ある日突然中世フランスに (満足な愚者)
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プロローグ

ノリと勢いとノリとノリで書いた。
後悔はしていない。


なぁ、少しだけ話を聞いてくれないか?

 

ある一人の男の少しだけ頭の悪い話だ。

 

……あぁ、悪い。すまん、いきなり、嘘ついてしまった。

 

“少し”ではなく、“かなり”頭の悪い話だった。

 

あぁ、話が少しだけっていうのは間違いないぜ。なんて言っても、三行にも満たない話だからな。

 

まぁ、とりあえず、聞いてくれよ。直ぐに終わる。

 

『ある男が、ふと気づいたらフランスにいた。しかも、過去の』

 

どうだ、短いだろう?

 

そして、非常に頭の悪い話だ。俺だってそう思う。

 

そこの病院に行けって言っているアンタ。それは正解だ。俺だって、そんな話を聞かされたら、そいつの精神状態を疑ったのちに、しかるべき病院に掛かれって言うね。時と場合によっては救急車まで呼ぶかもしれん。ネット上にゴロゴロ転がっている異世界冒険物でも、もう少し手が込んでいるってもんだ。でも、実際問題、事実はこうなのだがら仕方がない。

 

あぁ、勿論ここまで話したら分かると思うが、このある男って言うのは俺のことな。

 

だから、これは俺の体験談ってわけだ。

 

もう少しだけそのことについて語る時間を貰えるんなら少しばかり語っておきたい。別にこの話を信用するか、しないかはこれを聞いているアンタら、次第だ。ちなみに俺なら信用しない。素人が書いた小説でももう少しましなストーリーになるだろう。こんな三流小説以下の話を誰が信用するというのだ。

 

おっと、話が逸れたな。閑話休題、では、話を戻そう。そう、あれはここから言うと未来の極東の国、俺の生まれ故郷である日本のある地方都市から始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

別にその日は特筆して語るような日ではなくいつも通りのある日だった。まぁ、もしも何か付け加えるとすれば良く晴れた日の事で、星が良く見えたのを何となく覚えている。

 

そんなある日の夜、ふとコーヒーが飲みたくなった俺はコンビニまで缶コーヒーを買いに行くことにした。そして、首尾よく目当てのブラックコーヒーを買ってコンビニを出ると――

 

――いつの間にか森の中にいた。

 

ん? 意味が分からないって?

 

大丈夫、当人の俺だって未だに意味が分かっていない。だけど、こう言うほかないんだ。

 

コンビニを出るとそこは森の中だったってね。

 

別に強い風が吹いて目を瞑ったとか、流れ星が落ちて来たとかそんなフラグは一切なく、ただ“気付いた”時には森の中だった。

 

ちなみに付け加える必要はないかも知れないが、そのコンビニが森の中にある一風変わったコンビニという訳では無論ない。俺の下宿先から徒歩一分。ベッドタウンで周りはマンションが立ち並ぶ。

 

曲がりなりにも俺の暮らしていた地方は地方都市とは言え、日本でも上から数えたほうが早い位には発展している。森まで行こうと思えば、車で結構な時間を揺られないととてもじゃないが森なんて言うものに辿り着かない。

 

そして右手を見ればコンビニのビニール袋。中身は言うまでも無くブラックコーヒー。

 

回りを見渡せば木、木、木。

 

しかも、可笑しなことにコンビニに向かったのは夜の九時を少し回った所だったと言うのに、何故か日は高く、木々の隙間から日光が差していた。

 

――まぁ、そんなことはどうでもいい。

 

いや、まぁどうでもよくはないが、この時ばかりはもっと別の事が気になっていた。

 

コンビニのレジ袋を確認するついでに、視界に入った服装をもう一度確認する。

 

まぁ、コンビニに行くだけだったのでただの部屋着だ。黒いTシャツに茶色の短パン。

 

服は確かにそのままだ。しかし――。

 

何故か肘までしか無かったTシャツの袖が何故か手首まであるし、そしてシャツの丈が俺のひざ下まであり、まるでワンピースのようだ。そして、ズボンに限ってはその役目を終えたかの様に地面に転がっていた。

 

――可笑しい。明らかにおかしい。

 

周りも可笑しいが俺自身も可笑しい。

 

試しに“大きい”コンビニ袋を持っていない、左手をグーパーと握ったり、開いたりしてみる。

 

うん、いつも通りに動く。動きは問題ではない。問題なのは“大きさ”だ。

 

明らかに“ダボダボ”のシャツに、ウエストが閉まらな過ぎて地面に落ちたズボン。そして、いつもより体の割合に対して“大きすぎる”レジ袋。

 

以上から導き出される結論は――

 

「なんだこれ……」

 

口から出た声は甲高かった。ちなみに俺は日本人男子の平均身長よりも数センチ背は高く、声もどちらかと言うと低い声だ。だから、こんな風にまるで“声変わり”する前の子供のような声は出せない。

 

「なんじゃこりゃあああああああああああああああ!?」

 

日本ではお目にかかれない原生林に甲高いソプラノの声が響き渡る。

 

以上がこのフランスに来ての最初の記憶だ。

 

何の因果か俺は推定(3,4歳)になってこのフランスにやって来たのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まぁ、それから先、ここまでの事は少しばかり端折って書いていこう。

 

何でって? 別に面白いことも特にないからだ。俺みたいな文才のない人間が特にエピソードもない内容を書くと大抵は時間と紙の無駄で終わってしまう。だからまぁ、なんだ、時間があるときにでも、書くとしよう。

 

あれから、いつの間にか森にいた俺は近くにある村に住む老夫婦に引き取られることになった。

 

あぁ、ちなみに俺がここがフランスだって気が付いたのはその老夫婦に教えて貰ったからだ。最初は何を言っているのかさっぱりだったのだが、一緒に暮らして行くうちにそれが彼らが話している言語がパリに行ったときに聞いたフランス語に似ていると気づき、いつの間にかフランス語が話せるようになった。ついでに、言えばイギリスと戦争をしているおかげで英語も少しは話せる。

 

日本にいた時には考えられなかったが、英語、フランス語そして日本語。合計で三つの言語が話せるようになってしまった。人間死ぬ気でやれば何とかなると言うが、どうやらその言葉は本当のようだ。

 

閑話休題。話が逸れたな。

 

そんなこんなで老夫婦に引き取られた俺なんだが、その老夫婦が非常にいい人だったらしく、俺のような黒髪黒目のよく分からん子供をまるで実の子供の様に可愛がってくれ、そして文字まで教えてくれた。間違いなく俺の命の恩人だ。俺がこの村に馴染めたのも、この老夫婦のおかげで間違いない。

 

そんなこんなで老夫婦の下に引き取られ、5年の歳月がたった。俺も成長して、身長も伸びた。今では10歳程度だろうか? 老夫婦の手伝いで農作業をよくするせいか、体も引き締まり、日本にいた時では考えられないような筋肉質になった。是非この健康体のまま成長していきたい。

 

そして、この村に住み始めて五年。今ではすっかり村の一員として認められ、村の子供たちともよく遊ぶようになった。

 

「おにーちゃんっ!」

 

ノックもなしに急に開けられたドアの音にペンを動かす手を止めた。

 

「どうしたんだ、ガキんちょ?」

 

聞き慣れた声に後ろを振り向けば、見慣れた顔。つい先日五歳の誕生日を迎えたばかりの彼女は勝手知ったる他人の部屋とばかりにトテトテと俺のもとに近づく。

 

この地域では珍しくもない短い金髪に、碧眼。顔はとても整っており今からでも将来が楽しみで、どことなく活発な印象を受ける。ちなみに、その印象は間違ってなく、いつもは大抵畑か森で遊び回って洋服から顔から髪から全てを泥だらけにして、両親に怒られるのが彼女の日常だった。

 

「ガキんちょじゃないもん! ジャンヌだもんっ! そして、私はレディだもんっ!」

 

「はいはい、で、どうしたんだ今日は?」

 

はいはい、と適当に頭を撫でていなしてやれば、ニパァと笑顔になるジャンヌ。

 

どうして隣の家のジャンヌが俺の部屋に来たのか、なんて聞く意味はない。どうせ、うちの親父とお袋がいつも通りニコニコと迎え入れたのだろう。そして、ジャンヌなら二人がいようがいまいが、俺の部屋なら無断で突入する。

 

「うんっ。今日お兄ちゃん手伝いないって言ってたから遊びにさそおーと思って! お兄ちゃんは何してたの?」

 

ジャンヌは背伸びをして俺の机を覗き込む。俺が自作で作ったこの不格好な机はジャンヌの身長だと背伸びをすればどうにか机の上が見えるくらいの高さだった。

 

「うわー、文字がいっぱい……お兄ちゃんが書いたの」

 

「あぁ」

 

「凄いね、お兄ちゃん! もう文字も書けるんだ! 私なんて最近習い始めたばかりで……お兄ちゃんの文字なんて書いてあるか読めないよ」

 

まぁ、それはジャンヌだけでなく、この国の殆ど、いや下手をすると全員が読めない可能性がある。だって、これはフランス語でも英語でもなく、“日本語”だから、な。

 

「まぁ、ガキんちょもこれから勉強すればそのうち読めるようになるさ」

 

「そうかなー……私、勉強大っ嫌いだから」

 

そう言えばコイツ、聞いた話によると勉強が嫌でよく外に逃げて遊んでいるらしいな。

 

まぁ、確かに机に座ってお勉強というよりかは、外で泥団子作っている方が似合っている気はする。

 

「あっ、勉強の話は置いといて! お兄ちゃん、みんな待ってるから早く行くよ!」

 

ジャンヌは待ちきれないとばかりに俺の腕をつかみ、引っ張る。

 

「今日はドンレミの村を冒険だ!」

 

上機嫌で鼻歌まで歌っているジャンヌに引っ張られながら、最初に書き足しとくべきだった言葉を思い浮かべる。帰ったら書き足しとかないと。

 

――ここは、フランス東部の村、ドンレミ。そして、俺の手を引き楽しそうにスキップしているのはジャンヌ。俺の妹分だ。まぁ、今日はそれさえ覚えていってもらえたらそれでいい。

 

 

 

 



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第一話

続きましたね。これ以上続くかは未定。


それはある晴れた日の事だった。頭上には水の入ったバケツに絵の具の青を一本丸々溶かしたようなサッパリとした青空が辺り一面を覆い、所々で白い羊雲がのんびりと泳いでいた。日本ではこんな風にのんびりと、空を見る機会はないため、何となく不思議な気持ちになる。

 

サーっと穏やかな風が一陣吹き抜ける。額に浮かんだ汗を風が浚い、火照った体を冷ます。

 

――さて、もう少し頑張るか。

 

少しばかりの休憩を終え、座っていた丘から立ち上がる。眼下には俺を引き取った老夫婦の畑。週に何度かはこうして畑仕事を手伝っている。老夫婦はもう結構な歳だ。なので最近はむしろ俺が中心となって畑の力仕事は行っている。体はまだ第二成長期を迎えていないが、日本に比べて格段に運動する機会が増えたせいか、多少しんどいと感じるだけで、そこまでの苦労はない。

 

そう言えば日本にいた時は、運動なんて殆どしなかったもんなぁ。

 

高校までは運動部に所属していたのだが、大学に入りそれも辞め、サークルにも入っていなかった俺は運動と言う二文字が全く生活に入り込む余地もない堕落した生活を送っていた。それに加えて大学もサボりまくり留年していたダメ人間だ。まぁ、俺が少しばかり頭のよくない、怠惰な人間なのは既に分かっていると思うので、これ以上傷口を広げるようなことはやめようと思う。

 

閑話休題。とりあえずだ。

 

大まかな力仕事は終わったため、後は春先に生えてきた雑草を抜けば、今日のところはお終いだ。老夫婦と俺だけで管理している畑とはいえ、そこそこ大きな畑になる。今日やるのは畑の三分の一。残りは明日以降にやる。『畑仕事は無理せず、計画的に』、これ俺がフランスに来て学んだことな。

 

まだ、昼過ぎだし、日が暮れるまでには終わるだろう。

 

横を見れば隣に座っていた親父とお袋も立ちあがり、手についた草や土を落としている。どうやら、考えることは親子で同じらしい。

 

「さて、もうひと頑張りするかのぅ。婆さんはどうするかい? 早めに帰って晩飯の支度をしなきゃいけないだろう?」

 

「そうですねぇ。もう少しだけお手伝いしてから、戻るとしますよ」

 

「お前はどうする? 村の子供たちと遊ばんでいいのかい?」

 

「気にしないでくれよ、親父。俺は好きでやっているんだからさ」

 

「お前も遊びたいざかりだろうに、すまないなぁ」

 

「お袋も気にしないでくれよ。俺は好きでやっているし、それに遊ぶ時間はいっぱい貰ってるよ」

 

もし日本にいたのなら今頃嫌でも会社で働かないといけない歳だ。日本の労働時間に比べれば、ここでの畑仕事なんて時間的にも精神的にも楽すぎる。そして、親父もお袋も優しい人なので遊ぶ時間と言うか休む時間もくれる。本当にいい人たちに巡り合えてよかったと思うばかりだ。

 

「まぁ、だから親父、お袋、心配しないでくれ。さぁ、後は雑草抜きだけだし、頑張ろうよ」

 

と、話を締めていざ、作業を始めようとした時だった。

 

「おにいちゃーん!」

 

と、聞き慣れた声が聞こえてきた。

 

最早誰かと確認する必要もなく、声の方に目をやれば、トテトテと此方に走ってくる金髪少女が目に入った。あんなに急いで走らんでもいいのに……また、転んで泣くぞ。

 

「――あっ」

 

ドサァという効果音。

 

ほら見ろ。言わんこっちゃない。

 

少女は俺たちの前方、約5mほど前で石に躓いて転んでしまった。無事にフラグ回収だ。

 

「おい、ガキんちょ。大丈夫か?」

 

「――うっ……ひっく……ひっく」

 

手を支えて立たせてやると、目を赤く染め、目尻に涙を溜めているジャンヌ。

 

――あぁ、これ泣くな。何時ものように泣くな。

 

「うわぁぁぁぁぁああああん!痛いよぉ!」

 

「あぁ、痛かったな。よしよし、泣くな泣くな」

 

どうやら膝と肘を打ったようだが、幸いにも切れてはいなく血も出ていない。じきに泣き止むだろう。

 

きめ細やかな絹のような髪をポンポンと暫く撫でてやる。

 

すると、暫く経つと、

 

「ひっく……うぅ……ひっく」

 

しゃっくりはしているものの、どうやら涙は引っ込んだようだ。

 

「泣き止んだか?」

 

「――うん、私は一人前のレディだから強いの」

 

「そうかそうか、お前は強いもんな」

 

一人前のレディはこんな風に人前で走って転んで泣くような人ではないと思うのだが、まぁそんなことを言えるわけもないので、適当にいなして頭をポンポンと撫でるように叩く。

 

「そうだね、ジャンヌちゃんは強い子だねぇ」

 

お袋は優しく微笑みながらしゃがみ込みジャンヌと目線を合わせる。その様子は祖母と孫と言う言葉を思い浮かばせた。

 

「うん、私は強いから泣き止むの」

 

ジャンヌの方もようやく嗚咽も引っ込んだようで、目は少し赤くなっているものの涙はもう流してはいない。

 

「それで、どうしてここに来たんだ?」

 

村の子供たちは村の全てが遊び場なため、別にここに来るのはおかしくはないのだが、ジャンヌ一人の場合は別の意味がありそうだ。

 

「うん、お兄ちゃんの部屋に遊びに行ったら、いなかったから、ここまで来たの」

 

「なんだ、お前また俺の部屋に勝手に入ったのか」

 

「うん」

 

ジャンヌは俺の言葉に即断で頷く。

 

いや、別に見られて困るような物も、盗られて困るような物もないので、いいのだが、俺のプライベートと言う文字はジャンヌの前には無いようだ。

 

家に一応鍵はあると言えばあるのだが、日本の田舎よろしく、鍵なんてかけないためどこの誰でも自由に出入りできるのが我が家だった。まぁ、我が家だけでなく、元より盗人はいない村なので、大抵の家が鍵なんて飾りと言うのが現状だ。ウチの親父とお袋なんて下手をすれば鍵の掛け方やら開け方を覚えていない可能性もある。

 

まぁ、まとめるとこの村は平和なのだ。イングランドと戦争状態にあると言っても、今は停戦条約を一時的に結んでいるので軍隊が攻めてくる心配はないし、今のところは平和そのものだった。

 

「ジャンヌちゃんは私の孫みたいなものだからねぇ」

 

俺の内心を察してか、お袋は笑う。まぁ、家の持ち主である親父とお袋がそれでいいなら、俺も何も言うまい。

 

「ありがとう、おばあちゃん」

 

「それで、何か俺に用か? 悪いが今日は遊べないぞ」

 

日が暮れる前には終わりそうだが、遊べる時間が残るとは思えない。

 

「お前……」

 

「別に気にしないでくれ、親父。俺は畑仕事を好きでやってるんだ」

 

親父が何か言う前に悪いと思いつつその言葉を遮る。俺に大切なのは、遊ぶ時間よりも恩返しをする時間だ。

 

あの日、あの時、あの場所で、この二人に出会わなければきっと息絶えていただろう。だから、この二人が俺の命の恩人で、俺は受けた恩を返さないといかない。

 

時代は変わり、場所が変わっても俺の精神は日本人だ。

 

『その一人の人は、その人ひとりを代表しているだけではなく、人類全体も代表している』

 

つまり俺と言う人間は、俺個人だけでなく日本人を代表している。日本人として、日本人の代表として恩を仇で返すような真似はしたくはない。

 

「分かってる。だから、お兄ちゃんたちが何時も何をしているのか見に来たの」

 

「別に楽しいことをやってる訳じゃあないけどなぁ……」

 

「これから何をするの?」

 

もう涙の欠片も見えないジャンヌは笑顔を見せる。

 

「雑草抜きだよ」

 

「ざっそう……?」

 

不思議そうに首を傾げるジャンヌに、

 

「そうこんな風な草を抜くんだ」

 

畑の脇に適当に生えていた草を抜き、見せてやる。

 

「うんうん、こんな草を抜けばいいんだね?」

 

「あぁ」

 

「じゃあ、私も一緒にやる! お兄ちゃん!」

 

「別に遊んでいる訳じゃないから楽しくないぞ」

 

何をどう勘違いした分らんがジャンヌは嬉しそうに笑う。

 

「おやおや、ジャンヌちゃんが手伝ってくれるのかい?」

 

「うん、おじいちゃん! お兄ちゃんと一緒にやるの!」

 

「そうかいそうかい。こりゃ助かるねぇ」

 

親父は目を細めながらほほ笑んだ。

 

「おい、ガキんちょ。手を切るかもしれないから、この手袋しとけ」

 

張り切って腕まくりをしているジャンヌに手袋を渡す。

 

草で手でも切られて怪我でもしたら事だ。

 

そう言えばジャンヌぐらいの歳の時は何をやっても面白かったなぁと遠い昔の事を思い出す。ジャンヌもきっと何か新しいことをやるのが楽しくて仕方がないのだろう。

 

――何をやっても遊びになる。

 

遥か昔に忘れていた大切な何かを思い出せたような気がした。

 

「むぅ、ガキんちょじゃないもん! 私はジャンヌ、一人前のれでぃだもん!」

 

「そうかそうか。じゃあ、始めるか」

 

「よーし、お兄ちゃんには負けないぞぉ!」

 

と勢いよく畑に入っていくジャンヌを笑いながら追いかける。

 

今日も今日とて世界は平和だ。

 

――って、ジャンヌさん、それ植えている作物だから! 雑草じゃないから! やめろぉぉぉぉ!

 



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第二話

何故か続きましたね。

まぁ、続くとしても十話で完結予定です。


これはある夏の日の話。

 

良く晴れた日の事だった。太陽が射抜かんばかりに降り注ぎ、フランスにしてはやたら滅多ら暑かった日でもあった。太陽さんも少しは手加減してくれればいいものを、どうやら向こうはやる気と殺気に満ち溢れているようで、俺を干物にでもしたいかのようだった。

 

そんな暑さの中、自室にてぐだっていた俺の平穏は何時ものように突然の訪問者によって、奪われることになる。

 

トテトテとした足音が慌ただしく聞こえて来たなと思ったら、次の瞬間には、

 

「お兄ちゃんっ!」

 

聞き慣れた声とともに、バタンと大きな音を上げて、結構な勢いでドアが開かれた。

 

このところの目下の心配は、この扉が壊れないかどうか、だ。

 

「どうした? ガキんちょ」

 

重労働の扉の心配をしつつ、目線を向ければ、大きな麦わら帽子に白いワンピースを着た少女が一人。言うまでもないが、ジャンヌだ。

 

半年ほど前に九歳の誕生日を迎えた彼女は何が楽しいのか額に汗を浮かばせながらも笑顔を見せる。全く、外は灼熱の地獄だと言うのに、元気なことだ。やっぱり、若いって良いねぇ。

 

え? お前も十分若いだろって?

 

確かに肉体的には若いが、その精神はオッサンだ。もう草臥れていると言っても過言ではない。いくら肉体が若くても俺にはこの地獄の中外に出ようなんていう気力は起きない。フランスにいると言うのに、ここ数日の暑さはまるで日本と変わらん。誰が好き好んで炎天下の中、火あぶりの刑に処されに行くというんだ。

 

あぁ、ちなみに今日の農作業は既に終わっている。基本的に、暑い夏場は日が昇る前の早朝と、日が沈む夕方が勝負だ。それでもって今日の分は早朝に早々と終わらしている。

 

「だから! 私は、ガキんちょじゃなくて、れ! で! ぃ! 大人の女性なんだから!」

 

大人の女性に憧れがあるのか、どうかは分からないが、ジャンヌは頬を膨らませて私、怒ってます、と言った風に力説する。全く怖くないのは言うまでも無い。これではハムスターとどっこいだ。いや、むしろハムスターにも負けるかもしれん。

 

「はいはい。お前はレディだ、レディ」

 

大人の女性は、毎日顔や髪に至るまで全身泥だらけにして遊ばないし、木に登って降りれなくなって泣いたりしない。ましてや、人の部屋の扉を壊さんばかりの勢いで開けるような人じゃないとは思うのだが、そこを突っ込むと、火に油を注ぐ羽目になるので、黙って短い髪の上からポンポンと撫でておく。

 

「えへへへへ。お兄ちゃんにれでぃって言われちゃった……」

 

明らかに適当に返した言葉なのだが、ジャンヌにとっては関係ないようで、えへへ、とだらしない笑顔に変える。良くも悪くも、うちの妹分は純粋に真っ直ぐと育っているようだ。

 

「それで、どうしたんだ? 今日はお前、勉強がある日だろ?」

 

「そ、それは……」

 

明らかに罰が悪そうに視線を逸らす。隠し事が出来ない奴だなぁ。

 

「はぁ。さてはまた逃げて来たなお前……」

 

黄金に輝く絹のような金髪のショートヘアに、碧眼。毎日野山を駆けまわっている癖に何故か日焼けしない、肌は陶器のような透明感をもっている。あれから順調に美少女街道を突き進んでいた。

 

「うぅ……」

 

活発そうな印象を受けるジャンヌだが、中身もそれに劣らずの元気な子で、こうして度々――いや、殆ど毎日、勉強から逃げ出して、遊び回っていた。

 

「お前、そんなんじゃ将来苦労するぞ」

 

別に使うか使わないかは置いておいて、知識と言うのは持っておいて損はない。あっても損はしないし、ないと困る。

 

もしも、だ。これはもしもの話になるが、俺の記憶が正しく、そして予想が合っていれば彼女は――。

 

彼女はきっと、将来――。

 

いやいや、と首を振って思考を飛ばす。

 

今ここでそれを考えたところでどうしようもないし、それにその答えは時が教えてくれる。

 

でも、出来れば彼女には普通の道を、普通の村娘として、普通の幸せを手にいて欲しいと思う。

 

「だ、大丈夫だよ! 分からないことがあればお兄ちゃんに聞けばいいんだし!」

 

「俺がその時一緒にいればいいけどな。今はいいけど将来俺が居なくなったらどうするんだ?」

 

俺の言葉にジャンヌは首を傾げると、さも当然のように、

 

「何言ってるのお兄ちゃん? 私とお兄ちゃんはずっと、ずーっと一緒だよ」

 

と、言い放った。その顔には疑問も疑いも無い。当たり前のことを当然の如く言ったような表情だった。

 

何を言っている、はこっちのセリフだ。まぁ、まだジャンヌは子供だから、その辺りの線引きがまだ出来てないだけだろう。

 

俺もジャンヌくらいの歳の時はこの楽しい時間が永遠に続くとばかり思っていたし。

 

「じゃあ、そういう事で遊びに行こうよ、お兄ちゃん!」

 

どうやらジャンヌの選択肢の中には家に帰り勉強をするという選択はないらしく、ワクワクと浮足立っていた。

 

「明日からは、ちゃんと勉強するんだぞ」

 

そんな表情のジャンヌを見ていると今から家に連れ戻すのも可愛そうになってくるので、見逃すことにする。まぁ、子供と言うのは古今東西、勉強から逃げ出したがると相場が決まっている。俺もそうだったし、きっとそこのアンタもそうだろう。

 

「うっ……。それは、前向きに考えると言うことで……」

 

こいつ……また抜け出す気だな。

 

「それで、遊びに行くって……」

 

申し訳ない程度に風を運んでくれる窓の向こうに目をやれば相変わらずの殺人的な日差し。室内で何もしていないと言うのにうっすらと流れる汗。これは外に行くと死んでしまう。人間干物の完成だ。

 

以上の情報からたどり着く、答えは――

 

「よし、今日は大人しく家にいよう」

 

「えー、ダメだよ! 外で遊ぶの!」

 

俺の提案の何が不服なのかは分からんが、抗議の声を上げるジャンヌ。

 

「でも、な。外見て見ろよ」

 

「うん、天気良いよね!」

 

「だよな。だから、家の中に――」

 

「――だから、外で遊ばないと損だよ!」

 

どうやら、ジャンヌの脳内では雨も降っていないのに外で遊ばないのは損だということになっているらしい。

 

このまま放っておくとどんどんジャンヌがヒートアップしそうなのでこの辺りで折れておく。外に出るのも地獄、このまま室内で熱くなるジャンヌの相手をするのも地獄。行くも地獄、居座るのも地獄なら、行った方がいいだろう。

 

「はいはい。で、どこに遊びに行くんだ?」

 

「うーん、と今日は川で泳ごうと思って」

 

なるほど、ジャンヌにしてはまともな提案だ。川に入れば幾分は涼が取れるだろうし、気持ちもいい。

 

「なるほど、それはいい。でも、お前泳げるようになったのか?」

 

去年一緒に川に行った際に溺れかけていたのを思い出す。

 

「うぅ……。で、でも私も九歳になったから泳げるようになっているはずだもん」

 

「なるほど、要は泳げないと……」

 

「うぅ……。お兄ちゃんがいじめる」

 

「分かった分かった泳ぎ教えてやるから、そんな顔するなって」

 

顔を俯かせている金髪美少女に、目つきの悪い青年。誰がどう見ても俺の方が悪者に見える構図だろう。

 

「ほんとっ!? お兄ちゃん大好きだよ!」

 

「はいはい。暑苦しいから抱き着くな」

 

にぱっと笑顔になり抱き着いてくるジャンヌを適当にあしらう。こっちはただえさえ暑くて死にそうなのだ。これ以上暑くなるのはかなわん。

 

「で、川に行くのは賛成だが、お前着替えとか持って来ているのか?」

 

この時代にまだ水着何てしゃれた物はなく、川で泳ぐときは大抵服のまま泳ぎ、着替えて帰るのが普通だった。

 

「え? 持って来てないけど」

 

「じゃあ、取りに帰るのか?」

 

「ううん、今から帰ったら勉強しなさいって捕まっちゃうじゃん。別に着替えがなくても服を脱いで泳げば濡れないし、大丈夫だよ!」

 

さぁ、行くよー! と俺の腕をとり先導するジャンヌ。

 

川でパンツ一枚で泳ぐジャンヌが一人前のレディになる時は、まだまだ遠そうだ。

 

今日も今日とて世界は平和。一つだけ望みがあるとすれば、太陽さんが手加減をしてくれれば、後は言うことはない。

 

 



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第三話

この作品書くに当たって色々とフランス旅行のことを思い出してみたんですが、覚えている内容が、

水より安いビールを飲み
水より安いワインを飲み

美術館に行こうと思って向かった先が不思議な呪文で飲み屋に変わり……。

エッフェル塔を見ながら出店でビールを飲むという、飲む、飲む、そして飲むの三拍子で全く当てにならない……。フランスに何しに行ったんだ俺。



口から吐いた息は白かった。先週から格段に落ちた気温は今週に入ってもまだまだ落ち続けるようで、もうすっかり吐く息は白く染まり、手袋とコートが必要な季節になっていた。

 

季節は冬まっさかり。再来週にはクリスマスを控えている十二月のある日午後の日の事、俺は何となく村にある教会を訪れることにした。畑仕事もなく、暇だったと言うこともあるし、何となく外に出て見たい気分だった。

 

頭上を仰げば厚い雲が一面を覆っている。この曇天さを見るに、近いうちに雪でも降っても可笑しくないな。

 

強い風が大地を撫でる。

 

――うぅ、寒い寒い。

 

俺はコートのポケットに両手を突っ込み、少しばかり足を速めることにした。

 

 

 

教会の重く大きな扉を開ける。キィーと金切り声を上げて開かれた礼拝堂の中には誰もいなかった。まぁ、この昼下がりにはミサもやっていなし、誰もいなくても可笑しなことはない。シスターも神父も基本的にこの村にあるもう一つの新しい教会に在住しているし、少し寂れたこの教会を訪れる人は少ない。

 

教会の中に一歩踏み込む。木製の床が軋んだ音をたてる。もう一歩踏み出す、今度は先ほどよりもさらに高い音がした。きっと、床が老朽化しているからだろう。このままいけば数年後には床がすっぽりと抜け落ちそうだ。

 

祭壇に近い一番最前列の木製の椅子に腰をかける。

 

正面の祭壇には神父が説教する時の机に、その後ろにはイエス様が形どられたステンドグラス、そしてその窓からは十字架が下げられている。

 

きっと、新しい方の教会にいけば誰か知り合いでもいるのだろう。

 

でも俺はこの古い寂れた教会の方が好きだった。それは日本にいる時も同じだった。信仰が現状で集められ続ける場所よりも、信仰が終わった後の方が好きだった。

 

京都にある有名なお寺や神社より、近所にある小さな寂れた神社の方が好きだった。そんなところの方が信仰を感じられたし、神様がいそうな気がした。

 

左胸に手を当て、目を閉じる。

 

別に誰に祈ってるわけでもない。俺は確かに日本にいた時から神社やお寺、そして教会めぐりが好きだったが、それは別に神様を信仰している訳ではなかった。

 

別に俺にとっては神様がいようが、いまいが別に関係なかったし、興味もなかった。神社巡りも教会めぐりもただ雰囲気が好きなだけであって、信仰されていたという跡が好きなだけであって別に信仰自体には興味はなかった。

 

 

そもそもの話が、俺は今確かにフランスで生きてはいるが、その大本は未来の日本の経験で形成されいる。根本的な在り方がこの中世フランスの人とは違うんだ。

 

かの哲学者ニーチェの言葉である。『神は死んだ』。この言葉が正しければ、ここに住む人達に神はいても、俺の中には神はいない。

 

そう、俺は神の死んだ後の人間なのだ。

 

だからこそ、この時代の人達とは根の部分から神の在り方が違うのだ。

 

でも、神を信じなくても、奇跡を信じなくても、信仰心はなくても祈ることは出来る。神に祈るわけでもなく、仏に祈るわけでもない。言うなれば、時代に祈る、運命に祈る。自分のために祈ることは出来ないが他人、この時代の人に対してなら祈ることが出来る。

 

――君に救いあれ。

 

これから先過酷な運命に翻弄されるであろう、少女のこれからを。

 

無力な俺は何も出来ずに、ただ目を閉じて、思うことが精一杯だった。

 

全く時と場所が変わったと言うのに、この世の世知辛さは、変わらないときた。本当に嫌になるよな……。

 

礼拝堂で吐いた息は、外と同じく白かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

部屋に戻ると先客がいた。

 

「お兄ちゃんおかえりー。どこ行ってたの?」

 

そいつは俺のベッドに寝転び、毛布と布団に包まりながら何やら紙を読んでいた。

 

最早、言うまでも無い、ジャンヌだ。

 

「ちょっと、散歩にな」

 

なんで俺の部屋にいるかなんて、聞くまでも無い。いつもの事だ。俺もこれだけ付き合いが長いとすっかり慣れてしまった。環境に順応するというのはある意味で怖いものだ。

 

「ふーん、そうなんだ」

 

ジャンヌは俺に興味があまりないようで、手元の紙をめくる。

 

来月で十歳になるジャンヌは夏のころとあまり変わらず、短い金髪に碧眼。最近は冬で寒くなって来たというのに殆ど毎日、外で野山を駆けめぐる生活を送っていた。ようするに活発、やんちゃな美少女のまんま。

 

唯一変わった面と言えば、こうして文字を読むことを覚えた事だろうか。

 

あまりに勉強嫌いで、すぐに逃げ出すジャンヌに匙を投げた彼女の両親が、目をつけたのが俺だった。何故かジャンヌは俺に懐いており、毎日俺の下に来る。そこで両親はジャンヌに家で勉強をさせることを諦め、俺に押し付けるような形でジャンヌの勉強を見るようにお願いした。

 

少しばかりはバイト代もでるし、ジャンヌの両親も半ばあきらめ半分の面があり、出来れば読み書きと簡単な計算だけ出来ればいいとのことだったので、軽い気持ちで引き受けたのだった。

 

「待ってたのなら、リビングで待っていればよかったのに。あっちは暖炉があって暖かいだろ」

 

我が家にある暖房設備は、リビングにある暖炉と湯たんぽくらいなものだ。いくら布団と毛布があるといってもリビングの方が断然温かい。

 

「大丈夫だよー、お兄ちゃんの毛布と布団があるし、それにおばあちゃんから湯たんぽも貰ったもん」

 

ジャンヌは目線を紙に落としながら話す。どうやら機嫌もいいらしく、鼻歌交じりに読み進めている。

 

「そうか、まぁお前がいいならそれでいいけど、風邪は引くなよ」

 

何とかは風邪をひかないと言うし、ジャンヌは間違いなくその何とかなのだが、万が一ということも一周回ってどうこうという可能性がないわけではない。風邪なんて引かれた日にはことだ。

 

「大丈夫だよ、私今まで一度も風邪ひいたことはないもん――うん、よし読み終わった!」

 

最後の行まで読み終えたのか彼女は満足げに頷くと、起き上がる。

 

「お兄ちゃん面白かったよ!」

 

「そうか、それは良かった。それは持って帰っていいぞ」

 

「本当、お兄ちゃん!? ありがとう! 愛しているよ!」

 

「はいはい」

 

抱き着いてくるジャンヌを適当にいなす。

 

ジャンヌに渡した紙は俺が書いたものであり、ジャンヌの教材代わりにもなっていた。

 

「やっぱり、悪の魔王は勇者によって滅ぼされるんだね!」

 

渡したのは、ジャンヌのように子供でも読みやすいように書いた物語。勇者様が魔王を倒すという王道中の王道だ。簡単な文法と簡単な単語を選んで書いているため、内容はちと薄いが、それでもジャンヌくらいの歳の子供からすれば十分楽しめる内容を書いたつもりだ。

 

初めは聖書でも渡すかと考えたのだが、ジャンヌは意外なことに教会によく顔をだして、シスターや神父の聖書の朗読を何度も聞いている。内容もその殆どを暗記しているようだった。なので、知っている内容を読んでも面白くないだろうと俺が適当に物語をつくり、それを元に勉強しているのだった。

 

「面白かったのなら良かったよ」

 

「うん、流石お兄ちゃんだよ! 次はあるの?」

 

「あぁ、もうできてるよ」

 

引き出しから暇な時に書きためた物語を取り出しジャンヌに差し出す。

 

「勇者様と悪の王様?」

 

ちなみにその勇者様の性別は女性。親しみを持ってもらおうとジャンヌを主人公にしてみた。ジャンヌも往々にして気に入ってくれているようだ。

 

「よく読めたな。偉い偉い」

 

頭を撫でてやるとジャンヌはエッヘンと胸を張る。

 

「最近は聖書も少しずつ読めるようになったんだよ! 凄いでしょ!」

 

「それは凄いな。この調子で頑張れよ」

 

勉強を教え始めたころは全くと言っていいほど文字を読めなかったジャンヌだが、ぐんぐんと進歩していき、今ではそこそこの文章なら読めるようになっていた。子供の成長というのは凄いものだ。特にジャンヌは聖書は好きだからなぁ、何かを読むというのはもともと性に合っていたのだろう。代わりと言っては何だが、数学の方は……。

 

まぁ、そこはジャンヌの人権のために黙っておこう。

 

「うん、お兄ちゃん。私はね、将来この物語の勇者様のように、誰かを救えるような人間になりたいと思うんだ」

 

真っ直ぐな穢れのない碧眼が俺を射抜く。ジャンヌは芯から純真無垢な笑顔だった。その表情から見て取れるのは憧れと切望。

 

「――そっか」

 

きっと俺の今の顔は歪んでいるだろう。

 

「――だって、正義の味方は必ず勝って救われるんだから……!」

 

物語を書いたことを少しだけ後悔した。



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閑話

なんか書いてる内に思っていた内容と違ってきたのでもしかすれば、消すかもです。


ジャンヌはこの日張り切っていた。子供の部屋の床に自分が持っている服をありったけ並べてみて、どんな組み合わせにしようかと、うんうんと唸って考える。

 

野暮なことを言ってしまえばどのような組み合わせをしようとも、上から羽織るコートのせいで服は見えないのだが、そんなことに気付くジャンヌではない。あれでもない、これでもない、と色々と引き出しにある服を床に並べていく。

 

「これは気に入っているけど、何時も着ているし、こっちは裾が破けてる……」

 

もう既にジャンヌの服は押し入れには入っていない。

 

子供部屋の床は既に足の踏み場もないのだが、それを気にするジャンヌではない。散らばった服を体に当ててはこれは違う、あれも違うとポンポンと投げ捨てていく。

 

絹のようなキメの細かい金髪に、大きな碧眼、顔はとても整っていて、誰がどうみても美少女のジャンヌは何を着ても画になる。しかし、当の本人はそんな美貌には気付かず……いや、あるいは気付いたとしても服選びを止められないだろう。

 

「うーん、これは日焼けで色落ちしてるし、この組み合わせは可愛くない」

 

体に当ては投げ、当ては投げを繰り返す。どういう拘りがあるのか、それは本人にしか分からないが、強い拘りがあるのは間違いないようだ。

 

今日はジャンヌにとって特別な日なのだ。この日を一か月以上心待ちにしていたジャンヌはあれこれと服を組み合わせていく。

 

ちなみに、その組み合わせがさきほどからループしていることは本人は気付いていないのは言うまでも無い。

 

「うーん、この服はあの子と被るし……これと、これの組み合わせは、子供っぽい……。うーん、あぁそうだっ! お姉ちゃんの服を借りよう!」

 

ついには同室の姉の引き出しまで無断で開けて、あれこれ服を広げるジャンヌ。

 

その後彼女は服選びに没頭し、気付いた時には時間を過ぎており、大慌てで家を出ていくのだった。結局、選んだ服はいつも通りの組み合わせだ。

 

家に戻ったジャンヌが部屋に先に戻っていた姉に怒られるのは、最早言うまでもないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一歩外に出た瞬間から空気が違うのが肌で感じた。あちらこちらから聞こえる笑い声に、何処からか漂う良い匂い。そう、今日は年に一度の村を上げてのお祭り、収穫祭だ。大人たちはワインを片手に談笑し、子供たちはいつもより豪華な料理に舌鼓を打つ。

 

すれ違う人たちは、皆笑顔だった。

 

待ち合わせの時間にジャンヌは小さな足と手を懸命に振り、村の中心を目指す。結構なスピードで人と人の間を縫うように走るジャンヌにすれ違った人々は一瞬驚きの表情を見せるが、それがジャンヌだと分かると、いつもの事か、とまた表情を笑顔に戻す。

 

笑い声と共に行き交う人々の挨拶に、ジャンヌは走りながらも丁寧に答える。ジャンヌはこの村の大人たちにとっては可愛い存在で、皆から愛されていた。人形のような容姿に明るく元気な性格、まるで人に好かれるために生まれてきた少女は、大人だけではなく、子供たちからも好かれ、村中の全ての子供が友達だと言っても過言ではないほどだ。

 

常日頃から野山を駆け回っているジャンヌの脚力は同年代の子の中でも高い方で、ジャンヌの目的地、村の中心部にはすぐについた。

 

目的の人物はすぐに見つかった。この村には珍しい、黒髪は目立つ。

 

村の中心部、大きなたき火のそばで、火にあたりながら何かを飲んでいる青年を見つけたジャンヌの足は一段と早くなる。

 

近づくにつれ、彼が周りの人達と話していることに気付いた。ジャンヌと同じくらいの子供かそれよりも少し年上の子が多い。面倒見がいい彼は子供たちに人気があった。

 

その中の一人と彼が楽しそうに笑いながら話しているのが目に入る。歳は彼と同じくらい、彼が村の子供たちの兄的な存在なら彼女は村の姉的なポジションだった。

 

その様子を見るなり、ジャンヌはむぅ、と顔をしかめる。

 

これは浮気だ。今日、私はお兄ちゃんとでぇとする約束をしているのに……。

 

勿論、青年とジャンヌとが恋人関係というわけではない。それに確かに今日青年はジャンヌと一緒にお祭りを楽しむとは約束したが、それがデートとは微塵も考えていなかった。それに付け加えればジャンヌが待ち合わせに遅刻したのが一種の原因なのだが、ジャンヌには関係ない。

 

しかし、向こうがどう思うとジャンヌの中ではデートだ。

 

ちなみにこれは蛇足になるのだが、ジャンヌ自身、デートと言うものが何なのかよく分かっていない。

 

姉の口ぶりからして、大人の女性と大人の男性が二人っきりで色々何かやることだと理解している。まぁ、ある意味で合ってはいるのだが、ジャンヌ中では“大人の女性”つまり、レディが行うということが大きな割合を占めていた。

 

いつもいつも、ジャンヌを「ガキんちょ」と言って子供扱いする彼に今日こそ、一人前のレディと認めて貰うのだ。流石にデートをすれば、彼も子供扱いしないだろう、ジャンヌはおおよそこんなことを考えていた。

 

相手がデートとこれっぽも思っていないのは考慮に入っていないのが、彼女らしい。

 

そもそもジャンヌにはまだ恋だの愛だの言う感情がどのような物か分かっていなかった。彼の事も好きだし、友達の事も好きだし、そして兄弟、両親のことも好きだった。言い換えれば村の皆が好きだった。

 

 

 

ジャンヌは顔をしかめたまま、走るスピードを上げる。

 

徐々に加速していき、全力疾走になる。

 

そして、そのまま

 

「おっと、ビックリした。ってガキんちょか」

 

彼の背中にダイブ。殆ど毎日、肉体労働をしている彼は体の線の細さの割には筋肉質だ。

 

ジャンヌの不意打ちの突進でも、少し体勢を崩しただけだった。

 

「むぅ、ガキんちょじゃないもん!」

 

「はいはい、と言うかいきなりぶつかって来たら、危ないぞ。こけたらどうするんだ。可愛い顔に傷がつくぞ」

 

青年は目線をジャンヌに合わせ、ほほ笑むとジャンヌの頭をポンポンと二回ほど撫でる。彼の黒い瞳がジャンヌを映す。

 

――可愛い……。お兄ちゃんが私を可愛いって言ってくれた。

 

ジャンヌは頬が何故か熱くなるのを感じた。そして、その瞬間彼女の先ほどまでの憤りは、彼女にも分からない内に何処かに飛んで行った。

 

「遅れてごめんなさい」

 

「うん? あぁ、気にするな。誰にだって遅刻はあるさ」

 

何故か恥ずかしくなったジャンヌは彼から視線を外し、斜め下を見ながら言う。

 

「あぁ、ジャンヌちゃん顔真っ赤だよ」

 

「うぅ……」

 

その様子を見て、青年と談笑していた少女がジャンヌをからかった。

 

「あはっ、お兄ちゃんの後ろに隠れちゃって可愛い!」

 

この気持ちが、ジャンヌにとって年上の存在に感じる憧れや情景なのか、それともまた別の何かなのか……。それは、当人以外には分からない。

 

いや、あるいは当人ですら分かっていないのかもしれない。

 

とにもかくにもジャンヌは毎日が幸せだった。これだけは間違いない。

 



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第四話

いつもより文字数が多くなりました。申し訳ない。

そしてジャンヌは確か十二歳の時に啓示を受けましたが、ここではまだ受けていません。なんで突っ込まないでくれると作者は嬉しいです。


雨が降っていた。部屋に唯一ある小窓からそとを見れば、灰色の世界。幾重にも斜めに走る銀箭が辺り一面を水墨画の世界に変えんとしている。

 

昨日の夜から降り始めた雨は、夕方になっても止む様子を微塵も見せず、その雨音を時には強め、時には弱めを繰り返している。その降り方はまるで辺り一面を海に変えんばかり……。俺としては川が氾濫する前にどうにか止んでほしいと願うばかりだ。まぁ、俺が願ったところで、降るものは降るし、止むものは、止む。一人の人間の力では天気はどうしようもない。

 

まぁ、そんな雨のおかげで今日の農作業は中止。久しぶりの休日となった。いつも勝手に侵入してくるジャンヌは今の時間は教会でお祈りの真っ最中。

 

だから、今日は本当に久しぶりに一人で部屋にいることになる。いつもは何だかんだ言って誰かといることが多いし、その誰かと言うのも元気活発なジャンヌが多い。なのでこうして一人で何もしないと言う時間がどこか新鮮で、どこか珍しく感じた。

 

晴耕雨読。晴れの日に耕して、雨の日は本を読む。

 

思えば日本では中々出来ないし、しようとも思わない暮らしを今はしている。

 

そりゃ、苦労も多いし、不便も多い。何と言っても21世紀の日本と比べて6世紀近くもタイムスリップをしてるんだ。ギャップなんて腐るほどある。携帯も無ければパソコンもない、そして、電気もなければ、水道だってない。勿論、電波なんてあるはずもない。

 

でも、生活は不便でもここで得られたものは多い。例えば、こういう風に雨の音をゆっくりと聞く機会なんて日本ではなかった。そこのアンタもそうじゃないか?

 

机に座りながら紙と向かい合い、雨の音に耳を傾ける。中々どうして悪くない生活じゃないだろうか?

 

少なくともダメ大学生で腐った生活を送っていた昔よりかは、今のほうが俺は幾分か気に入っている。そう、今はまだ俺はこの暮らしを気に入っていた。

 

――それがいつまで続くか……とりあえず、その考えは置いておこうと思う。

 

 

 

 

そんな感じで暫く雨音に耳を傾け、机に座り紙と格闘している時だった。

 

扉を開く音が聞こえた。相当、勢いよく開けたと見え、雨音にまぎれここまで聞こえてきた。

 

両親は俺と同じで今日は家にいるし、どこかに出かけるとかいう話も聞いていない。と、言うことは後は消去法ですぐに答えが導き出される。元よりここまで扉を酷使する人間なんて日本に住んでいた時も含め、一人しか知らない。

 

そして、聞こえてくるドタドタという足音。最近は、随分と大人びて来たと言うのに、今日はどうしたのだろうか。

 

まぁ、アイツのことだ。きっと、ただ元気が有り余って云々といった話だろう。昨日から降り続く雨のせいで外で遊べずにフラストレーションが溜まっているに違いない。

 

そして、開かれる俺の部屋の扉。背中越しにでも分かる扉を破壊せんばかりの音に、思わず予想のままだと笑みがこぼれる。

 

そして、次に出る言葉は、お兄ちゃんっ! と言う元気な叫び声に違いない。

 

俺がそう予想したところで、背中にかけられた声、

 

「……ぉ、お兄ちゃん……」

 

何時もと声色が違う。

 

何時もなら「!」マークが語尾に見える錯覚を起こすほど元気はつらつとした声なのに対して、今日はまるで消え入りそうな声。まるで張りがなく、泣きだしそうにも感じられた。

 

「どうした。何時にもなく元気がないじゃないか?」

 

これは何かあったか。

 

そう思い振り向く。

 

そして彼女と目が合う。陶器のような透明感を持った頬を朱にそめ、大きな瞳には大粒の涙を浮かべたジャンヌがそこにいた。恐らく傘も差さずに急いできたのだろう。ジャンヌは上から下まで濡れ鼠で。ポタポタと落ちて来たしずくが床にシミを作る。

 

「――っ」

 

予想をはるかに超える彼女の風貌に、声が出なかった。

 

確かにジャンヌは泣き虫でよく泣く。でも、それには必ず理由があって、このように俺の家を泣きながら訪れる何てことは今まで一度もなかった。

 

「―――――――っ。お兄ちゃん」

 

ジャンヌは俺の顔を見るなり、感情が表に溢れるのを我慢できないかのように俺の胸へと飛び込む。

 

雨に打たれ続けたせいだろう。ジャンヌの体は冷たかった。

 

暫くの間、ひっく、ひっくと嗚咽をこぼしていたジャンヌが顔を上げる。碧眼の綺麗な目は、少しだけ目尻が朱に染まっていた。

 

「ぉ、お兄ちゃん……?」

 

「なんだ」

 

ジャンヌを安心させる様になるべく優しい声色を使う。

 

先ほどから予想外過ぎる展開で少しばかり頭が混乱している。いつも笑顔なジャンヌがこんな風になるなんてよっぽど何かあったはずなんだろうが、その何かが分からない。

 

原因は分からないが、でも、それはきっと、よっぽどのことが在ったはずだ。

 

――そしてジャンヌは口を開く。その顔はどこまでも真剣で、どこまでも真面目だった。

 

「お兄ちゃん――結婚するってホント?」

 

なんだ、そんな事か。

 

――思わず笑みが零れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほら、機嫌直せって」

 

「別に私、怒ってるわけじゃないもん!」

 

「はいはい。それは悪かったな」

 

ジャンヌの髪に櫛を通しながら、ジャンヌの機嫌を直そうと努力する。

 

笑ったのが悪かったのか、それとも、ただ本人が恥ずかしいだけなのか、それはジャンヌしか分からないことだが、先ほどからジャンヌは真っ赤に染めた顔を手に抱いた俺の枕に埋めつつ、椅子に座っていた。

 

「でも、あれだぞ。お前が、子供たちの噂話を勝手に本当だと思い込むからいけないんだぞ」

 

「だって、みんな言ってたし……」

 

「小さな子だけだろ。大人に確認とらずに勘違いしたお前が悪い。それに、俺とアイツはそんな関係じゃないって知ってるだろ。アイツと俺じゃ身分が全然違うし、結婚なんて無理だよ」

 

先ほどの話の続きをしよう。ジャンヌがこの家に駆けこんで来た理由だ。短くまとめると、どうやら、俺が結婚すると言った噂をジャンヌはまともに受け取ってしまったらしい。

 

ことの発端は暇があったら面倒を見ている村の子供たちが俺と同年代の女の子と俺が結婚するらしいと勝手な憶測をたてて噂にしたことだった。そして、その根も葉もない噂をジャンヌが聞いた、ただそれだけのことだ。

 

勿論、そんな噂はあり得ないことだ。俺は、しがない農家で、彼女の家はこの辺りで一番大きな地主。身分が天と地ほど違う。フランス革命やらで平等主義の先端を走るフランスだが、それはまだ未来の話で、今はバリバリの身分社会。よほどのことがない限り、彼女との結婚はない。

 

それに俺は森からパッと湧いて出たような身元不明と言う経歴を持っている。そんなよく分からん男に誰が娘を預けるというのだ。

 

少し考えれば嘘だと分かる噂話。まぁ、それをまともに受けるだけ、ジャンヌはある意味で真っ直ぐな子とだと言えるだろう。将来、詐欺にあわないか、今から心配だが……。

 

「……うぅ」

 

まだ恥ずかしいのかジャンヌは枕に顔を埋める。うなじまで赤く染まっているところを見るに、顔の方はゆでタコだろう。

 

「よし、OK」

 

一通りジャンヌの髪を櫛でとき終える。そもそもの話、このサラサラな髪を櫛でとく意味があるのか、と男の俺は思うのだが、お袋がやってやれと言うのならやった方がいいのだろう。俺にはその辺りの感覚がイマイチよく分からん。

 

「それで、今日はどうするんだ? 服は今日中には乾かんと思うから今日は悪いが、その服で帰ってくれ、少しばかり大きいだろうが、そこは我慢してくれ」

 

ジャンヌが今着ているのは俺の普段着だ。今年の初めに十三歳の誕生日を迎えたジャンヌは背もだいぶ伸びたが、俺の方が言うまでもなくデカい。貸した服も袖を二重三重におらないと手は出ないし、ズボンに限ってはウエストが合わなすぎるため上からヒモで縛っているといった有様だった。

 

まぁ、それでも濡れた服を着るよりかはましだし、それに家に帰れば代えの服もあるだろう。ジャンヌの家から我が家までは5分もかからん。なのでちょっと辛抱だ。

 

「ぅん……それなら大丈夫」

 

枕に顔をうずめたままジャンヌは応える。

 

「そうか、そりゃよかった。服はそのうち返してくれればいいから」

 

「ううん、そうじゃないの」

 

「そうじゃないって?」

 

「今日は私、ここに泊まっていくから、家に帰らないの」

 

と、未だに枕から顔を上げずに、籠城を決め込んでいるジャンヌは爆弾を投下するのだった。

 

「は……はぁ!?」

 

 

そりゃ、どういうことだよ? そう俺が聞こうとするよりも前に、

 

「お婆ちゃんが、今日は濡れて服も乾かないだろうから泊まっていけばいいって言ってくれたもん」

 

「でも、お前の両親の許可が……」

 

「それも、さっきお婆ちゃんが買い物ついで取って来てくれたもん」

 

「……そ、そうか」

 

なるほど、リビングで何やら二人で話していると思ったらなるほどそういうことだったのか。

 

全く、お袋も何を考えているんだか……。

 

ジャンヌを帰らそうにも、ウチのお袋はジャンヌが泊まることを了承したし、ジャンヌの口ぶりからするに向こうの両親の許可も下りている、と。多数決では既に負けが確定しているし、それにさっき泣き顔を見ている手前、どうしても下手に出てしまう。何というか気まずいのだ……。

 

「はぁ……」

 

ため息を一つ吐き、ジャンヌを見る。先ほどから椅子の上に枕を抱えながら座る体勢で微動だにしない。

 

俺のすべきことはまずはジャンヌの機嫌を直す事だろう。

 

考えてみれば別に俺が悪い要素はどこにもないのだが、まぁたまにはいいだろう。

 

屋根を叩く雨音は止む気配がなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――うーん、やっぱりお婆ちゃんの料理は美味しいよ!」

 

夕飯を食べ終わるころにはジャンヌの機嫌もよくなり、いつものように笑顔で活発な声に戻った。

 

「そうかそうか、それはよかった。お前が美味しそうに食べてくれるからお袋も喜んでいたよ」

 

俺としてもジャンヌはこっちの明るい方が好きなので、調子が戻って何よりだった。

 

「今度お婆ちゃんが料理教えてくれるんだって! 楽しみだなぁ」

 

すっかり元気になったジャンヌは目を輝かせる。

 

「そりゃ、良かった」

 

「お兄ちゃんにもそのうちお弁当作ってあげるんだ」

 

「期待せずに待ってるよ」

 

「むぅ、弁当なんて作れっこないとか思ってるでしょ……。ぜっーたい、お兄ちゃんがびっくりするようなお弁当作ってみせるんだから!」

 

適当に返事をしたことに怒っているのか、ジャンヌは頬膨らませ、むぅ、と唸る。本人としては、私怒ってますということを表現したいのだろうが、いかんせん迫力と言ったものが全く足りない。これではハムスターやリスとどっこいだ。

 

「はいはい、それじゃあ明日も朝早いし、寝るぞ。そこのベッドは好きに使っていいからな。それと念のために窓の鍵は閉めとけ」

 

さてと、俺は腰かけていた椅子から立ち上がると、部屋を出るためにドアノブに手をかける。

 

流石にジャンヌと一緒の部屋には寝れんので今日はリビングにでも寝るつもりだ。昔の偉い人は言いました、男女七歳にして席を同じゅうせず、と。

 

「お兄ちゃん、何処に行くの?」

 

そんな俺の背中に掛けられたのは、不思議そうなジャンヌの声。

 

「いや、リビングだけど。俺は今日はリビングで寝るから、何かあれば言ってくれ」

 

そう言って、一歩踏み出した足が、

 

「何言ってるの、お兄ちゃん? リビングで寝なくてもここで寝ればいいじゃん」

 

止まった。

 

「ここってここにはお前が寝るベッドしかないぞ」

 

「うん、だから、このベッドで私とお兄ちゃんが一緒に寝ればいいじゃん。私もお兄ちゃんも太ってないから少し狭いかも知れないけど一緒に寝る分には問題ないよ」

 

「おい、ガキんちょ、言っている意味分かってるのか?」

 

俺の問いかけに、

 

「うん」

 

即断で頷くジャンヌ。その顔を見るだけで分かる。コイツは絶対に分かっていない。何なら賭けてもいい。

 

そして、今の俺の顔は何とも言えない微妙な顔になっているに違いない。

 

「さぁ、早く入って入って。私寝相があまりよくないからベッドから落ちちゃうかもしれないから、壁側ね。で、お兄ちゃんはこっち」

 

頭を抱えたい俺を横目に、ジャンヌはベッドの壁側に寝転ぶと、その横の空いているスペースをポンポンと叩く。

 

「それに最近暖かくなってきたっていってもまだまだ気温は低いし……。でも二人で寝れば暖かいし、風邪を引く心配もないね」

 

どうやら、彼女の中では俺が一緒に寝ることは確定事項らしい。そして、彼女の中では一緒に寝ることが当たり前だと思っているようだった。

 

「いやだから、俺はお前と一緒には寝ないって。今日はリビングに――」

 

そこまで言いかけた時、騒がしくベッドの上をパタパタと動き回っていたジャンヌが静かになった。

 

「お兄ちゃんは私と一緒に寝るの嫌なの? 私の事嫌いなの?」

 

なんで、そんな泣きそうな顔してるんだよ。

 

「――はぁ。分かった。今日だけだぞ、今日だけ」

 

その瞬間、先ほどまでの悲壮感に溢れた顔は何処かへ行き、花の咲く様な笑顔に変わるジャンヌ。

 

「うん、お兄ちゃん大好き」

 

全く男というのは、なんでこうも女の子に弱いんだろうな……。

 

そう思うのと同時に、とりあえずジャンヌには読み書きソロバンの前にもう少し貞操概念について教えておくべきだったと遅い後悔をした。

 

「えへへ、お兄ちゃんだぁー」

 

「おい、こら抱き着くな。もう少し向こうに――」

 

「――だって、これ以上は壁で行けないもん。狭いベッドだからこうして抱き着いた方が場所取らなくていいじゃん」

 

こうして、騒がしくも夜は過ぎていく。

 

勿論、俺とジャンヌはただ一緒に寝ただけであって、何か特別なことが起きたりだとか俺が手を出したりとかは一切ない。

 

ジャンヌはただの妹分で、それ以下もそれ以上でもないのだ。

 

このところだけは信じてくれると助かる。それに何かあったのならこの小説の対象年齢を引き上げないといけないしな。決してそんなことはなかったと断言しておこう。

 

え……? 描写が少ないって……?

 

何が楽しくて、こんな黒歴史に近いことを自らの手で詳しく描写せねばならんのだ……。でも、ただ言えるのは第二成長期真っ只中のジャンヌの体は若い男子には毒だったと言うことだけ書かせてもらおう。




作者は妹、結婚などの言葉を聞くと何故か漱石先生のこころが頭の中に浮かんできます。ついこれを書いている時も読み返したくなり、ついつい読んでしまいました。漱石の中では二番目に好きな作品です。以上、宣伝になっていない宣伝でした。


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第五話

一つばかり注意事項を……。

この話から先はいつもよりも更にオリジナル展開、オリジナル解釈を含みます。

いつも通りゆるゆると進めてまいりますが、少しだけ話が重くなるかもです。

実史とは異なる展開になると思います。目を瞑ってくれると助かります。作者は世界史が大の苦手です。

そして、この話は書くに当たって大分悩みました。もしかすれば、差し替えるかもです。

まぁ、話は徐々に進みますが、いつもどおり緩く読んでもらえれば何よりです。


俺が暮らす、ドンレミの村は、フランスの北東部に位置する田舎町だ。人口はそこそこの数がいるが、いかんせん田舎町、都会に比べるといささか活気に欠く。いや、まぁ俺はフランスにやって来てからこの方、このドンレミの村から一歩も出たことがないため、その辺りの事情は分からんのだが、時たま来る行商人の話を聞くに、都市はここに比べるまでもないくらい栄えているらしかった。

 

まぁ、そんな寂れた田舎町が我が故郷になるのだが、そんな寂れた田舎町も年に数回は活気づく日がある。

 

まず、一つは大みそかと新年。

 

次に、収穫祭。

 

そして、最後は今日、十二月二十五日。そうクリスマスだ。

 

クリスマスなんて、恋人がいらっしゃる人たちだけが楽しめる日だと、日本にいる時はずっと思っていた。勿論、俺には恋人なんていたことはないので、クリスマスなんてただの平日と遜色なかったのは言うまでも無い。

 

まぁ、俺の苦い過去を語った所で誰も楽しくはないと思うので、置いておくが、このドンレミの村、いやこの場合はフランスと言うべきか、ともかくここにおいてはクリスマスは村を上げてのお祭りになる。勿論、恋人がいた方が盛り上がるのはいうまでもないのだが、別に恋人がいなくても楽しめる日だった。

 

豪勢な料理が振る舞われ、美味いワインが飲める。大人も子供もワイワイと楽しめるのが、このクリスマスと言う日だった。

 

「……はぁ」

 

吐いた息は白かった。気温は日に日に置いていき、今日の朝は霜が降りていた。この分では今にでも雪が降っても可笑しくない。既に日は落ちているので今ここにあるのは月明かりだけ。たまたま満月の今日は明かりがいらないくらいに明るかった。

 

上へと昇る白い息はすぐにその色彩を失って見えなくなった。

 

体の芯まで凍えそうになる凍てつく寒さを感じながら目を閉じる。それはそうだ、ここには暖炉どころか暖房器具すらない場所。手入れされなくなって結構な年月が経ったそこは、ついに壁に穴が開いたと見え、隙間風がどこからか容赦なく吹き込む。これなら、村中でやっているたき火に当たった方が断然暖かい。

 

そして、壁もそうなら床も御臨終一歩手前で、踏む場所を間違えれば落とし穴の如く崩落する危険性を帯びていた。

 

しかし、ここによく来る俺はどの床が腐りきっているのか、なんて分かり切ったことなので、歩き回るのも苦労しない。目を瞑っても、いつもの定位置にたどり着くことはたやすいだろう。

 

「ここは変わらないな」

 

村の外れに位置する寂れた教会。新しい教会が建ち、その役目も、何もかもが終わったこの場所は、誰にも手入れされることはなく、後は朽ち果てるのを待つだけだった。敷地内には雑草が乱雑し、外壁には何かの植物のツタが巻き付き、そして綺麗だったステンドグラスは所々で割れている。ここは終わった場所、すべてが終わった後の場所。ここにはもう既に信仰はなく、ここにはもうすでに神はいない。

 

未来から来た俺には神がいない。そして、ここにも神はいない。何とも俺にぴったりな場所ではないだろうか? そして、思う。未来から来た俺が過去の人間にすら、見捨てられた場所が似合うとは中々に皮肉が効いている……。

 

 

耳を澄ませば聞こえるのは隙間風が吹き抜ける音と、その風に運ばれてくる活気のある楽しそうな笑い声。こんな寂れた場所にすら聞こえてくる。

 

そう、今日はお祭り。老若男女関係なく全ての人が笑顔になる日だ。

 

教会の最前列、木製の長椅子が俺の定位置だ。そこに腰かけ、特に何をする訳でもなく、ただただ考える。

 

――これまでのこと、そしてこれからのこと。

 

俺の知識が正しければ、そしてこの世界が俺の知っている世界であれば……。

 

どこかで、逃げていた。深く考えることを避けてきた。時がずっと進まなければいいと思っていた。でも、どれだけ願ったところで時が止まることはない。世界は動き続け、変わり続ける。

 

――俺がこの世界に来たことに何か意味があるのだろうか……?

 

何度か考えた疑問。その疑問の答えは何時も同じ。

 

――意味なんてない。全ては偶然だ。

 

日本にいた時はただの学生で、今はただの農民。こんな俺に出来ることはない。そして、きっと行動したところで何も変わらない。時代の波を止めることは俺には無理だ。時代を作るのはきっと英雄や豪傑、そして聖人……決して俺のような凡人ではない。

 

フランスと言う国はこれから先、激動の中を進んでいく。数多くの犠牲を生みながら、数多くのことを踏みつぶしながら未来へと進んでいく。未来を知っている俺には、きっとその流れを止めることなんて無理だ。ここに来た時から感じていた違和感。心のどこかにしこりがあるような感覚。疎外感とでもいえばいいのだろうか……。そんな感覚が常に俺を襲っていた。

 

その理由が今なら何となく分かる。きっと、世界が俺を否定しているのだろう。

 

未来から来た俺を、世界は未だに受け入れていない。そんな俺では何も出来ない。いくら未来の知識があろうが、少しばかり学があろうが、全ては関係ない。世界は敷かれたレールを進む列車のように決まった道を進むだろう。その前に俺が立ちふさがった所で、踏みつぶされて、吹き飛ばされて終わりだ。その歩みを変えるどころか、少しの時間留めることすら出来やしない。

 

――でも、もしも俺がこの世界に来たことに意味があるのなら。意味を作れるのなら。

 

もしもの話、IFの話だ。でも、その可能性を考えることはやめられない……。

 

そんな時だった。重い重低音を立てて、教会の扉が開かれる。

 

首を捻れば人影が一つ。優しい月光が彼女の輪郭を映す。

 

――息をするのを忘れた。

 

黄金の艶のある髪は癖という文字を知らないかのようにきめ細かく、そして白い肌は月明かりを反射し、さらに白さと神秘さを増していた。月光に照らされた彼女はまるで、物語に出てくる女神のようで、一瞬呼吸を忘れるほど美しかった。

 

「こんなところにいたんだ、お兄ちゃん」

 

俺と目が合うと、彼女は笑みを浮かべる。そして琳瑯璆鏘としてなるような声で笑うと、ゆっくりとこちらに近づく。ここ最近伸ばし始めて、今では肩に掛かるほどある髪が風に靡く。

 

床がギシギシと声を上げる。俺の体重では危ない所でも、彼女ならまだ平気なようで床が抜けるような様子はない。

 

「あぁ、少しな。どうして、ここが分かったんだ?」

 

さきほどの動揺を表に出さない様に務めて平生に振る舞う。内心を表情に出さない。それは得意だ。

 

「村の子がお兄ちゃんがこの教会に入るの見たって言ってたから」

 

「そうか……。それでどうしたんだ?」

 

「別に、急にお兄ちゃんがいなくなったから探してみただけ……」

 

「そうか、それは悪かったな」

 

「ううん、気にしないで」

 

彼女は俺の目の前まで来ると、俺の隣に腰を落とす。その距離は近い。肩と肩、体と体が触れ合う距離。

 

「ねぇ、お兄ちゃん。みんなの所に戻る前に少し話をしない?」

 

「……話?」

 

「うん、話」

 

「それはいいが……」

 

「うん、ずっと聞こう聞こうと思っていたんだけど、中々聞く機会がなかったから、これを機会に聞いておくね――」

 

彼女はここで一旦区切ると、続ける。その表情は普段と同じようで、まるでしがない世間話をするかのような気軽さがあった。

 

「――お兄ちゃんはなんで神様を信じていないの?」

 

――え?

 

思わず声が漏れた。

 

「それってどういうことだ?」

 

確かに俺は神なんて物を信じていない。信じてはいないが、毎週日曜日には教会にお祈りにいくし、神父の説教も一通りは聞いた。それに聖書だって目を通している。この時代は宗教が絶大なる力を持っていた時代だ。だからこそ、周りに合わせるように、形だけだがキリスト教徒として振る舞ってきた。

 

神を信じないなんて口にしようものなら、異端者審問を待つまでもなく火炙りだ。

 

だからこそ、このことは誰にも、両親にすら言っていない。

 

「別に見れば分かるよ。お祈りをしている時も神父さんの話を聞いている時も、お兄ちゃんは心が籠っていなかった。聖書だってまるで物語を読むように読んでたもん」

 

「……」

 

「何で分かるかって、顔してるね。……他の誰も分からないかも知れないけど、私は分かるよ。お兄ちゃんとずっと一緒にいたもん。お兄ちゃんは自分で顔に出さないのが上手いと思ってるみたいだけど、私にとっては分かりやすいんだよ」

 

「……」

 

何も言わない。いや、何も言えない。

 

「あぁ、別に心配しなくてもこのことを誰かに言うつもりはないから……。それに、神様を信じるか信じないかはその人次第だもん。だから、私が神様を信じるように、お兄ちゃんは神様を信じない。ただ、それだけの話。お兄ちゃんが書いていた物語で言っていた自由と言うのはきっとそういう事だよね」

 

「それにね、何となくだけど、分かるんだ。お兄ちゃんには秘密があるって、誰にも話せない凄い隠し事が……。その隠し事のせいで、神様を信じていないって私は分かる。そして、その隠し事でお兄ちゃんは悩んでいる……」

 

 

「――ねぇ、お兄ちゃん。私じゃダメかな。私は頭も悪いし、お兄ちゃんみたいに利口でもない。でも、お兄ちゃんが悩んでいるなら力になりたい。解決は出来ないかも知れないけど一緒に悩むことなら出来る。だから――」

 

その彼女の問いかけに俺は何と返すのが正解だったのだろうか。

 

誤魔化す? それとも言いくるめる? もしくは、否定する?

 

そのどれもが正解ではないことくらいは分かる。

 

世界は間違っている。選べる選択肢の中にいつでも、正解があるなんてことはない。選択肢は何時だって少ないし、時には選べないことすら多い。しかも、選択肢があるかと思えば、間違え方しか選べないことだってある。

 

「――――」

 

間違い方しか選べない中で、愚かな俺は、何もしないという最も浅墓な選択肢を選んでしまった。

 

間違い方しか選べない世界で、何も選ばないという最も犯してはいけない罪を犯した。

 

「やっぱり……やっぱり何も言ってくれないんだね。ううん、いいよ。ある意味で分かっていたから」

 

彼女は儚げにほほ笑むと、

 

「じゃあ、お兄ちゃんが何も言わないなら、私の方からお兄ちゃんに伝えたかったことを言うね」

 

そして、息を吐くと表情を変えた。すこし緊張したような口調。それは凍てつく夜風に運ばれて俺の耳によく届いた。

 

下唇を噛み、何か重大なことを決断するかの様な表情。顔は少し赤みを帯びていた。

 

「ずっと、伝えたいことがあったんだ。お兄ちゃんは私の事を何とも思っていないと思うけど私は違う」

 

何かを伝える決意をしたような顔色。頬の赤さは月明かりの下でもしっかりと分かる。

 

「お兄ちゃんが私に“まだ”秘密を打ち明けられないなら、打ち明けられるようになるまで、親密になればいい」

 

いけない。これから先はあってはならない。

 

人間と言うのは面倒な生き物だ。例え、お互いが言いたいことを理解してたとしても言葉になっていないなら、誤魔化すことできる。気付いていない振りが出来る。

 

「私は――」

 

しかし、一度言葉にしてしまえば話は別だ。一度口にした言葉は取り返しがつかない。例え、この場に俺と彼女しかいなくても、誰も聞いていなかったとしても、言葉に出してしまえば、もう取り返しがつかなくなる。

 

――聖女の愛は万人に与えられないといけない。

 

――聖女の愛はフランス全土に向かわなければいけない。

 

――だから、その先は……。

 

――でも、とも思う。

 

彼女がこの先を口に出せるのなら、きっと彼女は救われる。フランスという国を犠牲にするかも知れない。これから先の人類の歩みを少し緩めるかもしれない。それでも、彼女はきっと普通の村娘として、普通の幸せを手に入れることが出来る。それは何と素晴らしいことか……。

 

でも、

 

「――っ」

 

彼女が想いを口にしようとした時だった。

 

「ジャンヌお姉ちゃぁぁん! お兄ちゃぁぁん! みんな集まっているから早く来てよ!」

 

教会の扉が開かれ、活発な男の声が聞こえてきた。そして、数人の子供の話し声も……。

 

中々戻ってこない俺と彼女を村の子供たちが迎えに来たらしい。

 

「――っ。分かった! 直ぐに行くね! お兄ちゃん、いこ」

 

「……あぁ」

 

 

この結末で良かったのか、それとも悪かったのか、それは分からない。

 

でも、これだけは分かる。

 

――世界は間違いを許さない。

 

そして、時代はゆっくりと、でも確実に動き始める。

 

ドンレミに戦争の火の粉が降り注ぐのは、そう遠くはない未来の話だった。

 



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第六話

この作品は何も考えずにゆるーく読んで貰えると助かります。

そしてこの話で合計八話。……十話まで後二話か。

感想返しが間に合わないかもしれませんが、明日までには必ずお返しします。




その日はある春の穏やかな日だった。穏やかな斜陽が木々の隙間から差し込む森の中。

 

ドンレミ郊外の森の中の開けた場所。うっそうとしている森の中でも、そこだけは木々がまるで何かの不思議な力が働いているかのように避けて生え、日当たりが良かった。

 

日当たりが他よりか良いせいか、ここは春先にはよく花が咲き乱れ、まるで地上の楽園のような穏やか時が流れていた。

 

そんな場所で両膝を地面につき、両手を合わせる。そして、黙祷。

 

それの眼前には二つの十字架。製作者の技量のせいで少し歪な木製のそれは、不格好な醜態をさらしつつも、地面にしっかりと立っていた。寝る間も惜しんで一生懸命馴れない手つきで彫っては見たものの、やっぱり形は歪だ。もとより、鍬しか握ってこなかったような人間だ。工作何て上手く行くはずもなかった。でも、しかし、俺に出来ることと言えばこれしかない。それに多分あの二人も職人に頼むよりかはこっちの方が良かったと言ってくれる自信がある。

 

「親父、お袋……」

 

かの地に眠るは二人の男女。俺の命の恩人であり、深い愛情をもって育ててくれた二人は死んだ。ろくに恩を返せぬまま、永遠の眠りについた。

 

このような夢の詩のような国に、啼くは鳥、落つるは花、湧くは笑顔ばかりと思い詰めていたのは間違いだ。戦争の火の粉は海を越え、山を越え、川を越えて、この孤村まで逼る。

 

この二人が巻き込まれたのは偶然だった。ただ運が悪かっただけだった。

 

数日前に小規模な戦闘がこの村で起こった。幸いにも村の自衛団でどうにかなるレベルで、村としての被害は大きくはなかった。建物にも被害と言う被害はない。村全体で見ても死者数は二人だけ。

 

そう、二人だけだったんだ。犠牲者は……。ごく小規模な戦闘だったとはいえ、この被害で済んだのは上出来だろう。頭の中では理解している。納得もしている。

 

でも……。

 

でも、何でこの二人なんだ。

 

そう思わずにはいられない。敵がこの村にやって来た時、郊外の森の中にいたのが二人だった。そして、無情にも牙に掛けた……それだけの話。

 

――なんで、この日に……。

 

俺は二人の死を看取ることが出来なかった。全てを知ったのは敵が撤退していった後の話で、もう何もかもが遅かった。

 

――私たちがもし、死んだら、この場所に埋めてくれ。あの日あの時この場所でお前と出会えたのは、本当に幸運だった。知っての通り私たちには子供が居らんでな。お前が私たちの下に来た時は本当に嬉しかったんじゃよ……。お前と暮らし始めて、私たちの人生は輝きを取り戻した。毎日が楽しかった。ジャンヌという孫のような存在も出来た。きっと、これは神様が下さった奇跡だろう。だから、もしもの時があったら、この場所に埋めてくれ。お前は本当に私たちの自慢の息子じゃよ。

 

生前二人が言っていたセリフを思い出す。あの二人は既にあの時に、もしかしたらこうなることを予想してたのかもしれない。そんなはずはないと思いつつもそうは何故かそうは思わずには居られなかった。

 

「あの日、あの時、あの場所で貴方たちに出会えたことを感謝します」

 

二人の墓は俺と最も馴染み深い場所に作ってある。もう、言うまでも無いかもしれないが、ここは十数年前に俺が呆然と立っていた場所だ。俺の始まりの場所であり、物語の始まりの場所。そして、この二人に出会った場所だった。

 

そして、二人が死んだ場所でもあった。

 

人は何時の日にか死ぬ。永遠を生きることなんて出来ない。

 

そんなことは子供でも知っている。でも、俺は生きていて欲しかった。我がままでも傲慢でもあの二人には生きていて欲しかった。ろくに恩も返すことも出来ず、死を看取ることすら出来なかった。

 

何の因果か中世フランスにやって来て、命を救ってくれた最大の恩人に何も返す事すら出来ず、死に目にも合えない。

 

――本当に俺はここで何のために生きているんだ。

 

涙は出ない。「男は人前で泣くんじゃない、泣いていいのは――の時だけだ」それが親父がよく言っていたことだった。

 

何も出来なかった不肖な息子だが、これくらいは守りたい。だから、涙は流さない。

 

草木をかき分ける音が聞こえてきた。背中越しに声が掛けられる。

 

「お兄ちゃん、やっぱりここにいたんだ……」

 

「どうした? ここにいたら危ないぞ」

 

立ち上がり、振り向く。

 

「それはお兄ちゃんも一緒だよ」

 

何時もの笑顔と元気はどこかに潜め、綺麗な碧眼はどこか哀愁の念が声を潜めていた。

 

彼女の手には花束。村中を駆けまわって遊んでいた彼女にとっては、どこにどんな花が咲いているか何て誰に聞くまでも無く分かっていることだろう。

 

「お爺ちゃん、お婆ちゃん……」

 

彼女は花束を墓前に添えると、俺の横で手を合わせる。

 

 

その傍らで俺も再び手を合わせる。

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、お兄ちゃん。やっぱりやめないの?」

 

「あぁ、何度も言うように止めるつもりはない。戦争に行く」

 

これはきっと恨みという感情をもって復讐という行為に走ることになるのだろう。でも、俺にはこうする以外に方法はない。俺がこの時代のフランスに来て、一番世話になったのは、あの二人だ。あの二人に拾われなければきっと死んでいた。間違いなく命の恩人と言い張れる。

 

その二人が殺されて黙っていられるほど、俺は利口ではない。そして、このまま黙っていることは俺自身が許せない。

 

人を呪わば穴二つ。復讐は何も生まない……。

 

そんなことは分かっている。分かっているが、それでも止まれない。恩義を生きている内に返せなかったのなら、俺が取れる手段は一つだ。

 

俺の心は今なお、祖国日本と共にある。先人は義と言うのを大変大事にしたと聞く。ならば俺も義の一文字をもってそれに応える。賽は投げられた。

 

――この世界に来た意味を今なら見いだせそうな気がする。

 

――俺の命の使いどころはこの先にある。

 

「そう……」

 

彼女は短くそう呟いた。まるで、俺がこう答えると知っていたような口ぶりだった。

 

いや、事実彼女は知っていたのだろう。俺がこう答えることを。ずっと、俺の隣にいた彼女なら……。

 

「最後に一つだけ、言っておきたいことがある」

 

「……何?」

 

「俺は自分で戦争にいくと言うことを選んだ。そして、この選択をこれから先後悔することはないだろう。これから先、お前がどのように生きるか、どの方向に進むのか、それは自由だ。その選択に何も文句は言わない。でも、ただ一つ言っておきたいことが在る。どの道を進んでも後悔だけはないように……。これで良かったと最後に胸を張れる道を選んでくれ。神様を信じるのも、聖書を信じるでもいい、ただ自分の意思だけは欠くな」

 

後悔ばかりの俺とは違い、彼女は後悔をしてはいけない。

 

これは昔、ジャンヌに勉強を教え始めてしばらく経ったときの話だ。

 

ある質問を彼女に投げかけた。

 

『百人乗っている船と十人乗っている船に穴が開いて沈みそうになっている。しかし、ガキんちょには不思議な力があってどちらか一方だけの船を助けることが出来る。百人乗っている船は、みんなガキんちょの知らない人たちで、十人乗っている船の方はみんなガキんちょの知り合いだ。さて、キミはどちらを助ける?』

 

そうよくある命題だ。どちらかを救う話でもあるし、どちらかを見捨てる話でもある。どちらを選ぶにしろ、間違っていない。間違っていないが正解でもない。つまり、この問題には答えがない。

 

俺たち凡人はそこで迷う。功利主義だの、宗教だの色々と持ち出して考える。

 

でも、ジャンヌは違った。ただ一言、

 

『そんなの簡単だよ。――どちらも助ける』

 

『え? 聞いていたのかどちらかしか助けることは出来ないって』

 

『聞いていたよ。だから、どちらも助けるの。一生懸命お祈りすれば、神様だって助けてくれる。正義の味方は最後には必ずみんなを救うんだから!』

 

世界は間違っている。間違え方しか選べない世界で俺たち凡人は一番マシな選択肢を選ぶ。しかし、彼女は別だ。第三の選択肢を作り出す。全てを救う道を選び取る。

 

きっと、その道を選び取れるのは英雄やら、豪傑やら聖女やら、そういう物語の主人公の様な奴らだけだ。

 

そう、きっと彼女はこの時から、聖女だったのだろう。

 

そして、きっとこの時から彼女の運命は決まっていたのだろう。

 

「うん、分かっているよ」

 

彼女はそう短く、しかし力強く頷いた。

 

「そうか、ならもう言うべきことはない。村まで送っていくよ。物騒だしな」

 

「ありがとう。何も出来ないけどあなたのために祈ります」

 

これが村娘だった彼女と俺が話した最後の言葉になった。

 

彼女はこれからどのような道を選ぶのか……それは彼女の自由だ。

 

でも、彼女には出来れば戦場では会いたくはない。



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第七話

色々とあり感想の返信が遅れたことお詫び申し上げます。

そしてこれから先の話になるのですが、子ジャンヌ以下の頭脳の作者では百年戦争の話をまとめることは無理だったので、大幅に省略して、捏造の嵐です。何も気にせずに作中のように気軽にゆるゆると呼んでもらえれば幸いです。

そして、今回99、9パーセントジャンヌさんが出ない。この作品はジャンヌさん以外、人物の固有名詞を出してないので、会話の全てが名前のない人々の会話に……。

一体この作品はどこに向かっているのか……


――そこは地獄だった。

 

不格好の数えきれない矢が風切り音を上げて飛び交い、どこからか大きな爆発音がすると思えば、冷淡な砲弾が上から降ってくる。そして、襲い掛かるは、砲弾や矢だけではなく、時には投石器によって飛んでくる石や、投げ槍による投擲なんていうものもあった。

 

――そこは、地獄だった。

 

一歩足を前に進める。横にいた仲間が、空から雨のように降ってくる矢に貫かれ死んだ。

 

もう、三歩足を進める。俺の前を走っていた先輩が投擲による槍で胸を一突きされ死んだ。

 

もう、十歩足を進める。今度は俺の後ろを走っていた同僚が、砲弾によって跡形もなく消し飛んだ。

 

――ここは、地獄だった。

 

仲間が次々と倒れていく。

 

それでも、足を止めることは許されない――俺の後ろに続く仲間のためにも。

 

仲間が次々と死んでいく。

 

それでも、大声で叫ぶことはやめられない――止めてしまえば、恐怖に呑まれてしまうから。

 

誰かの叫び声に、血の匂い、火薬の爆発音に、矢が通り過ぎる度に聞こえる風切り音。ここでは死が間近にいた。隣人だった。すぐ傍にいた。

 

――そう、ここは間違いなく地獄だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦争に参加するに当たってはどこかの軍隊に所属しないとならない。俺には何の後ろ盾もない。貴族の知り合いなんていないし、武芸に優れている訳でもない。そして見た目も黒目黒髪の黄色人種で、それに加えまともな出生地すら分からないと来た、そんな俺がまともな隊に入ることなど無理だ。

 

だが、そんな俺でも入れる隊がある。死に最も近い隊とも呼ばれ、身元不明の奴らや、ならず者、さらには軽犯罪者などなどで構成される隊だ。その隊の受け持つことは単純明快、攻めの戦いなら、一番槍、撤退戦なら、殿。

 

一番槍やら、殿やら格好良く言ってみたが、ようは生贄なのだ。いくら大砲や、弓、投石器などがあると言っても長距離でどれだけやりあっても最終的には誰かが攻め込まないといけない。その誰かを先導するのが俺の所属する隊であり、本隊の前に突っ込む役目を担うのが、俺たちだ。

 

地獄に一番近いどころか地獄一番街だとか、致死率150パーセントの部隊、老後の心配いらずな隊など色々な異名を持つのがこの部隊だった。ちなみに致死率150パーセントと言うのは敵に殺される可能性が100パーセントで味方の誤射で死ぬ可能性が50パーセントだとか……。

 

冗談や誇張はあるにしてもそれだけ言われるだけの事はあり、次々と顔ぶれが変わっていった。最初の戦いが終わると部隊の半分の人間が死んでいた。二回目の戦いが終わると、俺より古い人間は片手で数えるほどになった。三回目の戦いが終わると、俺より古い人間は誰も居なくなった。そして、四回目の戦いを終えると……同僚すら誰も居なくなった。

 

五回目の戦いの時には既に俺がその部隊で一番の古株で、隊長と呼ばれるようになった。そして、六回目の戦いが終わり、それでもまだ生きていた俺は敵からも味方からも特別視されるようになった。

 

勿論、無傷という訳ではなかった。弓で肩を貫かれることもあった。投擲の石が兜に当たり、兜が割れることもあった。傷がない所がないくらいに怪我をした。指だって、右手の薬指が飛ばされてどこかに消えた。それでも、足は動く。剣は握ることが出来る。それだけで十分だった。俺に求められていることは誰よりも早く戦場を駆け、敵陣に突っ込むこと、ただそれだけ。足さえ無事なら指の一本や二本安いものだ。

 

ここは、軍の中で一番死の匂いが濃い場所。個人の強さ何て関係ない。圧倒的なまでに死が身近にあった。だからこそ、戦と戦の間には生を実感できたし、同じ部隊の奴らで一緒に呑んで騒いで、宴会を開くことが多かった。このメンバーで酒が飲めるのは最後だと誰もが知っていたし、誰もが死と言う圧倒的恐怖から逃げるために酒を飲み、騒いだ。

 

それはそんな戦いと戦いの間のつかの間の休息の日の事だった。俺がドンレミの村から出て、暦は二度ほど回っていた。何時ものように部隊の皆で酒を飲んでいた時の事、部隊の一人がこちらに近づいてきた。

 

「何だ、隊長……。また飲んでないのか?」

 

「すまないな、下戸なんだよ」

 

「ふーん、そうかいそうかい。さすが隊長強いんだねぇ」

 

「強い?」

 

「そそ、アンタ強い。俺たちのような屑はどうしても、酒に頼ってしまう。いつ死ぬかも分からない恐怖を酒で誤魔化そうとしている。そうしないと気が狂いそうになる。でも、アンタは違う。酒に逃げずに向き合っている。……何となくアンタが戦場で死なない理由が分かった気がするよ。これだけ強いんだ。それは少々のことでは死にはしないな……」

 

そう言って彼はジョッキを片手に笑った。顔は赤く染まっていた。

 

「別に強くなんてないさ」

 

そう俺は強くなんてない。戦場ではいつだって足が震えているし、何回も、何十回、何百回と死体なんて物は見たのに、それでも今でも戦場で見ると吐きそうになる。死という隣人に恐怖を抱き、夜だって眠れないことが多い。そりゃそうだ、今まで平和に暮らしてきた人間がいきなり戦場で武器を取れば誰だってそうなる。それにここはあの世に一番近いどころか、半ばあの世に足を突っ込んでいるような部隊だ。その恐怖も一入だ。

 

――でも、逃げれない。

 

何故なら、自分で決めた道だから。他の誰でもない、自分で自分自身で決めた道だから、例え間違えだったとしても、例えそれが最善でなかったとしても、その道を選んだ俺には、その道を受け入れる義務がある。決して逃げてはいけない。

 

他の誰もが否定しても、世界中の全ての人が否定しても、自分だけは、自分自身だけは己の選んだ道を肯定しないといけない。それが自分の選択に責任を持つということだ。

 

怖くて毎晩眠れなくて、いつでも逃げ出したくなるような心情を内に抱えていても、表面ではふてぶてしく笑っていなければいけない。

 

――そう、だから俺は強くなんてないんだ。

 

ただ逃げることが出来ないだけだから……。

 

――今まで死ななかったのはきっと……。

 

『あなたのために祈ります』

 

きっと、そういう事だ。

 

「そうかいそうかい。アンタがそういうのなら、そういう事にしておこう」

 

「あぁ、そういうことにしておいてくれ」

 

俺の言葉に彼は笑うと、手に持つジョッキを一気に煽った

 

「あぁ、そう言えば隊長は知っていたっけな?」

 

「何をだ?」

 

「オルレアンの話だ。あの激戦区に神の声を聞いた聖女が現れたらしい。それ以来兵士の士気も上がりに上がり全戦全勝だとか……。俺たちもそのうちオルレアンに飛ばされてるだろうから、きっと顔を拝む機会があるだろうよ。まぁ、それも生きていればの話だが……えーっと、その聖女様の名前は何だっけな……あぁ、そうだ! 思い出した――」

 

――やっぱり、やっぱりか……。

 

彼女はこの道を選びとったか。

 

彼女がこの道を選んだということは、つまりそういうことだろう。

 

もしかしたら、今の彼女ならこの選択肢を選ばないかも、しれないと思っていた。野山を駆け回って遊び回っていた彼女なら、この選択肢を避けるのではないかと、どこかで思っていた。

 

でも、彼女はこの道を選んだ。聡明な彼女のことだ。きっと、この選択が何を生むのか分かっているだろう。彼女が自分自身で選んだ道だ。なら、俺には何も言う資格はない。

 

「――ジャンヌ・ダルクだ」

 

村を出て二年、この名前を俺は久しぶりに聞くことになった。

 

そして、それから、一年後。オルレアン奪還の最大の戦にて、俺とジャンヌは何の因果か戦場にて再び顔を合わせることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日は良く晴れた日の事だった。青空が一面に広がり、空気が澄み通り、雲一つ見つからない。まさに快晴と言う二文字を体現した日だった。

 

そして、今日この日はフランスにとって大きな日となる。

 

オルレアン奪還戦線の大一番、一番大きな戦いが今日始まる。フランス全土から集められた軍隊はフランスが今持てる最大の兵力。この戦いで敗北するようなことがあれば、フランスはイングランドに攻め込まれる。

 

そんな大一番の日、開戦を待つフランス軍の前に一人の少女が立つ。艶のある金髪を風にたなびかせ、決意の色が籠った碧眼で眼前の兵士を見渡す。手には、純白の旗が風に揺られていた。

 

――本当にきれいになったもんだ。

 

遠目からしか見えないが、ここからでも十分に分かる。あのガキんちょがよくぞここまで、成長したもんだ。

 

彼女と戦場を共にするのは今日が初めてだ。それに俺はしがない一部隊の隊長、それもならず者が集まる隊だ。作戦会議なんて参加することは無理だ。それに比べて彼女はすでに軍の中でも指折りの地位にいた。そんな俺と彼女が顔を合わせる機会なんてなかった。きっと、彼女は俺がここにいることを知らない。もしかしたら、もう既に死んでいると思われているかも知れない。

 

「――っ―――――――っ!!!!」

 

彼女が叫ぶ。この声は離れている俺の下にも届いた。

 

信用の殆どない部隊なので、俺たちの隊は隅の方に追いやられていた。しかし、隅にいようとやることは一つ。ただ敵陣に駆け込むだけだ。

 

彼女のその呼応に応えるように兵士の士気があがる。もともと士気の高かった兵士の士気がさらに

上がる。

 

「―――――――っ! ――――!!!」

 

彼女の声は琳瑯璆鏘となるように綺麗で、でも力強く。俺たちを鼓舞させる。

 

「――――――――っ!!!!!」

 

彼女が最後の一言を言い終える。

 

その瞬間、兵士の士気が爆発した。爆発音に似た叫び声。後は開戦を待つだけだ。

 

 

 

 

「なぁ、隊長」

 

ふいに声を掛けられた。

 

振り向けば、俺の次に長くこの隊に努めている男が笑っていた。その横には部隊の皆がいた。皆、俺を見ている。

 

「どうした?」

 

「聖女様の演説も確かに良かったが、俺たちはアンタに今まで付いてきたんだ。特に二、三度、死線を乗り越えている奴らにとっては、聖女様のお言葉よりアンタの言葉の方がしっくりくるってもんだ。だから、一言だけでもいいから、何か言ってくれねぇか! きっとこれが最後の戦いだ。だから、頼むよ」

 

「……」

 

「おい、お前らあの“不死”の隊長様の有り難いお言葉だぞ! 心して聞きやがれ!」

 

彼はそう言って笑う。いや、彼だけではない。この部隊に所属するほとんどの人間が笑っていた。その笑顔を受けて俺も笑う。とても今から死にに行くような人間の顔ではなかった。

 

「聖女様の話の後に、俺のつまらん話なんてしても士気が下がるだけだから、手短に行こう。お前ら、空を見てみろ……。これ以上に無いってくらいの晴天だ。こんなに晴れる日なんて滅多にない! そして、今日のこの日は我がフランスにとって歴史的な日になるだろう。何と言っても、全戦全勝、神の声を聞いた聖女様がついているんだ! 最早、この戦、勝ったも同然だ!」

 

一人一人の顔を見渡す。皆、先ほどのまでの笑みを潜めて、真剣な表情で俺の言葉を聞いていた。

 

「なぁ、今日は“死ぬにはいい日だな”! こんな晴れた日に、フランスの記念すべき日に死ねたのならどれだけいいだろうか……。しかし! しかし、だお前ら! 俺たちのような、はぐれ者、ならず者には、死ぬには勿体ない日と思わんか!? こんな日に死のうものなら何かの間違えで天国にでも行きかねん! 俺は、いつか地獄で再び、お前たちと酒を飲むことを楽しみにしている! だから、死ぬな! こんな日に死ぬのはもったいない! 生きて、フランスの戦勝を共に祝おうではないか!」

 

そこで、息を大きく吸い込み。

 

「――Vive La France! (フランス万歳!)」

 

「「「――Vive La France! (フランス万歳!)」」」

 

隊の士気が最高潮に達した時だった。聖女様から開戦の合図が告げられた。聖女様が純白の旗を振る。

 

「いくぞ、お前ら! 死んででも生に食らいつけ!」

 

それを合図に剣を掲げ走り出す。

 

「「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」」」」」」

 

一瞬だが、戦場を駆けだす俺と旗をふるジャンヌとで、目があった気がした。何百メートルも離れた場所で、お互いの表情なんて見えもしない筈なのだが、それでも彼女は――一瞬、笑ったような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

この日、フランスは戦いに勝利した。

 

そして、俺の耳にジャンヌダルクが異端諮問に掛けられたという話が入るのは直ぐのことだった。




そう言えば、前の話で出した船の話、多くの知らない人を助けるか、知り合いの少数を助けるかの話ですが、皆さんならどちらを助けますか?

ちなみ私は、知り合いの方を助けます。


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最終話

一応の最終話になります。
そして最終話は今まで以上に捏造、想像に満ち溢れております。史実何て考えず、オリジナルの空想話として読んで貰えると助かります。色々と史実通りにのっとると収集がつかなくなるので……。

感想なのですが、嬉しいことに前回大変多くの感想をいただきました。本当ならば全ての感想に返信をしたいとこなのですが、数が多すぎてそれもままなりません。ですので、大変申し訳ないのですが感想を返信することを諦めました。もちろん、全ての感想には目を通しております。本当に感想を書いて下さった方々には感謝申し上げます。感想がなければ、ここまで早い更新はできなかったでしょう。

この最終話でも読んでみて思った内容を、何でも書いてください。作者が喜びます。

もしも、どうしても作者に聞きたい質問等があるのなら、感想蘭にその旨を記入してくだされば返答したいと思います。

そして、最終話は文字数が矢鱈滅多ら多いです。作者は子ジャンヌ以下の脳みそなので、最終話だけ矢鱈滅多ら長くなりました。お叱りは受けます。

前回の話の大砲の件ですがFGOでジルさんがドラゴンあいてに大砲ぶっぱしていたので、それで勘違いしていました。そう、全てはジルが悪い!


それは天気の良い日のことだった。春の匂いも色濃くなり、風に運ばれて花の香りが漂うそんな昼下がり。気候も穏やかで、気温も暑くもなく、そして寒くもなく、昼寝でもすれば、大変気持ちよく眠れるのは間違いない、そんな日だった。

 

 

――コンコン。

 

二回ほど、目の前の窓をノックする。俺の背丈の倍以上はある窓は一見質素だが、至る所に彫りこまれた匠の芸術が見て取れる。値打ちのあるものだというのは俺でも分かる。そして、窓の一枚でこれだ。この屋敷全体ではどれほどの価値があるものだろうか……。きっと俺には想像の付かない値になるのは間違いないだろう。

 

郊外にある、普段は使われていない別荘でも、これほどまで荘厳華麗なのだ。流石はフランス、貴族や王族の力は強いと見える。

 

ノックの返事はすぐに返ってきた。

 

彼は窓の外にいる俺を見ると一瞬顔をしかめたが、鍵を開けた。

 

「まさか、二回目が存在するとはな。とりあえず、入り給え」

 

家主の了承も得たことだし、窓から部屋に入る。普通に扉から入らない理由は、簡単。普通に訪れたんでは間違いなく門前払い、あるいは処罰されることが分かり切っているからだ。

 

俺みたいなならず者では、まず彼の顔すら拝むことは生涯ないだろう。

 

勝手知ったる人の家と土足で部屋に踏み込んだ俺に家主は苦笑いを浮かべると、丸イスに置いてあったティーカップに口をつけた。

 

なるほど、どうやらお茶会の途中らしい。

 

「全く白昼堂々とやってこられるとは思っていなかったぞ。どうやって入ったんだ?」

 

「昔の部下に優秀な奴がいましてね」

 

「なるほど、確かにキミの隊員なら、この程度の警備なら隙をついて侵入経路の確保をするくらいは、わけのない話かもな。本当にキミは優秀な部下に恵まれて羨ましい……」

 

彼は紅茶を一口飲むと肩を竦める。もともとの顔の形がいいのか、その動作はとても様に合っていた。

 

「まぁ、元はお尋ね人でしたがね……」

 

「それは昔の話で今は違う。まぁ無論、再び何か悪事をするというのならもう一度牢獄に入って貰うまでだがね。侵入経路は置いておいて、どうしてこの場所が分かった? この前の件でもそうだが、私の居場所は上の位の者しか知らない筈だが……」

 

「…………」

 

「おっと、これは別に聞くまでもなかったようだな。ジル・ド・レェ卿か……」

 

「出来れば彼は処罰しないで貰えると助かるのですが……」

 

「今の私はキミが知っての通りハリボテのまがい物の権力者でね。かのジル・ド・レェ卿を処罰できるほどの力はない、処罰をしたところで周りの貴族の反感を買いフランスがそれこそ、終わりかねん。それに、今のフランスの内情を考えるとジル・ド・レェ卿とキミの相手をするのは聊か厳しいのでね。分はわきまえておくよ」

 

「そうですか……。それは良かったです」

 

「どうだい? 紅茶でも飲むか?」

 

「いえ、遠慮しておきます。長居をするとお互いに悪いことしかないので」

 

「それは、そうだな。では、要件を聞こう。先に言っておくが、ジャンヌの解放は出来んぞ」

 

「それは分かっています。彼女の裁判は止められない、それは十分に理解しています」

 

ジャンヌの解放が無理なことくらいは分かっている。そして、それが出来たとしても彼女は望んでいないだろう。彼女が望まないのなら俺も望まない。

 

それでも俺がここに来た理由。

 

「――俺の命にどれほどの価値がありますか?」

 

「まさか、キミは彼女の代わりになろうとでも言うのか? 裁判はまだ終わっていない、彼女が無罪になる可能性もあると言うのに何を言っているのかね?」

 

「俺の前で取り繕っても無駄ですよ。この裁判は初めから結果の見えている裁判だ。判決を下すのが、イングランドの息のかかったピエール・コーション司祭の時点で結果は見えている。しかし、貴方はそれを黙認している。その理由としては……。そうですね、彼女の死と引き換えにイングランドとの停戦協定が結ばれると言ったところでしょうか……」

 

「私はつい先日、ジャンヌダルクの裁判に行ったが、彼女の態度は常に堂々としており、質問に対しても、これ以上ないといった受け答えをしていた。彼女は間違いなく、聡明で、頭の回転が速い少女だ。とても、村娘には見えなかった。あそこまでの問答が出来るのは高い教育を受けた貴族にすらそうはいまい……。その彼女には勉学を教えた師がその生涯でたった一人いたと聞く……。なるほど、確かに彼女の師は優秀だったようだ。この師にてあの弟子ありと言ったところか」

 

「よく調べてらっしゃる」

 

「大金を払って手に入れた情報だよ。金と権力に物を言わした結果にすぎん。そして、ご明察、その通りだ。イングランドは彼女の死を望み、それを引き換えに停戦条約が結ばれる。そして、私はその条件を飲んだ。裏切り者と罵られるのも、恩知らずと罵倒を浴びようとも私はこの条件を飲み、賽は投げられた。後はもう止まらない。彼女は間違いなく死刑になる」

 

彼は空になったティーカップにポットから紅茶を注ぐと、一つ口をつけてゆっくりと飲み干した。

 

「どうする? 腹いせに私を殺してみるか? 私を殺しても何も止まらないが、キミにはその権利がある。その腰に吊るされた剣で、私の心臓を切り裂くならば、私はそれを受け入れよう。あの地獄の一番隊、決して死なずと言われたキミに殺されるのなら、本望だ」

 

彼は豪快に笑いながら言う。しかし、顔は笑っていたが、目は真剣そのもので、もしも俺がここで彼の命を望むのなら彼は喜んで自らの命を差し出すだろう。

 

前に話した時から食えない人だとは常々思っていたが、流石にここまで食えない人だとは思っていなかった。やはり、人の上に立つ人間と言うのは往々にして一筋縄でいかない人間が多いらしい。

 

「それが出来ないと分かっていて言っているでしょう。それにもしも貴方の命が狙いなら、この前の時に既に襲ってます。貴方は正しいことをした。貴方は自分の情ではなく、国のためにを思ってこの決断をした。それくらいは俺でも分かります」

 

「……私はね。私はただの凡人だ。人の上に立つ才覚も才能も、人望も無い。ただ、この地位のある人間の下に生まれて来ただけの人間だ。私に才覚があれば、イングランドにここまで攻め込まれることはなかっただろうし、聖女もきっと助けられた。彼女は私の恩人だ。助けれるものなら助けたい。それは私の情だ。しかしだ、私は凡才でも人の上に立つ人間だ。その立場に立つ人間としては情を捨てねばならぬ。小を捨てて大を取らないといけない。戦争は起これば多くの人間が死ぬ。もうこれ以上自国の民が苦しむのは耐えられん。聖女には悪いが、彼女一人の命で平和が手に入るのなら……。私は情を捨て非道に走ろう。私が命を落とすことになろうとも、この条約は締結させてもらう」

 

彼は上に立つ者の責務としてこの判断を下した。これ以上、戦火で人が死なない様に、これ以上戦争の犠牲者を増やさない様に……。

 

沈没しそうになっている船が二つある。一つは百人の見知らぬ誰かが乗っている船で、もう一つは知り合いが十人乗っている船だ。そして、貴方が助けられるのはどちらか片方だけだ。

 

そんな状況の時、

 

俺は百を見殺しにして十を助ける。

 

彼は十を見殺しにして百を助ける。

 

ただ、それだけの話だ。人の上に立つ人間としてどちらが正しいかなんて言うまでも無いし、聞くまでも無いだろう。彼は人の上に立つものとして当然の行いをした。ただそれだけだ。

 

「えぇ、それは俺も痛いほど分かっています。それに、それに彼女もきっと、そのことは分かっていたんではないですか? むしろ、彼女のことだ。自らの命で多くの人間が助かるのなら喜んで命を差し出しそうだ」

 

沈没しそうな二つの船を見た時、彼女ならその両方を助ける道を選ぶ。

 

しかしだ、その時に両方をどうしても助けることはできない場合、彼女はどうする……?

 

――そうなったら、彼女は自らの命を差し出してでも両方を助ける。

 

彼女ともっとも長く過ごした俺なら分かる。ジャンヌダルクは、どこまで行っても聖人であり、正義の味方だ。きっと、あの日あの時から彼女の選ぶ選択肢は変わらない。

 

「そこまで、分かっておきながらどうしてここに来た?」

 

「だから言ったじゃないですか。――俺の命にどれほどの価値があるかって」

 

「確かにキミの名は戦場ではそこそこ知れていたが、イングランドが望んでいるのは、聖女の死だ。キミの首では残念ながら足りない。イングランドもキミの首は欲しいだろうが、今回の条件は彼女の首だ」

 

何の因果か知らないがただ“生き残っていただけ”の俺の名前も少しばかり兵士の間では有名になっていた。何でも少しばかりだが懸賞金なんて物もこの首に賭けられているらしい。しかし、あくまでも少しばかり有名になっただけで、それも兵士の間でだけだ。ジャンヌとは天と地ほど知名度は違う。

 

なんたって彼女は神の声を聞いた正真正銘の聖女。

 

対して俺は、ただ生き意地が汚いだけの一兵。そんな俺と彼女とでは釣り合うはずもなかった。

 

「自分の首が彼女の首と同価値なんてそんな自意識過剰な精神は持ち合わせていません」

 

「では、何かね?」

 

「彼女の処刑はどうあがいても止められない。それに彼女もそれは理解の上だ。俺に彼女の決断をぶち壊すような真似は出来ない。俺が聞きたいものはただ一つ。俺の首をもって、彼女が処刑されるまでの間、彼女の身の安全を保障してほしい」

 

「それは一体どういうことかね?」

 

「近いうちに彼女の裁判の判決が下る。そうなれば、処刑までの間、フランス軍ではなく、イギリス軍、とくにピエール司祭の息の根のかかった兵士が彼女の監視に当たるだろう。ピエール・コーション司祭ははっきり言って良い噂を聞かない。根っからの女好きなどという噂もよく聞く。そんな奴に彼女の監視を任せれば……」

 

「なるほど、確かにあれだけの絶世の美女だ。間違いなくその貞操は犯される」

 

「それを何とか阻止をしたい。賭けるのは俺の首だ」

 

「なるほど、理解した。キミの気持ちは分かった。でも、どうすると言うのかね?」

 

「彼女の保護を約束できる方法をあなたに聞きたい……」

 

「なるほど、キミがここに来た理由が分かったよ。彼女の身の安全を確保してもらうことと、そのためにはどうすれば良いのか尋ねて来たという訳か」

 

「御察しの通りです」

 

「ふむ、なるほど。残念だが、彼女の利になるようなことはしないと言うのが向こうとの条件だ。悪いが何も力になれるようなことはない。――しかしだ、一つ聞きたいことがある。なんで君はそこまで彼女の肩を持つ? 自分の命を犠牲にしてまでも、だ」

 

その質問の答えは決まっていた。

 

「それは、――――――――――だ」

 

俺の答えを聞いた彼は、口を大きく開けて笑った。その笑顔は先ほどと違い心の奥底からの笑顔だった。

 

「なるほどなるほど! 確かにそうだ! それだけの理由があれば十分だな!」

 

そして、暫く笑った後、

 

「しかし、残念だが、私が話せる内容はない」

 

そう断言した。

 

彼は話すことはない、確かにそうだろう。彼の悲願は条約の締結。このために彼は彼女を差し出した。その決意は本物だ。

 

――こうなれば、最終手段として……。

 

俺の考えがここまで、行きついた時だった。

 

彼は俺に背を向けると大きな窓から外を見るように立つ。

 

そして、彼はふと思いついたように口を開いた。

 

「まぁ、これは私の独り言になるのだがね。この部屋には誰もいないなら独り言をつぶやいたところで誰にも聞かれることはないだろう」

 

「彼女が幽閉されている塔だが、あれは裁判が終わると同時に、ピエール・コーション司祭が全ての権限を握ることになっている。つまり、判決が出る前にそこから囚人が出るようなことがあれば、司祭の権限から逃れたところで監禁されるようになるはずだ。もし、そうなればその囚人に恩義を感じている人間が、判決までは覆せないにしても、その囚人の身柄を刑の執行まで手厚く保護するくらいはするだろう。――さて、でもそうするにも囚人があの塔から解放されないといけない。あの塔は塔と名がつくものの、一人の囚人を幽閉するだけの機能しか持ち合わせていない。つまり、誰かもう一人、その囚人よりも重い罪を犯したとなれば、その誰かが塔に幽閉されるだろう」

 

「一般人ではどれだけ足掻いてもあの塔に幽閉されるだけの知名度も重要性もないが、もしもそれが戦場で名の知れた人物ならどうだろうか……。きっと、罪の重さ次第では、その塔に幽閉されるやも知れんな……。尚且つイングランド側で報奨金が掛けられている人物なら尚更可能性は高い。かの司祭は非常に小心者でありながら、傲慢で、尚且つ執念深い人物だ。そんな彼が命の危険にさらされたのなら、例えば剣を持つ、黒目黒髪の悪魔のような人間に殺されかけたのなら、彼はきっと許しはしないだろう。何せ小心者だ。自分の命が奪われかけたとなれば黙ってはおるまい」

 

決してこちらを見ずに彼は話を続ける。そう、これは彼の独り言なのだ。彼の目には誰も映っていない。たまたま、窓辺に立って独り言を言っているだけにすぎない。誰に話すではない独り言であれば、契約に違反はしないだろう。

 

「ピエール・コーション司祭は明日、内密で食事会に出席する予定がある。そして、その帰り道に、たまたま護衛が急な立ちくらみで意識を失う。その時に、たまたま賊が通りかかり、司祭を襲う。そして、司祭は後一歩のところまで追いつめられるが、たまたま意識を取り戻した護衛に助けられる。まぁ、もちろん偶々とは言え、護衛の任務を放棄した彼らは職を失うだろうが、何と、その捕らえた賊はイングランド側で懸賞金が掛けられている人物で、彼らは職を失った代わりに三代遊んで暮らせる大金を得る――どうだい? こんな物語は中々よくできた空想話だろう。おっとそうだ、この部屋には誰もいないのだったな」

 

彼はそう笑うと、自らの前にある大きな窓を開ける。

 

「さて、もうすぐ護衛が定期的に私を訪ねてくる時間になる。部屋の中まで彼は入り、危険がないか調べるからな……。まぁ、とりあえず空気が籠っているから換気でもしておこうか……」

 

そんな彼の背中に小さく頭を下げて、彼の視界に入らないように窓から外にでる。

 

やるべきことは決まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

黒髪の青年が出ていった後、カップに入った紅茶を飲みながら屋敷の主は呟く。

 

「あれがあの隊の隊長か……」

 

地獄一番街、致死率150パーセントの部隊、明日無き隊とも呼ばれるその隊の隊長。戦場に出た一線の兵士ならほとんどが彼の逸話を知っていた。

 

曰く、“決して死なない隊長”。

 

曰く、“不死”。

 

そんな異名を持つ彼について色々と調べている内に、一つの面白い噂話を聞くことが出来た。

 

かの隊長は決して死なないがその代わり決して殺さない。彼を現す最も適当な言葉と言われる、“不死不殺”とは決して死なず、決して殺されずの意ではなく、決して死なず、決して殺さずの意だと……。

 

「彼とは時代が違えば、良い友人になれたのかもな……。しかし、聖女とその師か、出来れば我が家臣に向かい入れたかったな。あそこまで頭が切れる人間はそうはいない――しかし、それはまぁ、無理な注文か」

 

深く大きなため息を吐くと、目尻を揉む。

 

「成功を祈っているぞ」

 

小さくそう呟くと再びティーカップに口をつけた。

 

冷めた紅茶は美味しくはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある夢を見た。懐かしい夢だ。

 

俺がまだ軍に所属する前の話で、ドンレミの村で暮らしていた時の夢だった。

 

それは雪がちらつく冬の話だった。毎週日曜日恒例の教会でのミサを聞き、何となく教会で聖書を読んでいた俺に、声が掛けられた。

 

「お兄ちゃん!」

 

「ん? どうしたガキんちょ」

 

顔を上げれば見慣れた顔。コートと冬用の帽子を被ったジャンヌが白い息を吐きながら立っていた。

 

「むぅ、私はもうガキんちょじゃないもん! 立派に成長しているもん!」

 

ジャンヌは俺の言葉に納得がいかないのか、グイッと胸を張りながら成長をアピールする。確かに第二次成長期を迎えたジャンヌは身長も体の肉付きも大人とそん色がなくなっている。こうしてコートの上からでもその凹凸は見て取れた。

 

――体は成長してもこんな行動するから、子供扱いされているんだが。

 

そんな俺の内心を知ってか知らずか彼女は偉そうに鼻を鳴らす。

 

「はいはい、分かった。で、なんか用か?」

 

「いや特に用事はないんだけど……ただお兄ちゃんがいるのが目に見えたから……」

 

「なんだそりゃ」

 

「お兄ちゃんが読んでいるのって聖書だよね?」

 

ジャンヌは俺の持つ本を指さしながら言う。

 

「あぁ、その聖書だ」

 

「ねぇ、お兄ちゃん。お兄ちゃんは死後の世界ってあると思う?」

 

この時、彼女が何でこんな質問をしたのか、その理由は俺には分からない。もしかすれば、この時にまだ前後に色々と会話があったのかもしれない。詳しいことはもう既に覚えていない。でも、俺は彼女がこの質問をしたことと、俺がこの質問に返した言葉は確かに覚えている。

 

「あると思うよ」

 

「それは、何で?」

 

「だって、そう考えた方が楽しいだろ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――おい――――! お――ろ! ――おい!」

 

どこからか声が聞こえてきた。そして、顔面に冷たい何かが当たる感覚。意識が徐々に覚醒していく。

 

「漸く目を覚ましたか、おい起きろ。移動の時間だ」

 

聞こえてくる声はフランス語でなく英語。

 

開けた視界に入るのは見慣れた牢獄。日の光の入り込まないこの部屋では昼間であろうが夜であろうが松明と蝋燭が必需品だ。薄く松明が照らす牢の中には二人の看守の顔。嫌と言うほど見飽きた顔だった。

 

腫れた瞼では目を開けるのさえ痛みを伴った。

 

「しかし、まぁ、よくも今日まで生きていたな、お前。普通の人間ならとっくの昔に五回は死んでるぜ。コーション司祭もやり過ぎだと思ったが、流石はフランス軍が誇る“不死不殺”の英雄様という訳か……。おっと、すまん今は“悪魔”だったか」

 

看守はそう言うと足を振りかざし、蹴りを一つ俺に入れる。

 

「――ぐっ」

 

何回も何十回も、何百回も受けた行為とはいえ、堪えるものは堪える。逆流してくる胃液を何とか抑える。

 

「おら、立ち上がれ。上半身は兎も角、足は殆ど無傷だろう。おらさっと立て」

 

髪の毛を掴まれ強制的に立たされる。全く手荒いことで……。口に溜まった血を飲み込む。その辺に吐き捨てようものなら、その十倍は血を流す羽目になる。もう、これ以上ないってほどボロボロだが、殴られずにすむならその道を選ぶ。

 

ここ暫くは壁に貼り付けにされたまま暮らしてきたため、立つと言う動作を随分久しぶりに行った気がする。少しふらついたがどうにか立つことが出来た。

 

「半ば冗談半分で立てと命じたが、本当に立てるとはな……。さすが指を切り落とされても笑っている化け物なだけはある。どんな精神状態ならここまで耐えれるのか……」

 

「少しばかり丈夫な物でね」

 

久しぶりに出した声はひ弱で、風が吹こうものならどこかに飛んで消えてなくなりそうだった。

 

「誰が口を開くことを許可した? まぁいい、とりあえず着替えろ、そんな服では表に出せんからな。曲がりなりにもお前は悪魔とは言え、フランス国軍のある部隊には異常なほど崇拝されているようだからな、見た目だけでも小ぎれいにしておかないと後が面倒くさい」

 

それは助かる。いくら俺でも最後の最後くらいは小奇麗で逝きたいからな。

 

本当にとりあえずとばかりに着替えさせられる。体の傷は服に隠され、手の指の損傷は布で覆われ、足の指は靴で隠された。

 

顔だけはどうしようもないが、それでも随分まともになった。今なら人間として見ることも出来るだろう。

 

「さて、手錠と足枷をするから、キリキリ歩け。この世とお別れの時だ」

 

漸くこの時が来たか……。

 

今の俺の表情はどうなっているだろうか……それは自分自身でも分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二人の看守に半ば抱えられるようにして外に出る。俺があの牢獄に入ってから幾らかの時が過ぎたのか俺には分からない。太陽の光が届かないあの場所では時間という概念すらない様にも感じられた。それに、拷問により気を失うことも多かったので体内時計も狂ってしまった。あの塔に俺がいたのが、三日なのか、一週間なのか、それとも一か月なのか、それは分からないが、俺が捕らえられた時よりも随分、気温は上がっており、もう寒くはなかった。

 

久しぶりに出た外は眩しくて思わず目をしかめた。少しばかり悪くなった視界で空を見れば青空が見えた。なるほど今日はいい天気だそうで何よりだ。

 

処刑台がある広場まで歩く、暫くまともな飯を食ってないのと日頃の拷問のおかげで、もう俺にはそこまで歩くことが出来る体力は残っていなかった。数歩あるけば気を失いそうになり、二人の兵士に脇を抱えられて引きずられるようにして移動するしかなかった。

 

処刑台の広場には既に大勢の人々がいた。そして、その中心には大きな柱が二本。

 

――ん? 二本……?

 

処刑されるのが俺一人ならば柱は一本でいいはずだ。わざわざ二本立てる意味はない。そんな俺の疑問は直ぐに解消されることになる。

 

俺が柱にくくり付けられて暫くした時だった。周囲の観衆たちがざわめき始めた。

 

人々が道を開け、現れたのは一人の男と数人の兵士、そして、一人の金髪の少女。

 

腰まで伸びる癖のない金髪に、綺麗な碧眼。まるで女神の写し変わりのような少女は質素な服を着たまま、堂々と歩いてきた。その様子はまるで処刑される罪人には見えず、手に嵌められた手錠が極めて異質に浮いていた。

 

彼女は俺と目が合うと、まるで全てが分かっていたかのように一つ頷いた。

 

そのことが彼女の決意の表れにも見えたし、彼女の全てを受け入れる心持ちを現した行為にも見えた。

 

――なんで彼女がここに……?

 

俺の疑問に答えたのは、柱の前に立っている一人の壮年の男だった。

 

司祭服を着た男は言う。

 

「何で彼女がここにって顔をしてるな! 悪魔よ! 私は知っているのだぞ! お前が、この異端者の師だということをな!」

 

この男の名前はピエール・コーション。そうジャンヌの異端諮問裁判の裁判官であり、俺をあの塔に幽閉した男だ。

 

「まさか、貴方がこんな情報を下さるなんて、思っても見ませんでしたよ」

 

コーションはジャンヌの前を先導するかのように歩いてきた男に声を掛ける。

 

これでもう彼の顔を見るのは三度目になる。見間違える筈もない。どうやら、ジャンヌの様子を見るに彼は約束を守ってくれたらしい。人を見る目には自信があった。彼ならジャンヌを守ってくれると信じていた。俺の目は間違っていなかった。

 

「いやはや、コーション司祭、私も偶然たまたまその情報を入手できたのですよ。私も、悪魔や異端者を許せなくてね、貴方に報告させていただいたまでです。悪魔も異端者も一緒に燃やしてしまいしょう!」

 

彼は大げさなまでに大声で話す。まるで、俺に声を届かせるかのように。

 

「そう! その通りです! 早くこの異端者を、殺して灰にしなければ! この二人を殺せば我が国も平和に近づくはずです!」

 

コーションは興奮したように叫ぶ。

 

そしてジャンヌは抵抗する様子は見せずに柱に縛り付けられた。その様子はやはり美しく、そして堂々としており、とても罪人には見えなかった。

 

「久しぶりだね、お兄ちゃん」

 

よこで柱に縛り付けられたジャンヌが言う。その口調は、あのドンレミの村で話した時と同じだった。

 

「よう、久しぶりだな。お互いボロボロになったもんだな」

 

「ボロボロなのはお兄ちゃんだけだよ……私は傷一つないよ。あの人に保護されるようになってからは、広い部屋にフカフカなベッド、そして、美味しい紅茶にお菓子まで出てきて貴族のような暮らしが出来てたんだ。流石に監視はいたけどね。まるで、自分が処刑される罪人だなんて忘れそうになるくらいだったよ」

 

――俺がこの世界に来た意味はあったのか……?

 

その質問の答えは何時も同じだ。

 

――意味はない。ただの偶然だ。

 

俺がこの時代のフランスに来たことは偶然で、そこに意味は無かったとしても、俺がここにいた意味はきっとあった。

 

――そう、彼女の純白を守れるのなら、きっとそれが俺がここにいた意味であり、そして俺の命はそのためにあった。

 

彼女の命を救うにはこの命では足りない。でも、この命で彼女の体が守られたのであればそれで十分だ。ただの農民の命でここまで出来るのだ、これ以上は望みすぎだし、彼女自身も望んでいない。

 

「そう……か。それはよかった」

 

口から出る声は心もとない。既に色々と限界が来ているのだろう。何だか目も霞んできたようだ。

 

「ありがとう、お兄ちゃん。守ってくれて」

 

「気にするな……妹を……守るのは……兄の責務……だから……な」

 

俺たちの柱の下ではコーション司祭が色々と話しているようだが、生憎それを聞くほどの体力は残っていない。

 

「本当にお兄ちゃんに出会えてよかったよ」

 

彼女の声色は震えていた。まるで、溢れ得る感情を我慢しているかのようだった。

 

『点火せよ!』

 

俺とジャンヌが話している間に無駄に長い話が終わったのか火が付けられた。火は勢いよく燃え上がり、俺たちを焼き尽くさんとする。もう俺たちに残された時間は少なそうだ。

 

「なぁ……お前は……お前は、この……結末……に満足しているのか?」

 

「何を言っているのお兄ちゃん。勿論だよ。私は納得してる、後悔も無い。私には皆を救う力はないけど、私の命でフランスの皆の命が助かるのなら……私はそれでいい。それが幸せだよ」

 

そう言って彼女は微笑んだ。その笑みはとても満足した笑みだ。

 

彼女はこの道を選んだのだ。

 

そして、彼女はこの結末に満足している。もう俺からは何も言うことはない。

 

――あの小さなガキんちょがよくぞここまで成長したものだ。

 

 

「本当に…………大き……く……なったな」

 

「……もう、小さな私じゃないんだよ。身長だって伸びたし、髪だってお兄ちゃんの好みに合わせて伸ばしたんだ。私、知ってるよ、お兄ちゃんが髪が長い女の子が好きだってことを。お兄ちゃんずっと村でも髪の長い女の子のこと横目で追っていたもんね。どう? 綺麗になったでしょ? 私」

 

バチバチと木が燃える音と同時に熱気が顔まで感じられる。膝辺りまで火は到達しているようだが、生憎さま足の痛覚はイカレてしまっている。熱さも痛さも感じないが、先が長くない事位は分かった。それさえ分れば十分だ。

 

「あぁ……綺麗になった……な」

 

煙を吸い込み息も絶え絶え、ジャンヌも同じなのか横でせき込む音が何度か聞こえて来た。

 

お互いにもう長くはないようだ。

 

「お兄ちゃんにそう言って貰えるなら髪を伸ばした意味があったね」

 

彼女は笑った。

 

そんな時だった。広場に集まった民衆の一人が声を上げた。

 

『隊長! 我々、隊員一同は隊長から受けた恩を忘れません! 最後の戦いが終わり、俺たちの命がいまだにあるのは隊長のおかげです!』

 

その声は聞き慣れた男の声、隊の中で俺と一番付き合いの長かった男の声だ。

 

『俺たちは隊長の意思を受け継ぎ、このフランスで精一杯生きていきます。ですので、隊長、地獄でお待ちしていてください! 俺たちは、遅くなっても必ず、隊長の下に駆け付けます! なので、隊長! あの世でまたみんなで飲みましょう! その時は隊長も飲んで下さいよね!』

 

警備兵が慌てて声の男を探すが、これだけの観衆の中だ。見つかる訳もない。

 

「さすが、お兄ちゃん、人気者だね」

 

――いや俺だけじゃなくてお前も人気者だよ。ジャンヌ。

 

観衆の中からまた声が聞こえた。

 

『聖女ジャンヌ! 私たちは貴方と共に戦場を駆け抜けたことを一生忘れない! 貴方の御旗の下に我らは戦ったのです。幾たびの戦場を、幾たびの戦を、貴方は間違いなく聖女だ。貴方は全ての人を愛し、フランスと言う国その物を愛した。そんな貴方の心を受け継ぎ、私たちはこのフランスと言う国を愛し、このフランスの発展に力を尽くそうと思います! 貴方の魂は天国へと導かれるだろう! 我らも天国に必ず向かいます故に少々お待ちください!』

 

戦争が終わりお世話になった男の声だった。

 

「ジル……」

 

彼女は複雑そうにそれでも、どこか嬉しそうに呟やく。

 

誰かが叫んだ。

 

『――Vive La France! (フランス万歳!)』

 

その声につられるように誰かが叫んだ。

 

『『――Vive La France!! (フランス万歳!!)』』

 

さらに、誰かが叫ぶ。

 

『『『――Vive La France!!! (フランス万歳!!!)』』』

 

広場全体にその波が行き届くまで時間は要らなかった。

 

『『『『『『『――Vive La France!!!!!! (フランス万歳!!!!!!)』』』』』』

 

広場の熱気につられるように火もその勢いを増す。黒い煙は俺たちを包み込み、俺はもう言葉を口にするのさえ困難だった。気を抜いたらその時点で終わりだ。それでもなお、俺が生きている理由、それは最後に彼女に伝えるべきことがあるからだ。それを伝えない限りは死んでも死に切れん。

 

「――ねぇ、お兄ちゃん。お兄ちゃんは死後の世界があるっていったよね。だから、こういう時はこう言うのが正解だよね」

 

――また会おうね、お兄ちゃん。

 

――あぁ、また会おう。

 

その言葉が音になったのかどうか、それは分からないが彼女が満足そうに頷いた。

 

「――そして、お兄ちゃん。もうお互い限界だろうから、最期に向こうに行く前に言いたいことを言うね。あのクリスマスの日に言えなかった言葉。でも、今なら言えそうな気がするんだ」

 

その先は言わせてはいけない。

 

「ちょ……っとまて」

 

「――え?」

 

文字通り最後の力を振り絞って声帯から声を絞り出す。後生だ、意地を見せろ俺の体!

 

「はぁはぁ……俺から……先に言っておきたいことがある……恐らく一回しか……いう体力がない……から、一回で聞いてくれ――――」

 

この一言に全てをかける。いつあの世に召されても可笑しくはない。

 

でも、この言葉伝えるまでは死ねはしない。

 

持てる限りの力を振り絞り言葉として表に出す。

 

「――ジャンヌ、お前を愛していた」

 

やっと言えた。これで、もう後悔はない。

 

「ずるいよお兄ちゃん。私が言おうとずっと思っていたのに……それにようやく、初めて名前を呼んでくれたね」

 

彼女の声は震えていた。

 

「――私もずっと前から貴方の事を愛していました」

 

彼女はそう言って碧眼から涙を零す。

 

――なんだ、結局泣き虫のままじゃないか……。

 

そうきっとこの物語は、どうしようもなく冴えない青年が、どうしようもなく美しい聖女に、どうしよもないくらい恋をする物語なのだ。

 

そして、ここに一つの物語が確かに終わった。

 

 

視界が白く染まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――気が付くとそこは森の中だった。

 

「――は?」

 

思わず声が漏れる。周囲に見えるのは木、木、木。

 

生ぬるい風が木々の間から吹きこみ俺の髪を撫でる。

 

自らの恰好を確認してみる。Tシャツに短パン。そして右手にはブラックコーヒーが入ったコンビニのビニール袋。試しに右手と左手を見てみる。右手、左手ともに十本の指がある。どこにも欠けている個所はない。そして大きさも申しない。小さくなっていると言うこともなかった。

 

それに足の指の感覚もある。どうやら全て元通りになっているらしかった。

 

――これは一体どういうことだ。俺はあの時確かに……。

 

まさかまたどこかにタイムスリップでも……。

 

そこまで俺の考えが回った時、

 

――ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!

 

今までに聞いたことのない声が頭上から聞こえてきた。

 

慌てて上を見上げれば木々の隙間から飛行する物体が目に入った。

 

大きな羽を羽ばたかせて飛ぶその姿は、どこか荒々しく、どこか神秘的だった。

 

強度な鱗が体を覆い、巨大で鋭利な爪を持つ、飛行物体。その様子はどこか爬虫類を思い浮かばせる。

 

――あれってまさか、ドラゴン……?

 

なぁ一つ話を聞いてくれないか。何すぐに終わる話だ。

 

『死んだと思って目を覚ましたらドラゴンがいる世界だった』

 

どう思う?

 

 

 

 

――続く?




こうして無事に最終話を迎えられてのは、皆様の応援のおかげです。特に感想、評価、誤字訂正には感謝しております。至らぬ作者がここまで至れたのは皆さまのおかげです。本当に感謝しております。

感想を見ていると悲劇になる派とハッピーエンドを望む派が大体半分半分だったように思えます。この終わりはどうなんでしょうね……。それは読者の皆様の判断に任せます。

ジャンヌさんは最後の方出番が少なくなってしましましたが、この物語は全てが彼女を中心に回っております。元々はジャンヌの幼少期をのんびりと書きたかっただけなのですが、どうしてこうなった……。

物語に落ちをつけようと思ったらこうってしまったのです。


長々とあとがきを書いても読む方もいないと思いますので、短く。

今まで応援してくださってありがとうございました。

一応、グダグダと番外編は書くつもりです。それともしかすれば、FGO編も……。まぁ全ては気分が乗れば次第ですが……。

一応この物語はここで終わりです。

またお会い出来ればよろしくお願いしますね。


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