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(0) 怒れる兄の拳が、下の子たちの頭に炸裂した。罪状は蛙泥棒。
(0)「にいちゃが殴ったぁああ」
(0) びあびああと泣く弟と妹だが情けは無用であった。
(0)「人の食料を食べてはいけません」
(0) 兄の言葉は、悲しいかな。道を踏み外した獣たちには届かないようだ。
(0)「たくさんあったのにぉー」
(0)「お腹すいたんだもん」
(0) 喚く下手人たちを前に、諭すように言い聞かせる。
(0)「自分で掴まえなさい。野原を探せば幾らでもいるから」
(0)「だってー」
(0)「だって、じゃない」
(0) 渋い顔にならざるを得ない。こやつらめ、小狡い知恵を働かせて1匹、2匹と僅かな量を掠めていたのだ。
(0)
(0) 外に対する偽装は、ほぼ完璧であったと思う。持ち帰る際には細心の注意を払っていた。
(0) 森で調達した腐葉土を運びつつ、蛙はついでとでも言うように腰に吊るした袋などに入れて家へと運び入れていた。
(0) まず村の悪童めらも蛙に気づき難く、気づいても手出ししにくい真面目な畑仕事の手伝いをカモフラージュに、誰にも妨害されなかったのに。まさか身内に足を引っ張られようとは。
(0) と、そこで内職で羊毛を紡いでいた母が笑いながら
(0)「反省しているみたいだし、そのくらいで、ね」
(0) 取り成すような母の言葉に渋々と矛を収めるも、下の子達はなおも不満げにブツブツと呟いている。本当に反省してるのかしらん?
(0)「前はくれたのにー」
(0)「あの蛙はあたしのなのー」
(0)「ケチケチのケチー」
(1) いつの間に、記憶が改ざんされている?
(0) わたしは天を仰いで嘆息した。食欲旺盛な小悪魔たちに隠しておよそ一ヶ月。一つ屋根の下での秘密はまあ持った方かも知れない。想定していたより少し早かったが、いずれにせよ時間の問題ではあったのか。これからは保存場所に関しても工夫する必要がある。さて、どうしたものだろう。
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(0) 兎にも角にも、日課の菜園弄りをこなすべく、わたしは木製シャベルを担いで森へと向かった。
(0) 春も半ばであった。暖かく気持ちのよい日が続いている。空はやや曇っていたが、どちらかと言えば、この土地では晴天の日の方が珍しかった。
(0) 夏は短く、冬は長い。白夜が起きるほどではないが、きっと高緯度なのだろう。
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(0) 寒冷な土地だ。日照りや干魃に悩まされる事は滅多に無いが、代わりに少日射や冷害で作物が患う日もある。自然、寒冷な土地に向いた農作物。小麦よりも大麦、燕麦よりもライ麦を作付してると思いきや、小麦は根強く作られているし、大麦は兎も角、ライ麦よりも粥にしやすい燕麦が好まれている。
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(0) どうにもちぐはぐに思える。他所との連絡が乏しいのは、村が文明地から孤立しているのか。それとも地域全体が自然災害なり、異民族の侵入やらで衰退しているのか。
(0) そもそもわたしがライ麦やら小麦やらと当たりをつけてる現世の穀物とて、前世のライ麦や小麦と同じとは限らない上、中世欧州の農業を少々耳齧ったからと言って村人たちより賢いと胸を張れる筋でもない。寒冷な気候に強いライ麦や大麦に切り替えた途端、温暖な気候に戻ったりしたら、目にも当てられない。間違っていたらごめんでは済まないのだから、軽々しく口を挟む気にもなれなかった。
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(0) ふと、村人たちは温暖な土地から移住してきたのでは、と思い至った。もっと過ごしやすい土地から引っ越してくる理由などないようにも思えるが、戦争なり、異常気象なりで追い立てられる事例も歴史上には侭在るし、或いは単なる飢餓や貧困を理由として、土地を求めて北方へと移住してきた放浪民の末かも知れない。
(0) いずれにしても、半世紀は昔の移民の理由などもはや知る由もなく、仮に知ったとて農民の子の暮らしがなにか変わろう筈もない。詮索好きの知りたがりは、村では余り好かれないのだ。
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(1) 十年一日、具合の良さそうな腐葉土を探し求めて森を彷徨うわたしは、やがて森の少し奥まった箇所の地面に袋を置くと、木製のシャベルで地面を掘り始めた。
(0) 腐葉土は素晴らしい肥料だが、麦畑は広大に過ぎて焼け石に水であった。故に用いるのは、裏庭の菜園に限られている。一心不乱に穴を掘って黒土を袋に入れる。逃げようとするミミズをゲット。ふふ、君にはこれから我が家の裏庭に移住してもらうよ。ある程度、溜まったら袋を担いで村へと帰還する。腐葉土は裏庭の隅に貯めておく。小山となった腐葉土に藁屑やら野菜の芯を混ぜ合わせてさらに肥料とする。できれば鶏糞も欲しいところだが、生憎と我が家は肥料に使えるほどの鶏は飼っていない。前の飢饉の時に食べてしまったそうだ。いずれは卵を毎日、食べられる身分となりたいものだと、心のなかで野心を滾らせる。
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(0) 2度、3度と森と村を往復して裏庭の腐葉土の山を高くしていく。今のわたしの目には、この腐葉土が食べ物の山のように写っていた。全く悪くない。いい気分である。体は疲れも知らずに意気軒昂に動き続けていた。しばらく前の少し動けば残息奄々であった病人の体とは、まるで別人のようである。
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(0) 僅かな蛙肉を摂取するだけでこれ程に体調が回復しようとは思いもよらぬ事であったが、考えてみれば、現代人とでは肉体の持っている栄養の備蓄が違う。毎年を文字通りに食い繋いで生きている中世の住人であれば、肉食は命を頂いたようなもの。劇的に回復しても不思議ではなかった。小さい子たちの気持ちも分かるのだ。体が肉を求めるのだろう。江戸時代に牛肉が滋養強壮の薬として膾炙していたのもさもありなんと思いつつも、そう言えば、蛙やらイモリの黒焼きも滋養強壮の薬として漢方薬になっていた気もする。それにしても肉とは凄いものだと驚くばかりであった。
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(0) さて、しばらく前まで、わたしは半病人同然であった。急激な寒気に襲われて、ただただ震え続ける夜半もあれば、頭の芯が重くなり、頭が働かなくなる日中もあった。
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(1) 思考は、実は贅沢品だった。体が餓えると脳みそは働くのを止めてしまう。なにも考えられなくなるほど頭の芯が重くなり、考え事すら億劫になる。事実として、食事の直後が一番頭が働くのを実感している。食べると眠くなる?食べすぎて、胃にエネルギーがまわる?中世人ですから、そんな贅沢、一度も味わったことがないです。脳みそは大喰らいで、理性は余裕の産物だと身に染みて気付かされたのが、狼の襲撃で得られた最大の教訓かもしれない。切実に糖分が欲しいです。
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(0) いずれにしても、体の栄養状態が回復してきたのか、幾ら動いても疲れない。そういう訳で鍛錬を再開しよう。
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(0) さて、鍛錬と言っても以前のような激しい反復運動は止めておく。激しい運動は、それだけ体を消耗させる。筋肉を発達させるかも知れないが、同時にひどく腹が空く。いずれ再開したいものだが、現状の食糧事情では望ましくない。此処で無理したら本当に死んじゃうかも知れないので、食糧事情を安定させるのが先である。
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(0) なので現状行うべきは、かつてのような武術めいた鍛錬などではなく、体幹を育てる為の緩やかな運動が主体とすべきだろう。屈伸したり、背筋を伸ばしたりと、準備運動として体操もよく行っておく。
(0) 前世の知識として完全ではないが、体が気持ちいい、みたいな行動をさせているので、なんとなくそれらしい体操となっている。入念に繰り返させる。筋肉を解し、関節を柔軟に保ち、体幹を育ててくれる。しかも、体力を消耗しない。素晴らしい。
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(2) 使ってない筋肉が無理せずに気持ちよく伸ばされているのを感じますぞ。本当に気持ちがいい。後はこれから倒木の上を、両腕をやじろべえしながら渡り切ったり、小さな崖を登ったり、降りたり、これ、他の子が遊んでいるのと同じだな。
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(0) 森にも春の恵みは息づいていて、びっくりしたのか。土中から飛び出してきた小さな蛙を素早く手で捉えると、袋に入れる。これは下の子達の土産にしてやろう。だけど、あの子らも自分で蛙を掴まえに来ればいいのに。と、そこで手を止める。狼事件以来、小さな子が子供らだけで遠出するのは、村人の、特に老人たちにいい顔されなくなっていた。偶に暇な大人や年長者が野原に連れて行ってやるが、あまり長く遊ばせてやれる訳でもなし。わたしとしても近くの森だから大目に見られているのであって、実は北の沼地まで遠出してましたなどとバレてしまったら老人たちにそれは小五月蝿く小言を言われるに違いないのだ。
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(0) 思えば、あまり兄らしい事をしてやった覚えもない。稀には森に連れてきてやるかな、と落葉樹の幹に寄り掛かりながら、ふと呟いてみた。