本とペンと世界非常識 (ラギアz)
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プロローグ「本とペンで出来た世界」
今回はオリジナル作品です。諸事情により投稿は不安定ですが、恐らく消すことは無いと思います。
意見、ありましたらバシバシください。
序盤で、ヒロインも出てきてませんが・・・どうぞ、楽しんでください!!
逃げ回る。ただひたすらに足を動かし走る俺の後ろで、幾度となく土煙が巻き起こる。息は切れているし、筋肉も疲労し切っている。でもここで止まれば、すぐにあの大きい拳に押しつぶされるだろう。
「おいおい、逃げ回ってても勝てないぞ? 戦いってのはな…攻めてなんぼよ!」
「それが出来たら苦労しねーよ!!」
本とペンを構えるあいつは、そう叫ぶと本にペンを走らせる。あいつの操るぬいぐるみの動きが、少しだけ鈍る。
ああ、俺も本が欲しかった。
何で俺は持てなかったのだろう。この世界の住人なら誰でも持っている筈の、自分だけの本を。
そんな、今考えても仕方ない事が頭を覆い尽くす。
やはりというべきか。戦いの最中に無駄なことを考えてしまった俺は、巨大化した拳を諸に喰らい、受け身も取れずに吹き飛ばされた。
1
―――この世界で、全ての人間に共通して言える常識とは何か。
それは、皆が皆本とペンを持っていることだろう。その力を、扱えることだろう。
自分自身しか書き込めない本。自分自身の本にしか書き込めないペン。それらは生まれた時から既に人は持っている。
本とペンはセット。どちらかが欠ける事はない。ペンによって本が、本によってペンが生かされる。それ以外に、これらに使い道はない。
その本には、所有者の名前が書かれている。
その本には、目次がある。その目次に書かれていることが、自分の使える能力。力。
例えば、目次に炎と書かれていた場合。所有者はその本に自分のペンで『炎の渦を発生させる』と書き込めば、実際に炎の渦が発生する。
最早人生の運命を決めるのは、本の目次、そして分厚さによって決まると言っても過言ではない。ページは、能力を使うのに必要なエネルギー。ページが多ければ多いほど、本は分厚くなり重くなる。本の大きさは、ページに直結する。
簡単に言えばMP。それがあるのが、この世界の常識。
……しかし、ただ一人は違った。
彼は、本を持たない。彼には、ペンしかない。
それでも彼には。元葉真には、誰にも無い力があった。
2
「惜しかったなあ! さっきの体育!」
「うるせえ嫌味か!!」
昼休み、体育の授業が終わり俺は弁当を食べていた。そこに来たのは、恐らく毎日来ているであろう親友の照井章だ。
奴は五月蠅い。茶髪の短い髪を掌で撫で付け、わざとらしく焼きそばパンを俺に突きつける。
「ま、お前は俺には勝てんよ。何せ、本が無いからなあ!」
「・・・焼きそばパン無理やり奪うぞ」
「止めてくれ。俺の楽しみなんだ」
常識何てものは、結構軽々しく崩れ去る。俺は世界恐らく唯一人、本を持たない人。目次も無ければページも無い、人生真っ逆さまコースに一直線。
になる筈が、俺は一つだけ他の人には出来ないことが出来た。
俺は右腕を伸ばし、章の首元に腕を突っ込む。抵抗するのを押さえつけ、抜き取ったのは章の本。
本とペンは、体の中にある。そしてそれは、他人では取れないのだが。
「おまっ・・・止めろよ! 他人にとられるの気持ち悪いわ!」
「ぬいぐるみに包まれて爆発しろや!」
……俺は、取れる。そして、更にそこへ『書き込む』事が出来るのだ。
パララ、とページを捲り、白紙のページへ俺のペンである黒と金の万年筆を走らせる。 焼きそばパンを机の上に置き何とか取り返そうとしてくる章に背を向け、最後まで丁寧に書き終わると俺は口を開いた。
「[上書き]!!」
上書き。またの名を、オーバーライド。
緑色の本が淡い光を放つ。書いたページから色が失われると同時に、章の体から無数のぬいぐるみが飛び出した。
オーバーライドは、人の本に書き込み能力を無理やりに発動させたり中断させたり出来る。今やったのは、章の能力である”ぬいぐるみ”を発動。
奴の体からテディべア(特製1m)を生み出し、それで生き埋めにした。
「ング…ん……ぶっふぉあ!! おい真、いきなりは止めろよ!」
「悪いと思ってる。お詫びと言っては何だが、焼きそばパンは食っておいたぞ」
「はあっ…お前、ふざけんなよおおおおお!!!」
章の叫びが虚しく教室に響き渡る。クラスメイトの視線を一心に浴びながら、そいつは俺へと飛びかかってきた。テディベアを投げつけて来るのを回避しつつ、俺は更に本に書き込み続ける。
「[上書き]」
光が放たれる。そして再び、章の頭ににぬいぐるみが衝突した。
「てめっ・・・このやろおお!!」
「[上書き]」
「ぶふぉあっ・・・ちくしょおおおおおおおおお!!」
何度も何度も、そいつは叫びながら俺へと殴り掛かってくる。身長172cmの俺より数cm高い章は同じように長い腕を振り回し、リーチで俺を追い詰める。昼休みの教室。まだ四月末、外は寒く屋上で食べる人はいない。学食に行く人も多いが、それでも教室にはある程度のクラスメイト達が残っている。
うまくその間を縫いながら、俺と章は机の間を駆け巡る。
全然捕まらず、このまま逃げ切れると思いきや、終わりは案外直ぐに訪れた。
どすんっ、と前を見ていなかった俺は何かにぶつかる。慌てて離れ、そして俺より大きいその顔を見上げ。
「「せ、先生っ!」」
「またお前らか!!」
体育教師の怒声と共に、その場に正座する事となった。
昼休みも終わり、今度は五時間目。
何やるのかと思えば、担任の先生が取り出したのはアンケートだった。どうやら、最近作られた宗教団体のアンケートらしい。学校長と交渉し、なぜかは分からないがやる事になったらしい。
前の席の奴からプリントを受け取る。余談だが、俺は窓際の一番後ろの席。
隣は居ない。ぺらりと一ページ目を捲り、内容に目を通す。
名前は元葉真。ふりがなに”もとば しん”と書き込み、次に年齢や学校名を記入する。確かに、それは簡単なアンケートだった。睡眠時間や、宗教らしく信仰する神様は等。
俺は、もう何十年前から神を信じてはいない。直ぐにばってんを付け、二枚目を見る。
そこにあった質問は、全て本に関する質問だった。
思わずため息を吐く。この本とペンが常識になった世界では、本自体がそいつの未来を表す。厚さや、目次に書かれて居る事などを聞きただす質問に俺は迷いなくゼロとシャーペンを走らせ、そのままアンケートを閉じた。
何気なく、窓の外を見る。灰色の雲が空を覆う、文句なしの曇り。開けられた窓からは涼しい風が入り込み、制服の裾を揺らす。
この春、晴れて俺は高校一年生になった。苦しく厳しい受験勉強を乗り越え、入ったのは家から電車で三十分の平凡な高校。それでも中学校の同級生は何人か来ているし、章もその一人だ。
寂しくはない。でも、本を持たない俺としてはやはり物足りない日常。
シャーペンを手の中で弄ぶ。出来ることなら、俺は空へと飛んでみたかった。
本を持ってしても、誰にも出来なかった空を飛ぶという夢。疑似的な事は出来ても、翼をはためかせ飛ぶことは出来ない。目次に、刻まれない。
母は他界。父は仕事。
家に居るのは病弱な妹。大した使い道の無い俺に、明るい未来は無い。
昔から、アンケートで聞かれるたびにそんなネガティブな考えが思考を覆い尽くす。自分でも嫌になる性格に、苦笑しかもらせなかった。
曇り空を、そっと見上げる。一層ネガティブな思考が溢れるのを、俺はため息と共に感じた。
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一章「本とペンの出会い」
「登校時間」
日本には、四月末から五月初めにかけての休み、ゴールデンウィークがある。
しかし休みというものは明けるのが早く感じるのは気のせいか。毎日ぐーだら過ごしていたら、もう学校に行く日になっていた。
制服のネクタイを締め、校章の付いたバッジをしっかり付ける。
鏡に映る俺は、平凡だった。黒髪に黒目、カッコよくは無い平均な顔。
もう少し天に恵まれたかった。切実な思いを抱えながら、俺は朝食を摂るためリビングへと階段を下りた。
「あ、お兄ちゃんおはよー! 朝ごはん出来てるよ!」
下から、長い黒髪をツインテールに纏めた中二の妹が俺に声をかける。ピンクの可愛らしいエプロンを付けている妹の名は、元葉朝日と言う。
活発な性格で、部活はテニス。誰に似たのかレギュラーに入れるほどの実力者であり、勿論朝日も本とペンを持っている。寧ろ、持っていないのが異常だけれど。
「おはよう朝日。今日の朝ご飯は?」
「目玉焼きと卵焼きとスクランブルエッグと卵かけご飯だよ!!」
「卵余りすぎだろ!!」
食卓に並ぶ卵料理。ケチャップに胡椒、塩も完備されている。
今日も父は帰ってきていないらしい。エプロンを脱いだ朝日はご機嫌に椅子へと座り、手を合わせた。
「いっただっきまーす」
「いただきます」
手下げのカバンを椅子の背もたれに掛け、卵焼きを口に入れる。中二ながら元葉家の家事を管理している朝日の手料理はいつ食べても美味しい。出汁の風味が広がるのを楽しみながら、朝のニュースに目を向ける。
「本の盗難、か」
「うん。最近多いみたい……。お兄ちゃんには関係ないと思うけど」
「うるせい。お前も気をつけろよ」
ニュースの内容は、本の盗難。文字だけ見れば大したことないように見えるが、奪われているのは一人一つしか持たない大事な本である。
他の人には使えないそれを、何故盗んでいるのか。疑問だらけだと指摘する解説者を尻目に、俺は卵を食べ続けた。
数十分後、口の中が卵一色になった処で俺は靴を履き外に出る。爽やかな風が頬をなでる。空は青く、澄み渡っていた。
家の中から、制服の上にクリーム色のカーディガンを羽織った朝日が出てくる。黒い革靴のつま先を何回か地面に弾ませ、俺の隣へと歩み寄って来た。
「行こうか、お兄ちゃん!」
ツインテールを揺らす朝日は、そう言って嬉しそうに微笑む。
俺の通う学校も、朝日の通う学校も電車通学の距離だ。降りる駅は違うが、部活の朝練が無い日等は基本的に一緒に行っている。自転車でも行けない距離では無いけれど、自転車を持っていないのだからしょうがない。
本とペンが発達していても、大抵の人はページの消費を抑えるために電車や車を普通に使っている。それでも尚授業で実技という模擬戦闘があるのは、本を使った犯罪が増加傾向にある今万が一に備える為だ。
常識となっている本の力。しかし、他人の目次を完璧に把握することは出来ない。異能と呼べるその力を、悪用しない輩は居ない。民間人も現行犯逮捕は出来る。
だが、ここで特筆すべきは本を持って危害を加えている奴には本で制裁出来る法律だろう。『裁きの本は均等に与えられる権利である』……『本等本制裁』と呼ばれる制度があるのを見れば、どれだけ本が驚異的かが分かってしまう。
勿論、本を持ってすらいない俺には関係ない法律。朝日を電車の席に座らせ、俺はその正面に立つ。
混んでも居ないが、空いても居ない。そんな中途半端な電車はガタンゴトンと規則正しく揺れ、線路を走っていく。
章は自転車通学。使っている自転車は最新式の、電動とは少し違いペダルを加速させる特殊な自転車を持っている。これと言って使い道は無いのだけれど、本人が気に入っているのだから仕方がない。俺も嫌いではない。
ポケットからスマホを取り出し、手早くパスワードを打ち込む。ネットを開き、今日のニュースを確かめる。
「……お兄ちゃん、彼女さん出来たの?」
「急にどうしたの!?」
心配そうに、それでいて余計なお世話だと言うのを分かって居ない朝日は小首を傾げる。俺だって彼女は欲しい。でも、平均平凡まっしぐらなのだ。
「いや、だって毎回毎回ちょっと長い休み明けると出会いがあるぜえええ!! とか言って張り切ってるでしょ?」
「うんまあ、期待したいじゃん」
「でも今日は言ってないから、もしかしてと思って。まあ、考えるだけ無駄だったね。ごめんね」
「泣くぞ?」
苦笑を交えてのごめんねに、早くもガラスのハートにヒビが入る。成績優秀容姿端麗のこいつを、少しでも見返してやりたい。
具体的には、女の子を家に連れて行ってこいつと話させるんだ!!
「あ、そろそろだ。じゃあね、お兄ちゃん」
「おう、頑張れよ」
車両にアナウンスが響く。朝日は立ち上がるとバッグを肘に掛け、開いた扉からスキップでもするように飛び出していった。
最後に笑いながら手を振ってくれた我が妹に手を振り返し、再びスマホ画面に視線を戻す。芸能人やスポーツのニュース等が並ぶニュース欄。
いつもと変わらないように見えて、決定的に違うところがあった。
「……宗教団体が本で犯罪をしている?」
それは、とある宗教団体のニュースだった。
俺の住む神奈川県を中心に、関東圏を襲っている不可解な事件。その内容はどれも不思議な物で、小規模ながら人目を引くものだった。
目立ちたがっている奴の馬鹿な遊びにしては、何かが噛み合ってないような感覚がする。住んでいる県と近い事もあるけど、ほんの少しだけ気に留めてみて置こう。そう思い、俺はスマホを閉じる。
「……出会いが欲しい」
例えどんなにシリアスになって居ても、根本は男子高校生。
やはり、少しばかり夢に憧れてしまう。
電車を降り、人ごみに飲まれるがままに改札へと向かう。大きい駅の中に入るであろうこの駅の周辺には高層ビルが立ち並び、至る処にサラリーマンの姿が見える。
欠伸を噛み殺し、俺は高校へ向かって歩き出した。
出会い何て、あるわけがない。そう思いながら。
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「紡文栞」
教室に入ると、やけに中は騒がしかった。
主に男子。俺の机の前で待機している章はドアを開けたままの俺を見つけるやいなや、猛ダッシュで近づいてきた。
「聞いたか!?」
「聞いてない。どうせ碌な事じゃないんだろ?」
「良いや違う!!なんと、転校生が来るらしいのだよ!!」
「……嘘だろ!?」
「ちなみに、だ」
章はわざとらしく声を小さくし、俺へ耳打ちしてきた。
「………女の子、だ」
勝った。
遂に俺は運命の神様を、平凡平均まっしぐらコースと定められていた道をぶち壊すきっかけが出来たのだ。
すると大事になってくるのは、如何にして転校生と仲良くなるかである。まず調べるのはその子の性格。どんな物が好きとか、嫌いとか。
おおやばい、ストーカーの思考だ。
しかし、それくらいにテンションが上がっていた。転校生が来るだなんて数少ないイベント、浮足立つのは致し方ないだろう。
周りに居る男子たちの会話が一層大きくなる。自身の机に鞄を掛け座り、俺は両肘を付きながら掌を重ねる。
それで少しうつむき、顔を隠す。……ドラマで見る会議スタイルだ。
「で、章。女の子の情報は」
「すっげえ力が強い。すっげえ男らしい。……っていうのを知らずに騒いでる男子。そして舞い上がっていた真。お前の姿は面白かったぜえ!!」
「この野郎があああああああああああああ!!!!」
直ぐに会議スタイルを崩し、椅子を蹴り飛ばして立ち上がる。
意地の悪いにやけ顔を晒しながら、恒例となりつつある追いかけっこが始まる、その瞬間。
「ふんっ」
「ふぐおっ!」
短い気合の一声が小さく放たれ、俺の前を走る章の頬に上履きの回し蹴りが食い込んだ。
章は身長172ちょっとの俺よりも高い。よって、そんな高さまで蹴りを届かせるにはかなりの技術か高身長が必要だ。
どさっと机に崩れ落ちる章。それを冷たく見下ろすのは、黒髪をショートに切りそろえ眼鏡を掛けたこのクラスの委員長。風花風音である。
風花風音はこの町でかなり有名な大企業の箱入り娘で、家は勿論お金持ち。しかし彼女自身はその身の上をあまりよくは思ってなく、それが原因としてこの普通の高校に通っている。だが、英才教育を受けていたのには変わりない。成績は優秀だし見た目もそこそこ良く、ノリもかなり良いため皆から慕われている、理想の委員長。
高一にして生徒会長候補として名高い彼女は章と同じく小学校からの友人であり、かくいう俺も彼女の特技である武術の餌食になる人の一人だ。
「朝からまた追いかけっこ。良く飽きませんね、餓鬼ですか?愚問でしたね」
「勝手に自己完結してんじゃねえぞ風音!」
「五月蠅いですよ章。次はこめかみに打ち込みますか?」
「ごめんなさい許してください悪かった」
「……よろしい」
眼鏡をかちゃりと言わせながら位置を正し、彼女はすっと茶色の眼を細める。
「今日は転校生が来ます。くれぐれも、猿みたいな行動をしないように。章も、真も」
「俺のどこが猿だって?」
「分かったよ風音。あと章はその短髪と自分の行動全部見直して来い」
「過去は振り返らない」
諦めたのか、風音は正拳突きを章の鳩尾にぶち込んでからカチューシャを直しその場を去っていった。
崩れ落ちて悶える章の背中をびしびし叩いていると、漸くチャイムが鳴り先生が入ってくる。
章もふらふらに成りながら自分の席に座り、俺も席に落ち着く。
「よーし、んじゃあ挨拶しろー」
適当な口調で、われらが担任である黒式楓という女教師が号令を促す。
口調通りかなり適当な彼女は、これでも良い先生だ。
若い……が、敏腕。教え方もなぜか上手く、その性格から生徒目線で物事を考える節があるため生徒人気も高い。
余談だが、かなりの美人である。
「気を付け。礼」
風音の号令に合わせ、一斉におはようございますと唱和する。
椅子を引き座る音が喧しく教室に響き、落ち着いたのを確認し黒式先生は教壇に立った。
「あー、聞いてる奴も居ると思うが、本日転校生がこのクラスに来ることになった。GW明けの時期だ、珍しいがまあ男子共喜べ。女子だ」
『うおおおおおおおおおおっっ!!!』
一番後ろで一番窓際の俺は、真実を知らない男子が大きく叫び続けるのを黒く淀んだ目で見つめていた。
章も肩を震わせている。さよなら俺の青春、と心で呟き、俺はそのまま机に突っ伏した。顔だけをぐるりと回し、窓の外に広がる空を見上げる。
雲一つない快晴だ。少し手を伸ばして窓を開けると、五月の涼しい気持ちいい風が頬を撫でる。
「じゃあ、入れー」
黒式先生がドアの外へ声を掛ける。今日の一時間目なんだっけ……とか思いながら、俺はドアへと視線を向ける。
ごくり、と誰かが喉を鳴らした。その小さな音で、クラス中の緊張感が一層高まる。雰囲気に飲まれながら、俺達はドアだけに集中する。
そして。
カラ、と音を立てて、ドアがゆっくり開けられて。
――――その瞬間に、クラスの時は止まった。
ゆっくりと、ドアを開けた少女は後ろ手に閉める。
クラス中の視線を一身に集めながら、その綺麗な髪を揺らして少女は教壇の上へと登った。張りつめられた緊張感。思わず姿勢を正すと、黒式先生が口を開いた。
「よし、じゃあ自己紹介よろしく」
そう告げられた少女は手提げ鞄を教卓の上に置き、白いチョークを一本手に取る。
小柄な体躯を背伸びして伸ばし少女は[紡文 栞]と綺麗に書き、横に[つみあや しおり]と振り仮名を振った。
チョークを置き、紡文栞は此方へと振り返る。そして、桜色の唇を動かした。
「紡文栞です。……この度転校してきました。趣味は読書です。宜しくお願いします」
少女の髪は、綺麗で透き通った銀色だった。
これまで見た事が無いほどに美しい銀の髪は腰当たりまで伸びている。身長156cmくらいの小柄な体躯と合わさり、とても長いように見えた。
白い肌に、すっと通った鼻。顔のパーツは一つ一つが芸術品の用で、非の付け所が無いとは正にこのことだろう。
蒼い、まるで今日の快晴の空の様に蒼い眼は吸い込まれそうになるくらいに強い意思を宿している。朧げに、余りにも整いすぎているこの少女は少しばかり霞んで見える程だった。
後で章を殴ろう。そう心で決めた俺は、大きく欠伸をした。
「あー、じゃあ席は元葉真の隣な。あの窓際の一番後ろの馬鹿っぽい奴の隣」
「はい」
「……え?」
呑気に欠伸をしている暇なんてものは無かった。
紡文栞が此方へ歩いてくる。全員が少女を目で追い、そして俺を睨み付ける。突き刺すような視線の集中砲火に陥った俺は、隣の椅子を引き座った少女に、
「宜しく、お願いします」
「よ、よろひくっ!」
……盛大に噛みながら、情けない挨拶をしてしまったのだった。
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「二人の共通点」
朝のホームルームが終わった瞬間に、俺は直ぐに席を立った。理由は単純。絶対に転校生の周りに人が来るので、その濁流と何でお前が隣なんだという怨念を込めた睨みを避ける為である。
案の定、クラスの大半が紡文栞へと殺到する。その中を逆流し、俺は章へとラリアットを喰らわした。
「おい、どういうことだ。ものっそい可愛いじゃねえか」
「し、知らねえな。俺だって分かってねえよ……あの情報はデマだったのか」
「悪質すぎる、な。というかクラスの視線が痛いんだけど、どうしよう」
「はっ! 自慢かこの野郎! あんな美少女転校生の隣に陣取りやがって、爆発すればいいのに……!!」
「さらっとお前の願望を混ぜてんじゃねえよ!」
わいわいと後ろが賑やかな中で、俺達は男二人静かに言葉を交わしていた。
茶髪を短く切りそろえた章は頭を掻きむしり、俺へやけにカッコつけた笑みを向けた。そしてそのまま口を開くと。
「俺は、早速紡文さんにアタックしてくる。骨は拾ってくれ」
「玉砕前提かよ。いってらー」
そそくさと章は人の間を縫い、なんと紡文栞に群がる人たちの最前列へ強引に入っていった。何人かの男子が押し戻そうとするが、無駄だ。
馬鹿みたいにガタイが良いあいつを力で押し戻せる奴は、風音くらいしか居ない。章の机に体重を掛けると、そっと横から風音が話しかけてきた。
「貴方は行かないのですか?」
「んー、俺は良いよ。隣と言っても、あんなに話しかけられたら迷惑だろうしな」
「……意外に大人なのですね。見直しました」
「ふっ、惚れたか? デートでも行くかー?」
「な、何を馬鹿な事を言っているんですか!? 蹴りますよ? 蹴られたいんですよね!?」
「ふえ!? 落ち着けよ風音!!」
冗談だよ、と俺は風音を宥める。急に慌てだし吃驚したが、それ以上に生命の危機を感じたのだ。こっちは冗談ではなく、風音とタイマンか裸で蜂駆除なら俺は迷いなく蜂の駆除を選ぶだろう。
「ねーねー! 栞さんの本見せてよ!!」
大きい、そして喧しい声が聞こえる。間違いなく章だ。
風音と共に呆れながらそっちを見ると、案外直ぐに紡文栞は胸元のボタンを少し外し、体内に手を入れた。
男子は美少女のボタンが外されたことで全員が全員顔を真っ赤にしつつ、その場を見逃すまいと瞬き一つしない。恥じらいを微塵も見せず、紡文栞はズズズ、と体内から手を引っ張り出した。
そこに、図鑑の様な大きさでありながら、六法全書並みの大きさを持つ本を持って。
シン、と教室が瞬く間に静まり返る。胸元のボタンを留めなおした紡文栞は、どすんと自身の本を机の上に置き、水色の瞳で章を見た。
「……これが、私の本」
「お、おおう。マジで?」
「マジで」
章がどもりつつ返すと、彼女は自然に頷いた。
それはそうだろう。彼女にとって、その本の大きさは異常では無いのだから。
しかしそれは、彼女目線。俺達普通の人間としては、紡文栞の本の大きさには驚愕を隠せないのだ。
普通の常人の本の大きさを知っているだろうか。
目次に書かれている事柄を用いて、何かを発生させるためのエネルギー。それはページと言うキャパシティが多ければ多いほど多用出来る。時間経過でページは回復するが、急には回復しない為元々のページ数は重要視される。
更に、本が大きければそれだけ目次の項目も多いと言う事。使える能力が多いと言う事は、多種多様な場面で対応できると言う事にイコールでつながるのだ。
それを踏まえたうえでの常人の本の大きさ。
それは、文庫本と殆ど同じサイズだ。文庫本と同サイズの本と、ペンを体内から取り出し戦ったり、仕事をしたりする。逆に言えば、そのサイズでも社会は回るのだ。
しかし、紡文栞の本の大きさは異常だった。
一つの才能とも言えるだろう。簡単に言えば、大きめの図鑑が六法全書並みの分厚さで存在する。比喩抜きで、それくらい大きい。
皆が言葉を失うのも当然だろう。その中でも俺は、特に驚いていた。
俺の本の分、あいつに行ったんじゃ無いか。心の中でそう思うくらいには。
「あれは、本当に凄いですね」
「な。羨ましい」
「真は本を持ってないですからね。仕方ないですよ。まあ、代わりに本来は干渉が出来ない他人の本に書き込めるんですからまだ良いじゃないですか」
「……そんな力、要らないよ」
素っ気ない呟きに、俺の過去を知る風音は直ぐに気づいたようだ。
慌てて頭を下げ、ごめんなさいと言う彼女に俺は大丈夫、と笑いかける。
「風音、俺の言い方も悪かった。大丈夫だよ、あの事は」
「そう、ですか。ですがすみませんでした。配慮が足りなかったです」
それでもまだ申し訳なさそうに口ごもる風音。瞼の裏にチラつくあの風景を、俺は頭を振って消し飛ばす。いつまで、俺はあれに捕らわれているんだと自分で自分を叱咤。
もう一度俺は大丈夫、と笑う。風音も、それでやっと笑みをこぼした。
そして俺は再び紡文栞の席でまだ騒いでいる章と他のクラスメイトを眺める。すると、お決まりのピンポンパンポーンという音が急に鳴った。
何だろう、と一部の人が放送へと耳を傾ける。そこから聞こえてきたのは、担任である黒式先生の声だった。
『えー、連絡だ。一年二組の元葉真。一年二組の紡文栞。至急、会議室3まで来てくれ。繰り返すぞ、一年二組の元葉真、紡文栞。会議室3まで来てくれ』
ぷつんっ、と二回繰り返したところで放送が途絶える。普段ならばもうここでクラスは賑やかになっているのだが、今回は誰も口を開こうとしない。
代わりにあるのは、俺のみを睨み付ける無数の視線。章までもがお前何やったんだ、という目で見て来る。
俺は何もやって居ない筈だ。寧ろ章の方が呼び出されるだろと言う視線を投げかけ、俺は教室を足早に出ていく。後ろの方で「栞ちゃんどうしたのー!?」とか聞こえたが、全くもって遺憾である。俺が手を出す?ふざけるな。そんな事が出来るわけないだろう。
チキンを舐めるな、と心の中で呟く。無性に悲しいのは気のせいだろう。
歩いて、二分程度。四階にある俺のクラスから三階に行き、階段の正面にある部屋へ俺は入る。すると中には黒式先生がもう座っており、気だるげに牛乳を飲んでいるところだった。
「失礼します。黒式先生、急に何ですか……?」
「おお、真か。いや、ちょっとな。別に説教ではないから安心しとけ」
「いや急にあの転校生と一緒に呼ばれたら暫くは噂が付きまといますからね?」
「しょうがないな。お前達の成績の為だから」
「お前たち?」
「ん?ああ、言ってなかったか。真がペンしか持ってない様に、紡文もな…」
黒式先生の言葉の途中で、ドアが開かれた。音に反応してそちらを見ると、長い銀髪を揺らした無表情の紡文栞が立っている。
何も言わず、彼女は俺の隣へ座った。大きいソファが二つ、黒式先生が座っているのと机を挟んで向かい合う様に設置されているその部屋。因みに紡文栞は普通に腰を下ろしたのだが、俺が極限まで端っこに寄ったのは言うまでもないだろう。
「うし、揃ったな。……んじゃ、お互いに自己紹介しろ。結構長いパートナーになる筈だから」
長いパートナーとは何なのだろうか。結婚じゃああるまいし。
眉を顰めると、制服の裾がちょいちょいと引かれる。そっちを見ると、俺より身長の低い紡文栞が蒼い瞳で俺を見上げていた。
「紡文栞。知ってると思うけれど。……呼ぶときは、栞でいい」
「元葉真だ。うん、平均平凡なのは許してくれ。俺も真で良いぞ」
紡文栞、もとい栞はそれだけ言うと視線を黒式先生へと戻す。俺もそれに習うと、何故か牛乳の紙パックを握りしめたまま固まっている先生の姿。
「お前らさ。もっと青春しろよ。何でそんな必要最低限の自己紹介なんだよ」
「先生が言っちゃって良いの? ねえその発言良いんですか?」
「……必要ないので」
「栞はクールに返し過ぎません? 黒式先生は雑すぎません?」
「気にするな。性格だよ」
「直せよ先生!!」
呆れた顔を未だに直さない黒式先生はため息を吐くと、俺へと顔を向けた。
黒い瞳が、俺を真っすぐに貫く。少し体を固めると、先生は栞にも聞こえるように話し始めた。
「……真、お前はペンしか持ってない。本が無いから、戦えもしないよな。だけど、その代わりに本来干渉不可能な他者の本に干渉出来る力がある。…よな?」
「ええ、そうです。……ですが、それが何か?」
「その力使って、紡文とタッグを組んで本を使う教科をやれ。本が使えないのは、成績的に致命傷だ。幾ら勉強が出来ても、埋め切れない差がどうしてもあるからな」
「栞は、分厚い本を持ってますよ?俺と組んだら、寧ろこいつの成績が下がるんじゃないですか?」
「……お前は察しが悪いな。他者の本に干渉できるんだぞ?」
さっきから何も言わない栞が、徐に胸元のボタンを開ける。
そして胸へ手を突っ込み、図鑑を六法全書の分厚さにした様な大きさの本を取り出した。しかし、その手にペンは握られていない。これから取り出すのかと思えば、彼女はペンを取り出そうとせずに服のボタンを留めなおした。
黒式先生が、にやりと笑う。そこでやっと合点が行った俺は、思わず息を呑んだ。
栞は、ペンを取り出さなかったのではなく。
俺と同じように。ペンしか持ってない、俺と同じように。
「紡文はな。ペンを持ってないんだよ」
「そ、そんな事が……!」
「お前と同じだろう?だからまあ丁度良い。試しに書き込んでみたらどうだ」
「……真。これ」
栞に本を手渡される。余りの重さに一瞬落としかけるが何とか堪え、俺は机の上でそれを広げた。
中は真っ白。一文字も、目次にも何も書かれていないその本は異質であり、俺と近しい物を感じる物だった。
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