欝傾向であっても

 ある作品へのリアクションとして書き出したものの、本意を脱してしまい、しかし何らかの形で想いを残しておきたいと感じ、ここに備忘録的に記させて頂きます。ある意味、創作を行う方々にとっても共通した悩みかもしれないと考えた上で。

 創作のモチベーションを上げる際に、欝状態というのは辛いものがあると思います。
 ただ、創作を行っている人たちって、多かれ少なかれ欲求不満を抱えた欝傾向を有しているのでは、とも思っています。芥川、夏目、太宰、有島、三島……、世間に対する貪欲な欲求不満があるからこそ、名作も生まれてきたと思います。
 なろう系のハーレム設定を蔑む声がある一方、「想像の世界の中でくらい、無双にさせてやれよ」という声も聞こえます。
 採算とは無関係な個人の創作に於いては、例え二番煎じであっても三番煎じであっても、また私のような二次創作であっても、自由な表現を試みることを否定する必要などないと考えています。

 以前から呟いているのですが、小説を書くことって、プラモ作りに似ていると思っています。
 最近は完成品の流通も見かけますが、やはりプラモの醍醐味は自分で作って自己満足することで、他人に褒められるのは二の次ではないかと。途中飽きてしまったり、投げ出したくなったりしても、完成後の喜びを知っていると何度でも手を出してしまう魅力も。

 誰かに認められなくても、止められない。それは他人に批判されるものではなく、とても素敵なことです。


 で、『凱龍輝』の次期掲載分、全部視点を変えて書き直しとなっております。

 これから出勤します。


日時:2018年08月16日(木) 06:17

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