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(0) 憧れのクラスメイト、黛玲子 のことを僕は何も知らない。
(0) 腰まで伸ばしている黒髪が特徴的な優等生。容姿端麗頭脳明晰。彼女以上にこの言葉が似合う人間を僕は同世代で見たことがなかった。勉学では上位一桁から退いたことがない。夏までは水泳部で、休み明けの朝礼では少し気だるそうに表彰台に上っていた。顔立ちも整っていて、少し鋭い目つき、すらりとした鼻と柔らかそうな唇。この間読んだ雑誌のグラビアに混ざっても決して見劣りしない。
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(0) 強いて文句の付けるとすれば授業態度が悪いぐらいで、よく窓際の席でばれないように居眠りをする。目を閉じて静かに呼吸をする。ただそれだけなのに、黛玲子がすると絵になってしまう。よく思わないのは教師ぐらいだ。逆に僕はそういう瞬間を何気なく目にすると、なんだか得をしたような気分になる。
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(0) そんな断片的な情報ぐらいだった。好きな食べ物とか、音楽だとか趣味だとか彼女のパーソナルな部分はなかなか見えてこない。
(0) それは同じ部活の水泳部に所属していた人間でも同じようだった。比較的距離が近い人間ですら箸にも棒にも掛からないようなら、僕なんかは余計にノーチャンスだ。このまま彼女のことを知る機会を与えられないままなのだろう。眠い目をこすって授業中にチラ見する程度の距離感のままなのだろう。そういう覚悟はできていた。
(0) だから今、バイト先のダグアウトで彼女らしい後姿を見た瞬間、こんなに動揺している。別に話したわけでもない。正面から見たわけでもないけれど、制服のポケットに入れた手が湿っているのがはっきりとわかった。
(0) やけに響く店長の声。いくつか質問をしているのがわかった。多分採用面接をしている。
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(0) でも彼女はアルバイトなんてしなくてもいい人間のはずだ。両親が何をしている人なのかは知らないけれど、噂では大きな家に住んでいて、使用人だって雇っていると聞いた。だから僕みたいにその日暮らしのために働く必要なんてないし、お小遣いのためになんて俗っぽい理由もあまり考えられなかった。
(0) つまり、さっき見た人影は疲れのあまりに見てしまった幻覚だ。そう信じて、僕はプラスチックのトレーを持ってホールへと足を向ける。その途中でピンポーンと呼び出し音がした。
(0) 他の店員に目配せをして自分がそのままテーブルへ向かう。尻ポケットから注文を受け付けるハンディ端末を手にお客様と目を合わせた。
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(0)「お待たせいたしました。ご注文をお伺いいたします」
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(0) マニュアルをなぞる薄っぺらい言葉と機械的な笑顔を張り付けて、今日もモノクロな一日が過ぎていく。このまま週の過半数をバイトに費やし、妹たちのわがままに答えて、帰ってきた母の愚痴を聞いて……多分、惰性で就職をする。きっとつまらない大人になっていく。そんな人生の設計をぶっ壊してくれる何かを期待するけれど、そんなことはあるはずもないって、時間が過ぎるほど、そんな風に確信する。
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(0)「ご注文は以上でしょうか?」
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(0) お客様にそう確認して、僕はハンディ端末を閉じた。