売れ行きが良くなっている気がするぞ。

 

隙間が多くなったガラスケースに入っているケーキ類を見た後、棚にぎっしり詰まっている人形たちを確認して微妙な気持ちになっている私に、リーゼ様がマホウトコロで行われる決勝戦の話を続けてきた。ぼんやりと宙空を見つめながらだ。

 

「アビゲイルも連れて行くのかい?」

 

「ええ、連れて行きます。観てみたいって言ってましたし、気分転換にもなるでしょうから。ティムはあまり興味がないみたいなので、二人で行くことになりそうですね。」

 

「そうか。……ちなみに聞くが、私たちが幻想郷に行く時はどうするつもりなんだい? やっぱり連れて行くのか?」

 

リーゼ様から放たれた問いを受けて、少しだけ緊張しながら首肯を返す。ダメとは言わないはずだ。多分。

 

「もちろんアビゲイルたちの希望を優先しますけど、私としては連れて行きたいと思ってます。」

 

「……ま、いいけどね。人形二体程度なら増えたところで問題ないだろうさ。」

 

「えっと、何か気掛かりなことがあるんですか?」

 

何というか、果断なリーゼ様にしては歯切れの悪い態度を怪訝に思って聞いてみると……彼女は自信なさげに肩を竦めながら曖昧な返答を寄越してきた。これもまた彼女らしからぬ反応だな。

 

「いやなに、ちょっとした懸念があってね。色々と考えているところなんだよ。」

 

「ベアトリスのことがまだ引っかかっているんですか?」

 

「まあ、そういうことだね。……アビゲイルの様子はどうなんだい? 未だに落ち込んでいるのか?」

 

「最近は時々明るさを見せてくれるようになりました。気にしてはいるんでしょうけど、少しずつ現状に慣れてきてるみたいです。」

 

嬉しい気分を声色に表しながら報告してみれば、リーゼ様は釈然としないような顔でアビゲイルに関する質問を重ねてくる。良い傾向だと思うんだけどな。

 

「ふぅん? 慣れてきているのか。……結局のところ、アビゲイルはキミの定義における自律人形なのかい? つまり、人間を素材にしていない『完全な人形』かつ自律しているのか?」

 

「人間を素材にしていないことはほぼ間違いないと思います。それに、自律もしていると私は感じました。だから……そうですね、私が主題にしている自律人形であると判断していいんじゃないでしょうか。」

 

「ベアトリスは自律人形を完成させていたわけだ。……そこも引っかかるんだけどね。あのパチェでさえ『実現は困難である』と言っていた自律人形を、魔女になって間も無い当時のベアトリスが作り上げたことになるんだぞ。有り得るかい?」

 

「有り得ないことはない……と思います。要するに発想の問題なんですよ。私やパチュリーが気付いていない『何か』に、当時のベアトリスは気付いていた。そういうことなんじゃないでしょうか? 先を越されて悔しくはありますけどね。」

 

こればかりは知識や経験の問題ではないのだ。リンゴが落下したことを疑問に思うかどうか、雪の結晶が一つ一つ異なる形であることを発見できるかどうか。恐らくはそういった『気付き』の問題なのだから。

 

自分が気付けなかった『何か』が実際に何であるのか。これからはそこを研究していかなければならないなと思考する私に、リーゼ様は納得できていない時の表情で食い下がってきた。

 

「作り手に忠実である人形を望んだベアトリスが、作り手に逆らうことの出来る自律人形を作り上げたというのが……ふん、やはり腑に落ちんね。全てがおかしいぞ。チグハグだ。」

 

「そこは納得してもいい部分じゃないですか? ホームズの行動なんかには私も気になる点がいくつかありますけど、そもそもベアトリスは一貫した行動を取るタイプじゃなかったですし、真面目に考えても仕方がないんだと思います。……五十年前もそうでした。ベアトリスが奇妙なルールに従って最善手を除外するのは今に始まったことじゃありません。」

 

何たって、最終的な目的すらはっきりしなかったほどなのだ。私と『遊びたかった』という理由だって到底納得できるものじゃないぞ。何もかもがあやふやなベアトリスの行動を思って反論してみると、リーゼ様はピンと人差し指を立てて自説を提示してくる。

 

「明確な目的があったとしたら? 五十年前の事件ではなく、今回の事件の話だ。私たちからは無駄で意味不明に見えた行動の数々が、実は何らかの目的を達成するための手段だったとしたらどうだい? ……ベアトリスの台詞が喉元に引っかかるんだよ。『必要のない行動はしなかった』という台詞がね。彼女の行動が無駄ではなかったのだとすれば、この状況は『脚本通り』の展開であるはずだ。では、この脚本における結末は? ……役者としてのベアトリスが望み、個としてのベアトリスが望まなかった結末。彼女の死によって導かれる終幕。それがどうにもはっきりしなくてね。」

 

「ベアトリスの謎めいた言葉を追い始めたら永久に解決しませんよ。彼女の主観から見て無駄がなかっただけの可能性もありますし、私たちにとっては何の意味もない台詞であると判断するのが普通です。」

 

「だが、私はもう決めてしまったんだよ。あの日のベアトリスの発言をある意味で信用するとね。……ああくそ、もやもやするな。どうやら私も『気付き』が必要らしい。発想を転換するための気付きが。」

 

「……私は考えすぎだと思いますけど。」

 

首を傾げながら口にしたところで、ベルの音と共にお客さんが入店してきた。またお菓子目当てのご近所さんかなとそちらに目を向けてみれば……ムーディ? 驚いたな。店に入ってきたのは引退した元闇祓い局長どのだ。

 

「邪魔するぞ、マーガトロイド。」

 

「これはまた、驚いたわね。元気にしてた?」

 

「まだ死に損なっておるわ。」

 

無愛想に応じながらコツコツと義足を鳴らしてカウンターに近付くムーディへと、リーゼ様もまた意外そうな顔付きで声をかける。

 

「お人形とお菓子、どっちを買いに来たんだい? どっちにしても似合わなさすぎるぞ。」

 

「減らず口が健在なようでなによりだ、バートリ。……今代のオリバンダーが近く引退すると耳にしてな。その前に杖のメンテナンスを頼もうと思ってダイアゴン横丁に来ただけだ。そのついでに寄ったに過ぎん。」

 

「だとすればやはり驚きだね。用事のついでに知り合いの店に顔を出すという常識的な社交性を、イギリス魔法界でも屈指の変人であるキミが有していたとは思わなかったよ。ゴルフ友達でも出来て学んだのか?」

 

「わしがマグルの球打ち遊びなどをするはずがなかろう? ……警備用の人形は置いていないのか? 最近は自宅の防犯が心配でな。」

 

なるほど、それが目的か。やっとムーディらしい発言が出てきたな。そのことにちょっとだけ安心しつつ、首を横に振って応答を放つ。

 

「無いわ。依頼があれば作るけど。」

 

「では、頼んでおこう。わしの杖捌きが鈍る前に防犯を強化しておく必要がある。衰えてからでは遅いからな。油断大敵!」

 

「はいはい、油断大敵。死喰い人が壊滅した今、貴方を襲おうとする愚か者なんてイギリスに存在しないと思うけどね。」

 

「ふん、数ヶ月前に濡れ衣を着せられた者の発言とは思えんな。敵は常に存在している。用心を怠れば待っているのは死だ。そのことを決して忘れるな。」

 

まあうん、一理はあるかな。過ぎたるは何とやらという諺の意味を考えるに、あくまで一理だが。注文書を戸棚から出しながら変わらない古馴染みにため息を吐いた後、それを差し出して説明を送った。

 

「詳細な注文をここに書いて郵送して頂戴。何のために、何が出来る、どんな場所で動かす、どんな大きさの人形が必要なのかをね。それに合わせて作るから。……言っておくけど、殺傷能力がある人形は作らないわよ。あくまで警備用だからね。」

 

「それで構わん。必要ならわしが止めを刺せばいいだけだ。」

 

物騒な台詞と共に注文書を受け取ったムーディは、そのまま店を出て行こうとするが……その背にリーゼ様が問いかけを投げる。

 

「ついでに一つ知恵を貸してくれ、ムーディ。事件が起きたとして、その犯人の目的がどうしても判明しなかった時、キミはどうやって推理していた?」

 

「事前に目的を判明させる必要があるか? 証拠を基に犯人を追い詰め、捕縛してから吐かせればいいだけの話だ。」

 

「犯人不明の事件なんだよ。おまけにロクな証拠もない。目的から推理するしかないんだ。」

 

「ならば行動から割り出せ。展開を整理すれば難しいことではなかろう?」

 

ドアの前で振り返って言い放ったムーディへと、リーゼ様は苦笑しながらお手上げのポーズを示す。

 

「ところがだ、犯人のやったことがチグハグで意味不明なのさ。意味がないように見える行動が多すぎて、どうしても目的にたどり着けないんだよ。」

 

「……その事件とやらは終了しているのか? それとも現在進行しているのか? それを教えろ、バートリ。」

 

「一応終わってはいるが、結末に納得がいかない。犯人とされていた人物が自殺したものの、私はそいつが『主犯』であるとは到底思えないんだ。利用されただけ……というか、『利用されてやった』だけな気がしてならないのさ。」

 

そんなリーゼ様の疑問を受けたムーディは、ずっとグルグル回っていた左目を一瞬だけピタリと停止させたかと思えば……熟練の闇祓いらしい回答を口にした。

 

「事件に関わった人物の中で、最終的に一番得をしたのは誰だ? そこから考えればいい。事件を起こす者が抱えているのは往々にして過ぎたる欲求だ。金が欲しい、物が欲しい、力が欲しい。そういった『願望』を達成するためにやっているのだから、主犯とやらが他に居るのであれば結果的に得をした人物に他ならん。」

 

「……なるほどね、『得をした人物』か。参考になったよ。」

 

「こんなものは捜査の初歩だ。……油断大敵! 常に疑え! 全てを疑う者こそが唯一答えにたどり着けるものだ。先入観など何の役にも立たん。あるのは事実だけだぞ、バートリ。」

 

一喝してから今度こそ店を出て行ったムーディを見送った後、リーゼ様が腕を組みながら言葉を漏らす。何かに気付いたような鋭い表情だな。私には全然分からないが、リーゼ様は『気付き』を得ることが出来たらしい。

 

「損得か。言われてみれば初歩的なことだね。……ムーディはイカれているが、無能からは程遠い闇祓いだ。だったら参考にすべきなんだろうさ。ベアトリスが死んだ結果、得をしたのは誰だ?」

 

「居ないと思いますけど、そんな人。強いて言えば私たちじゃないでしょうか?」

 

「だが、私やキミは犯人じゃない。それは私が主観的に知っている厳然たる事実だ。」

 

「だからつまり、『主犯』なんて居ないってことなんですよ。」

 

さすがに疑いすぎだと思うぞ。私の結論を聞いて大きく息を吐いたリーゼ様は、一言だけポツリと呟いて丸椅子から立ち上がった。ひどく億劫そうな顔付きでだ。

 

「……参ったね、他の観客から恨まれるかもってのはそういう意味か。」

 

「へ? 何の話ですか?」

 

「気にしないでくれ、ベアトリスへのちょっとした恨み言だよ。……私は上の物置であの七枚の絵を見てくるから、キミは店番を頑張りたまえ。それじゃあね。」

 

ベアトリスの絵を? 今更だな。言うとスタスタと二階に行ってしまったリーゼ様の背を見つつ、ようやく人形が売れそうなことにホッと息を吐く。……私が店主になってから、初めてこの店で人形を買ってくれる客はムーディということになりそうだ。嬉しくはあるが、同時に微妙な気分にもなるぞ。

 

何となく喜びきれないことを自覚しつつ、アリス・マーガトロイドは売り上げは売り上げだと自分を励ますのだった。警備用か。そこもちょっと微妙だな。

 

 

─────

 

 

「最終的なフォーメーションはこれで行こうと思う。下手な策を打ったところで逆効果だろうし、小細工なしの力比べだ。細かい問題点があれば当日のタイムアウト時に詰めていく。……どうだ? 反対意見があるなら遠慮せずに言ってくれ。」

 

空き教室の黒板にびっしりと書き込まれているフォーメーション案。それを手の甲で叩きながら問いかけてきたドラコへと、霧雨魔理沙は肩を竦めて応じていた。単純明快で大いに結構。私は気に入ったぞ。

 

「お前が決めたんなら従うぜ。私は文句なしだ。」

 

「そうだね、僕も反対すべき点は特に見当たらないかな。先ずはそのフォーメーションで様子を見て、マホウトコロチームの隙を探り出そう。」

 

「分かり易くて素晴らしいわ。鍔迫り合いに持ち込めれば負ける気はしないしね。全力で押し続けるだけよ。」

 

私、ハリー、スーザンが賛成するのに続いて、ギデオン、シーザー、アレシアもそれぞれに言葉を放つ。

 

「俺は今まで守りに徹してましたからね。だったら決勝戦もそうしますよ。そのための練習は積んできたつもりです。」

 

「ここまで勝ち上がれたのはドラコのお陰ですし、今更文句なんてありませんよ。そうせよと言うならそうするだけです。指揮官は貴方なんですから。」

 

「あの……つまり、私は攻め続けていいってことですよね? なら何も問題ありません。人にブラッジャーを打ち込むのは私の唯一の特技ですから。」

 

この期に及んで反対意見なんて出るはずないだろうが。ドラコが睡眠時間を削って必死に考えたフォーメーションだということを、一番近くで見てきた私たちはよく知っているのだから。私たち六人の意見を聞くと、キャプテンどのは苦笑しながら大きく頷いてきた。

 

「そうか、ならばこれで行こう。意外性のない使い古されたフォーメーションだが、それ故に付け入る隙も少なくなる。恐らく総合力に自信を持っているマホウトコロも同じような陣形で応えてくるはずだ。」

 

つまるところ、私たち代表選手陣は決勝戦のフォーメーションについての最後の話し合いを行なっているわけだ。レイブンクローを中心とした有志の調査を加味して、ドラコが最終的に選んだフォーメーションはバランス型のそれとなったらしい。

 

ビーター陣はこれまでと変わらず攻守を分担し、チェイサー陣が2-1と1-2を使い分けるこのフォーメーションは……うーむ、正に小細工なしだな。地力がはっきり表れるフォーメーションだと言えるだろう。私としては『正々堂々』って感じで好ましいぞ。

 

ドラコが指し示した黒板に張り出されているマホウトコロのフォーメーション予想……レイブンクローの生徒たちが魔法ゲーム・スポーツ部と協力してまで手に入れてくれた、彼らの努力の結晶である貴重な情報だ。と比較しながら黙考していると、スーザンが持ち込んだバタービールを一口飲んでから声を上げる。

 

「残った半月できちんと仕上げましょ。練習量で負けるわけにはいかないわ。」

 

「ああ、残る期間はあと僅かだ。使える限りの時間を練習に注ぎ込む必要があるだろう。……マホウトコロ代表は強豪と呼ぶに相応しいチームだが、我々が明確に優っている点もいくつか存在している。その一つがシーカーの質だ。」

 

ドラコの台詞を受けて驚いたような表情になったハリーに対して、我らがキャプテンどのはその理由を語り始めた。

 

「マホウトコロのシーカーはまだ十四歳だ。それなのに代表に選ばれるだけの才能があることは認めるし、他の学校の代表シーカーと比較しても遜色のない実力を持ってはいるが……それでも手元の情報を見る限りではハリーに及んでいない。お前は十一歳の頃からシーカーをやってきた。どちらも等しく才能があるのであれば、築いた経験で優るお前に軍配が上がるだろう。」

 

「……何度も戦ってきた君からそう言われるのは嬉しいよ。」

 

「言っておくが、つまらない世辞ではないぞ。僕は客観的な評価をしているつもりだ。我々は全校最優のシーカーを保有している。これは厳然たる事実であり、そして勝つための最も重要なピースになるだろう。」

 

言いながらフォーメーション表のシーカーの部分をコツコツと叩いたドラコは、戦術における身も蓋もない結論を場に投げてくる。

 

「結局のところ、我々がやるべきことは二つだけだ。ひたすら点差を抑えて、ハリーがスニッチを見つけた時に全力で援護する。それだけやれば勝てるだろう。」

 

「クィディッチの基礎中の基礎だな。それをやるのがどんなに難しいかを私たちは嫌ってほどに知ってるわけだが。」

 

戯けるように口を挟んだ私の発言に、部屋に居る全員がお揃いの苦笑いで首肯した。素人目に見ればただそれだけのスポーツなわけだが、そこにクィディッチにおける複雑さの全てが詰め込まれているのだ。

 

「何れにせよ、決勝戦までにすべきことをするだけだな。連携を深め、個々人の技術を磨き、フォーメーションへの理解を深める。今まで積み重ねてきたことを続けていこう。努力は決して裏切らないはずだ。」

 

うむ、その通りだ。ドラコの尤もな纏めに頷いてから、壁の時計を顎で指して口を開く。そろそろ昼休みは終わりだな。

 

「切り良く時間だぜ。午後は二コマとも授業があるから、私が合流できるのは夕食後だな。」

 

「あの、私も午後は授業です。だけど、シニストラ先生が夜の天体スケッチを特別に免除してくれました。……いいんでしょうか?」

 

「良くはないけど、いいのよ。今だけは甘えておきましょう。貴女とマリサはただでさえ授業が多くて時間が取れないんだから、オッケーが出たなら深く考えずに従っちゃいなさい。」

 

スーザンの助言を聞いたアレシアは曖昧に首肯しているが……まあ、マクゴナガルも目を瞑ってくれるだろう。教師たちも最近は『見て見ぬ振りをする』ことに慣れているようだし、もう協力する姿勢を隠す気などないらしい。

 

占い学のトレローニーなんてこの前いきなり競技場に現れたかと思えば、決勝戦の日がいかにホグワーツ代表にとって吉日であり、マホウトコロ代表にとって運勢が悪い日なのかを長々と講釈していったほどだ。彼女曰く、ホグワーツの勝利は既に決定している運命なんだとか。

 

まあうん、悪い気はしないな。トレローニーの予言を信じるかどうかはさて置いて、応援しているという気持ちは伝わってきたぜ。あの時のトレローニーの必死な態度を思い出して苦笑していると、ハリー、スーザン、ギデオン、シーザーも各々の予定を報告してきた。

 

「僕は午後が丸ごと空いてるから今から競技場に行くよ。ロンがフェイントの練習に付き合ってくれるらしいんだ。」

 

「私はこの後にマグル学が入ってるわ。それが終わってから合流ね。」

 

「俺は午後最初が空きコマで、その次に薬学が入ってます。レイブンクローとの合同授業だし、シーザーもそうだよな?」

 

「残念ながら、僕は午後最初にも授業があるんだ。マリサやアレシアと同じで夕食後に合流かな。」

 

この辺の噛み合わなさはまあ、学生故に仕方がないってところかな。各人の予定を把握したドラコが、資料を片付けながら総括を述べる。

 

「今日はハッフルパフとスリザリンの手すきの生徒が練習に付き合ってくれるらしいから、いつ競技場に来ても練習相手には困らないはずだ。僕も午後最後は授業があるからそれぞれに練習をしておいてくれ。……では、解散。チーム全体での練習は夕食後とする。」

 

その指示に各々で応答した後、空き教室を出て薬学の教室に向かう。教科書とかは咲夜が持ってきてくれるって言ってたし、身一つで行けば問題ないはずだ。

 

そんなわけで手ぶらで一階の廊下を進み、地下通路に繋がる階段を下りようとしたところで……おっと、リーゼだ。中庭でベンチに座っているリーゼがぼんやり晴天を見上げているのが目に入ってきた。

 

「よう、何してんだ?」

 

進路を階段から中庭に変えて声をかけてみれば、リーゼは気怠げに振り返って返事を寄越してくる。

 

「何もしてないよ。強いて言えば太陽を見ていたんだ。」

 

「なんだそりゃ。」

 

「私には能力があるからこうやって太陽を眺めることが出来るが、レミィやフランのような普通の吸血鬼にはそれが出来ないだろう? そんな下らないことを考えていたんだよ。」

 

「……どういう意味だ? よく分からんぜ。」

 

別に能力を自慢したいってわけではなさそうだな。何処となくアンニュイな雰囲気のリーゼに近付くと、彼女は憂鬱そうな表情で話を続けてきた。掴み所のない話をだ。

 

「いいのさ、よく分からなくても。私だってよく分かっていないんだから。……無駄話ついでに一つ聞かせてくれたまえ。キミは自分の幸せのために自分を犠牲に出来るかい?」

 

「あー……そりゃあお前、出来るだろ。自分が幸せになるために頑張るのは当然のことじゃんか。」

 

「そうじゃなくて、文字通り『犠牲』になれるかって意味だよ。自分が死ぬことで自分が幸せになれるとしたら、キミは死を受け容れられるか?」

 

「何だよ、哲学的な話か? ……質問の意図が掴めないからはっきりとは答えられんが、死んだら意味ないだろ。死んだ後に幸せになるってのがまず意味不明だし、そもそも死ぬんだったら幸せじゃないと思うんだが。」

 

ちんぷんかんぷんだな。こういう問答はリーゼらしくないなと疑問を感じ始めたところで、黒髪の吸血鬼はくつくつと笑いながら頷いてくる。

 

「そうだね、意味不明だ。私にもさっぱり分からん。……単純に価値観が違いすぎるのかもね。」

 

「ひょっとして、ベアトリスに関する話か? まだ悩んでたのかよ、お前。」

 

「いいや、疑問はほぼ解消できたよ。ベアトリスが大量のヒントを残してくれたからね。エリック・プショー、マドリーン・アンバー、そしてベアトリス本人。一人が操った三者の会話や態度を鑑みれば嫌でも答えにたどり着くさ。」

 

「『一人が操った三者』? ……まさか、お前が日本で会ったベアトリスも人形だったってことか?」

 

プショーとアンバーは人形だが、ベアトリスは操り手であって操られる側ではないはずだ。だとすればまだ全ては終わっていないぞと緊張する私に、リーゼは……違うのか? 苦笑しながら首を横に振ってきた。

 

「いや、あれは『ベアトリス』だよ。全ての筋書きを構築したオリジナルのベアトリスさ。私の推理が正しければ、もはや灰色の魔女はこの世に居ない。その点に関しては些か以上の自信があるかな。……彼女は操り手であり、脚本家であり、そして同時に糸が付いた役者でもあった。そういうことなんだと思うよ。」

 

「ちょっと待て、こんがらがってきたぞ。……ベアトリスがベアトリスを操ってたって言いたいのか?」

 

「いいね、魔理沙。その表現は悪くないぞ。その通りだよ。ベアトリスは自分自身を操っていたのさ。戯曲を執筆し、そのための構成物として自分すらも利用したわけだ。彼女が辿った道筋は他ならぬ彼女のお陰で判明したし、ムーディのお陰で誰が犯人なのかにも確信が持てた。それらの解答を通して現状を俯瞰した結果、ベアトリスが目指したフィナーレの形もぼんやりと理解できたわけだが……参ったね、肝心の動機がこれっぽっちも分からんよ。そこだけが全くと言っていいほどに掴めないんだ。」

 

ムーディのお陰? 急に脈絡のない名前が出てきたな。……あーもう、モヤモヤするぞ。どうやらリーゼは私に説明してくれているわけではなく、自分の考えを整理しているだけらしい。だったら勝手に追いついてやるよと必死に思考を回す私を他所に、熟考する吸血鬼は肩を竦めて話を締めてしまう。

 

「ま、いいさ。私は私が何をするのかをもう決定した。ベアトリスの願い通りにステージに上がって、詐欺師のペテンを暴くとしよう。……最大の問題は、それをするとアリスが悲しむって点だがね。」

 

「アリスが? ……何を『決定』したんだよ。」

 

「観客たちが望んでいるハッピーエンドをぶっ壊す決断をだよ。……ああ、実に憂鬱だ。私の推理が外れていることを祈っておいてくれたまえ、魔女っ子。」

 

「待て待て、先ずお前の推理とやらを聞かせてくれ。私には全然分からんが、アリスが悲しむかもしれないってんなら放っておけないぜ。」

 

何だか雲行きが怪しくなってきた会話に、授業開始の時間が迫っていることなど忘れて聞いてみると、リーゼは再び太陽を見上げながらポツリと返してきた。どこか皮肉げで、そしてどこか挑戦的な笑みでだ。

 

「なぁに、そのうち分かるさ。ベアトリスは私と末期のゲームをした時、パーフェクトで勝ってみせたんだ。だったら次は私がパーフェクトで勝利しないとね。……私はやられっぱなしで終わるような女じゃないんだよ。動機も必ず暴いてみせるさ。余すことなく推理して、完璧な正解を叩きつけてみせよう。それがベアトリスに対する私なりの礼儀だ。……何にせよ、キミや咲夜は気にしなくていいよ。今はただ試験やクィディッチに励みたまえ。これは私とベアトリスのゲームなんだから。」

 

「おいおい、そんなこと言われたら気になるだろうが。どういうことなんだよ。」

 

「いいんだよ、汚れ仕事は私の役目さ。……そういえば、近く博麗神社に行く予定なんだ。巫女に何か伝言はあるかい?」

 

「霊夢に? ……伝言は特に無いけど、今の話と関係することなのか?」

 

ああもう、訳が分からん。『汚れ仕事』ってのはどういう意味だよ。ちょびっとだけ不安な気分で問いかけた私に、リーゼはベンチから立ち上がって伸びをしながら応じてくる。

 

「関係はないよ。ただ、あの神社で考え事をするのが癖になってるのさ。何となく落ち着くんだ、あそこの縁側は。……それじゃ、失礼。クィディッチを頑張りたまえ。」

 

そう言った途端、黒髪の吸血鬼は午後の陽光に滲むようにその姿を消してしまう。……むう、わざわざ能力を使うことはないじゃんか。謎めいた言葉だけ残して消えるなよな。

 

どうにも引っかかってしまうモヤモヤを抱えつつ、霧雨魔理沙は一つ息を吐いてから地下通路に続く階段へと向かうのだった。

 



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お悩み相談

 

 

「あんた、また来たの? もう少し前に来れば桜が見られたのに。タイミングの悪いヤツね。」

 

五月初旬の博麗神社。緑色の葉を茂らせる桜並木の下で掃き掃除をしている巫女に、アンネリーゼ・バートリは苦笑しながら返事を放っていた。そうか、紫も桜が自慢だって言ってたっけ。確かにタイミングは悪かったな。

 

「別にいいよ。私から見ればなんとも不気味な木だしね。『人工の植物』ってイメージだ。」

 

「何よそれ、捻くれた見方ね。綺麗なら何でもいいじゃないの。」

 

「私は生まれながらの皮肉屋なのさ。だから美点よりも欠点が先に目についちゃうんだ。」

 

「損なヤツ。……お土産は?」

 

巫女がジト目になりながら飛ばしてきた質問に対して、空っぽの両手を広げて応答する。見れば分かるだろうに。

 

「今回は無いよ。残念だったね。」

 

「ならとっとと帰りなさい。あるいは賽銭箱にお金を入れなさい。じゃないと強制的に追い出すわよ。」

 

「ここは公共施設じゃないのかい?」

 

「神の敷地よ。そしてその代弁者は私。つまり私が法なの。」

 

神権国家の独裁者みたいな台詞だな。ふんすと胸を張って主張してきた巫女へと、はいはいと頷きながら返答を送った。

 

「なら、賽銭を入れるから考え事をするための場所を貸してくれ。」

 

「素直でよろしい。賽銭箱はあそこよ。」

 

巫女が指し示した隙間だらけの蓋が付いた箱に近付いて、ポケットに入っていたシックル銀貨を数枚投げ込むと……それをジッと監視していた強欲巫女が文句をつけてくる。

 

「何それ。どこの通貨?」

 

「イギリス魔法界の通貨だよ。シックル銀貨だ。……この土地の通貨が何だかは知らんが、紫に頼んで両替してもらいたまえ。私はこれ以外持っていないんだ。」

 

「……まあいいわ、金は金よ。お茶を出してあげる。安いやつをね。」

 

「キミは本当に現金なヤツだな。いつから神道は資本主義に染まったんだ?」

 

異国の宗教の堕落を嘆きながら縁側に移動する私に、巫女は何を今更という表情で口を開く。ここの神は何をしているんだよ。ちゃんと天罰を下せよな。

 

「大昔からでしょ。神道はまだマシよ。他の宗教なんて軒並み拝金主義なんだから、むしろ染まりきってないことを褒めて欲しいわね。」

 

「……思ったよりも情勢に詳しそうじゃないか。この土地には他にも宗教があるのかい?」

 

「忌々しいことに、外来人が余計な情報を伝えていくのよ。人里には仏教もあれば、基督教なんてのも存在してるわ。おまけにその辺をウロついて信仰を得ようとしてる他の神も居るから、独占商売には程遠い状況ね。」

 

「神が直接信者を獲得しているわけか。愉快な土地だね。……私の知識によれば、神道は許容の宗教だったはずだが。」

 

パチュリーはそう言っていたぞ。基本的にはアニミズム的な多神教で、他宗教の神の存在もある程度は容認していると。幻想郷のそれはまた違うのかと疑問に思い始めた私に、紅白巫女はあっけらかんと巫女の風上にも置けないような台詞をのたまってきた。

 

「私の神社が一番偉いのよ。だから私の稼ぎを邪魔する宗教はみんな邪教。邪魔しないなら許容してやってもいいけどね。」

 

「キミみたいなヤツが宗教戦争を起こしたんだろうね。……神ではなく自分の名を語っているあたりは多少マシだが。」

 

「利己主義こそが世界の理よ。紫もそう言ってたわ。あの嘘吐きにしては唯一まともな台詞だったかもね。」

 

「それはそれは、金言だね。」

 

世界の理を語った巫女が奥に引っ込んでいくのを見送ってから、そういえば今日は黒猫が居ないなと縁側に座って訝しんでいると……なるほど、『ボス』が来ているから必要ないわけか。私の隣にスキマが開く。

 

「やっほー、リーゼちゃん。元気にしてた?」

 

「たった今元気じゃなくなったよ。つまり、キミを見た瞬間からね。」

 

「あら、それは大変。膝枕していい子いい子してあげましょうか? 元気が出ると思うわよ?」

 

登場するや否や余計なことを言ってくる紫に、うんざりした気分で返事を口にした。僅かな会話だけでこっちを疲れさせるのはもはや才能だな。

 

「帰ってくれないか? そしたら私は元気になるから。」

 

「やーん、つれないこと言わないでよ。……れいむー、お茶二つ追加ね! お煎餅も!」

 

「二つ?」

 

奥の方に大声で指示を出した紫は、私の問いを受けてこっくり頷いてくる。まだ客が増えるということか?

 

「藍も来るのかい? あいつは巫女と顔を合わせるのを避けていたようだが。」

 

「違う違う、もっと厄介で油断ならないヤツが来るのよ。多分ね。」

 

「多分?」

 

「だって、リーゼちゃんは『答え合わせ』をしに来たんでしょう? あるいは背を押して欲しいのか、それとも止めて欲しいのか。そこまでは私にも分からないけど……何にせよ、根本の原因であるあいつは同席すべきだわ。」

 

……何もかもお見通しというわけか。そのことに深々とため息を吐いたところで、『根本の原因』がひょっこり庭に現れた。濃い青のローブとワンピースの中間くらいの服を着ている、緑色の長髪の大魔女がだ。

 

「よう、お二人さん。お姉さんも一緒に座っていいかい?」

 

「『お姉さん』? とうとう頭がおかしくなったの? やだわぁ。知り合いがボケたのを見ると悲しくなるわね。」

 

「はん、銀髪のお嬢ちゃんがそう呼んでくれたのさ。『お姉さん』ってね。あんたは呼ばれたことあるかい? 無いだろう? ババアの僻みは見苦しいねぇ。」

 

「早く減らず口を閉じて座りなさいよ、年齢詐称魔女。いたいけな人間の子供を騙くらかして何を誇っているのかしら。そっちの方が百倍見苦しいわよ。」

 

目の前で皮肉の応酬を始めた大妖怪たちを眺めつつ、歳を取ってもこうはなりたくないなと反面教師にしていると、紅白巫女がお茶を持って戻ってくる。至極迷惑そうな顔付きでだ。どいつもこいつも文句ばっかりだな。ゆとりが足りていないぞ、この土地は。

 

「はぁ? 妖怪だらけじゃないの。ここは神社なんだけど?」

 

「いいからいいから、ここに置いておいて頂戴。」

 

「……っていうか、そこの緑髪は誰? さっきから私に小汚い妖力を飛ばしてきてるんだけど。やろうってんならやるわよ?」

 

自分が座っている縁側をぽんぽん叩いて促した紫を無視して、湯呑みが載った盆を持ったままで魅魔を睨み付ける巫女に、庭に立つ悪霊魔女はへらへらと笑いながら挑発を返した。その顔に浮かんでいるのは敵意を含んだ小馬鹿にするような笑みだ。両者共に初対面の相手に対する態度じゃないぞ。野蛮な連中だな。理性ある文明的な都会派吸血鬼としては、蛮族どもの争いに巻き込まれないように避難しておくべきだろう。

 

「実力の差くらいは認識できるようになるべきだよ、チビ巫女。嘆かわしいねぇ、今代の博麗の巫女は頼りなくていけない。こんなんで大丈夫なのかい? 紫。大事な時期なんだろう? もっと見所がありそうな子を私が選んでやろうか?」

 

「ちょっと性悪、余計なことは言わないように。……霊夢、貴女はあっちに行ってなさい。このバカに構ったところで得なんてないわよ。境内の掃除は終わったの?」

 

「私の神社の敷地内に訳の分からない無礼な妖怪が居るのに、暢気に掃除なんてやってられないわよ。表に出なさい、緑髪。ふざけた台詞を後悔させてあげるから。」

 

「あーもう、ダメだってば! ……はい、霊夢は掃除に戻らないとお米の補給を打ち切るわ。そしてあんたは挑発するのをやめなさい。いい歳して何やってんのよ。」

 

符を片手に神力を漂わせる巫女と、濃い魔力で身体を覆いながら挑発的に笑う魅魔。その間に入った紫の言葉を聞いた二人は、大きく鼻を鳴らしてから同時に視線を逸らす。何だ、つまらん。やらないのか。

 

「何かを壊したり、あるいは余計なものを残していったりしたら承知しないからね。」

 

「分かってるわ、私が見張っておくから大丈夫よ。……あんたね、何が気に食わないの? 霊夢は優秀な子よ? 可愛いし。」

 

キツめの口調で注意してから奥に消えていった巫女を見送った後、紫が呆れた表情で飛ばした質問に……魅魔は肩を竦めながらどうでも良さそうに回答した。

 

「私は才能豊かな連中ってのが嫌いなだけさ。先代の巫女は努力してたから気に入ってたが、あの小娘は気に食わんね。……力ってのは苦労して手に入れてこそ上手く扱えるもんなんだ。棚から落ちてきた力なんぞに何の意味があるんだい? 持て余して余計なことをするだけだね。今に何か仕出かすよ、あの小娘は。」

 

「老人らしい偏屈な文句をどうも。だけど心配は無用よ。あの子はきっと上手くやるわ。」

 

「どうだかね。……まあ、今日はそんな話をしに来たわけじゃない。コウモリ娘の『お悩み相談』に来てやったんだ。ほれ、言ってみなよ。お姉さんが聞いてやるから。」

 

不機嫌そうな顔で紫のフォローを切り捨ててから、くるりと表情を変えてニヤニヤ笑いで話題を振ってきた性悪悪霊へと、非常に面倒な気分で返答を放つ。お悩み相談なんて頼んでないぞ。お前らが勝手に押しかけてきたんだろうが。

 

「キミたちに相談すべきことなんて何もないよ。何をするのかはもう決めているんだ。……ただ、動機だけがはっきりしなくてね。『いつ、どこで、誰が、何を、どのように』に関してはある程度の予想が付いているが、『なぜ』の部分だけがどうしても分からないのさ。」

 

「おやまあ、一個だけ『W』が不足しちまってるわけかい。そいつはいただけないね。一番重要な部分じゃないか。」

 

「……キミたちは知っているのかい? 『なぜ』の内容を。」

 

「知っているわけじゃないが、予想は出来るさ。……時にコウモリ娘、私たち魔女ってのは並み居る人外たちの中でも飛び抜けて分かり易い生き物でね。どこまでも自分の『望み』に忠実なんだ。分かるかい? 私たちの『なぜ』は常に主題に関わっているんだよ。」

 

何とも嘘くさい笑みで言ってきた魅魔へと、足を組み直しつつ返事を送る。主題こそが動機か。言われてみれば尤もな話だな。

 

「つまり、ベアトリスの……『ベアトリスたち』の主題こそが答えだと言いたいのか?」

 

「そうそう、そういうこった。お前さんは何だと推理しているんだい? 魔女ベアトリスの主題を。」

 

「『人間』だ。今でもその推理は変わっていない。」

 

確信に近い答えを提示してみれば……おい、何だよその顔は。魅魔は『あちゃー』という顔付きに、そして紫は苦笑いになってしまった。違うということか?

 

「惜しいねぇ、とんでもなく惜しい。ほぼ正解なんだが、微細な違いがあるんだよ。あの魔女の望みは人間そのものじゃないんだ。連中が持つ性質の一つなのさ。」

 

「今のリーゼちゃんは『それ』を知っているはずよ。ベアトリス本人に対しても口にしてたじゃないの。」

 

「……まさか、『愛』だとでも言うつもりか?」

 

おいおい、またその言葉か。どこまでも私に関わってくるそれを思って苦い顔になっていると、魅魔がケラケラと笑いながら首肯してくる。何が面白いんだよ、悪霊め。

 

「どう呼ぶかはそれぞれだが、お前さんがそれを『愛』と呼ぶならそうなんだろうさ。ベアトリスが本当に欲していたものはそれなんだと思うよ。……どうだい? 納得できないか?」

 

「……出来なくはないが、それは魔女としての主題たり得るのか?」

 

「私の流儀に沿うものじゃないが、何も認められないってほどじゃないよ。ベアトリスにとって生を懸けて追い求めるに足るものなのであれば、余人が文句をつけるのは筋違いってもんさ。……まあ、『人間の魔女』ってのは言い得て妙かもね。図書館の魔女が求めているのは図書館そのものではなく、そこにある無数の本に宿る『知識』だろう? そして人形の魔女が求めているのは人形そのものではなく、人形という媒体を通した『寄り添ってくれる存在』だ。だったら人間の魔女が求めているのも人間そのものじゃないのさ。人間という存在が内包する『愛』を追い続けているんだよ。」

 

「だとすれば……なるほどね、『なぜ』の部分も大体把握できそうだ。正直納得は出来ないが。」

 

私からすれば、『そんなことのために?』という感想が出てきてしまうぞ。全く理解できないというほどではないが、わざわざこんな大掛かりで面倒なシナリオを用意した上に、重すぎる『対価』を支払ってでも得たいものだとは思えない。もっと簡単に手に入りそうなものなのに。

 

……いや、そうじゃないな。ベアトリスにとってはそうではなかったということか。普通なら労せずして手に入るようなものでも、彼女からすればここまでしなければ手が届かなかったものなのだろう。ベアトリスが辿った思考の変遷を思って小さく息を吐く私に、紫が庭の木に止まった小鳥を見ながら話しかけてくる。

 

「『なぜ』の部分はともかくとして、『誰が』はもう分かっていたのに何もしなかったのね。……アリスちゃんのことが心配? それともあの子に同情しているの?」

 

「……同情はしていないさ。パーフェクトで終わらせたかったし、理由も知らずに決着を付けるのは哀れだと思っただけだよ。」

 

「んー、それって同情してるってことなんじゃない?」

 

ええい、うるさいぞ。困ったように指摘してきた紫にジト目を向けていると、今度は魅魔が湯呑みに口を付けてから声を寄越してきた。

 

「まあ、悪かったよ。正直言って『私の所為じゃなくないか?』って思ってるけど、それでも発端を作ったのは私だったみたいだし……何ならこっちでサクッと片付けてやろうか? 別に心は痛まないしね。私に言わせりゃ有り触れた自業自得さ。」

 

「それじゃあアリスが納得しないだろうが。私がやるよ。……キミたちがこういう風に話してくるってことは、『なぜ』以外の私の推理は間違っていないわけだね?」

 

「そういうこったね。私たちみたいに負債を強引に踏み倒せなけりゃ、借金取りに捕まってお終いなのさ。詰めが甘かったんだよ。変に追加を望んじまったから、そこでヘマして逃げ切れなくなったわけだ。バカなヤツだねぇ。」

 

「……罪人は更生できないと思うかい?」

 

庭をひらひらと飛ぶ白い蝶が、先程の小鳥に捕食される光景を目にしながら呟いてみれば……魅魔は心底楽しそうな笑みで頷いてくる。底意地の悪い悪霊の笑みだ。

 

「過去からは決して逃げ切れないのさ。必死に走って走って走り続けて、ようやく引き離したと思っていても……振り向けばすぐ後ろでこっちを見下ろしてるんだ。自分が目を逸らした負債のことをボソボソ呟きながら、逃がさないぞと笑ってくるわけだね。だから生ってのは面白いんじゃないか。遥か昔に起こした何気ない出来事が、こうして今の事件に繋がっている。……本当に愉快だよ。これだからやめられないんだ。」

 

「こっちとしてはいい迷惑だがね。……思うに、私が目を瞑りさえすればハッピーエンドになるんじゃないか?」

 

「なるかもね。そうしたい?」

 

煎餅を噛み砕きながら聞いてきた紫に、額を押さえて否定を返す。無理だな。信用できん。私はアリスの側に危険因子を置いておくことなど許容できないのだ。

 

「ま、無理かな。どうしたって視界にチラつくだろうし、その度に懸念を抱くことになる。だったらすっぱり処理しちゃった方がマシだ。」

 

「でしょうね、アリスちゃんの立場に霊夢が居たら私もそうするわ。……それが魔理沙ちゃんだったら貴女もそうするでしょ?」

 

「当たり前のことを聞くなよ、紫。……あの小娘は失敗したのさ。それが全てだ。それ以上の何かが必要かい?」

 

「いや、必要ない。謎を解いてしまった以上、私はすべきことをするよ。」

 

魅魔に応答してから、ため息を吐いて眉間を揉む。今回ばかりはアリスに恨まれちゃうかもな。他のことはどうでも良いが、そこだけが実に憂鬱だ。私が行動を躊躇っている理由の九割はそこにあるわけだし。

 

そうだな……よし、クィディッチトーナメントの決勝戦の時にこっちの問題にも決着を付けよう。期限を定めなければずるずると延びていくだけだ。『宿題』の期限は一週間後の決勝戦。そう決めたぞ。

 

「……少なくとも答え合わせにはなったよ。正解したところで良い気分にはなれなかったけどね。」

 

決意を固めながら愚痴を漏らしてみれば、大妖怪二人は揃って同情の苦笑を浮かべてきた。

 

「まあそうね、あまり楽しい事件じゃなかったわね。見ていた私としてもそう思うわ。」

 

「たまにはこういうこともあるもんさ。山あり谷ありってね。頑張りな、コウモリ娘。苦い実を食うのも時には必要なんだ。」

 

先達の妖怪たちの慰めを受けて、緑茶を口に含んでから顔を顰める。苦いな。巫女め、宣言通りに安物を用意したらしい。今の私は尚のこと苦く感じるぞ。

 

昔なら躊躇わずにやれたのに、今はどうにも逡巡してしまう。それは成長したからなのか、それとも柵が増えたからなのか。そのことを思い悩みつつ、アンネリーゼ・バートリは煎餅に手を伸ばすのだった。

 



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水面に映る逆さ城

 

 

「これが僕たちが調べたデータの全てだ。先週要約して伝えてはあるが、一応君に渡しておく。現地で何かに迷ったら参考にしてくれ。」

 

ドラコに分厚い羊皮紙の束を渡しているレイブンクローの七年生を横目にしつつ、霧雨魔理沙はグリフィンドールの学友たちから受け取ったお菓子をトランクに詰めていた。随分沢山貰っちゃったな。グリフィンドール生らしい『激励の品』だが、向こうでは食べる暇がないと思うぞ。

 

五月十六日の午前九時。いよいよマホウトコロへと移動する私たちのことを、大広間に集まった全校生徒が見送ってくれているのだ。七人の代表選手へと思い思いに声をかけたり、あるいはゾンコか双子の店で買ったのであろう派手な花火を打ち上げたり。普段なら校則違反で教師がすっ飛んでくる暴挙だが、教員テーブルの教師たちは堂々と黙認している。今日だけは盛大な見送りが必要だと考えたらしい。

 

「感謝する、リッジウェイ。必ず活かす。君たちの努力は無駄にしないと約束しよう。」

 

「代表選手たちが全力で戦えるならそれで充分だ。……泥臭く頑張る君というのは意外だったが、社交界で偉ぶっていた時よりもずっと男前だったぞ。勝って気取った笑みを見せてみろ、マルフォイ。君らしい余裕のある笑みをな。」

 

「……そうだな。昔の僕は家格を笠に着る愚かな子供だったが、今回ばかりはあの頃のような笑みを浮かべるのも一興かもしれない。期待しておいてくれ。マホウトコロを下した後、小憎たらしい笑みで君たちの歓声に応じてやろう。」

 

「ああ、実に楽しみだ。期待させてもらうよ。」

 

……何か、芝居じみたやり取りだな。リーゼがいつも浮かべている気取った態度と似たものを感じるぞ。どうやらあのレイブンクロー生も『社交界』の一員らしい。がっしりと握手し合うドラコたちのことを苦笑いで眺めている私に、代表選手陣を囲む人垣を抜けてきた咲夜が話しかけてきた。

 

「魔理沙、私はリーゼお嬢様と一緒に行くからマホウトコロで会えるかも。何か足りない物があったら今日中に知らせて頂戴。その時渡せるわ。連絡を取れる方法が存在すればの話だけど。」

 

「へ? ……どういうことだよ? リーゼは校舎に招かれてるってことか? というか、いつそれを聞いたんだ?」

 

中庭で謎めいた問答をして以来、私はリーゼをホグワーツで見かけていない。ハーマイオニーは何回か寮の部屋に帰ってきたと言っていたし、ハリーやロンも普通に授業で会ったらしいが、何故か私とはすれ違い続けているのだ。

 

そのことを怪訝に思いつつ聞いてみると、咲夜はちょびっとだけ腑に落ちないような顔付きで返事を寄越してくる。

 

「今さっき会ったのよ。向こうの校長先生からの招待を受けたから、明日の朝にマホウトコロに移動するんですって。……ホグワーツ生は試合直前に行ってすぐ帰ってくるだけだし、試合後のパーティーにも出られないでしょ? だから私も一緒にどうかって誘ってくれたの。お嬢様のお付きとして随行すれば参加できるらしいから。」

 

後半を小声に変えた咲夜に、リーゼの姿を探しながら相槌を打つ。今さっき会ったということは、まだその辺に居るはず……居た。ハーマイオニーやロンと一緒にハリーを激励しているようだ。

 

「それは分かったが、リーゼが居るなら私も話したいことが──」

 

そこまで口にしたところで、マクゴナガルの大声が大広間に響く。出発の時間になってしまったらしい。つくづくタイミングが悪いな。

 

「皆さん、そろそろポートキーの時間ですよ! ……昨夜の壮行会で皆さんの気持ちは充分に伝わっていることでしょう。ならば今日の私たちがすべきことはただ一つ。マホウトコロを打ち倒しに行く代表選手たちを、ポートキーに乗り遅れないように送り出すだけです。」

 

校長閣下の声に従って、生徒たちが慌てて代表選手たちを激励の拘束から解放した。確かにポートキーに乗り遅れるのは洒落にならんな。リーゼのことは気になるが、私もトランクを持って移動の準備をしておいた方が良さそうだ。

 

遠巻きに見守ってくる生徒たちの声援を耳にしつつ、トランク片手に大広間の中央にある古ぼけたクアッフルへと手を触れる。イギリス魔法省が用意したロシアへのポートキーだ。そこからマホウトコロ側が用意したポートキーで日本に飛ぶらしい。

 

私、ハリー、ドラコ、スーザン、シーザー、ギデオン、アレシア、そして引率役のフーチ。八人がしっかりとポートキーに触っていることを確認したマクゴナガルが、キリッとした笑顔で教員テーブルの中央から声をかけてきた。

 

「私たちも明日応援に行きますからね。決勝戦まで進んだこと自体が誇るべき偉業ですが、あなたたちの頑張りを考えれば優勝したところでおかしくはないはずです。……マホウトコロの代表に目に物見せてやりなさい。クィディッチの強豪国だか何だか知りませんが、私から見ればあなたたちが劣っているとは到底思えません。ホグワーツこそが最強の学校だと世界に知らしめる良い機会です。これまで積み上げてきた努力はあなたたちを裏切りませんよ。そのことを胸に刻んで、マホウトコロの代表をこてんぱんにしてやりなさい。勝つのはあなたたちです!」

 

これはまた、マクゴナガルも密かに熱くなっていたらしいな。ガツンと教員テーブルをぶっ叩きながら放たれた鼓舞を受けて、私たち代表選手陣が揃って大きく頷いた瞬間、下腹部が引っ張られるようなお馴染みの感覚と共に視界が歪んでいき──

 

「っと。」

 

気付いた時には肌寒い草原に立っていた。つまり、ここはロシアなわけか。意外な形で訪れちゃったな。遠くに見える針葉樹の森や、上の方が白くなっている山々。周辺の景色からするに、ロシアの中でも北の方に移動した……のか? 詳しくない所為でよく分からんぞ。

 

役目を終えたクアッフルから手を離して大自然って感じの景色を見渡していると、少し離れた場所に立っている男性が私たちに呼びかけてくる。老年のアジア系の顔立ちで、茶色い『着物ローブ』姿だ。マホウトコロの関係者ってことか。

 

「お初にお目にかかります、ホグワーツの皆様。私はマホウトコロ呪術学院で教頭職を務めております、デンスケ・タチバナです。ここからは私が皆様の案内をさせていただくことになりますので、どうぞよろしくお願いいたします。」

 

タチバナね。漢字だと立花か橘ってとこかな? 久々の日本っぽい名前に何となく感動している私を他所に、フーチが歩み寄って握手を交わす。見た感じ七十代くらいか。禿頭の下の厳格そうな彫りの深い顔が性格を物語っているな。絶対に厳しいタイプの教師だぞ。

 

「引率役のロランダ・フーチです。よろしくお願いいたします。」

 

「どうも、マダム・フーチ。お会いできて光栄です。……ポートキーの時刻まではあと五分ほどございますので、少々この場で待機していただくことになります。こちらが私共が用意したポートキーです。」

 

言いながらタチバナが見せてきたのは、翅を畳んだ状態の金色に輝くスニッチ……の置物だ。サイズが明らかに競技用よりも大きいし、ポートキーとして利用し易いように作られた美術品なのだろう。ちょっと欲しいな。

 

かなりリアルに作られているそれを私たちが感心して覗き込んでいると、タチバナが追加の説明を場に投げる。ちなみに彼の英語は及第点といったところだ。聞き取るのに不便はないものの、独特な癖が強い感じ。『日本訛りの英語』ってとこか。

 

「それと、あちらにいらっしゃるのはロシア中央魔法議会の方々です。一応の警備を引き受けてくださいました。」

 

タチバナの視線を追ってみれば、やや遠めの位置でジッとこちらを見つめている銀朱のローブを着た魔法使いたちの姿が目に入ってきた。その数六人。警備というか、監視に近い雰囲気だぞ。

 

「ロシア議会の闇祓いだな。こんな僻地の監視に六人も割けるとは、さすがに層が厚いと見える。」

 

「やっぱ監視なのか?」

 

「単なる警備に闇祓い六人は多すぎる。見張られていると見て間違いないだろう。……イギリスに対する監視なのか、日本に対する監視なのかは分からないが。」

 

「両方に対してなのかもな。」

 

囁きかけてきたドラコに応じてから、物珍しい気分で銀朱ローブたちを観察する。そういえば開催パーティーの時にもグリンデルバルドが連れていたっけ。ただし、あの時と違ってこいつらはローブとお揃いの色の布で口元を隠しているな。身元を辿られないようにしているのか?

 

物騒というか、実用的というか、何にせよイギリスの闇祓いよりも威圧感があるぞ。私が知る限りでは闇祓いに『制服』を着用させているのはロシアだけだ。捜査機関というよりも、『軍隊』って印象を受けるな。

 

日本の闇祓いはどうなんだろうと疑問が頭をよぎったところで、フーチと話していたタチバナが声を上げた。そろそろ二度目の移動の時間らしい。

 

「あと一分です。準備をお願いいたします。」

 

指示に従って私たちがスニッチに手を触れるのを、身動ぎもせずに監視してくるロシア闇祓いたちへと気まぐれに手を振ってみれば……おお、振り返してくれたぞ。銀朱ローブたちは普通に手を振って送り出してくれる。何だよ、案外気の良いヤツらじゃんか。

 

まあ、そりゃそうか。あいつらだって普通に人間なんだもんな。子供が手を振れば振り返すだろうよ。見た目で判断してはいけないと学んだところで、タチバナが腕時計を見ながらカウントダウンを始めた。

 

「あと二十秒です。……五、四、三、二、一、移動します。」

 

神経質そうな声と同時に再び下腹部が引っ張られ、刹那の後に目の前に広がっていたのは……これはこれは、ゾクゾクしてくるな。ホグワーツ、ワガドゥ、カステロブルーシュ。これまで見てきた各国の魔法学校はどれも見事と評すべき見た目だったが、最も私の琴線に触れるのはマホウトコロだったらしい。結局私の本質は日本人のままだということか。

 

波一つない鏡のような水面に囲まれた薄暗い空間の中、長い長い平坦な瓦屋根付きの木の橋を左右に並ぶ木燈籠が怪しく照らしており、その終点には荘厳な楼閣が聳え立っている。華やかな美ではなく、静謐の美だ。『趣がある』というのはこういう時に使うべき表現だったわけか。

 

現世から切り離された幽界のような雰囲気に感嘆の吐息を漏らしていると、隣に居たギデオンがポツリと感想を呟いた。

 

「……暗いな。それに静かだ。何というか、寂しい雰囲気だぞ。」

 

「お前な、それが良いんだろうが。日本における美しさってのは、薔薇の庭園じゃなくて枯山水の庭なんだよ。動的な派手さじゃなくて静的な落ち着きなんだ。」

 

「急に熱くなるなよ、マリサ。……『カレサンスイ』って何だ?」

 

「要するに、風情だよ。私がイギリスで欠乏症に陥ってたものだ。ようやく補充できて大満足だぜ。」

 

これこそ美なのだ。押し付けるような煌びやかな美は食傷気味だぜ。きょとんとするギデオンに物の道理を語りながら、久方振りの『感じ取る美』を堪能していると、タチバナが僅かに顔を綻ばせて話しかけてくる。

 

「嬉しいですね。この景色の価値を理解していただけるとは思いませんでした。他国からいらっしゃった方々は、大抵の場合『退屈である』と判断なさるようですから。」

 

「まあ、私は日本で生まれたからな。こっちの価値観が合うんだろうさ。」

 

「日本で? ……確か、貴女はチェイサーのマリサ・キリサメさんでしたね? キリサメ、『霧雨』? 珍しい苗字をお持ちのようだ。私はこちらの魔法界における苗字の大半を把握しているつもりですが、初めて耳にするお名前です。」

 

おおっと、マズいな。もっと考えて喋るべきだった。私が痛いところを突かれて焦っている間に、ハリーが余計な情報を追加してしまう。

 

「マリサは魔法族の生まれだったはずですよ。魔法を使う家業を継ぐ予定みたいですから。ホグワーツには十一歳の頃から留学に来てるんです。だよね?」

 

「あーっと、それはだな……。」

 

「ほう、魔法族の。ご両親はマホウトコロの卒業生ですか? 私は五十年前からここに勤めておりますので、そうであれば名前を忘れるはずなどないのですが……ふむ、苗字が変わったとか?」

 

「そういうわけじゃないんだが、マホウトコロとは関わりが薄いんだ。私の故郷は別の……そう、別の魔法体系を受け継いでるからさ。」

 

頭をフル回転させて言い訳を絞り出している私へと、タチバナは尚も質問を放ってくる。別に何かを疑っているわけではなく、単純に興味があるという様子だ。

 

「興味深いですね。御三家の傘の下にない魔法家というわけですか。まだそんな家が残っていたとは思いませんでした。どの辺りのご出身ですか?」

 

「いや、あー……悪いが言えない。理由は分かるだろ?」

 

知らんけど、分かってくれ。それっぽい感じにぼやかしてやれば、タチバナは……よしよし、セーフ。勝手に納得してくれたようで、話を切り上げてから先導し始めた。危なかったな。

 

「これは失礼を。無理に詮索すべきではありませんでしたね。享保の制約に同意しなかった魔法家の存在を、今の『松平派』は許容しています。過去の愚行を許せとは口が裂けても言えませんが、嘗てのような迫害は有り得ないということだけは分かっていただきたい。……それでは行きましょうか。」

 

うーむ、日本の魔法界も色々あったらしいな。『松平派』と『過去の愚行』か。私には事情がさっぱり分からんが、タチバナの神妙な表情からするに愉快な歴史ではないのだろう。制約とやらに同意しなかった魔法族の家系に、何らかの迫害をしたってことかな?

 

日本の魔法史も少しは勉強してみるかと魔法史嫌いの私らしからぬ決意をしたところで、真っ赤な欄干の近くを歩きながら水面を眺めていたアレシアが声を上げた。

 

「わっ。……鳥?」

 

何事かと目を向けてみれば、離れた位置の水面から次々と黒い鳥たちが飛び出してくるのが視界に映る。デカいな。人間数名くらいなら余裕で乗せられそうな大きさだ。白いライン状の模様がそれぞれ違っているのが面白いぞ。

 

「我が校で飼育しているウミツバメたちです。外での運動を終えて鳥舎に戻るところですね。」

 

「『外』?」

 

「マホウトコロの領地は太平洋にある孤島の『湖の下』にあるのです。湖を境に天地が反転していますから、『湖の上』にと表現すべきなのかもしれませんが。」

 

「えっと、湖面を境に世界が逆さまになっていて、その湖面の上に……下に? 私たちは立っているってことですか?」

 

スーザンが小首を傾げながら送った問いかけに、タチバナは首肯して口を開く。リーゼやアリスから聞いた通りだな。

 

「その通りです。仮に橋から飛び降りて潜っていけば、境界を抜けて『表の世界』に出ることになるでしょう。」

 

「本で読んで知ってはいましたが、直に見ると面白いですね。この橋やあの城はどうやって支えているんですか? 沈んでいかないということはつまり、土台があるわけでしょう?」

 

シーザーが楼閣へと飛んでいくウミツバメたちを眺めながら飛ばした疑問に対して、タチバナはハキハキとした口調で回答した。

 

「境界部分に対となる重石を置いているのです。表とこちらでは重力が反転していますから、ちょうど橋や城を支えている柱の位置に反対側から重石を沈めれば、互いの重さで押し合って均衡が保てるわけですね。人や物の移動による細かい荷重の変化に対応するための魔法もかかっていますので、我々がこうして橋の上を歩いたところで均衡が崩れることはありません。生徒たちが一斉に居なくなる長期休暇の時などは手作業で調整する必要がありますが。……更に、城自体にも大掛かりな仕掛けが備わっています。そこは実際に城に入った後で説明しましょう。『体験』した方が早いでしょうから。」

 

「体験、ですか。楽しみにしておきます。」

 

「加えて湖の水の重さも調整のための魔法に利用しておりますので、一部を除いて水の層はそれなりの厚さになっています。ウミツバメたちは勢いよく湖面に飛び込むことでそれを越えているわけですね。箒でも越えられますよ。慣れないうちは天地の反転に戸惑うでしょうが。」

 

「あら、それは面白そうですね。是非やってみたいです。」

 

私もやってみたいぞ。フーチが感心したように応じたのに、タチバナは歩を進めつつ返事を返す。湖にちらほらと浮いている蓮の葉を横目にしながらだ。

 

「でしたら、後で飛行のための時間を設けましょうか。生徒たちは日常的にやっていることですし、何より皆様も試合前にマホウトコロの空気を感じておきたいでしょう。生徒たち曰く、この辺りの空気は他より『重い』ので、箒で飛ぶと微細な違いがあるそうですから。……箒が得意ではない私にはよく分からない差ですが、専門家である皆様は気になるかもしれません。」

 

「やはり海が近いことが関係しているのでしょうか?」

 

「かもしれませんね。何にせよ、試合前に確認しておきたいのであれば飛行許可は出せますよ。マホウトコロとしましては、皆様が不便なく試合を迎えられることを心から望んでおります。何か要望があれば遠慮なくおっしゃっていただきたい。可能な限り対応させていただきますので。」

 

ふむ、気遣ってはくれるわけか。ドラコの質問に応答した後、マホウトコロの姿勢を伝えてきたタチバナの言葉を脳内で咀嚼していると、城の門の前に数名の人影が立っているのが目に入ってきた。全員『着物ローブ』姿で、十人以上は居るな。

 

木製の大きな門は城門というよりも、寺とか神社の門っぽい雰囲気だ。そして近くで見るマホウトコロの校舎は何とも不思議な構造をしている。木製の渡り廊下がこう、迷路みたいに複雑に交差しているらしい。提灯や燈籠が瓦屋根の各所にある飾りを控え目に照らし、障子窓だったり網目状の木組みの壁板が不規則に配置されているこの感じは……『和風の迷宮』って印象も受けるな。いやまあ、教育施設には相応しくないイメージかもしれないが。

 

言うなれば、『秩序ある混沌』だ。矛盾している言葉かもしれんが、ぴったりな評価である気がするぞ。荘厳な秩序ある楼閣を基礎として、そこから増築を繰り返して無理やり部屋や通路を付け足しまくったって感じ。秩序と混沌。そんな相反する二つの要素を見事に内包しているな。

 

ホグワーツ城も近い雰囲気ではあるが、あれはイギリス的な秩序と混沌であって、マホウトコロのそれはまた違うように思える。規則正しく整った物を無規則に配置しているような……何て言えばいいんだろうか、こういうのって。今まで触れたことのない建築様式だな。

 

とにかく、私は気に入った。それだけ分かっていればいいかと勝手に結論付けたところで、タチバナが門の下に立っている連中の説明を寄越してくる。

 

「我が校の代表選手たちと、皆様の世話役となる生徒たちです。世話役には英語が堪能な者を選びましたので、何かご不明な点があれば何なりと尋ねてください。」

 

ワガドゥがそうしたのと同じく、マホウトコロも案内役を付けてくれるってことか。人数を見るに一人につき一人付いてくれるっぽいな。私の『担当』はどの生徒だ?

 

アジア的な顔触れを順繰りに確認しながら考えていると、歩み寄ってきた一人の女子生徒が真っ直ぐドラコに視線を向けて声をかけた。マホウトコロのキャプテンでありエースチェイサーの、カスミ・ナカジョウだ。

 

「ようこそ、ミスター・マルフォイ。歓迎するわ。」

 

「開催パーティー振りだな、ナカジョウ。明日の試合では全力でプレーさせてもらうから、そちらも全力で当たってきてくれ。」

 

『……えと、何て言ったの? 通訳してくださいよ、教頭先生。さっぱり分かんないです。』

 

締まらんな。最初の拙い英語は事前に覚えておいただけだったらしい。情けない半笑いで聞いたナカジョウに、タチバナが額を押さえながら小声の日本語で応じる。

 

『中城君、今の英語は聞き取れて然るべきレベルの内容だったと思うがね。君はもう三期生だ。後輩に恥ずかしい姿を見せないように、もう少し外国語の勉強を頑張りたまえ。』

 

『分かってますって。恥ずかしいからお説教は後にしてください。今はお客さんたちの前ですよ?』

 

『……では、後で英語の吉村先生に伝えておくことにしよう。特別扱いも程々にするようにとね。』

 

『三期生』? どういう意味なんだろうか? ナカジョウはインタビュー記事によれば十八歳だったはずだぞ。私がマホウトコロのシステムに対する疑問を抱いているのを他所に、タチバナはこちらに向き直って英語で話しかけてきた。

 

「中城は正々堂々とした悔いのない試合を望んでいるそうです。そのためにもマホウトコロを我が家と思って試合前まで寛いでもらいたいと言っています。……それでは、中に入る前に案内役の生徒に自己紹介をさせておきましょう。」

 

全然そんなこと言ってなかったぞ。しれっと大嘘を吐いたタチバナが目線で指示を飛ばすのに従って、七人の世話役たちがそれぞれの『担当』に近付いて自己紹介を始める。私の前に小走りで近寄ってきたのは……同世代くらいの女の子だ。光の当たり方によってはやや緑色が入っているようにも見える、黒髪のロングヘアの女生徒。美人さんだな。

 

「ど、どうも! 今回世話役を務めさせていただきます──」

 

『日本語でいいぞ。見た目はちょっと外国人っぽいけど、私はこっちの出身だからな。』

 

『へ? ……そうだったんですか。良かったぁ。英語は発音とかが不安だったんです。』

 

心底安心した様子でへにゃりと笑った女生徒は、手を揃えて綺麗にお辞儀しながら自己紹介をやり直してきた。大和撫子って感じだな。私とは縁遠い言葉だ。

 

『じゃあその、改めまして……キリサメさんの世話役を務めさせていただく、東風谷早苗です。よろしくお願いしますね。』

 

『こちや? 珍しい苗字だな。どんな字を書くんだ?』

 

『あー、よく言われます。東の風の谷って書いて東風谷です。早苗は普通に早いに木の苗の苗ですね。』

 

『なるほどな。……霧雨魔理沙だ。霧のような雨の霧雨に、魔法の魔と理由の理、さんずいに少ないで沙。よろしくな。』

 

手を差し出してこっちも漢字を説明してやると、東風谷は一瞬だけきょとんとした後、何かに気付いたように慌てて手を握ってくる。

 

『あっ、はい。よろしくお願いします。……誰かと握手したのなんて久し振りです。イギリスでは普通なんですか?』

 

『あーそっか、日本じゃあんまりしないか。イギリスだと日常的にやるぜ。……ちなみに歳は?』

 

『十五歳です。』

 

『ってことは……んー、一個下の世代かな?』

 

自分の誕生日を知らんから何とも言えないが、私を暫定的に十六歳だとすればそうなるはずだ。いや待て、日本だと四月が学期の境になるんだっけ。そうなると……ああもう、分からんな。一個下ってことでいいや。

 

面倒な思考を投げ捨てたところで、各々の『自己紹介合戦』を見守っていたタチバナが私たちを促してきた。

 

「自己紹介も済んだようですし、そろそろ行きましょう。先ずはお部屋にご案内いたします。」

 

『一人一部屋ですよ。結構良い部屋だから期待しておいてください。』

 

『へぇ、楽しみにしておくぜ。』

 

部屋も楽しみだが、『迷宮』の中に入れるのが先ず嬉しいな。内部はどんな構造になっているのだろうか? ……世話役もまあ良いヤツっぽいし、色々と聞いてみることにしよう。好奇心が疼くぜ。

 

東の果てにある魔法学校の門を潜り抜けながら、霧雨魔理沙は期待に胸を躍らせるのだった。

 



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天才の天敵

 

 

「あっと、待ってください。ここは廊下を動かさないといけないんです。二階の中心部は四面全部を使ってますから。」

 

『四面』? 先導する東風谷の日本語での説明に首を傾げつつ、霧雨魔理沙は彼女が何か作業をするのを興味深い気分で眺めていた。どうやら城の二階部分を結ぶ渡り廊下の入り口にある、木のレバーのような物を操作しているらしい。近代的な機械というか、『からくり』って感じの操作盤だな。ちょっと心惹かれるものがあるぞ。

 

ロシアを経由してマホウトコロに到着した私は、現在世話役の東風谷の案内に従って城の天辺を目指している最中だ。他のホグワーツ代表たちは素直に宿泊する部屋へと案内されていったが、どうしても最初に天辺からの景色を見ておきたくて頼んでみたところ、東風谷がオーケーを出してくれたのである。

 

黒御影石の広い玄関は見事の一言だったし、一階の廊下のガラスケースに展示されていたマホウトコロの歴史に関わる品々も面白かった。次は何が出てくるのかとワクワクしながら東風谷の操作を観察していると、彼女は十字の溝からして上下左右の四方向に動くらしいレバーを下から上に動かした後、操作盤の下に凧糸のようなものでぶら下がっている真っ黒な木札を引いてから口を開く。それらしい音はしなかったし、一見した限りでは何も変わっていないぞ。

 

「えっとですね、この渡り廊下の先にあるのはマホウトコロの中心部分でして、教室や研究室なんかが集まっている区画なんです。だからスペースを有効活用するために、上下左右の全部を床にしているんですよ。今の操作でどこを床にするかを決めていたわけですね。……この説明で分かりますか?」

 

「さっぱり分からんし、見た方が早いと思うぞ。百聞は一見に如かずだ。行ってみよう。」

 

「じゃあ、行きましょうか。ぐにゃってなりますけど気にしないでください。」

 

『ぐにゃ』? 曖昧な効果音での注意にクエスチョンマークを浮かべながら、東風谷の背を追って渡り廊下に足を踏み入れてみれば……おー、確かにぐにゃってなったな。騙し絵の中を歩いているみたいだ。まるで渡り廊下全体が回転しているかのように自分にとっての『地面』が徐々にズレていき、先に進むにつれてさっきまで床だった面が壁に、そして天井だった面が床へと変わっていく。マホウトコロの領地そのものが反転しているのだと考えると、天地が『正常』に戻ったということか。

 

むう、実に不思議な感覚だな。随分と変わったデザインの渡り廊下だと思ったが、この仕掛けのためだったのか。全体的には四角い普通の和風の渡り廊下なのに、床板の面が途中からくるんと左右に分岐して廊下全体を包み込むように伸びており、最終的には天井までもが床板になっていたわけだが……別に前衛的なデザインの廊下だったわけではなく、文字通りそこが床になるから伸びていただけらしい。

 

そして捻れた渡り廊下を抜けた先には……これは良い。クソ面白い光景だぜ。重力を発見したヤツが憤慨しそうな光景が広がっていた。この城の中じゃリンゴは必ずしも下に落ちないし、『地に足をつける』という言葉は何の意味も持たないわけか。魔法界の不条理もここに極まれりだな。

 

私から見れば天井を歩いている生徒や左右の壁を床にしている生徒たちが行き交い、横倒しになった階段があったり、私にとっての床にドアがあったり、頭上に一階が覗ける吹き抜けがあったりでもう滅茶苦茶だ。かなり広めの四角い空間を『余すところなく』廊下として活用しているらしい。

 

「大したもんだぜ。」

 

頭上を小走りで通過していく本を抱えた生徒のつむじを見上げながら呟くと、東風谷は嬉しそうな顔付きでこっくり頷いてきた。吹き抜けを利用して一階の生徒とキャッチボールをしているヤツも居るな。私からすれば遥か上の一階の廊下に逆さまに立っている生徒が、クアッフルを『下に放り上げている』わけだが……うーむ、慣れるまで混乱しそうだ。この廊下のシステムは、もしかしたらホグワーツの中央階段より非常識かもしれないぞ。

 

「ですよね、私も初めて来た時はワクワクしました。……まあ、その後授業が始まると教室を探すのに手間取って苦労したんですけどね。要するに四倍の密度になってるわけですから。」

 

「これって上に何かを投げたらどうなるんだ?」

 

「持って入った物なら普通に落ちてきますよ。物も人もどこを下にするかはこの空間への入り口で決定されるんです。窓から出ちゃうとマホウトコロ全体のルールが適用されますけどね。……基本的には真ん中あたりを歩いた方がいいですよ。端に寄ると壁を歩く人とかにぶつかっちゃいますし、ドアを踏むと怒られますから。廊下自体が広いのでそんなに神経質になる必要はありませんけど。」

 

確かに広いな。恐らく私の足元には右側を床とした時の教室と、左側を床とした時の教室があるのだろう。そんな感じに詰め込んでいった結果、廊下そのものが広くなったわけか。

 

ただまあ、省スペースという点で言えば間違いなく有効な設計だろうな。壁や床の分を考慮すれば、単純に四階層使用するよりも一階層の四面を使った方が良いはずだ。壁が床であり、天井が壁であり、床が天井なのだから。いやはや、考えているとこんがらがってくるぞ。

 

しっかし、奇妙な感覚だ。足元に『上に吊り下がっている』照明があるのも、天井にドアがあったりするのも違和感が強いが、四面全部が板張りの床ってのもモヤモヤするな。ドアを踏まないように注意しながら進んでいくと、東風谷が曲がり角の先にあった階段を指して新たな説明を……何だあの階段は。床から生えていて、天井に繋がっているぞ。くの字に曲がっている。

 

「渡り廊下まで戻って天地を変えるのが面倒な時は、ああいう階段を利用してください。一見すると落ちそうに見えますけど、案外普通に使えますから。」

 

「あー……前半は上り階段で、途中から天井に下りるってことか? どう考えても重力が切り替わる境目で落ちちゃう気がするんだが。」

 

「それが落ちないんですよ。ほら、見ててください。」

 

ちょうど階段を利用するらしい生徒を指差した東風谷の言う通り、年少の男子生徒はくの字の階段を見事に上りきって……というか、下りきってしまう。なるほどな。真ん中で一度天井でも床でもなく『奥』が下になるのか。ワンクッション挟むわけだ。

 

よく考えてみれば、さっきの曲がり角でも似たようなことが起きていたな。私たちからすれば何の変哲もない左方向への曲がり角だったが、左側の壁を歩いていた連中からすればあれは『物凄く深い落とし穴』だったはず。それなのに曲がった今も左右の壁に通行人が居るということは、同じような仕組みで手前や奥を下に切り替えたということなのだろう。

 

理屈としては理解できるものの、見ていると混乱してくる四面廊下……厳密に言えば四面どころじゃないわけだが。の光景を横目に歩を進めていると、東風谷は廊下の右側にある下り階段を下り始めた。さっき天井を床にしたから、下りると城を上っていることになるわけだ。まったくもって難解な城だぜ。

 

「今私たちは二階から三階に下ってるってことだよな?」

 

「ですね。二階は中心部以外が正常で、中心部は四面を使ってますけど、三階は全体が反転してます。そして四階は中心部だけが正常です。ちなみに側面を床にすることで上まで一直線に歩いていける廊下もあるんですけど、今は立ち入り禁止になっているのでこうやって地道に上っていくしかないんです。」

 

「何だってそんな複雑になってるんだ?」

 

「そこはよく分からないです。天地を入れ替える魔法の齟齬を緩和するためにやってるって習いましたけど、具体的にどう緩和してるのかは呪学の専門的な内容ですから。期生になってから学ぶんだと思います。」

 

ぽんぽん新しい言葉が飛び出てくるな。ホグワーツと違って通行を邪魔してこない階段を下りつつ、説明してもらうために問いを投げる。そういえば校門前の会話でも『期生』って言葉は出てきたっけ。

 

「『呪学』と『期生』ってのは?」

 

「呪学は……ううん? 呪学です。物を変身させたり、浮かせたり、小さくしたりする呪文を学ぶ分野ですね。さっき廊下を飛び交ってた連絡用の紙飛行機を飛ばすのも呪学の内容ですし、松ぼっくりをスズメに変えるのも同じく呪学の範囲です。」

 

「イギリスで言う、変身術と呪文学を合わせたような内容ってことか。期生の方は?」

 

「卒業した後の……何て言えばいいんでしょうか? 追加の三年間を送っている生徒のことをそう呼ぶんです。一期生、二期生、三期生って。」

 

うーん? いまいち分からんぞ。東風谷の方もどう説明したら良いかが分からないようで、先に根本的なシステムの解説を寄越してきた。

 

「マホウトコロは七歳で入学して、九年生で卒業なんです。でもそれだと十六歳で卒業しちゃうことになるので、追加の三年間を選択できるわけですね。つまり、各分野の専門的なことを学べる三年間を。」

 

「へぇ、ホグワーツとは全然違うな。十五歳ってことは、東風谷は九年生なのか?」

 

「いいえ、八年生です。私は誕生日が四月なんですよ。十四歳で八年生になって、直後に十五歳になっちゃったわけですね。」

 

「そっかそっか、八年生にも十五歳にもなったばっかりってことか。……東風谷も期生になるのか? 聞いた感じだとそうするのが普通っぽいな。」

 

つまるところ、期生というのはマグルで言う高校……もしくは大学みたいな課程に位置するわけだ。選択式の専門課程か。ホグワーツにおける六年生以降の授業選択に近いな。そんなことを考えつつ放った疑問に、東風谷は少しだけどんよりした顔付きで応答してくる。

 

「んー、どうでしょうね。私はそのまま卒業するかもしれません。魔法界はちょっと合ってないみたいですから。」

 

「そうなのか?」

 

「私、この学校には転入してきたんです。マホウトコロでは四年生まで初等課程ってことで基礎的なことを学んで、五年生からもう少し実践的なことを学ぶんですけど、私は五年生からの入学でして。何て言うか、その……落ちこぼれ気味なんですよね。」

 

転入ね。ホグワーツでは聞いたことがないが、マホウトコロではそんなこともあるのか。白い蛇を模した髪飾りを弄りながら、東風谷はしょんぼりした声色で続きを語ってきた。

 

「要するに、魔法力が弱すぎて一年生の入学には引っ掛からなかったんですよ。転入するってことは十一歳まで身体が成長してようやく入学の基準に魔法力が達したって意味ですから、ただでさえ転入組はバカにされがちなんです。おまけに私は蛇舌なので、あんまり馴染めていないわけですね。」

 

「蛇舌?」

 

「そっちで言うパーセルマウスです。蛇と話せるのは日本では縁起の悪いことでして。」

 

ハリーと同じだ。まあ、ハリーはもう話せないらしいが。リーゼによれば彼のパーセルマウスはヴォルデモートの魂の欠片の影響によるものだったようだし、生まれながらのパーセルマウスを直に見たのは初めてってことになるな。

 

「日本でもなのか。こっちでは蛇神信仰とかもあるだろ? 干支にだって関わってるし、一概に縁起が悪いってのは意外だぜ。」

 

「大昔に蛇舌の陰陽師が居たんです。日本の魔法界じゃ誰もが知ってるような大悪人が。その人は京で悪行三昧をした挙句、欲しい物を手に入れるために大きな災害とかも引き起こしたそうでして。そのイメージが根強く残ってるんですよ。……この国の魔法界じゃどこも受け入れてくれないでしょうし、卒業したら家業を継ごうかなって思ってます。どうも私には非魔法界がお似合いだったみたいです。魔法の世界には凄く憧れて入ったんですけどね。いざ入ってみれば、魔法力がなさすぎてまともに箒で空を飛ぶことすら出来ない始末ですよ。現実の厳しさを思い知りました。」

 

うーむ、同情してしまうな。魔法力が弱いのも、パーセルマウスなのも生まれつきだ。東風谷に責任はないはずなのに。

 

「家業ってのは?」

 

「家が神社なんです。小さな神社ですけどね。両親は小さい頃に亡くしているので、今は親戚の叔父さんが管理してくれてるんですけど、継ぎたいなら手配してくれるって言ってくれました。」

 

「神社か。巫女さんってわけだ。」

 

「ですです。……由緒ある神社なんですけど、最近はやや落ち目でして。私はそこの神様たちに大恩がある身ですから、何れにせよ大人になったら復興させようと思ってたんです。だからまあ、収まるところに収まるって感じではありますね。」

 

三階の廊下……明るくて華やかだった二階とは違って、漆喰の壁と黒い木材で構成されている落ち着いた雰囲気のそこを進みつつ、東風谷に肩を竦めて助言を送る。無骨な廊下だ。二階の大廊下が煌びやかで煩雑な遊郭なら、この階は古式ゆかしい日本の城って内装だな。

 

「でもよ、魔法に未練はあるんだろ? 期生をやってみてからでも遅くはないんじゃないか? ……部外者の無責任な発言だけどよ。」

 

「まあその、確かに未練はあるんですけどね。どうせ神社に集中するなら早い方がいいじゃないですか。」

 

東風谷の言い方は積極的にそうしたいというよりも、『仕方がないから』と諦めている感じだ。窓の外に広がっている逆さまの景色を横目にしながら、寂しそうな苦笑いで呟いた東風谷に持論を語った。どうやら進行方向に見えている複雑に折れ曲がった階段を下りて、四階に上ることになるらしい。どう見てもまともな形じゃないし、また天地がひっくり返るっぽいな。

 

「あくまで私の考え方だが、やりたいこととすべきことは分けた方が良いと思うぜ。いやまあ、神社の再興だって『やりたいこと』なのかもしれないけどさ。三年間追加で魔法を勉強してみてからでも遅くはないんじゃないか? 魔法力が少なくても、細かい杖捌きを磨けば使える呪文は増えるしな。……私たちはまだ十代だろ? 先ず好きなことをやってみて、それから後のことを考えればいいじゃんか。」

 

「……霧雨さんはオプチミストなんですね。皮肉じゃなくて、本心から羨ましいです。私はどうもダメな方に思考が寄っていっちゃうようでして。生まれながらのペシミストですよ。我ながら嫌になります。」

 

「ま、私は石橋を叩いて渡るタイプではないな。先ず渡ってから考えるタイプだ。いざとなったらジャンプして乗り越えちまえばいいのさ。仮に途中で橋が落ちたとしても、全力で跳べば向こう岸にしがみ付けるかもだろ?」

 

「カッコいいと思いますよ、そういう考え方。」

 

クスクス微笑みながら言った東風谷と共に四階への階段を下り……上りきり、再び正常になったマホウトコロの領域を網目状の板越しに眺める。ここからだと橋がよく見えるな。二階が大きかったので、普通の四階よりも高い場所に位置しているらしい。

 

そして今度の廊下は華やかでもなく、無骨でもなく、些か重苦しい怪しげな雰囲気だ。左右に障子戸が並んだ細い通路が、物凄く複雑に交差しているって構造なのかな? 迷路みたいだぞ。

 

「階層ごとに全然違う雰囲気だな。」

 

等間隔に燭台が置かれている焦げ茶色の板張りの廊下。どの曲がり角の先を見ても同じような廊下が続いていることを確認しながら言ってみれば、東風谷は困ったような笑みで解説してきた。

 

「建築した人が違うらしいので、その所為じゃないでしょうか? マホウトコロは場所によって異なる顔を見せるんです。寮の雰囲気なんかも全くと言っていいほどに違ってますよ。」

 

「三つの寮があるんだろ? それは本で読んだぜ。」

 

「対外的な言い訳として『クィディッチで競う相手が欲しくて分かれた』というのがよく使われてますけど、実際はもっと身も蓋もない理由がありまして。日本魔法界は大きく分けて三つの派閥に分かれているので、それに合わせて寮も三つあるってだけなんです。葵寮と、桐寮と、藤寮ですね。そのまま派閥と捉えて問題ありません。一階の展示スペースに三つの家紋が飾られてたのを覚えてますか?」

 

「あー、あったな。あれが寮の家紋……寮紋? なのか。」

 

仰々しく飾られていた三つの家紋を思い出している私に、東風谷は呆れたような口調で説明を続ける。

 

「寮のというか、派閥の紋章です。立葵、五三鬼桐、下がり藤。それが日本魔法界の全てですよ。初等課程は寮生活じゃなくて通学なんですけど、その期間にどの紋を選ぶかを決めるわけですね。派閥の選択は将来の仕事にも繋がりますから、日本魔法界では凄く重要なことなんです。」

 

「寮を選ぶことで属する派閥を選択するってわけだ。東風谷はどこなんだ?」

 

「一応寮は葵寮ですよ。立葵が葵寮を仕切る『松平派』の紋で、五三鬼桐が桐寮を仕切る『細川派』の紋、下がり藤が藤寮を仕切る『藤原派』の紋です。……転入組は自動的に振り分けられるので、派閥には入れてもらえませんでしたけどね。寮の中では針の筵ですよ。私だけが『余所者』なわけですから。」

 

「……それは辛いな。」

 

派閥か。ホグワーツのシステムとは似て非なるものだな。ホグワーツの四寮は外の生活と分離しているが、マホウトコロの三寮は国のシステムそのものと直結しているわけだ。卒業後の生活とも深く関わってくるのだろう。

 

何と声をかければいいか分からなくなった私へと、東風谷は儚げな微笑で応じてきた。

 

「辛いですけど、もう慣れました。少なくとも先生方は平等に扱ってくれますし、学年が進むにつれて同級生たちのやり方も『ちょっかい』から『無視』の方向に変わってきましたから。……強いて言えば、八重桜の紋が私の所属なのかもしれません。白木校長の家紋です。無派閥ってことですね。」

 

「他にも無派閥の生徒は居るのか?」

 

「極々少数ですけどね。でも大抵は私のようなはみ出し者じゃなくて、主義として無派閥を貫いている人たちです。……あとはここの螺旋階段を上れば天守に直通ですよ。五階、六階、七階もあるんですけど、全部通過すると結構な時間がかかっちゃいますから。」

 

「興味はあるな。後で見られるか?」

 

この際全部を見ておきたいという思いで放った願いに、東風谷は難しい顔で曖昧に首肯してきた。ダメなのか?

 

「その三階層はそれぞれの派閥の色が濃い階ですから、むしろ私と一緒じゃない方がいいかもしれませんよ。三派閥もお客様には気を使うでしょうし、霧雨さんは日本語を話せますから派閥に所属している人に案内を頼んだ方が色々と見られるはずです。部屋に案内した後で教頭先生に話しておきます。」

 

「私はお前に案内してもらいたいんだけどな。」

 

肩を竦めて主張してやると、東風谷はきょとんとした後……へにゃりと顔を綻ばせながら恥ずかしそうに頷いてくる。うむ、いい表情だ。しょんぼりしているよりもずっと魅力的だぞ。

 

「えへへ、嬉しいです。じゃあ、下りる時はそっちの道を使いましょうか。」

 

「ん、お前さえ大丈夫ならそうしてもらえるとありがたいぜ。……長い階段だな。」

 

和洋が混ぜこぜになったような螺旋階段。明治とか、その辺の建築様式なんだろうか? そこを上りながら呟いた私に、東風谷は懐かしそうな顔付きで思い出話を口にした。

 

「ここ、私の思い出の階段なんですよ? マホウトコロに入って少し経った頃、何もかもが上手くいかないのが悔しくてよくここで一人で泣いてまして。そうすると指導役の先輩がひょっこり現れて側で慰めてくれたんです。どうして私の居場所に気付けたのかは今でも疑問ですけどね。」

 

「指導役? いい先輩じゃんか。」

 

「マホウトコロでは一年生に九年生の指導役が付く決まりになってるんですけど、転入組にも最初の年……つまり、五年生の時に九年生の指導役が付くんです。私の指導役は霧雨さんも知ってる人ですよ。」

 

「私が? ……ああ、代表選手ってことか。」

 

私が知っているマホウトコロの生徒は代表選手陣だけだ。そう思って口に出してみれば、東風谷は正解とばかりに首を縦に振ってくる。

 

「はい、私の指導役だったのは中城先輩なんです。」

 

カスミ・ナカジョウか。意外な繋がりに驚いたところで、螺旋階段の終わりが見えてきた。微かな光が差し込むそこを目指しつつ、東風谷は悲しそうにポツリと言葉を漏らす。

 

「……今はちょっと嫌われちゃったみたいですけどね。あんなに面倒を見てもらったのに、全然上手くやれていないのが期待外れだったのかもしれません。卒業したら出て行けって言われちゃいました。お前じゃ期生は無理だって。」

 

「何だよそれ、勝手すぎるだろ。」

 

「中城先輩はマホウトコロのスターですから、私なんかが指導した生徒ってのは似合わないんですよ。当然の反応なんだと思います。私は結局、あの人の唯一の『汚点』にしかなれなかったわけですね。……才能が無いなら何をしても無駄なんだそうです。」

 

「……私はそうは思わんけどな。才能なんてのは切っ掛けに過ぎないんだ。向き不向きがあるってことは認めるが、最後にものを言うのは積み上げた努力の方だぜ。」

 

それこそが私の信念だ。一段飛ばしで登っていけるヤツだって、最初から高みに居るヤツだって確かに存在するんだろうさ。だが、ひたすら地道に一段一段登っていけばいつかは追いつける。そして追い越すことだって出来るはずだぞ。

 

自分の柱になっている信念を語ったところで、螺旋階段を上りきって天守に出た。……凄いな。視界いっぱいに広がる昏い湖面と、そこを横切る流麗な橋。頭上には深い静かな闇だけが漂っており、二十羽ほどのウミツバメたちがじゃれ合うように飛行している。美しい幻想的な風景だ。

 

「……なあ、中城に箒の才能があるってのは認めるよな?」

 

壁が無いのに風一つ感じない天守の手摺りに寄りかかって問いかけてみれば、東風谷は何を今更という表情で応答してきた。

 

「そりゃあ、認めますよ。あの人ほど才能がある飛び手は存在しません。普段殆ど練習してないのに、豊橋天狗から新人としては史上最高額の契約金を提示されたんですよ?」

 

「じゃあよ、明日の試合で私が中城を抑えてみせたら……どうだ? 努力は無駄じゃないって証明にならないか? 私だって箒捌きに自信があるが、それは必死に練習してきたからだ。才能じゃなくて、努力の結晶だぜ。」

 

「それは……その、難しいと思いますよ? 霧雨さんの実力が足りていないとはもちろん言いません。ホグワーツだってここまで勝ち上がってきたわけですし、凄く凄くクィディッチが上手いのは分かってます。でも、中城先輩は特別なんです。あの人はクィディッチの神様に選ばれた人間なんですよ。」

 

「はん、そんなもん知ったこっちゃないな。クィディッチの神様なんかの手助けは要らんぜ。私は私が培った力で中城を抑えてみせる。そしたらよ、東風谷。お前は悲観主義者をやめてみろ。派閥云々の問題もあるわけだし、期生に進むかどうかはお前の選択次第だが……少なくとも努力が無駄じゃないってことは私が証明してみせるからさ。」

 

気に入らんのだ。東風谷を取り巻く環境も、派閥主義の日本魔法界も、中城の言葉も。私が仮に中城を抑え切ったところで、何一つ変わらないってことは分かってる。東風谷は変わらず辛い学生生活を送るだろうし、日本魔法界は変わらず三派閥の支配下で動いていくのだろう。

 

だからこれは、私の強引で勝手な自己満足だ。ほんの少しだけ東風谷の考え方を変えられるかもしれない程度の、小娘に出来る僅かな抵抗。……ふん、それでもやらないよりは遥かにマシだぜ。諦めて理不尽に従えってか? 冗談じゃない。私はそんなに物分かりが良い女じゃないんだ。

 

私が景色を眺めながら言い放った台詞を受けて、東風谷は呆然と目を瞬かせた後……蛇の髪飾りの上に着けているカエルをデフォルメしたデザインの髪留めにそっと手を触れつつ、迷っているような声を返してきた。

 

「……そんなの、奇跡でも起こらない限りは無理ですよ。中城先輩は天才なんです。誰もがそれを認めています。」

 

「いいじゃんか、やる気が出るぜ。私は昔から天才の天敵であろうって決めてんだ。……まあ、明日の試合を楽しみにしておくんだな。楽観主義者の力ってやつを見せてやるからよ。」

 

実に良い気分だ。やる気がどんどん漲ってくるぜ。ホグワーツのために、チームメイトのために、そして東風谷のために。背負うものが多ければ多いほど、私はより前へと足を踏み出せるらしい。我ながら難儀な性格だな。

 

眼前に広がるマホウトコロの景色を目にしつつ、霧雨魔理沙は胸の中に熱いものを滾らせるのだった。

 



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狂言回し

 

 

「善き魔法の在る処へようこそ、バートリ女史。マホウトコロは貴女の再訪を歓迎いたします。」

 

魔法処。達筆な筆文字でそう書かれた看板がかかっている門の前でお辞儀してくるシラキ校長に対して、サクヤ・ヴェイユは主人の背後で静かに一礼していた。マホウトコロの領地の不思議さはもちろん気になるし、あれこれ見てみたいのは山々だが、今日の私はリーゼお嬢様お付きのメイド。つまり私の不手際はお嬢様の恥だ。迂闊なことをするわけにはいかないぞ。

 

五月十七日の午前八時。四時間後にクィディッチトーナメントの決勝戦を控えているマホウトコロ呪術学院に、リーゼお嬢様と私は到着したところなのだ。確かホグワーツ生たちが到着するのは試合の一時間前だったはず。外にある競技場に直行なのでこの逆さまの領地内には入れないようだし、そこはちょっとだけ得した気分だな。

 

そんな感情は一切顔に出さずに立っている私を尻目に、リーゼお嬢様はシラキ校長へと返答を投げかける。……今日のお嬢様は何だか普段より大人びている気がするぞ。落ち着いているというか、静かというか。出発したのはホグワーツからだったのだが、道中最低限の会話しかなかったな。いつもは沢山話しかけてくれるのに。

 

「久し振りだね、シラキ。今回もここで来客に挨拶をしているのかい?」

 

「ええ、この地の責任者としてお客様方に顔を見せておく必要がありますから。……朝食はお済みですか?」

 

「まだだよ。マホウトコロの歓迎を期待しているわけだが、どうかな?」

 

「勿論用意してございます。……細川先生、バートリ女史の案内をお願いできますか?」

 

後ろで待機していた男性に呼びかけたシラキ校長に応じて、マホウトコロの教師であるらしいその人はリーゼお嬢様に歩み寄って自己紹介を送った。若干癖はあるものの、そこそこ上手な『イギリス英語』でだ。

 

「お初にお目にかかります、バートリ女史。キョウスケ・ホソカワです。校内の案内をさせていただきます。」

 

「はいはい、バートリだ。よろしく頼むよ。」

 

ホソカワと名乗った薄紫を基調とする『着物ローブ』姿の教師は三十代に少し届かない程度の年齢で、黒い短髪の下の整った顔には礼儀正しそうな笑みが浮かんでいるが……どうにも胡散臭い笑みに思えてしまうのは何故なんだろう? 穿ち過ぎなのかな?

 

「では、こちらへどうぞ。」

 

その場に残るらしいシラキ校長に目礼してから歩き始めたホソカワ先生の案内に従って、私もすれ違う際に軽く頭を下げつつ頑丈そうな木製の大きな門を潜ってみれば……順路を示しているのであろう形が不揃いな飛び石と、左右に広がる見事な日本庭園が目に入ってきた。大きな松があったり、咲きかけの紫陽花があったり、五月だというのに満開の桜があったり。季節感がややおかしいものの、イギリス人の私から見ても綺麗と思える庭だな。奥にある真っ赤な花を咲かせている木は何て名前なんだろうか?

 

紅魔館の庭とは全然違うなと興味深い思いで庭園を眺めている私をちらりと見て、先導するホソカワ先生がリーゼお嬢様に声をかける。

 

「可愛らしいお嬢さんをお連れのようですね。紹介していただけませんか?」

 

「ヤだよ。キミからは女衒の臭いがするからね。それと会話は日本語で結構だ。下手くそな英語は聞くに堪えんぞ。」

 

「……うーん、手厳しい方ですね。イギリスの方から習った発音なんですが。」

 

「手厳しいのは当たり前だろう? 私はこれでも日本魔法界のことをいくらか勉強していてね。細川のやり口は知っているのさ。吸血鬼としてはあまり好きになれないやり口を。……ヒト以外の生き物が嫌いなようじゃないか。」

 

日本語に切り替えて鼻を鳴らしたお嬢様へと、ホソカワ先生は困ったような表情で肩を竦めた。人間至上主義者なのか?

 

「一応言い訳しておきますと、私は京の偏屈爺どもとは違います。古い主義に固執して五三鬼桐を廃れさせた愚かな老人たちとは。……吸血鬼は魔法界で力を示した。ならば貴女がたを下に見るのは愚かな行いですよ。」

 

「ふぅん? 少しは道理を弁えているらしいね。ヒト以外を『駆除』しまくった退魔の家系とは思えない発言じゃないか。」

 

「傍流なんですよ、私は。本家の三男坊の妾の子です。京の主流派から見れば塵芥のような存在でしょうね。だから細川家に相応しくない思想を抱えているというわけですよ。」

 

「それでも細川の姓を名乗り、健気に五三鬼桐を背負っているのは何故なんだい? 家の主義に反対なら所属を変えてしまえばいいだろうに。」

 

庭を通過してこれまた大きな玄関に入ったリーゼお嬢様の指摘を聞いて、ホソカワ先生は苦笑いで返事を返す。言いながらお嬢様が指差したホソカワ先生の服の胸元に刺繍されている紋章……ギザギザの葉の上に、小さな花が沢山ついている紋章だ。どうやらそれが『五三鬼桐』と呼ばれる紋章らしい。どんどん深い話になっていくな。私はもう全然理解できないぞ。

 

「そうもいかないのがこの国の魔法界なんですよ。生まれ持った家系を棄てるのは至難の業なんです。……驚きですね、他国の方とここまで込み入った話が出来るとは思いませんでした。」

 

「見物する分には面白いからね、キミたちの国の魔法界は。藤原、細川、松平、そして白木。小さな国土でよくもまあ派手に踊れるもんだよ。」

 

「小さな国土だからこそ、ですよ。……靴のまま上がる際はそこを踏んでいただけますか? 清めの魔法がかかっていますから。」

 

自分は履物を脱ぎながら口にしたホソカワ先生の注意を受けて、黒石で構成されている玄関の中で一箇所だけ白い石の部分を踏んでから先へと進む。あそこに置いてある木の仕切りみたいな物は何なんだろう? あの大きさでは仕切りとしては役に立たなさそうだし、単なる飾りなのかな? 異国の置物って感じだ。

 

「とはいえ、今は落ち着いているんだろう? ここ百年ほどは目立った諍いが無いみたいじゃないか。」

 

「表面上は白木校長のお陰で穏やかですね。ですが内側はそうとも言えません。次代の魔法使いたちの奪い合いですよ。五三鬼桐が伝統派を、下がり藤が集権派を、立葵が保守派を背負って大わらわです。……外から見るなら滑稽で笑えますが、内側の人間としては笑えませんね。」

 

「んふふ、愉快なもんだね。バランサーたる白木が死んだらどうなることやら。」

 

「また混沌に逆戻りでしょう。……我々は互いの尻尾に噛み付いた状態で、同じ場所をぐるぐる回っているんですよ。それを止めようと新しい場所を目指す者も居ますが、結局は螺旋に飲み込まれるだけです。つくづく救いようがありません。」

 

板張りの広い廊下を歩きながら吐き捨てるホソカワ先生は、もはや先程のような胡散臭い笑みなど浮かべていない。本音で語っているということなのかもしれないな。そんな彼にリーゼお嬢様がくつくつと笑いつつ応答した。実に楽しそうな顔付きでだ。

 

「白木はやったじゃないか。螺旋をぶった斬ったぞ。そんな彼女の姿を知っているのに、構造の所為にして嘆くのは弱者のやることだね。」

 

「改革の後に待っているのは停滞ですよ。それは歴史が証明しています。白木校長の後に誰かが続くのはずっと先になるでしょう。」

 

「だからといって座して愚痴っているようじゃあそれこそ救えないさ。自分が改革者たり得ないと思うのであれば、せめて土壌を作るためにその身を捧げたまえよ。それすら出来ないなら黙って見ているべきだね。」

 

「……聞かせてやりたいですよ、『停滞好き』の京の老人どもに。スカーレット女史といい、貴女といい、吸血鬼という生き物は人間よりも遥かに賢い存在のようだ。生まれながらの苛烈な変革者というわけですか。」

 

降参するように両手を上げながら呟いたホソカワ先生に、お嬢様は口の端を歪めて返答を飛ばす。

 

「生まれながらではないさ。嘗ての私たちは愚かな『停滞好き』だったが、人間から変化を学んで賢くなったんだ。である以上、キミたちに出来ない道理はないと思うけどね。」

 

「耳に痛い言葉ですよ。……結局、踏ん切りが付かないだけなのかもしれませんね。踏み出した場所が虚ろな穴であることが怖いんです。だから私たち若い世代は先に進めず、まごついている間に老人たちの呪縛に絡め取られるわけですよ。この国では未来よりも歴史がものを言いますから。」

 

「ま、私としてはどうでも良いんだけどね。やるなら急げとだけは言っておこうか。変革の波に乗り遅れると損だぞ。レミィが残した波は、まだまだ利用できる大きさのはずだ。真っ黒な船が来てからやるんじゃ手遅れなんだよ。」

 

私にとっては謎めいた台詞だったが、ホソカワ先生は真意を理解したようだ。彼は痛む頭を押さえるようにこめかみに手をやると、大きなため息を吐いてから口を開く。

 

「……他国は待ってくれないわけですか。」

 

「他国というか、世界が待ってくれないのさ。魔法界は変わるぞ。そして白木はそれを理解した上で大きく関わろうとしていない。……単に諦めているのか、はたまたキミたちのような『革命家予備軍』に期待しているのか。そこまでは分からんがね。」

 

「参りました。タイムリミットまであるということですね。ツケが一気に回ってきた気分になりますよ。」

 

「同情はするよ。キミたちの世代のツケというよりは、もっと上の世代のツケだろうしね。とはいえ死に行く老人からは負債を取り立てられない以上、次代を背負うキミたちが払うしかないんだ。恨むなら何も変えられなかった上の世代を恨みたまえ。」

 

皮肉げな微笑で同情したリーゼお嬢様に、ホソカワ先生は廊下の先にあった襖を開いて首肯した。苦い苦い笑みを顔に浮かべながらだ。

 

「日本にも貴女のような行動力のある長命種が居れば良かったんですけどね。人間が持つ時間は少なすぎます。最近はそれを痛感していますよ。」

 

「それはキミの年齢で口にするような台詞じゃないし、日本にだって長命種は山ほど居るさ。キミの祖先が表舞台から追っ払っただけだろう? ……加えて言えば、私はレミィと違って何かを変えられるような吸血鬼じゃないよ。狂言回しなのさ。私はただ、力ある者を無責任に唆して場面を進めるだけだ。」

 

「狂言回しですか。……悪くありませんね。私は自分が改革者たり得るとは思っていませんし、相応しい人間を探して唆すのも一興かもしれません。」

 

「気を付けたまえよ? 何かを操って事を成すのは、実際にそれを自分の手でやるよりも遥かに難しいぞ。私はそれで一度痛い目を見ているんだ。……おやまあ、賑わってるね。ここで食べるのかい?」

 

襖の先にあったのは、畳敷きのかなり広い部屋だ。独特な形の小さな台……えっと、膳だったかな? が座布団と対になって無数に並んでおり、そこに載っている品数が多い料理を生徒たちが食べているらしい。

 

つまり、ホグワーツで言う朝食時の大広間か。異国の学校の食事風景を眺めていると、ホソカワ先生は隅の方にあるテーブル席に向かいながら説明してくる。あそこだけ畳の上に絨毯が敷かれているな。

 

「イギリスの方に座布団は使い難いでしょうから、こちらにテーブル席を用意しました。……騒がしいのがお嫌いであれば個室もありますが、どうしますか?」

 

「ここでいいよ、面白いしね。全校生徒がこの広間で食事をするのかい?」

 

「平時はそうですが、今居るのは一部の生徒だけですね。授業がある平日は生徒も教師も七時にここで食事を始めます。反面、今日のような休日は六時から九時までの間なら自由に食事を取れるんです。」

 

「ふぅん? ホグワーツよりも厳しいね。」

 

ホグワーツでは平日も食事の時間は明確に決まっていない。授業に間に合いさえすればオーケーという感じだ。規則正しい生活を送っていることに感心している私へと、リーゼお嬢様が椅子に腰を下ろしながら話しかけてきた。生徒たちが居る位置からは少し離れた窓際だし、他国からの来客のために急遽用意してくれた席なのだろう。

 

「キミも座りたまえ、咲夜。今は随行のメイドじゃなくて、私と同じ客人として食事していいよ。」

 

「いえ、私は後ろに立って──」

 

「おや? 私の命令が聞けないと?」

 

ぬああ、それを言われるとどうにもならないぞ。涼やかな笑みで小首を傾げてくるリーゼお嬢様に、とんでもないと首を振ってから隣に座る。普段お嬢様はあまり『命令』って感じに指示してこないから、たまにこういう言い方をされるとドキドキするな。悪いドキドキではなく、良いドキドキだ。私は強く命令されるのが好きなのかもしれない。何かこう、『支配されている感』があって。

 

「おっと、サクヤさんとおっしゃるんですね。美しいお名前です。日本語では新月の夜という意味になりますから。」

 

「字は違うが、その意味も含まれているよ。夜を生きる吸血鬼にとって新月の夜は歓迎すべきものだからね。……この子はスカーレットとバートリの身内だ。妙なことをしたら承知しないぞ。」

 

「バートリ女史、私は一応教職ですよ。年端も行かない女性に『妙なこと』をするわけがないでしょう?」

 

「ふん、どうだか。あっちの年端も行かぬ女生徒たちがキミの方に熱い視線を向けているぞ。……他の客はまだ来ていないのかい? まさか招待したのが私だけってわけではないんだろう?」

 

うーん、ホソカワ先生は人気があるらしいな。私よりも少し年下程度のマホウトコロの女子生徒たちが、ヒソヒソ話をしながらこちらを見ているのを確認して、ホソカワ先生はバツが悪そうな顔でリーゼお嬢様に応じた。あの子たちの表情からして陰口を言っているわけではなく、『キャーキャー』しているのだろう。黒じゃなくて黄色い噂話だ。ピンク色と言うべきなのかもしれないが。

 

「あの年頃の女生徒たちはああいうものなんです。分かるでしょう? マホウトコロは閉鎖された環境ですから、『憧れの先生役』が必要なんですよ。……既に到着していらっしゃる方々は皆個室での食事を選びました。大半は未到着ですが。」

 

「美形故の苦悩ってわけだ。安心したまえ、私は全然好みじゃないから。」

 

「それはまた、ありがたいと言うべきなんでしょうか? ……教頭先生から睨まれる身としては、別の方にポジションを譲りたいですよ。本気で告白してくる女生徒も居ますしね。気苦労が絶えません。」

 

中々苦労しているらしいな。今のホグワーツには若い先生というのが居ないから、そういう話は聞いたことがないが……ひょっとして、新任の頃のお婆ちゃんなんかは男子生徒から告白されたりしたんだろうか? 昔の写真を見た限りでは美形と言っても問題ない見た目だったぞ。

 

ううむ、されてたら何か嫌だなぁ。私が大昔のことを想像して微妙な気分になったところで、和風のエプロンのような服を着ている中年の女性が静々と近付いてくる。料理を運んできてくれたらしい。職員の人なのかな?

 

「どうも、竹中さん。料理の説明は私がやりますから大丈夫ですよ。」

 

ホソカワ先生に頷きながら手早く私とリーゼお嬢様の前に料理を並べていく女性を見て、その淀みない手つきにメイド見習いとして唸っていると……あれ? 魔理沙? 遠くの席に生徒たちと交じって金髪の親友が居るのが目に入ってきた。

 

「あの、リーゼお嬢様。魔理沙が居ます。」

 

「ん? ……あの魔女っ子、試合が控えているというのに余裕があるじゃないか。図太さもあそこまでいけば美点かもね。大方好奇心に身を任せてここで食事することを選んだんだろうさ。」

 

「他の代表選手は居ないみたいですし、そうかもしれませんね。」

 

あのおバカ、周囲のマホウトコロの生徒たちが気にならないのか? 対戦校で堂々としすぎだぞ。笑顔で生魚の切り身を食べている魔理沙に呆れ果てている私に、リーゼお嬢様が何かに気付いたような顔付きで指示を寄越してくる。

 

「ふぅん? ……咲夜、魔理沙を呼んできてくれたまえ。隣の長髪の女の子もだ。」

 

「隣の? マホウトコロの生徒さんですよね?」

 

「向こうが覚えているかは分からんが、あの子は顔見知りなのさ。これも何かの縁……レミィ風に言えば運命なのかもね。」

 

顔見知り? 雑誌の写真で見たマホウトコロの代表選手にはあんな子は居なかったはずだし、どこで知り合ったんだろうか? 疑問に思いつつも席を立って魔理沙の方に近寄ると、私を発見したらしい彼女が先んじて声を投げてきた。能天気な笑顔でだ。

 

「おお? 咲夜? 何してんだ?」

 

「出発前に伝えたでしょう? リーゼお嬢様のお付きで来たのよ。……お嬢様が呼んでるから、そっちの子と一緒に来て頂戴。」

 

側まで寄って小声で言ってやれば、魔理沙はきょとんとした顔で曖昧に首肯してきた。ちなみに彼女は何故か見慣れない和風の服を着ている。マホウトコロ側が用意してくれた服なのかな? 何というか、生徒たちが着ている着物ローブよりもずっと頼りない感じだ。下手に動くと太ももの辺りまで見えちゃいそうだし、胸元もゆるゆるだぞ。……まさか下着の上から直接着ているわけじゃないよな?

 

「東風谷も? 別にいいけどよ。……東風谷、ちょっといいか? 私の知り合いが来てるんだけど、お前のことを呼んでるらしいんだ。一緒に来てくれ。」

 

「へ? 私をですか?」

 

魔理沙に促されて座布団から立ち上がった女の子は、私の先導でテーブル席に向かっている途中で……こっちもリーゼお嬢様のことを覚えていたらしいな。ハッとしてから慌ててお嬢様の近くに駆け寄って行く。

 

「あっ、お久し振りです。」

 

「やあ、『蛇舌の君』。私のことを覚えていたようだね。」

 

「勿論です、バートリさん。……決勝戦の観戦ですか?」

 

「そういうことだよ。……キミの方も元気そうだね、魔女っ子。体調は万全かい?」

 

女の子に応対してから魔理沙にも声をかけたリーゼお嬢様に、我が校のチェイサー代表どのは肩を竦めて返事を返す。

 

「パーフェクトだぜ。……それよりリーゼ、お前に聞きたいことがあるんだが──」

 

「それは後だ。私はホグワーツに勝って欲しいからね。キミは余計なことを聞かずに、大事な試合に集中したまえよ。」

 

「……何だよ、余計気になるぞ。」

 

「今のキミが聞くべきことじゃないのさ。私の判断を信じたまえ。……そんなことより、何故この子と一緒に食事をしていたんだ? 随分と仲が良さそうに話していたじゃないか。ワガドゥの黒豹娘とやらだけじゃ飽き足らず、また旅先で女をひっかけたのか?」

 

そういえば魔理沙はワガドゥでも女の子と仲良くなったらしいな。ペンフレンドになったとかって話していたっけ。リーゼお嬢様がニヤニヤしながら放った問いを受けて、魔理沙はかなり嫌そうな表情で返答を口にした。

 

「お前な、人聞きの悪い表現をするなよな。東風谷は私の世話役をしてくれてるんだよ。というかそもそも、友達を増やすのは別に悪いことじゃないだろうが。」

 

「なぁに、私は咲夜が可哀想になったのさ。気の多い友人を持つと苦労しそうだからね。」

 

「『女ったらし』はお前の領分だろ?」

 

「私はひっかけたら皆幸せにするからいいんだよ。……『こちや』? キミは珍しい名前を持っているらしいね。」

 

私から見ればどっちもどっちだぞ。魔理沙に嘯いてから女の子に質問したリーゼお嬢様へと、黒髪の女の子は応答を飛ばす。

 

「東風谷早苗です。東の風の谷って書いて『こちや』って読みます。」

 

「東風谷、ね。……前に会った時よりも髪が黒に近付いているようじゃないか。」

 

「髪? ……えーっと、そうですか? 自分じゃちょっと分からないです。」

 

「なるほど、なるほど。……いやぁ、レミィの『運命論』もそうバカに出来ないのかもね。キミ、よくよく観察すれば『良くないもの』に憑かれているようじゃないか。結局のところ、私たちのような存在は惹かれ合うわけだ。この前は気付けなかったよ。」

 

椅子から腰を上げて歩み寄って、すんすんと女の子……東風谷さんの髪を嗅ぐような仕草をしたお嬢様に、彼女はよく分からないという顔付きで首を傾げる。

 

「えと、どういう意味でしょうか?」

 

「廃れた神かい? それとも神に近付こうとして失敗した妖か? どちらにせよまともな存在じゃないね。吸血鬼たる私から見れば、だが。」

 

「……分かるんですか?」

 

疑念から驚愕へ、そして驚愕から期待へと表情を変えた東風谷さんに対して、リーゼお嬢様は怪しげな笑みで肯定を送った。私も魔理沙もホソカワ先生も何の話だかさっぱり分かっていないわけだが、二人の間では通じ合っているらしい。

 

「微かな気配は感じられるが、そこまでだ。消え行くものって印象しか受けないね。」

 

「でも私、消えて欲しくないんです! 貴女はその方法を知りませんか? ……すみません、興奮しちゃって。だけど、私以外の人が『お二方』に気付けたのは初めてなんです。何か知っているなら教えてください。お願いします。」

 

『お二方』? いきなり大声になった東風谷さんは、リーゼお嬢様に懇願しながら深々と頭を下げるが……お嬢様は困ったような顔で首を横に振って答える。

 

「信仰なき神は消え去るだけだよ。恐怖なき妖怪が消え去るようにね。抜け道がないわけではないが、キミがやるのは難しいんじゃないかな。見たところ『こっち側』のやり方には疎いようだし。」

 

「じゃあその、どうすればいいかを教えてください! 私、今までどうしたら良いのかが全然分からなくて。こんなこと誰にも聞けませんでしたし、もう声すら聞こえなくなっちゃったし……どうか教えてくれませんか? 助けてください。私にとってはとても大切な方たちなんです。」

 

リーゼお嬢様の服をギュッと握って頼み込んでくる東風谷さんを見て、お嬢様は悩むように天井を見上げた後……一瞬だけ悪どい笑みを浮かべてから口を開いた。多分東風谷さんは気付いていないな。吸血鬼の笑みだったぞ。

 

「助けてあげてもいいが、絶対に成功するだなんて約束は出来ないぞ。その上で私の指示に絶対服従してもらうことになる。」

 

「それでもいいです。お願いします!」

 

「それと、もう一つ。……これは大きな貸しになるからね? もし私が何かに困った時、キミは全てを擲ってでも私に協力できるかい? それを約束してくれるなら手を貸してあげてもいいよ。」

 

「……で、出来ます! 約束します!」

 

真紅の瞳を真っ直ぐ見返しながら約束した東風谷さんに、リーゼお嬢様は満足したようにうんうん頷く。詳しい事情は掴めないものの……うーむ、東風谷さんはちゃんと理解しているのだろうか? 今まさに吸血鬼と契約しちゃったんだぞ。

 

「では、契約完了だ。私は必ず約束を守る。だからキミも守りたまえ。いいね?」

 

「はい、絶対に守ります。それで……その、具体的にはどうすればいいんでしょうか?」

 

「今はまだ早いよ。そうだな、マホウトコロの長期休暇はいつだい?」

 

「長期休暇? ……えっと、夏休みと冬休みがあります。八月いっぱいと、十二月二十日から一月十日までの二つです。短い連休くらいならその他にもありますけど。」

 

ふむ、マホウトコロはホグワーツよりも休みが少ないらしい。ここの生徒は大変だなとズレた感想を抱いている私を他所に、リーゼお嬢様は再び天井を見ながら声を上げた。脳内で予定を整理しているようだ。

 

「なら、夏だ。とりあえず八月にイギリスに来たまえ。その時に色々と進めていこうじゃないか。」

 

「でも、急がないとダメなんじゃ──」

 

「おっと、そこまで。」

 

食い下がろうとした東風谷さんだったが、リーゼお嬢様は素早く彼女の首根っこを掴むことで反論を封じる。そのまま首を掴んでいた手をおとがいを撫でるように滑らせたお嬢様は……何か、艶っぽい動作だな。強引にキスをする時のように顎を掴んで無理やり下を向かせた後、その顔を至近距離から覗き込みながら囁きかけた。冷徹な支配者の声色でだ。

 

「忘れたかい? 絶対服従だ。私が八月と言ったら八月なんだよ。今度こそ理解できたなら頷きたまえ。」

 

「……はい。」

 

「うんうん、良い子だね。きちんと尻尾を振ってくれれば、私はキミのことをうんと可愛がるぞ。望む餌も必要なだけ与えようじゃないか。全てを委ねて従いたまえ。そうすれば万事上手く行くから。」

 

くそ、羨ましいぞ。私にもあんな風に命じて欲しい。冷たい声色をくるりとご機嫌な柔らかいものに変えて、犬を撫でる時のように東風谷さんの頭をわしゃわしゃと撫でたリーゼお嬢様は、ご満悦の様子で彼女に『ハウス』を命じる。

 

「それじゃ、キミたちは食事に戻りたまえ。詳しい話は試合後のパーティーの時にでもしようじゃないか。そこで私が問題を解決できるという証拠も渡してあげるよ。」

 

「わ、分かりました。」

 

「……何だか知らんが、東風谷には警告しておくからな。吸血鬼と関わるとロクなことがないぞって。」

 

「もう遅いよ。契約は済んだからね。……さて、細川。こっちも食事にしようか。今日は朝起きた時から憂鬱だったんだが、少し良い気分になれたよ。海老で鯛を釣るってのはこういうことなのかな。」

 

リーゼお嬢様の身も蓋もない発言に、ホソカワ先生は心配そうな顔付きで返事をするが……東風谷さんのことは警戒しておいた方が良さそうだな。お嬢様に強く命じられた時とか、荒っぽく撫でられた時に一切抵抗する気配がなかったぞ。つまり、私と同じタイプの人間だということだ。お嬢様もそれを長年の『支配者経験』で見抜いたからこそああいう態度を取ったのだろう。

 

「あのですね、当校の生徒が妙なことに巻き込まれるのは困るのですが。」

 

「心配は無用さ。バートリの名において安全は保証するよ。私は犬を可愛がるタイプなんだ。」

 

「犬、ですか。……休暇中の生徒の行動にまで口を挟むつもりはありませんが、ほどほどに頼みますよ?」

 

「はいはい、了解だ。」

 

むうう、バートリの犬はエマさんと私だけで充分だ。変な野良犬が後から入ってきて可愛がられるのは気に食わないぞ。縄張りを荒らされそうな予感に眉を顰めていると、リーゼお嬢様が私の頭を優しく撫でながらそっと囁いてきた。蕩けるような甘い声色でだ。

 

「咲夜、心配しなくても一番可愛いのはキミだよ。エマやアリスには内緒だぞ。」

 

「あの……はい。」

 

「んふふ、良い子だね。」

 

私の頭から手を移動させてするりと頬をひと撫でしてから、リーゼお嬢様はホソカワ先生に料理の詳細を尋ね始めるが……『女ったらし対決』の軍配はお嬢様に上がりそうだな。エマさんに対しては分からないものの、アリスに対しては同じような台詞を言っていそうな気がするぞ。

 

そうと分かっていても満足してしまう自分を情けなく思いつつ、サクヤ・ヴェイユは赤い顔を俯かせたままで箸に手を伸ばすのだった。

 



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海上競技場

 

 

「準備はいい? アビゲイル。手袋はちゃんと持った?」

 

肘を隠す程度の袖のブラウスと、ちょっとフォーマルにも見える黒いロングスカート姿のアビゲイル。そんな彼女に確認を送りつつ、アリス・マーガトロイドは自分の服装をチェックしていた。緑のミリタリージャケットに白いTシャツ、そして黒のスキニージーンズ。……不思議な感じだな。いつもの私だったら選ばないような『カッコいい系』の組み合わせだ。むしろリーゼ様にこそ似合いそうだぞ。

 

五月十七日のお昼前。マホウトコロで開催されるクィディッチトーナメントの決勝戦の観戦に行くため、エマさんの見立てで着替えを終えたところなのだ。普段ロングスカートを好んで着ている私としては似合っているかが不安になるものの、エマさんはばっちりだと受け合ってくれたし、多分大丈夫なはず。

 

鏡の前で自分の格好を確認している私へと、アビゲイルが返事を返してくる。ちなみに彼女の服装もエマさんコーディネートだ。こっちは普通に可愛らしいと断言できるな。

 

「忘れてないわ。白いやつでしょ? 関節を隠さないといけないのは不便ね。」

 

「まあ、仕方がないわよ。薄いファッション用の手袋だから、今の季節でも違和感はないと思うわ。……ん、完璧ね。行きましょうか。」

 

「とっても楽しみだわ。ホグワーツが勝つといいわね。」

 

「勝つわよ、きっと。……エマさん、行ってきますね。」

 

キッチンで洗い物をしているエマさんに呼びかけてみれば、彼女は微笑みながら近くに居るティムと一緒に私たちを送り出してくれた。ティムはどうもクィディッチに興味がないようで、今回は留守番をするとジェスチャーで主張してきたのだ。エマさんの手伝いをしてくれるつもりらしい。

 

「はーい、行ってらっしゃい。お嬢様によろしく言っておいてくださいね。」

 

「了解です。」

 

軽く手を振って応じてから、アビゲイルと二人で階段を下りて店舗スペースから外に出ると……うーん、生憎の小雨だな。パラパラと雨が降っているダイアゴン横丁の通りが視界に映る。マホウトコロは晴れていることを祈るばかりだ。

 

「私たちのポートキーの出発地点はすぐそこだし、このくらいの雨なら平気そうね。早歩きで行きましょうか。」

 

ダイアゴン横丁から出発するポートキーを予約してあるので、私たちはそこからロシアを経由してマホウトコロの競技場に移動する予定だ。玄関の屋根の下から手を出して、雨の程度を確かめてからアビゲイルの手を握った後、小雨の中を早足で歩き始めた。

 

しかし、どの店も見事に閉まっているな。ダイアゴン横丁の住人たちはみんな決勝戦の観戦に行くつもりのようだ。……そりゃそうか。ホグワーツが『クィディッチ世界一』の魔法学校になれるかの瀬戸際なんだし、イギリス魔法界の誰もが応援に行きたがるだろう。

 

ちょっとしたクィディッチブームが巻き起こっているダイアゴン横丁の住人たちが、小雨の中をちらほらと私と同じ方向に歩いているのを横目にしていると、アビゲイルが曇天を見上げながら話しかけてくる。

 

「……ねえ、アリス? 帰ったら私にも人形作りを教えてくれないかしら?」

 

「人形作りを? アビゲイルが作るってこと?」

 

「うん、そう。……ダメ? やっぱり人形が人形を作るだなんて変?」

 

「別にダメではないわ。私の仕事に興味を持ってくれたのは素直に嬉しいんだけど……でも、どうして急に?」

 

歩調を緩めながらアビゲイルに問いかけてみれば、彼女は少しだけ恥ずかしそうに俯いてから答えてきた。

 

「……人形を作ってるアリスがね、カッコよかったからよ。私もあんな風になりたいって思ったの。」

 

「それはまた、嬉しいことを言ってくれるじゃないの。」

 

「あとはね、ビービーのこともあるから。アリスはビービーが嫌いかもしれないけど、私はまだ好きなの。アリスとビービー。私が大好きな二人はどっちも人形作りだわ。だから私もそれになりたいって思ったのよ。……どうかしら? 教えてくれる?」

 

「ええ、勿論よ。私が人形作りになった切っ掛けも、作業机で人形を作っていた祖父の姿に憧れたからなの。帰ったら練習を始めてみましょうか。」

 

否などあるはずがない。望んでくれるのであれば、喜んで教えようじゃないか。私にとっては歓迎すべき提案だ。アビゲイルに笑顔で了承した後、ポートキーの出発地点である『ベルフラワーの小瓶』という名のパブの玄関を抜ける。ダイアゴン横丁だと、他には漏れ鍋やグリンゴッツなんかから出発する便もあるらしい。当然ながら大多数は魔法省からの出発だが。

 

「混んでるのね。」

 

「みたいね。手を離さないように気を付けて頂戴。」

 

混み合う店内を一瞥してアビゲイルに注意を送ってから、移動を取り仕切っているはずの国際協力部の職員を探していると……おっと、ここでの出発は顔見知りが担当しているようだ。見覚えのある短めの金髪が目に入ってきた。

 

「ロビン、久し振りね。」

 

「ええと、十時五十分発の方はこちらに……マーガトロイドさん! お久し振りです。決勝戦の観戦に行くんですか?」

 

「そういうことよ。十一時ちょうどの便でね。」

 

「羨ましいです。試合開始後にも便があるので、僕たち協力部や運輸部の職員はずっとイギリスで待機ですよ。観たかったんですけどね。」

 

未だに『着られている感』が抜け切らないスーツ姿で応答してきたのは、国際魔法協力部のロビン・ブリックスだ。若くして東欧の区長補佐になったと聞いたが、さすがに今日は駆り出されたらしい。忙しそうな彼に同情しつつ、ポートキーの場所についてを尋ねる。

 

「随分と忙しそうだし、世間話をしている暇はなさそうね。十一時出発のポートキーはどれなのかを教えて頂戴。」

 

「十一時は、えーっと……あれですね。あのテーブルの上にある割れた花瓶です。担当者も近くに居ると思います。」

 

「ありがと、行ってみるわ。仕事頑張ってね。」

 

「はい、僕の分もホグワーツの応援をお願いします。」

 

ふむ、ちょびっとだけ頼もしくなっているな。何だかんだでレミリアさんが目をかけていたようだし、そのお陰もあるのかもしれない。若い世代の成長を感じながら、少し離れたテーブルへと近付いていくと、先程ロビンが指示していた集団が移動したのが横目に見えた。つまり、私たちも十分後に出発だ。

 

「アビゲイル、移動するときはポートキーに手を触れつつ、私の手も握っておくようにね。じゃないと置き去りになっちゃう可能性があるから。」

 

「置き去りは悲しすぎるし、気を付けるわ。」

 

正直なところ、アビゲイルがポートキーの効力の及ぶ存在なのかは微妙なところだ。身体が人間のそれではないので、単独で触れただけでは移動できない可能性があるだろう。とはいえ、『ポートキーで移動する人物の所持している物』として移動可能なのは実証済み。北アメリカから連れて来た時にトランクの中に隠れていた彼女が移動できている以上、私と接触していれば万が一の事態は起こらないはず。

 

頭の中で思考を回しつつ、割れた花瓶の近くで移動の時間を待つ。……リーゼ様は咲夜を連れて招待客としてマホウトコロに入ったらしいが、どうして私たちのことも一緒に連れて行ってくれなかったのだろうか? 別に不満というほどじゃないし、当然といえば当然のことではあるものの、いつものリーゼ様なら『キミたちも一緒に行くかい?』と誘ってくれる気がするぞ。

 

何かこう、モヤモヤするな。常に私を優先してくれだなんて思っていないが、こういう時に声をかけてくれないのはちょっと寂しい。我ながら自分勝手だなと苦笑しつつ、離れた場所で十時五十五分の便が出発したのを確認していると、同じようなことを考えていたらしいアビゲイルが口を開いた。

 

「アンネリーゼとサクヤも観に行ってるのよね? 向こうで会える? どうせなら一緒に観たいわ。」

 

「どうかしら? リーゼ様たちは招待客だし、特別な席を用意してもらってるのかも。」

 

「そっか。……残念ね。」

 

「まあ、まだ分からないわ。着いたら探してみましょう。」

 

しょんぼりするアビゲイルの頭をぽんぽんと撫でた後、担当者の指示に従ってポートキーに歩み寄る。さて、そろそろポートキーでの連続移動か。あまり好きな感覚ではないし、気合を入れて臨んだ方が良さそうだな。

 

───

 

そしてダイアゴン横丁からロシアの僻地へ、そこから更にポートキーで移動した先には……これがマホウトコロが用意した競技場か。大したものじゃないか。試合日和の晴天の下には見事な『海上競技場』が広がっていた。

 

要するに、海だ。校舎がある島に程近い海上を、海に浮かぶ木造船で楕円状に囲むことでフィールドにしているらしい。平坦で巨大な木造船の上には階段状の観客席が並び、それが十、十五……全部で十八隻かな? 十八隻も使われている。かなり大きな船なので、一隻につき千五百人から二千人程度は座ることが出来そうだ。となると三万人くらいは収容できる計算になるぞ。凄まじいな。

 

隣接する船と船とは行き来が出来るように木組みの桁橋で繋がっており、私たちはその橋の真ん中にある少し広めの空間に到着したようだ。船がまず尋常ではない大きさなので、それを繋ぐ橋もそれなりの大きさになるわけか。ポートキーの到着地点としては全く問題のないスペースを確保できている。

 

……まさか、マホウトコロは今日のためにこれだけの船を造ったのか? 船や橋に使われている木材には真新しい白さがあるし、平時にここまでの収容数を必要とするとは思えない。恐ろしい話だな。基本的には海だから地面を整備しなくてもいいとはいえ、この規模の船を十八隻も造船するのはまともな魔法使いの所業じゃないぞ。

 

しかも橋には日差しを防ぐための立派な瓦の屋根があって、異国情緒漂う真っ赤な提灯が大量に吊るされているし、船上の観客席は一席一席が独立しているタイプだ。遠くだからよく見えないが、どうもクッションのような物もしっかりと備え付けられているらしい。

 

たった一回使うだけにしては豪華すぎる海上競技場を見て、マホウトコロのクィディッチに対する情熱を改めて実感している私に、あんぐり口を開けっ放しのアビゲイルが感想を呟いてきた。そりゃあ驚くだろう。私だって驚いているのだから。

 

「すっ……ごいわね。凄く凄く大きな船。あんなの初めて見たわ。」

 

「ええ、見事な競技場ね。面子を保つ以上の出来栄えだわ。決勝戦に相応しいと言えるんじゃないかしら。」

 

「行きましょ、アリス。早く行きましょうよ。私、私、とってもワクワクしてきたわ!」

 

「そうね、先ずは席を探……あら、お店も出てるの? そっちを見ながら空いてる船を選びましょうか。」

 

どうやら船同士を繋ぐ橋には出店が出ているらしいが、私たちが今居る橋にはないから……なるほど、ポートキーの到着地点になっている橋と出店がある橋が交互になっているということか。さすがに出店を巡る人で賑わう地点に到着させるのは危険だと考えたようだ。

 

それならとりあえず出店がある橋を目指そうと、アビゲイルの手を握り直して歩き出す。今気付いたが、遠くに一基だけ形の違う橋があるな。他の橋より幅があるし入り組んでいるぞ。その周辺には観客席になっている船とは別の小さな木造船が犇いている。『小さな』というか、比較しているからそうなってしまうだけでそっちの船も結構な大きさだが。

 

古臭い帆船の帆にはロシア魔法議会の所属を表す双頭の鷲が、四角い箱のような独特な形状の船には香港自治区の紋章が、そして一際目立つ近代的な鉄の船にはマクーザの所属を意味する鷲と五十の星を描いた旗が掲げられている。どうもあの橋は船で訪問した魔法使いたちを受け入れるための『港』になっているようだ。

 

スケールがとにかく大きいなと呆れたような、感心したような微妙な気分になりつつも、『巨大観客席船』の内部にあった通路……階段状の観客席の下は窓がある板張りの通路になっていた。を通過して出店が並んでいる橋に移動していくと、日本語や拙い英語の呼び込みの声が耳に入ってくる。店を出しているのはもちろんマホウトコロの生徒ではないし、教師でもなさそうだ。日本魔法界の魔法使いたちが商売をしているらしい。

 

カラフルな布の屋根には売っている商品の名前が大きく書かれており、それが桁橋の左右に隙間なく並んでいるわけだが……香港自治区を思い出す雰囲気だな。ごちゃごちゃしているというか、忙しないというか。日常から切り離された空間って印象を受けるぞ。

 

「何か欲しい物はある?」

 

自分も好奇心を擽られながら聞いてみれば、私より遥かにワクワクしている様子のアビゲイルが問い返してきた。その顔には嬉しそうな笑みが浮かんでいる。

 

「いいの?」

 

「今日は特別よ。好きな物を買ってあげるわ。」

 

「じゃあ、じゃあ……あれ! あの真っ赤な飴。あれがいいわ。」

 

アビゲイルが指差しているのは、屋根に『りんご飴』と書かれている出店の商品だ。りんご飴? トフィーアップルのことか? 英日の食文化の共通点を興味深く思いながら近付くと……うーむ、油断も隙もない商売をしているな。商品の下にあるボードには、ありとあらゆる魔法界の通貨で値段が書かれていた。どの国の魔法使いでも買えるようにしているわけか。

 

「わざわざ日本魔法界の通貨を用意してきた私がバカみたいね。」

 

他の店も同じようなシステムらしいし、余計な気遣いをしちゃったな。そのことに苦笑してからりんご飴を二本買って、アビゲイルと二人で舐めながら先に進む。まんまトフィーアップルだ。やけに赤いし、こっちでは飴を染めるのかもしれない。リンゴの味もちょびっとだけ酸味が弱いかな?

 

そのままクレープや焼きそば、綿飴なんかの出店を覗きつつ移動していって、何故か生きている亀を扱っている店を怪訝な思いで通過した後、到着した観客席船の階段を上って空いている席を探し始めた。ここは船での客が到着する場所から一番遠い位置だし、人の流れを考えれば比較的空いているはず。ベストな選択だと言えるだろう。

 

「どう? 空いてる?」

 

「うん、まあまあ空いてそうよ。……可愛いクッションね。真っ赤だわ。飴も赤いし、紙のライトも赤いし、クッションも赤。日本の人たちは赤が好きなの?」

 

「んー、そうなのかもしれないわね。ここにしましょう。」

 

綿飴とりんご飴を両手に持ったアビゲイルに応じつつ、赤い小さなクッション……座布団って言うんだっけか。が置かれた椅子に並んで座る。木の肘掛けにはドリンクホルダーがある上、ちょっとした細工まで入っているな。こんなところまで拘るとは驚きだぞ。

 

何かこう、ここまで来ると少々不気味にも思えてしまう。日本魔法界は今回のイベントをどう捉えているのだろうか? 身も蓋もない言い方をすれば、あくまで学生のスポーツトーナメントなのに。一体どれだけの予算を使ったんだ?

 

ともすれば神経質とさえ言えそうな拘りっぷりを見て、やや引きながら改めて競技場を見渡してみると……ふむ、フィールドには大量のブイが浮かんでいるな。ゴールポストなんかは鎖で動かないように固定されたブイに突き刺さっているらしい。

 

こうなるとホグワーツ、若干不利じゃないか? 空間の大きさこそ規定通りなものの、普通の競技場とは全然雰囲気が違うし、初見で試合をするホグワーツ代表陣は戸惑いそうだな。現地に到着した昨日の段階でこの競技場を確認できていることを祈るばかりだ。

 

ちなみに観客席は七割以上が既に埋まっているため、出店を見ている人たちの数も含めればほぼ満席になるわけだが……三万人か。そう考えると魔理沙は凄い舞台で試合をすることになりそうだ。緊張していないかな?

 

まあ、あの子なら大丈夫か。むしろ調子を出すだろう。魔理沙の胆力の強さを思って苦笑していると、私たちに向かって誰かが声を……リーゼ様? こちらに歩み寄ってきたリーゼ様が声をかけてきた。咲夜も一緒だ。これだけ広い会場でよく私たちのことを見つけられたな。

 

「やあ、二人とも。」

 

「リーゼ様、よくここに居るって分かりましたね。」

 

「シラキに手伝ってもらったのさ。マホウトコロはどうも、カンファレンスでの失敗を気にしているようでね。警備に複雑な魔法を使っているらしいんだ。杖の反応から個人を特定することくらいなら可能みたいだよ。」

 

「……警備上有用ではありますけど、ちょっと怖くなりますね。」

 

どういう仕組みになっているんだ? まさか各国から魔力反応の情報を提供してもらったわけではないだろうし、魔法の構造がさっぱり分からないな。首を傾げる私に、リーゼ様は肩を竦めて詳細を教えてくれる。

 

「その椅子に魔法がかかっているんだよ。座った魔法使いが所持している杖を判別する魔法がね。イトスギにユニコーンの毛、29センチ。それを見つけてもらったわけさ。」

 

「どの杖の持ち主がどこに座っているのかが分かるってわけですか。犯罪抑止というよりも、その後の捜査を手助けする類の仕組みですね。」

 

「抑止の仕掛けは他にあるらしいし、日本の闇祓いも私服でうじゃうじゃしているぞ。二度もテロを起こされたら面目丸潰れだからね。マホウトコロもそれなりに必死なわけさ。……アビゲイル、楽しんでいるかい?」

 

皮肉げな笑みで説明を締めたリーゼ様に呼びかけられて、アビゲイルはにっこり微笑みながら首肯を返す。りんご飴と綿飴はもう食べ終えたらしい。早業だな。

 

「とっても楽しいわ。アンネリーゼとサクヤも一緒に観られる? それならもっと楽しくなりそうなんだけど。」

 

「それも悪くないが、ちょっとキミを連れて行きたい場所があるんだ。」

 

「私を? どこに?」

 

「んふふ、それは着いてからのお楽しみだよ。……アリス、咲夜と一緒に観戦しておいてくれたまえ。代わりにアビゲイルを借りるぞ。」

 

いつもの笑み……か? 何だか少しだけリーゼ様っぽくない笑顔な気がするぞ。どこが違うとは明言できないものの、僅かな違和感がある笑みで言ってきたリーゼ様に、怪訝な気分で質問を送った。何故かは分からないが、何となく不安になってくるな。

 

「でも、そろそろ試合が始まりますよ? 最初から観た方がいいでしょうし、終わってからじゃダメなんですか?」

 

「なぁに、すぐ戻るよ。どうせ序盤は試合が動かないだろうさ。」

 

「だけど……それなら、私も一緒に──」

 

「キミには咲夜を頼みたいんだよ。この子は魔理沙のことが心配だろうしね。最初から最後まで観ておきたいはずだ。」

 

まるで用意しておいたかのようなスピードで私の反論を封じたリーゼ様は、アビゲイルの手を取って移動しようとする。その姿を目にして理由の判明しない不安を増している私に、アビゲイルが小さく息を吐きながら口を開いた。

 

「アリス、行ってくるわ。アンネリーゼが一緒だから平気よ。」

 

「そう? それならいいんだけど、早めに戻ってきてね?」

 

「うん、そうする。……ばいばい、アリス。」

 

「アビゲイル?」

 

どことなく寂しそうにも見える表情で手を振ってきたアビゲイルへと、私が思わず呼びかけるが……彼女は背を向けてリーゼ様と一緒に遠ざかって行ってしまう。この嫌な感じは何なんだろう? どうして私はこんなに不安になっているんだ?

 

遠くで付添い姿くらましをした二人を見送った後、胸の奥底の焦燥がそろりそろりと喉元まで迫り上がってくるのを自覚していると、隣に座った咲夜がフィールドを指差して声を上げる。彼女の様子は普段通りだ。やや緊張しているのは魔理沙のことを案じているからだろう。

 

「アリス、審判が出てきたよ。そろそろ始まるみたい。」

 

「そうね、そろそろ始まりそうね。……咲夜、リーゼ様から何か聞いてない? あるいは様子が変だったとか、気になったことは?」

 

「特に何も聞いてないけど……変だったって言うか、この競技場に着いてから機嫌はちょっと悪かったかも。海の上だからって言ってたよ? 吸血鬼にとっては楽しくない競技場なんだって。」

 

「それだけ?」

 

確たる理由のない曖昧な不安。それに駆られてもう一度尋ねた私に対して、咲夜は何かを思い出したような顔付きで懐から取り出した小さな布の袋を見せてきた。

 

「あとはホグワーツを出る時にこれを持っていけって言われたくらいかな。ラメット先生たちの安全を確認する時に使った退魔のお札が入ってるんだけど、よく分からない土地に行くから万が一の際の自衛用に一応持っておけって。……まあ、こんなの無くても能力があるから平気だと思うけどね。」

 

「万が一? ……咲夜、悪いんだけど席を確保しておいてくれない? すぐ戻るから。」

 

「ええ? もう始まっちゃうよ?」

 

「ごめんね、どうしても気になるの。」

 

不満げな咲夜に謝ってから、席を立ってリーゼ様たちが姿くらましをした場所へと走る。理性は意味不明な杞憂だと主張しているが、感情は二人を追えと急かしてくるのだ。二人に追いついて、どうして追ってきたのかと苦笑いで呆れられたい。単なる思い込みであって欲しい。

 

そんなことを考えながら到着した場所には……よし、ギリギリ跡追い姿あらわしが出来そうだ。まだ微かな呪文の痕跡が残っていた。素早く杖を構えて、痕跡を辿って私も姿あらわしを使う。

 

使い慣れた姿あらわしの感覚に身を委ねつつ、アリス・マーガトロイドは自身の胸の中の不安がただの杞憂であることを願うのだった。

 



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ファイナル

 

 

「……マリサ、フォーメーションを変えるなら今がラストチャンスだぞ。どうする? 昨日決めた作戦のままでいいのか?」

 

太平洋上に浮かぶ巨大な木造船。その内部にある選手控え室で心配そうに問いかけてくるドラコへと、霧雨魔理沙は首を縦に振って答えていた。私はもう決心している。あとはキャプテンたるドラコの選択次第だ。

 

「私に賭けてくれ、ドラコ。中城は私が単独マークで抑えてみせる。保証はないし、実力が釣り合ってないのは重々承知の上だ。事前の作戦と食い違う私の我儘だってことも理解してるぜ。……それでも任せてくれないか?」

 

「昨日は聞きそびれたが、何か理由があるのか?」

 

「あるけど、それだけじゃない。どうしても中城と勝負させて欲しいんだ。……でも、お前がダメだってんならもちろん従うぜ。キャプテンはお前だからな。」

 

「……お前は本当に『じゃじゃ馬』だな。どこまでもこちらを揺さぶってくる。まさか決勝戦の直前にフォーメーションを変えろと言われるとは思わなかったぞ。」

 

呆れたような顔付きで額を押さえるドラコに対して、申し訳ない気分で頭を下げた。……東風谷との約束を守るため、そして私の信念を証明するために、昨日彼に一つの提案をしたのだ。私を中城の専属マークにつかせて欲しいという提案を。

 

向こうのエースである中城を私一人で封じることが出来れば、ホグワーツチームにとっては大きなメリットになるだろう。しかし逆に封じることが叶わなければ下策になる。本来私たちは中城の点取屋としての存在を踏まえた上で、こちらも連携で点を取りに行くという作戦を選択していたのだ。

 

中城の大量得点を防ぎきれない挙句、私が連携から外れた所為で点を取れなくなってしまう。中城のマークだけに私を使うというのは、そんな最悪の展開になってしまうリスクを孕んだ作戦になるわけだ。

 

ドラコが出す結論をひたすら黙って待つ私へと、彼は一度諦めるように小さく苦笑した後、私の肩に手を置いて口を開いた。

 

「いいだろう、許可する。ナカジョウを止めてみせろ。」

 

「あんがとよ、ドラコ。」

 

「……二年前の防衛術クラブのことを覚えているか? あの時もお前は僕を振り回したな。」

 

「それは……当たり前だろ、覚えてるぜ。」

 

私の無責任な助言の所為で、ドラコの父親が死ぬことになった一件。脳裏にこびりついている嫌な記憶を思い出しながら頷いた私に、ドラコは大人びた微笑で続きを語る。

 

「責めようというわけじゃないぞ。あの時も言ったように、僕はお前に感謝している。お前がギリギリのところでマルフォイ家の手を引いてくれたから、僕たちは奈落に落ちずに済んだんだ。……ならば今回もお前を信じよう。お前は騒がしくて直情的だが、大切な選択を誤るような人間ではない。今の僕はそのことを知っているからな。」

 

「……必ず応えてみせるぜ。」

 

「ああ、期待している。お前がナカジョウを抑えてくれるなら、ホグワーツは間違いなく優勝できるだろう。……全員準備はいいか? 作戦は昨日の夜に決めた通りだ!」

 

私の肩をもう一度ポンと叩いてから大声を上げたドラコへと、波で僅かに揺れる控え室に居る全員が首肯して応じた。壁際に並ぶ細工が入っている木のロッカーや、中央にある黒いクッションが付いたベンチ。異国情緒漂う見慣れない控え室だが、そこに居る連中はいつもと同じだ。

 

これまで共に戦ってきたチームメイトたちを順繰りに見ながら、ドラコは短い台詞をポツリと放つ。

 

「勝つぞ。」

 

そのたった一言に万感の思いを込めたドラコを見て、チーム全員の心が一つになった瞬間……笛だ。合図の笛が鳴るのが微かに聞こえてきた。眩い陽光が差し込む出口の近くに全員で移動してから、箒に跨って次の笛を待っていると──

 

「よし、行こう。」

 

先程よりも長い笛の音が耳に届く。その音に従って船の側面に空いている穴から飛び立ったドラコに続いて、私も地面を蹴って空中へと飛び上がってみれば……うおお、満員じゃんか。正午の強い日差しすらも掻き消すような大歓声が、私の全身に勢いよくぶつかってきた。

 

この海上競技場自体は昨日の夕方にタチバナの案内で確認させてもらったが、観客が入ると雰囲気が一変するな。十八隻の巨大な観客席船を埋め尽くしている、色取り取りの服を着た無数の観客たち。魔女を目指している私の生がどれだけ続くのかは分からんが、今日この日は確実に死ぬまで記憶に残るだろう。一世一代の晴れ舞台だ。

 

『さあ、遂に本日の主役である選手たちが決戦の舞台へと姿を現しました! 決勝戦の名に恥じぬ、美しいフォーメーションで競技場を一周しています! お手元のパンフレットを見ればお分かりでしょうが、私からも宙を舞う戦士たちの紹介をさせてください!』

 

物凄い大歓声の中でもよく通る実況の声は、両チームの選手の名前を紹介し始めた。実況は英語でやるらしい。……おいおい、何だよあの応援旗は。巨大すぎる船に見合うレベルの大きさだぞ。そこに刺繍されている獅子、蛇、鷲、穴熊を目にして、嬉しい気持ちが湧き上がってくる。つまり、あそこに居るのはホグワーツ生たちなのか。あんなにデカい応援旗を作るのは大変だったろうに。ありがたいぜ。

 

『先ずは薄紅色のユニフォームを着ている、日本が誇るマホウトコロ呪術学院の代表チームを紹介します! ビーターにはトシオミ・ナカガワ、イチロウ・マツモトの剛腕二人! シーカーとキーパーはミツルとタケルのオウギ兄弟です! チェイサー陣はイエフジ・マツダイラ、ヒデヒサ・タケダ、そしてえぇぇぇ……紅一点のエースでありキャプテン、カスミ・ナカジョウ!』

 

中城の名前が出た途端、爆発したような歓声が競技場を包んだ。予想はしていたが、凄まじい人気だな。私たちとは正反対の位置を飛んでいる中城は、整った童顔に笑みを浮かべて愛想良く観客席へと両手を振っている。フォーメーション飛行程度なら箒を握る必要もないらしい。

 

『次に黒いユニフォーム姿の、イギリスが誇るホグワーツ魔法魔術学校の代表チームを紹介しましょう! ビーターは対照的な体格のギデオン・シーボーグとアレシア・リヴィングストンの二人! シーカーとキーパーはハリー・ポッターとスーザン・ボーンズ! そしてチェイサー陣はマリサ・キリサメ、シーザー・ロイド、キャプテンたるドラコ・マルフォイの三人です!』

 

実況の紹介も、応じる歓声もマホウトコロの時の方が熱が入っていたな。……ふん、いいさ。この地がアウェイなのは百も承知だ。今に見てろよ、ひっくり返してやるから。

 

差のある選手紹介にむしろやる気を増しながらフォーメーション飛行を終え、ルールで決まっている開始ポジションへと移動した。もちろんルール違反にならないギリギリ前にだ。最初のクアッフルの奪い合いはドラコと中城がやることになるわけだが、ドラコが取ろうが中城が取ろうが私のやることはただ一つ。試合開始のホイッスルが鳴ったらあの小生意気な黒髪ポニーテールへと突っ込んでやるぜ。

 

会場全体の空気が興奮から緊張に変わっていく中、今回も副審を務めるらしいイベントの総責任者であるサミレフ・ソウが、フィールドのど真ん中にぽつりと浮かんでいる朱塗りの小舟の上でボールケースを蹴り開ける。解き放たれたブラッジャーとスニッチがそれぞれの方向へと飛び去り、クアッフルが規定の高さまで浮かび上がったところで──

 

『試合開始です!』

 

笛の音と実況の声が響くのと同時に、宙に浮くクアッフルを取ろうとしたドラコと中城が激突……しないな。中城が三次元的な飛行でひらりとクアッフルを掠め取ってしまう。そのまま自信に満ちた笑みでホグワーツ側のゴールを目指そうとした中城だったが、そこに私が猪の如く突進した。ドラコには悪いけど、この展開は予想済みだったさ。

 

「よう、天才。止まってもらうぜ。行き止まりだ。」

 

「ありゃ? 日本語じゃん。そういえば喋れる子が居たんだっけ。……へえ、私とやる気なの?」

 

「そういうこった。」

 

「名前は確か……そう、霧雨ちゃんだったよね? 後悔することになると思うけどなぁ。」

 

ボールを保持している中城に思いっきりぶつかりながら、競り合ったままでジグザグに飛行する。懐かしいな。その自信たっぷりの面構えは古い友人を思い出すぞ。紅白の天才を。

 

『これは意外な展開です! ホグワーツのキリサメ選手、ナカジョウ選手に真っ向勝負を仕掛けました!』

 

「後悔するのはお前の方、だ!」

 

「おっと。……ほら、無駄だって。箒の上じゃ私と渡り合える学生なんて存在しないよ。まあまあ上手いけど、そこまでってとこかな。じゃあね!」

 

一度距離を取ってタックルした私を華麗に避けて、中城はゴールに向かおうとするが……いいぞ、スターダスト。今日は調子が良いじゃんか。避けられるのを予期していた私は、一瞬で体勢を立て直して中城に追いつく。行き止まりだって言っただろうが。

 

「行かせるかよ!」

 

「うわっと。……んー、しつこいなぁ。何でそんなに突っかかってくるの? 私、貴女に何かしたっけ? それともただの作戦?」

 

二度目のタックルをするりと避けた後、他のチェイサーにクアッフルをパスしてから放たれた中城の質問に、大きく鼻を鳴らして応答した。

 

「私の世話役は東風谷だったんだよ。」

 

「早苗が? だから何だってのよ。」

 

「お前、あいつに余計なことを言ってるみたいじゃんか。期生にならずにマホウトコロを去れとかってよ。……実に気に食わないぜ。」

 

「……なるほどね、そういうこと。早苗に同情したんだ。」

 

それまでの笑みをすとんと消して言ってきた中城は、私たち以外のチェイサーが熱戦を繰り広げているのを尻目に箒を止める。それに応じて空中に静止した私へと、マホウトコロのエースどのは表情を不機嫌そうなものに変えて問いかけてきた。

 

「それで、何? ホグワーツ生の貴女に何が出来るの? こっちに残って早苗の面倒を見てくれるってこと? ……何も出来ないなら軽々しく口を出さないでよ。あの子には魔法の才能が無いの。だったらマホウトコロは居場所として相応しくないわ。」

 

「それを決めるのは東風谷本人であって、お前じゃないだろうが。」

 

「私は早苗の指導役だからね。見込みのない後輩の願望を吹き消すのも私の仕事なの。……他の生徒たちの罵倒に愛想笑いでへらへら応じてるのは見てて哀れなのよ。あの子には言い返す気概すらないんだから、期生なんてやっていけるわけないでしょ。私みたいな天才が何もしなくても天才なように、落ちこぼれは何をしたって落ちこぼれのままってことね。」

 

童顔に似合わない大人びた冷笑で主張する中城に、ブラウンの瞳をはっきり見返しながら言葉を飛ばす。

 

「違うな。落ちこぼれだって努力すれば天才を超えられるんだ。あとは東風谷がそれをやるかどうかだぜ。……別にそこまで口を挟むつもりはないが、切っ掛けすら消しちまうのは認め難いな。」

 

「あーあ、やだやだ。『熱血教師』の真似事ってわけ? あの子の現状もよく知らない癖に余計なことをしないでよ。早苗はもうダメなの! 今までずっと苦しんできたの! 端からこの学校に向いてなかったの! ……何でそんな簡単なことが理解できないかな。さっさと辞めちゃった方があの子のためなのよ。」

 

「……お前、ひょっとして東風谷がこれ以上苦しい思いをしないようにってアドバイスしたつもりなのか?」

 

「……だったら何? 霧雨ちゃんには関係ないでしょ。」

 

何だよ、そういうことか。ちょびっとだけ頬を染めて口を尖らせた中城へと、拍子抜けした気分で話を続けた。東風谷の境遇を見ていられなかったから、マホウトコロから彼女を『逃がす』ために提案したってわけだ。どうやら私が思っていた状況と少しズレていたらしい。

 

「お前な、東風谷は期生をやりたいみたいだったぞ。あいつのことを思ってるなら背を押してやるべきだろ。」

 

「貴女はこれまでの生活を見てないからそんな簡単に言えるのよ。早苗ったら、何度も何度も泣いてたんだから。あの子は気弱なの。誰より近くで見てきた私はそのことをよく分かってるわ。……それに私は今学期で卒業だから、もう庇ってあげられないでしょ? その状態で期生になるなんて無理よ。絶対無理。」

 

「庇ってたのかよ。東風谷は気付いてないどころか、お前に見限られたかもって落ち込んでたぞ。」

 

「いちいち言うわけないでしょ、恥ずかしい。私が嫌われてあの子が諦めるならそれでいいのよ。」

 

そう吐き捨てた後、プイとそっぽを向いて赤い顔を隠す中城だが……アホらし。すれ違ってるだけじゃんか。素直になれよ。うなじまで赤くなっている中城へと、大事な決勝戦中だということも忘れて呆れ声を返す。どうもこいつは赤くなり易い体質っぽいな。

 

「お前はあれだな、不器用だな。……思うんだがよ、普通に東風谷と話し合えばいいだけじゃないか? お前は東風谷が心配だから期生になるのを止めてたって伝えて、その上で東風谷が期生になりたいってんなら応援してやればいいだろ?」

 

「……私は早苗にとってパーフェクトな先輩なの。葵寮の連中の部屋に早苗をイジめるなって殴り込んだりしないし、先生方によく見てあげて欲しいってお願いして回ったりしないし、早苗と一緒の写真を部屋に飾ったりはしないクールな先輩なの! 早苗のことが心配で卒業したくないなんて言ったら、これまで必死に築き上げてきたイメージが崩れちゃうでしょうが!」

 

「……アホだな、お前。かなりのアホだ。嫌われるよりもイメージが崩れる方が嫌なのかよ。」

 

「当たり前でしょ!」

 

飛んできたブラッジャーの方を確認もせずに避けながら怒鳴ってくる中城に、それを打ったギデオンを横目に返事を送った。ギデオンのやつ、怪訝そうな表情でこちらを見ていたな。試合から離れて何をしているのかが疑問なのだろう。私もちょっと疑問になってきたぞ。

 

「だから、あー……バカバカしい。折角試合をやってるんだし、ここは分かり易くいこうぜ。私が勝ったらお前は東風谷と本音で話し合う。それでどうだ?」

 

「……何でそんなこと約束しないといけないの?」

 

「すれ違ったままってのは気に食わないからだよ。お前だってこのまま卒業するのは嫌だろ? そんなに東風谷のことを気にしてるなら、卒業した後も仲良くしたいはずだ。」

 

「……早苗が幸せなら別にいいもん。」

 

こいつ、本当に年上か? 駄々をこねる子供のような口調で言ってくる中城へと、頭をガリガリ掻きながら強めに念を押す。こっちの顔が素みたいだな。マホウトコロの点取屋どのの正体は、心配性の子供っぽい『お姉ちゃん』だったわけだ。

 

「いいから、約束だ! お前は自分の技術に絶対の自信を持ってるんだろ? だったらいいじゃんか。」

 

「……あーもう、しつこいしつこい! 分かったわよ! 約束すればいいんでしょ!」

 

頬を膨らませて了承してきたぽんこつエースに頷いてから、箒を握って試合に戻る。……当初予定していたものとは全然違う形になっちゃったが、勝負は勝負だ。勝って東風谷と中城の関係を真っ当なものに整えてやろう。

 

そう思いながらクアッフル目指して飛んでいると、追いついてきた中城が……マジかよ。私の箒の先に自分の箒の先端をぴったり合わせて話しかけてきた。つまり、中城は後ろ向きに飛行している状態だ。しかも速度を完璧に合わせて。こんなもん曲芸飛行の範疇だぞ。

 

「ちょっと、まだ話は終わってないんだけど? ……早苗は私のことを何て言ってたの? どんな人だって貴女に紹介した?」

 

「……私に勝ったら教えてやるよ。」

 

「あれ、素直に教えてくれるつもりなの? 安心したわ。サクッと勝って聞かせてもらいましょうか。」

 

言うと、中城はくるりと箒の向きを反転させて飛び去っていく。重力も風の抵抗も一切感じさせない鮮やかな箒捌きだ。……面白いじゃんか。私が素直じゃないってところを見せてやるぜ。

 

空中を泳ぐように滑らかに飛ぶ天才の背を追いつつ、霧雨魔理沙は顔に不敵な笑みを浮かべるのだった。

 



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アビゲイル

 

 

「この辺でいいんじゃないかしら? アンネリーゼ。近くに人は居ないと思うわよ?」

 

姿あらわしで移動してきたマホウトコロの大橋。確か『濯ぎ橋』と呼ばれているんだったか? そこを少しだけ歩いたところで話しかけてきたアビゲイルへと、アンネリーゼ・バートリは小さく首肯していた。『連れて行きたい場所がある』というあの場での適当な言い訳を気にも留めていないあたり、どうやら私の話の内容に勘付いているらしいな。この期に及んで余計な小芝居を打つ気はないというわけだ。潔いじゃないか。

 

「まあ、別にいいよ。邪魔が入らなければ何処でも良かったしね。……さて、それじゃあ──」

 

静けさに包まれている湖面を横目にいざ話を始めようとしたところで……むう、来ちゃったのか。視界の隅に見覚えのある姿が映る。アリスが私たちを追って来てしまったようだ。上手いこと競技場に留められたと思ったんだけどな。

 

私たちの方へと駆け寄ってくるアリスを見つつ、苦笑いでどうしたもんかと考えていると、アビゲイルもまた苦笑を浮かべて口を開いた。ひどく大人びた、皮肉げな表情でだ。あの日のベアトリスの笑みと似通ったものを感じるぞ。

 

「結局のところ、何をしても役者は揃うようになっているのよ。それが良い劇ってものだわ。」

 

「……いいさ、こうなったらアリスにも聞いてもらうだけだ。舞台は決まり、役者も揃った。最後の幕を上げようじゃないか。」

 

「そうね、三人で楽しみましょ。……私もアリスには気付かれないままで終わりたかったんだけどね。」

 

やはりアリスのことを気に入っているのは嘘ではないわけか。困ったような声色でアビゲイルが呟いた直後、追いついてきたアリスが声をかけてくる。

 

「あの、リーゼ様。すみません、何だか気になっちゃって。自分でもバカバカしいとは思うんですけど、どうしても──」

 

「そこまでだ。……いいんだよ、アリス。キミはある意味では正しい行動をしているんだから。」

 

上げた手を肩越しに示して私の背後に立つアリスの発言を止めてから、眼前に立つアビゲイルへと問いかけを飛ばす。私とアビゲイルだけで決着を付けるつもりだったが、もはやアリスを退場させるのは難しいだろう。ならば彼女も舞台に上がったままで話を進めるしかあるまい。……最初からこうなる運命だったのかもな。アビゲイルの言う通り、役者が揃ってこその終幕なわけか。

 

「では、私の推理を披露していいかい? アビゲイル。謎解きのシーンを始めようじゃないか。」

 

「ええ、聞くわ。聞かせて頂戴、アンネリーゼ。貴女が導き出した答えを。」

 

黒いロングスカートを摘んで可愛らしくお辞儀したアビゲイルへと、私も胸に右手を当てて一礼してから話し始める。アリスはそんな私たちのことを無言で見つめたままだ。もしかすると見たくないものから無意識に目を逸らしていただけで、聡明な彼女も『真実』に薄々気付いていたのかもしれない。

 

「先ずは……そうだな、五十年前の事件についてだ。あれはつまり、アリスのことをテストしていたんだろう? キミの目的を達成するための重要な役割として相応しいか、相応しくないかをね。」

 

「リーゼ様、アビゲイルは五十年前の事件のことを知りません。彼女はその頃北アメリカでベアトリスの帰りを待って──」

 

「その答えは近いけど、正確じゃないわ。あの時の『私』は自分と近い魔女を見つけたから、単にちょっかいをかけてみようと思ってただけなの。目的を明確に定めたのは五十年前の事件が終わった後よ。アリスを知ったから、『ベアトリス』は始めたってことね。」

 

「……アビゲイル?」

 

スラスラと答えたアビゲイルのことを呆然と見つめるアリスに、金髪の人形はクスクス微笑みながら肩を竦めた。今までの彼女らしからぬ、どこか芝居じみた動作でだ。

 

「仕方がないのよ、アリス。私が犯人の役なのであれば、劇の佳境とも言える『対決』の場面でつまらない嘘を吐くわけにはいかないわ。探偵さんの推理が正しい時、それを堂々と認めるのが良い犯人の役目なんだから。そうでしょ? アンネリーゼ。」

 

「その通りだ。だからこそ私は一礼してから推理を始めたんだよ。後から舞台に上がる探偵役として、無様に足掻いて劇を濁そうとしない先達に敬意を表したわけだね。」

 

「貴女のそういうところ、好きよ。良い役者が相手だったから、私も頑張って演じられたのかも。……それじゃあ続きをどうぞ、探偵さん。」

 

戯けるように手のひらを差し出してきたアビゲイルに対して、ため息を吐きながら続きを語る。ベアトリスが最期の瞬間まで役者であることを貫き通したように、アビゲイルもまた自身のアイデンティティに反することは出来ないというわけか。

 

「とにかく、五十年前の事件を通してキミはアリスに目を付けたわけだ。そして計画を立て、準備を重ね、去年の夏に実行し始めた。『生まれ変わる』ための計画をね。」

 

「うん、そこまでは正解。私は棄てたかったの。惨めな生を棄ててやり直したかったのよ。ミリエル司教に出会って清く正しい生を見つけた、ファヴロールのジャンのようにね。……まあ、彼と同じでこうして過去に追いつかれちゃったわけだけど。私と違って自ら過去を受け容れているあたり、彼の方がより『哀れな人』なのかもしれないわ。」

 

「哀れな人々の物語についてを議論する気はないよ。私はあの小説が嫌いだからね。……計画のために、先ずキミは混乱を作り出そうとしたわけだ。アリスの指名手配、国際魔法使い連盟本部でのテロ、ホームズの暴走。こんなことをして何の意味があるのかと私たちは混乱していたわけだが、キミにとっては混乱そのものが目的だったんだろう?」

 

「基本的にはそうだけど、一応申し訳程度の意味はあったのよ? パリでの開演の知らせやホームズの顔、アリスの指名手配なんかは動機付けね。貴女たちにはベアトリスを追ってもらわなくちゃいけなかったの。じゃないとその途上で私と出会うことが出来ないでしょう? とっても可哀想な、捨てられた人形に。」

 

最初から劇のシナリオ通りだったわけだ。私たちはベアトリスを追っていたのではなく、追わされていた。あの北アメリカの放棄された工房での、『アビゲイルとの出会い』というシーンにたどり着くために。

 

まんまと操られていたことに鼻を鳴らす私へと、アビゲイルは橋の欄干に寄り掛かりながら説明を続けてくる。いやに饒舌だな。彼女が思う『良い犯人』はそういうタイプなわけか。

 

「自分たちの意思で、かつ自分たちの力で私を見つけてもらう必要があったのよ。あからさまに誘導しちゃうと怪しいでしょう? ……あの情報屋の厄介さはエリック・プショーとしてパリに住んでいた頃の経験で知ってたから、彼女を頼れば遠からず北アメリカの工房にたどり着いてくれると考えたの。ちなみに鈴の魔女にちょっかいをかけたのは香港自治区の線を使おうとした時に備えての保険で、ニューヨークのミストレスの線から追い始めたのは私にとっても予想外だったわ。まさか貴女とあの方に繋がりがあったとはね。あの方の力があれば私を見つけないままで一足飛びにベアトリスに到達したかもしれないし、そこはちょっと危ない部分だったのかも。」

 

「ホームズが委員会の議長に就いた件や、国際間の騒動、そしてマクーザを滅茶苦茶にしたスキャンダルについてはどうなんだい? 混乱を助長するための一手だったのか、キミのささやかな『復讐』だったのか。そこまでは判別がつかなかったよ。」

 

「判別がつかないのは当然よ。後ろの二つは両方の意味を持っているんだから。混乱を大きくするついでに、旧大陸や北アメリカを引っ掻き回してやろうと思ったの。無責任にスカウラーを送り出した旧大陸の魔法界と、連中を根絶し切れなかった無能なマクーザへのちょっとした嫌がらせってわけ。あくまで『おまけ』であって、大して拘ってはいなかったけどね。……でも、委員会の件だけは性質が違うわ。ゲラート・グリンデルバルドをどうにかして巻き込みたかったのよ。本来の計画ではスカーレット派に手を出すことでレミリア・スカーレットを『混乱の要』にする予定だったんだけど、念のためグリンデルバルド側にも干渉できるように両者が関わっている委員会にホームズを食い込ませておいたの。いきなりスカーレットが消えちゃった時は焦ったし、事前にグリンデルバルドにも紐を付けておいて正解だったわ。魔法界を混乱させたいなら、二人のうちどちらかを舞台に引き摺り出さないとね。」

 

「なるほどね、上手い一手だったと思うよ。混乱によって停滞を生んだわけだ。私たちが北アメリカでキミを見つける前に、アリスを取り巻く状況が落ち着いてしまうと困るからね。……あとはまあ、ベアトリスが分かり易く悪事を重ねれば重ねるほど、私たちの認識における彼女の存在が大きくなってキミが目立たなくなるってとこか? 追う理由が増えて必死になれば自ずと視野も狭くなるしね。」

 

ホームズの悪足掻きも、連盟でのテロも。何か明確な目的があってのことではなく、盤上を膠着させるための一手だったというわけだ。私が放った言葉を受けて、アビゲイルはこっくり頷いてから声を上げた。

 

「ベアトリスを全ての犯人に仕立て上げる必要があったのよ。可哀想なアビーを捨てた『悪い魔女』の役にね。それに、状況が落ち着いちゃうとアリスが自由に動けるようになるわ。それじゃ意味がないの。少なくとも私のことを気に入ってもらえるまでは、なるべく近くで生活しないとだから。」

 

「そしてキミが見つかった後はとんとん拍子だ。ホームズは呆気なく失脚し、アピスがベアトリスを見つけた。その間にアリスとの仲を深めた可哀想な人形は、ベアトリスが死んだ後も私たちと一緒に仲良く暮らせるってわけだね。」

 

「そうね、ハッピーエンドよ。……それじゃあダメ? 生まれ変わった人形は何にも悪いことはしないわよ? エマのお手伝いをして、アリスとお買い物に行って、貴女とチェスを楽しむわ。とっても楽しい、理想の生活。私が手に入れられなかった温かな生活。『こうして人形はみんなと一緒に幸せに暮らしました。めでたしめでたし。』……それが結末でいいじゃないの。」

 

「ダメだ。もう私が気付いてしまったからね。その生活が作られたものだということに。」

 

私はそれを許容できない。そう決めたからこそこうして舞台に上がったのだ。否定を口にした私を見て、アビゲイルは悲しそうな微笑みで小さく息を吐く。

 

「……一番予想外だったのはベアトリスね。あの子ったら、最後の最後で計画と違う行動をしたわ。自分が操られていることに気付いて、糸を引き千切ろうとしたのよ。自分で結んだ糸なのに。」

 

「そこが少し分からないんだ。……そもそも、キミはいつ『ベアトリス』になったんだい? 五十年前の事件を終えた後、北アメリカの工房で入れ替わったのだと私は推理しているが。」

 

「ヒントはあの絵ね? 私とベアトリスが額を合わせているあの絵。それで正解よ。……でもね、入れ替わったわけじゃないの。私もベアトリスも等しく『ベアトリス』なのよ。分かる? 入れ替わったんじゃなくて、記憶をコピーしたってこと。つまり、本物のベアトリスはむしろ彼女の方なわけ。」

 

「まあ、その点は予想通りだよ。『偽物は嫌い』、『スワンプマン』、『記憶と記録』、『オリジナルであるという主張』。灰色の魔女は会話の随所でこれでもかというくらいにヒントを提示してくれたからね。とはいえ、だからこそ私は混乱させられたんだ。……要するにだ、一連の計画を立てたのは拳銃自殺をした方のベアトリスってことだろう? 彼女は自分が構築した計画に、自分自身で疵を付けたわけだね。そこがどうにも意味不明だったのさ。……教えてくれたまえ、そもキミたちは自己というものをどう認識しているんだい? キミたちのその点に対する考え方が常識的なそれと違いすぎるから、私は混乱したんだと解釈しているんだが。」

 

つまるところ、魅魔の記憶で見た少女は拳銃自殺をした女と確かに同一人物だったわけだ。あの女こそが『オリジナル』のベアトリスであり、人間の魔女であり、この戯曲を執筆した張本人であり、三百年を生きた人外だったということになる。魔女の誓約は嘘ではないという自分のカンを信じて正解だったな。

 

にも拘らず、ベアトリスは自身の書いた脚本通りに行動するアビゲイルと『対立』した。自分が自分の意思で生み出したもう一人の自分と相反したわけだ。脚本には書かれていない台詞で自分自身の『悪役』という役どころに疵を付け、あまつさえ計画全体の目的であるはずのハッピーエンドの崩壊を望むってのは……まあうん、お世辞にも一貫性のある行動だとは言えないだろう。

 

ベアトリスの二面性。そのことを頭に浮かべて問いかけた私へと、アビゲイルはむむむと腕を組みながら解説してきた。

 

「この感覚を説明するのは難しいんだけど、『私』は点在しているのよ。エリックも、ミーナ……五十年前に図書館の魔女と戦ったあの子も、ベアトリスも、アビゲイルも全部『私』なの。昔から人形に意識を移して操っていたから、今や自己なんてものは大した意味を持っていないわけ。コピーだろうが私は私。私を幸せにするために私が犠牲になるのはそうおかしなことじゃないでしょ?」

 

「私からすれば絶対に嫌だがね。今ここに居る私こそが私だ。同じ記憶を持っていようが、別の存在は私じゃないよ。同じカタチをしているだけの他者さ。」

 

「んー、こればっかりは価値観の違いじゃないかしら? とにかく私たちにとってはそこまで拘りがないの。もう薄れちゃってて重要じゃなくなってるのよ。……そう思ってたんだけどね。やっぱり『オリジナル』は何か違うのかも。土壇場で自己を主張し始めたわ。どこかの段階で記憶を取り戻したみたい。」

 

「記憶を? ……やはりベアトリスはキミに記憶をコピーしたという記憶を消されていたわけか。」

 

そうだ、それならベアトリスの一貫性のない行動にも筋が通る。去年の末に北アメリカの工房を焼いたのは、その時期に記憶を取り戻したからだったのだろう。戯曲に登場する前の『アビゲイル』を始末して、『ベアトリス』を生き延びさせようとしたわけだ。

 

「消されたというか、北アメリカで私を誕生させた後に自分で消したのよ。それと同時に頭を弄って偽の目的を植え付けたわけ。『ベアトリス』を計画の一部分にするために、自らを『操り人形』に作り替えたってことね。……今思えば、その行動が既に矛盾してたわ。そもそもベアトリスが考えた計画なんだから、わざわざ記憶を消す必要なんてなかったわけでしょ? 普通に記憶を保持したままで私のために死んでいく方が確実だったはずよ。それなのに自分の記憶を消して計画を実行させるための人形にしたのは、何かしらの葛藤があったからなのかも。……何れにせよ、そこまでは私にも分からないわ。私が持っている記憶はベアトリスが私にコピーした時点までの記憶だから。」

 

「恐らくベアトリスは自分自身の行動に疑問を抱いたんだろうさ。私たちから見てもチグハグな行動だったんだから、やってる本人からすれば言わずもがなだね。そして自分を調べてみた結果、記憶を取り戻したというわけだ。……怖くなったんじゃないかな。自己が消え去ることが、そしてコピーであるキミが『自分ではない自分』としてのうのうと生き延びることが。感情ってのは変わるものなのさ。キミに記憶をコピーした時は受け容れられていたことでも、いざとなってみたら躊躇いが生じる。非常に人間らしい変化だと思うよ。」

 

「諧謔を感じるわ。魔女として生まれ、無数の人形を操り、自分のことまで人形にした人外は、最後の最後で人間らしい後悔を抱えちゃったわけね。役者という立場を守りつつ、人間としての抵抗もするだなんて……どっち付かずよ。自分のことながら理解に苦しむわ。」

 

「それが人さ。そしてその人間としての抵抗がこの状況に繋がったんだ。五十年前にクロード・バルトに敗北したように、今度は『ベアトリス』に敗北したんだよ。自分自身の中に芽吹いていた僅かな人間性が、魔女としての計画にヒビを入れたわけだね。」

 

どこまでも救えない話だな。ベアトリスはあの瞬間、何を思って自分の頭を撃ち抜いたんだろうか? 自身が書いた戯曲に踊らされた女。報われないと分かっていても演技をやめなかった役者。観客だった私に名探偵の役を与えて退場した魔女。ここまで哀れな死に様はそう無いぞ。

 

虚しい感情を覚えながら眉間を押さえていると、ずっと黙って私たちの問答を聞いていたアリスが青い顔で質問を寄越してきた。震えるようなか細い声でだ。

 

「私、どういうことなのか……よく分かりません。アビゲイルは、彼女は、どういうことなんですか?」

 

「……つまり、ベアトリスは五十年前にキミと出会って一つの計画を立てたんだよ。悪しき魔女としての、嫌われ者としての生を棄てて、幸せな第二の生を手に入れるための計画を。キミはそのための最も重要なピースとして選ばれたのさ。面倒見が良くて、善良で、魔女なのに人間に愛されるキミは……ベアトリスにとってさぞ美しいものに見えたんだろうね。だからベアトリスはキミを『母親』に選んだんだ。自身を庇護し、導き、幸せを与えてくれる役割に。もう二度と同じ場所に落ちないために、手を引いてくれる存在としてキミを選んだんだよ。」

 

「うん、そういうことね。私、アリスのことが大好きよ。だって、私が欲しかったものを全部持っているんだもの。人間の友達も、優しい保護者も、頼りになる師匠も、可愛らしいお姉さんや慕ってくれる妹たちも。全部全部私が欲しくて、それなのに決して手に入らなかったものばかりだわ。……だからね、私もその一員になりたくなったの。生まれ変わって明るい場所でアリスと一緒に過ごせば、今度こそ幸せな生が送れると思ったのよ。」

 

「全部そのためだったの? 私と一緒に過ごすためだけに魔法界を混乱させて、挙句『自分』を殺したの?」

 

呆然と呟くアリスに対して、アビゲイルは切なそうな表情で返事を返す。

 

「そうよ、たったそれだけのための計画だったの。貴女にとっては当然の世界でも、私にとっては全てを犠牲にしてでも手に入れたかったものだったのよ。……きっとアリスには理解できないんでしょうね。だからこそ私は貴女を選んだの。私とは正反対の生を送っている貴女を。」

 

「……単なる演技だったの? エマさんと一緒にケーキを作ったり、私の店の手伝いをしてくれていたアビゲイルは全部演技だったの?」

 

「分からないわ。もう私には演技と本心の区別がつかないの。『本物の自分』なんてとっくの昔に薄れて消えちゃってるのよ。……私はベアトリスの記憶を持っているけど、同時に間違いなく『アビゲイル』でもあるわ。記憶をコピーされる前の、アビゲイルという自動人形だった頃の私がベースになっているんだから。どちらが主体なのか、どちらが付随しているのかはもう判別できないけど……でも、あの時私は確かにアビゲイルで、アリスやエマとの生活を心から楽しんでいた。それじゃあダメかしら?」

 

寂寥を湛えた微笑で申し訳なさそうに言うアビゲイルを見て、アリスは泣きそうな顔で口を噤む。……本当に正反対の二人だな。だけど、アリスだって最初から全てを持っていたわけではない。彼女だって色々なことを踏み越えて今の生活を手に入れたのだ。ほんの僅かな切っ掛けさえあれば、ベアトリスだって彼女と同じものを手に入れられていただろう。

 

だが、そうはならなかった。私とパチュリーがアリスを引き取ったように、魅魔はベアトリスを迎え入れはしなかった。死別するまでの十年間でアリスの両親と祖父は彼女に愛を惜しみなく与えたが、ベアトリスにはそれを与えてくれる存在が居なかった。アリスには沢山の人が沢山のことを教えたが、ベアトリスには誰も教えてくれなかった。

 

望まれぬままに生まれて、望まれぬままに生きた魔女。文句の付けようもない悲劇だな。そんなベアトリスの……いや、『ベアトリスたち』の最後の望みを踏み潰したのが自分であることを自覚しつつ、諦観の雰囲気を漂わせている人形へと疑問を投げる。

 

「ちなみにその姿は子供の頃のアリスを真似たのかい? 私の同情を引くために、アリスから親近感を引き出すために。……だとすれば成功だったのかもしれないね。未だに自覚は出来ていないが、どうも私はキミに対してやや甘めの対応をしていたようだし。」

 

「いいえ、違うわ。左足やタンクが壊れていたのは同情を引くためだし、古臭い球体関節は人形であることを際立たせるための一つの要素なんだけど、見た目に関しては別にアリスに似せてあるわけじゃないの。他に仮説は思い浮かばなかった?」

 

「……であれば、キミのモデルはあの絵の少女か。」

 

「うん、大正解。私は『ビービー』が作った『アビー』よ。ベアトリスという人外が始まった時、唯一優しくしてくれた女の子がモデルなの。私が一番最初にアリスに惹かれたのは、あの子と見た目が似ていたからなのかもね。……未だに分からないわ。あの子は最後に私を裏切ったのか、それとも助けようとしてくれたのか。それが分からないから今までずっと迷っていたのかも。……とにかく、私の姿や性格はその女の子がモデルになっているの。この姿はベアトリスにとっての『幸せ』の象徴なのよ。だから私が幸せになる一体として選ばれたってわけ。」

 

魔女ベアトリスという人外を形作った『迷い』。私たちには知る由もないそのことについてを語ったアビゲイルへと、深く息を吐いてから口を開いた。

 

「まあ、答え合わせはこんなところかな。……私はキミを殺すよ。今度こそね。それで劇は終わりだ。」

 

「抵抗はしないわ。アビゲイルは戦うことも、泣くことも出来ない愛すべき人形だから。……んー、惜しかったわね。結構良い出来の台本だと思ったんだけど、中々思い通りにはいかないみたい。私が欲しかったものは積み重ねてこそ手に入るものであって、ズルして楽に得ようとするのは土台無理だったってことなのかしら。」

 

「良い出来だったよ。グラン・ギニョール座での三文芝居とは大違いだ。ベアトリスの抵抗が無ければ気付けなかっただろうしね。」

 

「あら、嬉しいわ。辛口の貴女に褒めてもらえるだなんて光栄よ。」

 

芝居がかった動作で一礼したアビゲイルに、アリスが絞り出すような声量で声をかける。

 

「……もしリーゼ様が気付かなかったら、貴女は『アビゲイル』のままで幸せに暮らせたの?」

 

「そうかもしれないけど、もう意味のない話よ。アンネリーゼもアリスも気付いちゃったでしょ? ならもう無理。その上で一緒に幸せに暮らすだなんて不可能ね。……アリス、アンネリーゼのことを恨んじゃダメよ? 彼女は私たちに少しだけの猶予をくれたんだから。そうでしょう? 黒髪の探偵さん。」

 

「……整理しきれなかっただけだよ。」

 

「今日の貴女は嘘が下手ね。……ありがとう、アンネリーゼ。お陰で幸せを味わえたわ。たった半年だったけど、私がずっと望んでいた生活を体験することが出来た。とっても甘くて、ふわふわしていて、温かい生活だったの。」

 

そう言った後で瞑目して思い出を噛み締めるように微笑んだ人形は、葛藤している様子のアリスへと話しかけた。綺麗な笑顔でだ。

 

「さようなら、アリス。今更言ったところで信じてもらえないかもしれないけど、貴女のことが大好きなのは本当よ。随分と良くしてもらったし、エマにもお礼を伝えておいてくれないかしら? 楽しかったわ。本当に楽しかった。」

 

「アビゲイル、私は──」

 

「アンネリーゼ、やって頂戴。ベアトリスと同じように、私を役者のままで終わらせて。惨めな去り際は嫌いなの。」

 

「ああ、そうしよう。」

 

意志の強さを感じる青い瞳で促してきたアビゲイルへと、手加減一切無しの妖力弾を撃ち込む。アリスはもっと話したいだろうが……仕方がない、今だけはアビゲイルの願いを優先してやろう。観客として、そして同じステージに立った役者としてのせめてもの敬意だ。彼女が演じた戯曲はそれに値するものだったのだから。

 

「待ってください、リーゼ様!」

 

アリスがアビゲイルに駆け寄りながら手を伸ばす中、その必死な姿を見た青い瞳の人形はホッとしたようにポツリと呟く。全てを諦めているような、それでいてようやく叶ったような、どこまでも儚い微笑でだ。

 

「さようなら、私の──」

 

轟音と、爆風。桁橋の一部を吹き飛ばした爆発の後、そこには波紋で歪む湖面だけが広がっていた。アリスが力無く膝を突いて転がってきた木片……色からして橋の残骸ではなく、アビゲイルを形作っていた一部だろう。を手に取るのを横目に、真っ暗な頭上を見上げて深々とため息を吐く。

 

アリスに恋焦がれた魔女。人間を求め、魔女として生きた彼女は結局人形として死んだわけだ。自らに糸を付け、最後はそれに抗おうとしたベアトリスも、自身の人間性に台本をひっくり返されたアビゲイルも。

 

誰も救われない戯曲だったな。悲劇か。人間の書く悲劇というのは、吸血鬼にとっての喜劇だったはずなのだが……魔女が書くそれは掛け値なしの悲劇であるらしい。見事であればあるほど、後味の悪さが際立ってくるぞ。

 

木片を握り締めて俯くアリスを見守りつつ、アンネリーゼ・バートリは長い劇の幕が下りたことを感じるのだった。

 



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ウサギとカメ

 

 

「何を落ち込んでいるんだ、マリサ。僅か四十点だぞ。お前は見事にナカジョウを抑えられているじゃないか。落ち込むべきは僕とシーザーの方だ。」

 

自嘲するような口調で話しかけてきたドラコに力無く頷きながら、霧雨魔理沙は頬を叩いて気合を入れ直していた。それでも四十点は四十点。オフェンスに一切参加せずに妨害し続けているのにも拘らず、中城に得点を許したことに違いはない。

 

現在の私たちホグワーツチームは、タイムアウトを取ってベンチで短い作戦会議をしている最中だ。試合開始から一時間が経過した現時点で肝心のスコアは30対160。つまり、マホウトコロに百三十点もリードされていることになる。……くそ、厳しいな。このままリードされていけばスニッチを捕っても逆転できなくなってしまうぞ。

 

あと二十点広げられればアウト。迫るボーダーラインに焦りを大きくしていると、ドラコの背後に居るシーザーがタオルで汗を拭いながら口を開いた。憔悴し切った表情だ。

 

「僕の力不足です。ドラコやマリサは上手く動いています。相手の得点の大半は僕が抜かれた結果ですよ。」

 

「ゴールしてるってことは、その後に私も抜かれてるわけなんだけどね。」

 

「スーザンは何度も守っているじゃないですか。僕の所為です、僕の──」

 

「落ち着け、シーザー。スーザンも気落ちするのは止めろ。我々はチームだ。誰か一人の責任ではない。……ビーターはどうだ? 申し訳ないが、チェイサー戦に必死でそこまで把握できていないんだ。現状を教えてくれ。」

 

シーザーの肩を叩きながら問いかけたドラコに対して、ギデオンとアレシアが報告を送る。こちらもひどく疲れている顔付きだな。楽観できる状況ではないらしい。

 

「俺たちの方もキツい展開になってますね。相手ビーター同士の連携が恐ろしく上手いんです。守るのに手一杯で、他には何も出来てません。」

 

「あの……私もディフェンスに引き摺り出されてます。攻める余裕が無いんです。」

 

「……厳しいな。どこも劣勢なわけか。」

 

二人の返答を聞いて難しい顔になってしまったドラコの呟きを最後に、控え室に短い沈黙が舞い降りた。そんな暗いムードの中、中央のベンチから立ち上がったハリーが声を上げる。平時通りの柔らかい笑顔でだ。

 

「このままだと負けるかもね。会場の空気もアウェイだし、チェイサーもビーターも押され気味。きっと雑誌には『マホウトコロ、当然の勝利!』って感じに──」

 

「ポッター!」

 

弱気な発言をしたハリーを怒鳴ったドラコへと、ハリーは……笑顔のままだな。変わらず笑顔で応答した。

 

「『ハリー』だよ、ドラコ。……みんな間違えてるよ。僕たちは30対160で負けてるんじゃなくて、180対160でリードしてるんだ。スニッチは僕が絶対に捕るんだから、その分を計算に入れないとね。」

 

おいおい、とんでもない暴論だな。こんな状況なのに僅かな揺らぎすら感じられない、強い意志を秘めたグリーンの瞳。眼鏡の奥のそんな瞳を真っ直ぐドラコに向けて断言したハリーは、チームの面々を順繰りに見ながら続きを語る。

 

「マホウトコロは僕たちを追ってるんだ。必死にね。そりゃあこのまま行けばすぐに追いつかれちゃうかもしれないけど……でも、それを覆すためのタイムアウトでしょ? マホウトコロチームはもしかしたら僕たちよりも強いのかもしれない。だけどさ、それでも勝ち目があるのがクィディッチなんだよ。落ち込んでる暇があったら作戦を見直そう。ムカつく下馬評をひっくり返してやるためにね。」

 

「……その通りだ、ハリー。まだ我々には二十点の貯金がある。絶望するほどの状況じゃない。」

 

ハリーへと首肯しながら自分の頭をひと撫でして、崩れていた髪型を直したドラコは……一瞬だけ考えてからギデオンとアレシアに指示を出した。空気が変わったな。ハリーのお陰でみんな目に力を取り戻したぞ。

 

「ギデオン、お前は引き続き守りだ。しかしアレシアは完全に攻めに回す。……一回戦の時を覚えているか? アレシアが執拗にブラッジャーを打ち込んだダームストラングの選手が、最後まで耐え抜いてプレーしていたことを。あの選手に出来て僕たちに出来ないはずがない。チェイサーのことは見捨てろ、アレシア。攻めに集中するんだ。」

 

「でも、それじゃあ──」

 

「そうしてくれ、アレシア。顔にブラッジャーを食らったって耐えてみせるよ。ハリーはその状態でスニッチを掴んだんだ。僕だってやれるさ。やってみせる。」

 

「ま、そうだな。これまで守ってくれたんだし、ここから先は私たちの力で何とかしてみせるぜ。ギデオンの持ち味が手堅いディフェンスなように、お前の持ち味は強烈なオフェンスなんだ。私たちを気にせず、好きに動いてみろ。多分それがチームにとって一番良い選択なんだから。」

 

ドラコに続いて受け合ったシーザーと私の『痩せ我慢』を受けて、アレシアは尚も不安そうに言い募ろうとするが……その肩をギデオンが大きな手で軽く叩く。

 

「俺からも頼む、アレシア。そもそも守りは俺の役目だ。それなのにお前を引き摺り出されたのは俺の責任なんだよ。……持ち堪えてみせるから、信じて攻めてくれ。」

 

「……分かりました。私、攻めます。もう守りません。」

 

ギュッと棍棒を握り締めながら言ったアレシアへと、ドラコが一つ頷いてから話を進めた。棍棒を握る手は震えていないな。もうぷるぷるちゃんとは呼べなさそうだ。

 

「マリサ、お前はこのままナカジョウに付け。イルヴァーモーニー戦では最初のタイムアウトまでの一時間ちょっとで百八十点取ったのに、この試合では一時間でたったの四十点。ナカジョウはさぞ悔しがっているだろうさ。……シーザー、僕たちは連携の割合を増やすぞ。地力で負けているのは認めてやってもいいが、これまで築き上げてきた連携は通用するはずだ。パスプレーで押そう。」

 

「了解です、もうヘマはしません。僕はこのフィールドで一番の下手くそかもしれませんけど、頭の回転には自信がありますから。レイブンクロー生らしく計算高いプレーで足掻いてみせますよ。」

 

応じながら不敵に笑うシーザーは、膝をパシンと叩いて気持ちを入れ直している。この分なら大丈夫そうだなと安心していると、ドラコは最後にキーパーとシーカーへと声をかけた。

 

「スーザン、ハリー、悪いがお前たちに対しての指示は一切無い。各々の判断で自由に動いてくれ。チームを指揮すべき立場であるキャプテンとしての責務を放棄して、お前たちのプレーを無責任に信じさせてもらう。」

 

「あら、ドラコったら今日になって急に話が分かる男になったじゃないの。それでいいのよ。ゴール前は私に任せてチェイサー戦に集中なさい。」

 

「まあ、好きにやらせてもらうよ。よく言うでしょ? シーカーはチームで一番のエゴイストたれってね。今日だけはそうさせてもらおうと思ってたんだ。」

 

七年生三人が苦笑しながら頷き合ったところで、試合再開の一分前を知らせる笛が耳に届く。私たちにとっては値千金のタイムアウトになったな。ここで気持ちを持ち直せたのはデカいぞ。

 

「では、行くぞ。……我々の持ち味を活かそう。癖の強い、ホグワーツらしい持ち味をな。」

 

箒に飛び乗りながら挑戦的な笑みで語りかけてきたドラコに続いて、私もスターダストに跨ってフィールドへと飛び立った。……タイムアウト前までは視野が狭くなっていて気付けなかったが、ホグワーツを応援してくれている連中はアウェイの中でも必死に声を張り上げている。大量のリードを許した今現在も、私たちの勝利を信じてくれているらしい。

 

ポジションについた後、大きく息を吸って……それを時間をかけて深々と吐いた。落ち着け、私。まだここからだ。ハリーの言う通り、クィディッチってのは常に勝ちの目が残っているスポーツなのだから。

 

頭がクリアになったお陰で広くなった視界を確認しつつ、試合再開のホイッスルを待っていると──

 

『さて、そろそろ……試合再開です! ホグワーツチームがタイムアウトの札を切った直後、現在のスコアは160対30でマホウトコロチームがリード中! ホグワーツは試合を立て直せるのでしょうか?』

 

マホウトコロの得点でタイムアウトに入ったので、ホグワーツがクアッフルを所持した状態からのスタートだ。ドラコとシーザーがパスを投げ合いながら相手ゴールを目指すのを横目に、私は引き続き中城のマークに入る。

 

「よう、中城。待たせたな。寂しくなかったか?」

 

「……ふーん? 元気を取り戻してるみたいじゃん。やる気が漲ってるって感じ。何か起死回生の作戦でもあるの?」

 

「悪いが、そんなもんはない。これまでと一緒だぜ。私はとにかくお前に食らい付いてやる。」

 

「あーもう、邪魔くさいなぁ! まだボールを持ってないんだからそんなにくっ付かないでよ!」

 

中城が恐ろしく上手いプレーヤーだとしても、クアッフルを持ってなきゃゴールは出来ない。だからパスコースを塞ぎ続けることが肝要なんだが……ああくそ、これだもんな。まるで舞い落ちる花びらのように不規則に動いていた中城は、ある地点に到達した瞬間にいきなりスピードを上げた。それを簡単にさせてくれないからこそのエースなのだ。

 

「へい、家藤! 奪ったんなら私にボールちょーだい!」

 

「させるかよ!」

 

「させちゃうんだなぁ、それが。」

 

パスカットに入ろうとした私だったが、中城は私を軸にするようにして下方を逆さまになって一回転した後、笑みを浮かべながらクアッフルを受け取ってしまう。このスピードで難無くそういうことをやってくるな。

 

「んじゃねっ、霧雨ちゃん。また今度。」

 

「このやろっ!」

 

クアッフルを片手にしながら私にウィンクしてきた中城は、凄まじい速度で、かつ最短距離でゴールへと向かって飛んで行く。空中を滑るような優雅な飛び方だ。……悔しいが、私の理想の飛び方と重なるぞ。どこまでも自由で、どこまでも大胆な飛行。きっとこれが私の目指す箒捌きなのだろう。

 

『あーっと、ここでナカジョウ選手にクアッフルが渡ってしまう! 試合開始からずっとマークし続けているキリサメ選手はターンの時点で引き離されています! 止められるか、キーパー!』

 

迅速なカウンターを決めた中城がそのままゴールへと近付き、スーザンが決死の表情で止めにかかるが──

 

『ゴォォォル! ナカジョウ選手、舞うようなフェイントでボーンズ選手を抜いて追加点を決めました! 非常に美しいゴールでしたね。これがマホウトコロのエースの実力です!』

 

「んー、良い気持ち。……これだよ、霧雨ちゃん。これだからクィディッチはやめられないの。今日の試合は貴女がしつこ過ぎてあんまり味わえてないけどさ。」

 

「……よく味わっとけ。それが今日味わえる最後のゴールの味だからよ。」

 

「あれ、まだ折れないんだ。じゃあ次々行っちゃおうか。」

 

追いついた私に自信を滲ませた笑みで言い放ってきた中城に続いて、再び試合の中へと飛び込んだ。諦めてたまるかよ。これで中城の得点は五十点。キリの良い数字だし、ここらで打ち切りにしてやるぜ。どれだけ無様な姿を晒してでもな。

 

───

 

そしてタイムアウトから更に四十分が経過し、現在のスコアは80対230。……要するに、ハリー流の計算だと追いつかれてしまったことになる。この状態では彼がスニッチを捕っても同点引き分けだ。

 

とはいえ、タイムアウトまでは一時間で百三十点差に広げられたのに、この四十分では二十点しか詰められていない。その最も大きな要因はビーター二人とスーザンの頑張りだ。時に体を張ってまでチェイサーたちを守るギデオンと、果敢に休み無く攻め続けているアレシア、そして最後の壁としてゴールを堅守しているスーザン。これまでの四十分間は三人の時間だったと言っても過言ではないだろう。

 

『またしてもリヴィングストン選手のブラッジャーがタケダ選手の攻撃を止めました! あと十点、たった一回のゴールで安全圏となる百六十点差に手が届きますが……マホウトコロ、打って変わって攻めきれません! この十分間は何度も攻めに転じているのに、未だ得点ゼロです! ホグワーツチーム、ここに来て凄まじい粘りを見せています!』

 

マホウトコロはビーター二人を攻撃に使うことで、先ずは手早く百六十点差まで到達するという戦術を選んだようだが……結果だけ見れば悪手だったな。むしろ守りに傾けた方がマシだったと思うぞ。何たってアレシアはボロボロになっているドラコ、シーザー、私を完全に無視して、敵のチェイサーを叩きのめすことに夢中になっているのだから。

 

アレシアが攻めだけに集中し始めた今、ビーター陣はやや上回っているとすら言えそうだな。敵が二人で殴ってくるのに対して、アレシアが一人で二人分殴っている感じだ。そうなると当然守っているギデオンの分でこちらが少し有利になる。良い形だぞ。

 

崖っぷちで遂にホグワーツチームらしい形になってきたことを喜んでいると、私がぴったり張り付いている中城が何度目かの文句を寄越してきた。中城の総得点は現在五十点。つまり、タイムアウト直後のゴールから得点ゼロだ。ざまあみろだぜ。

 

「あー、もうやだ! どんだけしつこいのよ、あんた! いい加減諦めてよ!」

 

「はん、分かってきたぞ。お前の最大の弱点はスタミナだな。試合開始直後と今とじゃ全然動きが違うぜ。……毎日きちんと練習してないからそうなるんだよ。」

 

「普通は余裕で間に合うの! 今日はスッポンみたいに食らい付いてくる変なヤツが居るから余計疲れるんでしょうが!」

 

「もっと疲れてもらうぜ。……『ウサギとカメ』だな。ようやく追いついたぞ。」

 

ビーター陣が真価を発揮し始めたように、この土壇場で私の頑張りも実り始めたらしい。今の中城が顔に浮かべているのは自信ではなく汗だ。やっといい顔になったじゃんか。いけるぞ、これは。

 

天秤が釣り合ってきたことに心の中でガッツポーズをしたところで、実況がこれまで以上に興奮している様子で大声を上げる。何か大きな動きがあったようだ。

 

『今度はホグワーツが攻める番です。マルフォイ選手とロイド選手がパスを回して……ああ、シーカーが! シーカーが動いています! 両チームのシーカーが一点を見つめて前傾姿勢になっている! 遂に、遂にスニッチが見つかったようです!』

 

その報告を受けて、中城と同時に上空を見上げてみれば……とうとうシーカー戦が始まったのか。ハリーと相手のシーカーがスニッチ目指してぶつかり合っているのが視界に映った。二人に差は無い。これ以上ないってほどのバチバチのシーカー戦だ。

 

『今回のトーナメントルールではポッター選手が捕れば同点で再試合、オウギ選手が……弟の方のオウギ選手が捕ればマホウトコロの勝利となります! ホグワーツが望みを次に繋げるか、それともマホウトコロがトロフィーを手にするか! ここが勝負の分かれ目です!』

 

そんな実況の声を耳にしながら、ちらりとドラコの方に視線をやってみれば……やっぱそうだよな。速度を緩めずにゴールへと飛行しているキャプテンどのの姿が目に入ってきた。ここは同点を目指す場面じゃない。クアッフルを保持しているのがホグワーツチームである以上、ハリーを信じて『百四十点差』を目指す場面だぜ。

 

シーザーも、アレシアも、ギデオンも、スーザンも、そしてスニッチを追っているハリーも同じ気持ちのはずだ。これまでの付き合いからそのことを確信しつつ、中城を置いてドラコとシーザーの方へと全速で飛行する。もう中城のマークは不要だろう。伸るか反るかの最終局面なんだから、全てを攻撃に注ぎ込まねば。

 

私たちホグワーツチーム全員が十点を得ることを即座に目指し始めた反面、マホウトコロチームは意思の統一が出来なかったらしい。まあ、無理もないな。向こうは何れにせよスニッチを捕れば勝利なんだし、シーカーを援護するかチェイサーを止めようとするかで迷うのが普通だ。目の前に輝く優勝があれば、そっちに目が向いちゃうのが人間ってものだろう。

 

「何やってんの! 先ずチェイサーの対処! 唯一の負け筋がそこなんだから、とりあえずシーカー戦は無視していいの!」

 

いち早く状況を整理したらしい中城が大声で叫ぶが、その時には既にドラコがシーザーにパスを回していた。そのままハリーの援護へと向かうドラコを横目に、私はシーザーのパスを受けられる位置に移動する。ここまでクアッフルを運んだ時点でドラコのチェイサーとしての仕事は完了だ。だったらハリーを守るために動いた方が無駄がないということなのだろう。この期に及んで冷静な判断だな。

 

『おっと? ホグワーツチームはシーカー戦を無視して……これは、得点を目指しています! あくまでこの試合で決着を付けるつもりのようです! ノータイムの決断に虚を衝かれたタケダ選手をマルフォイ選手が抜いて、そのマルフォイ選手からのパスを受けたロイド選手がクアッフルをゴールまで運ぼうとしますが──』

 

マズいな、行けるか? ゴールに向かって矢のように飛ぶシーザーに、マホウトコロのチェイサーの勢いがあるタックルと、ビーターが打ち込んだブラッジャーが同時に激突した。タックルの方は真正面からだったぞ。事故レベルの衝突じゃないか。

 

『マツダイラ選手の強烈なタックルとブラッジャーを同時に食らってしまう! ロイド選手、これは堪らず……離しません! 何たる根性! 乗っている箒が折れ、顔からは血を流しながらもクアッフルを抱え込んでいます!』

 

意地を見せたな、シーザー! 両者の箒の柄が折れるほどの激しい接触の後、それでもなおクアッフルを離さなかったシーザーは、勝利の鍵を私の方へと全力でパスしてくる。おっし、確かに受け取ったぞ。

 

最初にドラコが抜いたチェイサーはもう追いつけないと踏んでシーカーの援護に行き、シーザーにタックルをかましたチェイサーは箒が壊れて飛行不能。……だからつまり、ゴール前までは一対一だ。ここに来て私と中城の一騎打ちか。燃えてくるぜ。

 

『チェイサー戦はキリサメ選手とナカジョウ選手、加えてキーパーたるオウギ選手……の兄の方へと命運が委ねられました! そしてもちろんシーカー戦も続いています! ポッター選手に向けて、ナカガワ選手がブラッジャーを打ち放ちますが……これはお見事! シーボーグ選手がギリギリで打ち返す! 最終盤にして試合が白熱しています!』

 

「行かせないよ、霧雨ちゃん!」

 

「嫌だね、ゴールするぜ! 死んでもな!」

 

中城の三次元的なタックルに何とか対応しつつ、ゴール直前までたどり着いたところで……奪うのではなく、キーパーと連携してシュートを止めるつもりか。中城が前に出てシュートコースを塞ぎ、敵キーパーもそれに合わせて別のコースを封じた。普通ならパスが出せない私は封殺だ。

 

『キリサメ選手、シュートコースを完全に塞がれました! 万事休すか! あっと、ここでシーボーグ選手が弾いたこぼれブラッジャーを、ナカガワ選手がもう一度シーカーに打ち込みますが……体勢が崩れているビーターに代わってマルフォイ選手が体で止める! マルフォイ選手、身を挺してポッター選手を守りました!』

 

「惜しかったけど、ここまでだよ。こんなの私にだってゴールできないもん。」

 

「おう、普通ならな。よく覚えとけ、中城。ホグワーツってのは常識外れな学校なんだよ!」

 

「は? ……うっそでしょ?」

 

中城に言い放ってから、スターダストをあらん限りに右に動かした後……その上に立って箒の柄を蹴って更に右へとジャンプする。完全に空中に投げ出された形だが、これならシュートコースを確保できるぜ。

 

こうなるとシュートを放った直後に私は間違いなく下に落ちることになり、墜落で死にかねない危険なプレーなわけだが……幸いにも下は地面ではなく海だ。落ちても死なないはず。多分。サメとかいないよな?

 

『さあ、遂にポッター選手とオウギ選手がスニッチに追いつく! 互いに一歩も譲りません! そしてゴールを狙うキリサメ選手にもブラッジャーが迫るが……これは凄い、今日一番のプレーかもしれません。マルフォイ選手に当たったブラッジャーを回収したリヴィングストン選手が、遠く離れたキリサメ選手を狙うブラッジャーをブラッジャーで弾きました! 狙ってやったのだとしたらプロ顔負けの正確無比な……ああっと、それどころではありません! キリサメ選手、箒からジャンプしてシュートを投げました! 危険です! あまりに危険だ! 誰か彼女にクッション呪文を……シーカーの二人が手を伸ばしています! いよいよ掴むようです! そしてゴール! クアッフルがマホウトコロのゴールを潜りました!』

 

うーむ、実況も大したもんだな。信じられないほどの早口になっている実況だが、それでも状況に言及するのが追いつかないらしい。耳に入ってくる忙しない声を背景に、ひどく冷静な気分で仰向けに落下しながらハリーの方へと視線を向けてみれば……おう、信じてたさ。私が誰より信頼する常勝のシーカーが、いつものように握った拳を突き上げるのが目に入ってきた。私が投げたクアッフルがゴールしてからのキャッチだったので、最終的なスコアは240対230。私たちホグワーツチームの逆転勝利ってわけだ。最高のどんでん返しだぜ。

 

「よっ……しゃあああ!」

 

実況の声すら掻き消すほどの、人生で初めて聞く音量の大歓声。それを全身に浴びながら、雄叫びと共に太陽に向けて握った手を突き出していると、かなり焦った表情の中城が急降下してきたかと思えば……おお、助けてくれるのか? ふわりと下に回り込んで私を受け止める。海面ギリギリまでの短い空間で衝撃を和らげるようなやり方でだ。つくづく器用なヤツだな。

 

「……ちょっと、バカなんじゃないの? 大バカ! あの高さからだと海に落ちたって死ぬ可能性があるんだからね? マホウトコロの歴史にはそれで大怪我して再起不能になった選手だって居るんだから!」

 

「あー、すまん。謝るぜ。助けてくれてありがとな。」

 

「ありがとな、じゃない! 貴女が死んだら早苗が責任を感じちゃうでしょうが! ……審判も混乱しててクッション呪文が間に合わなさそうだったし、肝が冷えたわよ。」

 

「こんな時まで東風谷のためかよ。……どうだった? 私のシュート。」

 

マホウトコロのエースどのにお姫様抱っこされながら問いかけてみると、彼女は整った童顔にとびっきりの呆れを貼り付けて応じてきた。私が期待していた感心の色はゼロだな。呆れ百パーセントだ。

 

「世界で貴女しかやらないようなシュートだったわ。向こう見ずで、危険で、文字通り命を懸けたシュートよ。……負けたわ、負け。もう私の負けでいいから、あんなシュートは金輪際やらないように。こんなクィディッチバカがイギリスに居たとはね。」

 

「へへ、そっか。じゃあお前は東風谷と仲直りしろよな。」

 

「……分かってるわよ。そのために命を懸けるなんて、本当にバカだわ。」

 

「ホグワーツチームってのはバカの集まりなのさ。無謀にもマホウトコロに挑んじまって、挙句勝っちまう世界一のバカのな。」

 

私を抱っこしたままで上空に……チームメイトたちが待つ上空に連れて行ってくれる中城へと微笑みながら、安らかな気持ちで息を吐く。握り拳を高らかに掲げているハリーと、満面の笑みでその肩を叩いているドラコ。棍棒を打ち合わせて勝利を分かち合っているアレシアとギデオン。大泣きしているスーザンと、彼女に支えられてボロボロの顔に喜びを浮かべているシーザー。

 

共に戦った六人のことを誇らしく思いつつ、霧雨魔理沙は最高の瞬間を噛み締めるのだった。

 



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勝利の後に

 

 

「……なるほど、詳しい経緯は話していただけないのですね?」

 

『上品な半笑い』で大穴が空いている桁橋を見つめるシラキの英語での問いに、アンネリーゼ・バートリは苦笑しながら返事を返していた。ぶっ壊して悪いとは思うが、話せないのだ。勘弁してくれ。

 

「無論、修理の費用は全額持つよ。迷惑をかけた分の色も付けよう。『金で解決』ってのが礼儀ある行いじゃないことは自覚しているが、今回はそれで勘弁してくれないか?」

 

「あら、私はそこを気にしているわけではありませんよ。……何があったのかよりも、『どうやったのか』の方が余程に気になります。この橋には十重二十重に防衛魔法がかかっているはずなのですが。」

 

「レミィがそうであるように、私も吸血鬼ってことだよ。魔法族とはまた違う力を持っているのさ。」

 

「イギリス第一次魔法戦争での活躍、第二次戦争でロンドンを覆った紅い霧。話には聞いていたものの、実際に目にすると魔法学者としての興味を禁じ得ませんね。」

 

ふむ、怒ってはいないようだな。……つまり、私はアビゲイルに止めを刺した時の『被害』についてをシラキに報告しているわけだ。アリスは現在試合が終わったばかりの海上競技場で咲夜の慰めを受けており、ポートキーの時間になったらそのまま二人で人形店に帰るつもりらしい。閉会パーティーで使う予定の品は既に受け取っているし、咲夜は随行の任を解いてアリスに同行させるべきだろう。

 

全てが終わってから暫くここで木片を握り締めていた後、私にポツリと『情けないです』と呟いて以降、競技場に戻ってからもアリスは殆ど喋らなかった。……ああ、人形店で顔を合わせる時を思うと憂鬱だぞ。さすがに嫌われちゃったかな。

 

決勝戦はかなりの盛り上がりを見せた上にホグワーツが勝ったものの、私、アリス、咲夜だけはお通夜のような空気の中で観戦していたことを思い出していると、シラキが杖を抜いて橋の断面を調べつつ話を続けてくる。毎度お馴染みの感情の読めない微笑を顔に浮かべながらだ。

 

「何にせよ、これはバートリ女史が誰かと戦った痕跡なのでしょう? 賓客である貴女が戦う羽目になったのは、警備を担うマホウトコロの落ち度です。延いては責任者である私の失態ですよ。こちらで直しますからお気になさらないでください。」

 

「言わば私はキミの領地で勝手に私闘をしただけなんだがね。……バートリの面子が立たないから、金はきちんと請求してくれ。それでチャラにしてくれるならこっちとしては願ったり叶ったりだよ。」

 

「そこまでおっしゃるならお受けしますが……しかし、本当に興味深いですね。防衛魔法が作動した形跡はあるのに、その効果が一切発揮されていません。即ち発揮する間も無く一瞬で突破されたということになります。魔法界の魔法では有り得ない現象です。」

 

「私からすればそこまで難しい話でもないけどね。種も仕掛けもない力押しだよ。それだけの話さ。」

 

完全に『魔法学者』の顔付きになっているシラキに肩を竦めた後、私も杖を抜いて促しを放った。マホウトコロの校長閣下の新しい一面が垣間見れたな。この淑やかな老女は意外にも『研究畑』の人間だったらしい。

 

「話は済んだし、戻ろうか。そろそろ競技場で表彰式が始まるんだろう? 忙しいのに付き合わせて悪かったね。」

 

「名残惜しいですが、そうした方が良さそうですね。……その後校舎でささやかなパーティーを開催しますので、バートリ女史も是非ご参加ください。」

 

「ああ、参加する予定だよ。先に行くぞ。」

 

人形店に帰るのは怖いし、予定通りパーティーに出席することで『宿題』を先延ばしにさせてもらおう。未だ杖を複雑に動かしながら橋を精査しているシラキに断ってから、杖を振って『観客席船』の一隻に姿あらわししてみれば……おや? 私たちが観戦していた席に咲夜だけが一人で座っているのが目に入ってくる。アリスは居ないな。一人で帰ったということか?

 

「咲夜、アリスはどうしたんだい?」

 

席に歩み寄りながら問いかけてみると、声に反応した咲夜は困ったような表情で返答を寄越してきた。

 

「それが、一人で帰るから大丈夫だって言われちゃいまして。何度か一緒に帰ろうって提案したんですけど、あんまりしつこく食い下がるのは……その、余計なお世話かなと。」

 

「そうか。……参ったね、落ち込んでたかい?」

 

「はい、凄く。」

 

そりゃそうか。無意味な質問だったな。落ち込んでいないはずなどあるまい。自分に呆れながら頬を掻いている私に、咲夜は慌てて言葉を繋げてくる。

 

「でも、リーゼお嬢様に対して怒ってるってわけではないんじゃないでしょうか? 『また代わりにやらせちゃった』って言ってましたから。……アリスの気持ち、ちょっとだけ分かる気がします。」

 

「……それが私の役目なんだよ。親代わりとして、そして家長としてのね。」

 

「それは理解してます。理解してますけど……だけど、私たちのことをもう少し信じて欲しいです。リーゼお嬢様にいつまでも荷物を背負ってもらってるんじゃ、情けなくて悲しくなりますよ。レミリアお嬢様やパチュリー様がこっちに居れば相談してましたよね?」

 

「それは……そうかもしれないが、しかし決してキミたちを軽んじているわけではないぞ。」

 

もしかして、私は今咲夜に諭されているのか? ちょびっとだけ不安な思いで応じてみると、咲夜もまた同じような態度で続きを語ってきた。

 

「私たちだっていつまでも頼りない子供じゃないんです。私も、アリスも、多分魔理沙も。お嬢様一人で悩むんじゃなくて、アビゲイルのことを相談して欲しかったと思ってます。……もう少し頼ってください。一人で全部やられたら、私たちの立つ瀬がないじゃないですか。」

 

そこまで言った後、咲夜は急に席を立ったかと思えば……おおう、どうしたんだ。深々と私に頭を下げながら謝罪してくる。

 

「メイドとして出過ぎたことを言いました。申し訳ございません。」

 

「キミは……うん、許そう。よく言ってくれたね。」

 

『娘』として親に注意してから、『使用人』として主人に頭を下げたわけか。……驚いたな。きちんと立場を使い分ける姿は、私が思っていたものよりもずっと大人のそれに見えるぞ。

 

うーむ、どうやら私の目は曇っていたらしい。アリスも咲夜も今や立派な大人に成長しているということか。庇護するのは悪いことではないが、行き過ぎたそれはむしろ枷になる。私は彼女たちを守っているつもりで、その実邪魔をしていたようだ。

 

愚かしいな。我ながら情けなさすぎるぞ。頭を下げたままでちらりと私を見てくる咲夜のことをそっと撫でつつ、やれやれと首を振って大きく息を吐く。

 

「反省したよ、咲夜。キミたちはもう子供じゃないんだね。私はそんな簡単なことにすら気付けていなかったみたいだ。……これからはキミたちを頼ることにするよ。それで許してくれないか?」

 

「あの、私は──」

 

「今はメイドとしてじゃなく、娘として話してくれ。」

 

「……なら、許してあげます。もう一人で全部を抱え込もうとしちゃダメですからね?」

 

優しく微笑みながら言ってきた咲夜に、申し訳ない気分でこくりと頷いた。家は個では成り立たない。私は父上から学んだはずの重要な教えを忘れていたらしい。まだまだガキだな、私も。

 

「それと、家に帰ったらアリスともしっかり話し合わなきゃダメですよ? ここで表彰をした後にパーティーがあるんですよね? その間にちゃんと心の準備を整えておいてください。」

 

「あー……分かってるよ、考えておくさ。」

 

咲夜が念を押してくる『宿題』にため息を吐きながら、アンネリーゼ・バートリは苦い笑みを顔に浮かべるのだった。

 

 

─────

 

 

「……すまんな、身勝手な使い方をして。お前は最高の箒だったぜ。」

 

ホグワーツの優勝、大歓声の中で執り行われた盛大な表彰式、そして七本の杖が挿さった煌びやかな優勝トロフィー。その三つをしても覆せなかった悲しみを感じつつ、霧雨魔理沙はロッカールームのベンチの上で真っ二つに折れた愛箒へと語りかけていた。

 

試合が終了した後、マホウトコロの選手の一人が海に落ちた私の箒を回収して持ってきてくれたのだ。……落下の衝撃で半ばから折れてしまったスターダストを。あのシュートをした時は下が海だから大丈夫だと思っていたのだが、私の考えはつくづく甘かったらしい。

 

イギリスに来た直後に出会って、一年生の頃からずっと共に戦ってきた相棒。あの時ああする以外に勝機はなかったものの、せめて落下の角度をもう少し考えてやれば良かったと落ち込む私の肩を、ユニフォームから制服に着替えたスーザンがポンと叩いてくる。

 

「良い箒だったわね、スターダスト。ホグワーツの優勝はこの子のお陰よ。」

 

「ああ、本当に良い箒だった。私には過ぎた相棒だったぜ。」

 

「何言ってんのよ、乗ったのがマリサだったからここまでの力を発揮できたんでしょ。そんなに評判が良い箒じゃなかったのに、ホグワーツを世界一に導いたじゃない。安易な評価をした箒批評家たちは今頃後悔してるでしょうね。乗り手次第の箒だったって。」

 

「……こいつもそう思ってくれてるなら嬉しいんだけどな。」

 

何度も磨いた柄を撫でながら、私とクィディッチというスポーツを繋げてくれたことを感謝した後、ちょっと潤んでいた目を拭って着替えを始めた。イギリスに戻ったらきちんと埋葬してあげよう。クィディッチプレーヤーの流儀に倣った、正式な弔い方でだ。

 

胸に大きな穴が空いた気分で制服に着替えていると、スーザンに続いて着替えを終えたアレシアが話題を変えてくる。若干ぎこちない口調なのは、私を気遣ってくれているからなのだろう。

 

「えっと、あの……この後マホウトコロの校舎でパーティーがあるんですよね? 打ち上げみたいな。」

 

「『打ち上げ』よりは形式張っているでしょうけどね。とはいえ、開催パーティーよりはややラフな雰囲気になるらしいわ。各校の代表チームや関係者、それと招待客が参加するんですって。」

 

「緊張しますけど、制服でいいのは楽ですね。……また写真を撮られたりするんでしょうか?」

 

「報道陣も入るみたいだから撮るとは思うけど、新聞とか雑誌に使われるのはさっき撮った写真の方でしょうね。……あー、嫌になるわ。涙でぐしゃぐしゃの顔が予言者新聞に載ると思うと憂鬱よ。」

 

苦笑しながら首を振るスーザンに、アレシアも困ったような笑みで首肯を返す。間違いなく一面に使われるのはあの写真だろうな。フィールドの中央に浮かぶ表彰式用の船の上で、私たち七人が大歓声を浴びながらトロフィーを持ち上げているあの写真。シーザーはボロボロの顔だったし、ギデオンは男泣きをしていた。ハリーとドラコだけは事前にさり気なく身嗜みを整えていたあたり、経験の差ってやつを感じたぞ。

 

私もひどい顔だったんだろうなと後悔しながら着替えを終えて、スターダストをそっと箒ケースに仕舞う。そのまま三人で忘れ物はないかと確認した後、女子用のロッカールームを出てみれば……おお、待っててくれたのか。板張りの廊下で待機している男子勢とマホウトコロの関係者らしき男性の姿が目に入ってくる。ちなみにここは試合直前の作戦会議やタイムアウトの時なんかに使った選手控え室もある、観客席船の一隻の内部だ。

 

喫水線よりは上だと思うが、控え室の位置がもう海面ギリギリだったし……ふむ、もしかしたらそれより下のここは海の下なのかもしれないな。そんなことを考えながら合流してみると、ドラコがいつものように文句を寄越してきた。

 

「遅いぞ。着替えをするだけで何故こんなに時間がかかるんだ。」

 

「女の子だからよ。……ちょっと、トロフィーは? そっちが持ってたはずでしょう? あれを忘れたらさすがに洒落にならないわよ?」

 

「忘れるわけがないだろうが。マホウトコロ側に一度預けただけだ。パーティーの時に会場の中央に置くらしい。明日ホグワーツに帰る際に返却してもらうことになっている。」

 

「帰るっていうか、凱旋ね。間違えないようにしなさい、キャプテンさん。」

 

ニヤニヤしながら肘で脇腹を突いたスーザンに対して、ドラコは鬱陶しそうな表情でおざなりに応じてから、少し離れた位置に立っているマホウトコロの関係者に声をかける。照れ隠しだな。優勝を一番喜んでいるのはドラコに違いないのだから。

 

「同じ意味だ。……こちらは揃いました。いつでも移動できます。」

 

「では、校内にあるパーティーの控え室に移動してから詳しい説明をさせていただきます。ポータス。……二十秒後です。どうぞ。」

 

英語で言いながら手に持っていた四角い木片をポートキーにした後、群青色を基調とした着物ローブ姿の三十代前後の男性はそれを差し出してくるが……船でも姿あらわしでもなく、わざわざポートキーで移動するのか。至れり尽くせりだな。

 

ポートキー嫌いのドラコだけが分かり易く顔を顰める中、全員で木片に手を触れた状態で待っていると、きっかり二十秒後にもはや慣れてしまった感覚と共に視界が歪み……そして到着した先はフローリングの二十畳ほどの部屋の中央だった。

 

うーん、控え室というか高級ホテルの一室って感じだ。六脚の椅子がセットになっているダイニングテーブルと、三人掛けのソファとセットになっているセンターテーブルが置いてあり、隅の襖の奥には畳敷きの部屋が繋がっているらしい。古めかしい暖炉もあるが、あれは単なる飾りっぽいな。

 

リヒテンシュタインでの控え室ほど広くはないものの、居心地の良さでは軍配が上がりそうなその空間の中で、案内役の男性は椅子やソファを手で示しながらパーティーに関する説明を始める。座って聞けということか。疲れているし、そういうことなら座らせてもらおう。

 

「それでは簡単な流れをご説明いたします。皆様は『主役』ということで、パーティーが始まった後に壇上に登場していただく予定です。会場は藤寮と同じ建物にある洋風の大広間なのですが……ご存知でしょうか?」

 

「城の中心区画を囲んでいる三つの建物の一つですよね? どれがどの寮なのかは断言できる自信がありませんけど。」

 

「大橋と繋がる門を正面とすると、ちょうど裏手の建物です。洋風というか、和洋折衷建築の建物ですね。今回は他国の方々をお招きするということで、靴でも問題のないその場所が会場として選ばれました。」

 

私と同じように校舎を探検したらしいシーザーの発言に、案内役はスラスラと応答しているが……何処となく悔しそうにも見えるな。ひょっとすると三派閥の間でどこを会場にするかで揉めたのかもしれない。この案内役は藤寮を支配する『藤原派』とは別の派閥だということか。

 

内情を知ったからこそ見えてきた歪みにやれやれと首を振っていると、案内役は続けて細かい説明を放ってきた。

 

「パーティーは立食形式です。最初にイベントの総責任者であるサミレフ・ソウ氏が挨拶をした後、我が校の校長の挨拶が続き、その後に七校の代表たちが壇上に上がる、という流れになります。ホグワーツの皆様は最後の登場で、その際キャプテンのマルフォイ氏から一言いただきたいのですが……どうでしょう? お願いできますか?」

 

「そうなると思って準備しておいたので問題ありません。」

 

「ありがとうございます。ご挨拶いただいた後はそのまま歓談の時間が始まることになりますが、ホグワーツの皆様には多数のお声がかかることが予想されます。この部屋に軽い食事を用意いたしますので、よろしければパーティーの前に召し上がってください。」

 

パーティー中は食べる暇がないということか。想像するだけで億劫になってくるな。嫌そうな表情になってしまった他の六名を他所に、ドラコは澄ました顔で案内役に軽く頭を下げる。

 

「お心遣い、感謝します。……もし良ければマクゴナガル校長やフーチ先生と打ち合わせをしておきたいのですが、可能ですか?」

 

「マクゴナガル校長からも同じ要請を受けております。私が退室した後でこちらにご案内いたしますので、お食事をしながら打ち合わせをしていただければと。パーティーの開始は午後五時ですから、それまではご自由にお過ごしください。」

 

「何から何までありがとうございます。」

 

「それが私共の役割ですので。……それでは、一度失礼させていただきます。ご不明な点がございましたら会場への移動時にお尋ねください。」

 

ぺこりとお辞儀してから退室しようとした案内役だったが……扉の前で振り返ると、笑顔で言葉を付け足してきた。

 

「大事な一言を失念しておりました。……優勝おめでとうございます。マホウトコロの敗北は非常に残念ですが、それはホグワーツが上回っただけのこと。我々マホウトコロの関係者一同も、世界一の代表チームの誕生を心より喜んでおります。」

 

そう言ってから部屋を出て行った案内役の背を見送って、七人全員で顔を見合わせる。『世界一の代表チーム』か。段々と実感が湧いてきたぞ。

 

「何て言うか、優勝してからも大変そうだね。ここできちんと夕食を食べておこうか。」

 

苦笑いのハリーの台詞に揃って頷いてから、革張りのソファに深々と身を沈めた。……パーティーには東風谷も来るようだし、中城は間違いなく出るわけだから、そこで三人で話せるかもしれないな。

 

せめてその機会があることを祈りつつ、霧雨魔理沙は試合以上に疲れそうだなと小さくため息を吐くのだった。

 



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二つの布石

 

 

「──を心から願っております。……そして最後に、この場を借りて『次なる国際交流のイベント』についてを発表させていただきます。今年の夏に開催されるクィディッチ・ワールドカップの舞台として、数ある連盟加盟国の中からこの日本が選ばれました。」

 

あー、なるほど。だからあれだけ豪華な『観客席船』をポンポン造れたわけか。恐らく今回のクィディッチトーナメントだけではなく、ワールドカップの時も使うつもりなのだろう。壇上で話しているシラキの報告を耳にしながら、アンネリーゼ・バートリは手元のシャンパンを一口飲んでいた。

 

マホウトコロの領地の奥にある、和風三割洋風七割くらいの奇妙な建物の一階に位置する大広間。その場所で七大魔法学校対抗クィディッチトーナメントの閉会式が始まったところなのだ。イベントの総責任者たるサミレフ・ソウの相も変わらぬ『体育会系』の挨拶に続いて、決勝戦の会場校となったマホウトコロの校長であるシラキが参加者たちにスピーチをしているわけだが……ふん、賢い女だな。学生のイベントらしからぬ豪華さで観客たちを喜ばせた上で、その実来たるワールドカップの『会場テスト』も行っていたというわけか。

 

堅実と言えばいいのか、狡猾と評価すべきなのか。今回のイベントを無駄なく活用したシラキが話しているのを聞き流しながら、油断ならないヤツだと苦笑している私に、隣でオレンジジュースを片手にしている咲夜が囁きかけてくる。

 

「えっと、ワールドカップの時もあの船を使い回すってことですよね?」

 

「そうみたいだね。今日の決勝戦をそのシミュレーションに使ったんだろうさ。事前に三万人の観客の流れをチェックしておいて、更に多くが訪れるであろうワールドカップの時に活かすつもりなんじゃないかな。」

 

「……ホグワーツの方が会場になっていたらどうしてたんでしょうか?」

 

「こうなってくると、そもそも『公正な抽選』だったのかすら怪しくなってくるぞ。初戦のシード枠はともかくとして、決勝戦の会場は最初からマホウトコロに決まっていたのかもしれないね。」

 

シラキなら、そしてホームズの一件で評価を下げている連盟ならやりかねまい。ワールドカップの成功はどちらにとっても重要な案件だろうし、利害が一致すれば裏側で動くのが政治家というものだ。唯一の誤算があったとすれば、ホグワーツが優勝しちゃったことくらいかな。どう考えても優勝校がそのままワールドカップの舞台になった方が盛り上がるだろうし。

 

いい気味だと口の端を吊り上げながら推理した私へと、咲夜はまさかという表情で相槌を打ってきた。

 

「そこまでは……しない、んじゃないでしょうか?」

 

「シラキと同じ立場ならレミィはやるし、ゲラートも私もやるぞ。だったらシラキもやるだろうさ。……まあ、いいんじゃないかな。別に誰が困るわけでもないからね。ホグワーツが会場にならなくてマクゴナガルは喜んだだろうし、ワールドカップでトラブルがあればみんなが悲しむ。多数の利益のためなら公平性なんて取るに足らないものなんだよ。」

 

「大人の世界ですね。」

 

クジの裏側なんてそんなものさ。呆れたように咲夜が呟いたところで、シラキの挨拶がようやく終了したようだ。すぐさま拡声魔法を使っている司会役が式を進行させ始める。淀みのない英語だし、連盟側が派遣した司会らしい。

 

『ありがとうございました、シラキ校長。私もこの地でのワールドカップを楽しみにしております。……では続きまして、今回のイベントの主役たちの登場です。盛大な拍手でお迎えください。先ずはカステロブルーシュ、ボーバトン、ダームストラングの代表選手たち!』

 

一回戦で敗退した三校の代表選手二十一名が袖中から登場するのに、パーティーの参加者たちから拍手が送られるが……まあうん、このタイミングでの登場は嬉しくないだろうな。それでもカステロブルーシュ代表の大半とボーバトン代表は愛想良く笑顔を浮かべているものの、カステロブルーシュの一部とダームストラング代表たちは仏頂面だ。

 

この状況を『敗者たちの紹介』と見てしまうのは、私が捻くれ者だからなのか? 司会は『みんな頑張りました』という方向に持っていきたいらしいが、参加者たちも心の片隅ではそう感じていると思うぞ。普通に優勝校たるホグワーツの代表陣だけを登場させれば良かったろうに。シラキならそうしそうだし、どこかズレているのは連盟の仕切りだからなんだろうな。

 

『次にワガドゥ、イルヴァーモーニー、マホウトコロの代表選手たちの登場です!』

 

追加で現れた二十一人への拍手を咲夜に任せて、会場をせっせとウロついているサーブ役に空いたグラスを押し付けた。さすがの私も選手たちに同情するぞ。連盟は恐らく『大団円』を演出したかったんだろうが、この茶番は余計に過ぎる。見事な戯曲を観た後だから尚のことそう思ってしまうのかもしれないな。

 

ちらりと壇の脇で待機しているシラキに目をやってみれば、彼女も拍手しながら仮面の微笑を浮かべているようだ。粗雑な展開に呆れているのだろう。自分の庭でこんな杜撰な閉会式を開かれて、内心ではイライラしていそうだな。そこだけはちょびっとだけ愉快だぞ。

 

『そして最後に、優勝を果たしたホグワーツ代表チームの登場です! 大きな拍手でお迎えください!』

 

それまで以上の拍手の音が会場を支配する中、見知った七人がステージの中央前列に移動する。横一列に並んだ彼らは揃って一礼した後……おや、挨拶するのか。キャプテンのマルフォイだけが前に歩み出て喉元に杖を当てた。拡声魔法を使ったらしい。

 

『皆様、盛大な拍手をありがとうございます。……我々の力だけでは優勝は叶わなかったでしょう。イベントを滞りなく運営してくださった国際魔法使い連盟の関係者の方々、全力で向き合ってくれた各校の代表選手たち、会場を準備してくださった各校関係者の方々、そして懸命に練習を手伝ってくれたホグワーツの学友たち。多くの方の協力がなければ、今私たちはこの場に──』

 

「おやまあ、大したもんだね。さすがはマルフォイ家の当主ってとこかな。無難な内容に纏めてくるじゃないか。」

 

「……原稿とか、持たないんですね。」

 

「きちんと覚えてきたんだろうさ。つくづくマルフォイをキャプテンにしたのは正解だったと思うよ。クィディッチの面でどれだけの利益があったのかは分からんが、少なくとも『ホグワーツの代表』としては上々の出来だ。鼻につかないように『学生っぽさ』も取り入れてあるし、これならマクゴナガルもご満悦なんじゃないかな。」

 

各方面への感謝と、対戦相手たちへの敬意、おまけとして添える程度の優勝の喜び。十七歳の小僧とは思えんほどの挨拶を終えたマルフォイが一歩下がるのに、会場の全員がもう一度拍手を浴びせる。ホグワーツは礼儀を教えている学校だと伝わっただろうさ。魔理沙の『自殺未遂』があるから、これで何とかチャラってとこかもしれんが。

 

『素晴らしい挨拶でした。ありがとうございました、マルフォイ選手。……それでは、いよいよ歓談の時間に移りたいと思います。』

 

司会の台詞と共にいくつかあるドアが一斉に開き、料理を手にしたサーブ役たちが各テーブルへとそれを運ぶ。……ふむ、美味そうだな。料理の仕切りはマホウトコロか。それなら信頼して良さそうだ。

 

「食べようか、咲夜。椅子はどこだ?」

 

「あの、お嬢様? 立食パーティーみたいですけど……。」

 

「立食パーティーでも椅子ってのは用意してあるものなのさ。立っていられない老人なんかのためにね。……あれか。アクシオ(来い)。」

 

「でもその、お嬢様は『老人』じゃないわけでしょう? いいんですか?」

 

会場の隅に並べてあった椅子を魔法で引き寄せる私へと、咲夜がおずおずと問いかけてきた疑問に対して、パチリとウィンクしながら肩を竦めた。

 

「私がこの会場の中で一番目上の存在なんだから、私こそがルールブックなのさ。それにまあ、まさか五百歳を超えてるヤツが参加しているとは思えんしね。最優先で椅子を使う権利を有しているのはこの私だ。キミも座るかい?」

 

「いえ、私は……立ってます。メイドの修行として、今日はお嬢様のお手伝いをさせてください。」

 

「そうかい? キミがそうしたいならそれでもいいが、疲れてきたら遠慮なく言いたまえよ?」

 

「はい。……料理を取ってきますね。」

 

ぺこりと一礼してから遠ざかって行く咲夜を見送った後、椅子に深々と腰掛けつつサーブ役を手で呼びつける。シャンパンをもう一杯貰っておこう。そして料理を食べながらアリスとの話についてを考えるのだ。このパーティーが終わったら向き合わねばならないのだから。

 

ステージから下りた代表選手たちに群がる参加者たちをぼんやり眺めつつ、アンネリーゼ・バートリは『宿題』に打ち込み始めるのだった。

 

 

─────

 

 

「あーっと、そうだぜ……です。あの時はああするしかなかったから、無我夢中でジャンプしたんだ。……しました。」

 

うーむ、丁寧な英語ってのは本当に苦手だ。話しかけてくるパーティーの参加者に何とか応対しつつ、霧雨魔理沙は愛想笑いのしすぎで痛くなった頬をそっと揉み解していた。現在会話しているのは南米魔法界の有力者らしいが、一介の学生である私は南米での権力になど欠片も興味がない。レミリアはこういうことを日常的にやっていたのか? だとしたら今更ながらに尊敬するぞ。

 

遂に始まった今回のイベントの締め括りのパーティーの最中、私はいよいよ疲労困憊の状態になっている。『歓談タイム』が始まってからは一時間弱ってところか? とにかく結構な時間が経過しているというのに、未だ声をかけてくる参加者が後を絶たないのだ。

 

プロのクィディッチプレーヤーなんかにも話しかけられたので、そこは本当に嬉しかったわけだが……こういう相手は気を使うだけで疲れるぞ。そんな私の内心を知るはずもない南米の有力者どのは、ニコニコ顔で話を続けてきた。なまじ悪意がないことが分かるだけに無下に出来ないんだよな。

 

「いや、本当に見事なゴールだったよ。危険と言う者も居るが、あれこそクィディッチだ。観戦していた私の息子がいたく感心していてね。君のファンになったらしい。」

 

「それはとても嬉しい……です。」

 

「息子は君と同い年くらいでね。残念なことに、パーティーには参加していないんだが……どうかな? 会ってやってくれないか? 我が家に招待したいんだ。カステロブルーシュと違って、ホグワーツは七月から休みなんだろう? 保護者の方と一緒に是非我が家にバカンスに──」

 

「あの、ちょっといいですか?」

 

ヤバいな、どう断れば角が立たないんだ? 恰幅の良い中年男性にあまり魅力的ではない提案をされたところで、背後から誰かが割り込んでくる。助かるぞとそちらに視線を送ってみると……中城? マホウトコロの制服姿の中城がそこに立っていた。

 

『霧雨ちゃん、私が話したいって言ってるって伝えてくれる? 困ってたみたいだし、ちょうど良いでしょ?』

 

「あー……すみません、中城が二人で話したいそうなので失礼してもいいですか?」

 

「おっと、それは大変だね。君をライバルとして認めたってことかな? 私に構わず話してきなさい。……負けないように。」

 

何か勘違いしている様子の男性の許可を得て、中城と共に人混みから抜け出す。そのまま私の手を引いて会場の隅まで移動した中城は……ありゃ、東風谷だ。そこで所在なさげに突っ立っている東風谷へと近付いて行く。

 

『約束は約束だからね。立ち会ってよ。』

 

『……つまり、一人で話すのが気まずいのか?』

 

『早苗のためよ! だからその、早苗の方が私と二人っきりじゃ気まずいかと思って。』

 

『はいはい、どっちでもいいさ。』

 

小声で怒鳴ってきた中城に肩を竦めてから、東風谷が居る壁際に歩み寄ると、こちらに気付いた彼女が先に声を寄越してきた。

 

『霧雨さん。……と、中城先輩?』

 

『おす、早苗。』

 

そして沈黙。目を逸らし合う二人を交互に確認した後、半笑いで頬を掻きながら間に入る。元はといえば私が始めたことなんだから、責任持って最後まで面倒を見ないとな。

 

『よう、東風谷。朝に聞きそびれたから不安だったんだが、やっぱりお前も参加してたんだな。』

 

『はい、バートリさんとの約束がありますし、そもそも世話役は通訳のために参加できるんです。霧雨さんは日本語が話せるので必要ないですけどね。……優勝おめでとうございます。最後のシュート、凄かったです。』

 

『ありがとよ。それでだな、何で私が中城と一緒に居るかと言えば……つまりその、試合中に話したんだよ。お前のことについてを。』

 

『へ? 私のことを?』

 

ちらちらと中城の方を見ながら問いかけてきた東風谷に、苦笑いで頷いてから詳細を語った。ちなみに中城はお澄まし顔で沈黙したままだ。

 

『お前が期生になるのを中城が止めてただろ? そのことに関する文句を言ったら、中城の方にもちょっとした事情があることが判明してな。……ほら、話せよ。』

 

『いや、え? 私が話すの?』

 

『当たり前だろうが。ちゃんと伝えろよ。約束だろ?』

 

『わ、分かったわよ。……あの、早苗。私は貴女のことを嫌いになんてなってないから。つまりね、心配だったの。貴女が期生としてやっていけるとは思えなかったから、強めに止めようとして……それであんな感じになってたのよ。』

 

モジモジと組んだ手を弄りながらやたら早口で言った中城へと、東風谷は驚いたような顔付きで応答する。

 

『でも、私……てっきり嫌われたんだとばっかり思ってました。私が落ちこぼれだから、中城先輩から見限られたんだって。』

 

『そうじゃないのよ、そういうつもりじゃなかったの。……ちょっと霧雨ちゃん、代わりに言ってよ。』

 

『お前……ああもう、分かったよ。』

 

何なんだよ。赤い顔を俯かせながらの中城の促しを受けて、呆れた気分で説明を口にした。恋する乙女か、お前は。試合中は無遠慮に喋ってただろうが。

 

『だからよ、中城はずっとお前のことを気遣ってたんだ。嫌がらせをする他の生徒に文句を言ったり、先生方に様子を見るようにって頼んでみたり、部屋にお前との写真を飾ったり──』

 

『ちょちょちょっ! それは言わなくてもいいでしょ?』

 

大慌てで私の口を塞いだ中城を見て、東風谷は目をパチクリさせながら口を開く。言った方が話が早いだろうが。

 

『……私のこと、助けてくれてたんですか?』

 

『そういうこったな。その上で自分が今年度で卒業しちまうから、お前だけを残して行くのが心配になったんだよ。もう助けてやれないからって。だから期生になるのを強硬に反対してたわけさ。自分が恨まれることでお前が幸せになれるんだったら、それで構わないって試合中に──』

 

『喋りすぎだってば! シレンシオ(黙れ)!』

 

あっ、こいつ。強硬手段に出やがったな。素早い杖捌きでまさかの沈黙呪文をかけてきた中城を睨む私を他所に、東風谷は呆然と世話焼きの先輩のことを見つめていたかと思えば……あーあ、泣いちゃったぞ。ポロポロと涙を零し始めた。

 

『さなっ、早苗? どうしたの? 何で泣くの?』

 

『だって、私、嫌われたと思ってたんです。中城先輩にまで愛想を尽かされちゃったって。それで、それで……。』

 

『ごめん! ごめんってば。嫌ってないから。むしろ好きだから!』

 

焦りまくりの表情で頭を撫でる中城と、しゃくり上げる東風谷。中城が童顔かつ身長が低い所為で妹が姉を慰めているようにも見えるその光景を眺めつつ、どうにか無言呪文で声を取り戻そうとしている私を尻目に、二人は話を進めていく。先ず私にかけた呪文を何とかしろよな。

 

『私、魔法が好きなんです。苦手だけど、憧れてるんです。だから私、期生になってみたくて。でも先輩が無理だって言うから、だから──』

 

『わぁあ、ごめんって! ごめんね、早苗。心配だっただけなの。貴女の気持ちも聞かないで、私が勝手に……な、泣き止んでってば。そんなに泣かないで。不安になってくるから。』

 

『だって、だって、先輩が冷たくするから。私、悲しくて。とうとう独りぼっちになっちゃったんだって。』

 

『しないから! もうしない! 絶対の約束! 桜枝に誓う! ……ね? お願いだから泣き止んで? 期生になりたいなら応援するから。邪魔しそうな生徒を追い出す方向に切り替えるから。』

 

ダメだろ、それは。無茶苦茶なことを言い出した中城に諫言すべく、必死に反対呪文をかけようとしていると……急にどこからか飛んできた呪文のお陰で声が戻ってきた。

 

「キミ、何をしているんだい? 早くも修羅場か? 呆れたね。そうならないように上手く立ち回りたまえよ。」

 

「リーゼお嬢様、注意の方向性が違います。」

 

漫才をしながら歩み寄ってきたのは、見慣れたバートリ家の主従コンビだ。杖を仕舞っているのを見るに、リーゼが解呪してくれたらしい。

 

「何が修羅場だ。私は言わば仲直りさせた立場だぜ。」

 

「さて、どうだか。……何れにせよ私は東風谷に渡す物があるだけだ。渡したらさっさとお暇するから、勝手に修羅場を続けてくれたまえ。」

 

ニヤニヤ笑いながら私にそう言ったリーゼは、英語から日本語に切り替えて東風谷に話しかける。渡す物?

 

『ごきげんよう、東風谷。キミは泣き顔がよく似合うね。嗜虐心を唆られるよ。』

 

『……バートリさん? どうしたんですか?』

 

『午前中にキミに言っただろう? キミの抱えている問題を、私が解決できるという証拠を渡すと。その約束を守りに来たのさ。……咲夜、例の物を。』

 

『はい、お嬢様。』

 

指示に応じてリーゼの背後からスッと出てきた咲夜が、東風谷に小さな布袋を差し出す。怪訝そうな顔でそれを受け取った東風谷へと、リーゼは余裕のある笑顔で説明を送った。

 

『パーティーが終わったら、一人になれる場所で中に入っている物を取り出してみたまえ。二枚入っているから一枚ずつだぞ。それで連中は一時的に力を取り戻せるはずだ。会話することも叶うだろう。』

 

『本当ですか?』

 

『あくまで一時的にだがね。……まだ開けないように。一人になってからだ。その続きはイギリスに来てからだよ。旅費なんかは後で手紙で送るから、心配しないでくれたまえ。』

 

『は、はい! 分かりました。』

 

話を終えた後にキザったらしい動作で東風谷の涙を指で拭ったリーゼは、それをジト目で見ている中城に構うことなく歩き去って行く。……要するに、朝飯の時の話の続きか。

 

「おい、リーゼ。何を渡したんだよ。危ない物じゃないだろうな?」

 

去り行く吸血鬼の背に追いついて問い質してみれば、リーゼはクスクス微笑みながら答えてきた。

 

「私にとっては非常に危険だが、人間である東風谷には何の害もないさ。妖怪が妖力で力を取り戻すように、神は神力で力を取り戻すんだ。機械によく入っている……でんち、だったか? あれみたいなもんだよ。つくづく運命だね。咲夜の安全のためにと一応持ってこさせた物が、こんな風に役に立つとは思わなかったぞ。」

 

「……よく分からんぜ。」

 

「帰ったら話すよ。東風谷の件も、もう一つの件もね。今は勝者の権利に酔いたまえ。……おっと、忘れてた。優勝おめでとう、魔理沙。」

 

「おめでと、魔理沙。」

 

いつも通り偉そうに言ってきたリーゼと、柔らかい口調でそれに続いた咲夜。それぞれのお祝いを受け取ってから、何故か椅子のあるテーブルへと遠ざかっていく二人を見送って……むう、気になるな。釈然としない気分で東風谷と中城の近くに戻る。帰ったらきちんと聞かせてもらおう。

 

まあうん、何にせよマホウトコロの二人の問題は解決したようだし、とりあえずは頑張った甲斐があったと言ってよさそうだ。期生云々の問題は二人で消化してくれるだろう。

 

目元が赤くなっている東風谷とどこかホッとしている様子の中城に近付きつつ、霧雨魔理沙は小さな笑みを顔に浮かべるのだった。

 



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人形たちの戯曲

 

 

「……ただいま帰りました、エマさん。」

 

情けない。またリーゼ様に決着を付けてもらったことも、アビゲイルの本心に気付けなかったことも、魔女の苦悩を汲み取れなかったことも。どこまでも情けない自分を嫌に思いつつ、アリス・マーガトロイドは人形店のリビングルームに足を踏み入れていた。

 

クィディッチトーナメントの決勝戦が終わった直後、咲夜を会場に残してポートキーでイギリスに帰国したのだ。魔理沙には悪いが表彰式まで見ていられるような気分ではなかったし、今は一人で考える時間が欲しい。そう思ったから一番早く出発するポートキーで帰ってきたのである。

 

ノロノロと重い足取りで入室した私へと、ダイニングテーブルを拭いているエマさんが笑顔で反応を寄越してきた。……ここも憂鬱になる部分だな。エマさんにはきちんとアビゲイルのことを説明しなければなるまい。そして知れば間違いなく彼女も悲しむだろう。

 

「お帰りなさい、アリスちゃん。どうでしたか? ホグワーツは勝てました?」

 

「はい、ホグワーツの優勝です。魔理沙が決定打のゴールを決めました。」

 

「魔理沙ちゃんが? それはおめでたいですねぇ。夏休みに帰ってきたら思いっきりお祝いしてあげましょう。……アビーちゃんはまだ下ですか?」

 

「アビゲイルは……その、帰ってきません。」

 

俯きながら小さな声で言った私に、エマさんはよく分からないという声色で応答してくる。もう帰ってこないのだ、彼女は。

 

「へ? ……もしかして、アンネリーゼお嬢様と一緒に居るんですか?」

 

「違うんです。……すみません、一旦部屋に戻りますね。詳しい事情の説明は後にさせてください。」

 

こんなもの単なる逃げだ。そのことを自覚しながら曖昧な返答を口にして、返事も聞かずに自室へと歩を進めた。……まさかこの期に及んでエマさんへの説明までリーゼ様に任せるつもりじゃないだろうな? 私。お前はアビゲイルからの伝言を受け取っているだろうが。

 

自分の中の理性が非難してくるのに顔を顰めつつ、飛び込むように自室のドアを抜ける。そのまま大きくため息を吐いてから、閉じたドアに背を預けて力無くしゃがみ込んでいると……どうしたんだ? 作業机のすぐ近くの棚で、あたふたと動き回っている人形の姿が目に入ってきた。

 

よく見てみれば、動いているのは最近稼働させ始めたばかりの『お片付けちゃん』のようだ。立ち上がって棚に近付いて確認すると、どうやらその棚の中に仕舞っておくべき工具が見当たらない所為で、自身の使命である『お片付け』が完了しなくてパニック状態に陥っているらしい。一階の店舗裏の作業スペースに置きっ放しにしちゃったかな?

 

「ごめんなさいね、お片付けちゃん。」

 

何にせよ、同じ事態が起こらないように条件付けを再調整する必要があるな。ポツリと謝ってから一度機能を停止させて、作業机の上にそれを置こうと──

 

「……っ!」

 

最初に視界に映ったのは、机の上にぶちまけられている真っ黒なインクだ。近くに倒れているインク瓶があるし、そこから零れた物らしい。そして次に見えたのは羊皮紙の切れ端。辿々しい歪な文字で短い一文が書かれている羊皮紙を目にした瞬間、それを手に取って部屋を飛び出す。

 

「エマさん!」

 

「わっ、どうしたんですか?」

 

リビングに駆け込んでキッチンに居るエマさんに呼びかけた後、部屋を見回しながら質問を放った。

 

「ティムは……ティムはどこですか?」

 

「へ? ティム君? ……そういえば姿が見えませんね。十二時頃は一緒にお掃除をしてたんですけど、それから一度も見てないかもしれません。」

 

「……そうですか。」

 

平坦な声で端的に応じてから、リビングのソファにどさりと身を沈める。……もう遅いだろうな。お昼頃に居なくなったのであれば、今更探したところで見つかるはずがない。正午か。ちょうどアビゲイルが破壊されたその時点に、ティムはこの家から姿を消したというわけだ。

 

「アリスちゃん、本当にどうしちゃったんですか? 変ですよ?」

 

「……いえ、ちょっと頭の中がこんがらがっちゃいまして。成功したのは誰なのか、失敗したのは誰なのか。こうなってくるとさっぱり分かりませんよ。」

 

きょとんとした顔付きで首を傾げるエマさんに苦笑しながら、手に持ったままだった羊皮紙の切れ端へと目を落とす。ベアトリス、アビゲイル、そしてティム。誰が誰で、誰が誰じゃなかったんだろうか? リーゼ様が帰ってきたら話してみよう。私はもうお手上げだ。

 

隅に小さな熊の手形がインクで押されている羊皮紙。そこに書かれてある一文を読みつつ、アリス・マーガトロイドはひどく疲れた気分で眉間を揉み解すのだった。

 

 

『私は点在している。』

 

 

─────

 

 

「……なるほどね、これは確かに難解だ。」

 

『私は点在している』か。数時間前に人形の少女から聞いた台詞が書いてある羊皮紙を眺めながら、アンネリーゼ・バートリは顔に苦い笑みを浮かべていた。残念ながら、折角片付けてきた『宿題』は役に立たなさそうだな。今のアリスは落ち込んでいるというよりも、困惑しているって様子だし。

 

マホウトコロでの閉会式が終わった後、ポートキーで帰国して咲夜をホグワーツに送り届けてから、非常にビクビクしつつ人形店に姿あらわししてみたわけだが……そこに居たのは塞ぎ込んでいるアリスでも、私に対して怒っているアリスでもなく、困り果てた表情で羊皮紙の切れ端を持っているアリスだったのである。

 

そんなアリスから事情の説明を受けて、現在はダイニングテーブルでエマが淹れてくれた紅茶を飲みながら思考を回しているわけだ。様々な可能性を脳裏に描いている私へと、対面の椅子に腰掛けているアリスが問いを寄越してきた。根本的な問いを。

 

「ティムは……彼は、結局『誰』だったんでしょうか?」

 

「先ず、『アビゲイル』ではないんじゃないかな。彼女がコピーのコピーを作れるかどうかはさて置いて、マホウトコロで話した彼女の言葉に嘘は無かった。そこを読み違えるほどに自分の目が節穴だとは思いたくないね。」

 

「私もそう思います。……でも、『ベアトリス』っていうのも違和感がありますよね?」

 

「同意しようじゃないか。ベアトリスもまた死に際に嘘を吐いてはいなかった。あの時確かに、彼女は自分を終わらせた……と思っていたんだけどね。今となっては分からんよ。」

 

今までの動きから何となく侮っていたが、ベアトリスは三百年を生きた魔女なのだ。そう考えると自信がなくなってくるぞ。こめかみを押さえながら言った私に、アリスは事態を整理するための発言を送ってくる。

 

「……自分の記憶を消す前の『過去のベアトリス』が、ティムにも記憶を移していたんだと考えるべきですよね? つまり、不測の事態に備えての『予備』として。」

 

「だろうね。でなければこんな一文を残せるはずがない。しかし、アビゲイルはそれを知らなかった……のか? あの北アメリカの工房を最初に出る時、数ある人形の中からティムを選んで同行させたのはアビゲイルだったはずだ。」

 

「そうするように過去のベアトリスが仕組んだのかもしれません。アビゲイルは最後まで話し相手になってくれたって言ってました。だからこそティムを選んで連れて来たわけですから──」

 

「だがね、アリス。アビゲイルはベアトリスだったんだ。百年間あの家で人形ごっこをしていたというのは単なる作り話に過ぎないんだよ。私たちやベアトリスの行動を詳しく知っていた以上、彼女が『アビゲイル』になったのはそう昔のことではないはずだろう? ……ああくそ、さっぱり分からん。すっきり終わったと思ったら、幕が下りた直後にはもうこれだ。この戯曲は難解すぎるぞ。」

 

とんでもない『一人芝居』だな。ベアトリスもアビゲイルもティムも元々は一人の『ベアトリス』だというのに、よくもまあここまで複雑に展開させられるものだ。絡み合った糸をイライラしながら解いていると、アリスの隣に座ったエマが推理に参加してきた。ちなみにアビゲイルに関する事情は、私が帰る前にアリスから教えてもらって把握済みらしい。

 

「いっそこの際、別個の存在として考えた方がいいんじゃないでしょうか? ベアトリスさんも、アビーちゃんも、ティム君も別人なんですよ。それぞれに目的があって、それぞれに望みがあった。そういうことなんだと思います。」

 

「……まあ、そうかもね。ベアトリスは自身が書いた戯曲の崩壊を望み、アビゲイルはその達成を望み、ティムは生き延びることを望んだ。三者の基礎である『過去のベアトリス』が持っていた側面の一つ一つを、それぞれが引き継いだってところか。」

 

「ベアトリスがわざわざ北アメリカの工房を焼き払ったのは、アビゲイルだけじゃなくてティムのことも『始末』しようと思ったから……っていうのは考えすぎですかね?」

 

ティーカップの取っ手を弄りながら放たれたアリスの言葉を聞いて、紅茶を一口飲んでから肩を竦める。

 

「大いに有り得ると思うよ。それどころか、過去の彼女はあのリビングルームに居た他の人形にも記憶を移していたのかもしれないぞ。アビゲイルに記憶を移した後で他の人形たちにもコピーしたのだと考えれば、アビゲイルが知らなかったことには説明が付くしね。彼女は『コピーされた時点』までの記憶しか持っていないと言っていたじゃないか。……いや待て、違うな。そうなるとアビゲイルに記憶をコピーした後、自身の記憶を消すまでの間に他の人形への記憶のコピーを思い付いたことになっちゃうか。実行したのがアビゲイルを作った後だろうが、発想自体は記憶を引き継いでいるアビゲイルも知っていなければおかしいはずだ。ちょっと不自然な流れに感じるね。」

 

「自分の記憶と同じように、消すか弄るかしたのかもしれませんよ。アビゲイルに記憶をコピーした後で、他の人形たちにも同じようにコピーする……というか、『コピーしようとしている』って記憶を。私としてはその方がしっくり来ます。」

 

「……まあ、私もアビゲイルがティムの正体を知らなかったという推理には七対三くらいで賛成だし、それを前提にすればアビゲイルの記憶もまた弄られていたと考えるべきなのかな。」

 

思い返してみれば、去年の年末に北アメリカの工房に残された他の人形たちを回収しに行く切っ掛けを作ったのは……そう、ティムの方だ。提案自体をしたのは話すことが出来るアビゲイルの方だったが、彼女はティムのジェスチャーに触発されてその行動に至ったはず。他の人形たちも安全なこの場所に連れて来ることで、『生存率』を上げようとしたのかもしれないな。

 

「だけどアビゲイルがどうであれ、オリジナルであるベアトリスは覚えていた……じゃなくて、思い出したはずです。ティムもまた『ベアトリス』であることを。だからあの時壊そうとしたんでしょうか?」

 

「かもね。何にせよもうベアトリスとアビゲイルは死に、ティムは姿を消した。答え合わせは出来ないよ。」

 

やれやれと首を振りながら呟くと、アリスは複雑そうな表情で自分の部屋がある方向に顔を向けて口を開く。アビゲイルは知らず、ベアトリスは思い出していたという考察は間違っていないと思うのだが……しかし、ベアトリスはアビゲイルに対してほどティムに対して『抵抗』していなかったのもまた確かな事実だ。灰色の魔女にとっては生存を目指したティムよりも、ハッピーエンドを目指したアビゲイルの方が許せない存在だったということなのかもしれんな。

 

「私の部屋の人形作り用の工具がいくつか無くなっていました。多分、ティムが持って行ったんだと思います。」

 

「一からやり直すためだろうさ。一からというか、あの身体じゃかなりのマイナスからのスタートだろうがね。そもそもあの身体で魔法が使えるのか?」

 

「ティムの内部にあった術式は恐ろしく複雑なものでした。ベアトリスの術式が特別煩雑なんだとばかり思ってましたけど、今考えれば『やり直し』のための機能を持たせてあったのかもしれません。もっと調べておけば良かったです。」

 

「キミも私もアビゲイルに気を取られていたからね。あの熊のことは全然気にしてなかったよ。……アビゲイルがベアトリスを使って私たちの目を逸らしたように、ティムはアビゲイルを使ってそれをしたわけか。」

 

どこまでが計算だったんだろうか? ……真に褒めるべきは過去のベアトリスなのかもしれんな。コピーであるアビゲイルも、そしてもしかすると未来の自分自身すらもを欺いて、ティムという皮を被った『ベアトリス』を存続させたわけか。

 

要するに、『アリスの庇護下で幸せな生を手に入れる』という最大の目的を目指しつつも、失敗した時のためのセーフティまでしっかり準備しておいたわけだ。しかもそれを安全な場所に連れ出したのは主役であるアビゲイルで、また稼働できるように直したのは『母親役』であるアリスで、北アメリカで記憶を取り戻したベアトリスから守ったのは他ならぬこの私。幾ら何でも全てが計算だとは思えんが、どこまでも諧謔のある展開になったじゃないか。

 

それぞれに糸を握り、それぞれに操られていた人形たちの戯曲。現在のベアトリスは諦観の中で死んでいき、アビゲイルは僅かな幸せに包まれながら死に、ティムもまた過酷なやり直しをしなければならない。そして最大の目的が『二度目の生』だったのだとすれば、過去のベアトリスもまた失敗したと言えるだろう。

 

私たちもまさかこの状況で『勝った』とは言えないし……うーむ、勝者なき結末か。やっぱり悲劇だと鼻を鳴らす私へと、エマが懸念を示してきた。

 

「ティム君がいつか力を取り戻したら、またアリスちゃんに関わってくるんでしょうか?」

 

「……どうかな、私はもうちょっかいをかけてこないと思うけどね。五十年前に始まった一連の劇は、これで終わりって気がするんだ。役者であることを重視していた『ベアトリス』は終幕した劇に拘泥しないんじゃないかな。何の保証もないが。」

 

「私も……私もそう思います。根拠はありませんけど、そんな気がしてならないんです。だからこそティムは最後にこの一文を残して姿を消したんじゃないでしょうか?」

 

羊皮紙の切れ端を指しながら言ったアリスの声を最後に、リビングを短い沈黙が包む。今度こそ本当に幕が下りたわけだ。長い人形劇の幕が。

 

「……レミィたちにいい土産話が出来たよ。幻想郷に行ったら話してやるとしようか。」

 

「そうですね、私もパチュリーと話したいです。」

 

苦笑いで応じたアリスに首肯してから、椅子に身を預けて天井を見上げた。つくづく厄介な存在だったな。自己を分離させるというのも立派な生存術の一つなわけか。『なぜ私は私なのか』だったか? 昔ハーマイオニーから借りた哲学の本の内容を思い出すぞ。

 

全てが終わった現在、果たしてベアトリスは『まだ生きている』と言えるのだろうか? ……私は言えないと思うがな。ティムの中にある存在はもはやベアトリスではあるまい。分離した時点で別の個となっているはずだ。アメーバほど単純な存在なら気にも留めないだろうが、知性ある生命体はこの葛藤から抜け出せないはず。

 

ベアトリスが得た価値観は進化の結果なのか、あるいは退化の一種なのか。……考えるだけ無駄そうだな。あの女は結局、魔女でも妖怪でも人間でも人形でもなかったのだから。何か別の『違う存在』だ。私たちとは根本的に違う何か。今でははっきりとそう思えるぞ。

 

久々に感じる空虚な恐怖を素直に受け取りつつ、アンネリーゼ・バートリは温かい紅茶をこくりと嚥下するのだった。

 



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永遠の友情

 

 

「さあ、クィディッチはもう終わりよ。今日からは勉強の時間。休み無しのね。」

 

テーブルに載っているクィディッチ雑誌を容赦なく片付けるハーマイオニー先輩を前に、サクヤ・ヴェイユは尤もだと大きく頷いていた。ワールドカップのことなんか話している場合じゃないだろうに。特にポッター先輩あたりは。

 

代表チームの凱旋と共に始まった祝勝パーティーから一夜明け、未だ興奮冷めやらぬ早朝のホグワーツ城。玄関ホールには誇らしげにクィディッチトーナメントの優勝トロフィーが飾られているその城の紅い談話室の中で、ハーマイオニー先輩が同学年の二人に『現実』を突き付けているわけだ。

 

ホグワーツの優勝を殊の外喜んでいるらしいマクゴナガル先生は、木曜日までの三日間を『ご褒美休暇』にするという甘さを生徒たちに示したわけだが……ハーマイオニー先輩は違うようだな。懐かしき『ミス・勉強』の顔付きになっているぞ。

 

「おい、ハーマイオニー。一昨日優勝して、昨日祝ったばかりなんだぞ。今日くらいはゆっくり過ごさせてやるべきだろ?」

 

『ホグワーツの真の英雄』……昨日のパーティーの際、ポッター先輩が被っていた三角帽子に書かれていた一文だ。を庇いながら前に出たロン先輩へと、ハーマイオニー先輩は断固とした表情で参考書を突き出す。ちなみにマルフォイ先輩のは『完全無欠の司令官』で、リヴィングストンのは『小さな壊し屋』だった。ホグワーツ生たちのセンスには何もコメントしない方が良さそうだな。

 

「ロン、鬼になりなさい。じゃないとハリーは絶対に闇祓いになれないわ。イモリ試験まで一ヶ月を切ってるのよ? その後には入局試験もあるの。それでもまだ『ゆっくり過ごさせる』べきだと思う?」

 

「……まあ、うん。今回は君が正しいのかも。『今回は』と言うか、『今回も』だな。」

 

自分が苦戦してきた二つの試験の勉強についてを思い出したのだろう。不安そうな顔で渋々同意したロン先輩は、ソファに座るポッター先輩に向き直って意見を放つ。何とも気まずげな声色でだ。

 

「ハリー、僕も急いで勉強しておいた方がいいと思う。残念だけど、ワールドカップの優勝国を予想してる暇なんてないみたいだ。八月は入局試験があるからそもそも観に行けないしな。」

 

「えーっと……その、明日からじゃダメかな? 一日くらい休んでもバチは当たらないでしょ?」

 

「ダメよ、絶対ダメ。もう一分一秒だって惜しいの。……ハリー、本当に分かってる? 今日からイモリ試験までの頑張りが、貴方の残りの人生を決定するのよ? そして今の貴方は崖っぷちに立ってるの。先ずはそのことを自覚して頂戴。」

 

本気で心配そうな表情を浮かべているハーマイオニー先輩を見て、ポッター先輩も徐々に事態の重大さに気付き始めたらしい。ゴクリと喉を鳴らしてから勉強の守護聖人どのに応答した。

 

「そんなに危ないかな?」

 

「少なくとも私は昨日不安で眠れなかったわ。貴方はホグワーツの勝利のために、この一年間をクィディッチに捧げた。それは称賛すべきことだし、優勝という形で報われたのは心から喜んでるけど……でも、負債は確かにあるのよ。大事な大事な七年目の勉強を後回しにしたツケは。」

 

「……僕、間に合う?」

 

「分からないわ。今日から毎日勉強漬けになったとしても保証できないのよ、ハリー。そのくらい遅れているの。お願いだから今だけは私を信じて、全ての時間を勉強に注ぎ込んで頂戴。」

 

どこまでも真剣な顔で説得するハーマイオニー先輩の導きによって、ポッター先輩は地獄の勉強道に足を踏み入れる決意をしたようだ。慌てて立ち上がって男子寮へと向かい出す。

 

「僕、僕……道具を取ってくる。急いで取ってくるよ。」

 

「ええ、全部持ってきて。全部をよ。……ロン、貴方はハリーのために用意した魔法法の纏めを持ってきて頂戴。最初に目指すのはイモリの『足切り』突破だけど、魔法法の勉強計画も今のうちから組み立てておく必要があるわ。もはや一刻の猶予も許されないの。」

 

「わ、分かった。持ってくる。」

 

ここから巻き返すのは、もしかしたらクィディッチトーナメントで優勝するより難しいかもしれないな。ハーマイオニー先輩の決死の面持ちを見てそれを確信したところで、男子寮への階段を駆け下りる二人と入れ替わりで魔理沙が談話室に姿を現した。

 

「おはよ、二人とも。」

 

「おはよう、マリサ。貴女の『担当』はサクヤよ。」

 

「あー……担当?」

 

「魔理沙のことは私に任せて、ハーマイオニー先輩はポッター先輩に集中してください。……こっちよ、魔理沙。」

 

寝ぼけ眼できょとんとしている魔理沙の手を引いて、別のテーブルを確保してから口を開く。ポッター先輩がギリギリなように、魔理沙もまたギリギリなのだ。

 

「魔理沙、今日から勉強をするわ。フクロウ試験のための勉強をね。」

 

「……まあ、分かってたよ。遅れてるって言いたいんだろ? 朝っぱらから始めるとは思わなかったけどな。」

 

「自覚があるようで何よりよ。」

 

「参ったぜ、昨日のリーゼの話もまだ整理できてないのに。」

 

昨日の祝勝パーティーが終わった後、リーゼお嬢様が話してくれたアビゲイルやティムに関する結末。確かに色々と考えさせられる内容だったし、私も気にしていないと言えば嘘になるが……だけど、今はそれどころではないのだ。

 

「これまでリーゼお嬢様やアリスが私たちを問題に深く関わらせなかったのは、クィディッチやフクロウのことを心配してくれたからよ。その気遣いを無駄にするわけにはいかないわ。」

 

「……ん、理解してるぜ。潔くフクロウ試験に集中する。ダメダメな成績じゃ魅魔様にも申し訳が立たんしな。」

 

諦めの表情で私が差し出した教科書を受け取った魔理沙は、それが魔法史の教科書だったことに顔を顰めながらも不承不承目を通し始める。その姿を横目に準備しておいた『纏めノート』を開いて、彼女に要点だけを詰め込むべく『授業』を開始しようとしたところで……おっと、リーゼお嬢様だ。女子寮からではなく、廊下に続くドアの方からお嬢様が入室してきた。

 

「おはようございます、リーゼお嬢様。」

 

「おっす、リーゼ。」

 

「おはよう、二人とも。……ハリーはどこだい? 危機感を煽りに来たんだが。」

 

「もうハーマイオニー先輩が済ませました。散々脅された後、今は男子寮に勉強道具一式を取りに……戻ってきたみたいですね。」

 

小走りで戻ってきたポッター先輩とロン先輩の方を指しながら報告してみれば、リーゼお嬢様は苦笑してからやれやれと肩を竦める。

 

「なるほど、あの様子なら大丈夫みたいだね。……魔理沙、キミも精々頑張りたまえ。どうせ魅魔はフクロウの結果を覗き見てくるだろうから。」

 

「それについてはありがたいような、気後れするような微妙な気持ちになるわけだが……それよりよ、東風谷に渡した物は結局何だったんだ? 昨日はアビゲイルとティムの件に気を取られて聞きそびれちまったぜ。」

 

「ん? ああ、退魔の符だよ。紅白巫女お手製の、神力がたっぷり詰まった神札さ。」

 

「霊夢の? あの札、やっぱり霊夢から貰ったやつだったのか。珍しいな、あいつが誰かに何かをあげるってのは。」

 

れいむ……確か、幻想郷の調停者の名前だ。魔理沙がライバル視している相手で、彼女曰く『筋金入りの天才』であるらしい。殆ど知らない人物の話をする二人のことをぼんやり見ていると、リーゼお嬢様が私の隣に腰掛けながら会話を続けた。

 

「手土産と交換したのさ。肉とね。」

 

「そういうことか。それならまあ、納得だが……何でそれを東風谷に渡すんだよ。」

 

「なぁに、ちょっとした布石だよ。私はレミィほど権力ってやつに飢えちゃいないが、自分と家人たちの安全を確保できる程度の力は保有しておきたいんだ。隙間妖怪との繋がりだけじゃ少々頼りないからね。別方面にも味方を増やしておこうと考えたわけさ。」

 

「……いまいち分からん。まさか東風谷を幻想郷に連れて行こうとしてるわけじゃないよな?」

 

東風谷さんを? 連れて行ったところで役には立たなさそうだぞ。首を傾げる魔理沙の疑問を受けて、リーゼお嬢様はクスクス微笑みながら曖昧な答えを口にする。

 

「んふふ、どうかな? 私からすれば東風谷はむしろおまけだよ。……とはいえ、『向こう』にとってはそうじゃないのかもしれない。消えかけの状態で健気に見守っているということは、それなり以上に東風谷は重要な存在だということだ。将を射んと欲すれば先ず馬を射よってね。東風谷を『ゲット』すれば強力な駒がセットで付いてくるわけさ。」

 

「んんん? 咲夜にとってのお前みたいな存在が、東風谷にも居るってことか?」

 

「賢いじゃないか、魔理沙。そういうことだよ。……ま、どれだけの存在なのかは未知数だけどね。私の経験上、神力を使う連中ってのは大抵『それなりレベル』の存在だ。試してみる価値はあるだろうさ。」

 

「神力って、神様の力ってことだよな? 東風谷にはそんな凄い存在が付いてるのか? それっぽい雰囲気は全然感じなかったぞ。」

 

未だ信じ切れていない顔付きの魔理沙へと、リーゼお嬢様は軽く応じて話題を締めた。

 

「神力って言ってもピンキリなのさ。便宜上そう呼称しているだけで、イギリスにおける『神』とはまた別の存在だよ。集まった信仰が神の力になるわけだから、こっちの神は文字通り別格の存在なんだ。……夏になれば東風谷がイギリスに来るだろうし、詳しい話はその時にでもしてあげるよ。今のところは試験に集中したまえ。」

 

「そうですね、集中すべきです。……ほら魔理沙、やるわよ。」

 

「へいへい、分かりましたよっと。」

 

まだ聞きたいことがあるらしい魔理沙を強引に教科書に向き合わせてやれば、それを見たリーゼお嬢様は満足そうに頷きつつハーマイオニー先輩の方へと向かって行く。恐らくポッター先輩たちの勉強を手伝うつもりなのだろう。

 

五年生と、七年生。試験の重要度こそ段違いだが、だからといって手を抜いていいわけではない。七年生の四人にエールを送りながら、こっちも負けられないぞとサクヤ・ヴェイユは頬をパチンと叩くのだった。

 

 

─────

 

 

「それじゃあ次よ。……酩月薬の副作用と、製法が確立された年は?」

 

膝の上の教科書を見ながらハリーとロンに問題を出しているハーマイオニーを横目に、アンネリーゼ・バートリは春の青空を見上げていた。空気の匂いが変わってきたな。ほんの微かにだけ夏が香る、我々ホグワーツの生徒にとっての『試験の匂い』に。

 

六月上旬の午前中、私たち四人は噴水のある中庭で試験対策に勤しんでいるのだ。談話室、大広間、図書館、空き教室、二階のベランダ、星見台。環境を変えて様々な場所で勉強することを、せめてもの気晴らしにしているわけだが……もはやそれすら効果がなくなってきたな。生徒役のハリーとロンどころか、教師役のハーマイオニーまでもが疲労困憊の様子じゃないか。

 

「えっと、製法の確立は1644年だよな? 副作用は不眠と疲労、それと理由のない極度の恐怖だろ?」

 

「副作用は同じだけど、製法が確立したのは1656年じゃなかった? 1644年は慈悲の妙薬が作られた年でしょ?」

 

「ハリーが正解。酩月薬は1656年ね。じゃあ、次は呪文学の問題よ。停止魔法が開発された時、元々は何を目的として──」

 

「んー、少し休憩しないか? 効率の良い勉強のためには、定期的に頭を休ませるべきだと言っていたじゃないか。キミたち、もう一時間半も問答を繰り返しているぞ。」

 

機械的に次の問題を出そうとするハーマイオニーの台詞に割り込んでみれば、彼女は教科書から目を離して驚いたように腕時計を確認した後、苦笑しながら首肯してくる。

 

「……そうね、少し休みましょう。夢中になってて気付かなかったわ。試験まで一週間を切ったから焦ってるのかも。」

 

「来週の月曜からか。……私が見る限りでは、キミたちは最大限の努力をしていると思うけどね。」

 

「ハーマイオニーとロンはともかく、僕はそれでもギリギリだからね。余裕がないよ、本当に。」

 

私の慰めにため息で応じたハリーは、座っていたベンチから立ち上がって軽いストレッチをし始めた。それに倣いつつ噴水に近付いていったロンが、組んだ腕を伸ばした状態で提案を寄越してくる。

 

「なあ、噴水に名前を刻まないか? 四人の名前を。」

 

「名前を? ……ああ、あの伝統ね。『永遠の友情』の儀式。」

 

「そうそう、それだよ。……正直さ、卒業って言われてもそこまで悲しくはならないんだ。僕たちは卒業しても離れ離れになったりしないって確信があるからな。だろ?」

 

ハーマイオニーに応答したロンの問いかけに、三人ともが同意の頷きを返す。その通りだ。今までのように毎日顔を合わせるってのはさすがに無理だろうが、心の距離は変わらない。私たちにそういった共通の確信がある以上、実際にそうなるのは間違いないだろう。この四人で築いてきた友情は卒業した程度で揺らぐほど脆いものではないのだから。

 

間髪を容れずに返ってきた答えを受けて、ロンは微笑みながら噴水を指差して話を続けた。

 

「だからさ、この噴水に刻まれてる他の名前に『御利益』を与えてやろうぜ。ホグワーツを代表する四人組としてさ。」

 

「何よそれ。……まあ、私は別にいいけどね。一年生の初め頃に聞いた時からちょっとだけ憧れてたし。」

 

「うん、やろうよ。伝統には従わないとね。」

 

「んふふ、良いと思うよ。非常識代表として私たちの名を残しておこうじゃないか。」

 

ハーマイオニーはちょびっとだけ照れ臭そうに、ハリーは素直な笑みで、私はいつものように口の端を吊り上げながら賛成したのを見て、ロンはそうこなくっちゃという表情で杖を抜いて噴水の枠の裏側を覗き込む。

 

「結構場所が埋まってるな。いつから始まった伝統なんだろ?」

 

「この噴水自体はパチェが卒業した頃にはもうあったはずだよ。探せばダンブルドアとエルファイアス・ドージあたりの名前もあるかもね。」

 

ただまあ、パチュリーの名前は確実に無いだろう。私の記憶には一緒に刻んだ思い出は残っていないのだから。何度か忍び込んだ所為で知っている百年前のホグワーツの光景を頭に描きつつ、私も何の気なしに噴水を眺めていると……空いてるな、あそこ。上の段の内側に、ちょうど四人の名前を余裕で刻めるくらいの空白箇所があるのが目に入ってきた。

 

「あそこはどうだい? 上の段はまあまあ広く空いてるみたいだぞ。」

 

「どこだ? ……本当だ、下より刻み難いから空いてるのかもな。ここにしよう。僕から刻むよ。」

 

ロンが袖を濡らしながら杖を使って器用に『R.W.』という文字を刻んだのに続いて、ハーマイオニーが『H.G.』と、ハリーが『H.P.』という文字を隣に刻む。ミドルネーム抜きのイニシャル二文字だけ。それが噴水に名を刻む時の伝統なのだ。

 

「次はリーゼだよ。届く?」

 

「高さ的には一段目に乗れば届くが、それより水飛沫から守っておいてくれたまえ。」

 

「そっか、そうだったね。」

 

ハリーが着ていたパーカーを盾にして水飛沫を防いでくれている間に、私も一段目の枠に乗って三人の名前の横に『A.B.』と刻み込む。並んでいる四つのイニシャルを確認して満足した後、ふと目線を上げてみれば──

 

「……下に一言付け足してもいいかい?」

 

「いいんじゃない? イニシャルだけだと寂しいしね。他の人たちもちょっとした言葉を付け足してるみたいよ。」

 

「やってくれ、リーゼ。任せるよ。」

 

ハーマイオニーとロンの返事とハリーの首肯を受けて、ささやかな追加の文字を四つのイニシャルの下に付け足す。『was here』という文字を。……まあ、私たちもこれで御利益を受け取れるだろう。私が知る中でもとびっきりの友情を築いた二人のイニシャル。そこにあるものと同じ文字を付け足したのだから。

 

新たに噴水に刻まれた『R.W. H.G. H.P. A.B. was here』という私たちの足跡。そしてその少し上にある銅像の足元に刻まれている、『A.M. and T.W. was here』という文字。その二つを見比べながら、アンネリーゼ・バートリは会心の笑みを浮かべるのだった。

 



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イモリ試験

 

 

「……うん、良い出来ね。」

 

新しく作り上げた一体の人形。今の私が持っている技術の全てを注ぎ込んだその作品をチェックしながら、アリス・マーガトロイドは独り言を呟いていた。いつも作っている半自律人形ではない、動かない普通の小さな人形。四箇所に球体関節を備えている金色の髪と青い瞳の可動人形だ。

 

六月中盤の雨が降る日の朝、先月の終わり頃に作り始めた人形がとうとう完成したのである。……あの時、マホウトコロの桁橋で拾った『アビゲイルの欠片』。それを身体の一部に使った人形が。

 

正直なところ、私は自分が何を思ってこれを作ったのかが未だに分かっていない。贖罪のつもりなのか、あるいは同情か、それとも追憶か。縫っておいた青いエプロンドレスを着せながら自分の曖昧さに苦笑した後、完成した人形を作業机の上に座らせて息を吐く。それでも気持ちの整理にはなった気がするぞ。

 

心を波立たせる悲しみと、浮かび上がってくるアビゲイルの思い出。それを噛み締めながら人形のことを見つめている私に、上階から声が投げかけられた。

 

「アリスちゃーん、お菓子が完成しましたー!」

 

「はーい、今行きます!」

 

エマさんの呼びかけを受けて、人形をもう一度見てから立ち上がる。忘れようとは思わないし、背を向けるつもりもない。だけど、囚われてはいけないのだ。テッサやコゼットの死がそうであるように、そしてリドルやダンブルドア先生の死がそうであるように。私はそれを自分を形作る根幹の一部にした上で、それでも前に進み続けなければならないのだから。

 

悲しみの受け止め方が上手くなったのは、果たして成長と言えるのだろうか? そのことを自問しつつも、階段を上がってリビングルームに足を踏み入れてみると……そっか、エマさんも同じなんだな。彼女が朝早くから作っていた今日店に出すお菓子の中に、新商品があるのが目に入ってきた。

 

「……ラズベリーのケーキ、店に出すのは初めてですね。」

 

「はい、何だか作りたくなっちゃいまして。」

 

「良いと思います。下に運びましょうか。」

 

アビゲイルが好きだった、ラズベリーのレアチーズケーキ。それを見てしんみりしながら、お菓子が載ったアルミのプレートに浮遊呪文を使って店舗スペースまで運ぶ。

 

「いつも通りケーキが上、それ以外が下でいいですよね?」

 

「ええ、問題ありません。……今日も売れてくれるといいんですけどね。雨でお客さんが減らないかが心配です。」

 

「売れるに決まってるじゃないですか。むしろ人形が売れることを祈っておいてくださいよ。」

 

エマさんと談笑しながらガラスケースの中の陳列を終えて、壁の時計を確認してから店のドアの鍵を開けた。少し早いが、開店してしまおう。今日はそんな気分なのだ。

 

「ガラスケースの保冷魔法、ちゃんとかかってますよね?」

 

結構な勢いで雨が降っている通りを眺めつつ、エマさんが書いた小さな黒板のメニュー表を玄関先に出してから問いかけてみると、我が家の売れっ子パティシエールさんはこっくり頷いて応じてくる。

 

「大丈夫みたいです。……それじゃ、私は家事に戻りますね。」

 

「了解です。」

 

奥へと姿を消したエマさんを見送った後、杖を振って窓のブラインドを全部上げてからカウンターの後ろの丸椅子に座って一息ついた。……ティムもまた、この雨の中で過ごしているのだろうか? いつの日かの再起を目指しながら。

 

カウンターに頬杖を突いてショーウィンドウ越しの薄暗い通りを目にしつつ、アリス・マーガトロイドは降り頻る雨の音を耳で感じるのだった。

 

 

─────

 

 

「……筆記については正直自信がないよ。ただ、取っ掛かりすら掴めないほどの問題は無かったと思う。実技はまあまあ上手くできたんじゃないかな。」

 

疲弊した顔付きで真っ赤なソファに沈み込んでいるハリーの報告を聞いて、霧雨魔理沙は頭を掻きながら微妙な表情を浮かべていた。どう受け取ればいいんだ? 祝うべきなのか? それとも残念がるべきなのか?

 

六月二十日の夕食前、学生生活最後となる試験を終えた七年生三人が談話室に戻ってきたところなのだ。首尾はどうだったのかと待ち構えていた私と咲夜、リーゼが問いかけてみた結果、返ってきた返事がこれだったわけだが……微妙すぎるぞ。良いとも悪いとも言えないじゃないか。

 

ちなみに私と咲夜のフクロウ試験は一昨日の午前中の時点で終了している。こっちはまあ、上々ってとこだな。魔法史だけは自信ないが、他の教科はまずまずの出来だった。特に薬学の実技と天文学は完璧と言える出来栄えだったぞ。

 

咲夜の方も悪くない手応えだったみたいだし、私たち五年生は心地良い状態で『試験マラソン』の終わりを迎えられているものの……七年生三人はそうもいかないらしいな。ハリーに続いてロンとハーマイオニーもそれぞれの『総評』を口にする。

 

「僕は不安だよ。一番重要な防衛術は上手くいったと思うけど、薬学と変身術の筆記で分からないところがいくつかあったんだ。さっきやった呪文学の筆記も完璧とは言えない出来だったしな。」

 

「私は全力を出せたと思うわ。出せたとは思うんだけど……ああ、やっぱり不安よ! 『ルーモス』が論述問題のテーマになるとは予想してなかったの。だってそうでしょう? あんな基本的な呪文をテーマにするだなんて誰も想定しなかったはずよ。必死にやってきた論述対策が全部無駄になっちゃったわ。」

 

「上手い出し方だったよな。呪文そのものは基本的だけど、それだけに難しかったよ。」

 

「そうね、問題が上手かった。誰もが知っている基本的な呪文ってことは、それだけ研究され尽くしているってことよ。それを失念していたわ。」

 

頭を抱えて悔しがるハーマイオニーの肩を、唯一イモリに参加しなかったリーゼが苦笑いでポンと叩く。明かりの呪文か。今回のイモリでは変わった問題が出てきたようだ。

 

「まあ、あとは結果を待とうじゃないか。キミたちが知恵を最後の一滴まで振り絞ったってことは、その様子を見れば伝わってくるさ。目標ラインを突破したことを祈っておこう。……ハリーとロンはこれで終わりじゃないしね。」

 

「そうなんだよな、こっからは八月の試験に向けて本格的な魔法法の勉強をしないといけないんだ。憂鬱になるよ。」

 

「一人でやってるドラコに比べればマシな環境だろうけどね。……じゃあ、始めようか。休んでる暇はないわけだし。」

 

うわぁ、これはさすがに可哀想になるな。イモリを終えた直後だというのにまた勉強か。戦慄の思いで魔法法の参考書を取り出したハリーとロンを見ていると、ハーマイオニーも気持ちを入れ替えるように髪を結んでから声を上げた。

 

「やりましょう、手伝うわ。ハリーは特定魔法薬の所持・製造規制についての部分で、ロンは基礎魔法法の復習ね。」

 

「分かった、そうするよ。」

 

「オッケーだ。……いつ見ても嫌になるぜ、この本。」

 

「それじゃ、私も手伝うよ。」

 

サクサクと勉強の準備を始める七年生たちを目にした後、咲夜と一度顔を見合わせてから……手助けは出来なさそうだし、せめて邪魔しない方がいいだろうな。お揃いの苦笑で少し離れたソファに移動する。

 

「ハリーたちは卒業どころじゃなさそうだな。」

 

「みたいね。……そういえば、今朝アフリカのペンフレンドさんから手紙が来てたみたいじゃない。返事はもう書いたの?」

 

「あーっと、そうだった。書いとくか。」

 

ワガドゥの友人であるゾーイとの手紙のやり取りは月に一、二回のペースで続いているのだが、ワガドゥもホグワーツと同じく六月が学期末だということで、卒業したすぐ後に約束通りイギリス旅行に来るつもりらしい。こっちで会いたいから、どの日なら都合が良いかと手紙には書いてあった。

 

うーん、今年の夏休みの予定か。八月に行われるマホウトコロ近海でのワールドカップは是非とも観に行きたいので、そうなると七月中が助かるかな? 新しい箒を買わないといけないし、その資金を稼ぐための双子の店でのバイトもある。更に言えば、東風谷をリーゼの魔の手から守るために見張らなければいけないのだ。アリスが店を再開しているから、もしかしたら人形店の手伝いもあるだろう。

 

何か、結構忙しそうじゃないか? 整理してみたら意外に多かった予定に驚く私を他所に、咲夜がぼんやりした表情で口を開く。彼女も夏休みのことを考えているようだ。

 

「今年は旅行はなさそうね。強いて言えばワールドカップに行くかもってくらいかしら?」

 

「行くだろ。行かない気か?」

 

「リーゼお嬢様もアリスもクィディッチにそこまで興味がないわけでしょ? 前のワールドカップはレミリアお嬢様の仕事と重なってたからみんなで行ったけど、今年は微妙そうじゃない?」

 

「……言われてみればそうだな。ハリーやロンも入局試験でそれどころじゃないし、下手すると私一人で観戦することになるわけか。」

 

最悪一人でも行くが、ちょっと寂しいのは否めないな。腕を組んで唸っていると、咲夜がそっぽを向きながら言葉を付け足してきた。

 

「仕方ないから私がついて行ってあげるわよ。それなら一人にはならないでしょ。」

 

「おっ、嬉しいこと言ってくれるじゃんか。持つべきものは付き合いの良い友人だな。可愛いヤツめ。」

 

「からかう人とは一緒に行ってあげないからね。」

 

「おいおい、私は素直に喜んでるだけだぜ。」

 

笑顔で言ってやれば、咲夜は小さく鼻を鳴らしてから話題を変えてくる。向こうに泊まるためのテントを買わないといけないかもしれんな。今年はクィディッチ用品を沢山買ったし、箒のことを考えると金が足りるだろうか? 付き合いで同行してくれる咲夜に出させるわけにもいかんから、案外ギリギリかもしれないぞ。

 

「それより卒業のお祝いのことは考えてあるの? これだけお世話になったんだから、ハーマイオニー先輩たちには何か贈らないといけないわよ?」

 

「あー……そっか、そうだな。贈らないとだな。」

 

「実際に贈るのは夏休み中でも問題ないでしょうけど、二人できちんと話し合って良さそうな物を探しておきましょ。仕事で役に立ちそうな物とか、そういうのをね。」

 

「つくづく気が回るヤツだな、お前は。」

 

しかし、そうなってくると金銭事情が益々ヤバいことになるぞ。対抗試合の時は一千ガリオンも出たのに、何故クィディッチトーナメントには賞金が無かったんだと今更ながらに嘆いていると……咲夜が呆れた顔付きで提案を投げてきた。

 

「貸してあげてもいいわよ? お金。そのことで悩んでるんでしょ?」

 

「……何で分かったんだよ。」

 

「新しい箒のこととか、ワールドカップのこととかを考えれば嫌でもその結論にたどり着くわよ。貴女は自分の箒で妥協するようなタイプじゃないし、どうせ高いのを買うつもりなんでしょう? それに加えてチケットだの卒業祝いだのを買ってたら絶対に足りないわ。貸してあげるからそれでどうにかしなさい。」

 

『仕方がないなぁ』という表情の咲夜の甘い誘惑に気持ちが揺らぐが、何とかそれを退けて返答を返す。金は貸しても決して借りるなが霧雨家の家訓なのだ。既にリーゼから借金をしているような状態なのに、この上咲夜からまで金を借りたら目も当てられんぞ。

 

「……自分で何とかするぜ。」

 

「そう? ……意地を張るのは結構だけど、無い袖は誰も振れないわよ。いざとなったら言いなさいよね。」

 

「ん、覚えとく。」

 

むむむ、足掻きまくってそれでもダメだったら……頼むしかないのかもしれないな。まさかハリーたちへの卒業祝いで手を抜くわけにはいかんし、箒だってそうだ。情けない思いで渋々頷くと、咲夜は更に話題を転換してきた。

 

「来年度からの二年間は先輩たち抜きの生活ね。それが終わったら幻想郷。……レミリアお嬢様と別れた時は長い時間会えなくなると思ったけど、こうしてみると案外すぐ再会できそうだわ。五年生は物凄く短かった気がするもの。」

 

「そこは私も同じだな。ついこの前歓迎会があったような感覚だぜ。」

 

「……魔理沙は幻想郷に戻ったらどうするの? 魅魔さんと一緒に住むのよね?」

 

「だと思うんだがなぁ。お師匠様のことだから、また新たな『課題』を出してくるかもしれん。予想できない方なんだよ、魅魔様は。」

 

七割くらいの確率で元通りの住み込みでの修行になるだろう。だが、残りの三割は……何が飛び出てくるのやら。ひょっとすると一人で住む場所を探せとか言われるかもしれないな。

 

とはいえ、言われたら従うまでだ。イギリスに来る前の幻想郷での指導も、イギリス魔法界に投げ出されたことも。魅魔様が私に課した修行は常に良い結果を生み出しているのだから。ノーレッジの個人授業が最短距離を効率的に進むのに対して、魅魔様の修行は『意味のある遠回り』をあえてさせている感じだぞ。

 

偉大な師匠の深慮遠謀に感心していると、咲夜が窓の方を見つめながらポツリと呟く。遠い場所を見るような目付きだ。

 

「どんな生活になるのかしら。」

 

「リーゼは幻想郷にとっての変革の時期が近いって言ってたし、退屈はしないんじゃないか? ……それを見越して魅魔様は私を修行に出したのかもな。変化に乗り遅れないように、その前に急いで外界を体験させたのかもしれん。」

 

魅魔様が自分が住んでいる場所の変化を見過ごすはずはないし、そう考えれば納得がいくな。説得力がある仮説を口にした私に、咲夜は軽く首肯してから話題を締めてきた。

 

「まあ、あと二年はこっちでの生活に集中しましょうか。私はイモリの勉強を、貴女はお金稼ぎをね。……帰る前に見て回りたいんでしょ? こっちの世界。クィディッチにお金がかかるように、旅行にだって資金は必要よ。」

 

「……ま、その通りだ。夏休みの間に双子から習っておくぜ。金の稼ぎ方をな。」

 

「私という監督生が近くに居ることを忘れないように。双子先輩がやってたみたいな『人体実験』はさせないからね。」

 

「それを上手いこと掻い潜るのが賢い悪戯っ子ってもんだろ。」

 

ジト目の咲夜にニヤリと笑いかけてから、大きく伸びをして残りの二年間のことを想像する。どうせ行くならワールドカップついでに日本観光もしたいな。それに魅魔様の嘗ての縄張りであるニューヨークにも行ってみたいし、中途半端に終わってしまったヨーロッパ旅行もやり直したい。資金繰りのことも考慮すれば、六、七年生のクリスマス休暇と今年、来年、再来年の夏休みを限界まで有効活用する必要がありそうだ。

 

まだまだやり残していることが沢山あることを自覚しつつ、霧雨魔理沙は貪欲に全てを達成しようと決意するのだった。

 



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未来へ

 

 

「前年度は亡きダンブルドア先生が十月までを取り仕切ってくださったので、皆さんは私が校長として一年間を通して担当した初めての卒業生ということになります。……そして同時に、私の長い教師生活の中で最も波乱に満ちた七年間を過ごした生徒でもあるわけです。」

 

学期末パーティーが今夜に迫った六月二十九日の午後。満席の教員テーブルの中央でしみじみと語っているマクゴナガルを見ながら、アンネリーゼ・バートリは久々に被った三角帽子の位置を整えていた。私を含め、起立している周囲の生徒たちは揃って学校指定の黒いローブに三角帽子という正装姿だ。つまるところ、現在の私たち七年生はホグワーツ城の大広間で卒業式を行っているのである。

 

「この七年間、私たち教員一同はイベントや事件に事欠かなかった皆さんのことをいつも心配していました。……しかし、どうやらその心配は無用のものだったようですね。多くの困難を乗り越え、絆を深め、四寮の柵すらもを打ち破った皆さんは、私たち教員の予想を遥かに超えた姿で今目の前に立っています。」

 

まあうん、確かに盛り沢山の七年間だったな。一年生の頃から退屈とは無縁で過ごせたぞ。四寮の卒業生たちを一人一人しっかりと見つめているマクゴナガルは、柔らかい笑みを湛えながら話を続けた。

 

「結局のところ、私たち教員の手助けなど些細な切っ掛けに過ぎなかったようです。皆さんは自分たちで考え、努力し、支え合い、あっという間に壁を乗り越えていってしまったのですから。その背を見送る立場としては少し寂しくもありますが、同時に皆さんのような卒業生を世に送り出せることを誇らしくも思っています。……私は皆さんに教えた以上に、皆さんから多くのことを学ばせてもらいました。そのことは必ず未来の学生たちに伝えると約束しましょう。皆さんが身を以て示してくれた数々の教えは、ホグワーツで永久に活き続けるのです。」

 

うんうん、悪くないぞ。是非とも私たちの世代の非常識っぷりを後世に伝えてくれ。後輩たちの良い反面教師になるはずだ。マクゴナガルがそこまで語ったところで、教員テーブルの教師たちが一斉に立ち上がる。左右を一瞥してそれを確認した校長閣下は、凛々しい笑顔で生徒たちに向けて大声を投げかけた。

 

「もう一つ約束しましょう、皆さんには輝かしい未来が待っていると。長い長い人生において、七年間というのはそれほど大きなものではありません。ですが、この学校で得た経験は今後の人生を形作る上での強固な土台になってくれるはずです。だから躊躇わずに積み上げてみなさい。これだけの波乱を乗り越えてきた皆さんにとって、今後の人生など恐れるほどのものではないでしょう。皆さんなら私たちよりもずっと高い場所まで積み上げられるはずですよ。私はそう信じています。……それと、私たち教員が皆さんの健康と成功を心から願っていることを決して忘れないように。疲れた時は翼を休めに戻ってきなさい。ホグワーツの門は常に皆さんに対して開かれていますからね。私たちはいつまでも皆さんの教師です。迷った時や困った時、助けが必要な時は遠慮せずに頼ってください。ホグワーツはいつだってこの場所で皆さんを待っていますから。……それでは、最後はこの台詞で締めましょう。前校長であるダンブルドア先生は常々おっしゃっていました。この場でこの言葉を口にする時こそが、校長職において最も誇らしい瞬間なのだと。そして校長になった今、私も心の底からそう思っています。……卒業おめでとう!」

 

マクゴナガルのお決まりの台詞と共に教員テーブルから拍手が沸き起こり、同時に歓声を上げた卒業生たちが三角帽子を頭上に放り投げる。各寮の長テーブルに卒業を祝う伝統の料理が出現し、玄関ホールで待機していた在校生たちが拍手をしながら大広間に入ってくる中、隣で帽子をキャッチしているハーマイオニーが話しかけてきた。満面の笑顔でだ。

 

「どう? さすがのリーゼも感動してるでしょう?」

 

「……ま、達成感はあるかな。随分と長い七年間だったしね。」

 

「私は短く感じてるわけだけど、リーゼは長く感じたのね。興味深いわ。」

 

「兎にも角にも『濃かった』ってことなんだと思うよ。長い歳月を生きてきた私が言うんだから間違いないさ。……おや、咲夜。こっちにおいで。」

 

話の途中で近付いてきた咲夜に呼びかけてやれば、彼女は魔理沙と一緒に椅子に座りながら祝いの台詞を寄越してくる。

 

「卒業おめでとうございます、リーゼお嬢様! 先輩たちもおめでとうございます!」

 

「ありがとう、咲夜。五百を超えてようやく履歴書に記入できる学歴が手に入ったよ。これで『学歴ゼロ』の吸血鬼はレミィだけだね。」

 

「えっと……まあその、そういうことになりますね。」

 

「卒業おめでとな、四人とも。寂しくなるぜ。」

 

苦笑いになってしまった咲夜に続いて私たちに声をかけた魔理沙は、テーブルに出現したボトルに手を伸ばしながら言葉を繋げた。この日だけはワインやシャンパンも解禁だ。基本的には卒業生のための飲み物であって、毎年大っぴらに飲んでいた在校生は私だけだったのだが……今年は気兼ねなくみんなで飲めるな。

 

「卒業式は毎年あるイベントだけどよ、今年はちょっと違う気持ちになるな。……酒を注がせてくれ。イギリスだと別のマナーがあるけど、私の故郷では祝う相手にそうするのが伝統なんだ。」

 

「あら、そうなの? そういうことなら頼もうかしら。私はシャンパンね。」

 

「僕はワインだ。ハリーもだろ?」

 

「ん、今日は少しだけ飲んでみるよ。記念にね。」

 

七年生たちに次々と酒を注いでいく魔理沙を横目に、大広間の光景をぼんやり見渡す。そこかしこで在校生が卒業生を祝っているな。……アリスやフランもこうやって祝われたんだろうか? そう思うと確かに感慨深くなってくるぞ。

 

「ほれ、リーゼも。ワインだろ?」

 

「ああ、いただくよ。」

 

「二杯目からは私がやりますね。」

 

私が持ったグラスにもワインを注ぐ魔理沙を目にして、ふんすと鼻を鳴らしながら主張する咲夜に微笑んでから、六人で何気ない会話をしていると……おっと、マルフォイだ。スリザリンのテーブルの方からマルフォイが歩み寄ってきた。

 

「ハリー、バートリ、グレンジャー、ウィーズリー、卒業おめでとう。」

 

「そっちもおめでとう、ドラコ。」

 

「やあ、マルフォイ。卒業おめでとう。」

 

開口一番で祝いを述べてきたマルフォイに対して、ハリーと私を皮切りに他の四人も同じような発言を送った後、今日もきっちり髪を撫で付けているマルフォイ家の当主どのはハリーとロンに向けて口を開く。

 

「ハリー、ウィーズリー、お前たちとは卒業後も頻繁に顔を合わせることになるかもしれないからな。その時はよろしく頼むと伝えておきたかったんだ。」

 

「順調に行けば、の話だけどな。」

 

「僕も他人にとやかく言えるほどの余裕はないが、一応お前たちの健闘を祈っておく。」

 

「うん、こっちも君が上手く行くように祈っておくよ。……僕、一年生の頃は君とこんな風に話せるようになるなんて思ってなかった。今もまだ少しだけ不思議な気分だけど、こういう関係になれて本当に嬉しいよ。」

 

ロンに続いて応答したハリーへと、マルフォイは笑みを浮かべて返事を放った。挑戦的な笑みだ。

 

「ハリー、僕とお前の関係は本質的には変わっていないぞ。僕はお前のことを一貫してライバルだと思っているからな。今までの七年間もそうだったし、きっと闇祓いになってからもそれは変わらないだろう。単に真っ直ぐ向き合えるようになっただけだ。」

 

「……そうだね、僕も君のことをライバルだと思ってるよ。」

 

「ああ、それでこそだ。……では、僕はこの辺で失礼する。ホグワーツに居る間に決着を付けておかねばならない問題があるからな。」

 

そう言ったかと思えば、マルフォイはスリザリンのテーブルの……なるほどな、『大きな問題』にケリを付けようというわけか。テーブルの端の方で並んで座っている、一際大きな二つの人影の方へと歩き去っていく。下級生の頃は常に彼の後ろに立っていた二人の卒業生の方にだ。

 

その背を見送ったところで、他の卒業生たちに挨拶していたジニーやルーナなんかも合流してきた。魔理沙はハッフルパフのボーンズと話しておきたいらしいし、こちらに近付いてくる五、六年生の監督生たちはハーマイオニーとロンに一声かけたいようだ。おまけにハグリッドがテーブルクロスサイズの巨大ハンカチで目元を拭いながら私たち目掛けて歩いて来ている。うーむ、ゆっくりは出来なさそうだな。

 

まあ、悪くない卒業式だと言えるだろう。色々な人物が挨拶に来てくれるのは、ハリーたちの学生生活が豊かだった証拠なのだから。そのことに満足しながら案外上物だったワインに舌鼓を打って、美味そうな伝統料理にも手を伸ばすのだった。

 

───

 

そして卒業式が終わり、夕刻に行われた学期末パーティーから一夜明けた翌日。トランクを片手にホグワーツ特急に乗り込んだ私たちは、車窓から微かに見えるホグワーツ城の姿を眺めていた。これまでの六年間、暗黙の了解で学期末のホグワーツ特急では反対側のコンパートメントを優先的に確保していたのだが……それは卒業生たちが遠ざかるホグワーツ城を見られるようにという配慮だったわけか。ここに来て新たな発見だぞ。

 

不文律にも確かな意味があることを改めて実感している私を他所に、車窓に視線をやっているハーマイオニーがほうと息を吐く。しみじみとした表情だ。

 

「遂にホグワーツ城ともお別れね。」

 

「だな、偉大な城だったよ。今では本当にそう思うぜ。」

 

「でもさ、また来ることになるんじゃないかな。そんな気がするよ。」

 

「んふふ、私もそう思うよ。対抗試合とかクィディッチトーナメントみたいなイベントの観戦に来たり、あるいはいつの日か教師として戻ってくることになるかもね。」

 

クスクス微笑みながら三人に肩を竦めてやれば、三人ともがきょとんとした顔を向けてきた。何だその顔は。有り得ない話じゃないだろうが。

 

「アリスもパチェも教師になることを予想していなかったみたいだぞ。キミたちが魔法省でのキャリアを終えた後、ホグワーツ城に戻ってこないとどうして言い切れるんだい? 千年もこの地にある城なんだ。卒業式でマクゴナガルが言っていたように、その時だってホグワーツは変わらずここにあるだろうさ。」

 

「……んー、言われてみれば可能性はあるかもしれないわね。ちょっと楽しみになってきたわ。教師っていうのも悪くないかも。」

 

「夢があるな。……僕たちの子供も多分ここに通うわけだしさ、ひょっとしてひょっとすると同学年になれるかもしれないぞ。」

 

「いいね、それ。僕たちの子供同士は入学する前に出会っちゃうだろうから、また別の相手になるかもだけど……子供たちもこの列車で大事な友達と出会って欲しいよ。僕たちが初めて揃ったあの日みたいに。」

 

あの日のようにか。鮮明に記憶に残っているコンパートメントでの出会いを四人で思い浮かべていると、ロンが照れ臭そうな笑みで声を上げる。

 

「やっぱりさ、卒業してもそんなに変わらないのかもな。僕たちは四人一緒のままだし、ホグワーツはずっとここにある。それだけの話なんだよ、きっと。」

 

「……帰ったら数日後に隠れ穴で『勉強合宿』を始めるわけだしね。別れの気分になれないって点には同意かな。」

 

「やめてくれ、リーゼ。思い出しちゃったじゃないか。」

 

闇祓いの入局試験は八月に入ってからだ。ハリーとロンはそれまで勉強を続けなければならないし、ハーマイオニーや私もそれに付き合うつもりでいる。である以上、またすぐに顔を合わせることになるだろう。

 

現在の状況を思い出したハリーとロンが苦い表情になったところで、甲高い汽笛の音が車内に響いた。いよいよ出発か。

 

「先生方が手を振ってくれてるわね。……あー、ダメ。泣けてきちゃった。」

 

「ハグリッド、物凄い勢いで泣いてるぞ。卒業式で枯れてなかったんだな。」

 

「マクゴナガル先生も泣いてるよ。卒業式でも学期末パーティーでもキリッとしてたのに。」

 

ホグズミード駅のホームでハンカチを握り締めながらこちらを見つめているマクゴナガル、精一杯に背伸びをして両手を大きく振っているフリットウィック、微笑んでいるスプラウトやポンフリー、輝く笑顔で拳を突き上げているフーチ。列車が速度を上げると共に十名ほどの教師たちが立つホームが車窓を流れ、徐々に七年間を過ごしたホグワーツ城が遠ざかっていく。

 

カーブでホームが見えなくなるまで窓に張り付いていた三人は、車窓に映るのがお馴染みの大自然の景色になったことを確認すると、深々と座席にその身を預けた。ホグワーツからの巣立ちか。真紅の列車に導かれて入学したように、巣立つ時もまたこの列車が卒業生たちを運ぶわけだ。

 

それぞれに別れの味を噛み締めているらしい三人を見守りつつ、小さく息を吐いてから私も背凭れに寄り掛かる。昔は監獄のような生活だと嫌がっていたんだがな。今や私もホグワーツ生の一員になってしまったようだ。僅かな寂寥を感じるぞ。

 

……まあ、これが終わりじゃない。むしろハリーたちにとっては長い人生の本番のスタートだ。紫からイギリスと幻想郷を行き来できる権利を約束してもらっている私は、これから先もこの三人の人生を見守っていくことになるだろう。そしてそれは私が歩むであろう永い生の中の輝かしい一瞬になるはず。

 

私たち吸血鬼が瞬く間に過ぎ去ってしまう人間の生。それでもいいさ。今の私は昔の私とは違う。それを見届けられることの価値を正しく理解しているのだから。

 

光を操れる私だからこそ直視することが出来る、雲一つない晴天に浮かぶ太陽。運命が交差する真紅の列車の車窓からそれを見上げつつ、アンネリーゼ・バートリは背中の翼をパタリと揺らすのだった。

 



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マリサ・キリサメと大魔女の月時計
空を舞う手段


 

 

「あいよ、毎度あり! ……全部売れちゃったな。どうするんだ?」

 

空っぽになったガラスケース。今朝店を開いた時点ではエマのお菓子が満載になっていたそれを指差しながら、霧雨魔理沙は半笑いでカウンターに居るアリスへと問いかけていた。人気になっていることは知っていたが、まさかここまでとはな。まだ昼前だぞ。

 

七月三日の午前中、五年生を終えて夏休みに入った私はマーガトロイド人形店を……というか、実質『マーガトロイドケーキショップ』を手伝っているのだ。残念ながら、今のこの店を人形店だと認識している者はごくごく少数だろう。ダイアゴン横丁の住人たちにとっては『話題の美味しいお菓子屋さん』になってしまっているのだから。

 

訪れた客が誰一人として人形を見ていかなかったことを思い返しつつ、気まずい思いで私が放った質問を受けたアリスは、もう慣れてしまっている様子で指示を出してくる。アビゲイルの件で心配していたものの、少なくとも表面上はいつもの彼女だな。まだホグワーツから帰ってきたばかりだから何とも言えんが。

 

「プレートを片付けて頂戴。上に持っていけばエマさんが洗ってくれるから。私は『お菓子売り切れ』の看板を出してくるわ。」

 

「ここからが人形店としての本番ってことだな。」

 

「そういうことね。つまりお客さんが全然来なくなるってことよ。もう手伝いはいいから好きに過ごしなさい。」

 

「……まあその、あんまり気にすんなよ。薄利多売と厚利小売の違いだろ。」

 

何でもないような顔をしているが、人形が売れないのはやっぱり不満らしい。どこか投げやりな口調のアリスを慰めてみると、彼女はジト目でこちらを見ながら返事を寄越してきた。

 

「今や利益だけで見てもお菓子の売り上げが全体の九割五分よ。……そろそろ看板を変えるべきかもしれないわね。評判を聞いてお菓子を買いに来るお客さんが混乱しちゃうでしょうし。」

 

「あー……まあ、これからだろ。うん、これから周知されていくはずだ。じゃあその、上に行ってくるぜ。」

 

どんよりした空気を漂わせているアリスから逃げるように、重ねたアルミプレートを持って二階への階段を上がる。アリスが一年生になる前に閉店したと考えれば、ブランクが六十年もあるんだもんな。エマの美味しいお菓子の評判が先行してしまうのも仕方がないことだろう。

 

それに加えて、この付近にはお菓子屋が一切無い。需要もあったのかもしれないなと納得しながら、リビングに足を踏み入れてみると……ありゃ、誰も居ないな。無人の室内の光景が視界に映った。

 

リーゼはいつだって神出鬼没だし、咲夜は今の時間だと部屋で勉強しているのだろうが、エマがリビングに居ないのは珍しいぞ。そのことを怪訝に感じつつ、それなら私が洗っておくかとプレートを流しに置いたところで、廊下の方からひょっこり顔を出したエマが声をかけてくる。手に雑巾を持っているってことは、廊下の掃除をしていたのか。

 

「あら、魔理沙ちゃん? どうかしたんですか?」

 

「お菓子が売り切れたからプレートを持ってきたんだ。もう店の方はアリス一人で平気らしいから、洗っとくぜ。」

 

「置いておいてくれれば後で洗うから大丈夫ですよ。……そうですか、今日も売り切れですか。良かったです。」

 

「安い上に美味いからな。値段以上の品が売れるのは当然のことだろ。咲夜は部屋で勉強中か?」

 

実家が商家である私からすれば、エマのお菓子をあの値段で売るのは抵抗があるくらいだ。五割増しでもまだ『格安』と謳えるぞと考えている私に、エマはバケツの上で雑巾を絞りながら頷いてきた。横に居る二体の『お掃除ちゃん』たちも同じことをしているな。

 

「さっきまではリビングの掃除を手伝ってくれてたんですけど、今は宿題をやってるみたいです。魔理沙ちゃんはいいんですか?」

 

「私は『後半追い込み派』なんでな。リーゼは? まだ寝てるのか?」

 

「いえ、少し前に出て行きましたよ。神社に行くとかって。」

 

「神社? ……ああ、博麗神社か。」

 

何らかの移動手段で幻想郷に行っているということか。好き勝手に行き来できるのは羨ましいな。懐かしき故郷の風景を思い出していると、エマが絞った雑巾をパンと広げながら提案を飛ばしてくる。

 

「魔理沙ちゃんも出かけてきたらどうですか? 箒、気になってるんでしょう?」

 

「……他にやることがあるならそっちを優先するぞ。お使いとか、掃除の手伝いとかさ。」

 

「掃除は昨日手伝ってもらいましたし、食材も充分にあります。家のことは心配しないで遊んできてください。折角の休みなんだから楽しまないと損ですよ?」

 

「そうか? そういうことなら行ってくるぜ。」

 

言葉に甘えてリビングの隅に置いてある靴に履き替えた後、階段を素早く下りてカウンターで人形の服を縫っているアリスに一声かけてから、玄関を抜けて昼時の明るいダイアゴン横丁の通りを歩き出した。ずっと靴を履いているのは窮屈なので、数年前から家の中ではサンダルのような形状の履物を使っているのだ。

 

しかしまあ、いい天気だな。今日は気温もそんなに高くなくて素晴らしいぞ。通り過ぎる見知った商店の店員たちに手を上げて挨拶しながら、見慣れた通りを足早に進んで目的地にたどり着く。行き付けの箒屋にだ。

 

「よう、邪魔するぜ。」

 

「ん? また来たのか、小娘。昨日来たばっかりだろうが。」

 

「客が来るのはいいことだろ? 今日もカタログを見せてくれよ。」

 

「客引きにもなるし、『クィディッチ世界一の学校』の代表選手が店に居座ってくれるのは俺としても都合が良いんだけどよ、カタログの中身は昨日も今日も変わらねえぞ。もっと言えば来週も、再来週もな。」

 

カウンターのおっちゃんが呆れたような声色で差し出してきた分厚いカタログを手に取って、近くにある丸椅子に座って読み始めた。クィディッチ用品という広い括りではなく、『箒専門』のカタログだ。一本の箒毎にカラーの数ページを使っているという、クィディッチファンや箒マニア垂涎の一品である。

 

最高速度や加速性能、柄や尾の形状だったり、どこのプロチームが使っているかなどの細かい情報、挙げ句の果てには実際に飛行している写真まで載っているそれを読む私に、おっちゃんがカウンター裏で箒を弄りながら話しかけてきた。新品の箒じゃないし、誰かから修理を依頼されたらしい。スターダストも直せりゃ良かったんだけどな。

 

「目星も付いてないのか? 何かあるだろ。メーカーとか、形状とか、材質とか、価格帯の希望とかが。そいつを言ってくれれば絞り込めるぞ。」

 

「んー、難しいぜ。スターダストのメーカーはとっくの昔に潰れちまってるからな。柄のフォルムにはそこまで拘りがないし、材質とか尾の形もそうだ。価格は……まあ、最後に考える部分だろ。」

 

「ニンバス社の新型はどうだ? 今年の春に発売したニンバス3000。柄が直線で尾はスタンダード。癖がなくて扱い易いと思うぞ。」

 

「ニンバス3000か。さすがはニンバス社って感じで悪くはないんだが、無難すぎてどうも気に入らないぜ。何かこう、尖った部分が欲しいんだよ。」

 

ニンバス社はバランスの良い箒を作るのが非常に上手い。ニンバス3000はその評判を裏付けるような『名作』と呼べる箒ではあるものの、何となく私には合わない気がしてならないのだ。

 

感覚的で曖昧な返答を放った私に対して、おっちゃんはさほど疑問に思っていない様子で別の候補を挙げてくる。こういう『クィディッチプレーヤーらしい』答えには慣れているわけか。

 

「だったらエメラルド・ウォール社の新型か、冬に出たツィガー97か……それか開発中のファイアボルトの後継箒を待つのはどうだ? 大金持ちのスポンサーでも見つければ買えるかもしれねえぞ。」

 

「ファイアボルトの後継? 去年だか一昨年だかに出たあれがあるだろ。何だっけ? ファイアボルト・シュプリームとかってやつ。」

 

「あれは大コケしちまったから、製造会社は歴史から消したいみたいなんだよ。悪い箒じゃなかったんだが、所詮ファイアボルトの改良版だったな。特に右に向き易くなってたのが致命的だった。……ベースになったファイアボルトがなまじ優秀な箒だった所為で、それと比較した箒批評家たちからその点を散々叩かれちまったんだ。俺もまあ、あの癖は問題だと思って仕入れなかったしな。」

 

「そこで汚名返上の新箒ってわけか。ファイアボルトを基にするんじゃなく、完全に新しく設計すんのか?」

 

ハリーの愛箒の後継か。興味を惹かれて問いかけてみると、おっちゃんはカウンターの下を漁りながら応じてきた。

 

「『後継箒』を謳ってるんだから設計思想は受け継いでるんだろうけどよ、きちんと一から作ってるみたいだな。開発そのものは終わってて、今はプロのプレーヤーなんかにテストしてもらってるらしい。……ほらよ、これを読んでみな。小売店用のスペック表みたいなもんだ。まだ正式版じゃねえが、何となくのイメージは掴めるだろ。」

 

「おっ、面白そうだな。……こりゃまた、大したスペックじゃんか。十秒で二百六十キロ? とんでもない加速性能だぜ。」

 

頭がおかしくなるような数値だな。ファイアボルトが十秒で二百四十キロだったから、そこから二十キロも伸ばしたことになるぞ。食い入るようにスペック表を見ている私に、おっちゃんが苦笑しながら注意を口にする。

 

「あんまり当てにすんなよ? そりゃあ現行の箒の中では一番速くなるかもしれんが、ファイアボルトの時と同じであくまでカタログスペックだ。色んな条件が重なって初めて出せる数値だし、実際の試合中はそこまで出せねえさ。」

 

「それでも凄いぜ。」

 

「フランスで箒屋をやってる知り合いが飛行テストを見学したらしいんだが、ピーキーすぎて扱い難いだろうって言ってたな。おまけに販売価格が凄まじく高い。一番下の数字を見てみろ。プロチームだって躊躇する額だぞ。」

 

言われて公式価格を確認してみれば……うわぁ、これは高いな。べらぼうに高い。様々な国用の通貨換算表の中に、七百英ガリオンと書いてあるのが目に入ってきた。箒の市場価格は普通の『乗用箒』が平均十五ガリオンほどで、一般的なスポーツ箒が三十ガリオンほど、そして『ちょっと良いクィディッチ用』となると五、六十ガリオンまで上がってきて、プロ御用達の特注箒でも二、三百ガリオンってところだ。本来レース用に設計されたファイアボルトの五百ガリオンの時点で『異常』と言えるほどだったのに、そこから二百ガリオンも上げてくるのかよ。もはやスポーツやレース用というか、大金持ちが買うような超高級箒じゃんか。

 

「こんな値段にするってことは、余程に自信があるのか?」

 

「あるいは大富豪を客層に設定したのか、もしくは単純にメーカーがイカれちまったのかもしれねえな。……俺たち小売業としても悩みどころさ。ファイアボルトの場合は売れ残ったら八掛けで引き取ってくれる知り合いが居たから客引きのために置いてみたが、さすがに今回は仕入れるかどうか大いに迷うぜ。こんなもんを迂闊に仕入れた結果、売れなくて在庫になったら目も当てられねえ。ファイアボルトの時ですら殆どの店が迷いに迷ったんだから、この箒はどこの店頭にも並ばないって事態すら有り得るぞ。開発陣は何を考えているのやら。」

 

アホらしいと言わんばかりの顔付きで額を押さえるおっちゃんを横目にしつつ、スペック表をもう一度読み直す。非常に魅力的な性能だが……ま、七百ガリオンは天地がひっくり返っても無理だな。私が知っている中でポンと買えそうなのはリーゼくらいのもんだが、幾ら何でも七百ガリオンの箒は買ってくれまい。それ以前に頼むのだって気が引けるし、万一買ってくれたところで申し訳なくなるだけだ。夢は夢と割り切って、他の現実的な候補を探すとしよう。

 

世の中が金で回っていることを改めて実感しながら、霧雨魔理沙は世知辛い気分でおっちゃんにスペック表を返すのだった。

 

 

─────

 

 

「……はいはい、分かってるよ。」

 

呪符を使って神社の敷地内に移動した瞬間に目に入ってきた、賽銭箱を指差す紅白巫女の姿。無言で主張してくる彼女に苦笑いで応じながら、アンネリーゼ・バートリはポケットから小銭を取り出していた。随分と機嫌が悪そうだな。ここは多めに入れておいた方が良さそうだ。

 

ホグワーツを卒業してから数日が経過した今日、何ともなしに幻想郷の博麗神社に顔を出しに来たのである。剣呑な雰囲気を放つ巫女を見て、内心で早くも来なければ良かったと後悔している私へと、賽銭を箱に投入するのを監視していた守銭奴巫女が声をかけてきた。

 

「……はい、結構よ。お茶の分は入れたみたいね。それなら出してあげる。」

 

「神社ってのはこういうシステムじゃないと思うんだがね。」

 

「ここはこういうシステムでやってるの。……で、何しに来たのよ。お土産も無いみたいじゃない。」

 

「何しにってわけじゃないさ。暇だから来てみたんだ。」

 

いつもの縁側の方に向かいながら言ってやれば、巫女は至極迷惑そうに鼻を鳴らしてくる。竹箒を持っているのを見るに、境内の掃除をしていたらしいが……こいつ、来るといつも掃除してるな。案外綺麗好きなのかもしれない。

 

「神社ってのは妖怪が暇だから来るような場所じゃないはずだけど?」

 

「それは今更だろう? 私は何度かこの神社に来ているが、キミ以外の人間を見たことがないぞ。妖怪は何度か見たがね。」

 

今日も私のことを見張っているらしい黒猫が、前よりも更に距離を取っていることを確認しながら指摘してやると、紅白巫女はうんざりした表情で忌々しそうに返事を口にした。

 

「そこが謎なのよ。人里の不心得者たちは何故この神社に来ないのかしら? 幻想郷には異端者しか居ないの?」

 

「遠いからだろうさ。神に祈りに行く途中で妖怪に食われたんじゃ損得が釣り合わないからね。賢い選択だと思うよ。」

 

「……人里に分社でも作ろうかしら。賽銭泥棒が心配で今までやってこなかったけど、鎖と錠で厳重に守れば大丈夫かも。」

 

「そんな賽銭箱に誰が賽銭するんだい?」

 

世俗的すぎるぞ。やれやれと首を振りながら縁側に腰掛けて、奥の部屋へと茶の準備をしに行った巫女に大声で話を続ける。

 

「そういえば、人形を使う魔女の問題は改めて解決したぞ。あの退魔の符も役に立ったし、一応感謝しておくよ。」

 

「言葉じゃなくて物で感謝して頂戴。……こっちの騒動のことは知ってる?」

 

「騒動? 幻想郷で何かあったのかい?」

 

「あったっていうか、今まさに騒動が起こってるのよ。」

 

襖の向こうから飛んできた報告に、小首を傾げながら質問を返した。騒動ね。まさかレミリアが関係していないだろうな?

 

「どんな騒動なんだい?」

 

「新参者の大妖怪が派手に暴れ回ってるのよ。この前『妖怪の山』を支配してる天狗たちと一戦交えたらしいわ。だから最近の幻想郷はピリピリしてるの。」

 

「……なるほど。」

 

『新参者の大妖怪』がか。これは関係しているっぽいな。我が幼馴染みは一体全体何をしているのかと呆れる私に対して、巫女は追加の説明を送ってくる。

 

「紆余曲折あった末に新参者の方が勝って、妖怪の山の一部の妖怪を勢力に取り込んだんですって。天狗はもう関わり合いになりたくないからって『不戦協定』を結んだらしいわ。」

 

「キミは介入しなかったのか? 『調停者』なんだろう?」

 

「しようとしたけど、紫に止められたのよ。まだ私が介入すべき時じゃないとかって訳の分からない理由でね。ムカつくわ。」

 

「それでご機嫌斜めなわけか。」

 

つまり、その騒動とやらも紫の計画の一部だということだ。幼馴染みが上手く利用されているらしいことを嘆いていると、急須と湯呑みを持って戻ってきた巫女が憤懣やる方ない様子で文句を重ねてきた。

 

「あの年増妖怪、いつか絶対に退治してやるわ。なーにが『貴女にはまだ早い』よ。私の土地での諍いなんだから、私が出向くのが筋ってもんでしょうに。」

 

「幻想郷はキミの土地じゃないだろう?」

 

「幻想郷は端から端まで私の『縄張り』なの。私はそういう立場なのよ。それなのに好き勝手されるのは気に食わないわ。」

 

傲慢だな。あるいは使命感があると言うべきか? ぷんすか怒っている調停者どのを眺めながら湯呑みに口を付けたところで、ふと何かを閃いたような顔付きになった紅白巫女がこちらに疑問を示してくる。

 

「ね、あんたはスペルカードルールって知ってる?」

 

「知ってるよ。紫から聞いたからね。」

 

「好都合ね。やったことは?」

 

「練習程度にはあるよ。数えるほどだが。……『好都合』ってのはどういう意味だい?」

 

何か嫌な予感を覚えながら聞いた私に、巫女は満面の笑みで提案してきた。

 

「じゃ、やりましょ。神社に被害が出ない程度の高さでね。ストレス発散がしたいのよ。」

 

「私は別にやりたくないんだが。」

 

「私がやりたいの。今日は珍しくそんな気分なのよ。スペルは三枚まで、タイミングは自由、牽制弾あり、両者がスペルを使い切った時点で被弾が多い方が負けで、五回被弾したら即負け。そんな感じでいきましょ。」

 

「いやいや、普通に面倒くさいぞ。何故私が付き合わなくちゃならないんだい?」

 

億劫な思いで問いかけてやれば、庭に出た巫女は何を言っているんだという顔で応答してくる。こっちがすべき顔だぞ、それは。

 

「あんたはヒマだって言ってたじゃない。大体、そんなに大仰なものじゃないでしょ。弾幕ごっこよ。単なる『パターン遊び』。嫌なの? だったら……そうね、私に勝てたら何でも言うことを聞いてあげる。足を舐めろでも、裸で踊れでも、文字通り何でもよ。ちなみにあんたが負けた時は何も無しでいいわ。」

 

「……いいのかい? そんな約束をして。妖怪との『約束』がどんな意味を持っているかを知らないわけじゃないんだろう?」

 

「平気よ。だって私、負けないから。」

 

それがこの世の摂理であるかのように平然と言い放った巫女は、ふわりと上空へと浮き上がっていくが……ふむ、悪くないな。ノーリスクの賭けだ。『何でも』というのは大きいし、仮に負けてもスペルカードルールの都合上死ぬことはない。これに乗らないヤツはバカだろう。

 

よし、やるか。湯呑みを置いて私も空へと飛び上がり、神社の鳥居が小さくなってきたところで……おお? 何だこれは。身体に妖力が満ちてくる。経験したことのない『絶好調』っぷりだぞ。

 

「……ひょっとして、神社の敷地内では力が制限されるのかい?」

 

「そうだけど、あんた気付いてなかったの?」

 

「『外界』だと神社の中よりも制限されるんだ。だから疑問にも思わなかったんだが……なるほどね、これはレミィがはしゃぎたくなるのも分かるかな。」

 

うーむ、これが私の『本来の力』なのか。自分の中から湧き上がってくる妖力の大きさに驚きつつ、後半だけを小声で呟いた私へと、少し離れた位置で浮遊している巫女はどうでも良さそうな口調で開始を宣言してきた。参ったな、力が大き過ぎて上手く扱えるか分からんぞ。

 

「ま、何でもいいわ。それじゃあ始めましょ。……そっちから撃ってきていいわよ。先手は慣れてないあんたに譲ってあげる。」

 

「ふぅん? だったらお言葉に甘えようかな。」

 

何にせよ、やるからには勝つ気で行くぞ。イギリスで考えたスペルも、ここならもっと派手に展開できるはずだ。最初に切る札を熟考しつつ、先ずは自信満々の巫女へと牽制の妖力弾を放つのだった。

 

───

 

「ああああ、最悪! 最悪よ! あんたは最低最悪の妖怪だわ! あんなもんルールいは……うぇえ。」

 

そして決闘が終わった後、私は……おおう、汚いな。私は神社敷地内の庭で蹲って嘔吐する巫女を見ながら、穴だらけになってしまった服を杖魔法で補修していた。真っ青な顔で傷一つない巫女と、平然とした顔でボロボロの服を纏っている私。第三者が見たらどちらが勝ったのかと迷いそうな有様だが、勝ったのはあちらで吐いている紅白巫女の方だ。

 

私が五回被弾して、巫女は被弾ゼロ。つまり完全な私の敗北だ。にも拘らずパーフェクト勝利を決めた巫女が何故嘔吐しているのかと言えば、私が光を操って小細工をしたからである。

 

私だって日々自分の能力を研究しているし、有効活用しようとちょこちょこ光に関する本も読んでいるのだ。マグルの学術書から得た知識を基にして、巫女の視界の光を操って一秒の間に何十回も原色の強い光を点滅させてみたわけだが……色を混ぜてぐにゃんぐにゃんにしてみたり、点滅のタイミングをランダムにしたのが悪かったのか? 予想以上の『効果』があったらしい。

 

「気持ちが悪くなったのかい? 私としては、ちょっとした目眩しのつもりだったんだが──」

 

「見ればわかっ……うぇぇ。分かるでしょうが! 二度と使用しないでよね! ああ、気持ち悪い。吐き気が酷いわ。」

 

「ふぅん? そうなるのか。結構使えるかもしれないね。単純に真っ暗にしたり、あるいは強い光で目潰しするよりも有効そうじゃないか。」

 

「悪魔よ、あんたは。邪悪なクソ外道だわ。スペルカードルールでは……うっ。スペルカードルールでは『絶対に当たる攻撃』は禁止なのよ。紫はそれを教えなかったの?」

 

もう胃に何も残っていないようで、巫女は空吐きのような動作を繰り返している。それをちょびっとだけ申し訳なく思いつつ、肩を竦めて言い訳を投げた。悪気がなかったのは本当だぞ。

 

「『攻撃』じゃないだろう? 私はただ、視界をピカピカさせただけさ。お茶目な悪戯だよ。」

 

「ふざけんじゃないわよ、立派な攻撃でしょうが! こんな悪戯があって堪るか! 禁止にするからね。博麗の巫女の権限で名指しで禁止にしてやるわ。絶対にそうするから!」

 

「……折角考えたのに勿体無いじゃないか。使わせてくれたまえよ。抑え目にするから。」

 

「いーえ、ダメよ。絶対にダメ。意地でも禁止にしてやるから、よく覚えて……うぇぇえ。」

 

うーん、怒られちゃったな。……しかし、巫女はそれでも私の弾をするりするりと避けていたぞ。あれは一体どうやっていたんだろうか? 視覚以外の何らかの方法を使って確認していたのか、あるいは全く別の手段があるのか。あの様子では冷静な判断なんて出来そうもないし、非常に気になるところだ。

 

敗北の悔しさを忘れさせるような違和感。涙目でこちらを睨みながら空嘔吐を続ける巫女を前に、アンネリーゼ・バートリはその違和感の正体についてを考えるのだった。

 



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魂と望み

 

 

「えっと、初めまして。魔理沙の友人のサクヤ・ヴェイユです。よろしくお願いします。」

 

どうしてこんなことになっているんだ? ヘンなプリントが入ったTシャツを着ている褐色の肌の女性と、黒いワイシャツにジーンズ姿の背が高い男性。アフリカから旅行に来た二人組に自己紹介を送りつつ、サクヤ・ヴェイユは奇妙な状況に内心で首を傾げていた。

 

七月も上旬が終わり、気温が徐々に上がってきた晴れた日の昼。私は魔理沙と共に、イギリス旅行に来た彼女のペンフレンドを迎えにキングズクロス駅を訪れているのだ。文通相手である魔理沙はともかくとして、初対面の私が来る必要など当然ないわけだが、出発前の話の流れでこうなっちゃったのである。

 

『キングズクロス駅まで迎えに行った後、二人でマグル界のロンドンに買い物に行く』と朝食の席で魔理沙が話しているのを耳にしたリーゼお嬢様が、マグル界の常識に疎い魔女っ子一人じゃ不安だと呟いたのだ。だから思わず『私も付いて行った方がいいでしょうか?』と言ってしまったわけだが……お嬢様に対しての『頼りになる感』を出したくて口を滑らせたと後悔した時にはもう遅く、魔理沙も乗り気になって同行することになってしまった。

 

しかも、ヨーロッパ特急から降りてきたのは二人だぞ。女性一人じゃなかったのか? 事前の情報と食い違っていることに困惑する私に、男女がそれぞれ挨拶を返してくる。

 

「オルオチです。よろしくお願いします、ミス・ヴェイユ。」

 

「ゾーイだ。よろしく頼む! マリサも久し振りだな。」

 

静かで落ち着いた口調のオルオチさんと、快活そうな顔付きで周囲を見回しているゾーイさん。対照的な二人だなと思っている私を他所に、魔理沙が怪訝そうな表情で質問を口にした。

 

「久々に会えて嬉しいが……でも、何でオルオチが一緒なんだ?」

 

「よく聞いてくれたな、マリサ。手紙に書きたかったのは山々だったが、どうせならちょっとしたサプライズにしようと思ったんだ。……じゃーん、オルオチと私は結婚したんだよ。」

 

「けっ……はあ?」

 

結婚? いきなりの報告に絶句する魔理沙へと、ゾーイさんはしてやったりという顔で説明を続ける。ほんの少しだけ頬を染めながらだ。

 

「ワガドゥがホグワーツに負けた少し後、オルオチから求婚されたんだよ。最初は断ってたんだが、しつこくてな。毎日欠かさず花を贈ってくるんだ。朝昼晩に一輪ずつ、別の花を。」

 

「パパ・オモンディに恋愛の相談をしたら、想いを込めた花を毎日贈れとアドバイスしてくれたんです。だから毎日贈り続けました。隼の姿で遠方まで摘みに行ったり、植物学に詳しい友人に頼んで分けてもらったり。一輪一輪に私の恋心を込めて、求婚の言葉と共にゾーイに渡すという日課を続けてみた結果──」

 

「まあ、私が根負けしたわけだ。部屋が花でいっぱいになってしまったからな。ふと色取り取りの花で飾られた部屋を見た時、これだけの愛を注いでくれるなら伴侶として不足はないと納得してしまったんだよ。……オルオチは先ず婚約って形にすべきだと言ってきたんだが、私は迂遠なやり方が嫌いだ。それで卒業式と同時に結婚した。パパ・オモンディが直々に結び手をやってくれたんだ。とても名誉なことなんだぞ。」

 

「つまり、今回の卒業旅行は新婚旅行も兼ねているわけです。……すみません、驚かせてしまいましたか? 私は事前に伝えておくべきだと言ったのですが、ゾーイが伝える時は直接だと強く主張したものですから。」

 

一緒に説明していたオルオチさんは申し訳なさそうな表情になっているが……何て言うか、ロマンチックだな。物凄くロマンチックだ。愛を込めた花を朝昼晩に一輪ずつ、か。聞いているだけでムズムズしてくるぞ。

 

擽ったいような惚気話に口をムニムニさせている私の隣で、魔理沙もまたちょびっとだけ恥ずかしそうな半笑いで応答した。ロマンスの質はホグワーツよりもワガドゥが上らしい。

 

「そりゃあ、もちろん驚いたが……うん、めでたいことじゃんか。結婚おめでとうな、二人とも。祝福させてもらうぜ。」

 

「結婚おめでとうございます、オルオチさん、ゾーイさん。」

 

「ありがとうございます。」

 

「ありがとう、マリサ、サクヤ!」

 

まあうん、幸せそうに見えるぞ。この二人は正反対の雰囲気だが、それだけに『お似合い』だと言えるのかもしれない。遠く離れた土地で結ばれた夫婦のことを祝福していると、若干出端を挫かれた感のある魔理沙が先導し始める。

 

「とにかくよ、新婚旅行ってんなら尚のこと楽しい旅行にしないとな。ホテルは決まってるのか?」

 

「いえ、まだ決まっていません。どこか良さそうなホテルを知りませんか?」

 

「魔法界のホテルならダイアゴン横丁にいくつかあるが、マグル界……非魔法界となるとちょっと分からんな。まあ、何にせよ先ずは魔法省で杖の登録だ。通貨の両替なんかもそこで出来るはずだぜ。」

 

「ああ、杖の登録は必要ありません。我々は杖を使いませんから、そもそも持ってきていないんです。」

 

そっか、そういえばアフリカではこっちの魔法界ほど杖を使わないんだっけ。でも、そうなるとどうすればいいんだろうか? まさか無登録で杖なし魔法を使い放題ってわけではないんだろうし……うーむ、謎だ。前を歩く二人の会話を耳にしながら薄い魔法法の知識を掘り起こしている私に、身を寄せてきたゾーイさんが話しかけてきた。人懐っこい態度が魔理沙と似ているな。

 

「サクヤはマリサと一緒に住んでいるんだろう? 手紙に名前が何度も出てくるから、初めて会ったとは思えない気分だ。」

 

「はい、今は一緒に住んでます。」

 

「銀髪と、青い瞳。想像してた通りの綺麗な組み合わせだな。気高さを感じるぞ。」

 

「気高さ、ですか。」

 

むう、不思議な感覚だ。イギリス魔法界だとこの髪と瞳は大抵『両親から受け継いだもの』として受け取られるから、私個人のものとして評価されるのは実に新鮮だぞ。パチクリと目を瞬かせている私の顔を覗き込んだゾーイさんは、うんうん頷きながら独特な『人物鑑定』を継続してくる。

 

「サクヤは犬か狼かのどちらかだな。……微妙なところだけど、どちらかと言えば犬っぽいぞ。白銀の毛並みと青い瞳を持った大型犬だ。サクヤの魂の形はそれに違いない。」

 

「魂の形? ……もし私がアニメーガスだったら、白い大型犬になるってことですか?」

 

「そういうことだな。私が黒豹なように、オルオチが隼なように、マリサが豹なように、サクヤはきっと狼犬なんだ。守護霊は使えるか? 動物に変身できなくても、あの魔法を使えば魂の形が分かるかもしれないぞ。」

 

「守護霊の呪文はまだ使えませんけど……『かもしれない』ってことは、変身する動物と守護霊が違うってケースも有り得るんですか? 私、何となく同じ形になるんだと思ってました。」

 

何故そう思い込んでいたのかは分からないが、そうだとばかり考えていたぞ。私の疑問に対して、ゾーイさんは大きく首肯してから解説を寄越してきた。

 

「有り得るぞ。動物に変身する時はその人の魂の形がそのまま出て、守護霊の時は『望む形』になるからな。望みは魂に左右されるから殆どの場合は同じになるけど、たまに違う形になる人も居る。……パパ・オモンディは若い頃の守護霊がドラゴンだったらしいんだ。でも、今はカワセミになってしまった。」

 

「それはまた、随分と違う生き物に変わりましたね。」

 

「だろう? 私がまだ小さかった頃、『どうして弱そうになっちゃったの?』と聞いたことがあるんだ。そしたらパパ・オモンディは微笑みながらこう答えた。『それは違う、むしろ強くなったんだよ』って。」

 

「強く?」

 

ドラゴンとカワセミならどう考えてもドラゴンの方が『強い』んじゃないか? 小首を傾げる私へと、ゾーイさんはどこか大人っぽい表情で続きを教えてくれる。

 

「その時は意味が分からなかったけど、後になって別の先生がこっそり教えてくれたんだ。パパ・オモンディの伴侶が美しいカワセミの魂を持った女性だったことと、大昔にその人と死別した時に彼の守護霊がカワセミに変わったことを。……それを聞いた時、パパ・オモンディの言葉の意味が少し分かった。きっと魂の形を上回るくらいの強い強い想いが、守護霊の形を変えてしまうんだよ。だからパパ・オモンディは『強くなった』と言ったんだ。強大なドラゴンに守られるよりも、そのカワセミが寄り添ってくれる方がずっとずっと頼もしいって意味なんだと思う。」

 

「……オモンディ校長は愛していたんですね、奥さんのことを。」

 

「ああ、そういうことだな。少し悲しくて、それでいてとても美しい変化だ。私とオルオチもそういう夫婦になりたいと思っている。」

 

確かアリスは言っていた。私がまだホグワーツに入学していない頃、ある切っ掛けで守護霊がお婆ちゃんと同じライオンに変わったのだと。そしてリーゼ様からも聞いたことがある。スネイプ先生の守護霊がリリー・ポッターさんと同じ牝鹿だということを。

 

……もしかしたら守護霊の呪文というのは、数ある呪文の中でも一際深く精神的な部分に関わっているのかもしれないな。ホグワーツに戻ったら練習してみようと決意したところで、行き先の相談をしていた魔理沙とオルオチさんの話がようやく纏まったようだ。こちらに振り返って声をかけてきた。

 

「やっぱ先ずは魔法省だな。杖無しでも魔力反応の登録をしなくちゃいけない……はずだ。ハーマイオニーがそんな感じのことを言ってた覚えがあるから。」

 

「それが終わったらロンドンでホテルを探しつつ買い物をしましょう。荷物はイギリス魔法省のロッカーに一度預けます。」

 

「よく分からないし、ルートは任せる。決まったなら行こう。」

 

ゾーイさんが胸を張って応じたのと同時に、ホームの隅の暖炉へと四人で歩き始める。しかし、思わぬところで面白い話を聞けたな。魂と望みか。アニメーガスが多いワガドゥだからこそそういう視点にたどり着けるのかもしれない。

 

他国の学校も中々侮れないなと見直しつつ、サクヤ・ヴェイユはまだ見ぬ自分の守護霊の形を思い浮かべるのだった。

 

 

─────

 

 

「ママ、大丈夫だから。飲み物もお菓子も充分すぎるほどにあるよ。こっちのことは心配しないで家事に集中してくれ。」

 

まあ、心配にもなるだろうさ。五分に一回のペースで世話を焼きに来るモリーに注意しているロンを見ながら、ダイニングテーブルに頬杖を突いているアンネリーゼ・バートリは苦笑を浮かべていた。今日だもんな、結果が出るのは。

 

七月十五日の昼前、隠れ穴に集まったいつもの四人で『勉強合宿』に励んでいるのだ。『集まった』というかハリーはこの二週間ウィーズリー家に泊まり込んでいて、私とハーマイオニーが毎日のように煙突飛行で通っている状態なわけだが……今日は緊張感が違うな。

 

要するに、今日の正午にイモリ試験の結果が届くのである。その所為でモリーとハーマイオニーは朝から落ち着きがないし、ハリーとロンは魔法法の勉強に身が入っていないし、ジニーはひたすら窓際でふくろうが来ないかと空を見続けているわけだ。ちなみにアーサーとパーシーも昼休みに帰ってくるつもりらしい。時間的にはそろそろだな。

 

私が腕時計を確認しているのを他所に、モリーがロンへと反論を放つ。もう何も手に付かないというご様子だ。

 

「家事に集中ですって? 集中できるわけがないでしょう? あなたたちの将来が決まる日なのよ? ……ああ、心配だわ。こんなに心配なのは初めてよ。ジョージとフレッドはそもそもイモリを受けなかったし、ビルやパーシーは成績が良かったし、チャーリーは卒業の前に就職が決まってましたからね。」

 

「僕だって就職先は決まってるよ。闇祓いさ。」

 

「チャーリーの場合は『就職が』決まっていたのよ。貴方の場合は『就職の希望先』が決まっているだけでしょう? ……もうダメ、心配のしすぎで何だか具合が悪くなってきたわ。」

 

立ち眩みを堪えるかのようにテーブルを支えにしたモリーは、尚も『心配』を吐き出そうと口を開くが……そこから言葉が出てくる前に窓際のジニーが勢いよく立ち上がる。視線を窓の外の青空に固定したままでだ。

 

「来た! みんな、ふくろうが来たわよ! これで関係ないふくろうだったら『ローストオウル』にしてやるんだから。」

 

「キミね、ふくろうに罪はないだろうに。……どうする? これまでのホグワーツのやり方からすると、間違いなく三人分を運んでいるぞ。」

 

「私は無理。お願いだから誰か代わりに確認して頂戴。」

 

「僕は自分で見るよ。」

 

座ったままで真っ青な顔になっているハーマイオニーに対して、ハリーは覚悟を決めた表情で席を立った。ロンもゴクリと喉を鳴らしてから無言でそれに続き、モリーが見ていられないとばかりに顔を手で覆う中、ジニーが大慌てで開け放った窓からふくろうが飛び込んでくる。

 

予想通り三通の封筒を持っていた茶色の羽毛饅頭は、それを一番近いジニーの手元にぽとりと落とすと、見事なターンで再び窓の外へと飛び去ってしまう。……さて、運命の瞬間だ。私もさすがに緊張してきたぞ。

 

手紙を持ったままで固まっているジニーから『将来』を受け取ったハリーとロンは、三通のそれを私たちが居るダイニングテーブルまで持ってきた。ハーマイオニーは……むう、ダメそうだな。私が代わりに開けるか。

 

「……準備はいい? せーので開こう。いくよ? せーの!」

 

ハリーの合図と共に私とロンも封筒を開いてみると……ん? 何枚か入っているな。成績表はどれだ?

 

「リーゼ、どうだった? 私は大丈夫だった?」

 

「ちょっと待ってくれたまえ、余計な就職案内のチラシみたいなのが……おっと、これが結果かな。」

 

ハーマイオニーの震える声に応じつつ、魔法省に関する物らしい大量のチラシの中からお目当ての羊皮紙を探し当てる。それを開いて確認してみれば──

 

「まあうん、分かってたけどね。見事に10と9が並んでいるよ。」

 

フクロウ試験はイギリス魔法界っぽい『ユーモアのある』評価制度だったが、イモリ試験は何の面白味もない十段階の真面目くさった評価システムになっているらしい。数値が高いほど良い点数であり、低ければ当然悪いというわけだ。内心で少しホッとしながら口にした私の報告を聞いて、ハーマイオニーはパッと顔を上げて成績表をひったくってきた。

 

「……悪くないわね。8はルーン文字学だけよ。対象となる教科はどれも基準を超えてるし、これなら試験免除で入省できるわ。」

 

「おめでとう、ハーマイオニー。キミは九月から晴れて国際魔法協力部の新入職員だ。」

 

「でも、私……そういうことになるわね。決まっちゃった、就職。」

 

ぽかんと口を開けて現実を認識したハーマイオニーのことを、モリーが押し潰さんばかりの勢いで抱き締める。これで私の不安の三分の一は解消されたわけだ。残るはジッと成績表を読み込んでいる二人だな。

 

「おめでとう、ハーマイオニー! 良かったわ。本当に良かった。早くご両親にも知らせないと!」

 

「ママ、そのままだと入省する前に窒息して死んじゃうって。おめでと、ハーマイオニー。」

 

「ありがとう、二人とも。ハリーとロンの成績を確認したら、煙突飛行で家に戻ってパパとママに……どうだったの? 二人とも。黙ってないで何か言って頂戴よ。」

 

モリーとジニーの祝福を受けて喜んでいる途中で、ずっと沈黙したままの残る二人を見て冷静になったハーマイオニーの問いに、先ずはロンが微かな声量で答えを返した。

 

「僕、頭が真っ白になっちゃって。だから上手く計算できないんだ。頼む、代わりにチェックしてくれ。これってギリギリで足切りを抜けてる……よな? 防衛術が8、変身術が7、呪文学が8、魔法薬学が7。」

 

「そして薬草学が8ってことは……抜けてるわ、ロン! セーフよ! 貴方は入局試験に進めるの!」

 

「僕、僕……良かった。危なかったよ。」

 

気が抜けた様子で椅子に崩れ落ちたロンは、呆然とした顔付きを徐々に笑みの形に変えていく。いやぁ、ヒヤッとしたぞ。ギリッギリだったな。闇祓い試験の受験資格は防衛術が8以上、変身術と呪文学を合わせて15以上、それに加えて魔法薬学、薬草学、マグル学、ルーン文字学の中から二教科を選んで、その点数を足した数値も15以上にならないと得られなかったはずだ。

 

モリーが安心のあまりしゃがみ込む中、ハリーも自身の成績表をテーブルに広げてきた。満面の笑みでだ。

 

「僕も突破だ。ギリギリ突破! 防衛術が10、呪文学が7、変身術が8。それで薬学が7で薬草学が8だから……うん、やっぱり突破してるよ! 僕も進める! 闇祓いの試験を受けられるんだ!」

 

「ハリー、よくやったわ!」

 

ジニーがハリーと熱いキスを交わすのを横目に、一応テーブルの上の成績表を確認してみると……うむうむ、確かに受験資格に届いているな。ハリーとロンは何とか第一の関門を突破したらしい。

 

「私、両親に報告してくるわ! ロンとハリーも大丈夫だったって!」

 

「そうだ、僕はシリウスに伝えてこないと。行ってくる!」

 

ハーマイオニーとハリーが慌ただしく暖炉に近付いたところで、そこに緑の炎が燃え上がる。ちょうど良いタイミングでアーサーとパーシーが帰ってきたようだ。

 

「おっと、危ない。……ひょっとして、もう結果が届いたのかい? どうだった?」

 

最初に出現したアーサーが暖炉の前に立っていた二人に驚き、直後にパーシーも姿を現す。そんな二人にモリーが物凄いスピードで近付いたかと思えば、喜びを全身から発しながら『勝利報告』を送った。

 

「ハーマイオニーは就職決定、ロンとハリーは足切り突破です!」

 

「そうか、それは良かった。素晴らしいよ。最高の結果だ。今夜はお祝いだね。」

 

「よくやったね、三人とも。」

 

アーサーとパーシーも顔を綻ばせる中、冷めてしまった紅茶を飲んで一息つく。最近は心配でよく眠れなかったが、今日は心地良い気分で寝られそうだな。ハリーとロンはまだ最大の難関である入局試験を残しているものの、かなりの進展には違いないだろう。

 

歓喜に支配された隠れ穴のリビングの中で、アンネリーゼ・バートリは笑顔で椅子に背を預けるのだった。

 



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蟻の恐怖

 

 

「そういえばよ、マリサ。日本に行ったら『市場調査』をしてきてくれないか? シーズンチケットでワールドカップを観に行くなら、合間に街とかにも出るつもりなんだろ? 俺たちは店が忙しい時期だから行けないしな。」

 

市場調査? ウィーズリー・ウィザード・ウィーズのレジカウンターでお釣りの整理をしている霧雨魔理沙は、隣で帳簿をつけているジョージの急な依頼に首を傾げていた。おいおい、まさか極東に『進出』する気なのか?

 

七月の下旬にたどり着いた今日、私はいつものように資金稼ぎのためのバイトをしているのだ。この前イギリスに遊びに来たゾーイとオルオチに結婚祝いをプレゼントした後、イモリ試験を無事突破した卒業生三人に卒業祝いを贈った結果、私の財布はすっからかんになってしまったのである。

 

このままだとワールドカップどころか箒を買う資金すら危ういわけだが、それを自覚しているのにも拘らず、数日前に残り僅かになっているのを見て我慢できずに前売りのシーズンチケットを買ってしまった。……咲夜から金を借りてだ。

 

咲夜にチケット代を返し、箒を買い、その上日本での宿泊費用も確保しなければならないと暗澹たる気持ちになっている私に、ジョージは市場調査とやらに関する説明を続けてくる。

 

「向こうの魔法界でどんな商品が流行ってるかとか、そういうのを調べてきて欲しいんだよ。ついでに悪戯グッズっぽい物があったら買ってきてくれ。面白そうな物ならマグル界の品物でも構わないぞ。適当に『改良』すれば魔法界向けに出来るだろうしな。」

 

「日本にまで商売を広げるのか?」

 

「いや、今回はその逆だ。珍しい品があったらこっちで売りたいと思ってな。イギリスの悪戯グッズは網羅したし、新しいアイディアを探してるんだよ。珍しい物はいつだってウケるだろ?」

 

「ああ、そういうことか。良いと思うぜ。店先に目新しい品を置いておくのは大事だしな。」

 

相変わらず商売のこととなると行動力がある二人組だな。他国の悪戯グッズか。ゾンコはそういう方面にまで手を伸ばしていないし、成功すればこの店独自の新たな『売り』になるだろう。

 

納得した私に対して、ジョージは記入し終えた帳簿をパタンと閉じてから話を締めてきた。

 

「んじゃ、頼んだぞ。ちゃんとそれ用の資金も出すから、ワールドカップを楽しみがてら新商品の種を探してきてくれ。もし余ったら好きに使っていいからな。ちょっとしたボーナスってとこだ。」

 

「……ひょっとして、気遣ってくれたのか?」

 

「何の話だ? 俺は倉庫の整理に入るからレジは任せたぞ。」

 

ひらひらと肩越しに手を振りつつ、店の奥へと消えていくジョージを見送ってから……うーむ、気を使われたみたいだな。半笑いで小さく息を吐く。恐らく私が金に困っているのを察して、市場調査って名目で『お小遣い』をくれるつもりなのだろう。

 

いやはや、何だかんだ言っても双子も大人だってことか。スマートな気の使い方に感心しながら、整理を終えた釣り銭をレジに仕舞う。新商品が欲しいって部分は本音だろうし、これは良い品を見つけてこないといけないな。

 

───

 

そして夕飯前にバイトが終わり、薄暗いダイアゴン横丁を人形店に向かって歩いていると……おお? まだ店の明かりがついてるな。珍しく夕刻になっても営業中のマーガトロイド人形店が目に入ってきた。

 

もはやエマのお菓子が売り切れる午前中だけで閉めることすら多くなっているのに、この時間までやっているのは夏休みに入ってから初めてだ。怪訝に思いながら店のドアを抜けてみれば、アリスとリーゼが来客と話しているのが視界に映る。客の方はボサボサのベージュの髪の長身の女性。つまり、情報屋のアピスが訪れているらしい。

 

「おっす、ただいま。」

 

「お帰りなさい、魔理沙。」

 

「ニューヨークの大魔女の弟子さんですか。お久し振りです。お邪魔しています。」

 

アリスに続いたカウンターの前の丸椅子に座っているアピスの挨拶に、軽く目礼しつつ返事を返す。カウンターには紅茶が三つと茶菓子の皿があるし、中身が減っているのを見るに今さっき来たわけではないようだ。

 

「おう、久し振りだな。珍しくこの時間まで営業してるから何かと思ったぜ。」

 

「あ、忘れてたわ。閉店の看板を出してこないと。」

 

パタパタとアリスが玄関に駆けて行くのを横目にしながら、カウンターに直接腰掛けているリーゼへと疑問を送った。

 

「何を話してたんだ?」

 

「アビゲイルの話だよ。こいつ、やっぱり大まかなシナリオに気付いてたみたいなんだ。イラつく話さ。」

 

「前に言ったでしょう? 情報を売るか売らないかは私の自由なんです。気付いていたからといって教える義務はありませんよ。……それに、熊さんの方は私としても予想外でした。自己を点在させる人外ですか。賢い生存術ですね。」

 

「私は嫌だけどね。仮に出来るならキミはやるかい?」

 

ぬう、『ベアトリスたち』についての話か。正直なところ、私はその問題に未だ納得し切れていない。……というか、この場合は理解し切れていないと表現すべきなのか? ベアトリスたちの価値観が独特すぎてついて行けないのだ。

 

こういうのって哲学の内容なんだろうかと悩んでいる私を尻目に、アピスは一瞬だけ思考した後で返答を放つ。

 

「合理的で効率的な生存戦略だとは思いますが、吸血鬼さんと同じく私もそれを選択することは出来ないでしょうね。……ふむ、やはり面白いテーマです。スワンプマンの思考実験を知っていますか?」

 

「知っているし、ベアトリス本人も引き合いに出してきたよ。……しかしだね、スワンプマンのそれとベアトリスのそれはまた性質が違うだろう? ベアトリスのやり方において最も異質なところは、アビゲイルが『自身の完全なコピー』ではないことを理解した上で、それを『自分である』と許容していたって点なんだと思うぞ。」

 

「同意しましょう。そこは私としても理解に苦しむ部分です。ベアトリスは何を以って『自分である』と認識していたんでしょうね?」

 

未来のベアトリスも、アビゲイルも、ティムも、過去のベアトリスにとっては『自分』だったわけだ。だけど、未来のベアトリスはアビゲイルを自分であると認めることが出来なかった。一度記憶を失ったことが何かのトリガーになったのか?

 

ううむ、しっかり考えてみるとクソ難しいな。何故ホグワーツには哲学の授業がないんだ? 幻想郷の魅魔様の家には沢山哲学関係の本があったし、ノーレッジも重要な学問であると断言していたんだから、哲学の授業があったら絶対に受講しているのに。アリスだってある程度は精通している以上、哲学は本物の魔女にとっての『必須科目』なのだろう。

 

私がホグワーツのシステムを嘆いている間にも、リーゼとアピスの問答は進行していく。参加できないのがちょびっとだけ悔しいな。自分の考えを言葉に変換する技術をもっと磨かねば。

 

「灰色の魔女は我々とは全く違う観念を持っていたんだろうさ。そればっかりはどれだけ考えても理解できないと思うよ。理解できないからこそ違っているんだ。ベアトリスは……少なくとも『過去のベアトリス』は、人間や妖怪や神や魔女とは大きくかけ離れた別の生き物だったってことだね。人間と蟻が分かり合えないのと一緒さ。別の存在なんだから仕方のないことだよ。」

 

「重要なことを忘れていませんか? 吸血鬼さん。ベアトリスは人間たちの恐怖から生まれたんです。ならば本質的に人間とかけ離れることは有り得ません。人間が蟻の恐怖を想像できないように、人間が理外の妖怪を生み出すことは不可能ですよ。ベアトリスがそうあれと生まれたのなら、共通している部分は確かにあるはずでしょう?」

 

「どうかな? 人間ってのはたまに訳の分からん恐怖を抱くものなのさ。ベアトリスが北アメリカで生まれた切っ掛けは、『よく分からない魔女とかいう異質な存在』に対する恐怖だ。キミもよくご存知の通り、妖怪は明確な定義からではなく曖昧な恐怖から生まれるものなんだよ。当時の人間たちは一体『何』を想像していたんだと思う? 『よく分からない何か』を想像していたのであれば、『よく分からない何か』が生まれるのは当然のことだろう?」

 

「不確かな混沌を皆が恐れれば、不確かな混沌が形を持って生まれるというわけですか。……恐ろしい話ですね。人間は妖怪を恐れるかもしれませんが、私は人間をこそ恐れていますよ。だから惹かれるんでしょうか? 人が強大な存在を崇めるように、私はある意味で人間を崇めているのかもしれません。」

 

大妖怪が人間を崇める? ……本末転倒というか何というか、立場が逆転しているような話だな。戻ってきたアリスと二人で会話を聞きながら唸っていると、アピスは微かな苦笑を浮かべて話題を締めた。

 

「まあ、これは確たる結論が出る類の話題ではありません。考え、議論することにこそ価値があるんです。続けていくと長くなりそうですし、今回はここまでにしておきましょう。……魔女さん、明日は道具を持ってきます。よろしくお願いしますね。」

 

「はい、分かりました。ちなみに道具は市販の物ですか?」

 

「半分ほどはそうです。残りの半分は時計技師をやっていた頃の物を流用しています。」

 

「じゃあ、その辺についても明日相談しましょう。私は祖父のやり方を受け継いでいるので、普通の人形作りとは少し道具が違うんです。多分大丈夫だとは思いますけど、もしかしたら道具を作ることから始める必要があるかもしれません。」

 

んん? アピスはアリスから人形作りを学ぶ気なのか? 玄関の先までアピスを見送りに行ったアリスを見つつ、カウンターから降りたリーゼへと質問を飛ばす。

 

「今のってつまり、アピスがアリスに人形作りを習うってことだよな?」

 

「らしいね。多趣味で飽きっぽい情報屋どのは、本格的に人形に興味を持ったんだとさ。近くのホテルに泊まり込んで通いで基礎を教わるんだそうだ。……ま、いいんじゃないか? アリスはアビゲイルの件をまだ少し引き摺ってるみたいだし、ちょうど良い気晴らしになるだろう。私としては文句ないよ。」

 

「私も別に文句はないけどよ。……勤勉なヤツだよな。興味が湧いたらすぐに取り入れようとするところは尊敬するぜ。」

 

「キミも六年生になったらそうしたまえ。就職は関係ないし、イモリも受けないんだろう? だったら残りの二年間は興味の赴くままに学べるってことだ。ぐずぐずしてると貴重なモラトリアムが無駄になっちゃうぞ。」

 

大きく伸びをしながら忠告してきたリーゼは、そのまま階段を上がってリビングの方へと消えてしまう。……その通りだ。五年生までを基礎と考えれば、ここからの二年間が私の『個性』に繋がるものを学べる期間となる。魔女としての主題だって定めなければなるまい。

 

そのためにも色々なものを見て、色々な本を読んで、色々なことを試してみなければ。それには先ず資金を確保するのが大事だぞと自分に活を入れつつ、霧雨魔理沙は改めて余計な買い食いなんかは控えようと決意するのだった。

 

 

─────

 

 

「どうするのよ、魔理沙。決断の時だと思うけど。この安いテントで寝泊りするか、あるいはリーゼお嬢様から日本魔法省指定ホテルの宿泊費を出してもらうか、もしくはマグル界の安いホテルを自力で探してみるか。その三択よ。」

 

ホグワーツの学費だって出してもらってるんだから、意地を張らずにリーゼお嬢様に甘えればいいじゃないか。ダイアゴン横丁にあるキャンプ用品店の中で、サクヤ・ヴェイユは迷いに迷っている親友に対して決断を促していた。

 

夏休みの半分がほぼ終わり、八月から始まるワールドカップが目前に迫った今、我が意地っ張りの友人どのは未だに日本での滞在方法についてを決めかねているのだ。

 

魔法省がシーズンチケット購入者に送ってきたパンフレットによれば、この前のワールドカップの時と同じくマホウトコロの領地が存在する島に『テント村』が作られるらしい。だから小さな二人用のテントを購入してそこに宿泊するというのが一つ目の案だ。この案を選択した場合、試合会場までの移動が容易な代わりに日本の本土を観光することが難しくなってしまうだろう。あとは『三週間のテント生活』ってのが楽しくなさそうなのも大きな問題だな。

 

二つ目は、日本魔法省が他国からの観客のために用意した本土のホテルに泊まるという案だ。パンフレットを読んだ限りではロビーから会場へのポートキーが毎日出るようだし、観光のためのツアーなんかも充実している。複数候補があるホテルの場所はどれも本土の大きな街中らしいから、ふらりと観光に出ることも可能だろう。

 

そして最後の一つは自分たちでマグル界のホテルを探すという案。これはまあ、一応存在している程度の現実的ではない案だ。この案を選択してしまった場合、姿あらわしが使えない私たちは試合を観るために毎日ポートキーの発着場まで移動する必要があるのだから。嫌だぞ、そんな面倒なのは。

 

早く二つ目の案にしちゃえと念じている私に、魔理沙は見本として展示されているテントを見つめながらポツリと呟いた。

 

「……このテントは嫌か? 安いぞ。」

 

「あのね、トイレが中に無いのよ? この前のワールドカップの時、どれだけの魔法使いがテント生活を選択したか覚えてる? あの時私は混みまくってる共用のトイレを見て、豪華なテントを準備してくれたレミリアお嬢様に心から感謝したわ。……ついでに言えばシャワーも無いの。クローゼットも、ベッドも、キッチンも、ソファも無いし、挙句の果てには鍵すらまともにかからない始末。年頃の女性として嫌だと思うのは当たり前じゃない?」

 

「普通無いだろ。つまり、マグルのテントだったら。」

 

「私たちは魔法使いなのよ。ここは魔法界の商店街で、売っているのは魔法がかかったテントなの。マグルのテントを引き合いに出さないで頂戴。……何度も言ってるけど、ホテルにしましょうよ。私、本当に嫌だからね。寝てる間に変な人が入ってきたらどうするつもりなの?」

 

『アウトドア派』ではない私にこのテントは無理だ。絶対無理。私の断固たる『ノー』の表情を見て、魔理沙は説得は不可能だと判断したのだろう。渋々別のテントを指差して応じてくる。

 

「じゃあ、こっちのは? キッチンとシャワーとベッドは無いが、トイレと鍵はあるぞ。」

 

「魔理沙、いい加減に意地を張るのをやめなさい。何でお嬢様から宿泊費を出してもらうのがそんなに嫌なのよ。チケット代は自分たちで出すんだから、それで充分でしょ?」

 

「……いつまでも甘えてるみたいで嫌なんだよ。」

 

「やれることは自分でやるけど、やれないことは手助けしてもらうべきよ。それに感謝して、いつか返す。それでいいじゃないの。」

 

気持ちは分からなくもないが、兎にも角にもテントは嫌なのだ。どうにか説き伏せようとする私へと、魔理沙は葛藤している様子で食い下がってきた。汚いし、不便だし、夏だから虫とかもいるんだぞ。訳の分からん異国の虫が。

 

「お前が嫌だってんなら仕方ないのかもしれんが……それならよ、せめて安い部屋にしてもらおうぜ。リーゼのやつ、スイートがどうとかって言ってたろ?」

 

「残念だけど、リーゼお嬢様はそういう面では絶対に妥協しない方よ。私がお嬢様の家人である以上、その私を安い部屋に泊まらせるのなんて許さないと思うわ。」

 

プライドの問題なのだ。バートリ家の名で安い部屋を取るわけにはいかない。リーゼお嬢様は間違いなくそう主張するだろう。かなりの自信を持って送った予想に、魔理沙は大きくため息を吐いて返答してきた。

 

「まあ、そうかもな。何となく想像つくぜ。……分かったよ、宿泊費はリーゼに甘えることにする。」

 

「それでいいのよ、魔理沙。それが正解なの。テントなんかダメなの。」

 

ギリギリのところで三週間のアウトドア生活を免れてホッとしていると、魔理沙は名残惜しそうな顔付きで店の出口へと向かい出す。その背に続いてダイアゴン横丁の大通りに出た後、次なる目的地へと歩き始めた。

 

「んじゃ、あとはグリンゴッツで金を下ろすだけだな。」

 

「そうね。……箒用の資金はどうなってるの?」

 

「最新モデルは買えないかもって状況だ。その分も下ろして日本に持っていく。クィディッチが盛んな国だから、中古の箒とかヴィンテージ物とかを売ってる店が沢山あるみたいなんだよ。そういう店で掘り出し物を探してみるぜ。」

 

「焦って買うと銭失いになりかねないわよ。いざとなったら私の箒を貸せるんだから、妥協しないで選びなさいよね。」

 

私の箒は去年買った物なので、まだまだ第一線で通用するはずだ。そう思って口にした注意に、魔理沙はポリポリと頭を掻いて応答してくる。

 

「あー……うん、もしかしたら借りることになるかもしれんな。予算云々を抜きにしても、ピンと来る箒が見つからないんだよ。つくづくスターダストが惜しい気分だぜ。」

 

一年生の頃から随分と大切に扱っていたし、思い出も含めれば『新しい相棒』を見つけるのは大変なのだろう。同情しながらグリンゴッツに入ったところで、ポケットから古い鍵を取り出す。日本に行ったらもう下ろせないだろうから、私も旅行の資金を纏めて下ろしておかなければ。そういえば英ガリオンって日本円にするといくらになるんだ?

 

「ねね、魔理沙。一ガリオンって円にするといくらなの?」

 

「私が知るわけないだろ。幻想郷は円じゃないんだから。……下ろすついでに小鬼に聞いてみようぜ。雀の涙みたいな金額を持って行っても仕方ないし、逆も然りだ。ちゃんと調べておこう。」

 

そっか、幻想郷はまた通貨が違うんだっけ。魔理沙の提案に尤もだと頷いてから、二つある鍵をチェックする。こっちがヴェイユ家の鍵で、こっちが私個人の鍵だな。……そろそろ一つに纏めちゃってもいいかもしれない。私が幻想郷に旅立つ時、『ヴェイユ家の人間』として有効活用するために。

 

幻想郷にガリオン金貨を持ち込んでも意味がないだろうし、両親や祖父母が遺してくれたお金はきっと魔法界のために使うべきだ。魔法界のものは魔法界に。具体的に何に使うかまではまだ決めていないが、今のうちから人の役に立てるような使い方を考えておかねば。

 

お婆ちゃんからお母さんに、そしてお母さんから私に受け継がれたヴェイユ家の金庫。その鍵をそっと握りながら、サクヤ・ヴェイユは両替の相談に乗ってくれそうな小鬼を探すのだった。

 



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利用する者、される者

 

 

「ようこそ、偉大なるグレートブリテンへ。世界で最も高貴な国に足を踏み入れた気分はどうだい? キミの場合、最初に踏み入れたのは足ではなくお尻だったみたいだが。」

 

八月二日の午後。魔法省にあるポートキーの発着場に立っているアンネリーゼ・バートリは、目の前で尻餅をついている東風谷に日本語で歓迎の台詞を放っていた。どうやらポートキーでの移動に慣れていない所為で、着地の際にすっ転んでしまったらしい。

 

ハリーとロンの入局試験が迫り、咲夜と魔理沙がワールドカップの観戦のために日本に旅立ち、アリスが人形作りを教えているアピスの美的センスに四苦八苦している今、私も私で先を見据えた一手を打とうとしているわけだ。幻想郷での生活における『戦力』を確保するための一手を。

 

五月にマホウトコロに行った時に感じた、東風谷から漂う神性の気配。まさかこの人間然とした子が神なはずはないし、何らかの神性に取り憑かれているか、あるいは生家が神社らしいからそこで祭っている神にでも見初められたのだろう。何れにせよ東風谷を引き入れることが叶えば神性もくっ付いてくるということだ。何の神だかは知らんが、神秘が濃い幻想郷では戦力になり得るはず。要するに、移住に向けての『持ち駒』を増やそうというわけである。

 

そのために日本から呼び寄せた『鍵』である東風谷は、私が差し伸べた手を取って立ち上がりながら返答を返してきた。この子は英語も喋れるらしいが、下手くそな英語を聞くくらいなら私が日本語で話した方がマシだ。今回は特別にそっちに合わせてやるとしよう。

 

「あの……はい、ドキドキしてます。海外旅行は初めてなので。」

 

「大いに結構。それじゃあ行こうか。」

 

「えっと、どこに行くんでしょうか? 私その、ホテルとかは全然調べてなくって。お金も貯金してたお小遣いを全部持ってきましたけど、あんまり多くは──」

 

「金の心配は不要さ。キミの滞在費用は私が全て払うからね。」

 

今日までに軽く考えておいたのだが、最初のステップはやはり東風谷を懐かせることだ。賢しらな神性を易々と自陣に引き込むのは難しいだろうが、東風谷の場合はそうでもあるまい。見たところ我が強かったり押しが激しかったりするタイプではないし、こっちが蝶よ花よと愛でれば素直に懐いてくれるはず。先ず与えるべきは鞭ではなく飴。初手で利益を示すのは『調教』の基本だぞ。

 

私が発着場の出口へと手を引きながら優しく言ってやると、案の定東風谷は恐縮したような顔付きで申し訳なさそうに返事をしてくる。そも私が強引にイギリスに来させたんだから、諸々の費用をホストたる私が払うのは当然のことだと思うがな。彼女にとってはそうではないらしい。

 

「へ? ……いいんですか? 助かりますけど、何だか悪い気がします。」

 

「遠慮することなんかないのさ。キミは私の大切な客人なんだから、決して不便はさせないよ。」

 

「あ、ありがとうございます。」

 

言葉と共にくるりと振り返って頬をそっと撫でてやれば、東風谷は少し赤い顔でぎこちなく礼を述べてきた。初心だな。魔理沙から聞き取ったこの子のマホウトコロでの境遇。そこから予想した通り好意には慣れていないようだ。……よしよし、やっぱり最初はとことん可愛がる方向で行こう。多少依存させた後で徐々に条件を突き付けていけばいい。いざ厳しくし始める頃には、喜んで尻尾を振りながら従うようになっているはずだ。

 

内心の邪悪な考えを柔らかい微笑みの中に隠しつつ、魔法省地下六階……魔法運輸部がある階の廊下を上り階段に向かって進む。他国へのポートキーでの渡航は国際魔法協力部の管轄で、他国からのポートキーでの到着は運輸部の管轄らしい。その辺が複雑になっている理由はよく分からんな。

 

「先ずは杖の登録だ。五階に上がるよ。」

 

「上がる? 案内板に六階って書いてありますけど。」

 

「地下なんだよ、ここは。地下一階が一番上で、十階が一番下なのさ。二階の執行部でも登録は出来るんだが、外に出るためには八階のアトリウムに行かないといけないからね。近場の協力部で済ませちゃおう。」

 

運輸部に到着させるのであれば、運輸部で杖の登録もやれよなと呆れている私に、階段を上りながらの東風谷が感心したように相槌を打ってくる。……ふむ? 二ヵ月半前にマホウトコロで会った時よりも、ほんの僅かにだけ髪の緑色が濃くなっている気がするな。本当に微細な違いだから勘違いかもしれないが、ひょっとして神力にでも影響を受けているのか?

 

「地下なんですか。そこは日本と同じですね。日本の魔法省も地下にあるので。」

 

「各国の統治機関は非魔法族から隠し易いように地下にあるケースが多いね。日本の魔法省にもチラッと行ったことがあるよ。マホウトコロの生徒はよく行くのかい?」

 

「いえ、普通はそんなに行きません。私も中に入ったのは入学前と、今回の旅行のために訪れた二度だけです。転入の時にそこで諸注意を受けないといけなかったので。機密保持法のこととか、そういうのを担当の人から教えてもらいました。」

 

「ふぅん? ……ま、ホグワーツの生徒もあまり来る機会はないかな。」

 

話している間に到着した地下五階の廊下に出て、東風谷の手を引いたままで杖の登録をやっている部署のドアを抜けた。……うむうむ、空いているな。ひどい時は部屋の前で延々待つことになるらしいし、助かったぞ。

 

『やあ、杖の登録をしてくれたまえ。日本からのお客さんだ。』

 

『……はい、今すぐに。こちらへどうぞ。日本魔法省が発行した杖の証明書はお持ちですか?』

 

英語で呼びかけつつ背中の『印籠』をパタパタさせてやれば、若い協力部の職員は慌てた様子で手続きに入る。レミリア様様だな。その対応に満足して頷いてから、東風谷が書類と杖を渡すのをぼんやり見守っていると、職員君がイギリス魔法省側の書類にペンを走らせながら杖についての確認を口にした。

 

『素材はモミ、33センチ、芯材は……えーっと、アッシュワインダーの牙? で間違いありませんか?』

 

『日本で言う白灰蛇のことですよね? 多分それで合ってると思います。』

 

『珍しい芯材ですね。……では、ここにサインをしていただければ登録完了です。英語でも日本語でも構いません。それと、こちらの羊皮紙が使用可能な呪文の一覧となります。正当な理由なくこれ以外の呪文を使用するとイギリス魔法法の下に罪に問われますので、イギリスの領内で魔法を使う際は注意してください。』

 

『はい、気を付けます。』

 

かなり長い羊皮紙だし、余程に特殊な呪文でなければ大丈夫そうだな。初めてじっくり見る自国での杖の登録を物珍しい気分で観察している私に、名前を記入し終えた東風谷が声をかけてくる。使用可能呪文リストを興味深そうにチェックしながらだ。

 

「ええと、終わりました。……羊皮紙って初めて触ったかもしれません。何て言うか、普通の紙より頑丈そうですね。」

 

「こっちだと羊皮紙こそが『普通の紙』なんだけどね。……それじゃあ次だ。魔法界のロンドンと非魔法界のロンドン。どっちを先に観光したい?」

 

「観光できるんですか?」

 

「折角来たんだし、見ていきたまえよ。……おや、先ずは昼食にすべきかな?」

 

会話の途中で可愛らしい音を立てた東風谷のお腹。音が鳴った瞬間に大慌てでがばりとそこを押さえた彼女に苦笑してから、部屋を出て今度はエレベーターへと歩を進めた。……東風谷も私もマグル界で通用する服装だし、アトリウムから地上に出て適当な店を探すか。

 

「あのですね、今日は朝から何も食べてないんです。私の実家は田舎の方なので朝早く出る必要がありましたし、どうせ東京に行くんだから到着した後でお洒落なカフェか何かで食べようと思ってたんですけど、魔法省での渡航手続きが意外に長くかかっちゃった所為で──」

 

「んふふ、恥ずかしがらなくてもいいさ。可愛い音が聞けて私は満足だよ。早く食べに行くとしようじゃないか。」

 

「うぅ……すみません、気を使わせちゃって。」

 

トランクを片手に真っ赤な顔で付いてくる東風谷にくつくつと喉を鳴らしながら、これは思っていたよりも『チョロそう』だなと口の端を吊り上げるのだった。

 

───

 

『サンドイッチだけでいいのかい? では、私はサンデーローストのセットを。グラスワインも頼もうかな。合いそうなのを持ってきてくれたまえ。』

 

魔法省を出た後、少し歩いて到着したロンドン中心街のパブ。アリスが美味しかったと言っていたその店のテーブル席で、東風谷と私は昼食の注文を済ませていた。……さてさて、先ずはお互いを知らなければな。

 

「それでだ、東風谷。……早苗と呼んでもいいかい? キミとはファーストネームで呼び合う仲になりたいんだ。私のことも気軽にリーゼと呼んでくれたまえ。」

 

うーむ、緩いパブだな。見た目だけは子供の私がグラスワインを注文したことをさして気にする様子もなく、了解の返事と共に去っていく店員を見送りながら提案してみれば、東風谷は……早苗はまたしても薄っすらと頬を染めてこくこく頷いてくる。

 

「は、はい。全然大丈夫です、リーゼ……さん。」

 

「まあ、最初はそれでいいよ。一度実家に帰ってからこっちに来たんだったね。保護者には何て言ってあるんだい?」

 

魔理沙によればマホウトコロに入る前に両親と死別して、今は親戚の叔父に面倒を見てもらっているはずだ。一緒に暮らしているわけではないようだが、さすがに何の断りもなく海外旅行は無理だろう。事前に入手しておいた情報を基に送った質問を受けて、早苗はえへへと笑いながら回答してきた。

 

「国際的なイベントで仲良くなった友達が、イギリスに来ないかって誘ってくれたんだって説明しました。叔父さんは海外ってことでちょっと心配してたんですけど、私が友達のところに遊びに行くのは……その、初めてだったので。行ってこいって言ってくれたんです。」

 

「マホウトコロには五年生から入ったんだったね。つまり、あー……十一歳からってことだ。それまでは非魔法族として生活していたのかい?」

 

「はい、非魔法界の普通の小学校に通ってました。『変な子』だったのであんまり上手くはやれてませんでしたけど。」

 

「ふぅん? ……察するに、キミに憑いている神性の影響か。」

 

さも配慮しているかのような口調で聞いてみると、早苗はどこか寂しげな表情で首肯してくる。

 

「まあその、そんな感じです。私からすればお二方と喋ってただけなんですけど、周囲から見ればいつもブツブツ独り言を呟いてる子だったんでしょうし、今にして思えば友達が出来なかったのは当然のことですね。……お二方のことをこうしてきちんと話せるのは不思議な気分です。一時期は自分の頭がおかしくて、『空想の友達』を作ってるんじゃないかって本気で考えてたくらいですから。」

 

「言い方からするに、複数体憑いているんだろう? 会話は出来るのかい?」

 

「えっとですね、二人組の神様なんです。会話も出来ます。……というか、厳密には『出来ていた』って言うべきですね。もう話せませんから。マホウトコロに入った頃はまだ微かに聞こえてたんですけど、今は声が届かなくなっちゃいました。」

 

「しかし、最近また少しだけ会話できたはずだ。だからこそキミはイギリスまで足を運んだわけだろう?」

 

窓の外のマグル界を眺めながら問いかけてやれば、早苗は勢いよく首を縦に振って応じてきた。『エサ』はちゃんと機能していたらしい。湖の魚もこれくらい簡単に食い付いてくれれば楽なんだけどな。

 

「そう、そうなんです! あの二枚のお札。あれのお陰で久々に話せました。一時間くらいしか持ちませんでしたけど、諏訪子様と神奈子様の声をまた聞くことが出来て……本当に、本当に嬉しかったです。」

 

「それは良かったね。渡した甲斐があるってもんだよ。……神たちは何て言っていたんだい?」

 

「そのですね、えっと……リーゼさんのことをあんまり信用しちゃダメだって言ってました。怪しいって。」

 

かなり言い辛そうに伝えてきた早苗へと、にっこり微笑んでから応答を飛ばす。想定の範囲内だ。だからこそ私は神札を二枚しか渡さなかったわけだし、ここで疑いもせずに提案に乗る神など軽すぎてむしろ信用できん。おまけに早苗の重要性も再確認できたと言えるだろう。この子が神たちにとってそれほど重要ではない存在なのであれば、自分たちが力を取り戻すための『吸血鬼への人身御供』にすることを躊躇いなどしないはず。早苗を止めた以上、自分たちの再起よりもこの子の安全を重視したということになる。

 

そうなると二枚ってのは実にちょうど良かったらしいな。神たちが疑っていた事実を私に話すということは、早苗を決断させるには充分なエサかつ神たちが説得し切れない程度には短い時間だったということだ。冴えてるぞ、私。

 

「分かるよ。キミが敬愛する神たちの言うことは尤もさ。……だけどね、早苗。私を信じてくれたまえ。二柱の神の力を取り戻す手伝いをしたいっていうのは本当なんだ。家名に誓って嘘じゃないよ。」

 

「わ、分かってます。信じてます。」

 

テーブルに身を乗り出して早苗の両手をギュッと握りながら主張してやると、彼女は慌てて返答を寄越してきた。そう、力を取り戻してもらわねば困るのだ。じゃないと私の役に立ってくれないのだから。

 

「それにね、早苗。私にだってメリットが無いわけじゃないんだよ。私は味方が欲しいんだ。いざという時に助けてくれる味方がね。私が早苗を助ける代わりに、早苗もまた私を助ける。そういう契約だっただろう?」

 

「そうですね、その通りです。」

 

「うんうん、良い子だ。しっかり覚えているみたいだね。」

 

わしゃわしゃと犬にそうするように頭を撫でてやれば、早苗は満更でもなさそうな様子でされるがままに身を預けてくる。それを見て調教の方向性を完全に固めた私へと、早苗は上目遣いで疑問を投げてきた。やけに従順というか、素直というか、何とも嗜虐心が唆られる子だな。懐いた後で色々と楽しめそうだ。

 

「それでですね、私は具体的に何をすればいいんでしょうか? 神の声を聞くための修行的なことをするんですか?」

 

「方向性としては近いけど、キミが想像しているような感じではないと思うよ。最初は『私たちの世界』の常識を学ぶところから始めよう。魔法界と非魔法界。この世界はそれだけじゃないってことからね。」

 

「……どういう意味ですか?」

 

「ま、話は食事の後だ。料理が来たし、先ずは食べよう。足りなかったら追加を頼んでいいよ。好きなだけ食べてくれたまえ。」

 

沢山食べて、どんどん肥えてくれ。そうすれば『収穫』する時、私はより大きな利益を受け取ることが出来るのだから。……食事が終わったら実家の神社のことも聞き出さないとな。どんな神性なのかを把握しておく必要があるだろう。ちょうどアピスが人形店に出入りしているし、折を見てあいつに調べさせてみるか。

 

慎ましやかな動作でサンドイッチを口に運ぶ早苗を見つつ、アンネリーゼ・バートリは胸中で吸血鬼らしい計画を組み立てるのだった。

 



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コンビニ、スシ、ニンジャソード

 

 

「……くぁ。」

 

カーテンを閉め切っている所為で薄暗い部屋の中、けたたましくアラームが鳴るベッド横の機械を弄りつつ、霧雨魔理沙は巨大な欠伸を放っていた。久し振りに夢を見たな。皿の上の東風谷が巨大なリーゼに食われている夢だ。我ながら縁起が悪すぎるぞ。

 

八月五日の午前六時。今現在私が寝ているのはスイートルームの寝室にある巨大なベッドの上で、そのスイートルームがあるのは魔法族が経営しているホテルの中で、そしてホテルがあるのは東京の中心街。つまり日本だ。要するに、私は咲夜と二人でクィディッチワールドカップのために日本を訪れている真っ最中なのである。

 

今日のデーゲームはトーナメント一回戦後半のノルウェー対メキシコとモロッコ対ドイツで、試合開始は午前十一時半。ホテルのロビーから出ているポートキーは十五分おきな上に試合開始後にも便があるため、本来こんなに早く起きる必要などないわけだが……うっし、起きよう。私はこの機会に日本という国を余さず見るつもりで来ているのだ。時間を無駄にするわけにはいかないぞ。

 

決意と共に柔らかいベッドの誘惑を振り切って、広いリビングルームへと移動してみれば、既に起きていたらしい咲夜の姿が目に入ってきた。バスローブ姿で髪を乾かしながらてれびじょんを見ているようだ。シャワーも終えたのか。

 

「おう、咲夜。早いな。」

 

「おはよ、魔理沙。今朝はまあ、ちょっと早めに目が覚めちゃったの。マグルのニュースがやってるわよ。」

 

「ニュースなんか見てどうすんだよ。」

 

「テレビジョンはニュースを見るための機械でしょうが。新聞よりも分かり易くて良い感じよ。」

 

そうなのか? ……違うと思うがなぁ。娯楽のためにある物じゃないのかと疑問を抱きながら、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して飲んでいると、髪を乾かし終えた咲夜が一瞬で姿を消す。やりたい放題だな、こいつ。能力を使ってどこかに移動したらしい。私と二人っきりだからってポンポン使い過ぎだぞ。

 

「外国のことだからよくは分からないけど、最近この国の首相が代わったんですって。」

 

「その辺の事情には興味ないぜ。……朝ご飯はどうするんだ?」

 

普段着に着替えた状態でバスルームから出てきた咲夜に問いかけた途端、彼女は冷蔵庫の前に移動して応じてきた。私の視点だと瞬間移動だな。

 

「『コンビニ』で買ってきましょうよ。飲み物も残り少ないしね。」

 

「好きだな、お前。私はもう飽きたんだが。」

 

「そっちだって初日は嬉々としておにぎりを買ってたじゃないの。……凄く便利なお店だわ。ダイアゴン横丁にも出店してくれればいいのに。」

 

「便利なのには同意するけどよ、そろそろ普通のレストランとかにも行きたいぜ。」

 

八月一日の午前中に日本に到着してから今日までの間、朝と夜の食事は常にコンビニの商品という生活が続いているのだ。理由は単純で、費用を抑えるためである。この部屋を予約してくれたリーゼは食事付きにしようと言ってくれたのだが、せめてそこは自分で出そうと断った結果……まあ、こんな生活になってしまった。

 

ちなみに昼飯は競技場の出店で済ませている。あまり健全とは言えない旅行中の食生活を思い起こしていると、咲夜は呆れたようにてれびじょんを指差して指摘してきた。より正確に言えば端っこに映っている時間を指しているらしい。

 

「こんな時間にレストランが開いてるわけないでしょうが。ホテルの食堂に行ってみる? 食べ放題で千五百円のやつ。」

 

「……朝食で千五百円は高すぎるぜ。それならコンビニの方がいい。」

 

「私は何でもいいけどね。私って実は食に対しての拘りが薄かったみたい。この旅行に来てから発見したわ。……お嬢様にお出しする料理はまた別の話だけど。」

 

「節約したい私としては助かるけどよ。……じゃあ、朝はコンビニで買おう。その代わりに今日の昼は観戦しないでどっかで食事しようぜ。デーゲームの方はそんなに重要な組み合わせじゃないしさ。」

 

延々付き合わせるのもさすがに悪いと思って放った提案に、咲夜はこっくり頷いて了承してくる。何かこう、私だけが楽しんでるみたいで気が引けるのだ。クィディッチだけじゃなく旅費の節約にも付き合わせているわけだし、今日は咲夜が楽しむ日ってことにしよう。

 

「そっちがいいならそれでいいけど。」

 

「ついでにどっか行きたいところとか無いのかよ? 今日まで私に付き合ってくれたんだから、今日はお前のやりたいことに付き合うぜ。」

 

「……だったら、ここ。ここに行きたいわ。」

 

むう、やっぱり咲夜も行きたい場所があったらしい。我慢させて悪いことしたなと反省しつつ、彼女が突き出してきたチラシのような物に目を通してみれば……あー、これは私も知ってるぞ。どデカい提灯が吊るされた門があるとこだ。

 

「どこなんだっけか、ここって。」

 

「詳しい場所は知らないけど、東京の中よ。チラシはホテルのロビーにあったの。」

 

「ま、いいんじゃないか? 派手な感じだし、私も興味があるぜ。ここで昼飯も食おう。観光地っぽいし店は沢山あるだろ。」

 

「チラシによれば、日本の伝統的な場所らしいわ。だからきっとニンジャソードも売ってるはずよ。コレクションに欲しいの。」

 

結局刃物かよ。年頃の女の子らしからぬ発言に額を押さえてから、聞き逃せない致命的な間違いを訂正する。

 

「『ニンジャソード』じゃなくて、刀な。そしてお前が言ってるのは多分小太刀……っていうか、脇差だ。短いナイフみたいなのを言ってるなら短刀か小刀。」

 

「……何が違うの?」

 

「長さとか、刀身が反ってるか反ってないかとかで色々と呼び名が変わるんだよ。実家で刀剣類も扱ってたから、目利きの真似事くらいは出来るぞ。実家に居たのはガキの頃だったし、あくまで真似事だけどな。」

 

「尚のこといいじゃない。観光しながら短刀を探しましょう。それが今日の目標ね。」

 

うんうん頷きながら宣言した『典型的観光客』どのに、はいはいと首肯してからバスルームに向かう。しかし、刀なんて売ってんのかな? 幻想郷と違ってこっちではもう腰に差してるヤツなんて当然居ないわけだし、売ってないんじゃないか? 幻想郷ですら妖怪退治の専門家とかにしか需要がなかったぞ。

 

『美術品』として売っている可能性はあるだろうけど、そうなるとかなりの値段になるはずだ。そもそもが安い物じゃないし、咲夜に買えるかは微妙なところだと思うが……まあ、日本のマグル界のことなんて私には分からん。売っていることを祈っておこう。

 

───

 

「……ああもう、全然売ってないじゃないの! どういうことよ。香港自治区には沢山刀剣店があったのに。」

 

そして朝食を済ませて八時頃にホテルを出た私たちは、二時間半ほど観光地を歩き回った段階で現実に直面していた。もう侍は居ないという現実に。そりゃあそうだろ。

 

咲夜だってそんなことは重々承知していただろうが、刀は現在でも普通に売っている物だと思っていたらしい。ぷんすか怒りながら路地を歩く『刃物マニア』へと、もと来た道を振り返って口を開く。

 

「さっきの店じゃダメなのか? あるにはあったじゃんか。」

 

「あんなもん観光客用の紛い物よ。単なる鉄の板じゃないの。あれじゃトマトだって斬れないわ。」

 

「確かにそうだけどよ、見た中で一番お前の要望に近い店はあれだったぞ。一応『本物』も数本置いてあったしな。」

 

「……貴女だったら買う? あの値段であの短刀を。」

 

まあうん、買わないな。絶対に買わない。アホみたいな値段なのにも拘らず、霧雨道具店だったら置きすらしないレベルの一品だったのだから。幻想郷の刀匠の一番下の見習いだってもっとマシな刀を打てるぞ。我が目利きのクソ親父だったら『刃文が死んでいる』と評価するだろう。

 

無言で目を逸らしてやれば、咲夜にはこちらの内心が正しく伝わったようだ。ふんすと鼻を鳴らした後、怒れる刃物コレクターどのは大股でずんずん歩き出す。

 

「なーにが伝統よ。どこもかしこも置いてあるのは木刀ばっかりじゃないの。さっさとご飯屋さんを探しましょ。やけ食いしたい気分だわ。」

 

「あー、そうだな。何が食いたい? そっちの希望に合わせるから。」

 

「なら、お寿司。」

 

「寿司な、寿司……寿司か。」

 

咲夜のやつ、またしても典型的な観光客らしい要望を出してきたな。寿司か。海がない幻想郷だとクソ高かった食べ物だが、こっちではどうなんだろうか? ホテルのロビーで見た飲食店関係の観光パンフレットからするに、安くはないと覚悟しておいた方がいいかもしれない。

 

金が足りるかと心配しつつも、咲夜の鬱憤を晴らすためには食うしかないと諦観の境地に至っている私に、前を進む銀髪ちゃんが一つの店を指差した。マホウトコロでは刺身はあっても寿司は出なかったし、ここらで記念に食べておくのもアリっちゃアリだな。そう思わないとやってられないぞ。

 

「あそこはどう? 『お手頃価格』な店構えじゃない? 古いし。」

 

「あのな、咲夜。イギリスで育ったお前にはよく分からん価値観かもしれんが、日本じゃああいう店こそ高いんだ。明らかに表通りから外れてるのに、あの古さになるまで続いてるってことだろ? 『歴史ある』ってタイプの店だと思うぞ。」

 

小さくて古風な店構えのその店は、絶対に高いと私でも分かるような雰囲気だ。何とか友人の暴走を止めようと制した私だったが……おいおい、入る気かよ。咲夜は首を傾げながら構わず店へと近付いていってしまう。

 

「店の人に値段を聞いてみましょうよ。高いならやめればいいでしょ。」

 

「いや、お前……何でそんなに押せ押せなんだよ。いつもと違うぞ。」

 

「イラついてるからよ。」

 

端的に吐き捨てた咲夜は躊躇なく店の引き戸をガラリと開けると、客の居ないカウンター席の向こうの『大将』っぽい男性に日本語で声をかける。ああ、ヤバそうだ。板前衣装に身を包んだスキンヘッドの中年男性は、何とも気難しそうな風体じゃないか。

 

『こんにちは、営業してますか?』

 

『やってるよ。』

 

『あのですね、私たちは観光客でして。あんまり予算がないんですけど、この店で昼食を食べたらどれくらいかかりますか?』

 

『……一万から二万ってとこだね。』

 

うわぁ、アホほど高いな。絶対無理だぞ。さすがの咲夜も怯んだようで、私の方をちらりと見てから英語で相談してきた。

 

「一応聞くけど、無理よね?」

 

「無理だな。五千円くらいならまあいけるが、一万二万は完全に予算オーバーだ。」

 

「……他を探しましょうか。あるいはお寿司を諦めた方がいいのかも。」

 

困ったように苦笑した咲夜が、店主に向き直って申し訳なさそうに言葉を発したところで──

 

『すみません、無理みたいです。やっぱり他の──』

 

『五千円でいいよ。食っていきな。英語は得意じゃないが、この辺は外国からのお客さんが多いから何となくは聞き取れるさ。』

 

『へ?』

 

『わざわざ外国から来て、きちんと日本語で質問してきた。つまりお嬢ちゃんたちは礼儀を示したんだ。……見たところ学生さんって歳だろ? そんな歳のお嬢ちゃんたちを、金が無いからって放り出したとなっちゃあ年寄りの面目が立たねえ。まけてやるから座りな。』

 

カウンターの前にある木の板を拭きながら言った店主は、そのまま黙ってケースから魚の切り身を取り出しているが……いいのか? 半額どころのまけっぷりじゃないわけだが。

 

『あの、本当にいいんでしょうか?』

 

『構わねえよ。どうせ今日は客が少なかったんだ。ネタだって日持ちするもんじゃないし、折角日本に来た記念になるならその方がいいだろうさ。』

 

『えっと、ありがとうございます。』

 

『ありがとよ、おっちゃん。』

 

客が少ないって言ってもまだ正午を回っていないわけだし、商売の本番はこれからだろう。どうやら私たちを気遣ってくれているらしい。うーむ、人情ってやつを感じるぞ。

 

私たちが礼を口にしてからカウンター席に着くと、店主は淀みない動作で作業しながら店の奥へと呼びかけた。暖簾がかかっていて見えないが、奥にも何らかの作業をするスペースがあるようだ。

 

『おい、お客さんだぞ! アガリとおしぼり!』

 

『はぁ? もう出るって言ったじゃん! 試合が始まっちゃうの!』

 

『お前、今日は店を手伝うって約束しただろうが! こんな時間まで寝てたんだから、少しは働いたらどうなんだ! お客さんをお待たせするんじゃねえ!』

 

『夏休みなんだから休むのが仕事なの! お母さんにやってもらえばいいでしょ!』

 

なんとまあ、物凄い大声でのやり取りだな。娘さんか誰かが奥に居るようだ。目をパチクリさせながら怒鳴り合いを聞いている私たちを他所に、店主は頭に青筋を立ててそれまで以上の声量で怒声を飛ばす。

 

『あいつは出前に出てんだよ、出前に! お前がやるはずだった出前にな! 分かったらとっとと持ってこい!』

 

『うるっさいなぁ……分かったわよ! やればいいんでしょ、やれば!』

 

負けじとイライラしている感じの声で応じた店の奥の女性に対して、店主は聞こえよがしに鼻を鳴らしてから私たちの前にある板にガリを載せた。いやぁ、正に下町って雰囲気だな。ちょびっとだけ懐かしいぞ。

 

『生姜の甘酢漬けだ。外国のお客さんには少々癖が強いかもしれねえが、寿司屋じゃこれを出すのが伝統でな。味が残るような寿司を食った時につまむと舌が新しくなる。独特な辛みがあるから、試すときは少しずつにしてみてくれ。』

 

『なるほど。』

 

ふむ、私たちを慣れていないと見て丁寧に説明してくれてるっぽいな。咲夜が相槌を打ちつつ味見とばかりに割り箸で薄いガリを口に運んだところで、店の奥から娘さんらしき黒髪の──

 

『いらっしゃい、お客さん。お茶とおしぼりを……へ? 霧雨ちゃん?』

 

『中城? ……何でお前がここに居るんだ?』

 

『いや、え? 何でってそりゃ、ここが私の家だからなんだけど。そっちこそ何で居るのよ。』

 

『ワールドカップで来てるんだよ。それで……ぇえ?』

 

お茶とおしぼりが載ったお盆を持ったままでぽかんと大口を開けているのは、五月に鎬を削った相手であるマホウトコロのエースどのだ。……こいつ、寿司屋の娘だったのか。その店に私たちが入ったと。とんでもない偶然だな。

 

お互いに呆然とした表情で黒髪童顔のマホウトコロ生と見つめ合いながら、霧雨魔理沙は運命の不思議さを思い知るのだった。

 



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下がり藤、五三鬼桐、立葵

誤字報告ありがとうございます!


 

 

「いやぁ、物凄い偶然だよね。私の実家って知らないで選んだってことでしょ? それもこんな場末の寿司屋をさ。……あ、私は中城ね。中城霞。よろしく。」

 

確かに凄い偶然だな。感心したような表情を浮かべながら日本語で挨拶してきた中城さんに、サクヤ・ヴェイユは自己紹介を返していた。中城霞さん。五月にトーナメントの決勝戦で見た、魔理沙と同じクィディッチプレーヤーさんだ。

 

「ホグワーツ生で、魔理沙の友人のサクヤ・ヴェイユです。よろしくお願いします。」

 

「わお、日本語ぺらっぺらじゃん。霧雨ちゃんが教えたの?」

 

「いや、そうじゃない。私と違って丁寧な話し方なのはその所為だ。」

 

「なるほどね。……いやー、本当に変な気分だわ。まさかこんなことがあるとはねぇ。」

 

半笑いで腕を組みながらうんうん頷いた中城さんは、カウンターの向こう側でお寿司を作っている店主さんへと話を振る。……ううむ、近くで見ると美人さんだな。整った童顔と、艶のある黒の短いポニーテール。日本の人から見たらどうなのかは分からないが、イギリス人から見た『可愛らしいアジア系の顔付き』であるのは間違いないだろう。

 

「ほら、前に話したじゃん。ホグワーツの金髪のチェイサー。それがこの霧雨ちゃんなんだよ。」

 

「五月にお前が叩きのめされたって相手か。……だったら良いネタを出さないといけねえな。よくこのバカの鼻を折ってくれた。『箒のスポーツ』には詳しくないが、才能に甘えて驕ってるヤツが上に行けるはずなんてねえのさ。」

 

「ちょっと、余計なお世話なんだけど? 別に『叩きのめされて』はいないし、クィディッチを知らない父さんに文句を言われる筋合いはないよ。」

 

「箒は知らねえが、俺はお前の父親なんだよ。ロクに努力もしねえ娘が持て囃されてたら不安にもなるだろうが。……はいよ、最初はヤガラだ。」

 

話しながら握ったお寿司を出してきた店主さんに、首を傾げて疑問を送った。『ヤガラ』が何なのかも気になるが、それはまあ後で自分で調べよう。少なくとも魚であることは分かっているのだから。

 

「店主さんは魔法使いじゃないんですか?」

 

「ああ、俺は……というか、中城家は代々魔法使いじゃない。魔法使いなのは嫁入りしてきた妻の方でな。バカ娘にはその才能が受け継がれたわけだ。」

 

「お母さんの家系は結構な名門なの。許婚とかが居たくらいのね。そこの長女が非魔法族の寿司屋と駆け落ち同然で結婚しちゃったもんだから、私が生まれる前はお母さんの実家とは険悪だったらしいよ。」

 

「『生まれる前は』ってことは、今はそうでもないのか?」

 

お寿司を食べながらの魔理沙の質問に、中城さんは肩を竦めて戯けるように答える。もう完全に座り込んじゃってるな。お喋りする気満々だ。

 

「そこはほら、初孫たる私の魅力でお爺ちゃんとお婆ちゃんがメロメロになっちゃったわけよ。おまけにクィディッチが尋常じゃなく上手いからね。最近じゃ小上家に……お母さんの実家の方に戻らないかとかって言ってきてるほどでさ、よく分かんない親戚を婿にどうかって迫られてるの。嫌になっちゃうよ。」

 

「ふん、どこまでも勝手な連中だ。だからあっちの実家は好かん。十歳も年上のぼんくらを無理やりあてがおうなんぞ道理に反してる。」

 

「ま、こんな感じで父さんは未だに嫌ってるけどね。……でも、私もあの人は嫌かなぁ。青瓢箪みたいな顔なんだもん。クィディッチも下手そうだしさ。」

 

「きっぱり断ればいいんだ。まともに働きもしてねえボンボンに娘を預けられるか。」

 

要するに、中城さんにも許婚みたいな存在が居るわけか。まあ、縁遠いというほどの話ではないな。イギリス魔法界でもちらほらとは聞く言葉だ。静かに怒りながら白身のお寿司を出してきた店主さんへと、中城さんは一つため息を吐いてから返事を放つ。

 

「そんな簡単な話じゃないんだってば。小上家は細川閥の中枢の家なんだから。……それに、陽司さんはきちんと働いてるんだって。魔法省で呪学書の管理をする仕事に就いてるの。何度も何度も説明したっしょ?」

 

「はん、どうだか。仕事ってのはしっかり毎日やるもんだ。『俺たちの世界』の司書は毎日のように図書館に通って懸命に働いてるぞ。本の管理自体は立派な職業だと思うが、あのぼんくらはたまに思い出したように仕事をするだけじゃねえか。大抵は家の中で遊び呆けてるんだろ?」

 

「だから、それは家同士の付き合いとかがあるから外に出られないってだけで……まあいいや、私だって結婚したいわけじゃないしね。この話は終わり! それより二人とも、昨日のデーゲームは観た? あの一瞬で決まったやつ。シビれたよねぇ。」

 

うーむ、やっぱりクィディッチの話をする時の方が活き活きとしているな。顔を明るくしながら問いかけてきた中城さんに、魔理沙が残念そうな表情で返答を返す。

 

「『凄いキャッチだった』ってのはナイトゲームの会場で噂になってたから知ってるが、昨日の昼は別の試合を観てたんだよ。リヒテンシュタイン対フランスの方をな。そっちはあんまり盛り上がらなかったぜ。」

 

「あちゃー、勿体無い。とんでもないキャッチだったんだから。こう、ぐるんって回転してスニッチを捕ったの。……会場が一つだけなら良かったのにね。ワールドカップは日程に限りがあるから、そう簡単にはいかないのかもしれないけどさ。」

 

「昼は二箇所だもんな。あれってよ、トーナメントの頃からもう造ってたのか? あの時の倍以上の『観客席船』があるわけだけど。」

 

魔理沙が言っているのは、ワールドカップが行われているマホウトコロ近海の海上競技場のことだろう。何たって日本魔法省は七大魔法学校対抗トーナメントの時に使われた規模の船を倍以上も用意して、昼は五万人規模の競技場を二つ、夜は十万人規模の競技場一つでワールドカップを運営しているのだ。昼の試合が終わった後に巨大な木造船を移動させることで、競技場の数を自在に変えているらしい。あれが動く光景は壮観だったな。

 

『客席』そのものを動かすという常識に囚われない発想に感心していると、中城さんは疲れたような顔付きで質問の答えを寄越してきた。ちなみにワールドカップ後半は昼夜で一試合ずつになったり、一日一試合だけになったりもするらしい。

 

「今のところは上手く進んでるけどさ、日本魔法界でも色々あったんだから。トーナメントの時に収容数ギリギリだったのを受けて、何隻か急遽新造したの。まだ使ってないみたいだけど、実はデーゲームが長引いた時用の予備もあるんだよ? 六月七月はマホウトコロの生徒も手伝わされる羽目になってさ、こちとら卒論の準備で忙しいってのにいい迷惑だったよ。……毎度のように三派閥でのいざこざもあったしね。一回戦を昼間二試合、夜二試合にするか、夜だけ一試合にするかで延々争ってたらしいわ。バッカみたい。そんなのどっちでもいいじゃん。」

 

「……日本の魔法界での出来事には、常に三派閥の軋轢が関わってくるんですね。そもそもどうして仲が悪いんですか?」

 

「んっとね、面倒くさい歴史の話になっちゃうけどそれでもいい? 先ずさ、最初に日本魔法界の基礎を作ったのは中臣氏……後の藤原氏なの。より厳密に言えば土台を作ったのは忌部氏で、それを組織の形に整えたのが中臣氏って感じなんだけど、専門的な話をする時以外は『藤原氏』が基礎を作ったって認識で問題ないと思うわ。今『下がり藤』を掲げてるのがその意志を継いでる派閥ね。それまでバラバラだった各地の魔法族を纏めて、飛鳥時代……千四百年くらい前に一つの集団にしたのよ。当時はまだ藤原氏のずーっと下の部下くらいの扱いだったし、魔法使いどころか陰陽師ですらなかったんだけど、兎にも角にも『怪異から朝廷を守る』って役目を持った集団ではあったんだって。」

 

千四百年も前か。思った以上に古い時代が出てきて驚く私たちへと、中城さんは知識を振り絞るようなしかめっ面で解説を続ける。美人が台無しだぞ。

 

「それでまあ、そこから数百年間でその集団はどんどん地位を上げていったの。雇い主の藤原氏が政治の中枢を支配するようになって、その藤原氏から重用されてたみたい。地位を手に入れた人たちが次に望むのはいつだって長寿でしょ? だから呪いとかに頼ってたわけよ。……政治的な騒動にも何度か関わったらしいんだけど、正直その辺の出来事はあんまり覚えてないかな。史学だと一番退屈な時期なんだもん。でも、面白い逸話もちょこちょこあるんだ。」

 

「面白い逸話? 例えばどんなのだ?」

 

「例えばさ、『かぐや姫を月の民から守るために、衛府と共に陰陽師たちも戦った』とか。普通に考えれば有り得ない話なのに、魔法界側だと色んな文書に史実として登場するんだよね。それもかなり詳細に戦いの様子が書かれてるらしいよ。……日本の魔法界だと『竹取問答』っていう一つの史学の研究テーマになってて、人が月に立った今でも結構盛んに研究されてるんだ。マホウトコロの先生にも専門家が居るしね。」

 

「あー、竹取物語か。私もさすがに知ってるが……まさか、あれが本当の話だったってことか?」

 

『竹取物語』? 私は知らないぞ。置いてけぼりになっている私を他所に、中城さんは困ったような半笑いで曖昧に首肯した。

 

「実話だと信じて研究してる人も中には居るってことよ。……文書によればかぐや姫がね、月に帰る時に不死の薬を帝と竹取の翁たちに贈ったんだって。帝はかぐや姫が居ないのに生きていても意味がないからってそれをどこかに捨てることを選んだんだけど、翁とその妻は姫が去った後で仲良くなった陰陽師の一人に薬を譲ったみたいなの。そのうちの一つが細川派の台頭に繋がる事件に関わってて、もう一つは今なお日本魔法界のどこかに隠されてるらしいわ。……まあうん、全部眉唾だけどね。日本魔法界でも八割以上はあくまで創作物だって割り切ってるから、話半分に聞いて頂戴。翁たちが陰陽師に薬を譲ったって部分も、細川派と松平派の研究者たちは『藤原派の陰陽師が夫妻を殺して薬を奪ったに違いない』って主張してるしね。いちいち真に受けてたら歴史が滅茶苦茶になっちゃうよ。」

 

「でもよ、面白いぜ。不死の薬か。案外マホウトコロに隠されてたりしてな。」

 

「マホウトコロの校舎があの島に出来たのはその時代からずっと後だし、幾ら何でもそれは無いっしょ。……まあ、とにかく続けるね。そんでもって今から六百年くらい前の南北朝時代に、日本の歴史上最も悪名高い陰陽師が生まれたの。そいつは足利氏って家に取り入った後、その頃起こってた内乱を上手く利用してどんどん地位を上げていった挙句、最後には当時の実質的な支配者である将軍を意のままに操れるようになっちゃったのよ。尊王派の……要するに藤原派の陰陽師たちはこてんぱんにやられちゃって、手も足も出なかったんだって。」

 

支配者が藤原氏から足利氏に変わったのと同時に、悪い魔法使い……陰陽師? とやらが権力を手に入れたということか。お寿司を食べながら何とか頭を動かして話についていく私たちへと、中城さんがピンと指を立てて物語の続きを語る。

 

「そこで出てくるのがさっき言った不死の薬なの。将軍を操れるようになった最悪の陰陽師は蛇舌で、ある日使役していた老蛇からその薬の話を聞かされたんですって。『蓬莱の丸薬』の話をね。」

 

「んでもって、そいつは永遠の命を求めて薬を探し始めたってわけか。分かり易い話だな。」

 

「ま、そういうこと。そのために沢山の人を殺したり、京に大きな災害を呼び寄せたり、良からぬ存在を使役したり、とにかくやりたい放題だったらしいわ。……それを止めたのが現在の細川派の基礎になった陰陽師たちなのよ。足利家の下に細川家って家があって、そこに仕えていた陰陽師が足利家が支配されていることを憂う主人のために、各地を巡って仲間を集めることを決意したの。最悪の陰陽師の支配が及んでいない、在野の術師たちをね。……藤原派の陰陽師みたいに位が高い人たちじゃなかったんだけど、細川派の陰陽師たちは日々妖怪退治をして腕を磨いてたんですって。どちらかというと陰陽師というか、武士ね。呪符だけじゃなくて刀も使ってたらしいから。」

 

「イギリスで言う昔の魔法戦士みたいなものですね。サー・グリフィンドールも剣と杖を両方使えたって伝えられてますし。」

 

その仲間を集め始めた陰陽師さんは、主人のために立ち上がったわけか。カッコいいな。相槌を打った私に頷きながら、中城さんは『最悪の陰陽師』についての話を締めた。

 

「細川派の陰陽師たちは先んじて見つけ出した蓬莱の丸薬をエサに、最悪の陰陽師を誘き出して出雲で戦いを挑んだの。京はもう敵の縄張りだったから、有利に戦える場所に誘い込んだってわけ。伝承によれば大蛇とか妖怪とかを従えた最悪の陰陽師と、出雲の巫女や神様たちの助力を得た細川派の陰陽師たちが三日三晩に渡る激戦を繰り広げた結果、遂に最悪の陰陽師を打ち倒したんですって。……肝心な蓬莱の丸薬は、最悪の陰陽師を唆した老蛇に奪われちゃったらしいけどね。だから日本の魔法界では蛇が嫌われてるの。最悪の陰陽師が蛇舌だったのに加えて、漁夫の利を得た老蛇の印象が強いから。」

 

「なるほどな、そういう訳があったのか。……ちなみに『最悪の陰陽師』ってのはさ、実際なんて名前なんだ?」

 

「日本魔法界だとあんまり口にしちゃいけないって言われてるから、霧雨ちゃんたちも迂闊に声に出さない方がいいと思うけどね。ちょっと待ってて、ペンを取ってくるから。……はい、これが名前。正式には相良柳厳。どうしても呼ばなきゃいけない時は、大抵別名である『相柳』って呼ばれてるわ。」

 

イギリスの『なんとか卿』みたいだな。持ってきたボールペンで割り箸が入っていた細長い紙袋に名前を書いて、『さがらりゅうげん』という振り仮名を振ってくれた中城さんは、それを私たちに見せた後でくしゃくしゃに丸めてから続きを話す。……別名の方だと読み方が変わるのが不思議だぞ。『あいやなぎ』か。日本語はこれだから難しいんだ。

 

「そんでもって日本は邪悪な陰陽師の支配から解放されて、平和になったわけなんだけど……残念なことに、藤原派と細川派は相容れなかったの。藤原派は粗野で作法を知らない細川派をバカにするし、細川派は最悪の陰陽師にボコボコにされてた藤原派が上に立つのが我慢できない。それを打ち倒したのが自分たちとなれば尚更よ。だから日本魔法界は二派に分かれることになっちゃったわけ。」

 

「その頃にはもうマホウトコロはあったんですか?」

 

「あー、あったよ。千年くらい前にはもうあったから。その頃は場所も今と違うし、『陰陽処』って名前だったけどね。非魔法界から身を隠すために、今の島に移転した後に名前が変わったの。」

 

ふむ? イギリスのホグワーツも、アフリカのワガドゥも、日本のマホウトコロも土台が成立したのは大体千年前なのか。単なる偶然なのか、あるいは何かしらの理由があるのか。そのことを考えていると、中城さんがもう一つの派閥に関する話に移った。

 

「えーっと、それで……そう、松平派。残った松平派が成立したのはそれから暫く後の戦国時代。四百年ちょっと前よ。その頃は各地の大名が土地を支配して争い合ってたんだけど、藤原派と細川派の中でもそれに参加するか否かで揉めてたの。藤原派と細川派で揉めてたんじゃなくて、二派の内部でそれぞれ揉めてたって意味ね。」

 

「同時に内部分裂が起きたんですか。」

 

「ん、そういうこと。結局議論は物別れに終わって、藤原派と細川派の一部の陰陽師たちが各地の大名に協力するようになったから、残った陰陽師たちも捨て置けないってことで戦争に参加していった結果……まあ、無茶苦茶な争いに発展したわけよ。武士たちが争ってる裏で、陰陽師たちも各々の家紋を掲げて暗闘するようになっちゃったの。今の土地に移ったばかりの陰陽処でも決闘騒ぎが絶えなかったらしいわ。一応は中立地帯ってことになってたんだけどね。日本の魔法界で『戦争』があったとすればこの時よ。」

 

戦争か。日本魔法界の暗黒の時期ってわけだ。ふんふん頷く私たちを見て、中城さんは苦笑しながらその結果を口にする。

 

「んでまあ、紆余曲折あって最終的に勝利したのが徳川って家だったんだけど、その徳川家に協力していた陰陽師たちが松平派の基礎になったの。徳川家の昔の名前が松平家だったのが理由で『松平派』って呼ばれてるわけね。戦争終結から二百五十年以上も徳川の支配が続いたから、支配者から呪術の取り仕切りを任された松平派は身内を優遇して、旧藤原派と旧細川派を弾圧しまくったわけよ。……だけど徳川将軍家の支配の終焉と共に松平派の栄華も終わって、弾圧から身を守るためにまた内部で結束した藤原派と細川派が勢力を伸ばし始め、今では三派閥が均衡してるって感じかな。藤原派と細川派が力を取り戻した原因として財閥云々のいざこざもあるんだけど、その辺は詳しくないの。私は期生で史学を取ってないから。どう? 大体は掴めた?」

 

「はい、分かり易かったです。教えてくれてありがとうございます。」

 

「お前、結構頭が良かったんだな。感心したぜ。」

 

「他の勉強はともかくとして、史学は嫌いじゃなかったからね。特に戦国時代は面白かったわ。……実際のところ、戦国時代に一番活躍したのは羽柴って家に付いた陰陽師たちだったんだけどね。一夜で城を築いたり、大雨を呼んで水攻めの手伝いをしたり、服従の術でライバルの大名を操ったり、軍勢が素早く移動する手伝いをしたり。多少誇張されてるとは思うけど、本当に凄い人たちだったみたい。……だけど最後は徳川が勝ったから、全員死刑にされちゃったんだって。物悲しい話だよね。」

 

国に歴史ありだな。長い説明をそこで終わらせた中城さんは、大きく伸びをしてから話を完全に締めた。

 

「ま、そんな感じ。下がり藤が藤原、五三鬼桐が細川、立葵が松平ね。私は一応小上家の血を引いてるから、形式上は細川派。クィディッチをやってると派閥がどうだとか言ってる場合じゃないからさ、私はかなーり派閥意識が薄い方だと思うけど……日本魔法界に関わるなら覚えておいた方が良いよ。大抵の人たちは派閥のことを真っ先に気にするから。」

 

「だけどその、争いを終わらせようって人は居ないんですか? 誰がどう見ても問題なわけですよね?」

 

「どうかなぁ。これはマホウトコロの先生から習ったことなんだけど、日本魔法界は三派閥があるからこそ強固だって意見もあるんだよ。競うから進歩するし、敵が身近に居るから備えるってわけ。別々の方向を見てるから技術とかやり方とかにも多様性が生まれるしね。……大賛成って意見じゃないけどさ、一理はあると思うよ。クィディッチと同じで『競う相手』は絶対に必要なんじゃないかな。日本は閉鎖的な島国だから、外側じゃなくて内側にそれを作るようになったのかも。」

 

「でも、今はもう違うだろ? 非魔法界と一緒で魔法界も国際社会になってきてるじゃんか。」

 

私に続いた魔理沙の発言を受けて、中城さんは疲れたような笑みでこっくり首肯してくる。苦い諦観の笑みだ。

 

「そう、それ。先生も言ってたよ。正にそれが問題なわけ。だから日本魔法界は段々と世界の動きについて行けなくなってるんだってさ。……今や身内で争ってる余裕なんて無いのに、いつまで経っても使い慣れた三派閥ってシステムから抜け出せないのよ。融和派も居るには居るんだけどね。白木校長しか担げそうなリーダーがいなくて、その白木校長が動こうとしないからどうにもならないんだって。」

 

「まだ暫くはこの状態が続くってことか。」

 

「暫くはって言うか、もう変わらないのかもね。そもそも日本魔法界は派閥ありきで成り立ってるんだよ。それを変えたければ日本魔法界の根幹をぶっ壊すような出来事がなければ無理だし、そこまでの衝撃だと三派閥のシステム以前に日本魔法界そのものが崩壊しちゃうんじゃないかな。……他国の人には大っぴらに三派閥についてを話さないあたり、日本魔法界の殆どの人がこの状態を『良くない』とは思ってるんだろうけどね。それでも変えられないの。それが日本の魔法界よ。」

 

バカバカしそうに、それでいて仕方がないという感情を滲ませながら言う中城さんを目にして、サクヤ・ヴェイユは日本魔法界の複雑さを実感するのだった。

 



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新たな箒

 

 

「なんか悪かったな、長々と説明させちまって。」

 

店主が目の前で巻いてくれたかっぱ巻きを口に放り込みつつ、霧雨魔理沙は中城に礼を送っていた。先程まで彼女から日本魔法界の三派閥についての説明をしてもらっていたのだ。『良い話』とは言えないような内容だったが、中々面白い歴史を知ることが出来たぞ。

 

久々に食べた巻き寿司の美味さを噛み締めながら言った私に、中城は肩を竦めて応じてくる。

 

「まあ、いい復習になったよ。色々と省略しちゃったから、本格的なのを知りたければ史書とかを読んでみて。あくまで三派閥がどう成立したかの説明であって、何をしたかって部分は省いちゃったの。そこを話すととんでもなく長くなるしね。」

 

「それとだ、中城。……競技場に行かなくていいのか? 私も今気付いたんだが、デーゲームはもう始まってるぞ。」

 

「へ? ……本当だ、始まっちゃってるね。」

 

壁にかかっている時計を確認して額を押さえた中城は、苦笑しながら椅子に深く座り直した。

 

「まあいいや、デーゲームはそんなに重要な組み合わせじゃないし。だから霧雨ちゃんたちもこうやってお出かけしてるんでしょ? 都内のホテルに泊まってるの?」

 

「ん、そうだ。皇居のすぐ隣の公園の向かいにあるホテル。」

 

「うへぇ、高級ホテルじゃん。ひょっとして結構お金持ち?」

 

「私はチケット代にすら四苦八苦してるが、今回は『スポンサー』がついててな。ホテル代だけはそいつが出してくれたんだよ。お前も知ってるだろ? アンネリーゼ・バートリって吸血鬼だ。」

 

リーゼとは五月の閉会パーティーですれ違ったし、去年の開催パーティーの昼食会では会話しているはず。そのことを思い出しながら口にしてやれば、中城はガタリと椅子から立ち上がって反応してくる。おいおい、どうしたんだよ。急にテンションが上がったな。

 

「あー! そうよ、そのこと! あの吸血鬼ちゃんのところに早苗が行ってるのよ! ……ねえ、大丈夫なの? 凶暴な吸血鬼なんでしょ?」

 

「凶暴?」

 

邪悪で意地悪で腹黒い捻くれ者だが、『凶暴』って感じではないと思うぞ。どこから出てきた印象なのかと首を傾げる私を他所に、咲夜がムッとした顔付きで口を開いた。敬愛する主人の悪評を聞き過ごせなかったらしい。

 

「リーゼお嬢様は凶暴なんかじゃありません。理知的で大人っぽくて高貴な方です!」

 

「でもさ、『濯ぎ橋』を吹っ飛ばしたのってあの子なんでしょ? マホウトコロじゃ噂になってるよ。吸血鬼がマホウトコロ側の持て成しに満足しなかったから、腹いせに橋をぶっ壊したんだって。」

 

「違います! あれはその、複雑な事情があって起きた事故なんです。お嬢様はシラキ校長にお詫びをしましたし、修理費もきちんとマホウトコロ側に渡しました。それなのにそんな噂が流れるだなんてとんでもない話です! 無礼です! 陰険です!」

 

「そ、そうなの? ……だけど、マホウトコロじゃもう広まっちゃってるよ? その所為で吸血鬼ちゃんの案内に付いた細川派の立場もちょびっとだけ弱くなったしさ。」

 

わなわなと怒りに震える咲夜の剣幕に押されている様子の中城へと、まあまあと銀髪ちゃんを抑えながら質問を飛ばす。アビゲイルとの決着の際に橋を壊したことはリーゼから聞いているが、マホウトコロではそんな噂になっていたのか。

 

「落ち着けよ、咲夜。……マホウトコロだと吸血鬼のイメージが悪くなってるのか?」

 

「悪くっていうか、『気安く関われない存在』って感じね。ほら、スカーレット氏のこともあるでしょ? 今回の一件で『外国の物凄く偉い種族』ってイメージが根付いたとは思うわ。あの橋を壊したら普通は国際問題だもん。それなのに校長先生も教頭先生も全然話題にしないから、裏から圧力がかかってるんだって──」

 

「そんなのかけてません!」

 

「あー、そうね。かけてないのね。学校に戻ったらみんなに言っておくから。」

 

ぷんすか怒る咲夜を宥めた中城は、未だ燻っている『爆弾』の方を気にしながら私たちに問い直してきた。

 

「まあその、あの吸血鬼ちゃん……吸血鬼さんが安全なのは理解したわ。だったら早苗も大丈夫なのよね? いきなりイギリスに行くっていうから、私はもう心配で心配で──」

 

途中までは安心したように喋っていた中城だったが、私たち二人がそっと目を逸らしたのを見て徐々に疑わしげな顔になっていく。リーゼは凶暴ではないかもしれないが、同時に『安全』でもないのだ。

 

「……何? その顔。その不安そうな顔はなんなの? やっぱり危ない吸血鬼なの? 早苗はどうにかなっちゃうの?」

 

「危ないって言うか……こう、油断ならないヤツではあるんだよ。東風谷の身体的な安全については心配ないと思うが、精神的には保証しかねるぜ。」

 

「ちょちょ、どういう意味? 精神的?」

 

「いやまあ、多分大丈夫だろ。多分な。リーゼは悪いヤツではない……わけでもないが、ある程度の常識はあるからさ。つまりその、ホグワーツで習う程度の常識は。」

 

それが要するに非常識であることまでは口に出さなかったものの、中城は私の表情を見て『大丈夫』ではないことに気付いたらしい。童顔を真っ青に染めると、店主に向かって言葉を投げた。

 

「父さん、私イギリスに行く!」

 

「バカなのか、お前は。ぽんぽん行けるような場所じゃねえだろうが。」

 

「だって、早苗が──」

 

「いやいやいや、そこまでヤバいことにはならないって。平気だ、平気。ワールドカップが終わったら私も帰るしさ。リーゼが東風谷に変なことをしないようにしっかり見張るぜ。」

 

中城のやつ、このままだと本気でイギリスに行きかねんぞ。大慌てで間に入ってやれば、中城は未だ不安そうな顔付きで応答してくる。

 

「ワールドカップは今月の下旬までなんだよ? 霧雨ちゃん、もちろん決勝戦まで観るんでしょ? その間に何かあったらどうするの?」

 

「……何にも無いって。ないない。大丈夫だ。」

 

ジーッとこちらを見つめてくる中城から視線を逸らしていると、彼女はふと何かを思い付いたような顔になった後、私に脈絡のない質問を寄越してきた。

 

「時に霧雨ちゃん、新しい箒はもう買った? 私たちとの試合で壊れちゃったでしょ?」

 

「箒? いや、まだだ。金もないし、中々ピンと来るのが見つからなくてな。そういえばこの辺に箒屋って──」

 

「じゃあ、取り引き! 早苗の安全を保証してくれるなら、箒をプレゼントしてあげる! ……一ヶ月くらい前にメーカー側から新型箒の飛行テストを頼まれちゃってさ、結果を報告した後はそのまま譲渡されることになってるの。テストが終わったらそれをあげるから、代わりに早苗の安全を確約して頂戴!」

 

メーカーからのテスト依頼? びしりと私を指差して提案してきた中城に対して、驚きながら疑問を返す。店主の注意の後にだ。

 

「人様を指差すんじゃねえ、バカ娘。」

 

「メーカーから依頼された飛行テストって……お前、そんなこともやってんのかよ。凄いな。」

 

「私は豊橋天狗に入団が決まってるからね。おまけに顔も可愛いし、スタイルも良いし、愛嬌もあるからそれなりに注目されてるの。メーカー側は『次世代のチェイサー』のお墨付きが欲しいんでしょ。クィディッチプレーヤーが多い日本魔法界は重要な市場だし、そうなると日本の注目選手の評価が必要になってくるってわけ。」

 

「だけどよ、今テストしてるってことは最新モデルなんだろ? 値段もそこそこするはずだ。それをタダで受け取るのは悪いぜ。」

 

会話の端々に出てくるちょっとした自慢はともかく、棚から牡丹餅ってレベルじゃない提案に正直心は揺らいでいるが、高価な箒をすんなりと受け取ってしまうのは気が引ける。そんな私へと、中城は白いTシャツに包まれた胸を張って主張してきた。……身長は私より低い癖に、胸は私よりも随分と大きいな。不条理だぞ。

 

「私の方だってどうせタダで貰うようなもんなんだし、早苗のためなら箒の一本や二本は安いもんよ。……それに、私には合わなさそうな箒だしね。性能自体は高いんだけど、ピーキーすぎて扱えそうにないの。持て余してコレクションにするくらいなら、霧雨ちゃんに使ってもらった方がいいっしょ?」

 

「……お前に扱い切れないような箒を私が使えると思うか?」

 

「私は繊細で本能的な飛び方をするけど、霧雨ちゃんは豪快かつ計算してる飛び方じゃん。だったら多分合うんじゃないかな。こと箒に関しての判断には自信があるんだけど?」

 

むう、どうしよう。彼女と争った私だからこそ説得力を感じる発言に迷っていると、中城は駄目押しの一言を放ってくる。

 

「言っとくけど、遠慮する必要なんてないんだからね。私は五本も箒を持ってるし、チームの契約金はアホみたいな金額なの。実はお金持ちだから余裕があるのよ。……それとまあ、霧雨ちゃんの箒が壊れたのには私の責任もちょびーっとだけあるわけだしさ。」

 

「それは違うだろ。あれは私が選択したプレーだ。」

 

「そうだけど、霧雨ちゃんがあんなことをしたのは私が強すぎた所為で他に選択肢がなかったからだし……それに早苗との仲直りの切っ掛けを作ってくれたお礼もしなきゃじゃん。とにかく取り引きなの! 早苗が無事に帰ってきたら、テストが終わる九月の中頃に箒を送る。それでいいでしょ? はい、成立!」

 

強引に纏めてしまった中城に、頭をポリポリと掻きながら礼を口にする。……甘えておくか。その代わりにイギリスに帰ったらちゃんと東風谷のことを気遣わないとな。

 

「……ん、分かった。ありがとよ、中城。」

 

「取り引きなんだからお礼はいいの。……ちょっと待ってて、先にスペック表だけ渡すから。箒そのものはテストが終わってからになるけど、どんな箒かは早いとこ確認しておきたいっしょ?」

 

少しだけ頬を染めながら席を離れた中城は、店の奥へと姿を消してしまった。その背を見送りつつ、カウンターの向こうの店主に声をかける。

 

「おっちゃんにも感謝しとくぜ。娘さんに助けられちまったみたいだ。」

 

「ふん、たまには人様の役に立つべきなのさ。……まだ食い足りねえなら追加を出すが、どうする? 娘の話し相手になってくれた礼だ。遠慮しないで言ってくれ。」

 

「いいのか? じゃあよ、イカをくれ。イカが一番美味かったぜ。」

 

「ちょっと、魔理沙。」

 

遠慮しろという目線を咲夜が向けてくるが、店主は僅かに口元を綻ばせながら頷いてきた。

 

「よし、イカだな。……そっちのお嬢ちゃんは何かないのか? 記念に食っていくといい。」

 

「私はもうお腹いっぱいですけど……えっと、その包丁って特別な物なんですか?」

 

「包丁? ……ああ、刺身包丁が珍しいのか。」

 

「はい、色々と使い分けてたみたいなので気になっちゃって。」

 

中城の話を聞いていた途中にそんなところも見ていたのか。確かに種類があるな。咲夜の独特な着眼点に唸っている私を尻目に、店主は持っていた包丁を見せながら説明してくる。

 

「呼び方は場所や店によって違うが、大抵の場合は柳刃包丁とか刺身包丁って呼ばれてるもんだ。こいつは長く使ってる一品だから、何度も研いだ所為で少し短いがな。魚の身を切る時とかはこいつを使う。……引退した親父はこっちの蛸引き包丁をよく使ってたが、俺は半々くらいだ。」

 

「なるほど、どっちも凄く薄いんですね。」

 

「厚いとネタが傷付くからな。そんでもってこっちが出刃包丁。一般的な出刃よりは若干薄いが、柳刃より厚いから力を込め易くて頑丈だ。魚をおろす時は主にこっちを使う。……まあ、基本的には出刃包丁と柳刃包丁の二種類だ。長さや厚さが違うのを数本ずつ揃えてある。」

 

「……じゃあその、柳刃包丁はどこで買えますか?」

 

買う気か。……ナイフとして買おうとしているのか、あるいは料理用にするつもりなのか。咲夜ならどっちも有り得るなと考えていると、店主は店のある方角を指しながら答えを寄越してきた。

 

「この近所なら向こうに少し歩いたところに刃物問屋がある。俺が使ってるのはそこで買ったもんじゃねえが、品揃えは悪くなかったはずだ。……良い柳刃はそこそこするぞ。手が届かないってほどじゃないにせよ、学生さんにとっては中々の値段のはずだ。」

 

「ちなみに店主さんが使っているのはお幾らだったんですか?」

 

「よく覚えてないが、五万に届かなかったくらいだ。上を見ればまだまだ高い包丁は多い。……一、二万で買える柳刃も捨てたもんじゃないがな。切れ味自体はむしろ細かい手入れで保つもんだ。」

 

「五万円ですか。」

 

高いな。……いや、安いと言うべきか? 店主の使っている包丁だったら妥当どころか安いくらいの値段なのかもしれない。少なくともこの店に来る前に見た『刀剣もどき』よりは価値ある品物っぽいし。

 

五万という私たちにとっては結構な値段を聞いて、銀髪の刃物マニアちゃんが腕を組んで葛藤し始めたところで、片手に紙を持った中城が店舗スペースに戻ってきた。彼女は懊悩している咲夜にきょとんとした顔を向けた後、私にホッチキスで留めてある数枚の紙を渡してくる。

 

「ほい、これがスペック表ね。実物はマホウトコロに置いてあるから見せられないけど、まあまあカッコいい箒だったよ。柄が直線型の尾がキュッてなってるシンプルなやつ。」

 

「どれ、見せてもらうぜ。」

 

中城から手渡されたスペック表を早速とばかりに捲ってみれば……うお、覚えがある名前だぞ。夏休みの序盤で箒屋のおっちゃんに教えてもらった、ファイアボルトの後継箒の名前が最初のページにデカデカと載っていた。

 

『ブレイジングボルト』。その名前に僅かに自分の心が跳ねるのを、霧雨魔理沙は確かに感じるのだった。

 



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支配の流儀

 

 

「あのバッグ、可愛いですね。……見てきてもいいですか?」

 

うむうむ、順調に懐いてきているな。何をするにも一度私に確認するようになってきた早苗に頷きつつ、アンネリーゼ・バートリは内心で満悦の笑みを浮かべていた。『条件付け』は上手く機能しているらしい。

 

先日遂にハリーとロンの闇祓い入局試験が終了し、燃え尽きた二人が来週の結果発表を待っている八月の中旬。私は早苗を連れてロンドンのショッピングモールを訪れているのだ。試験の結果は当然気になるが、もはや私に出来ることは何もない。……二人とも死に物狂いで勉強を頑張っていたし、ハーマイオニーと私も全力で手伝った。ならば後は合格していることを祈る他ないだろう。

 

しかしまあ、この十日間ほどは勉強の手伝いの合間を縫って、毎日のように早苗を甘やかしまくってきた成果がようやく出てきたな。今や彼女の方から躊躇なく手を繋いでくるようになったし、私から何かを買ってもらうのにも慣れてきている。そろそろ次のステップに進めてみるか。

 

ショッピングモールの店舗の一つに置いてあった赤い小さなバッグ。それを気に入ったらしい早苗へと、そっと歩み寄って声をかけた。適当に隣の白いバッグを指差しながらだ。

 

「早苗、キミにはこっちの方が似合うんじゃないか? 赤はちょっと違う気がするぞ。」

 

「へ? ……そ、そうですか? 私は赤い方が可愛いと思うんですけど──」

 

「まあ、キミが気に入ったならそれでもいいけどね。私はこっちを持ってるキミの方が素敵だと思うな。」

 

「……じゃあ、こっちの方がいいかもしれません。言われてみればそんな気がしてきました。」

 

うーむ、チョロい。主体性の欠片もない発言に心の中で呆れつつも、顔には満面の笑みを浮かべてわしゃわしゃと早苗の頭を撫でる。従順な時は即座に思いっきり褒めて、少しでも反抗してきたら徹底的に冷たくするのが条件付けの鉄則だ。

 

「おや、そうかい? いやぁ、キミは可愛い子だね。私の好みを優先してくれるだなんて本当に良い子だよ。よし、買ってあげよう。」

 

「えぅ……えへへ、ありがとうございます。」

 

「いいのさ、似合うと言ったのは私だしね。買ったら一度休憩しようか。下のフードコートで何か食べよう。」

 

「はい、そうしましょう!」

 

こいつは今までどうやって生きてきたんだろうか? 箱入り娘もびっくりの、悪い男とかに一発で騙されそうな素直っぷりだぞ。これまで『餌食』にならなかったのは奇跡だなと思いながら、レジで会計を済ませてエスカレーターへと歩き出す。この調子で色々と買ってやっているが、神を二柱雇う代金だと考えれば安いもんだ。余裕で必要経費の範囲内だろう。

 

「ほら、早苗。行こうか。」

 

「ありがとうございます、リーゼさん!」

 

ニコニコ顔でバッグが入った袋を受け取りながら、自然な動作で手を握ってきた早苗は、私が手を引くままに足を進め始める。もう多分薄暗い路地に誘おうが、いかがわしいホテルに誘おうが迷わず付いてくるはずだ。リードで引っ張られる犬と一緒だな。

 

犬の散歩をしている気分で一階のフードコートに移動して、目に付いたハンバーガーショップで昼食を購入した後、フリースペースの空いているテーブル席を選んでそこに食事が載っているトレーを置いた。

 

「ここにしようか。……食べていいよ。」

 

「はい、いただきます。」

 

ハンバーガーを前に私を見てくる早苗に『よし』をしてから、私も食べつつ質問を送る。やはり美味いな。料理の質が良いホグワーツでは味わえないジャンク的な味だ。

 

「そういえば早苗、人外の世界については大体把握できたかい? この数日間でちょこちょこ教えてきたわけだが。」

 

「んっ……あの、ぼんやりとは把握できました。魔法界にも非魔法界にも所属していない種族が沢山居て、そういう存在たちが各地に隠れ住んでるんですよね?」

 

慌てて口の中のハンバーガーを呑み込んでから答えてきた早苗へと、軽く首肯して話を続けた。今日までの会話を鑑みるに、この子はバカだが地頭は悪くないらしい。実に不思議だ。

 

「神力については?」

 

「えっと……神様が存在を保つのに必要とするもので、信仰されることによって手に入る力です。」

 

「その通り。つまりキミに憑いている二柱が実体を保てないどころか会話すら出来なくなったのは、それが出来なくなるほどに信仰が薄れたのが原因ってわけだ。」

 

「だからまた信仰されるようになれば、神奈子様と諏訪子様は力を取り戻せるってことですね?」

 

分かり易く顔を明るくして尋ねてきた早苗に、残念そうな表情を偽りながら返事を放つ。ここが重要な部分だ。後でバレる嘘を吐いてはいけないが、全ての真実を考えなしに語るのも悪手。上手く誘導しなければ。

 

「しかしだね、早苗。それを『正攻法』でやるのは凄く難しいんだ。」

 

「……そうなんですか? 神社を有名にして、沢山の人に御参りしてもらえるようになればいいんですよね?」

 

いいぞ、その調子だ。途端に不安げな顔付きになった早苗に対して、なるべく尤もらしく聞こえるように細かい問題点を指摘した。

 

「よく考えてみたまえよ。先ずそれが難しいだろう? キミの神社はあまり大きくないと言っていたじゃないか。星の数ほど神社がある日本で、『顧客競争』に勝つ自信があるのかい?」

 

「それはその、難しいかもしれませんけど……。」

 

「数だけじゃないぞ。信仰の質も昔より低くなっているんだ。……大雨、旱魃、地震、噴火、竜巻なんかの天災。豊穣と不作、月蝕や日蝕、出生率、疫病、航海の安全、商売の成功、戦争の勝敗。そういったことを今の人間たちは『神の領域』として捉えていない。もう論理的な説明がついちゃってるからね。だから嘗ての人間たちほど必死に祈ったりはしないし、故に一人一人から得られる信仰も限りなく薄くなっているんだよ。」

 

「……じゃあ、仮に神社を繁盛させても意味がないってことですか?」

 

絶望しているような表情でポテトフライを……食うには食うのか。普通に食べながら問いかけてくる早苗に、神妙な顔で返答を返す。もちろん私もハンバーガーを頬張りつつだ。だって冷めちゃったら美味しくないし。

 

「長い年月をかけて取り組めば、もしかしたら話せるようにはなるかもね。……だが、キミが死んだ後はどうなる? キミの話によれば、その二柱と会話できた人間はここ二、三百年でキミだけなんだろう?」

 

「お二方はそう言ってました。久々にお互い以外の誰かと話せたって。私が、えーっと……先祖返り? みたいな存在だから、そのお陰で通じ合えていたらしいです。」

 

「つまり、稀有なケースなわけだ。ならばキミの子供がそうなるとは限らないし、問題に精力的に取り組むキミが寿命か何かで居なくなった後、残された二柱に待っているのは緩やかな消滅だろうね。根本的な解決にはならないわけさ。」

 

「じゃあ、じゃあ、どうすればいいんでしょうか?」

 

遂にポテトに手を伸ばすのをやめた早苗へと、ピンと指を立てて一つの地名を口にした。隔離された人ならざる者たちの楽園の名を。

 

「そこで幻想郷だよ。……時代の流れで消え行く妖怪や神たちを儚んで、彼らが力を取り戻せるような土地を経営しているヤツが知り合いに居てね。その場所でなら何とかなるかもしれないんだ。」

 

「げんそうきょう?」

 

「そう、幻想郷。そこではまだ神秘が濃く、人外たちの存在が普通に許容されているのさ。私たち妖怪や神にとって、人々から存在を承認されているというのは結構大きいんだよ。当然そこでも信仰は必要になるが、一人一人の質は段違いだ。こっちで頑張るよりも遥かに早く力を取り戻せるはずだし、きちんと根を張れば長い期間力を保ったままでいられるだろう。」

 

「つまりその、幻想郷って場所に行けばお二方は安泰だってことですか?」

 

二柱が力を取り戻せるかもしれないと聞いてポテトを食べる元気を取り戻した早苗に、自信ありげに頷いて肯定を飛ばす。一応嘘は言っていない。こっちより大分マシな状況になるのは間違いないはずだ。

 

「そういうことさ。本来外から幻想郷に入るのは、尋常じゃなく難しいことなんだが……私の可愛い早苗のためなら骨を折るよ。管理者に頭を下げて頼んでみよう。かなり嫌なヤツだし、ひょっとすると厳しい条件を付けられるかもしれないけどね。」

 

「だ、大丈夫なんですか?」

 

と、恐る恐る問いかけてきた早苗の背後に……何のつもりだよ、覗き魔め。音も無く小さなスキマが開く。そこから伸びてきた白い腕が彼女のポテトをこっそり盗むのを横目にしつつ、それを完全に無視して会話を続けた。ええい、鬱陶しいことこの上ないな。交渉の邪魔をしたら許さんぞ。

 

「何とかしてみるよ。倒錯的な変質者みたいな女だから、下手すると身体を要求されるかもしれんがね。」

 

「かっ、身体? 女の人なのにリーゼさんの身体を? って言うか、身体って……ダメです、ダメです! そんなのダメですよ!」

 

「いいんだ、早苗。キミのためなら我慢するよ。」

 

「でも、でも……リーゼさんはどうしてそこまで?」

 

ほぼコントだな。早苗の背後の腕が何故か親指を立てているのを黙殺して、哀れな詐欺被害者の手を取りながら詐欺師としての任を全うする。

 

「出会ったばかりなのに変だと思うかい? だけどね、早苗。もうキミは私にとって大切な存在なのさ。マホウトコロで言っただろう? キミが私に忠実である限り、私はキミを目一杯可愛がると。……分かり易く言えば、古き良きノブレス・オブリージュだよ。支配者は支配下にある者を慈しみ、庇護しなければならないんだ。キミは私に支配されるのは嫌かい? 私は良いご主人様だよ?」

 

「し、支配?」

 

「私の支配下にある限り、キミは決して独りぼっちにはならないぞ。保護者と被保護者、親と子、家主と家人だよ。話を聞くに、キミは日本で辛い思いをしてきたようじゃないか。両親に先立たれ、学校では爪弾きにされる。さぞ苦しかっただろうね。……でも、もう大丈夫だ。今後は私に寄り掛かりたまえ。私はキミを独りにしたりはしないから。」

 

ゴクリと喉を鳴らす早苗の頬を、触れるか触れないか程度の距離を保ってゆっくりとなぞりつつ、その後ろで『女ったらし!』と書かれた紙片を手に持っている覗き魔を無視して続きを語った。予定より早いが、この仕上がり具合なら落ちるはずだ。勢いに任せて落とした後、残りの二十日間ほどを補強に使えばいい。この子の素質に加えて、寄る辺のないイギリスってのが上手く作用したのかもしれんな。

 

「迷ったら私が決めてあげよう。困ったら助けてあげよう。寂しい時は側に居てあげよう。子を守る親のように寄り添う。それが私なりの支配の流儀なのさ。……どうだい? 支配されるのもそう悪いものじゃないだろう?」

 

「あの、でも──」

 

「こっちにおいで、早苗。私の支配の中に。」

 

言いながら軽く、ほんの少しの力だけで顎をこちらに引いてみると……そら、簡単じゃないか。早苗はそれに従うように自分から顔をこちらに寄せてくる。あまりにも順調すぎて浮かんでくる邪悪な笑みを堪えつつ、彼女の頭を勢いよくわしゃわしゃと撫でた。

 

「良い子だ、早苗。私のものになってくれるんだね?」

 

「支配というかその、リーゼさんの下で働く……的なことですよね? リーゼさんは優しいし、それなら嫌じゃないですけど──」

 

「そうそう、噛み砕けばそういうことだよ。んー、よしよし。賢い子だね、早苗は。」

 

「うぁ……ありがとうございます。」

 

テーブルに身を乗り出して早苗の頭をギュッと抱き締めて撫でまくりながら、今度は『浮気者!』の紙を持っている腕に向かって小声で呟く。この状態なら早苗には聞こえないはずだが、念のため彼女が理解できないであろうロシア語でだ。

 

『おい、覗き魔。後で話すから今は消えたまえ。』

 

『あらまあ、浮気現場に踏み込んじゃった本妻の気分になる台詞ね。ちょっとゾクゾクするかも。』

 

『いいからとっととスキマを閉じるんだ。幻想郷の繁栄はキミにも利益があるはずだぞ。』

 

ジト目で睨め付けながら言い放った後、髪がぐっしゃぐしゃになっている早苗を解放した。すると彼女は真っ赤な顔で髪を整えつつ、私に対して素っ頓狂な反応を寄越してくる。スキマは……よしよし、閉じてるな。

 

「……やっぱり外国の人はこういう感じなんですね。日本人の私からすると感情表現が激しいです。」

 

「普通はしないけどね。キミは特別さ。」

 

「そ、そうなんですか。……だけど、リーゼさん! 私のことを大切に思ってくれるのであれば、尚のこと身体を対価にするだなんて認められません! もしどうしても必要なら、張本人たる私が……わ、私がやります!」

 

身体? この子はいきなり何を言っているんだ? ……あー、さっきの話か。適当に喋りすぎた所為で全然覚えていなかった会話を思い出しながら、顔の赤さを増している早苗へとこれまた適当な返事を送った。

 

「そんなことはさせられないよ。子を差し出す親がどこにいるんだい? それにあの女は私みたいな見た目じゃないと興味を示さないからね。」

 

「それって……尚更ヤバい人じゃないですか。ダメですって、絶対ダメです!」

 

「まあ、さっき言ったのは最悪のケースだ。上手いことやるさ。……それでだ、早苗。キミは幻想郷への移住に乗り気ってことで問題ないね? 土地に関しての詳しい説明は後でするから、行く気があるのかどうかだけは先に明言してくれ。」

 

「えと、まだ色々と聞きたいことはありますけど……そうですね、お二方を『復活』させるチャンスを逃したくはないです。だから移住する気はあります。」

 

自分のポテトが減っていることに首を傾げながら答えた早苗に、こっくり頷いてから提案を返す。大いに結構。早苗との話がここまで纏まったのであれば、そろそろ『本命』との交渉に入っても良さそうだな。

 

「では、今後はその方向で計画を進めて行こう。……それと、もう一つ。具体的な話をする前にキミに憑いている二柱とも顔を合わせておきたいんだ。今度キミ抜きで会わせてくれないか? そのための札はこっちで用意するから。」

 

「お二方と話すのはもちろん構いませんけど、私抜きでですか?」

 

「なぁに、少し込み入った話になるかもしれないからね。大人の話ってわけさ。……ほら、食べよう。冷めちゃうぞ。」

 

雑に言葉を濁した後、ハンバーガーを指差して早苗を促す。早苗と神たちは別々に説得すべきなのだ。愚かな人間というのはいつの世も賢しらな神に騙されて、私たち妖怪の邪魔をするようになるのだから。ヤツらの力の源である退魔の符を私が握っている以上、別個に交渉するのは不可能ではないはず。

 

つくづく役に立つ符だなと感心しつつ、アンネリーゼ・バートリは『製造元』である博麗の巫女に感謝するのだった。今度手土産を持って行ってやるか。

 



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予想外の結末

 

 

「そうです、そんな感じに……完璧ですね。あとはそれにやすり掛けをするだけです。びっくりするほど上手いじゃないですか。」

 

凄まじく器用だな。人形店の店舗スペースの裏にある作業場で、アリス・マーガトロイドはアピスさんの手際に感心していた。絵はちょっとアレだが、こういう作業は得意らしい。私が祖父に人形作りを学び始めた頃の十倍くらいの速度で上手くなっているぞ。

 

八月の真ん中が迫ってきた今日、最近毎日通ってきているアピスさんに人形作りの指導を行っているのだ。今は木製の可動人形の骨組みの作り方を教えているのだが……うーむ、スポンジのようにやり方を覚えていくな。骨組みどころか、今日中に組み方まで終わっちゃうかもしれない。

 

あまりの成長の早さに唸る私へと、アピスさんは内心を読んだような発言を寄越してくる。

 

「大昔にローマの石像職人から石工を学びましたし、東漢末期の頃には許昌で木造建築に携わっていた事もあります。その辺の経験が上手く作用しているんじゃないでしょうか? 素材や規模や道具は違えど、本質的な部分は似通っていますから。」

 

「東漢、ですか。えーっと……確か、西暦紀元が始まった頃の中国の時代区分ですよね?」

 

「ええ、私が許昌に居たのは西暦の開始から二百年後くらいですね。非常に面白い場所でした。それ以前も漢には居たんですけど、その時は鄴で生活していましたから。」

 

むう、アピスさんと話していると不思議な気分になってくるな。美鈴さんは昔の話をあまり頻繁にはしてくれなかったが、アピスさんはそんなに躊躇いなく語ってくれるのだ。私にとっては遠い過去の『歴史』でしかない出来事を、実際に見て聞いた張本人から教えてもらえるというのは……よく考えたら凄いことのような気がしてきたぞ。

 

世の研究者たちは歯噛みして羨むだろうなと苦笑しつつ、アピスさんに対して質問を飛ばす。三国時代の話は美鈴さんもしていた覚えがあるし、ひょっとして彼女とはその時期に出会ったんだろうか?

 

「今では『英雄』と呼ばれている人たちを直に見たことってありますか? つまりその、三国時代の有名人たちを。」

 

「ありますよ。私はまあ、その頃から色々とやっていましたから。曹孟徳や袁本初なんかは遠くから顔を見る機会があったんです。さすがに会話したことはありませんけどね。」

 

「……凄いことですよね、それって。」

 

「どうなんでしょう? 紅さんは昔、普通に人間たちの戦争に参加していましたからね。英雄と呼ばれる人たちと刃を交えるところまで行ったかもしれませんよ? ……ああでも、私も荀文若と親しくしていた時期があります。実に賢い人でした。少々頭の堅い面もありましたが。」

 

かの高名な王佐の才か。さらっと出てきたビッグネームを受けて反応に困っている私へと、アピスさんは淀みない手付きで紙やすりを動かしながら続きを語る。

 

「己の主義の所為で幸せな晩年ではありませんでしたが、あの人は常に自分が歩むべき道を見定めていました。荀令君は王道を補佐する忠臣だったものの、必ずしも覇道を支持する従臣ではなかったということです。私の考え方を少しだけ変えた人ですよ。」

 

「私はアジア圏の歴史には詳しくありませんけど、それでも名前くらいは知ってます。……ちなみに昔のイギリスに居たことはありますか?」

 

「あります。ヘンリー四世の頃です。ちょうどウェールズの諸侯が反乱を起こした時期ですね。」

 

となると、約六百年前か。リーゼ様たちもまだ生まれていない頃だな。脳内の知識を漁りながら確認したところで、アピスさんは昔話を締めてしまった。

 

「戦いも何度か見物しましたよ。物騒な時期だったので長くは留まりませんでしたけどね。……終わりました。次は何をすればいいですか?」

 

「えっと、そしたら接合部の部品と組み合わせましょう。さっき作ったやつです。」

 

「質問があります。この部品は骨組みと一体化させるのではダメなんですか? その方が強度が増すと思うんですけど。」

 

「そこは作り方の違いなので何が正解とは言えませんけど、私はメンテナンスのために別々に作ってます。ジョイント部分は一番壊れ易い箇所なんです。なのでそこだけを交換できるように分離させているわけですね。……強度そのものはアピスさんが言うように一体化させた方がやや増しますけど、いざ壊れた時に全交換になっちゃいますから。ただまあ、関節の可動域が狭い人形ならその選択も有りかもしれません。平たく言えば好みの問題です。素材によっても変わりますしね。」

 

可動のための関節部を見せながら説明した私へと、アピスさんは納得の頷きを返してからジョイントの取り付け作業に入る。それをチェックしつつ私も指導用として使っている人形を組み立て始めたところで……おや、リーゼ様だ。店舗スペースの方からリーゼ様がひょっこり顔を出してきた。

 

「やあ、二人とも。頑張っているようだね。エマがそろそろ昼食だって言ってたぞ。」

 

「あれ? もうそんな時間ですか。」

 

「やっぱり気付いてなかったのか。熱中するのも結構だが、適度に休憩は取りたまえ。……それと、私は今日も出掛けてくるよ。帰りは夜になりそうかな。」

 

ぬう、また出掛けるのか。ハリーとロンの試験はもう終了しているというのに、最近のリーゼ様はほぼ毎日のペースで昼前に家を出ていくのだ。日本から旅行に来ているお客さんを持て成すためらしい。

 

曰く、『未来の手駒作り』をしているそうだが……ちょっと心配だな。もちろんリーゼ様の方がではなく、『手駒』にされようとしている相手の方が。胸中で不安を感じている私を他所に、リーゼ様はアピスさんへと追加の言葉を放つ。

 

「ついでにアピス、調査を依頼したい。八月の下旬までにだ。」

 

「私は人形作りを学びに来ているんです。期限を設けるのであれば、内容によっては受けられませんよ。」

 

「なぁに、簡単な調査だよ。日本の『守矢神社』ってとこの祭神を調べて欲しいんだ。祭神は二柱で、神社そのものはナガノって土地にあるらしい。出来れば神についての詳細な情報付きで提出してくれ。」

 

「そこまで分かっているなら自分で調べてくださいよ。」

 

迷惑そうに言い返したアピスさんへと、リーゼ様は肩を竦めて返事を口にした。

 

「ヤダよ、面倒くさい。紅魔館の調べ物担当が幻想郷に行っちゃったから、馴染みの情報屋に外注するしかないんだ。報酬は払うから調べてくれたまえ。」

 

「『馴染み』になったつもりはありませんけどね。……まあ、いいでしょう。その程度なら旅先でも三日かかりません。近いうちに報告できます。」

 

「大変結構。それじゃ、失礼するよ。」

 

満足そうに首肯して玄関の方へと歩いて行ったリーゼ様を見送りながら、作業に戻ったアピスさんに声をかける。日本の神社か。奇妙な調査依頼だな。

 

「リーゼ様、何をする気なんでしょうか?」

 

「恐らく土着神か何かを飼い慣らすつもりなんでしょう。神をも畏れぬ吸血鬼らしい行動ですね。知らない名前の神社なので、そこまで強力な神ではないんでしょうけど。」

 

「神、ですか。語感だけだと凄く強大なイメージがあるんですけど、実際はそうでもないんですか?」

 

じゃないと『飼い慣らす』のなんて不可能だろう。今まで関わったことのない種族……というか、そもそも種族って言うべきなのかな? 存在? に尻込みする私へと、アピスさんは曖昧な返答を送ってきた。

 

「ピンキリですね。魔女さんでも打ち倒せる神は居ますし、ニューヨークの大魔女でさえ手も足も出ない神も居ます。『神』と言っても様々なケースがあるんですよ。神として生まれたか、神に成ったか、あるいは神を名乗っているだけか。基盤となる『宗教』からして曖昧な概念ですから、そこから派生した神だってそうなるわけです。」

 

「……『様々な神』ですか。一神教を信仰している人からすれば、認め難い定義かもしれませんね。」

 

「いえいえ、至極簡単な話ですよ。彼らからすれば今言った『神』は俗に言う妖怪なんです。正直なところ、使う力が異なっているだけの妖怪の一種と言えなくもないですしね。妖怪が力の源にする恐怖と、神にとってのそれに当たる信仰。この二つは背中合わせの感情ですから。実際神に成った妖怪というのも数多く存在していますし。」

 

「……なるほど、少し分かる気がします。」

 

まあ、恐怖故に崇めるというのは理解できるぞ。アニミズムの源流は大いなる自然への畏れだ。戒律に罰が付き物なように、恐怖と信仰というのは深いところでは共通の感情なのかもしれない。怖いから敬う。それは人間として不自然ではない思考の変遷だろう。

 

妖怪と神との共通点について思考を回し始めたところで、上階から声が響いてきた。エマさんの声だ。

 

「アリスちゃん、アピスさん、ご飯が出来ましたよー!」

 

「はーい、すぐ行きます! ……続きはお昼を食べてからにしましょうか。」

 

「そうですね、ハーフヴァンパイアさんのご飯は美味しいですから。温かいうちに食べるべきです。」

 

然程迷わずに作業を切り上げたアピスさんと一緒に、リビングに続く階段へと移動する。物凄く長生きのアピスさんでも、エマさんの料理はやっぱり美味しいのか。さすがは万能のメイドさんだけあるな。

 

コンソメの匂いが漂ってくるリビングに向かいつつ、アリス・マーガトロイドは毎日それを食べられる幸せを改めて実感するのだった。

 

 

─────

 

 

「……あー、ハリー? キミの名前はハリー・ポッターだったか?」

 

であれば、何故その名前が載っていないんだ。イギリス魔法省の地下二階。魔法法執行部が支配するフロアの廊下の掲示板の前でハリーに問いかけつつ、アンネリーゼ・バートリはもう一度張り出されている羊皮紙を確認していた。……ドラコ・ルシウス・マルフォイと、ロナルド・ビリウス・ウィーズリー。羊皮紙に書かれている名前は何度読み直してもその二つだけだな。どういうことなんだよ。

 

八月十七日の月曜日、今日は先週の月曜と火曜を使って行われた入局試験の結果が張り出される日だ。だから朝早くにいつもの四人で隠れ穴に集まった後、モリーとジニーの見送りを受けてアーサーとパーシーと私たちの六人で魔法省に移動し、今まさに試験の結果を確認しているわけだが……ロンとマルフォイの名前はあるのに、どう見てもハリーの名前が無いぞ。

 

意味が分からん。何かのミスか? あまりにも予想外の展開に思考を停止させていると、私と同じく呆然としているハリーが返事を寄越してくる。力の入っていない声でだ。

 

「確か、僕の名前はハリー・ジェームズ・ポッターのはずだよ。ドラコとロンの間にその名前が無いってことは、つまりはまあ……落ちたってことなんじゃないかな。」

 

「……僕、信じられない。自分が受かったことよりも、ハリーが落ちてるのが信じられないよ。だってそうだろ? 僕が受かってるなら、ハリーはどう考えても受かってるはずだ。いつだってそうだったのに。」

 

「……時間が足りなかったのよ。多分実技の方は問題なかったと思うわ。ハリーなら性格傾向テストもそこまでひどい点数にはならないでしょうし、魔法法の筆記あたりが響いたんじゃないかしら。」

 

どんよりしているハリーと、意味不明だという表情のロン、そして悔しそうなハーマイオニー。放心しながら三人を順繰りに見ている私を他所に、アーサーが苦い顔でハリーに声をかけた。……落ちた? ハリーが? そんなことが有り得るか? ホグワーツ史上最も闇祓いに向いているような卒業生なのに。

 

「ハリー、今回は残念だったね。しかしまだチャンスはあるんだろう? 私の記憶が確かなら、イモリ試験の成績は消えてなくなったりしないはずだ。闇祓い試験の受験資格はまだ残っているよ。」

 

「父さんの言う通りだよ、ハリー。そもそも一発で合格する人の方が少ないくらいなんだ。今の局長のロバーズさんだって三度落ちてるし、一発合格したところでその後の出世に影響するわけでもない。二十五歳の年齢制限までは何度だって受けられるんだから、諦めさえしなければ絶対に闇祓いになれるさ。」

 

「そうよ、ハリー。来年があるわ。来年また挑みましょう。私も手伝うから。」

 

「……うん。」

 

アーサー、パーシー、ハーマイオニーの慰めを受けているハリーは、明らかに無理している感じのぎこちない笑顔でノロノロと首を振っているが……ええい、私は納得いかんぞ。こうなれば責任者に問い質す必要があるだろう。

 

「ちょっとリーゼ、どこに行くの?」

 

「そんなもの闇祓い局に決まっているだろう? ハリーを落としたぽんこつ局長のところだよ。」

 

「まさか貴女──」

 

「心配しなくても今更合格させるようにと迫ったりはしないさ。ただ理由を聞きたいんだ。『個人的に』ね。」

 

そう、個人的に聞きに行くだけだ。だから何が起きてもハリーたちは関係ない。ハーマイオニーの注意を先読みして封じた後、廊下を早足で進んで到着した闇祓い局のオフィスには……おや、ぽんこつ局長どのはこの展開を予想していたらしいな。『やっぱり来たか』という顔のガウェイン・ロバーズが待っていた。

 

「バートリ女史、ポッター君のことですね? 杖に誓って言いますが、評価に私情は一切挟んでいません。むしろ私個人は合格して欲しいと思っていたくらいです。ですが──」

 

「ですが? ですが何だい? 言ってみたまえ。」

 

乗り込んできた私が口を開く前に、用意しておいたのであろう言い訳を連発してくるロバーズを睨み付けてやれば、彼は至極残念そうな顔付きで『ですが』の続きを述べてくる。

 

「魔法法の点数がギリギリで足りなかったんですよ。そこはもうどうしようもありません。性格テストも実技も面接も問題ないどころか高得点でしたが、魔法法の筆記の点数が合格ラインを下回っていたんです。……納得していただけましたか?」

 

「……実技の評価では穴埋めできないのかい?」

 

「闇祓いは魔法法の執行機関です。である以上、最も重視しなければならないのは魔法法への理解度なんですよ。私もあれだけの杖捌きをする候補者を落とすのは惜しいと思いましたが、職務において最重要事項である魔法法をしっかりと把握していないのであれば、闇祓い局の局長として落とさざるを得ません。……同情はします。クィディッチトーナメントで忙しかったんでしょう? それは理解できますし、少ない時間でよくぞここまで覚えたと褒めてあげたいくらいですが──」

 

「分かったよ、もういい。……魔法法の点数がギリギリ足りないだけだったんだね? つまり、そこさえ克服すれば来年の試験でハリーは闇祓いになれる。そういうことだろう?」

 

言い募るロバーズを止めてから冷静な口調に戻して尋ねると、局長どのは心底ホッとしたような面持ちで深々と首肯してきた。

 

「ええ、恐らく合格できるでしょう。魔法警察に渡すのは惜しい人材ですし、こちらとしても来年また受けて欲しいと思っています。ポッター君には是非とも諦めずに挑んでくれと伝えてください。」

 

「ああ、伝えておこう。悪かったね、急に乗り込んできて。失礼するよ。」

 

ロバーズに軽く謝ってから、再び廊下に出てハリーたちの方へと歩を進める。……私にしては冷静さを欠いていたな。どうやら自分で思っている以上に、ハリーが落ちたという事実がショックだったらしい。

 

「やあ、戻ったよ。」

 

「リーゼ、変なことしてないわよね? ……例えばその、ロバーズ局長を脅したりとか。」

 

「するわけがないだろう? 私を何だと思っているんだい? ……まあ、納得のいく説明はもらえたよ。やっぱり魔法法の筆記が問題だったみたいだ。」

 

ハーマイオニーに弁明してから報告すると、ハリーは分かり易く落ち込みながら頷いてきた。原因を強いて挙げるとすれば、ロバーズが言っていた通りクィディッチトーナメントだろうな。七年生の大半をクィディッチに割いたのはやはり痛かったようだ。ハーマイオニーが全力で協力しても無理だったんだから、何をどうしてもこうなる定めだったのかもしれない。

 

「……うん、僕としても納得だよ。詰め込むのが間に合わなかったみたいだね。」

 

「しかしだ、ハリー。それでもギリギリのところまでは迫れていたらしいぞ。来年は恐らく合格するだろうとロバーズも言っていたよ。……元気を出したまえ。長い人生の中のたった一年じゃないか。この七年間色々と頑張ってきたんだから、一年くらいゆっくり過ごしてもバチは当たらないはずさ。」

 

「……リーゼは魔法警察をやらないで闇祓いに集中した方がいいと思う?」

 

「私はそう思うね。キミの場合は金銭的な余裕があるわけだし、この一年は勉強しながら見聞を広めるのに使ったらどうだい?」

 

闇祓い試験の受験資格は、魔法警察部隊の入省試験免除の条件と同じなのだ。だから闇祓い試験に落ちた者はそのまま魔法警察に入隊することが多い。その後試験を受け直して魔法警察から闇祓いになるのは勿論可能だが、居ついてしまう者も少なくないんだとか。

 

私の助言に続いて、パーシーもまた賛同の意見を口にした。

 

「僕もアンネリーゼと同意見だ。魔法警察だって簡単にやれる仕事じゃないんだから、一年目はかなり忙しくなると思うよ。勉強の時間も削られるだろうし、それが原因で闇祓いを諦めた魔法使いだって居るはずだ。ハリーがあくまで闇祓いを目指すのであれば、魔法警察への入隊権利は蹴るべきじゃないかな。」

 

「……だが、一つだけ忘れないように。イモリ試験の結果で入省試験が免除になるのは今年だけだ。来年度以降に他の部署に入省したいとなると、それぞれの部署が定める試験を受けなくちゃいけなくなる。それを踏まえた上で決めるべきだよ、ハリー。」

 

アーサーが飛ばした大人の忠告を聞くと、ハリーはちらりと自分の名前が載っていない試験結果に目をやってから……決心した表情で口を開く。

 

「僕、魔法警察には入らない。来年の闇祓い試験を優先するよ。」

 

「よし、君がそう決めたならそうすべきだね。」

 

うむ、それが一番だろう。アーサーがハリーの肩をポンポンと叩きながら微笑むのを尻目に、ロンへと笑顔で言葉を放つ。ロンは見事に合格したんだから、きちんと祝っておかないとな。

 

「ロン、おめでとう。九月から晴れて闇祓いだね。」

 

「ちょっと複雑な気分だけどな。それに、まだ『闇祓い候補生』だよ。九月からは厳しい訓練の始まりだ。」

 

「なぁに、今までの騒動に比べれば楽なもんさ。来年ハリーに先輩風を吹かせられるくらいになっておきたまえよ。」

 

「まあ、頑張るよ。……というか、僕の同期はマルフォイってことになるのか。そこも若干複雑だな。」

 

そういえばマルフォイも合格したんだったか。条件としてはハリーと同じなのに、よくもまあ合格できたもんだ。……案外努力を惜しまないタイプなのかもしれないな。それを表には出さないのが何ともマルフォイっぽいぞ。

 

羊皮紙に載っている二つの名前を見ながら、アンネリーゼ・バートリは予想外の結末に小さく息を吐くのだった。数々の難敵を打ち破ってきた『生き残った男の子』に、初めての敗北を味わわせたのは闇祓い入局試験だったわけか。何とも皮肉が効いてるな。

 



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わおーん

 

 

「うへ、ハリーはダメだったのか。残念だったな。」

 

ダイアゴン横丁の大通りを歩きながらアリスに相槌を打つ魔理沙を横目に、サクヤ・ヴェイユは微妙な気分で眉根を寄せていた。ポッター先輩のことは別に好きじゃないが、就職試験の不合格を喜ぶほど嫌っているわけでもないし……まあうん、私としてもちょっと残念って感じだな。

 

私と魔理沙は日本で行われたクィディッチワールドカップの観戦を終え、母国たるイギリスに帰国した直後だ。帰国のためのポートキーで到着したのは魔法省だったのだが、魔理沙が日本の魔法界やマグル界で見つけ出した独特な『悪戯グッズ』を早く双子先輩の店に届けたいと主張したため、迎えに来てくれたアリスに一度付添い姿あらわしで双子先輩の店に連れて行ってもらってから人形店に移動しているのである。

 

しかし双子先輩たち、予想以上に魔理沙の『収穫』を喜んでいたな。私が見た限りでは可愛らしいと言えるレベルの品々だったのだが、あの二人にかかれば凶悪な悪戯グッズへと変貌を遂げるに違いない。またホグワーツの持ち込み禁止リストが長くなりそうだと思っていると、アリスが魔理沙へと返答を送った。苦笑いで午前中のダイアゴン横丁を眺めながらだ。

 

「私もまあ、ちょっと予想外だったわね。ハリーはそもそも成績が良い方の生徒だったし、やっぱりクィディッチに時間を割いたのが痛かったみたいよ。リーゼ様によればギリギリでの不合格だったらしいから、来年は受かるんじゃないかしら。」

 

「来年か。それでも残念だぜ。……そういえば、スーザンは試験免除で国際協力部に入るんだってよ。ワールドカップの準決勝の会場で会ったんだ。」

 

「アメリアの姪っ子よね? 代表キーパーをしてた。」

 

「そうそう、スーザン・ボーンズ。今年の協力部は当たり年になるかもな。ハーマイオニーとスーザンってのは中々強力なタッグだと思うぞ。」

 

ハーマイオニー先輩が入るって時点で『当たり年』は約束されてるんじゃないか? 指導する立場の人たちは大変だろうなと同情しつつ、お土産で重くなっているトランクを持ち直したところで、アリスが私たちに別の話題を投げてくる。

 

「あと、フクロウ試験の結果が届いてるからね。まだ開けてないから帰ったら見せて頂戴。」

 

「あー、それもあったか。……まあ、悪くない結果だと思うぜ。そこそこ手応えはあったしな。」

 

「私も自信あるから大丈夫。」

 

「そうね、私としても正直そんなに心配してないわ。……はい、到着。お帰りなさい、二人とも。」

 

うーん、帰ってきたって気分だ。今回の旅行の中で、もしかしたら私は今が一番『旅行した感』を得られているかもしれない。人形店のドアを開けてくれたアリスに返事をしながら、店舗スペースに入ってみれば……ええ? アピスさん? 何故か妖怪の情報屋さんが店番をしているのが目に入ってきた。

 

「お帰りなさい、魔女さん。魔女見習いさんとメイド見習いさんはお久し振りです。」

 

「えっと……お久し振りです、アピスさん。」

 

「よう、アピス。まだ人形作りの勉強は続いてるのか?」

 

「そういうことですね。なので店番をしていました。」

 

何がどう『なので』なのかは分からないが、兎にも角にも慣れた様子でガラスケースの中のケーキを整理していたアピスさんは、パッと作業を切り上げて奥の作業場へと消えて行く。独特というか自由というか、自分のペースを崩さない性格っぽいな。美鈴さんの『ローテンション版』みたいな妖怪さんだ。

 

「それでは私は修行に戻ります。魔女さんが留守の間にいくつか売り切れましたから、確認しておいてください。」

 

「了解です。……じゃあ、私はこっちに居るからエマさんから結果を受け取ってね。リーゼ様も多分リビングに居るはずよ。」

 

「うん、後でお土産を渡すね。」

 

「楽しみにしておくわ。」

 

アピスさんの代わりにカウンターへと移動したアリスに応じてから、魔理沙と共に階段を上ってリビングルームに足を踏み入れると……おお、リーゼお嬢様だ。久々にお嬢様の姿を見ると凄くホッとするぞ。たった二十日間程度とはいえ、こんなに長くお嬢様から離れるのは子供の頃以来だし、実は自分で思っていた以上に寂しかったのかもしれない。

 

私がリーゼお嬢様を目にして謎の感動を覚えている間にも、ソファに座っていたお嬢様とキッチンのエマさんが声をかけてきた。

 

「おや、お帰り二人とも。ワールドカップは楽しめたかい?」

 

「お帰りなさい、咲夜ちゃん、魔理沙ちゃん。」

 

「ただいま帰りました、リーゼお嬢様、エマさん。」

 

「おう、ただいま。限界まで楽しんできたぜ。……ほれ、お土産だ。お菓子ばっかりだけどな。」

 

魔理沙が早速とばかりにトランクを開けてお土産を出すのを尻目に、とりあえずダイニングテーブルに近付いてみれば……封筒だ。ホグワーツの紋章で封蝋されている二通の封筒。間違いなくこれがフクロウ試験の結果だろう。私たちが帰ってくるからエマさんが置いておいてくれたのかな?

 

「開けてもいいですか? これ。」

 

一応リーゼお嬢様に許可を求めてみると、彼女は魔理沙からお土産を受け取りながらこっくり頷いてくる。あれは確か、可愛らしいヒヨコの形をしたお饅頭だったはずだ。お土産屋のお姉さんが薦めてくれたやつ。

 

「ああ、勿論だ。キミたちの手紙だからね。すぐ用意しないといけないから、来学期の必要教材も確認しておくように。……ふん、饅頭まで羽毛派か。コウモリの形のは無かったのかい?」

 

「えーっと、お土産屋の店員さんに聞いてはみたんですけど……日本じゃコウモリはあんまり人気がないみたいでして。すみません。」

 

「まあいいよ、羽毛派のガキを食ってやるとしようじゃないか。……ふむ? そう考えると良い土産に思えてきたね。」

 

「何だよその感想は。……一緒に見ようぜ、咲夜。私のはこっちか?」

 

リーゼお嬢様に突っ込んでから自分の名前が書かれている封筒を手に取った魔理沙と一緒に、封を開けて中の試験結果を確認してみれば……うーむ、ほぼ予想通りだな。私のフクロウ試験の成績がずらりと並んでいた。

 

変身術、呪文学、天文学、飼育学、マグル学が『O・優』。そして防衛術、魔法薬学、薬草学、魔法史、ルーン文字学が『良・E』だ。それ以下の成績は無いようだし、となると私は十フクロウという『逆転時計なし』における最良の成績を取ったことになる。満足できる結果だと言えるだろう。

 

「私は十フクロウだったわ。魔理沙は?」

 

「ん、私もだ。意外にも魔法史が可だったぜ。」

 

「……貴女も十フクロウなの? 見せて頂戴。」

 

ちょびっとだけ自慢げに送った報告に対して、魔理沙が予想外の答えを返してきたことに驚きながら彼女の成績をチェックしてみると……私よりも優が多いじゃないか。防衛術、変身術、呪文学、魔法薬学、薬草学、天文学、ルーン文字学、飼育学が軒並み『O・優』で、魔法史とマグル学だけが『可・A』だ。

 

これ、負けてないか? フクロウ試験に関しては私が勉強を教えていたのに。愕然としながら魔理沙の成績を見つめている私へと、当の魔女見習いはあっけらかんとした笑みで暢気な発言を寄越してきた。

 

「いやぁ、二人とも十フクロウで良かったな。私だけ九とか八だったら悲しくなってたぜ。」

 

「……魔理沙? 私は八フクロウだったんだが、何かそれについて含むところがあるのかい?」

 

「へ? ……いやいや、そういう意味じゃないって。大体さ、お前の場合は真面目に受けてなかったんだろ?」

 

「授業は真面目に受けていなかったが、試験自体はそこそこ真面目に受けたぞ。……そら、どうした。八フクロウであることにどんな問題があるのか言ってみたまえよ。ハリーも同じ八フクロウだったし、闇祓い試験に一発合格したロンは七フクロウだ。私からすれば何一つ問題ないように思えるがね。」

 

ジト目のリーゼお嬢様に詰め寄られている魔理沙を横目に、もう一度二通の成績表を見比べてみるが……負けてる。何度見ても負けてるぞ。こんな時まで本番に強いだなんてズルいじゃないか。

 

魔理沙の成績が良かったのは友人として嬉しいが、同時に彼女はある種のライバルでもあるのだ。その相手に割とボロクソに負けたというのは普通に悔しい。というか、物凄く悔しいぞ。何たって魔理沙はクィディッチも頑張っていたのだから。

 

……もっと努力しなければいけないな。魔理沙は常々自分で口にしているように、所謂『天才肌』の人間ではない。ならばこの成績が物語っているのは私の努力不足だ。私の方が時間があったし、精神的な余裕もあった。それなのに私の方が悪い成績なのは、日々の努力が不足しているからだろう。

 

「バカにしているんだろう? 賢い私には分かるんだぞ。キミ、『二フクロウ分』私のことを下に見てるね?」

 

「ああもう、しつこい吸血鬼だな。他意は無いって言ってるだろうが! エマからも言ってやってくれよ。」

 

「そうですね、十フクロウ? のお祝いをしないといけませんね。お昼はちょっと間に合いませんけど、夕ご飯は期待しておいてください。」

 

背後の若干噛み合っていない会話を聞き流しつつ、サクヤ・ヴェイユは己の学生生活を見直すことをひっそりと誓うのだった。

 

 

─────

 

 

「……お前、東風谷に何をしたんだ? 正直に言え、リーゼ。変な妖術を使ったろ?」

 

どこまでも自然な動作でリーゼの手を取って、指示待ち状態の犬のようにちらちらと性悪吸血鬼の顔色を窺っている東風谷を前に、霧雨魔理沙は半眼で『悪行』の有無を問い詰めていた。何だこの傍目にも分かる『従順っぽさ』は。こんなもん絶対に何か良からぬことをしただろうが。

 

楽しかった日本旅行を終えてイギリスに帰国した翌日、私は日本で結んだ中城との契約を果たすべく、東風谷と会う予定だというリーゼに引っ付いてマグル界のロンドンに出てきたわけだが……対処に入るのが遅かったのかもしれんな。パッと見た限りではもう東風谷は何かされている雰囲気だし、このままでは中城に申し訳が立たんぞ。どうすりゃいいんだ。

 

待ち合わせ場所である東風谷が泊まっているホテルのロビー。そこに登場した途端に明らかな異常を見せた『被害者』こと東風谷早苗は、リーゼが抗弁する前に私に質問を連発してくる。何とも能天気な笑顔でだ。

 

「あれ、霧雨さん? わあ、お久し振りです。お友達とワールドカップを観に行ってたんですよね? マホウトコロの取り仕切りはどうでしたか? トラブルはありませんでした?」

 

「トラブルは特に無かったし、良いワールドカップだったが……それよりお前はどうなってるんだよ。リーゼに何かされたのか?」

 

「リーゼさんに? とっても良くしてもらってますよ? 色々と買ってもらっちゃって申し訳ないくらいです。」

 

「いいんだよ、早苗。今日も欲しい物があったら何でも買ってあげよう。もうすぐ日本に帰っちゃうんだから、その前に楽しまないとね。」

 

うわぁ、物凄く不気味だな。『親切なリーゼ』というのは、『朗らかなムーディ』よりも薄気味悪い存在だったらしい。ニコニコ微笑むペテン師吸血鬼に鳥肌を立てながら、その耳元でこっそり問いかけた。

 

「お前、魅了を使ったんだろ。」

 

「失礼なことを言わないでくれたまえ。やったってどうせ後でバレちゃうんだから、『人外的』な手段は一切使っていないよ。早苗のこの状態は純粋な技術によるものさ。」

 

「技術って何だよ。」

 

「バートリ家流の人心掌握術に決まっているだろうが。……あんまり余計なことを口走るようなら追い返すからね? 私の計画をおじゃんにするのは許さんぞ。」

 

おいおい、本気の声色じゃないか。一体全体何を企んでいるんだよ。ドスの利いた声で脅してきたリーゼに怯んでいると、東風谷がきょとんとした表情で話しかけてくる。

 

「どうしたんですか? 二人とも。」

 

「ああいや、何でもないよ。この小娘が自分にも何か買えと煩くてね。我儘はダメだって注意してたんだ。魔理沙は早苗と違って聞き分けが良くないのさ。」

 

「そ、そうなんですか?」

 

「困ったもんだよ、まったく。……早苗は違うだろう? 私が頼めば何でもやってくれるね?」

 

適当なことをのたまっている嘘吐き吸血鬼の確認を受けて、東風谷は大慌てでぶんぶん頷くが……ちょっと慌てすぎじゃないか? リーゼの期待に背くことを随分と恐れている感じだ。『なんとか症候群』って名前が付きそうな状態だな。

 

「はい、やります。もちろんやります。」

 

「じゃあ、ここで犬の遠吠えの真似をしてみてくれ。わおーんってやつ。」

 

「はい! ……はい? ここでですか? でも、人が沢山居ますし──」

 

「嫌なのかい? ならいいよ。残念だな、早苗ならやってくれると思ったんだが。見込み違いだったか。」

 

何の見込みだよ。意味不明すぎるぞ。東風谷が躊躇ったのを見て分かり易く冷たい声色になったリーゼは、つまらなさそうな顔付きで謎の要求を撤回しようとするが──

 

「わ、わおーん!」

 

「ちょちょ、東風谷? 何してんだよ、みんなびっくりしてるだろうが。」

 

「わおーん! わおーん!」

 

「いやいやいや、もうやめろって。ヤバいヤツだと思われるぞ。」

 

嘘だろ? マジでやるのか。涙目で顔を真っ赤にしながらも、私の制止を無視して東風谷はド下手くそな犬の遠吠えの真似をホテルのロビーに響かせ続ける。そんな彼女を目にして、リーゼは至極満足そうな笑顔で東風谷の頭をわしゃわしゃと撫で始めた。……もうこれ、関係者だと思われたくないんだが。離れちゃダメだろうか?

 

「早苗、良い子だ! キミなら絶対にやってくれると信じていたよ! なんて可愛い遠吠えなんだ。よしよし、よく頑張ったね。」

 

「はい、リーゼさんのお願いなので頑張りました。恥ずかしかったですけど、これでいいんですよね?」

 

「ああ、完璧さ。それでいいんだ、早苗。私はそんなキミが大好きだよ。」

 

終わったな。完全に終わった。リーゼは邪悪の権化みたいなやり方で『忠誠テスト』をしているし、それに従ってしまう東風谷は既におかしくなっているし、そうなれば私は約束不履行でブレイジングボルトを受け取れない。全てが終わりだ。絶望だ。

 

「それじゃあ行こうか。三人で適当に街をぶらついてみよう。」

 

「はいっ、行きましょう! ……霧雨さん、どうしたんですか?」

 

「……何でもないぜ。行こう。」

 

意気揚々と先導し始めたリーゼを重い足取りで追いながら、邪悪な妖怪に手を引かれている東風谷に返事をした後で思考を切り替える。……落ち着け、私。まだ望みはあるぞ。だって咲夜もリーゼからああ言われれば同じことをするはずだ。そして咲夜はおかしくない。だったら東風谷もおかしくないと言えなくもないはず。

 

我ながら滅茶苦茶な論法だが、私は東風谷におかしくなって欲しくないし、それ以上にブレイジングボルトが欲しい。中城からスペック表を貰って以来、夜寝る前に必ず読んでいる所為で内容を暗記してしまったほどなのだ。今更『おあずけ』なんて耐えられんぞ。そんなの嫌だ。

 

だから私は諦めないぞ。邪智に富んだ卑劣で邪悪で油断も隙もない性悪吸血鬼の手から、コロッと誑かされている純粋な東風谷を取り戻してみせようじゃないか。七百ガリオンもするブレイジングボルトのために。新しい相棒のために。

 

自らの正当性を確信しつつ、霧雨魔理沙は気合を入れ直して二人を追うのだった。

 



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守矢の二柱

 

 

「おい、何故キミは間に割り込んでくるんだ? 邪魔だぞ。」

 

この小娘、一丁前に番犬気取りか? 私と早苗が手を繋ぐのを断固として妨害してくる魔理沙へと、アンネリーゼ・バートリは小声で文句を飛ばしていた。何だってそこまで必死になるんだよ。別にそれほど親しいってわけでもないだろうに。

 

夏休みも終わりが近付いてきた……いや、もう卒業した私には関係ないんだったか。まだまだホグワーツの生活が抜け切っていないらしいな。兎にも角にもよく晴れた八月の下旬、私たちは非魔法界のロンドンにショッピングに繰り出しているのだ。

 

今日の目的は今や仕上げの段階に入っている早苗の『調教』の続きと、大事な話し合いを済ませることなのだが、そのために同行を許した魔女っ子がいよいよ邪魔になってきたのである。手を繋ごうとすれば即座に間に入り、隙あらば私の悪評を吹き込もうとする上、早苗で遊ぼうとすると制止してくる始末。心が広い私でもそろそろ限界だぞ。

 

消している翼をイライラと動かす私へと、魔理沙も魔理沙で苛々している声色で応じてきた。

 

「お前が変なことをさせようとするからだろうが。東風谷のやつ、もう少しで街路樹に登るとこだったんだぞ。この通行者が多い大通りでだ。」

 

「面白いじゃないか。私が頼めば早苗は天下の往来で歌を歌ってくれるし、人気の店で代わりに並んでくれるようになったんだよ。私が頑張った成果なんだから、ちょっとくらい楽しんでもバチは当たらないだろう?」

 

「正にそれが問題なんだよ。何だって神はお前に『バチ』を与えないんだ? どんな熱心な信者でも、お前を見れば神の存在を疑い始めるだろうさ。歩く無神論の証明だぜ。」

 

「それはだね、魔理沙。神は人間なんか気にしちゃいないからだよ。神も妖怪も人間も自分が一番大切なのさ。おめでとう、一つ勉強になったね。……ほら、分かったら邪魔をするのをやめたまえ。魔女見習いだったら魔女らしく悪巧みの手伝いをしたらどうなんだ。」

 

通りを歩きながら顔を寄せて言い争う私たちを他所に、早苗は目をキラキラさせてショーウィンドウを順繰りにチェックしている。お前は知らんだろうが、この子は結構な『買い物狂』なんだぞ。その費用を誰が出したと思っているんだ。

 

「そもそもキミね、早苗にどれだけの金額を注ぎ込んだと思っているんだい? それを考慮すれば街路樹に登らせるくらい正当な対価だよ。その上でダンスをさせたっていいほどさ。」

 

「金の問題じゃないだろうが。尊厳の問題なんだよ。エマにも咲夜にもこんなことはさせない癖に、どうして東風谷では『遊びたがる』んだ?」

 

「エマも咲夜も大切な身内だからさ。身内にそんなことをさせるわけがないだろう? 私が遊ぶのはオモチャでだけだよ。」

 

「極悪だぜ。お前は極悪吸血鬼だ。東風谷の好意を何とも思わんのか? あんなに懐いてくれてるんだから、普通は優しくしてやろうって思うだろうが。」

 

優しくしているじゃないか。好きなだけ買い与えて、褒めまくって、こうして興味ゼロのショッピングにも付き合っているんだぞ。これ以上どう優しくしろって言うんだよ。

 

生意気な魔女っ子に反論を放とうとしたところで、ピタリと立ち止まった早苗がこちらをジッと見つめてきた。そら見ろ、来たぞ。毎度お馴染みの『おねだり』の時間だ。多分『ちょっといいですか?』が飛んでくるな。

 

「リーゼさん、ちょっといいですか?」

 

「遠慮せずに言ってごらん、早苗。何が欲しいんだい?」

 

「えっとですね、この香水なんですけど……日本でも憧れてたんです。大人の女性って感じで。だけど高くて手が出せなかったから──」

 

「よし、買ってあげよう。私が居る限り、キミに手を出せない物なんて存在しないんだ。任せておきたまえ。」

 

早苗のやつ、またしても高い物を選んだな。内心では呆れつつも、外面は優しげな笑みを保って店の中へと足を踏み入れる。……だがまあ、この子が選んだということは値段相応の品なのだろう。早苗は基本的に第一印象だけで買う物を選んでいるようなのだが、不思議と質の悪い物には一切手を出さない。それはこれまでの二十日間で確認済みだぞ。

 

審美眼があるというよりも、カンが良いと表現すべきかな? 素材に詳しいわけではなく、またブランドや流行り廃りにも疎いらしいのだが、早苗は何故か的確に『一流の品』を選んでくるのだ。だからこそ金がかかっている私からすれば、褒めるべき点なのかは正直微妙なところだが。

 

「……よう、東風谷。リーゼには結構色々な物を買ってもらったのか?」

 

「そうですね、沢山買ってもらいました。バッグとか、服とか、アクセサリーとか、時計とか靴とか帽子とかを。荷物が凄く多くなっちゃったので、帰る時にポートキーで飛べるかがちょっと心配です。」

 

「お前な、何の意味もなくそんなにじゃんじゃん買ってくれるヤツが居ると思うか? どう考えても打算があるからだろうが。……言っておくが、リーゼは絶対に『元を取る』タイプの吸血鬼なんだからな。後々になって後悔しても──」

 

「買ったから行くぞ、魔理沙。余計なお喋りはそこまでだ。」

 

早苗が選んだ香水の会計を済ませつつ考えた後、しつこく私の悪口を言っている魔理沙の後頭部をぺしんと叩いて店を出た。すると当然睨み付けてきた小娘を無視しながら、早苗に香水が入っている袋を渡すついでにそっと囁く。何をしても無駄だぞ、魔女っ子。私とお前では『説得』の技量が違うのだ。

 

「すまないね、早苗。魔理沙はキミに私を取られるんじゃないかって嫉妬しているんだよ。適当に受け流してくれたまえ。」

 

「し、嫉妬? でも、霧雨さんはリーゼさんのことが嫌いなんじゃ? そんな感じで話してましたけど。」

 

「それが違うんだよ。あの小娘は私を独占したいだけさ。嫉妬に狂ってキミと私の仲を引き裂こうとしているわけだね。……だが、安心してくれ。私にとってはキミの方が大切だから。魔理沙には内緒だぞ。」

 

「へ? ……それはその、ありがとうございます。」

 

純度百パーセントの嘘を口にしながら早苗の頬に手を添えて、親指だけですりすりと摩る。そのまま徐々に赤くなってきた彼女へと、魔理沙に邪魔をされる前に言葉を付け加えた。

 

「だからまあ、ほどほどに相手をしてやってくれたまえよ。ちょっと可哀想だろう?」

 

「わ、分かりました。」

 

「おいこら、こそこそ話はやめろよな。」

 

「何でもないから気にしないでくれたまえ。……それより、少し早苗を頼めないか? 済ませておきたい用事があるんだ。」

 

釘は刺したし、適当な『序列付け』も済んだ。こう言っておけば早苗は魔理沙に然程影響されないだろう。……上だったり対等だったりする相手からの助言は素直に耳に入るが、下位の存在からのそれは無意識に軽く受け取ってしまうものだ。魔理沙が私についてを吹き込んでいたように、私だってここまでの道中で魔理沙のことをそれとなく吹き込んでおいた。今の状態なら多少目を離しても大丈夫なはず。

 

「ん? そりゃあ別にいいけどよ、用事って何だ?」

 

そうとは知らず『チャンスだ!』という顔付きで尋ねてきたぽんこつ魔女っ子へと、身に着けているウェストポーチをポンと叩きながら返事を返す。相変わらず顔に出るヤツだな。分かり易すぎるぞ。

 

「どこかのカフェで『三者面談』をしたいのさ。そのための忌々しい札も持ってきてあるしね。……早苗、そろそろキミに憑いている二柱と話そうと思うんだ。構わないかい?」

 

「えと、もちろんお二方とリーゼさんが話すのは問題ありませんけど……やっぱり私が同席しちゃダメなんですか?」

 

「まあ、込み入った話になりそうだからね。心配しなくてもキミを含めた四者で話す機会は別に設けるから、今回は魔理沙とショッピングの続きをしておいてくれたまえ。金も預けておくよ。」

 

「はい、分かりました。そういうことなら全然問題ありません。」

 

『ショッピング』と聞いて笑顔で頷いた早苗に……じゃなくて、財布は魔理沙に預けておくべきだな。金銭感覚がある程度まともな魔理沙に財布を渡した後、踵を返してさっき見つけておいたカフェへと向かう。

 

「おい、ちゃんとカフェの分の金は持ってんのか? それと、お前の用事が終わった後にどうやって合流すればいいんだ?」

 

「持ってるし、終わったら勝手に探し出すよ。こっちのことは気にしないで二人で楽しみたまえ。」

 

やはり魔理沙の方が信頼できそうだな。必要な確認を投げてきた魔女っ子へと背中越しに返答してから、ロンドンの大通りをひたすら歩く。神たちは恐らく自由に動き回れないはずだ。自分たちの領域である神社の敷地内か、巫女であり『最大の信仰者』たる早苗の近く。そういった場所以外だと長くは活動できないのだろう。

 

とはいえ神力の篭った退魔の符があれば話は別だし、先程の会話自体は神たちも耳にしていたはず。だから多分今は私について来ている……よな? 幾ら何でもほんの僅かな時間すら早苗から離れられないってことはあるまい。カフェまでは自力でついて来てくれるはずだ。

 

若干不安になりながら早歩きでカフェにたどり着き、店内に入って隅の目立たないテーブル席を選んだ後、ウェストポーチから封印がかかっている紙袋を取り出す。退魔の符を仕舞うために妖力で封印をかけるってのはおかしな話だが、こうでもしないと強力すぎて持ち歩けないのだ。更に言えば神力を遮断しておかないと二柱に勝手に利用されて、早苗と切り離して交渉するという目的が果たせなくなる可能性もある。封印しておくのは当然の対策だろう。

 

ちなみに入っているのは二枚だけ。二柱にあまり大きな力を持たせるのも厄介だし、三枚以上だと持ち運ぶための封印が面倒くさい。早苗によれば二枚で一時間前後は会話できたらしいので、とりあえずの接触には二枚あれば充分なはずだ。

 

自分の選択に納得しながら慎重に封印を解いて、直接触れないように紙袋をひっくり返して中の神札をテーブルの上に落とした瞬間──

 

「貴様、何を企んでいる! あの子に妙なことをしたら後悔することになるぞ!」

 

おお、いきなりの一喝か。何とも神らしい登場の仕方じゃないか。途端に実体を持った神の片方が、テーブルをバンと叩きながら怒鳴ってきた。青が強めの紫色の肩にかかる程度の髪と、茶色に近い赤の瞳。胸の部分に謎の鏡が付いた古臭いデザインの赤い上着を着ており、下はちょっと赤が入っている黒のロングスカート姿だ。見た目の年齢は紫と同じくらいだな。

 

「落ち着きなよ、神奈子。神について詳しいみたいだし、廃れた神が現役バリバリの大妖怪を脅しても意味ないっしょ。」

 

そして苦笑しながら冷静に対面の席に着いたもう一柱は、ホグワーツの一、二年生ほどの見た目だ。青紫と白を基調とした……呼称が分からんが和風然とした民族衣装っぽい服装で、透き通るような金髪の上には一対の目玉が付いた奇妙な帽子を被っている。両者ともに現代基準だと非常識な格好ではあるものの、どちらかと言えばこっちの方が『神っぽさ』を感じるな。醸し出す雰囲気が人外のそれだぞ。

 

「まあ、そっちの……『諏訪子』だったか? が言う通りだよ。残念ながら、今のキミたちが私に掠り傷一つ付けられない程度の力しか持っていないことは承知しているんだ。脅しは無意味だから大人しく座りたまえ。」

 

余裕綽々の態度で言い放ってやれば、怒っていた方……こっちが『神奈子』か。は気の強そうな目付きで私を睨みながら荒々しく斜向かいに腰を下ろした。

 

「あまり神を舐めるなよ? 妖怪。貴様が思っている以上に私はあの子のことを重視していて、あの子を守るためなら手段を選ばないつもりなんだ。侮ってかかると足を掬われるぞ。」

 

「足を掬う程度のことしか出来ない癖に、居丈高に振る舞うのは賢い行いじゃないと思うがね。」

 

「そうだよ。……ほらもう、神奈子がうるっさい大声を出すから店員さんが来ちゃったじゃん。謝らないと。」

 

「……お前、どっちの味方なんだ。」

 

ほう? 天然でやっているのか計算でやっているのかは不明だが、この二柱は『良い警官、悪い警官』をやる気のようだ。そんな使い古された手に引っかかるかよと呆れつつ、近付いてきた女性店員に弱い魅了を使ってから英語で声をかける。

 

『やあ、アイスティーを三つ頼むよ。それと近くの席には客を座らせないでくれ。いいね?』

 

『……はい、かしこまりました。』

 

ぼんやりした表情で素直に首肯した店員を見送ったところで、神奈子が睨んでいるのを完全に無視している諏訪子が口を開く。へらへらと掴み所のない笑みを浮かべながらだ。……一見すると理性的だが、交渉の障害になりそうなのはむしろこっちだな。この二柱においては目玉帽子の方が『頭脳役』なわけか。

 

「いやー、凄いね。妖術? 吸血鬼ってのはやっぱり人を操る類の妖怪なんだ。……早苗から聞いてるみたいだけど、一応自己紹介しとくよ。私が洩矢諏訪子で、こっちの喧しいのが八坂神奈子ね。」

 

「ふぅん? 吸血鬼について詳しくないのかい? ……早苗と一緒だったキミたちの方も当然ご存知だと思うが、アンネリーゼ・バートリだ。よろしく頼むよ。」

 

「うんうん、よろしく。吸血鬼ってのは今まで関わったことがない妖怪だから、私たちはよく知らないんだ。ごめんね?」

 

「ま、そこは別にいいよ。日本に同族が居ないのは知ってたしね。」

 

椅子に深く腰掛けて足を組みながら言ってやると、目玉帽子は友好的な笑顔で話を進めてきた。表面上だけはの話だが。

 

「んで、アンネリーゼちゃんは私たちと何の話をしたいの? 時間は有限なわけだし、さっさと進めちゃおうよ。」

 

「早苗の背後で話を聞いていたなら予想は付いているだろう? 幻想郷の話だよ。……単刀直入に問うが、キミたちは移住することに賛成かい?」

 

「んー、私は反対かな。神奈子は?」

 

「……一概に賛成は出来ない。第一に貴様を信用できないし、第二に早苗の意思が最優先だ。」

 

うーん、マズいな。紫髪は反応を見るにやりようがありそうだが、厄介な方である目玉帽子は明確に反対してきたぞ。舌打ちしたくなる展開にうんざりしつつ、ポーカーフェイスで質問を送る。

 

「諏訪子の方の理由も聞かせてくれるかい?」

 

「あれ? 名前で呼んでいいって言った覚えは無いんだけどなぁ。……まあいいや、答えてあげる。単純に興味ないからだよ。神としての復権にも、人外の楽園とやらにもね。」

 

「ふぅん? 名高き『洩矢神』とは思えない台詞だね。過去の隆盛が懐かしくないのかい?」

 

「うわ、そこまで調べたんだ。やるじゃん。……でも、私は本当に興味ないんだよね。このまま消えちゃっても全然構わないかな。とっくの昔に神は引退してるし、消えたくないって足掻くほど小物でもないから。」

 

くそ、一番やり難い理由だな。さっきの店員が持ってきたアイスティーを一口飲んでから、説得のための一枚目の札を切った。

 

「しかしだね、早苗はキミたちと共にあることを望んでいるようだよ? デメリットがあるわけでもないんだし、彼女が死ぬまでの間くらいはそうしてあげればいいじゃないか。」

 

「あるじゃん、デメリット。早苗はこっちで生きて死んだ方が絶対に幸せな人生を送れるわけでしょ? アンネリーゼちゃんが言うように、私たちは早苗との会話を横で聞いてたんだけど……幻想郷ってのはこっちほど便利じゃないみたいだね。あの子がゲームも漫画もアニメも無い場所での暮らしを望むとは思えないかな。」

 

「だが、そこでの暮らしにはキミたちが居る。早苗は不便さとキミたちを天秤にかけてキミたちを選んだんだよ。」

 

「『誘導した』の間違いでしょ。さっきみたいな怪しげな術こそ使わなかったみたいだけどさ、誘導したって自覚はあるはずだよ。」

 

勿論自覚はあるし、この二柱にはそれを隠すつもりなどない。堂々と頷いてから肯定を口にする。

 

「あるが、早苗自身の望みであることもまた確かだ。私は彼女の本音を表に引き出しただけだよ。それは私よりもキミたちの方が分かっているはずだが?」

 

「そだね。だから私は私を好いてくれる早苗のことが好きだし、故に幻想郷とかいう訳の分かんない土地なんかに行かせたくないの。……大体さぁ、全部アンネリーゼちゃんから出た情報なわけじゃん? そんなの信用できないって。」

 

「妖怪として名に誓ってもいいよ。こと幻想郷に関する話に嘘は無いさ。そういう部分を偽ったら、後でしっぺ返しがあることを予測できないほどの間抜けに見えるかい?」

 

「いやまあ、そりゃ見えないけどさ。アンネリーゼちゃんは要するに、私たちのことを利用したいんでしょ? 神としての力を取り戻した後の私たちのことを。……んじゃ、分かり易くいこうよ。私たちのメリットと早苗のメリット、そしてアンネリーゼちゃんが提示する『条件』。それを言ってみ? デメリットの方はこっちで勝手に考えるから。」

 

アイスティーに口を付けてから薄笑いで尋ねてきた目玉帽子へと、頭の中を素早く整理してから応答した。……未来の同盟者候補相手に情報を絞るのは下策だな。ここは素直に話しておくか。

 

「先ず、当然ながら早苗のメリットはキミたちとまた一緒に暮らせるようになることだ。というか、幻想郷に行けば今まで以上に触れ合えるだろうね。そしてその幻想郷に行くための管理者に対する交渉を私が担うことと、向こうでの生活の基礎を手に入れるための援助をしてもらえるってとこかな。」

 

「なるほどね、なるほどなるほど。それじゃ、私たちのメリットは?」

 

「同じだよ。キミたちは早苗の生活をただ見守っているだけじゃなく、彼女が困った時は直接手を貸せるようになるわけだ。今のままでは彼女が病に伏せた時、事故に遭った時、悩んでいる時、苦しむ彼女を見ていることしか出来ないだろう? 彼女の命に関わる出来事があった時でさえ、キミたちは黙って傍観している他ないんだぞ。キミたちが本当に早苗のことを想っているのであれば、これは是が非でも手に入れたいメリットだと思うがね。」

 

「……で、そのメリットを手に入れるための条件は?」

 

やはりその辺の不安はあったらしい。無表情になって続きを促してきた諏訪子に、今度は条件の方を提示する。……神奈子は更に分かり易いな。『そのメリットは喉から手が出るほど欲しい』という顔をしているぞ。

 

「一つ、幻想郷において私の同盟者となること。無論私が上位の関係だが、限りなく対等であると思ってもらって構わないよ。何かあった時は協力してもらうし、私もある程度はキミたちに協力しよう。メリットとも言える条件なわけだね。」

 

「他には? 『一つ』ってことはまだあるんでしょ?」

 

「二つ目の条件にもメリットがあるぞ。これは早苗を通さず、私とキミたち二柱だけで結ぶ契約だ。……もしキミたちに何かあった時、私がキミたちに代わってその後の早苗の人生を見守ろう。だから私に何かあった時は同じことをして欲しいんだよ。」

 

「……へぇ? その条件はちょっと意外だったな。アンネリーゼちゃんにも大切な誰かが居るってこと?」

 

怪訝そうに問いかけてきた諏訪子と、僅かにだけ警戒を緩めた様子の神奈子。その二柱に対して軽く首肯しつつ返事を飛ばした。

 

「ま、そういうことだね。人間との関わりを深めた人外ってのは、何もキミたちだけじゃないのさ。私が見守って欲しいのは若い魔女と一人の人間だ。……ちなみに今日同行していた魔理沙じゃないぞ。別の二人だよ。」

 

「魔女と人間ね。……こっちが一人で、そっちは二人。おまけに魔女ってのは『種族としての魔女』って意味でしょ? もしアンネリーゼちゃんに何かあった場合、私たちは何百年間見守ることになるのさ。」

 

「そっちは二柱なんだから数としては対等だろう? 長すぎるのが嫌だと言うなら適当な期限を決めてもいいよ。そうだな……まあ、移住後の百年間ってことにしようか。」

 

当たり前のことながら、私が言っているのはアリスと咲夜のことだ。私に何かあれば紅魔館の面々だって二人のことを放ってはおかないだろうが、安全のための策が十重二十重にあって困ることなどあるまい。

 

それに、『紅魔館』という勢力とは別の場所に逃げ道を作っておくのも重要だ。文字通りの魑魅魍魎が蠢く幻想郷で、この先何があるかなんて正確に予想できるはずがない。紫はスペルカードルールを導入するために何らかの『騒ぎ』を起こすつもりのようだし、その手伝いをする予定の紅魔館の立場が悪くなる可能性だってあるはず。

 

無論そうなったところで易々と潰される私やレミリアではないだろうが、同時に私は『万が一』を考慮しないほどバカでもないのだ。パチュリーはほぼ独り立ちしているし、小悪魔はその部下。レミリア、フラン、美鈴あたりは対等な存在なので私がとやかく言う相手ではない。そしてエマは私が死ぬ時は共に死ぬことを選ぶだろう。ならば『番犬』を付けるべきはやはりアリスと咲夜だな。

 

私の発言を受けて黙考し始めた二柱へと、肩を竦めながら話を続ける。この二柱は紫と私たちの取引内容を知らない。である以上、そこまで分の悪い条件とは判断しないはずだ。

 

「当然こっちで貸した分は後で返してもらうが、基本的な条件はそれで全てだ。どうだい? 思っていたほど悪くない条件だっただろう? つまるところ、私とキミたちとで相互防衛協定を結ぼうってことだよ。こっちから話を持ちかけたんだから、移住に関しては私が世話をしようってだけの話さ。」

 

「……まあ、確かに悪くないように思えるな。想像していたよりもずっとまともな条件だった。お前はどう思う? 諏訪子。」

 

「悪くはないけどさ、腑に落ちないなぁ。こっちのメリットが大きすぎるってのが不気味だよ。……幻想郷ってかなり危険な土地なの? そこまでして同盟者を確保したくなるほどの、めちゃくちゃ危ない場所だったりとか?」

 

「キミね、そんな土地に私たちが好き好んで移住すると思うかい? 人外が多いことによる危険はあるが、ある程度の秩序は存在しているよ。基礎となっているのは日本なんだから、その辺はキミたちの方が詳しいんじゃないか? ……管理者曰く、大まかな文明のレベルは『江戸末期から明治前期の間くらい』だそうだ。外から入ってきた人間たちが色々なことを伝えている所為で、所々おかしな部分もあるらしいがね。その頃の日本を思い出してごらんよ。そんなに危険ではなかっただろう?」

 

私はよく知らんが、明治前期というのは確か百五十年前くらいだったはず。つまり私たちからすればヴィクトリア朝の時代だ。吸血鬼にとっては斜陽の時代の末期だが、人間社会は現代のものに程近い法秩序が構築されていたし、日本だってそこまで混沌とはしていなかったはずだぞ。

 

そんな私の予想通り、二柱に残っている明治前期の記憶というのはそう悪いものではなかったらしい。腕を組んで悩む諏訪子を尻目に、満更でもない表情になってきた神奈子が確認を寄越してきた。

 

「つまり貴様は、身内の魔女と人間を守るために私と諏訪子を幻想郷に誘おうとしているわけか。……早苗に対するやり口は甚だ気に食わないが、私からすれば一蹴するほどの取り引きではないようだ。」

 

「おや、神奈子はこの取り引きを気に入ってくれたようだね。」

 

「早苗に幻想郷での生活についてをもっと詳しく説明して、その上であの子が移住を是とするのであれば私から言うべきことは何もない。……結局のところ早苗次第だ。私の意思はあの子と共にある。」

 

「待ちなよ、神奈子。あんたはちょっと単純すぎ。……話し合う時間を頂戴。神奈子とも、早苗ともね。ちなみに私はまだ反対だよ。つまりさ、この取り引きにおける最大のメリットは『早苗と私たちが一緒に過ごせる』って点なわけでしょ? 早苗と神奈子にとっては多少のデメリットに目を瞑れるほどのメリットなのかもだけど、私にとってはそうじゃないの。早苗に不便な生活を強いてまで実現したいほどじゃないかな。私たちはそも『消え行く存在』なんだから、大人しく消えちゃう方が正しいんだよ。」

 

うーむ、面倒だな。だがまあ、初回の交渉にしては悪い反応ではない。取り引きそのものよりも、幻想郷という未知の土地における生活の不便さをこそ問題視しているわけか。とりあえずの成果としては上々と言えるだろう。

 

「まあ、了解だ。次は早苗も交えて話そうじゃないか。この神札はかなり貴重な物だから、準備でき次第すぐに次の席を設けるよ。夏休みが終わってからになりそうかな。」

 

退魔の符のストックはまだまだあるが、話し合いの主導権はこっちで握らせてもらおう。実際のところ中々お目にかかれないレベルの代物だし、こう言っておいても不自然ではないはず。

 

そこそこの反応を得られて満足しながら話し合いを締めようとしている私へと、諏訪子がジト目で追加の注意を放ってくる。

 

「あとさ、次に早苗に変なことさせたら許さないからね。その時点で取り引きは打ち切りだと思っておいて。」

 

「……私としては、早苗には物凄い贅沢をさせているつもりなんだがね。」

 

「そこだけはこっちとしても申し訳ないんだけど、早苗はあんたのオモチャじゃないの。だからもうダメ。……それと、今後あの子には何も買わなくていいから。基本的には我慢強いのに、心を許した相手だと歯止めが利かないからね。おまけに甘え上手だから手に負えないんだよ。私の名前を出しても構わないから、『もう甘やかさないようにって言われた』みたいな感じに伝えておいて。早苗は環境にとことん影響され易い子だし、このままだと日本に帰った後も金銭感覚が崩壊したままになりかねないの。」

 

「そういうことなら『夢の生活』はここまでにしておこうか。早苗に関する注意はそれだけかい?」

 

もっと色々言うべきことがあるだろうと思って質問してみれば、諏訪子はニヤリと笑って頷いてきた。ふむ? ここに来て予想外の反応だな。

 

「それだけかな。……これは善意の忠告なんだけどさ、早苗を単なる『大人しい良い子ちゃん』だと思ってると痛い目を見るよ。あれは早苗が長年周囲に抑圧され続けてきた所為で生まれた、身を守るための殻に過ぎないの。要するに外面ってわけ。アンネリーゼちゃんは『順調に懐いてる』とかって考えてそうだけど、あの子は懐けば懐くほどに厄介になっていく子なんだよね。」

 

「何だい? それは。早苗が私に懐くのが不満なら素直にそう言えばいいじゃないか。」

 

「分かってないなぁ、私はアンネリーゼちゃんのためを思って言ってるのに。……まあ、好きにしなよ。早苗ったらかなーりアンネリーゼちゃんに気を許してきたみたいだし、もうちょっとしたら本格的に本性を現し始めるだろうからさ。」

 

「……キミ、早苗のことが嫌いなのか? 随分な言い草じゃないか。」

 

ニヤニヤしている諏訪子に問いかけてみると、彼女はテーブルの隅のメニュー表を手に取りながら肩を竦めてくる。

 

「早苗のことは大好きだよ? だけどあの子には大量の『問題』があるの。早苗が小さい頃からずっと一緒だった私たちはそれをよく知ってるんだよ。ね? 神奈子。」

 

「……私はノーコメントだ。」

 

「まあいいんじゃない? アンネリーゼちゃんもそのうち気付くだろうしさ。……適当に注文していいっしょ? 折角実体化してるんだから英吉利料理を食べてみないとね。」

 

「……好きにしたまえ。」

 

サッと目を逸らして答えた神奈子を見つつ、メニューを物色し始めた諏訪子に首肯で応じた。……何だよその反応は。早苗と私をこれ以上親密にさせないためのブラフじゃないのか? ちょびっとだけ不穏なものを感じるぞ。

 

いやいや、大丈夫だ。私の計画は完璧なはず。早苗にだって大した問題点は見当たらないし、このまま仲を深めていって問題ない……よな? 二柱の態度を怪訝に思いながら、アンネリーゼ・バートリは胸中の不安を気のせいだと無視するのだった。

 



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大魔女からの課題

 

 

「……んん?」

 

曇天の下で人形店のポストを覗き込んでいたサクヤ・ヴェイユは、中から取り出した一通の手紙を見て小首を傾げていた。差出人の名も、宛名も無いな。封筒自体も白い一般的な品だし、唯一の特徴といえば封蝋に可愛らしい猫のシーリングスタンプが押されていることくらいだ。誰から誰に向けての手紙なんだろう?

 

ホグワーツへの帰還が五日後に迫り、魔理沙がようやく宿題の未完了っぷりに焦りを見せ始めた八月二十七日の早朝。エマさんがキッチンで朝ご飯を作ってくれている間に、店の外を掃除しようと思って布巾とバケツと箒を……『掃除用の箒』を持って表に出てきたのだ。ショーウィンドウを綺麗に拭いて、前の通りを軽く掃き掃除して、最後にポストに取り掛かったところで手紙を見つけたのである。

 

これはポストだ。だから手紙が入っていること自体は珍しくもなんともないが、差出人も宛名も書かれていない手紙は高頻度で届く物じゃないはず。怪訝に感じながらも手紙をポケットに仕舞って、布巾を入れたバケツと箒を両手に持って店内へと戻った。何にせよこの家のポストに収まっていたのだから、この家に届いた手紙だと判断すべきだろう。

 

今日はエマさんのお菓子を出す日だし、朝食を食べた後でガラスケースも掃除しようと心のメモ帳に書き込みつつ、階段を上がって到着したリビングでお皿を並べていたエマさんに声をかける。

 

「エマさん、ポストに手紙が入ってました。」

 

「あれ、今朝はふくろうから直接受け取ったんですけどね。誰宛てですか?」

 

「それが、何も書いてないんです。」

 

本日の朝ご飯はサンドイッチか。きちんとトーストされたパンにベーコンやレタス、トマトなんかが挟んであり、隣にはスクランブルエッグやチップスも添えられているようだ。ターキーを挟んでいるのもあるし、BLTサンドというよりはクラブハウスサンド風なのかな?

 

ううむ、美味しそうだ。サンドイッチという簡単なメニューでも一切手を抜かないエマさんの手並みに唸りながら、ダイニングテーブルに手紙を置いて返答してみると、我が目標である熟練メイドさんは困ったように応答してきた。

 

「本当ですねぇ、真っ白です。……お嬢様かアリスちゃんに確認してもらいましょうか。誰宛てか分からない以上、私たちが勝手に開けちゃうわけにはいきませんし。」

 

「じゃあ、私は料理が冷めないうちに魔理沙を起こしてきます。」

 

「ついでにアリスちゃんも呼んできてください。多分起きてるはずですから。」

 

「分かりました。」

 

廊下を進んでアリスの部屋をノックして朝食が出来たことを伝えた後、魔理沙と二人で使っている部屋に入ってベッドの上のねぼすけ魔女見習いを揺り起こす。何とも幸せそうな寝顔だ。宿題の夢は見ずに済んだらしい。

 

「魔理沙、起きて。朝よ。」

 

「……ぁ、え?」

 

「朝だってば。起きなさい。」

 

「……ん、おはよ。朝ご飯は何だ?」

 

目が覚めて最初に出てくるのがその質問か。とことん幸せなヤツだなと苦笑してから、廊下に戻りつつ返事を投げた。

 

「今日はサンドイッチよ。いつにも増して美味しそうだったから、冷める前に食べた方が良いと思うけど。」

 

「おし、サンドイッチか。今行くぜ。」

 

ふむ、起きた直後に即食べられるというのはちょびっとだけ羨ましいな。私だったら少し時間を置かないと食べる気になれないぞ。もそもそとベッドから出ようとしている魔理沙を尻目にドアを抜けて、再び良い匂いが漂うリビングルームに入室してみると、既にダイニングテーブルに着いていたアリスの姿が目に入ってくる。ちなみにリーゼ様はまだ眠っているはずだ。エマさんが起こそうとしていないということは、この時間に起こすべきではないのだろう。

 

「魔理沙は素直に起きた?」

 

「うん、サンドイッチで釣ったからすぐ来ると思う。……また徹夜で人形を作ってたの?」

 

「徹夜と言えば徹夜だけど、私たちは本来寝る必要がない種族だからね。そうおかしなことでもないわ。新しい関節の構造についてを思い付いたから、色々試してたら朝になってたの。」

 

「その言い方、パチュリー様みたいだよ。」

 

まあ、パチュリー様の場合は気付いたら朝になってたどころではなく、『いつの間にか数日経っていた』というパターンの方が多かったが。蔵書の整理を始めた結果、その途中で整理すべき本を読むのに夢中になった挙句、本棚単位で延々読み返すことになるという彼女特有の『無限読書状態』。そうなってしまうと誰かが止めるまでひたすら本を読み続けるから、毎回毎回小悪魔さんが『救出』のために広い図書館を探し回ってたっけ。

 

紅魔館ではお馴染みになっていた現象を思い出しながら言った私に、アリスがクスクス微笑んで応じてきた。

 

「私も魔女らしくなってきたってことかしらね。……これは何? 手紙?」

 

「ん、それはポストに入ってた謎の手紙だよ。宛名も差出人も書いてないんだけど、アリスは心当たりある?」

 

テーブルに置いたままだった手紙を手に取ったアリスへと問いかけながら、キッチンに移動して紅茶の準備を始める。そのままエマさんと二人で朝食の用意の仕上げをしていると、手紙の観察を終えたアリスが部屋に入ってきた魔理沙に挨拶しつつ回答してきた。

 

「おはよう、魔理沙。……この封蝋の猫、どこかで見たことがある気がするわ。」

 

「アリス宛てってこと?」

 

「それは分からないけど、見覚えがあるのは確かよ。でも、具体的にどこで──」

 

「それ、見せてくれ!」

 

おおう、びっくりしたぞ。一瞬前まで眠そうにしていたのに、急に元気になったな。私と会話していたアリスから勢いよく封筒をひったくった魔理沙は、封蝋をジッと見つめながら目を見開いている。そんな彼女を前にして、アリスは得心が行ったような表情で口を開いた。

 

「そうだわ、香港自治区の一件の時に見たんだった。あの時コインに刻まれていた自治区の紋章の中に、この猫の姿もあったのよ。……つまり、魅魔さんからの手紙なのね?」

 

「……多分そうだ。開けてもいいか?」

 

「いいんじゃないかしら。貴女が最初に送り主に気付いたってことは、それは貴女宛ての手紙なんだと思うわよ。」

 

アリスの理屈は普通なら意味不明だが、大魔女たる魅魔さんが差出人なのであれば納得できてしまうな。緊張している様子の魔理沙がそっと封を開けるのを見守っていると、中から一枚の便箋を取り出した彼女は……良くないことが書かれていたのか? 目を通した途端に顔を曇らせてしまう。

 

「なんて書いてあったの?」

 

我慢できずに疑問を飛ばした私に対して、魔理沙は至極微妙な顔付きで便箋を突き出してくる。読んでみろということか。覗き込んできたアリスやエマさんと一緒に文面を確認してみると──

 

『最上の評価を二つも取り零すとはどういうことだ、バカ弟子。罰として追加の課題を与えさせてもらう。大昔に私が面倒を見た手癖の悪い魔術師の小僧。そいつが私から盗んだ物をホグワーツに隠しやがったから、見つけ出して破壊しな。出来なきゃ破門だからね。』

 

「……これ、フクロウ試験のことよね? 魅魔さん的には全部『O・優』じゃないとダメだったってこと? 厳しすぎない?」

 

「いや、そうじゃない。そこは正直どうでも良いはずだ。魅魔様は私に課題を与えたかったんだよ。だから適当な理由を添えてるだけさ。」

 

何だそりゃ。手紙を一読した限りだとそこが理由のように思えるが、魅魔さんとの付き合いが長い魔理沙はそうではないと考えているらしい。私の呟きに答えた弟子どのは、大きなため息を吐いた後で説明を続けてきた。

 

「幻想郷に居た頃の修行でもそうだったからな。ドアをきちんと閉めなかったから追加の課題、靴に付いた土を掃わなかったから追加の課題、昨日よく寝てたから追加の課題、今日は晴れたから追加の課題。理由に大した意味なんてないんだよ。重要なのは課題の方さ。……『追加の課題』は魅魔様の得意技だ。どっかのタイミングで来ることは予想してたぜ。」

 

「なるほどね。フクロウ試験がホグワーツが出した試験なら、こっちは魅魔さんが出す試験ってところかしら。」

 

「そういうこった。つまりは私の実力が一定の基準に到達したから、こうやって最初から出す予定だった課題を伝えてきたってことさ。……『出来なきゃ破門』も魅魔様がよく使う台詞だが、実際できなかったら本気で破門にされかねん。全力で取り組まないとな。」

 

アリスが手紙を読み直しながら纏めたのに首肯した後、魔理沙は憂鬱そうな雰囲気を漂わせたままでサンドイッチに手を伸ばす。うーむ、大変だな。大魔女が出す課題か。一筋縄では達成できなさそうだ。

 

しかし、ノーヒントじゃ辛い内容じゃないか? 場所こそホグワーツであると指定されているものの、あの城は控え目に表現しても『迷宮』だ。隠し部屋が山ほどあるホグワーツ城の中で、隠された『何か』を探し当てるのは相当難しいと思うぞ。

 

理不尽な課題に困惑しながら封筒を片付けようと持ち上げてみると、中からひらりと羊皮紙の切れ端が落ちてくる。慌ててそれをキャッチしてから、黙考しつつサンドイッチを食べている魔理沙に声を放った。

 

「ちょっと、これ。まだ入ってたわよ。」

 

「ありゃ、何か書いてあるか?」

 

「……うん、書いてあるわ。ヒントみたい。」

 

魔理沙に渡しながら読んだ内容に、少しだけ動揺している自分を自覚する。……魅魔さんは何をどこまで知っているんだろうか? 去年出会った時はそこまででもなかったが、この一文を読んでしまうと空恐ろしくなってくるな。

 

『追伸、盗まれたのは私が創ったオリジナルの逆転時計だ。銀髪のお嬢ちゃんと二人で仲良く探しな。』

 

逆転時計。私が生まれた理由に深く関わっている強力な魔道具。自身に宿る能力のことを思いながら、サクヤ・ヴェイユは小さく喉を鳴らすのだった。

 

 

─────

 

 

「マーリンですね。魔術師マーリン。名前くらいは魔女見習いさんもご存知でしょう?」

 

やっぱりそうなのか。作業台で人形を組み立てながら言ってくるアピスへと、霧雨魔理沙は一つ頷きを返していた。魔術師マーリン。星見台を造った中世の魔術師で、大魔女モルガナと鎬を削った偉大な大魔法使いで、イギリス魔法界にはその名を冠した勲章があるほど高名な男。彼こそが魅魔様から逆転時計を盗んだ『命知らず』なわけだ。

 

我が師匠から課題が送られてきた日の午前中、今日も人形店に修行をしに来たアピスに相談に乗ってもらっているのである。どうもこの情報屋は優に千歳を超えているようだし、去年見た記憶によればお師匠様とも交流があったらしい。だから何らかのヒントを得られるかもと思って課題が書かれた手紙を見せてみた結果、断定に近い答えが返ってきたというわけだ。

 

まあ、マーリンに関しては薄々予想が付いていた。朝食の席でアリスも真っ先にその名前を出してきたし、『ホグワーツに関係する魔術師』となれば私としても最初に頭に浮かぶのはマーリンだ。取り敢えずはその線で追っていって良さそうだなと考えを固めている私へと、アピスは手を止めないままで話を続けてくる。ちなみに教師役たるアリスは店番中でここには居ない。今日はエマのお菓子を出す日だから、午前中は客が多くて忙しいのだろう。

 

「少なくともマーリンとニューヨークの大魔女に付き合いがあったことは間違いありませんよ。貴女の師匠の仲介で私はマーリンと取り引きしましたから。」

 

「情報を売ったのか?」

 

「売りました。何の情報を売ったのかまでは情報屋として答えられませんが、取り引きがあったこと自体を話すのは別に構わないでしょう。マーリン当人はとっくの昔に死んでますしね。」

 

「わざわざ仲介したってことは、魅魔様と敵対してたわけではないってことか。……やっぱ『盗んだ』って部分は真面目に受け取らない方がいいのかもな。」

 

ここも魅魔様流のちょっとした『ジョーク』なわけだ。頭を掻きながら推理した私に、アピスは然もありなんと首肯して応じてきた。

 

「当然そう考えるべきでしょうね。あの大魔女から何かを盗んで無事でいられるはずがありません。『盗んだ物』は『渡した物』か、あるいは『貸した物』と翻訳するのが妥当でしょう。」

 

「纏めると魅魔様がマーリンに『オリジナルの逆転時計』を渡して、マーリンがそれをホグワーツのどこかに隠したってことか。そいつを探し出して破壊しろってわけだ。……何で『取り返せ』じゃなくて『破壊しな』なんだろうな?」

 

「単なる推測ですが、ニューヨークの大魔女にとっては別段必要のない物だからでは? もっと強力な魔道具を所持しているか、もしくは時間の操作そのものに興味がないのでしょう。マーリンにそれを譲渡したという時点で固執していないのは透けていますしね。」

 

「逆転時計『程度』に興味がないってのは有り得そうな話だが、そうなると今度は私に破壊させる理由が分からんぜ。特に理由もなく課題にするのはどうにも魅魔様らしくないからな。破壊しろってんなら破壊させるなりの訳があるはずだ。」

 

魅魔様は完全に無意味なことをする方ではないのだ。私の課題として利用したにせよ、破壊すること自体にも何らかの意味があるはず。腕を組んで悩みながら呟いた私へと、アピスはすらすらと予想を述べてくる。

 

「逆転時計を破壊しようとするのはそうおかしな行動ではありませんよ。あれは危険な道具です。大妖怪の私から見てもそうなんですから、それを未熟な魔法使いたちが管理している現状は異常とも言えるでしょうね。貴女の師匠はその点を危惧したんじゃないでしょうか? あの大魔女に他人の迷惑を考慮するような良心があればの話ですけど。」

 

「私の師匠に良心があるかどうかはともかくとして、今の今まで放っておいたわけだろ? 魅魔様がマーリンに逆転時計を渡したのはそれこそ千年近くも前のはずだ。随分と急に動き出したことにならないか?」

 

「貴女への課題についてを考えた時、ふと思い出したんじゃないでしょうか? 『そういえば大昔に逆転時計を渡したな。マズいぞ、あれを下手に利用されると危険だ。何かとんでもない事態になった時、私の所為になるかもしれない。よし、ちょうど良いからこれを弟子への課題にしちゃおう。』といった至極適当な思考に過ぎないと思いますけどね。ニューヨークの大魔女が『大いなる厄介事』をその辺に置いたままで忘却するのは今に始まったことではありません。長い付き合いの私からすれば、正直『またか』という気分ですよ。」

 

「……何か、すまんな。うちの師匠が迷惑をかけたみたいじゃんか。」

 

常時ポーカーフェイスのアピスにしては珍しいうんざりした表情を見て、弟子として申し訳ないと思いながら謝ってみると、情報屋どのは組み上げた人形のチェックをしつつ助言を追加してきた。さすがにアリスが作る人形と比べてしまえば見劣りするが、かなりの出来であることは間違いなさそうだ。

 

「貴女も苦労しているようですから、同情ついでにもう少しだけサービスしてあげましょう。貴女が推察していた通り、逆転時計の破壊に完全に意味がないわけではないはずです。貴女への課題、魔法界にオリジナルの……恐らくイギリス魔法省に保管されている物より遥かに強力な逆転時計が残る危険性、忘れていたマーリンに対する『取り立て』。これらもまた確かに理由の一つではあるのかもしれませんが、あの大魔女がたったそれだけの理由で弟子への課題を決めるとは思えません。もう一つくらいは何かしらの理由があるんじゃないでしょうか?」

 

……まあ、その懸念は理解できるな。リーゼの言う通り魅魔様が私の生活を覗き見ているのであれば、私が一年生の時点でマーリンについては思い出しているはずだ。何たって彼が造った星見台で命に関わるレベルの騒動があったのだから。

 

それに、この課題は魅魔様にしてはヌル過ぎる。単にホグワーツを探索して、隠された品を探すだなんて『穏便』すぎるぞ。一年生の頃とかならまだ危険だったかもしれないが、私は来学期からもう六年生だ。もはやホグワーツの仕掛けなんぞに手間取るような歳じゃない。

 

熟練情報屋の言葉を受けて熟考している私に、アピスは尚もアドバイスを続けてきた。

 

「他にも引っかかる部分があります。……私は貴女の師匠の大魔女こそが『モルガナ』なのではないかと考えていまして。課題の内容にマーリンが出てきた以上、同時にモルガナが関係してくるのは必然でしょう。その点も思考の材料にした方が良いと思いますよ。」

 

「……魅魔様が、大魔女モルガナ?」

 

「文献を読む限りでは外見の特徴が一致しませんし、モルガナが派手に動いていた時期に貴女の師匠は『魅魔』として活動していました。……それでも私は疑っています。大魔女という存在は往々にして複数の名を使って暗躍するものです。片手で大魔女モルガナを演じ、もう片手で大魔女魅魔としてマーリンを支援する。あれだけ性格が悪い魔女ならその程度のことをやっていたって驚きませんよ。悪趣味な『ゲーム』は彼女の得意分野ですから。」

 

うーむ、はっきりと否定できないあたりが恐ろしいな。魅魔様なら確かにやりかねないし、出来るだろう。……そうなってくると、一年生の時の事件すらも仕組まれたものなのではないかと思えてきたぞ。

 

いやいや、幾ら何でも有り得ないはずだ。私が星見台への入り口を見つけたのは双子から忍びの地図を受け継いだからだし、そこに入れたのはレミリアたちが蘇りの石を咲夜に渡したから。そしてラデュッセルが私たちを狙ったのは星見台にモルガナの遺産が隠されていることを突き止めたからで、突き止めた理由は彼の研究を支援していたヴォルデモートにある。だったら魅魔様が介入する余地はない……よな?

 

参ったな、確信を持てないぞ。もし私がリーゼたちと関わっていなければ、五十年前の大戦が彼女たちの『ゲーム』であることに気付けただろうか? 今のアピスの発言を聞く前の私がマーリンとモルガナの戦いを『魅魔様のゲーム』だなんて疑わなかったように、私はきっと吸血鬼たちのゲームにも気付けなかったはずだ。

 

むう、今の私はムーディのパラノイアをバカに出来ないな。何もかもが怪しく思えてきたぞ。アピスが悩み悶える私を薄い笑みで観察してくるのを横目にしていると、店舗スペースの方からアリスが現れた。客足が途絶えたか、あるいはエマのお菓子が早くも売り切れたのだろう。……まあ、その二つは同じ意味を持っているわけだが。

 

「あれ? もう組み上げちゃったんですか?」

 

「ええ、終わりました。チェックしてください。……魔女見習いさんに対しての助言はここで終了です。これ以上は対価をいただくことになりますし、今の貴女には払えないでしょうから。」

 

「……ん、感謝するぜ。」

 

「感謝は不要です。これは将来の顧客獲得への布石ですから。課題を達成して立派な魔女になって、いつか私のお得意様になってください。貴女は道半ばで終わらなければ大成する気がします。」

 

道半ばで終わらなければ、か。座っていた丸椅子をアリスに譲って、作業部屋を後にしながら返事を飛ばす。そうなることを祈るばかりだ。

 

「かなり先の話になっちまうかもしれんが、その時は利用させてもらうぜ。もちろん今度は対価を払う形でな。」

 

「では、私は大妖怪らしく気長にその日を待ちましょう。是非とも大成して面白い『物語』を運んできてくれる顧客になってください。」

 

アピスの声を背に作業部屋を出た後、リビングへの階段を上りつつ考える。魅魔様が出してくる課題なのだから、簡単に達成できないであろうことは重々承知していたが……想像以上に難しいかもしれんな。これまで私が培ってきた知識や集めてきた道具を総動員する必要がありそうだ。ホグワーツに戻ったら先ず星見台と忍びの地図の再確認をして、マーリンに関する本を図書館で探そう。

 

六年生も暢気に過ごすというわけにはいかなさそうだなとため息を吐きつつ、霧雨魔理沙はエマと咲夜が掃除中のリビングルームに足を踏み入れるのだった。

 



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グリーンジャケット

 

 

「じゃあその、今度はリーゼさんが日本に来るってことですか?」

 

魔法省のアトリウムを歩きながら嬉しそうな口調で問いかけてくる早苗へと、アンネリーゼ・バートリは軽く首肯していた。まさか夏休み中に全てが終わるはずもないし、日本に行くことになるのは最初から計画に含まれていた事態だ。ホグワーツを卒業してしまった私は時間が有り余っているんだから、その程度は苦でもなんでもないさ。

 

八月三十日の昼、日本に帰国する早苗を見送るためにイギリス魔法省を訪れているのだ。早苗を懐かせるという目標は確実に達成できた上、二柱の説得もそう悪くない展開に持っていけたし、この短い期間での成果としては上々と言えるだろう。よく頑張ったぞ、私。

 

一ヶ月もの間『優しいリーゼさん』を演じ切った自分を自分で褒めつつも、和の泉を横目に返事を返す。今日も大量の水を無駄遣いしているな。レミリアなんかは派手な噴水が嫌いではないらしいが、わざわざ流水を作り出すだなんてアホのやることだぞ。死喰い人が侵攻してきた時に壊れればよかったのに。

 

「ああ、そういうことだね。マホウトコロでは実家に帰れる日がちょこちょこあるんだろう? そのタイミングで守矢神社にお邪魔するよ。神札も用意しておくから、二柱を交えて話し合おうじゃないか。」

 

「いつ頃になりそうですか? 普段の私は帰宅日……島を離れるための転移が出来る休日のことです。もマホウトコロに残るので、その時だけ帰ることにします。」

 

「一番近い『帰宅日』はいつなんだい?」

 

「えっとですね、ちょっと待っててください。手帳に書いてあるはずなんですけど──」

 

うーむ、この子は本当に分からんな。周囲に気を使うタイプなのか我が道を行くタイプなのかがさっぱりだぞ。往来のど真ん中で立ち止まってトランクを開け始めた早苗を、さり気なく人通りの少ない壁際に誘導した後、雑に詰め込まれている荷物の中から手帳を探し出すのをぼんやり待っていると……おや? 見知った顔が歩いているじゃないか。

 

『やあ、フリーマン君。こんなところで何をしているんだい? マクーザからイギリス魔法省に鞍替えか?』

 

元マクーザ国際保安局次局長のジャック・フリーマン。灰色の魔女に踊らされた被害者の一人であるその男は、声の主が私だと分かると困ったような笑みを浮かべながら近付いてきた。

 

『お久し振りです、バートリ女史。残念ながら私はステイツの国民ですので、イギリス魔法省には就職できませんよ。』

 

『であれば尚のこと謎だね。何だってこのアトリウムに居るんだ?』

 

『マクーザ闇祓いとしての仕事で来ているんですよ。まだ見習いですけどね。……国際保安局が正式に解体された後、闇祓い局から声をかけられまして。どうもスクリムジョール部長やオグデン監獄長が我が国の闇祓い局に推薦してくれたようなんです。お陰で諦めていた闇祓いへの道が開けました。』

 

『ふぅん? 良かったじゃないか。そういえば闇祓いの試験に落ちて腐っていたと言っていたね。』

 

栄転……と言うべきなのか? まあ、紆余曲折あった末に本来希望していた職に就けたんだから、めでたいことではあるのだろう。ぺちぺちと拍手してやれば、フリーマンはぺこりと頭を下げてから礼を述べてくる。私は何もしていないんだけどな。

 

『バートリ女史にも感謝しています。あの一件は良い出来事ではありませんでしたが、イギリスの皆さんのやり方を見て色々なことを学ぶことが出来ました。どうやら私は人間として成長できたようです。』

 

『あれだけ揉まれれば成長もするだろうさ。マクーザの様子はどうだい?』

 

『厳戒態勢のままですね。汚職や不祥事を受けて世論も白熱していますし、九月の半ばには議長や副議長、各長官なんかが総辞職する予定です。……当事者の一人として責任を感じますよ。』

 

『キミは小物さ。ホームズに操られていただけの哀れな被害者だ。だから責任なんぞを感じる必要はないと思うよ。それを感じたいという被虐趣味があるのであれば、闇祓い局での出世に励んで大成したまえ。』

 

肩を竦めて言い放ってやると、フリーマンは苦笑いでこっくり頷いてきた。嘗てのような鬱々とした苦笑ではなく、さっぱりとした笑い方だ。

 

『では、そうすることにしましょう。』

 

『何をしている、グリーンジャケット! 行くぞ!』

 

『グリーンジャケット』? 少し離れたところに居る茶色いスーツ姿の男性が飛ばしてきた呼びかけに、フリーマンは軽く手を上げて応じているが……今日の彼が着ているのは普通のグレーのスーツだし、あだ名か何かとして使われているらしい。アリスの捜査をしていた頃に『七色水風船』が原因で緑色になってしまったあのジャケット。あれが由来になっていると見て間違いないだろう。

 

『今行きます! ……上司に呼ばれてしまいましたので、これで失礼しますね。』

 

『それは構わんが……キミ、グリーンジャケットと呼ばれているのかい? まだあのジャケットを使ってるってことか?』

 

『イギリスでの経験を決して忘れないために、自分への戒めにしているんですよ。マクーザの闇祓い局ではお互いをニックネームで呼ぶ決まりになっていまして、あのジャケットを頻繁に使っている所為で私の呼び名はそうなってしまいました。……実は結構気に入っているんです。犯罪者の敵として有名になる日を楽しみにしておいてください。』

 

戯けるようにそう言った後、フリーマンは上司の方へと早足で歩み寄って行くが……グリーンジャケットね。ふん、面白いじゃないか。ムーディの『マッド-アイ』のように、あだ名が二つ名になることを祈っておいてやるよ。

 

上司と二人でエレベーターの方へと遠ざかって行くフリーマンのことを見送っていると、手帳を手に持った早苗がおずおずと日本語で話しかけてきた。会話の終了を待っていたようだ。

 

「えっと、知り合いの人だったんですか?」

 

「マクーザの半熟闇祓いだよ。ちょっと前に関わる機会があってね。……それより、予定はどうだったんだい?」

 

「一番近いのは十月三週目の週末でした。十七日と十八日ですね。その次だと十一月の二十一から二十三日の三連休の時です。」

 

「なら、とりあえずは十月十八日にしよう。場合によってはそれ以降も帰宅日とやらを使うかもしれないし、日本に戻ったら手紙か何かで今学期分の日にちを送ってきてくれ。」

 

直近の帰宅日が十月の半ばなのであれば、先に紫に早苗たちの移住に関する話を通しておいた方が良さそうだな。九月中に幻想郷に行っておくか。歩き出しながら応答した私に、トランクを閉じた早苗が小走りでついてくる。

 

「分かりました。……これは一応の確認なんですけど、幻想郷とか、妖怪のこととかは人に話さない方がいいんですよね?」

 

「話さない方がいいし、話したところで信じてもらえないだろうし、更に言えば喧伝すると『変人』だと判断されると思うよ。」

 

「ですよね。これ以上の『はみ出し者』になるのは嫌ですし、秘密にしておきます。」

 

至極当たり前の返答を送った後、エレベーターに乗って地下五階に向かう。そういえば日本の『裏側』の顔役は誰がやっているんだろうか? 何度か入国しているものの許可を取ったことはないし、向こうからそれを咎めてきたこともないぞ。

 

まあ、気にしなくても平気か。紫もアピスも存在を匂わせてこないのだから、ひょっとすると顔役のような妖怪自体が存在していないのかもしれない。顔役になれるほどの強力な妖怪が居ないのではなく、逆に多すぎて纏まり切らなかったってパターンかな。

 

気が向いた時に紫かアピスあたりに尋ねてみるかと記憶しておきながら、到着した五階の廊下を目的地へと進んでいく。ポートキーの出発地点はあの部屋だったはずだ。さすがは私、時間もぴったりじゃないか。

 

「あの部屋だね。少しの間だけ会えなくなるけど、私のことを忘れないでくれたまえよ?」

 

「わ、忘れませんよ! そんなの有り得ません!」

 

「んふふ、それなら安心だ。十月にまた会えるのを楽しみにしておくよ。」

 

「はい、私も楽しみにしておきます。」

 

喋りながら部屋に入って、そこに居た職員に早苗が書類を渡す。利用者は……おいおい、この子だけか? 早苗が到着した時も一人だけだったし、日本からイギリス旅行に来る魔法使いはごく少数らしい。もっと宣伝を頑張れよな。

 

『……問題ないようですね。あと一分です。』

 

お前、顔を覚えたからな。私の翼を無作法にじろじろと見てくる、あまりやる気がない感じの若い職員の顔を記憶しつつ、早くもポートキーに触れている早苗へと別れの言葉をかけた。ちなみにポートキーは古ぼけたニット帽だ。イギリス魔法界らしいっちゃらしいが、それにしたってどうなんだ? これは。

 

「早苗、次に会う時までに考えを整理しておいてくれ。幻想郷のこと、二柱のこと、私のこと。マホウトコロに居る間に聞きたいことを纏めておいてくれれば、私も答えやすいからね。」

 

「了解です、やっておきます。……あの、色々とありがとうございました。リーゼさんのお陰で楽しかったです。」

 

「それは違うよ、早苗。『楽しかった』じゃない。これからもっと楽しくなるんだ。そのことはよく覚えておきたまえ。……時間だね。暫しの別れだ。またすぐに会おう。」

 

「はい、待ってます!」

 

早苗が笑顔で首肯した瞬間、彼女の姿がポートキーに巻き込まれるようにして消えていく。……さてと、これで一仕事終わったな。明後日アリスと一緒に咲夜と魔理沙を駅に送って、それから次の展開に取り掛かろう。

 

『優しいリーゼさん』の表情をすとんと掻き消しつつ、あまりの変わり様を見た職員君が顔を引きつらせているのを尻目に、アンネリーゼ・バートリは部屋の出口へと歩くのだった。

 

 

─────

 

 

「咲夜、こっちにおいで。」

 

九月一日のキングズクロス駅。今年も混み合っている9と3/4番線のホームで、サクヤ・ヴェイユは呼びかけてきたリーゼお嬢様へと歩み寄っていた。例年との一番大きな違いはお嬢様だな。今年の彼女はトランクを持っていない。卒業してしまった以上、もう一緒に列車に乗れないのだ。

 

「何でしょうか?」

 

「何ってほどでもないんだが、久々の『見送り側』だから一声かけておこうと思ったんだよ。……勉強を頑張り過ぎちゃダメだぞ? アリスは六年生のうちからイモリ試験の対策がどうとかって言っていたが、私はそうは思わないからね。六年生は自由な時間が増えるんだし、興味があることを色々と試してみたまえ。それもまたキミの将来を手助けしてくれる技術に繋がるはずだ。」

 

「……勉強をし過ぎるな、ですか。独特な注意ですね。」

 

「真面目なのが悪いわけじゃないが、時には不真面目にやるのも大切ってことだよ。そうだな、ハーマイオニーと私の中間くらいの生活を心掛けたまえ。そうすればいい塩梅になるはずだから。」

 

うーむ、分かり易い。確かに足して割ったらちょうど良い具合になりそうだな。リーゼお嬢様の助言にこっくり頷くと、魔理沙に声をかけていたアリスが近付いてくると共に短い汽笛が鳴り響く。『さっさと乗れ、生徒たち』の合図だ。

 

「そろそろ出発よ、咲夜。」

 

「うん、もう乗る。……行ってきますね、リーゼお嬢様。」

 

「ああ、楽しんできたまえ。」

 

仕草で私を屈ませてから額にキスしたリーゼお嬢様は、真紅の車両に乗り込む私たちに軽く手を振り始める。それに応えながら車両のドアを抜けて、いつものように通路を歩き出したところで魔理沙が話しかけてきた。

 

「さっき窓越しにジニーを見つけたからよ、そのコンパートメントに行こうぜ。ルーナも一緒だったしな。」

 

「今年の列車の旅は四人だけになっちゃうわね。」

 

「最初の一、二時間は三人だろ。お前は監督生の集まりがあるんだから。」

 

そっか、そうだったな。ハーマイオニー先輩やマルフォイ先輩抜きとなると多少『穏やか』な集会になりそうだ。ぼんやり考えながら生徒が行き交う通路を進んでいくと、長めの汽笛が鳴ると同時に目的のコンパートメントに到着する。

 

「おっす、二人とも。」

 

「久し振りね、ジニー、ルーナ。」

 

「二人とも久し振り。アンネリーゼとアリスさんがそこで手を振ってくれてるわよ。」

 

「ん、久し振り。マリサは変わってないけど、サクヤはちょっとだけ背が伸びたね。」

 

ぬう、また伸びちゃったのか? リーゼお嬢様からもう伸びるなって言われてるのに。ルーナからの指摘に少し落ち込みつつ、ホームで見送ってくれているお嬢様とアリスに四人で手を振り返す。そのままゆっくりと動き出した列車が徐々に速度を上げて、二人の姿が完全に見えなくなったところで……ふう、今学期もいよいよスタートしたって感じだな。荷物を棚に載せてからルーナの隣に腰掛けた。

 

「マリサ、新しい箒は買った? 何にしたの?」

 

「買ってないが、近いうちに送られてくるはずだ。……ブレイジングボルトがな。」

 

「うっそ、マジ? ブレイジングボルト? まだ発売前の箒じゃん。予約したの? っていうか、七百ガリオンだったよね?」

 

「色々あった結果、タダで貰えそうなんだよ。」

 

魔理沙が自慢げな……ほんのちょびっとの不安が滲んでいる自慢げな顔で言うのに、ジニーが驚きながら相槌を打つ。恐らく東風谷さんの状態が不安なのだろう。私は直接会っていないので何とも言えないが、中城さんが『無事じゃなかった』と判断すれば新しい箒はお預けになってしまうのだから。

 

「タダで? 七百ガリオンがタダ? ……有り得ないわよ、マリサ。何をどうしたらそうなるの? 願いを叶えてくれるランプでも拾ったとか?」

 

「偶然が重なったんだよ。ほら、マホウトコロの代表に中城ってのが居たろ? 日本にワールドカップの観戦に行った時、そいつと偶然顔を合わせてな。それで──」

 

事情を説明する魔理沙の声を聞き流しつつ、手持ち無沙汰に車窓を眺めている私へと、同じくクィディッチにあまり興味のないルーナが発言を寄越してきた。開いた状態の一冊の本をこちらに差し出しながらだ。

 

「サクヤ、これ見て。サインを貰っちゃったんだ。いいでしょ?」

 

「サイン? 『ニュートン・アルテミス・フィド・スキャマンダー』って……えっと、魔法生物研究家の人よね? 夏休み中に会ったの?」

 

「八月にパパと二人で講演会に行ったの。凄かったよ。あんなに魔法生物に詳しい人は他に居ないんじゃないかな。魔法生物のことなら何でも知ってるんだよ? なーんでも。」

 

ルーナにしては珍しいハイテンションっぷりだし、よっぽど尊敬しているらしい。飼育学の勉強をするなら誰もがお世話になる『幻の動物とその生息地』。その本の表紙裏に書かれているサインを感心しながら見ている私に、ルーナは嬉しそうな笑顔で話を続けてくる。いつもそんな顔ならファンクラブだって出来ちゃいそうだぞ。

 

「スキャマンダー教授はクィブラーを読んでるみたいで、講演が終わった後にパパと話したいって言ってくれたの。その間私はお孫さんと話してたんだ。ロルフさんって人。規制管理部の研究チームに所属してるんだって。」

 

「あら、お孫さんも魔法生物の研究家なのね。」

 

「ん、そうみたい。喋ってる時に随分と落ち着かない様子だったし、全然目を合わせてくれないから嫌われちゃったのかと思ったんだけど、帰り際に住所を書いた紙を渡してくれたんだ。手紙で魔法生物について議論しませんかって言われちゃった。……ちょっとヘンな人だったかな。だけど話はすっごく面白かったよ。」

 

「いいじゃない、魔法生物のことを語り合えるペンフレンドが出来たわけね。」

 

ルーナに『ヘン』と言われるのは凄いな。きっと相当の変わり者なのだろう。……魔法生物の研究家というのは変わった人しかなれない職業なんだろうか? その道で有名なスキャマンダーさんも、もしかしたら一風変わった性格をしているのかもしれない。

 

「ルーナは今年イモリ試験の勉強を頑張るの?」

 

どんな人なのかと想像しながら話題を変えてみれば、ルーナは途端に表情を曇らせて答えてきた。レイブンクロー生は基本的に勉強が好きなのだが、『好き』の形が二種類に分かれているのだ。興味がある分野にとことん熱中するタイプと、全体を満遍なく学んでいくタイプに。そしてルーナは前者に当たるらしい。彼女にとってイモリ試験は必ずしも歓迎すべきイベントではないのだろう。

 

「……うん、やらなきゃいけないと思う。魔法生物関係のいくつかの資格を取るために、飼育学と魔法史と防衛術と呪文学の成績が必要なんだ。飼育学は大丈夫だけど、他はちょっと頑張らないといけないかも。その資格を持ってないと保護地区とかに入れないんだって。」

 

「防衛術と呪文学が魔法生物を扱うのに必要なのは分かるけど、魔法史も要るのね。」

 

「色んな保護法が成立した経緯とかは魔法史の範囲だから、きちんと覚えないとダメだってフリットウィック先生に言われちゃったんだ。余裕があれば薬草学とか魔法薬学もやった方がいいらしいけど、そこまで手が回るかは微妙かな。」

 

ふむ、思っていたよりもずっと大変そうだが……よく考えてみれば当然のことなのかもしれないな。機密保持や密猟云々の問題もあるし、保護区には危険な魔法生物だって山ほど居るはずだ。となれば資格取得のハードルも相応に高くなってくるのだろう。ルーナの苦難に同情している私に、ジニーと話していた魔理沙が確認を投げてくる。

 

「──だから、割とピーキーな性能っぽいんだよ。慣れるまでいくらか時間がかかるかもな。……咲夜、監督生集会はいいのか?」

 

「あ、そうだった。行ってくるわね。」

 

危ない、危ない。忘れるところだった。早く行っておかないと。慌てて立ち上がって三人に断った後、コンパートメントを出て先頭車両の方へと進んで行く。というか、ロン先輩の後任は誰になったんだろうか? 多分新五年生の誰かだろうけど、年下の男子を相手にするのは難しそうだな。経験がなさ過ぎてどうしたらいいか分からないぞ。

 

その辺が少しだけ憂鬱になりつつも、サクヤ・ヴェイユは今学期最初の集会に臨むために気を引き締めるのだった。

 



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もう一通の手紙

 

 

「あの、マリサ? 大事なことを忘れてませんか? ……今チームに居るのは四人だけなんですよ? 初戦までにあと三人も集めないといけないんです。」

 

……え? 私がやるのか? それ。歓迎会から一夜明け、いよいよ授業の日々が始まろうとしているホグワーツ城の朝の大広間。食べる直前だったソーセージをフォークの先からぽとりと皿に落としつつ、霧雨魔理沙はアレシアからの注意にぽかんと口を開けていた。もちろん協力はするが、チームメイト集めはキャプテンの役目だろ?

 

昨夜の歓迎会では毎年のようにヒヨコどもが入学してきて、毎年のように帽子が歌い、毎年のように校長からの挨拶があって、毎年のように美味い料理がたらふく出てきたから……まあその、これまた毎年のように満腹で眠くなった結果、ロクに何もせずに翌日を迎えてしまったわけだ。

 

そんでもって朝起きて急いで大広間に来た後、起こしてくれなかった咲夜に文句を言いつつ食事を始めたわけだが、そんな私に三年生となった元ぷるぷるちゃんが不安げな表情で話しかけてきたのである。

 

「私じゃなくてジニーに言うべきじゃないのか? それって。」

 

落としたソーセージを再びフォークで刺しながら問い返してみれば、アレシアはかっくり首を傾げて応じてきた。

 

「へ? ……ジニー先輩がキャプテンなんですか?」

 

「そりゃお前、チーム唯一の七年生なんだからそうなんだろ。……そうじゃないのか?」

 

「でも、昨日の夜にジニー先輩と話した時はマリサがキャプテンだって言ってましたけど。」

 

「んん? どういうことだよ。ジニーはどこだ? もう来てるはずだよな?」

 

謎の展開に若干不安になりつつも、長テーブルの顔触れからジニーを探していると……居た。同級生たちとお喋りをしているようだ。

 

「ジニー、ちょっと来てくれ! ……お前がキャプテンなんだよな?」

 

そのはずだぞ。呼びかけを受けて近付いてきたジニーに尋ねてみれば、彼女は何を言っているんだという顔で否定を返してくる。

 

「いやいや、マリサでしょ。……え? どういうこと? 普通にマリサがキャプテンだと思ってたんだけど。まさか私なの?」

 

「だってよ、七年生じゃんか。」

 

「だけど、マリサの方がチーム歴が長いじゃん。それに五月にホグワーツを世界一にしたチームのメンバーじゃないの。キャプテンはどう考えてもマリサでしょうが。」

 

「いや、それは……待て待て、落ち着いて考えよう。そもそもハリーは何て言ってた? 誰を次期キャプテンにするかを決めるのは前キャプテンのはずだろ?」

 

どんどん雲行きが怪しくなってきた会話に、私、ジニー、アレシアの顔付きも深刻になっていく。少なくとも私には何も言ってこなかったぞ。そしてジニーにも……うん、何も言っていないらしい。彼女の表情が全てを物語っているな。

 

そこから導き出される結論を考えないようにしている私たちへと、唯一涼しい顔で朝食を進めている咲夜が的確に推理してきた。

 

「つまり、ポッター先輩は引き継ぎを忘れちゃったんでしょ。トーナメントがあった所為で学内リーグが無かったし、学期末は試験勉強に必死だったしね。引き継ぎ無し、故に準備無し、おまけにチームメイトも無し。どっちがやるにせよ苦労すると思うわよ。」

 

「……ジニー、任せた!」

 

「……マリサ、お願い!」

 

咲夜の無慈悲な発言を聞いた直後に二人同時に『譲り合う』私たちを見て、アレシアがジト目で苦言を投げかけてくる。成長したな。先輩相手でも怯まず言えるようになったのか。

 

「どっちでも良いですから、急いで決めてください。シーカーとキーパーとチェイサーをそれぞれ一人ずつ補充するのは難しいことなんです。言い争ってる暇なんてないと思います。」

 

「マリサ、やってよ。私は無理だわ。試験があるし、それに……とにかく試験があるの。イモリ試験が。悪名高き『めちゃくちゃ疲れる魔法テスト』がね。」

 

「それは毎年のキャプテンが背負う十字架だろ。私はどうせ来年確実にやることになるんだから、今年はジニーがやってくれよ。」

 

「来年やるなら今年からやっておいた方が一貫性があるでしょ。……本気で言ってる? 私より確実にマリサの方がクィディッチが上手いじゃないの。それなのに私がキャプテンなんておかしいわ。」

 

必死に説得を仕掛けてくるジニーへと、こちらも負けじと反論を飛ばす。私は魅魔様の課題をやらなきゃいけないのだ。難しい課題ってことは判明してるわけだし、こっちにだって余裕はないぞ。

 

「キャプテンはまた別の話だろ? 戦術に詳しいのはジニーの方じゃんか。何よりチームの中で一番上の学年のヤツがキャプテンになるのがグリフィンドールチームの伝統なんだよ。伝統は絶対だぜ。」

 

「ちょっと、いつから伝統派に鞍替えしたの? 伝統なんてクソ食らえよ。私は絶対に嫌だからね。こんな『崖っぷち状態』のチームのキャプテンだなんて、私に務まるはずないわ。……ハリーのやつ、今度会ったらぶん殴ってやるんだから!」

 

責任を放棄したハリーをぶん殴ることに関しては同意するが、私だって『崖っぷち』は御免なのだ。泥沼の様相を呈してきた私とジニーの争いに、横から中立のレフェリーが介入してくる。ポケットからシックル銀貨を出した咲夜がだ。

 

「はい、そこまで。……お互いに『譲る気がありすぎる』みたいだし、ここは恨みっこなしのコイントスで決めましょう。このまま行っても平行線なことは目に見えてるんだから、二人ともそれでいいでしょ?」

 

「……分かった、そうしよう。どっちが投げる?」

 

「……私が投げるわ。外した方がキャプテンってことにしましょ。」

 

絶対に決着が付かないであろうことを理解している私に続いて、咲夜から銀貨を受け取ったジニーも了承を口にした。彼女の方も私や咲夜と同じく、終わらない問答であるとよく分かっているようだ。

 

「表だ。決まったらぐちぐち言わないし、免れた方は協力を惜しまない。それでいいな?」

 

親指で高く弾いたコインをぱしりとキャッチしたジニーに言い放つと、神妙な顔付きになっている赤毛の末妹どのは喉を鳴らして一つ頷く。頼むから表であってくれ。三人も集めるのはキツすぎるぞ。

 

「それでオーケーよ。私は裏ね。……開くわよ?」

 

私と咲夜とアレシアが覗き込む中、ジニーがゆっくりと開いた右手に隠されていたコインは──

 

「……よし、決めたわ。ぶん殴るんじゃなくて、蹴ることにする。ホグズミードでデートする時に全力のドロップキックをお見舞いしてやるわよ。」

 

おっしゃ、表だ! コインを見た瞬間に怨嗟の声を上げたジニーの肩を、ほっと胸を撫で下ろしながら軽く叩く。ドロップキックをお見舞いされることになったハリーには悪いが、本当に助かったぞ。これでかなり気楽に学内リーグに臨めるな。

 

「悪いな、ジニー。援護はするから頑張ってくれ。」

 

「この期に及んで悪足掻きはしないわ。潔く運命を受け入れるわよ。……昼休みにチームの方針について話し合うからね。アレシアはニールに伝えておいて頂戴。」

 

「あの、了解しました。……あとその、ご愁傷様です。」

 

「慰めをどうも。それじゃ、私はやけ食いしてくるわ。運が良ければ食べ過ぎで死ねるかもしれないしね。」

 

投げやりに吐き捨ててからさっきまで居た席に戻っていくジニーを見送った後、アレシアが気まずげな表情でもう一人のビーターであるニール・タッカーを探しに行ったところで、対岸の火事とばかりに事態を見守っていた咲夜が声をかけてきた。

 

「さて、魔理沙。一つ解決したし、次の問題に移りましょうか。……魅魔さんの課題はどうするつもりなの?」

 

「そりゃ、取り組むさ。当然だろ?」

 

「具体的に何をするのかって意味よ。マーリンについてを調べるの?」

 

「それと、星見台の再調査だな。どっちも一年生の頃に調べ尽くしてるし、正直何か発見があるとは思っちゃいないが……まあ、一応やるだけやっておくさ。忍びの地図も見直してみるぜ。ホグワーツに隠されてるんなら、隠し部屋が関係してるのは間違いないはずだ。」

 

とりあえずの予定を語ってみれば、咲夜は腕を組んで自分の考えを述べてくる。この問題に関しては割と真剣に手伝ってくれるつもりらしい。助かるぞ。

 

「双子先輩には夏休みの終わりに心当たりがないかを聞きに行ったんでしょ? だったらブラックさんとルーピン先生にも聞いてみたら? ホグワーツのことを隅々まで知ってるはずだし、何かヒントが得られるかもしれないわよ?」

 

「あー、そうだな。手紙で聞いてみるか。」

 

「あと、星見台の調査をするなら蘇りの石を預けておくわ。昼休み前の空きコマで調べておきなさい。私はこの後図書館でマーリンに関する本を探してみるから。」

 

「ん? 一コマ目は……そっか、お前は授業が無いのか。飼育学だもんな。」

 

そういえば今年からは咲夜と違う授業が多くなっているんだっけ。これまではずっと一緒だっただけに、何となくやり難さを感じるな。ぽりぽりと頭を掻きながら言った私へと、咲夜もまた微妙な面持ちで相槌を打ってくる。

 

「そういうことよ。昼休みはチームの話し合いがあるみたいだし、次に合流できるのは午後の薬学ね。それまでに色々と考えておきましょ。」

 

「……助かるけどよ、無理はしなくていいんだぞ? お前だって勉強で忙しいわけなんだし、カチ合った時はそっちを優先してくれ。」

 

「魅魔さんは二人で探せって伝えてきたじゃないの。あの人が意味のないことをしないって言ったのは魔理沙でしょ? 魅魔さんがわざわざ手紙にそう書いたってことは、私も一緒に取り組むべき課題だってことよ。」

 

「そりゃまあ、そうかもしれんが……お師匠様はたまーにいい加減な時もあるからな。一概に全てに意味があるとは──」

 

と、私が忠告を送っている途中で大広間にふくろうたちが飛び込んできた。毎度お馴染みの郵便配達の時間か。忙しなく行き交う大量のふくろうたちに視線を移したところで、その中の一羽が私たちの方へと郵便物を落としてくる。

 

「よっと。……ありゃ? 新聞だけじゃないな。手紙もあるぞ。」

 

テーブルに落ちる直前にキャッチした、咲夜が今年から取り始めた予言者新聞……先学期まではリーゼやハーマイオニーが取っていたのでそれを読めたが、今日からはそうもいかないのだ。その予言者新聞の朝刊と一緒に落ちてきた手紙を目にして呟いてみると、咲夜は小首を傾げて問いを寄越してきた。

 

「どっち宛て?」

 

「えーっと……んん? なんだこりゃ? 変な宛先の書き方だな。多分お前宛てだぜ。」

 

「『多分』? ……確かに変ね。魅魔さんの手紙よりも奇妙かも。」

 

私が手渡した封筒を怪訝そうに眺める咲夜に、こっくり首肯しながら返事を飛ばす。あの手紙と違って宛名も差出人も書いてあるが、その両方が曖昧で独特な書き方なのだ。宛先は『バートリ家の銀髪の使用人へ』で、差出人は『貴女の先達より』となっている。どういう意味なんだ?

 

「封筒自体もかなり古ぼけてるな。質は良い物みたいだけどさ。」

 

「……この封蝋、バートリ家の紋章で封がされてあるわ。リーゼお嬢様が使ってるちゃんとしたスタンプでね。『貴女の先達より』ってことは、ひょっとしてエマさんからなのかしら?」

 

「エマならこんな迂遠な書き方はしないだろ。……気を付けて開けた方がいいぞ。どうも普通の手紙じゃないっぽいし、いつでも能力を使えるように構えとけよな。」

 

「ん、そうする。」

 

私も一応警戒しておくか。ポケットからミニ八卦炉を取り出しながら注意してやれば、咲夜は素直に頷いてから慎重な手付きで封蝋を剥がす。すると何の異常もなく開いた封筒を覗き込んだ銀髪ちゃんは、それを逆さにして入っていた物をテーブルに落とした。便箋じゃないな。文字が書かれてある羊皮紙の切れ端と、手のひらよりも少し小さいサイズの……歯車? のような硬質な物体だ。

 

「他には何も入ってないわ。何かしら? これ。歯車っぽいけど、この大きさにしてはかなりの軽さよ。」

 

「羊皮紙の方は? 何か書いてあるみたいだぞ。」

 

「えっと……『アンネリーゼお嬢様のために、必ず持ち歩くように』ですって。やっぱりリーゼお嬢様を知ってる人が送り主みたい。」

 

「バートリ家の関係者ってことか? ……ちょっと見せてくれ、その歯車。」

 

んー? さっぱり分からんな。咲夜から赤黒い色の歯車を受け取ってみれば、確かに大きさに見合わぬ軽さだ。触感としては金属のそれだが、色や重さからして有り触れた鉄とかではない気がする。私の手のひらにギリギリ収まるくらいの大きさで、縁に大量にある凹凸の間隔は狭め。二重の円のような構造になっている複雑な歯車だし、厚さもあまりないから繊細な印象を受けるぞ。私が知る中だと一番近い見た目なのは時計の歯車かな?

 

古ぼけた封筒や羊皮紙の切れ端と違って、劣化を殆ど感じない精緻な作りの赤黒い歯車。それを窓から差し込む明かりに翳してチェックしている私へと、咲夜はお手上げだという顔で話しかけてきた。

 

「全然分からないわ。これはエマさんの字じゃないし、もちろんリーゼお嬢様の字でもない。それなのにバートリ家の紋章が封蝋に使われてあるのは意味不明よ。正式なシーリングスタンプはそうそう使わないから、偽造するのは難しいと思うんだけど。」

 

「手紙でリーゼに聞いてみた方が良さそうだな。……随分と古ぼけた封筒だし、大昔にリーゼが誰かに送ったのを再利用したって可能性もあるぞ。上手いこと剥がして保管しておけば不可能じゃないだろ。」

 

「有り得るわね。……何にせよ直接的に害がある物じゃないみたいだし、丸々リーゼお嬢様に送って調べてもらうわ。歯車を入れて頂戴。」

 

「あいよ。……今年は手紙に縁がある年みたいだな。私には魅魔様からの手紙が、お前にはこの謎の手紙が送られてきたってわけだ。変な事件の切っ掛けにならなきゃいいんだが。」

 

歯車と羊皮紙を封筒に入れ直した後で言ってみれば、咲夜は至極迷惑そうな顔付きで口を開く。

 

「ちょっと、縁起の悪い予想をしないでよ。ポッター先輩はもう居ないんだから、『波乱の学生生活』は先学期で終わりでしょう? 呪われし七年間は過ぎ去ったの。」

 

「そいつはどうかな? ジニーの様子を見てみろよ。早くもグリフィンドールチームの悪霊に取り憑かれちまった雰囲気だぜ? 呪いってのはそう簡単になくなるもんじゃないのさ。」

 

「貴女が『身代わり』にしたからでしょうが。……アホなことを言ってないで、早くご飯を食べなさい。貴女は授業があるんだから。」

 

「へいへい。」

 

咲夜の言葉に従って食事を進めつつ、少し離れた席で独り言を呟いているジニーを横目に思考を回す。……まあ、とりあえずはリーゼの判断に期待しておくか。バートリ家のことを一番知っているのは他ならぬ当主どのだ。悪知恵が働く黒髪の吸血鬼なら、私たちが気付かなかったことに気付けるかもしれない。

 

二通の手紙についてを考えながら、霧雨魔理沙はケチャップたっぷりのスクランブルエッグを口に運ぶのだった。

 



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手紙のジレンマ

 

 

「吸血鬼さん、私は貴女専属の便利屋じゃないんです。公共の情報屋なんです。分かってますか?」

 

紅茶が入ったティーカップを片手に文句を言うアピスさんを横目にしつつ、アリス・マーガトロイドは手に持った歯車をしげしげと眺めていた。工業用の歯車というか、芸術品のそれだな。内部構造が見えるタイプの高級時計なんかに使われていそうな感じだ。もしかしたら大きめの壁掛け時計とかの部品なのかもしれない。

 

九月二日。イギリス魔法界においては『新たな年度』に突入したばかりの今日、ホグワーツの咲夜から一通の封筒が届いたのだ。その封筒の中にはマトリョーシカ人形のようにもう一通の封筒が入っており、更にその中にこの歯車が入っていたというわけである。同封されてあった咲夜からの手紙を読むに、どうやら今朝彼女宛てに届いた物らしい。

 

「では聞くが、キミが今まさに午後の優雅なティータイムを過ごしているのは誰の家のリビングだい? 今日食べた美味しい昼食を提供したのは誰だい? 人形作りを習えているのは誰のお陰だい? ……思い出したらとっととその歯車が何の歯車なのかを教えたまえ。今こそ多趣味を有効活用する時だぞ。」

 

「質問に答えましょう。順に魔女さん、ハーフヴァンパイアさん、そしてまた魔女さんです。貴女は何もしていません。」

 

「アリスもエマも私のものだ。故にそこから生じた利益は私が与えた利益に他ならないんだよ。何か反論はあるかい?」

 

「大いにありますが、もう面倒くさくなったので教えてあげましょう。形状からして時計の歯車ですよ、これは。古い構造の大型の時計の心臓部に使われる部品です。」

 

つまるところ、ちょうど午後の小休止の時間に咲夜からの手紙が届いたので、リーゼ様がアピスさんに情報の提供を迫っているわけだ。うんざりしたような口調で答えを吐き出したアピスさんへと、紅茶を一口飲んだリーゼ様が満足そうにうんうん頷く。やはり時計の部品なのか。

 

「最初から素直に答えればいいんだよ。……その他に気付いたことは?」

 

「言っておきますが、私はあくまでハーフヴァンパイアさんが作ってくれた美味しいお茶菓子の礼として答えているんです。貴女は関係ないという点だけはしっかりと把握しておいてください。……重さや質感からして素材は人間界の物ではありませんね。そして魔法界の物でもありませんから、『私たちの世界』の素材ということになります。」

 

「ふぅん? 妖力を使って製造した金属ってことか?」

 

「限りなく金属の質感に近いだけで金属であるとは断定できませんし、製造に使ったのは神力や魔力かもしれませんが、何れにせよ一般的に流通しているような素材ではないという意味です。一見して私に分かるのはそれくらいですね。」

 

うーん、確かに随分と軽いな。黒に近い赤色のそれをテーブルに戻した後、リーゼ様に向けて疑問を放つ。

 

「人間界に存在しない素材なのであれば、人外から咲夜に送られた物ってことになりますね。心当たりはないんですか?」

 

「今のところ無いよ。……んー、不気味だね。この封蝋はバートリ家のシーリングスタンプで封をされている。それは間違いないし、封筒も昔ムーンホールドで使っていた物と同一の品だ。そうだろう? エマ。」

 

「そうみたいですね。というか、今も倉庫に残ってると思いますよ。大昔に纏めて買った封筒ですから、ここ二百年間くらいはずっと使っていたんじゃないでしょうか? ……きちんと保管してあるのでもっと小綺麗なはずなんですけど。」

 

「……まさか、幻想郷からじゃないよな?」

 

私たちのカップに紅茶を注ぎながら応じたエマさんの発言を聞いて、リーゼ様は半信半疑という表情で予想を口にするが……どうなんだろう? ムーンホールドに保管されてある封筒だということは、即ち現在は幻想郷に存在しているということだ。シーリングスタンプも紅魔館の『ムーンホールド区画』を探せば手に入るかもしれない。一応筋は通っているその推理に、エマさんがかっくり首を傾げて返答した。

 

「さすがに幻想郷からホグワーツにふくろう便は送れないんじゃないでしょうか? それに紅魔館の誰かが久々に咲夜ちゃんにメッセージを送るのであれば、こんな謎めいた短い文章にはしないと思います。ちゃんとした手紙を送ってくるはずです。」

 

そりゃそうだ。テーブルに置いてある、歯車と共に入っていたという羊皮紙の切れ端……『アンネリーゼお嬢様のために、必ず持ち歩くように』と書かれた切れ端を指して主張したエマさんへと、それを手に取ったリーゼ様が然もありなんと口を開く。

 

「まあ、そうだね。羽毛饅頭如きが結界を突破できるはずはないし、もし紅魔館からならレミィあたりが『バートリ家の銀髪の使用人』と書くことを許さないだろう。スカーレットの名を入れろと喚き散らすはずだ。おまけに今なお私のことを『アンネリーゼお嬢様』と呼ぶのはエマと、たまに咲夜が畏まった場で使うくらい……ん? これって咲夜の字じゃないか?」

 

「へ? ……あら、本当ですね。いつもより崩れてますけど、言われてみれば咲夜ちゃんの字です。小文字のhが咲夜ちゃんのhですもん。」

 

何? 私も封筒を手に取って宛先と差出人の文字をよく確認してみれば……あー、そうだ。咲夜の字だ。まさか咲夜に届いた手紙が咲夜からの物だなんて思わないし、先入観で気付けなかったな。

 

でも、そうなると更に謎が深まるぞ。送ってきたのが魔理沙だったら手の込んだ悪戯を疑うが、咲夜はそういうことをするタイプではない。それがリーゼ様相手であれば尚更だ。咲夜が咲夜に手紙を送って、そのことを咲夜が私たちに相談してきた? まるで意味不明だな。

 

私とエマさんがきょとんとする中、リーゼ様は……むう、実に真剣な顔付きだ。鋭く紅い瞳を細めながら羊皮紙の文字をジッと見つめている。声をかけ辛い雰囲気に私が怯んでいるのを他所に、アピスさんがお茶菓子のクッキーを食べつつ謎の台詞を場に投げた。

 

「なるほど、面白いことになりそうですね。……いえ、『なった』と言うべきでしょうか?」

 

「……タイミングが良すぎるね。魅魔も一枚噛んでいると思うかい?」

 

「そんなことは当たり前でしょう? だからこそあの悪霊は魔女見習いさんに課題を出したんじゃないですか。貴女が問題にすべきなのはそこではなく、『どちらが先か』という点ですよ。ニューヨークの大魔女が弟子に課題を出したからこの歯車がメイド見習いさんに届いたのか、あるいはこの歯車が届くから大魔女も合わせて課題を出したのか。卵が先か、鶏が先かです。……いやはや、やはり貴女たちは面白い。よくもまあ次々とトラブルが舞い込んでくるものですね。」

 

「……少し黙っていたまえ。考えるから。」

 

不機嫌な時の声色でそう言うと、リーゼ様はピリピリとした空気を纏いながら黙考し始める。ひょっとして、何かに怒っているのか? その姿を気にしつつ、おずおずとアピスさんに問いを送った。話についていけないぞ。

 

「えっと、どういうことなんでしょうか?」

 

「つまりですね、魔女さん。この封筒は一年前まで『こちら側』にあった吸血鬼さんの屋敷に保管されてある物なんです。そこにメイド見習いさんの筆跡で文字が書かれてあって、おまけに封筒は長い間放置されていたかのように古ぼけている。加えて手紙が届いたのとほぼ同じタイミングで邪悪な大魔女が課題を出してきました。魔女見習いさんへの課題の内容を覚えていますか?」

 

「それは……逆転時計、です。」

 

そうか、そういうことか。リーゼ様はこの手紙が『過去の咲夜』から送られてきたものではないかと疑っているわけだ。……となれば彼女が真剣に考え始めるのは当然のことだろう。逆転時計は過去に遡行するための魔道具であって、都合良く時間を行き来できる『タイムマシン』ではない。仮に咲夜が過去に旅立ったのだとすれば、彼女はその時間から戻って来ることが出来ないのだ。

 

ゾッとする展開を想像して、慌てて頭の中で思考を回しながら状況を整理する。

 

「……先ず、現実問題として手紙はここにあります。もしこの手紙が本当に過去の咲夜から送られてきた物なのであれば、咲夜が過去に行くという事象は現時点で確定してしまうわけです。」

 

「しかしだ、アリス。それを知った私は咲夜を止めるはずだろう? 是が非でも彼女を過去に行かせないために足掻くだろうさ。たとえホグワーツから連れ戻して、部屋に閉じ込めることになったとしてもね。であればこの手紙が送られてくるはずはないんだ。……変えようのない展開だということか?」

 

「そんなことはない……と思いますけど、確たることは分かりません。難しいテーマですね。」

 

「もう一つ奇妙な点があるぞ。咲夜が過去に行ったとしよう。するとその時点からこの世界に咲夜は二人居ることに……遡行した時点が咲夜が生まれる遥か前なのであればその限りではないが、魅魔の逆転時計が余程にふざけた性能でなければ、高確率であのハロウィンの日以降は二人存在していたことになるわけだろう? しかしこれまで私たちは『もう一人の咲夜』と一度も接触していない。そんなことが有り得るか?」

 

こんがらがってくるな。時間遡行の複雑さを改めて実感しつつ、脳内で考えを整えて応答した。確かにそうなるはずだ。大きめに見積もって仮に五十年前に咲夜が遡行したとして、そこからずっと生きているのだとするならば、七十歳手前の咲夜が世界の何処かに存在していることになってしまう。

 

「封筒がムーンホールドに保管されていた物で、かつバートリ家のシーリングスタンプが使われている以上、リーゼ様と接触しようと思えば接触できているはずです。……歴史に歪みを生じさせないために隠れ住んでいるとか?」

 

「だとすれば尚のこと時間遡行など認められないね。咲夜にそんな不自由な人生を送らせてなるものか。何を犠牲にしてでもその展開は防がせてもらうぞ。」

 

「それについては大いに同感ですけど……でも、手紙はここにあるんです。時間遡行の確かな証拠が。だからつまり、遡行そのものはもはや防ぎようがないってことなんじゃないでしょうか?」

 

事態が起こる前に確定してしまっているのだ。無論これが本当に『過去に行った咲夜』からの手紙であるという確証はまだ無いし、そういう結論に至るのは早計なのかもしれないが、魅魔さんが出した課題のタイミングと内容があまりにもドンピシャすぎる。一気に緊迫してきた状況に足を揺すりながら必死に熟考していると、歯車を弄っているアピスさんが助言を寄越してきた。

 

「時間が連続した一本の線であるのか、あるいは数多の分岐点から無数に分かれて進んでいくものなのか、もしくは重なり合った本のページのようにそれぞれが独立しているのか、均一で平坦な整った空間なのか、一瞬ごとに塗り変わり続ける精緻な絵なのか。それは私には判断できないことですが、一つだけ確実に言えることがあります。何か行動を起こそうというなら慎重にやった方がいいですよ。」

 

「どういう意味だい?」

 

「例えばメイド見習いさんに過去に遡行する可能性があると伝えれば、当然彼女は過去に行かないようにと警戒するでしょう。そうなった結果過去に遡行せずに済んだとして、すると吸血鬼さんたちの気付きの切っ掛けになったこの手紙は送られてこなかったことになります。そうなれば一番最初の警告がメイド見習いさんに届かなくなるので、最終的な結果として彼女は過去に行ってしまうかもしれないんです。……まあ、そうするとまた手紙が送られてくることになるんですけどね。ちょっとしたタイムパラドックスですよ。性質としてはジレンマに近いですが。」

 

「……ああくそ、イライラしてくるな。そんなもん堂々巡りじゃないか。」

 

やはり時間というのは難解だな。『変えた結果』が今の状況なのかもしれないし、『変わらなかった結果』がそうなのかもしれない。時間を外側から観測する術を持たない私たちは、机上の矛盾に葛藤する他ないのだ。椅子から立ち上がって部屋を苛々と歩き回り始めたリーゼ様に、ずっと不安そうな面持ちで会話を聞いていたエマさんが声をかける。

 

「とりあえず、手紙と歯車についてを調べるべきじゃないでしょうか? 本当に過去の咲夜ちゃんが送った手紙なのかどうかも大事ですけど、仮にそうだとしたらこの歯車には何か意味があるはずでしょう? だって、『必ず持ち歩くように』って書いてあるじゃないですか。過去の咲夜ちゃん……というか、過去に行った未来の咲夜ちゃんがわざわざそう忠告してきたなら、これは今の咲夜ちゃんが持っておくべき物なのかもしれませんよ?」

 

「……未来の咲夜からの忠告か。そうだね、そうすべきなのかもしれない。今の私たちには事情がさっぱり分からんが、その時点の咲夜は色々と知っているはずだ。慎重に調べた後で直接返しに行ってくるよ。」

 

「私からも再三提言しますが、その際に余計なことを口走らない方が身のためですよ。歯車が過去の自分から届いた物かもしれないことは不用意に気付かせないべきです。さっき言ったジレンマが起きかねませんから。」

 

「重々承知しているよ。常に携帯するようにと軽く念を押すだけにしておこう。……そのくらいなら平気だろう? 大丈夫だよな?」

 

警告してきたアピスさんに自信なさげに問いかけたリーゼ様へと、博識な情報屋さんはポーカーフェイスで曖昧な返事を飛ばす。

 

「その程度なら大丈夫だと思いますが、確たることは何も言えません。時間というのは兎にも角にも難解で、どこまでも不確かなテーマなんです。永く生きている私にとっても未知の領域ですよ。下手をすれば何もしないことこそが唯一の正解なのかもしれないんですから。」

 

「……これが咲夜が送ってきた手紙なのであれば、私は送ってきた時点の咲夜を信じるよ。少なくとも歯車を携帯させること自体は間違った行いではないはずだ。」

 

「では、手紙が送られてきたルートに関しては私が調べてみます。ボランティアで少し協力してあげましょう。かなり興味を唆られる内容ですしね。」

 

「……感謝するよ。」

 

やけに素直にお礼を言うリーゼ様は、見たことがないほどに弱気な表情だ。……当然といえば当然か。この問題は吸血鬼としての力では解決できないものなのだから。むしろこれは私たち魔女の領域に近い問題だな。

 

よし、私は明日にでも神秘部の魔法使いに話を聞きに行こう。イギリス魔法省の神秘部は『時間』というテーマに関する研究の先進機関だ。担当者に尋ねれば何か有用な情報が得られるかもしれない。教えてくれそうな人物を記憶の中から探していると、リーゼ様が自身の予定を伝えてきた。

 

「明日幻想郷に行ってくるよ。魅魔を問い詰めないといけないようだからね。ついでにパチェと連絡を取れないかを紫に聞いてこよう。我らが図書館の魔女なら時間についても詳しいはずだ。咲夜の能力を研究する過程で色々と調べていたから。」

 

「魅魔さんに会えたら、『オリジナルの逆転時計』の性能も聞いておいてください。特にどこまで遡行できるのかを。範囲を特定できれば何か策が浮かぶかもしれません。」

 

「ああ、覚えておこう。……魅魔め、弟子の面倒を見ている相手に何度迷惑をかけたら気が済むんだ? どこまでもふざけたヤツだよ。」

 

「つくづく迷惑な悪霊ですね。去年の事件の発端もあの大魔女だったんでしょう? そろそろ文句を言っておいた方がいいと思いますけど。」

 

アピスさんが紅茶を飲みながら呟くのに、私とリーゼ様とエマさんが深々と首肯する。さすがに迷惑すぎる行為だぞ、これは。弟子である魔理沙への『指導内容』にまでは口を出さないが、咲夜に矛先が向くのであれば私だって見過ごせない。魅魔さんには納得のいく説明をしてもらう必要があるだろう。

 

時間遡行。咲夜が生まれた要因の一つであり、彼女の能力の根源。その恐ろしく複雑なテーマのことを思って、アリス・マーガトロイドは痛む額を押さえるのだった。

 



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何もしない

 

 

「……何よもう、あんたまでピリピリしちゃって。調子が狂うわね。」

 

もはやお馴染みとなった博麗神社の縁側。その場所で私に話しかけてくる紅白巫女へと、アンネリーゼ・バートリは大きく鼻を鳴らすことで応じていた。そりゃあピリピリもするさ。何たって咲夜の身に危険が迫っているかもしれないのだから。

 

咲夜から『咲夜から送られてきたかもしれない手紙』が入った手紙が送られてきた翌日、曖昧模糊とした問題に頭を悩ませながら幻想郷を訪れた私は、こうして神社の縁側で紫が接触してくるのをひたすら待っているのである。あの覗き魔はこちらの状況を知っているはず。この場所で待っていれば勝手に接触してくるだろう。

 

腕を組んで縁側に座り込んでいる私に、手土産として持ってきたエマのケーキを食べている巫女が再度声をかけてきた。

 

「ねえ、なんかあったの? 美味しい洋菓子の分くらいは相談に乗ってあげてもいいわよ?」

 

「場所を貸してくれればそれで充分だ。紫とその悪友に話があってね。ほら、キミも知っているだろう? 春に会った緑髪の年増魔女だよ。そいつが私の身内に迷惑をかけてきたのさ。」

 

「あー、あいつ。あの気に食わないヤツね? いいでしょう、そういうことなら味方してあげる。感謝しなさい。」

 

「それはそれは、頼もしいね。荒事になったら援護してくれ。」

 

紅白巫女がバカにならん戦力を保有していることは承知しているので、二割くらいは本気の返事を返した後、かなり離れた位置で私を監視している黒猫に早く主人を呼べと圧をかけていると……ようやく来たか。縁側の近くにスキマが開く。フィクサーどののご到着だ。

 

「……リーゼちゃん、怒ってる? 怒ってるならそう言って頂戴。ゆかりん怖いわ。」

 

「気持ちの悪いことをしていないで早くこっちに来たまえよ。納得のいく説明をしてもらうぞ。」

 

「でもでも、今回は私の所為じゃないのよ? 関係ないもん。私は見てただけだもん。」

 

ええい、イラつくヤツだな。スキマの中から顔だけをそっと出して、わざとらしく怯えたフリをしながらこちらの様子を窺ってくる紫へと、手加減抜きの妖力弾を撃ち込んだ。早く出てこいよ、ぶりっ子大妖怪め。

 

「ちょちょっ! ……こっわぁ。霊夢、今の見た? 衝撃の光景じゃなかった? 普通に殺すつもりの一発だったわよね、今のって。」

 

「どう考えてもあんたが悪いでしょ。人をおちょくってないでさっさとこっちに来なさいよ。じゃないと次は私がやるからね。」

 

「あら、今日はちょっとアウェイな感じなのね。はいはい、今行きますよ。可愛らしいジョークじゃないの、ジョーク。余裕がないのって嫌ねぇ。」

 

「ホームな雰囲気で迎え入れられたことが一度でもあったのかい?」

 

スキマに引っ込んで妖力弾を避けた紫が、巫女の苦言に従ってぶつくさ文句を呟きながら出てくるのに、私からも刺々しい指摘を送ったところで……隣に腰を下ろした紫が一通の手紙を渡してくる。より具体的に言えば流し目で恥ずかしそうにこちらを見ながら、ゆっくりと胸の谷間から取り出した手紙をだ。いよいよ殺してやりたくなってくるな。可能ならやっていたかもしれない。

 

「はい、リーゼちゃん。お、て、が、み、よ。」

 

「キミはあれだね、こっちの機嫌が悪い時ほどふざけてくるタイプだね。今日は絶好調じゃないか。」

 

「何よぅ、折角場を和ませようと頑張ってるのに。……触りたいなら触ってもいいのよ? 霊夢に見られてるのは恥ずかしいけど、リーゼちゃんになら許しちゃう。背徳的な状況ね。何だか興奮してきたかも。」

 

「誰からの手紙なんだい?」

 

こういう手合いに対して最も有効なのは無視することだ。手紙を受け取って尋ねてみると、紫は不満そうに唇を尖らせながら回答してきた。

 

「もう、構ってくれてもいいじゃないの。つまんないわね。悪霊ババアからよ。」

 

「……ふぅん? キミ経由で手紙を渡してくるということは、あの邪悪な悪霊は直接私と話す気がないというわけだ。実に忌々しいね。」

 

六芒星を咥えた黒猫の模様が入った封筒を、心底イライラしながら開封して中の便箋を取り出してみれば……短い一文と大きな余白が目に入ってくる。『名に誓って、何もしなければお嬢ちゃんは無事に戻る』か。電報じゃないんだからもっと詳細に説明したらどうなんだよ。

 

「なんて書いてあったの? ……何よこれ、意味分かんない。」

 

その通り、意味不明だ。覗き込んできた巫女が首を傾げるのと同時に、便箋を紫に突き付けて口を開いた。

 

「で?」

 

「で? って言われても、私にだって分からないわ。今朝届けてくれって私の家に手紙が飛ばされてきただけなんだもん。」

 

「嘘を吐くんじゃない。キミは事態を把握しているはずだ。」

 

「買いかぶり過ぎよ、リーゼちゃん。私にだって分からないことはあるわ。万能の神ってわけじゃないんだから。」

 

……くそ、急にポーカーフェイスになったな。そりゃあ私だって紫のことを『万能の存在』とまでは思っちゃいないが、能力の性質を考えればそれに程近い位置にある大妖怪のはずだぞ。

 

これは虚偽なのか、それとも真実なのか。ジッと紫の顔を観察しながら悩んでいると、事態を見守っていた紅白巫女が助言を投げてくる。

 

「嘘だと思うわよ。『全部分かってる』ではないにせよ、こいつが『何も分からない』ってのは有り得ないわ。絞れば絶対に何か出てくるヤツなの。」

 

「……巫女はこう言っているわけだが?」

 

「ちょっと霊夢? 何で今日はそんなにリーゼちゃん側なの? 普段は『ザ・中立』みたいな感じなのに。」

 

「だって、美味しい洋菓子を貰ったんだもの。対するあんたは何もくれないじゃない。私は何かくれるヤツの味方なのよ。」

 

分かり易いことこの上ないな。利己主義の極意を胸を張って主張した巫女に、それを教えた紫は至極微妙な表情で注意を放つ。

 

「貴女ね、飴玉を貰って素直について行っちゃう子供じゃあるまいし、敵味方を決める時はもう少し真っ当な判断条件を持ちなさいよ。」

 

「博麗の巫女としての御役目に反しない限り、私は私に利益を与えてくれるヤツの味方なの。あんたたちはどっちも妖怪で、どっちも全然信用できないけど、片方がお菓子をくれて片方は何もくれないならどっちに付くかなんて分かり切ったことでしょうが。」

 

「れ、霊夢? 付き合いの長さはどうなの? 私とリーゼちゃんだったら、長い付き合いの私を選ぶのが普通じゃない? ひょっとして私、嫌われてたりするの?」

 

「悪いが、無駄話はそこまでだ。巫女の教育は後にしてくれたまえ。……紫、同盟者として私に言うべきことはあるかい? 私はあることを期待しているんだが。」

 

会話に割り込んでジト目で催促してやれば、紫は目を泳がせながら曖昧な返答を寄越してきた。

 

「……あえて言うとすれば、その手紙に書かれていることと同じよ。リーゼちゃんは手紙に従って『何もしない』方がいいわ。あの歯車を咲夜ちゃんに持たせて、そして干渉せずに放っておくべきなの。助言も忠告も手助けも一切無しでね。」

 

「……つまり、このままの流れにしておいた方が良いということか?」

 

「それに近いけど、んー……表現するのが難しいわね。要するに、意識して未来を変えるべきじゃないってこと。あいつが珍しく名に誓ってまでこんな手紙を送ってきた以上、多分現状辿っている『ルート』はリーゼちゃんたちが介入しなかった時のルートで、そのルートこそが正解なんだと思うの。私にも分からないっていうのは八割方本当のことなのよ。『時間』というのは私もまだ理解し切れていない分野だから、とてもじゃないけど確たることは言えないわ。」

 

「キミですらそうなのか。」

 

真面目な顔付きで語ってくる紫に苦い思いで相槌を打つと、世界でも屈指の力を持つであろう大妖怪は苦笑しながら首肯してくる。

 

「とんでもなく難解な概念だからね。申し訳ないんだけど、今回ばかりは私にも期待しないで頂戴。」

 

「……分かったよ。少なくともキミの中にある二割の部分は何もしないことこそが正解だと判断しているわけか。今回はその助言だけで充分だ。」

 

「あくまで多分よ? 私の認識においてはそれが『正解』に近いんじゃないかって予想してるだけ。明確な正解を知っている者が仮に居るとすれば、それは私たちより多くの情報を握っているであろう悪霊ババアだけなんだから、今はあいつの助言に従っておくのが最善なのよ。さすがのあいつも名に誓ったことを反故には出来ないでしょうしね。……今言えるのはそんなところかしら。残念ながら私単独じゃ完全な正解にまではたどり着けないわ。」

 

時間か。考えれば考えるほどに恐ろしく入り組んだ分野であることを実感するな。ため息を吐いて額を押さえている私を他所に、話を聞いていた巫女が少し驚いた顔でポツリと言葉を漏らした。

 

「……紫でもそんなことを言う時があるのね。ちょっとびっくりしたかも。あんた、どれだけ厄介な問題に巻き込まれてるのよ。」

 

「どこまでも厄介な問題なのさ。……まあいい、取り敢えずはキミたちのアドバイスに従って行動するとしよう。逆転時計の捜索自体もやめさせるべきじゃないということだろう?」

 

「まあ、そう……だと思うわ。兎にも角にも今のルートから外れるべきじゃないのよ。あんな迷惑悪霊でも弟子のことはそれなりに大切に思ってるみたいだし、その友達の咲夜ちゃんに対しても多少は気を使うでしょ。『何もしなければ無事に戻る』とあいつが名に誓うのであれば、何もしない方がいいんじゃないかしら?」

 

「『戻る』という部分がいまいち不明確だが……そうだね、今のところは咲夜たちには何も言わないことにしておこう。」

 

『何もしない』が正解か。ただ見ているというのは中々辛そうな選択だな。魅魔本人が姿を見せないのでは逆転時計の性能についても聞き出せないし、思ったほどの成果は持って帰れなさそうだ。疲れた気分で話を纏めたところで、紫がもう一つの話題を切り出してくる。

 

「それでリーゼちゃん、『浮気』に関する釈明は? ……霊夢、貴女はあっちに行ってなさい。ここからは大人のインモラルなドロドロした話になっちゃうから。」

 

「はあ? 何を訳の分からないことを──」

 

「ほら、これをあげるから向こうで大人しくしてましょうね。」

 

「何これ? ……煎餅じゃないの。そういうことなら仕方がないわね。席を外してあげるわ。」

 

宙空に開いた小さなスキマから落ちてきた煎餅の箱をキャッチした巫女は、スタスタと襖の奥へと消えていってしまう。相変わらず現金なヤツだなと呆れながら、紫に質問の答えを飛ばした。恐らく早苗の話を巫女に聞かせたくないということなのだろう。理由はさっぱり分からんが。

 

「不満かい? あの二柱は結構な神格らしいし、幻想郷に来ればこの土地が賑わうぞ。」

 

「まあ、神たちを幻想入りさせるのは別に構わないわ。入ってきたところで揺らぐような土地でもないし、多様性は大事だものね。だからそこは許可を出してもいいんだけど……リーゼちゃんったら、同盟者が私だけじゃ不満なの?」

 

「不満なんじゃなくて、不安なんだよ。心配しなくても紅魔館と紐を繋げるつもりはないさ。私の個人的な同盟者にする予定だ。自身の安全を確保するくらいは許容して欲しいところだね。」

 

「何か、思ってたよりも上手く立ち回りそうねぇ。紅魔館と、私と、博麗神社と、その二柱の神。それぞれ別個に繋がりを持つってことでしょ?」

 

むむむと腕を組みながら言ってきた紫に、軽く肩を竦めて返事を返す。

 

「しかしだ、現状紅魔館以外はそこまで強い繋がりじゃない。その程度だったら問題にならないと考えた上での行動だぞ。……私は『勢力』としてではなく、『個』として幻想郷での生活を送るつもりなんだ。だからリスクに備えて色々な場所に紐をくっ付けておく必要があるのさ。巻き込まれそうな時は切り離せるが、こっちが危ない時は引っ張れるくらいの強さの紐をね。」

 

「何て言うか、とっても強かね。……ま、いいわ。移住に関しては認めましょう。リーゼちゃんを取られるのは癪だし、協力はしてあげないけど。」

 

「大いに結構。勝手に交渉して勝手に引っ張り込むさ。」

 

「でもでも、気付いてないみたいだから一つだけ助言してあげる。この前の魔女の件ではちょびっとだけ意地悪しちゃったしね。……あの早苗ちゃんって子、ちょっと変よ。だからどうってわけでもないんだけど、覚えておいた方がいいと思うわ。」

 

『ちょっと変』? 曖昧すぎる謎の忠告を送ってきた紫へと、小首を傾げながら問いを放った。言い方からして性格や見た目のことじゃないだろうし、存在としての違和感の話か?

 

「何だそりゃ。早苗は単なる人間に見えたぞ。」

 

「気になるならあの二柱に聞いてみなさいな。隠すようなことでもないし、教えてくれると思うから。」

 

「まあ、分かったよ。機会があったら聞いてみよう。……そうだ、こっちからももう一つあったんだった。話を戻すが、咲夜の件についてをパチェと話させてくれないか? キミと魅魔の助言を踏まえた上で彼女がどう判断するかを知りたいんだ。」

 

「残念だけど、それはダメ。今はまだ紅魔館の住人たちとの接触はなしよ。大事なところだから、変な不確定要素を入れたくないの。」

 

むう、即答で断ってきたな。これは交渉の余地なしかと内心でため息を吐きつつ、一応の抵抗を試みる。

 

「キミの計画に関係しそうな話はしないよ。あくまで咲夜の一件についてだけだ。」

 

「ダメったらダメ。図書館の魔女も貴女も油断できるような存在じゃないわ。私と魅魔の助言で満足して頂戴。」

 

「……何を言っても譲らなさそうだね。紅魔館は今どうなっているんだい?」

 

「『山場』よ。山場に突入してるの。だから今は重要な時期ってわけ。……心配しなくてもレミリアちゃんたちは無事だし、山場が終わった後も変わらず元気であるはずよ。『もう一つの騒動』も彼女たちが主役になるんだから、私としても無事でいてもらわないと困るしね。」

 

ぼんやりした説明だが……何にせよ、壮健でやっているということか。山の後には谷が待っているんだろうなとレミリアたちに同情しつつ、縁側から腰を上げて大きく伸びをした。

 

「頑張っても覆らないようだし、パチェとの話は諦めよう。キミの方から私に要望はないのかい?」

 

「特にないわね。リーゼちゃんは勝手に私の好みの方向に進んでくれるんだもの。手間がかからなくて助かるわ。……強いて言えば、これまで通りちょくちょく霊夢に会いに来て欲しいくらいかしら。」

 

「了解だ、気が向いたらまた来るよ。……それじゃ、失礼しようかな。」

 

「はいはーい、お帰りはこちらよ。また会いましょうね。」

 

紫が開いたスキマへと足を踏み入れながら、背中越しに適当に手を振って応じる。収穫があったような、無かったような、何とも微妙な気分になってくるな。手紙の方から辿っているアピスや、神秘部に行ったアリスは何か掴んでいるんだろうか?

 

『何もしない』にしても、いざという時のために何かを出来る準備だけはしておくべきだ。異様なスキマの中を通ってイギリスの地に戻りつつ、アンネリーゼ・バートリは面倒な問題に一つ息を吐くのだった。

 



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ブレイジングボルト

 

 

「いたずら完了、っと。……今回の隠し部屋は一際意味不明だったな。『おまる』の展示会場みたいだったぜ。」

 

誰が造ったんだよ、あんな部屋。ホグワーツにしたって素っ頓狂すぎる隠し部屋を後に一階の廊下を歩きながら、霧雨魔理沙は隣を歩く親友に肩を竦めていた。

 

九月も半分が見えてきた今日、私と咲夜は午前中の空きコマを使って隠し部屋のチェックを進めているのだ。忍びの地図を参考に隠し部屋を探し当てて、そこに入って逆転時計らしき物がないかを確認するという作業をもう二十回以上も繰り返しているのだが……残念なことに、未だ『オリジナルの逆転時計』は見つかっていない。

 

まあうん、そんなに簡単に見つかるとは思っちゃいないさ。単なる古ぼけた羊皮紙に戻った忍びの地図を懐に仕舞いながら、全ての隠し部屋を調べるのにはまだまだ時間がかかりそうだなとため息を吐いていると、ぼんやり手のひらの中の歯車を弄っている咲夜が応答を寄越してくる。この前わざわざリーゼが女子寮の私たちの部屋に忍び込んで、直接返しに来た代物だ。魅魔様の課題も重要だけど、そっちもそっちで気になるぞ。

 

「そうね、これまでで一番奇妙な部屋だったわ。一種の狂気すら感じたわよ。……ねえ、魔理沙? この方法はやっぱり違うんじゃない? 魅魔さんってこうやって隠し部屋を虱潰しに調べることを課題にするような方なの?」

 

「……言わんとすることは分かるぜ。だけどよ、星見台には何も無かったし、マーリンのことを本で調べてみても大したヒントは見つからなかっただろ? だったらこうするしかないじゃんか。」

 

「何かこう、違う気がするのよね。切り口を変えてみるべきだと思うわ。ルーピン先生やブラックさんには手紙を送った?」

 

「先週の日曜に送ってみたけど、まだ返事は来てないぜ。……んー、難しいな。確かに私も方向性を間違えてるような気はしてるんだよ。」

 

咲夜が言っていることは私も薄々感じていたことだ。こんな風に地味に探すことを魅魔様が望むとは思えない。どちらかといえばこれは地味な努力ではなく、発想力を試す課題なんじゃないだろうか?

 

だとすれば、こんなことをしていても進展は得られないはずだ。頭をガシガシと掻きつつも、大広間を目指して曲がり角を曲がった。

 

「いっそ逆転時計の線から調べてみるか? 『オリジナル』ってことは、もしかしたら今ある逆転時計はそれを手本に作られた物かもしれないってことだろ?」

 

「それも良いかもね。何にせよ、隠し部屋巡りはちょっと効率が悪すぎるわ。先ずある程度の当たりを付けてから捜索すべきよ。……ついでにこの歯車のことも調べたいし。」

 

「リーゼは『手紙に書かれていた通りに持ち歩きたまえ』って言ってたよな? 結局誰から送られてきた物なんだ?」

 

「何故かそれは教えてくれなかったの。ただ、『信頼できる人物』とは言っていたわ。だから指示に従った方が良いって。……まあ、私としてはリーゼお嬢様がそう言うなら持ち歩くだけよ。」

 

やや腑に落ちていない様子の咲夜がいつも懐中時計を入れているポケットに歯車を仕舞ったところで、到着した大広間に昼食が並んでいるのが見えてくる。食ったら薬学の授業だ。寮に教科書を取りに行かなきゃだし、早めに済ませた方がいいだろう。

 

グリフィンドールの長机の空いている席に咲夜と座って、いざ食べようと料理に手を伸ばした私に……おお? 大きな細長い紙袋を両手で抱えているフーチが歩み寄ってきた。かなりの早足でだ。

 

「……また何かやったの?」

 

「いやいや、今年はまだ何もやってないぞ。課題のこともあるし、トラブルを起こすつもりは無いぜ。」

 

寮監どののあまりの勢いを見て邪推してきた咲夜へと、記憶の中から心当たりを探しつつ言い訳を放ったところで、私の目の前でぴたりと停止したフーチが手に持っている紙袋を突き出してくる。その顔に浮かんでいるのは予想外の満面の笑みだ。

 

「キリサメ、貴女宛ての国際便です。そして私が思うに、包まれているのは箒ですね。……新しい箒を買ったのでしょう? 私にも見せてください。」

 

「国際便……ああ、日本からか! そうだ、箒だ!」

 

遂に届いたのか! 慌てて受け取って机に載せた後、何事かと注目し始めた周囲のグリフィンドール生たちの視線を感じながら茶色い紙を剥がしていくと……うおお、カッコいいぞ。黒に近い焦げ茶の艶がある柄、しなやかな流線形に整った尾、各所に付いている金色の金具。息を呑むほどの美麗な箒がその姿を現した。

 

「……こりゃまた、凄えな。想像してたよりもずっとカッコいいぜ。」

 

「この箒はまさか、ブレイジングボルトですか? ……一目で分かる素晴らしい箒です。驚きました。本当に驚きですね。」

 

フーチが呆然と呟くのを他所に、滑らかな柄をそっと撫でる。……うん、しっくり来るな。スターダストと出逢った瞬間を鮮明に思い出すぞ。あの時と同じように腕を伝うこの感覚。これは間違いなく『私の箒』だ。

 

「マリサ、来たの? 届いたのね? アレシア、ニール! こっちに来なさい! マリサの箒が届いたわよ!」

 

「最近の箒業界では柄を複雑な形にするのが主流ですが、この箒はその考え方に真っ向から異を唱えていますね。しかしその反面、尾の部分は最新式であることを窺わせる形状です。恐らく緻密な計算に基づいた形になっているのでしょう。ポッターが持っていたファイアボルトともまた違う形状ですし、設計班がツィガー系列の理念を取り入れて──」

 

人混みを見て大慌てで駆け寄ってくるジニーと、ブツブツと一人で考察を語り続けているフーチ。それらの姿を横目にしつつ早く乗りたいとうずうずしている私に、咲夜が何かを渡してきた。

 

「魔理沙、ほら。手紙が一緒に入ってたわよ。中城さんからじゃない?」

 

「おっと、読むぜ。」

 

女の子らしい模様の封筒の中に入っていた便箋を取り出して、それにササッと目を通してみれば……なるほどな、少なくとも中城は東風谷が『無事である』と判断したようだ。東風谷がマホウトコロに何事もなく帰ってきたので、約束通り箒を送るとちょっと癖の強い丸っこい日本語で書かれている。

 

「……騙したみたいで申し訳ない気分になってくるぜ。本当に東風谷は『無事』なのかな?」

 

うーむ、不安だ。後から『異常』が見つかった時に返せと言われないだろうか? 隣から覗き込んで一緒に読んでいた咲夜に小声で聞いてみれば、彼女はどうでも良さそうに適当な相槌を打ってきた。こいつは東風谷にあまり興味がないらしい。

 

「それは知らないけど、兎にも角にもこれで試合には出られそうね。良かったじゃない。」

 

「まあ、そうだな。心配事が一つ減ったぜ。……おっしゃ、早速乗ってみるか。見たいヤツは一緒に来い!」

 

新たな相棒をがっしり掴んで立ち上がると、囲んで見ていたフーチやグリフィンドールのクィディッチ好きたちが一人残らずついてくる。競技場だと移動に時間がかかるし、訓練場で軽く乗ってみるか。七百ガリオンの新型箒を前にして我慢できるクィディッチプレーヤーなんて存在しないのだ。

 

「咲夜、サンドイッチをいくつか確保しといてくれ! 授業直前に食べるから!」

 

「はいはい、分かってるわよ。教科書も持っていってあげるから、気が済んだら地下教室に直行しなさい。」

 

「さすがだぜ、そうこなくっちゃな!」

 

うんうん、持つべきものは頼れる親友だな。呆れ顔で了承してきた咲夜にウィンクしつつ、大広間を出て訓練場へと歩き出す。ピーキーな箒らしいが、それくらいじゃないと面白くない。必ず乗りこなしてみせるぜ。

 

クィディッチ好きたちを引き連れて一階の廊下を闊歩しながら、霧雨魔理沙はニヤリと不敵な笑みを浮かべるのだった。

 

 

─────

 

 

「結論から言えば、あの手紙は四半世紀近くもの間ロンドンのふくろう便配送センターに保管されていた物でした。時間指定郵便というシステムを知っていますか? それを利用して1998年の九月二日、ホグワーツの大広間に居るメイド見習いさんに届くようにと手配したようです。」

 

なるほど、時間指定郵便か。言われてみれば身近なシステムだが、まさかそんなに長い時間でも利用可能だとは思わなかったな。人形店の店舗スペースでアピスさんが報告してくるのを耳にしながら、アリス・マーガトロイドは納得の首肯を返していた。

 

リーゼ様が『何もするな』という助言を魅魔さんと八雲紫さんから受け取ってから数日後、手紙についてのアピスさんの調査も完了したということで、こうして私とリーゼ様で彼女からの報告を受けているのだ。……ちなみに今日はエマさんのお菓子を置いていない日なので客入りは皆無。店の前までは人が来るものの、そこに設置されてある黒板に『本日人形のみ』と書かれているのを見て去って行くという光景が何度も繰り返されている。

 

今もまた黒板の前で立ち止まったカップルらしき若い男女が、残念そうな表情でやれやれと首を振りながら踵を返すのを目にして、人形も見ていったらいいのにと何とも物悲しい気分になっていると……おっと、そんな場合じゃなかったな。カウンターに直接腰掛けているリーゼ様がアピスさんに問いを飛ばす。今は咲夜の問題に集中しなければ。

 

「手紙が郵便局に預けられた具体的な日付は? それを特定できれば咲夜がどの時点まで遡ったのかが判明するはずだ。」

 

「残念ながら、具体的な日付の記録は残っていませんでした。ですが郵便局に長く勤めている局員によれば、手紙が郵便局に届いたのが約二十五年前……つまりイギリス第一次魔法戦争の中期であったのは確かなようです。その頃はロンドン中が混乱していたので、記録も何かの拍子に失くなってしまったのではないかと言っていましたね。」

 

「戦争中期か。……その局員は手紙を預けに来たのがどんな人物だったのかは覚えていなかったのかい? 要するに受け取った当時も郵便局に勤めていたということだろう?」

 

「局員の証言によると、件の手紙は保管のための料金と共にふくろう便で郵送されてきたそうです。随分と先の時間が指定されていたので驚いたものの、既定の料金が同封されてあったので手続きに則って保管庫に仕舞ったのだとか。あんな宛名の書き方できちんと手紙が届いたのも、そちらの手紙で詳細な宛先が指定されてあったからなようですね。」

 

うーん、約二十五年前か。物騒な時期だな。不死鳥の騎士団の一員として戦っていた頃の記憶を思い返しながら、私もアピスさんに質問を放った。

 

「えっと、その時も手紙の中に手紙が入っていたってことですよね? だからつまり、咲夜に送る用の歯車が入っている手紙や保管のための料金と一緒に、時刻の指定や詳細な宛先が書かれたもう一つの手紙が入っていたわけでしょう? その手紙は残っていなかったんですか?」

 

「それは紛失していた……というか、そもそも保管していなかったのではないでしょうか? 何れにせよ、『約二十五年前にふくろう便で届いた時間指定郵便』という情報しか手に入りませんでした。」

 

「そうですか。……まあその、少しだけホッとしました。私はもっと長い時間を遡行した可能性も考えていましたから。」

 

「咲夜が二十五年前に戻って、そして戻ってこれていないのだと仮定すれば……四十を過ぎたくらいか。確かに最悪の展開よりは遥かにマシだが、それでも考えるとキツいものがあるね。あまり想像したくない事態だよ。」

 

額を押さえながらリーゼ様が言うのに、深々と頷いてから思考を回す。彼女は意図的に口に出さなかったようだが、魔法戦争の時期となると時間を遡った咲夜がトラブルに巻き込まれて……最悪の場合、死んでしまったという可能性も否定しきれないだろう。

 

それなら現時点まで一切の接触がない理由にもなるし、あの時期のイギリスは安全とは到底言えないような状況だったのだ。騎士団と闇祓い、執行部、そして死喰い人。様々な要素が混ざり合って混沌を作り出していたのだから。

 

しかし、そんな結末は絶対に認められない。必ず防がなければと決意を固めつつ、二人に向かって口を開く。リーゼ様が幻想郷で、アピスさんが郵便局で調べていたように、私も神秘部で逆転時計についての聞き取りをしてきたのだ。

 

「二十五年前となると、神秘部の逆転時計では遡れないほどの遠い過去ですね。である以上、やはり『オリジナルの逆転時計』による時間遡行と見るべきでしょう。」

 

「普通の逆転時計を繰り返し使っても無理なのかい? 例えば一週間前への遡行を四回繰り返せば一ヶ月前へ、一ヶ月前への遡行を十二回繰り返せば一年前に行けるわけだろう?」

 

「それをやると、逆転時計が負荷に耐えきれずに破損するそうです。確たる原理は判明していないものの、遡行による負荷というのは『積み重なる』ものなようでして。……神秘部の知り合いによれば理論上一度に十年、二十年を遡行できる逆転時計を作るのも不可能ではないらしいんですけど、現状の魔法技術では危険すぎると言っていました。大きく遡行すれば、それだけ現在への影響も大きくなるのだと。下手をすると『長時間遡行した』という行為自体が因果関係を盛大に崩すことになりかねないので、遡行した瞬間に存在が消滅する可能性もあるんだとか。遡行した本人だけに限らず、全く関係のない人間もです。……まあ、時間に関しては他の仮説も大量にあるみたいですけどね。少なくとも私が話を聞いた知り合いは『時間遡行によって変化が起きる』と考えているようでした。」

 

「長時間の時間遡行は魔法族にとって必ずしも『やれない』わけではなく、危険すぎるから『やらない』行為だということか。……何にせよこれでオリジナルの逆転時計とやらが問題に関わってきそうなことはほぼ確定したね。だからといって何がどうなるわけでもないが。」

 

魅魔さんの課題に関係しているということは、咲夜だけではなく魔理沙も巻き込まれる可能性が高いということか。深々とため息を吐いたリーゼ様は、頭痛を堪えるように眉間を親指で揉みながらアピスさんへと言葉を繋ぐ。

 

「どうしたら良いのかがさっぱり分からんよ。キミはどう思う?」

 

「『何もしない』と決めたんでしょう? だったら何もすべきじゃないんです。私は人形作りの勉強を、魔女さんはお店の経営を、ハーフヴァンパイアさんはお菓子作りを、そして貴女は神の引き込み作業を頑張ればいいじゃないですか。」

 

「……ただ放っておけと?」

 

「そうです。何もしないことこそが正解なのであれば、良かれと思って何かをすると裏目に出かねませんよ。気になるのは分かりますが、放っておいた方が良い結果を齎すことも確かにあるんです。あの契約主義の大魔女が名に誓った以上、私としても推奨するのは『何もしない』という選択肢ですね。……なので私は人形作りの修行に戻ります。それでは。」

 

平坦な声でそう言うと、スタスタと店舗の裏にある作業場へと姿を消してしまったアピスさんを見送った後、リーゼ様と二人で顔を見合わせた。……何もしないのがこんなに難しいことだとは思わなかったぞ。気になってどうにも落ち着かないじゃないか。

 

「……どうしますか? リーゼ様。」

 

「どうするもこうするもないさ。取り敢えずの方針は『何もしない』なんだから、私たちはアピスが言うように何もしないべきだよ。歯車についてを追っていくのは『何かする』の範疇に含まれちゃいそうだし、まさか私が先に逆転時計を見つけ出すわけにもいかない。今のところはここで行き止まりだね。」

 

疲れたように言い放った直後、リーゼ様はカウンターの上から降りて玄関の方へと歩き出す。

 

「咲夜には頻繁に近況を知らせるようにとそれとなく伝えてあるし、先ずは向こうの進展を待つことにしよう。私は魔法省に行ってくるよ。ハーマイオニーとロンの様子を見るついでに、一応神秘部とのパイプも作っておこうかな。備えあれば何とやらだ。」

 

「オグデンの息子が神秘部に居るので、そこから伝っていけば楽だと思います。コンラッド・エースって名前です。」

 

「あの皮肉屋の息子か。姓が違うんだね。」

 

「オグデンが奥さんと離婚した後、コンラッドは母親の方に引き取られましたから。好青年って感じの子ですよ。私の名前を出せば協力してくれるはずです。」

 

ドアを開けたリーゼ様にアドバイスしてみると、彼女は肩越しにひらひらと手を振りながら人形店を出て行った。

 

「じゃあ、その線から構築していこう。夕食までには帰るとエマに伝えておいてくれたまえ。」

 

「はい、了解です。」

 

通りに出た途端に姿くらまししたリーゼ様を見て、カウンターを片付けながら一息つく。パチュリーが本に、レミリアさんが運命に、私が人形に囚われているように、咲夜にとってのそれは『時間』なのかもしれないな。きっと切り離せない宿命のようなものなんだろう。

 

だとすれば、リーゼ様にとっての『それ』は何なのだろうか? 静かな店の中で棚に並ぶ人形たちを眺めつつ、アリス・マーガトロイドはぼんやりと考えるのだった。

 



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忍びの二人

 

 

「やあ、ジニー。ひさし──」

 

おー、容赦ないな。『三本の箒』のカウンター席に座っていたポッター先輩の頬を思いっきり抓っているジニーを横目に、サクヤ・ヴェイユは店内をきょろきょろと見回していた。いつ来てもこのパブは賑わっているな。名実ともにホグズミード村の『顔』だぞ。

 

今学期に入ってから初めてホグズミード行きが許された十月二日の土曜日、私と魔理沙とジニーとルーナは四人で魔法族の村を訪れているのだ。ジニーはポッター先輩とデートをするために、ルーナはペンフレンドとお喋りをするために来たわけだが、私と魔理沙の目的はポッター先輩の隣で苦笑している大人二人……つまり、ブラックさんとルーピン先生から隠し部屋についての話を聞きに来たのである。

 

そんなわけでホグワーツを出てホグズミードに到着した後、真っ直ぐ待ち合わせ場所である三本の箒に入店したわけだが……ジニーは未だに『新キャプテン騒動』を根に持っていたらしい。かなり痛そうなやり方で頬を引っ張ってくるガールフレンドに対して、ポッター先輩が困惑している様子で問いを放つ。

 

「ジ、ジニー? どうしたの? 何か怒らせるようなことをしたっけ?」

 

「したのよ! さあ、来なさいハリー。今日はしこたま奢ってもらうからね。」

 

「えっと……じゃあその、行ってくるよ。」

 

頬をぐいぐい引いて出入り口に向かうジニーと、私たちに断りながらそれについて行くポッター先輩。二人の将来の力関係が垣間見えたところで、ルーナが遠くのテーブル席を指差して声をかけてきた。ペンフレンドを発見したようだ。

 

「ん、ロルフさんが居たから私も行くね。ばいばい、みんな。」

 

そう言ったルーナが歩いて行く先には……なるほど、確かにあれは『ヘンな人』かもしれないな。ガタガタ動いている小さな茶色いトランクを抱えている若い男性が座っている。あれがロルフ・スキャマンダーさんか。おどおどと忙しなく視線を動かしているのが怪しさ満点だぞ。

 

両の肩にニフラーがしがみ付いているあたりが実に魔法生物の研究者っぽいぞと納得したところで、ブラックさんとルーピン先生が私と魔理沙に席を勧めてきた。

 

「おいおい、ジニーはどうしてあんなに怒っていたんだ? ……まあ座ってくれ、二人とも。リーマスが奢ってくれるらしいから。」

 

「来る途中でゾンコの悪戯専門店に寄って、シリウスと『噛み靴』で賭けをしたんだよ。順番に足を入れていって噛まれた方が奢るって賭けを。……君が変身しなければ私の勝ちだったんだがね。犬の足には噛み付かないなんてどこで知ったんだ?」

 

「フレッドとジョージが教えてくれたのさ。あの二人はゾンコの商品を裏の裏まで調べているみたいでね。持つべきものは優秀な後輩ってわけだ。」

 

「私は君と違って『現役』を引退したんだよ、パッドフット。今や毛むくじゃらの悪戯小僧は一児の父だ。噛み靴の特性なんかには記憶力を割いていられないよ。息子の『お気に入りの顔』のレパートリーを覚えるので精一杯さ。」

 

何かこう、打てば響くって感じの二人組だな。三人が欠けてしまった今もこの二人の関係は変わっていないらしい。そのことを少しだけ羨ましく思いつつ、私がルーピン先生の隣に、魔理沙がブラックさんの隣に腰掛ける。

 

「悪かったな、わざわざ来てもらって。二人にどうしても聞きたいことがあったんだよ。……よう、マダム・ロスメルタ! こっちにバタービールとクランベリージュースを頼む! クランベリージュースでよかったよな?」

 

「いいけど、頼む前に聞いてよね。」

 

勝手に注文してしまった魔理沙に応じてから、何か軽食も頼もうかなとメニュー表を手に取ったところで、ルーピン先生が私たちに話しかけてきた。ホグワーツで先生をやっていた頃より顔色が良くなっている気がするな。やっぱり結婚したからなのだろうか?

 

「仕事は休みだし、久々にホグズミードにも来たかったからね。呼び出されるのは一向に構わないんだが……まあ、忍びの地図についての話を聞きたいというのは少々意外だったかな。君たちはフランドールから色々と聞いているものだと思っていたよ。」

 

「聞いてはいたし、使ってもいたんだけどよ。何て言うか、ちょっと二人で調べてることがあってな。それにホグワーツの隠し部屋が関係してるかもしれないんだ。」

 

「隠し部屋が? ……危険なことじゃないだろうね?」

 

「いやいや、危険ではないと思うぜ。要するに探し物だよ。ホグワーツに隠されている物を探してて、そうなると隠し部屋が怪しいんじゃないかって考えたんだ。だから隠し部屋に詳しい『先輩』たちから直接話を聞くために、こうして手紙で呼んだってわけさ。」

 

心配そうな顔付きになってしまったルーピン先生へと、魔理沙が慌てて言い訳を述べるが……そこにブラックさんが割って入る。柔らかい笑みを浮かべながらだ。

 

「あまり聞いてやるなよ、ムーニー。私たちにも覚えがあるだろう? あの城の謎を追いたがるのはホグワーツの悪戯っ子の本能だ。古い先達としては、根掘り葉掘り聞かずに協力してやるべきだと思うぞ。後輩が『爪痕』を残そうとするのを止めるのは野暮ってものさ。」

 

「しかしだね、ホグワーツ城には些か悪戯が過ぎる隠し部屋も多い。心配するのは当然のことだろう?」

 

「我が友よ、サクヤとマリサはもう六年生なんだぞ。私たちが六年生の頃に何をしていたのかを思い出してみろ。私の記憶力がまだ確かなのであれば、隠し通路で死喰い人とやり合っていたはずだ。それよりひどいことになるとは思えないな。」

 

「……まあ、そうだね。隠し部屋の探索くらいなら、私たちよりずっと『マシ』なことには同意するよ。今思えば愚かなことをしたものだ。あの場にピックトゥースが居なければどうなっていたことやら。」

 

『死喰い人とやり合っていた』? しかもホグワーツの隠し通路で? 何をどうしたらそんな状況になるのかと首を傾げる私たちを他所に、ブラックさんが肩を竦めて話を続けた。魔理沙のポケットを指しながらだ。

 

「纏めて死んでいただろうな。そういう下手を打たせないために協力しようじゃないか。……どれ、マリサ。地図は持ってきているか? どうせなら見ながら話し合おう。具体的に何を探しているんだ?」

 

「あーっとだな、『時計』だ。大きさも形も不明だし、時計の形をしているのかすら定かじゃないが、とにかく時計だよ。心当たりはないか?」

 

カウンターテーブルに地図を広げながら問いかけた魔理沙へと、ルーピン先生が記憶を掘り起こすように腕を組んで返答を送る。

 

「四階の西階段裏の隠し部屋には時計が沢山あったはずだよ。壁一面に無数の鳩時計が飾られているんだ。部屋の中で正午を迎えると一斉に飛び出して歌い出すから、騒音にびっくりしたピックトゥースが……フランドールが半分を壊してしまったけどね。」

 

「あとは、一階の北トイレにある隠し部屋にも大きな時計があったな。地図で言うと……そう、ここだ。私たちが発見した時にはもう動いていなかったし、長針が失くなっていたがね。何か仕掛けがあるんじゃないかと思ってジェームズと私で弄くり回したんだが、結局何もなかったんだよ。」

 

「それと、ここの部屋にも時計があったはずだ。隠し部屋の中に誰かの石像があって、その腕に腕時計が大量に嵌められていたんだったかな。覚えているかい? パッドフット。君が一本取って腕に着けてみた結果、一ヶ月も外せなくなったあれだよ。」

 

「覚えているさ。時間が経つにつれてどんどんベルトが絞まってくるから段々不安になってきて、最後には医務室に駆け込む羽目になったからな。呪いがかかった腕時計だったんだそうだ。手が痺れてきた時はかなり焦ったよ。」

 

ぽんぽん逸話が飛び出てくるな。懐かしそうに地図の各所に指を置きながら説明してくる二人に、店主であるマダム・ロスメルタが運んできたバタービールの瓶を受け取った魔理沙が口を開く。私のクランベリージュースも到着だ。

 

「時計があって、かつ一番見つけ難かった部屋はどれだ? 簡単に見つからないような場所に隠されてるはずなんだよ。」

 

「見つけ難かった部屋か。……難しいな。他にヒントは?」

 

「マーリンに関係しているはずなんです。あの有名な大魔法使いのマーリンに。」

 

クランベリージュースを一口飲んだ私の追加情報を受けて、ルーピン先生がふと何かを思い出したような表情で呟きを放った。

 

「……パッドフット、あの部屋はどうだ? 私たちが入れなかったあの部屋。中に時計があるかどうかは分からないが、マーリンの紋章が扉に刻まれていたと言っていなかったか?」

 

「ん? どこの話だ?」

 

「だからつまり……ピーターが見つけたあの部屋だよ。三階北のパイプを辿った先にあったという、地下通路の西側の隠し部屋だ。」

 

「ああ、あの部屋か。……そういえば、あいつは入り口に紋章が刻まれていたと言っていたな。何か書く物はないか?」

 

自分のポケットを調べ始めたブラックさんへと、いつも携帯しているメモ帳とペンを渡してみれば……彼はそこにサラサラと描いた紋章を私たちに見せてくる。

 

「うろ覚えだが、あの時あいつが描いてみせたのはこんな感じの紋章だったはずだ。」

 

両手に杖と五芒星を持つ竜。意外にも絵が上手かったブラックさんが描いたその紋章を前に、魔理沙が身を乗り出して声を上げた。

 

「それ、マーリンの後期の紋章だぜ。この前図書館で調べた時に見たよな? 咲夜。」

 

「ええ、間違いないわ。白い竜か赤い竜かでずっと議論になってるらしいけど。」

 

「そこはどうでも良いさ。重要なのはこれがマーリンの紋章って点だ。具体的に隠し部屋があったのはどの辺なんだ?」

 

それらしい情報にテンションを上げている魔理沙だが……むう、ブラックさんとルーピン先生は途端に申し訳なさそうな顔付きになってしまったな。何か事情があるようだ。

 

「それが、私たちは直接見たわけじゃないんだよ。だからその地図にも載っていないんだ。ジェームズがマーリンの紋章だと気付いて、それなら何か隠されているんじゃないかと思って一時期必死に探していたんだが……どうにも見つからなくてな。」

 

「ペティグリューは扉までたどり着けたんだろ?」

 

ブラックさんの発言に疑問を返した魔理沙へと、今度はルーピン先生が説明を飛ばす。

 

「その通り、ネズミの姿で細いパイプの中を移動できるピーターはたどり着けた。そこで我々は彼の移動経路から計算して、地下通路に部屋があるであろうことまでは特定できたんだが、どんなに探しても部屋そのものが見つからなかったんだ。一度フランドールが部屋があるはずの位置の壁を破壊したんだけどね。ハッフルパフが派手に減点されただけで何も成果は得られなかったよ。」

 

「えっと、魔法で隠されているってことですか?」

 

「多分そうなんじゃないかな。ピーターには何度も何度も経路を確認したし、パイプ経由で行った時は必ず扉までたどり着けたらしいから、『正規のルートを通らないと見つけ出せない隠し部屋』だったんだと思うよ。……結局それからすぐに試験期間になってしまって、私たちは悔しさを感じながらも探索を諦めたというわけだ。『忍び』たちの苦い敗北の記憶さ。」

 

ルーピン先生が苦い笑みで語った経緯を聞いて、むむむと悩みながら質問を重ねた。パイプを辿るのが正規ルートというのは奇妙な話だな。そこがマーリンの造った隠し部屋だとすれば、マーリン本人はどうやって部屋に出入りしていたのだろうか?

 

「人間のサイズでパイプを伝っていくのは無理なんですよね? もちろん中をじゃなくて、外側からって意味です。」

 

「試してみようとは考えたけど、不可能という結論を出さざるを得なかったよ。三階の北側からパイプに入って、そこから一度上った後で地下まで下りるという複雑なルートなんだ。間に壁やら床やらが何枚もあるし、人間の状態で辿っていくとなればホグワーツを半壊させることになってしまうからね。」

 

「さしものピックトゥースもやろうとは言わなかったくらいさ。実行すれば減点どころじゃ済まないからな。……ちなみに『あいつ』も扉の中にまでは入っていないぞ。伝っていった先が古臭い石のパイプになっていて、その行き止まりのヒビ割れから扉を覗き見ることが出来ただけらしい。」

 

「んじゃあよ、ペティグリューがどこをどう辿ったかは覚えてるか? つまり、正解のルートを。」

 

地図をブラックさんとルーピン先生の方に押し出しながら尋ねた魔理沙へと、二人は同時に首を横に振って応じた。正確には覚えていないようだ。

 

「残念ながら、私は覚えていないな。ゴールが地下通路のこの辺りで、途中天文塔を通るってのは記憶にあるが……ダメだ、殆ど覚えていない。そっちはどうだ? ムーニー。」

 

「私もダメかな。ピーターによれば中々複雑な順路らしいんだ。彼はもしかすると覚えているかもしれないが、私はもう記憶の彼方に行ってしまったよ。」

 

うーん、厳しいな。マーリンの紋章が扉に刻まれていたのであれば、その隠し部屋は物凄く怪しいと言えるだろうが……行き方が分からないのではどうにもならない。目の前のニンジンを掴めないことに意気消沈する私を尻目に、魔理沙がバタービールをぐいと飲んでから一つの案を口にする。

 

「……ペティグリューから話を聞けないかな?」

 

「ピーターから? アズカバンで面会するのはまあ、不可能ではないだろうが……そこまでして追わなくちゃいけない物なのかい? その『時計』というのは。」

 

「私にとってはな。」

 

ルーピン先生の疑問に即答した魔理沙へと、苦々しい表情のブラックさんが助言を投げかけた。

 

「あいつと会うのはお勧め出来ないぞ。君たちにとって良い影響があるとは思えないね。」

 

「だけど、情報は是が非でも欲しいんだ。ペティグリューしか知らないってんなら、ペティグリューに聞くしかないんだろうよ。……私が一人で行ってくるぜ。さすがに咲夜まで付き合わせようとは思っちゃいないさ。」

 

「ちょっと、変な気を使わないで頂戴。もし行くなら私も行くわ。」

 

正直なところペティグリューさんは会いたい人物ではないが、顔も見たくないというほどでもないのだ。もう子供じゃないんだから大丈夫だぞ。魔理沙にムッとしながら言い返した私を見て、ルーピン先生が複雑そうな面持ちで提案を寄越してくる。

 

「私が代わりに行ってこようか? ……実は一度面会には行ったんだよ。」

 

「聞いていないぞ、ムーニー。」

 

「言っていないからね。……フランドールも引っ越す直前に会ったそうだし、私の場合はある程度気持ちに整理をつけられている。君たちがピーターと顔を合わせ辛いと言うのであれば、私が代わりに話を聞いてこよう。それでどうだい?」

 

私と魔理沙を交互に見ながら問いかけてきたルーピン先生に、どう返したらいいかと迷っていると……私が答える前に魔理沙が返答を放った。

 

「いいや、自分で行くぜ。これは私が自分の力で解決すべき問題なんだ。もう六年生なんだから、いつまでも大人に甘えちゃいられない。きっちり自力で進めていかないとな。」

 

「……そうね、その通りだわ。ルーピン先生とブラックさんが気遣ってくれるのはありがたいんですけど、私たちで話を聞きに行きます。扉のことを教えてくれただけで充分です。」

 

私と魔理沙のはっきりとした返事を受けて、ブラックさんは眩しいものを見るように目を細めながら、そしてルーピン先生は柔らかい微笑を浮かべながらそれぞれ言葉を返してくる。

 

「……そうか、もう子供じゃないのか。参ったな、急に歳を感じてしまうよ。どうやら私たちは余計なお節介を焼いていたようだぞ、ムーニー。二人は今や一人前の魔法使いだ。」

 

「私が教師をやっていた頃とは違うってことだね。……そういうことなら好きにしなさい、二人とも。もちろん手助けを惜しむつもりはないが、もう君たちは自分の判断で行動できる立派な女性だ。そう決定したのであれば、私たちはその背を押すことにするよ。」

 

言うと同時にウィスキーが入っているらしいグラスに口を付けた二人に首肯してから、魔理沙と顔を見合わせてもう一度頷き合う。アズカバンか。三ヵ月後のクリスマス休暇まで待つのはじれったいし、どうにかして行く方法を考える必要があるな。

 

小さな進展と、新たな問題。それらのことを頭に描きながら、サクヤ・ヴェイユはクランベリージュースを一口飲むのだった。

 



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守矢神社

 

 

「……ん?」

 

ひょっとして、ここが敷地への入り口なのか? 地図を頼りに細いアスファルトの道路を歩いていたアンネリーゼ・バートリは、短い石階段を見ながら呆れていた。左右は木々で見通しが利かなくなっており、階段の先には古ぼけた石燈籠と小さな石鳥居が申し訳程度に設置されてある。想像以上に質素な神社だな。

 

十月も半分を過ぎた日曜日の昼過ぎ、約束通り早苗と再会するために私は日本の……長野県? を訪れているのだ。毎度お馴染みの面倒なルートを使って入国した後、姿あらわしを何度か繰り返してようやくこの場所にたどり着いたわけだが、まさかこんなに寂れた神社だとは思っていなかったぞ。アピスの調査では結構な神格のはずなのに。

 

とはいえ石鳥居の隣にある雨風で削れた石の柱にはきちんと『守矢神社』と刻まれているし、早苗の実家はここであると判断して間違いなさそうだ。怪訝な気分でもう一度地図を確認してから、十段もない石階段を上り切って半分ほどが剥がれている石畳の上を進んで行くと……まあ、一応は神社だな。背の高い木々に囲まれたスペースの中心に、木組みの社があるのが目に入ってきた。

 

博麗神社よりも小さくて、屋根がのっぺりしていて、かつ古ぼけてはいるが、全体的な形そのものは似通っているな。神道には神道なりの建築様式があるのかもしれないと考えながら、入り口と社を結ぶ参道の左手にある控え目な大きさの民家……恐らくこれが東風谷家なのだろう。の玄関らしき引き戸をノックしてやれば、即座に中から応答の声が響いてくる。早苗の声だ。

 

「はーい! 今行きます!」

 

二階建てではあるものの、道中見た日本の平均的な一軒家よりも一回り小さいな。玄関から少し離れた位置には犬小屋もあるが、中に犬は居ないようだ。昔は飼っていたのか? 木に囲まれている所為で薄暗い敷地内を観察しながら待機していると、引き戸がガラガラと喧しい音を立てて勢いよく開く。

 

「こんにちは、リーゼさん。すみません、お待たせしちゃって。入り口が分かり難いから通りに出て待ってようと思ってたんですけど、さっきまで近所の方がいらっしゃってたんです。その時お出ししたお茶なんかの片付けをしてたら──」

 

「はいはい、大丈夫だよ。特に迷わなかったさ。」

 

黒いスキニーパンツと、ちょっと大きめの白いセーター。髪を後ろで一纏めにしている早苗が慌てて言い訳を寄越してくるのに、適当に応じつつ中へと入った。……やはり広くはないな。奥に真っ直ぐ続く細い廊下の左側には襖が開いている畳敷きの部屋が見えており、右側手前にはキッチンが、その奥には傾斜が急な二階への階段とバスルームか何かがあるようだ。そして突き当たりには閉じた襖がある。あそこにも部屋があるってことかな?

 

まあ、率直に表現するなら『狭くて古臭い異国の家』といった具合だ。靴を脱ぎながら家の中を見回す私へと、襖が開きっぱなしだった部屋を手で示している早苗が案内してきた。

 

「えと、ここが一応リビング……的な部屋になってます。今お茶を用意しますね。みかんは好きですか? さっき貰ったんです。」

 

「いや、お茶だけでいいよ。」

 

相槌を打ってからキッチンを……入り口にビーズが付いた謎の大量の短い紐が垂れ下がっているキッチンを横目に廊下を進み、リビングへと足を踏み入れる。おいおい、これがリビングルーム? どこもかしこも狭すぎないか?

 

畳が六枚使われているその部屋の中心には座布団に囲まれた背の低いテーブルが鎮座しており、壁沿いに戸棚やテレビジョンなんかも置いてある所為でかなり狭めに感じられてしまう。入り口の反対側に縁側らしき板張りのスペースがあるのが唯一の救いだな。縁側の幅そのものはベンチ程度だが、仕切りの障子が開け放たれているお陰で少しだけ開放感が出ているぞ。

 

まあうん、兎にも角にも早苗の家が『富裕層』じゃないことは確かなようだ。宗教ってのは儲かるものだと思っていたんだが、実際はそうでもないらしい。座布団に正座で腰を下ろしながら鼻を鳴らしていると、湯呑みが載ったプレートを持ってきた早苗が話しかけてきた。

 

「どうぞ足を崩して寛いでください。ちょっと狭くて申し訳ないですけど。」

 

「残念なことに、私は正座以外では座れないんだよ。胡坐をかくなんてのは淑女として以ての外だし、足を揃えて横にする座り方は……何と言うか、恥ずかしいんだ。女性的すぎて私には似合わないだろう?」

 

「そうですか? 似合わないってほどじゃないと思いますけど……じゃあ、椅子を持ってきますね。和室用の背の低いやつが向こうにあるんです。お年寄りの方とかもたまにいらっしゃるので。」

 

「年寄り扱いはやめてくれ。……大人しく縁側に座るよ。今日はそこまで寒くないしね。」

 

やっぱりこういう『和風のマナー』は性に合わんな。文化の違いに辟易しつつ、座布団を持って縁側に移動した私に、苦笑いの早苗が湯呑みを差し出してくる。

 

「まあその、外国の方からするとやり難いのかもしれませんね。最近はもう洋風の部屋が主流になってますけど、この家は結構古いですから。一昨年はシロアリが出ちゃって大変だったんです。」

 

「今はキミ一人で住んでいるんだろう?」

 

「ええ、一人になっちゃいました。だから使ってない部屋なんかもいくつかありますね。一階の突き当たりの部屋はご近所さんたちの会合とかによく使われてたんですけど、もうそれを仕切る役目のお父さんが居ませんから。」

 

しみじみとした面持ちでそこまで言った早苗は、困ったような笑みを浮かべながら話を続けた。寂しそうにも見える笑い方だ。

 

「信仰について説明してもらったから分かったんですけど、私が子供の頃に神奈子様や諏訪子様と話せていたのは、そうやってお父さんとお母さんが頑張ってたからなんだと思います。あの頃は参拝してくれる方もそれなりに居ましたし、近所のお祭りの打ち上げなんかもこの家でしてましたから。そういう地道な活動が信仰の獲得に繋がっていたんじゃないでしょうか? お母さんは毎回料理を出すのが大変だってボヤいてましたけどね。」

 

「しかしキミの両親が死去し、この場所でそういった会合が開かれなくなった結果、信仰が薄れてきてしまったと。なるほどね、納得の理由だと思うよ。それだけが原因ってわけではないはずだが、一つの切っ掛けではあったんだろうさ。」

 

「運の悪いことに、同時期に近所に立派な公民館が出来ちゃいましたしね。今はもう集まりはそっちでやってるんだそうです。……それに私がマホウトコロに入ったばかりの頃は、叔父さんも忙しくて神社は荒れ放題でしたから。雑草だらけで大変だったんですよ? 叔父さんの仕事が落ち着いて、私が多少手入れを手伝えるようになった時にはもう遅かったんです。昔から顔を出してくれてた方は今でもたまに参拝にいらしてくれるんですけど、みんなお年寄りですからね。まさか無理に来てくれとも言えませんし、何とも難しい状態になっちゃいました。」

 

肩を落としながら小さくため息を吐いている早苗だが……うーん、日本ではそこまで珍しくもない話なんだろうな。というか、どの国家のどの宗教でも同じか。嘗ての人間たちは信仰のために命すら捧げていたが、現代ではそういう話は滅多に聞かない。これもまた時代による変化の一つというわけだ。

 

緑茶を一口飲みながら然もありなんと首肯した後、落ち込んでしまっている早苗へと質問を飛ばす。だが、今の彼女はその変化から逃れる術を知っているはずだ。過去を保つ箱庭の存在を。

 

「この神社の現状は把握したよ。その上で聞かせてもらうが、考えの整理は付いたかい? つまり、幻想郷への移住についての。」

 

「……はい、決めました。私、思ってたよりもこの世界に未練がなかったみたいなんです。前に言った通り、幻想郷に移住するってことで進めてください。」

 

「まあ、私としては願ったり叶ったりなんだけどね。いいのかい? イギリスで説明したように、生活の水準は多少低くなるよ?」

 

「そこだけはちょっと不安ですけど、残った時間で色々と勉強すれば大丈夫だと思います。あとは気遣ってくれた叔父さんに残せる物を残したいのと、お世話になった先輩にお別れを言うくらいですかね。……しっかり考えてみたら気付いちゃいましたよ。私ったら、本当に何も築けていなかったんだなって。だってこの世界に戻ってこられなくなるかもって考えた時、その二人の顔しか浮かんでこなかったんですもん。情けない話ですよね。」

 

幼い頃は他者には見えない二柱と会話する『不思議ちゃん』だった所為で友達が出来ず、その後数少ない理解者だった両親と死別し、マホウトコロでは転入組で無派閥のパーセルマウスだからロクな人間関係を築けなかったわけだ。んー、悪い子ではないんだがな。環境とタイミングが悪かったってことか。

 

どこまでも不運な人生に内心で苦笑しつつ、俯く早苗の頭を撫でて言葉をかける。

 

「幻想郷で一からやり直したまえ。今度こそ後悔しないように、キミが胸を張れるような人生をね。」

 

「……ですね、頑張ります。もっと明るくなって、人付き合いに尻込みしないで、参拝者が沢山来てくれるように神社を盛り立てていくんです。」

 

「んふふ、その意気だよ。……それじゃあ、ここらで二柱の話も聞いてみようじゃないか。この中から札を取り出してくれたまえ。私は触れないから。」

 

言いながら神札が入っている袋を懐から出して、それを早苗へと手渡す。この子の意思が移住に傾いている以上、二柱も……少なくとも神奈子の方は賛成してくるはずだ。前回会った時の様子を考えればいけるはずだぞ。

 

問題は諏訪子の方かなと思考しつつ、早苗が慎重な手付きで布袋の中から札を取り出すのを眺めていると……さて、お出ましか。封印がかかっている袋から札が出た瞬間、座布団の上に二柱の神が顕現した。

 

「やほー、早苗。私にもお茶頂戴。冷たいやつね。あと蜜柑も。」

 

「久し振りだな、早苗。と言っても、我々はいつもお前のことを見守っているが。」

 

「諏訪子様、神奈子様! お久し振りです! 今お茶を準備しますね。」

 

途端に元気になってキッチンの方へと早足で向かって行く早苗を見送った後、縁側から二柱へと軽く声を放つ。私にも挨拶しろよな。客だぞ。

 

「やあ、私の同盟者さんたち。また会えて嬉しいよ。」

 

「……まだ同盟者になるとは決まっていない。」

 

「決まったようなものじゃないか。さっきの話を聞いてなお早苗をこちらに引き留めるつもりかい?」

 

仏頂面で反論してきた神奈子に問いかけてみれば、彼女は苦い顔付きになって黙り込んでしまう。よしよし、やはりこっちは大丈夫そうだな。移住に乗り気になっているようだ。

 

盤面が優勢なことを確信してニヤリと笑ったところで、『厄介な方の神』が薄く笑いながら会話に入ってきた。今日も奇妙な目玉付き帽子を被っている諏訪子の方がだ。

 

「ま、早苗がこっちで苦労してるってのは認めてもいいよ。もしかしたら幻想郷に行った方が幸せになれるかもしれないってこともね。」

 

「その上で何か不満があるのかい?」

 

「何て言うかさ、アンネリーゼちゃんの思い通りに進んじゃうってのがどうもね。取り引きを持ち掛けてきた側の言う通りにすると、大抵の場合ロクなことにならないもんでしょ?」

 

「では考えたまえよ。私は待つぞ。不明な点や不満な点があるなら話し合いにも応じよう。……優良な取引相手だと思うがね、私は。」

 

悪くない反応だな。目玉帽子の方も迷い始めているわけか。余裕の表情で返答してみれば、諏訪子は面倒くさそうに唸りながら被っていた帽子をテーブルに置く。

 

「この前も言ったけど、やっぱり一番気に入らないのは幻想郷って土地を直に見てないって点かなぁ。具体的にどんな場所なのさ。」

 

「早苗への説明を横で聞いていたんだろう? だったらイメージくらいは出来るはずだぞ。」

 

「自然が豊かな山奥で、そこそこの規模の人間の集落があって、妖怪が普通にウロついてて、神とかも居て、私たちが実体を保てるほどに神秘が濃い土地? そんなのおとぎ話の世界観だよ。実際に見てるアンネリーゼちゃんはイメージできるのかもだけど、こっちとしては中々難しいかな。」

 

「だからこそ『幻想の郷』なんじゃないか。……正直に言えば、個人的には直接見せてもいいと思っているんだけどね。簡単には入れない土地なんだ。強力な結界があるから。」

 

戻ってきた早苗が甲斐甲斐しく二柱に茶を出すのを横目に肩を竦めてやると、諏訪子は腕を組んで天井を見上げつつ質問を投げてきた。

 

「そうそう、『強力な結界』。そこも気になるね。……『何のために』作った土地なのかは大体分かるんだよ。今の世の中が人外にとって生き難い世界だってのは明らかなんだから、避難場所を作ろうとするのはそうおかしなことじゃないもん。だけどさ、『誰が』作ったのかすらはっきりしないのは困るなぁ。そいつの箱庭の中で暮らすのであれば、そいつの意図を掴んでおかないとね。無茶苦茶な規模と強度の結界を張れるようなヤツなんでしょ?」

 

「私が知っている管理者は八雲紫って女だよ。言ってなかったか? スキマを操る大妖怪だ。」

 

そういえば紫の名前は出していなかったっけ。今更ながらに思い出しつつ送った回答を受けて……おお、知ってるみたいだな。諏訪子と神奈子は揃って嫌そうな顔になってしまう。あの覗き魔の『悪名』はこの二柱にも届いていたらしい。

 

「うへぇ、隙間妖怪? 大昔に月の民に派手な喧嘩を売ったヤツでしょ? やっばいなぁ、思ってたよりも大物の名前が出てきちゃった。……まさか、早苗のポテトを盗んでたヤツが隙間妖怪なの? やってることがショボすぎて気付けなかったよ。あれが噂の『スキマ』なんだ。」

 

「境界の妖怪か。直接会ったことは無いが、恐ろしく厄介な大妖怪だという噂は聞いている。私たちが出会う前から存在しているかなりの古参のはずだ。……大昔に鬼たちが一斉に消えたのも八雲紫の仕業だったのかもしれないな。そう考えれば納得できないか? 諏訪子。」

 

「ん、出来るね。アンネリーゼちゃん、幻想郷に鬼って居るっしょ? 吸血鬼じゃなくて、角が生えてる勝負バカどもの方。」

 

「あー……そうだね、居るはずだ。直に見てはいないが、どこかで聞いた覚えがあるよ。」

 

いつ聞いたんだったかな? 私がぼんやりした記憶を掘り起こしている間にも、諏訪子と神奈子の会話は進んでいく。ちなみに早苗は諏訪子からちょいちょいと手招きされた後、話の内容にきょとんとしながら彼女の『椅子』になっている。年齢に見合っていない大きな胸をヘッドレストにされる形でだ。

 

「やっぱりね。……となると、天狗なんかもそうなのかな。ある時期一気に居なくなっちゃったもんねぇ。あれは隙間妖怪が自分の箱庭に取り込んだからだったんだ。」

 

「他にも心当たりがいくつかあるぞ。あの頃既に私たちはこの場所から離れられなくなっていたから、確たることは言えないがな。」

 

「ひょっとすると、出雲の会合なんかで話題になってたのかもね。うーん、『浮世離れ』してるとこういう時に不便だなぁ。……ところで早苗、あんたまた乳が大きくなってるね。頭が沈み込んじゃうよ。」

 

「へっ? ……そ、そうですね。どんどん新しい下着が必要になっちゃうから大変なんです。」

 

なんだその急な指摘は。唐突に話を振られた早苗が慌てる中、彼女の方へと全身を預けている諏訪子がこちらに言葉を飛ばしてきた。やはりこいつの方が神っぽいな。自分勝手な会話のリズムが正にそれだぞ。

 

「ま、色々と納得したよ。そっか、隙間妖怪か。だったらそういう土地も創り出せるだろうね。……ついでにアンネリーゼちゃんが同盟者を必要としてる理由もちょっと分かったかな。そんな相手じゃ油断できないもん。」

 

「そういうことだね。……結論としてキミたちはどう思っているんだい? 移住に肯定的か、否定的か。今一度答えを聞かせてくれたまえよ。」

 

私の問いに対して、先ずは神奈子が口を開く。私にではなく、早苗の方にだ。

 

「早苗、お前は幻想郷に行くことを望んでいるんだな?」

 

「はい、神奈子様。私は幻想郷に行って、お二方とまた一緒に暮らしたいです。お二方のためというか、私個人の望みとしてそう思ってます。……私にとっての家族はもう神奈子様と諏訪子様だけなんです。離れたくないって思うのはダメなことなんでしょうか?」

 

「無論、ダメじゃないぞ。そう言ってくれて私は嬉しい。……まあ、早苗が移住を望むのであれば私としては否などないさ。お前がこの世界に馴染めなかったのは、久々に話し相手を得て喜んだ私たちが余計なことをし過ぎたからだ。その責任は取らなければならない。だろう? 諏訪子。」

 

「……そのことは身に染みて分かってるよ。この子が最初に私たちに反応してきた時、ずっと『二人ぼっち』だった私と神奈子は大いに喜んだもんさ。だからこそちょっかいをかけ過ぎちゃったね。失敗に気付いた時には後の祭りで、この子は『ユーレイ』に話しかける変な子扱いされちゃってた。……ん、そうだね。もう私からは何も言わない。早苗が好きに決めな。ここが嫌なら、みんなで幻想郷に逃げちゃおっか。そのための対価は私たちで払うからさ。」

 

早苗の胸の中で彼女の膝をぽんぽんと叩いた諏訪子の台詞を聞くと、神奈子はこちらに向き直って発言を寄越してきた。

 

「バートリ、一つだけ確約しろ。早苗の安全には最大限気を使うと。それを約束できるのであれば、私はお前の同盟者としてかの地で力を貸してやろう。」

 

「では、バートリの名に誓おう。移住において早苗の安全には最大限気を使うことと、幻想郷で生活するに当たってキミたちが私の身内を優先する限りは私も早苗のことを優先すると。」

 

「結構。……私からは以上だ。諏訪子からは何かあるか?」

 

深々と頷いて了承の意思を示した神奈子の質問に、諏訪子はむむむと悩みながら声を上げる。

 

「細かい部分は後で詰めるとして、先に小さな条件を一つ提示しておこうかな。……早苗が向こうに行く前に、こっちの世界を満喫させてやって欲しいんだ。今まで随分と我慢させちゃってたからね。」

 

「満喫? よく分からんね。具体的に言ってくれ。」

 

「つまりさ、イギリスでやったみたいなことをやってあげて欲しいわけ。一概にショッピングに付き合えってんじゃないよ? ほら、早苗が行きたがってた遊園地があったじゃん。ああいうとこに連れて行ってあげたりとか、そういうことを頼みたいの。」

 

「あの、諏訪子様? 私は大丈夫ですよ? リーゼさんにも悪いですし。」

 

遊園地? 奇妙な条件だな。おずおずと口を挟んだ早苗へと、諏訪子は見上げる形で注意を放つ。

 

「あのね、早苗。もう戻ってこられないかもしれないんだよ? アンネリーゼちゃんはお金持ちみたいだし、この際パーッと楽しんじゃいな。あんたには読みたかった漫画とか、観たかった映画とか、行きたかった場所が沢山あるんでしょ? 後悔しないようにたらふく楽しんで、それで清々しい気分で幻想郷に行こうよ。」

 

「おい、私は『金蔓』扱いか?」

 

「安心しなよ、アンネリーゼちゃんには幻想郷に行った後で私たちが対価を支払うから。……早苗にはちょーっと我慢させ過ぎたからね。アホみたいに豪遊するのはダメだけど、やりたかったことを叶えるくらいは別にいいじゃん。あんたはもう少し我儘になりな。じゃないと妖怪たち相手に渡り合えないよ。」

 

まあ、早苗を遊ばせる程度で二柱に恩を売れるのであれば……悪くない取り引きだよな? 若干の『利用されている感』があることに微妙な気分になっていると、早苗が困ったような顔付きで応答を口にした。

 

「でもですね、ただ遊ぶだけっていうのは──」

 

「あーもう、ごちゃごちゃ言わない! 一番近くで見てきた私だから分かることだけど、本来のあんたは尋常じゃない我儘娘なんだよ。唯我独尊を地で行くタイプのおバカちゃんなの。今は無理して『良い子』をやってるだけだね。……あんた、幻想郷に行った後もそれを続けるつもりなの? 不満を胸に押し込んで、愛想笑いで生きていくあんたを見てるだなんて私は御免だからね。」

 

「えぇ? 私、そんな人物評価なんですか? 『おバカちゃん』? ……えっと、神奈子様もそう思ってます?」

 

愕然としたように神奈子の方へと視線を動かした早苗だったが……うーむ、目を逸らされているな。神奈子も諏訪子と同意見のようだ。

 

「……昔はまあ、そんな感じだったかもしれないな。非常に頑固で我が強い自信家だった。」

 

「それが早苗の本質なんだよ。幻想郷に行くまでの準備期間でアンネリーゼちゃんに甘えまくって、あんたの本質を取り戻しな。訳の分かんない無茶苦茶な土地に行くのであれば、もう変な枠に自分を閉じ込める必要なんてないんだから。……いいね? 宿題だよ?」

 

「えと、その……分かりました。諏訪子様がそう言うのであればやってみます。」

 

「ん、それでいいの。……アンネリーゼちゃんもお願いね。こんな性格じゃ妖怪を相手にやっていけないってのは分かるっしょ? 要するに、『我儘訓練期間』だよ。アンネリーゼちゃんにはそのスポンサーをやってもらうから。」

 

なんだそりゃ。……諏訪子のやつ、『反対する』から『とことん利用する』に進路を切り替えたらしいな。早苗の我儘を叶えるのは想像するだけでも非常に面倒くさいが、後々利子付きで二柱に請求できるのであれば貸し付けておくのも悪くないだろう。適当に付き合ってやるか。

 

吸血鬼のカンが『厄介なことになるぞ』と囁いてくるのを感じながら、アンネリーゼ・バートリは不承不承の首肯を返すのだった。

 



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騙し合い

 

 

「じゃあ、アリスからの許可は出たのか? アベルト(解錠せよ)。」

 

錠前に上級解錠呪文を放ちつつ聞いてくる魔理沙へと、サクヤ・ヴェイユはこっくり頷いていた。ちなみに錠前はしっかりと木の小箱の封印を守ったままだ。未だ誰も成功していないし、今回の呪文はかなり難易度が高いらしい。さすがは六年生の内容だけあるな。

 

十月も終わりが見えてきた大雨の日の午前中、私たちグリフィンドールとハッフルパフの六年生は呪文学の授業を受けている最中だ。魔法によって保護された錠を開けて木箱の中のクッキーを取り出すというのが今回の課題なのだが……これがどうにも難しくて、授業の残り時間が少なくなってきた現在も誰一人として成功していないのである。

 

そんな中、私と魔理沙はペアを組んで堅固な錠前に試行錯誤しながら、アズカバンに行くための計画を話し合っているわけだ。ピクリとも動いてくれない無骨な南京錠を見て苦い顔になっている魔理沙へと、今度は私が呪文を試しながら返答を送った。

 

「ペティグリューさんから隠し部屋の話を聞きたいって手紙に書いたら、意外にもすんなりオーケーを出してくれたわ。リーゼお嬢様もいいって言ってくれてるみたいよ。……もうちょっと根掘り葉掘り聞かれると思ってたんだけどね。アベルト。」

 

「何かさ、ちょびっとだけ不気味じゃないか? 逆転時計に関しても全然聞いてこないよな。リーゼが興味を持たないのは分からんでもないが、アリスの方はもっと色々言ってくると思ってたぜ。」

 

「魔女として興味を持つはずだってこと?」

 

「そりゃお前、『魅魔様が創ったオリジナルの逆転時計』だぞ? そんなもん気にならない方がおかしいだろ。」

 

ふむ、言われてみればそうかもしれない。私ですら興味を惹かれる対象なのに、リーゼお嬢様もアリスもあまり関わってこようとしないな。手紙では近況を尋ねてくるものの、逆転時計についての意見や質問はほぼゼロだ。どうしてなんだろう?

 

疑問が頭をよぎったところで、近付いてきたフリットウィック先生がアドバイスを寄越してくる。まだ成功者が居ないのに随分と余裕がある態度だし、どうやら最初から失敗する前提の授業だったようだ。難易度が高い呪文だから、時間をかけて取り組む予定ってことかな?

 

「二人とも、杖の振り方には細心の注意を払うように。上級解錠術は非常に繊細な呪文ですから、僅かなタイミングのズレが失敗に繋がりますよ。」

 

「分かりました、フリットウィック先生。」

 

「あいよ、気を付けるぜ。」

 

私たちの返事を受けて別の生徒の方へと向かうフリットウィック先生を見送りつつ、アズカバンの一件に話を戻す。杖の振り方か。もう一度教科書をチェックしてみよう。

 

「何にせよ、次のホグズミード行きの時に迎えに来てくれるらしいわ。」

 

「十一月の第二日曜日だよな? 八日か。……手続きとかはどうなるんだ? 面会の申請的なことをしないといけないんだろ?」

 

「アリスがやってくれるんですって。どうせ用事で近々魔法省に行くから、その時にオグデン監獄長に直接掛け合っておくって手紙に書いてあったわ。魔理沙は知ってる? 去年の隠れ穴でのクリスマスパーティーに来てたんだけど。」

 

「『スーツのカウボーイ』みたいな変な格好のおっさんだろ? 挨拶だけはしたぜ。結構な皮肉屋っぽいけど、私は面白いヤツだと思うぞ。アベルト! ……くそ、全然成功しないな。」

 

皮肉屋っぽい? そんな印象は受けなかったんだけどな。私が挨拶した時はやけにぎこちなかったし、ちょっと変な人って印象だ。……そういえば、その時話していたロバーズ局長は怪訝そうに『いつもと違う』的なことを言っていたっけ。ひょっとして私に何か思うところがあるんだろうか?

 

オグデン監獄長についてを考えている私を他所に、魔理沙は苛々と呪文を連発しながら話を続けてくる。めったやたらにやっても無駄だと思うぞ。

 

「アベルト! とにかく、後はペティグリューの方が了承してくれれば面会できるわけだ。……してくれるかな?」

 

「そこは何とも言えないわね。妹様やルーピン先生とは面会したみたいだし、大丈夫だとは思うけど……アベルト。承諾してくれることを祈るしかないんじゃない?」

 

ダメか。多分今のは慎重になりすぎて杖を振るスピードが遅かったんだろう。素早く振るために何度かおさらいしている私へと、同じように教科書を読み直している魔理沙が言葉をかけてきた。

 

「んじゃ、調査の続きはお前が成人した後ってことだな。暫くはクィディッチに集中しとくか。」

 

「そういうことになるわね。メンバーは決まったの? テストをしてたみたいだけど。」

 

「それがな、私かジニーがシーカーをやることになるかもしれないんだ。シーカーの希望者がちょっと不作なんだよ。チェイサーを二人補充して、キーパーを一人入れるってのが一番マシな展開っぽくてな。」

 

「まあ、別にいいんじゃない? ジニーも貴女もやれないことはないでしょ。」

 

魔理沙は一年生の頃にやったことがあるわけだし、そこまで大きな問題ではないはずだ。軽い口調で相槌を打った私に、魔理沙は肩を竦めて応じてくる。

 

「キャプテンどのは来期もプレーすることになる私に任せたいって言ってるんだが、そうなるとジニーが卒業した後のチェイサー陣が新人ばっかりになっちまう。難しい選択だぜ。」

 

「どっちを選ぶにせよ、きちんと考えて決めなさいよ? 来年度は貴女がキャプテンをやることになるんだから。アベルト(解錠せよ)。……あら、開いたわ。」

 

「おー、やるじゃんか。」

 

ガチャリと音を立てて動いた錠前がテーブルに落ちて、木の小さな箱が独りでに開く。やった、成功だ。中に入っていたチョコチップクッキーを取り出した私へと、成功に気付いたフリットウィック先生が満面の笑みで拍手を送ってきた。

 

「素晴らしい! ミス・ヴェイユが成功させました! グリフィンドールに十五点!」

 

「えっと、どうもありがとうございます。」

 

褒められるのは素直に嬉しいが、注目されると若干恥ずかしいな。テンションの高いフリットウィック先生にお礼を告げたところで、再び箱を閉じて錠をかけた魔理沙が口を開く。

 

「もう一回封印の呪文をかけてくれよ。こうなったら私も成功させたいぜ。」

 

「いいでしょう、チャレンジ精神があって大いに結構。」

 

そう言ったフリットウィック先生が……おお、複雑だな。呪文を呟きながら物凄い速さで杖を細かく動かすと、箱にかかっている南京錠が一度だけカタリと小さく揺れる。これで再度封印が施されたらしい。

 

「これで完了です。どうぞ、ミス・キリサメ。」

 

「あんがとよ。……ちなみにさ、その封印のための呪文も六年生の内容なのか?」

 

「六年生の後半か、あるいは七年生の初め頃の内容ですよ。こちらは呪文学ではなく、防衛術ですが。」

 

なるほど、防衛術の分野なのか。説明してから遠ざかっていったフリットウィック先生の背を横目に、杖を構えた魔理沙のことを席に座って見守っていると……うん? うなじにゾワリとした感覚が走った。またこれか。

 

「ん? どうした?」

 

「何でもないわ。呪文に集中して頂戴。」

 

首の後ろを摩っている私に声をかけてきた魔理沙に返してから、心の中で小さくため息を吐く。最近はよくあることなのだ。単にゾワッとするだけなので病気とかではないと思うのだが、ここまで続くと何だか不安になってくるぞ。

 

……そういえば、この感覚が時たま訪れるようになった少し前から寝ている間に勝手に時間が停止する頻度が減り始めたな。『ゾワゾワ』の頻度増加に伴って減少している感じだ。最近は勝手に止まることが殆どなくなってきたぞ。

 

もしかして何か因果関係があるのだろうか? 考えてみるとそんな気もしてくるが、残念なことにどちらの原因もさっぱり分からない。である以上、思い悩んだところでどうにもならないだろう。

 

うーん、我ながら困ったもんだな。自身に宿る能力に苦いものを感じつつ、サクヤ・ヴェイユは親友の頑張りを観察するのだった。

 

 

─────

 

 

「それでは、私はこれで失礼しますね。」

 

相変わらずさっぱりとしているな。人形店から出て行くアピスさんに手を振りつつ、アリス・マーガトロイドは一つ息を吐いていた。七月の終わり頃からやっていたアピスさんへの人形作りの指導が終了したのだ。覚えが早かったので基礎は充分詰め込めたし、あとは一人でもどうにかなるはず。『教師役』としての責任は何とか果たせたと言えるだろう。

 

見送りを終えてカウンター裏の丸椅子に腰掛けたところで、リビングに続く階段の方からリーゼ様がひょっこり顔を出す。もう起きていたのか。まだ昼前だから寝ていると思っていたぞ。

 

「ん? アピスはもう帰ったのかい? エマが今日スイスに帰るとかって言っていたが。」

 

「ついさっき帰りましたよ。何か用があるならまだ追いつけると思いますけど。」

 

「いや、別に用があるわけではないんだけどね。……あいつ、きちんと対価を払っていったのか? キミの『人形作り教室』は授業料を支払うに足るものだったはずだぞ。」

 

カウンターに直接腰掛けて聞いてきたリーゼ様へと、苦笑しながら返事を返した。

 

「去年から色々と手伝ってもらってますし、基礎的な部分を教えただけなのでお代は不要だって言ったんですけどね。アピスさんがそれだと困るらしいので、何かあったら情報をくださいって伝えておきました。」

 

「……ふむ、悪くないね。あの情報屋に貸しを作ったってのは大きいんじゃないかな。」

 

「いやまあ、『貸し』と言えるほどではないと思いますけど。」

 

「ま、アピスのことはどうでも良いさ。家主たる私に挨拶も無しで帰ったのは気に食わないけどね。……それより咲夜の一件はどうなったんだい? 昨日面会の許可をオグデンに取りに行ったんだろう?」

 

少し真剣な表情になって問いかけてきたリーゼ様に、ガラスケースを拭くための布巾を取り出しながら首肯して応じる。十月の初旬に咲夜からの手紙が届いたのだ。逆転時計に関する隠し部屋の場所をペティグリューが知っているかもしれないので、アズカバンに居る彼に会って話を聞きたいという手紙が。

 

「ペティグリューの方が了承すれば面会自体は可能だそうです。咲夜にもそう書いて手紙を送り返しておきました。……それで良かったんですよね?」

 

「色々と突っ込みたい点はあるし、ペティグリューと直接会うことに思うところもあるが……『何もしない』をやめるわけにはいかないからね。咲夜が希望してきたなら叶えるべきなんだろうさ。多分それが『自然な動き』であるはずだ。」

 

「んー、『自然な動き』を意図的に選択するのは中々難しいですね。忍びの地図の制作者たるブラックとルーピンから話を聞いて、そこからペティグリューに繋がった。その動きに不自然さは特にありませんけど……ペティグリューとの面会、何も知らなかった場合の私たちもオーケーすると思いますか?」

 

「するんじゃないかな。少なくとも私はあのネズミに大した感情を抱いていないからね。無論好きではないが、もはや危険だとも思えない。である以上、私が許可を出すのは自然な動きであるはずだ。……キミはどうなんだい? 仮にキミから反対されれば私は考えを翻すかもしれないぞ。」

 

リーゼ様から問い返されて、頭の中で思考を回す。ペティグリューに対する私の感情は複雑なものだ。恐らくリーゼ様もそうなんだろうけど、紅魔館の住人にとっての『忍びたち』はフランを通して見ている側面が大きい。ジェームズしかり、ペティグリューしかり。彼らのことを考える際、私たちはどうしてもフランの感情を間に挟んでしまうのだ。

 

フランは幻想郷に旅立つ前、ペティグリューに会いに行っていた。そこでどんな会話が交わされたのかも、どんな感情から面会を希望したのかも口には出さなかったが……多分彼女は憎んではいないはずだ。赦しているかどうかは判断できないが、憎悪しているわけでも責めに行ったわけでもないはず。それは何となく分かるぞ。

 

なら、私はきっと咲夜と魔理沙の面会を止めない……かな? 正直言って『何も知らない場合の私』がどうするかは断定できないものの、まさか断固としてペティグリューとの面会を阻もうとはしないはずだ。脳内で纏めた考えを言葉にして、答えを待つリーゼ様へと言い放つ。

 

「私も止めはしないと思います。ただ、二人だけで行かせるのはやっぱり渋るんじゃないでしょうか?」

 

「だったら現状の対処で問題ないはずだ。キミが付き添いとして同行して、ペティグリューと面会させる。これが『何もしない』に当たる自然な動きだよ。」

 

「ですね。面会そのものは早ければ十一月八日になりそうです。ペティグリューが面会を拒絶するか、別日を希望すればまた違う日になるかもですけど。」

 

「ペティグリューの方は当然ながら時間遡行のことを知らないからね。彼がどうするかは考慮に入れなくても大丈夫だ。勝手に自然な動きをしてくれるさ。……そういえば、キミはマグルの遊園地に興味があるかい?」

 

遊園地? 急すぎる話題転換にきょとんとしつつ、とりあえず質問の返答を飛ばした。

 

「興味があるかと言われると微妙なところですけど、別段嫌いではないですよ。昔はテッサと二人で行ったりもしてましたから。」

 

「十一月の下旬に行くことになったんだが、キミもどうだい? 日本で一番有名な遊園地らしいんだ。」

 

「日本の? ……あー、なるほど。東風谷早苗ちゃんでしたっけ? に絡んだ予定なわけですか。妙なことになってますね。」

 

日本の神を『手駒』にしようとしていることも、そのためにマホウトコロの少女との関わりを深めていることも知っているが……それに何だって日本の遊園地が関係してくるのだろうか? 謎の状況に首を傾げる私へと、リーゼ様は疲れたような顔付きで説明を投げてくる。

 

「早苗が行きたがっていて、彼女を『楽しませる』ことを神の片方が条件として追加してきたんだよ。だから連れて行く羽目になったってわけさ。……一緒に来てくれないか? キミだって遊園地ではしゃぐような歳じゃないだろうが、私は尚のことそうじゃないんだ。考えるだけで憂鬱になってくるよ。せめて苦労を分かち合える同行者が居ればマシになりそうなんだが。」

 

「まあその、同行するのは別に構いませんけど……東風谷ちゃんと私たちの三人で行くってことですか? 初対面の私が一緒だと東風谷ちゃんが困りませんかね?」

 

「最大だと五人だよ。その前に博麗神社に行って神札の補充が出来れば、神たちも顕現して同行するつもりらしいからね。ただし、博麗の巫女が札を出し渋れば三人になっちゃいそうかな。いよいよストックが残り少なくなってきたんだ。」

 

「神と一緒に遊園地ですか。改めて考えると凄まじい状況ですね、それ。」

 

札の補充が叶った場合、魔女と吸血鬼と神と人間で遊園地に行くことになるわけだ。あまりにも奇妙な一団のことを想像する私に、リーゼ様は肩を竦めながら応答してくる。チケットを買う時、神は何料金になるんだろう? やっぱり大人か?

 

「何ともバカバカしい話だが、それが条件なのであれば呑む他ないのさ。……じゃあ、キミも一緒に行くってことで進めさせてもらうよ。神たちに紹介するタイミングは欲しかったし、ちょうど良い機会なのかもしれないね。」

 

「……リーゼ様、変な方向に利用されてませんか?」

 

「されている自覚はあるよ。二柱の内の片方が厄介なヤツでね。上手いこと誘導されているんだ。……まあ、幻想郷に行った後で代金はきっちり請求させてもらうさ。二柱とも支払いを反故にするほど愚かではなさそうだったし、今は我慢の時って感じかな。」

 

言うリーゼ様は大きなため息を吐いているが……ううむ、意外な落とし穴だったな。夏休み中に魔理沙から東風谷ちゃんの『誑かされっぷり』を聞いた時は同情したけど、こうなってくるとどっちもどっちなのかもしれない。さすがは神だけあって、一方的にリーゼ様が利用できるほど簡単な存在ではなかったということか。

 

神と吸血鬼の騙し合い。その結果が一緒に遊園地に行くことになるのは実に珍妙だなと思いつつ、アリス・マーガトロイドは苦笑いを顔に浮かべるのだった。

 



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「んー……おはよ、咲夜。誕生日おめでとう。」

 

十月三十一日の朝。寮の自室のベッドで身を起こして大きく伸びをした霧雨魔理沙は、プレゼント整理中の親友に声をかけていた。もう一人のルームメイトは既に居ないし、恐らく咲夜にお祝いを告げた後で朝食に行ってしまったのだろう。

 

私にとっての十月三十一日は単なるハロウィンではなく、『ハロウィンの悲劇』の戦死者たちの慰霊の日でもなく、ダンブルドアの命日の翌日でもなく、ハリーの運命が始まった日ですらなく、何よりも先ず咲夜の誕生日なのだ。だから朝起きて最初にお祝いを口にした私へと、成年を迎えた銀髪ちゃんは微笑みながら返事を返してくる。

 

「ありがと、魔理沙。……髪がぐしゃぐしゃになってるわよ?」

 

「あー、そうだな。そういえば昨日は結ばないで寝ちゃったっけ。アクシオ(来い)。」

 

ベッドに腰掛けたままで共用の棚のヘアブラシを呼び寄せて、飛んできたそれで四方八方に跳ねている自分の髪を梳かしながら、プレゼントをせっせと仕分けしている咲夜に質問を投げた。ちなみに私からのプレゼントもあの中に含まれているはずだ。例年は普通に手渡ししていたのだが、今年は成人になる大事な年ということでラッピングして店から送ってもらったのである。

 

「どうだ? 今年の『収穫』は。豊作か?」

 

「何よその言い方は。……やっぱりと言うか何と言うか、成人祝いだけあって腕時計が多いみたいね。一生分の腕時計が今日一日で手に入っちゃいそうよ。」

 

「まあ、ヨーロッパ魔法界の風習だもんな。縁起物みたいな感覚なんだろ。」

 

うむうむ、私は『腕』時計にしなくて正解だったな。別に被るのが悪いってわけじゃないが、どうせなら違った物を贈った方が印象に残るだろう。自分の選択に満足しながらベッドを降りて、咲夜の方へと歩み寄ってみれば……おー、色取り取りの箱が並んでるじゃんか。さすがに今年は包装にも気合が入っているらしい。例年よりも豪華な気がするぞ。

 

「どれ、見せてくれよ。どんな時計なんだ?」

 

「これがブラックさんからで、こっちがハグリッド先生から。そしてこれがエメリーン・バンスさんからよ。知ってる?」

 

「元騎士団の魔女だろ? 名前だけはアリスから聞いたことがあるぜ。……同じ腕時計って言っても、贈り手のセンスがはっきり分かれるな。こっちのは?」

 

シリウスのは銀を基調とした控え目なサイズの腕時計……女性用なのかな? で、ハグリッドのはグリフィンドールらしい赤い革のベルトの金色のやつだ。そんでもって私が会ったことのないバンスからのは落ち着いた大人っぽいデザインの腕時計。三本の時計を観察しながらその隣にある茶色い革ベルトの古めかしいやつと、細いチェーンのようなベルトのお洒落な腕時計を指して聞いてみれば、咲夜はプレゼントの整理を続けつつ返答を寄越してきた。

 

「こっちがオルレアンのヴェイユ家を管理してくださってる方……去年の夏休みに会ったでしょ? あの方からで、チェーンベルトの方はトレローニー先生からなの。」

 

「トレローニーも贈ってきたのか。意外にもセンスが良いじゃんか。」

 

「後でお礼を言わなくっちゃね。ちなみにこっちの腕時計は私の曽祖父が使ってた時計なんですって。裏にヴェイユ家の紋章が入ってるのよ。手紙によれば、高祖父……つまりお婆ちゃんのお爺ちゃんが使ってた物でもあるらしいの。屋敷の整理をしていた時に見つけたって書いてあったわ。」

 

「……なるほどな。男性用だし随分と古いデザインだと思ったら、そういうわけだったのか。」

 

形見分け……とは違うな。何て言えばいいんだっけ、こういうのって。言い方はともかくとして、要するにヴェイユ家の歴史を咲夜に引き継いだってわけだ。咲夜の母親の母親の父親の父親が使っていた腕時計か。そう考えると重い歴史を感じるぞ。

 

品格がある腕時計のことを感じ入りながら見つめていると、咲夜が一つの箱を手に取って口を開く。白い包装の正方形の薄い箱だ。

 

「これは誰からかしら? カードが挟まってないわね。」

 

「あーっとだな、それは私からだ。」

 

「魔理沙から? ……わざわざ郵送にしたの?」

 

「まあほら、気分だよ。その方がプレゼントっぽいだろ? 開けてみてくれ。」

 

どんな反応をするかとドキドキしながら促してやれば、咲夜はこっくり頷いて白い包装紙をゆっくりと丁寧に剥がし始めた。ある程度無難な物を選んだし、少なくとも外れてはいないはずだ。既に持っている物と比較してがっかりされないかだけが心配だな。

 

「これって……懐中時計?」

 

「一個持ってるのは勿論知ってるけどよ、咲夜は腕時計よりもそっちの方が似合う気がしたんだ。ほら、イメージ的にさ。だからもう一個くらいあってもいいんじゃないかと思って、デザインが咲夜っぽいのを選んでみたんだが……どうだ? ダメか?」

 

正直なところ、咲夜がいつも携帯している銀製の懐中時計に勝てるとは思っていない。蓋には見る角度によって満ち欠けする月が彫り込まれていて、文字盤や針の装飾も精緻なものだし、裏には大好きなスカーレット家とバートリ家の紋章まで入っているのだから。

 

だが、こっちもそう悪い懐中時計ではないはずだ。外側は落ち着いた鈍い金色で、蓋は星形に中が覗けるような半ガラス製のデザインになっており、黒い文字盤にも透明な箇所があるので内部構造を見て楽しむことも出来る。それなりに高価だし、形状もカッコいい……はず。私はそう思って熟慮の末に選んだぞ。

 

今更ながらに不安になってきた私の問いに対して、咲夜は懐中時計をジッと見たままで回答してきた。

 

「……貴女って、たまーに良いセンスを発揮する時があるわよね。たまにだけど。」

 

「……それは褒め言葉なのか?」

 

「褒め言葉よ。……ありがと、気に入ったわ。こうして並べると『月と星』って感じでしっくり来るしね。」

 

懐から出した銀色の月の懐中時計と、私が贈った金色の星の懐中時計。二つを並べて眺めながら柔らかい声色で呟いた咲夜に、ホッと胸を撫で下ろしてから首肯を返す。おしおし、私のプレゼントは銀髪ちゃんのお眼鏡に適ったようだ。

 

「それなら良かったぜ。ちょっと待ってろ、着替えたら空箱を畳むのを手伝うから。」

 

自分のプレゼントの『査定』が終わって大分気が楽になった私が、寝巻きを脱いで制服に着替えようとしたところで──

 

「おや、やるじゃないか魔女っ子。中々センスを感じるプレゼントだね。」

 

「わっ、リーゼお嬢様?」

 

「っと……リーゼ? お前な、いい加減にしろよ。びっくりするだろうが。」

 

悪戯吸血鬼め、卒業した後もお構いなしか。宙空から滲み出るように部屋の中央に姿を現したリーゼの声に、私と咲夜がびくりと肩を震わせる。そんな私たちの反応にうんうん頷いてから、不法侵入吸血鬼は咲夜へとお祝いを投げかけた。マクゴナガルに対してホグワーツの防犯についてを意見すべきかもしれないな。

 

「誕生日おめでとう、咲夜。どうしても直接言いたくて忍び込んできちゃったよ。」

 

「ありがとうございます、リーゼお嬢様。……実はその、そんな気はしてました。お嬢様からのプレゼントがありませんでしたから。」

 

「んふふ、さすがだね。これを郵送するのはあまりに無粋だし、そもそも手ずから渡さなければ意味がない。だからこうして自分で持ってきたわけさ。」

 

親バカもここに極まれりだな。シリウスだって忍び込んではこないと思うぞ。……いや、どうだろう? もしハリーの誕生日が学期中だったらやってたかもな。城に忍び込んだという前科自体はあるわけだし。二人の親バカを思って呆れている私を他所に、リーゼは徐にポケットの中から小さな黒い物体を取り出す。

 

「えっと、それは?」

 

咲夜も何なのかがいまいち分かっていないようで、小首を傾げて質問を送っているが……んん? リーゼはやけに真剣な面持ちだな。黒い金属のバッジのような何かを咲夜に差し出すと、バートリ家の当主どのは銀髪ちゃんがおずおずとそれに手を伸ばしたところで口を開いた。

 

「咲夜、手に取る前によく考えたまえ。これを現在所有しているのはエマだけで、嘗て持っていた者を含めても五指を屈するに足りない。……分かるかい? これは私の従者であることを示す印章なんだ。バートリ家ではなく、私個人の信を得たという証左なわけだね。これを所持している者は私の腕であり、足であり、血肉なんだよ。」

 

そこまで口にしたリーゼが、印章とやらを覗き込もうとしている私の方をちらりと見たかと思えば……こいつ、何のつもりだ? 途端に私の視界が真っ暗になってしまう。能力を使ったらしい。

 

「おい、何するんだよ。」

 

「悪いが、キミには見せられないんだよ。この印章に刻まれている紋章を知ることが出来るのは私が認めた『従者』だけだ。父上も、母上も、レミィやフランも知らない。当然パチェやアリスも知らないぞ。彼女たちは大切な家人だが、従者ではないからね。この紋章……バートリ家ではなく私個人の紋章を知っている存命の存在は、私が知る限りではエマだけさ。」

 

「……そういうことなら無理に見せろとは言わんけどよ、何で秘密にしてるんだ?」

 

「それはだね、魔理沙。この紋章が私の『誇り』そのものだからだよ。バートリ家にとってのそれは他者にひけらかすようなものではないし、簡単に預けられるものでもないんだ。『影も在らず』さ。我々バートリ家の吸血鬼は自らの家の紋章すらもを時に利用するが、この個人としての紋章だけは決して穢さない。それはこれが私たちバートリの吸血鬼にとって唯一切り離せないもの……そう、『影』だからだ。私という個を証明する鍵のようなものだね。だったら見せる相手を選ぶのは当たり前のことだろう?」

 

『影』? こちらからは真っ暗で何も見えないが、どうやらリーゼは私の表情から疑問を汲み取ったようだ。追加の説明を続けてきた。

 

「難しいかい? まあ、バートリ家の理念のようなものさ。吸血鬼ってのは往々にして家を重視する生き物なんだが、嘗てのバートリ家は吸血鬼社会で罪を犯した同族を狩ることを家業としていたからね。時には身内にも刃を向けなくてはならなかったんだよ。……しかし、無差別に殺しまくるのでは単なる野蛮な殺戮者だ。同族狩りにも同族狩りなりの理性と理念が必要だと考えた私の祖先は、それをバートリ家ではなく個の紋章として残すという仕来りを考案したのさ。」

 

「つまり、理性と理念を忘れないためのストッパーってわけか?」

 

「噛み砕けばそんなところだよ。決して棄て去ってはいけない誇り、切り離せない大切なもの、自身に課した戒め。そういった私の根幹を形成する要素がこの紋章には込められているわけだね。それは私が絶対に失くしてはならないものであるのと同時に、棄てられないが故の致命的な弱点でもある。……だから信頼できる従者に預けるんだ。私が道を踏み外しそうになった時、自身の誇りに背く行為をしようとした時、取り返しがつかない失敗を犯しそうになった時、忘れてはいけないそれを他者から突き付けてもらうためにね。……もう分かっただろう? その紋章は『本当の私』が映す影なんだよ。私という存在のアイデンティティそのものなんだから、それを明かすのは無防備な裸身を晒すようなものさ。」

 

全幅の信頼。それを形容するような仕来りだな。そりゃあ私に見せるわけにはいかないなと納得したところで、リーゼが咲夜に対して語りかけるのが耳に届く。

 

「咲夜、手に取るか取らないかはよく考えて決めたまえ。この印章を渡すという行為は私の全てを預けられるという証明であると共に、キミを生涯支配下に置くという宣誓でもあるからね。私の影を受け取った者を自由にさせておくわけにはいかない。これを受け取った瞬間、キミは決して外せない首輪を嵌められることになるわけさ。」

 

「……私、刻まれている紋章をもう見ちゃいました。それなのに今更受け取らないなんて選択肢があるんですか?」

 

「あるよ。これを見せたのは私がキミを信頼しているからであって、背負うかどうかを決定するのはキミ自身だ。受け取らずにこのままの関係を保つ。それでも構わないさ。強引に剥奪できないからこその忠義だからね。私が示し、そしてキミが選んでこそ価値がある行為なんだよ。」

 

選択の権利はあくまで咲夜にあるってことか。真っ暗な視界の中で会話の進行を待っていると、リーゼが更なる注意を放つのが聞こえてきた。

 

「私は今のキミとの関係を心地良く思っているから、本来これを渡すつもりは無かったんだが……春にキミから『もっと頼って欲しい』という忠言を受けて考え直したんだ。私が勝手に道を決めずに、キミが成人になった日にこの選択を迫ろうとね。レミィがどうあれ、フランがどうあれ、これを受け取ってしまえば私にとってのキミは『従者』になる。側で寄り添う家族ではなく、私個人を構成する要素の一つになるわけだ。より近いが、より隔絶された関係とも言えるだろう。……私はこれを受け取った時のキミと、受け取らなかった時のキミ。その両方を愛してみせる自信があるよ。だから後はキミがどちらの関係を望むかだ。家族か、従者か。慎重に選びたまえ、咲夜。この選択は不可逆だぞ。」

 

「その、悩む時間はもらえないんでしょうか?」

 

「残念だが、長くは与えられない。パッと浮かんだ選択に従いたまえ。迷えば積もる。そして積もれば元の形が曖昧になってしまう。である以上、考える時間は今だけなんだよ。」

 

抽象的だが、分からんでもない台詞だな。余計なことを考えずに直感で決めろということだろう。……家族と従者の二者択一か。咲夜にとってはひどく難しい選択かもしれない。今までは『家族であり、従者』だったのに、どちらかを切り離さなくてはいけないのだから。

 

とはいえ、リーゼが決断を迫るのも理解できる。その点においての曖昧な関係を許容してしまうのはただの甘さだ。アリスやノーレッジのような関係であることを取るか、エマのような立場を選ぶか。咲夜が今や一人前の存在になったと認めたからこそ、彼女が成人になったこの日にはっきりさせようということなのだろう。

 

どちらを選んでもおかしくないぞ。私が予想にもならない予想をしたところで、微かな衣擦れの音と共に咲夜が動く気配が伝わってきた。そして一拍置いた後、リーゼの声が場に響く。嬉しそうであり、寂しそうでもある何とも切ない声色だ。

 

「……そうか、キミは従者であることを選ぶのか。」

 

「はい、私はリーゼお嬢様の影を受け取ります。『家族』じゃ満足できないんです。」

 

「大いに結構。影を受け取った以上、キミは私の所有物だからね。髪の毛一本から足の爪の先まで私のものだよ。もうキミ自身ですら私に断りなくキミをどうこうすることは出来ない。私が死んでいいと許可しない限りは死ぬことも許されないんだ。いいね?」

 

「かしこまりました、お嬢様。私の全てをお使いください。」

 

決意と寂しさを綯い交ぜにしたような咲夜の声が聞こえるのと同時に、私の視界に光が戻ってくる。……知らぬ者からすれば気付けない程度に二人の間の空気が変わっているな。親と娘ではなく、主人と従者のそれに。片方を手にした咲夜は、片方を失ったということか。

 

つまり、独特な形の『親離れ』なわけだな。そのことにちょびっとだけ寂寥を感じつつ、二人の方へと言葉を投げた。これもまた成長による変化の一つか。咲夜はきっとこれを『進歩』と判断しているはずだ。だったら親友としては祝福しなければならないだろう。

 

「あー……まあ、良かったな。これではっきりしたってことだろ? 咲夜は晴れてリーゼの正式な従者になったわけだ。」

 

「そういうことだね。ちなみにスカーレット家に関しては私は何も言わないよ。事情が事情だし、特例として二君に仕えることも許容しよう。そっちは幻想郷に行った後でレミィたちと相談したまえ。」

 

「分かりました、そうします。」

 

「あとは、そうだな……一つだけ注意しておくとすれば、私は非常に独占欲が強い吸血鬼だってことかな。私のものを知らんヤツがベタベタ触ったり、勝手に使われたり、傷を付けたりされるのは我慢ならん。今後は『アンネリーゼ・バートリの所有物である』という自覚を持つように。レミィとの契約が済んでいない現状だと、キミを使っていいのはこの世で私だけだ。分かるね?」

 

咲夜の顎を掴んでぐいと自分の方を向かせたリーゼに、銀髪の従者はごくりと喉を鳴らしてから慌てて返答する。乱暴ではないが、強引って感じだ。前までなら絶対に咲夜相手にこんな対応はしなかったし、従者になったからということなのだろう。

 

「か、かしこまりました。気を付けます。」

 

「ん、結構。それと口調や態度は今まで通りで構わないよ。これは形式ではなく心の契約だからね。……それじゃ、私はこれで失礼しようかな。ペティグリューの件に関してはアリスから報告を受けているから、二人とも彼女の指示に従うように。」

 

言いながら窓を開け放ったリーゼは、そこから外へと飛び去ってしまう。敷地外に出て姿くらましで帰るのかな? それを見送った後、ずっとお辞儀したままだった咲夜に声をかけた。

 

「……良かったんだよな?」

 

「良かったのよ、これで。少し寂しくはあるけど、私が望んでいた形はこれなんだと思うわ。『娘』であることを選んだアリスとも、『友達』であることを選んだパチュリー様とも違う関係。しっくりくるでしょ?」

 

「まあ、そうだな。収まるところに収まったって感じではあるぜ。それに、リーゼなら仕え甲斐があるだろ。世話を焼くべき部分は山ほどあるし、忠誠の対価もきちんと払うタイプらしいしさ。」

 

「……何とも不思議な気分だわ。私、リーゼお嬢様の所有物になっちゃったのね。」

 

呟きながら自分の身体を見下ろしている咲夜は……うーむ、どことなく嬉しそうだな。『所有』されることに喜びを感じるとは、我が友人は中々変わった価値観を持っているらしい。

 

口の端を緩ませながら自分の身体をぽんぽんと叩いている親友を見て、霧雨魔理沙は幸せの形が人それぞれであることを実感するのだった。

 



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アズカバン

 

 

「あら、どうも。」

 

ひょっとして、今の変身術の教師さんかな? 横を通り過ぎる際に目礼してきた特徴の少ない六、七十代の男性に挨拶を返しつつ、アリス・マーガトロイドはホグズミード村の景色を眺めていた。白髪交じりの黒髪、中肉中背の体付き、神経質そうな硬い雰囲気。どこかで会った気がするな。第一次魔法戦争の時か?

 

十一月八日の昼前。現在の私はペティグリューとの面会を希望した咲夜と魔理沙をアズカバンに連れて行くために、懐かしのホグズミード村を訪れているところだ。……しかし、この村は変わらないな。さすがに私の学生時代とは経営者が変わっているのだろうが、立ち並ぶ店はその殆どが昔のままだぞ。

 

教師をやっていた頃の見回りでも感じたことを改めて実感していると、またしてもすれ違う誰かが声をかけくる。綺麗な黒髪の品が良さそうな年嵩の女性だ。

 

「……マーガトロイドさん?」

 

「もしかして……ラメットさん、ですか?」

 

これはまた、驚いたな。マリー・ラメットさんだ。ホグワーツで防衛術の教師をしていることはもちろん知っていたし、だとすればこの場に居ることはおかしくないのだろうが……むう、奇妙な感覚に陥るぞ。こう思うのは失礼かもしれないけど、目の前の彼女は随分と皺くちゃになってしまっている。

 

目をパチクリさせる私に対して、ラメットさんは少し赤くなった頬に手を当てながら恥ずかしそうに話を続けてきた。細かい動作が上品なのは昔のままだな。人というのはそうそう変わらないものらしい。

 

「驚きました。……ああ、恥ずかしいですね。私だけがこんなに歳を取っちゃって。会うと分かっていたらもっとおめかしして来たのに。」

 

「いやいや、私だって同じように歳は取ってますよ。見た目はまあ、ちょっとズルしてますけど……そうですか、ラメットさんですか。お元気そうで何よりです。」

 

「ええ、教師を始めてから少し健康になった気がします。記者をしていた頃は不規則な生活でしたから。……でも、本当に懐かしい。マーガトロイドさんはあの頃と変わりませんね。というか、若干幼く見えるくらいです。」

 

「あー……実はそれで合ってます。これはラメットさんと会った時より前の姿ですから。ほんの少しですけどね。」

 

何かこう、無理に『若作り』しているみたいでこっちも恥ずかしくなってくるな。目を泳がせながら白状した私へと、ラメットさんはクスクス微笑んで相槌を打ってくる。

 

「複雑な変身術を使っているんですか? 何にせよ羨ましい限りです。……結婚はされていないんですよね?」

 

「ですね、残念ながら独り身です。同居人が多いので寂しくはありませんけど。ラメットさんはご結婚なされたんですよね? 咲夜と魔理沙が教えてくれました。」

 

「まあその、事実婚みたいなものですけどね。フランス魔法界が広量で助かりました。」

 

「奥さん……『奥さん』で合ってますよね? はフランスに残っているんですか?」

 

どう呼べばいいのかが分からなくて曖昧になってしまった私の問いに、ラメットさんは小さく首肯して応じてきた。マグル界と同じく魔法界でも彼女の恋愛観はマイノリティに当たるのだろうが、向こうよりも多くの種族が存在しているこちら側ではそういった事情に対する免疫がついているのだ。様々な価値観が流れ込んでくる大陸側であり、かつ息の長い国家であるフランスの魔法界は特にその傾向が強いらしい。

 

「合っていますよ。もう養子が独立しているので、妻も一緒にイギリスに来ているんです。今はロンドンで生活しているんですけど、今日はちょうど会う予定でして。」

 

「ホグズミードでですか?」

 

「そういうことですね。良かったらマーガトロイドさんも一緒にお話ししませんか? 老人二人だとどうにも会話が盛り上がらないんです。」

 

「いえ、今日は予定がありまして。咲夜と魔理沙をとある場所に連れて行かないといけないんです。……それにまあ、どういう立場で会えばいいのか分かりませんし。」

 

困った気分を顔に浮かべて返事をしてみれば、ラメットさんも微妙な顔付きになって同意してくる。

 

「それはそうかもしれませんね。私が大昔に『アプローチ』した相手だなんて紹介したら、妻も困惑するでしょう。」

 

「ですよね。……だけど、良かったです。古い知り合いが幸せになっているのを見ると、こっちも幸せな気持ちになれますよ。」

 

笑顔でそう言った私に、ラメットさんは優しげな笑みで頷いてきた。昔の彼女と重なる表情だな。

 

「『幸せ』ですか。……そうかもしれませんね、我ながら悪くない人生だったと思います。あとは教師として何十年か勤められれば完璧です。」

 

「何十年、ですか。」

 

「はい、何十年です。私、欲張りですから。まだまだ死ぬ気にはなれません。……では、失礼しますね。また会いましょう、マーガトロイドさん。」

 

「そうですね、またいつか。」

 

可愛らしく手を振ってきたラメットさんに振り返してから、しみじみと深く息を吐く。奇妙な縁だな。とはいえ、そう悪いものではない気がするぞ。ラメットさんの人生と私の人生はちょうど良い具合に交差したということなのだろう。

 

去って行くラメットさんの背を眺めながら考えていると、今度は金色と銀色の髪の見慣れた二人組が近付いてきた。

 

「おっす、アリス。待たせちゃったか?」

 

「アリス、久し振り。……ラメット先生と話してたの?」

 

「久し振りね、二人とも。そうよ、少しだけお喋りしてたの。」

 

「ペティグリューは面会を了承してくれたんだよな? すぐ行くのか? っていうか、アズカバンに直行なのか?」

 

挨拶の後で質問を連発してきた魔理沙に、肩を竦めながら応答を放つ。相変わらず対照的な二人だな。動と静だ。だからこそ相性が良いのかもしれない。

 

「面会の了承は取れたわ。本来なら先ず魔法省に行って、そこで細々とした手続きをしてからアズカバンに移動するんだけどね。今回は貴女たちを帰校時間までに帰さなくちゃいけないから、オグデンに頼んで手続きをショートカットしてもらったの。姿あらわしでアズカバンに直行よ。」

 

「おしおし、助かったぜ。長く時間が取れるクリスマス休暇まで待つのはもどかしいしな。」

 

「本当はダメなんだからね? マクゴナガルにも一応話は通してあるけど、この時間で許されているのはあくまでホグズミードの中での外出なんだから。」

 

「分かってるって、今回だけだよ。……ほら、早く行こうぜ。前からアズカバンには興味があったんだ。この機会にしっかり見ておかないとな。」

 

監獄なんだぞ、あそこは。見境のない好奇心を示す魔理沙にため息を吐いた後、ぷるりと小さく身を震わせた咲夜に話しかける。今日はやけに気温が低くなっちゃったし、寒いのかな?

 

「咲夜? 寒いなら私のマフラーを使いなさい。」

 

「ううん、大丈夫。別に寒いわけじゃないから。……あっちって何があるんだっけ?」

 

「向こうは民家が並んでいる区画のはずよ。大通りは商店ばっかりだけど、ホグズミード村にだって普通の住人は居るもの。……そういえば、さっき変身術の教師さんがあっちに歩いて行ったわね。何て名前だったかしら?」

 

「チェストボーンだろ? バイロン・チェストボーン。……正直言って、マクゴナガルやアリスの授業の方が百倍面白いぞ。さすがにノーレッジほどではないんだが、かなり『読書寄り』の授業なんだよ。やる気もそんなにないみたいだし、最近はいっつも苛々してる雰囲気で近寄り難いんだ。見てるこっちが参ってくるぜ。」

 

あー、思い出したぞ。バイロン・チェストボーンか。第一次魔法戦争の時に魔法事故惨事部のリセット部隊の隊長をやっていた人だ。当時のムーディの言によれば『動こうとしないタイプの無能』で、レミリアさんに言わせると『鈍亀』、そして今から会う予定のオグデンは『事後処理の事後に来るノロマ』と評していたっけ。

 

まあうん、私の視点から見てもあの頃のリセット部隊は有能という言葉からは程遠い組織だったし、闇祓いや騎士団がその皺寄せを食らったことも一度や二度ではない。妥当な評価だと言えるだろう。……でも、それを実体験として知っているはずのマクゴナガルが雇ったというのは違和感があるな。何処かからの紹介を断り切れなかったってパターンなのか?

 

校長というのは大変だなと同情しつつ、魔理沙に一応の注意を送ってから手を差し出す。

 

「あんまり先生方のことを悪く言っちゃダメよ? 授業を成立させるのは大変なことなんだから。……それじゃあ、行きましょうか。しっかり掴まっておいて頂戴。付添い姿あらわしを何度か繰り返すことになるわ。」

 

「おうよ、頼むぜ。」

 

「分かった、掴まってる。」

 

私の左手を二人がきちんと掴んでいることを確認してから、杖を振って付添い姿あらわしを使う。それを数回繰り返した後、最後に沿岸部から飛んだ先は……うーむ、いつ来ても陰鬱な気分にさせられる場所だな。冷たい風が吹き付ける、北海に浮かぶ建物の屋上だった。唯一姿あらわしが可能なこのスペースは魔法がかかった鉄条網付きの金網で囲まれており、看守の中でも戦闘に長けた者たちによって厳重な警戒態勢が敷かれているらしい。

 

今もほら、現れた私たちを見てすぐさま警備の魔法使いが駆け寄ってきたぞ。その姿を横目にしながら書類を取り出した私へと、周囲を見回している魔理沙が問いを投げてきた。

 

「到着したのか? どこがアズカバンなんだ?」

 

「貴女の足の下にあるでしょう? ここがアズカバンよ。土台になっている島そのものよりも監獄の方が大きいから、訪問者の到着用スペースは屋上にあるの。波が荒すぎて下の方は危険だしね。」

 

遠くから眺めると北海にポツンと浮かんでいるように見えるこの牢獄だが、実際は島とも言えないような小さな陸地を地盤として使っているらしい。とはいえ島よりも監獄自体の方が遥かに大きいため、打ち付ける荒波は直接建物にぶつかってくることになる。荒波もまた脱獄を阻む強大な障壁となっているわけだ。

 

全体的に見ると歪な三角柱のような形状の無骨な建造物で、中心部は陽光を取り入れるために外壁に合わせた三角形の吹き抜けになっているものの……それも軽犯罪者が収容されている上層だけの話であって、重犯罪者が収監されている下層は完全な三角形の『石櫃』になっているんだとか。一切の光が入ってこない、冷たい荒波に囲まれた絶海の監獄。それがイギリス魔法界における重犯罪者たちの終の住処だ。

 

まあ、吸魂鬼が居なくなっただけまだマシかな。ぼんやりと考えつつも書類を見せて警備員への応対を終え、咲夜と魔理沙を連れて出入りのためのゲートの奥へと歩き出す。オグデンが下で待っているはずだ。

 

「前は吸魂鬼が沢山居たんだよね?」

 

「そうね、うじゃうじゃ居たわ。さっきの到着スペースにも居たし、監獄の周囲を飛び回ってたりもしてたの。守護霊の呪文なしだと訪問すら難しかったくらいよ。」

 

「アリスは来たことがあるんだ。」

 

「数えるほどだけどね。大抵はレミリアさんのお使いとかだったから、下層にまでは下りたことがないわ。……この階段を下りるわよ。先ずオグデンと合流して、面会の場所まで案内してもらいましょう。」

 

私たちが到着したのは三角形の角の一つで、今下りようとしているのはその近くにある吹き抜けに面する階段だ。咲夜の質問に応じながら先導する私へと、階段の手摺りから下を覗き込んでいる魔理沙が声を寄越してきた。脱獄を防ぐために上層も外側には窓が無いが、ここからだと各階層に鉄格子付きの窓が並んでいるのが確認できる。これを見ると監獄って感じがするな。外側だけだと監獄というか、むしろ『要塞』の見た目だが。

 

「凄まじい高さだな。あの窓一つ一つが牢屋ってことか? 物凄い数だぜ。」

 

「いいえ、違うわ。吹き抜けと牢屋の間には通路があったはずだから、あれは通路の窓ね。今は獄内で少し出歩くことも許されているはずよ。軽犯罪者の場合はだけど。」

 

「重犯罪者は?」

 

「ここから見える一番下の地面のそのまた下に居るわ。どういう構造になっているのかはブラックから聞きなさい。私は知らないけど、そこで生活していた彼は知っているはずだから。」

 

私の発言を受けると、魔理沙は微妙な表情で唸ってしまう。楽しそうな生活ではないと判断したようだ。正解だぞ。上層だってロクに運動も出来ないような厳しい環境だが、下層ともなると外界とは隔絶した暮らしになってしまうのだから。

 

階段を下り切って外来用のフロアに到着した後、確かこっちに監獄長室があったはずだと曖昧な記憶を掘り起こしながら廊下を進んでいると……おっと、迎えに来てくれたのか。石造りの廊下の先からオグデンが歩いてくるのが目に入ってきた。

 

今日はベストもネクタイも無しの茶色いスーツ姿で、それでもやっぱりブーツとカウボーイハットを身に着けているオグデンは、先頭の私に歩み寄ってから口を開く。咲夜と魔理沙の方をチラリと見ながらだ。

 

「どうも、マーガトロイドさん。準備は出来ています。こちらへどうぞ。」

 

「助かるわ。無理を言っちゃって悪かったわね、オグデン。」

 

「構いませんよ。どうせ暇ですしね。」

 

「改修はどうなっているの?」

 

『吸魂鬼無し』の監獄への改修を行っているはずなんだから、暇ではないだろうに。怪訝に思って聞いてみれば、オグデンは先導しつつ皮肉げな口調で答えてきた。

 

「ルーファスが優秀なので、僕は許可のための判子を押すだけで充分なんですよ。たまに現場の見回りをすればそれで終わりです。つくづく執行部の傘下になって正解でしたね。ウィゼンガモットの老人どもが上司だったらどうなっていたことやら。」

 

「今は評議会もある程度まともに機能しているけどね。……ここから見た限りでは何も変わっていないけど、どこをどう改修してるの?」

 

「外側には複雑な防衛魔法がかかっているので迂闊に弄れないんですよ。だから内部を弄ってます。囚人の運動用スペースを設置したり、交流のための広場を作ったり、社会復帰の手助けをするカウンセリング室を追加したりですね。……いやぁ、バカバカしい話ですよ。何だって真っ当に生きている僕が犯罪者の生活を改善する必要があるのやら。」

 

「そういう仕事だからでしょ。これで人権派も満足でしょうね。第一次戦争の前はアズカバンのシステムへの文句が多かったし、やっと活動の成果が出たって喜んでいるんじゃないかしら。」

 

まあ、第一次戦争後はあまり声が上がっていなかったが。死喰い人に対する恐怖が人権派の口を噤ませたのだろう。苦笑いで口にした私へと、オグデンはやれやれと首を振りながら返答してくる。

 

「僕は最低限の環境で絞るだけ絞ればいいと思ってますけどね。自業自得じゃないですか。」

 

「その考え方は今日日流行らないのよ。……私はまあ、社会復帰の手助けをするのは悪くないと思うわ。再犯率が減って困ることはないでしょう?」

 

「ま、仕事だと割り切ってはいますから心配しないでください。監獄の経営に個人の思想を持ち込む気はありません。僕はルーファスやスカーレット女史みたいに『イギリス魔法界を変えよう!』だなんて思っていませんから。……到着しましたよ、ここが面会室です。ピーター・ペティグリューも間も無く到着すると思います。」

 

うーん、オグデンらしい台詞だな。この男はどこまでも『二番手』なのだ。先頭に立って物事を推し進めるタイプではなく、先頭に立つ者をすぐ後ろから補佐するタイプ。本人もそれが自分の本質であることを認めているし、ムーディやレミリアさんもそう評価していたっけ。

 

二番手であることを自覚して無理に前に出ようとしないのは、有能が故の処世術なのかもしれないな。私も先頭で後ろを引っ張るタイプではないから少し気持ちが分かるぞ。

 

オグデンに案内されて面会室の中へと足を踏み入れつつ、アリス・マーガトロイドは適した場所に立つことが大切なんだなと一人頷くのだった。

 



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恨みと赦し

 

 

「……やあ、二人とも。」

 

白い滑らかな壁と、リノリウムの床で構成された面会室。どこか病院を思わせるその部屋の間仕切りされたスペースの一つで、霧雨魔理沙はペティグリューとガラス越しに対面していた。えらく近代的な内装だし、ここは改装済みの部屋なのかもしれない。外の古めかしい監獄の雰囲気とは大きく異なっているな。

 

ペティグリューとの面会のためにアズカバンに連れて来てもらった私と咲夜は、今まさに目的の人物と顔を合わせているわけだが……うーむ、非常に気まずいぞ。こういう場合は何て声をかければいいんだ? 状況や関係が特殊すぎて全然分からんな。

 

前よりも痩せこけている印象のペティグリューが残った左手をおずおずと振って挨拶してくるのに、とりあえず二人で返事を返す。ちなみにアリスは少し離れた場所で見守っており、ここまで案内してくれたオグデンは部屋の隅で壁に寄り掛かっていて、ペティグリューを連れて来た看守も会話が聞こえるか聞こえないかくらいの位置で待機している。

 

「お久し振りです、ペティグリューさん。」

 

「あー……久し振りだな、ペティグリュー。面会を承諾してくれて助かったぜ。」

 

「気にしないでくれ、私は何もしていないからね。ここでは何をすることも許されないんだ。だから面会は私にとって唯一の娯楽なんだよ。……朝か夜かが分からないから実際はそうじゃないのかもしれないけど、最後にリーマスが来てくれてから随分と時間が経ってしまった気がする。久々に人と話せて嬉しいよ。」

 

ジッと自分の膝を見つめながらボソボソと話してくるペティグリューに、咲夜が何とも言えない顔付きで相槌を打った。『何をすることも許されない』か。私だったら耐えられないような状況だな。

 

「えっと、ペティグリューさんは下層に入っているんですか?」

 

「そうだよ、その通りだ。僕は……私は『凶悪犯』だからね。当然のことさ。そう、当たり前のことなんだ。」

 

咲夜の方を見ずにそう答えたペティグリューは、自嘲するような笑みを浮かべながら続きを語る。ハリーの両親の死の間接的な原因とはいえ、この姿を目にすると哀れに思えてきてしまうな。

 

「私は無実のシリウスを十年以上もこの場所に押し込んだ。なら、私がここに閉じ込められるのはおかしなことじゃない。自業自得さ。自分の行いが巡り巡って自分に返ってきただけだよ。それ以外の沢山の愚行もくっ付いて、利子を増やして戻ってきたわけだね。……だから私はこの場所に居るんだ。これからずっとね。ずっと。」

 

言い終わると黙り込んでしまったペティグリューに対して、私たちがどんな言葉をかければいいのかと迷っていると……ペティグリューの方から話を再開してきた。やや無理している感じの明るい声でだ。

 

「まあ、私のことは気にしないでくれ。わざわざ話を聞きに来たってことは、今日の私は久々に誰かを手助けできるんだろう? だったら暗い話はやめよう。こんなことを聞かせて君たちを困らせたいわけじゃないんだから。」

 

「……じゃあその、本題に入るけどよ。私たちが教えてもらいたいのはホグワーツの隠し部屋についてなんだ。三階の北側からパイプを伝ってたどり着ける、地下通路にある隠された扉。マーリンの紋章が刻まれた扉のことを覚えてるか?」

 

「マーリンの? ……ああ、覚えているよ。最近は昔のことばかりを考えているからね。結局見つけ出せなかった隠し部屋だろう? 懐かしいな。鮮明に覚えているとも。あの時は珍しくみんなに頼られたから、何度も何度もパイプを伝って必死に道順を覚えたんだ。……プロングズにも、ピックトゥースにも、パッドフットにもムーニーにも出来ないことが出来たのが嬉しかった。みんなが調査から戻った僕のことを囲んでくれたから、まるでみんなの中心になれたようでとても誇らしかったんだ。覚えているよ。覚えているとも。忘れるはずがない。」

 

私からの質問を受けて嬉しそうな表情で頷いたペティグリューに、今度は咲夜が問いを飛ばす。

 

「正確な道順も覚えていますか? 私たち、その扉を探しているんです。」

 

「勿論だとも。何か書く物はあるかい? 私はペンを持たせてもらえないから、言葉で説明するよ。覚えているさ。しっかりと覚えている。今日の私は『役に立つネズミ』だからね。君たちの役に立ってみせよう。」

 

「ちょっと待ってくださいね、一応ホグワーツの簡単な地図を描いてきたんです。」

 

何というか、ペティグリューの態度は何処となく不安定だな。まあ、そりゃそうか。こんな場所で暮らしていれば多少不安定にもなるだろうさ。急にテンションを上げ始めたペティグリューを前に、咲夜と二人でホグワーツ城の簡易的な地図を描いておいた羊皮紙を広げると、アズカバンの囚人どのは勢いよく順路を伝えてきた。

 

「入り口は三階の北側トイレの向かいの壁だよ。そこにある石像の裏に使われていないパイプが突き出しているんだ。そこから入って、七つ目の分岐で右に曲がる。そうすると少し広いパイプに出るから、そこをひたすら上って──」

 

予想以上に詳細なペティグリューの説明によれば、三階の北側から古いパイプに入ってぐるりと校舎を一周し、天文塔の壁の中に埋まっている太めの螺旋状のパイプを通り、その途中でほぼ垂直になっている細めのパイプを慎重に下った後、十七個目の横穴に入っていくらしい。

 

そうすると一階の床下のパイプに出るから、そこをまたしても複雑に曲がったり上ったり下ったりすれば、結果として二階の壁の裏の大きなパイプに出るわけだ。そして更にそこから分岐するパイプに入り、緩やかな直線の傾斜を下って一直線に地下通路にたどり着いた後、何度も曲がった末に到着するのが……ここか。ゴール地点はやはりシリウスやルーピンが言っていた場所と同じだな。地下通路の西側にある、今は使われていない地下牢が並ぶ区画。そこにマーリンの隠し部屋が存在しているようだ。

 

「──から、注意すべき場所は二階から一気に地下通路に下る時の太いパイプだよ。同じようなパイプが平行して何本も埋まっているから、正解のパイプを選ばないとたどり着けないんだ。」

 

「えーっと、これで合ってますよね? 確認してもらえますか?」

 

話を聞きながら私と咲夜で地図に書き込んだ『正解ルート』。細々とした注意点も各所にメモしてあるそれを見て、ペティグリューは小さく首肯してきた。めちゃくちゃ複雑な順路だな。よくもまあしっかり覚えていたもんだ。

 

「合っているよ。完璧だ。……私は役に立てたかな?」

 

「はい、凄く助かりました。ありがとうございます。」

 

「これでようやく本格的な調査に入れるぜ。ありがとな、ペティグリュー。」

 

「それは良かった。本当に良かった。……嬉しいよ。今の私は役に立つネズミなんだ。今だけは裏切り者のペティグリューじゃない。あの四人と一緒に居られる、『ドジなワームテール』に戻れた気分だ。」

 

『ドジなワームテール』ね。きっとそうであった頃こそが彼にとっての輝かしい時間なのだろう。騎士団員だった頃ではなく、ヴォルデモートのスパイだった頃でも、ペットのスキャバーズだった頃でもなく、忍びの五人として過ごしていた学生時代こそがペティグリューの『良き思い出』なわけか。

 

ペティグリューの気持ちを思って遣る瀬無い気分になっていると、彼は徐に立ち上がって看守へと目線を送る。

 

「それじゃあ、私はこれで失礼するよ。もっとお喋りしたいのは山々だけど、これ以上話していると余計なことを口走っちゃいそうだからね。……哀れな囚人じゃなく、役に立つネズミとして別れたいんだ。悪い記憶よりも良い記憶が最後にあった方が良いだろう? その方が良い。良いに決まってる。」

 

結局最後まで私とも咲夜とも目を合わせずに背を向けたペティグリューのことを、近付いてきた看守が奥にある鉄格子の向こうへと連れて行く。その姿を見ながら、ガラスの仕切りに手を当てて呼びかけを放った。

 

「あのよ、ずっと言いたいことがあったんだ。私たちが一年生の頃、助けようとしてくれただろ? 色々と複雑な事情があるけどさ、何にせよ礼を言っておくぜ。ありがとな、ペティグリュー。」

 

「ありがとうございました、ペティグリューさん。今回のことも、あの時のことも。」

 

私に続いて礼を言った咲夜の声を聞いて、ペティグリューは振り返ってこちらを見た後……様々な感情が綯い交ぜになったような顔で左手を小さく振ってから、鉄格子の奥へと消えて行く。ほんの僅かな時間だけ目が合ったな。私はあのペティグリューの表情を形容する言葉を知らないが、どうにもこちらを寂しくさせる顔だったぞ。

 

咲夜と同時に深々と息を吐いて面会用の椅子に背を預けたところで、歩み寄ってきたアリスが話しかけてきた。気遣うような優しげな声でだ。

 

「帰りましょうか。アズカバンは貴女たちが長居すべき場所じゃないわ。」

 

「……身に染みたぜ。ここはどうやら、私の好奇心を擽る類の場所じゃなかったみたいだ。」

 

「うん、賑やかな三本の箒でバタービールを飲みたい。そんな気分だわ。」

 

来て後悔しているわけではないし、ペティグリューに直接お礼を言えたのは良かったが……そうだな、早くホグズミードに戻ってバタービールを飲みたいぞ。アリスの促しに従って面会用の椅子から立ち上がった私たちのことを、通路へのドアを開いたオグデンが先導し始める。

 

「では、行きましょうか。屋上まで送りますよ。……マーガトロイドさんの言う通り、この場所は貴女たちには向いていない。もう来る機会がないことを祈っておきましょう。」

 

肩を竦めて部屋を出たオグデンを追って、来た道を戻っている途中で……先頭を進む監獄長どのがやおら咲夜に声をかけた。歯切れの悪い口調でだ。

 

「ミス・ヴェイユ、貴女は僕たちのことを……何と言うか、恨んでいますか?」

 

「へ? 『恨む』? ……あの、どういう意味でしょうか?」

 

「だからつまり、過去の闇祓い局のことをです。……いえ、違いますね。この期に及んで誤魔化すのはやめましょう。これは闇祓い局全体ではなく、僕個人の問題なんですから。」

 

んん? 何を言いたいんだ? 真剣な声色でそう呟きながら首を振ったかと思えば、オグデンは覚悟を決めるように一拍置いてから話を再開する。

 

「身重のコゼットが家で休養を取ろうかと悩んでいた時、闇祓い局の方が安全だと最初に提案したのは他ならぬ僕なんですよ。当時の僕は自宅よりも魔法省に居た方が安全だと信じ切っていましたから、アレックスやコゼットに強く勤務の継続を勧めました。ここに居れば僕たちが守れるからと。」

 

咲夜が生まれる前の話か。歩きながら告白しているオグデンは、振り返らずに続きを語ってきた。ありありと後悔が滲んでいる声だな。この男は咲夜の両親の死を心から悔やんでいるようだ。

 

「僕があんな余計な一言を口にしなければ、貴女の両親は今なお生きていたかもしれません。アレックスやコゼットだけじゃありませんよ。ヴェイユ先生だってコゼットが危険でなければもっと冷静に動けていたはずです。そうであった場合、果たしてあれほどの杖捌きをする魔法使いが同じ結末を辿ったでしょうか? 僕には到底そうとは思えませんね。そうであるはずがない。……要するに、僕の無責任な発言が全ての発端なんですよ。もし愚かな僕が口を挟まなければ、貴女の両親は忠誠の術で自宅に隠れることを選んでいたかもしれないんです。」

 

「……闇祓い局の方が安全だという結論には皆が納得していたわ。ダンブルドア先生や、ムーディや、私だってそう思っていたもの。あの時死喰い人が魔法省に攻め込んでくることを予想できていた者は一人も居なかった。それは厳然たる事実よ。」

 

「それを予想すべき立場に居たのがクラウチと僕なんです。クラウチは執行部全体の戦略を決める部長であり、闇祓い局の計画立案は副局長たる僕の仕事だったんですから。あれほど大規模な攻勢を予期できなかったどころか、僕は魔法省での戦闘にもロクに参加できませんでした。……その点においては現地で戦ったクラウチの方がまだマシですよ。僕は慌てて駆けつけてアトリウムで足止めを食らった挙句、守ると豪語した者を誰も守れなかったんですから。」

 

アリスの発言に応じた後、そこで自嘲するように一度鼻を鳴らしたオグデンは……ピタリと立ち止まって咲夜に向き直ってから、脱いだカウボーイハットを胸に当てて深々と頭を下げた。この男にはひどく似合わない、悔恨の面持ちでだ。

 

「申し訳ありませんでした、ミス・ヴェイユ。貴女には僕を恨み、そして裁く権利があります。弱い僕は今までずっとあの時の責任から逃げ続けてきましたが……しかし去年のクリスマスパーティーで貴女と出会った瞬間、コゼットそっくりな貴女を見て思ったんです。この事実を胸に秘めたままにしておくのはあまりに卑怯だと。」

 

「……オグデンさんは、私の両親を守ろうと思って提案してくれたんですよね?」

 

「結果が全てですよ。僕が貴女の両親を死地に誘ったことは間違いありません。そして僕は貴女の両親を守ろうとすることすら出来なかった。今も昔も口先だけの愚かな男なんです。」

 

私とアリスが何も言えずに見守る中、オグデンの謝罪を受けた咲夜は……少しだけ沈黙した後で、はっきりと嘗ての闇祓い副局長の目を見ながら返答を返す。

 

「……私は、両親の死を誰かの責任にしようとは思っていません。それが全てです。今までずっと在るが儘に受け入れてきましたし、これからもそうしていくつもりでいます。貴方はお母さんのお腹の中にいた私と、私の両親を助けようとしてくれた。そこだけを受け取るんじゃダメでしょうか?」

 

「……それが貴女の答えなのであれば、僕に何かを言う資格はありませんね。行きましょうか。貴女のような人にこの陰鬱な場所は似合わない。早く出ましょう。」

 

咲夜の返事を耳にして再び歩き始めたオグデンの背を追いつつ、心の中で小さくため息を吐く。オグデンはひょっとしたら、咲夜からの赦しが欲しかったのかもしれない。でも、咲夜は恨むことを選択しなかった。だからオグデンは赦しを手に入れることが出来なくなってしまったのだ。

 

オグデンが赦してくれと乞えば、優しい咲夜はきっと赦しを口にしただろう。……それをすることこそが本当の罪だと考えたんだろうな。この男は自分が楽になるために赦しを強請ることを良しとしなかったわけか。

 

恨まれるのも辛いだろうが、恨まれすらしないのはもっと辛いはずだ。だけど咲夜の選択が間違っているとは思えないし、まさか赦すために恨めと言えるはずもない。それを決めていいのは私でも、オグデンでもなく、咲夜だけなのだから。

 

憎しみが傷を与えるように、優しさが十字架を背負わせることもあるってことか。難しいな。咲夜の両親を助けようとしたオグデンも、失敗を恨まなかった咲夜も悪くないはずなのに。

 

どうしようもなくもどかしい感覚を抱えながら、霧雨魔理沙は重苦しい監獄の廊下をひた歩くのだった。

 

 

─────

 

 

「ホグワーツが恋しいよ。あそこは本当に良い学校だった。ご飯は美味しいし、娯楽もあるし、何より教師が優しかったからな。」

 

これも一種の『ホームシック』か? うんざりしたような表情でボヤくロンを見ながら、アンネリーゼ・バートリはビーフステーキバーガーに齧り付いていた。美味いな。名前を見て即決して正解だったぞ。魔法省のしもべ妖精たちも中々やるじゃないか。

 

十一月十日の昼、私とハリーとハーマイオニーとロンは魔法省の食堂でランチを楽しんでいるのだ。現在ブラック邸で生活しているハリーは隠れ穴に何度か遊びに行っているようだし、私もハーマイオニーとちょくちょく会ったりしているが、四人で揃ってテーブルを囲めるのは一ヶ月半振りくらいだな。やはりこの四人での食事はしっくり来るぞ。

 

良い気分でバーガーに舌鼓を打っている私を他所に、ハリーがロンへと相槌を飛ばす。ハリーはどうもヒゲをお洒落な感じに伸ばそうと画策しているようだが、まだヒゲが成長の途上な所為でいまいちの状態だ。『犬おじさん』が余計な助言でもしたのか? 伸びたところで似合わないと思うぞ、私は。

 

「やっぱり教官は厳しいの?」

 

「厳しいどころじゃないさ。悪魔だよ、悪魔。理不尽に怒鳴りつけられたりとか、ちょっとしたミスで物凄い量の追加課題が出たりとかでもううんざりだ。来月の合宿を思うと憂鬱になってくるよ。」

 

「確か、雪山に行くんでしょ?」

 

「僕とマルフォイと教官の三人でな。しかも一週間もだぞ? 想像しただけで気が狂いそうだよ。」

 

巨大なため息を吐く新人闇祓いどのへと、スープを飲んでいるハーマイオニーがジョークを送った。ロンは闇祓いの訓練に悪戦苦闘しているようだ。

 

「まあ、その面子だと楽しくスキーをするってわけにはいかなさそうね。ご愁傷様。」

 

「キミはどうなんだい? 十一月に入ったし、もう所属が決まったんだろう?」

 

「東欧担当のチームに配属されたわ。区長は現地に居ることが多いから、直接の上司は区長補佐のロビン・ブリックスさんって人よ。色々と気を使ってくれてるし、とりあえずは『当たり』の配属になったみたい。」

 

「ブリックス? どこかで聞いた名前だな。」

 

アリスかレミリアあたりから聞いた覚えがあるぞ。質問の返答を耳にして記憶を掘り起こしていると、探し当てる前にハーマイオニーが答えを教えてくれる。

 

「お父様が元不死鳥の騎士団員なんですって。第一次戦争の時に戦死したらしいけど、その繋がりで知っているんじゃない?」

 

「あー、そういうことか。イギリスは狭いね。」

 

「ハリーの友達だって言ったら、ジェームズさんのことも話してくれたのよ? 小さい時に一度だけ遊んでもらったのを微かに覚えてるって。」

 

「パパが? ……そっか、不思議な縁だね。」

 

しみじみとした面持ちで呟いたハリーは、ペンネのアラビアータをフォークで刺してから自身の近況を語った。

 

「僕の方は勉強をしつつ、シリウスと遊んでるって感じかな。今度どこかに旅行に行かないかって言ってくれてるから、少しイギリスを出ることになるかも。」

 

「羨ましいよ。どこに行くんだ?」

 

「多分オーストラリアかな。余裕があったら北アメリカにも行くかもだけど。」

 

「ハリーは暖かいオーストラリアへ、僕は地獄の雪山へか。……リーゼはどこか行かないのか?」

 

どんどん鬱々としていくロンの問いかけに、バーガーの最後の一口を食べ切ってから応じる。すぐ食べ終わっちゃったな。量はもっと多くしてもいいんじゃないか?

 

「来週末、日本に行くよ。仕事だけどね。」

 

「仕事?」

 

「遊園地で子守をするのさ。」

 

「……いよいよ訳が分からないわね。貴女、ベビーシッターにでもなる気なの?」

 

ちんぷんかんぷんだという顔付きのハーマイオニーの疑問に対して、『行きたくありませんよ』という感情を顔に表しつつ応答を投げた。私にだって訳が分からんさ。

 

「噛み砕けば、取引相手の『娘』のご機嫌取りってところさ。ちなみにアリスも一緒だ。それが唯一の救いだよ。」

 

「まあうん、大変そうではあるわね。リーゼは遊園地を楽しむってタイプじゃないでしょうし。」

 

「ロンよりはマシだろうけどね。お土産は買ってくるから期待しておいてくれたまえ。」

 

「いいな、僕もお土産を持ってくるよ。つまり、雪をな。多分それしかないだろうから。」

 

皮肉げに言ったロンがサンドイッチのやけ食いを始めたところで、ハリーが苦笑しながら話題を変えてくる。ここは明るい話題を振るべきだと考えたらしい。

 

「ロンもクリスマスはさすがに休みでしょ? 集まろうよ。隠れ穴か、シリウスの家にさ。」

 

「いいわね、ジニーたちにも久々に会いたいわ。パーティーをしましょう。」

 

「なら、僕の家かな。今年はビルもチャーリーも忙しくて帰ってこられないらしいんだ。ママが寂しがってたから喜ぶと思うよ。……それと、パーシーがとうとう一人暮らしを始めようかって悩み始めててさ。最近沈んでるんだ、ママ。みんな出て行っちゃうって。」

 

「パーシーが? ロンドンに移るってことかい?」

 

父親と同じ職場なんだから、別に隠れ穴で生活して問題ないだろうに。怪訝に思って聞いてみると、ロンはやれやれと首を振りながら理由を口にした。

 

「付き合ってる女の人と同棲したいみたいなんだ。付き合ってることをママに秘密にしてたから、そのことにも怒っちゃってさ。今の我が家の夕食はお通夜状態だよ。」

 

「アーサーさんや貴方は知ってたってこと?」

 

「うん、知ってた。会ったこともあるしな。ビルとチャーリーにも紹介済みらしいし、フレッドとジョージは勝手に嗅ぎ付けたから、知らなかったのはママとジニーだけだ。……あの二人、ビルがフラーと付き合い始めた頃に色々と煩かっただろ? だからパーシーは先に『外堀』を埋めようとしたみたいなんだよ。」

 

「それが裏目に出ちゃったわけね。なんて名前なの? パーシーのお相手さんは。」

 

どうやらメガネの三男どのは戦略を誤ったらしい。苦笑いで尋ねたハーマイオニーに、ロンはサンドイッチを頬張りながら返事を返す。

 

「オードリーさんって人。執行部本局の事務をしてる人で、歳はパーシーの三つ上だ。優しそうな雰囲気の上品な人だったよ。あれならママも強くは反対しなかっただろうし、先に紹介しておけばすんなり行ってたかもな。」

 

「つくづく失敗したらしいわね、パーシーは。……まあ、なるようにしかならないでしょう。クリスマスパーティーの時に会えることを祈っておくわ。」

 

「だな、呼ばれるか呼ばれないかがママの『決意表明』になるだろうさ。僕としては上手く行って欲しいよ。ママもジニーもフラーも気が強いタイプだし、ああいうおっとりした人こそがウィーズリー家に必要な人材なんだ。」

 

優しそうで上品で、おっとりしている人物か。エマみたいな性格ってことかな? まだ見ぬオードリーとやらを想像しつつ、食後のレモンティーに口を付けてから声を上げる。

 

「色々と変わっていくってことだね。……良いことなんじゃないかな。ウィーズリー家がまた発展しそうで何よりだよ。」

 

「親戚が増えすぎるのは困るけどな。……ハリーも他人事じゃないんだぞ。もしジニーと結婚したら、オードリーさんは親戚になるかもしれないんだから。」

 

「気が早すぎるよ。僕もパーシーも結婚までは決まってないんだから。……でも、僕としては親戚が多いのは魅力的かな。寂しくなさそうで良いと思うけど。」

 

「他所から見ればそうかもだけど、実際になってみれば分かるさ。多いなりの苦労もあるんだよ。」

 

最後のサンドイッチを食べながら額を押さえたロンに、私たち三人がクスクス微笑む。面白そうな未来予想じゃないか。私は楽しみにさせてもらうぞ。

 

本当にそうなった時は今のやり取りを未来のお喋りの肴にしようと心に決めつつ、アンネリーゼ・バートリは久々の四人での会話を楽しむのだった。

 



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守矢の洩矢

 

 

「……気が狂いそうだよ。二時間? 二時間も並んで『拷問』を受けたがるヤツがどこに居るんだい? 助けてくれ、アリス。頭がおかしくなりそうだ。」

 

弱々しい動作で私に寄り掛かってくるリーゼ様を見て、アリス・マーガトロイドは平静な顔の裏側でドキドキと胸を弾ませていた。『弱々しいリーゼ様』というのがまず珍しいし、甘える感じに頼られるのも貴重な体験だ。ギュッと抱き締めちゃいたくなってくるぞ。

 

十一月二十二日のお昼前。現在の私とリーゼ様は早苗ちゃんと二柱の神と共に日本の遊園地……単に『遊園地』と呼ぶにはあまりに巨大な施設だが、とにかくその場所に遊びに来ているのだ。凄まじい面積の敷地にはアトラクションやレストラン、お土産屋なんかがこれでもかというくらいに詰め込まれており、エリア毎に世界観を維持するためのデザインの建物が並んでいるらしい。

 

まあうん、見事な遊園地だと言えるだろう。アトラクションは豊富だし、スタッフの態度も徹底されているし、魔法界の住人たる私からしてもここは『非日常的』な場所だ。日常から脱却して楽しむことを目的としているのであれば、この遊園地は素晴らしい施設なのかもしれないな。

 

……とはいえ、もはや私はリーゼ様と同じくそれを楽しめるような状態ではなくなっている。早苗ちゃんの『混雑するだろうから開園前に到着した方が良い』という助言に半信半疑で従って、入場ゲートの前で長蛇の列に並んでいた時から嫌な予感はしていたのだが、まさかここまで混むとは思っていなかったぞ。

 

どこもかしこも人、人、人。どうやら日本における今日は三連休のど真ん中だったらしく、家族連れやらカップルやらで大賑わいしているのだ。ウェスタン風のエリアを行き交う大量のマグルたちを眺めつつ、疲れ果てているリーゼ様へと返事を返した。天気が良くて比較的暖かい日だってことも混雑に拍車を掛けていそうだな。

 

「えっと、もうダメそうですか? まだ二つしか乗ってませんけど。」

 

「ダメだね、もうダメだ。これ以上並べと言うのであれば、私はスタッフに魅了を使うぞ。……そうだよ、そうすればいいじゃないか。私たちは何だって真面目に並んでいるんだい? 魔法使いなら服従の呪いでも使って優先させればいいんだよ。」

 

「服従の呪いは国際法で禁じられてますよ。」

 

いよいよ『強硬手段』に出始めそうだな。かなり本気の表情になっているリーゼ様に注意を送っていると、元気いっぱいの早苗ちゃんと二柱の神の片割れ……洩矢諏訪子さんが声をかけてくる。どうしてこんなに元気なんだろう? 実に不思議だ。私たちは疲労の極地にあるのに。

 

「リーゼさん、大丈夫ですか? 少し休みます?」

 

「アンネリーゼちゃん、早く行くよ。早苗が次はこれに乗りたいって言ってるんだから、意地でも乗るの。今日一日でアトラクションを制覇するって言ったっしょ? もうちょっと頑張ってよ。まだお昼前じゃん。」

 

「頑張ったさ。私はとても頑張った。自分を褒めまくりたいほどにね。……だが、もう限界だ。このアトラクションには三人で乗りたまえ。私とアリスは一度その辺で休ませてもらうよ。」

 

「えー? 妖怪の癖に軟弱だなぁ。」

 

呆れたように言ってくる洩矢さんに対して、リーゼ様は至極忌々しそうな顔付きで更なる『問題点』を指摘した。今まさに並ぼうとしているアトラクションを指差しながらだ。

 

「それとだね、あれを見たまえよ。どう思う?」

 

「面白そうじゃん。バシャーって感じで。」

 

「そう、そこが問題なんだ。吸血鬼は『バシャー』が好きじゃないんだよ。訳の分からん安全面に疑問がある乗り物で高所から落下した挙句、水に突っ込むことを楽しめる吸血鬼なんてこの世に存在しないのさ。である以上、私はこのアトラクションに乗るのは御免だね。」

 

「何? 水が嫌いなの? ノリが悪いなぁ。はいはい、分かったよ。それなら四人で乗ってくるから、アンネリーゼちゃんはレストランの席を確保しといて。乗り終わったらそこでお昼ご飯ね。」

 

やれやれと首を振りながら洩矢さんは予定を組み立ててしまうが……え? 私も乗るのか? 二時間も並んで、これに? リーゼ様無しで? 慌てて口を挟もうとする間も無く、今度は会話を見守っていたもう一柱の神が声を上げる。八坂神奈子さんだ。

 

「諏訪子、私も休みたいんだが。」

 

「はあ? 本気で言ってる? 早苗と遊べる機会なんて滅多にないんだよ? ……ふーん、神奈子の早苗への愛情はその程度だったんだ。じゃあ私の勝ちだね。『負け蛇女』はレストランで休んでれば?」

 

「待て、断じて違うぞ。私だって早苗と一緒に遊びたいのは山々だ。山々なんだが……しかし、夜までここに居るつもりなんだろう? つまり、現時点で予定の半分も終わっていないことになる。」

 

「当たり前でしょうが。開園から閉園までしこたま遊ぶの。早苗が夜のパレードを見たいって言ってたじゃんか。」

 

デフォルメされたカエルのプリントが入っている長袖のブラウスと茶色いパーカー、そして下は黒いショートパンツと太ももまでの長いソックス。一見すると普通の子供にしか見えない洩矢さんが腰に手を当てて睨むのに、ジーンズに赤いタートルネックのセーターを着ている八坂さんが目を逸らしながら応答した。八坂さんは成人女性の見た目だし、傍から見ていると『子供に怒られている大人』って図だな。ちなみに服は早苗ちゃんが見立てたらしい。

 

「そんなに怒るな、諏訪子。予定を確認しただけじゃないか。……こんな人混みの中を実体で歩いたのは久々だから、少し疲れてしまったんだ。一度だけ休憩させてくれないか?」

 

「……どうするよ、早苗。軟弱蛇女がこんなこと言ってるけど。」

 

「いえその、もちろん私は問題ありません。ゆっくり休んでください、神奈子様。三人で乗ってきますから。」

 

「すまないな、早苗。ちょっと休めば大丈夫だ。次のアトラクションは皆で乗ろう。」

 

申し訳なさそうに謝っている八坂さんだが……待って欲しいぞ、私も乗る流れになっているじゃないか。急いで会話に割り込もうと口を開きかけた瞬間、洩矢さんが私の手を取ってしまう。

 

「んじゃ、早苗とアリスちゃんと私で乗ってくるよ。『へっぽこ組』は適当に休んでれば? ……ほら、行こ?」

 

「ええっと、私は──」

 

「はいはーい、出発!」

 

ええ? 強引な感じに引っ張ってくる洩矢さんに手を引かれながら、リーゼ様に目線で助けを求めてみれば……あれ、もう背を向けてるぞ。無情にもリーゼ様は八坂さんと二人で足早に遠ざかって行く。なるほど、なるほど。どうやら私は『生贄』にされたらしい。

 

分かっていてやったのであろう二人の背をジト目で睨みつつ、引き摺られるままに『二時間級』の列の最後尾に到着したところで、洩矢さんが苦笑しながら話しかけてきた。

 

「いやぁ、ごめんね。アリスちゃんも休みたかったんだろうけど、ちょっとアンネリーゼちゃん抜きで話してみたかったんだ。」

 

「……そういうことですか。」

 

「ま、二時間ほど話に付き合ってよ。アンネリーゼちゃんと私たちとの取引内容は知ってるっしょ? 幻想郷に行ったらアリスちゃんのことも守らなくちゃいけないのに、人柄……魔女柄? を知らないままじゃ困るってわけ。」

 

うーむ、適当に見えて実は色々考えて行動しているわけか。そういえばリーゼ様も『諏訪子の方が厄介だ』と言っていたっけ。どんなことを聞かれるのかと若干警戒している私に、洩矢さんはしれっと爆弾発言を寄越してくる。

 

「そんでさ、アリスちゃんはアンネリーゼちゃんの恋人なの? 長生きしてると同性に興味を持ち始めるのって珍しくないもんね。」

 

「……へ?」

 

「ありゃ、違う? 参ったなぁ、間違えちゃったか。じゃああれだ、片想いだ。アリスちゃんからアンネリーゼちゃんへの。」

 

「あの、いえ、リーゼ様は私の育ての親です。子供の頃からお世話になってて……だからつまり、そういう関係ですよ。」

 

どうしてそんなピンポイントな予想が出来るんだ? バクバクと脈打つ心臓と、うなじに伝う冷や汗。それらを必死に抑えながらポーカーフェイスで応じてみれば、洩矢さんは訝しげな表情で疑問を重ねてきた。ちなみに早苗ちゃんは『わあ』みたいな顔付きで口を両手で覆っている。

 

「おっと、そうなの? 親と娘って感じ? ……あれぇ? 自信あったんだけどなぁ。カンが外れちゃったか。」

 

「そうですね、親と娘って関係が一番近いと思います。……もしかして、洩矢さんは縁結びの神様とかなんですか?」

 

「んーん、全然違うよ。基本的には祟り神……っていうか、それを統率してた神だから。部下にはそれっぽいのがちらほら居たけどね。それと、諏訪子でいいよ。昔は『洩矢様』だったけど、今はただの諏訪子なの。だから諏訪子って呼ばれた方が嬉しいかな。」

 

「じゃあその、諏訪子さんの単なるカンってことですか。急に変なことを言うからびっくりしましたよ。そんなことあるわけないじゃないですか。」

 

さすがは神だけあって侮れないな。取り繕った笑みを浮かべる私のことを……むう、見られているぞ。諏訪子さんはジッと下から覗き込んできた。

 

「なーんか、納得いかないなぁ。そりゃあ縁結びとかの力は無いし、あったとしても今は失ってるんだろうけど……私、こういうのを見誤ったことはないんだよね。」

 

「……『こういうの』?」

 

「恋心ってやつだよ。私は永い年月で何度も何度も見てきたからね。結ばれた恋も、叶わなかった恋も、奪う恋も、失う恋も、消えゆく恋も。私って『現役』の頃は結構人に近い神だったんだ。相談を受けたことだって一度や二度じゃないんだから。……んー、怪しいなぁ。アリスちゃんがアンネリーゼちゃんを見る時の目は、自分だけのものにしてやりたいって感じの目だったんだけど。」

 

「いやいや、そんなことは思ってませんよ。有り得ません。」

 

恋心云々はともかくとして、『自分だけのものにしたい』とまでは思っていない……はずだ。思っていないよな? あれ、どうなんだろう。自信がなくなってきたぞ。

 

内心で混乱している私に、諏訪子さんは未だ怪しんでいる顔で肩を竦めてくる。

 

「まあ、外れることもあるか。力が弱くなってるわけだしね。……取り敢えずはそういうことにしといてあげるよ。」

 

最後の部分だけを早苗ちゃんには聞こえないように囁いてきた諏訪子さんは、ニヤニヤと笑いながら続けて小声で忠告を送ってきた。

 

「だけどね、アリスちゃん。欲しいものは何をしてでも手に入れないとダメだよ。立場を利用したり、同情を引いてみたり、あるいは無理やり奪っちゃうのもありだね。他人に取られた後で後悔しても遅いんだよ? アンネリーゼちゃんの身体を他の誰かが好き勝手に弄ってるのを想像してごらん。それが現実になるのが嫌なら行動した方が良いと思うけどなぁ。……長い付き合いになるかもだし、これを挨拶代わりの忠告にしておくよ。神ってのはほら、無責任に忠告するのが大好きだからさ。」

 

「私は──」

 

「はいはい、この話はおしまーい。ごめんね、早苗。勘違いだったみたい。」

 

「もう、びっくりしたじゃないですか。」

 

パッと私から離れてニコニコと無邪気そうに笑っている諏訪子さんを見ながら、これは確かに油断できないなと唾を飲み込む。……吸血鬼がそうであるように、神性もまた人の心を利用する存在だ。そのことはしっかりと念頭に置いておくべきかもしれない。

 

「いやー、残念残念。もしそういう関係なら色々と利用できそうだと思ったんだけどね。」

 

「諏訪子様、悪いところが出てますよ。利用するんじゃなくて仲良くなればいいじゃないですか。リーゼさんとも、アリスさんとも。」

 

「早苗は純で可愛いねぇ。……でも、私は他者を利用しまくってのし上がった神だからね。どうしてもそういう方向に考えが進んじゃうんだ。」

 

現在の状況だと、早苗ちゃんという二柱側のカードを手元に確保したリーゼ様の方が優位に立っていると言えるだろう。だからもしかすると諏訪子さんは釣り合いが取れている状態に持っていくために、リーゼ様側の私というカードを引っ張り込もうとしているのかもしれない。今の私はそれを深読みしすぎだとは思わないぞ。

 

リーゼ様の迷惑にならないためにも、ここは気を引き締めないといけないな。子供っぽい笑顔で早苗ちゃんと話す老獪な『洩矢神』を前に、アリス・マーガトロイドは二時間が早く過ぎることを祈るのだった。

 



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守矢の八坂

 

 

「……何か話したまえよ。」

 

別に仲良くお喋りを楽しみたいわけではないが、ずっと黙りのままでは居心地が悪すぎるぞ。テーブルの対面で黙して紙のカップに入ったソーダを飲んでいる神奈子に言い放ちつつ、アンネリーゼ・バートリは苺のクレープを頬張っていた。不味いってほどではないものの、大して美味くもないな。エマのクレープの味を知っているからそう感じるのかもしれない。

 

『ベビーシッター』の任を果たすために日本の遊園地を訪れている現在、私は何故か神奈子と二人っきりでテーブルを……アホほど混雑しているレストランのテーブルを囲んでいる。アリスと早苗と諏訪子が『吸血鬼用の拷問装置』に乗っている間、二人で休憩することになってしまったのだ。

 

人間たちで混み合う騒がしい店内を横目に放った促しに、神奈子がテンションの低い声で応じてきた。

 

「私とお前の間で何か話すことがあるか?」

 

「キミね、社交性というものを身に付け損ねたのかい? 普通はテーブルを囲んだら会話をするものなんだよ。」

 

「では、しろ。退屈だから受け答えはしてやる。」

 

ええい、忌々しいヤツだな。組んだ足を揺すりつつ、パッと思い浮かんだ逸話を声に出す。いいだろう、そっちがそういう態度ならバートリ式の会話術でいってやるよ。最初に挑発の札を切るというやり方だ。

 

「だったらキミの話をしようじゃないか、建御名方。私には優秀な馴染みの情報屋が居てね。キミたちのことを調べさせたんだよ。……古の書物曰く、侵略者にボロ負けして諏訪に逃げ込んだんだって?」

 

神道に詳しくない私には沢山ありすぎて意味不明だったが、こいつの神としての一番有名な名は『タケミナカタ』であるはず。小馬鹿にするような笑みでアピスから聞いた話を持ち出してやると、神奈子はテーブルをバンと叩いて立ち上がりながら口を開く。予想以上の反応だな。怒ったか?

 

「違う! それは狭量で愚かな中臣氏……現在の藤原氏の創作だ。あの雷神に私は負けていないし、そもそも戦ってすらいない。自分たちの氏神の格を上げようとして、藤原の馬鹿どもが歴史を捻じ曲げたに過ぎん。」

 

「おっと、偉大なる諏訪の神は藤原氏がお嫌いなのか。」

 

「大嫌いだとも。当たり前だろう? あの連中がどれほど私たちの神格を捻じ曲げたかを知れば、お前だって嫌いになるさ。人間の小狡い部分を集約したような連中だからな。権力を握った途端に史書を『訂正』したり、都合の悪い歴史を焼き捨てたりとやりたい放題だ。」

 

「どの国の支配者もやっていることだし、私としてはどうでも良いけどね。……何にせよ、現代に伝わっている神話は真実ではないということか。だったら聞かせてくれたまえよ、『本当の神話』を。キミたちが私のことを知りたいように、私もキミたちのことを知りたいんだ。」

 

さあどうぞと手のひらを示してやれば、神奈子はムスッとした顔付きで席に座り直して応答してきた。

 

「……全てを話すには時間が足りんし、何より面倒だ。」

 

「なにも全部を話せとは言わないさ。余計な部分には興味がないしね。キミと諏訪子の関わりの部分だけで充分だ。……実際のところ、どうしてキミたちは『共存』しているんだい? 今の関係になった切っ掛けは何なんだ?」

 

そこだけはアピスの調査結果を踏まえてもよく分からなかったな。全然性質が違うように思える二柱が『セット』で活動するようになったルーツ。それを尋ねてみると、神奈子は一度ため息を吐いてソーダを一口飲んでから……落ち着いた口調で語り始める。

 

「いいだろう、そこは同盟者として説明しておくべきかもしれないな。……私たちのことを調べたのであれば、『国譲り』という出来事を知っているはずだ。」

 

「あーっと……そうだね、サラッとは知っているよ。複雑すぎて完全には理解できなかったが、噛み砕けば上位の神たちがキミたち下位の神々を打ち破って勢力に取り込んだんだろう?」

 

「だからそれは捻じ曲げられた歴史だと言っているだろうが。上位も下位もない。事実を簡単に話せば、我々葦原中国の神々は話し合いによって高天原の神々の体系に帰属することを決めたんだ。その過程で多少の小競り合いはあったが、大規模な戦闘には結局至らなかった。互いに利益があったから、同じ『大和の神々』になったというだけのことに過ぎん。」

 

「ふぅん? ……つまるところ、分かたれていた神々が一つの神話体系に同化したわけか。」

 

敗北による従属というか、交渉による『合併』だったわけだ。要するに神々のM&Aか。私の相槌に頷いた神奈子は、古い神話の続きを口にした。アピスの調査が正しいのであれば、神奈子が話しているのは今から二千年以上も前の出来事のはず。五百年を生きた私からしても『歴史』の範疇だな。

 

「そうして勢力を伸ばした我々大和の神々は、いっそのこと周辺地域の全てを平定してしまおうと考えたわけだ。当時の日本は様々な神が好き勝手に各地を治めていたからな。人間たちのために秩序を隅々まで行き渡らせようとしたんだよ。」

 

「おやまあ、世界各地の歴史に残る『強者の理屈』だね。ローマがそうしたように、キミたちも自分たちのルールを他の国々に押し付けようとしたわけか。」

 

「強きが弱きを征服するのはそこまで間違った行いではないはずだぞ。それに、当時の私たちはまだまだ未熟だった。敗北や衰退を知らなかったからな。自分たちこそが最も上手く世を治められると信じて疑っていなかったんだ。お前もよく知っているだろうが、神とは元来傲慢な存在なんだよ。……何れにせよ大和の神々はそれぞれの軍を率いて各地の平定に向かい、その時私の担当になったのが諏訪の地だったわけだな。」

 

「なるほどね、そこで諏訪子と出会ったのか。」

 

ようやく本題の部分に入ってきたな。食べ終わったクレープの包み紙を丸めている私へと、神奈子は苦々しい顔で諏訪の地での出来事を話し出す。良い思い出ではないらしい。

 

「その通りだ。当時の諏訪を治めていた土着神の首領が諏訪子……洩矢神であり、彼女は私の降伏勧告に応じず徹底抗戦の意思を示してきた。その結果として始まったのが『諏訪大戦』だ。私の軍勢と諏訪子の軍勢が天竜川を挟んで向かい合い、諏訪の地を治める権利を賭けてぶつかり合ったんだよ。」

 

「神々の戦争か、面白いね。どっちが勝ったんだい?」

 

「私だ。日本の中心部である大和の兵を率いていた私の軍勢と、一地域の土着神である諏訪子が率いていた寄せ集めの軍勢では質が違いすぎたからな。予想以上の抵抗ではあったし、故に戦いは時間をかけた泥沼の様相になったが、それでも最終的な結果は覆らなかった。技術の差があり過ぎたんだよ。……結局諏訪子は被害が大きくなる前に負けを認めて私に諏訪の地を譲り、神の座を降りて隠居生活に入ったわけだ。」

 

「……それで終わりかい? 腑に落ちないね。キミと諏訪子は『同格の存在』という関係に見えたんだが。」

 

というか、諏訪子の方が上だとすら言えるくらいの関係じゃないか? 首を傾げながらの私の質問を受けて、神奈子はうんざりしたように首肯してきた。やはりそこでは終わらないわけか。

 

「まだ終わらん。忌々しい続きがあるからな。……諏訪を征服した私はそのままかの地を治めることになったわけだが、それがどうにも上手くいかなかったんだ。諏訪の人間たちはその大半が洩矢神への畏れを捨てなかったんだよ。宥め賺しても、脅しても、富ませても、不作にしてやってもそれは決して変わらなかった。……要するに、人の心までは征服できなかったわけだな。古くから諏訪の人間たちにすり込まれてきた祟り神への恐怖が、『外来の神』である私の支配を撥ね退けたんだ。」

 

「大したもんじゃないか。諏訪の民たちは戦いに負けた後も諏訪子のことを畏れ続けたわけか。」

 

「軍神として戦いに勝った私は、神にとって最も重要な技術である人心を操る術において諏訪子に劣っていたということだ。たとえ土地の権利を持っていようが、私に祈る前に洩矢神に祈られるのではどうにもならん。信仰を確保できない土地など負債になるだけだからな。……そうしてあらゆる試みに失敗した後、ほとほと困り果てた私は誇りを捨てて、山奥で隠居していた諏訪子に頭を下げに行ったんだ。どうかこの地を治めるために力を貸してくれ、と。」

 

うーん、複雑な事情だな。神奈子は勝負に勝って試合に負けたわけだ。箱そのものは手に入れたが、肝心要の中身の所有権は諏訪子が握ったままだったということか。苦笑する私へと、神奈子は大きくため息を吐きながら物語の結末を投げてきた。

 

「諏訪子としても長年面倒を見てきた諏訪の地が歪な形になるのは避けたかったようで、時間をかけて色々と話し合った結果……私が表、諏訪子が裏という二柱体制で治めることになったんだ。表向き私が治めていれば大和の神々は煩く言ってこないし、実際に治めているのが諏訪子なら土地の人間たちも満足というわけさ。」

 

「ふぅん? そうして生まれたのが守矢神社なのか。」

 

「そういうことだ。……諏訪子が畏れを以って人心を鎮め、私が威を以って災害を退ける。想像していた以上に上手くいったよ。理と力、文官と武官というわけだな。手が届かない部分を補い合ったんだ。……あの頃は楽しかった。多くのことを学び、多くのものを手に入れることが出来たからな。諏訪子からもっと人間をちゃんと見ろと注意されて、それまでの神としての考え方を叩き壊されたよ。」

 

「……キミはその時に人間を『知った』わけか。」

 

懐かしそうに語る神奈子に応じてみれば、彼女は微笑みながら頷いてきた。やや自嘲するような情けない感じの笑みだ。苦い成長の記憶というわけか。

 

「ああ、そうだ。そも私が治められるはずなどなかったんだよ。諏訪子はいつも諏訪の地を歩き回って人間たちと共に過ごしていたからな。豊作を共に喜び、不作を共に嘆き、子が産まれれば共に祝福し、誰かが死ねば共に悲しんだ。……もう分かっただろう? 諏訪の民が私に従わなかったのは祟りを畏れたからじゃない。諏訪子の信頼を裏切ることをこそ恐れたのさ。」

 

「良き主人、良き領主、良き王、そして良き神。どの時代のどの国でもその条件は変わらないさ。」

 

「当時の大和の神々は神としての威を人間たちに押し付けるばかりで、そのことを学べなかったわけだな。しかし幸いにも人に寄り添う土着神からそれを学べた私は、徐々に大和の神であることよりも諏訪の神であることを重視するようになっていき……まあ、現在の形に収まったわけだ。今の諏訪子が洩矢神ではなく洩矢諏訪子であるように、私もまた建御名方命ではなく八坂神奈子なんだよ。」

 

「……そこまでしたのにも拘らず、信仰が得られなくなってしまったことに不満はないのかい? ある意味では尽くしてきた人間たちに裏切られたわけだろう?」

 

ふと頭をよぎった問いを口に出してみると、神奈子は肩を竦めながら返答してくる。諦観の表情を浮かべながらだ。

 

「仕方がないさ。古の神々の時代は終わったんだ。そのことに関して人間たちを恨んではいないし、時代の流れであることも理解している。……私たちはもはや災害から彼らを守ってやることも、逆に厄災を以って彼らを咎めることも出来ないからな。というか、そうする必要がなくなったんだろう。人間たちは神々の手を離れ、『独り立ち』してしまったわけさ。お役御免になった私たちは消え行くのみだ。」

 

「……ま、キミたちも早苗と同じように幻想郷でやり直したまえよ。あっちではまだ人間たちが神々を必要としているようだからね。」

 

「そうだな、余生を過ごさせてもらうとしよう。運が良ければ早苗の次の世代や、その次の世代なんかも見守っていけるかもしれない。……だが、いつかは幻想にも終わりが来る。終わらないものなど無いんだ。そんなものが在ってはならない。だからきっと、その日が私と諏訪子の終わりの日になるだろう。」

 

「長命すぎる存在ってのは悲観的になってダメだね。賢しらに終わりを予期するんじゃなくて、愚者のように今を楽しみたまえ。いつかその日が来るとしても、それは今日や明日じゃないんだ。キミが目下考えるべきは『終わる日』ではなく、『始める日』のことだと思うよ。」

 

世を楽しめるのはいつだって愚か者なのだ。本当に賢いヤツはそれを高みから眺めて嘆くんじゃなく、同じ場所に立って一緒に踊って楽しむもんだぞ。刹那的な享楽の価値を論じてやれば、神奈子はくつくつと喉を鳴らして首肯してきた。

 

「まあ、その通りだ。先ずは早苗との生を楽しむことを考えよう。その後のことはその後に考えればいい。……さて、私の話は終わったぞ。次はお前の話を聞かせてもらおうか。」

 

「私の? ……別に構わんが、大した話にはならないぞ。」

 

「相互理解は重要だ。私がそれを学んだ経緯は今語って聞かせただろう?」

 

「ま、いいけどね。その前に飲み物を買ってくるから少し待っていてくれたまえ。」

 

アリスや咲夜の詳細は伝えておいた方が良いだろうし、簡単に要約して話してやるか。イギリス魔法界という舞台で起こった、私の物語を。当然都合の悪い部分はカットするつもりだが。

 

頭の中でどう話すかを組み立てつつ、アンネリーゼ・バートリは飲み物を買うためにレジへと向かうのだった。

 



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白紙の勇気

 

 

「思うに、キーパーは悪くなかったんじゃない? 新チェイサー二人が問題だったわね。」

 

星見台のソファの上で個人的な評価を語りつつ、サクヤ・ヴェイユは蒸らし終えた紅茶をカップに注いでいた。十一月の終わりが目前に迫った土曜日である今日、先程まで新生グリフィンドールチームの初戦が行われていたのだ。対戦相手はレイブンクローで、試合結果は180対160での勝利。つまりはまあ、30対160の盤面からスニッチの得点で逆転勝利を掴み取ったのである。ギリギリの勝利だったな。

 

私の素人目線の感想に対して、グリフィンドールの勝利を首の皮一枚で繋いだシーカーどのが返事を寄越してきた。ひどく疲れた表情でだ。

 

「シーザーが強かったな。あいつ、上手いこと作戦を練ってきたみたいだ。味方の時は頼もしかったが、敵に回すと厄介すぎるぜ。」

 

「ロイド先輩、ディフェンスがあんなに上手だったのね。終盤は一人で三人を相手取ってたわよ。」

 

「トーナメントではいつも後方に居たから目立たなかったかもしれないけどよ、シーザーは各校の代表チェイサー相手にディフェンス役をやってたんだぜ? そりゃあ上手いに決まってるさ。……私がチェイサーとしてプレーしてたら互角に渡り合えた自信はあるんだけどな。クアッフルに触れないシーカーだとどうにもならん。やっぱりジニーにシーカーをやらせるべきだったんだよ。」

 

「そういう問題でもないと思うけどね。単純に新チェイサーの練度不足じゃないの? ビーター二人やジニーはもちろん上手かったし、キーパーのオリバンダーも悪くなかったわ。だったら問題がどこなのかははっきりしてるでしょ。」

 

魔理沙たちは何度かの選抜テストを経て、新キーパーを二年生女子のマドンナ・オリバンダーに、新チェイサー二人を四年生男子のユーイン・ピンターとパスカル・ソーンヒルに決めたのだが……ソーンヒルの方が特に酷かったな。点を取られる度におちゃらけて『あちゃー』ってポーズをしていたのには、応援席のみんながイラッとしていたと思うぞ。

 

反面オリバンダーは二年生になってますます『がっしり』してきた体格で力強いブロックを披露していたし、ピンターの方は少なくとも悔しがっている雰囲気があった。ソーンヒルのおふざけが過ぎていたからなのかもしれないが、ピンターへの感想は『次があるさ』といった具合だ。

 

私が試合内容を思い返しつつ打った相槌に、星見台の中央に直接座っている魔理沙は頭をガリガリと掻いて応じてくる。頭上に映し出されているイギリスの星空を見上げながらだ。

 

「まあそうだな、パスカルの態度は問題かもな。さっき一回談話室に戻った時、上級生の何人かからも『ご意見』を頂戴したぜ。試合直後の控え室ではジニーも怒ってたしさ。」

 

「貴女はスニッチを探すのに夢中だったから気付いてないと思うけど、リヴィングストンもかなり怒ってたわよ。一度ソーンヒルの方にブラッジャーを打ち込もうとしてたわ。タッカーに宥められて何とか踏み止まったみたいだけど。」

 

「お調子者なんだよ、あいつは。ほら、覚えてないか? 三年前にピーブズ相手に掃除機で『幽霊退治』をやろうとした一年生が居るって話題になったろ? それがパスカルなのさ。」

 

「あー、あれね。最終的には中央階段の絵が何枚か破れちゃった所為で、グリフィンドールが五十点も減点されたやつでしょ? どこの『悪戯っ子予備軍』かと思ったらソーンヒルだったわけ。」

 

ハーマイオニー先輩が憤慨してたなと懐かしく思っている私へと、魔理沙は巨大なため息を吐いてから話を続けた。お調子者か。まあうん、グリフィンドールらしくはあるかな。

 

「陰口は好きじゃないからあんまり言わないけどよ、要するにちょっとズレてるんだ。試合中にふざけてたのだって、あいつなりにチームの空気を変えようとしてたんだよ。……とはいえ、アレシアとの確執は問題かもな。アレシアは根が真面目な上に『クィディッチ馬鹿』だから、ああいうプレーが許せないんだろ。オリバンダーともユーインとも友好的なのに、パスカル相手だと練習中もトゲがありまくりで参ってるぜ。」

 

「んー、確かに相性は悪そうね。メンバーが決まった時はオリバンダーこそが問題になるんじゃないかって思ったんだけど。」

 

「オリバンダーは無愛想だし無口だが、やることはやるタイプみたいでな。自主練もしっかりやってるから、アレシアはむしろ気に入ってるみたいだ。選抜に応募してきたのは正直意外だったけどよ、今となっては当たりを引いたと思えてるぜ。」

 

「オリバンダーのことだけはファミリーネームで呼ぶのね。本人が嫌がったの?」

 

何となく分かる予想を放ってみれば、魔理沙は困ったような苦笑いで首肯してくる。アリスによればニンファドーラさんもそうだったみたいだし、名前で苦労する人は案外多いのかもしれないな。

 

「そういうこった。自分に合ってなさすぎるから、マドンナって名前が嫌いなんだとさ。その点だけは両親を本気で恨んでるって言ってたぜ。」

 

「まあそうね、分かるわ。こう言うと失礼かもしれないけど、『マドンナ』って見た目ではないわよね。もっと頼り甲斐がありそうな感じよ。」

 

オリバンダーはまだ二年生なのに身長が私と同じくらいだし、『素晴らしく良い』という評価が相応しいような体付きなのだ。学年が進めば周りも成長して目立たなくなってくるだろうから、そうなればちょっとはマシな状況になるはずだと考えていると、魔理沙が座る位置を動かして星空を変えながらついでに話題も変えてきた。

 

「ま、勝ちは勝ちだ。反省を次に活かすさ。……それよりよ、そっちは何か良い手を思い付いたか?」

 

「『パイプ巡り』のこと? ……今のところは縮小呪文を自分にかけるって方法しか思い浮かばないわ。だけどそれは──」

 

「戻れなくなったケースがあるから危険すぎる、だろ? 分かってるよ。私だって手のひらサイズのリリパットとして残りの人生を送るのは御免だし、その方法は除外するさ。」

 

つまり、現在の私と魔理沙はパイプの中を移動するための方法を探しているわけだ。マーリンの隠し部屋の情報や移動ルートを忍びの三人から仕入れたはいいものの、実際に行けないのでは何の意味もない。そんなわけで最近の私たちは実際にパイプを辿ってみるべく、『小さくなる方法』を調べているのである。

 

「ブッチャー先生にもそれとなく聞いてはみたんだけどね。そういう魔法薬はありませんかって。……一応蛇に変身する魔法薬を作った人が居るらしいわ。残念なことに、効果が切れた後も舌が人間っぽい形に戻らなかったみたいだけど。」

 

「それは嫌だな。にしたって今からアニメーガスを目指すのは非現実的すぎるし、下手するとそういう方法しかないかもしれんぞ。」

 

「これまで調べた限りだと、マーリンは動物もどきじゃないわ。そのマーリンが隠し部屋を造ったってことは、何か出入りする手段があるはずなのよ。」

 

「……っていうかさ、そもそもマーリンの時代に『パイプ』ってあるか? よく考えたらパイプの中からじゃないとたどり着けないってのが変だろ。」

 

それは……なるほど、確かに妙だな。マーリンが生きていた時代はホグワーツが成立したすぐ後だ。そういった技術のことは魔法史では教えてくれないけど、そんな時代にパイプなんて物が普通に存在していたとは思えない。原型くらいはあったかもしれないが、金属製の水道管が一般的に使われ始めた時代はまだまだ先のはずだぞ。

 

そういえばブラックさんの言によれば、ペティグリューさんがたどり着いた先は『古臭い石のパイプ』だったな。おまけに壁のヒビ割れから扉を覗き見ることが出来ただけなんだから、パイプは別に『正規ルート』じゃないのかもしれない。魔理沙の発言を聞いて、思考を回しながら口を開く。

 

「……良いところに気付いたわね。そうよ、確かに変だわ。『パイプを通る』ってことに囚われすぎてたかも。」

 

「シリウスたちが部屋を見つけられなかった以上、何らかの仕掛けは間違いなくあるんだろうさ。そしてペティグリューが何度もたどり着けてたってことは、気付かないうちにその仕掛けを解いてたってことだ。」

 

「となると怪しいのはやっぱり『順路』よ。……ねえ、昔のホグワーツの見取り図とかってチェックした? ペティグリューさんから聞いた順路を踏まえた上で、一度今の地図との違いを確認してみない?」

 

「いいな、悪くない案だ。やってみようぜ。図書館に行けば貸し出してくれるだろ。」

 

おっと、相変わらず行動が早いな。慌てて紅茶を飲み干してから、早速とばかりに立ち上がった魔理沙を追って星見台の出口へと歩き出す。何にせよ、良い感じの発想の転換が出来たらしい。私としても手応えを感じるぞ。

 

徐々に謎を解いているという感覚に一つ頷きつつ、サクヤ・ヴェイユは天文塔の踊り場に繋がる階段を上るのだった。

 

 

─────

 

 

「どうしたのかね?」

 

おやまあ、眠そうだな。休日だからって昼過ぎまで寝ていたのか? ノックしたドアの隙間から顔を出しているチェストボーンを前に、霧雨魔理沙はやや呆れた気分で返答を送っていた。

 

星見台での話し合いでヒントの一端を掴んだ私と咲夜は、すぐさま図書館に行って司書のピンスにホグワーツ城の見取り図は置いていないかと尋ねてみたわけだが……その結果、マーリンの時代の見取り図はチェストボーンに貸し出しているという答えが返ってきたのである。しかも彼が赴任してきた去年の秋頃からずっとだ。

 

そうなると少し待った程度では返ってきそうにないが、魅魔様の課題を達成しなければならない私には長く待っている余裕などない。そんなわけで今度は教員塔に移動して、今まさにチェストボーンに直接頼むために彼の自室のドアをノックしてみたというわけだ。

 

「えっとだな、頼みがあって来たんだ。……あのさ、図書館からホグワーツ城の古い見取り図を借りてるだろ? それをちょっと見せて欲しいんだよ。ピンスから又貸しの許可は取ってあるぜ。」

 

「……城の見取り図を?」

 

「ああ、そうだ。私たちはホグワーツに関する魔法史の論文を書いててな。つまりほら、ホグワーツ城の構造の変遷についての。だから今の造りと昔の造りを比較する必要があるんだよ。そんなに時間はかからないと思うから、多分すぐ返──」

 

「少し待っていなさい。」

 

私の適当な作り話を途中で遮って部屋の中に引っ込んだチェストボーンは、二十秒ほど経ってから再び顔を覗かせた。古ぼけた羊皮紙を差し出しながらだ。

 

「私はもう研究を終えたので、使い終わったら直接図書館に返すように。以上だ。」

 

何か、いつにも増して愛想が悪いな。元々生徒に対して友好的に語りかけるってタイプの教師じゃないし、だからこそ上級生からの人気は授業そのものの質は高いブッチャー以下なわけだが……もうちょっと丁寧に対応してくれてもいいんじゃないか? 別にいいけどさ。

 

チェストボーンの場合は常にイライラしているような雰囲気があるし、ある種の生産性があったスネイプとはまた方向が違う『無愛想っぷり』だな。拒絶するようにバタンと閉じたドアを見ながら微妙な気持ちになっていると、背後でやり取りを眺めていた咲夜が声をかけてくる。ここまで来る途中でやったジャンケンに負けた結果、私が『交渉役』になってしまったのだ。

 

「『ブツ』は手に入れたんだし、早く行きましょうよ。……寝てたのかしら? 学内リーグには興味がないみたいね。」

 

まあ、そうなるな。この時間に寝ていたということは、今日の昼の試合を観ていないということだ。部屋から遠ざかりつつ小声で話しかけてくる咲夜に、肩を竦めて応答を放つ。

 

「みたいだな。つくづくやる気がない感じで好きになれんぜ。」

 

「生徒の名前もあんまり覚えていないんでしょうね。ドアの隙間から顔を出した時、『誰だっけ』って表情になってたわよ。……マクゴナガル先生の授業が懐かしいわ。校長と兼任してくれれば良かったのに。」

 

「昔は厳しいと思ってたが、振り返ってみれば面白い授業だったもんな。ノーレッジの授業よりつまらん授業が存在するとは思わなかったぜ。」

 

「パチュリー様の授業には意味と意義があったでしょ。ありきたりな口頭での授業形式じゃなくて、本を通して行ってたってだけよ。授業の質は高かったわ。」

 

『絞り出した感』がある咲夜のフォローを受けながら、教員塔と三階の廊下を繋いでいる緩やかな階段を下りる。そのまま北側へと向かいつつ、手に入れた見取り図を広げた。やけに分厚いから冊子状になっているのかと思ったが、実際は幾重にも折り畳まれている一枚の巨大な羊皮紙のようだ。

 

「ま、とにかく確認してみようぜ。私のポケットから忍びの地図を出してくれ。」

 

「はいはい、『我、よからぬことを企む者なり』。」

 

両手が塞がっている私のポケットから抜き取った忍びの地図を『起動』させた咲夜を横目に、予想以上に大きなホグワーツ城の見取り図を広げて……むう、大きすぎる所為で全部は無理だな。見取り図の一部分を広げて現在との違いをチェックする。そういえば、チェストボーンはこの見取り図を使って何を『研究』していたんだろうか? ひょっとして建築系の分野に興味があるとか? どこまでもよく分からんヤツだ。

 

「んーっと……思ったほどは変わってないな。全体的には昔のままっぽいぞ。」

 

「どれ? ……そうね、違いってほどの違いはなさそうね。でも、こことかは元々通路だったみたいよ。今はほら、教室になってるわ。」

 

「おー、本当だ。それにこっちも少し違うぞ。今はトイレだけど、昔はここも通路だったみたいだ。」

 

「微細な違いはちょこちょこありそうね。」

 

うーん、さすがに建築当初のままでは困るもんな。二枚の差異からホグワーツの歴史を感じていると、ペティグリューが教えてくれた『順路』のスタート地点となる三階北側の壁が見えてきた。ちょうど話していた元々は通路だったトイレの向かいだ。ちなみにペティグリューから話を聞いたその日に、入り口のパイプがあること自体は確認してある。

 

「あそこの石像の裏が入り口だよな? ……ペティグリューの辿った道からすると、あのトイレのすぐ下を通ったってことになるぜ。」

 

つまり、大昔は通路だった場所を通るということか。咲夜に問いかけてみれば、彼女は忍びの地図を持っているのとは反対の手でメモ帳を取り出した。ペティグリューから聞き取った順路をメモしてあるやつだ。

 

「待ってね。……うん、それで合ってるわ。あのトイレの下を抜けて、天文塔の方に向かうみたい。」

 

「ってことは、この通路からこう進んで……んー、こっちの見取り図でも途中で壁にはひっかかりそうだな。だけど、面白いぜ。昔のホグワーツはこんな風になってたのか。」

 

ペティグリューの通った道がそのまま通路と重なっていれば話が早かったんだが、そこまで上手くはいかないらしい。線ではなく点で追うべきなのか? 咲夜の持っているメモ帳と見取り図を比較してルートを辿っていくと……ん? ルート上の一箇所に丸印が付いているのが目に入ってくる。

 

「何だろうな、このマーク。」

 

疑問に思って見取り図を指差しながら呟いてみれば、応じて視線を送ってきた咲夜も怪訝そうに首を傾げた。

 

「建築家が付けた目印とかじゃない? ……でも、何だか新しいインクに見えるわね。」

 

「だよな。見取り図のインクはこう、色が薄れてるのに……やっぱりこれは濃いぞ。気になるぜ。行ってみよう。」

 

「古い見取り図だからチェストボーン先生みたいに研究に使った人が山ほど居るでしょうし、そういう人たちの書き込みだと思うわよ。だったらマーリンとは関係ないでしょ。」

 

それは分かっているが、気になるものは気になるのだ。反論しつつも素直についてくる咲夜を背に、トイレを通り過ぎて最初の曲がり角を左に曲がる。そこから通路を歩いてもう一度左に曲がり、トイレの裏に当たる教室の目の前にある通路に入っていくと……印があったのはあの辺りだな。壁に飾られている数枚の絵が視界に映った。

 

「あそこだよな?」

 

「えーっと……そうね、あの絵の辺りね。忍びの地図だと特に変わったところはないし、隠し部屋があるわけではないみたい。」

 

「壁にも床にも妙なものは見当たらないな。何でここに印なんか付けたんだろ?」

 

ざっと調べてみた限りでは何の変哲もないホグワーツの通路だぞ。となると残っているのは壁の絵だ。小さな風景画が四枚と、その中心にある古めかしいローブを着た髭の長い老人の肖像画。どれも相当に古い絵だという感想が浮かぶだけで、これといって気になる箇所は見つからない。

 

「……他のことを調べましょうよ。私たちの目的が千年近く前の隠し部屋である以上、『現代のインク』で描き込まれた印は何のヒントにもならないわ。」

 

「ちょっと待ってくれ、最後に絵を外して裏を確かめたら諦めるからよ。」

 

「外すの? フィルチさんに見つかったら罰則ものよ?」

 

「そのための忍びの地図だろ。見張りは任せたぞ。」

 

隠されているものは何かの裏にあると相場が決まっているのだ。それに、印があったら調べたくなるのは悪戯っ子の本能だぞ。やれやれと首を振って忍びの地図をチェックし始めた咲夜を尻目に、先ずは風景画の枠に手をかけて壁から外そうとするが……んんん、動かないな。結構な力をかけているのにも拘らず、上下左右にも手前にも一切動かない。粘着呪文がかかっているのか?

 

まあ、ホグワーツの絵に粘着呪文がかかっているのは珍しいことではない。さすがに解呪するのは面倒だし、これは諦めるべきかと最後に動かそうとした肖像画から手を離した瞬間──

 

「汝の願いを示すがよい。」

 

「は?」

 

それまで一切動かなかった絵画の中の老人が微笑みながら話しかけてきたかと思えば、その周囲に飾られている四枚の風景画の景色が滲むように変わっていく。

 

先ず、牧歌的な草原の風景画が霧雨道具店の絵に変わった。私と同じ金色の髪の三十代前後の女性が、懐かしい店内で同じ髪色の赤ん坊を抱いている。その視線の先では顔の見えない男性が接客しており、女性の後ろには……私を勘当したバカ親父がひどく満足そうな表情で立っているな。私が知る姿よりも大分老けた、『お爺ちゃん』という見た目でだ。

 

次に、月下の砂浜の風景画が魅魔様の工房の絵に変わった。室内に設置されている大鍋で何かを調合している魅魔様の背後で、先程の絵と同じ金髪の女性が作業を手伝っている。どちらも少し皮肉げな笑顔だ。冗談を言い合いつつ調合を楽しんでいる魔女たち、といった絵だな。

 

三番目に、深い森の風景画がクィディッチ競技場の絵に変わった。私が見たこともないほどに巨大な競技場には満員の観客が犇いており、フィールドの中央を飛ぶ金髪の女性へと歓声を投げかけている。『クィディッチ界の大スター』って感じだ。

 

そして最後に、暗い洞窟の風景画が真っ白なカンバスに変わった。まだ何も描かれていない、白紙の状態にだ。白紙なのにどこか不安になるようなイメージが伝わってくるな。不確かで、頼りなさげな印象を受けるぞ。

 

「さあ、汝は何を望む?」

 

少しぼんやりしている自分を自覚しつつ、絵の中の老人の声を受けて思考を回す。落ち着け、私。魔法をかけられているぞ。夢の中に居る時のようにふわふわしているのも、老人の声に引き込まれそうになるのも、風景画に描かれているのが『未来の霧雨魔理沙』に変わったのも単なる魔法だ。咲夜から聞いた『みぞの鏡』の逸話を思い出せ。これはきっと、その魔道具に近い性質を持った魔法に違いない。

 

『輝かしい未来』に惹かれる自分のことを、経験で得た知識と理性で武装した冷静な自分が押し留める。そんな私を見て僅かに驚いたように目を見開いた絵の中の老人は、困った感じの微笑で言葉を重ねてきた。

 

「おや、賢い少女だ。『私たち』の性質に気付いているね?」

 

「……騙し甲斐がなくて悪いが、今の私は『願望』に飛び付くほど純な小娘じゃないのさ。」

 

「重畳、重畳。ならば賢い少女は何を望む?」

 

「白紙の一枚だ。私の未来は私が決める。他人が描いた『未来予想図』に従うのなんざ真っ平御免だぜ。」

 

魔法の誘惑に抗いつつ強気な笑みで言い放った私の答えを聞くと、絵の中の老人は満足そうに大きく首肯してからパチリと手を叩く。

 

「正しくその通り。整えられた道を辿るのではなく、未知なる荒野に一歩を踏み出す者。それこそが真に勇気ある者なのだ。」

 

手を叩く音が耳に届いた刹那、一気に現実感が押し寄せてきた。いつの間にか四枚の風景画は元の絵に戻っていて、そして絵の中の老人も微動だにしなくなっている。……白昼夢を見たって気分だな。嫌な汗が出たぜ。

 

力が抜けてぺたりと地面に座り込んだ私へと、咲夜が焦ったような声を投げてきた。

 

「ちょ、魔理沙? どうしたの?」

 

「あー、どうしたって言うか……どう見えてたんだ? 私。」

 

「どう見えてたって言われてもね。絵を外そうとして、そのままへたり込んじゃったようにしか見えなかったけど。」

 

つまり、一瞬の出来事だったわけか。咲夜の返答に苦笑したところで、やおら老人の絵がぱかりと横に開く。グリフィンドール寮の入り口の仕掛けみたいだな。その裏にあった窪みには……おいおい、何も無いぞ。まさかここまでやって収穫なしなのか?

 

「いきなり開いたわけだけど……何かしたの? 貴女。」

 

「後で話すぜ。ルーモス(光よ)。」

 

きょとんとしている咲夜に応答してから、杖明かりを灯して結構な深さがある絵の裏の穴の中を覗き込んでみると……ん、一番奥に何か刻まれているな。

 

「……よう、咲夜。苦労の甲斐はあったみたいだぜ。これがマーリンに繋がるものなのかは分からんが、少なくとも千年前の『何か』を見つけることは出来たみたいだ。」

 

「何? どういう意味? 何か入ってたの?」

 

「入ってはいなかったが、刻まれてはいたぜ。グリフィンドールのサインがな。」

 

青白い杖明かりに照らされた、『ゴドリック・グリフィンドール』という荒削りな文字。穴の奥の石壁にそれが刻まれていることを確認しながら、霧雨魔理沙はニヤリと笑みを浮かべるのだった。

 



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甘えん坊さん

 

 

「……ねえ、本当に意味があると思うの?」

 

私としては半信半疑ってところだぞ。十二月に入ってから初めての魔法薬学の授業中、サクヤ・ヴェイユは隣で調合を進めている親友に対してそう問いかけていた。ちなみに今日の課題は危険性の高い『告別の呪薬』の調合ということで、他の生徒たちはやや緊張した面持ちで作業を進めている。

 

リーエムの血と刻んだベラドンナの葉を慎重に混ぜている私へと、グラップホーンの角の削り粉を鍋に投入している魔理沙が返事を寄越してきた。告別の呪薬そのものも貴重だが、使う材料も希少品が殆どだ。ブッチャー先生はストックが残り僅かだと授業の最初に説明していたから、評価を得るためには少しの失敗も許されないぞ。

 

「あんな仕掛けがあった上に、中に刻まれてたのは創始者の一人のサインなんだぞ。関係ないはずないだろ?」

 

「マーリンのサインだったらともかくとして、グリフィンドールのサインなのよ? そりゃあ年代的に関わりはあったんでしょうけど、私たちが調べている隠し部屋とは『別件』かもしれないじゃないの。……本物のグリフィンドールのサインかも疑わしいしね。」

 

「偽のサインを隠すために、わざわざ手の込んだ仕掛けを施すとは思えんぜ。お前は食らってないから実感が薄いのかもしれんが、かなり強力な魔法だったんだからな?」

 

「じゃあ、あれが本物のグリフィンドールのサインだとしましょう。そこは別に同意してもいいわ。……問題はペティグリューさんがそれを知らなかったって点よ。扉にたどり着けてた彼が知らない以上、サインと『順路』は関係ないってことなんじゃない?」

 

もしそんな仕掛けを突破していたなら私たちに教えてくれたはずだし、そもそも他の忍びたちにだって話して聞かせていただろう。魔理沙の言からするに、あの絵の裏の穴を守っていたのは『みぞの鏡』に近い強力な魔法の仕掛けだ。あれだけルートを詳細に覚えていたペティグリューさんが、そこだけ忘れるなんて有り得ないと思うぞ。

 

つまるところ、私たちは先日発見した『グリフィンドールのサイン』についてを話し合っているのだ。古い見取り図に新しいインクで印が付けられていた位置にあった、ペティグリューさんから聞いたルート上にあるマーリンではなくグリフィンドールのサイン。関係がありそうといえばありそうだし、なさそうといえばなさそうな微妙すぎる『手掛かり』。これは判断が難しいな。

 

私はどちらかといえば関係なさそうだと思っているのだが、魔理沙は怪しいと睨んでいるらしい。そんなわけでここ数日は延々二人で議論を繰り広げているのである。すり鉢の中で混ぜ合わせた紫色の液体を鍋に入れた私の疑問に、魔理沙は唸りながら応答してきた。

 

「でもよ、現状それくらいしかヒントが無いだろ。ペティグリューから教えてもらったルートは何度か辿ってみたし、扉があるはずの地下通路の壁も調査済み。古い見取り図と照らし合わせてルートを少し変えてみてもダメだったんだから、ここはあのサインの線を追ってみるべきだぜ。」

 

「まあ、これは貴女の『課題』よ。だったら主導権は貴女にあるわけだけど……でも、『サインの線を追う』って言っても具体的にどうするつもりなの?」

 

あの後寮に戻って見取り図を隈なく調べてみたものの、他に印らしきものは一切見当たらなかったのだ。この状況でサインについてを調べると言われても、何をどうしたら良いのかが分からないぞ。困った気分で尋ねた私へと、魔理沙は鍋をかき混ぜながら返答してくる。

 

「星見台の入り口のドアには何が刻まれてた?」

 

「四寮のシンボルよ。杖に巻き付く蛇、剣を咥えた獅子、本を掴んだ鷲、花飾りを抱えた穴熊。……それがどうかしたの?」

 

「つまりよ、私は他にもサインがあるんじゃないかと考えてるわけだ。もしあのサインがマーリンの仕掛けの一部だってんなら、『グリフィンドール単品』ってのは違和感があるぜ。」

 

「ここでも四寮がセットになってるってこと? ……まあ、有り得なくはない仮説だと思うわ。本当にサインが隠し部屋に関係してたらの話だけど。」

 

これまで図書館の本を通して調べた限りでは、マーリンはホグワーツにある意味で『心酔』していた。創始者四人に対する深い尊敬を示す逸話も数多く残っているし、彼が宿敵モルガナに対抗し始めた切っ掛けは他ならぬホグワーツを守るためなのだ。そんな彼が施した仕掛けであれば、創始者全員が関わっていると推察するのはおかしなことではないだろう。

 

鍋の火加減を調整しながら思考を回していると、やおら歩み寄ってきた誰かが私たちに声をかけてくる。一緒に授業を受けているレイブンクローの六年生男子のミルウッドだ。

 

「あの、ちょっといいかな。もしフェアリーの羽が余ってたら分けて欲しいんだ。欠片だけでもいいから。」

 

どうやらミルウッドは教室中を巡って『カンパ』を募っているらしい。フェアリーの羽を使う工程はかなり難しかったので、失敗する生徒が多くてブッチャー先生のストックが尽きてしまったようだ。

 

「ん、いいぜ。私たちはもう終わってるから。」

 

困り果てているミルウッドに苦笑しながら彼が持っている容器に余った羽の欠片を入れた魔理沙に続いて、私も申し訳程度の量をそこに追加した。足りるのかな、これ。見た感じ全生徒を巡ってギリギリってところだぞ。

 

とはいえ、ミルウッドにとっては大きな救いになったようだ。小さな欠片まで大事そうに回収した彼は、私たちに笑顔でお礼を言ってくる。

 

「ありがとう、二人とも。君たちは調合が上手いんだね。他のところよりも多く余らせてるみたいだし、形も綺麗だ。助かったよ。」

 

「おう、そっちも頑張れよ。……っと、そうだ。ついでに聞きたいんだけどよ、創始者が残したサインの逸話ってレイブンクローに伝わってないか?」

 

「創始者のサイン?」

 

うーむ、行動力だけはピカイチだな。早速とばかりにサインに関する聞き込みを始めた魔理沙のことを、そんな簡単に見つかるようなものじゃないだろと呆れながら見ていると……んん? ミルウッドは心当たりがあるような顔付きで首肯してきた。私はこれっぽっちも期待していなかったのに、まさかの展開だな。

 

「あー、レイブンクロー寮にそんな感じの噂話は伝わってるよ。あくまで噂話だけどね。」

 

「マジでか。教えてくれ、ミルウッド。私たちはそれを探してるんだ。」

 

明るい表情になってぐいと顔を近付けた魔理沙へと、ミルウッドは何故か頬を赤くしながら口を開く。

 

「えっとね、ずっと昔の卒業生がロウェナ・レイブンクローのサインを見つけたって噂なんだ。レイブンクローは直筆のサインを殆ど残してないから、もし本当に存在していれば凄く貴重なものなんだよ。」

 

「具体的な場所は?」

 

「……ごめん、そこまでは伝わってないんだ。その卒業生は百年くらい前の人みたいだから、話を聞くのも難しいかも。」

 

一転して申し訳なさそうになってしまったミルウッドに、魔理沙は肩を竦めて返事を送る。百年前か。遠い過去だな。

 

「その情報だけでも充分だぜ。サインの存在を後押しする噂話なわけだしな。」

 

「でもね、真実味はあるんだ。……僕、ダンブルドア先生が防衛術を教えてくれてた時に聞いてみたんだよ。そういう話があるんですけど、何か心当たりはありませんかって。質問に行ったついでの、単なる世間話だったんだけどね。」

 

「そしたらどうだったんだ?」

 

「知ってるって言ってたよ。実際に見たこともあるって。ちょっと冗談めかした口調だったけど、ダンブルドア先生が生徒に嘘を吐くはずないし、実在してるのは確かなんだと思う。……『わしが知る中で最も賢い魔女がそれを見つけた』って言ってた。その人からふとした拍子に話を聞いて、二十年くらい前にダンブルドア先生も見つけたんだってさ。」

 

ミルウッドの発言を受けて、魔理沙と二人で勢いよく顔を見合わせた。ダンブルドア先生が知る『最も賢い魔女』は、私が知っているそれと同一人物のはずだ。イギリス魔法界でその称号が相応しい魔女はたった一人しか居ないのだから。

 

「えっと、どうしたの? 二人とも。」

 

「いや、何でもないんだ。教えてくれてありがとよ、ミルウッド。」

 

「うん、何かあったらまた聞いてよ。噂話には結構自信があるからさ。」

 

魔理沙に応じてから別の生徒にカンパを頼みに行ったミルウッドを見送りつつ、『サイン探し』の作戦会議を再開する。予想していた以上の情報が得られたな。噂話も案外バカに出来ないらしい。

 

「レイブンクローのサインを見つけた卒業生っていうのはパチュリー様よね、どう考えても。」

 

「だな。ダンブルドアが『最も賢い魔女』って言ったなら、それは間違いなくノーレッジのことだろ。……問題はだ、ダンブルドアにもノーレッジにも話を聞けないって点だぜ。」

 

「……アリスに相談してみる? もしかしたらパチュリー様から何か聞いてるかも。」

 

「それがいいかもな。レイブンクローのサインについてはクリスマス休暇に入ったらアリスに直接聞いてみよう。……こうなるとハッフルパフとスリザリンのサインもあるような気がしてきたぜ。」

 

まあうん、私もさっきよりは疑いが薄れているぞ。オーグリーの羽根の重さを量りつつ、熟考し始めた魔理沙に提案を飛ばした。

 

「色々な人に尋ねてみましょうよ。長く勤めている先生方とか、噂に詳しそうな他寮生とかにね。あとはブラックさんとルーピン先生にももう一度手紙を送ってみれば? サインのことはまだ聞いてないわけだし。」

 

「そうしてみるか。クリスマスにダイアゴン横丁に戻ったら、双子にも聞いてみようぜ。あいつらはこの城を隅々まで調べてたからな。ひょっとすると知ってるかもしれん。」

 

「ノーヒントで小さなサインを探してたら卒業までかかっちゃうでしょうし、とにかく手掛かりが必要よ。ルート上の壁とかを調べるのと並行して聞き込みを続けてみましょ。」

 

「おしおし、計画が纏まってきたな。良い感じだぜ。……ってもまあ、今は調合に集中した方が良さそうだぞ。この辺からクソ難しい工程に入っていくみたいだ。」

 

魔理沙が指差した教科書の調合手順を読んでみれば……うわぁ、これは確かに難しいな。調合前にサラッと読んだ時は気付かなかったが、物凄く微細な調整が求められるらしい。もしイモリ試験にこれが出てきたらと思うとゾッとするぞ。

 

黒板に書いてあるブッチャー先生の注意事項と調合手順を見比べつつ、サクヤ・ヴェイユは慎重な手付きで鍋の中身をかき混ぜるのだった。

 

 

─────

 

 

「あー……疲れた。エマ、肩を揉んでくれ。」

 

何だって私がこんなことをやらねばならんのだ。人形店のリビングのソファにどさりと身を下ろしつつ、アンネリーゼ・バートリは巨大なため息を吐いていた。面倒くさすぎるぞ。

 

十二月も真ん中を過ぎた今日、博麗神社で神札の『補充』を済ませて帰ってきたところなのだ。二柱の神の機嫌を取るためには早苗の機嫌を取らねばならず、早苗の機嫌を取るためには二柱を顕現させる必要があり、二柱を顕現させるための神札を手に入れるには紅白巫女の機嫌を取らなければならない。うんざりしてくるぞ、まったく。何だこのご機嫌取りの連鎖は。

 

外回りのビジネスマンみたいなことをしている自分を疑問視しながら、我が身に降りかかっている災難を嘆いて額を押さえていると、近付いてきたエマがソファの後ろに回って私の肩を揉み始める。

 

「疲れてるみたいですね、お嬢様。」

 

「ああ、疲れているとも。巫女も早苗も徐々に要求を吊り上げてくるんだ。忌々しい限りだよ。」

 

「気安い関係になってきたってことなんですよ、きっと。『外交』の成果が出てるじゃないですか。」

 

「こういう立ち位置を目指していたわけじゃないんだけどね。」

 

博麗神社の紅白巫女は今や神札の代わりにエマのケーキの個数と種類を指定するようになったし、早苗の方はもっとひどい。あの小娘はどんどん私に『甘えて』くるようになってきたのだ。

 

マホウトコロにおける外出日には必ず日本に来ることを要求してきて、おまけに二柱と会うための札もセットで望んでくる始末。私はこう、『忠実な犬』って状態を目指していたんだが……早苗の我儘っぷりを見誤ったらしいな。あれは犬ではなく猫だ。可愛がるとこっちに尽くしてくれる社会性のある犬ではなく、際限なくベタベタと甘えまくってくる自己中心的な猫。厄介すぎるぞ。

 

イギリスに居た時の早苗はその『本性』を隠していたようで、この段階になってようやくそれを垣間見せるようになってきたのである。普段のあの子は礼儀正しい控え目な仮面を被っているが、その中にあった本当の顔はとびっきりの我儘娘だったらしい。二柱が言っていた通りじゃないか。何故あの発言をしっかり受け止めなかったんだよ、私。

 

つまり『他人』に対してはおどおどと遠慮しがちなのに、『身内』に対しては心を許せば許すほどに全力で寄り掛かってくるタイプなわけだ。一種の内弁慶だな。同じ依存し易い性格でも咲夜のそれとは性質が正反対だぞ。咲夜がせっせと世話を焼いてくるタイプなら、早苗は笑顔で次々と要求してくるタイプ。

 

である以上、私が苦労して作った『貸し』の数々は貸した当初よりも値が下がっていることになる。早苗にとっての私は『親切にしてくれる敬うべき他人』ではなく、『甘やかしてくれる遠慮のいらない身内』になってしまったのだから。仲良くなればなるほどに貸しの価値が下がっていくわけか。恐ろしいシステムだな。

 

『クリスマスもみんなで一緒に遊びたいです!』と満面の笑みで要求してきた早苗のことを思い出しつつ、この負債は幻想郷に行った後で絶対に二柱から取り立ててやるぞと決意を固めていると、これまた疲れた様子のアリスがリビングルームに入ってきた。

 

「あれ、リーゼ様? 帰ってたんですか。」

 

「ん、ついさっき煙突飛行でね。人形は売れたのかい? 今日は取り引きがあったんだろう?」

 

「売れたと言うか、卸したって言うべきですね。昔から付き合いがあるフランスの人形店の店主さんが直接来てくれて、纏めて引き取ってくれました。向こうの魔法界ではこっちよりも需要があるみたいです。」

 

「ふぅん、良いことじゃないか。店頭で売りたいキミとしては微妙な気分かもしれないがね。」

 

エマに肩を揉まれながら苦笑した私に、アリスもまた同じような顔付きで返してくる。

 

「やっぱり直接売りたいんですけどね。まだ普通に売れたのは数体だけですよ。……そういえばエマさん、この前置いたパンをまた置いて欲しいって人が多かったんですけど、どうでしょう?」

 

「パンをですか? ……でもあれって、うちで使う分の余りだったんですけど。」

 

「昔は向こうの角にパン屋さんがあったんですけどね。今は少し離れた場所にしかないので、ここで買えると助かるって近所の人に言われちゃいました。」

 

「この上パンまで売り始めたら、いよいよ何の店か分からなくなるじゃないか。やめておきたまえよ。別に儲けを出そうと思ってやってる店じゃないんだから。」

 

マーガトロイド人形・菓子・パン店? 意味不明だぞ。呆れた声色で会話に割り込んでみると、アリスはダイニングテーブルに着きながらやれやれと首を振ってきた。

 

「もう何でもいいんですけどね、私は。エマさんが作る物はお菓子だろうがパンだろうが美味しいんです。それを食べて育った私はよく知ってます。やろうと思えばレストランだって開けますよ。」

 

「そう言ってくれるのは嬉しいんですけど……まあその、パンまで作るのはちょっと難しいですね。お嬢様が卒業したので、お世話のために使う時間が多くなったんです。さすがに本業を蔑ろにするわけにはいきませんよ。」

 

「その通りだ。キミは本来私のものなんだから、趣味は趣味に留めておきたまえ。無理してやるようなもんじゃないよ。」

 

エマは私のメイドなんだぞ。他人のためにパンなんぞを作らなくてもいいんだ。鼻を鳴らして言い放った私に……むう、何だその表情は。アリスはちょびっとだけ微笑ましそうな顔で口を開く。

 

「……リーゼ様でも甘える時があるんですね。」

 

「甘える? 何を言っているんだ、キミは。私は主人として従者に注意しているだけだぞ。」

 

「えへへ、お嬢様は実は結構甘えん坊さんなんですよ? 二人っきりの時は沢山甘えてくれますから。」

 

「キミたちね、私の話を聞いているかい? 違うと言っているだろうが。」

 

ええい、無視するんじゃない。異議を申し立てた私を何とも言えない顔付きで見ているアリスは、急に話題を大きく変えてきた。

 

「まあ、パンはやめておきましょう。それよりリーゼ様、クリスマスはどうするんですか? 早苗ちゃんがイギリスに遊びに来るんですよね?」

 

「私は『甘えん坊さん』じゃないからな。それを先ず認めたまえよ。」

 

「分かりましたって。」

 

食い下がった私に適当な感じの相槌を打ったアリスをジト目で睨みつつ、クリスマスの予定を脳内から引き出して答えを送る。違うんだからな。何だよ『甘えん坊さん』って。

 

「……ハリーたちとクリスマスパーティーをやるって約束しているから、クリスマスの昼は隠れ穴で、夜はここでキミたちと過ごすよ。早苗に付き合うのはその他の日になりそうかな。クリスマス当日は必要な分だけ札を渡しておけば、二柱と一緒に勝手に楽しんでくれるだろうさ。」

 

「全部合わせれば物凄い量を消費することになるわけですけど、札はそんなに手に入ったんですか?」

 

「大量のエマのケーキと肉と細々とした雑貨と引き換えにね。あの巫女、苦もなく神札を『量産』してのけたよ。妖怪としては恐ろしい話さ。」

 

「量産、ですか。……『幻想郷の調停者』だけのことはありますね。」

 

あの巫女は紫とは別方向で掴み所がないので確たることは言えないが、尋常な存在じゃないことは間違いないだろう。紫がどこから『スカウト』してきた子なのか、本当に人間なのか、何故あの貧乏神社で巫女をやっているのか、どうして本人は幻想郷の調停者であることを当然の如く自負しているのか。詳細は未だに判明していないものの、敵対したくない存在だということだけは確実だぞ。

 

アリスの言葉に深々と頷いてから、ずっと肩を揉んでいたエマにもういいよと手を振って更に話題を変えた。

 

「ま、幻想郷に関しては私に任せたまえ。移住までにある程度の地盤を確保しておくから。……それより、咲夜と魔理沙はどうなっているんだい? それらしい手紙は来ていないのか?」

 

「えっとですね、クリスマス休暇で帰ってきた時に何か聞きたいことがあるんだそうです。文面からすると、まだまだ逆転時計にはたどり着いていないみたいですね。」

 

「遡行するまではまだ余裕があるということか。そこはまあ、普通に安心だが……難しいね。帰ってきたらどう対応すればいいのやら。」

 

「何もしない方がいいなら、『いつも通り』に対応すべきですよ。何か聞かれたら素直に答えましょう。普段の私たちが答えるようなことなら答えていいはずです。」

 

考え込みながら放たれたアリスの返答に、腕を組んで首肯する。『自然に振る舞う』というのがもう不自然だと思うんだがな。余計なことをするのが危険である以上、今は意識してそう振る舞う他ないか。

 

湯水の如く消費される札と、甘えまくってくる早苗と、面倒な要求をしてきた二柱と、咲夜の遡行問題。リドルとベアトリスの問題を解決してなお問題が山積みなことにうんざりしつつ、アンネリーゼ・バートリは生とはかくもイベントに事欠かないものなのかと嘆くのだった。

 



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ジネブラ長官

誤字報告いつもありがとうございます!


 

 

「ふぅん? 結局のところ、早苗は期生になる予定なのかい?」

 

肌寒いロンドンの街ではしゃぎ回る早苗を眺めつつ、アンネリーゼ・バートリは隣を歩く諏訪子にそう問いかけていた。早苗の『制御』は神奈子とアリスがやってくれているわけだが……あーあ、また店に入っていくぞ。今度はチョコレートを買うつもりらしい。

 

クリスマスのイルミネーションが街を飾る十二月の下旬、私とアリスと守矢神社の三人組はロンドンでショッピングを楽しんでいるのだ。……いやまあ、楽しんでいるのは主に早苗であって、私たちはそれに付き合わされているだけだが。

 

マホウトコロはホグワーツよりも早く冬の休暇に突入したらしく、咲夜と魔理沙が帰ってくるよりも前に早苗がイギリスに遊びに来たのである。年末は神社を営業しなければならないので帰るようだが、二十八日まではこちらで遊び回る予定なんだとか。ちなみに当然ながら渡航費用も、滞在費も、買い物の代金も私持ちだ。忌々しい限りだぞ。

 

そんなわけで魔法省まで早苗を迎えに行った私とアリスは、興味の赴くままに店を巡る猫娘の手綱を顕現した二柱と共に何とか制御しているわけだが……早苗のやつ、いよいよ以って遠慮がなくなってきたな。ひょっとしたら彼女は他人に『甘え慣れていない』のかもしれない。もはやリミッターが外れている感じだ。

 

神奈子の手をぐいぐい引いてアリスと三人で店に入って行く早苗を見ていると、諏訪子が店の外壁に寄り掛かりながら返事を寄越してきた。店内に入る気はないらしい。私としても早苗の『どっちがいいと思いますか問答』に付き合うのは疲れたし、寒い外で待機していた方がマシだと思うぞ。

 

「それが微妙なところなんだよねぇ。早苗ったら、今は移住のことで頭がいっぱいみたい。サバイバルの本とかをマホウトコロの図書館でずーっと読んでんの。」

 

「サバイバルってほどの土地ではないんだけどね。……年が明けて四月になったら最終学年だろう? となるとマホウトコロを卒業するのは再来年の三月か。仮に期生になったらそこから更に三年間だから、最終的な卒業は──」

 

「2003年の三月末かな。アンネリーゼちゃんたちは面倒を見てる子たちがホグワーツを卒業したら幻想郷に行くんでしょ?」

 

「そうだね、咲夜たちはぴったり2000年の夏で卒業だ。そこから多少準備はするだろうが、秋に入る前には移住することになるんじゃないかな。」

 

ミレニアムイヤーか。そういえば切りが良いなと一人で感心している私に、諏訪子はむむむと悩みながら話を続けてくる。ちなみに今日の彼女たちもマグルらしい格好をしているわけだが、こいつはあえて子供っぽい服装を選んでいる気がするな。下手すると紫以上の若作りっぷりだと言えそうだ。

 

「もし早苗が期生になったら地味に移住時期がズレるよね。……その辺どうなのさ。アンネリーゼちゃん的には許容してくれるの?」

 

「別にいいけどね、私は。というかそもそも、期生ってのは必ずしも三年間継続しないといけないような課程なのかい?」

 

「いや、そういうわけでもないんだけどさ。どうせやるなら全うして欲しいじゃん?」

 

「何にせよ私は待てるさ。向こうに行った直後に派手に動くつもりはないし、そも私が求めているのは『休養』なんだ。イギリスでは随分と濃い生活を送ってきたから、今後百年間くらいはのんびり過ごそうと思っているんだよ。八雲紫との繋がりやキミたちとの同盟はそのための保険であって、別段能動的に動こうとは考えていないからね。」

 

要するに私は自己防衛の手段を確保したいだけであって、どこかに能動的に力を向けようとしているわけではないのだ。肩を竦めながら言ってやると、諏訪子はにへらと笑って応じてきた。

 

「いいねぇ、その考え方には賛成だよ。のんびり過ごすのが一番だからね。……まあ、アンネリーゼちゃんが待ってくれるって言うなら早苗の選択次第かな。私と神奈子はどっちでも良いって感じ。早苗がもうマホウトコロに居たくないなら早めに幻想郷に行っちゃえばいいし、期生をやりたいってんなら三年を準備期間に使うよ。アンネリーゼちゃんは向こうに行った後もこっちに戻って来られるんでしょ?」

 

「それが紫から得た対価の一つだからね。連絡を取り合えなくなるってことはないよ。……ただまあ、早めに決めて欲しくはあるかな。守矢神社ごと『持って行きたい』んだろう? 準備にはそれなりの時間がかかると思うぞ。」

 

「それはそうなんだけど……早苗はほら、刹那的な考え方をする子だからさ。今は幻想郷での生活に期待を持ちすぎてて、冷静な判断が出来なさそうなんだよね。アンネリーゼちゃんはどう思う? 期生、やった方が良いと思う?」

 

「私はマホウトコロのシステムに詳しくないから何とも言えないよ。……残りの生を幻想郷で過ごすと考えれば、三年くらい『ロスタイム』を楽しむのも悪くないと思うけどね。」

 

正直なところ、これは私にとってもどちらでも良い話なのだ。ほぼ同時に早苗たちと私たちが幻想郷に移住したとなれば、移住後の基盤を作る苦労は倍になるだろう。折角作った同盟相手を簡単に切り捨てるわけにはいかないし、守矢神社側の土台作りも手伝わなければならなくなるのだから。反面、二柱の力に期待して多少強引な手段も選択可能になる。

 

対して私たちが幻想郷でそれなりの基盤を整えているであろう三年後であれば、守矢神社の移住における混乱をある程度緩和できるはずだ。とはいえ同盟者を作った具体的なメリットが生じる時期は遅くなってしまうから、その点は損をすると言えるだろう。両者のメリット、デメリットを比較すると……うん、やっぱりどっちもどっちだぞ。大した違いはない。

 

頭の中で思考を回した結果、どちらでも良いという結論を固めた私へと、諏訪子はやれやれと首を振りながら口を開いた。

 

「授業自体はまあまあ楽しんでるみたいなんだけどさ、魔法力が無いのと友達が居ないのがどうもねぇ。早苗の学校生活って、一日中誰とも何も喋らないってのすら珍しくないんだよ? それじゃあ参るのも無理ないって。」

 

「それは確かに楽しくなさそうだね。嫌がらせとかはないのかい?」

 

「クソガキどもも成長すると申し訳程度の道徳心が芽生えるみたいでさ。あるいは単に世間体を気にするようになったのか、『弱者』に対する気取った博愛精神が生まれたのかは知らないけど、兎にも角にも直接的な嫌がらせはもう殆ど無くなったよ。大抵がただ無視してるって状態かな。……口惜しいなぁ、私に力が残ってたら思いっきり祟ってやったのに。」

 

冷たい神の微笑を浮かべている諏訪子に、小さく鼻を鳴らしてから返答を返す。マホウトコロで集団変死事件とかが起こらなくてなによりだ。

 

「今では多少マシになっているわけか。あくまで多少だが。……そもそも、早苗は魔法力が少ないのに期生になって何をしたいんだ?」

 

「史学とか薬学とか、符学方面はそこそこ良い線いってるんだよ。要するに自分の魔法力に頼らない学科は。だからそっちを集中的に勉強するつもりなんじゃない? 期生は授業を極限まで絞れるからね。」

 

「ふぅん? ……何れにせよ、近いうちに決めてもらいたいもんだね。移住云々とは関係なしに、期生になるための準備だって無いわけじゃないんだろう? この機に『三者面談』をしたまえよ。」

 

「そうするしかないかなぁ。……うっわ。どんだけ買ったのよ、あの子。」

 

話が纏まったところで店から出てきた早苗を見て、諏訪子は呆れ果てたような声を漏らしているが……うーむ、あの子はチョコレートの過剰摂取による自殺を試みるつもりのようだ。両手に大量の新しい袋を持った早苗が満面の笑みでこちらに近付いてきた。

 

「諏訪子様、リーゼさん! 美味しそうなのを沢山買いましたから、後でみんなで食べましょうね。」

 

百点満点の輝くような笑顔で言ってきた早苗に適当に首肯しつつ、内心では大きくため息を吐く。彼女に続いて店から出てきたアリスと神奈子は胸焼けしているような表情だ。外で待っていて正解だったな。チョコレートの品定めに付き合わされたらしい。

 

パチュリーやアリス、ハリーたち、そして咲夜や魔理沙が十五歳の頃はもっと落ち着いていたんだがなと苦笑しつつ、アンネリーゼ・バートリは次なる『獲物』を探す早苗の背を追って歩き出すのだった。

 

 

─────

 

 

「いやいや、ちょっと待った。じゃあ、その人は知ってるのか? 『ハッフルパフのサイン』のことを。」

 

真っ白な雪が降り頻る、イギリスの片田舎を走行しているホグワーツ特急の中。窓枠に積もっている雪を横目にしつつ、霧雨魔理沙は向かいの席のルーナに勢いよく問いかけていた。ミルウッドの時もそうだったが、今回も意外な人物からヒントが得られそうだな。

 

クィディッチのイベントが盛り沢山だった1998年もとうとう終わりが近付いてきた今日、私たちはホグワーツ城を離れてキングズクロス駅に向かっている最中だ。要するに、誰もが楽しみにしていた年末のクリスマス休暇に突入したのである。

 

だからホグズミード駅から真紅の列車に乗り込んで、私と咲夜とジニーとルーナでコンパートメントを確保して他愛のないお喋りを楽しんでいたわけだが……その途中でルーナから爆弾発言が飛び出してきたわけだ。ペンフレンドの祖父がハッフルパフのサインについてを知っているという発言が。

 

当面の方針を『色々な人にサインのことを尋ねてみる』と決定した私と咲夜は、当然ながら友人であるルーナにも尋ねてみたわけだが、彼女はそのことを手紙に書いてペンフレンドからも聞き取りを行ってくれたらしい。その結果として、ペンフレンドが祖父から聞いたハッフルパフのサインに関する話を手紙で送り返してくれたんだそうだ。

 

私の質問を受けたルーナは、こくりと頷いて詳しい説明を語ってきた。ちなみに咲夜は私の隣で驚いたような顔付きになっており、ジニーはルーナの隣であまり興味なさそうにクィディッチの戦術本を読んでいる。グリフィンドールチームのキャプテンどのにとっては、創始者のサインなんかよりも次のリーグ戦の勝敗の方が余程に重要なようだ。

 

「ん、スキャマンダー教授は学生時代によく人気の無い場所で魔法生物の世話をしてて、その時に偶然ハッフルパフのサインを見つけたんだって。」

 

「具体的にはどこで見つけたんだ?」

 

「そこまでは分かんないよ。ロルフさんは私の手紙を読んで、昔スキャマンダー教授から話を聞いたことを思い出しただけらしいから。クリスマスに実家に戻った時に詳しい話を聞いてくれるみたい。……もし良かったら私もパーティーに来ないかって誘ってくれたから、パパがオーケーすれば直接聞けるかもだけどね。」

 

「そっか、クリスマスにか。ってことは、詳細が分かるのは年明けに学校に戻る時だな。」

 

レイブンクローのサインを見つけたのがパチュリー・ノーレッジだったように、ハッフルパフのサインを見つけたのはニュートン・スキャマンダーだったわけか。片や人間をやめて本物の魔女に至った賢才で、片や魔法生物の研究における世界的な第一人者。どちらもそれぞれの卒業した寮における『偉人』だな。

 

その情報がミルウッドやルーナを通じて私に入ってくることに運命の不思議さを感じていると、咲夜が座席に深く座り直しつつ事態を整理してきた。

 

「そうなると、まだノーヒントなのはスリザリンのサインだけね。」

 

「だな。ギデオンにも心当たりはないかって聞いてみたんだけどよ、今の寮生にはそれらしい噂は伝わってないみたいだ。」

 

スリザリンか。グリフィンドール生としてはどうしても関係が薄くなる方面だけに、調べるのには中々骨が折れそうだな。唸りながら放った私の発言に対して……おー、怖い。狂気に支配されつつあるジニーがバッと顔を上げて噛み付いてくる。まあうん、正直言って私はもう慣れちゃったぜ。ウッド、アンジェリーナ、ケイティ、そしてジニー。こんだけ『犠牲者』を見てきたら嫌でも慣れるさ。

 

「ちょっとマリサ? まだシーボーグと仲良くしてるの? あいつはスリザリンのキャプテンなのよ? つまり、敵なの。敵!」

 

「はいはい、分かってるよ。公私混同はしないさ。試合の時は容赦なく叩きのめすぜ。」

 

「それならいいんだけど、どこから情報が漏れるか分からないわ。もう仲良くしないように。これはキャプテン命令よ。」

 

「お前な、疑いすぎだぞ。秘密警察じゃないんだから、もっと余裕を持つべきだと思うぜ。大体私が情報を漏らすわけないだろ。」

 

というかそもそも、漏らすほどの情報なんて持っていないぞ。アホらしい気分でキャプテンどのに口答えしてみれば、ジニーは大きく鼻を鳴らしながら返事を飛ばしてきた。

 

「もう何も信用できないわ。大間抜けのパスカルが、『ここだけの話』を大広間で喧伝してくれたからね。お陰で対ハッフルパフ用のフォーメーションがバレバレよ。」

 

「競技場で普通に練習してたフォーメーションだし、とっくの昔にバレてたと思うけどな。」

 

「だけど、バレてなかった可能性もゼロじゃないでしょう? ……情報は統制すべきなのよ。少なくともパスカルには全体像を知らせない方がいいわ。今後あいつには自分の動きだけを知らせることにするから、チームとしての戦術を聞かれても絶対に教えないようにね。」

 

うーむ、それはそれで問題じゃないか? そんなもん連携が取り難くなるだけだぞ。疑心暗鬼になっているジニーにとりあえず首肯してから、明るい方向の話題を打ち出す。『呪い耐性』が無い咲夜とルーナが引いているし、どうにか会話のレールを変える必要がありそうだ。

 

「まあでも、次の試合は期待しておいてくれよ。ブレイジングボルトの挙動にも慣れてきたし、ハッフルパフ戦では私がチェイサーでジニーがシーカーだろ? スーザン以外のゴールキーパーが相手なら負ける気はしないぜ。」

 

「そうよ、ブレイジングボルト。そのこともあったわ。貴女、ロイドにブレイジングボルトを貸したみたいじゃないの。迂闊すぎるわよ、マリサ。」

 

「おいおい、レイブンクロー戦はもう終わったじゃんか。前々から乗ってみたいって言ってたのに、試合が終わるまで我慢してもらってたんだぞ?」

 

「レイブンクロー戦は僅差での勝利だったわ。つまり次の試合でレイブンクローがスリザリンに大勝して、私たちがハッフルパフに負ければ立場が逆転するの。だからレイブンクローがハッフルパフにブレイジングボルトの情報を流す可能性だって無きにしも非ずよ。」

 

これはまた、ジニーも結構な具合に狂ってきているな。今まで情報戦を警戒する『被害者』が居なかっただけに、彼女のやり方からは新鮮なものを感じるぞ。

 

「とにかく、あらゆる情報を秘匿するように心掛けて頂戴。ブレイジングボルトのスペックはチームの機密情報よ。いいわね?」

 

「へいへい、分かったよ。万事了解だ、ジネブラ長官。お互いに監視し合って密告できるようなシステムを今度一緒に考えようぜ。」

 

疲れた気分で適当な相槌を打ってから、座席の背凭れに身を預けて深く息を吐く。私がキャプテンになるのを断った結果としてこうなっている以上、ジニーの暴走に強く文句を言えない。つくづく業が深いな、グリフィンドールチームのキャプテンという役職は。

 

来年自分がキャプテンになった時にこの連鎖を断ち切ろうと決意しつつ、霧雨魔理沙は雪に支配されている外の景色を眺めるのだった。

 



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あゝ、険しきメイド道

 

 

「いいですか? 咲夜ちゃん。要するに『揺れる』のはオーケーで、『流れる』のはアウトなんです。お風呂の水くらいならそこまでひどいことにはなりませんけど、ちょっとピリッとしちゃいますから。だからこう、ゆっくりゆっくり手を動かしてください。」

 

広い湯船の中のリーゼお嬢様の真っ白な肢体。それを何だか艶めかしい動作でマッサージしていく薄い湯着姿のエマさんを見ながら、サクヤ・ヴェイユはゴクリと生唾を飲み込んでいた。

 

クリスマス休暇に突入して人形店に帰ってきたその日の夕方、私はトランクの中の浴室でリーゼお嬢様の入浴の『お手伝い方法』をエマさんから教えてもらっているのだ。今までは朝の身支度すら殆ど手伝わせてもらえなかったのだが……私が『影』を受け取ったから、正式に従者としての仕事を学ばせようということなのだろう。

 

でも、いきなりこれは難易度が高すぎるぞ。私が湯船の外で顔を真っ赤にして見つめているのを他所に、エマさんの大きな胸に頭を預けてお湯の中でリラックスしている様子のリーゼお嬢様は、やや眠そうな表情で口を開く。こんなに油断しきっているお嬢様は初めて見るな。これまではエマさんにしか見せていなかった姿ってことか。

 

「子供じゃあるまいし、普段は一人で入っているんだけどね。たまーにエマに任せる日もあるのさ。あくまでたまにだが。」

 

「そうですね、たまにですね。……ほら、咲夜ちゃんも入ってください。マッサージのやり方を教えますから。」

 

「……はい。」

 

あまりにも非日常的な光景に尻込みしつつ、お湯を大きく動かさないように慎重に湯船の中へと身体を入れた。周りを水に囲まれている浴室は、リーゼお嬢様やエマさんにとって危険な場所であるはずだ。それなのにこれだけ無防備なのは私のことを信頼してくれているからに他ならない。期待に応えなければ。

 

見惚れている場合じゃないぞと気持ちを入れ替えて、広い浴槽を横切ってリーゼお嬢様とエマさんの近くに寄っていくが……あああ、こんなの無理だぞ。お嬢様は裸身を惜しげもなく晒しているし、エマさんだって湯着が身体にぴったり張り付いて何もかもが透けてしまっている。

 

……というか、エマさんと同じ湯着を着ている私の身体のラインも透けているはずだ。マズい、自信がなくなってきたぞ。貧相な身体だと思われていないだろうか?

 

『ヘッドレスト』の任を十全に果たせそうにない自分の薄い胸を見下ろして、何だか急に冷静になってきた私へと、エマさんがマッサージを続けながら指示を出してきた。

 

「じゃあ、咲夜ちゃんはお嬢様の足を揉んでください。滑らせると水が流れちゃいますから、どちらかと言えば揉む感じで。」

 

「はい、了解です。……えっと、失礼しますね。」

 

「ん、いいよ。好きにやってみたまえ。」

 

そう言って左足を私に預けてくるリーゼお嬢様だが……これ、本当に触っちゃっていいんだろうか? こんな綺麗な足を私なんかが触ったら法で裁かれたりしないかな? 我ながらアホみたいな感想を抱きつつ、芸術品のようなお嬢様の足に手を触れる。

 

うーん、ヘンな感じだ。未成熟な美しい肢体をまじまじと見ることへの後ろめたさと、これを見られる数少ない存在の一員になれたという喜び、そして生涯決して見ることが出来ない数多の余人に対する優越感。言葉では表現できない不思議な気分になりながら、先ずはお嬢様の足の裏を揉もうとした瞬間──

 

「くぁ……ふ。眠くなってきたね。身体を洗うところまでやるんだろう? マッサージはサクッとでいいよ。」

 

あくびだ。リーゼお嬢様の欠伸。口に手を当てた状態での軽い欠伸くらいなら珍しくないが、ここまで堂々とした大欠伸は初めて見たかもしれないぞ。これもまた『影』を預けた者にしか見せない姿なんだろうなと感心しつつ、何故かお嬢様の大欠伸に今日一番ドキドキしている自分を疑問視していると、エマさんがお嬢様の上半身を……嘘だろう? そんなところまで触っていいのか? 慣れた動作で揉み解し始めた。

 

「そうですか? じゃあ簡単にだけやっちゃいますね。」

 

「ん。」

 

何一つ心配せずに身を委ねきっているリーゼお嬢様と、それに当然のように応えているエマさん。まるでバートリ家のメイドはこう在れと示しているかのような光景だ。……よし、雑念は捨てよう。プロとして行動しろ、私。エマさんのようにプロとして。

 

もう動揺しないぞとメイド道の求道者としての決意を固めた私に、リーゼお嬢様がポツリと新たな指令を寄越してきた。

 

「咲夜、太ももをやってくれ。一昨日ひどく歩き回ったから疲れているんだ。」

 

「分かりました、太ももですね。」

 

こっくり首肯してから太ももへと手を伸ばそうとしたところで、視線を動かした所為でリーゼお嬢様の全身をかなり近い位置から余すところなく視界に収めてしまう。自分でも何がなんだか分からない内に一瞬停止した後、そんな場合じゃないぞという理性の声に従って真っ白な太ももへと指先を触れ──

 

「あれ、咲夜ちゃん? のぼせちゃいました?」

 

「へ? いえ、大丈夫ですけど。」

 

「でも、ほら。鼻血が出ちゃってますよ。」

 

エマさんの慌てたような指摘を受けて、自分の鼻に手をやってみれば……あっ、ヤバい。大急ぎでお湯に血が落ちないように上を向いてから、鼻を押さえて湯船の外へと向かう。何だってこんなタイミングで鼻血が出ちゃうんだ。恥ずかしすぎるじゃないか!

 

「す、すみません。今出ますから。」

 

あまりの不甲斐なさと恥ずかしさで涙目になりつつも、流水だけは決して作らないように気を付けて湯船の外に出ると……続いて出てきたリーゼお嬢様とエマさんが心配そうに私に声をかけてきた。ああ、消えてなくなりたい。心配されればされるほどに情けなくなってくるぞ。泣きそうだ。

 

「上を向いちゃダメですよ、咲夜ちゃん。血が喉の方に行っちゃいますから。」

 

「でも、バスルームが汚れちゃいます。……すみません、お湯も汚しちゃって。」

 

「キミね、私たちは吸血鬼なんだぞ。血をいちいち気にするわけがないだろう? それよりエマの言う通りに安静にしたまえ。」

 

あー、ダメだ。久々にどうしようもなく悲しくなってきた。折角リーゼお嬢様がリラックスしていたのに、エマさんが指導をしてくれていたのに、初めての従者としての入浴補助だったのに。私の所為で全部台無しじゃないか。

 

「……ダメダメですね、私。」

 

ここ数年で一番落ち込みながら呟くと、リーゼお嬢様がクスクス微笑んでそっと頭を撫でてくれる。

 

「まあ、従者としては見所があるってことなんじゃないかな。だろう? エマ。」

 

「……私からは何とも言えませんね。」

 

「咲夜、これは三人だけの秘密だぞ? ……実はね、エマも初めて母上の入浴を手伝った時に鼻血を出しちゃったんだ。その後ひどく落ち込んでいたが、今では立派な従者になった。だからまあ、縁起が良いといえば良いんじゃないかな。エマと同じ道を辿っているってことなんだから。」

 

「……あまり詳しくは話さなくていいですからね、お嬢様。あの時は本当に恥ずかしかったんですから。ツェツィーリア様は笑うし、大旦那様は気まずそうに慰めてくるし、お嬢様はからかってくるし、先輩たちには呆れられるしでもう大変でしたよ。」

 

エマさんも鼻血を? 頬を染めてそっぽを向いているエマさんを見て、ほんのちょびっとだけ気持ちが軽くなったのを自覚した。エマさんと同じか。それはまあ、確かに縁起が良いと言えるのかもしれない。

 

「しかしだね、結果的にはキミがバートリ家に馴染む良い切っ掛けになったじゃないか。母上は自分の魅力の為せる業だと自慢していたぞ。」

 

「私は別にそういう感情から鼻血を出したわけじゃなく、単にのぼせちゃったんですよ。カトリン家ではあんなに長くお風呂に入っていることなんてなかったので、身体がまだ慣れてなかったんです。昔もそう説明しましたよね?」

 

「はいはい、分かっているさ。……ふむ? そうなると咲夜は私の魅力に『やられちゃった』ってことになるな。」

 

「だから咲夜ちゃんも私ものぼせただけなんですってば。ですよね? 咲夜ちゃん。」

 

エマさんの問いかけに対して、こくこく頷いて応答する。実際のところ、私は多分リーゼお嬢様の裸身に『のぼせた』わけだが……ここは黙っておくべきだろう。エマさんが大奥様にのぼせたのかが今となっては謎であるように、私がお嬢様にのぼせたかどうかもきっと不明にしておくべき部分なのだ。

 

「そうです、そうです。私は普段シャワーで済ませるので、お湯に浸かるのはあんまり慣れてなくって。それでのぼせちゃったみたいです。」

 

「ふぅん? 残念だね。……ま、今日はここまでにしておこうか。あとは清めの呪文で適当に済ませればいいさ。」

 

「あの、すみませんでした。私の所為で。」

 

「なぁに、次に期待させてもらうよ。今度からは湯船に慣れておきたまえ。吸血鬼があの忌々しい『流水発生装置』を使わない以上、キミもこっちのやり方に馴染んでおくべきだ。」

 

やっぱり『次』があるのか。そのことに期待と不安を感じつつ、一つ首肯してから鼻血が止まっているかを確かめるために鼻に手を添えた。……だったら次までにどうにかしておかなければ。何たって次にまた鼻血を出したら、もうお湯にのぼせたという言い訳は通用しないのだから。

 

後で鼻血止めの魔法薬についてを教科書で調べておこうと心に決めつつ、サクヤ・ヴェイユは完璧なメイドへの道がまだまだ長いことを実感するのだった。

 

 

─────

 

 

「レイブンクローのサイン? ええ、知ってるわよ。それがどうかしたの?」

 

うーむ、とんとん拍子すぎて逆に不安になってくるぞ。目の前のアリスがノータイムで頷いてきたことに拍子抜けしながら、霧雨魔理沙は質問を続けていた。これなら二つ目のサインもさほど苦労せずに見つけ出せそうだな。

 

クリスマス休暇でダイアゴン横丁に帰ってきた私は、現在夕食前のリビングでアリスを相手に聞き込みを行っているのだ。ノーレッジからサインの話を聞いているかは不明だし、知らないと言われることも覚悟していたわけだが……この通り、あっさりと肯定の返事が返ってきたのである。

 

「どこにあるかも知ってるか?」

 

「知ってるわ。というか、パチュリーから聞いた後で実際に見たわよ。」

 

「やっぱりノーレッジから聞いたのか。……どの辺だ? 正確な位置を教えてくれ。」

 

準備しておいたホグワーツの簡易的な地図をダイニングテーブルに広げてやれば、アリスは迷うことなく天文塔の四階部分を指差す。星見台がある踊り場から螺旋階段を下りていったずっと下だ。ペティグリューから聞いたルートとも重なっているな。

 

「ここよ。螺旋階段の裏側にある大理石のオブジェの内部に刻まれているの。ちょっとした仕掛けがあって、それを解かないと見られないけどね。」

 

「どんな仕掛けなんだ?」

 

「んー、『パズル』って言うのが一番分かり易いかしら。オブジェ自体がこう、一種の立体パズルになっているのよ。正しい順番で正しい部分を動かしていくと、最終的には内部が覗けるようになるわけ。」

 

「からくり箱みたいなもんか。解き方はさすがに覚えてないよな?」

 

期待を込めて問いかけてみるが……むう、ダメそうだな。アリスは困ったように首を振って応答してきた。

 

「残念ながら、正確な手順は覚えてないわね。でも、かなり苦労したのは記憶に残っているわ。パチュリーから解いてみなさいって言われたから、四年生の時に友人と一緒にチャレンジしてみたの。……三人がかりで空き時間を使って、数ヶ月かけて解いたのよ。パズル自体には魔法的な要素はなかったけど、それだけに難しかったわ。」

 

「……簡単に解けるもんじゃないってのは理解できたぜ。」

 

アリスをして数ヶ月か。四年生の時だから空きコマが少なかっただろうし、今の私たちは当時のアリスよりも上の学年だが、それでもすんなり解くってわけにはいかなさそうだ。サイン自体は見られたところで問題ないから、ジニーやルーナにも協力を要請した方がいいかもしれない。

 

ホグワーツに戻ったらとりあえず見に行ってみようと決めた私へと、アリスが杖を振ってソファの上に置いてあった編み物セットを呼び寄せながら口を開く。マフラーを編んでいるようだ。

 

「まあ、貴女なら多分解けると思うわ。筋道立てて考えれば不可能ってほどではないしね。」

 

「……何でこんな質問をしてるのかは聞かないんだな。」

 

「……だってほら、魅魔さんの課題に関わることなんでしょう?」

 

「にしたっていつものアリスなら聞いてくる気がするぜ。何か変だぞ。」

 

いきなりサインのことを問われて、それに当然の如く答えて話を締めるってのは……変じゃないか? そりゃあ知っていたら答えはするだろうが、どうして尋ねたのかは気にして然るべきだ。すんなり回答して終わりってのは違和感があるぞ。

 

「ひょっとして、何か知ってるのか? オリジナルの逆転時計か、マーリンの隠し部屋か、サインの秘密か……もしくはそれらの関係についてをさ。」

 

何かがおかしい。自分のカンがそう囁いてくるのに従って、アリスにジト目で疑問を送ってみれば、彼女はかっくり首を傾げて苦笑いで応じてきた。

 

「知ってたら教えてるわよ。」

 

「……本当に?」

 

「本当だってば。どうしたの? 貴女。疑いすぎじゃない?」

 

むう、分からん。アリスは嘘を言っているようには見えないし、そもそも何か知っているのであれば隠す必要などないはずだ。……だけど、やっぱり引っかかるな。思い返せばペティグリューとの面会の時もそうだったっけ。普通ならあんなに簡単にアズカバンに連れて行ってくれるか? いつものアリスならもっと理由をきちんと聞いてくるはずだぞ。

 

私にジニーの『妄念』が伝染しているだけなのか、あるいはアリスが上手く誤魔化しているのか。確たる判断が付かなくて迷っていると、やおら部屋に入ってきた黒髪の吸血鬼が声をかけてくる。エマと咲夜も一緒だ。

 

「んふふ、やるじゃないか魔女っ子。その通り、アリスと私はキミたちに隠し事をしていたのさ。」

 

こいつ、聞いてたのか。というか今まで何をしていたんだ? 二人の従者を引き連れたままでソファにぽすんと腰を下ろしたリーゼに、彼女たちの服装がラフなものに変わっているのを認識しつつ問いを飛ばす。風呂に入っていたのか?

 

「どういうことだよ。何を隠してたんだ?」

 

「なぁに、簡単な話だよ。この前私が幻想郷に行った時、ふらりと現れた魅魔から念を押されたのさ。これはキミの課題なんだから、過度な手助けは慎むようにとね。……だろう? アリス。」

 

「……へ? そうですね。そういうことよ、魔理沙。」

 

「魅魔様が? ……まあ、それなら納得かな。咲夜が手助けするのは大丈夫なのか?」

 

つまり、あくまでも自力で達成しろということだろう。納得しながら一応確認してみると、リーゼは予想通りの返答を投げてきた。

 

「咲夜はセーフさ。手紙に『二人で』って書いてあっただろう? 要するにこれはキミと咲夜のゲームなんだよ。私たちは問われれば答えるが、どう問えばいいのかを教えはしないってことだね。」

 

「そりゃまあ、『課題』なんだから当然っちゃ当然のことだが……でもよ、何で秘密にしてたんだ? 普通に言ってくれればいいじゃんか。」

 

「別にいちいち言うようなことじゃないし、魅魔と会ったことを知れば嫉妬されると思ったのさ。」

 

「……お前な、私はそんなにガキじゃないぞ。」

 

話せて羨ましいとは思うが、それだけだ。いつまでも子供じゃないんだぞとリーゼを睨んだところで、アリスがふと何かに気付いたように声を上げる。

 

「……まさかとは思いますけど、三人でお風呂に入ってたんですか?」

 

「ええ、そうですよ。咲夜ちゃんにお嬢様の入浴のお手伝い方法を教えてたんです。ね?」

 

「あの、はい。」

 

リーゼの髪を櫛で梳かしながら楽しそうに言うエマに、咲夜がほんのり上気した顔で首肯しているが……五百歳なんだから風呂くらい一人で入れよ。呆れた気分でやれやれと首を振っていると、私の動作を目敏く発見したリーゼが言い訳を放ってきた。

 

「キミ、今私のことを内心でバカにしただろう。いつもは一人で入っているんだからな。今日は咲夜の教育のために一緒に入っただけなんだぞ。」

 

「でも、練習するってことは実践の機会があるってことだろ?」

 

「ふん、何とでも思いたまえよ。下々の羨望を受けるのも高貴な身分の宿命さ。出来るのにやらないことこそが一番の贅沢だと知らずに死んでいきたまえ。……咲夜、こっちにおいで。下賤で粗野な魔女見習いが私の身分を妬んでイジめてくるんだ。慰めてくれ。」

 

「……お前って、つくづく一殴ったら百殴り返してくるヤツだよな。」

 

質問しただけの私を下賤で粗野扱いした挙句、自分は咲夜を抱き枕にして被害者面か。ここまで来るともはや感心すら覚えるぞ。吸血鬼という生き物の図太さを再確認している私を他所に、何故か驚愕の表情になっているアリスが咲夜に話しかける。

 

「……どうだったの? 咲夜。」

 

「どうだったって……んっと、少し失敗しちゃった。」

 

「そうじゃなくて。」

 

「ええ?」

 

かなり真剣な面持ちで問い質すアリスのことを、リーゼの抱き枕になっている咲夜はきょとんとした顔で見ているが……いやいや、横で聞いている私にも意味が分からんぞ。そうじゃないならどうなんだよ。

 

「だから、つまり……何でもないわ。」

 

勢いよくガタリと席を立って何かを言おうとしたアリスは、自分のことを怪訝そうに見つめている部屋の面々に気付いて座り直した後、今度は別の質問を口にした。さっきとは別ベクトルで変だな。どうしちゃったんだ?

 

「……またやるの? 『お風呂講習』。」

 

「うん、やってくれるんだって。」

 

「そう、またやるの。なるほどね。」

 

咲夜の回答を受けて重々しく頷いたアリスは、テーブルに肘を突いて組んだ手に口を当てながら何かを黙考し始める。そんな意味不明すぎる一連の流れに疑問を持ちつつ、咲夜の頭を胸に抱いているリーゼに向けて問いを送った。アリスも変だが、リーゼもリーゼで銀髪ちゃんとの距離感がおかしいな。『影』とやらを咲夜が受け取ったからなんだろうか?

 

「まあ、リーゼのお風呂講習なんかどうでも良いだろ。それよりクリスマスは今年も隠れ穴に行くのか?」

 

「ん、そうなるね。キミも来るだろう?」

 

「もちろん行くぜ。久々にみんなと会いたいしな。」

 

何にせよ、先ずは休暇を楽しまなくては。レイブンクローのサインのヒントは手に入ったわけだし、スリザリンのサインに関しては現状どうにもならない。だったら今はクリスマスを目一杯楽しむことを目標にすべきだ。

 

六回目のクリスマス休暇が始まったことを実感しつつ、霧雨魔理沙は良い気分で大きく伸びをするのだった。

 



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witch godmother

 

 

「長男は呪い破り、次男はドラゴン使い、三男はイギリスのマグル調査チームに抜擢されて、四男五男は事業で大成功、おまけに六男は一発合格で闇祓い局入り。結局のところ、貴女の母親としての才能はイギリスで一番だったってことよ。」

 

隠れ穴のキッチンで料理をしているモリーに語りかけながら、アリス・マーガトロイドは杖を振ってダイニングテーブルを動かしていた。今年は去年よりも参加者が少ないらしいし、部屋の真ん中に料理用のテーブルを置けばどうにでもなるだろう。

 

1998年の十二月二十五日の午前中、私は隠れ穴で開かれるクリスマスパーティーの準備を手伝っているのだ。一緒に来た咲夜と魔理沙はジニーと一緒に箒を使って寒い外で遊んでいるし、リーゼ様はハリー、ハーマイオニー、ロンと共にロンドンで買い物を楽しんでからこちらに来る予定らしい。

 

ちなみにビルとチャーリーは残念ながら仕事で来られず、双子は昼に到着する予定で、アーサーはまだ上階で寝ていて、そしてパーシーはオックスフォードに住んでいるという交際中の女性を迎えに行っている。どんな人なのかなと想像している私へと、テキパキと料理の下拵えをしているモリーが応答してきた。

 

「これで大分気が楽になりましたよ。ジニーはしっかりした子なので最初から心配していませんでしたけど、双子とロンは本当に心配でしたから。……ダイアゴン横丁の店は上手くいっているようですし、我が家から闇祓いが出るだなんて夢みたいです。」

 

「この一代でウィーズリー家はとんでもなく発展したわね。」

 

「まだまだ油断は出来ませんけどね。ビルはまあ、中々のお嫁さんを見つけたようですけど……残る五男一女の『引き取り先』を見つけるまでは死ぬに死ねませんから。」

 

「あら、その先には孫の誕生が待っているでしょう? こんなに子育てを頑張ったんだから、最低でもひ孫までは見ておかないと勿体無いわ。」

 

浮遊魔法でテーブルの上にクロスをかけながら言った私に、モリーは手を止めてきょとんとした後……嬉しそうに返事を投げてくる。

 

「孫ですか。……そうですね、孫が生まれるかもしれないんでした。それならまだ死ぬわけにはいきませんね。楽しみで仕方がありません。」

 

「そのためにも、パーシーが連れて来る『お相手さん』には愛想良くしないとね。」

 

「いいえ、それとこれとは話が別です。……この際フラーのことは認めましょう。フランス訛りの英語はまだ引っかかりますけど、ビルのことを本気で愛しているのは伝わってきますから。しかしですね、パーシーの相手は私に交際を隠していたんですよ?」

 

「相手がじゃなくて、『パーシーが』隠していたんでしょう? 良い子かもしれないじゃないの。」

 

実はさっきパーシーが出て行く時にこっそり頼まれてしまったのだ。つまり、『援護射撃』を。その任を果たそうとフォローを入れた私へと、モリーはぷんすか怒りながら返答を返してきた。うーむ、これは難しい任務になりそうだな。

 

「切り出したのがどっちだろうと同じ事です。なんて薄情な子なんでしょう。パーシーは真面目だから油断していました。まさか隠れて女性と『乳繰り合う』とは思っていませんでしたよ。」

 

「いやまあ、パーシーもいい大人なんだから別にいいんじゃないかしら?」

 

「何より許せないのは、アーサーもそのことを知っていたという点です。一体全体何を考えているのかしら。私にだけ秘密にするだなんて信じられません。」

 

ああ、むしろ逆効果になっちゃったかもしれないな。私が心の中でパーシーに謝ったところで、タイミング悪く上階からアーサーが下りてきてしまう。どんどん裏目に出ているじゃないか。

 

「おや、マーガトロイドさん。手伝いをしてくれているんですか? ありがとうございます。」

 

「どうも、アーサー。お邪魔してるわ。」

 

「『手伝いをしてくれているんですか』じゃありません! 貴方がこんな時間まで暢気に寝ているから、マーガトロイドさんのお手を煩わせることになっているんですよ!」

 

おおっと、寝起きの初撃なのに容赦がないな。そしてさすがは夫婦というか何というか、アーサーはこの一撃を受けた段階で大まかな状況を察したらしい。素早く撤退の意思を表明してきた。

 

「あー……そうだね、私も準備を手伝うよ。庭をやってこようかな。庭の何かを。」

 

「庭? 庭で何をやるのかしら? 庭なんかでやることなんて何もありませんよ。」

 

「だからつまり、庭の……ほら、飾り付け。飾りを整えてくるよ。お客さんたちが訪れた時に楽しめるようにしないとね。それじゃあ、失礼。」

 

「アーサー? ちょっと、アーサー!」

 

寒い外か、怒れるモリーか。その究極の決断を下したアーサーがそそくさと外に出て行くのを見送った後、聞こえないフリをされて怒りのボルテージを上げているモリーに言葉を放つ。アーサーめ、ここに残される私のことも考えて欲しかったぞ。

 

「まあ、アーサーも疲れているんでしょう。マグル界の調査のことを考えれば、昼まで寝ていたっていいくらいよ。グリンデルバルドも結構な要求をしてきたわよね。」

 

空気を変えようと慎重に話題を逸らしてみれば、モリーは未だ怒っている様子ながらも乗ってきてくれた。

 

「確かに性急すぎます。予言者新聞によると、各国は報告書を作るのに必死みたいですよ。」

 

「今までのツケが回ってきたってことなのかもしれないわね。取り立て屋がグリンデルバルドってあたりは皮肉が効いてるけど。」

 

予言者新聞曰く、ゲラート・グリンデルバルドが議長を務める非魔法界対策委員会が、自国の非魔法界についての調査報告書を提出することを各国魔法界に要求したらしいのだ。非魔法界の政治機関と魔法界との関係、秘匿における危険度、技術レベル、軍事力、魔法族の非魔法界への理解度などのあらゆる情報を纏めた調査報告書を。

 

当然自国の情報を明かすことへの反対意見は多々あったが、マクーザと連盟が力を落としている現状ではグリンデルバルドを止められる者など居ない。勇敢にも立ち向かった反対派たちは、非魔法界の情報を統括するメリットを掲げるグリンデルバルドに捻じ伏せられてしまったようだ。

 

そんなわけでイギリス魔法省も非魔法界のことを調べる必要が出てきたため、自国の非魔法界の調査を目的とした部署を跨いだ合同チームが結成されたらしい。パーシーは見事そのメンバーの一人に選ばれ、マグルに関わる部署の長であるアーサーは情報を提供するために日々大忙しというわけだ。

 

むう、非魔法界への理解度を高めるのは私も賛成だが、グリンデルバルドの影響力がどんどん強くなっているのがやや不安だな。懸念は間違いなくあるものの、やっていること自体は真っ当だから軽々に反対できない感じだ。恐らく各国の有力者たちも同じ思いなのだろう。

 

んー、レミリアさんが居ればバランスが取れたんだけどな。スカーレット派とグリンデルバルド派の二派に分かれて、どちらかが道を誤ればもう片方が噛み付く。お互いがお互いを無視できないからこそ、ある種の相互監視が成立するわけだ。

 

しかし、現状ではグリンデルバルドに『釣り合う』政治家が存在していない。今代の連盟議長はバランサーとしての腕はあっても真っ向から対立するような気概は無いし、西の大国アメリカを治めるマクーザは自国の騒動で手一杯。東の大国ロシアはそもグリンデルバルドの御膝元で、ヨーロッパ各国はレミリアさんに頼っていた弊害が今まさに現れている状態だ。レミリアさんがヨーロッパ魔法界を単独で『回していた』ために、突出したリーダーシップを持つ政治家が育っていないという弊害が。

 

ついでに言えばアフリカの代表たちは非魔法界問題に疎く、日本やオーストラリアは受動的な姿勢を決め込み、大陸側の東アジア諸国は香港自治区に決定権を委ねているらしい。そしてその香港自治区はグリンデルバルドの動きに対して静観の姿勢を取っている。多分自治区はグリンデルバルドの対抗者の登場を待っているのだろう。あの独立都市は連盟議長と同じくバランサーとしての性質に寄っているため、二つの軸がないと動きようがないのだ。

 

うーん、やっぱり『もう一つの軸』が確立しないことには何も始まらないな。だけど、ロシアという強固な地盤を手にしたグリンデルバルドと渡り合える存在なんて、レミリアさん以外には居ないと思うぞ。今現在の彼に立ち向かえそうなのは、定命である限り誰もが逆らえない『死』だけだ。グリンデルバルドが老衰で死ぬまでこの状況は変わらないのかもしれない。

 

とはいえ、今死なれてもそれはそれで困ってしまう。折角波に乗ってきた非魔法界問題の音頭を取る人間が居なくなってしまうのだから。中々どうして複雑な状態だなとため息を吐いたところで、玄関のドアが開いて二人の人影が室内に入ってきた。パーシーがガールフレンドを連れて帰ってきたようだ。

 

「ただいま、母さん、マーガトロイドさん。……えっと、彼女がオードリーだよ。」

 

気まずげな表情でガールフレンドを紹介したパーシーの隣で、ぺこりとお辞儀しているのは……おお、これは行けそうじゃないか? 『モリー好み』の女性だぞ。ちょっとふっくらしていて、顔には少しだけの緊張を浮かべている。一見した限りだと大人しくて愛嬌があるって感じかな。

 

そして肝心なモリーの反応はといえば……うんうん、悪くない。まだ怒りは燻っているものの、『思っていたよりは全然良い』という顔付きだ。第一印象でかなり巻き返せたらしい。

 

「……先ずは二人とも暖炉の側に来なさい。外は寒かったでしょう。」

 

モリーの台詞を聞いてとりあえずパーシーたちが『第一関門』を抜けたことを確信しつつ、アリス・マーガトロイドは今度こそ援護射撃を全うしようと盛り上がりそうな話題を探すのだった。

 

 

─────

 

 

「あー……食った食った。もう無理だ。これ以上食ったら多分死ぬぜ。」

 

うーむ、幸せの絶頂って表情だな。昼間にモリーさんの料理をあれだけ食べたのにも拘らず、夜にエマさんの料理を平らげてみせた魔理沙に心の中で称賛を送りつつ、サクヤ・ヴェイユは彼女が空けた皿を流し台に運んでいた。

 

今はクリスマスの夜、人形店での夕食が終わったところだ。リーゼ様は既にソファで食後の紅茶を楽しんでおり、アリスはその隣で編み物をしていて、エマさんは部屋に響くレコードの音に身体を揺らしながら洗い物をしている。食後の団欒のひと時って感じだな。

 

「エマさん、手伝います。」

 

「いえいえ、こっちは大丈夫なのでお嬢様のお世話の方をお願いします。そろそろカップが空になりますから。」

 

「……本当ですね。分かりました、行ってきます。」

 

ずっと背を向けて洗い物をしているのに、どうして紅茶の減り具合が分かったんだろう? ここまで来るともはや超能力じみているエマさんの『メイド力』に感嘆しつつ、ソファに近付いて紅茶を注ごうとティーポットに手を伸ばすと、リーゼお嬢様が私の手をぐいと引いてきた。

 

「おいで、咲夜。」

 

「は、はい。」

 

そして毎度のように抱き枕にされてしまったわけだが……何というか、強引だ。前までのリーゼお嬢様は私の返答を待ってから行動していたのに、今は有無を言わさず実行してくるな。こちらの意思をいちいち気にしなくなったのは、やっぱり私が『従者』になったからなんだろう。

 

まあうん、悪くはない。リーゼお嬢様は従者に対して無遠慮でありながら、同時にこちらを気遣ってもくれるのだ。道具の手入れを怠らないというか、使い方をよく理解してくれているというか、兎にも角にもリーゼお嬢様に『使われる』のは中々心地が良いのである。

 

誰かに『支配される』というのは良くないイメージがあるけど、結局は上に立つ者次第なわけか。リーゼお嬢様やレミリアお嬢様は手のひらで他者を転がすのが得意なのだろう。良い支配者は被支配者を無理やり手の中に押し留めるのではなく、気持ち良く踊らせることで自発的に留まらせるものらしい。

 

ソファに座っているリーゼお嬢様の胸の中に頭を抱かれつつ、センターテーブルとソファの下のカーペットに直に座って考えていると、明らかに長すぎるマフラーを編んでいるアリスが口を開いた。幅は普通なのに、長さが三倍くらいになっているぞ。何に使うつもりなんだ?

 

「再来年は紅魔館でクリスマスを迎えられそうですね。」

 

「そうだね、二十一世紀の突入もあっちで祝うことになりそうだ。そういえば二十世紀のお祝いも紅魔館でやったな。」

 

「百年前ですか。……私がまだ居ない頃ですね。」

 

「レミィ曰く、その時にはもう幻想郷に行くという運命に気付いていたらしいよ。当時はそんな話は一切していなかったし、眉唾だけどね。」

 

杖を振ってポットを浮かせて紅茶を注いだリーゼお嬢様に、ダイニングテーブルから一人掛けのソファに移動した魔理沙が相槌を打つ。百年前か。パチュリー様はもうムーンホールドに住んでいた頃だし、参加したのかな? 小悪魔さんもその頃には既に召喚されていた……っけ? 微妙な時期だけど、私の認識が正しいなら召喚済みのはずだ。

 

「んじゃ、ぽんこつ賢者とはその後に知り合ったってことか?」

 

「ん、そうなるね。紫が初めて接触してきたのはフランが学校に通い始める少し前だから、三十年くらい前のはずだ。アリスとはそれ以前に関わっていたようだが。」

 

「関わっていたというか、香港自治区に初めて行った時に道案内をしてもらっただけですけどね。」

 

「へえ、面白いな。……魅魔様とは? ノーレッジは七十年くらい前に一度だけ会ったって言ってたけど、リーゼはそれ以前から知ってたんだろ?」

 

スケールが大きい『昔話』を聞いていると、自分がまだ十七歳だということを実感するぞ。私は『もう十七』と思っているが、リーゼお嬢様たちからすれば『まだたったの十七』なのだろう。

 

私が価値観の差に唸っている間にも、リーゼお嬢様が魔理沙へと返事を飛ばす。

 

「そもそもは私の祖母と親交があったんだよ。祖父とはやや仲が悪かったようだがね。そうなると当然母上とも小さい頃からの知り合いだから、その縁で父上の代のバートリ家ともちょくちょく取り引きをしていたわけさ。私が初めて魅魔と会ったのもムーンホールドに薬を届けに来た時だったはずだ。さすがに正確には覚えていないが、最低でも四百五十年以上は前の話だよ。」

 

「お前の祖母か。遥か昔って感じだな。……でも、結構意外だぜ。魅魔様はそういう付き合いをあんまり重視しないタイプだと思ってたんだが。」

 

「頻繁にってほどではないが、昔はそれなりの頻度で屋敷に顔を出していたね。……今思い返してみれば、母上には何だか対応が甘かったような気がしないでもないかな。私には何もくれなかった癖に、母上には毎回手土産を持って来ていたよ。妙な『仕掛け』が施されていない普通の手土産をだ。魅魔らしくないだろう?」

 

「そうだな、普段の魅魔様なら悪意たっぷりの仕掛けを仕込んでるはずだ。何でなんだろ?」

 

そこは共通認識なのか。魅魔さんから何かを貰う時は気を付けるべきだと私が学んだところで、リーゼお嬢様は胸に抱いている私のつむじに顎を置きながら応答した。

 

「何の証拠もない憶測だし、これに気付いたのは最近なんだが……ひょっとしたら魅魔は母上の名付け親なのかもしれないね。」

 

「お前の母親の? 魅魔様が名付けなんてするか?」

 

「性格的にしなさそうだし、そもそもあんなヤツに誰が大事な名付けを頼むんだって話だが……母上の名前を付けたのが祖父でも祖母でもないことは確かだよ。そして女児だから誰かに名付けを頼んだとすれば祖母側の知り合いの可能性が高い。更に言えば、私が知る限り祖母と『対等』だった友人は魅魔だけなんだ。無論、私の知らない別の対等な友が存在していたかもしれないけどね。その辺は祖母を直接知らない私には何とも言えないかな。」

 

「かなり気になるところだが……まあ、はっきりはしないだろうな。魅魔様に聞いても答えてくれないだろ、多分。」

 

魔理沙が腕を組んで考えながら送った言葉に対して、リーゼお嬢様も肩を竦めて肯定を口にする。

 

「ま、その通りだ。たとえ正解だったとしても、魅魔は絶対に教えてくれないだろうね。……だが、あの悪霊は私にキミを預けた。母上の娘であり、現在のバートリの当主である私に大事な弟子を託したんだ。そこに意味がある気がしてならないんだよ。」

 

「縁だな。昔は信じてなかったが、最近はそれのことを信じ始めてるぜ。ハリーの事情も、咲夜の事情も、お前の事情も、私の事情も。偶然にしてはちょっと出来すぎてるからよ。……そんじゃ、私はもう寝る。食ったら寝ないとな。」

 

「魔理沙、ちゃんと顔を洗って歯を磨いて髪を結んで──」

 

「分かってるって。全部魔法でパパッとやるよ。私は『暫定的に成人』だから、今やそこに苦労する必要はないんだ。」

 

私の注意に軽く応じながら部屋へと歩いて行く魔理沙だが……そっか、すっかり忘れてたぞ。もう魔法を自由に使っていいんだった。ちらりとアリスを見てみれば、彼女は苦笑しながら首肯してくる。

 

「ん? もちろん使っていいわよ? ……ここは魔法族の町だし、『臭い』の性質上今までも使えはしたんだけどね。法律は守らないとダメだから止めてただけよ。」

 

「じゃあ、洗い物とかも魔法で済ませちゃえばすぐだね。」

 

家事が大分楽になるぞと笑顔で言い放つと、アリスは至極微妙な表情で指摘を寄越してきた。

 

「エマさんが洗うより綺麗に出来る自信があるならチャレンジしてみなさい。私は諦めたわ。私の杖捌きじゃ彼女に勝てないのよ。」

 

「……なら、私が勝てるはずないね。」

 

「大人しく諦めたまえよ、キミたち。こと家事に関してはパチェの魔法でさえもがエマには敵わなかったんだから。」

 

そうだった、この家では『エマさん基準』を超えない限りは意味がないんだった。そうなると洗い物も、掃除も、服を洗濯するのも畳むのも魔法でやる意味がないじゃないか。……やっぱり地道な手作業が一番だということか。モリーさんも料理を作る際に大事な部分は手作業でやっていたし、アリスの人形作りもそうである以上、杖魔法での家事は『早かろう悪かろう』であるようだ。

 

それでも使えるようになったんだから使ってみたいという欲求を自覚しつつ、サクヤ・ヴェイユはリーゼお嬢様の抱き枕という『業務』を続けるのだった。

 



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教唆犯

 

 

「おう、東風谷。久し振りだな。……なんかお前、髪の緑色が濃くなってないか?」

 

明日日本に帰るという東風谷と久々に会うためにロンドンのカフェを訪れた霧雨魔理沙は、既に店に到着していた彼女へと日本語で問いかけていた。まだまだ黒髪ではあるのだが、明らかに緑が強くなっているぞ。黒が強めのダークグリーンって色合いだ。

 

十二月二十七日のお昼前、マグル界のロンドンで東風谷と遊ぶ予定だというリーゼやアリスに引っ付いて来たのである。ちなみに咲夜も一緒で、東風谷の方は二柱の神を連れているらしい。……ということは、一緒に座っているのが噂の二柱か。神が喫茶店でお茶してるってのは割と意味不明な状況だな。

 

リーゼから東風谷の事情に関してはざっくりと説明されているものの、未だに違和感が抜け切らないぞ。明るい茶色のダウンジャケットを着ている金髪の子供と、赤い大人っぽいコート姿の青紫の髪の女性。一見した限りでは人間にしか見えないな。

 

まあ、神を直接目にしたのは初めてではない。幻想郷でチラッと見かけた神々もやたら人間くさい連中ばっかりだったし、こういうもんなのかと勝手に納得した私へと、東風谷は笑顔で返事を寄越してきた。

 

「霧雨さん、お久し振りです。髪はですね、どうも神力の影響を受けてるようでして。諏訪子様と神奈子様によれば別段悪いことではないらしいので……あっ、こっちが洩矢諏訪子様と八坂神奈子様です。リーゼさんから聞いてますか?」

 

「ああ、聞いてるぜ。霧雨魔理沙だ。よろしく頼む。」

 

「やっほー、魔理沙ちゃん。私たちはずっと早苗の近くに居たから、一方的には魔理沙ちゃんのことを知ってるよ。トーナメントの時はありがとね、早苗のために色々やってくれて。」

 

「私からも礼を言っておこう、霧雨魔理沙。お陰で早苗は中城霞とまた普通に話せるようになった。感謝しているぞ。」

 

思っていたよりもフレンドリーだな。私が二柱にこっくり頷いたところで、今度は咲夜が自己紹介を放つ。

 

「あの、アンネリーゼお嬢様の従者のサクヤ・ヴェイユです。よろしくお願いします。」

 

「ん、咲夜ちゃんのことも五月に見てるよ。よろしくよろしく。」

 

「八坂神奈子だ、よろしく頼む。」

 

私の時ほどではないものの、ある程度友好的に交わされた自己紹介の後……どうしたんだ? 獲物を見つけた時のようにニヤリと笑った洩矢が、席を立ってアリスの方へとにじり寄って行く。対するアリスは何だか迷惑そうな顔付きだ。この二人は相性が悪いのか?

 

「やーやー、アリスちゃん。私の隣に座りなよ。それともアンネリーゼちゃんの隣が良い?」

 

「諏訪子さん、どうしてニヤニヤしてるんですか?」

 

「んー? どうしてかなぁ。……私、アリスちゃんのことを気に入っちゃったからね。お喋りしようよ。」

 

「嫌です。またあの話を持ち出すつもりなんでしょう?」

 

嫌っているというよりも、『鬱陶しがっている』という感情が籠ったアリスの返答を気にすることなく、洩矢は強引に彼女の手を引いて席へと導いていってしまう。そんな二人のことを尻目に、東風谷がリーゼへと言葉を投げかけた。ガイドブックらしき雑誌を見せながらだ。

 

「リーゼさん、リーゼさん。今日はここに行きたいんです。すっごく美味しいレストラン……パブ? よく分かんないですけど、とにかくご飯が美味しい話題のお店らしくて。お昼ご飯はここにしましょう。」

 

「はいはい、分かったよ。好きにしたまえ。」

 

「えへへ、ありがとうございます。」

 

東風谷のやつ、少し……どころじゃなくて、かなり明るくなったな。五月に会った時よりも大分溌剌としているぞ。八月に会った時はそんなに印象が変わらなかったのに、今は別人のように豊かな表情を浮かべている。

 

そのことをちょっと怪訝に思いつつ適当な席に着くと、リーゼの手を引いて隣同士で座ろうとした東風谷の方に……おおう、大人気ないな。するりと近付いた咲夜が二人の間に割り込んだ。どうやら『縄張り主張』を始めるつもりらしい。東風谷はお前の二つ下だぞ。

 

「へっ? あの?」

 

「すみません、東風谷さん。リーゼお嬢様のお世話をしないといけないので、この席には私が座りますね。」

 

「そ、そうですか。それならまあ、仕方ないですね。」

 

薄い笑みで宣言する咲夜と、やや押され気味に首肯する東風谷。多少押しが強くなったように見えた東風谷も、ほぼ初対面の咲夜には未だおどおどしてしまうようだ。これは勝負あったかと思ったところで──

 

「じゃあ、私はこっちに座ります。」

 

東風谷はリーゼを挟んだ反対側に椅子を勝手に移動して座ってしまった。ちなみにこのカフェの椅子は普通の木の椅子ではなく、結構重めの金属製の脚が付いている椅子だ。それを引き摺って移動させることで脚が地面に擦れる甲高い音が店内に響き、他の客たちや店員がじろりとこちらを睨んでくるのを他所に、東風谷はご満悦の面持ちでリーゼの隣を確保する。

 

おいおい、本当に図太くなってないか? 私でもやらないぞ、それは。リーゼとアリスと洩矢と八坂はもう諦めているような表情だし、私と咲夜は若干引いているわけだが……東風谷はそんなテーブルの面々を一切気にすることなく、ガイドブックの別のページを開いてリーゼに話しかけた。

 

「あとですね、ここも行きたいんです。叔父さんへのお土産を買うのを忘れてたので、神奈子様から注意されちゃいまして。本場のネクタイを買おうと思うんですけど、どうでしょうか?」

 

「……ネクタイの『本場』はフランスじゃないのかい?」

 

「そうなんですか?」

 

「いやまあ、そこは議論が分かれる点だと思うが……何にせよ、キミが行きたいと言うなら行こうじゃないか。」

 

言うリーゼは『もうどうにでもしてくれ』という諦観の顔付きだ。……私が危惧していたような関係にはなっていないようだが、これはこれでちょっとした問題を感じるぞ。八月はリーゼが東風谷を振り回していたのに、今は東風谷の方がリーゼを振り回しているらしい。

 

そして敬愛するご主人様へと無遠慮に『おねだり』している東風谷を見る咲夜は……おー、怖い。非常にイライラしている時の表情だ。銀髪メイドちゃんにとっての東風谷は、ハリーよりも遥かに相性が悪い相手ってことか。

 

アリスにちょっかいをかけまくる洩矢と、リーゼに対して新たな要求を提示する東風谷と、その光景をジト目で睨む咲夜。一筋縄ではいかなさそうな集団だなとうんざりしつつ、面倒な『調停役』にならないように立ち回ろうと決意するのだった。

 

───

 

「──だろう? だから私は神を重んじる人間の描写に感動したんだ。レンタルビデオ屋で借りてもう一度観たいんだが、早苗が会員証を作れなくてな。テレビの再放送を待つしかなさそうなんだよ。」

 

そして待ち合わせ場所のカフェからパブへと移動して昼食を終えた現在、私たちは東風谷のお目当ての店に向かうべく冬のロンドンの街中を歩いているわけだが……謎の『グループ分け』が出来てしまったな。アリスに洩矢がじゃれ付き、リーゼと咲夜と東風谷がセットになってしまった結果、私は最後尾で八坂の話に付き合わされているわけだ。

 

ちなみに今の八坂はアニメーション映画を観て感動したのでもう一度観たいという話をしているのだが、細々とした内容があまりにも神っぽくなさすぎるぞ。ビデオ屋の会員証? そんなもんに悩まされる神が居るとは思わなかったぜ。

 

そもそも私からすれば『レンタルビデオ屋』が実際に何をする店なのかも分からん以上、マグル界での生活に関してはこいつの方がよっぽど詳しそうだ。神より世間知らずなのはマズいぞと反省していると、八坂は前を歩く面々の背を追いながら会話を続けてきた。

 

「あの札のお陰で顕現できるようになったし、免許を取るのも良いかもしれないな。無論公的な身分など存在しないわけだが、魔法界側から申請すれば何とかなるかもしれない。どう思う? 霧雨魔理沙。私が免許を取るのは可能だと思うか?」

 

「『免許』ってのは自動車の免許のことだよな? ……日本魔法界の制度はさっぱり分からんが、少なくともイギリス魔法界ではサインできる能力さえあれば簡単に発行できるぞ。」

 

以前魔法省に『パスポット』を作りに行った際、ドライバーライセンス用の申請用紙もチラッと見かけたのだ。……イギリス魔法界におけるあの辺のいい加減さを思うに、下手すると名前すらまともに書けなくても作れるかもな。今度魔法省に行く機会があれば、『メリッサ・キリシャメ』で作れるかを試してみるのも面白いかもしれない。

 

アホらしい気分で相槌を打った私へと、八坂は嬉しそうな顔で応答してくる。

 

「そうか、それなら望みがあるかもしれないな。免許証があれば色々と早苗を手助け出来るだろうし、日本に戻ったら試してみることにしよう。」

 

「あー……つまり、身分証として使うってことか?」

 

「ああ、そういうことだ。日本では何もかもに身分証明が必要だからな。未成年かつマホウトコロ生の早苗は苦労しているんだよ。」

 

「まあ、マホウトコロの身分証が非魔法界で使えるとは思えんしな。……にしたって、それだと他の生徒も苦労するんじゃないか?」

 

素朴な疑問を投げてみれば、八坂は忌々しそうな表情になりながら詳細を教えてくれた。

 

「普通は希望すれば『学生証』を発行してもらえるんだ。非魔法界でも通用する、架空の学校の学生証をな。だが、非魔法界での身分証明に関する利権を管理しているのは藤原派なんだよ。いちいち関わりに行くのが嫌だから、今までの早苗は諦めていたんだ。」

 

「そこでも三派閥かよ。つくづく面倒くさいな。」

 

「例えば松平派の生徒が学生証を手に入れたいと思った場合、先ず葵寮の上級生に申請する必要がある。その上級生が寮長に取り次ぎ、寮長が月に一度の三寮会議の時に藤寮の寮長に話を通し、そして藤寮の寮長が魔法省に居る藤原派の職員に話を持っていくことになるわけだ。……これを無派閥の早苗がやろうとすれば、ひどく面倒なことになるのは目に見えているだろう? だから今までは身分証を持っていなかったんだよ。保険証が精々さ。」

 

私の記憶が確かなら、立葵を掲げる松平派が葵寮、五三鬼桐を掲げる細川派が桐寮、下がり藤を掲げる藤原派が藤寮を支配していたはずだ。要するに『三寮会議』とやらはホグワーツにおける監督生集会で、他派閥が管理する何かをやってもらいたい時はそこで話を通す必要があるということか。

 

クソ面倒だなという感想を抱きつつ、八坂に対して質問を重ねる。

 

「事情は分かったが、いくつか疑問があるぞ。葵寮から申請が来た場合、藤寮は素直にそれを受けてくれるのか?」

 

「取り引きしているんだよ。身分証に関することを藤寮に頼む代わりに、葵寮も何かしらのことを引き受けているんだ。」

 

「なるほどな、そういうことか。……ちなみにどこがどの利権を握ってるかは知ってるか?」

 

恐ろしい話だな。日本魔法界では学生の頃からそういうことを考えて動かないといけないわけか。ホグワーツで良かったと今更ながらに実感している私に、八坂は記憶を掘り起こすように腕を組んで答えを返してきた。そこまで詳しくはないらしい。

 

「一番有名な言い方は『司法の松平、外交の藤原、武力の細川』だ。治安維持を担当する魔法警保隊が松平で、凶悪事件に対処する闇祓いは細川の担当だな。他国との折衝や入出国を管理しているのは藤原だが、国内の法務関係に強いのは松平らしい。それと細川は研究機関である魔法技研を傘下に置いているとも聞いている。……何にせよ、細かいところまでは私にも分からん。とにかく唯一の例外を除いて、日本魔法界の組織や会社は絶対にどこかの派閥に所属しているということだ。」

 

「唯一の例外ってのは?」

 

「マホウトコロ呪術学院だよ。そこだけは八重桜の紋の庇護下にあるからな。嘗て三派閥の長たちが挙ってマホウトコロを手に入れようと企んだが、結局白木の手練手管にしてやられたらしい。三派閥の均衡を上手く利用して、『三竦み』のど真ん中に空白地帯を作り出したんだそうだ。」

 

うーむ、凄いな。意図的に『台風の目』をマホウトコロに誘導したってことか。レミリアやグリンデルバルドのやり方が敵を捩じ伏せる剛の政治なら、白木のそれは敵の力を利用する柔の政治ってところか? ちょびっとだけダンブルドアの姿勢と似たものを感じるぞ。

 

内心でマホウトコロの校長への評価を少しだけ上げながら、ぐるりと方向転換した面々を横目に口を開く。どうやら先導していた東風谷が道を間違えたらしい。リーゼから地図が載っているガイドブックを取り上げられている。何をしているんだよ。

 

「そういえば、東風谷はこれからどうするつもりなんだ? 幻想入りしようってのはリーゼから聞いてるけどよ、今はまだ微妙な時期だろ?」

 

「クリスマスにホテルで話し合ったんだがな。確たる答えは出なかった。……私は期生をやるべきだと思っているが、早苗はまだ決めかねているようだ。」

 

「魔法の勉強はしたいけど、マホウトコロには居辛いってことか?」

 

「まあ、そういうことだな。早苗の境遇を側で見ていた私としては、『やってみろ』とも軽々に言えんし……どうにも困っているんだ。」

 

難しいな、それは。私もやりたいならやってみるべきだとは思うが、環境が邪魔して満足に出来ないのであれば一概に勧めるわけにもいかない。眉間に皺を寄せて悩みつつ、八坂に思い付きの提案を放った。

 

「リーゼのことを上手く利用するのは無理なのか? イギリスだとそれなりに顔が利く存在だぞ、あいつ。」

 

「……バートリの名を笠に着るということか?」

 

「ん、そういうこった。そりゃあ日本だとイギリス魔法界ほどには通用しないのかもしれんけどさ、一応レミリア・スカーレットの縁者なんだぜ? そこまで軽んじられるってこともないだろ、多分。」

 

日本がヨーロッパから遠く離れた異国の地だとしても、レミリア・スカーレットの名はそれなりに重いはずだ。アリスの指名手配騒動を経た今現在は尚更だろう。あの一連の事件でのイギリスの『勝利』は、スカーレット派が未だ健在だという証明に他ならないのだから。

 

あまり詳しくない政治の知識を振り絞って応じた私へと、八坂は何かを考えながら曖昧に頷いてくる。

 

「……確かに利用できるかもしれないな。バートリにこれ以上の借りを作るのは癪だが、それで早苗の学生生活が多少なりとも改善するのであればやってみるべきだろう。」

 

「まあうん、黙ってリーゼの名前を『印籠』にしちゃえよ。何だかんだで身内に対する面倒見は良いから、事後承諾でも問題ないと思うぞ。最近は暇してるみたいだし、切っ掛けさえ作っちまえば勝手に三派閥に圧力をかけてくれるだろ。」

 

「ふむ、考えておこう。感謝するぞ、霧雨魔理沙。上手く立ち回れば早苗の居場所を確保できるかもしれない。」

 

「おう、頑張ってくれ。私としても東風谷が真っ当な学生生活を送れるようになるのは歓迎すべきことだからな。」

 

あくまで私の認識の上での話だが、日本への影響力に限ればリーゼとレミリアは互角……というか、下手すると局所的には黒い方の性悪が優るくらいじゃないか? アジアの要所であるロシア魔法議会と香港自治区に顔が利く以上、やろうと思えば日本魔法界に腕を伸ばすことだって出来るはず。本人が常に『裏側』に居るから見え難いが、気付く者は気付くだろう。

 

だからまあ、大丈夫なんじゃないか? 勝手に名前を使われるリーゼは苦労するかもしれないが、そこまでは私の知ったことじゃない。乗りかかった船なのだから、最後まで面倒を見るべきなのだ。後で八坂に『教唆』した私も一緒に怒られてやるさ。それで東風谷の苦難が解決するなら万々歳だぜ。

 

目的地までの順路についてを喧しく主張し合っている私と八坂以外の面々を眺めつつ、霧雨魔理沙は心の中でリーゼに軽く謝るのだった。

 



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はい、教官!

 

 

「あれ、ロン先輩? そんなところで何してるんですか?」

 

ひょっとして、ジニーを見送りに来たのかな? 9と3/4番線のホームの柱の陰に立っている茶色いスーツ姿のロン先輩へと、サクヤ・ヴェイユは首を傾げながら呼びかけていた。何故か隠れるような雰囲気だし、ちょっと怪しく見えてしまうぞ。

 

1999年の一月四日。私と魔理沙はホグワーツに戻るために、キングズクロス駅から真紅の列車に乗り込もうとしているところだ。珍しくホグワーツ特急が遅延したということで、一緒に来たアリスと三人でホームに到着したばかりの車両のドアが開くのを待っていたわけだが……そんな中、柱の陰で突っ立っているロン先輩を発見したのである。

 

私の声に反応して近付いてくるアリスと魔理沙を横目で確認していると、ロン先輩はかなり気まずそうな顔付きで返事を寄越してきた。

 

「あー……サクヤ、今はマズいんだ。実地研修中なんだよ。だからつまり、仕事中ってこと。」

 

「闇祓いの訓練の一環ってことですか?」

 

「そういうことだ。人が集まる場所での警備の訓練って感じかな。」

 

そんな訓練もあるのか。だったら邪魔しない方がいいかなと魔理沙とアリスに伝えようとしたところで──

 

「ウィーズリー! 今はお喋りを楽しむ時間ではないはずだぞ!」

 

おおう、びっくりしたぞ。早足で歩み寄ってきたスーツ姿の老年の男性が、いきなり怒声をロン先輩に浴びせ掛けた。それを聞いてうんざりしたように額を押さえる先輩へと、男性は尚も怒りの大声で注意を続ける。

 

「油断大敵! そうやって私語をしている最中に誰かが襲われたらどうするつもりだ! 我々闇祓いは善良な一般市民を守る盾であり、クソったれの犯罪者どものケツの穴に杖をぶち込む矛でも……これは失礼、レディの前で口にすべき言葉ではありませんでしたな。謝罪いたしま──」

 

ロン先輩への叱責を中断して私に礼儀正しく謝ってきたお爺さんだったが、台詞の途中で私の顔を直視したまま動きをピタリと止めてしまう。それにどう反応すればいいのかと迷っていると、私のすぐ後ろに立ったアリスが先んじてお爺さんに挨拶を投げた。苦笑しながらだ。

 

「どうも、ヴァンダーウォールさん。お元気そうで何よりです。」

 

「これは、ミス・マーガトロイド。お久し振りです。私は老いてしまいましたが、貴女はスカーレット女史と同じく昔のままだ。……そしてお嬢さん、察するに貴女はサクヤ・ヴェイユさんですな?」

 

「はい、サクヤ・ヴェイユです。……父と母をご存知なんですか?」

 

この流れは多分そうだろうと先手を取った私に、お爺さんは深々と首肯しながら自己紹介を口にする。やっぱりか。

 

「如何にも、その通り。私はハーマン・ヴァンダーウォールと申しまして、貴女のご両親の訓練を担当した者です。」

 

「ヴァンダーウォールさんはムーディの前の前の局長さんなの。引退した後はずっと教官をなさっていて、現役の闇祓いは大抵彼が鍛えた『弟子』たちよ。」

 

「アリスと知り合いってことは、戦争にも参加したんですか?」

 

「あの被害妄想の聞かん坊に引っ張り出されましてな。第一次戦争の後期は一時的に教官ではなく、闇祓いとして動いておりました。」

 

態度も話し方も随分と紳士的な人だな。アリスが丁寧に接するということは結構な年齢だと思うのだが、真っ白な頭髪や口髭はきちんと整えられているし、立ち姿もピンと背筋が伸びている。皺一つないスリーピースに身を包んでいるその姿は、イギリスらしい老紳士という雰囲気だ。さっきの怒鳴り声の内容以外はだが。

 

私が感心しながら頷いたところで、アリスの隣からひょっこり顔を出した魔理沙が質問を送った。

 

「もしかして、ムーディに『油断大敵』を教えたのはあんたなのか?」

 

「残念ながら、アラスターめの口癖が私に移っただけですよ。若い頃から狂った九官鳥のように『口ずさむ』のですり込まれてしまいましてな。」

 

「ありゃ、そうだったのか。」

 

やはり本家本元はムーディさんなのか。そのことに何故かちょびっとだけ安心した私に、ヴァンダーウォールさんは一声かけてからロン先輩へと向き直る。

 

「何にせよ、こうして貴女の元気な姿を拝見できて本当に良かった。この老骨めが冥土に持っていく後悔が少しだけ軽くなった気がします。……だが、それとこれとは話が別だぞ、ウィーズリー! 任務中は私人としての感情を捨てろ! あらゆる状況に対応できるように、常に闇祓いとしての自覚を忘れるな! これまでの訓練中に何度も聞いたことを思い出せ! 雪山での教えをもう忘れたのか!」

 

「覚えてます。だけど──」

 

「『だけど』? だけどだと? 信じられん。まだ言い訳をする根性が残っていたとは驚きだ。いいか? もう一度だけ教えるぞ? ……闇祓いの訓練に『だけど』など無い! あるのは『はい』だけだ! 二度と下らん口答えをするな!」

 

「はい、教官!」

 

この瞬間、ホームの片隅で起きている騒動を見物している生徒たちは闇祓いを進路の候補から抹消したはずだ。間違いないぞ。だって死ぬほど必死に勉強して、入局試験を突破した先に待っているのが『はい、教官!』だということを彼らは知ってしまったのだから。

 

老紳士から鬼教官へと一瞬でスイッチを切り替えたヴァンダーウォールさんを戦慄の思いで見ていると、遠巻きに私たちを観察している人垣を抜けた誰かがこっちに……おお、マルフォイ先輩だ。ピシッとした黒いスーツ姿で、やや呆れ顔になっているマルフォイ先輩がこちらに歩いてきた。その隣にはちょっとぽっちゃりしている眼鏡の若い男性が居るわけだが、この人もどこかで見たことがある気がするな。誰だったっけ?

 

「教官、指示された7と1/2番線のホームの見回りを終えました。」

 

「ん、ご苦労。マルフォイの手際はどうだった? シャフィク。」

 

「問題ないかと。準備しておいた不審物のチェックは規定通りに行っていましたし、不審者役の男女三名にもしっかりと声をかけていました。」

 

「そうか、上出来だ。では、お前たちは少しここで待っていろ。わしはウィーズリーに追加の指導をしなければならなくなった。」

 

その発言に表情を暗くしたロン先輩を連れて列車の方へと移動していくヴァンダーウォールさんを見送った後、魔理沙がマルフォイ先輩に話しかける。……ロン先輩には悪いことをしちゃったな。今度会った時に謝らないと。

 

「よっ、ドラコ。それと久し振りだな、シャフィク。闇祓いになってたのか。」

 

「久し振りだ、ミス・キリサメ。一度入局試験に落ちて魔法警察部隊に入った後、二度目で何とか受かってね。今は訓練の最終課程をやっているところだ。」

 

シャフィク? ……あー、そうだ。三年前に卒業したレイブンクロー生の先輩だ。私が納得を、そして隣のアリスが若干怪訝そうな感情を顔に浮かべたのを他所に、続いてマルフォイ先輩が魔理沙へと応答した。

 

「元気そうだな、マリサ。羨ましい限りだ。」

 

「おいおい、お前も参ってるみたいだな。」

 

「去年の今頃も相当に忙しかったが、今となってはそれすら『穏やかな日々』だったと思えるぞ。……教官は連帯責任がお好きなようでな。僕の『教育的指導』の内訳の七割はウィーズリーのお陰だ。あいつと同期になったことを感謝しない日はない。」

 

これはまた、荒んでいるな。吐き捨てるように皮肉を呟いたマルフォイ先輩は、かなり疲れている表情だ。ロン先輩が何かミスをすると、マルフォイ先輩にも『教育的指導』とやらが降りかかるということか。

 

マルフォイ先輩のやられっぷりに何とも言えない空気が場を包んだところで、汽笛の音と共に車両のドアが一斉に開く。やっと乗車できるようになったようだ。機関車の方で慌ただしく動いていた機関士さんたちが帰っていくし、故障が直ったということなのかもしれない。

 

「まあうん、元気出せよ。来年にはハリーも合流するだろうしさ。」

 

「ああ、それだけが唯一の楽しみだ。僕がハリーの『先輩』になれる日がな。」

 

ポンと肩を叩いた魔理沙へと、マルフォイ先輩は邪悪な笑みで返事をしているわけだが……ポッター先輩、大丈夫なのかな? いびる気満々じゃないか。

 

去年のトーナメントで仲良くなっていたっぽいし、多分冗談だろうと聞き流してトランクを手に取っていると、魔理沙が思い出したように問いを投げかけた。

 

「あんまり盛大に『歓迎』してやるなよな。……そういえばよ、お前はスリザリンのサインについて何か知らないか?」

 

「スリザリンのサイン?」

 

「ホグワーツのどっかにある創始者のサインを探してるんだよ。スリザリンのだけがヒントすら掴めなくてな。困ってるんだ。」

 

苦笑いで肩を竦めた魔理沙の質問を受けて、マルフォイ先輩は……おや? 何か知っているのか? 心当たりがあるような顔付きで返答を返す。

 

「……それなら、昔スネイプ先生から聞いた覚えがあるぞ。学生時代によく利用していた場所にサラザール・スリザリンが刻んだサインがあったと。」

 

「マジかよ。場所は?」

 

「地下牢のどれかだ。隠し部屋というほどのものではないが、入り口にちょっとした仕掛けがあるのだと言っていた。静かで人が来ない場所だから、そこで魔法薬学の勉強をしていたらしい。……聞いたのは二年生の頃だし、実際に探したわけではないから詳しくは分からないがな。」

 

「地下牢か。……助かったぜ、ドラコ。スネイプにも感謝しないとだな。」

 

これもまた不思議な縁だな。スリザリンのサインはスネイプ先生が見つけていたのか。運命の数奇さを感じていると、戻ってきたヴァンダーウォールさんがマルフォイ先輩とシャフィク先輩に指示を放った。ロン先輩は側に居ないようだ。

 

「マルフォイ、シャフィク、行くぞ! これ以上この場に留まっては見送りの邪魔になるし、今度はマグル界の駅に入る! 以降は『何の変哲もないマグルのビジネスマン』として振る舞うように! ……我々はこれで失礼いたします。それではお元気で。」

 

最後の部分だけを丁寧な口調で私たちに向けたヴァンダーウォールさんは、キビキビとした動作でマグル界のホームに繋がるゲートの方へと去って行く。シャフィク先輩も私たちに一礼してからそれに続いたところで、マルフォイ先輩が魔理沙に助言を飛ばした。

 

「スネイプ先生は『もし部屋に入りたいなら杖明かりを使え』と言っていたぞ。恐らくそれがサインがある地下牢に入るヒントだ。」

 

「おう、覚えとく。ありがとな、ドラコ。訓練頑張れよ!」

 

「ありがとうございます、マルフォイ先輩。」

 

早足でシャフィク先輩の背を追うマルフォイ先輩に私と魔理沙がお礼を言って、その姿が人混みで見えなくなった後に……魔理沙と顔を合わせて頷き合う。あとは列車に乗り込んでルーナからの情報を聞けば、全てのヒントが揃うことになるな。

 

「これでピースが揃いそうね。」

 

「だな。早く列車に乗ってルーナから首尾を聞いて、ホグワーツに戻ったら早速三つのサインについてを調べてみようぜ。」

 

『捜査』が進展したことを喜んでいる私たちへと、アリスがちょっと困ったような面持ちで声をかけてきた。

 

「二人とも謎を追うのはいいけど、危険なことはしないようにね。魔理沙は例の魔道具を常に携帯して、咲夜は歯車を持っておくこと。分かった?」

 

「ん、言われなくてもミニ八卦炉は肌身離さず持ってるぜ。」

 

「私も歯車はずっと持ってるよ。……でもこれ、結局何なの?」

 

「それは私にもよく分からないけど、リーゼ様が持っておけって言うなら持っておくべきでしょう?」

 

まあ、それはそうだ。主人から携帯しておけと命じられたのであれば、余計なことを考えずに持っておくべきだろう。アリスの説明にメイドとして納得の首肯を返すと、彼女は私たちを列車の中へと送り出してくる。

 

「いい? 追加でもう一つだけアドバイスをしておくわ。何か不測の事態に陥った時は、先ず状況を俯瞰してから行動しなさい。がむしゃらに動くんじゃなくて、筋の通った計画を立てて行動するの。」

 

「あー……そうだな、魔女らしい良いアドバイスだと思うぜ。」

 

「うん、覚えておく。」

 

「それじゃ、二人とも行ってらっしゃい。備えを決して忘れないようにね。いつ何が起こるか分からないんだから。」

 

やや物騒というか、実用的なアリスのアドバイスを背に列車に乗り込んで、混み合っている車両の通路を進みながら魔理沙へと話しかけた。

 

「変なアドバイスだったわね。『戦時中』みたいな台詞だったわ。」

 

「ま、魅魔様の課題をやってるわけだからな。多少は気を付けろってことだろ。……さて、ジニーとルーナを探そうぜ。行き違うと面倒だし、最初に先頭の方に行ってみよう。」

 

「オーケーよ。」

 

前を行く魔理沙の背中に続きつつ、すれ違う生徒たちを横目に思考を回す。全てのサインを見つけた後、結局マーリンの隠し部屋と関係がなかったらどうしよう。そうなっちゃうといよいよノーヒントの状態に陥るぞ。

 

まあうん、そうなったらその時考えればいいか。魔理沙はサインが隠し部屋と関係していることをもはや疑っていないようだし、手伝っている身である私は彼女の考えに沿って動くだけだ。別に六年生のうちに終わらせろとは言われていないんだから、まだまだ余裕は残っているはず。

 

新たな年でのホグワーツの生活を思い浮かべながら、サクヤ・ヴェイユは学友二人を探して歩き続けるのだった。

 



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陽光の友誼

 

 

「だからよ、ここを手前に引かないとこっちが押し込めないわけだろ? そんでもって押し込むためには反対側のロックを外す必要があって、ロックを外すには一番上の段を時計回りに半回転させないとだから……あああ、イライラしてくるぜ。こんがらがってきたぞ。」

 

手順が多すぎるだろうが、こんなもん。天文塔の螺旋階段の裏側で、霧雨魔理沙はわしゃわしゃと金色の頭を掻き毟っていた。真っ白なジグソーパズルでもやっていた方がまだマシかもしれんな。少なくともそれだったら『フェイク』の仕掛けなんて無いわけだし。

 

新しい年に入り、冬の寒さを増しているホグワーツ城の中。現在の私とルーナはクソ寒い城内の廊下で寒さに耐えながら、アリスから教えてもらった『立体パズル』を解いているところだ。ちなみに咲夜は午後最後のマグル学の授業中で、ジニーは変身術をやっている。夕食の時間になったら呼びに来てくれるらしい。

 

白い息と共に口から出た私の文句を受けて、杖明かりを翳しながらパズルを調べているルーナが応答してきた。立体パズルになっている総大理石のオブジェの全体的な形は、一言で表現すれば『球体を支えている王冠』って感じだ。大きさは私より少し背が低いくらいで、王冠のトゲトゲした部分が模様の入っている球体を支えているような形状。オブジェ自体がそこそこデカい上に稼働箇所が山ほどあるため、私たちは苦戦を強いられているわけである。

 

「ん、きちんと整理してから動かすべきなんじゃないかな。王冠の方は大きく動かないけど、球体は一番下以外回せるんだから……やっぱり球体の模様を合わせると完成なんだと思うよ。」

 

土台になっている王冠は放射状に七つのギザギザがある『それっぽい』形で、球体は横方向に輪切りにされるように十一の層に分かれているわけだが……まあ、ルーナの言う通り球体の各層を動かして模様を合わせろということなのだろう。十一ある層のうち一番下は球体そのものを支えるために王冠のギザギザと繋がっているから、実質的な稼働箇所はその上の十層だ。

 

「未だに何の絵かもさっぱり分からんけどな。おまけに零時になると自動的に『リセット』されちまう始末だ。」

 

「シンデレラみたいなオブジェだね。」

 

ここ数日を使って調べた結論として、どうもこのオブジェは夜の零時になると魔法で勝手に『初期化』されてしまうらしいのだ。ルーナは謎のセンスを発揮して自分の発言にクスクス笑っているが、私としては笑えないぞ。いちいちリセットされてたんじゃ牛の歩みじゃないか。

 

だから手始めに『どこを動かすとどう動くのか』を地道にメモしているものの……そら、これだもんな。私が球体の上から二段目を回してみれば、三段目と五段目、七段目と十段目がそれぞれ同期して動いてしまった。さっきは八、九段目と同期していたのに、別のどこかを動かしたのが原因で変わってしまったようだ。

 

ああくそ、あまりにも複雑すぎるぞ。多分これは王冠のどっかを動かしたのが原因だな。ギザギザにある押し引きできる突起か? それとも下部に五つ付いている、スイッチのように押し込める宝石みたいな石ころのどれかか? フラストレーションを感じながらどこが対応する仕掛けなのかを探っていると、私と同じく『ペア』になっている箇所を探しているルーナが話題を変えてくる。

 

「そういえば、ハッフルパフのサインはどうだったの? 見つかった?」

 

「おう、そっちは楽勝で見つかったぜ。お前とペンフレンドと、そしてニュートン・スキャマンダーのお陰でな。」

 

ロンドンからホグワーツに戻る列車の中で、ルーナから受け取った『魔法生物研究の父』が書いてくれたらしい直筆の手紙。細かい手順が明記されていたその手紙を参考に、一階の廊下の突き当たりにあるちょっとしたスペースを咲夜と二人で調べてみたところ、ハッフルパフのサインは拍子抜けするほど簡単に見つかったのだ。

 

手紙が示していた場所は古い空き教室や今は使われていない物置がある袋小路で、もはや通行する者は殆ど居ないのであろう通路の行き止まりには数段程度の短い階段があり、サインが刻まれてあったのはそこを上った先にあるささやかな室内テラスのような空間の床面だった。

 

隠されたサインを見つけるための手順もグリフィンドールのそれやこのパズルほど面倒ではなく、その空間を照らす窓……縁に蔦模様の可愛らしい飾りが入った、薬草園が真っ直ぐ見える小さな窓だ。から陽光が差し込んでくる時間帯に、同時に二人で陽光の呪文を使うだけ。そうすると窓の下の床にハッフルパフのサインが浮かび上がってくるのである。

 

陽光の呪文は使いどころが少ないってだけでそんなに難しい呪文ではないし、強いて条件を挙げるとすれば陽が差し込む時間帯限定ってことと、『最低二人は居ないといけない』って点くらいだな。一応一人で陽光の呪文を使ってみたりもしたのだが、それだとサインは見えないままだった。

 

まあうん、吸血鬼にとってはかなり難しい条件だろう。別にサインを隠した者が意図したわけではないと思うが、リーゼ以外の吸血鬼だと条件を達成できなさそうだぞ。真昼間限定かつ陽光の呪文を使わなければいけないのだから。

 

自分が吸血鬼ではなかったことに感謝しつつ、サインの文字が人柄を表すような柔らかいものだったことを思い返していると、ルーナが小さな笑みを浮かべて口を開く。

 

「そっか、見つかって良かったね。……クリスマス休暇中にスキャマンダーさんの家に招待された時、サインについての思い出話を教えてくれたんだ。」

 

「手紙にはどうして見つけたのかは書いてなかったな。陽光の呪文なんて滅多に使うもんじゃないし、そこはちょっと疑問だったぜ。」

 

「スキャマンダーさんが学生の頃、一人だけ凄く仲が良かった友達が居たんだって。五年生の時にその人と二人でフウーパーの卵を孵そうとしてる時に見つけたらしいよ。ほら、フウーパーを孵すには強い日光が必要だから。」

 

「あー、なるほどな。あの場所で二人で陽光の呪文を使って、フウーパーの卵に光を当ててたってことか。」

 

床に置いてある羊皮紙にパズルの手順を書き加えながら言った私に、ルーナはこっくり頷いて話を続けてくる。ちなみに『フウーパー』というのはアフリカ原産の魔法生物だ。カラフルなふくろうみたいな見た目で、陽気な歌声でこっちを惑わせてくる鳥。

 

「スキャマンダーさんは懐かしそうに話してたから、きっと良い思い出なんじゃないかな。話し終わった後でちょっと寂しそうになっちゃったけどね。」

 

「どうしてなんだ?」

 

「んー、分かんない。聞くべきじゃないと思ったから聞かなかったの。……聞いた方が良かったのかな?」

 

「それは私にも分からんぜ。お前が聞くべきじゃないと思ったんなら、それが正解なのかもな。」

 

ルーナは変わっているが、感情の機微を読み取る技術は人一倍持っている子だ。その彼女が『寂しそう』と感じたのであれば、楽しいだけで終わる思い出ではないのだろう。かのスキャマンダーにも色々あったということか。

 

私が何とも言えない気分で相槌を打つと、ルーナはちょびっとだけ大人びた表情で話題を締めてきた。

 

「少し気にはなったけど、私はスキーターじゃないからね。『良い思い出』の部分で終わらせちゃった方が幸せなんじゃないかな。」

 

「いいな、その表現。その通りだぜ。他人の過去を根掘り葉掘り調べるのはゴシップ記者の仕事だ。私たちはスキーターじゃないんだから、おいしい部分だけを聞くのが正解なのさ。」

 

「ひょっとすると、スキーターは損してるのかもね。見なくてもいい部分まで見なきゃいけないのは、実はとっても辛いことなのかも。」

 

「まあ、あいつの場合はそれを楽しんでるんじゃないか? 性分なんだろうさ。人生を送るにおいて、その性分が損なのか得なのかは判断できんがな。」

 

うーむ、またしても独特な意見が出てきたな。ルーナは人の『裏側』を暴かずにはいられないスキーターを哀れんでいるわけか。本人は間違いなく楽しんでやっているのだろうが、言われてみれば物事を素直に受け取れないのは損に思える。大多数の人間が『何か』に喜んでいる時、スキーターは多分喜ばずに『何か』の裏側にある悪意を探しているのだろう。それを紙面で皮肉たっぷりに取り上げるために。

 

スキーターの記事が真実かどうかはさて置いて、善意や慶事の粗を探さずにはいられないってのは哀れむべき点なのかもしれないな。……むう、どことなく『ダンブルドア的』な考え方だ。完全に受け入れるのは躊躇うものの、どこか納得してしまうような達観した考え方。最初に認めてから否定するような言い方が似ている気がするぞ。

 

真実を見抜くのは常に『変わり者』たちなのかもしれないな。時たま本質を突くような発言をする鷲寮の友人に感心しつつ、霧雨魔理沙は薄暗い廊下の片隅でパズルの続きに取り組むのだった。

 

 

─────

 

 

「……で? キミは何だ? 私に自動車を買って欲しいと言っているのかい?」

 

こいつら、ちょっと調子に乗りすぎじゃないか? 東風谷家のリビングで堂々と主張してくる諏訪子を前に、アンネリーゼ・バートリはイライラと翼を揺らしていた。自動車の正確な値段など知らんが、あの大きさだとそう安い物ではないだろう。何故そんな物をお前らに買ってやらねばならんのだ。

 

自分で持ち込んだ丸椅子に腰掛けた状態で応答した私へと、部屋の中央の炬燵に半身を入れて寝そべっている諏訪子が頷いてくる。ちなみに神奈子はやや気まずげな表情で座布団に正座中で、早苗は外出日ではないのでこの場に居ない。さすがに守矢神社の敷地内であれば早苗無しでも行動できるようだ。

 

「そうだよ、買ってよ。アンネリーゼちゃんなら買えるでしょ? 私は子供の見た目を気に入ってるから無理っぽいけどさ、神奈子が自動車の免許を取れそうなんだ。どうせ免許があるなら車も欲しいじゃん? 早苗と三人でドライブとかに行きたいじゃん? だったらアンネリーゼちゃんに買ってもらうしかないじゃん?」

 

「先ずはそのイラつく口調をやめたまえ。……キミたち、そんなことを話すために私を日本の僻地に呼んだのか?」

 

「ひどいなぁ、諏訪は僻地じゃないよ。色々あるんだから。ほら、えーっと……色々とさ。」

 

土着神の癖に地元の名所も知らんのか。咄嗟には何一つ思い浮かばなかったらしい諏訪子を無視しつつ、ある程度常識がある方の神にジト目を向けてみれば……神奈子はサッと目を逸らして意味不明な言い訳を寄越してきた。こっちは多少なりとも罪悪感を持っているようだな。要するに諏訪子よりは遥かにマシだということだ。

 

「……私はただ、ビデオを借りたかっただけなんだ。藤原派にお前の名前を出したり、車をせびろうと計画したのは私じゃない。今日だっていきなり呼びつけるのは迷惑だと何度も諏訪子を止めたんだぞ?」

 

「びでお? 何を言っているんだ、キミは。それに藤原派に私の名前を出しただと? どういうことなのかを詳しく聞かせてもらおうか。しっかりと経緯を整理して説明したまえ。」

 

つまるところ、私は二柱の神の呼び出しを受けて日本の守矢神社を訪れているのだ。『大事な話がある』と手紙に書いてあったので、わざわざイギリスからポートキーを使って雪に囲まれた守矢神社まで来てやった結果、こうして無礼にも程がある『おねだり』をされているわけだが……突けば突くだけ問題が出てくる連中だな。藤原派云々は初耳だぞ。

 

じろりと睨め付けながら訊いた私に対して、神奈子は意味もなく戸棚の方に目を向けつつ歯切れの悪い口調で語ってくる。こいつらが私を『便利な財布』だと思っていることはこの際後回しだ。最初に厄介そうな件を問い詰めておかなければ。

 

「日本魔法界において、身分証の利権を管理しているのは藤原派なんだよ。だから免許を手に入れるために、早苗がこう……アンネリーゼ・バートリの知り合いだって点を前面に押し出して交渉してみたんだ。マホウトコロの藤原派にな。」

 

「……それで?」

 

「そしたら殊の外すんなりと事が運んだから、味を占めた諏訪子がお前の名前を『利用しまくる』ことを早苗に提案してな。それでまあ、早苗は素直な子だからそれに従っちゃって……おい、怒らないでくれ。何度も言うが、私はビデオを借りたかっただけなんだよ。それには身分証が必要だったんだ。それだけなんだ。」

 

「……諏訪子、キミからは何かあるかい?」

 

私と決して目を合わせないままで説明を終えた神奈子から視線を動かして、マイペースに蜜柑を剥き始めた諏訪子へと問いかけてみれば……この邪神め、少しは申し訳なさそうな顔をしたらどうなんだ。彼女はにへらと笑いながら開き直ってきた。

 

「だってさ、嘘じゃないもん。早苗はアンネリーゼちゃんの大事な同盟者じゃん。『密な関係』って表現しても問題ないっしょ? ……ねー、それより車は? カタログを取り寄せておいたから早く選ぼうよ。どうせならでっかいのがいいな。その方がカッコいいし。」

 

「キミはあれだね、私を骨の髄まで利用するつもりだね。幻想郷に行った後で借りた分だけ返すってことを分かっているのかい?」

 

「分かってるって。私たちはね、『ローン払い』でこっちに居る間の早苗の幸せを買おうとしてるわけ。折角顕現して直接手助けできるようになったんだから、これまで苦労させた分くらいは早苗を幸せにしてやらないといけないの。だけど無い袖はどう頑張ったって振れないでしょ? だからローンを組むしかないんだよ。多少の利子はつけてもいいから貸してくれないかな?」

 

「……本当に返せるんだろうね? 私は別にまだ貸せるが、返ってくる当ての無い金を貸すのは御免だぞ。」

 

二柱の債務者たちに疑問を呈してみると、諏訪子と神奈子はそれぞれの反応を返してくる。金貸しの真似事をする羽目になるとは思わなかったぞ。

 

「返すよ。それは洩矢諏訪子の名前と、洩矢神の名前と、この神社にかけて約束する。私は幻想郷に行った後で順風満帆の甘っちょろい生活が待ってるとは思ってないの。だからせめて、こっちに居る間は早苗を甘やかしまくろうって決めたんだ。今の私たちは何にも持ってないから、そのためのお金とか立場とかはアンネリーゼちゃんから借りるしかないけど……幻想郷に行って力を取り戻したら利子をつけて返すよ。貸した甲斐があったって思うくらいの利子をね。」

 

「そうだな、借りた分以上を返すことを私も誓おう。お前も既に知っている通り、私たちはそれなりの神格だ。力さえ戻れば役に立てることは保証するぞ。絶対に後悔はさせないから、今は早苗のために協力してくれないか?」

 

「……まあ、分かったよ。私の方だってもはや引くに引けないんだ。ここで見限ればただ損をするだけだし、『早苗の幸せ』の対価がキミたちの神としての力だと言うのであれば取引内容に異存はない。早苗の後ろ盾になることは許可しようじゃないか。」

 

そこで一度区切った後で、表情を明るくしている二柱に続きを話す。とはいえ、譲歩にも限度というものがあるのだ。

 

「だが、自動車は必要ないだろう? その点に関しては話し合う必要があると思うがね。」

 

「えー? ケチだなぁ。アンネリーゼちゃんはお金持ちなんでしょ? 車の一台や二台買ってくれたっていいじゃんか。」

 

「金持ちが何故金持ちたり得るのかを教えてあげよう。金の使い方と稼ぎ方を熟慮するからだよ。無駄に使いまくるのは幸運で端金を掴んだ成金だけさ。稼ぎ方をきちんと知っている者は、賢い使い方も知っているものなんだ。」

 

「うっわ、金持ちっぽい台詞。」

 

『っぽい』んじゃなくて、実際そうなんだよ。嫌そうな顔で突っ込みを入れてきた諏訪子に同じ表情を向けていると、神奈子がおずおずと質問を投げてきた。

 

「しかしだな、バートリ。貯め込んだままにしておいたところで無駄なんじゃないのか? 幻想郷で使えるわけではないんだろう? ……いや、車を買って欲しくて言っているわけじゃないぞ? 純粋な疑問だ。」

 

「私はこっちと向こうを行き来できるんだから、財産を持っておいても無駄にはならないさ。その方向から攻めようとしたってダメだよ。」

 

「意地悪しないで買ってよー。この神社からだとスーパーもコンビニも遠いし、長期休暇の時に毎回自転車で買い物に行く早苗が可哀想じゃん。買ってってば。買って買って! お願いお願い!」

 

『本物』の子供ならともかくとして、お前の年齢で駄々をこねられても不気味なだけだぞ。炬燵に入ったままでバタバタと暴れ始めた我儘祟り神に冷めた視線を送っていると、神奈子が額を押さえながら妥協案を提示してくる。こいつもこいつで諏訪子のお粗末な芝居にうんざりしているらしい。

 

「まあその、安い中古車で構わないんだ。スーパーまで早苗を送っていけるのは確かに魅力的だし、どうにか頼めないか?」

 

「……具体的に幾らくらいなんだい?」

 

「ちょっと待っててくれ、近所のカーディーラーのチラシを取っておいたから。」

 

どこまでも用意周到な連中だな。戸棚の引き出しから安っぽい紙を出した神奈子は、それを私に差し出してきた。……うーむ、想像より全然安そうだ。馬車より遥かに安価だというあたりに文明の進歩を感じるぞ。大量生産が故の安価ってわけか。

 

「……どう? 買ってくれる?」

 

『駄々っ子』をピタリと止めて私の隣ににじり寄ってきた諏訪子へと、忌々しい気分で念押しの一言を放つ。

 

「返すんだね?」

 

「うん、返す。幻想郷に行ったら絶対返す。必ず返す。約束する。……あのね、中古車ならこれがいいな。年明けにみんなで話し合って決めたの。丸が付いてるやつ。」

 

「……いいだろう、買いたまえ。」

 

ため息を吐きながら渋々認めてやれば、二柱は揃ってお礼を口にしてきた。

 

「やったー! ありがとね、アンネリーゼちゃん。話の分かる金持ちは良い金持ちだよ。好き好き。大好き!」

 

「感謝するぞ、バートリ。これで買い物が楽になりそうだ。ビデオ屋にも簡単に行けるしな。」

 

こいつらは恐らく、最初からこの車を私に買わせるつもりだったのだろう。諏訪子が高級品をねだった後、神奈子が『お手頃な品』を提示してハードルを下げるというやり方か。神奈子の方は若干心苦しそうな顔付きだし、諏訪子が立てた作戦に付き合わされていたと見て間違いなさそうだ。

 

早苗といい、諏訪子といい、この神社の連中は遠慮がなさ過ぎるぞ。私も魔理沙たちと一緒に逆転時計を探すべきなのかもしれんな。早苗経由で二柱を利用してやろうと思っていた頃の私に、そう簡単にはいかんぞと警告するために。

 

果たして今の私は利用している側なのか、利用されている側なのか、あるいは対等な取り引きをしているのか。何となく答えが分かってしまうその疑問を考えないようにしつつ、アンネリーゼ・バートリは虚しい気分で神々からの感謝を受け取るのだった。

 



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王冠と知恵

 

 

「ってことはだ、ここをこう回せばいけるんじゃないか?」

 

肌寒い廊下でテンションを上げている魔理沙を前に、サクヤ・ヴェイユは手元の羊皮紙を確認しながら一つ頷いていた。これまで調べた手順によれば、それでパズルは完成するはず。長かった試行錯誤の時間もようやく終わりか。

 

二月上旬のよく晴れた日の午後、私と魔理沙とジニーとルーナは天文塔の螺旋階段裏で例の立体パズルを動かしているのだ。アリスから教えてもらったパズルは恐ろしく複雑な物だったが、四人がかりで空き時間を活用して地道に解き進めた結果、何とか完成まで漕ぎ着けたのである。

 

私の首肯を受けた魔理沙が球体部分の四段目をゆっくりと半回転させると、同時に全ての稼働する部分が同期して回り……やっぱり模様ではなく、文字だったのか。球体の表面に歪な読み難い一文が完成した。ラテン語かな?

 

「やっと完成ね。……で、誰か読める? ぐにゃんぐにゃんな上に普通の英語じゃないみたいだけど。」

 

「『知識を糧に、知恵を血肉に。積み重ねた者だけが高みを覗ける。』かな。ルーン文字学でラテン語は習ったから、多分合ってると思うよ。バブリング先生が言うには、ラテン語は力ある文字なんだって。」

 

実に格言っぽい内容だな。ジニーの質問にルーナが答えたところで、球体がやおら土台になっている王冠の方へと下がっていき……わお、めり込んじゃったぞ。王冠の中心部分の床に球体の半分が沈み込んでしまう。水に沈むような滑らかな動きだったし、何かの魔法が使われている仕掛けらしい。

 

「……私、球体がカパッと開いて中のサインが見られるようになるんだとばっかり思ってたわ。」

 

「私もだぜ。意外に手が込んでたな。」

 

私と魔理沙が呆気に取られている間にも、下半分が地面に埋まってしまった球体の上の部分がカシャリと開く。すると中には……あれがレイブンクローのサインか。上部と下部が開いた所為で不格好な筒のようになってしまった球体越しに、レイブンクローのサインが刻まれてあるのが見えてきた。どうやら王冠の下に小さな空洞があって、球体はそこを覗き込むための『鍵』になっていたようだ。

 

ルーモス(光よ)。……おー、これがレイブンクローのサインか。英語のお手本みたいな綺麗な字だな。」

 

「どれ? 私にも見せてよ。」

 

杖明かりを灯して王冠の下の空間を覗き込んでいる魔理沙と、彼女に負ぶさるような体勢でよく見ようとしているジニー。チラッとは見えたし後からでいいやと二人の背中を眺めている私に、ルーナがポツリと話しかけてくる。

 

「これって、頭の中を覗くって意味なのかな?」

 

「へ? ……あー、なるほどね。王冠の下にあるのは頭ってこと?」

 

「ん、そういうこと。王冠を被る人の頭の中にあの格言があるのが重要ってことなんじゃないかな。上に浮かんでるだけじゃダメなんだよ、きっと。」

 

「本人が作ったのかは分からないけど、レイブンクローらしい仕掛けではあるわね。」

 

ちょっとした『教訓』をパズルで表現するというのは、何となくパチュリー様を連想させるやり方だぞ。私とルーナが納得したところで、魔理沙とジニーがオブジェから離れて口を開く。二人とも満足したようだ。

 

「おっし、これでレイブンクローのサインも見られたぜ。正解の手順もきっちりメモできたしな。協力してくれてありがとよ、二人とも。」

 

「ま、珍しいものを見られたわ。クィディッチと勉強の息抜きにはなったわね。」

 

「うん、面白かった。」

 

手伝ってくれたジニーとルーナが魔理沙のお礼に応答した後、全員でもう一度サインを確認していると……ありゃ、もう終わりか。見学は終了とばかりに球体が元に戻り始めてしまった。あれだけ苦労したのに、終わってみると呆気ないな。

 

ジニーも同じ感想を抱いたようで、疲れたようにやれやれと首を振ってから私たちに言葉を送ってくる。

 

「ついでにお宝でも入ってれば嬉しかったんだけど、本当にサインを隠すためだけの仕掛けだったみたいね。」

 

「悪かったな、付き合わせちまって。正直そんなに興味なかったろ?」

 

「いいわよ、これくらいなら。ハリーたちほど派手な体験ではなかったけど、これはこれで四人の良い思い出になりそうだしね。……じゃあ、とりあえず大広間に戻りましょうか。」

 

苦笑したジニーが歩き出そうとした瞬間、廊下の先からピーブズのけたたましい声が聞こえてきた。またお馴染みの馬鹿騒ぎを始めたらしい。何百年も同じことをしていてよく飽きないな。ポルターガイストという種族……性質? 故なのかもしれないけど、その一貫性だけは凄いと思うぞ。

 

「おいおい、誰か絡まれてるのか?」

 

「ピーブズが騒ぎ始めたってことは、すぐにフィルチさんが来るわよ。妙な疑いをかけられる前に逃げちゃいましょ。」

 

「ちょっと待った、被害者が一年生とかだったら助けに入らないと可哀想だぜ。」

 

まあうん、確かに下級生だったら可哀想だな。私の警告を耳にしつつ懐から取り出した忍びの地図を起動させた魔理沙は、すぐさま廊下の先に居る『被害者』の名前を特定する。

 

「絡まれてるのは、あーっと……チェストボーンだな。放っておいても大丈夫そうだ。」

 

全員に見えるように地図を広げた魔理沙の言う通り、『ピーブズ』という名前のすぐ近くに表示されているのは『バイロン・チェストボーン』という名前だ。さすがに教師であれば手助けは不要だろう。というか、ピーブズが教師にちょっかいをかけるのは珍しいな。舐められているのか?

 

「なら、さっさとお暇しましょ。ほらここ、フィルチが一直線に向かって来てるわよ。」

 

「フィルチのやつ、何をどうやって察知してるんだろうな?」

 

「長年の経験ってやつじゃない? フィルチの仕事の半分は『ピーブズ対策』でしょうし。」

 

魔理沙と話しながらのジニーの促しに従って、フィルチさんが通るであろう通路とは違うルートで大広間へと向かい始めた私たちの背後から……何とまあ、今日は一際派手に騒いでいるな。金属の何かを思いっきり打ち鳴らす騒音と共に、ピーブズの甲高いおちょくるような声が響いてきた。チェストボーン先生も早く対処すればいいのに。

 

「うろちょろ、うろうろ、チェストボーン! 生徒を覗き見、チェストボーン! こそこそ、のろのろ、チェスト──」

 

「ピーブズ!」

 

おっと、フィルチさんが『現着』したらしい。ピーブズの声よりも更に大きな怒声が響き渡ったところで、巻き込まれてなるものかと四人で小走りになって大広間へと移動する。そうして安全圏と思われる中央階段まで離れた後、魔理沙が地図をチェックしながら報告を寄越してきた。

 

「おし、もう大丈夫そうだ。……ピーブズのやつ、『生徒を覗き見』って言ってなかったか?」

 

「言ってたわね。あの辺に私たち以外に誰か居た?」

 

「まだ授業中だし、誰も居なかったぞ。……まさか、私たちのことを覗き見てたってことか?」

 

動く階段を下りながらちょっと不気味そうな面持ちで返答してきた魔理沙へと、私も若干嫌な気分で首を傾げる。騒ぎがあったのはちょうど私たちが居た場所に繋がる廊下の角だ。可能不可能で言えば覗き見ることは可能だろう。

 

「……気味が悪いわね。あんな場所で何をやっているのかが疑問だったとか?」

 

「それなら普通に声をかけるだろ。」

 

そりゃそうだ。私と魔理沙が微妙な表情で顔を見合わせるのに、ジニーとルーナも同じような顔付きで相槌を打つ。

 

「何考えてるかよく分かんないのよね、あの人。授業がつまんない云々を抜きにしても好きになれないわ。生徒との関わりを避けてる感じ。……何で教師になったんでしょうね?」

 

「出身はレイブンクローみたいだけど、私たちの寮でも人気はないかな。みんなマクゴナガル先生とかマーガトロイド先生の授業の方が良かったって言ってるよ。」

 

「他の先生方と話してるのもあまり見ないわよね。ブッチャー先生ですら先生同士の会話には参加してるのに。」

 

まあ、最近ではもう生徒も普通に話しかけているが。大広間の教員テーブルでのブッチャー先生の態度を思い出しながら言ってやれば、魔理沙が肩を竦めて話題を締めてきた。

 

「とはいえ、ピーブズの言うことだしな。あんまり気にしても仕方ないだろ。」

 

それはそうだな。あのポルターガイストの台詞をいちいち気にしていたら、ホグワーツではやっていけないだろう。入学から三日で学べるこの城の真理を語った魔理沙の背を追って、一階の廊下へと足を踏み入れる。

 

何にせよ、これで三つのサインを見つけることが出来た。あとはマルフォイ先輩からヒントを貰った地下牢のスリザリンのサインだけだ。イモリ試験を控えているジニーとルーナをこれ以上付き合わせるのは悪いし、そっちは魔理沙と二人で調べることになりそうかな。

 

チェストボーン先生が私たちのことを『覗き見て』いたかもしれない。ちょびっとだけ不気味なその可能性に眉を顰めつつ、サクヤ・ヴェイユは大広間へと歩を進めるのだった。

 

 

─────

 

 

「やあ、ゲラート。偉大なる連合王国を楽しんでいるかい? 神は世界を創る時、何よりも先にこう言ったらしいよ。『グレートブリテンよあれ』と。」

 

イギリス魔法省の地下一階にある貴賓室。豪奢なソファと分厚いテーブルが置かれているその部屋に居るゲラートへと、アンネリーゼ・バートリはひらひらと手を振りながら話しかけていた。ちなみにここは未だ片付けられずに残っている『イギリス魔法省外部顧問室』の向かいだ。嘗てのレミリアのオフィスの目の前に、客人としてゲラートが案内されたってのは諧謔があって面白いな。

 

二月も真ん中が見えてきた今日、非魔法界対策委員会の議長どのがイギリス魔法省を訪問しているのだ。予言者新聞でそのことを知った私は、是非ともちょっかいを出しに行かねばと魔法省に駆け付けたわけだが……何だその迷惑そうな表情は。この私が顔を出しに来てやったんだから、もっと嬉しそうにしたらどうなんだよ。

 

「……何故お前がここに居るんだ?」

 

「それはだね、ここがイギリスだからだよ。イギリスは私が所有している国家なんだ。」

 

「イギリスには名目上の君主が居て、非魔法族の首相が居て、実質的な為政者である議員たちが居て、そして魔法大臣が居るはずだ。お前がそのどれでもない以上、ここはお前の国では……そんなことより、護衛は何をしていたんだ? こういう事態を防ぐために警備しているはずだぞ。」

 

「ドアの前に居た銀朱ローブのことかい? 顔見知りだから通してくれたよ。キミ、もっときちんと教育した方がいいんじゃないか? あの護衛君、この私を廊下で待たせる気かと不機嫌そうに言うだけでドアを開けたぞ。」

 

ドアの前に立っていたのは、ゲラートが一昨年のトーナメント開催パーティーの際に連れていた護衛君だったのだ。勝手に対面のソファに腰を下ろしながら注意した私に、ロシアの議長閣下はうんざりしたような顔付きで応じてくる。

 

「……そうだな、後で言っておこう。二度と怪しい吸血鬼をノーチェックで通すなと。」

 

「まあ、そんなことはどうでも良いさ。どんなに警備を厳しくしたところで無意味だからね。吸血鬼ってのは生まれながらの不法侵入者なんだ。『マスターキー』を持って誕生するんだよ。……で、委員会の方はどうなんだい? 進んでいるのか?」

 

テーブルに置いてある茶菓子を漁りながら問いかけた私へと、ゲラートは忌々しそうにため息を吐いてから返答してきた。いいのが置いてあるじゃないか。さすがは最上級の貴賓室だな。ファッジと違って倹約家のボーンズも、こういう部分には予算を惜しまないらしい。

 

「現状を一言で表せば……そう、『惨め』だな。俺は今惨めな気分になっている。」

 

「ふぅん? キミに『惨め』って言葉は似合わないね。キミに似合うのは『支配』とか、『変革』とか、『アスコットタイ』って言葉だよ。」

 

「俺は世界の魔法族のために、これまで自分の人生を捧げてきたつもりだ。必ずしも良い結果を齎せたとは思っていないが、多少は報われて然るべきだと考えている。……だが、魔法族の非魔法界に対する理解度は俺の予想を遥かに下回っていた。惨めだ。俺が人生を懸けた魔法族という連中は、どうやら能無しの集団だったらしい。」

 

おやまあ、随分と落ち込んでいるな。それどころかちょっと怒っているようにも見えるぞ。珍しくイライラした口調になっているゲラートに対して、肩を竦めながら相槌を打つ。

 

「具体的に言いたまえよ。どんな状況だったんだい?」

 

「先日連盟加盟国で一斉に行った調査によれば、世界の魔法族の約六十パーセントが『非魔法族の技術は魔法族の魔法に劣る存在である』と判断しているらしい。そして残りの四十パーセントの内の半分は『魔法が僅かに優る』と考えており、更に残りの二十パーセントの半分は『ほぼ同等である』と見做している。つまるところ、非魔法族の技術力を脅威だと感じている魔法族は全体の十パーセント程度しか居ないということだ。」

 

「それが何か問題なのか? 予想通りの割合だと思うがね。」

 

百人に十人、十人に一人か。まあうん、明確に『脅威である』と断定しそうなのはそのくらいじゃないか? むしろ予想より多いぞ。私は二十人に一人居れば上出来だと考えていたんだが、最近の活動のお陰で理解者が増えてきたのかもしれないな。何を今更と問い返した私へと、ゲラートは大きく鼻を鳴らして詳細を述べてきた。

 

「今言ったのは世界全体での割合であって、国毎の平均ではない。思考能力のある十パーセントを支えているのは北アメリカとロシア、そしてこの国の魔法界だ。……よく考えてみろ、吸血鬼。このイギリス魔法界ですら非魔法界への理解度においては『先進国』なんだぞ。恐らくロシアは俺が、イギリスはスカーレットが居た影響によるものだろう。他の国はそれより遥かに非魔法界を知らないんだ。そう考えると愉快な気分にはなれんな。」

 

「あー……まあ、そうだね。イギリス魔法界がマシな部類って考えると、他の国はとんでもなく『ヤバい』ように思えてきたよ。」

 

アーサーが非魔法界関係の部署の長になっているような国が『先進国』? 凄まじい話だな。ちょびっとだけ不安になりつつも、続けてゲラートへと質問を飛ばす。

 

「しかしだね、東アジア圏は多少まともに見えたぞ。日本や香港自治区の割合はどうだったんだい?」

 

「香港特別魔法自治区は連盟加盟国ではないから今回の調査からは外れている。あの場所はどこまでもグレーゾーンだ。そもそも国ではないし、厳密に言えばどの国家にも属していない。面積や人口すらはっきりしていないのだから、調査も何もないだろう。……そして日本魔法界はお前が言うように比較的『まとも』なスコアを出してきたが、対策委員会関係においてはどうにも動きが怪しすぎる。現状ではあまり信用できん。」

 

「ん? どういう意味だい?」

 

「内部でお得意の派閥争いをしているようだ。非魔法界対策の舵をどの派閥が握るかを決定できていないのだろう。」

 

『面倒くさい』という表情を隠そうともせずに吐き捨てたゲラートは、至極迷惑そうに日本魔法界についての予想を続けてきた。まーた三派閥か。

 

「恐らく日本魔法界は非魔法界問題を重く捉えているが故に、先頭に立つことによって生じる利益を無視できないのだろう。今後長く続き、そして大きな問題になることを予想しているからこそ、他派閥に『非魔法界対策』の利権を渡したくないんだ。……委員会の日本代表委員も既に三度交代している。さっさと問題に取り掛かりたい俺からすれば、迷惑な話だと言わざるを得んな。」

 

「ああ、そういうことか。なまじ非魔法界問題を重視しているから、その担当の座を三派閥で奪い合っていると。……順当に『外交強者』の藤原派が担当すると思っていたんだけどね。白木は動いていないのかい?」

 

「かの桜枝は黙して動かずだ。『積極的に関わる気がない』という姿勢だけは明らかにしている。要するに堂々とやる気が無いことを表明したわけだな。……お前は日本魔法界に詳しいのか?」

 

「ん、最近色々と関わっているからね。今ではちょっとだけ影響力も注いでいるよ。マホウトコロの生徒の一人の『パトロン』をやっているんだ。……手助けしてあげようか? 内情を探るくらいならやってあげてもいいぞ。」

 

一つ一つ袋に入っているクッキーを食べながら言ってやれば……おお? ゲラートにしては素直じゃないか? 議長どのはさほど迷わずに首肯してくる。

 

「ならば頼んでおこう。あの国は国土の割に総人口が多く、そうなると当然魔法族の人口も他国と比較して多い。狭いのに多いということは関わる機会が増えるということだ。だからこの問題を大きくするにあたって利用したい国家ではあるが、非魔法界側の国家の姿勢としてロシアよりも北アメリカ寄りな所為で、ロシアの議長という肩書きを持つ俺の方からはどうにも影響力を伸ばし切れん。間接的な関係を築くにしても、せめてどの派閥が『窓口』に適しているかは知っておきたい。……いけそうか?」

 

「んふふ、素直に頼んできたことに免じてやってあげようじゃないか。……いやぁ、昔を思い出すね。ヨーロッパ大戦の時を。」

 

五十年の時を経て、ゲラートの支配力を増すためにまた働くわけか。邪悪なコンビの復活だ。良い気分でニヤニヤしている私へと、ゲラートは若干不安そうな顔付きで念を押してきた。

 

「……やり過ぎるなよ? 今の俺は『表側』の人間だ。あの頃のようなやり方をするわけにはいかん。」

 

「キミやレミィがどうだかは知らないけどね、私はいつだって『裏側』なんだ。どんなにコインをくるくる回しても、私が居る面は決して見えないようになっているのさ。」

 

ヨーロッパ大戦の時はゲラートの裏に、第一次魔法戦争の時はレミリアの裏に、そして第二次魔法戦争ではハリーやダンブルドアの裏に。それこそが私の……というか、バートリのやり方なのだ。誰からの称賛も受けられない代わりに、舞台袖の一番近い場所で観劇できる。それが私なりのゲームの楽しみ方だぞ。

 

私が翼をパタパタしながら嘯いたところで、部屋のドアがノックされると共に呼びかけの声が耳に届く。ロシア語だし、護衛君かな?

 

『議長、イギリス魔法省の職員の方がいらっしゃいました。』

 

『ああ、入れろ。』

 

言いながらゲラートはちらりと私に視線を送ってくるが……まあ、私がここに居ても然程問題はないだろう。姿は消さないというアイコンタクトを返して、そのままソファの上で待機する。すると直後に部屋に入ってきたのは──

 

「失礼します、グリンデルバルド議長。」

 

「失礼しま……リーゼ?」

 

「おや、ハーマイオニー。それと、あーっと……ブリックス君だったか?」

 

「はい、あの……どうも、バートリ女史。」

 

金髪の二十代の頼りなさげな小僧と、カッコいいスーツ姿のハーマイオニーだ。国際魔法協力部の仕事で来たってことかな? どうしたらいいか分からなくなっている二人に向けて、ソファを示しながら適当な指示を放った。

 

「まあ座りたまえよ、二人とも。……ブリックス君、キミは東欧担当じゃなかったのか? ロシアはアジアだろうに。」

 

アジアだよな? ……あれ、東欧か? ロシアは昔から『ロシア』だったから難しいな。物凄く微妙なラインであることに悩み始めた私へと、未だ立ったままのブリックス君が応答してくる。

 

「ソヴィエト時代の名残で、協力部の区分けでは東欧なんです。だからその、区長補佐の僕がグリンデルバルド議長の応接を担当することになりまして。もちろん非魔法界問題の担当者も間も無く到着すると思います。」

 

「ふぅん? イギリス魔法省としては、ゲラート・グリンデルバルド『程度』なら補佐でも問題ないと判断したわけだ。」

 

「ち、違います! 滅相もありません! 区長は現在ロシアに駐在しているので、省内では代行たる僕が──」

 

「どう思う? ゲラート。私からボーンズに言ってやろうか? こんな若造じゃなく、せめて協力部の部長を使ったらどうなんだってね。」

 

面白いくらいに慌てふためいているブリックス君を横目に尋ねてやれば、ゲラートはやれやれと首を振りながら『オモチャ』を取り上げてきた。何だよ、つまらんな。

 

「そこの『部外者』の発言は無視してもらって結構。話を進めよう、ミスター・ブリックス。」

 

「あのですね、えっと……ではその、書類を──」

 

「その前にだ、この子を紹介しておこう。名をハーマイオニー・グレンジャーと言ってね。非常に優秀な魔法使いだから記憶に留めておきたまえ。イギリス魔法省での繋ぎにはこの子を使うといいよ。」

 

「へ? ……お初にお目にかかります、グリンデルバルド議長。ハーマイオニー・グレンジャーです。」

 

急な紹介に一瞬きょとんとしたものの、ハーマイオニーは即座に礼儀正しい自己紹介を口にする。コネは嫌いらしいが、この程度なら問題ないだろう。『友達の輪』を広げただけだ。

 

「……グリンデルバルドだ。」

 

「何だその無愛想な挨拶は。ハーマイオニーは私の友人なんだからな。無下には扱わないように。」

 

「ちょっとリーゼ、いいから。そういうのはいいから。」

 

「よくないよ。この爺さんを上手く利用したまえ。随分と皺くちゃになっちゃっているが、まだまだ使える部分があるヤツだぞ。ヌルメンガードで半世紀も熟成させてあるからね。」

 

私の素晴らしいジョークを聞くと、ゲラートは額を押さえながらため息を吐き、ハーマイオニーは大慌てで私の口を塞ごうとして、ブリックス君は真っ青になってしまった。変だな、笑うところだと思ったんだが。柔らかい表現にし過ぎたか。『腐りかけが一番美味い』の方にすべきだったかもしれない。

 

何にせよハーマイオニーの紹介は出来たぞと自分の手腕に満足しつつ、アンネリーゼ・バートリは口を塞がれたままで新たな茶菓子に手を伸ばすのだった。

 



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特別牢

 

 

「まあうん、勝ちは勝ちだろ。……前回も同じような台詞を言った気がするけどよ。」

 

ホグワーツ城の地下通路の片隅で咲夜にそう返しつつ、霧雨魔理沙は薄暗い地下牢を覗き込んでいた。ここも普通に中に入れるし、候補から除外して良さそうだな。

 

二月も下旬に入った今日、私と咲夜は寒いし暗い地下通路の空気にうんざりしながら、スリザリンのサインが隠されているという地下牢を捜索しているのだ。夏場は涼しくて快適なわけだが、冬場になるとクソ寒いな。こういう場所って逆に暖かくなって然るべきなんじゃないのか?

 

私がホグワーツの室温の謎についてを考え始めたところで、咲夜が学内クィディッチリーグに関する話を続けてくる。先日行われたグリフィンドール対ハッフルパフ戦は、またしても超僅差での勝利だったのだ。理由は一回戦とは正反対だが。

 

「ジニーったら、尋常じゃないくらいに落ち込んでたわよ。現時点で二勝してるんだし、正直言ってそんなに問題ないと思うんだけどね。」

 

「実際問題ないだろ。グリフィンドールとスリザリンが二勝してて、レイブンクローとハッフルパフが二敗してるんだから、最終戦で勝った方が優勝だ。それだけの話だぜ。」

 

ハッフルパフ戦はスニッチを捕られての勝利……つまり、チェイサーの得点で勝利を収めたわけだ。180対20の状況でハッフルパフ側のシーカーがスニッチを捕ったので、最終的なスコアは180対170となった。恐らくハッフルパフのシーカーはアレシアに『滅多打ち』にされていたチェイサー陣が心配だったのだろう。あれ以上続けていたら確実に医務室行きになっていただろうし、潔くスニッチを捕ったのは正解だったと思うぞ。

 

とはいえ私とポジションを入れ替えてシーカーを務めたジニーとしては、シーカー戦をする間も無く自分が気付かないうちにスニッチを捕られてしまったのが余程に悔しかったらしく、最近は随分と落ち込み気味なのである。スニッチを発見できるかどうかは運や慣れの要素も大きいし、仕方がないと思うんだけどな。

 

そしてそんなジニーが最終戦でシーカーをやりたいと言うはずもなく、どうもこのままだと一戦目と同じく私がやることになりそうだ。個人的な意見としては、卒業するジニーがスニッチを捕って優勝するのがベストだと考えているわけだが……うーん、難しい。この先ジニーが気持ちを持ち直した時にでももう一度相談してみるか。

 

思考を回しながら地下牢のチェックを進めていると、通路の先に行き止まりの壁が見えてきた。牢が並んでいる他の区画は全部調べたし、これでようやく終わりっぽいな。

 

「おし、やっと終わりだな。……私の担当で扉が開かなかった牢は六箇所だ。そっちはどうだった?」

 

「三箇所だけよ。ってことは計九箇所ね。その中のどれかがマルフォイ先輩の言ってた地下牢ってこと?」

 

「多分な。そもそも入れない牢が九箇所もあるとは思わなかったが……んー、全面鉄格子の牢は除外してもいいんじゃないか? 外からでも中が見えちゃうし、それっぽくないだろ。」

 

今回改めて地下牢を調べてみて発見したのだが、ホグワーツ城の牢には三つの種類があるらしい。部屋の壁の一面が全部鉄格子になっている典型的なイメージ通りの『牢屋』と、厚い木のドアの一部だけが鉄格子になっている小さめの部屋。そして鉄格子が一切使われていない、分厚い鉄のドアを閉めると真っ暗になるであろう一番小さなサイズの『独房』。牢によって微細な違いはあるものの、大きく分けるとその三種類に分類できるようだ。

 

私の意見に頷いた咲夜が、手元の地図を確認しながら指示を出してくる。忍びの地図を写し取って、そこに調査したことを色々と書き込んでいるやつだ。

 

「そうなると……うん、私の担当で残る候補は一箇所だけよ。すぐ近くだし、先ずはそこを調べてみましょうか。」

 

「おう、了解だ。……今まで深く考えなかったけどよ、何でこんなに牢屋があるんだろうな?」

 

「この城の建築当時は魔法省が存在してなかったから、魔法界の犯罪者をこっちに閉じ込めてたんじゃない? アズカバンも勿論無かったわけだしね。」

 

「ホグワーツが全部纏めてやってたってことか。」

 

つくづくこの国の魔法界のルーツになっている場所だな。ホグワーツがイギリス魔法界の『始まり』であることを実感しつつ、咲夜の案内に従って通路を歩いて行くと……あの牢か。石造りの壁に嵌め込まれた、錆びて変色している重苦しい鉄の扉が見えてきた。

 

「あれよ、鉄の扉のやつ。要するに一番『厳重』なタイプの牢ね。怪しいわ。」

 

「んじゃ、手始めにありきたりな方法から試してみるか。アロホモラ(開け)。……まあ、当然開かないな。」

 

期待はしていなかったけどな。ピクリとも反応を示さない扉の前で肩を竦めてやれば、今度は咲夜が上級解錠術を試みる。

 

「それならこっちよ。アベルト(解錠せよ)。」

 

「あーっと、扉が閉まったままってのは明らかなわけだが……呪文が成功した上で効果がないのか、単純に呪文が失敗してるのかが判別できんな。」

 

「全然手応えが無かったし、多分後者よ。多分ね。アベルト。」

 

上級解錠術は習ったばかりの難易度が高い呪文なので、まだ私も咲夜も使いこなせているわけではないのだ。使用している本人としても自信がないようで、何度か念入りに呪文を試しているが……何れにせよ、サインが隠されている部屋なら通用しないだろうな。グリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクロー。これまで発見した三つのサインはどれも『正攻法』では見られなかったのだから。

 

ムキになって呪文を連発している咲夜を止めようとしたところで……おっと、足音だ。コツコツという靴音が通路の曲がり角の先から響いてきた。

 

「誰か来るぞ。忍びの地図は?」

 

「ちょっと待って、仕舞っちゃったのよ。」

 

慌てて地図を取り出そうとする咲夜だったが、その前に足音が近付いてきてしまう。やけに不規則なリズムの不気味な足音と共に、薄暗い通路の曲がり角からゆらりと姿を現したのは……何だよ、ブッチャーか。魔法薬学を担当しているメイナード・ブッチャーだ。またチェストボーンかと思ったぜ。

 

「……ごきげんよう、ミス・キリサメ、ミス・ヴェイユ。」

 

「おっす、ブッチャー。」

 

「こんにちは、ブッチャー先生。」

 

私たちはもはやブッチャーを『怪しい教師』だとは思っていない。というかむしろ、どちらかといえば『良い教師』に分類しているくらいだ。今ではチェストボーンの方が余程に怪しく感じているぞ。

 

そんなわけで警戒を解いて挨拶を返した私たちへと、『JUST DO IT』という真っ赤な文字が入ったグレーのローブ姿のブッチャーが歩み寄ってくる。今日もまた奇妙なローブを着ているな。そういう文字が入っているあたり、何となく当世風な雰囲気があるぞ。ローブという服装の古臭さと現代的なデザインが致命的に合っていない感じだ。

 

『ズレている』という本人の性格を服装だけで見事に表現しているブッチャーは、骸骨のような顔にニタリという笑みを浮かべて話しかけてきた。

 

「こんなところで何をしているんですか? 寒い場所に居るのは健康に……ヒヒッ、身体に良くありませんよ?」

 

「えっとだな、軽い調べ物をしてるんだ。ホグワーツ城を調べてるんだよ。要するに、自主的な研究だな。」

 

「自主的な研究! ……大変素晴らしい。探究と探求! それこそが人生における目的です! グリフィンドールに五点!」

 

「あー……どうも。」

 

地下通路に声が響きまくっているな。物凄い大声で加点してくれたブッチャーに礼を言いつつ、鉄の扉を指差して続きを話す。ホグワーツの地下通路というのは『薬学棟』の側面があるので、嘗てスネイプがそうだったようにこのフロアの今の『管理者』はブッチャーのはず。ひょっとすると何か知っているかもしれないぞ。

 

「あのよ、ついでに一つ聞きたいんだが……『閉ざされた地下牢』について何か知らないか? 簡単に入れないはずの地下牢を探してるんだよ。今はここを調べてたんだけど──」

 

「探検! 探検をしているんですね? ……そう、探検。私も赴任した直後に探検をしました。この城は実に多くの謎を抱えています。私は生徒に危険が迫らないように、地下通路の安全を確保しておく必要がありますから。それが良い先生の……教師の役目です!」

 

なるほど、その行動が一昨年まことしやかに流れた『徘徊するブッチャー』の噂の原因か。やはり生徒を捕らえて人体実験に使おうとしていたのではないわけだ。あらゆる行動が裏目に出ている哀れなブッチャーは、私の台詞を遮りながら鉄の扉に杖を向けると……ありゃ、開けちゃった。一瞬で鍵を開けてしまう。咲夜が若干悔しそうな表情になっちゃってるぞ。

 

アベルト(解錠せよ)。しかしながら、ここは『閉ざされた地下牢』ではありません。中が崩れかけていて危険なので私が閉じたんです。安全! ……安全は大事ですから。」

 

「なら、あっちの地下牢はどうなんでしょうか? そこも閉じていたんですけど。」

 

「昨年の……イヒッ、去年の段階でこの周辺の地下牢は全てチェックしました。だから現在魔法による施錠がかかっているのは、全て私の呪文によるものですよ。」

 

むう、全部ハズレなのか? 咲夜の質問に答えたブッチャーの説明を受けて、ドラコの発言をもう一度思い返していると……ブッチャーはスリザリンの談話室がある方向を指して言葉を繋げてくる。

 

「ですが、向こうに一箇所だけ開けられなかった特殊な構造の地下牢があります。恐らくそれが貴女たちの探し求める地下牢……つまり、『閉ざされた地下牢』なのでしょう。」

 

「へぇ、向こうにも牢があったのか。こっちの区画だけかと思ってたぜ。」

 

「何故一箇所だけ離れているのかと尋ねたら、マクゴナガル校長が答えを教えてくださいました。普通の地下牢と違い、『恐るべき魔法使い』を捕らえる目的で使われていた牢なのだと。……案内しましょうか?」

 

『冥府の水先案内人』って感じだな。地を這うようなおどろおどろしい声色で地下牢のことを話してくれたブッチャーに、礼を伝えてから彼が指し示した方向へと歩き出す。

 

「いや、案内までは大丈夫だ。色々教えてくれてありがとな、ブッチャー。調べてみることにするぜ。」

 

「ありがとうございました、ブッチャー先生。助かりました。」

 

「ヒヒッ、構いません。教師は生徒に教えるものですから。」

 

嬉しそうな……他者から見れば邪悪そのものな笑みだが、兎にも角にも本人としては喜んでいるのであろう笑顔のブッチャーに見送られながら、咲夜と二人でスリザリンの談話室がある方へと地下通路を進んで行く。

 

「あっちじゃなかったみたいだな。ブッチャーのお陰で無駄足を踏まずに済んだぜ。」

 

「ん、そうね。忍びの地図で見ると……ああ、これかしら? ほら、ここの行き止まり。」

 

起動させた忍びの地図を見せてくる咲夜が指差しているのは……おー、こんな場所があったのか。スリザリンの談話室の入り口から、やや西側にある今は使われていなさそうな通路の行き止まりだ。地図を見た限りでは通路の先が円形のちょっとした広間になっていて、そこに五つの部屋が並んでいるらしい。『特別な牢屋』とやらは五つあるってことかな?

 

ペティグリューのルートを辿った時は、『ゴール地点』に気を取られていてこっちまでは調べなかったっけ。今まで行ったことのない場所であることにワクワクしつつ、咲夜の先導で地下通路の端っこの方を歩いていると、小さな部屋並みの広さがある円形のスペースが目に入ってきた。これはまた、やけに雰囲気がある場所だな。

 

真円の床はホグワーツの地下通路らしい粗い石造りではなく、研磨されたツルツルの黒曜石のような素材で構成されている。そこには白いラインで五芒星の模様が入っており、その頂点のそれぞれに牢の入り口がある形だ。ついでに五芒星を囲むように大量のルーン文字も刻まれているな。私のルーン文字学の知識によれば、これは共通ルーン文字ではなく大昔のイングランドで使われていた文字のはず。

 

うーむ、バブリングなら意味が分かるのかもしれないが、私では配置が複雑すぎて読み取れないぞ。正に『魔法陣』って見た目だ。床に着目しながら唸っていると、壁に視線を送っている咲夜が別の発見を語ってきた。

 

「過去にこの場所で戦いがあったのかもしれないわね。呪文で壁が抉れた跡が残ってるわ。それにまあ、牢屋も無事なのは一部屋だけみたいだし。」

 

咲夜の言う通り、入ってきた通路の真正面の牢以外は全て崩れてしまっている。崩落していて入れない部屋が四つと、完全な形でドアが残っているのが一つという状態だ。……石造りの壁や天井には呪文による傷跡が大量に残っているが、床は傷一つない綺麗なままだな。魔法で保護されているのかもしれない。

 

果たしてここに閉じ込められていたのは誰で、破壊したのは誰で、戦ったのは誰と誰なのか。ホグワーツ城に残っている古の記憶を想像している私へと、唯一無事なドアを一応とばかりに押した咲夜が苦笑しながら声を上げた。

 

「まあ、当然ながら開かないわ。それどころか取っ手すら見当たらないわね。……忍びの地図もダメみたい。星見台の時と一緒で、開け方が『不明』になってるわ。」

 

「見た目からして床と同じ素材っぽいな。ドアって言うか、こうなると『壁』だぜ。」

 

ガラスを思わせる光沢がある真っ黒な長方形のドア。そのツルツルしている表面には一切の凹凸が存在していないようだ。……本当にドアなのか? これ。周囲の石壁とは素材が全然違うし、サイズや位置からしてドアだとは思うんだが、押すのか引くのか横に動くのかがさっぱり分からんな。

 

触った感じは見た目通り硬質で、冷たくもないし温かくもない。実に不思議な素材だ。慎重にドアを調べている私に対して、ポケットから出した手帳と地図を見比べていた咲夜が補足を寄越してくる。

 

「ついでに言っておくと、ここはペティグリューさんのルートとも重なってるわ。ちょうどこのスペースの裏をぐるっと囲んでいるパイプを通ったみたいね。」

 

「んじゃ、ほぼ確実にここにスリザリンのサインがあるって踏んでも良さそうだな。……さて、最後の謎解きだ。忍びたちが開けられなかったってんなら、それ相応の難易度なんだろうさ。気合を入れて取り掛かろうぜ。」

 

グリフィンドールのサインがあった壁の裏、レイブンクローのサインやハッフルパフのサインがあった床の下。ルートと地図を見比べるに、そこをペティグリューは通過しているはずなのだ。だったらここもそうなのだろう。

 

となれば残る問題は、どうやってこの不思議なドアを突破するかだな。……ドラコによれば、学生時代のスネイプはこの部屋の謎を解いているはず。それなら私たちに出来ない道理はない。

 

頬を叩いて気を引き締めながら、霧雨魔理沙は先ず部屋全体を調べてみようと杖明かりを翳すのだった。

 



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窓口の選び方

 

 

「こっちだよ、早苗。」

 

やっと来たか、遅いぞ。東京駅から程近いカフェで紅茶を飲んでいたアンネリーゼ・バートリは、店に入ってきた早苗に対して呼びかけを投げていた。その隣には去年魔理沙と鎬を削ったチェイサー……中城霞の姿もある。よしよし、ちゃんと連れて来たようだな。

 

三月が目前に迫った今日、私はゲラートから頼まれた任務を果たすための『下拵え』をしに日本を訪れているのだ。日本魔法界の内情を知るためには日本魔法界の知り合いが必要となるが、無派閥かつ学生の早苗では有用な情報源たり得ない。ゲラートが『窓口』を欲しているように、私も私の窓口を手に入れなければならないだろう。

 

そこで早苗から中城を紹介してもらおうとしているわけだ。無論中城だって学生なんだから窓口にするのは難しいだろうが、これまでの早苗の話を聞いた限りでは彼女は細川派の名家と血縁関係があるらしい。である以上、中城から更に誰かを紹介してもらえば良い感じの立場の人物にたどり着けるはず。

 

加えて言えば、早苗を起点にすることで彼女の後ろに私が居るという証明にもなるわけだ。少なくとも中城から紹介してもらう予定の細川派の『誰か』はそう考えるはずだし、その誰かは細川派全体へと情報を伝えてくれるだろう。二柱との約束も果たせて一石二鳥ってところだな。

 

ちなみに中城が上手いこと私と細川派を繋げてくれた暁には、イギリス魔法省経由で日本魔法界の外交を担っている藤原派とも顔を繋ぐつもりだ。そして残る松平派に関しては香港自治区のサルヴァトーレ・マッツィーニと、スイスのアピスに調査を依頼してある。その二方向から攻めれば何らかのルートは確保できるはず。あとは二人が手に入れた情報で弱みを握るなり、利益を示すなりして繋がりを構築すればいいだけ。効率的で賢い動き方だぞ、私。

 

つまり細川派とは個人的な、藤原派とは公的な、松平派とは裏側のルートを使った繋がりを作るということだ。三派それぞれにそれぞれの方向から紐を付ければ、一方向からでは見えないものも見えてくるはず。一応申し訳程度のシラキとの繋がりもあるし、ここまでやれば如何に複雑な日本魔法界といえども見通すことが叶うだろう。

 

久々に参加する『政治ゲーム』の盤面を脳裏に描いていると、私が居るテーブルに着いた早苗が即座にメニュー表を手に取りながら口を開いた。

 

「こんにちは、リーゼさん。約束通り中城先輩を連れて来ました。」

 

「うんうん、上出来だぞ。よくやったね。……キミも座りたまえ、中城。好きな物をご馳走するよ。」

 

「どうも、バートリさん。お久し振りです。……それでその、私に何の用なんですか? 早苗は『呼んでるから来て欲しい』としか言ってなかったんですけど。」

 

ふむ、現時点での私の印象は良くないらしいな。魔理沙あたりから何か吹き込まれたか? 席に腰を下ろしながらやや警戒している様子で問いかけてきた中城に、肩を竦めて返事を返す。まあ、小娘一人程度なら簡単に籠絡できるさ。ちょっとしたウォーミングアップだ。

 

「なぁに、単純な話だよ。私は取り引きをするためにキミを呼んだんだ。私の要求は細川派との繋がりで、そして差し出す対価は私が早苗の後ろ盾になること。……キミの目線から見ても損の無い取り引きだろう?」

 

「細川派との繋がり? ……急にそんなことを言われても困ります。私は一介の学生なんですけど。」

 

「細川派の中枢の一角を担っている小上家の血を引いた、将来有望なクィディッチプレーヤーでもあるけどね。……この際意味のない問答は省こうじゃないか。私が早苗の後ろ盾になれば、彼女のマホウトコロでの生活はある程度良化するはずだ。キミが簡単な顔繋ぎをしてくれるだけでそれが実現するんだぞ? 早苗の立場が向上するのはキミにとっても望ましい事態だろう? 違うかい?」

 

薄い笑みを顔に浮かべて言ってやれば、中城は童顔を嫌そうに歪めながらも首肯してきた。

 

「それはまあ、そうですけど……早苗に変なことをさせる気じゃないですよね? そもそもどうしてこの子に肩入れするんですか?」

 

「縁があったからだよ。私は縁を大切にする吸血鬼なんだ。……ちなみに、キミが想像する『変なこと』とは?」

 

「だから、その……例えば早苗の血を吸って吸血鬼にしちゃうとか。」

 

何だそりゃ。アホらしい気分でため息を吐きつつ、疑わしげな表情になっている中城へと反論を放つ。吸血鬼を何だと思っているんだよ、こいつは。

 

「キミね、吸血鬼ってのは種族であって『感染症』じゃないんだぞ。単に血を吸った程度で人間が吸血鬼になるわけがないだろうが。」

 

「……そうなんですか?」

 

「当たり前だろう? 血にしたって年がら年中必要なわけじゃないし、今はきちんと真っ当な方法で購入しているよ。人間だって輸血をするじゃないか。……というかそもそも、早苗を吸血鬼にして私に何かメリットがあるかい? キミ、小鬼と早苗が仲良くなったら『早苗が小鬼にされちゃう!』と心配するか? しないだろう? 特定の種族に対する偏見に基づいた差別はやめたまえ。さすがは細川派だけあって、人間至上主義っぽい考え方をするヤツだな。」

 

「いや、ちが……そういうつもりではないんです。ただその、日本だと吸血鬼に血を吸われると吸血鬼になるって考え方があるので、ちょっと心配になっちゃいまして。」

 

どういう国なんだよ、ここは。吸血鬼を病気扱いしているのか? 犬に噛まれても犬にはならないし、河童に噛まれても河童にならないんだから、吸血鬼に噛まれたところでいきなり吸血鬼になるはずがないだろうが。アホばっかりか、日本の魔法使いは。

 

うーむ、有り触れた人間至上主義的な思考回路だな。大方人間こそが全ての頂天に立つ生命体だから、それに似ている吸血鬼は人間から連なる『下位種族』だとでも考えているのだろう。大きく鼻を鳴らしながら怒ってますよと態度に表してやると、中城はかなり気まずげな顔付きで謝罪を口にした。

 

「えっと、すみませんでした。私は別に人間至上主義者じゃないですし、他種族を差別する気は微塵もありません。それだけは間違いないです。」

 

「どうだかね。無自覚にやっているからこそ問題なんだと思うよ。……まあいい、本題に入ろう。」

 

「リーゼさん、その前に注文してもいいですか? 私、お腹が空いちゃってて。」

 

中城も中城で問題だが、早苗のそれは更に問題だな。こちらの剣呑な会話など一切気にすることなく、ニコニコ顔でメニュー表のケーキセットを指差している早苗は……むう、あまりにもマイペースすぎる。どうやら中城は早苗にとって『身内』であるらしい。でなければもう少し猫を被るだろう。

 

「……構わないよ、好きに注文したまえ。」

 

「はい、分かりました。すいませーん! ……とりあえずこのシフォンケーキのセットをロイヤルミルクティーのアイスで一つと、モンブランと、ショートケーキと、苺のクレープを単品で一つずつお願いします。中城先輩は何にしますか?」

 

「へ? あー……じゃあ、アイスティーを。」

 

『とりあえず』って言ったか? どんだけ食う気なんだよ。呼びかけに応じて近付いてきた店員に二人が注文を済ませたところで、一つ咳払いをしてから話を再開した。相変わらずこっちのペースをいとも容易く崩してくる子だな。非常にやり難いぞ。

 

「……では、改めて本題に入ろう。私は日本魔法界のことをよく知りたいんだ。その役に立ちそうな細川派の誰かを紹介してくれないか? 日本魔法省の中枢に顔が利くヤツであれば尚良しだね。」

 

「まあその、早苗の後ろ盾になってくれるってんなら否はないんですけど……細川派じゃない方がやり易いと思いますよ? だからつまり、さっきみたいな問題が起きかねませんし。」

 

「細川派の誰もが人間至上主義者ってわけではないんだろう? 別に内心どう思っていようが構わないよ。スカーレットの身内たる私との繋がりは、細川派にだってそこそこ魅力的に映るはずだ。そのために外面だけ取り繕える程度のヤツで問題ないさ。」

 

「いやぁ、細川派の上層部は繋がりを持ちたがらないんじゃないでしょうか? 何て言えばいいか、体面がありますから。」

 

んー? 想定していたものよりも悪い反応だな。紅茶を一口飲んで思考を整えつつ、中城に向けて疑問を送る。

 

「要するに、『吸血鬼との付き合いがある』というのは細川派内において無視できないほどの問題だということかい? その吸血鬼が他国の有力者だとしても?」

 

「最初に断っておきますけど、私はそうは考えてませんよ? 私なら何ら問題ない付き合いだと思いますけど……でも、京都の本家からすれば絶縁ものの問題になるんじゃないでしょうか? 『他種族との密な関わり』は細川本家では御法度なんです。」

 

「……まさかそこまでとはね。予想外だよ。」

 

「内心はそうでもないはずなんですけど、ポーズとしてそうせざるを得ないんですよ。もう引っ込みがつかなくなってるんです。細川派が成立したそもそもの目的が『退夷鎮守』ですから、他種族に対する強硬姿勢を取り下げちゃうと派閥の存在意義自体が揺らいじゃうので。……ただし、派閥下層の魔法使いはそうでもないですけどね。細川派だってバカじゃないので、このご時世に『他種族排斥』が流行らないってのは理解してます。上層部はあくまでポーズとして反他種族を掲げてて、下層を通してこっそり関係を持ってる状態なわけです。『こっそり』って言うか、もはや公然の秘密ですけど。」

 

私からすればバカみたいな話だが、掲げている主義主張を引っ込められなくなるってのは理解できなくもないな。『人ならざる者から人々を守護する』という名目で成立した派閥である以上、それを撤回するのは土台を引っこ抜くようなものなのだろう。

 

「よく現代まで名目を保ってこられたね。種族平等化の波は日本にだって打ち寄せたはずだぞ。……いや、そうか。違うな。近代までほぼ単一の民族で構成されていた、閉鎖的な島国が故に保てていたのか。『夷狄を討ち攘う』のはこの国の人間たちにとってそう悪くない名目だったわけだ。」

 

「まあ、そういうことですね。良くも悪くも帰属意識が高い国なんです。この国の歴史における『余所者』は基本的に警戒すべき相手で、それに先陣を切って立ち向かったのは常に細川派でしたから。そういう面を評価して派閥の後援をしてくれている魔法使いが多い現状、『退夷鎮守』の看板を下ろすわけにはいかないんですよ。」

 

「なるほどね、よく分かったよ。その排他的な思想の対軸として藤原派があり、松平派は二派の中間で保守派を謳っているわけだ。」

 

「ざっくり言えばそんな感じですね。大昔からそこだけは変わってません。幕末の頃に開国路線を急速に推し進めたのは藤原派ですし、細川派はその流れを弱めようとした側に味方しました。そして松平派は立場をコロコロ変えてます。その頃一番大きな勢力は松平派だったので、そっちはそっちで内部の争いをしてたわけです。」

 

ううむ、外側から見物する分にはやはり面白いが、いざ介入しようとすると厄介極まりないな。中城から得た情報を頭の中にメモしつつ、彼女に対して口を開く。ちなみに早苗は『難しい政治の話』にあまり興味がないようで、話の最中に運ばれてきたケーキに夢中だ。何とも幸せそうな顔で次々に頬張っている。

 

「何れにせよ、私が顔繋ぎを望むとすれば下層の人間になってしまうってことか。」

 

「まあ、残念ながら普通にやるとそうなっちゃいますね。……でも一応、そう悪くない立場の人を紹介できないことはないです。『裏技』があるんですよ。ちょっと待っててくださいね、分かり易いように図にしますから。」

 

裏技? 言いながら懐からペンを取り出した中城は、テーブルの隅にあった紙ナプキンを手に取ると、そこに系図のようなものを描き始めた。

 

「細川派の本家はもちろん細川家です。厳密に言えば細川姓を名乗ることを許されたのは割と後からなんですけど、それは置いておくとして……京の細川本家の下に肥後細川家と出雲細川家があって、本家から三つと、肥後と出雲のそれぞれから更に二つずつの家に分岐してます。これが俗に言う『細川七家』ですね。」

 

系図ってのはどの国でも面倒くさいな。つまり派閥のピラミッドの頂点に細川本家があって、その下に肥後細川家と出雲細川家があり、更に下に細川七家とやらがあるわけか。中城は省いたようだが、これより下にもうんざりするほど複雑な繋がりがあるのだろう。

 

理解の頷きを返した私に、中城は細川本家から繋がっている三つの家の中の一つを指して続きを述べてくる。指差しているのは彼女の親族である小上家の隣にある名前だ。

 

「そんでもって、私が紹介できる一番上の立場かつ吸血鬼との関わりを拒まなさそうな人は……この『西内家』の御曹司です。西内家は東京の魔法技研に強い影響力を持っている家で、細川派内では二番目に外交に強い家でもあります。国内に限れば一番ですけどね。」

 

「ふぅん? 本家直属の分家なのに吸血鬼と関われるのか。」

 

「西内家はまあ、細川派の中でも際立って融和思想の色が強いですから。強硬主義による軋轢が生まれそうな場所にひょっこり出てきて、細川派と交渉相手とのクッション役になる家なんですよ。細川派の中の『緩衝地帯』ってところですね。だから派内では重用されてますし、他派閥とも比較的良好な関係を築いてます。」

 

「クッション役か。だから他種族と関係を持っても目を瞑ってくれるってわけだ。」

 

体面ではなく実利のための存在だということか。窓口にするには悪くないなと納得している私へと、中城は首を傾げながら問いを寄越してきた。

 

「どうします? 向こうに一報入れて、よろしく頼むくらいのことなら出来ますけど。」

 

「お願いするよ。ちなみにだが、どんなヤツなんだい? その西内家の御曹司どのは。」

 

「『角がない人』って感じですね。性格がおっとりしてて、出世欲とか権力欲もそんなに強くなさそうですし、癖がなくて接しやすいと思いますよ。あんまり主張してこなくてつまんないってとこだけは欠点ですけど。」

 

「おやまあ、辛口じゃないか。嫌いなのか?」

 

『つまんない』ってのは中々に辛辣な評価だと思うぞ。苦笑しながら聞いてみれば、中城は目を逸らして応答してきた。何ともいえない微妙な面持ちだ。

 

「私の『暫定的な許婚』みたいな立場の人なんですけど、つまんないから結婚したくないんですよ。それだけです。別に悪い人ではないんですけどね。」

 

「当たり障りのない人間ってことか。」

 

「ん、ぴったりな評価ですね。どこまでも『普通に良い人』なんですよ、あの人は。それが悪いとは言いませんし、むしろ真っ当で素晴らしいことなのかもしれないですけど、私とはどうにも合わないわけです。」

 

うーん、件の御曹司どのがちょっと哀れになる評価だな。悪い人じゃないんだけど云々ってのはイギリスでもよく耳にする台詞だが、相手としてはだったらどうすれば良いんだよと思ってしまうだろう。

 

多少の同情を御曹司どのに送りつつ、紅茶を飲み干してから声を上げる。何にせよ窓口としては有用な評価だ。扱い易いってのは良いことだぞ。

 

「まあ、そいつでいいよ。名前は?」

 

「西内陽司さんです。西内家は都内にありますから、会うのも簡単だと思いますよ。」

 

「では、繋いでおいてくれたまえ。次の外出日にでも早苗を連れて会いに行くよ。」

 

「……早苗も連れて行くんですか?」

 

怪訝そうな顔になった中城に対して、肩を竦めて首肯を返した。じゃなきゃ意味がないだろうが。

 

「そりゃあそうさ。『早苗経由で私が細川派の人間に会いに行く』ってことに意味があるんだから。キミだってそれは分かるだろう?」

 

「理屈としては分かりますけど、直接連れて行くとは思いませんでした。」

 

「露骨なくらいが良いのさ、こういうのは。初回の顔合わせはどうせ挨拶程度で終わるだろうから、本当に『連れて行くだけ』になりそうだけどね。」

 

「じゃあその、私もついて行っていいですか?」

 

注文したケーキを食べ尽くして再びメニュー表を見ながら悩んでいる早苗。その姿を横目にしつつ放たれた中城の質問に、首を横に振って回答を飛ばす。

 

「ダメだよ。私は早苗の後ろ盾になりたいわけであって、キミのそれになりたいわけじゃないんだ。キミがついてきたら『小上の孫娘がバートリを連れて来た』ってことになっちゃうだろう?」

 

「それはそうかもしれませんけど……。」

 

「諦めたまえ。いちいち説明すればまた違う結果になるかもしれんが、物事は出来るだけ簡潔に収めるべきなのさ。キミもそれでいいね? 早苗。」

 

「え? はい、リーゼさんが決めたならそれでいいです。それより、追加で何か頼んでもいいですか?」

 

何か、早苗がどんどんアホになっている気がするが……要するに私と中城を信頼しているから身を任せているってことなのだろう。だよな? そうだと思いたいぞ。

 

「……いいよ、好きにしたまえ。」

 

「ありがとうございます! ここのケーキ、美味しいですね。」

 

『よく分からんから任せる』という感情を見事に伝えてきた早苗に頷いた後、懐から日本の金を出してテーブルに置く。話は済んだし、香港自治区経由でイギリスに帰るとするか。まだ頼んだばかりだから大したことは掴んでいないと思うが、ついでにマッツィーニからの報告も受けに行こう。頻繁に顔を出しておけば向こうも急いで調べようとするはずだ。

 

「それじゃ、わざわざ貴重な外出日に呼び出して悪かったね。私は失礼するから、この金で適当に二人で遊んで帰りたまえ。」

 

「ちょっ、こんなに──」

 

「はい、了解です! 中城先輩といっぱい遊んでから帰ります!」

 

魔理沙によれば中城は『引くほどの額』の契約金をクィディッチのプロチームから提示されたらしいが、それでも金銭感覚は現在の早苗よりもまともなものを持っているらしい。迷わず受け取った早苗と違って、若干気後れしている表情だ。

 

今度二柱と早苗の金銭感覚についてを話し合わねばと考えながら、席を立って店の出口へと向かう。まあ、良いウォーミングアップにはなったぞ。こんな感じでカンを取り戻していけば、狂言回しとしての役割くらいは果たせるはずだ。

 

やっぱりこういう立場が一番性に合っているなと苦笑しつつ、アンネリーゼ・バートリは移住前の良い『暇潰し』を見つけたことを喜ぶのだった。

 



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力と秩序

 

 

「あーっと、ちょっといいか? 質問があるんだ。」

 

午後最初のルーン文字学の授業が終わった直後、霧雨魔理沙は教卓の片付けをしているバブリングへと声をかけていた。今日の授業内容……ヴァンダル語とゴート語の意訳というクソ難しい内容だ。に関する疑問も無いわけではないが、今はそれ以上に教えて欲しいことがある。先ずはそっちを質問させてもらおう。

 

つまるところ、私は『特別牢』についての詳細をルーン文字学の専門家に尋ねようとしているわけだ。あの牢屋自体の詳細は知らないかもしれないが、床に刻まれていた文字がルーン文字である以上、ホグワーツで一番の専門家であるバブリングに聞くのが正しい行動なはず。

 

私の問いを受けて、バブリングは毎度お馴染みの機械的な動作でこちらを向きながら首肯してきた。バスシバ・バブリング。無感動で無愛想なルーン文字学を担当している教授だが、かといって生徒に冷たいわけでも教える意欲が無いわけでもない。聞けば答えてくれるだろう。

 

「何でしょうか? ミス・キリサメ。」

 

「えっとだな、今回の授業とは関係ない内容で申し訳ないんだが……これを見てくれないか? ある場所で見つけたルーン文字の配置なんだけど、私の知識じゃ意味が全然掴めなくてな。配置そのままで書き写してあるから、もし何か分かることがあれば──」

 

「この配置は知っています。地下通路の特別牢を構成しているルーン文字の仕掛けですね。」

 

「……知ってたのか。」

 

うーむ、ホグワーツの教師ってのはつくづく油断できんな。さらりと指摘してきたバブリングに驚いていると、彼女は私が差し出した羊皮紙に指を這わせながら説明を続けてくる。

 

「この学校に赴任して数ヶ月が経った頃にあの床を発見し、既に調査を終えています。……このルーンの配置は独特かつ簡潔なものです。天と地、太陽と月、黒と白。そういった相反する力を相対する位置に配置した上で、それを五芒星によって制御しているわけですね。かの魔術師マーリンが好んだ配置の仕方と類似しています。」

 

「マーリンの? ……つまり、マーリンが刻んだルーンってことか?」

 

「私はそう予想していますが、もう一つ無視できない可能性が残っています。大魔女モルガナもまた、こういった配置を好んで使っていましたから。」

 

「モルガナが?」

 

私がルーン文字学の授業を通して得た知識によれば、マーリンやモルガナの時代のルーンの配置というのは我流のケースが殆どだ。現代のイギリス魔法界におけるルーンの基本的な配置は、ロウェナ・レイブンクローがホグワーツの教師時代に構築した『ホグワーツ式』のそれとされている。イギリス魔法界の魔法使いはホグワーツの出身者が大半なのだから、創始者の中でもルーン文字学の知識に長けていたレイブンクローの考え方が基礎になるのは当然のことだろう。

 

とはいえ、ホグワーツの創設から間も無いマーリンたちの時代はまた違うわけだ。レイブンクローが生み出した配置が完全に広まっていないその頃は、グレートブリテン島やアイルランド島の各地に伝わっていた様々な配置方式が普通に使われていたらしい。だからまあ、マーリンの配置が『独特』であることはそこまでおかしくないものの……モルガナのそれと共通点があるってのは奇妙な話だな。激しく対立していた二人が、同じルーツを持った配置を使っていたということか?

 

好奇心を惹かれ始めた私へと、バブリングは平坦な声で続きを口にした。ノーレッジのそれを思い出す、冷静な研究者の声色だ。

 

「モルガナの場合はマーリンのように五芒星によって力の均衡を生み出すやり方ではなく、むしろ六芒星によって力を増幅させるやり方を主としていたようですが、繊細な配置の際は安定性がある五芒星を優先的に使っていたことが記録から読み取れます。ですからモルガナが構築した配置だという可能性も残っているでしょう。彼女がホグワーツと敵対していた以上、この城に彼女が構築したルーン文字が残っているとは考え難いですが。」

 

「マーリンとモルガナのルーンの使い方に共通点があるってことは、二人は同じ配置方式を基礎にしてたってことだよな? ……同じ師から学んだって可能性は有り得るか?」

 

「大いに有り得るでしょうし、私はそうだと考えていますよ。マーリンとモルガナが使っていたルーン文字の配置は、レイブンクローのそれやスリザリンのそれとは大きく異なっています。当時先頭に立ってルーン文字学の教えを広めていた二人と違っているのであれば、それはつまりホグワーツで学んだ配置ではないということです。恐らく一地域に伝わっていた今は廃れている配置方式で、そして両者の配置に数多くの共通点がある以上、マーリンとモルガナは同一の配置方式をルーツとしていると考えるべきでしょう。……神秘部の研究者たちには否定されてしまいましたが、私はそうであると確信しています。」

 

「……なるほどな、勉強になったぜ。」

 

得た知識を頭の中で整理しながら礼を言ってみれば、バブリングは配置図が描かれた羊皮紙を横目に自身の仮説に関する話を締めてくる。

 

「あくまで私個人の仮説ですから、あまり参考にはしないように。イギリス魔法界の主流の考え方とは異なっています。マーリンは悪しき魔女を打ち倒したイギリス魔法界が世界に誇る英雄であり、モルガナはこの地に混沌と厄災を招き入れた史上稀な罪人であるのだから、その二者に共通点があるのは不都合なことなのかもしれませんね。」

 

もしかしたら、ダンブルドアとグリンデルバルドみたいな関係だったのかもな。リーゼから大戦の詳しい事情を聞いている今だとしっくり来てしまうぞ。ルーツは同じでも、進む方向は人それぞれだということか。始まりが同じだからこそ真正面からぶつかり合うのかもしれない。

 

というかまさか、この配置の基礎を構築したのは魅魔様じゃないよな? 夏休み中にアピスが語っていた『モルガナは魅魔様説』。それを思い出して何とも言えない気分になりつつ、バブリングへと問いを放った。魅魔様がイギリス魔法史における大罪人だとは思いたくないし、私としては違っていて欲しいぞ。

 

「それで、この配置が意味してるのは具体的に何なんだ?」

 

「詳しく説明すると数時間はかかるでしょうが、どうしますか?」

 

「……出来れば端的に頼む。」

 

「では、端的に纏めましょう。これはこの牢を封じるためのルーンです。残りの四つの部屋は、それを支える構成物に過ぎません。」

 

言いながらバブリングが指差したのは、図の中にある唯一ドアが残っていたあの牢だ。んん? 残りの四つの部屋は牢屋じゃないってことか? 首を傾げている私に対して、バブリングは『簡潔』な説明の続きを語り出す。

 

「これもまた私の仮説ですが、あの場所は本来たった一人を閉じ込めるために造られた特別牢なのではないでしょうか。そして実際に誰かを閉じ込めた後、四つの部屋にルーンの力を増幅させる何かを配置し、床に力の『導線』となるルーン文字と図形を刻み込み、その力を集約させて五芒星の頂点に位置するこの部屋を封印したわけですね。」

 

「あの区画そのものが、頂点の部屋を封じるための大掛かりな仕掛けだってことか。」

 

「その通りです。……しかし、結局は封印が破られてしまったのでしょう。ミス・キリサメも実際に現地に行ったのなら分かっているはずですが、四つの部屋は何者かによって破壊されています。あれは四つの部屋にあった力の源を破壊して封印を解くためであり、頂点の部屋に閉じ込められていた『誰か』を『何者か』が救い出した痕跡に他なりません。」

 

「壁が抉れてたのは、その時の戦闘によるものってわけだ。……ロマンがあるな。」

 

魔法史は好きではないが、そういう方面の事情は知りたいと思ってしまうぞ。遥か昔、あの場所に一体誰が閉じ込められていたんだろうか? マーリンが構築した仕掛けを使って閉じ込めるほどの人物となると、かなり厄介な犯罪者と見て間違いないはずだ。

 

ただ、モルガナではない……よな? 私の薄い魔法史の知識によれば、モルガナ当人が捕縛されたことは一度も無いはず。いやまあ、魔法史ってのは大昔の記録を基にしているので完璧ではないのだろうが、大魔女モルガナを捕らえたらさすがに文書に残るはずだぞ。仮に捕らえていた場合、幽閉ではなく処刑するだろうし。

 

とはいえ、じゃあ誰だよって話になっちゃうな。マーリンが関わった強大な犯罪者といえばモルガナしか思い浮かばん。後で魔法史の教科書を読み直しておこうと決めながら、バブリングへと更なる疑問を送った。

 

「四つの部屋が破壊されちまったってことは、もう中には入れないのか?」

 

「私の学術的な興味はルーン文字の解析で終わっていますから、実際に試したわけではありませんが……入れないことはないでしょう。四つの部屋の役割は封印を強化することであって、頂点の牢への出入り自体に必要とする力はそこまで大きなものではないはずです。」

 

「じゃあよ、どうすれば入れるかは分かるか?」

 

やはり出入りは可能なのか。そりゃそうだ。学生時代のスネイプは入れてたんだもんな。期待を込めて質問した私に、バブリングは僅かな時間だけ黙考してから応じてくる。

 

「床に刻まれているルーン文字はあくまで四つの部屋から供給される力を増幅し、そして制御するためのものです。なので出入りの方法に関してはルーン文字が関係していない仕掛けとなります。つまり私の専門外ですね。」

 

「……そっか。」

 

むう、バブリングには分からないようだ。残念な思いで相槌を打つと、彼女は無表情のままで言葉を付け足してきた。

 

「しかしながら、一つだけ確かに言えることがあります。扉への魔法力の唯一の導線が五芒星である以上、床に刻まれた五芒星が関係しているのは間違いないでしょう。五芒星には様々な性質がありますが、マーリンは『四つを一つに纏める』という目的で使用することが多かったようです。出入りに関してもマーリンが方法を構築したならば、封印を強化する仕掛けと似たような構造なのではないでしょうか?」

 

「四つを一つに、ね。」

 

「六芒星が『六つを足した一つ』を図形の中心に作り出すように、五芒星は『四つを合わせた一つ』を一角の頂点に生み出す図形です。つまり六芒星は『六を贄にした強大な七』を意味し、五芒星は『四が集った確固たる一』を意味しているわけですね。六芒星が贄となる六のバランスや統一性を無視できるのに対して、五芒星は基礎となる四の均衡や同一性を重視します。マーリンはそういった根本の性質を尊重する『ルーンの筆者』でしたから、彼が作った仕掛けなのであれば五芒星の基本的なルールに従ったものであるはずですよ。」

 

『六を贄にした強大な七』と『四が集った確固たる一』か。それを聞いて私が思い浮かべるのは、ヴォルデモートが作った分霊箱とホグワーツだ。六個の分霊箱を作り、自身が抱える魂と合わせて『力ある数字』である七つにしようとしたヴォルデモート。四寮に分かれ、一つの集団を形成しているホグワーツ。六から生まれる強大な七と、四が纏まって初めて堅固になる一。

 

「……五芒星の方が好きだな、私は。」

 

頭に浮かんだ二つの事例を思いつつポツリと呟いた私に、バブリングは……おお、初めて見たかもしれんぞ。柔らかい微笑みで頷いてくる。

 

「何を犠牲にしてでも力が欲しいという闇の魔法使いたちは、昔から好んで六芒星を利用してきました。簡単で、刹那的で、より大きな力を得られる六芒星を。……対して後世に何かを残したいと考えた魔法使いたちは、調和と継続性がある五芒星を愛用する傾向にあります。ホグワーツの創始者であるロウェナ・レイブンクローやサラザール・スリザリン、そのすぐ後に魔法省の基礎を構築した大魔法使いマーリン、ホグワーツ中興の祖であるエデッサ・サンデンバーグ、そして現代の英雄であるアルバス・ダンブルドア前校長。皆ルーンの配置には五芒星を選んで使っていました。……貴女が五芒星を選ぶということは、即ち理性ある秩序の道を選ぶということです。私は教師としてそのことを歓迎します。」

 

「……ん、大事なことを学べた気がするぜ。ありがとな、バブリング。」

 

「それがホグワーツの教師というものですから。」

 

言うと、バブリングはまた無表情になって教卓の片付けに戻ってしまうが……多分こいつも五芒星を愛用しているんだろうな。だからこそダンブルドアはバブリングをルーン文字学の教師に任命したんだろう。それは何となく伝わってくるぞ。

 

そして、幻想郷で魅魔様がよく使っていたのは六芒星だ。あの頃は疑問にも思わなかったが、六芒星と五芒星にはそんな違いがあったのか。……ノーレッジやアリスはどうなんだろう? 芒星図形は『本物の魔女』たちも頻繁に利用するようだし、気になってくるな。

 

席に戻って教科書なんかを回収した後、頭の中のメモ帳に予定を書き込む。今度アリスから芒星図形についてを習おう。魅魔様だって利用していたんだから、これは幻想郷でも確実に役に立つ知識であるはずだ。魔女見習いとして学んでおかなければ。

 

手に入れたサインに繋がるヒントと、芒星図形に関する知識。予想以上の収穫に満足しつつ、霧雨魔理沙は良い気分で次の授業へと向かうのだった。

 

 

─────

 

 

「合ってる? 合ってるわよね? これ。」

 

手元の『カセットテープ』についてのレポートをベーコンに見せながら、サクヤ・ヴェイユは不安な気分で問いかけていた。次の授業までに仕上げて提出しなきゃいけないのに、『ビデオテープ』との違いがよく分からないのが不安要素だな。バーベッジ先生もいまいち分かっていなかったようだし、単純にサイズが違うだけの同じ物に思えてしまう。難しすぎるぞ。

 

現在の私は午後最初のマグル学の授業を終えて、レイブンクローの同級生であり同じ監督生でもあるベーコンと二人で北塔の廊下を歩いているところだ。マグル学は受講している知り合いが少ないから、ペアを組む必要がある時はよくベーコンと組んでいるのだが……ちょっと申し訳ない気持ちにもなるな。レイブンクローは比較的マグル学の受講者が多いので、彼女の方は内心同じ寮の友達と組みたいと思っているのかもしれない。

 

というか私って、ひょっとして友達が少ない方なんだろうか? これといって意識したことはないものの、魔理沙より少数なことは断言できるぞ。そりゃあ私だって他寮の生徒と普通に話すし、廊下ですれ違えば挨拶したりもするわけだが、授業でペアを組むほどの関係なのは数えるほどだな。

 

むうう、どうなんだろう? 魔理沙に他寮の友人が多すぎるのか、あるいは私が少ないのか。何とも憂鬱になってくるテーマについて考えていると、ベーコンがこっくり首肯して応答してきた。

 

「大体は合ってるわ。磁気テープに関する詳細な説明があればなお良いとは思うけど。」

 

「そう、『じきテープ』。それが意味不明なのよ。あれってカセットテープとビデオテープで違う物を使っているの?」

 

「えっと、根本的には同じ物なんじゃないかしら? 私も完璧に知ってるわけじゃないんだけど、一つのジャンルの別種類ってイメージで捉えてるわ。」

 

「……つくづく難解よ、マグル学は。音と映像なんて全然違うのに、何でどっちも『じきテープ』なのかしらね。」

 

そもそもあんな薄っぺらな物にどうやって記録しているのかも不明だし、どうして細長いのかも、そして何故回ると再生できるのかも分からない。ちんぷんかんぷんだ。憂いの篩の方がよっぽど筋が通っているぞ。

 

不条理なマグル界の技術に私が文句を言ったところで、進行方向の階段の方から……うわ、チェストボーン先生だ。『覗き見事件』以来ちょっと苦手にしている先生が現れた。変身術の担当なのに、全然関係がない北塔で何をやっているんだろうか?

 

こちらに歩いてくるチェストボーン先生と、何となく目を合わせないようにしながらすれ違おうとするが……おおう、何だ? 彼は私たちに対して声をかけてくる。『私たちに』というか、ベーコンではなくはっきりと私に視線を向けながらだ。

 

「ああ、ちょうど良かった。ミス・ヴェイユ、少しいいかね?」

 

「はい、何でしょうか? チェストボーン先生。」

 

「君はミス・キリサメと何かを調べていると言っていたね。だからつまり、私から見取り図を借りに来た時に。……具体的に何を調べているのかを教えてくれないか?」

 

「……どうしてでしょうか?」

 

急な質問に内心で警戒しつつ応じてみれば、チェストボーン先生は何でもないような声色で理由を語ってきた。

 

「私の研究と関係があるかもしれないと考えたからだ。情報のやり取りは研究において珍しいものではないだろう? それとも教師に話せないようなことを研究しているのかね?」

 

「いえ、変な研究をしているわけじゃありません。私たちは昔のホグワーツと今のホグワーツとの違いを調べているだけです。昔あった通路が教室になっていたりとか、そういうことを調べています。」

 

「ふん、子供らしい簡単な比較研究というわけだ。その研究をしている理由は?」

 

「……単純な好奇心です。」

 

高圧的な態度だな。これもまたチェストボーン先生が嫌われている理由の一つだろう。意図してそうしているのかは不明だが、この人は生徒と話す時に『大人と子供』であることを前面に押し出してくるのだ。魔理沙流の言い方をすれば、『あからさまな目上アピール』をしてくるのである。

 

こういう態度を見ると、他のホグワーツの教師たちが如何に生徒を尊重しているのかが際立ってくるぞ。マクゴナガル先生は生徒に対して絶対に偉ぶったりしなかったし、厳しくしつつも『高が子供』みたいな態度は一切見せなかった。同じ変身術の教師でも大違いだな。

 

要するにチェストボーン先生の態度は生徒に対する教育者というか、部下に対する上司っぽいのだ。与えようとするのではなく、強引に押し付ける感じ。やはり好きにはなれないぞ。

 

胸中に不満を抱きながら顔には出さずに答えると、チェストボーン先生は尚も問いを重ねてくる。何ともありがたい指摘付きのやつをだ。

 

「ふむ、あまり良い理由ではないね。研究とは須らく世に利益を与えるものだ。興味本位で行うそれは何の役にも立たない。……最近は地下牢を調べているようだね?」

 

「そうですけど、何か問題がありますか? 立ち入り禁止の場所には入っていません。」

 

「問題というほどではないが、空き時間はもっと有効に使うべきだと思うよ。……何か発見したかね?」

 

「いいえ、何も。所詮学生の研究ですから、大したものは見つかっていません。」

 

ポーカーフェイスで言い放った私を見て、チェストボーン先生は小さく鼻を鳴らした後、『余計な一言』を口にしてから私たちを背に遠ざかって行った。

 

「なら結構。私の研究の役には立たなさそうだ。……君は他の教員たちから『特別扱い』をされているようだが、私は『親の七光り』に左右されるような人間ではない。もし問題を起こしたら厳しく罰するつもりでいるので、必ずしも贔屓があるなどとは期待しないように。以上だ。」

 

「覚えておきます。」

 

心の中でアッカンベーをしながら頷いて、再び階段へと歩き出す。実にイライラするな。お婆ちゃんのお陰で先生方が気を使ってくれているのは事実だが、私はそのことを居丈高に振り翳して利用した覚えはないぞ。

 

「あー……ヴェイユ? あんまり気にしない方がいいわよ? チェストボーン先生ってああいうことを言う人だったのね。」

 

おずおずと話しかけてきたベーコンへと、肩を竦めて返事を返した。

 

「そうみたいね、今までずっと念仏みたいに教科書を読んでるだけだったから気付かなかったわ。『読み上げ機能』以外の何かがあっただなんて驚きよ。」

 

「まあその、私も好きな教師ではないわ。今の一件を抜きにしてもね。」

 

「そんなの知ってるわよ。チェストボーン先生を好きな生徒がホグワーツに存在してるわけないでしょ。」

 

「……怒ってるのね、ヴェイユ。」

 

苦笑しながらのベーコンが投げてきた言葉に、ふんすと鼻を鳴らして回答する。あんなもん怒らない方がおかしいだろうが。

 

「『余計なお世話だ』って気分よ。」

 

「やけに刺々しい態度だったし、気持ちは分かるけどね。……でも、貴女とキリサメの名前を覚えてたのは意外だったわ。あの人、生徒の名前を全然覚えないことで有名だから。」

 

「……そういえばそうね。ちょっと不気味だわ。」

 

そもそも、チェストボーン先生はどうして私たちの『研究』のことを聞いてきたんだろう? 学生如きの研究を本当に参考にするようなタイプではなさそうなのに。……怪しいな。非常に怪しい。もしかするとあの見取り図に描いてあった丸印、グリフィンドールのサインがあった場所の印はチェストボーン先生が描いたものなのかもしれないぞ。

 

『嫌なヤツ』だという私の偏見が多少含まれているのは認めるが、そこまで飛躍した思考でもないはず。そうなるとチェストボーン先生もサインを追っている可能性が出てくるな。マーリンの隠し部屋に繋がっているかもしれない創始者たちのサインを。

 

だけど、創始者のサインそのものだって研究に値するもののはずだし、まさかチェストボーン先生が『オリジナルの逆転時計』のことを知っているとは思えない。グリフィンドール以外のサインを見つけるために、私たちを利用しようとしているとか? もしそうなんだったら一応『覗き見』の理由にもなるな。

 

……ダメだ、可能性が多すぎて分からない。後で魔理沙と相談してみよう。感情を抜きにしたって怪しいものは怪しいんだから、警戒して然るべきなはずだ。

 

私を宥めるための台詞を探しているらしいベーコンと共に歩きつつ、サクヤ・ヴェイユは新たな『懸案事項』を頭に刻み込むのだった。

 



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レンタカー

 

 

「そうそう、そうなんです。休みが明けたら試験期間なので、今週も外出日になってるんですよ。期末試験が始まる前の土日は毎年外出日になってます。利用したのは初めてですけどね。」

 

呼び出しておいてなんだが、試験直前にこんなことをしていて大丈夫なのか? 自動車が沢山停まっている駐車場で能天気な笑みを浮かべている早苗に、アンネリーゼ・バートリはかっくり首を傾げながら返事を口にしていた。

 

「キミ、勉強しなくて平気なのかい?」

 

三月に入ってから初めての日曜日である七日の午前中、私は中城が顔を繋いでくれた細川派の『西内家』とやらの御曹司どのに会いに行こうとしているところだ。先週に引き続いて週末が外出日だということで、深く考えずに直近の今日に予定を入れてしまったわけだが……そうか、マホウトコロでは三月が学期末試験の月なのか。

 

それなのにのほほんとしている早苗を怪訝に思って放った問いに、我儘娘どのは満面の笑みで滅茶苦茶な『理由』を語ってくる。

 

「全然平気ですよ。占いの雑誌を読んだら、試験の週は凄く運勢が良いって書いてあったんです。だから今年の試験はきっと上手くいきます。」

 

「……なるほど。」

 

あまりにも真っ直ぐに言われたから、とりあえず頷いてしまったが……占い? トレローニーがやっているあれか? 一度早春の澄んだ青空を見上げながら考えた後、さすがにジョークかなと早苗の顔を確認してみれば、至極真面目な表情でふふんと胸を張っている彼女の姿が視界に映った。どうやら本気の発言らしい。

 

「キミ、つまり……どういう意味だ? よく分からんぞ。」

 

「つまりですね、私の運勢が一位だったんです。試験の週は血液型も、星座も、干支もタロットも揃って一位なんですよ。凄いですよね?」

 

確かに凄いな。その『占いの雑誌』とやらを編集している人物も、まさかそう来るとは思っていなかっただろう。何故そんなに迷いなく信じられるんだ? 辿った思考の道筋がこれっぽっちも理解できんぞ。

 

視界の隅で話しているアリスと諏訪子……先方との顔合わせを済ませた後は東京で遊ぶということで、今日はアリスも連れて来ているのだ。の方を横目にしつつ、何だかちょっと空恐ろしい気分で早苗に相槌を打つ。この子はこのままで大丈夫なんだろうか?

 

「……タロットと星座は何となく分かるが、『血液型と干支』ってのは?」

 

「占いの種類ですよ。知らないんですか?」

 

「生憎さっぱり分からんね。……じゃあ、血液型というのは具体的に何なんだい? 要するに人間の血液の種類ってことだろう? 『型』ということは複数の種類があるのか?」

 

ひょっとして、味も違ったりするんだろうか? 年齢や性別、体格なんかで味の違いが出ることは経験則として知っていたが、もっと根本的な種別については今まで意識したことがなかったな。吸血鬼として興味が惹かれる部分を掘り下げてやれば、早苗は少し困ったような顔付きで回答してきた。

 

「えーっと、そうですね。四種類あります。A型と、B型と、O型と、AB型が。性格とかもそれで変わるんですよ?」

 

「ふぅん? 知らなかったよ。何がどう違うんだい?」

 

「それはその……んっと、私もよく分かんないです。」

 

「キミ、よく分かんないものに大事な試験の結果を賭けちゃったのか? ……アリス、ちょっと来てくれ!」

 

ちょびっとだけ不安そうな顔になってきた早苗を他所に、アリスの方へと呼びかけを投げる。するとすぐさま近付いてきた彼女へと、血液型とやらに関する疑問を送った。早苗の試験の結果は正直どうでも良いが、血に違いがあるなら吸血鬼として知っておかねばならんのだ。

 

「キミは血液型って知っているかい?」

 

「ええ、もちろん。パチュリーから遺伝のことを教えてもらった時に習いましたから。それがどうしたんですか?」

 

「いやなに、早苗から聞いて興味が出たんだ。四種類あって、性格とかにも影響するんだって?」

 

「へ? 性格? ……それは初耳ですね。種別も分類法によって異なると思いますけど。」

 

さて、早くも食い違ったぞ。私としては『知識』に教えを受けたアリスを信じるべきだと判断しているし、早苗が完全に目を逸らしているのを見るにそれで正しそうだ。『賢く生きたいなら常に原因を探れ』か。父上の教えはやはり偉大だな。

 

「だけど、性格への影響っていうのは確かに興味深いですね。パチュリーはそんなこと一言も口にしてませんでしたし、研究が進んで新しく生まれた説なのかもしれません。早苗ちゃん、誰が唱えている学説か分かる?」

 

「いやあの、学説っていうか……みんながそう言ってるので。だからまあ、そうなのかなと。」

 

アリスの質問にしどろもどろになっている早苗を見て、やっぱり『魔女』と『占い』は相性が悪いなと苦笑した。イメージ的には似通っている二つだが、実際は正反対なわけか。原因なき結果を生み出す占いと、結果から原因を探ろうとする魔女。そりゃあ相容れないだろうさ。

 

父上の教育を受けた私としては、『どうしてそうなるのか』を往々にして明示できない占いには否定的な立場を取っているものの……レミリアの『運命』やトレローニーの『予言』なんかを見ると否定し切れないのが困ったところだな。おまけに人外の世界には『本物の占い師』も存在している。裏側に何かしらのからくりがあるのかもしれないが、予言をしたり運勢を操ったりする連中ってのはそこまで珍しい存在でもないのだ。

 

根掘り葉掘り尋ねようとしているアリスと、弱り果てた表情で曖昧な応答をしている早苗。そんな二人のことをぼんやり眺めている私に、近寄ってきた諏訪子がアホらしいと言わんばかりの顔付きで声をかけてきた。

 

「早苗はおバカちゃんだからね。『みんな』が言ってたら信じちゃうんだよ。素直っていうか、愚かっていうか、私としてはちょこっとだけ心配になる部分かなぁ。」

 

「しかしだね、私たち人外の大半は『みんな』が信じた結果として発生した存在だ。神も、妖怪もそうだろう? そう思うと一概にバカにも出来ないね。」

 

「あー、そうだね。言われてみればそうかも。嘘から出た実ってやつだ。……要するに、占いってのは宗教の一種なんだよ。占い師は私の御同輩ってわけ。信じる者は救われますってね。案外早苗みたいな子の方が幸せに生きられるんじゃないかな。」

 

「まあ、深くを知ろうとしない方が労せずして生きられるだろうね。知恵の実を食べる前の人間がそうだったように、無知であるってのは幸せなことなのさ。神たるキミとしてもその方が都合が良いだろう?」

 

肩を竦めて問いかけてやれば、諏訪子は屈託のない笑みで首肯してくる。邪悪な神だな。善良な神だったら憂いを浮かべるべき場面だぞ。

 

「ん、そだね。私たち神からすればバカな子ほど可愛いんだよ。変に賢いと信仰に影響しちゃうし、空っぽの頭で盲信してくれる方が嬉しいかなぁ。そしたら私たち神だって目一杯甘やかしてあげるのに、今の人間たちは不幸だよね。余計なことを知ったから、私たちの揺り籠から追い出されちゃったんだ。」

 

「現代版の失楽園だね。」

 

「不思議でならないよ。寒くて危険な外なんかに出て行かないで、安全な家の中で私たちに包まれてた方が余程に幸せだと思うんだけどなぁ。……この先どうするつもりなんだろ? 神も妖怪も居ない人間だけの世界を作って、今度は人間たちが何かを育てるのかな? ずっと私たちの『子供』でいればいいのに、わざわざ独り立ちして苦労を背負い込むだなんて変な話だよね。」

 

「人間ってのは好奇心に抗えないのさ。窓から外の景色が見えてしまったが最後、彼らはそこに向かわずにはいられないんだ。外の寒さを知っているキミたちは家から出ようとしないだろうが、人間たちは愚かさが故にそれが出来てしまうんだよ。結果として私たち人外よりも広い世界を手にしているあたり、愚かさってのが進歩の最大の秘訣なのかもしれないね。」

 

無知な者が最初に踏み出すからこそ、後に続いた賢い者が道を築けるのだろう。進化の最初の一歩は愚かさか。諧謔があるなと首を振ったところで、駐車場に隣接する建物の中から神奈子が出てきた。私たちは彼女が自動車を借りる手続きを終えるのを待っていたのだ。姿あらわしで移動する方が楽だし早いと言ったのだが、『みんなでドライブがしたいです!』という我儘娘の主張で自動車を使うことになったのである。

 

「いや、待たせたな。借りられたぞ。」

 

「じゃあじゃあ、早速乗りましょう! 神奈子様の運転は初めてですね。わくわくします!」

 

アリスの質問攻勢からの逃げ道を見つけて、たちまち神奈子に駆け寄っていく早苗だが……『初めて』? 随分と不穏な発言が出てきたじゃないか。私は全然わくわくしないぞ。

 

「キミ、運転は初めてなのかい? 私が買ってやった車はどうしたんだ?」

 

「あれはまだ納車されていない。だからレンタカーを借りたんじゃないか。」

 

「私はてっきり、長野から自動車を持ってこられないから現地で借りただけだと……いや待て、この際そんなことはどうでも良い。きちんと動かせるんだろうね? そこだけははっきり答えてもらうぞ。」

 

「心配するな、バートリ。大丈夫だ。運転の本を読んだし、ゲームセンターで練習もした。私は神だぞ? 車の運転程度なら造作もないさ。」

 

お前は神だが、運転の神ではないだろうが。先程の早苗と同レベルの発言をかましてきたぽんこつ軍神に絶句した後、やっぱり私とアリスは姿あらわしで移動すると言い放とうとするが……諏訪子が絶妙なタイミングで割り込んできた。

 

「乗らないとダメだよ、アンネリーゼちゃん。そのためにレンタカーを借りようって早苗に吹き込んだんだから。」

 

「……つまり、この状況はキミの『罠』か。どういうつもりだ?」

 

「私はね、神奈子が安全に運転できるとは端から思っちゃいないの。そうなると初回運転の時はアホほど事故るだろうし、私たちはともかく早苗にとっては危険でしょ? ……そこでアンネリーゼちゃんを同行させようと考えたわけ。車がべコンベコンになっても魔法で直せるしさ、他の車と事故っても相手の記憶を消せるじゃん。早苗は杖魔法が上手く使えないから、事故ると最悪警察沙汰になっちゃうんだよ。おまけにドライバーは偽造免許の戸籍無しの金も無し。だから神奈子が『安全運転』を学ぶまではアンネリーゼちゃんを同乗させる必要があるの。」

 

「ええい、邪神め。素直に神奈子に練習させればいいだろうが。何故私が面倒を見てやらなきゃいけないんだ。」

 

駐車場の一角に停まっている白い自動車。それに意気揚々と神奈子と早苗が乗り込んだのを眺めながら言ってやれば、諏訪子はいきなり私にしがみ付いて喚き散らしてくる。

 

「だって、神奈子もバカだから痛い目見ないと学べないんだもん。お願いお願いお願い! 一緒に乗って事故を揉み消してよ! 妖怪なんだから悪いことするのは好きでしょ? ね?」

 

「離したまえよ、この計算高い邪悪な祟り神め。ガキみたいにおねだりしても無駄だぞ。私はキミの正体を知っているんだからな。」

 

「やだやだ、乗ってくれるって言うまで離さない! お願いお願いおーねーがーいー! ……いいの? 事故って警察沙汰になったらアンネリーゼちゃんの名前を出しちゃうよ? だってそれしか解決方法がないもん。魔法省に連絡して、『バートリの後ろ盾がある東風谷ですけど』って名乗って、魔法警保隊の人に記憶消去を頼むしかなくなるんだからね。アンネリーゼちゃんとしてもめちゃめちゃカッコ悪い事態だと思うけど。」

 

ギュッと抱き着いたままでボソボソと脅迫してくる邪神へと、ぶん殴りたい衝動を抑えながら返答を返す。祟り神というか、こいつは疫病神だな。

 

「……忘れんからな。この恨みは決して忘れんぞ。」

 

「わーい、乗ってくれるの? 私はそんなアンネリーゼちゃんが大好きだよ。一緒に事故って揉み消そうね。……ほら早苗、あんたは後部座席に座りな。助手席にはアンネリーゼちゃんが乗るから。アリスちゃんと私も後ろね。」

 

パッと離れて素早く自動車に走り寄ると、諏訪子は前の席に乗っていた早苗を後ろの座席に移動させる。……私からすれば意図が明白だな。この機械が前に進む物である以上、何かに激突した時に危険なのは前の二席だろう。どこまでも忌々しいヤツだ。

 

怒りを荒々しい動作に変えて車に乗り込んでやれば、こっちもこっちで忌々しいぽんこつ軍神が無駄に凛々しい表情で出発を宣言した。どっから出てきた自信なんだよ。馬とはわけが違うんだぞ。

 

「全員乗ったか? よしよし、それでは行くぞ。助手席のダッシュボードに地図が入っているらしいから、それで案内してくれ。」

 

「じゃあ、私が──」

 

「私がやるよ。ダッシュボードってのはどれだい?」

 

後ろの席からのアリスの声を遮って、断固とした口調で『道案内役』に立候補する。神奈子の運転だけでも不安なのに、この上アリスの道案内になったら目も当てられんぞ。悪夢のような展開に一直線じゃないか。

 

「お前の目の前にあるそれだ。取っ手を手前に引けば開くと思うぞ。」

 

「ん? ……ああ、こういうことか。結構、出発したまえ。」

 

「では、先ずエンジンを──」

 

目の前の収納スペースに入っていた複数の冊子から『東京ロードマップ』という名前の物を選んで、中城からの手紙に書いてあった地名を探していると……おい、ぽんこつ。何をしているんだ? きょとんとした顔付きでごそごそと鍵のような物を動かしている神奈子の姿が横目に映った。

 

「……キミ、もう分からなくなったんじゃないだろうね? まだ何もしていないだろうが。」

 

「そういうわけじゃない。そういうわけではないんだが、ただエンジンがかからなくてな。」

 

「神奈子、クラッチ。新しい車はクラッチ踏まないとかかんないって本に書いてあったじゃん。そこは私でも覚えてる部分なんだけど? ブレーキもかけておかないとダメだからね。……それと、人身事故だけはマジで起こさないでよ? 最悪物にはぶつけてもいいけど、人には絶対ぶつけないように。」

 

「そうか、そうだったな。ド忘れしていただけだ。何も問題はないぞ。事故なんか起こすはずがないし、エンジンもかけられる。心配せずに任せておけ。私は神なんだから。」

 

神だから何なんだよ。後部座席の中央に座っている諏訪子からの指摘を受けて、神奈子は若干バツが悪そうな顔で足元を確認した後、再びハンドルの横に鍵を差し込んで捻る。不安だ。物凄く不安だぞ。

 

すると自動車が唸りを上げて起動したのに満足そうな表情になった神奈子は、私と彼女を挟む位置にある二種類のレバーを動かしてから、ハンドルを握って足を少しズラすが……ガクンってなって止まったぞ。自動車の構造を一切知らない私でも理解できるような、『失敗のガクン』だ。

 

「……神奈子? 止まったぞ。」

 

「いやいや、大丈夫だ。心配はいらない。エンストしただけだ。落ち着け、バートリ。」

 

「キミが落ち着きたまえよ。ペダルを踏めば進む機械なんだろう? 何故そんな簡単なことが出来ないんだ? 私の友人は十二歳の時に空飛ぶ車を運転してみせたぞ。」

 

「空飛ぶ車? 今は余裕がないんだから、訳の分からないことを言わないでくれ。発進の時は少し難しいんだ。落ち着け、バートリ。この事態は想定済みだから心配するな。」

 

だからお前が落ち着けよ。実に落ち着きのない様子でまたしてもレバーを動かしてから、ブツブツと独り言を呟きながら最初からやり直している神奈子は……うん、ダメそうだ。これはダメだな。ダメダメだ。そもそも発進できないんだったら安全だから問題はないが。

 

「大丈夫だ、私はきちんと覚えている。クラッチを踏んで、ブレーキも踏んで、エンジンを動かしてから一速に入れて、サイドを下ろして、アクセルを軽く踏みながらクラッチをゆっくりと……どうしてなんだ?」

 

「どうする? 諦めて姿あらわしにするかい? 私はそれで何の文句もないぞ。」

 

また『失敗のガクン』か。小さく鼻を鳴らしてから善意の提案をしてやるが、神奈子は首を横に振って挑戦の継続を伝えてくる。傍目にも焦っている顔付きでめったやたらにレバーを操作しながらだ。

 

「待て待て、たった二回失敗しただけだ。次は行けるぞ。手応えを掴んだからな。」

 

「私にはそうは見えなかったけどね。……アリス、杖を構えておきたまえ。」

 

「えーっと、はい。早苗ちゃんのことは任せてください。」

 

既に危険を察知しているらしいアリスに一声かけてから、神奈子が諦め悪くレバーやら足元やらを弄っているのを観察していると……おー、遂に動いたな。そして今度は『失敗のガシャン』だ。急発進した私たちが乗っている自動車が、向かいに停まっていた別の自動車に激突した。中々面白い機械じゃないか。

 

「か、神奈子様?」

 

「違うんだ、早苗。これは違う。思った以上に勢いがあったから、ハンドルを切る暇が──」

 

「ね? こうなったでしょ? お願いね、アンネリーゼちゃん。」

 

さすがの早苗も顔を引きつらせる中、諏訪子の然もありなんという声を聞いて神奈子に指示を出す。けたたましい警報音で自身の損傷を高らかに主張している『被害車』を見ながらだ。自動車も悲鳴を上げるとは思わなかったぞ。

 

「神奈子、少し下がりたまえ。そして窓を開けてくれ。私が魔法で直すから。」

 

「ああ、頼む。ゆっくり行けば大丈夫だ。そのはずだ。……んん? 後ろに下がる時はどっちに切ればどっちに曲がるんだった?」

 

「真っ直ぐ進んでぶつかったんだから、真っ直ぐ下がればいいじゃないか。何故曲がろうとしているんだい? ……シレンシオ(黙れ)レパロ(直れ)コンファンド(錯乱せよ)。」

 

車の悲鳴を黙らせ呪文で止めて、二車の凹んだ部分を修復魔法で直し、ついでに音を聞いて飛び出してきたレンタカー屋の職員に錯乱呪文をかけてやれば、次は後方から『失敗のガシャン』が響いてくる。今度は下がりすぎたわけか。

 

再度駐車場に響き渡る警報と、乗り込んだ直後の自信が顔から掻き消えている神奈子。悪夢だな。これが目的地に着くまで続くわけか。というかそもそも、この調子では目的地にたどり着けないと思うぞ。

 

この三バカと関わると本当にロクな事がないなと大きくため息を吐きながら、アンネリーゼ・バートリは杖を後方へと向けるのだった。

 



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信疑の警告

 

 

「ドラコから聞いたスネイプのヒントは『杖明かりを使え』で、バブリングからのヒントは『五芒星を利用する』だろ? ……んー、分からんな。」

 

杖明かりで漆黒の板を照らしつつ、霧雨魔理沙は困った気分で呟いていた。直接照らしてみても何も起きないし、五芒星の中心に立ってやってみてもダメ。陽光の呪文に変えてみても意味がなく、光を図形に沿って動かしてみてもうんともすんとも言ってくれない。お手上げだぞ。

 

よく晴れた三月十日の昼過ぎ、私と咲夜はスリザリンのサインがあるかもしれない『特別牢』の中に入れずに四苦八苦しているのだ。これ以上のヒントを入手するのは難しそうなので、空き時間を使って思い付くままに様々な方法を試しているわけだが……むう、ダメだな。もうそれらしい方法が思い浮かばない。

 

巨大なため息を吐きながら牢の入り口を塞いでいる板をぺちぺち叩いている私に、床に座り込んで図書館から借りたルーン文字学の本を読んでいる咲夜が応じてくる。

 

「『五芒星は黄金比を内包したバランスの良い図形で、ルーンの構成の土台によく使われる』ですって。黄金比は関係ない?」

 

「辺の長さの話だろ? 私にはさっぱり理解できなかったぜ。」

 

「まあ、難しそうな内容よね。こういうのって数占いの分野なのかしら? ダメ元でベクトル先生にも質問してみる?」

 

「黄金比ってのはピンと来ないけどなぁ。今度見かけたら聞くだけ聞いてみるか。……なあ、いっそのことミニ八卦炉で吹っ飛ばしたらダメか? いけそうな気がするんだが。」

 

ミニ八卦炉が入っているポケットをぽんと叩きながら提案してみれば、咲夜はアホを見る目で反対してきた。失礼なヤツだな。

 

「貴女ね、ホグワーツ城を壊す気なの? ダメに決まってるでしょうが。」

 

「いやいや、パワーはもちろん抑えるぞ? 三年前みたいな『砲撃』をぶっ放そうってわけじゃないぜ。あの板だけを壊す程度でやれば問題ないだろ?」

 

「……やれる自信があるの?」

 

「要するに力を一点集中させて他に被害が出ないようにすればいいわけだし、今の私ならそこまで難しくないと思うぜ。八卦炉の力を使っても壊せないほど頑丈ってのは考え難いしな。……唯一の問題は、謎を『不正』な方法でスキップしちゃうって点にあるわけだが。」

 

正直なところ、ミニ八卦炉を使った強硬策はあまり採りたくない手段ではある。何というか、卑怯な気がして嫌なのだ。グリフィンドールしかり、ハッフルパフしかり、レイブンクローしかり。今までのサインは謎解きという形の『挑戦』の先に隠されていた。それを強引な方法でスキップしてしまうのは、謎の制作者を侮辱する行為に他ならないだろう。

 

謎を解明すべき立場である魔女見習いとしての私も、フェアプレーを重んじるべきクィディッチプレーヤーとしての私も、障害があってこそ発見は煌めくものだと思っている一個人としての私も。無粋な強硬手段を選ぼうとしていることに心の中の霧雨魔理沙たちが反対してくるが……おおう、迷いなく頷いたな。咲夜は『何で早く言わないんだ』とばかりに返事を寄越してくる。

 

「じゃあそれでいいじゃないの。マーリンや他の三人がどうかは知らないけど、スリザリンはそれで納得してくれるでしょ。どんな手段を使ってでも目的を遂げろって主張してた人なんだから。」

 

「……そりゃまあ、そうだけどよ。悔しくないのか? 正攻法で解いてこその謎だろ。」

 

「リーゼお嬢様なら迷わずやるし、レミリアお嬢様も間違いなくやるでしょうね。だったら私はそれを肯定するわ。臨機応変ってやつよ。」

 

「そういえばお前、組み分けの時にグリフィンドールに『させた』んだったな。」

 

うーむ、騎士道精神のグリフィンドールやフェアなハッフルパフ的な考え方ではないし、過程を重んじるレイブンクロー的なそれとも違うな。何をおいても結果を優先するスリザリン的な判断だ。別にその考え方が悪いとは言わんが。

 

「言っておくけど、私だって真正面から挑むのが悪いとは思ってないのよ? だけどね、魔理沙。貴女の本来の目的はサインじゃなくて、魅魔さんの課題を果たすことでしょう? そもそもサインがマーリンの隠し部屋に繋がってる保証なんて無いし、その隠し部屋に逆転時計があるかどうかも不明じゃないの。いちいち正攻法に拘って足踏みしてたらいつまで経っても終わらないわよ。」

 

「……ごもっとも。」

 

六年生に入る前に課題を提示されて、今や年が明けた三月だ。咲夜の言う通りフェアプレーに拘って躊躇している余裕は無いな。立ち上がって持ち込んだ本を避難させ始めた咲夜を横目に、ポケットからミニ八卦炉を取り出して起動させた。

 

「んじゃ、一応盾の呪文を使っておいてくれ。多分大丈夫だとは思うが、もしかしたら破片とかが飛ぶかもだから。」

 

「オーケーよ。……しつこいようだけど、威力は慎重に抑えなさいよ? やり過ぎると貴女だって危ないんだから。」

 

「分かってるって。練習は日々重ねてるんだから、そこは心配いらんぜ。」

 

微かな唸りを上げている八卦炉を両手で構えて、漆黒の板に照準を合わせる。今から使おうとしているのは、三年前に派手に校庭を抉った『あれ』の超小規模版だ。とりあえず限界まで細く照射して小さな穴を空けることを目標にしよう。そしたら徐々に照準を動かして人が入れる程度に板を焼き切ればいい。

 

炉の力を増幅しつつ慎重に狙いを定めてから……おし、いくぞ。その力を解放した。すぐさまミニ八卦炉から飛び出した真っ白な細い光の線が、刹那の間を置いて真っ黒な板に激突した瞬間──

 

「あっ……ぶねぇ。ゾッとしたぜ。」

 

照射した光が見事に反射してこちらに返ってきた。頬を掠めるように跳ね返ってきた光線に肝を冷やしつつ、即座に八卦炉を停止させて呆然としていると、慌てて駆け寄ってきた咲夜が声をかけてくる。正確に真正面から撃っていたら、真っ直ぐ私に跳ね返ってきて死んでいたかもしれないな。危なかったぞ。

 

「ちょっ、何してるのよ! ……大丈夫? 怪我は?」

 

「いや、平気だ。頭のすぐ横を抜けてったからな。……おいおい、マジで危なかったぜ。今私、死にかけたぞ。そっちには飛んで行かなかったか?」

 

「こっちには来てないわ。斜め上の壁を抉ってたわよ。ほらここ、綺麗に穴が空いてるでしょ? ……びっくりしたわ。まさか反射するとは思ってなかったもの。」

 

「私もだぜ。……いやぁ、マジでビビった。迂闊にやるもんじゃないな、こういうのは。」

 

あとほんの少し反射角がズレていたら、私は自分が放った光線に頭を貫かれて死んでいたわけか。随分と手の込んだ自殺になるところだったな。背後の壁にしっかりと残っている、光線と同じ大きさの小さな穴。それを見ながらゴクリと唾を飲み込んでいると、真っ青な顔でしゃがみ込んだ咲夜が口を開いた。

 

「ひょっとしたら、今のが一番の命の危機だったかもね。……つまり、貴女がイギリスに来てから一番危なかった瞬間ってこと。」

 

「ああ、私もそう思う。人生で一番危なかったな、今のは。去年のトーナメントの落下の危機をたった一年弱で更新するとは、我ながらアホみたいな話だぜ。」

 

「……安心したら腰が抜けちゃったわ。板はどうなの? 危険を冒した甲斐はありそう?」

 

「残念ながら、傷一つ無しだ。……どうなってんだよ、この板。あんなに綺麗に反射してくるのは予想外だったぞ。」

 

あまりにも唐突に訪れた『命の危機』を受けて、私と咲夜が現実感を失いながら話している視線の先には、傷どころか焦げ跡すら無い真っ黒な板が変わらず鎮座しているわけだが……奇妙だな。前に立っても姿を映すわけじゃないのに、鏡とか以上のレベルで光を反射するのか。その辺の物理法則には詳しくないものの、これが『おかしなこと』だってのは何となく分かるぞ。

 

つまるところ、魔法だ。ここは魔法の城で、これは魔法使いが設置したと思われる板なんだから、『おかしなこと』に魔法が関係していると考えるのは当たり前の帰結だろう。一切の熱すら持っていない光が当たった箇所に手を触れている私へと、咲夜が壁を支えに立ち上がりながら発言を投げてきた。

 

「……もしかして、スネイプ先生のヒントはそういうことなんじゃないの?」

 

「どういう意味だ?」

 

「だから、杖明かりを反射させてどうこうするってことよ。ルーモス(光よ)。」

 

説明しながら杖明かりを灯した咲夜は、それを細い光の線にして板に照射する。すると真っ黒な表面に当たった青白い光の線は……おー、綺麗に反射しているな。『無害な光』だと美しく見えるぞ。

 

「なるほどな、その反射光をどこかに当てるとか?」

 

「かもしれないわね。……でも、それらしい『標的』がこの空間の中にある?」

 

「あー……まあうん、無いか。四つの部屋と一緒にぶっ壊されちまったのかもしれんな。」

 

「だけど学生時代のスネイプ先生が部屋に入れている以上、破壊された後のこの状態でも何とかなるはずよ。」

 

ふむ、そうなると有り得そうな標的は……まあ、これだけだろ。今まさに光が当たっている板を指差して意見を放つ。

 

「じゃあ、ここだろ。この板。」

 

「一度反射させた後にもう一度当てるってこと? そうなると鏡が必要ね。」

 

「だな、どっかから持って──」

 

くるりと板の前で振り返って応答したところで、ふと床の五芒星が目に入ってきた。頂点の角がこちらを向いている五芒星がだ。

 

「……五芒星に沿って反射させるんじゃないか? それだとバブリングの助言とも一致するぞ。」

 

「五芒星に沿って? ……そうね、四つの部屋の前に鏡を置けば可能だわ。そうよ、そんな気がしてきた。早く試してみましょ。」

 

私と同じくピンと来たらしい咲夜に首肯した後、鏡をどっかから借りてくるために地下通路を早足で歩き出す。五芒星は一筆書きが出来る図形だから、上手く反射させれば光の線でそれを描くことが叶うだろう。うん、きっとそうだ。私のカンもそれで正しいと主張しているぞ。

 

───

 

「正確に配置しないとだからな。高さと距離を合わせて浮かせておいてくれ。」

 

そして談話室に居た同級生たちに頼んで二枚の手鏡を借りた私と咲夜は、自分たちが使っている二枚と合わせた計四枚の鏡を使って特別牢を開こうと奮闘していた。浮遊魔法の細かい制御は咲夜の方が上手いので、私が光を照射する係に、咲夜が四枚の手鏡を操作する係になったのだ。

 

「ちょっと待ってってば。案外難しいのよ、これ。やっぱり大きめの姿見か何かを持ってきた方が楽だったと思うわよ?」

 

「直立させられる姿見を四つも持ってくるのは面倒だろ。……まあ、先ずは手鏡で試してみようぜ。光を当てた状態で微調整していこう。ルーモス(光よ)。」

 

言いながら私が左斜め後方から板へと光を当ててみれば、それが反射して右斜め後方へと向かっていく。最終的には私の杖明かりと重なるようにもう一度光線が通り抜けるわけだし、杖や私の身体が光の道筋を塞がないようにしないといけないな。杖明かり自体は杖のほんの少し上から照射しているので、四枚の鏡を反射してきた光が通り抜けることは不可能ではないはず。

 

かなり集中している様子の咲夜が杖を振って、右後方の鏡を動かすと……おしおし、いいぞ。そこから反射した光が私の左前方にある鏡に、そして右前方へと繋がっていった。

 

「魔理沙、しゃがんで杖を突き上げて頂戴。このままだと貴女の背中に当たっちゃうわ。」

 

「おう、了解だ。」

 

これを一人でやるのは結構な手間だし、スネイプは恐らく鏡の方を固定したんだろう。そう思いながら微調整を続ける咲夜のことを眺めていると、とうとう頭上の光の線が歪な五芒星を描き切る。あとは私の入射点と最後の反射光をぴったり合わせるだけだ。

 

「……んん、角度が難しいわ。どこかをズラすと全部がズレちゃうわね。魔理沙、杖を少しだけ右に動かして。拳一つ分くらい。」

 

「真っ直ぐ右だな? ……どうだ?」

 

「そこでオーケーよ。……あー、やっぱりダメだわ。真っ直ぐ前に一センチくらいズラして頂戴。それと光が微妙に斜めになってるから、入射点を固定したままで手を上に動かして。ほんのちょっとだけでいいから。」

 

「あいよ。」

 

しゃがんでいる私からだときちんと見えないので、調整は全体を見渡せる咲夜に任せるしかないな。ちなみに床の五芒星とぴったり同じ位置にするやり方だとズレてしまう。五芒星の頂点と板との間には隙間があるので、板に照射したい場合はちょびっとだけ大きめの五芒星を描く必要があるからだ。空間そのものが真円なので距離の方は単純に他の部屋の扉があった位置に合わせれば問題ないが、鏡の高さや角度は咲夜の腕次第ということになる。

 

何度か咲夜の指示で杖を動かしていると、徐々に二つの光の線が近付いていき、それがぴったり重なったところで──

 

「おお、カッコいいな。」

 

「……開いたわね。達成感はあるけど、疲れたわ。」

 

まるで光が重なったその地点から溶けるように、特別牢の入り口を塞いでいた板に穴が空き始めた。真っ黒な飴が溶けてるみたいだな。急速に広がっていく穴は、数秒も経たないうちに板を完全に溶かし切ってしまう。おっし、これでようやく中に入れるぞ。

 

早速とばかりに踏み込もうとした私へと、鏡を床に下ろした咲夜が注意を投げてくる。

 

「これって、中に入ってる状態で元通りになったりしないわよね? そうなると私たちは閉じ込められちゃうわけだけど。」

 

「……そもそも牢屋なんだし、有り得るかもな。」

 

スネイプが出入りしていたのに板がまだ存在していたということは、少なくとも入り口の板が『再生』することは間違いないわけか。不安な気分で足を止めた私に、咲夜が肩を竦めて提案してきた。

 

「私がここで待ってるわ。開け方はもう分かってるわけだし、最悪の場合マクゴナガル先生とかに助けを求めれば出てこられるでしょう。」

 

「いいのか? ここまで苦労したんだから見たいだろ? 中。」

 

「貴女の方が気になってるでしょうし、先に見てきて頂戴。私はここから覗いてるわ。」

 

「悪いな、それならお先に失礼するぜ。」

 

咲夜に首肯してから、杖明かりを翳した状態で特別牢の中に入ってみれば……んー、思っていたよりもずっと広いな。真っ暗な室内の光景が視界に映る。

 

左右に広い長方形の部屋になっていて、壁も床も天井も入り口の板と同じ材質で構成されているらしい。上下左右のどこを見ても、滑らかで真っ黒な壁が囲んでいるってのは……些か以上に不安な気持ちになってくるな。地下通路の石壁よりも遥かに閉塞感があるぞ。

 

そして右側の壁際には、古い調合用の鍋やハードカバーの本なんかが大量に置かれているようだ。近付いて本を拾い上げてみると、『基礎魔法薬学』というタイトルが目に入ってきた。その隣には空の小瓶や青い液体が入ったままの試験管が転がっている。

 

「どう? サインは見つかった?」

 

「……サインはまだだが、もう一人の痕跡は見つかったぜ。」

 

入り口から呼びかけてくる咲夜に答えつつ、本の下に挟まれていた古い羊皮紙を手に取った。杖明かりでそれを照らしてみれば……うん、低学年の魔法薬学の授業中に何度も見た筆跡だ。これはスネイプがこの場所に居た痕跡なのだろう。スネイプの筆跡で自己流の魔法薬のレシピらしきものが書き連ねられている羊皮紙の隅には、『マルシベール、攪拌は慎重に行うように。談話室で教えた通りだ。』と軽い伝言のようなメモ書きがあり、更に隣に『君は神経質すぎる。』という別人の文字が並んでいる。

 

スネイプは誰かと二人でこの部屋を利用していたのかな? 『マルシベール』ね。聞き覚えのない名前に首を傾げてから、次に部屋の反対側を調べに向かう。教師をやっていた頃も入ろうと思えば入れたはずだが、どうもスネイプは再びここに足を踏み入れなかったらしい。あるいは入ったけど片付けはしなかったんだろうか?

 

そんなことを考えながら、壁沿いに歩いて反対側に到着すると……あったぞ。部屋の入り口から見て左手の奥の角。その場所に文字の形をした傷が並んでいるのが見えてきた。

 

『親を疑え、子を疑え、絆を疑え、愛を疑え。そして何より友を疑え。信じる者はいつか裏切られる。』か。格言というか、警告みたいな内容だな。その下に刻まれている『サラザール・スリザリン』という名前を目にして、頭を掻きながら深々と息を吐く。一概に賛同は出来んが、同時に一理ある考え方だとも思ってしまうぞ。裏切られるのは信じた者だけなのだから。

 

「最後の鍵を見つけたぞ、咲夜! スリザリンのサインだ!」

 

スリザリンは誰かを信じて、そして裏切られたんだろうか? 文字を読むためにしゃがみ込みながら背中越しに報告した後、ゆっくりと立ち上がった私に……部屋の入り口から声がかかった。咲夜のものではない声がだ。

 

「お見事、ミス・キリサメ。君たちがここまで早く見つけるのは予想外だった。つくづく面倒なことになったものだよ。」

 

「……チェストボーン?」

 

「杖を落として両手を上げて、その場から決して動かないように。余計な動きをすればミス・ヴェイユの命は無いと思ってもらおう。」

 

ぴくりとも動かない咲夜のことを左手で抱えながら、その首筋に右手で杖を当てているチェストボーン。あまりにも意味不明な状況に一瞬思考を止めた後、とりあえず杖を床に落として抵抗の意思が無いことを示す。……落ち着け、考えろ。先ずは何が起こっているのかを把握するんだ。

 

「どういうことだ?」

 

「そら、始まった。『どういうことだ』だと? 忌々しい、本当に忌々しい。この城のガキどもは常にそれだ。少しは自分の頭で考えることが出来ないのかね?」

 

「……咲夜に何したんだよ。」

 

「質問はお優しい他の教師たちにしたまえ。君はただ黙ってそこに突っ立っていればいい。そうすれば……ああ、結構。もう動いて構わんよ。」

 

チェストボーンが咲夜に杖を向けたままでそう言ったところで、彼と私との間にある入り口の板が徐々に元通りになっていく。まるで空間を侵食するように再生していく真っ黒な板を見て、慌てて駆け寄ろうとした私へと……チェストボーンが無感動な表情で口を開いた。

 

「ミス・キリサメ、一つだけ教えてあげよう。そこから出るには入った時と同じく鏡が必要だ。……中にあった鏡は私が片付けてしまったがね。」

 

私をここに閉じ込める気か。台詞の最後で冷笑したチェストボーンの顔が板に阻まれて見えなくなり、入り口から差し込んでいた微かな光が無くなって部屋が真っ暗になる。……くそ、マズいな。何がなんだか分からんが、兎にも角にもチェストボーンが私を幽閉したってことは確実だ。そりゃあ咲夜と二人で『チェストボーンが怪しい』ということに関しては話し合っていたが、こんな急展開になるのは予想外だぞ。

 

即座にポケットから取り出したミニ八卦炉を起動させて明かりを灯した後、落とした杖を拾い上げた。チェストボーンがこんなことをする理由は不明だし、いきなりの展開に内心では困惑しているものの、今はとにかく気を失っていたらしい咲夜を助け出さねば。つまり、一刻も早くこの部屋から出る必要があるわけだ。

 

当然のことながら私は鏡なんぞ持っていないし、具体的にどう使えば内側から出られるのかも分からない。だけど、私には鏡の代わりにミニ八卦炉がある。かの図書館の大魔女をして『強力である』と言わしめた魔道具が手元にあるのだ。あんまり舐めんなよ、チェストボーン。お前は知らんだろうが、私はいざとなったら何だって仕出かす女だぞ。

 

反射してしまう光線がダメなら、他の手段でぶっ壊しちまえばいい。派手にやると多少城が崩れるかもしれないが……ええい、知ったことか。後でマクゴナガルに事情を説明すれば許してくれるはずだ。ホグワーツはもちろん大切だが、私にはそれより大事なものがある。今は何よりも咲夜の安全を最優先にしなければ。大魔女魅魔の弟子を怒らせたことを後悔させてやるからな。

 

右手で獰猛に唸りを上げるミニ八卦炉を入り口の方に向けながら、霧雨魔理沙は来たる衝撃に備えて左手で盾の呪文を使うのだった。

 



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大魔女の砂時計

 

 

「……ああ、もう起きたのかね? ミス・ヴェイユ。大いに結構。では、クルーシオ(苦しめ)。」

 

覚醒したばかりの頭が状況を認識する間も無く、いきなり襲い掛かってきた耐え難い激痛。身体中の血管に無数の鋭いトゲが刺さっているかのような、全身があらゆる方向に無理に捻じ曲げられているかのような、煮え滾る熱湯の中に浸かっているかのようなその激痛を受けて、サクヤ・ヴェイユは苦悶の声を上げていた。

 

「状況を理解したかな? 君は私の支配下にあるということを。分かったなら頷くんだ。」

 

激痛が身体を通り過ぎた後、反射的に能力を使おうとするが……ダメだ、いつものように世界が停止してくれない。そのことにどうしようもない頼りなさを覚えつつ、次に周囲を確認する。どうやら私は石造りの地面に横たわっているらしい。手首と足首をロープで縛られた状態でだ。

 

「聞こえていないのかね? きちんと返事をするんだ、ミス・ヴェイユ。クルーシオ。」

 

再び襲ってくる激しい痛み。息が止まり、悲鳴すら上げられないほどの苦痛。思考をぐちゃぐちゃにしながらそれが通り過ぎることを願ってひたすら耐えていると、痛みが止まると共に再度誰かが……チェストボーン先生? 私を見下ろしているローブ姿のチェストボーン先生が呼びかけてきた。

 

「どうかな? 痛いだろう? 磔の呪いが嫌なら次からはしっかりと返事をするんだ。」

 

「……どうして? 一体何が──」

 

「また『どうして』か。本当に忌々しい。教師というのはあまりにも度し難い職業だ。何故愚かなガキどもに懇切丁寧に教えを授けてやらねばならない? 学ぶ意欲も自制心も無い癖に、文句だけは一人前のクズどもめ!」

 

「うぐっ……。」

 

言葉と同時に思いっきり顔面を蹴られて、反動で背にしていた壁に後頭部を打ち付ける。理不尽な痛みと、訳も分からずこんなことをされる恐怖。怖くて泣きそうになる心を何とか奮い立たせつつ、可能な限りに顔を上げて改めて状況を確認した。

 

視界に映っているのは薄暗くて広い部屋だ。奥の方に巨大な……砂時計? 全長三メートルほどもあるガラス製の大きな砂時計が鎮座している、空き教室程度の広さがある石造りの部屋。床には本や工具、何かの部品のような物なんかが無造作に転がっており、壁には等間隔に緑色の炎を灯す松明が掛かっている。

 

そして私は後ろ手にロープのような物で固く縛られていて、足首も同じように拘束されているらしい。頭を下ろして石の地面の冷たさを頬で感じつつ、蹴られた鼻から血が出ていることを自覚したところで、チェストボーンが横たわる私のお腹を踏みつけてきた。

 

「おまけにこそこそと嗅ぎ回って、私の大切な研究を邪魔してくる始末だ。さすがはヴェイユの家系だな。鬱陶しさは祖母譲りか。」

 

「ぐっ……何を言って──」

 

「いい加減に『何』はやめろ! ガキが! 私はいちいち答えてやるほど甘くはない!」

 

大声と同時にもう一度顔を爪先で蹴られて、耳鳴りと共に意識が遠くなる。朦朧としつつも必死に能力を使おうとしている私の髪を、チェストボーンが掴んで引き摺り始めた。ぜえぜえと荒い息を漏らしながらだ。

 

「君は余計なことを言わず、質問にだけ答えていればいい。そうすれば君は痛い思いをしないで済むし、私も疲れずに済むんだ。簡単な話だろう? ……では一つ目の質問だ。君は『始まりの逆転時計』の存在を知っているのか? それをスカーレットかバートリに伝えたか? 答えろ!」

 

「……『始まりの逆転時計』?」

 

私を部屋の奥にある砂時計……細かい装飾が入った銀の支柱で地面や壁に固定されているそれの近くまで引き摺っていった後、髪から手を離して訊いてきたチェストボーンは、怪訝そうな顔付きで質問を重ねてくる。『オリジナルの逆転時計』のことか?

 

「だからこそお前たちはこの部屋を探していたのだろう? 四人の創始者たちの痕跡を巡礼して初めて辿り着けるこの部屋を。」

 

「私たちは、ただサインを──」

 

「嘘を吐くな! クルーシオ!」

 

三度身体を走る鋭い痛みに悶え苦しむ私へと、チェストボーンが苛々している口調で吐き捨ててきた。

 

「ふん、やはり磔の呪いは効率が悪い。同胞たちはこんなものの何が楽しいのやら。手早く吐かせるならこちらが一番だろうに。インペリオ(服従せよ)!」

 

その瞬間、痛みに包まれていた心を癒すような陶酔感が全身を駆け巡る。蕩けるような安堵が頭を支配する中、『誰か』の声が私を導いてきた。

 

「お前の主人は私だ。いいな? 質問に答えろ。何の目的でこの部屋を探していたのかね?」

 

答えよう。だってそうすべきなのだから。従うべき相手からの問いに正直に答えようとするが……いや待て、違うぞ。私の主人はリーゼお嬢様とレミリアお嬢様のはずだ。私はリーゼお嬢様の『所有物』になったんだから、それ以外の存在に支配されていいはずがない。たとえ神だろうがお嬢様の物を『横取り』するのは許されないはず。

 

思考がそこまで行き着いたところで、陶酔感が霧散して身体中に痛みが戻ってくる。苦痛に顔を歪めつつ黙っている私を見て、チェストボーンは心底意外そうに口を開いた。

 

「……ほう? 興味深い。磔の呪いと服従の呪い。この二つは相性が良かったはずなんだがね。吸血鬼どもから何かしらの訓練を受けているのか?」

 

「訓練なんか受けなくても、私は骨の髄までバートリとスカーレットのものよ。あんたなんかに支配できるわけないでしょ、間抜け。」

 

「減らず口を叩くな、小娘が! 自分の立場をまだ理解していないようだな!」

 

怒ったらしいチェストボーンにお腹を勢いよく蹴られて吐き気が込み上げてくるが、それでも負けじと大間抜けのくそじじいの顔を睨み付ける。痛いし、怖いし、泣きそうだし、もしかしたら死ぬかもしれないけど、私にとっての一番の恐怖はお嬢様たちのものではなくなることだ。そこだけはお前なんかにどうこうさせてやらないぞ。

 

涙と鼻血でぐしゃぐしゃになりながらも睨んでいる私を目にして、チェストボーンは頭を掻き毟って文句を言い始めた。ヒステリックな甲高い声でだ。

 

「あああ、忌々しい。くそ、くそ、くそ! どこまでも忌々しい状況だ! 折角見つけた『始まりの逆転時計』は何の役にも立たないし、小娘どもは邪魔をしてくる! ……申し訳ございません、我が君! 愚かな私をお許しください! 必ず救い出してみせます!」

 

『我が君』? どこかで聞いたような言い回しだな。急に虚空に向かって謝り出したチェストボーンを前に、口の中の血を地面に吐いてから声を上げる。蹴られた拍子に口の内側を切っちゃったようだ。今更そんなことは気にならないけど。

 

「……ヴォルデモートの部下なのね?」

 

「きさっ、貴様! その名を軽々しく口にするな! 偉大なる闇の帝王の邪魔をする虫ケラが! マグル好きのカスどもが! 血を裏切る愚か者が! 我が君の御名を軽々しく語るんじゃない!」

 

真っ赤な顔でこちらに振り返ったかと思えば、チェストボーンは唾を撒き散らして烈火の如く怒鳴りながら私のことを何度も何度も蹴りつけてきた。歯を食いしばってそれに耐えつつ、マクゴナガル先生に恨みの思念を送る。この学校はまた『隠れ死喰い人』を雇ったのか。そろそろ学習して欲しいぞ。

 

どうにか蹲って少しでも身を守ろうとしている私を踏みつけたり蹴ったりしていた『ヒステリーじじい』は、十数回も蹴り続けた挙句に勢い余って勝手に尻餅をついた後、荒い息を吐きながら立ち上がって文句を再開してきた。蹴りに威力がなくなってきているぞ、情緒不安定のイカれ野郎め。スタミナ勝負は私の勝ちだな。

 

「我が君が、我が君が死ぬなどあってはならない。だから変えねばならんのだ! この間違った世界を正さねばならんのだ! ……そうだ、そうしなければならない。それが私の使命なんだ。私はそのためにずっと耐えてきたんだぞ! 邪魔はさせない。誰にも、誰にも──」

 

つまり、何らかの理由で『強力な逆転時計』がホグワーツに隠されていることを知ったチェストボーンは、それを使ってヴォルデモートを復活させようとしているのか? 過去に戻って、歴史を変えることで。……詳細な経緯は全然分からないけど、こいつの『目的』だけははっきりと把握できたな。

 

ブツブツと呟きながら砂時計の支柱に手を当てて息を整えているチェストボーンを横目に、手や足を力の限りに動かして拘束を解こうとするが……やっぱりダメだ。きつく結ばれていて身体的な拘束はどうにもならないし、どれだけ集中しても能力が上手く働いてくれない。こんなことは初めてだぞ。

 

芋虫のようにジタバタしながら打開に繋がる物はないかと探していると、チェストボーンが杖を構えてこちらに近付いてきた。未だにぜえぜえと息を荒くしたままでだ。さっきの『運動』が余程に堪えたらしい。

 

「服従させられなかった以上、私の腕では開心術も効果がないだろう。あの下賤なコウモリどもが何をしてくるか分からないし、忘却させて解き放つのも論外だ。ならば殺すしかない。……それで正しいはず。私は間違っていない。お前は『行方不明』になってそれで終わりだ。」

 

「……後悔するわよ。私を殺したが最後、お嬢様方は必ずあんたにたどり着くわ。」

 

「分かっていないようだな、愚鈍な娘め。この砂時計の使い方が判明するまでの間だけ、私が疑われなければそれで充分なのだ。この間違った世界は『無かったもの』になるのだから。スカーレットもバートリも、私から『未来』を聞いた我が君が始末してくださるだろう。お前はそもそもあのコウモリどもと出会うことすらなくなる。……いや、生まれないかもしれんな。その前に母親も父親も死ぬだろう。お前など所詮その程度の存在だ。」

 

……それは嫌だ。私がお嬢様方に出会えない世界なんて認められない。死ぬことよりもそっちの方が嫌だぞ。心の奥底が恐怖で冷たくなっていくのを感じながら、何とかして抵抗しようと必死に身体を動かすが、チェストボーンは杖を真っ直ぐ私に向けて──

 

「さらばだ、愚かなヴェイユの末裔。闇の帝王への供物としてその命を──」

 

勝ち誇った表情のチェストボーンが台詞を終わらせようとした瞬間、何かが破裂したような聞き慣れない轟音と共に、彼の身体が凄い勢いで斜め上に吹っ飛んで壁に激突した。透明な巨人にぶん殴られたみたいな動きだったな。いきなりの状況に唖然としていると、駆け寄ってきた誰かが……魔理沙! 魔理沙が私の身体を支え起こしてくれる。

 

「咲夜! おい、大丈夫か? 顔が血だらけだぞ。」

 

「大丈夫ではないけど、生きてるわ。殆どは鼻血よ。……何をしたの?」

 

あまり弾まない古いゴムボールみたいに跳ね返って地面に落ちた後、ぴくりとも動かなくなっているチェストボーンを見ながら問いかけてみれば、魔理沙は手に持っていたミニ八卦炉を示して説明してきた。

 

「空気の塊を勢いよく当てたんだ。呪文より早く撃てるからな。……ちょっと待ってろ、今顔を治すから。」

 

「先ず縄を解いて頂戴。……というかこの状況は何なの? 私、気が付いたらここで縛られてたんだけど。貴女が特別牢の中を調べるのを外から眺めてたのは覚えてるけど、そこで記憶がぷっつり途切れてるわ。」

 

「多分、後ろから呪文で気絶させられたんだろ。その後チェストボーンがお前を人質にして、私を牢に閉じ込めやがったんだよ。……固すぎて解くのは無理だな。動くなよ? ディフィンド(裂けよ)。」

 

八卦炉から杖に持ち替えて縄を切断しようとしている魔理沙に、首を傾げながら疑問を飛ばす。

 

「特別牢に閉じ込められたの? でも、貴女はここに居るじゃない。」

 

「ミニ八卦炉で入り口をぶっ壊して出てきたのさ。予想以上に頑丈だったから少し時間がかかったし、焦ってた所為でちょびっとだけホグワーツ城を崩しちまったが、それはまあ仕方ないだろ。後でマクゴナガルに謝ればいい。そんでもって急いでチェストボーンを探そうと地下通路を走ってたら、初めて見る通路を見つけたんだよ。奥にマーリンの紋章が刻まれたドアがある通路をな。だから怪しいと思ってそのドアに入って、この部屋に続く短い通路を抜けてみれば──」

 

「チェストボーンに杖を向けられてる私が居たってことね。……あいつは『四人の創始者たちの痕跡を巡礼して初めて辿り着ける部屋』って言ってたわ。要するに、サインを全部巡れば部屋が見つかるってことなんじゃないかしら?」

 

『巡礼』か。マーリンにとって四人の創始者の存在はそれだけ重要だったということなのだろう。……けど、ペティグリューさんはどうなるんだ? サインのことなんて一言も口にしていなかったぞ。

 

魔理沙に拘束を解いてもらいながら悩んでいると、杖を慎重に動かしている親友が予想を寄越してきた。同じことを考えていたらしい。

 

「つまりよ、ペティグリューは『サインを見たことになった』んじゃないか? この隠し部屋が何を以って『サインを見た』と判断してるのかは分からんが、サインの近くに仕掛けがあったとすれば筋が通るぜ。ペティグリューが通過したパイプはどれもサインのすぐ側を通ってたからな。」

 

ハッフルパフのサインだけは簡単に近付ける位置にあったけど、レイブンクローのサインは床の下で、グリフィンドールのサインは壁の中、おまけにスリザリンのそれは特別牢の奥にあった。普通なら仕掛けを解かなければ近寄れない位置だが、ネズミの姿になれるペティグリューさんだけはそうじゃなかったわけか。ルートを見るに、彼はサインのすぐ裏を通っていたことになるのだから。

 

「意図せずして『巡礼』を達成してたってことね。でも、人間の姿だと見つけられなかったのはどうしてなのかしら? 一回の巡礼につき一回だけしか入れない部屋ってこと?」

 

「実際のところは分からんけどよ、詳しく考えるのは後でいいだろ。……しかし、何で能力を使わなかったんだ?」

 

「理由は不明だけど、使えないのよ。私だって何度も使おうとはしたわ。……私の杖はどこかしら? 取り上げられたみたいね。」

 

縄の痕が残っている手首を摩りながらホルダーに手をやるが、そこにあるべき杖は収まっていないようだ。気絶させられる前に仕舞った覚えがあるので、チェストボーンに回収されたと見るべきだろう。とはいえ、常に隠し持っているナイフの方は無事なはず。

 

ナイフは鞘付きで服の下に隠しているんだから、それも取り上げられたとなると服を脱がされたことになるわけだが……良かった、無事なようだ。変なことをされていなかったことに安心しつつ、抜いたナイフを片手に魔理沙へと声を投げる。

 

「足の縄は自分でやるわ。杖はないけど、ナイフがあるから。」

 

「んじゃ、顔を治すぞ。エピスキー(癒えよ)。……殴られたのか?」

 

「しこたま蹴られたのよ。磔の呪いと服従の呪いも使われたし、貴女が一歩遅ければ禁じられた呪文を『コンプリート』するところだったわ。絶対に許さないから、あの暴力じじい。」

 

後で同じ回数だけは意地でも蹴ってやるからな。地面にうつ伏せに倒れているチェストボーンを睨んでから、魔理沙に顔を治してもらいつつナイフで足の縄を切断した。そのまま自由になった両手両足がきちんと動くことをチェックしていると、応急処置を終えた魔理沙が私の背後にある巨大な砂時計を見ながら話しかけてくる。

 

「特別牢をぶっ壊して脱出した後、ここに来る途中でたまたまギデオンとすれ違ったから、マクゴナガルへの伝言を頼んでおいたぜ。チェストボーンについては校長閣下が『然るべき対処』をしてくれるだろうよ。……で、これは何なんだ? 見たところどデカい砂時計なわけだが。」

 

「貴女は何だと思う?」

 

「そりゃあお前、答えは一つだろ。」

 

まあ、そりゃそうだ。何の関係もない砂時計であるはずがない。肩を竦めて言った魔理沙に首肯してから、砂時計の支柱を支えに立ち上がった。これこそが大魔女である魅魔さんが作り、マーリンが隠した『オリジナルの逆転時計』なのだろう。

 

よく見れば砂時計を固定している銀の支柱には等間隔に同じ形の装飾があって、どうもその一つ一つが可動するように作られているらしい。普通の時計を模した装飾なんだろうか? それが砂時計の左右に三つずつあり、一つの時計につき一本ある針が動くようだ。時計というか、むしろマグル学で習った自動車のメーターみたいだな。

 

「……あの針でどこまで『逆転』するのかを設定するとか?」

 

「んー、そうかもしれんな。んでよ、チェストボーンはそもそも何のために──」

 

「魔理沙、後ろ!」

 

問いに応じようとしたところで、振り向いた私の視界によろよろと立ち上がっているチェストボーンの姿が映る。魔理沙からだと背を向けていて見えない位置だ。親友に短く注意を送った後、使えないことを思い出す間も無く咄嗟に時間を止めようとすると──

 

「わっ。」

 

「うおっ。」

 

私が能力を使おうとした刹那、手を触れていた砂時計がぐるりと横方向に半回転して、部屋の宙空に異音を立ててヒビが入り始めた。同時に地面が激しく揺れて杖を振り上げていたチェストボーンがすっ転び、私も砂時計の回転に弾き飛ばされて石の床に倒れ込む。

 

「おい、咲夜!」

 

憂いの篩で場面が切り替わる時みたいだ。まるで世界が崩壊するように空間を蝕むヒビがどんどん増えていき、風景の欠片がガラガラと崩れ落ちていく中、慌てた様子の魔理沙が私の手を掴んだ瞬間──

 

「ちょっ。」

 

落下だ。ガシャンという何かが割れるような音と共に世界が完全に崩れ去って、真っ暗な闇の中へと落ちていく。唯一の確かなものである親友の手をギュッと握り締めながら、サクヤ・ヴェイユは深い深い闇の中へと落下していくのだった。

 



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初動捜査

 

 

「競技場で自主練を終えた後、チームメイトたちと一緒に談話室に戻る途中だったんです。そしたら地下通路の奥から物凄い音……爆発みたいな音が何度か聞こえてきたので、何があったのかと思ってそっちに行ってみたら、慌てた様子で走っているマリサとすれ違いまして。」

 

神妙な顔付きで経緯を説明しているがっしりとした体格のスリザリンの七年生……確か、ギデオン・シーボーグだったか? 去年のクィディッチトーナメントで代表ビーターをしていた男子生徒の声を耳にしつつ、アンネリーゼ・バートリはソファに身を預けて沈黙していた。

 

現在の私とアリスが居るのは、夕食時のホグワーツの校長室だ。マクゴナガルからの知らせを受けてホグワーツに移動した後、昼過ぎに起こった『失踪事件』に関する説明を聞いているのである。……つまるところ、咲夜と魔理沙が姿を消したという事件についての説明を。

 

黙考している私とアリスへと、『最後の目撃者』として呼び出されたシーボーグが話を続けてきた。その背後の執務机には真剣な表情のマクゴナガルの姿もある。

 

「マリサは『チェストボーン先生がヴェイユを攫ったから、校長に急いで伝えてくれ』みたいなことを早口で捲し立てたかと思えば、すぐに角を曲がって走って行きました。あいつが悪趣味なジョークを言うヤツじゃないってことは知ってますし、本気で焦ってる時の顔だったので、後輩に伝言を任せて俺はマリサを追ったんです。何かトラブルに巻き込まれてるなら手伝おうと考えたので。だけど、背を追って角を曲がってみたら──」

 

「そこに姿は無かったと。なるほどね、よく分かったよ。」

 

相槌を打ちながら、記憶を基に思考を進めた。思い当たる節は一つだけだ。『マーリンの隠し部屋』。咲夜と魔理沙が探していた隠し部屋は、地下通路に存在しているはず。詳細は未だ掴み切れていないが、創始者たちのサインが『鍵』になっているという魔女っ子の推理が正しかったということなのだろう。魔理沙は鍵を手に入れたからそこに入れたものの、シーボーグは隠された部屋を認識できなかったわけか。

 

無言で考えている私たちに、マクゴナガルがおずおずと現状を伝えてくる。

 

「報告を受けた直後に私も現場に向かいましたが、マリサとサクヤ、それにチェストボーン先生の姿は発見できませんでした。地下通路の奥にある今は使用していない区画が大きく崩れており、そこで何らかの強力な魔法が使われたことが分かっただけです。ブッチャー先生やバブリング先生の証言から、マリサとサクヤが最近その区画にある特別な地下牢についてを調べていたことも判明しています。……その、こんなことになってしまって申し訳ございません。」

 

「……いいよ、怒っちゃいないさ。これはある程度予想していた展開なんだ。チェストボーンのことだけは予想外だったけどね。」

 

「予想? ……ギデオン、貴方はもう大広間に戻って結構ですよ。ご苦労様でした。後は私たちに任せなさい。余計な混乱を招く恐れがありますから、事件のことはまだ口外しないように。」

 

「はい、分かりました。気を付けます。……だけどあの、また何かあれば言ってください。地下通路が関係してるなら、俺たちスリザリン生が役に立てるかもしれません。」

 

嘗て共に戦った魔理沙のことが心配なのだろう。不安げな面持ちで退室したシーボーグを見送った後、今度は私たちからマクゴナガルへと事情の説明を始めた。二人が見つからないということは、既に遡行したと判断すべきだ。であれば大まかな状況を話したところで問題ないはず。

 

「魔理沙と咲夜は今学期の初めからずっと、この城のどこかに隠されている逆転時計を探していたんだ。二人が失踪したのも、チェストボーンの一件も、恐らくそれに纏わる事象だと思うよ。」

 

「ごめんなさい、マクゴナガル。迂闊に話せなかったの。『過去の咲夜』から現在の彼女に手紙が送られてきたのよ。だから多分、咲夜と魔理沙は探していた逆転時計を発見して、それを使用したんだと思うわ。意図的にそうしたのか、偶然なのかは私たちにも分からないけど。」

 

「それは……しかし、止めるべきでした。逆転時計は非常に危険な道具です。どうして魔法省や私たち教員に知らせずに、二人が探すことを許可してしまったんですか?」

 

真意が掴めないという顔付きで指摘してくるマクゴナガルに対して、眉間を揉みながら解説を放つ。むう、私自身も未だに完璧に把握できていない状況なだけに説明が難しいな。

 

「つまりだね、マクゴナガル。私たちはパラドックスを恐れたんだ。咲夜に探すことをやめさせれば、当然過去の彼女からの手紙は送られてこなくなる。それを防ごうとしていたんだよ。」

 

「それは問題にはならないはずです。遡行自体をやめさせれば何ら危険はありません。」

 

「大いに正しい意見だが、致命的な前提があるんだ。魔理沙が逆転時計を探し始める切っ掛けはその手紙ではなく、また私たちが咲夜の遡行を知った切っ掛けは過去からの手紙だったのさ。その条件下で手紙が送られてこなければどうなると思う?」

 

「……バートリ女史たちの知らぬ間に、結果的にマリサやサクヤが過去に旅立ってしまう可能性があるというわけですか。それでも疑問は残ります。そもそもマリサが逆転時計を探し始めた切っ掛けと、お二人が捜索を許可した理由が分かりません。」

 

さすがにマクゴナガル相手だと話が早いな。状況を理解し始めている校長閣下にちょびっとだけ感心している私を他所に、続いてアリスが口を開いた。

 

「まあその、日本に居る魔理沙の保護者はパチュリーの知り合いなの。彼女をも凌ぐ、信じられないほどに強大な魔女なのよ。その魔女から魔理沙はホグワーツにある逆転時計を破壊するようにと指示を受けたわけ。」

 

「……ノーレッジさん以上の魔法使い? 日本魔法界にはそんな方が? それ以前に、何故その方がホグワーツに逆転時計が隠されていることを知っているのですか?」

 

「知っていた理由は分からないけど、パチュリーと同じようにその人も膨大な知識を持っている魔女なの。信ずるに足る情報だと思うわ。……隠されている逆転時計はとても強力な一品らしいから、それを見つけ出して壊すことに関しては特に否がなかったのよ。」

 

「強力な逆転時計を破壊しようとするのは私としても賛成できます。そこは理解できますし、探すのがマリサやサクヤであれば悪用する危険性もないでしょう。……ですが、バートリ女史かマーガトロイドさんが探すのではダメだったのですか? 今更言っても仕方のないことかもしれませんが。」

 

うーむ、ギリギリのラインの説明だな。マクゴナガルのことをそれなりに信頼できていて、かつパチュリーという強力な魔女が双方の知り合いだから伝わっている感じだ。ほんの少しだけ認識がズレている会話に苦笑しつつ、私からその部分についての弁明を送る。

 

「魔理沙にとってはその魔女に認められるための大切な『課題』だったんだ。そいつは古き良き『師匠と弟子』という関係を重んじている魔女でね。魔理沙も師として尊敬しているから、部外者の私たちが余計な手助けをするのは憚られたのさ。……無論、過去からの手紙が送られてきた時点までの話だが。」

 

「それでも妙です。サクヤやマリサが過去に遡行してしまうことを、貴女がたが甘んじて認めるはずがありません。私とてそうなんですから。……その点にも何か理由があるのでしょう?」

 

「勿論あるよ。咲夜がこの先ずっと過去で生きるだなんて冗談にもならないさ。……私たちはね、何らかの方法で咲夜が現在に戻ってくると考えているんだ。過去からの手紙には奇妙な歯車が入っていて、それが鍵になると予想しているんだよ。そしてその『二人が戻ってこられる正解の流れ』は、今現在のこの状況……であるはずだ。少なくともパチェを超える魔女や、私たちはそう予想している。」

 

「……話を纏めると、過去のサクヤからの手紙は彼女が現在に戻ってくるために必要な物であり、また逆転時計で遡行すること自体は不可避である可能性が高いので、お二人は遡行を承認した上でサクヤとマリサが戻ってこられる可能性を潰さないように逆転時計の捜索を止めなかったわけですね?」

 

おやまあ、見事な纏めだ。ぺちぺちと拍手をしながら、首肯と共に補足を付け加えた。

 

「加えて言えば、そのことをアリスと私の胸の内に留めていたのは手紙が送られてきた時点の流れが『正解の流れ』だったからだ。『賢い連中』にも相談してみたんだがね、どうもパラドックスのことを考慮すると余計なちょっかいをかけずに進めるのが正解らしい。だから止めも手助けもしないで、自然な展開に任せることにしたのさ。」

 

「周囲が知ってしまえば否が応でも不自然さが出てしまうということですか。……まだ頭の中を整理し切れていませんが、一応納得しました。彼女たちが『旅立った』と思われる今であれば、もはや隠す意味はないというわけですね?」

 

「そういうことさ。だから咲夜と魔理沙がどこかの段階で『行方不明』になるのは想定されていた事態なんだよ。心配だし、不安だし、何も出来ないことにイライラするが、二人に任せて帰還を信じるしかないんだ。咲夜からの手紙が送られてきている以上、遡行後の手紙を送る時点まで咲夜が無事なことは保証されているしね。……とはいえ、チェストボーンの一件は別だぞ。どういうことなんだい?」

 

話題をもう一つの方……というか、恐らく逆転時計にも関わっているのであろう件に移してやると、マクゴナガルはバツが悪そうな顔で応答してくる。

 

「詳細は不明です。現在フィリウスが闇祓いと共にホグズミードの自宅の捜索に向かい、ポモーナとロランダが教員塔の自室を調べています。」

 

「まさかとは思うが、また死喰い人じゃないだろうね?」

 

「……経歴に不自然な点はありませんでした。惨事部のリセット部隊に所属していたことは第一次戦争の頃にこの目で確認していますし、魔法省から取り寄せた人物評価にも怪しいところは見当たりませんでしたので、普通に雇い入れてしまったんです。」

 

「そも、何故あの男が教師に任命されたんだ? キミが変身術を任せるような『良い教師』だとはとても思えなかったけどね。去年はラメットやブッチャーに気を取られていて気付けなかったが、よくよく考えれば疑問だぞ。」

 

大きく鼻を鳴らして尋ねてやれば、マクゴナガルは実に申し訳なさそうな表情で返事を返してきた。

 

「本来変身術には『若い未来ある教師』を任命する予定だったんですが、一度に三人を採用するということで手が回らず、中々条件に合う候補が見つけられなかったんです。おまけにチェストボーン先生は理事会からの後押しを得ていたので、理事たちへの言い訳が立つように短期的に彼に授業をお任せして、その間にゆっくりと後任を探そうと考えていました。」

 

「……まあ、仕方がないわよ。あの頃の貴女は大忙しだったでしょうし、クィディッチトーナメントのこともあったしね。経歴そのものは比較的立派なんだから、採用しちゃうのはおかしなことではないわ。」

 

「ふん、ダンブルドアの悪癖がキミにも受け継がれているようで何よりだよ。『怪しい新顔』はホグワーツのお家芸だからね。」

 

アリスのフォローと私の皮肉。それを受けたマクゴナガルが至極微妙な顔付きになったところで……おっと、誰か来たな。入り口を守るガーゴイル像が動く音が微かに響き、その直後に足音が下りてくる。どうやら複数人居るらしい。

 

「失礼してもよろしいですかな? 校長。」

 

「構いません、入ってください。」

 

一発で誰だか分かるフリットウィックのキーキー声の後でドアが開き、そのまま入室してきたのは……おお? フリットウィックと闇祓い局のぽんこつ局長どのだ。その背後には二人の局員らしきスーツを着た男性の姿もあるし、チェストボーンの自宅を捜索していた連中が戻ってきたわけか。

 

「失礼します、マクゴナガル校長……と、マーガトロイドさんとバートリ女史。」

 

「やあ、局長君。緊急時だし、余計な挨拶は不要だよ。早く報告したまえ。」

 

「あー……はい、分かりました。」

 

私が居るのを見てちょっとだけ嫌そうな顔になったな、こいつ。見逃さなかったぞ。……しかしまあ、闇祓いを局長含め三人も派遣してきたのか。初動捜査にしては随分と豪華なのは、咲夜が事件に関わっているからなのだろう。ヴェイユの名は闇祓い局にとってやはり重いわけだ。

 

私がヴェイユ家とイギリス闇祓い局の関係を思っている間にも、ガウェイン・ロバーズは部屋に居た三人への報告を始めた。

 

「バイロン・チェストボーンの自宅は一見何の変哲もない一軒家でしたが、地下に巧妙に隠された小さな部屋が存在していました。そこには無許可で作られた逆転時計がいくつか保管されており、それを発見した時点でチェストボーンが犯罪者であることは確定したため、既に自宅付近を封鎖して魔法警察と神秘部の応援を要請済みです。……それと、地下室には『祭壇』のような物も設置されてありました。」

 

「祭壇?」

 

「ええ、奥の壁に闇の印が刻まれていて、その周りに蝋燭が置かれていたんです。ヴォルデモートの『崇拝者』だったようですね。逆転時計や時間遡行に関する文書や本も大量に見つかっています。」

 

そら、やっぱりだ。アリスに答えたロバーズの台詞を聞いて私が呆れを、マクゴナガルが頭痛を堪えるような表情を顔に浮かべたところで、次にフリットウィックが声を上げる。

 

「あの場所で時間遡行の実験を繰り返していたようですな。地下室には檻に閉じ込められている小型の魔法生物が多数見受けられました。一様に逆転時計付きの首輪を嵌められていたので、『生体実験』に使っていたのでしょう。」

 

「ふぅん? チェストボーンは逆転時計を作り、魔法生物を過去に送っていたということかい?」

 

「あくまで予想ですが、魔法生物を過去の檻の中へと送ることで逆転時計が正常に動作しているかを調べていたのではないでしょうか? 現場の魔法生物たちはひどく衰弱し、また身体の各所に不自然な欠損が確認できました。不安定な時間遡行による欠損だと思われます。」

 

「いつから実験をやっていたんだろうね? 魔法生物を過去に送るのであれば、過去のその場所にも檻が存在している必要があり、過去のチェストボーンも実験のことを認知していなければならない。昨日今日立てた計画じゃないってことか。……いや、そうとも言えないな。最近立てた計画を、ずっと昔に始めたって可能性もあるわけだしね。」

 

時間の研究ってのはやはり難解だな。ぼんやりとした理解で相槌を打つと、ロバーズが更なる情報を寄越してきた。

 

「現場に残されていた文書の内容から推察するに、チェストボーンが実験を始めたのはホグワーツに赴任する一年ほど前……つまり1996年の夏頃だったようですね。ロンドンでの決戦やこの城での戦いがあった少し後です。」

 

「腑に落ちませんね。チェストボーンが死喰い人であり、ヴォルデモートの復活を願っているのであれば、その時期の自分にヴォルデモートの危機を伝えようとは考えなかったのでしょうか? ヴォルデモートが『正式に』死亡したのは1996年の冬です。今はもう1999年の春なのですから、逆転時計を使うチャンスは山ほどあったはずでしょう?」

 

それはそうだな。マクゴナガルの疑問に、難しい顔で思考しているアリスが推理を返す。

 

「やらなかったんじゃなくて、出来なかったんじゃないかしら? 研究によって自作の逆転時計の性能は向上していったでしょうけど、それが経過する時間に追いつかなかったんじゃない? 一年かけて半年を遡行できる逆転時計を作っても、過去のリドル……ヴォルデモートを助けることは出来ないわ。」

 

「んん? 研究の成果を過去に送ればいいじゃないか。半年を遡行できる逆転時計の作り方を半年前の自分に送れば、半年前の時点で半年を遡行できるようになるんじゃないのか?」

 

「……言われてみればそうですね。あれ? こんがらがってきました。」

 

私が自分の混乱をアリスに感染させたところで、マクゴナガルが自説を提示してくる。

 

「つまるところ、単純に大きく遡行できる逆転時計を作れなかったということなのでは? あの時計の製作が非常に困難であることは誰もが知っている事実です。長年時間の研究をしている神秘部の専門家ですら易々と作れていないのですから、二、三年かけた程度では三日前に遡行することすら叶わないでしょう。」

 

「我々闇祓い局としてもそう予想しています。現場に転がっていた自作の逆転時計は、専門家ではない私から見ても『出来が悪い』と断定できるレベルの品物でしたから。」

 

「で、『既製品』を使う方向に切り替えたわけか。」

 

ロバーズの報告を受けてポツリと誰にも聞こえない程度の声量で呟いた後、ソファの上で組んだ自分の膝に頬杖を突いてから質問を口にした。

 

「兎にも角にも、チェストボーンは大好きな『ご主人様』を死から救い出すために逆転時計を使おうとしていたわけだ。……キミたちは彼がどの時点で死喰い人に加わったと予想しているんだい?」

 

「現時点では何とも言えませんが……最悪の場合、第一次魔法戦争の頃から情報を流していたという可能性もあるでしょう。」

 

「まあ、納得は出来るけどね。当時のリセット部隊が『無能集団』だったのは有名な話だ。それにはしっかりとした理由があったわけか。」

 

ロバーズの回答に呆れ声で応じつつ、やれやれと首を振って立ち上がる。情報を流していたどころか、意図的にリセット部隊の動きを遅くしていた可能性すらあるな。どこもかしこもスパイだらけだった第一次戦争の頃ならおかしくもあるまい。

 

「ヴォルデモートは組織を形成するのだけは非常に上手かったからね。嘗てこの城で騒動を起こしたラデュッセルがそうだったように、チェストボーンのことも他の死喰い人とはある程度『分断』した状態で使っていたんだろうさ。だからこれまで尻尾を掴めなかったってわけだ。」

 

「チェストボーンに関しては闇祓い局単独ではなく、執行部全体で捜査を継続する予定です。既にスクリムジョールが元リセット部隊の隊員たちを調べ始めています。ですが……その、姿を消した両名については──」

 

「そっちは結構だ。私とアリスで動くから、キミたちはチェストボーンの捜査に集中したまえ。」

 

かなり言い辛そうに咲夜と魔理沙のことに言及しようとしたロバーズを手で制してから、アリスを目線で促して校長室の出口へと歩き出す。私たちとて具体的に何が出来るわけではないものの、『オリジナルの逆転時計』とやらはとりあえず直に確認しておかなければ。今の執行部は優秀だし、チェストボーンの方は勝手にスクリムジョールが調べ上げてくれるだろう。

 

……予想していた展開ではあるが、咲夜だけではなく魔理沙も遡行したのは僥倖だったな。さすがの魅魔も魔女っ子を過去に置いたままで放っておきはしないだろう。それはつまり、魅魔も確かに『二人は戻ってこられる』と考えている証左に他ならない。

 

「お待ちください、私も同行します。よろしいですね? ……フィリウス、この部屋を任せます。私はバートリ女史たちとやることがありますので。」

 

「……ま、いいけどね。今のここはキミの城だ。好きにしたまえ。」

 

慌てて同行を申し出たマクゴナガルに頷いてから、怪訝そうな他の面々を尻目に三人で校長室を出た。……さて、先ずは『鍵』であるサインを探す必要があるな。幸いにも私とアリスは二人からの発言や手紙を受け取っているので、四つのサインの隠し場所を大まかに把握している。サインを見るためには謎解きをしなければならないらしいが、私とアリスとマクゴナガルの三人でやればそう時間はかからないだろう。

 

咲夜からの手紙に書いてあった場所を頭の中で再確認しつつ、アンネリーゼ・バートリは三階の廊下に続く螺旋階段を上るのだった。

 



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過去

 

 

「……咲夜?」

 

ゆっくりと覚醒した頭と、ぼやける視界。古ぼけた板張りの床に横たわっていた自分の身体を起こしつつ、霧雨魔理沙はすぐ隣に倒れている咲夜へと呼びかけていた。息は……うん、あるな。気を失っているだけのようだ。

 

「咲夜、起きろ。エネルベート(活きよ)。」

 

「……ん、魔理沙?」

 

呪文での気付けをしながら周囲を見回してみれば、どうやら私たちが居るのは埃まみれの小さな部屋の中央のようだ。半開きになっている空っぽの箪笥と、カビっぽいマットレスだけが載っているベッド、そして横倒しになっている質素な丸椅子。廃墟の一部屋って雰囲気だな。

 

ついでに言えば、所々白い壁紙が剥がれている壁際にはチェストボーンも倒れている。未だぼんやりした顔の咲夜を横目にしつつ、気絶しているらしい彼へと杖を向けて呪文で縛り上げた。状況がさっぱり分からんが、何はともあれ無力化しておくべきだろう。

 

インカーセラス(縛れ)。……大丈夫か? 咲夜。身体にどっかおかしなところは?」

 

「相変わらずどこもかしこも痛むけど、それはそこの間抜けの所為よ。……能力は一応使えるみたい。でも、まだ調子が悪いわね。勝手に解除されちゃう感じ。」

 

「一切使えないよりは遥かにマシだろ。一安心だぜ。……んで、ここはどこなんだ?」

 

咲夜の能力は『超強力』と言っていい代物だ。たとえ本調子じゃないとしても、使えると使えないとでは危機感が段違いになる。さっきまでは何故使えなかったのかと怪訝に思いながら、一瞬で少し離れた場所に移動した咲夜に問いかけてみると、彼女は破れたカーテンがかかっている窓へと歩み寄って応じてきた。

 

「外の景色を見るに、絶対にホグワーツではないわね。街よ、夜の街。」

 

「移動したってことか? ポートキーみたいに。」

 

「……現実逃避はやめなさい、魔理沙。貴女だって分かってるでしょ? あの部屋にあった砂時計が『オリジナルの逆転時計』で、それが作動した結果この場所に居るんだとすれば、ここは過去のどこかであるはずよ。」

 

「……まあ、分かってたけどよ。最悪だぜ。何でいきなり起動したんだろうな?」

 

私たちはオリジナルの逆転時計を探していたが、それは破壊するためであって使いたかったわけではない。あの魔道具が如何に危険であるかは重々承知しているのだから。良くない展開であることを自覚しながら送った疑問に、咲夜は若干申し訳なさそうな顔付きで回答してくる。

 

「……もしかしたら、私の能力が切っ掛けになっちゃったのかも。あの時反射的に能力を使おうとしたのよ。砂時計に手を触れてた状態でね。その瞬間に起動したの。」

 

「ひょっとすると、砂時計が近くにあったから能力を使えなかったのかもな。干渉し合うんだろ、多分。そもそもお前の能力の源は逆転時計なんだしさ。今不調なのは『時間ボケ』してるってとこか?」

 

「かもしれないわね。……何れにせよ、先ずは今が何月何日なのかを調べるべきよ。夜の割には暖かいし、季節は夏なのかも。」

 

「『何年の』何月何日かを、だろ?」

 

あれが魅魔様が作ったかもしれない魔道具である以上、最悪のケースを想定しておくべきだ。通常の逆転時計では有り得ないほどに大きく遡行しているという可能性を。神妙な表情で私が放った訂正に対して、咲夜もまた同じ顔で首肯を返す。

 

「……とにかく余計なことをしないのが重要よ。誰かと会話したり、あるいはちょっと物を動かしたりするだけで未来が変わっちゃう可能性があるわ。」

 

「それは分かってるけどよ。もしも、もしもの話だぞ? もし私たちが十年前とかに遡行してたとしたら、今から十年間何もせずに元の時間にたどり着かないといけないんだよな? だからつまり、山奥とかで人と関わらないように暮らさなきゃダメなんだろ?」

 

「……分からないわ。もしそうだった時、どうすればいいのか分からない。お嬢様方に会えなくなるかもしれないのよね。」

 

胸中の不安を声に出してみれば、咲夜も心細そうな声色で応答してきた。……本当にどうしよう。徐々に事態の重大さを認識し始めたところで、階下から物音が響いてくる。微かな話し声と足音がだ。

 

「……先ず、行動だ。さすがに百年単位で遡行してるってことはないだろ。そうなるとノーレッジは絶対にイギリスに居る。数ヶ月くらいの遡行だったら大人しく待てばいいし、もし大きく遡行してたらあいつに助けを求めよう。」

 

「ダメよ、魔理沙。パチュリー様は『未来の私たち』と会っただなんて一言も口にしていなかったわ。だからパチュリー様と私たちは会ってないの。会うべきじゃないのよ。」

 

「黙っててもらえばいいだろ。私が知る限り、この事態をきちんと把握して正解の対処をしてくれそうで、かつ何とか接触できそうなのはノーレッジだけだ。……まあいいさ、細かいことは後で考えようぜ。とりあえず下の様子を見に行こう。誰か居るみたいだし。」

 

「……絶対に見つからないようにね。」

 

私も窓際に行って外の景色を一瞥した後、慎重にドアを開けて廊下が無人であることを確認してから部屋を出た。外には見慣れた建築様式の建物があって、電気を使っているっぽい街灯もあったので、やはり百年以上を遡行しているってことはなさそうだ。加えて言えば、高さ的に私たちは二階に居るらしい。

 

気絶しているチェストボーンから杖を奪って背後をついて来る咲夜の気配を感じつつ、板張りの床がギシギシと音を立てるのにビクビクしながら廊下の先にある下り階段を目指して進んでいくと……うおお、びっくりしたぞ。『バンッ』という破裂音が階下から聞こえてくる。同時に複数人の笑い声もだ。

 

「……マグルの建物だよな? ここ。窓から見える街並みがダイアゴン横丁とは全然違ったし、並んでた建物の印象からしてロンドンのどっかだと思うんだが。」

 

「『ダイアゴン横丁は昔から全然変わらない』ってアリスが言ってたから、ダイアゴン横丁じゃないことは間違いないわ。ロンドンっぽいって点についても同意見よ。……だけど、私たちが居たのはホグワーツなのよ? ホグワーツで逆転時計を使った場合、過去のホグワーツに遡行するのが普通じゃないの?」

 

「あるいは、砂時計の支柱の装置で遡行する位置を調節できたのかもな。魅魔様の魔道具なんだから何でもありだぜ。……下りるぞ。」

 

小声で話し合いながら階段を下りてみれば、細い廊下の右手に光が漏れているドアが並んでいるのが見えてきた。左側は突き当たりまでずっと板の壁だな。民家の構造ではないし、店って感じでもない。恐らく何かの施設だ。

 

「何の建物なんだろ?」

 

「んー、そこそこ大きな建物ってのは確実でしょうけど……ドアの先、覗いてみる?」

 

「まあ、ここまで来たんだからやるしかないだろ。もし誰かに見つかったら時間を止めて私を階段の方に引き摺ってくれ。チェストボーンを回収した後、どうにかして二階から魔法で逃げよう。姿あらわしはまだ使えないしな。」

 

「了解よ。……こんなことになるんだったら、私だけでも姿あらわしの集中講義を受けておけば良かったわね。」

 

今更言っても仕方のないことだが、そうすべきだったな。十月末が誕生日の咲夜は普通に受講が可能だったものの、幻想郷出身の私は誕生日不定の『暫定的成人』だということで、トラブルを避けるために夏休みに入ってから一緒に魔法省でテストを受けることにしたのだ。妨害術がかかっているホグワーツに居る間はどうせ使えないし、アリスから習えるから大した違いはないと考えていたんだが……こうなると失敗だったかもしれない。咲夜だけでも使えていたら選択肢が増えたはずだぞ。

 

何にせよ、時既にってやつだな。咲夜に肩を竦めて頷いてから、笑い声が響いてくるドアをゆっくりゆっくり開いて隙間から中を覗き見てみれば……あれ、マグルじゃなくて魔法使いじゃんか。杖を持っている複数の人影が目に入ってくる。どいつもこいつもお揃いのフード付きの黒ローブ姿だ。

 

「──たんだろう? どうした、もう諦めたのか? そら、足掻け! クルーシオ(苦しめ)!」

 

「やめろ! もうやめてくれ! 抵抗しない! 金でも何でも差し出すから、妻を解放してくれ!」

 

「ほら見ろ、諸君! 私の手番でマグルがとうとう素直になったぞ! 賭けは終わりだ。賭け金を支払ってもらおうか。」

 

……何をしているんだ、こいつらは。どうやら使われなくなった教会の礼拝堂らしきその空間の中で、蝋燭の明かりに照らされた十名ほどの黒ローブたちが三人の男女を囲んで笑い合っているようだ。三人の男女はマグルの格好をしており、三十代程度の男性が一人と磔の呪いをかけられている同年代の女性が一人、そして音もなく泣いている十に満たない女の子が一人。女の子は沈黙呪文をかけられているのか?

 

「教会だったのね、ここ。……断言してもいいけど、あいつらは死喰い人よ。」

 

私と同じように覗き見ている咲夜が呟いたところで、他の黒ローブたちからガリオン金貨を受け取っていた男性が、徐に痙攣しているマグルの女性に杖を向けたかと思えば──

 

「言っただろう? 本人じゃなく、ガキか女を責めるのが一番なんだよ。アバダ・ケダブラ(息絶えよ)。」

 

おい、嘘だろ? 私たちが何かをする間も無く、ごく自然な動作で男性が死の呪いを使ってしまう。一瞬だけ周囲を照らした緑の光と、床に崩れ落ちてピタリと動かなくなった女性。その姿を呆然と見つめていたマグルの男性は、一度無音で泣き叫んでいる女の子に目をやってから死喰い人たちに懇願し始めた。真っ青な顔でだ。

 

「……お願いします、この子だけは助けてください。私はどうなっても構いません。お願いします。誰にも言いません。お願いです、まだたったの八歳なんです。どうか、どうかこの子だけは。」

 

「おい、聞いたか? どうする? アンドリュー。マグルがガキを助けて欲しいと言ってるぞ。」

 

「ふむ、迷うところだな。……そうだ、磔の呪いに耐え切ったら助けてやるってのはどうだ? 面白いと思わないか?」

 

「いいね、名案だ。聞いただろう? マグル。お前が我々の拷問に耐え抜いたらガキは助けてやろう。……では、クルーシオ!」

 

アンドリューと呼ばれた男の案を受けた黒ローブが、へらへらと笑いつつマグルの男性に磔の呪いを放つ。男性の絶叫を耳にしてもう見ていられないとミニ八卦炉を取り出した私の手を、咲夜が首を横に振りながら掴んできた。

 

「ダメよ、介入したら未来が狂うわ。」

 

「お前な、黙って見てろって言うのかよ。殺されちまうぞ、あの人。」

 

「だって、そうするしかないでしょう? 私たちは本来ここには居ないのよ。居ちゃいけない存在なの。あの人を助けた結果、歴史が歪んで別の誰かが死ぬことになるかもしれないのよ?」

 

だけど、こんなの放っておけないぞ。囁き合う私たちを他所に、男性に対する拷問が進行していく。心底愉快だという雰囲気の黒ローブたちが代わる代わる磔の呪いを使い、男性が次第に声を上げる気力すら失くしてきたところで……私たちが覗き見ているドアのすぐ近くに移動してきた二人の黒ローブが会話を始める。ドアの隣の壁に背を預けながら、呆れ果てているような声でだ。

 

「ふん、見るに堪えんな。帝王の思想を正しく理解しない愚か者どもめ。こんなところでこんなことをしていて一体何の意味があるのやら。」

 

「愚かな兵隊を管理するのも我々幹部の仕事ですよ、父上。あんな無能どもでも弾除けくらいにはなるでしょう。……それより、騎士団がルートンの集会所を潰したというのは本当なのですか? 昨日家に戻った時に母上から聞いて驚きました。」

 

「ああ、事実だ。二週間ほど前に潰された。ベラトリックスは激怒していたよ。どこかのバカが近所で余計な騒ぎを起こして逃げ込んだらしい。それを追ってきた人形使いとプルウェットの兄弟に発見されて、我々の重要な拠点の一つが無為に失われたわけだ。これだから無教養な兵隊を増やすのは好かん。」

 

「こうなるとドロホフの失態になるでしょうね。いい気味です。ロジエールさんは絶対に許さないでしょう。」

 

冷たく笑っている若い方の男……相手のことを『父上』と呼んでいたし、もう一人の黒ローブの息子なのか? の返事に、父親の方はうんざりしたような口調で忠告を返す。息子の方はまだ少年然とした、この場所にひどく不釣合いな声だ。私よりも年下の、ホグワーツに居るべき年齢だとすら思えるほどだぞ。

 

「内部の者を蹴落とすことだけを考えるなよ? 闇祓いと騎士団の所為で我々の計画は遅々として進んでいない。今は身内で無駄に争わず、帝王のためにその身を捧げるべきだ。……クラウチも遂に強硬策を打ってきたからな。あの男と闇祓い局の狂人を始末できれば状況が好転するだろう。」

 

「アラスター・ムーディですか。始末できますかね?」

 

「現時点では分からん。魔法省とは別個の組織として自由に動いている、スカーレットとダンブルドアがあまりにも邪魔すぎるからな。向こうも向こうで執行部と対立しているようだが、それが原因でむしろ動きが読み難くなっている。……執行部、闇祓い、騎士団。先ずは戦力を分散させずに一つを集中的に叩き、敵方のバランスを崩すべきだ。」

 

「最初からロジエールさんの戦略を採用しておけばよかったんですよ。帝王も賛同してくださったのに、ドロホフやレストレンジの馬鹿どもが余計なことを言うからこうなったんです。」

 

呆れを滲ませた声色の息子の発言を聞くと、父親は大きく鼻を鳴らしてから返答を口にした。……今は第一次戦争の前期か中期なのか? 『人形使い』がアリスを指しているのは勿論のこととして、『プルウェットの兄弟』というのはモリーの弟たちのはずだ。アリスから教えてもらった話によれば、彼らはイギリス第一次魔法戦争の終盤で戦死している。つまりそれよりも前の時点ということになるぞ。

 

「帝王は誰より賢いお方だ。然るべく戦略を組み立て直してくださるだろう。我々はそれに従っておけばいい。王には王の、将には将の、兵には兵の役割があることを忘れるな。……私たちは先に拠点に戻る! いつまでも何の意味もないバカ騒ぎをしていないで、貴様らも早くマグルを処理して戻れ!」

 

後半を他の黒ローブたちに呼びかけた父親の方へと、アンドリューと呼ばれていた男が応答した。一応へりくだった態度ではあるものの、その声には『水を差すなよ』という不満げな感情が薄っすらと含まれている。親子と他の死喰い人たちとの間には溝があるらしい。

 

「かしこまりました、マルシベールさん。……ですが、我々がやっているのは穢れた血の駆除作業です。『何の意味もない』というのは言い過ぎじゃありませんか?」

 

「ほう? では聞くが、そこの男はマグル界の重要人物か何かなのか? 貴様らがその辺で攫ってきた有象無象のマグルだろう? 教えてくれ、同胞よ。そのマグルを時間をかけて執拗に拷問した上で殺すことで、我々の組織に何か利益が生じるのかね?」

 

「この世から穢れた血が減ります。」

 

無茶苦茶だな。こいつは本気で言っているのか? そこばかりは父親の方も私と同意見だったようで、呆れた感じに深々と息を吐いてから皮肉を飛ばした。

 

「なるほど、よく分かった。一人一人殺していたら何百年かかるのかは知らないが、効率の悪い作業を好きなだけ続けたまえ。私はもう少し賢い方法を考案するために先に帰らせてもらう。……行くぞ。姿あらわしは使えるな?」

 

「ええ、去年母上が教えてくれましたから。こんな簡単な呪文なのに、バカ正直に成人まで待つのは愚か者だけですよ。折角の夏休みを無駄にするのは嫌ですし、早く帰りましょう。」

 

「では練習がてら先に行け。私はお前の呪文の痕跡を消してから行く。」

 

冷笑しながら豪語した息子が姿くらましで消えたのに続いて、父親の方も何か複雑な呪文を使った後で姿を消す。マルシベールと呼ばれていた死喰い人は幹部クラスの人間らしい。……『マルシベール』。特別牢で見た名前だな。世代的に息子の方とスネイプが知り合いだったのか? 『夏休み』と言っていたし、まだ在学中の身でこんなところに来ているようだ。死喰い人流の職場見学か。狂っているぞ。

 

姿くらましをした二人を見送ったアンドリューは、大仰にやれやれと首を振ってから他の黒ローブたちに向き直った。フードの下の顔がチラッと見えたが、顔立ちからしてこいつもそこそこ若い死喰い人のようだ。声の感じからするに、多分他の黒ローブたちもそうなのだろう。さすがに息子の方のマルシベールほど若いわけではなく、二十台前半といったところだが。

 

「さて、諸君。口煩いお偉いさんは帰ったぞ。暢気に息子連れとは恐れ入るな。……どっちから殺す? ガキか、父親か。」

 

「ま、待ってくれ。娘は助けてくれるって──」

 

「黙れ、マグル! 地虫との約束を守る必要などない! ……よしよし、ガキからにしよう。その方が効果的なはずだ。穢れた血の分際で偉大な魔法族に口答えをした罰を与えようじゃないか。それでいいだろう? 諸君。」

 

地面を這って必死に止めようとするマグルの父親を呪文で吹き飛ばした後、アンドリューは囃し立てる他の黒ローブたちの中心で子供に向けて杖を構える。それを見ながら起動させたミニ八卦炉を構えて、隙間から黒ローブたちに照準を合わせた。

 

「咲夜、もう止めるなよ? 歴史が歪むかもしれない危険性は理解してるが、これを見過ごしたら私が私じゃなくなっちまう。黙って子供が殺されるのを見てるのは無理だ。悪いな。」

 

「……時間を止めて父親と子供を安全な場所まで移動させるわ。だけどまだ完璧に調子が戻ってないから、途中で解除されちゃうかもしれないの。そしたら援護して頂戴。」

 

私が絶対に考えを翻さないと判断したのだろう。あるいは咲夜の方も静観に堪えられなくなったのかもしれない。何れにせよ、私たち二人ともが救出を決意した瞬間──

 

「助けてくれ! ……ああ、同胞たちよ! この縄を解いてくれ!」

 

おいおい、チェストボーン? 私たちが居る位置とは反対側の礼拝堂に繋がるドアから、縛られたままでヨタヨタと歩いているチェストボーンが入ってきた。あいつ、もう目が覚めたのか。くそ、もっとしっかり縛っておけば良かった。

 

「何だ? このジジイは。」

 

「同胞たちよ、私は死喰い人だ! ……マルシベールはどこだ? この時間のこの場所にはマルシベールが居るはずだ。彼は私のことを知っている! マルシベールを呼んでくれ!」

 

「……誰かこいつを知っているか?」

 

怪訝そうなアンドリューの質問に、黒ローブたちが全員否定の返答を返す。それを見たチェストボーンはバランスを失って床に倒れ込みながら、焦ったように弁明を捲し立てた。

 

「知らないはずだ。知るはずがない。私を知っているのはごく一部の死喰い人だけで、今はまだ……そんなことより、マルシベールに会えば分かるんだ! 彼はどこだ? ここに来てからどれだけの時間が経っている? 私は未来から来たんだ! 私が知る最も古いロジエールかマルシベールの居場所がここだったから、だからこの時間のこの場所に──」

 

「喚くな、ジジイ! ……未来から来た? 頭がおかしいのか?」

 

「違う、本当なんだ。落ち着いて聞いてくれ。私のことを知っているのは帝王とロジエールとマルシベールだけだから……それより、早く縄を解いてくれ! お前たちは全員ここで死ぬんだぞ! マルシベールと彼の息子が先に拠点に帰還した後、残ったお前たちは何者かに無残に殺される! その事後処理をしたのが私だったんだ! マルシベールがもうこの場に居ないということは、すぐに誰かが──」

 

「黙れと言っているだろうが! ……何なんだこいつは。意味が分からん。どうする? 諸君。一応上に報告するか?」

 

アンドリューが若干気圧されたようにそう言ったところで、今度は礼拝堂の正面入り口が軋みを上げてゆっくりと開く。そこから姿を現したのは……あーくそ、マジかよ。こいつの登場は最高にラッキーなのか、最悪のアンラッキーなのかが判断できんな。背後に赤い長髪の女性を引き連れた黒髪の少女だ。まるでこの世界の支配者であるかのように傲然と歩く少女の背中には、コウモリのような一対の翼が揺れている。見慣れた『皮膜派』の翼が。

 

「ごきげんよう、矮小な人間諸君。ヴォルデモートは居るかな? 居場所を知っていそうな幹部でもいいぞ。」

 

「いやぁ、見た感じ小物しか居ないっぽいですけどね。またガセだったんじゃないですか?」

 

尊大な雰囲気で場の面々に問いかける過去のリーゼと、にへらと笑いながら突っ込みを入れている過去の美鈴。黒ローブたちから杖を向けられるのを気にもしていない強大な人外たちを目にしつつ、霧雨魔理沙はうなじに冷や汗が伝うのを感じるのだった。

 



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ファースト・コンタクト

 

 

「ああ、最悪だ。何故あの女がここに……同胞たちよ、早く縄を解いてくれ! 早く! 逃げなければならないんだ! 我が君の下に早く逃げなければ! 私には伝えなければならないことがあるんだ!」

 

縛られた状態で地面に転がりながら喚き散らすチェストボーンと、娘を守るように抱きかかえて蹲っているマグルの男性と、臨戦態勢で杖を構えている死喰い人たちと……そして、入り口の方からゆるりと彼らに歩み寄っている過去のリーゼお嬢様と美鈴さん。ドアの隙間から礼拝堂の中の面々を見回しつつ、サクヤ・ヴェイユはどうしたらいいのかと混乱していた。

 

『未来』を知るチェストボーンをこのまま放置するわけにはいかないし、マグルの二人のこともある。だけどリーゼお嬢様と美鈴さんに姿を見られるのは非常に危険だ。この時点の二人は私たちのことを知らないんだから、『歴史の歪み』が生じる可能性が高いどころか、『やんちゃ時代』の二人に殺されてしまうことすら有り得るだろう。

 

魔理沙もどう動くべきかが分からないようで逡巡している中、礼拝堂の事態はどんどん進行していく。

 

「黙っていろ、ジジイ! ……おい、ガキ! お前は誰だ? マグル避けの呪文はかけてあるはずだぞ。ここで何を──」

 

「あー、そういうお決まりの反応は結構。もう聞き飽きているんだ。……ふん、またハズレみたいだね。レミィめ、何度この私に無駄足を踏ませれば気が済むんだ?」

 

「ここまでハズレが続くと気が滅入ってきますねぇ。……従姉妹様、私がパパッとやっちゃってもいいですか? 見られたからには皆殺しでいいんですよね?」

 

「いいよ、今回はキミに譲ろう。私はもうやる気がないよ。大した情報を持っているとは思えないし、適当に処理しちゃってくれたまえ。」

 

うんざりしたような顔のリーゼお嬢様が礼拝用の長椅子に座り込み、それを見た死喰い人……アンドリューと呼ばれていた男が、杖を向けながら何かを言い募ろうとしたところで──

 

「いいから答えろ! お前たちは──」

 

「ほいっと。……喋ってる暇はありませんよ? 退屈すぎるのもあれですし、少しは足掻いてくださいね?」

 

美鈴さんが素早くぶん投げた、リーゼお嬢様が座っているのとは別の長椅子が……美鈴さんの力で投げれば何だって『武器』になるわけか。アンドリューの身体を容赦なく押し潰し、刹那の間に黒ローブたちに接近した彼女が別の死喰い人の顔面を蹴り上げた。蹴り上げるというか、粉砕している感じだ。顔がごっそり失くなっちゃっているぞ。

 

あまりにも現実感に欠けた急展開にリーゼお嬢様と美鈴さん以外の全員がぽかんとしている間にも、紅魔館が誇る門番は次々と死喰い人たちを『処理』していく。こんなの『戦い』じゃなくて、単なる虐殺だ。絶対的な強者が弱者を玩具にしているような光景。美鈴さんの正体を知っている私ですら困惑しているのだから、黒ローブたちにとってはどこまでも理解し難い状況なのだろう。

 

「早くも半分になっちゃったわけですけど……ええ? 抵抗とか、反撃とか、何かしないんですか? 突っ立ってると死んじゃいますよ?」

 

「何が、何……アバダ・ケダブラ(息絶えよ)!」

 

「そうそう、そういうのです。命の危機なんだから、ちょっとは頑張らないとダメですよ。死ぬ時くらいは派手にいかないと。」

 

思い出したように黒ローブの一人が飛ばした緑の閃光をぺちんと手の甲で弾いた美鈴さんは、苦笑しながら流れるような動作で『作業』を続ける。……圧倒的だな。何も出来ていないじゃないか、死喰い人たち。

 

「はい、終わりです。……従姉妹様、こっちはどうします? 何か縛られてますけど。」

 

僅か三十秒ほどで計十一名の黒ローブを殺し尽くした後、続いて美鈴さんは床に転がっているチェストボーンを指しながらリーゼお嬢様へと質問を送っているが……これが『大妖怪』なのか。もちろん頭では理解していたものの、こうして現実の光景として見ると改めて実感させられるぞ。妖怪というのは、人間が恐怖すべき存在だということを。

 

「ん? 普通に殺したまえよ。何だか知らんが、そいつも死喰い人なんだろうさ。それらしいことを言っていたじゃないか。」

 

「待て、私は──」

 

「はーい。」

 

チェストボーンが何かを言う間も無く、美鈴さんはその頭を踏み潰してしまう。容赦なしだな。『別に違っててもいいや』という言い草だったぞ。初めて間近で目にした凄惨な死の光景の数々に吐き気を抑えつつ、頭蓋を踏み砕かれて誰だか分からなくなったチェストボーンを呆然と眺めていると、美鈴さんは次にマグルの親子を指差して声を上げる。血塗れになった靴を見て嫌そうな表情を浮かべながらだ。

 

「あちゃー、また汚しちゃいましたね。折角気を付けてたのに。……こっちはどうするんですか?」

 

「マグルなんだろう? 気絶させて放置でいいよ。殺すとアリスから怒られちゃうしね。ステューピファイ(麻痺せよ)。」

 

「でも、私たちのことを見られちゃってますよ?」

 

「後で記憶を消しておけば問題ないさ。……まあ、そっちで覗き見ている二人は別だがね。」

 

マズい。その声が聞こえた瞬間、時間を止めて魔理沙を横に引き摺って移動した。五メートルほどを引き摺ったところで勝手に能力が解除されて、さっきまで私たちが居た場所に長椅子が突き刺さる。危なかったぞ。咄嗟に能力を使わなければ間違いなく死んでいただろう。

 

「おお? 従姉妹様、あいつらどうやって避けました? 一瞬で移動したみたいに見えたんですけど。」

 

「……ふぅん? 私にもそう見えたね。実に不思議だ。姿あらわしとも違っていたし、杖魔法であんなことが出来るか?」

 

「魔法のことを私が知るわけないじゃないですか。……おー、可愛いですね。女の子ですよ、女の子。黒ローブじゃないみたいですけど。」

 

長椅子によってドアごと壁が破壊された結果、隠れていた私たちの姿が露わになってしまったわけだが……これは良くない展開だぞ。この時間に居るべきではない私たちがリーゼお嬢様たちと出会ってしまったのも宜しくないし、おまけに『敵対』するだなんて最悪だ。最悪の展開じゃないか。

 

いつでも時間を止められるように身構えていると、私を見たリーゼお嬢様がふと怪訝そうな面持ちになった後、大慌てで長椅子から立ち上がって美鈴さんを制止した。

 

「待て待て! ちょっと待った、美鈴! ……キミ、ヴェイユの娘か? こんなところで何をしているんだい? おいおいおい、危ないな。アリスの名付け子を殺すところだったぞ。ゾッとするよ。」

 

「あの、私は──」

 

「いや、違うな。にしては背が高すぎるし、瞳はヘーゼルだったはずだ。変装か? ……イラつくね。『ゾッとし損』じゃないか。私をびっくりさせた罪は重いぞ。」

 

「そういうのを八つ当たりって言うんですよ、従姉妹様。」

 

そうか、この時点のリーゼお嬢様はお母さんの……私とそっくりのコゼット・ヴェイユの姿を知っているわけか。もうその線で説得する以外に道はないと腹を括ったところで、お嬢様が冷酷な顔付きで美鈴さんに指示を投げる。

 

「とはいえ、アリスの名付け子に何かしようとしている可能性は放置できないね。美鈴、殺すんじゃなくて両手両足をへし折って捕縛だ。話を聞かせてもらおうじゃないか。」

 

「了解です。」

 

頷きと共に美鈴さんが動こうとした寸前、今度は焦った表情の魔理沙が八卦炉を使って……うわぁ、大丈夫なのか? 美鈴さんを吹っ飛ばしてしまった。隠し部屋でチェストボーンを吹き飛ばした時と同じことをしたらしい。明らかに今の方が破裂音が大きかったし、威力は桁違いのようだが。

 

「ちょっ、魔理沙?」

 

「あんなんで死ぬほどヤワじゃないだろ。それより逃げるぞ! 時間を──」

 

「いやぁ、何ですか? 今の。さっきの『瞬間移動』といい、ちょっと面白くなってきたじゃないですか。」

 

ダメだ、行動するなら今しかない。反対側の壁を貫通して吹き飛んでいった美鈴さんが、無傷で服に付いた木片を掃いながら戻ってきたのを見て、即座に時間を止めて移動する。……美鈴さんに『勝つ』のはどう考えても不可能だし、恐らく『遊んで』いるから死んでいないだけだ。美鈴さんが本気になれば、一瞬で近付いて私たちを殺せるだろう。

 

そして魔理沙が言うように『逃げる』のも多分無理だ。私たちは姿あらわしを使えないし、仮に使えたとしてもリーゼお嬢様は跡追い姿あらわしを使えるはず。能力で逃げようにも未だに不安定で、飛翔術なんてのは以ての外。間違いなくお嬢様や美鈴さんの方が速いのだから。

 

だったら、説得するしかない。勝手に時間が動き出さないうちに急いでリーゼお嬢様に駆け寄って、懐に入っていた印章を突き出した状態で能力を解除した。お嬢様は私を殺せばきっと未来で後悔するだろう。自分が死ぬことは我慢できても、お嬢様を悲しませるのは従者として断じて認められない。チャンスは一度。絶対に説得してみせるぞ。

 

「リーゼお嬢様、話を聞いてください!」

 

「っ!」

 

眼前にいきなり出現した私を認識して、リーゼお嬢様はすぐさま対処のために手を伸ばしてくるが……私が突き出している物を目にしてピタリと動きを止めた後、美鈴さんへと言葉を飛ばす。

 

「待て、美鈴。……どういうことだ? 何故キミが私の『影』を持っている?」

 

「私がリーゼお嬢様の従者だからです。どうか説明させてください。私の全てはお嬢様のものですから、殺したいと思うのであれば私はそれを拒みません。でも、私を殺せばお嬢様は必ず後悔します。決断は私の話を聞いてからにしてくれませんか?」

 

私が手に持っている物……自分の『影』をまじまじと見つめていたリーゼお嬢様は、数秒間真剣な顔付きで沈黙していたかと思えば、それを取り上げて口を開いた。

 

「……確かにこれは私の影だね。私の妖力を感じるよ。言いたまえ、これをどこで手に入れたんだい?」

 

「未来のリーゼお嬢様から預かりました。私はコゼット・ヴェイユの娘で、この時間には逆転時計を使って来ています。」

 

「未来の私? それにアリスの名付け子の娘だと? ……眉唾にも程がある話じゃないか。」

 

「影に誓って嘘は吐きません。私はリーゼお嬢様の忠実な従者です。」

 

絶対に目を逸らしちゃダメだ。今までリーゼお嬢様から向けられたことのない冷たい視線に心が怯むが、それでも必死に真っ直ぐ見返していると……ほんの僅かにだけ緊張を緩めたお嬢様は、するりと私の首を右手で掴んで質問を寄越してくる。

 

「不正解だったら首をへし折るからね。……私の母上の名前は? 影を渡すほどに私が信頼している従者であれば、その程度のことは当然知っているはずだ。」

 

「大奥様の名前はツェツィーリア・バートリ様です。」

 

「……では、私についてを述べたまえ。思い付くままにだ。」

 

「リーゼお嬢様はレミリアお嬢様と妹様……フランドールお嬢様の従姉妹で、ヨーロッパ大戦という『ゲーム』を終えて今はイギリス魔法戦争に裏から介入しています。図書館にはパチュリー様と小悪魔さんが居て、アリスも一緒に住んでいて、そこに居る美鈴さんは紅魔館の門番で、美鈴さんにはアピスさんという情報屋の古い知り合いが居て──」

 

そこで驚いたような顔になったリーゼお嬢様が目線を送ったのを受けて、美鈴さんが半笑いで肯定を放った。ちなみに魔理沙は八卦炉を構えたままで状況を見守っている。

 

「従姉妹様も知っての通り、合ってますよ。アピスさんの名前が出てくるとは思いませんでした。……私のことも知ってるんですか?」

 

「美鈴さんやエマさんからは仕事を教わりましたし、私の名前を付けてくれたのは美鈴さんです。あと、アピスさんとは未来で実際に会いました。フランスでの『人形の魔女』の事件も聞いてます。」

 

「私が貴女の名前を? ……んー、困りましたね。もし本当なら、自分が名付けた女の子を殺すのはさすがに避けたいところですけど。」

 

「素直に信じるのかい? キミは。」

 

私の首を掴んだままで問いかけたリーゼお嬢様に、美鈴さんが肩を竦めて返事を返す。お嬢様はともかくとして、美鈴さんの方はもう戦う気はないらしい。一概に信じているわけではないものの、興味が疑いを上回っている感じだ。『好奇心』の表情になっているぞ。

 

「だって、ヨーロッパ大戦の裏側を知ってる人間なんてそう居ませんよ。おまけに従姉妹様の母親のことやエマさんのことまで知ってるのはおかしくないですか?」

 

「……人間ならともかく、人外であれば入手するのも不可能ではない情報だ。アピスのような情報屋から買った知識かもしれないじゃないか。」

 

「でもですね、小悪魔さんのことは多分アピスさんですら知らないと思いますよ? 図書館から殆ど出てないんですから。知ってるのは身内だけで、つまりこの子は身内ってことになります。……何て名前なんですか?」

 

「サクヤ・ヴェイユです。幻想郷での生活を考えて、日本風の名前になってます。……それと、そこに居る霧雨魔理沙は幻想郷出身で魅魔さんの弟子です。魅魔さんが出した課題が逆転時計に関係するもので、その所為で私たちはこの時間のこの場所に飛ばされました。」

 

魅魔さんの名前を出すと、リーゼお嬢様は頭痛を堪えるような顔になって私の首から手を離した。ここまで話しちゃったんだから、もう全部言っちゃうべきなのだ。今はとにかく生き延びることを優先しなければ。

 

「魅魔か。……なるほどね、あの悪霊が関わっているなら有り得る話だ。するとキミはテッサ・ヴェイユの孫ってことかい?」

 

「そうです。」

 

「それがどうなったら私の影を受け取ることになるのやら。……ふむ? だったらそうだな、これで自分の喉を突きたまえ。」

 

喉を? 軽く言いながら、リーゼお嬢様は床に転がっていた鋭利な木片をひょいと私に放り投げてくる。思わず受け取った私へと、お嬢様は興味なさげな顔付きで重ねて命令してきた。

 

「キミが本当に私の従者なのであれば迷わずやれるはずだ。命令だよ、小娘。その木片で自分の喉を貫きたまえ。」

 

「おい、リーゼ! 滅茶苦茶なことを──」

 

「おおっと、ダメですよ。動かないでくださいね。」

 

介入しようとした魔理沙を一瞬で地面に押さえ付けた美鈴さんを横目にしつつ、手に持っている木片を構えて自分の首へと勢いよく動かす。本気で喉を貫くつもりでだ。すると木片の先端が私の首に触れようとした瞬間──

 

「……ふぅん? 本気でやろうとしたね、キミ。」

 

「リーゼお嬢様の命令でしたので。」

 

素早く私の腕を掴んだリーゼお嬢様が、興味深そうな表情で私の自死を止めた。そうだ、お嬢様ならそうするはず。影を渡したかもしれない相手を無為に死なせたりはしないだろう。お嬢様の行動を予想できたからこそ、私は迷わず本気でやれたのだ。

 

リーゼお嬢様は暫く私の目を見つめていたかと思えば、やおら手を離してマグルの親子の方へと歩み寄ると、彼らに杖を向けて忘却呪文を放った。

 

オブリビエイト(忘れよ)。……美鈴、移動するぞ。小娘どもも一緒にだ。」

 

「どこにですか?」

 

「決まっているだろう? 訳の分からんことが起きた時、我々が行くべき場所にだよ。」

 

「あー、了解です。紅魔館の図書館ですね。」

 

パチュリー様のところか。……計画は滅茶苦茶だし、このままでは『歴史の歪み』は避けられないわけだが、兎にも角にも図書館の大魔女と会うことは叶いそうだ。パチュリー様ならここから辻褄を合わせるのも不可能ではないかもしれない。そうでなきゃ困るぞ。

 

「姿あらわしは出来るかい?」

 

「えっと、出来ないです。成人はしてるんですけど、諸事情でテストが受けられなくて。……すみません。」

 

「となると、美鈴と合わせて三人運ばないといけないわけか。面倒くさいな。……なら、キミたちは肩に手を当てたまえ。そっちの金髪は武器を仕舞っておくように。一応警告しておくが、妙な動きをしたら命は無いぞ。別に今の話を丸々信用したわけじゃないし、殺すことを躊躇ったりはしないからね。」

 

「……分かってるぜ。」

 

ミニ八卦炉をポケットに入れた魔理沙と共に、リーゼお嬢様の肩にそっと手を置く。……大丈夫だ。こうして触れているお嬢様の感触は私が知っているものと変わらない。たとえお嬢様が私を知らなくても、私はお嬢様のことを知っている。だからきっと大丈夫だ。

 

私がよく知るものよりもずっと冷たい表情のリーゼお嬢様。杖を振るお嬢様の横顔をジッと見つめながら、サクヤ・ヴェイユは心の中で自分を励ますのだった。

 



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知識の巣穴

 

 

「そら、着いたぞ。さっさと手を離したまえ。」

 

うーむ、キツい言い草だな。これがリーゼの『他人』に対する態度ってことか。過去のリーゼから乱暴に手を払い除けられながら、霧雨魔理沙は目の前の光景を見渡していた。私たちが付添い姿あらわしで到着したのは、白を基調とした美しい図書館だ。本棚どころか床にまで本が山積みになっている広い図書館。『知識の巣穴』って感じの場所だぞ。

 

「パチェ! 面白い客を連れて来たぞ! どこに居るんだい?」

 

大声でノーレッジを呼ぶリーゼを横目に、背後の美鈴に見張られていることを自覚しつつ咲夜に問いかける。どこもかしこも本、本、本だな。本棚の間に一応の通路は確保されてあるが、そこも所々が本の山で塞がれているぞ。一種の狂気すら伝わってくる光景じゃないか。

 

「ここ、紅魔館か? ノーレッジの図書館は元々ムーンホールドにあったんだよな?」

 

「紅魔館よ。最初に図書館だけを紅魔館に『くっ付けて』、戦争終結後にムーンホールドがそれに続いたの。この時期のムーンホールドは騎士団の拠点になってるんじゃないかしら?」

 

「それで正解ですよ。ムーンホールドまで『くっ付く』のは知りませんでしたけど、ここは間違いなく紅魔館です。……んー、つくづく面白いですねぇ。私の名付け子ですか。そう思うと何だか可愛く見えてきました。」

 

会話に割り込んできた美鈴が銀色の頭をポンポンと撫でてくるのに、咲夜は何とも言えない顔付きでされるがままになっているが……こいつ、さっき十二人を『瞬殺』したんだよな? 恐ろしい話だぜ。まさかあんなに強いとは思っていなかったぞ。

 

相手が死喰い人とはいえ、あそこまで一方的に人間を殺しているのを見てしまうと、否が応でもこいつに対するイメージが変わっちゃうな。私が人懐っこい笑顔の大妖怪を微妙な気分で観察している間にも、図書館の奥の方から足音もなく誰かが近付いてきた。

 

「煩いわよ、リーゼ。本を読んでたんだから大声を出さないで頂戴。」

 

「キミはいつも本を読んでいるし、大声を出さないと気付かないだろうが。……ほら、客ってのはこの二人だよ。曰く、未来から来た我々の知り合いらしいぞ。」

 

「未来から?」

 

ノーレッジも私が知っている姿と全く変わらんな。ふわふわと地面から少し浮いている図書館の魔女どのは、読んでいた本から目を離して私たちへと視線を送ってくる。読書を中断させる程度の興味は惹けたらしい。

 

「つまり、逆転時計を使ったということ? ……愚かなことをしたものね。そんな愚か者が未来の知り合いだとは思いたくないんだけど。」

 

「不可抗力だぜ。使おうと思って使ったわけじゃない。」

 

「どうでも良いわ。この場合重要なのは理由ではなく結果よ。……で? その『未来人』を何故私の図書館に連れて来たの? 時間犯罪者なんだから魔法省に突き出せばいいでしょう?」

 

「よく分からなかったから連れて来たんだよ。分かるようにしてくれたまえ。それが図書館の役目だろう?」

 

私の言い訳をバッサリ切り捨てたノーレッジは、リーゼの身も蓋もない返答に眉根を寄せてため息を吐いた後、本が大量に載っているテーブルの方へと移動し始める。

 

「先ずはこっちに来なさい。……こあ、お茶の用意をして頂戴。」

 

奥の方に向かって指示を出すノーレッジの声を耳にしながら、図書館の中央にある大きなテーブルに……本だらけで茶を置くスペースなど一切無いテーブルに着いてみれば、図書館の魔女は私たちを観察しつつ口を開いた。全てを探ろうとしている、魔女の目付きだ。色々と失敗してしまったが、何とかノーレッジとの会話までたどり着けたな。

 

「『未来人』のことは気になるけど、先ず話すべきはリーゼと美鈴よ。貴女たちの視点での経緯を教えなさい。前提を共有しないと会話にならないわ。……簡潔にね。」

 

「毎度お馴染みのレミィの『ガセネタ』の所為で、木っ端死喰い人どもを皆殺しにする羽目に陥ったんだよ。ロンドン郊外の廃教会でマグルを嬲って楽しんでいたバカどもをね。それが終わった後に隠れていたこの小娘二人も処理しようとしたら、アリスの名付け子にそっくりな方が私の『影』を見せてきたんだ。だから殺さずに話を聞いてみた結果、ここに連れて来ることになったってわけさ。……ちなみにその子はコゼット・ヴェイユの娘だと主張しているよ。本当かどうかは分からんがね。」

 

「確かにこっちの子はコゼット・ヴェイユにそっくりね。……それより後半を省略し過ぎよ。どんな話を聞いたの?」

 

「ヨーロッパ大戦の裏側についてとか、紅魔館に関して随分と詳しかったんですよ。小悪魔さんのこともエマさんのことも知ってましたし、従姉妹様の母親の名前も知ってました。……そうそう、聞いてください。銀髪の子は私の名付け子らしいんです。いやぁ、びっくりしました。」

 

ティーポットと人数分のカップを持ってきた小悪魔……容姿や性格なんかは咲夜だったりアリスだったりから聞いていたものの、私は地味に初見の悪魔だな。がテーブルの上の本を片付けて紅茶を注ごうとするのを見て、説明しながら作業を手伝い始めた美鈴へと、ノーレッジは眉間を押さえて反応を返す。呆れているような面持ちだ。

 

「私は貴女たちの説明の適当さにびっくりしているわ。……私ですら形を知らない『影』を見せてきたってことは、要するにこの銀髪の子はリーゼの未来の従者だと主張し、貴女たちはその主張に一定の納得をしたからここに連れて来たわけね?」

 

「そうだよ。……こあ、こっちの皿のクッキーが少ないぞ。どういうことなんだい? 反逆のつもりか?」

 

「いやいやいや、同じ枚数ですよ。ちゃんと数えましたもん。いち、に、さん……ほらほら、ぴったり十五枚ずつじゃないですか。」

 

「聞いてます? サクヤちゃんって言うんですって。幻想郷でも通用するように日本風にしたみたいですよ。我ながら良いセンスしてますよね? ね?」

 

なんとまあ、どこまでも自分勝手な連中だな。数え間違いを認めようとせずに自分の前の皿にクッキーを追加するリーゼと、紅茶を注ぐ合間につまみ食いを繰り返している小悪魔と、名付けについてを延々と話し続けている美鈴。その三者を目にして苛々している表情になったノーレッジは、トントンと指でテーブルを叩きながら質問を重ねた。

 

「聞きなさい、ぽんこつ妖怪ども。私の話を聞きなさい。……大事な部分だからもう一度確認するけど、リーゼの『影』を持っているということは、この子は未来の貴女の従者であると判断して構わないのね?」

 

「私が死ねと命じたら死のうとしたから、多分そうなんじゃないか? 現状私の影の形を知る者はこの世でエマだけだ。そしてエマが余人にそれを教えるはずはないし、渡すはずもない。だからこそ影を預けているわけなんだから。その小娘が持っていたのが私の妖力で作られた印章であり、そこに私とエマしか知らないはずの紋章が刻まれていた以上、未来の従者だってのは本当なのかもしれないね。……それと、金髪の方は魅魔の弟子らしいぞ。」

 

「魅魔の? ……どんどん話が面倒になってくるじゃないの。」

 

リーゼたち側の状況を把握し終えると、ノーレッジは私の顔をちらりと確認しながらやれやれと首を振った後、今度はこちらに問いを寄越してくる。

 

「それで、貴女たちは私の質問に答える気があるの?」

 

「あります。……その、パチュリー様に何とかして欲しいんです。元の時間に帰る方法はないんでしょうか?」

 

「恐らく無いわ。私が把握している限りでは、未来に移行する魔法は現時点で存在していないもの。……先ずはいつこの時間に来たのか、誰と来たのか、そしてこれまでに誰と接触したのかを教えて頂戴。」

 

端的に望みをぶった切ったノーレッジを呆然と見つめている咲夜を横目に、苦い気分で質問の回答を口にした。やはり無理なのか。最悪の事態だな。

 

「一緒に来たのはチェストボーンって死喰い人だけで、この時間に来たのはリーゼたちが騒ぎを始める少し前くらいだ。ずっと隠れて覗き見てたから廃教会のマグルや死喰い人たちには姿を見られてないし、チェストボーンは美鈴に殺されちまったから……うん、私たちのことを知ってるのはここに居る面子だけだぜ。」

 

「死喰い人と一緒に時間を遡行したということ? ……貴女たちは死喰い人なの?」

 

「もちろん違う。チェストボーンがホグワーツにある逆転時計を悪用しようとしてたっぽくて、それに私たちが巻き込まれた形だ。咲夜が紅魔館の『所属』なのに死喰い人のはずないだろ。」

 

「死喰い人であることよりも、『吸血鬼の手先』って方が余程にタチが悪いと思うけどね。……何にせよ、接触が最小限で済んでいるのは悪くないことだわ。」

 

人数としては最小限かもしれないが、相手が悪いんだと思うぞ。ノーレッジの呟きに微妙な表情を浮かべていると、続いて彼女は逆転時計に関する疑問を投げかけてくる。

 

「しかし、『ホグワーツにある逆転時計』ね。……未来の死喰い人が逆転時計を使おうとする理由は簡単に推察できるけど、貴女たちがそれに巻き込まれた理由は? 加えてもう一つ。銀髪の子がコゼット・ヴェイユの娘なのであれば、貴女たちはそれなりに先の未来からこの時点に遡行しているはずよ。少なくとも現在のコゼット・ヴェイユには子供なんて居ないし、見たところ銀髪の子は成人しているくらいの歳なんだから、最低でも二十年近く先の未来から来たことになるわ。私の認識が確かなら既存の逆転時計にそこまでの性能はないはずだけど? 魔法技術が進歩して新たに作られた逆転時計を使ったか、もしくは何らかの『特殊な逆転時計』を使用したということ?」

 

「私たちがこの時間に来たそもそもの原因は、魅魔様が作ったらしい強力な逆転時計なんだよ。ホグワーツ城に大昔からずっと隠されてて、チェストボーンはそれを見つけて悪用しようとしてたんだ。そんでもって私が師匠たる魅魔様から逆転時計を破壊しろって課題を提示されたから、咲夜に手伝ってもらって探してた途中で……まあ、チェストボーンとかち合っちまってな。その時のゴタゴタで偶然逆転時計が起動した結果、三人纏めて過去に遡行しちゃったわけさ。」

 

「なるほど、魅魔が作った逆転時計ね。それなら長時間を一気に遡行できたという点には納得できるわ。……そう、ホグワーツにはそんな物まで隠されていたの。大魔女が作った可能性がある逆転時計を、その大魔女が自分の弟子に課題と称して探させて、それが『偶然』起動して意図せずこの時間に飛ばされたわけね? そして飛ばされた先で貴女たちがよく知るリーゼとすぐに出会い、幸運にも殺されることなく説得できて、未来を知っているもう一人の遡行者である死喰い人はあっさりと美鈴に殺され、今まさに私が貴女たちの話を聞いて思考していると。中々どうして都合の良い状況じゃない。」

 

何で急に不機嫌そうな顔になるんだよ。言うと自分の指を見ながら黙考し始めたノーレッジへと、こちらからも問いを飛ばす。逆転時計に興味を持つのは分かるが、今はもっと危急の問題があるのだ。

 

「あーっとだな、話を戻すぞ? もう分かってると思うけどよ、私たちは未来におけるお前らの知り合いなんだ。だからつまり、歴史に歪みが発生しちまうわけだが……どうするんだ? その辺。」

 

「どうもしないし、『歪み』なんて発生しないわよ。私が支持している時間に関する仮説が正しいのであればね。」

 

「……どういう意味だ? 本来存在すべきじゃない私たちがこの時間で何かをすれば、それは未来に影響しちゃうはずだろ?」

 

それが時間遡行における最も大きな問題点であるはずだぞ。私の指摘を受けて、ノーレッジは一度紅茶に口を付けてから自説を語り始めた。聞く者を引き込むような、静かな一定のテンポでの話し方だ。

 

「逆転時計の研究は神秘部で長年に渡って行われているし、私は複数回の逆転時計を使った遡行実験によって導き出された一つの仮説を支持しているわ。『時間は初めから確定している』という仮説を。恐らく全ての時間遡行による変化を踏まえた上で、既に時間の流れというのは確定しているものなのよ。……意味が分かる? 過去も未来も最初から決定されているの。過去への遡行によって何かを変えているわけではなく、何かが変わったという事実を踏まえた未来が最初からそこにあるだけ。未来は不変であり、故に時間も不変ってことね。平たく言えば決定論よ。」

 

「ふぅん? 興味深いね。キミはレミィの言う『運命』をある意味で認めているわけか。」

 

「それはまた別の話でしょう? レミィが認識している運命はどちらかと言えば流れの『過程』であり、私が今話しているのは流れの『結果』が確定しているという内容よ。運命と時間とには天と地ほどの差があるわ。……つまり貴女たちがこの時間に遡行したことも、私たちと出会ったことも、起こるべくして起こったことに過ぎないという考え方ね。私が支持している仮説が正しいのだとするのなら、貴女たちは貴女たちが変化させることを前提にした未来から来ているはずよ。今から変化を起こすのではなく、変化はもう起こった後なの。」

 

ノーレッジのリーゼに応答しながらの説明を聞いて、脳みそをフル稼働させて思考を回す。ノーレッジは時間は決して変化しない一本の絶対的な線だと考えているわけか。

 

「だから、ええと……遡行による変化は遡行した時点で既に発生しているってことだろ? 例えば私が遡行した結果、私が遡行しなくなるのは有り得ないと考えてるわけだ。」

 

「ええ、そういうことね。過去に遡行した結果として『未来が変わる』ということは有り得ないわ。原因が未来にあり、結果が過去にあるだなんてあべこべでしょう? 時間が一定の方向に進み続けているのであれば、原因は常に過去にあり、未来に残るのは結果だけのはずよ。貴女たちの『遡行元』がどの時点なのかは知らないけど、それ以前の過去はその時点で既に確定したものであるわけ。だから貴女たちがこの時間で何をしようと、貴女たちが知る未来は微塵も変化しないわ。だって貴女たちは貴女たちの行動を踏まえた上で確定した未来から来ているんだもの。『現在』を生きている私たちの視点では変化があるかもしれないけどね。」

 

「待て待て、おかしいだろ。私たちは未来のお前らとそこそこ以上に親しいんだぞ。ここで出会った結果として、私たちが知る未来があるってのは納得できないぜ。絶対に何かしらの変化はあるはずだ。」

 

「いいえ、変わらないはずよ。でなければ貴女たちが今なお私たちと会話していること自体に筋が通らないでしょう? 貴女たちがこうしてここに存在しているということは、貴女たちを知った私たちは未来の貴女たちの遡行に一切の影響を与えなかったことになるわ。どうかしら? そんなことが有り得ると思う? 例えば今私はそこの銀髪の子が辿った人生について一定の予想を立てているわよ?」

 

……そうだ、有り得ない。逆転時計を探すことになるかどうかってレベルの話じゃないぞ。このまま行けば、そもそも咲夜がリーゼの従者になるかどうかだって怪しいじゃないか。リーゼたちはヴェイユ家の人間である咲夜が何故従者になったのか、何故美鈴が名付けたのか、何故紅魔館で育ったのかを疑問に思うはずだ。そうなればすぐに両親や祖母の死に考えが行き着くだろう。というかノーレッジの言い草からするに、聡明な彼女はもう答えにたどり着いているのかもしれない。

 

テッサ・ヴェイユやコゼット・ヴェイユが死ぬ可能性を知った時、アリスやフランドールは何も行動しないか? ……そんなわけがない。少なくとも二人は意地でも助けようとするはずだし、二人から頼まれればリーゼやレミリアも協力するだろう。となると咲夜が紅魔館に引き取られるという未来は変わってしまうことになる。

 

そして咲夜が紅魔館に引き取られなければ、この場にこうして存在しているはずなどないのだ。万が一、億が一の偶然が重なって私と行動を共にしていたとしても、『アンネリーゼ・バートリの従者であるサクヤ・ヴェイユ』ではなくなっているはず。別の名前で、別の家族が居て、別の人生を辿った銀髪ちゃんになっているだろう。もちろん能力も持っていないことになるため、オリジナルの逆転時計がそもそも起動せず、過去に遡行する手段すらなくなるわけか。ここで私がこんなことを思考している時点で、どこまでも『有り得ない』話だな。

 

「……分かった、一応の理解は出来たぜ。それは確かに有り得ないな。私たちの存在自体が未来が変わっていない証明なわけだ。」

 

「あら、中々賢いじゃないの。さすがは魅魔の弟子ね。」

 

「だけどよ、時間が分岐してるって可能性もあるだろ? つまり、私たちが遡行してきた時点で線が枝分かれしてるって可能性が。パラレルワールドだよ。それはどうなんだ?」

 

「認めましょう、その可能性は存在しているわ。神秘部には『分岐説』を唱えている魔法学者だって少なからず居るしね。だけど私はその説を支持していないの。……私たちに『時間』という概念をはっきりと知覚する術が無い以上、正しい答えを導き出すことは不可能よ。もしかしたら時間は無数に分岐して複数の流れを生み出し続けているのかもしれないし、あるいは変化の度に別のルートへと『主流』を変えているのかもしれない。何一つ正確なことが分からないのであれば、縋るべきは己の仮説だわ。他の可能性を考慮はすれど、主たる道標にするのは自身の仮説。それが私のやり方よ。」

 

あっけらかんと言い切ったノーレッジへと、頭を掻きながら質問を送る。こいつは怖くならないのだろうか? ひょっとすると自分の考えが根底から間違っているかもしれないことが。

 

「もし間違ってたら?」

 

「その時は手のひらを返すわよ。一切悪びれずにね。自説にいつまでも拘泥するのは愚か者だけど、確たる主張を打ち出せない者もまた愚かだわ。……貴女が本当に魅魔の弟子であるなら理解できるはずよ。これは学者ではなく、魔女の流儀なの。魔女とは自身の考えを徹底的に貫くものでしょう? 時に世界の法則を捻じ曲げてでも、自らの正しさを押し通す。自説を信じられない魔女に存在している価値なんて無いでしょうに。」

 

「まあ、分かるけどよ。……いいぜ、お前の仮説に乗ってやる。私が知る限り、お前は世界で二番目に賢い魔女だからな。」

 

「二番目ね。魅魔の次ってこと? 随分と高い評価じゃないの。」

 

拍子抜けしたように呟いたノーレッジに、仮説を前提とした疑問を提示した。ちなみにリーゼと小悪魔はずっと話を聞いており、咲夜は美鈴にクッキーを勧められている。美鈴のやつ、余程に『名付け子かもしれない』ことを気に入っているようだ。

 

「じゃあよ、お前の仮説に沿って話を進めるとどうなるんだ? 私たちがここにこうして継続して存在している理由は? 遡行して出会ったものの、未来のお前らの行動には何の影響も与えなかった。そんなのおかしいだろ? だったら何かしらの原因があるはずだ。結果的に筋が通ることになった原因が。」

 

「結果から原因を考察するわけね? ……先ず、私たちはどこかの段階で貴女たちと出会ったという記憶を消すのでしょう。この仮説に関してはそれなり以上の自信があるわ。私が使用者かつ対象が呪文を受け入れようとしているのであれば、リーゼや美鈴のような強力な人外の記憶を消すことだって不可能じゃないもの。貴女たちが語る未来の状況からするに、唯一有り得そうなのはその展開よ。」

 

「ええ? 嫌ですよ、そんなの。勿体無いじゃないですか。この子たちからトカゲちゃんの居場所を聞いて、パパッと戦争を終わらせるんじゃダメなんですか?」

 

「貴女ね、今までの話をちゃんと聞いてた? それだとリーゼはこの子に影を渡さないし、貴女は名付け親になれないのよ?」

 

割り込んできた美鈴は、ノーレッジの注意を受けてむむむと悩み始めた。そんなになりたいのかよ、名付け親。それを尻目に今度はリーゼが声を上げる。

 

「しかしだね、私たちにデメリットは無いんだろう? この小娘たちから情報を抜き出した方が現在の私たちにとっては好都合であるはずだ。」

 

「だけど、未来の貴女にとっては不都合よ。影を渡すほどの従者が失われるのは痛手でしょう? ……大体ね、こんな議論には何の意味もないの。この子たちがここに居るってことは、私たちは結局記憶を消したってことなのよ。結果をもう知っているんだから、ごちゃごちゃ言わずに大人しく消した方が早いわ。結論ありきの議論なんて時間の無駄でしかないでしょうが。」

 

「そんなもん無茶苦茶じゃないか。」

 

「貴女、ようやく気付いたの? 無茶苦茶なのよ、この状況は。」

 

ジト目のリーゼに素っ気なく応じると、ノーレッジは次に私たちへと質問を寄越してきた。ちょびっとだけ疑問げな顔付きでだ。

 

「でも、それにしたって奇妙ね。貴女たちは今後元の時間に戻るまで何もせずに暮らしていける? 恐らくそうなるはずなんだけど。」

 

「……いけるかどうかって言うか、そうするしかないんだろ?」

 

「そうするしかないわけではなく、結果を見るとそうなっているのよ。同情すべき生活になるでしょうし、私やリーゼなら対策くらいは打つと思うんだけどね。おまけに貴女は魅魔の弟子なんでしょう? 貴女たちを易々と遡行させたという部分は少し腑に落ちないわ。」

 

ノーレッジがそこまで言ったところで、咲夜が思い出したように懐から何かを……歯車だ。学期の初めに送られてきた謎の歯車を取り出してテーブルに置く。

 

「あのっ、これ! リーゼお嬢様から……未来のリーゼお嬢様から肌身離さず持っておけって言われてた物です。もしかしたら、もしかしたら何かに使うんじゃないでしょうか?」

 

「私から? ……私は賢い吸血鬼だからね。未来の私はもっと賢いはずだ。これ以上賢くなるだなんて我ながら恐ろしい話だよ。どうだい? パチェ。未来の物凄く賢い私からのヒントだぞ。」

 

「黙ってなさい、うぬぼれ吸血鬼。……見たことがある素材ね。『賢い』貴女は気付かないの?」

 

「ん? ……んん?」

 

ノーレッジから渡された歯車をじっくり調べて唸っているリーゼに、知識の魔女どのは呆れ果てた様子で答えを口にした。

 

「貴女ね、自分の家にある物でしょうが。ムーンホールドの中庭の月時計と同じ素材じゃない。」

 

「……言われてみればそうだが、この歯車はかなり新しい物のようだぞ。普通は気付かないだろうが。」

 

「長年雨晒しにされていないからでしょ。要するに、この歯車だけが非常に長い期間別の場所に保管されていたってことよ。どこで手に入れた物なの? 現時点でのリーゼが知らないのだから、リーゼから受け取ったわけではないんでしょう? それともこれから見つける物ってこと?」

 

月時計? 私は知らないが、咲夜には思い当たる節があったようだ。ハッとしながらもノーレッジへと返答を返す。

 

「ホグワーツの新学期に入った直後、差出人不明の手紙で送られてきたんです。それでリーゼお嬢様とアリスにも見せてみたら、常に持っておけって言われまして。」

 

「私は登場しないのね。」

 

「えっとですね、私たちが居た未来ではパチュリー様やレミリアお嬢様たちはもう幻想郷に行ってます。こっちに残ってるのはリーゼお嬢様とアリスとエマさんだけなんです。」

 

「そういうこと。……貴女たちが居た時点で、ムーンホールドはどうなっているの?」

 

リーゼから取り上げた歯車をジッと観察しながらのノーレッジの問いに、咲夜がスラスラと『未来の状況』を伝える。言っちゃっていいのかな? まあ、記憶を消すんだったらどこまで喋っても同じか。今更だろう。

 

「レミリアお嬢様たちと一緒に幻想郷に移動済みです。ムーンホールドと紅魔館がくっ付いちゃってるので。」

 

「ちょっと待て、どういうことだい? ムーンホールドの本体まで『くっ付いた』のか? イギリスに残っている私とアリスとエマはどこで生活しているんだ?」

 

「それはどうでも良いでしょうが。……リーゼやアリスが何の理由もなく『常に持っておけ』とは言わないはずよ。貴女たちの遡行に気付いていたのかしら? ムーンホールドが幻想郷にあるのだとすれば、貴女に肌身離さず持たせておく意味は何? 月時計があるムーンホールドが『こっち』に存在している過去で使わせるためじゃない? だけど、それを使って一体何を──」

 

ムスッとしているリーゼを無視してブツブツと呟いていたノーレッジは……いきなりパッと顔を上げたかと思えば、杖を抜いて口を開いた。

 

「ここで考えているよりも、実際に現地で調べてみるべきだわ。こあ、呪文を受け入れなさい。貴女の記憶を消すから。ちなみに貴女の場合は受け入れなくても消せるから、仮に抵抗しても無意味よ。」

 

「えぇ……? 私は何でいきなり記憶を消されるんですか? ドン引きの展開なんですけど。」

 

「リーゼと美鈴は同行させるけど、貴女はここに残すからよ。後でやるのは面倒だし、先に貴女のこの子たちに関する記憶を消しておくわ。確定している行動なんだから諦めなさい。」

 

「普通に嫌なんですけど。単に黙ってればいいじゃないですか。どうせ主人が根暗だから殆ど誰とも会わな……わぁぁ、誰か助けてください! 邪悪な魔女がか弱い悪魔の記憶を抹消しようとしてますよ! この機に都合の悪い記憶も一緒に消すつもりでしょう? 分かるんですからね!」

 

ジリジリと後退りしていた小悪魔を魔法で拘束したノーレッジは、容赦なく短い真っ黒な杖を自分が使役している悪魔のこめかみに当てる。

 

「初めから空っぽの頭なんだから、多少記憶を消した程度じゃ何も変わらないわよ。ゼロから何を引いてもゼロにしかならないわ。マイナスなんてのは机上の概念なの。」

 

「うわぁ、そういうこと言います? じゃあ私だって言っちゃいますけど、パチュリーさまったらたまに図書館の奥の官能小説の棚の前でこっそり──」

 

オブリビエイト(忘れよ)。……オブリビエイト。」

 

おおう、恐ろしい。何かを暴露しようとした小悪魔だったが、その前にノーレッジが忘却呪文をかけてしまう。何故か二回もだ。短時間に忘却を繰り返すのはリスクがある行為だって習ったんだけどな。

 

ぽやんとしている状態でへたり込んだ小悪魔を見て、ノーレッジは満足そうに頷いてから私たちを促してきた。ちょっとだけ頬を染めながらだ。

 

「これでいいわ。ムーンホールドに行きましょう。今は妨害術で直接内部に姿あらわしが出来ないようになっているから、先ずは正門前に移動よ。」

 

「……キミ、官能小説の棚の前で何をしていたんだい? 『こっそり』何かをしていたってことだろう?」

 

「貴女たち、姿あらわしは出来る? ……そう、出来ないの。だったら私が使うわ。手に掴まりなさい。美鈴はリーゼと一緒に来るように。」

 

「答えたまえよ、ムッツリ魔女。私があの棚を見つけた時は、『義務として収集しているだけだ』と言っていたじゃないか。おいこら、何故無視を──」

 

リーゼの発言を黙殺して素早く私たちの手を取ったノーレッジが、付添い姿あらわしで移動する。……何にせよ、進展だ。あの歯車がどんな役目を持っていて、月時計とやらがどんな物なのかはさっぱり分からんが、ノーレッジが言っていた通り未来のリーゼやアリスが持たせたことには意味があるはず。

 

どうにか現状を打開してくれる物であることを祈りつつ、霧雨魔理沙は姿あらわしの感覚に身を委ねるのだった。

 



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大魔女の月時計

 

 

「さて、中庭に向かいましょうか。リーゼ、私以外の全員の姿を消して頂戴。」

 

これが『独立していた』時期のムーンホールドか。紅魔館を裏手から見た光景とほぼ同じだな。満月の下に聳え立つバートリ家の屋敷を眺めつつ、サクヤ・ヴェイユは小さく息を呑んでいた。華美ではなく、重厚という雰囲気だ。

 

「……どうして私が私の屋敷に入るのにこそこそしないといけないんだい? おかしな話じゃないか。」

 

「貴女が『裏側』で動くことを選んだからでしょうが。いいから黙って消しなさい。」

 

「はいはい、ムッツリ魔女の仰せのままに。」

 

「……次にそれを口に出したら、貴女の部屋にありったけの『臭液』を投げ入れるからね。私が実験用にガロン単位で保管していることを忘れないようにしなさい。」

 

パチュリー様の警告におざなりに首肯したリーゼお嬢様は、私と魔理沙と美鈴さんの背中を順番にポンと叩く。私からだと何も変わっていないので分かり難いが、恐らくこれで姿が消えたのだろう。私たちの様子を確認したパチュリー様が門の内側へと歩き始めた。……第一次戦争中期からはリーゼお嬢様がムーンホールドの『秘密の守人』をしていたらしいので、彼女が普通に入れるということはまだ忠誠の術がかかっていないのかな? もしかしたら戦争激化に伴ってそういう処置を取ったのかもしれない。

 

考えながらパチュリー様の背に続いて門を抜け、雑草だらけの庭を横目に玄関へと向かっていくが……ふむ? 思っていたほどには荒れていないな。雑草だらけと言っても、生えているのは背の低い細々とした草だけだ。エマさんは紅魔館に居るはずだし、現在屋敷を使用している騎士団の誰かが軽く整えてくれているのか?

 

玄関を抜けた内部もあまり汚れていないことにホッとしていると、玄関ホールの奥の方から顔を出した男性がパチュリー様に声をかける。騎士団の人かな?

 

「あれ、ノーレッジさん? こんな時間にどうしたんですか?」

 

「ちょっと用事があって寄ったのよ。貴方の方こそ何をしているの?」

 

「いや、騎士団側にも報告を入れに来たんです。また死喰い人の集団が何者かによって惨殺されたんですよ。魔法警察が現場でマグルを二人保護したそうなんですけど、記憶を失っていて何も証言を得られなかったようでして。」

 

「そう。……死体の身元確認は済んでいるの?」

 

ブロンドの髪の、優しそうな面持ちの細身の男性。ここに居るということは間違いなく不死鳥の騎士団の一員なんだろうけど、パッと見ただけでは誰だか分からないな。一体誰なのかと記憶を探っている私を他所に、男性はパチュリー様へと回答を返した。

 

「遺体の損傷が激しい所為で半分以上はまだ特定できていないようです。現場はロンドン郊外の廃教会で、犠牲者の数は魔法使いが十二名とマグルの女性が一名。マグルの方は保護された二人の連れであり、死喰い人に死の呪いで殺されたのではないかと魔法警察隊は推察しています。そして十二名の死喰い人の方は死の呪いではなく、『何らかの物理的な手段』で惨殺されていたと現場に出た局長が言っていました。今は副局長が現地に残っているそうです。魔法警察の捜査を、あー……その、『監視』したいからと。」

 

「さぞ迷惑に思っているでしょうね、魔法警察の隊員たちは。オグデンが現場に居たらやり難くて仕方がないはずよ。一々ねちっこく文句を付けている様が目に浮かぶようだわ。」

 

「まあ、オグデンさんは無意味な指摘はしませんから。皮肉の量は若干多いですけどね。……被害者が全員死喰い人とはいえ、ここまで続くと怖くなってきます。『死喰い人集団惨殺事件』はこれでもう三度目でしょう? 私たちが把握していない別件が無いとも限りませんし、騎士団や魔法省の他にも何らかの抵抗組織があるということなんでしょうか?」

 

「可能性はあるわ。証拠を一切残さないから何とも言えないけど、事件の犯人が随分と野蛮な手段を選択しているのは確かなようね。きっと実行犯は粗野で性格が悪い愚か者なのでしょう。」

 

透明になっているはずの私たちをちらりと見ながら言ったパチュリー様へと、リーゼお嬢様が忌々しそうなジト目を向ける。男性が報告しているのは私たちが居たあの廃教会での事件のことか。とはいえ実行犯が吸血鬼と大妖怪であることなど知る由もない男性は、再び歩き始めたパチュリー様と並んで廊下を進みながら犯人像の予想を口にした。大きく外れている予想をだ。

 

「プロファイリングは苦手ですが、もしかしたら死喰い人に親しい人物を殺された人間の犯行かもしれません。殺し方があまりにも残酷すぎますからね。十名以上の死喰い人を一方的に制圧できているということは、単独犯でもないはずです。……参りますよ。たとえ被害者が死喰い人だとしても、我々は法の執行機関として捜査をしなければならないんですから。」

 

「貴方たち闇祓い局はともかくとして、クラウチの方は動いているの?」

 

「本腰は入れていないものの、一応形式上の捜査はしているようです。クラウチ部長からすれば好都合なんでしょう。今は野放しにしておいて、戦争終結後に対処すれば良いと判断しているみたいですね。」

 

「死喰い人にしか噛み付かない狂犬であれば、放っておいたところで問題ないってわけ? 実にクラウチらしい判断だわ。」

 

バーテミウス・クラウチ・シニアか。ヴォルデモートの敵だったものの、決して騎士団の味方ではなかった男。私にとっては『死者』であるクラウチさんの話をする二人の背を追っていると、廊下の先からこちらの方へと誰かが歩いて──

 

「ありゃ、フランクじゃん。ノーレッジさんも。」

 

「パチュリー? 何かあったの?」

 

声を上げながら近付いてくるのは、過去のアリスと……そして私のお婆ちゃんだ。憂いの篩で見た記憶と違って、この手で触れるし話しかけることだって出来るお婆ちゃん。正真正銘の『生きている』テッサ・ヴェイユ。祖母の急な登場に胸を波立たせている私を尻目に、パチュリー様は平然と応答を飛ばした。

 

「少しこっちに用事があったのよ。……それよりヴェイユ、貴女こそこんなところで何をしているの? 七月中はホグワーツに残るってドージが言っていた覚えがあるのだけど。」

 

「ダンブルドア先生からの指示を届けに来たんですよ。何でも北アメリカに逃げることを希望した家族が居るようでして、渡航の手配を騎士団の方でやってもらいたいってダンブルドア先生に手紙が届いたんです。」

 

「魔法省は信用できないってこと? 賢いじゃないの。」

 

「まあその、先月協力部であんなことがありましたからね。敏感になるのも無理ないですよ。」

 

目の前で普通に会話しているお婆ちゃんを見つめる私の手を、魔理沙がおずおずと握ってくる。気遣うように、それでいて制止するようにだ。……分かっているさ。私はここに居るべきじゃない存在なんだから、お婆ちゃんと話すことも触れ合うことも許されない。それはきちんと理解しているぞ。パチュリー様の仮説が絶対に正しいとは言い切れないんだし、余計なことはしない方がいいだろう。

 

「何にせよ、そういうことならバンスに話を通すべきね。彼女なら安全なポートキーと受け入れ先を確保してくれるでしょう。」

 

「今日はスカーレットさんがこっちに居るみたいなので、そっち方面からエメリーンに繋げてもらうことにします。アーサーとモリーも詰めてますから、リビングに行けばビルやチャーリーにも会えますよ? この時間だから寝ちゃってるかもですけどね。」

 

「子供は苦手よ。ロングボトムも報告があるみたいだから、先に全員で共有しておいて頂戴。私は私の用を済ませてから行くわ。」

 

「了解です。」

 

過去のレミリアお嬢様とウィーズリー夫妻、子供の頃のビルさんやチャーリーさんも屋敷内に居るのか。それに、ブロンドの男性はロングボトム先輩のお父さんだったようだ。フランク・ロングボトムさん。確か第一次戦争時は闇祓いで、『今』は聖マンゴに入院しているはず。お父さんとお母さんの闇祓いとしての先輩ということになるな。

 

……ビルさんとチャーリーさんは出てきたのにパーシー先輩の名前が出てこなかったし、お父さんとお母さんはまだ闇祓いになっていない時期なのかもしれない。パーシー先輩は76年生まれで、私の両親や忍びの五人が卒業したのは78年のはずだ。つまり今私たちが居る時間では、お父さんとお母さんは妹様たちと一緒にホグワーツに在学中なのかな? そういえばここがどの時点なのかをはっきりと確認できていないなと考えていると、去り際にアリスがパチュリー様へと話しかけた。

 

「何か作業があるなら手伝うけど、いいの?」

 

「ええ、一人で平気よ。大したことじゃないから。」

 

「そっか、それならリビングで待ってるね。……ねえテッサ、折角帰ってきたんだから旦那さんにも会っていきなさいよ。この前寂しがってたじゃないの。」

 

「私は寂しがってたわけじゃなくて、心配してたの。またコゼットに変な料理を教えないかって。……まあ、八月に入ればホラスと交代で家に戻れるんだから今日はいいよ。もう寝てるだろうしね。」

 

お爺ちゃんもまだ生きている時期なのか。アリスやフランクさんと笑顔で話しながら遠ざかっていくお婆ちゃん。その姿をジッと見ている私に、リーゼお嬢様が声をかけてくる。

 

「……ふぅん? やけに切なそうにヴェイユのことを見るじゃないか、キミ。」

 

「それは、その──」

 

「いいさ、言わないでくれたまえ。『それ』を聞いたら私はアリスのためにすべきことをしなければならなくなる。ひょっとしたらフランのためにもね。未来の状況を踏まえた上で、それでもなお聞くべきなのかどうかは私の『頭脳』であるパチェが決断することだ。今はまだ聞きたくないよ。」

 

リーゼお嬢様は賢いお方だ。今の私の表情とこれまでに話した事情から、大凡の『未来』を察しているのだろう。アリスの背中を見つめながら複雑そうな顔付きになってしまったお嬢様へと、ぺこりと頭を下げて謝罪を送った。気付かせてしまったことへの謝罪を。

 

「申し訳ございませんでした、リーゼお嬢様。」

 

「キミが謝ることではないだろうが。もしかすると、これは未来の私が未来の従者たるキミに謝るべきことなんだから。……さっさと行くぞ。」

 

不機嫌そうな声色で吐き捨てたリーゼお嬢様は、一度鼻を鳴らしてから中庭がある方向へと歩き始める。背後で会話を聞いていた美鈴さんも何かに思い至ったようで、困ったような微笑みで私の肩を軽く叩いてからお嬢様に続いた。……もし今時間を止めてお婆ちゃんに追いついて、これから起こる全てを洗いざらい暴露したらどうなるんだろう? パチュリー様たちが止める間も無く、ハロウィンの悲劇や分霊箱のことを全部喋ってしまったら?

 

パチュリー様の仮説が正しいのであれば、私はそれをしないはずだ。だからこそ私はサクヤ・ヴェイユとしてこの場に存在しているのだから。……だけど、もしやってしまったら? 私は『咲夜』ではない別の私としてヴェイユ家の皆と暮らすことになるのだろうか? ロングボトム先輩も、ポッター先輩も、幸せな未来を得られるのだろうか?

 

そうなればきっと、ホグワーツに行く必要が無くなるリーゼお嬢様はポッター先輩たちと出会わないだろう。お嬢様が行かないのであれば、魔理沙もホグワーツに入学しないかもしれない。妹様は親友を喪わずに済み、ブラックさんは収監も指名手配もされず、オグデンさんは後悔を抱えることなく、ペティグリューさんは道を誤らずに済むかもしれない。ダンブルドア先生はもっと長生き出来るかもしれないし、アリスとパチュリー様も穏やかに友人と死別できるかもしれない。

 

眼前にある『もしも』の未来。普通なら絶対に得られないはずのその未来は、今の私にとっては決して手が届かないものではないのだ。手を伸ばせば掴み取れるそれを思って逡巡している私に、魔理沙がそっと語りかけてきた。

 

「お前が何を考えてるかは何となく分かるぜ。私も多分、同じことを考えてるからな。……やめとけ、咲夜。『もしも』を肯定するのは、私たちが居た未来を否定するのと同義なんだぞ。そんな権利は誰にもないはずだ。」

 

「でも、みんなが幸せになれるのよ? 私たちは全てを知っているわ。ヴォルデモートの秘密も、この先に起こる悲劇の数々も。知っているのに黙っていることこそが罪だと思わない?」

 

「得られるものもあるけど、失うものもあるだろうが。……そういう風に出来てるんだよ、この世界は。」

 

「私たちが我慢すればいいだけの話よ。貴女が変化を承認して、私がお嬢様たちと……出会えなくなることを認めさえすれば、他のみんなが幸せになれるわ。そうじゃない?」

 

お嬢様方と、紅魔館のみんなと、そして魔理沙と『出会えなくなる』ことを考えると恐怖で押し潰されそうになる。だけど手に入るものの尊さを考えれば、それをやらない理由にするのは私の我儘だ。そう思って放った反論に、魔理沙は真剣な顔で首を横に振ってきた。

 

「私たちだけの話じゃないだろ。……ここで道を変えれば、全部が変わっちまうんだよ。未来のハリーが両親の代わりにリーゼと出会えなくなることを望むと思うか? アリスやフランドールが友達の代わりにお前と会えなくなることを認めるか? 他にも沢山の人が大事な人と出会えなくなるだろうさ。その結果生まれなくなる命もあるんだぞ。全部が変わっちまった未来で、ルーピンとトンクスが結ばれるって言い切れるか? ビルとフラーはどうだ? ハリーとジニーは恋人になるか?」

 

「そんなこと……そんなこと、分からないわ。」

 

「そうだよ、分からない。私にだってどうなるかなんて予想できんぜ。だったらやるべきじゃないんだ。私たちが何もしなかった時こそが『自然』な流れなんだから、それを変えることこそが罪だろ? 生まれてくる命を選択したり、死ぬべき命を選んだり。そんなの神にだって許されることじゃない。……行くぞ、咲夜。忘れるなよ? 私たちはここに居るべきじゃないんだ。それを絶対に忘れるな。」

 

決然とした表情の魔理沙が手を引くと、自分でも驚くほどに抵抗なく身体が動き出す。……何て情けないんだ、私は。魔理沙は自分の強い意思で『変えないこと』を決定した。でも、弱い私は何も決められていない。親友に手を引いてもらうがままに選択しただけだ。

 

「……やらないのね。」

 

口を出さずに私たちのことを待っていてくれたパチュリー様へと、魔理沙が肩を竦めて応じる。

 

「やらないさ。やるべきじゃないからな。……やらないことを知ってたから止めなかったんだろ?」

 

「その通りよ。今の貴女たちが未来を変えないことを、未来から来た貴女たちは知っているはずでしょう? それだけの話ね。」

 

「つくづくムカつくぜ。私に授業をしてくれてた時はもうちょっと親切だったぞ、お前。」

 

「あら、授業? ……まあ、そういうことなら何よりだわ。リーゼの従者と私の『生徒』。そんな二人が未来を変えることの罪深さに気付けているようで安心よ。」

 

言うと歩き出したパチュリー様の後から、私たちも中庭に向かって一歩を踏み出す。……未だに正解が分からないな。私たちは変えるべきだったのか、それともこれで良かったのか。多分これは正解がある類の問題ではないのだろう。あるのは選択と結果だけだ。

 

その選択すら出来なかった自分にため息を吐いていると、遂に月時計がある中庭が廊下の先に見えてくる。この辺は私が知る『ムーンホールド区画』と完全に一致しているな。もっと奥に進めば地下の貯蔵庫への階段があるはずだ。

 

「月時計はムーンホールドに来た後で少し調べたわ。別段魔力らしきものは感じなかったし、設計そのものや装飾の見事さには感心したけど、何か特別な機構は見当たら──」

 

説明しながら中庭に出て、黄色い大きな満月に照らされている月時計へと歩み寄ったパチュリー様だったが……急に口を噤んだかと思えば、月時計の上に置かれている物を杖なし魔法で引き寄せた。小石で風に飛ばされないように固定されていた、一枚の羊皮紙をだ。

 

「……なるほど、貴女は確かに魅魔の弟子だったようね。」

 

「何だい? 何て書いてあったんだ?」

 

「魅魔からよ。ご丁寧に準備を整えておいてくれたらしいわ。」

 

リーゼお嬢様に答えたパチュリー様がこちらに示してきた羊皮紙には、どうもこの月時計の『使用方法』が記載されてあるらしい。『鍵は歯車、動力はバカ弟子、スターターは銀髪のお嬢ちゃんだ。移行する時点の設定は私が済ませた。上手くやりな、図書館の。とっても偉大な大先輩より。』という文章が癖のある踊るような文字で書かれており、その下には『追伸、使い終わった歯車を送り返すのを忘れないように。』との一文が続いている。

 

「間違いなく魅魔様の字だぜ。……お師匠様は知ってたってことか? 私たちがこの時間に遡行することを。」

 

何とも言えないような面持ちで呟いた魔理沙の疑問に、青白い複数の魔法の明かりを浮かせて月時計を調べているパチュリー様が応答した。ほんの少しだけ不服そうな顔付きでだ。

 

「そも遡行の切っ掛けを作ったのは魅魔なんでしょう? だったら魅魔が『ゴール』を決めるのはそこまでおかしなことではないわ。最初から最後まで大魔女の計画通りだったということよ。おめでとう、大魔女魅魔の弟子。貴女はゴールにたどり着いたみたいよ?」

 

「……遡行することもひっくるめて、全部魅魔様の『課題』だったってことか。」

 

そんなの滅茶苦茶じゃないか。一つ間違えれば大変なことになっていたんだぞ。まさかという思いで周囲を見回してみると……あれ? リーゼお嬢様は苦い納得の表情を浮かべているな。ちなみに美鈴さんは平時通りのにへらっという笑顔だ。

 

「魅魔ならやりかねないね。何故こんな危険なことを『弟子への課題』にしたのかはさっぱり分からんが、あの悪霊なら平然とやってのけるだろうさ。」

 

「……まあ、魅魔様ならやるかもって点には同意するぜ。けどさ、この月時計はずっとここにあったんだろ? ここが『ゴール』ってのはどういうことなんだよ。私たちはこれからどうなるんだ?」

 

「『移行する時点の設定は私が済ませた』と書いてあるわ。だからつまり、魅魔はこれで『戻れ』と言いたいんでしょ。」

 

リーゼお嬢様に同意した魔理沙の問いに対して、パチュリー様はスラスラと返答を返しているが……まさか、これは未来に行くための魔道具だってことか? パチュリー様は『未来に移行する魔法は存在していない』みたいなことを言っていたはずだぞ。

 

私の疑念を代弁するように、リーゼお嬢様が疑わしげな口調で声を上げた。

 

「おいおい、これはバートリ家の月時計だぞ。魅魔は関係ない……いや待て、そうでもないな。魅魔は祖母の友だった。そしてこの月時計は母上が誕生した記念に作られた物であるはずだ。魅魔が贈ったということか?」

 

「その辺は知らないし、どうせ私たちは記憶を消すんだから推理しても無駄よ。謎解きは未来の私たちに任せましょう。……サクヤとか言ったわね。この手紙によれば、使い終えた歯車を未来の貴女に送り返す必要があるらしいわ。どんな風に送られてきたの? 今から同じように送るのだから、貴女はそれを覚えているはずよ。」

 

「えと、覚えてます。再現しろってことですよね? 羊皮紙の切れ端が一枚と封筒が必要です。」

 

「美鈴、適当に持ってきなさい。その辺の棚に入っている羊皮紙と封筒で構わないわ。」

 

美鈴さんに指令を下したパチュリー様は、次に魔理沙へと質問を飛ばす。パチュリー様は気になっていないのだろうか? この月時計が本当に『未来旅行』を可能にする物なのであれば、魔女として興味を惹かれるはずだぞ。

 

「それで貴女、『動力』とは何? 動力担当の『バカ弟子』というのは貴女のことでしょう?」

 

「動力? 動力って言われても……ひょっとして、これのことか? 八卦炉だ。ミニ八卦炉。」

 

「八卦炉? 『あの』八卦炉のこと? 貴女はそんな物騒な物を持ち歩いているの? ……これ、未来の私にも見せた?」

 

「見せたぜ。っていうか、使い方をお前から習ったんだ。」

 

魔理沙の返事を聞いて、パチュリー様は『なら良し』という顔でどんどん話を進めていく。

 

「大いに結構。面白そうな品だけど、未来の私が研究するなら問題ないわ。月時計から魔力を感じなかったのは動力が『外付け』だったからなのね。……貴女はどうなの? 『スターター』と書いてあるけど、意味を把握している?」

 

「私はその、生まれつき時間を止められるので、魅魔さんはそのことを言っているんだと思います。……ちなみにそれも未来のパチュリー様は研究済みです。」

 

「素晴らしいわ。楽しそうな未来で何よりよ。となると後は鍵である歯車を設置するだけね。」

 

「待ちたまえよ、キミ。色々と疑問をすっ飛ばしすぎだぞ。未来に移行する魔道具? 八卦炉? 時を止める? 魔女として気にならないのかい? それ以前に、私はまだこの小娘たちを利用するかどうかを迷っているんだがね。」

 

我慢できないという様子で突っ込んだリーゼお嬢様へと、パチュリー様は歯車を片手に月時計を調べながら、至極当たり前のことを語るように素っ気無く応じる。

 

「その議論には意味がないわ。何度も言っているでしょう? この子たちが遡行してきたということは、私たちはこれから記憶を消すし、記憶を消すということは今考えても無意味なの。未来の状況を鑑みれば、この子たちは月時計で『帰る』と考えるのが自然だしね。意味のないことをするのは時間の無駄よ。さっさと帰して現在の問題に向き合いましょう。貴女の頭の中にある数々の疑問を解消すべきは未来の私や貴女だわ。どうせいつか分かるなら、別に今必死になって考える必要はないでしょ。」

 

「……薄気味悪いぞ、キミ。よく葛藤しないね。」

 

「永久に知れないのであれば意地でも抵抗するけど、いつか知ることが約束されているならそれでいいの。貴女はこの子たちを元の時間に帰すわ。そうなっている以上、本音で言えばそう考えているはずよ。」

 

「つくづく気に食わん状況だね。……おい、キミ。帰ったら未来の私にこの件を絶対に追及するようにと言っておきたまえ。特に魅魔だ。要するに原因はあいつなんだろう? あの忌々しい迷惑な悪霊に『迷惑料』を請求することを決して忘れるんじゃないぞ。あと、月時計に関しても納得のいく説明を要求するんだ。いいね?」

 

イライラと翼を揺らしながら命じてくるリーゼお嬢様に、しっかりと頷いて了承を返す。……私の生い立ちに薄々勘付いてしまったから、アリスや妹様のために記憶を消すことを承認したのかもしれないな。パチュリー様の仮説や『未来の従者』の存在も一応の要因にはなっているんだろうけど、一番大きな理由はきっとそれだ。パチュリー様が言うように未来が確定しているものなのであれば、いっそ忘れてしまった方がマシだと判断したんだろうか?

 

「かしこまりました、お嬢様。」

 

「『影』は返しておくよ。私はキミなんかに預けちゃいないが、未来の私はキミのことを信頼しているようだからね。しっかり持っておきたまえ。」

 

「はい。……いつか私がリーゼお嬢様と出会う日が来るはずです。その時はどうかよろしくお願いします。」

 

「……ふん、記憶を消すんだから今言っても無駄だろうに。」

 

そっぽを向いてしまったリーゼお嬢様に苦笑していると、美鈴さんが小走りで戻ってきた。手には封筒や羊皮紙なんかを持っているようだ。

 

「封筒と、羊皮紙と、一応ペンとかも持ってきましたけど……その辺から適当に選びましたよ? 大丈夫なんですか?」

 

「平気よ。でしょう?」

 

「……そうですね、私が受け取った封筒と同じ物だと思います。こっちの方が真新しいですけど。」

 

パチュリー様の確認に首肯してから、彼女に目線で促されて封筒にペンを走らせた。宛名は『バートリ家の銀髪の使用人へ』で、差出人は『貴女の先達より』だったはずだ。そして羊皮紙に書くのは『アンネリーゼお嬢様のために、必ず持ち歩くように』で間違いないはず。あとは羊皮紙を小さく切り取れば完璧だな。……そうか、これは私の字だったのか。まさか自分からの手紙だなんて思わないから仕方ないといえば仕方ないけど、そんなことにも気付けないのはちょっと間抜けだったかもしれない。

 

「書けました。」

 

「送られてきたのはいつ?」

 

「1998年の九月二日の朝、ホグワーツの大広間で配達ふくろうから受け取りました。バートリ家のスタンプで封蝋がされていて、封筒の中に直接羊皮紙の切れ端と歯車が入っていた形です。」

 

「封筒は劣化していたのよね? ……把握したわ。貴女たちが旅立った後、歯車を入れて然るべき手段で送っておくから安心して頂戴。」

 

私から封筒を受け取りながらそう言うと、パチュリー様は仕草で私たちを月時計の上へと移動させる。そのまま私たちの立ち位置を何度か調整した後、魔理沙に向けて指示を出した。

 

「恐らく移行に必要なエネルギーの注入口はここよ。細い光の線のようにして純粋な力を照射できる?」

 

「出来るぜ。」

 

「そうね、出来るはずよ。二十秒程度の間照射し続けて頂戴。そしたら次は『スターター』の出番。私には具体的なところまでは分からないけど、貴女は何をすべきか分かっているのでしょう? それをやれば未来に帰れるわ。リーゼと美鈴の記憶は見送った後で消すから心配しないで帰りなさい。」

 

複雑な機構の月時計の中心に立っている私たちへの説明を終えたパチュリー様は、リーゼお嬢様たちが居る場所へと一歩下がって見守り始める。それに頷いた魔理沙が八卦炉を起動させて、パチュリー様が示した真っ黒なレンズのような場所へと光を照射した。こういう時は何と声をかければいいんだ? 状況が特殊すぎて分からないぞ。

 

「えっと、お世話になりました。」

 

「あー……まあなんだ、未来で会おうぜ。」

 

私たちの曖昧な別れの挨拶を受けて、リーゼお嬢様、美鈴さん、そしてパチュリー様もまたぼんやりした返事を放ってくる。

 

「礼は未来の私に言いたまえ。どうせ今の私は忘れちゃうんだから。」

 

「元気に生まれてきてくださいね、私の名付け子ちゃん。魅魔さんの弟子さんもお元気で。」

 

「あのね美鈴、『元気に生まれてくる』のは確定しているのよ。目の前に『結果』が居るんだから。……はい、もうエネルギーは充分よ。それじゃ、行ってきなさい。」

 

パチュリー様の言葉と同時に、私が能力を発動すると……またこれか。世界が足元から崩壊して、私たちは漆黒の闇へと落下していく。そんな中、崩壊する世界に立っているパチュリー様がポツリと呟きを寄越してきた。どこまでも不遜で狡賢い、力ある魔女の顔付きでだ。

 

「それと、魅魔に伝えなさい。未知を前にした私の欲深さを舐めないようにと。」

 

……どういう意味なんだ? 疑問が脳裏をよぎった瞬間、下へ下へと身体が引っ張られる。真っ黒に染まっていく世界を認識しながら、サクヤ・ヴェイユは未来へと落ち続けるのだった。

 



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異なる忠心

 

 

「……目が覚めた? お帰りなさい、魔理沙。」

 

ここは……どこだ? 私を覗き込んでいるアリスの顔を見返しながら、霧雨魔理沙は覚醒したばかりの頭を動かしていた。自分が寝ているベッドを囲むように白いカーテンがあり、その隙間からは柔らかな陽光が差し込んでいる。アリスの姿があることも相まって、何だか安心する雰囲気だな。

 

「……おう、アリス。今は何月何日だ?」

 

「良い質問ね。状況にマッチした内容だわ。……今は1999年の三月十一日のお昼前よ。」

 

「つまり、私の居るべき時間か。」

 

「そうよ、貴女は居るべき時間に戻ってきたの。」

 

となると、私たちが遡行した時点から一夜明けた午前中ってことか。優しげな微笑みで応答するアリスを見てホッとしてから……そうだ、咲夜は? 慌てて身を起こして質問を重ねた。

 

「咲夜は? あいつも一緒だよな?」

 

「大丈夫よ、隣のベッドで寝ているわ。朝方に一度起きて私たちに事情の説明をした後、また眠っちゃったの。ちなみに咲夜の杖も無事に回収済みよ。」

 

「そうか、良かった。……ここはホグワーツの医務室か。」

 

「ええ、その通り。昨日の深夜に私たちがマーリンの隠し部屋を調べていた時、急に虚空から貴女たちが出現したのよ。だから急いでここに運んでポピーに診てもらったの。貴女はほぼ怪我なしの健康体で、咲夜は軽い打撲があったから軽症ってところね。もうポピーがすっかり治してくれたわ。」

 

アリスの報告を耳にしながら、再び枕に頭を預ける。疲れたぜ。身体がじゃなくて、頭が疲れたって感じだ。

 

「……知ってたのか? 私たちが遡行することを。」

 

「いつ遡行するのかも、どこに遡行するのかも知らなかったけど、遡行すること自体は高い可能性として予測していたわ。あの手紙が過去の咲夜から送られてきたことに気付いていたのよ。……黙っててごめんなさいね。」

 

「いや、怒ってはいないぜ。理由は大体分かるからな。魅魔様から何か言われたんだろ? 手を出すなとか、このままやらせておけとか、そういうことを。」

 

「正解よ。魅魔さんや八雲さんたちからの助言を受けた結果、私とリーゼ様は『何もしない』のが正解の流れだと判断したから、下手に介入して流れを変えないようにしていたの。」

 

『流れを変えないため』ね。アリスは過去のノーレッジとはまた違った考え方を持っているみたいだな。ノーレッジの仮説通りなら、私と咲夜が遡行するのは確定している出来事であるはずだ。だからアリスたちが何をしようが、何もしなかろうが……ん? 違うな。そうじゃないか。

 

手紙を受け取ったことで私たちが遡行することは確定していたかもしれないが、遡行した後にどうなるかは誰にも分からないことだ。いくらノーレッジの仮説通りだとしても、観測できる者が居なければそれは未知のはず。よくリーゼとアリスは介入を我慢したな。私のことはともかくとして、咲夜が過去に残されたままになる可能性は捨て置けなかっただろうに。

 

いやいや、待て。魅魔様という『観測者』が居るか。過去の月時計に手紙を残せたということは、魅魔様はあの時点で私たちが未来に帰還することを知っていたことに……んんん? そんなことが有り得るか? 改めて考えたら妙だぞ。何だって魅魔様はあの時間のあの場所にあんな手紙を残せたんだ?

 

過去で見聞きしたことから推察するに、私たちが遡行したのは第一次魔法戦争の前期から中期にかけてのどこかだ。つまり1970年代ということになる。魅魔様は今から二十年以上も前に私が弟子になり、その弟子が咲夜と友人になり、昨日の夜に遡行することを知っていた? 幾ら何でも有り得んだろ。70年代には私はまだ生まれてすらいないんだぞ。

 

そうなると、あの手紙を置いた魅魔様もまた時間遡行をしていたと考えるのが自然だが……じゃあ魅魔様はどうやって『こっち』に帰ってくるんだ? 魅魔様も月時計を使って帰ったってことか? だったら手紙での指示なんかじゃなくて、姿を見せて私たちと一緒に帰ればよかったのに。というかそもそも、魅魔様はどの時点でどこからどこまでを把握していたんだろうか?

 

あああ、さっぱり分からん。時間って概念が先ず複雑なのに、そこに魅魔様の計画が追加されると意味不明だぞ。横になりながら頭を悩ませている私へと、アリスがクスクス微笑んで声をかけてきた。

 

「色々と気になることがあるんでしょうけど、今は少し休みなさい。リーゼ様が幻想郷に行ってるから、その報告を聞いた後で整理した方が楽だと思うわよ?」

 

「魅魔様に会いに行ったってことか?」

 

「そういうことね。咲夜の報告を全部聞いてから、彼女がもう一度寝付くまで側に居た後、呪符で会いに行ったの。かなり怒ってたわ。」

 

「……まあ、そりゃ怒るだろ。結局のところ、今回の騒動は魅魔様の所為だったわけなんだから。去年のベアトリスの一件は間接的な原因の一つだったけど、今年のこれは少なく見積もっても九十パーセントくらいの割合で魅魔様が悪いぜ。」

 

私は魅魔様を尊敬しているし、いざとなれば擁護もするが……今回ばかりは厳しそうだな。ため息を吐きながら苦笑している私に、アリスもまた苦い笑みを浮かべて首肯してくる。

 

「何れにせよ、詳しい事情についてを考えるのはリーゼ様が帰還してからよ。今はまだ材料が少なすぎるわ。」

 

「んじゃ、とりあえず『時間旅行』に関する疑問は横に置いとくが……チェストボーンは? あいつは結局何だったんだ?」

 

「バイロン・チェストボーンね。今も執行部が捜査を続けてるけど、大まかな正体は明らかになっているわ。貴女もご存知の通り、死喰い人よ。」

 

「それは分かるけどよ、どうやって『オリジナルの逆転時計』を見つけたんだろうな?」

 

私たちには魅魔様の課題という『切っ掛け』があったが、チェストボーンにはそれすら無かったはずだ。怪訝に思っている私へと、アリスはベッド横の台に置いてあったリンゴを手に取って返答を寄越してきた。剥いてくれるらしい。

 

「先ず前提を話すわ。闇祓いが家宅捜索で押収した書類からするに、チェストボーンはリドルが死ぬ以前から逆転時計に関する研究をしていたようなの。具体的に言えば、指示を受けて研究を始めたのはホグワーツでの戦いが終わった少し後だったみたい。」

 

「……大分不利な状況だったもんな、死喰い人たちは。過去に戻って状況を改善することを目論んだわけか。」

 

「でしょうね。しかし魔法省やレミリアさんだってそんなことは予想していたから、あの頃は逆転時計を厳重に守っていたのよ。だからリドルは新たな逆転時計の製作をチェストボーンに命じたわけ。」

 

「でも、何でチェストボーンだったんだ?」

 

アリスがリンゴを……おいおい、こんな時まで人形を使うのか。リンゴを人形に剥かせているのを眺めながら尋ねてみれば、彼女はスラスラと答えを返してくる。闇祓いたちから詳細な報告を聞き取り済みらしい。

 

「チェストボーンが数少ない正体がバレていないスパイの一人であり、かつリドルに対して非常に忠実だったからよ。それは自宅に残されていた数々の証拠から窺い知ることが出来たわ。どうもチェストボーンと繋がっていたのはリドル本人とその腹心たるロジエール、そして幹部のマルシベール親子だけだったみたい。マルシベール親子は二度の戦争で戦死し、リドルとロジエールもヌルメンガードの戦いで死亡した結果、チェストボーンが死喰い人であることを知っている人物は誰も居なくなったわけね。」

 

「死喰い人の方もスパイ対策をしてたってことか。」

 

「そういうことよ。……多分、第一次戦争の頃は魔法省側の情報を流すのが仕事だったんでしょう。当時のチェストボーンはリセット部隊の隊長だったから、死喰い人に繋がる証拠の揉み消しなんかもしてたのかもね。情けない話だけど、あの頃の魔法省は本当にスパイだらけだったのよ。特に驚くようなことじゃないわ。」

 

「ん、それは授業で習ったぜ。んでもって第一次戦争が終結してもバレずに生き延びて、ヴォルデモートが復活してからまた接触し始めたってわけか。」

 

綺麗に切り分けられたリンゴを人形から受け取りつつ放った言葉に、アリスは同意してから説明を続けてきた。

 

「その辺は推測になるから断言できないけど、恐らくそんな流れだと思うわ。再びリドルと連絡を取り合えるようになったのはホグワーツの戦いの少し前だったみたいだから、第二次戦争では大した働きをしていなかったんでしょう。……だけど、故にチェストボーンは最後まで『主人に忠実な隠れ死喰い人』でいられたわけよ。だからこそリドルはチェストボーンに逆転時計についてを任せたんじゃないかしら?」

 

「……ひょっとして、ヴォルデモートは自分が死ぬ可能性も予測してたのか? だから自分の死後も疑いを持たれずに研究を続けられるチェストボーンを選んだとか?」

 

「分からないわ。だけどリドルがヌルメンガードの戦いの時点で、自分が一度『死ぬ』ことを計算に入れていたのは確かよ。結局その計画はダンブルドア先生とスネイプによって崩されちゃったわけだけど、リドルなら他にも策を打つくらいのことはしていたかもしれないわね。」

 

「芽吹くことを本気で期待していたのかはともかくとして、一応種を撒いておいたわけか。逆転時計って再起の種を。」

 

分霊箱のシステムといい、ヌルメンガードでの企みといい、つくづく周到なヤツだな。……しかし、そうなるとヴォルデモートもまたノーレッジとは違う考え方をしていたことになる。闇の帝王は『歴史は変化させられるものだ』と考えていたわけか。

 

あるいは、深く考えずにチェストボーンに命じたのかもしれんな。ヴォルデモートにとってのチェストボーンは使い捨てられる『駒』の一つに過ぎないから、とりあえずやらせるだけやらせてみたとか? 様々な可能性を頭に描いている私へと、アリスが続きを語ってきた。

 

「チェストボーンは主人の命令を遂行しようと必死に努力したみたいね。リドルが死んだという知らせを聞いた後も、逆転時計さえ完成すれば『やり直し』が可能だと考えていたんでしょう。自宅の隠し部屋からは膨大な量の逆転時計に関する資料が発見されたわ。」

 

「恐ろしい話だな。何だってヴォルデモートなんかにそこまで入れ込めるのかね。私にはちっとも分からんぜ。」

 

「私にも理解は出来ないけど、そういう死喰い人は少なくないわ。エバン・ロジエール、アントニン・ドロホフ、ベラトリックス・レストレンジ、バーテミウス・クラウチ・ジュニア、そしてバイロン・チェストボーン。違う考え方をして、違う忠義を貫こうとする人も居るのよ。私がリーゼ様を決して裏切らないように、貴女が魅魔さんを裏切らないように、リドルを裏切らない人間も確かに存在しているの。……自分と『違う』からといって思考を投げ出しちゃダメよ? レミリアさんは認めた上でそれを利用したし、ダンブルドア先生は理解しようとすることをやめなかった。きっとそれが賢いやり方なのよ。」

 

「……おう、覚えとく。」

 

アリスが必要とあらば人殺しを躊躇わないリーゼを慕うように、私が決して善良とは言えない性格の魅魔様を慕うように、ヴォルデモートを慕っていた人間も確かに存在しているわけだ。人間という生き物の複雑さを実感していると、アリスがチェストボーンの件へと話を戻してくる。

 

「とにかく、チェストボーンは逆転時計を自作しようと頑張っていたみたいなんだけど……まあ、専門家ではない彼には土台無理だったわけね。逆転時計は長年時間の研究をしている専門家が、『完成品』を参考にしてようやく作れるような魔道具よ。チェストボーンも研究を進めていくにつれてそれに気付いたんでしょう。おまけに彼は高齢だから、時計の完成よりも自分が老衰で死ぬ方が早いと判断したのかもしれないわ。」

 

「んで、完成品の逆転時計を使う方向にやり方を切り替えたわけか。」

 

「でも、それにしたって困難であることには変わりないわ。魔法省の逆転時計は今なお厳重に守られているし、その殆どが短時間しか遡行できない代物なの。……そこでチェストボーンは『これ』を探すことにしたのよ。恐らく逆転時計を研究する過程でこの本を見つけたんでしょうね。」

 

言いながらアリスが差し出してきたのは、ハードカバーの古ぼけた本だ。経年劣化で変色してボロボロになっている本を受け取って、彼女が開いたページを確認してみれば……むう、古英語か? 全く読めなくはないが、完璧に読むことも出来ないぞ。

 

「あーっと……うん、分からん。何て書いてあるんだ?」

 

「それは著者不明の時間遡行に関する学術本で、そのページではマーリンから直接聞いたらしい時間に関する話を考察しているわ。著者は魔術師マーリンの弟子か、あるいは彼が一時期ホグワーツで教鞭を執っていた頃に教えを受けた生徒なのかもね。……重要なのはこの部分よ。『バッカスの導きで酔い潰れる直前の老マーリンは私に教えてくれた。ホグワーツに時間を遡るための道具が隠されていることを。いつか訪れるかもしれない危機に備えて、邪悪な大魔女が使っていた始まりの逆転時計を偉大なる魔法の牙城に隠したことを。』と書いてあるわ。」

 

「……『酔い潰れる直前の老マーリン』?」

 

「まあその、この本を読む限りではお酒が入ると口が軽くなる人だったみたいね。マーリンが偉人であることは間違いないけど、同時に沢山の欠点や奇行も伝わっているから、これもその一つってことなんじゃないかしら?」

 

うーむ、どこか人間臭い『英雄』だな。完全無欠であるよりは親しみを持てるが、こういう形で迷惑を被った後だと何とも言えない気分になるぞ。微妙な表情になっている私へと、アリスは苦笑いで推理を口にした。

 

「これは闇祓いがチェストボーンの自宅の隠し部屋から押収した本の一冊で、さっきまで私も読んでいたんだけど、『マーリンから直接聞いた』って部分は中々真実味を感じる内容だったわ。チェストボーンはこの本を基に調査を始めたんじゃないかしら? 理事会に働きかけて教師としてホグワーツに潜入して、マーリンが隠した逆転時計を探し始めたってことね。」

 

「んー、先学期に赴任してきた段階で調査はスタートしてたのか。気が気じゃなかっただろうな。その時点ではまだリーゼが生徒だったわけだし。」

 

「リーゼ様もベアトリスの一件で怪しんではいたんだけどね。チェストボーンは人形じゃなくて、死喰い人だったわけよ。」

 

「そんでもって私たちよりも先に隠し部屋と砂時計を探し当てたはいいものの、起動できなくて四苦八苦してる間に私と咲夜がサインを追い始めたから、それに対処しようとしてああなったってことか。……チェストボーンもチェストボーンで大したヤツなのかもしれんな。あいつが見取り図に残したヒントがなけりゃ、私たちはサインに気付けなかったかもしれないぞ。」

 

あの見取り図に印を残すってところは間抜けだが、チェストボーンとしてもまさか他の誰かが逆転時計を探し始めるとは思っていなかったのだろう。最後のリンゴを頬張りながら言った私に、アリスは先程の本を示して返事をしてくる。

 

「『巡礼』についてはこの本にぼんやりと書かれていたわ。明確に書いてあるわけじゃないから簡単ではなかったはずだけど、一応チェストボーンの方にもヒントはあったわけよ。……創始者たちの四つのサインを巡ることで、一度だけ扉を見つけられる資格が得られるみたい。ペティグリューは惜しかったわね。彼はマーリンも予期していなかった方法で毎回資格を得ていたけど、毎回最後にそれを使っていたわけよ。仮に四つのサインの近くを通過した状態で扉に近付かずに引き返していれば、彼は人間の状態で地下通路の扉を見つけられていたはずだわ。」

 

「あー、やっぱそういうことなのか。一回巡れば何度も入れるわけじゃないんだな。……何にせよ、迷惑な話だぜ。千年前にマーリンが口を滑らせたのが原因じゃんか。」

 

「要するに、この状況はマーリンと魅魔さんの『合わせ技』ってことね。」

 

「……なあ、アリス。やっぱり魅魔様が『モルガナ』だったのかな? そこに関してはどう思う?」

 

マーリンが『邪悪な大魔女が使っていた逆転時計』と言って、魅魔様が『自分の逆転時計』だと主張しているのであれば……まあうん、そうである可能性が高いだろう。複雑な気持ちで送った問いかけに、アリスは悩みながら回答してきた。

 

「可能性は高いかもしれないけど、断定は出来ないわ。そこはリーゼ様が追及してくれることを期待しておきましょ。」

 

「……ま、今はとにかくリーゼが帰ってくるのを待つとするか。」

 

予想の部分が大きすぎてどうにもならんぜ。私が疲れた口調で問題を後回しにしたところで、カーテンの向こう側から足音が響いてくる。

 

「ポピーが帰ってきたみたいね。……それじゃ、私はもう一度闇祓い局に行ってくるわ。この本を返さないとだし、新しい報告が上がってるかもしれないから。」

 

「そういえば、あの砂時計はどうなったんだ? 破壊したのか?」

 

「まだよ。破壊すること自体はマクゴナガルも同意してくれたけど、壊すのは貴女の役目だから取っておいてあるわ。回復したら一緒に壊しに行きましょう。闇祓い局で話を聞いたらすぐに戻ってくるから、一度寝ておきなさい。」

 

「……そっか、分かった。休んでおく。」

 

白いカーテンの向こうに姿を消したアリスを見送ってから、彼女とポンフリーの微かな話し声を耳にしつつベッドの中で丸くなった。……未だ分からんことは多いが、今の会話でまた頭が疲れてしまったぞ。アリスの言う通り、一度休んで全快してから考えよう。

 

独特な匂いがする医務室のベッドの上で、霧雨魔理沙はそっと目を瞑るのだった。

 



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ノルンの魔女

 

 

「出てきたまえ、性悪悪霊! 今度という今度は許さんからな! 納得のいく説明をしてもらおうか!」

 

呪符で到着した博麗神社の境内。そこをいつもの縁側に向かって歩きつつ、アンネリーゼ・バートリは正午の青空へと怒鳴り散らしていた。どうせ見ているんだろうが。だったらさっさと姿を現せよ。

 

昨日の深夜に『過去』から帰還した咲夜と魔理沙をホグワーツの医務室に運んだ後、今日の早朝に一度目覚めた咲夜から事情を聞き取った私は、今回の一件の全ての原因である魅魔の責任を追及するために幻想郷を訪れているのだ。

 

荒々しい歩調で縁側に到着した私に対して、茶の間から声が投げかけられる。魅魔のものではなく、家主である紅白巫女の声がだ。

 

「うるっさいわね、誰よ! ……あんた、何のつもり? 私の昼寝を邪魔するとはどういう了見?」

 

「ちょうど良いところに登場したね。キミは私の味方に付きたまえ。役に立ったら次来た時に肉と菓子を山ほど差し入れてやろう。……おい悪霊、早く出てきたまえよ! このまま黙りで事が済むわけないだろうが!」

 

「は? 肉と菓子? ……いいでしょう、何がなんだか分からないけど味方になってあげる。博麗の巫女は常に利益の味方よ。安心して背中を預けなさい。」

 

寝巻きであるらしい真っ白な薄い着物姿で文句を言ってきた紅白巫女を、世俗的すぎる対価で一瞬で味方に付けた後、そのまま怒鳴り続けていると……おや、極悪魔女どののご登場か。苦笑しながら頭をポリポリ掻いている魅魔が、何の脈絡もなくいきなり庭に出現した。魔理沙が何か『やらかした』時とそっくりの動作だな。

 

「そんなに怒るなよ、コウモリ娘。バカ弟子も銀髪のお嬢ちゃんもきちんと帰って──」

 

「やりたまえ、巫女。祓うなり封印なりをするんだ。邪悪な悪霊がキミの神社の敷地内に居るぞ。」

 

「おっしゃ、任せなさい。」

 

躊躇なく送った私の指示に従って、紅白巫女が寝起きとは思えんほどの手捌きで十数枚の符を魅魔へと飛ばすが……くそ、やはりそう簡単にはいかんか。全ての符が魅魔をすり抜けて地面に落下してしまう。

 

「おいおい、勘弁しとくれ。こういう展開になるって分かってるのに、実体でノコノコやって来るわけないだろう? 虚像だよ、この姿は。会話用に魔法で投影してるだけさ。」

 

「……巫女、何とかならんのか?」

 

「ならんでしょ。虚像相手に何したって無駄よ。……この場合私の報酬はどうなるの? 山ほどの肉と菓子は?」

 

「契約不履行で無しだよ。……話す気があるならとっとと説明したまえ、性悪悪霊。一体全体何のつもりだったんだい? 返答次第じゃ許さんからな。」

 

私の返事を聞いて絶望的な表情になった巫女を尻目に問いかけてみれば、魅魔は……魅魔の姿をした『虚像』は縁側に腰掛けて肩を竦めて応答してくる。

 

「お前さんね、許さないからって何が出来るわけでもないだろうに。可愛らしいチビコウモリから脅されても怖くも何ともないさ。」

 

「ふん、どうかな? ……母上の墓に報告してやるからな。キミからひどい迷惑をかけられたって。」

 

「……待て、それはやめとくれ。分かったよ、話す。話せばいいんだろう? そもそもそのつもりで来てるんだよ、私は。」

 

かなり嫌そうな顔になった魅魔は、大きなため息を吐きながら事情の説明を語り始めた。こいつが弱点らしい弱点を見せたのは初めてだな。やっぱり母上とは浅からぬ関係があったわけか。

 

「いいかい? 今回こんなことを企てた理由は三つだ。一つはもちろんバカ弟子の教育のため。私の弟子ってんなら、時間遡行ってもんを身を以て知っておかなきゃいけない。だから実際にやらせてみたんだよ。」

 

「ねえねえ、私が同席する必要ってある? 肉も菓子も無しなら帰って欲しいんだけど。っていうか、帰りなさいよ。どっか別の場所で話して頂戴。この緑髪、嫌いだから。」

 

「ええい、それなら今度肉と菓子を持ってくるから場所を貸したまえ。茶も不要だから放っておいてくれ。……何故時間遡行なんだい? キミの弟子であることとそれが関係しているとは思えんがね。」

 

相変わらず現金なヤツだな。割り込んできた巫女が素直に離れていくのを横目に疑問を提示してみると、魅魔はちょびっとだけ情けなさそうな顔付きで回答してくる。またしてもこの悪霊にしては珍しい態度だ。

 

「それはだね、コウモリ娘。『時間』ってのが昔の私の専門分野だったからさ。愚かで未熟だった頃の私のね。」

 

「……キミは『時間の魔女』だったのか?」

 

「いやいや、そうじゃない。主題とは違うが、主題を求める上での一つの手段として多用していたんだ。大昔の私は好き勝手に過去を変えて、時には未来の知識を利用してたわけだね。私に『全盛期』と呼べる時期があったとすればあの頃さ。……何もかもが上手く行ったよ。当然のことだろう? そうなるように過去を変えてたし、そうなっていることを未来で確認してたんだから。」

 

「……恐ろしい女だね、キミは。歴史を歪めることに葛藤はなかったのかい?」

 

大悪霊にして、大妖怪にして、大魔女。その名に相応しいような悪行を受けてドン引きしている私に、魅魔はケラケラと笑って首肯してきた。無かったのかよ、葛藤。

 

「あるわけないだろう? 誰が不幸になろうが、誰の生が狂おうが、誰に迷惑をかけようが私の知ったことじゃないのさ。私さえ楽しけりゃそれでいいんだ。あの頃の私はそう思って栄華を極めてたし、失敗とは無縁の存在だった。過去と現在と未来を意のままに操る、名実共に世界最強の大魔女だったんだよ。……だがね、ある日お前さんの母親から言われちまったのさ。『キミ、そんなことをしていて何が楽しいんだい?』って、心底分からんというきょとんとした顔でね。」

 

「大事な前提を抜かしているぞ。ある程度の予想は付いているが、そも母上とキミとの関係はどんなものだったんだい?」

 

「そこはまあ、お前さんの予想通りだよ。親交があったお前さんの祖母からツェツィーの名付けを頼まれたんだ。当初は名付けなんてアホらしいと思ってたんだが、長く接しているうちにどうにも情が湧いちまってね。ツェツィーの方も慕ってくれるから随分と甘やかしたもんさ。……捻くれ者のお前さんと違って、何とも甘え上手な子だったよ。素直に『見せかける』のが得意だったんだ。そうと分かっていても甘やかしちまうくらいにね。」

 

「……私としては至極微妙な気分になるね。やはりキミは母上の名付け親だったのか。」

 

ちょっと嫌だぞ。私の顔を見てその感情を汲み取ったらしい魅魔は、苦い笑みで続きを話す。

 

「別にお前さんに対して隠してたわけじゃないんだけどね。他者を一切省みない私にとって、あの子は唯一特別な存在だったんだ。……その可愛い名付け子から言われちまったわけさ。誕生したばかりの小さなお前さんを抱きながらのツェツィーと、彼女に贈ったあの月時計がある中庭で話してた時にね。『私はこの子が産まれた時に心から喜べたけど、未来を知るキミにはそれが出来ない。それって物凄く損なことだと思うよ。』って、やけに満ち足りた表情で言われちまったんだよ。」

 

赤ん坊の私を抱いた母上からか。つまり五百年ほど前の出来事ということになるな。言いながら懐かしむように目を細めると、魅魔はバツの悪そうな口調で言葉を繋げる。

 

「分かるだろう? 正にその通りだったのさ。全部を知っていて、全部が上手く行って、全部思い通りに進む生なんてちっとも面白くないんだ。未知だからこそ知る喜びがあり、失敗するからこそ成功が輝かしくなり、思い通りにならないからこそ乗り越える快感があるんだから。……バカバカしいことに、ツェツィーに諭されるまで私はそんな簡単なことにも気付けていなかったのさ。あの頃の自分を思い出すと本当にイラついてくるよ。手に入れた力に溺れ切って、生の愉しみ方ってのを履き違えてたんだ。」

 

こいつにもそんな時期があったのか。……確かに全てが意のままに進む生など面白くもなんともないだろう。きっと退屈すぎて死にたくなるはずだ。それこそ地獄だぞ。内心で同意する私へと、魅魔は庭をぼんやり眺めながら話を再開した。

 

「だからやめたのさ。私は絶対の存在であることを、全知の魔女であることをやめたんだ。高みから全てを自在に動かすんじゃなくて、地に立って未知を感じ取ることにしたんだよ。……まあなんだ、師としてのエゴなのかもしれないね。とはいえ、それでもバカ弟子には実際に触れてもらいたかったのさ。時間遡行という名の、師の愚かな部分を知っておいて欲しかったんだ。それに対してどう考えるかは弟子の自由だが、実際に体験するのと言葉で教えるのじゃわけが違う。私が師になった以上、どうしても自分の弟子には時間遡行ってもんを直接体験させる必要があったんだよ。」

 

「……まあ、魔理沙を遡行させた理由は理解したよ。では他の理由は?」

 

「いやはや、お前さんは母親に似てせっかちだねぇ。少しくらい一緒に哀愁を感じてくれてもいいんじゃないか? ……まあいい、二つ目の理由は一つ目よりもずっと単純だよ。ホグワーツに隠されている逆転時計を破壊するためさ。あの忌々しい洟垂れ小僧が隠した逆転時計をね。」

 

「マーリンのことか。……結局のところ、キミにとってのマーリンはどんな存在だったんだい? キミは『大魔女モルガナ』だったのか?」

 

私の中にある、魅魔についての二つ目の疑問。それを口に出してやれば、魅魔はニヤリと笑って返答してくる。これ以上ないってほどに無茶苦茶な返答をだ。

 

「そうさ。大魔女モルガナは過去の好き勝手やってた頃の私で、『この私』はマーリンやアーサーを操ってそいつをぶっ殺したんだ。過去に遡行して過去の自分と戦ったんだよ。……つまりだね、お前さんたちが人間を駒にして『ゲーム』をしていたように、私も大昔のイギリスで過去の自分を相手にそれをやったのさ。人間の勇者や魔法使いを『操作』して、悪しき大魔女を倒すってゲームをね。調子こいてバカみたいなことをしてた過去の自分があまりにも恥ずかしすぎたから、ムカついてぶっ殺してやったわけだ。お前さんも恥ずかしい失敗をした過去の自分をぶん殴ってやりたくなる時があるだろう? 私はそいつを実行したんだよ。殴るんじゃ気が済まなかったから殺しちまったが。」

 

「……待て待て、意味が分からんぞ。過去の自分を殺しただと? そんなことをすれば未来のキミも死ぬはずだろう? だって殺した相手はキミの過去なんだから。」

 

「今回の騒動で何も学ばなかったのかい? コウモリ娘。過去に遡行した未来の私が過去の私を殺したら、未来の私が過去に遡行するという未来自体が消えるはずだろう? 被害者を殺すと、加害者が存在しなくなるわけだね。……そぉら、パラドックスの発生だ。かの有名な嬰児殺しのパラドックスと一緒だよ。殺そうとすれば矛盾し、それを解決するとまた殺そうとする。出口のない堂々巡りさ。」

 

心底愉快そうに矛盾を語る魅魔を見つつ、頭の中で思考を回す。その通り、堂々巡りだ。咲夜の手紙の場合は『成り立たせるために遡行させざるを得なかった』わけだが、魅魔のそれは更に複雑だな。何せ『過去の自分を殺した』ということを前提にしているのだから。相反する事象が同時に存在していることになるぞ。

 

あああ、面倒くさい。こういうことを考えるのはパチュリーの役目であって、私がやることじゃないぞ。意味不明な矛盾にイライラしている私へと、魅魔はニヤニヤしながら口を開く。

 

「深く考えるのはやめときな、コウモリ娘。時間ってもんの表面を操れるようになるまでに、唯一無二の天才魔女であるこの私でさえ千年近くもかかったんだ。数百年生きてる程度じゃどうにもならないさ。一方向から見るんじゃダメなんだよ。時間を理解するためには認識を多角的に重ねないといけないんだから。」

 

「いいさ、私は魔女ではなく吸血鬼だ。こんな面倒なものを深く知りたいとは思わないよ。……結局、キミは過去の自分を殺せたのかい?」

 

「ああ、殺せたよ。時間って概念にはね、いくつかの『バックドア』があるのさ。かなりの手間だったが、それを駆使すれば今の自分を成立させたままで過去の自分を殺すのだって不可能じゃない。あの洟垂れ小僧たちを上手く使って、私は邪悪な『大魔女モルガナ』を成敗したわけだ。スカッとする話だろう?」

 

「キミはあれだね、どこまでも無茶苦茶な存在だね。一応聞くが、『自分』を殺すことに躊躇いはなかったのかい?」

 

ベアトリスの時と似たような内容の問答だが、彼女の一件とは全然性質が違うな。そもそもどうやったのかも分からんし、魅魔とモルガナがどこまで同一でどこまで分離しているのかも分からない。全てが分からんぞ。

 

胸中の複雑な疑問の理解をぶん投げながら尋ねた私に、魅魔は肩を竦めて応じてきた。

 

「詳しく説明すると時間がかかっちまうから、色々と省いた簡単な説明になるが……モルガナと私は別の存在だと思ってもらって結構だよ。私には私の辿ってきた生があるし、モルガナにもモルガナの生があるんだ。それがある時点まで同じってだけの話だね。要するに、ちょいとばかし時間を弄って私という存在を別々の二つに分けたのさ。」

 

「『コピー』ってわけじゃないんだね?」

 

「コピー? あー、人間の魔女のやり方を想像してるのかい? 違う違う、全然違うよ。あんな不気味なことをするはずないだろう? あれは私から見ても異質な生き方だったんだから。……何て言えばいいかねぇ、一卵性の双子みたいなもんだよ。一つの卵の中で一つの存在として育って、ある時点で二つに分かれるようなイメージだ。元が一緒でも、双子は同一の存在じゃないだろ? そういうこった。」

 

「さっぱり分からんが、もういいよ。無茶苦茶すぎてついて行けん。とにかくキミはマーリンたちと協力してモルガナを打ち倒したわけだ。ホグワーツに隠されていた逆転時計はその時に使った物なのかい?」

 

こいつと話しているとつくづく感じるぞ。『反則級』の反則っぷりを。そんなもんを一々真面目に考えていたら頭がおかしくなると解釈を放棄した私へと、魅魔はこっくり頷いて応答してくる。

 

「時間を行き来してやりたい放題してる過去の私をぶっ殺すためには、私たちも時計を利用する必要があったんだ。毒を以て毒を制すってわけさ。過去を変えようとしたらこっちも過去に戻ってそれを防ぎ、未来に逃げ込んだら未来へと追いかける。当然ながら過去の私よりも未来の私の方が一枚上手だったものの、仕留めるには手が足りなくてね。あの小僧にも時計を使わせてたんだよ。……マーリンは酒癖の悪い生意気な色ボケだったが、人間にしては頭抜けて賢かった。よく働いてくれたもんさ。私利私欲のために時計を使うことは終ぞなかったしね。」

 

「ふぅん? 弟子にはしなかったのかい? どの時点で至ったのかは知らんが、『本物の魔術師』ではあったんだろう?」

 

「私も小僧も性格が最悪だったからお互い嫌ってたんだよ。仲良く手を繋いで戦ってたわけじゃなく、それぞれに利用し合ってただけさ。……能力を認めちゃいたが、仲良くしたいような『まとも』な人間じゃなかったからね。あんなクソ野郎を弟子にするだなんて真っ平御免だよ。向こうだってお断りだろうさ。」

 

「……つまり、同属嫌悪か。」

 

魅魔にここまで言わせるということは、マーリンは余程に性格が悪かったのだろう。イギリス魔法界が誇る英雄が『クソ野郎』だったことにやれやれと首を振っていると、魅魔は大きく鼻を鳴らしてから続きを口にした。

 

「あの小僧のことを思い出すとイラついてくるから話を戻すよ。何せ一度私を幽閉しようとしやがったからね。バカが作った牢屋だったから簡単に抜け出せたが、恩を仇で返すとはあのことさ。……とにかくモルガナを倒した後、私は各地に隠してあった逆転時計や未来時計を壊して回ったんだ。もう必要なかったし、他人に勝手に使われるのは気に食わないからね。」

 

「あんな物が複数あったのか。」

 

「当たり前だろう? 未来か、過去か。どの時代のどこに行ってもまた遡行や移行が出来るように、あらゆる時代で作りまくって世界各地に山ほど隠しておいたさ。……んでもって途中までは順調に破壊できてたんだけどね、どうしても壊せないのが二つ残っちまったんだ。それが洟垂れ小僧がホグワーツ城に隠した逆転時計と、お前さんの家にある月時計なんだよ。」

 

ここで今回の件に話が繋がってくるわけか。首肯して続きを促した私に、魅魔は困ったような苦笑で二つの時計に関する話を語ってくる。

 

「あの忌々しい洟垂れ小僧は、上手いこと私を騙して契約を結ばせたんだ。『ホグワーツには決して手を出さない』という契約を。だから私はホグワーツの物を破壊することが出来ないんだよ。あの城の物である限り、ガラス瓶一つだって壊せないわけさ。」

 

「驚いたね。キミにそんな契約を結ばせた対価は何だったんだい?」

 

「死だよ。あいつは人間をやめて魔術師に至った後、また定命の存在に戻ることにしたんだ。あの小僧はある時点で自分の主題を達成しちまったからね。満足して大量の秘密を抱えたままで死んでやるから、代わりにホグワーツに手を出さないことを誓えってわけさ。」

 

「物好きなヤツだね。魔術師から人間に戻ったのか。」

 

可能不可能で言えば無論可能ではあるものの、非常に珍しいケースなことは間違いないだろう。私が知る魔女や魔術師という存在は、探究をやめたくてもやめられないものだ。自分から『永遠の研究室』を出た魔術師というのはかなり異質に思えるぞ。

 

私の相槌に対して、魅魔は皮肉げな笑みで返事を返してきた。ほんの僅かな悔しさが滲んでいる声色だ。

 

「決められたのさ、あいつは。自分の『終わり』を定められたんだよ。永く生き過ぎて見失わないうちに、そいつを手にすることが出来たんだ。……何にせよあの小僧は成長すると厄介な存在になりそうだったし、その程度の契約で死んでくれるなら上々と思った私は、ホグワーツに直接手を出さないことを約束しちまったわけさ。当時の私はホグワーツなんかに大した価値を見出していなかったから、割の良い取り引きだと判断したんだよ。」

 

「しかし、予想外にも逆転時計をそこに隠されてしまったわけか。抜けているね。詰めが甘いぞ。」

 

「ムカつく話さ。あのクソガキの悪知恵だけは私に匹敵してたからね。おまけに件の砂時計は一番最初に作った一番出来の悪い逆転時計だったから、まさかあれに目を付けるとは思ってなかったんだ。マーリンは遥かに強力な他の逆転時計を山ほど知ってたし、私もそっちを先に壊そうと考えて少し目を離した隙に……まあ、してやられたってわけさ。だからあの逆転時計だけは誰かに破壊させるしかなかったんだよ。」

 

己の死を利用して魅魔ほどの大魔女を出し抜いたわけか。さぞ食えないヤツだったんだろうなと感心していると、魅魔は続けて未来に移行するための魔道具に関しての話に移る。

 

「そしてもう一つ。これは今回の計画の三つ目の理由とも重なる点だが、月時計の方も壊すわけにはいかなかったんだよ。あれは私がツェツィーに贈った物で、故にツェツィーの所有物だ。あの子の物を壊すってのはどうにも気が引けてね。単純にやりたくなかったのさ。」

 

「現所有者たる私に話を通せばよかったじゃないか。」

 

私だって母上の物を壊すのは嫌だが、理由を話せば使えなくする程度なら許可したかもしれないぞ。首を傾げて指摘してやれば、魅魔は……何だよその顔は。小馬鹿にするような笑みで返答を寄越してきた。

 

「お前さんの意見なんてどうでも良いさ。大切なのはツェツィーであって、お前さんじゃないからね。……よく聞きな、コウモリ娘。私にとってのお前さんは『ツェツィーの宝物』だ。あの子に免じて多少気遣いはするが、重要なのはツェツィーの方なんだよ。分かるかい? 月時計は私とツェツィーの思い出の品であって、お前さんの物じゃないのさ。そこを勘違いしないように。」

 

「……母上の一人娘だぞ、私は。」

 

「だから何だってんだい? お前さんの名前を付けたのは私じゃないし、血が繋がってるわけでも特別親しいわけでもないだろう? ……大体、最初から気に食わなかったんだ。お前さんの中の半分は可愛いツェツィーの血だが、もう半分はツェツィーを私から『盗んだ』バカコウモリの血だからね。何であんな男を選んだのやら。ちょっと顔と頭が良いからって私の名付け子を騙くらかして、私の許可も得ずに結婚しちまった。ツェツィーもツェツィーだ。結婚なんてまだ早いと言ったら暫く口を利いてくれなくなったんだよ? だから認めざるを得なかったけどね、私はまだこれっぽっちも納得しちゃいないぞ。いいかい? あいつとイチャイチャするようになってからツェツィーは私への対応が若干適当に──」

 

姑かよ。父上は祖父や祖母とは仲が良かったらしいが、それとは別にねちっこい『名付け姑』が存在していたようだ。つまりこいつは母上を『取られた』から父上を嫌っているわけか。人間くさいところもあるじゃないか。

 

ブツブツと父上に対する恨み言を呟き続ける魅魔へと、呆れた気分で制止を送る。質問と共にだ。

 

「分かったからやめたまえよ。……キミはそこまで母上のことを大切に想っていたのに、母上の死を認めたんだね。キミほどの魔女だったらどうにでも出来たんじゃないか?」

 

「……ツェツィーが選んだことだからね。誰もが生まれてくることを選択できないんだから、死ぬ権利を否定することだけは絶対にあっちゃならないんだ。ツェツィーが自分の終わりを定めた以上、私はそれを邪魔したくなかったのさ。いくら人外で妖怪で魔女で悪霊でも、触れちゃいけない部分ってのは確かにあるんだよ。」

 

「……まあ、そうかもね。」

 

魅魔は生きることではなく、死こそが生命における絶対の権利だと考えているわけか。……その考え方は少し分かるぞ。短命な人間は生きる権利をこそ主張するだろうが、長命な存在はむしろ『終わりが無い』ことを恐れるものだ。たった五百年しか生きていない私ですらそうなんだから、魅魔ともなれば遥かに強く『終わり』を重視するのだろう。

 

母上の最期と父上の最期。それを思い返しながら頷いた後、会話のレールを元に戻す。

 

「だからキミは壊すのではなく、『使用不能』にしようとしたのか。」

 

「そういうこった。月時計の根幹になってるのはあの歯車だ。お前さんたちは気付かなかったようだが、あの歯車には尋常じゃない量の術式が刻まれてあるんだよ。だからつまり、私の三つ目の目的は月時計の『鍵』である歯車を時間の隙間に閉じ込めることだったのさ。バカ弟子たちの遡行先の過去から、遡行する未来までの間にね。」

 

……見事だな。歯車を咲夜が手紙で受け取り、そして過去へと持って行って未来に送る。あのループに歯車を閉じ込めてしまったのか。今現在、歯車はこの世界のどこにも存在していない。魅魔の計画通り、月時計は壊れることなく使用不能になってしまったわけだ。

 

計画の全貌を語り尽くした魅魔へと、ふと思い付いた疑問を放つ。

 

「……しかしだね、歯車はそもそもどこから来たんだ? 遡行した過去の咲夜が未来に送り、未来の咲夜が過去に運ぶ。『始まり』がないじゃないか。」

 

「それが時間ってもんなんだよ、コウモリ娘。諦めて『分からない』を受け容れな。お前さんにはまだ早いさ。」

 

「これもまたパラドックスか。……実にイライラするね。都合の良い言葉で誤魔化されている気がするぞ。」

 

「仕方がないだろう? 理解できないものを型に嵌めようとするとそうなっちまうのさ。無知を認めて、それでも抗う者こそが答えに近付けるんだよ。その気があるなら抗ってみな。遥か昔の私のようにね。そうじゃないなら諦めるこった。」

 

……よし、諦めよう。それは私の役目ではないのだから。矛盾に塗れた計画への理解をポイして、魅魔に向けて纏めを飛ばす。

 

「纏めようじゃないか。一つ目の理由は弟子に時間遡行を体験させて、その上できちんと未来に帰すため。二つ目は契約によって自分が手を出せないホグワーツの中にある、過去の愚かしさによる『汚点』を掃除するため。三つ目は大好きな母上の月時計を壊さずに使用不能にするため。今回の企ての理由はその三つで間違っていないね?」

 

「悪意のある言い方に突っ込みたくはあるけどね、噛み砕けばそういうことさ。一つ一つを個別にやればもっと簡単だったかもしれないが、面倒くさいからこの機会に纏めてやることにしたんだよ。」

 

「じゃあ要するに、全部キミのためじゃないか。弟子に遡行を体験させたかったのも、逆転時計を壊したかったのも、母上の月時計を壊したくなかったのも、全部キミの願望だろうが。巻き込まれた私たちは非常に迷惑しているぞ。補償は? 対価は? 魔女なら耳を揃えて支払いたまえよ。」

 

「怒るなって。あの子と同じ顔で怒られると気が滅入ってくるから。……さすがの私も迷惑をかけたことは反省してるさ。お前さんはバカコウモリの娘だが、同時にツェツィーの娘だ。だからまあ、借り一つってことにしとくよ。大魔女魅魔に貸しを作れたと思えば悪くない取り引きだろう?」

 

魅魔への貸しか。……ふむ、悪くないな。黄金の山だの部屋いっぱいの宝石だのよりも随分と使い道がありそうだ。またしても魔理沙そっくりの表情で頭をポリポリ掻いている魅魔へと、小さく鼻を鳴らしてから了承を返す。

 

「いいだろう、貸し一つだ。忘れないように。」

 

「覚えとくさ。色々と決着を付けられたし、私としてもそう悪くない取り引きだよ。……んじゃ、この辺にしておこうか。私はこれから過去に行って、バカ弟子と銀髪のお嬢ちゃんに指示を出してこないといけないからね。」

 

「指示? ……なるほど、月時計の使い方についてか。まだ過去に行けるってことは、逆転時計を全部壊したわけではないのかい? ホグワーツの時計は契約で使えないんだろう?」

 

「ちゃんと話を聞いてたかい? コウモリ娘。全部壊したと言っただろう? あんまり私を侮るなって。今の私は道具なんてなくてもあの程度の時間なら遡行できるさ。外界に残ってる私が作った逆転時計は、ホグワーツの砂時計で最後だよ。さっさと弟子に壊させとくれ。」

 

ふん、もう驚かんさ。こいつは何でもありなのだ。そのことは今日の会話でよく理解できたぞ。魅魔の不条理っぷりを実感しつつ、説明を省いたらしい部分に関する問いを一応送ってみる。

 

「帰る前にもう一つ聞かせてくれ。チェストボーンについてもキミの計画に組み込まれていたのかい?」

 

「そりゃそうさ。あんな俗物が簡単に砂時計にたどり着けるわけないだろう? 言っておくけどね、私だって弟子やお嬢ちゃんの安全には細心の注意を払ってたし、あの流れを構築するために過去と未来を何度も行き来して調整してたんだ。あの爺さんはそのための駒だよ。バカ弟子たちが『偶然』遡行しちまったり、遡行先が『偶然』過去のお前さんと出会えるあの時間になったり、サインの最初の手掛かりを『偶然』発見できたりしたのは全部私の調整の賜物さ。『偶然』が重なって無事に遡行して無事に帰還できるように、苦労してあの爺さんのあらゆる行動を調整してたってこったね。……こんなに時間を行き来したのは久々で疲れたよ。今回は必要だったからやったが、やっぱり今の私は時間旅行を楽しめなさそうだ。」

 

「危ない事態が発生しないかをいちいちチェックして、もし発生するならそれ以前の過去を微調整することで未来を変えていたわけか。過保護なんだか厳しいんだか分からんヤツだな。」

 

「良い師匠ってのは下にクッションを準備しておいた上で、弟子を千尋の谷に叩き落とすもんなのさ。……とんでもなく大変だったよ。あの爺さんがヴォルデモートとかいうアホと接触する時点をズラしてみたりとか、『巡礼』のことが書かれた本を資料に紛れ込ませる時期を変えてみたりとか。調整の最中にバカ弟子は計十七回死んだし、お嬢ちゃんは計二十九回死んだ。その度に過去をちょっとずつ変えて、『成功ルート』に導いていったわけだね。」

 

二十九回だと? 試行錯誤中の咲夜の死の回数に眉根を寄せながら、あっけらかんと言う悪霊へと突っ込みを入れた。改変された時間の出来事とはいえ、そんなに死んだら咲夜が可哀想だろうが。なんて邪悪なヤツなんだ。

 

「キミね、咲夜が死に過ぎだろうが。」

 

「二十九回中十七回は過去のお前さんが殺したんだよ。ちなみに門番の大妖怪が六回で、爺さんが殺せたのはたったの五回だ。残りの一回は軽い事故だね。……過去のお前さんたちとの接触の場面が一番面倒くさかったんだよ? どうにも死に過ぎちまうから、一から組み立て直そうかと考えたくらいさ。とはいえそれもそれで億劫になって、何とか正解を引き当ててみせたけどね。少しは感謝しな、コウモリ娘。過去のお前さんにお嬢ちゃんを殺させないために頑張ってたんだから。」

 

「……仕方がないだろう? その時点の私は咲夜のことを知らなかったんだから。」

 

「それはそうだが、幾ら何でも簡単に殺し過ぎさ。お嬢ちゃんが賢くて良かったね。でなきゃもっと面倒だっただろうし、多少の傷くらいは残る結果で妥協してたかもしれないよ。……弟子は自分で撃った光線に頭をぶち抜かれて死ぬとかってバカすぎる死に方をするし、爺さんは間抜けすぎて遡行前に何度もお嬢ちゃんたちに捕まるし、モルガナを殺した時以来の複雑さだったんだよ? 時間に詳しい私でなけりゃこんなもんじゃ済まなかっただろうね。もう二度と御免さ。」

 

むう、十七回か。何だか若干バツが悪い気分になっている私を他所に、魅魔は疲れたように首を振りながら縁側から立ち上がるが……おっと、まだあったんだった。咲夜から聞き取ったことを思い出して追加の発言を飛ばす。

 

「そうだ、咲夜経由でパチェからキミに伝言があるぞ。『未知を前にした私の欲深さを舐めないように』だとさ。未来に移行する直前に聞いたらしいよ。」

 

「あん? 図書館のから? ……あー、なるほどね。なるほど、なるほど。あの若さで大したもんじゃないか。つくづく見込みのある魔女だねぇ。」

 

少し考えた後で何かに納得したように苦笑した魅魔は、愉快そうに笑いながら応答してきた。

 

「今からだってどうにでも出来るが……ま、許してやるよ。それをあの魔女への今回の対価ってことにしてやるさ。多分そこまで計算して言ったんだろうし、図書館の魔女ってピースが無かったら計画の成立すら怪しかったんだ。駄賃くらいはくれてやらないとね。」

 

「訳が分からないんだが。どういう意味なんだい?」

 

「恐らくだが、図書館の魔女は歯車を調べ尽くしてから手紙で未来のお嬢ちゃんに送ったんだろうさ。その後に自分の記憶を消したんだ。どこかのタイミングで記憶が戻るように細工した上でね。……つまり、あの魔女は私が歯車を閉じ込めようとしていることに気付いて、未知になる前に既知にしてみせたんだよ。しかも私の計画との矛盾が生じないようにするやり方で。なんとも優秀な『後輩』じゃないか。偉大な先達が小さなことに目くじらを立てるのはカッコ悪いし、今回は優秀さに免じて目溢ししてやるさ。」

 

「……今のパチェは未来に移行できるということか? 月時計自体はそのまま残っているわけなんだから、歯車だけを新造すれば使用できるはずだろう?」

 

庭でくつくつと笑っている魅魔に質問してみると、彼女は首を横に振って答えてくる。

 

「いいや、まだまだ無理だろうね。さっきも言ったように、あの歯車はそんなに単純な物じゃないんだ。お前さんは馬車の構造を知ってるかもしれんが、作れと言われても作れないだろう? 理解するのと製造するのは別の話なんだよ。んー……そうさね、図書館の魔女なら二、三百年も研究すればいけるんじゃないか? 私は何度も遡行を繰り返して千年ちょっとかけたが、あの魔女ならもっと早く時間の謎にたどり着けるだろうさ。仮にやると決めた場合、私みたいにあっちへこっちへと『寄り道』しないだろうからね。」

 

「いいのかい? キミは時計を使用不能にしたかったんだろう?」

 

「おいおい、そこまで行ったら私の責任じゃないだろう? 誰かの進歩を止められるヤツなんかこの世に居ないのさ。それが魔女なら尚更だ。私が何をしようといつの日か時間の謎は解き明かされて、また私みたいに失敗するヤツが出てくる。その繰り返しなんだよ。私の前に『気付いた』ヤツは居るだろうし、だったら私の後にも居るのは当然のことだね。……ま、大丈夫じゃないか? 図書館の魔女は主題の性質上、『完全な既知』をこそ恐れるだろうからね。過去には頓着するかもしれんが、不用意に未来には手を出さないと思うよ。お前さんとの親交がある以上、月時計も大事に扱ってくれるだろうさ。」

 

「……まあ、もう何でもいいよ。キミとの会話は非常に疲れる。帰って寝たい気分だ。」

 

この件はパチュリーに会った時に話せばいいか。あいつの説明だって分かり難いが、少なくとも魅魔のよりはマシだ。何度目かの理解の放棄をした私に、魅魔はひらひらと手を振りながら別れを告げてきた。

 

「それが魔女さ、コウモリ娘。私たちは狡猾で卑怯で貪欲な、悪知恵を頭に詰め込んだ小難しい拘り屋なんだ。話すと疲れるのは当たり前のことだろうよ。……んじゃ、砂時計の破壊は任せたからね。会うべき時にまた会うとしようじゃないか。」

 

言うとスッと姿を消した魅魔を見送ってから、縁側に仰向けに倒れ込んで深々と息を吐く。……魔女がちょっと嫌いになったぞ。魅魔、パチュリー、ベアトリス。魔女って種族はどいつもこいつも難解すぎる。アリスや魔理沙は成長してもああはならんよな?

 

……果たして魅魔はどれほどの時を生きてきたんだろうか? 時間を自在に操れるんだったら、あの女の生に『上限』は無いということになるぞ。過去への遡行を何度も繰り返せば、極論この世界自体の『年齢』よりも長く生きることだって可能なのだから。永劫の時を生きる太古の大魔女か。母上も迷惑な名付け親を持ったもんだ。

 

やはり『反則級』と関わるとロクなことがない。そのことを確信しながら、アンネリーゼ・バートリは痛む額を押さえるのだった。

 



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魔女のカタチ

 

 

「……んじゃ、壊すぞ?」

 

再びサインを巡礼し直した後に訪れた、地下通路にあるマーリンの隠し部屋の中。背後の面々に一応の確認を飛ばした霧雨魔理沙は、巨大な砂時計に向けてミニ八卦炉を構えていた。お師匠様が作り出した過去に遡行するための強力な魔道具。それを破壊しようとしているところなのだ。

 

「いつでもいいわよ。やって頂戴。」

 

同室しているアリスの許可と咲夜の頷きを受けて、微かに唸っている八卦炉から光線を撃ち出す。私と砂時計の中間地点でちょうど良い具合に拡散したそれが、『オリジナルの逆転時計』の各所へと激突したかと思えば……呆気ないな。砂時計のガラス面が割れ、入っていたキラキラした星形の砂が散らばり、最後には穴だらけになった銀色の支柱も崩れてしまった。

 

全壊した砂時計を一瞥した後、ミニ八卦炉を停止させてからアリスと咲夜の方に振り返って肩を竦める。ここまで壊せばもう使用するのは不可能だろう。魅魔様の課題はこれにて達成というわけだ。

 

「おっし、任務完了だ。こんだけ壊れれば大丈夫だよな?」

 

「まあ、さすがに大丈夫でしょう。……咲夜、何か感じる?」

 

「んー……ちょっとスッキリしたかも。曖昧な感覚だから上手く説明できないけど。」

 

ふむ? アリスの推論も強ち間違っていないのかもしれないな。……昨日ずっと医務室で咲夜と話していたアリスは、一つの仮説を打ち立てたのだ。チェストボーンの『実験』やこの逆転時計が、咲夜の能力に長期的な影響を与えていたのではないかという仮説を。

 

咲夜曰く、四年生になった少し後くらいから睡眠時に勝手に時間が止まるようになっており、今年度に入ってからはその現象の頻度が減る代わりに首筋に悪寒が走るようになったらしい。ノーレッジには彼女が幻想郷に行く前に相談済みで、図書館の魔女は能力や身体の成長の所為ではないかと予想していたようだ。

 

しかし、話を聞いたアリスは別の説を主張した。睡眠時に勝手に時間が止まるようになったのはチェストボーンによる『不完全』な逆転時計の使用の悪影響で、悪寒については彼が砂時計を使おうとしたのを感知していたのではないか、という説を。

 

まあ、それなりに納得できる主張ではあるだろう。能力が勝手に発動し始めた時期はチェストボーンが研究を開始した時期と一致するし、彼が実験を重ねていたのはホグワーツから程近いホグズミードの自宅だ。徐々に頻度が減ってきたのは魅魔様の逆転時計に目を付けたからで、悪寒が走るのが増えたのはそれを起動しようと操作を繰り返していたからだと考えれば……うーむ、一応筋は通りそうだな。

 

脳内で思考を巡らせている私を他所に、咲夜がアリスに対して声をかける。ちょびっとだけ不安そうな表情でだ。

 

「……これで勝手に止まったりしなくなるかな?」

 

「とりあえずは経過を確認してみましょう。貴女の能力は謎が多いから、何に影響を受けるのかはさっぱり分からないわ。だけど貴女の誕生に逆転時計が深く関わっている以上、その逆転時計の影響を受けていたというのはそれなりに納得がいく話でしょう? 私の予想通りなら安定する……はずよ。多分ね。」

 

咲夜の肩をポンと叩いて元気付けたアリスは、操っている人形に床に落ちている砂を採取させながら続きを語った。

 

「チェストボーンの逆転時計が不安定な物だったから、変に時間が歪んで悪影響が出ていたんじゃないかしら? そしてこっちの砂時計は完全な物だったけど、今度は逆に強力すぎる所為で彼が起動させようとする度に感知していたのかもしれないわ。……とはいえ、全ては予想よ。パチュリーだったらもっと仮説を突き詰められるんでしょうけどね。時間という概念に詳しくない私には、根拠が希薄な予想を立てるのが精一杯なの。これで症状が治まることを祈るしかないわ。」

 

「でもよ、今回に関してはノーレッジよりもそれっぽい予想にたどり着けたじゃんか。大したもんだぜ。」

 

「それは思考の材料がパチュリーよりも多かったからよ。チェストボーンの実験や砂時計の存在を知らないパチュリーが、『咲夜の成長によるもの』という結論にたどり着くのは妥当だわ。仮に彼女が私と同じ判断材料を持っていたら、私よりもずっと早く、もっと深い部分までたどり着けていたでしょうね。」

 

「高評価だな。」

 

ミニ八卦炉をポケットに仕舞いながら言ってやれば、アリスはクスリと微笑んで首肯してくる。

 

「貴女の師が魅魔さんであるように、私の師はパチュリーなのよ。図書館の魔女は私の目標なんだから、『偉大な魔女』であってもらわなくちゃ困るの。……さあ、行きましょうか。昨日リーゼ様から『答え』を聞いたし、パチュリーへのお土産は採取したし、砂時計の破壊も終わった。これにて今回の事件は終了よ。」

 

ううむ、気持ちは分かるな。私は魅魔様に追いつきたいが、同時にずっと背を追える目標であって欲しいとも思っているのだ。アリスもノーレッジに対して同じ気持ちを抱いているということか。私たちを促してきたアリスに従って、マーリンの隠し部屋を後にすると……おや、マクゴナガルだ。地下通路で校長閣下が待っていた。

 

「終わりましたか。」

 

「ええ、逆転時計は破壊したわ。……良かったのよね?」

 

「勿論ですとも。チェストボーンがやろうとしていたことを知った今、時間遡行の危険性を改めて実感しました。いくらマーリンの願いだとしても、現校長としてあんな物をホグワーツに残しておくわけにはいきません。これで良かったんです。」

 

「そうね、私もそれが正解だと思うわ。」

 

アリスと会話していたマクゴナガルは、次に私たちに視線を送りながら口を開く。

 

「ご苦労様でした、マリサ、サクヤ。私は全てを把握できているわけではありませんが、貴女たちが大きな仕事を成し遂げたことは理解しています。……しかし残念なことに、執行部は今回の一件を公表しないことに決定しました。チェストボーンの野望を止めた貴女たちにマーリン勲章が贈られることはなさそうです。」

 

「公表しない? どうしてなんだ?」

 

「チェストボーンの計画を広く知らしめてしまえば、彼の後に続こうとする者が現れないとも限りません。ヴォルデモートの支持者が世間に隠れ潜んでいる可能性はまだまだありますからね。そういったリスクを鑑みて、スクリムジョール部長は報道規制を敷くことを決めたようです。」

 

「なるほどな、模倣犯が現れるのを防ぐためか。」

 

納得っちゃ納得の理由だな。広めたところで別段メリットが無いのであれば、念には念を入れるべきだろう。申し訳なさそうに伝えてくるマクゴナガルへと、一度咲夜と顔を見合わせた後に了承を返す。

 

「まあなんだ、マーリン勲章は別にいらんぜ。そもそもマーリンの行動が巡り巡って今回の件に繋がったわけなんだから、そのマーリンの名前が使われてる勲章を貰っても──」

 

「正直、そんなに嬉しくないですから。スクリムジョール部長がそう決めたのであれば、私たちも黙っておきます。……それより変身術の授業はどうなるんですか? つまりその、教師が居なくなっちゃったわけですけど。」

 

リーゼを通じてマーリンがどんなヤツだったのかを知っちゃったから、今となってはあの勲章にそこまでの魅力は感じないぞ。魅魔様を出し抜いたのは大したもんだと思うが、そうなると相応の性格をしていたんだろうし。私の台詞の後半を引き継いだ咲夜の問いに、マクゴナガルは苦笑しながら応答してきた。

 

「残りの三ヶ月間は私が受け持つことになります。校長職にも大分慣れてきましたし、それくらいの期間であれば可能でしょう。」

 

「安心しました。やっと『まとも』な変身術の授業が受けられます。マクゴナガル先生の授業が一番の『報酬』ってことになりそうですね。」

 

疲れたような微笑で放たれた咲夜の言葉を受けて、マクゴナガルは優しげな笑みで応じてくる。

 

「では、その期待に応えられるような授業にしなければいけませんね。……先程も言ったように公表することは出来ませんが、貴女たちの活躍を知る者は少数ながら存在しています。私もまたその中の一人です。よく頑張りましたね、二人とも。グリフィンドールにそれぞれ百五十点を加点しておきましょう。」

 

私たちにそう言うと、マクゴナガルはアリスに向き直って報告を口にした。

 

「それと、マーガトロイドさんが懸念していたチェストボーンの末路についても闇祓い局が洗い出しましたよ。……闇祓い局は、過去に遡行したチェストボーンの死体は『身元不明の死喰い人』として処理されたものの一体であると結論付けたようです。そしてどうやら、その報告書を作成したのは当時リセット部隊に所属していたチェストボーン本人だったようですね。」

 

「なんとまあ、皮肉な話ね。チェストボーンは気付かぬうちに未来の自分の死体を処理してたってこと?」

 

「元リセット部隊の隊員らの証言も合わせて再確認したところ、身元の特定作業が随分と甘かったようでして。恐らく死喰い人の情報を制限するために、スパイであった過去のチェストボーンが意図的にそうしたのでしょう。……業が深い話ですね。その所為で自身の遡行は闇に葬られたわけですから。遺体の魔力反応なんかをきちんと精査しておけば、違和感に気付けたかもしれません。サクヤが杖を奪って持ち帰ってきたというのも良い方向に働いたようです。」

 

「現役時代のチェストボーンは一つだけ大きな仕事をしたようね。遡行してきた未来の自分の死体を身元不明として雑に処理することで、遡行の影響を最小限に留めたってわけよ。敵ながら哀れに思えてくるわ。」

 

これもまた時間遡行が生んだ一つの悲劇か。因果は巡るってわけだ。チェストボーンの末路を聞いて何とも言えない顔になっていると、マクゴナガルが弱々しい笑顔で話を先に進める。

 

「とにかく、チェストボーンを教員として採用したのは間違いなく失敗でしたね。……こうなってくると、採用システムそのものを見直す必要があるのかもしれません。今後は魔法省の調査を通すようにすべきでしょうか?」

 

「んー、難しいわね。例えば今回の一件は魔法省だって事前に察知するのは難しかったはずだし、教員を校長が独断で採用できるというのはホグワーツにおける一つの大きなメリットでもあるわけでしょう? トレローニーを保護したり、狼人間であるルーピンを雇ったり、急にパチュリーを代理の校長に任命できたのはホグワーツに確固たる自治権があったからよ。それらの行動が失敗だったとは思えないわ。……今回はまあ、理事会に意見を押し通されちゃったのが失敗だったのかもね。あくまで結果論だけど。」

 

「しかしホグワーツが自治権を保つために自力で運営するには、理事会の協力が不可欠です。魔法省からの金銭的な援助や政治的な助力を受け入れてしまえば、実質的に魔法省の一機関になってしまいますから。……そういった部分も改めて考えなければいけませんね。私にはアルバスほどの名声も権威も実力もありません。この学校の独立自治を守るために、新たなやり方を考案しなければならないようです。今回の件を通してそのことを痛感しました。」

 

むう、校長職ってのも大変だな。言わばマクゴナガルはホグワーツという小さな国の君主なのか。今の魔法省は信頼に値するかもしれないが、未来の魔法省がどうなるかは誰にも分からない。いざという時にホグワーツを守れるように、自治権を保持し続ける必要があるのだろう。ここは政治に左右されてはいけない、小さな魔法使いたちの学び舎なのだから。

 

力なく笑うマクゴナガルに対して、アリスが穏やかな口調で語りかけた。『先達』としての顔付きだ。

 

「大丈夫よ、マクゴナガル。きっと貴女の教えを受けた卒業生たちが手助けしてくれるわ。一人で立ち向かおうとせずに、周囲を頼ってみなさい。それがホグワーツの強さの秘訣なんだから。」

 

「……そうですね、その通りです。アルバスから学んだ最も重要な教えを失念していました。もっと周囲を頼ってみることにします。」

 

ホグワーツの強さの秘訣か。……うん、正しくその通りだな。築き上げた絆こそがこの城の最大の強さなのだ。どんな闇の魔法使いたちも、ヴォルデモートも、そしてリーゼから聞いた話によれば『過去の魅魔様』でさえも、それだけは打ち崩すことが出来なかったのだから。

 

頷き合うアリスとマクゴナガルを見ながら、霧雨魔理沙はホグワーツが目指す強さの形をしっかりと認識するのだった。

 

 

─────

 

 

「なら、大丈夫なのね? 練習が出来なくなるとか、試合に出られないとか、そういうのは無いって思っていいのね?」

 

魔理沙へと勢い込んで問い質しているジニーを横目に、サクヤ・ヴェイユは変身術の教科書をパラパラと捲っていた。グリフィンドールチームの司令官どのとしては、何よりも先ず魔理沙が最終戦に出場できるのかを知りたいらしい。狂気を感じるな。他に聞くべきことが沢山あるだろうに。

 

逆転時計に関する事件が終了し、心配性のマダム・ポンフリーから日常への帰還を許可された後、地下の隠し部屋で砂時計を破壊した私たちは夕刻の談話室に戻ってきたのだ。ホグワーツにしては珍しいことに、今回の騒動は生徒の間で噂として広まっていないようなのだが……さすがにジニーは私たちが医務室に運び込まれたことを知っていたようで、こうして魔理沙を質問攻めにしているわけである。まあ、チェストボーンの『退職』が知れ渡れば即座に噂が広がり始めるだろうけど。

 

「だから大丈夫だって。練習にも試合にも出られるぜ。ピンピンしてるからな。」

 

「そう? それなら問題ないわ。……本当に心配したわよ。貴女が死んだら六人で試合をする羽目になるんだもの。クィディッチのルール上、ゴーストは試合に参加できないしね。」

 

「私が死んだ場合、もっと他に考えることがあって欲しかったんだけどな。」

 

無茶苦茶な会話だな。ゴーストにしてでも参加させる気だったところが先ずイカれているし、そんなルールをきちんと定めているクィディッチ協会だっておかしいぞ。クィディッチプレーヤーってのはどういう思考回路をしているんだ?

 

本格的に歴代キャプテンの『妄執』が取り憑き始めたらしいジニーは、呆れたような顔付きの魔理沙の尤もすぎる抗議を受けて、ふんすと鼻を鳴らしてから応答を繰り出した。

 

「多少頭がおかしくなってる自覚はあるわよ。だけどね、もうそんなことを気にしていられないの。イモリ試験と学内リーグで『勝利』を収める。そのためだったら何だってやってやるわ。……私は優勝チームのキャプテンとして予言者新聞社に入社するのよ。悪魔と取り引きしてでもね。」

 

「分かった分かった、お前がリーゼと取り引きしないで済むように頑張るぜ。とにかく私は大丈夫だ。明日の練習にも普通に参加できるから。」

 

「なら結構よ。……パスカルはどこ? 今日中にあのバカにフォーメーションを叩き込まないといけないわ。それが終わってからじゃないと私は魔法史の勉強に入れないのよ。」

 

自覚があるというのが一番危険なのかもしれないな。鬼気迫る表情でソーンヒルを探しに行ったジニーを見送って、魔理沙と顔を見合わせて苦笑する。

 

「早くも日常に帰還したって感じね。」

 

「だな、まだまだ忙しいってのを実感するぜ。……しかしよ、複雑な事件だったな。未だに半分も理解できてない気がするぞ。」

 

「私だってそうよ。あんなの理解し切れないわ。……そういえば、パチュリー様の仮説って結局正しかったんだと思う? 全部の変化を最初から内包してるから、結果的に時間は変化しないって説。」

 

「どうだろうな。リーゼによれば魅魔様は『過去の自分』を殺したらしいし、その辺がノーレッジの仮説と致命的に反してるように思えるぜ。思考がごちゃごちゃしてて上手く説明は出来ないけどよ。」

 

うーん? 確かに矛盾しちゃうな。魅魔さんは過去に戻って過去の自分を殺した後、その時点からまた一人の魅魔さんとして存在しているってことだ。その場合、遡行する前の魅魔さんが居た未来はどうなっちゃうんだろう?

 

少しだけ考えてから、同じように頭を悩ませているらしい魔理沙と視線を合わせて……同時に肩を竦めて思考をぶん投げた。未熟な今の私たちに分かるのはただ一つ。『分からない』ということだけだ。

 

「深く考えるのはやめましょう。今回の件は貴女が立派な魔女になった後、もっと知識を蓄えてから解明して頂戴。私は答えを聞くのを楽しみに待っておくから。」

 

「今はまだ無理だって点には同意するけどよ、長い楽しみになると思うぜ。その時までちゃんと生きてろよな。」

 

「最悪、未来から戻ってきて伝えてくれればいいわよ。その程度だったら変な歪みは生じないでしょうし、それが出来るくらいの魔女になれることを期待しておくわ。」

 

「まあ、ノーレッジあたりが先に解明しちゃいそうだけどな。……『時間』か。面白いテーマだぜ。」

 

真紅のソファに背を預けながら呟いた魔理沙に、かっくり首を傾げて疑問を放つ。

 

「『主題』にする?」

 

「そこまでじゃないんだけどよ、研究してみたいとは思うかな。……あー、難しいぜ。興味があちこちにありすぎて主題なんぞ定められん。そろそろ決めないとってずっと思ってるんだが、どうにも一つに絞れないんだよ。」

 

「生を懸けて追うほどの望みなんだから、簡単に定まらないのは当たり前のことでしょ。……そもそも無いとダメなの? 主題って。」

 

「そりゃお前、目的は必要だろ。魔女ってのはそういう生き物なんだから。」

 

至極当然とばかりに言ってくる魔理沙へと、むむむと悩みながら反論を返す。よく分からないのだ、そこが。

 

「でも、例えばアリスが自律人形を完成させたとして、目標を達成しちゃった彼女がいきなり魔女じゃなくなるわけじゃないでしょ? マーリンみたいに満足して人間に戻るのも一つの道だけど、そうじゃないケースもあるはずよ。また別の主題を定めるってことなの?」

 

「それは……んん? 分からんな。どうなんだろ。」

 

「形式に囚われすぎてるんじゃない? 知りたいことを是が非でも知ろうとしたり、作りたい物を意地でも作ろうとするのが魔女であって、主題があるから魔女ってわけではないんだと思うわよ。そりゃあ本物の魔女にとって主題が大切って部分は確かなんでしょうけど、在り方と目標は違うんじゃないかしら。」

 

「……主題無しでもいいって言いたいのか?」

 

納得がいかないような顔付きで問いかけてきた魔理沙に、首を横に振りながら返答を投げた。そういうわけじゃないぞ。

 

「そうじゃなくて、『主題は魔女の生において絶対に一つだけ』ってわけじゃないのかもって話よ。……パチュリー様なんて正にそうじゃないの。彼女の場合、要するに『知識』が主題なわけでしょ? 『何もかもを既知にしたい』っていう目標を、『本』という手段で追求してるわけね。パチュリー様は特定の一つを追ってるんじゃなくて、この世の全てを追ってるの。それがオーケーなら何だってありだと思うけど。」

 

「んー……まあ、言わんとすることは分かったぜ。でもよ、気紛れに主題を変えまくるってのもカッコ悪い気がしないか? 一貫性が無くて情けないし、『研究者』っぽくないぞ。」

 

「魅魔さんの弟子なら、『気紛れな魔女』ってのも似合いそうな気がするけどね。……貴女は結局魔女になって何をしたいのよ。」

 

「何をしたいっていうか、魔女になりたいんだよ。それが私の今の目標なんだ。魔女になって何をするかを考えたことは……まあその、正直言ってあんまりないぜ。」

 

困ったように苦笑する魔理沙へと、肩を竦めて結論を送る。だったらもう決まっているじゃないか。

 

「じゃあ、少なくとも今の貴女は『魔女の魔女』よ。魔女が主題ってことなんでしょ。」

 

「おいおい、滅茶苦茶じゃんか。語呂も悪いし、何か間抜けだぞ。」

 

「仕方がないでしょう? 実際のところ貴女の目標は魔女で、叶えたい願いも『魔女になること』なんだから。……ベアトリスとは正反対になったわね。魔女として生まれて人間を目指した魔女と、人間として生まれて魔女を目指す人間。皮肉な話だわ。」

 

「……んんん、腑に落ちないぜ。『魔女の魔女』なんておかしいだろ。ベアトリスと対極の位置にあるってのも何か嫌だぞ。」

 

私が見た限りでは、魔理沙は非常に『人間らしい人間』だ。その彼女が『魔女』を主題にするというのは皮肉を感じて面白いし、人間とはかけ離れた価値観を持つベアトリスの対極に位置するって点にも……うん、そこまで大きな違和感はないぞ。

 

不服そうな表情の魔理沙に対して、適当な相槌を打ってから教科書に向き直った。

 

「嫌なら頑張って他の主題を決めなさい。私から見た貴女は『魔女の魔女』……っていうか、『魔女を目指す魔女見習い』よ。」

 

「そのまんまじゃんか。」

 

「いいじゃない、分かり易くて。分かり易い性格と、分かり易い目標と、分かり易い呼び名。何とも貴女らしいと思うけど?」

 

「……ちょっとバカにしてないか? お前。」

 

ジト目の魔理沙にクスクス微笑みつつ、変身術の教科書に目を落とす。褒めているんだぞ、私は。分かり易いのが魔理沙の良いところなのだ。どこまでも複雑で分かり難い魔女を、どこまでも一途に分かり易く追い求める。諧謔があってぴったりの主題じゃないか。

 

さて、お喋りの後は勉強の時間だ。マクゴナガル先生の授業になれば一気に進みが早くなるだろうし、今のうちから予習しておかなければ。六年生にだって期末試験はあるんだから、正式なバートリ家の従者になった以上は頑張らないといけないぞ。

 

未だに懊悩している魔理沙を横目にしながら、サクヤ・ヴェイユは教科書に集中し始めるのだった。

 



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隣人

 

 

「そんなことがあったの。……不思議な感覚よ。私たちが居ないホグワーツでも騒ぎは起こるのね。何とも言えない気分になるわ。」

 

魔法省の食堂のバルコニー席で苦笑するハーマイオニーを前に、アンネリーゼ・バートリは同じ表情で首肯していた。呪われていたのは私たちの世代ではなく、ホグワーツそのものだったようだな。

 

三月の終わりが間近に迫った月曜日の正午、ハリー、ハーマイオニー、ロン、私といういつもの四人で食事をしているのだ。余人にペラペラ喋るつもりは微塵もないが、身内であるこの三人相手なら別だということで、今回の事件のあらましを会話の肴にしていたのである。まあ、さすがに魅魔の詳細についてはある程度曖昧な説明になってしまったが。

 

ハーマイオニーの感想を聞いて、ベーコンエッグバーガーなる料理を食べているロンが相槌を打った。中々美味そうだな。次来た時にでも頼んでみるか。

 

「だけどさ、マリサとサクヤが無事で本当に良かったよ。……未来に行ける時計か。夢があるな。」

 

「もう使用不能になっちゃったから単なる仮定の話になるが、もしキミたちの手が届く範囲にあったら使いたいと思うかい?」

 

アイスレモンティーをストローで飲みながらの私の質問に、三人は……やっぱりか。揃って否定を返してくる。そう来ると思ったぞ。

 

「んー、私はあまり興味ないわね。危険性云々を抜きにしても、未来を先に知っちゃうのは勿体無い気がするもの。ロンはどう?」

 

「僕も使わないかな。過去にも未来にも行きたくないよ。そうまでして変えたいほどの後悔は無いし、それはこれからも同じだと思うから。ハリーは?」

 

「僕もまあ、そこまでの魅力は感じないかな。過去に行って未来を変えたり、未来に行ってその情報を利用するのは……何て言うか、今を否定するってことでしょ? 色々あったけどさ、この『今』は僕たちみんなが頑張って作った今なんだから、それを無かったことにはしたくないよ。……ちなみにリーゼはどうなの? 使いたいと思う?」

 

「いいや、私も興味ないよ。私は未知の面白さをよく知っているし、同時に今の自分に絶対の自信を持っているからね。過去の自分にも未来の自分にも左右されるつもりはないさ。」

 

四人それぞれの意見がテーブルに行き渡ったところで、ハーマイオニーが肩を竦めて結論を口にした。

 

「つまり、私たち四人には逆転時計も『未来時計』も必要ないってことね。……ホグワーツの逆転時計を破壊したのは正解だったと思うわよ。マーリンが隠した理由にも一定の納得は出来るけど、悪用される危険性の方が大きいもの。」

 

「僕、そこがよく分かんなかったな。結局マーリンは何のためにホグワーツに逆転時計を隠したんだ?」

 

「チェストボーンの自宅から押収した『古文書』の内容から推察するに、マーリンはホグワーツを守りたかったんじゃないか? 何かどうしようもない危機がホグワーツに訪れた時、やり直せる手段を残しておいたんだと思うよ。マーリンは随分とあの城に愛着を感じていたようだしね。」

 

ロンの疑問に答えてみると、ハリーがハンバーグを切り分けながら難しい顔で指摘を投げてくる。

 

「でも、逆転時計が隠されてることを誰も知らなかったわけだよね? それだと意味ないんじゃない?」

 

「どこかで伝達が途切れちゃったのかもね。ホグワーツの歴代校長に伝えられていたものの、ある時点で誰かが伝え損ねたってところじゃないかな。」

 

「ダンブルドア先生は知ってたのかな?」

 

「予想でしかないが、知らなかったと思うよ。知っていたらあの爺さんは伝え損ねたりしないだろうし、逆転時計をそのままにしておくかも怪しいもんだ。」

 

ダンブルドアなら破壊しただろうか? ……うーむ、分からんな。逆転時計を私心で利用するタイプではないが、短絡的に破壊するというのもしっくり来ない。私が放った予想を耳にして、ハーマイオニーも自分の考えを提示した。

 

「そうね、仮にダンブルドア先生が知っていたら伝え損ねはしないでしょうね。マーリンほどの大魔法使いが後世に伝え忘れるっていうのも有り得そうにないし、ダンブルドア先生以前の校長の誰かが伝達を途絶えさせたんだと思うわ。」

 

「結果的にはそれで良かったのかもな。だからこそ秘密を秘密のままで留められたわけだろ? ……ヴォルデモートが知ってたらと思うとゾッとするぜ。」

 

「上手い具合にすれ違ったわね。チェストボーン先生が……チェストボーンが知った時にはもうヴォルデモートは死んでいて、過去で伝えることも叶わなかったから、ヴォルデモートが『強力な逆転時計』の存在を知る機会は永久に訪れないで済んだわけよ。」

 

「……他にも居たりするのかな? 生き残った『隠れ死喰い人』って。」

 

ロンの問いかけに、ハーマイオニーは重々しく頷きながら回答する。居るだろうな。一人も居なくなったと考えるのは楽観的すぎるだろう。

 

「間違いなく居るわ。チェストボーンほどの行動力があるかどうかはさて置いて、まだ純血主義を貫こうとしている魔法使いは一定数存在しているはずよ。……そしてそういった魔法使いが『実力行使』に出た時の対処が、貴方やハリーの今後の仕事になるの。」

 

「頑張らないとな。今度は僕たちが魔法界を守る番なんだから。……そういえば、ハリーの方はどうなんだ? 今年の試験まで半年を切ったわけだけど。」

 

「うん、勉強してるよ。シリウスが色々な場所に連れて行ってくれるから、その合間にね。」

 

あの名付け親、まさかハリーの勉強を『妨害』しているのか? ロンに応じたハリーの発言に眉根を寄せた私へと、名付け子どのは慌ててフォローを入れてきた。

 

「いや、勉強の時間がなくなるほどではないんだよ? 息抜き程度の小旅行を繰り返してるだけだから。」

 

「程々にしておきたまえよ? もしキミからいい加減にしろと言い辛いなら、私がブラックにガツンと言ってあげるぞ?」

 

「大丈夫だよ、シリウスだって試験のことは心配してくれてるみたいだから。今年は絶対に受かってみせる。そこは約束するよ。」

 

「ならいいんだけどね。……まあ、対策委員会の動きが加速していけば純血主義どころじゃなくなるだろうさ。もはやマグルが淘汰できるような『弱者』じゃないことに気付けば、純血主義なんて古臭い思想を掲げるヤツは自然と居なくなるよ。」

 

話の内容を『隠れ死喰い人問題』に戻してやれば、サラダを食べながらのハーマイオニーが同意を飛ばしてくる。今や純血の魔法界ってのは、賛成反対以前に不可能なのだ。それを理解すれば純血主義者なんぞ勝手に消え失せてくれるだろう。

 

「純血主義が崩壊するのには同意するけど、非魔法界問題が進展していくとまた違った議論が巻き起こりそうね。……マグルと私たちが別の種族かどうかっていう問題が出てくると思うわよ。」

 

「その議論ならもうやったよ。三年前のゲラートとパチェとダンブルドアとレミィの話し合いの時にね。」

 

「……そうなの? どんな結論になったのか聞かせて頂戴。」

 

興味をありありと示しているハーマイオニーの促しを受けて、あの時の話し合いの後半を思い出しながら返事を返した。

 

「結論は非常に珍しい感じに分かれたよ。ゲラートとパチェの考えが一致して、レミィとダンブルドアの考えも一致したんだ。前者が別種であるという結論で、後者が同種であるという結論だったね。」

 

「私としては、魔法族と非魔法族は同種であると確信してたんだけど……ノーレッジ先生とグリンデルバルド議長は違ったってこと? 意外よ。グリンデルバルド議長はともかくとして、ノーレッジ先生がその結論にたどり着くのは物凄く意外だわ。」

 

驚いたように唸っているハーマイオニーへと、前者の考え方を詳細に説明するために口を開く。あれは私としても面白い議論だったな。要するに、何を以って『種族』とするかの違いなのだ。

 

「パチェたちが問題視したのは生物学的な差異じゃないんだ。『歴史』の違いなんだよ。両者ともに魔法力の有無は人間という生き物の一側面に過ぎないと考えていたようだが、魔法族と非魔法族では根幹となる歴史や文化がかけ離れているから、もはや『別種である』と判断すべきだと主張したのさ。別種というか、近類種ってところだね。」

 

「……なるほどね、そういうこと。それならまあ、理解できなくもない話よ。」

 

「あーっと……つまり、全く同じ生き物でも全然違う文化を築けば別種としてカウントするってことか?」

 

ロンが傍目にも悩んでいる様子で寄越してきた質問に、こっくり首肯してから応答する。生物としての分類ではなく、社会形態の乖離の話なわけだ。

 

「極限まで噛み砕けばそういうことさ。例えばイギリス人とロシア人と日本人では数多の差異があるだろう? それが民族としての差異なのであれば、それ以上に離れている魔法族と非魔法族は種族として違っていると認識すべきだという主張だね。二人によれば種を形成するにあたって重要なのは身体の構造ではなく、思考の根底に何があるかの方らしいよ。」

 

「んー……難しいね。要するにグリンデルバルド議長もノーレッジ先生も、同じ『人間』であるとは思ってるわけでしょ? どっちかって言うと民族の違いに近いんじゃない?」

 

「私は何とも言えないが、生活の基礎に魔法が関わり過ぎているのが問題だとパチェは言っていたよ。その違いがあまりにも致命的なものだから、民族の違いの範疇には収まらないんだそうだ。」

 

ハリーの問いに答えたところで、眉間に皺を寄せているハーマイオニーが疑問を送ってきた。

 

「だけど、『非魔法族が魔法族になる』ことは大いに有り得るわけでしょう? マグル生まれの私が正にそうじゃない。そこはどうなの?」

 

「そう、そこだよ。だから魔法族と非魔法族の関係は非常に歪んだものなんだ。生物としては同種なのに、文化としては別種になっている。そこをどうにかしなければならないって点だけは、四者の意見が一致したのさ。」

 

「……ちなみにダンブルドア先生やスカーレットさんはどんな主張をしたの?」

 

「ダンブルドアは『別の家庭で育っただけの隣人』と表現したよ。魔法族と非魔法族に本質的な違いは無いのだから、どちらかが広い庭を横切ってもう一方の家に近付き、戸を叩いて友になる必要があるのだと。……そしてレミィの主張は更に分かり易いね。人間は人間であり、吸血鬼は吸血鬼であり、小鬼は小鬼であるという主張さ。それらの差異に比べれば魔法族と非魔法族は相対的に近いんだから、別種であるとは言えないという考え方だ。」

 

私としてはまあ、レミリアの意見に賛成だな。ゲラートやパチュリーが言っていることも分からなくはないが、経験上こういうのは案外単純に出来ているものだ。ハリーやハーマイオニーが魔法界に慣れるのに然程時間がかからなかったように、切っ掛けさえあれば同化してしまえる程度の違いだろう。であれば別種であるとまでは言えない。あくまで別の文化を持つ同種に過ぎん。

 

私がダンブルドアやレミリア側ってのも珍しいなと改めて奇妙な気分になっていると、ハーマイオニーが未だ悩んでいる二人を尻目に纏めを口にする。

 

「こればっかりは考え方……というか、捉え方の違いなんでしょうね。どこに線引きを設けるかってだけのことよ。結論は各々で違ってくるはずだわ。」

 

「ま、そうだね。そこに大きな意味なんてないのさ。真に重要なのは、非魔法界の進歩によって二者の関係における歪みを隠し切れなくなってきたという点だよ。」

 

「だからこそグリンデルバルド議長は対策委員会を発足させたわけね。……協力部も少しだけ関わってるんだけど、各国の調査報告を見てゾッとしたわ。まさかあれほど非魔法界を理解していないとは思ってなかったの。」

 

私は実際に確認していないが、ゲラートから聞いた限りでは余程の結果だったらしいな。不安そうな声色のハーマイオニーの発言を聞いて、ロンが苦い笑みで肩を竦めた。

 

「僕は詳しく知らないけど、どんな結果だったのかは大体想像できるよ。……じゃあさ、三人とも僕を見てどう思う? ロン・ウィーズリーはマグル界に詳しいって言えるか?」

 

ロンが? ……そりゃまあ、言えないだろう。マグル界のイギリスの貨幣をいまいち理解しておらず、信号機の意味はうろ覚えで、電球が光る理由にいつまで経っても納得しないのだから。ほぼ同時に首を横に振った私たちへと、ロンは苦笑を強めながら質問の意図を解説してくる。

 

「ところがだ、僕は魔法界基準だとマグル文化に詳しい方なんだよ。パパの趣味があんなんだし、君たちと友達だと知る機会が増えるからな。……そう思うと納得できないか? イギリス魔法界の魔法使いの大半が僕以下なんだぞ? 魔法界で育った一般的な魔法使いは地下に『汽車』が走ってることを知らないし、『話電』の使い方もさっぱり分かんないし、マグル界でも手紙はふくろうが届けるものだと思ってるのさ。僕だって闇祓い訓練で学ばなかったらもっと知らなかっただろうしな。」

 

「……非常に分かり易い説明だったよ。そうか、一般的な魔法使いの理解度はキミ以下なのか。」

 

「魔法界と非魔法界の融和の困難さを改めて実感したわ。……どうしてそんなに知らないのかしらね? 私からするとそこが意味不明よ。」

 

「つまりさ、興味がないんじゃないかな。マグルは『不思議な魔法』に興味があるから、僕やハーマイオニーみたいに新しく魔法界に入るとあれこれ知りたがるけど……魔法使いはそうじゃないってことなのかも。別に知ろうと思えば簡単なわけでしょ? マグル界のロンドンに出て、その辺をぶらぶらすればいいだけなんだから。誰もがそれをしないってことは単純に興味がないんだよ。マグル界の技術にね。」

 

ロンに応じた三人の中のハリーの推理に、深く頷いてから肯定を放つ。突き詰めればそういうことなのだろう。

 

「それで合っていると思うよ。心の奥底で劣っていると見下しているのさ。優れたものは知りたがるが、劣っているものに興味を抱く人間は少ないからね。……別に魔法族批判をしようってわけじゃないぞ? 事実として西暦紀元の開始以前から現代までの大半は魔法族の『圧勝』だったんだから。しかし、たった数世紀……ともすればこの百年程度の間に一気に差を詰められてしまったわけだ。」

 

「非魔法界の変化が急すぎたのね。だから魔法族は対応できていないのよ。なまじ魔法文化が便利すぎたから、これまで変える必要がなかった所為もあるのかも。魔法族は変化に慣れていないんじゃないかしら?」

 

「魔法界は遥か昔に形を作り終えて、そこから大きく変化していないからね。宜なるかなってところだよ。」

 

魔法族は大昔から人類という種の中の『絶対強者』だったわけだ。だが、今になって頂点を脅かす存在が育ってきてしまった。魔法族よりも数が多く、戦い慣れていて、進歩に貪欲な非魔法族という連中が。

 

それを予期したゲラートは魔法族に危機を知らせ、間に合わなくなる前に立ち向かおうとしたわけか。ハーマイオニーに答えた私の言葉を最後に沈黙してしまったテーブルに、ハリーがおずおずと声を投げた。

 

「でもさ、対策委員会が何とかしようとしてるわけでしょ? 実際のところマグルたちだっていきなり戦争を吹っかけたりはしないだろうし、きちんと進めていけばどうにかなるんじゃないかな。」

 

「ギリギリだと思うけどね。魔法族に非魔法界を理解させるだけじゃなく、非魔法族にも魔法界を理解させる必要があるわけなんだから、今ゲラートがやっているのは下準備の下準備ってところだよ。私たちが真っ先に願うべきは彼の長寿さ。有能な牽引役が居なくなるとかなりキツいぞ。全ての準備が整う前に魔法界が非魔法族に認識されてしまえば全てが終わりだ。その時何が起こるかまでは私にも予想できないね。」

 

「……凄い人だよね、グリンデルバルド議長って。あの人と比べると僕の人生だって『平坦』に思えてきちゃうよ。」

 

「私はグリンデルバルド議長一人に背負わせている現状を先ずどうにかすべきだと思うけどね。彼が力を持ち過ぎるのも危険だし、彼に頼りすぎている魔法界だって問題よ。……昔リーゼが言ってたでしょう? 『魔法族に問題を認識させる必要がある』って。最近になってその意味がよく理解できてきたわ。魔法界と非魔法界の融和において、確かにそれが最初にして最大の一歩なのよ。」

 

ハーマイオニーが疲れたように呟くのに首肯してから、テーブルに頬杖を突いて思考を回す。結局あの時四者が導き出した結論が正しかったわけか。……果たして間に合うのだろうか? ゲラートは現時点で『めちゃくちゃ長生き』と評して差し支えないほどに生きているし、余計な延命を望みはしない男だ。もしかしたら私が思っている以上に危ない状況なのかもしれないな。

 

あれだけ魔法族にその身を捧げたゲラートが、失意の中で死んでいくというのは……うーむ、幾ら何でも救いがなさすぎるぞ。咲夜の遡行問題は解決したし、いよいよ本腰を入れて手伝ってやるか。私は魅魔みたいな無責任な大妖怪ではないのだ。嘗てあれほど振り回したのだから、末期を成功で飾るくらいのことはしてやらねば。

 

よし、先ずは既に依頼されている日本魔法界に関する仕事を片付けよう。久々の『お仕事』に本腰を入れることを決意しつつ、アンネリーゼ・バートリはアイスレモンティーの氷を噛み砕くのだった。

 



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アンネリーゼ・バートリと幻想の守護者
ハレの子


 

 

「つまり、貴女は指導役をやらなくてもいいってことよ。理解した?」

 

目の前で面倒くさそうに伝えてくる葵寮生徒会の先輩に頷きながら、東風谷早苗は虚しい感情を愛想笑いの下に隠していた。楽しみにしていたんだけどな、新入生の指導役。私はそれすらやらせてもらえないわけか。

 

新学期の開始が間近に迫っている四月一日の午前中、現在の私は葵寮の新しい自室へと荷物を運び込んだところだ。五年生から寮生活が始まるマホウトコロでは五、六年生が学年ごちゃ混ぜの四人部屋、七、八年生が同級生との二人部屋、九年生から三期生までの四年間が一人部屋と決まっているので、学期の終わりから始まりまでのこの期間にみんなルームメイトとお別れをして部屋を移動しているわけだが……まあ、私はあんまり変わらないな。七年生の頃から一人部屋だったし。

 

私の学年の女子葵寮生は奇数で、そうなると余る一人が出てしまう。その『余り』が誰になるかなんて分かり切った話だ。二年前に七年生に上がった時、当然のように転入組の無派閥の蛇舌が二段ベッドを一人で使う羽目になってしまったのである。

 

ふん、別にいいもん。今の私は独りぼっちじゃないんだぞ。寮の廊下を歩き去っていく生徒会の先輩を見送った後で、ドアを閉めて元居た部屋から運んできた段ボール箱に向き直った。新学期が正式に始まる四月五日までは休みだから、これといって急いで片付ける必要はないのだが、特にやることも無いんだからさっさと『引っ越し』を済ませてしまうべきだろう。……というか、あの先輩は何故わざわざ伝えに来たんだ? いつもならああいう連絡事項は私から聞きに行かないと教えてくれないのに。

 

ひょっとして、リーゼさんが『後ろ盾』になってくれたからなのかな? そういえば少し前から周囲の態度がちょびっとだけ柔らかくなっている気がするぞ。前まではたまに下駄箱にゴミが入っていたり、私の分だけプリントが届かなかったり、部屋のドアを通りすがりにバンって叩かれたりしていたのだが、最近はそれがぴったり途絶えているな。

 

二人部屋を一人で使っていた所為で、去年よりもむしろ狭くなってしまった五畳……四畳? 四畳半? とにかくそれくらいの広さの部屋にポールハンガーを設置しながら考えていると、いきなりベッドの上に諏訪子様が現れる。実体化しちゃったらしい。

 

「いいじゃんいいじゃーん、新しい部屋。やっぱフローリングに限るよねぇ。桐寮じゃなくて本当に良かったよ。あっちは全室畳部屋なんでしょ? 手入れが大変そうでご愁傷様って感じ。」

 

「す、諏訪子様? リーゼさんがお札の神力を無駄遣いしちゃダメだって──」

 

「へーきへーき、アンネリーゼちゃんなら何だかんだ言いつつも許してくれるって。……チョロいよねぇ、あの子。多分『甘えられ慣れてない』んじゃないかな。取り引きとかだと頭が回るのに、ベタベタに甘えてくる相手だとどうしていいか分かんないんだよ。だから流されて甘やかしちゃうわけ。本人はそうは思ってないんだろうけどさ。」

 

まだシーツを敷いていない備え付けのベッドに寝転がりながら豪語する諏訪子様に、何とも言えない気持ちで意見を放つ。

 

「でもその、無駄遣いは無駄遣いですよ。貴重なお札はもしもの時のために取っておかないと。」

 

「えー? 神奈子みたいなこと言わないでよ。こういうのはじゃんじゃん使っていかないと損だって。……おーい、神奈子。あんたも出てきなよ。無駄に実体化するのが嫌だってんなら、早苗の手伝いをすればいいじゃんか。」

 

「……お前、いい加減にしておけよ? このままではバートリへの借りが増えていく一方だろうが。神札だってタダじゃないんだぞ。」

 

「だいじょーぶだよ。そりゃあ借りはきっちり返すけどさ、アンネリーゼちゃんならそんなに厳しく取り立てたりはしないって。全力で甘えまくれば許しちゃうタイプなんだよ、あの子は。」

 

呼びかけに応じて姿を現した神奈子様は、諏訪子様の言い草に呆れたような顔をしながら衣類が入っている段ボール箱を開封し始めた。

 

「そんな考え方では尚のこと申し訳が立たない。バートリがフェアな取り引きを貫く限り、こちらも誠実に対応すべきだ。……早苗、これはクローゼットに入れればいいのか?」

 

「ダ、ダメです! 神奈子様にそんなことをさせるわけにはいきません! 私がやりますから!」

 

「いいんだ、早苗。少しは働かないとああいう『惰神』になってしまうからな。……諏訪子、下着が見えているぞ。いい歳してみっともない姿を早苗に見せるな。教育に悪いだろうが。」

 

「いいじゃーん、別に。ここは今日から早苗と私たちの城なんだから、細かいことをぐちぐち言わないでよ。口煩いと周りから嫌われちゃうよ?」

 

白いTシャツに黒いミニスカートという格好でベッドに寝転がっている諏訪子様は、確かにスカートが捲れて下着が丸見えになっているが……凄く大人っぽい下着だな。黒くて、隙間が多くて、何より小さいぞ。端的に言えばえっちだ。かなりえっちな下着じゃないか。

 

諏訪子様や神奈子様の言によれば、実体化する際の服装はある程度好きに『調整』できるらしい。だからつまり、あの下着は諏訪子様が調整した結果だということだ。何をどう調整した結果ああなったんだろう?

 

子供然とした見た目の諏訪子様の下着を見てから、自分の今着けている下着を思い返してえも言われぬ敗北感を覚えている私へと、神奈子様がクローゼットの中に透明な衣装ケースを設置しつつ声をかけてきた。諏訪子様に対する注意は諦めたらしい。

 

「しかし、新入生の指導役まで外されるとはな。今更驚かないが、つくづく忌々しい連中だ。」

 

「んー、当然といえば当然の選択なのかもしれません。今年度は転入生が居ないっぽいですし、新入生は私の学年の人数よりも少ないみたいですから、指導役になれない九年生が必ず出てきちゃうんです。それなら私を外すべきですよ。新入生たちの方だって、ちゃんと派閥に入ってる生徒が指導役の方が安心ですしね。」

 

「……他の連中にはそう答えてもいいが、私たちには本音で話せ。少し残念だったんだろう? それくらい顔を見れば分かるさ。」

 

「……まあ、そうですね。ちょっとだけ残念でした。『後輩』っていうのには憧れてましたから。ほんのちょっとだけですけど。」

 

私が中城先輩にお世話になったように、後輩を甘やかしてみたかったな。解体して運んできた棚を床に座って組み立てながら神奈子様に返事をすると、起き上がった諏訪子様がベッドの上から私の頭をギュッと抱き締めて慰めてくれる。

 

「よしよし、早苗。残念だったね。……札を何枚か使って私が祟ってあげようか? 怪我とかで指導できなくなれば早苗に役目が回ってくるかもよ?」

 

「いやいや、絶対ダメですからね? いくらリーゼさんが私のことを好きだからって、そんな使い方をしたらさすがに怒られちゃいますよ。大抵のことはまあ、許してくれるでしょうけど。」

 

「うわぁ。……早苗ったら、まだ本気で信じてんの? 『アンネリーゼちゃんが早苗を好き説』。絶対違うって。そういうことじゃないんだよ、あれは。」

 

「あー……それに関しては私も諏訪子と同意見だな。勘違いだと思うぞ?」

 

何故か顔を引きつらせながら反論を寄越してきたお二方に、首を傾げて説明を飛ばす。どうして伝わらないんだろう? 絶対そうなのに。

 

「お二方の意見は尊重したいですけど、リーゼさんが私を好きなのは間違いないと思います。やけに優しいし、ボディタッチもしてくるし……それにほら、家族になろう的なことも言ってましたし。私、恋愛の本を読んだんです。そしたらリーゼさんの私に対する行動が、好きな女性にする行動に全部当て嵌まってたんですよ?」

 

「あのね、早苗。アンネリーゼちゃんは早苗を懐かせることで、私たちを味方に引き込もうとしてたの。しかも『家族になろう的なこと』って、去年話した支配者云々の話でしょ? 何をどう受け取ったらそうなるのさ。相変わらず思考回路が異次元な子だね。」

 

「……大丈夫ですよ、諏訪子様。私は諏訪子様と神奈子様にお仕えする身ですから、リーゼさんの恋はきっと実らず終いになるでしょう。心配しなくても恋愛にかまけてお二方を蔑ろにしたりはしません。私をリーゼさんに取られるってことはないですから安心してください。」

 

私のことを好きなのであろうリーゼさんには申し訳ないが、今は神社のことに集中しなければならないのだ。……でも、ここまで良くしてもらったのに何のお返しもしないわけにはいかないな。そんなのリーゼさんが報われなさ過ぎるぞ。

 

だからもし求められたら、応える気ではいる。リーゼさんは小さいし、女の子だし、吸血鬼だし、私は恋愛経験がないから上手く出来るかは分からないけど……あれだけ頑張ってアピールしているのを無下にするのは可哀想だ。それでリーゼさんが満足するなら甘んじて受け入れよう。いざという時のために『そういう漫画』もきちんと読んでおいたし。

 

何て罪な女なんだ、私は。リーゼさんのことはもちろん人として……吸血鬼として好きだけど、恋愛対象としては全く見ていない。小さな女の子の見た目をしているリーゼさんを恋愛の対象にするのなんて、頭がおかしい変質者だけだろう。そんなアブノーマルな価値観は持っていないぞ。

 

それなのに受け入れてしまうのは、誑かしていることになるのだろうか? もし一度だけじゃなく、ずるずると関係が続いていったらどうしよう。ドラマみたいな爛れた恋愛になってしまうぞ。ああもう、困っちゃうな。『モテる』というのは思っていたよりも大変なことのようだ。

 

色々と想像して困ってしまっている私を他所に、諏訪子様と神奈子様が同時に巨大なため息を吐いてから口を開いた。呆れ果てた表情でだ。

 

「いやぁ、この子は本当に思い込むと聞かないね。今日も早苗の頭の中が快晴で何よりだよ。……一番可哀想なのはさ、ひょっとするとアンネリーゼちゃんなのかもね。今度会ったら優しくしてあげようかな。」

 

「バートリの唯一の失敗は早苗の性格を見誤ったことだな。その点だけは同情しよう。まさかこんな結論に行き着くとは私だって思っていなかったぞ。」

 

「えっと、どういう意味でしょうか?」

 

「気にしないでいいよ。それでこそ我らが祝子なんだから。……早苗はつくづくあの子に似てるね。自分をどこまでも信じて、何でも出来るって欠片も疑ってなかったあの子に。だからあの子は奇跡を起こせたんだろうさ。奇跡ってのは道理を無視できるバカにしか起こせないんだよ。まともなヤツはそれを本気で起こそうとしないし、先ず起きる理由を探しちゃうもん。」

 

『あの子』というのは、お二方がたまに話に出す私のご先祖様のことだろう。私と見た目がそっくりだったという、数百年前の風の祝子。私の風祝としての大先輩。ベッドの上に座って私の頭をぽんぽんと優しく叩きながら言った諏訪子様は、至極愉快そうな笑みで話を締める。洩矢諏訪子のそれではなく、偉大な洩矢神としての顔だ。

 

「原理なんて無いし、理由も脈絡も無いんだよ。筋の通った説明が出来ないからこその奇跡なの。バカみたいに思い込んで、起こると本気で信じるからこそ起こっちゃうわけ。下手に賢いヤツより、それが出来る人間の方がよっぽど珍しいんだよね。」

 

「えーっと?」

 

「いいのいいの、早苗はまだ分かんなくていいの。要するに、そのままの早苗が一番ってことだよ。ね? 神奈子。」

 

「……そうだな、早苗はそのままでいい。それだけの話だ。」

 

内容はよく分からなかったけど、どうやら私は褒められているらしい。えへへと笑って頷くと、お二方は柔らかい苦笑を返してきた。……それぞれの苦言を口にしながらだ。

 

「なら、このままで頑張ります!」

 

「まあ、勉強は『このまま』じゃダメだけどね。あの点数は実際ヤバいよ。実技は仕方ないかもだけどさ、筆記は別でしょ? 幾ら何でも見過ごせないし、九年生は本気で勉強に取り組もうか。」

 

「それと、生活態度も改善しないといけないな。バートリから買ってもらったゲームはどの段ボール箱の中だ? 自制できないのであれば、私たちが制限するしかないだろう。出しなさい、早苗。一人では取り出せない場所に仕舞っておくから。」

 

「へ? ……でも、でも、まだ殆どクリアしてないんです。折角リーゼさんから買ってもらったんだから、きちんとクリアしないと申し訳ないですよ。それが礼儀ってものじゃないですか。」

 

ゲーム機本体やカセットやディスクが入っている段ボール箱をちらりと確認しつつ、急な展開に冷や汗を流して応答した私を目にして、諏訪子様と神奈子様は……あああ、取り上げる気だ。その段ボール箱を二人で開け始める。

 

「大丈夫、私が代わりにクリアしてあげるよ。……おっ、CMでやってたやつじゃん。これも買ってもらってたんだ。後でやろーっと。」

 

「諏訪子、早苗に我慢させるんだからお前も──」

 

「ほらほら、神奈子。これ気になってたんでしょ? 例のシリーズの出たばっかりの新作。……わお、ディスク四枚組だよ? ちょー豪華じゃんか。」

 

「何? 前は三枚だったぞ。……まあ、早苗の授業中は暇だしな。私たちも少し息抜きをすべきだろう。」

 

ズルいぞ! 私がまだやっていない二つのソフトを手に取ったお二方に縋りながら、説得の言葉を投げかけた。

 

「後生だから取り上げないでください。ゲームと漫画とアニメとドラマと雑誌と買い物だけが私の楽しみなんです。」

 

「早苗の楽しみが多くて何よりだけど、神に後生は無いんだよね。だからダメ。少なくとも小テストで赤点を取らなくなるまではゲームも漫画もテレビも禁止。……ちっちゃいテレビってどこだっけ? 別ハードだし、神奈子はそっちを使ってやりなよ。」

 

「何故お前が大きいテレビを独占するんだ。交代交代で使えばいいだろうが。こっちのゲームはグラフィックが売りなんだぞ。」

 

「このテレビをアンネリーゼちゃんに買ってもらったのは私だもん。つまりこれは私のテレビなの。頑張っておねだりした成果を掠め取ろうなんざ許さないよ。」

 

言い争いながらゲームの準備を進めていくお二方を前に、絶望的な気分で膝を突く。赤点無しなんて無理だ。そんなのいつまでかかるか分からないじゃないか。……ずっとゲーム抜きの生活? 地獄だ。どうしてみんなが九年生のことを『苦年生』と揶揄するのかが理解できたぞ。

 

「待て待て、大きいテレビはお前が優先でいい。だから最初だけは私に使わせてくれ。オープニングムービーくらいはこっちで見たいぞ。」

 

「じゃあ、七三で私優先って約束するならいいよ。」

 

「……せめて四六だ。それなら承諾しよう。私が四時間やったら、お前は六時間やれる。それ以上を望むのは強欲だぞ。」

 

「……だったら私が六時間半でそっちが三時間半。ここが限界だよ。そもそも私のテレビなんだから、ここまで譲歩してることを評価して欲しいんだけど。」

 

赤白黄色の配線を片手に交渉するお二方を眺めつつ、次にリーゼさんに会った時にテレビをもう一台買ってもらおうと決意を固めた。もう一台あればひょっとしたらゲームを解禁してくれるかもしれない。赤点ゼロは不可能だし、その可能性に賭けるしかないぞ。誕生日プレゼントってことで頼んでみよう。

 

───

 

そしてゲームをしているお二方を恨めしい目線で見ながら部屋の片付けを一段落させた私は、畳んだ段ボール箱や袋に入った細々としたゴミを両手に葵寮の外に出てきていた。通常寮生活でのゴミは決まった曜日の朝に廊下に出しておけば、『ゴミ係』の当番が回収して持っていってくれるのだが、私の部屋の前のゴミは誰も回収してくれないのだ。

 

まあ、これに関しては自分でゴミ置き場に持っていく者も多いのでそこまで気にしていない。昔は何故回収してくれるのにわざわざ持っていくのかが疑問だったけど、今は何となく理由が分かるぞ。多分恥ずかしいからなのだろう。マホウトコロで使っているゴミ袋は透明なので、否が応でも中身が透けて見えてしまうのだ。ゴミ係はフロア毎に決まっているから相手が同性とはいえ、他人にゴミを見られるというのは……んー、やっぱりちょっと嫌かな。

 

そんなわけで、恐らく私は回収してくれるとしても基本的に自分で持っていくはず。なので最近では私のゴミだけを回収してくれないのも気にならなくなってきた。こういう羞恥心を感じるようになったのは、大人になったということなのかなと苦笑しつつ、たどり着いた葵寮の裏手にあるゴミ置き場へと手に持ったゴミを投げ入れる。

 

明日が燃えるゴミの日だから入れちゃって大丈夫なはずだが、長居はしない方が良いだろう。六年生の頃にゴミを捨てに訪れた際、マナー違反で散らかっているゴミを善意で片付けていたら、男子寮生に目撃されてあらぬ噂を立てられたのだ。『蛇舌がゴミを漁っていた』という悲しすぎる噂を。

 

『善意は必ずしも報われるものではない』ということを学べた苦い思い出を頭に浮かべながら、そそくさと来た道を戻っている途中で……あれ? 細川先生だ。日本史学の細川京介先生が杖を片手に寮の裏手に立っているのが目に入ってきた。

 

ううむ、こんなところで何をしているんだろう? 細川先生は当然ながら細川派であって、松平派ではない。教師といえども基本的に他派の敷地内には入らないものなので、彼が葵寮の『領地』に居るのは中々おかしなことなのだ。場所が玄関だったらまだ分かるものの、ここは人通りが少ない寮の裏側。何だか怪しく思えてしまうぞ。

 

声をかけるべきか、無視して通り過ぎるべきか、あるいは見なかったフリをして引き返すべきか。……よし、見つからないうちに引き返しちゃおう。私は派閥抗争なんかに興味はない。細川先生がこの場所に居ることを糾弾したところで何らメリットはないだろうし、下手に関わって面倒事に巻き込まれるのは御免だ。そう思って踵を返そうとしたところで──

 

「……東風谷さん?」

 

ぐう、細川先生に呼びかけられてしまった。決断の遅い自分に心の中でため息を吐いてから、バツの悪そうな顔付きになっている細川先生に応答する。

 

「えっと……こんにちは、細川先生。」

 

「どうも、東風谷さん。……いや、参りましたね。あまり良くないところを見られてしまったようです。」

 

「あー……そうですね、ここは葵寮ですもんね。」

 

うーん、気まずいぞ。お互いに若干ぎこちない感じの言葉を交わした後、余計なトラブルに巻き込まれないためにはどうしたら良いのかと考えている私に、細川先生は苦笑いで頰を掻きながら言い訳を寄越してきた。

 

「個人的な探し物をしていたんです。決して松平派に何かをしようと思っていたわけではありません。……信じてもらえませんかね、やっぱり。」

 

「いえ、あの……私は別に誰かに言うつもりはありませんから。そもそも言う相手が居ませんし、無派閥なので。だからその、早くここから出た方が良いと思います。他の生徒に見つかる前に。」

 

もちろん細川先生もマズいだろうけど、彼と私がこの場で会話していることを第三者に目撃された場合、私もまた大変面倒な立場になってしまうのだ。女子に凄く人気がある細川派の細川先生が、葵寮の敷地内ではみ出し者の蛇舌の女生徒と話しているところを見られたとなれば、とんでもなく厄介な噂話を立てられるのは間違いないだろう。

 

私は葵寮の生徒たちから『細川派のスパイ』扱いされるのは嫌だし、全寮の女子たちから『細川先生と密会してたブス』と呼ばれるのも絶対嫌だ。今でさえ灰色の学生生活が更に悪化するだなんて悪夢だぞ。早くこの場から立ち去りたくて放った返答に対して、細川先生は肩を竦めて首肯してくる。

 

「まあ、そうしておいた方が良さそうですね。どうやらここでは私の探し物は見つからないようですし、他の場所を探してみることにします。……では、私はこれで。」

 

言うと、細川先生は持っていた杖の先で自分の頭頂部を軽く叩く。すると頭の天辺から徐々に先生の姿が消えていき、最後には完全に見えなくなってしまった。透明化の術か。期生の呪学で習うやつだな。

 

マホウトコロで姿くらましが出来る場所は限られているし、入ってくる時も恐らく同じ術を使ったんだろうけど……細川先生は一体何を探していたんだ? それとも『個人的な探し物』というのは単なる嘘で、実際は松平派の偵察をしていたとか?

 

暫く立ち尽くしたままで黙考した後、ふるふると首を振ってから部屋に戻るために歩き出す。何にせよ私には関係ないな。私は松平派でも細川派でもないし、『葵寮の一員』ですらない。私の願いはただ一つ。これ以上悪目立ちしないことだけだ。細川先生の姿なんて見なかったことにして、自分の部屋の片付けを再開しよう。

 

葵寮の勝手口のドアを開きながら、東風谷早苗は今あったことは忘れようと決めるのだった。

 



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ファーストワード

 

 

「ほら、この前約束した肉と菓子だ。それとこっちは上物の茶葉だよ。また神札が必要になったからこれと交換してくれ。」

 

拡大魔法がかかった袋に入れてきた荷物を博麗神社の縁側に広げつつ、アンネリーゼ・バートリは満面の笑みになっている紅白巫女に説明を投げかけていた。大量の手土産にご満悦らしい。いつもは捉え所がないのに、こういう時だけは分かり易いヤツだな。

 

四月上旬の今日、私は桜が半開になっている博麗神社を訪れているのだ。当然ながら暢気に花見をするために訪問したわけではなく、主たる目的は約束の履行と神札の補充である。前に茶が好きだと言っていたので紅茶の茶葉を持ってきてみたわけだが……うーむ、予想以上に喜んでいるな。別に日本の茶じゃなくてもいいわけか。

 

私が持ってきた荷物を次々と開封している巫女は、缶の中の茶葉の匂いを嗅ぎながら大満足の様子で首肯を返してきた。

 

「んー、いい香りね。神前にお供えしてから飲むことにするわ。……いいでしょう、札と交換してあげる。持ってくるからそこで待ってなさい。」

 

「はいはい、待たせてもらうよ。」

 

奥に引っ込んでいった巫女を見送った後、庭の隅に居る黒猫に小石を投げつけて暇を潰していると、哀れな黒猫が鳴き声を上げながら逃走を図ったところで神札の束を持った巫女が戻ってくる。その顔に浮かんでいるのは呆れ果てた表情だ。

 

「何してんのよ。あんた、猫が嫌いなの?」

 

「猫は嫌いでも好きでもないよ。キミはあれが何なのかに気付いていないのかい?」

 

「猫又か何かでしょ? それは分かってるけど、苛めるのはやめなさいよね。あの猫はネズミとかを追っ払ってくれるんだから。」

 

「ま、単に暇を潰していただけさ。そもそも当てるつもりはなかったよ。……札はこの中に入れてくれ。」

 

神力を抑えるための封印がかかっている布袋を差し出してやれば、巫女はそこに札の束を仕舞いながら意味が分からんという顔付きで質問を寄越してきた。

 

「対価を貰ってるから私は一向に構わないんだけど、あんたは一体何にお札を使ってるの? 合計すると結構な枚数を渡してるわよね?」

 

「ちょっとした取り引きに使っているんだよ。」

 

「渡してる枚数からして、全然ちょっとしてないと思うんだけど。」

 

「……こっちとしても、まさかここまで大量に使うことになるとは思っていなかったんだ。忌々しい限りだよ。絶対に無駄遣いしているぞ、あいつら。」

 

守矢神社の三バカめ。何度も何度も注意を重ねているのにも拘らず、むしろ消費枚数が増加している気がするぞ。そこまで頻繁に実体化する必要があるとは到底思えんし、どうせ無駄な遊びにでも使っているのだろう。今度会った時にガツンと言ってやらねばなるまい。

 

……というか、このままで大丈夫なんだろうか? いつの間にか利用する割合より、利用される割合の方が大きくなっていないか? 何かこういう寓話があったな。成果を望んで財産を注ぎ込んだ挙句、全てを失って後悔するやつだ。あの話の主人公も私と同じように、『今やめたらこれまでの投資が無駄になる』的なことを考えていた覚えがあるぞ。

 

いやいや、問題ないはずだ。私は寓話の主人公と違ってまだまだ余裕があるし、取り立てを怠るつもりもない。賢い私はあんな愚かな失敗とは無縁のはず。……大丈夫だぞ、私。『貸付額』が予想よりもちょびっとだけ大きくなっているだけだ。いずれ返ってくる利子を勘定に入れればむしろ得をしているんだから、これは喜ぶべき展開だろう。

 

内心の不安から目を逸らしつつ愚痴を漏らした私に、巫女は適当な相槌を打って手土産の品定めを再開した。早くも興味を失くしたらしい。だったら聞くなよな。

 

「ふーん、何だか大変そうね。……見た目は和菓子に軍配が上がるけど、洋菓子は代わりに匂いが良いわ。これは何? こっちのは?」

 

「マドレーヌとフィナンシェだよ。」

 

「何が違うの? この二種類。」

 

「よくは知らんが、名前と味と食感が違うから違う菓子なんだろうさ。外側がサクサクしていてインゴットの形なのがフィナンシェで、柔らかい貝殻の形をしているのがマドレーヌだ。」

 

言われてみれば何が違うんだろうか? さすがに味や食感の違い自体は認識できるが、差異がどこで発生しているのかは分からんな。今度エマに尋ねてみようと思いつつ、マドレーヌを食べている巫女に問いを送る。巫女はフィナンシェよりもマドレーヌが気に入ったらしい。センスの無いヤツめ。私はフィナンシェの方が好きだぞ。

 

「この前は聞きそびれたが、幻想郷の騒動はどうなっているんだい? 前に言っていただろう? 『新参者の大妖怪』が騒ぎを起こしているって。」

 

「ああ、それならとっくに収まってるわよ。紫がどうにかしたみたい。新参者がボコボコにやられちゃって勢力は離散したわ。新勢力に参加してたのはお祭り好きのバカどもと、『力こそ全て』みたいな能無し中級妖怪ばっかりだったわけだし、宜なるかなって結末ね。」

 

「何とまあ、哀れなもんだね。敗北した新参者の現状は?」

 

「今は霧の湖の近くで大人しくしてるみたい。騒動を収めた紫が『制裁権』を得たから、他の妖怪たちも手を出せないんでしょ。……有象無象を短期間で組織化して、曲がりなりにも天狗たちに勝ったのは大したもんだったんだけどね。上には上があるわけよ。要するに、新参者たちは幻想郷の層の厚さを舐めすぎたわけ。この土地は『正攻法』じゃどうにもならないの。」

 

レミリアたちは敗北したのか。……うーん、そも本気で勝つ気があったんだろうか? 用心深いスカーレット家の当主どのにしては動きが性急すぎるし、本来は『小手調べ』のつもりだったのかもしれないな。

 

ところが序盤があまりにも上手く進みすぎた結果、勢いが出すぎて引っ込みがつかなくなったってところか? 有り得そうだな。レミリアは逆境となると粘り強くて慎重になるのに、一度優勢になってしまうと調子に乗って盛大にコケるタイプだ。守り上手の攻め下手。それが我が幼馴染みなのだから。

 

まあうん、何れにせよ紅魔館の面々が無事なのであればどうでも良い。結局は紫の計画通りかと桜を眺めつつ苦笑していると、巫女が私の顔を覗き込んで声をかけてきた。

 

「ちなみにだけど、その新参者は『吸血鬼』って種族なんですってよ? 聞き覚えがある種族名だわ。」

 

「おや、私も聞いた覚えがあるね。どこで聞いたんだったかな?」

 

「あんたね、下らない誤魔化しはやめなさい。……新参者たちの関係者なの?」

 

「イエスだが、幻想郷での騒動には一切関わっていないよ。紫から接触を禁じられていてね。私が出歩くのを許されているのはこの神社の敷地内だけなんだ。」

 

ジーッと私の瞳を見つめながら訊いてくる巫女に答えてやれば、非常に不満げな面持ちになった調停者どのは顔を離して大きく鼻を鳴らしてくる。何かが気に食わなかったようだ。

 

「ふん、忌々しいわ。つまり紫がまた何か企んでるってことでしょ? いつも通りに、コソコソと。」

 

「実に的確な要約じゃないか。そうだよ、それが全ての真実さ。」

 

「時々思うわ。あいつこそが幻想郷における最も大きな『歪み』なんじゃないかって。……っていうか、そもそもあんたは何なの? 今まであんまり興味なかったけど、よく考えたら変じゃない?」

 

「急に無礼なことを言うね。私は変じゃないぞ。善良な吸血鬼だよ。」

 

心外だという表情で主張してやると、巫女は欠片も信じていない顔付きで疑問の詳細を述べてきた。

 

「だって、あんたは外界と幻想郷を行き来できるんでしょ? 別にあんただけがそうだってわけじゃないけど、基本的に紫が結界の通行許可を出すのは幻想郷の維持に必要な時だけよ。自力で不正に抜けてるんならともかくとして、スキマを使って行き来してるんだから紫から許可を貰ってるわけよね? どうしてあんたにだけ許可が出てるの?」

 

「質問に答える前に私からも聞きたいんだが、何故今更になって尋ねてきたんだい?」

 

「……そうね、何でなのかしら?」

 

私の問いかけを受けてきょとんとした顔になった紅白巫女は、暫く宙空をぼんやり見ていたかと思えば……目をパチクリさせながら私に言葉を投げてくる。心底不思議そうな表情だ。

 

「私、もしかしたらあんたに興味を持ってるのかも。」

 

「……私はそれにどう反応すればいいんだい? 喜ぶべきなのか? 嫌がるべきなのか?」

 

「そんなもん私にだって分かんないわよ。こんなの魔理沙以来だもん。……んんん? 変な感じね。これってどういうことなの?」

 

「どういうことなのかと言われてもね。私には質問の意図すらよく分からんぞ。……まあ、先にさっきの問いに答えようか。そっちの回答も同じだよ。『よく分からない』さ。」

 

紫との契約の内容を噛み砕くと、幻想郷と外界を行き来できる権利を得る代わりに、私が目の前の紅白巫女と『仲良くする』というものだが……うーむ、改めて考えると意味不明な取り引きだな。私はそこまで頻繁にここに通っているわけではないし、巫女の心を開かせようと熱心になっているわけでもない。それなのに紫は一度も文句を言ってきていないぞ。それはつまり、現状で私はきちんと対価を支払っているということだ。

 

当初は紫にとって『外界との行き来』という条件がそこまで重くないものだから、私が払う対価もそれ相応のレベルに収まっているんだと判断していたんだが……今の巫女の言い方からするに、博麗大結界を抜けられるというのは中々特別なことらしい。

 

紫が巫女を特別視しているのは明白なので、彼女にとって『巫女の考え方を変えられるかもしれない』というメリットが想像以上に重い可能性もあるし、あるいは巫女の認識が間違っていて結界の通行がそんなに厳重ではない可能性だってあるものの……むう、やっぱりよく分からんな。そもそも紫は私に何を期待しているんだろうか?

 

これまでの話を思い返しながら悩んでいると、同じように何かを黙考していた巫女が新たな質問を寄越してきた。

 

「ねえ、あんたの名前ってなんだっけ?」

 

「……キミ、私の名前を覚えていなかったのか?」

 

「『アン何とか』でしょ? アンニーズだかアンネーゼだかそんな感じの。」

 

「アンネリーゼだ。アンネリーゼ・バートリ。どこまでも無礼なヤツだね。」

 

ジト目で睨みながら歴史上最も偉大な吸血鬼になるであろう淑女の名前を口にしてやれば、巫女はムッとした表情で反論を飛ばしてくる。

 

「でも、あんただって私の名前を忘れてるでしょ?」

 

「博麗霊夢だろう? 私はキミよりも礼儀を弁えているんだよ。」

 

「……あら、ちゃんと覚えてたの。意外だわ。一度も名前で呼ばないから忘れてるんだと思ってた。」

 

ん? ……そういえば、きちんと名前で呼んだことは無かったかもしれないな。大抵の場合私は『キミ』と呼んでいたし、巫女は『あんた』と呼んでいた気がするぞ。どうしてそうなったのかと首を傾げつつ、ド忘れ巫女に対して注意を送った。

 

「何にせよ、反省したまえ。私の高貴な名前を忘れるとは何事だ。凄まじく無礼な行いだぞ。」

 

「長いのが悪いのよ。アンネリーゼだなんて長すぎるわ。短くならないの?」

 

「リーゼでいいよ。だが、アンネリーやアンネはダメだ。響きが平凡すぎて気に食わないからね。」

 

「何がどう平凡なのかはさっぱりだけど、とにかく短くするとリーゼになるのね。……いいわ、今度こそ覚えてあげる。呼ぶかは分かんないけど。」

 

最初の一回で覚えておけよな。尊大に言い放った巫女は、続いて縁側に座っている私を色々な角度から観察しながら問いを重ねてくるが……一体全体どうしたんだ? どうやら巫女にとっての私の評価が『無関心』から『観察対象』にランクアップしたらしい。先程の言からするに、魔理沙も同じランクに位置しているようだ。

 

「その羽、触ってもいい?」

 

「ダメだし、これは羽じゃなくて翼だ。私は虫や鳥じゃないんだぞ。敬意を込めて翼と呼びたまえ。」

 

「……じゃあ、翼って呼ぶからちょっとだけ触らせてよ。触りたいわ。」

 

「ええい、何なんだキミは。私には前から翼があったし、キミは今まで一度も触ろうとしなかったじゃないか。何故急に触りたがるんだい?」

 

翼は敏感な部位なんだぞ。そう易々と余人に触らせるわけがないだろうが。縁側から立ち上がって警戒しつつ問い詰めてみると、巫女は唇を尖らせて抗議してきた。

 

「だって、気になるんだもん。優しく触るから触らせてよ。」

 

「嫌だと言っているだろうが。……おい、何だその顔は。キミ、無理やり触ろうとしているね? そうはいかんからな。『光あれ』するぞ。いいのかい? それ以上近付くと『光あれ』しちゃうからな。」

 

庭の奥の方へとジリジリと後退しながら、開いた手のひらを顔の高さで掲げて脅してやれば、近付いてくる巫女は意味不明だという表情で小首を傾げて口を開く。

 

「何よ、『光あれ』って。」

 

「弾幕ごっこの時に使ったあれだよ。無理に触ろうとするならあれをお見舞いしてやるぞ。」

 

「あれはダメ。絶対ダメ。翼は諦めるから『光あれ』のポーズを先ずやめなさい。……宣言しておくけど、あれを使ったら本気で退治するからね。」

 

よしよし、分かればいいんだ。途端に顔を引きつらせて家の中に逃げ込んだ巫女が言ってくるのに、こくりと頷いて『光あれ』のポーズを解く。ちなみにこの脅し文句は子供の頃によく使っていたものだ。レミリアなんかと喧嘩した時、最終手段として陽光を浴びせかける際に『光あれするぞ!』と脅していたのである。ガキ同士の吸血鬼の喧嘩では最強の技だったな。

 

べそをかきながら母上に私の行動を密告する『幼レミリア』と、それを察知するや否や姿を消して逃げていた幼い頃の私。遠い昔の思い出を頭に浮かべつつ縁側に戻ったところで、紅白巫女が未だ警戒している様子で話しかけてきた。

 

「吸血鬼って何なの? みんな『光あれ』が出来るの?」

 

「安心したまえ、『光あれ』が出来るのは世界の創造主と私だけさ。私は特別なんだ。」

 

世界を世界たらしめるものを操る力。それが私に宿った能力なのだ。偉大なバートリ家の当主に相応しい力じゃないか。自分の能力に満足してふんすと鼻を鳴らしつつ、アンネリーゼ・バートリはしたり顔で肩を竦めるのだった。

 



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黒い蛇

 

 

「──の損害を重く見た結果、江戸幕府の八代将軍である徳川吉宗が当時の陰陽奉行であった形原秋元に対して弾圧の取り止めを厳命しました。」

 

うあー、眠い。うつらうつらとしていることを自覚しつつ、東風谷早苗は授業に集中しようと必死に眠気に抗っていた。起きようという気は大いにあるし、勉強へのやる気も充分にあるのに、どうして眠気というのは消えてくれないんだろうか? ああ、眠いぞ。

 

四月五日の入学式や始業式を終えて、そこから四日が過ぎた金曜日の午後。現在の私は『二-は-4号教室』で七限目の日本史学の授業を受けている真っ最中だ。周囲の同級生たちは忙しなく鉛筆やシャーペンを動かしており、黒板の前では細川先生が『享保の制約』に関する説明を続けている。

 

「これを受けた形原は旧藤原派や旧細川派への弾圧を規制する代わりに、暦の采配権と日本における呪術体系の一本化を幕府に要求したわけです。陰陽師たちを持て余していた幕府はその要求を呑み、結果として松平派は『享保の制約』を断行する権利を得てしまいました。……形原は朝廷派の名家であった土御門家に暦の采配権を委譲することで、対価として古くから収集されていた別派の陰陽師たちの情報を手に入れ、彼らの隠れ里に自派の陰陽師たちを派遣して──」

 

うーん、全然面白くないな。戦国時代が面白かったし、中城先輩からも勧められたので、七年生の時に史学の二次選択を日本史学にしたのだが……こんなことなら世界史学にすれば良かったかもしれない。江戸時代は小難しい政治の話ばっかりでつまんないぞ。

 

ぼんやりしている頭でぼんやりしたことを考えつつ、自分の太ももをギュッと抓った。起きろ、私。いくらつまらない内容だろうが、享保の制約は絶対にテストに出てくるはず。目を覚ましてノートに書き取るんだ。

 

「そうして起こったのが『出雲動乱』です。旧藤原派は大きな抵抗なく制約に同意しましたが、独自の呪術体系を保っている家が多かった旧細川派はこれに強い抵抗を示しました。制約への同意を拒絶した魔法族の家系は細川派の支配力が残っている出雲に逃げ込み、陰陽奉行所の術師たちはそれを鎮圧しようと幕府に軍隊の派遣を要請──」

 

ぬああ、もうダメだ。眠すぎて何一つ頭に入ってこない。全てを投げ出したくなる眠気に身を委ねようとした瞬間、黒板の上の時計を確認した細川先生が授業を切り上げる。

 

「……あと五分では説明しきれませんし、出雲動乱については次の授業に回しましょうか。今日はここまで。次回までに教科書の四十二ページを読んでおくように。」

 

やった、授業が終わりということは寮に帰れるぞ。その言葉を聞いた途端に眠気が吹っ飛んで、身体に活力が戻ってきた。……何だ? このノートは。ミミズがのたくったような文字だな。自分では必死に板書していたつもりだったのに、改めて見ると酷い有様じゃないか。

 

眠い時ってどうしてこんなことにも気付けないんだろう? 役に立ちそうにないノートをパタリと閉じて、ため息を吐きながら教科書や筆箱と一緒に机の横にかけてあるバッグに仕舞う。黒板はまだ消されていないし、急げば何とか書き取れるかもしれないけど……私は史学にそこまで熱心じゃない。要するに面倒くさいのだ。そんなことより早く寮に帰ってお二方と遊びたいぞ。

 

だから、ノートの整理は後でやろう。その『後で』が永久に訪れないことを知りつつも、一応の言い訳を胸中でしてからバッグを片手に席を立ったところで、教壇で他の生徒の質問に答えている細川先生が呼びかけてきた。

 

「っと、東風谷さん! 少し話があるので、質問が落ち着くまでそこで待っていてください。」

 

「……はい。」

 

何だろう? 『先生から呼び止められる』ということ自体に悪いイメージが付き纏うし、ましてや相手は細川先生だ。今月の初めに葵寮の敷地に居た件に関する話だろうか?

 

細川先生があの場所に居たことは誰にも言っていないから、まさか怒られはしないはずだけど……むう、不安だ。他の生徒の質問を捌いている先生を見ながら椅子に座り直して待っていると、最後の質問者に回答し終えた細川先生がこちらに歩み寄ってくる。

 

「お待たせしました、東風谷さん。……実はですね、貴女に頼みたい事がありまして。」

 

「頼み事、ですか?」

 

むむ、予想外の台詞だな。申し訳なさそうな顔付きの細川先生に問い返してみれば、彼は一つ頷いてから頼みとやらの詳細を述べてきた。教室に残っている他の生徒に聞こえないような小声でだ。

 

「ええ、私が個人的に飼育しているペットの捜索を手伝って欲しいんですよ。恥ずかしい話なんですが、ケージの掃除をしている時にうっかり逃がしてしまいまして。この前葵寮の敷地に忍び込んだのも脱走したペットを探すためだったんです。」

 

「はあ、なるほど。『探し物』っていうのはペットのことだったんですか。……でも、どうして私に?」

 

私は『ペット探偵』を名乗ったことは一度もないし、当然ながら動物の生態に詳しいわけでもない。急な依頼に困惑しながら尋ねてみると、細川先生は苦笑いでその理由を説明してくる。

 

「私が飼育しているペットというのは蛇なんです。なので東風谷さんなら探し当てられるかもしれないと思ったんですよ。」

 

「あー、そういうことですか。珍しいですね、蛇を飼ってるだなんて。」

 

蛇か。だから蛇舌の私に相談してきたというわけだ。納得の首肯をしてから応答した私に、細川先生は肩を竦めて口を開く。

 

「好きなんです、蛇。美しい生き物ですから。……ですが、日本魔法界で蛇を飼うのはあまり歓迎されることではないでしょう? それで迂闊に周囲に相談できなくて悩んでいたんですよ。私の自室から逃げ出したのは半月ほど前で、桐寮の敷地内は隈なく探し終えていますから、もしかしたら他寮の敷地か校舎のどこかに迷い込んでしまったのかもしれません。食事や水の心配もそうですが、蛇を快く思わない人に見つかった場合、最悪殺されてしまう可能性もあるでしょう。……そうなる前に探し出すのを手伝ってくれませんか? 私にとっては大切な蛇なんです。」

 

「それは……はい、もちろん協力するのは構いません。だけどその、具体的に何をすればいいんでしょうか?」

 

私は蛇の言葉を理解できるだけであって、蛇を感知できる能力を持っているわけではないのだ。かっくり首を傾げながら問いかけてみると、細川先生は嬉しそうな顔で『作戦』を私に伝えてきた。

 

「蛇語で呼びかけてみてくれませんか? 出てきて欲しいとか、こっちにおいでとか、そういう内容のことを。姿さえ見つけられれば私が捕まえられますから。」

 

「それくらいなら簡単ですけど、すんなり出てきてくれますかね?」

 

「分かりませんが、もう手掛かりも無しに探すのには限界を感じていまして。試すだけ試してみたいんです。お願いできますか?」

 

「えと、了解しました。やってみましょう。」

 

ペットの蛇さんだってマホウトコロじゃ餌がなくて生きていけないだろうし、細川先生も随分と大切に思っているようだし……何よりこの学校で誰かに頼られるのなんて初めてだ。折角頼ってくれたんだからやるだけやってみよう。私の了承の返事を受けて、細川先生はホッとしたような笑顔でお礼を送ってくる。

 

「ありがとうございます、東風谷さん。……では、今日の夕食が終わった後に葵寮の裏手に来てくれますか? 先ずはそこで試してみましょう。」

 

「はい、分かりました。」

 

今日すぐにやるのか。……まあ、早い方がいいのは間違いないな。私の頷きを確認してから離れていく細川先生を見送った後、バッグを持って教室の出口へと向かう。そのままドアを抜けて二階の『四面廊下』に出たところで、耳元に声が響いてきた。諏訪子様の声だ。

 

『蛇ねぇ。細川派が蛇をペットにするだなんて変な話じゃない? 案外変わってるね、あいつ。』

 

「だけど、これで細川先生が葵寮の敷地に居た理由も分かりましたね。蛇なら塀の下を抜けて入ってこられるでしょうし、半月も経ってるならどこに居たって不思議じゃないですよ。……まさかひっそりと餓死してませんよね?」

 

実体化していない時の声は基本的に私にしか聞こえないから、頭上や左右をすれ違う生徒たちに『ヤバいヤツ』扱いされないようにこっそり応じてみれば、諏訪子様はどうでも良さそうな声色で返答を寄越してくる。

 

『蛇なら半月程度はまあ平気じゃない? 水に関しても沢山ある庭に小さな池とかがあるしね。……それより、一応ご飯の後に一回部屋に戻って新しい札を持っていきなよ? 今持ってるやつはそろそろ神力が切れるから、いざって時に私たちが介入できなくなっちゃうの。』

 

「へ? ……諏訪子様がそう言うならそうしますけど、『いざって時』なんて無いと思いますよ?」

 

細川先生が飼っている蛇が毒蛇で、噛まれて死んじゃうとか? さすがに有り得なさそうな『いざって時』を想像している私に、諏訪子様は呆れたような声を投げかけてきた。

 

『細川に襲われたらどうすんのさ。人気の無いところで男と二人っきりになるんだから、用心するに越したことはないっしょ?』

 

「……えええ? いやいや、先生ですよ? しかも女子に人気のある細川先生。私なんかを襲うはずないじゃないですか。」

 

『あんたはもうちょっと自分の容姿を自覚しな。そりゃあ本気で警戒してるわけじゃないけどさ、男から狙われるには充分すぎる見た目なんだから、備えだけはしておくべきなの。』

 

「えー……そんなことない、と思いますけど。」

 

ううむ、どうなんだろう? 今までずっと独りぼっちだったから、女性としてどう思われているかなんて気にしたことがなかったな。……だけどリーゼさんが私のことを好きなのは間違いないわけだし、それなりの魅力はあるのかもしれない。胸も邪魔くさいほどに大きくなっちゃったし。

 

ただまあ、それにしたって細川先生が私を狙うはずはないだろう。何たって細川先生は女子の人気者で、その気になれば『選り取り見取り』なんだから。それだったら『毒蛇パターン』の方がまだ有り得そうな展開だぞ。

 

苦笑しながらバカバカしい予想を頭から消去した私へと、諏訪子様が再度注意を飛ばしてくる。

 

『ま、念には念をってだけのことだよ。とにかく一度部屋に戻って札を交換すること。いいね?』

 

「心配性ですね、諏訪子様は。分かりました、細川先生に会いに行く前にやっておきます。」

 

『私が心配性なんじゃなくて、あんたが抜けてるだけなの。……ほら、今すれ違った男の子もあんたの胸を見てたじゃん。要するにそういうことなんだって。それは私のだから他のヤツに触らせちゃダメだよ。』

 

「諏訪子様のだったんですか、これって。」

 

知らなかったぞ。ちらりと私が視線を送った途端に目を逸らした男子を尻目に、ちょっと微妙な気分で渡り廊下目指して歩を進めた。諏訪子様はたまに話題に出すけど、私はこういう話は苦手だな。あんまり深く考えないことにしておこう。

 

───

 

そして夕食を終えて自室でポケットの中のお札を交換した後、私は寮の裏口から外に出てゴミ捨て場の方へと歩いていた。……しかし、ここで見つからなかった場合はどうする気なんだろう? ひょっとして藤寮や桐寮の敷地内に忍び込んで蛇に呼びかけることになるのか?

 

うーむ、他寮の生徒に目撃されたら大変なことになりそうだな。とはいえたった一回で蛇が出てくるとは思えないし、一度引き受けてしまったことを途中で投げ出すのは気が引ける。最悪その覚悟もしておくべきかと唸っていると、ゴミ捨て場の手前で誰かが話しかけてきた。

 

「東風谷さん、こっちです。」

 

「ひゃっ……細川先生? どこですか?」

 

びっくりしたぞ。思わず出てしまった変な声を恥ずかしく思いつつ、きょろきょろと辺りを見回しながら問いかけてみれば、寮の敷地を分かつ塀の方から応答が飛んでくる。

 

「念のため姿を消しているんですよ。私がこの場に居ることを見られてしまっては大変ですから。……それでは、早速蛇語で呼びかけてみてください。もし出てきたら私が捕まえます。」

 

また透明になっているのか。当然といえば当然の配慮だけど……んん? そもそもどうして私に見られた時は透明じゃなかったんだろう? 術に制限時間があるとか、透明なままだと出来ないことがあるとかなのかな? 魔法に関するちょっとした疑問を感じつつ、周囲に他の生徒が居ないことをもう一度チェックしてから蛇語で呼びかけ──

 

「ええと、何て名前の蛇さんなんですか?」

 

る前に、細川先生が居るのであろう方向へと人間の言葉で質問を放った。そういえば私は自分がどんな蛇を探しているのかすら知らないぞ。私が困った顔で口にした問いを受けて、細川先生は何故か一瞬沈黙した後、何とも言えない感じの答えを寄越してくる。

 

「……名前はありません。だからつまり、私はペットに名前を付けるタイプではないんです。ただ『蛇』とだけ呼んでいました。」

 

「な、なるほど。ちなみにどんな見た目の蛇さんなんですか?」

 

「お腹と瞳だけが白い黒蛇です。大きさは……そうですね、そこまででもありません。全長一メートル半というところですね。」

 

まあ、蛇にしては普通の大きさだ。コーンスネークとかボールパイソンとかなのかな? 一時期私もペットとして飼える蛇に興味があったので、頭の片隅に残っていた情報を掘り起こしつつ、改めて蛇語での呼びかけを場に投げた。

 

『蛇さーん、居ませんかー? 居るなら出てきてくださーい。ご飯とか、あと……ご飯がありますよー。』

 

自分の口からシューシューという音が出ていることを感じながら、何だか間抜けなことをしているなという感想が頭をよぎる。こんなんで本当に出てくるのかな? 細川先生の作戦自体は悪くないのかもしれないけど、もうちょっと呼びかけの内容を考えるべきだったんじゃないか?

 

自分がやっていることを客観視して微妙な気持ちになった後、細川先生に作戦の再考を具申しようとした瞬間──

 

『わあ、ご飯じゃって? どこじゃ? ご飯はどこにあるんじゃ? ネズミか? ウズラか?』

 

ええ……? 塀の下側にある茂みの中から黒い蛇がひょっこり現れた。蛇にしたって変な口調だし、めちゃくちゃ棒読みであることがはっきりと伝わってくるぞ。あまりにも急な展開に私が閉口しているのを他所に、黒蛇はこちらに這い寄りながらくりくりと頭を動かして語りかけてくる。キュートな仕草だ。ちょっと可愛いじゃないか。

 

『おぬしが呼んだのか? ご飯はどこじゃ?』

 

『ええと、私は……えぇ?』

 

私のすぐ近くまで寄ってきて見つめてくる黒蛇に、どう反応したらいいのかと迷っていると、蛇が透明な何かに掴み上げられるようにふわりと浮き上がった。細川先生が捕獲したらしい。

 

『何じゃ? 何が……あああ、助けておくれ! 浮いとるぞ、わし。何か浮いとる! 何じゃこれ! 怖い!』

 

「お見事です、東風谷さん。」

 

『あっ、そうか。そういうことか。よう見たら体温あったわ。……わー、飼い主じゃ。飼い主に会えたー。やったー。』

 

「あの……はい、見つかりましたね。」

 

何なんだこの状況は。驚いてうねうねと暴れていた蛇が細川先生の声を聞いた途端に大人しくなったのを眺めながら、腑に落ちない気分で目をパチクリと瞬かせる。この蛇はどうしてこんなに棒読みかつ奇妙な喋り方なんだ? 蛇と話したのは数えるほどだけど、私が会話した他の蛇は結構普通に喋っていたぞ。

 

『これでお家に帰れるのう。ばんざーい、ばんざーい。』

 

何かがおかしい。幾ら何でも都合良く見つかりすぎだし、それ以上に黒蛇の発言がわざとらし過ぎるぞ。透明な腕に巻き付いている黒い蛇をジッと観察している私に、腕の主である細川先生が声をかけてきた。ほんのちょびっとだけ呆れの色を滲ませた声色だ。

 

「いや、まさかこんなに上手く行くとは思っていませんでした。私としても少し予想外でしたが、何にせよこれで解決です。ありがとうございました、東風谷さん。」

 

「そ、そうですね。信じられないほどに上手く行って私もびっくりしてます。」

 

「それでは、えー……そう、お礼。お礼をしなければいけませんね。そのことに関しては後々話し合いましょう。」

 

「いえいえ、お礼だなんて大丈夫ですよ。大したことはしてませんし。」

 

謙遜ではなく、この場合本当に大したことはしていないぞ。ふらっと外に出てきて、蛇語で一言二言呼びかけただけだ。顔の前で手を振りながら遠慮してみると、細川先生は勢い込んで否定してくる。

 

「私にとって大切なペットを救ってもらったんですから、お礼をしないわけにはいきません。とにかく後日また話しましょう。ここに長居するのは危険でしょうし、早く蛇をケージに戻さなければならないので、今日はこれで失礼します。それでは。」

 

「えっと……はい、さようなら。」

 

『感謝するぞ、蛇語を話す人間。おぬしのお陰でわしは飼い主に会えたのじゃから、お礼をきちんと受け取るのじゃ。よいな? 受け取るのじゃぞー。』

 

透明な腕に巻き付いた状態の蛇が遠ざかっていくのを見送った後、静寂に包まれた場に神奈子様と諏訪子様の声が響く。ぽかんとしている時の声だ。

 

『何だ? あれは。意味が分からん。』

 

『尋常じゃないくらいに不自然だったね。私もちょっと困惑してるよ。どういうことなのさ。』

 

そんなこと言われたって、私にも分かんないぞ。意味不明すぎる展開に葵寮の裏手で一人首を傾げつつ、東風谷早苗はとりあえず自室に戻ろうと踵を返すのだった。

 



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どっちもどっち

 

 

「んー……思ったほど育ってないな。夏休みまでに収穫できるのか? これ。」

 

ホグワーツの薬草園の片隅にある薄暗い栽培小屋の中で、霧雨魔理沙は壁に立てかけられている丸太をチェックしながら問いかけていた。小さめの古い木造の小屋には数十本の皮が付いたままの丸太が並んでおり、その丸太の所々に小さなキノコが生えている。つまり、ここは『魔法キノコ』の栽培小屋なわけだ。

 

私の質問に対して、隣でキノコの生育状況を羊皮紙に書き込んでいるネビルが返事を寄越してきた。

 

「かなり順調な立ち上がりだと思うよ。きちんと丸太に定着してるみたいだし、もう少しすれば一気に大きくなってくるんじゃないかな。」

 

「ほーん、そういうもんか。……丸太の種類によっても成長速度が違うみたいだな。こっちのデカい丸太の方が育ってる気がするぜ。」

 

「それはアカマツだね。こっちがヤマナラシで、これがトネリコ。スプラウト先生がブナノキも数本だけ用意してくれたんだけど……うん、やっぱりダメみたいだ。定着すらしてないよ。」

 

「木との相性が重要っぽいな。奥の方のも見てくるぜ。手前と奥とで微妙に湿度が違ってるんだろ? そっちでも何か差があるかもしれんぞ。」

 

熱心にキノコの状態をメモしているネビルに断ってから、丸太を横目に栽培小屋の奥へと進む。頼むから元気に育ってくれよ、キノコちゃんたち。なけなしの全財産を注ぎ込んだんだからな。

 

要するに、私が何故薬草学の見習い教師であるネビルと共にこんなことをしているのかと言えば、魔法キノコを大量に育てて売っ払おうと考えているからなのだ。薬草学の授業で高価な魔法キノコの存在を知った私は、それで『一発当てる』ことを考え付いたのである。

 

六年生の春先までを逆転時計の捜索に使ってしまった所為で、今年の夏に行く予定だった旅行の資金は一切貯まっていない。だけどこっちの世界を満喫せずに幻想郷に帰るなんてのは有り得ないし、来年の夏は帰還の直前ということで余裕があるか分からないため、夏休みまでの三ヶ月間で金を稼ぐ手段をどうにか考える必要があったわけだ。

 

そこで私は成長が早くて価格が高い魔法キノコという存在に目を付け、その中から三ヶ月以内に収穫できるようになる種類を調べ上げ、『素人が一人でいきなりやっても上手くいくはずがない』という咲夜の忠告を踏まえてネビルを計画に巻き込んだ後、双子に売り捌くためのルートの確保を依頼し、『魔法キノコの研究をしたい』という理由でスプラウトから栽培小屋の使用許可を取り、そして今まさにそのキノコの世話をしているのだが……うーむ、ネビルに手伝いを頼んだのはつくづく正解だったな。私一人だと菌株を全部無駄にしていた可能性すらあるぞ。

 

ちなみにネビルは私と違って金儲けを目的としているわけではなく、魔法キノコの栽培における比較実験のようなことをしているらしい。何でもスプラウトから若いうちに論文を何本か出しておくべきだと忠告されたので、最近はそのテーマを探しているところなんだそうだ。だからまあ、この栽培小屋を使うための名目である『魔法キノコの研究』というのも強ち嘘ではないということになるな。

 

魔法薬の材料になる『飛び跳ね毒キノコ』や『スノーテイルマッシュルーム』、魔法生物の餌に使われるという『綿茸』や『紫帽子』、そして双子から新製品の素材にしたいと頼まれた『シックルタケ』。それぞれの丸太に生えているそれぞれのキノコを順繰りに確認しつつ、大半がきちんと定着していることに笑みを浮かべた。よしよし、良い感じじゃないか。

 

ネビルの説明によれば定着させるのが一番難しい過程だそうなので、あとは湿度や温度にさえ気を付ければ六月の中頃には立派なキノコに成長してくれるだろう。ボロ儲けじゃないか、こんなもん。計算通りなら元手の数倍で売れるはずだぞ。旅行先で遊びまくったってまだ余るくらいだ。

 

計画が順調に進んでいることに満足しながら、ネビルの近くに戻って報告を投げる。くそ、もっと早くに気付けばよかったな。そしたらクィディッチ用品を好きなだけ買えたのに。

 

「戻ったぜ。奥の方のキノコもこっちと殆ど変わらなかったが、ブナノキに綿茸が定着してたぞ。」

 

「ブナノキに? ……湿度の違いが影響してるのかな? ちょっと意外な結果だよ。基本的には定着しないはずなのに。」

 

「新発見ってことか? 良かったじゃんか。」

 

「さすがにそこまでではないだろうけど……とにかく、僕も奥を見てくるね。マリサは害虫が居ないかをチェックしてくれる? 小さいキノコは狙われやすいから。」

 

害虫? 入れ替わりで奥へと行ってしまったネビルを見送りつつ、不穏な発言に顔を引きつらせた後……大慌てで丸太に近付いてチェックを始めた。害虫だと? 私のキノコをダメにしたら許さんぞ。これを失ったら全てが終わりなのだ。

 

ルーモス(光よ)。……居るなら出てこい、虫ども。隠れたって無駄だぞ。私の大事なキノコに指一本でも触れたら後悔することになるからな。」

 

杖明かりを灯して小声で呟きながら、丸太を一本一本丁寧にチェックしていく。そうか、湿度や温度以外にも害虫問題があるのか。ひょっとしたらそれが原因で誰も魔法キノコ栽培に手を出さないのかもしれない。後で調べておかなければ。

 

ダニ一匹でも見逃すまいと丹念な確認を進めていると、やおら小屋のドアが開いて誰かが顔を覗かせた。

 

「……おお、マリサか? こんなところで何をやっとるんだ?」

 

「ハグリッド? ……とりあえず入ってドアを閉めてくれ。魔法キノコを育ててるから強い日光はダメなんだよ。」

 

「おっと、すまんすまん。森の見回りをしちょったらこの小屋の様子が変わってるのを見かけてな。……こりゃあ大したもんだ。魔法キノコの原木栽培か。」

 

「おう、そういうこった。ネビルも奥に居るぜ。」

 

古屋が小さい所為で、ハグリッドだと頭が天井にぶつかっちゃいそうだな。感心したように丸太を眺めていたハグリッドは、懐かしそうな表情で小さな綿茸を見つめながら応答してくる。

 

「おー、綿茸か。俺も大昔に育てたことがあるぞ。魔法生物の餌として必要になってな。小屋の裏に布を被せた丸太を置いて、そこそこ大きくするところまでは順調だったんだが……まあ、結局はダメだった。綿茸は収穫時期を見誤ると弾けて飛散しちまうんだ。気付いた時には全部なくなっとって、泣く泣く普通に買う羽目になったのを覚えとる。」

 

「あー、ネビルも言ってたぜ。見極めが難しいらしいな。そこはまあ、スプラウトにも見てもらおうと思ってるんだ。私はともかく、スプラウトが見誤るってことは有り得ないだろ。」

 

「それがいい。魔法キノコの栽培は難しいからな。素人が手を出すとロクなことにならん。大昔に育てて売って金を稼ごうとした生徒が居たんだが、最終的には全部ダメにしてひどく落ち込んどった。……そういえば、マリサは何だって魔法キノコを育てとるんだ?」

 

「……当然、研究のためだ。」

 

私と同じことをやろうとした生徒が居たのか。そしてその生徒は盛大に失敗したと。ハグリッドの思い出話を聞いて内心の不安を増しつつ、バツの悪い気分で『名目』の方を口に出した。その失敗談の直後に『売って金を稼ごうとしてる』とはさすがに言えんぞ。

 

これ、大丈夫なんだろうか? 今更になって計画の危うさを認識しながらも、もはや後戻りは出来ないぞと自分を叱咤する。このギャンブルの賽は投げられたのだ。あとは出る目を少しでも良くするために努力するしかない。万が一悪い目が出れば待っているのは質素な夏休みなのだから。

 

弱々しい姿で懸命に成長しているキノコを見ながら、霧雨魔理沙は何をしてでもこいつらを守ってみせようと決意するのだった。

 

 

─────

 

 

「信じられないわ。キノコ? キノコなんてどうでも良くない? マリサはクィディッチの決勝戦よりもキノコが大事ってこと?」

 

うーん、私からすればどっちもどっちかな。休日の獅子寮談話室で怒りに震えているジニーへと、サクヤ・ヴェイユは肩を竦めて応じていた。

 

「とにかく、魔理沙は今キノコの様子を見に行ってるわ。心配しなくてもそれが終わった後に競技場に向かうと思──」

 

「キノコよりクィディッチが優先でしょうが! 順序が逆でしょ? クィディッチの練習が終わった後、時間が余ったらキノコでも何でも見に行けばいいじゃない。それなら文句なんてないわよ。だけどもう練習は始まってるの。つまり今のマリサはクィディッチの練習時間を削ってキノコの様子を見てるってことなの! ……大体キノコって何? 何で急にキノコなんか育て始めるの? 意味が分からないわ。」

 

「そこは確かに意味不明だけど、貴女の発言も中々に意味不明よ。ここは談話室なんだから、練習はまだ始まって──」

 

「それが始まってるのよ、サクヤ。今はもう練習中なの。分かる? 精神的に私は箒に乗ってるわけ。それなのにマリサはキノコのことを気にしてるだなんて信じられないわ。意味不明すぎて頭がおかしくなりそうよ。」

 

なりそうじゃなくて、なってるぞ。もうおかしいじゃないか、頭。いちいち台詞を遮られてイライラしつつ、精神的には箒に乗っている状態らしいジニーへと指摘を飛ばす。

 

「思うに、ここで私と喋っている暇があるなら早く競技場に行くべきじゃない? 貴女が使用の予約をしたのは精神的な競技場じゃなくて、物質的な競技場であるはずよ。だったら今日は物質的な練習を優先すべきでしょう? 談話室で精神的に飛行しているのは時間の無駄だわ。」

 

「……そうだわ、そうよ! 折角レイブンクローから競技場の使用権をもぎ取ったんだから、時間いっぱい使わないと勿体ないわ。よく気付いたわね、サクヤ。」

 

「お褒めに与り光栄よ。」

 

友人がイカれているのは普通に悲しいが、決勝戦が終われば元に戻ることは歴代キャプテンが証明済みだ。ならば今の私がすべきなのは友を救おうと努力することではなく、面倒くさい会話に付き合わされないように上手く矛先を逸らすことだろう。

 

「アレシア、オリバンダー、ニール、パスカル、ユーイン、行くわよ!」

 

「『練習』に夢中で気付かなかったのかもしれないけど、貴女が精神世界を飛び回ってる間に他のメンバーはもう移動済みよ。」

 

「あら、素晴らしいわ。キノコにお熱なうちのエースどのと違って、他のメンバーはやる気があって何よりよ。それじゃあ私も行ってくるわね。」

 

「行ってらっしゃい、ジニー。この前みたいにソーンヒルを箒から突き落として殺そうとしないようにね。」

 

通常では有り得ない内容の注意を送った後、談話室を出て行く狂気のキャプテンどのを横目にテーブルの上の教科書へと向き直った。ようやく落ち着いて勉強が出来そうだな。六年生の大半を魔理沙の課題の手伝いに使ってしまったから、残りの三ヶ月間は勉強を頑張らないといけないのだ。

 

魔理沙は『キノコギャンブル』で儲けたお金で夏休みに旅行をするつもりのようだし、そうなれば私も一緒に行くことになるだろう。私の場合は『お手伝い貯金』が貯まっているのでお金の心配は特にないものの、代わりにイモリ試験の心配がある。七年生になったら七年生の内容をやらなきゃなんだから、夏休みを旅行に使うのであれば今のうちから『勉強貯金』をしておく必要があるわけだ。

 

あのハーマイオニー先輩でさえもが『六年生でもっと勉強を頑張っておけば良かった』と言っていた以上、いくら勉強したところで無駄にはならないはず。試験の結果はリーゼお嬢様だけではなくレミリアお嬢様にも見せることになるだろうし、イモリの成績は私がホグワーツでどれだけ頑張ったかの証明に他ならない。『指令』抜きにしたって全力で取り組まなければならないのだ。

 

幻想郷でレミリアお嬢様や妹様たちと再会した時、仮に私の成績が低くても彼女たちは叱ったりしないだろう。久々に顔を合わせるのだから、よく頑張ったねと褒めてくれるはずだ。……だからこそ、だからこそ私はお嬢様たちに情けない成績を見せるわけにはいかない。お嬢様たちが気持ち良く褒められるように、褒めるに値する成績を収める。それこそが私に出来る最良の気の使い方なのだから。

 

ふんすと鼻を鳴らして気持ちを引き締めながら、サクヤ・ヴェイユは羽ペンを片手に教科書に集中するのだった。

 



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教師の恩返し

 

 

『早苗、上。細川が呼んでるよ。』

 

へ? ……本当だ。マホウトコロの二階にある呪学の教室から出たばかりの東風谷早苗は、諏訪子様の声を受けて頭上でこちらを『見上げている』細川先生と目を合わせていた。この学校が誇る四面廊下ならではの状況だな。

 

九年生の生活にも徐々に慣れてきた春の日の午前中、私は難易度を増した呪学の授業を何とか終えたところだ。いつものように実技は全然ダメだったけど、筆記の小テストは予想以上に上手くいったので、晴れやかな気分でお昼ご飯を食べに行くつもりだったのだが……むう、呼び止められちゃったな。今日は私の大好きなドライカレーが出る日なのに。

 

すぐに済む用事であることを祈りながら、頭上の細川先生へと挨拶を放つ。この前の『ペット探し』についての話だろうか?

 

「こんにちは、細川先生。」

 

「どうも、東風谷さん。……すみませんが、私の研究室に来てくれますか? 少し話があるんです。」

 

「あー……はい、分かりました。」

 

「では、先に行って待っていますね。『い-22号室』です。」

 

残念ながら、ドライカレーを食べられるのはもうちょっと先になりそうだな。細川先生の言葉に頷いた後、彼の研究室がある『いの面』に移るために階段に向かって歩き出す。マホウトコロでは階層を漢数字で、床になっている面を『いろはに』の平仮名で、部屋の番号をアラビア数字で表すと決まっているのだ。例えば今私が出てきた教室は、二階の上面の十二番目の教室なので『二-は-12号教室』ということになる。

 

そして細川先生の研究室は『二-い-22号室』らしいから、そこに行くには先ず床になる面を変えなければいけないわけだ。最初は複雑すぎていちいち面倒くさいと思っていたけど、階段や渡り廊下の位置を覚えてからはそこまで意識しなくなったな。要するに慣れの問題ということなんだろう。

 

床から天井に移動できる一番近い階段を目指して進んでいる途中で、諏訪子様が私にしか聞こえない声で語りかけてきた。ちなみに神奈子様があまり話しかけてくれないのは、札の神力を無駄遣いするのを嫌っているかららしい。そうなるとまあ、諏訪子様は無駄遣いを躊躇っていないことになるな。

 

『この前お礼をしたいとか言ってたし、そのことじゃない?』

 

「ペットの蛇さんの一件ですよね? ……私、未だにちょっと違和感があるんですけど。」

 

『私はちょっとどころじゃない違和感があるけどね。……ま、何かくれそうなら貰っときなよ。ひょっとしたら成績に色を付けてくれるのかもだしさ。』

 

「それはさすがに無いと思いますよ? 白木校長が許さないでしょうし。」

 

白木校長は基本的に優しい人だけど、同時に不正や嘘なんかには物凄く厳しい人でもあるらしいのだ。マホウトコロの生徒の間でまことしやかに囁かれている『逸話』の数々を思い出しながら、苦笑いで諏訪子様に指摘してみると、珍しく神奈子様が会話に参加してくる。

 

『ふん、早苗のことは見て見ぬ振りをする癖に、学校のスキャンダルに繋がりそうな部分には厳しいわけか。私は好かんぞ、あの女。』

 

『まあねえ、確かに早苗を表立って助けてくれたことは一度もないよね。学校の評判云々ってよりも、三派閥に関することとだけ意図的に距離を置いてる感じがするよ。』

 

『蛇舌も転入も派閥とは直接関係ないだろうが。それなのに傍観しているんだぞ? ……あんな女がマホウトコロ史上最も有能な校長? 聞いて呆れるな。この学校が大したことないと喧伝しているようなものだ。』

 

『嫌ってるねぇ、神奈子は。……でもさ、白木には白木なりの考えがあるんだと思うよ? 少なくとも教師たちが早苗に対して余計なことをしてこないのは、多分白木が依怙贔屓とか差別とかを固く禁じてるからでしょ? そこは評価すべきじゃない?』

 

くの字に折れ曲がった階段を使って『いの面』に到着してからも、お二方の議論は続いていく。神奈子様は白木校長が嫌いらしいけど、諏訪子様はそうでもないみたいだ。何だか割り込み辛い内容だな。

 

『そんなことは当然の話であって、褒めるべき部分ではない。私が気に食わんのは、あの女が早苗の境遇を知ってなお何もしていないという点だ。問題を把握していて、それを解決すべき立場にあり、そしてどうにか出来る能力を持っているのに行動を起こさない。それは罪に他ならないだろう?』

 

『あーあー、また始まった。神奈子ってそれが大好きだよね。力には責任が伴うってやつ。……周りで囃し立てるだけの連中は楽かもしれないけどさ、力があるからって責任を背負わされる側からすれば呪いの言葉だよ。やれるとやらなきゃいけないは同義じゃないの。いつになったら学ぶのさ。』

 

『ええい、お前は本当にしつこいな。今は白木の校長としての職責を追及しているわけであって、そんな話はしていないだろうが。こういう話題になるとすぐにそれを持ち出してくるのは悪い癖だぞ。……大体、力に責任が伴うのは事実だろう? 仮に人を死から救えるとして、それなのに見捨てるのは殺すのと何も変わらない。何故それが分からないんだ。』

 

『あーもう、分からず屋の石頭に改めて教えてあげる。五百年くらい前にも同じ話をしたっしょ? 能動的に殺すのと消極的に見捨てるのじゃわけが違うんだってば。出来るからやれなんてのは責任の押し付けでしかないね。あんたみたいなのが期待で人を追い詰めるんだろうさ。直しな、神奈子。そういうところがあんたの悪いとこだよ。』

 

ああ、マズいぞ。またいつもの『言い争いモード』に入っちゃった。左右から聞こえてくるお二方の声に参っている私を他所に、神奈子様はかなりイライラしている声色で反論を飛ばす。今回の言い争いは『蒸し返しパターン』っぽいな。大昔にも同じような議論をやったみたいだし。

 

『考え方を直すべきはお前の方だぞ。力とそれに伴う責任を自覚するのは神として必要なことだろうが。……我々には力があるが、それは果たすべき役目のために使うものであって、役目を放棄したり他のことに使ったりするのは罪であり悪だ。お前はそんな基本的なことすら忘れたのか?』

 

『はあ? 神の話なんてしてないんだけど。私は今人間の話をしてて、その人間に神としての考え方を押し付けるのは傲慢だって言ってんの。人間ってのは私たちみたく役目を背負って生まれてくるわけじゃないんだから、持っている力をどう使うかは個々人の自由でしょうが。……これだから大和の神ってのはダメなんだよね。何でもかんでも自分たちの基準でしか考えられないんだもん。』

 

『おい、諏訪子。話にかこつけて無茶苦茶な批判をするんじゃない。自分勝手な土着神がどうだかは知らないがな、私には責任感というものがあるんだ。そして人間もそれを持つべきだし、持っているのであれば相応しい目的のために己の力を行使できるはず。私はそういう話をしているんだぞ。』

 

『そんで相応しくない目的に使うのは居丈高に禁じるわけでしょ? 相応しいか相応しくないかを誰が決めんのさ。あんたが決めんの? お偉い神だから? ……正にそこが問題なんだよ。私は責任の在り方を勝手に決め付けんなって言ってんの。傲慢な大和の神には分かんないのかもしれないけどさ、何が正しいかを決定するのは私でもあんたでもないわけ。唯一それを定められるのは力の持ち主だけなんだから、どう使ったかを勝手に評価すんのは余計なお世話でしょうが。』

 

ぬああ、内容が白木校長の話からとんでもないレベルでズレているし、お互いの主張もやや噛み合っていないように思えるぞ。ヒートアップしてきたお二方の論戦にびくびくしつつ、到着してしまった細川先生の研究室のドアの前でおずおずと口を挟む。

 

「……あのですね、中に入ったら細川先生と話すことになると思うので、ここで一度議論を中断しませんか? つまりその、集中しないといけない話かもしれませんし。」

 

『そら見ろ、早苗の迷惑になっているだろうが。少しくらい大人しくしていられないのか? 自分勝手な蛙女め。』

 

『あのね、迷惑なのはあんたの方なんだけど? いつもみたいに口を閉じてなよ、傲慢蛇女。その方が早苗も嬉しいだろうから。』

 

うーん、今回の『諏訪大戦』は長引きそうだ。寮の部屋に帰ったら巻き込まれるんだろうなとため息を吐いてから、ドアをノックして名前を口にした。そういえば細川先生の研究室には入ったことがないっけ。どんな部屋なんだろう?

 

「細川先生、東風谷です。」

 

「おっと、入ってください。」

 

許可に従って入室してみれば……わあ、本ばっかりだ。左右の壁には本がぎっしり詰まった金属製の本棚が並んでおり、奥には『濯ぎ橋』が見える窓がある。その手前の机に直接腰掛けている細川先生は、目の前のパイプ椅子を手で示しながら声をかけてきた。

 

「どうぞ、座ってください。パイプ椅子ですみませんね。普段は応接用……というか指導用の小さな机や椅子があるんですが、今日は普段使いの椅子共々他の研究室に貸し出していまして。昼食がてら行う期生同士のディベートに使うんだそうです。」

 

「そうなんですか。……期生のゼミの時はここを使うんですよね?」

 

「いえ、私のゼミは別の教室を借りてやっています。この部屋は狭いですから。……何と言うか、研究室を選ぶ権利は年功序列なんですよ。私はまだ若いので、広い研究室は手に入らなかったんです。」

 

「あー……なるほど。」

 

うーむ、生々しい。七年生の時に教頭先生の研究室に祓魔学のプリントを届けに行く機会があったけど、確かにこの部屋の五倍以上の広さがあったな。パイプ椅子に腰を下ろしながら微妙な気分になっている私に、細川先生は笑顔で予想通りの話題を投げてくる。

 

「それでですね、今日東風谷さんに来てもらったのはこの前の『お礼』の話をするためなんですが……本題に入る前に一応確認させてください。東風谷さんはアンネリーゼ・バートリ女史と親しくしていますよね?」

 

「リーゼさんと? ……はい、親しくさせてもらってます。」

 

まさかの名前が飛び出してきたな。驚きながら首肯してみると、細川先生は安心したように息を吐いて話を続けてきた。

 

「それは良かった。であれば私は役に立つことが出来そうです。……実はですね、先日実家に帰った時にバートリ女史のことを耳に挟みまして。何でも日本魔法界との繋がりを持とうとしているらしいんですが、東風谷さんは何か聞いていますか?」

 

『早苗、知らないって言いな。』

 

「……えと、知りませんでした。」

 

急に指示を出してきた諏訪子様にほんの少しだけビクッとしつつ、精一杯にきょとんとした顔を装って首を傾げる。三月に中城先輩経由で細川派との繋がりを作ろうとしていたし、リーゼさん当人も『日本魔法界とのパイプが欲しい』的なことを口にしていた気がするんだけど……どうして正直に言っちゃダメなんだろう?

 

反射的に諏訪子様の声に従ってから疑問を感じている私に対して、細川先生は若干怪訝そうな顔付きで口を開いた。

 

「おや、知りませんでしたか。今年卒業した中城さん経由で西内家と接触したと聞いたので、てっきり東風谷さんが間を取り持ったんだと思っていました。……まあ、とにかくバートリ女史は日本魔法界の有力者との接触を試みているようなんです。恐らく、全ての派閥と別々に。」

 

『細川派のお偉いさんから、アンネリーゼちゃんに関する探りを入れろって指示されてるのかもしれないよ。早苗の後ろ盾になってることは広まってるんだし、となればそこから辿ろうとするのは不思議じゃないっしょ。余計な情報を渡さないようにね。よく考えて応答しないとアンネリーゼちゃんに怒られちゃうかもだから。』

 

「そ、そうなんですか。」

 

そんなこと言われても困るぞ。諏訪子様の警告を耳にしながら頷いた私に、細川先生は少し身を乗り出して本題を切り出してくる。リーゼさんに怒られるのは嫌だけど、どれが喋っていいことでどれが喋っちゃいけないのかが全然分からない。どうすればいいんだ。

 

「なので、そのお手伝いをすることで東風谷さんへのお礼に代えられないかと思ったわけですよ。東風谷さんからバートリ女史に伝えてくれませんか? 日本魔法界との繋がりを構築したいのであれば、私が手伝えると。」

 

『何故バートリを手伝うことが早苗への礼になるんだ? 筋が通っていないぞ。』

 

『後ろ盾の利益は早苗の利益ってことだよ、バカ蛇。簡単なことじゃんか。……にしたって怪しいなぁ。アンネリーゼちゃんへの売り込みってわけ? 細川派がそれをやるってのがまた不気味だね。もう西内家ってパイプを持ってるはずなのに。』

 

「あーっと……つまり、私からリーゼさんに伝えればいいんですね? 細川先生が手伝ってくれそうだってことを。」

 

私は聖徳太子じゃないんだから、別々に話さないで欲しいぞ。お二方の会話と細川先生の発言を処理し切れなくてオウム返しした私へと、先生は大きく首肯しながら返答してきた。

 

「そういうことです。細川派だけではなく松平派や藤原派にも渡りを付けられますから、きっとお役に立てると思います。大切なペットを東風谷さんに救ってもらった恩もありますし、何かご用があれば全力で取り組むつもりだと伝えてください。」

 

「ええと、分かりました。ゴールデンウィークに実家で会う予定なので、その時にしっかりと伝えておきます。」

 

『あーほら、そういう情報を言っちゃダメなんだってば。アンネリーゼちゃんが日本に来る時期をバラしちゃってるじゃん。』

 

ええ? これもダメなのか? 諏訪子様の呆れ声を受けて内心で慌てている私に、細川先生は満足げな表情で話を締めてくる。

 

「なるほど、ゴールデンウィークですか。了解です。よろしくお願いしますね。」

 

「はい、分かりました。じゃあ、その……失礼します。」

 

これ以上ボロを出さないようにと急いで断りを入れて、細川先生の研究室を出た後で廊下を歩きながらお二方に問いを送った。

 

「……私、そんなに失敗してませんよね? あんまり話さないようにって気を付けたつもりなんですけど。」

 

『応答が下手くそすぎてちょっとバカっぽかったけど、失敗らしい失敗は最後のゴールデンウィーク云々のとこだけかな。大丈夫そうじゃない?』

 

ちょっとバカっぽかったのか。諏訪子様の評価に普通に落ち込みつつ、リーゼさんに怒られなくて済みそうだと気持ちを持ち直す。

 

「じゃあ、私はリーゼさんに細川先生のことを伝えればいいんですよね? 先生がリーゼさんのお仕事を手伝ってくれそうだって。」

 

『あー、早苗? そうじゃないだろう? 細川がバートリとの接触を望んでいて、多少強引にその話を持ち出してきたことを先ず伝えるべきだ。細川の発言をそのまま伝えたら思う壺じゃないか。』

 

「……ええと? 細川先生は悪い人だってことですか?」

 

悪い人には見えないんだけどな。むむむと悩みながら口にした質問に、神奈子様は諭すような口調で応じてきた。

 

『そうは言わないが、一概に信じるわけでもない。バートリが判断し易いようにきちんと怪しい点も報告すべきだということだ。……まあいい、バートリへの報告は私たちでやろう。早苗は心配するな。』

 

「それなら、えっと……私はもうドライカレーを食べに行っていいんですよね?」

 

『……ああ、そういうことだ。』

 

そういうことなら早く行かねば。何かを諦めたような声色の神奈子様の許可を受けて、一階の大広間へと足を進める。私だって色々と思うところはあるけど、今はそれ以上にお腹が空いているのだ。さっきの呪学の授業中はお腹が鳴らないようにしようと必死だったし、しっかり食べておかないと午後最後の授業でも同じことをする羽目になってしまう。だったら今優先すべきは何よりもドライカレーのはず。

 

静かな教室と違って騒がしい廊下で気兼ねなくお腹を鳴らしつつ、東風谷早苗はドライカレーの味を想像して頬を緩めるのだった。

 



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東風吹かば

 

 

「ここが守矢神社ですか。……さすがは神域だけあって、独特な雰囲気がありますね。」

 

周囲を高い木々に囲まれた神社の中でほうと息を吐きながら、アリス・マーガトロイドは隣を歩くリーゼ様に話しかけていた。奥に立ち並ぶ木々の隙間から池……というか、小さな湖と呼ぶべきか? らしきものも見えるな。『自然と一体化している場所』といった印象を受けるぞ。

 

四月最後の日である三十日の午後、私はリーゼ様と共に日本を訪れているのだ。どうもマホウトコロでは昨日から五月九日にかけての十一日間が長い連休になっているそうで、その間この神社に帰ってきている早苗ちゃんたちに会いに行くついでに、ちょっとした小旅行をしないかとリーゼ様が誘ってくれたのである。

 

リーゼ様と二人っきりでの小旅行。何とも心躍る響きじゃないか。めくるめく展開を想像して笑顔になっている私へと、前方の建物に歩み寄っていくリーゼ様が返事を返してきた。恐らくあれが社で、参道の左手に見えている民家が早苗ちゃんの実家なのだろう。

 

「祭っている神のぽんこつっぷりを知っている私からすれば、『雰囲気』なんてものは一切感じないけどね。……ふん、相変わらずボロボロだな。哀れなもんだよ。」

 

経年劣化で色褪せすぎて、灰色に近い状態になっている木造の小さな建築物。簡単に崩れてしまいそうな頼りない社の前で呟いたリーゼ様に……おお、いきなりだな。パッと姿を現した諏訪子さんが仏頂面で文句を飛ばす。板が組まれただけのたった三段の階段を上った先にある、賽銭箱の隣に胡坐をかきながらだ。

 

「余計なお世話だよ。祭られてる私たちが気に入ってるんだからこれでいいの。風情があるっしょ?」

 

「おや? 『風情』というのは『劣化している』という意味だったのかい? 私としたことが、日本語の意味を取り違えていたようだ。」

 

全く驚かずに英語から日本語に切り替えて応答したリーゼ様へと、諏訪子さんは大きくため息を吐きながらやれやれと首を振って立ち上がった。床がギシギシ鳴っているぞ。大丈夫なのか?

 

「派手好きのアンネリーゼちゃんには分かんないかもね。この国の人間や人外はさ、儚いものや過ぎ行くものの中に美を感じることが出来るの。形とか色とかの目に映るものじゃなくて、心で感じ取ってごらんよ。」

 

「残念ながら、さっぱり伝わってこないね。詩人じゃあるまいし、もっと分かり易く説明したまえよ。」

 

「度し難い台詞だなぁ。分かり難いから美しいんだってば。この社は大昔に近くの村の人間たちが作ってくれたんだ。それからずーっとここに在って、ずーっと人々の暮らしを見守ってきたんだよ? ……この子が辿ってきた長い歴史を想ってごらん。そうすると心の奥底から湧き上がってくる微かな感情があるっしょ? 少し悲しくて、それでいて焦がれるような、懐かしいような、頼りない気持ち。それが『風情』なの。」

 

愛おしそうに社の柱をぽんぽんと叩きながら説明した諏訪子さんは、そのまま地面にぴょんと降りて民家の方へと歩き出す。風情か。英語では何と表現すればいいんだろうか? あるいは既知の言葉に変換しようとするのは無粋で、感じるままに受け入れるべきなのかもしれないな。

 

「ま、分かんなきゃ分かんないでいいとは思うけどさ。何にせよその社は大切な社で、私たちは自分を祭る場所として満足してるの。幻想郷にも絶対に連れて行くからね。って言うか、放っておいてもついて来るんじゃないかな。」

 

「滅茶苦茶なことを言うね、キミ。建物が勝手について来るわけがないだろうが。」

 

「あれ、知らないの? 『東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな』ってね。梅の木が菅公を慕って追っていったみたいに、社も寂しくなって私たちを追いかけてくると思うよ。……いやまあ、私たちは別に追放されるわけじゃないけどさ。」

 

んん? 詩か何かか? リーゼ様に応じて謎めいたことを独特なリズムで口にした後、自分の発言に苦笑を浮かべている諏訪子さんに質問を送った。今日の彼女はちょびっとだけ大人っぽい雰囲気だな。

 

「よく分かりませんけど、『東風吹かば』っていうのは早苗ちゃんの苗字と関係しているんですか?」

 

「あー、東風谷の『こち』と同じ字だよ。菅公とは全然関係ないけどね。東風っていうのは春に吹く風のことなの。春の季語……季節を表す言葉の一つでもあるし、雅語でもあるんだ。大昔の考え方だと『春』ってのは東にあるものだったから、春に吹く風を『東風』って呼んだわけ。」

 

「なるほど、春の風ですか。良い意味ですね。」

 

「でしょ? さっすがアリスちゃんは分かってるね。冬を払い、春を告げる、雨を纏う風なの。私たちの祝子にぴったりの苗字だよ。」

 

『はふりこ』? 巫女の別称か何かだろうか? まだまだ知らない日本語が大量にあることを感じつつ、諏訪子さんの背を追って民家の玄関を抜けると……ううむ、狭いな。不思議な構造の屋内が目に入ってくる。正に異国の民家って光景だ。

 

「早苗、アンネリーゼちゃんたちが来たよ!」

 

呼びかけながら履いていたサンダルのような物をぽぽいと脱ぎ捨てた諏訪子さんに続いて、私もブーツを脱いで靴下になるが……スリッパとかは無いんだろうか? 何かこう、靴下の状態でうろうろするのは不安になるな。楽といえば楽だけど、慣れていないとそわそわしてしまうぞ。

 

「へ? もう来たんですか? ちょっと待ってください、今行き──」

 

早苗ちゃんは二階に居るのか。頭上から響いていた声が『ガンッ』という音と同時に途絶えたことに首を傾げていると、ドタドタと足音が聞こえた後……わお、どうしたんだ? 涙目で額を押さえている早苗ちゃんが廊下にひょっこり顔を出した。

 

「どうも、リーゼさんとアリスさん。お待たせしました。お久し振りです。」

 

「……ひょっとして、どこかに頭をぶつけたのかい? 凄い音が聞こえたが。」

 

「えっと、平気です。階段を下りる時に勢いがつき過ぎて、曲がり角で止まれなかっただけですから。よくあることなので気にしないでください。うちの階段は急だし、狭いので。」

 

「キミの頭が十全な機能を発揮するにおいて、よくあっちゃいけないレベルの音だったけどね。エピスキー(癒えよ)。」

 

何とも言えない表情でとりあえずとばかりに癒しの呪文を使ったリーゼ様に、早苗ちゃんは恥ずかしそうな顔で感謝を述べる。よくあるのか。リーゼ様が言うように結構な音だったし、呆れを通り越して心配になってくるな。

 

「ありがとうございます。……私も魔法を使えれば色々と楽なんですけどね。」

 

私たち二人を案内しつつ……案内というか、到着したのは玄関の目と鼻の先にある部屋だったが。案内しつつ愚痴を漏らした早苗ちゃんへと、リーゼ様が怪訝そうな声色で疑問を投げた。

 

「マホウトコロでは学校外の魔法使用が禁じられているのかい?」

 

「機密保持法に触れない程度の使用は許可されてますけど、私は単純に魔法力がなくて上手く使えないんです。……リーゼさんは今日も縁側に座りますか?」

 

「ん、そうするよ。」

 

「おっと、アリスちゃんはこっちね。ここ。ここに座って。」

 

むう、リーゼ様の近くが良かったんだけどな。笑顔でぐいぐい手を引っ張ってくる諏訪子さんに従って、背の低いテーブルを囲む座布団の一つに腰を下ろしてみると……何だこの状況は。諏訪子さんが私の膝の上に無理やり座ってくる。

 

「よっこいしょっと。……んー、いいね。ちょうど良い感じ。」

 

「あの、諏訪子さん? 何してるんですか?」

 

「何ってそりゃ、アリスちゃんの座り心地を確かめてるんだよ。」

 

私の胸に頭を預けている諏訪子さんは、もぞもぞとお尻の位置を調整しているが……リーゼ様だったら嬉しいものの、諏訪子さんだと嬉しくも何ともないぞ。縁側に腰掛けて早苗ちゃんと喋っているリーゼ様の方に目をやったところで、いつの間にかこっちを向いて下からジッと覗き込んでいた諏訪子さんが話しかけてきた。ニヤニヤ顔でだ。

 

「あ、今私じゃなくてアンネリーゼちゃんだったら良かったのにって思ったね? アンネリーゼちゃんのお尻が膝の上でもぞもぞしてるのを想像したでしょ? ほら、言ってみ? 正直に言ってみ?」

 

「……思ってません。」

 

「うっそだぁ。絶対思ったね。煩悩の塊だなぁ、アリスちゃんは。」

 

「思ってませんって。」

 

クスクス微笑んで再び私の胸に後頭部を預ける姿勢に戻った諏訪子さんは、頭を大きく反らせて私と目を合わせながら誘惑の台詞を寄越してくる。またこれか。諏訪子さんと会うといつもこの話をされるな。

 

「私が手伝ってあげるってば。アンネリーゼちゃんとの仲を取り持って、アリスちゃんがいつも妄想してるあんなことやこんなことを現実にしてあげる。つまり、アリスちゃんの願いを叶えるんだよ。神っぽい行動でしょ?」

 

「妄想なんてしてませんし、余計なお世話です。必要ありません。」

 

「そうかなぁ? アリスちゃんだって切っ掛けがないと進展しないって分かってるはずだよ。私なら切っ掛けを作れるし、頷きさえすればやってあげるのに。」

 

「リーゼ様が早苗ちゃんを引っ張り込んだから、バランスを取るために私を引き込もうとしているんでしょう? 思惑が透けて見えてますよ。」

 

私はこれでも魔女なんだぞ。そんな手に簡単に引っかかってたまるか。ジト目で指摘した私へと、諏訪子さんはにんまり笑って返答してきた。

 

「透けてても問題ないんだなぁ、これが。アリスちゃんからすれば『安い』取り引きなんだから、払う金額が見えてたって関係ないんだよ。……ちなみにだけどさ、ゴールデンウィーク中はこっちに滞在する予定なの? アンネリーゼちゃんが手紙にそんな感じのことを書いてたけど。」

 

「……その予定です。東京のホテルをもう予約してあります。」

 

「ふーん。じゃあ、『実演販売』でもやってみよっか。ちょっとしたお試し期間ってことでさ。」

 

「実演販売?」

 

私が聞き返した瞬間、諏訪子さんはスッと立ち上がったかと思えば……一体全体何をする気なんだ? 縁側で早苗ちゃんと話しているリーゼ様に勢いよく突っ込んでいく。

 

「アンネリーゼちゃん! 私たちも東京に行きたい! 連れてって連れてって連れてって!」

 

「おい、キミ……ええい、いきなり何のつもりだ! 離したまえ! 気味が悪いぞ。」

 

「やだやだやだ! 一緒に連れて行ってくれるって言うまで離さない! ……何してんのさ、早苗。あんたも早くやるの。ゴールデンウィーク中はアンネリーゼちゃんたちと東京で遊びまくりたいっしょ?」

 

子供のような声色で『おねだり』した直後、物凄く冷静な声になって早苗ちゃんに指示を出した諏訪子さんは、また子供モードに戻って駄々をこね始めた。凄まじいな。老獪な洩矢神にとっては、実利のためならプライドなど取るに足りないものらしい。

 

「アンネリーゼちゃん、お願い! 一生のお願い! 東京で遊ぼう? 一緒に遊ぼうよ。お願いお願い! おーねーがーいー!」

 

「何て不気味なヤツなんだ、キミは。私より遥かに歳上のはずだぞ。やめたまえよ。」

 

「やめないやめない! 約束してくれるまでやめないもん! みんなで遊んだり、買い物に行ったりしようよ。ね? 行こう? お願い!」

 

「キミは願いを叶える側だろうが。神が吸血鬼に願ってどうする。いいから離……おい、神奈子! 神奈子はどこだ! キミの相方の邪神を止めたまえ! 幼児退行にだって限度ってものがあるんだぞ!」

 

必死に胸元にしがみ付いてくる諏訪子さんをぐいぐい押し退けながら、至極迷惑そうな表情で放ったリーゼ様の大声を受けて……実体化していないわけではなく、別の部屋に居ただけなのか。人数分のお茶が載ったお盆を持っている神奈子さんが部屋に入ってくる。

 

「何だ、バートリ。私は茶の準備を……諏訪子? どうしたんだお前は。いよいよ頭がおかしくなったのか?」

 

「うっさい! 今大事なとこだから黙ってて! ……アンネリーゼちゃん、ダメ? どうしてもダメ? 返すから! 幻想郷に行ったら絶対返すから! 東京のシャレオツなカフェでパフェとかを食べたいの。お願いだから私たちも東京に連れて行って。お願いお願い!」

 

「ああもう、分かった。キミたちも連れて行くからいい加減に離し──」

 

「やったー! 好き! アンネリーゼちゃん大好き! 好き好き好き! ……いやぁ、最高だね。わざわざ諏訪から東京に旅行するってのが何とも豪華だよ。早苗と一緒に遊べる久し振りのゴールデンウィークなんだから、旅行の一つくらいはしないとでしょ。」

 

リーゼ様の白旗宣言を聞いて嬉しそうに好きを連発した諏訪子さんは、すっかり『大人』な態度に戻って私の膝の上に帰ってきた。部屋に居る全員の白い目など全く気にならないらしい。これが神か。恐ろしい存在だな。

 

「ぽかんとしてる暇なんてないよ、早苗。あんたは早く準備をするの。アンネリーゼちゃんたちとは後でいくらでも話せるんだから、細川の件の報告なんて後回しでいいんだよ。移動中にでも話せばいいじゃんか。それより旅行の準備! ……ほらほら、神奈子も突っ立ってないでテキパキ動きな。私は一仕事終えたからここでゆっくりさせてもらうよ。」

 

ふてぶてしさもここに極まれりだな。私の膝の上で寛ぎ始めた諏訪子さんを見つつ、嫌な予感に眉根を寄せる。『実演販売』とやらが何のことだかはさっぱり分からないが、この調子だと面倒なことになるのは間違いないだろう。早くもリーゼ様と二人っきりの旅行じゃなくなっちゃったし、非常に憂鬱な気分だぞ。

 

呆れ果てて怒る言葉も出てこないという様子のリーゼ様と、巨大なため息を吐いて疲れた表情になっている神奈子さん。気まずげな面持ちでフォローの台詞を必死に探している早苗ちゃんと、ご満悦の顔で伸びをしている諏訪子さん。部屋の面々を見回しつつ、アリス・マーガトロイドは迫るトラブルの気配に眉間を押さえるのだった。

 



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うわばみ

 

 

「ふぅん? 細川京介ね。クィディッチトーナメントの時に私の案内役に付いた若い男だろう?」

 

派閥のために動くってタイプには見えなかったんだがな。ホテルのリビングルームのソファの上で寛ぎつつ、アンネリーゼ・バートリは対面に座っている神奈子に問いを返していた。早苗経由で私に紐を繋げようとしているわけか。

 

四月三十日の夜、現在の私とアリスと守矢の三バカは東京にあるホテルの一室でのんびりしているところだ。本来アリスと二人で使うはずの部屋だったので、三バカは適当な安ホテルにでも泊まらせようと考えていたのだが、忌々しい祟り神の『駄々っ子攻撃』が発動したため渋々ここに連れて来たのである。

 

ちなみにホテル側としては、元々予約していた私とアリスに急遽早苗を追加した『三人』で宿泊していると思っているはず。いきなり人数を増やすと面倒くさいことになりかねないということで、諏訪子の案でぽんこつ二柱には受付をする際に一度姿を消してもらったわけだが……つくづく悪知恵が働くヤツだな。本当に神なのか? 実は悪魔でしたと言われても驚かないぞ。

 

向こうにある大きなテレビジョンの前のソファに腰掛けて、アリスや早苗と一緒にホラー映画を観ている邪神を横目に呆れていると、手元の缶ビールを一口飲んだ神奈子が応答してきた。口では諏訪子に色々と注意していた癖に、こいつもこいつで満喫しているな。いつ買ったんだよ、その大量のビールは。

 

「そうだ、その男だ。……話を纏めると細川が飼っている蛇が脱走して、早苗がそれを捕獲する手伝いをしたから、礼としてお前に協力したいと言ってきたわけだな。どう思う?」

 

「どう思うかと言われてもね。大前提として私が日本魔法界とのパイプを構築しているのは事実だし、殊更それを隠そうともしていない。である以上、私の動きが細川の耳に入るのはそこまでおかしなことではないだろうさ。私が早苗の後ろ盾になっているという情報も、隠そうとするどころかむしろ意図的に広めようとしているくらいなんだから、私を手伝うことで早苗への礼に代えるという部分にも別段違和感はないね。」

 

「……お前は細川の発言を信じるということか?」

 

「信じる? まさか。私は客観的に状況を整理しただけさ。吸血鬼ってのは先ず疑う生き物なんだ。当然ながら細川のことは疑っているよ。……とはいえ疑問なのは、私に紐を繋ぐ意味だね。私経由でイギリス魔法省に何かをするつもりか?」

 

正直なところ、日本魔法界にとって私という存在はそこまで魅力的な『取引先』ではないだろう。私はゲラートからの頼みがあるので日本魔法界との関係を持ちたがっているが、向こうは別に私に望むものなどないはずだ。スカーレットの縁者かつイギリス魔法省に縁が深い吸血鬼なので、一応失礼のないように気を使う程度の相手でしかないはず。

 

それなのに細川が強引に私に近付こうとする理由が見当たらん。そもそも細川派とは既に繋がりを持っているんだぞ。私は中城から紹介してもらった細川派の西内家を訪問済みだし、別にそこで門前払いされたわけでもない。初回ということで当たり障りのない会話だけで終わったものの、『知り合い』になることは出来たはずだ。だから細川派が私との接触を望むのであれば、細川京介ではなく西内家のルートを先ず試してくるだろう。

 

となれば細川派としてではなく、独自に動いているということか? ……そういえば細川は一年前に私を案内した時、三派閥のシステムへの不満を漏らしていたな。ならば『融和派』として行動している可能性もあるか。それにしたって私に魅力など感じないはずだが。

 

うーん、融和派ね。私の認識としては『あってないような弱小派閥』ってところだな。ゲラートの窓口には全くと言っていいほどに相応しくないし、個人的にも大した興味はないぞ。手に持ったワイングラスを揺らしながら脳内で思考を回している私に、ピーナッツが入っている袋を開けた神奈子が意見を寄越してきた。つまみまでしっかり買っていたのか。私も食べよう。

 

「私は早苗と常に行動を共にしているから、ごくごく一般的な視点での話しか出来ないが……日本魔法界はイギリス魔法省に対してそこまでの興味を持っていないと思うぞ。政治関係者ならともかくとして、一般の魔法使いはイギリス魔法大臣の名前すら知らないはずだ。」

 

「だろうね、そこは想像が付くよ。イギリスの一般的な魔法使いも日本の魔法大臣の名前なんて知らないだろうし、政治的に注目しているわけでもないはずだ。親密ではないが、敵でもない。イギリス魔法界と日本魔法界の関係はその程度さ。」

 

良くも悪くも『遠い国』なのだ。政治の場で会えば互いに尊重し合うが、いざという時に真っ先に声をかけるほどではないし、警戒して常に動きを注視しているわけでもない。『会えば挨拶する程度の知り合い』ってところかな。

 

肩を竦めて言ってからワイングラスを傾けた私へと、神奈子は難しい顔で補足を送ってくる。

 

「だが、レミリア・スカーレットの名はこの国でも大抵の魔法使いが知っている。紙面の『常連』だし、史学の教科書にだって出てくるからな。細川個人がお前に目を付けた理由があるのだとすれば、イギリス魔法省ではなくスカーレット関係なんだと思うぞ。」

 

「レミィね。……有り得なくはないが、今更すぎないか? とっくに政治の世界からは『引退』しているんだぞ。」

 

「そして幻想郷に行ったんだろう? 私はそれを知っているが、日本魔法界の誰もがそれを知らない。スカーレットを再び政治の場に引き摺り出して、何かに利用しようとしている可能性はないのか?」

 

「んー、しっくり来ないな。日本魔法界と近いのはレミィではなくむしろゲラートだ。この国は『親スカーレット』でも『親グリンデルバルド』でもなかったが、影響力そのものは立地的にゲラートの方がまだ強いはずだろう? わざわざ引退したレミィにちょっかいをかけるのは腑に落ちないね。」

 

仮に細川が私との繋がりを欲しているとして、そのメリットがさっぱり分からん。目的がイギリス魔法省ではないのであれば、可能性が高いのは神奈子が言う通り『紅のマドモアゼル関係』なんだろうが……じゃあレミリアに何を望むんだって話になってくるな。

 

例えば、三派閥の融和をやってもらいたいとか? バカバカしい。他国の引退した要人にいきなりそんなことを頼むヤツが居るはずないし、幾ら何でも脈絡がなさすぎるぞ。あまりにもアホらしい考えにやれやれと首を振ったところで、神奈子がビールを呷ってから口を開いた。困ったような顔付きでだ。

 

「私たちが疑いすぎなだけで、本当に早苗への礼としてお前を助けようとしているとか?」

 

「……まあ、そうだね。もちろんその可能性だって存在しているだろうさ。しかしキミは言っていたじゃないか。『蛇探し』の過程が非常に不自然だったと。」

 

「それはそうなんだが……どちらかと言うと、不自然だったのは細川ではなく蛇の方なんだ。早苗が蛇語で呼んだ途端に出てきたし、話し方がとんでもない棒読みで、口調もやけに古めかしかった。蛇と話した経験が豊富な私から言わせてもらえば、あの蛇はかなりの『変わり蛇』だぞ。」

 

「そういえばキミ、何だって蛇語を理解できるんだい? 基本的には軍神だか風神だかなんだろう?」

 

さっき経緯を聞いていた時に感じた疑問を思い出して尋ねてみれば、神奈子はちょびっとだけ気まずそうな表情で曖昧な返答を投げてくる。

 

「……色々あったんだよ、私たちは。元来の私と諏訪子の神格を一柱の『守矢神』として融合させてみたり、大和の神々への体裁を保つために新たな逸話を作ってみたり、名前を変えることで自身の性質をズラしてみたり。長年そういうことをやっていたら複雑な神格を手に入れてしまってな。」

 

「結論を言いたまえよ、結論を。話が長いぞ。」

 

「要するに、今の私は『蛇の神』や『龍神』としての側面も持っているんだよ。豊穣や太陽、連環や水を司る蛇神という一側面をな。だから蛇と話せるんだ。……ちなみに諏訪子も話せるぞ。『後付け』された私と違って、あいつの場合は元々持っていた神格に含まれている要素だが。」

 

「いやはや、相変わらず神ってのは面倒くさいね。あれこれと節操なく付け足しまくるから訳の分からんことになるんだよ。妖怪を見習いたまえ。実に分かり易いぞ。」

 

もはや何の神だか分からなくなっちゃっているじゃないか。呆れた声色で言い放った私へと、神奈子はバツの悪そうな顔で言い訳を飛ばしてきた。

 

「……私が望んだわけじゃないぞ。大半は諏訪子の企みの所為だ。」

 

「まあいいさ、その辺の事情には別に興味ないしね。……よく考えると、蛇が怪しいから細川が怪しいとはならないんじゃないか? 細川は蛇舌じゃないんだろう? まさか蛇と口裏を合わせて一芝居打ったってことかい?」

 

「確かめる術がないので恐らくになるが、細川は蛇舌ではないはずだ。……ふむ、言われてみればそうだな。細川があの蛇に芝居などさせられるはずがない。やはり本当に善意で協力を持ちかけてきただけか。」

 

「……その蛇が妖怪ってことはないだろうね? 細川は蛇を操れないかもしれないが、蛇の方が細川を操っているってケースは?」

 

日本の妖怪に恨まれる覚えなどないが、魔法界側の私ではなく妖怪としての私に干渉しようとしている可能性は残っているぞ。イギリスの大妖怪が日本を頻繁に訪問しているのだから、こっちの大妖怪の中には気になっている者も居るはずだ。

 

思い付いた懸念を言葉にした私に、神奈子は新しい缶ビールの封を切りながら答えてくる。

 

「妖力らしきものは感じなかったがな。諏訪子も何も言っていなかったし、万が一妖怪だとしても下の下だろう。であれば人間を操れるほどではないと思うぞ。人語を使えるかも怪しいくらいだ。」

 

「日本の大妖怪の使いっ走りかもしれないじゃないか。蛇を操る大妖怪に心当たりはないのかい?」

 

「心当たりはあるが、数が多すぎて話にならん。おまけに私と諏訪子は長い間諏訪の地で隠遁しているから、私たちが知らないだけで心当たりの大半はもう消え去っているはずだ。……お前は基本的に東京と諏訪にしか足を踏み入れていないんだろう? 出雲や佐渡、四国なんかに行ったことはあるか?」

 

「足を踏み入れたのは東京と長野、そしてマホウトコロがある島だけだね。……ああでも、一応温泉に行ったことはあるぞ。東京の近くだ。」

 

二年半前のカンファレンスの際にアリスと行ったのを思い返しながら訂正してやれば、神奈子は小さく鼻を鳴らして返事を寄越してきた。私が行きたがったわけじゃないぞ。アリスがどうしてもと言うから行っただけだ。

 

「温泉? 羨ましいことだな。……まあ、温泉に入った程度なら問題ないだろう。長野の妖怪なら私たちの気配を読み取れるはずだし、東京は支配者が居ない中立地帯だ。派手に動いていたスカーレットは注目されていたかもしれないが、お前に目を付けている大妖怪は居ないと思うぞ。」

 

「ふぅん? やっぱり東京は中立地帯なのか。そして言い方からするに、出雲や佐渡や四国は有名な誰かの縄張りってわけだ。具体的にそれがどこなのかはいまいち分からんがね。」

 

「出雲は昔から神性たちの縄張りで、佐渡と四国はそれぞれ別の狸妖怪が『裏側』を支配している。加えて大阪には古参の狐妖怪が居るが、そっちは温厚なタイプだから気にしなくても問題ないだろう。……他にもまだまだ『有名な縄張り』はあるんだがな。組織力があって人間との付き合いを卒なくこなせそうなのはやはり妖狸や妖狐だ。現代でもなお力を保っていそうな大妖怪といえばその辺りだろうさ。」

 

「狸と狐か。よく分からん組み合わせだね。」

 

狐妖怪と聞いて最初に頭に浮かぶのは藍だ。もふもふの九本の尻尾のことを考えながら相槌を打った私へと、ビールをぐいぐい飲んでいる神奈子が追加の説明を口にする。

 

「互いは非常に仲が悪いが、神とも妖怪とも人間とも分け隔てなく取り引きをする連中だから、『仲介役』として大昔から頼りにされてきたんだ。妖力に従って尻尾の本数や大きさが変わる連中でな。人間たちから祭られて神性を獲得していたり、神から妖怪に成った変わり者も存在している。要するに日本における『メジャー人外』だよ。」

 

「人気者ってわけだ。……キミは九本の尻尾を持つ狐妖怪を知っているかい?」

 

「九尾? 平安の末期に九尾の妖狐が大暴れしたらしいが、噂に聞いただけで直接見たことはないな。しかし、九尾の神狐ならあるぞ。昔の同僚が使役していたんだ。……何にせよ、私は狐はあまり好かんから深い関わりを持っていない。他の神よりちょっと『流行った』からって居丈高に振る舞う連中なんだよ。お前も日本の大妖怪との繋ぎ役が欲しい時は狸を頼った方がいいぞ。高飛車な狐はやめておけ。」

 

神奈子は狐の人外が嫌いなのか。今言った以外にも何か理由がありそうな感じだな。藍とは会わせない方が良いかもしれないと考えつつ、逸れてしまった話題を元に戻す。そういえば美鈴も狐妖怪を嫌っていたっけ。軍神や武人からは嫌われやすいタイプなんだろうか?

 

「とにかく、妖怪って線も薄いわけか。……んー、結局細川の意図はよく分からないままだね。」

 

「そうだな。無視するのか?」

 

「いいや、期待せずに警戒しつつ繋いでみるよ。いざという時に切る準備だけはしておいて、手繰って思惑を確かめてみよう。大した手間じゃなさそうだしね。気が向いた時にでもやっておくさ。」

 

「私はどちらでも良いんだがな。早苗の迷惑になるようなことはするなよ?」

 

こいつ、どんだけ飲むんだよ。またしても新たなビールを手に取った神奈子に軽く首肯したところで、ホラー映画の鑑賞を終えたらしい三人が近付いてきた。謎の議論をしながらだ。

 

「諏訪子さん、それは違います。あの人形はきっと寂しかったんですよ。だから構ってもらいたくてあんなことをしていただけです。」

 

「いやいや、絶対違うって。明らかに主人公たちを殺そうとしてたじゃん。一人目が死んだ時にめちゃくちゃ笑ってたしさ。『ケケケケケ!』って。寂しがってるヤツは『ケケケケケ!』とは笑わないでしょ。……早苗、大丈夫?」

 

「こわ、怖かったです。凄く……あの、怖かったです。」

 

「だけど最後は仲直りしてましたね。人形を抱いてソファに座ってるシーンでしたし、主人公が改心して人形を迎え入れたってラストですよ。間違いありません。」

 

うんうん頷きながら私の隣に腰を下ろしたアリスに、諏訪子が度し難いという顔付きで否定を返す。どういう映画だったんだ?

 

「あのね、アリスちゃん。あれは捨てたけど戻ってきた人形に主人公が殺されたってラストでしょ。どんだけ人形寄りの解釈なのよ。」

 

「仮にそうだとしても捨てる方が悪いですよ。人形が可哀想です。」

 

「アリスちゃんもやっぱ魔女なんだね。思考回路がぶっ飛んでるわ。……よっし、明日に備えて寝ようか。アリスちゃんとアンネリーゼちゃんでベッドを一つ使って、私と早苗がもう片方のベッドで寝て、神奈子は一人でソファね。」

 

何? 訳の分からん振り分けを強引に決めようとしている諏訪子へと、グラスの中のワインを飲み干してから文句を送った。

 

「何を言っているんだ、キミは。私とアリスがベッドで、早苗はソファだろうが。キミたちは消えたまえよ。何故わざわざ実体で寝ようとするんだい?」

 

「それは無理っしょ。早苗、一人で寝られる?」

 

「む、無理です。怖いです。」

 

「ほらね? となるとサイズ的にアンネリーゼちゃんとアリスちゃんでペア、早苗と私でペアが妥当じゃんか。……ああ、神奈子は消えてもいいよ。神力が勿体無いしそうしたら?」

 

真っ青な顔で小刻みに震えている早苗を指して反論してきた諏訪子に、イライラと翼を揺らしながら指摘を投げる。ちなみに容赦なく『除外』された神奈子は哀愁漂う諦観の笑みを浮かべていて、アリスはぴたりと黙り込んでしまった。

 

「押しかけた挙句、ベッドまで使うつもりかい? 早苗の怯えっぷりに免じて神札の使用は許してやるから、三人仲良くソファで寝たまえよ。」

 

「ソファじゃ早苗が腰を痛めちゃうでしょうが。……選びな、アンネリーゼちゃん。私と早苗とアリスちゃんだったら誰と一緒に寝たい?」

 

「そんなもんアリスに決まっているだろうが。私はそういうことを言っているんじゃないんだよ。そもそもキミたちがベッドを使うことを──」

 

「はい、決定! ……おっと、先にお風呂に入らないとね。アンネリーゼちゃんとアリスちゃんが先でいいよ。私と早苗は後から入るから。高い部屋だけあってバスルームもかなり広かったし、お風呂も二人ずつが妥当でしょ。」

 

意味がさっぱり分からんぞ。何が妥当なもんか。勝手に進行している邪神に抗議を放とうとしたところで……おお? アリスがバッと立ち上がって私を促してくる。

 

「一理ありますし、そうしましょうか。ベッド分けもお風呂の順番も妥当に思えます。」

 

「キミ、いきなりどうしたんだい? 私はこれっぽっちの理も感じていないぞ。……大体ね、早苗。この部屋の中には吸血鬼と魔女と邪神が居るんだ。ホラー映画なんぞよりも今の状況の方がよっぽど怖いだろうが。」

 

「だって、怖かったんです。寝るのもお風呂も一人じゃ無理ですよ。諏訪子様の案でいきましょう。お願いですから。」

 

「はいはーい、多数決で決定ね。早くアリスちゃんと二人で入ってきてよ。……ちょっと神奈子、あんた何本飲んだの? アル中の風神なんて冗談にもならないんだけど。酒臭い風でも吹かせるつもり?」

 

「私はうわばみなんだよ。蛇神だけにな。」

 

クソつまらんジョークをしたり顔で口にした神奈子は、周囲の白けた反応を目にして悲しそうにフッと笑ってから、ビールを飲み干して実体化を解いて姿を消すが……いやいや違う、それはどうでも良い。私はまだ諏訪子の図々しい案に納得していないぞ。

 

何故か割と強めの力でバスルームへと手を引いてくるアリスと、恐怖のあまりちょっとした物音に飛び上がって驚いている早苗と、神奈子が開けなかった缶ビールの残りを飲み始めている諏訪子。忌々しい状況に大きく鼻を鳴らしつつ、アンネリーゼ・バートリは引き摺られるようにバスルームへと向かうのだった。

 



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ウィンウィン

 

 

「どうでしたか? 藤原派との接触は。」

 

ううむ、まだダメだな。アリスさんが何となく大事そうな話題を振っているし、まだここは話を切り出すタイミングじゃない。向かいの席で話しているアリスさんとリーゼさんをちらりと確認しつつ、東風谷早苗は目の前のパフェをスプーンで掬っていた。

 

ゴールデンウィークの折り返し地点が見えてきた月曜日の正午、現在の私はリーゼさんに連れて来てもらった東京旅行を満喫しているところだ。さっきまではリーゼさんがお仕事か何かで別行動だったので、残る四人で銀座のデパートでのショッピングを楽しんでいたのだが、お昼に用事が終わるというリーゼさんと合流するためにお洒落なカフェでパフェを食べながら待っていたのである。

 

しかし、さすがは千五百円もするだけあって美味しいな。コーンフレークが入っていたら尚良かったのに。チョコパフェの味に顔を綻ばせている私を他所に、合流したばかりのリーゼさんはメニュー表を手に取りながら返事を口にした。

 

「まあ、悪くない接触ではあったよ。ボーンズ経由で紹介してもらったんだから当然といえば当然だが、かなり丁寧な対応だったね。」

 

「へぇ、イギリスの魔法大臣から紹介してもらったんだ。どの家と会ってきたの?」

 

「西園寺って家だよ。知っているかい?」

 

「おー、中枢じゃん。外交上手な藤原派の中でも一際外交寄りの家だね。代々魔法省の外務院を仕切ってる家系だったはずだよ。」

 

ううん? 諏訪子様はどうしてそんなに派閥事情に詳しいんだろうか? 私から遠く離れられないんだから、私と同じようなことしか耳にしていないはずなのに。西園寺という名前には聞き覚えがあるものの、外務院のことなんて全然知らなかったぞ。

 

ひょっとして、私が覚えていないだけでどこかで誰かが言っていたのかな? 自分の記憶力に若干の不安を感じている私を尻目に、リーゼさんたちの会話は進行していく。ちなみに神奈子様はメロンソーダに浮いているアイスに夢中だ。彼女はお酒好きだが甘い物も好きなのである。あの頃は実体化できなかったから食べられなかったけど、お母さんが作ったホットケーキを見ていつも羨ましそうにしてたっけ。

 

「今日は大した会話はしなかったが、向こうも『繋がりを作りに来た』という目的を察しているようだったね。非常にやり易かったよ。仲良くなりたいかはともかくとして、取引相手としては上々の反応かな。」

 

「そもそもさ、何のためにせっせとパイプを作ってるわけ? アンネリーゼちゃんが直接動かなくてもイギリス魔法省経由で交渉すればいいじゃん。」

 

「イギリス魔法省のために動いているわけじゃないからさ。そこは追々話すよ。……それより、昼食はここで食べるのかい? だったら注文するが。」

 

「いえ、行きたい店があるんだそうです。そうよね? 早苗ちゃん。」

 

ぬあ、こっちに振られちゃった。リーゼさんの疑問に答えたアリスさんにこくこく頷いてから、バッグを漁って一昨日買った観光ガイドの雑誌を取り出す。アリスさんから呼びかけられるとドキッとするな。優しくて賢そうな美人さんだし、今まで私が憧れていた『クラスの人気者ポジション』に居るタイプの人なのだ。会話しているのが何だか分不相応な気がして緊張するぞ。そこそこ近い世代っぽい見た目なのに凄く年上だっていうのも対応に困るポイントだし。

 

「えと、ちょっと待ってくださいね。この本の……ここです、ここに行きたいんです。」

 

「ふぐ料理? こんな物が食べたいのかい? 構わないよ。大した値段じゃなさそうだしね。」

 

「アンネリーゼちゃん、ちゃんと読んでる? 私は『大した値段』だと思うんだけど。」

 

「ふぐなんてのは何処にでも居る魚じゃないか。釣れたら捨てるらしいし、あんなもんが高いわけが……おい、どういうことだ。訳の分からん値段が書いてあるぞ。」

 

諏訪子様の突っ込みを受けてガイドブックを読み直したリーゼさんは、眉根を寄せながら呟いているが……どうしよう、このままだとダメって言われちゃうかもしれない。ふぐを食べるために何とかしなければ。

 

「あのですね、毒があるんです。猛毒が。だから高いんですよ。」

 

「……尚のこと意味不明だね。逆じゃないのかい? 毒があるなら安くなるはずだろう? というか、普通は金を払って毒魚を食べたりはしないはずだ。狂っているぞ。」

 

「いえいえ、違うんです。毒を処理できる料理人さんじゃないとさばけないから、貴重な……えーっと、何て言うんでしたっけ? 貴重だから高くなるやつって。」

 

「希少価値?」

 

日本人たる私の日本語に関する質問に、イギリス人であるアリスさんが即答してきたことにちょびっとだけ悲しくなりつつ、リーゼさんに対しての説明を再開する。日本語の勉強は後だ。今は『ふぐ問題』に集中しないと。

 

「そう、それです。希少価値があるんです。だから高価なわけですね。」

 

「……値段は別にいいが、わざわざ毒魚を食べるってのが気に食わないね。そんなに美味しいのかい?」

 

「一度だけマホウトコロでお刺身が出たんですけど、とっても美味しかったです。リーゼさんも是非食べてみるべきですよ。」

 

「……早苗は別の魚と勘違いしていたがな。後から中城に聞いてふぐだったと知った途端、凄く美味しかったと言い出したんだ。」

 

だって、ふぐなんて食べたことなかったんだもん。仕方ないじゃないか。多分美味しかったはずだ。多分。ポツリと余計な一言を漏らした神奈子様の後頭部を諏訪子様がパシンと叩いたかと思えば、そのまま説得に参加してきた。昨日の夜に諏訪子様も食べたいと言っていたし、援護してくれるつもりらしい。

 

「ステータスだよ、アンネリーゼちゃん。ふぐはステータスなの。藤原派だの細川派だのと会食に行った時、ふぐの味を知ってないとバカにされるよ。『ああ、これはふぐだね』ってしたり顔で言いたいっしょ? いつでもどこでも偉ぶりたいアンネリーゼちゃんは、日本の食文化もきちんと把握してますアピールをしたいっしょ? だったら食べておかないと。」

 

「キミ、私のことをバカにしていないか?」

 

「してないしてない。高貴なアンネリーゼちゃんには高価なふぐが似合うなーって思ってたの。……ほらほら、いつまでもケチくさいこと言ってないでふぐを食べよう? ふぐ鍋、ふぐ刺し、ひれ酒を満喫しようよ。ね?」

 

「何が『ね?』だ。……そもそもこれは昼食として食べる物なのかい? 載っている写真は全部夜みたいだが。」

 

むむ、言われてみればそうかもしれない。ガイドブックの写真に指を置いて指摘したリーゼさんに、諏訪子様が一瞬だけ固まってから返答を飛ばす。彼女としても納得の指摘だったようだ。

 

「……それはまあ、そうかも。じゃあ夜ね。夜にふぐ。考えてみればその方がいいじゃん。後で予約しとこうよ。」

 

「まあいいだろう。少し興味が出てきたし、夕食はそれで構わないよ。……では、昼は? 私は腹が減っているんだ。早く決めてくれ。候補が無いなら私が適当に決めるぞ。」

 

「昼ね、昼は……早苗、どれだっけ? あれあれ、昨日見つけたやつ。早く開いて。」

 

ええ? どれのことを言っているんだ? 折り目が付きすぎてどれがどの目印だか分からなくなっているガイドブックを捲りつつ、諏訪子様に問いを送った。

 

「どれですか? ラーメンですか?」

 

「おバカ、ラーメンなんていつでも食べられるでしょうが。折角金持ち吸血鬼が居るんだから、高いやつじゃないと意味ないの。」

 

「聞こえているんだがね。声を潜めるくらいのことはやったらどうなんだい?」

 

額を押さえながらのリーゼさんの言葉を無視して、私からガイドブックをひったくった諏訪子様が一つのページを開く。……あー、それか。載っているのは『ステーキ名店集』だ。てっきりうな重の方かと思ったぞ。

 

「これこれ、ステーキ! どうよ? アンネリーゼちゃんも好きでしょ?」

 

「……まあ、嫌いじゃないよ。」

 

「目の前の鉄板で焼いてくれるんだってさ。ほれほれ、いいっしょ? 行こうよ。早く行こう。……さっさと立ちな、神奈子。メロンソーダなんて飲んでる場合じゃないよ。」

 

「ちょっと待ってくれ、溶かすアイスの量をきちんと計算したんだぞ。美味しいのは今からなんだ。」

 

愕然とした顔付きで急いでメロンソーダを飲む神奈子様を背に、諏訪子様は立ち上がって店の出入り口へと歩いていってしまう。お二方を交互に見て待つべきか追うべきかを迷っていると、リーゼさんが深々とため息を吐きながらアリスさんに声をかけた。

 

「キミはステーキでいいのかい? 肉はあまり好きじゃないだろう?」

 

「まあその、特に嫌いってわけでもないですから。他にもメニューはあるでしょうし、問題ありませんよ。……リーゼ様こそいいんですか? 何て言うか、こんな感じの状況のままで。」

 

「その質問はしないでくれ。もはや後戻りは出来ないんだ。私は絶対に『取り立て』の段階までたどり着いてみせるぞ。苦難を乗り越えて払った分以上を回収してみせようじゃないか。」

 

「……回収できることを祈っておきます。」

 

比喩が多くて何の話だかいまいち分からないな。神妙な空気を感じて目をパチクリさせたところで、ハッと自分が機会を窺っていたことを思い出す。自分用のテレビを買ってもらうための機会をだ。

 

とりあえずはステーキ屋さんに行くとして、その後でどうにか電気屋さんに誘導しなければ。ちょっと前にリーゼさんに買ってもらった大きい方のテレビは諏訪子様が独占状態だし、元々持っていた小さいテレビは神奈子様が勉強しないとダメだと言って使わせてくれない。だったら三台目を手に入れるしかないだろう。既に寮の自室に置くためのスペースは確保済みだ。

 

そして電気屋さんにはゲームソフトも売っているし、もしかすると追加で携帯電話も買ってもらえるかもしれない。電話する相手なんて中城先輩くらいしか居ないけど……でも、みんな持っているんだから私も欲しいぞ。この際携帯電話も狙ってみよう。先日誕生日だったんだから、その線から押せば不可能ではないはず。

 

「こら、何してんのさ! 早くおいでよ!」

 

諏訪子様の呼びかけに手を上げて応じつつ、メロンソーダを一気飲みした神奈子様を確認して席を立つ。リーゼさんはとっても優しいし、私のことを好きなんだからきっと買ってくれるだろう。ふむ、お礼に私からも何かプレゼントしようかな。買ってもらってばかりじゃまるでリーゼさんの好意を利用している悪女みたいだから、そろそろ私からも何かお返ししなければ。

 

ステーキとふぐとテレビとゲームと携帯電話。くるくると頭の中を巡る素直な欲望ににっこり微笑みながら、東風谷早苗は『お礼』の内容についてを考えるのだった。肩たたき券とかかな?

 

 

─────

 

 

「でもあの、発色が違うんです。こっちの方が色が綺麗なんですよ。……ほらこれ! 綺麗ですよね? 綺麗だと思いませんか?」

 

うーむ、神譲りの『おねだり術』だな。私にはさっぱり違いが分からないテレビジョンの性能の差を力説する早苗ちゃんを横目にしつつ、アリス・マーガトロイドは諏訪子さんの行動を目撃して呆れ果てていた。神奈子さんが持っているカゴに勝手にゲームソフトを投入しているぞ。やけに大人しいと思ったら、それを探しに行っていたのか。

 

「テレビは買わないと言っているだろうが。……それと諏訪子、私が気付かないとでも思ったのかい? 元あった場所に戻してきたまえ。」

 

「えー、やだやだ! お願いだよ、アンネリーゼちゃん。これやりたいの。お願いお願い。一生のお願い。幻想郷に行ったら絶対返すから。ぜーったい返す。洩矢の名に誓う!」

 

「ほらほら! 見てください、リーゼさん。色が全然違います。ね? 違いますよね?」

 

「そうだ、バートリ。今思い出したんだが、私もメモリーカードだけ欲しいんだ。それくらいならいいだろう? カゴに入れても構わないか?」

 

凄まじいな。なんて欲望に忠実な三人組なんだろうか。ここまで来ると羨ましくなってくるぞ。リーゼ様を囲んで三方向から捲し立てる守矢神社の面々に、黒髪の吸血鬼はわなわなと震えながら文句を言い放つ。リーゼ様をここまで追い詰めたのはこの三人が初めてかもしれない。

 

「黙りたまえよ、キミたち。ここには『たんさんでんち』を買いに来たんだろう? そう言っていたはずだ。だから私は電気屋に寄ることを許したんだぞ。テレビは買わないし、ピコピコも買わないし、めもりーかーども買わない。それで話は終わりだよ。」

 

「落ち着け、バートリ。メモリーカードは高くないぞ。早苗と諏訪子は遠慮を知らないから過大な要求をするかもしれないが、私はしっかりとした常識を持っている。メモリーカードだけは──」

 

「そこまでだよ、ゴマすり蛇女! アンネリーゼちゃん、メモリーカードはもういっぱいあるから要らないの。この女は無駄遣いさせようとしてるだけだね。でも私は有意義な──」

 

「黙れ、陰湿蛙め。では聞くが、メモリーカードを独占しているのは誰だ? 私のセーブデータを上書きしたのは誰だ? お前が余計なことばかりするから私は自分専用のメモリーカードが必要になったんだぞ。神の癖にそんなことをしていて恥ずかしくないのか、お前は。」

 

自分にも返ってくる言葉だと微塵も気付いていない様子で抗弁した神奈子さんを尻目に、何故か見る見るうちに顔を赤くしている早苗ちゃんが、徐にリーゼ様の右手を取って……いよいよ以って意味不明だな。それをブラウスに包まれている自分の胸にふにょんと当てた。

 

「こ、これでテレビを買ってもらえますか?」

 

「は?」

 

おお、今のは心の底からの『は?』だったぞ。リーゼ様にしては珍しい声色を引き出したことに感心していると、早苗ちゃんは真っ赤なままの困り顔で小首を傾げる。

 

「もっとですか?」

 

「……キミ、何を言っているんだい? おい、ぽんこつ二柱。キミたちの巫女がおかしくなっているぞ。修理したまえよ。」

 

「ほらー、テレビが欲しすぎて早苗が壊れちゃったじゃん! アンネリーゼちゃんが壊したんだから弁償してよ、弁償。このソフトでいいから。」

 

「キミは本当に……よし、分かった。早苗への誕生日プレゼントとして小さいテレビは買ってあげよう。『めもりーかーど』と『たんさんでんち』もだ。しかしピコピコは買ってやらん。バートリの名に誓ってそれ以上は何も買わないぞ。」

 

こんなことに家名を出すのはどうなんだろうと思っている私を他所に、守矢神社の三人組はそれぞれの反応をリーゼ様に返した。早苗ちゃんはちょっと残念そうな表情で、神奈子さんは勝ち誇るような笑顔で、そして諏訪子さんは顔を引きつらせながらだ。

 

「小さいのですか。……ありがとうございます、リーゼさん。」

 

「素晴らしい選択だぞ、バートリ。早くソフトを戻してこい、負け蛙。お前には何も買ってやらないそうだ。」

 

「何でさ! 何で私だけダメなの? 不公平! 贔屓! 意地悪!」

 

「腹いせだよ。キミが一番鬱陶しいからね。」

 

鼻を鳴らして正直すぎる返答を送ったリーゼ様を見て、突っ返されたゲームソフトの箱を手に暫く口をパクパクさせていた諏訪子さんは……うわぁ、嫌な予感がするな。事態を傍観していた私にススッと歩み寄って声をかけてくる。子供っぽい上目遣いでだ。

 

「アリスちゃん、アンネリーゼちゃんを説得して?」

 

「えっと、嫌です。」

 

「……何で?」

 

「諦めてくださいよ。家名に誓ってるんだから絶対無理ですって。もう覆りません。」

 

百パーセント無理だぞ。早く諦めてくれと願いながら首を横に振った私へと、諏訪子さんはむむむと唸っていたかと思えば……小さめのテレビジョンを見に行ったリーゼ様たちの方を指して話を続けてきた。

 

「アンネリーゼちゃんと一緒にお風呂に入らせてあげて、寝させてあげて、座る時も常に隣同士に誘導してあげてる私にその態度はどうなのさ。」

 

「……別に頼んでないじゃないですか。」

 

「ふーん? そういうこと言うんだ。じゃあもうこの旅行中は一緒にお風呂に入れないよ。あーあ、今日も上手いことやれる自信があったんだけどなぁ。アリスちゃんが嫌だったなら──」

 

「嫌だとは言ってませんけど。……私はですね、単に時間の短縮に繋がるからリーゼ様と一緒に入浴していただけです。ベッドの件だって早苗ちゃんをソファに寝かせるのは可哀想ですし、大人として一台譲った場合私とリーゼ様が一緒になってしまうというだけの話ですよ。要するに、合理的な消去法ですね。不合理な選択肢を消していった結果ああなっているだけで、それは嫌とか好ましいとかではなく自然な選択であるわけでしょう? 他意は一切ありません。変な勘繰りはやめてください。」

 

早口で論理的な反論を飛ばしてみると、諏訪子さんはやや引き気味の顔になった後で説得を再開してくる。

 

「急に早口になるじゃん。……じゃあ、アリスちゃんが買ってよ。そうすれば私は『勝手に』今までやってたようなことを継続するから。」

 

「……私は諏訪子さんが何を言っているのかよく分かりませんし、妙な邪推をされるのは非常に迷惑なんですけど、今急に知り合いの吸血鬼がゲーム好きなことを思い出しました。あの子へのお土産として幻想郷に持って行くので、それまで貸すだけなら構いませんよ。」

 

「しっかり人外だねぇ、アリスちゃんも。おー、こわ。マジで怖かったよ、今のは。『言い訳早口女』じゃん。」

 

失礼だな。私にゲームソフトを押し付けてからわざとらしく自分の身を抱いて離れていった諏訪子さんをジト目で睨みつつ、そっとポケットから財布を取り出した。私は早苗ちゃんほど簡単に契約を結んだりはしないが、利のある取り引きを逃すような魔女ではないのだ。支払う以上の利益が得られるのであれば、躊躇う理由など何も無いだろう。

 

ウィンウィンの取り引きというものが確かに存在することを実感しながら、アリス・マーガトロイドは自身の選択に一つ頷くのだった。

 



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五月要請

 

 

「……むう。」

 

朝食のポリッジをスプーンで掬いながら、サクヤ・ヴェイユはテーブルに置いた予言者新聞の二面を見て唸っていた。随分と思い切ったことをするな、グリンデルバルドは。『ザ・コフィン』の分裂騒動よりもこっちを一面に持ってくるべきだろうに。誰がゴーストのロックバンドの『音楽性の違い』なんかを気にするんだ?

 

五月に入り、魔理沙たちグリフィンドール代表チームの最終戦が迫ってきた今日、私はいつものようにホグワーツの大広間で朝食を取っているのだ。ふくろうたちが運んできた朝刊をキャッチして、広げたそれを横目に行儀悪くポリッジを食べているわけだが……うーむ、『グリンデルバルドの五月要請』か。キャッチーなのかそうでないのか微妙な見出しだな。

 

記事曰く、非魔法界対策委員会のトップであるゲラート・グリンデルバルドが世界八ヶ国に対して要請を出したらしい。対象となる国はイギリス、アメリカ、カナダ、ドイツ、フランス、日本、ブラジル、そして自らが議長を務めているロシアで、内容は非魔法界と魔法界をかなり『接近』させるものであるようだ。

 

非魔法界側の政治的指導者に魔法界が非魔法界との融和を望んでいることを告げたり、融和問題に理解がありそうな『純非魔法族』を対策委員会の一員として招いたり、非魔法界に対する魔法族の理解を深めるための各国魔法界報道紙への干渉……予言者新聞はここを一番大きく扱っている。をしたりと要約しても盛り沢山な内容だが、各国の魔法界統治機関に融和に関する専門部署の設立を求めるというのも重要な部分っぽいな。

 

イギリス魔法省には既に非魔法界の調査チームがあるわけだが、それを一時的なものから長期的な活動が出来る専門部署にまで引き上げさせるということらしい。今回要請を出した八ヶ国はどこもイギリスのように調査チームという土壌を形成済みで、かつ非魔法界側の政治的指導者が魔法界の存在を認識しており、おまけに非魔法界への理解度が他国よりも『比較的』高いからテストケースとして選ばれたんだそうだ。

 

紙面にも書いてあるけど、物凄く強気な要請だな。これをグリンデルバルドの頼もしいリーダーシップと取るか、あるいは過度な実行力による『独裁』への一歩目と取るか。記事を書いた記者は世界の反応が真っ二つに割れると予想しているようだ。

 

判断が難しいぞ、これは。ポリッジを食べながら考えていると、隣に腰掛けてきた……ベイン? 同級生のロミルダ・ベインが話しかけてきた。

 

「あーら、ヴェイユ。一人寂しくご飯を食べてるの? 遂にマリサに愛想を尽かされちゃった?」

 

「逆よ。私があのねぼすけに愛想を尽かしたの。最近起こしてあげてばっかりだったし、自分で起きる癖を付けさせないとね。」

 

「……ママみたいなことをしてるわね、貴女。」

 

出端を挫かれて微妙な表情になったベインは、ベーコンや卵やトーストに手を伸ばしつつ話題を変えてくる。ここで食べる気か。相変わらずよく分からないヤツだな。

 

「それで? 何の記事を読んでたの?」

 

「貴女には理解できないであろう類の記事よ。貴女の場合はこっちの方が楽しめるんじゃないかしら? 『ザ・コフィン』のボーカルとベースが喧嘩して、グループが分裂しかけてるらしいわ。二世紀以上もずっと隣同士だった墓の位置を別々にするんですって。」

 

「失礼ね、ゴーストのバンドになんて興味ないわよ。私は『生』の胸板が好きなの。……こっちの記事は何?」

 

「グリンデルバルドが各国に要請を出したって政治の記事よ。」

 

半透明の胸板よりも更に興味がないだろうと思って応じてみれば……おお? 意外にもベインは食事を中断して食い付いてきた。

 

「あら、ひょっとして非魔法界対策委員会の記事? パパの名前が載ってるかも。」

 

「……貴女の父親は対策委員会に何か関係があるの?」

 

「パパは魔法省の調査チームのメンバーなのよ。上から三番目の地位のね。凄いでしょう? 凄いって言いなさい。」

 

「はいはい、凄いわね。そして残念だけど、イギリスの調査チームのことはあんまり書いてないわよ。……でも、もし部署に昇格したら出世になるんじゃない?」

 

そもそもこの要請をイギリス魔法省が受け入れるのかも、昇格した時に調査チームの人事がそのまま適用されるのかも不明なわけだが、仮に異動になった場合まさか降格させられるってことはないはずだ。スプーンを動かしながら送った指摘を受けて、記事を読んでいるベインは嬉しそうに首肯してくる。

 

「そうかも。……イギリス魔法省は受け入れるの? この要請。」

 

「まだ不明よ。昨日付けでグリンデルバルドが国際魔法使い連盟経由で要請したんですって。各国の魔法議会やら魔法省やらが答えを出すのはもう少し先でしょ。」

 

「カッコいいわよね、グリンデルバルド。出来る男って感じで。カリスマがあるわ。」

 

早くも話の焦点がズレてきたぞ。記事にあったグリンデルバルドの写真を見ながらほうと息を吐いたベインに、呆れた気分で相槌を打つ。

 

「あのね、私たちとは百歳以上も離れてるのよ? カッコいいも何もないでしょ。」

 

「別に恋愛対象とかじゃないわよ。単にカッコいいからカッコいいって言ってるだけ。貴女って本当にこういう話に乗ってこないわよね。つまんないわ。」

 

「だって、実際『カッコいい』とは思わないんだもの。仕方がないでしょ。……それより『炭水化物制限』はどうしたのよ。もう諦めたの?」

 

「ケヴィンったら、ガリガリな女は嫌いらしいのよね。だから気にしなくて良くなったの。」

 

また『標的』が変わったのか。どっちのケヴィンだ? グリフィンドールの七年生にも居るが、レイブンクローの五年生にも同じ名前が居たはずだぞ。頭をよぎった疑問を一瞬でどうでも良いかと切り捨てて、ベインから朝刊を取り返して再び目を通す。どうせ来学期には標的が変わっているさ。

 

「やってること自体には反対しないけど、他国の政治機関にまで干渉しちゃうのは問題よね。グリンデルバルドはロシア魔法議会の議長でもあるわけなんだし。」

 

「何の話? ああ、退屈な政治の話に戻ったのね。……だから『要請』なんじゃないの? 平たく言えば頼んでるだけなわけでしょう?」

 

「でも、各国が認めちゃうと『前例』になるわ。この記事もそれを問題視してるみたいよ。対策委員会にどの程度の実行力を持たせるのかと、その議長にグリンデルバルドが選ばれていることの是非を一度きちんと話し合うべきだって。」

 

結構まともなことが書いてあるから、スキーターの記事ではなさそうだな。多分スキーターの記事はゴーストのロックバンドの方なのだろう。そっちは正にゴシップだし、新聞社のエースどのが書いたので一面になっているのかもしれない。

 

文末の名前がやはりスキーターではなかったことに納得していると、ベインとは反対側の席に魔理沙が勢いよく座り込んできた。息を切らしながらだ。寮から走ってきたらしい。

 

「お前な、何で起こしてくれないんだよ。今日は一コマ目から授業だし、朝練もあるし、キノコの様子も見に行かなきゃなんだぞ。」

 

「私は授業も朝練もキノコの世話も無いんだもの。知らないわよ。いい加減自分で起きられるようになりなさいよね。」

 

「キノコ? キノコって何よ。何の話?」

 

「『早起き訓練』をするにしたって、わざわざクソ忙しい今日じゃなくてもよかっただろ? 起こしてくれないなら起こしてくれないって昨日の夜に言っといてくれよ。」

 

きょとんとしているベインの質問を聞き過ごして反論してきた魔理沙に、小さく鼻を鳴らしながら応答する。

 

「言ったわよ。聞いてなかっただけでしょ。」

 

「ねえ、キノコって何なの? キノコがどうしたの?」

 

「いーや、言ってないね。絶対に言ってない。」

 

「ちょっと、そんなのどうでも良いからキノコの話を先に教えてよ。意味が分からないわ。何で急にキノコって言葉が出てきたの?」

 

喧しくキノコを気にするベインを尻目に言い争っていると……おっと、『練習オバケ』が現れたぞ。大広間の入り口の方からユニフォーム姿のジニーがずんずん大股で歩み寄ってきた。寮で着替えを済ませたらしい。

 

「マリサ、行くわよ! 練習をしないといけないわ。練習を!」

 

「待てって、ジニー。先に行っといてくれ。私は飯を食ってキノコの様子を見てから──」

 

「キノコ? この期に及んでキノコなんかを気にしてる場合? それに食事を終わらせてないってのはどういう了見よ。何より優先すべきは練習でしょうが。貴女が朝ご飯を抜いたところで誰も死なないけど、グリフィンドールが負けたら私が憤死するの。だからご飯は無し! キノコも無し! あるのは練習だけよ! 次に忌々しいキノコのことを口に出したらぶっ飛ばすからね!」

 

「……本当に何なの? キノコって。何でこんなにみんなが気にしてるの?」

 

ジニーのあまりの剣幕にちょっと怖くなってきたらしいベインが小声で聞いてくるのに、連行されていく魔理沙を横目に返事を返す。

 

「魔理沙が育ててるのよ、魔法キノコを。それだけの話。」

 

「待ってくれってば、ジニー。……咲夜、ネビルにキノコを頼むって伝えてくれ! アクシオ(来い)、トースト。今日は湿度が低いから霧吹きの量を調節しないとダメだって! アクシオ。それと『紫帽子』にはそろそろ日光が必要になるから移動させてくれって! アクシオ。」

 

ジニーに引き摺られている状態で私に叫びつつ、呼び寄せ呪文でパンやらソーセージやら目玉焼きやらを次々と手に入れている魔理沙。器用なんだか間抜けなんだか分からないその姿をグリフィンドールの生徒たちが見送った後、至極微妙な顔付きでそれを眺めていたベインが口を開く。

 

「キノコが好きなの? マリサは。」

 

「キノコが好きなんじゃなくて、お金が好きなの。……下級生たちが『お手本』にしないといいんだけど。昔双子先輩も呼び寄せ呪文で料理を取ってたわよね?」

 

「技術は受け継がれるってことでしょ。私はあんな器用に呼び寄せ呪文を使えないわ。パンでソーセージとかをキャッチして、最終的にはサンドイッチにしてたわよ?」

 

「呆れてものも言えないわ。本当に無駄な技術だけは持ってるんだから。」

 

下級生は魔理沙の杖捌きに感心したような顔になっていたし、真似する子が絶対に出てくるぞ。そして真似すれば確実に料理を床に落として先生方に怒られる羽目になるだろう。あれは簡単そうに見えて難しいのだ。双子先輩や魔理沙なんかの歴代の『実行犯』が言っていたんだから間違いないはず。

 

監督生集会で『グリフィンドール発祥』の問題として提起されるのは恥ずかしすぎるし、後で注意用のポスターでも作っておくべきか? だけど、それもそれで中々恥ずかしいな。額を押さえながらため息を吐いた私に、食事を再開したベインが非魔法界問題の話題を振ってきた。

 

「でも、この問題が盛り上がってきたらパパのところにも取材が来るかもしれないわね。おめかしするようにって言っておかなくちゃ。」

 

「来ないと思うけどね。取材を受けるのなんて大抵トップの人でしょ。」

 

「そういえば貴女の保護者はどうなの? 隠居してるにしたって何かコメントくらい出せばいいのに。……イギリスには居るのよね?」

 

「内緒よ。コメントも出さないと思うわ。すっぱり政治の場からは引退したんだから。」

 

レミリアお嬢様の発言を求めている者は未だ世界各地に数多く存在しているが、残念ながらお嬢様が『隠居』の場所として選んだのは幻想郷だ。肩を竦めて言い放つと、ベインは然程気にしていない様子で頷いてくる。そこまで関心があるわけではないらしい。

 

「あらそう、今回もコメント無しなの。政治家たちは残念がるでしょうね。……サラダも食べようかしら?」

 

「そうしておきなさい、ベイン。食事ってのはバランスが重要なの。それさえ心に留めておけば、貴女の標的が『ガリガリ派』に心変わりしても何とかなるわよ。」

 

適当な相槌を打った後、食べ終わったポリッジの皿を退けて新聞を読み直す。レミリアお嬢様はともかくとして、リーゼお嬢様はどう思っているのだろうか? 『お気に入り』のグリンデルバルドが大きな動きを見せたのだから、お嬢様もひょっとすると動いているのかもしれない。

 

うーん、グリンデルバルドか。ポッター先輩がお気に入りなのにはムッとするし、東風谷さんに構いっぱなしなのも気に食わないが、さすがに相手がグリンデルバルドともなるとそういう感情は湧いてこないな。あの人は私の脳内のジャンル分けでは『偉人』なのだ。要するに、ダンブルドア先生とかと一緒のジャンル。

 

だからまあ、遠い存在すぎて嫉妬する気にもなれない。そんなわけでリーゼお嬢様がグリンデルバルドを手伝っているとしても、私は一向に構わないわけだが……んー、実際どうなんだろう? 夏休みに入ったら聞いてみようかな。非魔法界問題はレミリアお嬢様も取り組んでいたことなんだから、従者として手伝えることがあるなら手伝わなければ。

 

よしよし、もしリーゼお嬢様から何かを求められた際は応じられるように、今のうちからきちんと勉強しておこう。出来るメイドというのは主人の動きを予測して備えておくものなのだ。ついでに魔法史の時事問題対策にもなるわけだし。

 

予言者新聞の二面記事をじっくりと読み返しながら、サクヤ・ヴェイユはかぼちゃジュースをコップに注ぐのだった。

 



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対等な関係

 

 

「キミにしては珍しいところに呼び出すじゃないか。こういう賑やかな場所は嫌いだと思っていたんだがね。」

 

ロシア中央魔法議会の直上にある、グム百貨店の中のカフェ。百貨店の吹き抜けを利用したバルコニー席に腰掛けつつ、アンネリーゼ・バートリは目の前の白い老人に声をかけていた。

 

忌々しい三バカのお守りを終え、イギリスに帰って来たところでゲラートからの呼び出しがかかったのだ。だからこうして待ち合わせ場所であるカフェに足を運んだわけだが……うーむ、随分と賑わっているな。さすがは赤の広場に長年居座っているショッピングモールだけあって、観光客なんかでごちゃごちゃしているぞ。

 

忙しなく一階を行き交う人間たちを見下ろして小さく鼻を鳴らした私へと、ゲラートはエスプレッソを一口飲んでから口を開く。

 

「騒がしい場所は確かに好かんが、だからといって目を逸らすのは愚か者のやることだ。慣れたことばかりをしていては、新たな発見をすることが出来ない。たまにはこういった場所に足を運ぶのも重要だろう。」

 

「おいおい、自己啓発セミナーにでも行ったのか? 『新たな発見』をしたいのであれば、せめてもっと面白い場所を選びたまえよ。ゲームセンターとかをね。……私は紅茶をもらおうかな。」

 

早苗の『おねだり』で行ってみたが、中々面白い施設だったぞ。寄ってきた店員に注文を伝えながらアドバイスしてみれば、ゲラートは……ふむ? 今日は突っ込んでくれる気分じゃないらしいな。無表情で聞き流してから腕を見せてきた。スーツに包まれている、杖腕とは反対側の腕をだ。

 

「これを見ろ、吸血鬼。」

 

「左腕だね。それがどうしたんだい? カフリンクスを褒めて欲しいのか?」

 

「そうではない、こっちだ。」

 

呆れたような顔付きのゲラートが見せたかったのは、どうやら腕に着けている古臭い腕時計の方らしい。新しく買ったから感想を聞きたいとか? にしてはやけに古くて安っぽいデザインだし、そもそもゲラートは早苗や諏訪子と違って『これどう?』をしてくるタイプではない。何を言わんとしているんだよ。

 

色褪せた革のベルトが付いた腕時計を目にして小首を傾げている私に、ゲラートは謎の行動の意味を伝えてくる。一階を歩いているマグルたちを眺めながらだ。

 

「これは俺が十六の頃から使っている腕時計だ。二束三文で売っていた安物だが、これまでずっと時を刻み続けてきた。ヨーロッパ大戦時も、アルバスとの決闘の日も、ヌルメンガードに収監されていた頃も、ロシア議長としての日々も。百年以上もの長い時間をな。……しかし、先日遂に動かなくなった。ぜんまいを巻いてもピクリとも反応せず、長針も短針も動くことをやめたんだ。」

 

「あー……なるほど、言われてみれば見覚えがあるよ。残念だったね。修理には出さないのかい?」

 

「時計屋には持って行ったが、単純に寿命なんだそうだ。直したいのであれば中の構造を全交換しなければならないらしい。……だが、それをしてしまえば外側が同じなだけの別の時計になってしまう。だから断って帰ってきた。」

 

「……意図がいまいち伝わってこないぞ。何を言いたいんだ? キミは。」

 

ゲラートがこういう曖昧な話を振ってくるのには違和感があるな。よく分からんという表情で疑問を呈してみれば、白い皇帝は皮肉げに口元を歪めながら真意を語ってきた。

 

「この腕時計は高価ではなく、華美でもなく、道端で投げ売りされているような有り触れた品だが、百年もの間己の仕事をやり続けた。ただひたすらに俺の腕で時を刻み続けたんだ。忠実に、愚直に、勤勉にな。……分かるだろう? 吸血鬼。その時計が遂に止まった。それが意味するところは一つしかあるまい。」

 

「……まさかとは思うが、だから自分の『終わり』も近いと言いたいんじゃないだろうね? 根拠が曖昧な上に感傷的すぎるぞ。」

 

「アルバスが自身の終わりに気付いたように、俺もまた気付いたということだ。この時計が最後の仕事としてそれを俺に教えてくれた。……故に急がねばならん。今の俺は緩やかに終わりへと近付いている。今更それを恐れはしないが、すべきことを残したままで死ぬのは御免だ。」

 

「非常に気に食わないね。キミらしからぬ弱気な発言じゃないか。時計如きが語る死なんぞ覆してしまいたまえよ。」

 

死ぬだと? ゲラート・グリンデルバルドが? 何だか分からんが、兎にも角にも気に食わんぞ。何よりイラつくのは、自身の死を語るゲラートの雰囲気がダンブルドアのそれと似通っているところだ。まるで本当に死ぬみたいじゃないか。縁起が悪いからやめろよな。

 

組んだ足を小刻みに揺する私へと、ゲラートは何でもないような面持ちで小さく呟く。

 

「人は死ぬものだ。そうでなければ報われん。死があるからこそ足掻き、終わりがあるからこそ進むことが出来る。俺は死から目を逸らすつもりも、否定するつもりもないぞ。これまでずっと俺として生きてきたのだから、最期も俺として死んでみせよう。……アルバスはそれを為した。ならば俺も為さねばならん。死に様であの男に負けるのだけは認められんからな。」

 

「……対策委員会はどうするんだい? 途中で投げ出すのか? せめて非魔法界問題がどうにかなるまでは生きておきたまえよ。何なら私がそのための『手段』を調達してきてあげよう。別に不死を目指せとまでは言わないさ。ちょっとした延命程度なら誰も気にしないはずだ。」

 

「延命はしない。俺以外の力に頼って生き存えたところで、それは老醜を晒すことに他ならん。……そして対策委員会を中途半端な状態で投げ出すつもりもないぞ。委員会が八ヶ国に要請を出したことは知っているだろう? あれは事態を加速させるための最初の一手だ。次々とああいった手を打ち続けていけば、俺が死んだところで誰も止められないほどのスピードをつけることが出来る。俺が死ぬまでにすべきなのは、非魔法界問題を最大限に『加速』させることだ。」

 

死か。魅魔から学んだ教訓を思い出すな。死ぬ権利だけは侵害されてはならないという教訓を。……頭では理解しているさ。ダンブルドアが自らの終わりを受け容れたように、ゲラートもそうしようとしているわけだ。そこに横から介入するのはあまりに無礼な行いであって、私が選択すべき行動は認めて見送ることなのだろう。

 

つまり、パチュリーがダンブルドアに対して行ったことこそが正解なのだ。今になってようやくあの時のパチュリーの感情が理解できた私へと、ゲラートは淡々と説明を続けてきた。

 

「俺が手を回せるロシアとドイツは問題なく受け入れるし、非魔法界への理解度が高いアメリカもさほど抵抗なく要請を呑むはずだ。そうなればカナダもそれに続くだろう。……よって問題になるのはイギリス、フランス、ブラジル、日本の四ヶ国となる。」

 

「……私からイギリス魔法省に働きかけろってことかい?」

 

認め難い話題のことを考えたくなくて対策委員会の話に思考を逸らした私に、ゲラートは首を横に振って応答してくる。

 

「以前のイギリス魔法省は俺に対する反感が強かったが、今の魔法大臣は理性的に物事を判断できる女だ。非魔法界の事情をそれなりに理解しているようだし、魔法族全体が危機に陥りかけていることもよく把握している。感情からの無意味な反対をしてこないのであれば、俺が説き伏せるのも不可能ではないだろう。」

 

「では、フランスは? そっちは『感情からの反対』をしてくると思うぞ。」

 

「隣国で長年同じ陣営だったイギリスを先に落とせば、フランスの民意も揺らぐはずだ。そうなった時、スカーレットの名を前面に出して交渉する。非魔法界対策は俺の望みでもあるが、同時にスカーレットが賛意を示していた物事でもあるからな。……あの国は今なお骨の髄まで『紅のマドモアゼル』に忠実だ。非魔法界問題の解決がそのスカーレットの意思であったことを思い出させてやればいい。」

 

「自分の派閥に取り込めないなら、スカーレット派であることを利用するってわけだ。残りの二国はどうするんだい?」

 

イギリスが要請を認めるという前提であれば、ゲラートがフランスを動かすのも絶対に無理ってほどではないわけか。思考を回しながら問いを投げてみると、議長閣下は少し難しい顔で返事を寄越してきた。

 

「そこが問題点だ。ワガドゥがあるアフリカは非魔法界の捉え方に差異がありすぎるため今回は削ったが、未来の魔法族の教育機関である七大魔法学校と関係の深い国は是が非でも巻き込みたい。日本とブラジルを外すわけにはいかん。……だがしかし、その二国とはあまりにも繋がりが薄すぎる。俺が両方に対処しようとすれば余計な時間がかかってしまうだろう。」

 

「そこまで言われれば私にだって分かるさ。日本を私が、ブラジルをキミが落とすってわけだ。」

 

「そういうことだ。ブラジル魔法省に対しては、俺がマクーザや連盟経由で手を伸ばしているが……お前の方はどうなっている? 日本魔法界への繋がりは構築できたのか?」

 

「日本魔法界を支配する三派閥のうち、二つには既にパイプを繋いであるよ。残る一つに関しては弱みを握ろうとしているところだ。」

 

進捗を報告してやれば、ゲラートは一瞬だけ黙考した後で自身の視点を口にする。

 

「三つの派閥が存在することはこちらも把握しているが、やはり外側から内部事情を探るのは難しいようだ。他国の公人相手に内側の争いを見せるほど間抜けではないらしい。私人として自由に動けるお前の方が深くまで調べられるだろう。……交渉相手として相応しい派閥は特定できたか?」

 

「現状の判断だと藤原派か細川派のどちらかを『窓口』にして、松平派は弱みを握って利用するってのが最適解に思えるかな。要するに二対一に持ち込めばいいんだから、そう考えた時に『味方』として頼りになりそうなのは藤原派か細川派だ。図体がデカいだけに動きが鈍そうなんだよ、松平派は。」

 

外交力が頭一つ抜けている藤原派と、闇祓いや魔法技研を傘下に収めている細川派からは集団としての纏まりを感じたものの、松平派はどうにも意思の統一がなされていないように思えるのだ。派閥としての人数は最多らしいが、故に内側でのゴタゴタが他の二派よりも目立っているという印象を受けたぞ。長期的に利用するならともかくとして、短期的な窓口としては魅力を感じないな。

 

運ばれてきた紅茶を一口飲んでから答えた私に、ゲラートは詳細を詰めるための質問を放ってきた。

 

「フジワラとホソカワか。強いて言えば有力なのはどちらだ?」

 

「それは相手に何を望むかによるね。キミが出した要請を通すための手伝いだったり、あるいは非魔法界問題に対する国際的な動きの促進を期待するのであれば藤原派かな。他国との外交に関しては藤原派が実権を握っているようなんだ。……反面、日本国内への直接的な影響力や非魔法界問題を正しく理解できそうなのは細川派の方だよ。闇祓いという武力を握っているのも重要だが、それ以上に傘下の『魔法技研』という組織が絶大な力を持っているようでね。非魔法界の技術と魔法を組み合わせる実験なんかも行っているんだそうだ。」

 

「……マツダイラ派を仮想敵にすることで両方を引き込むのは無理なのか?」

 

「無理かな。日本魔法界の三派閥ってのは根っこの部分で争うように出来ているみたいだから、手を結ぶのは一派だけにしないと後々『内ゲバ』が起きるぞ。加えて言えば、それが表面上だけだとしても二派の協力体制を構築するのには時間がかかりすぎる。その忌々しい腕時計の『予言』が万が一本当だった場合、キミには時間がないんだろう?」

 

ぶん殴ったらまた動き出さないかな。ぽんこつ腕時計め。ゲラートの腕に着いている時計を指して言ってやれば、ロシアの議長どのはガラス張りの屋根を見上げつつ応じてくる。その顔に浮かんでいるのは『面倒くさいな』の表情だ。日本魔法界の複雑さはきちんと伝わったらしい。

 

「一派を味方に、一派を敵に、そして一派を弱みで操るのが最も現実的な『多数』の握り方だということか。……お前の話を聞いた限りでは外交強者のフジワラ派が魅力的に思えるが、魔法技研という存在も無視できんな。難しいところだ。」

 

「非魔法界問題を加速させようと思った時、外交屋が欲しいか技術屋が欲しいかで決めればいいじゃないか。言葉で民衆を納得させるか、非魔法界の技術を見せることでそれをするか。どっちが良いんだい?」

 

「……言葉を操る人材は足りているが、非魔法界の技術に詳しい魔法使いは未だ貴重だ。ホソカワ派との繋がりを強化してくれ。フジワラ派とは完全に関係を切って構わん。」

 

「はいはい、了解だ。相変わらず思い切りがいいね。」

 

中々どうして釣り合いが取れている二択だし、さすがのゲラートももうちょっと悩むと思ったんだけどな。肩を竦めて頷いた私に、ゲラートは当たり前のことを聞くなという顔で返答を飛ばしてきた。

 

「決断することこそが指導者の役目だ。それが出来ない人間はこの国の議長にも委員会の議長にも相応しくあるまい。」

 

「キミが思う以上にそれが出来る人間ってのは少ないんだよ。普通は迷うし、失敗した時の責任の重さに怯んで動けなくなるもんさ。……松平派については現状の対処で問題ないんだね?」

 

「真に無能なのは失敗する指導者ではなく、決断できない指導者だ。誰しもにそれを望むつもりはないが、少なくとも俺は歴史からそのことを学んでいる。……マツダイラ派に関してはお前に一任しよう。スカーレットしかり、お前しかり。悪巧みで吸血鬼に勝る存在が居るとは思えないからな。」

 

「そんなに褒めないでくれたまえ。……何にせよ、日本魔法界の『窓口』は細川派ってことで進めていくよ? キミと繋げばいいのかい?」

 

藤原派とは紐を結んだばっかりだったんだけどな。どうも無駄になっちゃったらしい。ちょびっとだけ残念に思いながら問いかけてみると、ゲラートは一つ首肯して補足を述べてくる。

 

「ああ、繋いでくれ。それと可能ならば対策委員会の要請を通すための工作も頼みたい。出来るか?」

 

「誰にものを言っているんだい? 出来ないわけがないだろうが。日本魔法省にあの長ったらしい要請を呑ませればいいんだね? そんなもんちょちょいのちょいだよ。」

 

正直なところ確実に出来るという自信はないが、この男からこう聞かれて『出来ないかも』だなんて言えるはずがない。自信満々の態度で請け負った私に、ゲラートは真面目くさった顔付きで更なる要望を出してきた。欲張りなヤツだな。

 

「もう一つ、魔法技研とやらの詳細な情報が欲しい。日本の非魔法界調査チームの報告を受けに行った際は名前が出なかったから、これまでは気にも留めていなかったが……お前の話からするに非魔法界対策において有用な組織だと言えるだろう。」

 

「さっきも言ったように他国との外交の窓口が藤原派になっているから、細川派である魔法技研をチームに参加させなかったのかもしれないね。調査するだけでいいのかい?」

 

「巻き込めるなら巻き込んでくれ。非魔法界対策の部署の設立が叶うのであれば、その組織を是非とも組み込みたい。」

 

「やってみるよ。細川派を窓口にするんだから、向こうから接触してくるかもしれないしね。」

 

細川派ね。西内家から話を通すついでに細川京介の方にも働きかけてみるか? 期待しているわけではないが、弾数が多いに越したことはあるまい。『標的』を細川派に絞るならルートは相応に少なくなるんだし、ダメ元でやってみても損は無いはず。

 

今後どう動くかを考えていると、ゲラートはソーサーの下にルーブル紙幣を挟んで席を立つ。

 

「では、俺は地下に戻る。当面はイギリスとブラジルへの政治工作に集中するから、日本はお前に任せたぞ。」

 

「……置いていくのはエスプレッソの代金だけかい?」

 

黙って見送るのが何となく嫌で適当な皮肉を投げてみれば、ゲラートは薄く笑いながら応答してきた。

 

「当たり前だろう? もはや俺が食事の代金を支払わずに済む相手はお前だけだからな。自分で払え、吸血鬼。それが対等な関係というものだ。」

 

「ケチなヤツだね。……最低限、私が仕事を達成するまでは勝手に死ぬなよ? 死者のために働くなんてのは冗談にもならないぞ。」

 

「安心しろ、まだその時ではない。無様に生き存えるのは御免だが、定められた時より前に死ぬつもりもないからな。死ぬべき時に死ねるように、生きるべき時までは生きてみせよう。」

 

「別に不安になっちゃいないよ。仕事が無駄になることを心配しただけさ。」

 

去り行くゲラートに声をかけてから、紅茶を飲んで顔を顰める。不味いな。苦すぎるぞ。これだからロシアの紅茶はダメなんだ。

 

「……ふん。」

 

自分が何故イラついているのかを考えないようにしつつ、アンネリーゼ・バートリは大きく鼻を鳴らして深々と席に背を預けるのだった。

 



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ウミツバメ

 

 

「ちょっ、ダメだってば。もうお兄ちゃんになったんだからこれは食べられないでしょ? めだよ。めっ!」

 

鳥舎の中から嘴を出して私の服を引っ張ってくる海燕たちを叱りつつ、東風谷早苗は液体状の餌が入っているバケツを死守していた。これは奥の方に居る雛たちのための餌なのだ。成鳥に取られるわけにはいかないぞ。

 

楽しかったゴールデンウィークが終わってしまい、また退屈なマホウトコロでの生活が戻ってきた五月の中旬。現在の私は今年もなし崩し的に任命された『海燕係』の任を果たすべく、昼休みの時間を使って海燕たちへの餌やりを行っているのである。

 

日本魔法界の誰もが知っている通り、海燕はマホウトコロ呪術学院を象徴する美しい鳥だ。だからこの鳥自体は非常に人気がある魔法生物ではあるものの、マホウトコロにおける『海燕係』は……まあ、往々にして一番最後に余る係という位置付けだな。誰も立候補しないしやりたくないから、私みたいな『はみ出し者』にお鉢が回ってくるような係。

 

第一の問題点として、海燕たちの鳥舎が遠いことが挙げられるだろう。マホウトコロの七階の東の端に位置しているこの場所に来るのがそもそも面倒くさいし、誰もが貴重な昼休みをそんなことに使いたくはない。海燕係はみんなが中庭でクィディッチをしたり、図書館で勉強をしたり、空き教室でお喋りを楽しんでいるのを他所に、午前の授業が終わった直後に急いで大広間に行って昼食を掻き込んで、二階の生物学準備室から七階までせっせと重い餌入りのバケツを運んでこなければならないのだ。

 

この時点で既に立候補者はゼロになりそうだけど、まだまだ問題点は多い。海燕は巨大な魔法生物なので鳥舎の掃除は大変だし、力も相応に強いから餌やりだって一苦労だ。おまけに凄く賢いから油断すると悪戯で酷い目に遭ったりとか、『おねだり』の時に鋭い嘴で制服を噛まれてボロボロにされたりとか、甘えて頭を擦り付けてくる時に勢いがあり過ぎて吹っ飛ばされたりとか、とにかく大変なのである。

 

だから私は海燕係が選択肢に入ってくる七年生の頃から、ずっとこの仕事を押し付けられているわけだ。係に選出されるのは各寮の七、八、九年生から男子三名、女子三名ずつの計十八名。つまり全寮全学年だと五十四人が海燕係になっている計算になるので、仕事が回ってくる頻度こそ月に一、二回のペースではあるものの……同寮同学年の子が手伝ってくれたことは一度もないな。

 

基本的には毎日ある世話を三寮で分担して、それを更に学年ごとに分担し、最終的には男女でも分担しているので普通なら同学年の女子二人が一緒に世話をするのだが……まあうん、そうすると当然『面倒だし、蛇舌にやらせとけばいいじゃん』となるわけで、私は七年生の頃から一貫して一人で作業を行っている。もう慣れたさ。むしろ一緒にやって気まずくなるよりずっとマシだぞ。

 

「はーい、ご飯ですよー。」

 

今日も制服の肩の部分が噛まれてほつれてしまったことに落ち込みつつ、奥にある雛用の鳥舎に足を踏み入れた。海燕は普通の鳥より遥かに長生きなので、産卵の機会が少ないし雛の期間もそれなりに長いらしい。この子たちは去年の秋に生まれたグループだけど、まだヒヨコに近い見た目だな。真っ黒でふわふわの体毛に身体を包まれていて、バケツを持った私が鳥舎に入った途端にピヨピヨ鳴きながら──

 

「ぐぇ。」

 

『……早苗? 大丈夫か?』

 

「……だ、大丈夫です。」

 

勢いよく突っ込んできた雛たちを支え切れずに転倒した後、神奈子様に応じながら何とか立ち上がって餌やりを始める。雛といってもさすがは海燕の雛だけあって体長は一メートルほどだし、それに見合ったパワーもあるのだ。物凄い必死さで鳴きまくって餌を要求してくる雛たちに、なるべく均一に行き渡るように調整しつつ餌をあげていく。四羽だから、四分の一ずつだな。

 

「君はもう食べたでしょ? こっちの……ああ、出ちゃダメ! どこでそんなこと覚えたの? めっ! めだからね!」

 

恐ろしいな。鳥舎のドアを器用に開けようとしていたぞ。脚を使ってロックを外そうとしていた子を叱っている間にも……わああ、これだから油断できないんだ。一際食いしん坊な子がバケツに首を突っ込み始めた。

 

「何してるの! 離し……こら、離しなさい! 何でそんなに食いしん坊なの! ダメでしょ? ダメっ。」

 

『こいつらを見てるとつくづく思うけどさ、賢いペットってのはやっぱダメだね。多少バカな方が扱い易くていいんだよ。犬とか猫程度の賢さが一番なんじゃないかな。』

 

諏訪子様の呆れたような声を背に何とか餌やりを終わらせてから、今度は鳥舎の掃除に入る。纏わり付いてくる雛をあしらいながら床に敷かれている藁を交換して、水場の水を補給して、遊び用の砂場と小さな海水のプールを整えて、温度と湿度をチェックして『お世話ノート』に書き込み、四羽の雛たちに何か異常はないかと観察してやれば……よし、異常なしだな。これでこっちは終わり。次は成鳥たちの世話だ。

 

『丁寧に確認しときなよ? ドアのロック。この前雛を脱走させて桐寮の当番が絞られてたっしょ? 教頭からめちゃくちゃ怒られたらしいし、そうなるのが嫌なら入念にチェックしときな。』

 

「さっきのを見ると不安になってきます。魔法でロックがかけられればいいんですけど、私はあれが苦手ですから。……まあ、多分大丈夫じゃないでしょうか?」

 

諏訪子様の注意に頷きつつ、雛用の鳥舎のロックを再度確認した。このドアは鍵ではなく、鉄の棒をつっかえさせるような感じのロックの仕方なのだ。普通の鳥だったら絶対に出られないだろうけど、やんちゃで賢い海燕の雛たちが相手となると心配だぞ。

 

とはいえ、現状ではどうにもならない。お世話ノートに『鍵を開けようとしていました』って書いておいたし、担当の先生が対処してくれることを祈っておこう。ため息を吐きながら一度鳥舎の外の廊下に出て、二階から運んできた台車の上にある成鳥の餌が入っているバケツを手に取る。人数が居れば分けて持ってこられるし、一人でも魔法が上手ければ浮遊魔法で纏めて運べるわけだが、私はどちらでもないので台車を使って運んでいるのだ。

 

海燕係を一人でやることにはもう慣れたけど、この台車を使う恥ずかしさは未だに消えないな。これに大量のバケツを載せて七階まで運んでいる姿を他の生徒に見られた際、『あれが例の蛇舌か』という反応をされるとどうにも虚しい気分になってしまうぞ。台車を使うということはつまり手伝ってくれる友達が居なくて、かつ浮遊魔法すら満足に使えないという証明に他ならない。そんな上級生はマホウトコロで私だけだ。

 

特にこの時期は本当に嫌になるぞ。すれ違う在校生が新入生たちに、『関わるべきではない人物』として紹介しているのが聞こえてしまうのだ。ここまでの道中を思って憂鬱になりながら、海燕たちの口の中に次々と魚を放り込んでいく。成鳥はある程度力加減を学習しているし、餌やりが始まりさえすれば待っているだけでも餌を貰えることを知っているので、この段階まで来ると雛よりも遥かに楽だな。始める前の『おねだり』も我慢できるようになれば完璧なのに。

 

ちなみに餌やりの順番は明確に決まっている。海燕は群れを作る生き物だから、序列が上の個体から順番にあげていかないと後でトラブルが起きるらしい。群れにおける序列は飛ぶスピードや身体の大きさ、嘴の長さなんかで決まるんだそうだ。

 

私が海燕だったら餌を貰えるのは一番最後だろうなと考えつつ、空になったバケツを台車の上に戻して掃除に移った。雛よりもずっと数は多いけど、掃除も基本的には成鳥の方が楽かな。ちょっと退いてと声をかければ理解して退いてくれるし、半数ほどは自分で汚れた藁を『提出』してくるほどのお利口さんっぷりなのだ。特別悪戯っ子な個体の鳥舎以外はスムーズに作業できるだろう。

 

「はい、ありがとう。」

 

汚れた藁を一羽一羽個別になっている鳥舎の中からこっちに押し出して、新しい藁を嘴で受け取って勝手に敷いてくれる子の頭を優しく撫でていると、神奈子様が警告を寄越してくる。

 

『早苗、またあのバカ鳥が藁を撒き散らしているぞ。』

 

「へ? ……こら! ダメって言ったのに!」

 

『構うから図に乗るんだよ。無視して餌抜きにしてやればいいのに。』

 

「それはさすがに可哀想ですし、勝手に餌を抜くわけにはいきませんよ。……どうしてこんなことするの! ダメでしょ!」

 

諏訪子様に応答してから、群れで一番の悪戯っ子を叱りつけた。序列で言うと七番目の子で、誰かが世話に来ると構ってもらいたくて鳥舎の中の藁を咥えて通路に撒き散らすのだ。こっちが怒っているのにクルクルと甘えた声を出す悪戯っ子にどうしたもんかと困っていると、隣の鳥舎の海燕が頭を出して悪戯っ子を睨みながら鋭い鳴き声を上げる。

 

すると途端に奥へと引っ込んでいった悪戯っ子を見てきょとんとしている私に、神奈子様が疑問げな声を送ってきた。

 

『……急に大人しくなったな。どうなっているんだ?』

 

『格上に注意されてビビってるんでしょ。そっちの海燕は序列二位だもん。やっぱ早苗は舐められてるんだよ。』

 

「ええ? そんなこと言われても、仕方ないじゃないですか。……助けてくれたの? ありがとうね。」

 

二位の子の嘴の付け根をカリカリと掻いてやれば、気持ち良さそうに目を細めながらクルクルと鳴いてくる。うーん、可愛いな。こういうところが日本魔法界の魔法使いたちに愛される所以なのかもしれない。

 

海燕は巨大な鳥だし鋭い嘴があるから昔はちょっと怖かったけど、今はそういう感情は全く湧いてこないぞ。この子たちは服をボロボロにしたり悪戯で困らせたりはするが、意図的に人を傷付けるようなことは絶対にやってこないのだ。生物学の先生は犬が非魔法族の友であるように、魔法族の友は鳥なんだって言っていたっけ。大昔の日本の陰陽師たちは海燕のような賢い鳥を何種類も飼い慣らしていたらしい。

 

「諏訪子様と神奈子様は大鴉や袂雀を見たことがありますか?」

 

嘗て海燕と同じように日本の魔法使いたちに飼われていた大鴉と袂雀。鳥舎の掃除を進めながら、今はもう保護区に数羽ずつしか残っていないというその魔法生物の名前を口にしてみると、お二方は懐かしそうな口調で返事を返してきた。

 

『あー、昔は飛んでたねぇ。でっかいカラスとちょっと大きめの白い雀でしょ? 特に袂雀は術師が使ってるのをよく見たよ。袂に入れといて、手紙とかを運ばせるんだよね。』

 

『いつの間にか見なくなってしまったな。最近では普通の雀すら少なくなってきたように思えるぞ。まあ、カラスは依然嫌というほどに見かけるが。』

 

『私はどっちも好きじゃなかったけどね。神性的に鳥とは相性が良くないんだよ。神奈子は風神だから多少縁があるけど、私としては稲を荒らしたりする連中ってイメージかなぁ。』

 

「でも、可愛いと思いませんか? ほら。」

 

手を伸ばすとすりすりと頭を擦り付けてくる海燕を示して言ってやれば、諏訪子様は苦笑している感じの声色で相槌を打ってくる。

 

『こいつらは魚を食べる海鳥だから、嫌いってほどじゃないよ。諏訪では見たことないしね。……飼いたいの?』

 

「いやいや、そこまでではありませんよ。個人で飼えるような鳥じゃないですし。」

 

『アンネリーゼちゃんに頼んでみればいいじゃん。……ああでも、鳥は嫌いなんだっけか? 何でなんだろ?』

 

『羽毛はセンスが無いからと言っていたぞ。皮膜こそが格式高い翼であって、羽毛派はダメなんだそうだ。』

 

なんだそりゃ。結構リーゼさんと会話している神奈子様の説明に、諏訪子様がアホらしいという声で返答した。

 

『私たち神もそうだけどさ、妖怪も変なところに拘るヤツが多いよね。狐と狸の喧嘩みたいなもんなのかな? 傍から見ればどっちもどっちってパターンのやつ。』

 

『だろうな。他者との差別化を図ろうとするのは妖怪の本能だ。アイデンティティの確立がそのまま存在としての強さに繋がるのだから、そういったよく分からない拘りを持つのは当然のことだろう。似ている種族とは得てして仲が悪くなりがちなのさ。』

 

『吸血鬼は鳥妖怪と相性が悪いってことなのかもね。……例えば鴉天狗とか? 夜雀もダメかな。』

 

「鳥の妖怪も沢山居るんですね。」

 

天狗はさすがに知っているけど、夜雀というのは初耳だな。ちょっとカッコいい名前だなと思っていると、神奈子様が一つ鼻を鳴らしてから言葉を放つ。

 

『普通の鳥はともかくとして、鳥妖怪は私も好かん。特に鴆が嫌いだ。蛇を狙うわ毒はあるわで百害あって一利ないぞ、あの鳥は。』

 

『まーた始まった。噂で聞いてるだけで、鴆とは会ったことないじゃんか。……聞いてよ、早苗。こいつったら大昔にサイの角を怪しい南蛮妖怪から買ったんだよ。鴆の毒に効くとかって騙されて、高い金出して買っちゃったの。バッカみたい。』

 

『お前、備えあれば憂いなしという言葉を知らないのか? 鴆毒は凄まじい猛毒なんだぞ。解毒剤はサイの角を削った粉だけなんだ。あの緑髪の南蛮妖怪はそう言っていた。薬師だと名乗っていたし、効能もきちんと説明してくれただろう?』

 

『このバカ蛇ったら、何百年間騙され続けんのさ。あんなもん嘘に決まってるでしょうが。早苗が昔動物図鑑を読んでた時に私も後ろから見てたんだけど、あれって毛なんだってよ。毛! あんたはアホみたいな金額でサイの毛を買ったの! 毛をね!』

 

あ、マズいな。お二方がいつもの言い争いモードの『助走』に入っているぞ。ここで神奈子様が引いてくれれば収まるんだけど……ぬう、今回は引く気がないようだ。反論が耳に届いてきた。

 

『老眼で読めなかったんじゃないのか? あんな硬い物が毛のはずがないだろうが。大体、あの程度の金額で何百年間もぐちぐちと……狭量蛙め。そもそも私が自分で払ったんだから関係ないだろう?』

 

『はあぁぁ? あれは私が頑張って畑仕事の手伝いとかをして貯めてたお金なんですけど? それをあんたが勝手に使ったんじゃん! 記憶の捏造はやめてもらえる? この痴呆蛇!』

 

『ふざけるなよ、耄碌蛙。あれは私が貯めたへそくりだ。私の物を都合良く自分の物にするのはやめろと言っているだろうが。……早苗、こいつの言うことを信じるなよ? 普段の行いを見れば一目瞭然だろう? 悪いのはこいつの方だ。』

 

『おいこら、早苗に嘘を吹き込むのはやめな。サイの毛を買ったバカの話なんて信じるんじゃないよ、早苗。こいつが昔からバカなことばっかりやってるから、いっつもいっつも私が帳尻合わせをさせられてたもんさ。……そうだ、思い出した。そういえばあんた、大昔に田んぼの水路を作ろうとした時に訳の分かんないやり方をして全部ダメにしたね。その時も私の所為にしたでしょ。』

 

話の内容がサイの角から一気に飛んだな。怒っている時の諏訪子様がよく繰り出す話題展開に、神奈子様が買い言葉で応じようとした寸前、私が大声で無理やり発言を挟む。

 

「えーっと、終わりました! お掃除終了です! じゃあ、行きましょうか!」

 

『待ちな、早苗。こいつの罪をきちんと暴いて糾弾しないと──』

 

『少し待て、早苗。今日という今日はいい加減に分からせてやる必要が──』

 

「わー、急がないと! 急がないと次の授業に間に合いません! バケツを生物学準備室に返して、置いてきたバッグを回収して、それから宿題をやってない言い訳を考えないと!」

 

とにかく会話をさせまいと強引に声を被せながら廊下に出て、空のバケツが載った台車に手を添えたところで……細川先生? かなり気まずげな表情の細川先生が目の前に立っているのが視界に映った。

 

「……こんにちは、東風谷さん。一応私も教師なので、宿題はしっかりやっておくことを勧めておきます。」

 

「あぅ……あの、はい。」

 

「誰かまだ鳥舎の中に居るんですか? お喋りしていたようですが。」

 

「いや、えと……海燕。そう、海燕と話してました。だからその、動物に話しかけちゃうタイプなんです、私。」

 

これはめちゃくちゃ恥ずかしいな。この辺は普段誰も通らないから、最後の方は油断して結構な声量で喋っていたぞ。まさか『神々と対話していました』と言うわけにはいかないし、あのレベルの声で独り言を喋っていたというのは異常すぎる。それにしたって恥ずかしいのには変わりないけど、海燕と会話していたことにするしかないだろう。

 

顔が赤くなっていることを自覚しながら言い訳した私へと、細川先生は視線を逸らして首肯してくる。気を使ってくれているらしい。ああもう、更に恥ずかしくなってきたぞ。

 

「なるほど、そうだったんですか。まあ、私もたまに猫に話しかけたりしますし、別段おかしなことではありませんね。……時に東風谷さん、バートリ女史にはもう伝えてくれましたか? 私が手伝えるということを。」

 

「はい、伝えました。」

 

「反応はどうでした? 乗り気でしたか?」

 

「えっと、私はただ伝えただけなので……すみません、そこまではちょっと分からないです。手紙で聞いてみましょうか?」

 

ひょっとして、それを聞くためにここまで来たんだろうか? 随分と熱心だな。恥ずかしさに縮こまりながら応答した私に、細川先生は大きく頷いて肯定してきた。

 

「お願いできますか? お役に立つために色々と準備しているので、是非一度話だけでもさせて欲しいと伝えてください。」

 

「分かりました、今日にでも手紙を送っておきます。……ええっと、そのために私を探してたんですか?」

 

「まあその、どんな状況なのかが気になってしまいまして。他の生徒から東風谷さんが海燕の世話をしに行くところを見たと聞いたので、七階での用事を終わらせるついでに寄ってみたんですよ。……それでは、私は失礼しますね。どうせ二階に行くからこれも運んでいきましょう。」

 

「あ、ありがとうございます。」

 

杖魔法で動き出した台車と共に去っていく細川先生にお礼を投げてから、彼の姿が遠ざかったところでお二方に対してポツリと文句を呟く。

 

「……恥ずかしかったです。」

 

『ごめんごめん、悪かったよ。』

 

『すまない、早苗。少々騒ぎすぎたようだ。』

 

細川先生の中では、蛇どころか鳥にまで話しかける変わり者の生徒になっているんだろうな。それもあんな大声でだ。私だったらちょっと引くぞ。ああ、恥ずかしい。

 

鳥舎の戸締りを確認してからとぼとぼと七階の廊下を歩きつつ、東風谷早苗は自分の中に追加された『失敗譚』に小さくため息を吐くのだった。

 



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次はどうなる?

 

 

「ああ、これはふぐだね?」

 

食べたことがあるんだぞ、私は。目の前に運ばれてきたふぐ刺しを見て、アンネリーゼ・バートリはしたり顔でうんうん頷いていた。結構な広さの和洋折衷の室内には黒い長テーブルがあり、椅子に座ってそれを囲んでいる私たちのことを照明が控え目に照らしている。何処となく怪しげな雰囲気があるな。『高級な密談部屋』ってところか?

 

五月も下旬に差し掛かった春の日の夕刻、私は都内の料亭で細川派の魔法使いたちとの会食を行っているのだ。ホストは細川派側で、参加者は西内家の当主とその息子である西内陽輔と西内陽司、細川派の重鎮らしい細川政重とかいう老人、そして私と中城霞の五名なのだが……中城め、まだ私のことを睨んでいるな。

 

細川派との関係を深めたい私がここに居るのも、その窓口となっている西内親子がホスト役をやっているのも、派内の重要人物っぽい細川政重が参加しているのもおかしなことではないのだが、学校を卒業したばかりのプロクィディッチプレーヤーが隣に座っているのはかなり奇妙なことだろう。どうも中城は私の『友人枠』として呼ばれたらしい。こいつとは会ったのも話したのも数回程度なのに、何がどうなってそういう認識になったんだよ。

 

私もこの料亭に来るまで小娘の参加を知らなかったわけだが、中城の方も訳の分からん理由で急にこんな面子の中に放り込まれたらしく、顔を合わせてから今に至るまでずっと『よくも巻き込んだな』というジト目を向けてくるのだ。

 

今なお私に怨嗟の念を送ってきている中城を涼しい顔で無視する私に、西内の息子の方が世辞を寄越してきた。見事な外交用の笑みを浮かべながらだ。

 

「これは、ご存知でしたか。さすがですね。ふぐを食べる文化は非常に珍しいはずなのですが。」

 

「こっちで食べたことがあるのさ。他国の文化を知るのは重要なことだからね。相手に歩み寄ろうという気持ちは大切だろう?」

 

「いや、おっしゃる通りです。勉強になります。……霞さんもどうぞ召し上がってください。お好きでしょう? ふぐ。」

 

「あー……まあ、はい。」

 

西内陽司。見た目は二十代の若造だが、相手に警戒されないための術を心得ている男という印象だ。気弱そうな顔付きと細身の身体、淡いグレーのスリーピース、高くも低くもない穏やかな声と当たり障りのない口調、常に浮かべている和やかな笑み。計算で雰囲気を作っているんだとしたら大したもんだな。油断すると私ですら気を緩めそうになるぞ。

 

そしてその父親である西内陽輔も似たような空気を纏っている。黒縁眼鏡の下の柔和な表情、派手でも地味でもないダークグレーのスーツ、退屈はさせないが差し出がましくはない程度の適度な発言量。この親にしてこの子ありってところか。確かにこれは『外交上手なクッション役』だな。どこに挟んでも上手く調整してきそうな感じだ。

 

中城の気の無い応答を耳にしながら西内親子を改めて観察した後、対面に座っている老人へと視線を移した。私にとっての今日の問題はこいつだな。細川政重。八十は絶対に超えているであろう枯れ木のような風体だが、グレーの着物と黒の羽織に身を包んだその姿からは重厚な印象を受ける。中城は最初に部屋に入った際にこの爺さんが居るのを見て顔を引きつらせていたし、年齢から考えても細川派の上層に位置する人物と判断して間違いないだろう。

 

しかしまあ、全然喋らん爺さんだな。ここまではウォーミングアップのような話題ばかりだったので仕方ないっちゃ仕方ないが、普通なら多少は場を盛り上げようとするはずだ。それをする気配すら見せないということは、普段する必要のない立場にあるということだが……んー、分からん。来る前に細川派の組織図をもう少し詳しく調べておけばよかったかもしれない。『偉いヤツ』というのが判明したところで、どこがどう偉いのかが分からないと突きようがないぞ。

 

ふぐを食べながら面倒だなと内心でため息を吐いていると、今度は西内の父親の方が中城へと口を開く。会話の停滞を見て取って、話題作りをしようというつもりらしい。

 

「そういえば霞さん、デビュー戦を見事勝利で飾ったそうですね。おめでとうございます。」

 

「えっと、ありがとうございます。」

 

「プロ公式戦初出場にして八十得点とは、将来が恐ろしくなるほどの才能ですね。新人王も目指せるのでは?」

 

「いやー、気が早いですよ。得点の方もチームのみんなが花を持たせてくれたからですし、まだまだプロの環境に慣れるので精一杯です。」

 

やっぱり話題を振るとなるとクィディッチなのか。そこはどの国の魔法界も変わらんなと思っていると……何だこいつ、いきなりだな。それまで沈黙を貫いていた爺さんが、カッと目を開いて会話に参加してきた。

 

「わしが思うに、国内リーグでの新人王は充分に狙える位置でしょうな。今季の豊橋天狗は非常に強い。トレードでキーパーの山橋を獲得した上、唯一競り合える相手だった桜島袂雀が勢いを落としている。環境が味方しているのであれば、貴女の実力なら容易く手が届く範囲だと言えるでしょう。……むしろ目指すべきは国外リーグでの活躍なのでは? 国内リーグ同様、来季のアジアリーグにも穴は多い。付け入る隙があるのだから、狙わなければ損ですよ。」

 

めちゃくちゃ喋るじゃないか。理知的な口調でスラスラと語り始めた爺さんへと、中城が慌てて首肯して返事を返す。ふむ、話し慣れている感じの言葉の運び方だな。そういう仕事をしているか、あるいはしていたのかもしれない。

 

「そ、そうですね。はい、国外リーグ。細川教授の言う通りです。」

 

「中城さん、貴女の活躍は細川閥の地位向上にも繋がります。細川閥を背負っているという自覚を持って励んでいただきたい。……無論我々も援助を惜しむつもりはありませんよ。何か細川閥への要望はありますかな? 新たな箒、チームへの寄付金、練習施設や器具の充実。必要なものがあればわしから上に通しておきましょう。」

 

「いえいえ、今は特に無いです。だからその、大丈夫です。」

 

「そうですか。」

 

恐縮したように中城が両手と首をぶんぶん振って答えたのに、細川翁は端的に応じて再び黙り込むが……『細川教授』? 教授ね。話し方も何となくそれっぽいし、ひょっとして研究職か教職の人物なのか?

 

私が疑問を覚えたところで、西内陽輔がこちらに意識させる程度に居住まいを正して話しかけてきた。それとない仕草だが、要するに本題に入りますよという合図なのだろう。

 

「バートリ女史、改めまして本日はお呼び立てして申し訳ございません。本来ならば私共が足を運ぶべきなのですが、細川教授は国外に出られないものでして。」

 

「国外に出られない? どういう意味だい?」

 

「細川教授は日本魔法技研の設立者の一員ですので、まあ……何と言いますか、国外への情報の流出を防ぐために魔法省から出国を禁じられているんです。」

 

「それはまた、随分と厳重な制約を課されているね。」

 

凄まじいな。情報の秘匿のためということか。戦時みたいなシステムにちょっと引いていると、件の細川翁が説明を引き継いでくる。本題に入って話す気になったらしい。

 

「現在の日本魔法技研は嘗て『大日本魔法技術研究所』と呼ばれていた組織でしてな。その頃は非魔法界での大戦が起きておりましたので、我々魔法使いたちも有事に備えておかねばならなかったのです。結局各国魔法界は世界大戦への介入を最小限に留め、故に我々日本の魔法使いも深くまでは干渉しませんでしたが、魔法技研にはその頃研究されていた『負の遺産』が数多く残っております。闘争に駆られた嘗てのわしらが生み出してしまった、愚かしさの残り滓が。……それを知る者を外に出すわけにはいきますまい。わしらは口外せぬまま死んでいくべきなのですよ。魔法省の出国制限は当然の判断と言えるでしょう。」

 

「ふぅん? 魔法技研の源流は非魔法界の大戦にあるのか。想像していたよりも若い組織なんだね。」

 

「技研が正式に発足したのは七十年ほど前です。それまで日本における魔法研究の場は魔法処だけで事足りていましたから。……しかしながら、第一次世界大戦が日本魔法界に及ぼした衝撃は大きかった。スカーレット女史の身内でありイギリスの魔法界に属する貴女にとっては、ヨーロッパ魔法大戦の方が重要な出来事として記憶に残っているのかもしれませんが、当時の日本魔法界にとって第一次世界大戦は危機を感ずるに足るほどの戦争だったのですよ。」

 

「一度目の非魔法界の大戦か。……まあ、そうだね。キミが言うように私たちにとっての『大戦』はヨーロッパ魔法大戦の方かな。『向こう』の大戦も全く覚えていないというほどではないが、そこまで強い印象を受けたという記憶もないよ。」

 

二度目の大戦は規模が規模だったのでその限りではないが、一度目に関してはイギリスの魔法使いたちもほぼ同じイメージを持っているだろう。ゲラート・グリンデルバルドの頭角。ヨーロッパ魔法史においてはそういう時期だな。

 

肩を竦めて返答した私に、細川翁は重苦しい声色で続きを口にした。

 

「あの時期の日本は大きく動きましてな。戦争による特需に沸き、都市部の工業化が一気に進み、戦勝によって様々なものを手に入れました。……しかし反面、戦後に残った負の変化もまた多かったのです。有力な同盟国を失い、経済はパンクし、格差は広がった。それを見た我々はこう考えたのですよ。『たった数年の戦争でこれほどの変化が起こるなら、次はどうなる?』と。」

 

「キミたちは『次』があると予想したわけだ。」

 

「ええ、実に簡単な予想でした。多数の帝国の崩壊による政治形態の急激な変化、社会主義や民主主義、共産主義の台頭、敗戦国にしては余力を残しすぎていたドイツや、短期間での兵器の進化、根深く残っていた人種問題、性急な講和によって各地に生まれた不和の種。これだけの材料があるのにも拘らず、『次』が無いと予想するのは愚か者だけでしょうな。……そう遠くないうちに起こるであろう凄惨な非魔法界の大戦を恐れた我々は、同志を募って非魔法界の技術と魔法界の魔法を融合させるための組織を立ち上げました。それが今日の日本魔法技研の前身である、大日本魔法技術研究所なのですよ。」

 

「……つまり、魔法技研は元来戦争技術を開発するための組織なのか。」

 

物騒といえば物騒だが、分からないほどの話ではないな。戦争は常に進歩を促すものだ。私が提示した纏めを受けて、細川翁は補足を述べてくる。

 

「厳密には、兵器に繋がる魔法技術を研究する組織で『あった』と言うべきでしょうな。……今では表に見せている通りの単なる研究機関です。剣呑な研究はしておりませんよ。」

 

「なるほどね、技研に関しては理解したよ。……で、それが今日の本題とどう繋がってくるんだい?」

 

どうだかな。今でも戦争技術の研究を続けているんじゃないか? あまり信用せずに話を進めた私に、西内の息子の方がスッと言葉を挟んできた。

 

「バートリ女史からのお手紙を拝見しましたところ、随分と魔法技研に興味をお持ちのようでしたので、僭越ながらこうして細川教授との会見の席を設けさせていただきました。……幸いなことに魔法技研は細川閥の色が濃い組織です。もしご要望がございましたら、こちらとしても最大限の協力を──」

 

「バートリ女史が望んでいるのは非魔法界対策の進行でしょう? 違いますかな?」

 

「……如何にも、その通りだよ。わざわざこの場にキミが足を運んだということは、こちらの要望を受け入れる気があるということかな?」

 

若い外交屋の台詞に発言を被せてきた爺さんへと、ちょびっとだけ気に食わない気分で質問を返す。小僧の前置きを無視するのは別に構わんが、こちらの考えが透けているのは問題だな。私はまだ細川派とゲラートを繋いでいない。それなのに私経由で非魔法界問題に話が飛ぶということは、こいつらが何らかの情報を掴んでいるという意味に他ならないだろう。

 

ゲラートと私はクィディッチトーナメントの開催パーティーで同席したし、レミリアもまた幻想郷に旅立つ直前は大っぴらに連携を取っていた。私とゲラートの関係に気付いて非魔法界問題に話を繋げたのか、あるいはレミリア側から推測したのか……いや、待てよ? 香港自治区の線から漏れたのかもしれんな。

 

三年前に私が直接話を通した自治区の顔役たち。あの中に日本魔法界とのパイプを持っている人物が居り、私が非魔法界問題に積極的に関わっていることをそいつから教えてもらい、非魔法界の技術も研究している魔法技研に目を付けたことからこちらの目的を推察したのか? うむ、そっちの方が自然かな。ある程度の納得は出来るぞ。

 

まあ、こちらの目的が透けたところで特に問題はない……はずだ。どうせすぐにでもゲラートと繋げる予定なのだから、その時点で私と彼が連携を取っていることには気付くわけだし、私たちの目的が非魔法界問題の進展であることもバレてしまうだろう。ちょっと早めに内情を知られたところで大して困りはしないか。

 

とはいえ、少し迂闊ではあったな。香港自治区がアジアのバランサーなのであれば、日本魔法界と密に繋がっている者が顔役の中に紛れていることは予想して然るべきだったぞ。やはりレミリアほど上手くはやれないなと苦い感情を胸中に隠している私に、細川翁は深々と首肯して応じてきた。

 

「わしは昨今勢いを見せ始めた非魔法界対策に対して、大いに賛成の立場を取っております。バートリ女史がそのために魔法技研を頼ってくださるのであれば、協力を惜しむつもりはございません。……わしは政治家ではなく研究者ですので、回りくどい面倒な交渉が苦手です。失礼かもしれませんが、簡略化しても宜しいですかな?」

 

「構わないよ。」

 

「ではお聞きします。他派閥にもこの話を持っていくおつもりですか?」

 

「いいや、協力体制を築くのは細川派とだけだ。藤原派とは関係を切って、松平派はあくまでも利用という形に留めさせてもらう。どうしても技研の協力が欲しいんだよ。そのためなら他派との関係を断ち切るのも惜しくはないさ。」

 

私もレミリアと違って『政治家』ではない。話が早いのは望むところだぞ。開けっ広げに尋ねてきた細川翁へと、こちらも飾らない答えを示してやれば……老人は一つ頷いてから会話を進めてくる。

 

「そういうことでしたら、こちらとしては否はございません。技研は藤原閥に非魔法界問題の主導権を奪われて臍を噛んでおりましたからな。本家の上層部は他種族が云々と騒ぐでしょうが、そこはわしが何とかします。これでも細川閥ではそれなりの発言力を持っていると自負しておりますので、わしが声をかければ喜んで協力してくれるでしょう。……非魔法界対策委員会との接触に関してはバートリ女史にお任せしても?」

 

「ああ、すぐにでも話を通そう。」

 

「重畳ですな。……陽輔君、細川本家には君から伝えなさい。非魔法界問題を『独占』できるのは細川閥にとって大きな利益になるでしょう。君がバートリ女史との関係構築に尽力したのですから、これは西内家の功績にすべきです。その上で本家が反対してきたら私の名を使うように。」

 

「お心遣いありがとうございます、細川教授。本家には私共から報告させていただきます。」

 

恐らく細川翁の方が本家に顔が利くのだろうが、途中から参加してきた爺さんが報告するのは『功績』の横取りになるということか。とんとん拍子に進行していく話に小さく鼻を鳴らしつつ、細川翁へと声を放った。

 

「しかしまあ、随分と非魔法界問題に熱心みたいだね。興味を持ってくれるだろうとは思っていたが、ここまですんなり通るのは予想外だったよ。」

 

「否が応でも大きくなるであろう問題ですからな。それを独占できれば、次の魔法大臣の座は細川閥が手に入れることになるでしょう。わしとて細川閥の一員なのです。目の前に輝かしい派閥の未来があれば、欲に負けて手を伸ばしてしまいますよ。何も『大義』のためだけというわけではありません。」

 

「……ふぅん? 他国の魔法界はそこまで重要な問題ではないと考えているみたいだよ?」

 

「知らぬだけです。自らの隣に居る生き物が何であるのかを知れば、誰もが非魔法界対策という蜘蛛の糸に縋り始めるでしょう。その時必死に縋る側になるか、その様を見下ろしながら引き上げる者を選択できる側になるか。それだけの話ですな。」

 

冷徹に言った細川翁へと、部屋に和服のサーブ役が入ってくるのを横目に疑問を重ねる。新たな料理を運んできたらしい。

 

「非魔法界問題がこのまま無関心の中に消えてしまうリスクは考えないのかい?」

 

「有り得ませんな。……バートリ女史、先程わしが言ったことを覚えておりますか? 一度目の大戦があった時、我々は『次』を予想したと。その予想は見事に的中し、またある意味では大きく外れました。二度目の大戦は確かに起こったものの、我々の予想を遥かに凌ぐほどの規模だったのです。」

 

「……分からないね。何が言いたいんだい?」

 

「細川閥は西日本に土台を持っている派閥ですので、わしは『あれ』が投下された直後に調査のために広島や長崎を訪れました。そして一面の焼け野原を目にした瞬間、震えながらこう思ったのです。『二度目でこれなら、次はどうなる?』と。」

 

そう語る細川翁の落ち窪んだ目の中にあるのは、見る者を引き摺り込むような真っ黒な瞳だ。空虚さだけを感じるそれを見返す私に、枯れ木のような老人は薄い笑みで話を締めてきた。

 

「『次』は必ずあります。無いはずがない。二度目の大戦が齎した夥しい数の変化を思う度、私は恐怖に震えるのですよ。人間という種族が持つ、底知れぬ先への渇望に怯えるのです。『次』が起こった時、もはや魔法界の秘匿は叶わないでしょうな。それどころか魔法界も非魔法界も原形を留めないかもしれません。……わしは次の大戦を見ずに死ねるであろうことに心から安堵しております。しかし、だからといって座して見ているわけにもいきますまい。老いぼれにも老いぼれなりの仕事があるのです。今でさえ遅すぎるのですから、一刻も早く非魔法界対策を進行させなければ。」

 

「非魔法界対策によって魔法界と非魔法界の融和が叶えば、『次』が遠ざかると思っているのかい?」

 

「十のうち六で遠ざかり、四はむしろ早まるでしょうな。分の良い賭けとは言えませんが、何もしないよりはまだ望みがあります。……破滅を齎すのが人ならば、それに抗うのもまた人なのですよ。わしは人間という生き物を欠片も信用しておりませんが、同時に『もしかしたら』という望みも持ち続けております。老いさらばえたわしに出来るのは、もはや賽を振ることのみ。誰もが振るのを躊躇う賽を無責任に振ってやることだけです。出るのが血塗られた破滅の目になるか、それとも苦労に見合わぬ僅かな猶予の目になるか。誰にも分からぬからこそわしが振りましょう。それが先に地獄から抜け出せる者のせめてもの役目なのですよ。」

 

地獄か。細川翁はこの世界こそが地獄であると思っているわけだ。この老人が言う『次』は果たしてあるんだろうか? ……まあ、無いと予想するのは確かに愚か者だけかもしれんな。人が人である限り、必ず『次』は起こるだろう。

 

ゲラートのように魔法族の利益を求める者や、ダンブルドアのように人間という種族全体の幸福を求める者が居たかと思えば、細川翁のように非魔法界対策を単なる猶予作りと捉えている者も居るわけだ。魔法界の露見そのものよりも、非魔法界の三度目の大戦を恐れている者が。

 

いやはや、つくづく難しいな。隣の中城が『こんな面倒な話を聞かせるな』という表情で睨んでくるのを尻目に、アンネリーゼ・バートリは問題の複雑さを改めて実感するのだった。

 



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釣りの秘訣

 

 

「魔法界の魔法と、マグル界の技術を融合させて戦争技術の開発を目論んでいたわけですか。……恐ろしい話ですね。」

 

スイスとフランスの境に存在しているレマン湖。そのほとりにある大きめの桟橋で釣り糸を垂らしつつ、アリス・マーガトロイドは隣のリーゼ様に相槌を打っていた。反対側にはアピスさんが居り、三人が三人とも折り畳み式の椅子に座って釣竿を手にしている。要するに、スイスのアピスさんの住まいを訪問したついでに釣りを楽しんでいるのだ。

 

六月に入ったばかりの今日、松平派の情報収集を依頼していたアピスさんにリーゼ様が会いに行くということで、私も何となくついて来たわけだが……何とも気まずい状況だな。私もアピスさんもそこそこ釣れているというのに、リーゼ様の釣果だけが未だゼロだ。どうしてそんなに釣れないんだろう?

 

ピクリとも反応を示さないリーゼ様の竿を横目に考えていると、若干不機嫌そうな竿の主が返事を寄越してきた。時たま複雑に竿を動かしたりしているし、釣りの技術自体は私より上だと思うんだけどな。

 

「今は神秘部みたいな普通の研究機関らしいけどね。昔は色々あったんだそうだ。」

 

「ヨーロッパ魔法界よりも非魔法界との距離が近いからなのかもしれませんね。……マクーザはどうなんでしょう? あそこも非魔法界を比較的理解してますし、同じような研究をやっていても驚きませんけど。」

 

「んー、どうかな。マクーザは相手を理解した上で非魔法界との関係を盛大に断ち切ったからね。ある意味ではイギリス魔法界よりも溝が大きいんだと思うよ。……何れにせよ、細川派の非魔法界への理解度は予想以上みたいだ。期待できそうで何よりってところさ。」

 

言いながらリールを巻いたリーゼ様は、糸の先にある針から餌が消えているのを目にして僅かに顔を引きつらせた後、粛々と新たな餌を付けているが……その姿を見たアピスさんが突っ込みを入れる。やれやれと首を振りながらだ。

 

「吸血鬼さん、餌を無駄にしないでください。貴女の餌の減りだけが早すぎますし、それなのに小魚一匹釣れていません。どういうことなんですか?」

 

「どういうことなのかはこの湖の忌々しい魚どもに聞きたまえよ。無礼な『餌どろぼう』どもにね。私は知らん。」

 

「単純にセンスが皆無なんでしょうね。釣りというのは繊細なものなんです。貴女のような大雑把でいい加減な野蛮妖怪には……はい、出ました。いつもの暴力です。弁論で勝てないからって敗北宣言代わりの暴力ですか。魔女さん、止めるべきですよ。釣り下手吸血鬼を叱ってやってください。」

 

「リーゼ様、ダメですよ。大事な竿なんでしょう? ……そういえば、肝心な松平派の情報についてはどうなったんですか?」

 

やっぱりこの二人はこうなるのか。話の途中で釣竿を使ってアピスさんの頭をペチペチ叩き始めたリーゼ様のことを、まあまあと御しながら気を逸らすための話題を振ってやれば、大きく鼻を鳴らした黒髪の吸血鬼は釣りを再開しつつ話に乗っかってきた。

 

「そうだよ、どうなったんだい? 成果はあるんだろうね?」

 

「当然あります。日本は私にとって苦手な土地ですが、それでも充分すぎるほどの情報が集まりました。……松平派というのは面白い集団ですね。貴女は窓口として細川派を選んだようですけど、私なら松平派を選ぶかもしれませんよ。」

 

「どういう意味だ?」

 

「あの派閥は何もかもが多角的なんです。故に弱点が多く、しかし一つ一つは小さな弱点にしかなり得ない。無数の小集団が集まって形成された派閥という印象ですね。……部分部分を潰すのは容易でしょうが、全体をどうにかするのは一苦労だと思いますよ。ヒュドラのようなものです。斬っても斬っても意に介することなく、新たな頭を生やしてくるでしょう。」

 

ギリシア神話の多頭の蛇か。独特な厄介さを説明してきたアピスさんに、リーゼ様が面倒くさそうな顔付きで応答を返す。

 

「図体がデカいから纏まりはないが、それ故に一箇所を潰しても他の箇所は気にしないということか。……ま、別にいいさ。私は潰そうとしているわけでも全体を操ろうとしているわけでもないからね。要所だけを操ることが出来ればそれで充分だ。その程度なら可能だろう?」

 

「面白くない選択ですが、非常に現実的な方針ではあるでしょう。全体を味方に付けたり敵に回したりするのは困難であるものの、一部を利用したり操るのはむしろ簡単であるはずですから。全体としての纏まりがある他派には無い性質ですね。……どうぞ、これが調査結果です。支払いはいつもの方法でお願いします。」

 

「了解だ。……おや? マッツィーニからの方が量が多いね。やはり日本の情報収集は香港自治区が一枚上手か。」

 

最後にポツリとリーゼ様が呟いたところで……おお、珍しくあからさまに不満そうだ。アピスさんがちょっとだけムッとした顔で反論を述べた。情報屋としては聞き過ごせなかったらしい。

 

「報告内容がよく纏まっているから書類の量が少ないだけでしょう? ちゃんと読んでから判断してください。量より質というだけのことですよ。」

 

「……被っている部分も多いぞ。ほら、この辺りとかは丸っきり同じだ。松平派の中では一橋家と大友家が『狙い目』らしいね。」

 

「全く同じ調査を依頼したのであれば、同じような結果が出るのは当たり前のことです。……香港自治区からの結果は持っているんですか? 見せてください。検証して私の調査の方が上だと証明してみせます。」

 

「これだよ。」

 

調査結果を熟読しながらどうでも良さそうにリーゼ様が差し出した書類を、アピスさんがひったくるように勢いよく受け取る。左右の大妖怪たちが書類に夢中になっている間に私が魚を釣り上げたところで、頭上を小型のプロペラ機が通過した。うーん、良い天気だな。

 

寒くも暑くもない心地良い気温だし、ちゃぷちゃぷという水音が眠気を誘ってくるぞ。こういうのんびりした時間も大切だなと一人でうんうん頷いていると、リーゼ様とアピスさんがそれぞれに噛み合っていないことを喋り始める。……あ、また釣れた。今度のは結構大きいな。

 

「なるほどね、これで松平派に対しての基本的な方針も決まりそうだ。ゲラートと細川派は繋いだし、次の目標は技研を非魔法界対策における主導機関の位置に持っていくことかな。そのためには先ず日本魔法省に対策委員会の要請を呑ませないとね。」

 

「この報告書には余計な部分が多すぎます。薄っぺらな報告をどうにか厚く見せようという意思が透けていますね。こんな報告は情報屋として三流ですよ。『本物の』情報屋というのは必要な部分のみを必要なだけ知らせるものなんです。」

 

「となると、目下の問題は日本の魔法大臣が藤原派であることかな。……んー、難しいね。早くもこの情報を基に松平派を使わなくちゃいけなくなりそうだ。内部のこととなると他国から圧をかけても効き目が薄いだろうし、松平派の一部を上乗せすることで細川派の動きに重さを持たせようか。近いうちに西内家とも相談してみよう。」

 

「ここ、ここです。見てください、ここが私の報告との最も大きな違いです。私は依頼主の意図を汲んだ上で利用し易いように報告を提示していますが、こちらの報告書はただ現状を書き連ねているだけでしょう? 経験の差が出ましたね。」

 

おおっと、また私の竿だけが引いているぞ。もしかしたら穏やかな心持ちこそが釣りの秘訣なのかもしれないな。……リーゼ様が全く釣れない理由はそこにあるんじゃないだろうか? まあうん、言うと不機嫌になっちゃいそうだから口には出さないけど。

 

「あとはまあ、細川……教師の方の細川ともそろそろ会っておかないとね。ポートキーでの移動もいよいよ面倒になってきたし、いっそ幻想郷経由で日本に出られないかを試してみるか? 要するにあの土地は日本に隠されているんだから、別段不可能ではないはずだ。ふむ? 良い考えじゃないか。冴えていると思わないかい?」

 

「そんなことよりきちんと見比べてください。私の報告書には写真がありますが、こちらにはありません。情報の可視化は非常に重要な要素です。一目見ただけでも私の報告書の方が価値があると分かるでしょう? ……認めない限りは引き下がりませんからね。私にだってプライドはあるんです。」

 

多く釣れ過ぎてもさばくエマさんが困るだろうし、リリースの基準をもう少し厳しくしてみるか。私の左右で騒ぎ続ける大妖怪たちを尻目に、アリス・マーガトロイドは釣れた魚を湖に放り投げるのだった。

 

 

─────

 

 

「感心しないな。抵抗できない東風谷さんを標的にしようってわけか? あまりにも卑劣な行いだ。同じマホウトコロの生徒として恥ずかしいよ。」

 

えぇ、何これ? 何この状況? 私を挟んで睨み合っている二つの集団を交互に確認しつつ、東風谷早苗は目をパチパチと瞬かせていた。火花を散らしているのは同じ学年の桐寮生と、藤寮生たちだ。そして争点になっているのはこの私。私は『透明人間』だったはずなのに。

 

六月に入り、『外』では雨の日が多くなっているマホウトコロの領内。反転している敷地内では当然ながら外の天気など関係ないので、今日は中庭で祓魔学の実践授業を受けているわけだが……そこで久し振りに私に突っかかってきた藤原派の生徒たちを見て、何故か細川派の生徒たちが援護に入ってきたのだ。

 

「お前らには関係ないだろ? 引っ込んでろよ、野蛮人どもめ。その辺で木刀でも振り回してたらいいじゃないか。」

 

「ああ、この前の校内試合で負けたことを妬んでいるわけだ。剣道で負けて、杖でも負けて、このままだと前期末テストでも負ける。……教えてくれ、藤原派の魔法使いたちは何が得意なんだ? 他国へのゴマすりだけしか出来ないのか?」

 

「黙れ、野良犬どもが! ……お前たちはまともに他国との関係を築けないから、吸血鬼に取り入ったんだろ? 退夷鎮守が聞いて呆れるな。今の細川派は見境なしか。」

 

「多様性を認めたんだよ、僕たちは。いつまでも古い考え方に支配されているお前たちとは違う。……ほら、どうした。さっさと逃げ出して和歌でも作りにいったらどうだ? 決闘をやって勝ち目があると思うのか? こっちはお前たちと違って毎月のように実戦訓練をしているんだ。『弱い者』苛めは好きじゃないから早く消え失せてくれ。」

 

意味がさっぱり分からないぞ。いつもならちょっかいをかけてくるのは大抵松平派で、他の二派閥は見て見ぬ振りをしているだけなのに、今日は藤原派がからかってきて細川派が助けに入ってきた。藤原派の行動は相手が『無派閥のまともに魔法を使えない蛇舌』なのでそこまでおかしくもないけど、細川派の行動は明らかに異常だ。

 

しかも、どっちも引き下がる気配が全くない。遠巻きに眺めている松平派の生徒たちを横目にしつつパニックに陥っていると、諏訪子様が私にしか聞こえない声で話しかけてくる。

 

『アリスちゃんに買ってもらった新しいソフトを賭けてもいいけど、原因は間違いなくアンネリーゼちゃんだね。細川派との繋がりを深めて、逆に藤原派とは遠ざかったんじゃない?』

 

『巻き込まれるこちらとしては迷惑な話だな。要するに細川派は早苗がバートリの関係者だから助けに入って、藤原派も同じ理由でちょっかいをかけてきたわけか。』

 

『葵寮の連中は傍観してるし、松平派にはまだ何もしてないっぽいね。……あー、なるほど。だから最近は早苗に冷たくしてこなかったんだ。他の二派と違って松平派は出方を窺ってる段階なんでしょ。敵にも味方にもなれるように様子を見てるってわけ。』

 

『つくづく気に食わんな。早苗は関係ないのに余計なことをしてくる藤原派も、今まで冷たかったのにあからさまに態度を変えた細川派も、早苗をバートリに対する道具としてしか見ていない松平派も愚かしさの集合体だ。非常にイライラしてくるぞ。』

 

ふむ、リーゼさんが原因なのか。お二方が話している間も続いている二派の言い争いを聞き流しつつ、じゃあ私はどうするのが正解なのかと悩んでいると……祓魔学の先生がこちらに近付いてきた。マホウトコロでは同じ科目に数名の担当教師が居るのだが、今日の私たちの授業を担当しているのは教頭でもある大ベテランの立花先生だ。つまり、『超こわい先生』が騒動に介入してきたということになる。

 

「諸君、何をしているのかね? 私は盾の無言呪文を練習させるためにこの中庭の使用許可を取ったわけであって、好き勝手に騒いで構わないなどと言った覚えはない。どういうことなのかを説明したまえ、柳原君、鈴元君、東風谷君。」

 

あれ、私も? 細川派と藤原派のリーダー格の男子の名前に加えて、自分の名前が飛び出してきたことに物凄い違和感を覚えている私を尻目に、男子二人はそれぞれ冷静な顔付きで言い訳を口にした。どうしよう。私は何を言えばいいんだ?

 

「彼らが東風谷さんを呪文の『標的』にしようとしていたんです。盾の呪文の練習に付き合ってやると言って。……東風谷さんのことを悪く言うつもりはありませんが、彼女は杖魔法が苦手だったはずでしょう? そんな彼女に数名がかりで呪文を放ったら何が起きるかなど目に見えています。僕たちはそれを止めようとしただけですよ。」

 

「違います、先生。僕たちは東風谷さんの練習に付き合ってあげようと思っただけです。いつも独りぼっちなので練習相手が居ないと思って声をかけただけなのに、こいつらが勘違いして文句を言ってきたんですよ。変な邪推をされて迷惑しています。」

 

「……東風谷君、君からは何かあるかな?」

 

「へ? えっと、あの……よく分からないです。」

 

今の気持ちを正直に声に出してみれば、教頭先生は疲れたようにため息を吐いた後で、二つの集団に向き直って指示を出す。

 

「君たちは離れて練習しなさい。次に何かトラブルが起きた場合、私が罰則の宣言を躊躇わないということをよく覚えておくように。……東風谷君、盾の有言呪文はきちんと使用できるかね?」

 

「その、二十回に一度は成功します。水鉄砲を弾く程度のやつならですけど。」

 

「では、君は向こうで有言呪文を練習しておきなさい。」

 

「……はい。」

 

左右に分かれて去っていく二派の集団を見送ってから、とぼとぼと中庭の隅にある松の木のところに向かった。そりゃあそうだ。有言呪文すら全然できていないのに、無言呪文なんて使えるはずがない。『一人でやってなさい』は当然の指示だろう。

 

なんか、惨めだな。結局は神奈子様の言葉が全てってことだ。細川派も藤原派も松平派も私を通してリーゼさんを見ているだけであって、私自身は前と変わらず空っぽのまま。呪文はまともに使えないし、箒に乗ると真っ直ぐ飛べないし、学友が出来たわけでもない。一人隅っこで何学年も前の内容を練習しているのが私。何にも変わっていないじゃないか。

 

プロテゴ(護れ)。……あう。」

 

虚しい。頭上に投げた小石を盾の呪文で防ごうとして、やっぱり防げずに額に当たったことに悲しくなっていると、諏訪子様と神奈子様が声をかけてくる。元気付ける感じの声色だ。

 

『早苗、杖魔法なんて使えなくていいんだよ。こんなもん神術に比べればカスみたいなもんだからね。あんたは私たちの祝子なんだから、神秘が濃い幻想郷に行けば代行者としてもっと凄いことが出来るようになるの。頑張って棒切れを振るより符学に力を入れな。あっちの方が絶対役に立つって。』

 

『さすがにカスとまでは言わないが、向き不向きというものは確かにあるだろう。符学のやり方でも盾の呪文と同じことは出来るし、元来日本の陰陽師たちが使っていたのは符の方だ。……符学は凄いんだぞ。人間の内にある小さな力ではなく、季節や方角、霊脈や自然といった外在する大きな力を利用するための技術だからな。その成績が良い早苗は他の連中よりも遥かに優れているんだ。』

 

『こんなつまんない学科は期生になったら切り捨てちゃえばいいんだよ。みんなが使えるありきたりな魔法力なんてのはこっちから願い下げだっつの。早苗は特別な存在なんだから、特別でカッコいい神力の方が合ってるってことだね。狙うべきは符学と天文学あたりかな。神術に関係があるそっちを頑張ればいいんだって。』

 

『諏訪子にしては珍しく正しいことを言ったな。その通りだ。魔法力を持っている者は少なくないが、神力を扱える権利を持っている人間はごく少数だろう。それは紛れもなく才能だぞ、早苗。盾の呪文なんかで一体何から身を守れる? 符術や神術なら災厄から都市を丸ごと守るのだって不可能じゃないんだぞ。現に昔の陰陽師たちはそれをやったじゃないか。そういうことが出来る素質を秘めているのはこの場でお前だけなんだ。』

 

……私自身はあまり変われていないけど、変化は確かにあったな。今の私はこうやって慰めてくれるお二方の声を聞くことが出来るし、憂さ晴らしをするために外出日にリーゼさんやアリスさんと遊びに行くことだって出来るのだ。相変わらず落ちこぼれなんだとしても、少なくとも独りぼっちではなくなったのかもしれない。

 

「……私、そんなに凄いことが出来るんですか?」

 

『あったり前でしょ? 風祝はね、私たちの神権の代行者なの。あんたが本気で心から望めば、どんな奇跡だって起こせるんだよ? 私たち単独じゃ出来ないことだって出来ちゃうんだから。』

 

『無論、早苗が杖魔法を頑張りたいと言うのであれば私たちも応援しよう。しかし神術との親和性が高い符学ならば直接的な手助けが出来るぞ。符学の授業は教師もまともだしな。……大体何だ? さっきのあの立花の態度は。諍いの仲裁もなあなあだし、一人で練習させるんじゃなくて少しは指導する気を見せたらどうなんだ。あれでベテランの教師とは聞いて呆れる。』

 

『本当だよ、教頭だか何だか知らないけど偉ぶっちゃってさ。なーにが向こうで練習しておきなさいだよ。給料泥棒じじい。』

 

これも多分本心から言っているわけじゃなく、私を元気付けようとしてくれている……のかな? 微妙なところかもしれないと苦笑いになりつつも、お二方へと言葉を放った。

 

「そうですね、符学を頑張ります。……あと、次の外出日に水族館に行きたいです。この前テレビでやってたところに。」

 

『いいねいいね、行こうよ。アンネリーゼちゃんにおねだりしよう。ゴールデンウィークの時みたいにパーッと遊んで、嫌なことは全部忘れちゃおっか。』

 

『まあ、頼んでみるか。幻想郷に行った後で払うんだから大丈夫だ。悪いことをしているわけではない。……大丈夫、きちんと払うさ。私は契約を投げ出すような悪い神じゃないからな。』

 

『分かってないなぁ、神奈子は。借金をする時は返す時のことを考えないのがコツなんだよ。そりゃあ神としてしっかり契約は守るけどさ、いちいち返すことを計算してたら楽しめないじゃん。今は派手に遊んで、後で派手に後悔すりゃいいの。』

 

私はみんなと違って杖魔法を上手く使えないけど、生まれた時から物凄い神様が二柱も一緒だし、偉い吸血鬼さんや美人の魔女さんと水族館に行くことだって出来るんだぞ。うん、そう考えたら自分が凄い人間に思えてきたな。実はこの場の全員に『勝っている』のかもしれない。

 

段々と気分が良くなってきたことを自覚しつつ、東風谷早苗は後で水族館の詳細を調べておこうと決意するのだった。

 



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魔女への階段

 

 

「だから、今のうちから今年の夏休みの計画を立てておこうってことだよ。来年は移住の準備でどうなるか分かんないだろ?」

 

夕食後の獅子寮談話室の中で、霧雨魔理沙は向かいのソファに座っている咲夜にそう提案していた。何せ私は行きたいところが山ほどあるのだ。とはいえ同行者の希望を蔑ろにするわけにはいかないから、先ず銀髪ちゃんの要望を聞いてから計画を立てようというわけである。

 

六年生の学生生活も終わりが近付いてきた現在、私は楽しい楽しい夏休みに向けての計画作りに勤しんでいるのだ。しかし……むう、あんまり乗り気じゃなさそうだな。咲夜は教科書から目を上げて億劫そうな様子で応じてきた。

 

「魔理沙、夏休みの前には試験があるの。それを忘れてない? ……ほら、あっちに居るジニーを見てみなさいよ。狂ったように勉強してるわ。あれが模範的な『学期末の生徒』の姿なんだと思うけど。」

 

咲夜が指差す方向に目をやってみれば、鬼気迫る表情で魔法史の教科書と向き合っているジニーが見えてくる。記者を目指しているジニーにとっては兎にも角にも魔法史の成績が重要らしい。私には絶対になれない職業だな。

 

「……忙しないな。ついこの前学内リーグで優勝したばっかりだってのに、息つく間も無くイモリの勉強か。グリフィンドールチームの怨念から解放されたのは良かったけど、代わりにハーマイオニーの生霊に取り憑かれたんじゃ救いがないぜ。」

 

「取り憑かれるべきなのよ。予言者新聞社に入るにはイモリの成績が重要なんだから、今はあれでいいの。……貴女も旅行のことなんかを考えてないで勉強しなさい。」

 

「あのな、私にとっては六年生の試験よりも夏休みの旅行の方が遥かに大事なんだよ。本物の魔女に必要なのは学期末試験の点数じゃなくて、多彩な人生経験だろ? 先ずお前の行きたいところを把握しないと予定が立てられないんだ。勉強しながらでいいからリストアップしてくれ。」

 

「そもそも、私も行くっていつの間に決まったの?」

 

おいおい、行かない気か? 羊皮紙にペンを走らせながら言ってきた咲夜に、まさかという顔で問いを返す。

 

「行くだろ? 行くよな?」

 

「旅行に行くのはいいけど、夏休み全部を使うのは無理よ? 私はバートリ家の正式な従者になったんだから、何よりもリーゼお嬢様を優先しないといけないの。エマさんから習いたいことだって沢山あるし、そのためには毎日顔を合わせられる夏休みを有効活用しなきゃでしょ?」

 

「……それは幻想郷に行ってからでもいいじゃんか。こっちで旅行できるのは今だけなんだぞ。」

 

「ダメ。幻想郷に行ったら館の管理の仕方とか、レミリアお嬢様のお世話も覚えないとなんだから、時間を無駄にするわけにはいかないわ。……それ以前に資金問題はどうなったの? 私は貯金があるけど、貴女は『キノコ次第』なんでしょう?」

 

勉強の手を止めて疑問を放ってきた咲夜へと、ふふんと胸を張って応答する。抜かりはないぜ。私のことはキノコ長者と呼んでくれ。

 

「アホほど儲けたから大丈夫だ。双子もビビってたぜ。まさかこれほど上手くいくとは思ってなかったんだとよ。旅行資金については一切気にしないでくれ。」

 

「……胡散臭いわね。本当に大丈夫なの?」

 

「三、四回ダメになりかけたけど、ネビルとスプラウトとハグリッドのお陰でギリギリ持ち直せたんだ。……まあ、あそこでハグリッドがボウトラックルを貸してくれなかったらカビ問題でヤバかっただろうな。来年もまたやろうとは思わんぜ。かなり運が良かったって自覚はあるからよ。」

 

基礎知識があるネビルが熱心に世話を手伝ってくれた上、スプラウトもちょくちょく様子を見にきてくれたし、ハグリッドはカビでダメになりかけた丸太を助けるために貴重なボウトラックルを貸してくれたのだ。魔法キノコの栽培はだからこそギリギリで成功したわけであって、とてもじゃないが何度もやろうとは思えない。味を占めれば待っているのは破滅だし、今回限りで手を引くべきだろう。そういえば捌くのを任せた双子もそう忠告してくれたっけ。分の悪い勝負なんだから、『勝ち逃げ』をしておけって。

 

でも、キノコを育てるのは案外面白かったな。普通の植物とは違う独特な手順があって楽しかったぞ。幻想郷の魔法の森にはうじゃうじゃ生えていたし、魅魔様も工房の地下室で調合素材用に何種類か育てていたことを思い出して、私も故郷に帰ったらチャレンジしてみようかなと考えていると……未だ疑わしそうな目付きでこちらを見ている咲夜が話を再開する。

 

「意外だわ。素人がやっても絶対失敗すると思ってたのに。ロングボトム先輩にはちゃんとお礼を言ったの?」

 

「当然言ったし、分け前もきちんと渡したぜ。ネビルは良いデータが取れたからそれで充分だって言ってたんだけどな。さすがに申し訳ないから強引に押し付けたんだ。」

 

「良い人よね、ロングボトム先輩って。だからこういう悪い魔女見習いに利用されちゃうのかしら?」

 

「何も悪くないだろ。私は旅行資金を稼げてハッピー、ネビルはデータが手に入ってハッピー、双子は売り捌く手間賃で潤ってハッピー、そして供給が少ない魔法キノコが市場に出てみんなもハッピーってわけだ。我ながら良い『金儲け』のやり方だったと思うぞ。」

 

したり顔で主張してやれば、咲夜は適当に頷きながら話を進めてきた。ギャンブルではあったかもしれんが、結果として私は勝ったのだ。『ご褒美』の旅行を楽しみにするのは当たり前の権利だろう。

 

「だったら去年みたいにずーっと一箇所に留まる感じじゃなくて、行って戻ってを繰り返す旅行にしましょうよ。つまり、小旅行を何度かするわけ。それなら人形店に居られる時間が増えるし、貴女も色んな場所に行けて満足でしょ?」

 

「おー、いいな。それでいこう。お前の希望はどこなんだ? ちなみに北アメリカには絶対に行くぞ。魅魔様の縄張りだった土地だからな。」

 

「んー……これといって思い付かないわね。だけどまたフランスには行きたいかも。一昨年は中途半端な終わり方になっちゃったし。」

 

「おっし、北アメリカとフランスな。全然違う場所だし、ここは二回に分けるとして……そうだ、リーゼと一緒に日本に行くのはどうだ? 頻繁に東風谷に会いに行ってるみたいだから、夏休み中もどうせ行くだろ。ついて行こうぜ。リーゼが一緒ならお前も文句ないだろ?」

 

日本はワールドカップの時に可能な限り観光したが、見落としている部分も結構あるのだ。まだ赴いたことのない他の国よりは優先度が下がるものの、リーゼにくっ付いて行けば資金も時間もかからないはず。言葉が通じる国は旅行のし甲斐もあるし、合間に日本旅行を挟むのは悪くない考えだろう。

 

良い考えだと思って口にした私の案を受けて、咲夜はかっくり首を傾げながら問題点を指摘してくる。

 

「夏休みは東風谷さんがこっちに来ることになるんじゃない? 私はよく知らないから何とも言えないけど、去年はそうだったじゃないの。」

 

「っと、その可能性もあるか。……いやでも、マホウトコロの夏休みは八月からだ。七月中にリーゼが向こうに行くってのは大いに有り得ると思うぜ。」

 

「まあ、何でもいいわ。リーゼお嬢様が一緒なら南極だって構わないわよ。……ちなみに、夏休みに入ったら姿あらわしの試験も受けないといけないんだからね。」

 

「あーっと、そうだな。そうだった。」

 

そうだ、姿あらわしの試験もあったんだっけ。私が『誕生日不定』だから魔法省でテストを受けることにしたのだ。……うーん、難しいな。脳内で二ヶ月分の予定を整理しつつ、咲夜から羊皮紙とペンを借りて計画を文字にしていく。

 

「だからつまり、夏休みに入った直後に魔法省で試験を受けるわけだろ? じゃないと旅行先で使えないもんな。となると七月の序盤に姿あらわしの練習と試験で、七月中のどこかで日本旅行。そんでもって……うん、七月にフランス周辺にも行こう。マグル界の自転車レースは七月だし、革命記念日もそうだ。イベントの数的に七月に行った方がいいはず。東風谷がイギリスに来なかった場合、日本は八月に回せるかもだしさ。」

 

北アメリカのイベント事情なんてさっぱり分からんし、ここは一昨年の旅行計画を流用することにしよう。七月の予定を箇条書きにしつつ、少し離れた場所でオリバンダーと話しているアレシアに質問を投げた。毎年家族で観に行っているらしいから、彼女は自転車のレースの日程を知っているはずだ。

 

「よう、アレシア! 今年の自転車のレースがいつからいつまでか分かるか?」

 

「自転車? えっと、ツールのことですか? それなら七月の三日から二十五日までですけど。」

 

「じゃあよ、都市部でやるのはどの日だ?」

 

「さすがにそこまでは覚えてませんけど、最終日は確実にパリです。……あの、山の方が見応えがあると思いますよ。観に行くんですか?」

 

オリバンダーに勉強を教えていたのか? 二年生の教科書を片手に小首を傾げているアレシアへと、彼女たちの方に歩み寄りつつ返事を返す。

 

「今年はフランスに行くから、予定が合えば観に行こうと思ってな。案内のパンフレットとか持ってないか?」

 

「んっと、部屋にあるかもしれません。ちょっと探してきますね。」

 

「悪いな、頼むぜ。」

 

席を立って女子寮の方に小走りで消えていくアレシアを見送ってから、残ったオリバンダーに声をかける。うちのキーパーどのはよく喋るってタイプの後輩じゃないが、一年も同じチームで練習していれば自然と打ち解けてしまう。今ではさほど躊躇いなく話しかけられるぞ。

 

「おう、オリバンダー。お前は夏休み中にどっか行ったりしないのか?」

 

「ひいお爺ちゃんにドイツとアルバニアに連れて行ってもらう予定です。有名な杖作りが工房の見学をさせてくれるらしいので。」

 

「へえ、杖作りの見学か。面白そうだな。」

 

「足腰が弱って動けなくなる前に、可能な限り他国の杖作りの様子を見ておきたいんだそうです。私も興味があるので一緒に行くことにしました。……楽しいと思いますよ、工房の見学。マリサ先輩なら杖作りよりも箒作りの方が気になるかもしれませんけど。」

 

何? 箒作り? 俄然興味が出てきた話題に、身を乗り出して食い付いた。それは見たいぞ。かなり見たい。

 

「ひょっとして、箒の工房でも見学ってやってるのか?」

 

「箒作りは企業秘密が多いので全部じゃないですけど、観光客向けに一部を公開してるところもありますよ。スペインとか、ロシアとか、ドイツとかで。杖と箒は全然違うようで似ている部分も多いので、ひいお爺ちゃんは何度か箒作りも見に行ったことがあるそうです。私がクィディッチに興味を持ち始めたのも、杖作りに利用できるかもと思ったからですし。今は単純にハマっちゃいましたけどね。」

 

「うおお、マジか。行ってみたいな。資料とかってどこで手に入るんだ?」

 

「魔法省のゲーム・スポーツ部にあるんじゃないでしょうか? もしそこで見つからないなら、夏休みに入った後でうちに来てくれれば教えられますよ。」

 

うーむ、これも予定に組み込むべきかもしれんな。私の理想とする『魔女像』において箒は重要なピースだ。である以上、作り方を知っておくのは魔女見習いとして必要なことだろう。何で今までこんな大事なことに気付かなかったんだ?

 

幻想郷には当然ながら『魔法の箒作り』なんて職業は存在していないので、もしブレイジングボルトが壊れたら自分で修理しないといけないのだ。それに長いこと箒を使っていくのであれば、一から作る機会もあるかもしれない。

 

アリスやノーレッジはあまり箒が好きではないみたいだし、乗っているイメージもあんまりないから本物の魔女にとって箒が必要かどうかは断言できないものの……ええい、構うもんか。私にとっては重要な要素なんだ。だったら魔法界に居る間に学んでおかねば。

 

決意と共に『箒作りの見学』を予定に組み込んだところで、アレシアが女子寮から帰ってきた。

 

「ありました。父が同じのを持ってるので、こっちはマリサが使ってください。」

 

「あんがとよ、助かったぜ。……オリバンダー、もしかしたら夏休みの序盤で聞きに行くかもしれん。そうなった時は頼む。」

 

「分かりました、家族にも伝えておきます。」

 

オリバンダーの返答を聞いてから咲夜の対面のソファに戻って、羊皮紙に書いてある予定に新たな項目を付け加えてみれば、それをちらりと確認した銀髪ちゃんが反応を寄越してくる。

 

「『箒作りの見学』? ……ああ、なるほど。それは確かに貴女にとって必須かもしれないわ。盲点だったわね。」

 

「だろ? オリバンダーから見学できる工房もあるって教えてもらったんだ。行ってみようぜ。」

 

「でも、そこは魅魔さんから習うべき部分じゃないの?」

 

「あー……どうなんだろ。何とも言えないぜ。少なくとも魅魔様が箒に乗ってるところは見たことないかな。だけどよ、魔女っていえば箒だろ?」

 

魔女ってのは箒に乗っていて、三角帽子を被っていて、黒猫とかを連れているもんだ。自分の中にあるイメージを語ってみると、咲夜は微妙な顔付きで曖昧な応答を飛ばしてきた。

 

「私にとっての魔女のイメージは、本か人形とセットの存在だけど……まあ、貴女の場合は箒ってことなんじゃない? 形そのものじゃなくて、拘るってことが大切なのよ。多分ね。」

 

「拘ることがか。……お前ってさ、たまーに魔女って生き物の本質を突く感じのことを言うよな。」

 

「そりゃあそうでしょ。お嬢様方と同じように、パチュリー様やアリスにも育ててもらったんだから。魔女って生き物のことを結構知ってるのよ、私は。」

 

言われてみればそうだな。『これこそ種族としての魔女』って印象のノーレッジや、人間に近い位置に留まり続けているアリスをずっと見てきたのだから、本物の魔女について詳しくなるのは当然なのかもしれない。

 

いつの日かそこに、『大魔女マリサの友人』って要素も追加されるといいんだが……まあうん、無理な高望みはやめておこう。地道にコツコツが一番だ。旅行でこっちの世界を知って、工房の見学で箒作りを知って、また一歩魔女に近付く。とりあえずはそれを目標にしておくか。

 

長い長いこの階段が『大魔女』に続いていることを祈りながら、霧雨魔理沙は予定表に向き直るのだった。

 



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大ファン

誤字報告ありがとうございます!


 

 

「すみません、お待たせしました。出てくる際に学校で少しトラブルが起きまして。領地の魔法にちょっとした不具合が生じたようなんです。」

 

都内のカフェの店内。慌てた様子で私の向かいの席に腰掛けた細川京介を観察しながら、アンネリーゼ・バートリは適当な頷きを返していた。ふむ? どこが違うとは明言できないものの、去年会った時と何かが違う気がするな。活力を感じるというか何というか、能動的な雰囲気があるぞ。

 

六月の下旬が迫ってきた曇りの日、私は細川と話すために東京を訪れているのだ。今日は外出日ということで早苗もこちらに出てきているので、三バカの相手はアリスに任せてある。ここでの話が終わったら合流する予定なのだが……また何か要求されたら面倒くさいし、話が長引いたフリをしてどこかで時間を潰しちゃおうかな。

 

目の前の男の変化の正体についてを考えつつ、同時にどこで時間を潰そうかと計画を練っている私へと、近付いてきた店員に注文を伝えた細川が会話を切り出してきた。日本語でだ。

 

「ロイヤルミルクティーをアイスでお願いします。……改めましてお久し振りです、バートリ女史。東風谷さんも一緒かと思っていたんですが、そうではないんですね。」

 

「ああ、久し振りだね。早苗は別行動をしているよ。キミとの話が終わったら合流する予定だ。彼女にも何か話があったのかい?」

 

「いえいえ、そういうわけではありません。単に気になっただけです。……先日西内家の仲介で祖父と話したそうですね。気難しい方だったでしょう?」

 

「理知的な人物という印象を受けたが……祖父? 細川政重はキミの祖父なのかい?」

 

同じ苗字であることには当然気付いていたが、そこまで近い血縁だったのか。日本魔法界における細川姓は複雑に分岐しているらしいから、てっきり遠く離れた親戚とかだと思っていたぞ。少し驚きながら問い返した私に、細川は苦笑いで首肯してくる。

 

「私は政重翁の三番目の息子の、これまた三番目の息子なんです。私の父は非常に……何と言うか、女癖の悪い人でして。正式に細川本家に連なる人間と認められているのは四人兄弟の中の長男だけで、次兄と私と弟は皆妾の子なので政重翁との繋がりは薄いんですけどね。一応書類上の関係は祖父ということになります。」

 

「なんとまあ、複雑な家庭だね。長男だけが別の母親を持っているわけか。」

 

「いえ、そうではないんです。次兄の母親も、私の母も、弟の母親も別々の女性なので、兄弟は全員母親が違うんですよ。」

 

凄まじいな。『色狂い』を体現しているような父親じゃないか。現代らしからぬ逸話を聞いて顔を引きつらせていると、細川はさっきよりも更に苦々しい笑みで父親に関する説明を続けてきた。父上がそういうタイプじゃなくて本当に良かったぞ。

 

「父はだらしのない人なんです。若い頃に酒と博打と色事に家の金を使い込んで、政重翁から絶縁されたほどですから。しかし杖捌きだけは他の追随を許さない才能を持っていまして、今は闇祓い局の次席……イギリス闇祓い局の副局長に当たる役職を務めています。だから細川本家も切るに切れないんですよ。才能がある厄介者というやつですね。」

 

「一番嫌なパターンだね。話し方から大体分かるが、キミとも疎遠になっているのかい?」

 

「そもそも『親密だった時期』というのが存在していませんから、疎遠になるも何もありませんよ。十年ほど前に病死した母の葬儀にも来てくれませんでしたし、私の顔どころか名前すら覚えていないんじゃないでしょうか? ……まあ、父の話はこの辺にしておきましょう。あの人は今回の一件には関係がありません。重要なのはバートリ女史が私の祖父と面会し、技研を味方に付けたという点です。」

 

本題に入るつもりらしいな。結構興味のある家庭環境なわけだが……こういうのを掘り下げるのはスキーターとかの役目であって、高貴な私の仕事ではない。頭を切り替えて目線で続きを促した私に、細川はテーブルの上で手を組んで口を開く。

 

「東風谷さんから既に聞いていると思いますが、私は彼女へのお礼としてバートリ女史の計画に協力したいんです。……私は貴女が非魔法界対策を推し進めたいのだと予想しています。そこは間違いありませんか?」

 

「その認識で間違っていないが、キミの行動は若干不審に思えるぞ。『早苗へのお礼』という部分も腑に落ちないし、一介の教師にしてはやけに詳しく事情を把握しているようじゃないか。」

 

「バートリ女史相手につまらない言い訳は通用しないでしょうし、ここは正直に話しておきましょう。……私は貴女の『仕事振り』を近くで観察したいんですよ。去年の五月の会話を覚えていますか? つまり、『狂言回し』についての会話を。」

 

「覚えているよ。……まさか、私のやり方を観察して盗もうとしているってことか?」

 

この男は確かに去年、『日本魔法界を変えたい』みたいなことを言っていたな。自分は改革者たる器ではないから云々と腐っていたはずだ。頭の片隅にぼんやりと残っている記憶を掘り起こしながら問いかけてみれば、細川は首を縦に振って肯定してくる。

 

「噛み砕けばそういうことですね。若輩者たる私には経験が必要なんです。折角日本魔法界が舞台になっているんですし、先達の『狂言回し』である貴女から技を盗ませてもらおうと思いまして。」

 

「明け透けに言うじゃないか。」

 

「加えて私は非魔法界対策に個人的に賛成しています。その旗頭が自派である細川派になることに不都合などありませんし、バートリ女史の行動は私にとってデメリットが皆無なわけです。なので勉強がてら協力させていただこうと思ったんですよ。……どうでしょう? 『不審さ』は消えましたか?」

 

「……ペットの蛇が逃げ出したというのは切っ掛け作りの芝居だったのかい?」

 

ポーカーフェイスで疑問を呈してみると、細川は少しの間だけ沈黙した後で困ったように否定してきた。こいつ、僅かにだが考えたな。今の質問に考えるような要素があったか? 本当に『正直に話す』のであれば、イエスかノーで回答できる簡単な質問だろうが。

 

「あれは本当に逃がしてしまっただけなんです。東風谷さんに頼んだのもバートリ女史の存在を意識してのことではありません。助けてもらった後で東風谷さんの後ろ盾が貴女であることに気付いたので、言い訳として利用させてはもらいましたけどね。」

 

「ふぅん? ……ま、意図は掴めたよ。それでキミは何が出来るんだい? 現状私には何一つメリットが無いわけだが。」

 

うーん、どうにも違和感が残るな。私はその場に居合わせていないので三バカからの情報になるが、『蛇捜索』の時の流れがかなり不自然だったみたいだし……何よりそんな理由でこんなに頑張って介入しようとするか? 別に外側から見物していればいいじゃないか。

 

早苗から出た『リーゼさんとの面会を結構しつこく催促されました』という発言を思い出しつつも、とりあえずは様子を見るために話を先に進めてやれば、細川は店員が持ってきた謎の飲み物に口を付けてから会話を再開する。『ミルクティー』が何なのかは直感的に分かるものの、随分と不思議な色をしているな。見た感じミルクの割合が多いようだが、どの辺が『ロイヤル』なんだろうか? 今度私も試してみるべきかもしれない。

 

「バートリ女史がこういった形で日本魔法界に干渉してきているということは、非魔法界対策委員会……というか、グリンデルバルド議長と何らかの繋がりがあるわけですよね?」

 

「だとしたら?」

 

「であれば、先月の上旬に対策委員会が出した要請を日本魔法省に通したいと思っているはずです。そのお手伝いをさせてもらえませんか?」

 

「よく分からんね。細川派の協力は既に得られているのに、キミ個人を頼る理由が見つからないよ。」

 

アイスティーをストローでかき回しながら指摘した私に、細川は自信を感じる笑顔で自らの『セールスポイント』を告げてきた。さっきから思っていたが、こいつは交渉用の表情の作り方が甘いな。西内親子と比べると雲泥の差だぞ。経験の少なさが透けている感じだ。少なくとも、こういうことを日常的にやっている人物ではないらしい。

 

「私は結構知り合いが多いので、細川派という集団では届かない部分にまで手を伸ばすことが出来るんです。……松平派の一部を引き込むための策があります。実はあの派閥には付け入る隙が多いんですよ。」

 

「その策はとっくに思い付いているし、もう実行に移しているから必要ないよ。」

 

「……そうでしたか、さすがですね。」

 

おっと、ここは予想外だったようだな。若干がっかりした様子を覗かせた細川は、気を取り直すようにもう一つの案を提示してくる。やけに立ち直りが早いじゃないか。その場で思い付いたことを適当に言っているんじゃないだろうな?

 

「では、藤原派はどうですか? 私はそちらにもルートを持っていますよ?」

 

「それは確かに魅力的だが……キミ、本当に出来るのかい? 私は細川派と藤原派が並び立たないと判断して切り捨てたんだぞ。」

 

「一部だけに干渉するなら不可能ではありません。何とかしてみせます。要請の受け入れの是非を決める会議で、藤原派の要人を転ばせてみせましょう。」

 

「……まあ、別にいいけどね。こっちの邪魔にならないなら文句はないよ。好きにしたまえ。」

 

やっぱり妙だな。あまりにも『協力的』すぎるぞ。疑わしく思いながらも一応了承してから、席を立ってテーブルに千円札を置く。やれると言うならやらせてみるだけだ。それで失敗したところで私が困るわけじゃない。期待なんて端からしていないわけだし。

 

「それじゃ、私は失礼するよ。キミが実際に仕事を成したのかどうかは決議の結果を見て判断させてもらおう。」

 

「っと、もう一ついいですか? ……ゲラート・グリンデルバルド氏と直接会うことは出来ないでしょうか?」

 

このままではタダ働きをする羽目になるのだから、素っ気無く席を立ってやれば慌てて何らかの『要求』をしてくるだろうとは考えていたが……ゲラートと会いたい? 予想外の言葉が出てきたな。

 

「何故会いたいんだい?」

 

「『革命家』として尊敬している方なんです。なので前々から是非話をしてみたいと思っていまして。……短時間で構いません。五分や、三分でも。どうにかならないでしょうか?」

 

「……考えておくよ。」

 

「よろしくお願いします、バートリ女史。それに値する仕事は果たすつもりです。」

 

わざわざ席を立って頭を下げて見送ってきた細川を背に、カフェを出て曇天を見上げながら歩き始めた。……たった三分間ゲラートと話すために苦労して藤原派を転ばせる? 意味が分からんな。どんな『大ファン』なんだよ。

 

うーむ、話してみてもいまいち目的が掴めなかったな。私の手際を見たいならむしろ手助けなんてしない方がいいし、あれだけ事情を把握できているなら懐に入り込まなくても『観察』は出来るはずだ。とはいえ最後のゲラート云々の要求が細川の本当の目的だとも思えない。さっぱり分からんぞ。

 

人も妖怪も神も自身に利益のない行動などしないのだから、細川は行動に見合うメリットを目指しているはず。それが判然としないことに小さく鼻を鳴らしつつ、アンネリーゼ・バートリは異国の歩道を歩くのだった。

 

 

─────

 

 

「そんなに欲しそうにしても買いませんよ。そもそもそれを買えるだけのお金を持ってきてませんから。」

 

展示販売されているパーソナルコンピューターをジーッと見つめている諏訪子さんに注意しつつ、アリス・マーガトロイドはデパートの店内を見回していた。いつの間にか早苗ちゃんが居なくなっているな。神奈子さんの姿も見えないし、また何か『獲物』を発見したらしい。相変わらず忙しない三人組だ。

 

咲夜と魔理沙が帰ってくる夏休みが迫っている今日、私は何度目かも分からなくなった早苗ちゃんたちとのショッピングを行っているのだが……遅いな、リーゼ様。細川京介との話し合いを終えたらすぐに合流するって言っていたのに。

 

リーゼ様から『合流するまで三人を見ておいてくれ』と頼まれたので、最初は三人ともを制御しようと頑張っていたわけだが、現在はもう早苗ちゃんの監督は神奈子さんに一任している。早苗ちゃんと諏訪子さんがバラバラの方向に動き回るから、物理的にリードとかで繋がない限りは制御できないのだ。

 

まあ、神奈子さんは比較的常識があるから早苗ちゃんを任せておいても大丈夫なはず。好奇心旺盛な子犬だってもう少し大人しいぞとため息を吐きつつ、監督経験が豊富なリーゼ様の合流を願っていると……諏訪子さんが可愛らしく小首を傾げながら上目遣いでおねだりしてきた。『本性』を知っているんだから何をしても無駄だぞ。

 

「ダメ?」

 

「ダメです。財布のお金が足りてないんですってば。許可云々じゃなくて不可能なんですよ。」

 

「クレジットカードは?」

 

「魔女はクレジットカードなんて使いませんし、使えても買いません。ダメったらダメです。早苗ちゃんたちを探しに行きましょう。」

 

こういう展開を見越して、今回は財布の中身を事前に減らしてきたのだ。これならこっちの意思とは関係なく絶対に買えないわけだし、今度リーゼ様にも勧めてみようかな。完璧な作戦を内心で褒めている私に、諏訪子さんは残念そうな表情で不満を漏らしてくる。

 

「欲しいんだけどなぁ、パソコン。早苗はこういうのに疎いし、神奈子は興味がある癖に及び腰なんだよね。……アリスちゃんは欲しくないの? 魔女でしょ?」

 

「いやいや、魔女であることとこの機械がどう繋がるんですか?」

 

「だってさ、色んなことを調べられるんだよ? ……パソコンに全然興味を持たないってのはヤバいと思うけどなぁ。好奇心の劣化ってやつじゃない? 老いだよ、老い。魔女として死にかけてるようなもんじゃん。」

 

「私は『一点集中』するタイプの魔女なので平気です。ほら、行きますよ。」

 

『広く深く』のパチュリーなら興味を持つんだろうか? ……うーむ、想像できないな。どうにも似合わない気がするぞ。彼女は情報を伝達する媒体として真っ先に本を選ぶだろうし、そう考えるとむしろ相性が悪い機械なのかもしれない。『競合相手』だ。

 

師匠のことを思い浮かべながら手を引いてやれば、諏訪子さんはパーソナルコンピューターの前で踏み止まって抵抗してきた。しぶといな。

 

「でもでも、欲しいんだもん。ゲームとかも出来るんだよ?」

 

「大体ですね、これってマホウトコロで使えるんですか? 一年の大半はあそこに居るんでしょう?」

 

「マホウトコロじゃ使えないけど、神社なら使えるじゃん。どうせ夜しかネットに繋げないんだし、早苗が寝た後に神社の方で実体化して使えばいいんだよ。昼は寮の早苗の部屋でゲームして、夜は神社でパソコンで遊ぶの。」

 

「ダメダメじゃないですか。もっと神らしい生活を送ってくださいよ。……はい、もう終わりです。買う気がないのに見ていたら、お店の人の迷惑になっちゃいますからね。」

 

何故夜しか使えないのかはさっぱり分からないが、そんな生活を続けていたら札をとんでもない枚数消費することになるぞ。可哀想なリーゼ様がノイローゼになってしまうじゃないか。注意しながら諏訪子さんの両脇に手を添えて、持ち上げることで無理やりパーソナルコンピューターの展示スペースから引き剥がしてやると、金髪の駄々っ子はバタバタと暴れて文句を飛ばしてくる。

 

「アリスちゃんの意地悪! けち! 拗らせ女!」

 

「『拗らせ女』? ……最後のって言う必要ありました? これ以降諏訪子さんには何も買いませんからね。」

 

「ひどいよ、ひどすぎるじゃん。私ったら神なんだよ? もっとちやほやしてくれてもいいじゃんか。」

 

「何かご利益を感じたらちやほやしてあげますよ。今のところは迷惑しか感じてませんけど。」

 

小さな神様を持ち上げたままで売り場から遠ざかる私に、諏訪子さんはがっくり項垂れながら泣き言を呟いてきた。

 

「アリスちゃん、段々可愛くなくなってきたね。前は素直な良い子だったのになぁ。悲しいよ。」

 

「学習したんですよ、私は。諏訪子さん相手に遠慮するとロクなことにならないって。……早苗ちゃんたちはどっちですか? 実体化できているってことは近くに居るはずでしょう? 札の神力を辿ってください。」

 

「あっちだよ。……おっ、本屋じゃん。そうだ、新刊! 新刊見ないと!」

 

自分が指差した方向を見てけろりと元気になった諏訪子さんは、身体を捻って私の拘束を器用に抜け出したかと思えば、次の瞬間には一目散に書店スペースへと駆けて行く。どこまでも自由な神だな。きっと毎日が楽しいんだろう。

 

あまりの奔放さに額を押さえながら私も書店に近付くと、先ずは雑誌を立ち読みしている神奈子さんの姿が目に入ってきた。早苗ちゃんの管理を放棄して車の雑誌を読むのに夢中になっているようだ。こっちの神も結構ダメなのかもしれない。

 

「神奈子さん、早苗ちゃんはどこですか?」

 

「む、マーガトロイドか。早苗は店内に居るぞ。この店から出てはいけないと言っておいたから大丈夫だ。」

 

「それ、効果があるとは思えないんですけど。」

 

「早苗は良い子だから平気だぞ。……それより、これを見てくれ。私の車に装着したいんだが、お前はどう思う? カッコいいと思わないか?」

 

神奈子さんは賢く見える時もあれば、ちょっとぽんこつになっちゃう時もあるな。ちなみに今の彼女は後者だ。神奈子さんが見せてきたページには、『カッコいい』とは到底思えないようなゴテゴテした装飾がくっ付いている自動車の写真が載っているのだから。

 

「あー……その、目立ちすぎじゃないでしょうか?」

 

「それがいいんじゃないか。特にこの蛇の形のマフラーが魅力的だ。……ふむ、バートリに相談してみる価値はありそうだな。合流した後で話してみよう。」

 

「……じゃあ、私は早苗ちゃんを探しに行きますね。」

 

絶対にダメ出しされるだろうし、絶対に買ってはくれないだろうけど、もはやいちいち突っ込む気力など残っていない。神奈子さんに適当に応じてから、店内の狭い通路を回っていると……あの子はあの子で何をしているんだ? 大量のコミックを抱えて彷徨っている早苗ちゃんの姿が視界に映る。

 

「早苗ちゃん?」

 

「あっ、アリスさん! 面白そうな漫画を見つけたんです!」

 

呼びかけを受けて嬉しそうな満面の笑みで歩み寄ってきた早苗ちゃんは、ふと何かに気付いたような顔になった後、モジモジと身体を揺らしながらさっきの諏訪子さんそっくりの上目遣いでこちらを見つめてきた。

 

「……えと、ダメですよね? 多すぎますもんね。」

 

「……まあ、それくらいなら買ってあげるわ。レジに行きましょう。」

 

「わあ、ありがとうございます!」

 

ギリギリ常識の範囲内の値段だし、早苗ちゃんは二柱の神と違って正真正銘の子供だ。ここは買ってあげても問題のない場面だろう。太陽のような笑顔でお礼を言ってきた早苗ちゃんに頷いてから、二人でレジに向かおうとすると──

 

「あー、ズルい! 早苗ばっかりズルいじゃん! 何で私はダメなのに早苗はいいのさ! アリスちゃん、贔屓するつもりなの? 私のも買ってよ!」

 

どこからともなく飛び出してきた諏訪子さんが、早苗ちゃんとは別のコミックを持って糾弾してきた。この短時間でよくもまあそこまで集められたな。

 

「諏訪子さんは大人なんだから自分で買ってください。私は知りません。」

 

「神だから年齢とかないもん。私は大人でも子供でもなくて、神なの。神ってのは人間から漫画を買ってもらうものでしょ?」

 

「訳の分からないルールを捏造しないでくださいよ。とにかく諏訪子さんには何も買いませんからね。拗らせ女とか言った罰です。」

 

「うわぁ、めっちゃ根に持つじゃん。冗談だよ、冗談。親愛表現ってやつ。……っていうか、アンネリーゼちゃんはいつになったら合流するのさ。買いたい物がいっぱいあるのに。」

 

だから一向に合流してこないのかもしれないな。何となく有り得そうな予想をしつつ、諏訪子さんが押し付けてくるコミックを突き返す。諏訪子さんとは理由が正反対だが、私も早く合流して欲しいぞ。もう疲れた。この三人組を制御するには私はまだまだ実力不足だ。

 

神を御することの難しさを実感しつつ、アリス・マーガトロイドは早く帰りたいなと深いため息を吐くのだった。

 



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不器用な男

 

 

「卒業おめでとう、ジニー、ルーナ。マリサとサクヤもお帰り。」

 

おおう、ヒゲの違和感が凄いな。真紅の列車を降りた私たちを迎えてくれたハリーの顔にちょっと驚きつつ、霧雨魔理沙は挨拶を返していた。ハリーの隣にはリーゼやアリス、ハーマイオニーやシリウスやモリーなんかも居る。みんなで迎えに来てくれたらしい。

 

「よう、みんな。久し振りだな。」

 

「やっほ、みんな。」

 

「お久し振りです、皆さん。……ただいま戻りました、リーゼお嬢様。」

 

「ただいま、みんな。」

 

つまるところ、今年もホグワーツでの生活を無事に終えることが出来た私たちは、ホグワーツ特急に乗ってキングズクロス駅に到着したところなのだ。私、ジニー、咲夜、ルーナの順でホームに降り立った『帰還組』に対して、出迎えの面々が声をかけてくれるが……ハーマイオニーは大丈夫なんだろうか? 今日って平日だよな?

 

「よっ、ハーマイオニー。仕事は大丈夫なのか?」

 

久々に会ったハーマイオニーに歩み寄って気になったことを問いかけてみると、彼女は笑顔で頷きながら応答してくる。もう学生じゃないって先入観の所為かもしれないが、前よりもどこか大人っぽく見えるぞ。『ヒゲ有り』のハリーよりもよっぽどだ。

 

「ええ、平気よ。魔法省にはホグワーツ生の親が沢山居るから、この日はお休みの部署が多いの。さっきまでリーゼと一緒にハリーの勉強を手伝ってたんだけど、リーゼもハリーも迎えに行くって言うから私も来てみたわけ。」

 

「そっかそっか、ハリーは八月に試験だもんな。ロンは休めなかったのか?」

 

「闇祓い局は忙しいみたいね。残念ながら来られなかったわ。」

 

うーむ、大変そうだな。リーゼとハリーとモリーとアリスから卒業を祝福されているジニーとルーナを横目に、ここに居ない見習い闇祓いどのへと同情の念を送っていると、近付いてきたシリウスが話しかけてきた。

 

「マリサ、今年も色々と大変だったらしいな。マーガトロイドさんから大体の経緯を聞いたよ。」

 

「あー……そうだな、『例年通り』の学生生活だったぜ。」

 

「兎にも角にも無事で何よりだ。リーマスと私も一枚噛んでいたわけだし、話を聞いた時は肝が冷えたよ。……そのお詫びってわけじゃないが、姿あらわしの練習には是非我が家を使ってくれ。すぐに魔法省で試験を受けるつもりなんだろう? 無駄に広い部屋が大量にあるから、練習にはうってつけだと思うぞ。」

 

「おお、それは助かるぜ。そういえばハリーもシリウスの家で練習したんだったな。」

 

人形店だと広さに不安があるし、練習場所についてはアリスと相談しようと思っていたんだが、シリウスの家が使えるなら問題なくなったな。笑顔で首肯しつつ相槌を打っている私に、今度はアリスが寄ってきて質問を投げてくる。

 

「魔理沙、貴女はどうする? 夜に隠れ穴でモリーが夕食をご馳走してくれるらしいの。私はそっちの手伝いに行くけど、咲夜は一旦人形店に戻るみたい。そしてリーゼ様たちは夕食までブラックの家で勉強会よ。」

 

「あーっと、複雑だな。隠れ穴での夕食には全員が行くのか?」

 

「ん、そういうことね。それまでどこに居るかって話よ。ルーナも夕食には多分参加するって言ってたわ。もし一度人形店に戻らずに隠れ穴かブラック邸に行くなら、咲夜が荷物を持っていってくれるんですって。」

 

「んー、私も一回人形店に戻るぜ。エマにただいまを言っとかないとな。」

 

肩を竦めて返答してみれば、アリスはこっくり頷いて了承してきた。

 

「分かったわ、だったら時間になったら咲夜と二人で煙突飛行で移動して頂戴。夕食は……モリー、夕食会はいつからになりそう?」

 

「予想より参加人数が多くなりそうですし、料理する時間を考えると……そうですね、十九時にしておきましょうか。」

 

「了解よ。……じゃあ、十九時頃に咲夜と二人で隠れ穴に来てね。私はずっとあっちに居ることになりそうだから。」

 

「おう、オッケーだ。行こうぜ、咲夜。みんなもまた後でな。」

 

何だか慌ただしいやり取りを終えた後、みんなに一声かけてから咲夜と二人でホームの隅の暖炉に向かう。まあ、夕食会は私としても嬉しいイベントだな。ジニーとルーナは昨日ホグワーツを卒業したわけなんだし、二人の卒業記念パーティーって感じになるのかもしれない。

 

「卒業祝いを買っときゃよかったな。」

 

「そうね、今夜食事会があるならその時に渡すのが正解だったのかも。」

 

「ま、平気か。ジニーの就職が決まったらまたモリーがパーティーをするだろ。そうすりゃルーナも来るだろうし、その時就職祝いも兼ねてってことで渡そうぜ。」

 

「イモリ試験の結果次第だけどね。……先に行くわよ? マーガトロイド人形店!」

 

試験直後にジニーは『思ったほど悪くなかった』と言っていたんだから、きっと大丈夫なはずだ。咲夜が緑の炎と共に暖炉の中から姿を消したのを見送って、一拍置いた後で私もフルーパウダーを投げ込んだ暖炉に入る。

 

「マーガトロイド人形店!」

 

緑の炎に包まれながら行き先を言い終わった直後、一瞬の急上昇や急降下の感覚があったかと思えば……ふう、帰ってきたな。人形店のリビングの光景が目の前に広がっていた。

 

「お帰りなさい、魔理沙ちゃん。」

 

「ただいま、エマ。」

 

キッチンカウンターの整理をしていたらしいエマに挨拶してから、どさりとソファに腰を下ろす。いやー、やっぱいいな。『我が家』は落ち着くぞ。

 

「ちょっと魔理沙、寛ぐ前に荷物を片付けなさいよ。」

 

「お前な、こういう時は少しのんびりするもんだろ。」

 

「今回は魔理沙ちゃんが正解ですね。紅茶を淹れますからゆっくりしておいてください。焼きたてのクッキーもありますよ?」

 

クスクス微笑みながらお湯を沸かしているエマを見て、咲夜が慌てて手伝いを始めるが……来年の今日は既に卒業しているのだと考えると、学生としては最後の夏休みに突入したわけだ。何だかうずうずしてくるな。時間を無駄にするのがとんでもなく惜しく感じられてしまうぞ。

 

よし、予定の再確認をしておこう。背凭れに預けていた身を起こしてトランクの中から予定表を引っ張り出している私に、淀みなくお茶の準備を進めているエマが疑問を寄越してくる。

 

「そういえば魔理沙ちゃん、幻想郷に持っていった方がいい物って何か思い付きますか? もう残り一年ですし、そろそろ移住の準備を進めておこうかと思ってるんですけど。」

 

「あー、中々難しい質問だな。マグル製品全般は向こうじゃ手に入らないだろうから、もし使うなら持ち込んだ方がいいかもだぞ。」

 

「でも、私が持っていきたい物はみんな消耗品なんですよね。洗剤とか、フローリングワックスとか、お菓子の材料とか。悩ましいところです。」

 

「足りなくなってきたらその都度リーゼに買いに行かせりゃいいじゃんか。あいつは行き来できるんだろ?」

 

パッと思い付いたことを口に出してみると……何だ? その反応は。エマと咲夜が揃って微妙な表情で応じてきた。

 

「メイドがお嬢様に『お使い』を頼むのは……ダメですよね? 咲夜ちゃん。」

 

「ダメなんでしょうね、やっぱり。」

 

「いやいや、それくらい別にいいだろ。リーゼも嫌とは言わんと思うぞ。」

 

リーゼに気を使っているというよりも、使用人としてのプライドがそれを許さないようだ。私に対して肯定も否定もせずに唸っている二人に苦笑しつつ、手書きの予定表を眺めて一つ息を吐く。

 

ずっと前から決まっていたこととはいえ、タイムリミットが目前に迫ってくるとやはり焦るな。エマと同じように、アリスやリーゼも徐々に移住に向けての準備を始めるつもりなんだろう。だったら私もそれを踏まえた上で予定を組み立てなければ。

 

うーん、持っていきたい物か。確かにそういうのも考える必要がありそうだな。……私はいつの日か、こっちの世界に戻って来られるようになるんだろうか? 本物の魔女になって、魅魔様のように結界をすり抜けたりとか? あるとしてもかなり先の話になりそうだ。

 

だけど、いつかはイギリスに帰ってきたいな。咲夜と一緒なら尚良いぞ。二人で様変わりしたロンドンやダイアゴン横丁を歩いて、懐かしいなと笑い合う。結構面白そうな未来じゃないか。

 

目の前の予定表には書き込めない、ずっとずっと先の予定。それを心の中にそっとメモしつつ、霧雨魔理沙は小さな笑みを浮かべるのだった。

 

 

─────

 

 

「迷ってるんだよ。父さんはチャンスだから行った方が良いって言うんだけど、マグル製品取締局がどうなるかが心配なんだ。折角新入局員が二人も入ってくる予定なのに。」

 

魚のフライを頬張りつつ悩ましい声で相談しているパーシー先輩を横目に、サクヤ・ヴェイユはリーゼお嬢様のグラスにワインを注いでいた。こっちのテーブルは静かに『大人の話』をしているけど、向こうのテーブルはわいわいと盛り上がっているな。何かテーブルゲームをしているらしい。

 

ホグワーツからロンドンに帰還した日の夜、私は隠れ穴で開催された食事会に参加しているところだ。参加者はウィーズリー家の面々とポッター先輩とハーマイオニー先輩、ブラックさんやルーナとその父であるラブグッドさん、そして私と魔理沙とリーゼお嬢様とアリスなのだが……むう、爆発音が頻繁に響いてくるな。間違いなく向こうのテーブルで行われているのは双子先輩が持ち込んだゲームなのだろう。

 

ちなみにこちらのテーブルで非魔法界問題についてを話し合っているのは、リーゼお嬢様とハーマイオニー先輩、パーシー先輩の三人だ。新たに発足する非魔法界対策の専門部署に『スカウト』されたらしいパーシー先輩へと、ハーマイオニー先輩が問いを放つ。

 

「そもそも新部署はどこの傘下になるの? やっぱり大臣室の下に置かれるのかしら?」

 

「まだ本決まりじゃないけど、現状ではそうなる可能性が濃厚かな。調査チームが大臣室の下にあったから、部署に昇格した後も同じ位置に置かれると思う。」

 

「兎にも角にも出世なんだろう? 私は行った方がいいと思うがね。そっちの部署でマグル製品取締局の有用性を唱えれば、アーサーの地位向上にも繋がるだろうさ。」

 

「出世かどうかは難しいところかな。設立が決まった直後だから、何もかもがあやふやなんだ。大臣室傘下の小さな部署になる可能性もあれば、新たなフロアを造ってそこの『顔』にしようって意見もあるからね。」

 

リーゼお嬢様の言葉に応じたパーシー先輩は、一度自家製のアイスレモンティーに口を付けてから話を再開する。執行部、惨事部、規制管理部、国際協力部、運輸部、ゲーム・スポーツ部、神秘部に続く八番目の部署になるかもしれないわけか。

 

「ボーンズ大臣は後者の意見を取り入れるつもりらしくて、その所為で議論が白熱してるみたいだよ。フォーリー評議長が性急すぎるって理由で反対に回ったから、久々にウィゼンガモットと大臣室で割れてる感じかな。」

 

「ん? レミィはフォーリーが『グリンデルバルド派』の人間だと言っていたんだがね。そのフォーリーが反対するのは少し妙だな。……スクリムジョールはどうなんだい? 次の魔法大臣として最も有力なのはあの男だろう? 省内ではそれなり以上の発言力があるはずだぞ。」

 

「スクリムジョール部長は静観してるみたいだね。多分どちらかに付くとバランスが崩れると思ったんじゃないかな。……正直なところ、僕も性急だとは考えているんだ。非魔法界対策には賛成だけど、いきなりフロアを増設するってのは周りがついて来られないと思うよ。まだまだ広まり切っていない問題だから。」

 

「んー、難しいな。問題の周知には結構な時間をかけているはずなんだが、どうにも広まっていないからね。民間と指導者層で問題に対する認識の乖離が発生しているわけか。」

 

ワインを呷りながら唸るリーゼお嬢様に、ハーマイオニー先輩がピンと指を立てて発言を投げた。

 

「ひょっとしたらボーンズ大臣は強引な姿勢をあえて見せることで、問題の重要性を示そうとしてるんじゃない? 新フロア増設は私からしても時期尚早に思えるし、ボーンズ大臣がそれに気付かないはずがないわ。傍目にも無理な案を提示することによって、それだけ危急の問題なんだと間接的に伝えているんじゃないかしら?」

 

「……だとしたら大した度胸だね。支持率を落としかねん行為だぞ。」

 

「ボーンズ大臣は地位に拘泥するタイプの人じゃないし、可能性はあると思うわよ。ウィゼンガモットもそれを理解した上で反対していて、スクリムジョール部長もだからこそ静観しているとか? それならグリンデルバルド派のフォーリー評議長が反対している理由にもなるじゃない。」

 

ぬう、ボーンズ大臣は自身の地位よりも問題の周知を優先したということか。ハーマイオニー先輩の仮説を私が脳内で咀嚼している間にも、パーシー先輩が眉間に皺を寄せながら口を開く。

 

「なるほどね、ある意味過激な考え方だけど……僕もそれは有り得ると思う。ボーンズ大臣は元々長期政権には否定的だったし、自分の退任を恐れるような人じゃないはずだ。次期大臣としてスクリムジョール部長を想定しているから、今回彼には蚊帳の外でいてもらうように頼んだのかもしれないよ。」

 

「ウィゼンガモットも分かった上でやっているんだとすれば、何とも壮大な『お芝居』ってことになりそうだね。……うーん、ボーンズにはまだ魔法大臣でいてもらいたいってのは我儘かな?」

 

困ったような苦笑でリーゼお嬢様が言うのに、ハーマイオニー先輩も同じ表情で応答する。

 

「それは分かるけどね。非魔法界問題の理解度を上げたいのであれば、どこかで民意に訴えかけるような強い手を打つ必要があるわ。今回の一件はその助走ってところじゃないかしら。ボーンズ大臣は非魔法界問題を自分の最後の仕事にするつもりなのかも。」

 

「一種の憎まれ役を買って出るってわけだね。ボーンズ大臣なら出来るし、やれる人だと思うよ。非魔法界対策はスカーレット女史が残していった仕事でもあるから、その解決を区切りと捉えていてもおかしくはないかな。」

 

「レミィが権威を以って提起し、ボーンズが熱意を以って強引に推し進め、スクリムジョールが冷静さを以って纏めるって筋書きか。確かに有り得そうだね。……まあ、今日明日そうなるって類の話じゃないし、今のところは単なる予想だ。まだまだボーンズの支持率は『高値』を維持しているさ。」

 

「そうね、あったとしても暫く先の話になるでしょうね。大体執行部の次期部長候補が居ないわ。ロバーズ局長は部長ってタイプじゃないわよね?」

 

うーむ、あの人が執行部部長ってのはイメージできないな。そしてリーゼお嬢様やパーシー先輩もそれは同様だったようで、二人揃って頷きながら肯定した。

 

「絶対にないね。ムーディとは別ベクトルで『現場の人間』なんだと思うよ、ロバーズは。スクリムジョールもそのことは重々承知しているだろうさ。」

 

「優秀さ云々というか、適材適所ってやつだね。闇祓い局内ならむしろシャックルボルト副局長の方が部長向きなんじゃないかな。」

 

「あー、シャックルボルト副局長ね。私も向いてると思うわ。もしかしたら指名されるかも。」

 

シャックルボルト副局長か。どんな人だったっけ? そもそも会ったことがあったかと記憶を掘り起こしている私を他所に、リーゼお嬢様が会話の内容を非魔法界問題に戻す。

 

「ま、スクリムジョールならぴったりのヤツを卒なく選ぶだろうさ。……しかしまあ、イギリスが対策委員会の要請を八割方受け入れた以上、フランスも受け入れる方向に転ぶだろうね。そっちの話は耳に入っていないのかい?」

 

「協力部にはちらほらと入ってきてるわよ。フランス魔法省としては、イギリス魔法省がもっと時間をかけると思っていたらしいわ。最終的には大半を受け入れるにしても、ポーズとしての交渉はするものだと考えていたみたい。」

 

「すんなり過ぎてびっくりしちゃったわけか。どう受け取っていいか迷うね。」

 

「フランスの民意を簡単に言うと、『グリンデルバルド議長に協力するのは嫌だけど、紅のマドモアゼルの意志は受け継がなければならない』ってところじゃないかしら? イギリスよりも時間はかかるでしょうし、受け入れる部分も若干少なくなるかもだけど、骨子となる要請は最終的に承認すると思うわよ。」

 

フランスもいずれ『陥落』するということか。ハーマイオニー先輩の予想を聞いて、パーシー先輩がポツリと呟きを漏らした。

 

「怖いね。グリンデルバルド議長の意のままだ。」

 

「……キミはそれが危険だと思うかい?」

 

「思うかな。……グリンデルバルド議長の行動が間違っているとは言わないよ。非魔法界対策は僕たち魔法族全体が向き合うべき課題で、それを進めようとするのは正しい行いだと思う。もしグリンデルバルド議長の立ち位置にスカーレット女史やダンブルドア先生が居たなら、僕はきっと『怖い』とは考えなかっただろうね。」

 

「しかし、ゲラート・グリンデルバルドがそこに居るのは怖いわけだ。」

 

グラスの中のワインを揺らしながら問いかけたリーゼお嬢様に、パーシー先輩は難しい顔付きでこっくり首肯する。

 

「自分でも理不尽なことを言っているのは分かってるけど、それでもそう感じてしまうんだ。こんな風にグリンデルバルド議長が国際的な権力を持ち始めた時、どうしてもヨーロッパ大戦のことが頭をよぎっちゃうんだよ。」

 

「……まあ、理解は出来るよ。『もしも』が怖いんだろう?」

 

「そういうことだね。グリンデルバルド議長が非魔法界対策の旗頭である限り、この懸念は常に付き纏うと思うよ。魔法界の誰もが僕と同じ恐れを抱くはずだ。……だけど、現状グリンデルバルド議長以外に問題を牽引できそうな人物が居ないのも確かだからね。中々難しい問題なんじゃないかな。」

 

「それがゲラート・グリンデルバルドなんだよ。敵でさえ認めざるを得ず、反面味方にも恐れられる。どこまでも正しい男であり、故に認め難い悪人でもあるんだ。レミィのように器用じゃないのさ、あの男は。だから政治家としては敗北したのかもね。」

 

くつくつと皮肉げな笑みを浮かべつつワインを飲んだリーゼお嬢様は、大きなため息を吐いて私に空いたグラスを差し出してきた。それに慌ててワインを注ぐと、お嬢様は私の頬をするりと撫でながらやれやれと首を振る。

 

「いやはや、本当に不器用なヤツだね。度し難いよ。」

 

むう、ちょびっとだけ寂しそうな声に聞こえるのは気のせいなんだろうか? そのままハーマイオニー先輩が話題を変えるのを耳にしながら、皿に残っていたチーズが載っているクラッカーをぱくりと食べた。ゲラート・グリンデルバルドか。見る者によって姿を変える男。実に複雑な人物だな。

 

開いている窓から漂ってくる初夏の夜の匂いを感じながら、サクヤ・ヴェイユはもう一つクラッカーを口に運ぶのだった。

 



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邂逅

 

 

「動かないでね。……はい、これで元通りよ。もう一度チャレンジしてみましょう。」

 

『バラけ』てしまった魔理沙の左手首を杖魔法でくっ付けてから、アリス・マーガトロイドは床に描いた円を指して姿あらわしの練習の再開を宣言していた。うーむ、教え方が下手なのかな? 咲夜は比較的早い段階で上達したものの、魔理沙が予想以上に手間取っているな。やり方を変えてみるべきかもしれない。

 

七月三日の土曜日、私はブラック邸で咲夜と魔理沙に姿あらわしの指導を行っているのだ。練習は『大掃除』以降一切使っていないらしい広めの空き部屋でやっており、隣の部屋ではハーマイオニーとロンがハリーの試験勉強を手伝っている。

 

他にも使用していない部屋が山ほどあるみたいだし、やはりブラックとハリーだけでは持て余すんだろうなと考えていると、魔理沙が珍しく弱気な態度で質問を飛ばしてきた。

 

「……私って、姿あらわしが下手なのか? どうにもイメージが纏まらないぜ。どうすればいい?」

 

「多分だけど、貴女は空間把握の方法が独特なんじゃないかしら? だからこそ優秀な飛び手で、故に姿あらわしの習得に手古摺るんだと思うわ。」

 

「褒められてるのかダメ出しされてるのかよく分からんぜ。」

 

「何事にも良い側面と悪い側面があるってことよ。……んー、目標点に『飛び込む』ってイメージが合ってないのかもしれないわね。一番受け入れ易いイメージを探してみて頂戴。『パッと現れる』とか、『落ちる』とか、『飛び出す』とか。仮にバラけても部屋の外までは飛んでいかないように魔法がかかってるから、恐れずにチャレンジしてみなさい。」

 

私のアドバイスに首肯して杖を構えた魔理沙が、隣で待っていた咲夜と同時に姿あらわしを使うと……ダメか。目標となる円の手前にパシュッという音と共に現れたかと思えば、派手に地面に突っ込んでしまう。顔からだ。

 

「今のは痛かったわね。」

 

見事隣の円の中心に出現した咲夜が同情しているような面持ちで代弁するのに、両手を床に突いて身を起こした魔理沙が応答する。渋い表情だな。

 

「ああ、クソ痛かったぜ。そして今度は右足が行方不明だ。探してくれ。」

 

アクシオ(来い)。……はい、アリス。不気味だから早く『装着』してあげて。」

 

『姿あらわしの失敗でバラけた右足』を呼び寄せるのは中々難易度が高いだろうし、靴を呼び寄せることで右足を『おまけ』にしたのかな? 上手いこと呪文を使うなと感心しつつ、咲夜から魔理沙の右足を受け取って呪文で本体にくっ付けた。

 

しかしまあ、『バラけ』は何度目にしても難解な現象だな。切断されたわけではないから血は流れないし、バラけた状態でも自分の意思で身体から離れた部分を僅かにだけ動かせるのだが……これ、本当にどうなっているんだろうか? 何度も見ていたら気になってきたぞ。

 

「……ねえ、魔理沙? この際だからちょっと実験してみてもいい? バラけた部分を更にバラけさせるとどうなるかを観察したいんだけど。」

 

「おい、私は実験動物じゃないんだぞ。絶対に嫌だからな。生きたまま細切れになるのは御免だぜ。」

 

「だけど、意図的にバラけるのってかなり難しいのよ。チャンスは今だけなの。……ダメかしら? バラけた腕は動かせるとして、そこから更に指が離れてもまだ動かせるのかが気にならない?」

 

「ならない。だからやらない。」

 

むう、気になるんだけどな。両手両足の指を意図的にバラけさせることが出来れば、二十体の指人形を離れた位置から操れるかもしれない。そりゃあ魔法で操作すれば簡単かもしれないが、指人形は指で動かしてこそだろう。

 

人形劇に使えそうだし、良い考えだと思うんだけど……問題は何かの拍子で指がスルッと人形から抜けてしまった場合、舞台上にモゾモゾと独りでに動く『指』だけが取り残されてしまうという点だな。大人は単純に引くだろうが、子供は泣くかもしれない。芋虫のように動く指を見て喜ぶ子供はさすがに居ないだろうし。

 

となると指を固定できる構造にする必要があるなと思考を回している私に、魔理沙がじりじりと後退りながらジト目で話しかけてきた。

 

「……おいこら、アリス。何か危ないことを考えてるだろ。魔女の顔になってるぞ。」

 

「人形のことを考えてたのよ。指人形を使った人形劇のことを。全然危なくないわ。」

 

「さっきの会話と『指人形』って言葉を足すと、とんでもなく危ない発想が生まれると思うぞ。……とにかく実験は無しだからな。やろうってんならここからの指導はシリウスに頼むぜ。」

 

「まあいいわ、今度別のやり方で試してみることにしましょう。……咲夜はほぼ確実に円に入れるようになってきたわね。距離を遠くしてみる?」

 

手持ち無沙汰にストレッチしている咲夜に聞いてみれば、彼女は軽く頷いて了承してくる。咲夜の方は姿あらわしが得意であるとすら言えそうだな。

 

「ん、やってみる。……リーゼお嬢様、やっぱり来ないのかな?」

 

「諏訪子さんと神奈子さんとの話し合いが長引いてるのかもね。」

 

ここに居ないリーゼ様は、現在日本の守矢神社にて二柱との打ち合わせを行っているのだ。何でも移住する際に一緒に『持っていく』土地の広さについてを相談しているらしい。魔法に詳しい私がこっちに居られる間に計画の骨子を作っておきたいのだとか。

 

ううむ、そんなに頼られても困るんだけどな。出発前のパチュリーから『もしマーガトロイド人形店を持っていくなら』と転移魔法の術式を教えてもらってあるので、リーゼ様はそれを頼りにしているんだろうけど……あの神社をごっそりっていうのは物凄く難しいと思うぞ。術式自体はパチュリーのものだが、術式に合わせるための細かな計算や調整をするのは私なのだ。

 

パチュリーは見事に紅魔館を丸ごと転移させてみせたけど、私は同じことが出来ると胸を張って言えるほどの魔女ではない。でもリーゼ様にがっかりされるのは悲しいし……ああ、憂鬱だな。帰ってきた彼女に『裏手の湖ごとになったよ』と言われたらどうしよう。そうなるともう絶対に無理だぞ。

 

それに、人形店をどうするのかもまだ決めかねているのだ。紅魔館に住むなら持っていっても仕方がないわけだが、愛着があるあの家をこっちに残していくのは薄情な気がする。とはいえ紅魔館の裏手にポツンと人形店が設置されてあるのは奇妙すぎるだろう。

 

うーん、悩むぞ。残り一年になって色々と考えることが増えてきたなと唸っていると、部屋にひょっこり顔を出したブラックが皿を片手に呼びかけを投げてきた。皿に載っているのは……クッキーか?

 

「マーガトロイドさん、少し休憩にしませんか? クッキーを焼いたんです。」

 

「……貴方、いつの間にクッキーなんかを作れるようになったの? 騎士団の頃は料理なんて全然できなかったわよね?」

 

「最近料理に凝ってましてね。お菓子にも挑戦しているんです。紅茶も淹れましたから、ハリーたちが居る部屋で食べましょう。」

 

訳が分からないな。ブラックは一体どの方向に進もうとしているんだ? エプロンを身に纏っている元囚人へと首肯してから、私と同様に微妙な表情になっている咲夜と魔理沙と三人で隣の部屋に移動する。ハリーの名付け親が未だ迷走しているのは間違いなさそうだ。

 

「そら、ハリー! クッキーだ! 今日のは上手く焼けたから美味しいと思うぞ。」

 

まあうん、毎日が充実していそうではあるかな。名付け子へと満面の笑みでクッキーを差し出すブラックを横目に、アリス・マーガトロイドはやれやれと首を振るのだった。

 

 

─────

 

 

『あの、何してるの?』

 

蛇だ。見覚えのある黒い蛇。要するに細川先生のペット。校舎の中庭の草むらの中でとぐろを巻いている蛇に語りかけながら、東風谷早苗はかっくり首を傾げていた。まさか、また逃げ出したのか?

 

七月三日のお昼ご飯の直後、当番を押し付けられた中庭の掃き掃除をしている途中でこの蛇を見つけたのだ。今日は土曜日なので午前中で授業が終わりなため、今は掃除の時間なんだけど……うー、見つけちゃったからには放っておけないな。折角お二方がリーゼさんとの話し合いのために神社の方に顕現しているから、早く終わらせて大きなテレビを独占しようと思っていたのに。

 

捕まえて細川先生のところに届けないとと考えている私に、舌をちろちろさせながら頭をもたげた蛇が返事を返してくる。棒読みではなくなっているものの、この前と同じ変な口調でだ。

 

『おっ? 何じゃ? 誰じゃ? ……おー、蛇語を話す小娘か。』

 

『そうだけど、また逃げちゃったの? こっちにおいで。細川先生のところに持っていってあげるから。』

 

『小娘』か。蛇の寿命がどれくらいなのかはよく知らないけど、多分私の方が歳上だと思うぞ。『人間に換算すると何歳』的なあれなんだろうか? しゃがんで手を伸ばしながら呼びかけてやれば、黒蛇は頭をゆらゆらと動かして駄々をこねてきた。

 

『嫌じゃ嫌じゃ、毎日退屈なんじゃもん。わしだって外で遊びたい。自由を謳歌したい。ネズミとか追いたい。』

 

『ネズミは居ないんじゃないかな。ここはちょっと特殊な場所だから。……ほら、我儘言わないで帰ろう? 細川先生が心配してるよ?』

 

『何かおぬし、無礼じゃな。何じゃその童に語りかけるような口調は。礼儀がなっとらんぞ。わしをもっと敬え。』

 

『えぇ……。』

 

何だこの蛇。謎の上から目線に困惑しつつ、周囲に生徒が居ないことを確認してから説得を続ける。蛇語で話しているところを見られるのは避けた方がいいだろう。今でも転入直後に自慢げに蛇語を『披露』した結果、どうなったのかを鮮明に覚えているぞ。あの時は凄い特技だってちやほやされるんじゃないかと思っていたっけ。苦い失敗の記憶だ。

 

『えーっと、ごめんなさい。敬語の方がいいですか?』

 

『うむうむ、そうじゃな。わし、偉いから。分かるじゃろ? 偉い雰囲気があるじゃろ?』

 

『あー……はい、あります。』

 

『じゃろ? 見る目があるのう、おぬし。やっぱりわしの凄さは隠しきれんかー。照れるぞ。照れ照れじゃ。』

 

とりあえず下手に出て捕まえちゃおう。するすると動きつつ喜んでいた黒蛇は、急に焦ったように動くスピードを上げたかと思えば……ジタバタしながらこちらに助けを求めてきた。

 

『あれ? ……あっ、絡まった! わし、絡まっとる! 早く助けるのじゃ! 怖い!』

 

『えと、はい。今助けます。』

 

飼い主の細川先生には悪いけど、この子はかなりバカな蛇みたいだ。普通の蛇がこんなことになるとは思えないし、少なくとも平均的な蛇よりは頭が悪いということになるな。勝手に固結びのような状態になってパニックに陥っている黒蛇を持ち上げて、解いてやろうとしてみるが……ぬう、どうしてそんなに動くんだ? 解けないじゃないか。

 

『あのですね、動かないでくれませんか? 余計に絡まるんですけど。』

 

『だって、胴体が絡まっとるんじゃぞ? おぬし自分の身体が絡まったことがあるか? 凄い怖いんじゃからな? ……しかもなんか、おぬしに触られると痛いし。触り方が下手すぎるのかもしれんな。そんなんじゃ立派な蛇使いになれんぞ。』

 

『蛇使いなんて目指してませんし、人間は絡まろうと思っても無理ですし、解こうとしてるんだから動かないで任せてください。』

 

『優しくな? 優しく解くんじゃぞ? わし、繊細なんじゃから。か弱い蛇なんじゃ。蛇って掴まれるとゾワッとするんじゃよ。本能的に。』

 

蛇についての余計な知識が増えたところで、掃除用の竹箒と解き終わった黒蛇を持って校舎の方へと歩き出す。リーゼさんがひょっとしたら妖怪かもと疑っていたけど、それはやっぱりなさそうだな。こんなにおバカな蛇が妖怪だなんて有り得ないぞ。

 

『解けたから行きますよ。』

 

『えー、つまらんのう。わし、遊びたい。おぬしも遊びたくならんか?』

 

『なりません。』

 

『あれ、ならん? 本当に? ちっとも? ……あれぇ? 変じゃな。何でじゃろ?』

 

何でもなにもないだろうに。黒蛇が心底不思議そうにくりくりと頭を捻りながら私を見上げた瞬間、はたと重要なことに気付いて立ち止まった。蛇を持ったままで校舎の中を歩くのは賢い行動じゃないな。細川先生は飼っていることを隠しているらしいし、蛇舌の私が堂々と蛇を連れているのも問題だ。隠さないと。

 

『なあ、本当に遊びたくならん? わし、遊びたいんじゃけどなー。……そら、なったじゃろ?』

 

『なりませんって。……ちなみに聞きますけど、蛇さんってオスですか?』

 

『どう見ても女じゃろうが。失礼な小娘じゃな。その質問ってマジ無礼じゃぞ。わし、マジムカつく。』

 

古臭いんだか現代的なんだか分からない口調だし、テレビとかで言葉を覚えているんだろうか? 細川先生、時代劇が好きなのかな? この蛇がケージの中からテレビを観ている光景を想像しつつ、メスならいいかと懐に黒蛇を入れる。

 

『細川先生のところに行きますから、ここに入っててくださいね。……ちょっ、何でいきなり暴れ出すんですか。入ってくださいってば。』

 

『嫌じゃ! ……おぬしの懐の中、居心地最悪なんじゃけど。ドブの中とかの方がまだマシじゃぞ。わし、ここは嫌。外の方がいい。』

 

『めちゃくちゃ失礼なこと言うじゃないですか。いいから中で大人しくしててください。他の人に見られると蛇焼きにして食べられちゃいますよ?』

 

『……嘘じゃろ? わし、食べられちゃうの?』

 

『ドブの中』とは失礼千万だな。意味不明な罵倒にちょっとイラッとしつつも、至極適当な嘘で蛇を大人しくさせた後、中庭から校舎に入って二階に向かう。研究室に居るかな? 細川先生の自室がある桐寮にはあまり近付きたくないぞ。考えながら一番近い階段を上って、二階の渡り廊下を抜けて四面廊下に足を踏み入れたところで……制服の中に入っている蛇が質問を寄越してきた。余計な文句と共にだ。

 

『ぬああ、本気で居心地が悪いのう。最低最悪じゃ。……なあなあ、本当に遊びたくならん? ほんとのほんとに?』

 

『しつこいですよ。ならないって何度も言ってるじゃないですか。蛇語を周りに聞かれたくないので静かにしておいてください。』

 

『えー? 変じゃぞ、おぬし。何でならんのじゃろ? ひょっとしてわし、不調? 最近調子良かったはずなんじゃがのう。』

 

シューシューとよく分からないことを呟く蛇を無視しつつ、たどり着いた細川先生の研究室のドアを名乗りと同時にノックしてみれば……良かった、居るみたいだ。中から入室を許可する声が響いてくる。

 

「あの、東風谷です。入ってもいいでしょうか?」

 

「どうぞ、入ってください。」

 

「失礼します。……こんにちは、細川先生。」

 

「どうも、東風谷さん。バートリ女史から何か伝言があるんですか?」

 

どうやら何か書き物をしていたようだ。デスクに着いたままでペンを置いて問いかけてきた細川先生は、私が首を横に振りながら懐から出した蛇を見て顔を引きつらせると、勢いよく席を立ってこちらに……あー、あれは痛そうだな。デスクの角に足をぶつけて苦悶の声を漏らしてから、よろよろとこちらに歩み寄ってきた。めちゃくちゃ慌てているじゃないか。

 

「ぐっ……ど、どうしてその蛇を? というか、何故東風谷さんが?」

 

「あのですね、さっき中庭の掃除をしてた時に草むらで見つけたんです。また逃げ出したってことなんじゃないでしょうか?」

 

「……なるほど、そういうことですか。いや、助かりました。ありがとうございます。見つけたのが東風谷さんで本当に良かった。」

 

何か早口だな。私から黒蛇を受け取りながらお礼を言った細川先生は、ピタリと動きを止めて疑問を送ってくる。

 

「……この蛇から何か聞きましたか?」

 

「『何か』? ……えーと、遊びたいって言ってましたよ? 退屈してるんじゃないでしょうか?」

 

『しとるしとる。言ってやれ、小娘。わし、退屈しとるって。ヒマじゃって。』

 

「あーっと、今も言ってますね。ヒマなんだそうです。」

 

だから脱走しちゃったのかな? 蛇の通訳をするという貴重な体験をしている私に、細川先生は物凄く苦い笑みで首肯してきた。

 

「そうですか、参考にします。だからつまり、飼育する上での参考に。」

 

「はい、助けになったなら良かったです。……じゃあその、失礼しますね。これを置いてこないといけないので。」

 

改めて考えると、先にこれを片付けるべきだったな。我ながら優先順位を定めるのが下手すぎるぞ。手に持ったままだった竹箒を示して退室の意思を伝えてやれば、細川先生はうねうねと腕に巻き付いている蛇を制御しながら再度お礼を口にしてくる。

 

「ありがとうございました、東風谷さん。助かりました。」

 

「いえいえ、そんなに手間のかかることじゃなかったので気にしないでください。失礼します。」

 

『じゃあの、変な小娘。』

 

『あ、はい。もう逃げちゃダメですからね。』

 

尾を振って別れを告げてきた蛇にも蛇語で返答した後、細川先生の研究室を出て箒を用具置き場に戻すために廊下を進む。奇妙なトラブルだったな。どういうケージで飼っているのかは知らないけど、また逃げ出さないようにきちんとロックすべきだと思うぞ。

 

何にせよ問題は片付いたんだし、ここからはゲームに一直線だ。早く箒を片付けて大きなテレビでゲームがしたい。明日は日曜日で休みだから、この前の外出日に買ってもらったお菓子を食べながら夕食の時間までずっとやろう。宿題もあるけど……うん、明日やれば大丈夫だ。きっと間に合うさ。今までだってそれで間に合ってきたんだから。

 

早歩きで移動しつつ自分の賢い結論に納得して、東風谷早苗は宿題のことを頭から消去するのだった。

 



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巧遅も拙速も運には勝てぬ

 

 

「キミたちね、私は赤ん坊じゃないんだぞ。着替えの手伝いなんて不要だよ。」

 

うーん、ちょっと可愛いな。黒いキャミソールとショーツ姿でえへんと胸を張っているリーゼお嬢様を前に、サクヤ・ヴェイユはどうしたら良いのかと視線を彷徨わせていた。可愛いポーズの主人からノーを出されちゃったぞ。この場合メイドとしてはどうすべきなんだろう?

 

六年生と七年生の間の夏休みに入って数日が経過した今日、私はエマさんから『朝の身支度のお手伝い方法』の指導を受けているのだ。だから『実演』のために先程トランクの中の寝室でリーゼお嬢様を起こしたところなのだが、この通りお嬢様が手伝いは不要だと主張してきたのである。

 

ベッドの上で仁王立ちになって注意してきたリーゼお嬢様に、エマさんがニコニコと微笑みながら意見を放った。ぬう、髪が寝癖でクシャッとなっているのが物凄く気になるな。梳かしちゃダメだろうか?

 

「それだと咲夜ちゃんの練習にならないじゃないですか。大人しく座っていてください。」

 

「キミね、私を自力で身支度も出来ないような間抜けどもと一緒にするなと何度も言っているだろう? 自立しているんだよ、私は。咲夜には他のことを教えたまえ。」

 

「はいはーい、先ずは顔を拭きましょうねー。」

 

「おい、私の話を……むぐ、話を聞きたまえよ。いつもこんなことはやっていないだろうが。」

 

何か、普段見る二人よりも気安いやり取りだな。強引にリーゼお嬢様を抱き寄せて蒸しタオルで顔を拭き始めたエマさんと、文句を言いつつもそこまで強くは抵抗していないお嬢様。これが他人には当然として、アリスたちのような『身内』にすら見せない影と主人だけのやり取りなのかと不思議な気分になっている私に、エマさんが指示を出してくる。

 

「咲夜ちゃんは髪をお願いします。最初にその黒いブラシで梳かしてから、次にそっちの茶色いブラシで仕上げる感じで。」

 

「はい、分かりました。……失礼しますね、リーゼお嬢様。」

 

「……いつもは一人でやっているんだからな。それはしっかりと覚えておくように。」

 

ムスッとしながらエマさんに顔を拭いてもらっているリーゼお嬢様の背後に回って、黒いブラシで慎重に髪を梳かし始めた。下着姿だと実感するけど、本当に華奢な身体だな。人間よりも遥かに力持ちだというのが信じられなくなってくるぞ。

 

これ、具体的に何が違うんだろう? 筋肉の質とか? それとも違いが具体的じゃないからこそ『妖怪』なのかな? パチュリー様なら答えを出せるんだろうかと考えつつ、茶色いブラシに持ち替えて仕上げをしていると……諦めて大人しくなったお嬢様の顔を拭き終えたエマさんが、部屋に四つあるうちの一つのドアを開けて中に入っていく。クローゼットに続くドアだ。

 

「リーゼお嬢様が着る服って、いつもエマさんが選んでいるんですか?」

 

「半々かな。エマは私を『着せ替え人形』にするのがお好きなようでね。二回に一回は選びたがるんだ。日によって服の選択に違いを感じないか?」

 

「あー、何となく分かります。『可愛い系』と『ボーイッシュ系』で違ってますね。そうなると昨日のはお嬢様が選んだ服ですか?」

 

「正解だよ。私は昨日みたいな動き易い機能的な服装を好んでいるんだが、エマの場合は得てしてやけに少女然とした服を……ほら、あれだ。ああいうのを選んでくるのさ。戻してきたまえ、エマ。そんなもんをいつどこで買ったんだい?」

 

額を押さえながらのリーゼお嬢様の視線の先には……まあうん、悪くはないと思うけどな。チェック柄のプリーツスカートと白いブラウス、黒いストッキングを持ったエマさんの姿があった。

 

「別にいいじゃないですか。ホグワーツの制服だってこれとほぼ同じでしょう?」

 

「全然違うぞ。ホグワーツのスカートはそんなに短くないし、そもそもスカートが嫌いな私はあまり着ていなかった。大体ね、そんなもんちょっと動くだけで下着が見えちゃうだろうが。」

 

「今の流行りはこの長さなんですよ。どうせ今日は出掛けないんだからこれを着てください。絶対に似合いますって。」

 

「嫌だよ。諦めてハーフパンツを持ってきたまえ。この前日本で沢山買ってきたじゃないか。」

 

ストッキングを履かせようとする従者に足をバタバタさせることで抵抗しているリーゼお嬢様へと、エマさんは意にも介さずするりと履かせながら応答を返す。今のってどうやったんだ? マジシャンみたいな手付きだったな。

 

「あんな男の子みたいな服は奥の方に仕舞っちゃいました。お嬢様には可愛らしいスカートが似合うんです。」

 

「……母上がドレスを好んで着ていたからだろう? だからキミは私にも『ヒラヒラ』を着せようとするんだ。違うかい? 長さがやけに短いのが腑に落ちないがね。」

 

「はーい、次はブラウスを着ましょうね。」

 

「また無視か。図星だと聞こえないフリをするのはキミの悪い癖だぞ。この距離で聞こえないはずがないだろうが。……咲夜、エマのこの姿を反面教師にするように。これは『悪い見本』なんだからな。優秀な従者は主人の要望を最優先にするものさ。自分の趣味で無理やりスカートを穿かせるのは『ダメな例』だ。」

 

苦い諦観の表情でブラウスを着ているリーゼお嬢様は、エマさんの淀みない動作に忌々しげな目線を送っているが……ううむ、やっぱり気安いな。エマさんが押しきっているところも、お嬢様が渋々受け入れているところもいつもと違うぞ。いつもならお嬢様は自分の意見を曲げないだろうし、エマさんも拘らずに引くはずだ。

 

より親密というか何というか、姉と妹ってやり取りにも見えるな。何だか凄く羨ましいし、私も交ざりたいけど……自分の立ち位置がいまいち分からないぞ。末妹? それとも娘? まだこの関係に立ち入るのは早いということなのかもしれない。

 

「ほらほら、似合うじゃないですか。ね? 咲夜ちゃん。」

 

「はい、あの……そうですね、似合ってます。」

 

「そうでしょう、そうでしょう。じゃあ今日はそれで決まりですね。」

 

「……外には出ないぞ。明日日本に行く時の服は自分で選ぶからな。」

 

また日本に行くのか。至極満足げな様子で次の準備に取り掛かったエマさんを横目に、二本のヘアブラシを片付けつつリーゼお嬢様に質問を飛ばす。

 

「東風谷さんに会いに行くんですか?」

 

「いいや、今回の目的は細川派……私と協力体制にある派閥とのちょっとした打ち合わせだよ。そういえば、魔理沙との旅行の出発は結局いつになるんだい?」

 

「魔理沙の姿あらわしが完璧になってからですね。まだ不安があるってことで、アリスがオーケーを出してくれないんです。現状で既に予定をオーバーしてます。」

 

「魔女っ子は何だかんだで上手くやるタイプだし、姿あらわしが苦手ってのは意外な落とし穴だったね。……まあ、今年の夏休みは大いに楽しみたまえ。来年は予定が入ってくるかもしれないから、丸々遊べるのは今年で最後だぞ。」

 

ベッド脇に立ってスカートの長さを気にしながらアドバイスしてきたリーゼお嬢様へと、こっくり頷いて返事を投げる。

 

「来年にはもう引っ越しですもんね。……ちょっと気が急いてきます。何か準備すべきことってありますか?」

 

「基本的にはこっちで進めるから心配しなくていいよ。お別れを言うのなんかも来年の夏で間に合うだろうさ。」

 

『お別れ』か。リーゼお嬢様はまた戻ってこられるから然程気に掛けていないようだけど、私の場合はそうもいかないな。今のうちからきちんと考えておいた方が良さそうだ。

 

いよいよ現実味を帯びてきたイギリス魔法界との別れ。そのことを思ってもやもやした気分になりつつ、サクヤ・ヴェイユはベッドを整える作業を続けるのだった。

 

 

─────

 

 

「へ? 行きますよね? だって、だって……ずっと楽しみにしてたんですよ? だから水族館も我慢したんです。リーゼさんが絶対に嫌だって言うから。」

 

まさか、行かないのか? ゲーム機に繋がっているコントローラーを片手にしつつ、東風谷早苗は不安な気分で神奈子様に問いかけていた。そんなの嫌だぞ。

 

ようやく夏休みが見えてきた七月二回目の日曜日。寮の自室でお二方とお喋りをしながらゲームを楽しんでいたところ、夏休みの予定についての話題が出てきたのだ。だから『イギリスに行ってリーゼさんやアリスさんと遊びますよね?』と当然のことを口に出してみたら、何故か神奈子様が難色を示してきたのである。

 

ひょっとして、イギリスは去年行ったからもういいってことなのかな? もっと別の場所……そう、例えばハワイに行きたいとか? なるほど、それなら納得だぞ。名案じゃないか。自分の推理にうんうん頷いている私へと、神奈子様はかなり言い辛そうに返事を寄越してきた。

 

「私はな、幾ら何でもバートリに甘え過ぎていると思うんだ。去年泊まったようなホテルに一ヶ月間も宿泊したら、物凄い料金になってしまうんだぞ? そろそろ遠慮すべきじゃないか?」

 

「……ハワイに行きたいんじゃなくてですか?」

 

「ハワイ? 何を言っているんだ、早苗。急にどうした。どこからハワイが飛び出してきたんだ。」

 

意味不明だという顔付きでぽかんと口を開けている神奈子様を他所に、諏訪子様がパチリと指を鳴らして話に乗ってくる。カッコいいな。私も指を鳴らしてみたいぞ。どうやるんだろう?

 

「いいじゃん、ハワイ。ワイハーでルービーを飲もっか。……それよりあんたのターンだよ、神奈子。」

 

「待て待て、何故急にハワイの話になったんだ。そういう要求をバートリにし過ぎだから、自制すべきだと私は言っているんだぞ。会話の流れがさっぱり分からん。」

 

「今更すぎない? その注意。あんたはワイハーに行きたくないの?」

 

「先ずお前は『ワイハー』と言うのをやめろ。聞いていると物凄くイライラするから。……この前神社で計算してみたんだよ。バートリから借りている金額をな。それを目にした時、私は一瞬気を失いそうになったぞ。あんなに恐ろしいものを見たのは初めてだ。」

 

ゲームを進行させながら語る神奈子様に対して、諏訪子様が首を傾げて続きを促す。次は私のターンだ。いつの間にかビリになっているし、何とか逆転したいな。

 

「勿体ぶってないで言いなよ。幾らだったのさ。」

 

「耳を貸せ。……早苗は気にしないでゲームを進めていていいぞ。」

 

むう、こそこそ話だ。私を蚊帳の外に神奈子様が囁くと、それを聞いた諏訪子様は……ひくりと顔を引きつらせた後、両耳を塞いだ状態で座っていたベッドの中に潜り込んだ。

 

「知らない知らない! 聞こえなかったもんね! 私は知らないもん!」

 

「現実を見ろ、諏訪子。幻想郷に行ったら返すんだぞ。たった三年半後から返済スタートだ。」

 

「やだやだ、知らない! 知りたくなかった! ……このバカ、なんで計算しちゃったの? 信じらんない。見ないフリをしとけばいいでしょうが! 後のことは後に考えりゃいいのよ!」

 

「それで事態が好転するか? 目を背けずにきちんと向き合え。しかも今言ったのは、神札等々の値段を付けられない品抜きでの金額なんだぞ。全てを合計すればどうなると思う? ……どうだ、諏訪子。まだ『ワイハー』に行きたいか?」

 

私は行きたいけどな。リーゼさんなら許してくれると思うぞ。お金持ちだし、優しいし、私のことが好きなんだから。やけに神妙な表情で質問を放った神奈子様へと、諏訪子様はがばりとベッドの中から出て応じる。

 

「……もうここまで来たら何しても一緒だと思わない? ワイハーに行こうよ。そして幻想郷に引っ越したら仲良くアンネリーゼちゃんの『借金奴隷』になろう?」

 

「アホなのか、お前は。開き直ってどうにかなる問題じゃないんだぞ。」

 

「へーきだって。ほらほら、アンネリーゼちゃんってあれじゃん? 外部の存在には冷たい癖に、相手が身内となるとめちゃくちゃ甘やかしてくれるタイプじゃん? ……そうだよ、それだ! 身内になろう! アンネリーゼちゃんに甘やかしてもらおうよ! うっわ、私って天才かも?」

 

ベッドの上に立って満面の笑みで宣言した諏訪子様に、神奈子様が大きなため息を吐いてから応答した。

 

「無理だと思うぞ。バートリは既にお前の『本性』を知っているからな。チビ蛙の小狡い企みなど通用しないはずだ。幼稚園児ですら看破できるような適当な計画を立てるのはやめろ。」

 

「はん、デカ蛇は黙ってな。あんたはアリンコみたいにあくせく働いて、クソ真面目にちょっとずつ返していけばいいじゃん。私はもっと賢い方法を選ばせてもらうよ。」

 

「好きにしろ。お前のようなヤツは得てして最後に後悔するものだ。……今度会った時にバートリに借りを『二等分』するように頼んでおくからな。私の分は私が地道にコツコツ返していく。お前は勝手に後悔するがいい。」

 

「ふーん? 後で泣き付いてきても知らないからね。……ねね、早苗。アンネリーゼちゃんって何が好きかな? 何かプレゼントしようと思うんだけど。」

 

ご機嫌な声色で尋ねてくる諏訪子様へと、むむむと悩んでから答えを飛ばす。リーゼさんが好きな物か。難しいな。

 

「んー、そうですね……私、じゃないでしょうか?」

 

「そういうのはいいから。一緒にショッピングに行った時、何かに興味を持ってたりしなかった?」

 

「ええ? 一番は私だと思うんですけど……そういえば、釣りが好きだって言ってた気がします。それより諏訪子様のターンですよ?」

 

「はいはい、オッケー。……釣りね。ってことは、竿とかルアーとかかな。なるべく安上がりで、かつアンネリーゼちゃんの心に響くような物を選ばないと。」

 

じゃあやっぱり私じゃないか。……もしかすると、ほっぺにちゅーとかしてあげればハワイに連れて行ってくれるかもしれない。ふむ、良い考えに思えてきたぞ。お二方が困っているようだし、ここは私が一肌脱ごうかな?

 

ゲームをしながら考えている私を尻目に、諏訪子様をジト目で睨んでいる神奈子様がやれやれと首を振って小さく呟いた。

 

「愚かな神だ。急がば回れという言葉を知らんのか? 取り繕ったような危険な近道よりも、安全確実な遠回りを行くべきなんだよ。最終的にどちらが先に返済を終わらせるか見ものだな。」

 

「あんたこそ軍神の癖に巧遅は拙速に如かずって言葉を知らないの? バンバン行動できるヤツだけが数少ない『当たり』を掴めるんだよ。アンネリーゼちゃんが身内に甘いタイプってのは確実なんだから、『身内入り』さえすりゃこっちのもんなの。私が先に返し終わった後、早苗の分だけは引き受けてやってもいいよ? 甲斐性無しのダメ蛇女は自分の分だけをノロノロ返せば?」

 

「ふん、精々吠えておけ。私はこの会話を絶対に忘れんからな。未来のお前がどれだけ哀れにゲコゲコ鳴こうが無駄だぞ。自分の分は自分で返させてやる。」

 

なんか、このゲームのプレースタイルみたいだな。神奈子様はギャンブルをせずに地道にゴールを目指していて、諏訪子様は賭けに勝ったり負けたりで浮き沈みが激しい感じ。だけど結局はほぼ同じ位置に居るのが何とも皮肉だ。

 

お二方の言い争いを聞き流しつつ、コントローラーを操作して自分のターンを進めていると……ありゃ、ゴールしちゃったぞ。様々な偶然が重なった結果、私のキャラクターがワンターンでお二方を追い抜いてゴールしてしまう。ラッキーだな。これで三連勝だ。

 

「また私の勝ちですね。じゃあ、えっと……賞品はこれにします。」

 

ゲームの勝者が買っておいたお菓子の中から一つを選んで独占できるというルールなので、さっき二択で迷ったキャラメルポップコーンの袋を取ると……うう、欲しかったのかな? お二方が何とも言えないような顔付きで私のことを見つめてきた。

 

「あの、欲しかったですか? やっぱり普通に分けます?」

 

「いや、そうじゃないんだ。そうじゃないんだが……何でもない、気にしないでくれ。」

 

「ルールだからね。その一番高くて、一番美味しそうで、一番目を引くポップコーンは運だけで逆転したあんたの物だよ。」

 

「そ、そうですか。……それじゃあ、もう一回やりましょう。まだまだお菓子はありますし。」

 

ジト目の諏訪子様に見られながらポップコーンの袋を開けて、タイトルメニューに戻ったゲームを再びスタートさせる。……おお、美味しいぞ。さすがは外出日の時にリーゼさんから買ってもらった高いお菓子だけのことはあるな。

 

幸せな気分でポップコーンを次々と頬張りつつ、東風谷早苗は楽しい休日だなと身体を揺らすのだった。

 



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先輩と後輩

 

 

「ええ、一週間の休暇を取ったの。ブリックスさんからそろそろ取って欲しいって言われちゃったのよね。だから来週からスーザンと一緒にフランスのホリデーコテージでバカンスってわけよ。」

 

微笑みながら言うハーマイオニーを横目に、アンネリーゼ・バートリはグリーンカレーの匂いをすんすんと嗅いでいた。ダメだな、香辛料の香りがキツすぎて私は食べられそうにない。大人しく自分が頼んだサーロインステーキを待とう。

 

徐々に気温が上がってきた七月の中旬、私はいつもの三人とランチを楽しんでいるところだ。時間がない時は魔法省の食堂で食べるのだが、今日は珍しくロンが時間を取れたということで、ハーマイオニーが同僚のスーザン・ボーンズから教えてもらったというパブを訪れているのである。

 

夏の予定を語ったハーマイオニーに対して、ロンがサイダーを飲みながら相槌を打つ。赤毛のノッポ君はちょっとだけ体格ががっしりしてきた気がするな。闇祓いの訓練の成果なんだろうか?

 

「羨ましいよ。こっちは未だに休暇を取れないからな。入局してから一年間は『余計な休み』は無しなんだそうだ。何ともありがたい話だろ?」

 

「来年度からは取れるってこと? ……リーゼ、食べないの?」

 

「ん、香りが強すぎる料理は苦手でね。自分のステーキを待つよ。」

 

「今年の九月からは年間二週間の有給休暇が貰えるっぽいな。だけど、そっちは初年度からもっと多いんだろ?」

 

私の応答の後に放たれたロンの問いに、ハーマイオニーがこっくり頷いて肯定した。

 

「協力部は初年度から年間五週間よ。結婚してたり、子供が居たりするともっと増えるみたい。」

 

「五週間もか。まあ、イギリス魔法省は基本的にそれくらい貰えるよな。……闇祓い局ってのはどうして何もかもが厳しいんだ? 嫌になってくるよ。」

 

「お給料は闇祓い局員の方が断然上だけどね。他にも色々と優遇されてる部分はあるでしょうし、隣の芝生は何とやらよ。……あら、美味しい。ハリーも一口どう?」

 

うーむ、二倍以上の差があるのか。省内でも結構違いが出るんだな。グリーンカレーを食べながらのハーマイオニーの質問を受けて、ハリーが首肯してから手を伸ばす。

 

「うん、一口貰うよ。……どうやって食べればいいの? これ。」

 

「これにつけて食べるの。えーっと、何だったかしら。ロティ? みたいな名前のやつ。要するにパンよ。」

 

「こう? ……んー、不思議な味だね。美味しいんだと思う。未知の味すぎて上手く判断できないよ。」

 

何だそりゃ。何とも曖昧な感想をハリーが口にしたところで、ロンが注文したカルボナーラが席に到着した。ステーキはどうしたんだよ。グリーンカレーよりもカルボナーラよりも簡単な料理だろうが。焼くだけなんだから。

 

「よし、来たか。……そういえば局長がハリーのことを心配してたぜ。勉強の調子はどうかって。」

 

「ロバーズさんが?」

 

「シャックルボルト副局長からも聞かれたしな。去年の試験での杖捌きが良かったからかもしれないけど、『ハリー・ポッターが闇祓いになる』ってのはやっぱり望まれてるみたいだぞ。」

 

「だったら去年の段階で入れておけば良かったろうに。」

 

鼻を鳴らしながら通算何度目かの文句を場に投げてやれば、苦笑いのハーマイオニーがフォローしてくる。

 

「規則なんだから仕方がないわよ。闇祓いがそれを破ってたら本末転倒じゃない。……でも、四人で旅行するのは再来年度まで無理そうね。九月からはハリーが今のロンと同じ状況になるわけでしょう?」

 

「なるだろうな。そこまでいくと『卒業旅行』って感じでもなくなっちゃいそうじゃないか?」

 

「名目なんて何でもいいわよ。四人で記念の旅行をするっていうのが大事なの。……リーゼはどう? 日本魔法界云々は一段落した?」

 

ロンに応じてから話を振ってきたハーマイオニーに、テーブルに運ばれてきたサンドイッチを見ながら返答を返す。ハリーのサンドイッチも届いたか。何故私のステーキだけが来ないんだ? 忘れているんじゃないだろうな?

 

「一番難しい部分は終わったんだけどね。まだまだ細かい作業が残っているんだ。日本魔法省に対策委員会の要請を呑ませたいんだよ。」

 

「あー、あの要請か。ロシアとドイツは当然呑んで、マクーザとイギリスとカナダも大半を受け入れたんだろ? となると残りはフランスと日本と……あれ、もう一つはどの国だっけ? 全部で八ヵ国だよな?」

 

「ブラジルだよ。そっちはゲラートが直接働きかけているらしいね。」

 

「ブラジルか。クィディッチのイメージしかないけど、何でいきなりブラジルが入ってきたんだ?」

 

カルボナーラを食べつつ疑問を呈したロンへと、サンドイッチに手を付けたハリーが予想を送った。サンドイッチも美味そうだな。……いや、今は我慢だ。ステーキがもうすぐ来るはず。すぐ来なきゃおかしいぞ。

 

「カステロブルーシュじゃない? 七大魔法学校と関係が深い国を優先したってことでしょ?」

 

「正解だよ。あとは非魔法界への理解度が比較的高いって理由もあるけどね。」

 

「あれ、そうなんだ。知らなかったな。僕としてもブラジルの印象はクィディッチと、カステロブルーシュと……あとはそう、蛇だけだよ。」

 

「蛇?」

 

ブラジルと蛇がどう繋がるのかと思って問いかけてみれば、ハリーは苦笑しながら懐かしそうに回答してくる。

 

「子供の頃に動物園の蛇と喋ったことがあるんだ。僕が魔法界のことを知るちょっと前に、ダドリーの『おまけ』で連れて行ってもらったんだよ。……その蛇が元々ブラジルに居る蛇で、故郷に帰ることを夢見てたらしくてさ。生まれは動物園だったみたいだけどね。数少ない蛇語を使った機会の一つってわけ。」

 

「へえ、見たことのない故郷を想ってたの。ロマンチックな蛇ね。」

 

ロマンチックか? 私とロンがハーマイオニーの感想に首を傾げているのを尻目に、ハリーは『思い出話』の結末を口にした。

 

「それで、最終的には魔法でガラスを消しちゃったんだよね。つまりその、蛇が入ってた大きなケージのガラス面を。……今思うと迷惑をかけちゃったのかも。後で惨事部の魔法使いが直してくれたのかな?」

 

「『未就学魔法使いの意図せぬ魔法使用』に当たるでしょうし、気にしたって仕方がないわよ。私もいくつか覚えがあるわ。」

 

「僕は生まれた時から魔法界だったから分かんないけどさ、マグル界出身なら一つや二つはある逸話なんじゃないか? ……融和が実現したらマグルからしても有り触れた話になるのかもな。」

 

「現状だとかなり遠い未来の話に思えるわね。」

 

ハーマイオニーがロンに相槌を打ったところで……やれやれ、ようやく来たか。私のサーロインステーキがテーブルに運ばれてくる。まあ、十年そこらじゃ無理だろうな。四半世紀か、半世紀か、もっと先か。あるとしてもこの三人の子供の世代の更に後の話になるだろう。

 

うーん、時計の針との競争だな。タイムリミットに追いつかれる前に非魔法界問題が『ゴール』にたどり着けることを願いつつ、アンネリーゼ・バートリはステーキを細かく切り分けるのだった。

 

 

─────

 

 

「おっす、アリス。戻ったぜ。……いやー、疲れた疲れた。どっこいしょっと。」

 

それはその歳で使う台詞じゃないだろうに。大荷物を抱えた状態で人形店のリビングの暖炉から出てきた魔理沙へと、ソファに座っているアリス・マーガトロイドは紅茶を片手に返事を返していた。予定より少しだけ早かったな。ヨーロッパ特急がまた早着したのかもしれない。

 

「お帰りなさい、魔理沙。随分と荷物が増えたわね。何をそんなに買ってきたの?」

 

「へへ、今見せるぜ。すっごいのを買ってきたんだ。」

 

暖炉のすぐ前に荷物を置いた魔理沙が自慢げに応答したところで、続いて咲夜が緑の炎と共に出現する。要するに、咲夜と魔理沙がフランスをメインとした大陸側のヨーロッパ旅行から帰ってきたのだ。先週の火曜日に出発して、月曜日である今日帰ってくるという六泊七日の日程だったわけだが……まあうん、兎にも角にも無事に帰ってきてくれて何よりだぞ。

 

「わっ、魔理沙? 危ないじゃないの。早く暖炉の前から退いてよ。……ただいま、アリス。」

 

「お帰り、咲夜。」

 

「悪い悪い、アリスに早く『あれ』を見せようとしてたんだよ。」

 

「私はアリスに意見を聞いてから買うべきだと思ったけどね。買ってから見せたって仕方がないじゃない。」

 

やっぱりこの二人が居ると賑やかだな。いきなりリビングが慌ただしくなったことに微笑みつつ、何の話だろうと首を傾げていると、魔理沙が木と革で作られたケースのような物をこちらに持ってきた。ブリーフケースよりもやや大きいくらいかな? 留め具やハンドルもしっかりしているし、高級感があるデザインだ。

 

「これだよ、これ。……じゃーん! どうだ? 良い物だろ?」

 

なるほど、ツールケースだったのか。魔理沙が私の目の前のセンターテーブルにケースを置いて、ダイヤル錠付きの留め具を外して蓋を開くと、内部の収納スペースが立体的に展開する。明らかに見た目通りの収納量じゃないな。拡大魔法がかかっているらしい。ぎっしり詰まっている工具もツールケース自体と似通ったデザインだし、工具付きで一式丸ごと買ったようだ。

 

でも、何の工具なんだろうか? とりあえず人形作り用じゃないことは分かるものの、見たこともないような工具がちらほらあるぞ。となると普段目にする機会のない専門的な工具かつ、私が今まで関わったことのない道具ということになるな。そして買ってきたのが魔理沙となれば──

 

「箒作り用の工具なの?」

 

「そうそう、大正解だぜ。旅行後半に行ったドイツで箒工房の見学をした後に買ったんだ。幻想郷に帰ったら自分で手入れしたり作ったりしないとだから、どうせならってことで奮発して良いやつを買ったんだが……アリスはどう思う? これを選んで正解だったか?」

 

「そうね、良い品だと思うわよ。箒作りはやったことがないからはっきりとは言えないけど、作りがしっかりしているのは分かるもの。……あら、これなんかは人形作りにも使えそうね。」

 

「小鬼が作った工具セットなんだぜ? 値段が値段だったから物凄く迷ったんだが、絶対に必要になると思って妥協しないで選んだんだ。」

 

小鬼製か。それなら間違いなさそうだな。やはりこういう品は小鬼との関係が深いドイツ魔法界が一枚上手かと感心している私に、咲夜がやれやれと首を振りながら口を開いた。

 

「魔理沙ったら、箒作り用品の専門店で二時間も迷ってたの。二時間だよ? その間私はずーっと待ってたんだから。」

 

「それは悪かったけどよ、お前だって小鬼製の刃物店で一時間以上使っただろ?」

 

「その時は勝手に一人で近くのカフェに行っちゃったじゃない。はぐれたかと思って不安になったわ。一言断ればそれで済むのに、何で無言で店を出るのよ。」

 

「断ったぞ、私は。『さっき見つけたカフェで待ってるからな』って。夢中になってて聞いてなかっただけだろ。」

 

いつもの『痴話喧嘩』を聞き流しつつ、工具を順番にチェックしていく。何に使うのかを直感的に理解できる物もあれば、独特な形状すぎて予想できない物もあるな。興味深い気分で未知の道具を調べていると、廊下からエマさんがリビングに入ってきた。

 

「あれ、二人ともお帰りなさい。早かったですね。」

 

「おう、エマ。ヨーロッパ特急が遅く出て早く着いたんだよ。相変わらずあの列車はよく分からんぜ。」

 

「ただいま帰りました、エマさん。リーゼお嬢様はお出かけ中ですか?」

 

「まだトランクの中で寝てますよ。……でも、そろそろ起こすべきですね。一緒に行きますか?」

 

リビングの壁掛け時計が示している時刻は午後四時半だ。最近のリーゼ様が夜型生活なのは、油断すると吸血鬼らしい生活スタイルに戻ってしまうということなんだろうか? 考えている私を他所に、咲夜がこくこく頷いてエマさんとリビングを出ていく。

 

「はい、行きます。」

 

「じゃあ二人で起こしましょう。」

 

うーん、私も合わせて夜起きていようかな。夕方に起きて朝に寝る生活だとリーゼ様と一緒には居られるものの、店が開けられなくなってしまう。そして昼型だとリーゼ様とすれ違いだ。となれば魔女らしくずっと起きているのが正解だろう。心中で生活スタイルの『改善』を決意した私へと、魔理沙が別の荷物を開けながら声をかけてきた。

 

「なあなあ、これも見てくれよ。箒作りの本をいくつか買ってきたんだ。ホグワーツに戻ったら実践してみようと思ってさ。」

 

「いいじゃないの、空きコマを有意義に使うのには賛成よ。……結構難しそうね。」

 

「だよな。最初は絶対失敗するだろうし、上達にはかなりの時間がかかりそうなんだ。木工の技術も必要な上、複雑な魔法を完璧にかけないときちんと飛ばないらしくてさ。」

 

言っていること自体はマイナスの要素を含んでいるが……何とまあ、満面の笑みだな。『やり甲斐がある』という顔になっているぞ。私が複雑な構造の人形の制作に挑む時や、パチュリーが未知の文字で書かれた本を前にした時と同じ顔付きだ。

 

見習いだろうが魔女は魔女。自身の興味に纏わる『困難』は望むところだということか。分厚い箒作りの本を開いて強気に笑う魔理沙を見ながら、この子も着実に本物の魔女に近付いているなと苦笑していると、成長中の魔女見習いが思い出したように疑問を寄越してくる。

 

「そういえばよ、日本に行く日程は決まったのか?」

 

「あー、長期的な滞在に関してはまだ未定よ。今月末に一度守矢神社に行くから、その時決めるんじゃないかしら?」

 

「東風谷が夏休みに入る前に行くってことか?」

 

「というか、夏休みに入った直後ね。ついでに守矢神社の『測量』もする予定なの。何でも裏手の湖も幻想郷に『持っていきたい』らしくて、それが実現可能かをチェックしないといけないのよ。」

 

まあ、ほぼ百パーセント無理だろうな。私の技量では社単体でもギリギリなのに、湖を丸ごとだなんて不可能だぞ。リーゼ様もこの前の話し合いで懸念を口に出したようなのだが、諏訪子さんと神奈子さんがどうしてもと言って聞かないため、私が現地に向かうことになってしまったのだ。

 

湖の『転移』は端から無理だとして、問題は二柱をどう説得するかだなと思考を回している私に、魔理沙が何とも言えない表情で相槌を打ってきた。

 

「湖を神社ごと転移魔法で幻想郷に運ぶってことだよな? ……かなり難しそうじゃないか? 守矢神社には行ったことないから、サイズ感がいまいち掴めんけどよ。」

 

「かなりどころじゃなく難しいと思うわ。私はパチュリーほど大規模魔法が上手くないのよ。基礎となる術式は教えてもらってあるけど、細かい調整と出力の確保が課題になりそうね。」

 

「出力ね。……使うか? ミニ八卦炉。」

 

八卦炉が入っているのであろうポケットをポンと叩きながら問うてきた魔理沙へと、首を横に振って返答を飛ばす。

 

「そう言ってくれるのはありがたいけど、私じゃ八卦炉のエネルギーを自分が扱える力に変換できないの。パチュリーなら出来たでしょうけどね。……つくづくそっち方面は追いつける気がしないわ。パチュリーは周囲の力を利用するのが得意だったのよ。内側じゃなくて、外側の力を上手く使える魔女ってわけ。」

 

「へえ、『外側の力』か。魔法陣とか?」

 

「そう、魔法陣なんかは大の得意分野ね。どんな物体がどんな力を持っていて、それをどうすれば利用できるのかをよく知っていたの。だけどそれを知らない私は仮に術式自体をどうにか出来ても、肝心の出力を確保できないってことよ。」

 

「……そういうのって『スタイル』の違いなんだよな? つまりアリスとノーレッジはやり方が違うって話であって、魔女としての力の差とはまた別の話なんだろ?」

 

腕を組んで悩みながら放たれた魔理沙の質問に、少し考えてから答えを口にした。

 

「私とパチュリーだと実力そのものにも差があるわけだけど、基本的にはその認識で間違っていないわ。噛み砕けば準備に時間をかけて強力なカードを切るか、臨機応変に手頃なカードを使い分けるかってことね。パチュリーは前者で、私は後者。……ちなみに『鈴の魔女』なんかは多分前者よ。そしてベアトリスは後者に当たるんじゃないかしら? 魅魔さんは判断材料が少なすぎてちょっと分からないわ。」

 

「おー、面白いな。私はどっちだと思う? もちろんまだ本物の魔女にはなれてないけどさ、現時点だとどっち寄りだ?」

 

「んー、後者じゃない? 貴女は自分の工房を『城』にしてひたすら研究に励むってタイプじゃなく、外に出て色々なことを調べ回るタイプでしょう? それなら後者だと思うわ。前者が主に自分の縄張りで行動するのに対して、後者は特定の場所に拘らずに動くわけだから。」

 

要するに好みの問題なのだ。前者の魔女は準備が整っている自分の縄張りでなら十全に魔法を行使できるものの、出先でいきなり魔法を使うのには向いていない。反面後者はいかなる時でも全力を出せるが、総合的な魔法の質自体は前者に劣るはず。……まあ、多分私は出先でもパチュリーに勝てないだろうけど、それは単純に実力に差があるからと判断すべきだろう。

 

もしかしたら魅魔さんくらいの大魔女になれば、そんなことは関係がなくなるのかもしれないな。あれだけの魔女なら準備だの何だのをすっ飛ばして、簡単に大規模な魔法を行使しちゃいそうだし。

 

『大先輩』の背の遠さにため息を吐いたところで、魔理沙がツールケースを片付け始めた。やる気に満ち溢れた笑顔でだ。

 

「なるほどな、言われてみればそうだぜ。私はジッと相手を待つタイプじゃなく、こっちから突っ込んでいくタイプだもんな。……おっし、サクッと荷物を片付けてくる。それが終わったら箒作りの勉強だ。最近はどんどん私の目指す『魔女の形』がはっきりしてきて良い感じだぜ。」

 

うーむ、眩しいほどに真っ直ぐだな。この子は遠い目標にため息を吐くんじゃなくて、そこに追いつける日を思って頑張れるわけか。大量の荷物を部屋に運んでいく魔理沙を見送りつつ、立ち上がって伸びをする。……よしよし、ここは後輩の姿勢を見習っておこう。先ず歩かなければ進めないのだ。簡単に追いつかれてしまっては師匠であるパチュリーに面目が立たないし、少しでも長く背を見せられるように努力しなければ。

 

半自律人形の改善点についてを頭の中で纏めながら、アリス・マーガトロイドは一階の作業場目指して一歩を踏み出すのだった。

 



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アリ、キリギリス、テントウムシ

 

 

「いらっしゃい、リーゼちゃん。さあさあ、上がって上がって。スイカが冷えてるよ。リーゼちゃんたちと食べようと思って冷やして待ってたんだ。」

 

こいつ、今度は何を企んでいるんだ? 東風谷家の中へと私の手を引いてくる諏訪子を前に、アンネリーゼ・バートリは不気味な気分で顔を引きつらせていた。何か物凄く高額な物を買わせるつもりなのかもしれない。そうはいかんからな。

 

七月三十一日の土曜日。今日の午前中でマホウトコロにおける夏学期が終了したということで、守矢神社の測量のついでに帰ってきた早苗たちとの予定をすり合わせるため、アリスと二人で日本を訪れているのだが……諏訪子の様子が明らかにおかしいぞ。わざわざ外で私たちの到着を待っていたのも変だし、無邪気な笑みで手を握ってくるのも奇態に過ぎる。一体全体何を企んでいるんだ?

 

姿あらわしで到着した直後に私を東風谷家へと誘ってきた諏訪子に、玄関で靴を脱ぎながら話しかけた。

 

「キミ、何のつもりなんだい? 『リーゼちゃん』? そんな呼び方は使っていなかっただろうが。」

 

「まあまあ、いいじゃんいいじゃん。そろそろ私たちも親密になるべきかと思ってさ。……さなえー! リーゼちゃんとアリスちゃんが来たよー!」

 

「はーい!」

 

二階の自室に居るらしい早苗の返事を受けた後、諏訪子は半ば抱き着くようにベタベタしながら私をリビングへと誘導してくるが……恐ろしく気味が悪いな。鳥肌が立ってきたぞ。

 

「こっちこっち、早く来なって。」

 

「何度も来ているんだから案内の必要はないぞ。……ええい、何故くっ付いてくるんだ。気持ちが悪いからやめたまえよ。」

 

「ひどいよ、リーゼちゃん。ボディタッチで愛情を表現してるのに。」

 

「『愛情』? ……おい、神奈子。この邪神は何を考えているんだい?」

 

リビングで缶ビールを飲みながらテレビを観ていた神奈子へと、強引に引き剥がした諏訪子を指差して問いかけてみれば、彼女は画面から目を離さないままで気もそぞろに応答してくる。マグルのスポーツを中継しているらしい。箒を使っていないし、地面でやっているし、選手を殺そうとする球も飛び回っていない『常識的』なスポーツをだ。

 

「よく来たな、バートリ。それにマーガトロイドも。……諏訪子のことは気にするな。そいつはお前と親しくなることで、借金の減殺を狙っているだけだ。幼稚な打算から来る愚かな行動だよ。」

 

「はあああ? 何で言うのさ、バカ蛇! 折角上手く行ってたのに!」

 

「どう見ても上手く行ってなどいないだろうが。バートリとマーガトロイドの顔を見てみろ。ひどく不気味なものを目にした時の顔付きだぞ。……この機会に自らの行いを客観視すべきじゃないか? バートリたちの反応がこうなのは、お前の普段の行いが悪いから──」

 

「えい。」

 

神奈子が説教じみたことを語っている途中で、諏訪子がリモートコントローラーのボタンを押してチャンネルを変えてしまう。すると途端に始まった神々の言い争いを尻目に、アリスと二人で縁側へと移動した。なるほどな、そういうことだったのか。幾ら何でも私をバカにし過ぎだぞ。あんな違和感がある芝居で騙されるかよ。

 

「おい、蛙女。五時まで『チャンネル権』は私にあるはずだろうが。リモコンを返せ。」

 

「やだよ、バーカ。余計なことする蛇女は境内の掃除でもしてな。」

 

「子供か、お前は! さっさと返せ! いいところだったんだぞ!」

 

リモートコントローラーを持って部屋の中を逃げ回る諏訪子のことを、体格で勝る神奈子が捕獲したところで……おや、もう一人のおバカちゃんの登場だ。早苗がリビングに入ってくる。

 

「二人ともいらっしゃいま……何してるんですか? 神奈子様、諏訪子様。」

 

「助けて、早苗! 神奈子がイジめるんだよ! 私の邪魔をしてくるの!」

 

「邪魔をしているのはお前だろうが! 早くリモコンを返せ!」

 

「いーやーだー!」

 

アホしか居ないのか、この家には。リモートコントローラーを抱え込んで蹲った諏訪子から、神奈子が強引に『チャンネル権』を奪い返そうとしているのを眺めつつ、ぽかんと突っ立っている早苗に声をかけた。二柱の争いは無視すべきだな。あんなもん関わるだけ時間の無駄だ。

 

「やあ、早苗。何か飲み物を用意してくれたまえ。」

 

「久し振りね、早苗ちゃん。」

 

「お久し振りです、リーゼさん、アリスさん。今冷たいお茶を持ってきますね。」

 

こっくり頷いてキッチンへと向かう早苗を見送ってから、諏訪子を持ち上げてぶんぶん振っている神奈子に声を放つ。

 

「神奈子、測量はどうするんだい? すぐやるのか?」

 

「待て、私はこの試合を楽しみにしていたんだ。こいつに同行させるから……いい加減リモコンを離せ、バカ蛙! マーガトロイドの測量の手伝いはお前の役目だと決まっただろうが!」

 

「やだやだやだ! クソ暑いのにずっと外でリーゼちゃんたちを待ってたんだよ? その苦労を台無しにされた挙句、また外で働けっての? 絶対やだ! あんたが行けばいいじゃん!」

 

「いいから先ずリモコンを……離せ!」

 

片手一本でぽんこつ祟り神を持ち上げて、彼女が持っているリモートコントローラーを勢いよく神奈子が引っ張ると……おー、面白いな。リモートコントローラーを取り上げた時の反動で諏訪子が吹っ飛んでしまった。さすがは軍神だけあって力があるらしい。

 

縁側に座っている私とアリスの頭上を通過して庭に墜落した諏訪子は、そのまま数秒間静止していたかと思えば……両手を地面に突いてがばりと起き上がった後、怒りを秘めた無表情でポツリと呟く。

 

「ちょっと待ってな、蛇女。あんたの大事な大事な車をぶっ壊してくるから。」

 

「キミね、そんな物理的な『祟り』はやめたまえよ。それに神奈子の車は私が買ってやった物なんだが?」

 

「貴様、それをやったら私もお前の大切なテレビを叩き壊すぞ。」

 

「そっちも私が買った物だね。壊すにしても私が買っていない物にしたらどうなんだい? 気分が悪いぞ。」

 

縁側の私たちを挟んで睨み合う二柱に文句を言ったところで、抜いた杖を軽く振ったアリスが口を開いた。呼び寄せ呪文で玄関の靴を呼び寄せたらしい。

 

アクシオ(来い)。……じゃあ、行きましょうか諏訪子さん。早く終わらせたいので湖に案内してください。」

 

「待ちな、アリスちゃん。今日という今日はあの暴力蛇に分からせてやらないといけないんだから。」

 

「はいはい、私とリーゼ様が帰った後で好きなだけやってください。行きますよ。」

 

「ちょっ、え? 何これ? 何この人形たち。」

 

何だか知らんが、アリスも諏訪子に対しては遠慮がないな。スタスタと湖の方に歩き去るアリスと、数体の人形たちに引き摺られる形で『連行』されていく諏訪子。その姿を見てやれやれと首を振った後、チャンネルを元に戻した神奈子に問いを投げる。言及するのも面倒だし、今の騒動は無かったことにしてしまおう。

 

「それで? 夏の予定はどうするんだい? どうせ行きたいところがあるんだろう?」

 

「……今年はまあ、家でゆっくりするのも悪くないと考えている。特に行きたい場所は無いな。」

 

「ふぅん? 意外な答えだね。てっきりまたイギリスに来たいだの、フランスに行きたいだのと言ってくると思っていたよ。」

 

さっきの諏訪子の態度よりはマシだが、この返答も中々に不気味だな。殊勝すぎるぞ。予想外だというのを声色に表しながら返事をしたところで、飲み物を持って部屋に再入室した早苗が話に首を突っ込んできた。いつも通りの百点満点の笑顔でだ。

 

「フランス? 私たち、フランスに行けるんですか?」

 

「早苗、違うぞ。私は今、バートリに今年はどこにも行く気がないと伝えて──」

 

「私、凱旋門が見たいです! あと、あの塔。東京タワーみたいなやつ! 何て言うんでしたっけ? ピザの斜塔?」

 

「斜塔は『ピサ』だし、それがあるのはイタリアだし、キミが言っているのは多分エッフェル塔だよ。何もかもが間違っているぞ。」

 

慌てた様子の神奈子の台詞を遮った早苗へと、呆れた気分で訂正してやれば……おやまあ、もうこの子の中ではフランスに行くことが確定してしまったようだ。我儘娘は嬉しさを全身で表現しながら凄い勢いで首肯してくる。

 

「そう、それです! エッフェル塔! テレビでやってました! ……あれを直に見られるんですね。とっても楽しみです。」

 

「早苗、違うんだ。私の話を聞いてくれ。今年は家でゆっくり過ごさないか? 諏訪子もそう言っていたぞ。」

 

「えっ。……でも、ハワイはどうするんですか?」

 

ハワイ? 太平洋にあるあのハワイか? 何故急にフランスとは微塵も関係のない地名が出てきたんだ? 脈絡がなさ過ぎるぞ。不安そうな面持ちで神奈子に謎の質問を送った早苗へと、守矢の軍神どのは若干押され気味の表情で応答した。相変わらず早苗の会話は難解だな。何一つ予測できないあたり、『びっくり箱』を相手にしているみたいだ。

 

「ハワイは行かないと言っただろう? 何度も何度も説明したじゃないか。」

 

「だけど、でも……代わりにフランスに行くってことなんですか? 私、それならハワイの方がいいです。」

 

「そうじゃなくてだな、どこにも行かないという話をしているんだ。今年はフランスにも、ハワイにも、イギリスにも行かないんだよ。車で行ける範囲で軽く遊ぶ程度にしよう。みんなで行けばどこだって楽しいはずだろう?」

 

早苗の肩に手を置いて神奈子が諭しているが……うーむ、いまいち理解していないようだな。守矢神社の一人娘どのは訳が分からないという雰囲気で首を傾げている。そんなに難しい話じゃないだろうに。多分この子は一度思い込んでしまったが最後、中々それを払拭できないタイプなのだろう。ソクラテスとは仲良くできなさそうだな。

 

「えっと……えぇ? 行かないんですか? どこにも? そんなの、そんなのつまんないです。」

 

「虫取りをするのはどうだ? 子供の頃は好きだっただろう? 今度は私たちも一緒に出来るから、私がセミの取り方を教えてやろう。カブトムシやクワガタでもいいぞ。」

 

「虫取りなんか嫌です。ハワイの方がいいです。」

 

バッサリだな。そりゃあ虫取りか旅行かなら私だって旅行を選ぶぞ。『愛娘』に即答で拒否された神奈子が落ち込む中、早苗が私の方に近付いてきた。

 

「リーゼさん、ダメなんですか? ハワイ、行けないんですか? ずっと楽しみにしてたんです。」

 

「そもそも私は、ハワイという選択肢がどこから出てきたのか分かっていないんだが。」

 

「海があるんです。綺麗な海が。それにココナッツとか、ショッピングモールとかもあるんですよ? 行きたいですよね? ちなみに海亀も居ます。」

 

「行きたくないかな。海は大嫌いだし、ココナッツなんぞ食べたくないし、ショッピングも趣味じゃないからね。そして海亀は私たち吸血鬼の生において何一つ関わりのない生き物だ。一生見られなくても構わないよ。」

 

ペンギンとか、キリンとか、ヒッポグリフの方がまだ近いぞ。素気無く切り捨ててやれば、早苗はずずいと身を寄せながら尚も説得を続けてくる。

 

「でもでも、釣りも出来ますよ? よくは分かりませんけど、海があるんだから出来るはずです。」

 

「海はイギリスにもあるんだけどね。日本にもあるだろう? ハワイもイギリスも日本も全部島なんだから同じようなもんさ。どこでだって出来るよ。」

 

「……じゃあじゃあ、フランスでいいです。フランスに行ってエッフェル塔を見ましょうよ。そうしましょう。」

 

さも要求を引き下げたかのような口調で言ってくる早苗に、神奈子の方を顎で示して返答を返す。こうなると諦めさせるのは至難の業だぞ。お前がやれ、神奈子。保護者としての責任を果たすんだ。

 

「先ず神奈子に聞きたまえよ。私がどうするのかはそれからだ。」

 

「……神奈子様、お願いします。私、みんなで遊んだ思い出を残したいんです。」

 

「しかしだな、早苗。そろそろバートリに遠慮しないと──」

 

「神奈子様っ! 神奈子様とも遊びたいんです! ずっとずっと会えなかったから、その分沢山一緒に楽しみたいんです!」

 

おねだりしながらギューッと抱き着いてくる早苗に対して、神奈子は困ったように葛藤した後……何なんだよ、こいつらは。無駄に凛々しい顔付きで私に要求を伝えてきた。

 

「バートリ、フランスに行こう。早苗の思い出のためだ。もうこれは仕方がない。」

 

「キミ、ちょっとは抵抗したらどうなんだい? どの辺が『仕方がない』のかをきちんと説明してみたまえよ。」

 

「こうなったらいくら抵抗しても無駄なんだ。私は負けを知った上で無意味な抵抗をするような神ではない。潔く敗北を受け入れるさ。」

 

「何故そんなにカッコいい感じで喋っているんだ。私から見れば情けないことこの上ないぞ。」

 

やり切った雰囲気の神奈子に突っ込みを入れていると、おねだりの時の悲しそうな顔からくるりと笑顔になっている早苗が、再び私に近付いてもじもじした後で……私の頬にキスをしてくる。今日一番の意味不明な行動だな。暑さで頭がやられてしまったのかもしれない。これ以上バカになったら救いようがないぞ。

 

「と、特別ですよ? 今回だけです。これでいいですよね?」

 

「全てが分からん。何の話かも分からんし、何を意図しているのかも分からんし、何が『いい』のかも分からんぞ。さっぱりだ。」

 

「……照れてるんですか?」

 

何が原因で、誰に照れるんだよ。早苗のやつ、本当に何かの病気なんじゃないだろうな? あまりにも意味が分からなさすぎて段々不安になってきた私へと、完全に説得側に回っている神奈子が話しかけてきた。早苗の奇行は無視するつもりらしい。……ここは本当に恐ろしい場所だな。私がホグワーツで得た常識が、本物の『常識』なんじゃないかと思えるくらいに意味不明だぞ。

 

「後で払う。だから何とかならないか?」

 

「いやまあ、フランスに何日か滞在させる程度なら別にいいんだけどね。キミ、自分たちがどれだけ借りているのかを把握しているかい? 諏訪子もよく使っているが、『後で返す』は魔法の言葉じゃないんだぞ。私はあくまで『貸している』だけであって、何一つ『奢ってやる』気はないんだからな。テレビの代金も、車を買った金も、旅費も、洋服代も、『たんさんでんち』一本分ですらも、契約後にかかった金額は全部後でキミたちが払うんだ。私が奢ってやるのはプレゼントすると明言した物と、契約以前のイギリスでの早苗の豪遊費だけさ。」

 

「しっかりと把握しているぞ。借りているだけだということは分かっているし、総額もこの前計算したからな。……だから今年は日本で過ごそうと言ったんだ。」

 

「結局失敗しているけどね。意味ないじゃないか。……言っておくが、絶対に取り立てるからな。万が一私が死んだら『債権』が別の吸血鬼に移譲されるようになっているから、何をどうしようと負債からは逃れられないぞ。クヌート銅貨一枚分だって妥協しないと覚えておきたまえ。」

 

徐々にとんでもない額になってきたから、先日私が死んだらレミリアに債権が移るように書類を作っておいたのだ。私の『死んでも取りっぱぐれない宣言』を聞いて、神奈子は顔を引きつらせながら頷いてくる。ここまで来た以上、意地でも回収してやるぞ。……ふむ? 債権そのものの利用か。改めて考えると上手い手だな。イギリスに戻った後で何かに使えないか思案してみよう。

 

「分かっている、元より返すつもりだから問題ない。……それでだな、ちょっと相談があるんだ。早苗、テレビを観ていていいぞ。私はバートリと話があるから。」

 

「はい!」

 

元気いっぱいの様子でチャンネルを変えている早苗を背に、神奈子は小さな声で私に『大人の相談』を送ってきた。

 

「負債を二等分できないか? 返済を私と諏訪子で別々にしたいんだ。諏訪子の方にも了承は取ってある。」

 

「二等分? ……別に構わんが、返す苦労は大して変わらないと思うよ。」

 

「私は真面目にコツコツ返していくつもりなんだが、あいつは少々『ギャンブル癖』があるからな。巻き込まれたくないんだよ。自分の分と早苗の分は意地でも私が返すさ。しかし、諏訪子のことまで面倒を見る気は一切ない。この機に明確に分けておきたいんだ。」

 

「ま、分かったよ。後できっちり二等分しておこう。」

 

私からすればどっちでも変わらんし、その辺はどうでも良いさ。肩を竦めて首肯してやると、神奈子は安心したようにホッと息を吐く。確かにこいつの方が早く返済を終わらせそうではあるな。そこは何となく理解できるぞ。

 

肩の荷が下りたような表情で缶ビールを呷る神奈子と、ご機嫌の笑顔でテレビを観ている早苗。この我儘娘が居る限り、まだまだ二柱の負債は膨らんでいくんだろうなと鼻を鳴らしつつ、アンネリーゼ・バートリは冷たい緑茶が入っているコップに手を伸ばすのだった。

 



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「どうしたの? アリス。」

 

人形店のリビングルームの掃除中、ソファに座って朝刊を読んでいるアリスに話しかけつつ、サクヤ・ヴェイユはバケツの上で布巾をギュッと絞っていた。唸っているな。何か気になる記事があったらしい。

 

八月上旬のよく晴れた日の朝、現在の私は見習いメイドとして『師匠』の家事を手伝っているところだ。エマさんが廊下の掃除をすると言うので、私は二体の『お掃除ちゃん』と一緒にリビングルームを引き受けたのだが……むう、またお掃除ちゃんの性能が上がっているな。仕事が速すぎるぞ。

 

見事な連携でキッチンの掃除を進めている二体の人形を横目に、負けるわけにはいかないと急いでダイニングテーブルを拭いている私へと、アリスが新聞に目を向けたままで応答してくる。

 

「グリンデルバルドがブラジル議会を『落とした』んですって。対策委員会の要請の大半を呑んだらしいわ。」

 

「良いこと、だよね?」

 

「まあ、非魔法界対策の進展は望ましい事態だけど……大方の予想より早かったわね。これでまた『グリンデルバルド危険論』が勢い付くと思うわよ。」

 

「変な話だよね。迅速にやればやるほど批判が増えるってことでしょ? あべこべだよ。」

 

さすがに同情するぞ。迅速な仕事は本来なら褒めるべきことなのに。テーブルに続いて椅子を拭きながら相槌を打った私に対して、アリスは苦笑いで返事を寄越してきた。

 

「仕方がないわよ、あまりにもスムーズに進みすぎているんだもの。指導者の能力が足りないのはもちろん問題だけど、有能すぎるリーダーも近代では危険視されるものなの。」

 

「昔は違ったってこと?」

 

「そうね、昔なら有能なリーダーは単純に歓迎されたと思うわ。今は被支配者層と支配者層が逆転しちゃってるから、色々と複雑な状態になっているのよ。良いとも悪いとも言えない変化ね。文明の進歩に伴って、なるべくしてそうなったわけ。」

 

むむむ、難しいな。掃除を進めつつ『アリス先生』の発言を脳内で咀嚼していると、部屋に魔理沙が入ってくる。眠そうに目を擦りながらだ。

 

「……おはよ、二人とも。」

 

「おはよう、魔理沙。」

 

「おはよ。……貴女、また夜中に箒作りの本を読んでたの? 昨日の夜は全然部屋に来なかったけど。」

 

「読んでたんじゃなくて、実践してたんだよ。アリスに教えてもらいながらな。」

 

何? そっちでも『先生』をしていたのか? 目元に隈を作っている魔理沙の答えを受けて、アリスに『どうして早く寝かせないんだ』という抗議の視線を送ってみれば、眠る必要がない本物の魔女どのは目を逸らしつつ肩を竦めてきた。

 

「まあその、私としても面白い作業だったから夢中になっちゃったの。リーゼ様も一緒だったのよ?」

 

「……誰かが止めないと魔理沙は全然寝ないんだから、ちゃんと制限しないとダメだよ。」

 

「ちょっと夜更かしするくらい別にいいじゃんか、夏休みなんだから。それに気になったままじゃ目が冴えてどうせ眠れないぜ。……アリス、昨日塗ったニスってそろそろ乾いてるよな? もう一回塗らなきゃいけないんだろ?」

 

「もう一回どころじゃないけどね。塗ってやすりをかけてまた塗ってを何度も繰り返すの。……私としては、先ず飛行のための呪文を練習すべきだと思うけど。外側だけ完璧でも、呪文がきちんと動作しないと上手く飛ばないわよ?」

 

ダメだな、これは。アリスも魔理沙ももはや見慣れた『魔女の顔』になってしまっている。つまり、好奇心を抑えきれていない時の顔付きに。こうなると私が何を注意しようが、都合良く耳を素通りしてしまうのだ。

 

ソファの上で箒作り用の呪文についてを議論し始めた二人を背に、やれやれと首を振りながら掃除に戻ったところで……どうしたんだ? ふよふよと飛んできた二体のお掃除ちゃんが私の目の前で停止した。新たな命令を欲している時の雰囲気だ。

 

まさか、もうキッチンの掃除を終わらせたのか? 戦慄しながら目をやってみれば、完璧に掃除が終わっている上に整理整頓までされてあるキッチンスペースが視界に映る。何て恐ろしい人形たちなんだ。どんどん性能を上げていって、最終的にはメイドの仕事を奪うつもりに違いない。

 

「……休んでていいわよ。」

 

せめて残った掃除区画は渡すまいと放った指示に、お掃除ちゃんたちは顔を見合わせて首を傾げた後……こら、命令違反じゃないか。勝手に暖炉の周辺を掃除し始めた。煙突飛行の所為でいい具合に汚れているから、そこは私がやりたかったのに。

 

「アリス、アリス! お掃除ちゃんたちが勝手に掃除をするんだけど!」

 

「へ? ……だって、掃除をするための人形だもの。そりゃあするわよ。役に立つでしょう?」

 

「そうじゃなくて、休んでていいって言ったのに続けるの。」

 

「『気遣い機能』じゃない? あるいは休養を自由な時間と捉えて、それなら掃除をしようと思ったとか?」

 

気遣い機能? アリスめ、また余計な機能を追加しちゃったのか。それなら明確に『停止』を命じようと、お掃除ちゃんたちに向き直ったところで──

 

「咲夜ちゃん、廊下が終わったからこっちを手伝いますね。」

 

ああ、何てこった。エマさんがニコニコ微笑みながらリビングに入ってきてしまう。こんな短時間で廊下の掃除を終わらせたのか? 一体全体何をどうしたらそんなことが出来るんだ?

 

「あっ、はい。」

 

反射的に小さく頷いてしまった私を尻目に、エマさんは流れるような動作で棚の上を掃除しつつアリスたちに声をかける。もはや芸術の域に達しているような効率的な動きだ。これが目指すべき頂点なのか。あまりにも遠すぎるぞ。

 

「アリスちゃん、魔理沙ちゃん、少し待っててくださいね。掃除が終わったら朝食を作りますから。」

 

「いえいえ、急がなくても大丈夫ですよ。のんびりやってください。」

 

「っていうか、手伝うぜ。何をすればいい?」

 

「ダメよ、魔理沙。これはメイドの仕事なの。……それより日本行きの予定のことをアリスと相談したら?」

 

この上魔理沙まで参加してきたらいよいよ私の分が無くなっちゃうじゃないか。慌てて投げた適当な話題を聞いて、魔理沙はそういえばという顔でアリスに問いを飛ばす。危ないところだったぞ。

 

「おお、そうだったな。アリス、日本に行くのっていつになりそうなんだ? 東風谷はイギリスに来るんじゃなくて、フランスに行くことになったんだろ?」

 

「八月中にリーゼ様は仕事で何回か行くわけだし、そのどれかについて行けばいいんじゃない? ちなみに早苗ちゃんたちがフランスに行くのは十八日からになったわ。だからまあ、すれ違いたくないなら中頃は避けるべきね。」

 

「んー……どうせなら会いたいし、だったら日本は今月の下旬にするか。そんでもって近いうちに北アメリカに行こう。それでいいか? 咲夜。」

 

「任せるわ。」

 

エマさんと二体の『仕事どろぼう』たちがテキパキと掃除をしているのに気を取られながら、センターテーブル周りは渡すまいと大急ぎで作業を進めている私の返答を受けて、魔理沙は暢気な笑顔でこっくり首肯した。

 

「おっし、今日にでも魔法省に行ってポートキーのスケジュールを確認してくるぜ。」

 

「この時期の北アメリカ行きはそこそこ混むから気を付けなさいね。朝一の便はやめておいた方がいいわよ。」

 

「マジでか。どうせ行くなら早めに到着したいんだけどな。」

 

「みんなそう考えるし、みんな時差についてを忘れちゃうってことよ。朝一の便なんかで行ったら向こうは夜明け前なのよ? 大人しく正午の少し前くらいにしておきなさい。前に誰かからその時間帯は空くって聞いたことがあるから。」

 

魔理沙に忠告を送っているアリスの声を耳にしつつ、いざ彼女たちが座っているソファの方に取り掛かろうとするが……わああ、何故エマさんがそこに居るんだ。早くも棚を終わらせちゃったらしい。おまけにお掃除ちゃんたちが小さな箒や雑巾を持って床の清掃に入っている。おのれ、床まで私から奪うつもりなのか。

 

『ライバル』が多すぎることを嘆きながら、サクヤ・ヴェイユは布巾を片手に苦い表情を浮かべるのだった。

 

 

─────

 

 

「……ん?」

 

おや、巫女が居ないな。紫の呪符を使って訪れた真昼の博麗神社の境内を見回しながら、アンネリーゼ・バートリはかっくり首を傾げていた。全方向から喧しく響いてくるセミの鳴き声と、イギリスではあまり経験したことのない蒸されているような暑さ。今の博麗神社には無人の『夏』が広がるばかりだ。厳しい夏が。

 

八月の上旬。私は日本魔法省で行われた決議の結果を聞きに行くため、幻想郷経由で外界の日本へと移動しようとしているのだ。とりあえず呪符でイギリスからここに直行した後、紅白巫女か紫のどちらかに頼んで結界を抜けて『表側』に出ようと思っていたのだが……むう、ひょっとして留守なのか? 困ったな。ポートキーは予約していないし、そもそもピンポイントで利用できる便が無いぞ。

 

ちなみに『決議』というのは、当然ながら対策委員会の要請に関するものだ。ゲラートの要請を日本魔法省が受け入れるか否か。その最終的な話し合いが本日の午前九時頃から日本魔法省内で行われているらしいので、『窓口』である西内家を訪問して結果を教えてもらおうというわけである。

 

西内親子との約束はとっくに取り付けてあるし、後は移動するだけなのに……うーん、社には誰も居ないな。これで居住区画も無人だった場合、留守と判断して別の移動方法を考える必要がありそうだ。

 

見張りの黒猫すら見当たらないことに再度小首を傾げつつ、いつもの縁側の方へと歩いて行ってみれば……なんて格好をしているんだよ。真っ白な薄い着物を着崩した状態の巫女が、ぐったりと茶の間で寝転がっているのが目に入ってきた。下着すら着けていないぞ、こいつ。少し動いたら胸が見えてしまいそうだ。

 

「キミ、恥じらいとかはないのかい? 年頃の娘がそんな格好をしているのは問題だと思うんだが。」

 

「あー? ……ああ、あんたね。何? また札が欲しいの?」

 

「そうじゃなくて、結界を抜けさせて欲しいんだよ。日本に行きたいんだ。外界の方の日本に。」

 

「無理無理、今日は暑くて何も出来ないわ。諦めなさい。」

 

起き上がりすらせずに弱々しい声で応答した巫女は、仰向けに寝たままでずりずりと身体をテーブルの方に動かすと、その上に載っていたヤカンを取って……おー、豪快。注ぎ口から直接中の何かを飲み始める。ダメそうだな、これは。幻想郷の調停者は夏の暑さに敗北したのか。

 

「通るだけ通らせてくれたまえよ。私はそもこの土地に出入りできているんだから問題ないだろう?」

 

それでも諦め悪く交渉を仕掛けた私に、巫女は全身を畳に預けたままで気怠げに首を振ってきた。やる気ゼロのご様子だ。

 

「あんたの場合通るのは問題ないけど、単純に暑いから動きたくないの。外はアホみたいな気温だし、セミどもはうるっさいし、雲がなくて太陽が張り切ってるでしょ? だから無理。今日の博麗神社は夕方からの営業にするわ。分かったらさっさと帰りなさい。」

 

「しかしだね、約束があるんだ。他の手段だとそれに間に合わなくなってしまうんだよ。……ええい、とにかく起きたまえ。見ているこっちが暑くなってくるぞ。」

 

能力を使って周辺の光を抑えてやれば、巫女は怪訝そうな顔付きでのろのろと身体を起こす。

 

「……あんた、何したの? ちょっと涼しいじゃない。」

 

「能力で日光を抑えたんだよ。私の力じゃ冷ますことは出来ないが、熱しているものを弱めることは出来るのさ。」

 

「なら、そのまま続けなさい。これなら何とか寝られるかもしれないわ。」

 

「何故寝ようとしているんだい? そうじゃなくて、早く結界をどうにかしたまえ。じゃないと逆に日差しを強めるぞ。」

 

縁側に腰を下ろして言い放ってやると、紅白巫女は……今日は『紅白』じゃないか。破廉恥巫女ははだけた胸元をポリポリと掻きながら不満そうに返事をしてきた。

 

「嫌よ。あんたが居なくなったら元通りなんでしょ? 私に通行させるメリットが無いじゃないの。」

 

「……よし、それならこうしようじゃないか。帰りに外界で『えあこん』を買ってきてあげよう。今回の通行と、そして大量の札との交換だ。それでどうだい?」

 

無論、三バカと行った電気屋で見た『えあこん』がここで使えないことは承知している。いくら最近の機器に疎い私でもそのくらいは分かるぞ。動力となる電気が無いんだから当たり前のことだろう。しかし、それを知る由もない巫女は……バカめ、食い付いたな。興味深そうに質問を寄越してきた。

 

「何よ、えあこんって。何なのそれ。」

 

「空気を冷やしたり暖かくしたりする機械だよ。仕組みは全然分からんが、冷風や温風が出てくるんだ。使えればひんやりした部屋で快適に夏を過ごせるんじゃないかな。」

 

使えればな。意図的に最重要部分を省いた私の説明を聞いて、巫女はふんふんと鼻息を荒くしながらこちらににじり寄ってくる。嘘は言っていないぞ。私は正直な吸血鬼なのだ。

 

「……本当にそんな物があるの?」

 

「暑い夏でも寒いくらいの室温まで下げられるらしいよ。外の技術は日々進歩しているのさ。」

 

「今回あんたを外に通行させて、札を用意しておけばそれが手に入るのね?」

 

「キミが然るべき枚数の神札を用意してくれるのであれば、私は名に誓ってえあこんと交換しようじゃないか。用事を済ませた帰りにでも買ってくるよ。」

 

えあこんは伝説上の古代文明が使っていた装置ではなく普通に売っている物だし、買ってくるつもりなのも本当だし、札と交換する気だってあるぞ。その上で電気が無くて使用できないのはそっちの都合だ。久々の『悪戯』を楽しみながら首肯した私に、巫女は立ち上がって交渉の成立を宣言してきた。最近は二柱に振り回されっぱなしだったから、たまには邪悪な吸血鬼らしいことをしておかないとな。何より約束に遅れるのは宜しくないし。

 

「いいでしょう、通行させてあげるわ。だから絶対にえあこんとやらを買ってきなさい。」

 

「大いに結構。キミもきちんと札を用意しておきたまえよ? それなりの枚数を期待させてもらうぞ。」

 

「よく分かんないけど、涼しさが手に入るなら札くらい安いもんよ。……約束を破ったら承知しないからね。」

 

「さっきの会話に嘘は一切無いよ。安心したまえ、私は約束を重んじる吸血鬼なんだ。」

 

よし、帰りにえあこんを渡したら即座にイギリスに戻ろう。秋の涼しくなった頃に会えば忘れているさ。こんなものちょっとしたお茶目な悪戯なんだから。

 

「着替えてくるから待ってなさい。用事とやらを終わらせたら、急いでえあこんを買って戻ってくるのよ? もうこの暑さにはうんざりしてるんだから。」

 

私は少ない対価で札が手に入るし、その札を二柱に売って利鞘を稼げるし、巫女は人外との取り引きの際はしっかりと詳細を確認すべきだと学べるわけだ。着替えるために襖の奥へと姿を消した巫女を見送りつつ、これも社会勉強だぞとうんうん頷くのだった。

 

───

 

そして首尾良く博麗大結界を抜けて外界に出た後、姿あらわしで東京の西内邸に移動した私は……何だよ、その嫌そうな表情は。何故か中城霞と邸内の一室で対面していた。相変わらず無礼なヤツだな。

 

「何故キミがここに居るんだい?」

 

「どうしてバートリさんがここに居るんですか?」

 

私が使用人らしき和服の女性に案内されたのは、和洋折衷の会議室のような部屋だ。漆喰の白い壁や入り口の障子戸は和風なのに、黒い板張りの床には長テーブルと椅子が置かれている。多分イギリスの吸血鬼である私を気遣ってこの部屋に案内したのだろうが、そこに中城が居たのは予想外だぞ。

 

同時に問いかけて同時に苦い顔をした後で、先ずは私から訪問の理由を口にした。

 

「……私は日本魔法省で行われた決議の結果を聞きに来たんだよ。要するに、仕事で来たのさ。キミはどうなんだい?」

 

「私はお爺ちゃん……母方の祖父の付き添いで来ただけです。それで祖父が陽輔さんと話してる間、ここで待ってろって言われまして。」

 

「ふぅん? 小上家の当主どのと来たってことか。家同士の付き合いに巻き込まれたわけだ。どうやら偶然同じ日に訪問しただけらしいね。」

 

「何でバートリさんと同じ部屋に案内されたのかは疑問ですけどね。応接室、沢山あるのに。」

 

それは私だって疑問だぞ。小さく鼻を鳴らしてから中城の対面に腰掛けて、テーブルをトントンと指で叩きつつ質問を重ねる。知り合いだから世間話でもしていろということか? 西内め、余計な気遣いをするくらいなら早く姿を現せよ。

 

「で、何の用で来たんだい? キミの祖父は。」

 

「よく分かりませんけど、京都の細川本家でトラブルがあったみたいです。その話をしてるんじゃないでしょうか? ……これって言っちゃって良かったんですかね?」

 

「どっちにしろもう聞いちゃったよ。……『トラブル』ね。キミの祖父は派閥の中ではそれなりの人物なんだろう? 小上家は細川七家の一角なんだから。そんな人物をわざわざ呼び出すってことは、結構な規模のトラブルが発生したということか?」

 

「重大な話だったら私を連れて来ないでしょうし、そこまでではないと思いますよ? 詳しくは知りませんけど。」

 

中城があまり興味なさそうに応じたところで、部屋の戸が開いて先程私を案内した使用人と……おや、案外すぐ現れたな。西内の息子の方が部屋に入ってきた。使用人の女性は湯呑みや茶菓子が載ったプレートを持っている。

 

「お待たせしてしまって申し訳ございません、バートリ女史。霞さんもお久し振りです。」

 

「別にいいよ、そこまで待ってはいないからね。」

 

「どうも、陽司さん。」

 

何だっけ、これ。『羊羹』だったか? 目の前に置かれた黒い茶菓子を見ながら肩を竦めた私と、若干不満そうに挨拶した中城。その姿を交互に確認した西内陽司は、私の斜向かいの席に腰掛けて早くも本題を切り出してきた。……ふむ? 先ずは当たり障りのない世間話を仕掛けてくると思ったんだがな。

 

「早速ご報告させていただきますと、対策委員会の要請は八割方受諾されました。」

 

「残りの二割は?」

 

「その点に関しては審議を継続ということになりましたが、どれもさほど重要ではない部分だと思います。こちらが受諾した要請の一覧です。」

 

差し出された書類を一読してみれば……うん、いいんじゃないか? 西内の言う通り、審議継続となった部分はどうでも良い点ばかりだ。ゲラートからの任務は充分に果たせたと言えるだろう。我関せずと羊羹を食べている中城を横目にしつつ、西内陽司へと返事を返す。

 

「つまり、どうでも良い点を『譲った』のか。大方藤原派が要請をそっくり呑むことを嫌がったんだろう? 間接的にではあるものの、細川派に膝を屈したことになるからね。」

 

「まあその、噛み砕けばそういうことになります。全てを他派閥に承認させるのは難しいと判断したので、『逃げ道』を作ったわけです。事後報告で申し訳ございません。」

 

「ん、悪くないやり方だと思うよ。想像していた以上の成果だ。」

 

負けるにしても言い訳が必要なのだ。それがあれば藤原派や松平派は諦めてくれるだろうし、細川派は少ない対価で大きな利益を得られる。要するに政治的な茶番だな。『抵抗はしたぞ』と他派が言えるようにすることで、細川派は手早く実利を掴んだわけか。

 

短期的な相手だったら容赦なく潰せるが、長く戦っている相手だと『負かし方』にも気を使うってことだな。政治の面倒くささを改めて感じたところで、西内が問いを寄越してきた。

 

「何か質問はございますか?」

 

「悪くない結果だし、特に無さそうだが……キミ、やけに急いでいるね。キミの父親がこの子の祖父と話し合っている『トラブル』の方が気になるのかい?」

 

この前の細川政重との会食の時は慎重に丁寧に進めていたのに、今回の会話は性急に過ぎるぞ。別に無作法というほどではないが、西内親子はそれなりに話の雰囲気を作るのが上手かったはず。らしくないなと思って鎌をかけてみると、西内は……おやおや、ワンテンポ返答がズレたぞ。愛想笑いで首を横に振ってくる。

 

「霞さんからお聞きになったんですか? 大したトラブルではありませんよ。すぐに解決できる程度の問題です。」

 

「ふぅん? 私には内容を教えてくれないのか。意地悪だね。……ま、いいさ。長居するのは迷惑そうだし、今日はもう帰るよ。詳細が決まったら改めて教えてくれ。」

 

「いや、本当に申し訳ございません。決定したらすぐにお知らせいたします。」

 

おおっと、こんなに短い会話しかしていないのに引き留めすらしないのか。相当のトラブルが起きているらしいな。気にはなるが、西内家とは友好な関係を保ちたい。とりあえずここでは首を突っ込まずに素直に帰るとしよう。……電気屋にも寄らないといけないし。

 

『トラブル』の内容に興味を惹かれつつも羊羹をぱくりと一口で食べて、使用人の案内で部屋を出ようとする直前、ふと思い出した疑問を西内に放った。

 

「そうだ、もう一つ聞いておきたいことがあったんだった。決議の際に藤原派の誰かが不自然にこちらに付いたりしなかったかい?」

 

「不自然に、ですか? ……そういえば、我々が働きかけていない藤原派や松平派の数名が要請受諾側に回ったそうです。特に魔法経済庁の長官が賛成したのは予想外でしたね。藤原派内でもかなり上層の人物ですから。」

 

「長官? ……キミたちは何もしていないんだね? ちなみに私は『藤原派には』何もしていないわけだが。」

 

「そもそも引き込むのは不可能だと判断していた人物なので、私共は接触すらしていません。というか、細川派との接触は向こうが先ず拒むでしょう。魔法経済庁の長官ともなると、藤原閥の中でも指折りと言えるほどの立場なんです。」

 

そこまでの地位にある人物なのか。半信半疑で尋ねてみたわけだが、意外な答えが返ってきたな。細川派が何もしていないとなると、私に思い当たる節は細川京介だけだ。あの男、本当に藤原派の要人を転ばせたのか?

 

「……なるほどね、把握したよ。それじゃ、また会おう。」

 

私としては願ってもない展開だが、少々の不気味さが残るな。一介の教師に出来ることとは思えんぞ。……もう一度会ってみるか。仮に細川京介の仕業だった場合どうやったのかも謎だが、何故そこまでやるのかが非常に気になる。行動と利益が釣り合っていないことほど薄気味悪いものはないのだ。

 

部屋を出る私を見送っている西内と中城。その視線を背に中庭に面する廊下へと出ながら、アンネリーゼ・バートリは思考を回すのだった。

 



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長男の報告

 

 

「これは当然の結果さ。むしろ去年がおかしかったんだよ。こうなって然るべきなんだ。」

 

ご満悦の表情でワインを呷るリーゼ様のグラスに追加を注ぎつつ、アリス・マーガトロイドはこっくり頷いていた。うーむ、上機嫌だな。ハリーの試験突破がかなり嬉しかったらしい。

 

八月十六日の夕刻、私たちは隠れ穴で開かれているちょっとした夕食会に参加しているのだ。そして何故モリーが夕食会を開いたのかといえば、就職が決まったハリーとジニーをお祝いするためである。

 

要するにハリーは見事闇祓いの入局試験を突破し、ジニーは予言者新聞社への入社が決定したわけだ。ジニーの入社は先月イモリ試験の結果が届いた段階でほぼ確定していたのだが、折角だからということでハリーと一緒にお祝いすることになったらしい。

 

ちなみに咲夜と魔理沙は北アメリカへの旅行中なので、残念ながら今回は不参加だ。預かっておいた就職祝いを後で二人とルーナに渡さないとなと考えていると、リーゼ様の対面の席でウィスキーを飲んでいるブラックが口を開いた。

 

「全くもってその通りですね。去年素直に入局させておけば良かったんですよ。ハリーほどの候補者を落としたロバーズの気が知れません。意味不明です。」

 

「珍しくまともなことを言うじゃないか。とりあえず入局させちゃって、後から魔法法をちょこっと勉強させればそれで済んだんだよ。去年はクィディッチが邪魔しただけで、ハリーは本来『出来る子』なんだから。」

 

「ロバーズの所為で、ジェームズとリリーへの報告が一年遅れてしまいましたよ。……ジェームズは喜んでいるでしょうね。息子が闇祓いってのは誇るべきことですから。リリーは危険な職業だと心配しているかもしれませんが。」

 

あー、そうだな。リリーは少し心配するかもしれない。だけどまあ、やっぱり喜んではくれるだろう。一人息子が目指す職業に就けたんだから、あの二人は笑顔で祝ってくれるはずだ。

 

この場にジェームズとリリーが居ればなとしんみりしていると、向こうのテーブルでハリーと話していたアーサーがこっちに移動してくる。モリーの料理を食べているハリー、ロン、ハーマイオニーの三人組や、ジニーとルーナを眺めながらだ。

 

「どうも、皆さん。つまみは足りてますか?」

 

「足りているよ。キミも飲みたまえ、アーサー。ジニーの就職が決まって肩の荷が下りた気分だろう?」

 

「ええ、本当に気が楽になりました。一人残らず立派な職業に就いてくれて嬉しい限りです。私が薄給な所為で制限が多かったものですから、色々と不安になることもあったんですが……頑張ってやりくりしてくれたモリーのお陰ですね。このまま行けば全員が私よりも高給取りになってくれそうですよ。」

 

「今や貴方もそこそこの高給取りでしょうに。」

 

リーゼ様に応じたアーサーに突っ込んでやれば、彼はブラックからウィスキーの瓶を受け取りつつ苦笑いで首を振ってきた。

 

「ビルとチャーリーとフレッドとジョージにはもう追い越されていますよ。残る三人もそう遠くないうちに私を超えてくれるでしょうし、親としては万々歳というところです。」

 

「出藍の誉ね。貴方は立派に父親という仕事をやり遂げたんだと思うわよ。」

 

「もう少しの間目標で居てやりたかったんですが、どうやら私の子供たちは私が思っていたよりも優秀だったようですね。あっという間に抜かれてしまいました。」

 

言うアーサーの顔には悔しそうな感情など欠片も無く、ただただ嬉しさが溢れている。六男一女を立派に育て上げたんだもんな。そりゃあ達成感があるだろう。子育てという面では素直に尊敬しているぞ。

 

私が感心している間にも、ブラックがアーサーに対して言葉を放つ。

 

「となると、これからは趣味に没頭できそうですね。今まで頑張ってきた分、大いに楽しまないと。」

 

「それはそうなんだが、先ずモリーを労わないといけないかな。随分と我慢させてしまったからね。多少生活にも余裕が出てくるだろうし、二人でどこか旅行にでも行こうかと考えているんだ。」

 

「あら、いいじゃない。新しい自動車を買うのはその後ね。」

 

「そういうことになりそうですね。」

 

本当に買うつもりではあるのか。まあうん、それでもモリーを優先するのはさすがおしどり夫婦といったところだぞ。苦笑しながら私も自分のワイングラスに口を付けた瞬間……おっと、誰かが来たようだ。暖炉に緑色の炎が燃え上がった。

 

チャーリーは異国の地で仕事中らしいし、フレッドとジョージは先程到着して向こうのテーブルで食事をしており、パーシーはその二人と話している。となると残るは……やっぱりビルか。久々に見るウィーズリー家の長男どのが、暖炉から部屋に入ってきた。

 

「やあ、みんな。」

 

「まあ、ビル? よく来られたわね。お仕事は大丈夫なの?」

 

「ジニーのお祝いだからね。それに、ハリーにもおめでとうと言っておきたかったんだよ。……二人とも、就職決定おめでとう。こっちは僕とフラーからの就職祝いだ。受け取ってくれ。」

 

すぐさま寄ってきたモリーに応答した後、お祝いの台詞と共にラッピングされたプレゼントを差し出したビルに、ハリーとジニーが受け取りながらお礼を口にする。きちんとプレゼントまで用意してあるのか。相変わらず社交性抜群だな。こういう気配りをさせたらビルがウィーズリー家で一番だと思うぞ。

 

「ありがとう、ビル。嬉しいよ。」

 

「ちゃんと来た上にプレゼントだなんて百点満点よ。ありがと、ビル。……ジョージとフレッドは見習ってよね。」

 

「おいおい、俺たちもプレゼントを渡しただろ?」

 

「その通り、最新型の『誤ジョーク修正羽ペン』をな。記者を目指すんなら諧謔を理解しておくべきだぞ、妹よ。」

 

ジニーの注意に双子が戯けたところで、モリーがいそいそとビルを食卓に案内し始めた。愛息に手料理を食べさせたくて仕方がないのだろう。

 

「さあさあ、こっちよ。折角来たんだから久々にご飯を食べていきなさい。今追加を作りますからね。」

 

「あーっと、母さん。その前に一つだけ報告があるんだ。結構……その、大事なやつが。ちょうどみんなが集まってるからさ、今日話そうと思って来たっていうのもあるんだよ。」

 

「……悪い知らせじゃないわよね?」

 

急に改まったビルを見て不安そうに尋ねたモリーへと、ウィーズリー家の長男どのは大慌てで否定を送る。やけに神妙な表情で切り出したから、私もちょびっとだけ不安になったぞ。

 

「いやいや、大丈夫。良い知らせだから。ただちょっと……何て言うか、びっくりはするかもしれないかな。」

 

「おい兄貴、良い知らせなら勿体付けないで早く言ってくれよ。妙に真剣な顔をするからビビったぜ。」

 

「そうだぞ、言ってくれ。気になって食事に集中できないじゃんか。」

 

「茶化すなよ、フレッド、ジョージ。本当に大事な話ではあるんだから。」

 

催促してくる双子に返事をしたビルは、部屋の全員が注目しているのに少し苦笑した後、両手を広げながら『報告』の内容を言い放った。

 

「だから、つまり……フラーが妊娠したんだ。僕に子供が出来たんだよ。フラーも一緒に報告に来たいって言ったんだけど、とりあえず今日は僕だけで知らせに行くって──」

 

「まあ、ビル!」

 

話の途中でモリーが勢いよくビルを抱き締めたのと同時に、アーサーがガタリと席を立つ。呆然とした顔付きだ。……いや、私もびっくりしたぞ。想像していたよりも遥かに重大な報告じゃないか。

 

「母さん、落ち着いて。……一昨日病院で検査したばかりだから、詳しいことはまだ全然分からないんだ。近いうちに向こうのご両親にも報告に行くよ。」

 

「やってくれるじゃんか、兄貴。よくも俺たちを『叔父さん』にしやがったな。でかしたぞ!」

 

「マジでぶったまげたぜ。最高の知らせだ。だよな? パース。」

 

「そうだね、掛け値なしに最高の知らせだ。……おめでとう、兄さん。家族が増えるのは僕も嬉しいよ。」

 

上の兄三人が満面の笑みでビルを囲んで祝福するのに、ロンとジニーも続く。ちなみにアーサーは大口を開けて停止したままで、モリーはビルを窒息させんばかりにハグしっぱなしだ。

 

「ビル、おめでとう。男の子か女の子かはまだ分かんないんだよな? だってほら、おもちゃとかを準備しとかないとだろ?」

 

「気が早すぎるわよ、ロン。まだ分かるわけないでしょ。……おめでとう、ビル。フレッドは『叔父さん』でいいけど、私のことは『お姉さん』って呼ばせてよね。」

 

「ありがとう、みんな。……父さん、どうかな? 良い報告になった?」

 

「そりゃあ、勿論だとも。良い報告だ。間違いなく良い報告だよ。……そうか、孫か。予想外だったな。こんなに早く孫が出来るとは、嬉しい誤算だ。」

 

徐々に笑みの形に表情を変えていくアーサーは、父親になる息子に歩み寄ってその肩をポンポンと叩いた。その後私たちもビルにお祝いを伝えた後、モリーがようやく落ち着いてきたところで、リーゼ様が肩を竦めて話しかけてくる。料理が並んでいる向こうのテーブルでやっと食事が出来ているビルと、彼を囲むウィーズリー家の面々を眺めながらだ。

 

「いやはや、ウィーズリー家の繁栄はまだまだ続きそうだね。大したもんだよ。」

 

「今妊娠が分かったってことは、私たちも移住前に顔を見られそうですね。『子育てちゃん』を贈ることも出来そうです。」

 

「産まれるのは来年の春くらいか? アーサーたちは暢気に旅行をするわけにはいかなくなったらしいね。」

 

「まあ、産まれるまでは気になってそれどころじゃないでしょうね。初孫ってのは嬉しいものみたいですから。」

 

テッサもコゼットの妊娠を知った時は喜んでいたっけ。私は直に体験できなさそうなその喜びを思って、ちょっとだけ羨ましい気持ちになっていると……リーゼ様が大きく伸びをしながら相槌を打ってきた。

 

「中々良い食事会になったんじゃないかな。ハリーとジニーの就職もめでたいし、ビルが追加の『デザート』を持ってきたわけだからね。今日はもう満腹だよ。」

 

「いつもの皮肉は無しですか?」

 

「今日くらいは口を閉じておいてやるさ。吸血鬼にだってそういう日はあるんだよ。……明後日からは山ほど使うことになるだろうしね。」

 

「あー、早苗ちゃんたちのフランス旅行ですか。慌ただしくなりそうですね。」

 

苦笑いで首肯してみれば、リーゼ様は思い出したように初耳の予定を寄越してくる。

 

「そういえば、初日はキミに『監督役』を任せることになりそうなんだ。そろそろゲラートに日本魔法界のことを報告しないといけないから。」

 

「……私一人であの三人を制御するんですか?」

 

「別に勝手に遊ばせてもいいんだが、放っておくとホテルにたどり着けるかすら怪しいからね。悪いが案内を任せるよ。」

 

「まさかとは思いますけど、早苗ちゃんたちに付き合うのが嫌だからその日に予定を入れたわけじゃないですよね?」

 

ジト目で見つめながら問いかけてみると、リーゼ様は……絶対そうじゃないか。悪戯げな笑みで否定してきた。

 

「先日日本魔法省の決議の結果が出たから、たまたまその日になっただけさ。他意は無いよ。」

 

「フランス行きの日程が決まったのが先月末で、決議の結果が出たのは先週でしょう? 間違いなくありましたよね、他のタイミング。無理やり早苗ちゃんたちの到着の日に捻じ込んだようにしか思えないんですけど。」

 

「ゲラートは忙しいし、私も忙しいし、ハリーの試験の結果も重要だったからね。明後日しかなかったんだよ。……ま、案内してやってくれたまえ。キミもパリは好きだろう?」

 

パリは嫌いではないけど、早苗ちゃんたちが予定をぎゅうぎゅう詰めにしているのは目に見えているじゃないか。そっちに付き合うのが精一杯で、馴染みの人形店を巡る余裕なんて絶対にないはずだ。どうせパリに行くならリーゼ様を『囮』にして、そっと抜け出して買い物をしちゃおうと密かに計画していたのに。

 

うーん、今回はリーゼ様に上を行かれたな。まさか『来ない』という荒技を使われるとは思っていなかったぞ。……よし、『囮作戦』は二日目以降に使うことにしよう。リーゼ様に三人を任せるのはちょっと悪いなと考えていたけど、初日を私が担当するならそれでイーブンというものだ。

 

幸せが供給過多になっている隠れ穴のリビングを目にしつつ、アリス・マーガトロイドは久々に『悪い子』になろうと決意するのだった。

 



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外道の人外

 

 

「さ、しるぶぷれ。さ、さ、しるぶぷれ。」

 

おお、どうにか通じているぞ。私の拙いフランス語を聞き取ってケーキをガラスケースから出してくれる店員さんを前に、東風谷早苗は続けてお礼を口にしていた。付け焼き刃でも何とかなりそうだ。凄いじゃないか、私。

 

「めるすぃ、ぼくー。」

 

『どういたしまして。このケーキを買うと他のケーキを割り引けるんだけど、一つでいいのかしら?』

 

「……あっ、え?」

 

うあ、どうしよう。何か話しかけられちゃったけど、『どういたしまして』の部分しか分からないぞ。途端に頭の中を真っ白にして口をパクパクさせている私に、三十代くらいの女性店員さんが困ったように言葉を繋げてくる。

 

『ああ、分からないのね。どうしましょう。英語なら通じるかしら? ネリー! ちょっと来てくれない? 貴女って英語が喋れたわよね?』

 

「えっ、えっ?」

 

店員さんがフランス語で店の奥に呼びかけているけど……ひょっとして、私が何かやっちゃったんだろうか? うああ、パニックだぞ。パニック! わたわたと両手を動かしながら焦っていると、私の背後から店員さんに流暢なフランス語が投げかけられた。アリスさんだ。助けに来てくれたらしい。

 

『この子の連れだけど、どうかしたのかしら?』

 

『あら、良かった。この可愛いお客さんに二つ目のケーキが割引になるって伝えたかったの。』

 

『そういうことなら、んー……これも一緒に貰うわ。』

 

何だか分からないけど、アリスさんのお陰でどうにかなったようだ。私が頼んだイチゴのケーキと、白いモンブランみたいなケーキを紙箱に入れた店員さんは、フランス語で何かを言いながらアリスさんにそれを渡す。そしてアリスさんもフランス語で応答して支払いを済ませた後、私を目線で促してテーブルが沢山並んでいる方へと歩き始めた。……まあうん、付け焼き刃は所詮付け焼き刃だったってことか。早口すぎてさっぱり分からなかったぞ。

 

要するに、私は今フランスのパリに居るのだ。ポートキーで一人で入国して、いつものお札を使ってお二方に実体化してもらった後、アリスさんと合流してホテルに荷物を置きに行ってから、こうしてパリの中心街にあるショッピングモールで買い物を楽しんでいるのである。ちなみにリーゼさんは今日はお仕事で来られないらしい。残念だな。

 

「白いケーキはアリスさんが頼んだってことですよね? あの店員さんは何て言ってたんですか?」

 

ショッピングモールの一階にあるフードコートのようなスペースを歩きつつ、アリスさんに日本語で問いかけてみれば、彼女は微笑みながら返答を返してきた。現在は買い物の途中で一度休憩しているところで、さっき買ったジェラートを早めに食べ終えたから追加のケーキを買いに行っていたのだ。お二方はまだ席で食べているはず。

 

「一つ買うと二つ目が割引になるって言ってくれてたのよ。」

 

「なるほど、そういうことだったんですか。……何かダメなことをやっちゃったのかと思いました。」

 

「そんなに神経質にならなくても大丈夫よ。どうしようもなくなったら、最悪英語を使えばいいわ。パリなら店に一人くらいは聞き取れる人が居るはずだから。」

 

「次からは困ったらそうしてみます。」

 

英語ならそれなりに話せるし、理解も出来るぞ。アリスさんの助言に首肯して、お二方が居る席に近付いて腰を下ろす。諏訪子様はまだ食べているけど、神奈子様はジェラートを食べ終えたようだ。悲しそうに空っぽのプラスチックの容器を見つめている。

 

「戻りました。……あの、神奈子様? ケーキを半分食べますか?」

 

「いや、それよりジェラートをもう一つ買ってくる。別の味も試したいんだ。やはり本場だけあって美味いな。」

 

「イタリアですけどね、ジェラートの『本場』は。」

 

そうだったのか。アリスさんに冷静に突っ込まれて苦い顔になった神奈子様は、私から財布を受け取って返事と共に確認を飛ばす。

 

「フランスもイタリアも同じようなものだ。大して変わらん。……『さ、しるぶぷれ』だったな? そう言えば通じるんだろう?」

 

「一応注意しておくと、『これをください』って意味ですからね? さっきの諏訪子さんみたいにめったやたらに連呼すると意味不明になりますよ? メニューか商品を指差して言ってください。……ついて行きましょうか?」

 

「私を諏訪子と一緒にしないでくれ。一人でやれるさ。」

 

「神奈子、ついでに私のおかわりも買ってきてよ。今度はオレンジとレモンね。……ちょっと、聞いてる? おいこら、神奈子! 蛇女! 買ってこなかったらぶっ飛ばすからね!」

 

無言で聞こえないフリをしながら遠ざかっていく神奈子様に、諏訪子様が透明なプラスチックのスプーンを振って文句を放ったところで、アリスさんが箱から出した謎の『白モンブラン』を食べつつ話しかけてきた。あれって何なんだろう? 気になるな。

 

「明日から本格的な観光をするのよね? 今日は買い物だけ?」

 

「えと、その予定です。ガイドブックで色々調べてきたので、ルートは大体決まってます。……それって何のケーキなんですか?」

 

「ん? モンブランよ。」

 

モンブランではあるのか。でも、白いぞ。フランスのモンブランが基本的に白いのか、あるいはあの店独自のモンブランなのかを考えている私を他所に、諏訪子様がアリスさんに質問を送る。

 

「リーゼちゃんは明日合流するんでしょ? 失敗したなぁ。それなら買い物を明日に回せばよかったよ。」

 

「たかる気満々じゃないですか。」

 

「人聞きの悪い表現はやめてよね。借りてるだけじゃんか。……大体、仕事って何なの? また日本魔法省に関すること?」

 

「今日はロシアに行ってるんですよ。ゲラート・グリンデルバルドに会いに。」

 

うー、カッコいいな。日本に来たり、アメリカの知り合いが居たり、イギリスで偉かったり、ロシアに行ったり。そんな凄い吸血鬼に好かれてしまう自分の魅力を再認識していると、諏訪子様が呆れたように別の部分に食い付いた。

 

「グリンデルバルド? めちゃくちゃ大物の名前が飛び出てくるじゃんか。そういえばリーゼちゃんが日本魔法省に働きかけてるのも、本を正せばグリンデルバルドのためなんだっけか? あの男、吸血鬼を『使い』にしてんの?」

 

「そういうわけじゃありませんよ。グリンデルバルドは……つまり、昔からのリーゼ様の『契約者』なんです。」

 

「へぇ、私たちと同じような関係ってこと?」

 

「極限まで噛み砕けばそんな感じです。……まあ、諏訪子さんたちよりは信用してるみたいですけどね。一種の『悪友』ってところじゃないでしょうか? リーゼ様は素直に認めないと思いますけど。」

 

ゲラート・グリンデルバルド。マホウトコロの教科書では『改革者』たるレミリア・スカーレットさんと並んで、『革命家』と称されている見た目が怖いお爺さんだ。ヨーロッパ魔法大戦を引き起こした張本人であり、今はロシアの魔法省……魔法議会? の議長だか大臣だかを務めている人のはず。五年生と六年生と七年生の時に三年連続で期末テストに出たぞ。九年生のテストは総合的な内容だから、今学期の学期末テストにも出てくるかもしれない。

 

ぼんやりした記憶を掘り起こしている私を尻目に、諏訪子様はちょっと興味深そうな面持ちで相槌を打つ。

 

「人間なんだよね? グリンデルバルドって。百年以上も生きてるみたいだけど。」

 

「驚くべきことに、あれでも純然たる人間らしいですよ。私たち魔女みたいな『裏技』は何一つ使っていないんだそうです。」

 

「たまに居るんだよね、そういう常識外れの人間って。時代の境目にひょっこり出てくるの。古いものをぶっ壊して、新しいものの土台を作れるような人間が。……そういうヤツらは得てして人外と深く関わるもんだから、リーゼちゃんがグリンデルバルドの『悪友』なのは至極当然のことなのかもね。」

 

「日本にもそういう人物が居たんですか?」

 

今度は逆にアリスさんが興味深そうに尋ねると、諏訪子様は苦笑しながら答えを返す。

 

「日本にも居たし、歴史を見返せば案外有り触れた話だと思うよ。私たちは結局のところ人間の『心』から生まれた存在だからね。数多の人間の心を揺り動かせる『偉人』ってのに本能的に惹かれちゃうんだ。敵対したり、味方したり、ちょっかいをかけたり操ろうとしてみたり。神やら妖怪やらが『英雄』と関わる逸話は世界各地に散らばってるっしょ? あれだよ、あれ。」

 

「……言われてみればそうかもしれませんね。『主人公』に人外が協力したり、立ち塞がったりするのは物語のお約束です。」

 

「英雄譚や神話の正体なんて大体そんな感じなんだよ。だからリーゼちゃんはある意味人外として真っ当なことをしてるんじゃないかな。レミリア・スカーレットみたいなのがむしろ『外道』な人外なわけ。……悪い意味の外道じゃないよ? 常道から外れてるってことね。自分が矢面に立って人間の変革を促すってのは、普通の人外じゃ滅多にやれないことだから。」

 

「……諏訪子さんはレミリアさんのことを評価しているんですね。」

 

モンブランをぱくりと頬張りながら呟いたアリスさんに、諏訪子様は珍しく素直な態度で褒め言葉を口にした。

 

「大したもんだよ。言い方は悪いかもだけど、スカーレットがやったのは寄生虫が宿主を支配したようなもんなの。本来人間が主で人外が従にある関係なのに、あの吸血鬼はそれをひっくり返しちゃったんだ。後ろからこっそり囁いて誘導するのは珍しくもないけど、スカーレットの場合は自分が先頭に立ってたわけだからね。その辺の人外じゃ絶対に踏み越えられない線を、『紅のマドモアゼル』は悠々と越えちゃったわけ。……どんな事情があったのかは知らないけどさ、スカーレットのやったことだけは素直に尊敬するよ。人外としても、神としても、洩矢諏訪子としてもね。」

 

「……んー、ちょっとだけ腑に落ちない話ですね。人外が先頭に立つケースもあって然るべきじゃないですか? 身体的にも寿命的にも人間より上の存在が多いわけですし、諏訪子さんたちは昔実際にそうしていたんですよね?」

 

「本能的な部分だから言葉で伝えるのは難しいんだけど、生まれながらの人外ってのは基本的に『変化』に弱いんだよ。私たちが大昔に人間たちを導けたのは、その頃の人間たちにまだ知らないことが多すぎただけなの。現に今はもう変化に追いつけなくなってるっしょ? あの頃は単に『ハンデ』があっただけで、人間が成熟し始めた現代じゃどうにもならないかな。……要するに、大抵の人外は自分で率先して変化を起こそうとはしないんだよ。そもそも過去に礎がある私たちは何をどう変化させればいいのかが分かんないし、変化ってのは大多数の人外にとって忌避すべきものだから。」

 

そこで一拍置いた諏訪子様は、肩を竦めて続きを語る。感心しているような、それでいて皮肉げな笑みを浮かべながらだ。

 

「でも、スカーレットはそれをやった。吸血鬼という過去に栄えた人外を、現代の人間たちに承認させるほどの変化を引き起こしたんだよ。変化が得意な人間を操るだけじゃなく、自分がスポットライトの当たる場所に堂々と立つことによってね。……これってかなーり特殊なケースだと思うよ。まだしぶとく残ってる人外たちは妬んだんじゃないかなぁ。廃れ行くはずだった『運命』を握り潰して、存在としての再興を勝ち取ったんだから。スカーレットはここ五百年じゃ唯一の『成功した人外』ってわけ。並み居る他の人外たちが忘れ去られた後も、吸血鬼って種族だけは人間たちの歴史に残るだろうね。『確かに存在しているもの』として刻み込まれちゃったんだもん。」

 

「……ここ五百年で唯一、ですか。」

 

「っていうか、千年以上遡っても同じようなケースはそうそう見つからないかもね。何か凄い災害とか凶事とかを引き起こして、人間たちの恐怖を煽って存在を強化するってのはたまに聞くけど……人間たちに『直接望まれる』って形で承認された妖怪はそう居ないよ。特に私たち神からすればこんなに羨ましい話は他に無いって。だってほら、信仰がじゃんじゃん集まってきそうじゃん? ……まあ、羨ましいと思うだけで実際にやろうとは思わないけどね。普通ならやらないし出来ないことなんだよ。それはもう人外の枠組みの外側にある行為なんだから、やろうとするのは常道を見限れるような稀有な人外だけなの。」

 

諏訪子様がやれやれと首を振ったところで、ジェラートを手に持った神奈子様が席に戻ってきた。……私はよく分からなかったけど、アリスさんは真剣な顔付きで何かを黙考しているな。彼女にとっては『ためになる話』になったらしい。

 

「……神奈子? 私のは? 私のおかわりは?」

 

「知らん。自分で買ってこい。」

 

「うわ、さいてー。何でそんなにケチなのさ。ケチ蛇! 気遣いが出来ないヤツは嫌われるよ! あんたのを寄越しな!」

 

「やめ……おい、やめろ! このジェラートは絶対に渡さんからな。お前はその辺のハエでも食べていればいいだろうが!」

 

ジェラートを守ろうとする神奈子様と、奪おうとする諏訪子様。いつもの『微笑ましい』やり取りを眺めつつ、さっきの話を脳内で咀嚼する。皮肉屋の諏訪子様が素直に褒めるほどスカーレットさんが凄いということは、その従姉妹のリーゼさんもやはり凄いということであって、つまりはリーゼさんに見初められた私もまあまあ凄いということだ。うん、我ながら簡潔かつ正確に纏まったな。

 

良い気分でケーキの最後の欠片を口に運びながら、東風谷早苗は次は何を食べるかに思考を移すのだった。

 

 

─────

 

 

「で、次はどうするんだい? キミの要請は見事八ヶ国に通った……と言うか、『通した』わけだが。」

 

ロシア中央魔法議会の議長室。そこの執務机に安っぽい蛍光色のゴムボールを投げつけながら、アンネリーゼ・バートリは部屋の主に問いかけていた。全然元気そうじゃないか。死の雰囲気なんて一切感じられないぞ。やっぱり寿命云々は勘違いなんじゃないのか?

 

八月の中旬、私はモスクワに居るゲラートに日本魔法界の動きを報告しに来たのだ。ソファに座ったままで机に当たって跳ね返ってきたボールをキャッチしている私に、執務中の白い老人は淡々と返答を寄越してくる。

 

「あとは構築した流れを堅固にし、加速させていくだけだ。……フランスの魔法大臣が近々後任に席を譲るらしい。お前はその動きを知っているか?」

 

「初耳だよ。誰になるんだい?」

 

「現在は闇祓い隊の隊長を務めている、ルネ・デュヴァルだ。俺は何度か顔を合わせたことがあるし、お前とも面識があったはずだぞ。スカーレットに近かった人物だからな。」

 

「ああ、あの男か。デュヴァル家が再びフランス魔法大臣の椅子を確保することになるわけだ。戦後だと二度目か? 何れにせよ、順当と言えば順当な人選だね。」

 

あまり政治に関心があるタイプには見えなかったが、家の役割からは逃れられなかったってところかな。あるいはレミリアが引退したから、自分も現場を退いて大臣に上がる決意をしたのかもしれない。経歴は充分だし、年齢的にもちょうど良い頃合いだろう。

 

ま、意外な人事ってほどではないさ。然もありなんと首肯した私へと、ゲラートは……何だよ、別にいいじゃないか。再度投げたゴムボールを杖なし魔法で『没収』してから口を開く。折角赤の広場で拾ったのに。

 

「よってフランスの動きを注視する必要が出てきた。恐らくデュヴァルはスカーレットの意志を継ぐだろうが、用心しておくに越したことはない。あの男が正式に大臣になったらフランス魔法省を訪問する予定だ。」

 

「……随分と対策委員会の仕事に夢中なようだが、ロシア議会の方は大丈夫なのかい?」

 

「既に中央議会議長の後任は決定している。俺が死んだ後、しっかりとこの国の魔法界を治められる人物を決めておいた。民衆に傾倒はしないが、重んじることは出来る人物だ。加えて非魔法界側の次期指導者との相性も悪くない。あの男なら問題ないだろう。」

 

「キミね、本当に死ぬかどうかは決まっていないだろう? 何度か考えてみたが、そのぽんこつ腕時計に死期を予測する機能があるとはやはり思えんね。まだ私は納得していないぞ。」

 

ジジイどもめ、死ぬ死ぬ言うのはやめろよな。『老人自虐』はダンブルドアの時で聞き飽きたぞ。イライラしながら指摘してやれば、ゲラートは今日も着けている件の腕時計を示して応答してきた。

 

「言ったはずだぞ、吸血鬼。この腕時計は俺そのものなんだ。これが止まった以上、俺もまた終わる定めにある。それだけの話に過ぎん。」

 

「おいおい、いつから『時計教』に入信したんだ? 世界を揺るがしたゲラート・グリンデルバルドともあろう者が、時計なんぞに死を決定されて悔しくないのかい?」

 

「時計が決定したわけではない。この腕時計はそれを俺に知らせただけだ。決めたのはむしろ俺の方だと言えるだろう。……そんなことより、各地で非魔法界問題に関するカンファレンスを開くことを計画している。各々の主義主張を周囲に知らしめるためのものをな。北アメリカではニューヨーク、南米ではリオデジャネイロ、オセアニアではシドニー、アフリカと西アジアを纏めてカイロ、中央アジアと南アジアを纏めてニューデリーを会場にする予定だが、ヨーロッパと東アジアの開催地が未定だ。ヨーロッパはロンドンでの開催を想定していたが、フランスで動きがあるならパリも捨て難い。何か意見はあるか?」

 

何が『そんなことより』だ。非魔法界問題よりも腕時計問題の方がよっぽど重要だろうが。大きく鼻を鳴らして話題転換への不満を知らせた後、手を叩いてしもべ妖精を呼びつけながら返事を放つ。

 

「イギリスにしたまえ。世界の中心は常にあそこなんだから。……やあ、しもべ。何か菓子を頼むよ。果物のやつがいいな。」

 

「かしこまりました。」

 

質問に答えつつ現れたしもべ妖精に命じた私へと、ゲラートは呆れたような声色で反応してくる。

 

「俺はもう少しまともな意見が返ってくることを期待していたんだが?」

 

「キミね、イギリスが非魔法界問題におけるヨーロッパの先進機関なのは事実だろう? 別にロンドンでいいじゃないか。香水臭いパリなんかダメだよ。」

 

「偏見に満ち溢れた意見だが、一応参考にさせてもらおう。……そうだな、ヨーロッパのカンファレンスはパリで開くことにする。俺が『仇敵』たるフランスを会場に選べば、誰もがカンファレンスに注目するはずだ。インパクトは絶大だろう。……加えて言えば、イギリスは問題の周知が比較的進んでいる。今回のカンファレンスの目的は非魔法界問題の理解の促進だ。ならば未だ充分な周知が叶っていないパリを優先すべきだな。」

 

「全然参考にしていないじゃないか。……暗殺されても知らんからな。フランスにはキミを殺したがっている魔法使いが山ほど居るぞ。」

 

一度消えて再び現れたしもべ妖精が、フルーツタルトのような物が載った皿をテーブルに置くのを眺めながら言ってやると……ゲラートは皮肉げに口を歪めて頷いてきた。

 

「フランスの民意については重々承知している。だからこそ今までフランスに直接赴くのを避けていたんだ。……だが、そろそろ一度行っておくのも悪くないだろう。フランスの魔法族は俺に言いたいことがあるはずだ。俺は死ぬ前にそれを聞かねばならん。」

 

「次に『死ぬ』と言ったらこのタルトをぶつけてやるぞ。本気だからな。」

 

「……東アジアの会場は暫定的に香港自治区を予定しているが、場合によっては日本に変更することも検討している。香港自治区と日本魔法界に探りを入れてくれ。受け入れる意思があるかと、そしてどちらが適しているのかを知っておきたい。」

 

私の脅しを無視して話を進めてきたゲラートに、翼をバシバシとソファの背凭れに当てながら言葉を送る。日本でのカンファレンスはもうやっただろうが。その時襲われたのを忘れたのか?

 

「探りを入れるのは別に構わんが、何を探ればいいのかがぼんやりし過ぎているね。指示は明確に伝えたまえよ。」

 

「委細任せる。前回のカンファレンスは問題提起のそれだったが、今回は既に基礎が整った問題を広め、理解や議論を促進させるためのものだ。その会場として適している東アジア圏の国と場所を決定してくれ。……俺が望んでいるのは前回のように各国代表だけが参加する話し合いではなく、多くの見識ある魔法族が参加できる意見交換会だ。参加のハードルを下げるために地域別に開催するのだから、会場の責任者にもそのことを把握してもらう必要がある。そういった事情を踏まえた上で会場を選出して欲しい。」

 

「……分かったよ、どうにかしよう。」

 

ゲラートにしてはざっくりとした説明だが、要するに『東アジア担当』の私に全てを任せるということか。短期間で大きく動いているから、他者に委任できる部分は委任しちゃおうと考えているのだろう。全部自分でやろうとすると、さすがのゲラートでも処理し切れないわけだ。

 

渋々首肯した私を見たゲラートは、席を立って部屋のドアへと歩き始めた。もう行くのか? 本当に忙しいらしいな。

 

「では、また会おう。俺は上階でやることがあるから失礼する。……吸血鬼、この腕時計の終わりがゲラート・グリンデルバルドの終わりだということは理解したか?」

 

「しつこいぞ。理解も納得もしていないと言っているだろうが。別れ際にまた蒸し返すのかい?」

 

「今は理解も納得もする必要はない。遠からず意味が分かるはずだ。俺が死んだ後にな。」

 

訳の分からないことを言い放ってから部屋を出たゲラートを見送った後、閉まったドアにタルトをぶん投げる。次にふざけたことを言ったらぶつけるって宣言しただろうが。……ええい、実に気に食わん。なーにが腕時計だよ。ダンブルドアの方がまだ説得力があったぞ。

 

一度ドアに貼り付いてからべちゃりと床に落ちたタルトを横目にしつつ、アンネリーゼ・バートリはこれ以上ないってほどに大きく鼻を鳴らすのだった。

 



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小さな策略

 

 

「あの、どうも。今日は誘ってくれてありがとうございます。」

 

あれ? どことなく警戒している感じだな。ホテルのロビーでリーゼお嬢様に挨拶している中城さんを見ながら、サクヤ・ヴェイユは内心で首を傾げていた。お嬢様は中城さんと何度か顔を合わせているらしいけど、ひょっとすると相性が良くないのかもしれない。

 

八月も下旬に突入し、いよいよ最終学年としてのホグワーツへの帰還が迫ってきた今、私たち人形店の面々は小旅行のために日本を訪れているのである。リーゼお嬢様が日本と香港自治区に用があるということで、アリスと私と魔理沙がそれに同行する形になったわけだが……やっぱりお嬢様と一緒だと良いホテルに泊まれるな。魔理沙との二人旅の時はもっと下のランクのホテルにしか泊まれなかったぞ。

 

とはいえ、旅費をやりくりしつつの二人旅も中々に楽しかった。今年はフランスやドイツを主目的としたヨーロッパ旅行と、ニューヨークやワシントンD.C.なんかを観光した北アメリカ旅行の二つに行くことが出来たし、日帰りでのイギリス国内旅行にも何度か行けたのだ。そこそこ充実した夏休みを送れたんじゃないだろうか? 最後にこうしてリーゼお嬢様やアリスとの小旅行まで出来ているんだから、私は学生最後の夏休みを有意義に過ごせたと言えるのかもしれない。

 

兎にも角にも昨日の夕方に日本に到着した私たちは、先ずホテルに一泊して今日の午前中から東風谷さんたちと遊ぶ予定だったのだが、リーゼお嬢様が中城さんも呼んだらどうかと提案してくれたのだ。魔理沙は賛成していたし私もアリスも特に否はないということで、昨日の夜にダメ元でお嬢様が手紙を送った結果……まあ、この通り中城さんが姿を現したというわけである。昨日の今日でよく来られたな。プロのクィディッチプレーヤーというのはそこまで忙しくない職業なんだろうか? 今はシーズン中のはずなのに。

 

あるいは、日本だとシーズンのスケジュールが違うとか? リーゼお嬢様の背後に立って考えている私を他所に、ロビーの椅子に座っているお嬢様は対面の席を指差しながら返事を飛ばした。

 

「やあ、中城。とりあえず座りたまえよ。」

 

「……えーっと、早苗はどこですか? あの子と一緒に遊ぶんですよね? それに、霧雨ちゃんも居ないじゃないですか。」

 

「そう警戒しなくても早苗とは後で合流するよ。ちなみに魔理沙は上の部屋でぐーすか寝ていて、もう一人の同行者は朝食を取っているところだ。そして私の背後に居るのが……ん? 咲夜とも知り合いだったか?」

 

「はい、知ってます。去年会いましたから。……じゃあその、私は早苗が合流するまで外で時間を潰してますね。」

 

私に軽く目礼してから踵を返そうとした中城さんの進路に、ササッと回り込んで席を手で示す。私はリーゼお嬢様から事前に指示を受け取っているのだ。中城さんが逃げようとしたら阻めという指示を。事情はさっぱり分からないけど、お嬢様がやれと言うならやるだけだぞ。

 

「ちょっ、ヴェイユちゃん?」

 

「中城さん、座ってください。」

 

「いやいや、ヴェイユちゃんが座りなよ。そもそも何で立ってたのさ。私は外のカフェとかで待つから平気だって。」

 

「メイドは主人の背後に立っているものなんです。……さあさあ、どうぞどうぞ。」

 

ぐいぐいと手を引いて席に座らせてやると、中城さんは凄く嫌そうな表情でリーゼお嬢様に問いを放った。私の行動がお嬢様の指示によるものだと気付いたらしい。

 

「……バートリさん、何が望みなんですか? 私、こういうのが嫌だったから時間ギリギリに来たんですけど。」

 

「だろうね。そうすると思ったからこそ早めの待ち合わせ時間を指定したんだよ。……悲しいな。私と世間話をするのがそんなに嫌なのかい?」

 

「世間話ならいいですけど、絶対にもっとややこしい話をするつもりじゃないですか。バートリさんって大抵面倒事を運んできますもん。」

 

「おおっと、正解だ。今から私たちがするのは『ややこしい話』だよ。賢いじゃないか、中城。ご褒美に話題の選択権をあげよう。細川派の話題と、マホウトコロの話題。好きな方を選びたまえ。」

 

クスクス微笑みながらどうぞと手のひらを差し出したリーゼお嬢様に、中城さんは渋い顔でポツリと返す。

 

「どっちも嫌なんですけど。」

 

「ちなみに選ばなかった方も後で話すから、どちらが先かというだけのことだよ。気楽に選びたまえ。」

 

「それ、『選んでる』って言えますかね? どっちも話すなら意味ないじゃないですか。……じゃあ、マホウトコロの方で。」

 

深々とため息を吐いてから諦めたように選択した中城さんへと、リーゼお嬢様はピンと人差し指を立てて一つの名前を口にした。……『ややこしい話』か。私、聞いちゃってていいのかな? お嬢様が何も言わないってことは大丈夫なんだろうけど。

 

「細川京介。キミもご存知の通り、マホウトコロで日本史学の教師をやっている男だよ。……彼について知っていることを教えて欲しいんだ。早苗曰く、学生の頃はそこそこ親しくしていたようじゃないか。」

 

「細川先生ですか? まあ、はい。同じ細川派ですし、遠い親戚でもあるので会えば世間話くらいはしましたけど……『親しい』ってほどじゃないですよ?」

 

「それでも知っていることはあるだろう? 政界に太いパイプを持っていたり、他派閥と密に関わっているような人物なのかい?」

 

「政界? いやぁ、そういうタイプの人じゃないと思いますけどね。……正直なところ、『よく分からない人』って印象しかありませんよ。マホウトコロの教職って実は結構狭き門なんです。だから各派閥からマホウトコロ内の派閥の地位向上のために送り込まれたガチガチの派閥主義者か、派閥なんかよりも自分の研究の方が大切だっていう生粋の研究者ってパターンに二極化するんですけど……んー、細川先生はどっちでもありませんね。派閥抗争にあんまり興味がなくて、日本史学の研究に対してもそこまで熱心じゃなかった気がします。一応『竹取問答』の研究では有名な論文を出してますけど、研究者として目立った功績はそのくらいのはずです。」

 

思い出すように腕を組んで放たれた中城さんの言葉を受けて、リーゼお嬢様は小首を傾げながら相槌を打つ。竹取問答か。去年聞いた『竹取物語』に関する研究だな。月のお姫様のやつ。

 

「ふぅん? 何のためにマホウトコロの教師になったのかがいまいち分からんということか。」

 

「普通に『教師』を目指したってケースなのかもしれませんけどね。マホウトコロじゃそっちの方が珍しいんです。……あと、生徒からの人気はありました。若いし顔が良いので女子からの人気はもちろんとして、偉ぶったりしないから男子からもまあまあ好かれてましたよ。贔屓とかも全くしませんでしたし。」

 

「私とした去年の五月時点での会話では、派閥主義の日本魔法界に対する批判めいたことを口にしていたんだが……キミとはそういう話はしなかったのかい?」

 

「あー、愚痴レベルのことをちょこっと口走った程度なら記憶にあります。白木校長に日本魔法界の未来を相談したら、素気無くあしらわれちゃったみたいです。期待外れだった的なことを言ってました。……いやまあ、そこまで直接的な言葉は使いませんでしたけどね。『出来るのにやろうとしないのは残念だ』みたいな感じで。何かこう、割り切れてない感じがあってそこは好きじゃなかったです。自分でやろうとせず、かといって潔く諦めもせず、ただうじうじしてるタイプの人って苦手なんですよ。」

 

うーん、辛辣。細川先生に派閥社会を変えようとする意思はあったわけか。そこはクィディッチトーナメントの時の会話から伝わってきた人物像と一致するな。リーゼお嬢様の背後で話を耳にしながら思考していると、中城さんが最初の質問に会話の焦点を戻した。

 

「何にせよ、『政界との繋がり』みたいなのは無いんじゃないでしょうか? そういう話は聞いたことないですし、イメージ的にも合いませんから。他派閥と特別親しくしていたって印象もありませんね。……っていうか、何で細川先生のことを気にするんですか?」

 

「知りたいのかい?」

 

「……やっぱ言わなくていいです。聞いちゃうと面倒くさいことになりそうですし。」

 

「またしても賢い選択だね。今日は調子が良いじゃないか。……白木に『決起』を促すために、マホウトコロの教員になったというのはどうだ? 考え過ぎだと思うかい?」

 

リーゼお嬢様が送った仮説に、中城さんは微妙な表情で曖昧な返答を返す。信が一で疑が九くらいの顔だ。

 

「有り得なくはないでしょうけど、そのためだけにわざわざ教師になりますかね? そもそもそういう『運動』をしてた記憶はありませんよ?」

 

「ま、ちょっと行き過ぎた推理かもね。……ちなみに細川が教員になったのはいつなんだい? あの若さからするに、そう昔のことではないんだろう?」

 

「えーっと、正式な赴任は五年前くらいですね。早苗が転入してくる前の年に赴任してきました。一応その前から実習生……教師の見習いみたいなものです。としてはマホウトコロに出入りしてたはずです。私が七年生の頃、若くてカッコいい実習生が居るって噂になってましたから。学年が違いすぎるので全然関わりませんでしたけど、私が低学年の段階では学生をやってたんだと思いますよ。91年か92年、あるいは93年卒とかじゃないでしょうか?」

 

年の数え方が『東風谷さん基準』なのはどうかと思うぞ。分かり難いじゃないか。呆れをポーカーフェイスの内側に隠していると、リーゼお嬢様が細川先生に関する話を締めた。

 

「つまり、マホウトコロを期生として卒業した後にほぼストレートで教師になったわけか。パイプを作るために魔法省かどこかに勤めていたわけではないらしいね。……結構、細川京介の話はここまでにしよう。次は細川派についての話だ。」

 

「言っておきますけど、話せないことは話せませんからね?」

 

「この前会った時に話題になった『トラブル』の正体を知りたいんだ。教えてくれたまえ、中城。友達だろう?」

 

「うわ、出た。やっぱり厄介な話題じゃないですか。……私からは何も言えません。諦めてください。」

 

トラブル? 何の話だろう? ぷいと目を逸らして拒絶した中城さんに対して、リーゼお嬢様はご機嫌な笑みで指摘を飛ばす。

 

「『知らない』じゃなくて、『言えない』なのか。要するにキミはトラブルの内容を知ってはいるわけだ。」

 

「……だ、だとしても答えは変わりませんよ? 言えないもんは言えないんです。」

 

「隠されると知りたくなるのが吸血鬼という生き物なんだよ。西内から強引に聞き出すのは角が立つし、ちょうど良い機会だからキミから教えてもらおうと思ってね。……ほらほら、言いたまえ。キミから聞いたって部分は秘密にしておくから。」

 

ちょうど良い機会というか、中城さんを呼ぼうと最初に提案したのはリーゼお嬢様なんだけどな。ニヤニヤと楽しそうに語りかけるお嬢様に、中城さんは苦々しい表情で予防線を張り始めた。

 

「大体、私だってあんまり知らないんです。あの日の帰りにお爺ちゃんからちょこっと聞いた程度なんですから。」

 

「『ちょこっと』でいいよ。別に是が非でも知りたいわけじゃなくて、何か手伝えることがあるなら手伝おうと思っただけさ。細川派は私の大事な窓口だからね。この時期に大きなトラブルを起こされると困るんだ。殊勝な理由だろう?」

 

「絶対嘘じゃないですか、そんなの。何かに利用するつもりなんでしょう?」

 

「どうしてそんなひどいことを言うんだい? 根も葉もない邪推をされるとは思わなかったぞ。……早苗に言い付けてやるからな。中城が私のことをイジめるって。」

 

リーゼお嬢様ったら絶好調だな。中城さんは内心が顔に出やすい人だから楽しいのかもしれない。私でも読み取れるほどだぞ。お嬢様の『脅し』を受けた途端に弱気な面持ちになった中城さんは、葛藤するように目を泳がせながら沈黙した後で……喋っちゃうのか。声を潜めて『トラブル』とやらの内容を口にする。

 

「私から聞いたって絶対に言わないでくださいよ? ……お爺ちゃんによれば、京都の本家に保管してあった『大事なもの』が失くなっちゃったらしくて、誰かに盗まれたんじゃないかって騒ぎになってるんだそうです。」

 

「『大事なもの』?」

 

「あんまり知らないってのは本当なんですよ。だから私も実際に何が失くなったのかは分かりませんし、誰が盗んだのかも見当すら付きませんけど、とにかく大事なものではあるみたいです。じゃなきゃここまでの騒ぎにはなりませんから。」

 

「ふぅん? 『泥棒騒ぎ』ってわけだ。予告状でも送られてきたのかい?」

 

リーゼお嬢様としてはもっと違う方向の『トラブル』を期待していたようで、やや拍子抜けしている顔付きだが……ふむ、何が盗まれたんだろう? 私はちょっと気になるぞ。大きな宝石とか?

 

我ながら貧困な想像力だなと心の中で苦笑していると、中城さんが小さくため息を吐いてからリーゼお嬢様に返事を投げた。

 

「アニメじゃあるまいし、そんなのあるわけないじゃないですか。本当に盗まれたのかどうかも疑わしいところですしね。本家は広いから、どっかに移したのを忘れてるだけかもしれませんよ。最後にその『何か』を確認したのも一年以上前らしいので、盗まれたにしたって実際いつ盗まれたのかは分かんない始末ですし。……まあ、私としては正直大したことない事件だと思ってます。細川派にとっての『お宝』なんてバカ高い掛け軸とか、大昔の錆だらけの名刀とか、どうせそういうのですから。貴重な箒が失くなったなら分かりますけど、派閥全体で『犯人探し』を始めるほどのことだとは思えません。本家の人たちが騒ぎすぎてるだけですって。」

 

「……まあうん、私としても興味のない内容だったよ。期待外れにも程があるね。全然利用できなさそうじゃないか。」

 

「あっ、ほら! やっぱり利用する気だったんじゃないですか!」

 

中城さんがガタリと席を立って糾弾したところで、こちらの方に見慣れた人影が近付いてくる。魔理沙だ。

 

「よう、中城! もう来てたのか。……リーゼ、腹が減ったんだが。起きたらアリスも咲夜もお前も居ないし、ちょっとびっくりしたぞ。部屋に書き置きくらい残しといてくれよ。」

 

「霧雨ちゃん!」

 

魔理沙に呼びかけられてすぐさま駆け寄った中城さんは、彼女を盾にするようなポーズでリーゼお嬢様と自分の間に無理やり移動させた。そんなプロのクィディッチプレーヤーさんの行動に困惑している様子の魔理沙が、お嬢様へと疑わしげな声色で質問を放つ。

 

「……何かしたのか? お前。」

 

「中城が時間を間違えて早く来すぎたから、優しい私が世間話に付き合ってやっていただけだよ。いやはや、世話の焼ける小娘だね。」

 

「霧雨ちゃん、嘘だよ。全部嘘。信じないでね。……もう行っていいですか? バートリさん。」

 

「ああ、もういいよ。魔女っ子、中城を連れて朝食を食べに行きたまえ。アリスも居るはずだから。場所は十七階だそうだ。」

 

ひらひらと手を振りながらのリーゼお嬢様の発言を聞いて、中城さんは魔理沙の手を引いてロビーから離れていった。これ以上余計なことを聞いたり話したりしないように、一刻も早くお嬢様から遠ざかるべきだと判断したようだ。その行動だけは正解だぞ。

 

状況がいまいち呑み込めていない雰囲気の魔理沙と、その手を引っ張っている中城さんの背を眺めつつ、リーゼお嬢様が今度は私に声をかけてくる。

 

「んー、期待していたほどの成果はなかったね。細川京介にしたって大したことは分からなかったし、細川派の『トラブル』の方も期待外れだ。てっきり政治的なものかと思っていたよ。利用できなさそうでちょっと残念かな。」

 

「えっと、今の話をするために中城さんを呼んだんですか?」

 

「いいや、中城が真に役に立つのはこれからだよ。中城が同行する限り、二柱は実体化できないからね。まさか『顕現した神です』と説明するわけにはいかないだろう? 早苗の身の上をよく知っている中城には親戚だの何だのって言い訳も通用しないし、あの小娘を巻き込めば私は邪神どもを相手にしなくて済むわけさ。……この前のフランス旅行であれだけはしゃいだんだから、今回は大人しくしていてもらうよ。」

 

あー、そういうことか。私は神様たちに一度しか会っていないからよく知らないけど、リーゼお嬢様やアリスの話を聞く限りでは随分と厄介な二人組らしいし、可能なら『対策』をするのは当然のことなのだろう。さっきの会話はあくまで『おまけ』であって、中城さんを呼んだ主たる目的はそっちなわけだ。

 

「さすがです、お嬢様。」

 

「うんうん、その通りだ。おまけに早苗の興味も久々に会う中城に向くだろうから、私は更に楽をできるってわけさ。」

 

確かに見事な計画ではあるけど……でも、ちょっとスケールが小さいような気がしないでもないぞ。東風谷さんたちの『我儘』を防ぐために、わざわざ中城さんを呼び出したということか。グリンデルバルドと物凄く大きな計画を進めていたかと思えば、もう片手ではこんなこともしているわけだ。やはりお嬢様は奥が深いな。

 

従者として余計な結論に行き着かないようにあえてプラスに考えつつも、サクヤ・ヴェイユは満足げな主人を見てこれでいいのだと無理やり納得するのだった。

 



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西の門出、東の暗雲

 

 

「おー、快晴じゃんか。門出としては上々の天気だぜ。」

 

九月一日の午前中。今年も生徒や保護者たちで賑わっているプラットフォームを見回しながら、霧雨魔理沙はトランクを片手に笑みを浮かべていた。今頃ジニーは見事入社した予言者新聞社での初日を頑張っていて、ルーナは『ザ・クィブラー』の今月号の売り上げを気にしているのだろう。私も頑張らなければ。

 

つまるところ、今年もホグワーツへと旅立つ日がやってきたわけだ。私と咲夜にとっては最後の学年としての出発の日が。煙突飛行で暖炉から出てきた私に、先に到着していた咲夜が声を返してくる。

 

「クィブラーがどこかで売ってないかしら? 今月号からルーナの記事が載ってるのよね?」

 

「売ってるんじゃないか? リーゼとアリスが来たら探してみようぜ。」

 

やっぱり咲夜もそこが気になるのか。さすがにジニーはまだまだ記事を書かせてもらえないだろうが、ルーナの方は昔から編集長である父親の手伝いをしていただけあって、今月号に一ページだけの記事を担当させてもらったらしいのだ。この前送られてきた手紙に書いてあった報告を思い出しつつ、だったら売り上げに少しでも貢献しないとと考えていると、今度はアリスが緑の炎と共に暖炉に出現した。

 

「二人とも、暖炉の前を塞いじゃダメよ。リーゼ様も今来るわ。……見送りは今回で最後になりそうね。」

 

「まだクリスマス休暇の時があるだろ。」

 

「そうだけど、『見送り』っていうと九月一日のイメージがあるのよ。フランが七年生の時にも同じことを思ったんだけどね。リーゼ様や貴女たちがホグワーツに通うことになったから、また見送れるようになったってわけ。」

 

「あー、そっか。フランドールが学生の頃はまだ咲夜が生まれてなかったもんな。まさかリーゼがホグワーツ生になるだなんて想像できなかっただろうし、見送りはそこで終了だと思ってたわけだ。」

 

当時のアリスの気持ちを想像しながら相槌を打った私に、そこそこ長く生きている人形の魔女どのは最後に暖炉に出現したリーゼを横目に応答してくる。

 

「そういうことね。昔はこんな状況なんて考えもしなかったわ。……リーゼ様はどうですか? これが『最後の見送り』になるわけですけど。」

 

「ん? ……ああ、そういう話をしていたのか。そうだね、中々感慨深いよ。私はパチェ、アリス、フラン、キミたちと色々な世代を見送ってきたからね。」

 

「妹様の時も見送りに来てたんですか?」

 

「姿を消して、だけどね。毎年じゃなかったが、たまにアリスと一緒に見送っていたよ。……まあ、私の場合はハリーたちの子供を見送る機会があるかもしれないから、上手いこといけば『見送り卒業』はまだ先になりそうかな。」

 

うーん、ちょっと羨ましいな。私もハリーたちやジニーやルーナの子供なんかを見送ってみたいぞ。咲夜の質問に答えたリーゼを羨みつつ、四人で暖炉がある場所を離れて歩いていると……おっ、あったあった。新聞や雑誌を売っている移動式のニューススタンドが視界に映る。あそこならクィブラーも売っているはずだ。

 

「よう、クィブラーを三部くれ。」

 

近付いて店員に代金を払った後、『ザ・クィブラー』と書かれた雑誌を三部取って三人の方に戻った。今朝は準備で忙しかった所為で予言者新聞を読み損ねたが、そっちは車内販売でも手に入るから必要ないだろう。ここで買うより車内の方が安いのだ。

 

「買ってきたぜ。」

 

「キミ、何故三冊も買ったんだい?」

 

「私の分と、咲夜の分と、お前らの分だよ。……『保存用』も買うべきだったか?」

 

「文字が書かれた冊子である以上、パチェの図書館にもこの雑誌は存在しているはずだ。『保存用』はそれで充分だと思うよ。」

 

そういやそうだな。知識の『蒐集家』たるノーレッジにとっては、書いてある内容など二の次だろう。間違いなく大図書館の蔵書になっているはずだ。納得しながら咲夜とアリスに一部ずつ渡したところで、リーゼが続けて発言を寄越してくる。

 

「まあ、列車の中でゆっくり読みたまえよ。……何にせよ、今年こそは平穏な年になるはずだ。もはや何度この台詞を言ったか忘れたが、そろそろ実現してもらわないと機会が無くなるからね。穏やかな最終学年にしたまえ。旅立つキミたちに私から言えるのはそれだけさ。」

 

「切実な台詞だな。私だってそうありたいと思ってるけどよ、いつもトラブルの方からやってくるんじゃんか。こっちから近付いてるわけじゃないぜ。」

 

「もう死喰い人は居ないし、誰も指名手配されていないし、夏休み中はどこの魔女もちょっかいをかけてこなかった。珍しく『好スタート』を切ったんだから、何とか平凡な一年に持っていくんだ。私たちの世代の無念を晴らしてくれたまえよ。」

 

「……努力はしてみるぜ。」

 

正直言って、自信はないけどな。やれやれと首を振りながら私が応じると、咲夜もリーゼへと返事を放った。

 

「お嬢様がそう言うのであれば、何とか『普通の学生生活』を目指してみます。」

 

「随分と控え目な願い事だけどな。」

 

私が突っ込んだところで、今度はアリスが声をかけてくる。苦笑しながらだ。

 

「私もまあ、貴女たちが穏やかな生活を送れるように祈っておくわ。咲夜は受けるのであればイモリ試験を頑張りなさい。来年の夏に貴女がホグワーツで学んだ成果を見られる日を楽しみにしておくから。……そして魔理沙は魔女としての技術を磨いておくこと。幻想郷に帰った時、魅魔さんにこの七年間の収穫を誇れるようにね。」

 

「うん、頑張る。楽しみにしておいて。」

 

「おうよ、ついでに学内リーグの優勝も引っ提げて帰ってくるぜ。咲夜と二人で一片の悔いもなく卒業してみせるさ。」

 

「その意気よ、二人とも。……それじゃ、行ってきなさい。」

 

アリスが送り出してくれるのに咲夜と二人で頷いてから、ひらひらと手を振ってくれているリーゼを背に深紅の車両へと足を踏み入れた。……いやはや、一年生の頃にこの列車に初めて乗った時のことを思い出すな。成長したので目線が当時より高くなっているし、六年前ほどにはドキドキしていないが、代わりにこうして懐かしさを感じられるようになったわけだ。

 

来年の今頃はもう、私たちは『ホグワーツの生徒』ではなくなってしまっているのか。……よしよし、最後の学年を余さず楽しんでみせよう。これだけ色々なことを学ばせてもらったんだから、それがホグワーツに対する生徒としての礼儀ってもんだぜ。

 

あの頃とは少し違った形の『期待』を胸に抱きながら、霧雨魔理沙は親友と一緒に車両の通路を歩くのだった。

 

 

─────

 

 

「──ですから、当時の日本魔法界は欧米列強の力をよく知っていたんです。この頃既にマホウトコロとイルヴァーモーニーの交流は始まっていましたし、ホグワーツやボーバトンとも共同研究を行っていましたから。そんな魔法界側の認識が明治維新に大きな影響を及ぼすことになるわけですね。……次のページに進みますよ、夏野君。頑張ってあと少しだけ目を開けておいてください。クィディッチの練習で疲れているのは分かりますけど、ここは間違いなく期末テストに出ますから。」

 

細川先生の冗談めかした注意に教室中の生徒たちがクスクス笑うのを聞き流しつつ、東風谷早苗は秋の陽気が誘う欠伸を噛み殺していた。あー、眠い。昨日夜更かしし過ぎちゃったな。

 

たっぷり楽しんだ夏休みが終了し、また授業の日々が戻ってきた九月の上旬。まだまだ過ごし易い気温のマホウトコロの領内で、私は眠気との激闘を繰り広げているのだ。ちなみに新たな学期に入ってからの戦績は全敗かつ、今日は午前中にも一度敗北している。そろそろ勝たないと成績がマズいことになっちゃうぞ。

 

まあうん、別に大丈夫といえば大丈夫かな。今の私は期生になる方向で気持ちを固めつつあるけど、その期生では日本史学を取らない予定なのだ。だったら期末の成績がボロボロでも特に問題ないだろう。重要なのは期生で専攻する予定の符学と植物学と天文学だし、何なら符学だけでも構わない。だから万が一負けちゃっても大きくは響かないはず。

 

心の中で言い訳をしながらうとうとしていると、細川先生の呪文のような声が耳に入ってきた。催眠術みたいだ。どんどん眠くなってくるぞ。

 

「ということで、ここから明治維新に関わる内容に入っていきます。大前提として魔法界側の騒動は開国するか否かではなく、開国を前提とした幕政改革や王政復古の是非、諸外国に対する姿勢を問うものであったと覚えておいてください。当時の日本魔法界は開国が確実に訪れる出来事だと認識していたわけです。」

 

細川先生の声と、チョークが黒板を叩くカツカツという音。ダメだ、眠気が更に加速したぞ。これはもう負けだな。諦めて白旗を上げよう。そう思って目蓋を閉じるのに任せようとしたところで──

 

「えー……それでは、ここからは明治維新に関係する部分に入っていきますね。詳細に入る前に大前提を覚えておいてください。魔法界側は欧米諸国の実情をある程度把握していたので、基本的に開国するという路線は決定していました。よって魔法界で問題になったのは幕政改革や王政復古の是非、他国への姿勢などの国内における改革の内容となります。」

 

んん? 同じ内容を喋っていないか? 違和感の所為で眠気が遠ざかるのを自覚しつつ、ふと顔を上げて周囲を確認してみれば……他の生徒たちも少し騒ついているな。私が寝ぼけているわけではないらしい。

 

そんな生徒たちのことを気にすることなく、細川先生は朗らかな表情で授業を続ける。私が知るものと何一つ変わらない、彼らしい柔和な笑顔だ。

 

「では、ここからは明治維新の出来事に入っていきましょうか。細かな部分を説明する前に前提を話しておきますね。先程言ったように魔法界側は欧米諸国の事情を非魔法界側よりも詳しく把握していたので、遠からず開国するであろうことは分かっていたんです。なので開国をするかしないかではなく、当時それに関係していた幕政改革や王政復古の是非を──」

 

「あの、細川先生? そこはさっき話しましたけど……。」

 

何か、変だぞ。壊れたラジオのように同じことを何度も説明する細川先生に、女生徒の一人がおずおずと指摘を送った。どう見てもふざけている感じではないし、口調そのものはハキハキしている。一体どうしちゃったんだ?

 

「……っと、そうでしたか? すみません、少しぼんやりしていたようです。今日は暖かいので油断していたのかもしれませんね。」

 

「頼むよ、先生。びっくりしたじゃんか。」

 

「いや、本当にすみません。授業を再開します。これで皆さんのテストの成績が悪くなったら教頭先生から怒られちゃいますね。」

 

むう、生徒への反応は普通だな。さっき自分が注意した男子生徒に茶々を入れられた細川先生は、申し訳なさそうに苦笑しながら黒板に向き直った。『正常』な反応に教室中の生徒たちがホッとしたところで、細川先生はようやく次の内容に──

 

「では、えー……そうですね、ここからは開国の明治維新に入っていきます。前提を話す前に詳細を説明させてください。当時の欧米諸国は日本魔法界の実情を改革していました。ですので、問題の焦点になったのは王政復古に関係していた開国の是非ではありません。非魔法界側は──」

 

これは、絶対におかしいぞ。言葉をぐちゃぐちゃに入れ替えたような説明を語り出した細川先生を見て生徒たちが凍り付き、突っ込みを入れた男子生徒から笑みが掻き消えたのを他所に、四度目の『説明』をし終えた先生は手に持っている教科書をちらりと確認した後……再び同じ内容を支離滅裂な言い方で口にする。既に『明治維新』と書いてある黒板に同じ文字を二重に書きつつ、どこまでも普通の笑顔でだ。

 

「それでは、ここから欧米諸国に関する認識に入っていきますね。先ずは開国を説明しておきます。魔法界側は幕政改革と違って──」

 

もはや誰も口を挟まないし、眠そうにしている生徒など一人も居ない。ただただ不気味な空気が教室を包む中、私にだけ聞こえる声で諏訪子様が話しかけてきた。

 

『ちょっとちょっと、どうしちゃったのさ。何これ? 細川のやつ、何してんの?』

 

『校医を呼ぶべきじゃないか? 明らかに様子がおかしいぞ。……ほら、六度目に入った。』

 

神奈子様が怪訝そうに応じたのと同時に、女子生徒の一人がかなり言い辛そうに言葉を飛ばす。さっきも注意していた子だ。確か桐寮生の、責任感が強そうなタイプの子。

 

「えっと、細川先生? そこは何度も説明してもらいました。だからその、今ので六度目です。内容もちょっと、何て言うか……おかしいですし、黒板の文字も重なりすぎて読めなくなってます。」

 

「そうでしたか? いや、少しぼんやりしていたようですね。今日は暖かいので油断していたのかもしれません。」

 

「……はい。」

 

「それでは、ここからは前提の日本魔法界になります。先に王政復古を話しておきますね。開国は──」

 

多分、教室の全員がゾッとしているんだろうな。もう違和感どころじゃなく、単純に怖くなってきたぞ。チョークで何度も何度も同じことを同じ場所に書きながら、『支離滅裂な繰り返し』を一向にやめようとしない細川先生を目にして、あまりの不気味さに遂に誰も注意できなくなったところで……二度の指摘を送った女子生徒が周囲の生徒と小声で相談し始める。他の先生を呼ぼうかと話しているらしい。

 

絶対に呼ぶべきだ。校内における『地位』が低い私は話に参加できないけど、このまま誰も行動しないなら動くべきかもしれない。だって、テレビの医療番組でああいうのをやっていた覚えがあるぞ。全然知識がない私には何とも言えないものの、急性の脳の病気とかって可能性もあるだろう。

 

不安げな面持ちで相談している生徒たちを背に、八度目の無茶苦茶な説明を始めた細川先生を見てもう我慢できないと立ち上がろうとした瞬間──

 

「わっ。」

 

今度は何だ? 急に地面がガタガタと揺れたかと思えば、窓ガラスの一つが外れて『上に』落ちていく。ここは反転している教室だから、今の揺れの所為で屋外に落ちちゃったんだろう。

 

だけど、何の揺れなんだろうか? マホウトコロは土台が地面に接していないので、地震ということは基本的に有り得ないはず。揺れの影響で転がって机から落ちかけたシャーペンを咄嗟にキャッチしつつ、非魔法界の学校での経験から机の下に避難すべきかと迷っていると……おお、収まったな。『ガタガタ』がピタリと停止した。徐々に大きくなったり小さくなったりじゃなくて、いきなり揺れ始めていきなり収まった感じだ。

 

「……何でしょうね?」

 

今の『事件』についてざわざわと話し合っている生徒たちを尻目に、お二方にこっそり囁き声で問いかけてみれば、諏訪子様と神奈子様も疑問げな声色で応答してくる。

 

『マホウトコロが揺れるってのは初めてだね。どっかの研究室で爆発があったとか?』

 

『何故真っ先に爆発を疑うんだ、お前は。……短いながらも継続的に揺れていたし、一度の衝撃でどうこうではないのだろう。校舎全体に影響する何かがあったんじゃないか?』

 

『敷地にかかってる魔法のトラブルとか?』

 

『そういうことなんだと思うぞ。それ以外には原因が思い浮かばん。』

 

お二方の問答を耳にしながら、海燕たちがびっくりしていないだろうかと心配になってきたところで……細川先生がパンパンと手を叩いて生徒たちに声をかけた。

 

「皆さん、落ち着いてください。……何があったのかを調べてきますから、ここで静かに待機しているように。すぐ戻ります。」

 

うーん、この対処は至極まともだ。さっきの『異常』なんて微塵も感じられないぞ。言うや否や教室から出て行った細川先生を見送りつつ、かっくり首を傾げて疑問を呟く。謎の揺れも当然気になるけど、私としては細川先生の『繰り返し』の方が問題に思えるな。

 

「細川先生、大丈夫なんでしょうか?」

 

『どう考えても大丈夫ではないでしょ。あっちの女の子たちが他の教師に相談に行くつもりらしいよ。……まあ、ちょーっとマズい感じではあったよね。さすがの私も薄気味悪かったかな。』

 

『強引にでも病院で検査させるべきだと思うぞ、私は。自覚が無いのが一番危ないんだ。それは長年人間を見てきた経験からよく知っている。』

 

神奈子様の意見に尤もだと首肯してから、窓の外の逆さまの景色を見つつ考える。細川先生はともかくとして、ここから見える領地には何の異常も見当たらないな。『濯ぎ橋』はいつも通りに鎮座しているし、湖面にも特におかしなところは見受けられない。ちょっと波がある程度だ。やっぱり魔法の誤作動なのか?

 

明らかな異常を見せた細川先生と、マホウトコロを襲った謎の揺れ。何だか良くない予感を覚えつつ、東風谷早苗は騒めく教室の中で小さく息を吐くのだった。

 



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死亡記事

 

 

「……ふぅん?」

 

魔法経済庁の長官が急死? イギリス魔法省の国際魔法協力部で日本魔法界の新聞を読んでいたアンネリーゼ・バートリは、聞き覚えのある人物の死亡記事に小首を傾げていた。確か対策委員会の要請を受けるか否かの決議の際、いきなり細川派側に味方してきたヤツだよな? おいおい、キナ臭いじゃないか。

 

咲夜と魔理沙が七年生としてホグワーツに旅立ってから二週間が経過した今日、私は日本魔法界の情報を仕入れるために協力部を訪れているのだ。イギリス国内の事情は予言者新聞を読めば大体把握できるが、遠く離れた日本の新聞は人形店に居ては手に入らない。しかしそのためだけにいちいち日本に出向くのはさすがに面倒だということで、各国の新聞が集まるイギリス魔法省の外交機関に読みに来ているわけである。

 

うーむ、記事では一応『病死』となっているようだが……気になるな。口止めか制裁で殺されたと考えてしまうのは、私の思考が物騒だからか? ちなみに前者なら犯人は細川派だろうし、後者なら藤原派だろう。この長官は藤原派の重鎮という立場で細川派に利を齎したのだから。

 

とはいえ、細川派がそこまで危険な橋を渡るとは思えない。こんなもんリスクとリターンが見合っていないし、この前西内邸で話を聞いた時の西内陽司の怪訝そうな態度は本心からのものに感じられたぞ。

 

対策委員会の要請を通すために他派閥の重鎮を脅し、その後口止めとして殺したとか? いやいや、幾ら何でも有り得ないな。細川政重はそれなりに重視していたようだが、細川派全体としてはそんな危険を冒してまで非魔法界対策の実権を握りたいとは考えていないだろう。『手に入れるためにちょっとは頑張ってみるか』くらいの認識のはずだ。どう控え目に見積もっても長官クラスを殺すのは『ちょっと』の範疇ではあるまい。

 

そうなってくると残るのは藤原派の『裏切りへの制裁』という可能性だが……んー、そっちもピンと来ないな。細川派がそうであるように、藤原派にとっても非魔法界対策の利権は身内の重鎮を殺すほど重要ではないはず。派閥への裏切り行為と見て叱責や降格くらいはギリギリ有り得るものの、まさか殺しはしないだろう。戦時じゃあるまいし、そこまで物騒な対処なんてそうそうしないはずだ。

 

じゃあ、やっぱり単なる病死か? 記事を読む限りでは急性の脳の病気で死亡したらしいが、死の数日前から少しおかしな発言が目立っていたようだ。周囲の促しで一度病院で検査を受けたが異常が見つからず、そのまま自宅療養に入った翌々日に書斎で倒れているところを家族が発見したんだとか。僅か三十分前には普通に話していたとも書いてあるな。

 

まあ、そこまで妙な経緯ではない……のか? 吸血鬼は大抵の病気とは無縁だからよく分からんな。協力部の隅のデスクを借りて新聞を読みながら考えていると、カタリと私の目の前にマグカップが置かれた。紅茶が入っているようだ。

 

「はい、リーゼ。手が空いたから淹れてきたわ。インスタントだからサクヤが淹れるやつとは大違いでしょうけど。」

 

「おや、ありがたいね。書類の整理は終わったのかい?」

 

「ええ、終わりよ。ブリックスさんにチェックしてもらって、問題がなかったらお昼休みに入っていいそうだから、ロンやハリーと一緒にご飯を食べに行きましょ。」

 

「向こうがすんなり昼休みに入れるかどうかが問題だね。」

 

当然ながら、紅茶を持ってきてくれたのはハーマイオニーだ。さすがの彼女でも去年の今頃は業務に慣れるのに忙しかったようだが、一年経った今はもう落ち着いているな。協力部での職務は見事ハーマイオニーの『日常』に組み込まれたらしい。

 

スーツ姿に違和感がなくなってきたことを喜んでいると、ハーマイオニーが自分のマグカップから紅茶を飲みつつ問いを寄越してくる。

 

「日本で事件でもあったの? 何か考えてたみたいだけど。」

 

「魔法経済庁の長官が急死したらしくてね。覚えのある人物だから少し気になったんだ。」

 

「魔法経済庁の長官っていうと、日本魔法界の金融担当のトップよね? 知り合いなの?」

 

「いや、知り合いってほどではないよ。日本魔法界には三派閥があるって前に話しただろう? この長官は私が協力している派閥と敵対している派閥の重鎮なんだが、ゲラートの要請を受けるか否かの決議では何故かこっちに味方してきてね。だから吸血鬼らしく、何か裏があるんじゃないかと勘繰っていたわけさ。」

 

噛み砕いた説明を送ってやれば、ハーマイオニーは腕を組んで悩みながら相槌を打ってきた。

 

「立場としては敵なのに味方してきたってこと? ……単純に派閥に囚われないで非魔法界対策を進めたかったとかじゃなくて?」

 

「現状だと細川派……私が協力している派閥だよ。の方が非魔法界対策を上手く進められると断定までは出来ないし、何より『派閥に囚われない』ってのが日本魔法界じゃ有り得ないことだからね。この長官は結構奇妙な動きをしたんだ。それが急死したとなれば邪推もしちゃうさ。」

 

「まさかとは思うけど、殺されたってわけじゃないわよね? 日本魔法界はそんなに物騒じゃないイメージだったんだけど。」

 

「実際そこまで苛烈な手を打てるようなお国柄じゃないし、無いとは思うんだけどね。タイミングがちょっと引っかかるんだ。……まあ、多分私の考えすぎかな。偶然時期が重なっただけって可能性の方が遥かに高いだろうさ。」

 

十中八九細川派は関係ないと私も思っているし、藤原派でもない気がするぞ。そもこの長官を『ひっくり返した』のが細川派であるということすら怪しいのだ。その二つの線はとりあえず無視しちゃっていいだろう。

 

まさか、細川京介が関わっちゃいないよな? 長官を翻意させたのが細川派ではないのであれば、もしかしたら細川京介がやったのかもと考えていたわけだが……一介の教師だぞ、あの男は。動機も希薄だし、やっていることが大規模すぎる。転ばせたことはともかくとして、長官を殺すなんてのはやるやらない以前に出来なさそうだ。

 

まあうん、細川京介とは今度会う予定だから、その時にでも鎌をかけてみるか。思考を回しつつ新聞の薄いページを捲ると、見知った人物の写真が目に入ってきた。マホウトコロの校長のシラキだ。

 

「あら、サクラ・シラキ校長ね。マホウトコロの記事? 何て書いてあるの?」

 

紙面を覗き込んでくるハーマイオニーに、写真の隣の日本語の記事を読みながら返事を投げる。

 

「先日マホウトコロの領地の魔法に不具合が生じたんだそうだ。シラキがその説明を報道陣の前でしたらしいね。」

 

「不具合?」

 

「領地を反転させている魔法が一部分だけ停止しちゃったみたいだよ。他の部分が健在だったから大事には至らなかったものの、もし複数箇所で同じことが起きていたら校舎が『沈んでいた』かもしれないと書いてあるね。」

 

「そこそこ大事件じゃないの。そりゃあ長官の死も大事件なんでしょうけど、どうして二面なのかしら?」

 

そういえばそうだな。怪訝に思って読み進めてみると、その理由が書かれてある部分が見えてきた。

 

「ああ、これが一回目の報道ではないらしいね。不具合が起きたの自体は数日前で、既に書面での説明はされていたみたいだよ。今回は改めての記者会見だったから二面なんじゃないかな。」

 

「なるほどね、そういうこと。……生徒の保護者たちは不安でしょうね。『沈む』っていう表現がいまいち分からないけど、安全じゃないことはひしひしと伝わってくるわ。」

 

「つまりだね、マホウトコロはこう……そこそこの厚さの湖面を境に逆さまになっているんだよ。反対側から重石を沈めることでその荷重を基礎にしているから、仮に魔法が解けちゃうと──」

 

ん? どうなるんだろうか? 横にした手のひらを湖面に見立てて解説している途中で、段々分からなくなってきた私を見て、ハーマイオニーが言葉を引き継いでくる。

 

「えっと、先ず校舎は真っ逆さまに落下するわよね? だからその、湖の底に。」

 

「あー、そうだね。おまけに大量の水がその上から降ってくることになるわけか。……ん、記事にも書いてあるよ。万が一反転魔法が完全に停止してしまった場合、湖の水位が低くなるから海の水まで流れ込んできて校舎は水底に沈むことになるそうだ。ちなみにそれ以前に校舎が湖の底面に叩き付けられた時の衝撃で、生徒の大部分は死亡するだろうとも書かれているね。結構広い空洞だったし、然もありなんってところかな。」

 

「……改めて考えると物凄く危険な立地じゃない? 素直に孤島の地面の上に建てるんじゃダメだったのかしら?」

 

「マホウトコロの建設者たちは、ホグワーツの創始者たちほど賢くなかったってことだろうさ。変にカッコつけようとするからこういうことになるんだよ。」

 

これは吸血鬼でも死ぬかもしれんな。落下はどうにでもなるが、その後に膨大な量の水が流れ込んでくるのが問題だ。下手をすると泡頭呪文とかを使える魔法使いよりもリスクが高いかもしれない。……まあ、姿あらわしなり何なりで逃げる程度の猶予はあるか。にしたって考えていたら訪問するのが嫌になってきたぞ。カンファレンスの件を話すために出向かなきゃいけないのに。

 

シラキは会見で『既に反転魔法の修復は済んでおり、更なる安全のために改良していく予定だ』というようなことを語ったらしいが、一度植え付けられた疑念はそうそう晴れまい。マホウトコロには試練の時が訪れたようだ。

 

何にせよ今回は軽傷者すら出なかったようだし、となれば早苗も無事だろう。今度会った時にでも話を聞いてみるかとページを捲ったところで、ハーマイオニーの上司であるロビン・ブリックスがおずおずと話しかけてきた。

 

「これはどうも、バートリ女史。……グレンジャーさん、書類はいつも通り何の問題もありませんでした。お昼休みに入ってください。」

 

「了解です、ブリックスさん。」

 

「やあ、ブリックス君。仕事は順調かい?」

 

「はい、お陰様で順調です。グレンジャーさんがどんどん処理してくれるので、机が書類に占領されることがなくなりました。」

 

それは『順調』ではなく普通の状態だろうし、ハーマイオニーが優秀なだけじゃないのか? ……まあいいさ。ハーマイオニーの発言からするに悪い上司ではないようだから、私としては特に文句はないぞ。自分がキビキビと率先するって人物ではなく、『部下を上手く使える』ってタイプなのかもしれない。現闇祓い局長のガウェイン・ロバーズと似通ったものを感じるな。強いリーダーシップで牽引するスクリムジョールやクラウチ・シニアなんかとはまた違う『上司』の在り方だ。

 

「それじゃ、私たちは失礼するよ。また読みに来るから、日本の新聞はきちんと取っておいてくれたまえ。」

 

「分かりました、極東の担当者に伝えておきます。」

 

気弱そうな笑みで何度も頷いてくるブリックスを背に、地下五階の廊下に出てハーマイオニーと二人で歩き出す。とりあえずは二階の闇祓い局に行ってみるか。ロンは大丈夫だろうから、新人のハリーが纏まった昼休みを確保できるかどうかだな。

 

「そういえば、非魔法界対策の新設部署は結局どうなったんだい? もう少ししたらパーシーがそっちに移るんだろう?」

 

昼時ということで平時よりも通行者が多い廊下を進みつつ尋ねてみると、ハーマイオニーは窓を清掃中のしもべ妖精に一声かけてから応じてきた。あまり話題には出さなくなったが、『スピュー』の活動を完全に諦めたわけではないようだ。

 

「いつも掃除してくれてありがとうね。……紆余曲折あった末、最終的には大臣室の下に置かれることになったわ。順当な結果ってわけよ。」

 

「『新フロア』はさすがに無理だったか。」

 

「まあ、最後はボーンズ大臣が譲るって感じで終わったらしいわ。だけど新フロア云々が目立ったからそう見えてるだけで、それ以外の部分はほぼボーンズ大臣の構想のままよ。新設部署にしては予算が潤沢だし、オフィスも良い部屋を確保したみたい。」

 

「……それもボーンズの作戦の内ってことかい?」

 

エレベーターを目指しながら聞いてみれば、ハーマイオニーは苦笑いで軽く首肯してくる。なんとまあ、大したもんだな。

 

「私の予想では、だけどね。新フロア増設の件を強引に推すことで非魔法界問題への注目度を上げて、かつそれに注目させることで他の条件を通し易くしたってことじゃない? ……よくよく考えてみると、ボーンズ大臣って政治家としてはスカーレットさんの『弟子』なのよね。もし私の予想通りなんだとすれば、非常にスカーレットさんらしい搦め手だと言えるのかも。」

 

「レミィの弟子ね。ま、一つの物事を骨の髄まで活用しようとするのは確かにレミィっぽいかな。……となるとスクリムジョールは弟弟子ってところか? イギリス魔法省がレミィの門弟たちに支配されちゃってるじゃないか。」

 

「それは今更よ。今のイギリス魔法省は親スカーレット派が超多数派なんだから。……というかまあ、ヨーロッパ規模でそうなんじゃない? 全然勢いが衰えないわよね。」

 

「ゲラート風に言うと、レミィが築いた『城』は未だ健在だってことなんだろうさ。あの吸血鬼のしぶとさだけは私も認めているし、政治にもその色が出たんじゃないかな。」

 

ヨーロッパはまだまだ『紅のマドモアゼル』の手中らしい。いつになったら変わるのやら。……一世紀もの期間『現役』の政治的指導者であり続けた前例が存在しない以上、予想するのは難しそうだな。しかもレミリアの場合は死亡や老いによる退任ではなく、自らの意思による『電撃引退』だ。他所から見ればいつ戻ってくるか分かったものじゃないだろう。こんなもん特殊なケースすぎて予測が出来ないぞ。

 

いやはや、レミリアも中々面白い『前例』を残していったじゃないか。エレベーターに乗り込みつつ口の端を吊り上げていると、ハーマイオニーが二階のボタンを押して問いを放ってきた。

 

「非魔法界対策部署のことが気になるなら、パーシーやアーサーさんも誘ってみる? 私より知ってると思うわよ。」

 

「そうしてみようか。となるとここの食堂じゃ味気無いね。ロンドンに出てみるかい?」

 

「いいわね、それでいきましょう。」

 

兎にも角にも、今はランチを楽しむことにするか。気を張り続けていても良いことはあるまい。エレベーターが上昇する感覚に身を委ねながら、アンネリーゼ・バートリは何を食べるかに思考を移すのだった。

 



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うさぎ人間

 

 

「しっかしまあ、何も起きないな。こうなってくるとむしろ不気味だぜ。」

 

午後の日差しが窓から差し込んでくる、昼食後のホグワーツ城の大広間。手元の木の棒を箒作り用の工具で弄りながら話しかけてくる魔理沙に、サクヤ・ヴェイユはこっくり頷きを返していた。確かに不気味だな。九月も後半に入ったというのに未だトラブルの気配が皆無だ。どういうことなんだろう?

 

先ず、今年は『怪しい新任教師』が居ない。マクゴナガル先生はチェストボーンの一件を経て新任教師で妥協することをやめたようで、歓迎会にて今学期も自分が変身術の担当を兼任することを宣言したのだ。加えてアズカバンの看守や『ェヘン、ェヘン』みたいな外部からの人間も城に入ってこなかったから、お馴染みだった『新参者関係』のトラブルが発生する確率はゼロに近いと言えるだろう。

 

次に、今年は大きなイベントが無い。三大魔法学校対抗試合も、クィディッチトーナメントも、ついでに言えば魔法戦争も無しだ。歓迎会の時の帽子の歌は当たり障りのないものだったし、マクゴナガル先生も特殊な発表はしなかったので……むう、やっぱり『常ならぬ普通』っぷりだな。ごくごく平穏に学期が始まっちゃったぞ。

 

何かの罠かと疑っていると、向かい側の席で魔理沙の作業を興味深そうに眺めているリヴィングストンが口を開く。彼女は午後最初がちょうど空きコマだったようで、魔理沙の作業を見学しているのだ。

 

「えっと、二人は何かが起きて欲しいんですか?」

 

「そういうわけじゃないけどよ、これまでの七年間は絶対に何かがあったから……こう、腑に落ちない気分になるんだよ。」

 

「一年生の時はアズカバンの看守と吸魂鬼の大群に襲われて、二年生は三大魔法学校対抗試合と第二次魔法戦争の勃発、三年生ではホグワーツの戦いがあって、四年生は魔法戦争の終結、五年生ではクィディッチトーナメントと……まあ、『身内のトラブル』があったし、去年もちょっとした事件に巻き込まれたの。だったら七年生にも何かがあるはずなのよ。」

 

「……どうしてそんなことになってるんですか?」

 

そんなの私にだって分からないぞ。呆れの色を強めながら首を傾げてくるリヴィングストンに、加工中の棒を様々な角度からチェックしている魔理沙が返事を送る。

 

「疑問に思ったら負けなのさ。……ちなみに私たちが入学する前の年は、バジリスクが生徒を殺しまくろうとしてたみたいだぜ。その前はヴォルデモートと頭を『シェア』してた死喰い人がハリーを殺そうとしたらしいしな。」

 

「へ? 頭をシェア? ……あの、よく意味が分からないんですけど。」

 

「そこは私にだってよく分からんぜ。何にせよ、八年連続で訳の分からん事件が続いてたってことさ。いきなりストップされるとそれはそれで気味が悪いんだよ。」

 

肩を竦めながら言う魔理沙を見て、リヴィングストンが何とも言えない表情になったところで……そもそも何を作っているんだ? 見習い箒作りどのは木の棒に杖を当ててブツブツ呟き始めた。

 

「さっきから思ってたんだけど、それって何なの? 箒の柄にしては小さすぎるわよね? それだと庭小人だって乗れないと思うわよ?」

 

「先ずミニチュアの箒を作ってちゃんと飛ぶかを試すんだよ。こうして飛行のための魔法をかけて、ぶん投げてやれば──」

 

棒に専用の魔法をかけ終えたらしい魔理沙が、得意げな面持ちで木の棒を軽く放り投げると……あー、マズいんじゃないか? ロケット花火みたいに空中で急加速した棒が窓に突っ込んでいく。最初に実験してみたのは賢明だったらしいな。実際に乗っていたら間違いなく投げ出されていただろう。

 

「はい、今学期初の罰則ね。おめでとう、魔理沙。」

 

大広間の窓の一つを突き破って外の世界へと旅立っていった棒を見送りつつ、頭を抱えている魔理沙の肩をポンと叩いた。まあうん、成功っちゃ成功なんじゃないか? 通常の棒では絶対に有り得ない動きだったし。

 

「……最悪だぜ。思ってたよりもずっと繊細な調整が必要みたいだ。呪文に関してはフリットウィックに相談した方がいいかもな。」

 

「だけど、凄い加速性能でしたね。ビュンってなってましたよ? ビュンって。……あの加速と同時にブラッジャーを打ったら効果的な気がします。」

 

うーむ、相変わらずリヴィングストンは『クィディッチ馬鹿』だな。今の暴走を見て利用することを考えるとは思わなかったぞ。普通は『実際に乗っていたら危なかったな』と考えるべき場面じゃないか? それでいいのかと微妙な気分になっている私を他所に、魔理沙が立ち上がってそそくさと窓を修復し始める。

 

レパロ(直れ)。あー……みんな、今起きたことは気にしないで欲しい。この通り窓はきちんと直ったから、日々の業務で忙しいであろう教師たちに報告する必要は一切無いぜ。引き続き平穏な午後を楽しんでくれ。以上だ。」

 

窓を直してから自習やお喋りをしている生徒たちに演説をかました魔理沙は、何事もなかったかのように席に戻って新たな木の棒を彫刻刀に似た工具で削り出すが……太々しいヤツだな。さすがに七年生ともなるとこの程度では動揺しないらしい。

 

「あのね、監督生たる私が一番近くで目撃してたんだけど?」

 

「私は友人を信じるぜ。誇り高きバートリ家のメイド見習いは、友を密告したりはしないはずだ。」

 

「まあ、別にいいけどね。どうせすぐに伝わるでしょうから。」

 

それがホグワーツってもんだぞ。私がやれやれと首を振って応じたところで、リヴィングストンが机の上に転がっている工具を手に取りながら話題を変えてきた。やはりクィディッチプレーヤーというのは箒作りに興味を持つようだ。

 

「そういえばマリサ、チェイサーを入れるかシーカーを入れるかは決めましたか? そろそろ探し始めないとですよね?」

 

「ん、決めたぜ。補充するのはチェイサーだ。今シーズンは私が通しでシーカーをやることにする。」

 

「マリサがシーカーをやってくれるのは頼もしいんですけど……そうなると、きちんとした戦力になりそうなチェイサーはユーインだけですね。新人に期待しすぎるわけにはいきませんし。」

 

リヴィングストンの認識だと、ソーンヒルは『きちんとしていない』わけか。幸いにもと言っていいのかは分からないが、魔理沙がキャプテンに就任したグリフィンドール代表チームは現在六名もの選手を保有している。シーカーが七年生の魔理沙で、五年生のニール・タッカーと四年生のリヴィングストンがビーター、これまた五年生男子コンビのユーイン・ピンターとパスカル・ソーンヒルがチェイサーで、三年生女子のマドンナ・オリバンダーがキーパーだ。

 

七年生一人、五年生三人、四年生と三年生が一人ずつという世代のバラけ方はそう悪くないけど、やっぱりメンバーはもう少し増やした方がいいんじゃないか? 来年のことまで考えるなら、一人じゃなくて何人か補充した方がいいと思うぞ。勉強のために教科書を取り出しつつ思考していると、魔理沙がリヴィングストンに応答を飛ばす。苦笑しながらだ。

 

「パスカルも頑張ってるんだし、そろそろ認めてやれよ。あいつ、ヘコんでたぞ。アレシアが未だに冷たいって。」

 

「当たり前です。クィディッチの練習をしてる時に、何の意味もない話をしてくるんですよ? やっぱり髪は長い方が似合うだとか、よく着けるアクセサリーは何かとか……信じられません。練習の時間は有限なのに。」

 

……それって、ひょっとして好意を持たれているんじゃないだろうか? 正直なところ、四年生になったリヴィングストンは学校内でも有数の美人に育っている。アーモンド色の髪はミディアムくらいまで伸びているし、体付きも女性らしくなってきた。だからまあ、異性から好意を寄せられてもおかしくない見た目ではあると思うぞ。

 

同じ結論に至ったらしい魔理沙と顔を見合わせている間にも、ぷんすか怒っているリヴィングストンの文句は続いていく。

 

「しかも、ニールとかユーインも最近は似たようなことを言ってくるんです。真面目なのはマリサとオリバンダーだけですよ。許せません。先輩方が築き上げてきた連勝記録を守らないといけないのに、練習中に無駄話だなんて……寮の代表って自覚が足りてないんです! 自覚が!」

 

「おいおい、落ち着けって。……みんなから言われてるのか? ニールとユーインからは具体的にどんなことを話しかけられたんだ?」

 

「次のホグズミード行きの時の予定とか、クリスマスはどうするのかとか、服の好みとかを聞かれました。そんなのどうでも良いじゃないですか。クィディッチの方がよっぽど大事なのに。」

 

ムスッとしているリヴィングストンを前に、魔理沙と二人で苦笑いを交わした。これは推理が当たっていると見て間違いなさそうだ。鈍い私でも分かっちゃうぞ。……でも、肝心のリヴィングストン本人がこれだと進展しなさそうだな。この子にとっては恋よりもクィディッチの方が魅力的なのだろう。

 

私がグリフィンドールチームの男子三人に同情の念を送ったところで、魔理沙がポリポリと頭を掻きながら相槌を打つ。当たり障りのないやつをだ。新キャプテンどのはチーム内の恋愛事情に深く関わるべきではないと判断したらしい。

 

「まあ、今はまだ本格的な練習に入ってないからな。新メンバーと戦術が決まったらみんな集中し始めるだろ、多分。」

 

「じゃあ、早く決めてください。……私は家だと箒に乗れないので、夏休み中はずっとうずうずしてたんです。箒に乗れる時間を一秒も無駄にしたくありません。」

 

「分かった分かった。今年は時間に余裕があるし、早いうちに新メンバーについては考えておくさ。今月末とかに試験をやってみよう。」

 

現状だと魔理沙はあまり『キャプテンの怨念』に影響されていないようだが、リヴィングストンがキャプテンになる年は大変だろうな。ウッド先輩以上の熱血指導をやりそうだ。……もしかすると、こういう生徒が将来プロのプレーヤーになるのかもしれない。リヴィングストンは才能があるし努力も惜しまない性格っぽいから、実際になったとしても驚かないぞ。

 

一年生の頃からは考えられない押しの強さで、魔理沙に意見しているリヴィングストン。著しく成長した後輩を眺めつつ、サクヤ・ヴェイユは時の流れというものを実感するのだった。

 

 

─────

 

 

「キミはどう思う? 私はもうマホウトコロでいいんじゃないかと思えてきたんだが。」

 

人形店の一階の作業場で話しかけてくるリーゼ様に対して、アリス・マーガトロイドは人形作りを進めながら応答していた。耳のバランスがちょっとおかしい気がするな。もっと長くした方が良いかもしれない。

 

「私も条件的にはマホウトコロが適していると思いますけど、あの場所での非魔法界関係の『カンファレンス』は二度目ですからね。同じ場所で似たようなことをするのは何となく……こう、芸がないような印象を受けちゃいます。」

 

九月も後半に突入した雨の日の午前中、リーゼ様と二人でカンファレンスの開催場所についてを話し合っているのだ。手元のうさぎのぬいぐるみを弄りながら返答した私へと、リーゼ様はこっくり頷いて同意してくる。

 

「私もそう思うよ。……とはいえ、香港自治区が会場になることを明確に拒絶してきたからね。マッツィーニも覆らないだろうと言っていたし、こうなるともはや消去法さ。」

 

「せめてマホウトコロじゃなくて、東京のどこかにするのは無理なんですか?」

 

「マホウトコロ以外の建物だと、何をどうしたって三派閥の色が出ちゃうからね。ゲラートは広く参加者を募りたいようだし、そうなると日本魔法界内で適当なのは唯一『無所属』のマホウトコロだけだ。……だから私は日本魔法界じゃなくて香港自治区にしたかったんだよ。面倒なことになったもんさ。」

 

リーゼ様は八月末に私たちと行った小旅行の帰り際、香港特別魔法自治区にカンファレンスの話を持ち込んだわけなのだが……どうも街の顔役たちに満場一致で拒絶されてしまったらしい。交渉の余地無しの明確な拒否だったんだとか。

 

自治区の窓口になっているサルヴァトーレ・マッツィーニ曰く、要するに香港自治区は『責任を負いたくない』んだそうだ。非魔法界問題に対して協力しようという意思こそあるものの、あの街はそもそも法の隙間にある自治区であって国家ではない。カンファレンスの開催によって発生し得るデメリットが、開催地になることで生じるメリットを上回ったということなのだろう。

 

まあうん、当然といえば当然の話か。グリンデルバルドが来るなら警備を厳重にしないといけないし、もし何かあった時は会場を準備した自治区側が叩かれることになる。これがきちんとした国家であれば、カンファレンスの会場になることによって『非魔法界問題に力を入れていますよ』という姿勢を示せるメリットがあるものの、自治区の場合は元来グレーゾーンなんだからそんなもの関係がないわけだ。

 

つまるところ、自治区側からすれば面倒で厄介なだけで大した利益が見込めないのだろう。シビアな話だなと唸る私に、リーゼ様が丸椅子の上で足を組みながら会話を続けてきた。

 

「西内親子は日本での開催に乗り気だったが、細川派だけが参加するんじゃ意味がない。故にカンファレンスの仕切りに関しては細川派に任せるわけにはいかないのさ。……他に検討してみた場所だと、バンコクや上海も悪くないんだけどね。日本魔法界や自治区と違って、中国魔法界やタイの王立魔法議会には知り合いが一人も居ない。さすがに短期間でゼロから繋がりを構築してカンファレンスを成立させるのは難しそうなんだよ。」

 

「インドはダメなんですか? あっちの魔法界にならイギリス魔法省経由で働きかけられると思いますよ?」

 

「それがだね、ニューデリーでもカンファレンスは行う予定なんだ。南アジアと中央アジア向けのやつをね。私が探しているのはあくまで極東……つまり、東アジアと東南アジア向けの開催地なのさ。」

 

「難しいことになっちゃいましたね。……マホウトコロ側はどう思っているんでしょう? 前回のカンファレンスでは問題を起こしちゃったわけですけど。」

 

これでマホウトコロも断ってきたらいよいよ厳しくなるなと考えながら口にしてみると、リーゼ様は肩を竦めて曖昧な返事を寄越してくる。

 

「さぁね、まだ話を通していないから分からないよ。」

 

「……一度通すと簡単に引っ込められなくなるからですか?」

 

「それもあるし、先月の旅行の段階では香港自治区に期待していたってのもあるよ。……今月の二十三日にまた日本に行くから、その時にでもシラキと話してみるつもりだ。二十三日からマホウトコロは四連休らしくてね。」

 

「早苗ちゃんたちから呼び出されたわけですか。」

 

うーむ、大変だな。守矢神社の三人組の顔を思い浮かべながら言った私に、リーゼ様は首肯してから応じてきた。

 

「その通りだが、今回は私の方も色々とやることがあるからね。ちょうど良い機会ではあるかな。……西内から非魔法界対策部署の進展を聞いて、マホウトコロ側に話を通して、ついでに細川京介とも会うことになりそうだ。」

 

「えっと、細川京介っていうのはマホウトコロの教師でしたっけ? リーゼ様に『独力』で協力している細川派の人ですよね?」

 

「そうそう、そいつだよ。どうにも分からないことが多いから、会って話をすることにしたんだ。細川京介と会うのは二十三日の到着直後で、西内との打ち合わせは二十四日の昼前だね。」

 

約束自体は済んでいるのか。脳内のカレンダーを確認しつつ、同じく予定を再チェック中らしいリーゼ様に質問を飛ばす。

 

「それ、私も行くんですか?」

 

「好きにしたまえ。二十六日まで滞在するから、三泊することになるぞ。一緒に行くかい?」

 

「じゃあ、行きます。」

 

守矢神社の三人組に付き合うのは疲れるだろうけど、リーゼ様と一緒に居られるのであれば否など無い。即答した私を見て、リーゼ様はさほど気にしていない様子で頷いてきた。これはもう損得ではないのだ。とにかく可能な限り側に居たいんだから。

 

「なら、二人で行こうか。シラキとの話し合いは空いた時間に挟んでみよう。……ちなみにキミはさっきからずっと何を作っているんだい?」

 

「うさぎのぬいぐるみですよ。近所の知り合いが依頼してくれたので、子供と一緒に遊べるような魔法力で動くぬいぐるみを作っているんです。親戚の子供にプレゼントしたいらしくて。」

 

「うさぎ? そうか、うさぎだったのか。白いキツネかと思ったよ。」

 

「……うさぎに見えませんか?」

 

私は基本的に人を模した人形を専門としているので、ぬいぐるみを作った経験はあまり豊富ではないが……それでも人形は人形だ。それなり以上の自信はあるぞ。恐る恐る尋ねてみれば、リーゼ様はちょっと気まずげな顔付きでぼんやりした答えを返してくる。

 

「んー……うさぎと言われればうさぎかな。キツネと言われればキツネだし、猫と言われれば猫だよ。」

 

「……もし下手なら下手って正直に言ってください。売り物なわけですし。」

 

「いやいや、下手ではないよ。可愛らしいぬいぐるみだし、作りもしっかりしているが……何だろうね? どう表現したらいいのか分からんぞ。ちょっと待っててくれ、『例』を持ってくるから。」

 

例? 別にフォローしているわけではなく、本気で怪訝そうな表情のリーゼ様は、席を立って店舗スペースの方へと歩いて行く。……変なのかな? 私はうさぎに見えるんだけど。やっぱり耳の短さが原因か?

 

手元のぬいぐるみを様々な角度から眺めて検証している間にも、戻ってきたリーゼ様が両手に持った二体のぬいぐるみを私に示してきた。どちらも店頭に置いてある、私が昔作ったやつだ。

 

「こっちの猫と犬は違和感がないんだ。リアルな猫と、可愛らしくデフォルメされた犬。見事なぬいぐるみだと思うよ。……しかしそのうさぎは若干変だぞ。何かこう、『人造うさぎ』って感じで。」

 

「まあその、うさぎのぬいぐるみなんだから『人造うさぎ』で間違ってはいませんけど……デフォルメの仕方が変だってことですか?」

 

「ああ、そうだね。そういうことだ。リアルな部分が中途半端に残っているのに、二足歩行なのが少し不気味なのさ。『うさぎ人間』って言えばいいかな。人間っぽさの割合が大き過ぎるんだと思うよ。」

 

『うさぎ人間』か。……んんん、そう言われるとそう見えてきたぞ。一緒に遊べるぬいぐるみということで、動きを柔軟にするために手足を長くし過ぎたかもしれない。確かにテディベアとかよりも人間寄りの造形だ。

 

ぬう、これは作り直しだな。機能的に有意義だとしても、見た目が可愛くなければ意味がないのだから。デフォルメするならとことんやるべきだと学んだところで、リーゼ様が苦笑いで声をかけてくる。

 

「まあ、人形に関してはキミの方がよっぽど詳しいわけだし、気にならないならそれでいいんじゃないかな。所詮『素人』の、しかも吸血鬼の意見だよ。」

 

「いえ、やり直します。言われてみればアンバランスですね。……正直なところ、こういう人形は少し苦手なんですよ。『可愛さ』は時代によっての変化が大きいので、むしろ昔の知識が邪魔になったりするんです。文化による美的感覚の差もありますし、人形作りの奥深さを改めて実感します。『万人に愛される人形』を作るのは本当に難しいですね。」

 

「魔女としては良いことじゃないか。キミの主題は噛めば噛むほど味が出てくるってことさ。」

 

「技術面ならともかくとして、造形のセンスを磨くのは困難でしょうね。……幻想郷に行く前に、新しい物に触れておくべきなのかもしれません。」

 

『食わず嫌い』をせずに色々と見て回ってみるか。幻想郷に行った後だと幻想郷の文化しか知れないんだから、やるなら今のうちからやっておくべきだ。……よし、そうしよう。技術は作業場の中でも磨けるが、センスの方はそうもいかない。残された時間を有効活用しなければ。

 

移住前に資料となる人形のコレクションも充実させねばと心に決めつつ、アリス・マーガトロイドは『うさぎ人間』の耳をちょんと突くのだった。この子もこの子で可愛いし、折角作ったんだから自分の部屋にでも置くことにしよう。

 



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おかしな男

 

 

「お待たせしました、バートリ女史。」

 

何だその眼帯は。左目に医療用らしき白い眼帯をつけている細川京介に、アンネリーゼ・バートリは挨拶を返していた。ものもらいでも出来たのか? 魔法薬で治せばいいだろうに。

 

「やあ、細川。座りたまえ。……目をどうしたんだい?」

 

「大したことではありません。先日不注意でドアにぶつけてしまいまして。傷口を見せるのは失礼ですし、隠しているだけです。」

 

「ふぅん?」

 

にしたって癒しの呪文なり何なりで対処できるだろうが。ひょっとすると、たまに見る『癒術嫌い』のお仲間なのかもしれない。自然治癒がどうたらこうたらと主張している、ポンフリーに言わせてみれば『偏屈な連中』だ。……何れにせよ、魔法使いが眼帯をしている光景というのは珍しいな。若干間抜けっぽく見えてしまうぞ。

 

マホウトコロ呪術学院が連休に入った九月二十三日の午後、私は細川京介との話し合いのために都内のカフェを訪れているのだ。ちなみにアリスは一人で買い物に行っており、早苗たちとは夕刻に合流する予定になっている。夕食は五人で取ることになりそうだな。

 

脳内で本日の予定を整理しつつ、一番『見えている』はずの目をぶつけるとはドジなヤツだと呆れている私に、細川は愛想笑いで口を開く。……ふむ? 正に『貼り付けたような笑み』だな。西内親子のようにそうと気付かせないほど見事ではなく、以前の細川のように粗いながらも人間味があるものでもなく、無機質な仮面のような笑みだ。何となくベアトリスが『操作』していたアルバート・ホームズを思い出すぞ。こいつ、こんな表情も作れたのか。

 

「それで、私の働きは役に立ったでしょうか?」

 

「性急だね。……まあいい、その件に関して少し聞きたいことがあるんだよ。大前提として、魔法経済庁の長官を要請受諾側に引き込んだのはキミなのか?」

 

「もちろん私です。約束した通り、藤原派の要人を引き込みました。時間が足りなかった所為で一人しか動かせませんでしたが。」

 

「……どうやったんだい?」

 

むう、嘘を吐いている雰囲気ではないな。そして同時に申し訳なく思っているような気配も一切伝わってこない。『どうだ』というちょびっとだけ誇らしげな言い方だ。……引き込んだだけで死んだのは無関係だということか? 色々な意味を込めた私の問いかけに対して、細川はやけに明るい声色でハキハキと説明を寄越してきた。テンションがちょっとおかしい気がするぞ。

 

「長官には個人的な貸しがあったので、それを返して欲しいとお願いしただけですよ。そこまで複雑な話ではありません。」

 

「仮にその説明を信じるとしてだ、長官が決議後に死んだことに関してはどうなんだい? キミの動きが何か関係しているのか?」

 

「病死なんでしょう? 私は関係ありません。たまたま時期が重なっただけです。」

 

そこは明確に否定するわけか。そりゃあ『たまたま時期が重なった』のは有り得ない話じゃないが、だからといってはいそうですかと信じるのはバカのやることだ。非常にキナ臭いものを感じている私に、細川はテーブルにあった砂糖の小瓶を弄りながら話を続けてくる。

 

「それで、グリンデルバルド議長とはお会いできそうですか?」

 

「ん? ……ああ、そういえば会いたいと言っていたね。」

 

「もし私が『仕事』を成功させたら、会わせていただける約束だったはずです。」

 

「おいおい、私はあの時『考えておく』としか言わなかったぞ。だからきちんと考えたし、ゲラート・グリンデルバルドにもキミのことは伝えてあるよ。」

 

まあ、実際は考えただけで伝えてはいないが。……私の記憶が確かなのであれば、最初にこいつと話した時は『ついでに言ってみた』程度の頼み方だったはずだ。にも拘らず、今回はいの一番に『対価』としてゲラートとの接触を要求してくるのか。

 

遠慮がなくなっているというか何というか、あまりにもオープンな態度だな。何とも言えない違和感に眉根を寄せている私へと、細川は穏やかな笑みを顔に貼り付けたままで応じてくるが……おい、近付いてきた店員が話しかけているぞ。何で無視するんだよ。

 

「いらっしゃいませ、お客様。ご注文は──」

 

「なるほど、そうですか。では、グリンデルバルド議長は何と言っていましたか? この前も説明したように、私としては少し会話できるだけで充分なんですが。」

 

「その前にキミ、注文を済ませたまえよ。」

 

見事なほどに無視されて実に気まずげな面持ちになっている、水を差し出すポーズで停止している若い女性店員。哀れな彼女に助け船を出してやれば、細川は……どうした? 五秒間ほどピタリと動きを止めた後で、何事もなかったかのように会話を再開した。店員にではなく、私に向けてだ。

 

「グリンデルバルド議長はお忙しいでしょうから、場所はどこでも構いません。海外に行くことも可能です。ほんの短い時間でもいいので、融通してもらうわけにはいかないでしょうか?」

 

「いやいや、注文はどうしたんだ。適当に何か頼みたまえよ。」

 

何なんだよ、一体。席を使うんだから普通は何か頼むだろうが。もう一度注意を重ねてやると、細川はまたしても数秒間不自然に停止した後、店員にぐりんと顔を向けて言葉を放つ。やけに平坦な声でだ。

 

「……アイスティーをお願いします。」

 

「は、はい。かしこまりました、アイスティーですね。少々お待ちください。」

 

うーむ、本当にどうしたんだ? 慌てて復唱した女性店員が去っていくのを見送りつつ、細川へと心からの疑問を投げた。聞いた上で無視しているというか、店員の存在に気付いていない感じだったぞ。あの距離に立ってあの声量で話しかけていたんだから、普通なら気付かないはずがないのに。

 

「キミ、店員の声が聞こえなかったのかい?」

 

「ええ、すみません。全く気付きませんでした。」

 

「……であれば、目だけではなく耳も調べてもらうべきだと思うよ。あれが聞こえないっていうのは相当だぞ。」

 

「そうですね、そうしてみましょう。」

 

そうするのかよ。私の皮肉をニコニコ顔で流した細川を見て、小さく鼻を鳴らしてから話を戻す。耳が遠くなるって歳じゃないだろうに。そんなんでどうやって授業をしているんだ? こいつ。

 

「とにかく、グリンデルバルドは忙しいからね。キミだけのために時間を作るのは中々難しいんだ。前向きに検討はしているよ。」

 

「そこを何とかお願いできないでしょうか? ……私はまだまだ役に立てると思いますよ? 損はさせません。使う時間以上の利益を生じさせてみせます。」

 

「何故そこまでしてグリンデルバルドに会いたいんだ? ……正直に言わせてもらうとね、私はキミの行動がさっぱり理解できんぞ。グリンデルバルドに会うためだけに、一介の教師でありながら藤原派の重鎮を翻意させたわけか? 狂言回しの仕事を間近で見たいってのはどうなったんだい? 先ず何が目的なのかをはっきりさせたまえよ。でないとこっちとしては信用できないね。」

 

何を目指しているのかも、何が出来るのかも、どうやったのかも分からん。アイスココアをストローで掻き回しながら言い放ってやれば、細川はすとんと表情をかき消して疑問を口にした。私の問いを無視して質問を返してきた形だ。

 

「つまり、私はグリンデルバルド議長には会えないということでしょうか?」

 

「……会えなくはないよ。マホウトコロでまたカンファレンスを開こうと考えているからね。キミがマホウトコロの教師である以上、その際に会う機会が──」

 

「そうですか、会えますか。なるほど、カンファレンスを開くんですね。それは確かに良い機会です。いつ頃になりそうですか?」

 

こいつ、こんな男だったか? 会ったのは数回程度だし、私が細川のことを詳しく知らなかっただけだと言えばそれまでだが……話し方や感情の変化が『独特』すぎるぞ。前々回や前回話した時の印象は『ごく普通』だったのに、今やホグワーツの新任教師レベルの異様な雰囲気を感じるな。

 

いきなり笑顔に戻って早口で捲し立ててきた細川へと、彼のアイスティーを先程の女性店員が運んでくるのを横目に応答する。訳が分からん。何なんだこいつは。大体さっきの質問の返答はどうしたんだよ。会話が噛み合っていないぞ。

 

「……具体的な日程はまだ未定だし、マホウトコロで開催するかどうかも確定していないよ。この連休中にでもシラキに話を通そうと思っているんだ。」

 

「任せてください。必ずマホウトコロで開催できるように私が調整してみせます。」

 

「あー……まあ、別にそこは頑張らなくてもいいんだけどね。多分問題なく進むと思うよ。キミが何かをする必要はないさ。」

 

「そうですか、安心しました。……では、私はこれで失礼しますね。」

 

んん? もう帰るのか? そう言った直後に店員がテーブルに置こうとしたアイスティーを……やっぱりおかしいぞ、こいつ。強引に奪うように直接受け取ったかと思えば、そこそこの大きさの氷ごとコップの中身を一気飲みした細川は、そのまま笑顔で出入り口へと歩いて行ってしまう。店員と私がぽかんとその背を見ているのを他所に、細川は店を出た途端に姿くらまししてしまった。

 

おいおい、嘘だろう? 非魔法界の東京だぞ、ここは。機密保持も何もあったもんじゃないなと呆れ果てながら、一応周囲を見回すと……消える瞬間を確と目撃したのはこの店員だけだったらしい。呆然としている女性店員と目が合う。不幸中の幸いってところか。

 

「あの、え? えっと、消えた?」

 

「……オブリビエイト(忘れよ)。」

 

何だって私が後始末までしてやらねばならんのだと思いつつも、魔法界での生活の癖で反射的に記憶修正を行ってから……くそ、そういえば代金も払っていかなかったな。アイスティーの料金まで私持ちか。伝票を手に取ってレジへと歩き出した。払ってやるのは一向に構わんが、食い逃げ紛いの行動をされるのは気に食わないぞ。

 

ムーディだってもう少し『常識的』な行動をするだろうし、となると細川は完全にイカれているということになる。一体全体何が起きているんだ? 早苗と合流したら学校内での細川の態度を聞いてみるか。ホグワーツのトラブルがマホウトコロに伝染したんじゃなければいいんだが。

 

レジで料金を支払いつつ、アンネリーゼ・バートリはあまりにも意味不明すぎる状況にため息を吐くのだった。

 

 

─────

 

 

「そうそう、そうなんです! 同じことをこう、何回も何回も繰り返し喋ってて。しかも内容が支離滅裂だったから、どうしちゃったのかってみんな心配に……あ、そう! その時にマホウトコロが揺れたんですよ! ガタガタッて揺れて、ピタッと収まったんです。ピタッと。それで暫く教室で待機した後に全校集会になりました。緊急の全校集会が開かれたのなんて初めてかもしれません。」

 

うーむ、分かり難い。身振り手振りで『すっごく大変だった!』というのを頑張って表現している早苗ちゃんに対して、アリス・マーガトロイドはとりあえずの頷きを返していた。細川京介の『異常』の話をしていたはずなのに、いつの間にかマホウトコロの揺れの話になっているな。とにかく喋りたいことが多すぎて整理できていないようだ。早苗ちゃんらしいといえばらしい会話内容だぞ。

 

九月下旬の夕刻。現在の私とリーゼ様、そして守矢神社の三人組は東京のバーベキューレストラン……焼肉屋? で注文した品が届くのを待っているところだ。先程合流した早苗ちゃんが、ここで食事をしたいと主張したのである。曰く、ガイドブックに載っているような有名なお店なんだとか。

 

なので五人で店に入って注文を済ませた後、先に運ばれてきた飲み物を飲みながら話していたわけだが、そこでリーゼ様が今日の昼過ぎに会ったという細川京介の話題を切り出したのだ。私はその時間に一人で買い物をしていたから実際には見ていないものの、リーゼ様によれば『かなりおかしい』様子だったらしい。

 

夏休みが明けた直後の出来事を語っている早苗ちゃんに、リーゼ様が冷たい烏龍茶を飲みながら相槌を打った。ちなみに私も烏龍茶で、早苗ちゃんはオレンジジュースを、諏訪子さんと神奈子さんはビールを飲んでいる。神奈子さんはまあセーフだろうけど、諏訪子さんがビールを飲んでいるところは店員には見せない方が良さそうだな。

 

「要するに、その時点で既に細川は『おかしかった』わけか。……次の授業の時はどうだったんだい?」

 

「えと、あれ以降は別の先生が授業をしてます。日本史学の先生は三人居るんですけど、そのうちの一人の鈴川先生って女の先生が九年生の授業をやってる状態です。」

 

「……細川は解雇されたのか?」

 

「いやいや、そういうわけじゃないと思いますよ。病気療養みたいなことなんじゃないでしょうか? 誰にも聞けないので噂には詳しくありませんけど、先生を辞めたわけではないはずです。そうなったらさすがに耳に入ってきますもん。」

 

病気療養か。話を聞きながらメニュー表を眺めている私を他所に、リーゼ様が腕を組んで早苗ちゃんに言葉を飛ばす。不思議な名前の品が沢山あるな。肉の部位の名前なんだろうか?

 

「ふぅん? ……明らかに行動が異常だったし、精神的な病気なのかもね。」

 

「何の病気かまでは分かりませんけど……まあその、そんな感じではありました。ストレスとかが原因なのかもしれません。ちょっと怖くなるような様子でしたし、ゆっくり休んで欲しいです。」

 

「マホウトコロのガキどもを相手にしてればおかしくもなるよ。どいつもこいつも生意気なクソガキばっかりだもん。教師ってのは大変だよね。……神奈子、おかわり頼んで。私が頼むと変っしょ?」

 

「む、それはそうだな。……こっちに生中を二つ!」

 

もう一杯目を飲んだのか。半個室の入り口から顔を出して大声で注文した神奈子さんへと、リーゼ様が呆れた声で注意を送った。

 

「細川もおかしいが、キミたちもペースがおかしいぞ。もっと味わって飲みたまえよ。」

 

「ビールはこうやって飲むものだ。お前は飲まないのか?」

 

「私はもう少し上品な酒を好むんでね。肉料理屋の癖にワインはロクなのがないようだし、今日はやめておくよ。」

 

「うっわ、金持ちっぽい台詞。酒に上品も何もないでしょ。……んで、リーゼちゃん的にはマホウトコロの騒動の方は気にならないの?」

 

諏訪子さんが茶化しながら放った問いを受けて、リーゼ様がジト目で応答する。まあうん、私も日本のビールは苦手かな。味がどうこうというか、単純に強すぎる炭酸が苦手なのかもしれないけど。

 

「気にならないってほどではないが、原因ははっきりしているんだろう? 魔法の不具合だと新聞に書いてあったぞ。だったら直せばいいだけの話さ。それで終わりだよ。」

 

「えー、もっと注目してくれてもいいじゃん。すっごい騒ぎになったんだから。ね? 早苗。」

 

「はい、凄かったです。だけど騒ぎのお陰で次の日とその次の日がお休みになったので、寮でお二方といっぱい遊べました。そういう意味ではラッキーだったかもしれません。」

 

『お陰』ではないし、『ラッキー』でもないと思うぞ。基本的には悪い出来事なんだから。ニコニコしながら言う早苗ちゃんに、烏龍茶を一口飲んでから質問を投げた。

 

「その二日間で魔法の点検をしたってことよね? 結局は何が問題だったの?」

 

「んと、全校集会では魔法の一部に『欠損』があったって説明されました。魔法省の専門家の人とかも調べに来てたみたいです。」

 

「欠損、ね。」

 

奇妙な表現だな。魔法自体は経年劣化とは無縁だが、『魔法がかけられている物体』はその限りではない。そっちが何らかの原因で破損して、結果として魔法の一部分が欠損したということかな? つまりマホウトコロの『反転』は単一の大規模な魔法を領地全体にかけているわけではなく、複数の魔法を繋ぎ合わせて成立させているわけか。

 

まあ、安全性という面では理に適っているのかもしれない。それなら一箇所がダメになっても全体に致命的な影響が出ないし、今回の一件においては正にそのメリットが出たと言えるだろう。仮に一部分が機能不全に陥っても、残る箇所が反転魔法を支えてくれるわけだ。

 

でも、定期的な点検とかはしていなかったのかな? マホウトコロは大部分が木造建築なんだから劣化そのものは起こり得るだろうけど、年に一、二回程度チェックしておけば事故は充分に防げるはずだ。あれだけ危険な立地なのにそれすらやっていないとは思えないし、いきなり『欠損』したというのはやはり奇妙な話だな。

 

脳内で思考を回していると、店員がビールと生肉の皿が満載になったプレートを運んできた。途端に早苗ちゃんと諏訪子さん、リーゼ様がそちらに興味を移したところで、神奈子さんが私に話しかけてくる。

 

「そういえばマーガトロイド、神社の転移に関してはどうなっているんだ?」

 

「一応術式の骨組みは完成しました。……一応ですけどね。正直なところ、ぶっつけ本番で成功させる自信があるとは言えません。向こうのどの場所に転移させるかが決まっていない現状だと、細かい数値も確定させられませんし。」

 

「やはり難しそうか。」

 

「色々考えてみたんですけど、いっそのこと私の師匠に頼んだ方が確実かもしれませんよ? 私がこっちに居る間に守矢神社周辺の詳しい環境を調べておいて、幻想郷に行ってから師匠に情報を渡して術式を組んでもらった後、それをリーゼ様経由で神奈子さんたちに伝えるっていうのはどうでしょう?」

 

『伝言ゲーム』はあまり褒められたやり方ではないが、大掛かりな転移魔法はちょっとした計算ミスが命取りになりかねないし、万全を期するのであればパチュリーに頼むべきだろう。私の『白旗宣言』を受け取った神奈子さんは、我先にと肉を焼き始めた三人を見ながら難しい顔で返事をしてきた。

 

「お前の師匠ならば術式自体は問題ないのかもしれないが、それをバートリ経由で受け取った私たちが正確に起動させられるかが疑問だな。出来ると思うか?」

 

「んー、何とも言えませんね。だけど私がこっちで直接術式を組んだとしても、結局起動させるのは神奈子さんたちです。移住時期がズレている以上、実際に起動させる頃には私はもう幻想郷ですから。」

 

「……悩ましいな。実際のところ、神術でも同じようなことを出来なくはないんだ。しかし今の私たちでは神力が不足しているし、そんな大規模な術を使うのは久々すぎて自信がない。バートリに大量の札を準備してもらった挙句、失敗して無駄になったら目も当てられん。」

 

「そもそも準備しないぞ、私は。皮算用はやめたまえよ。土地をごっそり転移させるための神力をあの札で賄ったら、尋常じゃない枚数を使う羽目になるだろうが。そんなもん無理に決まっているさ。真っ先に候補から外したまえ。……おい、諏訪子。それは私の肉だろう? 何故さっきから人が焼いた肉を取ろうとするんだい?」

 

突っ込みながら諏訪子さんと肉を奪い合っているリーゼ様を横目に、苦々しい顔付きになっている神奈子さんへと口を開く。今のリーゼ様の発言を苦く思っているのか、それとも肉に夢中になっている諏訪子さんの無関心っぷりが原因なのか。何とも微妙なところだな。

 

「何にせよ、もっと詳細を詰めないとどうにもなりませんね。どの方法を選ぶにせよ移住先の座標は絶対に必要になります。そこを決めない限りは話が前に進みません。」

 

「道理だな。……バートリ、聞いているか? 幻想郷のことを直接調べられるのはこの場でお前だけなんだぞ。次に幻想郷に行った時、守矢神社の転移先の候補を決めてきてくれ。」

 

「この疫病神め、だから人の肉を取るなと……ん? 分かったよ。土地の候補だね? 調べておくさ。そんなことより早く諏訪子を止めたまえ。自分で焼かずに人のばかりを食べているぞ、こいつ。」

 

「だって私、神だもん。偉いんだもん。それが許されるんだもーん。……あっ、泥棒! 肉泥棒! もう皿に取ったやつを横取りするのは卑怯だよ、リーゼちゃん! それは違うじゃん! はい、ルール違反で罰金ね。その肉寄越しな。ついでに盗った肉も返し……あああ、助けて早苗! 邪悪な吸血鬼がこんなことしてるよ! 折れちゃう折れちゃう! 首が折れちゃうって!」

 

これはダメそうだな。食事が終わるまで『知的な話し合い』はお預けらしい。遂に実力行使に出たリーゼ様が諏訪子さんの首根っこを掴んで押さえ付けたのを見て、早苗ちゃんが慌てて仲裁に入っていく。神奈子さんも会話を諦めて肉を焼き始めたし、私もとりあえず食べることにするか。

 

いやはや、この三人との話し合いはいつも三歩進んで二歩下がる感じだな。本当に前進しているのか疑問になってくるぞ。騒がしい会話を耳にしながら、アリス・マーガトロイドはトングで野菜を掴むのだった。

 



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愛と恋

 

 

「見事な桜でしょう? この歳になってようやく気付くことが出来ました。私は自分の名前が『桜』だから桜が好きなのだとずっと思っていましたが、実際はそんなことなど関係なしにこの花に焦がれているようなんです。」

 

マホウトコロ領内の小さな中庭に面する、板張りの落ち着いた雰囲気の応接室。その場所のソファの上でシラキの話を聞きつつ、アンネリーゼ・バートリは庭の中心に立っている一本の桜の木を眺めていた。季節を無視して満開の花を咲かせる八重桜か。確かに美しくはあるが、同時に僅かな不気味さも孕んでいるな。

 

九月二十五日の午後、私はシラキとカンファレンスの件を話し合うためにマホウトコロ呪術学院を訪問しているのだ。昨日の昼前に会った西内親子を通して打診してみたところ、都合良く今日の午後なら空いているということで、三バカの世話をアリスに任せて来てみたわけだが……まさか校長閣下が直々に案内してくれるとはな。日本魔法省からポートキーで移動してきた私を出迎えて、この部屋まで案内したのはシラキ当人だったのである。

 

いやはや、礼節もここまで来ると立派な武器だな。『こっちがこれだけやっているんだから、そっちも相応の行動をしろ』という無言の牽制にも感じられてしまう。そういえばこいつは前回のカンファレンスの時も、去年のクィディッチトーナメントの時も直接客人を出迎えていたっけ。単純に善意や礼儀から来る行動なのかもしれないが、深読みが好きな吸血鬼としてはある種の『先制攻撃』に見えてしまうぞ。

 

先んじて礼を示すことで、相手の行動や発言を制限するわけか。ルールに則った正攻法ではなく、外交における不文律を利用するようなやり方だな。魔法で出された緑茶を飲みながら考えている私に、大きな窓の前に立っているシラキが話を続けてきた。ここは中庭に面する壁がそっくり一枚のガラスになっており、中央に向かい合わせの三人掛けの黒いソファが二台と、それに挟まれた白いテーブルだけがぽつんと置かれているだだっ広い部屋だ。応接室ではあるらしいが、家具の量の割に部屋が広いから何だか空虚な印象を受けるぞ。

 

「バートリ女史は桜の異名をご存知ですか? 桜は徒名草や夢見草とも呼ばれているんです。儚く、脆く、刹那的で、夢であったかのように散っていく花。本当に美しいですね。」

 

「ここの桜はどれも咲き続けているようだが?」

 

「あら、痛いところを突かれてしまいましたね。……我慢できなかったんです。春のほんのひと時しか見られないだなんて、どうにも寂し過ぎるでしょう? だから魔法で咲き続ける桜を作ってしまいました。つまり、業ですよ。太陽の光でも大地の栄養でもなく、私の欲がこの桜を咲かせているわけですね。」

 

「その台詞を聞いた後だと、とてもじゃないが素直に『美しい』とは思えないね。散らない花なんて気味が悪いだけさ。」

 

人の欲が咲かせた花か。一気に不気味さを増したな。『死体を栄養にしている』の方がまだマシだぞ。鼻を鳴らして言ってやれば、花と同じ薄桃色の着物を纏っているシラキがクスクス微笑みながら応じてくる。上品だが、それでいて冷たい皮肉を感じるような笑みだ。皮肉というか、自嘲しているのかもしれない。

 

「私が死ねば散りますよ。この桜だけではなく、マホウトコロの領内にある全ての『万年桜』が。そうなるように魔法がかかっていますから。……バートリ女史の言う通り、散らない花など不気味なだけです。終わるからこそ美しいのでしょうね。永遠に続くものほど醜いものはありません。」

 

「その点に関しては同意するがね、私はここに禅問答をしに来たわけじゃないぞ。カンファレンスのことを話しに来たんだ。」

 

「ああ、そうでしたね。……もしマホウトコロを再び会場に選んでいただけるのであれば、こちらとしては否などございません。グリンデルバルド議長にもどうぞよろしくお伝えください。」

 

「……詳細も聞かずに了承されるとはね。この展開は予想していなかったよ。」

 

うーむ、いきなりオーケーしてくるとはな。日本魔法界で派手に動いてゲラートと細川派との関係を取り持った以上、議長閣下と私の繋がりが透けてしまっているのは仕方がないことだし、非魔法界問題の意見交換のためのカンファレンスを開きたいという意思は約束を取り付ける際に伝えてある。しかし詳細はまだ知られていないと思っていたぞ。

 

この女は何をどこまで知っているのかと訝しむ私に、未だ窓の近くに立っているシラキは桜を見つめたままで快諾の理由を語ってきた。

 

「前回のカンファレンスでは失態を演じてしまいましたので、挽回の機会をいただけるのは願ってもないことです。更に言えば、私は昨今国際魔法界で広まりつつある非魔法界問題を重要な問題だと認識しております。そのお手伝いが出来るのは個人的にも歓迎すべきことですよ。」

 

「キミはあまり非魔法界問題に興味がないのかと思っていたよ。『無関心』という姿勢を明確にしているようじゃないか。」

 

「賛成はしていますが、興味はありません。非魔法界問題は私が主導すべきことではありませんから。私の日本魔法界での『役目』は既に終わりました。この上未来の問題にまで手を出すつもりはないんです。……古い役者が舞台に上がれば、新たな役者を迎えるための席が減ってしまうでしょう? 求められての手助けはすれど、自らしゃしゃり出ようとは思いませんよ。私にはグリンデルバルド議長ほどの『滅私奉公』は出来ません。先の短い老人らしく、積み上げてきたものを守るので精一杯なんです。」

 

「今日は随分と心の内を晒してくるじゃないか。私相手にそんなにペラペラ喋って大丈夫なのかい?」

 

『滅私奉公』ね。言い得て妙だな。明け透けに語ってくることへの若干の呆れを滲ませながら問いかけると、シラキはこちらに振り向いて戯けるように返答してくる。

 

「さて、何故なんでしょう? 今日はそんな気分なんです。……加えて、バートリ女史が話し易い相手だからかもしれませんね。」

 

「私が?」

 

「貴女は私にそれほど興味を持っていないでしょう? だから気負わずに話せるんですよ。日本魔法界の人間が相手ではそうも行きませんから。……貴女からは『所属』というものを感じません。スカーレット女史にはヨーロッパ魔法界やイギリス魔法省という色が、グリンデルバルド議長にはロシア中央魔法議会や非魔法界対策委員会という色が、ダンブルドア前校長にはホグワーツ魔法魔術学校という色が付いていました。しかし貴女は何度話しても無色のままです。」

 

独特な表現で私を評価してきたシラキは、対面のソファに歩み寄って腰掛けながら会話を続けた。マイナスの評価ではないようだが、かといってプラスでもなさそうだな。それに、私の『比較対象』としてその三者を挙げてくるのか。ピンポイントにも程があるぞ。本当に油断できない女だ。

 

「バートリ女史は恐らく組織や集団のためではなく、理念や信念のためでもなく、何よりも先ず『自分』が行動の規範になっているのでしょう。故に私も社会的な立場をそれほど気にせずに、ただの白木桜として話せるわけです。」

 

「……要するに、私は自分勝手な吸血鬼だと言いたいわけか。」

 

「責めているわけではなく、羨んでいるんですよ。ひらひらと飛び回ることが出来る貴女を責めるのは、背負ったことを後悔して身軽さを妬む者だけでしょう。私は貴女の生き方を羨ましいとは思いますが、背負ったことを悔やんではいませんから。そんな生き方も良かったかもしれないと想像はすれど、今の生き方を否定することはありません。」

 

「ふぅん? ……キミが『背負った』のはマホウトコロ呪術学院なのかい?」

 

私の質問を受けて、シラキは穏やかな笑顔で頷いてくる。ゲラートも、ダンブルドアも、そしてレミリアもこいつと同じく後悔はしていないだろう。お前らは私の身軽さを羨むかもしれないが、私だってお前たちが『背負える者』であることがちょびっとだけ羨ましいぞ。

 

「その通りです。私にとって大切なのは日本魔法界ではなく、魔法族でもなく、マホウトコロなんですよ。伴侶も子も居ない私にとってはこの学校こそが唯一の愛すべき対象ですから。これまでの人生の全てを捧げてきましたし、残った僅かな時間も余す所なく注ぎ込もうと考えています。」

 

「なるほどね、ようやく分かったよ。キミが派閥問題に積極的に介入しないのも、非魔法界問題に深く関わろうとしないのも、つまりは『どうでも良い』からなのか。マホウトコロこそがキミにとって最も重要な存在であって、その他の事象なんぞどうなろうが構わないわけだ。……キミの欲があの桜を咲かせているように、キミの執念がマホウトコロを支えているわけだね。」

 

ゲラートにとっての魔法族が、この女にとってはマホウトコロなわけか。そこに通う生徒たちや教育というシステムではなく、『学校そのもの』を重視しているってあたりが何だか薄気味悪いな。ダンブルドアもホグワーツを愛していたものの、あの爺さんからは感じなかった『執念』をこの女からは感じるぞ。

 

「そういうことですね。……残念なことに、日本魔法界の皆さんには中々それが伝わらないんです。私をまるで日本魔法界を憂う『烈士』のように扱うものですから、期待に応えられずいつも困っています。」

 

「三派閥のシステムを変えようという気は全く無いのかい? ……そりゃあ今は問題ないだろうさ。キミが見事にマホウトコロを空白地帯にしたからね。しかしだ、キミが死んだ後はどうなる? キミが居ないマホウトコロはこのまま中立の場所でいられるのか?」

 

「そんなことは知りませんよ。私が死んだ後のマホウトコロになど興味はありません。私の死と共にマホウトコロも散る。それもまた一興でしょう。……他の誰かが私以上の校長になるくらいなら、その前に潰れてしまった方が好都合かもしれませんね。そうすればマホウトコロと白木桜の名は永久に共に在れますから。私を差し置いて他の名前が隣に置かれるのなど我慢なりません。」

 

「キミは……あれだぞ、少しおかしいぞ。自覚はあるかい?」

 

この女、マホウトコロと別の校長の名がセットになることに『嫉妬』しているのか。『マホウトコロといえば白木桜』じゃないと気が済まないわけだ。やはりダンブルドアとは全然違うな。ホグワーツを我が子のように愛していたあの爺さんと違って、こいつはまるでマホウトコロに恋をしているかのようだぞ。

 

『横恋慕は許さない宣言』に私がドン引きしながら送った確認に、シラキは困ったような苦笑で返してきた。我が子を手元から離せない母親だとも言えそうだ。どっちにしろ歪んでいるな。

 

「校長として相応しくないことを言っている自覚はありますよ。本来ならば私はマホウトコロが永く栄えることを祈るべきであり、そのために死ぬ前に三派閥の問題をどうにかして、マホウトコロの自治を保てるような優秀な後任を探さなければならないのでしょう。……ですが、心のどこかで他人のものになる前に壊れてしまえとも思うんです。私が死んですぐに騒動が起これば、『やはりマホウトコロには白木桜が必要だった』となるでしょう? それを望んでしまうのは悪しきことなんでしょうか?」

 

「どう考えても『悪しきこと』だろうが。吸血鬼たる私でも分かるレベルだよ。……まあ、言わんとすることは理解できるさ。共感は欠片も出来ないものの、キミがマホウトコロに対して『歪んだ愛情』を持っているってのはよく分かった。その上で聞かせてもらうが、何だってそんなにマホウトコロに拘るようになったんだい? 無論興味本位の質問だがね、ここまで語ったのであれば答えも聞かせてくれたまえよ。」

 

「それがですね、分からないんです。私もこればかりは不思議でなりません。私がマホウトコロに拘る確たる理由が、私自身にも分からないんですよ。」

 

「……いよいよ以て意味不明だね。そんなことは有り得ないだろうが。理由も無しに人生を捧げたのか? キミは。」

 

訳が分からんという顔で突っ込んでやれば、シラキはとびっきりのジョークを語るような表情で返事を口にする。

 

「私も若い頃は三派閥のシステムを憂い、それを変えたいという改革の意志を持っていました。マホウトコロに一教師として赴任してきた当初は、生徒たちを立派に育て上げねばという理念に燃えていた記憶もあります。御国のために日本魔法界を良くしようという考えも抱いていたはずです。……しかし、ふと気付いた時にはそれら全てが過去のものになっていたんですよ。三派閥の圧力からこの学校を必死に守っている間に、マホウトコロ以外の物事など目に入らなくなっていました。手元にただ一つ残ったこの学校に縋ったのかもしれませんね。私としても私の心の変遷を把握できていないんです。」

 

「……やっぱりこれっぽっちも理解できんね。キミと私は相容れないようだ。他人の生き方を軽々に否定するつもりは更々ないが、どうにも私とは性質が違い過ぎる。唯一分かるのはダンブルドアがホグワーツを愛していたのと違って、キミはマホウトコロに恋焦がれているってことだけさ。」

 

ダンブルドアのように対価を求めず惜しみなく与えるのではなく、シラキは与えた分だけ求めている感じだ。とはいえ別にそれが悪いことだとは思わないし、どちらかと言えば人間として『異常』なのはダンブルドアの方だろう。無償の愛ってのは道理に反しているからこそ価値があるわけか。

 

しかしまあ、その対象が『学校』ってのは中々特殊なケースだと思うぞ。行き過ぎた『仕事人間』ってことなのか? ダンブルドアがホグワーツというシステム全体を重んじていたのに対して、シラキはもっと表層を重視しているというのも違和感を加速させていそうだな。中身ではなく、箱そのものを大事にしているという印象だ。

 

私が共感を放棄したのを受けて、シラキは上品な微笑で小さく首肯してきた。

 

「恋、ですか。その言葉にたどり着いている以上、貴女は私のことをしっかりと理解しているのだと思いますよ?」

 

「何れにせよ、この話はもういいよ。面白いっちゃ面白かったが、ワイン無しでは味がくど過ぎる。続きは酒がある場でやろうじゃないか。今日はもう結構だ。」

 

ひらひらと手を振って『参った』をしてやれば、シラキは口元に手を当てて笑みを強めながら応じてくる。『重い女』ってのはこういうヤツを指す言葉なわけか。一つ勉強になったぞ。

 

「あら、次の機会があるんですね。それなら今日はここまでにしておきましょう。……カンファレンスに関しては進めてしまっても問題ありませんか? 警備を魔法省に依頼しなければならないんです。」

 

「最終的な決定権は私には無いから、話を詰めるのは少しだけ待っておいてくれたまえ。細かいことが決まったらまた連絡するよ。日程とかもその時になりそうだ。……それじゃ、失礼させてもらおうかな。」

 

本題自体は予想を遥かに上回るスピードで纏まったが、それ以外の余計な会話で胸焼け気味だ。さっさと帰ろうと席を立ったところで、思い出した疑問をシラキに放つ。

 

「そういえば、細川京介は大丈夫なのかい? 早苗から……東風谷早苗から随分とおかしな行動をしていたと聞いたんだが。」

 

「細川先生ですか? ……ああ、去年バートリ女史の案内を担当したのは細川先生でしたね。どうも精神的なストレスによるものだったようです。近いうちに復帰しますよ。」

 

「もう仕事に戻すのか。」

 

「私としてはゆっくり休んで欲しいのですが、細川先生本人が早めの復帰を強く希望しているものですから。こういう時は本人の要望を優先した方が良いでしょうし、先ずは担当してもらう授業を減らして様子を見るつもりです。」

 

私は強引にでも休ませるべきだと思うけどな。まあ、ここで意見するほどの興味はないし、そんな立場でもないか。軽く頷いてから背を向けて、ドアへと歩きながら口を開く。

 

「ま、お大事にと伝えておいてくれたまえ。見送りは結構だ。勝手に帰らせてもらうよ。」

 

「またお越しくださいね、バートリ女史。『善き魔法の在る処』はいつも貴女をお待ちしておりますから。」

 

兎にも角にも、ここに来た目的は果たせた。あとはゲラートに報告して、カンファレンスの詳細を詰めていくだけだ。ついでにシラキが私と早苗との繋がりを認識した上で、細川との関係を把握していないことも分かったな。だからといって何に利用できるわけでもないが。

 

予想外に濃かった話の後味に顔を顰めつつ、アンネリーゼ・バートリはマホウトコロの廊下を歩くのだった。

 



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コメンテーター

 

 

「……アリスさんって、凄く肌が綺麗ですよね。どうやってるんですか?」

 

リーゼさんのはどこか美術品じみた白さだけど、アリスさんのは健康的な白さって感じだ。これっぽっちも荒れていないし、ほっぺたは程良く柔らかそうだし、『天然の美肌』という印象を受けるぞ。隣を歩く魔女さんに問いかけながら、東風谷早苗は自分の頬をむにむにと触っていた。むう、負けているな。五十歳以上も年上のはずなのに。

 

九月最後の土曜日のお昼過ぎ、私はアリスさんと諏訪子様と秋葉原の書店で買い物を楽しんでいるところだ。アリスさんが『人形作りのセンスを磨くために色々な文化を知りたい』と言うので、私も買いたい漫画があるからちょうど良いと思って来てみたのである。ちなみに本にあまり興味がない神奈子様は神社の方に顕現して愛車を弄っており、リーゼさんは毎度お馴染みのお仕事中。二人とは夕食の時に合流できるはず。

 

そんなわけで三人でビルを丸ごと使っているらしい書店のフロアを巡っている途中、ふとアリスさんの横顔を見て気になってしまったのだ。じっくり観察してみると肌が綺麗すぎるぞ。スタイルも良いし、ファッション雑誌のモデルさんみたいだな。

 

私の思わず出てしまった呟きに対して、アリスさんは苦笑しながら応じてきた。

 

「あら、ありがとう。だけど肌が綺麗なのは魔女だからであって、特別な何かをしてるわけじゃないの。」

 

「へ? 魔女だと肌が綺麗になるんですか?」

 

魔女と肌とにどんな関係があるのだろうか? きょとんとしながら尋ねてみれば、アリスさんではなく諏訪子様が答えを教えてくれる。よく分からない答えをだ。

 

「捨食捨虫の法でしょ? 便利だよねぇ、あれ。捨虫の法の習得者は滅多に見ないけど、捨食の法はたまーに使ってる修験者が居たよ。大昔の話だけどさ。」

 

「まあ、そういうことですね。」

 

「……ええと、それって何なんですか?」

 

「捨食の法ってのは食事とか睡眠とかを必要としなくなる魔法……っていうか、体質の恒久的な変化? 仕組みはいまいち分かんないけど、人間をやめるための条件みたいなもんだよ。西欧でも東方でも、それを一人前の術師の指標にしてることが多いの。」

 

むむ、便利そうだ。眠くならなくなったり、お腹が空かなくなるってことか。諏訪子様の説明に感心していると、アリスさんが平積みの漫画本を眺めつつ補足を寄越してきた。

 

「厳密に言えば、肉体を内側だけで完結させるための魔法ですね。睡眠が不要になったり、栄養摂取の必要がなくなるのはむしろ副次的な要素ですよ。自己を外界から完全に独立させることによって、『主題』に集中できるようにしているわけです。……早苗ちゃん、今ので分かる?」

 

「あの、えーっと……分かんないです。」

 

ちんぷんかんぷんだぞ。頭の中でクエスチョンマークを量産している私に、アリスさんは腕を組んで更に噛み砕いた解説をしてくれる。漫画を手に取った諏訪子様に注意をしながらだ。

 

「諏訪子さん、買うのは下りる時ですよ。先に一度上まで見るって決めたじゃないですか。……要するに、『外』との接触を断ち切るための魔法なの。身一つで全てを賄えるようになるわけ。不足することがないから摂取する必要がないし、疲労しないから休息の必要もない。半永久的に身体を十全な状態で動かせるようになるってことね。だから本物の魔女には寿命もないのよ? まあ、そっちはどちらかと言えば捨虫の法の領分だけど。」

 

「つまり、『永久機関』ってことですか。」

 

「ああ、そうね。それに近いわ。魔女は自身の主題を追うために生きているから、あんまり余計なことに気を取られたくないのよ。それで大昔の魔女が自分を『独立した永久機関』にしようって考えたの。外部との関わりを必要としない、内部だけで完結した存在を目指したってわけ。」

 

なるほど、そうして生まれたのが『捨食の法』なわけか。半分くらいは理解できたぞ。でも、肌の綺麗さがどう関わってくるのかが未だに分からない。次のフロアへの階段を上るアリスさんへと、首を傾げながら疑問を投げた。

 

「でもその、それでどうして肌が綺麗になるんでしょう?」

 

「肉体があらゆる点において常に過不足ない状態にあるわけだから、魔女は基本的に『健康体』なの。余程のこと……例えば意図的な暴飲暴食を長い期間継続したり、強い日光に当たり続けたり、直接ナイフで傷付けたりすればその限りじゃないけど、私たちは肉体的な『劣化』とは無縁の存在なのよ。放っておけば魔法の効果で勝手にベストコンディションになってくれるってわけね。」

 

「……そんなのズルいです。」

 

めちゃくちゃ便利じゃないか。階段を上りながらむむむと唸っている私に、アリスさんは苦笑いで肩を竦めて話を締めてくる。

 

「まあうん、ちょっとした『ズル』ではあるわね。……とはいえ、その点を気にする魔女は少ないと思うわよ。『まとも』な魔女は主題を何よりも優先するから、単に研究の時間を手に入れるためにこの魔法を使うってケースが殆どなの。主目的は『独立した一個体としての完成』であって、お肌のためじゃないわ。」

 

「『まとも』じゃないアリスちゃんは違う目的も持ってそうだけどね。例えばほら、物凄く長生きな誰かさんの側に居たかったとか? 人間やめる理由としてはロマンチックな部類じゃんか。」

 

「……余計なことを言うと何も買ってあげませんよ。」

 

「わー、うそうそ! 今のは嘘だよ。お茶目なジョークじゃん。やだなぁ、主題のためだって分かってるって。よっ、魔女の中の魔女! 主題優先女! 人形偏愛者!」

 

何か、最後の方は罵倒になっている気がするぞ。慌てて放たれた諏訪子様の『訂正』を受けて、階段を上り切ったアリスさんは冷たい目付きで応答した。神奈子様には結構丁寧なのに、諏訪子様にはたまにこういう目を向けるな。仲が良いってことなんだろうか?

 

「はい、今決めました。諏訪子さんには何も買ってあげません。」

 

「ちょちょ、何でさ。褒めたじゃん。すっごい褒めまくったじゃんか。……ひょっとして、『人形フェチ女』の方が良かった?」

 

「分かっててやってますよね? 絶対に許しませんから。」

 

「ちょっとちょっと、冗談じゃん。余裕ないなぁ。笑って流してよね。私はアリスちゃんにもっときっついイメージを持ってるんだから、こんなの超控え目な表現じゃんか。」

 

ええ? アリスさんは優しくて、美人で、知的な人だぞ。何故諏訪子様は『きっついイメージ』を持っているんだ? 訳が分からない発言に目をパチクリさせたところで、私も新しいフロアに足を踏み入れる。おー、カラフルなポスターが沢山飾られているな。これまでのフロアは書店らしい落ち着いた雰囲気だったけど、ここの内装は随分と派手だ。

 

「何を言っているのかさっぱり分かりませんね。私は『ノーマルな魔女』ですけど?」

 

「うわぁ、恐ろしい子だね。よくもまあ大真面目な顔でそんなこと言えるもんだよ。」

 

フロアの入り口の方で話している二人を置いて、この階にはどんなジャンルの本が売られているのかと本棚に近付いてみれば……わぁ。表紙に抱き合っている裸の女性が描かれたペラペラの本が目に入ってきた。恐らくここは、十六歳の私がまだ入っちゃいけないフロアだな。

 

どうしよう。見なかったことにして踵を返すべきか、それとも『社会勉強』として中身を確かめてみるべきか。『サンプル本』というシールが貼ってあるそれを前に思考停止状態に陥っていると、背後から諏訪子様の呆れたような声が聞こえてくる。

 

「おー、人間の欲を感じる本ばっかりだね。素直で宜しい。これが噂に聞くあれかな、個人制作のマンガかな。面白いじゃん。」

 

「……いやいや、これはダメじゃないですか。早苗ちゃん、戻るわよ。貴女にはまだ早いわ。」

 

「いいじゃんか、別に。子供は純粋で穢れを知らないなんてのはさ、拗らせた大人の妄言だよ。人間ってのは若い頃が一番煩悩塗れなんだから、そこでしっかり学ばせとくべきだね。色々と知っておかないと本番で苦労するって。」

 

「何でこのタイミングでいきなり神っぽいことを言い出すんですか。とにかく行きますよ。元教育者として早苗ちゃんをここに居させるわけにはいきません。」

 

アリスさんに手を引かれて階段に連れ戻されながら、凄かったなと顔を赤くしている私を他所に、件の『サンプル本』をパラパラと捲った諏訪子様がポツリと呟く。

 

「アリスちゃん的にはこれは『不健全』なんだ。ふーん。女の子同士だからってこと?」

 

「そうじゃありませんけど。論点を訳の分からない方向にずらさないでください。私はマイノリティを否定するような狭量な魔女じゃありませんし、愛の形は人それぞれだと思ってます。それは宗教と同じく尊重されるべきものであって、他者が軽々に否定していいものではないでしょう? 私は未成年の早苗ちゃんをこのフロアから連れ出すべきだと判断しただけですよ。その本の嗜好にケチを付けるつもりは一切ありません。少数派だからといって蔑ろにするのは多様性を認められない愚か者だけですから。たとえ特殊な趣味嗜好であっても、他者に迷惑をかけないなら重んじて然るべきです。そもそもこれを見て『不健全』なんて言葉が出てくるあたりが、自覚なき差別をしている証左ですね。反省してください、諏訪子さん。神として恥ずべき発言ですよ。」

 

「……半端じゃない早口と密度で自己弁護してきたね。おー、こわ。前のより凄いじゃんか。」

 

わざとらしく身を抱いてぷるりと震えた諏訪子様は、ジト目になっているアリスさんを追い越して階段を下っていくが……やっぱりアリスさんは凄いな。早口すぎて理解が追いつかなかったけど、何だか良いことを言っていた気がするぞ。というか、どの辺が『自己弁護』だったんだろう? ニュース番組のコメンテーターみたいな立派な意見だったのに。

 

「……じゃあ、行きましょうか。早苗ちゃんにはコミックを買ってあげるわ。欲しいのがあったんでしょう? 遠慮しないで言って頂戴。」

 

「ありがとうございます!」

 

「早苗『には』? 私は? 私の分は? ……あれ、無視じゃん。アリスちゃんったら、神の言葉を無視してくるじゃん。ねーってば、私にも買ってよ。アリスちゃん? おーい、アリスちゃん!」

 

神様の呼びかけを完全に無視している魔女さんの背を追いながら、東風谷早苗は買うべき漫画のリストを頭に浮かべるのだった。

 

 

─────

 

 

「貴女って、本当に無駄なところで器用よね。」

 

星見台の中央で胡坐をかいている私の手元を覗き込んできた咲夜に、霧雨魔理沙は肩を竦めて応じていた。これは無駄じゃなくて有意義な方の『器用』だろうが。実際役に立っているぞ。

 

十月に入ったばかりの雨が降る月曜日の午前中、私と咲夜は静かな星見台でそれぞれの作業を進めているところだ。二人とも午前中の二コマ目が空きコマだったので、咲夜は自習を、私は箒作りをやっているわけだが……ミニ八卦炉を使って柄の部分を加工している私を見て、銀髪ちゃんが突っ込んできたのである。

 

「こっちの方が早いんだよ。金具を付けるための小さな穴をいくつか空けなきゃいけないんだが、工具でやろうとすると時間がかかるんだ。でも、ミニ八卦炉だと……ほらな? 一瞬だぜ。」

 

極細の光線で穴を空ける工程を実演してやれば、咲夜は呆れたような顔で指摘を寄越してきた。

 

「貴女、たった半年前にそれで死にかけたのを忘れたの?」

 

「あれは予想外に反射したからだろ? 今回は気を付けてやってるから心配ないぜ。」

 

「だといいけど。……指にまで穴を空けないようにね。」

 

空けるわけないし、万が一空いたとしても指だったらポンフリーがどうにか出来るだろ。言うとスタスタとソファの方に戻っていった咲夜を見送りつつ、座る位置を変えて頭上に映っている星空をアフリカのそれにする。そろそろゾーイの手紙が届く頃だな。最近は私が月の半ばに送り、ゾーイが月初めに返信を送ってくるというパターンに落ち着いているのだ。

 

オルオチと仲良くやっているらしいアフリカの友人のことを考えていると、ソファの上で教科書を開いた咲夜が声をかけてきた。勉強に没頭している時の彼女は静かになるので、今日はいまいち集中し切れていないようだ。

 

「お腹が空いたわ。今日はベタにフィッシュ&チップスの気分よ。あると思う?」

 

「昨日あったし、今日は無いんじゃないか? 私はさっき食っちまったからな。サンドイッチとかで充分だぜ。」

 

「……また厨房に忍び込んだの?」

 

「お前がマグル学をやってる間にな。練習があって朝食をまともに食べられなかったから、昼まで我慢できなかったんだよ。キャプテンが朝練に遅れるわけにはいかないだろ?」

 

キャプテンたる者、チームメイトに範を示さなければならないのだ。ウッドもアンジェリーナも、ケイティもドラコも、そしてジニーもそれだけは怠らなかったんだから、私だってそうすべきだろう。最初に行って準備をして、最後に片付けてから帰るのがキャプテンってもんだぞ。

 

先達のキャプテンたちから得た教訓を噛み締めている私に、咲夜は恨めしそうな目付きで文句を投げてくる。

 

「ズルいわ。私はいつもお昼まで我慢してるのに。」

 

「お前も行ってくりゃいいじゃんか。仕事が増えればしもべ妖精たちのためにもなるだろ。あの連中は働きたくて仕方ないんだから。……そういえばよ、ドビーって知ってるか?」

 

「ドビー? ……ああ、ポッター先輩を殺そうとしたしもべ妖精でしょ? リーゼお嬢様から聞いたことがあるわ。」

 

「厳密に言えば、ハリーを『助けようとした』しもべ妖精だけどな。」

 

私もリーゼやハリーから話を聞いたことがあるし、厨房に忍び込んだ際に何度か顔を合わせているのだ。一応の訂正を口にした後で、柄の穴の大きさをチェックしながら続きを話す。

 

「とにかくよ、さっき飯を食いに行った時にドビーから頼まれたんだよ。ハリーの家で働きたいから、連絡してくれないかって。」

 

「ポッター先輩の家で?」

 

「ん、前々からそのつもりではあったらしいぜ。自分を自由にしてくれたハリーの家の使用人になりたかったんだとさ。だけど給金付きで雇ってくれたダンブルドアへの恩もあるから、今年まではホグワーツに残ってたんだそうだ。」

 

明確に契約を交わしたわけではないらしいが、ドビー的には今年……つまり1999年の終わりを区切りにしたいようだ。先程の厨房での会話を思い出しながら説明してやれば、咲夜はうんうんと頷いて相槌を打ってきた。

 

「出来たしもべ妖精じゃない。見境のない忠義なんて邪道よ。主人を選んで、主人からも選ばれてこそ価値があるの。他のしもべ妖精より真っ当な『志望動機』だわ。」

 

「その評価はよく分からんが、何にせよさっき伝言を頼まれちまったわけだ。……だけどさ、ハリーって一人暮らしをしたがってるじゃんか。シリウスの家にいつまでも居候するのは悪いって。」

 

「そうなの? 知らなかったわ。ブラックさんは別に気にしてないと思うけど。……というか、家に居てくれた方が良いとすら考えてそうじゃない?」

 

相変わらずハリーのことには興味ゼロだな。夏休みの終わり間際、ジニーに直接就職祝いを告げるために二人で隠れ穴に遊びに行ったのだ。その時偶然ハリーも居て、四人で一人暮らしの話をしただろうが。どうやらハリーの相談は咲夜の耳を素通りしていたらしい。

 

咲夜の無関心っぷりにやれやれと首を振ってから、小さなナイフで柄を削りつつ返事を飛ばす。左右のバランスが微妙におかしいな。少し調整しなければ。

 

「それは私も言ったが、ハリーは一人暮らしに憧れがあるみたいなんだよ。闇祓いになったから自分で家賃も払えるしな。……まあ、そこで問題が出てくるわけだ。実際に一人暮らしすることになった時、ハリーはドビーを連れて行けると思うか?」

 

「行けるでしょ。一人暮らしならむしろ必要になりそうじゃないの。」

 

「ハリーが住もうとしてるのが、マグル界のアパートメントだとしても?」

 

私たち魔法使いはしもべ妖精を見ても全然驚かないが、マグルの場合は話は別だろう。幻想郷生まれホグワーツ育ちの私は、正直『マグル界のアパートメント』というのがどういう構造になっているのかをよく知らないものの、他の住人とばったり出会う機会が皆無ということはない……はず。

 

要するにホテルのような造りなんだよなと想像している私に、咲夜は得心が行ったような表情で返答してきた。

 

「あー、そういうことね。……どうなのかしら? しもべ妖精だったら何とかなりそうじゃない? そもそも『家主が見ていない間に仕事を終わらせる』ってことを目指してる種族だし、魔法も使えるんだからどうにでも出来ると思うけど。」

 

「そうか? だったらいいんだけどよ、ゴミ出しの時とかに見られちゃいそうじゃんか。」

 

「それこそ魔法で何とかするでしょ。ポッター先輩がオーケーするかだけが唯一の問題よ。マグル界のアパートメントは特に問題にならないわ。」

 

ふむ、マグル学を最終学年まで続けている咲夜がそう言うのであればそうなのだろう。余計な心配だったかと安心してから、もう一つ穴を空けるためにミニ八卦炉を構える。

 

「んじゃ、気負わずに知らせても大丈夫そうだな。昼飯を食ったら手紙を送っとくか。」

 

「そうしてあげなさい。」

 

ハリーならまあ、了承するだろ。ドビーの願いは叶うはずだ。咲夜の応答を尻目に慎重に照準を合わせて、手紙の内容を考えながら細い光線を照射すると……あ、マズいぞ。柄に火がついてしまう。照射時間が長すぎたらしい。

 

「っと、あれ? 咲夜、杖! そっちにある私の杖を取ってくれ! 早く!」

 

「杖? ……ちょっと貴女、何してるのよ。アグアメンティ(水よ)。」

 

「待て待て、水は……あーあ、やっちまったな。」

 

慌てて杖魔法で水をぶっかけてくる咲夜を止める間も無く、作りかけの柄は杖から出た水で見事びしょ濡れになって鎮火してしまった。この工程は柄が乾き切った状態で終わらせる必要があったのだ。だからこそ簡単に火がついちゃったのかもしれないな。

 

水を吸って変色してしまった柄を見て落ち込んでいる私に、咲夜が恐る恐る質問を放ってくる。

 

「……ひょっとして、濡らしちゃダメだったの?」

 

「その通りだが、今のは仕方ないさ。普通の魔法使いなら火を消す時、咄嗟に水の呪文を使うもんだ。……八卦炉で突風を出して吹き消せば良かったな。あの瞬間には思い付かなかったぜ。」

 

「ごめん、魔理沙。」

 

「いいって、根本の原因は私のミスなんだから。照射はほんの一瞬だけで充分だったのに、一秒近くやっちまったんだ。……いやはや、参ったぜ。工具で地道にやるべきだったかもな。」

 

頭をポリポリと掻きつつも、ミニ八卦炉を横目にため息を吐いた。こいつが手元にあったのに、いざという時に杖魔法を頼ろうとしたのが失敗だったな。私もやっぱり魔法界の住人だったということか。『緊急時は杖を使う』という考えが染み付いているらしい。

 

うーん、幻想郷に戻ったら改善すべき点かもしれないな。こっちじゃ大っぴらには使えないが、向こうで自衛の手段として役に立つのはどちらかと言えばミニ八卦炉の方だ。咄嗟に構えられるようにしておかなければ。

 

色々と反省しながら濡れてしまった柄を手に取った私に、未だ申し訳なさそうな雰囲気の咲夜が問いを寄越してくる。

 

「乾かしてもダメなの?」

 

「残念ながら、一度濡れるとアウトっぽいんだよ。かなり繊細な木材らしくてな。この工程を終わらせてから薬剤でコーティングする予定だったんだが……ま、諦めるさ。またすぐに作り直すぜ。」

 

「……ごめんね、結構時間をかけてたのに。」

 

「あーもう、気にすんなって。火をつけたのは私なんだから、そんなに気にされるとこっちが申し訳なくなってくるぜ。……じゃあよ、新しい柄を作るのを手伝ってくれ。どうせこっからも何回か失敗するだろうし、何本あっても足りないくらいなんだ。形を整えるのにはナイフを使うから、多分お前の方が得意だと思うぞ。」

 

木材はふくろう通販で安く手に入るし、何本か纏めて買っておこう。ハリーへの手紙を出すついでに申し込むかと考えていると、銀髪ちゃんはこっくり首肯して了承してきた。

 

「分かった、手伝う。」

 

「おう、頼む。そんじゃまあ、飯を食いに行くか。昼休みにはまだちょっと早いが、そろそろ準備が始まる頃だろ。」

 

工具を片付けて立ち上がりつつ、停止させたミニ八卦炉をポケットに仕舞う。ツールケースはここに置いておいて大丈夫なはず。午後にも空きコマがあるから、どうせここで作業するだろ。……何にせよ、次からはきちんと専用の工具で穴を空けるべきだな。急がば回れだ。今回はそのことわざの重要性を実感したぞ。何事にも安全な近道なんて無いわけか。

 

また一つ新たな教訓を獲得しながら、霧雨魔理沙は星見台の出入り口へと足を踏み出すのだった。

 



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森の別荘

 

 

「ふん、実に気に入らんね。何だあの態度は。忌々しい真っ白ジジイめ。折角この私が出向いてやったというのに、たったあれだけの会話で終わらせるとはどういう了見なんだ。私は泣く子も黙るアンネリーゼ・バートリ様なんだぞ。」

 

おお、怒っているな。文句を撒き散らしながら人形店に入ってきたリーゼ様に、アリス・マーガトロイドは苦笑いで首を傾げていた。この偉大な吸血鬼をここまで怒らせることが出来るのは、私が知る限りでは世界でたった三人の『対等な悪友たち』だけだ。レミリアさんと、パチュリーと、そしてグリンデルバルドだけ。つまり彼女はロシアの議長に会ってきたということなのだろう。

 

十月も半ばに突入した晴れた日の午前中、私はついさっき『お菓子売り切れ』の看板を表に出したところだ。今朝開店した段階ではリーゼ様はまだ寝ていたはずなので、私が一階に居る間に起きてロシアに行って戻ってきたわけか。煙突飛行で魔法省に移動して、ポートキーでロシアとイギリスを行き来した後、姿あらわしでダイアゴン横丁に帰ってきたのかな?

 

改めて考えると中々の過密スケジュールだなと感心している私に、荒々しい足取りで近付いてきたリーゼ様が文句を続けてくる。

 

「香港自治区やマホウトコロに話を通すために頑張った私に対して、あの冷血ジジイは何て言ったと思う? ……『そうか』だけだよ。信じられるかい? なーにが『そうか』だ。ガキの感想じゃあるまいし、もっと他に言うべきことがあるだろうが。」

 

「えーっと……そうですね、それはひどいですね。」

 

「だろう? そしてカンファレンスの日程だけ告げてそれで終わりだ。『腕時計問題』については意地でも議論したくないらしいね。論破されると分かっているから逃げたんだろうさ。とんでもないヤツだよ。」

 

同意だ。こういう時はとにかく同意すべきだ。うんうん頷く機械になりながら、ぷんすか怒っているリーゼ様も可愛らしくて素敵だなと思っていると……ん? 『腕時計問題』? 耳慣れない言葉が出てきたな。

 

「あの、腕時計がどうかしたんですか?」

 

気になって問いかけた瞬間、リーゼ様は翼をパタリと畳んで口を閉じてしまう。あれ、何だろう? 聞いちゃいけなかったのかな?

 

「えっと?」

 

急な沈黙に困惑しながら態度で促してみれば、リーゼ様はムスッとした顔で答えを寄越してくる。その表情もいいな。グッと来るぞ。

 

「……何でもないよ。キミが気にすることじゃないさ。」

 

「いやでも、どう見ても不満な時の顔じゃないですか。グリンデルバルドと会ってきたんですよね? 誕生日に高い腕時計を要求されたとか?」

 

「百を超えているジジイなんだぞ、ゲラートは。早苗じゃないんだから、そんなことがあるわけないだろう? ……まあ、とにかく何でもないよ。それより売れ行きはどうなんだい?」

 

うーむ、リーゼ様にしては強引すぎる話題の逸らし方だ。普段の彼女ならもっと上手くやるだろうし、となると『腕時計問題』とやらはリーゼ様の調子を崩すほどの大問題だということになるぞ。

 

非常に気にはなるものの、リーゼ様がこう言っているのに諦め悪く尋ねるのは気が咎めるし、何より『こいつ、しつこいな』と思われるのは絶対に嫌だ。そんなことになったら絶望じゃないか。ここは潔く諦めよう。

 

『腕時計問題』への興味をどうにか抑え付けながら、空っぽのガラスケースを指差してリーゼ様に返答を返した。

 

「いつも通りです。」

 

「なるほどね、人形は売れなかったのか。」

 

そっちの意味で受け取ったのか。まあ、間違ってはいないけど。エマさんのお菓子が売り切れて、かつ人形が売れていないのが『いつも通り』であることに落ち込みつつ、リーゼ様に向けて今度は私から質問を投げる。

 

「ちなみに、カンファレンスの日程は具体的にどんな具合になったんですか?」

 

「来月の末から各地で開催していって、日本は最後になるそうだ。マホウトコロでのカンファレンスは三月の後半だよ。……私はそんなに急ぐ必要はないと思うんだけどね。キミもそう思うだろう?」

 

「そうですね、そうかもしれません。」

 

別に急いでも良いと思うが、同意した方がリーゼ様は喜ぶだろう。そんなわけで機械的に同意した私に、黒髪の吸血鬼はカウンターに腰掛けながら話を続けてきた。

 

「兎にも角にも、日本魔法界への『工作』は一段落って感じかな。時間にも余裕が出来そうだし、そろそろ移住の準備を本格的に進めていこうか。」

 

「と言っても、何をしましょう? さすがに荷造りするのはまだ早いですよね? 十ヶ月近く先なわけですし。」

 

「……まあ、そうだね。パッとは思い浮かばないな。人形店は結局どうするんだい? 持っていくのか?」

 

「まだ決めかねてます。リーゼ様はこっちに戻れるわけですし、イギリス魔法界の拠点として取っておくのもいいかなと思ったんですけど……どうですか?」

 

無論、『中身』の人形の方は全部持っていくけど。人形が詰まった棚を見回しながら提案してみると、リーゼ様は肩を竦めて返事をしてくる。

 

「そこは別に気にしなくていいさ。どうにだって出来るよ。私のことは置いておいて、キミがどうしたいかを優先したまえ。……一応聞くが、キミは幻想郷に行ったら紅魔館に住むつもりかい?」

 

「それはまあ、もちろんそのつもりですけど。」

 

まさか、出て行けと言われたりはしないよな? 想像しただけで悲しくなってくるぞ。恐る恐る肯定してみれば、リーゼ様は特に何とも思っていないような顔付きで口を開いた。

 

「そりゃそうか、咲夜も紅魔館に住むだろうしね。私はどうしようかな。」

 

「……へ? リーゼ様も紅魔館に住むんですよね? だってほら、紅魔館は『半ムーンホールド』じゃないですか。それ以外に選択肢なんてありませんよ。」

 

「折角苦労して紅魔館とは別個の繋がりを作ったのに、紅魔館に住んだら意味がないんじゃないかと思い始めているんだよ。そりゃあ紅魔館は半分……というかムーンホールドの『偉大さ』を考慮すれば七割以上はバートリ家の物だから、即ちレミィではなく私の館だということになって、そうなると主人たる私は紅魔館で生活すべきなんだけどね。んー、悩ましいな。どうしたもんか。」

 

待て待て、マズいぞ。リーゼ様と一緒に暮らせないのなんて御免だ。予想外のことを言い出したのに焦りつつ、悩める吸血鬼へと意見を放つ。

 

「普通に紅魔館でいいじゃないですか。咲夜もフランも寂しがりますし、エマさんのことだってありますし……それにほら、バートリ家の先祖の皆さんも悲しみますって。」

 

「キミね、何もムーンホールドを手放そうってわけじゃないぞ。要するに一定の期間『別荘』で暮らすかどうかって意味だよ。見栄っ張りのレミィなら勝手に館を管理してくれるだろうから、幻想郷での立ち位置が落ち着くまでは預けておけばいいさ。……『あの』レミィが勢力の確立を諦めると思うかい? 紅魔館で暮らしていれば『紅魔館所属』と見られるだろうし、そうなると面倒なトラブルに巻き込まれかねないわけだ。」

 

「……まあ、それは分かりますけど。」

 

「故に暫くの間別荘に避難するってことさ。……ふむ、別荘暮らしか。話していたら何だか良い考えに思えてきたぞ。そも私は咲夜やキミなんかの『緊急避難先』を作ろうとしていたわけだからね。紅魔館以外の場所に私が住んでいるのは好都合なはずだ。」

 

ぬう、乗り気になっちゃっているな。多分実利云々というよりも、『別荘暮らし』という響きが気に入ったんだろう。機嫌を回復させ始めているリーゼ様に、おずおずと確認を飛ばした。

 

「それって、エマさんも連れて行くんですよね?」

 

「当たり前だろう? 私が居るところにエマが居るのは至極当然のことさ。咲夜に関しては……まあ、自分で決めさせよう。幻想郷そのものがそこまで広くないんだから、別荘と言ってもある程度近所になるはずだ。どちらに住むにせよ気軽に通える距離だろうし、そんなに気にしなくても大丈夫じゃないかな。」

 

「……土地とか建物はどうする気なんですか?」

 

「そこは要検討だが……ああ、魅魔。土地は魅魔の縄張りを使おう。あいつには去年の貸しがあるからね。まさか断りはしないはずさ。うんうん、悪くない考えじゃないか。魅魔の土地に住んでいて、紅魔館と紫と博麗神社と守矢神社に繋がりを持っている状態になるわけだ。人外どもにはいい威圧になるぞ。」

 

そこまで行くとむしろ面倒事に巻き込まれる機会が増えそうにも思えるけど……何れにせよ、今のリーゼ様を諦めさせるのは難しそうだな。だったら私も一緒に住む方向に持っていかなければ。私は死ぬまで『親離れ』をするつもりは無いのだ。

 

「じゃあ、この建物を『別荘』にするのはどうですか?」

 

「ん? 人形店をかい?」

 

「これを持っていけば新しく建てる必要はありませんし、住み慣れた家の方が色々と楽ですよ。……そうなると私もリーゼ様と住むべきかもしれませんね。『自分の工房』っていうのにも憧れてたんです。紅魔館はどちらかと言えばパチュリーの工房ですから。」

 

「……無理してついて来てくれなくてもいいんだよ? さっきも言ったが、遠く離れた場所に住むわけじゃないんだ。会おうと思えばいつでも会えるさ。」

 

『いつでも会える』じゃなくて、『いつも一緒』がいいぞ。いつでも会えるってことは、いつもは会っていないってことじゃないか。妙な方向の気遣いモードに入ってしまったリーゼ様に内心で唸りつつ、首を左右に振ってから説得を重ねる。あくまで自然体を装いながらだ。

 

「いえいえ、無理はしてませんよ。向こうで人形店をやるのもいいかなと思いまして。要するに、今の生活を幻想郷でも続ける感じです。」

 

「しかしだね、魅魔の縄張りは森らしいぞ。客なんて来ないんじゃないか?」

 

「……なら、こっちから売りに行けばいいんですよ。」

 

「だったら紅魔館に住んだ方が楽だと思うがね。どちらがより人里に近いのかは分からんが、少なくとも森を横断するよりは行き来しやすいんじゃないかな。」

 

ぐう、良くない方向に話が進んでいるな。心配そうな顔になっているリーゼ様を見て、こうなったらこれしかないと切り札を場に出す。『正直さ』という切り札をだ。

 

「本音で言うと、単純にリーゼ様と一緒に住みたいんですけど……ダメでしょうか?」

 

悲しそうな表情……ほぼ本心からのものだが、ちょびっとだけ大袈裟にしたそれを浮かべながら問いかけてみれば、リーゼ様は満更でもないような面持ちで即座に承諾してきた。いざとなったら優しさに付け込んだり同情を引いたりしてみるのは、守矢神社のダメな方の神から学んだ技だ。今だけは教えを授けてくれたことに感謝しておこう。

 

「おや、可愛いことを言うじゃないか。まだ私が一緒じゃないとダメなのかい? そういうことなら仕方がないね。キミも来たまえ。」

 

若干恥ずかしいが、背に腹はかえられない。リーゼ様との生活が手に入るなら安いもんだ。自分が七十歳を超えていることを頭から追い出しつつ、こっくり頷いて話を進める。諏訪子さんが子供っぽく振る舞うのがセーフなのであれば、私がリーゼ様に甘えるのもセーフなはず。神がやっているのに魔女がやって悪い道理はあるまい。

 

「リーゼ様とエマさんと私が住むだけなら、やっぱりこの家で充分じゃないでしょうか? トランクから出るにしても部屋は魔法で広くできますし、咲夜が通ったり泊まったりするのも大丈夫なはずです。」

 

「んー、そうかもね。なら人形店も幻想郷に持っていこうか。」

 

……待てよ? エマさんはリーゼ様の使用人だからノーカウントとすれば、それはもうリーゼ様と私が二人っきりで同棲しているのに近い状態なんじゃないか? 凄いことに気付いてしまったかもしれない。本質的にはそうだと言えなくもないはずだ。

 

あまりにも素晴らしい閃きに驚愕していると、リーゼ様がカウンターからぴょんと降りて店内を歩きながら詳細を詰め始めた。

 

「となれば、次に幻想郷に行った時に魅魔と紫に話を通すべきだね。ちょうどあの二人には他にも話したいことがあったんだよ。二柱の債権に関する妙案を……あー、マズいな。紫のやつ、まだ起きているのか? 別荘のこと自体は藍でも処理できるはずだが、魅魔に連絡を取れるかどうかは微妙なところだ。どう思う? アリス。」

 

「魅魔さんなら気付くんじゃないでしょうか? こっちが連絡を取りたがったら、取れるような気がします。何となくですけど。」

 

「……まあうん、そうだね。不条理な反則級相手に普通の心配をするだけ無駄か。近いうちに幻想郷に行ってくるよ。」

 

「そういえば、守矢神社の移住先も決めないとですよね? この前日本に行った時、神奈子さんが言ってたじゃないですか。」

 

食事が終わったら話を再開する予定だったのに、結局全員が忘れてしまって有耶無耶になったんだっけか。焼肉屋での会話を思い出しながら言ってみれば、リーゼ様はやや面倒くさそうな顔付きで首肯してくる。自分の『別荘計画』を考えるのは楽しいけど、『仕事』のこととなると嫌になるってところかな? 素直なリーゼ様も可愛いぞ。

 

「それもあったか。……守矢神社のこともついでに話してくるよ。後で藍に説明するための資料を作ってくれるかい? 紫相手だったら不要だろうが、藍だと必要になるかもしれないから。多分大丈夫だとは思うけどね。」

 

「作るのは構いませんけど、どんなことを書けばいいんですか?」

 

「土地の大きさだけざっくりと書いてくれればいいよ。つまるところ、それを丸ごと『置ける』広さがあればいいわけだろう?」

 

「そこまで単純な話じゃないと思いますけど……。」

 

転移させる土地はそれなりの広さだし、範囲内に建物や湖も含まれているのだから、そこそこ真剣に熟慮すべきじゃないだろうか? ……うーむ、変なことにならなきゃいいけどな。どこに転移させるにしても、いきなり湖付きの神社と共に神が二柱現れたら周囲が混乱するはずだ。そういう『ご近所トラブル』のことも考えるべきだと思うぞ。

 

「ま、平気さ。上手くやるから。それより私の別荘のことを考えるべきだよ。……森か。別荘らしくて悪くはないが、どうせなら釣りが出来る池も欲しいね。守矢神社の湖を半分貰ったらバレるかな?」

 

「バレないわけがないですし、別荘って言ってもこの家なんですよ? そこまで期待しない方がいいんじゃないでしょうか?」

 

「こういうのは雰囲気が大事なんじゃないか。……三分の一でいいから貰えないか今度二柱に聞いてみるよ。そもそも魅魔の縄張りの中に湖や川がある可能性も残っているしね。幻想郷に行った時に詳しく調べてみよう。」

 

うーん、夢いっぱいだな。紅魔館の近くにも大きな湖があるはずだし、釣りはそっちですればいいのに。リーゼ様の『理想の別荘』は森の中が立地の場合、近所に湖が必要なわけか。

 

このままだと守矢神社の立地は二の次にされそうだなと苦笑しつつ、アリス・マーガトロイドは遠く離れた日本の三人組に同情の念を送るのだった。

 



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家族会議

 

 

「そこに座りなさい、早苗。」

 

あっ、これは怒られるやつだ。寮の自室のドアを開けた途端に指示してきた神奈子様を見て、東風谷早苗は咄嗟に脳内から『失敗リスト』を引き出していた。間違えてセーブデータを上書きした件かな? それとも神奈子様が楽しみにしていた期間限定のお菓子を勝手に食べちゃった件? あるいは今日の呪学の宿題を忘れた件かもしれない。

 

十月下旬の火曜日の夜、私は夕食とお風呂を終えて自室に戻ってきたところだ。今日の夕食には美味しい秋刀魚が出たし、寮のお風呂が混まないうちにゆっくり湯船に浸かれたから、さっきまでは凄く良い気分だったんだけど……むうう、マズい雰囲気だな。神奈子様は厳しい表情で床に正座していて、諏訪子様は音量を下げた状態でチラチラとこっちを見ながらゲームをしている。絶対に怒られる時の空気じゃないか。

 

「あの、はい。」

 

とりあえず指示通りに神奈子様の目の前に正座してから、先手を取って謝ってみるべきかと頭を働かせていると、守矢の軍神様が三つ折りになっている一枚の紙を差し出してきた。

 

「これを見なさい。」

 

「えーっと、分かりました。」

 

ふむ、予想外の物が出てきたな。私が思っていたような理由で怒られるわけではないらしい。墓穴を掘ることになりかねなかったし、先に謝らなくて良かったぞ。神奈子様の真面目な声色に少しビクビクしつつ、受け取った紙を広げてみれば──

 

「これは……はい、成績表ですね。今月やった秋季テストの。」

 

「その通りだ。部屋に届いていたから、悪いが保護者として先に目を通させてもらった。……それを見てどう思う?」

 

「……ちょーっとだけ悪いかもしれません。つまりその、予想よりは。」

 

『暗澹たる』って表現はこういう時に使えばいいわけか。要するに私の成績表に並んでいるのは、『暗澹たる成績』だ。テストの時はそこそこの手応えを感じたのに、まさかここまでひどいとは思っていなかったぞ。

 

マホウトコロでは呪学、祓魔学、符学、薬学、飛行学、天文学、史学、非魔法学が必修の基礎八科目で、生物学、植物学、古史、癒学が五年生から一科目以上を選ぶ専門四科目となっている。そしてそこに英語、第二外国語、倫理、数学、芸術、工学、地理といった年間学科を自由に加えられる形だ。

 

ちなみに『年間学科』というのは履修を希望した全学年の生徒を一年区切りで纏めて教える学科で、隔年で細かい内容が異なっていたりする特殊な科目なのだが、私は五年生の時に英語を取ったっきりなので今は関係ない。今問題になっているのは基礎八科目と私が選択した植物学だ。

 

私は薬学と史学と非魔法学の二次選択をそれぞれ癒療薬学ではなく基礎薬学、世界史学ではなく日本史学、技術非魔法学ではなく社会非魔法学にしたので、九年生で取っている科目は呪学、祓魔学、符学、基礎薬学、飛行学、天文学、日本史学、社会非魔法学、植物学の九つとなっている。それが一つ一つ五段階で評価されているのだが──

 

「飛行学が一、祓魔学と呪学が二。ここはまあいいだろう。実技がどうにもならないのだから、ある程度低い評価になるのは仕方のない話だ。しかし基礎薬学と日本史学、天文学、植物学が軒並み二なのはどういうことなんだ?」

 

「でもあの、符学と社会非魔法学は四です。五段階評価なんだから、上位、えっと……二十? じゃない、四十パーセントってことですよ。平均より上じゃないですか。」

 

まあまあ凄いはずだ。まあまあだけど。申し訳程度の反論をしてみると、ゲーム中の諏訪子様がポツリと呟いてくる。

 

「マホウトコロの成績は絶対評価だけどね。他人の順位はあんまり関係ないよ。」

 

「ぜ、絶対評価? ……よく分かんないですけど、でも悪くはないはずです。四なんですから。四!」

 

四だぞ。五段階中の四。指で『よん!』を示しながら主張した私に、神奈子様は厳しい面持ちのままで口を開いた。四なのに。

 

「お前は非魔法界での生活が人より長かったんだから、社会非魔法学の成績が良いのは当然のことだ。むしろ五であるべきだぞ、ここは。……早苗、よく聞きなさい。七年生までのお前はもう少し成績が良かったはずだ。実技はともかく、筆記でそこそこの点数を確保できていたからな。それが八年生で徐々に落ち始めて、九年生にはこんなことになってしまっている。その理由が分かるか?」

 

「……分かりません。」

 

「では教えよう。……バートリだ。これはバートリに甘えまくって娯楽を手に入れたが故の堕落なんだ。」

 

「でも、でも、リーゼさんは何も悪くありませんよ。親切にしてくれてるだけです。」

 

薄々は感じていた指摘にしゅんとしながらリーゼさんを擁護してみれば、神奈子様は呆れ果てた表情で『お説教』を再開してくる。マズいぞ、どうやら発言の選択を間違えてしまったらしい。

 

「そんなことは分かっている。バートリは私たちの要求に応えているだけで、悪いのは『バブル』に溺れた私たちだ。」

 

「おっ、上手いこと言うじゃん。『守矢バブル』だね。リーゼちゃんが局所的に景気を良くしてくれたんだよ。」

 

「茶化すな。お前は黙っていろ、諏訪子。……これまで一時的にゲームを禁止してみたり、勉強を促したりしてみたが、この成績を見れば何一つ効果がなかったのは明白だ。私たちの対応も甘かったと言わざるを得ない。よって今日からは情を捨てて厳しい対応を取らせてもらう。」

 

あああ、良くない。良くないぞ。神奈子様がどんな宣言をしてくるのかと身構えていると、偉大な守矢神社の神様は先ず……うわぁ、凄いことをするな。もう一柱の偉大な神様がやっているゲームの線を引っこ抜いた。映像出力ではなく、電源の方をだ。

 

「は? 何してんのさ、神奈子。セーブしてないんだけど? ……え、何? びっくりしたわ。気でも狂ったの?」

 

「狂っていない。もうゲームは禁止だ。早苗はもちろんのこと、私もお前もな。」

 

いきなりの『蛮行』に怒るよりも驚いている様子の諏訪子様を前に、神奈子様は重々しい顔付きで話を進める。

 

「最大の問題だったのは早苗のゲームを禁止したのにも拘らず、禁止した張本人である私たちが普通にゲームをしていたという点だ。それでは気が散るのは当たり前だし、説得力にも真剣味にも欠ける。だから禁止。全員禁止だ。テレビも、漫画もな。」

 

「やっぱ狂ってるじゃん。マジで言ってんの? ……うわ、本気の顔してる。マジなんだ。やる気なんだ。」

 

「言っておくが、神社の方に顕現してやるのも無しだぞ。早苗のためを思うなら出来るはずだ。全員で禁止して、この子の成績が良くなった時の解禁を目指そう。目的を一致させれば団結して頑張れるだろう?」

 

反対してくれ、諏訪子様。いつもなら絶対に反対するはずだ。諏訪大戦の始まりだぞ。呆然としている諏訪子様に対して祈ってみるが……ええ? 嘘だろう? 了承しちゃうのか? 諏訪子様はバツが悪そうな顔で渋々頷いてしまった。

 

「……まあ、うん。早苗にだけ制限をかけようってのは虫のいい話だったかもね。真剣さが足りてなかったって点には同意するよ。」

 

「では、お前も禁止を呑めるな? 諏訪子。」

 

「あーあ、仕方ないか。おバカちゃんな早苗は面白くて可愛いけど、本物の馬鹿にはなって欲しくないもん。勉強はしっかりさせておかないとね。そろそろ『目標に向かって我慢して励む』ってことを学ばせとかないと、幻想郷に行った後じゃ余裕があるか分かんないし。」

 

「そういうことだな。加えて期生のこともある。マホウトコロは『エスカレーター式』だから進学自体はどうにでもなるだろうが、楽をした先に待っているものなど何もない。もう十六歳なんだから、いい加減厳しくやるべきだ。……早苗もそれでいいな?」

 

よくない。よくないぞ。味方を失っておろおろしている私に、諏訪子様がため息を吐きながら声をかけてくる。

 

「諦めな、早苗。今回は珍しいことに神奈子が正しいよ。幾ら何でも成績が一気に落ち過ぎたね。私たちも責任を取って一緒に我慢するから、あんたも我慢して勉強に励むように。」

 

「でも、だけど……いつまでですか? 具体的にいつまでゲームもテレビも禁止になるんでしょう?」

 

「飛行学を除いた全教科の最低の評価が三かつ、平均が四かつ、符学と社会非魔法学は五が欲しいな。どこかのテストでそうなったら解禁してやろう。ダメだったら期生になった後もこの体制を継続する。」

 

神奈子様が条件を提示してくるが……そんなの、そんなの絶対無理じゃないか。泣きそうな顔でふるふると首を振ってみるものの、お二方は一切の譲歩はしないという表情で言葉を重ねてきた。

 

「それでいいんじゃない? リーゼちゃんに甘えるようになる前までは、そのくらいの成績だったわけだしね。」

 

「それでは、早速始めよう。無論私たちも手伝えるように勉強するぞ。今日からは夜更かしも無しだ。授業中に眠くなってしまうからな。」

 

「んじゃ、史学はあんたが担当ね。私は植物学と、んー……天文学とか? 符学はどっちも教えられるっしょ。」

 

断固たる態度で勉強机に私を引っ張っていく神奈子様と、面倒くさそうな様子ながらも素直に教科書を手に取った諏訪子様。寮の自室は私の唯一の『安全地帯』だったのに、ここも危険な場所になってしまったようだ。うああ、勉強なんてやりたくない。ゲームがしたいぞ。

 

それでもお二方には逆らえないとのろのろした動作で席に座りつつ、東風谷早苗は今度の外出日にリーゼさんとアリスさんに助けを求めようと決意するのだった。

 

 

─────

 

 

「……あらまあ。」

 

花だらけじゃないか。ヴェイユ家の並んだ墓を色取り取りの花が包んでいるのを眺めつつ、アリス・マーガトロイドは柔らかい苦笑を浮かべていた。十八年。あれから十八年も経っているというのに、未だ命日には来訪者が絶えないらしい。我が友人ながら大したもんだな。

 

空が赤く染まっている十月三十一日の夕刻。テッサたちの命日であり、同時に咲夜の誕生日でもある今日、私は毎年恒例のお墓参りに来ているのだ。持ってきた花をそれぞれの墓前に供えている私に、珍しく同行を希望したリーゼ様が話しかけてくる。

 

「おいおい、この区画だけが花畑になっているじゃないか。こんなに誰が来たんだ?」

 

「私もこれだけの花があるのは予想外です。いつもはもう少し早い時間に来てたので気付きませんでしたけど、毎年この時間はこうなってたんでしょうか?」

 

「だと思うよ。節目の年ってわけでもないし、これが平均的な花の数なんだろうさ。……毎年同じ人物が来ているんじゃなくて、元生徒とかが別々の年に入れ替わりで来ているのかもね。」

 

「あー、そうかもしれませんね。テッサはホグワーツに長く勤めてましたから。」

 

『花畑』が表しているのがテッサの人柄であるならば、これ以上の人間はそうそう見つからないだろう。親友が今なお私を驚かせることに微笑みつつ、白い墓石をそっと撫でた。掃除も誰かがしてくれたらしい。今年は役目を取られちゃったな。

 

幻想郷に旅立つので、来年からはもう来られないかもしれない。墓石に触れたままでそのことを残念に思っていると、リーゼ様が墓地を見回しながら声をかけてきた。

 

「ま、場所はしっかりと覚えたよ。別にこれまでだって知らなかったわけじゃないが、次からは私が来ることになりそうだからね。改めて正確に把握しておきたかったんだ。」

 

「……代わりにお墓参りをしてくれるってことですか?」

 

「そりゃあそうさ。キミの大事な友人や、咲夜の親族の墓なんだぞ。……吸血鬼社会における『墓』と魔法界のそれは少し意味合いが違うが、キミたちにとって大切なものは私にとっても大切だ。それくらいのことはするよ。キミの両親の墓なんかも任せておきたまえ。」

 

言いながら肩を竦めたリーゼ様は、目をパチクリさせている私を見て照れ臭そうにそっぽを向くと、いつもより小さな声で『言い訳』を重ねてくる。

 

「まあ、パチェの両親の墓も毎年見に行っているしね。だったらキミたちの分もやらないと不公平だろう? 行って花を供えて、軽く杖魔法で掃除するくらいだったら何でもないさ。大したことじゃないよ。」

 

「パチュリーの両親のお墓に行ってたのは知りませんでした。」

 

「一応パチェをこっちの道に『引き込んだ』のは私なんだから、多少の責任はあるんだろうさ。義理を果たしているだけだよ。私は余計な借りを作るのが嫌いなんだ。」

 

「そうですか。……私が来られなくなっても、リーゼ様が来てくれるなら安心ですね。ありがとうございます。」

 

うーん、昔のリーゼ様なら『代わりに墓参りをする』なんて考えもしなかっただろう。やるやらない以前に、思い付きすらしなかったはず。これもまた彼女が人間と接して変わった部分の一つかと不思議な気持ちになりながら、私がお礼を口にしたところで……花を持った誰かがこちらに近付いてきた。スーツ姿でカウボーイハットを被っている男がだ。分かり易い恰好だな。

 

「あら、オグデン。貴方もお墓参りに来てくれたの?」

 

「やあ、監獄長君。」

 

言わずもがな、アズカバンの監獄長であるアルフレッド・オグデンだ。挨拶する私たちを目にしてちょっと嫌そうな表情になったオグデンは、やれやれと首を振りながら返事を返してくる。どうしてそんな顔になるんだ?

 

「どうも、お二人とも。……夕食時なら誰にも会わずに済むと思ったんですけどね。僕はつくづく運がないようです。」

 

「キミね、何故人が居ない時間を狙う必要があるんだい? 墓を暴こうとでもしていたのか?」

 

「ムーディ局長と一緒にしないでください。常識的な僕は墓を暴いたりはしませんよ。ただでさえ恨みを買いまくっているんですから、この上死者にまで恨まれたら目も当てられないじゃないですか。……大体、墓参りというのはみんなでわいわい楽しむようなものではないでしょう? 一人寂しくやるものです。だからそうしようと思っただけですよ。」

 

「墓参りの流儀に関してはともかくとして、ムーディが墓荒らしだったのは意外だね。ゴーストの犯罪者でも捕まえようとしたのかい? 霊体は捕まえられないから、死体の方をアズカバンにぶち込もうとしたとか?」

 

どういう会話なんだ、これは。呆れて見守っている私を他所に、ヴェイユ家のそれぞれの墓に別々の花を供えたオグデンが応答した。

 

「大昔の犯罪捜査で、棺の中の証拠を回収するために墓を掘り起こしたんですよ。まだ局長のパーツが全部揃っていた頃の話です。今は五歳児が組み立てた模型みたいになっちゃってますけどね。」

 

「五歳児をバカにしすぎだぞ、キミ。三歳児だってもっと上手く組み立てられるさ。」

 

リーゼ様から無茶苦茶な突っ込みが入ったところで、私もオグデンに質問を飛ばす。『常識的』な質問をだ。

 

「毎年来てくれてたの?」

 

「いいえ、ここに来たのはかなり久々です。……去年のアズカバンでの会話で決心が付きましてね。今年は来てみたわけですよ。」

 

「なるほどね、そういうこと。」

 

咲夜とのあの会話か。コゼットとアレックスの墓の前でそう答えたオグデンは、踵を返して別れの言葉を投げてきた。もう帰っちゃうのか? まだ来たばかりなのに。

 

「では、僕はこれで失礼します。」

 

「もう行くの?」

 

「……何をすればいいのかが分からないんですよ。僕は墓石に語りかけるってタイプじゃありませんし、『あの世』ってやつも信じちゃいませんから。」

 

「ふぅん? なのにここには来たわけだ。訳が分からんね。」

 

心底疑問だという声色のリーゼ様の問いに、オグデンはカウボーイハットを片手で押さえながら応じる。その顔に浮かんでいるのは苦い笑みだ。

 

「やっている自分でも訳が分かりませんが、来た意味はあったんだと思います。これでいいんですよ、僕は。何より花が多くて安心しました。……それでは、今度こそ失礼しますね。」

 

言うと、オグデンは杖を振って姿くらましで消えてしまうが……難しいな。私にはオグデンの内心が読み取れなかったぞ。発言も心の内も複雑なヤツだなとため息を吐いた私に、一度小さく鼻を鳴らしたリーゼ様が声を寄越してきた。

 

「相変わらず変なヤツだね。闇祓い局の連中はこれだからいけない。ハリーとロンが悪影響を受けなきゃいいんだが。」

 

「優秀な分、癖も強いってことなんですよ。……それじゃあ、私たちも行きましょうか。エマさんが夕食を作って待ってるでしょうし。」

 

「ん、もういいのかい?」

 

「移住前に咲夜と一緒に来るでしょうから、きちんとしたお別れはその時にします。掃除もされてるみたいですし、今日はもう大丈夫です。」

 

オグデンの細かい内心までは読み取れなかったけど、『花が多くて安心した』という部分だけは少し分かるぞ。これなら寂しくはないだろう。それを確認できただけで今日は満足だ。

 

私の返答を受けて、リーゼ様は杖を手にしながらこっくり首肯してくる。

 

「なら、帰ろうか。先に行くよ。」

 

「はい、了解です。……またね、テッサ。」

 

もう返事なんて返ってこないはずの白い墓石。それでも呼びかけるとテッサの声が聞こえてくるような気がするな。……まだ私は親友の声をきちんと覚えているわけか。陽だまりのようなあの元気な声を。

 

そのことに心の底から安心しつつ、アリス・マーガトロイドはゆっくりとイトスギの杖を振るのだった。

 



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プラモデル

 

 

「ん、来たか。少し待て、今茶を淹れてやる。」

 

一体全体どういうことだよ。スキマから出た途端に見えてきた光景に困惑しつつ、アンネリーゼ・バートリは声をかけてきた藍にかっくり首を傾げていた。私が足を踏み入れたのは、ごくごく平凡な日本の民家の茶の間だ。東風谷家よりもやや広めの和風のリビングルーム。どこなんだよ、ここは。

 

十一月に入ってから数日が経過した金曜日の午後、『別荘』と守矢神社の転移先の下見をするために幻想郷に行こうと思い立って、いつものように呪符で移動してきた結果……毎度お馴染みの博麗神社ではなく、この謎の部屋に出てしまったというわけだ。

 

部屋の中央には大きな丸い座卓が置かれており、壁際には箪笥やテレビなんかが生活感丸出しで設置されている。いきなり見知らぬ場所に放り出されて困惑している私へと、部屋から出て行こうとしている金髪九尾が注意を寄越してきた。

 

「あと、靴は脱げ。そっちの障子戸を開けると庭に繋がっているから、そこに置いておくといい。」

 

「いやいや、先ずはここがどこなのかを説明したまえよ。」

 

「紫様の家だ。脱いでから歩けよ? 折角張替えたばかりの畳が汚れるからな。私は台所で茶を淹れてくるから大人しく待っておけ。」

 

紫の家? 呪符で繋がっている先を博麗神社からこっちに変更したということか? そりゃあ紫から渡された呪符で、スキマを使った移動をしたのだから行き先の変更は大いに可能だろうが……何のためにそんなことをするんだよ。びっくりしたじゃないか。

 

言うとさっさと部屋を出てしまった藍に鼻を鳴らした後、説明不足だぞと不満に思いながら障子戸を開けてみれば……今度は何だ? 開けた途端にブラウンの髪の少女がびくりと身を震わせているのが目に入ってきた。しゃがんだ状態で板張りの廊下から部屋の中を覗き見ていたらしい。

 

白いブラウスか何かの上に赤い東洋風のワンピースを着ており、緑色の独特な形状の帽子を被っていて、そして獣の耳と二本の細い尻尾を持っている。見た目だけで言えばホグワーツの一年生にも届かないくらいだが、耳と尻尾があるのだからどう考えても妖怪だろう。尻尾の形からして猫妖怪か? 先端だけが白い毛の、細い二又の黒い尻尾だ。

 

「おい、何だキミは。覗き見とは無礼だな。」

 

覗き見ていた時の体勢のままで硬直している猫妖怪に言ってやると、彼女は……何なんだよ、本当に。分かり易くハッとした直後、私の太ももにぺちんと全然痛くないパンチをしてから素早く逃げ出した。より厳密に言えば『逃げ出そうとした』だが。逃がすわけないだろ。

 

「おいこら、いい度胸じゃないか。私とやる気かい?」

 

「わっ、わっ……藍さまー! らんさまぁ!」

 

首根っこを掴んで捕獲してやれば、猫娘はじたばたと暴れながら哀れみを誘うような声で藍を呼び始める。するとドタバタと喧しい音が背後から聞こえた後、茶の間に藍が戻ってきた。

 

「何だ、どうした! ……バートリ、何をしている。橙を離せ。」

 

「ちぇん? 何だか知らんが、こいつがいきなり私の足を殴ってきたんだよ。キミの身内なのかい? どういう教育をしているんだ。」

 

「……橙、本当なのか?」

 

茶葉が入っているのであろう筒を片手に持ったままの藍がジト目で問うのに、『ちぇん』という名らしい猫娘がぶんぶんと首を横に振る。目が尋常じゃないくらいに泳いでいるぞ。恐ろしく嘘が下手なガキだな。

 

「ちっ、違います! こいつが嘘を吐いてるんです!」

 

「やったのか。……離してやってくれ。後で叱っておくから。」

 

「ら、藍さま? こいつの言うことなんか信じちゃダメです! 嘘吐きで、意地悪ばっかりしてくるバカコウモリのことなんて──」

 

「私は今すぐこの無礼な低級妖怪の首をへし折るのでも一向に構わないんだが? そういえばスイスでは猫を食べるらしいね。今急に思い出したよ。」

 

そうか、こいつはいつも私を見張っていた黒猫か。人に化けられるほどの妖怪だとは思っていなかったぞ。ぐいと身体を持ち上げて脅してみれば、猫娘はぷるぷる震えながら泣きそうな声で強がってきた。

 

「わ、私を食べたら藍さまがお前のことをやっつけちゃうからね! バーカ! バカコウモリ!」

 

「狐の威を借る猫か。珍しいものが見られたよ。末期の言葉はそれでいいのかい? キミの墓には『世界で最も偉大な吸血鬼にバカコウモリと言ったために死す』と刻んであげよう。後世に向けての良い教訓になるだろうさ。」

 

「……バートリ、頼むから離してやってくれ。その子はまだ幼いんだ。あまり他者と関わった経験がないから、人付き合いが上手くないんだよ。」

 

「人付き合い云々の問題じゃないぞ、これは。きちんと礼儀を教えたまえよ、礼儀を。」

 

呆れ果てた気分で手を離すと、バカ猫は脱兎の如く廊下の先へと逃げていく。曲がり角で一度こちらを振り返って、舌を出して捨て台詞を口にしながらだ。

 

「べーっだ! お前なんか早く出てけ! バーカ!」

 

「……キミ、教育が上手くないらしいね。あの猫は咲夜が二歳の頃より無礼だぞ。語彙力も無いようだし。」

 

「……少々甘やかし過ぎたという自覚はある。これから厳しくしていく予定だ。」

 

絵に描いたようなクソガキじゃないか。咲夜はやっぱり賢い子だったんだなとうんうん頷きながら、気まずげな表情で再び奥へと戻っていった藍を背に庭に靴を置いて、肌寒い外の景色を見渡した。

 

そこまで広くない和風の庭に雪は積もっておらず、木造の高い塀の所為で敷地の外はよく見えなくなっている。神秘の濃さからいって幻想郷内だとは思うが、スキマ妖怪のねぐらだもんな。どんな土地だろうと勝手に濃くなっちゃいそうだ。

 

澄んだ冬の空気を感じながら廊下と庭とを隔てる近代的なガラス戸を閉じて、早苗の実家にもあったマグルの小さな電気暖炉……『石油ストーブ』だったか? で暖かな茶の間に戻ってみると、湯呑みが載ったプレートを持っている藍も同時に部屋に入ってきた。

 

「ここは幻想郷なのかい?」

 

「幻想郷でもあり、外界でもある場所だ。双方に全く同じ建物があって、それを『重ねて』一つの建物にしている。……行儀が悪いぞ。橙に礼儀云々を注意する者の行いではないな。」

 

テーブルに直接腰掛けた私に苦言を呈してきた藍へと、肩を竦めて返事を送る。『二つの建物を重ねた』か。訳の分からん説明だが、『反則級』がやることをいちいち真面目に考えたって無駄だろう。境界を弄って二つの場所を一つにしたということかな?

 

「座布団は嫌いなんでね。……で、私は何故こっちに出てきたんだい? 博麗神社に行く予定だったんだが。」

 

湯呑みの中の緑茶を飲みながら疑問を飛ばしてやれば、藍はピーピー鳴り始めた石油ストーブのボタンを押してから返答してきた。『延長』というボタンをだ。何を延長したんだろうか?

 

「移住先の土地の下見をするつもりだったんだろう? その場合どうせ博麗の巫女ではなく、紫様と会う必要があるはずだ。しかし紫様は冬眠中で自由に動けず、代行者たる私はまだ博麗の巫女と会うわけにはいかない。だからこちらに案内させてもらったんだよ。」

 

「……相変わらず嫌な連中だね。こっちの行動は全部筒抜けということか。」

 

「紫様はそれが出来る大妖怪だということだ。今来るから少し待っていろ。」

 

「ん? 紫が? 『冬眠中』じゃないのかい? というか、この家の中に居るのか?」

 

延長のボタンを私も押してみながら質問を連発してやると、藍は注意をしてから答えを寄越してくる。ふむ? 何も『延長』されている感じはしないぞ。変な機械だな。

 

「無意味にボタンを連打するな。壊れたらどうする。……紫様は冬の間はこの家の寝室で寝ているんだ。とはいえ今はまだ眠りが浅い時期だから、短時間お前と話すくらいならギリギリ問題ないだろう。その分目覚めが遅くなるかもしれんがな。」

 

「ふぅん? 冬の間ずっと土の中で寝ているのかと思っていたよ。」

 

「蛇や蛙じゃあるまいし、そんな野生動物みたいなことをするわけがないだろうが。紫様を何だと思っているんだ。」

 

「しかしだね、『冬眠』と言えば洞穴か土の中だろう? 真っ当なイメージだと思うぞ。」

 

あるいは屋根裏だな。紅魔館の屋根裏で越冬していたコウモリたちのことを思い出したところで、部屋の襖がゆっくりと開いて……布団の妖怪みたいだな。『妖怪布団被り』が現れた。

 

「おはよう、藍、リーゼちゃん。……あー、ねっむ。眠すぎ。藍、ストーブ強くして。そんでもって加湿器持ってきて。早く。」

 

「今持ってきます。」

 

「……キミ、恥ずかしくないのかい? 客人の前に出てくるような格好じゃないぞ。威厳ゼロだ。」

 

ひどい有様だな。掛け布団に包まったままでずりずりとこちらに近付いてきた紫は、藍と私の分の緑茶を立て続けにゴクゴクと一気飲みすると、くでりとテーブルにもたれ掛かりながら応じてくる。凄まじく眠そうな面持ちだ。布団の隙間から覗いている服装が、やけに可愛らしい柄のパジャマなのが何かイラッとするぞ。

 

「眠いのよ。この時期はとにかく眠いの。それにずっと寝てるからアホほど喉が渇くわ。……らーん、冷たい飲み物も追加ね! スポーツドリンク的なやつ! ペットボトルごと持ってきて!」

 

「不便な生態だね。それこそ境界を操ってどうにかすればいいだろうに。」

 

「生態というか、正にその能力の代償なのよ。フランちゃんの『狂気』みたいなものね。私は常に脳の機能を限界まで酷使してるから、一定の『クールダウン期間』が必要になるの。寒いのが嫌いだから冬の時期を使ってそれをやってるってわけ。今はかなり無理して起きてる状態なのよ? だから褒めて? 頑張ってるゆかりんのことを褒めて頂戴。」

 

ふむ、確かにフランの事情に通ずるものがあるな。どちらも強力すぎる能力を持っているが故に、身体に負担をかけているわけだ。フランの場合はそれを賢者の石という『外部装置』で解決し、紫の場合は単純に脳を休ませることで対処しているってことか。要するに能力が原因なんだから能力で解決することは出来ないと。

 

「フランと同じ方法を使うのは無理なのかい?」

 

褒めて云々を無視して気になったことを問いかけてやれば、紫は半分寝ているような顔付きで首をのろのろと左右に振ってきた。

 

「無理ね。フランちゃんとは負荷の質が違うのよ。大昔に魅魔にも相談してみたんだけど、面倒くさすぎるって匙を投げられたわ。未熟だった頃はそれだけ負荷が少なかったから、ここまで寝なくてもどうにかなってたんだけどね。今はもう全力で、全力で能力を使って……る、から──」

 

おいおい、寝たぞ。いきなりだな。会話の途中ですやすやと寝息を立て始めた紫に呆れていると、部屋に戻ってきた藍が布団妖怪のすぐ近くに謎の機械を設置する。

 

「触るなよ? バートリ。これは高い加湿器なんだからな。……加湿器を知っているか?」

 

「バカにし過ぎだぞ。名前から何となく読み取れるさ。湿度を上げる機械なんだろう? そんなもんが何故必要なのかは分からんがね。」

 

「紫様のお肌のためだ。冬場は乾燥するし、ずっと寝ていると更にひどくなるからな。若いお前には理解できないかもしれないが、歳を取ってくると色々と大変なんだよ。……紫様、パックを貼ります。顔を上げてください。」

 

こいつらも結構アホなことをやっているな。守矢神社の連中といい、美鈴やアピスといい、何千年生きていようが根本の性質は変わらないらしい。むしろ開き直っているような印象を受けるぞ。

 

「んー? ……飲み物は? 喉渇いた。」

 

「そこにあります。それより動かないでください。早く貼らないと乾いちゃうんですから。」

 

「うー、どこよ。見えない。……あっ。」

 

主人の顔に大真面目な表情で白いフェイスパックを貼っている藍と、彼女が持ってきたペットボトルを倒して盛大に飲み物を零している紫。これがレミリアと咲夜ならまだ救いようがあったんだが、紫と藍がやっていると何だか哀れになってくるぞ。非常に物悲しい気分だ。

 

「ああもう、動かないでと言っているでしょうが。」

 

「ちょっ、違うのよ。飲み物が零れたの。布団と畳に滲みちゃうんだって。」

 

「……私はいつまでキミたちのコントを見ていればいいんだい? こっちも話したいことがあるんだから、早く本題に入りたまえよ。私が帰った後で好きなだけやればいいじゃないか。」

 

とうとう主人の顔をがっしり掴んで遠慮なく固定し始めた藍と、わたわたと布団にスポーツドリンクがつかないように動かしている紫に苦言を申し立ててやれば、イライラした声色の藍が応答を投げてきた。

 

「ちょっと待て、バートリ。私は『シール』を貼るのが苦手なんだ。集中させてくれ。紫様、そのままで動かないように。……ああ、またズレた。こういう細かい作業は本当に好かん。紫様が動くからですよ。」

 

「あのね、藍。毎回毎回言ってるけど、完璧にぴったり貼る必要はないのよ? 大体でいいの。そうやって何度も何度もやり直してるから、いっつもパックが乾いちゃって──」

 

「いいから喋らないでください!」

 

「えぇ……怒鳴んなくてもいいじゃない。何でそんなにイライラしてるのよ。ゆかりん、眠いのに。眠いのに頑張ってるのに。何だか悲しくなってきたわ。今私、シールを何回も貼り直されてるプラモデルの気分。プラモデルはこんな気持ちなのね。」

 

バカなのか、こいつらは。見ているこっちがイライラしてくるぞ。我慢できなくなって藍からパックをぶん取って、それを口の減らないプラモデルの顔に貼り付ける。後でやれよ、こんなこと。今から話をするんだろうが。

 

「ほら、これで終わりだ。さっさと話を始めたまえ。私は早くも帰りたくなっているんだから。」

 

「おいバートリ、ズレているぞ。こっちが一センチも余っているじゃないか。紫様のお肌が荒れたらどうするつもりだ。今でさえ既にボロボロなんだからな。パック無しでは生きられないんだ。」

 

「ええい、もうパックの話は終わりだと言っているだろうが! 剥がすんじゃない、バカ狐! それでいいんだよ! 大体こいつの肌が荒れたところで誰が悲しむんだ。年相応じゃないか。」

 

「ねえ、二人ともどうしてそんなにイライラしてるの? そしてどうして私の肌がこき下ろされてるの? ツヤツヤのモチモチなんだけど? 訂正して頂戴。妖怪なんだから荒れるはずないわよね? 訂正して。早く訂正してよ。」

 

荒れるはずないならパックは要らんだろうが。苛々した空気が場を包んだところで、藍が戸棚から一枚の紙を出してテーブルに置いた。地図か? どうやら幻想郷の地図らしい。

 

「土地のことはこれを見て決めておけ。私は紫様のパックを貼り直すから。」

 

「結局貼り直すのか。キミ、どんだけ完璧主義者なんだい?」

 

「物事のズレは生活の乱れに繋がるからな。玄関の靴も、物の配置も、パックもきっちりしておかないと我慢ならん。」

 

「もういいよ、面倒くさいから好きにしたまえ。……紫、魅魔の縄張りはどこだい?」

 

地図を眺めながら質問してやると……こいつ、また寝たのか。いつの間にか寝顔になっている布団妖怪が目に入ってくる。遅々として進行しない会話にうんざりしつつ、代わりに藍へと問い直した。もう寝室で寝ておけよ。こんな調子なら藍と私だけでいいだろうが。

 

「藍、魅魔の縄張りは?」

 

「森だ。『魔法の森』と書かれている場所は、基本的に大魔女魅魔の縄張りだと思ってもらって構わん。訳の分からない危険な植物が生えている上、瘴気が濃くて人間が入ると短時間で死に至る場所だがな。」

 

「魔境じゃないか。焼き払いたまえよ、そんなもん。」

 

「焼き払えるなら焼き払っているさ。人間は当然として、妖怪もあまり生息していないぞ。幻覚作用がある胞子を撒き散らすキノコが大量に生えているんだ。魔力が恐ろしく濃い土地でな。低級どころか中級の妖怪ですら満足に活動できないだろう。」

 

無茶苦茶だな。さすがは魅魔だ。自分自身だけじゃなくて、縄張りの土地すら迷惑千万なわけか。幻想郷の結構な割合を占めている『汚染地域』を見て唸っていると、またしてもパックの貼り直しを行っている藍が話を続けてくる。ひょっとしてこいつ、不器用なのか? 紫は寝ているんだから動いていないだろうに。

 

「まあ、お前なら問題ないだろう。お前の従者のハーフヴァンパイアも恐らく大丈夫だ。むしろ住み易いと思うぞ。森の深い場所は木々に日光が遮られるからな。……ちなみに魅魔からは土地の使用を許可するとの手紙をもらってある。場所は好きに決めていいそうだ。」

 

「ふん、魅魔にも筒抜けってことか。もう驚かないさ。……アリスはどうなんだい? あの子も森に住まわせる予定なんだが。」

 

「本物の魔女ならばお前たちよりも更に『大丈夫』だろう。キノコの胞子が魔力を高めるからな。本物の術師たちにとっては楽園のような場所さ。魔女による、魔女のための森というわけだ。……『別荘』はそこにしておけ。こちらとしてもあの土地に干渉するための足掛かりを欲していたんだ。」

 

「キミたちにとっても都合が良いというわけかい? 期待するのは結構だが、好き勝手に利用されてやるつもりはないぞ。……まあいい、余計な生き物が周りをウロつかないのは魅力的だ。いちいち木っ端妖怪どもに生活を邪魔されるのは面倒だしね。」

 

人間である咲夜の往来の手段だけが問題だが、そこはパチュリーやアリスが対策を立てられるだろう。魔理沙はホグワーツの入学以前にここに住んでいたはずなんだから、少なくとも魅魔は弟子の安全を確保できていたということだ。それならパチュリーたちにだって可能なはず。

 

考えながら自分の別荘計画の骨組みを纏めた後、地図上の適当な平地っぽい場所を指差して話を締めた。守矢神社の『置き場所』はここでいいや。多分大丈夫だろう。多分。

 

「じゃあ、私の別荘は森に転移させるぞ。大体の当たりは付けたから、あとは実際に現地を見て判断するよ。……そして、守矢神社はこの辺にしよう。これにて移住計画の骨子作りは完了だ。」

 

「……守矢神社の土地を適当に決めすぎじゃないか?」

 

「別にいいじゃないか、ここで。地面は平坦そうだし、人里も程良く近いし、スペースもある。誰かの縄張りなのかい?」

 

「いやまあ、そこはまだ誰も使っていない土地だが……本当にいいのか? 私はもう少し慎重に考えるべきだと思うぞ。」

 

うなされている様子の紫に乾いて貼り付かなくなってきたパックを押し付けている藍に、肩を竦めて返答を放つ。哀れなプラモデルだな。不器用な従者を持つとこうなるわけか。エマや咲夜が器用で助かったぞ。

 

「住めば都さ。どんな場所にしたって文句は出てくるんだから、こういうのは思い切りが大切なんだよ。……ちなみに私の別荘の方は何度も入念に下見をするからな。そろそろ神社の敷地内から出ても問題ないだろう? 魔法の森の中だけで構わないから立ち入らせてくれ。」

 

「私が同行するのであれば可能なはずだが、念のため実際の下見は紫様が起きる春になってからにしてくれ。移住は来年の秋なんだから充分間に合うだろう? ……ひょっとしてお前、守矢神社の方は面倒くさくなって雑に決めていないか?」

 

「失礼なことを言わないでくれたまえ。私は脳内で丹念な検討を重ねた末に、守矢神社が在るべき場所を緻密に計算して弾き出したんだよ。」

 

守矢神社の三バカとしても、人里が近ければ文句はないだろう。まさか『妖怪の山』の上とかに神社があっても仕方がないし、この辺で問題ないはずだ。あっちはまだまだ準備期間があるんだから、現時点ではざっくりと決めるだけで充分なはず。

 

しかしまあ、この分では二柱の債権についての話は出来なさそうだな。魅魔はそもそも姿を現さなかったし、紫は藍にパックをぐいぐい押し付けられているのに起きる気配がないし、仮に起きたとしてもさっきのような『寝ぼけ状態』だろう。そっちに関しても急ぐ必要はないんだから、大人しく春を待つことにするか。

 

兎にも角にも、今最も優先すべきは自分の別荘だ。優先順位の低い物事を頭から追い出しつつ、アンネリーゼ・バートリは幻想の郷の地図を眺めるのだった。

 



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東風と桜

 

 

『おい、蛇舌娘。こっちじゃ。』

 

んん? 小さな声での呼びかけにきょろきょろと視線を彷徨わせつつ、東風谷早苗は勉強道具一式が入っているバッグを持ち直していた。何だ何だ? 『蛇舌娘』? とんでもない呼び方だな。

 

十一月の折り返し地点が目の前に迫った土曜日の午後、私は授業と放課後の掃除を終えて寮に帰ろうとしているところだ。今日はお二方がリーゼさんと移住先の土地のことを話し合うために、私の側から離れて守矢神社の方に顕現しているので、こっそりゲームをやろうと企んでいたのだが……ああ、またこの蛇か。どうしていつもこういう時に出会っちゃうんだろう? 前も同じようなタイミングだった気がするぞ。

 

葵寮に繋がる道の脇の草むらからひょっこり顔を出している、白い瞳の黒い蛇。ちろちろと舌を出して私を呼ぶその蛇に、しゃがみ込みながら蛇語で返事を返す。細川先生は何度脱走させたら気が済むんだ?

 

『どうも、蛇さん。こんなところで何をしているんですか?』

 

『わし、おぬしに会いに来たんじゃよ。おぬしは葵寮の生徒じゃから、ここに居れば会えると思うたんじゃ。賢くない? なあなあ、わしったら超賢くない?』

 

『……要するに、また逃げ出しちゃったんですね?』

 

うーん、懐かれちゃったのか? それについては悪い気はしないけど、ゲームの時間が削られるのは非常に困る。『禁止令』が発令されてしまったから、お二方が居ない時にしかチャンスがないのだ。

 

むむむと唸りながらどうしたもんかと悩んでいると、黒蛇が勝手に私の腕に巻き付いて行き先を主張し始めた。

 

『よしよし、行くぞ。今日はこの学校で一等偉い女に会いに行くのじゃ。何じゃったっけ? 白木とかって女。ほれ、動かんか。わしを運べ、小娘。』

 

『白木校長に会いに? ……いやいや、行きませんよ。さっさと細川先生のところに帰りましょう。』

 

意味がさっぱり分からないぞ。適当に応じてから細川先生の研究室に行こうと一歩を踏み出して、そこではたりと足を止める。そういえば、細川先生はもう復帰しているんだろうか? 私が受けている日本史学の授業はまだ鈴川先生がやっているぞ。細川先生が復帰を希望していること自体は小耳に挟んだから、単に私の学年の授業の担当に鈴川先生が重なっているだけかもしれないけど……うう、分かんないな。研究室に行ってみて留守だったらどうすればいいんだ?

 

最悪の場合、細川先生の自室がある桐寮に行かないといけないんだろうか? それは嫌だなと眉根を寄せていると、制服の上着の中に潜り込んだ蛇が話しかけてきた。首のところからにょっきり頭を出しながらだ。ちょっと擽ったいぞ。

 

『相変わらず居心地最悪じゃのう、おぬしの近くは。……ちなみに京介、今は研究室に居らんぞ。桐寮の部屋に居るんじゃ。』

 

『居心地が悪いなら降りてくださいよ。……じゃあ、桐寮まで持っていかないとですね。』

 

『超嫌そうな顔になっとるな、おぬし。無理せんでもいいんじゃぞ? わし、自力で出入りできるから。凄いじゃろ? 最近は勝手にお出かけしとるんじゃ。京介が壊れたからのう。』

 

『壊れた? めちゃくちゃな言い方をしますね。病気の人にそんなこと言っちゃダメですよ。……っていうか、自力で帰れるなら早く帰ってください。他の生徒に見つかったらイジめられちゃいますよ?』

 

とうとう勝手に抜け出して勝手に帰るようになったのか。細川先生のあまりの『管理不行き届き』っぷりに額を押さえながら言ってみれば、蛇はぷいとそっぽを向いて拒否してくる。病気だから世話が雑になったりしちゃっているんだろうか?

 

『嫌じゃ。まだ帰りとうない。わし、白木が見たい。ここのボス人間を見てみたい。』

 

『我儘言わないでくださいよ。帰りましょ? ね?』

 

『チラッとだけでいいんじゃ。チラッと見たら帰るぞ? だから連れていっておくれ、小娘。……じゃないとわし、帰れなくて死んじゃうかもしれんのう。わしってほら、一度決めたら曲げないタイプじゃから。餓死するまで粘るかも。』

 

『バカすぎるじゃないですか、そんなの。』

 

正直なところ、やりたくない。だって白木校長は怖いのだ。教頭先生みたいな怖さじゃなくて、『失礼なことがあってはならない凄く偉い人』という怖さがあるぞ。どうすれば良いのかと迷っている私を見て、蛇は首にすりすりと頭を擦らせながらおねだりしてきた。むう、可愛いじゃないか。

 

『お願いじゃ、小娘。わし、良い子にしとるから。チラッと見られたらそれで満足じゃから。すぐ京介の部屋に帰るから。……わし、悲しい。蛇語を話せるのは小娘しか居らんのに、その小娘に邪険にされたら泣いちゃうかもしれん。あーあ、孤独な蛇になっちゃうんじゃな。このままだとストレスで自分の身体を噛んじゃうかもしれんぞ。痛いんじゃよなぁ、あれ。』

 

『……チラッと見るだけですからね。遠巻きに見るだけです。話はしませんよ。』

 

『やったー! それでいいんじゃ、小娘! ばんざーい、ばんざーい! ……おぬしは人間の癖に見所があるのう。わしが無知蒙昧な人間どもを支配した暁には、おぬしを特別に奴隷長にしてやろう。普通の人間どもより良い物を食わせてやるぞ。ネズミとか、ウズラとか、ヒヨコとかを。』

 

『それはどうも。』

 

これも変な話し方と同じく、きっとテレビか何かから得た知識なんだろう。細川先生は一体全体どういう番組を観ているんだろうか? 意味不明な発言を聞き流しつつ、白木校長はどこに居るのかと考えを巡らせ始めたところで、黒蛇が方向を頭で示しながら指示を出してくる。

 

『こっちじゃ、こっち。白木はこっちに居るぞ。わしを連れていくのじゃ。』

 

『……蛇さん、校長先生の居場所を知ってるんですか? それなら私が連れていかなくても大丈夫ですよね?』

 

『だって、一人じゃ怖いんじゃもん。見つかったら食われるかもしれんのじゃろ? いいから歩け、奴隷長。おぬしの立身出世はここからスタートするんじゃから。』

 

『奴隷長ではないです。東風谷早苗です。』

 

立身出世のスタート地点が低すぎるぞ。黒蛇の謎の呼び方に訂正を入れながら、黒い頭が指し示す方向に進んで行く。葵寮への道を引き返して校舎の方に戻った後、他の生徒たちから蛇を隠しつつ一階の中庭に到着したところで……えー、ヤダな。藪の中に入るのか?

 

『蛇さん、私は人間なのでここは通れないですよ。』

 

虫とかが居そうな藪を前に怯んでいると、蛇は偉そうな口調で前進を命じてきた。大体、どこに繋がっているんだ? 塀とかに当たらないんだろうか?

 

『何を口答えしとるんじゃ、奴隷長。わしが行けと言うたら行くんじゃよ。ここが近道なんじゃから。』

 

『奴隷長じゃないですってば。』

 

何でこんなことをしなくちゃいけないんだと思いつつも、藪を掻き分けて蛇が指示する方向へと進む。頭がそんなに良くないみたいだし、小さな子供を相手にしているつもりで応対すべきだな。早く満足させて帰らせよう。

 

服を小枝に引っ掛けながらガサガサと藪を突破していくと……どこだ? ここ。満開の桜の木が一本だけ立っている小さな中庭にたどり着いた。桜の木自体はマホウトコロの領内に山ほどあるけど、この中庭は初めて見るかもしれないな。三面が校舎の壁や塀に囲まれていて、もう一面は大きなガラス張りの壁でどこかの部屋に面しているようだ。私は塀と塀との継ぎ目の隙間を突破してきたらしい。

 

あの部屋、応接室か何かなのかな? だだっ広い室内にぽつんと一対のソファとテーブルが置かれているガラスの向こうの部屋を横目に、そっと後退りしながら蛇に小声で呼びかける。桜の木の下に立って花を見上げている着物姿の女性は、間違いなく白木校長だ。何だか分からないけど入っちゃいけない場所かもだし、早く戻るべきだろう。校長先生は背を向けているからこちらに気付いていないはず。

 

『はい、チラッと見ました。戻りますよ。』

 

『えー? 臆病な娘じゃのう。……うりゃ。』

 

「ひうんっ。」

 

何てことをするんだ! 変な声が出ちゃったじゃないか! さっきまでは上着とシャツの間に入っていた黒蛇が、首元の隙間からシャツの中に入ってしまう。するすると胸の谷間に冷たい身体が潜り込んでくる感覚に、思わず妙な声を上げたところで──

 

「こんにちは、東風谷さん。頭に葉っぱが付いていますよ。」

 

こちらを向いた校長先生に声をかけられてしまった。結構大きな声だったし、そりゃあバレるかと潔く立ち上がりつつ、お腹の辺りに落ち着いた蛇に非難の思念を送りながら応答を返す。うああ、どうしよう。勝手に入ったことを怒られるかな?

 

「あの、はい。こんにちは。すみません、勝手に入っちゃって。」

 

頭をぺしぺしと叩いて葉っぱを落としつつ謝った私に、白木校長は再び桜の方へと視線を戻してから返事をしてきた。『凛とした立ち姿』っていうのはああいう姿なんだろうな。私が着物を着てもああはならないだろう。『へにゃんとした立ち姿』になってしまうはずだ。

 

「構いませんよ。ここは別に立ち入り禁止の場所というわけではありませんから。基本的に姿あらわしでなければ入れないので、あまり知られていないだけです。……東風谷さんは中々独特な方法で入ってきたようですね。」

 

『奴隷長、わしのことを喋ったらいかんぞ。食われてしまうから。わし、怖い。食われとうない。』

 

「えと……まあ、はい。探検をしてたら迷い込んじゃいました。」

 

九年生にもなって藪を掻き分けて『探検』するのはバカみたいだけど、咄嗟に上手い理由なんて出てこないぞ。お二方にこっそり話しかけられる時の癖で、蛇の小さな声に従ってしまいながら言い訳を放った私に、白木校長はクスリと微笑んで返答してくる。九年生にもなってバカなことをしている子だと思われているんだろうな。

 

「校舎の探検ですか。楽しそうですね。」

 

「しゅ、趣味なんです。……えーっと、それじゃあ私はこれで失礼します。邪魔してすみませんでした。」

 

「あら、見ていかないんですか? これは自慢の桜なんです。マホウトコロの桜は全てこの桜の子供たちなんですよ?」

 

「『子供たち』? ……この桜の種から育ったってことですか?」

 

この八重桜はどう見てもソメイヨシノじゃないし、普通に種から育つ桜のはずだ。植物学で得た薄い知識を頭の中から掘り出しつつ相槌を打ってみれば、白木校長は首を横に振って否定を寄越してきた。

 

「いいえ、挿し木で増やしたんです。この八重桜は咲き続けているが故に、種を実らせることが出来ないんですよ。……そうなると『子供たち』と言ったのは正しくなかったのかもしれません。『クローン』と言うべきですね。無粋ですが、それが真実なんですから。」

 

「な、なるほど。」

 

そっか、そういえばそうだな。マホウトコロの桜は年中無休で満開状態だ。だったら種も何もないだろう。挿し木や取り木以外では増やせないわけか。納得の言葉を口にした私に、白木校長は尚も話を続けてくる。

 

「不気味でしょう? 子を生せず、道理に反して咲き続ける八重桜。魔法で作ったので正式な名は無く、よって近縁種も存在していない孤独な植物。この木は本当に桜であるのかすらも証明できないんです。……我ながら歪んでいますね。」

 

こちらからでは顔が見えないけど、桜を見上げる白木校長の声色はどこか寂しそうな雰囲気だ。どう反応すればいいのかを迷っていると、校長先生は小さく息を吐いてから私に向き直ってきた。

 

「……ごめんなさいね、東風谷さん。いきなりこんな話をされても困ってしまうでしょう。」

 

「いえいえ、その……全然大丈夫です。」

 

「年寄りの戯言だとでも思って気にしないでください。」

 

そう言った後、白木校長はまた黙って桜を見上げ始める。多分だけど、話は終わりだということなんだろう。踵を返して藪の中に戻ろうとしたところで……むう、このまま終わりにするのは違う気がするぞ。校長先生へと声を投げた。

 

「ええっと、私は頭があまり良くないので、校長先生が言ってることを上手く理解できてないのかもしれませんけど……でも、その桜は綺麗だと思います。それじゃあダメなんでしょうか?」

 

「……綺麗、ですか。」

 

「あの、私はそう思います。本当に桜なのかどうかとか、咲き続けるのが変だとか。頭が良い人たちはそこが気になるのかもしれませんけど、私はそんなこと気にしたことないです。マホウトコロには桜があって、それはとっても綺麗な桜なんだって今までずっと思ってました。……だからその、そこが大事な部分なんじゃないでしょうか?」

 

ああ、ダメだ。頭の中にある感情を上手に言葉に変換できない。どうして私はお二方やリーゼさんたちみたいに上手く話せないんだろう? 自分の口下手さを恨めしく思いつつ、桜を見上げたままの白木校長に続きを語る。こんなことなら素直に退散しておけば良かったな。状況といい、やっていることといい、正に『藪蛇』じゃないか。

 

「つまりですね、つまり……私が知るマホウトコロには沢山の桜があります。この桜の木と同じ八重桜が。だから生徒たちはそれを見ながら過ごしていて、卒業した後には懐かしい気分で桜のことを思い出すはずです。だってこの木はマホウトコロの象徴なんですから。……その時に『不気味』だなんて思う人は居ませんよ。みんな綺麗だと思っていて、桜だと思っているんですから、これは間違いなく綺麗な桜なんです。要するにこの桜はよく分かんない不気味な植物なんかじゃなく、『マホウトコロの桜』なんだと思います。……あれ?」

 

うう、喋っていてごちゃごちゃになっちゃったぞ。これっぽっちも発言の内容を整理できていないことを恥ずかしく思っていると、白木校長がくるりと振り返って口を開いた。その顔には……どういう感情なんだろう? どこか興味深そうな表情が浮かんでいる。

 

「……面白い意見ですね。『マホウトコロの桜』ですか。この木が身勝手な欲を栄養に育っている妖樹だとしても、貴女はまだ綺麗だと思えますか?」

 

「よ、妖樹? ……えっとですね、多分私はそんなことには気付けないので、普通に綺麗だと思っちゃうんじゃないでしょうか? 桜の下でお花見とかをしちゃうと思います。」

 

率直な予想を返してみれば……うわぁ、笑われているぞ。白木校長は口に手を当てて上品に笑いを噛み殺し始めた。諏訪子様の言う通り、私は『おバカちゃん』なのかもしれない。

 

「そうですか、お花見をしますか。……いえ、すみませんね。馬鹿にしているわけではないんですよ? とても可愛らしい返答だと思います。」

 

「……いいんです、バカなのは分かってますから。自覚はあります。」

 

「いえいえ、本当に違うんですよ。……名は体を表すということわざは正しかったようですね。『東風』と『桜』では相性が悪すぎます。どれだけ執念深く咲き続けても、貴女のように素直に吹き抜ける風には抗えないわけですか。東風は桜を強引に散らせるのではなく、手を引いて誘惑するものだと。」

 

「……えっと?」

 

いまいち話の流れが理解できないけど……『相性が悪い』? 嫌われちゃったのかな? この上校長先生からまで睨まれるのはさすがに避けたいぞ。恐る恐る小首を傾げてみると、一頻り笑った白木校長は桜を見つめながら会話を切り上げてくる。

 

「非常に面白い話でした。貴女がもう少し強い風なのであれば、この桜をも宙に舞わせることが叶ったかもしれませんね。……しかし貴女はまだ若く未熟で、この桜は老いすぎてしまっている。残念ながら、未だ桜の花は枝にしがみ付いたままです。」

 

「あー……それはその、残念です。」

 

「ええ、とても残念です。ですが久々に楽しい気分になれました。ありがとうございます、東風谷さん。」

 

「あっ、それなら残念ではなかったですね。お役に立てて良かったです。……ええと、じゃあ失礼します。」

 

難しい比喩が多すぎて全然分からなかったけど、兎にも角にも怒っているわけではないようだ。これ以上墓穴を掘らないようにと慌ててお辞儀をしてから、今度こそ藪の中を抜けて見知った一階の広い中庭に戻った。……うあー、緊張したぞ。

 

『凄く偉い人との会話』が終わったことにホッと胸を撫で下ろしていると、ずっと微動だにしなかった蛇が……ぬああ、どうして胸の谷間を通るんだ。するすると私の身体を上ってきて、シャツの首元からひょっこり顔を出して呟いてくる。

 

『……無理じゃな、あれは。さすがに木っ端とは格が違うらしい。生徒相手なら油断するかと思ったんじゃがのう。隙が見当たらんわ。すっぱり諦めるか。』

 

『へ? 何の話ですか?』

 

『おぬしは気にするな、奴隷長。賢いわしの言う通りに動けばよい。わしってほら、策士じゃから。力押しする阿呆どもとは違うから。分かるじゃろ? そんな感じがするじゃろ?』

 

『しませんけど。それと奴隷長じゃないです。』

 

誰の所為でこんなことになったと思っているんだ。首元から出ている頭をジト目で睨みながら言ってやれば、黒蛇は私の足を伝って地面に降りてから応答してきた。

 

『まあよい、趨勢は変わらん。駒一つ取り損ねたところで、所詮詰みまでの時間が長引くだけじゃ。何事も必須ではないわ。時間は常にわしの味方なんじゃから。……勝つも八卦、負けるも八卦。ならば勝つまで振り続ければよい。負けを恐れぬ限り、わしは何度でも振り続けられるわ。』

 

『ちょ、どこ行くんですか?』

 

『京介のところに帰るんじゃよ。おぬしももう帰っていいぞ。さらばじゃ、奴隷長。』

 

『えぇ……。』

 

勝手だな。結構素早い動きで茂みの中へと消えて行った蛇を見送ってから、釈然としない気持ちを抱えて歩き出す。私は貴重な午後を何に使っているんだろうか? 今度細川先生にケージ用の錠前とかをプレゼントすべきかもしれない。細川先生のためにも、黒蛇のためにも、そして何より巻き込まれがちな私のためにも。

 

こちらの中庭にもある小さな桜の木を横目にしつつ、東風谷早苗はとぼとぼと寮へと帰るのだった。……やっぱり綺麗じゃないか。そういう感想しか浮かんでこないぞ。

 



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英雄のアドバイス

 

 

「ほれ、触ってみるか? こいつは人に慣れとるから大丈夫だ。可愛いもんだぞ。」

 

絶対嫌だ。ハグリッド先生の腕を這い上がっている『超巨大かたつむり』を前に、サクヤ・ヴェイユは首を横に振っていた。通ったところがネバネバしているじゃないか。これだったらレタス食い虫の方がまだ可愛いぞ。比較のマジックだな。

 

十二月が目前に迫った雪の日の昼、空きコマを使ってハグリッド先生の小屋でお茶をしているのだ。『面白い生き物』が居るからと今朝大広間で招待されたので、魔理沙と二人でどんな『危険な生き物』を手に入れたのかとドキドキしながら来てみたわけだが……まあ、危険性はそこまで感じないな。動きは遅いし、いきなり飛びかかってくる気配もない。無論、『面白い』とは微塵も思えないが。

 

やたらカラフルな巨大かたつむりを見て、ただただ気持ちが悪いという一般的な感想を抱いている私を他所に、魔理沙がちょっとだけ興味深そうな表情でハグリッド先生に返事を送る。

 

「『ストリーラー』だろ? それ。毒があるんじゃなかったか?」

 

「おお、もちろんあるぞ。殻にトゲが生えとるのが分かるか? ここに毒があってな。霧状に毒液を噴射できるって説もあるが、俺はまだ見たことがない。野生のストリーラーしかしないんじゃないかと考えちょる。」

 

「そいつは『野生』じゃないってことか。」

 

「この子は飼育個体のストリーラーだからな。飼われとったストリーラー同士の子だ。その上の世代も飼育されとった個体だろうし、何世代も人に飼われ続けることで身を守る必要がなくなってきたのかもしれん。……俺がホグワーツで飼育学を教えとるっちゅうことで、魔法省から一匹送られてきたんだ。どうも規制管理部がペット用のストリーラーの規制を緩めようと考えとるみたいでな。意見が欲しいと言われちまった。」

 

『もちろん』毒があるのか。その新事実を知った私が少しだけストリーラーから身を離したところで、魔理沙がハグリッド先生に相槌を投げた。彼が淹れてくれたハーブティーを飲みながらだ。こっちは普通に素晴らしい味だぞ。ハーブの育成から乾燥までハグリッド先生が全部やったらしい。幻想郷に行ったら美鈴さんと協力してチャレンジしてみようかな。

 

「おー、凄いじゃんか。魔法省から意見を求められたのか。『魔法生物の専門家』って感じだぜ。」

 

「そこまで大したもんじゃねえが……まあ、俺の授業を受けた卒業生が意見してくれたみたいでな。規制管理部に就職した後、頼るべき専門家として俺の名前を出してくれたらしい。嬉しい話だ。教師としてこんなに嬉しいことはねぇ。」

 

なるほど、ハグリッド先生の飼育学を受けた世代がようやく魔法省に増えてきたってことか。だったらこれは至極当たり前の話なのかもしれない。ハグリッド先生の魔法生物の知識は本物だ。多少の『問題』があることは否定しないが、イギリス魔法界では屈指の魔法生物研究家だと言えるだろう。

 

昔は『森番』だったからそのことが広まっていなかったけど、今はもう教師として生徒たちに知識を授けている。その生徒たちが規制管理部で出世していくと、魔法生物のことを考えた時にハグリッド先生の存在を思い浮かべるわけか。納得の頷きを放ちつつ、ティーカップを片手に口を開いた。

 

「やっとハグリッド先生の実力が世に広まってきたってことですよ。」

 

「俺なんかがイギリス魔法界の役に立てるのかは分からんが、折角紹介してくれた教え子の顔を潰すわけにはいかんからな。きちんと考えを纏めて提出するつもりだ。」

 

「……ちなみに、規制緩和には賛成するんですか?」

 

巨大かたつむりが有り触れたペットになるのはちょっと嫌だなと思いながら尋ねてみれば、ハグリッド先生は意外にも首を左右に振ってくる。反対のようだ。

 

「いいや、反対するつもりだ。ストリーラーはこう見えて中々飼育が難しい生き物でな。イギリスだと温度や湿度の細かい管理が必要になるし、トゲから滴った毒が強力すぎてたまに発火することもある。慣れちょらんもんが飼育するのは危ないかもしれん。」

 

めちゃくちゃ危険じゃないか。発火するほどの猛毒だったのか。私がストリーラーを見ながら戦慄していると、続いて魔理沙が質問を飛ばした。彼女は毒の強力さにあまり驚いていないし、飼育学で学習済みの生き物だったらしい。

 

「発火するって言っても、乾いた木屑とかに付いちゃった場合だけなんだろ? ケージの中に入れる物に気を使えば大丈夫なんじゃないか? 毒自体も薄めるとホークランプの駆除剤になるわけだし、需要はあると思うぜ。」

 

「魔法省が規制を緩めようとしとる理由は、正にそのホークランプ対策みたいだな。最近は増えすぎてどうにもならんらしい。……だがなぁ、毒のことを抜きにしてもストリーラーは難しいぞ。こいつらのためを思うなら、飼育はある程度知識があるもんだけにさせるべきだ。」

 

「ま、ハグリッドがそう言うならそうなんだろうさ。カラフルで色が変わるのは綺麗なんだけどな。まだまだ楽しめるのは愛好家たちだけか。」

 

「もうちっと魔法生物の飼育のハードルが下がらんと無理だろうな。その辺で手に入る飼育器材が進歩していけば可能かもしれんが、今はまだ早い。魔法省への報告にはそう書く予定だ。」

 

あー、殻の色が変わるのか。そういえばさっきと少し違っている気がするな。カラフルで鮮やかなグラデーション模様が、殻の渦巻きに沿って移動している感じだ。確かにガラス越しとかで見ているだけなら綺麗かもしれない。マグル界のクリスマスイルミネーションみたいだぞ。

 

ハグリッド先生がストリーラーをケージに戻すのを眺めながら考えていると、我らが飼育学の担当教師どのは粘液でベタベタになった自分の革ジャケットを見て言葉を寄越してくる。

 

「服を洗わんといかんな。粘液にも弱い毒があるから。俺は肌が頑丈だから触っても大したことにはならんが、一応水で流しとくべきかもしれん。ちっとばかし待っててくれ。裏で流してくる。」

 

「……ただの水で流して大丈夫なのかしら?」

 

「教科書には『粘液が付いたらすぐにマートラップの触手液で洗い流すべき』って書いてあったけどな。てっきり触手液を準備してあるんだと思ってたぜ。」

 

「さっき触らなくて良かったわ。心からそう思う。」

 

魔理沙と話しながらハーブティーを飲み終えたところで、右袖をびしょびしょにして戻ってきたハグリッド先生が提案を放ってきた。本当にただ水をかけただけっぽいな。何ともワイルドな対処法だ。

 

「二人とも、ハーブティーを飲み終わったならダンブルドア先生のお墓に行かんか? 今日は掃除がまだでな。次の授業が始まる前にやらなきゃならん。」

 

「掃除ですか。いいですね、行きましょう。」

 

「『掃除』でテンションを上げるのはお前だけだぜ。……まあ、行くか。ダンブルドアには世話になったんだから、たまには私も手伝わんとな。パラパラ降ってた雪も止んでるみたいだし。」

 

「よしよし、行こう。ダンブルドア先生もきっと喜ぶはずだ。」

 

掃除と聞いてパッと席を立った私に続いて、魔理沙も苦笑しながら立ち上がる。そのまま掃除道具一式を持ったハグリッド先生と三人で、小屋を出て湖の方へと進んでいくと……あれ? リーゼお嬢様? ダンブルドア先生のお墓の前に、お嬢様と背の高い誰かが並んで立っているのが目に入ってきた。

 

「リーゼお嬢様だわ。お墓参りに来たのかしら?」

 

薄く積もっている雪を踏み鳴らしながら呟いた私へと、魔理沙が感心したような声色で応答してくる。

 

「ああ、ちっこい方はリーゼか。この距離でよく分かったな、お前。……隣は誰だろ? 分かるか?」

 

「分からないけど、先に行くわね。リーゼお嬢様が居るんだから早く行かないと。」

 

「犬かよ。」

 

犬じゃなくてメイドだぞ。失礼な突っ込みを入れてきた魔理沙をジト目で睨んだ後、二人を背にダンブルドア先生のお墓の方へと駆け出した。何にせよ、ラッキーだ。まさか今日リーゼお嬢様に会えるとは思わなかったな。

 

主人の下へと走りつつ、サクヤ・ヴェイユは思わぬ幸運に顔を綻ばせるのだった。

 

 

─────

 

 

「吸血鬼、お前は覚えているか? アルバスと俺との最後の会話の内容を。」

 

何だその切り出し方は。急にホグワーツのダンブルドアの墓前に呼び出してきたかと思えば、挨拶も無しにいきなり放たれたゲラートの問いに対して、アンネリーゼ・バートリは鼻を鳴らしながら応じていた。ヌルメンガードの戦いの時の会話か? そりゃあ覚えているっちゃ覚えているぞ。

 

「老人同士の友情確認のことかい? 一応覚えているよ。一応ね。」

 

十一月二十九日の昼過ぎ、人形店でのんびりしていた私の下にゲラートからの手紙が届いたのだ。『アルバスの墓の前で待つ』とだけ書かれた手紙が。だから仕方なくホグワーツの敷地ギリギリに姿あらわしで移動して、湖のほとりまで飛行してやって来たわけだが……『急に呼び出してすまなかった』くらいは言ったらどうなんだ? というか、先ずこっちを向けよ。

 

私の返事を受けて、白いシンプルな墓石の方を向いたままのゲラートが首を横に振ってくる。周囲に薄く雪が積もっている所為で、黒いコートが否応なしに目立つな。

 

「そこではない。『アドバイス』の部分だ。」

 

「アドバイス? ……ああ、あれか。余暇を楽しめとかいうやつだろう? それがどうしたんだい?」

 

あの時ダンブルドアは『これまで休みなく歩み続けてきたのだから、全てを終わらせた後に余暇を楽しめ』みたいなことを言っていたはず。ぼんやりした記憶を掘り起こしつつ応答した私に、ゲラートは一つ頷いてから口を開く。古き友であり、数少ない真の意味での理解者であり、そして最大の宿敵でもあった男の墓をジッと見つめながらだ。

 

「そうだ、アルバスは自分に合流する前に己の人生を楽しめと言っていた。……最近はよくそのことを考えていてな。」

 

「……つまり、引退後の生活についてを考えているってことかい? いいじゃないか。ダンブルドアのアドバイスに従っておきたまえよ。」

 

「忘れたのか? 吸血鬼。俺はゲラート・グリンデルバルドなんだぞ。魔法族のために魔法族を殺し、今なお自身の革命に囚われている愚かな男だ。俺が俺である限り、『余暇』など存在すまい。世界がそれを許さないだろう。」

 

「誰もがレミィの引退に文句を言えなかったのと同じように、キミの引退にケチを付けられるヤツだって存在しないさ。ダンブルドアも、レミィも、キミも。皆すべきこと以上をしたじゃないか。だったら少しくらい休んだっていいはずだぞ。……別荘でも買ったらどうだい? そこでゆっくり過ごすのも悪くないと思うがね。」

 

別荘はいいぞ。夢があるからな。肩を竦めて意見してやれば、ゲラートは無表情のままで返答してきた。

 

「俺は死ぬまで俺であるべきだ。スカーレットが姿を消すまでスカーレットで在り続けたように、アルバスがアルバスとして死んだようにな。……俺がゲラート・グリンデルバルドである限り、俺に余暇は有り得ない。別荘での余生など夢のまた夢だ。」

 

「ええい、これだから鬱屈した老人ってのは救いようがないんだ。『夢のまた夢』にしているのは自分自身だろうが。勝手に責任を感じて、勝手に背負って、勝手に自分を雁字搦めにしているだけじゃないか。少しはレミィの自由さを見習いたまえよ。」

 

「スカーレットの自由さをか。……そうかもしれんな。しかし、俺はアルバスのようにもスカーレットのようにもなれなかった。それだけの話だ。」

 

何が『それだけの話だ』だよ。カッコつけやがって。この男にダンブルドアのような余裕や、私やレミリアのようないい加減さが無いのはよく分かっていたが……ああくそ、面倒くさい性格だな。背負わなくてもいいものまで背負おうとするのは悪い癖だぞ。

 

要するに、クソ真面目なのだ。私の知り合いの中ではアリスあたりが近い性格なのかもしれんな。受け流そうとせずに全てを受け止めようとしてしまうから、必要のない苦労まで背負ってしまう感じの性格。狡賢さが足りていないぞ、まったく。

 

つくづく不器用な男だなと大きくため息を吐いたところで、ゲラートがちらりとこちらに目を向けながら話を続けてきた。

 

「何れにせよ、もはや意味のない話だ。ゲラート・グリンデルバルドという男は近いうちに必ず死ぬ。……だが、別荘は悪くないアイディアだった。死後に試させてもらおう。」

 

「つまらんジョークだね。意味不明な腕時計のことといい、キミは本当にセンスがないな。」

 

「どちらも本気だ。ジョークではない。……恐らく俺が死ぬのは来年の春頃になるだろう。各地で行われるカンファレンスで非魔法界対策に関する然るべき発言を遺し、その上で俺が死ねば問題の注目度は更に上がる。政治的なパワーバランスも一度リセットされるはずだ。俺がいつまでも生き続けていてはむしろ障害になりかねん。」

 

「……キミの『独裁問題』か。柄にもなく気にしているのかい?」

 

静謐な湖面を眺めながら尋ねてみれば、ゲラートは皮肉げな口調で肯定してくる。身勝手な民衆どもめ。権力者が権力を手に入れるのは、得てしてお前たちが望んだからだろうに。祭り上げた末に恐れるなんてのは勝手すぎるぞ。

 

「自分では気付かなかったが、俺は少々力を持ち過ぎていたようだ。アルバスやスカーレットが居ない魔法界では危険に見えてしまうのだろう。……失敗だったな。俺は今まで誰かと戦うためにしか政治をしてこなかったから、権力のバランスを調整することにまでは頭が回らなかった。意外な落とし穴だ。やはり『政治家』には向かん。俺は立ち塞がる『敵』が居なくては十全に戦えない男らしい。」

 

「そんなもん当たり前だろうが。キミは元来『革命家』なんだから、政治を打ち崩す側なんだよ。」

 

「故に齟齬が生じたというわけだ。革命家が政治をするなど冗談にもならんからな。壊し、変えようとする者が、保ち、育むことなど出来ん。力を持ち過ぎた俺が望まれなくなるのは真っ当な結末だろう。ここから先は『壊す者』ではなく、『築く者』の領分だ。」

 

「……何度も言うがね、レミィみたいな『引退』じゃダメなのかい? 別に死ぬ必要はないと思うぞ。」

 

根拠が全くない『腕時計問題』は先ず無視するとして、『グリンデルバルド危険論』が徐々に広まりつつあるのは厳然たる事実だ。無論私としては納得も賛成も出来ないものの、愚かな民衆どもが『もしも』を恐れるのは理解できなくもない。ゲラートに釣り合う対抗馬が存在していないのだから。

 

だったら単に引退すればいいじゃないかと私が送った問いに、ゲラートは否定を返してきた。

 

「引退するからもう安全だと主張して誰が信じる? スカーレットは影を残し続けることで『抑止力』になることを選んだが、俺の場合は明確に死んだ方が民衆が安心するだろう。引退した者がいつか戻ってくるかもしれないのに対して、死者は二度と蘇ってこない。……そうして初めて民衆は俺の言葉を素直に受け止められるんだ。生者は発言を利用するが、死者は言葉をただ遺すだけだからな。非魔法界問題の進展には俺の死が必要なんだよ。」

 

「度し難いね、魔法族って連中は。レミィが全力で推し進め、キミとダンブルドアが死を利用してようやく問題と向き合えるようになるわけか。生まれたての赤ん坊じゃあるまいし、こんなに手を焼いてやらなきゃならないとは思わなかったぞ。」

 

「それが人だ。そこは魔法族も非魔法族も変わらん。だからこそ俺たちのような存在にも価値が出てくるわけだな。……今度こそ俺の『死の理由』に納得したか? 吸血鬼。」

 

「全然納得していないぞ。論点をすり替えないでもらおうか。キミは『そうするために死ぬ』んじゃなくて、『死ぬからそうする』と言っているんだろう? 死ぬことが最初に決まっていて、ならばそれを利用しようと考えているわけだ。死期を悟ったダンブルドアが、愛する生徒を……『生徒たち』を救うためにそうしたようにね。違うかい?」

 

自己犠牲を躊躇わなかった男。『イギリスの英雄』の墓石を指差しながら指摘してやれば、ゲラートは間を置かずに首肯してくる。

 

「その通りだ。何か問題があるか?」

 

「ダンブルドアの場合は命を懸けねばならないやむを得ぬ理由があって、だったら残り少ない自分の命を使おうという話だったんだよ。それには私も納得したし、見事な死に方だったと今でも思っている。そこだけは素直に褒めるさ。吸血鬼からしてもあっぱれな自己犠牲だった。文句なしの英雄の死に様だ。」

 

「不気味なほどに素直だな。」

 

「しかしだね、キミの場合は違うだろう? 先ず死ぬ理由からして『腕時計の予言』とかいう訳の分からんものだし、キミが死ぬ以外に非魔法界問題を進める手段が無いとは思えない。もっと他にやりようがあるはずだ。根拠が無茶苦茶なんだよ。キミらしくなさすぎるぞ。だから私はこれっぽっちも納得していない。これっぽっちもね。何か反論はあるかい?」

 

人差し指の先と親指の先をギューッと合わせて『これっぽっち』を表現した私に、ゲラートは一度冬の澄んだ青空を見上げた後、小さくフッと笑って返事を寄越してきた。

 

「反論は無いが、この件に関しては議論をするつもりもない。この腕時計の針が止まったことが俺の死を表していて、故にゲラート・グリンデルバルドは死ぬ。それさえ理解しているなら充分だ。」

 

「だから、していないと何度も何度も言っているだろうが。議論もせずに自己完結とは卑怯だぞ。」

 

「俺は卑怯な男だからな。前にも言ったはずだ、俺が死んだ後で全てが分かると。今日の会話もついでに覚えておくといい。……誰か来たぞ。お前の知り合いか?」

 

何? ……咲夜か? 何故かこちらに小走りで駆けてくる咲夜と、その少し後ろを歩いている魔理沙とハグリッド。私がそちらに目をやったところで、ゲラートは杖を抜いて別れを告げてくる。

 

「また会おう、吸血鬼。春はまだ先だ。顔を合わせる機会は残っている。」

 

「言っておくが、春に死ぬってのも意味が分からんぞ。普通の人間はそんなに細かく自分の死期を断定できないはずだ。……それと、ホグワーツでは姿くらましは出来ないんだからな。」

 

「何事にも例外はあるものだ。死期の断定にも、そして姿くらまし妨害術にもな。」

 

言うと、ゲラートは杖を振って……どうやったんだ? 姿くらましで消えてしまう。試しに私も跡追い姿あらわしをしようとしてみるが、呪文はきちんと妨害されているようだ。何か特別な方法を使ったらしい。本物の魔女であるアリスですら出来ないことなのに。

 

「リーゼお嬢様!」

 

「……やあ、咲夜。」

 

「ダンブルドア先生のお墓参りに来たんですか? 誰かと一緒だったみたいですけど。」

 

「『理不尽男』と話していたのさ。意味不明すぎて疲れたよ。うんざりだ。」

 

走り寄ってきた咲夜に応じつつ、額を押さえて小さくため息を吐く。何もかもが分からんな。ゲラートの死を私がどう思っているかはこの際置いておくとして、あの男にしては死の理由に筋が通っていなさすぎるぞ。まるで自分で強引に決めた予定を語っているようじゃないか。

 

どうしようもない違和感を抱えながら、アンネリーゼ・バートリは疲れた気分で咲夜に寄り掛かるのだった。

 



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発覚

 

 

「あの、鈴川先生。細川先生ってもう授業に復帰してるんでしょうか?」

 

四限目の日本史学の授業が終わった直後、東風谷早苗は黒板を消している鈴川先生に近付いて問いかけていた。ちょっと苦手なんだよな、この先生。無派閥に近い松平派の中年の女性教師なのだが、そこそこ厳しくて神経質なタイプの人なのだ。本当は進んで話しかけたい先生じゃないんだけど……お二方の指示なんだから仕方がない。手早く済ませちゃおう。

 

十二月に入って、ようやく冬休みが見えてきたマホウトコロ。『ゲーム解禁』を目指して冬休み前のテストで良い点を取るべく、私は日々勉強に励んでいたわけだが、お二方の留守中に勝手にゲームをしていたことが昨日バレてしまったのだ。

 

『セーブデータ調査』という人権を無視した非道な捜査方法によって罪を暴かれてしまった私は、お二方にその日のことを洗いざらい自白することで減刑を狙ってみたのだが、黒蛇と一緒に白木校長に会ったと報告したところでお二方がシリアスな雰囲気になってしまったのである。

 

そして一夜明けた今日、お二方の指示で訳も分からず鈴川先生に細川先生のことを尋ねているわけだけど……うわぁ、めちゃくちゃ嫌な顔をされているじゃないか。私の質問を受けた鈴川先生は、『面倒くさい』という表情を隠そうともせずに応答してきた。

 

「またその質問ですか。余程女生徒に人気があるようですね、細川先生は。学校は教師との『不純異性交遊』を目論むための場ではありませんよ。」

 

「いや、違うんです。そうじゃなくて、えっと……単純な疑問でして。随分経つのにまだ復帰しないのかなぁ、と。」

 

ああもう、誤解されちゃっているじゃないか。わたわたと手を振りながら弁明した私に、鈴川先生は『どうだか』という疑わしそうな顔付きで答えを教えてくれる。同じ質問を他の女子たちから何度もされているらしい。

 

「本来もう授業に復帰しているはずだったんですが、土壇場でやはりまだ無理だということになったそうです。『心の病気』とやらで部屋から出られない状態が続いているようですよ。情けないにも程があります。」

 

うーん、鈴川先生は細川先生が休んでいることを快く思っていないみたいだ。あんまり精神的な病気に明るくない人なのかもしれない。私はあんな状態の細川先生を働かせる方がマズいと思うけどな。苛々している様子の鈴川先生に怯みながら、恐る恐る問いを重ねてみた。

 

「こんなに長く休むってことは、結構悪いんでしょうか?」

 

「さあ? 私は知りませんし興味もありません。私に分かるのは、仕事を増やされて迷惑だということだけです。……だから若い教師を入れるのは反対だったんですよ。おまけに溝口先生と吉村先生も『心の病気』らしいですからね。細川先生が『休めている』のを見て影響されたんでしょう。やる気がないなら辞めてしまえばいいでしょうに。この学校に勤めたいという魔法使いは山ほど居るんですから。」

 

「あー……ええっと、溝口先生と吉村先生も休んでるんですか。知りませんでした。」

 

吉村先生は藤原派の英語の先生で、溝口先生は松平派の技術非魔法学の先生だったはずだ。三人も休んでいることを知って小首を傾げた私へと、鈴川先生は大きく鼻を鳴らして文句を続けてくる。

 

「『調子が悪い』んだそうですよ。信じられません。昔のマホウトコロの教職というのは、『調子が悪い』程度で休めるような甘い仕事じゃありませんでした。いつからこんな緩い職場になってしまったのやら。昔の白木校長はもっと厳しかったはずです。」

 

「それはその、良かったですね。」

 

「……何が『良かった』んですか? 私は今規律の乱れを嘆いていたんですよ?」

 

「へ? いやあの、てっきり厳しくなくなって良かったって話だと……ごめんなさい、勘違いしてました。」

 

私の返事を聞いて怖い顔になってしまった鈴川先生に謝ってみるが……ああ、ダメっぽいな。更に怒らせちゃったらしい。鈴川先生はこれ見よがしに巨大なため息を吐いて話を切り上げてしまう。だって、ちゃんと休めるのは良いことじゃないか。そんなに怖い顔をしなくてもいいのに。

 

「……何にせよ、貴女もしっかりと勉強をするように。冬休み前のテストで『調子が悪かった』などという言い訳は通用しませんからね。白木校長は許すようですが、私は違います。そのことはよく覚えておきなさい。」

 

「はい、分かりました。」

 

『超怖い声色』で釘を刺されて慌てて頷いてから、急いで席に戻ってバッグを手に取りながら一息つく。怖かったぞ。やっぱり鈴川先生は苦手だ。校長先生や教頭先生の怖さとはまた種類が違う怖さだったな。

 

楽しい冬休みのことを無理やり考えることで、一気にすり減ってしまった精神の回復を試みている私に、ずっと黙っていたお二方がそれぞれの意見を口にした。当然ながら、私にしか聞こえない声でだ。

 

『ふーん、細川はまだ休んでるんだ。怪しいなぁ。やっぱ妖怪か何かなんじゃないの? あの蛇。』

 

『早苗の話を聞く限りでは確かに怪しいが、前に直接見た時に妖力らしきものは一切感じなかったぞ。細かい妖力の感知に関してはお前の方が得意だろう? どうだったんだ? 諏訪子。』

 

『前にも言った通り、私も妖力は感じなかったよ。だけど集中して探ってたわけじゃないから、気付けなかっただけって可能性も全然あるし……んー、どうなんだろ。難しいところだなぁ。早苗、一回寮の部屋に戻ろっか。みんなでご飯食べながら話し合おう。』

 

「でも、今日は担々麺の日です。なのに購買のパンにしちゃうんですか? ……すぐ食べますから。パパッて。パパパッて。」

 

楽しみにしていたのに。購買のパンはいつでも買えるけど、担々麺はたまにしか出ないんだぞ。小声で抵抗してみるが、諏訪子様は無慈悲な返答を返してくる。

 

『担々麺は今度にしな。結構重要なことなんだから、ちゃんと話し合わないとダメなの。』

 

「だけど、ピリ辛なんです。コクがあるんです。美味しいんです。」

 

『あんたはもう、本当に暢気な子だね。……じゃあほら、今度リーゼちゃんに連れて行ってもらえばいいでしょ。担々麺の有名店とか、高級中華の店とかにさ。その時美味しく食べられるように今は我慢しときな。』

 

「なるほど、それなら我慢します。」

 

高級中華には心惹かれるものがあるぞ。あの回る大きなテーブル。ああいうのがある店に行きたいな。想像だけで込み上げてきた唾を飲み込みつつ、即座に了承してバッグを片手に教室を出た。物事には優先順位というものがあるのだ。マホウトコロの担々麺の順位は物凄く高いけど、高級中華にはさすがに負ける。当然の判断と言えるだろう。

 

後でガイドブックをチェックして店の候補を選出しておこうと心に決めながら、二階の四面廊下を出て一階への階段を下りて、パンを買おうと購買の方に向かうと……わあ、混んでいるな。『昼練』に向かうクィディッチ部の生徒たちとかち合ってしまったようだ。

 

「……やっぱりやめませんか?」

 

『何怯んでんのさ。私はカレーパンとコロッケパンね。』

 

『おにぎりも売っていただろう? 私は梅とシャケとおかかとおかずセットを頼む。お茶は部屋の冷蔵庫にあったよな?』

 

『お茶はあるけど、私はパンだから……コーヒー牛乳にしよっかな。瓶のやつ。』

 

行くのか。体格が良い男子が多いから怖いんだけどな。軽く頼んできたお二方に恨めしい感情を送りつつ、ゆっくりゆっくりと売り場に近付いていくが……うう、ヤダなぁ。運動部の人たちって何であんなに大きな声で話しているんだろう? 『凶暴さ』を感じるぞ。

 

購買から少し離れた位置で立ち止まった私に、諏訪子様が無茶苦茶なアドバイスを寄越してきた。

 

『蛇語で威嚇してやりな。シューシュー言えばビビって道を空けるって。』

 

「嫌に決まってるじゃないですか。そんなことしたら、また変な噂になっちゃいます。」

 

『ただ突っ立ってたら私のパンが売り切れちゃうでしょうが。やりな、早苗。神の宣託だよ。あんたがいきなり訳の分かんない蛇語で喚きながら登場すれば、あいつら絶対怖がって近付いてこないから。』

 

「それは『ヤバいヤツ』だから近付かないだけですよね? それをやるくらいなら普通に買いますよ。」

 

諏訪子様に囁き声で答えてから、なるべく人が少なくなる一瞬の隙を狙って……今だ! クィディッチ部員たちの隙間を抜けて商品へと近寄る。素早くカレーパンと、コロッケパンと、おにぎり三つと、唐揚げや卵焼きなんかがプラスチックのパックに入った『おかずセット』と、コーヒー牛乳と自分用のパンを適当に回収して、事前に計算して財布から出しておいた代金と一緒に職員さんに渡してみれば──

 

「はい、ちょうどね。」

 

「あっ、どうも。」

 

見事な手付きだな。流れるような動作で袋詰めされた商品たちが手元に戻ってきた。これにてミッションコンプリートだ。きちんと『お使い』を達成できたことにふんすと鼻を鳴らしつつ、その場を離れて寮へと向かおうとしたところで、クィディッチ部の男子生徒たちの話し声が耳に入ってくる。

 

「あいつ、すげー食うな。葵寮の蛇舌だろ?」

 

「おい、関わるなって。蛇舌を『イジる』と中城先輩から棍棒でぶん殴られるぞ。今度また練習を見に来てくれるっぽいし、その時に怒られたくないだろ?」

 

「でもよ、食い過ぎじゃないか? 蛇舌だと腹が減るのかな?」

 

「だからやめとけっつの。さっさと練習に行くぞ。」

 

あああ、違うぞ。全部を私が食べるわけじゃないんだからな。あらぬ疑いをかけられて顔を赤くしながら、早足で廊下を歩いて行く。

 

「……もう、勘違いされちゃったじゃないですか。」

 

『反論すればよかったじゃん。偉大な神々への供物だって言ってやりなよ。』

 

『よく食べるのはいいことだぞ、早苗。何を恥ずかしがっているんだ。胸を張れ。』

 

「言えませんし、張れません。」

 

小声で言い返しながら寮へと足早に移動して、玄関を抜けて階段を上がって自室に入った。安心できる場所にたどり着いて一つ息を吐いていると、早速顕現したお二方が私の手からお昼ご飯を回収してくる。

 

「さあさあ、食べよう食べよう。美味しいのに安いよねぇ、購買のパン。……お、まだあったかいじゃん。ラッキー。」

 

「おい、諏訪子。私のおかずセットから手を離せ。お前はパンなんだからおかずは必要ないだろうが。……カップ味噌汁はどこだ? 前に纏めて買ったはずだぞ。」

 

カレーパンを食べ始めた諏訪子様と、棚の中にあったカップ味噌汁に電気ポットのお湯を注いでいる神奈子様。そんなお二方の姿を横目にしつつ、自分の分のパンを袋から取り出してみれば……私、こんなのを買ったのか。残っていたのは三色パンとクリームパンだった。急いでいたから適当に選んだ結果、カスタードクリームが被ってしまったらしい。

 

大体、私は『お昼ご飯に甘いパンを食べる派』の人間じゃないぞ。高級中華の代償は高く付いたなと物悲しい気分になっていると、豪快にカレーパンを頬張っている諏訪子様が話しかけてくる。美味しそうだな。購買のカレーパンには小さなお肉が沢山入っているのだ。

 

「んでさ、例の蛇についてだけど……あんたが白木と会った後、『生徒相手なら油断すると思った』みたいなことを言ってたんだよね?」

 

「えと、多分言ってたはずです。……でもですね、そんなに深刻な意味はないと思いますよ? あの蛇はかなりのおバカちゃんっぽかったので、テレビとかの知識をそのまま喋ってるだけじゃないでしょうか?」

 

「『おバカちゃん』はあんたでしょうが。他には何か怪しいことを言ってなかった?」

 

「えぇ……私、おバカちゃんじゃないです。あの蛇よりは絶対に賢い自信があります。」

 

幾ら何でもあれよりは上だぞ。ムッとしながら抗弁してみれば、諏訪子様は呆れ声で指摘を飛ばしてきた。

 

「クリームパンと三色パンを両手に持ってる子の発言とは思えないね。あんた、気付いてる? クリームが被ってるよ?」

 

「き、気付いてます! そんなにバカじゃないですよ。急いでたから選べなかっただけです。」

 

「はいはい、コロッケとクリームを半分トレードしてあげるよ。……で、蛇は他に何か言ってなかったの?」

 

やった、クリームの割合が減ったぞ。諏訪子様にクリームパンの半分を渡して、代わりにコロッケパンの半分を受け取りつつ、曖昧な記憶を何とか掘り起こして返事を送る。

 

「えーっと……あ、言ってました。あの蛇が人間を支配した後、私は見所があって可愛くて賢いので特別に奴隷長にしてくれるんだそうです。」

 

「……は? どういうこと?」

 

「ネズミとかウズラとかを食べさせてくれるって言ってましたよ? あとあと、駒の話……というか、将棋? のことも話してました。詰みまでの時間がどうこうって。」

 

「えー? 全然分かんないよ。人間を支配して、あんたを奴隷長にする? バカっぽい会話だなぁ。」

 

それは私も思ったけど、実際そう言っていたのだ。意味不明だという顔付きになってしまった諏訪子様は、むむむと唸りながら話を続けてきた。

 

「あーもう、分かんない。リーゼちゃんに不自然に近付こうとした飼い主の細川が急に病気になって、その後にあんたを使って白木を『狙う』ような動きをしたかと思えば、アホみたいな発言もしてるわけでしょ? 妖怪なのかも断定できないし、意図もさっぱり掴めないよ。」

 

「だから、ただの蛇なんですってば。『時代劇口調』も、『人間支配』も、『奴隷長』も全部テレビの知識ですよ。細川先生の病気は単なる偶然なんじゃないでしょうか?」

 

「そうかもだけど、白木のことを気にしてたってのがどうもねぇ。……一応聞くけどさ、あんたに蛇が接触してきたのって一回だけなんだよね? つまり、白木と話した時だけってことでしょ?」

 

「それはそうですよ。細川先生と一緒に寮の裏手で見つけた時が最初で、次は……あっ。」

 

そうだった、夏頃にも一度会っていたんだ。でも、どうしてお二方は知らないんだろう? いつも一緒に居るはずなのに。自分の記憶を探りながら首を傾げている私に、カップ味噌汁を作り終えた神奈子様が突っ込んでくる。

 

「早苗? 今の『あっ』は何だ? 他にも思い当たる節があるのか?」

 

「あの、あります。七月の……初め頃? にも一度会ってるはずです。」

 

「何故それを内緒にしていたんだ。」

 

「いやいや、別に内緒にしてたわけでは……あっ。」

 

思い出したぞ。あの日はリーゼさんと移住のことを話すためにお二方が守矢神社に行っていて、私は神の居ぬ間に大きなテレビでゲームをしようと思ったから……そう、神奈子様からやっておくようにと言われた宿題をやらなかったんだ。逃げ出した蛇を細川先生の研究室に届けた後、ゲームに熱中しちゃったはず。

 

それでそれで、帰ってきた神奈子様から宿題のことを聞かれたから、海燕係の仕事があって出来なかったことにしたんだった。自分でも忘れていた『悪事』を鮮明に思い出した私へと、神奈子様がジト目で問い質してくる。

 

「今度の『あっ』は何だ? 正直に言いなさい。これは大事なことなんだから。」

 

「……ええっと、確かに私は蛇さんと会ってます。お二方がリーゼさんと移住の話し合いをするために守矢神社に行ってた時です。掃除の時間に中庭で蛇さんを見つけたので、細川先生の研究室に連れて行きました。」

 

「何で私たちに話さなかったのさ。いつもは聞いてないことまで喋りまくってくるのに。」

 

「それはですね、つまり……話すと嘘がバレちゃうからです。あの日は神奈子様から宿題をやれって言われてて、ゲームに夢中で『やらなかった』のを海燕係の仕事で『やれなかった』ことにしたので、蛇さんのことまで話しちゃうと時系列がおかしくなるかなと思いまして。……でもでも、大したことじゃなかったんですよ? 蛇さんを見つけて、研究室に届けただけなんです。今の今まで私も忘れてました。」

 

正直に告白した私を見て、お二方は深々とため息を吐いた後……やけに真剣な表情になって顔を見合わせた。

 

「まあ、宿題のことは後で話そう。それより今は蛇のことだ。……あまりにも都合が良すぎないか? 私たちが揃って早苗の側を離れることなど滅多にないはずだぞ。二回が二回ともその時だというのは偶然では片付けられん。」

 

「ま、出来すぎてるよね。にしたって別に早苗に何かするわけでもないし、よく分かんないってのは同じだけどさ。疑いはちょっとだけ増したかな。……最終確認だよ、早苗。蛇が接触してきたのは七月の初め頃と、この前の白木の時だけなんだね?」

 

「そうです、そうです。今度こそ間違いないです。」

 

再度確認してきた諏訪子様に首肯してみれば、彼女はコロッケパンを食べ切りながら結論を述べてくる。

 

「ダメだね、材料が少なすぎて判断できないや。とはいえ疑わしいのは間違いないんだから、リーゼちゃんには伝えておこう。それと早苗、次に蛇を見かけたら札を貼ってやりな。妖怪なら死ぬか苦しむはずだから。」

 

「……そんなの可哀想ですよ。普通の蛇さんだったらどうするんですか? 動物虐待です。」

 

「へーきへーき、普通の蛇だったら死なないし苦しまないよ。……次の外出日っていつだっけ? 冬休みまでもう無い?」

 

「外出日は無いですけど、今年の冬休みは十八日の土曜日からです。……私は普通の蛇なんだと思いますよ?」

 

諦め悪くポツリと意見を付け加えてみるが、お二方は全く気にせずに会話を続けてしまう。ちょっとおバカちゃんなだけで、そんなに悪い蛇じゃなさそうに見えたんだけどな。子供っぽいところがあったし、迷惑だけど憎めないって雰囲気だったぞ。

 

「んー、どうする? 手紙を送る? それとも冬休みでいいかな?」

 

「札さえあれば早苗を守れる自信はあるが、知らせるだけ知らせておいた方がいいんじゃないか? 先に手紙で簡単に報告して、冬休みに入ったら直接詳しいことを伝えればいい。」

 

「んじゃ、そうしよっか。……今後は最低でもどっちかは早苗に付いてた方がいいね。どうしても神社の方に行く必要がある時は、神奈子がこっちに残りな。荒事はあんたの担当なんだから。」

 

「ああ、分かった。杞憂かもしれんが、備えておいて損はないはずだ。」

 

ぐああ、今後はずっと神奈子様の『監視』が付くのか。『神の居ぬ間に作戦』は二度と使えなくなってしまったらしい。これは本気でテストの点数をどうにかする他なさそうだな。じゃないといつまで経ってもゲームの封印は解かれないままだぞ。

 

蛇なんかよりもよっぽど重要な問題に悩みつつ、東風谷早苗は悲しい気分で小さくため息を吐くのだった。

 



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大蛇号

 

 

「さすがはミレニアムイヤーってだけあって、装飾にも気合が入っているね。……ふぅん? あの観覧車もほぼ完成しているじゃないか。もう乗れるのかい?」

 

ロンドン・アイか。ロンドンの中心街を横断するテムズ川。陽光を反射しているその川沿いを歩きながら問いかけてきたリーゼ様に、アリス・マーガトロイドは肩を竦めて応答していた。対岸に見えている観覧車は見事な大きさだ。天辺からの景色はさぞ素晴らしいものなんだろうな。

 

「完成自体はしてるみたいですけど、まだ乗れはしないそうです。本当は三十一日から開業する予定だったらしいんですけどね。マグル側の新聞に延びそうだって書いてありました。」

 

「つくづくこの国の人間たちは詰めが甘いね。いつもそんな感じじゃないか。」

 

まあうん、そう言われればそうだな。黒いコート姿で白い吐息を漏らすリーゼ様に苦笑しつつ、白いマフラーを巻き直してから先へと進む。十二月の中旬に入ったばかりの今日、私たちはマグル界のロンドンに出て買い物を楽しんでいるのだ。

 

移住に備えて幻想郷では手に入らない物を買っておいたり、リーゼ様の『別荘計画』のための家具なんかを見てみたり。明確に買う品を決めての買い物ではなく、ふらふらと気の向くままに店を巡っているわけだが……これってもしかして、デートなのかな? デートかもしれない。というか、ほぼデートだろう。百あったら九十二くらいはデートのはずだ。じゃあもう圧倒的にデートじゃないか。

 

リーゼ様は当然そんなことを思っちゃいないだろうけど、この世は主観で構成されているわけなんだから、観測者たる私がデートと判断しているならこれはデートだということだ。頭の中でケチの付けようもない完璧な思考を展開させつつ、テムズ川が続いている方向を指差して口を開いた。

 

「グリニッジの方にも大きなドームが出来たじゃないですか。あれもミレニアムプロジェクトの一環で、そこで三十一日から一日にかけて式典をやるみたいですよ。」

 

「式典ね。派手なのになりそうじゃないか。」

 

「行ってみますか? 咲夜と魔理沙もクリスマス休暇で帰ってきますし、夜だからエマさんも平気だと思いますよ。」

 

「マグルの式典にはそんなに興味を惹かれないが……ふむ、いっそ新年の瞬間に時計塔の鐘楼にでも忍び込んでみるかい?」

 

背後を振り返ってロンドンのシンボルを指しながら言ったリーゼ様に、苦笑いで返事を返す。

 

「魔法省からそういうことをするなって警告文が届いたじゃないですか。マグルの報道カメラとかに映っちゃう可能性があるから、『あまり羽目を外さないように』って。……かなり警戒してますよ、アメリアたち。全家庭に警告文を送るだけじゃなく、『要注意人物』の家を個別に訪問して注意したりもしてるみたいです。記憶修正にも限度がありますしね。」

 

「言っても聞かないのが魔法族だろうに。酔っ払った魔法使いたちが何かやらかすのが目に浮かぶようだよ。」

 

「記念すべき年ですもんね。……まあ、どっちにしろ鐘楼はやめておいた方がいいと思います。一日の零時には思いっきり鐘を鳴らしまくるでしょうから、鐘楼に居たら煩くて見物どころじゃありませんよ。」

 

「あー、それもそうか。新年早々鼓膜がイカれるのは楽しくなさそうだね。」

 

そこまで話したところで、リーゼ様は徐に……おー、凄いな。真冬に営業するとは気合が入っているじゃないか。川沿いの遊歩道に停車しているアイスクリームの販売車に近付いていく。こんな時期に売れるのかな? あるいは売れなさすぎて自棄になっているのかもしれない。

 

「買うんですか?」

 

「捻くれ者の私としては、見つけてしまったからには買わざるを得んね。真冬にアイスを売るとは気に入ったよ。マグルにも中々ぶっ飛んだヤツが居るじゃないか。」

 

「クレープもあるみたいですね。私はそっちを食べます。」

 

本物の魔女はまあ、真冬にアイスを食べても体調を崩すことはないものの……出来るからってやりたいとは限らないぞ。キッチンカーの上部にあるメニュー表を二人で眺めた後、買う物を決めてからカウンターに近寄る。チョコとバナナのクレープにしよう。

 

「やあ、フランボワーズとヨーグルトのアイスをカップで一つ頼むよ。」

 

「あと、チョコバナナクレープも一つ。」

 

「はいよ、5ポンドね。」

 

んー、微妙な値段設定だな。メニュー表の写真を見る限りではクレープもアイスも結構豪華な物なので、観光客向けとしては安い部類かもしれない。時期が時期だから値下げしているのかなと考えつつ、先に商品を受け取ったリーゼ様へと話しかけた。アイスは盛るだけだが、クレープは注文を受けてから焼くようだ。そりゃそうか。

 

「どうですか?」

 

「ん、まあまあ美味いよ。食べるかい? ほら。」

 

「……美味しいです。」

 

リーゼ様が自然な動作で差し出してきたスプーンにぱくりと食い付いてから、思わぬ幸運に内心で喜ぶ。今のはカップルみたいなやり取りだったんじゃないか? ヨーグルトの味を楽しみながら心中でガッツポーズをしていると、完成したクレープを渡してきた男性店主が一声かけてきた。

 

「はい、クレープも完成だ。仲が良いね。姉妹かい?」

 

「親子だよ。私が親だ。」

 

「へ?」

 

まあ、そういう反応になるだろうな。マグルだの魔法族だのは関係無しに、事情を知らない人からすればそうは見えないはずだ。リーゼ様が歩き出しながら放った答えにきょとんとしている店主へと、小さな声で訂正を加えてから私もその場を離れる。

 

「本当はカップルよ。」

 

更に意味が分からないという顔付きになってしまった店主を尻目にして、追いついたリーゼ様にクレープを頬張りながら声を投げた。むう、美味しいな。真冬でもめげずに営業しているだけあって、中々やるじゃないか。

 

「話を戻しますけど、どうします? ロンドンで年越しをしてみますか?」

 

「折角の記念の年なんだし、たまにはいいかもね。エマの夕食を食べた後、姿あらわしでロンドンに移動して一番派手で盛り上がるところだけを見物して、また姿あらわしで人形店に戻ってゆっくりしよう。……ハリーとロンは三十一日も仕事があると思うかい?」

 

「あると思います。執行部と惨事部は『羽目を外しすぎた』魔法使いたちの対処で大忙しでしょうから、きっと新人だろうと構わず駆り出されますよ。」

 

「残念だね。クリスマスは休めるといいんだが。」

 

テムズ川を通行中の船を横目に呟いたリーゼ様へと、口の端に付いてしまったチョコソースを舐め取りつつ返答を飛ばす。美味しいクレープなんだけど、具沢山すぎてソースが口に付いちゃうな。

 

「幾ら何でもクリスマスは休めますよ。今年も隠れ穴でパーティーですかね。」

 

「明後日ハリーたちと会うから、クリスマスパーティーについてはその時にでも話してみるさ。多分やるだろうけどね。キミたちにとってはイギリスで過ごす最後のクリスマスなんだし、あった方が嬉しいだろう?」

 

「ですね、思い出は残しておきたいです。……そういえば、早苗ちゃんたちはどうなんですか? 夏は結局イギリスには来ませんでしたけど。」

 

「冬休みに入ったら来るそうだ。二柱からちょっと気になる手紙が届いてね。そのことも話し合いたいと言うから、今回は旅行を許可したのさ。無論長居させるつもりはないが。」

 

イギリスで過ごす最後のクリスマスか。その事実に少しだけ寂しくなっているのを自覚しながら、甘いクレープをもう一口食べてリーゼ様へと疑問を送った。

 

「気になる手紙っていうのは?」

 

「内容も書き方もぼんやりしていて分かり難かったから、そこは早苗たちが来た後で詳しい事情を聞いてから話すよ。……ほら、チョコが付いているぞ。キミは基本的にはしっかり者なのに、相変わらず変なところで抜けているね。」

 

おおっと、またしてもラッキーだ。私の口の横に付いたチョコソースを背伸びして指で拭ったリーゼ様は、それをぺろりと舐めてから再び歩き始めるが……今のは良かったぞ。非常にグッドだ。よし、もう一回付けよう。あくまで自然な感じにしなければ。

 

何食わぬ顔で意図的にクリームを口の端に付けつつ、アリス・マーガトロイドはリーゼ様が気付いてくれるのをひたすら待つのだった。

 

 

─────

 

 

「どうする? 高速に入る前にコンビニに寄るか? 早く決めてくれ。私はサービスエリアでもいいぞ。」

 

神奈子様って、運転している時はやたらと気が急くタイプみたいだな。サングラスをかけている運転席の神様へと、助手席に座っている東風谷早苗はカーナビを弄りながら返事を返していた。操作方法が全然分かんないぞ。どうしてこんなに項目が多いんだろう?

 

「私、飲み物が欲しいです。おやつも。」

 

「寄りな、神奈子。私たちの可愛い祝子がおやつを御所望だよ。」

 

「寄るのはいいが、いちいち座席を蹴るのはやめろ。お前は何故そんなに暴力的なんだ。運転手への気遣いはどうした。何より『大蛇号』が可哀想じゃないか。」

 

「そのクソダサい名前を次に口にしたら怒るからね。だっさいステッカーをベタベタ貼って、喧しいマフラーとか無駄に高いハンドルに付け替えて、調子こいた内装にした挙句、見栄張って小難しいカーナビを買ったとこまでは許してやってもいいけど、ネーミングセンスだけは我慢ならないから。本気でキレるよ?」

 

後部座席からガシガシと運転席の背凭れを蹴りつつ主張する諏訪子様に、神奈子様が不服そうな声色で反論する。……まあ、私も『大蛇号』は嫌かな。車は素直に車種で呼ぶべきだと思うぞ。

 

「全部カッコいいだろうが。センスの無いヤツはこれだから困る。大蛇号は私が一からカスタムしているんだぞ。我が子のようなものだ。幻想郷にもしっかりと連れて行くからな。」

 

「『我が子』だって。気持ちわる。」

 

「おい、今何と言った? 降ろすぞ。お前だけ降ろしてやるからな。他人の趣味を否定するとは何事だ。……大体、いい歳して子供の見た目を使っているお前の方が余程に気持ちが悪いだろうが。一度病院に行っておけ、薄気味悪い若作り蛙め。」

 

「あ、言ったね? あんた、こんなに可愛い私に文句を言ったね? 美的センスがどうかしてるんじゃない? そんなんだから車もダサいんだよ。ダサ女!」

 

あーあ、また諏訪大戦か。第何万回目なんだろう? お二方の言い争いを聞き流しながら、諦めてカーナビの操作を切り上げた。さっぱり分かんないし、コンビニに着いたら神奈子様に任せるしかなさそうだ。余計な機能が多すぎるぞ。

 

冬休みに突入して二日目の今日、私たちは守矢神社から東京の日本魔法省に向かうために、神奈子様が運転する車で高速に乗ろうとしているところだ。冬休みは去年に引き続きイギリスに行けるということで、先ずはポートキーで出国するために魔法省を目指しているのである。

 

うーん、楽しみだな。テレビに映る芸能人たちが『年末は毎年海外に行きます』みたいなことを喋っているのを、昔の私は羨みながら見ていたわけだが……ふふん、今や私も『海外組』の仲間入りだ。お正月はさすがに神社でお仕事をしないとだけど、今年もギリギリまではイギリスで過ごせるかもしれないぞ。

 

何だかカッコいいライフスタイルを送っていることに笑みを浮かべていると、私たちが乗っている車が高速の入り口の手前にあるコンビニを通過してしまう。あれ? ここに行くんじゃなかったのかな? コンビニってこの先にもあったっけ?

 

「次に大蛇号の座席を蹴ったら、お前を紐で括り付けて引き摺り回してやるからな! 東京までずっとだ! ……私は本気だぞ。絶対にやってやる。前からやりたかったんだ。」

 

「だから『大蛇号』はやめろって言ってんでしょうが! ……ほれ、蹴ったよ? どうしたのさ、ダサ蛇女。次にダサダサ女が乗ってる安物運転席を蹴ったら、クソダサ中古車で可愛い私のことを引き摺り回すんじゃなかったの? やれるもんならやってみな。祟り神が安い脅しに屈するかっての。」

 

「よーし、分かった。いい度胸だ。大蛇号もお前の蛮行に激怒しているぞ。喜んで引き摺ってくれるだろう。トランクに牽引用の紐があるから、コンビニでお前を縛ってお望み通り東京まで引き摺り回し──」

 

「あのあの、そのコンビニを通り過ぎてませんか?」

 

お二方の罵り合いに割り込んで指摘してみれば、神奈子様はピタリと口を閉じた後で……唐突に計画の変更を宣言してきた。

 

「……やはり買い物はサービスエリアでしよう。折角高速に乗るんだからその方がいいはずだ。」

 

「あんた、忘れてたね? バカだから通り過ぎちゃったんでしょ? あー、やだやだ。脳みそが空っぽだからそういうことになるんだよ。」

 

「お前が余計なことばかりを言うからだ! 私は今運転をしているんだぞ。お前は知らんだろうが、運転には集中力が必要なんだよ。分かったら黙って乗っていろ。二度と喋るな。」

 

「神なんだから運転くらい片手間にやれっつの。」

 

大袈裟なため息と共に諏訪子様が毒づくのに、神奈子様は無視することで対応する。これは『停戦』したっぽいな。車内の雰囲気は未だギスギスしているから、『次』がある時の停戦の仕方だけど。

 

まあ、私はもう慣れちゃったぞ。飽きずに喧嘩を繰り広げるあたり、ある意味では仲が良いということなんだろう。高速の入り口でチケットを取った神奈子様を横目に考えつつ、カーナビを指差して声を上げた。

 

「神奈子様、道案内の設定の仕方が分かんないです。」

 

「ん? ……まあ、高速に乗っている間は大丈夫だろう。案内板に従えばどうにでもなる。サービスエリアで設定すれば問題ないはずだ。」

 

「そうなんですか? ならいいんですけど……ちなみに、テレビは観られないんですよね?」

 

「観られる機種のはずなんだがな。設定方法がよく分からないんだ。とりあえず取り付けるので精一杯だった。」

 

むう、残念だな。返答を受けて景色を眺め始めた私を他所に、諏訪子様が小さく鼻を鳴らして『意見』を飛ばす。

 

「意固地にならずにプロにやってもらえばよかったんだよ。自分でやろうとするからおかしなことになるんでしょ。」

 

「自分でやってこそ愛着が湧くものだ。構造への理解も進むし、工賃の節約にもなる。良いこと尽くめじゃないか。」

 

「無駄なもんばっか買ってるのに節約って言われてもね。ステッカーをやめれば取り付け費用なんて楽々払えたんじゃない? こんなシールに何であんな値段が付くのさ。」

 

「物の価値はそれぞれだ。私にとってはそれだけの価値がある物だったんだよ。何も知らずに浅い知識で口を出すのはやめてもらおうか。」

 

あー、マズいな。早くも停戦期間が終わっちゃいそうだぞ。車内に漂うキナ臭い空気を感じ取って、慌てて間に入っていく。風祝の役目は神々を鎮めることなのだ。

 

「それよりそれより、神奈子様は運転が上手くなりましたね。もう全然危なくないです。凄いです。カッコいいです。」

 

「慣れたからな。私は神だから慣れるのが早いんだ。神格に『運転』という権能を追加してもいいぞ。」

 

「運転の神様ですか。……あっ、御守り! 交通安全の御守りを神社で売りましょうよ! 神奈子様が運転の神様なら追加してもいいですよね? 絶対売れます。需要があるはずですもん。」

 

「……御守りか。まあ、いいと思うぞ。信仰になるからな。」

 

ありゃ? 表情的にあんまり乗り気じゃなさそうだな。どうしてなのかと首を傾げていると、諏訪子様が答えを教えてくれた。

 

「あんた、御守りを作るのが面倒くさいんでしょ? 顔に出てるよ。」

 

「……そう言うお前だって最近はサボっているじゃないか。やっと早苗の仕事を直接手伝えるようになったんだから、もう少し頑張ったらどうなんだ。私はきちんと『ノルマ』を達成しているぞ。」

 

「だってだって、『御守り作り』は本来私たちの仕事じゃないじゃん。御守りは小さい『分社』みたいなもんなんだからさ、それを神が手ずから作るってのは変だよ。人間の仕事っしょ。」

 

「……すみません、私が不甲斐ないばっかりに。」

 

うう、その通りだな。御守りの袋を作ったり、内符に一筆したためるのは守矢神社では風祝の役目であって、当然ながら神々が直接やる仕事じゃない。神々の仕事は御守りを買ってくれた人たちに然るべき御利益を与えることだ。しゅんとしながら謝った私に、神奈子様が慰めをかけてくれる。

 

「待て待て、早苗の所為じゃないぞ。仕方がないじゃないか。学業で忙しいんだから、御守りを作る時間なんて無いはずだ。……おい、諏訪子。早苗に謝れ。この子は頑張っているんだからな。御守り作りだけはゲームよりも漫画よりも優先していたほどなんだぞ。」

 

「まあそうだけどさぁ、袋はもう業者から買っちゃおうよ。最近じゃどこもやってることじゃん。今日日手縫いで作ってる神社なんて他にある?」

 

「でも、お父さんとお母さんはきちんと作ってました。自分たちが祭ってる神様の御守りなんだから、一から責任を持って自分たちで作らないとダメだって。だから私もそれはやめたくないです。」

 

「諏訪子、お前が悪いぞ。早苗の言っていることは完全に正しい。お前も昔は手縫いを続けていることに感心していたじゃないか。いつからそんな悪い神になってしまったんだ。」

 

神奈子様が運転しながら注意すると、諏訪子様はバツの悪そうな声色で謝罪を送ってきた。感心していたのか。お父さんとお母さんの頑張りは神に届いていたようだ。

 

「あー……まあ、悪かったよ。別に手縫いが悪いって意味じゃないんだって。そりゃあそっちの方が良いに決まってるけど、無理してやるほどではないってこと。むしろ力を入れるべきは内符っしょ? 紙じゃなくて木札にしない? そっちの方がイケてるじゃん。」

 

「そんな金は無い。一個の原価が上がってしまうだろうが。」

 

「その分値段を上げればいいでしょ。」

 

「中身は基本的に取り出さない物なんだから、それを変えて値上げしたところで誰が納得する? 何も変わっていないのに高くなったと判断されるのがオチだ。そもそも売れていないのに、値段なんか上げたら目も当てられないだろうが。」

 

……何か、論点がズレてきたな。いきなり世俗的な話になって困惑している私を尻目に、諏訪子様が神奈子様へと抗弁を放つ。

 

「看板か何かに書けばいいじゃん。『内符を紙から木札に変えたので、御利益が二倍になりました』って。」

 

「どういう神社だ。『御利益が二倍』のところは完全に嘘じゃないか。紙でも木札でもあまり変わらんぞ。」

 

「そこはほら、私たちが二倍祈ればいいっしょ。……でもさ、実際御守りの力って上がってるはずだよね? 今はリーゼちゃんから札を『支給』してもらってて、神力が前よりマシになってるわけなんだから、そしたら御守りの効果も増してるはずじゃんか。」

 

「それは……ふむ、そうだな。そのはずだ。」

 

そうなんだ。知らなかったぞ。意外な事実に私が驚いている間にも、お二方の『神社経営会議』は進行していく。

 

「そうなるとだよ? 値段が前のままってのはおかしくない? 効果が増してるんだから値上げして当たり前じゃん。……うわ、そうじゃんか。よく考えたら変だよ、今の状況。」

 

「……一理あるな。正当な値上げに思えるぞ。」

 

「ほらね? そうでしょ? ……値段、上げてみる?」

 

いやいや、それは無理なんじゃないか? 真剣に値上げを検討し始めたお二方へと、おずおずと『人間側』の見解を口にする。

 

「あのですね、私が思うに内符の件と一緒で変化が分からないんじゃないでしょうか? 御守り自体は何にも変わってないわけですし。」

 

「しかしだな、早苗。力は増しているんだぞ。パワーアップバージョンだ。」

 

「御守りの『パワーアップ』なんて聞いたことないですよ。『神様の神力が増したので、御守りのパワーが上がりました。だから値上げします。』って看板を置いてみますか?」

 

「……まあ、そうだな。それは無理そうだ。やめておくか。」

 

神奈子様が渋々諦めたところで、サービスエリアの入り口が見えてきた。ここは確かちょっと大きめのサービスエリアだったはずだ。神様の運転で車がそこに入っていく中、諏訪子様が疲れたように結論を述べる。

 

「ま、何にせよ交通安全の御守りを追加するのは悪くないかな。種類が増えれば売り場の見た目も華やかになるっしょ。年明けに間に合うようにみんなで作ろっか。」

 

「そうしましょう。何色がいいですかね?」

 

「んー、まだ使ってない色だと……紫とか? それっぽくない?」

 

「紫ですか。いいですね、デザインを考えておきま──」

 

私が笑顔で応答した瞬間、『ガンッ』という音と衝撃が車内に響く。……わあ、後ろを壁にぶつけちゃったようだ。神奈子様が久々に『駐車ミス』をしたらしい。

 

「……間隔が掴み難かったんだ。何も壊していないよな?」

 

「ぽんこつな主人を持った哀れな大蛇号以外はね。……やっぱやめとこうか、御守り。『交通安全』にすると嘘になっちゃうみたいだし。」

 

リアガラスから外を覗き込んでいる諏訪子様の冷めた声での決断に、微妙な表情で曖昧に首肯する。まあうん、そうした方がいいかもしれない。神奈子様の権能に『運転』を追加するのはまだ早かったようだ。『粗悪品』を売っちゃうところだったな。

 

額を押さえてため息を吐く神奈子様を横目にしつつ、東風谷早苗は大蛇号の傷が浅いことを願うのだった。

 



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おバカちゃん問答

 

 

「イベント? ロンドンでニューイヤーのイベントがあるんですか? ……きっと凄く豪華なやつなんでしょうね。見たいです。どうにかなりませんか?」

 

巫女の仕事があるならどうにもならんだろうが。話を聞いて物凄い葛藤を見せ始めた早苗を前に、アンネリーゼ・バートリはやれやれと首を振って呆れていた。相変わらず欲望に忠実な子だな。この辺は紅白巫女の方がよっぽど巫女っぽいぞ。

 

十二月十九日の昼。現在の私たちは日本からイギリス魔法省に到着した三バカを回収して、少しロンドン市街を見て回った後、彼女たちが泊まるホテルに到着したところだ。私、アリス、早苗、神奈子、諏訪子で部屋のテーブルを囲んで、適当な店でテイクアウトした昼食を食べながら話しているのである。

 

そんな中、アリスからミレニアムイヤー突入のイベントのことを聞いた早苗が、また無茶苦茶な『おねだり』を始めたわけだが……よしよし、さすがの二柱も渋い顔をしているな。年始というのは神道において重要な期間のようだし、これなら四対一で何とか思い留まらせることが叶うだろう。

 

二柱の反応を見て安心している私を他所に、ハンバーガーを右手に持ったままの早苗が神々への『説得』を開始した。この子は自分の神社よりもイギリスでのイベントを優先する決断を下したらしい。巫女としてそれでいいのか?

 

「あの、ダメでしょうか? ダメですよね? でも、そこまで盛大なのは今年だけしかやらないみたいですよ? だからつまり、すっごく特別なイベントってことです。歴史的な瞬間になるわけですね。だってここまでキリがいい年は千年に一度しかないんですから、人間にとっては一生に一度ってことになります。」

 

「早苗? 本気で言っているのか?」

 

「いえあの、もちろん神社のお仕事は大切ですけど……こっちでイベントを見たらすぐ帰るっていうのはどうですか? 一月一日の朝に間に合うように。無理ですかね? 私、寝ないで頑張れますけど。」

 

「あんたね、ポートキーの便がないでしょ。どこのどいつが新年になったばっかの深夜に、イギリスから日本に行こうとするのさ。……大体、イギリスで年を越して朝に間に合わせるってのが土台不可能じゃんか。仮に零時ぴったりにこっちを出ても、日本はもう九時になってるんだから。」

 

思いっきり呆れている様子の二柱を目にして、早苗は……おお、諦めないのか。しぶとく抵抗する意思を示してくる。

 

「でも、でも、2000年なんです。特別な年なんです。年明けを海外で過ごしたってなったら、めちゃくちゃ自慢になるじゃないですか。八時ならギリギリセーフですよ。最低限の準備はしてありますし、毎年社務所を開けるのは十時とかですし、無人販売所は年中無休ですし、何より守矢神社にそんな朝早くから来る人なんて居ませんって。」

 

「そりゃそうだけど……そもそもさ、あんたには『海外での年越し』を自慢する友達が居ないじゃん。」

 

「……諏訪子様、ひどいです。」

 

まあ、厳然たる事実ではあるな。ショックを受けたような顔で諏訪子を非難した早苗は、続いてアリスの方へと説得の矛先を向けた。何故アリスなんだ? 本人もサラダを食べながらびっくりしているぞ。

 

「アリスさんって、凄い魔女なんですよね?」

 

「へ? ……凄いかは分からないけど、魔女ではあるわね。」

 

「じゃあじゃあ、ポートキーを作れますよね? 魔法でこう、日本行きのポートキーをパパッと。」

 

「あのね、早苗ちゃん。ポートキーを作るのには特別な許可が必要なの。海外行きとなれば尚更よ。無断で勝手に作るわけにはいかないわ。」

 

うーむ、悪知恵が働くな。確かに今のアリスなら日本行きのポートキーを作るのは余裕で可能だろう。邪智を重んじる吸血鬼として早苗の着眼点に感心したところで、我儘娘どのは今度は私に話しかけてくる。数撃ちゃ当たる作戦を採用したようだ。

 

「なら、リーゼさん! リーゼさんは幻想郷経由で日本に来たことがあるんですよね? この前言ってましたもんね? ね? もしかしたらその方法で──」

 

「無理だぞ。幻想郷との行き来を許されているのはこの中で私だけだし、あれはかなり特殊な移動の仕方だったんだ。……素直に諦めたまえよ。記念の年なればこそ、生家で越せばいいじゃないか。」

 

「……今日、一緒にお風呂に入ってあげてもいいですよ? それなら何とかしてくれますか?」

 

「どういう思考回路をしているんだい? 普通に嫌だよ。キミは何か雑に水滴とかを飛ばしてきそうだし、帰ってゆっくり入浴するさ。」

 

また意味不明な発言が出てきたな。何だってこの子はさも譲歩しているみたいな表情を浮かべているんだ? 早苗のちんぷんかんぷんな提案に困惑していると、アリスが横から話に割り込んできた。

 

「そうですね、帰って二人でゆっくり入浴しましょう。……早苗ちゃん、そんなにロンドンのイベントが気になるの? 日本でも同じようなことはすると思うわよ?」

 

「あれ? 『二人で』って言った? 何でさ。どうしてそうなったの? アリスちゃん、何で急に──」

 

「諏訪子さんは今関係ないので黙っててください。……無理してイギリスに残るんじゃなくて、日本でのイベントに参加すればいいじゃない。それなら何とか間に合うんじゃないかしら?」

 

「だって、海外の方がカッコいいんです。その方が思い出に残ります。……神奈子様、ダメですか? どうしても、どうしてもダメですか? もし神奈子様がダメって言うなら潔く諦めますから、考えるだけ考えてみてください。」

 

アリスの言う通りだぞ。別に日本でいいじゃないか。ひしと抱き着いて懇願する早苗を見て、眉間に皺を寄せて懊悩していたぽんこつ軍神は……どうしてお前はそうなんだ。コロッと意見を変えてこちらに問いを寄越してくる。幾ら何でもおバカちゃんを甘やかし過ぎだろうが。その点は諏訪子よりこいつの方がひどいな。

 

「どうにかならないか? バートリ。最近のこの子は勉強を頑張っているんだ。」

 

「だからどうした。無理だと言っているだろうが。」

 

「しかしだな、早苗が可哀想だろう? ……実際のところ、お前ならばイギリス魔法省にポートキーを作る申請を通せるんじゃないか? そしてマーガトロイドに作ってもらえばいい。不可能ではないはずだ。」

 

「不可能ではないから何だと言うんだ。そこまでするほどの価値があるとは思えないってことだよ。理解したならさっさと諦めたまえ。」

 

絶対にやらないからな。全く重要じゃない上に、何一つ必要性のない単なる早苗の我儘じゃないか。今回の一件はさすがに労力と理由が釣り合っていないぞ。断固たる口調で切り捨てた私へと、神奈子からパッと離れた早苗がしがみ付いてきた。ええい、そんなところまで我儘祟り神に似るなよ。教師にするんじゃなくて反面教師にしたらどうなんだ。

 

「リーゼさん! お願いします! 一生のお願いです! もし叶えてくれるなら……な、何でもします! 何でも言う事を聞きますから!」

 

「すっかり忘れているようだがね、そもキミは『何でも言う事を聞く』立場にあるんだよ。その契約はもうしただろうが。」

 

「何でもですよ? 私に何でもしちゃえるんです。……どうですか? 取り引きする気になりました?」

 

「前から思っていたんだが、キミはどうして『与える側』みたいな態度なんだい? しかもアリスにはそうじゃないのに、私に対する時だけそうなるね。」

 

早苗の頭をぐいぐい押し退けながら疑問を口にしてやれば、ぽんこつ娘は不可解な台詞を返してくる。

 

「分かってますから。リーゼさんの気持ちは伝わってます。私は必要なら応えるつもりでいるんです。」

 

「では応えたまえ。私は今、『早く諦めて離れて欲しい』という気持ちを抱いているぞ。」

 

「……やっぱり照れ屋さんなんですね。」

 

ダメだ、会話にならん。その辺に生えている草とか、落ちている石ころとか、忌まわしき『尻尾爆発スクリュート』の方がまだ話が通じそうだ。理解を諦めて早苗から視線を外した後、私のバーガーを盗み食おうとしている諏訪子に指示を飛ばす。こいつもこいつで何をやっているんだよ。

 

「おい、諏訪子。早苗を説得したまえ。それと次に私のバーガーに手を触れたら腕を切り落とすぞ。」

 

「うわぁ、刑罰のシステムが古すぎない? それよりさ、さっきのアリスちゃんの発言についてなんだけど──」

 

「諏訪子さん、余計なことを言ってないで早く説得してください。」

 

「えぇ……私以外ヤバいヤツしか居ないじゃん、この部屋。狂ってるよ。」

 

狂っているのはお前らだろうが。私とアリスはまともだぞ。こいつらと話していると本当に無駄に時間が過ぎていくなとため息を吐いてから、席を立って神奈子を引っ張って少し離れたソファの方へと向かった。このままではいつまで経っても本題に入れん。比較的まともなヤツを引き離して個別に話そう。

 

「神奈子、こっちに来たまえ。二者面談だ。……そっちは三人で話し合うように。アリス、任せたぞ。」

 

「何をする、バートリ。まだ全部食べていないんだぞ。私はこの料理が好きなんだ。酒にも合うし。」

 

「私は持ったまま来いと言っているんだよ。」

 

慌ててフィッシュ&チップスの箱を掴んだ神奈子をソファに誘導して、『年越し問題』のことを議論している三人を尻目に本題を切り出す。手紙にあった蛇の件をだ。

 

「で、どういうことなんだい? 細川京介が飼っている蛇が妖怪かもしれないというのは。」

 

「……ああ、その話か。手紙にも書いた通り、確証は一切無い。しかしどうにも怪しくてな。普通の蛇らしからぬ発言や行動が多いんだよ。」

 

「そもそも『普通の蛇の発言や行動』を知らない私からは何とも言えんがね、具体的にどこがどう怪しいんだい?」

 

「最初に前提を話させてもらうが……最大の問題はだな、私たちが直接蛇を見たのはただの一度きりという点にあるんだ。それ以外の二回は早苗が単独の時の接触だから、基本的にあの子の発言から事態を推察するしかない。しかしあの子は物事の説明をする際に──」

 

そこで言葉を探すように一度区切った神奈子は、やがてかなり柔らかい表現で早苗の報告の問題点を告げてきた。

 

「年頃の多感な女の子らしく、非常に独特な話し方をするんだよ。話の順序が入れ替わったり、後から急に情報を追加したり、あるいは重要な部分を省略したりするわけだ。だから少しぼんやりした説明になるのを承知しておいてくれ。」

 

「要するに、早苗の説明がとんでもなく分かり難かったんだろう? そんなことはとっくに承知しているよ。いいから話したまえ。」

 

何を今更という態度で促してやれば、神奈子は一つ頷いてから口を開く。

 

「まあ、噛み砕けばそういうことだな。……整理すると私たちが持っている判断材料は三つだ。一つは蛇が私たちの居ない時だけに早苗と接触していること。二つ目は蛇がマホウトコロの責任者たる白木に近付くことを望み、『生徒が相手なら油断すると思った』という台詞を残していること。三つ目は蛇が人間を下に見ているような発言をしていたこと。お前はどう思う?」

 

「さっきも言ったが『普通の蛇』の思考回路を知らんから、三つ目については何とも言えないね。大抵の生き物は自分たちの種族が最も偉いと考えているものさ。神も、人間も、小鬼も、ヒッポグリフも、吸血鬼もそうである以上、蛇だってどうせそうなんだろう。正しいのは吸血鬼だけだよ。」

 

『人間を下に見る』というのは妖怪だろうが単なる蛇だろうが有り得そうだぞ。何か反論したげな神奈子を無視しつつ、続けてその他の点に関する返答を送る。

 

「だが、一つ目は確かに気になるね。キミたちが早苗の側を離れている時間は、そうでない時間に対して格段に短いはずだ。その時にだけピンポイントで早苗に接触してくるというのは少々疑わしいかな。」

 

「だろう? こちらからは妖力を感じ取れなかったが、向こうは神力を察知していたというのは有り得なくもない話のはずだ。」

 

「とはいえだ、キミたちが早苗の側を離れていた時、あの子は神札を持っていなかったのかい? あれだけ強力な札なんだから、持ってさえいればキミたちが居なかろうが早苗は神力を撒き散らしていたはずだぞ。」

 

「それは……む、そうだな。最近の早苗は基本的に制服のポケットに札を入れているから、その時も持っていたはずだ。」

 

基本的に入れるなよな。だからあんなに減りが早いんだろうが。悩み始めた神奈子へと、尚も疑問点を提示した。

 

「更に言えば、ポケットに札を入れている早苗と接触して無事でいられるというのが妙だね。例えばさっき私に早苗が抱き着いてきただろう? あの子は今もキミたちを顕現させるために札を携帯しているようだから、布越しにでもちょっとピリッとしたぞ。……大妖怪の私でもずっと接触していれば消耗するんだ。その蛇が仮に妖怪だったとして、無事でいられると思うか? それとも蛇は早苗と身体的な接触はしていないのかい?」

 

「いや、している。一回目の接触では服の中に入れて他の生徒たちから隠したと言っていたし、二回目も同じようにしたらしい。……そうか、言われてみればおかしいな。妖怪のお前だからこそ気付けたことだ。そうなるとやはり蛇は妖怪ではないのか?」

 

「木っ端妖怪なら一瞬で死にかねない行動だね。中級や上級でも服の中で長時間我慢するのは不可能だろうさ。蛇が本当に妖怪であった場合、そこらの木っ端ではなく札に耐え切れるほどの大妖怪だということになるかな。……キミたちが気付けない程度の妖力しか持っていない癖に、強力な退魔の札には耐え切れる? 支離滅裂だよ。その他に有り得そうなのは大妖怪クラスが妖力を意図的に隠していたってケースだが、すると二つ目に纏わる疑問が浮かんでくるわけだ。」

 

「白木に近付くことを望んだという点か?」

 

神奈子の問いに首肯してから、肩を竦めて話を続ける。

 

「より厳密に言えば発言の方だけどね。周到に妖力を隠すほどの大妖怪が、『生徒が相手なら油断すると思った』なんて口に出すか? 内心で勝手に思っていればいいだろう? わざわざ妖力を隠しているのであれば、それは早苗を何処ぞの神性が保護していると承知しているからのはずで、そうなると早苗に口を滑らせれば神に伝わるのなんて分かり切ったことじゃないか。……というか、その辺を抜きにしたってバカすぎる行動だぞ。悪巧みをしている時に内心を口に出して説明するヤツがどこに居るんだい?」

 

「……蛇は実際に言っていたらしいぞ。」

 

「それがもうバカなんだよ。蛇が悪意を持っていて、白木に何かしようとしていた場合、そんなことを早苗に聞かせるヤツが大妖怪だとは思いたくないね。どの可能性を追ってもそこがぽんこつ過ぎて話にならん。脳みその小さい普通の蛇が、訳も分からず口を滑らせたというのが一番納得できるかな。」

 

札に耐え切れたのであれば大妖怪だが、大妖怪ならそんなバカバカし過ぎる失敗などしないだろう。万が一蛇が『物凄くバカな大妖怪』だったとしても、そうなると今度は二柱が妖力を感知できなかったことに説明が付かない。私なら大きな妖力を抑えるのも可能だが、それはバートリという家の性質による幼い頃からの訓練故だし、何よりそこまで注意深くて経験豊富なヤツが子供でもやらんような口の滑らせ方をするとは思えないぞ。

 

すると残る可能性は蛇が一定の時間札の神力に耐え切れるほどの大妖怪……つまり身体的な頑強さでは吸血鬼をも凌ぐ大妖怪かつ、神力を感じ取って自身の妖力を隠す程度には賢く、それが出来るだけの技量や経験は持っているものの、自分の思考を口に出してしまう『うっかりさん』だというケースだけだ。私はそれを追うくらいなら『単なる蛇だった』という可能性を追わせてもらうぞ。二柱の不在時だけに早苗と接触したという点を偶然で片付ければ、それで一応筋は通るのだから。

 

脳内で思考を回していると、神奈子がやや腑に落ちていないような顔で疑問を発してくる。

 

「飼い主である細川が『おかしくなった』という点はどうだ? 加えて仮にただの蛇だった場合にしても、白木を狙うというのは奇妙じゃないか? 早苗に継続してちょっかいをかけてくるというのも変だぞ。」

 

「早苗は蛇舌なんだから、蛇なら興味を持って然るべきだろう? そこは別に疑問には思わないかな。細川の一件は……まあ、あの男の行動や状態が引っ掛かるという点には同意するよ。だがね、本来怪しいのは細川の方であって、ペットの蛇じゃないんだ。蛇と細川の異常とに確たる関連性を見つけられない以上、それらは分けて考えるべきなんじゃないか? 希望的観測と言われればそれまでだが、蛇が『うっかり大妖怪』だって可能性を追うよりはずっとマシに思えるね。」

 

「では、白木の件は?」

 

「そこは正直分からないよ。蛇の思考回路なんて想像できないし、具体的な経緯も掴み切れていないからね。状況説明が中途半端すぎるぞ。早苗は他に何か言っていなかったのかい?」

 

二柱が不在の時に蛇の方から早苗に接触してきて、蛇が白木に近付くことを望んで、実際に白木と会った後で『生徒が相手なら油断すると思った』という発言を残した。手紙と今の会話から判明した事象はそれだけだ。たったこれだけの材料で推理しろってのには無理があるぞ。

 

私の質問を受けた神奈子は、未だ説得を続けているらしい早苗の方を横目に答えを寄越してくる。

 

「人間を支配した後、早苗を奴隷長にすると言っていたらしい。特別にネズミやウズラを食べさせてもらえるんだそうだ。それと将棋の話もしていたとあの子は証言していた。」

 

「『奴隷長』? 益々ただの蛇っぽい発言じゃないか。バカ丸出しだよ。言葉を喋る鳥と一緒で、受け取った情報をそのまま口にしているだけじゃないのか?」

 

「……まあ、お前の考えを聞いた後ではそう思えてきたな。早苗はテレビで得た知識を語っているんじゃないかと予想していた。要するに、細川か誰かが観ている時代劇やアニメをケージの中から観て、そこから話し方や物事を学んだのではないかという予想だ。」

 

「小動物らしい逸話じゃないか。ウズラだのネズミだのは小さな頭で必死に絞り出したアレンジなんだろうさ。警戒すべき相手だとはとても思えないね。」

 

小さく鼻を鳴らして応じた後、神奈子のポテトフライを一つ取って話を締めた。やはり怪しむべきは細川の方だな。蛇も中々に意味不明だが、あの男はそれにも増して訳が分からん。

 

「ま、どうしても気になるのであれば札を使いたまえ。私だって直接貼られれば無傷じゃ済まないんだ。それで何か反応があるなら妖怪で、無いならただのバカな蛇だよ。」

 

「それは既に諏訪子が提案済みだ。早苗にも注意してある。……蛇はともかくとして、細川の方はどうするつもりなんだ? 気になっているんだろう?」

 

「面倒くさくて放置していたってのが本音かな。細川は別に私の邪魔をしているわけじゃないし、親しくもないんだから狂おうが死のうが知ったこっちゃないさ。ゲラートに拘っていたのは気にかかるが、彼の狂信者は百年近く前から世界中に一定数存在しているからね。……とはいえもやもやしたままなのは気に入らんから、今度知り合いの情報屋に軽く調査を依頼するよ。蛇のことも一応調べてもらおうか。私は十中八九ただの蛇だと思うが、キミたちが気になると言うなら頼んでみよう。」

 

そこまで言ったところで、アリスと諏訪子と早苗がこちらに歩み寄ってくる。ようやく我儘娘が諦めたのかと目を向けてみれば、太陽のような笑顔を浮かべている早苗が代表して『結論』を報告してきた。

 

「リーゼさん、イギリス魔法省にポートキーの許可を通す作戦でいくことになりました! よろしくお願いします!」

 

「……アリス、諏訪子、説明したまえ。」

 

「あのですね、リーゼ様。早苗ちゃんを諦めさせるのは無理です。説得に使う労力のことを考えれば、イギリス魔法省に許可を通した方がまだマシだと判断しました。」

 

「私はそもそも、一月一日の十時くらいに神社に戻れてれば文句ないからね。最悪私と神奈子だけが実体化を解いて先に帰ればいいんだし、早苗がしたいって言ってるならさせてあげればって感じ。……って言うか、もう面倒になってきたから叶えてあげてよ。こうなった早苗を説き伏せるのは無理だって。じゃないとこの子はずっと言い続けるよ? 本当にずーっと言ってくるんだからね? 『ノイローゼ・バートリ』になる前に叶えちゃいな。そうすりゃ解決するんだから。」

 

何がノイローゼ・バートリだよ。……二人が早苗を説得したわけでも、早苗が二人を説得したわけでもなく、アリスと諏訪子は頑固さに負けて諦めたということか。魔女や神でも早苗の我儘には勝てないらしい。普段ならさすがに引き下がるだろうし、早苗の方としても是が非でも実現させたい覚悟なのだろう。

 

だけど、そんなにか? ロンドンのニューイヤーイベントというのはこの子にとってそんなに魅力的なのか? 蛇よりも、そして細川よりも意味不明な問題が目の前に存在していたようだ。早苗は本当に読めない子だな。この子の心の内は吸血鬼にだって解き明かせない迷宮だぞ。

 

ニコニコしながら私の許可の言葉を待っている早苗を前に、アンネリーゼ・バートリは自分にも『苦手な存在』が居ることを改めて実感するのだった。

 



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最後のクリスマス休暇

 

 

「おっす、ただいま。」

 

いやはや、やっと着いたぞ。人形店の暖炉からリビングルームに足を踏み入れつつ、霧雨魔理沙は荷物を床に置いて伸びをしていた。今回の列車の旅では咲夜が途中で寝てしまったため、後半は一人で黙々と箒作りをしていたのだ。ホグワーツ特急での移動が長いと感じたのは初めてだぞ。

 

十二月二十二日の午後。クリスマス休暇に入った私と咲夜は、いつものように深紅の列車でホグワーツ城からダイアゴン横丁に帰ってきたわけだ。銀髪ちゃんに続いて煙突飛行で帰宅した私に、部屋の面々が声をかけてくる。

 

「お帰り、魔理沙。」

 

「お帰りなさい、魔理沙ちゃん。テーブルにおやつがありますよ。」

 

「やあ、魔女っ子。キミにしては珍しく疲れているようじゃないか。」

 

全員揃っているのか。一人掛けのソファに座って本を読んでいるアリス、キッチンで作業中のエマ、三人掛けのソファに寝転がっているリーゼの順での返答を受けて、ダイニングテーブルに歩み寄りつつ応答を放った。既に荷物の片付けを始めている咲夜の方を指差しながらだ。

 

「咲夜が途中で寝ちゃったんだよ。だから暇になって、ずっと箒を作ってたんだ。」

 

「二人だけで乗ったのかい?」

 

「お前らもジニーとルーナも全員卒業しちまったからな。一人よりはマシだが、やっぱり寂しいものがあるぜ。……おー、アップルクランブルだ。美味そうじゃんか。」

 

「バニラアイスもありますよ? 一緒に食べますか?」

 

至れり尽くせりだな。絶対に合うじゃないか、そんなもん。問いかけてきたエマに大きく首肯してから、椅子に座ってアップルクランブルを皿に盛ろうとしたところで、ジト目の咲夜が注意を寄越してくる。

 

「魔理沙、手。」

 

「へいへい、スコージファイ(清めよ)。これで文句ないだろ?」

 

「それと、寝ちゃったのは謝ったでしょ。しつこいわよ。そっちだってコンパートメントを木屑だらけにした癖に。」

 

「出るときにちゃんと片付けたじゃんか。……ま、ホグワーツに戻る時はアレシアあたりを誘ってみるさ。長旅に話し相手は必要だぜ。」

 

杖魔法で手を綺麗にしてから言った私に、いつの間にか本を閉じていたアリスがクスクス微笑みながら応じてきた。今度は小さな布を切ったり縫ったりしているようだ。人形の服でも作っているのかな? 裁縫の本を参考にして作業しているのかもしれない。

 

「本来生徒同士の仲を深めるためにある列車だからね。二人だけだと暇なのは当たり前のことよ。」

 

「そうなのか?」

 

「ヨーロッパ特急なんかと比べて距離に対する移動時間が遥かに長いでしょう? あえて乗車時間を長くしているんだと思うわ。ホグワーツ特急が使われ始めたばかりの頃ならともかくとして、今はもっと短時間で移動できるはずだもの。」

 

うーむ、分からなくもない措置だな。新入生は大抵ホグワーツ特急で友達と出会い、列車の旅の時間を利用して仲良くなるものだ。四寮のことを話し合ったり、ホグワーツ城での暮らしを想像したり。不思議がたっぷり詰まった『魔法の学校』に向かっている道中なんだから、話題に困ることなど絶対に無いだろう。

 

アリスの説明に納得している私を他所に、三人掛けのソファを占領しているリーゼが指摘を飛ばす。咲夜を手招きしながらだ。

 

「咲夜、こっちにおいで。……九月一日に学校に向かう時はまあ分かるが、クリスマス休暇の時は早く着いた方が嬉しいんじゃないか?」

 

「新入生の出会いの場だったり、卒業生が別れを惜しみ合う場であるのと同時に、在校生同士の交流の場でもあるってことなんじゃないでしょうか? ……私は結構好きでしたけどね、ホグワーツ特急での移動時間。城に居ると寮ごとでの行動が多いですけど、あの時ばかりは他寮の友人と長く一緒に居られましたから。」

 

「あー、なるほど。他寮との関わりか。確かにホグワーツ特急には『縄張り』が無いね。四寮がごちゃごちゃに利用している感じだ。」

 

近付いてきた咲夜を毎度のごとく『抱き枕』にしながら同意しているリーゼだが……むう、私も何となく分かるぞ。例えば大広間では長時間他寮のテーブルに居座るのが『あまり良くないこと』とされている雰囲気があるし、合同授業は二寮ずつのケースが多いので頻繁に一緒に受けられるわけではない。他寮に仲の良い友達が居たアリスやフランドールは苦労したのかもしれないな。

 

エマがバニラアイスを載せてくれたアップルクランブルを頬張りながら考えていると、リーゼが咲夜に質問するのが耳に届く。サクサクしていてめちゃくちゃ美味いな。料理の技術はホグワーツの厨房を担うしもべ妖精たちもかなりのものだが、ことお菓子に関しては迷わずエマに軍配が上がるほどだ。さすがだぞ。

 

「そんなことより、ホグワーツで何かトラブルは起きていないのかい? そろそろ発生しないとおかしいわけだが。」

 

「えっとですね、今のところ順調で平穏な学生生活を送れてます。私は勉強を頑張れてますし、グリフィンドールチームは初戦で勝ちを収めましたし、事件らしい事件は何も起きてません。問題ゼロです。」

 

「……妙だね。不気味に過ぎるぞ。そんなことが有り得るか?」

 

ソファから起き上がって真剣な表情で熟考し始めたリーゼに、肩を竦めて意見を送った。私たちからすれば妙だが、本来これが普通なんだと思うぞ。

 

「不気味なのには同意するけどよ、兎にも角にも今学期はトラブルが起きそうにないんだ。新任教師無し、イベント無し、魔女からの手紙も無し、おまけに死喰い人の『し』の字も出てきてない。喜んでくれ、リーゼ。どうやら私たちはお前らの世代の無念を晴らせそうだぜ。」

 

「……まあ、まだ十二月だ。ここからでも巻き返せるさ。」

 

「お前な、トラブルがあって欲しいのかよ。素直に平穏な年だって認めたらどうなんだ?」

 

「私たちの世代は七年中七年トラブルがあったんだぞ。キミたちだって七年中六年は巻き込まれたわけだろう? これで油断するのはバカだけだね。私は騙されないからな。」

 

油断大敵ってか? ムーディじゃないんだから、被害妄想はやめろよな。全然信じていないリーゼを見てやれやれと首を振りつつ、エマから紅茶を受け取って話題を変える。

 

「あんがとよ、エマ。……んで、クリスマスの予定はどうなるんだ? 隠れ穴に行くんだろ? ジニーからの手紙にルーナも来るって書いてあったぜ。」

 

「クリスマスの昼間は隠れ穴で恒例のパーティーで、夜はこれまた例年通り人形店で過ごすことになりそうだが……年末の年越しの瞬間だけロンドンに行こうって話が出ていてね。キミたちはどうしたい?」

 

「年越しの瞬間だけ? ……そっか、ミレニアムイヤーだもんな。何かイベントがあるってことだろ?」

 

「そういうことさ。グリニッジのドームでマグルたちの式典があって、テムズ川沿いに派手な花火が上がりまくって、時計塔の鐘が鳴り響くらしいよ。鐘は毎年のことだがね。」

 

派手でいいじゃんか。俄然興味が湧いてきたことを自覚しながら、即座にリーゼへと返事を返す。

 

「そんなもん行きたいに決まってるだろ。こういう時は周りと一緒にアホみたいに騒ぐのが正解だぜ。」

 

「ま、キミはそう言うだろうね。咲夜はどうだい?」

 

「私はリーゼお嬢様が行きたいなら行きたいですし、行きたくないなら行きたくないです。」

 

「うんうん、従者として百点満点の答えだ。花マルをあげよう。」

 

何だそりゃ。咲夜を『よしよし』するリーゼと、幸せそうにそれを受ける銀髪ちゃん。ぽんこつ主従コンビの気が抜けるやり取りを眺めた後で、空になった皿を流しに運びながら話を進めた。もうちょっと食べたい気もするが、食べ過ぎると夕食が腹に入らんだろうし……うん、潔く諦めるとしよう。また作ってもらえばいいさ。

 

「結局行くってことでいいんだよな? 私たちだけで行くのか?」

 

「早苗も来るよ。ちなみに哀れな新人闇祓いコンビは仕事をしていて、ハーマイオニーは家で両親とテレビ中継を観るらしいね。」

 

「東風谷が? ……いやいや、大丈夫なのか? 実家が神社なんだろ? 日本に帰るべきだと思うんだが。」

 

「二柱を含めた早苗以外の全員がそう思っているよ。」

 

心底呆れたように呟いたリーゼに続いて、苦笑いのアリスが詳細を教えてくれる。一月一日は神社にとって物凄く重要な『稼ぎ時』じゃないのか?

 

「こっちで年を越した後、すぐにポートキーで守矢神社に帰るのよ。リーゼ様が魔法省に申請してくれたから、私が『ロンドン発守矢神社行き』のポートキーを作れるってわけ。」

 

「そりゃまた、強引なやり方だな。何だってそこまでするんだ?」

 

「早苗ちゃんがどうしてもロンドンで年を越したいって主張したのよ。それにリーゼ様が折れた感じね。……『折れた』と言うか、『折られた』って表現すべきかもしれないけど。」

 

「東風谷のやつ、また『成長』してるのか? ……にしたって帰るべきだろ。二年参りをする参拝客とかが困ると思うぞ。」

 

私は神道の仕来りにそれほど詳しくないが、大晦日や元日の神社を留守にするのは問題に感じられてしまうぞ。そこまで信心深くない私ですらそうなんだから、神道を重んじている人からすれば尚更だろう。席に戻って唸っている私へと、リーゼが大きくため息を吐いて応答してきた。

 

「早苗の主張によれば、神社の祭神が直接オーケーを出しているんだから問題ないんだそうだ。大した巫女だよ、あの子は。神に振り回されるんじゃなくて、神を振り回すタイプの神職だね。厳密に言えば『巫女』じゃなくて『祝子』だというのが本当にしっくり来るよ。」

 

「神の許可か。……そうなると特殊なケースすぎて何とも言えんな。神がいいって言うならそりゃ問題ないのかもしれんけどよ、そんなの参拝客には説明できないだろ。」

 

曲がりなりにも筋が通っているあたりが恐ろしいぞ。神に『直談判』できることの強みを再認識している私に、リーゼから頬をむにむにされている咲夜がワンテンポ遅れた疑問を寄越してくる。

 

「魔理沙、『二年参り』って何?」

 

「あーっと、年越しの時に神社にお参りすることだよ。だからつまり、三十一日から一日にかけての深夜に参拝するってわけだ。私も詳しく知ってるわけじゃないが、普通にお参りするよりそっちの方が良いらしいぜ。何が『良い』のかは分からんけどな。」

 

「……でも、洩矢さんも八坂さんもその時間に神社には居ないのよね? イギリスに居るわけなんだから。それで大丈夫なの?」

 

「『大丈夫』じゃないだろ。私だったらわざわざ大晦日の真夜中にお参りに行って、神が外国のニューイヤーイベントで留守だったら悲しくなるぜ。どんな状況だよ。」

 

アホらしい気分で応じてみれば、鼻を鳴らしたリーゼが曖昧なフォローを投げてきた。

 

「その点に関してだけは『大丈夫』なんじゃないか? 叶うかどうかはともかくとして、別に祈りは届くだろうさ。神社や教会ってのは神に信仰を送るための施設だからね。実際に近くに居るかどうかは問題じゃないはずだ。」

 

「そうなのか? ……ああでも、そう言われりゃそうか。外界だと同じ神を祭ってる神社は沢山あるもんな。不在だからって祈りが届かないことはないわけだ。」

 

「それに、三十一日の昼に神奈子と諏訪子が一度神社に戻って明かりとかを準備するらしいよ。二柱は札さえあれば向こうで顕現できるからね。東風谷家のリビングに何枚か『緊急用』の札が置いてあるんだそうだ。」

 

「神が自分で準備をするのかよ。そこまで行くとある意味参拝のし甲斐があるのかもな。」

 

豪華なのか抜けているのか分からんような話だな。今年の守矢神社は多分、神が手ずから迎える準備をしてくれる世界で唯一の神社になるだろう。不思議な話に呆れようか感心しようかを迷っていると、アリスが私と咲夜に声を放ってくる。

 

「明日早苗ちゃんと会うけど、貴女たちも来る?」

 

「ああ、もうイギリスには来てるのか。行こうかな。久々に会いたいし。」

 

「リーゼお嬢様は行くんですか?」

 

「私は明日スイスに行くんだ。アピスに頼まなくちゃいけないことがあってね。」

 

首肯した私の後でリーゼに問いかけた咲夜は、主人の返答を聞いて自分の選択を口にした。

 

「じゃあ、そっちについて行くのはダメなんでしょうか?」

 

「ん、いいよ。一緒に行こうか。……アリス、睨まないでくれ。アピスの方から明日を指定されたんだから仕方がないだろう? 今回は本当に狙って予定を重ねたわけじゃないよ。」

 

「『今回は』ですか。……埋め合わせはしてもらいますからね。」

 

「分かっているよ。今度キミの行きたい場所に連れて行くから、それで許してくれたまえ。」

 

アリスがリーゼを責めるという珍しい光景が繰り広げられた後、満足そうに一つ頷いた先輩魔女どのが口を開く。

 

「まあ、それならいいです。……明日は私と魔理沙が早苗ちゃんたちと買い物をして、リーゼ様と咲夜がアピスさんとの話し合いってことですね。」

 

「そうなるね。他にも結構予定が詰まっているし、例年よりも忙しい年末になりそうかな。……そうだ、魔理沙。キミは『蛇の妖怪』と聞いて何を思い浮かべる?」

 

蛇の妖怪? 急な質問に困惑しつつ、とりあえずリーゼへと答えを返した。

 

「何だよ、藪から棒に。蛇、蛇な。……沢山居るイメージはあるんだが、いざ考えるとパッとは思い浮かばないぜ。」

 

「ふぅん? 幻想郷に蛇の妖怪は居なかったのかい?」

 

「蛇の姿の低級妖怪くらいなら、遠巻きに見たことがある……はずだ。でもまあ、低級妖怪は名前らしい名前を持ってないからな。っていうか、何で急にそんなことを聞くんだ?」

 

「いやなに、早苗にちょっかいをかけてきた蛇が居てね。普通の蛇なのか妖蛇なのかが判断し切れなくて困っているのさ。明日アピスのところに行く理由の一つはそれなんだよ。」

 

アピスに調査を依頼するってことか。しかし、『妖蛇』? 何だか物騒だな。軽い感じに肩を竦めたリーゼに対して、腕を組みながら声を飛ばす。

 

「東風谷は無事なんだよな?」

 

「あの子は全然無事だよ。吸血鬼と関わっているのに、あまりにも無事すぎて困っているくらいだ。明日会って確かめたまえ。……ま、十中八九普通の蛇だろうがね。他の用件のついでに一応調べてもらおうってだけさ。」

 

「ちゃんと気にかけてやれよな。東風谷はお前が『こっち側』に引き込んだんだから。」

 

リーゼに注意を送った後、トランクを開けて作りかけの柄を取り出しながら思考を回す。毎年ホグワーツを襲っていたトラブルが、リーゼを通して東風谷に『感染』したんじゃないよな? マホウトコロがどうにかならなきゃいいんだが。ホグワーツが『非常識な学校』だからあれで済んでいたのであって、常識的な学校には荷が重いと思うぞ。

 

どうかそうじゃありませんようにと願いつつ、霧雨魔理沙は自作の箒の柄のバランスを調整し始めるのだった。

 



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始まりの人外

誤字報告いつもありがとうございます!


 

 

「どうぞ、入ってください。」

 

わあ、髪がボサボサだ。スイスのローザンヌにある何の変哲もない……いやまあ、玄関のドアの鍵が異様な数だけど。それ以外は普通の一軒家のドアから顔を覗かせたアピスさんの『惨状』を目にして、サクヤ・ヴェイユはちょっとだけ怯んでいた。服もかなり汚れているな。きちんとお風呂に入っていないのかもしれない。

 

十二月二十三日のお昼過ぎ、私とリーゼお嬢様はアピスさんに会うためにスイスを訪れているのだ。イギリス魔法省からポートキーで入国して、ローザンヌの中心街で昼食を済ませた後にこの家を訪問したのである。イタリア風のよりさっぱりしていて、アクアパッツァが美味しかったな。

 

私たちを屋内に誘ってから気怠げな様子で廊下を歩いていくアピスさんに、リーゼお嬢様が玄関を抜けながら指摘を放った。歯に衣着せぬ指摘をだ。

 

「キミ、見るからに不潔だぞ。家の中も汚いし、何だってこんなことになっているんだい?」

 

「単純に忙しいんですよ。2000年を目前に控えた今、私にはやることが沢山あるんです。『四桁目』が変わると色々とトラブルが発生しますからね。」

 

「キミが何よりも先にやるべきは、入浴と廊下の片付けだと思うけどね。……咲夜、気を付けたまえ。踏むと靴が汚れるぞ。」

 

デリバリー食品か何かの空箱だろうか? 廊下に無造作に転がっているゴミを指差して注意してきたリーゼお嬢様に頷きつつ、辛うじて存在している板の部分に足を置いて進んでいくと……こっちもひどいな。凄まじく汚いリビングルームが視界に映る。ゴミ箱の中の世界観だ。生ゴミの妖精とかがふわふわ飛んでいそうな感じ。

 

「……アピス、もっと綺麗な部屋はないのかい? 私はここに入りたくないんだが。」

 

「私にとっても愉快な状態ではありませんが、掃除する余裕がないんです。我慢してください。」

 

部屋の入り口で立ち止まったリーゼお嬢様へと、ダイニングテーブルの上のゴミを適当すぎる動作で床に払い落としたアピスさんが応答するが……私ならこんな部屋で生活していたら頭がおかしくなるぞ。よく我慢できるな。

 

戦慄の思いで『リビング兼ゴミ置き場』を見ている私を他所に、杖を抜いて通り道のゴミを退かし始めたリーゼお嬢様が文句を再開した。奥の方には『ブゥーン』という音を立てている謎の大きな機械が設置されており、その周囲には何台かの起動しているパーソナルコンピューターがある。どこか怪しげというか、SFチックというか、魔法界で育った私からすると不思議な雰囲気だな。

 

「気が滅入ってくるね。前来た時はそれなりに清潔だったはずだぞ。そんなに忙しいのか?」

 

「そんなに忙しいんです。だから早く座って、早く用件を話してください。先に言っておきますけど、年内の仕事は受けられませんよ。調査が必要な依頼であれば、年が明けてからの開始になりますからね。」

 

「それは別に問題ないが……咲夜、外のカフェとかで待っているかい? 無理ならそうしても構わないぞ。」

 

「ここにリーゼお嬢様を残していくわけにはいきません。……アピスさん、私が掃除しちゃダメでしょうか? せめて話の間だけでも。」

 

他人の家を掃除する義務も義理もないが、清潔さを求めるべきメイド見習いとしてこの惨状は捨て置けない。どうせ私はリーゼお嬢様のお付きとして同行しているだけなんだから、話し合いに参加する必要はないだろう。だったらさせて欲しいぞ。こんなもん気になって仕方がないじゃないか。

 

我慢できなくなって提案した私に、アピスさんはさほど躊躇いなく許可を出してきた。

 

「やってくれるんですか? 私としては特に否はありませんよ。重要な書類や物はきちんと仕舞ってあるので、転がっているのは純然たるゴミだけですから。ケーブル類にだけ気を付けてくれれば大丈夫です。」

 

「やらせてください。『純然たるゴミ』だらけの環境で、何もせずに話を聞いているのには堪えられません。……いいでしょうか? リーゼお嬢様。」

 

「やりたいならやってもいいが、私の従者が他人のために働くのは何となく気に食わないね。……何か対価を支払いたまえよ、アピス。私にじゃなくて咲夜にでいいから。」

 

「では、対価としてメイド見習いさんの懐中時計を整備しましょう。それなら話をしながらでも可能ですしね。持っていますか?」

 

懐中時計? これのことかな? 懐から『月の懐中時計』を取り出してみると、アピスさんは手を伸ばしてそれを受け取ってくる。今日は魔理沙から貰った方ではなく、美鈴さんから贈られた方を携帯していたのだ。だけど、私が懐中時計を持っていることをよく知っていたな。

 

「ああ、綺麗に使っているようですね。これなら軽く手入れをするだけで問題ないでしょう。」

 

「アピスさんはその時計を知っているんですか?」

 

「誰よりも知っていますよ。これは私が作った時計ですから。」

 

へ? そうだったのか。意外な事実にびっくりしている私を尻目に、あまり驚いていない様子のリーゼお嬢様が席に着きながら口を開く。

 

「キミは時計技師をしていたわけだし、薄々そうだとは思っていたよ。キミが作った時計を、美鈴が咲夜に贈ったわけか。」

 

「その通りです。紅さんがそういった頼み事をしてくるのは珍しいので、私にしては丁寧に作ったことを覚えています。……身に着ける時計はその人物を映す鏡なんですよ。紅さんは贈り物のセンスがありますね。依頼された当初は不思議なデザインに思えましたが、改めて考えるとメイド見習いさんにぴったりの時計です。」

 

そっか、美鈴さんは私にプレゼントする時に『知り合いの妖怪に作ってもらった時計』って言っていたっけ。それはアピスさんのことだったのか。あの時点で既に私とアピスさんには『縁』があったことに感心していると、リーゼお嬢様が若干不機嫌そうな表情で小さく鼻を鳴らす。

 

「ふん、キミも『時計教』の信者か。私は時計は嫌いだよ。最近嫌いになったんだ。だから時計技師も嫌いだね。特に腕時計が好かん。」

 

「相変わらず奇妙な偏見に満ち満ちているようで何よりです。……それで、今日はどんな依頼があって来たんですか?」

 

リーゼお嬢様、時計が嫌いだったのか。知らなかったぞ。全然そんなことは口にしていなかったのになと怪訝に思いつつ、とりあえず片付けを始めようとゴミ袋を探し始めたところで、お嬢様がアピスさんへと返答を返した。

 

「二つ調査を依頼したい。一つはマホウトコロの日本史学の教師である、細川京介という男の調査だ。」

 

「具体的に何を知りたいんですか? ……メイド見習いさん、ゴミ袋ならそっちに沢山あるはずです。」

 

「思想やら経歴やら行動やらを適当に調べてくれたまえ。私の日本魔法界に対する干渉に協力している男なんだが、目的がいまいち掴めなくて不気味なんだよ。判断の取っ掛かりになりそうなことを暴いて欲しくてね。」

 

「曖昧な依頼ですね。……まあいいでしょう、他の仕事が落ち着いたら調査に入ります。二つ目は何ですか?」

 

私がゴミの下敷きになっていたゴミ袋を救出している間にも、リーゼお嬢様たちの会話は進行していく。ゴミに埋もれるとは、何とも可哀想なゴミ袋だ。今役目を全うさせてやるからな。一緒にゴミを退治しよう。

 

「二つ目もその細川に関係する依頼なんだが、彼が飼っている蛇のことを調べて欲しいんだよ。」

 

「蛇? ……吸血鬼さんにしたって珍妙な依頼内容ですね。別件の調査対象のペットの蛇の調査ですか。さすがに小動物のことを調べるのは困難ですし、大した情報は渡せないと思いますよ?」

 

「もしかしたら妖怪かもしれないんだ。限りなく薄い可能性だとは思うんだが、私の方の『クライアント』が心配していてね。疑念を完全に晴らすために、一応キミに調べてもらおうってわけだよ。」

 

「依頼であり、正当な対価が得られるなら情報屋として努力はしますが……妖蛇ですか。もし妖怪ならあまり相手にしたくない存在ですね。」

 

ほんのちょっとだけ嫌そうな感情を滲ませたアピスさんの発言に、リーゼお嬢様が首を傾げながら質問を送った。

 

「嫌いなのかい? 蛇。」

 

「蛇の人外というのは大抵強力な存在ですから、好んで関わり合いになりたくないんですよ。執念深いタイプが多いですしね。恨みを買うと面倒なんです。」

 

「ふぅん? 『強力な存在』ね。知らなかったな。その判断の根拠は?」

 

「非常に簡単な理由ですが、蛇という存在が『メジャー』だからです。古代ギリシア、エジプト、中国、インド、そして日本。他にも数多くの文化圏で蛇は神性を抱えています。その反面、キリスト教やユダヤ教では強力な悪魔や妖怪とされているでしょう? ……神か、妖か。相対する二つの側面を持ってはいますが、どちらにせよ蛇の人外は大きな力を持つことが多いんです。吸血鬼さんもご存知の通り、人々の認知というのは人外にとって重要な要素ですから。」

 

そうなのか。掃除を進めながら帰ったら魔理沙にも教えてあげようと思っていると、リーゼお嬢様が少し真剣な口調で相槌を打つ。

 

「大妖怪か、力ある神かに二極化するということかい?」

 

「もちろん例外だっていくつもあるでしょうけどね。蛇の低級妖怪は確かに存在しているはずですし、落ちぶれた蛇神だって居るでしょう。しかし私の経験上、蛇の人外は強力かつ厄介な個体であるケースが多いんです。……妖蛇を指して『始まりの人外』と呼ぶ者も居ますよ。人間を唆して、神の庭から追放させたのは蛇ですから。その身で輪廻や円環を表し、豊穣や太陽を司り、成長すれば天を舞う竜となる。多面性があるというのは人外にとっての長所の一つなんです。侮っていい存在ではないでしょうね。」

 

「……何故私はこれまで知らなかったんだろうね? 別に侮っていたつもりはないが、蛇がそこまでメジャーな存在だとは思っていなかったぞ。」

 

「それは吸血鬼さんがイギリスの人外だからでしょう。イギリスやフランスなんかは比較的関係が薄い国ですからね。……紅さんが『こちら』に残っていれば話を聞けたかもしれませんよ。彼女と妖蛇とには浅からぬ因縁がありますから。」

 

因縁? 何だか物騒な言葉に興味を惹かれつつも、ゴミをどんどんゴミ袋に投入していく。やっぱりデリバリー食品の空箱が多いな。自炊するタイプではないらしい。あるいは忙しくてその余裕がなかったのかもしれないけど。

 

「ふぅん? 因縁ね。幻想郷に行ったら聞いてみようかな。……しかし、神性か。その可能性は考慮していなかったよ。」

 

「神そのものというか、その使いというケースが殆どですけどね。所謂神獣ですよ。」

 

「守矢の二柱が一度だけ接触しているんだが、別段妙な気配は感じなかったらしい。神性同士というのは直に会えば相手がそうだと気付けるものなのかい?」

 

「そこは妖怪と大して変わりません。吸血鬼さんも他の妖怪に会えば大抵は気付けるでしょう? 妖怪と神性は相反するものですから、比較すれば同族よりもそちらの方が気付き易いということは言えますが、神性同士だからといって気付けないわけではありませんよ。」

 

淀みない手付きで私の懐中時計を分解して清掃しながら解説したアピスさんに、難しい顔になっているリーゼお嬢様が腕を組んで応答を投げた。

 

「……何にせよ、神性かもしれないという可能性は二柱に伝えておこう。調査の結果はいつ頃出せる?」

 

「一月中には提出できるはずです。もし込み入ったことになれば延びますけどね。」

 

「キミにしては長いじゃないか。蛇をそんなに危険視しているのかい?」

 

「それも全く無いとは言いませんが、むしろ問題なのは場所ですよ。マホウトコロの教員とその人物に飼われているペットということは、調査対象はどちらもマホウトコロの領内に住んでいるんでしょう? 堂々と入って調べられるような場所ではないので、調査にもそれなりに時間がかかるんです。」

 

あー、なるほど。言われてみれば当たり前のことだけど……でも、『調べられない』とは言わないのか。つまりアピスさんはマホウトコロの内部事情を調べるための手段を持っているということだ。どうやっているんだろう? よくよく考えるとアピスさんには謎が多いな。

 

情報屋を情報屋たらしめる『手段』。掃除をしながら一体全体どんな方法なのかと想像していると、リーゼお嬢様が一つ首肯して了承を口にする。

 

「ま、分かったよ。出来れば一月中に頼む。報酬は報告の時に請求してくれ。……ちなみにだが、キミは『日本の蛇の人外』と聞いて何を思い浮かべる? 参考程度に聞かせてくれたまえ。」

 

「日本に限るのであれば、真っ先に頭に浮かぶのは『相柳』ですね。」

 

『あいやなぎ』。その名前は知っているぞ。前に中城さんから聞いたやつだ。……だけど、相柳は相良柳厳とかいう闇の魔法使いの別名じゃなかったっけ? 蛇舌で細川派に倒された歴史上の人物のはず。人外じゃなくて人間じゃないのか?

 

私の内心の疑問を代弁するように、こちらも既知だったらしいリーゼお嬢様が問いを飛ばした。

 

「それは日本における『最悪の陰陽師』の俗称だろう? イギリスで言うヴォルデモートみたいな存在じゃないのかい?」

 

「相柳は妖怪の名前ですよ。相良柳厳という陰陽師を操っていた、蛇の大妖怪の名前です。恐らく相柳が操る対象に自身に因んだ名前を名乗らせたのでしょう。少なくとも日本の妖怪たちにとっての『相柳』は妖蛇を指す名前になっています。」

 

「ふぅん? かの陰陽師の蛮行は、人間が起こした騒ぎじゃなかったのか。『表側』の歴史とは異なっているわけだ。」

 

むう、これまた意外な新事実だな。ヨーロッパ大戦の裏側に吸血鬼が居たように、マーリンとモルガナの戦いの裏に大魔女が居たように、日本の魔法史に残る大事件の裏側には蛇の大妖怪が居たわけか。何かこう、妖怪が魔法界に関わるというのが結構有り触れた出来事のように思えてきたぞ。

 

いきなり他国の歴史の裏側を知ってしまって困惑している私を他所に、アピスさんが詳細な説明をリーゼお嬢様に語り始める。

 

「あれは人間を駒にした妖怪と神性の『代理戦争』ですよ。相柳に賛同しなかったごく一部の妖怪が神性側に付いたりもしましたけどね。……詳しく知りたいのであれば、幻想郷の『彼女』に聞いてみては? かの大妖怪は相柳と敵対した側に参加していたはずですから。」

 

「紫のことかい? ……あいつが参加したら一瞬でケリが付いちゃうだろうに。」

 

「そう簡単な話でもなかったんですよ。言うなれば……そう、ゲラート・グリンデルバルドとアルバス・ダンブルドアの戦いに近い理由があったんです。ゲラート・グリンデルバルドを相柳に、アルバス・ダンブルドアを『彼女』に、魔法族を妖怪に、非魔法族を人間に置き換えたような理由が。相似であって同一ではありませんけどね。各々の思想の細部が致命的に異なっていますから。」

 

そこまで言ったアピスさんは、ふと何かに気付いたような顔になった後……薄い笑みを浮かべながら言葉を繋げた。興味深そうな、哀れんでいるような、それでいて喜んでいるような複雑な笑みだ。ひょっとしたら、これはアピスさんの『妖怪としての笑み』なのかもしれない。

 

「『彼女』が吸血鬼さんに興味を持った理由の一つはそれなのかもしれませんね。無論全てではないでしょうが、欠片の一つではありそうです。……我ながら面白い発見をしてしまいました。」

 

「どういう意味だい?」

 

「今は教えてあげません。ゲラート・グリンデルバルドとアルバス・ダンブルドアを知る貴女が、『彼女』と相柳の物語を知れば嫌でも気付けるはずです。二つの物語が似通っていて、それでいて異なっていて、そして決定的に違う結末に至ったことに。……自分で気付いてください。私は他者の『気付き』を奪うほど落ちぶれてはいないんです。他者に気付きを促すのが情報屋というものなんですよ。私は今促したんですから、ここから先は吸血鬼さんが追うべき謎でしょう?」

 

ぼんやりした台詞と共に席を立ったアピスさんは、いつの間にか再び組み立てられていた懐中時計を私に差し出してくる。

 

「どうぞ、メイド見習いさん。掃除のお礼です。そもそもが頑丈な物ですから、これならあと五百年は余裕で動き続けるでしょう。」

 

「えと、こちらこそメンテナンスしてくれてありがとうございます。でも、まだまだ掃除は終わってないんですけど……。」

 

「これで充分ですよ。『私たちの話が終わるまで』という契約だったでしょう? 話は終わりました。吸血鬼さんを連れて帰ってください。これ以上話していると余計なことを喋ってしまうかもしれませんから。」

 

「おい、私はまだ聞きたいことがあるんだが?」

 

席に座ったままのリーゼお嬢様の文句を受けると、アピスさんは無表情で小首を傾げながら返事を返す。唐突な内容の返事をだ。

 

「吸血鬼さんは私が『人間の魔女』の正体を明かさなかったことを怒っていますか? 熊さんはともかくとして、『アビゲイル』の真実に私は一定の予想を立てていたわけですが。」

 

「いきなり話を蒸し返すじゃないか。……当然、怒っているよ。」

 

「嘘ですね。あの時私から真実を明かされていた場合、貴女は心の底から納得できていなかったはずです。舞台に上がった貴女が真実を暴いたからこそ、あの物語は完成したんですよ。……故に『彼女』と相柳の件も私から全てを明かすわけにはいきません。その一件において貴女が『役者』かどうかは未知数ですが、少なくとも私は明確に『観客』なんですから、これ以上余計なことはしたくないんです。諦めて帰ってください、吸血鬼さん。そして出来れば私に見せてください。相柳と『彼女』の物語の続きを。」

 

「……兎にも角にも、もう話す気は無いということか。相変わらず面倒くさいヤツだね。」

 

大きく鼻を鳴らして腰を上げたリーゼお嬢様は、そのままリビングルームから出て玄関へと向かう。私も主人に続いて入り口のドアまで移動したところで、見送りに来たらしいアピスさんがお嬢様に声をかけた。

 

「期待していますよ、吸血鬼さん。上手く話を繋いでください。今回の貴女は物語を締め括る『探偵』ではなく、きっと場面を進めるための『狂言回し』なんです。主要ではないものの、絶対に必要な存在。私はそんな貴女の役割を気に入っています。また楽しませてくださいね。」

 

「……観客を自称するなら黙って観ていたまえよ。」

 

「私は観客ですが、野次の一つくらいは飛ばしてもいいはずでしょう? ……では、調査が終了したら結果を報告しに行きます。魔女さんにもよろしく伝えておいてください。」

 

その発言と共にパタリと閉まったドアを背に、リーゼお嬢様と二人で歩き出す。……姿あらわししないのかな? お嬢様は何だかイライラしているようだし、ちょっと話しかけ辛いぞ。アピスさんの言っていたことを考えているらしい。

 

黙考しながら歩く主人の背中を追って、サクヤ・ヴェイユはスイスの道をひた歩くのだった。

 



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妖怪の国

 

 

「あー、神性ね。そっちの可能性もあったか。同族となんてもう百年以上会ってないから、すっかり頭から抜け落ちてたよ。」

 

目の前の和紙に筆を滑らせながらの諏訪子の相槌を受けて、アンネリーゼ・バートリは一つ頷いていた。『厄除けグッズ』の中に入れるらしい小さな紙に、次々と『守矢大明神』と書いているわけだが……偽名の方を書いてどうするんだよ。そこは『洩矢神』と書くべきじゃないのか? 相変わらず複雑な神社だな。

 

雪ではなく冷たいみぞれが降っている、十二月二十四日の午前中。現在の私は早苗たちが泊まっているホテルの部屋で、二柱と蛇についての話し合いを行っているところだ。ちなみにアリスと咲夜は人形店に残っており、唯一ついて来た魔理沙は三バカの作業を手伝わされている。

 

三バカ曰く、今年は一月一日の朝に帰国することになったので、イギリスに居る間に『商売』の準備をしておかなければならないんだそうだ。早苗は向こうのソファで小さな布袋のような物をせっせと縫っており、魔理沙はその隣で布の裁断をやっていて、諏訪子はテーブルの私の対面で『偽サイン』を量産中、そして斜向かいの神奈子は……こいつが一番意味不明だな。祟り神の隣で何をしているのかと思ったら、矢を作っていたらしい。

 

どうしてこの時世に矢を作っているのかと疑問に思っていると、その神奈子が相方に続いて意見を述べてきた。手を忙しなく動かしながらだ。

 

「確かに神性であれば札の力など痛くも痒くもないだろうが、それにしたって腑に落ちないな。とてもじゃないが『同業者』には見えなかったぞ。大体、神性なら普通に挨拶してくるはずだ。」

 

「まあ、可能性の一つとして提示しただけさ。調査の依頼中に蛇の人外の話題になって、情報屋から神性にも蛇は居ると言われたんだよ。……それよりキミ、何だって矢を作っているんだい? 時代遅れにも程があるぞ。」

 

「これは破魔矢だ。神社で売るんだよ。……おみくじの中身や絵馬はさすがに業者から買っているが、作れる物は自分たちで作るべきだからな。破魔矢はそんなに多く売れる物じゃないし、値段もそれなりに高い。だったら利益のためにも信者のためにも、軍神たる私が直接作るべきだろう?」

 

「ふぅん? 『破魔矢』ね。退魔の矢ということか? ……にしては全然神力を感じないんだが。ピリッともしないぞ。」

 

丸っこい矢尻をちょんちょんと触りながら突っ込んでやれば、神奈子は仏頂面で言い訳を寄越してくる。実際の矢としては使えなさそうだな。あくまで飾り物ってことなのかもしれない。

 

「矢尻だけは作れないから買った物だし、そもそもこれはまだ完成していない。完成したら『ピリッと』はするはずだ。」

 

「悲しい話だね。幻想郷の神社ではあれほどの札が手に入るというのに、守矢神社では神が手ずから作って『ピリッと』する程度なのか。」

 

「言っておくが、現代基準では物凄く質が良い方なんだからな。幻想郷の神社とやらが異常なだけだ。少なくとも業者から買った物を祈祷した後で売るよりは、神がその手で作った矢を売った方が購入者だって嬉しいはずだぞ。……ふむ、『軍神お手製の破魔矢』というのを売り文句にしてみるか? どう思う? 諏訪子。」

 

「やめときな、変な新興宗教感が出ちゃうから。……あーもう、腕が疲れるなぁ。一枚書いて印刷するんじゃダメなの? 何百年前のやり方なのさ、これ。」

 

筆を硯に置いて腕をぷらぷらさせながら言う諏訪子に、神奈子が呆れた口調で否定を放った。

 

「ダメに決まっているだろうが。……きちんと一枚一枚心を込めて書いているか? 神として内符で妥協するわけにはいかないぞ。」

 

「それはちゃんとやってるけどさぁ、折角ロンドンで遊べると思ってたのにこれじゃあね。やる気も出ないってもんだよ。」

 

「キミね、わざわざ私が道具一式を取りに行ってやったことを忘れるなよ? どうしても必要だと言うから行ってやったんじゃないか。無駄にしたら許さんからな。」

 

ギリギリまで滞在することが急遽決定したので、裁縫道具や布や筆なんかは私が守矢神社に取りに行く羽目になったのだ。単独で日本に移動した後、姿あらわしで長野に向かい、神社側で顕現した二柱から道具を受け取って、そのままイギリスにとんぼ返りしたのである。遠く離れた神社に顕現は出来ても、さすがに物までは持って来られないらしい。

 

余計な仕事を増やされて苛々している私へと、諏訪子がため息を吐いてからやる気のなさそうな声で応答してきた。何だよその態度は。

 

「へいへい、頑張りますよっと。少しでも稼いで借金返済に充てないとね。……嫌になるよ。稼いでも稼いでも楽にならず。こういうのを『借金苦』って言うのかな。」

 

「そんな台詞を吐けるほど頑張っていないし、キミたちの場合は百パーセント自業自得だろうが。そもそもだ、あんな寂れた神社で売れるものなのかい? 誰が買っていくんだ?」

 

「あ、バカにしたね? ちょっと神奈子、私たちの神社がバカにされてるよ。言ってやりな。」

 

「正月だけは『比較的』参拝客が多いから、一応は売れるんだ。……より厳密に言えば正月しか売れない。正月以外は無人販売所で売っているんだが、泥棒を警戒する必要すらない程度の売れ行きだからな。故にこの機を逃すわけにはいかないんだよ。」

 

うーむ、世知辛いな。やたらと現実的なことを語る軍神に、肩を竦めて口を開く。経営難の神か。妖怪からしても物悲しくなってくるぞ。

 

「そんなんで幻想郷でやっていけるのかい? 仮に私が破魔矢とやらを欲していた場合、守矢神社では買わないと思うぞ。いつも利用している方の神社で買うよ。あれだけの札を作れるんだから、矢にしたって余程に強力な物が手に入るだろうさ。」

 

「いやいや、リーゼちゃんはうちの信者なんだからうちで買いなよ。何で他所の神社で買うのさ。浮気者にはバチが当たるよ? っていうか、当てるよ?」

 

「キミたちの『信者』になった覚えはないぞ。それを言うなら『金主』だろうが。奴隷のようにあくせく働いて貸した分を返したまえ。」

 

「うわぁ、わっるい台詞。神を奴隷扱いするのはこの世でリーゼちゃんだけだよ。私たちは『同盟者』じゃん、友達じゃん、仲間じゃん。はい、仲直りの握手しよ? 身内の握手。」

 

違うぞ、お前たちは債務者だ。それ以上でもそれ以下でもない。笑顔で手を差し出してきた諏訪子を冷めた視線で無視していると、神奈子が小さく鼻を鳴らして話しかけてくる。

 

「まあ、心配するな。幻想郷の神社がどれほどのものかは知らんが、私たちが移住した暁には『シェア』を根こそぎ奪ってやるさ。そのうち向こうの矢が『ピリッと』になって、私たちの矢が強力な物になっているはずだ。幻想郷中の信仰を独占してやろう。」

 

「毎回思うんだがね、キミの自信はどこから出てくるんだい? 実に不思議だよ。」

 

「バカってのは大概自信家なの。早苗を見てれば分かるっしょ? つまりこいつもバカってこと。守矢神社で賢いのは私だけだよ。」

 

「余計なことを言っていないで手を動かせ、諏訪子。最初から諦めている者に成功は掴めないはずだ。私と早苗は成功者で、お前は失敗者ということだな。」

 

私からすれば三人とも同じレベルだぞ。睨み合う二柱にやれやれと首を振った後、ズレにズレた話題を当初のものに戻す。

 

「とにかく、細川京介と蛇に関しては情報屋に調査を依頼したからね。まあまあ優秀なヤツだから、結果を見れば何かしらの進展は得られるはずだ。今は大人しく調査結果を待とう。」

 

「ん、おっけー。……ちなみにさ、その情報屋って誰なの? 妖怪なんでしょ? 有名なヤツ?」

 

「アピスと名乗っている大妖怪だよ。兎にも角にも謎が多いヤツでね、詳しいことはさっぱり分からん。種族も、出身地も、思想も、調査方法も年齢も曖昧なのさ。本当に妖怪なのかすら微妙なところだ。」

 

「ふーん、『アピス』ね。私は聞いたことないかな。神奈子は?」

 

実際の名前……というか、『妖怪としての元々の名前』は違うのかもしれんな。とはいえ情報屋としてあれだけの実力を持っているのだから、探ろうとしたって容易に探り出せるものではないだろう。おまけに知ったところで現状では何のメリットもない。精々好奇心が満たされる程度だ。もうすぐ幻想郷に行くんだし、古馴染みらしい美鈴にでも詳しく聞いてみるか。

 

アピスについての謎を内心で完結させた私を他所に、神奈子はさほど興味がなさそうな顔付きで首を横に振った。

 

「私も知らん。単純に日本を縄張りにしていなかった妖怪なんじゃないか?」

 

「そういえば、『日本は苦手な土地』とか何とかって言っていたね。それにしては日本での調査を渋らないし、結果も出してきているが。……ああ、そうだ。そのアピスからもう一つ面白い話を聞いたよ。『相柳』に関する話を。」

 

「どちらの『相柳』のことだ? 魔法界の人物か、それとも大妖怪か。」

 

おや、二柱は相柳の正体を知っていたのか。反応を見せてきた神奈子へと、墨を乾かした和紙に朱印を捺し始めた諏訪子を横目に返事を返す。文句を言いながらも結構丁寧にやっているな、こいつ。

 

「妖怪の方だ。私は話を聞くまで日本魔法史上の人物としてしか知らなかったけどね。日本の神性たちと一戦交えたんだって?」

 

「らしいな。私たちは参戦していないから実際に見たわけではないが、出雲で大きな戦いを繰り広げたと聞いている。神々が直接表に出た戦いとしては最後のものだと言えるだろう。」

 

「ふぅん? 参加はしていないのか。呼ばれなかったのかい?」

 

「いや、召集を無視した。私たちだけではなく、大多数の地域神がそうしたはずだ。その頃の私たちはもう完全に諏訪の神になっていたし、優先すべき諏訪の地は騒動と関係がなかったからな。余程のことでなければ他所の争いに首を突っ込んだりはしないさ。中央の神だった昔とは違う。」

 

そういうものなのか。自分たちの縄張りが最優先ってことか? そこは妖怪も神性も大して変わらないらしい。案外ドライなんだなという感想を抱きつつ、二柱への質問を重ねた。

 

「私は全然知らないから、参加していないとしてもキミたちの方が詳しいはずだ。経緯を教えてくれたまえよ。興味があってね。」

 

「『経緯』って言われてもさ、ごくごく有り触れた話らしいよ。相柳が人間を操って人間を殺しまくろうとして、それにキレちゃった中央の神々が人間を動かして相柳を殺そうとしたの。んでもって序盤は人間同士で戦わせてたんだけど、徐々に相柳が大妖怪を勢力に引き入れて表立って戦わせ始めたから、神々も直接出ざるを得なくなった結果……まあ、最後の方は人妖神が入り乱れた大乱闘になったんだってさ。可哀想だよねぇ、人間。利用されて巻き込まれただけじゃんか。」

 

「それは毎度のことだろう? 神性たちの側に付いた妖怪も居たと聞いたが、それはどうなんだい?」

 

「うん、ちょびっとだけ居たらしいね。そもそもさ、人間を必要以上に殺しまくったら信仰と同じように恐怖も得られなくなるじゃん。それを危惧した妖怪が相柳を止めようとしたとかじゃない?」

 

「おいおい、そこまでの騒ぎだったのか? 多少人間の数が減る程度では『危惧』とまではいかないはずだぞ。」

 

恐怖が得られなくなるほどとなると、文明が崩壊するとかってレベルの話になってしまうぞ。怪訝な気分で諏訪子の答えに問いを返してやれば、今度は神奈子が応じてくる。

 

「相柳は日本を『妖怪の国』にすることを企てていたらしいな。実に馬鹿馬鹿しい話だが、神々が直接出張ったということは無視できない段階にまで事が進んだのだろう。」

 

「『妖怪の国』? 出来るわけがないだろうが、そんなもん。恐怖云々以前に、妖怪が国家を形成できるほどの纏まりなんて持てないはずだ。基本的に自己中心的な存在なんだから。」

 

「私もそう思うし、神々たちもそう思って当初は無視していたらしいが、事実として相柳は人間の陰陽師を通じて京を支配するところまでやってのけたからな。妖怪による傀儡政治のようなことを目論んでいたんじゃないか? ……方向性こそ全く違うものの、レミリア・スカーレットは同じようなことを成した。だとすれば不可能とは言えないのかもしれないぞ。」

 

「傀儡政治か。……それでも無理だと思うけどね、私は。レミィがヨーロッパの人間たちに認められたのは、終ぞ『支配者』の地位に就こうとしなかったからさ。実質的な力は持っていたかもしれないが、魔法大臣にも連盟議長にもなろうとはしなかった。あいつは一度頂点に立ったが最後、あとは落ちるだけだということを知っていたんだよ。だから上から直接支配するのではなく、少し離れた位置から操ることを選択したんだ。」

 

故に『紅のマドモアゼル』は民衆から承認され続けていた……というか、今なお承認され続けているのだろう。その点に限ってはレミリアのセンスに舌を巻くばかりだな。彼女は意図的に『遠い英雄』であり続けたのだ。欠点や不都合な部分までは見えないが、声や功績は届く程度の距離に立ち続けた。その絶妙な調整が出来る者を私はレミリア以外に知らないぞ。ダンブルドアは必要以上に近付き、ゲラートは遠ざかり過ぎてしまったのだから。

 

つまりレミリアは非難の矢面に立つ議長の席には決して座らなかったものの、議会内で最も声が通る存在ではあり続けたわけだ。誰も議長にならないことを無責任だと糾弾しなかったし、それでいて彼女の声が他の存在に掻き消されることも結局なかったのは……間違いなくレミリアが『微調整』を続けていたからなんだろうな。指導者ではなく、支配者でもなく、あくまで政治家。それがレミリア・スカーレットってことか。

 

まあいいさ、それは私の役目じゃない。私にしか出来ないことがあるように、レミリアにしか出来ないこともある。吸血鬼という種族全体の評価を上げるために認めてやろうじゃないか。今代のスカーレット家の当主どのは、こと政治においては最優の人外だということを。

 

心の中で幼馴染に気のない拍手を送りつつ鼻を鳴らしていると、諏訪子が首を傾げて疑問を寄越してきた。

 

「レミリア・スカーレットが大した妖怪なのは認めるけどさ、相柳に出来ないって理由にはならなくない? 『傀儡政治』ってのは人間を傀儡にして、後ろから支配者を操るってことでしょ? それなら相柳は『頂点』に立たなくて済むじゃん。」

 

「私が言いたいのは、システムは何れ崩壊するってことだよ。レミィはシステム自体の外側に立っていたが、相柳は内側から操ろうとしたわけだろう? ……まあ、短期的に機能する可能性は認めてもいいがね。それにしたって『妖怪の国』ってのは中々の夢物語だと思うぞ。」

 

「ま、『夢物語』なのには同意するよ。絶対無理じゃんね、そんなの。私たち神も大昔にやろうとして失敗してるわけだしさ、信仰じゃなくて恐怖を土台にしてる妖怪なら尚更無理だって。何考えてたのかなぁ、相柳。」

 

「アピスによれば、相柳は八雲紫と浅からぬ何かがあったらしいよ。紫は戦いが起きた時、神々の側に味方したんだそうだ。」

 

……ひょっとすると人間と共存するか、それとも支配するかで揉めたのかもしれんな。妖怪の国と幻想郷。相柳は妖怪を上位に置いて人間を支配下に置くことを望み、紫はあくまで『共生』を目指したということか?

 

そういえば、アピスはゲラートとダンブルドアの物語に似ていると言っていたっけ。二つの物語について思考を回している私に、神奈子が興味深そうな顔で相槌を打ってくる。

 

「かの隙間妖怪も参戦していたのか? ……それは全く知らなかったな。少し気になるぞ。」

 

「今度幻想郷に行った時にでも聞いてみるよ。時期が時期だし、紫と直に話せるかは分からんがね。」

 

「時期?」

 

「色々あるんだ。そこは気にしないでくれたまえ。……ちなみにだが、相柳は妖蛇らしいぞ。それは知っていたかい?」

 

周囲に隠していることなのかは不明だが、紫が冬眠するという情報は不用意に漏らさない方がいいだろう。二柱も同盟者だが、紫の方だって同じようなものなんだから、私だけが知っていればそれでいい。後で文句を言われるのも嫌だし。

 

内心の考えを隠しつつ放った問いかけに、二柱は間を置かずに頷いてきた。

 

「無論、知っている。そこは広く伝わっている部分だからな。魔法界側の歴史にすら『相良柳厳を唆した老蛇』は登場するぞ。」

 

「もしかしてさ、だから相柳の話になったの? あの蛇が相柳かもしれないってこと? マジでそう思ってるわけじゃないよね?」

 

「単に話に上っただけで私は微塵も『マジ』であるとは思っていないが、キミたちは有り得ると判断しているのかい?」

 

「いやいやいや、有り得ないって。相柳って言ったら超大物の大妖怪じゃんか。そんなのがあんなにバカなはずないし、人化もしないで弱っちい蛇の姿でいるわけないもん。端から候補にないよ。蛇の人外なんてわんさか居るんだから、いきなり相柳に繋げるのは飛躍しすぎっしょ。」

 

まあうん、そりゃそうだ。それに比べれば何処ぞの凋落した神獣だという方が余程に有り得そうな話だぞ。アホらしいという表情の諏訪子に首肯した私へと、神奈子もまた同意の意見を送ってくる。

 

「さすがに有り得ないだろうな。何にせよ、その情報屋の調査結果を待つことにしよう。現時点で意味不明な可能性を追う必要はない。」

 

神奈子が尤もなことを口にしたところで、大量の小さな布袋を持った早苗がソファの方から歩み寄ってきた。ちなみに魔理沙は黙々と謎の作業を続けている。よく働くヤツだな。神道に対する信仰心を持っているからなのかもしれない。私はこれっぽっちも手伝う気になれないぞ。

 

「諏訪子様、内符は出来ましたか? 一応こっちは最低限の袋を作り終えました。」

 

「ん、出来てるよ。紐は足りた?」

 

「全部使ってこの数です。これ以上作るなら紐だけどこかで買わないとダメですね。……紐くらいならロンドンでも手に入るかもしれませんけど、どうします?」

 

紐なんぞいくらでも売っているに決まっているだろうが。どんな田舎だと思っているんだよ。大都市ロンドンの名誉のために口を出そうとするが、その前に神奈子が質問を場に投げた。早苗がテーブルに置いた袋を順繰りにチェックしながらだ。

 

「早苗、交通安全の御守りはどうしたんだ? 見当たらないぞ。」

 

「へ? ……だって、交通安全のは売らないんじゃなかったんですか?」

 

「運転の神なんだから売らないと勿体無いだろう? 作ってくれ。内符はきちんと私が書くから。」

 

「やめな、早苗。聞かなくていいよ。『交通事故』の御守りを作るんならともかくとして、『交通安全』を出したら詐欺だからね。……まあ、こんなもんで足りるんじゃない? 作り過ぎても売れないっしょ。これでいこっか。」

 

『交通事故の御守り』? 意味が成立しているような、激しく矛盾しているような、何とも微妙な名称だな。日本語の不思議を感じている私を尻目に、神奈子が諏訪子へと反論を飛ばす。

 

「詐欺でもなんでもないだろうが。恐らく自動車の免許を取得している神はごく少数で、私がその中の一柱である以上、私は日本有数の『運転の神』だと言えるはずだ。ならば守矢神社こそが交通安全の御守りを売るに相応しい神社じゃないか。……先に言っておくが、儲けは私個人の返済に回すからな。どうせお前はそれを妬んでいるんだろう。」

 

「は? 何その邪推。偽造免許の分際で『取得している』とか言って恥ずかしくないの? ……はいはい、じゃあ売れば? 何の効果もない御守りを売る悪い神になればいいじゃん。その代わり厄除けの御守りの儲けはびた一文渡さないからね。厄に関してはあんたじゃなくて私の権能なんだから、当たり前の話でしょ?」

 

「好きにしろ、チビ蛙。世間のニーズというものを理解していない時代遅れな神は、厄除けの御守りを必死に売っていればいい。私は交通安全でひと財産築くぞ。あれだけ車が走っているんだから、売れまくって然るべきなはずだ。」

 

「ほざいてな、バカ蛇。厄除けの御守りは何百年も前からのうちの『主力商品』なんだよ。あんたが雨だの戦いだの相撲だのって訳の分かんない権能しか持ってないから、私がずっと支えてやってたんでしょうが。恩知らずの穀潰し蛇はバカみたいな『新商品』でコケちゃいな。私は実績と信頼のある厄除けの御守りでいくから。」

 

火がついたように言い争い始めた二柱のことを、早苗が慌てた様子で交互に見ているが……うん、放っておこう。私は神奈子の交通安全も、諏訪子の厄除けも信用できないのだから。片や対物事故の常習犯で、片や筋金入りの疫病神。どっちもどっちだぞ。

 

分かり易くあわあわしている早苗を眺めつつ、アンネリーゼ・バートリは欠伸を噛み殺すのだった。

 



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引越し論争

 

 

「しかしよ、まだそんなに目立たないんだな。もっとお腹が大きくなるもんだと思ってたぜ。」

 

向こうでビルと並んで食事をしているフラーを見つつ、霧雨魔理沙は興味深い気分でジニーに話しかけていた。大体八月の初め頃に妊娠したわけだから、今は妊娠五ヶ月弱ってことになるな。十月十日で産まれるのだとすれば、もう半分近くが経過しているのか。

 

十二月二十五日の正午、私たちは隠れ穴でのクリスマスパーティーに参加しているのだ。ウィーズリー家は全員集合しているし、ハリーたちやルーナやシリウス、ルーピン夫妻や元不死鳥の騎士団の面々、それに加えて私が知らない大人も何人か参加しているため、隠れ穴のリビングは中々の賑わいっぷりとなっている。こうやってお祝い事の時に人が集まってくるのは、ウィーズリー家の魔法使いたちの人柄故なんだろうな。

 

来年はもう参加できないことを少し寂しく思っている私に、ジニーが相槌を打ってきた。ちなみにこのテーブルは私、咲夜、ジニー、ルーナの四人で使っている。さっきまではチャーリーも一緒だったのだが、現在はリーゼやハリーたちが居るテーブルに移って何かを話しているようだ。ビルも今まさにそっちに移動していったな。ちょっとした議論が巻き起こっているらしい。

 

「服で目立たないけど、大きくはなってるらしいわよ。……楽しみだわ。『甥か姪』の存在なんて想像もしてなかったんだけどね。いざ会えると思うとうずうずしてくるの。」

 

「案外可愛がりそうね、ジニーは。ロン先輩あたりも甘やかしそうだわ。」

 

「兄妹全員が甘やかしちゃうでしょうね。……まあでも、ママよりはマシじゃない? 見てよ、あれ。こっちに到着した直後からずっとフラーを『壊れ物』扱いしてるの。今にスポンジか何かで包み出すわよ。賭けてもいいわ。」

 

うーむ、確かにモリーの態度は過剰にも思えるな。それだけ孫が大事だということなのだろう。フラーが片付けようとした皿を凄い勢いで強奪した挙句、強引に席に戻しているモリーを横目にしていると、ルーナが微笑みながら会話を続けてきた。

 

「でも、羨ましいよ。赤ちゃんは可愛いもん。私は親戚が少ないから、自分で産むしかなさそうかな。」

 

「そういえば、ロルフさんとはどうなってるの? 付き合い始めたんでしょ?」

 

あー、そうらしいな。何でも数ヶ月前に向こうから告白してきて、ルーナがそれを受けたんだそうだ。ペンフレンドからボーイフレンドに『昇格』した人物のことを聞くジニーに、ルーナは肩を竦めて応答を返す。

 

「どうにもなってないよ。パパに付き合い始めたって話したら、急に怒っちゃったんだ。ロルフはそれをすっごく気にしてて、今は私よりパパの方に構ってるような状態なの。毎週家に来て追い返されてるんだよ?」

 

「何とまあ、可哀想な状況だな。スキャマンダー家の方はどうなんだ? 歓迎してくれてるのか?」

 

「ん、みんな優しいよ。今度スキャマンダーさんがアフリカの魔法生物保護区に連れて行ってくれるんだ。だからロルフはどうにかしてパパも誘おうとしてるみたい。『魔法生物を間に挟めば仲良くなれるかも』って言ってた。」

 

「涙ぐましい努力じゃんか。協力してやれよな。」

 

ボーイフレンドと父親の攻防戦か。ロルフ・スキャマンダーに同情の念を送りながら私がアドバイスしたところで、咲夜が更に話題を変えてきた。

 

「仕事はどうなの? ルーナの記事は毎回出てるけど、ジニーの記事はまだ読めてないわね。」

 

「あのね、サクヤ。一年目の新人が書いた記事なんて普通は載らないのよ。私がダメダメなんじゃなくて、ルーナの状況が特殊なの。」

 

「『ダメダメ』とは言ってないじゃない。……具体的に何をしてるの? 予言者新聞社の見習い記者って。」

 

「誤字脱字のチェックとか、カメラマンのアシスタントとか、クィディッチの実況の書き起こしとか、細々とした雑用とか、細々としてない雑用とかをやってるのよ。一応記事を編集長に提出する『権利』はあるんだけどね。今のところは全部ボツを食らってるの。私が何時間もかけて苦労して書いた記事を、一分でサラッと読んでボツにされるのよ? 時々ぶん殴ってやりたくなるわ。」

 

テーブルをバシンと叩きながら愚痴るジニーに、苦笑いで意見を投げる。新人の苦悩だな。

 

「やっぱりよ、内容云々とは別のところに判断条件があるんじゃないか? 注目を集めたり、興味を持たせるための書き方ってのがあるんだろ。それを先輩記者から盗み取るまでの辛抱だぜ。」

 

「悔しいけど、それは確かにあるみたい。スキーターなんかはそういう書き方がとんでもなく上手いのよ。記者の立場で読むと何となく分かっちゃうわ。」

 

リータ・スキーターか。やはり『記者としては』一流の存在なんだなと唸っていると、ジニーは続けて明るい発言を口にした。

 

「でも、良かったこともあるわよ。スポーツ担当の先輩のアシスタントとしてついて行くと、クィディッチの試合をタダで観られるの。しかも最前列の記者席でね。こっそりサインを書いてもらったりも出来るし。」

 

「うへぇ、それは魅力的だな。」

 

「でしょ? ……悩ましいわ。新聞社の花形は当然ながら政治部なんだけど、スポーツ部も捨て難いのよ。フォックス編集長からそろそろ専門分野を決めろって言われてるんだけどね。まだ迷ってるの。」

 

「希望すればなれるもんなのか? 勝手に振り分けられるんだと思ってたぜ。」

 

予言者新聞社にも色々な部署があるんだなと実感しながら問いかけた私に、ジニーはかぼちゃジュースを一口飲んでから返事をしてくる。

 

「人数に空きがあれば希望が通り易くなって、今年はラッキーなことに両方空きがあるのよ。……ま、どっちにしても最初は雑用係でしょうけどね。記者の基礎を学ぶ会社全体の雑用から、専門分野の基礎を学ぶ部署の雑用にランクアップするってわけ。」

 

「もしかして、政治部に行ったらスキーターが上司になったりするの? 何か嫌ね、それ。」

 

「スキーターは独断で動いて広い分野の記事を書く記者だから、政治部に行ったからって上司になるとは限らないわ。それに『スキーターの雑用』になるにはまだまだ経験が足りないわよ。アシスタントにも格ってものがあるの。どっちの部署に行ったとしても、私は一番下っ端からのスタートだからね。」

 

うーん、茨の道だな。咲夜の疑問にジニーが答えたところで、話を耳にしながらずっとアップルパイを食べていたルーナが声を上げた。気に入ったらしい。モリーのは美味いもんな。エマのアップルパイとはタイプが違って甲乙付け難いぜ。

 

「私とジニーはそんな感じだけど、マリサとサクヤはどうなるの?」

 

「どうなるって? 卒業後ってことか?」

 

「うん、そう。……サクヤはメイドさんになって、マリサは日本に帰るんでしょ? あんまり会えなくなっちゃうのかな?」

 

ちょびっとだけ寂しそうな声色で尋ねてきたルーナに、咲夜と顔を見合わせてから返答を飛ばす。実際は『あんまり』じゃなくて、ほぼほぼ会えなくなってしまうだろう。移住前に二人には説明する必要があるな。

 

「んー、そうだな。会うのは難しくなるかもしれないぜ。私の故郷はちょっと複雑な土地なんだよ。」

 

「私もそうね。……これは一応内緒のことなんだけど、レミリアお嬢様は魔理沙の故郷に引っ越したの。だから私も卒業したらそこに行かないといけないのよ。」

 

「あら、そうだったの? スカーレットさんの『隠遁先』はフランス説が主流だったのに、全然違ったわけね。スキーターが知ったら小躍りして喜ぶわよ。」

 

「内緒なんだってば。ジニーとルーナだから話したのよ?」

 

慌てて注意した咲夜に対して、ジニーは苦笑しながら応答を放った。

 

「分かってるわよ、誰にも言わないわ。……でも要するに、日本ってことよね? 遠いけど行けないことはないんじゃない?」

 

「あー……どうだろうな、難しいかもしれんぜ。物凄く特殊な土地なんだよ。卒業してから暫くは会えなくなりそうかな。」

 

「そうなの? ……だけどほら、二度と会えないってわけじゃないのよね? それはさすがに嫌よ? そんなの意味不明だし。」

 

「幾ら何でもそれはない……と思う。すぐには無理かもしれんが、ちゃんと咲夜を連れてイギリスに戻ってくるぜ。それが出来るくらいの存在になる予定だからな。」

 

今はまだ無理だろう。だけどいつかは結界を自力で抜けられるような魔女になって、またイギリス魔法界を訪れてみせる。ジニーやルーナの子供に悪戯グッズをプレゼントしてやるのだ。その『野望』は絶対に叶えてみせるぞ。

 

内心で決意しながら応じると、ルーナが若干不満げに小首を傾げてきた。

 

「変な土地だね。二人とも絶対にそこに行かなきゃダメなの?」

 

「残念ながら、夢を叶えるためには帰らなきゃいけないんだ。返すべき恩義とか義理もあるしな。」

 

「私もお嬢様方から離れるわけにはいかないわ。お嬢様方の従者が私の生き方で、夢で、目標なんだもの。それ以外じゃ我慢できないし、納得できないのよ。」

 

「……じゃあ、仕方ないのかな。友達なら応援しないとだもんね。」

 

しゅんとしてしまったルーナを見て、ジニーが明るい声で纏めてくる。ちょっとだけ無理している時の声色だ。

 

「まあ、きっと『修行期間』ってことなのよ。私たちは会うのを我慢してイギリスから応援してるから、修行が終わったら成果を見せに戻ってきて頂戴。大体、直接会えないにしても手紙のやり取りくらいは出来るんでしょ? まさかそれすら無理ってことはないわよね?」

 

「ああ、手紙は大丈夫だぜ。リーゼがこっちと行き来できるからな。あいつを通じて受け渡せるはずだ。」

 

「んじゃ、私の『初記事』も手紙で送ることになりそうね。……それだと味気ないし、そういうことならもう少し頑張ってみようかしら? まだ二人の卒業までは半年以上あるんだから、諦めないで提出しまくってみるわ。」

 

「私も何か面白い記事を書くよ。すっごいのを書いて、二人から直接感想を聞きたいもん。スキャマンダーさんにも相談してみる。」

 

柔らかい表情で『決意表明』をした二人へと、咲夜と一緒に微笑みを返す。私たちとしても直接お祝いしたいし、期待させてもらおうかな。……ふむ、手紙か。幻想郷だとカメラは貴重品だから、こっちに居る間に最新式のを買っておくべきかもしれない。写真付きの方が良い手紙になるだろうし。

 

休暇中に買っておこうと心に決めつつ、霧雨魔理沙は残り少ないアップルパイに手を伸ばすのだった。

 

 

─────

 

 

「キミね、もっと拘るべきだぞ。絶対にここより安くて広いアパートメントはあるはずだ。これだと狭すぎるだろうが。」

 

ハリーが提示した『引越し先候補』に文句を付けまくっているリーゼ様を横目に、アリス・マーガトロイドはローストベジタブルを頬張っていた。私は良い物件だと思うんだけどな。どこがダメなんだろう?

 

隠れ穴でのクリスマスパーティーも後半に差し掛かった今、このテーブルではハリーの『引越し論争』が行われているのである。参加者はハリーとリーゼ様とハーマイオニーとロン、そしてビルとチャーリーとブラックで、それを私とテディが『傍聴』している形だ。

 

現在ルーピン夫妻が向こうのテーブルでモリーやフラーと一緒に『子育て議論』をしているので、その間二歳半の息子を預かっているわけだが……ぬう、大人しいな。テディは私の隣の席にちょこんと座って、ジッと議論を観察しているぞ。よく知らない大人たちに囲まれて緊張しているのか?

 

ウィーズリー家の子供たちが二歳の頃は忙しなく動き回っていたし、咲夜が二歳の頃は時間を止めてやんちゃをしていた。それに比べてこの落ち着きっぷりは何なんだろう? 性格云々というか、家庭の違いが出ているのかもしれない。

 

車のオモチャを握り締めた状態でジーッとしているテディを私が観察している間にも、ビルがリーゼ様へと反論を放つ。アパートメントの間取りが書かれたチラシを指差しながらだ。

 

「バートリさん、妥当ですよ。ロンドンの中心街で、この広さでこの家賃なら安いくらいです。……良い物件だと思うよ、ハリー。闇祓いの給料ならどうにか払えるだろうしね。」

 

「これが妥当? 本気で言っているのかい? グリンゴッツ勤めで金銭感覚がおかしくなっているんじゃないか?」

 

「残念ながら妥当よ、リーゼ。ロンドンは尋常じゃないくらいに家賃が高いの。だからルームシェアとかが流行ってるのよ。」

 

「……狂っているね。マグルたちはこんなに高い金を毎月払って『物置』を借りているのかい? 異常だよ。だったら郊外に住んで煙突飛行なり姿あらわしなりで通勤すればいいじゃないか。」

 

まあうん、ビルやハーマイオニーの言う通りロンドン基準だと妥当な家賃だろう。しかし、『物置』か。中々の言い草だな。『紅魔館基準』の評価と共に妙案を口にしたリーゼ様に、ハリーが困ったような顔で応答した。

 

「だけど僕、ロンドンの街中に住みたいんだ。何て言うかほら、カッコいいと思わない?」

 

「分かるぞ、ハリー。『ロンドン在住』はカッコいい。僕も出張が多いドラゴン使いじゃなきゃそうしてたよ。女の子にもモテるしな。大通りでナンパすればそのまま連れ込めるぞ。」

 

「チャーリー、やめとけ。ハリーにはジニーが居るんだぞ。ハリーは苦笑いで頷いてくれるかもしれないが、ジニーは今の『オススメ理由』を聞いたら絶対に笑っちゃくれないはずだ。」

 

「おっと、失礼。全員聞かなかったことにしてくれ。」

 

チャーリーが長兄の忠告を素直に聞き入れたところで、ブラックが間取りを忌々しそうに見つめながら発言を場に投げる。

 

「これなら私の家の方が良いはずだ。もっとずっと広いし、家賃はタダだし、煙突飛行なら距離は関係ない。」

 

「私もブラック邸は良い物件だと思うよ。雰囲気が暗いし、家具が呪われていそうだし、犬に変身する怪しい中年男性が備え付けになっているがね。それをどうにかすれば完璧さ。」

 

「バートリ女史、私の家に何か文句が?」

 

「うじうじ抵抗するのはやめたまえ、肉球男。ハリーは引っ越すんだよ。それを前提に話しているんだから、ブラック邸の話なんぞするだけ無駄なのさ。」

 

ふふんと勝ち誇りながら言うリーゼ様に、ブラックは悔しそうな顔付きでせめてもの抵抗を飛ばす。ブラックは何となく分かるが、リーゼ様はどの立場から話しているんだろうか? 謎だな。

 

「ではせめて、もう少し広い部屋にすべきです。ハリー、ドビーも一緒なんだぞ。彼の『巣』はどうするんだ?」

 

「巣じゃなくて、部屋です。そうよね? ハリー。まさか『しもべ妖精の部屋は無い』だなんて良識が欠落した意見は持ってないわよね? 貴方は『S.P.E.W.』の一員なんだから、そんなことは決して言わないはずよ。」

 

「やめろよ、ハーマイオニー。普通のしもべ妖精は屋根裏とか、クローゼットの中とかに住むんだよ。『自分の部屋』なんかを用意したらドビーの方が困るだろ?」

 

「お言葉ですけどね、ロン。ドビーは『先進的』なしもべ妖精なの。偏見に満ち溢れた貴方とは違う意見を持っているはずよ。絶対に個室を用意すべきだわ。絶対に。」

 

どうも今年いっぱいでホグワーツを『退職』する予定らしいドビーも、新たな主人であるハリーが引っ越す際はついて行くつもりのようなのだが……部屋か。ハーマイオニーの主張は理解できなくもないけど、恐らくロンが予想した展開になるだろうな。しもべ妖精の方が困っちゃうはずだ。

 

「……テディ、スコーン食べる?」

 

「うん、たべる。」

 

「じゃあはい、こぼさないようにね。」

 

考えながらもテディにスコーンを食べさせていると、ハリーがしもべ妖精に関する曖昧な結論を言い放った。

 

「ドビーが個室を希望したらもちろん叶えるよ。希望したらね。」

 

「素晴らしいわ、ハリー。希望するはずよ。」

 

「だからまあ、それはとりあえず置いておくとして……もう一つの候補がこっちなんだ。ウィンブルドンのアパートメント。中心街からはちょっとあるけど、駅が近いからこっちでもいいかなと思ってて。」

 

ウィンブルドンか。こちらも『高い』と言える家賃だけど、さっきの物件と比較すればまだマシだな。全然『ロンドン在住』とは主張できるだろうし、悪くないと思うぞ。テディの食べこぼしを人形に回収させながら私が一人頷いたところで、チャーリーが反対意見を口にする。この議論、果たして全員の意見が一致することはあるのだろうか?

 

「いや、ウィンブルドンはやめておいた方がいいな。『気取り屋』が多いから。」

 

「そうなの?」

 

「ハリー、チャーリーの意見は無視していいぞ。ただの偏見だよ。こいつは昔、ウィンブルドンに住んでたガールフレンドにこっ酷く振られたんだ。クィディッチよりテニスの方が面白いって言われたらしくてな。そのことを根に持ってるのさ。」

 

「兄貴は直接聞いてないからそんな風に言えるんだよ。……最悪の話さ。テニスなんかがクィディッチより面白いはずないだろ? フィールドは狭いし、球の種類も人数も少ないし、何よりボールが襲ってこない。そう主張したら何故か振られたんだよ。だからウィンブルドンはやめておくべきだ。箒より『網付き棒』の方が上等だと思ってる連中ばっかりなんだから。」

 

うーん、スポーツは仲を引き裂く原因にもなるわけか。リーゼ様があまり興味がないタイプで助かったぞ。チャーリーの個人的すぎる主張を皮切りに、二つの物件を巡って言い争い始めた面々をぼんやり眺めていると……スコーンを完食したらしいテディがポツリと呟いた。私の服をくいくい引きながらだ。

 

「ママのとこに行く。」

 

「ん? そうね、そうしましょうか。自分で歩く?」

 

「うん。」

 

まあ、平和な議論ではあったぞ。テディを椅子から降ろしてやりつつ傍聴人としての感想を纏めた後、小さな手を取ってトンクスが居る方へと歩き出す。少なくとも戦争のことを話すよりは遥かに良いさ。穏やかな日常が戻ってきたのだから、クリスマスの会話もこうあるべきなのだ。

 

今回のクリスマスパーティーが平凡かつ穏やかなもので終わりそうなことに、アリス・マーガトロイドは小さく微笑むのだった。

 



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ミレニアムイヤー

 

 

「魔理沙、こっち! こっちよ! ……貴女ね、離れないようにってアリスから言われたでしょうが。無謀な行動はやめて頂戴。」

 

信じられないほどの人混みの中、サクヤ・ヴェイユは人の合間を縫って近付いてきた親友に注意を飛ばしていた。前後左右のどこを見ても人だらけだし、騒がしすぎて何がなんだか分からない。ここではぐれたら二度と再会できなくなるぞ。

 

1999年の終わりとミレニアムイヤーの始まりが目前に迫った、十二月三十一日の二十三時五十分。現在の私たちは人形店での夕食を終えて、ウェストミンスター橋の上で新年を迎えようとしているところだ。先程東風谷さんたちとは何とか合流できたし、今回は珍しくエマさんも外に出てきているので、総勢八名で時計塔の針が重なる瞬間を待っているのである。

 

しかし、物凄い人だな。自動車用の道なんてとっくの昔に通行止めになっているので、橋全体を人が使える状態なのだが……大袈裟でも何でもなく、本当に『ぎゅうぎゅう詰め』になっちゃっているぞ。一体全体どれだけの人数が橋の上に居るんだろう?

 

まさかこれ、落ちたりしないよな? 記念すべきミレニアムイヤーを祝おうとした所為で、童謡さながらに『ウェストミンスター橋落ちた』になるなんて冗談にもならないぞ。何だか不安になってきた私へと、魔理沙が笑顔で返事を寄越してきた。私は人混みにうんざりして帰りたくなっているけど、イベント好きの彼女はハイテンションを保っているようだ。

 

「悪い悪い、これを貰ってたんだよ。あっちにタダで配ってるヤツが居てな。」

 

「何それ? スプレー缶?」

 

「よく分からんけど、ここを押すと音が鳴るんだよ。ほらな? ……んで、リーゼたちはどこだ?」

 

さっきから『プァーッ!』って煩く鳴っていたのはこれか。スプレー缶に赤いラッパが付いたような謎装置の音の大きさに顔を顰めつつ、魔理沙の手を取ってリーゼお嬢様たちの方へと移動する。そこまで離れてはいないものの、この場所ではちょっとした移動すら困難だな。遠慮なく人混みを掻き分けないと一歩も動けないぞ。

 

「あっちよ。絶対に手を離さないでね。」

 

「分かってるって。……おっ、リーゼ! 見ろよこれ、面白いぞ! 音が鳴るんだ!」

 

どうにかこうにかみんなが居る橋の欄干の方まで歩いた後、見えてきたリーゼお嬢様に魔理沙が『スプレーラッパ』を鳴らしながら呼びかけているが……うわぁ、お嬢様も帰りたいみたいだ。苦笑しているエマさんに寄り掛かっているリーゼお嬢様は、かなり気が滅入っている様子で気のない応答を投げてきた。

 

「喧しいぞ、魔女っ子。ただでさえ煩いんだから静かにしたまえよ。」

 

「お前な、こういう時は騒ぐもんだろうが。もっと楽しめよ。歴史的な瞬間なんだから。」

 

「私は今、やはり人形店で大人しくしておけば良かったと後悔しているんだ。騒ぎたいなら一人で騒ぎたまえ。……咲夜、おいで。エマとアリスとキミとで私を囲んでくれ。訳の分からんむさ苦しいマグルどもに囲まれるのは御免だよ。私には『聖域』が必要なのさ。」

 

まあうん、リーゼお嬢様はこの状況を楽しめるタイプの性格じゃないな。指示に従って私が歩み寄ると、今度は近くに居た諏訪子さん……正真正銘の神様相手だからちょっと気後れするけど、名前の方で呼んで欲しいと言われたのだ。がニコニコしながら声を上げる。東風谷さんも神奈子さんも楽しんでいるようだし、守矢神社の三人組は『魔理沙側』の人間らしい。

 

「ほら、見て見て。スポットライトだよ、スポットライト。あっちの橋に行けば良かったかもね。アリスちゃん、あっちは何橋?」

 

「ランベス橋です。……何をライトアップしてるんでしょうね? 無茶苦茶に動かしてるみたいですけど。」

 

「何かをライトアップしたいんじゃなくて、単なる賑やかしなんじゃない? あっちのもそうだしさ。」

 

言いながら諏訪子さんが指差しているのは、ランベス橋とは正反対……つまり、ロンドン・アイがある方向だ。確かにそっちでも無数の光の柱が縦横無尽に動いているな。観覧車の更に向こうにスポットライトがあるらしい。名前は忘れたけど公園があったはずだし、そこに設置されているのか?

 

周囲の騒めきの所為で多少大きな声になっている二人の会話を耳にしながら、イルミネーションで青や紫に光っている大観覧車を眺めていると、続いて東風谷さんが興奮している感じの表情で口を開く。

 

「どこも光ってて凄いです! 時計塔の隣のあれって宮殿なんですよね? 中に王様が居るんですか?」

 

「今のイギリスに居るのは『王様』じゃなくて『女王様』だし、グリニッジの方の式典に出ているんだと思うわよ。名前は宮殿だけど実際は議事堂だしね。……グリニッジならもっと空いてたのかしら?」

 

「この有様を見るに、どこも同じような状況だろうさ。……五分前だぞ、諸君。」

 

おっと、もう五分前か。アリスの呟きに応じたリーゼお嬢様が指差す方向に目をやってみれば、こちらもライトアップされている時計塔の針が十一時五十五分を示しているのが見えてきた。ちなみに東風谷さんが言っていたウェストミンスター宮殿もきちんとライトアップされている。今夜は全てが光っているな。ロンドン全体がピカピカしているぞ。

 

「ねえ魔理沙、花火ってあそこから上がるのかしら?」

 

イギリスの国旗を羽織ってビールを飲んでいる男性たちを横目に、テムズ川に浮かんでいる船を指しながら尋ねてみると、魔理沙は肩を竦めて首肯してきた。

 

「だと思うぜ。暗くてよく見えんが、何か準備してるっぽいしな。あとは川沿いからも上げるんじゃないか?」

 

「こっちに飛んできたりしないわよね?」

 

「いやいや、しないだろ。双子の店のやつじゃないんだから。マグル界の花火ってのは空に打ち上げるもんだぜ。」

 

「ならいいんだけど。」

 

不安だな。もし飛んできたら時間を止めてリーゼお嬢様を守らなければ。決意を固めながら薄暗い川を見つめている私を他所に、瓶ビールを飲んでいる神奈子さんがリーゼお嬢様に話しかける。

 

「そういえば、有名なタワーブリッジはどこにあるんだ? 向こうか?」

 

「逆だよ。あっちのロンドン塔のすぐ側だ。ロンドン橋の一つ下流さ。」

 

「ふむ、橋が多くて複雑だな。」

 

まあ、気持ちはちょっと分かるぞ。イギリス人でもたまに橋の位置がピンと来ないことはあるし、外国の人からすれば尚更だろう。然もありなんと胸中で頷いていると、マフラーを巻き直しているエマさんが問いかけてきた。

 

「咲夜ちゃん、寒くないですか?」

 

「私は平気ですけど、エマさんこそ大丈夫ですか? 人混みは苦手なんじゃ?」

 

「得意じゃありませんけど、苦手ってほどでもないですよ。新鮮で面白いです。さすがに今日は一人で家に居るのは寂しいですしね。」

 

「折角の記念日ですもんね。」

 

私がエマさんに相槌を打ったところで、魔理沙が時計塔を見上げながら報告を口にする。

 

「そろそろだぞ。」

 

遂に一分前か。周囲の喧騒が大きくなってきて、指笛の音がそこかしこで響き、一つ上流のランベス橋にあるスポットライトが一斉に時計塔へと光を送った。気の早い誰かが長いカウントダウンを始めたのを聞きながら、私も時計塔をジッと見つめていると──

 

「鳴った? 鳴ったよね?」

 

「まだだよ、あれは予鈴だ。」

 

周りが煩すぎて私には全然分からなかったが、予鈴であるウェストミンスターの鐘の音が小さな神様には聞こえたらしい。吸血鬼と同じように、神様も人間より耳が良いんだろうか? 諏訪子さんの質問にリーゼお嬢様が答えたすぐ後、拍手と歓声が場を包み始めたところで──

 

「わっ……びっくりしたわ。」

 

派手な音と共に物凄い量の赤や黄色の花火が一斉に上がり、大歓声が沸き起こるのと同時に針が重なった時計塔の鐘が鳴り響いた。花火の音でいまいち分かり難いけど、今度は私でもギリギリ聞き取れたぞ。ミレニアムイヤーの始まりだ。

 

「ハッピー・ニューイヤー!」

 

誰もが同じ言葉を叫び、拍手をして、テムズ川に停泊していた船の汽笛が響き渡る。間断なく打ち上がり続けている花火の轟音に目をパチクリさせつつ、私もみんなにお祝いの台詞を伝えたところで、『スプレーラッパ』を鳴らしまくっていた魔理沙が夜空を見上げながら疑問を放った。苦笑いでだ。

 

「なあ、あれって魔法の花火じゃないか?」

 

「どれ? ……あー、そうかも。アリス、どう?」

 

「間違いなく魔法界の花火だわ。他にもこれだけ打ち上がっているし、ドラゴン花火ってほど派手じゃないからマグルには気付かれないと思うけど……どうやら執行部の新年初出動はあれの対処になりそうね。記憶修正とまではいかなさそうなのがせめてもの救いかしら。」

 

うーむ、お祭り好きの魔法使いたちが我慢できずに打ち上げたわけか。他の花火よりちょびっとだけ派手な『流星花火』を眺めつつ、確かに記憶修正が必要なほどではないなと納得する。あれだけが上がっていたら危なかったかもしれないけど、他の無数の花火に紛れているから平気だろう。

 

というか、この花火はいつまで上がり続けるんだ? 既にテムズ川沿いの広い範囲で結構な量が上がっているというのに、まだまだ終わる気配がないぞ。今夜ばかりは魔法界よりもマグル界の方が派手かもしれない。ライトと、花火と、そして止まない歓声。歴史的な年に相応しい始まり方だな。

 

まあ、人混みに我慢した甲斐はあったみたいだ。私たちにとっては旅立ちの年であり、世界にとっては新たな時代が始まる年。その最初の瞬間を『ド派手』に迎えられたことに満足しつつ、サクヤ・ヴェイユは頭上の花火を目に焼き付けるのだった。

 

 

─────

 

 

「んじゃ早苗、私たちは先に戻って準備しとくからね。荷物を絶対に忘れないようにするんだよ? チェックリストを作っといたから、それにチェックして確認するように。」

 

私、そんなにおバカじゃないぞ。わざわざ作ってくれたらしい『忘れ物チェックリスト』を諏訪子様から受け取りながら、東風谷早苗は微妙な気分で頷いていた。こんなの無くても忘れ物なんてしないんだけどな。

 

「分かりました、荷物は私に任せてください。」

 

「毎度のことながら返事だけは良いね。……もう一回言うけど、チェックを怠らないように。家を出る時に四回も戻る羽目になったことを思い出しな。ポートキーでの移動のチャンスは一回だけなんだから、忘れ物したら終わりだよ。」

 

「……でも、私の忘れ物で戻ったのは三回だけです。一回は神奈子様がカメラを忘れたからでした。」

 

「早苗、そういうことじゃないんだ。出発の時は車で戻れば済んだが、今回はそうもいかないからな。特に折角準備した御守りや破魔矢を忘れたら絶望だぞ。少なくとも三度は確認しておきなさい。」

 

でもでも、私はそんなに『忘れん坊』じゃないもん。諏訪子様に続いて注意してきた神奈子様に不承不承首肯すると、それを見たお二方はパッと姿を消す。行き先が守矢神社であればどこからでも一瞬で移動できるのは、改めて便利な『機能』だな。

 

一月一日の深夜、私はロンドンの魔法族の町……横丁? にあるリーゼさんたちの家の前で、お二方の見送りを終えたところだ。私はポートキーの時間が決まっているから、一時間後の午前一時四十分に出発することになっている。ポートキーを作ること自体の許可は取れたけど、それでも好き勝手な時間に使うわけにはいかないらしい。

 

よく分からない法律の決まりに首を傾げつつ、リーゼさんたちが居るリビングに戻るために玄関を抜けて……あああ、やっぱり怖いぞ。人形だらけの店舗スペースを小走りで突破した。外に出る時はお二方が一緒だったからまだマシだったけど、一人になると本当に怖いな。薄暗い人形だらけの店内だなんて、完全にホラー映画の世界観じゃないか。

 

というか、そもそも外に出る必要はあったんだろうか? 別に二階でみんなに見送られながら顕現を解くのでも良かったはずだぞ。そりゃあこうやった方が気分は出るかもだけど……うう、ポートキーはリビングで使わせてもらおう。ここを通るのはもう嫌だ。

 

棚の人形たちをなるべく見ないようにしながら階段へと移動して、ギシギシと音が鳴るそこを上って明るいリビングルームに──

 

「ひぅっ……。」

 

たどり着く直前、階段の最後の段に小さな人形がポツンと立っているのが視界に映る。人間というのは本気で驚いた時、悲鳴すら出せないものらしい。恐怖から腰を抜かして階段にへたり込んでいると、背後の明かりで不気味に照らされている人形がゆっくりと私の方に近付いてきた。

 

「わっ、あっ……ぐぇ。」

 

ああう、痛いぞ! 怖くて本能的に後退りしようとした結果、階段の一番下まで転げ落ちてしまう。派手にぶつけた後頭部の痛みと恐怖で混乱しつつ、わたわたと立ち上がろうとしていると……慌てた様子で階段を下りてくるアリスさんの姿が目に入ってくる。どうやら私は助かったようだ。

 

「早苗ちゃん? どうしたの? 踏み外しちゃった?」

 

「あの、あの……人形が。」

 

「へ?」

 

「えと、その……それです。その人形にびっくりしちゃって。怖くて。だから階段から落ちちゃって。」

 

アリスさんが抱えている人形。多分下りてくる時に回収したのであろうそれを指して主張してみれば、金髪の魔女さんはとても複雑そうな顔付きで謝罪を述べてきた。

 

「えーっと……それはその、ごめんなさいね。神奈子さんに聞きたいことがあったから、この子を使って呼ぼうとしただけなの。もう行っちゃった?」

 

「はい、お二方は神社に戻りました。……あのですね、アリスさんの人形が怖いってことじゃないんですよ? 単に『状況』が怖かったんです。暗くて、来る時は居なかった人形がいきなり立ってたから。それだけなんです。」

 

「無理にフォローしなくてもいいのよ、早苗ちゃん。ほら、リビングに行きましょう。ぶつけたところを治すから。」

 

だけど、凄く落ち込んでいるじゃないか。傍目にも沈んでいるアリスさんを見て、どうしたら良いのかと必死に頭を回転させる。要するに私が怖がりなのが悪いのだ。アリスさんが人形を使う魔女だというのはもちろん知っていたし、その彼女のお店に人形が並んでいるのは普通のことだし、立っていた人形だって明るい場所なら怖くも何ともない。私が勝手にびっくりして階段から転げ落ちただけだぞ。

 

アリスさんの先導でリビングに入室しながらどうしようかと焦っていると、ソファに座っているリーゼさんが問いかけを飛ばしてきた。ちなみに霧雨さんとヴェイユさんは既に寝室に移動済みで、さっきまで居た『やけに色っぽいメイドさん』……これは諏訪子様の評価であって私の評価じゃない。もどこかに行ってしまったようだ。

 

「何の音だったんだい?」

 

「ええっと、私が階段から落ちたんです。ころころって。」

 

「……ここの階段は比較的上りやすい階段だと思うんだがね。」

 

「早苗ちゃんは私の人形にびっくりしちゃったんですよ。……後頭部を打ったの? エピスキー(癒えよ)。」

 

椅子に私を座らせて治療してくれているアリスさんの返答を受けて、リーゼさんは一度きょとんとした後、手に持ったワインを揺らしながらくつくつと笑い始める。ああもう、恥ずかしいぞ。改めて思うとバカみたいだな。

 

「それはそれは、愉快な状況だね。そりゃあ明かりのない場所で人形が独りでに動いていたら、普通の人間は怖がるだろうさ。」

 

「……小さい頃の咲夜は怖がりませんでしたよ。」

 

「あの子の場合は赤ん坊の時からキミの人形とずっと一緒だったからだろう? 幼い頃は妖精メイドと人形の違いを認識できていなかったじゃないか。魔力切れで停止した人形を抱いて、『妖精さんが死んじゃった』って大泣きしていたこともあったね。咲夜にとってはどっちも纏めて『身近な友達』だったけど、普通は怖いものなのさ。早苗の反応は真っ当だよ。」

 

リーゼさんの指摘に苦い顔になってしまったアリスさんは、ダイニングテーブルの上に置いた先程の人形を見ながら私に質問してきた。

 

「早苗ちゃん、どのくらい怖かった? 『普通の反応』を教えて頂戴。今後の人形作りの参考にしたいから。」

 

「えーっとですね、私がちょっと怖がりなだけだと思いますよ? 明るいところでこうして見ると全然可愛いですもん。」

 

「つまり、暗いところだとそうじゃなかったのね。」

 

「あぅ……。」

 

失敗だ。また失敗したぞ。言葉に詰まっている私を前に、アリスさんは悲しそうな表情で人形を手に取ったかと思えば、真剣な声色で『反省点』をポツリと呟く。

 

「……いっそ光らせてみましょうか。暗い場所ではぼんやり光るようにすれば怖くないわ。明かりの代わりにもなって便利だし。」

 

それ、更に怖いと思うけどな。暗所でぼんやりと光っている人形を想像して、止めるべきかと迷っている私を他所に、リーゼさんが別の話題を投げかけてきた。

 

「それで、神奈子には聞けなかったのかい?」

 

「ええ、もう行っちゃってました。マズいですかね?」

 

「まあ、私が困るわけじゃないからね。正直どうでも良いさ。」

 

「……あのあの、何の話なんでしょうか? 伝言だったら私が出来ますよ?」

 

二人の会話に割り込んで疑問を口にしてみると、リーゼさんが肩を竦めて答えを寄越してくる。何か問題でもあったのかな?

 

「自動車だよ。キミたちは東京まで自動車で移動して、日本魔法省からポートキーでこっちに来たわけだろう? つまり自動車は現在東京に存在しているわけだ。それをどう回収するつもりなのかと神奈子に聞きたかったのさ。」

 

「……あっ。」

 

そうだ、『大蛇号』のことをすっかり忘れていたぞ。本来ならもう少し前の日にポートキーで帰国して、日本魔法省からまた車で神社に帰るという旅程だったので、東京の駐車場に停めっぱなしじゃないか。神奈子様ったら、あんなに大事にしていたのにどうして忘れちゃったんだ。いよいよ大蛇号が可哀想になってくるな。

 

東京までの道中で後部に傷を負った挙句、忘れられて駐車場に置き去りにされた大蛇号に同情の思念を送っている私に、アリスさんが一つの案を提示してきた。

 

「マホウトコロに戻った後、次の外出日にでも回収すればいいんじゃないかしら?」

 

「それもそうですね。次の外出日にマホウトコロから東京に移動して、そこからドライブがてら神社に……あああ! ダメです、ダメ! 駐車場の料金! 料金がとんでもないことになっちゃいます!」

 

急に大声を出した私にアリスさんが驚いちゃっているが、そんなことを気にしている場合じゃない。こうなると人形よりも駐車料金の方がずっと怖いぞ。……本当にどうしよう。次の外出日まで停めていたら物凄い金額になるだろうし、そもそも停めておけるのかが謎だ。放置車としてレッカー移動されちゃわないかな? 仮にそうなった場合、警察署とかに行かないといけないのか? 神奈子様の免許、『偽造』なのに。

 

えっと、次の外出日は建国記念日の時の三連休だから……最短で学校を出て東京に行けるのは二月十一日の午前中だ。十二月十九日の午後に駐車場に停めたので、ほぼ二ヶ月分の駐車料金を払うことになる。いくら長期駐車用の駐車場だとしても二ヶ月間というのは明らかに異常だし、長く停めるほどに料金が高くなっていくはずだぞ。

 

これは本当にマズいな。残る冬休みの期間中に新幹線で移動して回収すべきか? でも、新幹線の片道料金と放置した場合の料金ってどっちが高いんだろう? イメージ的には駐車料金の方が高そうだけど、ひょっとしてお正月は新幹線の料金も高くなったりするのかな? 長野から殆ど出たことがない私は、新幹線代とか東京の駐車料金の相場とかが具体的にどのくらいかなんて全然分からないぞ。停めた時にもっとちゃんと確認しておけば良かったかもしれない。

 

頭の中で必死に思考を回していると、リーゼさんが無慈悲な宣告を放ってきた。

 

「駐車場の料金とやらが幾らなのかは知らんが、私は払わないぞ。だから早く帰っておけば良かったんだよ。『それ見たことか』という台詞がぴったりな状況じゃないか。」

 

「……何とか車を回収できないでしょうか?」

 

「無理だね。神奈子単独では移動できないんだから、運転が可能なあいつが東京に行くためにはキミも東京に行く必要がある。しかしキミは姿あらわしを使えないし、今日の朝の時点で長野の神社に居なければならない。諦めたまえ。」

 

「リーゼさんがポートキーで私と一緒に日本に行って、どこかの段階で姿あらわしで私を連れて東京の駐車場に移動して、神奈子様と私と車で神社に帰るっていうのは……無理ですよね、やっぱり。うちに泊まってもいいんですけど。」

 

私の『妙案』を聞いている途中でかなり嫌そうな顔付きになってしまったリーゼさんは、予想通りの返事を返してくる。さすがにダメか。

 

「絶対に嫌だよ。とんでもなく面倒だし私が付き合わされる意味が分からんから、絶対に絶対にやりたくないね。名に誓ってそれだけはやらないぞ。新年早々キミたちの尻拭いなんてのは御免だ。」

 

「……じゃあ、諦めます。」

 

放置される大蛇号には悪いけど、これはもう仕方がない。いきなり余計な出費が発生しちゃったな。……もしかしてこれ、私の所為になっちゃうんだろうか? ドライブでの東京への移動を最初に提案したのも、今日までイギリスに残りたいと言い出したのも私だ。お二方に怒られちゃうかもしれないぞ。

 

だけどドライブは神奈子様も乗り気になっていたし、諏訪子様は最終的にロンドンで年を越すことを楽しんでいたから……うん、誰の所為でもないな。不幸な事故だ。そういうことにしておこう。

 

とにかく近いうちに駐車場の人に電話で事情を説明して、何とかならないかを交渉してみないと。一月一日はさすがに営業していないかな? 神社に戻ったらお二方にも相談してみよう。気が重いぞ。

 

新しい年に入ってから僅か一時間弱で『初問題』が訪れたことに眉根を寄せつつ、東風谷早苗はお二方にどう切り出そうかと小さくため息を吐くのだった。

 



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相柳

 

 

「久し振りね、詐欺妖怪。私の神社に初詣に来たことに免じて痛みなく始末してあげるわ。『えあこん詐欺』を後悔しながら死んでいきなさい。」

 

こいつ、まだしっかり覚えていたのか。腕を組んで社の前に仁王立ちしている紅白巫女を見ながら、アンネリーゼ・バートリは困った気分で苦笑していた。どうやら悪い方の予感が当たってしまったようだ。幻想郷が誇る調停者である博麗の巫女どのは、『えあこん事件』を簡単に忘れてくれるほど単純な人間ではなかったらしい。意外と執念深いヤツだな。

 

一月一日の午後、私は雪に覆われた博麗神社を訪れているのだ。アピスが言っていた話を紫に確認したくて、呪符を使って移動してみたわけだが……むう、今回は普通に神社に繋がってしまったな。これだとどう接触すればいいか分からんぞ。

 

きちんと雪掻きがされてある参道を歩きつつ、とりあえず巫女へと返事を投げる。紫なら冬眠中だろうがアピスとの会話も覗いていると思ったんだけどな。黒猫の方を探してみるか。

 

「やあ、巫女。落ち着きたまえよ。私はえあこんに関して何一つ嘘は吐いていないぞ。」

 

「んなことは分かってるわ。大妖怪が名に誓ったんだから確かに嘘は無いんでしょう。そこは承知の上よ。」

 

「じゃあいいじゃないか。」

 

「いいわけないでしょうが! 嘘を吐いてなかろうが何だろうが、あんたは私を騙くらかしたのよ! その報いは受けてもらうわ!」

 

うーむ、怒っているな。ダシダシと足を踏み鳴らして怒鳴ってくる巫女に、さも申し訳なさそうな表情で応答を放つ。こっちだって一応この展開は予想していたんだ。『ご機嫌取り』の技術は早苗のお陰で磨けているんだぞ。それはそれでちょっと虚しい話だが。

 

「まあまあ、そんなに怒らないでくれたまえ。あの時は予定が詰まっていたから、外界に出るためにああせざるを得なかったんだ。だから今日はお詫びも兼ねてこの神社に来たんだよ。……『初詣』は神道において重要なイベントなんだろう? 他の神社からも来ないかと誘われたんだがね、世話になっているからこっちを参ろうと思って足を運んだわけさ。」

 

「つまり、他よりも私の神社を優先したってこと? ……妖怪にしては殊勝な考え方じゃない。そこに関しては正しい選択よ。そこに関してはね。」

 

「私はここの神札を大量に使わせてもらっているからね。……ほら、受け取ってくれたまえ。外界の金貨で悪いが、心ばかりの寄進さ。今度『幻想入り』する予定の私の身内の分も含んでいるから、その辺もよろしくお願いしたいんだよ。幻想郷に移住したら一緒に参拝に来る予定だ。だってほら、幻想郷一の神社はここなわけだろう?」

 

「き、金貨? ……結構入ってるわね。神前に供えた後、神社の運営に活用させてもらうわ。『幻想郷一』ってところも大正解よ。よく分かってるみたいじゃない。」

 

私からガリオン金貨が入った布袋を受け取った巫女は、ちらりと中を覗いた途端に敵意を引っ込めたかと思えば、隠し切れていないほどににやけながら続けて口を開く。間違いなく余計な出費ではあるのだが、こんなバカバカしい理由で札の『供給源』を失うわけにはいかない。えあこんの時に札を大量に手に入れたわけだし、ここで金貨を出してもそこまで損をしている計算にはならんだろう。ガリオン金貨は非魔法界から見れば『安い』のだ。ひっくるめれば全然プラスさ。

 

「まあ、そうね。私を騙した罪は重いけど、赦しを与えることもまた巫女の役目よ。ちゃんとこの神社の素晴らしさを広めてるみたいだし、参拝者を増やそうとする敬虔な態度は評価に値するわ。初詣一番乗りってところも褒めるべき点だから、今回は特別に水に流してあげようかしら。これからも励みなさい。」

 

金貨も当然嬉しいのだろうが、それ以上に参拝者が増えることを喜んでいるようだな。そういった部分も案外きちんと考えているわけか。この巫女にとっての一番の幸福は金ではなく、質素な食生活の改善でもなく、博麗神社の繁栄らしい。こういうのが『本物の巫女』であって、早苗はかなり特殊なケースなのだろう。己の神社に対して真摯であるが故に、こいつはあそこまで強力な札を作れるのかもしれない。

 

だったら『商売敵』を幻想郷に誘致したことは絶対に喋るべきではないと再確認したところで、巫女はパタパタと賽銭箱の方に走っていったかと思えば、そこに立て掛けてあった板を持って戻ってくる。何だそれは。何か文字が書いてあるようだ。

 

「じゃあはい、どれにする?」

 

「何だい? それは。」

 

「御守りとかの『お品書き』よ。買うでしょ? だってあんたはこの神社の信仰者なんだから。」

 

「……『妖怪除け』と書いてあるが? 妖怪が妖怪除けの御守りを買うと思うかい? 虫が防虫剤を買うようなものじゃないか。」

 

守矢神社ほど品揃えは豊富ではなく、その殆どが退魔の品物であるらしい。『博麗神社産』の札の神力を鑑みるに、どれも値段に比べて遥かに強力な一品ではあるのだろうが、間違いなく妖怪向けではないと思うぞ。

 

私の心からの疑問に対して、巫女は唸りながら応じてきた。さすがの守銭奴巫女としても納得の疑問だったようだ。

 

「……まあ、妖怪じゃ触れないから持ち帰れないかもしれないわね。いいでしょう、今日は寄進だけで勘弁してあげる。今度から妖怪用の御守りとかも作ることにするわ。」

 

「『妖怪用の御守り』ってのが既に矛盾していないか?」

 

「やってやれないことはないでしょ。妖怪だって妖怪と喧嘩するわけだし、持ち主にとって安全でさえあれば使い道はあるわ。どうにかするわよ。」

 

難しいと思うけどな。言うと『お品書き』を戻しに行った巫女を尻目に、寒空の下の境内をぐるりと見回す。私と巫女以外にはだーれも居ないじゃないか。境内の景観や売っている品の質は守矢神社より上だが、参拝客の数ではあの神社にすら負けているらしい。こっちの神社の方が頑張って活動している分、何だか哀れに感じられてしまうぞ。そういえばさっき『初詣一番乗り』と口にしていたっけ。私以外にはまだ誰も来ていないようだ。

 

どう考えても立地が悪いと首を振っていると、視界の隅に黒猫の姿が映った。向こうの木の陰でこちらを覗き見ているな。当人は隠れているつもりのようだが、周りが白い雪だから物凄く目立っているぞ。

 

「……それじゃあ巫女、キミは神社の経営に励みたまえ。私は猫と遊んでから帰るよ。」

 

「ん、帰るの? お茶くらいなら出してあげるけど?」

 

「この日は忙しいんだろう? 私のことは気にしなくて結構だよ。」

 

この様子を見るに絶対に忙しくはならないだろうが、そこは口に出さずに応答してやれば、巫女はこっくり頷いて石階段の方へと歩き出す。

 

「んじゃ、私はどんどん来るであろう参拝客を出迎えに行ってくるわ。猫を苛めないようにね。」

 

「ちょっとエサをやるだけだよ。それが終わったらすぐに帰るさ。」

 

寒い外で来るはずもない参拝客を待ち続けるとは、神職の鑑じゃないか。遠ざかっていく巫女を微妙な気分で眺めつつ、雪に足を取られないように少し浮いて猫に近寄ってみると……おお、逃げたな。黒猫はビクッとした後に大慌てで桜の木に登り始めた。マホウトコロの桜と違って、冬らしく枯れている桜の木にだ。

 

「おい、猫。紫か藍を呼びたまえ。話があるんだ。」

 

私は飛べるんだから、高所に逃げても無意味だろうに。むしろ逃げ場が無くなるだけだぞ。黒猫の浅はかな行動に呆れながら要求を言い放つと、バカ猫はフシャーと威嚇した拍子に足を滑らせて枝から落っこちてしまう。かなりのバカだな、こいつ。

 

「何をしているんだい? ほらほら、どうした。早く呼びたまえよ。」

 

木の下の雪に埋もれてジタバタしている猫の首根っこを掴んで、ぷらりと持ち上げつつ催促してみれば……まさかこいつ、猫の姿だと話せないのか? 黒猫は暴れながらふぎゃふぎゃ鳴き始める。奇妙だな。前は人型にまでなっていたのに。どんなカラクリがあるんだ?

 

「人化できないのか? ……そら、抵抗しないと酷い目に遭うぞ。とっとと変化したまえ。」

 

謎を解明すべく猫をぶんぶん振り回していると……おや、保護者の登場か。境内の脇の茂みからがさりと藍が現れた。獣や盗っ人じゃあるまいし、何でそんなところから出てくるんだよ。

 

「やめろ、バートリ。橙を離せ。一体全体何をやっているんだ。」

 

「キミこそ何をやっているんだ。雪の下のネズミでも探していたのかい?」

 

「バカバカしいことを言うんじゃない。私はまだ巫女とは接触できないんだよ。前にも言ったはずだぞ。……とにかく入れ。博麗の巫女の鋭さは尋常ではないからな。妖術を使っているが、それでも境内では長く隠れていられん。」

 

ちらりと巫女が居る鳥居の方を確認しながら警告してきた藍は、自分の足元に開いたスキマを指して促してくる。それに従って黒猫を持ったままでスキマに飛び込んでみると、この前と同じ茶の間の光景が目に入ってきた。隙間妖怪のねぐらに繋がっていたらしい。

 

私に続いて落ちてきた……天井と地面を繋げたのか。スキマから落ちてきた藍を横目に黒猫を離してやれば、小生意気な小動物は一目散にどこかへと逃げていく。完全に猫の動きだな。妖怪っぽさは皆無だ。

 

「あの猫は何故変化できなかったんだい?」

 

藍の目線での注意に応じて靴を脱いでから尋ねてみると、金髪九尾は座卓の上にあった空の湯呑みに茶を注ぎつつ答えてきた。

 

「今は私が式を憑けていないからだ。ずっと式に頼りっぱなしだったからな。単なる化け猫の状態での変化は練習させているところなんだよ。もう少し修行を重ねれば式無しでも変化できるようになるだろう。」

 

「なるほどね、この前は式神の『補正』があったのか。……化けられない化け猫なんて冗談にもならないぞ。」

 

「冗談にもならないから練習させているんだろうが。心配しなくてもあの子は賢いからすぐに習得できるはずだ。……で、何の用だ? 用があるから橙にちょっかいをかけたんだろう?」

 

湯気が立つ湯呑みの片方をこちらに押し出しながら聞いてきた藍に、テーブルに直接腰掛けて返答を飛ばす。賢そうには見えなかったけどな。『猫基準』でもバカな方だと思うぞ。

 

「紫に聞きたいことがあるんだよ。てっきりいつものように事態を察知していて、勝手に呪符をここに繋げてくれると思っていたんだけどね。」

 

「冬本番のこの時期は、紫様が一段と深く眠る期間だからな。眠りながら世界を観察しているとはいえ、さすがに見逃すこともある。……よって用件は管理者代行たる私が処理しよう。何を聞きたいんだ?」

 

「相柳についてだよ。」

 

私が『相柳』という名を出した途端、藍はピリッとした雰囲気を醸し出してくる。中々の反応じゃないか。こいつにとっても相柳は無視できない存在らしい。その頃既に紫の式になっていて、主人を通じて関係を持ったのか?

 

九尾狐の反応から色々と想像している私に、藍は鋭い表情で問いを寄越してきた。

 

「相柳と何かあったのか?」

 

「そういうわけじゃないんだけどね。前提として聞かせて欲しいんだが、キミはアピスのことを知っているかい?」

 

「情報屋を営んでいる古参の大妖怪だろう? 会ったことはないが、知ってはいるぞ。紫様は『決して相容れない存在』だと言っていた。『私は彼女のことが好きだし、彼女も私を嫌ってはいないだろうけど、見ているものと望むものがあまりにも違い過ぎるから』と。……どんなヤツなんだ?」

 

「現代に適応した大妖怪だよ。そういえばアピスの方も似たようなことを言っていたね。互いに認め合いつつも、別々の方向を目指しているってことなんじゃないか?」

 

認められないが故に相容れないのではなく、認めているが故に関わろうとしないわけか。共存を選んだ紫と、同化を選んだアピス。道は違えど相手の選択も理解できるから、互いに邪魔をしたくないのかもしれないな。

 

『正反対よりもずっと違う方向』を目指している対照的な大妖怪。その違いについてを考えている私に、藍は眉根を寄せながら相槌を打ってくる。

 

「適応か。確かに紫様とは違うやり方だな。相反しているとは言えないが、同時に決定的に違うものでもある。難しいところだ。……それで、その大妖怪が相柳とどう関係してくるんだ?」

 

「直接関係しているわけじゃなくて、アピスが紫と相柳のことを話してくれたんだよ。蛇の人外の話題になった時、ふとした拍子に出てきただけだけどね。しかし深くまでは教えてくれなかったから、当人に聞くことにしたのさ。……戦ったんだろう? 相柳と紫は。」

 

「ああ、戦った。相柳と紫様は古き友であり、そして決別した敵同士でもあるからな。憎み合ってはいないが、『味方である』とは絶対に言えないような関係にあるんだ。」

 

『古き友』か。私が知る紫の『友』は魅魔だけだ。友と言っていい関係なのかは微妙なところだが、二人の発言からするに昔から交流があった知り合いではあるはず。相柳もそういう存在だったということか?

 

永き時を生きる大妖怪たちの関係を思いつつ、藍にこちらが持っている情報を伝えた。

 

「アピスは『ゲラート・グリンデルバルドとアルバス・ダンブルドアのような関係』と表現していたよ。そして相柳が『妖怪の国』を作ろうとして六百年前の日本で騒ぎを起こし、神々に打ち破られたことは守矢の二柱から聞いている。そこは間違いないかい?」

 

「……何とも上手い例を出す情報屋だな。どちらも正しい。紫様と相柳の関係はヨーロッパ魔法大戦のそれと似ているし、あの子が妖怪の国を作ろうと目論んだのも事実だ。」

 

「であれば、やはり興味深いね。詳細を教えてくれたまえ。」

 

『あの子』ね。不思議な呼び方だな。熱い緑茶を一口飲んでから聞く姿勢を示した私に、藍は一つため息を吐いた後で昔話を語り始める。紫の古い友の話を。

 

「いいだろう、話してやる。別に隠すほどのことではないからな。……相柳と紫様は私が式になる前からの古い知り合いだった。強大な力を持っている紫様に対して、相柳は矮小な蛇妖怪に過ぎなかったが。」

 

「『矮小な蛇妖怪』なのに紫の古い知り合いなのかい? この場合の『古い』というのは相当昔のはずだぞ。」

 

「『死に難い』というのは蛇の人外の特性の一つなんだよ。大した力を持っていなくても、寿命だけは凄まじく長いんだ。しかも相柳には妖怪の知り合いが多かったから、彼らから手厚く『保護』されていたのさ。大昔から各地を渡り歩き、多くの大妖怪との親交を築いていたらしい。紫様を含め、強力な妖怪たちから目をかけられていたわけだな。」

 

「ふぅん? 大妖怪の威を借りて生き抜いていたわけか。」

 

珍しい生存術だな。妖怪というのは自分勝手な存在ばかりなので、そういう話は滅多に聞かないぞ。噛み砕けば『ご近所付き合い』が得意だったってことか。意外な思いで応じた私へと、藍は追加の情報を投げてきた。

 

「相柳は何と言うか……そう、素直だったんだよ。憎めないヤツ、と言った方が伝わりやすいかもしれないな。頭が悪くて、弱くて、子供っぽくて、悪戯好きだったが、同時に裏表が無くて信義を重んじる妖怪でもあったんだ。『愛すべきバカ』というやつさ。」

 

「妖怪っぽくないね。」

 

「そうだ、妖怪らしからぬ妖怪だった。紫様はそこを気に入っていたし、他の大妖怪たちも恐らくそうなんだろう。いちいち疑わずに話せる相手として好かれていたんだよ。純妖怪なのに一部の神々との付き合いもあったほどだ。……私もまあ、嫌いではなかったぞ。奔放な童女のようなヤツだった。紫様に会いに来る度に私が菓子をやっていたのを覚えている。毎回毎回全力で喜んでくれるから、次来た時は何をやろうかと楽しみにしていたものだ。ずっと年上の『妹』のような存在だったな。」

 

懐かしそうに語っている藍の顔には、僅かな寂寥が浮かんでいる。悪い関係ではなかったわけか。妖怪から愛される妖怪。私たちにとっての昔のフランみたいな存在だったのかもしれないな。手はかかるし我儘だが、素直に喜んでくれるからどうにも甘やかしてしまう『妹』。しっくり来るぞ。

 

私が金髪の従妹を思い出している間にも、藍の話は進行していく。

 

「そんな相柳だが、彼女はどれだけ生きても大して成長しなかったんだ。私より遥かに永く生きているのにも拘らず、人に変化することすら至難の業という有様でな。見た目も性格も妖力もずっと『子供』のままだった。……まあ、相柳はそのことを一切気にしていなかったが。妖怪らしい活動をあまりしていなかったから、単純に人間たちからの恐怖を得られなかったのかもしれないな。」

 

「『大妖怪』ではなかったということかい?」

 

「何を以って『大妖怪』とするかだ。妖力は低級妖怪程度だったが、生きてきた時間は世界でも有数の長さだったし、相柳当人は『人間を唆す程度』の弱い力しか持っていなかったものの、その気になれば複数の強大な大妖怪を動かせた。私も未だにどう呼べばいいのか分からんが、少なくとも紫様は『相柳は立派な大妖怪よ』と言っていたぞ。」

 

「んー、難しいね。大きな影響力を持った小さな存在か。確かに大妖怪であると言えなくもないかもね。」

 

間接的に力を行使できるのであれば、それは相柳の力として評価すべき……かな? やっぱり特殊なケースすぎて判断できんな。何にせよ相柳は弱い妖怪だったが、強い妖怪の友が沢山居たということか。

 

私の返事を受けて、藍は一度頷いてから話を先に進めた。少し苦い顔付きでだ。

 

「そんなわけで、相柳は多くの妖怪たちと親しくしていたんだが……反面人間や神性のことは激しく嫌っていたんだよ。妖怪から好かれ、妖怪たちを好いていたからこそ嫌いだったのかもしれないな。神性の方は普通の妖怪と同程度の嫌悪の仕方だったし、さっきも言ったように一部の神々とは和解していたものの、人間たちが力を増すほどに相柳の『人間嫌い』は悪化していったんだ。卑怯なやり方で妖怪が退治されていたのが余程に気に食わなかったんだろう。悔しそうに大泣きしながら怒っていたよ。」

 

「『卑怯なやり方』ね。別に人間の肩を持つつもりはないが、仕方がないことなんじゃないか? 自分たちの恐怖から生まれた存在に真っ向勝負で勝てるわけがないんだから、退治の仕方を工夫するのは当たり前の話だよ。人間が知恵を絞って人外を退治するのは世界中での『伝統』じゃないか。」

 

「私も紫様もそう諭したんだがな、相柳は全然納得してくれなかったんだ。友と慕っていた妖怪たちが次々と退治されていくのが辛かったんだろう。……特に鬼退治が『流行った』頃は荒れに荒れていたよ。鬼とは随分と仲が良かったようだからな。そうと分かった上で人間の挑戦を受けようとする鬼たちを、必死になって止めようとしていた。」

 

「『そうと分かった上で』? 無謀にも程があるだろうが。策に嵌められると分かっていて戦いに出向いたってことかい?」

 

意味が分からんという心境で質問してみれば、藍は苦笑しながら詳細を教えてくれる。日本語だと同じ鬼の名を冠していても、計算高い吸血鬼とは全然違う種族らしい。

 

「日本の鬼というのは挑まれれば応えてしまう種族なんだよ。もしかしたら人間たちが狡賢くなる前の、人と鬼との名誉ある力比べを懐かしんでいたのかもしれないな。何れにせよ鬼たちは人間が正々堂々戦うという期待を捨てずに戦いに赴き、その度に裏切られて数を減らしていったんだ。泣き喚いて止めようとする相柳に必ず帰ると言い残して、そして殆どの鬼が帰ってはこなかった。……素直で単純な種族が故に、人間の策略にはとことん弱かったのさ。相柳の人間への憎しみが固まったのはあの時期だろうな。」

 

「それが『妖怪の国』に繋がったというわけか。」

 

「そうだ、相柳は廃れ行く妖怪たちを放っておけなかったんだ。室町時代に入ったばかりの日本は、ちょうど人外と人間の力関係が逆転しかけていた頃だった。幻想が終わり、人の世の始まりが到来した時期なんだよ。だから相柳は行動を起こしたのさ。人間の発展によって妖怪たちが廃れて消えてしまう前に、『妖怪の妖怪による妖怪のための国家』を作ろうとしたわけだな。」

 

「無茶苦茶な計画だね。人間を支配下に置き、恐怖を搾取するということかい?」

 

私たちの世界のリンカーンか。嘆くべきは妖怪は所詮妖怪でしかないという点だな。人間ほどの社会性を持っていない私たちに国家の運営など不可能だ。妖怪の場合、多民族国家などというレベルの話ではないのだから。

 

呆れた気分で飛ばした発言に対して、藍は難しい表情で応答を寄越してきた。

 

「残念ながら、相柳はそこまで考えていなかった。とにかく妖怪たちを救わねばと思い立って、各地の大妖怪たちに意見を聞きに行き、それを継ぎ接ぎした急拵えの主張を打ち出しただけなんだ。本当にバカで素直なヤツだったんだよ。……しかし、相柳はまさかの成功を収めてしまったわけさ。数名の大妖怪の協力を得たとはいえ、人間を操って京を支配するところまでやってのけたんだ。操った相手がとんでもない才能を持った陰陽師だったらしくてな。私と紫様にとっても、そして神々や妖怪たちにとっても予想外だった。あんなに弱い妖怪がそこまでのことをやるとは誰も思っていなかったんだよ。」

 

「偶然が重なり、相柳の『クーデター』が成功してしまったわけか。」

 

「相柳が類を見ないほどの強運の持ち主だったという点や、あの子に協力した妖怪が大物ばかりだったという点も影響しているだろう。鵺や覚といった普通の妖怪からは距離を置かれていた大妖怪たちも、相柳とだけは親しくしていたからな。皆あの子の笑顔が好きだったんだ。相柳を哀れんだ大妖怪たちの小さな施しが積み重なった結果、いつの間にか凄まじい規模の大事件に発展してしまったんだよ。……誰もが妖力の弱さに気を取られて、相柳の『妖怪のリーダー』としての資質を見誤っていたわけだ。」

 

『妖怪のリーダー』ね。レミリアとはまた違うカリスマの形だな。周囲から担がれる御輿としての才覚というわけだ。……ここまで聞いた今、相柳を大妖怪と呼ぶことに躊躇いはなくなったぞ。これもまた一つの力の在り方だろう。

 

妖怪たちの偶像。面白い事例だなと感心している私へと、藍は日本魔法史にも刻まれている事件についての続きを述べてくる。

 

「そして誰もが放ってはおけなくなった。神々は当時まだ無名だった『細川派』に肩入れをして間接的な相柳の討伐を企み、相柳のことを見捨てられなかった大妖怪たちはあの子を守るために次々と『相良柳厳』の陣営に協力し始め、その頃既に人妖の融和のために『幻想郷』というシステムを目指していた私と紫様は……まあ、相柳を止めようとしたのさ。取り返しがつかなくなる前に。」

 

「歴史に残る結果を見ると、キミと紫は失敗したらしいね。」

 

「ああ、相柳と紫様は論戦の末に物別れに終わったんだ。あの子は紫様のことを『人間に惑わされた裏切り者』と非難したよ。私も紫様もそれに言い返せなかった。仕方がないからと、もはや道はそれしかないからと言い訳するのは容易いが、真に妖怪のことを想っているのは相柳の方だと認めざるを得なかったからな。」

 

「アピスは人を、紫は融和を、そして相柳は妖怪を選んだわけか。人妖の関係において三者三様の道を選び、故に相容れなかったというわけだね。」

 

アピスがゲラートとダンブルドアの関係に似ていると言ったのはそういう意味か。確かに酷似しているな。廃れ行く妖怪を、魔法族を見捨てられなかった相柳とゲラート。二つの世界の融和を信じ、それを曲げなかった紫とダンブルドア。どちらが間違っているわけでもなく、ただ貫こうとした対極の二人組。

 

未熟な『脚本家』が関わっていないだけ紫たちの方がマシかなと自嘲していると、藍が相柳の物語の結末を語ってきた。

 

「そういうことだな。相柳は一片の曇りなく妖怪を想い、どっち付かずの私たちは彼女を説得し切れなかった。今思い出しても口惜しい限りだよ。……そして結末は日本魔法史にも残っている通りだ。神々と人間の連合軍と相柳率いる妖怪たちが出雲で激突し、双方に多大な犠牲を出した末に相柳は敗れた。相柳の『妖怪の国』という幻想が、人間たちの『変化』という現実に敗北したのさ。日本の支配権が完全に人間側に傾いた瞬間だな。あの事件以降妖怪の衰退が急速に進んだことからするに、あれこそが妖怪たちによる最後の抵抗だったんだろう。」

 

「幻想の反乱か。物悲しい話だね。……キミたちはその戦いで神々の側に付いたわけだ。」

 

「紫様は妖怪や神々に対して示さねばならなかったからな。本気で人妖の融和を実行するつもりだということを。それを阻むのであれば、たとえ相柳だろうと敵に回すということを。……とはいえ、全力で戦えもしなかった。私もそうだし、紫様は明らかに加減をしていたよ。それが最後にして最悪の失敗に繋がったんだ。」

 

「失敗?」

 

紫ほどの大妖怪でも、情にだけは勝てなかったわけか。紫が出張ったのに一瞬で戦いが決さなかったのはそういう理由があったかららしい。然もありなんと鼻を鳴らした私に、藍は情けなさそうな顔で『最後にして最悪の失敗』の内容を口にする。

 

「蓬莱の丸薬だよ。それを細川派がエサにしたのは日本魔法史にも書かれているだろう? 相柳は短慮な性格だったが、同時に自分が短慮であることを自覚する程度の賢さは持っていた。だから計画が失敗した時の保険としてあの丸薬を求めたんだ。妖怪のために何度でもやり直せるようにとな。」

 

「……日本魔法史では『老蛇に盗まれた』とされているね。」

 

「そうだ、そういうことだよ。相柳は戦いの混乱に乗じて愚かな月の民が作り出してしまった最悪の丸薬を盗み、呑んでしまったんだ。永遠の生という地獄をその身に宿す丸薬をな。……紫様は今でもそのことを悔やんでいる。もし本気で戦っていれば、呑む前に相柳を殺すか捕らえるか出来ただろう。永久に生き続けるくらいなら死んだ方が遥かにマシだ。あの子はそこまで考えずに『永遠』を呑んでしまったのかもしれない。そう思うと私も悔やんでも悔やみ切れん。」

 

「……なるほどね、永遠の命か。それは地獄だ。」

 

死ねない。それほどの悪夢など他には存在しないだろう。神々も、妖怪も、そして思慮ある人間も恐れるであろう最悪の恐怖。それを得てしまったが最後、全てが無に帰した後も孤独に存在し続けなくてはならないのだから。ぞわりと背筋を震わせている私へと、藍は額を押さえて口を開く。

 

「そして最終的に相柳は細川派の陰陽師たちに捕らえられた。相柳当人は大した力を持っていなかったから、勢力を失えば無防備なただの低級妖怪と変わらんからな。今は彼らの本拠地に固く封印されている。」

 

「助けなかったのかい? 紫なら出来ただろう?」

 

「助けてどうする? 相柳は決して考えを翻さないだろうし、紫様とは既に決別しているんだぞ。……私たちはな、『完成した幻想郷』を相柳に見せるつもりなんだよ。もしかしたら、もしかしたらその景色を見て考えを変えてくれるかもしれないと思ったのさ。だからその日まで相柳を眠らせておくことにしたんだ。細川派が構築した未熟な封印に細工をして、安らかに眠っていられるようにしたわけだな。衰退していく妖怪のことを嘆き続けるくらいなら、微睡の中で長い時を過ごした方がずっといいだろう?」

 

「……そうかもしれないね。今の世は人外たちにとって生き辛すぎる。相柳はきっと嘆いただろうさ。」

 

妖怪を想う妖怪か。今までそういうヤツとは関わってこなかったな。しかし……むう、相柳ね。早苗が接触したという例の蛇は、彼女の言によれば『すっごくおバカ』だったはず。そいつが相柳だと考えるのは行き過ぎか?

 

まあ、行き過ぎだな。たったその程度の共通点で繋げて考えるのはあまりにも短絡的だ。自身の思考の突飛さに苦笑しつつ、それでも藍へと一応の確認を投げる。『有り得ないような偶然のトラブル』はもはやお馴染みの出来事なのだから、念には念を入れておこうじゃないか。

 

「一つ聞かせて欲しいんだが、相柳はどんな姿だったんだい?」

 

「小さな黒蛇だ。腹と目が真っ白で、残りは真っ黒な美しい蛇だった。滅多にしなかったが、人化した時は黒い長髪の少女だったぞ。お前と同程度の年頃の見た目だったな。……それがどうしたんだ?」

 

腹と目が白く、残りが真っ黒な蛇。早苗から聞いた見た目と完全に一致している答えを受けて、アンネリーゼ・バートリは眉根を寄せるのだった。

 



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囁く者

 

 

「じゃあその、リーゼ様は疑ってるわけですか。大妖怪相柳と早苗ちゃんにちょっかいをかけてきた蛇が同一人物……『同一妖怪』じゃないかって。」

 

うーん、どうなんだろう。有り得ないとまではいかないけど、そんな偶然があるのかな? 人形店のリビングルームで人形を作りつつ、アリス・マーガトロイドはかっくり首を傾げていた。

 

2000年に入ったばかりの一月二日の午前中、私はクリスマスパーティーの時にビルから頼まれた『子育てちゃん』の新作を作っているところだ。向こうのソファでは明日ホグワーツに出発する咲夜と魔理沙が早めの荷造りを進めており、エマさんはキッチンで料理の下拵えをしている。

 

そんな中、ダイニングテーブルの対面に座っているリーゼ様から相柳についての詳細を聞いていたわけだが……ちょっと悲しい話だったぞ。かなり『人間寄り』の人外である私でも同情してしまうような内容だったな。廃れ行く妖怪たちのために立ち上がった妖怪。そういう存在が昔の日本には居たのか。

 

幻想郷に行ったらパチュリーにも話してあげようと思っている私に、リーゼ様は悩んでいる時の顔付きで応答を寄越してきた。

 

「偶然、偶々、計らずも、思いがけず。そんな出来事がここ数年で何度あったか忘れたよ。全くもって合理的な思考ではないが、もはや私はその言葉を信じちゃいないのさ。アピスから聞いた紫と相柳の物語が、『偶然』私たちを取り巻く騒動と関わっている。キミは考え過ぎだと思うかい?」

 

「……まあ、『前例』を出されると弱いところはありますね。じゃあ、ここはパチュリーのやり方に倣ってみましょう。こういう時は前提から詰めてみるべきです。大前提として相柳は現在『細川派に封印されている』んですよね? そこはどう考えているんですか?」

 

「仮に相柳が早苗と接触したのであれば、何らかの方法で封印から抜け出したんだろうさ。……前に細川派で『トラブル』があったことを覚えているかい? キミにも話した記憶があるんだが。」

 

トラブル? ……あー、あれか。中城霞さんから聞き取ったという、細川本家での『盗っ人騒動』。記憶の片隅にあったそのことを思い出しつつ、リーゼ様へと首肯を返す。

 

「覚えてます。細川本家から『大事な何か』が盗まれたって話ですよね?」

 

「そうそう、それだよ。その際細川派の中核を担う、細川七家の当主である中城の祖父が呼び出されたわけだ。おまけに呼び出した西内家は私との打ち合わせを早々に切り上げた。……もし封印してあったはずの相柳が『盗まれた』ことが発覚したのであれば、私は騒動に値する出来事だと思うがね。」

 

「んー、相柳という存在に囚われすぎじゃありませんか? 『相柳が関わっている』ってことを前提にした、若干飛躍した考えにも思えますけど……。」

 

「自覚はあるよ。だから悩んでいるんだ。」

 

むう、間違いなく突飛ではある。だけどリーゼ様が悩んでいるなら真剣に考えるべきだ。パチュリーには及ばないまでも私だって魔女なんだから、不在の『頭脳』の代役くらいは果たさなければ。

 

頭の中で思考を回しつつ、話を進めるために他の事例についてを口に出した。

 

「なら、仮に盗まれたのが相柳だとしましょう。誰かが封印を解いて相柳を救い出し、マホウトコロに連れ込んだってことですよね? 誰がそんなことを──」

 

「細川京介。……どうかな? ぴったり当て嵌まりそうな人物だと思わないかい?」

 

「……分かりません。私は細川京介と実際に会ったことがないですから。リーゼ様は有り得ると考えているんですか?」

 

「細川の様子は明らかにおかしかったんだ。それは私が実際に確認しているし、早苗の話からも読み取れた。藍によれば、相柳は『人間を唆す程度』の力は持っていたそうだからね。日本魔法界における大罪人である相良柳厳……元々の名前は違ったそうだが、相柳が自身の名に因んでそう名乗らせたらしい。を背後から唆して操ったのと同じように、細川京介のことも操っているんじゃないか? 恐らく私たち吸血鬼の魅了と似て非なる力なんだと思うよ。」

 

魅了か。吸血鬼という種族が持つ特別な力のことを考えながら、リーゼ様に相柳の能力に関する疑問を送る。私の役目は多分これだな。無理にでも疑問点や問題点を指摘して会話を進めることだ。

 

「細川京介はともかくとして、相良柳厳は並々ならぬ魔法使いだったんですよね? つまり、相柳の『唆し』は物凄い力を持った魔法使いをも操れるほどの能力なんですか?」

 

「いや、そうではないらしいね。相良柳厳の場合は幼少期から目を付けて干渉していたから、彼が一流と呼ばれるほどの陰陽師になる頃には単なる操り人形になっていたんだそうだ。相柳は長い時間をかけて相良柳厳を完全な支配下に置いたってことさ。藍は『本当に大したことのない力』と言っていたよ。強い精神力を持っていない一般的な人間を操るのにも、それなりの時間をかける必要があるらしい。」

 

「リーゼ様の魅了よりは全然弱い力ってことですか。だけど、それだと細川京介を操るのは難しいですよね?」

 

「そこはまあ、謎だね。しかし、そもそも相柳を封印から解き放つ動機は細川京介の方にあったはずだ。封印されている相柳からは外に働きかけられないんだから。となれば細川は相柳を何らかの形で利用したかったわけで、そうなると相柳にもチャンスはあったんじゃないか? 細川に協力する意思を見せつつ、徐々に支配していけばいいんだよ。」

 

ううむ、無くもなさそうだ。とはいえそれは『細川本家から盗み出されたのが相柳』であるということと、『盗み出したのは細川京介』という二つの前提を基にした話になるから……やっぱり結論を出せる類の会話じゃないな。判断の材料が少なすぎるぞ。何もかもに確証が無いじゃないか。

 

「何れにせよ、正解の道標となる情報が少なすぎますね。例の蛇が相柳であるという仮説に筋を通すことも出来ますし、逆もまた然りです。点と点を結ぶ材料が無いままだと、『多分こうだろう』を積み上げていくことになっちゃいます。八雲藍さんは何か言っていなかったんですか?」

 

「あまり私の発言を信じていなかったようだが、一応相柳がきちんと封印されているかを確認するとは約束してくれたよ。……紫が起きていれば一瞬だったんだけどね。冬眠が深くなるこの時期はどうにもならないんだそうだ。」

 

「報告待ちってことですか。……仮に相柳が細川京介を操っているんだとすれば、彼女は何を企んでいるんでしょう?」

 

「そりゃあキミ、最終的な目標は妖怪の復権だろうさ。」

 

肩を竦めて答えてきたリーゼ様に、テーブルの上の紅茶を一口飲んでから返事を放つ。

 

「だけど絶対に無理ですよね、そんなこと。六百年前の日本ではまだ僅かなチャンスがあったのかもしれませんけど、現代でやるのは不可能ですよ。」

 

「それは私も理解しているさ。断言してもいいレベルで不可能だろうね。今や妖怪に再起の目は残されていないよ。世界はとっくの昔に人間のものになっちゃったんだから。……とはいえ、相柳がはいそうですかと諦めるかどうかは別の話だ。藍の発言から見えてくる相柳の性格を鑑みるに、諦めずに挑むって可能性は大いにあると思うよ。」

 

「グリンデルバルドが決して諦めなかったように、ですか。」

 

「そういうことさ。」

 

呆れるように、それでいて羨むように鼻を鳴らしたリーゼ様を見て、心の中で小さくため息を吐く。諦めずに理念を貫き、足掻ける者か。彼女にとってグリンデルバルドや相柳は眩しい存在なのだろう。

 

本質的に器用なリーゼ様は、無理だと感じたら拘泥せずに別の道を選択できる吸血鬼だ。しかし『不器用』なグリンデルバルドや相柳は違う。どれだけ無様だろうが自分の道を貫くことをやめないはず。リーゼ様はそんな不器用さに呆れつつも、心の片隅では『見事である』と感服してしまっているわけか。

 

自分に無いものを羨むという点は、人外も人間も変わらないのかもしれないな。リーゼ様に羨まれるグリンデルバルドを羨ましく思いつつ、仮定の会話を再開した。

 

「具体的な『方法』は思い付きますか?」

 

「相柳が選択すべき方法ってことかい? ……パッとは浮かんでこないね。先ず、現代まで生き残っている大妖怪たちを利用するのは難しいはずだ。しぶとく生き延びているということは、即ちある程度現代に適応しているわけなんだから、いきなり『妖怪を復権させよう』だなんて話を持ち込まれても一笑に付して終わりだよ。少なくとも私のところに相柳が来たら丁重に追い返すだろうさ。彼女の理念には妖怪として感心するかもしれないが、実際に手伝おうとまでは思わない。そんな感じかな。」

 

「でも、相柳は日本の大妖怪たちと親しかったんですよね? 六百年前の事件の時と同じく、『相柳が言うなら』ってことで動く存在も居そうじゃないですか?」

 

「もしかしたら居るかもしれないが、何れにせよ相柳が現代の日本で有力な大妖怪と接触したという可能性は低そうだよ。藍がそういう話を耳にしていないらしいからね。幻想郷に引っ込んでいるとはいえ、紫は『外界の裏側』との繋がりを切ってはいないから、そんなことがあればさすがに知らせが舞い込んでくるんだそうだ。」

 

うーむ、単独で動いているということか。大した力を持っていない妖怪が、独力で妖怪という存在そのものを復権させる。いよいよ無理っぽく思えてきたぞ。ティーカップを弄りながら悩んでいると、リーゼ様が続けて一つの案を提示してきた。

 

「……私が相柳の立場に居たならば、人間を利用することを考えるだろうね。」

 

「『相良柳厳』のようにですか?」

 

「自分が無力な妖蛇で、頼れそうな協力者も居らず、人間を唆す程度の力しかなかった場合、それしか方法が思い浮かばないよ。……人間社会を失墜させ得るのは人間だけさ。人間という種族そのものをどうこうするのは神々にも、堕天使どもにも、妖怪にも、悪魔にも終ぞ出来なかったことだが、多分人間になら出来るんじゃないかな。世界で一番人間を殺したのは他ならぬ人間なんだから。」

 

「……怖くなってくる話ですね。人間の最大の敵は人間ですか。」

 

自分たちが知っている限りの世界を最大の勢力として支配してしまった今、人間たちにとっては同種こそが唯一の天敵なわけか。あのマグル界での大戦を経た現在では、その考え方に異を唱える者など居ないだろう。成熟し切った文明の末路は自壊。それは古来語られてきた予想だ。

 

人間の恐怖から生まれた者たちにすら出来なかったことを、人間たちだけがやれる。皮肉な予想に首を振っている私に、リーゼ様は相柳が『選択すべき行動』を口にした。

 

「理想的なのは文明を一度崩壊させることだ。薄暗い場所に潜む者への恐怖を再び蔓延させるには、進歩によって照らされた明るい場所を減らす必要がある。……『三度目』を起こすのが一番手っ取り早いかもね。火蓋さえ切れば、マグルどもは勝手に殺し合って壊し尽くしてくれるだろうさ。」

 

「壮大な話になってきましたね。」

 

「逆に言うと、そこまでやらないと『妖怪の復権』なんてのは無理なんだよ。我々が隠れ潜むための未知が無くなっちゃっているからね。未知を既知にするのは難しくないが、既知を未知に戻すのは非常に困難なんだ。……そも不可逆に挑んでいるんだから、それなりのことをしないといけないのは当然さ。人間どもが世代を重ね、発見や探求によって築き上げてきた文明は、伊達や酔狂で壊せるほど脆くはないってことだね。」

 

「……相柳はやろうとするでしょうか?」

 

妖怪の復権は困難極まる道のり。脳内でそれを再確認しながら送った問いに対して、リーゼ様は小首を傾げて応じてくる。

 

「第一に、相柳がそこまで考えられるかどうかが疑問だよ。藍によれば相柳は『短慮なバカ』だったらしいからね。おまけに六百年ものブランクがあるんだ。『妖怪想いの素直なおバカちゃん』が、変わり果てた世界を見て何を思うかなんて想像できないさ。……正直言って、絶望して全てを諦めるのも無きにしも非ずと考えているよ。現状を見てなお足掻こうとしたのであれば、相柳は『本物』の革命家だ。大したもんだと拍手を送ってやってもいいんじゃないかな。私だったら絶対に諦めるだろうね。」

 

「まあ、八雲さんたちの思惑通りに封印されていた方が遥かにマシでしょうね。相柳にとってはひどく辛い世界のはずです。」

 

「……あるいは待つべきかもね。相柳には当人も自覚しているであろう最大にして最悪の後天的な特性がある。『死なない』、あるいは『死ねない』という特性が。だったら人間の文明の崩壊をひたすら待つのも選択肢の一つなんじゃないかな。その気になればいくらでも待てるんだから、勝手に人間社会が半壊するのを待ってそこで行動を起こせばいいのさ。エデンの園で最初の人間を唆したかの赤い蛇の如く、生き残った人間たちにそっと囁きかければいいんだ。『あの闇の中に何かが居るぞ』と。そうすればまた妖怪の世が始まるだろうね。」

 

文明の光を失った人間たちは、また闇の中に潜む『何か』を想像し始めるというわけだ。それはずっと先の出来事なのか、それともすぐ未来の人間たちの姿なのか。叶うなら遥か先の出来事であって欲しいと願っていると、エマさんが寄ってきて私たちに声をかけてきた。

 

「お嬢様とアリスちゃん、何か食べますか? 料理の下拵えが終わったので、軽いおやつを作ろうかと思うんですけど。パンケーキとかどうです?」

 

「いいね、作ってくれたまえ。吸血鬼用のソースで食べるよ。」

 

「じゃあ私も一枚食べます。プレーンで。」

 

「はーい、了解です。……咲夜ちゃん、魔理沙ちゃん、パンケーキを焼きますよ。二人も食べますか?」

 

私たちの返答を受けた後でソファの二人にも聞きに行ったエマさんを見送ってから、リーゼ様が苦笑して口を開く。何だか暗い話題になっちゃっていたし、熟練メイドさんのお陰で救われた感じだな。

 

「何にせよ、藍の報告如何で私も動くよ。もし相柳が細川本家に居なかった場合、マホウトコロに忍び込んで細川京介の部屋を探ってみる予定だ。」

 

「相柳を止めるってことですか?」

 

「んー、どうだろうね。人間を知った今の私は相柳の主義主張に必ずしも賛成しちゃいないが、反面昔からある妖怪としての部分は『あっぱれ』と思っているし、そもそも現状敵対するほどではないんだ。相柳を止めるべきはむしろ紫や藍の役目であって、無関係な立場で無粋にしゃしゃり出る気はないよ。勝手にやってくれというのが本音さ。……だが、早苗にちょっかいを出されるのは困る。二柱との契約がある以上、そこだけは私がどうにかすべき部分だからね。」

 

「なるほど、早苗ちゃんの安全のためですか。……仮に蛇が相柳だとしたら、どうして早苗ちゃんに関わってくるんでしょう?」

 

「そこはさっぱりだよ。おバカちゃんがおバカちゃんを操ったところで何が出来るとも思えんしね。……まあうん、交渉で済むなら交渉でやめさせるし、それがダメなら実力行使で排除するさ。相柳のことは妖怪として嫌いじゃないが、それはそれ、これはこれだ。」

 

まあ、そりゃそうだ。納得の頷きと共に、魔力で人形を呼びながら応答を飛ばす。エマさんはパンケーキを作り始めているし、人形に紅茶を淹れ直させよう。

 

「相柳なんて全然関係なくて、例の蛇はただの蛇だってことを祈っておきます。話してたら段々と薄い可能性に思えてきましたけど。」

 

「私も同じことを祈っているよ。そういう祈りは一度も届いたことがないけどね。運命の女神は妖怪の願いなんて聞いちゃくれないんだろうさ。」

 

疲れたように言うリーゼ様へと、何とも言えない気分で苦笑いを返した。悪い方向の『もしかしたら』だけが異様な確率で的中しちゃうのは、ここ数年の私たちの伝統だ。とはいえ今年のホグワーツは平穏そのものらしいし、私やリーゼ様の生活も比較的順調に進んでいる。今回ばかりはトラブルから逃れられるかもしれないぞ。

 

どうか最後の年くらいは穏やかなままで終わりますようにと祈りつつ、アリス・マーガトロイドはティーポットを運んでくる人形を眺めるのだった。

 



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守矢神社の朝

 

 

「ああぁ……どうして、どうして起こしてくれなかったんですか? こんなの間に合いません! 絶対無理です!」

 

脱衣所兼洗面所で薄緑色のパジャマと水色の下着を脱ぎ捨てて全裸になりつつ、東風谷早苗はドア越しに諏訪子様へと文句を放っていた。長野市内の建物からマホウトコロへの転移の出発時刻が午後一時で、その建物まではここから電車と歩きで二時間ほどかかるので、十一時前には家を出ないと間に合わないのに……今はもう十時ちょっと過ぎだぞ! 荷造りを全然していないのに十時。宿題も終わっていないのに十時。昨日お風呂に入らないで寝ちゃったのに十時。絶対無理だ、お終いだ。

 

マホウトコロに戻る日である一月六日の午前十時、私は大急ぎでシャワーを浴びようとしているのである。本当は七時に起きるつもりだったから、昨日の夜はまあいいかと思って準備をせずに寝てしまったのだ。……どうしてこうなっちゃったんだろう? 七時にセットして目覚ましをかけたのに。ぜったいぜったいかけたのに。

 

涙目でシャワーのお湯が熱くなるのを待っていると、ガラリと浴室の戸を開けた諏訪子様が返事を返してきた。素っ裸で仁王立ちになりながらだ。

 

「一回起こしたよ、私は。最初に目覚ましが鳴った時間にね。」

 

「ちょっ、何で入ってくるんですか。」

 

「私もシャワーを浴びたいからに決まってるでしょ。……目覚ましの音にもめげずにぐーすか寝てたあんたを起こして、準備は大丈夫なのかってちゃんと聞いたんだからね? そしたら『大丈夫です、ギリギリまで寝られます』ってはっきり答えてきたから、この時間まで放っておいたんじゃんか。」

 

「……全然覚えてないです。」

 

『はっきり答えた』というあたりがちょっと怖くなってくるな。私は何か良くないものに……例えば、『遅刻の妖怪』とかに取り憑かれているのか? 寝起きの無自覚の行動を疑問に思いつつ、大急ぎで自分の身体を洗ったところで、『お風呂椅子』に座っている諏訪子様が指示を寄越してくる。

 

「早苗、髪洗って。」

 

「す、諏訪子様? 時間がないって言ってるじゃないですか!」

 

「あんただって暢気にお風呂に入ってるじゃんか。マホウトコロだと大浴場だから入れないんだもん。洗ってよー。神の髪を洗うのも祝子の役目でしょ?」

 

「ああもう、分かりました。ジッとしててくださいね。……神奈子様は何してるんですか?」

 

諏訪子様の金色の頭をわしゃわしゃと洗いつつ、そういえばいの一番に寝坊を叱ってきそうな神奈子様が居なかったなと問いかけてみると、小さな祟り神様は泡が入らないように目をギュッと瞑りながら応じてきた。

 

「外で掃除してるよ。また暫く帰って来られないからって。あと、東京に取り残されてる大蛇号の安全も祈願したいんだってさ。」

 

「神様なのに何に『祈願』するんですか?」

 

「知らない。自分にじゃない? 自称運転の神だし。」

 

「電車の時間とかは神奈子様にしか分かんないので、お風呂から出たら聞かないと……あっ。」

 

しまった、神様の髪をボディソープで洗ってた。何か凄い泡が立つと思ったらその所為か。だけど、もはややり直している時間などないぞ。このまま隠し通そうと決意した私へと、諏訪子様は鋭い質問を送ってくる。

 

「早苗? 今の『あっ』は何の『あっ』なの? 何かしたでしょ? 正直に言いな。失敗の『あっ』だって分かるんだからね。」

 

「……何でもないです。私も髪を洗うので、あとは自分で流してください。」

 

「いやいや、見えないんだから流してよ。この段階で中断する意味が分かんないんだけど。」

 

「無理です、時間がないです。頑張ってください。」

 

今度はしっかりとシャンプーを選択して自分の髪を洗いつつ、目を瞑ったままの諏訪子様が手探りで探しているシャワーノズルを遠くに隠す。流せば絶対にバレてしまうだろう。だってボディソープで洗った髪なんてギシギシするはずだ。『やり直し』を命じられる前に素早く自分の髪を流して、さっさとお風呂から出なければ。

 

「早苗? ……さーなーえ! あんた何したの? っていうか何してんのさ。シャワー隠したでしょ! ここにあるはずだもん!」

 

「分かんないです。」

 

「分かんないわけないでしょうが! ……あ、自分だけ流してるね? 何でそんなことするの? ひょっとしてあんた、ボディソープで私の髪洗ったでしょ? バレないうちに逃げちゃおうとか思ってるんでしょ! 絶対そうじゃん!」

 

「わーわー、聞こえないです! 水音で! 水音で全然聞こえないです!」

 

どうしてそんなに的確な推理が出来るんだ? 言い訳をしながら浴室の隅っこで髪を流した後、よたよたと私を探している諏訪子様を置いて脱衣所に移動する。

 

「こら、早苗!」

 

「後で! 後で聞きますから!」

 

もはや脱衣所も安全じゃないな。遠からず怒れる諏訪子様が降臨するはずだ。バスタオルを身体に巻いた状態で歯磨きセットとドライヤーを回収して、リビングで全てをやろうと思って入室すると……わあ、神奈子様。戻ってきていたのか。

 

「さ、早苗? 何て格好でうろついているんだ。年頃の女性としての自覚を──」

 

「後で聞きます! 全部後で! 早くしないと間に合わないんです!」

 

「いや、しかし……荷造りは済んでいるんだろう? 四十分頃には出ないと電車に乗り遅れるぞ? 可哀想な大蛇号はここには居ないんだから。」

 

「終わってないです。何も終わってません。」

 

なーんにも終わっていないのだ。ドライヤーで髪を乾かしながら正直に白状すると、神奈子様は顔を引きつらせて返答を口にした。

 

「何も? 何一つ? ……そういうことなら説教は後にしよう。キャリーバッグはどこだ?」

 

「向こうの部屋に置いてあります。」

 

「では、急いで身支度を整えなさい。荷物は私がやっておくから。」

 

生乾きだけど、もう仕方がない。ドライヤーを切り上げて歯磨きを始めつつ、神奈子様に頷いてから着替えをするために二階の自室に向かおうとするが──

 

「早苗、謝りな! 私のサラサラヘアーをこんなんにしたことを!」

 

「諏訪子様、後で謝りますから……あああ、引っ張らないでください! 早く着替えないとなんです! 私は諏訪子様と違って一瞬で服を着られないんですって!」

 

「そんなもん知ったこっちゃないね! 神のキューティクルをボディソープで台無しにした罪は重いよ!」

 

「脱げちゃいます! タオルが脱げちゃいますよ!」

 

ぬああ、急いでいるのに! 身体に巻いているバスタオルにしがみ付いてくる諏訪子様を、半ば引き摺るようにして二階へと上がる。そのまま部屋に到着して諏訪子様ごとバスタオルをポイしてから、下着をササッと身に着けた。選んでいる余裕なんてないし、適当に着ちゃおう。上下不揃いだからって気にしていられるか。

 

「さーなーえ! 罪を重ねるのはやめな! 『ボディソープ洗髪罪』だけじゃなくて『階段引き摺り罪』も追加されたからね!」

 

「後で謝りますってば! 本当に時間がないんです。四十分には出ないとなんですよ。」

 

「無理でしょ、そんなもん。あと十五分くらいしかないけど。」

 

「いけます。十五分あれば荷物を詰めて出られるはずです。」

 

もう身支度はほぼ完了だし、あとは家の方々に散らばっている荷物を回収してキャリーバッグに詰め込むだけだ。十五分あれば間に合うはず。宿題はもう百パーセント無理なんだから諦めよう。長袖のセーターを着ながら考えている私に、諏訪子様が呆れたような声で意見を投げてくる。

 

「賭けてもいいけど、忘れ物するよ。」

 

「だとしても転移の時間に遅れるよりはマシじゃないですか。去年遅れた生徒が教頭先生にどれだけ怒られたか知ってますか? 私の耳にまで噂が届くくらいだったんですから。」

 

お二方は神社に顕現できるんだから、忘れ物をしたらこっちに顕現して海燕便で送ってくれればいいのだ。ある程度の忘れ物を計画に含めることを決意しつつ、ジーパンを穿いて部屋の中の荷物を纏め始めた。まだ読んでいない雑誌と、解きかけの知恵の輪と、イギリスで買った洋服と──

 

「こら、早苗。優先順位が無茶苦茶でしょうが。あんたは学校に何しに行くつもりなのさ。先ずは教科書とやりかけの宿題を手に取りなよ。」

 

「わ、分かってます。近い物から纏めてただけです。」

 

忘れていたわけじゃないぞ。諏訪子様の呆れ果てた声色の指摘に従って教科書や作りかけの符なんかも持った後、部屋の中を見回して確認する。……よし、忘れ物は無いな。

 

「オッケーです!」

 

「このおバカ、オッケーじゃないでしょうが。下着、制服、靴下は? イギリスで買った服だけを持っていってどうする気なの?」

 

「あぅ……はい、今度こそオッケーです!」

 

「寮のが壊れたから目覚まし時計も持っていくんでしょ? 昨日の夕ご飯の時に『忘れないようにしないといけませんね』ってニコニコ顔で言ってたじゃんか。……それとね、杖! 杖が机に置きっぱなしだよ! 魔法使いが杖を忘れるなんて有り得ないでしょうが!」

 

ああ、杖! 全然使わないからすっかり忘れていたぞ。魔法の学校に行くのに魔法の杖を忘れそうになるという、あまりにもバカすぎる行動にさすがにバツの悪い気分になりつつ、部屋をもう一度見回して口を開く。

 

「……今度こそオッケー、ですよね? まだ何かありますか?」

 

「……間違いなく忘れ物はあるんだろうけど、咄嗟には私も思い浮かばないかな。ちなみにタイムリミットまであと九分だよ。」

 

「行きましょう。もう捨て置くしかありません。」

 

さらばだ、忘れ物たち。私もまだまだ忘れていそうな気がするものの、もはや出発までの猶予がない。諏訪子様と二人で纏めた荷物を抱えて階段を下りていくと、リビングでキャリーバッグに何かを詰め込んでいる神奈子様の姿が見えてきた。

 

「神奈子様、部屋の荷物はこれで全部です。」

 

「了解した。忘れ物は私か諏訪子が後でこっちに顕現してマホウトコロに送ろう。」

 

完全に忘れ物がある前提で話している神奈子様は、続けて問いを飛ばしてくる。困った顔でだ。

 

「植物学用の保護手袋とスコップはどこだ? 一階には無かったぞ。休み明けの授業ですぐに使うんだろう?」

 

「あー、それね。それは私が裏の花壇を弄る時に使ったんだ。ごめんごめん、取ってくるよ。」

 

「それと、薬学用の器具が足りていない。小鍋とすり鉢はどこに行ったんだ?」

 

「あっ、キッチンです。お料理に使いました。」

 

神奈子様の声を受けて私がキッチンにある薬学の器具を、諏訪子様が裏庭にある植物学の道具を回収しに行く。危なかったな。どっちも休み明け直後にある授業だから、送ってもらうんじゃ間に合わなくなるところだったぞ。

 

取ってきたそれぞれの小物をキャリーバッグに入れたところで、ふと浮かんだ疑問を諏訪子様と交わし合った。

 

「諏訪子様、真冬に何を育てようとしてたんですか?」

 

「早苗、あんた薬学で使った器具で料理したの?」

 

「……ちゃんと洗って使ったから大丈夫ですよ。ゴマをすり潰すのと、お浸しを作るのに使っただけです。」

 

「チューリップだよ。前にホームセンターに行った時に売ってたから、買って育ててるの。」

 

うーむ、チューリップか。ちょっと似合わないな。微妙な気分で微妙な表情になっている私に、諏訪子様がジト目で追及を寄越してくる。

 

「何さ、私がチューリップを育ててたら文句あるの?」

 

「いやいや、無いですよ。そんなこと一言も言ってないじゃないですか。ただその、学校に行った後はどうするのかなって気になっただけです。」

 

「ちょくちょくこっちに顕現して水やりをすればいいでしょ。……『似合わないことしてるな、こいつ』って顔になってたよ。」

 

「ち、違いますって。それよりほら、準備。急いで準備をしないと。あと五分しか……わああ、あと五分しかないじゃないですか!」

 

余裕を持つならもう出発すべき時間だぞ。壁の時計を見て大慌てでキャリーバッグに向き直ると、神奈子様が難しい顔で手を止めているのが視界に映った。

 

「神奈子様、忘れ物は諦めてもう切り上げましょう。出る準備をしないと。」

 

「しかしだな、早苗。蓋が閉まらないんだ。」

 

「へ?」

 

「実に不思議だ。マホウトコロを出る時は余裕で閉まっていたのに、どうして今は閉まらないんだろうな? 差し引きすればほぼ同じ量しか入れていないはずだぞ。」

 

そんなの知らないぞ! キャリーバッグに駆け寄って強引に蓋を閉めちゃおうとするが……うわぁ、ミシミシいってる。これは無理そうだな。どうして、どうしていつもギリギリのタイミングでこういうことが起こるんだ!

 

絶望感を味わいながら思考を停止させている私を他所に、諏訪子様と神奈子様が『あらら』という顔付きで相談し始めた。

 

「一回出して整理して詰め直すのと、物置にある大きめのキャリーバッグを出してくるの。どっちが早いと思う?」

 

「後者だな。前者の場合はいちいち選別して時間を食った挙句、やっぱり閉まらないという結末になるだろう。取ってくるから荷物を出して待っていろ。」

 

「どっちにしろ間に合わないと思うけどね、私は。雪で電車が遅れるかもだしさ。」

 

ああ、私の未来が鮮明に浮かんできたぞ。マホウトコロに遅刻を知らせて、わざわざ先生の中の誰かが迎えに来てくれるのを待って、叱られながら付添い姿あらわしで移動して、到着したマホウトコロで教頭先生にもしこたま怒られて、他の生徒たちから『蛇舌、遅刻したんだってよ』と後ろ指を指される。多分こんな感じかな。頑張ったのに。

 

全てを諦めて脱力しつつ、東風谷早苗は期生前最後の学期が最悪の形でスタートすることを覚悟するのだった。……そうだ、宿題をやっていないことも怒られるんだっけ。

 



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抜け殻

 

 

「どうでしょう? 可愛いですか? イケてます? 私、イケてます?」

 

こいつらは一体何をやっているんだ? マホウトコロの葵寮の三階の一室を窓の外から覗き込みつつ、アンネリーゼ・バートリはあまりにもアホらしい気分で首を傾げていた。アホが感染しそうで入りたくない部屋だな。あほあほ空間だ。

 

一月十五日の昼過ぎ、現在の私は姿と気配を消した状態でマホウトコロの領内に忍び込んでいるところだ。藍から細川本家に相柳の姿が無かったという報告を受けたため、いざ日本の魔法学校を直接調査しようと侵入したのである。もはやアピスの調査結果を待ってはいられないぞ。

 

だからとりあえず早苗と接触して、細川京介の自室がどこなのかを聞こうと思ったのだが……もう自力で探そうかな。こいつらは役に立たなさそうだし。

 

「似合っているぞ、早苗。日本一だ。いや、世界一だ。」

 

「ひゅーひゅー、可愛いよ!」

 

「えへ、そうですか? えへへ。」

 

どうも三バカは自室で『ファッションショー』を開いているらしく、早苗がイギリスに来た時に買っていた洋服を次々と着て二柱がそれを褒めまくっているようだ。今日は土曜日なのでマホウトコロが午後から休みなことは知っていたし、こいつらが自室で何をしているのかは大体想像できていたものの……まさかここまでアホなことをしているとは思わなかったぞ。もっと有意義なことをしたらどうなんだよ。

 

三バカのぽんこつ具合が私の想像を遥かに上回っていたことに戦慄しつつ、飛行した状態で外側から窓をノックしてこちらに気付かせた。早く入れろ、あほあほ三人組。こっちは真剣な用事で来ているんだぞ。

 

「……え、何ですか今の。幽霊? ラップ現象?」

 

「まーたクソガキどもが窓に小石を投げてきたんじゃない? 塩どこ? 塩。投げ返してやろうよ。」

 

「無視しろ、早苗。いちいち構うから図に乗るんだ。」

 

ええい、面倒くさい連中だな。姿を現してもいいが、なるべく余計なトラブルは避けたいところだ。特にシラキあたりが油断できん。如何に顔見知りとはいえマホウトコロは日本魔法界の要所なんだから、勝手に侵入したことがバレればそれなりに厄介な事態になるだろう。念には念を入れて入室するまでは透明なままでいたいし……よし、実力行使でいくか。

 

迷惑そうにこちらを見ながら無視の方向に意見を固め始めた三バカを睨みつつ、窓にそっと手を当てて妖力で鍵を開ける。不法侵入は吸血鬼のお家芸だ。杖魔法ではなく妖力での解錠なので、仮に窓に警戒呪文がかかっていても大丈夫なはず。万が一感知されていたら早苗に言い訳をさせればいいさ。

 

「ちょちょ、勝手に開きましたけど。」

 

「私だよ。用があって──」

 

「ひゃわっ、あう。」

 

不審に思ったのか窓に近付いてきた早苗の眼前で姿を現してやれば、守矢神社が誇る筆頭おバカちゃんは腰を抜かしてぺたりと尻餅をつく。誰もがこのくらい驚いてくれるなら面白いんだけどな。私の知り合い連中はもうこんな反応をしてくれないぞ。

 

「り、り、リーゼさん?」

 

「そうだよ、私だ。落ち着きたまえ。」

 

「びっくりしました。」

 

「だろうね、それはしっかりと伝わってきたよ。……やあ、二柱。悪いが早苗単独ファッションショーは中止だ。先にこっちの用事に付き合ってもらうぞ。」

 

窓とカーテンを閉めてから狭い部屋を見回しつつ二柱に話しかけると、さすがに早苗ほどには驚いていない神々がそれぞれの反応を寄越してきた。

 

「やーやー、リーゼちゃん。吸血鬼っぽい登場の仕方じゃん。昼間ってのがマイナスポイントだけどね。」

 

「わざわざ学校に忍び込んでくるということは、何か危急の用件なのか?」

 

「蛇についてを直接調査しに来たんだ。キミたちがイギリスを離れた後、色々と進展があってね。」

 

「進展?」

 

怪訝そうな顔付きで問い返してきた神奈子に、肩を竦めて事のあらましを語る。かなり簡略化したものをだ。

 

「幻想郷の管理者代行と話し合った結果、件の黒蛇が相柳かもしれないことが発覚したんだよ。だから細川京介の居場所を教えてくれ。私が調べてくるから。」

 

「……待て待て、意味が分からん。相柳? 大妖怪の相柳か? どういうことなのかをきちんと説明してくれ。幾ら何でも性急すぎるぞ。」

 

「相柳は六百年前の事件の後、細川本家に封印されていたんだ。ここは知っているかい?」

 

「知らん。」

 

やっぱり知らんのか。薄々気付いていたが、こいつらは本当に裏側の情勢に疎いらしいな。いくら諏訪の神とはいえ、自分たちの土地にしか頓着しないのは問題だと思うぞ。神奈子の返事に呆れながら、あたふたと茶の準備を始めた早苗を横目に説明を続けた。

 

「とにかく相柳はずっと細川本家に封印されていたんだよ。しかし黒蛇の見た目と相柳の妖蛇としての見た目が一致したので、一応管理者代行に細川本家の封印の状況を調べてもらったところ、封印されていたはずの相柳が居なくなっていることが分かったんだ。この時点で管理者代行の方も事態を重く見始めたため、私にマホウトコロ内部の調査を依頼してきたのさ。私としても早苗の安全のために調べようとは思っていたから、それを受諾して今日ここに来たというわけだね。……ちなみに管理者代行の方は日本の大妖怪たちに話を聞きに行っているよ。相柳が接触してきていないかを聞いて回ってくれるんだそうだ。」

 

「ちょっと待て、考えるから。……札の件はどうなったんだ? 大妖怪だとしても早苗の服の下に潜り込むのは危険なはずだぞ。というかそれ以前に、大妖怪ならば私たちが気付けたはずだ。その辺は前に話し合っただろう?」

 

「未だ確実にそうであるとは断定できないが、蛇が本当に相柳ならどちらもクリアできる問題だよ。相柳は『ひどく矮小な大妖怪』だから、キミたちが妖力を感知できなかったというのは有り得なくもない話なんだ。そして札の方は更に単純だね。我慢すればいいのさ。」

 

「矛盾してるじゃん。『矮小な大妖怪』ってとこもそうだけど、妖力が小さかったら札の神力で死んじゃうっしょ。我慢とかってレベルの話じゃなくない?」

 

諏訪子の尤もな指摘に対して、鼻を鳴らしながら返答を放つ。そこは一昨日人形店に報告に来た藍との会話で結論が出ているのだ。『可能である』という結論が。

 

「相柳は神々や人間たちに敗れて封印される直前に、『蓬莱の丸薬』を呑んだんだ。月の民が作った不死の丸薬をね。私はその辺りには詳しくないから、多分キミたちの方が知っているんじゃないか?」

 

「うえぇ、マジ? あれを呑んだの? 頭おかしいよ。正気の行動じゃないね。」

 

「正気の行動じゃないのは間違いないが、兎にも角にも相柳は死なない。札で身体が崩壊していくや否や再生するだろうさ。神力による苦痛や嫌悪感にさえ我慢できれば、札を持った早苗の服の下に潜り込むのも不可能ではないはずだ。その点は報告に来た管理者代行も同意していたよ。」

 

「しかしだな、あの蛇は非常に頭が悪そうだったんだぞ。私たちもそう思うし、接触の機会が一番多かった早苗もそう感じた。だろう? 早苗。」

 

腑に落ちないという表情で新たな疑問点を提示した神奈子の呼びかけに、人数分のコップを用意している早苗がこくこく頷く。

 

「はい、あの……凄くバカっぽい蛇さんでした。そんなことを言うのは失礼かもですけど。」

 

「そこはどうなんだ、バートリ。そんな大妖怪が居るか?」

 

「それが居るのさ。相柳を直接知っている管理者代行は、彼女のことを『短慮なバカ』と表現したよ。」

 

「いやいや、変じゃん。『矮小で短慮なバカ』が六百年前の大事件を起こしたの?」

 

私だってそこだけ聞くと変だと思うが、そればかりは実際の出来事なんだから仕方がない。一つ首肯してから、きょとんとしている諏訪子に回答した。

 

「そうさ、六百年前の『クーデター』は短慮なバカが起こした事件だったんだ。数多くの大妖怪との繋がりを持っていた、妖怪想いで妖怪に想われる『愛すべきバカ』が消え行く妖怪たちを救おうとした結果、あんな大事件に発展してしまったんだよ。そこはまた今度ゆっくり話すから、今は例の蛇が相柳『かもしれない』という点だけを認識しておいてくれ。」

 

「『相柳かもしれない』であって、絶対じゃないんだね? どんくらいの確率だと予想してんの?」

 

「管理者代行は半信半疑で、私は七割くらいの確率だと予想しているよ。」

 

「……っていうかさ、管理者代行って誰? 八雲紫の部下ってこと?」

 

かっくり小首を傾げて尋ねてくる諏訪子に、早苗から受け取ったやけに甘い紅茶を飲みながら応答する。

 

「そうだよ、部下の大妖怪だ。いちいち細かい部分を説明していたらキリが無いから、そこも今度話すよ。私が不正にマホウトコロの領内に侵入中ってことを忘れないでくれたまえ。」

 

「まあ、そういうことなら今度でいいけどさ。……じゃあ、そこに関しては次の外出日に話そっか。とりあえず細川の部屋を教えればいいんでしょ? 自室があるのは桐寮で、研究室があるのは校舎の二階中央だよ。」

 

いち早く建設的な発言を飛ばしてきた諏訪子に頷いた後、頭にマホウトコロの大まかな地図を描きつつ質問を返した。

 

「両方調べるべきだと思うかい?」

 

「んっとね、研究室の方は早苗も入ったことあるよ。ちょっと前の話になるけど、これといって怪しい物は見当たらなかったかな。何かあるなら自室の方じゃない? 蛇もそっちで飼ってるみたいだし。」

 

「桐寮か。橋から見て校舎の左側の建物だろう? 建物内の詳しい位置は?」

 

「教員のフロアは葵寮と一緒で上の階にあるはずだけど、桐寮は入ったことないからねぇ。寮ごとに違いがあるし、どの階のどの部屋かまでは分かんない。早苗は分かる?」

 

結構な部屋数だろうし、虱潰しは面倒だな。唸っている私へと、早苗が『思い付いたぞ!』という顔で意見を送ってきた。本当に分かり易い子だな。

 

「えっとですね、各階の入り口……要するに階段の踊り場とかに案内板があるはずです。少なくとも葵寮にはあるので、桐寮にもあるんじゃないでしょうか? ホテルみたいなあれですよ。緊急用の避難経路が書いてある、部屋割り表みたいなやつです。」

 

「ふぅん? マホウトコロが侵入者に親切なようで何よりだ。大いに結構。行ってくるよ。」

 

「バートリ、調べた後でまたここに来るのか?」

 

「余程のものが見つかれば戻ってくるかもしれないが、基本的にはそのまま敷地から出るさ。次の外出日はどうせ自動車を回収するために東京に行くんだろう? その時にでも報告するよ。」

 

神奈子に言い放ってからカーテンを開けて外に出ようとしたところで、諏訪子が慌てて制止を投げてくる。

 

「待って待って、そのまま行っちゃうの? てっきり一度戻ってくると思ってたんだけど。次の外出日は二月の第二金曜だよ? ほぼ一ヶ月後じゃんか。他の話はその日でいいけど、調べてみてどうだったかくらいは教えてから帰ってよ。」

 

「『余程のもの』が見つからなかった場合、キミたちに知らせても意味が無いだろう? 今まで通り警戒しておきたまえよ。万が一何かあれば札を使って多少強引な手段を取っても構わないから、早苗の安全にだけ気を使いたまえ。一ヶ月あれば管理者代行と私でそれなりの部分まで調べられるはずだし、報告する時期としては妥当だろうさ。」

 

「でも、気になるじゃん。」

 

「だから私が調べに行くんだろうが。今のキミたちには大したことは出来ないんだから、とりあえず私たちに任せたまえ。……それじゃ、失礼。」

 

言いながら能力で姿を消して、翼を広げて窓から外に出た。そのまま気配と妖力を出来る限り抑えた状態で桐寮目指して飛行していると……むう、不用心だな。目的の建物の二階部分の窓が揃って開いているのが目に入ってくる。換気でもしているのか? 何にせよ好都合だ。あそこから入らせてもらおう。

 

そこそこ現代的な造りだった葵寮と比較すると、桐寮は伝統的な日本家屋といった見た目だな。各階に瓦の屋根が突き出しているあたり、ちょっとだけ仏塔に似ている気もするぞ。そんな感想を抱きながら窓を抜けて中に入ってみれば、板張りの廊下を拭き掃除している女子生徒たちの姿が見えてきた。なるほど、掃除中だから窓を開けていたのか。

 

「あー、めんどくさ。誰か水汲んできてよ。」

 

「あんたが行けば?」

 

うーむ、勤勉が故に掃除しているわけではなさそうだな。ホグワーツみたいにしもべ妖精を雇えばいいのに。というかそもそも、何故二階だけを掃除しているんだろうか? 色々な疑問を感じながらやる気のない様子で掃除をしている桐寮生たちの間を抜けて、廊下の突き当たりにあった階段の方へと移動していく。

 

すると……ふむ、ここは女子用のフロアなのか。階段の踊り場に『女子階』というプレートが設置されており、その下には『男子禁制!』と書かれた張り紙が貼ってある。早苗が言っていた案内板もあるな。どうやら二階は桐寮の五から八年生の女生徒たちが使っているフロアらしい。四人部屋と二人部屋があるようだ。

 

桐寮のシステムにおける無駄な知識を手に入れつつも、廊下と同じく板張りの古ぼけた階段を上っていく。三階は五から八年生の男子、四階は九年生から三期生の女子、五階は九年生から三期生の男子のフロアみたいだな。となると一階に共用の設備が集まっているのかもしれない。

 

女子のフロアには必ず『男子禁制!』の張り紙があるのに、男子のフロアには別に何も貼っていないことを怪訝に思いながら、続く六階に到着すると……よしよし、ここが目的の教員用フロアらしい。『教員階』というプレートと、部屋毎に教師の名前らしき文字が書かれてある案内板を発見した。『日本史学・細川京介』という部屋もしっかりと載っているな。

 

並んでいる名前は男性のそればかりだし、どうも教員フロアですら男性女性で階が違うようだ。恐らく七階が女性教師のためのフロアなのだろう。案内板を見た限りではどの部屋も生徒用の部屋より明らかに広いのに、それでも埋まっている部屋より空き部屋の方が多いことに小さく鼻を鳴らしつつ、廊下に人が居ないことをチェックしてから窓を開けて一度外に出る。まさかドアから堂々と入るわけにはいかないし、とりあえず細川の部屋を外側から確認してみるか。

 

同じ高度でぐるりと桐寮を半周して、細川の部屋があるはずの位置の裏手に回ってみれば、ベランダ……バルコニーと言うべきか? 何にせよ部屋毎に突き出した狭いスペースがあるのが見えてきた。内部への侵入口はドアかあそこだけだな。とはいえ残念ながらガラス戸は閉まっているし、室内はカーテンで覗けなくなっているようだ。

 

一度物干し竿があるバルコニーに着陸してから、ガラス戸に近付いて集中して中の気配を探ってみると……んん、読めないな。テレビの音らしきものが微かに聞こえてくるものの、人の気配は感知できない。不在なのか? しかしテレビの音は確かにこの部屋の中から響いているぞ。

 

美鈴だったらもっときちんと気配を読めたんだろうなと眉根を寄せつつ、バルコニーを離れてまた六階の廊下へと戻った。案内板に描かれていた大雑把な部屋の形から推察するに、入り口の向こうにはバスルームやトイレなどが接する短い廊下があり、そこを抜けた先にバルコニーと繋がっているリビングルームがあるはず。気配が読めないのであれば、むしろ内側にあるもう一枚のドアで隔てられている玄関からこっそり侵入すべきだ。『狭い家』ってのはこれだから好かん。不法侵入者のことを考えていなさすぎるぞ。

 

吸血鬼に優しくない構造に憤慨しつつ、ある程度の『強硬手段』を覚悟して細川の部屋のドアに手を当てる。勝手にドアが開くのは明らかな異常だが、姿を消した上で本気で気配や妖力を隠せば私に気付ける者など居ない。不自然さはもう仕方ないと許容して強引に侵入しよう。気配を感じ取れない以上、在室していないという可能性もあるわけだし。たとえ独りでに玄関のドアが開いたとしても、そこからいきなり『イギリスの吸血鬼が侵入してきた』と繋げて考えたりはしないはず。

 

妖力で解錠してから軋まないように慎重にドアを開くと……いいぞ、闇は私の味方だ。真っ暗な室内の光景が視界に映った。廊下の明かりが中に差し込まないように能力で制御しつつ、ドアをゆっくりと閉じてから先へと進む。しかし、不思議な構造だな。外側と違って洋風の内装だし、キッチンもこの廊下にあるらしい。左手に流し台やガスコンロなんかがあり、右手に二つ並んでいるドアはバスルームとトイレに通じているのだろう。ぎゅうぎゅう詰めじゃないか。脱衣所すらないぞ。

 

狭すぎる。そう感じながら廊下の奥のドアの前で再度気配を探るが、やはり伝わってくるのはテレビの音だけだ。細川が在室していた場合、ここを開ければさすがに気付かれるだろうが……まあいい、進もう。虎穴に入らずんば虎子を得ずと言うし。私であるとバレさえしなければ問題ないさ。

 

それでも一応微かな物音すら立てないように培った技術を駆使して、リビング兼寝室に続いているのであろうドアを私が滑り込める分だけ開けて入室すると……おやまあ、吸血鬼からしたってかなり不気味な光景だな。カーテンが閉め切られて電気も点いていない真っ暗な部屋の中で、テレビの目の前の一人掛けのソファに座っている細川京介の姿が見えてきた。

 

髪やヒゲが伸び放題で目元や口元が隠れている細川が座っているのは、本当に『テレビの目の前』だ。画面から三十センチ程度しか離れていない位置で、身動ぎもせずにジッとテレビに顔を向けている。何一つ反応らしきものが無いし、私が入ってきたことにも気付いていないらしい。

 

テレビの画面が発している薄い光に照らされて、まるで死体のように動かず座っている細川。映っているのは日本のバラエティ番組か何かのようだが、全然笑っていないし楽しそうでもない。『抜け殻』って感じだな。ソファに座っていると言うよりも、『ソファに置いてある』と表現すべき様子だ。

 

こんなもん死体と大差ないし、これは気配を読めないわけだと心中で唸った後、足音を決して立てないように気を付けながら狭い部屋の中をチェックする。シングルサイズの安っぽいベッドと、アピスの家にあったようなパーソナルコンピューターが載っている机、そして日本史学の本らしき物が殆どを占めている本棚。目ぼしい家具はそのくらいか。

 

うーん、この部屋にも蛇用のケージっぽい物は無いな。廊下の方には洗濯機と冷蔵庫があったものの、ケージは無かった。蛇をペットにする場合、犬猫のように部屋の中で放し飼いにはしないだろう。それらしいケージがどこにも無いということは、細川は少なくともこの部屋で蛇を飼育していないということだ。

 

『蛇はただのペットの蛇説』における矛盾点を確認してから、机の上の調査に入る。パーソナルコンピューターを起動させれば幾ら何でも気付かれるだろうし、そもそも私は使い方を知らないのでどうにもならないが、机の上には植物紙の書類も数枚だけ載っているのだ。雑多に置いてある書類を流し読みしてみれば……おいおい、ゲラートに関する物ばかりじゃないか。

 

ヨーロッパ大戦時の動向や、ロシア中央魔法議会の議長としての行動、そして非魔法界対策委員会における動き。細川はゲラートの『業績』の数々を様々な資料で確認して、それを手書きで詳細に纏めているようだ。凄まじいな。机の上にある紙は全部そうらしい。一枚一枚にびっしりと書かれてあるぞ。

 

細川は史学の教師ではあるが、専門は日本史学のはず。世界史学にも興味があるということか? にしたってこれは異常だぞ。本当に熱狂的な『ファン』なのかもしれない。そういえば昔はゲラートの写真を家に飾っているとかいう連中も居たな。死の秘宝のマークを象ったアクセサリーを、これ見よがしに身に着けていたタイプの連中だ。

 

しかし仮に相柳が細川を操っていた場合、これらの調査の痕跡は相柳が行ったそれでもあるはず。相柳がゲラートに興味を持つ? ……有り得なくはないな。『操る相手』としては百点満点の存在だろう。ゲラートは今現在の魔法界では、ぶっちぎりの影響力を保持している人間なのだから。もし操ることが叶えば世界に混乱を及ぼすことだって不可能ではない。

 

だとすれば捨て置けないぞ。早苗にちょっかいをかける程度なら交渉で終わらせても良かったが、ゲラートの邪魔をしようとしているのであれば容赦なく始末させてもらう。紫や藍の顔を立てるなどとは言っていられん。殺せないなら鉛にでも埋めて深い海に沈めてやるさ。

 

まあでも、相柳がゲラートを操るのは無理だろう。私が全力で魅了をかけてもビクともしないであろう精神力の持ち主だし、藍の話から見えてくる相柳の能力ではあの男を操ることなど不可能だ。とはいえ、だからといって座して放置するわけにもいかない。今はゲラートにとって大事な時期なんだから、ちょっとしたリスクも排除できるなら排除すべきだぞ。

 

いっそのこと、今ここで細川を殺すか? ……それはさすがに短絡的だな。むしろ相柳にたどり着くための紐を失って追い難くなるだけだろう。細川が単なる道具なのであれば、こちらも利用して相柳の居場所を探るべきだ。アルバート・ホームズの時と一緒で、『道具』を壊したところで元を断たねば意味がないのだから。

 

では、魅了をかけて聞き出してみるか? ……んー、それも悪手だな。仮に相柳が細川を完全に支配し切っているのであれば、私の魅了は効果がないはず。試してみてもいいが、失敗した場合に私の思惑が相柳に伝わってしまう危険性がある。

 

もちろん相柳は私の存在を知ってはいるだろう。操っている細川が私と接触しているのだから当たり前の話だ。しかしながら、『私が相柳の存在に気付いている』ということは知らないはず。イギリスの大妖怪が自分を追っていることに気付けば、どれだけバカだろうと警戒して身を隠すだろうし、出来れば油断していてもらいたい私としてはこちらの動きを掴まれたくない。『奇襲』のメリットを分の悪い賭けで失うわけにはいかん。

 

とにかく、蛇を見つけるのが最優先だ。その蛇が相柳だろうがただの蛇だろうが、捕まえさえすればどうにでもなるだろう。最良の展開は守矢神社の連中と紫たちの両方に貸しを作れるように、早苗の安全を確保した上で蛇を捕らえて紫か藍に突き出すことだが、ゲラートにとってリスクがあるのであれば私個人で素早く排除すべきかな。思考を回しながら薄暗い部屋の中を捜索し終えて、成果の少なさに内心で舌打ちをした。

 

ゲラートに関する懸念が手に入ったのは良かったが、相柳に繋がる情報はゼロだな。部屋の中には蛇など居ないし、妖力も一切感じない。机の上の書類以外に怪しい点は全く見当たらないぞ。……一度出るか。念のためトイレとバスルームも調べた後、校舎二階の研究室とやらを調べに行こう。こうなったら徹底的に調査しなければ。

 

私が部屋を調べている間、ピクリとも動かずにテレビと向き合っていた細川。明らかに『正常』な様子ではないし、もしかしたら完全に相柳の支配下に落ちたが故の状態なのかもしれない。細川の行動はアピスに調査を依頼済みだから、そっちからも何か情報が入ってくることを祈っておこう。

 

入った時と同じようにドアの隙間に身体を滑り込ませながら、アンネリーゼ・バートリは不気味な空間を後にするのだった。

 



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進歩の怪物

 

 

「あの、マリサ? 率直な感想を言っちゃっていいんですよね?」

 

至極微妙な顔付きで言い辛そうにしているアレシアへと、霧雨魔理沙は苦笑しながら頷いていた。出来が良い箒じゃないってことは自分でも分かっているさ。私が欲しいのは褒め言葉ではなく、改善点だぞ。

 

一月も下旬に差し掛かった快晴の日、寒い訓練場でアレシアに自作の箒の乗り心地を確かめてもらっているのだ。私やアレシアと同じく咲夜も空きコマだったため、向こうのベンチにはコートに身を包んだ銀髪ちゃんの姿もある。

 

贔屓目に見ても『良作』とは言えない箒を片手にしているアレシアは、私の首肯に従って目を逸らしながら感想を語ってきた。私が最初に完成させた箒の感想をだ。

 

「えっとですね、先ず常に斜め右下に寄っていっちゃうところが一番乗り難かったです。しかも真っ直ぐ飛ぼうと制御しようとすると、更に強く抵抗してくるのは致命的なんじゃないでしょうか。……あとはまあ、スピードを出すと震え出すのが怖かったですね。」

 

「……他には?」

 

「最高速度と加速性能が低すぎますし、曲がろうとする時の反応もワンテンポ遅れてた気がします。特に上下方向への移動が難しかったです。何かこう、ガクッとする感じで。」

 

「なるほどな、上下方向か。参考にさせてもらうぜ。」

 

うーむ、問題点が盛り沢山だ。そもそもの性能が低すぎるという自覚はあったが、上昇や下降の時のレスポンスに関しては自分では気付けなかったぞ。やっぱり時間をかけて苦労して作った箒だから、心のどこかで甘く採点していたのかもしれない。アレシアに乗ってもらったのは正解だったな。

 

まあまあ落ち込みながら新たな改善点をメモしている私に、アレシアが気まずげな表情でフォローを寄越してくる。

 

「だけど、あの……間違いなく『空飛ぶ箒』ではありました。短期間でここまで仕上げられたのって、実は結構凄いことなんじゃないでしょうか?」

 

「飛行術用の倉庫の備品の方が全然マシなあたり、これを空飛ぶ箒って主張できるかは意見が分かれるだろうけどな。」

 

「……というかその、どうしていきなり作り始めたんですか? 私、あくまで箒への理解を深めるためだと思ってました。マリサがこんなに本格的な箒作りをするのは予想外でしたよ。」

 

私が作った箒を観察しながら尋ねてくるアレシアへと、肩を竦めて返事を送った。

 

「まあなんだ、卒業したら箒が簡単に手に入らなくなるかもなんだよ。だけど私にとって箒は大切な道具だから、自分で作れるようになっておこうってわけさ。」

 

「卒業したら日本に帰るんですよね? 日本魔法界には箒屋が沢山あるって思ってました。」

 

「私の故郷はちょっと特別な場所でな。手に入らない物が色々とあるんだよ。箒もその中の一つになるかもってことだ。」

 

「……それは辛いですね。杖よりよっぽど大事な道具なのに。」

 

心底同情している様子のアレシアだが……むう、杖よりか。いよいよ『クィディッチ馬鹿』に磨きが掛かっているな。いくらクィディッチ文化が重んじられている魔法界でも、杖より箒が大事と言い切ってしまう魔法使いはごく少数だと思うぞ。

 

後輩の成長っぷりに唸りつつ、明るい補足を付け加える。ただまあ、一応の入手経路は存在しているのだ。リーゼに頼んで買ってきてもらうという方法が残されているのだから。

 

「ま、百パーセント手に入らんってほどじゃないんだけどな。備えあれば憂いなしだろ? それなり以上の興味もあるし、箒作りの技術を習得しておいて損はないはずだ。」

 

「箒への情熱を感じる行動ですね。尊敬します。……私も覚えるべきでしょうか? 箒作り。」

 

「お前はプロを目指すんだろ? プレーヤーを貫くなら無理しなくてもいいと思うぜ。私みたいな移り気なやり方より、アレシアには『ビーター専業』って方が似合ってるんじゃないか?」

 

「……あの、まだ目指すかは未定です。私なんかがプロになれるかは疑問ですし。」

 

もじもじしながら小声で訂正してきたアレシアに、苦笑いで指摘を返す。少なくともなりたいとは思っているはずだ。日々の会話の端々からそれは読み取れるぞ。

 

「お前な、同世代のプレーヤーの中に自分以上のビーターが居るか? 私は絶対に居ないって断言できるぞ。同世代どころか、現役のプロ選手とも渡り合えるだろうさ。……卒業しても続けたいんだろ? クィディッチ。」

 

「それはもちろん続けたいです。」

 

「じゃあ目指すべきだろ。お前の才能と努力は私が保証する。ハリーもドラコもスーザンも認めてたし、ギデオンとシーザーも去年の卒業式の時に言ってたじゃんか。お前ならプロになれるって。……無理に期待を背負わせる気はさらさら無いけどよ、もしお前がプロプレーヤーの道を選ぶんだったら私たちの言葉を保証にしろ。学生世界一のチームの保証だぜ? 中々の説得力があると思うけどな。」

 

「私、私……なれるでしょうか?」

 

ほんの少しの期待を覗かせているアレシアへと、強気な笑みで肯定を口にした。

 

「クィディッチに愛されるヤツはちらほら居るが、お前ほどクィディッチを愛してるヤツってのはそう居ないぜ。稀に見る相思相愛なんだよ、お前とクィディッチは。だからなれるさ、絶対だ。」

 

「……そうなると、まだ四年生なのに進路が決まっちゃいましたね。」

 

「それを言うなら一年生の頃にはもう決まってたんだろ。お前はクィディッチに出逢うべくして出逢ったんだよ。」

 

んー、後輩ってのも良いもんだな。自分の成長は分かり難いが、アレシアのそれははっきりと認識できるぞ。一年生の頃より長くなった髪と、高くなった背と、そして強くなった心。私の上の世代の連中も、私のことをこんな気持ちで見ていたんだろうか?

 

七年生になって初めて気付けた視点に微笑みつつ、アーモンド色の頭をポンと叩いて話を締める。ホグワーツの世代というのは、きっとこうやって連なっていくんだろう。私がハリーたちから多くのものを受け取ったように、今度は私がアレシアに渡さなければならないのだ。

 

「私はずっと昔から決めてた目標があるから、クィディッチの道には進めないんだ。だからお前に託すぜ。私の重い期待を受け取ってくれ。」

 

「重い期待、ですか。『背負わせる気は無い』んじゃなかったんですか?」

 

「お前がプロを目指すって決めたんなら話は別さ。逃げ出したくなった時、私の想いを重石にしろ。期待ってのはひどく重い荷物だが、そいつがあるから踏み止まれる時もあるんだよ。私はそれに何度も救われてるからな。……『期待』を利用するんだ、アレシア。プロになったら多分、みんなお前に期待を預けてくるぞ。めちゃくちゃ重いやつをな。それを無理して背負おうとするんじゃなくて、自分を支えるための道具にしちまえ。プレッシャーってやつには悪い側面もあるけど、良い利用法も確かにあるのさ。『良いとこ取り』を怠るなよ? そうすりゃ全部を利用できるから。」

 

「……覚えておきます。」

 

きちんと伝わったかは分からんが、今の私にはこれが限界だ。こういう時はリーゼやアリスのことが羨ましくなるな。上手く想いを伝えられるようになるには、私もまだまだ経験不足ってことか。この発言が少しでもアレシアの役に立つことを祈っておこう。

 

私の言葉をアレシアが咀嚼している途中で、近寄ってきた咲夜が声をかけてきた。

 

「二人とも、そろそろ時間よ。午前最後の授業が始まるわ。」

 

「っと、なら行かないとな。アレシアも授業があるんだろ? 昼休みの練習でまた会おうぜ。」

 

「はい、行ってきます。」

 

私に箒を返してから慌てて去って行ったアレシアを見送っていると、咲夜が肘で私の脇腹を突きながら話しかけてくる。その顔に浮かんでいるのはからかうような笑みだ。

 

「良い先輩じゃないの。」

 

「聞いてたのかよ。……まあ、ちょっとはそれらしいことをしないとな。受け取りっぱなしってのは卒業していった先輩諸氏に面目が立たんぜ。」

 

「悪くない考え方ね。……んじゃ、私たちも行きましょうか。呪文学よ。」

 

「あいよ、昼飯目指して頑張るぜ。」

 

箒をケースに仕舞ってから、ベンチに置いていた荷物を回収して歩き出す。そういえば、忍びの地図の『継承』も近いうちにやらないとな。これはホグワーツにあってこその道具であり、かつ悪戯っ子が持っていてこその地図だ。幻想郷に持っていったって仕方がないし、忍びの五人や双子もこの城の生徒が所有することを望むだろう。

 

ふむ、渡すとすればパスカルあたりか? あいつは結構な悪戯小僧だし、素質はある気がするぞ。同じ『トラブルメーカー』でもどちらかと言えば私より双子に似ているタイプだから、派手な騒ぎを引き起こしてくれるかもしれない。グリフィンドールチームの小生意気なチェイサーを思い浮かべつつ、今度話してみようと心に決める。フィルチも仕事が増えて喜ぶだろうさ。

 

呪文学の教室目指して寒い廊下を進みながら、霧雨魔理沙は次世代のホグワーツのことを思うのだった。

 

 

─────

 

 

「あれ、アピスさん?」

 

これはまた、珍しいお客さんだな。人形店の棚を整理している途中で入店してきた顔見知りの大妖怪さんへと、アリス・マーガトロイドは声を放っていた。スイスからわざわざ来たのか?

 

一月の終わりが近付いてきた雪の日。いつものように人形店の店番をしていたところ、急にアピスさんが入ってきたのだ。私の呼びかけに対して、アピスさんはこっくり頷いてから応答してくる。コートと髪に雪が積もっちゃっているぞ。

 

「はい、私です。お久し振りですね、魔女さん。」

 

「お久し振りです。ひょっとして、リーゼ様に用ですか? 今はちょっと外出してるんですけど……。」

 

ぽんぽんと雪を掃ってあげながら問いかけてみれば、アピスさんは持っていた革のブリーフケースをカウンターに置いて返答してきた。

 

「ええ、分かっています。だからこの時間に来たんです。吸血鬼さんと直接話すと余計なことを喋ってしまいそうですから。」

 

「『余計なこと』?」

 

「知りすぎていると、どこまで話していいかの判断が難しいということですよ。私は中々にサービス精神が豊富なので、物事が終わってから後悔することが多いんです。尋ねられなければ答えてしまう心配はありませんから。」

 

「……なるほど。」

 

要するに、リーゼ様に対して必要以上を口走ってしまうのを防ぐためってことかな? 何とも情報屋っぽい台詞じゃないか。曖昧な理解で首肯しつつ、アピスさんがブリーフケースから取り出した物に視線を移す。十枚に届かない程度の植物紙の書類だ。

 

「これは吸血鬼さんから頼まれていた調査の結果です。細川京介についてと、彼が飼っている蛇についての。……予想通りというか何というか、蛇の方は何も分かりませんでしたけどね。それでは情報屋としての沽券に関わるので、代わりの『おまけ』を付けておきました。」

 

「おまけですか。」

 

「相柳に関する情報ですよ。読んでみますか? 魔女さんも吸血鬼さんから聞いているんでしょう?」

 

書類の中の数枚を抜き出して渡してきたアピスさんから、それを受け取って目を通してみれば……むう、確かに『大妖怪相柳』のことが詳しく書かれているようだ。

 

一枚目には相柳と交流を持っていた大妖怪たちについてが記載されており、妖狐、妖狸、河童、天狗、鬼、土蜘蛛、牛鬼、鵺、覚、夜雀、猫又等々といった物凄い数の種族名が並んでいる。日本どころか大陸側の妖怪との親交もあったようだ。加えて純妖怪だけではなく、有力な道士や仙人なんかとも親しくしていたらしい。

 

「……凄まじいですね。相柳はこれだけの妖怪たちとの繋がりを持っていたんですか。」

 

「私とは奇しくも接触がありませんでしたが、東方の妖怪たちからは随分と好かれていたようですね。『東の方に面白い妖蛇が居る』という噂話は昔何度か耳にしたことがあります。貴女の知り合いだと……そう、『鈴の魔女』あたりは相柳と接触していたんじゃないでしょうか?」

 

「香港自治区の魔女……大魔女がですか?」

 

「自治区と日本は位置的に近いですし、鈴の魔女の方も広く交流を持っていたので可能性はあると思いますよ。相柳が活動していた当時はまだ自治区の成立前ですが、鈴の魔女は大昔からあの一帯を縄張りにしていましたから。」

 

アピスさんの推察を耳にしつつ、二枚目と三枚目の書類を流し読む。こちらには約六百年前に日本で起こった事件のことが纏められているらしい。相柳が大妖怪たちの協力を得て当時の日本の首都を支配下に置き、それを打ち崩そうとした神々や人間たちと出雲で戦いを繰り広げた。……うん、全体の流れとしてはリーゼ様から聞いている話と同じだな。

 

既知の情報と照らし合わせている私に、アピスさんはカウンターを離れて棚の人形を手に取りながら声を寄越してくる。

 

「何かが消え行く時、それを守ろうとする者は必ず現れるものです。彼らは自分の愛するものが『古き幻想』になってしまうことを拒んだんですよ。魔法族にゲラート・グリンデルバルドが居るように、純血派にヴォルデモート卿が居たように、妖怪に相柳が居るように、いつかは人間にもそんな存在が現れるんでしょう。」

 

「……アピスさんは人間が『幻想』になる日が来ると思っているんですか?」

 

「間違いなく来ますよ。神々が追いやられ、妖怪が追いやられ、そしていつの日か人間も何かに追いやられるでしょう。進歩とは変化であり、変化とは新たなものの出現です。新たな何かが知れ渡れば、古いものは廃れて行く。それは変えることの出来ない絶対的な流れなんですよ。……崩壊もまた新たな誕生の礎に過ぎないんですから、人間がいつか幻想になるのは決まり切ったことでしょう? 『嘗てこの世界には人間という奇妙な種族が居たらしい』。そんな台詞が語られる日が必ず来るはずです。」

 

薄い笑みで人間の終わりを語ったアピスさんは、ちらりと私に視線を送りながら言葉を繋げた。

 

「だからそうなる前に私は見てみたいんです。どうしようもなく『先』を目にしたくて堪らないんですよ。人間がどこまでやれるかは分かりませんが、もしかすると新たな開拓の地を得られるかもしれません。故に今の私はこうして人や人外たちの物語を楽しむことを趣味にしつつ、それを少しでも早めようと努力しているわけですね。」

 

「新たな開拓地?」

 

「分かりませんか? あそこですよ。」

 

言いながらアピスさんが指差したのは……んん? 天井? 人形店の天井だ。何を言わんとしているのかが分からなくて小首を傾げた私へと、謎多き大妖怪さんは肩を竦めて説明してくる。

 

「宇宙ですよ、宇宙。見上げれば常にそこにある無限のフロンティアです。」

 

「へ? 宇宙? ……えっと、アピスさんは人間が宇宙開拓をする日を楽しみにしているってことですか?」

 

「当たり前じゃないですか。私からしてみれば、あんなに興味深いものをずっと放っておいている方が信じられませんよ。大航海時代には命を懸けて必死に未知へと航海していた癖に、どうして宇宙には目を向けたがらないんでしょうね? 新たな資源、新たな法則、新たな生命、新たな景色。考えるだけでもゾクゾクしてきます。私とて永久に生きられるわけではありませんし、本格的な開拓が始まる前に人間たちの文明が崩壊してしまえば妖怪として消滅せざるを得ませんから、最近は自分から積極的に促進することにしているんです。」

 

なんとまあ、急に壮大なことを言い出すじゃないか。私は『宇宙』というものを知識としてはそれなりに知っているが、そこの開拓となるとSFの世界観に思えてしまうぞ。目をパチクリさせて困惑している私に、アピスさんは珍しく興奮している様子で自身の『目標』を語ってきた。

 

「世界を広げることこそが文明の延命に繋がるんです。自分たちが宇宙という広大な空間に浮かんでいることを真に自覚すれば、部族が都市になったように、都市が国家になったように、国家は惑星になるでしょう。他にも居住可能な惑星が無数にあると知れば、地球がそんなに特別なものではないことに気付くでしょう。そして人間の文明が長く続けば、私はそれだけ新たなものをこの目で見られるでしょう。……先へ、先へ、もっと先へ進めないといけないんですよ。私がほんの少しでも多くのものを知れるように、私は人間を極限まで利用し尽くしてみせます。彼らは私の大事な『望遠鏡』ですからね。今滅亡してもらっては困るんです。」

 

「……壮大な目標ですね。」

 

「そうでもありませんよ。ヒトが火を使い始めてから、ここまで来るのに約五十万年もかかっているわけでしょう? 石器を使い始めてからは二百万年、ヒトの始まりからは五百万年、霊長類の誕生からは八千万年。それに比べてここ二千年の進歩は本当に素晴らしい。人間たちは既に宇宙に手を伸ばしています。あと数百年もすればそれなりに事態が進展しているはずです。……たった数百年。私にとっては目の前の楽しみであると言える程度の時間ですよ。ならばあとは人間が勝手に滅びないようにさえ気を付ければ、私は無限に犇く『新発見』を楽しむことが出来るでしょう。」

 

……『たった』数百年か。私からすれば遥か先の出来事も、アピスさんからすれば目の前の未来なわけだ。どこまでも妖怪らしくない大妖怪だな。未知への渇望という点では魔女に似ているが、本質的な部分で私たちとは決定的に異なっている気がするぞ。

 

つまりアピスさんは自分で探求しようとするのではなく、文明そのものを操って先を見ようとしているのか。『望遠鏡』の性能を上げて、より遠くを見られるようにする。恐ろしい話だな。人間の『利用方法』が他の妖怪とは全然違うぞ。渇望を煽って進歩を促す存在。彼女は本当に妖怪なのだろうか?

 

妖怪として見た場合の、どうしようもないほどの異質さ。それをひしひしと感じている私に、アピスさんはピクリと眉を上げてから話を切り上げてきた。いつも通りの冷静な表情に戻りながらだ。

 

「話がズレましたね。柄にもなく興奮してしまいました。……何にせよ細川京介に関してはそれなりに調べ上げましたから、吸血鬼さんは一応満足してくれるはずです。料金のことも書いておきましたので、彼女に伝えておいてください。」

 

「分かりました。……もう行くんですか?」

 

「はい、帰ります。最近は色々と忙しいんです。また余計な話をしてしまいましたしね。今日の私は口が軽くなっているようですから、この辺で切り上げておきましょう。」

 

そう呟いて店の玄関へと歩いて行くアピスさんの背に向けて、ふと思い付いた問いを投げかける。

 

「アピスさん。……妖怪は未知の暗闇への恐怖から生まれるものですよね? だけど、さっきアピスさんが言っていたみたいに進歩を恐れる人間も居るはずです。自分が寄り掛かっているものを壊してしまうような、新たな発見を恐れる人間も。」

 

「居るでしょうね。人は変化を目にした時、興味と共に恐怖を抱くものなんです。地動説、進化論、DNA、クローン技術、核分裂。革新的な発見には常に恐怖が伴うものですよ。知らないから恐れ、恐れるから認めようとせず、認められないから排斥する。……やっていること自体は配送業者に吠え掛かる犬と大して変わりません。『分からないもの』が怖いんですよ、人間は。覗き込んでよく確かめてみれば解決するのに、それがどうしても出来ないんです。本当に可哀想な存在ですね。」

 

「じゃあ、ひょっとしたらその恐怖から生まれる妖怪も居るんじゃないでしょうか? 後ろか前かの違いはありますけど、どちらも同じ未知で、どちらも同じ恐怖であるのなら……発生するための条件は整っているように思えます。」

 

私が飛ばした疑問を受けて、人形店のドアを開いたアピスさんは……いつも泰然としている彼女にはひどく似合わない、心底愉しそうな笑みで振り返ってポツリと応じてきた。

 

「……さて、どうなんでしょうね?」

 

ドアが開いた所為で外の冷たい空気が店内に入り、アピスさんが雪の降る屋外へと消えていく。……もしそんな妖怪が居るのだとすれば、きっとアピスさんのような存在であるはずだ。先へ、先へ、もっと先へ。古いものを置き去りにして、人間たちを必死に走らせ続ける大妖怪。進歩について行けず、置き去りにされた者たちが恐怖を抱く存在。『進みすぎることへの恐怖』を司る人外。

 

ドアが閉じた拍子に舞い込んできた雪が床の上でじわりと溶けるのを横目にしつつ、アリス・マーガトロイドは真っ白な外の景色を眺めるのだった。

 



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蛇と蝙蝠

 

 

「待たせたな、バートリ。」

 

ロンドンの中心街からは少し外れた位置にある、ハーマイオニーと一緒に見つけた紅茶が美味いカフェ。その店内で対面の席に腰掛けたスーツ姿の藍を目にしつつ、アンネリーゼ・バートリは軽い文句を放っていた。私は翼を能力で隠しているが、こいつは巨大な尻尾をどうやって隠しているんだろうか? 見えなくなっているというよりも、『無くなっている』といった感じだな。高度な人化を使っているのかもしれない。

 

「遅いぞ。スキマを使えば一瞬だろうが。」

 

「場所が分かり難かったんだよ。お前は説明が雑すぎるぞ。下手なのではなく雑なあたりが尚悪い。要するに説明に手を抜いているわけだからな。」

 

「的確な考察をどうも。……それでも紫なら多分時間ぴったりに現れたぞ。」

 

「紫様なら可能だろうが、私には無理だ。僅か十分遅れで済んだことを評価してくれ。」

 

一月最後の日が明後日に迫った土曜日の午後。藍と互いの情報をすり合わせるべく、こうして話し合いの席を設けたのだ。当然ながら話す内容は相柳についてで、先日私の留守中にアリスが受け取ったアピスの調査報告書も持ってきている。蛇に関しては殆ど掴めなかったようだが、細川京介の情報はいくつか追加のものが得られたな。

 

藍が店員に注文を済ませるのを眺めた後、先ずはその報告書をテーブルの上に置いた。

 

「先に例の情報屋の調査報告書を見せておくよ。相柳が操っている可能性のある、細川京介という男に関してが纏められてある報告書だ。一読したまえ。」

 

「……読ませてもらおう。」

 

報告書によれば、大前提として細川京介が細川本家に出入りすることは大いに可能だったようだ。加えて、彼は日本魔法界では有名なテーマである『竹取問答』の研究者らしい。竹取物語に関する矛盾点を紐解く研究のことを、日本魔法界では竹取問答と呼んでいるんだとか。

 

竹取物語。竹から生まれた月の姫が、常世を惜しみながら月へと帰って行くおとぎ話。妖怪視点で見ても多少おかしな点があるものの、粗筋としてはまあ納得できたぞ。要するに、『月の民』とやらが日本魔法界と接触した時の出来事を『物語風』に纏めているわけだ。

 

藍もその部分に着目したようで、報告書を読みながら言葉を寄越してくる。

 

「日本魔法史の専門家で、竹取問答の研究者か。おまけに細川本家に連なる人間となれば、『蓬莱の丸薬』から相柳の存在に行き着いたとしてもおかしくはないな。」

 

「月の姫が地上に残した三つの丸薬。一つは霊峰の火口に捨てられて、一つは相柳が呑み、一つは今なお行方不明か。……月の民のことはよく知らないが、とんでもなく迷惑な女だったらしいね。そんな『毒薬』を迂闊に残していかないで欲しかったよ。」

 

「甚だ同意だが、月の民は地上の人間とは違った考え方をしている連中だ。何を思って丸薬を置いていったのかは考えるだけ無駄だぞ。悪意から渡したと推理するのが普通ではあるものの、本当に『お礼』として渡したという可能性すら有り得るだろう。」

 

「生き続けるのがどれほどの苦痛かなんて、ちょっと考えれば分かるだろうに。度し難い連中だね。仲良くはなれなさそうだ。」

 

この世に存在する数多の毒薬の中でも、最も忌み嫌うべき薬だろうな。そもそもそんなもんを作るなよと呆れ果てている私に、藍は苦笑いで話を進めてきた。店員が運んできたアイスティーを受け取りながらだ。

 

「どうも。……向こうから見れば『穢れ』を肯定する我々の方が度し難いんだろう。あそこは古き賢者である夜と月の王が創り出した浄土だからな。命と変化を否定する場所だよ。とはいえ紫様から得た私の知識が正しいのであれば、蓬莱の丸薬の服用は月の都でも禁忌だったはずだ。」

 

「なのに『かぐや姫』は三つも置いていったのかい? ひょっとして、地上に捨てたってことか?」

 

「さて、そこまでは分からん。連中は地上を『穢れ切ったゴミ捨て場』と見ている節があるから、その可能性も無きにしも非ずだが、確たる真実は当事者たちのみぞ知るところだ。」

 

「『反則級』なら探れそうだけどね。……紫はまだ暢気に寝ているのかい?」

 

時間を操れる魅魔なら実際に『見に行ける』だろうし、境界を操れる紫も恐らく覗き見ることが出来るはず。無茶苦茶な連中のことを思い浮かべながらついでに聞いてやれば、藍は困ったような顔で首肯してくる。

 

「ああ、紫様はずっと眠っている。冬眠期間中に無理に起きようとすると幻想郷そのものに不具合が生じかねないからな。こちらの事情は夢の中で認識しているはずだが、直接介入するのは難しいんだろう。……正直なところ、私としても少し意外なんだ。さすがに相柳のこととなれば無理にでも起きてくると予想していたんだがな。もしかすると例年よりも眠りが深いのかもしれない。」

 

「肝心な時に頼りにならないヤツだね。……相柳が紫の冬眠の時期を狙ったという可能性はないか?」

 

「大いにある。相柳は紫様が冬眠することを知っているはずだ。あの子でもそのくらいのことは考え付くかもしれない。……いや、微妙なところか? あの子のことだからすっかり忘れているかもしれんぞ。自分が隠した菓子の場所を忘れて、悲しそうに私に捜索の手伝いを頼んでくるような子だからな。」

 

「おいおい、リスと同レベルの知能ということかい? そんなにバカなのか、相柳は。」

 

エマが子供の頃の咲夜に読んであげていた、『わすれんぼうのリスさん』という絵本の内容を思い出しながら問いかけてみると、藍は渋い顔付きで曖昧に頷いてきた。

 

「幾ら何でもリスよりは賢いが、その辺の人間の少女よりは間違いなく頭の弱い子だった。……だからこそ油断できないぞ。あの子は昔から突拍子もない行動ばかりしていたからな。紫様ですらもが『相柳の行動だけは予測できない』と言っていたほどだ。持ち前の強運も相俟って、勝者を出さないのだけは非常に得意だったんだよ。」

 

「『勝者を出さない』? 不思議な言い方だね。……まあいい、とにかく今はそれを踏まえて考えよう。細川京介に関してはある程度把握できたかい?」

 

「マホウトコロ呪術学院の日本史学担当の若い教師であり、派閥主義には否定的。所属は細川派で、本家に立ち入れる程度の位置には属している。社交性はあるが友人は少なく、家庭環境は劣悪。母は長い入院の末に病死し、闇祓いの父親は放蕩三昧。九月の上旬頃から『精神的な病気』の所為で部屋に籠りがちとなり、現在もなおマホウトコロ領内の自室で療養中。授業には一月時点でまだ復帰していない。……合っているか?」

 

「付け加えれば、九月の下旬に私と接触しているよ。非魔法界で杖魔法を堂々と使ったり、店員を不自然に無視したりと中々おかしな様子だったね。そしてその報告書にも書かれているが、ゲラートに対する強い興味を持っているようだ。そこは部屋に潜入した時にも確認済みさ。私の日本魔法界への干渉に協力する対価としても、ゲラートとの直接の接触を要求してきたしね。」

 

補足を伝えてやれば、藍は一拍置いてから疑問を提示してくる。……果たしてどこまでが『細川京介』で、どこからが『相柳の人形』だったんだろうか? 初対面の時と二度目の会話はそれなりにまともなものだったし、早苗の発言も含めて考えると去年の夏頃が境目なのかもしれないな。だとすればゲラートに興味を持っているのはどっちなんだ? 片方なのか、両方なのか。まだまだ曖昧な部分は残っているようだ。

 

「お前は細川京介が相柳に操られていると考えているわけか?」

 

「自室での様子を見るに、彼が何らかの『異常』に陥っているのは間違いないよ。魂が抜け落ちているかのようだったからね。……キミこそどう思うんだい? 相柳が細川本家から逃げ出したと発覚した今、キミの考えは変わっているはずだろう?」

 

「……相柳がマホウトコロに居た蛇かもしれないという部分には同意しよう。お前の話を聞く限り、引っかかる点が多々あるからな。しかし細川京介が相柳を封印から解放したとして、それは何のためだったんだ?」

 

「そこは今更論ずるべき部分じゃないと思うけどね。今の細川が相柳の完全な支配下にあるのであれば、もはやその目的は何の意味も持っていないはずだ。……まあ、キミが気になるなら考えてみよう。報告書の情報からすると、細川派は『相良柳厳を唆した妖蛇』として相柳を封印していたらしいじゃないか。ならば当然細川京介もそういった存在だという認識で相柳を解き放ったことになる。」

 

そこまで言ってから一度紅茶を飲んだ後、肩を竦めて続きを口にした。

 

「そして細川京介は派閥主義の日本魔法界を変えたいと願っていたわけだ。そこは一昨年の五月時点での、私との会話の中でも出てきたしね。……相柳を利用して日本魔法界を変えようとしたとか?」

 

「あまりにも短絡的すぎないか? 相柳が危険な存在だということは理解していたわけだろう?」

 

「んー、難しいね。細川京介は狂言回しという役割に拘っていたんだ。相柳を通じて『主役』を操ろうとしたんじゃないか? 例えば白木桜あたりを。……更に言えば、細川が『短絡的』だと考えるのはそこまで行き過ぎたことじゃないよ。相柳が細川を操ることが出来たのであれば、つまるところ細川はその程度の精神力しか持っていない人間だということだ。精神的に未熟である場合、多少バカバカしいことを目論んだりもするだろうさ。」

 

「何にせよ、相柳が『何を出来るか』を事前にどこまで知っていたかだな。細川本家が実際に相柳のことをどう認識していたのかも重要な点となるぞ。この報告書には載っていないが、秘密裏に相柳の詳細を後世に伝えていた可能性もあるはずだ。」

 

『相柳の詳細』ね。腕を組んで悩んでいる藍に、首を傾げながら質問を送る。

 

「そも、六百年前の細川派はどう認識していたんだい? 神々と共に妖怪と一戦交えたわけだろう? 人外という存在についてをしっかりと把握していたってことか?」

 

「していたぞ。その頃の妖怪はまだギリギリ『存在しているもの』だったからな。『妖怪と戦いました』と言っても今ほど小馬鹿にされることはなかったはずだ。」

 

「『相良柳厳』に関してはどうだったんだい? あくまで騒動の主体は相良柳厳という認識だったのか、それともキミたちと同じく相柳が首謀者だと理解していたのか。それを教えてくれたまえよ。」

 

「……細川派の土台となった中心人物たちはもしかしたら知っていたかもしれないな。無論、全体的な認識としては『相良柳厳という陰陽師の暴挙』だったはずだ。しかしながら神々と直接対話した一部の人間たちは、事態を正しく把握していたのかもしれない。共存を目指す私や紫様にとっては好都合とは言えないが、神々としては『妖怪の所為』だと暴露するのは別に不都合ではないだろう。妖怪は敵で、神々は味方。その構図は信仰を得たい神々にとって望ましいものであるはずだからな。」

 

実際は神々が教えなかったという可能性も残っているものの、現代では史実として『相良柳厳』が主犯だと伝わっている以上、細川派の中心人物たちは仮に教えられていたとしても秘匿したことになるな。だが、細川派内でどう伝えられたのかはまた別の話だ。日本魔法界で脈々と続いている派閥なのだから、口伝か何かで『真実』が後世に伝わっているのも有り得なくはないだろう。

 

頭の中でそこまで考えた後、首を振りながら話を先に進めた。

 

「何れにせよ、この段階では予想でしかないよ。その点については今度細川派と会った時にでも探りを入れてみよう。正直そんなに重要な部分ではないと思うけどね。実際問題として相柳はもう細川本家には居ないんだから。」

 

「まあ、そうだな。……では、封印から解き放たれた相柳の目的は? 細川京介を操っていた場合、あの子は何を企んでいるんだ? 長期的な目的は当然ながら妖怪の復権だろうが、そこにたどり着くための短期的な目的があるはずだ。」

 

「私はゲラート・グリンデルバルドだと予想しているよ。細川京介はゲラートと接触するための『踏み台』さ。彼を操ることが叶えば、人間社会を簡単に無茶苦茶に出来るからね。目の付け所は及第点といったところかな。」

 

「……グリンデルバルドか。確かにあの男であれば魔法界のみならず、非魔法界を混乱させることも可能だろう。火種としては充分すぎるほどの存在だ。」

 

ゲラートを自由に操れた場合……まあ、あの男の精神力を思うにそんなことは不可能だろうが。仮にそうであった場合、世界を混乱に導くのなんぞ容易いことだろう。魔法界を焚き付けて非魔法界との溝を深めるも良し、逆に非魔法界に魔法界の存在をいきなり知らしめるも良し。ゲラートの影響力を使えるなら方法はいくらでも思い付くぞ。自由に動かせる一定の戦力は今なお保持しているのだから。

 

非常に単純で分かり易いやり方だが、故に効果的でもあるわけか。紅茶を口に含んで思考してから、それを飲み込んで口を開く。

 

「とにかく、急いで相柳を見つける必要がある。ゲラートの邪魔をさせたくない私にとっても、相柳を止めたいキミにとっても彼女の捕縛は歓迎すべき事態だ。そこは間違いないね?」

 

「そうだな、捕らえさえすればどうにでも出来るはずだ。……一応確認するが、細川京介の部屋には居なかったのか?」

 

「居たら捕まえたに決まっているだろうが。姿は見えなかったし、気配も感じなかったよ。」

 

「……忠告しておくが、相柳は隠れるのが上手いぞ。大した妖力を持たない上に小さな蛇の姿だからな。おまけに今は不死になっているから、その気になればどんな場所だろうと隠れ続けられる。あの子が隠れようとしていた場合、見つけ出すのはかなり難しい作業になるだろう。」

 

厳しい表情で忠告してきた藍に、小さく鼻を鳴らして返事を返す。

 

「つまり、『隠れようとさせない』ことが重要だと?」

 

「そうだ、こちらが探していることを相柳に気取られないようにしなければならない。そこにさえ気を付ければ捕縛はそこまで難しくないはずだ。また守矢神社の巫女の前にひょっこり姿を現すかもしれないぞ。基本的には頭の弱い子だからな。」

 

「相柳は私が盤上に居ることを既に認識しているはずだ。去年の六月と九月に細川と接触しているわけだし、彼は私と早苗の繋がりも把握していたようだからね。……とはいえ私が『相柳』という存在に気付き、彼女を捕まえようとしていることにまではたどり着いていないだろう。そこが狙い目だよ。」

 

「……バートリ、本当に細川京介の部屋には居なかったんだな? 隅々まで確認したか? 戸棚の隙間とか、ベッドの下とか、そういう場所まで。」

 

しつこく尋ねてくる藍へと、足を組み直しながら返答を放った。そこまで細かくは調べていないが、自身の隠密に関しては最大限気を使ったぞ。危ない点はドアの開閉のみだ。

 

「戸棚の隙間までは確認しなかったが、ざっとはチェックしたよ。気配もそれなりに集中して探ったしね。……それにまあ、万が一あの部屋に相柳が潜んでいて、私がそれを見落としていたとしても問題はないはずだ。少なくとも隠密は完璧だった。気配も妖力も足音も姿も消したし、心音すら極限まで抑えていたんだぞ。仮に侵入者そのものに気付けた場合でも、それが私だとは分からないだろうさ。」

 

「お前には翼が付いているだろうが。背中に翼があって、このタイミングで侵入してきたとなれば、さすがの相柳でもお前だと予想するはずだ。」

 

「キミ、話を聞いていたかい? 能力で姿を消していたと言っているだろうが。私の背中を見たまえよ。見事に翼が見えなくなっているだろう? これだよ、これ。」

 

何を言っているんだよ、こいつは。まさか私の能力のことを知らんのか? 前に軽く説明したような覚えがあるし、そうじゃなくても紫から聞かされていて然るべきだろうに。呆れた気分で再度説明してやれば、藍もまた呆れたような面持ちで問いを寄越してくる。

 

「お前こそしっかり話を聞いていたのか? 相柳は妖蛇なんだぞ。」

 

「だからどうしたんだい?」

 

「……これはまあ、私の説明不足だったかもしれないな。お前にマホウトコロ内の捜索を頼んだ段階では、件の蛇が相柳であるという可能性を本気で考慮していなかったんだよ。だから伝えるのを怠ったんだが……相柳はな、視覚の他に蛇としての感覚器官も持っているんだ。彼女は『体温が見える』のさ。どうだ? バートリ。お前は体温も隠せていたか?」

 

「それは……ああくそ、失念していたよ。そうか、蛇か。そういえば蛇ってのはそんな器官を持っていたね。」

 

ピット器官だったか? 吸血鬼のように完成されていない半獣半妖が故のメリットだな。パチュリーか誰かから教えてもらった蛇の知識。それを頭に浮かべつつ、苦い思いで言葉を繋げた。

 

「……体温までは隠せていなかったかもしれないね。今までそんなものを気にしたことは無かったんだよ。」

 

「ならば、お前の姿ははっきりと相柳に認識されていたはずだ。無論その部屋にあの子が居た場合の話だがな。」

 

「あー……イラつくね。隠密はバートリの吸血鬼にとっての『誇り』だ。こんな形でボロが出るとは思わなかったよ。他の失敗ならそこまで気にしないが、隠密行動を看破されるのだけは我慢ならん。相柳を殺してやりたくなってきたぞ。」

 

紫や魅魔のような『反則級』が相手だったり、細川の部屋におけるドアのような不可避の障害が原因ならまだ認められるが、今回のこれは完全なる私のミスだ。蛇の器官のことは知っていたんだから、体温にまで考えが及んで然るべしだったぞ。アリスに相談しておけば何かしらの解決方法が手に入ったかもしれないのに。

 

バートリ家の吸血鬼が『本気で』隠れている時、相手に見つかるなどあってはならないのだ。自身のプライドに背く行為に苛ついている私へと、藍が困ったような顔付きで発言を飛ばしてくる。

 

「誰にでも相性の悪い相手は居るものだ。隠密を得手とするお前にとっては、相柳のような存在がそうだということなんだろう。……まあ、そこまで気にするな。相柳が部屋に居なかったという可能性も大いに残っている。」

 

「……何にせよ、現状相柳に対して私の隠密は通用しないということか。存在している限り、体温は消しようがない。そこばかりは私の能力や吸血鬼としての力ではどうにもならん。細川の部屋で待ち伏せしたり、マホウトコロに忍び込んで捜索するのはやめておいた方が良さそうだね。」

 

いきなり厄介なことになってきたな。最大の特技が封じられた形だぞ。イライラと足を揺すりながら言った私に、藍はアイスティーを飲み干してから首肯してきた。

 

「他のやり方を考える必要があるだろうな。私としてもマホウトコロに大々的に干渉するのは避けたいところだ。あの場所は日本魔法界に古くから存在していて、故に人外の社会とも何度か関わっている。大昔の様々な契約で雁字搦めになっているんだよ。イギリスの妖怪であるお前は比較的自由に干渉できるのかもしれないが、紫様の部下である私の場合は話が別なのさ。」

 

「早苗に接触してきてくれれば一番手っ取り早いんだがね。私の行動がバレていたらさすがに望み薄かな。」

 

「まあ、こちらでも捕縛の方法を考えておく。兎にも角にも情報のすり合わせは出来た。近いうちにまた会おう。」

 

「何も解決していないわけだが、もう行くのかい?」

 

今後の動きを話し合うべきだろうが。席を立った藍に文句を投げてやれば、彼女は肩を竦めて懐から出した紙幣をテーブルに置く。

 

「忙しいんだよ、私は。相柳のことは放っておけないが、幻想郷の管理業務もあるんだ。何とか次の話し合いの時間は捻出するから、その時までにお前も作戦を考えておいてくれ。」

 

「作戦ね。……とりあえず細川京介でも殺してみるかい? 忍び込んだ時もやろうか迷ったんだが、相柳への手掛かりを失いかねないからやめたんだ。現状の相柳の駒が細川京介一つなのであれば、そいつを落とせば少なくとも足止めにはなるはずだろう?」

 

「無意味なことはするな。若い魔法使い一人を動かしたところで出来ることなど高が知れているし、駒のままにしておいても大したリスクにはならん。まだお前の侵入がバレたと決まったわけではないんだから、次の話し合いまではなるべく動かないでくれ。……私は出来るだけ穏便にあの子を捕縛したいんだよ。お前の利益に反しない限り、相柳のことはこちらに任せてくれないか? 私が何とかしてみせるから。」

 

「余計なことはするなということかい? ……ま、別にいいけどね。そこまで言うならきちんと片付けたまえよ?」

 

私の返事を聞いて頷いてから店を出ていった藍の背中を眺めつつ、残った紅茶を飲んで一息つく。うーん、難しいな。マホウトコロという閉鎖された環境と相柳の特性や能力が相俟って、非常にやり難くなっている感じだ。天は相柳に味方せり、か。六百年前の事件といい、今回の状況といい、相柳は運や環境を味方に付ける力を持っているらしい。

 

『天運』を持った敵か。第一次魔法戦争の時を思い出すな。藍が置いていった金額に私の紅茶の分が含まれていることに鼻を鳴らしながら、アンネリーゼ・バートリは椅子の背凭れに身を預けて店の天井を見上げるのだった。

 



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ステイルメイト

 

 

「またやるみたいですね、カンファレンス。……あの、カンファレンスって何なんですか? だからつまり、具体的に。」

 

葵寮の自室に入ってお二方に語りかけつつ、東風谷早苗はかっくり首を傾げていた。英単語としての意味はもちろん知っているけど、実際に何をするのかがいまいち掴めないぞ。『発表会』的な感じなんだろうか?

 

二月に入ってから初めての土曜日の昼、葵寮の一階で『寮集会』が行われたのだ。何でも来月の中旬か下旬頃にまたマホウトコロでカンファレンスが開かれるため、五年生以上の生徒も準備に協力することになるらしい。ちょっと面倒くさいな。

 

前回と同じく外国からの参加者も居るので、英語や中国語に自信がある者は積極的に案内役に立候補するようにって寮長が言っていたわけだが……うー、やりたくないぞ。前のカンファレンスの時や、クィディッチトーナメントの際は英語の成績が良かったから勝手にメンバーに入れられたのだ。今回もそうならなきゃいいんだけど。

 

まあうん、前回のカンファレンスではリーゼさんやアリスさんと出会えたわけだし、クィディッチトーナメントでは霧雨さんと会えたんだから、案内役というのは私にとってラッキーな仕事なのかもしれない。英語を勉強しておいて正解だったなと今更ながらに思っていると、ベッドの上に出現した諏訪子様が返事を寄越してくる。

 

「寮長が『非魔法界対策の意見交換会』って言ってたじゃん。要するに話し合いとか、会議的なやつなんでしょ。……リーゼちゃんも来るのかな?」

 

「かもしれませんね。次の外出日に聞いてみましょうか。」

 

「来週かぁ。……相柳のことも聞かないとだし、さすがに遊ぶのは無理そうかな。」

 

「……遊べないんですか?」

 

ゲームを禁止されてしまった今、それだけを楽しみに頑張っていたのに。勉強机の前の椅子に腰掛けながら絶望的な気分で問いかけると、ベッドに座っている諏訪子様は肩を竦めて応じてきた。

 

「だってなんか、シリアスな雰囲気になりそうじゃん? そのまま遊びに行こうとはならないと思うけど。」

 

「でも、でも、息抜きは必要ですよ。……というかですね、あの蛇さんがそこまで大した問題だとは思えません。その辺が未だによく分かんないです。」

 

曰く、警戒すべき大妖怪とのことなのだが……あんなおバカな蛇が『大妖怪』? 全然そうは見えなかったぞ。悪名高き『最悪の陰陽師』を操って、六百年前の事件を起こしたって点も私からすれば半信半疑だ。半信半疑というか、二信八疑くらい。『蛇違い』なんじゃないだろうか?

 

疑わしいという気持ちを顔に表してみれば、今度は神奈子様が顕現して答えてくる。

 

「油断は禁物だぞ、早苗。少なくともバートリは私たち以上の情報を持っていて、そのバートリがあの蛇は相柳であると判断しているんだから、警戒するに越したことはないはずだ。」

 

「情報の中継点がリーゼちゃんってあたりがやり難いよねぇ。リーゼちゃんは『幻想郷の管理者代行』から聞いた情報とか、『馴染みの情報屋』からの調査報告とか、ついでに言えば私たちからの報告も受けてるわけじゃん? だからある程度はっきりと状況を認識できてるのかもだけどさ、私たちからじゃぼんやりとしか見えてこないよ。相柳と物理的に一番近い位置に居るのは多分私たちなのに。」

 

「バートリは恐らく、相柳の目的と私たちが然程関係していないと踏んでいるんだろう。故に『後回し』にされているわけだな。……お前は何だと思う? 諏訪子。」

 

「相柳の目的が何かって聞いてんの? そんなの情報が足りなくて分かんないって。……正直さ、早苗に累が及ばないならどうでも良いんだけどね。私は『マホウトコロの神』じゃないんだから、妖怪がこの土地で何をしようが知ったこっちゃないよ。」

 

そこまで言った後で、諏訪子様はベッドにごろりと寝転がりながら続きを口にした。非常に面倒くさそうにだ。

 

「とはいえそのマホウトコロに自分たちの祝子が居る以上、私たちも無関係じゃ居られないわけ。『巻き込まれた感』が半端ないよ。妖怪ってのはいつの世も迷惑だなぁ。」

 

「愚痴を言っていても何も解決しないぞ。……何れにせよ、来週バートリから詳しいことを聞いてからだな。それまではとにかく警戒を続ける他ないだろう。」

 

警戒か。そこも私的にはちょびっとだけ迷惑な部分だな。何せお二方の指示で、今の私の部屋は札だらけになってしまっているのだから。壁とか天井とかに札がペタペタ貼ってある部屋というのは……うーむ、今回ばかりは招き入れる友人が居なくて良かったかもしれない。見たらドン引きされるだろうし。

 

ちなみに冷蔵庫の上には急遽作った小さな神棚も置いてある。お二方によれば、あれを基礎にした簡易的な神力の結界を張っているらしい。この前リーゼさんが『易々と』侵入してきたのを受けて、お二方が急いで作ってくれたのだ。

 

あれを置いておくと、この部屋は『厳密に言えば守矢神社の敷地』になるとのことだったが……勝手に寮の一室でそんなことをしちゃって大丈夫なのかな? そこが若干不安になりつつも、お二方に対しておずおずと発言を送った。

 

「あのですね、蛇さんを私たちで探すっていうのはダメなんでしょうか? 捕まえて、リーゼさんに突き出すんです。そしたら褒めてくれるでしょうし、もしかしたらご褒美をくれるかもしれませんよ?」

 

「早苗? 相手は大妖怪なんだぞ。」

 

「弱そうな蛇さんでしたから、楽勝だと思いますけど。エサとかで誘き出して捕まえちゃいましょうよ。」

 

そしたらきっと、リーゼさんは私のことを見直してくれるはずだ。ハワイにだって連れて行ってくれるかもしれない。万が一ハワイがダメでもグアムくらいならオーケーしてくれるだろう。グアムが具体的に何処なのかはちょっとよく分からないけど、多分ハワイよりも近いはず。

 

南の島でのバカンスを想像しながら提案してみれば……むう、予想していた反応と違うな。お二方は至極微妙な顔付きで応答してくる。

 

「あのね、早苗。あんたは全然理解してないみたいだけど、相柳は日本を大混乱させたような妖怪なんだよ? 何で積極的に捕まえようとしてんのさ。相変わらず凄まじい子だね。」

 

「でもあの、棒とかで叩けば倒せると思いますよ? こうやって、えいって。」

 

「早苗、もし相柳を見つけても絶対に棒で叩きにいかないように。相手はバートリと同じ大妖怪なんだぞ。お前はバートリを倒す時、棒で叩こうとはしないだろう? たとえ原始人でももう少し工夫するはずだ。」

 

「でもでも、リーゼさんも『相柳はバカ』って言ってました。たん……たんりょ? なバカって。それに『ひどく矮小』とも言ってたじゃないですか。それなら私でも勝てますよ、多分。」

 

私だってしっかり話を聞いていたのだ。ふんすと鼻を鳴らしながら主張してやると、神奈子様が額を押さえて声をかけてきた。

 

「……早苗、よく聞きなさい。細川が変になっていただろう? あれはもしかしたら、相柳が何かしたからかもしれないんだ。妖怪というのはそういうことが出来る存在なんだよ。相柳についてはっきりしたことが分かっていない以上、不用意に近付くべきじゃない。最低でもバートリから詳しいことを聞ける次の外出日までは大人しくしておくように。重ねて言うが、棒で叩くなんてのは論外だぞ。」

 

「だけど、相柳を捕まえればハワイに行けるかもしれないんですよ?」

 

「……諏訪子、意味が分かるか? 何故この子は急にハワイの話をし始めたんだ?」

 

「今回は私にも分かんないかな。相柳を捕まえればハワイに行けるとは知らなかったよ。予想外にも程がある新情報だね。っていうかあんた、まだハワイを諦めてなかったんだ。」

 

一番現実的なハワイの行き方はそれなのに。私の賢い計画をお二方に説明しようと口を開きかけたところで、諏訪子様がびしりと手のひらを突き出して注意を重ねてくる。

 

「いい? 相柳のことを『棒で叩く』のは無しだし、積極的に探そうともしないし、ハワイには多分行けないの。いいね? 早苗。分かったね?」

 

「でも──」

 

「早苗?」

 

「……うう、分かりました。」

 

諏訪子様にジト目で睨まれて渋々頷いてから、心の中でため息を吐く。ハワイ、行きたかったな。こうなったらまた別の方法を考えるしかないか。今まで思い付いた中で一番良いやり方だと思ったのに。

 

札だらけのミニ冷蔵庫から飲み物を取り出しつつ、東風谷早苗は南国の景色の遠さを嘆くのだった。

 

 

─────

 

 

「仮に相柳の狙いがグリンデルバルドだとすれば、行動を起こすのはカンファレンスの時なんじゃないですか?」

 

グリンデルバルド当人がマホウトコロを訪れるんだから、それ以上の機会は他にないだろう。人形を作るための人形を人形に手伝ってもらいながら作っているアリス・マーガトロイドは、人形とチェスをしているリーゼ様へとそう声をかけていた。

 

曇り日和の二月の上旬、私は人形店の作業スペースでリーゼ様と相柳の計画についてを話しているところだ。私は会話しながら人形作りの助手となる人形を作っており、リーゼ様は最近バージョンアップした『チェスちゃん』と熾烈な戦いを繰り広げているのだが……むう、今回はチェスちゃんが勝ちそうだな。となると互いに二勝二敗。私が作った人形なのに、もはや私よりもずっとチェスが強くなっているじゃないか。

 

明らかに黒が優勢な盤面をちらりと確認している私へと、白の駒を操るリーゼ様が唸りながら応答してくる。ちなみに『魔法使いのチェス』ではなく、駒が勝手に動かない普通のチェスだ。私はどちらかといえば『駒への交渉』が可能な魔法使いのチェスの方が得意なのだが、リーゼ様は普通のチェスを得手としているらしい。

 

「私もそう思うよ。最後に細川京介と話した時も、彼はマホウトコロでカンファレンスが開かれると聞いた途端に帰って行ったからね。」

 

「細川京介経由でグリンデルバルドと接触するつもりなんでしょうか?」

 

「それなら防ぎ易くて大助かりなんだが……まあ、細かい方法までは予想し切れないかな。何にせよ一番確実かつ安全な対策は、ゲラートがカンファレンスに出席しないことさ。そもそも『標的』が現れなければどうしようもないからね。」

 

「……グリンデルバルドは納得してくれますかね?」

 

リーゼ様が言うように、グリンデルバルドがカンファレンスに参加しないというのが現状における最適解だろう。そしてそれはグリンデルバルドさえ了承すれば簡単に実現できるわけだが……私の質問を受けて、リーゼ様は悩ましそうな顔付きで曖昧な返答を寄越してきた。微妙なところらしい。

 

「さて、どうかな。今は別の場所でのカンファレンスの真っ最中だから、来週か再来週のどこかで会いに行って提案してみる予定だよ。……ゲラートは変なところで頑固だからね。どうなるかは分からんさ。」

 

「『命を狙われる』のには慣れてるでしょうしね。何度も何度も暗殺を仕掛けられて、何度も何度も生き延びてるわけですから。」

 

「正直言って、そも成功しない計画なんだけどね。仮に無力化するにしたって細川じゃ二十対一でもゲラートに勝てないだろうし、何より相柳があの男を操るのは絶対に無理だよ。私にだって出来ないんだから、相柳じゃ不可能なはずだ。とはいえ当然ながら放置も出来ない。困ったもんさ。……ええい、リザインだ。次にいくぞ。先手はもらうからな。」

 

雑な感じに白のキングを倒して降参を宣言したリーゼ様は、そのまま駒を初期位置に並べ始める。どちらも先手の時のみ勝っているということは、チェスちゃんとリーゼ様の実力は伯仲しているらしい。順当に行けば次はリーゼ様が勝ちそうだな。

 

自分の人形の敗北がちょっと悔しいような、リーゼ様が勝ってくれそうでホッとするような、何とも微妙な気分になりつつ話を先に進めた。

 

「えっと、グリンデルバルドを『餌』にするっていうのはダメなんですか? 相柳を捕まえようとする場合、それが一番効果的なやり方だと思いますけど。」

 

「……そうだね、相柳の捕縛に焦点を当てるならそれが最善手なんだろうさ。接触されても本当に操られる可能性は限りなく低いんだから、餌としては百点満点だ。ほぼノーリスクの賭けだし、藍も恐らくその作戦を狙っているんじゃないかな。この前の二度目の話し合いでそういう結論に持っていきたがっていたからね。ゲラートの安全は保証するとか何とかって言っていたよ。」

 

「だけど、リーゼ様としてはそのやり方は嫌なんですか?」

 

おずおずと問いかけてみれば、リーゼ様はムスッとした表情で肯定でも否定でもない返事を返してくる。嫌なんだな。顔を見れば一目瞭然だぞ。

 

「先ずはゲラートに相談してみるよ。『キミを操ろうとしているヤツが居るから、そいつを捕まえるための餌にしていいか?』とね。」

 

「了承しそうにない頼み方ですね。グリンデルバルドからすれば詳細が全然掴めないでしょうし、普通は断ると思いますけど。」

 

「了承すると思うけどね、私は。ダンブルドアなら簡単に認めるだろう? ゲラートもそういうタイプなんだよ。」

 

あー、確かにダンブルドア先生なら了承してしまうかもしれないな。もちろん相談を持ち掛ける者次第なんだろうけど、仮に私が頼んだら深くを聞く前に先ず頷いてくれる気がするぞ。……ただ、ダンブルドア先生のそれは他者への信頼が先行しているからであって、グリンデルバルドに『信頼』という言葉は似合わない。結果が同じでも理由は全然違うんじゃないだろうか?

 

その点についてを黙考していると、リーゼ様は苦笑しながら私の内心を読んだような発言を繋げてきた。

 

「キミが考えていることと私が言っていることは微妙に違うと思うよ。私が言いたいのは、ゲラートもダンブルドアも『自分の価値』をきちんと理解していないということさ。他人を餌にする時は熟考する癖に、自分を使う時は大して悩まない。そこがあの二人における共通点の一つなんだ。」

 

「……なるほど、思い当たる節があります。」

 

「あるいは、自信があるからこそ迷わず決断できるのかもね。杖捌きであの二人の上を行く者はこの世に居ないだろうし、どちらも長い人生の中で危機を何度も潜り抜けている。『餌になるのが自分なら、失敗したところでどうにでも出来る』とでも思っているんだろうさ。」

 

そして、実際それでどうにかしてきたんだろう。経験を積み重ねた、強者故の選択か。言われてみれば美鈴さんあたりも自身を餌にすることを躊躇わなさそうだ。『いざとなれば自分で対処できる』と断言できる者だけに許された選択肢。私がそれを選べるようになるのはまだまだ先の話だな。

 

自らの経験不足を実感しつつ、リーゼ様へと疑問を送る。

 

「グリンデルバルドが了承しそうっていうのは分かりましたけど、どこまで説明するつもりなんですか? 今回はさすがに相手が普通の魔法使いじゃなく、妖怪だってことを伝える必要がありますよね?」

 

「ぼんやりと話すさ。ゲラートは『こちら側』のことを薄っすらと認識しているはずだから、それで勝手に理解してくれるんじゃないかな。」

 

「……人外たちのことを、ですか?」

 

「こんなに長く私と関わっていて、全く気付かないほどバカじゃないってことだね。そこもダンブルドアと一緒だよ。こちらがあえて話さないから、それを察して聞いてこないだけさ。」

 

確信がある様子で語ってきたリーゼ様は、白のポーンを動かしてから肩を竦めて話題を締めてきた。

 

「何れにせよ、ゲラートの決断次第で展開が決まると思うよ。そもそもカンファレンスに行かないのが上策、出向きはすれど万全を期して防備を固めるのが中策、ゲラートを積極的に餌にして相柳を誘き出すのが下策だ。……余計なことを考えさせないために、下策は口に出さない方がいいかもね。」

 

「中策が結果的に下策を内包してるっていうのは分かりますけど……グリンデルバルドがカンファレンスに出席しなかった場合、相柳の問題の解決を引き延ばすってことですよね? それって『上策』でしょうか?」

 

「引き延ばすこと自体が解決に繋がるんだよ。春になれば紫が起きるだろう? それで終いさ。一番楽な必勝法じゃないか。」

 

「あー……なるほど、それはそうですね。すっかり忘れてました。」

 

そっか、春まで待てば八雲紫さんが全てを片付けてくれるってことか。今回は珍しいことに、時間が私たちの味方になっているわけだ。たった二ヶ月耐えれば確定勝利。そう思うと何だか気が楽になるな。

 

意外なところにあった『簡単な勝ち筋』に拍子抜けしている私へと、リーゼ様はチェスを続けながら更に明るい情報を投げてくる。

 

「ついでに言えば、マホウトコロでのカンファレンス以前に紫が目を覚ます可能性もあるよ。幸いにも日本でのカンファレンスは一番最後の開催だ。三月の後半。藍によると、ギリギリ起きるか起きないかって時期らしいね。」

 

「……強引に起こしちゃうのはダメなんですか? ちょっとくらい『早起き』する程度なら問題なさそうに思えますけど。」

 

「私もぶん殴って起こすべきだと思うし、実行できるならそうしたいんだが、藍がぐちぐちと煩いんだよ。そも今年は私が冬の初め頃に起こしたのが悪いとかって認めようとしないんだ。まあ、次会った時にでも強めに要求してみるさ。……ちなみに十一日に東京に行くが、キミはどうする?」

 

急に話が飛んだな。つまり、早苗ちゃんの外出日なのか。脳内のカレンダーを確認しつつ、リーゼ様へと返答を放った。

 

「日曜日までの二泊ですか?」

 

「んー、十二日に細川派との打ち合わせがあるんだ。カンファレンスについてのね。だから一泊は確定だが、十三日まで残るかは微妙なところかな。」

 

「……じゃあ、行きます。」

 

正直言って頻繁に行っている日本に大した用事など無いし、早苗ちゃんたちの『お目付け役』として苦労するのは目に見えているのだが、それでも私の中の天秤はリーゼ様とのお泊りに傾いてしまうのだ。我ながら欲望に忠実だな。ちょびっとだけ情けないぞ。

 

果たして『今回はやめておきます』と口にする日は来るのだろうかと考えながら、それでもやっぱり同行を申し出た私へと、リーゼ様は苦い表情で駒を動かしつつ首肯してくる。私ではもう盤面を読み切れないけど、どうやらかなり難しい状況になっているらしい。チェスちゃんが後手で粘っているようだ。

 

「そうかい? 毎回付き合わせて悪いね。……最近は早苗たちの世話ばかりだし、十三日まで残って二人でどこかに行こうか? キミの行きたいところに。」

 

「……どこでもいいんですか?」

 

「ん、いいよ。前にそんな約束をしたしね。たまには私がキミに付き合うさ。……くそ、指し方が嫌らしすぎるぞ。ステイルメイトに持ち込んだね? しかしこれは私の勝ちだ。実質勝ち。2対2.5で私の『圧勝』だよ。」

 

やった、僥倖。二人っきりで好きな場所に行けるようだ。まんまとステイルメイトに持ち込まれたらしいリーゼ様がえへんと勝ち誇るのに、チェスちゃんが仕草で引き分けを主張しているが……そんなことよりどこに行くかを考えなければ。一気に日曜日が楽しみになってきたぞ。

 

「いーや、私の勝ちだね。要するにこれは投了だろうが。私は次を指せるが、キミは指せない。リザインと同義だよ。……何だ? 私が悪いと言いたいのかい? 私には回避する選択肢があったと? 小生意気な人形め、大人しく吸血鬼流のルールに従いたまえ。吸血鬼界ではステイルメイトになった方が負けなんだ。どれだけ主張しても無駄だぞ。私の勝ちは揺るがないんだからな。」

 

私が作った覚えのない人形サイズの公式ルールブックの、『ステイルメイトは引き分け』と書かれてある部分をバシバシ叩いているチェスちゃんへと、リーゼ様が反論しているのを横目に思考を回す。ああ、どこに行こう? リーゼ様がどこにでもついて来てくれるというのが魅力的すぎて決められないぞ。

 

「いいかい? 論理的に説明してあげよう。キミの手番で、キミは反則をしなければ駒を動かせなくて、かつ前の手番でも次の手番でも私は反則せずに駒を動かせる。だったらどう考えても私の勝ち……おい、やめたまえよ。駄々っ子みたいにルールブックを叩くのをやめたまえ。それは人間のルールで、今チェスをしているのは吸血鬼と人形だろうが。アリス、キミからも言ってやってくれ。アリス? アリス!」

 

悩ましい問題に没頭しつつ、アリス・マーガトロイドは幸せな気分で身体を揺らすのだった。

 



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日曜日

 

 

「無事だったか、大蛇号!」

 

うーん、こうして他の車があるところで改めて比較してみるとちょっと『ダサい』な。愛車に駆け寄っていく神奈子様を目にしつつ、東風谷早苗は『大蛇号』を再評価していた。基本的に安っぽいのが問題なんだろうか? 何かこう、無理して中古車をカスタムしているって感じがひしひしと伝わってくるぞ。

 

建国記念日で外出日になっている二月十一日の午前中、私たちは都内の駐車場に二ヶ月近くもの間放置されていた大蛇号を救出しに来たのだ。マホウトコロから都内行きのポートキーで駐車場に一番近い到着地点に転移して、そこから徒歩でここまで来たのだが……むうう、都内だと転移できる場所が多くて便利だな。長野には一ヶ所しかないのに。やっぱり利用者が多いからなんだろうか?

 

首都圏と地方のあからさまな差を受けて微妙な気分になっている私を他所に、神奈子様は慌ただしく愛車の各所をチェックしながら報告を送ってくる。

 

「早苗、大蛇号は無事だぞ。カッコよくて目立つから変な悪戯をされないかと心配していたんだが、幸いにも何もされていないようだ。」

 

「良かったですね、神奈子様。」

 

「『ダサくて目立つ』の間違いでしょ。改めて見ると本当にダサダサだね。私なら通りすがりに一発蹴りでも入れたくなるけど、東京の人間ってのは我慢強いらしいじゃんか。」

 

諏訪子様はどうやら私と同じ感想を抱いていたようだ。大蛇号のタイヤを蹴りながら酷評した諏訪子様へと、神奈子様がドスの利いた声で警告を飛ばす。

 

「おい、チビ蛙。可哀想な大蛇号をこれ以上痛め付けたら承知しないぞ。この子は置き去りにされて二ヶ月もの間主人の帰りを待っていたんだ。次やったらドアに首を挟むからな。」

 

「置き去りにしたのは自分でしょうが。すっかり忘れてた癖に何言ってんだか。……おら、早くカギ開けな。駐車料金も払ったし、さっさとリーゼちゃんたちと合流するよ。」

 

ここは一応長期駐車向けの駐車場なのだが、それでもさすがに二ヶ月も駐車し続けるのは問題があるということで、年明けに管理会社に電話で事情を説明してどうにかならないかと頼んでみたのだ。すると月極もやっている駐車場だから、二ヶ月分の月極料金で構いませんよと言ってくれたんだけど……ぐう、それでも中々の料金になっちゃったな。東京の人たちはこんな小さなスペースを借りるために、二ヶ月間でこれだけ払っているのか。

 

しかもさっき手続きをしてくれた職員さんによれば、この駐車場は都内だとかなり安い値段で貸しているらしい。絶対に邪悪な闇の組織とかが値段を吊り上げているぞ、こんなもん。うちの近所の駐車場は一ヶ月三千円とかって看板に書いてあったのに。私が東京の物価のおかしさに憤慨している間にも、神奈子様がカギを開けながら諏訪子様に応答を放つ。

 

「その前に洗車だろうが。待ち合わせは昼なんだから、まだまだ時間はあるはずだ。」

 

洗車に行くのか。すぐ終わるのかな? 考えながら助手席に乗り込むと、運転席に乗った神奈子様がエンジンをかけた。ちなみに諏訪子様はいつものように後部座席だ。私は助手席が好きなのだが、彼女は後部座席の方が良いらしい。

 

「えー、本気で行くつもりだったの? 洗車。まさか手で洗うとか言い出さないよね? ガソリンスタンドのあれでしょ? 洗車機みたいなやつ。」

 

「アホかお前は。頑張って待っていた大蛇号への『ご褒美洗車』なんだから、きちんと手で洗うに決まっているだろうが。……んん? さっき貰った駐車券はどこだ? 誰が受け取った?」

 

「あっ、私が持ってます。それよりあの、洗車ってどのくらいの値段なんでしょうか? 月極料金を払ったからお財布はほぼ空っぽですよ?」

 

「大丈夫だぞ、早苗。コイン洗車場に行くから。カーナビで探してくれ。」

 

私が差し出した駐車券を取りながらの神奈子様に、こっくり頷いてからカーナビの操作に移る。うう、目的地の設定は苦手なんだけどな。

 

「コイン洗車場ですよね? こ、い、ん、せ、ん、し……えっと、ちっちゃい『や』ってどうやって入力するんでしょう?」

 

「いやいや、『洗車場』で入れなよ。細かく入力しすぎると何にも出てこなくなるじゃん、そのぽんこつカーナビ。……っていうか、ガソリンスタンドでいいじゃんか! 何で手でやるのさ。時間かかるし、面倒くさいだけでしょ?」

 

「ボディが傷むんだよ。これだから素人は困る。」

 

駐車場の出口の機械に駐車券を入れながら応じた神奈子様へと、諏訪子様がイライラしている時の声色で返事を返す。そんなことより、早くちっちゃい『や』の入力方法を教えて欲しいぞ。ここかな? それともここか?

 

「いつからあんたは『玄人』になったのさ。……じゃあ、私と早苗だけどっか別の場所で降ろしてよ。それでいいじゃん。カフェとかでお喋りしながら待ってるから。」

 

「そんな金は無いし、それだと私が顕現を保てないだろうが。諦めて洗車を手伝え。……早苗? どうしたんだ? カーナビが見たこともない画面になっているぞ。」

 

「わ、私……分かりません。何もしてないのにこうなったんです。勝手に! 勝手にこうなりました!」

 

私はただ、ちっちゃい『や』を入力したかっただけだもん。カーナビに映っている謎の設定項目が並ぶ画面を見ながら、やっぱりこの機械は嫌いだと再認識するのだった。

 

───

 

「三時間だよ? 三時間! 有り得ないっつの。三時間も車洗ってるバカがどこに居んのさ。……というか、あれって五分で百円だったわけでしょ? 私と早苗、余裕でカフェに行けたんじゃない? 何なら優雅にパンケーキとかを食べられてたじゃんか。おいこら、洗車狂い蛇。騙したね? あんた私たちのこと騙したでしょ!」

 

そしてお昼にリーゼさんたちと合流した後、ファミリーレストランでご飯を食べながらみんなでお喋りをしているわけだが……怒っているな、諏訪子様。私はまあ、洗車が案外楽しかったからそこまでではないものの、ずっと後部座席で不貞腐れていた小さな祟り神様はストレスを感じていたようだ。

 

ハンバーグセットを食べながら糾弾する諏訪子様へと、ミートソースのスパゲッティを頬張っている神奈子様が返答する。小馬鹿にするように鼻を鳴らしてからだ。

 

「実際ギリギリだっただろうが。本来ならもう少しやりたかったんだが、金が尽きたから切り上げたんだぞ。」

 

「それは! あんたが! 三時間も! バカみたいに延々洗車してたからでしょうが! ……ほら、謝りな。早く謝ってよ。三時間もクソつまんない洗車に私と早苗を付き合わせたことと、後部座席に居た私に水をぶっかけたことを謝りな!」

 

「あ、あの……諏訪子様? 水をかけちゃったのは私です。つまりその、窓が開いてたのに気付かなくて。」

 

「いいんだぞ、早苗。これから洗車するというのに窓を閉めない方が悪いんだ。蛙なんだから水は好きだろうさ。……それより、洗車は楽しかったか? またやろう。今度は役に立たない癖に文句ばかり言っている陰険な諏訪子抜きでな。」

 

神奈子様がやけに優しげな口調で語りかけてくるのに、思わず首肯している私を見て……諏訪子様は憤懣遣る方ない様子になったかと思えば、我関せずと食事を続けている二人に矛先を向けた。リーゼさんとアリスさんにだ。

 

「ちょっと二人とも、聞いてんの? どっちが悪いと思う? 神奈子だよね? 神奈子が悪いっしょ?」

 

「おや、私の意見が聞きたいのかい? なら教えてあげよう。『どうでも良い』だよ。心の底からどうでも良いんだ。巻き込まないでくれたまえ。」

 

「あー、はいはい。リーゼちゃんには期待してなかったよ。……アリスちゃんは? アリスちゃんは私の味方だよね?」

 

「どうでも良いです。」

 

うーん、冷たい。リーゼさんは元からだけど、アリスさんも相変わらず諏訪子様にだけは冷たいな。二人の反応を目にして絶句した諏訪子様は、ムスッとした顔付きでハンバーグをフォークで滅多刺しにし始める。かなり剣呑なことを呟きながらだ。

 

「私を爪弾きにした恨み、絶対忘れないからね。祟り神を怒らせたら怖いんだから。後悔させてあげるよ。」

 

正真正銘の祟り神様がブツブツと怨嗟の念を口に出しているのは中々怖いと思うのだが、残念ながら私以外の面々は毛ほども気にしていないらしい。リーゼさんは完全に無視して新たな話題を切り出してきた。ちなみに今はソファ席の片方に諏訪子様、私、神奈子様の順で座っていて、もう片方にアリスさんとリーゼさんが並んで座っている形だ。

 

「洗車問題は終わりだね? なら相柳のことを話すぞ。代表して聞きたまえ、神奈子。」

 

「ああ、こちらからも二、三尋ねたいことがある。話してくれ。」

 

ぬう、難しい話が始まっちゃったな。それを聞き流しながら食事を進めていると、エビフライ定食を食べ終えたタイミングでちょうど良くデザートが運ばれてくる。私のチョコパフェとアリスさんの苺パフェだ。

 

「──から、カンファレンスで何か動きがあるかもしれないんだ。要するに管理者代行が自らの手で『綺麗に』処理することを強く望んでいるのさ。よって現状私はマホウトコロ内を動き回れない。自衛はそっちでやってくれ。」

 

「事情は分かったが、それなら札をもう少し貰えるか? 相柳が実質的に大したことのない妖怪なのであれば、早苗を守ること自体はそれほど難しくないだろうが……結局のところ、札が無ければこちらも無力だ。緊急時に十全に力を使えるように在庫を保っておきたい。」

 

「キミたちが日常的に無駄遣いしているからそういうことになるんだろうが。……近々仕入れてくるよ。次の外出日にでも渡そう。」

 

「次の外出日はカンファレンスの後だ。それでは間に合わん。明後日までに『仕入れる』のは無理なのか?」

 

どうやら相柳はカンファレンスで何か騒ぎを起こすつもりらしいけど……んん? その前に捕まえちゃうんじゃダメなんだろうか? リーゼさんなら出来そうなのに。あんまり聞いていなかった所為でよく分からなくなっている会話に首を傾げていると、優しい吸血鬼さんが紙ナプキンで私の口を拭いながら話を続けた。

 

「口に付いているぞ、早苗。しっかりしたまえよ。……明日は細川派との打ち合わせがあって、明後日も予定があるんだ。補給は難しいね。」

 

「顕現する程度なら問題ない枚数が残っているが、有事となると若干不安だ。寮の部屋の防護に結構な枚数を使ってしまったんだよ。どうにかならないか?」

 

「……ええい、分かったよ。明日の細川派との話が終わった後で補充しに行く。夜にキミたちに渡そう。それでいいね?」

 

「助かる。となると私たちも東京に残るべきか?」

 

ぬうう、これは恥ずかしいな。リーゼさんに口を拭いてもらって少し頬を染めつつ、もっと行儀良く食べようとパフェに向き直ったところで……私のことをジッと見ているアリスさんに気付く。どうしたんだ? チョコパフェも食べたくなったのかな?

 

交換しますかと言うべきか言わざるべきかを私が悩んでいる間にも、アリスさんは神奈子様との会話を続けているリーゼさんの方をちらりと確認した後、苺のパフェを……ええ? 物凄い量の苺のパフェをスプーンに掬って、それをがぶりと食べ始めた。さっきまでは上品な仕草でちょっとずつ食べていたのに。

 

そしてそんな食べ方をすれば当然口の端にアイスクリームが付いちゃうわけで、今のアリスさんの口元はベタベタになっているわけだが……拭く気配が一向に無いな。何故かリーゼさんのことをジーッと見つめながら静止している。しかも物凄く真剣な表情でだ。

 

口にアイスクリームをこれでもかってくらいに付けた状態で、何だかカッコいい顔をしているアリスさん。凄く賢いことを考えているような面持ちだぞ。政治の……そう、政治のこととかを。あるいは税金のことかもしれない。

 

謎の行動をしているアリスさんを怪訝な思いで観察していると、私の視線を追った諏訪子様もそれに気付いて、ニヤリと笑った直後に紙ナプキンを手に取ってテーブルへと身を乗り出した。

 

「あーあー、アリスちゃん。私が拭いてあげるよ。優しい私がね。……ほら、綺麗になった。ありがとうは?」

 

「……余計なことをしてくれるじゃないですか、諏訪子さん。」

 

「私を蔑ろにした罰だよ。早くも祟りが下ったね。これに懲りたら今度からは私の味方をするように。」

 

んんん? 意味がさっぱり分からないぞ。アリスさんは口を拭いてくれた諏訪子様を睨んでいるし、諏訪子様はしたり顔で勝ち誇っている。どういうやり取りなんだろう? 口を拭いた方が勝ちで、拭かれた方が負けとか? となると私はリーゼさんに負けたことになるな。

 

チョコパフェを口に運びながらかっくり小首を傾げていると、神奈子様がリーゼさんに言葉を放った。こっちの話し合いは終わったらしい。

 

「まあ、了解した。そういうことなら明日の夜に神社に来てくれ。……それとだな、バートリ。高速の料金も貰えないか? このままでは諏訪に帰れないんだ。」

 

「いいよ、今更驚かないさ。『高速の料金』が具体的に何なのかは知らんが、好きな金額を渡してあげよう。……だが一つだけ覚えておくように。『貰う』ではなく、『借りる』だ。たとえ世界が崩壊しても返してもらうぞ。それを忘れないようにしたまえ。」

 

「……わ、分かっているぞ。問題ない。だからそんなに怖い顔をするな。」

 

あれ、神社に帰るのか? 顔を引きつらせている神奈子様を横目に、リーゼさんへと問いを送る。

 

「あのあの、私たちって東京に泊まれないんですか? 日曜日までこっちに居るんだとばっかり思ってました。」

 

「泊まりたいのかい? ならホテルの料金も払ってあげよう。無論、貸すだけだがね。」

 

「早苗、待つんだ。バートリは明日大事な用事があると言っていたじゃないか。今回は大人しく帰ろう。な?」

 

「でも、でも、それなら日曜日があります。土曜日はアリスさんと四人で遊んで、日曜日は五人で水族館に──」

 

前々から行きたかった水族館のことを説明しようとした瞬間、アリスさんが発言を重ねてきた。

 

「ダメよ、早苗ちゃん。日曜日はダメなの。」

 

「だけど、日曜日はペンギンのショーが──」

 

「早苗ちゃん、日曜日だけは絶対ダメ。……どうしてもペンギンを見たいなら私がお金を渡すから、三人で見てらっしゃい。アザラシに食べられるところを見られるかもしれないわよ?」

 

それは欠片も見たくないし、そんな残酷なショーはやらないと思うぞ。優しい笑顔で……えも言われぬ威圧感がある『優しい笑顔』で提案してきたアリスさんに、反射的に白旗の返事を返す。有無を言わせぬ雰囲気だな。日曜日はどうしてもダメらしい。

 

「じゃあその、諦めて神社に帰ります。」

 

何となくこれ以上はやめておいた方がいいと察知して、さっさと引き下がることを決めた私を尻目に……うわぁ、勇気があるな。諏訪子様がニヤニヤしながら『日曜日』を要求し始めた。

 

「えー? アリスちゃんったら、日曜日がそんなに大事なの? 怪しいなぁ。私、残りたくなってきたかも。日曜日もみんなで遊ぼうよ。」

 

「諏訪子、煽るな。高速の料金だけにしておこう。これ以上負債が増えるのは──」

 

「ならさ、今回の滞在費用は私の負債に上乗せでいいよ。二等分じゃなくて、私だけに。それなら神奈子は文句ないっしょ?」

 

「まあ、それなら私は別にいいが……不気味だぞ。何を考えているんだ?」

 

何か、いけそうじゃないか? 日曜日まで遊べそうだぞ。神奈子様が折れたのを見て取った諏訪子様は、無表情で睨んでいるアリスさんにウィンクした後、リーゼさんへと声を投げかける。

 

「私もたまには『家族サービス』をするってことだよ。……リーゼちゃん、日曜日も一緒に遊ぼう? 水族館が嫌なら別の場所でもいいからさ。」

 

「水族館なんぞ絶対に行かないし、日曜日はアリスと二人で遊ぶって約束したんだよ。キミたちは神社に帰りたまえ。もう東京は遊び尽くしただろうが。」

 

「ふーん? アリスちゃんと二人でねぇ? ……それって別に私たちが一緒でもよくない? みんなで遊んだ方がきっと楽し──」

 

そこまで言ったところで、諏訪子様の姿が一瞬にしてテーブルの下へと消えていく。マジックみたいだったな。私とリーゼさんと神奈子様がいきなりの現象に困惑していると、テーブルの下から這い出てきた諏訪子様がアリスさんに文句を飛ばした。

 

「アリスちゃん? 何かに足を引っ張られたんだけど。しかも、お尻を結構な勢いで床にぶつけてジンジンしてるし。どういうつもりなのさ。」

 

「分かりません。」

 

「いやいや、人形でしょ。アリスちゃんが人形を使って引っ張ったんでしょ!」

 

「知りません。」

 

ツーンとしているアリスさんに対して、諏訪子様は何かを言い募ろうとするが……おー、まただ。またテーブルの下へとその姿を消してしまう。さっきよりも勢いがあったな。下に消えていく時にテーブルに顎をぶつけていたぞ。

 

「どうします? 諏訪子さん。日曜日を諦めますか? それともまだやりますか?」

 

再度出てきた諏訪子様にアリスさんが質問すると、偉大な祟り神様は端的に降参を宣言した。涙目で顎を押さえながらだ。

 

「……諦める。」

 

「賢明ですね。」

 

うーむ、めちゃくちゃ怖いな。細かい事情は全然分からないけど、アリスさんにとって日曜日は非常に大切なものらしい。私もすっぱり諦めよう。これは絶対に無理なやつだ。あえて挑戦する勇気は私にはないぞ。

 

普段温厚な人は怒ると怖いということを実感しつつ、東風谷早苗はチョコパフェを掬う作業を再開するのだった。

 



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狼煙

 

 

「つまり、お前のような存在が俺のことを狙っているということか。……委細把握した。警備には気を使おう。他に何かあるか?」

 

委細どころか全然把握できていないだろうが。ちょっとは行くかどうかを迷ったらどうなんだよ。書類仕事の片手間に返答してきたゲラートへと、アンネリーゼ・バートリは眉根を寄せながら応じていた。

 

「それでもキミはマホウトコロに出向くつもりなんだね? わざわざ敵の術中に飛び込んでいくと言っているわけだ。」

 

「残り少ない俺の命と、非魔法界問題進展のためのカンファレンス。こんなもの天秤にかけるまでもあるまい。重きはカンファレンスだ。」

 

「……非常に苛つく台詞じゃないか。ダンブルドアの発言を彷彿とさせるぞ。あの爺さんも寿命が近付いて自分の命が軽くなったから、他人のために使うことを決断していたね。」

 

「分からないか? 使い道があるからこそ価値があるんだ。自身の命に拘りすぎて機会を逃せば、徐々に人間としての価値がすり減っていく。アルバスも俺もそれを理解しているから、必要な時に命を懸けられるというだけのことに過ぎん。……ヴォルデモート卿。あの男は決して無能ではなかったが、そこを盛大に見誤ったんだ。自らの命を懸けるべき時に躊躇い、故に機会を逃した。指導者としての価値より己の命を優先したわけだな。ある意味では俺やアルバスよりも『真っ当』な思考回路をしていたんだろう。」

 

ゲラートからリドルの評価が出てくるのは珍しいな。指導者としての業よりも、個としての業が上回ったということか。それなら確かにリドルの方が一般的な思考回路であると言えそうだ。『滅私』。それが出来るのが偉大な指導者の絶対条件で、そんなことを出来る人間はそう居ないのだから。

 

二月二十一日の夕刻。現在の私は赤の広場の地下深くにあるロシア中央魔法議会の議長室で、ゲラートに対して相柳という『懸念』を伝え終えたところだ。カンファレンスへの出席を曲げないであろうことは覚悟していたのだが……くそ、やはり考えを変えるのは難しそうだな。頑固ジジイめ。

 

ソファの上で組んだ足を揺すりつつ、執務を続けるゲラートへと口を開く。

 

「自分が『異常』であることを認識しているようで何よりだよ。……絶対に必要なのか? カンファレンスへの出席は。別にキミが直接出向かなくてもいいじゃないか。代理を立てるなり、文書で意見を表明するなり、方法は山ほどあるだろう?」

 

「絶対に必要だ。そこを曲げるつもりは微塵も無い。全てのカンファレンスに等しく出席するという点も重要だが、マホウトコロでのそれは俺が直接世界に呼びかけられる最後の機会だからな。……お前も理解しているはずだぞ。アルバスが『遺言』を遺したように、スカーレットが引退前に言葉を残したように、俺もそうしなければならないんだ。俺だけが中途半端で終わるなど断じて認められん。全く同じことを前にも話しただろう?」

 

「……キミがそうするだけの『成果』はあったのかい? 既にいくつかの地域ではカンファレンスを終えているんだろう?」

 

「手応えは感じたし、俺の死によって更に重さを増すはずだ。今や非魔法界問題は歴とした『国際問題』になりつつある。……ようやく燃え上がったな。であれば続けてそこに俺の死体を投げ込んでやればいい。派手な狼煙になるだろう。」

 

自らの死体で狼煙を上げる? 悪趣味にも程がある比喩だな。皮肉げな口調で語るゲラートに、自分の膝を指でコツコツと叩きながら返事を返す。

 

「私は人間の死体を焼いた時の臭いを知っているがね、あまり愉快なものじゃないぞ。」

 

「俺もそれは知っているが、狼煙としては及第点だろう。……タイミングが重要なんだ。ゲラート・グリンデルバルドの死という狼煙を上げるタイミングが。この一年をかけて、俺はそれを各地で行われるカンファレンスの終了時に設定した。そこがボーダーラインなんだ、吸血鬼。それ以上生き続ければ徐々に不利益が生じ始める。」

 

「……魔法族のために尽くし、自分が邪魔になったらその身を焼いて狼煙にすると? つくづく報われない男だね、キミは。」

 

「そもそもそういった計画だったはずだぞ。必要とあらば生きるし、必要が無くなれば死ぬ。それだけの話だ。俺の……いや、俺たちの時代は終わりつつあるということなんだろう。俺とアルバスとスカーレットの時代はもう過去にすべきだ。古きに囚われたままではいつまで経っても先に進めない。魔法界を好き勝手に荒らし回った贖罪として、可能な限りに土壌は作った。後は託すさ。狼煙に応じて立ち上がってくれる次の世代に。」

 

二十世紀。イギリス魔法界にとってはレミリア・スカーレットと、アルバス・ダンブルドアと、トム・リドルと、そしてゲラート・グリンデルバルドの時代。レミリアが去り、ダンブルドアが死に、リドルが滅びた今、ゲラートも自らの終わりを定めたというわけか。

 

……ああくそ、気に食わないな。私は終ぞスポットライトを浴びることはなかったが、誰よりも近い位置でその時代を観ていたのだ。あれだけ見事な劇が『過去』になる? 実にイラつく話じゃないか。どうせ直に観てもいない後世の『歴史研究家』を名乗るバカどもが、鼻持ちならない批評をするんだろうさ。そう思うと本当に癪に障るぞ。

 

私が胸中でムカムカしているのをちらりと目にして、ゲラートは薄く笑いながらこちらの内心を読んだような発言を寄越してくる。

 

「過去は未来のためにあり、未来は更に先のためにある。それが人間の最大の強みで、同時に度し難いほど愚かな部分でもあるんだ。俺たちの行動が後世にとって毒になるか薬になるかは、永きを生きるお前が判断してくれればいい。お前だけは俺たちが為した全てを知っているからな。」

 

「一つだけ聞かせたまえよ。前にも同様の質問をしたが、再確認させてもらう。今回ばかりは嘘偽りなく答えてもらうぞ。……キミは死ぬべきだから死ぬのか? それとも死ぬから死ぬべき状況を作り出したのか? どちらが先にあったんだ?」

 

後者なら仕方がないと認めてやってもいいが、前者なら絶対に認められない。鋭く睨み付けながら送った疑問に、ゲラートは執務の手をぴたりと止めた後で……こちらを真っ直ぐ見返しつつ答えてきた。

 

「後者だ。『ゲラート・グリンデルバルドの死』が先にあり、故に俺はこの状況を作り出した。」

 

「……そうか、キミは何をどうしようと死ぬのか。」

 

「そういうことだ。」

 

短い応答の後のカリカリというペンの音を耳にしつつ、疲れた気分で深々とため息を吐く。ならば私に止める権利は無いな。ゲラートは死ぬべき時に死ねるのだ。魅魔が母上の死を認めたように、レミリアやパチュリーがダンブルドアの死を認めたように、私もまたゲラートの死を認めるべきなのだろう。死を穢すことだけはあってはならないのだから。

 

ひどく疲弊したような鬱々とした感情を自覚しながら、羽ペンを動かしているゲラートへと声を投げる。

 

「……マホウトコロには私も行くよ。それと、アリス・マーガトロイドもだ。キミの護衛を信頼していないわけじゃないが、数が多いに越したことはない。構わないね?」

 

「ああ、好きにしろ。部下にはこちらから伝えておく。必要とあらば俺を『餌』として使ってくれても構わん。」

 

「イラつくほどに話が早いね。……カンファレンスは十八日と十九日の二日間なんだろう? 十八日にマホウトコロに到着するのか?」

 

「現地に入るのは十七日だ。カンファレンスの前に顔合わせを済ませておきたい人物が数名居るからな。マホウトコロの校舎に二泊することになっている。」

 

前日に到着するのか。脳内の予定表にそのことを書き込みつつ、ソファから立ち上がって意見を飛ばす。

 

「せめて宿泊はマホウトコロの外にしたまえ。『敵地』に泊まるのは幾ら何でもやり過ぎだ。その程度だったら譲れるだろう?」

 

「……いいだろう、宿泊地は東京のホテルに変更しよう。」

 

「では、私たちも十七日に現地に行くよ。泊まるホテルを後で連絡してくれたまえ。私とアリスも同フロアの別の部屋に宿泊するから。……今日はこれで失礼する。備えを怠らないように。」

 

「承知した。三月十七日に会おう。」

 

ゲラートからの返答を背にドアへと向かいつつ、自分の中の考えを整理する。こうなった以上、相柳に邪魔をさせるわけにはいかない。相柳にも相柳の理由があるのかもしれんが、私にも私のそれがあるのだ。……全くもってうんざりしてくるな。相柳がもっと分かり易い『敵』だったら良かったのに。どうしてこのタイミングで仕掛けてきたんだよ。

 

分厚い議長室のドアを抜けて廊下に出た後、アンネリーゼ・バートリは気怠い気分で一歩を踏み出すのだった。

 

 

─────

 

 

「……あの、これって確認しに行くべきですかね?」

 

自分だけがぽつんと席に座っている『二-ろ-10号教室』の中、東風谷早苗は不安な気分でお二方に問いかけていた。授業が始まる五分前だというのに、教室に誰も入ってこないぞ。これはあれかな? 別の教室に変更という連絡が私にだけ届いていないってパターンかな?

 

期末試験の月である三月が目の前に迫った二月の末、私は四限目の社会非魔法学の授業に出席しようとしているわけだが……むう、絶対におかしいぞ。さすがに五分前に誰一人として現れないのは異常事態だ。こうなってくると、この教室では授業が行われないと判断すべきだろう。

 

机の上に出してしまった筆箱を片付けながら考えている私に、諏訪子様が返事を返してくる。

 

『まあ、掲示板を見に行った方がいいと思うよ。教室変更だったら遅刻になっちゃうしね。』

 

「ですよね。……最近はこういうことが無かったので油断してました。『独りぼっちの教室』を食らったのは久し振りです。」

 

前はまあ、年に何回かのペースであったことなのだ。基本的に教室変更とかの連絡は寮経由で回されるので、私にだけ知らせが届かないのは珍しくもなかったのだが、九年生になってからは教室変更そのものが全然無かったから気を抜いていたぞ。八年生の時は毎朝寮の掲示板を確認していたのに。

 

ため息を吐きながら四面廊下に出て、ギリギリで教室移動をしている生徒たちを横目に掲示板の方へと歩いて行く。もし教室変更なんだったらこっちの掲示板にも書いてあるはずだ。そう考えつつ見えてきた『にの面』にある掲示板をチェックしてみれば──

 

「あっ、ラッキーじゃないですか。」

 

今居る『ろの面』から見ると掲示板が天井に位置しているので読み難いが、どうやら九年生の社会非魔法学は休講と書いてあるみたいだ。つまり昼休みを挟んだ五限目まで自由時間ということになるな。『独りぼっちの教室』で沈んでいた気分が一気に回復したぞ。

 

思わず口に出してしまった私の感想を聞いて、神奈子様が反応を寄越してきた。

 

『ラッキーではないぞ、早苗。意欲ある学生ならば授業の中止を悲しむべき場面だ。……しかし、マホウトコロで突然の休講というのは珍しいな。初めてじゃないか?』

 

『六年生の時にもあったじゃん。ビニールハウスでトラブルがあって、植物学が休講になったやつ。……まあでも、珍しくはあるのかもね。他だとその時くらいしか思い浮かばないよ。』

 

あー、そういえばそんなこともあったな。まだ私がお二方と『再会』できていなかった頃の出来事だ。確か『駆け足球根』が集団での脱走を試みたから、その後始末の所為で中止になったんだっけ。六年生の秋のことを思い出している私を他所に、諏訪子様が呆れたような声で話を続ける。

 

『まさかとは思うけど、また教師が病欠したんじゃないよね?』

 

『有り得るかもしれんな。いきなり休講になるということは、何らかの理由で教師が休んだということであるはずだ。……早苗、とりあえず寮に戻ろう。』

 

「はい、そうします。……何だかお休みの先生が多くなってませんか? 細川先生と溝口先生と吉村先生はずっと休んでるみたいですし、田村先生と瀬尾先生も休みがちらしいですよ?」

 

細川先生は言わずもがなだけど、技術非魔法学の溝口先生と英語の吉村先生も未だ復帰できずに休んでいるんだそうだ。そして私とは違う学年を教えている植物学の田村先生と、地理の瀬尾先生もここのところ休みが続いているらしい。噂に疎い私の耳にも届いているぞ。

 

渡り廊下に向かって進みながら報告してみれば、神奈子様が追加の情報を送ってきた。

 

『加えて、飛行学の教師も一人先月頃から休んでいるらしいぞ。津山だったか?』

 

「津山先生ですか。えっと、低学年の飛行学の先生ですよね? 五年生以下の授業でしか会えないので、転入組の私はよく知らない先生です。」

 

『早苗、未満ね。五年生未満か四年生以下。五年生以下だと五年生も含んでることになっちゃうよ。……これってさ、相柳が何かしてるって思うのは考え過ぎ?』

 

むう、未満か。こういうのって何でいちいち面倒になっているんだろう? もっと分かり易くすればいいのに。渡り廊下を抜けて一階への階段を下りつつ唸っていると、神奈子様が真剣な声色で応答を放つ。

 

『……少なくとも、教師の休みが目立っているというのは厳然たる事実だ。私もキナ臭いものを感じるぞ。』

 

『相柳が毒でも盛って、マホウトコロの戦力を削ってるとか?』

 

『詳細はさっぱり分からんが、一応バートリにも報告しておこう。後で神社の方に顕現して手紙を送ってくれ。』

 

『へいへい、やっとくよ。……こんなんで開催できんのかな? カンファレンス。いっそ中止にしちゃえばいいんじゃない? カンファレンスが取り止めになってグリンデルバルドが来なけりゃ、相柳だって動きようがないじゃんか。』

 

うーん、どうなんだろう。私たちが知っているだけで六人も休んでいるんだもんな。今回休講になった社会非魔法学の松平先生もそうだとすれば七人だ。生徒の間では病気も何も流行っていないし、教師だけがこんなに休んでいるっていうのは中々異常なのかもしれない。

 

私が葵寮側の出口へと一階の廊下を歩きながら眉根を寄せている間にも、お二方の会話は進行していく。

 

『白木が今更中止にするかは怪しいところだな。体面もあるだろうし、もうカンファレンスまで一月を切っている。警備自体は魔法省の闇祓いたちがやるんだから、このまま開催を押し通すと思うぞ。』

 

『リーゼちゃんからの知らせが無いってことは、グリンデルバルドも多分出席するんだよね? ……やーな感じだなぁ。それぞれ事情はあるんだろうけどさ、結果的に相柳の思惑通りに進んでる気がするよ。』

 

『何にせよ、我々にはどうしようもない。大局の対処はバートリに任せて、早苗を守ることに集中すべきだ。相柳の目的が本当にグリンデルバルドなのであれば、こちらから首を突っ込まない限り早苗に被害は及ばないだろう。』

 

『希望的観測ってやつだと思うよ、それ。……ま、カンファレンスの当日は寮で大人しくしておくべきかな。何が起こるにせよ、実際に騒ぎがあるのは会場になる校舎の方でしょ。葵寮に居ればそれなりに安全なんじゃない? 早苗、今回は案内役を引き受けちゃダメだからね。』

 

寮に続く道に出たところで飛んできた諏訪子様の指示に、こっくり頷いてから質問を返す。

 

「いやまあ、別にやりたくないので断るのは問題ありませんけど……リーゼさんの案内役に指名されるって可能性もあるんじゃないでしょうか? 『後ろ盾』なわけですし。」

 

『あー、それはあるかも。……どうする? 神奈子。そうなったらさすがに受けるべきかな? リーゼちゃんの近くと葵寮。どっちがより安全だと思う?』

 

『微妙なところだな。バートリの近くは即ちトラブルの渦中だが、恐らくそこにはマーガトロイドも居るだろう。仮にトラブルの規模が大きかった場合、遠く離れた葵寮よりもむしろ安全かもしれん。』

 

『んんー、迷うところだね。……おっし、リーゼちゃんの案内役を打診された時だけは受けようか。アリスちゃんの存在も込みで考えれば、僅差でリーゼちゃんの近くの方が安全だろうから。』

 

まあ、私もそう思うぞ。相柳のことはいまいち理解できていないけど、リーゼさんとアリスさんの近くならとりあえず安全そうだし。諏訪子様の決断を受けて了承の首肯を送った後、到着した寮の玄関を抜けて口を開いた。

 

「まあその、リーゼさんたちがどうにかしてくれるんじゃないでしょうか? そんなに神妙にならなくても大丈夫だと思いますよ? あの二人があんなおバカな蛇に負けるわけないですって。」

 

『ポジティブだねぇ。今だけは早苗の考え方が羨ましいよ。』

 

「んう、そうですか? 私、自分のことを悲観主義者だと思ってたんですけど……。」

 

『そういえば一昨年のトーナメントの時、霧雨ちゃんとそんな話をしてたね。……あんたの場合は入り口が悲観だけど、出口が極度の楽観なんだよ。だからまあ、霧雨ちゃんと正反対ってのは正しいかな。あの子は多分楽観から入って悲観で結論付けられるタイプだから、楽天家に見えて実は堅実ってわけ。早苗はその逆ね。』

 

要するに私は、堅実に見えて実は楽天家ってことか? ……むむ、あんまり良い評価じゃない気がするぞ。寮の階段を上りながら考えていると、諏訪子様はぼんやりした台詞で会話を締めてしまう。

 

『ま、悲観で入って悲観で出るよりはマシじゃない? 慎重なのは悪くないけど、それだと人生楽しくなさそうだからね。早苗はそれでいいんだよ。他人なんか気にせずに快に生きな。大抵そういうヤツが良い目を拾うもんなんだから。』

 

『快に生きる』か。言葉の意味がちょっと掴み切れないけど、さすがは神様だけあって何だか深いアドバイスだな。そうしてみよう。つまりは物事の良い側面だけを受け取っちゃえってこと……のはず。多分。

 

自室がある階に足を踏み入れつつ、東風谷早苗は偉大な神様からのアドバイスにうんうん頷くのだった。

 



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チェックリスト

 

 

「あー、イライラしてくるぜ。私はどうも延々繰り返すタイプの作業が苦手みたいだ。」

 

目の前の真っ赤なソファで新聞を読んでいる咲夜に愚痴りつつ、霧雨魔理沙はひたすら箒の尾と柄の接続部に紐を編み込む作業を続けていた。レース編みとか、かご作りとかに近いものがあるな。気が滅入ってくるぜ。

 

三月の初旬に入ったホグワーツ城の獅子寮談話室で、私と咲夜は毎度お馴染みの作業を行っているのだ。つまり私は箒作りを、咲夜は勉強をしているのである。二人とも午前中が丸々空きコマだったため、大広間で朝食を食べた後に寮に戻ってきてずっと作業を続けているのだが……そろそろ休憩しようかな。指先が痛くなってきたぞ。

 

うんざりした気分になっている私へと、先に手を休めている咲夜が返事を寄越してきた。さっきまでは呪文学の勉強をしていたのだが、今は休憩がてら朝刊をチェックしているらしい。

 

「拘るからでしょ。本に書いてあった『初級のやり方』の通り、紐でギュッて縛って固定すればいいじゃない。飾りの編み込みを入れようとするからそうなるのよ。」

 

「……だってよ、こっちの方が強度が上がるって書いてあったんだ。」

 

「その箒は練習として作ってるやつなんでしょ? パパッと作って、問題点を把握して、次の箒に進みなさいよ。拘るのは『本番』でいいじゃない。」

 

「練習しておかなきゃ本番で失敗するだろ。……それにほら、編み込みがあった方がカッコいいしさ。」

 

正直なところ、私が惹かれているのは強度よりも見た目のカッコよさなのだ。柄と尾を繋ぐやり方は複数存在していて、単純に紐で縛り付けたり専用の接着剤を使うという楽な手段もあるにはあるのだが……うん、やっぱり複雑に編み込んで一体化させる方法が一番だぞ。

 

事前に柄に細かい溝を彫り込む必要があるし、時間をかけて手作業で編み込まなければならないが、兎にも角にも見た目が良いのだ。量産のメーカー品だと金属の専用パーツで固定することが多いので、編み込みはハンドメイドの証として多くのクィディッチプレーヤーたちに好まれている。折角手作りするなら編み込みの技術は磨いておくべきだろう。

 

それに、我が愛箒であるスターダストやブレイジングボルトも編み込み式の固定方法なのだ。スターダストの方は製造年代的に編み込みでの固定が主流だったからで、ブレイジングボルトは一本一本ハンドメイドの高級箒だからという理由の差はあれど、二本ともが偉大な箒であることに変わりはない。だったら私の価値観の中では、編み込みこそが至上だと言えるだろう。ここは拘るべき部分だぞ。

 

ブレイジングボルトのように編み込みの上から更に金具で補強するか、あるいはスターダストのように剥き出しにしておくかは今後考えるとして、先ず編み込みの技術を一定のラインまで持っていかねば。仮にも魔女を志しているのだから、自身のスタイルを貫くのは重要なはず。接着剤や簡素に縛っての固定など邪道だ。苦労するからこそ良い物が出来上がるんじゃないか。

 

心の中で自己弁護をしながら編み込み作業を続けている私に、咲夜が呆れた顔で肩を竦めてきた。

 

「この前の貴女たちの箒作り談義を聞くに、リヴィングストンは『接着剤派』らしいけどね。こういうのって皮膜派と羽毛派みたいなものなのかしら?」

 

「吸血鬼の価値観はさっぱり分からんが、クィディッチプレーヤーなら大抵拘りがあるもんだぜ。柄と尾の形とか、金具の位置や種類とか、メーカーの好みとかで意見が分かれるのは珍しくもないんだよ。尾の固定方法は長年研究されてるし、アレシアにはアレシアなりの主張があるんだろ。……私は断然編み込み派だけどな。」

 

この前箒作りを手伝ってくれたアレシアは、魔力の通りが良いとされているクリーンスイープ社製の箒用高級接着剤の使用を主張したのだが……接着剤なんかを間に挟むより、直接繋ぎ合わせた方が良いに決まっているさ。リーゼが皮膜派をやめないように、私も編み込み派をやめるつもりはないぞ。

 

作業を進めながら旗幟を鮮明にした私を見て、咲夜はあまり興味なさそうに話題を締めてくる。

 

「まあ、私は別にどっちでも良いんだけどね。細かい点にいちいち拘ってると、全体の進行が遅くなるとだけは忠告しておくわ。……あら、パリでのカンファレンスは成功したみたいよ。絶対にトラブルがあると思ってたんだけど。」

 

「ん? ……ああ、非魔法界対策の地域別カンファレンスか。グリンデルバルドを殺そうとするヤツは現れなかったわけだ。」

 

「『フランス新魔法大臣の事前対策が功を奏した』って書いてあるわ。かなり厳重な警備で開催したらしいわよ。……『フランス当局は明らかにしていないものの、グリンデルバルド議長の暗殺計画自体は存在していたものと思われる』ですって。トラブルはあったけど、フランス魔法省の闇祓い隊が防いだってことなのかしら?」

 

「責任者の新大臣は元隊長なわけだし、闇祓い隊員たちが面子を守るために頑張ったんだろ。あるいは予言者新聞お得意の『根も葉もない懸念』かもだけどな。誰の記事なんだ? スキーターだったら間違いなくそうだと思うぞ。あそこの記者で信頼できるのはジニーだけだぜ。」

 

あれ? またズレているな。編み目のズレを発見してしまって見なかったことにしようかと葛藤している私に、咲夜が返答を飛ばしてきた。……大人しくやり直すか。妥協は良い結果を齎さないのだから。

 

「スキーターの記事ではないわね。……でも、次のマホウトコロでのカンファレンスはスキーターが取材に行くみたい。文末に書いてあるわ。」

 

「変な話だな。スキーターならトラブルがありそうなパリに行きたがると思うんだが……ああくそ、編み方の順番を忘れちまった。数え直さないと。」

 

「マホウトコロでのカンファレンスは二回目だし、今回の参加者はアジア圏の人たちばっかりなんだから、さすがに何も起こらないでしょうね。……リーゼお嬢様は出席するのかしら?」

 

まあ、順当に終わりそうではあるな。アジア圏の魔法使いたちは、ヨーロッパ圏の魔法使いほどにはグリンデルバルドを恨んでいないだろう。それに前回あんなことがあったんだから、マホウトコロ側だって万全を期した状態で開催するはず。

 

編み目を数えつつ頷いた後、咲夜へと応答を放つ。順番に編み方を変えないといけないってのが最大の問題かもしれんな。無心でやれるほど単純な作業ではないが、かといって複雑であるとも言えない。何とも絶妙な『つまらなさ加減』だぞ。

 

「気になるなら手紙で聞いてみりゃいいじゃんか。日本魔法界であれだけ色々やってたんだし、出席しそうなもんだがな。」

 

「わざわざ手紙で聞くほどではないわよ。行くのかなって思っただけ。」

 

咲夜が読み終えたらしい新聞をテーブルに置きながら呟いたところで、談話室の入り口から生徒たちが入ってくる。一コマ目が終了したようだ。……まだそれだけしか経っていなかったのか。時間が長く感じられてしまうな。

 

まあうん、このタイミングで休憩しておこう。箒から手を離して大きく伸びをしていると、私の背中に声が投げかけられた。アレシアの声だ。

 

「マリサ、調子はどうですか? 進んでます?」

 

「おう、アレシア。ぼちぼちってところだな。戻ってきたってことは、次が空きコマなのか?」

 

「いえ、荷物を取りに来ただけです。薬学の教科書を持っていくのを忘れちゃって。……そういえば、昼休みは競技場でいいんですよね?」

 

「あーっとだな、昼練は訓練場でやることになりそうだ。ハッフルパフから競技場を使わせてくれないかって言われちまってな。この前譲ってもらったし、断れなかったんだよ。」

 

スリザリンやレイブンクローのキャプテンはぐいぐい来るからこっちも主張し易いのだが、今代のハッフルパフのキャプテンはセドリック・ディゴリーを思い出すような礼儀正しい好青年なのだ。譲る時は快く譲ってくれるから、いざ要求されるとどうにも弱いものがあるぞ。

 

こういうのもある意味では『相性が悪い』と言えるのかもしれない。頬をポリポリと掻きながら報告した私に、アレシアはジト目で苦言を呈してくる。

 

「……譲っちゃダメだと思いますけど。今年は四寮横並びになってるんですから、他所の寮に遠慮してる場合じゃないんです。強気にいかないと。」

 

「分かってるって。これで貸し借り無しだし、次からはきっぱり断るぜ。」

 

「そうしてください。ハッフルパフは敵なんです。敵。」

 

小さく鼻を鳴らしてそう言うと、アレシアは教科書を取りに女子寮の方へと去っていくが……うーむ、強くなったな。段々とぷるぷるちゃんだった頃が懐かしく思えてきたぞ。たまにはあの頃のアレシアに戻ってくれてもいいのに。

 

『ウッド化』してきた後輩の変化をどう捉えようかと悩んでいる私に対して、咲夜が苦笑しながら話しかけてきた。

 

「まあ、ピリピリもするでしょ。現状だと全寮が揃って一勝一敗だもの。十点だって取りこぼしたくないはずよ。」

 

「私だってそうは思ってるけどよ、ずっと気を張ってても仕方ないだろ。グリフィンドールが首位ではあるわけだしな。余裕を持って臨むべきだぜ。」

 

初戦でハッフルパフに大勝して、二戦目では点差を広げられる前に私がスニッチを捕ってスリザリンに負けたので、同じ一勝一敗と言ってもグリフィンドールがそれなりにリードしているのだ。やっぱり点差のコントロールはシーカーの仕事だな。二戦目でリーグ全体の勝利を目指すために上手く負けられたのは、これまでの経験があればこそだぞ。

 

最終戦でレイブンクローに勝てさえすれば、どんな点差だろうとほぼほぼ優勝できる。だったらそこまで気負う必要はないはずだと考えている私に、咲夜は教科書を手に取りながら助言してきた。

 

「そりゃあ貴女は学内リーグの経験が豊富だから、ある程度余裕を持っていられるんでしょうけど……他のチームメイトはそうもいかないんじゃない? 貴女以外だと一番チーム歴が長いリヴィングストンやタッカーでさえまだ三回目なのよ? 連覇記録のこともあるんだし、そこそこ緊張しちゃうんでしょ。」

 

「ニールはそうだが、アレシアはトーナメントも出てるんだから四回目みたいなもんじゃんか。」

 

間に三大魔法学校対抗試合とクィディッチトーナメントがあったから、私だって学内リーグだけで数えれば五回目だぞ。……いやまあ、五回もやってりゃ充分か。一年生からチーム入りしてたってのがデカいのかもしれんな。

 

うーん、私が変に慣れちゃっているのか? 言われてみれば低学年の頃はもっとずっとそわそわしていた気がするな。色々な厄介事を経験したからってのもありそうだぞ。神経が図太くなっているわけか。

 

成長したと喜ぶべきなのか、鈍化したと嘆くべきなのか。実に微妙なところだなと悩んでいると、同じようなことを考えていたらしい咲夜が意見を送ってくる。

 

「落ち着きっていうのはこうやって獲得していくものなのかもね。経験があるからどっしり構えていられるわけよ。」

 

「んで、最終的には魅魔様みたいになるわけか。……魅魔様の場合、『どっしり』って感じではないけどよ。」

 

「落ち着きってやつを完全に手に入れちゃうと、今度は逆に余計なことをしてみたくなるんじゃない? 何て言うか、『マンネリ化』を防ぐためにね。美鈴さんにもそういう雰囲気があるし。」

 

「……それはちょっとありそうだな。リーゼとかもその域に片足を突っ込んでる気がするぜ。」

 

余裕があるからこそ、他者にちょっかいをかけられるわけか。人間が歳を取ると衰えるのに対して、大抵の人外は長く生きるほどに強力になっていくものだ。その辺の事情も影響しているのかもしれない。

 

何とも迷惑な話だなと苦笑いを浮かべたところで、女子寮から下りてきたアレシアがすれ違いざまに声をかけてきた。

 

「マリサ、言い忘れてました。次のホグズミード行きの時にキャロルの練習に付き合うつもりなんですけど、マリサも良ければ参加してください。ニールもユーインもパスカルも来るらしいので。」

 

言うとすぐに談話室を出て行ってしまったアレシアを見送った後、咲夜と微妙な表情を交わし合う。キャロル・ストークスは今年チーム入りしたばかりの二年生男子のチェイサーなので、その練習に付き合うってのは別段おかしくないのだが……男子勢は全員参加するのか。そこはちょびっとだけ『おかしい』ぞ。

 

「また『アレシア目当て』だと思うか?」

 

「そりゃあそうでしょ。タッカーもピンターもソーンヒルも、貴重なホグズミード行きを蹴ってまで自主練するほど殊勝な性格だとは思えないわ。大方『後輩の面倒を見てますよアピール』をしたいんじゃない? 『面倒見の良い先輩』になることで、リヴィングストンからの評価を稼ごうとしてるわけよ。」

 

「何とも言えない気分になるぜ。結果的には練習に繋がってるんだし、キャプテンとしては喜ぶべきことなのかもな。」

 

要するにこれは、私たちが不得手としている黄色とかピンク色の話題なのだ。ニールとユーインとパスカルは傍目にも明らかなほどにアレシアへのアピールを続けており、私とオリバンダーは日々行われる『アプローチ合戦』を食傷気味の気分で見物しているわけだが……アレシアのやつ、結局気付くことはなさそうだな。少なくとも私の卒業までは膠着状態のままだろう。

 

もちろんアレシアが鈍いってのもあるんだろうけど、相手が『チームメイト』って点も問題なのかもしれんな。クィディッチを挟んだ人間関係だと、どうしてもクィディッチの方に目が向いてしまうらしい。多分アレシアにとっての三人は、男子である前にチームメイトのビーターとかチェイサーなのだろう。健気なアピールを続けている三人が哀れになってくるぞ。

 

どんどん可愛くなっていくアレシアが、クィディッチよりもロマンスを優先する日は来るのだろうかとため息を吐いていると、咲夜が苦い笑みで肩を竦めてくる。

 

「まあ、今年はこういう問題を考えられる余裕があって良かったんじゃない? 残る四ヶ月間も穏やかに過ごせそうね。」

 

「だな、のんびりペースで卒業までたどり着けそうだぜ。……こうなると若干物足りないって思っちゃうのは勝手すぎるか?」

 

「私もちょっとだけそう思うけど、これはこれで新鮮じゃないの。ずっと目指していた『穏やかな一年間』を、最後の年に滑り込みで達成できた。それを素直に喜びましょう。ようやく欠けていたものを経験できたのよ。」

 

「これにてチェックリストに全部印を付けられたってわけか。……七年も通ったのに、『穏やかな一年間』が最後に残っちまうとはな。改めて滅茶苦茶な話だぜ。」

 

『命の危機』や『戦争』だったり、『国際試合』とか『時間遡行』にはとっくにチェックが付いていたんだけどな。私たちにとっての最難関の経験は『平穏』だったわけだ。どうにか達成できそうで何よりだぜ。

 

我ながら奇妙な学生生活になったなと苦笑しつつ、霧雨魔理沙は残りの四ヶ月間も油断できないぞと気を引き締めるのだった。

 



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下準備

 

 

「アリス、準備は終わったかい? そろそろ出発だぞ。」

 

人形店の作業場に入ってきたリーゼ様からの呼びかけに、アリス・マーガトロイドは慌てて返事を返していた。もう時間か。久々だから手間取っちゃったな。

 

「えっと、大丈夫です。まだちょっと作業が残ってますけど、それは向こうに着いてからやることにします。……今日はとりあえず東京で一泊するんですよね?」

 

「ん、そうなるね。そして明日の午前中に藍と打ち合わせをして、午後にマホウトコロ入りだ。慌てなくても準備の時間はそれなりに残っているよ。」

 

なら、残りの調整は東京のホテルでやろう。人形たちに戦闘用の装備を持たせるのは久し振りなので、動作に微妙な齟齬が生じてしまったのだ。人形自体の性能は向上しているのに、古い装備をそのまま使わせているのが問題なのかもしれない。幻想郷に行く前に装備を更新すべきかな? ここに来て新たな問題点が見えてくるとは思わなかったぞ。

 

三月十六日の正午、私とリーゼ様は日本に出発しようとしているところだ。マホウトコロでのカンファレンスは土日である十八日と十九日を使って行われるのだが、私たちは木曜日である今日の時点で東京に移動する日程となっている。

 

グリンデルバルドがマホウトコロ入りする十七日の午前中に、東京で八雲藍さんとの最終的な打ち合わせがあるため、それに間に合うようにと行動しているわけだが……むう、さすがに今回はリーゼ様との旅行を楽しむってわけにはいかなさそうだな。

 

リーゼ様と私がカンファレンスに出席する理由はただ一つ。相柳が行動を起こした時、グリンデルバルドを護衛するためだ。どうも八雲藍さんも香港自治区の人間として出席するようなので、大妖怪二人に比べてあまり役には立てなさそうだが、一応万全の準備はしておくべきだろう。

 

トランクに入れた調整用の工具が揃っていることを再確認している私に、小さな黒いショルダーバッグを持っているリーゼ様が話を続けてきた。拡大魔法がかかっているやつだ。

 

「ま、気負わずに臨みたまえ。相柳がどんな手を使ってくるにせよ、私と藍の守りを抜けるとは思えないからね。加えてキミが居れば盤石さ。勝ちが決まっているようなものだよ。」

 

本人は気付いていないようだけど、一昨日くらいからこういう発言を繰り返しているな。殊更『大丈夫だ』と口にするのは、心配の裏返しなのかもしれない。……あるいは嫌な予感を打ち消そうとしているとか? リーゼ様のカンは中々侮れないものがあるし、少し不安になってくるぞ。

 

そんな感情を胸の中に隠しながら、いつも通りの笑顔を意識して口を開く。何れにせよ、わざわざ指摘して不安を煽ったところで仕方がないはず。ここはリーゼ様を落ち着かせるためにも、平時通りの対応をしよう。事実として相柳が大妖怪二人の守りを突破できるとは思えないし。

 

「そうですね、私はあくまで補佐として動きます。……それにまあ、グリンデルバルドの近くにはロシアの闇祓いも居ますしね。もっと言えば会場は日本の闇祓いが警備するでしょうから、きっと大丈夫ですよ。」

 

「そういうことさ。……んじゃ、行こうか。」

 

小さなトランクを持った私を促してきたリーゼ様に続いて、上階のエマさんに行ってきますをしてから外に出た。そのまま姿あらわしで魔法省のアトリウムに移動した後、エレベーターに向かって歩いている途中で……おお、珍しい人物が近付いてくるぞ。リータ・スキーターだ。

 

「あら、バートリ女史とミス・マーガトロイド。お久し振りざんす。」

 

「やあ、スキーター。ボーンズ政権の粗探しにでも来たのかい?」

 

「それも魅力的ですけどね、今日はポートキーを使いに来ただけ……二人とも、荷物を床に置くんじゃないよ! イギリス魔法省のアトリウムなんて小汚い場所に置いたら、私の高価なトランクが汚れるざんしょ?」

 

リーゼ様への応答の途中でぐるりと振り返って、アシスタントらしき男女に注意を飛ばしたスキーターだったが……おやまあ、女性の方はジニーじゃないか。大量の荷物を苦労して持っているのは、見慣れた赤毛の末娘どのだ。スキーターを今にも殺さんばかりの視線で睨み付けている。

 

「すみませんね、スキーターさん。機材は全然軽いんですけど、貴女の若作り用の化粧道具とかが重いんですよ。置いていっちゃダメですか? 実際に若い私と違って、使っても使わなくても特に変わらないと思いますけど。」

 

「口の減らない小娘だね。荷物持ちが嫌なら会社に戻りな。取材について来たいなら黙って持つんだよ。」

 

スキーターからの冷たい返答を受けて、ジニーは無言で上司を睨み続けながらトランクを持ち直す。それに鼻を鳴らした予言者新聞社のエース記者どのは、リーゼ様に向き直って会話を再開した。つまり、ジニーはスキーターのアシスタントに任命されたのか。出世と言えるかどうかが非常に微妙な立場だな。

 

「マホウトコロのカンファレンスの取材に行くんですよ。日本魔法界の魔法使いたちにも取材したいので、早めに移動しておこうってわけざんす。」

 

「それはそれは、最悪の同行者を得られて感動しているよ。……ジニー、久し振りだね。仕事は楽しいかい?」

 

「会えて嬉しいわ、アンネリーゼ。質問の答えは見ての通りよ。私ったら、上司に恵まれたみたい。いつか絶対に『お礼』をしてやろうって思ってるの。」

 

トランクを持つ手をぷるぷるさせながらスキーターを睨んでいるジニーの回答に、リーゼ様は軽く苦笑してから歩き出す。ジニーが『お礼』としてスキーターに贈りたいのは、多分呪文の閃光なんだろうな。ひょっとしたら緑色のやつなのかもしれない。

 

「あまり扱き使わないでやってくれたまえよ。ジニーは私の友人なんだ。」

 

「荷物持ちは歴としたアシスタントの仕事の一つですし、熱意に免じて多少の暴言に目を瞑ってやってるところを評価して欲しいざんすね。……それより、バートリ女史もカンファレンスに出席するってことでいいのかしら? まさかスカーレット女史も姿を現すとか?」

 

「『取材モード』に入っても無駄だぞ。レミィは引き続き隠居中だし、私はキミに『ネタ』を提供する気はさらさらないよ。」

 

「コメントの一つくらいは耳に挟んでいるはずざんしょ? スカーレット女史は今回の地域別カンファレンスをどう捉えているの? グリンデルバルドが主導していることに賛成している? それとも反対?」

 

諦め悪くリーゼ様に取材を続けているスキーターを横目にしつつ、ジニーに歩み寄って話しかけた。改めて凄い荷物だな。巨大なリュックを背負い、両手に大きなトランクを一つずつ持ち、首にはカメラを二つも提げているぞ。

 

「久し振り、ジニー。持つのを手伝いましょうか?」

 

「どうも、アリスさん。だけど大丈夫です。憎たらしい上司の荷物を持つのはアシスタントの役目ですから。……社内で誰もやりたがらない仕事だから、これをやってる限りスキーターは私をアシスタントから外せないんですよ。いちいち文句を言う新人の小娘でも連れ回すしかないわけです。」

 

「あー……そうまでしてスキーターのアシスタントをやりたいってこと?」

 

「技術を盗めるだけ盗むまでは我慢して、そのうち『恩返し』としてエースの座を奪い取ってやるつもりです。だからこれは私の出世のためには必要な苦労なんですよ。そう思わないと嫌味ババアのアシスタントなんてやってられませんしね。」

 

なんとまあ、ど根性だな。憎しみが滲んでいる声色で宣言したジニーへと、エレベーターに乗ったスキーターが突っ込みを入れてくる。

 

「聞こえてるよ、小娘。」

 

「そりゃあそうでしょうね。聞こえるように言ってるんですから。」

 

うーむ、遠慮がないやり取りだな。もう一人のアシスタントの男性が非常に居辛そうにしているぞ。こういうのも一つの『師弟』の在り方かもしれないと唸りつつ、再度リーゼ様に取材攻勢を仕掛けているスキーターの声を聞き流していると、エレベーターが協力部のある地下五階に到着した。

 

「ええい、しつこい女だな。……キミ、日本の魔法使いにもそういう感じで取材をするのはやめたまえよ? イギリスの恥を晒すことになりかねないぞ。」

 

「心配しなくても通訳を通すから、多少『柔らかい取材』になるはずざんす。私としては余計なクッションを挟むのは嫌いなんですけどね。日本語なんてマイナーな言語を喋れるわけがないざんしょ?」

 

「キミがどうだかは知らんが、賢い私は喋れるぞ。……通訳を通して、その上お得意の『嘘八百自動筆記羽ペン』まで通すのか? 悪夢のような記事が出来上がりそうだね。原形を僅かにでも留めているか見ものだよ。」

 

「私は読者に伝わり易いように取材内容を『改善』してるだけですよ。まるで恣意的に内容を歪めているかのように言われるのは心外ざんすね。」

 

厚顔無恥とはこのことだな。ここまで来ると感心すら覚えるぞ。いけしゃあしゃあと言い訳するスキーターに呆れつつ、ポートキーの発着場へと入室してみれば、既に日本行きのポートキーらしき物が台の上に置かれているのが目に入ってくる。今回のポートキーは一部が欠けたガラス製の灰皿のようだ。どこかで使われなくなった物を再利用しているのだろう。

 

まあうん、スキーターが一緒なのは確かに不運な出来事だったけど、適度な気晴らしにはなったかな。ジニーの様子も見られたし、差し引きでプラスと思っておこう。

 

協力部の担当職員が近付いてくるのを眺めつつ、アリス・マーガトロイドは自分のトランクを持ち直すのだった。

 

 

─────

 

 

「あの、これってどこに持っていけばいいんでしょうか?」

 

うわぁ、そんなに嫌そうな顔をしないで欲しいぞ。こっちだってやりたくてやっているわけじゃないんだから。葵寮生徒会の男子期生に質問を投げながら、東風谷早苗は抱えている大きな椅子を持ち直していた。

 

二度目のカンファレンスの開催が明後日に迫った木曜日の午後、私は他の葵寮生たちと一緒に会場の設営を手伝っているのだ。大広間に畳を保護するための赤いカーペットを敷いたり、参加者が使うテーブルや椅子を設置したり、隅々まで細かく掃除をしたり。周囲の生徒たちは杖魔法を駆使して作業を進めているわけだが……まあ、魔法をまともに使えない私だけは古き良き作業スタイルを貫いている。つまり、手作業を。

 

便利で簡単なはずの浮遊魔法を使わずに、せっせと手で運んでいる自分が悪目立ちしているという自覚はあるものの、他にやりようがないんだからそうするしかないのだ。魔法で一度に四脚とかを運んでいる他の九年生を見て虚しい気分になっていると、作業を指揮している名前をよく知らない先輩が返事を返してきた。

 

「作業開始前の寮長の話を聞いていましたか? 一つのテーブルにつき三脚です。適当に足りていないところに運んでください。……いちいち僕たちに聞かずに、周りの誰かにでも尋ねればいいでしょう? こっちは忙しいんですよ。」

 

「……はい、すみませんでした。」

 

非常に迷惑そうな刺々しい態度で答えてきた先輩に首肯してから、椅子が三脚以下……じゃなくて未満のテーブルを探して歩き出す。何もそんな言い方をしなくたっていいじゃないか。『周りの誰かに尋ねる』だなんて私には不可能なんだぞ。

 

割とキツめの注意をされて落ち込みながら椅子を運び終えたところで、少し離れた場所で言い争いが勃発しているのが目に入ってきた。さっきの男子とは別の寮生徒会の人同士が作業の順番で揉めているようだ。

 

「あのね、カーペットを敷いてから机と椅子を設置でしょ? そうしないとカーペットを敷けないじゃない。そんなことバカでも分かるはずだけど?」

 

「何度も何度もしつこいな。……そもそもこうなった原因は、お前らの班の作業が遅いからだろうが。単に敷くだけでどれだけ時間を食ってるんだよ。現時点でもう遅れてるんだから、暢気にやってる暇なんてないんだぞ。」

 

「はあ? 文句言うならあんたがやってみなさいよ! これだけの大きさのカーペットを『皺無し』で敷くのがどんだけ大変か想像できないの? 大体ね、全体の作業が遅れてる根本の原因はあんたたちの班が一番最初の掃除に手間取ったからでしょ? 『そもそも』で言ったら悪いのはあんたたちじゃない!」

 

おお、期生同士の『マジ喧嘩』だ。さすがに期生ともなるとある程度大人になっているので、本気で口喧嘩することなんて滅多にないんだけど……これは珍しい展開だな。メガネの女生徒と短髪の男子生徒は、お互い一歩も引くつもりはないらしい。

 

「難しいところを俺たちの班に押し付けようとするのが悪いんだよ! うちの後輩たちは不満に感じてるぞ! ……この際だから言わせてもらうけどな、毎回毎回男子にばっかり面倒な作業をやらせるのはやめてくれ。杖魔法を使うのに男女差はないだろ?」

 

「何? 私が悪いって言うの? 作業分けはみんなで決めたことでしょ? 男子がそういうことをやるのはいつものことじゃん!」

 

「だから、その『いつものこと』をいい加減に変えるべきだって言ってんだよ! そういうバカみたいな提案を最初にするのは大抵お前だろ? 言っとくけど、お前って男子勢から嫌われてるぞ。都合の良い時だけ女子の権利を利用してるって。」

 

「私は女子全体の意見を生徒会に伝えてるだけでしょ? いつもは気取って『男子がやるよ』とか調子こいてる癖に、こういう時にだけ文句を言ってて恥ずかしくないの? 都合の良いことを言ってるのはどっちよ!」

 

もう三期生は寮生徒会を引退している時期だから、あの人たちは多分二期生の先輩たちだ。要するに十七か十八歳の人たち。マホウトコロ内では『大人』とされているその年齢の男女が、本気で言い争っている光景というのは……何かもう、怖いぞ。設営の手伝いをしているのが五年生から上の生徒だけで良かったな。小さな一年生たちが見たら泣いちゃうかもしれないし。

 

ヒートアップしていく口論に周囲の生徒たちが騒つく中、騒動に気付いた葵寮の寮長が大慌てで二人の間に入る。黒いセミロングの髪の大人っぽい女生徒だ。確か名前は綾さん。名前ではなく、苗字が綾らしい。いくら私でも自寮の寮長の名前くらいは覚えているぞ。

 

「待って待って、どうしたの? 上地君も古野さんも落ち着きましょう? みんなが困ってるわ。問題があるなら責任者の私が何とかするから、一旦二人とも落ち着いて。ね?」

 

穏やかな口調ではあるものの、有無を言わせないような雰囲気で二人の争いを止めた綾先輩は、そのまま声を抑えて事態を収束に導き始めた。さすがは寮長だな。『マホウトコロの各寮長』というのは就職に超有利らしいので、みんなが結構なりたがる役職なのだが、ああいう人だからこそ選ばれるんだろう。

 

そして卒業したらエリート街道に乗り、魔法省の官僚とかになるわけか。何だか納得できてしまうような『差』を見せ付けられて微妙な気持ちになっていると、諏訪子様がいつものように話しかけてくる。

 

『ギスギスしてるねぇ、寮生徒会。引き継ぎ直後にこれじゃあ無理もないか。』

 

「やっぱりキツいんですかね? 明らかに作業が予定より遅れてますし。」

 

『そもそも最初の計画に無理があったんだよ。作業前の説明を聞いた時もそう思ったし、案の定間に合わなさそうじゃん。……ま、これは明日に持ち越しかな。今日だけで終わらせようってのが無謀なんだって。』

 

「でも、葵寮だけが間に合わなかったっていうのは……何て言うか、問題になりませんか?」

 

別の場所で別の作業を進めている藤寮や桐寮が今日の段階で終わらせてしまったら、葵寮は面目丸潰れのはずだ。寮生徒会の人たちはかなりバカにされると思うぞ。私でも想像できる予想を小声で語ってみれば、諏訪子様は呆れている時の声で応答してきた。

 

『なるだろうね。それが絶対に嫌だから、生徒会の連中はあんなにピリピリしてるんでしょ。……しっかし、何で今回に限ってこんな突貫スケジュールなんだろ? 前のカンファレンスの時とかクィディッチトーナメントの時は結構余裕があったのに。』

 

「そこはちょっと不思議ですよね。監督の先生の数も少ない……っていうか、さっきから見かけない気がします。前の準備の時は何人も作業を手伝ってくれてたんですけど。」

 

作業が始まった直後は居たのに、いつの間にか姿が見えなくなっているな。大広間が慌ただしく働いている生徒たちだけになっていることを確認しつつ、首を傾げながら返事をしてみると、諏訪子様は怪訝そうな声色で応じてくる。

 

『なーんか、キナ臭いなぁ。他にトラブルがあって、その対処をしてるとか? 生徒会に無理なスケジュールを押し付けてることといい、何だか嫌な感じだね。』

 

「こうなると、可哀想なのは寮生徒会なのかもしれませんね。作業量自体は先生方が決めてるわけですし。」

 

『カンファレンスが始まる前からこれじゃあね。妙な失敗をしなきゃいいんだけど。こんな不手際は白木にしては珍しい……っと、寮長閣下がこっち見てるよ。』

 

会話の途中で飛んできた注意に従って、綾先輩の方をちらりと見てみれば……うわ、確かに見ているな。サボっていると思われたんだろうか? サボっていると判断されるのも普通に嫌だけど、『サボりながらブツブツ独り言を呟いている』という評価はもっと嫌だ。口を閉じて椅子運びに戻ろうとしたところで、仲裁を終わらせたらしい綾先輩がこちらに歩み寄ってきた。

 

どうしよう。怒られるのか? いっそ気付かないフリをして走って逃げようかと考えている私に、綾先輩は柔らかい声を投げてくる。態度が柔らかいわけではなく、彼女の声質そのものが柔らかい感じだ。人付き合いにおいて有利に働きそうだし、こういうのも一つの才能なのかもしれない。

 

「えっと、東風谷早苗さんですよね? 少しいいですか?」

 

「……あっ、はい。何でしょうか?」

 

第一声が『おい、サボるな蛇舌』ではなかったことにちょびっとだけ安心していると、綾先輩は手元の書類に目を落としつつ話を続けてきた。

 

「アンネリーゼ・バートリ氏の案内役の件、聞いていますよね? 返事が届いていませんが、受けてくれるということでいいんでしょうか?」

 

「えっ? えと、リーゼさんの案内役ですか?」

 

「……もしかして、初耳ですか? 書類上は伝えてあることになっているんですけど。」

 

「えぁ、あの……初めて聞きました。」

 

緊張して変な受け答え方になっている私の回答を聞いて、綾先輩は一瞬だけ疲れたような表情を覗かせた後、和やかな顔付きに戻って説明を送ってくる。

 

「カンファレンスに出席するバートリ氏の案内役として、三寮会議の際に桐寮の方から貴女の名前が上がったんです。こちらとしても特段否はないということで、先日貴女に打診してあるはずなんですが……どうやら連絡が行き届いていなかったようですね。」

 

「あー……はい、そうみたいですね。」

 

「それで、どうでしょうか? この場で返事をいただけます? もし嫌だと言うならそれでも構いませんよ?」

 

「あの、えっと……大丈夫です。」

 

お二方によれば、リーゼさんの案内役だけは受けて良かったはずだ。こくこく頷いて了承してみると、綾先輩は困ったような苦笑いで小首を傾げながら再度問いを放ってきた。

 

「『大丈夫』というのは、受けるという意味ですか?」

 

「あっ、そうです。受けるって意味です。すみません。」

 

「では、そう伝えておきますね。それでは。」

 

ぬああ、何か恥ずかしいぞ。『大丈夫』は確かに分かり難かったな。内心で曖昧な答え方をしてしまったことを嘆いている私を背に、綾先輩はスタスタと遠ざかっていってしまう。姿勢良く歩いている背中を見つめながら自己嫌悪していると、諏訪子様が再び声をかけてきた。

 

『何でそんなに緊張してんのさ。同じ生徒でしょうが。』

 

「生徒は生徒でも、寮長です。偉いんです。おまけに美人だし、エリートっぽいから怖いんですよ。」

 

『小市民だねぇ、早苗は。アリスちゃんとどっちが美人よ。』

 

「そりゃあ……まあ、アリスさんですね。」

 

綾先輩は『学校一の美人』ってレベルだけど、アリスさんともなると『地域一の美人』って感じだ。謎の質問に返答した私に、諏訪子様はそれ見たことかという声で反応してくる。どうして諏訪子様が自慢げなんだろう?

 

『じゃあ緊張する必要なんかないじゃん。どう見たってアリスちゃんの勝ちだよ。……ちなみにあんたも勝ってるからね。身内の贔屓目抜きだとまあまあ僅差の勝利で、贔屓目有りだと圧勝。』

 

「何の評価をしてるんですか、諏訪子様は。」

 

まあうん、ちょっと嬉しくはあるぞ。本気で言っているのかはさて置いて、褒められて悪い気はしないかな。ご機嫌な気分で突っ込んでから、作業に戻るために歩き出す。……だけどこれ、時間までに終わらなかったらどうなるんだろう? 居残って作業するのも嫌だけど、明日改めてやるのも中々に嫌だなぁ。

 

リーゼさんが以前口にしていた、ホグワーツの雑務を一手に引き受けているという『ハウスエルフ』。マホウトコロもその生き物を雇うべきだぞとため息を吐きつつ、東風谷早苗は新たな椅子に手をかけるのだった。

 



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駒落ち

 

 

「バートリ、悪いが手短に話すぞ。私はカンファレンスに出席できなくなりそうだ。相柳が行動を起こした場合、お前とマーガトロイドで捕縛してくれ。」

 

おいおい、何を言っているんだこいつは。お前は『相柳のことはこちらに任せてくれ』とかって調子の良い台詞を口にしていただろうが。だから私はこの方針を認めてやったんだぞ。待ち合わせ場所に現れるや否や一方的に告げてきたスーツ姿の藍へと、アンネリーゼ・バートリは文句を言うために口を開いていた。

 

「ちょっと待て、どういうことだい? キミも自治区の人間として参加すると言っていたじゃないか。キミが責任を持って対処すると強く主張したから、私はゲラートのカンファレンス参加を渋々承認したんだ。こっちの信頼を踏み躙るような発言だぞ、それは。」

 

三月十七日の午前中、私は東京都内のカフェで藍との打ち合わせを開始したところだ。隣には驚いた顔になっているアリスが座っており、向かいの席には来たばかりの藍が居るわけだが……出席できない? この土壇場でいきなりそんなことを言われても困るぞ。

 

私の怒りを秘めた文句に対して、藍は申し訳なさそうな面持ちで理由を捲し立ててくる。そんな顔をしても許さんからな。

 

「済まないとは思っているが、幻想郷で騒ぎが起こったんだ。地底の鬼どもが派手に動いているようでな。紫様が未だ目覚めていない以上、代行たる私が騒動を収めるしかない。相柳に関してはそちらに任せる。」

 

「そちらに任せる? あれだけの啖呵を切ったのに任せるだと? そんなもん通用するわけがないだろうが。納得できないし、故に承諾もできないね。」

 

「しかしだな、どうしようもないんだ。今は地底の管理者が鬼たちを抑えてくれているが、その管理者にしたって相柳とは非常に親しかった。恐らく本気で止めようとはしないだろう。……最悪の場合、地上の天狗たちも呼応して動き始めるかもしれないんだよ。今代の天狗の長は相柳のことを好いていたし、鬼たちに対する義理もあるからな。そうなれば連鎖的に騒動が拡大していって、幻想郷は滅茶苦茶になってしまう。私はすぐにでも戻ってそれを防ぐ必要があるんだ。」

 

「待て待て、幻想郷での騒動は相柳が原因なのか? 何故急に外界の騒ぎと幻想郷が繋がったんだい?」

 

博麗大結界で分断されているはずだろうが。意味が分からんという態度で尋ねてみれば、藍は頭痛を堪えるようにこめかみを押さえながら回答してきた。

 

「まだ事態を把握し切れていないからあくまで推測になるが、外界の大妖怪の誰かが……恐らく佐渡の銭ゲバ狸か大阪の腹黒狐あたりが私の動きを通して相柳の企てに気付き、あの子の手助けをするために鬼たちにそのことを伝えたんだろう。そして鬼たちもまた、相柳への援護として『自発的』に騒動を起こしているわけだな。日本の大妖怪の中には博麗大結界を抜けられる者がちらほらと存在している。紫様が管理している時ならともかくとして、私が代行となっている冬の期間であれば鬼たちに一報送るくらいは不可能ではないだろうさ。」

 

「つまるところ幻想郷の騒動は、相柳が仕掛けた陽動だということか?」

 

「いや、違う。あの子にこんな作戦を考え付くような知能などないし、そもそも幻想郷の存在自体を知っているかすら怪しいところだからな。相柳の方から働きかけたわけではなく、大妖怪や鬼たちが勝手にあの子を助けようとしているんだろう。六百年前と一緒だよ。あの子が困っていると知れば、妖怪たちは動いてしまうんだ。」

 

小さくため息を吐きながらの藍の説明に、眉根を寄せて応答を飛ばす。『自発的』というのはそういう意味か。何とも面倒な展開だな。

 

「実に忌々しい話だね。『人気者』の相柳がまたしても妖怪たちの手助けを受けたってことか? ……その大妖怪がマホウトコロに直接干渉してきたらマズいぞ。キミが抜けた場合、こっちの戦力は私とアリスだけなんだから。」

 

「幾ら何でもそこまではしてこない……はずだ。仮に私の行動や発言を通じて相柳の動きに気付いたなら、紫様の部下である私の思惑にも勘付いているだろう。『相柳を止めようとしている』という思惑に。それなのにあの子を直接手助けしてしまえば、それ即ち紫様に対する明確な敵対行動に他ならない。そんなことをする間抜けは日本に居ないさ。」

 

要するに、鬼に働きかけた大妖怪は相柳の手助けはしてやりたいものの、隙間妖怪との敵対は望んでいないというわけだ。だからこそ幻想郷の鬼たちに相柳の動きを知らせるという間接的な行動に留めて、紫に対する言い訳が立つようにしたってことか。……それでもギリギリのラインだと思うがな。相柳への『小さな援護』は、その大妖怪にとっては危険な橋を渡るに足るものだったのかもしれない。

 

見知らぬ大妖怪の行動といい、すぐさま動き出した鬼たちといい、今なお相柳は日本の妖怪たちに愛されているようじゃないか。相柳当人の計画ではなく、周囲が勝手にやっている行動ってあたりが物凄く厄介だな。そんなもん予測のしようがないぞ。これこそが六百年前に日本を引っ掻き回した、大妖怪相柳の『強さ』なわけだ。

 

レミリアとも、ベアトリスとも、アピスとも魅魔とも紫とも違う独特な『強さ』。どこまでも戦い難いそれを思って舌打ちしつつ、藍に向けて問いを送る。

 

「明言できるかい? 別の大妖怪が直接干渉してこないと。」

 

「……明言は出来ない。今なおしぶとく外界の日本に残っている大妖怪たちは、それなりに理性を重視できる存在だ。たとえ自身の強い望みを見限ってでも、紫様との敵対を避けるだろう。そういった計算が出来ないヤツは時代の流れで消え去っているからな。……しかしながら、相柳が関わっている場合に限っては断言できん。十中八九直接的な手助けはしないだろうが、十ではない。一部の大妖怪たちにとっての相柳はそれだけの価値がある存在なんだよ。嘗て妖怪を想って人間に大喧嘩を吹っかけたあの子は、過去を懐かしむ日本の妖怪たちにとっての『英雄』なんだ。」

 

「もし訳の分からん大妖怪が直接手を出してきた場合、私は相柳なんぞ放って身内を優先するからな。能動的な対処ではなく、消極的に逃亡するという意味だ。マホウトコロで何が起きようと、相柳が他の大妖怪と合流することになろうと、私は全てを放り出して逃げさせてもらうぞ。それで構わないね?」

 

アリスとゲラートと、あとは早苗と……取材陣として参加するならジニーもかな。その辺を連れてすたこらさっさと逃亡させてもらう。大妖怪同士の戦いはカードの捲り合いだ。私は相手の手札が一枚も透けていない状態で真っ正面から戦うほどアホではない。どんな相手なのかが全く分からないのであれば、一旦素直に引いて情報を集められるだけ集めた後、万全の状態で『仕返し』に行くのがバートリ家のやり方だぞ。

 

私の『乱入者には対処しませんよ宣言』を受けて、藍はさほど迷わずに首肯してきた。

 

「構わん。これは完全にこちらのミスだからな。最初は相柳であるはずがないと思っていたから、外界の大妖怪と接触する際に警戒を怠ってしまったんだ。……何れにせよ、紫様が目覚めればどうにでもなる。お前はお前の目的を優先してくれ。」

 

「結構、そうさせてもらおう。……それと、土壇場で舞台から下りた清算は後でしてもらうぞ。もはや覆らないようだからこれ以上は食い下がらないが、『仕方がない』で済ますつもりは断じてないからな。私はキミがやると言ったから任せたのに、急に梯子を外されたんだ。結果として私の不利益が生じた時は覚悟しておきたまえ。」

 

「……分かっている。事態がどう転ぼうと借り一つだ。必ず返すことを八雲藍の名に誓おう。」

 

「安い貸しにはならんからな。」

 

話が一段落したところで、藍は席を立って別れの言葉を寄越してくる。本当に急いでいるらしいな。幻想郷の地底に居る鬼たちは、余程の騒ぎを起こしているようだ。そういえば相柳は鬼たちと特別親しくしていたと言っていたっけ。

 

「では、私は幻想郷に戻る。……気を付けろよ、バートリ。相柳の行動を予測しようとはするな。あの子は短慮だが、故にこちらが意図せぬ奇怪な手を打ってくることが多い。こちらから働きかけると裏目に出易いから、落ち着いて受け身の対処をしていけ。あえて相柳の方に『主導』させるんだ。あの子の単純な計画を複雑化させてしまうのは、常に周囲の方なんだよ。そして複雑化した事態はいつも強運を持つ相柳に利する。そのことを忘れるな。」

 

「忠告をどうも。……キミの様子を見るに望み薄だろうが、出来れば間に合うように騒動を収めてくれ。カンファレンスは明後日までだからね。最終日にすら間に合わないと決まったわけではないんだろう?」

 

「厳しい状況だが、努力はしてみよう。」

 

言うと早足でカフェを出て行った藍を見送ってから、ずっと黙って話を聞いていたアリスへと話しかけた。早くもこちらの強力な駒が一つ落とされてしまったな。

 

「面倒なことになったね。」

 

「ですね。……鬼に連絡を入れた大妖怪も、騒ぎを起こした鬼たちも、後でしっぺ返しがあると分かっているのに相柳のために行動したわけですよね? それが本当に援護になる確証すら無いままで。」

 

「恐ろしい話さ。基本的に妖怪ってのは利己的な存在なんだけどね。だからこそ集団として纏まることが出来ず、故に社会性がある人間に押されて消えていったはずなんだが……相柳はそれを覆せるようなカリスマを持っているらしい。私も初めて接するタイプの存在だよ。」

 

凄まじいな。改めて考えると無茶苦茶だぞ。矮小で、不死で、人気者で、素直で短慮なのに厄介な存在か。全てが初見すぎてこれっぽっちも予測が出来ない。まるで駒の動かし方すら知らない子供とチェスをしているかのようだ。

 

ベアトリスのようにとことん理性的に詰めてくる相手も面倒だが、相柳のそれは質が違う厄介さだな。早苗に通ずるところがあるかもしれない。こちらが慎重に熟考して作った盤面を、突拍子もない意味不明な手で台無しにされる感じだ。別に勝てなくはないものの、決して思い通りにはならない相手。私とは非常に相性が悪いぞ。

 

こういう相手を捌くのは受けが上手いレミリアの方が得意だったんだけどな。あるいは早苗や相柳と同じように、我を押し通せるフランも適役かもしれない。私は中途半端に相手の動きを読もうとするから、こうやって振り回されて混乱させられるわけか。

 

今は頼ることが出来ない従姉妹たちの不在を嘆きつつ、アリスへの話を続けた。やはり私は『表』があってこそだな。単独で動こうとすると大抵失敗している気がするぞ。形と切り離された影は弱いわけか。主体あってこその影なのだ。

 

「とにかく、藍抜きになるのはほぼ確定としておこう。いざとなったらゲラートと早苗とジニーを連れて逃げるから、キミも承知しておいてくれ。」

 

「了解しました。……でも、ちょっと意外です。リーゼ様でも迷わず逃げることを選択する時があるんですね。」

 

「バートリの吸血鬼にとって逃げは必ずしも恥ではないのさ。負けが恥なんだ。要するに、戦略的撤退ってやつだよ。準備も無しに未知の敵に挑むような愚か者になるくらいなら、潔く逃亡した方が遥かにマシだろう?」

 

「まあ、そうですね。『謎の大妖怪』相手にやり合うのは賢い選択じゃないと思います。……ジニーがもしスキーターのアシスタントとして参加するなら、人形を一体付けましょうか。それなら居場所を把握しておけますし、万が一の時は守らせることも出来ますから。」

 

うーむ、アリスの人形はこういう時に便利だな。パチュリーが使う大魔法ほど強力で劇的な一手ではないが、代わりに継続的な汎用性がある感じだ。どんな状況でも役割を得られるし、これといった弱点も無い。派手ではないものの、痒い所に手が届く魔法だぞ。

 

『娘』が選んだ魔法の形に改めて感心しつつ、少し冷めてしまった紅茶を一口飲んで話を進める。ちなみにアリスの前にあるのはアイスカフェオレだ。今日は紅茶の気分ではなかったらしい。

 

「一番楽なのは、相柳がひょっこり出てきてゲラートを操ろうとするパターンなんだけどね。そも操れないし、それなら捕まえるのも容易いだろうさ。」

 

「有り得なくもないあたりが悩ましいですね。相柳の行動、全然予想が出来ません。リーゼ様が部屋に侵入したことに気付いているのか、早苗ちゃんのことをどう思っているのか、本当にグリンデルバルドを操ろうとしているのか。『手段』どころか目的もあやふやです。……そもそも、早苗ちゃんに接触してきたのが単なる蛇だって可能性も残ってはいるんですよね? もちろん本気でそう思ってるわけではないですよ? あくまで可能性の話です。」

 

「だったらこれほどアホらしい話はないだろうね。私も、藍も、鬼に知らせを送った大妖怪も、騒ぎを起こした鬼たちも大間抜けの仲間入りさ。勘違いによる盛大な喜劇だよ。……まあ、キミが言うように可能性は無数にある。ならば私たちは後手の対処をしていくしかないよ。」

 

「臨機応変ですか。……何て言うかその、リーゼ様がちょっと苦手としてる方針ですね。」

 

苦笑しながら言うアリスに、同じ顔でこっくり頷く。私は予想や計画を先行させるタイプなのだ。行き当たりばったりは流儀じゃないし、得意でもない。いざ崩されると弱いのは自覚しているぞ。

 

「さすがよく分かっているじゃないか。本来地図無しで歩くのは得意じゃないんだが……ま、仕方がないさ。たまにはこういうこともあるよ。上手く補佐してくれたまえ。」

 

「頑張ります。……行きますか?」

 

「ん、どこかで食事をしてからマホウトコロに向かおう。一時頃に到着できればゲラートより早く着けるはずだ。マホウトコロ側にもその時間に行くと伝えてあるしね。」

 

私が紅茶を飲み干したタイミングで聞いてきたアリスに首肯してから、席を立って支払いを済ませて店を出た。そのまま東京の雑踏の中を歩いていると、隣を進むアリスが疑問を投げてくる。

 

「グリンデルバルドはマホウトコロの外に宿泊する予定なんですよね? そっちの警護はどうするんですか?」

 

「基本的にはキミの人形に任せようかな。私たちも今日から同じフロアの別の部屋に泊まるわけだし、異常の察知さえしてくれれば駆け付けられるさ。……護衛の闇祓いたちには『蛇を通すな』とでも言っておくよ。」

 

「言わなくても通さないでしょうけどね、蛇は。」

 

「心理的に警戒させるってのは結構重要なのさ。警戒している相手だと吸血鬼の魅了がかかり難くなる以上、相柳の力にもそれなりに効果があるはずだ。蛇を見た時に頭によぎる程度でもいいんだよ。」

 

服従の呪いと共通している部分も多いし、訓練された闇祓いともなれば簡単に操るのは難しいだろう。相柳自体に大した力はないのだから、ゲラートの護衛の闇祓いたちも充分戦力になってくれるはず。

 

それにまあ、マホウトコロに到着したらシラキにもそれとなく警告するつもりだ。あの『学校狂愛者』は中々イカれたヤツだが、杖捌きはダンブルドアやゲラートも認めていたほどなんだから、相柳の障害としては十二分に役に立つだろう。二度目のカンファレンスでまた騒ぎが起こるのはシラキにとっても避けたい出来事のはずだし、必死に警備を固めてくれるさ。

 

藍が落ちても駒はある。そのことを脳内で再確認している私に、アリスが別の確認を放ってきた。

 

「そういえば、早苗ちゃんはどうするんですか? 札を常に持ち歩いているわけですから、ジニーみたいに人形を護衛に付けるのは難しいかもしれませんよ? 不可能ではないはずですけど、色々と制限がかかっちゃいそうです。」

 

「早苗は二柱に守らせるよ。山ほど神札を渡したし、それなりの規模の神術は使えるはずだからね。一応戦力として数えていいんじゃないかな。……二柱のぽんこつっぷりを思うに、期待できるかは微妙なところだが。」

 

「諏訪子さんと神奈子さんって、実際何が出来るんでしょうね? どんな神性なのかは大体把握してますけど、いまいち想像が付きません。」

 

「普段のあの二柱を見ていると忘れそうになるが、神ってのはそこそこ厄介な存在なんだよ。妖怪が外道の力に長けているように、神性は常道の力を行使できるのさ。……気になるなら今度二柱に尋ねてみたまえ。魔女として勉強になると思うぞ。」

 

妖怪が法則を捻じ曲げたりひっくり返したりする力を持っている反面、神々はそれを増幅させたり利用する力を所持しているのだ。風神なら雲を払い、嵐を起こす。祟り神なら罪を暴き、報いを与える。軍神なら人々を鼓舞し、勝利を近付ける。妖怪よりも分かり易く、だからこそ人々から承認され易い常道の力。

 

自分たちとは相容れない力の在り方を思って小さく鼻を鳴らした後、何かを考えている様子のアリスへと声をかけた。目に付いた蕎麦屋を指差しながらだ。

 

「あそこはどうだい? 前に食べた時、キミは蕎麦を気に入っていただろう? カツ丼もあるみたいだぞ。」

 

「いいですね、あの店で食べましょう。……ここはカツ丼にしておくべきですかね? 早苗ちゃんが言ってたじゃないですか。勝負事の時はカツだって。」

 

「吸血鬼や魔女が験担ぎかい? ……ま、好きにしたまえ。恐怖しかり、信仰しかり、験担ぎしかり。曖昧な事柄は私たちの得意分野さ。それを楽しめるくらいの余裕を持たないとね。」

 

アリスの奇妙な発言にくつくつと笑いつつ、暖簾を潜って店の中へと入っていく。とにかく腹拵えをして、マホウトコロに移動しよう。今回は受け身でいくと決めたのだから、妙に気負っても良いことはあるまい。余裕を持って相柳の一手目に備えようじゃないか。

 

出汁の匂いがする店内でテーブルに着きながら、アンネリーゼ・バートリはコキコキと首を鳴らすのだった。

 



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災害の三角形

 

 

「いらっしゃったようですな。」

 

『濯ぎ橋』の上を、私が立っているマホウトコロの正門に向かって歩いてくるリーゼさんとアリスさん。その姿を見て助かったと息を吐きつつ、東風谷早苗は立花先生の発言に頷いていた。まさかこんなことになるとは思わなかったぞ。

 

カンファレンスが明日に迫った金曜日の午後一時。リーゼさんとアリスさんの案内役を引き受けた私は、門前で二人の到着を待っていたわけだが……教頭先生と二人っきりで待つだなんて聞いていないぞ。めちゃくちゃ気まずかったじゃないか。

 

どうも白木校長が用事で出迎えられないから、教頭先生が代わりにここに立つことになったらしい。現在他の葵寮生たちは昨日終わらなかった準備作業をしているので、やらなくて済んでラッキーとか思っていた自分が恨めしいぞ。ひたすら無言でリーゼさんたちの到着を待っている時間は地獄でしかなかったのだから。

 

むむう、リーゼさんたちが他の『前乗り客』よりも早く到着するのがマズかったな。私の他にも案内役が居れば多少はマシになったのに。予想外の『不幸』を受けて疲れた気分になっていると、歩み寄ってきたリーゼさんがこちらに声をかけてくる。

 

「やあ、早苗。それとキミは……確か、立花田助だったね。トーナメントの閉会パーティーで話した覚えがあるよ。」

 

「はい。マホウトコロで教頭職を務めております、立花です。本日は『善き魔法の在る処』へようこそお越しくださいました。我々は貴女がたの訪問を歓迎いたします。」

 

「ふぅん? 今回の出迎えはシラキじゃないのか。何度も来ているから軽んじられちゃったのかな?」

 

「滅相もございません。白木校長はここに立ってバートリ女史をお迎えすることを強く希望したのですが、この時間はどうしても外せない用事がありまして。」

 

おおお、教頭先生が下手に出ているぞ。私からすれば超怖くて偉い先生だが、やっぱりリーゼさんの方が『上』らしい。こういう時はリーゼさんがとんでもない年齢で、かつ凄く偉い吸血鬼だってことを実感するな。

 

リーゼさんの立場の強さを再確認して謎の感動を覚えている私を他所に、当の吸血鬼さんは肩を竦めて応答を口にした。

 

「ま、出迎えは別にいいんだけどね。シラキにちょっと話があるんだよ。後で時間を作って欲しいと伝えてくれたまえ。」

 

「かしこまりました。」

 

「んじゃ、案内を頼むよ。……早苗?」

 

「あっ、はい。こっちです。」

 

私に言ったのか。油断していたぞ。慌てて首肯してからリーゼさんたちを連れて正面玄関に向かうと、教頭先生は深々と頭を下げて私たちを……というか、リーゼさんとアリスさんを見送り始める。立花先生はこのやり取りのためだけにずっと門前で待っていたわけか。教頭というのも案外大変な仕事なのかもしれないな。

 

内心で同情しながら玄関を抜けて、二階に続く階段の方へと廊下を歩いていると、リーゼさんが周囲を見回しつつ話しかけてきた。ちなみに今向かっているのは二階の中央部にある四面廊下ではなく、北側にある客室なんかが並んでいる区画だ。

 

「早苗、マホウトコロで何かあったんじゃないだろうね? シラキが出迎えないってのには若干キナ臭いものを感じるぞ。」

 

「えっと、何もありませんよ? 会場の準備とかが少し押してるので、その所為じゃないでしょうか?」

 

「準備が間に合っていないのかい? そっちもシラキらしくないじゃないか。」

 

「昨日の午後に五年生から上が手伝ってたんですけど、スケジュール通りに終わらなかったんですよ。大広間を準備してた葵寮も、客室を準備してた藤寮も、庭とかを準備してた桐寮もダメだったみたいですね。だから今日の午後の授業が中止になって、今も準備をしてるんです。」

 

廊下の奥にあった上り階段の一段目を踏みながら説明した私に、リーゼさんがかっくり首を傾げて問いを飛ばしてくる。

 

「やけにギリギリの準備に思えるね。前回のカンファレンスの時もそうだったのかい?」

 

「前回もまあ、準備を始めたの自体は数日前とかでしたね。大広間が使えなくなっちゃいますし、客室とかをずっと前に掃除したって仕方ないですから。……だけど、それでも全然間に合ってはいました。今回は多分、スケジュールに無理があったんですよ。」

 

「ふぅん? ……無理なスケジュールになった原因は?」

 

「そこまではちょっと分かんないですけど……もしかすると、先生が何人も休んでるからなのかもしれません。」

 

四面廊下と違って『いの面』しかない客室が並ぶ廊下を進みつつ、どの部屋だったっけと思い出しながら答えてみると、続いてアリスさんが質問を送ってきた。

 

「そういえば、諏訪子さんからの手紙にもそんな感じのことが書かれてたわね。細川京介以外にも休んでいる教師が居るの?」

 

「えと、結構居ます。私は噂に詳しくないので全部は把握できてませんけど、十人弱は休んでるんじゃないでしょうか?」

 

「十人弱? ……それでよく授業を回せるわね。」

 

「マホウトコロは教師が多いんですよ。何て言うか、研究をする場所って側面もありますから。だから一応授業は普通にやってますけど、休講がちょびっとだけ増えてはいるかもしれません。……この部屋です。」

 

ホグワーツ魔法魔術学校はもっと少ない教師数なんだろうか? だけど、霧雨さんによれば生徒の人数はそこそこ多かったはずだぞ。イギリスの魔法学校のシステムに関する疑問を抱きつつ、到着した客室に三人で入室する。一度に授業を受ける人数がマホウトコロより多いのかもしれないな。

 

それで、えーっと……部屋に案内したら何をするんだっけ? お茶を淹れるんだったかな? 事前に申し渡されている『案内マニュアル』の内容を記憶から掘り起こしていると、いきなり客室にお二方が出現した。おおう、実体化しちゃうのか。

 

「やほー、二人とも。……うっわ、高そうな羊羹が置いてあるじゃん。早苗、食べちゃいな。」

 

「やめろ、諏訪子。お前は恥という言葉を知らんのか。……こちらの状況は聞いた通りだ、バートリ、マーガトロイド。教師が複数名休んでいて、白木らしからぬ無理なスケジュールが寮生徒会に提示されている。お前たちはどう思う?」

 

「無論気にはなるが、そこから相柳の行動を予測するのは難しそうだね。パッと思い付く懸念としては、相柳が細川だけではなく複数人の教師を支配下に置いたってパターンかな。」

 

「でも、可能なんでしょうか? 相柳は力の弱い妖怪なんですよね? 細川京介一人を操るのが精一杯って認識だったんですけど。」

 

うーん、リーゼさんもアリスさんもお二方の登場に一切驚かずに、普通に会話に突入しているな。旅館の一室のような構造になっている客室の中で、私が電気ポットを使ってお茶の準備をしている間にも、『人間以外』の存在たちの話し合いは進行していく。

 

「私も少し腑に落ちないが、可能性の一つとしては考えておくべきさ。……具体的に何名なんだい? 休んでいる教師は。」

 

「恐らく、一昨日の時点で細川を含めずに八名だ。恐らくな。私たちは早苗から離れられないから、確実な情報は手に入っていない。」

 

「細川を合わせれば魔法使いが九名か。仮に相柳の駒になっていたとしても、大した戦力にはならないと思うがね。」

 

先生が九人というのは『大した戦力』だと思うんだけどな。リーゼさんにとってはそうじゃないってことか。神奈子様に応じたリーゼさんの言葉に、今度は羊羹を食べている諏訪子様が返事を放つ。小さな羊羹が一つ一つ箱に入っているやつだ。絶対高いぞ、あれは。

 

「何に使うか次第でしょ。私なら九人も使えれば結構なことが出来るけど?」

 

「『短慮』な相柳でも出来ると思うかい?」

 

「んー、それは分かんない。私はリーゼちゃんの考えはそれなりに読めるけど、早苗の思考は全然読めないもん。もし本当に相柳が『短慮なバカ』なんだったら、早苗と一緒で読もうとするだけ無駄っしょ。」

 

……あれ? ひょっとして今私、バカにされた? 人数分のお茶をテーブルに置きながら考えていると、リーゼさんが疲れたように口を開く。誰も気にしていないみたいだし、勘違いかな?

 

「何にせよ、応手でいくぞ。管理者代行が言っていた相柳の性格からするに、無理に先手を取ろうとすると深読みして裏目に出かねないし、今回はそうしようと決めたんだ。相柳が行動を起こしたら対処するさ。」

 

「後手に回るのか?」

 

「そうせざるを得ないだろう? ここは相柳の用意した盤上で、私は彼女がどんな勝ち方を目指しているのかも知らないし、現在の盤面がどうなっているのかも把握し切れていないんだ。後手で守るのは私ではなくレミィの領分だが、他にやりようがないなら仕方がない。勝ちを目指すのではなく、負けないようにするよ。」

 

神奈子様の問いに鼻を鳴らして返答したリーゼさんは、羊羹を一つ手に取って話を続けた。

 

「それと、カンファレンスに出席予定だった管理者代行が来られなくなった。始める前に駒を一つ落とされたよ。忌々しい話さ。」

 

「何? どういうことだ?」

 

難しい顔で身を乗り出した神奈子様へと、リーゼさんがよく分からない説明をしているのを聞き流しつつ、私も羊羹を一つ取って箱を開け……ぐう、開かない。これ、どうなっているんだろう? 透明なシールか何かが貼ってあるのかな?

 

思いっきり引っ張って封を開けようとして、結局は開封口をボロボロにしていると、アリスさんが懐から次々と人形を取り出しているのが視界に映る。全然開かない羊羹の封も謎だけど、あれも中々奇妙な光景だな。あんなにいっぱいどこに仕舞っていたんだ?

 

ようやく取り出せた羊羹をぱくりと食べつつ、テーブルの上で準備体操みたいなことをしている七体の人形たちを眺めていると、諏訪子様が常ならぬ真剣な口調でリーゼさんに質問するのが聞こえてきた。あの人形たち、『生きて』いるのかな? 暗いところだと怖かったけど、明るい場所で見るとちっちゃな身体でちょこちょこ動いていて可愛いぞ。すっごくキュートだ。

 

「鬼かぁ。そりゃあ放ってはおけないだろうね。……これから白木と会うんでしょ? 探りを入れてみなよ。休んでる教師のこととか、詰め込みすぎたスケジュールの理由とかを。」

 

「言われなくても探りは入れるさ。それより、キミたちの方の準備は万全なんだろうね?」

 

「札はアホほど持たせてるよ。使いまくれば仮にリーゼちゃん相手でも短時間は粘れるから、相柳が相手なら何とかなるんじゃないかな。……っていうかさ、念のためアリスちゃんの人形を早苗の護衛に割いてもらうのは無理なの?」

 

「アリスの人形は魔力で動いているんだから、札で機能不全に陥るぞ。だろう?」

 

おっと、となると私は触っちゃいけないみたいだ。人形を抱き上げようとした手を慌てて引っ込めたところで、一体の人形を弄っているアリスさんが応答を返す。あの人形は洋風の剣みたいな物を持っているな。あれで戦うんだろうか? 拳銃とか爆弾とかを持たせた方が強そうなのに。

 

「色々と考えてみたんですけど、一応早苗ちゃんが直接触らなければ半自律状態で警護させることは可能なはずです。でも札の神力が邪魔で遠隔操作は出来ませんし、もちろん連絡用にも使えません。私からだと稼働しているか停止しているかを認識するのが精一杯だと思います。加えて動きにも多少の不具合が生じるでしょうね。……まさに今生じてますから。」

 

アリスさんの発言に呼応するかのように、小さな人形たちが一斉に私の方を向きながら両手でバッテンを作ってくる。悲しいぞ。札を持っていると人形たちから嫌われちゃうのか。こんなに可愛いのに。

 

抗議するような人形たちのジェスチャーに怯んでいる私を他所に、諏訪子様が腕を組みながら提案を場に投げた。

 

「私たちに触れても、早苗に触れないんじゃねぇ。……でもまあ、早苗が触りさえしなければ受けの使い方は出来るってことっしょ? 例えばこの部屋に人形を配置しておいて、早苗がそこに立て籠るとか。単に『早苗を守れ』って感じなら複雑な命令じゃないし、居ないよりは全然マシじゃない?」

 

「試験的に配置してみますか? 半自律人形を独立運用するなら私の処理能力は削れませんし、余計に持ってきてるので別に構いませんけど。」

 

「とりあえず試してみようよ。リーゼちゃんたちがグリンデルバルドの部屋に行ってる間、早苗と人形をここに置いておけばいいじゃん。荷物を見ておけって言われたから、部屋に居る必要があるとか何とか適当な言い訳をしてさ。……まさか入ってきたヤツを無差別に襲いまくったりはしないよね?」

 

「諏訪子さん? 私の人形を何だと思ってるんですか? 無差別には襲いませんよ。ちゃんと護衛用の条件付けをしますから。襲うのは予め設定しておいた『攻撃対象』とか、護衛対象に危害を加えようとした存在とか、攻撃対象を庇おうとする『障害』だけです。」

 

言うと、アリスさんは新たに三体の人形を取り出しているが……一体全体どれだけ持ってきているんだ? ポンポン出てくるじゃないか。

 

「まあ、使い所はそんなになさそうだけどね。カンファレンスの開催中は早苗もリーゼちゃんの近くに居られるわけだし、グリンデルバルドがマホウトコロ内に居て、かつ早苗とリーゼちゃんが離れるタイミングなんてそうそうないっしょ。」

 

諏訪子様が羊羹以外のお菓子を漁りながら飛ばした言葉に対して、リーゼさんがお茶を一口飲んでから応じる。

 

「短い時間はちょくちょくあるだろうけどね。そういう時は半自律人形を付けてみようか。……寮の部屋はいいのかい?」

 

「あっちは無理かな。部屋中に札を貼りまくって『要塞化』してあるから、どうやったってアリスちゃんの人形は動けないよ。……一応試してみる? 多分入れもしないで壊れちゃうと思うけど。」

 

「嫌です。人形が可哀想じゃないですか。」

 

確かに可哀想だ。ジト目のアリスさんの文句にこくこく頷いたところで、神奈子様が纏めのようなことを口にした。

 

「兎にも角にも、早苗を守る術が増えるのは歓迎すべきことだ。受けに回るとバートリが言うのであれば、私たちもその方針に従おう。……今日早速仕掛けてくる可能性も大いにあるぞ。油断するなよ?」

 

「そっちこそ油断は禁物だからな。相柳の目的がゲラートだということ自体が、未だ単なる予想に過ぎないんだ。何だって起こり得ると頭に刻んでおきたまえ。」

 

うーむ、『何だって起こり得る』か。いまいち状況を掴み切れていない私でも、厄介だということが伝わってくる台詞だ。……とはいえまあ、杖魔法すら満足に使えない私には何も出来ない。お二方の『移動式電源』でしかないという自覚はあるぞ。

 

だったらせめて、お荷物にはならないように努力してみよう。変に動いたりせず、大人しくしておくのだ。手助けは出来ないけど、邪魔にならないことは出来るはず。それが今回の私の唯一の『努力ポイント』だな。

 

自分の役割を脳内で確認しながら、東風谷早苗は二つ目の羊羹に手を伸ばすのだった。

 



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追い風

 

 

「いいかい? かなりキナ臭い状況だということをキミも自覚しておきたまえ。……おいこら、聞いているのか?」

 

うーむ、和風の部屋が恐ろしく似合わない男だな。マホウトコロ校内の一室でグリンデルバルドに注意しているリーゼ様を横目にしつつ、アリス・マーガトロイドは室内を見回していた。現地に到着したグリンデルバルドが案内された部屋は、私たちに宛てがわれた客室よりもずっと広いようだ。政治的な格もそうだけど、随行者が多いというのが一番の理由なのかもしれない。

 

三月十七日の午後、私とリーゼ様はグリンデルバルドが居る客室に到着したところだ。複数の部屋がある広い客室内には、私たちの他に七名もの人影がある。グリンデルバルド本人と、彼の補佐官らしきスーツ姿の男性が二人、そして銀朱色のローブを着たロシア闇祓いが四名。部屋の前の廊下には更に二人の闇祓いが見張りに立っていたし、計九名の大所帯ということになるな。

 

物々しいとは思うが、同時に頼もしくもあるぞ。部屋に居る四人の闇祓いたちは皆精鋭と言って差し支えないレベルの雰囲気だ。杖捌きを見ずに仕草から力量を測るのはオグデンほど得意ではないけど、少なくともイギリス闇祓いの中堅どころよりは上な気がする。ムーディやデュヴァルあたりと比較してしまうとさすがに見劣りするものの、戦力としては充分すぎるほどの面子だろう。

 

ローブと同じ色の布で口元を隠している闇祓いたちを観察している私を他所に、椅子に座って書類を読んでいるグリンデルバルドがリーゼ様に返事を投げた。目元しか出ていないから、性別すらよく分からないな。ロシアの闇祓いはあんな格好をしていて戦闘時に支障が出ないんだろうか? まあ、それも含めた訓練を積んでいるんだとは思うけど。

 

「具体的にどう『キナ臭い』んだ?」

 

「具体的な説明など必要ないだろうが。キナ臭いもんはキナ臭いんだよ。備えたまえ。」

 

「……この場では説明できない事情があるということか?」

 

周囲の随行者たちをちらりと見ながら問いかけたグリンデルバルドへと、リーゼ様が小さく鼻を鳴らして首肯する。……ちょっとイラッとくるやり取りだな。リーゼ様が暗に言わんとしていることを、グリンデルバルドが汲み取っている感じだ。私だってリーゼ様相手なら同じことが出来るんだぞ。

 

「そういうことだね。」

 

『……ミハイロフ、前日だからと油断せずに警戒を厳にしろ。お前たちには詳細を語れないが、この吸血鬼の情報は信ずるに足るものだ。ここからは何かが起こるという前提で行動するように。』

 

『了解しました、議長。……ソコロワ、外の二人にも伝えておけ。』

 

『了解。』

 

あの人は女性だったのか。隊長っぽい人物からのロシア語での指示を受けて、ソコロワと呼ばれた女性が廊下で出入り口を固めている二人に指示を伝えに行くのを尻目に、グリンデルバルドは続けて補佐官らしき二名の男性にも声をかけた。どちらも高級そうな黒スーツ姿で、年齢は五十代か六十代ってところかな。通常なら結構なベテランだが、グリンデルバルドからすれば『小僧』だろう。

 

『事前の計画通り、安全面を重視して細々とした面談はお前たちに任せる。俺の代行として何を確認し、何を要求し、何を受け入れるのかを頭に入れておいてくれ。』

 

『かしこまりました、同志。』

 

『……同志はやめておけ。アジア圏の人間には偏ったイメージを抱かせかねん。俺のことは役職で呼ぶように。』

 

『はい、議長。』

 

何かこう、ロシア語での会話というのはどうにも堅苦しく聞こえてしまうな。単純に文化の違いなのか、文法や発音がそう思わせるのか、あるいはジョーク塗れのイギリスで育った弊害なのか。最後の理由かもしれないと微妙な気持ちになっていると、グリンデルバルドがリーゼ様に向けて報告を放つ。わざわざロシア語から英語に戻してだ。リーゼ様も私も聞き取れるし話せるんだから、別にロシア語のままでもいいのに。

 

「この後はマホウトコロ内でホソカワ派の重鎮と会う予定だ。他の政治家や文化人たちとの面談は部下に任せられるが、その人物とだけは直接話したいからな。把握しておいてくれ。」

 

「具体的に誰だい? 話す相手は。」

 

「マサシゲ・ホソカワだ。お前も以前会っているんだろう?」

 

「ああ、あの老人か。……確かにあの男とは直に話しておくべきかもね。日本を出られないようだから機会が少ないし、どうせ話すならカンファレンス前の方がいいだろうさ。把握したよ。」

 

細川政重か。リーゼ様は一度会食したらしいけど、私は会ったことのない人物だな。どんな人なのかと想像していると、廊下から戻ってきたソコロワと呼ばれていた女性がグリンデルバルドに声を送った。

 

『議長、来客です。日本魔法省の闇祓いが二名、挨拶をしたいと言ってきました。』

 

『いいだろう、通せ。』

 

読んでいた書類を補佐官に渡したグリンデルバルドの了承に従って、別の闇祓いが玄関の方へと歩いて行く。僅かな時間を置いた後、迎えに行ったロシア闇祓いの背に続いて姿を現したのは……日本の闇祓いも『制服』があるから分かり易いな。日本魔法界では闇祓いのみが着用を許されているという、黒い『着物ローブ』姿の中年の男性二人組だ。

 

「お初にお目にかかります、グリンデルバルド議長。日本魔法省闇祓い局の主席を務めております、和泉です。明日からのカンファレンスの会場警備を私が担当いたしますので、一言ご挨拶をと思いまして。」

 

「次席の細川です。どうぞよろしく。」

 

また細川か。闇祓い局は細川派の色が濃い組織らしいし、やっぱり細川姓が多いのかな? 若干以上の独特な訛りを感じる英語での挨拶に、グリンデルバルドが綺麗な英語で応対しているが……そのやり取りを背にリーゼ様が次席の男性に近付いて話しかけた。今度は日本語でだ。この部屋は言語がぐちゃぐちゃすぎるぞ。

 

『やあ、次席君。キミの噂は聞いているよ。』

 

『あーっと……それはまた、何とも光栄ですね。私も貴女の噂を聞いていますよ。好きこのんで細川派と関わる他種族は珍しいですから。』

 

『派内では有名な人格破綻者なんだって? 父親とばったり顔を合わせないように気を付けたまえ。今日はここに来ているぞ。勘当されているんだから会いたくないだろう?』

 

四、五十代ほどの見た目にしてはちょっと軽い雰囲気の男性は、リーゼ様の発言を聞いて分かり易く嫌そうに顔を歪める。『人格破綻者』ってのは凄い評価だな。ムーディやオグデンと同じような人物なんだろうか? どうやら一部の闇祓いの性格が『ぶっ飛んでいる』のは万国共通なようだ。

 

『っと、頑固親父と会うのは確かに御免ですね。忠告はありがたく受け取っておきます、あー……バートリさん? で合ってます?』

 

『合っているよ、色狂い君。ついでにもう一つ忠告してあげよう。キミの三男の頭がおかしくなっているぞ。会いに行ってあげたまえよ。』

 

『京介のことですか? ……頭がおかしいってのは結構な言い草ですね。あいつはまあ、私の息子にしては随分と真っ当な人間だったはずなんですけど。』

 

『精神的にかなり参っているようでね。私はちょっとだけ話す機会があったんだが、あのままだと自殺しかねんぞ。一応は親なんだろう? どうせマホウトコロに来ているんだから、チラッと様子を見に行くくらいのことをしてもバチは当たらないと思うよ。』

 

リーゼ様がそう囁きかけたところで、グリンデルバルドと主席の人……恐らく『主席』というのは隊長や局長に位置する役職名なのだろう。の話が終わったようだ。ススッと離れていったリーゼ様に尚も質問しようとした次席の男性に、主席の方が小声の日本語で注意を飛ばす。要するに次席の男は細川京介の父親なのか。そういえばアピスさんの調査報告書にそんなことが書かれていたな。

 

『細川、行くぞ。頼むから今だけは余計なことをしないでくれ。』

 

『いや、あの吸血鬼さんに聞きたいことが──』

 

『やめろ、早く行くぞ。』

 

『……分かりましたよ。』

 

私の立っている場所でギリギリ聞こえるくらいの、中途半端に声を潜めた会話……日本語が分からないと思って油断しているのかな? だとすれば『油断大敵』だぞ。本気で潜めるにしてはやや大きめの声でのやり取りを経て、二人の日本闇祓いたちはグリンデルバルドにもう一度挨拶をしてから部屋を出て行った。

 

「リーゼ様、細川京介の父親を利用する気ですか?」

 

見送りに行ったロシア闇祓いを見ながらリーゼ様にこっそり尋ねてみれば、彼女は皮肉げな笑みで頷いてくる。

 

「相柳が掻き回してくるなら、こっちだってそうするまでさ。上手くいけば細川京介を退場させられるかもしれないよ。闇祓いなら向かわせたところで簡単に操られるはずはないし、ちょっとした嫌がらせの一手ってわけだ。藍を落とされちゃったんだから、現地の駒も適度に使っていかないとね。」

 

「『応手でいく』って言ってたじゃないですか。これは明らかに『先制攻撃』だと思いますけど。」

 

「このくらいはご愛嬌だよ。裏目に出ても大した被害はないだろうさ。」

 

肩を竦めて豪語してくるリーゼ様に、何とも言えない気分で応答した。やっぱりリーゼ様は攻める方が得意なんだな。咄嗟にこういうことをするとは思わなかったぞ。『待ちっぱなし』に我慢できなくなったわけか。

 

「……いっそのこと、リーゼ様が直接細川京介を無力化するのはダメなんですか? 前までは藍さんからの制止があったし、相柳にこっちの思惑を気取られないために干渉を控えていたんですよね? でも、ここまで来たらそんなことは関係ないはずです。私たちは堂々とマホウトコロの領内に入ってるわけなんですから。」

 

「ゲラートの安全という面ではそれが一番だろうさ。細川だけじゃないぞ。私が休んでいるマホウトコロの教師を片っ端から殺しまくって、相柳の持ち駒を減らせばいい。怪しきは殺せってわけだね。……だが、それをやるとカンファレンスはもちろん中止だ。そもゲラートを来させないという選択肢を選べなかったように、カンファレンスを中止に追い込むような策も使えないんだよ。あそこに居る忌々しい頑固ジジイの願いを果たすためにはね。」

 

「だけど今日相柳が行動を起こして、結果として大きな騒ぎになればカンファレンスは中止になりますよ?」

 

「そうなったら相柳が悪いわけであって、私の所為じゃないよ。私が能動的に動いた結果としてカンファレンスが中止になるのが問題なのさ。……まあ、相柳がどんな手を打ってきても出来る限りカンファレンスが成立するようには立ち回るがね。最悪の場合はゲラートの安全が優先だ。」

 

んー、何とも複雑な拘り方だな。『ケジメの問題』ってやつか。グリンデルバルドは自身の危険を度外視してでもカンファレンスの成功を望んでおり、だからリーゼ様はカンファレンスを成立させた上でグリンデルバルドを守ろうとしているわけだ。

 

互いに主目的と副目的が入れ替わっているものの、両方を達成しようとする限りは齟齬が生じないって状態だな。相柳の行動がいまいちはっきりしていないのも相俟って、非常にふわふわした状況だぞ。複数の思惑が絡み合って動ける隙間が減っている感じだ。

 

脳内で現状を整理している私に、リーゼ様は尚も説明を続けてくる。

 

「大体、細川や休んでいる教師だけが怪しいってわけでもないじゃないか。私は細川の様子から、相柳に操られると精神だか何だかを消耗すると踏んでいるが……そんなもん単なる予想に過ぎないからね。『不調』な連中は分かり易い囮で、普通に生活している教師や生徒の中に相柳の本命の駒が紛れているのかもしれないぞ。」

 

「……言われてみればそうですね。誰が敵で誰が敵じゃないかが分からないのは、ベアトリスの時を思い出します。」

 

「ベアトリスの時はやや特殊だったが、魔法戦争の頃も似たような状況だっただろう? これ見よがしに旗を掲げて、二つの集団が正面切って殴り合うような戦いじゃないのさ。おまけに迂闊な行動をするとカンファレンスにケチが付きかねないし、マホウトコロの教師が大量死したとなれば後々にも響く。短絡的に相手の駒を潰しまくるわけにはいかないんだよ。……昔だったらもっと『妖怪らしいやり方』を選択できていたかもしれないけどね。常識ってやつを得てしまった今の私にその選択肢は選べないわけだ。我ながら『人間っぽい』思考回路になっちゃったもんさ。」

 

「……ならせめて、拘束するのは無理ですか? 殺すのは確かに問題かもしれませんけど、操られている可能性が高い細川京介だけでも動けなくしてしまうのはどうでしょう?」

 

リーゼ様が言っていることも分かるが、『問題点』が見えているのに対処しないのは勿体無い気がするぞ。休んでいる教師たちが相柳の用意した『分かり易い囮』であるケースや、リーゼ様が対処したとマホウトコロ側にバレた場合の後始末の方法、グリンデルバルドの近くから短時間でもリーゼ様を離す危険性だったり、カンファレンスへの影響、相柳がこちらの動きをどこまで把握しているのか、見知らぬ大妖怪が介入してくる可能性等々を考えながら食い下がってみると……黒髪の吸血鬼は困ったように苦笑して返事を返してきた。

 

「キミ、『深読み』しているね? 顔を見れば分かるぞ。藍からの忠告を忘れたのかい?」

 

「……積極的に懸念に対処しようとすると、裏目に出かねないってことですか?」

 

「私はね、アリス。相柳の計画自体はひどく単純なものであると予想しているんだ。藍からの忠告を妄信しているわけじゃないぞ。細川京介の行動からもそれは読み取れるからね。ゲラートと会って、操って、人間社会を無茶苦茶にして、妖怪を救う。相柳は穴だらけの単純明快な計画を自信満々に進行するタイプなんだと思うよ。」

 

バカにする感じではなく、冷静な口調で相柳の『短慮っぷり』を語ったリーゼ様は、疲れたような顔付きで続きを口にする。

 

「いいかい? 藍が言っていたように、相柳の計画を複雑にしているのは恐らく周囲の方なんだ。余計に入り組ませているのは細川京介や、早苗たちや、藍や、協力しようとした大妖怪や、幻想郷の鬼たちや、ゲラートや、私たちなのさ。今回の騒ぎもそうだし、六百年前の騒動も多分そうなんじゃないかな。……なまじ基礎となっている相柳の計画が単純すぎるから、周囲からの影響を受けまくっちゃうんだよ。それぞれの意図とは関係なく相柳の計画に干渉し、そして結果として複雑化するわけだね。」

 

それは……むう、どうなんだろう? 何となくの説得力を感じる考察に私が悩んでいる間にも、リーゼ様はやれやれと首を振りながら言葉を繋げた。

 

「今回の騒動を最初から辿ってみれば分かるよ。『ペット探し』で早苗と接触して、早苗から更に私に繋ぎ、私経由でゲラートと会うことを考案したのは恐らく細川京介だ。ずっと封印されていた相柳がゲラートと私の繋がりを去年の四月時点で掴めるはずはないが、細川京介なら調べられただろうさ。クィディッチトーナメントでゲラートと同席していたのをシラキから聞いたか、あるいは引退前のレミィがゲラートと連携を取っていたことから関連付けたのか。取っ掛かりは何にせよ探れないほどのことじゃないし、実際彼は最初の段階で既に気付いていたようだったからね。動機だけは未だにはっきりしないが……まあ、相柳に協力させるための対価ってところじゃないか?」

 

「……そして、計画の要となるカンファレンスに関してはこっちの都合で開いたと。」

 

「そういうことだね。別に相柳が何かしたわけじゃない。その間相柳がしたことと言えば、下手な芝居で二柱に違和感を持たせたり、不用意に出歩いて早苗に見つかったり、無謀にもシラキを操ろうとして失敗した挙句、盛大に口を滑らせてヒントを残したことくらいだ。……相柳のバカさ加減を思うに、日本魔法省に要請を通す際の工作も細川が主導したんじゃないかな。とはいえ決議後に長官が急死したのはあまりにも不自然すぎるから、そこは相柳のミスなんだろうさ。中途半端に操って何らかのトラブルが発生した結果、殺さざるを得なくなったとか? 詳細はさっぱり分からんが、細川としても予想外だったんだと思うよ。」

 

「……騒動の前半の骨子を組んだのは細川京介だったってことですか。」

 

私の相槌に首肯したリーゼ様は、書類の確認やサインをしているグリンデルバルドの方を見ながら会話を続ける。

 

「だがその細川が『壊れちゃった』から、私との二度目の話し合いは無茶苦茶なことになってしまったわけだ。本来相柳の計画はあの段階で迷走して崩壊していたはずなのに、今度はゲラートが地域別カンファレンスの開催を決定し、私がその会場をマホウトコロに決めてしまったのさ。結果的に相柳は労せずしてゲラートをマホウトコロに誘き出すことが出来て、おまけとして『勝手に』行動する妖怪たちの援護も得られた。……ちなみに相柳が私の動きに気付いているとすれば、それも彼女の功績ではなく私のミスから発生したものだ。基本的に相柳自身はまだ何も成功させていないんだよ。失敗は何度かしたようだがね。」

 

うーん、恐ろしい話だな。相柳は不用意に早苗ちゃんに姿を見せて不審な言動を残し、意図せずして長官を死なせてしまったり細川京介を不自然に操ることでリーゼ様の疑いを煽り、グリンデルバルドを誘き出すのに失敗して八雲藍さんまで追っ手になるところだったのに、結局は何もかもが解決して今の状況に繋がっているわけか。

 

相柳は当初リーゼ様と幻想郷の繋がりには勿論気付いていなかっただろうし、早苗ちゃんに二柱の神が憑いているどころか、目的たるグリンデルバルドの存在すら知らなかったはずだ。細川京介経由でグリンデルバルドに目を付け、支離滅裂で問題だらけの計画を考案し、殆ど何も成功させていないのに現状に繋がった? 凄まじいな。天運を持っているぞ。

 

改めて考えてみて唸っている私に、リーゼ様は呆れ果てた口調で話を締めてきた。ある意味では他人の『結果的な失敗』を利用しているとも言えそうだな。本来は意味を持たないはずの賽の目が、予想外に組み合わさって相柳の望む目に変わってしまっている感じだぞ。

 

「カンファレンスの成功という制限が私にあるのも、間接的に相柳に味方しているわけだしね。何もかもが追い風なのさ。……だから応手なんだ。さっき父親を使って細川京介に干渉しようとしたあたりが限界だよ。私たちが極力何もしなければ、相柳は思い通りに計画を進められるはずだろう? それこそが一番対処し易い状態なんじゃないかな。藍が言っていたのは多分そういう意味さ。」

 

「元々ある相柳の計画通りに進めば、結局は失敗するってことですか。つまり、リーゼ様は私たちが『何か』をしようとするほどに厄介なことになると思っているわけですね?」

 

「ま、そうだね。元来バカが立てた計画なんだから、相手取るに当たっては元々の形こそが一番楽ってわけだ。……多少不条理な意見であることは認めるが、実際そうなんだと思うよ。相柳はそういう妖怪なのさ。多分ね。」

 

だけど、今度はそれが裏目に出る可能性はないんだろうか? ……これは難しいな。整った論理では片付けられない、非常に妖怪らしい厄介さだぞ。賢人を翻弄できるのは愚者だけ。それを体現しているような相手じゃないか。

 

やっぱり何だか、早苗ちゃんの在り方に似ている気がする。本人の思惑すら関係なしに場を乱すところがそっくりだ。相柳を相手取った六百年前の日本の神々も、私たちと同じように悩んだのかもしれない。どの札を選んでも相柳に利するような気分になってくるな。

 

ふわふわしていて、故にもやもやする厄介さ。どうにも掴み切れないそれについてを思案しつつ、アリス・マーガトロイドは息を吐いて腕を組むのだった。

 



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満足

 

 

「お分かりになりましたかな? つまり、これが非魔法界の力です。皆さんが今目にしたものの数々は、現在の非魔法界においてそれほど珍しいものではありません。宇宙に浮かんでいる巨大な機械も、島一つを焼き尽くすことが可能な兵器も、地球の裏側と一瞬でやり取り出来る技術も、多数の先進国が『普通に』保有しているものということになります。……更に言えば、これらは全てここ一世紀の間に生まれた技術です。今の映像を見てなお魔法界の秘匿がこれからも継続して実現していくと考えるような愚か者が、この場に居るとは思いたくありませんな。」

 

どうやら『技術屋』を引き込んだのは正解だったらしいな。多数のテーブルが囲んでいる発言台で非魔法界の技術を語っている細川政重を見ながら、アンネリーゼ・バートリは苦笑いで感心していた。危機感を煽るには充分すぎるほどの映像だったぞ。

 

特にトラブルもなく前日を終えて、遂に始まったマホウトコロでのカンファレンス。ゲラートが八十名ほどの参加者たちに対して開催の目的や理念を語った直後、細川政重が映像を白い幕に映し出す機械を使って『先制攻撃』を仕掛けたわけだ。参加者たちの七割ほどはうんうん頷いており、残る三割は驚いたように小声で意見を交わし合っている。

 

さすがに非魔法界対策を主目的としたカンファレンスだけあって、参加者の七割近くは既に映像にあった技術を把握していたようだが……残る三割にとっては驚くべき内容だったようだな。私も少しびっくりしたぞ。『人工衛星』なる物を知識としては知っていたものの、まさかあんなに詳細な地上の写真を撮れるとは思っていなかったのだ。

 

うーむ、宇宙に『デカいカメラ』を浮かせたわけか。非魔法族ってのは無茶苦茶なことを考える連中だな。魔法族顔負けの『常識外れ』な技術について思考していると、隣のアリスが小さな声で話しかけてきた。ちなみに私たちが居るのはゲラートの席のすぐ後ろだ。通訳として会場入りした早苗もアリスの隣で大人しく座っている。

 

「反応を見るに、中華圏の魔法族にとっては概ね既知の内容だったみたいですね。驚いているのはインドネシア周辺の魔法使いが多い気がします。」

 

「中華圏は香港自治区に引き摺られる形で、近代的な文化を比較的取り入れているからね。どちらかと言えば東南アジアの方が『魔法界らしい魔法界』を維持しているわけだ。……それよりアリス、中国の魔法使いが二集団に分かれているのは何故なんだい? 他の国は大抵固まって座っているのに、あの連中だけが正反対の位置に居るじゃないか。」

 

「民主派と共産派ですよ。中国魔法界は政治体制の理念の違いで真っ二つに割れてますからね。お互いはかなり仲が悪いって聞いてます。」

 

ふむ、興味深いな。日本魔法界における三派閥とはまた違った形で割れているわけだ。政治理念の差で分かれるか、同体制の中で分かれるかの違いということか。イギリスで育った私からすればどっちもどっちだぞ。

 

そして二つの集団の反応を見るに、どちらかと言えば共産派の方が非魔法界の技術に明るいらしい。共産主義ってのがそも非魔法界の『発明』だもんな。当然といえば当然のことか。民主主義運動は魔法界でも起こり得るが、共産主義運動は非魔法界でしか起こらないだろう。骨子となる理念が魔法界の構造と合っていなさすぎるぞ。

 

だが、ソヴィエト時代のロシア魔法界は共産主義のシステムをある程度採用していたし、赤い旗を掲げた他の国の魔法界にも同じような例は見受けられる。改めて考えてみると不思議な話だな。私の予想が間違っていて、魔法界でも共産主義は通用するんだろうか?

 

まあ、何れにせよ全く同じ主義主張は馴染まないか。魔法界では基礎になっている『エネルギー』が魔法力な上、産業の形態や生活様式が全然違うもんな。だから汎用性がある民主主義が然程抵抗なく魔法界にも受け入れられたのだろう。民衆に期待していない私としてはあまり好きではないシステムだが、他と比べると『簡単で壊れ難い』政治形態ではあるわけだし。

 

ま、結局は古き良き君主制が一番だぞ。中国でもまた皇帝を打ち立てればいいのに。中国魔法使いたちを眺めながらぼんやり考えていると、質問に応じている細川翁の発言が耳に届く。今はインドネシア魔法界の文化人と秘匿に関するやり取りをしているようだ。

 

「もちろん秘匿のための魔法技術の向上が見込めないとは言いませんが、同時に非魔法界の技術の進歩から逃げ切れるとも思えません。どれだけ食い下がろうと努力しようとも、いずれ非魔法界の技術が魔法による秘匿を超えるでしょう。」

 

「仮に魔法族が最大限に秘匿のための魔法技術を向上させていった場合、魔法界の露見が起こるのは何年後だと考えていますか? つまり、細川教授が考える最長の『猶予』をお聞きしたい。」

 

「正確な数値は予測しかねますが、現段階での個人的な予想をあえて言うとすれば……そうですな、半世紀というところでしょう。最長でも2050年には露見が発生するかと。」

 

「……参考になりました。私からの質問は以上です。」

 

んー、半世紀か。1950年から今日までの非魔法界の進歩を思うに、それなりに妥当な数字なのかもしれないが……あれは向上を促進する派手な戦争があったからだぞ。仮に2050年までを『戦争無し』と仮定するのであれば、細川翁の予想はやや辛めのものだと言えそうだな。ゲラートの想定に近い数値だ。

 

私は魔法界が団結して全力で秘匿に取り組んだ場合、もうちょっと持たせられると踏んでいるんだけどな。『最長の猶予』として半世紀を提示したのは少し意外だぞ。私が一人で唸っている間にも、今度は中国共産派の魔法使いが細川翁に質疑を送った。ちなみに会場に居るほぼ全員が英語で話している。無論、揃ってアジア訛りなのも参加者たちの共通点だ。

 

「仮に魔法界の露見が大規模に発生した場合、細川教授は何が起こると考えていますか?」

 

「混乱が起こるでしょうな。人が人である限り非魔法族と魔法族に分かれるのですから、最終的には共存の道へと向かうでしょう。しかし、その道中で大きな混乱が起こるのは間違いありません。わしはそれが非魔法界の三度目の大戦を誘発しかねないものであると予想しております。」

 

「……非魔法界対策によってそれを防げると?」

 

「完全に防ぎ切るのは不可能ですが、緩和は出来るでしょう。事前に然るべき対策をしておけば、起こる騒動の規模を抑えるのは大いに可能であるはずです。不意の露見による急激な変化ではなく、意図的な魔法界の開示による制御された変化。それこそが非魔法界対策の目的であるとわしは認識しております。」

 

混乱の末のなし崩し的な融和か。レミリアの予測とそっくりな未来図だな。細川翁は混乱が必ず起こるものだと覚悟した上で、それを最小限に抑えるのが非魔法界対策の理念だと判断しているわけだ。現実的な意見と言えるだろう。

 

「なるほど、納得しました。」

 

中国の魔法使いが首肯して腰を下ろすと、次にフィリピンの魔法使いが声を上げる。次から次に質問が出てくるな。アジアの魔法使いはやる気があって何よりだ。

 

「先程の映像とは直接関係がない内容になりますが、非魔法界の軍事構造に詳しい細川教授にお聞きしたいことがあります。構いませんか?」

 

「構いませんとも。どうぞ。」

 

「魔法界と非魔法界が一つになった時、細川教授は我々魔法族がどこまで非魔法族の行動に引き摺られると考えていますか? 先の大戦では魔法族の戦争に非魔法族は関わらず、また非魔法界の戦争に我々魔法族は積極的な介入をしませんでした。しかしながら、融和を達成した後はそうもいかないはずです。非魔法界で戦争が起こった際、我々魔法使いもそれに参加せざるを得なくなると私は予想しています。」

 

「……同意見ですな。魔法界と非魔法界という二面性を無くせば、魔法族も非魔法族も真の意味で一つの国家に所属することとなるでしょう。魔法族の武力機関もその国家の軍隊の一部となり、同じ立ち位置で戦うことになるはずです。」

 

そりゃあそうだ。細川翁の応答に対して、フィリピンの魔法使いは難しい表情で懸念を述べた。

 

「ですが、魔法族の中にはそれを良しとしない者が居るはずです。『何故我々が非魔法族の戦争のために命を懸けねばならないのか』と考える者が必ず出てきます。かく言う私もそう思っていますよ。そんなことになるのであれば、融和などせずに分断されたままの方が好都合であるとすら言えるでしょう。」

 

「『分断されたまま』を保つのはもはや不可能なのですよ。わしは露見が確実に発生すると考えておりますので、それを前提にした主張しか持ち合わせていませんが……確かに現状の魔法族が領土や資源というものを非魔法族ほど重視していないことは明らかです。それを巡って非魔法族が戦争を起こした場合、魔法族と非魔法族の間に認識の乖離が生まれるでしょう。そこは融和における問題点として論じるべきかもしれませんな。」

 

「……魔法族がある程度独立したままで、非魔法族と付き合っていくのは不可能なのですか? 政治構造や立ち位置は限りなく現状を維持し、あくまで存在だけを知らしめるという意味です。」

 

「不可能であるとまでは言いませんが、非常に困難でしょうな。魔法族の権利をどこまで認めさせるかというのは、わしも今後考えるべき重要な部分だと認識しております。今や非魔法族はわしらの『下』に居る存在ではありませんが、だからといって一方的に魔法族が利用されるのは断じて認められない。……そういった交渉を非魔法界と行う際、彼らを理解している専門的な機関が必要になってくるのですよ。非魔法界対策委員会は非魔法族のためにあるわけではなく、魔法族の権利を非魔法界から守るための機関なのです。先ず敵を知らなければ対処のしようがありませんからな。」

 

おや? そう繋げるのか。問題を非魔法界対策委員会の重要性に繋げた細川翁は、厳しい顔付きで続きを語る。あの日本の爺さんは昨日の話し合いで、もっと年上のロシアの爺さんと連携を取ることにしたのかもしれない。足せば二百を超える連携プレーだ。

 

「対策委員会と同じように、わしとて魔法族の権利を軽んじているわけではありません。貴方が懸念していることは重々理解しているつもりです。露見がもはや避けようのない未来なのであれば、魔法族を守るために非魔法族を知り、魔法界が一丸となって彼らに対する『交渉』を行う必要があるのですよ。魔法族が非魔法族の行動にどこまで引き摺られる存在になるのかは、今後の我々の議論と交渉次第でしょうな。」

 

「……非魔法界対策の重要性に関しては理解しました。非魔法族にへつらうための機関ではなく、非魔法界を相手に魔法族の権利を守るための機関だということですか。ならばその点に関しての文句はありません。非魔法界との軍事的な関係がこれから話し合っていく部分なのであれば、私からは以上です。」

 

まあうん、誤解されやすい部分ではありそうだな。対策委員会は『融和』を最大の目的として掲げているのだから、生ぬるい機関だと思われるのは仕方のない話だ。あの魔法使いはそこが気に入らなかったのかもしれない。まるで魔法族が一方的に歩み寄って、一方的に譲っているように見えてしまったってことか。

 

とはいえ、実際の非魔法界対策委員会はむしろ『攻撃』のための機関だ。そう遠くないうちに訪れるであろう魔法族と非魔法族の交渉のテーブルにおいて、魔法族が使える札を増やしておくための組織に他ならない。非魔法族に譲るための機関ではなく、譲らせるためにある機関ってわけだな。

 

何にせよ、多くの人口を持つフィリピンからの参加者がその点を理解したのはデカい。次の質問者に応じている細川翁を眺めつつ満足していると、アリスがこっそり声をかけてきた。そしてその隣では早苗がこっくりこっくり船を漕いでいる。凄まじい子だな。この場で居眠りしているのなんて早苗だけだぞ。

 

「上手くいけばフィリピンやインドネシアも巻き込めそうですね。」

 

「ああ、是非ともそうなって欲しいよ。ロシアと日本に加えて中国とインド、インドネシアやフィリピンが非魔法界対策を進め始めれば、アジア圏はほぼほぼ安泰さ。となるとヨーロッパ、アジア、北アメリカは問題を理解したことになるし、オセアニアはオーストラリアが、南米はブラジルが牽引してくれるだろう。カイロでのカンファレンスの状況からするに、中東やアフリカも時間の問題だ。」

 

「ようやく『最初の一歩』を踏み出せそうってことですか。……リーゼ様、シラキ校長が出て行きますよ。何かあったんでしょうか?」

 

会話の途中でアリスが寄越してきた報告を受けて、彼女が見ている先へと目をやってみれば……むう、確かにシラキが会場となっている大広間からそそくさと出て行っているな。今は議論に勢いがあるし、そうでなくてもまだまだ序盤のここで退室などしないはずだ。

 

昨日シラキとは軽く話しており、その際ゲラートを狙っている者が居るかもしれないと伝えたのだが、どうにも反応が鈍かった気がするぞ。おまけに準備のスケジュールの遅れや、教師たちが休んでいることについては上手くはぐらかされてしまったのだ。

 

私は結局のところ『部外者』なので、そりゃあ内情をペラペラと喋ってはくれないだろうが……うーん、面倒だな。シラキの行動が意図せずして相柳に利することにならなきゃいいんだが。頼むから余計なことだけはしないで欲しいぞ。

 

シラキのことを思案しつつ、アリスに向けて小声で返事を返した。

 

「まあ、現状は何も異常なしだ。気楽に構えたまえ。私たちがゲラートの近くに居る限り、相柳には手の出しようがないよ。」

 

「このまま終わってくれるといいんですけどね。」

 

「ホグワーツでは奇跡が起きたんだ。平穏という名の奇跡がね。マホウトコロでもそうなることを祈っておこうじゃないか。」

 

肩を竦めて言い放った後、斜め前に座っているゲラートの横顔を確認する。一見すると無表情だが、私には分かるぞ。あれは『満足』の表情だ。自分が何もしなくても議論が白熱していることに満足しているのだろう。それはつまり、非魔法界問題が自分の手を離れ始めたということなのだから。

 

やっぱり根っこの部分がダンブルドアと似ているな。マホウトコロをいつまでも手放そうとしないシラキと違って、ゲラートは問題の『独り立ち』を喜べるわけか。嘗てダンブルドアが愛するものの自立を喜んだように。

 

そのことに小さく鼻を鳴らしつつ、アンネリーゼ・バートリは隙間のない議論を黙して耳にするのだった。

 



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落下

 

 

「何か、無事に終わっちゃいそうじゃないですか?」

 

やっぱり心配しすぎだったんだ。私が正しかったじゃないか。囁き声でお二方に語りかけつつ、東風谷早苗は拍子抜けした気分になっていた。

 

カンファレンス二日目となる三月十九日の午後。お昼に小休止を挟んだ後で再開した小難しい話し合いは、いよいよ終盤の様相を呈している。昨日からずっと賢そうな人が賢そうなことを発言して、それに対して別の賢そうな人が賢そうな反論や質問を返すという展開が延々続いていたのだが……遂に『纏め』っぽい雰囲気になってきたな。議論の内容はいまいち理解できなかったけど、それだけは何となく伝わってくるぞ。

 

私のぼんやりした認識が正しいのであれば、どうも非魔法界問題を推し進めている側が論戦に『勝った』らしい。今は魔法界が近いうちに露見するという主張にある程度納得した上で、これからアジア各国の魔法使いたちがどう動くべきかを話し合っているようだ。……魔法界の存在がバレちゃうだなんて想像もしていなかったけど、よくよく考えたら当たり前の話だな。これからもずっと隠し続けるのなんて普通に無理だろう。

 

うーん、バレたらどうなっちゃうんだろうか? 会場の人たちは戦争になるだとか、融和するだとか、権利がどうこうとかってずーっと話し合っているわけだけど……私にはさっぱり分かんないぞ。たまに小声で行われていた隣のアリスさんとリーゼさんの会話も意味不明だったし。

 

でも、戦争は嫌かな。平和が一番じゃないか。すんなり仲良くなれたりはしないのかな? 私なら別に出来るのに。脳内で考えを回していると、諏訪子様と神奈子様が応答してきた。

 

『んー、確かに何にも起きないね。あと二時間もしないで終わるんでしょ? 参ったなぁ、予想外だよ。』

 

『まだ油断は禁物だぞ。終わるまでは気を引き締めておけ、二人とも。』

 

『へいへい、分かってるよ。』

 

でもでも、何かありそうな気配なんて全然感じないぞ。神奈子様の注意に一応頷いた後、隣の席のアリスさんに日本語で声をかける。さっきからトイレに行きたかったのだ。

 

「アリスさん、アリスさん。お手洗いに行ってきますね。」

 

「了解よ。護衛の人形からなるべく離れないでね。……リーゼ様、今のタイの意見って結構重要じゃないですか? 自治区さえ了承すれば可能だと思いますけど。」

 

「可能不可能で言えば可能だろうが、自治区は了承しないと思うよ。自治区からすれば委員になるのはギリギリ認められても、主導するのは嫌だろうさ。あくまでも意見を出すだけで、それを直接実現させるのは国際連盟に──」

 

むう、またしても難しい話をしているな。日本語で私に返事をしてから、早口の英語で議論し始めたアリスさんとリーゼさんを背に、席を立ってトイレへと向かう。昨日も今日もめちゃくちゃ長い時間議論をしているので、トイレに立つのはこれが初めてではない。最初はそれなりに警戒していたけど、今はもう何とも思わないぞ。

 

ふよふよと一定の距離を空けてついて来る護衛の人形を引き連れて、議場となっている大広間から出て一階の廊下を歩いていると……うわぁ、闇祓いの人たちだ。廊下の窓際で話をしている二人の日本闇祓いが目に入ってきた。何か緊張するな。別に悪いことなんてしていなくても、警察官とかが近くに居ると緊張するのは私が『小市民』だからなのか?

 

「まあ、放っておいても大丈夫だと思いますけどね。どうせ警備に飽きてその辺をふらついているんでしょう。細川さんらしいですよ。」

 

「俺もそう思うが、和泉主席には一応報告しておく。……困った人だな、まったく。腕が立つから文句も言えん。」

 

「これが平常運転ですって。あの人が真面目に警備してるとこなんて想像できませんよ。荒事になれば嬉々としてすっ飛んでくるでしょうけどね。」

 

苦笑している二人の男性闇祓いの横を通り過ぎて、漏れ聞こえてくる会話を尻目にトイレの方へと進む。私の席のすぐ近くに居るロシアの闇祓いたちはずっとピリピリしているけど、日本の闇祓いはそうじゃないみたいだ。『真面目さ』ではロシア闇祓いが勝ったな。だから何ってわけでもないけど。

 

そのまま曲がり角の先にあった女子トイレに入ってから、個室の前でお二方に声を放った。

 

「……覗かないでくださいね。」

 

『覗かないっての。早苗ってそれを毎回言うけどさ、仮に覗いたところで何とも思わないって。私たちはあんたがおしめをしてる頃から一緒なんだよ?』

 

「プライバシーの問題ですよ、これは。今の私はもう『お年頃』なんです。」

 

お二方が一緒で唯一困るのが『トイレ問題』だな。いやまあ、もうさすがに慣れてはいるけど。個室の一つに入って用を済ませた後、洗面台で洗った手をハンカチで拭きながら女子トイレの外に出た瞬間──

 

「どうも、東風谷さん。お久し振りです。」

 

「ぇあ……へ? 細川先生、ですか?」

 

うあぁ、びっくりしたぞ。トイレの目の前に立っていた男性がやけに平坦な声で呼びかけてきた。髪やヒゲが伸び放題になっており、ジャケットが茶色でパンツが黒というチグハグなスーツ姿で、らしくない猫背の立ち姿だけど……間違いなく細川京介先生だ。生気を感じない幽鬼のような佇まいの先生は、深く俯かせていた顔を上げて返答を送ってくる。

 

「はい、細川です。」

 

「……ひっ。」

 

『うっわ、気持ちわる。引くわ。』

 

諏訪子様の思わずといった声を聞きつつ、細川先生から離れるように後退った。だって、先生の顔には眼球が無いのだ。それがあるべき場所が真っ暗な空洞になっているぞ。こんなもんめちゃくちゃ怖いじゃないか。

 

じりじりと後退する私を見て……いや、見えてはいないか。眼球が無いんだから。だけど、しっかりとこっちに顔を向けているぞ。兎にも角にも不自然な笑みで私の方を向いている細川先生は、何かを言いながらゆっくりと手を伸ばしてくるが──

 

「東風谷さん、落ち着いてください。私は貴女を助けるために──」

 

「あっ。」

 

そこでいきなりアリスさんの人形が細川先生に殴りかかってしまう。私に『危険が迫っている』と判断したのかな? どこからともなく取り出した金属の棍棒のような物を、細川先生の頭部目掛けてフルスイングした小さな人形は、衝撃で倒れた彼のことを一切の容赦なく追撃し始めるが……え? えっ? どうしよう。これ、どうすればいいんだ? 状況が急すぎてパニック状態だぞ。

 

『うわぁ……あれ、死んじゃうんじゃない? すっごい殴りまくってるけど。超こわいじゃん、あの人形。もっとマジカルな感じに戦うのかと思ってたよ。ゴリゴリの物理じゃんか。』

 

『音からして両腕を折ったな。杖を使わせないようにするためだろう。魔法使い相手としては合理的な戦い方だ。』

 

「いやいや、分析してる場合じゃ……えっ? どうするんですか? これって止めるべきなんですかね?」

 

『眼球無し』の細川先生も怖いけど、ニコニコしながら執拗に殴り続けている人形も普通に怖いぞ。っていうか、こうなると人形の方が僅差で先生より怖いくらいだ。小さなサイズからは想像も付かないほどの力強さで、床に倒れて動かなくなった細川先生を仰向けになるように蹴り飛ばした人形は、続いて胸の辺りを棒でバシバシ叩き始める。ボッコボコじゃないか。

 

「あのあの、人形さん? もういいんじゃないですか? あの、えっと……ええ? どうしましょう?」

 

『今はアリスちゃんが操作してるわけじゃないんだもんね。半自律人形だっけか? ……これってさ、どういう判断の仕方になってるんだろ? 細川、もう動いてないのに。』

 

『さすがは魔女が使役しているだけあって恐ろしい人形だな。死んだフリを防ごうとしているんじゃないか? 止めをきちんと刺すのは戦闘の基本だ。』

 

「いやでも、本当に殺しちゃうのはマズいんじゃないでしょうか? 人形さん、一度こっちに戻ってきてください。人形さーん。……ダメですね、別に私の命令を聞いてくれるわけではないみたいです。」

 

制御できない『獰猛な番犬』って感じだぞ。私の発言を無視して何かを探るように細川先生の胸部を叩きまくっていた人形は、最後のおまけとばかりに強い一撃を加えたかと思えば、先生のジャケットの内側から何かを抜き取ってふよふよと私の近くに戻ってきた。当然ながら私の指示に従ったわけではなく、『お仕事終了』という雰囲気だ。そしてその手に持っているのは……折れた杖? なるほど、最後の一撃は胸のホルダーを狙ったのか。魔法使いと戦い慣れているな。

 

「わ、私に殴りかかってきたりしませんよね?」

 

人形のあまりの『凶暴さ』にビクビクしながら距離を取ろうとしている私に、神奈子様が顕現して応じてくる。実体化しちゃっていいのかな? 緊急時だし、外部からの来客が多い今なら大丈夫か。

 

「さすがにそれはないだろう。……早苗はそこに居ろ。細川が死んでいないかを確認するから。」

 

「……えと、死んじゃってたらどうするんですか? この場合、私の所為になるんですかね?」

 

「そうなったらどう考えてもマーガトロイドの所為だ。早苗は何も悪くない。……おい、生きているか? 細川? 細川京介?」

 

神奈子様が仰向けに倒れたままで微動だにしない細川先生に近付いて、覗き込みながら呼びかけを投げたところで……あああ、気持ち悪い! 先生の眼球があるべき空洞から、にゅるりと黒い蛇が這い出てきた。子供の頃に境内の水溜りで目撃してしまった、カマキリのお腹から出てくる寄生虫を思い出すぞ。新たなトラウマになりそうだ。

 

『……いや、マジでありえんのじゃけど。何じゃその人形。怖すぎるじゃろうが。わしったら、怖かった。超怖かったぞ。』

 

蛇語で文句を呟きながら出てきたのは、『大妖怪疑惑』がかけられている例の蛇だ。みんながあれだけ作戦を練って警戒していたのに、何かあっさり出てきちゃったな。けど……これって私、どうすべきなんだろう? かなりグロテスクかつ突然すぎる登場の仕方をした黒蛇を目にして、神奈子様と私が僅かな間だけ呆然とした瞬間、私の近くで大人しくしていた人形が再び動き出す。恐怖の撲殺人形がだ。

 

『えっ、嘘じゃろ? あっ……ちょ、助けるのじゃ、奴隷長! 早うわしを助けろ! 痛い! ぬああ、何なんじゃこいつは! 痛いって! こんな邪悪な人形は初めて見たぞ!』

 

板張りの廊下を這って逃げ惑う黒蛇を、アリスさんの人形がゴキブリを叩く時のように棍棒でぶん殴っているが……やっぱり棒で叩くのは効果的だったんじゃないか。これまた私が正しかったみたいだ。あまりにもあんまりな光景を前にしてぽかんとしている私に、いち早く立ち直った神奈子様が指示を出してきた。

 

「早苗、札をくれ。何だか分からんが、とにかく相柳を捕まえよう。私が札を貼り付けて動きを封じる。」

 

「あっ、はい。どうぞ。」

 

慌ててポケットから札を一枚抜いて差し出すと、神奈子様はそれを受け取って蛇と人形に歩み寄るが……うーん、傍目にも介入のタイミングが難しそうだな。人形は間断なく棍棒を振り下ろしているし、相柳は何度も何度も殴られながら必死に逃げている。そういえば死なないんだっけ。あれは苦しそうだ。

 

『どっ、奴隷長! 何故止めんのじゃ! おぬしの人形なんじゃろ? 違うのか? ……じゃあ何なんじゃよ、こいつ。無差別蛇殺し人形? 怖すぎるんじゃけど!』

 

「おい、人形。ちょっと止まってくれ。私が対処するから。……ええい、マーガトロイドめ。先ず止め方を教えておくべきだぞ。」

 

『バカみたいな状況だね。もう力尽くで止めなよ。無防備に出てきた相柳もバカだし、ずっと攻撃し続けてるアリスちゃんの人形もバカだし、オロオロしてるだけのあんたもバカじゃん。何これ? 私たち、こんなんに対処するためにあんなシリアスな雰囲気になってたの?』

 

「神奈子様、気を付けてください! 蛇じゃなくて、人形に!」

 

諏訪子様の野次や私の警告を背に、神奈子様が人形の方へと手を伸ばすと……わあ、アリスさんは人形にどういう『教育』をしているんだ? ぐりんと振り返った人形が今度は神奈子様に棍棒を向け始めた。敵対行動と受け取ったんだろうか?

 

「待て待て、やめっ……やめんか!」

 

『おお、いいぞ。倒してしまえ、変な服のデカ女! 奴隷長の部下か何かか? この際何でもよいわ。そこじゃ! そこで殴るのじゃ! 訳の分からん邪悪な人形をやっつけよ!』

 

「神奈子様、頑張ってください! いけますよ! 棒を取り上げちゃえばいいんです、棒を!」

 

さすがは諏訪の偉大な軍神だな。私と相柳の応援を受けながら、人形が繰り出してくる打撃を的確にガードしている神奈子様を見て、諏訪子様が呆れ果てた声色で言葉を漏らす。アクションスターみたいだ。カッコいいぞ、神奈子様。

 

『……なるほどね、バカがバカと戦うとこういうことになるんだ。意味分かんな過ぎて何か怖くなってきたかも。これって何してんの? 私たち。』

 

「おのれ、マーガトロイド。後で絶対に文句を……ぐっ、文句を言ってやるからな!」

 

「やった! 倒しましたよ、神奈子様! 暴力人形をやっつけました! 凄いです!」

 

『ようやったぞ、デカ女! 見事じゃ!』

 

神奈子様が腕で棍棒を防ぎながらカウンターで札を貼ると、人形が途端に動かなくなって床に落下する。遂に倒したぞ。私たちの勝ちだ。みんなで勝利を喜んだところで、いつの間にか実体化していた諏訪子様が私のポケットから札を一枚抜き取って……あ、貼っちゃった。嬉しそうにぶんぶん頭を振っていた黒蛇にススッと近付いて貼り付けてしまう。

 

『勝利じゃ! わしらの勝ち! ん? おぬしは何を……ああああ、痛い! 何じゃこれ。誰じゃおぬし! 奴隷長、デカ女、新たな敵じゃぞ! わし、チビ金髪に何か貼られた! 超痛いし痺れる! 剥がしておくれ!』

 

「状況が無茶苦茶すぎて夢かと疑うよ。頭痛くなってきたわ。……んじゃ、リーゼちゃんのとこに連行しようか。これで暫くは動けないはずだから。」

 

「何だったんだ、この人形は。腕がまだ痛いぞ。凄まじい力だな。」

 

「あの、ごめんなさいね? 蛇さん。ちょっとだけ我慢しておいてください。……ええっと、細川先生はどうするんですか?」

 

何だか少し可哀想だけど、私たちが捕まえたとなればご褒美としてハワイに行けるかもしれないし、このままリーゼさんに引き渡そう。細川先生のことも早く病院に連れて行かないと。淡々と事態を進行させようとしている私たちを目にして、黒蛇は絶望的な雰囲気を滲ませながら私を糾弾してきた。

 

『……う、裏切ったな? わしを裏切ったのか、奴隷長! 何て非道なヤツなんじゃ。わし、おぬしだけ助けてやろうとしたのに。何か人間っぽくないし、部下だから特別扱いしてやろうと思うたのに。……やはり人間なんぞに目をかけてやるのは失敗じゃったわ! 許さんからな! 絶対に許さんぞ!』

 

「いやあの、奴隷長ではないんですけど……ごめんなさい、私たちは蛇さんを捕まえなくちゃいけないんです。」

 

『言い訳なんぞ聞かんわ。わし、決めたもん。復讐するって決めた。泣いて謝っても無駄じゃからな! 奴隷長の称号は剥奪じゃ!』

 

「だから、奴隷長では──」

 

若干申し訳ない気分で蛇に応答しようとした刹那、轟音と共に凄まじい揺れが廊下を襲う。その衝撃に耐え切れずにトイレの向かいにあった窓に身体を打ち付けた私に、未だ札で動けなくなっている黒蛇が……『相柳』が声を飛ばしてきた。蛇語でもそれが伝わってくるような、勝ち誇っている時の声色だ。

 

『わしを裏切ったことを後悔するがよいわ、小娘。地面に叩き付けられるまでの短い時間でな。……やれ、京介!』

 

「何を……えっ?」

 

細川先生? それまでピクリとも動かなかった細川先生が、相柳の声と同時に折れた腕で不器用に身を起こしたかと思えば……ちょちょ、こっちに来るぞ。床の相柳を回収しながらぎこちない動作でこちらに突っ込んできて、そのまま私にタックルするような体勢で窓から飛び出す。窓ガラスをぶち破ってだ。

 

「へ? 早苗!」

 

「くっ……。」

 

揺れで姿勢を崩しているお二方が焦った表情で動こうとしているのが視界の端に映る中、脳内の冷静な部分が私に囁きかけてくる。大広間と同じ階であるここは一階だぞ。窓のすぐ下に地面があるんだから、ガラスにさえ気を付ければ大丈夫だ。受け身だけ取ろう。落下する時の受け身の取り方は飛行学で習ったじゃないか。

 

そう思っている間にも地面が近付いて……あれ? 近付いてこないな。というか、遠ざかっていくぞ。ひょっとして私、『上』に落ちていないか?

 

『京介、この紙切れを剥がせ! 小娘は捨てていいからこの激痛紙を早く剥がすんじゃ! ……ふはははは! バーカ! バカ娘! どうじゃ、恐れ入ったか!』

 

「えっ、えっ?」

 

落ちてる、落ちてるぞ。私を抱きかかえていた細川先生から突き飛ばされて、空中で身動きできなくなっている私に先生の腕の中の相柳が勝ち誇ってくるが……まさか、領地の反転魔法がおかしくなっちゃったのか? 頭上に逆さまの校舎が見えており、私はそこから遠ざかるように落下しているようだ。

 

そうなると、つまり……あっ、死んじゃう。このままだと私、湖底に叩き付けられて死んじゃうじゃないか。私と同じように周囲を細々とした物が落下しているのを横目にしつつ、大慌てでわたわたと暴れ始めた。校舎に固定されていなかった物が全部落ちてきているらしい。

 

「わっ、わああ!」

 

『ふはははは! バーカ! 無駄じゃ無駄じゃ、おぬしは死ぬんじゃ! どうじゃ? 偉大なわしを裏切ったことを後悔しとるか? そろそろ地面じゃぞ?』

 

あああ、死んじゃう! これ、本当に死んじゃう! 迫ってくる湖底の岩肌を見たくなくて、恐怖のあまりギュッと目を瞑りながら縮こまっていると──

 

「なーにをしているんだ、キミは。ちょっと目を離したらすぐこれか。」

 

急に身体がふわっとしたかと思えば、落下の速度が緩やかなものに変わった。……リーゼさん? リーゼさんだ、助かった! 超カッコいい登場じゃないか! 好きになっちゃいそうだぞ!

 

「リーゼさん!」

 

「はいはい、私だよ。……相柳はどこだい? 接触したんだろう?」

 

『……あっぶなぁ、肝が冷えたよ。ギリギリセーフだったね。』

 

『早苗、もう大丈夫だぞ。』

 

お二方も実体化を解いて私の近くに戻ってきたみたいだけど……んん? 何がどうなってこうなったんだ? リーゼさんは会場に居たはずなのに。色々と疑問に感じつつも、とりあえず空中で私をお姫様抱っこしているリーゼさんに質問の返答を返す。

 

「あのっ、相柳は私のすぐ近くで落ちてました。」

 

「ん? 細川と一緒だったってことかい?」

 

「そういうことで……ああ、細川先生! 細川先生も落ちちゃってます! 助けないと!」

 

「細川がキミの近くで一緒に落下していたのは確認済みだが……まあ、諦めたまえ。あれはもう死んでいるよ。どう考えても生きている見た目じゃないね。」

 

言うリーゼさんの視線の先にあるのは、薄い闇が広がっている湖底だ。暗すぎて私にはよく分からないけど、リーゼさんはそこにある先生の姿をしっかりと確認できているらしい。……つまり、落下の衝撃で死んじゃったってことなのか? 細川先生が?

 

「いや、でも……先生、死んじゃったんですか? 助けられなかったってことですよね?」

 

「どうでも良いから捨て置いたんだよ。キミを優先すべき状況だっただろう? ……しかし、参ったな。相柳も一緒だったのか。それなら無視せずに回収しておけば良かったかもね。校舎や湖面は大丈夫そうだし、このまま下りるぞ。さっさと相柳を捕らえよう。」

 

……要するに、細川先生のことは見捨てちゃったのか。リーゼさんの何でもないような口調での発言に呆然としつつ、彼女の目線を追って頭上を眺める。小さな物はいくつも降ってきているけど、確かに校舎そのものが落ちてくる気配はないな。反転が解けてしまったのは一部だけなのかもしれない。

 

リーゼさんに抱っこされながら緩いスピードで降下している私に、お二方が話しかけてきた。ちょっと気まずげな、フォローする感じの声色だ。

 

『リーゼちゃんは妖怪だからね。誰しもを助けようとはしないっしょ。細川よりも早苗の救助を優先してくれたってことだよ。大体細川は早苗を突き落とした張本人なんだしさ、気にしない方がいいって。……まあその、相柳に操られてただけかもだけど。』

 

『細川を見捨てたのが正しい行動かはともかくとして、事実としてバートリは早苗の命を救ったんだ。何も出来なかった私からはとやかく言えん。ここは素直に感謝しておくべき場面だぞ。』

 

でも、助けられたなら助けるべきだったんじゃないかな。それは生き延びた後だから言えるような我儘なんだろうか? 『救助された側』である私には文句を言う資格がないことを自覚しつつ、もやもやする感情を処理し切れなくて悩んでいる私のことを、リーゼさんが地面にひょいと降ろす。湖底に到着したらしい。近くで見るとゴツゴツした岩肌で歩き難そうだ。

 

そして少し離れた場所には……うう、見ちゃった。赤黒い液体に囲まれた細川先生の死体があるようだ。視界の端っこにちらりと映ってしまった死体から目を背けて、胸中で何となくごめんなさいをしていると──

 

「やあ、相柳。ようやく会えたね。」

 

「ん、この前の吸血鬼か。そういえば直に話すのは初めてじゃのう。……最大の障害は常に人外じゃな。人間なんぞ役に立たんし敵にもならんわ。」

 

リーゼさんが目を向けている先に居るのは、柳の模様が入っている真っ黒な着物姿の少女だ。腰まである長い髪は濡羽色で、履いている舟形下駄も黒漆だけど、肌と瞳の虹彩は綺麗な白だな。あれがあの黒蛇……『大妖怪相柳』なのか? 人間の姿に変わったということらしい。

 

睨み合う紅と白の瞳の大妖怪たちを前にしつつ、東風谷早苗はゴクリと喉を鳴らすのだった。

 



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永遠を呑んだ蛇

 

 

「……リーゼ様、早苗ちゃんに付けていた人形が壊れました。」

 

何? アリスが真剣な表情で送ってきた報告を耳にしつつ、アンネリーゼ・バートリは議論が行われている会場を見渡していた。会場内には未だ何の動きもないな。相柳が先に早苗の方に手を出してきたということか? 予想外だぞ。

 

マホウトコロで開催された二度目のカンファレンスが終わりに近付いている現在、私は収束しつつある議論をゲラートの背後の席で観察していたところだ。先程早苗がトイレに行ったので、アリスが毎度のように人形を一体付けてやったのだが……その人形が破壊されたわけか。当然ながら無視は出来んな。

 

しかし、陽動の可能性もあるぞ。脳内でそのリスクも考慮しつつ、先ずはアリスへと指示を放つ。

 

「早苗を放ってはおけないが、私とキミの両方がゲラートの側を離れるのは論外だ。私が様子を見に行くから、キミはゲラートの警備を続行したまえ。」

 

「相柳の主目的がグリンデルバルドなら、私を早苗ちゃんの方に割くべきじゃないでしょうか?」

 

「戦力を分散させたくないんだよ。であればゲラートと、闇祓いたちと、キミをこちらに残す方がバランスが良いはずだ。単独で向かう場合は私が行くべきさ。……油断しないようにね。ぴったり張り付いておくんだぞ。いざという時は迷わず逃げを選ぶように。」

 

「了解です。」

 

アリスの首肯を確認した後、ゲラートに近寄って囁きかけた。感情では私が残ってアリスを向かわせたいが、理性は正反対の主張をしている。ここは理性に従っておこう。相柳が無茶苦茶な手を打ってくるのであれば、応手は冷静に選択すべきだ。

 

「ゲラート、動きがあったぞ。私は対処に向かうが、陽動の可能性もある。警戒しておきたまえ。」

 

「……会場にも警告を発するべきか?」

 

「まだ詳細を掴めていないから、その辺の判断はキミに任せる。然るべきと思う対処をしてくれ。……それじゃ、失礼するよ。」

 

『ミハイロフ、動きがあった。最大の警戒をしておけ。リヴァノフ、お前は日本の闇祓いたちに情報を流せ。適当なもので構わん。とにかく用心させろ。』

 

周囲の随行者たちに命令しているゲラートを尻目に、素早く大広間の出口へと向かう。これならゲラートの守りはそうそう抜けまい。護衛対象が優秀だと楽でいいな。ぽんこつな方の護衛対象とはえらい違いだぞ。

 

そのまま無人の廊下を急いで抜けて、トイレがある方向へと移動していると……おっと、揺れたな。マホウトコロの校舎全体を激しい揺れが襲った。これが相柳の二手目か。随分と大規模な揺れだし、領地そのものに影響する何かをしたようだ。

 

そして次の瞬間、地面と天井がひっくり返る。領地の反転魔法に不具合が生じたらしい。揺れたから不具合が起こったのか、不具合が起こったから揺れたのかは分からんが、兎にも角にも校舎内の重力が『正常』な状態に戻ってしまったわけか。

 

「……ふん。」

 

一瞬だけ大広間に戻ろうかと考えた後、天井に着地してトイレへの移動を再開した。校舎自体が落ちているような様子は無いし、天地がひっくり返った程度で歴戦の魔法使いであるゲラートやアリスが動揺するとは思えない。私は急いで早苗を回収して大広間に戻るべきだろう。

 

思考しながら逆さまになった廊下の角を曲がってみれば……おや、二柱だ。焦った顔付きで慌てて立ち上がっている二柱が視界に映る。重力が反転した拍子にコケてしまったらしい。早苗の姿は見えないな。

 

「キミたち、何が──」

 

「バートリ? 早苗が落ちたんだ! 急いで助けてくれ!」

 

「早苗が『落ちた』?」

 

「この窓から落ちたの! だから早く……ちょっと、何これ。障壁? ああもう、邪魔くさいなぁ!」

 

神奈子に続いて報告してきた諏訪子は、窓が『あるべき空間』をバシバシと叩いているが……魔法の障壁があるのか? 窓ガラスが割れているので一見すると通れるわけだが、実際は見えない壁が存在しているようだ。相柳の仕業なのか、はたまたマホウトコロに備わっている緊急時の防衛機能の一つなのか。これは後者っぽいな。妖力を感じないし、恐らく魔法の仕掛けだろう。早苗が窓を通り抜けた直後に、タイミング悪くその仕掛けが作動してしまったらしい。

 

二柱の近くの床……というか天井に落ちた状態で動かなくなっているアリスの人形を横目にしつつ、割れた窓に近付いて諏訪子に声をかけた。さすがに焦っているな。祝子の危機は古い神々を焦らせるに足る出来事なようだ。

 

「退きたまえ。私が破ろう。」

 

「急いで急いで!」

 

「バートリ、早苗と一緒に相柳も落ちていったぞ。気を付けろ。何かしてくるかもしれん。私たちはすぐにでも顕現が解けてしまうから、そのまま──」

 

「そんなのいいから早く早苗を回収してってば!」

 

早口で追加報告を寄越してきた神奈子とそれを遮って急かしてくる諏訪子を背に、妖力弾で破った障壁を抜けて校舎の外へと飛び立つ。下……つまり湖底に向かって飛びながら周囲を見回してみると、絶賛落下中の二つの人影が目に入ってきた。片方は我らがおバカちゃんで、もう片方は成人男性らしき誰かだ。他にもちらほらと物が落下しているが、落ちている人影はあの二人だけだな。やけに都合が良くないか? 少し引っかかるぞ。

 

まあ何にせよ、この距離なら早苗には余裕で追いつけるだろう。マホウトコロがある湖が物凄い深さなのが幸いしたな。少し気を抜きつつ自然落下よりも速いスピードで降下していって、早苗の近くで落下しているのが誰なのかを判別できる距離にまで接近する。細川京介か? 何だってあの男が一緒に落下しているんだよ。相柳はどうしたんだ?

 

細川の存在を疑問に思いつつも、ギュッと目を瞑っている早苗のすぐ側まで寄って声を投げた。本当に魔法使いらしくない子だな。普通なら杖魔法を使おうとする場面なのに、杖を抜いてすらいないじゃないか。魔法力が無いにしたってせめて試してはみるべきだろうに。

 

「なーにをしているんだ、キミは。ちょっと目を離したらすぐこれか。」

 

「リーゼさん!」

 

「はいはい、私だよ。……相柳はどこだい? 接触したんだろう?」

 

キャッチした早苗を横抱きにした状態で落下の速度を落としてやれば、細川だけが下へと消えていくが……まあ、助ける必要はないだろう。早苗を抱えたままで相柳に操られている可能性がある細川を回収すれば、何らかのトラブルが起こりかねん。仮に杖魔法を食らったところで私なら痛くも痒くもないものの、人間である早苗はそうもいかない。二人抱えるとなれば必要以上に接近することになるし、余計なリスクを背負って早苗を危険に晒すのは悪手だ。この子が持っている札の神力も厄介だし。

 

僅かな時間で細川を見捨てることを決断した私に、早苗が返答を送ってくる。というか、細川はどうして飛翔術やらクッション魔法やらを使わないんだろうか? 誰も彼もが魔法を使おうとしないな。ホグワーツの上級生だったら即座に杖魔法を行使できている場面だぞ。やっぱり『命の危機』への対処法を学ぶにはホグワーツが一番らしい。

 

「あのっ、相柳は私のすぐ近くで落ちてました。」

 

「ん? 細川と一緒だったってことかい?」

 

「そういうことで……ああ、細川先生! 細川先生も落ちちゃってます! 助けないと!」

 

「細川がキミの近くで一緒に落下していたのは確認済みだが……まあ、諦めたまえ。あれはもう死んでいるよ。どう考えても生きている見た目じゃないね。」

 

残念ながら、会話の最中に細川は湖底に到着済みだ。足やら腕やらが変な方向に曲がっているし、『ベチャッ』という見た目だから多分死んでいるだろう。ひょっとしたら杖を持っていなかったのかもしれないな。成人している魔法使いがクッション魔法の存在すら思い出せないとは思えないし。

 

私のぼんやり考えながらの返事を受けて、早苗は呆然とした表情で応じてきた。

 

「いや、でも……先生、死んじゃったんですか? 助けられなかったってことですよね?」

 

「どうでも良いから捨て置いたんだよ。キミを優先すべき状況だっただろう? ……しかし、参ったな。相柳も一緒だったのか。それなら無視せずに回収しておけば良かったかもね。校舎や湖面は大丈夫そうだし、このまま下りるぞ。さっさと相柳を捕らえよう。」

 

結果的には余計な手間になったが……うーん、微妙なところだな。相柳が細川と一緒だったのであれば、やはり捨て置いたのは正解だったかもしれない。空中で早苗と細川を抱えつつ、小さな蛇の姿の相柳に対処するのは至難の業だぞ。

 

そして、ちらりと見上げた先にあったのは湖面にきちんと『くっ付いている』マホウトコロの校舎だ。あれはどういう状態になっているんだろう? 湖の内部の重力が正常なものに戻ってしまっているんだから、校舎も落ちてきて然るべきなのに。あくまで周囲の空間の魔法が解けてしまっただけで、校舎自体の重力は反転したままだとか? だが、校舎内部の反転は見事に解けていたぞ。ちんぷんかんぷんだな。

 

どういう状態になっているのかはさっぱり分からんが、何にせよ好都合だ。あれが相柳の計画に反する状態で、かつ私が関係していない事象となれば、マホウトコロそのもののシステムかシラキあたりの行動の結果ということになるな。

 

真の意味で『逆さま』になった校舎から視線を外して、湖底に着陸した後で妙に大人しくしている早苗を降ろす。少し離れた場所には細川の死体があり、そして私の正面に居るのは──

 

「やあ、相柳。ようやく会えたね。」

 

「ん、この前の吸血鬼か。そういえば直に話すのは初めてじゃのう。……最大の障害は常に人外じゃな。人間なんぞ役に立たんし敵にもならんわ。」

 

人化した状態の相柳だ。私と同じような色味の長髪で、柳の模様が入った黒い着物を着ている。呆れたようにやれやれと首を振っている大妖怪の淡い白の瞳を見返しつつ、肩を竦めて応答を放った。

 

「やはり細川の部屋に侵入した時に見られていたのか。」

 

「見事な隠形じゃったが、相手が悪かったのう。わしからはおぬしの体温が丸見えじゃったぞ。」

 

「……参考までに聞かせてくれたまえ。キミは具体的にどこに隠れていたんだい?」

 

「京介の『中』じゃよ。頭の中に入ってテレビを観とったんじゃ。わしってほら、蛇の姿だと小柄じゃから。……ちなみにその前にも一度会っとるぞ? おぬしが京介に『かんふぁれんす』の話をした時、眼帯の裏から観察しとったからのう。」

 

うーむ、吸血鬼からしても気味の悪い話だな。細川の頭の中に文字通り『巣食って』いたわけか。中々のことをやるヤツだなと苦笑いを浮かべながら、相柳への質問を続ける。

 

「つまり、あの時点で細川は既に死んでいたのか?」

 

「んー、難しい質問じゃのう。脳の要らん部分をいくらか削ってしもうたから、判断能力は随分と劣化しとったが……まあ、『生きて』はおったぞ。心臓は動いとった。人間って結構頑丈なんじゃよ。わし、そういうの弄るの得意なんじゃ。柳厳を操っとった頃に沢山の人間を使って勉強したからのう。何度も実験を重ねた末に、どこを残せば『生きたまま』になるかを探り出したわけじゃな。わしってほら、勤勉じゃから。偉いじゃろ?」

 

「脳みそを物理的に削って操り易くしたわけか。……私ならそれを『死んでいる』と判断するがね。重要なのは血液を循環させる心臓じゃなくて、思考を司る脳の方なんだと思うよ。そこが壊れたら人間は終わりさ。」

 

「そうなのか? おぬし、賢いヤツじゃのう。わしは知らんかったぞ。……んーむ、待てど暮らせど校舎が落ちてこないのう。爆発も起きんし、火の手が上がっとる気配もない。なんもかんも失敗じゃ。ちゃんと命令したんじゃが、人間はやっぱダメダメじゃな。」

 

むう、やり難い。相柳は私と『敵対』しているという雰囲気ではなく、まるでゲームの対戦相手と雑談をしているかのようだ。明確な敵意をこれっぽっちも感じないぞ。頭上を見上げて分かり易く残念そうな面持ちで呟いた相柳に、一つ息を吐いてから口を開いた。『柳に風』だな。

 

「爆発を起こして、炎上させて、落とすつもりだったのかい? 盛り沢山な騒動を企てていたようだね。」

 

「思いっきり混乱させてやる予定だったんじゃがのう。この様子だと領地の反転を解く以外は全部ダメだったみたいじゃ。反転解除にしたって中途半端なようじゃしな。……あーあ、また失敗か。負けじゃ、負け。上手くいかんもんじゃな。毎回最後にはこんな感じになってしまうわ。」

 

「……そも、キミの目的は何だったんだ? ゲラート・グリンデルバルドを操ることだったのか?」

 

「そうそう、それじゃ。『げらーと何某』。最初は京介に接触させてわしが操るつもりだったんじゃが、おぬしがいまいちつれない態度な所為で苦戦しとったわけじゃな。そしたらかんふぁれんすを開くと言うから、この地に集まる人間どもを全員ぶっ殺してげらーと何某の死体を回収しようとしたんじゃよ。わし、死体でも操れるから。完全に壊れとるとダメじゃけど、『ガワ』だけ残っとれば何とかなるんじゃ。」

 

予想通り無茶苦茶な計画だな。大雑把にも程があるぞ。カンファレンスで集まった人間を殺すために、とにかくそれらしい策を適当に打ちまくったということか? 内心で呆れている私へと、相柳は然程悔しそうではない顔付きで続きを語る。

 

「教師を何人か操って、爆発だの火事だのを起こして混乱させて、領地の魔法を解いて校舎を落とせば死ぬと思うたんじゃが……何で失敗したんじゃろ? 敗因が分からんのう。」

 

「何故校舎が落ちていないのかは私も知らんが、仮に落ちていたとしてもゲラートは死ななかったと思うよ。多少経験がある魔法使いなら生き残れるだろうし、脱出することだって全然可能さ。爆発や火事も大した障害にはならないはずだ。」

 

「わしだってそこは考えたぞ。それ以外にもいくつか策を打った。わしったら、策士じゃから。……ま、ぜーんぶ不発に終わったようじゃがな。どうせバカ人間どもがしくじったんじゃろ。苛つく話じゃのう。操り甲斐がないわ。」

 

「……とにかく、キミは失敗したわけだ。大人しく縄につきたまえ。」

 

腑に落ちない点は山ほどあるが、計画の詳細を吐かせるのは後でいいだろう。相柳に言い放ってやれば、彼女は投げやりな態度で素直に首肯してきた。

 

「んーむ、ここで粘ってもおぬしからは逃げられそうにないのう。……まあよかろ、今回は投了しておくわ。わしの負けー。」

 

「……やけに素直だね。」

 

「だってわし、『次』があるもん。何度でも失敗できるんじゃよ。わしったら不死じゃから。凄くない? わし、凄くない?」

 

「蓬莱の丸薬か。……キミはしっかりと理解しているのかい? 自分がどんな薬を呑んでしまったのかを。」

 

終わりのない生。その地獄を思って哀れな気分で問いかけた私に対して、相柳は……にんまりと笑いながら高らかに答えてくる。

 

「不死が『最悪の呪い』であることは重々承知しとるわ。わしだってそのくらいのことは理解できとる。その上で呑んだんじゃよ。……わしは決して諦めんぞ。必ず妖怪の世を取り戻してみせる。如何に非力で無知なわしだろうと、繰り返せばいつかは勝てるはずじゃ。そのために呑んでやった。永遠をこの口で呑み込んでやったわ。故にわしこそが人間の天敵なんじゃよ。永遠を呑んだ蛇、大妖怪相柳じゃ!」

 

「……本気で叶うと思っているのかい? 六百年間の長い封印から抜け出したキミは、今のこの世界を知ったはずだ。人間が絶対強者となってしまった、幻想なき世界をね。それなのにまだ諦めないと?」

 

人間の天敵にして、幻想の守護者。その彼女に静かな口調で尋ねてみれば、大妖怪相柳はニヤリと八重歯を覗かせながら応じてきた。挑戦的で、燃えるような覚悟が滲んだ笑みだ。

 

「では、忘れろと? 人間どもに裏切られ、殺された妖怪たちの怨嗟の声を無かったことにしろと? 復讐は何も生み出さないから、連中を赦して次へ進めと? ……ふん、冗談ではないわ! 誰かが背負ってやらねばならんじゃろうが! あの無念を、憎しみを、悲しみを歴史の彼方に消してなるものか! それが消えてしまったが最後、あやつらの苦しみが本当に無かったことになってしまう。報われぬまま昏い忘却の底に沈んでしまう。……わしはそんなことは認められん。断じて、断じて認めんぞ。あやつらの悲痛な断末魔を無意味なものになど決してさせんよ。余すことなくわしが背負い、復讐が成るその日まで運んでみせよう。わしはそのために永遠を呑んだのじゃ。妖怪たちの無念を『無かったこと』にさせないために。単なる過去にさせないためにな!」

 

「……友の無念を晴らそうというわけだ。」

 

「その通りじゃよ。だって悲しすぎるじゃろ? 無念の声が誰にも届かず、誰もそれを掬い上げてくれないだなんて酷すぎるじゃろ? ……あやつらはわしに優しくしてくれた。ならば報いねばならんじゃろうが。わしは底抜けのバカじゃが、恩義を忘れるほど愚かではない。あやつらの最期に意味を持たせてみせるぞ。時代の流れなんぞ知ったことか。あやつらの無念がわしを動かし、そのわしが妖怪の世を取り戻す。そうしてようやく報われるんじゃ。その日までわしは止まるわけにはいかんのじゃよ。」

 

真っ直ぐだな。一片の疑いも、後悔も、不安も感じていないような真っ直ぐな瞳だ。爛々と輝く白い瞳に惹かれているのを自覚しつつ、相柳へと声を返す。……私はどうやら、この妖怪に『魅力』を感じてしまっているらしい。油断すると引き込まれそうになるぞ。

 

「キミは多分、人間に勝てないぞ。何をどうしようと無理だ。それでもやめないのかい?」

 

「おぬし、それで諦めるようなヤツを妖怪と呼べるか? 諦観の末に賢く適応する連中など妖怪ではないわ。己が矜持を貫いてこその妖怪じゃろうが。他の誰がどう思おうと、不可能と断じられようと、それでもわしは貫くことをやめんぞ。それが道理でないと言うならば、無理と分かった上で押し通してみせよう。退屈な道理をひっくり返してこその妖怪なんじゃよ。」

 

「……なるほど、一本取られたよ。道理に従って無難に生きるなら、それはもう妖怪とは呼べないわけか。」

 

何とまあ、正しくその通りじゃないか。私たちは元来『道を外れた者』なのに、いつの間にかそうではなくなってしまった。私も、レミリアも、紫も、他の大妖怪たちも。現代に適応する過程で『妖怪らしさ』を失くしてしまったわけだ。当人すら気付かないうちに。

 

だが、目の前に立つ大妖怪はそれを持ち続けている。故にどうしようもなく惹かれてしまうのかもしれないと苦笑しつつ、誇り高き『本物の妖怪』へと口を開く。この辺で切り上げるべきだな。相柳の言葉は私にとって『毒』だ。こいつと話していると人間に近付いた私が、じわりじわりと妖怪の側に引き戻されてしまう。それが良いことなのか悪いことなのかはともかくとして、今の私はそれを承認することは出来ない。最低でもハリーたちが死ぬまでは、私は人間たちと上手くやっていかねばならないのだから。

 

「いやはや、天晴れだ。同じ妖怪として称賛するよ。昔の私だったらキミの理念に賛同し、ともすれば協力していたかもね。……とはいえ、今の私は人間にいくらかの借りがあるのさ。だからキミを手伝うことは出来ないんだ。悪いね。」

 

「ふん、おぬしも『人間好き』のお仲間か。人間なんぞに絆されおって。いつの日か裏切られて後悔するぞ。哀れなもんじゃな。……まあよいわ、寛大なわしはおぬしの無知を赦そう。おぬしもまた、人間に騙されとる可哀想な被害者じゃからな。いずれ分かる。その日が来ればおぬしも仲間じゃ。」

 

「……二柱、顕現して相柳を拘束してくれ。」

 

私が人間に裏切られる日。『その日』は果たして来るのだろうか? 来ることを確信している様子で予言してきた相柳を見ながら、ずっと黙って話を聞いていた早苗の方へと指示を出してみれば、顕現した二柱の片方……軍神の方が札を片手に近付いてきた。

 

「二柱? ……あー、神か。なるほどのう。小娘には神が憑いとったわけじゃな? 気付かんかったわ。妙に居心地が悪いと思ったらその所為か。」

 

「それにすら気付いていなかったのか。……とにかくそういうことだ、大妖怪相柳。無駄な抵抗はするなよ?」

 

「今更抵抗などせんわ。好きにするがよい、名も知らぬ神。……じゃがな、覚えておけよそっちの小娘。わしを裏切ったおぬしは必ず殺すからのう。わしが次に動けるのがおぬしが死んだ後だったら、おぬしの子孫を苦しめて殺す。おぬしに子孫が居なければ、おぬしの友人をいたぶって殺す。友人が死に絶えていれば、その子孫を見つけ出して殺す。蛇は怨みを忘れんぞ。そのことは確と覚えておけ。」

 

「そんなことは私たちがさせん。貴様の方こそ確と覚えておくといい。早苗に手を出そうとしたが最後、建速須佐之男命に連なる大神であるこの私が敵に回るということをな。」

 

太陽神と月の大賢者を兄姉に持つ、海と嵐を支配する日本における代表的な荒神。脅しとしてその名を出した神奈子に、相柳は少しだけ驚いたような顔で返答する。

 

「ほう? おぬし、あの聞かん坊の末裔か。つくづく縁があるもんじゃな。……よかろう、風神。いずれ敵として相見えようぞ。よく腕を磨いておくことじゃ。わしは弱いが、代わりに誰よりもしぶといからのう。」

 

こいつ、かの荒神とも知り合いなのか? 凄まじい『人外脈』だな。神奈子にとっても意外だったようで、ピクリと眉を動かしてから無言で相柳を封印し始めた。守矢の軍神の呟きに従って数枚の札が宙を舞い、それが相柳の四肢と胸に貼り付くと……人化を保っていられなくなったか。相柳は小さな黒蛇の姿に戻ってしまう。細長い身体に五枚の札がべったりと貼り付いた状態だ。

 

「これで最低でも一月は動けんだろう。その間にもっと強力な封印を施せばいい。」

 

「あとで幻想郷側に引き渡すよ。……では、校舎に戻ろうか。神奈子、相柳と早苗を持ちたまえ。私がキミを持って飛ぶから。」

 

退魔の札がべったりの相柳には触れないし、ポケットに札を入れている早苗の方だって出来れば持ちたくない。『神奈子経由』で運ぼうと考えて私が声を放ったところで、封印によって動けなくなっている相柳が人語でポツリと呼びかけてくる。

 

「おー、今になって運が向いてきたようじゃ。気を付けるんじゃぞ、吸血鬼。妖怪たるおぬしは将来の味方じゃからのう。」

 

「……何の話だい?」

 

「上じゃよ、上。遅きに過ぎるが、唆した人間どもが仕事をこなしたようじゃな。あんなことを命じたかは覚えとらんが……まあ、何やかんやあってああなったんじゃろ。」

 

相柳の無責任すぎる発言を受けて、私と神奈子と諏訪子と早苗が同時に頭上を見上げると……ああくそ、最悪だな。何で今更こうなったんだよ。膨大な量の水が降ってくるのが目に入ってきた。点ではなく、面でだ。

 

即座に杖を抜いて姿あらわしを試してみるが、妨害術か何かで不発に終わる。湖底の姿あらわしまで妨害されているのか。……うーん、あの量の『流水』に巻き込まれたらさすがに死ぬかもしれんな。どうする? 全力で妖力弾を撃って、一部を吹き飛ばして突破してみるか?

 

「ほれほれ、まだ終わっとらんようじゃぞ?」

 

相柳のからかうような声を耳にしつつ、アンネリーゼ・バートリは引きつった笑みを浮かべるのだった。

 



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海が割れる日

 

 

「神奈子、こっち来て! 早く!」

 

ああ、また命の危機だ。こんなことなら泳ぎの練習をしておくんだったぞ。私、カナヅチなのに。隣に立っていた諏訪子様が大慌ての表情で叫んでいるのを横目にしつつ、東風谷早苗は今日がアンラッキーな日であることを確信していた。落下死しかけて、相柳から『殺害予告』をされて、挙げ句の果てには溺死の危機。最悪の日じゃないか。

 

うう、さっきまでは『勝ち』の雰囲気だったのに、どうしてこんなことになったんだろう? 私が迫り来る水の壁を見上げて呆然としている間にも、諏訪子様が私のポケットに手を突っ込んで札を抜き取りながらリーゼさんを呼ぶ。

 

「リーゼちゃんも来な! 神術で障壁張るから!」

 

「防げるのかい? 私は飛んで逃げるべきかと悩んでいるんだが。」

 

「意地でも防ぐの! 早苗は泳げないんだもん! っていうか、見捨てないでよ!」

 

「……私が一度散らせるからその間に張りたまえ。」

 

短いやり取りをした直後、リーゼさんが頭上に手のひらを向けて何かを放つ。すると物凄い音と共に水の面に大穴が空くが……あああ、もうダメだ。お終いだ。私はここで死ぬんだ。貫通まではしなかったのが視界に映った。あれだと溺れるっていうか、その前に水の重さで潰れて死んじゃうかもしれない。

 

それを見て舌打ちしたリーゼさんが私の近くに来るのと同時に、神奈子様と諏訪子様が数枚の札を鷲掴みにして集中している時の顔になったかと思えば、遂に私たちのところまで到達した水の壁が……あっ、大丈夫かも。降ってきた大量の水が私たちの周囲だけを避けているぞ。私、生きてる。助かった!

 

つまり、これが『障壁』なのか。既に湖底は水の底に沈んでいるわけだが、私たちの周りに半球形の見えない壁のようなものが存在しているらしい。ガラスの小さなドームで守られているみたいだ。水族館っぽくてちょっとわくわくしてくるぞ。残念ながら魚は居ないけど。

 

私がホッと一息ついたのを他所に、深刻な表情のリーゼさんとお二方が会話を始めた。……あれ? ひょっとして、まだ助かっていないとか?

 

「どれくらい持つんだい?」

 

「札を全部使っても十分は持たん。どうにかしてくれ。」

 

「どうにかと言われてもね。……参ったな、久々に死にかけているようだ。ここまでの危機は二百年振りだよ。規模が大きすぎて杖魔法じゃどうにもならんぞ。」

 

「何を冷静に言ってるのさ。泳いで早苗を運ぶなり何なり出来ないの?」

 

諏訪子様の意見を受けて、リーゼさんは肩を竦めながら返事を返す。リーゼさんもカナヅチなのかな? 仲間だ。

 

「流水は吸血鬼にとっての『毒』なんだよ。このレベルの流水の中じゃ身動き出来ないし、妖力弾で吹き飛ばせる規模でもない。能力も今は役に立たない上に、姿あらわしは妨害術で不可能だ。……吸血鬼の再生能力に賭けるしかないかもね。水の流れに上手く乗ることが出来れば、『死に切る』前に上に出られるかもしれない。」

 

「……嘘でしょ? リーゼちゃんでもどうにもならないの?」

 

「私にも唯一苦手とするものがあるんだよ。それが『流水』なのさ。……んー、もはや不自然なほどに『失敗』しているね。湖底まで降下している途中は湖面を警戒していたし、さっさと相柳を回収して校舎に戻ろうと考えていたんだが、話に引き込まれて無用な時間をかけちゃったよ。相柳当人すら意図していなかった『時間差トラップ』か。しかもゲラートなんぞ一切関係ない上、私ではなくアリスをこっちに向かわせていれば問題なかったわけだ。裏目、裏目、裏目。ここまで来ると笑えてくるかな。……もしかすると相柳の本質は人を唆す方ではなく、『それ』なのかもね。振り返ってみれば思い当たる節がいくつもあるぞ。」

 

透明なドームの外で轟々と渦巻く水を眺めつつ、呆れたような苦笑いを浮かべたリーゼさんは、皮肉げに口の端を吊り上げて言葉を繋げる。

 

「ま、この状況じゃ足掻いても無駄かな。持っている妖力を全部再生に回してみよう。アリスあたりが気付いて拾ってくれるかもしれないしね。……ちなみに守護霊で連絡を送るのも無理そうだ。障壁の神力が邪魔で守護霊が通過できないし、障壁を解けば流水の所為で呪文を使うどころじゃない。一手遅れちゃったね。そこもまた小さな『失敗』ってわけさ。」

 

「万一それでリーゼちゃんが生き延びても、早苗は普通に死んじゃうでしょうが。こんだけ激しい流れだと絶対に息が持たないじゃん。」

 

私、やっぱり死んじゃう? 愕然とした顔付きの諏訪子様へと、守護霊の呪文を試していたリーゼさんがやけに冷静な面持ちで応答した。

 

「障壁が消える直前に泡頭呪文くらいは使ってあげよう。短時間顕現できるだけの札を残して障壁を解きたまえ。呪文の効果が続いているうちにキミたちが引っ張り上げればいいだろう?」

 

「それは無理だ。札は濡れると使い物にならなくなる。雨に濡れた程度ならまだ平気だが、水中ではすぐにダメになってしまうだろう。」

 

「であれば、早苗の運と泳ぎのセンスに賭けるしかないね。泡頭呪文で呼吸だけは可能なんだから、落ち着いて上に泳ぎたまえ。そしてアリスに私のことを報告するんだ。そうすれば私の生存率も上がるさ。」

 

「あの、私……非魔法界の学校に通ってた頃に子供用のプールで溺れました。だからその、すっごく浅いプールで。」

 

絶望的な気分で自分の『水泳経歴』を口にしてみれば、リーゼさんは大きくため息を吐きながら諦観の表情で応じてくる。

 

「じゃあ死ぬかもね。私も、キミもだ。……身動きせずに浮くのを待ったらどうだい? 人間ってのは基本的に浮くものなんだろう? 泡頭呪文は一時間以上持つんだから、キミが死ぬ可能性ってのはそんなに高くないと思うよ。水中人に囚われた『大切なもの』を回収できるくらいの時間はあるわけさ。」

 

「す、水中人? よく分かんないですけど、でも……その場合リーゼさんはどうするんですか? 私が早く上に出てアリスさんに報告しないと、リーゼさんが死んじゃいますよね? 流水は『毒』って言ってたじゃないですか。」

 

「ここで死んだらそれが私の運命だったってことさ。……いやはや、呆れるほどに唐突だね。まあでも、死ぬ時なんてのは得てしてこんなものなのかな。ここまでバカバカしい感じに死ぬのは予想外だが。」

 

「諦めちゃダメですよ! 何とかしないと!」

 

自分が死ぬのは勿論嫌だけど、リーゼさんが死んじゃうのだって嫌だぞ。何か方法はないかと必死に考えている私を尻目に、リーゼさんは何かを思い出したような顔で意味不明なことをポツリと呟いた。

 

「……ふむ? 『運命』か。だったら私は助かるのかもね。大昔にレミィが大人になった私のことを語っていたはずだ。あいつの予見が間違っていないのであれば、私はこの危機を生きて突破することになるぞ。」

 

「諏訪子様、神奈子様、これを浮かせるのは無理なんですか? だからこの、障壁? を。ほらこう、泡みたいな感じに。」

 

リーゼさんの諦めムードで放たれた謎発言を無視して問いかけてみれば、お二方は揃って厳しい顔付きになって首を横に振ってくる。無理なのか。

 

「そこまで便利なもんじゃないんだよね。現状維持が精一杯かな。……神奈子、水はあんたの領分でしょ? 何か出来ないの?」

 

「無理だ、あまりにも水の量が多すぎる。現役の頃ならともかくとして、今の私にはこれ以上のことは出来ん。」

 

「潔く諦めたまえよ、諸君。奇跡でも起こらない限りはどうにもならんさ。」

 

無気力な感じのリーゼさんの声を受けて……えっと、どうしたんだ? お二方はバッと私の方を見た後、顔を突き合わせて相談し始めた。

 

「……やってみる? どうせ障壁を張り続けたって時間稼ぎにしかならないんだしさ、残った神力を注ぎ込んで賭けてみるべきじゃない?」

 

「しかしだな、早苗はまだあの段階に至っていないんだぞ。風祝としての修行は一切させていない。可能だと思うのか?」

 

「可能だとは全然思わないけど、そういう理屈を超越しちゃうのが私たちの祝子の性質でしょうが。練習してやるんだったら『技術』じゃん。前置きをすっ飛ばしていきなり出来ちゃうからこその『奇跡』なんだよ。……他の神だったらそりゃあ降ろせないだろうけどさ、私たちならいけるんじゃない? 私もあんたもとっくの昔に早苗のことを祝子として承認してるし、ずっと一緒なんだから親和性もバッチリっしょ。」

 

「……分からんな。『あの子』が初めて奇跡を起こした時と同じで、私には全く予想できん。保証のない純然たる賭けになるぞ。」

 

何の話をしているんだろう? リーゼさんも分かっていないようで、私と二人でお二方の会話を怪訝そうに観察しているが……そんな私たちを他所に、諏訪子様は胸を張って宣言する。

 

「私は早苗のイカれっぷりを信じるよ。保証なんか必要ないでしょうが。『信じる』ってのが奇跡の肝なんだから。」

 

「……いいだろう、私も早苗の常識の無さを信じる。」

 

「おっし、決まりね。……早苗、気を引き締めな。あんたがどうにかするんだよ。」

 

「へ? ……あの、えっ? 私? 私が何をするんですか? っていうか、今私バカにされました?」

 

『イカれっぷり』とか、『常識の無さ』とかって聞こえたぞ。急に話を振られて困惑している私へと、諏訪子様は至極真剣な顔付きで無茶苦茶なことを指示してきた。

 

「だから、あんたがこの水をどうにかすんの。一片の疑いも持たずに出来ると信じな。そうすりゃ本当に出来るから。」

 

「いやいやいや、無理ですよ。私、何も出来ませんって。杖魔法も神術も泳ぎもダメなのに、こんな量の水をいきなり何とか出来ちゃうわけないじゃないですか。」

 

「それが出来ちゃうんだよ。私があんたに嘘吐いたことある?」

 

「あります。沢山。」

 

山ほどあるぞ。山ほどだ。即答した私を見てバツの悪そうな表情になった諏訪子様は、ダシダシと足を踏み鳴らしながら強引に話を進めてくる。

 

「そうかもだけど、今回のは嘘じゃないの! ……私のことが信じられない? こんな状況で嘘吐いてると思う?」

 

「いやまあ、もちろん信じてはいますけど……。」

 

「早苗、私もお前ならば出来ると思っているぞ。理屈じゃないんだ。お前にはそれが出来るだけの才能がある。」

 

「そんなの変です。だって私、ダメダメなのに。」

 

何においてもダメダメなんだぞ。運動にも勉強にも光るものがないし、魔法力もないし、貧乏だし、不器用だし、判断力もない。わたわたと手を振って否定した私に、神奈子様はジッと目を合わせながら続きを語ってきた。

 

「早苗、お前は自分がどんなに特別な存在なのかをまだ理解していないのか? 幼い頃から神の声を聞けているんだぞ、お前は。修行を積まず、悟りを開かず、敬虔に過ごしているわけでもないのにそれが出来てしまう人間。それを特別と言わずして何と言うんだ。」

 

「あんたはね、『超エリート風祝』なんだよ。普通なら死ぬほど修行したって神の声なんてまともに聞けないのに、あんたは生まれた瞬間にそれが出来てたの。歴代最優の風祝だった『あの子』でさえそれは出来なかったんだよ? ……生まれ付き神の声が聞こえる人間なんてのは、私が知る限りでは歴史上に二人だけだね。一人は人類史の中で一番有名な男で、もう一人は他ならぬあんたなの。そのくらい凄いってことを先ず自覚しな。」

 

「ええ? ……私って、そんなに凄いんですか? 全然知りませんでした。」

 

人類史? 話の内容が壮大すぎて訳が分からなくなってくるな。めちゃくちゃ凄いじゃないか、私。びっくりしている私を目にして、リーゼさんが小声で諏訪子様に話しかける。

 

「いやキミ、あの男は『人間』じゃないぞ。受肉した神の子だろうが。それに神の声を聞ける人間は他にも──」

 

「ああもう、リーゼちゃんは黙ってて。早苗はそれの『地方限定バージョン』だから間違ってないの。キリスト教か土着信仰か、メジャーかマイナーかの違いだけだもん。そっちだって死にたくないっしょ? とにかくここは私たちに任せてよ。」

 

「……まあ、どちらにせよ万策尽きているんだから別にいいけどね。何をやろうとしているんだい?」

 

「奇跡だよ。理不尽極まりない奇跡を起こそうとしてるの。」

 

リーゼさんと諏訪子様のぼんやりした会話を聞き流しつつ、自分があまりにも凄い人物だったことにクラッと来ている私に対して、今度は神奈子様が声をかけてきた。

 

「早苗、出来るぞ。お前なら出来る。というか、お前にしか出来ない。だってお前は特別な子なんだから。」

 

「私、私……何か、出来る気がしてきました。そんな気がします! 隠されていた……そう、隠されていた力が漲ってきた気がします!」

 

「そうだろう、そうだろう。凄いぞ、早苗。ここでお前が秘めていた力を使えば、バートリを救える。そしてバートリを救えば、お前はハワイに行けるんだ。」

 

「ハワイに? ……あっ、やれそうです。ハワイに行けるならやれるかもしれません。」

 

よく分からないけど、神奈子様が出来ると言うなら出来る……気がする! 自分の身体の中に、これまで秘められていたパワーが渦巻いているような……気もする! だから私はハワイに行けるかもしれない!

 

嘗てないほどにやる気を漲らせている私へと、諏訪子様から何かを囁かれていたリーゼさんも応援を送ってきた。

 

「あー、早苗? キミだけが頼りなんだ。私もキミなら出来ると思っているよ。」

 

「リーゼちゃん、ハワイ。ハワイのことも言って。早く。煽って煽って煽りまくるの。」

 

「キミね、本気でこんなバカバカしいことをやっているのかい? 本当にそれで何とかなるわけが──」

 

「いいから! いいから言って!」

 

隣の諏訪子様が急かすのに眉根を寄せたリーゼさんは、私に向き直って改めて『ご褒美』を提示してくる。

 

「……キミがこの状況を何とかしたら、ハワイに連れて行ってあげるよ。」

 

「ほらー! 早苗、ほらほら! あんたはそもそも何とか出来るんだから、こんなもん『棚からハワイ旅行』だよ! やったね! ね?」

 

「そ、そうですね。出来るんですもんね、私。」

 

「そうだぞ、早苗。絶対に出来る。百パーセントだ。さっさと終わらせてハワイ旅行の計画を練ろう。お前の好きなところに好きなだけ行っていいんだからな。楽しみになってきただろう?」

 

なってきたぞ。よし、やろう。私は凄いんだから絶対できるはずだ。ふんすと鼻を鳴らして頭上に手を掲げて……えっと、何をどうすればいいんだろう? 小首を傾げながらお二方に質問を飛ばす。

 

「えと、具体的には何をすればいいんですか?」

 

「簡単だぞ、早苗。ただイメージするんだ。お前はこの水を突破すると聞いた時、何を思い浮かべる?」

 

「えーっと……例えば、水がパッカリ割れちゃうとか?」

 

「なら、そうするんだ。お前なら余裕だぞ。その程度だったら造作もない。……バートリ、水が割れたら障壁を即座に解除するから、早苗を連れて上まで飛んでくれ。私たちは実体化を解くから心配いらん。」

 

そっか、私の凄い力なら余裕なのか。じゃあ大丈夫だな。自分が持っていた『風祝パワー』の大きさに驚愕している私を尻目に、リーゼさんが呆然としている様子で神奈子様へと問いを投げる。

 

「本気で言っているのかい? だから、つまり……正気なのか? 本当に早苗が水を割れると? 私からすれば、キミたちの頭がおかしくなったようにしか思えないんだが。」

 

「おかしくなっていない。至って本気だ。半信半疑でいいからやってくれ。お前には何もデメリットは無いだろう? もしダメだったらさっきの計画を実行すればいいだけじゃないか。」

 

「半信半疑というか十割以上疑っているが……まあいい、好きにしたまえ。もし水が割れたら早苗を抱えて飛ぶよ。都合良く割れたらね。そんなことは有り得ないわけだが。」

 

額を押さえながらのリーゼさんの了承に首肯した神奈子様は、諏訪子様と共に私に対して促しを放ってきた。よしよし、やるぞ。カッコいいところをみんなに見せよう。

 

「早苗、いいぞ。やってくれ。」

 

「やりな、早苗。あんたなら出来るよ。」

 

「分かりました、やります!」

 

集中だ。さっぱり分かんないけど、こういうことには多分集中が大事なはず。大きく深呼吸をした後、再び頭上へと手を突き出す。リーゼさんを助けて、私も助かって、そしてみんなで楽しいハワイ旅行に行く。絶対にそうなる……じゃなくて、そうしてみせよう。私は生まれながらの風祝。他に何も持っていないのは、きっと『それ』を持っていたからなのだ。

 

「……えい!」

 

気合の大声と同時に、『水よ、割れろ!』と強く念じてみれば──

 

「……いやいや、嘘だろう? 何だい? これは。脈絡が無さすぎるぞ。こんな理不尽があるか?」

 

「奇跡だよ、リーゼちゃん。奇跡ってのは究極の理不尽なの。」

 

足元から凄まじい風が吹き荒れて、頭上の分厚い水の壁が真っ二つに割れてしまった。ずーっと上の『濯ぎ橋』越しに見えている太陽が、割れた水の合間から私たちを柔らかく照らすのを放心して眺めていると……神奈子様が鋭い声を上げる。出来ちゃったぞ。私、本当に凄い人だったみたいだ。

 

「バートリ、行け! 障壁は解いた!」

 

その声を耳にしてハッと我に返ったリーゼさんが、私を抱えて一気に飛び上がった。……おおお、不思議な光景だな。左右の水は私たちを押し潰そうとしているが、風に阻まれてそれが叶わないらしい。私たちが飛んでいる中心地点はそこまで強い風じゃないけど、水の表面近くには尋常じゃないような暴風が吹き荒れているようだ。

 

まるで海が割れているみたいだな。リーゼさんに抱きかかえられながらぼんやりした感想が頭をよぎったところで、遂に水の壁を抜けて空中に出る。すると途端に……ああ、終わっちゃった。仕事は終えたとばかりに風が吹き止み、押し止められていた水の壁が互いに激突してしまう。『ざっぱーん』という豪快な音と共にだ。

 

「助かりましたね、リーゼさん!」

 

何はともあれ、成功したぞ。にっこり笑ってリーゼさんに呼びかけてみると、彼女は見たこともない複雑な表情で曖昧に頷いてきた。何だろう? 心の底から呆れているようで、それでいて……そう、まるで『怖がっている』ような面持ちだ。

 

「キミは……キミは、『何』なんだ?」

 

「へ? ……あの、東風谷早苗ですけど。」

 

「それは分かっているさ。そういうことではなくて……いや、質問を変えよう。キミはさっき、本気で水が割れると信じたのかい? 心の底から? 一片の疑いも無く?」

 

「あの、はい。信じました。だって、お二方が出来るって言ってたから。」

 

んん? これ、怒られているのか? やけに暗い声のトーンだぞ。褒めてくれると思っていたのに。恐る恐る答えてみれば、リーゼさんはゾッとしているかのような声色で会話を続けてくる。

 

「『出来るって言ってたから』? ……狂っているね。今ようやく理解できたよ。キミは完璧に狂っている。私は『狂人』と呼ばれる連中を何人か知っているが、あんなヤツらはキミの足元にも及んでいないぞ。……そうか、信じたのか。キミは本気で『信じられた』んだね? そうなると私はキミが恐ろしいよ。こんなに怖いと思ったのは久し振りだ。」

 

「えと、えと……怖くないですよ? 私、全然怖くないです。」

 

「いいや、怖いね。私はキミのその『理由なき盲信』を恐れるよ。……だってキミ、どうしてそんなことが出来るんだい? 何一つ理解できないぞ。ベアトリスの方がまだ理解できるほどだ。まるで違う世界から来た、違うルールを持つ存在を見ているかのようだよ。」

 

ベアトリス? よく分からない発言と共に顔を引きつらせながら、私をジッと見て『怖がっている』リーゼさん。どうしよう、そんな風に見ないで欲しいぞ。私、ちょっと風祝なだけの普通の女の子なのに。何か変な誤解をしちゃっているらしい。

 

どう言えば誤解が解けるのかと悩んでいると、リーゼさんが続けて言葉を寄越してきた。

 

「なるほどね、そういうことか。故にキミは『奇跡』を起こせたわけだ。二柱の説明が今までは全然理解できなかったが、今日遂に正しい形で伝わってきたよ。……紫や魅魔の理不尽さなんて目じゃないね。キミのそれと比べてしまえばあれは『道理』だ。真っ当な道理さ。」

 

「あの?」

 

「こっちの話だ。キミは気にしなくていいよ。……モーセを見たヘブライ人たちの気持ちがよく分かった。彼らも今の私と同じように『畏れた』んだろうさ。人も神も妖怪も、理解できないものが怖いんだ。我々妖怪の源たる恐怖とは質が違う『それ』。それこそがきっと信仰の根源となる感情で、風祝というのはそれを司る存在なんじゃないかな。神々が綺麗で受け入れ易い形にする前の、剥き出しの信仰を司るのが風祝なんだよ。キミは多分、それを体現するような存在なんだろうね。」

 

「えっと……え?」

 

難しすぎて何を言っているのかさっぱり分からないぞ。モーセ? 誰だっけ、それ。聞いたことがあるような気がするけど……んん、いまいち思い出せない。海外のサッカー選手とかだったかな? それとも野球選手?

 

ちんぷんかんぷんで混乱している私に、リーゼさんは自己完結するように一度首を振ってから口を開く。

 

「つまり底抜けに理不尽なんだよ、キミは。そこらの人間が囚われている常識を、何の躊躇いもなく投げ捨てられるんだ。それはきっと他の誰にも出来ないことで、だからこそキミにしか奇跡は起こせないのさ。……恐らくキミは、全てをぶち壊せるんだろうね。『起こり得ないこと』を奇跡と呼ぶのであれば、キミのその力には一切の制限が無いということになる。『起こりそうなこと』以外は何だって実現できるわけだ。私はそれに心から恐怖するよ。世界の誰もが『起こりそうなこと』に縋って生きているのに、キミは私たちが支えにしているそれを容易く崩してしまえるんだから。」

 

「ええっと……要するに、私が凄いってことですか?」

 

「……ああ、そうだ。キミは凄い。それは間違いないよ。」

 

「えへへ、やりました!」

 

『恐怖する』ってところが少し引っかかるけど……まあ、そのうち誤解が解けるだろう。何にせよ褒められているのは確からしい。内心で結論付けてピースサインを送った私へと、リーゼさんは未だ複雑そうな顔付きで応答してくる。一つの方向を指差しながらだ。

 

「それじゃ、校舎に行こうか。……あれも中々に不思議な状態だが、さっきのを見た後だとインパクトが薄れるね。校舎の外側だけがまだ反転を保っているってところかな。」

 

「……逆さまですね。逆さまになって浮いてます。」

 

うーん、マホウトコロの校舎はとんでもない状態になっているな。完全に宙に浮いているぞ。領地全体の反転が解けて、湖の水も落ちてしまったわけだが、それでも校舎だけはしっかりと元の位置に留まっているようだ。水の中に隠されていた土台の柱が全部剥き出しになって、その上に大きな石とかがちょこんと乗っている。一見すると意味不明な光景だけど、本来マホウトコロは『浮いていた』わけか。

 

「水が近付いてますし、早く避難しないと沈んじゃいますね。」

 

海水が流れ込んじゃっているのかな? 徐々に迫ってくる水面を見下ろして意見してみれば、リーゼさんは校舎に向かって飛びながらこっくり首肯してきた。

 

「まあ、あのペースなら避難は何とか間に合うだろうさ。相柳を逃したのだけは痛手だが、一応暗殺は防げた……というか、何一つ防いでいないのに勝手に失敗したわけだし、あの蛇には全部終わってから改めて対処しよう。」

 

「あ、そうでした。相柳、どうなったんでしょう?」

 

自分たちの危機で完全に忘れていたけど、相柳を湖底に置きっぱなしだったな。重要なことを今更思い出して質問した私に、リーゼさんは肩を竦めて応じてくる。

 

「札は水で取れちゃっただろうし、相柳は溺死しないからね。どこかで流されているんじゃないかな。……何れにせよ、その辺は幻想郷の管理者に任せるさ。キミは心配しなくても大丈夫だ。」

 

「そうなんですか。……そういえば、お二方の声も聞こえないんですけど。」

 

「札を使い切ったからね。今は我慢したまえ。校舎に下りてアリスと合流した後で新しい札を回収しに行こう。キミの自室にあるんだろう?」

 

「はい、部屋に何枚かあるはずです。……そっか、今は『神力ゼロ』なんですね。」

 

お二方にも早く褒めてもらいたかったんだけどな。……まあ、みんな無事で済んだんだから今は我慢しておこう。あんなに凄いことをしたんだから、後で沢山褒めてくれるはずだ。それに全部片付いたらハワイ旅行にも行けるし。

 

南の島でのバカンスを思ってご機嫌な気分になりながら、東風谷早苗は近付いてくる逆さまの校舎を見つめるのだった。

 



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閉幕

 

 

「……そっちではそんなことがあったんですか。」

 

リーゼ様が死にかけただって? 現実感が無さすぎる内容だな。あまりの報告に目を瞬かせながら、アリス・マーガトロイドは黒髪の吸血鬼へと相槌を打っていた。どうやら早苗ちゃんが救ったらしいし、今度あの子には好きな物を好きなだけ買ってあげよう。

 

マホウトコロで行われた二度目の非魔法界問題に関するカンファレンスが『強制終了』し、参加者や生徒たちが領地の中から避難し終えた現在、私とリーゼ様は水没を免れた校舎を眺めつつ互いの情報をすり合わせているところだ。目の前にある大きな湖は全体の五分の四ほどが水で埋まっており、逆さまに浮いている校舎の一番高い……というか、一番『低い』屋根だけがちょっとだけ水に浸かっているような状態になっている。流れ込んでくる海水をどうにか魔法で堰き止めることが叶ったらしい。ギリギリで間に合ったという感じだな。

 

要するに、私たちはマホウトコロの『外側』の孤島に避難しているのだ。教師たちはシラキ校長の指示で慌ただしく動き回っており、カンファレンスの参加者たちは日本闇祓いの案内で次々とポートキーでの移動……外交的に気を使わなくちゃいけない要人が多いし、恐らく一度日本魔法省の応接室にでも『収容』するつもりなのだろう。を行っているものの、全員が移動し終えるのにはまだまだ時間がかかりそうだな。移動先の受け入れ態勢が整っていないのかもしれない。

 

そして生徒たちはといえば、私たちから少し離れた場所に集まって大人しく待機しているようだ。幸いなことに通学の生徒……つまり年少の一から四年生はそもそも今日が休みになっていたそうで、現在この場に居るのは五から九年生と期生たちだけとなっている。期生の大半は復旧作業を手伝っているため、今は九年生の子たちが集団を纏めているらしい。ここから観察する限り、集団行動に関してはホグワーツよりもマホウトコロが上だな。これは両校の性質というか、むしろ国民性が関係しているのかもしれないが。

 

ホグワーツ生を『大人しくさせる』ことの困難さを思い出している私に対して、リーゼ様が遠くに立っているグリンデルバルド一行を横目に質問してきた。ちなみに早苗ちゃんは今は普通に他の生徒たちと行動しているはずだ。

 

「城の中はどうだったんだい? 私が助かったのは『非常識な奇跡』のお陰だが、あれだけの騒ぎがあって細川しか死んでいないってのも『常識的な奇跡』だと思うぞ。」

 

「シラキ校長の事前の対策が功を奏しましたね。領地の反転魔法が解除されてしまった段階で、予め仕掛けてあった防衛魔法が作動したみたいです。窓や外に繋がる出入り口を封鎖する魔法が。だから誰も……というか、反転の直前に外に飛び出した早苗ちゃんと細川京介以外は落ちずに済んだらしいですよ。」

 

「にしたって誰も外に出ていなかったのは妙じゃないか? 内部に入ればそりゃあ天井があるが、外に居た人間は早苗と同じように落ちていくはずだろう?」

 

「直接聞いたわけじゃないんですけど、どうも案内役以外の生徒たちは寮での待機を強めに命じられていたみたいですね。教師たちにも極力外に出ずに動くようにという指示が出ていたんだそうです。」

 

闇祓いや教師たちの会話を人形経由で盗み聞いて得た情報を知らせてみると、リーゼ様は眉根を寄せて応答してくる。私と同じ予想にたどり着いたらしい。

 

「シラキはこの展開をある程度予測していたってことか。じゃなきゃそんな指示を出すはずがないしね。爆発だの火事だのを未然に防いだのもあの女なんだろうさ。」

 

「でしょうね。絶対にこうなるとは考えていなかったはずですけど、色々な可能性に備えて対策を打っておいたんじゃないでしょうか? 校舎だけが落下を免れたり、境界の水が最初に落ちていかなかったのも、多分反転魔法をそれぞれに独立させていたからなんだと思います。」

 

「つくづく食えない女だよ、まったく。……『実行犯』は捕まったんだろう? 誰だったんだい?」

 

「マホウトコロの教員の一部だったみたいですね。予想通り休職している教師も含まれていましたし、休んでいない教師も数名加担したらしいです。日本闇祓いたちは服従の呪いによる犯行だと考えているようでした。」

 

当然ながら実際は相柳が妖術で操ったのだろうが、魔法界ではその説明が通用しない。被害者の特徴に共通点が多いし、闇祓いたちが服従の呪いによる行動だと判断するのは妥当なところだろう。

 

脳内で思考を回しながら返答した私に、リーゼ様は小さく鼻を鳴らして肩を竦めてきた。

 

「結局のところ私たちが何もしなくても、相柳の計画は失敗していたわけか。シラキ単独で対処可能だったみたいだね。」

 

「……一応、リーゼ様の警告には意味があったんじゃないですか?」

 

「私がシラキに警告したのは一昨日だぞ。短時間で領地の魔法を独立させるのは難しいはずだし、それ以前にシラキは対処を終わらせていたんだろうさ。……恐らく、何度も起こっている反転魔法の不具合を不自然に思ったんじゃないか? 思い返してみれば六月の中旬に細川と会った時も、彼は到着が遅れた理由として『領地の魔法に不具合が生じた』と言っていたはずだ。そして九月の上旬にはあれだけの騒ぎが起こっている。シラキはそれらのトラブルの原因が人為的なものではないかと考えて、事前にこっそり反転魔法を独立させておいたんだと思うよ。何かあった場合の『保険』としてね。ひょっとしたら準備のスケジュールの遅れはその所為かもしれないぞ。」

 

むう、だったら私たちがグリンデルバルドの護衛に付かなくても大丈夫だったわけか。何度もあった反転魔法のトラブルは、相柳の『実験』の所為だったのだろう。それがシラキ校長の疑いを煽ってしまったと。私が微妙すぎる結論に脱力していると、リーゼ様は大きくため息を吐きながら話を続ける。

 

「つまり、やっぱり裏目に出たのさ。三バカからの話を聞くに、相柳はそも早苗を殺そうとするのではなく助けようとしていたらしいからね。しかしキミの人形が襲いかかったり、二柱が封印しようとしたから話が拗れて、結果として早苗は落下死しかけたわけだ。」

 

「……よくよく考えてみれば、リーゼ様が死にかけたのも『偶然』ですよね? 相柳の計画通りだったら最初の段階で校舎も水も落ちていたわけですし、そしたらリーゼ様はまた別の対処をしたはずです。」

 

「まあ、そうだね。それでも吸血鬼として危機であることには変わりないが、その場合は湖底になんぞ行かずにキミとの合流を最速で目指したはずだし、選択肢だってもう少し増えていただろうさ。私は校舎や水が落ちてこないことを確認したから、早苗を回収した後に湖底で暢気にお喋りをしていたんだよ。結果的には絶妙な一手になったものの、平たく言えば私が勝手に死地に行って、勝手に油断して、勝手に死にかけただけだ。相柳がその展開を計画したわけじゃない。……大体、相柳の目的は私を殺すことでも何でもないしね。誰にとっても迷惑で、物凄く無駄な『絶妙』だったのさ。」

 

「私たちがグリンデルバルドの護衛として来ていなければ、リーゼ様や早苗ちゃんの危機は起こらなかったわけですか。早苗ちゃんは札で『要塞化』されている寮の自室で大人しくしていたでしょうしね。それなら相柳は接触できなかったはずですし、当然早苗ちゃんは『スカイダイビング』をしなくて済みます。」

 

うーむ、正に裏目だな。私にも相柳の厄介さというものが分かってきたぞ。額を押さえながらやれやれと首を振った私に、リーゼ様が疲れた声色で応じてきた。

 

「相柳も幸運だが、早苗も中々のラッキーを拾っているぞ。人形を壊したのは相柳ではなく、神奈子だったんだそうだ。相柳を攻撃している人形を止めようとしたら、襲いかかってきたから札で無力化したらしい。」

 

「あー……そういえば、神奈子さんと諏訪子さんは『例外設定』をしてませんでした。半自律状態で任務の遂行を妨害された場合、設定されていない人物は敵として攻撃するはずです。設定した時は実体化していなかったので気付きませんでしたよ。」

 

「しかしだ、相柳に人形を壊すことは出来なかったわけだろう? 神奈子が人形を破壊しなければ、早苗の危機に私が駆け付けることもなかった……いや、違うな。人形が無事だったら、操られていた細川が早苗を突き落とすのを止められていたかもしれないね。」

 

「そこは予想できませんね。『護衛ちゃん』が相柳への対処に夢中になっている隙を突かれればどうなるか不明です。優先順位的には早苗ちゃんの護衛が上ですけど、半自律状態だと複雑な判断が出来ませんから。」

 

早苗ちゃんに危険が迫っていないという条件下なら、護衛ちゃんは相柳が動かなくなるまで攻撃を続けるはず。『蛇への対処』は結構高い順位に設定してあるのだから。……ひょっとすると、私が二柱を例外設定にしなかったミスが全ての原因なのかもしれない。私の行動もまた状況を悪化させる一助になっていたわけか。

 

後で二柱に謝っておこうと思っている私へと、午後の日差しを反射する湖を眺めつつのリーゼ様が『根本の原因』を語ってくる。

 

「というかだ、そもそもで言えば私たちが相柳を追い始めたことが全ての原因なんじゃないか? 仮に私たちが一切関わっていなかったらどうなっていたと思う?」

 

「それ、きちんと『騒動』の範囲を決めないと頭がこんがらがってきますよ。極論すると大元の『失敗』は私たちが一昨年の五月段階で、早苗ちゃんと接触したことにあるわけですから。リーゼ様が早苗ちゃんの『後ろ盾』にならなければ、細川京介の一番初期の計画は成立しなかったはずです。そうすればあるいはグリンデルバルドに目を付けなかったかもしれません。……とまあ、こういうことも言えちゃうわけですね。」

 

「なるほどね、遡ろうと思えばどこまでも遡れるわけか。……『今にして思えば』ってやつが大量に積み重なって成立している感じだよ。発見の意味でも、失敗の意味でもね。リドルが第一次魔法戦争で残したのが後悔で、ベアトリスが騒動の末に残したのが悲しみだとすれば、相柳のそれは『徒労』さ。タチの悪さでは一番かもしれないぞ。」

 

深々とため息を吐いたリーゼ様は、うんざりしたような口調で会話を締めた。その通りだぞ。『無駄な懸念と無駄な苦労』。その集大成だな。

 

「まあ、何にせよ負けはしなかった。ゲラートも私もキミも早苗も生きているし、ジニーもしっかりと避難したんだ。相柳を取り逃がしたんだから勝ってはいないが、負けてもいないよ。引き分けと主張できるほど綺麗な終わり方じゃないから、ノーゲームってところかな。」

 

「どこまでも疲れるだけの『試合』でしたね。嫌な相手です。……相柳、まだ水の中に居るんでしょうか? 人形を使って探してみます?」

 

「居るかもしれないが、探さなくていいよ。あとは紫が起きるのを待とう。私はもう関わりたくない。これほど面倒な相手は初めてだ。……相柳に対して最も有効な対処法は、多分『関わらないこと』なのさ。」

 

「……そうかもしれませんね。」

 

対処を放棄するという対処法を選んだリーゼ様に首肯してから、二人で湖を離れて歩き出す。理の外に居るような相手だったぞ。負けないが、勝てない。そういうタイプだ。不死である相柳もそう思っているのかもしれないな。向こうの場合は『勝てないが、負けない』だろうけど。

 

勝利でも敗北でもなく、とにかく苦労させられる感じだ。この惨状と疲労だけが後に残ったぞ。最終的に誰一人として利益を得ていないじゃないか。確かにこれは『引き分け』よりも『ノーゲーム』と言うべきなのかもしれない。誰も勝てなかったというか、関わった全員が等しく負けているのだから。

 

「そろそろゲラートも移動するだろうから、私たちも一応ついて行こうか。もうさすがに何も起きないと思うけどね。」

 

銀朱ローブが固まっている方に歩きながら言うリーゼ様に、こっくり頷いて返事を返す。

 

「了解です。……一番の被害者はマホウトコロでしたね。教師を利用されて、領地の特性を利用されて、挙げ句の果てにはこの状況だけが残ったわけですから。相柳の計画の大半を止めたのはシラキ校長なのに、何とも報われない話です。」

 

「訳も分からず妖怪の計画に巻き込まれたことには同情するが、ここは私たちの学校じゃないからね。正直そこはどうでも良いさ。……ま、シラキなら何とかするんじゃないか?」

 

うーむ、ドライだな。素っ気なく応答してきたリーゼ様の背を追っていると、すれ違った日本闇祓いらしき二人の『黒着物ローブ』たちの会話が耳に入ってくる。

 

「見つかったか? まさか警備に飽きて帰ったんじゃないよな?」

 

「全然居ませんし、あれだけの騒ぎがあって合流してこないのは幾ら何でもおかしいですよね? 本当に帰ったって可能性もあると思いますよ。」

 

「和泉主席、絶対に激怒するぞ。……後始末で暫く家に帰れそうにないし、気が重いよ。『カンファレンス』ってのはいつも俺たちに災難を運んでくるな。明後日はカミさんの誕生日だってのに。」

 

日本の闇祓いたちも可哀想だな。カンファレンスとマホウトコロを合わせると、彼らにとっての厄介事に変貌するのかもしれない。前回は暗殺未遂で、今回は領地の崩壊。ホグワーツにおける『怪しい新顔』が、マホウトコロにおいては『カンファレンス』なわけか。トラブルを運んでくる忌まわしきサインだ。

 

今年もきちんとトラブルがあったことに苦い笑みを浮かべながら、アリス・マーガトロイドは巻き込まれたマホウトコロに同情の念を送るのだった。

 

 

─────

 

 

「俺はもう少し『穏やかな騒動』を予想していたんだがな。これではカンファレンスへの注目度を上げるどころか、騒動のインパクトで内容が掻き消されかねん。迷惑な話だ。」

 

都内のホテルの一室。周囲の随行者たちが撤収の準備を進めているのを尻目にしつつ、アンネリーゼ・バートリはゲラートに対して肩を竦めていた。私がやったわけじゃないぞ。そんなことは知らん。

 

『死にかける』という吸血鬼としては貴重な状況に陥った後、『奇跡的に助かる』ということを初めて字面通りに体験した私は、現在ロシア勢が利用しているホテルの一室でゲラートと話しているのだ。アリスは回収した神奈子に壊された人形を少し離れたソファで弄っており、随行者たちは書類やら何やらを慌ただしく片付けている。十数分後にはポートキーでモスクワに戻る予定らしい。

 

私とアリスはどうしようかと悩みながら、ゲラートへの返答を口にした。イギリスへのポートキーの予約をしていないし、今の日本魔法省は絶賛大混乱中だろう。もう一、二泊していくべきか?

 

「『穏やかな騒動』ってのが既に矛盾しているぞ。キミはどういう形を想定していたんだい?」

 

「誰かが分かり易く杖を向けてくることを想定していた。要するに、『いつも通り』の展開を。マホウトコロの天地が入れ替わり、領地が水に沈むのは想定外だ。」

 

「非魔法界問題と同じように、トラブルの方だって進歩するってことさ。杖を向けられるだけじゃ前回と同じだろう? ただでさえ『カンファレンス』の部分が被っているんだから、それじゃあ面白味ってものを感じないよ。」

 

窓際のソファの上から夕闇に沈む外の景色を眺めつつ応じてみれば、対面のゲラートは大きくため息を吐いて話の内容を変えてくる。

 

「何にせよ、これで各地のカンファレンスは終了した。仕舞際に『箔』が付いたとでも思っておこう。……俺はロシアに戻って今回の地域別カンファレンスで得た意見を纏め、今月の終わりに国際魔法使い連盟本部で討議を行う予定だ。」

 

「得られるものがあったかい?」

 

「大いにあったぞ。問題を理解していない者が何を理解していないのかを具体的に知ることが出来たし、俺よりも遥かに非魔法界に詳しい魔法使いが多数居ることも確認できたからな。今後のための土壌を形成するには、充分すぎるほどの材料を集められたと言えるだろう。全体を通して有意義なカンファレンスだった。『最後の仕事』としては上出来だ。」

 

「……少なくともマホウトコロのカンファレンスにおいて、キミはあまり目立った発言をしていなかったようだが?」

 

前回のカンファレンスではあれだけ激しく論戦に参加していたのに、今回はむしろ『纏め役』として動いていたぞ。『ディベート好き』なゲラートらしからぬ行動を指摘してみると、彼は苦い笑みで応答してきた。

 

「それこそが最たる成果だ。俺が先導していては今までと何も変わらない。非魔法界問題が一定の速度に到達した今、俺が不在でも議論は進む。そのことを各地で確認できたのは幸いだった。これならもう大丈夫だろう。」

 

「自分が不要になることを喜ぶとはね。度し難いぞ。」

 

「僅かな寂寥は感じるが、同時に安心もした。アルバスとスカーレットが残していった懸念を片付けることが叶った今、ようやく俺は魔法界を去ることが出来るんだ。……世話の焼ける連中だな。一番面倒な部分を押し付けられたぞ。」

 

「キミなら何とかすると思ったんだろうさ。そういう連中なんだよ、ダンブルドアとレミィは。キミと違って計算高いからね。」

 

レミリアは認めていたからこそ、ダンブルドアは信じていたからこそ、この男を残して去ったのかもしれんな。くつくつと笑いながら言ってみれば、ゲラートはやれやれと首を振って返事をしてくる。

 

「何れにせよ、俺の『宿題』はもうすぐ終わる。もはや未練は無い。ゲラート・グリンデルバルドも遠からず終わりを迎えるだろう。」

 

「……具体的にはいつなんだい?」

 

「具体的なことを話すつもりなどない。聞いたところで無意味なはずだ。『お別れ会』でも開いてくれるのか?」

 

「おっと、ジョークのセンスが少しだけ向上したみたいだね。ここに来て小さな進歩だ。」

 

『お別れ会』か。こいつはそれが世界で最も似合わない男かもしれんな。皮肉を飛ばしてみると、ゲラートはソファの背凭れに身を預けて口を開く。

 

「お前との別れは半世紀も前に済ませているからな。これ以上は蛇足だ。」

 

「……ま、そうだね。この数年間はちょっとした『おまけ』ってわけだ。ヨーロッパ大戦の頃よりは些か地味だったが、結構楽しめたよ。」

 

「ああ、俺も中々に楽しめた。」

 

そこで会話が途切れて、互いに沈黙しつつ窓の外を見つめる。百年か。最初は私が振り回し、最後はゲラートに振り回された形になったな。……もはや引き止めはしないぞ。人は死んでこそ完結するのだ。今の私はそのことを理解しているのだから。

 

アリスがテッサ・ヴェイユの死を真っ直ぐ受け止めたように、フランがコゼット・ヴェイユの死を素直に悲しんだように、パチュリーがダンブルドアという本を静かに閉じたように、私もまたゲラートの死を自らの意思で承認しよう。

 

これがきっと、長命な人外が短命な人間たちと深く関わって初めて得られる経験なのだ。この百年で私は人間と本当の意味で出会い、認め、戦い、そして別れることになったわけか。……いやはや、たった百年で随分と認識が変わってしまったな。

 

アンネリーゼ・バートリという吸血鬼にとって、値千金となった百年間。二十世紀という激動の時代を想って吐息を漏らしていると、近付いてきた銀朱ローブの一人がゲラートにロシア語で声を放った。

 

『議長、準備が整いました。いつでも出発できます。』

 

『終わったか。やけに早かったな。……では、戻るぞ。ポートキーを作っておけ。』

 

『了解しました。』

 

指示を受けた銀朱ローブがポートキーを作り始めたのを見て、ソファから立ち上がったゲラートが短く別れを告げてくる。必要以上でも、以下でもない別れを。

 

「さらばだ、アンネリーゼ・バートリ。」

 

「……さようなら、ゲラート・グリンデルバルド。」

 

いつかのやり取りの再現。それだけを終わらせたゲラートは、そのまま歩み去ろうとするが……振り返らずに言葉を付け足してきた。例の腕時計を着けている左腕をちらりと見ながら、謎めいた言葉をだ。

 

「覚えておけ、この時計は俺そのものだ。」

 

言うとさっさと一行の方へと歩いていくゲラートを横目にしつつ、かっくり小首を傾げる。やけに念入りに言ってくるじゃないか。最後の言葉がそれか? 何を言わんとしているんだ?

 

……まあいいさ、そのうち分かるだろう。ゲラートが無駄なことをするはずはない。何か意味があるはずだ。視線を外の景色に戻した私の背後で、ロシア語での端的な会話が行われた後、ポートキーが発動する音と共に部屋が沈黙に包まれた。私はゲラートを見送らなかったし、ゲラートもまた私を見ずに移動したはず。そういう捻くれ者なのだ、私たちは。度し難いのは私も一緒か。

 

自分の愚かしさに苦笑しつつ、ゲラートもそれを貫いたであろうことを確信していると、寄ってきた足音の主がおずおずと話しかけてくる。アリスだ。

 

「……えっと、グリンデルバルドたちは行きましたけど。」

 

「ん、私たちも部屋に戻ろうか。騒ぎの渦中の日本魔法省でポートキーを予約するのは面倒だろうし、もう一、二泊していこう。」

 

「分かりました、そうしましょう。……あの、リーゼ様? 何か落ち込んでますか?」

 

「いや、落ち込んではいないよ。……本を読み終わった時とか、劇を観終わった時のあれさ。あの感情。今はああいう気分なんだ。」

 

これは多分、言葉にすべきではない感情なのだ。私だけが理解していればそれでいいのだから。きょとんとしているアリスに微笑んだ後、ソファから腰を上げて自分たちの部屋に向かう。遂に終わったか。長いアンコールだったな。

 

幕が下りた劇場を後にしつつ、アンネリーゼ・バートリは大きく伸びをするのだった。

 



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名脇役

 

 

「やっほー、リーゼちゃん、アリスちゃん。久し振りね。」

 

おおう、唐突に現れるな。ホテルの一室に突如として開いた不気味な『スキマ』。そこからひょっこり登場した紫さんを前に、アリス・マーガトロイドは食べていたサンドイッチを小皿に置いていた。紫色の大妖怪の背後には藍さんの姿もある。

 

マホウトコロでの騒動から一夜明けた、三月二十日の午前中。私はリーゼ様と一緒に東京のホテルの部屋で朝食を取っていたところだ。疲れが抜け切らないので食堂に行く気になれず、ルームサービスを頼んで二人でサンドイッチを食べていたのだが……紫さんがここに来たということは、彼女の冬眠が終わったということか。図ったようなタイミングの良さだな。

 

そのことを怪訝に感じている私を他所に、サンドイッチを食べ続けているリーゼ様が応答を投げた。かなり不機嫌そうな顔付きだ。彼女も私と同じ疑念を抱いているらしい。

 

「やあ、紫。信じ難いほどにタイミングの良い目覚めじゃないか。」

 

「やーん、怒らないで頂戴。私ったら、全てを解決しに来てあげたのよ? 寝起きなのに頑張ってるの。」

 

「その様子だと、昨日の時点でも絶対に介入できていたんだろうが。……キミ、ひょっとして私を殺そうとしたのかい?」

 

「いやいや、違うわよ。あれはさすがに予想外だったし、こっそり手助けしたんだから。あの時の湖底における『偶然と奇跡の境界』を少しだけ弄ったの。ほんのちょびーっとだけ『奇跡より』にしたわけね。」

 

『偶然と奇跡の境界』? 随分とふわふわした発言が飛び出してきたな。私が曖昧な概念についてを黙考している間にも、リーゼ様がイライラと翼を揺らしながら口を開く。

 

「要するに、早苗に関しても完璧に把握していたわけか。相変わらず何でも知っているようじゃないか。」

 

「前に忠告したじゃない。『あの子はちょっと変』だって。早苗ちゃんは人間からも神からも妖怪からも本質的にズレているの。それを指して何て呼べばいいのかは分からないけどね。……あの子が起こす『奇跡』には利用価値があるわ。だけどあれは私からしたって制御できない代物なのよ。だって、制御できたら奇跡じゃないもの。何とも面倒で迷惑な力よね。」

 

「『ちょっと変』どころじゃなかったけどね。……一度起こして観察してみたってことか?」

 

「起こそうと思って起こしたわけじゃないわ。結果的に起きちゃったのよ。じゃなきゃ起きていないはずでしょう? 相柳の行動がめちゃくちゃ過ぎて、私でも展開を読み切れなかったの。少なくともあの流れが私の計画に無かったってことは、奇跡が起こったという事実が証明しているわけね。……これ、私も食べていい?」

 

いけしゃあしゃあと言う紫さんのサンドイッチを指差しながらの問いに対して、リーゼ様は首を横に振って話を進める。いまいち判然としない会話だけど、兎にも角にも相柳については把握していたってことか。

 

「ダメだ。……『奇跡』の件は考えていると頭が痛くなってくるから置いておくとして、何故さっさと相柳に対処しなかったんだい? キミ、下手をすれば細川本家の封印が解かれた段階で気付いていたんだろう? キミが『動けない』だなんておかしいと思っていたんだよ。去年の十一月のあれは、私に冬眠を印象付けるための醜態だったわけか。言い訳だけは聞いてあげよう。許しはしないがね。」

 

「うー、そんなに怒らないでよ。相柳とリーゼちゃんを会わせてみたかったの。それだけ。」

 

「なるほどね、当ててあげよう。古き友である相柳の考え方を変えようとでも思ったんだろう? 『押し付け屋』のキミが考えそうなことだよ。……キミには自身の理想を他者に強制する癖があるらしいね。だが、私は相柳の理念が間違っているとは思わないぞ。妖怪としては大いに正しい。間違っているのはむしろキミの方さ。」

 

相柳のために? ……つまるところ紫さんはリーゼ様と相柳を接触させたかったから、あれだけの状況になるのを看過したということか? 物凄く自分勝手で、同時にどこまでも妖怪らしい行動だな。

 

紫さんの言わんとすることを完全に理解している様子で反論したリーゼ様に、隙間妖怪は空いていた席に着いて勝手にサンドイッチを食べながら返事を返す。ちなみに藍さんはちょっと気まずげな顔で待機中だ。こちらは悪いことをしたと思っているらしい。カンファレンス前の打ち合わせでは本気で焦っていたようだし、紫さんが『全てを知っていて、間に合う』ことを藍さんも把握していなかったのかもしれないな。

 

「あの子に『人妖の融和』という理念を伝えるのがそんなに悪いことだと思うの? もう妖怪が選べる選択肢はそれしかないのに?」

 

「たとえそれが確実に敗北する戦いだとしても、挑む権利は誰にでもあるはずだ。相柳からは浅慮なりの誇りと信念を感じたぞ。『妖怪として決して屈さぬ』という意志をね。……私はそういう不器用なヤツを何度も見てきたのさ。理念に殉じられるような連中は、キミのように小器用には生きられないんだよ。理屈じゃないんだ。今の私はそんな不器用な連中の価値を知っているし、故に無理やり『楽な道』に誘導するのは反対だね。合理的だが、無粋に過ぎるぞ。」

 

「……驚いたわね。リーゼちゃんったら、本当に成長してるじゃないの。羨ましいわ。今まさに成長期なのね、貴女は。変化を一番満喫できる時期。ゆかりん、柄にもなく昔を懐かしんじゃうかも。」

 

「適当な台詞で誤魔化さないでもらおうか。キミのそういうはぐらかし方はもはや私には通用しないぞ。私は博麗霊夢の考え方を変えることには賛成でも反対でもなく、よって契約に従ってキミの計画に沿った行動を許容するが……相柳は別だ。悪いが私は彼女の考え方を変えようとは思わないし、その点においては特にキミと契約を結んでいない。この件に協力するつもりは一切無いと、今ここではっきり明言しておくよ。」

 

明確な拒絶。リーゼ様が真剣な表情で明言したのを受けて、紫さんは苦笑しながら疲れたように応じた。苦い、苦い笑い方だ。

 

「……参ったわ。リーゼちゃんでも相柳の『味方』になっちゃうのね。つくづくあの子には妖怪を惹き付けるカリスマがあるみたい。」

 

「キミが理性と計算の道を選んだように、相柳は本能とプライドの道を選んだんだよ。ならば妖怪がどちらに惹かれるかなんて分かり切ったことだろうが。キミは唯一の正答を選択したわけだが、妖怪にとってそれはどこまでも正しくない解答なのさ。私たち妖怪はあやふやで、捻くれた存在なんだから。」

 

「リーゼちゃん、一つだけ間違えているわよ。私は『これしかないから』という理由でこの道を選んだわけじゃないわ。人妖の融和こそが私の理念なの。先にあったのは理念の方。それは理解しておいて頂戴。」

 

「キミこそ理解していないぞ。最初にあるのは妖怪としての本能だろうが。それは相柳も、私も、キミも変わらないはずだ。キミや私は人間と接した結果として変容したが、相柳は最初の立ち位置をずっと保っているんだよ。……故に惹かれるのさ。どんなに愚かしいと思っていても、心のどこかにある妖怪の部分が相柳の理念に共感してしまうんだ。それは理性ではどうにもならん。相柳は妖怪としての根幹に訴えかけてくるんだから。」

 

妖怪としての根幹か。人間から人外に至った私には無いものだな。リーゼ様の言葉を聞くと、紫さんは困ったような笑みで返答する。

 

「そうね、そうかもしれないわ。だから相柳は『妖怪の指導者』になれたのかもね。バラバラな私たちの奥底にある、たった一つの共通点。あの子の主張にはそこに訴えかける何かがあるってことなのかも。」

 

「バカなんだよ、相柳は。しかし常識を無視できるバカでなければ革命家にはなれない。私たちが自らに言い訳をして抑え付けている本能を、相柳は恥ずかしげもなく高らかに主張できるんだ。私たちはそれが眩しくて仕方がないわけだね。……キミもまた妖怪である以上、相柳には勝てないと思うよ。負けはしないが、絶対に勝てないだろうさ。そのことは誰よりキミ自身が理解しているんじゃないか? キミは自分の理想を絶対に曲げないだろうが、同時に心の奥底で相柳の理念に共感しているはずだ。認め難い『憧れ』を持っているんだろう? 違うかい?」

 

「……その問いに肯定することは出来ないの。私はそういう道を選んだんだから。相柳が人間を犠牲にした妖怪の復権を掲げ続ける限り、私は何度でもあの子の邪魔をするわ。それが全てよ。」

 

言外の肯定。それを耳にしたリーゼ様は、やれやれと首を振りながら話を切り替えた。曖昧な自分の立場を表明してからだ。

 

「ま、別にどうでも良いんだけどね。私は相柳の理念に賛成しているわけじゃなく、認めているだけだ。人間の味方でも妖怪の味方でもない。私は常に私の味方なのさ。立場としてはむしろキミに近いよ。無論、キミの理念に傾倒するつもりもさらさらないが。……地底の鬼はどうなったんだい?」

 

「昨日の深夜に騒動を収めたわ。相柳が失敗したと伝えたら即座に解散したの。……リーゼちゃんは器用に生きるのね。何も掲げないってこと?」

 

「マホウトコロの校長にも言われたんだが、私はどうやら自分勝手な吸血鬼のようでね。掲げるべき理念を持っていないし、広めたい主義主張も無い。キミや、相柳や、ゲラートやレミィやダンブルドアのような『主役』にはなれないのさ。端役として出てきて主役に協力したり、邪魔をしたりするのが精一杯だ。正に中途半端な存在。私はそんな自分のことを哀れに思っているよ。」

 

「でもね、リーゼちゃん。貴女のような中途半端な狂言回しが居ないと場面が進まないの。明確な目的を持つ主役だけじゃ何も進展しないのよ。……私はそんな貴女だから評価しているのよ? ゲラート・グリンデルバルドの物語も、ハリー・ポッターの物語も、貴女がこの百年で見届けた他の物語も。リーゼちゃんが正しく場面を進めなければ、綺麗な結末にはたどり着けなかったわ。それは主役たる私たちには決して出来ないことなの。つまり貴女は、一流の『脇役』ってことね。ホームズだけじゃダメなのよ。そこにワトソンが居なければ物語にはならないでしょう?」

 

うーむ、名脇役か。リーゼ様に似合うかと言われると微妙な立ち位置だけど、本質的にはそうなのかもしれない。始めるのも終わらせるのも主役だが、場面を進めるのは脇役の役目だ。きっとリーゼ様が担うべき部分はそこなのだろう。

 

レミリアさんや、ハリーや、グリンデルバルドが舞台の上で演じている間に舞台裏であくせく動き、要所でひょっこり出てきて無責任に場面を進めてみせる役目。必要とあらば主役を助け、必要とあらば主役の前に立ち塞がる。派手でもなければ目立ちもしないが、物語には欠かせない存在。それがリーゼ様の役割なのか。

 

となれば主役たるレミリアさんやハリー、グリンデルバルドや相柳と相性が良いのは当然のことだし、演出家の性質を持つダンブルドア先生やアピスさん、ベアトリスや紫さんと相性が悪いのも当たり前だな。前者はリーゼ様を能動的に働かせて、後者は強制的に働かせるのだから。

 

何だかしっくり来てしまうぞと思っていると、リーゼ様は小さくため息を吐いて話を続けた。

 

「脇役の才能を褒められても嬉しくないね。私は本来主役になりたかったんだよ。……まあ、今更なれるとは思っちゃいないが。どんなに頑張っても脇役止まりだという自覚はあるさ。主役として不可欠な要素である『目的』が私には無いんだから。」

 

「隣の芝生は青く見えるものよ。私は沢山の物語に関わって、数多くの主役たちから色々なことを学べる貴女が羨ましいわ。主役は往々にして並び立たないものなの。『目的』を掲げている以上、演じる演目は生涯一つだけだしね。様々な物語に深く関われるのはリーゼちゃんだけの特権ってわけ。」

 

「……そうかもね、それは悪くないメリットだ。」

 

「分かるでしょう? 私は私の劇の脇役として貴女を選んだのよ。レミリアちゃんも貴女を選んだし、グリンデルバルドも同じ。それは脇役として誇るべきことだわ。貴女なら自分たちの物語を正しい方向に導いてくれると信じたってことなんだから。主役は望む望まざるに拘らず主役になるけど、脇役は望まれて初めて脇役になれるわけね。……藍、ちゃんと聞いてる? 私が貴女に望んでいる動き方はリーゼちゃんと同じなのよ? だけど貴女はリーゼちゃんと違って私の前に立ち塞がってこない。単に助けるだけじゃダメなの。主役に気付きを与えるために、時に脇役は指摘したり邪魔したりしないといけないのよ。じゃないと物語が進展しないでしょうが。」

 

後半を背後で聞いている藍さんに言い放った紫さんは、よく分からないという顔で曖昧に頷く式を見て額を押さえた後、ため息と共に言葉を漏らす。

 

「まあ、分からないでしょうね。貴女は私を信じ過ぎているのよ。従者としては百点満点だけど、私の脇役としては赤点だわ。疑わないと見えてこないものもあるんだから。」

 

「藍に私と同じ動きを求めるのは酷だと思うがね。私がエマや咲夜にそれを求めるようなもんじゃないか。そんなもん不条理だよ。望む役割が相反しているんだから。」

 

「でも、私はそういう存在に隣に居て欲しいの。阿諛追従する従臣なんて不要だわ。まだまだ未熟だけど、藍になら出来るはずよ。精進なさい。」

 

「……はい、努力してみます。」

 

何が問題なのかをいまいち理解していない様子の藍さんだが……ぬう、私にもちょっと分からないな。とはいえ、リーゼ様だけは紫さんが何を求めているのかをきちんと理解しているらしい。ややこしい問題だ。

 

だったら私はどんな役目なんだろうかと考えていると、ハムサンドを手に取った紫さんが話題を相柳のものに戻す。顔のすぐ横に開いた、覗き穴のような小さなスキマを覗き込みながらだ。

 

「何にせよ、相柳は私が捕らえるわ。居場所は既に把握してあるから。……あの子、今は太平洋の海底でタコに食べられそうになってるわよ。封印の札は濡れて剥がれたらしいけど、人化や人間の操作に蓄えていた妖力を使い切っちゃったから、何も出来ない蛇の姿で溺れてるみたい。……あ、タコに負けたわ。捕食されてるわね。」

 

「……アホみたいな話だね。気が抜けるよ。」

 

「そういう子なのよ。あの子は『失敗の運び手』なの。自分を含め、誰も彼もを失敗に導いちゃう存在ってわけ。多分世界で一番私との相性が悪い存在だわ。……とにかく後で回収しておくから、そこは心配しないで頂戴。」

 

「回収したらどうするつもりなんだい? また封印するのか?」

 

野生のタコに負けちゃうのか。何とも言えない微妙な気分になるな。私が内心で唸っている間にも、紫さんがリーゼ様へと返答を送る。

 

「迷ってるのよね。……幻想郷は全てを受け入れるわ。そうでなくてはならないのよ。だから相柳も迎え入れるべきなのかも。」

 

「絶対にトラブルを起こすぞ、相柳は。それくらいのことは私にだって分かるよ。」

 

「そしたら私が付き合うわ。あの子の気が済むまで、何度でもね。それが友として私があの子に出来る唯一のことなんだもの。……そうね、地底に案内しようかしら。あそこの管理者とは仲が良かったし、鬼たちも居るからあの子にとって住み易い土地であるはずよ。」

 

「まあ、キミがいいならいいんじゃないか? 私には相柳が鬼たちを扇動している未来が見えるが、キミはそれでも対処できると考えているんだろう? だったら好きにしたまえよ。私はその選択こそが後で振り返った際の『最初の失敗』になると思うがね。」

 

然程興味なさそうに相槌を打ったリーゼ様へと、紫さんが首を傾げて問いを飛ばした。相柳についてをどこか寂しそうに語ってからだ。

 

「そうと分かっていてもそうさせちゃうのが相柳なのよ。だから私とは相性が悪いの。今回の事件における私の干渉を止めたのも『それ』だしね。……リーゼちゃん、あの子と改めて話したい? それなら場を用意するけど。」

 

「……なら、話そうかな。妖怪として話したいというのもあるし、騒動の詳細も聞きたいからね。大まかな流れは把握できているが、不明な点も残っているんだ。」

 

「じゃあ、何日か後に迎えに行くわ。どこか適当な場所で話しましょう。」

 

「了解だ。……早苗も連れて行くべきか?」

 

リーゼ様がふと思い付いたような口調で放った疑問に、紫さんは首を横に振って応じる。

 

「早苗ちゃんたちはダメ。守矢神社の面々とは彼女たちが幻想入りした段階で出会いたいの。いきなり現れて、『ようこそ幻想郷へ』みたいな感じでカッコよく登場する予定なのよ。その方が賢者っぽいでしょ?」

 

「何だい? それは。どうせすぐにでも壊れるイメージだろうが。」

 

「あのね、リーゼちゃん。いつもの私はもっとカッコいいのよ? リーゼちゃんの前だからこんな感じになってるけど、他の妖怪たちの前ではキリッとしてるんだから。……それに、早苗ちゃんは『歩く常識崩壊ボタン』よ。こっちの対策が整ってからじゃないと幻想郷に入れたくないの。だって、万が一ボタンが押されちゃったら何が起こるか予想できないわけでしょう? あの子は外界の常識や魔法界の非常識だけじゃなく、幻想郷の幻想でさえもぶち壊せる存在なんだから、今はまだ私の箱庭に招くわけにはいかないわ。」

 

「歩く常識崩壊ボタンか。言い得て妙だね。……まあ、そこは好きにしたまえ。アリスは連れて行ってもいいんだろう? キミがぽんこつ賢者であることをよく知っているんだから。」

 

ぽんこつとまでは思っていないけど……うーん、アピスさんや魅魔さんと同じくらい『癖がある妖怪』だとは思っているな。私の方をちらりと見て尋ねたリーゼ様へと、紫さんは了承を返してから立ち上がった。

 

「私はぽんこつではないけど、アリスちゃんが来るのはもちろんオッケーよ。イギリスの手土産を期待しておくわ。……それじゃ、今日のところはもう行くわね。寝てた間の幻想郷の管理業務を片付けなくちゃだから。」

 

「帰る前に四個分のサンドイッチの代金を置いていきたまえよ。他のヤツにはそこまでみみっちいことは言わんが、私はキミにだけは奢りたくないんだ。」

 

「あら? 私のことも『対等な存在』の仲間に入れてくれるの?」

 

「……やっぱり置いていかなくて結構だ。さっさと消えたまえ、覗き屋。」

 

どういう意味のやり取りなんだろう? クスクス微笑みながらの紫さんの謎めいた返事を受けて、リーゼ様は非常に不機嫌な顔付きで前言を撤回するが……宙空に開いたスキマに軽く目礼した藍さんが入っていったところで、残った隙間妖怪が黒髪の吸血鬼に言葉を投げる。大人っぽい優しげな声色でだ。

 

「そうそう、もう一つだけ言っておかなくちゃね。……貴女と彼の物語は昨日が幕引きじゃないわよ。あとちょっとだけ続くの。」

 

「……私たちは蛇足を嫌っているんだぞ。もう終わりだよ。」

 

「どんな物語にもエピローグはあるものよ。私はあの部分が一番好きなの。楽しみにさせてもらうわね。」

 

言うとスキマの中へと入っていった紫さんを見送りつつ、リーゼ様が深々とため息を吐く。何の話だったんだ? いまいち意味を掴めなかったな。

 

「リーゼ様、最後のはどういう意味だったんですか?」

 

「ん、大したことじゃないよ。気にしないでくれたまえ。」

 

むう、教えてくれないのか。そのことを少し残念に思いながら、ツナサンドに手を伸ばす。……何にせよ、一段落だ。あと三ヶ月で咲夜と魔理沙は卒業だし、そこからは移住に一直線だろう。やっと本腰を入れて『引越し準備』に取り掛かれるな。

 

サンドイッチを食べながら脳内で予定を組み立て始めたところで、リーゼ様が奇妙な発言を寄越してくる。

 

「そういえばアリス、私は早苗を連れてハワイに行かなくちゃいけなくなったんだ。キミも行くかい?」

 

「行きます。……へ? ハワイですか?」

 

「これっぽっちも行きたくないが、約束してしまったからね。今回ばかりはそれに値する働きをしたわけだし、諦めて連れて行くことにするよ。」

 

反射的に肯定の返答を口にした後で、唐突すぎる地名を聞き返した私にリーゼ様がぼんやりした説明をしてくるが……ハワイ? 意味不明だな。何故ハワイに行くことになったんだろうか? 早苗ちゃんは本当に予測できない存在だ。相柳がそうであるように、あの子が関わると何もかもが引っ掻き回される感じだぞ。

 

まあ、別にいいか。リーゼ様とバカンスというのは悪くないし、私も私で楽しませてもらおう。急に入ってきたラッキーな予定に心を躍らせつつ、アリス・マーガトロイドは次なるサンドイッチを掴むのだった。

 



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奇跡

 

 

「んぅううう……えいっ!」

 

んん? 何も起きないな。どうしてなんだろう? 私、奇跡を起こせるはずなのに。テーブルの上の鉛筆がぴくりとも動いていないのを確認しつつ、東風谷早苗は怪訝な思いで小首を傾げていた。

 

三月の終わりが見えてきた現在、私たちマホウトコロ生は未だ自宅待機を余儀なくされている。先生たちや日本魔法省の人なんかが領地の復旧作業を進めているようなのだが、この分だと四月に入るまで休校が続くかもしれない感じだ。……まあ、私は特に文句はないけど。神社でお二方とずっと遊んでいられるし、カンファレンスで月末に延びていた期末テストも中止になりそうなのだから。

 

そんなわけで神社でのんびり過ごしているわけだが、ふと自分の凄いパワーを試してみようと思ったので、色々と実験してみているのだ。でも……うう、何も起こらないぞ。『動け!』と念じた鉛筆は微動だにしていない。どういうことなんだろう?

 

茶の間のテーブルの前で首を捻っている私に対して、座布団の上に寝っ転がりながら漫画を読んでいる諏訪子様が話しかけてきた。

 

「早苗、無駄だよ。何も起きないって。」

 

「でも、私には凄いパワーが宿ってるんですよね? 現に割れたじゃないですか、水。だったら鉛筆をちょっと動かすくらい楽勝のはずです。」

 

「あのね、早苗。ぽんぽん起こってたらそれはもう『奇跡』じゃないでしょうが。ここぞって時に不条理に起こるのが奇跡なんだよ。無駄遣いしようとするのはやめときな。」

 

「えぇ? そういうものなんですか?」

 

まあ、言っていることは分からなくもないけど……具体的にどんな力なんだ? よく分からなくなってきた私へと、諏訪子様は漫画に目を向けたままで片手間の説明を続けてくる。

 

「たまーに使えるんじゃない? たまーにね。ただし使いこなそうと思ってどうにか出来るもんじゃないし、練習とかも無駄だよ。……大体さ、鉛筆がちょっと転がったところでそんなもん『奇跡』でも何でもないでしょうが。スケールが小さすぎるって。」

 

「でもでも、それなら私は具体的に何が出来るんですか?」

 

「『具体的』なことは何も出来ないよ。風祝たるあんたは、いざって時に私たちの神権を利用して奇跡を起こせるの。そこに道理なんて無いし、法則とか理由も無いわけ。それがあったら奇跡じゃないんだから当たり前のことっしょ。」

 

「……えーっと? いまいち分かんないです。」

 

結局、『奇跡』って何なんだろう? ちんぷんかんぷんで困っている私に、諏訪子様は苦笑しながら応答を寄越してきた。どこまでも曖昧な応答をだ。

 

「その認識で合ってるよ。『分かんない』のが奇跡なの。あんたの力を理解できるヤツも、説明できるヤツもこの世に存在しないわけ。私たちにだって分かんないし、行使してる当人たるあんたにも分かんない。だから『奇跡』って呼ぶしかないんだよね。」

 

「じゃあその、好きに使えるわけではないってことですか?」

 

「ん、そういうこと。多分だけどさ、『うわぁ、奇跡だ!』みたいなタイミングでしか使えないんじゃない? それ以外の場面だと奇跡っぽさがあんまり感じられないしね。」

 

「えと、タイミングの説明が上手く伝わってこないんですけど……。」

 

奇跡っぽいタイミング? どういうタイミングなんだ? それは。きょとんとしながら疑問を口にしてみると、諏訪子様は読んでいた漫画を示して返答してくる。

 

「つまり、こういうタイミングだよ。ほらこれ、主人公が『奇跡的に』ヒロインを救った場面。劇的でしょ? 華やかでしょ? インパクト絶大でしょ? 何だか運命的なシーンだし、これを指して『偶然』とは誰も言わないでしょ? ……だったら奇跡じゃん。これが奇跡。あんたが起こせるのはこういうやつなの。」

 

「ぼんやりしてますね。」

 

「風祝の力の根底には神力があって、神力の源になってるのは信仰だからね。ひょっとしたら奇跡が信仰に繋がってるから、神力が奇跡を生んでるんじゃない? 水をワインにしたり、魚やパンを増やしたり、病気を癒したりってね。……鶏が先か卵が先かは分かんないけどさ、私は信仰の礎になってる『望む心』が奇跡を起こすんだと解釈してるよ。あやふやな祈りが信仰になって、信仰が透明な力である神力を生み出して、その神力がぼんやりした奇跡を起こすわけ。私と神奈子でも意見が割れる部分だけど、私はとりあえずそう考えてるの。」

 

「……なるほど。」

 

全然分からないけど頷いてみた私を見て、諏訪子様は肩を竦めながら話を締めてきた。理解していないのがバレてしまったようだ。

 

「ま、早苗は分かんなくていいよ。『よく分かんないけど絶対できる』って本気で思えるヤツじゃないと、そもそも起こせないもんなんだから。神には起こせないってあたりが一番の皮肉かもね。力ある神がやったら全然『奇跡的』じゃないもん。……あーあ、人間がやるからこそ意味があるんだって気付けてればなぁ。私は今頃日本一の神になってて、信仰を稼ぎまくって左団扇だったのに。」

 

残念そうにため息を吐いている諏訪子様を横目にしつつ、テーブルの上の鉛筆を見つめて眉根を寄せる。そうなるとつまり、平時の私は別に何が出来るわけでもないということだ。奇跡が望まれるのなんてかなり切羽詰まった状況だけだろうし、そういう時以外は何の役にも立たないってことになるぞ。……あれ? もしかしてそんなに凄くないんじゃないか?

 

いやまあ、奇跡を起こせるんだから凄くはあるんだろうけど……んんん? どう判断していいか迷うな。凄くはあるものの、便利ではない感じだ。となると思ったほど嬉しくないかもしれない。間に合いそうにない宿題を奇跡的に終わらせたり、買い物で浪費したお金が奇跡的に財布に戻ってきたり、致命的な忘れ物を奇跡的に思い出すとかは出来ないわけか。

 

ぬう、力を使いまくって『奇跡的な生活』を満喫しようと思っていたのにな。早くも計画が頓挫しちゃったぞ。残念すぎる自分の力の『実態』を知って落ち込んだところで、神奈子様が部屋に入ってきた。車のキーを片手にしながらだ。

 

「早苗、買い物に行かないか? そこのバカ蛙が昨日飲み過ぎた所為で冷蔵庫のビールが切れてしまってな。スーパーに行きたいんだ。」

 

「神奈子、アイス買ってきて。バニラアイス。グミも。」

 

「はい、行きましょうか。夕飯の買い物も済ませちゃいましょう。」

 

「返事は? アイスの返事はどうしたの? アイス! あとグミ!」

 

どうしてもアイスが食べたいらしい諏訪子様が主張するのに、神奈子様がジト目で文句を飛ばす。

 

「黙れ、穀潰しのビール泥棒め。お前に食わせるアイスなどない。境内のアリでも食っていろ。また巣が増えてきたからいくらでも食べていいぞ。」

 

「あんただって今は同じく『穀潰し』でしょうが。何を威張ってんのさ。」

 

「私は車を出せるが、お前は何も出来ない。それどころか境内の掃除すらサボる始末だ。一緒にしないでもらおうか。」

 

また諏訪大戦か。いつものように言い争いを始めたお二方を眺めつつ、どう収めようかと悩んでいると……あ、そうだ。水着。水着を買いに行かないと。あと浮き輪も。

 

「神奈子様、どうせなら水着も買いに行きましょうよ。ハワイ用の水着を。今の時期も全然泳げるらしいですから。私、ちゃんと調べたんです。」

 

そう、ハワイ。奇跡についてはちょびっとだけ残念だったけど、私にはハワイ旅行があるのだ。一気に気分を持ち直した私に、神奈子様が口論を中断して返事をしてくる。

 

「それは別に構わないが、すぐに行くわけではないんじゃないか? バートリには予定があるだろうし、学校の再開もいつになるか分からない。最短でもハワイに行くのはゴールデンウィークとかになると思うぞ。」

 

「……嘘ですよね?」

 

「いやいや、何故嘘だと思ったんだ。普通に考えたらそうだろう? 一泊二日くらいの旅程にするなら話は別だが──」

 

「そ、それはダメです! そんなのバカンスとは言えません! だったらゴールデンウィークまで我慢します!」

 

一泊二日なんて絶対にダメだぞ。時間が足りなくて何にも出来ないじゃないか。……あんなに頑張ったのに、ハワイ旅行は一ヶ月以上もお預けらしい。リーゼさんに直談判したら何とかならないかな?

 

いきなり訪れた悲劇に唸っている私を目にして、諏訪子様がやれやれと首を振りつつポツリと呟く。

 

「もっと気にすべきことが沢山あるでしょうが。四月までに学校が再開しない場合、期生への進学はどうなるのかとか、相柳は結局どうなったのかとかさ。先ずハワイってのが早苗らしいね。」

 

そりゃあもちろん気にはなっているけど、でもやっぱり優先順位としてはハワイが一番だぞ。ハワイ旅行は苦難の末に勝ち取った『景品』なのだ。目一杯楽しまないと勿体無いじゃないか。

 

より長い旅行を目指すか、それともより早い旅行を目指すか。どうにも決めかねるその選択に悶々としつつ、東風谷早苗は腕を組んで考え込むのだった。

 

 

─────

 

 

「おー……どれがジニーの記事なんだ? よく分からんぜ。」

 

四月が目前に迫ってきたホグワーツ城の大広間で、霧雨魔理沙は新聞を開きながら親友に問いかけていた。昨日の昼にジニーから手紙が届いたのだ。『私の記事が明日の朝刊に載る』という手紙が。だからわくわくしながら今日の朝刊を待ち構えていたわけだが……これ、どこを見ればジニーの記事だって分かるんだ?

 

首を傾げながらの私の質問に、頭を寄せて紙面に目を走らせている咲夜が返事を寄越してくる。私は大抵一面と二面くらいしか読まないから、後ろの方の小さい記事のルールはいまいち分からんぞ。

 

「文末に記者の署名があるでしょ? ジニーの記事には彼女の名前が書いてあるはずよ。」

 

「ああ、こっちの記事にもちゃんと名前が載るのか。……けどよ、改めて考えてみると何で署名なんか載せるんだろうな?」

 

「自分が書いた記事に対しての責任を持つってことなんじゃない? 予言者新聞が実際に責任を持ってるかどうかはともかくとして、報道紙だったらどこも署名を……あったわ。ここ、これがジニーの記事よ。」

 

咲夜が説明を中断して指し示した部分に目をやってみれば……おお、確かに文末に『ジネブラ・ウィーズリー』と書かれてあるな。これがジニーが記者として出した初めての記事ってことか。何だかちょっと感動するぞ。

 

友人の活躍を喜びつつ、咲夜と二人で記事本文に目を通す。ジニーが書いたのは、どうやらマホウトコロで起こった騒動に関する記事らしい。事件翌日の二十日の朝に大雑把な内容の第一報があって、その数日後にスキーターがお得意の『スキーター節』で事件の詳細を記事にしていたわけだが、今回ジニーは事件後の日本魔法界の動きを紙面で伝えているようだ。

 

サクラ・シラキ校長が入学式を遅らせて四月の半ばから学校を再開することを明言したり、日本魔法省内でマホウトコロの安全性を再確認するための調査チームが発足したり、日本闇祓い局の捜査が難航しているといった事実が簡潔に纏められてあって、後半にはちょこっとだけの取材記事も載っているな。新入生の保護者が不安を感じているとか、カンファレンス参加者が当時の状況を語ったりとか、そういうやつが。

 

何というかこう、癖のない記事だ。友人としては『万人が読み易い記事である』と評価したいところだが、印象に残るかと聞かれたら胸を張って頷けないかもしれない。とはいえまあ、報道記事としてはそれで正しい……はず。事実をきちんと伝えてあるんだからそれで充分だろう。

 

何にせよ後でここだけ切り取って保管しようと思っている私に、同じく読み終えたらしい咲夜が声をかけてきた。

 

「無難に纏まってると思うわ。いいんじゃないかしら? 初記事としては全然合格な内容でしょ。」

 

「ま、そうだな。変な主観が入ってないのは褒めるべき部分だと思うぜ。後ろの方に回されちゃってるのはちょっと残念だけどな。」

 

「そこは仕方がないわよ。前の方を任せてもらえるのなんてベテラン記者だけでしょうし、第一報ってわけじゃないんだから。……でも、文量自体は結構多いわね。頑張ったって伝わってくるわ。」

 

「お祝いの手紙を送らないとな。立派な一歩目だぜ。」

 

ジニーのことを知らないヤツが読んだら何とも思わないんだろうが、彼女の友人である私たちにとっては特別な記事なのだ。これで名実共に記者の仲間入りだな。アーサーやモリー、ルーナやハリーなんかも私たちと同じ気持ちで、今まさにこの記事を読んでいるのだろう。

 

ほうと息を吐きながら新聞を置いた後、朝食を始めるために皿を取る。今日は良い気分で食べられそうだぜ。

 

「マホウトコロでの事件に巻き込まれたのは不運だったけどよ、ある意味ではラッキーでもあったのかもな。スキーターの取材について行ったのがこの記事に繋がったってことだろ?」

 

「多分そうだと思うわ。不幸中の幸いってやつよ。……アリスの手紙には大変だったって書いてあったし、一概には喜べないけどね。」

 

「まあでも、騒動の規模に対して犠牲者が少なくはあったよな。校舎がひっくり返って、服従の呪いの被害者が十人近くも居て、おまけに領地が水に沈んだのにほぼほぼ軽傷者だけ。そんなもん奇跡って言っていいレベルだぜ。未だに『犯人不明』ってところはマイナスポイントだけどさ。」

 

「『ほぼほぼ軽症』であって、死者も二人出たけどね。……何だか不思議な気分になるわ。そりゃあ一度会っただけだけど、知ってる人が死んじゃったわけだし。」

 

細川京介か。顔は全然思い出せないが、私も一応知っている人物のはずだ。領地の反転で落下して死亡してしまったらしい。水を抜いた後で死体が発見されたんだとか。そしてもう一人の犠牲者は──

 

「たった二人の死者が親子ってのは奇妙だよな。細川政元だっけか? 日本の闇祓いの副局長。そっちは他殺だったんだろ?」

 

「そうみたいね。細川京介の部屋で死亡してたんですって。」

 

「ミステリーだぜ。息子の部屋で闇祓いの父親が殺されて、その息子は反転に巻き込まれて落下死。一体何があったんだろうな?」

 

細川政元の死体は事件当日に避難が終わった後、校舎の確認作業に戻った教師の一人が発見したんだそうだ。しかも死因は杖魔法ではなく、『物理的な絞殺』。細川京介の部屋にあった電化製品のケーブルで絞め殺されていたらしい。

 

いやはや、謎めいた事件だな。日本の魔法学校で起こった殺人事件についてを考えていると、咲夜が微妙な顔付きで口を開く。

 

「……リーゼお嬢様たちは何か知ってたりするのかしら? 手紙には詳しく書かれてなかったけど。」

 

「かもな。少なくとも細川京介とは付き合いがあったわけだし、日本魔法界でせっせと動き回ってたみたいだから、リーゼが深く関わってるってのは有り得る話だろ。」

 

ずっとホグワーツに居る私たちは事情をぼんやりとしか把握できていないが、またリーゼが騒動を引き寄せたのかもしれない。今回はホグワーツではなくマホウトコロが巻き込まれたわけか。……だからホグワーツは平穏無事で済んだとか? 全然筋が通っていない無茶苦茶な考えだけど、何だかしっくり来てしまうぞ。

 

ひょっとして呪われているのはホグワーツでもハリーたちの学年でもなく、リーゼなんじゃないだろうか? 思えばあいつだけが全ての事件に関係しているぞ。『呪われし世代』の渦中にいた悪名高きカルテットの一員だし、ベアトリスの件や魅魔様が起こした騒動にも関わっていたし、今回のマホウトコロの事件にだって多分関係しているはず。唯一コンプリートしているじゃないか。

 

うーん、盲点だったな。なるほど、リーゼか。トラブルに好かれていたのは他ならぬあいつだったわけだ。……まあうん、同情するぞ。当人としては別に望んじゃいないだろうし。

 

しかし、外界でこれなら幻想郷に行ったらどうなるんだ? リーゼのやつ、ストレスで死ぬんじゃないか? 外界におけるトラブルにはきちんと理由やら結末やらがあるが、幻想郷ではたまにそれすらない不条理な騒動が起こるのだ。そんなもんを引き寄せ続けていたら頭がおかしくなること請け合いだぞ。

 

むう、不安になってきたな。私も巻き込まれたりするんだろうか? リーゼが事件に関係すれば咲夜も関わっちゃいそうだし、そうすると私も無視できないはず。……これは今から覚悟しておくべきかもしれない。何て嫌な未来予想なんだ。有り得そうに思えちゃうあたりが恐ろしいぞ。一刻も早く魔女としての力を付けて、来たる問題に対処できるようにならなければ。

 

帰郷への不安。それが一気に増したことを自覚しつつ、霧雨魔理沙は何とも言えない気分でスープをコップに注ぐのだった。

 



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少女さとり

 

 

「二人とも、よく来てくれたわね。」

 

おいおい、今回はどこに出たんだ? 全く見覚えのない場所じゃないか。スキマから出た先に広がっている屋内の光景を見回しつつ、アンネリーゼ・バートリは眉根を寄せていた。博麗神社ではないし、紫の家でもないな。ひどく天井が高い、広々とした洋風の応接室だ。

 

四月の開始が目前に迫っている三月末の午前中。私とアリスは紫からの連絡を受けて、相柳との会談を行うためにスキマを通ってこの場所を訪れたのだが……ふむ? 中々センスのある造りじゃないか。高い壁にはカラフルなステンドグラスの細長い窓が無数に並んでおり、硬質な床は赤と黒の正方形の板が交互に組み合わさったチェック柄で、所々に板の代わりに透明なガラスが嵌め込まれている。ムーンホールドほど重厚ではなく、紅魔館ほど華美でもないが、この建物からは怪しげな荘厳さを感じるぞ。

 

「どこなんだい? ここは。キミの別荘か何かなのか?」

 

挨拶してきた紫に質問を返してみると、隙間妖怪は肩を竦めて応答してきた。ちなみに薄暗い部屋の隅には藍も立っているが、相柳の姿は見えないな。長いテーブルがある室内に居るのは到着したばかりの私とアリス、そして紫と藍だけだ。

 

「いいえ、違うわ。ここは『地霊殿』。地底の管理者の屋敷よ。」

 

「地底? ……幻想郷の中ということか。」

 

「そういうことね。実は幻想郷の地底都市って、地獄だった場所を再利用してるの。ここは元々灼熱地獄として使われていた場所の真上よ。」

 

「何とまあ、無茶苦茶だね。この若さで地獄に足を踏み入れることになるとは思わなかったよ。……あー、そうか。つまりここは例の『地獄縮小計画』で放棄された土地なわけだ。」

 

ずっと前にムーンホールドに出入りしていた怨霊から聞いたことがあるぞ。地獄の女神だか誰だかが時勢の影響で『コストカット』を余儀なくされて、世界各地にある地獄として使っていた土地を容赦なく切り捨てた挙句、無責任にもそのまま放置したというとんでもない逸話を。傍迷惑なヤツってのはどこにでも居るもんだな。超大規模な『不法投棄』じゃないか。

 

とはいえ、その土地を『再利用』しようとする紫も紫だぞ。元地獄の土地なんて普通は扱いに困るだけだろうに。相変わらず反則級の思考回路はよく分からんと呆れている私へと、紫は苦笑いで首肯して説明を続けてくる。

 

「そうそう、それよ。地獄の縮小計画。よく知ってたわね。……まあ、そこから色々な契約が重なった末に現状に繋がったの。基本的に幻想郷の地上と地底は行き来できない『別の国』だと考えてもらって構わないわ。地上の妖怪は地底への侵入を禁じられているし、地底の妖怪も地上に出るのは禁止になってるから。」

 

「今ここに居るということは、キミは例外なのかい? 職権の濫用だね。」

 

「私は幻想郷そのものの管理者だもの。無闇に入ったりはしないけど、必要とあらば行き来するわよ。ちなみにリーゼちゃんとアリスちゃんも、今はまだ『幻想郷の妖怪』じゃないからセーフってわけ。……私としては地底と地上の関係改善を望んでいるんだけどね。反対するヤツも多いし、現状だと夢のまた夢って感じかしら。拗らせてる妖怪が多いのよ、ここは。」

 

「ふぅん? だからキミは相柳を住まわせる土地としてここを選んだのか。」

 

うーむ、『拗らせてる妖怪』ね。何となく意味が伝わってくるな。要するにここは、地上よりも人妖の融和から『遠い』土地だということなのだろう。人間を強く嫌っていたり、妖怪としてのプライドを捨てられなかったり、本質的に人間と相容れない人外なんかが住んでいるわけか。

 

まあうん、幻想郷の性質からしてそういう場所も必要だろうさ。納得しながら応じた私に、紫は黒い長テーブルを指して促してきた。椅子とお揃いのシンプルなデザインだが、滑らかな見た目からして木製ではないな。鉄でもないし、磨いた石か何かか? 不思議な素材だ。

 

「今のあの子にとっては地上よりも住み易いはずよ。座って頂戴。この屋敷の主人が相柳を連れて来るから。」

 

「相柳はあれからすぐに捕らえたのかい?」

 

やはり木製ではなかったものの、石ほど重くない『謎素材』の椅子に腰を下ろしつつ問いかけてやれば、紫も私の隣に座って返答してくる。反対側の隣にアリスも腰掛けたが、藍は壁際に立ったままだ。距離もあるし、今回は話に参加するつもりがないらしい。あくまで紫の随行として来ているってことか。

 

「ええ、捕まえてちょっと話したわ。それからここの主人と引き合わせて、とりあえず今はこの屋敷で過ごさせているの。」

 

「あれだけの騒ぎを起こしたのに、別段『罰則』は無しか。」

 

「外界の罪は外界の罪、幻想郷の罪は幻想郷の罪よ。『他所は他所』は妖怪の基本的なルールの一つでしょう?」

 

「ま、そうだね。私たちの世界に契約はあっても法は無い。それを言ったら私だって色々とやっているわけだし、そこに関して文句を付けるつもりはないよ。」

 

例えばそう、ヨーロッパ大戦とか。自らの『罪』を思い出して間接的な自己弁護をしたところで、部屋にいくつかあるドアの一つが開いて人影が入ってきた。着物姿の黒髪の童女と、限りなくピンクに近い薄紫の髪の少女。人化した相柳とこの屋敷の主人か。

 

屋敷の主人の方の髪の長さはボブくらいで、髪と同じ色の瞳は眠そうな感じの半開き状態だ。袖口だけがピンク色の薄いフリルになっている独特な形状の水色のブラウスを着ており、下はピンクのセミロングスカート。そして胸元には謎の赤い目玉のようなものがあって、そこから生えている管がアリスバンドや服なんかに付いている黄色いハート型の装飾に繋がっているわけだが……一見しただけでは何の妖怪なのかさっぱり分からんな。

 

だが、さっき紫はこの屋敷の主人を指して『地底の管理者』と言っていた。そして地底には鬼が居り、日本の鬼は強力な種族であるはずだ。つまるところあの妖怪は、強力な鬼たちを束ねられるだけの実力を持っているということになる。だったら油断は出来んな。また紫や魅魔と同じ『反則級』か?

 

考えながら入室者たちの接近を待っていると、屋敷の主人の方がポツリと呟いた。透き通るような柔らかい声でだ。

 

「私は『反則級』ではありませんよ。そこの腹黒賢者と一緒にしないでください。」

 

その声を聞いた瞬間、アリスに手を触れて能力で自分と彼女の姿を隠す。そのまま何一つ考えないようにしながらジッと待っていると、眠そうな半眼だった地底の管理者が僅かに目を見開いて薄く笑った。

 

「慣れていますね、貴女。姿を消すのは上手い対処です。私と同じような妖怪の知り合いでも居るんですか?」

 

「えと、リーゼ様?」

 

「アリス、心を空っぽにしたまえ。読まれるぞ。……紫、何のつもりだ? 知っていて黙っていたんだろう?」

 

アリスに警告を送った後に紫に文句を言ってやれば、『腹黒賢者』どのは苦笑しながら言い訳を投げてくる。

 

「ちょっとした悪戯よ。でも、一瞬で気付くのは予想外だったわ。」

 

「私は心を読む人外と接したことがあるからね。殺したいほどに大っ嫌いなヤツだったよ。そいつは物理的に見えない存在の心までは読めなかったんだが、あの妖怪はどうなんだい?」

 

「どうかしら? さとりん。この状態でもリーゼちゃんの心を読める?」

 

「認識できない相手の心は読めませんよ。今回貴女が連れてきた妖怪は、私にとって相性が悪い相手みたいですね。……あと、『さとりん』はやめてくださいと何度も言っているはずです。」

 

本気で嫌そうな顔付きになって紫に言い放った屋敷の主人は、席に着きながら続けて自己紹介を寄越してきた。私の顔がある位置とは少しだけズレた場所に視線を合わせた状態でだ。少なくとも見えていないのは本当らしい。実際にこちらの心を読めていないのかは謎だが。

 

「私は古明地さとり。この地霊殿の主人にして、地底の管理者です。よろしくお願いします。……このままでは話し難いですね。姿を現してくれませんか?」

 

「絶対に嫌だよ。私はキミみたいなタイプの妖怪が大嫌いなんだ。無作法な覗き屋め。ともすれば紫よりもタチが悪いぞ。」

 

「退屈で、ありきたりで、狭量な反応ですね。疚しいところがあるからそういうことになるんですよ。私だって好きで心を読んでいるわけではありません。種族の特性です。」

 

「ふん、言うに事欠いて被害者面か。『秘密漁り』どもは得てしてそう言うもんさ。だがその実積極的に能力を使ってくるし、得た秘密もどんどん活用するんだろう? 恥を知りたまえよ。」

 

噛み付いた私の言葉に、古明地は冷笑しながら問答を継続してくる。ちなみに相柳は我関せずとテーブルの上にあった菓子に手を伸ばしていて、藍は距離を取ったままでの静観の姿勢を崩さず、アリスは状況を掴み切れていないようできょとんとしており、紫は興味深そうな面持ちで私たちのやり取りを観察中だ。

 

「よく分かっているじゃないですか。だって、貴女のような差別的な妖怪たちに気を使う必要はないでしょう? 精々私の能力を恐れればいいんです。心を曝け出せない弱い妖怪たちは私を恐れ、読まれることを怖がらない真に強い存在だけが私の友となれる。それだけのことですね。」

 

「当ててあげよう。本当に私の心を読めていないのであれば、キミは私を恐れているはずだ。仮面の下の怯えが見えているぞ。キミみたいな種族は自らの特性に強く依存するからね。宿っている力が強力であればあるほど、それが通用しない相手のことをひどく恐れるものさ。どうかな? 『弱い妖怪』はどちらだと思う?」

 

「勝手な推察をどうも。しかし貴女にとっては残念なことに、能力が通じない相手に会ったのは初めてではないんです。対処法はいくらでもありますよ。私が貴女を認識できなくとも、貴女が私を認識していればそれで充分なんですから。……何なら今ここで『格付け』を済ませましょうか? 私の縄張りで私に勝てるとでも? 心の迷宮の中に案内してあげますよ。」

 

「口で主張する前にやってみたまえよ。キミみたいな妖怪がこの世界から減るのは喜ばしいことさ。中々センスのある屋敷だし、キミを殺して第二の別荘として乗っ取ってあげよう。」

 

私が買い言葉を口にしたところで、紫がパンパンと手を叩いて介入してきた。やはりこういう連中は好かん。全てを見透かしたような気取った態度がイラついてくるぞ。

 

「はいはーい、そこまで。……二人とも気付いてる? リーゼちゃんとさとりんって、本質的な部分がそっくりよ? 同属嫌悪ってやつね。子犬が吠え合ってるみたいで何だか可愛いわ。」

 

「こいつと私は全く似ていないぞ。」

 

「その妖怪と私は何一つ似ていません。」

 

「ほらね? 相性ぴったりじゃない。自分の能力こそが一番だと思ってるところとか、プライドが妙に高いのに必要なら隠せるところとか、外には冷たい癖に身内のことは猫かわいがりするところとか、実は準備も無しにやり合いたくないから私が止めるのを待ってたところとかがそっくりよ。何だか『巻き込まれ体質』なのも、積極的に裏側で動こうとするのも似てるしね。仲良くなれそうでゆかりん嬉しい。前々から引き合わせたいと思ってたの。」

 

今のやり取りのどこに『仲良くなれそう』な要素があったんだよ。満足げな様子で訳の分からないことを言う紫にイライラしつつ、また声を合わせたくなくて古明地が突っ込むのを待っていると……ええい、何故黙っているんだ。向こうも私が何か言うと思って口を閉ざしているらしい。タイミングの悪いヤツだな。

 

「ほらほら、今二人とも『また被ったら嫌だな』とか思ったんでしょ? そして相手もそう思ってることに気付いたからバツの悪い気分になってるんでしょ? ……あーもう、可愛いわぁ。いい友達が出来て良かったわね。」

 

「アホらしいのう。意地っ張り同士の喧嘩じゃな。妖怪なら妖怪とは仲良くすべきじゃろうが。」

 

「キミにだけは『アホ』と言われたくないんだがね。」

 

「相柳、この場で一番の『アホ』は貴女ですよ。」

 

くそ、また被ったぞ。それが気に食わなくて顔を歪めていると、古明地の方もムスッとした表情になっているのが視界に映る。それが更にイライラを誘ったところで、相柳がしょんぼりしながら口を開いた。

 

「わし、悲しい。結構良いこと言うたと思うんじゃけど。」

 

「とりあえず私が能力で読めないようにするから、リーゼちゃんは姿を現して頂戴。話がし難いって点にはさとりんに同意よ。」

 

「……名に誓いたまえ。私とアリスの心を古明地が絶対に読めないようにすると。」

 

「はいはい、誓う誓う。八雲紫の名に誓って、この場ではリーゼちゃんとアリスちゃんの心を読めないようにするわ。」

 

面倒くさそうに誓った紫の発言を聞いてから、能力を解いて姿を現す。そんな私をジト目で睨み付けている古明地のことを、こちらも負けじと睨み返していると……紫がニヤニヤしながら声を場に放った。

 

「本当は共通点があるレミリアちゃんと『セット』にする予定だったんだけどね。あの子ったら、思った以上に『上手くやりそう』だから考え直したの。何て言えばいいのかしら? レミリアちゃんだと、さとりんと計算の上で付き合えちゃいそうなのよ。大人の付き合い方ってやつ。それじゃあ面白くならないでしょ?」

 

「意味不明だね。また何か余計なことを企んでいるのかい?」

 

「私は必要なことしか企まないわよ。リーゼちゃんはさとりんに良い影響を与えるでしょうし、さとりんもリーゼちゃんに新たな視点を齎してくれると思うわ。そして貴女たちの変化は、私が望む幻想郷を構成するための重要なピースを生み出すの。……んー、この感じなら想像よりずっと簡単に進みそうね。ゆかりん、大満足。」

 

何をやりたいのかは知らんが、古明地とは絶対に仲良くなんてならないぞ。ピースサインを突き出しつつにっこり笑った紫に、私と古明地が冷めた視線を送ったところで、クッキーらしき物をはぐはぐと食べている相柳が相槌を打つ。ポロポロとテーブルに欠片を零しながらだ。

 

「よう分からんが、さとりに友達が出来るのは良いことじゃな。友達居らんからのう、おぬし。」

 

「余計なお世話ですよ、相柳。私には優秀なペットが沢山居ますし、可愛い妹も居ます。それで充分です。」

 

「ペットは『部下』じゃし、こいしの方はおぬしのことを嫌っとるようじゃけどな。めちゃくちゃ文句言っとったぞ。『あれもダメ、これもダメっていちいちうるさい』って。」

 

「……あの子には必要なことなんですよ。貴女にだって理解できるでしょう?」

 

『こいし』というのがこいつの妹の名前なのか? 何か問題を抱えているらしいな。嘗てのレミリアとフランの関係を思い出すぞ。紫が言っていた『共通点』というのはそれなのかもしれない。

 

内心で考察していると、古明地が相柳の返答を聞く前にやれやれと首を振る。心を読んだらしい。そういうところが友達が居ない原因なんだと思うがな。

 

「理解できませんか。貴女に聞いた私が間違いでした。」

 

「だってわし、難しいことはよう分からん。さとりはお姉ちゃんなんじゃから、こいしに優しくしてやるべきじゃぞ。」

 

「これでも優しくしているつもりなんですよ、私は。」

 

「不器用じゃのう。そういうところは昔のままじゃ。どうせ本音で向き合うのを怖がっとるんじゃろ? ……心が読めん相手だと、すぐそうなるのはおぬしの弱点じゃな。要するにさとりは怖がりなんじゃよ。なまじ普段は読めてしまうから、反応が読めないことが怖いんじゃ。」

 

呆れたようにため息を吐きながら指摘した相柳に、古明地は半眼を向けたままで黙り込む。……これ、私は何を聞かされているんだ? こいつの『問題』になんて興味ないぞ。

 

「そこまでにしておきたまえ、相柳。この場は私とキミが話すための場であって、そこの『目玉ピンク』の悩みを解決する場じゃない。私からすれば古明地に友達が皆無なことは意外でも何でもないし、興味も一切無いんだ。その話は私が帰った後でやりたまえよ。」

 

「……そういう貴女には友達が居るんですか? 初対面の私に対して随分と高圧的な態度ですし、友達が作れるような性格だとは思えませんが。」

 

「沢山居るさ。私はキミと違って社交的だから、人間とも妖怪とも神とも付き合いがあるんだ。私が上で残念だったね。悔しいかい? であれば結構。私は今、キミに勝ててとても良い気分になっているよ。」

 

「貴女は非常に陰険な妖怪ですね。途轍も無く不愉快です。早く用事を終わらせて出て行ってください。」

 

ふん、負け犬の遠吠えだな。そんなことをしても私の勝ちは揺るがんぞ。睨んでくる古明地にふふんと胸を張って勝ち誇っていると、それを見ていた相柳と紫がそれぞれの意見を口にした。

 

「あー、そうじゃな。外向きか内向きかの違いはあるが、確かに似てるのう。根っこの性格がそっくりじゃ。わし、さとりにようやっと友達が出来そうで嬉しい。」

 

「でしょう? 本来ならリーゼちゃんもさとりんも、ここまで喧嘩っ早くはないはずだわ。お互いに初っ端から相手の素を引き出せているわけね。喧嘩するほど仲が良いってやつよ。予想以上に相性が良いみたい。」

 

「『相性が悪い』の間違いだろうが。」

 

「『相性が悪い』と訂正すべきですね。」

 

あああ、イライラするな。高貴な私の台詞に被せてくるなよ、下賤な目玉ピンクめ。またしても声を合わせてきた古明地をじろりと睨んでやると、向こうも苛々している様子で睨み返してくる。どう考えても悪いのはお前だろうが。

 

「まあ、今日のところは話を始めましょうか。心配しなくてもリーゼちゃんとさとりんが仲を深める機会はまたあるわ。っていうか、私が作るから。こんなに面白いコンビを放置しておくのは勿体無いもの。」

 

笑いを噛み殺している紫の声を耳にしつつ、アンネリーゼ・バートリは先に目を逸らしたら負けだと古明地を睨み続けるのだった。

 



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愚者と賢者

 

 

「で、そっちは誰じゃ? わし、知らんのじゃけど。」

 

おっと、私のことか。相柳が私に視線を向けているのを確認して、アリス・マーガトロイドは自己紹介を放っていた。この場で必要以上の発言をするつもりはないけど、さすがに名乗ってはおくべきだろう。

 

「魔女のアリス・マーガトロイドです。リーゼ様の……何と言うか、家人ですね。よろしくお願いします。」

 

「おー、魔女か。下らん人間の生に見切りを付けたのは良いことじゃ。それなら許してやろう。元人間でも妖怪は妖怪じゃからな。わし、心が広いから。寛大な大妖怪じゃから。」

 

「えーっと、どうも。」

 

つまるところ、私はリーゼ様と一緒に幻想郷の地底にある屋敷を訪れているのだ。ここに来たのは相柳との話を行うためなのだが……うーん、リーゼ様はまだ屋敷の主人と睨み合っているな。古明地さとりさんだっけ? どうやらこの二人は物凄く相性が悪いらしい。

 

離れた場所で静観している藍さんと同じように、私もまた余計な発言をしないようにと気を付けていたわけだが、このままでは話が一向に進まないな。そろそろ止めるべきかと迷っていると、件の古明地さんがリーゼ様へと文句を飛ばす。リーゼ様との相性の悪さで言えば、アピスさんをも凌ぐ存在かもしれないぞ。初対面でこんなことになる相手は初めてじゃないか?

 

「貴女は自己紹介をしないんですか? 無礼ですね。」

 

「キミ以外は皆私の名前を知っているからね。知りたいのかい? だったら教えて欲しいと頼みたまえよ。」

 

「礼節の問題ですよ。私はきちんと自分の名前を伝えました。つまり、礼儀では私の勝ちです。」

 

「別に構わないよ。私は『友達』で圧勝しているからね。キミは僅差での辛勝だが、私はぶっちぎりの圧勝だ。痛くも痒くもないさ。」

 

何かこう、子供の喧嘩みたいだな。アピスさんとも、諏訪子さんとも、早苗ちゃんとも違う『相性の悪さ』だ。どちらかと言えばレミリアさんとのやり取りに近いものを感じるぞ。出会ったばかりの頃の吸血鬼たちは、こういう応酬をしていたのかもしれない。

 

ぬう、紫さんが言っていた『同属嫌悪』というのも強ち間違ってはいなさそうだな。リーゼ様とレミリアさんが凸凹なら、古明地さんの場合は凸と凸といった具合だ。似ているという点には同意してもいいけど、絶対に仲良くはなれないと思うぞ。レミリアさんならどうにか出来そうだし、もし『ペア』にするならそっちの方が良さそうなのに。

 

……あるいは、だからこそ紫さんはリーゼ様を当てたのかもしれない。上手く噛み合うことを望んでいるわけではないってことか? キチッと嵌ってしまえば形は変わらないままだ。要するに、あえてぶつかり合わせることで変化を誘っているわけか。

 

だけど、何のためにそんなことをするんだろう? 幻想郷の賢者を横目に黙考していると、その紫さんがリーゼ様と古明地さんに対して声をかける。

 

「ずっと見ていたい可愛らしいやり取りだけど、とりあえず進めさせてもらうわね。こっちはアンネリーゼ・バートリちゃんよ。……それでリーゼちゃん、相柳に何を聞きたいの? さとりんとじゃれ合うのは今度にしましょ?」

 

「……不明点を一応確認しておきたいだけだよ。細川京介のこととかをね。」

 

「ん、京介か。哀れな男じゃったのう。あれは劣等感の塊じゃよ。わしとしては利用し易くて助かったぞ。」

 

「答えるつもりがあるなら聞くが、細川京介はそも何をしようとしていたんだい?」

 

『劣等感の塊』か。中々に辛辣な評価を口にした相柳は、リーゼ様の問いを受けて細川京介に関してを語り始めた。

 

「少なくとも京介当人は、自分が日本魔法界の改革を目指していると思っとったわけじゃが……まあ、本当のところは自分でも掴み切れていなかったんじゃろうな。多分京介は父親を見返したかったんじゃよ。根っこにあったのはそんな幼稚な感情じゃ。」

 

「……事件当日に彼の父親が死んだそうだが、あれはキミがやったことなのか?」

 

「いや、殺したのは紛れもなく京介の方じゃ。まともな判断能力なんぞ残っとらんかったはずなんじゃがのう。部屋に現れた父親を見て、わしが操る間も無く襲いかかりおったわ。何を思ってそうしたのかはわしにも分からん。杖を抜けないように押さえ付けた後、テレビのコードで絞め殺してしまいおった。……わし、ちょっと怖かったぞ。野蛮なのは嫌じゃのう。ああいうの、引くわー。」

 

飄々と語る相柳へと、リーゼ様が小さく鼻を鳴らして応答する。相柳の『道具』になっていた細川京介が、リーゼ様に唆されて部屋にやって来た父親を絞殺したわけか。結果だけ見ればどちらも大妖怪の『被害』に遭ったと言えそうだな。

 

「父親への憎しみか。ありきたりな話だね。」

 

「わし、単純な憎しみってわけでもないと思うんじゃがなぁ。一言で表すなら『こんぷれっくす』じゃよ。操作が不完全な頃は不具合でブツブツ独り言を呟いとったが、それを聞くに京介は父親に認められたかったようじゃからな。……ま、どうせわしが脳みそを削ったからまともに判断できなくなって、ぐちゃぐちゃな感情に突き動かされて殺したとかじゃろ。その辺は真面目に考えるだけ無駄じゃよ。あの時点で既に壊れとったんじゃから、京介。」

 

「では、発端は? 細川本家に封印されていたキミのことを、細川京介が助け出したんだろう? であれば細川にはそうするだけの理由があったはずだ。」

 

「最初はわしが力を齎す何かだと勘違いしておったようじゃぞ。わしってほら、六百年前に凄いことしたから。それが何か捻じ曲がって伝わっておったんじゃろ。……人間って本当にバカじゃなぁ。そんなうまい話があるわけなかろうに。」

 

呆れたように言う相柳に、リーゼ様が少し意外そうな顔で質問を続けた。細川京介は力を欲して相柳を解放してしまったということか。そこはまあ、よく聞く類の『妖怪解放理由』だな。

 

「ふぅん? 力を得て日本魔法界改革の旗頭にでもなろうとしたのかい?」

 

「そうみたいじゃな。じゃがまあ、わしにはそんな力などない。……いやまあ、厳密に言えばあるぞ? 直接的にはないって意味じゃ。わし、凄い妖怪じゃから。知っとった?」

 

「キミが色々な意味で『凄い妖怪』なのは知っているよ。だが、もっと分かり易い力を期待していた細川は落胆したはずだ。それを知った彼はどうしたんだい?」

 

「ひどく残念がっておったぞ。しかしわしが人間を操れることを教えたら、自分の計画に協力してくれないかと頼んできたんじゃ。身の丈に合わぬ大層な計画を立てて、日本魔法界を変える立役者になることを夢見ておったわ。……ガキなんじゃよ、ガキ。京介は本心から日本魔法界を憂いていたわけではなく、何か『凄いこと』をして有名になって父親を見返したかっただけじゃ。そんな自分を認めたくないから、御大層な計画で本音の部分を塗り固めておったんじゃよ。自分でも気付けぬようにな。どうじゃ? 哀れな男じゃろ?」

 

リーゼ様によれば、細川京介と父親の間には大きな溝があったはずだ。……父親へのコンプレックスか。確かに子供っぽくて、同時にどこまでも人間らしい動機だな。細川京介が抱えていた感情の表面ではなく根幹の方を先ず語った相柳へと、リーゼ様は至極微妙な顔付きで声を放つ。

 

「細川はキミが人間を操れることを知っていたのか。話してしまうキミもアホだが、知ってなお関わろうとする細川も中々のものだね。」

 

「京介はわしのことを見縊っておったからのう。妖怪についてもよう知らんかったみたいじゃし、わしもいくらか説明を『簡略化』した。最初の頃は健気に警戒しとったが、徐々にそれも緩んでいったわ。何ヶ月もかけてじわりじわりと支配したんじゃよ。わしって我慢強い策士じゃから。……なあなあ、カッコよくない? わし、カッコよくない?」

 

「カッコよくはないかな。……ちなみに魔法経済庁の長官もキミが操ったのかい?」

 

「まほうけいざいちょ? ……ああ、あの男か。標的として選んだのは京介じゃが、操作したのはわしじゃぞ。ちょーっと強引な手段を使ったから、すぐ壊れてしまったがのう。壊れる直前はわしの支配も薄らいどったみたいじゃな。京介のやつ、ビビっておったわ。あの辺で京介は自分がやっていることへの恐れを覚え始めて、故にどんどん心が弱くなった。京介に対するわしの支配が一気に進んだのもあの時期じゃよ。」

 

ひょっとすると、先程相柳が言っていた『身の丈に合わぬ大層な計画』というのは正鵠を射ているのかもしれないな。細川京介は高望みをし過ぎたのだろう。分不相応な計画を描いて、手に余るような事態を招いてしまい、後悔して弱気になっているところを相柳に支配されたわけか。

 

うーむ、改めて妖怪を『利用』することの難しさを感じるぞ。グリンデルバルドとリーゼ様の関係も、ダンブルドア先生とレミリアさんやパチュリーの関係も、大妖怪と並び立てるほどの能力と覚悟が二人に備わっていたから成立したのだ。細川京介にはそれが無かったのだろう。彼が選んだ相柳もまた、歴とした『大妖怪』の一員なのだから。

 

正しく哀れな男だな。細川京介は大妖怪と関わるには、まだあまりにも未熟だったわけだ。御し切れない存在に手を伸ばした人間の末路か。きっとこれが『よくある方』の人妖の物語の結末なのだろう。グリンデルバルドやダンブルドア先生のようなケースが特別なのであって、大妖怪と人間が関わると大抵はこうなってしまうはず。

 

私が考えている間にも、今度は紫さんが相柳に問いかけを投げた。

 

「それにしても、貴女にしては随分と『自力』で動いたわね。魔法経済庁の長官を操って、細川京介を操って、マホウトコロの教師たちのことも操ったわけでしょう? 昔の貴女なら細川京介だけでも手一杯だったんじゃない?」

 

「わし、何だか知らんけど調子良かったんじゃ。封印から抜け出して以来絶好調じゃった。成長期なんじゃろうか? だから白木も操れるかなと思うたんじゃが、それはさすがに無理じゃったわ。」

 

「昔よりも人間たちからの恐怖を得られていたんだろうさ。六百年前の『相良柳厳』の逸話が日本魔法界に伝わっているからね。彼を唆した老蛇としての恐れが手に入っていたんじゃないか? ……そう考えるとむしろ弱すぎるわけだが、それはキミが元来持っている器が小さいってことなんだと思うよ。」

 

「……わし、器が小さいの? 悲しいのう。生まれの不遇じゃな。わし、でっかい龍とかで生まれたかった。空とか飛びたかった。」

 

相柳としては不運かもしれないが、私としては彼女が『弱い』のは幸運に思えるな。矮小な妖蛇としての状態でも物凄く厄介なのに、これで地力があったら目も当てられないぞ。リーゼ様の考察を受けて悲しそうに呟く相柳の頭を、古明地さんが優しく撫でながら口を開く。

 

「ちょっと、相柳を苛めないでください。可哀想じゃないですか。こんなに頑張っているのに。」

 

「相柳が『頑張った』結果として私たちは大迷惑を被ったんだよ。文句を言う権利くらいはあって然るべきだと思うがね。……ま、大体の流れは理解できたかな。計画の基礎を作ったのは細川で、キミがそれを骨子に『上書き』を行い、最終的にはゲラートを殺して操ることで外界全体に混乱を及ぼそうとしたわけか。ついでに聞くが、細川はゲラートをどういった形で利用しようとしていたんだい? それともキミの協力に対する対価として接触しようとしていただけなのか?」

 

「いいや、京介もぐりん何某を使おうとしとった。国際的な影響力が云々と言っておったぞ。わしには具体的に何をしたいのかがよう分からんかったが、京介の計画は傍目にも希望的観測が多かったし、おぬしでも大まかな内容は予想できるじゃろ。薄っぺらで甘々なやつじゃよ。ぐりん何某や白木を裏から操って、日本魔法界の『ヒーロー』になろうとしたわけじゃな。わしの計画の方が百倍マシじゃ。」

 

「キミにそう言われる細川が哀れでならないよ。……仮にキミがゲラートを操れていたとしたら、今は何をやっていたんだい?」

 

興味本位という口調のリーゼ様の疑問に、相柳はえへんと胸を張って回答した。

 

「人間を盛大に殺し合わせるに決まっとろうが。ぐりん何某は魔法界の『超偉いヤツ』なんじゃろ? だったら戦争を起こすくらい簡単に出来るはずじゃ。人間の社会を無茶苦茶にしてやれば、自ずと妖怪が付け入る隙が生まれる。そしたらそしたら、偉大なわしが生き残った妖怪たちを指揮して人間をやっつけるわけじゃな。完璧じゃろ? 完璧な計画じゃろ?」

 

「……キミはあれだね、本当に恐ろしい存在だね。バカにカリスマと行動力と運を持たせるとキミみたいな存在が生まれてしまうわけか。キミは形を持った混乱だよ。超一流のトラブルメーカーだ。」

 

「……これってわし、褒められとる? さとり、どうじゃ? わし、喜ぶべき? 落ち込むべき?」

 

「喜ぶべきですよ、相柳。貴女は妖怪として褒められているんです。」

 

古明地さんの適当な発言を耳にして、相柳は無邪気に喜び始めるが……なるほど、『形を持った混乱』か。言い得て妙だな。相柳の計画は誰がどう見ても穴だらけだし、彼女が望んだ形で計画が完遂することはまず有り得ないだろうが、だからこそ彼女に『勝利』できる者も存在しないのだ。スタートとゴールがあやふや過ぎる上、目的や行動も理に適っていないのだから。

 

つまり、こんなものは端からゲームになっていないわけだな。だったら当然勝ちも負けもないだろう。彼女と戦った後に残るのは、ぐちゃぐちゃになった盤を片付ける労力だけ。何とも妖怪らしい妖怪じゃないか。巻き込まれる人間にとってはただただ迷惑な話だぞ。

 

遠くで話を聞いている藍さんがやれやれと首を振り、紫さんが苦い笑みを浮かべ、古明地さんが手持ち無沙汰に膝の上の赤い『目玉』を撫でる中、リーゼ様が小さく鼻を鳴らして相柳に話しかける。古明地さんのあの目玉、一体何なんだろう? 吸血鬼の翼なんかと同じく妖怪特有の『器官』なのか、それとも別に身体と繋がっているわけではない『道具』なのか。魔女としてちょっと気になるぞ。

 

「何にせよ、事件に関する質問は以上だ。ここに来る前は色々と言ってやりたい気持ちもあったんだが、キミの様子を見ていたらどうでも良くなったよ。これにて手打ちとしよう。それでいいかい?」

 

「わしは構わんぞ。失敗したのは悲しいが、わしには必ず次があるからのう。また何か方法を探せばよい。」

 

「少なくとも今後百年間くらいは、イギリス魔法界には手を出さないように気を付けたまえ。また私が介入しなきゃいけなくなるからね。それ以外だったら知ったこっちゃないよ。幻想郷でも外界でも好きにトラブルを起こすといいさ。」

 

「そういえばおぬし、何で邪魔してきたんじゃっけ? わし、イギリスには何もしとらんと思うのじゃけど。」

 

きょとんと小首を傾げて尋ねた相柳へと、リーゼ様は眉根を寄せて返答を送った。今更だな。あまりにも今更の質問だ。

 

「キミがゲラート・グリンデルバルドに手を出したからだよ。あの男は私の……そう、契約者なんだ。」

 

「あー、やっぱりそこか。じゃあわし、別に間違っとらんかったわけじゃな。最初におぬしが京介と会う時に姿を見せて、妖怪として交渉しようかとも思うたんじゃよ。だけどぐりん何某に協力しとるようじゃし、厄介な敵になる可能性もあったから一応隠れて動いとったんじゃ。警戒すべきは常に人外じゃからのう。今回は吸血鬼と神にしてやられたわ。」

 

腕を組んでうんうん頷きながら言う相柳に、紫さんが諭すような声色で語りかける。

 

「相柳、貴女の弱点はそこよ。人外ばかりを認めていないで、人間のこともきちんと見なさい。今回マホウトコロを崩落から救ったのは吸血鬼でもなく、神でもなく、人間でしょう?」

 

「うっさいわ。あれは下僕どもがわしの指示を上手く遂行しなかったからじゃろ。……おぬしこそ妖怪をきちんと見るべきじゃぞ、紫。おぬしは昔から理想家を気取っておるが、この『幻想郷』など所詮妥協の産物じゃ。本音で『人間と共に生きたい』と考えとる人外がどれだけ居るか見ものじゃな。おぬしが思う数より遥かに少ないじゃろうて。」

 

「……理解してもらうのに時間がかかるのは百も承知よ。私は過度な期待はしていないわ。」

 

「しとると思うがのう。人間と共に生きられる存在など妖怪ではないわ。そんなもん不気味なだけじゃ。おぬしは妖怪という存在の根っこの部分を変えようとしておる。それは『過度な期待』じゃよ。本気で妖怪たちにそんなことを望んでいるんだとすれば、おぬしは確かに理想家なのかもしれんな。……まあ、いずれ分かるじゃろ。おぬしは人間にも妖怪にも期待し過ぎとるが、わしはありのままの妖怪を愛しているからのう。本能ばかりは如何なおぬしでも変えられんよ。誰よりも真っ直ぐに妖怪を見ているわしがそれを保証しよう。」

 

ここに来てちょびっとだけ賢く見える雰囲気で放たれた相柳の意見を受けて、紫さんが鋭い口調で反論を飛ばす。本能か、理性か。難しい題目だな。

 

「貴女は妖怪を滅びに導くつもりなの? 本能に従って行動すれば、行き着く先は妖怪の絶滅よ。もはや矜持を語っていられる段階はとうに過ぎたの。」

 

「矜恃無くして何が妖怪じゃ。わしらは元来それを貫くために生まれてきた存在じゃろうが。妖怪としての矜恃を棄てて生き延びるくらいなら、妖怪のまま誇り高く散るべきじゃよ。……ま、わしがそうはさせんがな。わし、絶対に諦めんから。おぬしは幻想を幻想のまま『保管』することを選んだようじゃが、わしは幻想をもう一度現実まで引き上げてみせるぞ。妖神人が入り乱れて生活しとった、あの懐かしく美しい狂乱の世を取り戻してみせる。必ずじゃ。」

 

『出来ないかも』とは一切思っていないような、一片の曇りもない瞳で宣言した相柳。その姿をリーゼ様と古明地さんが眩しいものを見るかのように眺め、壁際の藍さんが寂しそうに顔を俯かせたところで、はっきりと白い瞳を見返している紫さんが口を開いた。

 

「後悔するわよ、相柳。永遠を呑んでしまった貴女は、妖怪の衰退を余す所なく見届けることになるわ。」

 

「永遠への恐れなど遠い昔に棄てたわ。わしは中途半端は好かん。やると決めたらやるだけじゃ。おぬしのように賢くないから、次善の策など準備せんのじゃよ。愚かなわしは愚かなままで進み続けてみせよう。それは決しておぬしには出来ないことじゃろ?」

 

「……まあいいわ、貴女ほどの妖怪を今すぐに説得できるとは思っていなかったもの。暫くは地底で暮らしてもらうわよ。」

 

「ん、構わんぞ。この地で少しばかり策を練るわ。さとりやこいしも居るし、勇儀や萃香も居るらしいからのう。暫くの間は旧友たちとの再会を楽しんでやってもよい。……じゃが、このわしがいつまでも大人しくしとるとは思わんようにな。そのことだけは忘れん方が良いぞ、紫。」

 

挑発的に笑いながら脅し文句を口にした相柳へと、紫さんが肩を竦めて返事を返す。迷惑そうに、残念そうに、それでいてどこか楽しそうにだ。

 

「今度は真っ正面から付き合ってあげるわ、相柳。幻想郷は全てを受け入れるのよ。私はその言葉を違えるつもりはさらさら無いの。貴女のような妖怪を受け入れることが叶えば、幻想郷はまた一つ強固になるでしょう。だから付き合ってあげる。何度でも、貴女が諦めるまでね。」

 

「長い勝負になりそうじゃのう。おぬしを諦めさせるのは、わしを諦めさせることの次に難しそうじゃ。……よいよい、遊んでやるわ。おぬしの計画にわしが必要なように、わしの計画にもおぬしは必要じゃからな。根比べじゃ。どちらの理念が上かを決めるとしよう。」

 

妖怪の守護者と、融和を目論む賢者の根比べか。……いやはや、私たちの移住先は想像以上に厄介な土地なのかもしれないな。何たって私が知っているだけでも紫さんや魅魔さん、相柳のような一癖も二癖もある妖怪たちが住んでいるのだ。知らない妖怪だってまだまだ居るだろうし、ダイアゴン横丁ほど穏やかな『ご近所付き合い』とはいかなさそうだぞ。

 

移住先への不安をひしひしと感じながら、アリス・マーガトロイドはこの『箱庭』の厄介さを再認識するのだった。

 



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四月一日

 

 

「……へ?」

 

嘘だろう? 人形店のリビングのソファに腰掛けつつ、アリス・マーガトロイドは思わず声を漏らしていた。四月一日の朝刊の一面にデカデカと載っているのは、『ロシア中央魔法議会議長、ゲラート・グリンデルバルドが死去』の文字だ。死んだ? グリンデルバルドが? こんなに現実感のない記事は生まれて初めて見たぞ。

 

四月が始まったばかりの今日、一階の作業場で夜を徹して人形の制作に取り組んでいた私は、一息つくためにリビングでコーヒーを飲みながら朝刊を開いたわけだが……ひょっとすると、今私は夢を見ているのかもしれない。作業中に居眠りしちゃったとか?

 

この前の幻想郷での会話も中々にインパクトがある内容だったけど、目の前の紙面に比べれば些細なものだぞ。とりあえず頬を抓ってみて自身の覚醒を促している私に、キッチンで朝食を作っているエマさんが声をかけてくる。

 

「アリスちゃん? どうしたんですか?」

 

「いえ、あの……これって夢じゃないですよね? だからつまり、私が見ている夢って意味です。」

 

「夢? ……えーっと、その場合って私に自覚はあるものなんですか? 『自分は夢の登場人物だ』って。」

 

「それは……まあその、やっぱり気にしないでください。夢ではなかったみたいです。」

 

何だか哲学的な疑問を寄越してきたエマさんに応答してから、改めて記事を読み直す。今日の零時頃に執務室で死亡しているところを警護の闇祓いが発見して、詳細な死因の発表はまだされていないものの間違いなく他殺ではなく、本人の遺言書に則って葬儀をする予定は無し。記事にある目ぼしい情報はそれだけだな。予言者新聞の方も大急ぎで記事にしたらしい。殆ど速報扱いだ。

 

……あの男が死んだのか。十日ほど前はピンピンしていたのに。内容が纏まっていない記事を読み終えて呆然とした後、ハッと思い至った質問をエマさんに送った。

 

「エマさん、リーゼ様ってもう起きてますか?」

 

「まだ寝てますよ。最近は結構早起きなので、もうちょっとで起きてくるとは思いますけど。」

 

「……そうですか。」

 

どうしよう。急いで起こしに行くべきか? でも、グリンデルバルドが死んだとなればリーゼ様はショックを受ける……はずだ。私はリーゼ様にとっての『訃報の運び手』にはなりたくない。だって絶対に良くは思わないはずなんだから。

 

とはいえ、知ってなお起こしに行かないのもそれはそれで問題に思える。何故私は朝刊を読んでしまったんだろう? あのままずっと一階で作業をしていれば良かったぞ。コーヒーなんか飲むべきじゃなかったんだ。

 

リーゼ様の反応を想像して憂鬱な気分になりつつ、それでもやっぱり黙っているのはダメだろうと起こすことを決断したところで、ふと根本的な疑念が頭をよぎった。……これ、本当に死んだんだろうか? よくよく考えてみればそんなこと信じられないぞ。

 

大体、予言者新聞の記事だもんな。幾ら何でもこんな内容の誤報は見たことがないけど、『グリンデルバルドが死ぬ』よりも『予言者新聞社が早とちりする』の方が余程に真実味がある。半ば現実逃避のような思考になっていることを自覚しつつも、その線に賭けてリーゼ様を起こしに行こうと立ち上がった瞬間、一階から呼び鈴の音が響いてきた。誰かが来たらしい。

 

「あれ、こんな時間に誰でしょう?」

 

「私が出ます。」

 

きょとんと首を傾げたエマさんに素早く宣言してから、何だか救われたような気持ちで階段を下りる。お客さんが来たなら仕方がないはず。少なくとも心の準備をする猶予は手に入ったな。内心で言い訳をしながら一階の店舗スペースに到着すると、玄関に立っているのが誰なのかが目に入ってきた。癖っ毛のベージュの長髪で、背が高い女性。大妖怪で情報屋のアピスさんだ。

 

「おはようございます、アピスさん。」

 

どうして来たのかと怪訝に思いつつドアを開けて挨拶してみると、アピスさんは返事をしてから店内に入ってくる。スイスからわざわざ来たということは、それなりに重要な用件なんだろうか?

 

「どうも、魔女さん。朝早くにすみません。最前列で結末を鑑賞しに来たんです。」

 

「鑑賞? ……えっと、どういう意味ですか?」

 

「幻想郷の『彼女』から手紙が届いたんですよ。つまり、特等席のチケットが。……まさか私に接触してくるとは思いませんでしたが、それだけ吸血鬼さんのことを重んじているということでしょう。相柳の一件のお詫びだと書いてありました。彼女によれば、吸血鬼さんのために私は今日ここに居た方が良いんだそうです。私としても物語の終わりを近くで鑑賞できるのは願ってもないことなので、今回は彼女のプロットに乗ってみたわけですね。」

 

いやいや、ちんぷんかんぷんだぞ。これまで接してきたアピスさんの発言を思うに、『彼女』というのは恐らく紫さんのことだと思うから……紫さんがリーゼ様へのお詫びとしてアピスさんを派遣して、アピスさんはそれに乗ってここに来たということか? 具体的な部分が随分とぼんやりしているな。

 

アピスさんにしたってあやふや過ぎる説明に困惑しつつ、店内の人形を見回し始めた彼女に忠告を飛ばした。何にせよ、今日はタイミングが悪いのだ。改めて来た方がいいと思うぞ。

 

「えっとですね、アピスさん。リーゼ様に用があるなら今日はやめておいた方がいいと思うんですけど。」

 

「ゲラート・グリンデルバルドが死んだからですか?」

 

「……知ってたんですか。」

 

「私は情報屋ですよ? 知らないはずがありません。日が昇る前には把握していました。……それより魔女さん、表のポストに荷物が入っていましたよ。」

 

荷物? 棚の可動人形を手に取って構造を観察しながらのアピスさんの報告を受けて、一度外に出てポストをチェックしてみれば……何だろう? 中に小さな箱が入っているのが視界に映る。飾り気のない白い紙に包まれた、ちょっとだけ厚みがある長方形の箱だ。サイズはポストに余裕で入る程度の小ささで、持った感触からして木箱を包んであるっぽいな。表面にも裏面にも何も書かれていないぞ。

 

うーん、また差出人不明の荷物か。あんまり良い思い出がないんだけどな、こういうの。経験から不穏なものを感じてしまうぞ。どうか変な魔女から送られてきた物じゃありませんようにと願いつつ、箱を片手に店内に戻ってみれば……ああ、マズい。カウンターに直接腰掛けているリーゼ様の姿が見えてきた。しかも私がリビングに置いてきた新聞を手にした状態でだ。

 

「……リーゼ様、起きてたんですか。」

 

「キミと入れ替わりになったらしいね。エマから来客だと聞いて下りてきたんだよ。……で、そこの情報屋は何故ここに居るんだい?」

 

「紫さんからの連絡を受けて来たそうです。相柳の一件のお詫びとして、アピスさんをここに派遣したんだとか。」

 

「ふぅん? 『お詫び』ね。……キミと紫が連んで何かするというのには違和感があるぞ。とんでもない違和感がだ。どういうつもりなんだい? アピス。」

 

もう朝刊を読んじゃったのか? アピスさんに問いかけるリーゼ様の表情を確認しつつ、彼女が持っている新聞に目を向ける。だけど、読んだ後ならこんなに冷静でいられるはずがない。ということは読んでいないのかな? ああもう、胃が痛くなってきたぞ。

 

「彼女が連絡してくるのには、私としても『とんでもない違和感』がありますが……まあ、貴女という繋がりを得てしまったということなんでしょう。恐らく一度きりですよ。二度目はありません。」

 

「ふん、貴重な経験をしているようで何よりだ。……用件は?」

 

「私には分かりませんよ。この場所に居るべきだと知らされただけですから。むしろ私の役割は貴女が知っているのでは?」

 

「意味がさっぱり分からんね。これだからキミたちみたいな存在の相手は疲れるんだ。」

 

ため息を吐きながらのリーゼ様がやれやれと首を振ったところで、アピスさんがサラッと致命的な質問を投げかけた。

 

「その新聞、読みましたか?」

 

「軽くは読んだよ。」

 

「……では、感想は?」

 

「特に無いね。とっくの昔に知っていたことが書かれてあるだけさ。」

 

……リーゼ様はグリンデルバルドの死を知っていたのか。そのことにホッとしていいのかどうかを迷っている私を他所に、アピスさんはポーカーフェイスで問いを続ける。かなり踏み込んだ問いをだ。

 

「らしくない反応ですね。悲しんでいないんですか?」

 

「キミが私の『らしさ』を知っているとは思えないがね。……別に悲しんではいないよ。既に整理は終えているさ。こうなると知っていて、こうなった。それだけの話だ。」

 

無表情で放たれたリーゼ様の答えを耳にして、アピスさんは納得がいかないような雰囲気で更に何かを尋ねようとするが……その直前に黒髪の吸血鬼がこちらに話しかけてきた。アピスさんの質問を遮った形だな。やっぱりあまり聞かれたくないのかもしれない。

 

「アリス、それは?」

 

「ポストに入っていた荷物です。差出人も宛名も書いてないみたいですね。つまり郵便業者を通さずに、直接ポストに投函された物ってことになります。」

 

「またそのパターンか。厄介事の臭いをひしひしと感じるぞ。……私が開けよう。貸してみたまえ。」

 

「あー……はい、気を付けてください。」

 

リーゼ様もそう思うのか。私から包みを受け取ったリーゼ様は、重さを確認するように二、三回軽く振った後、カウンターの上で白い包装紙を剥がし始める。すると出てきたのは……うん、やはり木箱だ。これといった特徴のない茶色い長方形の木箱。留め具とかも見当たらないな。上部が薄い蓋になっていてカパッと開けられるらしい。

 

「木箱だね。」

 

「そうですね、木箱ですね。」

 

それ以外の印象など一切無いような普通すぎる木箱を見て、リーゼ様と感想とも言えぬ感想を交わしてから、黒髪の吸血鬼が慎重に蓋を開くのを見守っていると……ありゃ、時計だ。色褪せた革のベルトが付いている、古ぼけた腕時計。木箱の中には緩衝材として入っているのであろう白いシルクの布と、その腕時計だけが収められていた。

 

しかしまあ、やけに古い無骨なデザインだな。高級な時計だとはとても思えないし、どう見たって新品ではない。どうしてこんな物がポストに入っていたんだろうと疑問を感じている私を尻目に、腕時計を手に取ったリーゼ様がポツリと呟く。真紅の瞳を見開きながらだ。

 

「……動いているね。」

 

「へ?」

 

「長針がだよ。動いているじゃないか。どういうことだ?」

 

ううん? 謎の発言だな。秒針が無い時計なので私は見逃したが、リーゼ様は針が動いているところを目撃したらしい。……でも、それがどうしたんだ? 腕時計の長針が動いているのは、別に驚くようなことじゃないと思うんだけど。だって時間を示すのが時計の役目なんだから。

 

何かに驚愕しているリーゼ様を目にして首を捻っていると、暫く腕時計を見つめて沈黙していた彼女がアピスさんへと言葉を送った。恐る恐るといった様子でだ。

 

「……アピス、キミは時計技師をしていたはずだね?」

 

「していましたが、それがどうかしましたか?」

 

「この腕時計に修理した形跡があるかを確認できるかい?」

 

「構造次第ですが、その腕時計は古い物のようなので恐らく可能です。見せてください。」

 

近付いてきて腕時計を受け取ったアピスさんは、目を細めて裏側や側面を丹念にチェックした後、然程時間を使わずに『診断結果』を口にする。

 

「修理はされていませんよ。この腕時計は構造的に分解すればそうと分かる傷が付くはずですが、それが見当たりませんから。」

 

「つまり、この腕時計は壊れていないわけだ。」

 

「まあ、そうですね。時間はきちんと合っていますし、針も滑らかに時を刻んでいますから、特に壊れていないと言えるでしょう。ぜんまいさえ巻いておけば動きますよ。……この腕時計に何か意味があるんですか?」

 

アピスさんもリーゼ様が何を気にしているのかを分かっていないようで、時計を返しながら質問をしているが……今度はどうしちゃったんだ? リーゼ様は再度手の中の腕時計をジッと見つめたかと思えば、クスクスと柔らかく笑い始めた。普段の皮肉げな笑い方ではなく、ただの少女のような飾らない笑い方だ。

 

ぬう、物凄く可愛らしいぞ。『無邪気に笑うリーゼ様』というのはかなり貴重な光景じゃないか? いきなり訪れた『希少シーン』を脳内に焼き付けていると、一頻り笑い終えたリーゼ様がくつくつと喉を鳴らして口を開く。

 

「ぜんまいさえ巻いておけば、ね。……いやぁ、やられたよ。あの大嘘吐きめ、やろうと思えば出来るんじゃないか。この私を騙すとは大したもんだ。」

 

「リーゼ様? どうしちゃったんですか?」

 

「んふふ、騙されたのさ。私は嘘を吐かれたんだ。……なるほどね、だからいちいちしつこかったのか。『余暇』の話もようやく合点がいったよ。思い返せば下手くそすぎるぞ。慣れないことをするからだよ、まったく。」

 

おー、久々に『んふふ』が出たな。とんでもなくご機嫌な様子で翼をパタパタさせているリーゼ様は、続いてアピスさんに声をかけるが……全然分からないぞ。どういうことなんだ?

 

「アピス、この時計はあとどれくらい持つんだい?」

 

「断定も保証も出来ませんし、随分と古い時計なので不測の事態も大いに有り得ますが、針の動き方からして今すぐに止まるということは無いでしょう。そう長くも持たないと思いますけどね。」

 

「充分さ、それで充分だ。……ああくそ、やられたよ。ゲラート・グリンデルバルドは死んだわけだ。死ぬべき時に、しっかりとね。しかし、腕時計は止まっていなかった。つまりはそういうことか。」

 

「……貴女の様子を見るに、私がこの場に居た意味は確かにあったようですね。」

 

グリンデルバルド? 何故か嬉しそうにグリンデルバルドの死を語ったリーゼ様にアピスさんが話しかけると、黒髪の吸血鬼は笑みを浮かべ続けながらこっくり首肯した。

 

「普段なら勝手に先回りされたのにイラつくし、余計なことをするなと文句を言っているところだが……ま、今回は許してあげよう。私の機嫌が良いことに感謝したまえ。遅かれ早かれ時計屋かどこかで確認していただろうが、手早く済んだのは僥倖だったよ。」

 

「……そういうことですか。情報屋としてではなく、大妖怪としてでもなく、時計技師としての私が居合わせるのが重要だったと。」

 

「紫は私に『それ』を早めに知らせることを、相柳の一件の詫びに代えたんだろうさ。……最後の最後でダンブルドアのアドバイスに従うとはね。今日の日付といい、やっと洒落っ気が付いてきたみたいじゃないか。本当に世話のかかるヤツだよ。」

 

腕時計を手に持ったままで穏やかに呟いたリーゼ様は、それを自分の左腕にそっと着ける。リーゼ様の腕には大きすぎるし、彼女に似つかわしくない地味なデザインなのだが……どうしてなんだろう? 何だかしっくり来てしまうぞ。あるべき場所にある、という感じだ。

 

そのことを不思議に思っていると、アピスさんが静かな声色でリーゼ様に疑問を放つ。何かを確認するかのような顔付きだ。

 

「吸血鬼さんに改めて問います。貴女は今悲しんでいますか?」

 

「ああ、悲しんでいるとも。ゲラート・グリンデルバルドという男は死んだんだ。ヨーロッパ大戦を起こし、魔法族という存在を背負い続けていた偉大な男は、その役目を終えて歴史から去ったんだよ。……故に私とあの男の物語はこれで終わりさ。百年前に始めた吸血鬼たちのゲームはこれにて終了だ。後に残ったのは未だ無知で成長途上の吸血鬼と、ようやく問題に向き合い始めたよちよち歩きの魔法界と、僅かな余暇を楽しむ名も無き老人だけ。何とまあ、締まらない結末だね。」

 

言葉とは裏腹に、今のリーゼ様が浮かべているのはひどく満足そうな表情だ。そんな彼女を見て、アピスさんは薄っすらと笑いながら一つ頷いた。これはきっと大妖怪でも情報屋でもなく、アピスさんとしての笑みなのだろう。

 

「そうですか、よく分かりました。……感謝しますよ、吸血鬼さん。貴女たちのお陰で『物語』のコレクションをまた増やすことが叶いましたから。いつか見返して楽しませてもらうことにします。」

 

「好きにしたまえ。」

 

左腕の腕時計を眺めながら素っ気無く応じたリーゼ様と、何かを理解したような雰囲気を醸し出しているアピスさん。話について行けなくて困惑している私を他所に、リーゼ様は木箱を回収してから肩を竦めて声を上げる。

 

「遠からぬうちにこの時計は止まるだろうさ。だが、それでいいんだ。少なくとも私はまだ動いていることを知っている。それで充分なんだよ。」

 

言うと、リーゼ様は話は終わりだとばかりにリビングへと戻って行ってしまうが……ひょっとしたら、あの腕時計はパチュリーにとっての不死鳥の羽ペンで、フランにとっての咲夜で、私にとってのイトスギの杖なのかもしれない。リーゼ様とグリンデルバルドの間にある『何か』。多分それを象徴するような物なのだろう。未だ理解が追いついていないものの、腕時計を受け取る前のリーゼ様と今のリーゼ様が明確に違うことは分かるぞ。自分の心に決着を付けたという感じだ。

 

翼をはためかせながら階段を上っていくリーゼ様。その姿を視界に収めつつ、アリス・マーガトロイドは柔らかく息を吐くのだった。

 



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Epilogue
ご機嫌期間


 

 

「いやー、肩の荷が下りたぜ。何とか次に繋げることが出来たな。」

 

ホッとしたように微笑みつつ話しかけてくる魔理沙に首肯してから、サクヤ・ヴェイユは改めてお祝いの言葉を投げかけていた。周囲に対しては飄々とした態度で接していたが、その実結構なプレッシャーを感じていたことを私は知っているのだ。優勝できて何よりだぞ。

 

「おめでと、魔理沙。」

 

「ん、あんがとよ。」

 

親友とハイタッチを交わした後、戦勝に浮かれているグリフィンドールの談話室をぼんやりと眺める。五月の中旬である今日、魔理沙率いるグリフィンドール代表チームが最終戦を勝利で飾ったのだ。今学期の学内リーグは全寮が一勝一敗の状態になるところまでもつれ込んだので、最後まで気を抜けない戦いだったのだが……いやはや、こういう結末を迎えられて本当に良かったぞ。これなら魔理沙は胸を張って、グリフィンドール寮に歴代キャプテンとしての名を残すことが出来るな。

 

うんうん頷きながら考えている私のことを、魔理沙が戯けるような声色でからかってきた。

 

「声がちょっと枯れてるぞ、お前。咲夜が声を枯らしてるところなんて初めて見たぜ。」

 

「……大声を出すのには慣れてないのよ。からかわないで頂戴。」

 

「からかってないぜ、感謝してるんだ。それだけ頑張って応援してくれたってことじゃんか。……プレー中にお前の大声が聞こえた時はびっくりしたけどな。あんな声を出せるとは思わなかったぞ。お陰で気合が入ったけどよ。」

 

「隣に座ってたベインにも言われたわ。珍しく素直に感心されちゃったわよ。……これっきりなんだからね。もうやらない。慣れてないことはするもんじゃないって実感できたもの。」

 

あんなに大声で誰かを応援するというのは初めての経験だったし、ある種の清々しさは感じているものの……声帯へのダメージが大きすぎるぞ。私はどうやら大声を出すのには向いていないようだ。今更になって何だか恥ずかしくなってきたな。

 

明日になったらもっと枯れているんだろうなと後悔している私に、魔理沙は笑顔で相槌を打ってくる。

 

「タイムアウトの時のベンチでアレシアもびっくりしてたぜ。『ヴェイユ先輩って大声が出せたんですね』って。あいつも気合を貰ってたみたいだぞ?」

 

「何よその感想は。出そうと思えば出せるに決まってるでしょうが。」

 

「要するにまあ、似合わないことをしてまで応援してくれたのが嬉しかったってことだよ。ありがとな、咲夜。声が枯れたのは『名誉の負傷』だ。」

 

「……まあ、意味があったなら良かったわ。」

 

真っ直ぐにお礼を言ってくるのはズルいぞ。こそばゆい気分になって視線を逸らしたところで、満面の笑みでニール・タッカーと話しているリヴィングストンの姿が目に入ってきた。

 

「……来学期の主役はあの二人になるでしょうね。次のキャプテンがタッカーで、その次がリヴィングストンなんでしょ?」

 

ビーター二人の方を見たままで問いかけてみれば、魔理沙もそちらに目を向けながら肯定してくる。

 

「そうなるな。ビーター主体のチームってのも面白そうだぜ。……ま、私に教えられることは全部教えた。だったらあとは次の世代に任せるさ。ニールとアレシアなら良いチームにしてくれるだろ。」

 

「んー、いよいよ卒業が近付いてきたって感じね。少し寂しくなってくるかも。」

 

「お前の場合はイモリ試験が残ってるけどな。忘れてないか?」

 

肘で私の脇腹を突きながら指摘してきた魔理沙へと、ムスッとした顔で応答した。重々承知しているぞ。

 

「勉強はしてるわよ。絶対に良い成績を取ってみせるわ。」

 

「私は無理に拘らなくてもいいと思うんだがなぁ。根を詰めすぎるなよ?」

 

「貴女は他にも『証明の方法』が沢山あるかもしれないけど、私はイモリ試験でしかそれが出来ないの。根を詰めすぎるくらいでやっと土俵に立てるんだから、そういう気持ちでいかないとダメよ。」

 

魔理沙には分かり易い『成果』が山ほどある。学内リーグやクィディッチトーナメントの優勝、ミニ八卦炉の扱い、魅魔さんからの課題の達成。誰がどう見たって『ホグワーツでの生活を全うした』と言えるだろう。彼女のこの七年間での成長っぷりは、一番近くで見てきた私からしても文句の付けようがないくらいだ。

 

でも、私にはそれが無い。だからせめて、分かり易い結果が出せるイモリ試験を頑張らなければならないのだ。親友と自分を比べてちょびっとだけ落ち込んでいる私に、魔理沙が苦笑しながらフォローを寄越してきた。

 

「言わんとすることは何となく分かるけどよ、お前だってきちんと成長してるぞ。この七年間、誰より近くに居た私がそれを保証するぜ。」

 

「……だとしても、伝わらなかったら意味がないわ。」

 

「お前な、もうちょっとリーゼやレミリアを信用すべきだぞ。他の誰かが気付かなかったとしても、あいつらがお前の成長に気付かないはずないだろ。ちゃんと伝わってるさ。だからリーゼはお前を正式な従者に任命したんだろうしな。幻想郷に行った後、レミリアからも何かあるんじゃないか?」

 

「……そうかしら?」

 

だったら嬉しいな。お嬢様方と紅魔館の面々、それと魔理沙が認めてくれるなら私はそれで充分だ。少しだけ気持ちを持ち直したところで、魔理沙が大きく伸びをしながら口を開く。

 

「あーあ、あと一ヶ月半か。短いな。」

 

「そうね、短いわ。何もかもが勿体無く思えてきちゃうかも。」

 

「……そう思えるのを誇るべきなのかもな。惜しめるってことは要するに、何だかんだで良い学生生活だったってことだろ。七年間を満喫したんだよ、私たちは。そういう結論にしとこうぜ。」

 

「多分私たちの知り合いの卒業生はみんな同じ気持ちなんでしょうけど、ホグワーツで良かったわね。大量のトラブルの分を引いてもまだプラスよ。それって結構凄いことなのかも。」

 

ホグワーツ魔法魔術学校には欠点が多いし、非常識だし、複雑だけど……でも、ここを卒業できるのはきっと誇るべきことなのだ。七年生になった今では素直にそう思えるぞ。私の母校は非常識極まる最高の学校だと胸を張って主張できそうだな。

 

よし、卒業したらすぐ祖父母と両親のお墓に報告に行こう。みんな同じ気持ちで卒業したのであれば、私がホグワーツを卒業したことを喜んでくれるはず。そしたらイギリス魔法界へのお別れも済ませないとな。

 

濃いにも程があるような七年間を過ごした学び舎。掘っても掘ってもまだまだ出てくる思い出の数々を懐かしみつつ、サクヤ・ヴェイユは柔らかく微笑むのだった。

 

 

─────

 

 

「うーん、今回の『ご機嫌期間』は随分と続きますねぇ。私としては色々助かりますけど。」

 

キッチンで料理をしながら苦笑しているエマさんの言葉に、アリス・マーガトロイドはこっくり頷いていた。先日早苗ちゃんたちと一緒にハワイ旅行に行ったのだが、その時も機嫌が良いままだったな。守矢神社の二柱がリーゼ様の態度を不気味がって遠慮し始めたほどだ。早苗ちゃんだけはまあ、いつも通りの天真爛漫っぷりだったけど。

 

日本魔法界に纏わる事件が終わり、早苗ちゃんが晴れて期生に上がり、そして咲夜と魔理沙の卒業が一ヶ月後に迫っている五月の下旬。私とエマさんとリーゼ様は人形店のリビングでそれぞれの作業に勤しんでいるところだ。私はダイニングテーブルで人形店の転移のための計算を、エマさんはキッチンで昼食作りを、そしてリーゼ様はソファの上で毎度恒例の腕時計の手入れをしているのである。

 

リーゼ様の『ご機嫌期間』が続いている理由はあの腕時計にあるのだろうし、会話の端々からグリンデルバルドの死に関するある程度の予想は立てられているものの……うーむ、難解だな。リーゼ様は腕時計がまだ動いていることが嬉しいのだろうか? それともグリンデルバルドが『象徴』となる腕時計を贈る相手として、自分を選んだことを喜んでいるのか?

 

まあ、そこはリーゼ様のみぞ知る部分だな。私はそれを根掘り葉掘り聞くほど無粋じゃないし、聞いたとしても多分はぐらかされてしまうだろう。きっとこれは、リーゼ様とグリンデルバルドだけが分かっていればいいことなのだ。

 

内心の疑問にぼんやりした決着を付けつつ、フライパンに油を引いているエマさんへと返事を返す。手元の羊皮紙に複雑な計算を書き込みながらだ。

 

「前にもあったんですか? リーゼ様のああいう状態って。」

 

「ずーっと昔は何度かありましたよ。大旦那様にバートリ家の次期当主として認められた時とか、大奥様に隠密のセンスを褒められた時とか。もちろん『ご機嫌度』や期間に差はありましたけどね。ここまで長続きするのは珍しいと思います。……そういえばアリスちゃん、私たちって人形店ごと幻想郷に行くことになるんですよね?」

 

「そうなりそうですね。……まあ、私の転移魔法が上手くいけばの話ですけど。」

 

あまり自信は無いぞ。こういう細かい計算をやっていて気付いたのだが、私はどうやら必要以上に心配してしまう性格をしているらしい。要するに、思い切りが悪いのだ。パチュリーだったら自分の計算に自信を持って一回で終わらせるような部分を、不安になって何度も何度も見直してしまう。それで全体の作業効率が悪くなっているんだから本末転倒だな。

 

遅々とした作業の速度を思って弱音を吐いた私に、エマさんはフライパンを動かしながら応答してきた。ニンニクの香りがするな。ハーフヴァンパイアがニンニクを使って料理しているというのは、何だか皮肉な光景なのかもしれない。

 

「アリスちゃんなら大丈夫ですよ。そう思ったからこそパチュリーさんも術式を託したんでしょうし。」

 

「パチュリーの保証っていうのは心強いですね。……移住の準備はどうですか? 進んでます?」

 

「私はまあ、そこまで準備することがありませんから。持っていく消耗品なんかをリストアップする程度ですかね。アリスちゃんの方はどうなんですか?」

 

「人形店を残していかないので、私の方もそこまで時間はかからないと思います。人形作りの材料は買い込みましたし、人形そのものも大量に購入しましたから、あとは親しい人たちにお別れを言うくらいです。」

 

私個人の移住の準備に比べれば、人形店と守矢神社用の術式作りの方がよっぽど大変だと言えそうだな。引越しというのは計画の段階ではひどく煩雑な作業に思えるが、実際やってみるとそこまででもないらしい。万一何かをやり残しても、リーゼ様が戻って来られるわけだし。

 

先日リーゼ様が下見をして手に入れてきた、人形店の転移先の詳細な座標。それとダイアゴン横丁の座標を照らし合わせて移動の距離を計算している私へと、鍋から取り出したパスタをフライパンに投入しているエマさんが話を続けてくる。香りからしてペペロンチーノかな?

 

「でも、結局紅魔館とは連絡が付きませんでしたね。備蓄の状況なんかも聞いておきたかったんですけど。」

 

「間違いなく減ってはいるでしょうし、適当にそれらしい物を持ち込めばいいんじゃないですか?」

 

「まあ、そうですね。保存魔法をかければいくらでも持つんですから、多くて困ることはないはずです。減ってそうな物を多めに持っていくことにします。……そろそろお昼ご飯が出来ますよ、お嬢様。」

 

最後にリーゼ様へと呼びかけたエマさんは、フライパンの中にあったパスタを皿に盛ってテーブルに運んできた。転移の計算は食べてから再開しようと羊皮紙をダイニングテーブルから片付けていると、私の対面に座ったリーゼ様がパスタを目にして眉根を寄せる。

 

「ん、ペペロンチーノか。」

 

「はい、そうですよ。たまにはいいでしょう?」

 

「……まあ、いいけどね。食べようか。」

 

んん? 嫌いってほどではないものの、あまり好きじゃないってところかな? そういえばリーゼ様がペペロンチーノを食べている光景は見たことがないな。パスタ自体は苦手ではないはずだが、どちらかと言えばトマトソース系統を好んでいたような記憶があるぞ。

 

もしかすると、エマさんは『ご機嫌期間』の間に普段出せないような料理を作っているのかもしれない。リーゼ様は偏食家ではないけど、同時に嫌いな物は意地でも食べないタイプなのだ。香りが強い物も避けているから使えない食材がいくつかあるだろうし、料理好きのエマさんが物足りなく感じていたというのは有り得そうな話だぞ。この機に乗じてそれを『解消』しようとしているとか?

 

だとすれば見事だな。やっぱりリーゼ様の扱いに関しては、他の誰よりもエマさんが上手だということか。感心しながらフォークに手を伸ばした私を他所に、エマさんがリーゼ様に問いを送った。ちなみにエマさんはあくまで主人のサーブ役に徹する時もあれば、普通に食事を共にする時もあるのだが、今回の昼食では後者を選択したらしい。リーゼ様の隣に座って自分もフォークを手に取っている。

 

「お嬢様はどうですか? 移住の準備、進んでます?」

 

「私はそも準備することが多くないからね。移住先とこっちの橋渡しが私の役割であって、それがほぼ終了した今は特にやることがないよ。」

 

「だけど、近々また幻想郷に行くんですよね?」

 

「それは移住関係じゃなくて、『通常業務』のためさ。神札の補充に行くんだよ。」

 

食事を進めながらエマさんに応じたリーゼ様へと、苦笑いで相槌を打つ。また足りなくなってきたのか。

 

「そっちの作業は移住後も続きそうですね。……ちなみにですけど、二柱への貸しは総額いくらになってるんですか?」

 

「もはや私も書類を確認しないと分からんよ。一言で答えれば『膨大な額』さ。」

 

「……何か、余裕がありますね。」

 

いつもなら二柱への貸しの話をする時は鬱々としているのに、今のリーゼ様はそこまで気負っていない感じだぞ。怪訝に思って尋ねてみれば、黒髪の『金主』はニヤリと笑って応答してきた。

 

「この前紫と『魔法の森』の下見に行った時、魅魔がふらっと姿を現してね。三人でちょっと話をしたんだが、その際前々から考えていた取り引きを持ちかけたんだよ。」

 

「紫さんと魅魔さんですか。随分と物騒な面子ですね。」

 

「移住後の返済が滞ったら、紫と魅魔に債権を分割して売り渡せるように話を通したのさ。あんなぽんこつでも一応は名のある神々だし、二人とも喜んで同意してくれたよ。仮に紫と魅魔に債権を売っ払った場合、そりゃあ二柱から直接取り立てるよりは儲けが減るが……それでも私にとっては莫大な利益だ。特に神札の分がデカい。あれは幻想郷内の価値ではなく、外界での価値で計算することになっているからね。」

 

まあうん、それは確かに『デカい』な。一枚の価値が物凄いことになるはずだぞ。リーゼ様は札を仕入れる際に幻想郷の調停者に色々と渡しているし、幻想郷内においてはそれがある程度の『適正価格』なのかもしれないが、こちら側の価値に換算すると格安よりも安いほどの対価であるはず。『仕入れ値』と『売り値』の差がとんでもないことになりそうだ。

 

とはいえ、今までは『二柱が本当に返せるのか』という点が最大の問題になっていたわけだが……それを紫さんと魅魔さんに債権を売り渡すことで解決しようというわけか。あの二人なら間違いなく『取りっぱぐれ』は起こらないだろうな。たとえ世界が消滅しても取り立てそうだぞ。事実としてそういうことが出来てしまう存在なのだから。

 

つまり、債権そのものを卸して取り立てを『外注』するわけか。悪い金融業者とマフィアの連携プレーみたいな手口だな。恐ろしい取り立て屋たちの存在に顔を引きつらせつつ、リーゼ様に恐る恐る確認を投げる。

 

「それ、諏訪子さんと神奈子さんには話しました?」

 

「言うわけないだろう? 言ったら間違いなく神札の使用を控えるようになるはずだ。……こうなった以上、私としてはどんどん貸しを増やしたいのさ。二柱がきちんと返すなら幻想郷での戦力として干からびるまで使ってやるし、返済が滞るようなら邪悪な大妖怪たちに債権を売ってしまえばいい。分割して売るなら必要な分だけは手元に残せるしね。私は回収におけるセーフティを手に入れたんだよ。ならばどんどん貸し付けるべきだろう?」

 

「……一応聞きますけど、二柱の同意とかって必要ないんですか?」

 

「当然ないね。どれだけ借りるかをあの二柱が決定できるように、貸した分をどう回収するかは私が決められるんだ。積み重なった負債は即ち私が所有している『資産』なんだから、その扱いはこっちの権利さ。幻想郷に到着した後で詳細を伝えることにするよ。……紫や魅魔のような存在に膨大な借りを作るのなんて死ぬより辛い話だし、それこそ死に物狂いで私に返そうとするんじゃないかな。それならそれで万々歳だ。精々扱き使ってやるさ。」

 

うーん、邪悪。ご機嫌期間の理由の大半は腕時計だろうが、今の話も少しは影響していそうだな。……諏訪子さんと神奈子さん、知らずにこのまま借り続けるんだろうな。リーゼ様が黙っていれば気付きようがないし、あの二柱は今後も湯水のように札を使うはずだ。その先に何が待っているかなんて知らないままで。

 

前半はリーゼ様がリードし、中盤は二柱が振り回して、最後は黒髪の金主が逆転勝利ってところか。いやはや、人外の取り引きは複雑怪奇だな。私も契約を結ぶ時は注意しよう。素晴らしい教訓になったぞ。人間の社会が借金に関する法整備に拘るのは、こういう事態を防ぐためなわけだ。

 

そしてもう一つ、『吸血鬼を甘く見るべきではない』。ご機嫌な様子でペペロンチーノを頬張っているリーゼ様を眺めつつ、アリス・マーガトロイドは偉大な戒めを手に入れるのだった。

 



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羅針盤

 

 

「全然授業が無いんです。全然!」

 

満面の笑みでリーゼさんとアリスさんに報告しつつ、東風谷早苗は幸せな気分でソフトクリームを頬張っていた。何て楽しいんだろうか、期生って。授業は符学と天文学と植物学、それに符学担当の優しい女性教師である四方山先生のゼミのみ。あとは全部自由時間だ。素晴らしすぎるぞ。

 

六月の中旬に入ったばかりの土曜日、現在の私は東京に出てきてリーゼさんとアリスさんとのショッピングを楽しんでいるところだ。もちろんお二方も一緒だし、買ってもらったソフトクリームは美味しいし、明日は久々に中城先輩とも会えることになっている。絶好調じゃないか。

 

「あとですね、期生は好きに外出できるんです。外出日じゃなくてもですよ? 宿題とかもあんまり無いし、私服で校内を歩いてても怒られないし、放課後の掃除も係の仕事もやらなくていいし……最高です!」

 

真昼の大通りを歩きながら『期生のいいところ』を列挙した私へと、立ち並ぶ店々を横目にしているリーゼさんが応答してきた。

 

「なら、空いた時間で色々なところに行けるね。今度三人で旅行にでも行ったらどうだい? 幻想郷に旅立つ前に、こっちの世界を満喫しておきたまえよ。」

 

「いいんですか?」

 

「勿論だとも。キミが楽しむのが一番さ。見聞を広めるためにもなるしね。」

 

何か、最近のリーゼさんは前にも増して優しいな。ハワイ旅行の時も随分と機嫌が良かったみたいだけど、少し前から更に大らかになっている気がするぞ。……もしかすると、私が凄い力を持っているから見直したとかなのかもしれない。好きな人が凄かったらそりゃあ優しくもなるだろう。

 

どんどん好転していく状況に笑みを浮かべている私を他所に、神奈子様が腑に落ちないような顔付きで会話に参加してきた。ちなみに諏訪子様もどこか疑わしげな表情でチョコソフトを食べており、アリスさんは何故か哀れんでいる感じの面持ちだ。みんなどうしたんだろう?

 

「あー……バートリ? どういうつもりなんだ?」

 

「何がだい?」

 

「いや、何がと言うか……旅行に行ってもいいということか?」

 

「だってキミたちは返すんだろう? それなら何も問題ないよ。別に私が損をするわけじゃないんだから、止める理由なんて一つもないさ。早苗を楽しませてやりたまえ。費用は私が貸そう。海外だろうが国内だろうが構わないぞ。」

 

ほら、やっぱり優しい。リーゼさんの発言を受けて早速国内か国外かを悩み始めたところで、眉根を寄せながらの諏訪子様が話に入ってくる。

 

「……何さ、何企んでるのさ。正直に言いなよ、リーゼちゃん。絶対変じゃん。」

 

「変とは? 意味が分からんね。行きたくないなら行かなければいいじゃないか。早苗、諏訪子は旅行をしたくないみたいだぞ。」

 

「す、諏訪子様? どうしちゃったんですか? 旅行、行きましょうよ。リーゼさんもいいって言ってくれてるんですから。」

 

「いやいや、旅行はしたいけど……アリスちゃん、何か知ってるでしょ? 教えてよ。どういうことなの? これ。」

 

大慌てで介入した私におざなりに応じた後、諏訪子様はアリスさんへと問いを送るが……ううん? アリスさんは常ならぬ微妙な顔付きだな。正に『何とも言えない』という表情じゃないか。

 

「黙秘します。」

 

「純真無垢なアリスに突っかかるのはやめたまえよ、諏訪子。私が寛大になったのがそんなに不満かい?」

 

「不満っていうか、怪しんでるんだけど。……あとさ、リーゼちゃんは『純真無垢』って言葉を辞書で調べ直した方がいいよ。それってアリスちゃんには当て嵌まらない熟語だから。」

 

チョコソフトのコーンの部分を食べながらの諏訪子様が言ったところで、視界の隅にたこ焼き屋さんが映る。甘いソフトクリームを食べた後のたこ焼き。いいじゃないか。

 

「あっちにたこ焼き屋さんがありますよ。食べたくありませんか?」

 

急いで一行に勧めてみれば、真っ先にリーゼさんが同意してきた。凄いぞ。リーゼさんったら、人が……吸血鬼が変わったかのようだ。

 

「いいね、食べようか。」

 

「はい、行きましょう!」

 

「……ちょっと神奈子、これってヤバくない? 神のカンが危険信号を出してるんだけど。リーゼちゃん、絶対何か企んでるじゃん。」

 

「私も同意見だが、具体的な部分がさっぱり分からん。あまりにも不気味だぞ。何を考えているんだ? バートリのやつ。」

 

これっぽっちも不気味じゃないぞ。変な会話をしているお二方を背に、たこ焼き屋さんへと歩み寄る。私は……うん、六個入りにしよう。それなら夕ご飯には影響しないはずだ。高級なお店に行く予定なんだから、『余力』を残しておかないと。

 

「私、六個入りのにします。」

 

「神奈子、適当に買ってきたまえ。私はアリスと分けるよ。」

 

「……分かった、買ってくる。」

 

ソースたっぷりだったらいいな。未だ何かを訝しんでいるような雰囲気の神奈子様が注文するのを眺めていると、アリスさんが思い出したように質問を寄越してきた。

 

「そういえば早苗ちゃん、マホウトコロはもう落ち着いているの?」

 

「マホウトコロですか? 領地の復旧は完全に終わりましたし、いつも通りになってますよ。……まあその、ちょっとだけ暗い雰囲気は残ってますけどね。細川先生が死んじゃいましたから。」

 

ハワイ旅行中のリーゼさん曰く、細川先生は落下する以前に既に『死んでいた』らしい。それに何だかホッとしてしまう自分と、ホッとしていることを咎める自分。内心で鬩ぎ合う二つの感情を自覚しながら答えてみれば、アリスさんはそんな私の考えを読んだかのような柔らかい言葉をかけてくる。

 

「少なくとも、早苗ちゃんは何も悪くないわよ。貴女は完全に巻き込まれた側なんだから。」

 

「……でも、もしかしたら助けられたかもしれませんよね?」

 

「そうね、助けられたかもしれないわ。早苗ちゃんだけじゃなくて私もリーゼ様もそうだし、シラキ校長や諏訪子さんと神奈子さんもそれは同じよ。……だけど、そうはならなかったの。もしもを背負うのはやめておきなさい。キリがなくなっちゃうから。」

 

何だか自分にも言い聞かせているような口調でアドバイスしてきたアリスさんへと、リーゼさんが苦い笑みで声をかけた。

 

「キミが言うと重いね。」

 

「反省するのも、失敗を自覚するのも、後悔するのも悪いことではないと思うんですけどね。限度を決めないと引き摺り込まれちゃいますから。要するに、線引きが重要なんですよ。早苗ちゃんにとっての細川京介の死は明らかに『責任の外側』です。」

 

「……キミにとってのリドルはそうじゃないのかい?」

 

「あれは内側ですよ。もうそうであると決めましたし、その上で気持ちに決着を付けました。……私は失敗したんです。それを否定すればリドルには本当に救いがなくなっちゃいます。だけど私が失敗したんだと思っている限り、あの頃のトム・リドルは確かに存在していたことになりますから。『もしも』はあったんですよ。私たちが知る結末だけがリドルの全てじゃありません。」

 

リドル? 人名なのかな? どことなく真面目な感じの話を聞きながらきょとんと小首を傾げている私を尻目に、リーゼさんがくつくつと優しく笑って相槌を打つ。

 

「キミらしい観念の抱き方だね。『ダンブルドア流』のそれだよ。」

 

「……嫌いですか? こういう決着の付け方は。」

 

「嫌いだし、私の考え方とは違うが、認めざるを得んさ。レミィと私を負かしたのはそれなんだから。……そう、ダンブルドアだ。あのジジイの存在こそが最も大きな違いなんだよ。相柳の思想を知った今ではそう思えるね。」

 

「『違い』?」

 

左腕の腕時計にちらりと視線を送りながら呟いたリーゼさんへと、アリスさんが短く問いを返す。するとたこ焼きの購入を終えた神奈子様が近付いてくるのと同時に、リーゼさんが返答を口にした。

 

「ゲラートは魔法族にとっての『マキャヴェリスト』にはならなかった。相柳は妖怪にとってのそれになったがね。……分かるだろう? ダンブルドアの存在がゲラートを引き止めたのさ。故にゲラートは妄執ではなく、最後まで理念という形を保てたんだ。あの男はダンブルドアが選んだ道に決して同意してはいなかったが、しかし認めることは出来ていたからね。……一つの道だけを脇目も振らず進んでいると、自分の立っている場所がどんどん分からなくなってしまうものさ。だから二つ必要なんだ。ゲラートは遠くに立つダンブルドアを見ることで、自分の進むべき方角を定めていたんだよ。」

 

「迷わないように、ですか。」

 

「ああ、迷わないようにだ。……ゲラートはこの時計を『十六の頃から使っている』と言っていたよ。どこで誰と買った物なんだろうね? きっとそれが答えなのさ。先に進むためには『羅針盤』が必要なんだ。ゲラートはそれを持っていたが、相柳には誰も渡してくれなかった。そういうことなんじゃないかな。」

 

神奈子様からたこ焼きの容器を取り上げて肩を竦めたリーゼさんに対して、諏訪子様が興味深そうな表情で話しかける。私も食べよう。美味しそうだな。

 

「よく分かんないけどさ、リーゼちゃんは相柳の思想に反対ってこと?」

 

「反対ではないし、賛成でもないよ。そして今のところは面白そうな『題目』だとも思わないね。相柳と私じゃ前提が違うのさ。感心はするし、評価もするし、認めもするが、協力しようとは考えない。好きにすればいいってのが一番近いかな。つまり、どうでも良いんだ。」

 

「妖怪っぽくないなぁ。一般的な妖怪なら惹かれる思想だと思うけど。」

 

「そうさ、私は妖怪っぽくないのさ。この百年でそうなっちゃったんだ。である以上、相柳と私は敵にも味方にもならないよ。水と油とかじゃなくて、入っている器がそもそも違うんだから当然のことだろう?」

 

抽象的な説明だな。私にはさっぱり分かんないぞ。ぼんやりした返事を耳にしつつ、たこ焼きに飛びつかずに悩み始めた諏訪子様をらしくないなと観察していると……再び歩き始めたリーゼさんに今度は神奈子様が語りかけた。

 

「相柳は大人しくしているのか?」

 

「紫によれば、しているらしいね。いつまでそんな状況が続くのかは分からんが、とりあえずは鬼たちと地底で『面白おかしく』暮らしているようだよ。」

 

「私はあんな迷惑な存在は封印すべきだと思うがな。」

 

「誰のためにだい? 人間のため? 妖怪のため? それとも神々としての意見か?」

 

たこ焼きを食べながら放たれたリーゼさんの疑問に、神奈子様が小さく鼻を鳴らして回答する。

 

「妖怪以外の全ての存在のためにだ。」

 

「なるほど、それは道理だね。……まあ、紫は封印するつもりはないらしいよ。幻想郷は全てを受け入れるんだそうだ。『受け皿』が取り零してちゃお話にならないってことじゃないか?」

 

「全てを受け入れる? 恐ろしく傲慢な台詞だな。……隙間妖怪はそれが出来るだけの存在だということか。」

 

「さてね、私にもどこまで本気なのかは分からんよ。本当に『全て』を受け入れるつもりだったら、これ以上ないってほどにイカれていると言えそうだ。」

 

やれやれと首を振りつつのリーゼさんが言ったところで、考え事から復帰したらしい諏訪子様が話題を切り替えた。私の容器からたこ焼きを一つ奪いながらだ。取られちゃったぞ。

 

「ま、幻想郷のことはリーゼちゃんが正式に移住してからでいいよ。そうすりゃ得られる情報が増えるだろうしね。……それよりさ、非魔法界対策はどうすんの? 新聞を読むに、正に『産みの苦しみ』って状態なわけだけど。」

 

「どうもしないよ。レミィとゲラートが退場した以上、私もまた関わるのをやめるさ。私はそういう役割だからね。実体が居なくなったら、影もまた消える。当たり前の話だろうが。」

 

「えー? そんなんでいいの? 結構頑張ってたみたいじゃん?」

 

「心配しなくても勝手に騒いでいるじゃないか。非魔法界対策委員会の次の議長の座を誰もが渇望しているだろう? あれは要するに、議長の席にそれだけの価値が付いたということだよ。非魔法界問題は今や各国にとって無視できない存在になったんだ。ならば放っておいても自ずと進むさ。危なっかしいよちよち歩きでね。」

 

ほんの少しだけ寂しそうに応答したリーゼさんは、たこ焼きを一つ口に入れてから言葉を付け足す。

 

「終わったんだよ、私たちのゲームは。混沌の後にあるのは創造というのがお決まりだ。土台は作ってやったんだから、その上に何を建てるのかは未来の魔法族に任せるさ。本来それが目的だったわけだし、ここから先は私が関わるべき部分じゃない。離れた場所から見物させてもらうよ。……こんな見事な土台に下らん掘っ建て小屋を建てるようなら、魔法族はそれまでの存在だったということだ。そうなったらレミィと一緒に戻ってきてド派手にぶっ壊してやるさ。それが妖怪ってものだろう?」

 

皮肉げに口の端を吊り上げながら、妖怪としての宣言をしているリーゼさんだが……『ド派手にぶっ壊す』か。そうなると魔法界は非魔法界対策を頑張らないといけないらしい。怖い怖い吸血鬼が『出来栄え』を見張っているのだから。

 

熱いたこ焼きを口にしてはふはふしつつ、東風谷早苗は未来の魔法界が吸血鬼たちを納得させられますようにと祈るのだった。

 



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記念写真

 

 

「可愛いわ。こんなに可愛い存在は他に居ないんじゃないかしら? 可愛すぎて頭がおかしくなりそうよ。」

 

頭がおかしくなるのはさすがにマズいんじゃないか? 小さな赤ん坊を抱きながら可愛いを連呼しているジニーを見て、アンネリーゼ・バートリは呆れた表情を顔に浮かべていた。

 

六月最後の日曜日である今日、私は隠れ穴に遊びに来ているのだ。ハリー、ハーマイオニー、ロンといういつもの三人に加えて、ウィーズリー兄弟の長兄たるビルとその妻であるフラー、モリーとアーサーとジニーも一階のリビングルームに居るわけだが……大人気じゃないか、ヴィクトワールどのは。魅了でも使っているんじゃないだろうな?

 

ヴィクトワール・ウィーズリー。まだまだ庭小人サイズの彼女は、五月二日に誕生したばかりのビルとフラーの長女だ。勝利という名を与えられたその子はウィーズリー家らしからぬ明るいブロンドの持ち主で、顔付きも若干母親の方に似ている気がする。ヴィーラの血も中々やるじゃないか。ウィーズリー家の血に打ち勝つとはな。

 

黄色い声を出しながら赤ん坊を囲んでいる女性陣を眺めていると、同じテーブルに居るビルが話しかけてきた。ちなみにアーサーも同席しているものの、残る面子は全員向こうでヴィクトワールに夢中だ。ジニーやハーマイオニーもかなりのものだが、ロンは更にひどいな。姪っ子にデレデレじゃないか。

 

「そうだ、マーガトロイドさんにお礼を伝えてくれませんか? 子育て用の人形、本当に助かってるって。」

 

「『子育てちゃん』か。役に立っているようで何よりだよ。帰ったら伝えておこう。」

 

「役に立ってるなんてもんじゃありませんよ。……多分これは子育てを経験しないと分からないと思いますけど、あの人形があるのと無いのじゃ苦労が段違いです。フラーも心から感謝してます。子育てちゃんが居なかったらと考えるとゾッとしますね。」

 

そんなにか。至極真面目な面持ちで語っているビルに対して、アーサーが苦笑しながら相槌を打つ。

 

「お前が生まれた頃も大変だったな。初めての子供だから何もかもが手探りだったし、眠る時間すらまともに確保できなかったからね。モリーが不安定になってよく泣いていたのを覚えているよ。」

 

「……母さんが泣くほどだったの?」

 

「きっときちんと出来ているかが不安だったんだろう。私もヘトヘトだったよ。……だがまあ、チャーリー以降は騎士団の人たちが手伝ってくれたからね。もちろん戦争中は別の苦労や心配事があったが、子育てに関してだけは大分楽をさせてもらったかな。」

 

「キミの息子たちは不死鳥の騎士団に育てられたわけか。イギリス魔法界では箔が付きそうな逸話じゃないか。」

 

そうなると、ハリーやロングボトムあたりは同じ『揺り籠』で育ったことになるわけだ。クスクス微笑みながら言ってやれば、アーサーは深々と頷いて返事をしてきた。

 

「ええ、イギリス魔法界を守った騎士たちに育ててもらいました。だから皆立派になってくれたのかもしれませんね。」

 

「ヴィックもそうなってくれるといいんだけど、今のところは面倒を見るので精一杯かな。」

 

「そういえば、呪い破りの仕事はどうなっているんだい? 育休を認める小鬼ってのは想像できないんだが。」

 

イギリス魔法省にはそういったシステムがあるらしいが、グリンゴッツとなると未知数だな。レモネードを飲みながらふと気になったことを尋ねてみると、ビルは肩を竦めて応答してくる。

 

「今はダイアゴン横丁での内勤に回してもらってます。丸々休みとはいきませんでしたけど、勤務時間も少し短くしてくれました。助かってますよ。」

 

「ふぅん? 気を使ってはくれるのか。意外だね。」

 

「小鬼たちは人間との付き合いが長いですからね。『子育て観』の違いは当然ありますけど、その辺は案外気遣ってくれるんですよ。落ち着いたら現場に復帰しようと思ってます。」

 

「ちなみに、あの子が成長したらホグワーツに通わせるのかい?」

 

今度は恐る恐るという様子のハリーが抱っこしているヴィクトワール。そちらに目をやりながら問いかけた私に、ビルは難しい顔付きで曖昧に応じてきた。まあうん、そこは揉めるだろうな。

 

「未定ですね。僕とフラーはホグワーツかボーバトンならどちらでも構わないという立場なんですけど……母さんとお義母さんは、意地でもそれぞれの母校に入れたいみたいでして。後々揉めるかもしれません。」

 

「然もありなんってところだよ。誰だって母校の方に入れたいだろうさ。……アーサー、キミはどうなんだい?」

 

「私の希望は無論ホグワーツですが、何よりも優先すべきはヴィクトワール当人の選択ですよ。入学の歳になる頃には自分で判断できるようになっているでしょうし、ホグワーツかボーバトンならどっちを取っても間違いはありません。孫に任せます。」

 

「『勝利』を冠しているならホグワーツの方が似合うと思うがね。……それよりもだ、ミドルネームを変えるつもりはないのかい? 縁起が悪いぞ。今ならまだ間に合うんじゃないか?」

 

名前の話で思い出した忠告を飛ばしてやると、ビルは苦笑いで首を横に振ってくる。ヴィクトワール・スカーレット・ウィーズリー。それが彼の娘の正式な名前なのだ。フランス人なんだかイギリス人なんだか分からなくなっちゃっているじゃないか。

 

「まあその、僕とフラーの縁はスカーレット女史が結んでくれた縁だとも言えますから。それに『スカーレット』はフランス魔法界だと人気がある名前なんですよ。向こうの両親もミドルネームについては諸手を挙げて賛成してくれました。」

 

「ヴィクトワール単品は良い名前だと思うが、総合すると『スカーレットの勝利』になってしまうのが非常に嫌な組み合わせだね。レミィの小生意気なしたり顔が頭に浮かんでくるよ。」

 

「『紅の勝利』。お義父さんとお義母さんは正にそこを気に入ってくれたんですけどね。」

 

苦笑を深めながらのビルが呟いたところで、ハーマイオニーがこっちのテーブルに歩み寄ってきた。ようやく赤ん坊の魅了から解放されたらしい。ロンとハリーは未だ支配され続けているようだが。

 

「可愛かったわ。リーゼは抱っこしなくていいの?」

 

「赤ん坊は怖くて触れないよ。キミたちは抱っこしていたようだが、間違えて落としたらとか考えないのかい?」

 

「ちゃんと抱っこすれば大丈夫よ。テディの時も似たような反応だったけど、リーゼってたまに変な心配をするわよね。」

 

普通は心配になるだろうが。大体吸血鬼なんだぞ、私は。吸血鬼は人間の赤ん坊を抱っこなんてしないものだ。……咲夜を除いてだが。ハーマイオニーに抗議のジト目を向けていると、アーサーが昔を懐かしむように口を開く。

 

「騎士団の頃、スカーレット女史も同じことを言ってましたよ。『吸血鬼は赤ん坊を抱いたりしない』って。」

 

「珍しくレミィが正しいね。……フランは普通に世話をしていたのかい?」

 

「よくしていましたよ。抱っこして寝かし付けたり、翼の装飾具であやしてました。」

 

「……なら、赤ん坊の世話はフランが担っている分野ということにしておこう。私たちは分業システムを採用しているんでね。」

 

フランはともかくとして、私とレミリアはそういうことが出来るタイプではないのだ。私が適当な言い訳を放った直後、向こうから泣き声が響いてくる。誰かがヴィクトワール閣下の機嫌を損ねてしまったらしい。

 

「誰が原因かは知らんが、『勝利の女神』を泣かせたらしいね。愚かなことを仕出かしたもんだよ。このままだと敗北は必至だぞ。」

 

「うちの女神は気紛れですから、またすぐに機嫌を直しますよ。……あーでも、結構泣いてますね。ちょっと行ってきます。」

 

私のジョークに反応したビルは、慌てて席を立って愛娘の方へと近付いていくが……まあ、立派に父親をやっているようで何よりだぞ。ウィーズリー家の新世代第一号か。その名の通り、次の世代を勝利へと導いてくれる存在になることを祈るばかりだ。

 

中々の声量の泣き声を響かせている赤ん坊を横目にしつつ、アンネリーゼ・バートリはレモネードが入ったグラスを傾けるのだった。

 

 

─────

 

 

「卒業おめでとう、二人とも。」

 

真紅の列車を使った、最後の移動。それを終えた私たちをホームで出迎えてくれたアリスに返事をしつつ、霧雨魔理沙は大きく伸びをしていた。いやはや、感無量だな。これでとうとう私たちの学生生活は完璧に終わりか。短かったような、長かったような、何とも言えない不思議な気分だぞ。

 

「ん、ちゃんと卒業してきたぜ。」

 

「ただいま、アリス。……リーゼお嬢様、無事に卒業できました。」

 

「ああ、よくやったね。キミが立派に卒業できて嬉しいよ。……ついでに魔女っ子、キミも上出来だ。褒めてあげよう。」

 

「へいへい、ついででも嬉しいぜ。」

 

素直じゃないヤツだな。皮肉げな笑みで言ってきたリーゼに苦笑いで応答してから、四人でホームの隅の暖炉へと歩き出す。ちなみに咲夜がジト目でこちらをひと睨みしているのは口止めのためだ。銀髪ちゃんはホグワーツ城を離れる際、ちょっとだけ涙ぐんだのをリーゼとアリスに知られたくないらしい。

 

「明後日は隠れ穴で食事会を開いてもらえるんだろ?」

 

『はいはい、黙ってますよ』というアイコンタクトを返した後、手紙に書いてあった予定を確認してみれば、アリスがこっくり頷いて肯定してきた。

 

「そうよ、貴女たちの卒業記念パーティーって感じになりそうね。日曜日だからみんな参加できるんですって。」

 

「ヴィクトワールも来るか?」

 

「ビルが参加するって言ってたらしいから、連れてくると思うわ。会いたいの?」

 

「そりゃあ会いたいぜ。咲夜と二人で楽しみにしてたんだよ。最近のジニーからの手紙の内容が『ヴィックだらけ』だったからな。」

 

むしろそれ以外の内容が皆無だったぞ。ジニーはすっかり姪っ子の魅力にやられてしまったらしい。やれやれと首を振りながら報告すると、最初に暖炉に入ったリーゼが肩を竦めて反応してくる。

 

「ジニーだけじゃないぞ。今や誰も彼もがヴィクトワール閣下に夢中さ。同性もお構いなしに魅了しているあたり、ヴィーラの血の所為ではないらしいがね。……マーガトロイド人形店。」

 

「ああそっか、フラーの娘なんだもんな。ヴィクトワールにはヴィーラの血が入ってるのか。」

 

緑の炎と共に消えていったリーゼを見送りながら今更思い出している私に、続いて暖炉に入ったアリスが応じてきた。

 

「単純な割合で言うと、八分の一がヴィーラってことになるわね。何となくそんな雰囲気はあったわよ。会ってみれば分かると思うわ。……マーガトロイド人形店。」

 

「成長したらビルは大変かもな。父親としては、娘に『悪い虫』が群がってくるのは歓迎すべきことじゃないだろうしさ。」

 

「けど、異性に対しての魅力があるっていうのは一つのメリットよ。フラーさんならそういうのを捌く経験も豊富でしょうし、きちんと『対処法』を教えられるんじゃない? ……先に行くわよ?」

 

「おう、行ってくれ。」

 

こういう場合は本人じゃなくて周囲が大変なのかもな。煙突飛行で消えていく咲夜を見ながら考えた後、私もフルーパウダーを投げ入れて人形店に移動すると……ありゃ、どうしたんだ? 揃って微妙な表情になっているリーゼとアリスとエマの姿が目に入ってくる。

 

「ただいま、エマ。どうしたんだ?」

 

「お帰りなさい、魔理沙ちゃん。……何て言うか、慣れてない所為でちょっと失敗しちゃったんです。」

 

「キミたちの帰還を祝ってクラッカーを鳴らそうとしたらしいんだよ。だがまあ、タイミングを誤ったね。私に鳴らしても意味ないだろうに。」

 

「だって、お嬢様が一番最初に現れるとは思ってなかったんですもん。おまけに二発目は不発でしたしね。大失敗です。湿気っちゃってたんでしょうか?」

 

なるほどな。クラッカーで迎えようとして最初に移動したリーゼに鳴らしてしまい、残る一発はそもそも鳴らなかったということか。咲夜と顔を見合わせて締まらないなと苦笑しつつ、らしいっちゃらしい出迎えだぞと勝手に納得していると、エマが持っているクラッカーが突然乾いた音を響かせた。時間差で破裂したようだ。

 

空中に『おめでとう!』という文字の形の火花が一瞬浮かんで消えたのを、五人が五人とも『今更か』という顔付きで目撃した後、エマが苦い笑みでパンと手を叩いて事態を進行させる。クラッカーについては無かったことにするつもりらしい。

 

「はい、二人とも卒業おめでとうございます。お祝いのケーキを作っておきましたから、みんなで食べましょう。」

 

「あー……うん、気持ちはしっかりと伝わってきたぜ。ありがとよ、エマ。」

 

「ありがとうございます、エマさん。嬉しいです。」

 

「……こういう時に限って上手くいかないんですよね、私って。でも、ケーキの方は自信作なので大丈夫です。沢山食べてください。」

 

咲夜が目標としているパーフェクトなメイドどのにも、意外な弱点があったわけか。変なところで抜けているのは主人に似ているな。そしてそんなエマが手で示したダイニングテーブルにあったのは、名誉を挽回して余りあるほどの見事な二つのホールケーキだ。

 

何とまあ、こんなに豪華なケーキを見たのは初めてだな。サイズこそ一人でもギリギリ食べ切れてしまう程度の小さな物だが、砂糖菓子やフルーツの装飾がこれでもかと言うほどに載っているぞ。金粉や花の形の砂糖菓子で彩られている派手なチョコレートケーキと、ミントや落ち着いた色の果実が添えてあるベリー系の大人っぽいケーキだ。チョコが私用で、ベリーが咲夜用か。それぞれの好みのケーキを作ってくれたらしい。

 

「おいおい、いいじゃんか。本職のパティシエが作るケーキって感じだぜ。こんなの有名なケーキ屋とかでも滅多にお目にかかれないぞ。」

 

「……凄いです、エマさん。写真に撮っておきたいくらいです。」

 

「おっ、いいな。そうしようぜ。ちょっと待ってろ、カメラがどっかに入ってるはずだから。」

 

この二つのケーキが並んでいるシーンは、写真で切り取っておくだけの価値がある光景だぞ。咲夜のアイディアを受けてトランクを漁っている私に、エマが照れている感じの面持ちで突っ込みを入れてきた。

 

「いやぁ、そこまでではないと思いますけどね。二人が七年間頑張ったお祝いのケーキですし、ここ二年くらいはアリスちゃんのお陰でお菓子作りの『修行』が出来ていたので、その集大成ってことも兼ねて特別時間をかけて作ってみたんです。こういうのを毎日のように作ってる本職の方には敵いませんよ。」

 

「これはさすがに『敵ってる』だろ。でなきゃ本職のパティシエが化け物すぎるぜ。……リーゼとアリスも入ってくれよ。折角だし、卒業記念の一枚にしようぜ。」

 

「残念ながら、写真に写るのは好きじゃないんだ。私が撮ろう。テーブルのそっち側に並びたまえ。ケーキ越しに撮るから。」

 

「お前が『写真嫌い』なのは重々承知してるけどさ、今日くらいは一緒に写ってくれよ。後で見返した時にリーゼだけ居ないのは勿体無いじゃんか。」

 

こればっかりは譲れんぞ。私からカメラを受け取ろうとしたリーゼに主張してやると、アリスも首肯して援護してくる。今から撮る写真は『人形店組』の思い出の一枚なのだ。いつか絶対に懐かしんで見返すことになるだろうし、そうやって見た時にリーゼが欠けていては意味がない。平時はリーゼの主義を優先してもいいが、今回は意地でも食い下がらねば。

 

「リーゼ様、この写真だけはみんなで写りましょうよ。撮るのは『写真ちゃん』に任せれば大丈夫ですから。」

 

「キミ、そんな人形まで作っていたのか。……しかしだね、私は『証拠』を残すのが嫌いなんだよ。これはもうバートリの吸血鬼としてすり込まれた感情なんだ。決して咲夜と魔理沙の卒業を祝っていないわけではなく、私の本能とも言える部分が──」

 

「リーゼお嬢様、ダメでしょうか? 一枚だけ。この写真だけでいいですから。」

 

「私からもお願いします、お嬢様。咲夜ちゃんと魔理沙ちゃんにとって記念になる一枚なんですよ? お嬢様だけが不在だと違和感が出ちゃうじゃないですか。」

 

おー、珍しく四対一だ。この件に関しては影を受け取った忠実な従者たちも敵に回ったらしい。言い訳の途中で『おねだり』してきた咲夜と、結構強めの口調で言い分を述べたエマ。『我窮する』という表情でそんな二人を交互に見たリーゼは、観念するようにポツリと承諾を口にした。

 

「……分かったよ、一回だけだぞ。撮り直しとかはしないからな。」

 

渋々という感情を前面に押し出したままのリーゼではあるが、それでも了承するってのは私たちの卒業を重く見てくれているからなのだろう。だって普段の彼女なら絶対に拒否するはずだ。やっぱり素直じゃないヤツだな。

 

そんなことを考えながらふよふよとこちらに寄ってきた『写真ちゃん』にカメラを渡して、ダイニングテーブルの向こう側に五人で並ぶ。ちゃんとケーキの正面をカメラの方に向けた咲夜を横目にしていると、写真ちゃんが身振り手振りで細かい指示を出してきた。少し寄れとか、顔の位置をズラせとか、そういうやつをだ。めちゃくちゃ詳細に指示してくるじゃないか。

 

「……アリス? あの人形、非常に鬱陶しいんだが。『ポーズ指定』をやめさせたまえよ。そこはこっちの都合だろうが。」

 

「写真ちゃんは『最高の一枚』を目指すための人形なんですよ。……まあでも、これはちょっとやり過ぎですね。後で再調整しておきます。」

 

リーゼの文句にアリスが応答したところで、ようやく写真ちゃんは構図に満足したようだ。小さな身体と片手を使って器用にカメラを支えつつ、もう片方の手でカウントダウンを始める。写真ちゃんが示す数が五、四、三、二、一と減っていき、全部の指が折られた瞬間──

 

「……ほら、終わりだ。食べようじゃないか。」

 

フラッシュが焚かれたのを確認したリーゼが、そそくさとソファの方へと移動していってしまう。……まあ、間違いなく撮れただろ。写真ちゃんもサムズアップしているし、特に問題はなかったようだ。現像が楽しみだな。

 

「本当に苦手だよ、こういうのは。何だかムズムズしてくるぞ。……キミたち、その顔は何だい? やめたまえ。その微笑ましそうな顔を今すぐやめたまえよ。」

 

リーゼが写真を苦手としている理由は、ひょっとするとバートリ家とは関係がないところにもあるのかもしれないな。ソファでむくれているリーゼを四人で眺めつつ、霧雨魔理沙はくつくつと喉を鳴らすのだった。

 



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学校

 

 

「九月一日に? ……急ですね。」

 

イギリスが誇る魔法の牙城。その城内の校長室でマクゴナガルが相槌を打ってくるのに、アリス・マーガトロイドは一つ頷いていた。私が居るソファの隣には副校長たるフリットウィックが腰掛けており、対面のソファをハグリッドが一人で使っていて、マクゴナガルは執務用の椅子に座っているという状態だ。要するに、私は引っ越しの報告をするためにホグワーツ城を訪れているのである。

 

「どうせなら切りの良い日にしようって決まったの。新たな生活が始まる日として相応しいのは、やっぱり九月一日でしょう? その日になったらレミリアさんと同じ土地に引っ越すわ。」

 

「そうですか、マーガトロイドさんも別の土地に引っ越してしまうんですか。……本当に急ですね。驚きました。」

 

「咲夜も連れて行くわ。ちょっと複雑な土地だから、暫くはイギリスに帰ってこられなさそうなのよ。それでまあ、一応報告をと思って時間を貰ったわけ。」

 

目を瞬かせているマクゴナガルに返事をしてみれば、今度はフリットウィックが質問を寄越してきた。ちなみにハグリッドは……おお、彼もびっくりしているようだ。真っ黒な瞳を見開いている。

 

「バートリ女史は残るということですか?」

 

「リーゼ様も一緒に引っ越すけど、彼女の場合はイギリスに頻繁に戻ってこられるかもしれないの。手紙なんかもリーゼ様経由で送れるから、別に連絡が取れなくなるってほどではないわ。」

 

「バートリ女史だけが、ですか。……複雑な事情があるようですね。」

 

「まあ、そういうことね。詳しい内容までは話せないんだけど、悪い事情ってわけではないから心配しないで頂戴。引っ越すこと自体はずっと前から決まっていたの。咲夜と魔理沙の卒業に合わせて、この時期になったってだけのことよ。」

 

若干心配そうな表情を覗かせたフリットウィックに説明すると、彼は安心したように首肯してから口を開く。

 

「悪いことでないのであれば、私たちは気持ち良く送り出すべきですな。」

 

「そうしてもらえると嬉しいわ。……噛み砕くと、一段落付いたって感じかしら。イギリスや世界の魔法界がそうしているのと同じように、私たちも次に進もうとしているのよ。そういう前向きな変化として受け取って頂戴。」

 

言ってからテーブルの上の紅茶を一口飲んだ私に、ハグリッドが悲しそうな声色でポツリと呟いた。

 

「みんな行っちまいますね。」

 

「二度と会えなくなるわけじゃないわよ。いつか戻ってはくるわ。……ハグリッド、貴方に一つ頼みたいことがあるの。リーゼ様にもお願いしてあるんだけど、テッサたちのお墓のことを頼めないかしら? それだけが私にとっての心配事なのよ。」

 

「そりゃあ、勿論です。勿論ですとも。俺がきちんと様子を見ます。……マーガトロイド先輩がヴェイユ先輩たちのお墓を任せてくれるっちゅう意味を、俺はしっかりと理解しとるつもりです。だからそこは一切心配しないでください。必ず役目を果たしてみせます。」

 

「ホグワーツの番人たる貴方が受け合ってくれるなら安心よ。これで心残りなく旅立てそうね。」

 

ハグリッドなら迷わず信じられるぞ。真っ直ぐに了承してくれた頼もしい後輩へと、微笑みながら言葉を返したところで……複雑そうな笑顔になっているマクゴナガルが声をかけてくる。

 

「見送ることには慣れていたつもりだったんですが、今回はとても寂しい気分になりますね。マーガトロイドさんには随分とお世話になりましたから。貴女が居なければ、私はこうはなれていなかったでしょう。」

 

「貴女は自分の強さをもう少し自覚すべきね、マクゴナガル。私の助けなんて些細なものだわ。貴女が今の貴女になれたのは、昔の貴女の頑張りがあったからよ。」

 

「胸を張ってそう言えるほど自惚れてはいませんよ。……いつか帰ってきてくださるのであれば、その日にホグワーツを訪問してみてください。きっと立派な姿で変わらずここにあるはずですから。それを見せられるように校長職を全うすることを、貴女へのお礼にさせていただきます。」

 

「ええ、貴女が築き上げたホグワーツの姿を楽しみにさせてもらうわ。いつの日か絶対に見に来るから、胸を張って出迎えて頂戴。」

 

ダンブルドア先生がそうだったように、彼女なら良い学校にしてくれるはずだ。すっかり校長職が板に付いてきたマクゴナガルに約束した後、ソファからスッと立ち上がって発言を場に投げた。

 

「まあ、それだけよ。レミリアさんがそうしたように、私たちも静かに旅立つわ。……だけど、本当に助けが必要な時はリーゼ様を通じて連絡して頂戴。意地でも戻ってきてみせるから。」

 

別れは潔くあるべき。私はレミリアさんと、パチュリーと、そしてリーゼ様からそのことを学んだぞ。送ろうとする三人を視線で制して校長室を後にしようとしたところで、マクゴナガルの背後にある肖像画の一枚が声を上げる。最も新しい歴代校長の肖像画がだ。

 

「アリス、旅立つ前に一つだけ教えておくれ。君にとってイギリス魔法界はどんな場所だったかね?」

 

安楽椅子に腰掛けているダンブルドア先生。振り返って絵画の中の慈愛を秘めた青い瞳を見返しつつ、彼に対して答えを放った。

 

「ホグワーツと同じですよ。イギリス魔法界は私に喜びと、悲しみと、達成と、後悔と、愛と、喪失を教えてくれました。……だからつまり、私を私にしてくれた場所なんです。ここで手に入れたものは、余さず私の『終わり』まで持っていきます。」

 

「……ならば、もはやわしに助言できることは何もないようじゃのう。行っておいで、アリス。君の歩む道に幸多からんことを願っているよ。」

 

「……行ってきます、ダンブルドア先生。」

 

イギリス魔法界は私の『学校』なのだ。良いことも悪いことも全部引っくるめて、この土地は私に様々な経験を与えてくれたのだから。……幻想郷がどれだけ滅茶苦茶な土地だとしても、私はもう私のままで変わらないだろう。アリス・マーガトロイドという魔女が生まれ、学んだ土地。私の礎はずっとずっとイギリス魔法界にあるはずだ。

 

恩師に行ってきますをしてから、アリス・マーガトロイドはドアの向こうへと一歩を踏み出すのだった。

 

 

─────

 

 

「やっぱ故郷に帰っちまうのか。……分かってはいたけどよ、残念だな。マリサほどの悪戯娘を余所にやっちまうのは惜しいぜ。正にイギリス魔法界の損失だ。」

 

大袈裟に残念そうな身振りをしながら言ってくるフレッドに、霧雨魔理沙は苦笑して応じていた。『イギリス悪戯界』の間違いだろ。イギリス魔法界は厄介払い出来て喜んでいると思うぞ。

 

「ま、故郷でも悪戯は続けるさ。お前ら二人の教えを胸にな。」

 

「それはそれは、嬉しい台詞だな。派手で、楽しくて、ほどほどに迷惑。それが真の悪戯だってことをお前の故郷に示してやってくれ。」

 

七月の上旬、現在の私はウィーズリー・ウィザード・ウィーズの手伝いをしているところだ。先程までは混雑していたのだが、お昼時ということでやっと客足が落ち着いてきたので、カウンター裏でサンドイッチを食べながら三人で話しているのである。

 

悪戯の美学を語ってきたジョージへと、肩を竦めて応答を放った。

 

「お前らの場合は『ほどほどに迷惑』じゃなくて、『大迷惑』だろ。……まあでも、最近は大人しいグッズも作ってるみたいじゃんか。」

 

「ああ、どうやら俺たちは腑抜けちまったようだな。ヴィックの所為でスランプ気味なんだよ。あの子にプレゼントするって考えると、どうしても大人しめの物を作っちまうんだ。」

 

「『幼児向け』だったら大人しめで正解なんだけどな。赤ん坊に危険な物を渡すわけにはいかんだろ。……例えばこれとかは良い商品だと思うぞ? そりゃまあ、悪戯グッズとしては弱いけどよ。」

 

頭を抱えているジョージの発言を受けて、近くに置いてあった『百変化積み木』を手に取って評価してやれば、フレッドが至極微妙な面持ちで返事を寄越してくる。この商品は要するに形が変わる色取り取りの積み木だ。ここまで大人しくすると悪戯グッズというか、むしろ魔法の知育玩具と呼ぶべきかもしれないな。

 

「百変化積み木は売れると思うし、幼児へのプレゼントには最適だって自信もあるが、この店には相応しくないんだよ。あまりにも無難すぎるだろ? 失敗したぜ。このままだと誇り高き『悪戯専門店』じゃなくて、単なる『おもちゃ屋』になっちまうぞ。」

 

「お前らが言わんとすることも分かるっちゃ分かるが……何て言うか、勿体無くないか? こっち方面の才能もあるってことなんだと思うぞ。」

 

「そう言ってくれるのは嬉しいが、少なくともこの店で売るのはダメだな。扱うとしたら別の名前の店舗でだ。今はまだそこまでの余裕がないし、暫くは封印しておくことにする。ヴィックに渡す分だけ作るさ。」

 

「そりゃ残念なこった。……んで、二店舗目はどうするんだ? パリにある魔法族の町を狙ってるんだろ?」

 

ヴィクトワールが積み木で遊べるようになるのはもう少し先だろうけどな。ジニーとロンも相当なものだが、こいつらも結構気が早いのかもしれない。内心で考えながら話題を変えてやると、フレッドがよくぞ聞いてくれたとばかりに答えてきた。

 

「おう、土地と建物の確保は何とかなりそうだ。とはいえ、開店自体は最短でも来年の春ってところだな。商品の名前をフランス風にしなきゃだし、パリ店だけの目玉商品なんかも作らないといけない。作業が山積みなんだよ。」

 

「おまけに従業員も増やす必要があるし、フランス魔法省に商品の販売許可を通さなくちゃだからな。向こうはイギリス魔法界ほど『寛大』じゃない可能性もあるだろ? どうにかして安全に見せかけないとなんだ。」

 

「バレた時の言い訳も考えとけよな。……しかし、パリねぇ。お前らには何とも似合わない街だぜ。」

 

サンドイッチを食べ切りながら正直な感想を述べてやれば、双子はお揃いの苦笑いで頷いてくる。

 

「自覚はあるさ。だからまあ、その辺を逆手に取ってみせるぜ。『バカ臭い香水』とか、『エスカルゴ・ガム』とかって形でな。」

 

「嫌味に取られない程度にやろうと思ってるんだ。そこの匙加減は何度かフランスに行ってみて学ぶしかないだろうな。フラーもアドバイスしてくれてるし、店を開くまでには物にしてみせるさ。」

 

「悪戯も大変だな。正に『ほどほどに』ってわけだ。」

 

「下準備こそが悪戯の肝なんだよ。そこは店の経営にも、人生にも通じる部分だぜ。」

 

何だか尤もらしいことをフレッドが口にしたところで、カウンターを出て別れを告げた。今日の店の手伝いは昼までと決まっていたのだ。もう少しで他の店員が出勤してくるから、このタイミングで抜けても大丈夫なはず。人形店に帰る前に箒屋にでも寄ってみるか。

 

「ま、頑張ってくれよ。お前らの店がパリに進出すれば、イギリス魔法界の知名度は否が応でも上がるだろうからな。ユーモアでは世界最高の国だってのをパリの連中に教えてやってくれ。」

 

「任せとけ。パリの悪戯っ子たちにこの店の名前を刻み込んでやるから。……引っ越す前にお袋がパーティーか何かを開くと思うから、ちゃんと出席してくれよ? 俺たちも行くからさ。」

 

「ん、分かってる。またな、フレッド、ジョージ。」

 

フレッドの声に応じつつ店を出て、夏の太陽に照らされているダイアゴン横丁を箒屋目指して歩き出す。箒屋のおっちゃんにも世話になったわけだし、引っ越しのことをきちんと知らせないとだな。……うーむ、他にもダイアゴン横丁には挨拶しとかないといけない人物が沢山居るぞ。毎日ちょっとずつやっていくべきかもしれない。

 

自分が築き上げた繋がりの数々を頭に浮かべながら、霧雨魔理沙は脳内で計画を立てるのだった。

 



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旅行計画

 

 

「んー……迷うわね。私はイタリアか、スペインかって感じよ。どっちも捨て難いわ。」

 

ロンドンの中心街からほんの少しだけ外れた位置にある、現在のハリーの住まいであるアパートメントの一室。そこのリビングでソファに座りながら唸っているハーマイオニーを横目に、アンネリーゼ・バートリはダイニングテーブルでチェスの駒を動かしていた。劣勢にも程があるぞ、こんなもん。ロンのやつ、またチェスが強くなっているじゃないか。

 

いよいよ夏という雰囲気になってきた七月の中旬、いつもの四人でハリーの家に集まって旅行計画を立てているのだ。来年度からハリーも長めの休暇を取れるようになるということで、延び延びになっていた四人での旅行を実行に移そうと決めたのである。

 

九月はさすがにどの部署も休みを取り辛いため、十月の上旬あたりに出発する予定なのだが……スペインか。あまり縁がない国だな。ちょっと面白そうではあるぞ。

 

ロンの応手に怯みながら考えていると、ハーマイオニーの斜向かいの一人掛けソファで旅行雑誌を読んでいるハリーが口を開いた。ちなみに四人それぞれに行きたい国を一つ挙げて、そこを巡るというのが計画の骨子になっている。ロンの希望は既にフランスに決定済みで、私とハリーとハーマイオニーが決めかねているという状況だ。

 

「僕もイタリアには興味があるかな。……ハーマイオニーがスペインにするなら、僕がイタリアにするよ。」

 

「あら、そう? ……でも、悩むわね。折角四人で行くんだから楽しめるような場所にしたいわ。」

 

「四人で行くならどこでも楽しめると思うけどね。……リーゼはどう? まだ思い浮かばない?」

 

「ピンと来る場所は特にないね。……まあでも、現状で強いて言えばギリシャかな。私の家にサントリーニの絵があるんだよ。母上が昔旅行して気に入った土地なんだそうだ。」

 

母上はそもそも外出が好きではなかったし、旅行の思い出みたいなものは滅多に話さなかったのだが、サントリーニ諸島のことだけは何度か聞いた覚えがあるぞ。美しい場所だと言っていたはずだ。……まあ、何世紀も前の話なので今どうなっているのかは不明だが。

 

不利な盤面でしぶとく粘りながら応答した私に、ドビーからアイスティーのおかわりを受け取ったハーマイオニーが反応してきた。あのしもべ妖精は予定通りここで暮らしている……というか、働いているらしい。曰く、部屋が狭すぎて掃除がすぐ終わってしまうのだけが物足りないんだそうだ。

 

「ありがとう、ドビー。……サントリーニ島も良いわね。観光地として有名なはずよ。ホテルとかも揃ってるんじゃないかしら?」

 

「なら、私はそこを希望にしようかな。上手く調整すればアテネも行けるんじゃないか?」

 

「あー、アテネ。それも素晴らしい選択肢だわ。……参ったわね、魅力的な土地が多すぎない? こんなの旅程を決められないわよ。目移りしちゃう。」

 

「ホグワーツで授業の選択をしてた時の君を思い出すぜ。あの時もそんな風に『目移り』してたっけな。」

 

していたな。ロンの突っ込みにジト目を向けたハーマイオニーは、迷いを断ち切るような苦渋の顔で自身の希望を宣言する。

 

「……決めた、イタリアにするわ。ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィア。この三つを取りこぼすなんて有り得ないもの。」

 

「ハーマイオニーがスペインにして、僕がイタリアじゃなくていいの?」

 

「ハリーはハリーが本当に行きたいところを選択して頂戴。そうじゃなきゃそれぞれに決める意味がないわ。」

 

「そうなると……うーん、迷うね。まだ僕は決められなさそうかな。」

 

一人残ったハリーが再び旅行雑誌に向き直ったのを他所に、赤毛のノッポ君へと降参を伝えた。もう無理だ。我ながらよく粘ったものの、勝ちの目は完全に消えている。ここは潔く終わらせるべきだろう。

 

「リザインだ。……キミ、闇祓い局でチェスの訓練をしているんじゃないだろうね? 強くなりすぎだぞ。」

 

「『チェスの訓練』はしてないけど、シャックルボルト副局長がたまに付き合ってくれるんだよ。副局長、かなり強いぜ。三対七くらいで負け越してるからな。」

 

「まあ、あの男がチェスの名手ってのは何となくしっくり来るよ。……ギリシャのことが載っている雑誌はどれだい? 私も細かい部分を詰めるとしよう。」

 

ダイニングテーブルから離れてハーマイオニーの隣に座りながら尋ねると、斜向かいで眉間に皺を寄せて悩んでいるハリーが数冊の雑誌を渡してきた。何冊もある旅行雑誌の半分はハーマイオニーが国際魔法協力部で入手した物で、もう半分はハリーがマグル界で仕入れてきた物らしい。文字や写真が動くか動かないかでどっちの雑誌か一目瞭然だな。

 

「これだよ。……トルコはどうかな? イスタンブール。ちょっと魅力的じゃない?」

 

「イスタンブールか。確か、地下宮殿があるところだろう?」

 

「そうそう、あとは大きなバザールがあったりするみたい。マグル界にも、魔法界にもね。……僕の希望はトルコにしようかな。こんな機会じゃないと行けなさそうだし。」

 

「そうすると一直線に結べるね。フランス、イタリア、ギリシャ、トルコの順が効率的なんじゃないか? 最後はヨーロッパ特急でイギリスに帰ってくれば完璧だ。無論、逆にしてフランスを最後にするのも有りだが。」

 

一気に遠くに行って戻りながら観光するか、徐々に遠ざかりつつ観光して最後に一気に戻ってくるかだな。どっちもどっちかと一人で納得していると、ハーマイオニーが広めの地図を開いて意見を放つ。地域別の物ではなく、ヨーロッパ規模の地図だ。

 

「まあ、順番はそのどっちかね。ポートキーの時間とか、ホテルの混み具合とか、イベントの日付とかを調べてどっちにするか決めましょ。各々行きたい都市に丸を付けて頂戴。」

 

「急に現実的になってきたな。……これ、何日間になるんだ? ロバーズ局長は有給休暇を丸々使ってもいいって言ってくれたけどさ、最長でも二週間プラス休日とかだぞ。」

 

「さすがにそこまではかからないでしょ。……かからないわよね? かかる?」

 

ロンの指摘を聞いて自信がなくなってきたらしいハーマイオニーに、サントリーニ島とアテネに丸を付けながら肩を竦めて応じる。

 

「どうだろうね。例えば一国につき二日ってのは物足りなくないか? 最大まで使えば一国毎に三日半は確保できるぞ。」

 

「確かに二日だと忙しない旅行になるかもね。移動の時間とかも含むわけだし、イタリアなんかは一都市に一日使えなくなっちゃうよ? 姿あらわしとポートキーの使い方次第で色々変わりそうだけどさ。」

 

「待て待て、落ち着いて考えよう。タイミング良く出発すればもっといけるはずだろ? 土日の両方が休みの日に出発すれば、えーっと──」

 

私とハリーの懸念を受けて脳内で計算し始めたロンへと、ハーマイオニーが素早く答えを送った。

 

「闇祓い局は勤務スタイルが特殊だから、もしかしたら間違ってるかもしれないけど、単純に計算した場合の最大日数は十八日間よ。平日の十二日と間に挟まる土日出勤日の二日で有給休暇分を使って、そこに元々休日になってる四日をプラスした数。上手くタイミングを合わせて出発すれば十八日ね。」

 

「一国につき四日とちょっとか。それなら充分楽しめそうだな。」

 

「……そういう取り方をして大丈夫なの? 協力部はまあ、事前に準備してから休みに入れば特に問題ないわけだけど。」

 

「大丈夫だと思うぞ。ロバーズ局長はああいうタイプの人だし、シャックルボルト副局長も『思い出作りは大事にしなさい』って言ってくれたんだ。それに、そんな感じの休みの取り方は珍しくないしな。休み方にも強かさが求められるんだよ、闇祓いってのは。」

 

ロンは無理して言っているような雰囲気ではないし、ハリーも同意の首肯をしている。本当に大丈夫そうだな。……十八日間か。思っていたよりも長い旅行になるのかもしれない。

 

ギリシャは二日あれば問題ないから、その分を他に回すべきかと考えていると、ロンが今度は私に予定の確認をしてきた。

 

「リーゼの方は大丈夫なのか?」

 

「ん、キミたちが行けるなら私は平気だよ。時間は有り余っているから気にしないでくれたまえ。」

 

「じゃあ、とりあえず最長十八日間ってことで考えてみようぜ。……フランスは四日も使わないな。余った分をイタリアで使ってくれよ。僕もローマには時間をかけたいしさ。」

 

「細かい振り分けを決めるには、やっぱり観光地を詳しく調べないといけないわね。……国が決まってもまだまだ時間がかかりそうだわ。ここにある雑誌だけじゃ『資料』が足りないかも。」

 

うーむ、ハーマイオニーはまた『目移り』し始めたようだな。……まあ、ゆっくり決めるとしよう。四人揃っての旅行なんて次はいつ行けるか分からないし、私としても楽しい旅にしたいぞ。ここは妥協せずに打ち込んでみるか。

 

四人でテーブルを囲んで意見を交わし合いつつ、アンネリーゼ・バートリは無意識に翼を動かすのだった。

 

 

─────

 

 

「……これ、幻想郷に行った後で美鈴さんに手伝ってもらった方がいいんじゃないでしょうか?」

 

人形店のリビングルームに置いてある山積みのトランク。大きさがまちまちなそれが積み重なっている光景を眺めつつ、サクヤ・ヴェイユはエマさんに話しかけていた。ひょっとすると、買いすぎちゃったのかもしれないな。使い切るのに何年かかるんだろうか?

 

七月中旬の昼前、現在の私とエマさんは二人で大量の荷物を整理しているところだ。先日みんなでリストアップした『幻想郷に持っていくべき品々』を私、魔理沙、アリスの三人で大型スーパーやショッピングモールを何軒か巡って買い漁り、拡大魔法がかかっているトランクに詰め込んだのだが……拡大魔法込みでこの量か。行っては帰ってきてを繰り返していたから当日は気にならなかったけど、改めて見ると物凄い量だな。

 

約二十個の拡大魔法がかかっているトランクが目の前に存在しているので、合計すれば少なくとも家一軒分くらいのマグル製品や食材なんかが詰まっていることになる。それを分類したり整理して詰め直すというのは、果たして私たち二人だけで出来るような作業なんだろうか?

 

あまりの量の荷物を見て怯んでいる私に、エマさんがのほほんとした笑顔で応答してきた。

 

「出来るところまではやっちゃいましょう。どうせ幻想郷に行った後でキッチン裏の食品庫、ムーンホールド区画の地下倉庫、紅魔館区画の地上倉庫、裏庭の小屋のそれぞれに分けないといけないんです。備蓄管理の勉強だと思って頑張ってみてください。」

 

「一度取り出して、四つに分類して、また仕舞い直すってことですよね? ……分かりました、やってみます。」

 

「空のトランクにアリスちゃんが拡大魔法をかけてくれたので、分類してこっちに移してくださいね。赤が食品庫行き、青が地下倉庫行き、茶色が地上倉庫行き、白が小屋行きです。判別できない時は私に聞いてください。こっちのトランクはかなり広めにしてくれたみたいですから、全部入ると思います。」

 

「……了解です。」

 

返事をしてから赤いトランクの中を覗き込んでみれば、天井と壁が滑らかなコンクリート造りの広いスペースが目に入ってくる。トランクの入り口には梯子がかかっており、それを使って内部に下りるようだ。棚すら置かれていないし、殺風景なだだっ広い地下室って感じだな。

 

うーん、移動式の巨大倉庫か。拡大魔法の便利さを改めて実感するぞ。……とはいえこれは呪文の使用者がアリスであり、かつ時間をかけて拡大したからこそ可能な芸当だ。私だとテント程度の大きさに拡大するのが限界のはず。『重さ』をどうにかするのも難しいだろうし。

 

もっと杖魔法を練習すべきかと悩みつつも、目に付いた『移動元』のトランクをとりあえず一つ手に取った。ちなみに何故移動元のトランクに最初から整理して入れなかったのかと言えば、買い物の時のゴタゴタの所為である。さすがにこれだけの量を買うとなると混乱するし、そこまで気を使っている余裕がなかったのだ。

 

今にして考えると何日かかけてゆっくり買い物をすれば良かったのだが、私も魔理沙もアリスも慣れない『業者買い』で妙なハイテンションになってしまい、『買ってきた物を差し当たり適当に拡大魔法をかけたトランクに仕舞った後、姿あらわしで別の店に再出発する』という行動を繰り返した結果……まあ、この通り。中途半端な拡大魔法がかかったトランクが積み上がってしまったわけだ。しかも、中身がごちゃごちゃの状態で。

 

買い物の当日は楽しかったし、一日がかりだったから疲れたし、故に達成感もあったんだけどな。もう少し後のことを考えて行動すれば良かったぞ。今更後悔しながら移動元のトランクの中に大量に入っている買い物袋の一つを取り出して、その中身を更に個別にチェックしていく。

 

「こっちの袋に入ってるのは食料品ですね。大量のパスタと……あと、缶詰です。三軒目に行った大型スーパーの荷物じゃないでしょうか?」

 

「あれ、そっちもですか。こっちのも同じ店の袋です。野菜なんかが沢山詰まってますね。」

 

「あー、それは魔理沙が買っておけって言ったんです。幻想郷の野菜はあんまり美味しくないからって。……保存魔法をかければ大丈夫ですよね?」

 

「大丈夫だと思いますよ。詰め直したらアリスちゃんにかけてもらいましょう。」

 

まあ、アリスがかけるなら問題ないか。エマさんの言葉に納得しながら分類を進めていると、件の魔女どのがリビングに入ってきた。

 

「咲夜、手紙が……何してるの?」

 

「この前買った荷物の整理だよ。分類して詰め直すの。」

 

「ああ、そういうこと。だから新しいトランクが必要になったのね。てっきりまだ買う物があるんだと思ってたわ。」

 

「これ以上買ったら収拾がつかないよ。」

 

現時点で既に限界を超えているんだぞ。苦笑いのアリスに突っ込んでみれば、彼女は手に持っていた手紙をダイニングテーブルに置いてから口を開く。

 

「そういうことなら『荷運びちゃん』と『整理ちゃん』を出動させましょう。汎用の半自律人形も単純な反復作業なら出来るから、全部を動かせばかなり楽になると思うわ。……それと咲夜、ホグワーツからの手紙よ。イモリの結果じゃないかしら?」

 

「へ? もう来たの?」

 

「イモリの結果はフクロウより早いのよ。一度中断して確認してみなさい。私は一階から人形を取ってくるわ。」

 

言うと階段の方へと歩いて行ったアリスを見送ってから、テーブルに近付いて手紙を手に取る。……そういえばそうだったな。イモリ試験の結果は七月中なんだっけ。一気に緊張してきたぞ。

 

私と同じく作業の手を止めたエマさんが見守る中、ごくりと唾を飲み込みながら封を切って中身を……ぬああ、何か多いぞ。謎のチラシみたいな紙が沢山入っているようだ。やけに分厚かったのはその所為か。

 

「何故か魔法省のチラシがいっぱい入ってます。執行部とか、協力部とか、惨事部とかのが。」

 

「じゃあじゃあ、良い成績だったってことなんじゃないですか? だってほら、『足切り』を突破してない卒業生にチラシを送ったりはしないはずでしょう?」

 

「……そうなんでしょうか?」

 

「きっとそうですよ。」

 

エマさんの推理を受けてちょびっとだけ期待が膨らむのを感じつつ、人形を引き連れた状態で戻ってきたアリスを横目に、チラシの中から探し当てた質の良い羊皮紙を両手で広げてみれば──

 

「……どうでしたか? 咲夜ちゃん。満足できる成績でした?」

 

「あの……はい、予想より良い成績みたいです。」

 

「あら、やっぱりね。手紙が分厚かったから心配してなかったわ。」

 

然もありなんという顔で覗き込んでくるアリスと二人で、並んでいる成績を再度確認していく。最高の評価である10がいくつかあって、殆どが9、そして8は変身術と魔法薬学だけだ。8にしたって『良い成績』と言えるような評価だし、これは結構誇れる内容なんじゃないだろうか?

 

無論幻想郷では何の役にも立たない上、メイドとしての仕事に活かせるかも不明だけど……でも、間違いなく一つの証明にはなるはずだ。私がホグワーツできちんと学業を修めたという証明には。

 

そのことにホッとしている私へと、アリスとエマさんがお祝いを投げてきた。

 

「素晴らしいわ、咲夜。よく頑張ったわね。この成績ならどこにだって行けるわよ。」

 

「凄いです、咲夜ちゃん。お嬢様を起こしてきますね。絶対褒めてくれますよ、これは。」

 

「いや、えと……後で見せますから。エマさん? エマさん!」

 

私の制止を背にリーゼお嬢様を起こしに行ってしまったエマさんと入れ替わるように、今度は魔理沙がリビングに入ってくる。この時間まで寝ていたらしい。

 

「おっす、おはよ。……どうしたんだ? エマが何か慌ててたけど。」

 

「咲夜の試験結果が届いたのよ。」

 

「うお、マジでか。……見ていいか?」

 

「いいわよ、はい。」

 

急に目がパッチリ開いたな。恐る恐るという雰囲気で尋ねてきた魔理沙へと、持っていた試験結果を渡してやれば……それを見た彼女は満面の笑みで私の背中をバンバンと叩いてきた。痛いじゃないか。

 

「いいじゃんか、いいじゃんか! 大した成績だぜ。これならハーマイオニーとも渡り合えるぞ。」

 

「成績は『渡り合う』ようなものじゃないし、ハーマイオニー先輩には敵わないわよ。」

 

「いやー、良かったな。あんなに頑張ってたのに成績が悪かったらどうしようかと思ってたんだよ。そんなもん何て声をかけたらいいか分からんぜ。……ま、杞憂で済んで何よりだ。万々歳な結果じゃんか。」

 

「紅魔館内じゃ一番かもしれないわね。リーゼ様もフランもイモリは受けてないし、多分私よりも良いわよ。……ああでも、パチュリーが居たわ。聞いたことないけど、全部10とか取ったのかも。」

 

アリスよりも良いのか。何だか複雑な気分になるな。パチュリー様が『全部10』というのは私も想像できちゃうけど。金髪の魔女の発言に違和感を覚えている私と同様に、そこが引っ掛かったらしい魔理沙が質問を口にする。

 

「アリスよりも良いのかよ。それはちょっと意外だぜ。」

 

「私はまあ、苦手な科目がいくつかあったのよ。特に薬学はどうにもならなかったわ。受けてた授業の数自体も咲夜より少なかったしね。」

 

「まあうん、アリスは『一点集中型』だもんな。私にも魔法史って難敵が居たし、何となく分かるぜ。」

 

「でも、本当に見事な成績だわ。……これならレミリアさんの指令も達成したと言えるでしょう。幻想郷に行ったら褒めてくれると思うわよ。」

 

アリスに頭を撫でられて擽ったく思いつつ、魔理沙が返してきた成績表をもう一度ジッと眺めた。……これならお嬢様方だけじゃなく、お父さんとお母さんにも胸を張って見せられるな。近いうちに頑張ったよと言いに行こう。イギリス魔法界のどんな職業にだって就けるくらいに成長して、その上で自分が希望する仕事を『選び取った』のだと伝えなくちゃ。

 

私は両親が誇れるような娘になれたんだろうか? その答えを直接二人から聞くことが出来ない私は、こうやって自分に対して証明していくしかないのだ。……うん、大丈夫。少なくともイギリス魔法界での『証明』はこれで充分だろう。あとは幻想郷でも胸を張れるような生き方をすればいい。誇り高きヴェイユとしての生き方を。

 

褒めてくれる両親の姿を幻視しながら、サクヤ・ヴェイユは小さな笑みを浮かべるのだった。

 



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幻想戯画

 

 

「ま、こんなところじゃないか? これ以上準備すべきことは無いと思うよ。」

 

すっかり棚の中の人形たちが片付けられた後の、マーガトロイド人形店の店舗スペース。空っぽのガラスケースや閉め切ったカーテンを見て宣言してきたリーゼ様に、アリス・マーガトロイドは首肯を返していた。転移の際の衝撃がどうなるか分からなかったので、一応人形たちを避難させたのだ。広々としていてちょっと寂しい光景だな。店を再開する前を思い出すぞ。

 

八月の中旬が迫ってきた今日、人形店における移住の準備がようやく完了したのである。紅魔館に持ち込む『補給物資』も買い込んだし、一階と二階の片付けも終わったし、転移に備えた家具なんかの補強も一通り済んだ。これならいつでも出発できるだろう。

 

となると、残る問題は私の転移魔法だけだな。そこに一抹の不安を感じつつ、リーゼ様に向けて返事を口にした。

 

「いよいよって感じですね。」

 

「私の場合はそうでもないけどね。キミたちにとってはそうなんだろうさ。……転移魔法の術式作りは順調かい?」

 

「人形店の方は多分大丈夫です。……でも、守矢神社の方は今すぐにはやっぱり無理そうですね。術式を完成させるのは幻想郷に行ってからになると思います。」

 

「そこは気にしなくていいよ。戻ってこられる私が二柱に伝えればいいだけだからね。」

 

肩を竦めてリビングに戻るリーゼ様の背に続きながら、ふと思い出したことを声に出してみる。

 

「そういえば、対策委員会の次期体制がやっと本決まりになったみたいですね。朝刊で取り上げられてましたよ。」

 

「ああ、そうらしいね。三ヶ月以上もかかるってのは予想外だったが、時間をかけた甲斐はあったみたいじゃないか。大分規模が拡大されたようで何よりってところさ。」

 

「各国の非魔法界対策部署の統括役って感じになるんでしょうか? 国際社会における連盟の役割に近いですね。」

 

「国際魔法使い連盟よりは実行力を持ってもらわないと困るけどね。国際的なバランスを調整するためにある連盟と違って、対策委員会は問題の解決を促進させるためにある機関なんだから。機構そのものは連盟に通じる部分があるが、本質的な役割は全く違うよ。」

 

まあ、確かにそうだ。調整機関か牽引機関かの違いだな。リビングルームに足を踏み入れながら応じてきたリーゼ様に、複雑な気分で相槌を打つ。

 

「少し不安ですね。新議長の選出も荒れに荒れたみたいですし、この先上手くやってくれるといいんですけど。」

 

「荒れないで人任せにされるよりは遥かにマシさ。自覚し、議論し、失敗し、改善する。それさえ出来ていれば少なくとも最悪の方向には進まないはずだ。……ま、見物してやろうじゃないか。次世代の魔法界ってやつの頑張りっぷりをね。」

 

皮肉げに笑いながらのリーゼ様がソファに腰掛けたところで、部屋に咲夜と魔理沙が入ってきた。着替えているし、出掛けるつもりらしい。

 

「おう、リーゼ、アリス。ちょっと友達と遊びに行ってくるぜ。」

 

「今日は暑くなるらしいから気を付けなさいね。」

 

「うん、分かった。お昼ご飯も食べてくるから。……行ってきます、リーゼお嬢様。」

 

「ん、行ってきたまえ。」

 

私とリーゼ様の言葉を受けて一階に下りていった二人を見送った後、キッチンに移動してお湯を沸かす。最近の咲夜と魔理沙はよく人に会いに行っているな。仲が良かった同級生なんかに別れを告げているんだそうだ。

 

二人も順調に移住の準備を進めているなと考えつつ、戸棚からコーヒーミルを取り出して豆を投入していると、リーゼ様がセンターテーブルの上にあった手紙を手に取って疑問を寄越してきた。

 

「この手紙は何だい?」

 

「あー、忘れてました。今朝届いたやつです。アピスさんからみたいですよ。」

 

「アピスから? ……ふぅん? あいつも引っ越すのか。北アメリカに行くらしいぞ。」

 

「北アメリカですか。」

 

神秘が薄い土地だけど、そういえば前に行った時にアピスさんは気にしていなかったな。コーヒー豆を挽きながら応答してみれば、リーゼ様は便箋を広げた状態で詳細を語ってくる。

 

「カリフォルニアに移るんだそうだ。新しい住所も書いてあるよ。」

 

「西海岸となると、私たちとはあまり縁の無い土地ですね。……どうして引っ越すんでしょう?」

 

「さてね、私にはあの妖怪が考えていることなんて分からんよ。また新たな趣味でも見つけて、それがカリフォルニアと関わっているとかじゃないか?」

 

「ちなみにですけど、住所はカリフォルニア州のどこになってますか?」

 

ガリガリというコーヒーミルの音に負けない声量で質問すると、リーゼ様は手紙をテーブルに置きながら回答してきた。

 

「サンタクララ郡のサンノゼと書いてあるね。具体的にどこなのかはさっぱりだが。」

 

「えーっと、ベイエリアの下側だったはずです。所謂サウスベイですね。」

 

「私は『ベイエリア』がまずピンと来ないよ。……あの国は幾ら何でも広すぎるぞ。欲張って大陸の半分を国家にしようとするからああなるのさ。分かり難いことこの上ないね、まったく。」

 

その主張でいくとロシアはどうなってしまうんだろうか? 単純な国土面積は二倍近かったはずだぞ。挽き終えた粉を使ってコーヒーを淹れつつ、リーゼ様に声を飛ばす。

 

「だからこその『合衆国』なんだと思いますけどね。リーゼ様も飲みますか? コーヒー。」

 

「飲もうかな。キミのを先に淹れてくれ。今日は薄めの気分なんだ。」

 

「了解です。」

 

リーゼ様の指示を聞いて薄めの二杯目を淹れていると、今度はエマさんが入室してきた。

 

「あら、一階の整理はもう終わっちゃったんですか?」

 

「ええ、どうにか完了しました。……一応聞きますけど、エマさんも飲みます?」

 

「コーヒーはやめておきます。」

 

「ですよね。」

 

エマさんはコーヒーがあまり好きではないのだ。リーゼ様も紅茶党の吸血鬼だけど、エマさんはそれ以上なのである。一応の問いに予想通りの答えが返ってきたことに苦笑しながら、二つのカップを持ってソファに向かう。

 

「エマ、この手紙を保管しておいてくれ。アピスの新しい連絡先が書いてあるから。」

 

「はーい、了解です。……アピスさんも引っ越すんですか?」

 

「北アメリカにね。また何か仕事を頼むかもしれないし、覚えておいた方がいいだろうさ。」

 

エマさんが手紙を受け取ってどこかに運んでいくのを横目にしつつ、リーゼ様にマグカップの片方を渡してからソファに座った。……あ、しまったな。コーヒー豆も買っておくべきだったぞ。幻想郷でコーヒー豆を生産しているとは思えないし、近いうちに一人で買いに行こう。いつもは私も紅茶だけど、たまにこっちが飲みたくなるのだ。

 

苦い真っ黒な液体を嚥下しながら追加の買い物を決意した私へと、腕時計をちらりとチェックしたリーゼ様が提案を投げてくる。

 

「ちょっと休んだらマグル界に買い物に行くが、キミも来るかい? もう少し家具を見ておきたいんだよ。」

 

「行きます。私も買いたい物があるので。」

 

「んじゃ、飲んだら準備しようか。確かエマも何かを買ってきて欲しいと言っていたはずだ。それもついでに片付けちゃおう。」

 

うーん、土壇場で思い出すのはみんな一緒か。そして最終的にも何か買い忘れちゃうんだろうなと予想しつつ、軽く頷いてコーヒーを一口飲む。紅魔館が転移した時も館に色々と置き忘れちゃったし、こういうのは引っ越しの『お約束』なのかもしれない。

 

移住直前が慌ただしくなることを予感しながら、アリス・マーガトロイドは背凭れに身を預けるのだった。

 

 

─────

 

 

「いよいよね、リーゼちゃん。そっちの準備は進んでる?」

 

おっと、今日は最初からのご登場か。呪符でやってきたばかりの博麗神社の境内で話しかけてきた紫へと、アンネリーゼ・バートリは返答を放っていた。少し遠くの社の前には紅白巫女も居るな。竹箒をせっせと動かして、毎度お馴染みの掃き掃除をしているらしい。

 

「順調だよ。今日は人形店を転移させる地点に『目印』を刺しに来たんだ。これがあるとアリスがやり易くなるらしいから、魔法の森に入らせてくれたまえ。」

 

呼び付ける手間が省けて助かったぞ。持ってきた小さな杭のような魔道具を示しながら言ってやれば、紫は肩を竦めて頷いてくる。

 

「それくらいなら構わないけど、ちょっと神社で一休みしていきなさいよ。……れいむー! リーゼちゃんが来たわよー!」

 

「だから何?」

 

「……ドライな子だわぁ。ああいう反応をされるとヘコむわよね。尻尾を振りながら駆け寄ってきてくれれば可愛いのに。」

 

「紅白巫女がそんなことをしたら不気味だろうが。……何か話があるのかい?」

 

冷たい一言だけを寄越して我関せずと掃除を再開した巫女を尻目に、いつもの縁側の方へと歩きながら問いかけてみると、紫は再度肩を竦めて適当な感じに答えてきた。

 

「重要な話は特にないわ。……ただ、平穏の終わり際にお喋りを楽しもうと思っただけよ。」

 

「物騒な台詞じゃないか。私としては、『平穏』が終わって欲しくはないんだけどね。これまで一切縁が無かったんだし、そろそろそうなってもらわないと困るんだよ。」

 

「イギリス魔法界には平穏が訪れるんじゃない? でも、幻想郷はそうじゃないの。……波立たず、傷付かず、変化しない土地は弱くなるわ。ようやく基礎が整った以上、幻想郷が次に必要とするのは『異変』よ。この土地を自立した強い子に育てるためには、時に風雨に晒すことも重要なわけね。」

 

「……キミが思い描く風雨とは?」

 

キナ臭いことを言うじゃないか。到着した縁側に腰掛けつつ尋ねてみれば、隣に座った紫はにっこり笑って応じてくる。私からすると邪悪な笑みに見えてしまうぞ。

 

「だから異変だってば。平たく言えば騒動ね。レミリアちゃんがその『前哨戦』をしてくれたから、少なくとも妖怪たちはウォーミングアップを終えているわ。となれば、次に来るべきは本番でしょう? スペルカードルールを使った初の大騒動で、安穏に慣れ始めた幻想郷を叩き起こしてやるのよ。」

 

「安穏でいいじゃないか。それの何が気に食わないんだい?」

 

「安穏に溺れたら腐っちゃうからよ。外界が常に前向きな変化を欲しているように、幻想郷には斜め後ろ向きな変化が必要なの。……やっと駒が揃い始めたんだから、私にもゲームをさせて頂戴。腕が鳴るわぁ。準備に時間をかけまくった分、大いに楽しませてもらわないとね。」

 

『斜め後ろ向きな変化』か。不条理極まる台詞だな。物凄く嫌な予感を覚えながら、ジト目で紫に指摘を返す。

 

「制御できる自信があるんだろうね? 私がイギリスで学んだ経験によれば、『騒動』を目的とした計画というのは往々にして上手くいかないものだぞ。大抵の場合、予想外に連鎖して手に余る事態を運んでくるものさ。」

 

「前哨戦の方はともかくとして、本番は制御なんてしないわよ。……私はね、リーゼちゃん。私ですら予測できない展開を求めているの。だってそうでしょう? 私が幻想郷に求めているのは、誰もが実現不可能だと思うような『幻想』の景色なのよ? それならこっちの計算を超えてもらわなくちゃ困るってもんだわ。……歴代最高の調停者を得て、魅力的で華やかなルールを作って、火種となり得る吸血鬼たちを誘致して、おまけとして妖怪屈指の煽動者も手に入った。やるなら今しかないわ。幻想郷を次に進められる好機がようやく訪れたのよ。」

 

ふんすと鼻を鳴らして『やるぞ!』というポーズをしている紫に、極限まで迷惑そうな声になるように意識しながら相槌を打つ。自分の箱庭で遊ぶのは構わないが、私が移住するタイミングで実行を決断しないでくれよ。

 

「キミ以外の誰もがそれを望んでいないだろうね。頼むからやめてくれ。迷惑だ。」

 

「嫌よ、絶対やるわ。幻想とは混沌から生まれるものよ。ごちゃごちゃしていて、分かり難くて、油断できないし、とっても迷惑。それが幻想郷なの。……完璧に管理された土地には隙間が発生しないでしょ? それじゃあダメ。『隙間に潜む者』たちのためには、ガッタガタでぐっちゃぐちゃな環境が必要なのよ。全てを許容し、故に真の意味で自由。そうでなくっちゃ意味がないわ。」

 

「キミね、そんなもんが成り立つわけがないだろう? 最低限の不自由があればこその自由なんだよ。ルールってのは絶対に必要なんだ。何もかもを許容していたら社会として成立しないぞ。」

 

「それでいいわ。私は『社会』なんて目指していないもの。もっと原始的で、ずっと楽しいものを目指しているのよ。」

 

無茶苦茶だな。……要するに、紫は香港自治区の『先』を目指しているわけだ。許容が故の混沌。外界とは全然違うし、正反対ですらない方向だぞ。だからこその『斜め後ろ』か。

 

紫の曖昧模糊とした発言を咀嚼しながら、真昼の晴天を見上げて主張を飛ばす。

 

「私は手伝わないぞ。そんな義理はないし、興味もないからね。」

 

「リーゼちゃんがどう思っていようが構わないわ。私はレミリアちゃんや貴女を正しい『開始位置』に設置できたって自信があるから。それなら当人の意思なんて関係ないの。他の駒が動けば、貴女たちも動かざるを得なくなる。リーゼちゃんは既にそういう位置に立っているのよ。」

 

「……本番は『制御しない』んじゃなかったのかい?」

 

「本番が始まった後はね。始まるまでの調整は私の領分よ。私ったら、ここ五百年くらいを使って頑張って配置を整えたのよ? 人里のルールを成立させて、妖怪たちにルールを押し付けて、その上で『ズル』できる程度の隙間は残した。かなり面倒くさい作業だったし、少しくらい褒めてくれてもいいと思うんだけど。」

 

私が褒めるのを期待しているような面持ちで見つめてくる紫のことを、半眼で睨み付けながら忠告を送った。

 

「重ねて言うが、私は知らないからな。真にキミが計算していない事態が起きた時、幻想郷がどうなるかは誰にも分からないことだぞ。私は最近とんでもない『理不尽』を経験したばかりなんだ。この土地はそういうことが頻繁に起こる場所なんだろう? だったら先んじて対処しておくべきだと思うがね。」

 

「あのね、リーゼちゃん。計算の外側にある美しさを教えてくれたのは他ならぬ貴女でしょうが。霊夢の育成方針を論じていた時に私に言った台詞を忘れたの? ……幻想郷は私の『子供』よ。我が子には立派に育って欲しいから、私のエゴでそうあれと育てるのはやめたの。支えはするし、見守りもするけど、この土地の未来を決めるのはこの土地自身ってわけ。どう? 立派な母親の台詞だと思わない?」

 

「『立派な母親』は我が子を意図的に風雨に晒したりはしないぞ。」

 

「……そこはまあ、愛の鞭よ。甘やかしてばっかりじゃダメでしょう? 挫折なくして成長はないわ。可愛い子には旅をさせよってね。成長した時に困らないように、若い頃から経験を積ませておかないと。」

 

目を逸らして言い訳を語り始めた紫へと、額を押さえてため息を吐いてから口を開く。つまり紫は、幻想郷を鍛えようとしているのか。騒動という名の槌で叩き、強い土地を作ろうというわけだ。

 

「まあ、何でもいいよ。キミの箱庭なんだから好きにすればいいじゃないか。」

 

「……それだけ?」

 

「それだけさ。今の私は長いゲームを終えた直後なんだ。いつもなら予防線を張ったり探りを入れたりしていたかもしれないが、今はそんな気が起きない。キミが何を企んでいるのであれ、私は暫く参加しないと思うよ。次のゲームに取り掛かろうって気分じゃないからね。」

 

少なくとも、この腕時計が止まるまでは休ませてもらうぞ。私は余韻に浸りたいのだ。節操なく別のゲームを始める気にはなれん。ちらりと左腕の時計を見ながら言ってやれば、紫は残念そうな苦笑いで首肯してきた。

 

「そうね、その意思は尊重するわ。何となくそうだろうって思ってたしね。私は価値があるものを無視するほど愚かではないもの。……とりあえずはイギリスとこっちを行き来しながらゆっくり過ごして、この土地に慣れていきなさい。私も無理に巻き込もうとはしないから。最初の騒動の主役はレミリアちゃんであってリーゼちゃんじゃないわ。貴女の方から首を突っ込まない限りは大丈夫なはずよ。」

 

「主役はレミィか。派手になりそうだね。」

 

「いつの日か『事の起こり』を思い返した時、パッと頭に浮かぶくらいの騒動になってもらわなくちゃね。そういうのはほら、レミリアちゃんの方が向いてるでしょ? 派手さを求める舞台なら、主役として相応しいのはあの子しか居ないわ。幻想郷中の目を引いて、『始まり』をド派手に飾ってもらわないと。」

 

「そういうことならレミィが適任だろうね。あいつは外界で世界中の目を引いてみせたんだ。だったらこの土地で衆目を集めるくらい楽勝さ。ステージのど真ん中に堂々と立って、怯まずに主役をやり切ってくれると思うよ。」

 

問題は『始まり』が終わった後、レミリアが素直に降壇するかだな。……まあ、そこは黙っておこう。従姉妹へのちょっとした援護ってところだ。紫は『前哨戦』が手の内に収まったから油断しているのかもしれないが、スカーレット家の今代当主どのは扱い難い主役だぞ。放っておくと出演予定のない別の舞台に突っ込んで、スポットライトを掻っ攫ってしまうのだから。

 

弱い時はとことん弱いが、強い時は手が付けられない。紫はレミリアの『強い時』を未だ観客としてしか知らないはず。レミリア・スカーレットの真の厄介さは、共演者として舞台に立たなければ分からないぞ。あいつは観客を惹きつける才能を持っているのだ。それを恐れるべきは劇を楽しむ観客ではなく、隣に立つ共演者の方だろう。いざ同じ舞台に立った時に後悔しないといいがな。

 

前に紫は主役たるレミリアが私を選んだと言っていたが、脇役たる私もまたレミリアを選んでいるのだ。自分が影を演じるにおいて、主体となるに相応しい存在として。……妖怪としての力量では圧倒的に紫が上だろうさ。しかし、主役を演じる力はまた別の話だぞ。下手すると食われるかもな。それもそれで面白そうな展開かもしれない。

 

うーむ、やってくれるかな? レミリアはむらっ気が強いし、そこばかりは私にも予想できんな。だが、上手く乗ってくれれば愉快なことになるぞと思考していると……おや、紅白巫女だ。三つの湯呑みが載ったプレートを持った巫女が奥の方から現れた。

 

「はい、お茶。」

 

「あらー、霊夢。口では冷たいこと言ってた癖に、お茶はきちんと出すのね。偉いし、可愛い。『偉可愛い』わぁ。」

 

「はい、紫の分は無くなったわ。」

 

三つある湯呑みの一つを私に渡して、二つをテーブルに持っていってしまった巫女へと、紫が大慌てで声をかける。何をしているんだよ。

 

「ちょっ、私にも頂戴よ。欲しいなー。ゆかりん、霊夢が淹れてくれたお茶が欲しいなー。」

 

「で、何の用なの? ここは妖怪の休憩所じゃないんだけど。」

 

「知らんよ。私は魔法の森に用事があるんだ。神社で休憩しようと言い出したのはこっちの迷惑妖怪の方さ。」

 

「あれ、無視? 無視だけはやめて欲しいんだけど。ゆかりん、そういうの一番嫌だから。構って頂戴。」

 

『ぶりっ子モード』に入った紫を完全に無視している巫女は、一度湯呑みに口を付けてから私に問いを投げてきた。

 

「魔法の森? ……あんな場所に何しに行くの?」

 

「もう少ししたらそこに移る予定なのさ。移住するってことは前に伝えてあるだろう?」

 

「それは知ってたけど、魔法の森に住むってのは予想外よ。……まあいいわ、引っ越しが済んだら様子を見に行ってあげる。あんたみたいな油断できない妖怪の住処は常に把握しておかないとね。」

 

「別に構わないよ。怪しげなことをするつもりは無いからね。良い機会だから、茶が好きなキミに『本物の紅茶』って物を出してあげよう。淹れ方が上手くないと味わえないやつをだ。」

 

本物はエマしか淹れられないのだ。私の言葉を受けて、紅白巫女はちょびっとだけ興味を惹かれている様子でこくこく頷いてくる。

 

「……じゃあ、飲みに行くわ。あんたに貰った紅茶、正しい淹れ方がいまいち分かんなくて困ってたのよ。」

 

「そもそもキミ、道具を持っているのかい? 緑茶には緑茶の道具があるんだろうし、コーヒーにはコーヒーの道具があるように、紅茶にだって専用の道具が必要なんだぞ。」

 

「持ってるわけないでしょ。一回外界の品が売ってる古道具屋で探してみたけど無かったのよ。……今度札と交換して頂戴。ついでに珈琲の道具も。珈琲の味は好きじゃないけど、興味はあるわ。」

 

「ん、いいよ。そんなに高い物じゃないしね。ティーポットとカップとティーストレーナーってとこかな。コーヒーの方はミルと、コーヒーポットと……あとは何だ? 普段飲まないからよく分からん。」

 

ドリッパーとフィルターも要るか。巫女と話しながら考えていると、やり取りを観察していた紫がニマニマ顔で茶々を入れてきた。実にイラつく表情だな。

 

「素晴らしいわぁ。霊夢とリーゼちゃんが順調に仲良くなってるみたいで何よりよ。霊夢がお友達の家に遊びに行くのなんて初めてじゃない?」

 

「『お友達』じゃないし、遊びに行くわけでもないんだけど。監視ついでに紅茶の淹れ方を学びに行くだけよ。」

 

「素直じゃないあたりが余計に可愛く見え……あれ、霊夢? 今貴女、私のこと退治しようとした? 札がこっちに飛んできたように見えたんだけど。気のせいよね? ね?」

 

「ちっ。」

 

おー、舌打ちだ。反抗期だな。物凄いスピードで紫に札を飛ばした巫女も見事だが、即座にスキマを開いて防御した腹黒賢者も大したもんだぞ。ひょっとすると日常的に行われている攻防なのかもしれない。そんな物騒な日常は想像したくないが。

 

「早くこいつを魔法の森に案内しなさいよ、妖怪風呂覗き。あんたが居ると神社の規律が乱れるわ。さっさと出て行って。じゃないと次は本気のを食らわすからね。」

 

「お風呂を覗いたのはずーっと前の一回だけじゃないの。しかもあれは、まだ小さかった貴女が溺れてないか心配になっただけで──」

 

「……今のが最後の警告よ。私がやると言ったら絶対やる巫女なのは知ってるでしょ?」

 

うーん、やっぱり物騒だな。いっそやってしまえと心中で巫女を応援している私のことを、二度目の札を防いだ紫が慌てて促してくる。

 

「ちょちょ、今行くから札を仕舞いなさいって。リーゼちゃん、行きましょ。キレる若者だわ。こういうのがチーマーとかになるのね。ゆかりん、怖い。」

 

「私は正当な怒りだと思うがね。……じゃ、失礼するよ。」

 

「次来る時は紅茶と珈琲の道具を忘れないようにね。」

 

「多分移住の方が早いから、キミが魔法の森に来た時に渡すよ。」

 

巫女に挨拶をしつつ縁側から腰を上げて、紫の背に続いて歩き出すが……スキマで移動するんじゃないのか? 普通に石階段の方に向かっているぞ。

 

「歩いて行くのは嫌だぞ。遠いじゃないか。」

 

参道まで戻ったところで意見を口にすると、紫は何故か満足そうな笑みを浮かべた状態で返事を返してきた。

 

「ちょっとだけ歩きましょうよ。たまにはいいでしょ? ……霊夢ったら、感情的になってたわね。『感情的』。昔のあの子なら有り得ないような態度だわ。」

 

「……それが嬉しいのかい? 『完璧な調停者』からは遠ざかっているわけだが。」

 

「前にも言った通り、私は完璧な調停者を求めていないの。……良い感じよ、リーゼちゃん。まだまだ目標までは遠いけど、進んでいる方向が間違っていないことは確認できたわ。今はそれで上出来。進路さえ誤らなければ大丈夫よ。」

 

「私は特段何もしていないんだがね。」

 

以前同じような問答をした記憶があるが、ここに関しては素直な感想だぞ。私が紅白巫女に大した影響を与えているとは思えないし、仮に巫女が変化しているならその原因は私じゃないんじゃないか? 小首を傾げて応じた私に、紫はクスクス微笑みながら曖昧な発言を寄越してくる。

 

「いいえ、貴女は私の期待に応えているわ。プロローグとしては満足のいく結果よ。……ああ、やっと始められるわね。私の幻想をようやく始められる。見てみなさい、リーゼちゃん。この美しい景色を。まだ無垢な幻想郷の景色を。……遂にここに色を塗れるわ。どんな色になるのかしら? 貴女はどの色を塗ってくれるの? レミリアちゃんは? 藍は? 相柳は? 霊夢は? そして私は?」

 

「……各々が好き勝手に塗れば、キミにとって気に入らない出来になるかもしれないよ?」

 

「それでも整った真っ白よりは遥かにマシよ。……本当に楽しみだわ。いつの日かまたここで見ましょうね。全てを許容した後の、色取り取りになった幻想郷の景色を。」

 

全てが終わった後、この土地はカラフルで華々しいそれになるのか、あるいは色を重ねすぎた暗色になってしまうのか。石階段の天辺から幻想郷の景色を眺めつつ、アンネリーゼ・バートリは二つの結末を予想するのだった。

 



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ヴェイユを継ぐ者

 

 

「いいかしら? 野菜を先に入れるのがコツよ。後で入れると味が馴染まないから、この段階でもう入れちゃうの。」

 

二人とも真剣そのものじゃないか。モリーから秘伝のレシピを教えてもらっている咲夜を横目にしつつ、霧雨魔理沙はジニーと一緒に洗い物を進めていた。しかし、料理ってのは本当に大変な作業だな。そう思ってしまうあたり、料理は魔法史と同じく私の苦手分野に分類すべき物事のようだ。

 

移住が目前に迫ってきた、八月中旬の夕刻。私たちは隠れ穴で開かれる夕食会の準備を手伝っているのだ。そこで咲夜がモリーに料理を教わりたいと口にしたため、張り切ったモリーがずっと銀髪ちゃんにレシピを『伝授』しているのである。

 

モリーはこの機にあらん限りのレシピを教えるつもりらしいし、この分だと凄い量の料理が出来ちゃいそうだなと苦笑している私に、洗い物を終わらせたジニーが手を拭きつつ話しかけてきた。柔らかい笑顔でだ。

 

「ママったら、楽しそうね。サクヤに何か残せるのが嬉しいんだと思うわ。それが料理となれば一入でしょ。」

 

「そういうもんか。」

 

「そういうもんよ。ママにとっては貴女もサクヤも娘みたいなものだからね。自分のレシピを受け継いでくれるのは大歓迎でしょ。フラーと私もいつかは受け継ぐわけだし、料理に関してはサクヤが姉弟子ってところかしら。」

 

微笑みながらキッチンを離れたジニーを追って、私も手を拭いてからテーブルに移動する。また少し経ったら洗い物が出るだろうから、そしたら手伝いを再開しよう。今は咲夜とモリーを料理に集中させてやらなければ。

 

「何か良いな、そういうのって。離れても料理する度に思い出せるだろうしさ。」

 

「ん、そうね。……私とルーナのことは新聞とクィブラー経由で思い出してよ。バンバン記事を出してみせるから。」

 

「思い出すまでもなく、そもそも忘れないだろうけどな。……ルーナはもうちょっとしたら来るんだろ? 双子は?」

 

「今日は早めに店を閉めるって言ってたから、もう来る頃じゃないかしら? ビルとフラーも遠くないうちに来るはずよ。パーシーとハリーとロンもそろそろ仕事が終わるでしょうしね。」

 

今日は一般的には休日なわけだが、最近のパーシーは非魔法界対策部署の仕事が忙しくて休日出勤を余儀なくされているらしい。そしてハリーとロンは十月に長期休暇を取る予定だから、進んで土日の当番を引き受けているようだ。

 

ちなみにハーマイオニーは既に到着していて庭を散歩しながらリーゼと話しており、アーサー、シリウス、ルーピン夫妻は別のテーブルでアリスと語り合っている。小さなテディは散歩組について行ったのか? 姿が見えないな。

 

「チャーリーも来てくれるんだろ? 何か悪いな。イギリスの外で仕事してるのに。」

 

未だ『やんちゃ期間』に突入する気配のない、至極大人しい性格のおチビちゃんを探してリビングを見回しつつ投げた問いに、ジニーは肩を竦めて応じてきた。あるいは上階に探検に行ったのかもしれない。双子が置いていった悪戯グッズとかに触ってなきゃいいんだが。子供ってのは常に視界に入っていないと何だか不安になってくるぞ。

 

「意地でも来るべきなのよ。特にアリスさんには子供の頃からお世話になってるんだから、挨拶くらいしないとでしょ。本人も『絶対行く』って手紙で送ってきたしね。」

 

「まあ、引っ越す前に顔を見られるのは嬉しいぜ。……そういえばよ、ハリーとロンがドラコも連れてくるつもりらしいぞ。」

 

「マルフォイを? ……そうね、貴女はトーナメントで一緒に戦ったんだしね。今朝出勤する時にひょっとするとロバーズ局長も呼ぶかもって言ってたし、予想以上の人数になりそうだわ。」

 

そんなことを喋っている間にも、暖炉に緑の炎と共に人影が出現する。キリッとした感じの老魔女だ。続いて落ち着いた雰囲気の背の高い男性も現れているが……うーん? どっちも見たことがあるような気がするぞ。

 

アーサーやアリスが迎えているのを眺めていると、ジニーが誰なのかを説明してきた。

 

「バンスさんとシャックルボルトさんね。」

 

「あー、元騎士団の。アリスの知り合いってことか。」

 

「特に親しい人は招いたらしいわ。……アリスさんの場合、顔が広いから際限なく招くと無茶苦茶になっちゃうでしょうしね。」

 

それはそうだな。イギリス魔法界の知人友人の多さでは、私たち『人形店組』の中でアリスが一番だろう。聞こえてくる会話によれば、ハリーとロンも間も無く帰ってくるらしい。ドラコと局長どのもその時一緒に来るようだ。

 

「まだ他にも沢山来るだろうし、賑やかになりそうだな。」

 

「『お別れパーティー』的な集まりなんだから、そのくらいでなくっちゃね。……サクヤと二人でちゃんと帰ってきてよ? でなきゃ既にボロ泣きしてるとこなんだから。」

 

「私の記憶が確かなら、その確認は晴れて十回目だぜ。……安心しろよ、帰ってくるって。絶対だ。約束する。」

 

「ならいいんだけど。」

 

ちょびっとだけ寂しそうにぷいとそっぽを向いたジニーを見て、何だか温かな気分になったところで……わお、テディ。悪戯小僧たちの『置き土産』に手を出しちまったのか。顔面に緑色のジェルがべったり付いているエドワード・ルーピンどのが階段を下りてきた。

 

「テディ、こっち来い。取ってやるから。」

 

「あのね、クラッカーを見つけたの。だから紐を引いたら、そしたらボンッてなって、それで……びっくりした。」

 

「そりゃあびっくりしただろうさ。多分『粘着クラッカー』だろ。目を瞑ってろよ? 呪文で取るから。」

 

「うん。」

 

杖を抜いて専用の『剥がし呪文』を使ってやると、テディの顔からジェルがボタボタと落ちていく。ついでにジニーがタオルで頭と顔を拭いてやれば、粘着ジェルから解放されたおチビちゃんは礼儀正しくお礼を言ってきた。

 

「取れた。ありがとう。」

 

「はいよ、どういたしまして。……二階の物には迂闊に触らない方がいいぞ。双子の兄ちゃんたちが『危険じゃないが、安全でもない物』を置きっぱなしにしてるからな。」

 

「……なぞなぞ?」

 

「みたいなもんだ。チャレンジするのはもうちょっと大きくなってからにしとけ。」

 

ポンポンと頭を撫でながら忠告してやると、テディは素直に頷いて母親の方へと戻っていく。うーむ、歳の割に滑らかに喋る子だと思ってしまうのは、『身内』の贔屓目なんだろうか? 小さな背中を見送りつつ考えている私に、ジニーがからかうような笑みで言葉を寄越してきた。

 

「マリサって、子供の扱いが得意よね。良い母親になれそうって感じ。」

 

「そうか? あんまり子供と接した経験はないんだけどな。……まあ、母親になるのは多分お前の方が先だろ。楽しみにさせてもらうぜ。」

 

「私は厳しくしちゃうだろうから、代わりに甘やかしてあげて頂戴。」

 

「いいぜ、甘やかしてやるさ。『たまに家に来る優しいお姉さん』を目指すとするか。」

 

ちょっとズルいかもだけど、悪くない立ち位置だぜ。やっぱり友人の子供には嫌われたくないしな。シリウスのハリーやテディに対する気持ちが少し分かってきたぞ。お土産を欠かさないように気を付けよう。

 

一度離れるが、繋がりは消えないし、また戻ってくる。そのことを改めて心に刻みつつ、霧雨魔理沙はジニーとのお喋りを楽しむのだった。

 

 

─────

 

 

「んー、『綺麗になった感』があんまり無いね。元々綺麗だったから仕方ないけど。」

 

両親と祖父母のお墓を前に苦笑しながら、サクヤ・ヴェイユは大きく伸びをしていた。この墓地に来るといつも思うけど、管理人さんが随分としっかりしている人みたいだな。綺麗に剪定された墓地を囲む生垣からはラベンダーやアスターが顔を覗かせていて、各所にバラも植えられている。放っておいたらあれだけ見事には咲かないだろうし、きちんと管理してくれているのだろう。

 

八月三十日の昼、現在の私はアリスと二人でお母さんたちのお墓を訪れているのだ。手作業での丹念な掃除を終えて、今まさに仕上げとして花を供えたところなのだが……ぬう、やっぱりそんなに変わっていないな。来た時も汚れ一つない真っ白なお墓だったぞ。

 

そのことに腕を組んで唸っていると、アリスが私と同じ顔付きで返事を返してきた。つまり、苦笑いでだ。

 

「定期的に誰かが来て、その度に軽く掃除してくれてるからだと思うわ。綺麗なお墓は故人の人格を表しているの。」

 

「……私のお墓はどうなるかな?」

 

「それを心配するのはまだまだ先でいいでしょ。貴女の歳で没後のことを考えるのは気が早すぎるわよ。」

 

まあ、それもそうか。アリスの突っ込みに首肯してから、お墓を見つめてほうと息を吐く。一度も会えていないけど、私は私の両親がどんな人で、どういう風に生きたのかを知っているぞ。アリスが、妹様が、お嬢様方が、ダンブルドア先生が、ブラックさんが、ルーピンさんが、他の色々な人たちがそれを教えてくれたから。

 

だから私は自分の両親を誇れるし、祖父母を誇れるし、ヴェイユの名を誇れる。……なら、後は誇れる自分になるだけだ。イギリスを離れて幻想郷に行った後も、この墓に背かないように生きてみせますと心の中で誓っていると、アリスが困ったような笑顔で語りかけてきた。

 

「貴女、また何か気負ってない? そんな顔になってるわよ?」

 

「……相応しい娘になりますって誓っただけだよ。悪いことじゃないでしょ?」

 

「それはまあ、悪いことではないけど……何て言えばいいのかしら? 難しいわね。」

 

お婆ちゃんのお墓を見ながら悩んでいたアリスは、ピンと人差し指を立てて『アドバイス』を口にする。

 

「前にも同じような話をしたけど、コゼットとアレックスは貴女が貴女らしくあることを望むと思うわよ? 『相応しく』に囚われすぎない方がいいんじゃない?」

 

「でも、私らしくって?」

 

「それは貴女だけが決められることよ。要するにまあ、無理するなって言いたいの。……本当に貴女は魔理沙と対照的ね。良いコンビだわ。互いに相手が必要とするものを持っているわけ。」

 

「えぇ? 何でそこで魔理沙が出てくるの?」

 

よく分からないぞ。目をパチクリさせている私に、アリスはクスクス微笑みながら曖昧な話を曖昧に締めてきた。

 

「貴女が良い友達を持って、テッサたちは安心してるだろうなって再確認していたの。……何にせよ、そんなに気にしなくても大丈夫なんじゃないかしら? 貴女は自分らしさを魔理沙から学べるし、魔理沙もまた同じものを貴女から学べるはずだわ。今の貴女は素晴らしい『鏡』を持っている。昔の私がそれを持っていたみたいにね。だったら心配しなくても平気よ。」

 

「……内容はぼんやりとしか伝わってこなかったけど、アリスにとっての私がまだ『子供』だっていうのはよく分かったよ。」

 

「そういうものなのよ。貴女がどれだけ大きくなっても、私にとっての貴女は『小さな咲夜』のままなの。……別に成長を認めていないってわけじゃないのよ? リーゼ様にとっての私が『娘』のままなのと一緒ね。」

 

むう、いい加減『大人』として扱って欲しいんだけどな。そう思ってしまうのがまだまだ子供だということなのかもしれない。昔の私は今の私くらいの年齢の人を見て、もう大人だから大人っぽい考え方をするんだろうなと子供ながらに想像していたわけだが……まあうん、人は易々とは変われないってことか。たった二十年弱では、子供の頃の私が思う『大人』にはたどり着けないみたいだ。

 

きっと七十年を生きたアリスも、百年以上を生きたパチュリー様も、五百年を生きたお嬢様方もそう感じているんだろうな。『理想像』は自分の先にあるから理想なのであって、そこに追いつくことは中々できないわけか。それが分かっただけでも一つの成長なのかもしれない。

 

嬉しくも残念でもない微妙な『真理』に行き着いた思考を、やれやれと首を振りながらリセットしていると……しゃがみ込んで静かにお婆ちゃんのお墓と向き合っていたアリスが声をかけてきた。今の彼女はひどく儚げで、同時にとても柔らかい表情を浮かべている。アリスにとってのお婆ちゃんがどんな存在なのか。それがひしひしと伝わってくるような面持ちだ。

 

「うん、私はもう大丈夫。まだはっきりと覚えているんだって確認できたから、いつでも幻想郷に旅立てるわ。テッサの顔も、声も、匂いも、彼女が私にかけてくれるであろう台詞もね。」

 

「……アリスはそれを忘れちゃうのが怖いの?」

 

「ええ、怖いわ。それを忘れてしまった時こそが、私とテッサが本当に別れてしまう時なのよ。もう心の中でも親友のことを思い出せなくなっちゃうのが怖いの。……だけど、まだ鮮明に覚えてる。まだ確かに思い出せる。この場所でいつもそれを確認して、いつもホッとしてるわけ。」

 

忘却こそが真の別れか。喪失を乗り越えたアリスらしい言葉だな。……何だか大事なことのような気がするし、しっかりと脳裏に刻んでおこう。完全に忘れ去られてしまった時こそが、その人が本当の意味で『亡くなる』瞬間なわけだ。少し怖くなってくるぞ。私は死んだ後、誰かにこんな風に想ってもらえるんだろうか?

 

『死を思え、故に今を楽しめ』。ずっと昔のまだ私が小さかった頃に、妹様が読んでくれた本にあった一節を思い出すな。彼女はそれがお気に入りの一節なんだって教えてくれたっけ。あの頃は意味が全然分からなかったし、今もまだ完璧には掴めていないけど、ほんの少しだけ理解できたかもしれない。恐らくあれは、受け取る者によって意味が変わる一節なのだ。

 

アリスのように、そして妹様のように受け取れる自分になりたい。そんなことを考えながら四つのお墓を一瞥した後、アリスに向けて口を開く。

 

「私も大丈夫。いつでも行けるよ。」

 

「それじゃ、貴女は先に人形店に戻って頂戴。私はもう一箇所行ってくるから。」

 

「どこに行くの?」

 

「私の両親や祖父母のお墓よ。暫く来られなくなるし、人形店を持って行っちゃうわけなんだから断りを入れておかないとね。」

 

そっか、アリスの家族のお墓か。そりゃあそうだ。そっちにも行っておかないとだろう。言われてみれば当然の行き先を受けて、杖を抜いたアリスに問いを送った。

 

「……それって、私もついて行っちゃダメ?」

 

「咲夜も? もちろん構わないけど、あんまり面白い場所じゃないと思うわよ?」

 

「だって、一人よりは二人の方がいいでしょ? 掃除も手伝えるし、それに……アリスの両親もその方が嬉しいんじゃないかなって。」

 

「……そうね、そう言ってくれるなら一緒に行きましょうか。付添い姿あらわしするから掴まって頂戴。」

 

私の両親がアリスを見てホッとしてくれるほどではないだろうけど、私もほんのちょびっとくらいはアリスの両親をホッとさせることが出来る……はずだ。アリスの促しにこっくり頷いた後、彼女の肘を右手で掴む。

 

「じゃあ、行くわね。」

 

「また来るね。」

 

二人でお墓に一言かけてから、姿あらわしの感覚に身を委ねる。また来るさ。その時ここに立つ私は、幼い頃の私が想像していた『立派な大人』にもう少しだけ近付けているはずだ。いつかの再訪の日を思いつつ、サクヤ・ヴェイユは小さく微笑むのだった。

 



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幻想入り

 

 

「いいかい? キミたち。アリスの術式には決して干渉するなよ? あくまでも人形店の保護だけだ。余計なことをして何か壊したら借金に上乗せするからな。」

 

良い方法を考えたじゃないか。人形店の玄関先で面倒くさそうに首肯する二柱を確認しつつ、アンネリーゼ・バートリは小さく鼻を鳴らしていた。まさか『借金神』たちを使うことでコストカットするとはな。基本的に自分の力だけで事を成そうとするパチュリーにはない発想だぞ。

 

八月三十一日の深夜……つまり九月一日のスタートが近付いている現在、私たちは遂に幻想郷への転移を行おうとしているのだ。強力な結界で隔絶されていて、かつ単純な距離的にも恐ろしく遠い日本の隠れ里。そこに人形店を転移させるのは当然ながら至難の業であるわけだが、アリスは何とも彼女らしい妙案を弾き出したのである。

 

平たく言えばまあ、現状で頼ることが出来るあらゆる存在を利用しようというわけだ。日を跨ぐ三分間だけ博麗大結界を緩めてもらえるように紫や藍に頼み、来たる衝撃に備えての人形店の保護を呼びつけた二柱に神力でやらせて、私の妖力を『出力』に上乗せすることでどうにか計算上の成功に漕ぎ着けたのだが……真に驚くべきは、図書館の魔女どのは『独力』でこれを成したという点だな。しかもパチュリーは人形店よりずっと大きい紅魔館を転移させてみせた。実際にやってみるとその異常さを実感するぞ。

 

どうも転移魔法というのは私が思っていたような『便利』な魔法ではなかったらしく、たとえ犬小屋一つだろうと幻想郷に運ぶのは難しいことのようだ。それを一軒家規模でやるのは本物の魔女としても『大事業』であり、巨大な館規模でやるのはもはや『実現不可能』と言っていいレベルの作業らしい。

 

アリス曰く、そうなると普通は魅魔クラスの『常識外れ』な大魔女でなければ不可能なことだが、パチュリーは魔女としての魔法以外に自前の計算能力や蓄えた知識を活用することで術式を補ったんだそうだ。魔術だけに特化した魔女では、『反則級』の壁を突き抜けない限りは絶対に出来ないことなんだとか。

 

あとはまあ、パチュリーに大規模転移の経験があったというのも大きかったのだろう。図書館の時と、ムーンホールドの時。あれだけの質量を二度も転移させていたからこそ、三度目に何をどうすればいいのかが理解できていたのかもしれない。『くっ付いた』時の失敗は無駄ではなかったらしいな。後片付けをした美鈴の苦労は報われたようじゃないか。

 

何にせよ、今回アリスはとても頑張ったということだ。無論紫あたりに任せれば一瞬で事が済むだろうが、それではそこそこの借りを作ることになってしまう。たった三分間結界を緩めてもらう程度なら許容範囲だし、日本から無理やり呼び出した二柱の方は有り余るほどの貸しがあるから遠慮なく扱き使える。これなら最小限のコストで転移に持っていけたと言えるはず。

 

うんうん頷きながらアリスのことを内心で褒めていると、借金神の生意気な方が文句を寄越してきた。つまり、祟り神の方がだ。

 

「これ、めちゃめちゃ難しいんだけど。日本から遥々来て、こんな面倒なことをやらされて、朝になったらとんぼ返りなんでしょ? やる気出ないなぁ。」

 

「そうか、ならキミはやらなくていいよ。アリスの計算によれば、神奈子単独でも人形店の保護は可能なはずだ。出来るかい? 神奈子。」

 

「恐らく出来るぞ。そこまでの衝撃ではないんだろう? 人形店を包むように薄く神力の結界を張る程度なら、札さえあれば私だけでも可能だ。マーガトロイドの計算は間違っていない。」

 

「大いに結構。神奈子に札を渡したまえ、諏訪子。エマがクッキーを作ったから、早苗と一緒にそれを食べて待っていて構わないよ。」

 

肩を竦めて淡々と言ってやれば、諏訪子はひくりと顔を引きつらせて問いを投げてくる。

 

「……その場合、今回の労働は神奈子だけの手柄になるってこと?」

 

「当たり前のことを聞かないでくれたまえよ。神奈子の借金がほんの少しだけ軽くなって、キミは変化ゼロというだけのことさ。それでいいね? 神奈子。」

 

「ああ、問題ない。私はコツコツ返していくつもりだからな。……早く札を寄越せ、役立たず蛙。お前は『あくせく働きたくない』んだろう? だったらクッキーを食べていろ。」

 

「……やっぱ私もやる。何か嫌な予感がするもん。」

 

正解だぞ、厄病神。私は今、債権を売り渡す時は諏訪子のを優先して売ろうと考えているからな。扱い易い方を手元に残すのは至極当然のことであって、となれば紫や魅魔に売り渡すべきは神奈子ではなく諏訪子の『使用権』だろう。奴隷の価値において最も重要な基準が従順さなのは、嘗てのイギリス帝国が証明済みなのだから。

 

この国の教えはいつも役に立つなと感心していると、人形店から外に出てきたアリスが二柱に指示を出す。いよいよ『最終確認テスト』を始めるようだ。

 

「テストの準備が出来たので、神力の結界を張ってみてください。こっちの魔法に干渉しないかを調べます。」

 

「了解した。……バートリ、中に入れ。大妖怪が外に居るか中に居るかでは大分違うはずだ。お前は大きな妖力を持っているからな。」

 

「はいはい、分かったよ。早苗は外に出さなくていいのかい? 本番はあの子もここに居ることになるわけだが。」

 

「札を携帯していない状態の早苗は、神力にも妖力にも魔力にも特に影響を及ぼさない。単純に人間一人分の質量の差だけだ。それが気になるなら呼んできてくれ。」

 

後半をアリスに向けて言い放った神奈子に、作業の責任者たる金髪の魔女は少し悩んだ後……一つ首肯して返事を返した。懐から一体の人形を取り出しながらだ。

 

「一応早苗ちゃんにも出てもらいましょう。人形に呼びに行かせます。」

 

「……アリスちゃん? これってそんなに際どい作業なの? もうちょい余裕を取るべきじゃない?」

 

「全部ギリギリですよ。限界まで努力してそうなんですから、そこはどうしようもありません。……結界は慎重に張ってくださいね。物理的な保護のための魔法を削って術式の補強に魔力を充てたので、諏訪子さんたちが頑張ってくれないと人形店は無防備なんです。計算上は大した衝撃じゃないはずですけど、念のため正確かつ最大の強度でやってください。」

 

「……守矢神社の転移が一気に不安になってきたよ。この店だけでぎりっぎりなら、神社の場合はどうなるのさ。」

 

失敗するかもな。多分四人ともが同じことを思ったはずだが、誰も口には出さずに沈黙が訪れたところで……人形に連れられた『筆頭おバカちゃん』が店から出てくる。のほほんとした顔でクッキーを何枚か手にしているその姿は、筆頭おバカちゃんの名に恥じぬおバカちゃんっぽさだ。

 

「どうしました? 私の力が必要になったんですか?」

 

「そうだよ、早苗。テストをするから外に立っていて欲しいんだ。出来るね?」

 

「はいっ、任せてください! ……えと、立ってるだけでいいんですか? 念じたりしときます? えいって。」

 

「立っているだけで大丈夫さ。決して、絶対に、何一つ念じないでいてくれたまえ。それが重要なんだ。……じゃあ、私たちは中に戻ろうか。」

 

風祝が司る『奇跡』についてをある程度理解した今の私は、早苗の力をぼんやりと把握できているが……とにかくこの子には何もさせないことが肝要なのだ。まさかこんな状況で奇跡が起こるとは思えないが、しかし確実に起こらないとも言い切れない。いつ起こるかが予測できず、何が起こるのかも分からず、どうして起こるかの脈絡もない力。無茶苦茶迷惑だぞ、そんなもん。動く火薬庫じゃないか。

 

頼むから何一つ念じずにぽけーっとクッキーを食べていてくれ。万が一奇跡が起きて、人形店が太平洋のど真ん中とかに転移したら困るのだ。我ながら意味不明な心配だが、この子にかかれば有り得ないことなんて無い。大量の札が近くにあるわけだし、念には念を入れておかねば。

 

誰にも、本人ですら制御できない奇跡。それが物凄く厄介で迷惑なことを改めて認識しつつ、アリスと共に人形店の中に入った。そのまま店内の各所に……恐らく二階にも同様に浮いているのであろう多数の人形たちを横目にしながら、責任者どのへと質問を飛ばす。配置した人形たちに魔力を通すことで、一種の立体的な魔法陣を構築するつもりらしい。

 

「妖力は使うかい?」

 

「いえ、テストの段階ではまだ大丈夫です。本番ではリビングの中心に立って、妖力を分けてもらう必要がありますけどね。……いきます。」

 

言うと、アリスは目を瞑って集中し始めるが……ふむ、私でも感知できるほどの魔力だな。アリスから数体の人形たちに魔力が伝わり、そこから更に別の人形へと伝播していく。処理の分散と魔力の増幅と術式の展開を同時進行で行っているわけか。独創性があるやり方だと興味深い気分で観察している私に、目を開いたアリスが笑顔で頷いてきた。もう終わったらしい。

 

「ん、問題なさそうです。リーゼ様はどうですか? 今の人形店は神力で保護されてる状態なわけですけど。」

 

「楽しい気分ではないが、別段苦とも感じないよ。この程度ならエマも全然平気だろうさ。北アメリカの街中とかの方がよっぽど辛いくらいだ。」

 

「なら、テストは成功ですね。あとは二十分後の本番だけです。」

 

そう宣言すると玄関から出て二柱に成功を伝えに行ったアリスの背を眺めつつ、遂に転移本番かと小さく息を吐く。私は戻ってこられるとはいえ、さすがに緊張してくるな。あと二十分で新たな土地での生活がスタートするわけか。

 

───

 

そしてテストが成功してから十数分後、私たちはいよいよ行われようとしている『本番』の準備に取り掛かっていた。早苗たちとの別れを終えた咲夜と魔理沙とエマは現在二階の所定の位置についていて、アリスは各所に配置した人形の最終チェックを進めており、私は真っ暗な店の外で二柱と予定の確認をしているところだ。

 

「移住後は自由に動き回れるようになるわけだし、キミたちの移住先の土地も近々調べておくよ。十月は大事な予定があるから、九月の連休の時に守矢神社でまた会おう。」

 

「幻想郷のこと、調査しといてよね。特に宗教関係のことを。『競合相手』は事前に把握しておきたいからさ。」

 

「人里のことも可能なら頼む。どんな人間が暮らしていて、何を求め、何を考えているのかを知っておきたい。幻想郷で信仰を得るためには、先ず現地の人間を理解する必要があるからな。」

 

「その辺は後々で平気だろうさ。まだ早苗は一期生だ。備える時間は余るほどあるよ。」

 

「気を付けてくださいね、リーゼさん。何に気を付けるのかはいまいち分かんないですけど、気を付けるべき土地みたいですし。」

 

早苗のふわふわした警告に首肯した後、背中越しに三バカへと手を振りながら人形店の中に戻る。そのまま二階に上がってみれば……うーむ、人形だらけだな。合計すると何体稼働しているんだろうか? そこら中に人形が浮いているリビングの光景が視界に映った。この部屋だけでも軽く三十体は居るぞ。

 

ここまで来ると人形に慣れている私でもちょっと不気味だなと思いつつ、ソファに座っている咲夜と魔理沙とエマに言葉を放つ。

 

「そろそろだぞ。ジッとしていたまえよ?」

 

「おう、分かってるぜ。」

 

「はい、ジッとしておきます。」

 

「何だかドキドキしてきますね。わくわくと不安が七対三くらいです。」

 

素直に応じてきた金銀コンビと、ゆらゆらと落ち着かなさげに身体を揺らしているエマ。三人の返答を受け取りながら、アリスに指定された位置であるリビングルームの中心に立った。左腕の腕時計が示している時刻は十一時五十八分だ。残り二分弱。単純なミスで失敗したら目も当てられないし、ここからは正確に行動しなければ。

 

今頃アリスも一階で配置についているんだろうなと考えつつ、立ったままで時間を待っていると……より正確な秒針付きの懐中時計を持っている咲夜がカウントダウンを開始する。

 

「あと三十秒です。……二十、十九、十八──」

 

私が妖力を目の前の人形に注ぐのは十秒前だ。咲夜のカウントダウンを注意して聞きながら、押し黙っている魔理沙やエマの緊張が伝わってくるのを感じていると、とうとう転移の十秒前に突入した。それと同時に『変換機能付き』の人形へと妖力を注ぎ込む。慣れ親しんだ私の妖力であれば、力の変換があまり得意ではないアリスでも利用できるらしい。

 

「九、八、七、六、五──」

 

指定された量……つまりアリスが制御できる限界の量の妖力を注いだし、これにて私の仕事は終了だ。一定のペースで続く咲夜のカウントダウンを耳にしつつ、来たる衝撃に備えていると──

 

「三、二、一、ゼロ。」

 

咲夜のカウントがゼロにたどり着いた瞬間、視界がガクンと上下した。落ちているような、上昇しているような、どちらともつかない奇妙な衝撃だ。そしてその衝撃を自覚するか否かの後、より大きな揺れが人形店を襲う。こちらはそれとはっきり分かる『着陸』の揺れだな。

 

「……成功、だよな? 少なくとも何も壊れてないみたいだし。」

 

「確認してくるわ。」

 

大きな方の衝撃を最後にしんと静まり返っている人形店を見回しつつ、魔理沙がおずおずと口にした疑問に対して、咲夜が立ち上がりながら応答したかと思えば……時間を止めて確認してきたのか。刹那の後に別の位置にパッと現れた銀髪ちゃんが、私に転移の成功を宣言してきた。

 

「成功したみたいです。二階も一階も無事ですし、アリスも平気そうでした。」

 

「となると、ここは既に『魔法の森』か。外には出ないように気を付けたまえ。有害な胞子が舞っているそうだから。」

 

「咲夜以外は大丈夫だろうけどな。私は魅魔様の薬のお陰で耐性を持ってるし。」

 

魔理沙によれば、彼女は弟子入りした直後に魅魔お手製の薬を飲んだらしい。これだけ成長してもなお胞子への耐性が続く薬か。絶対に何か副作用があるぞと心中で思いながら、窓に歩み寄って遮光カーテンを開けてみれば、見事な原生林の風景が目に入ってくる。この窓から見ると目の前に……つまり人形店の正面から見ると側面に位置する場所に小さな泉もあるし、予定通りの地点に転移できたようだ。

 

うむ、少し周囲の木々を伐採すれば良い感じの空間になりそうだな。この際そこら中に舞っている胞子の存在は無視しよう。吸血鬼的には特に害は無いし、ちょうど良い『防壁』とでも思うことにするさ。

 

窓の外を眺めながら思案していると、隣に立った魔理沙が感慨深そうな顔付きで口を開く。

 

「おー、そっかそっか。こっちはもう朝か。……いやぁ、懐かしい景色だぜ。遂に帰ってきたって気分だ。夏はデカい真っ黒な蜂とか、噛み付いてくるホタルとかが飛んでるから気を付けろよな。」

 

「何だい? それは。幻想郷ってのは虫まで愉快な土地みたいだね。」

 

「幻想郷全体に居るわけじゃないぜ。魔法の森だけだ。この森は胞子の所為でちょっと生態系がおかしくなってるんだよ。人の叫び声みたいな鳴き声を出すセミも居るしな。朝はこの通り静かだけど、昼間になるとうるっさいぞ。」

 

「生態系の異常の原因は間違いなくキミの師匠なんだろうね。……私たちは先ず紅魔館に行くが、キミはどうする?」

 

一応という感じで問いかけてみれば、魔理沙は予想通りの返事を返してきた。

 

「私は荷物を持って、真っ直ぐお師匠様のところに行くぜ。」

 

「まあ、そうだろうね。修行の成果を報告してきたまえ。……やあ、アリス。見事な転移だったよ。」

 

魔理沙に応じたところで部屋に入ってきたアリスに声をかけると、彼女は少し疲れている時の表情で頷いてくる。

 

「何とかなりましたね。片付けは紅魔館に行ってからにしましょうか。……咲夜、胞子を防ぐ魔法をかけるからこっちに来て頂戴。」

 

「うん、分かった。」

 

「エマ、キミは日傘を持っていきたまえ。私の能力があるが、訳の分からん土地なんだから慎重に行動すべきだ。」

 

「はい、取ってきますね。」

 

転移直後に慌ただしい限りだが、咲夜は早くレミリアたちに会いたいだろう。まだ慣れていない土地で『別荘』を留守にするわけだし、念のため強めの妖力の結界でも張っておくかと考えていると、箒とトランクを手にした魔理沙が断りを場に投げた。こっちもこっちで早く魅魔と再会したいようだ。

 

「んじゃ、私は行くぞ。残った荷物はまた後で取りにくるから、それまでの間だけ適当な場所に置いといてくれ。」

 

「気を付けてね、魔理沙。一人で大丈夫?」

 

「へーきだって。ここは私の育った場所なんだからさ。」

 

苦笑しながら咲夜に答えた魔理沙は、私やアリス、日傘を持って戻ってきたエマの言葉も受けた後、小走りで階段を下りていく。修行を終えた弟子の『凱旋』か。魅魔のやつ、素直に迎えるんだろうか? 今回はさすがに褒めてやるべき場面だと思うぞ。

 

捻くれたヤツだからどうなるか分からんなと鼻を鳴らしてから、結界を張りつつ思考を回す。紅魔館に行ったらとりあえずレミリアと情報のすり合わせをしなければ。私は向こうが持っている幻想郷の情報が欲しいし、レミリアの方も魔法界や紫の情報を欲しているだろう。

 

久々に会う幼馴染の顔を思い浮かべながら、アンネリーゼ・バートリは新たな生活の場となる景色を窓越しに見つめるのだった。

 



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普通の魔法使い

 

 

「……おし。」

 

入ろう。目の前にある年季の入った木のドアへと、霧雨魔理沙は一度深呼吸をしてから手を伸ばしていた。私が旅立った当時から何一つ変わっていない、魔法の森にある魅魔様の工房。七年前にこの家を出た際もそれなりに緊張していたが、帰ってくる時ってのは更に緊張するな。何て言われるんだろうか?

 

イギリス魔法界での長い修行を終え、幻想郷に帰ってきた直後。私は七年振りに……いやまあ、記憶の中での会話をカウントしなければだが。七年振りに直接師匠と顔を合わせようとしているのだ。魔法の森の奥地にひっそりと佇む、洋風の落ち着いた雰囲気の一軒家。この建物こそが大魔女魅魔様の工房であり、人里の実家を出た後の私が暮らしていた場所なのである。

 

昔は当然ながらノックなんてせずに出入りしていたわけだが、七年振りとなるとそうもいかないだろう。久々の『里帰り』に自分がドキドキしていることを自覚しつつ、コンコンとドアをノックしてみれば……中から声が返ってきた。私にとっては聞き間違えようのない、魅魔様の声だ。

 

「おう、入りな。」

 

「あー……ただいま、魅魔様。」

 

「ああ、よく帰ったね。」

 

んん? 何か、妙に片付いているな。魅魔様はごちゃごちゃしている状態が好きだし、私は片付けがあまり得意ではないので、昔のこの家はそこら中に物が散らばっていたのだが……綺麗すぎるぞ。挨拶しながらドアを抜けると、物が殆ど無い状態のリビングルームが目に入ってくる。ちなみにこの部屋に隣接する形で寝室があり、屋根裏に物を置ける程度のちょっとしたスペースがあって、地下には調合用の小部屋や素材庫なんかがあるという構造だ。魅魔様は一切寝ないため、寝室は昔私が使わせてもらっていた。

 

ダイニングテーブルで紅茶を飲んでいたらしい魅魔様のぶっきらぼうな返事に、どう反応すべきかと玄関に立ったままで逡巡していると、お師匠様の方も何だかやり難そうな表情で話を続けてくる。

 

「まあ、何だ。お前がイギリスで何をしていたのかは、研究の合間にちゃんと見てたよ。……上出来なんじゃないか? 正直言って、杖魔法さえ学べりゃそれで充分だと考えてたんだけどね。まさかここまで色々な経験を積むとは思ってなかった。こうなるとやり過ぎなくらいさ。たった七年の修行としちゃあ望外な成果だ。」

 

「……私、上手くできたってことか?」

 

「ん、上手くやったよ。今まではバカにしてたが、学校ってのも捨てたもんじゃないらしいね。少なくともホグワーツはお前に素晴らしい経験を与えてくれたみたいじゃないか。あの洟垂れ小僧が拘ってた理由が少しだけ、ほんのちょこっとだけ理解できたさ。……一度しか言わないし、今後これを話題に出すのは許さないからね。聞いたらすぐに忘れな。」

 

ぷいとそっぽを向いて謎の前置きを口にした魅魔様は、人差し指でテーブルをカリカリと掻きながら言葉を繋げてきた。ドアを抜けたところに突っ立っている私と目を合わせないままで、ちょっとだけ照れ臭そうにだ。

 

「よくやったね、魔理沙。お前は私の想像を超えた頑張りを見せて、予想を遥かに凌ぐ成果を引っ提げて帰ってきた。さすがにこれは師匠として褒めざるを得ないだろうさ。見事だよ。これ以降、お前は正式な魔女見習いだ。」

 

「……あーっと、これまでは魔女見習いですらなかったってことか?」

 

「当たり前だろう? 調子に乗るんじゃないよ、バカ弟子。他の魔女ならいざ知らず、お前は大魔女魅魔の弟子なんだからね。単なる見習いですらそこそこのものが求められるんだ。魔法を『かじってる程度』じゃ見習いとすら言えないさ。……ま、合格だよ。認めてやる。こっからは本格的な修行のスタートだ。分かったらさっさと座りな。いつまで玄関に突っ立ってるんだい?」

 

「そっか。……うん、嬉しいぜ。」

 

魅魔様が『認める』のなんて滅多にないことだぞ。あらぬ方向に視線を向けたままで語る魅魔様に苦笑しつつ、持っていた荷物を置いて対面の席に腰掛ける。こんなに直接的に褒められたのは初めてだし、慣れないことをしているのが気恥ずかしいのだろう。素直じゃない方なのだ、魅魔様は。

 

「じゃあ、今日からはここに住んで修行ってことだな。」

 

会話の流れ的にそうだろうと思って確認してみれば……おお? 魅魔様は皮肉げに笑いながら応じてきた。いつもの調子を取り戻したらしい。

 

「正しいが、お前が思ってる形とは少し違うね。……この家はお前にやるよ。危ない物なんかは片付けておいたから好きに使いな。」

 

「いやいや、魅魔様はどうするんだよ。」

 

「暫くの間、外界で遊んでこようと思っててね。別にずっと帰らないわけじゃないよ? ちょくちょく帰ってきて、お前への指導はするさ。月に一回か、二ヶ月に一回か。そのくらいのペースで戻ってくるよ。」

 

「それは安心だが……でも、よく分からんぜ。それなら魅魔様の工房のままでいいじゃんか。」

 

私に家を『くれてやる』必要なんて無いはずだぞ。怪訝に思いながら言ってやると、魅魔様は肩を竦めて答えてきた。

 

「ここは端っからお前にやるつもりだったんだよ。とはいえだ、この土地はガキだったお前には危険すぎた。お前自身がある程度成長して、お前に何かあれば放っておかないであろうコウモリ娘たちが近くに越してきて、魔術についてを尋ねられるような私以外の魔女の知り合いが出来た今、もはや私が魔法の森に『常駐』する必要はなくなったってわけさ。」

 

「……ひょっとして、全部計算だったのか? 私だけじゃなく、リーゼたちのことも全部。」

 

「おいおい、それこそまさかだ。お前に外界での修行を提示した時点で、私がこの状況を読んでたとでも? コウモリ娘が気まぐれに『別荘暮らし』を選択して、生活の場所として魔法の森を選ぶことまで? 本気でそんなことがあると思うかい?」

 

思うぞ。魅魔様なら有り得なくはない話だ。彼女は予想するまでもなく、先に『結果』を確認できてしまうのだから。肯定も否定もせずに押し黙っている私を見つめながら、強気な笑みを浮かべていた魅魔様は……ありゃ? その顔を苦笑いに変えてやれやれと首を振ってくる。

 

「『強大な師匠』の夢をぶち壊すようで悪いが、そこまでは本当に予想しちゃいなかったよ。お前の持ち帰ってきた成果が予想外だったように、この状況も意図して作ったものじゃないさ。……つまんないからね、そんなのは。私はお前の成長っぷりを本心から喜ぶことが出来た。それはどうなるかを知らなかったから得られた喜びなんだ。お前の方だって事前に私が結果を知ってたらつまんないだろう? 自分が必死に頑張った結果が『やっぱりか』だったら、面白い気分にはなれないはずだよ。」

 

「まあ、そりゃそうだ。」

 

「そうそう、そりゃそうなのさ。だからいちいち確かめたりはしてないよ。……結末を確認してから映画を観るなんてのはバカがやることなんだ。昔の私はバカだったが、今の私は多少マシになってる。故にこれは、先ず起こってから立てた計画だよ。逆転時計の時みたいに起こる前に立てた計画じゃないさ。」

 

ゆったりと席を立ちながら説明した魅魔様は、奥にあるキッチンの方へと移動してから続きを語ってきた。ちょびっとだけ悪戯げで、かつ見ようによっては柔らかいとも取れる微笑でだ。

 

「とはいえ、お前なら遅かれ早かれこれに近い状況を作り出すとは思ってたよ。……魔理沙、それがお前の長所なんだ。私ですら羨むような、類稀な資質さ。この先魔女になって永い年月を歩んだとしても、お前は決して独りにはならないだろうね。」

 

「独りにならない?」

 

「要するに、『孤独な魔女』はお前には似合わないってことだよ。お前は誰かを頼ることが出来て、誰かに頼られることも出来る。どんどん力を積み上げていくと、いつの間にかそういうことが出来なくなるんだ。……私はもうそれのやり方を忘れちまったよ。我ながら情けない話さ。」

 

「……いまいち意味が分からんぜ。」

 

頼ったり、頼られたりするってのはそんなに難しいことか? かっくり首を傾げながら正直な内心を述べてみれば、魅魔様はキッチンの戸棚からマグカップを出して苦笑する。苦い、苦い笑みだな。

 

「お前はそれでいいんだよ。私がそのやり方をどれだけ頑張っても思い出せないのと違って、お前にとっては意識するまでもない近さにある。そいつが重要なことなんだ。……私は私の『コピー』を育てるつもりなんてないからね。お前にはいつか、私とは決定的に違う魔女になってもらわなくちゃ困るのさ。」

 

「……もしかして、それがベアトリスを弟子にしなかった理由なのか?」

 

「全部じゃないが、理由の一つではあるね。『人間の魔女』は私の若い頃にそっくりだったのさ。偏執的で、孤独で、魔女としての才覚や素質があって、自身の望みを自覚しておらず、何より本質的な意味で他者を理解できていなかった。……お前とは似ても似つかないだろう? お前は柔軟で、人付き合いが得意で、才能が無く、明確な目標を追えていて、根っこの部分で他者を許容できている。まるで違うよ。正反対さ。」

 

手に持った空のマグカップ……おー、子供の頃の私が使っていたやつだ。を私の目の前にカタリと置くと、魅魔様は席に座り直して会話を続けてきた。置いた時は空だったはずのマグカップの中には、いつの間にか紅茶が揺れている。魔法で出したのか? 何一つそれらしい動きがなかったな。

 

「言っておくけどね、だからお前を弟子にしたわけではないよ? 人間の魔女を弟子にしなかった理由と同じく、お前が昔の私と正反対だってのも一つの材料に過ぎないさ。……まあとにかくだ、成長したお前が他者との繋がりを作って、私の『保護』を必要としなくなるってのは予想してた。てっきり帰ってきた後に幻想郷でそれを作るもんだと考えてたから、イギリスで作ったのをそのまま幻想郷に『持ち帰ってくる』のは予想外だったが、別に予定が早まって困ることはない。この機に外界でやり残したことや、やらなきゃいけないことを片付けさせてもらうさ。ベストっちゃベストのタイミングだしね。」

 

「こっちとしては残念だけどな。ここからは付きっ切りで教えてもらえるもんだと思ってたぜ。」

 

「自惚れるんじゃないよ、バカ弟子。お前はまだ私が付きっ切りで教えるほどの段階にはたどり着いちゃいないだろうが。一、二ヶ月に一回の指導で充分なのさ。……それにだ、幻想郷はこっから随分と面白くなるよ。お前は多分巻き込まれるだろうし、その時私が居たら余計な手助けをしちまうかもしれないからね。暫くはそんな具合でやっていくのが正解なんだ。」

 

「魅魔様に『面白くなる』って言われると、かなーり不吉な予感が伝わってくるんだが。」

 

魅魔様がそういう言い方をするってことは、『ほんわか』した楽しげな状況ではないはずだ。ド派手でめちゃくちゃなやつに違いない。顔を引きつらせて呟いた私へと、お師匠様はケラケラ笑って頷いてきた。

 

「よく分かってるじゃないか。長いやつを一つ終わらせた直後で悪いが、そいつがお前の二つ目の修行内容だよ。これから起こるであろう事件を、お前の手でどんどん解決していきな。……いいかい? 紫が育ててる小娘に遅れを取るんじゃないよ? あれはクソ気に食わん小娘だし、間接的に紫に負けるってのも我慢ならないからね。何か起きたらお前が先んじて解決しちまいな。そんでもって遅れてやって来たクソガキに威張り散らしてやるんだ。『おいおい、今更来たのかよ』って。」

 

「イギリスで『巻き込まれまくった』私としては、少しクールダウン期間を挟みたかったんだが。」

 

「はん、そういうのは才能があるヤツがやるべきことだよ。お前はね、魔理沙。走り続けなくちゃならないんだ。他のヤツらが立ち止まって休憩してる間も、せっせと先に進み続けな。私が見た限りお前は紛うことなき凡人だし、魔女としての素質や才能は全然感じないが、代わりに一つだけ抜きん出た『常人としての才能』を持っているだろう? ……努力の天才だよ、お前は。自分で理解してるかい? その程度の素質でこの場所までたどり着けてるってのがそもおかしいんだ。普通なら目指さないし、立ち止まるし、諦める。だけどお前は目指し続けて、歩き続けて、諦めなかった。立派に狂ってるよ。そいつがどれだけ異常なのかを自覚してないってあたりもイカれてるしね。お前は別に『努力が上手い』わけじゃなく、『努力を選び続けられる』才能を持っているのさ。」

 

「……『狂ってる』とまで言われるとは思ってなかったぞ。そんなに才能ないのかよ、私。」

 

そりゃあ満ち溢れているとは思っちゃいないが、ちょっとくらいはあるって言って欲しかったぞ。若干落ち込みながらジト目で抗弁してやれば、魅魔様は至極愉快そうに応じてくる。

 

「こと魔女に関する才能は全く無いね。からっきしだ。それなのにお前はこんなところまで来ちまった。……ゾッとするよ。いつの日かお前に追いつかれた時、悠々と先を進んでいた連中は恐怖するだろうね。何せお前は一段一段を苦労して上がって来たんだ。これまで歩んできた道は余すことなく知り尽くしているし、故にそこから落ちることは絶対にない。たとえお前をまた追い抜いても、今度は後ろが気になって仕方なくなるはずさ。だってお前が絶対に追ってくることを、立ち止まればいつか追い抜かれることを知っちまったんだから。」

 

「けどよ、私のことなんか関係ないだろ。そいつはそいつのペースで上っていけばいいじゃんか。」

 

「分かってないねぇ、先を進んでるといざ追い抜かれた時に弱いんだよ。お前と違って他人の背を見慣れていないのさ。焦って足を踏み外して、それまでは気にも留めてなかった穴に嵌っちまうのがオチだ。……でも、お前はそうはならない。たとえそれが這うような速度でも、ただひたすらに進み続けられるのがお前だからね。真に恐れるべきは速く進めるヤツじゃないんだよ。ずっと進んでいられるヤツなんだ。定命ではない魔女が最終的にたどり着ける場所は、何をどうしたってそっちの方が上なんだから。」

 

『ゴール』が存在しないウサギとカメのレースか。気の遠くなるような話だな。いまいち喜び切れない感じの評価を受け取って、何とも微妙な気分になっていると、紅茶を飲み干した魅魔様が肩を竦めて話を締めてきた。

 

「まあ、まだ分かんなくていいさ。これは何百年か生きた後に実感できる類の話だからね。……さて、それじゃあ早速修行に移ろうか。箒を持って外に出な、バカ弟子。私が外界に出るまでの間に、スペルカードルールの基礎を叩き込んでやるよ。」

 

「……スペルカードルールの練習をすんのか? 魔女とはあんまり関係ない気がするんだが。」

 

「バカ言え、関係盛り沢山だよ。紫にしては良いルールを作ったもんさ。どうせ騒動の時はスペルカードルールが使われるだろうし、今のうちから慣れておかないとね。」

 

「魅魔様がやれって言うならやるけどよ。」

 

うーむ、スペルカードルールか。時差ボケでちょっと眠いが、魅魔様はやる気になっているようだし……それにまあ、久々の師匠手ずからの指導だ。内容なんて何でも嬉しいさ。

 

ブレイジングボルトを手に取って外に出た私へと、魅魔様はニヤリと笑って声をかけてくる。

 

「弾幕は基本的にお前の好きなように作ればいいが、一つだけ注文を出すよ。……派手なのにしな。そうでなきゃ私の弟子に相応しくないからね。」

 

「おう、分かった。派手なのは好きだし、得意だぜ。」

 

「それと、ほら。ホグワーツの卒業祝いだ。」

 

へ? 魅魔様がやけに素っ気無い口調で端的に言った途端、私の頭にほんの少しの重みが載った。何か返事をする前に空へと飛び立ってしまった師匠を眺めつつ、頭に手をやって確認してみると……お洒落な黒の三角帽子だ。白いリボン付きの、実に魔女っぽい帽子。

 

「魅魔様、これ──」

 

「何してるんだい? 早く飛びな。始めるよ。」

 

「……ん、分かった。今行く。」

 

さっきの『褒め言葉』と同じで、言及するのは照れ臭いってことか。貰った帽子を目深に被って表情を隠した後、愛箒に跨って空へと飛び上がる。黒い三角帽子を被って、箒に乗って空を飛び、魔法を使った決闘をするわけだ。何とまあ、幼い頃に思い描いていた魔女の姿そのままだな。

 

でも、まだまだ足りないぜ。沢山のことを知った今の私は、もっともっと先を目指しているのだ。我ながら強欲極まる思考だが、こればっかりはやめられない。ここからも一段一段進み続けよう。だって私はそれが楽しくて仕方がないのだから。

 

嘗ての自分の憧れの姿で空を駆けつつ、霧雨魔理沙はミニ八卦炉を構えるのだった。

 



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幻想の日々へ

 

 

「咲夜!」

 

おいおい、日陰からはみ出した髪が日光で焦げているぞ。紅魔館の玄関から呼びかけてくるレミリアを見て、アンネリーゼ・バートリはやれやれと苦笑していた。幼馴染の周囲には慌てて影を作っている美鈴や、嬉しそうな顔を隠すためにぷいと横を向いているパチュリー、素直な笑みを浮かべているフランだったり、ぶんぶん両手を振っている小悪魔の姿もある。ついでに妖精メイドたちも勢揃いしているようだ。……何か、増えていないか? 妖精。

 

幻想郷への転移という大仕事を終えた直後、私たち人形店組は午前中の紅魔館で先行組との再会を果たそうとしているところだ。レミリアの声に応じて駆け寄った……というかまあ、正確に言えば時間を止めて一瞬で近付いた咲夜を横目に、私も玄関に歩み寄りながらパチュリーへと話しかけた。エマとアリスは美鈴と小悪魔に声をかけているらしい。

 

「やあ、パチェ。久し振りだね。」

 

「久し振りってほどでもないでしょ。離れ離れになったのはたった数年間だけなんだから。……みんな元気そうじゃない。別に心配はしていなかったけど、無事に移住できたようね。」

 

「キミね、私たち相手にクールな振りをしたって無意味だろうに。レミィみたいに咲夜とハグしなくていいのかい? 実はそうしたいんだろう?」

 

「減らず口が健在なのはちょっと残念だわ。改善されていることを期待していたんだけど。」

 

そっちこそ健在なようじゃないか。互いに鼻を鳴らし合ったところで、今度は咲夜をフランに取られたらしいレミリアが言葉を寄越してくる。久々に目にする吸血鬼らしい笑みでだ。

 

「咲夜が無事なようで何よりよ。よくやったわね、リーゼ。偉大な私が褒めてあげるわ。」

 

「キミこそ歴史あるムーンホールド区画を傷付けていないようで何よりだ。もっと偉大な私が褒めてあげよう。……おや? 私との身長差が更に広がっているね。」

 

「あんたね、数年程度で変わるわけないでしょうが。」

 

「いいや、一ミリくらい広がっているよ。あるいはキミが縮んだって可能性もあるけどね。……それより、妖精が増えていないか? 明らかに昔より多いぞ。」

 

エントランスでわーきゃー喧しく騒ぎながら再会を盛り上げている妖精メイドたち。それを指差して問いかけてみれば、美鈴が横から返事を投げてきた。

 

「何か知らないうちに増えたんですよ。相変わらず仕事はあんまりしてくれませんけど、特に害もないのでそのままにしてるんです。……あー、確かに従姉妹様の方がまたちょびっとだけ高くなってますね。ちょびっとだけですけど。」

 

「……美鈴? 本気で言ってるの? 気のせいでしょ?」

 

「いやいや、実際そうですって。私、そういう目測は得意ですもん。……咲夜ちゃん、次は私の番ですよ。成長を確認させてください。」

 

レミリアの質問に応答した後、美鈴は咲夜の方へと行ってしまうが……本当に伸びていたのか。からかっただけのつもりだったんだけどな。嘘から出た実に少し嬉しい気分になりつつも、愕然とした面持ちのレミリアへと得意げに胸を張っていると、続いて咲夜を美鈴に渡したフランが近寄ってくる。大人気だな、我らが銀髪ちゃんは。

 

「やっほ、リーゼお姉様。元気そうで安心したよ。お土産、ある?」

 

「またキミの顔を見られて嬉しいよ、フラン。お土産はもちろん持ってきたさ。ついでにブラックとルーピンからの手紙もね。」

 

「……ひょっとして、テディの写真も入ってる? 大っきくなってるはずだよね?」

 

「中身は見ていないが、封筒の厚さからして何枚か入っていると思うよ。」

 

私の答えを聞いた瞬間、フランは大きく目を見開いたかと思えば……おおっと、また力が強くなっているな。物凄い勢いで私の服のポケットを弄り始めた。制止できないような力でだ。

 

「どこ? どれ? テディの写真!」

 

「落ち着きたまえ、預かった手紙はエマが持っているトランクの中だよ。私は持っていな──」

 

「エマ、写真!」

 

うーむ、エドワード閣下の成長がそんなに気になるのか。フランが素早くエマの方へと駆けて行ったところで、何故か咲夜を横抱きにしている美鈴が事態を進展させてくる。

 

「玄関でずっと話してるのもあれですし、とりあえずリビングに移動しましょうよ。……行きますよー、咲夜ちゃん。掴まっててくださいね?」

 

「め、美鈴さん? 私、一人で歩け──」

 

美鈴も美鈴でテンションが高くなっているようだな。あれじゃあ掴まりようがないじゃないか。咲夜を捧げ持つような格好で持ち上げた門番どのは、そのままの状態でリビングへと走り始めた。そんな二人に対して、大量の妖精メイドたちがカラフルな紙吹雪を投げかけているが……帰ってきたという実感が湧いてくるぞ。実に紅魔館らしい光景だ。

 

「ちょっと美鈴! 咲夜を持っていかないでよ!」

 

「フラン、先にリビングに移動しましょう。魔理沙が撮ってくれた写真も何枚かあるから、それを見ながら色々と教えたいことがあるの。ビルも父親になったのよ?」

 

「ビルが? 子供は男の子? 女の子? ……エマ、トランクは私が持つよ。何かこれ、結構重いみたいだし。」

 

「あら、ありがとうございます。補給物資も詰まってるので重くなっちゃったんですよ。」

 

レミリア、アリス、フラン、エマが会話しつつ歩いていくのを追いかけるように、私とパチュリーと小悪魔もリビングルームへと足を動かす。ちなみに妖精メイドたちは余った紙片で『紙吹雪合戦』を始めたようだ。

 

「そういえば、少し前に天狗とやり合ったらしいね。キミも参戦したのかい?」

 

「していないわ。移住直後は神秘が濃すぎて咳が酷かったから、暫くはその薬を作るのに時間を使っていたの。薬を開発し終えた頃には既に戦いが終盤だったし、今更参加するまでもないと思ったのよ。」

 

「ふぅん? 咳か。」

 

「この土地だと普通に過ごしているだけで、身体に魔力を取り込みすぎて一種の飽和状態になっちゃうの。それを咳という形で外に放出していたわけね。でもまた呼吸する度に取り込んじゃうから、一時は咳と呼吸を延々繰り返す過呼吸みたいな状態になっていたのよ。……まあ、今はある程度安定しているわ。薬で取り込む量を抑えているし、身体の魔力への親和性を更に上げたから。」

 

「パチュリーさまったら、また追加の賢者の石を呑んだんですよ? もう人間っぽいのは見た目だけですね。『中身』の方は移住直後よりもずっと人外になってます。」

 

小悪魔の呆れたような声色での補足を受けて、くつくつと喉を鳴らしながら苦笑いを顔に浮かべた。身体そのものを『改良』することで、より魔女という種族に寄せたわけか。相変わらず進む速度が速いヤツだな。

 

順調に人間をやめている図書館の魔女どのへと、廊下を進みつつ話を続ける。

 

「とはいえ、見物くらいはしたんだろう? 幻想郷の戦力はどうだった?」

 

「少なくとも天狗は侮っていい存在じゃないわね。妖怪らしからぬ階級制度や、整った組織力を持っているわ。事実上その支配下にある河童たちも厄介よ。特殊な技術を保有しているみたいなの。」

 

「だが、勝ったらしいじゃないか。」

 

「真っ正面から当たっていたら負けていたわよ。奇襲によって相手を混乱させることが叶ったから、結果として優位な状況下での不可侵条約を結ぶことが出来たけど、二度目があればどうなるか分からないわ。事前に準備できていたレミィの作戦勝ちってわけね。」

 

ふむ、奇襲による政治的な勝利か。レミリアらしい攻め方をしたなと感心しつつ、到着したリビングのソファに腰掛けた。いやぁ、座り心地が良いな。人形店のソファも悪い物ではないのだが、やはり慣れたソファが一番だぞ。

 

「なるほどね、天狗は要警戒なわけだ。他の戦力は?」

 

「先ず、太陽の畑という場所に『反則的な反則級』が居るわ。レミィが取り込んだ現地の妖怪たちが口を揃えて『あの場所に干渉すべきじゃない』と言っていた以上、迂闊に近付くのは避けた方がいいでしょうね。」

 

「太陽の畑か。魔理沙も昔そんなことを言っていたね。」

 

「次に、人里は実質的には八雲紫の縄張りよ。大した戦力を持っているようには思えないから、『ルール』によって妖怪の侵攻を防いでいるという状態ね。ここも事前の情報にあった部分だけど、人里の一応の顔役が稗田家だということは確認できたわ。平たく言えば八雲紫の傀儡ってわけ。『人里における権威を持っている名家』といったイメージかしら。」

 

人里か。遠目に見た限りではそこそこの規模の集落だったし、この幻想郷において人間というのはむしろ政治的な意味合いを持つ存在だ。妖怪としての立場から言うと『資源』に近いな。余裕が出てきたら調査しておくべきかもしれない。

 

パチュリーの発言に首肯して続きを促したところで、仰々しく咲夜を褒めまくっていたレミリアがこちらに近付いてくる。銀髪ちゃんのイモリ試験の成績を確認したようだ。美鈴はまだ咲夜を褒めちぎっていて、アリスとフランはイギリス魔法界に関する話をしており、小悪魔はエマと一緒に紅茶の準備を進めているらしい。

 

「素晴らしい成績だったわ。さすが咲夜ね。あんたはちゃんと褒めたの?」

 

「キミより先に報告を受けた私はきちんと褒めたよ。キミより先にね。……そうそう、紫にボロ負けしたんだって? 今その辺のことを話していたんだ。」

 

「……あんなもん反則よ。こっちが真面目に駒を動かしてるのに、盤ごと蹴り飛ばされて『はい、全部倒したから私の勝ちね』って言われたようなもんだわ。」

 

「まあ、想像は付くがね。それが反則級ってもんだろうに。そもそもあんな連中と真面目に向き合った時点で負けなんだよ。」

 

然もありなんと相槌を打ってやれば、レミリアは斜向かいの一人掛けソファに座って会話を続けてきた。小さくため息を吐きながらだ。

 

「何にせよ、次に活かすわ。多くをベットしないでの試しの勝負だったわけだし、負けたなりの収穫も結構あったから、これは悪くない方の『敗北』よ。……それより貴女、何で腕時計なんかしてるの? そういうのは趣味じゃないと思ってたんだけど。いつだったか『針の音が隠密の邪魔になる』って言ってたじゃない。」

 

「心境に変化があったのさ。」

 

「別にどうでも良いけど、せめてもっとちゃんとしたのを着けなさいよね。何だってそんな安っぽい時計を選んだのよ。」

 

「いいんだよ、気に入っているんだから。……ああ、そうだ。この前地底の管理者と会ったぞ。古明地さとりとかいう覚妖怪に。厄介そうなヤツだから気を付けたまえ。」

 

エマが運んできた紅茶を受け取りながら話を逸らしてやると、レミリアは興味深そうな顔付きで食い付いてくる。

 

「覚妖怪? 確か、読心の妖怪だったわよね? っていうか、何で移住前に地底に行くことになったの?」

 

「外界での事件で傍迷惑な大妖怪と関わってね。紆余曲折あって今は幻想郷の地底に住んでいるんだが、そいつに会いに行った時に古明地も同席していたんだ。無作法な覗き屋だったよ。」

 

「……覚妖怪はともかくとして、前提がさっぱり理解できないわ。何よ、『傍迷惑な大妖怪』って。」

 

「相柳って妖蛇だよ。ある意味では紫以上に事を構えたくない相手さ。」

 

私のざっくりし過ぎている説明を耳にしたレミリアは、自分が受け取った紅茶を一口飲んでから疲れたように口を開いた。

 

「……どうやら本格的な情報のすり合わせが必要みたいね。私にとっても、貴女にとっても。」

 

「そのようだね。……そこはまあ、後でゆっくりやるとしよう。取り急ぎ知っておくべきことはあるかい?」

 

「急ぎってほどの報告は特にないけど、強いて言うなら……そうね、『次の騒動』に関してかしら。」

 

「次の騒動? 紫とキミが共謀する『最初の騒動』のことかい? スペルカードルール普及のためのやつ。」

 

『先行組』の移住前から決定していた予定を再確認してみれば、レミリアは得意げな表情で頷いてくる。

 

「そう、それ。本当は日差しが強い夏頃にやろうと考えてたんだけどね。折角だから貴女たちの帰還に合わせようと思って待ってたのよ。」

 

「日差しが何か関係しているのかい?」

 

「邪魔くさいでしょ? 太陽。だから隠しちゃおうと思ってるの。……死喰い人との決戦の時、私がロンドンでやったことを覚えてる?」

 

「紅い霧だろう? 私はホグワーツに居たから実際に見てはいないが、そりゃあ覚えてはいるさ。」

 

ロンドンを包んだ紅い霧。マグル界では『自然による神秘の現象』として記録されているそれを思い出しながら応じた私に、レミリアはニヤリと笑って計画の詳細を語ってきた。

 

「あれは我ながら最高の景色だったわ。だから、幻想郷の連中にも見せてやろうと考えたのよ。私の妖術とパチェの魔術を組み合わせて、幻想郷中を紅い霧で覆い尽くすの。真昼だろうと日光が届かなくなるほどの濃さでね。」

 

「……派手だね。」

 

「でしょう? 準備は既に整ってるし、いつでも始められるわ。……貴女はどうする? 騒ぎに参加したいなら席を用意してあげるけど。首魁たる私の前座くらいの席をね。」

 

「今回はやめておくよ。『中ボス』は趣味じゃないし、私たちはまだ移住したばかりだからね。キミが起こす異変を見物させてもらうさ。」

 

苦笑しながら辞退した私へと、レミリアは拍子抜けした感じの返答を寄越してくる。私にとっては時期尚早なのだ。今回は純然たる観客として動かせてもらおう。

 

「あら、そう? ……ま、いいわ。貴女にも見せてあげる。スカーレットの吸血鬼の流儀ってやつをね。」

 

「んふふ、楽しみにしておくよ。」

 

つまり、それが『最初の騒動』の内容になるわけだ。……いやはや、一つ終わったかと思えばまた始まるとはな。望み通りの平穏な生活を得られるかどうかは怪しいところだが、少なくとも退屈とは無縁で過ごせそうじゃないか。新たな土地、新たな生活、新たな騒動。忙しないにも程があるぞ。

 

まあいい、楽しんでみせるさ。今度は吸血鬼としてだけではなく、様々なことを学んだ私としてゲームに参加してみよう。人間と人外たちが描くゲームに。

 

新たな生活のことを考えながら、アンネリーゼ・バートリは自分の口元が笑みの形に歪むのを感じるのだった。

 



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十五年後

 

 

「待ちなさい、バートリ! まだ説教は終わっていませんよ! 貴女はいつもそうやって──」

 

ええい、本当に鬱陶しいヤツだな。しつこいぞ。背後のスキマが閉じるのと同時に説教の声が聞こえなくなったことを確認しつつ、アンネリーゼ・バートリはロンドンの裏通りから出るために一歩を踏み出していた。忌々しい説教閻魔め。私の行動に長々と口を出している暇があるなら、先ず人里でサボっている部下をどうにかすべきだろうが。

 

2015年にも本格的な夏が訪れ始めた今日、私はスキマを使って外界に出てきているのだ。さとりやこいし、そして無縁塚のぽんこつ賢将から頼まれた買い物もあるし、早苗から受け取った日本魔法界宛ての手紙もあれば、アリスやフランから託されたイギリス魔法界の知り合い連中への手紙もある。他にも用事が盛り沢山だから、今回は一泊か二泊はすることになりそうだな。後でホテルを取っておこう。

 

脳内で予定を整理しながらロンドンの街中に出て、翼を消した状態で歩道を進んでいく。さて、何から片付けるべきだ? 何だか知らないが、時が経つにつれて外界での『頼まれ事』が増えている気がするぞ。昔は紅魔館の面々が手紙の受け渡しや細々とした買い物を頼んでくる程度だったのに、今や誰も彼もが要求してきているな。そういえば羽毛派の迷惑ブン屋にカメラのレンズも頼まれていたんだっけ。

 

まあうん、きちんと対価は受け取っているわけだし、一つ一つ順番に処理していくか。面倒くさいなとため息を吐いたところで、進行方向に一軒の古ぼけたパブが見えてきた。言わずもがな、『漏れ鍋』だ。先にダイアゴン横丁で魔法界側の買い物を済ませてしまおう。魔理沙から依頼された箒関連の品々と、パチュリーから頼まれた調合用の素材なんかを。

 

非魔法族からは隠されている店のドアを抜けて、これまた古ぼけている店内に入ってみれば……おー、ガラッガラだな。いつもより更に客入りが少ないようだ。今日はそこそこの気温だから、皆外に出たがらないのかもしれない。

 

「これは、バートリ女史。いらっしゃいませ。」

 

「やあ、残念ながら今回は通り過ぎるだけだよ。悪いね。」

 

猫背のバーテンに軽く挨拶しながら店内を横断して、裏手のレンガのアーチを潜ってダイアゴン横丁に足を踏み入れてみれば、予想外に賑わっている通りの光景が目に入ってくる。漏れ鍋がガラガラなのは夏の暑さの所為ではなく、漏れ鍋自体の問題だったらしい。

 

歴史あるダイアゴン横丁の『玄関』を担っているんだから、いい加減改装とかをすべきだぞと考えつつ、魔理沙が毎回『買い物先』として指定してくる箒屋へとひた歩く。何年経っても変わらんな、この通りは。私が嘗て有能なしもべ妖精と一緒に訪れたあの日。百二十年も前のあの日とほぼ同じ風景だぞ。

 

変わらず迎えてくれることにホッとすべきなのか、変わらないことを不安に思うべきなのか。そんなことを思考しながら箒屋の前にたどり着くと、ショーウィンドウに一本の箒が飾られているのが視界に映った。箒の隣には直筆サイン入りのプロプレーヤーの写真が展示されており、写真の中の女性が棍棒を手にした状態で不器用なウィンクをしてきている。おいおい、二回に一回は両目を瞑っちゃっているぞ。

 

「……慣れないことをするからそうなるんだよ。」

 

多分、宣伝用にと無理やりやらされたんだろうな。最近は凄い人気らしいし、イギリス魔法界のトッププレーヤーとしてこういう仕事もやらないといけないってことか。アーモンド色の髪の名ビーターどのに同情の思念を送りつつ、『壊し屋リヴィングストンおすすめの箒! 本人来店済み!』という宣伝文句が書かれてあるディスプレイから視線を外して、やれやれと首を振りながら箒屋へと入店した。

 

「いらっしゃい。……っと、バートリ女史。また『お使い』ですか?」

 

「どうも、店主君。如何にもその通りだよ。いつものように小娘からのメモを預かってきているから、書いてある品々をそっちで揃えてくれたまえ。部品だの箒磨きクリームだの、私には見分けが付かないからね。」

 

「見た目はともかくとして、もうあいつは小娘って歳じゃないでしょうに。」

 

「私にとってはいつまでも『生意気な小娘』なのさ。……最近はちょっと忙しいから無理だが、それが一段落したら直接来ると言っていたよ。」

 

中年の男性店主に魔理沙から預かったメモを渡しつつ言ってやれば、彼は嬉しそうに笑って応答してくる。

 

「そいつはありがたいですね。あいつはプロ選手に知り合いが多いので、店を宣伝してくれて助かってますよ。……ショーウィンドウのサイン、見ましたか? バートリ女史も知り合いなんですよね?」

 

「見たよ。後輩が頑張っているようで何よりってところさ。」

 

「今やヨーロッパのクィディッチプレーヤーとなれば、真っ先に名前が挙がるほどの存在ですからね。贔屓にしてもらえるのは嬉しい限りです。……それにほら、あっちのサインもあいつの紹介で店に来たプレーヤーたちに書いてもらった物ですよ。『黄金世代』の有名どころばっかりだから店が華やぐし、お陰で客入りも増えました。感謝してます。」

 

「ま、礼は今度本人が来た時に言いたまえ。明後日あたりにまた寄るから、品はその時に受け取るよ。」

 

店内の壁に貼られているプロプレーヤーたちのポスター。そこにオリバー・ウッドやカスミ・ナカジョウ、オルオチ・ワガドゥなんかの物もあることを確認した後、苦笑しながら店主に応じて店を出た。去年のは予定が重なった所為でハリーたちと一緒に観に行けなかったから、次のワールドカップを楽しみにさせてもらおう。

 

そのままダイアゴン横丁の魔法薬の店を巡って、パチュリーから頼まれた長い買い物リストを地道に処理していると……おやまあ、相変わらず繁盛しているらしいじゃないか。若年層の客で大賑わいの悪戯専門店が見えてくる。ウィーズリー・ウィザード・ウィーズだ。

 

うーむ、チラッと顔を出そうかと思っていたんだが、どうも忙しそうだしやめておくか。どうせ明日の夜に隠れ穴に行く予定なのだから、双子とはそこで会えばいいだろう。今の時期はこの『本店』に居るわけだし、となれば双子も夕食会には参加するはずだ。

 

あまりの繁盛っぷりを目にして小さく鼻を鳴らした後、騒がしい店を背に買い物を再開しようと歩き出す。……ああ、そうだ。ペットショップにも寄らないとな。相柳にウズラ味の蛇用フードを頼まれていたんだっけ。おやつとして最近ハマっているらしい。

 

───

 

そしてダイアゴン横丁で買い物全体の四分の一ほどを終わらせた夕刻、私はロンドンから遠く離れた丘陵地へと姿あらわしで移動してきていた。つまり、十年ほど前に結婚したロンとハーマイオニーの家がある場所にだ。

 

手紙で知らせた時間よりもちょっと早くなっちゃったし、留守だったらのんびり待とうと考えながら、なだらかな丘の上にある大きめの白い家に近付いていくと……おや、外で遊んでいたのか。木の柵に囲まれた庭で何かをしている赤毛の女の子と、茶色い癖っ毛の男の子の姿が目に入ってくる。

 

「やあ、二人とも。花壇に何か植えていたのかい?」

 

「あっ、アンネリーゼさん! ヒューゴと一緒にお花を植えてたんです!」

 

「こんばんは、アンネリーゼさん。」

 

九歳のローズと七歳のヒューゴ。ハーマイオニーとロンの長女と長男だ。私を発見するや否や元気に駆け寄ってきた姉と、きちんと挨拶をしてきた弟の性格の違いに苦笑しつつ、ここには居ない五歳の次女についてをローズに対して問いかけた。

 

「セシリアは家の中かい?」

 

「みんなで植えようって言ったのに、セシリーったらいつの間にか寝ちゃったんです。」

 

「何とまあ、あの子らしいマイペースさだね。ハーマイオニーとロンは?」

 

「パパとママはまだ帰ってません。でも、ハリーおじさんたちかアンネリーゼさんが来たら入れてあげてって言われてます。」

 

ふむ、やっぱり早すぎたか。『教育ママ』の指導のお陰で口調そのものは礼儀正しいものの、動作の方は子供らしく元気いっぱいのローズは、私の手を取って家の中へと引っ張ってくる。夕食のテーブルを共にする予定のハリーたちも未到着らしい。

 

ヒューゴがよいしょと開けてくれたドアをローズに手を引かれた状態で抜けつつ、壁にある時計をちらりと確認してからダイニングテーブルに歩み寄った。隠れ穴にも設置されている、時間ではなく家族の『状態』を示す時計だ。ハーマイオニーとロンの針は『仕事中』の文字を指していて、セシリアは『就寝中』となっている。

 

「僕、セシリーを起こしてきます。」

 

「いや、いいよ。ハーマイオニーたちが帰ってくるまで寝かせといてあげよう。」

 

「じゃあ私、紅茶を淹れます!」

 

「ありがたいが、火傷しないようにね。……今日は隠れ穴の方には行っていないのかい?」

 

妹を起こすために二階に行こうとしたヒューゴをやんわりと制止した後、キッチンへと移動したローズに応じつつ質問してみれば、私の隣に座った長男どのが回答してきた。

 

「いつもはお婆ちゃんのところに行くんですけど、今日は三人でお留守番してました。アンネリーゼさんがいつ来てもいいようにって。」

 

「それはそれは、気を使わせちゃったみたいだね。そのお礼ってわけじゃないが、お土産を持ってきたよ。うちのメイドが作った菓子と、三人それぞれへのプレゼントを。ヒューゴのは……ほら、これさ。贔屓にしている『技術屋』が作ったおもちゃだ。」

 

「ありがとうございます!」

 

「ん、どういたしまして。」

 

おもちゃ自体は良い品なんだが、どこかに必ず『にとり作』と製作者のサインが入っているのが欠点だな。ちなみにローズはちらちらとこちらを見ながらも、紅茶の準備を継続している。私の手土産が気になって仕方がないものの、先ずは紅茶を出すのを優先すべきだと判断したようだ。順調にお姉さんらしくなってきているじゃないか。

 

「……これ、凄いです。ひょっとして走るんですか?」

 

私がプレゼントした車のおもちゃ……というか、製作者曰く『小さいだけの本物の車』を前に聞いてきたヒューゴへと、肩を竦めて応答した。祖父たるアーサーと同じく、彼はこういう技術が大好物なのだ。食い付くと思ったぞ。

 

「小さいだけで構造自体は本物の車とほぼ同じらしいよ。リモコンで動かせるようになっているはずだ。」

 

「お爺ちゃんが見たら喜びそうです。」

 

「小躍りして喜ぶだろうね。だからアーサーには内緒にしておきたまえ。『研究』のためとか言って取られちゃうぞ。……ローズ、キミにはこれだ。アリスに頼んで作ってもらったんだよ。『メイクちゃん』さ。」

 

「アリスさんのお人形? ありがとうございます!」

 

紅茶を持ってきてくれたローズにもプレゼントを渡してやれば、彼女は顔を綻ばせながら小さな人形を受け取る。その反応に満足してうんうん頷きつつ、アリスから聞いておいた『機能説明』を送った。

 

「髪の結い方とか、軽いメイクの仕方なんかを教えてくれる人形だよ。今のうちから勉強して差を付けてやりたまえ。」

 

「嬉しいです! ……クッキーも食べていいですか?」

 

「そっちは夕食前だからちょっとにしておくべきだね。」

 

クスクス微笑みながら注意したところで、部屋の隅にある暖炉に緑色の炎が燃え上がる。そちらに目を向けてみると、茶色いスーツを着た赤毛のノッポ君の姿が視界に映った。ロンが先に帰ってきたようだ。

 

「ただいま。……リーゼ? 着いてたのか。悪いな、子供たちの相手をさせちゃって。」

 

「どっちも良い子だから私が相手をしてもらっていたよ。ハーマイオニーはまだかかりそうかい?」

 

「ああ、もう少しかかりそうだ。九月には大臣室に異動だからな。引き継ぎとかで最近は忙しいみたいなんだよ。……けど、ハリーはすぐ来るぞ。一回家に戻ってジニーと子供たちを『回収』してから向かうって言ってた。」

 

「ハリーもキミも残業無しで済んで何よりだが……そうか、ハーマイオニーはいよいよ大臣室入りか。シャックルボルトの補佐官になるんだろう?」

 

現在のハーマイオニーは若くして国際魔法協力部の副部長をやっているのだが、今年の九月から政治の中枢たる大臣室に移ることになったらしい。現在の魔法大臣であるキングズリー・シャックルボルトから引き抜かれたのだとか。

 

ローズが淹れてくれた紅茶を飲みながら尋ねた私に、ロンは対面の席に腰掛けて肯定してくる。

 

「みたいだな。協力部のブリックス部長が嘆いてたぜ。ハーマイオニーが抜けると一気に大変になるだろうって。」

 

「協力部副部長の後釜は誰になるんだい?」

 

「スーザンだよ。スーザン・ボーンズ。国際連盟への出向から戻ってくるんだってさ。」

 

「あー、なるほどね。……闇祓い局の方は? この前現局長が引退するとかって言っていたじゃないか。」

 

となれば、局長の席が空くことになるはず。前に来た時にも話題になったことを問いかけてみると、ロンは疲れたような苦笑いで答えてきた。その顔、昔のアーサーそっくりだぞ。三十を過ぎた頃から急に雰囲気が似てきたな。

 

「現副局長のハリーが局長になるだろうさ。史上最年少でな。」

 

「そして今度はキミが副局長か。苦労しそうだね。」

 

「きっついぜ。歳上の局員とかも多いしな。ハリーも僕もシャフィク先輩かドラコが局長になると思ってたんだけど、二人とも執行部本局に行っちゃったし……憂鬱だよ。副局長って柄じゃないぞ、僕は。」

 

「ま、頑張りたまえよ。私としては同級生たちが順調に出世していて嬉しい限りさ。」

 

ロンと同期入局のマルフォイは、現在執行部本局で副部長の椅子に座っているらしい。こっちもこっちで『黄金世代』かもしれんなと感心したところで、暖炉に再び緑の炎が燃え上がる。ハーマイオニーも帰ってきたようだ。

 

「ただいま、みんな。……あら、リーゼ。いらっしゃい。待たせちゃった?」

 

「いいや、そんなに待ってはいないよ。思ったより早かったね。ロンから引き継ぎ云々の話を聞いていたんだが。」

 

「リーゼが来るって話したら、ブリックス部長が後はやっておくって言ってくれたのよ。『どんな時でも、吸血鬼を待たせるべきじゃない』って。」

 

「おやおや、ブリックス君はレミィから得た教訓を未だに覚えているらしいね。その辺が出世の秘訣かな?」

 

ハリーの闇祓い局長就任やハーマイオニーの大臣室入りなんかも中々の快挙だが、あの若さで協力部の部長になっているブリックスも相当だぞ。『平社員』の時にレミリア経由で上との繋がりをしこたま作れたのが影響しているのかもしれない。

 

ハーマイオニーの上司のことを思い浮かべつつ思考している私に、当の部下どのがキッチンへと移動してから声を返してきた。

 

「ブリックス部長はまあ、良い人なのよ。だからみんなが手を貸して、結果としてどんどん出世していったわけ。……ローズ、料理を温めるから手伝って頂戴。それと、セシリアはどこ?」

 

「セシリーは部屋で寝てるよ。……ねえねえ、ママ。それよりこれ見て。アンネリーゼさんから貰ったの。お菓子も。」

 

「マーガトロイド先生の人形? 良かったわね。お礼はちゃんと言った?」

 

「お礼はきちんと受け取り済みだよ。ローズからも、ヒューゴからもね。」

 

ジャケットを脱いで慌ただしくキッチンで作業し始めたハーマイオニーへと、忙しないなと呆れつつ横から応じてやれば、続いて玄関の呼び鈴の音が部屋に響く。ハリーたちも到着したらしい。

 

「僕が出るよ。……よう、アル。リリーもよく来たな。」

 

「あのね、ロン? 私たちも居るんだけど? 可愛い妹への挨拶は無し? ……やっほ、アンネリーゼ。」

 

「リーゼ、久し振り。」

 

「やあ、ジニー、ハリー。元気そうだね。」

 

二人の子供を連れて部屋に入ってきたハリーとジニーに近付いて挨拶した後、子供たちの方にも声をかける。九歳で次男のアルバスと、七歳で長女のリリーだ。ふむ? 十一歳のやんちゃな長男であるジェームズが足りないな。連れて来なかったのか?

 

「こんばんは、アル、リリー。良い子にしていたかい?」

 

「こんばんは、アンネリーゼさん。僕、良い子にしてました。……多分してたと思います。」

 

「リーゼさんったら、サンタさんみたいな言い方だわ。」

 

「だろう? プレゼントもあるよ。ジェームズの分もあったんだが、将来有望な悪戯小僧どのは来られなかったみたいだね。」

 

何故か自信なさげに返答してきたアルバスと、可愛らしく微笑みながらハグしてきたリリー。二人にプレゼントを渡しつつポッター夫妻に問いかけの目線を送ってみれば、ジニーの方がやれやれと首を振って回答してきた。

 

「ジェームズはもうダメ。こっちの言うことを何にも聞いてくれないわ。今日も勝手に友達の家に泊まりに行っちゃったの。手が付けられないわよ、まったく。」

 

「双子なんかに預けるからそうなるのさ。私はこの展開を予想していたよ。」

 

「つくづく失敗だったわ。あの邪悪な悪戯専門店に入り浸る『リスク』を考えるべきだったみたい。……バカ兄貴たち以外だと、唯一マリサ相手には素直なのよね。」

 

「共通点があるからだろうさ。『悪戯』って共通点がね。……まあ、ホグワーツに行けば多少は大人しくなると思うよ。ジェームズは今年からだろう?」

 

皆でダイニングテーブルに移動しながら相槌を打つと、ジニーは肩を竦めて首肯してくる。

 

「ええ、九月にはもう一年生。トラブルを起こして大量減点されないことを祈るばかりだわ。……ハーマイオニー、手伝うから先ず着替えてきなさいよ。スーツが汚れちゃったら大変でしょ?」

 

「そう? なら、着替えてくるわ。セシリアも起こしてくるわね。」

 

キッチンに立ったジニーの言葉に従ってハーマイオニーが二階へと向かったところで、ハリーが私のプレゼントで遊んでいる子供たちの方を見ながら話しかけてきた。

 

「ありがとね、プレゼント。リーゼは非魔法界にも魔法界にも無い物を持ってくるから、毎回みんな喜んでるよ。」

 

「嫌われないために必死なのさ。魔理沙や咲夜に負けるわけにはいかないからね。こっちは帰ったらジェームズに渡してやってくれたまえ。」

 

「うん、渡しておくよ。……二人はやっぱり来られなかったんだね。」

 

「今はちょっと忙しくてね。魔理沙が師匠からの『最終課題』に取り組んでいるんだ。土地中を巻き込んで大わらわさ。咲夜もアリスもその手伝いで多忙なんだよ。」

 

大分騒ぎが大きくなってきたし、そろそろ久々の『異変認定』になりそうだな。この前博麗神社に行った時にも話題になったから、巫女もいい加減動き出すはずだぞ。今度こそ巻き込まれないように気を付けようと内心で決意している私に、ハリーが残念そうな面持ちで返事をしてくる。

 

「そっか、久し振りに会いたかったんだけどね。またの機会を楽しみにしておくよ。……そういえば、明日の隠れ穴での夕食会には参加するんでしょ? 今日はホテルに泊まるの?」

 

「ん、そうなるかな。もう非魔法界のホテルを取ってあるよ。……そうだ、明日はパーシーも来るかい? 非魔法界対策のことを聞きたいんだが。」

 

「パーシーもビルもチャーリーも来るはずだよ。もちろんジョージとフレッドもね。」

 

「いいね、久々に勢揃いか。今やそれぞれの家族を連れて来るだけで結構な規模になっちゃいそうだね。」

 

ウィーズリー家の場合は食事会というか、『パーティー』って規模になっちゃうぞ。賑やかになりそうだと予想したところで、ハーマイオニーが次女を連れて二階から戻ってきた。

 

「こんばんは、リーゼ。」

 

「おおっと、私の可愛いふわふわちゃんじゃないか。少し背が伸びたね。」

 

「リーゼ『さん』でしょう? セシリア。」

 

「いいんだよ、ハーマイオニー。名付け親相手に気を使う必要はないさ。」

 

つまるところ、この子の……セシリアの名付けは私がしたのだ。ポッター家とウィーズリー家の子供たちは皆私の身内だが、この子は特別可愛く思えてしまうぞ。抱き着いてきたふわふわの赤毛ちゃんを優しく撫でていると、彼女はふにゃりとした笑顔で私の手を引いてくる。

 

「リーゼ、一緒にお散歩しよう?」

 

「お散歩?」

 

「家の周りをのんびり歩くのが、最近のセシリアの『マイブーム』なんだよ。先々週くらいから毎日欠かさずにやってるんだ。」

 

「また奇妙なことをし始めたね。……いいよ、行こうか。料理の準備が出来るまで少しかかりそうだし、喋りながら二人で散歩しよう。」

 

うーむ、『不思議ちゃん』っぷりに磨きがかかっているな。ロンの苦笑しながらの説明に同じ表情で応答した後、五歳の名付け子を連れて玄関から外に出た。夏なのでまだ明るい庭を二人で歩いていると、セシリアがふと私の左腕を見て指摘を放つ。

 

「リーゼ、リーゼ。時計、止まってるよ?」

 

「おや、いい発見をしたじゃないか。ずっと止まっているのさ、この腕時計は。キミが生まれる前からね。」

 

「……直さないの?」

 

「ああ、直さない。止まっていていいんだよ。セシリアも疲れたら休みたくなるだろう? この時計は長い間頑張ったから、もう休まないといけないんだ。だけどその頑張りをみんなが忘れてしまうのは悲しいからね。私だけは覚えていようと思って、こうして着け続けているのさ。」

 

あの日、ゴドリックの谷にも吹いていた夏の風を感じながら語ってやれば……どうしたんだ? セシリアは立ち止まって時計をジッと見つめ始める。色褪せた革のベルトが付いた、もう動かない腕時計を。

 

「どうしたんだい? セシリア。」

 

「私も覚えておこうと思ったの。私が覚えておけば、リーゼはちょっとだけ悲しくなくなるでしょ?」

 

「……なるほど、賢い子だね。その通りだよ。キミが覚えておいてくれるなら、私はちょっとだけ悲しくなくなるかな。」

 

「じゃあ、頑張って覚えておく。……でも私、賢くはないよ。あのね、ローカンとライサンダーはもう足し算と引き算が出来るの。だけど私は出来ないんだ。」

 

ローカンとライサンダーというのは、セシリアと同い年のルーナの双子の息子だ。ジェームズだけは先に入学してしまうが、ローズはアルバスやマルフォイの息子のスコーピウスと、ヒューゴはリリーと、そしてセシリアはローカンやライサンダーとそれぞれ同じ学年でホグワーツに入学することになるので……昔私たちが卒業した時、ホグワーツ特急で語り合った夢は実現しそうだな。

 

今はもう遠い昔に思えてしまう会話を思い出しながら、落ち込んでしまっているセシリアに言葉をかけた。

 

「キミだってすぐに出来るようになるさ。何なら私が教えてあげるよ。」

 

「だけど、魔法もまだ使えないの。ローカンは家の窓を消しちゃったし、ライサンダーはサボテンに花を咲かせたんだって。ローズもヒューゴも五歳の時には何かしてたのに、私だけ何も出来てない。私、魔法を使えないのかも。」

 

「キミね、ホグワーツへの入学はまだまだ先だろうに。もう少しすればキミも『騒ぎ』を起こすさ。……いいかい? セシリア。キミの名付け親は世界で最も偉大な吸血鬼で、キミの名は同じくらい偉大な吸血鬼である私の母上から貰ったんだ。そんなキミが偉大な人物にならないはずがないだろう? きっと晩成なのさ、キミは。大器とは常に晩成するものだよ。」

 

「……よく分かんない。」

 

ぬう、難しすぎたか。きょとんと小首を傾げてしまったセシリアへと、柔らかな草の上に座って話を続ける。遠くで駆け回っている庭小人たちを眺めながらだ。

 

「要するにだね、自分が信じられないなら名付け親たる私を信じろってことだよ。私が見た限りキミは賢い子だ。だから大丈夫なのさ。」

 

「そうかな? ……リーゼってそんなに凄いの?」

 

「おいおい、知らなかったのかい? ……それなら教えてあげようじゃないか。夕食が出来るまでの間でどこまで話せるかは分からんが、キミの名付け親がどれほど偉大な吸血鬼なのかを聞かせてあげよう。」

 

「お話ししてくれるの?」

 

わくわくしている時の顔で私の隣に腰を下ろしたセシリアに、空を見上げながら口を開く。どこから始めるべきかな。……よし、この際最初からいくか。名付け子たるこの子には、全てを聞かせておくべきだろう。私たちのイギリス魔法界でのゲームの話を。偉大な吸血鬼たちと、そして偉大な人間たちの物語を。

 

「全ての始まりは……そう、一通の手紙だ。空に三日月が輝く夜、私が幼馴染に送った一通の手紙。そこから全てが始まったのさ。」

 

小さな『未来』へと物語の始まりを語りながら、アンネリーゼ・バートリは静かに微笑むのだった。

 




一先ずここで完結となります。ご愛読ありがとうございました!
あまりにも長くなっているため、ここから更に幻想郷側を描く場合は別作品としての投稿になりそうですが……もしかしたらこちらに『十五年後の魔法界での騒動』、『第一次魔法戦争時の騎士団の話』を追加するかもしれません。その時はまた軽い暇潰しとして本作を使っていただければ幸いです!


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