感想返信231

>なんかエリヤがラインハルトを倒すのではなくラインハルトが粛清受ける未来しかうかばない。
その可能性は十分あります。天命があるうちは死なないでしょうが。

>(ヤンが暗殺されたみたいな)
そういえば、地球教は銀河一長い手を持っていますね。

>原作では戦争大好き人間みたいな扱いされたラインハルトが講和路線とはとても信じられないですが、キルヒアイスが死ぬ間際に「宇宙を手にお入れください」という遺言というか呪いがなかったらもしかしたらこういう状況もあったかもしれません。
ヤンが死んだ後、ラインハルトは「誰も彼も、敵も味方も、皆、予をおいて行ってしまう! なぜ予のために生きつづけないのか!」「予には敵が必要なのだ」と嘆きました。

かつて、ジェド豪士は、「戦場で自分を見つけた奴は、どうしてもベッドでは死ねんのだ…。戦場から戦場へ、戦いから戦いへ…。戦いの中にこそ自分があると確信するようになってしまう」と語りました。ラインハルトもこの種の人物だったのでしょう。

原作ではあまりに早く戦いが終わりすぎました。リップシュタット戦役以降は完全な消化試合です。同盟はもはや国家の残骸。ルビンスキーもトリューニヒトも無能(ラインハルト比)で、政略を競わせる相手としては不足です。自分が自分であるためには、ヤンと戦うしかないのです。政治的にもヤンに完勝しなければなりません。ラインハルトの権威は、彼自身が述べたとおり、武力によってのみ支えられています。勝てない相手が1人でも残っている限り、ローエングラム朝は盤石ではないのです。好みと政治的必要が、彼を戦いに駆り立てました。

本作では今のところ、そこまでする必要はありません。帝国は軍事的にも経済的にも劣勢です。知略を必要とする余地は大いにあります。ヤンを追いかけ回す必要はないのです。

>常識論を破壊し続けることができるのが覇者たる理由なんでしょうから。
英雄は「それが必要かどうか」のみを考えます。不要なら破壊し、必要なら用いる。ただそれだけです。彼の視点では、常識の否定は「邪魔な小石を蹴飛ばした」程度の意味しかありません。

凡人は「それが常識かどうか」を最初に考えます。彼の視点では、常識の否定は「世界そのものに挑戦する行為」であり、「英雄的な戦い」です。常識に価値を見出すがゆえに、それを否定することが凄いことだと思ってしまうのです。必要性は二の次になります。原作のウィレム・ホーランドは、まさしくこの種の人物でした。

常識の否定という行為一つをとっても、天才と凡人はかくも違うのです。

>エリヤが主戦派にもついに失望をしてしまって、いよいよ俺がやるモードになってしまいました。>まあ指導者は最終的には孤独な戦いになってしまうのでこれからの彼の動きに期待します。
二次創作の醍醐味は、原作を追体験できることだと思います。

ビュコックは「同盟を滅ぼすのは市民の無責任さだ」と述べました。
救国軍事会議の将校は、「同盟は救い難いほど腐敗している」と述べました。

何が彼らにそう言わせたのか。
それを書くには、やはり無責任な市民に寄り添ってきた人間、腐敗した側に身を置いてきた人間の視点が必要だろうと考えました。

>個人的にはアルマのいよいよ最終章というのがこの物語の今の状況を表していると思います。
役者はすべて出揃いました。劇ならここからクライマックス。
問題は主演がエリヤという点でしょうか。なにかの間違いで主演になってしまったエキストラ。主演の器ではない。天命があるわけではない。ですから、英雄譚らしからぬ展開もありえます。


日時:2021年04月17日(土) 18:22

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甘蜜柑

同盟が勝利するために必要だったものがいくつかあります。
それが何なのか。それが揃ったらどうなるのか。
本作のテーマの一つです。


日時:2021年06月05日(土) 16:06

takaMe234

ホーランド提督も言ってました
地に叩き付けられ泥に塗れたからこそ理解でき見える事があると
天を高く飛んだままの英雄も、既出の政治家や軍人達も救えなかった同盟を彼が救えるのかどうか
無責任で肝心な時に尻込みする多数派の尻を蹴飛ばし奮い立たせる存在になれるのか
英雄譚らしからぬ展開は気にしません。英雄伝説ではなく、凡人から発したエリヤ・フィリップスの物語なんですから


日時:2021年04月24日(土) 12:25



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