ハリー・ポッターは諦めている (諒介)
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CHAPTER1-1

 物心ついたころには、ハリー・ポッターは人生というか世界というか、彼を取り巻くすべてのことに絶望し、失望していた。

 どうやら両親は彼が1歳になったばかりの頃に事故だか何だかで、まだ右も左もわからない赤子の彼だけを残して死んでしまったらしく、それ以降、決して折り合いが良いとはいえない母方の叔母家族、ダーズリー家で養育されていた。と言っても、今となっては養育などというのは形ばかりで、下働き扱いよりも奴隷扱いといったほうがしっくりくる程度の待遇だ。

 ハリーに与えられている部屋は、階段下の物置。それでも部屋が与えられているだけましだと自分に言い聞かせている。むしろ屋内に住まわせてくれているのだから、いっそ感謝すらしている。服は常にハリーと同じ年の従兄弟ダドリーのおさがりで、毛玉が浮き出たぶかぶかのセーターだが、それだって服があるだけ幸せだ、と自分に言い聞かせる。

 ともかく、福祉局の人間が見たら児童虐待の疑いを持って家に押しかけてきかねない状態ではあるが、そうなっていないのは、ハリーが自分は幸せなのだと周囲に話しているからだ。

 無職だったという自身の父親が残した資産などないにも関わらず、叔母のペチュニアは同い年の実子を育てなければいけないにも関わらず自分を引き取り、叔父のバーノンとともにそれでも育ててくれた。子ども一人育てるにはそれなりにお金がかかるにも関わらず、だ。

 義両親はともかく、「普通」であることをハリーに望み、厳しく躾けられた。しかし、ハリーがどれだけ努力しても、彼の周りで不思議な出来事が起こってしまった時期があった。不思議なことが起こるたびに、折檻はひどくなり、なぜハリーは自分ばかりがこんな目に合うのだろうと悲しんだ。そのうち、不思議なことが起きるのは、ハリーがとても嫌な気持ちになったり、怖いと思ったときだということに気が付いて、極力そういう気持ちが起きないように努めることにしたのだ。そして、あとは義両親の言葉に従って、いや言葉を待つ前に家事やらそういうことを済ませてしまえば彼らは必要以上にハリーに関わっては来ない。だから、ダーズリーの家の中でハリーはいないもののように扱われていた。

 息を殺して、物音を立てないようにしていれば誰も文句は言わない。

 それでも世間体を気にするダーズリーの両親はハリーをプライマリースクールに通わせてくれた。通い始めたころはダドリーを中心とした同級生にいじめられもしたが、ハリーがなんの反応も示さないことで興味を失ったのか、早々に無視をされるだけになった。それで十分だ、とハリーは思い、休憩時間の大半を図書室で過ごすようになった。そこには勉強嫌いのダドリー軍団は近寄らないし、何より静かだ。最初はただ逃げ込んでいただけだったが、何となく手に取った本は予想以上に面白くて、それ以降今日にいたるまでハリーは様々な本を読み知識を身に着けた。

 ともかくそんなある日の出来事だった。

 

 いつもと同じようにハリーはその家の誰よりも早く起き、前日の夜のうちに仕込んでおいたいつもよりも断然豪華な朝食の準備に取り掛かった。僅かな物音すら立てないように慎重に事を進めていると、出来上がった料理をテーブルに並べるタイミングでペチュニア・ダーズリーがダイニングに現れて、ハリーが並べたプロ顔負けの豪華な朝食に一瞥をくれると鼻を鳴らし、物置に戻るように顎で示した。

 ハリーは最後のミルクをテーブルに置くと、自分用に用意しておいたサンドウィッチと水を持ってそれに従った。

 チーズ入りのふわふわのオムレツに、焼き立てのクロワッサン。丁寧に裏ごしされてざらつきなどまったくないポタージュ。ビーンズをふんだんに使ったサラダと、ハーブを効かせたローストチキン。脂肪分高めの濃厚なミルクと、搾りたてのオレンジジュース。何をとっても完璧な朝食だ。

 今日ばかりは何もかもが完璧でなければいけないのだ。

 なぜなら、ダーズリー家の大切な大切な宝物の、ダドリーの誕生日なのだから。

 この半年、ダドリーが目覚める前にこの準備を終わらせるためにハリーは何度もシミュレーションを繰り返したのだから、失敗は許されない。事前に何を作りたいのかペチュニアに伝えれば、必要な材料費は提供してくれた。おかげで、使用した材料はどれも一流品だ。

 ハリーが階段下の物置に隠れるように飛び込むのと同時にばたばたとけたたましい足音を立てながらダドリーがダイニングに駆け込んでいった。

 ハリーはそれに一息つくと、用意した自分の朝食を口に運んだ。彼のサンドウィッチに使われているパンは見切り品のぱさぱさしたものだったが、口に物を入れることができるだけ、以前に比べて今は幸せだ。満足に料理もできなかった頃は、食事を抜きにされることも多かった。

 今日のダーズリー家は、ダドリーの完璧な一日のために彼の取り巻きを連れて動物園に行く予定であり、それまでにハリーは近所のフィッグさんに預けられる予定になっている。おばさんの家で過ごすにあたり、図書館から新しく数冊の本も借りているし、プライマリースクールの特別課題に取り組むのだっていいだろう。

 そんなことを考えながら、ハリーはサンドウィッチを呑み込むと、本やら課題をベルトで縛り上げた。これでいつでもフィッグおばさんの家に行ける。

 だが、そんなときにアクシデントは起きたのだ。

 どうやらフィッグおばさんが怪我をしてハリーを預かれなくなったらしい。

 ペチュニアとバーノンは何やら言い争っていたが、仕方なくハリーも動物園に連れていくことにしたらしい。彼らにとっても迷惑な話だろうが、ハリーにとっても迷惑極まりない提案だった。彼らについていくくらいなら、公園で一日過ごしたほうがよほど有意義だと思えるが、叔父叔母に逆らうなど、世界が滅亡してもあり得ない。ハリーはおとなしく彼らに従うことにした。

 別段動物に興味もないので、動物の檻から離れた場所からダドリー軍団が騒いでいるのを眺めていた。ひとしきり大型の動物を見飽きたところで彼らは爬虫類館に入っていった。面倒だと思いつつも、ハリーもそれについていく。

 爬虫類館の中は薄暗く、肌寒さすら感じる。それぞれのガラスで仕切られた展示ゲージの中の色とりどりの蛇のほとんどはその片隅で身を丸めるだけだ。ダドリー達はそれが気に入らないらしく、バシバシとガラスを叩いている。その姿をハリーは冷たく見やると、小さくため息をついた。

 元来蛇は活発に動き回る生き物ではないし、この建物の室温を考えると、彼らの閉じ込められている小さな箱の中だって、蛇たちにとっては寒いと感じられる温度なのかもしれない。変温動物の爬虫類は低すぎる気温の中では動き回れない。そんなこともわからない程度に自分の従兄弟は愚かなのだろうか、とハリーが首をかしげた時だった。

 ダドリーが激しく叩いていたボアの前のガラスが姿を消し、ダドリーはそのまま大きな蛇がとぐろを巻いている中へと転落したのだ。同時にそれまで全く動かなかった、ハリーの腕ほどもあるかという太さの大蛇がフロアに這い出してきて、あたりはパニックになった。ハリーはその状況を展示ゾーンから離れたベンチに腰掛けながら見ていた。どうせダドリーが馬鹿力でガラスを割ったに違いない。でなければ枠から外れたのだろう。にょろりと身をくねらせながら建物の外を目指す蛇が足元に近寄って来たので、ハリーは両足を持ち上げてそれを避けた。

 まだ落ちたダドリーのほうで、ペチュニアがヒステリックに叫んでいる。

 ハリーは関わるのも面倒だと、広げていた動物園のパンフレットに目を落とした。

 

 どうやらダドリーのための完璧な一日には大きなケチが付いてしまったらしく、ペチュニアは目に見えて機嫌を悪くした。これは巻き込まれる可能性が高い、とハリーは帰りに車の中で身を小さくしていた。ともかく、理不尽に八つ当たりをするには自分がうってつけだということをハリーは理解していた。

 だから、帰るなり余計なことは一切せずに階段下の物置に逃げ込んだ。こんなこともあろうかと、日持ちのするドライフルーツなどを隠し持っている。今回は一週間程度静かにしていれば叔母も機嫌も直るだろう。

 

 



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CHAPTER1-2

 ようやく叔母の怒りも静まり、日常を取り戻したその日。ハリーもいつも通りに炊事洗濯掃除など家事一般を黙って片付けていた。

 玄関を開ければ、郵便受けに何通かの手紙が届いていたので、ハリーは機械的にそれをリビングのコーヒーテーブルの上に置き、昼食の準備に取り掛かった。

 リビングでは、この秋からバーノン・ダーズリーの母校であるスメルティングス男子校に通うことになっているダドリーが、父親からどれだけ素晴らしい学校なのかということを繰り返し聞かされていた。

 筋に浅く切れ目を入れたポークをソテーし始めたところで、家じゅうにペチュニアのヒステリックな悲鳴が響き渡った。あの声のボリュームならば、「普通」を第一にしているダーズリー家の家訓に反して、悲鳴は数ブロックに聞こえてしまったかもしれない。

 ハリーはそんなことを考えつつ、焦げ付かないように慎重にポークを焼いていく。冷蔵庫には掃除の前に仕込んだクリーミーなポテトサラダが入っている。メインのポークソテーの付け合わせ用だ。

 すでにオニオンスープも仕込み終わっている。これは食卓に並べる直前に温めなおす予定だ。

 ハリーは自身の心の中にある嫌な予感をかき消すように、料理の手順を確認するが、否応なしにヒステリックに叫ぶペチュニアの声が耳に入ってきて、ハリーは耳を塞いでしまいたくなった。

 

「――来てしまったわ!!!!」

 

 ペチュニアの声は悲壮感に満ち溢れている。

 一体何が来てしまったの云うのか、ハリーは少し気になったが、あの叔母の声を聴く限りろくなものではないのだろうと考えて、完成したばかりの昼食をダイニングに並べ、まだ騒ぎの続いているリビングを覗き込んだ。

 

「あの、ランチできました。」

 

 ハリーは囁くような声で、リビングにいる義家族に話しかけた。

 バーノンは、頭を抱えて大声を張り上げ何やら叫んでいるペチュニアを抱きしめて宥めており、その近くで従兄弟のダドリーはただおろおろとしていたが、ハリーが顔をのぞかせると、睨みつけて言い放った。

 

「お前あての手紙のせいでママがおかしくなっちまったじゃないか!!!」

 

「ぼく宛の手紙なんて来るはずないじゃないか、ダドリー。きっと何かの間違いだよ。」

 

「でも、僕見たんだ。間違いなくお前宛さ、出来損ないのハリー・ポッター。だって階段下の物置に住んでいるとまで書いてあったんだ。ほかに誰がいる。」

 

 ダドリーは責め立てるが、ハリーには全く身に覚えのない話だ。あり得るとすれば図書館から、まだ返却されていませんという通知かもしれないが、図書館に住所を登録したときにわざわざどの部屋に住んでいるなんて書いた覚えはハリーにはなかったし、それ以上に期限を超えて本を借りたままにするなどありえないことだった。

 だからダドリーの言葉を信じる事なんてできなかった。それよりも、せっかくの料理が冷めてしまうことのほうが気になって仕方がない。豚肉は冷めたら美味しくないのだ。

 そんなハリーの思いとは裏腹に、ペチュニアがそのヒステリーを納める気配はなく、宥めているバーノンも途方に暮れているようだった。ダドリーはそんな両親を心配そうに見ていたが、それ以上に昼食に意識を持っていかれているようだった。

 ハリーは小さくため息をつくと、矛先がこちらに向かってくる前に階段下の物置に逃げ込んだ。今回、ペチュニアの機嫌が直るには最長期間を要するのかもしれない、などと考えながら、ハリーは借りてきたばかりの本を読み始めた。

 

 ハリーの予測とは裏腹に、ペチュニアはその日の夕方には機嫌を直したように見えた。

 いつもと同じように、ハリーが夕飯の支度をしているとうっすら笑顔を浮かべたペチュニアが近寄って来たのだ。正直、叔母が自分に微笑みを向けるなど天変地異の前触れ以外の何物でもない、とハリーは思わず身構えた。

 

「ハリー。お願いがあるのよ、ええ。料理はしなくていいわ。私たちは外で食べてくるから。それよりもね、やって欲しいことがあるのよ。」

 

 スープの材料の野菜を並べていたハリーにペチュニアはそう話しかけた。

 

「わかりました、おばさん。ぼくは一体何をすればいいの?」

 

 そう答えたハリーに、ペチュニアは一通の手紙を差し出した。

 おずおずとハリーはそれを受け取った。

 

「あなた宛ての手紙よ。そこにはあなたへの招待状が入っているでしょう。ホグワーツ魔法魔術学校などというふざけた学校のね。」

 

「魔法?そんなのあるわけない。悪戯ですか?」

 

 叔母の言葉に信じられないとばかりに、ハリーは手元の手紙を見やった。確かにあて先は自分の名前になっているし、見慣れない羊皮紙に封蠟までされている。ずいぶん手の込んだ悪戯だ、とハリーは思った。

 

「いいえ、残念だけど悪戯ではないの。だって、私はそれがあなたの母親に届いているのを見ているもの!でもね、あなたはその招待を断らなければいけないの。だから、今すぐ断りのお手紙を書きなさい。あとはおばさんが届けておくから。」

 

 そう言ってペチュニアはハリーをキッチンの隅にある作業台のスツールに座らせると、便箋とボールペンを手渡した。

 

「ぼくはそんな馬鹿げた学校には行きません。それだけでいいわ、ハリー。」

 

 言われるがままにハリーはペンを動かした。

 

 ぼくはそんな馬鹿げた学校には行きません。 ハリー・ポッター

 

 ダドリーの言葉は嘘ではなかったんだなぁ、などと考えながらそれだけを書くと、ペチュニアが奪うように便箋を取り上げた。

 

「さあ、自分の部屋に行きなさい。私たちは出かけるけれど、変なことを少しでもしてご覧。一週間はご飯抜きだよ!」

 

 言い捨ててペチュニアはキッチンを出て行った。

 ハリーもまた野菜を元の場所に戻すと、朝食の残りの硬くなったロールパンと水を持って階段下の物置に戻ったのだった。

 

 



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CHAPTER1-3

 あの悪戯めいた手紙はハリーの手元に残っていたが、彼はそれを読もうとも思っていなかった。この世界に魔法などは存在しないし、それらは作り話で物語の中にしかないのだから。ただ、記憶にない母親がそれを受け取っていたらしいことは少し気になっていた。だが、ハリーはそれをペチュニアに尋ねるなどしようとも思わなかった。あれ以降ピリピリとしている叔母の機嫌をこれ以上損なうわけにはいかない。

 だからハリーは、つとめていつもと同じようにふるまい新学期の準備を進める叔母の手伝いをしていた。

 嗅覚がマヒするような、どぶ色の染色剤に硬い生地のくたびれた服を漬け込む。これは九月からのハリーの制服になるものだ。古着だし、自宅で染めているとはいえしっかりと手順さえ押さえておけば、傍目におかしな仕上がりにはならないだろう。

 何も言わずに、自分から制服を染め始めたハリーを横目に見て、ペチュニアは大きく息をついたが、ハリーはそれに気づかないふりをして一心不乱に服をしっかりと漬け込んでいた。

 と、その時ダーズリー家のドアをノックする音が廊下に響いた。

 ペチュニアの肩が小さく跳ねる。

 ハリーはいつもの癖で、慌てて玄関に向かおうとゴム手袋を外しバスルームから飛び出ようとしたが、それは珍しくペチュニアによって遮られた。

 

「ハリー。私が出るから。あなたはここにいなさい。いいわね、物音も立てずここから一歩も出てはいけないよ。」

 

 そういったペチュニアの顔は、ハリーが見た表情の中で一番怖かった。

 叔母に逆らうつもりなど毛頭ない。ハリーはタイルの床に座り込み、ペチュニアの言う通りバスルームに籠城することを決めた。

 物音を立てず、いないふりをすることには慣れている。

 静かにしていれば、ペチュニアが何やらキンキンとした声で感情的に話しているのが聞こえてくる。時折、聞いたことのない低い絡みつくような男性の声も聞こえるが、ハリーは内容まで聞いてしまえば面倒なことになる、と夕飯の献立に思いを馳せた。

 魚があればアクアパッツァでもいいかもしれないが、ダドリーは大の肉好きだ。ボリュームのある肉料理のほうがいいかもしれない。そういえば冷凍庫に特売の時に買った牛塊肉がある。夏の陽気で煮込み料理というのも食欲が起きないから、ディアボロ風のソースのソテーにしようか。じゃあ、付け合わせは…。スープは冷蔵庫にヴィシソワーズが冷えているからそれを使おう。いや、それよりもデザートだ。ゼリーにも飽きているころだろう。ここ数日、見た目の涼しさだけでおもわずゼリーばかり作ってしまっている。これもやはり冷凍のベリーをカスタードクリームであえて見たもので、すこしこってり目にしてみよう。チョコレートプディングでもいいかもしれない。

 ハリーがそうやって現実逃避をしていると、不意にバスルームの扉が勢いよく開けられ、思わずハリーは小さく悲鳴を上げた。

 

「やめて!!セブルス!その子はどこにも行かせはしないわ!」

 

 ペチュニアの叫び声はまるで泣き声のようだった。

 

 ハリーはバスルームの入り口に立つ、その黒い物体に目をやった。夏だというのに全身黒づくめの人間がそこには立っていた。黒いローブに黒いマント。黒い髪はべったりと顔の縁に張り付き、黒い神経質そうな瞳がハリーを見下ろしていた。自分のことは棚に上げて、ハリーはずいぶんと顔色の悪い男の人だな、と思った。

 男は、ハリーと目が合うと深く刻まれている眉間の皺を一層深くした。

 座ったままでは失礼になるかもしれない、とハリーは立ち上がり、毛玉だらけでぶかぶかのダドリーのおさがりのセーターのほこりを軽く払う。

 

「えっと…」

 

 いったいどうして自分がここにいることがばれたのだろう。

 ハリーの心境は穏やかではなかった。ペチュニアの言いつけを守れなかったのだ。どんな折檻が待っているかわからない。

 おもわず怯えた目で、その黒ずくめの男の後ろにいる叔母に目を向けた。

 

「ハリー、あなたも言いなさい。そんなところには行かないって!」

 

「あ、うん。ぼくはそんなところには行かない。」

 

 ハリーは力なくペチュニアの言葉を繰り返した。

 しかし、その男はさらに表情を厳しくさせた。

 

「ペチュニア、知っているはずであろう。この子は魔法使いだ。リリーが、この子の母親がそうであったように。」

 

「ええ、知っているわ。知っていますとも。そしてリリーは死んだのよ!」

 

 ぼくが、魔法使い?

 ハリーは聞こえてきた会話に思わず首を傾げた。

 

「ぼくは、魔法使いなんかじゃない。だって、そんな、ありえない、まともじゃないよ、そんなこと。」

 

 ハリーの声は震えていた。

 

「ほう。ならば問おう、ハリー・ポッター。貴様が嫌だと思ったり怖い思いをしたとき、不思議なことは起きなかった、そう言い切れるかね?」

 

 男の声はとても低くてハリーをより緊張させた。

 ないよ、そう答えるべきだとハリーはなんとなく思ったが、言葉が声にならなかった。男の目はまるでハリーの心を見透かすように見つめてきて、喉を締め付けられているような気分だった。

 

「そうだ。あったはずだ。我輩にはわかる。貴様の心がな。貴様はそれらをなかったことにしたのだ。叔母たちが怖かったから、か。なるほど…ペチュニア・ダーズリー!!」

 

 歌うように滑らかな低い声は緊張はするが、ハリーの脳をマヒさせていく。なぜ答えていないのに、この男には自分の記憶がわかるのだろう。言われた通り、ハリーは幼いころに経験した不思議な出来事を思い出していた。

 

「そうだな。名乗っていなかった。我輩はセブルス・スネイプ。ホグワーツ魔法魔術学校の教授であり、貴様の母親を知っている。このマグルの叔母のこともな。」

 

 セブルス・スネイプはそう言うとペチュニアのほうに向き直った。

 

「たとえお前がどう抗おうと、こやつの入学を覆すことなどできない。どうしてもというのであれば吾輩が連れ出すのみだ。知っておろう、あの老人は諦めはせぬぞ。」

 

 この場にバーノンとダドリーがいなくて本当によかった、とハリーは考えていた。彼らは朝から、スメルティングス校の学用品の買い出しに出かけている。OB仲間にも声をかけ、ダドリーによりよい学校生活のスタートを切らせるための地盤づくりも兼ねているようだ。

 もし彼らがいれば事態はもっと混乱していたに違いない。

 

「でも、その魔法なんて、そんなもの、存在するわけないよ。やっぱり。」

 

 睨みあう大人二人の空気に耐え切れなくなってハリーは俯いて呟いた。

 幼い頃は、物語みたいに誰か自分を知っている人がここ、ダーズリー家から助け出してくれるのではないかと思っていたころもあった。だが、それが魔法使いなどと真面目な顔で言い放つ、黒づくめの機嫌も顔色も悪い男の人だなんて考えてもいなかった。

 つくづく自分はこういう損な星のもとに生まれてしまったのだ、とハリーは心底ため息をついた。できればどこにでもいる普通の男の子でありたかった。

 

「存在する、のよ。だから私は怖かった。」

 

 ペチュニアが吐き捨てるように言った。

 ハリーは「まとも」を何より愛する叔母がそういったことに思わず目を見開いた。

 魔法使いの存在を知っていた、なんて「まとも」じゃない!

 

「そう、貴様の母親は…リリーは優れた魔女だった。父親もだ。」

 

 母親のことを話すスネイプの目は優しげにも悲しげにも見えたが、父親については苦々しく吐き捨てた。

 

「そして、貴様を守って死んだ。」

 

 ペチュニアは俯いたままだった。

 初めて聞かされる両親の話にハリーは驚きが隠せなかった。なにしろ、ペチュニアは事故で死んだと言っていたし、父親はろくでなしで母はそれに誑かされた愚かな女だったと聞いていた。

 

「ハリー・ポッター。貴様はホグワーツで学ばねばならん。魔法の力は強大だ。だからこそコントロールする方法を知らねばならぬ。わかるな、貴様はホグワーツに行かねばならんのだ。」

 

 そういえば学校の図書館で読んだ本に魔女狩りというものがあったと書いてあった気がする。もし本当に、魔法なんてものが存在するとして、強大な力だからこそ人々は恐れたのだろうか。だとしたら、ハリー自身もまた狩られる側の存在ということなのだろうか。そんな恐怖感がハリーを包み込んだ。

 

「そんなことはないわ!ハリー、だめよ!セブルスの言うことを聞いてはだめ!!」

 

 まるで板挟みだ。

 ペチュニアも、このスネイプという男も一向に譲りそうにない。

 ハリーにはどうしていいかわからなかった。本で読んだ魔女狩りのように火炙りにならないためにはその魔法学校とやらに行くべきなのかもしれないが、ペチュニアはそれを望んでいない。

 二人はそんな状況に困った顔をしているハリーを見据えていた。

 こんな選択を迫られたことなど、初めての経験だった。しかもどちらの手をとっても遺恨が残りそうだ。それはハリーも望んでいない。なにより揉め事が大嫌いなのだ。

 ハリーはペチュニアの泣きそうな目を見つめ、そのあとスネイプの射るような黒い目を見つめた。おそらくはどちらも助けてはくれないだろうけど。

 

「成程、助けを求めるか。ならば暫く我輩が預かることとしよう。ペチュニア、お前はこの子を随分と疎んでいたようだがな。ホグワーツ入学は覆せん。たとえお前がどこまで逃げたとしても、我輩たちは貴様らを追いつめる。」

 

 スネイプの声に再度ペチュニアの肩が跳ねた。

 彼の声はまるで呪いのようだ。じわりじわりと絡みつき、体に刻み込まれていく。

 

「さあ、我輩に掴まりたまえ、ハリー・ポッター。」

 

 おずおずとハリーは手を差し伸べた。

 それを見てペチュニアが悲鳴を上げる。

 

「だめよ!ハリー、だめ!!!」

 

「でも、おばさん。このままじゃおじさんもダドリーも帰ってきてしまうし…いいんだ。ぼくがそのなんとかっていうところに行けばきっとこの人だってこれ以上ここには居座らないだろうし。そのほうが、おばさんのためだもの。だって、ぼくはまともではないんでしょう?なのに、今まで育ててくれた。それだけで十分だよ。」

 

 そしてハリーは黒ずくめの男、セブルス・スネイプのローブに掴まった。

 ペチュニアの悲鳴が聞こえる。

 スネイプは口の端だけ持ち上げて、にやりと笑うとどこから取り出したのか黒い杖を振るい、その瞬間ハリーのまわりは大きく歪んだ。いや、ハリー自身も歪んだ気がした。

 全身と世界そのものが捩じれる様な不快感は一瞬で、気が付けばそこは先ほどまでのダーズリー家のバスルームではなく、どう見ても廃屋にしか見えない一軒の家の前にいた。

 

 

 

 



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CHAPTER1-4

 ハリーはそれまで自分が住んでいた、プリベット通りから遠く離れたスピナーズ・エンドという寂びれた一角の廃屋のような家にいた。

 彼のために与えられた部屋はそれまでの階段下の物置とは比べ物にならないほどに広かったし、服にしてもハリーの体に合わない毛玉だらけのダドリーのお下がりではない。

 外観は雑草の生え放題の庭と、蔦に覆われくすんだ窓硝子のせいでまったく人が住んでいるようには見えなかったが、内側はそうではないということにハリーは当初驚いていた。これが魔法ということらしい。

 ここまでの移動も「姿現し」という非常に難しい魔法で、ハリー自身は「付き添い姿現し」とやらで連れてこられたということも分かった。

 埃だらけだった部屋も、スネイプが杖を一振りするだけできれいになってしまったし、魔法とは本当に便利なものらしい。

 連れてこられたその足で、スネイプはハリーをダイアゴン横丁という魔法使いの街へと連れて行き、秋から必要になる学用品を買い揃えた。教科書だけかと思っていたら、杖に制服、そして魔法薬学で使う道具に関しては非常に丹念にスネイプが選んでくれた。なんでもスネイプはその魔法薬学の教授らしい。

 しかしスネイプが色々と面倒を見てくれたのもその日だけだった。

 ホグワーツの教授職にある彼は非常に忙しいらしく、それ以降は一人でこの家の中にいることのほうが多い。

 書斎にある本は好きに読んでいいと言われたので、教科書をある程度読んでしまうとハリーは早速書斎の様々な本に手を伸ばし、魔法界のこともある程度分かってきた。

 魔法界は遠くない昔に、闇に包まれていて、その原因たる闇の魔法使いをどうやらハリーが滅ぼしたらしく、「生き残った男の子」などとまるで英雄の様に自分自身のことが伝えられていることを知った時には軽くめまいを覚えた。

 そして、偶然なのかハリーの11歳の誕生日にスネイプは久しぶりにその家に帰ってきた。

 そこで、ハリーはこのしばらくの間に生まれた疑問をぶつけてみてもいいものか、とゆったりとしたソファーに体を沈めて、何やら難しい本を読んでいるスネイプの後頭部を凝視していた。

 

「言いたいことがあればいいたまえ。」

 

 振り向くこともせず、スネイプはそう言った。

 どうも彼に心を読まれているのではないか、とハリーは思うときがある。初めて会った時もまるでハリーの考えていることがわかるかのように話していたし、今にしてもそうだ。

 ひょっとしたらそういう魔法もあるのかもしれない。

 そう思って、おずおずとハリーは口を開いた。

 

「あの、なんでMr.スネイプはあの日あの家に来たんですか?」

 

 あのあと初めて手紙の中身を読んでみたが、教授が来るなどと一言も書いていなかったし、ホグワーツには彼以外の教授もいるだろう。にもかかわらず彼が来たことが不思議でならなかった。尤も、あの時の話しぶりからするにペチュニアも彼のことを知っているようであったからそれが原因なのかもしれないが、入学を断ることのできない学校など聞いたこともない。

 

「貴様からの断りの手紙は確かにホグワーツに届いた。そこにはペチュニアからも重ねるように断りの言葉が足されていたわけだが…校長は当初、別の人物を行かせるつもりだったのだがね、彼ではいかんせん説得に向いていない。ほかの教授でもよかったのだが、我輩はペチュニアのことも知っている。だから我輩が向かったのだ。」

 

 もっとも説得はできなかったが。と付け加える。

 

「でも断ったのになぜ。」

 

「貴様は断ることなどできないのだ。随分本を読んだようだし、わかっておろう。自分が『生き残った男の子』と呼ばれる英雄であると。」

 

 心外だ、とハリーは叫びたかった。

 ホグワーツに行くことだって本当は望んでいない。それしか道がないのだから、それに従っただけだ。その上、自分の知らない場所でこんなにも目立つ存在にされているなんて入学前から気が重くて仕方がない。できる事なら今からでも入学を辞退したいが、それも許されなさそうだ。

 ついでにあのように出てきてしまったダーズリーの家にもう一度帰れるとも思えない。

 

「そして、闇の帝王はおそらく滅びてはいないだろう。貴様は命を狙われる存在、というわけだ。ならば身を守る術程度は学ぶべきであろう。」

 

 意地の悪い顔でスネイプはハリーのほうを振り向き、にやりと人の悪い笑みを浮かべた。

 本には闇の時代があったとは書いてあったが、どのように闇だったのかまでは詳しく書かれていなかった。ただ、闇の魔法使いと彼に従う「死喰い人」と言われる者たちが傍若無人の限りを尽くしたのであろうことは、ハリーにも容易に想像ができた。

 だが、自分がどのようにそのような強大な力に打ち勝ったのかはわからない。

 ただ、どうやら額にある稲妻型の傷はその時についたものらしい。これも本に書いてあった。

 

「でも、ぼくはじぶんのことも、どうやってその闇の魔法使いを打ち負かしたのかもわかりません。本にもその部分は書いていない。」

 

 ハリーがそういえば、スネイプは今まで見たこともないような悲しいような苦しいような顔をした。

 どうやらこれ以上この話題を続けるべきではない、とハリーは考え何とか代わりの話題はないかと考えを巡らせた。

 

「あ、その!えっと…入学まではまだ時間があるので、えっと、庭の草むしりをしてもいいでしょうか。その、いさせてもらっているわけだし、あの、なにかしないと。」

 

 ダイアゴン横丁に行ったときに、グリンゴッツという銀行にろくでなしだと思っていた父親がありえないほどの資産を残してくれていたので、その中からスネイプに夏の間の生活費を渡そうとしたのが、固辞されてしまいそれ以来何かしたいと思ってはいたが、言い出せないでいたことをハリーは思い出し、自分でもできそうなことを提案した。家の中は魔法できれいになるが、外はそうはいかないらしい。

 ペチュニアは常日頃、居候の身なのだからできる限りの家事をして家主の負担を減らすべきだ、とハリーに言い聞かせていた。だからハリーは何もできず、ひたすら本を読んでいる間居心地が悪くて仕方がなかったのだ。

 スネイプの目がじっとハリーを見つめていた。

 

「貴様の好きにすればいいだろう。尤も、予習を怠らない範囲であればであるが。」

 

 スネイプの答えはハリーの荷を下ろすには十分だった。

 予習を言いつけるあたりはやはり教授といったところか。それでもハリーは生まれて初めて誰かに期待されているのではないか、と思った。一方で、その期待を裏切ってしまうかもしれない自分が怖かった。

 

「そういえば、ホグワーツの森番のハグリッドから貴様への届け物を預かっている。誕生日祝いだと言っていたが…少し待つように。」

 

 そう言ってスネイプは立ち上がると、自身の研究室がある――この部屋はハリーは立ち入り禁止にされている――地下へと向かい、しばらくして、白い大きなふくろうが入った鳥かごと、何やら黒い皮に覆われた両掌よりも少し大きい箱を持って戻ってきた。

 ふくろうの入った鳥かごをハリーの前に出し、ハグリッドからだと告げ、黒皮の箱は自分からの誕生日プレゼントだと、スネイプは非常にぶっきらぼうに言った。

 押し付けられるままにハリーはそれらを受け取り、鳥かごを覗き込めば真っ白いふくろうがほーっと鳴く。

 誕生日プレゼントという聞きなれない単語にハリーは非常に困惑していた。

 言葉が出てこない。

 今まで誕生日だからといって何かをもらったことはない。あったとして、図書館でハッピーバースデーと刻まれたしおりを渡されたくらいだ。ひょっとして自分は騙されているのだろうか。嬉しいと思ってしまったらその瞬間にこの夢は冷めてしまって、ダドリーが「まぬけ!」といって蹴り上げてくるのではないか。そんな疑念すら湧いてくる。

 鳥かごには白い手紙がはさまれている。これもそのハグリッドという人からなのだろうか?

 ハリーの中で様々な思いが交錯する。

 

「まあよい。あまり難しく考えないことだ。素直に受け取っておけ。そして、魔法界ではふくろうが手紙を運ぶものだ。あとでハグリッドにお礼の手紙でも送ればいい。」

 

 それだけ言うとスネイプは地下の研究室へ戻っていってしまった。

 リビングのソファーの後ろに残されたハリーは、しばし放心した後、二つのプレゼントを抱えて2階にある自分に与えたれた部屋へと向かった。

 鳥かごと黒皮の箱をデスクの上において、鳥かごに挟まれていた手紙を開封した。

 

『おたんじょびおめでとう ハリー。

 本当なら俺がお前さんを迎えに行くはずだったんだが、なにしろ俺はああいう話っつうのがどうも苦手で。お前さんの両親はすごい魔法使いと魔女だった。きっとお前さんも才能に恵まれているはずだ。

 このふくろうはたんじょびぷれぜんとだ。きれいだろう?名前を付けてかわいがってやってくれ。

 ホグワーツで待っとるよ。 ハグリッド』

 

 ところどころ誤字の目立つその手紙をハリーは何度も何度も読み返した。

 初めて誰かから誕生日を祝われた嬉しさよりも、どう返事をしていいのか戸惑いのほうがまだ大きい。

 スネイプから渡された黒皮の小箱の中身は魔法薬の調合に使うらしい様々な刃物と薬さじなどのセットだった。いかにも魔法薬学の教授らしいものだ。

 どうやってお礼をすればいいのか、本当にハリーにはわからなかった。

 本来ならさっき、渡されたときにありがとうと言えればよかったのだが、出てこなかったのだ、その一言が。

 完全にタイミングを逸してしまった。

 ハグリッドにお礼の手紙を書きたいが、なんて書いていいのかもわからない。

 ハリーは羊皮紙を広げてはみたが、羽ペンを持ったまま固まってしまった。

 こうしてハリーの11歳の誕生日の晩は更けていった。

 

 



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CHAPTER2-1

 9月1日。キングス・クロス駅。

 前日、ロンドンにある漏れ鍋というダイアゴン横丁にある魔法使いのパブに泊まっていたハリーは、予定よりかなり早い時間にそこにいた。

 入学許可証とともにスネイプから渡されたチケットには9と3/4番線と書かれており、そこに行くには9番線と10番線のプラットホームにある煉瓦の柱を通り抜けなければならないということは聞いていた。もしその姿を「魔法」にかかわらない人々――マグルと魔法族は呼んでいるらしい――に見られでもしたら、魔法使いだとばれて火炙りにされてしまうかもしれない。もっともそんなことはないのだが、以前本で読んだ魔女狩りの記述は彼に恐怖心を抱かせるに十分だったらしい。

 だからこそハリーはまだ人が多くないだろう時間にそこに向かい、人目に触れないように柱を通り抜けることにしたのだ。

 首尾よく9と3/4番線に入ると、蒸気を上げる赤くて大きいホグワーツ特急の、なるべく入り口から離れたコンパートメントに身を隠すように入り込んだ。

 すでにホームにも車内にも数人の生徒がいた。まだ出発までには相当時間があるにも関わらず、だ。

 ハリーは、ホームから覗かれないようにコンパートメントの窓のカーテンを閉め、通路側のドアも閉ざした。

 徐々に車内は大勢の子どもの声で賑やかになっていく。ホームにも子どもと別れを惜しむ家族が大勢いるようで、様々な話し声が交じり合う。

 なんとなくハリーは悲しいような気持ちになった。それがなぜなのかはわからないが、耳を閉ざして膝を抱えるように硬い座席の上で蹲った。

 涙がこぼれそうになってくる。

 内側から湧き出てくるぐちゃぐちゃとした感情を抑え込むように、ハリーはさらに身を小さくした。

 

「ねえ、ここ空いてる?」

 

 コンパートメントの扉が開かれ、おずおずとそう声をかけながら赤毛のひょろっとした少年が顔を覗かせるが、ハリーはそれに答えることができなかった。それどころか、顔を上げることもできない。

 

「君、ひょっとして具合悪いの?」

 

 その赤毛の少年は、蹲るハリーの顔を覗き込もうと身をかがめて顔を近づけてきたので、ハリーは顔を背けるように身をよじったその時、ハリーの前髪が動いて稲妻型の額の傷があらわになった。

 それを見て、赤毛の少年は目を見開き声を上げた。

 

「ハリー・ポッター!!!君はハリー・ポッターだ!そうだろ?」

 

 大声で叫ぶ彼の口を、ハリーは慌てて両手で塞いだ。

 

「やめて!騒がないで。ここにいていいからやめて!」

 

 ハリーの必死な様子に少年はこくこくとうなずくと、コンパートメントの中でハリーに向かい合うように座って、身を乗り出してくる。そんな赤毛の少年を向かいのシートに押しのけて、ハリーはコンパートメントから顔を出し通路をきょろきょろと見回した。よかった。どうやら彼の叫び声を聞いたものはいなかったようだ。ほかの生徒たちはだれもこちらの様子など気にしていないようだった。

 ハリーは大きく息をつくと、コンパートメントで騒いだ少年と向き直った。

 

「…で、ハリー・ポッターなんだろう君は。」

 

 もう一度、その少年は声をひそめてハリーに声をかけてきた。さながら内緒話でもするように、回りに聞こえないように小さな声で目を輝かせてハリーを覗き込む。

 

「そう、だけど…。」

 

「わお、すっごいや!ああ、ごめんね。ぼくはロナルド・ウィーズリー、ロンって呼ばれているんだ。」

 

 気が付けば列車はキングス・クロスの駅を発車していた。カーテンを閉めていたことと、感情の混乱と、ロンの大声で気が付かなかったらしい。そのカーテンはロンの手によって、なんか暗いねと開けられた。

 

「ハリー。君はどこの寮に入りたい?ぼくのうちはみんなグリフィンドールなんだ。うちには兄貴が5人いて、ビルとチャーリーはもう卒業しちゃったけどパーシーはグリフィンドールで監督生をしているんだ。あとジョージとフレッドは双子なんだけどやっぱりグリフィンドールで…」

 

 興奮気味に話しかけてくるロンにただ頷きながら、ハリーは聞いていたが、うまくその話に入るきっかけが掴めないでいた。

 どうやらロンはグリフィンドールに入れなければ親から見捨てられるとでも思っているらしかった。彼の話の端々に彼の家族が仲が良いらしいことが窺えて、ハリーは胸がチクチクと痛むのを感じた。

 

「ぼくはグリフィンドールに入れるかなぁ?ねえ、ハリー、君はどう思う?」

 

「はい、れるんじゃないかな?」

 

 ハリーの言葉にロンが嬉しそうに顔を綻ばせる。

 その後もロンは色々なことを話してくれた。魔法界で人気のスポーツのクィディッチのこと、兄弟のこと、家族のこと、そして兄弟のこと。

 

「ねえ、ハリー。君のことを教えてよ。」

 

 ロンはねだってくるが、ハリーは困ったような顔をして言葉を詰まらせた。

 いったい何を話せばいいのだろう。ロンのように楽しくダーズリー家のことなど話せそうにないし、両親は顔も覚えていない。

 

「特に話すことなんて…」

 

 ハリーがそう答えると、コンパートメントには沈黙が訪れた。

 ロンはペットだというネズミを撫でながら窓の外を眺め始めた。あれだけ色々熱心に話しかけてくれたのに、友だちになれたかもしれないのに、とハリーの中で後悔が渦巻いた。

 一人でいることが多かったハリーは誰かと話すということが非常に苦手だった。

 夏中彼を預かってくれたスネイプは必要以上話しかけてこなかったし、なにしろほとんど家にいなかったのだから話したことも数える程度だ。そう考えれば、非常に過ごしやすい環境だった。

 きっとこの先もこのロンのように『ハリー・ポッター』だというだけで声をかけられることもあるのだろう。あの彼の叫び声は誰も聞いていなかったようだが、もし聞かれていたらもっと大勢の人がハリーのもとに来たかもしれない。そうなったとき、ハリーはどうすればいいのだろう。

 息が苦しくなるような空気に押しつぶされるようにハリーは俯いたままでいた。

 この空気がこの先も、学校につくまで続くのだろうか。

 どうにかしてもう一度ロンと話してみたいが、まったくどこから話していいかハリーにはわからなかった。

 



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CHAPTER2-2

 自分のせいでロンにも居心地の悪い思いをさせていることにハリーは非常に苦しんでいた。

 そんな時、コンパートメントのドアが開かれた。ハリーがそちらを見やれば、そこにはプラチナブロンドの髪をオールバックに撫でつけた色白の少年が、彼よりも一回りほど大きい二人の少年を脇に従え立っていた。

 

「本当かい?ここにハリー・ポッターがいるっていうのは。列車の中で噂になっているよ。」

 

 見上げたハリーを見下ろすように金髪の少年が口を開く。顔には皮肉な笑みを張り付けており、ハリーは彼のことを怖いと思った。ただ、それは本当に直感的なものだからあてにはならないが、ハリーのこの手の勘はよく当たった。

 無言で見上げてくるハリーとロンを交互に見やりながら、その少年は何かを思案しているようだった。

 自分がハリーだと答えなければいけないと思うが、恐怖心が喉を押しつぶしてきて声が出ない。それと同時に、列車の中で噂になっているという言葉に混乱していた。どうやらロンの叫び声は聞かれていたらしい。きっと本で自分のことを、『生き残った男の子』という英雄を知った人は実際の自分を見たら失望するに違いない、とハリーは確信している。何しろ自分はダドリーに言わせれば、「出来損ない」で「暗く」て「のろま」だし、バーノンに言わせれば「薄汚い居候」だ。英雄からは程遠い。

 きっと自分を探しに来たらしいこの少年もきっと今失望の真っ最中に違いない、とハリーは思った。ついさっき、ロンを失望させたばっかりだというのに。

 

「まずは自分から名乗るべきだったね。ぼくはマルフォイ、ドラコ・マルフォイだ。こいつらはクラッブとゴイル。」

 

 ドラコはそう言うとハリーに向かって手を差し伸べてきた。冷たい色を湛えた彼の瞳はまっすぐにハリーの緑色の目を覗き込んでくる。

 ああ、握手を求められているのか、と一瞬おくれてハリーは理解した。

 

「ハリー・ポッター。」

 

 からからに乾いた喉から無理やりひねり出した声は少しかすれていて自分のものの様に聞こえなかった。それでも差し出されたドラコの手を軽く握り返すと、今度はロンが驚いたような顔でこちらを見てきた。

 

「ハリー。君はそんな奴と仲良くしようっていうのかい!?」

 

 ロンはあり得ないとでも言うように非難がましい悲鳴のような口調で言い放ち立ち上がった。手を握り合っているハリーとドラコを交互に見やって眉根を寄せる。

 ドラコはロンの姿を上から下まで舐めるように見やった。

 

「どういうことだい?ああ、名乗らなくたっていい。その赤毛にお下がりの服、ウィーズリーの家のものだろう。」

 

 ドラコの声もまた悪意に満ちていた。ハリーから手を解き、ロンの方を向くと腰に手を置き顎を上げるとロンを態度で見下ろした。もっともロンとドラコではロンのほうが頭半分くらい背が高いのだから、ロンが立ち上がっている今、視線は見上げざるをえないのだが。事実、赤毛でお下がりだということを出会い頭に非難されたロンはドラコを見下ろして睨みつけていた。

 先ほどまでの沈黙の空気も居心地が悪かったが、今にも二人が取っ組み合いのけんかでも始めそうな状況もいただけたものではない。

 

「ハリー・ポッター、いいことを教えてやろう。魔法族の中にもいい家柄とそうでないものがある。よければ友だちの選び方を教えてあげるよ。」

 

 視線だけをハリーのほうに向け口の端を上げながら、ドラコは言った。同時にロンの顔が彼の髪の色の様に赤く染まる。ロンはドラコの胸倉を掴みあげて睨みつけた。

 

「まるで自分がいい家柄みたいじゃないか!マルフォイといえばあの人の手下だったって!パパがそう言っていたよ!!いい家柄なものか!」

 

 唾がかかってしまいそうな勢いでロンはドラコを怒鳴りつけた。ドラコとともに来たクラッブとゴイルは何も言わずに立っているだけだった。

 ハリーはどうにかして二人を止められないものかと思案していた。できれば誰にも争ってほしくはないし、自分が嫌われるようなこともしたくない。

 

「ハリーもそんな奴と握手なんてするなよ!だっておかしいだろ!!?」

 

 ロンの怒りの矛先はハリーにも向いてきた。

 車両中に響くようなロンの大声に、あたりのコンパートメントがざわつき始める。もっともこのコンパートメントの入り口には体の大きなクラッブとゴイルが立ちはだかったままなので、中の様子まではそう簡単に窺い知れないだろう。

 

「おかしい?父上はあの人とは関係ない。確かに叔母上はアズカバンにいるけど父上はそうじゃない。手下だったなんて言うのはただの噂だ。そんなものに踊らされているから、ウィーズリーは魔法族の面汚しなんだ。」

 

 そういえば闇の魔法使いの仲間たちはアズカバンという魔法使いの監獄に多く閉じ込められていると本に書いてあったな、とハリーは思った。

 感情的なロンとは裏腹にドラコの声は非常に冷静に聞こえた。

 

「パパは面汚しなんかじゃない!!」

 

 できる事ならハリーはこの場から逃げだしたかった。

 何を言えばロンを宥めることができるだろうか。ハリーはぐるぐると考えているがまとまりそうになかったし、過去の経験が自分はこういうことに向いていないと告げていた。ペチュニアがヒステリーを起こしたときに口を開こうものなら更に彼女は興奮し、ヒステリーを収める気配はかけらもなかった。

 ドラコの親が闇の魔法使の仲間だったのかもしれないなんてハリーは知らなかったし、それで握手したことを責められてもどうしようもない。とはいえロンにそれを伝えたところで彼の怒りを買うだけな気がした。

 おろおろとするハリーの前で二人は激しく言い争い続けている。

 ただいずれもお互いの両親を貶し合っているだけだ。そこから考えるに、どうやらマルフォイ家とウィーズリー家は宿敵のようなものらしい。

 きっとこれからもこの二人のどちらかといれば争いごとに巻き込まれるかもしれない。それでもハリーはどちらとも仲良くなりたかった。嫌われることだけは避けたい。

 

「あの、やめて、よ。ぼくは、ぼく…」

 

「はっきりしゃべれよハリー!!」

 

 ハリーはありったけの勇気を出して小声でなんとか止めようと二人の間に入ったが、彼のおどおどとした態度はロンを苛つかせただけのようだった。

 大声で癇癪をぶつけられて、ハリーはびくりと体を震わせた。

 ダーズリー家での記憶が蘇ってきてハリーは息苦しくなるのを感じる。

『しゃんとしたらどうだい!本当に気味の悪い子だね!』

『弱虫ハリーなんとか言ってみろよ!』

『うじうじしてみっともないったらありゃしない…』

 バーノンの姉のマージや、ダドリー、ペチュニアの声が聞こえるはずもないのに鼓膜を震わせている。

 視界が歪み、息ができなくなる。胸が締め付けられるように苦しい。泣きたくないのにボロボロと涙がこぼれ出した。

 そんなハリーを見て、ドラコもロンも、とくに怒鳴ってしまったロンは驚いたようだった。

 ハリーは両手で胸を握るように抑えて、そのまま意識を失った。

 



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CHAPTER2-3

 ハリーが目を覚ました時、そこにはロンもドラコも居なかった。代わりに彼を心配そうにのぞき込んでいたのは、見たこともない赤毛の青年だった。既にホグワーツの制服を着ている彼のローブの襟元にはPの文字の入ったバッジが輝いている。

 

「ああ、目がさめたようだねポッター君。僕の弟が本当に申し訳ないことをした。僕はパーシー・ウィーズリー。ロンの兄で、グリフィンドールの監督生だ。」

 

 ハリーの体を優しく起こしながらパーシーがそう告げ、暖かい紅茶の入ったカップを渡してきた。

 ハリーはゆっくりとした動きでそれを受け取るが、飲もうという気にはなれなかった。

 胸のあたりのざわめきは収まっているが、頭がぼうっとして何かをしたいという気持ちが起きてこないのだ。起きているだけで体力が削り取られていくのを感じる。ダーズリーの家にいたときだってこんな風になったことはない。ハリーは自分の身にいったい何が起きたのかよくわからなかった。

 

「君が倒れたときにちょうどこの車両のパトロールをしていてね。監督生の仕事なんだけど。でも近くにいて本当によかったよ。あ、温かいうちに飲むことだ。気持ちが落ち着く。」

 

 小さくうなずいたハリーが両手に持ったカップを口に近づけるのを見てパーシーは笑みを浮かべた。

 砂糖がたっぷりと入っている暖かい紅茶が喉の通り過ぎ、全身にその温かさを伝えているような感覚が広がる。

 

「もうすぐホグワーツに着くから着替えたほうがいいんだけど、動けるかい?それと組み分けが終わったらマダム・ポンフリーのところに行ったほうがいいだろう。元気の出る薬をくれる。」

 

「はい。」

 

 ハリーは短く答えただけだったが、パーシーはそれに大きく頷いた。

 パーシーはもそもそとハリーが着替えている間、ただそこにいるだけだったが、それがハリーにとってはとても嬉しかった。でも、倒れてしまったせいで、自分の態度が悪かったせいでロンやドラコに嫌われたかもしれないと思うと気分が暗くなってきた。

 正直、ハリーはホグワーツに行くということが、これほどまで自分の環境に変化を及ぼすものだとは思っていなかった。

 ハリー・ポッターという名前が一人歩きをしていて、彼が望まざろうと自分を有名人にしてしまっていることは予想していたが、ドラコの様にわざわざ会いに来る人がいるほどだとは思っていなかった。何しろ今まではなるべく周囲に認識されないように過ごしていたのだ。

 でも、人が飽きやすいものだということもハリーは知っていた。自分たちが思い描いたものと違えばすぐにほかに興味を持っていかれる。ダドリー軍団にいじめられて泣いていたころは彼らはしつこく絡んできたが、泣きもわめきもしなくなってからはハリーいじめは彼らのお気に入りの遊びではなくなった。だから、自分が「英雄」ハリー・ポッターではないと分かれば、皆興味を失うだろう。きっと入学から少しだけ耐えればいい。そのあとは、いつもみたいに気配を消して過ごしていれば周りを不快にさせることもないはずだ。

 

「大丈夫かな?じゃあ僕はいくよ。グリフィンドールだったら僕を頼ればいい。なにしろ監督生だからね。じゃあホグワーツで会おう。」

 

 パーシーは言ってコンパートメントを出て行ってしまった。

 監督生と言っていたし、きっと色々忙しいのかもしれないとハリーは考えた。ついでにロンが兄弟にグリフィンドールの監督生がいると言っていたっけ、と思い出す。パーシーもロンの兄だと言っていたし、よく似た赤毛をしていた。

 倒れる前はまだ窓の外は明るかったような気がしたが、今は真っ暗だ。結構長い時間眠ってしまっていたらしい。

 ガラスに反射する自分の顔はひどく疲れて見えた。ぼさぼさの黒い髪に、少し壊れた丸メガネ。その奥にある緑色の目はひどく濁っていることをハリー自身自覚していた。こんな暗くて気持ち悪い子の友だちになりたいなんて言う人はいないだろう、とふと思う。

 パーシーは監督生だから自分にやさしくしてくれたんだ、とハリーは結論付けた。

 ロンが必死に話してくれたのだって、自分が有名人だからだ。ドラコが訪ねてきてくれたのだってそう。

 その気持ちに答えるべきだったかどうかもわからないが、ハリーは自分が友だちがほしいのかもしれないと薄々感じていた。

 誕生日プレゼントにふくろう――ハリーはヘドウィグと名付けた――をくれたハグリッドには一応あの後「ありがとう」とだけ書いた手紙を送ったが、それ以降のやり取りはない。本当はもっと気の利いたことを書きたかったが言葉が出てこなかったのだ。ハリーはそのことを後悔している。

 そして今、ロンとちゃんと話ができなかったことを後悔し、ドラコの前で倒れてしまったことも後悔していた。

 きっと彼らはもうハリーと関わってくれないだろう。自分のことを疎ましく思っているはずだ。

 ゆっくりと速度を落としホームに滑り込んでいくホグワーツ特急に列車の中がにぎやかになっていくのをハリーは感じていたが、同時にどんどん気持ちも重くなっていった。いっそこのままこの列車に乗ったままでロンドンに帰ってしまいたいが、そのあとどうすればいいのか見当もつかないので、停車した列車からがやがやと降りていく人に続く様にハリーもまた列車から降りた。

 ホームの端で見たことないような大男が一年生はこっちだ、と声を上げているので、ハリーは俯いたままそちらに向かっていった。

 顔さえ上げなければ額の傷も見えないだろうから、自分がハリーだとばれないだろう。でもきっと、それだって無駄な努力なのかもしれない。

 大男に案内されながら小さなボートに乗り込んでもなお、ハリーは顔を上げようとしなかったが、同じボートに乗り合わせていた子たちが列車の中にハリーがいたらしいことと、倒れたらしいことを話し合っていた。

 倒れたことまでみんなに知られていることにハリーは驚いた。

 魔法使いというものはずいぶんとゴシップが好きらしい。プライマリースクールだってここまで数時間程度で話が広まるなんていうことはなかった。

 このノリについていけるか、ハリーの心配事は増加する一方だが、一番の心配事は組み分けだった。

 それはほかの子どもたちも同じのようで、ボートが城の様に大きな学校につくまでの間その方法を予想し合っていた。

 トロールと戦わされる、だの知力を量るテストをするだろうだの憶測ばかりが飛び交っていたが、どれも決定打には欠ける様だった。

 学校についてボートを降りたところで先導者が大男から、三角帽子が印象的ないかにも魔女といった女性に変わった。

 大男はその魔女をマクゴナガル教授と呼んでいたから、スネイプと同じこの学校の先生なのだろう。ひっつめた髪と四角い眼鏡、更にはぴんと伸びた姿勢は彼女が厳しい先生なのだろうと予想させた。スネイプだってかなり気難しいタイプだったし、この学校の先生たちはみんな厳しそうだ、とハリーは思った。

 組み分け儀式のためにハリーたち一年生はマクゴナガルに連れられて大きな講堂に向かった。そこには、長いテーブルが並んでいて、上級生たちがずらりと並んでいた。きっとみんなの前で組み分けをやることになるのか、とハリーの気分はさらに重くなった。

 正面には教師らしき人々も並んでテーブルについている。その中に見知った顔、スネイプを見つけて、本当に教授だったのかとハリーは少し失礼なことを考えていた。彼が教員らしくないわけではなく、実感がなかっただけだ。黒ずくめの彼はいかにも魔法使いだったが、他の先生たちは結構色とりどりの格好をしている。マクゴナガルも緑のドレスだ。

 別に魔法使いや魔女だからと言って真っ黒い格好をしなければいけないわけではないのか、と少し呑気なことを考えればちょっとだけ気分も晴れてくる。

 そうやって前をちょこっと見ただけで、ハリーは再び顔を伏せた。

 



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CHAPTER2-4

 ホグワーツの講堂の天井は空が見えるように魔法がかかっている、と「ホグワーツの歴史」には書かれていたが、ハリーはそれを見るだけの心の余裕はなかった。読んだときは見てみたいと思ったが、これから始まる組み分けがその余裕を奪っているのだ。

 一体どんな方法で行われるのか。

 マクゴナガルは一年生たちをテーブルの間の通路に残すと、教師たちの並ぶテーブルの前に置かれた、古びた帽子の載っているスツールの横に立った。

 名前を呼ばれた順からその帽子をかぶればいいと説明があったことで、一年生の何人かは拍子抜けしたように息を吐いた。別にトロールと戦うわけでも、知識を問われるわけでもなかったのでハリーは少し安心した。とはいえ名前を呼ばれるということは、ハリー・ポッターとして好奇の視線を集めることになる。それは避けようのないことだ、とハリーは諦めた。寮さえ決まってしまえばあとはまた気配を消そう。

 そんなことを考えていると、スツールの上の古ぼけた帽子が歌い出したのでハリーはとても驚いた。流石魔法界。帽子がしゃべるとは思ってもみなかった。

 ロンが入りたがっていたグリフィンドールは勇猛果敢で騎士道精神にあふれたものが、ハッフルパフは正しく忠実で、忍耐強いものが選ばれる。レイブンクローは学ぶ意思が強いもので、学びの友人を得ることができるらしく、スリザリンはまことの友を得られるが目的を遂げるために狡猾。

 帽子はそう歌い上げると、マクゴナガルは丸めた羊皮紙を広げ生徒を呼び始めた。

 帽子の言うとおりであれば自分はどの寮にも向いていない気がする、とハリーは思った。勇猛果敢からは程遠いし、正しくて忠実であるとも思えない。プライマリースクールではたくさんの本を読んだが、それは図書館にしか居場所がなかったからで学ぶ意思が強いわけでもないし、もし狡猾であったならダーズリー家でもっといい立ち回りができただろう。

 ふさわしい寮が無ければホグワーツにはいられないのかも知れないとハリーは一瞬思ったが、入学の許可をしている以上ここで追い出されることはないと思いたかった。

 ファミリーネームのアルファベット順に呼ばれていく。

 最初のハンナ・アボットはハッフルパフになった。

 ほかの生徒も順調に帽子が組み分けていく。帽子をかぶってしばらくしてから寮を告げることもあれば、ドラコのように帽子を乗せようとしただけで寮を叫んだりもしていた。ちなみにドラコはスリザリンだった。一体どういう判断基準なのかよくわからなかったが、帽子はきっと頭の中をのぞいてくるんだろう。そんなことを歌っていたような気もするし。

 そしてついにハリーの番になった。

 マクゴナガルが名前を呼んだことでそれまでざわついていた上級生たちも静かになって、ゆっくりと歩み出たハリーに注目した。

 ただ椅子に座ればいいだけなのに、ハリーは緊張のあまり心臓が口から飛び出てしまうんじゃないかと思った。

 椅子に座ったところで、マクゴナガルがハリーの頭に組み分け帽子を乗せる。その瞬間、帽子の声がハリーの頭に響いてきた。

 

「なるほどこれは難しい。どうしたものか。」

 

 帽子はうんうんと唸り始めた。

 

「君は色々と抑圧されすぎていて本当の気持ちを表に出せなくなっているのか。誰かに立ち向かうだけが勇気じゃないし、人を出し抜くことだけが狡猾さじゃない。君はそれがすべて自分に向かっているだけだ。」

 

 それは過大評価だよ、とハリーは自嘲的な笑みを浮かべた。寮に入れるならどこだっていい。きっとどこに行っても同じだ。

 

「本当に難しい。君には可能性があるというのに、君はすべてを諦めてしまっている。こんなに難しい子は久しぶりだ。本当の君はハッフルパフでもレイブンクローでもないだろう。」

 

 本当のぼく?

 ハリーは帽子に問いかける。

 なかなか組み分けが決まらないことで、他の生徒たちが騒めき始めるが、ハリーには帽子の声しか聞こえていなかった。

 

「そう、本当の君だ。きっとスリザリンに入れば君は偉大になれるだろう。その可能性は大いにある。そしてグリフィンドールに入れば君は様々な経験を積むことができる。それだって可能性だ。君は変われるかもしれない。」

 

 偉大になるのはどうでもいいなぁ、とハリーは思った。

 

「確かに君は忍耐強いのかもしれない。でもそれは君が諦めてしまっているからに過ぎないが、ハッフルパフに向いているといえばそう言える。根っこの部分は違うようだけど。それでも君がハッフルパフを望むならそうしよう。」

 

 別にどこでもいい。

 偉大になりたいわけではないけど、スリザリンが嫌なわけではないし、変わりたいと思っているわけではないけど、グリフィンドールが嫌なわけでもない。向いていないかもしれないけど、ハッフルパフでも構わない。

 

「そうか。どこでもいいのか。ならば君の可能性にかけて。」

「グリフィンドール!!!」

 

 帽子は高らかに寮の名前を叫び、赤い縁取りのされたローブを着ているグリフィンドールの上級生が大声をあげて沸き立った。

 マクゴナガルが帽子を持ち上げてグリフィンドールのテーブルに向かうように促すと、ハリーは非常に剣呑な動きでスツールから立ち上がり、名前を呼ばれた時とは逆に足早にお祭り騒ぎのようなグリフィンドールの席に向かった。

 

「嬉しいわ。あのハリー・ポッターと一緒の寮なんて。私はハーマイオニー・グレンジャー。あなた列車の中で倒れたと聞いたわ。大丈夫なの?」

 

 目の前に座っているふわふわとした茶色い髪の少女が頬を紅潮させながら興奮気味に話しかけてくる。

 

「あなたのこと本で読んだのよ。なんて素晴らしいのかしら。私ね、手紙が来るまで自分が魔女だなんて知らなかったわ。だから本当にうれしかったの。入学までに参考になりそうな本もたくさん読んだわ。あなたは色々な本に載っていたのよ!」

 

 捲し立ててくるハーマイオニーはロンよりもすごい勢いだった。

 ハリーがどう対応すればいいのか考えあぐねていると、先ほど列車の中で話したパーシーがハリーの隣まで移動してきた。

 

「心配していたんだポッター君。ええと、ハリーと呼んでもいいかい?」

 

 俯いたままのハリーに声をかけてくれたパーシーに頷くだけで答えた。

 まだハーマイオニーはホグワーツに来れた嬉しさとか、どんな講義があるのかなど周りの上級生に話しかけているが、パーシーが来たことでハリーに話しかけることはやめたようだった。

 

「そうか、ならハリ―。これからよろしく。グリフィンドールへようこそ、監督生として歓迎するよ。」

 

 監督生のPバッジを強調するようにパーシーは胸を張りながらそう言った。

 そうこうしている間にロンは希望したとおりにグリフィンドールに決まり、こちらに来たがハリーとは少し距離を置いた場所に座り、双子の兄らしい上級生にもみくちゃにされていた。

 パーシーはその様子を困ったような笑顔で見ていたが、混ざろうとはしていないようだった。

 全ての組み分けが終わると、長い白いひげと半月型の眼鏡が印象的なダンブルドア校長がいくつかの注意事項を告げて、不思議な掛け声をかけると生徒たちの目の前のテーブルに様々な御馳走が姿を現した。

 本当に魔法ってすごい。

 ハリーは素直に感動した。

 テーブルの上の料理はどれも美味しそうだったが、ここに来るまでの間に色々ありすぎて、と言っても目の前で喧嘩をされて倒れて、組み分けにちょっと手間取っただけだが、色々ありすぎて食欲が湧いてこなかった。

 親元を離れた子どもたちは我先にと自分の好きな料理に手を伸ばしている。

 きっと自分もそうすべきなんだろうな、とハリーは思った。それがここでの普通で「まとも」な反応なのだろうから。

 だからハリーは一番近くにあったビーンズサラダの大皿から少しだけ自分の取り皿にとって口に運ぶ。食欲がないとはいえ、何も食べなければ変に目立ってしまうだろう。

 そんなハリーをパーシーは気にかけてくれているようで、かぼちゃジュースの入ったゴブレットを渡してくれた。彼は人に飲み物をあげるのが好きなのかもしれない。

 寮付のゴーストが現れたりと、大盛り上がりの食事会は終わり、監督生が各寮の新入生を連れて寮まで向かい始めた。グリフィンドールもその例にもれず、がやがやと興奮冷めやらぬ雰囲気のまま寮に向かった。

 途中気まぐれな階段や、ポルターガイストのビープスの悪戯で上から杖がたくさん降ってきたりもした。

 グリフィンドールの寮は城の塔の八階だった。

 入り口には「太った婦人」というタイトルの大きな絵画がかけられており、彼女に合言葉を言うことで入り口が開くらしかった。

 そこまでの道のりの間、ロンは比較的近くにいたがハリーのほうをちらちらと見ながらハリーに話しかけるタイミングを計っているようだった。

 赤を基調とした談話室は暖かい雰囲気だ。

 

「あの、ハリー。」

 

 ようやくロンが申し訳なさそうにひょろっとした体を小さく縮こまって話しかけてきた。

 

「なんかごめん。ぼく、君にひどいこと言ったよね。とてもびっくりしたんだ。君が倒れちゃうから。あのマルフォイも驚いていたようだったよ。でもね、えっとその。友だちになりたいんだ。君と。」

 

 ロンの目はまっすぐハリーを見つめていた。

 嫌われたわけではなかったことにハリーは驚いた。それ以上に友だちになりたいという申し出に驚いていた。こんなこと、冗談か罰ゲーム以外で言われたことなんてない!

 ロンの態度は冗談でも罰ゲームでもなさそうだった。

 

「ぼ、ぼくも!友だちになれる、かな。」

 

 最初はそれなりに大きな声が出たが、だんだん尻つぼみになるようにハリーの声は小さくなった。

 それでもロンにはその声は届いていたらしい。

 彼はハリーの両手を握りしめて上下にぶんぶんと降りながら友だちだと言ってくれた。

 こうしてハリーに初めての友だちができた。

 ハリーを振り回さんばかりに騒いでいるロンを諫めながらパーシーはハリーに養護のマダン・ポンフリーのところに行こうと声をかけてきた。そういえば列車のなかでそんなことを言われたっけ。そんなことを思いながら、ハリーはパーシーとともに寮を出てマダム・ポンフリーがいる救護室に向かった。

 

 

 

 

 



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CHAPTER3-1

 ハリーのホグワーツでの生活は順風満帆な船出とはとても言えなかった。

 まず、初日から救護室で一晩過ごすことになったことで、同室の同級生たちとの大切な一日目を失ってしまった。それでも彼ら、ディーン・トーマスとシェーマス・フィネガン、ネビル・ロングボトムはハリーを暖かく迎えてくれたが、ハリーの中では出遅れてしまった感が残ってしまった。

 それぞれの授業も、夏中暇を持て余し教科書は読んであるとはいえ、他の生徒たちに先んじることができたかといえばそうではなかった。マクゴナガルの変身術では延々難しい理論式のようなものを書き取り、授業の最後にマッチ棒を針に変える魔法を習ったが、時間いっぱいやってもハリーのマッチ棒は色を変える事すらなかった。もっとも、すぐにそれが出来たのはハーマイオニーだけで、彼女はそれによってマクゴナガルに褒められ得点までもらっていた。

 魔法史の授業はハリーだけでなくほかの生徒たちにとっても睡眠を呼び起こすつらい授業だった。何しろゴーストのビンズ教授はひたすら教科書を一本調子で読み上げるのだから、抗えない睡魔に襲われ、それでも最初はそれに立ち向かおうとしたが、早々に生徒の大半は意識を手放した。もちろんハリーとて例外ではなかった。むしろ最後まで起きていられたのはハーマイオニーぐらいだ。

 いくつかの授業を終えて、ハリーたちは各授業で出た課題に取り組まなければいけなくなった。既に優等生としての頭角を現し始めているハーマイオニーはすぐさまそれに取り掛かっているようだが、他の生徒たちはそういうわけではなかった。

 何しろ、彼らの周りには勉強以外の誘惑が非常に多いのだ。ロンたちは授業の感想を話しあうことや、今季のクィディッチリーグの結果予想に、カエルチョコレートのおまけのカードのトレードなどで課題に取り組む時間などないようだった。

 しかしハリーはその会話の輪になかなか入れないでいた。

 第一にクィディッチが分からない。どれだけロンやシェーマスがその魅力を語ってもよくわからないのだ。マグル出身のディーンはサッカーのようなものなのかな、などと言っていたが、ハリーはそのサッカーの楽しさすらわからないのでそのようなものらしいとしか捉えられなかった。次にカエルチョコレートのおまけカードなど持ち合わせていないので、トレードのしようがない。楽しそうにしている魔法界出身のロンたちを、何となく見ているくらいしかできないのだ。それはディーンも同じで、彼も少々疎外感を感じていたようで、ハリーと一緒にその間は課題を片付けたりした。

 そんな状態の中でハリーは、せっかく友だちになったロンに退屈な思いをさせてしまっているのではないか、と不安になっていた。

 何しろ、魔法界のことは何もわからないも同然なので、ほとんどロンの話にはついていけないし、ネビルやシェーマスと話しているほうがよっぽど楽しそうに見えた。

 実際のところ、何かといえば生き残った時の話を聞きたがるロンたちより、ハリーが『生き残った男の子』だということを知らなかったディーンのほうがハリーも気が楽だったりしたが、それも最初だけで、ハリーのことを教えられたディーンもまた興味津々でハリーの話を聞きたがった。

 もっともハリーには話せることなど何もない。

 彼らは目をキラキラさせながら胸躍る冒険譚が語られることを待っているかのようにハリーを見つめてくるが、ハリーは微妙な泣き笑いのような苦笑を浮かべて何も覚えていないんだ、と答える事しかできなかった。事実、何も覚えていないわけだし。むしろなめらかなジャガイモの裏ごしを作るコツとか、素早い染み抜きの仕方とかであればいくらでも語れそうな気がするが、そんな話は彼らも望んでいないだろう。

 そんなわけで、ホグワーツにおいても図書館がハリーの逃げ場所になった。事情はだいぶ違ったが。課題を済ませてしまいたいから、と図書館に行くことを告げれば、ロンは君って結構真面目なんだね、と言いながらもそれ以上なにも言わずに見送ってくれた。むしろ一緒に来てくれればいいのに、と思わないわけでもない。

 図書館に行けば、毎回ハーマイオニーがとてつもなく分厚い本を積み上げて没頭するように読み耽っていた。彼女もまた、ハリーが来れば何か言いたげに彼を見つめてきたが、図書館は私語厳禁。騒げば司書のマダム・ピンスに追い出されかねない。それでも、課題のための参考文献探しにハリーが手間取っているようであれば、それじゃないわ、などと教えてくれる。

 

「ハリーってさ、勉強好きなの?」

 

 就寝時間が迫り、図書館ではなく寮の寝室で課題に取り組んでいたハリーに対し、ベッドに転がりそれでも課題をやる気になったらしく教科書と羊皮紙を広げていたロンが聞いてきた。

 なんだかんだ言いつつも、友だちが真面目に課題をやっている姿を見れば、やる気にはなるらしい。なかでも気の弱いネビルなどは、後れをとらないように必死になったようだった。

 

「好きっていうわけじゃないけど、課題は早めに終わらせたほうが楽かなって。」

 

 ハリーにしてみれば身に着けた処世術の一つのようなものだ。ダーズリー家ではそう簡単に自分の時間など確保できなかったので、なるべく時間があるうちに宿題を終わらせる癖が付いただけの話だ。

 そんなもんかな、とロンは答えて教科書をつまらなそうにめくった。

 

「でもさ、あのグレンジャーだっけ?あいつは勉強好きそうだよな。」

 

 ロンと大差ない体勢で、実家から送られたお菓子を口に放り込みながら教科書の文字列を目で追っていたシェーマスは口の端を持ち上げながら言った。

 答えるようにロンも似たような笑みを浮かべた。ネビルは何か言いたげにハリーに視線を送ってきたが、少し唇を動かすそぶりを見せて、いや見せただけで俯いてしまった。

 なんとなくだが、ハリーはネビルと自分は似ているのかもしれないと思った。今の彼の動きには覚えがある。たぶん自分だって似たような行動を何度もしている。だからと言って何かできるわけではなく、なんとなくあ、今のネビルの気持ちわかるなぁくらいでハリーも同じように俯いた。

 結局彼らの課題はそれ以上進むことはなく、他の生徒たちの噂話へとシフトした。

 それはハーマイオニーから端を発し、他の寮の生徒まで及ぶ。

 この数日でなんとなくハリーにもわかってきたが、殊グリフィンドールに於いてスリザリンは天敵に等しいほどに嫌われていた。闇の魔法使いを多く輩出している、もしくは闇の魔術そのものに傾倒する人が多いなどというのが理由らしいが、それが原因でグリフィンドールだけでなく他の寮からも避けられているらしい。その上、ここ数年はスリザリンが寮杯を取得しており、その裏にはスリザリンを贔屓する寮監スネイプがいる、ということでグリフィンドールの中ではスネイプの評判も最悪だった。

 ハリーの同学年において、ロンはスリザリン嫌いの急先鋒と言えた。実際、ホグワーツ特急の中でもスリザリンに入ったドラコと口論していたし、あの時のやり取りから考えるに、もう生理的に受け付けられないというやつなのだろう。シェーマスもそれに追随しているので、あまりいい感情は持っていない。ディーンは彼らの話を聞いて、そういうものなのかと、早々にスリザリンとか闇の魔術といったものに対して嫌悪感を抱いたようだが、ネビルに関していえば、闇の魔術につながるものすべてに対し恐怖を抱いているらしかった。

 なぜかなのかは知らないが、闇の魔術という言葉を耳にしただけでも震えが走るらしく、他の三人がきっとドラコは闇の魔法使いになるとか、だからスリザリンは信用ならないなどと話し始めたあたりで、ネビルはもう僕寝るね、とベッドの周りのカーテンを閉ざし引き籠ってしまった。

 そういえばそんな時間だ、とシェーマスもベッドにもぐりこみ、ディーンも書きかけの羊皮紙をたたんでカーテンを閉ざした。

 

「僕たちも寝ようよ、ハリー。」

 

「ああ、うん。そうだね。」

 

 ハリーも羊皮紙を丸めてロンにおやすみと告げてベッド周りのカーテンを閉め切った。



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CHAPTER3-2

 魔法薬学の授業の開始を待つ地下牢の教室は、まさに一触即発といった空気に満ちていた。直接お互いになにか事を起こそうというわけではないのだろうが、重く息を詰まらせる空気が教室全体を支配している。地下牢という場所のせいかもしれないが、ハリーはできる事ならこの場所から逃げ出したかった。

 スリザリンの生徒たちの何人かはハリーに不躾な視線を投げかけてくる。それは、ロンたちが向ける様なキラキラとしたものではなく、もっと濁った何かで、ハリーは非常に居心地が悪くなる。

 ドラコも何か言いたげにハリーのことを見ていた。

 と、そんな空気を打ち破るかのように靴音を響かせてスネイプが教室に現れた。黒い長いローブを翻し、ゆっくりと生徒一人一人を見やるように教室内を見渡した。ハリーを迎えに来た時ときと変わらない黒ずくめに、相変わらずお世辞にもいいとは言えない顔色。ハリーはそんなスネイプを見上げていたが、彼と目が合った瞬間にスネイプは眉を顰めさっと視線を逸らした。

 ハリーは自分の心臓がずきりと音を立てて痛むのを感じた。

 自分の何が彼の気に障ったのだろう。ハリーはなぜスネイプがそんな顔をしたのか、まったく心当たりがなかった。スネイプが寮監を務めるスリザリンではなく、その宿敵たるグリフィンドールに入ったことか、もしくはあれだけ予習する時間があったにも関わらず、これまでの授業でこれといった成績を残せていないハリーに失望したからか、ともかくハリーは何がいけなかったのかと考えをぐるぐる巡らせた。

 当然そんなハリーにはスネイプの声はおろか、周りの音すら聞こえていなかった。

 どうしよう、嫌われた。

 どうしよう。どうしよう。

 実は、ハリーは少しだけこの授業が楽しみだったのだ。スネイプの書斎には魔法薬学に関する本がたくさんあったし、夏の間魔法薬のことを目にする機会も多かった。レシピ通りに材料を煮詰める工程は料理に似ていて、自分でもできそうだと思ったこともあるが、スネイプが教授だからだ、というのが大きな理由だった。

 しかし今はそんな期待は霧散して、ハリーの心の中は「どうしよう」だけで埋め尽くされていた。

 だから、隣の席のハーマイオニーがハリーの脇を結構強い力でつつくまでスネイプに呼ばれていたことに気が付かなかったのだ。

 

「英雄ハリー・ポッターは授業など聞く必要もないと考えていると見える…さあ、先ほどの質問に答えてもらおうか。」

 

 責め立てるように、ハリーを見下ろすスネイプの低い声が鼓膜を揺らす。まるで軽蔑しているかのような視線にハリーは身を固くした。

 ほかの生徒たちの視線がハリーに突き刺さった。

 先ほどの質問とは何なのか、ハリーにはまったく見当もつかなかったが、聞いていませんでしたと素直に答える勇気もない。そこでハリーは小さく横に首を振ることで答えることにした。

 

「ほう…ならば、ベアゾール石を見つけたければどこを探す。Mr.ポッター答えたまえ。」

 

 ハーマイオニーがびしっと手を挙げることで答えを知っていることをアピールしているが、スネイプはそれに一瞥もくれずひたすらハリーを睨みつけている。

 ベアゾール石。確か、教科書のどこかで見た気がする。端書か何かだが、確かに読んだ記憶はある。混乱する頭でハリーは必死で考えたが、思い出せそうにない。

 

「わか、りません。」

 

 ハリーは何とかその一言だけを絞り出し、俯いてズボンをぎゅっと握りしめた。

 視界が涙で歪む。

 なんでこんな質問を自分だけに投げかけてくるのだろう。スネイプの考えていることが全く分からない。

 

「なんと愚かな。ならば最後の質問だ。ウルフスベーンとモンクスフードの違いを答えよ、Mr.ポッター!」

 

 またなんで自分なんだろう。

 隣のハーマイオニーはきっと答えを知っている。だってあんなにも、耳にぴったりと腕が付いてしまうほどまっすぐに、高らかに腕を挙げている。

 浅くなる呼吸と、零れ落ちそうになる涙をなんとか堪えながら、ハリーは記憶の棚を押し開ける。聞いたことのない名前ではなかった。きっとどこかで読んでいるはずだ。これに答える事が出来なければ、きっともっとスネイプに嫌われてしまう。何とか思い出さないと。

 

「違いは、ありません。」

 

 そうだ。同じ植物だったはずだ。とハリーは何とか思い出して、俯いたままそう答えた。その声はあまりにも小さいものだったが、なんとかスネイプにそれは届いたらしい。

 ハーマイオニーもゆっくりと腕を下ろした。

 

「さよう。何れもトリカブトの別名、毒性の強い植物である。」

 

 そのままスネイプは最初のハリーが聞いていなかった問題と、ベアゾール石を探す場所に対する解説をし、それを誰も書き留めなかったことをたっぷりと嫌味を込めて指摘した。

 どうやら正解を導き出せたことらしいことにハリーは安堵した。

 そのあと、スネイプは教科書の一番最初に載っているおできをなおす薬の作り方を説明し、実際にそれを作るように指示をした。

 もう、間違えるわけにいかないと思ったハリーは、何度も何度も手順を見返しながら慎重に作業に専念した。

 スネイプはがやがやと薬を作っている生徒たちの間をゆっくりと回りながら、その手順を覗き込んでくる。

 魔法薬学の教科書に載っている薬の作り方は何れもその手順が、材料の刻み方から鍋のかき混ぜる方向や回数まで細かく指示されている。そこから考えるに、わずかでもそれを間違えてしまえば失敗につながる、ということなのだろう。料理であれば考えられない精密さだ。

 途中スネイプが、ドラコがとても素晴らしく角ナメクジを茹でたので見に来るようにと声をかけ、さらにスリザリンに得点を与えた。だが、ハリーはそれどころではなかった。ちょっとでも気をそがれれば失敗してしまうかもしれない。

 そんなことを考え、もう一度手順通りにできていることを確認した。たぶんここまでは間違えていない。一緒に作業しているハーマイオニーが何やら色々口をはさんでくるが、ハリーはそれを聞き流していた。

 ともかく教科書通りに手順を進める。それに集中したい。

 その時、ハリーたちの背後で何やらシューシューという音と、ネビルの悲鳴が上がった。何事かとハリーが振り向いた時には、シェーマスとネビルが使っていたらしい大鍋が捩じれて倒れ、中身を床にぶちまけようとしているところだった。

 スネイプはそれを見て、生徒たちに椅子の上に避難するように告げると、杖を一振りしてこぼれた作品を消してしまった。後には無残に捩じれた大鍋だったものと、薬をかぶってしまたらしく蹲るネビルが残っていた。

 どうやら手順を間違えてしまったらしく、なぜ教科書通りにやらなかったのかと、ネビルはスネイプに大声で怒られた。そして、なぜ間違えた手順になっていることを指摘して止めなかったのかと、ハリーまで怒られてグリフィンドールは減点された。

 流石に背後で一体何が起きていたのかなどハリーにもわからない。

 本当にスネイプはロンたちが言うように理不尽なんだ、とハリーはとても悲しくなった。

 どうやら手順も間違えたおできをなおす薬はおできを作る薬になってしまうらしく、ネビルの体にはところどころおできが膨れ上がってきていた。

 そんな様子のネビルを見やったスネイプは、各自完成した薬を提出するように告げ、ネビルをマダム・ポンフリーの元へと連れて行った。

 ハリーとハーマイオニーの作ったおできをなおす薬は見た目だけは成功品と言えるだろうが、実際の効果までは試していないのでわからない。

 こうして魔法薬学はネビルにとってトラウマの授業になり、グリフィンドールのスリザリン嫌いを促進させた。

 ただ、ハリーはなぜスネイプがあのように冷たい視線を投げかけてきたのかわからなくて、彼に嫌われてしまっただろうことが悲しくて仕方なかった。

 ハリーにとってスネイプは、魔法界での最初の知人で、夏の間ハリーを預かってくれた親切な人だったはずだ。きっとあれは誰かに命じられていて、スネイプはいやいやそれにしたがっていただけなのかもしれない。だから、ほとんど家にいなかったのだ。ハリーと顔を合わせたくなかったから。

 ネガティブな考えだけが思考を支配して、その日ハリーは全く眠れなかった。



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CHAPTER3-3

 初めての魔法薬学の授業の後、ネビルは完全にスネイプを恐怖の権化か何かだと思ってしまっていたし、ロン、シェーマス、ディーンのスネイプ嫌い、いやスリザリン嫌いは加速した。彼らがあんな贔屓おかしいよ!と息巻いている間も、ずっとスネイプに対して何かしてしまったのかと自分のここまでの行動を反芻していた。 

 

「まだ気にしているのかい、ハリー。」

 

 講堂で朝食のベイクドビーンズをフォークでつつきながらディーンが話しかけてきた。

 周りの生徒たちもにぎやかに朝食をとっている。ロンとシェーマスは、水をラム酒に変えようと呪文を試そうとして爆発事故を起こしていたりするが、それももはや日常の風景だ。

 ディーンが心配してくれているのはハリーにもわかった。なので、相変わらずの困ったような苦笑いを浮かべてありがとうと伝える。ならいいんだけど、と歯切れの悪い返事をしながらディーンはしぶしぶといった風にベイクドビーンズを口に運んだ。

 

「そういえば、今日は初めての飛行訓練だね。」

 

 魔法族の子どもたちは、少なからず箒で空を飛んだ経験がある。だから、飛行訓練の初授業が近づくにつれて彼らの武勇伝を聞かされる機会も多かった。しかし、ディーンとハリーにはその経験はない。そして、魔法族の中で育ったネビルも驚くことに初めてだ、と言っていた。

 想像するだけでも箒は安定している乗り物とは思えないので、ハリーも少なからず緊張していた。でも、箒で空を飛ぶなんてとっても魔法使いっぽい。

 無事に飛べるのか、ディーンたちと不安を共有しながら話していると、毎朝の日課であるふくろう便の配達が始まり、各所でふくろうたちが生徒の前に様々な郵便物を届け始めた。

 もっともハリーのところにそれが来ることはない。まちがってもペチュニアやバーノンがふくろうなんていう突飛な手段で郵便を送ってくるとも思えないし、それ以前に彼らが何かを送ってくるなどありえないことだ。

 ドラコのところには入学以降毎日のように彼の両親が箱いっぱいのお菓子を贈っており、スリザリンでは彼が自慢げにそれを、わざとグリフィンドールまで聞こえるように大声で話しているんじゃないかと疑いたくなるほどの大声で周囲の生徒たちに話している。そしてたいてい、ハリーのことを愛してくれる両親のいないかわいそうな子だと聞こえるように貶すのだ。

 愛してくれる両親がいないことは事実ではあるが、離れた頃はまだ一歳で両親に愛された記憶すら残されていないハリーにとって、それがどのくらいかわいそうなことなのかいまいち理解できないので、ドラコの嫌味はほぼ不発に終わっていると言えた。

 確かに猫かわいがりされていた従兄弟のダドリーは愛されていると言えるだろうが、だからと言ってあそこまでぎゅうぎゅうに締め付けられたいとも思わない。まあ、うまく料理ができたときなどは褒めてほしいと思ったことがないわけではないけど。しかし、うまくやることが前提なので叱られることはあっても褒められることはなかったな、とそのたびにハリーは思うのだ。

 ネビルにも毎日彼が一緒に暮らしていたというおばあちゃんから郵便が届いてた。と言っても、彼のところに届くのはドラコの様にお菓子の詰め合わせではなく、彼が忘れてきた学用品の数々だ。しかしこの日は珍しく忘れ物ではなさそうな小さな包みがネビルに届けられた。

 まだ忘れ物あったのかなぁ、とネビルは首をかしげながら包みをびりびりと開けると、中から掌にちょうど収まるくらいのガラスの玉が現れた。

 

「それ、なんだい?」

 

 自分のところに母親が送って来たらしい手紙を受け取りながらディーンがネビルに問いかける。

 

「そっか、見たことないよね。これ、思い出し玉って言うんだ。」

 

 ネビルがそう言いながらその玉を握りしめると、中に立ち込めていた煙のようなものが赤く染まった。

 

「あら、思い出し玉ね。本で読んだわ。中の煙が赤く染まると、何か忘れているってことなんでしょう?」

 

 どこから見ていたのかハーマイオニーが、ネビルの手の中の思い出し玉を覗き込みながらいつものはきはきとしてしっかりとした口調で会話に混ざる。

 本当にハーマイオニーはなんでも知っているんだな、とハリーは感心した。自分だって結構本は読んでいるほうだけど、彼女のようにはいかない。

 

「でも、なにを忘れているのか思い出せないんだ。」

 

 ネビルは心底情けなさそうな声を出した。

 忘れているんだから思い出せなくて当然なんじゃないのか、とハリーはふと思う。

 

「せめて、ヒントでももらえればいいのにね。」

 

 だからハリーは素直にそう言った。だって煙の色が変わるだけでは思い出すきっかけにもなりそうにない。

 そりゃそうだ、とディーンも笑う。

 ハーマイオニーは、思い出し玉にそんな機能はないわと真面目に言うが、そういうことじゃないよとネビルにつっこまれている。

 

「そういえば今日の飛行訓練もスリザリンと一緒だってさ。」

 

 水をラム酒に変えようとして爆発させたせいで、顔にすすを付けたシェーマスが心底うんざりといった雰囲気で言った。

 飛行訓練、という言葉を聞いてハーマイオニーは慌てたように持っていた「クィディッチ今昔」という本を捲り始めた。

 

「兄さんたちが学校の箒は古いから変な癖があるとか言っていたよ。」

 

 シェーマスと同じようにすすのついた顔のロンも言う。

 それを聞いて、ネビルはさらに怯えたようだった。

 

「どうしよう僕、ぜったい箒から落ちる気がする。」

 

 断言できるよ、とネビルが言うと、ハーマイオニーが箒のコツならこの本に書いてあった、と様々なコツをネビルに言い聞かせ始める。ネビルはそれを聞き漏らさなければきっと箒から落ちることもないと思ったのか、食い入るようにハーマイオニーの話を聞いていた。

 ハリーもその輪に加わたほうがいいのかな、と思わなくもないが、なんとなくの勘で、今それを知ったところであまり役に立たない気がした。言ってしまえばテニスの出てくる物語をどれだけ読み込んだところでグランドスラムを達成できるわけではないのだ。

 ディーンは恐怖よりも好奇心が勝るようでロンとシェーマスが語る武勇伝のほうを聞いていた。

 特にロンの兄弟はすぐ上の双子の兄や、すでに卒業してしまった二番目の兄がグリフィンドールのクィディッチ選手ということもあり、自身も来年こそ選手になりたいと思っているらしかった。一年生は自分の箒を持ってくることを規則で禁止されているし、クィディッチに出ることも許されていない。

 スリザリンのテーブルでもドラコがロンと同じように自分が箒に乗った時の話を自慢げにしている。そして自分もクィディッチの選手になりたい、一年生が箒を持ち込めないなんておかしいと饒舌に語っていた。

 ネビルには申し訳ないが、ハリーはどちらかというとワクワクしていた。

 同級生たちとそんな話をしていれば、滅入っていた気分も向上していく。スネイプの考えていることなんて、結局自分には分からない。まだ、自分が魔法使いなんていう意味の分からない存在だから目の敵にしていたらしいペチュニアたちのほうが分かりやすいし、親がそういう態度だからサンドバックにしてもいいと考えていたダドリーはとても分かりやすい。

 グリフィンドールの生徒だからスリザリンに目を付けられるのは仕方のないことなのかもしれないけれど、だったらほかの生徒も同じくらい睨むべきだとハリーは思う。けれど、腑に落ちないのは、スネイプの最初の印象と授業の態度が随分と違っていたからだ。

 なんとなくだけど、ハリーはスネイプという人間は不正とかそういうものは嫌いそうな気がしていたのだ。しかし、生徒たちの間では贔屓教師の名前を欲しいままにしている。

 いくら考えても納得のいく答えは出そうになかったので、ハリーはこれ以上考えることを諦めた。あえて言うなら、もっと予習を頑張ろうと思ったくらいだ。あの教師は静かに授業を受けて、手順通りに薬を煎じさえすれば文句は言ってこない。それはこの前の授業で分かった。間違えなければ怒らないのはペチュニアと同じだ。

 ハリーは気持ちを切り替えて、授業の準備に動き始めたロンたちの後を追った。



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CHAPTER3-4

 飛行訓練の講師、マダム・フーチは短い白髪と、鷹のような目でハリーは鳥に似ていると思った。

 彼女は生徒たちにそれぞれ箒の横の立つように命じた。

 

「いいですか、準備ができたなら各自箒に手をかざして上がれと言いなさい。」

 

 言われるがままに生徒たちは各々上がれと言うが、一度で箒が掌に飛び込んできたものはわずかだった。

 もちろんハリーも例外ではない。

 彼が上がれ、といえば箒は少し持ち上がる気配を見せるが掌までは届いてくれない。となりのロンは箒は飛び上がってきたが、勢い余って額を打ち付けたようだった。ディーンもてこずっているようだったが、ネビルの箒に至ってはぴくりとも動く気配を見せなかった。同じように、ハーマイオニーの箒もコロコロと地面を転がって見せているだけだ。

 スリザリンの列ではドラコが一度で成功させたらしく、誇らしげに周りの生徒を見回していた。

 

「上がれ。」

 

 もう一度、今度こそは持ち上がってほしいと願いながらハリーが命じれば、箒はすっと彼の掌に収まってきた。周りの生徒たちも何度かリトライするうちに成功するものも増えてきた。それでもネビルの箒はいつまでたっても持ち上がる気配を見せず、彼の声はどんどん涙まじりになっていった。

 ひょっとすると箒は乗ろうとしている人の気持ちが分かるのかもしれない。魔法の世界ならそんなことがあってもおかしくない、第一帽子は分かっていたわけだし、とハリーは考えた。だから、怖いとか、怯えていたりとかすると箒は言うことを聞いてくれないのかもしれない。

 最終的にネビルの箒はマダム・フーチが握らせて飛行訓練は次の過程に進むことになった。実際に箒にまたがり浮いてみるのだ。マダム・フーチは生徒たちが正しく箒を握っているかを確認してまわり、それまで得意げに箒についてほかのスリザリンの生徒たちに語っていたドラコの握り方が間違っていることを指摘した。ドラコは非常にばつの悪そうな顔をしてハリーたちのほうを一瞥し、それを見てロンたちは肩を寄せ合って少し笑いあった。

 

「では皆さん、合図をしたら地面をけりなさい。少し浮いて、戻るのですよ。さあ、1、2」

 

 この時、少し気が急いたのかネビルが合図を待たずに浮かび上がってしまった。ネビルは情けない悲鳴を上げているし、他のグリフィンドール生たちはそんな彼を不安げに見上げた。いっぽうスリザリンの生徒たちはそんなネビルをあざけ笑う。

 マダム・フーチはネビルに降りてくるように言ったが、すでにパニック状態の彼にはそれはできそうになかった。第一なぜ飛び上がってしまったのかも彼にはわかっていないのかもしれない。その上、ネビルの箒は彼を翻弄するかのように上に下に跳ねまわり、急加速したり止まったり。あれでは到底落ち着いて着陸することなどできそうにない。

 結局ネビルは墜落した。

 そう、朝食の時に彼自身が断言したとおりに箒から落ちたのだ。

 遠巻きにそれを眺めていた生徒たちをかき分けてマダム・フーチはネビルに近寄り、彼を抱き上げると彼をマダム・ポンフリーのところへ連れて行くといった。手首が折れてしまったらしい。むしろ、ある程度の高さのあった箒から落ちて手首の骨折のみで済んだのだから、軽症の部類なのかもしれないとハリーは思った。

 

「いいですか皆さん!戻るまで絶対に飛んではいけませんよ。もし命令に背くようなことがあれば、クィディッチのクの字を言う前にホグワーツから出て行ってもらいますからね!」

 

 ぐずぐずと鳴き始めたネビルを抱えるようにしてマダム・フーチは訓練場を後にし、騒然とした生徒たちがそこには残されていた。

 

「見ろよ、これ握りしめれば飛び方思い出せたんじゃないのか?」

 

 ネビルが落ちたときに落としたらしい思い出し玉を拾い、ドラコは掲げるようにして周りの生徒たちに見せびらかした。

 

「返せよ、マルフォイ。」

 

 ロンがすかさずドラコに食ってかかるが、ドラコはそれをひらりとかわすとあざ笑うように箒に足をかけ飛び上がった。

 ハリーはかなり驚いた。先生は飛んではいけないといっていたのに、そんなことはドラコにはおかまいなしだったのだ。

 

「いやだね。ロングボトム本人に取りに行かせよう。屋根の上にでも置こうか。」

 

 ふわりと浮かび上がり、上空からロンを挑発するようにドラコは笑っている。

 ロンも、シェーマスもいやグリフィンドールの生徒たちのほとんどがそんなドラコを憎々しげに見上げている。ハリーもそれは同じで、どうやってドラコを地上に降ろすべきか考えていた。ネビルの思い出し玉も取り返したい。でも、だからといってドラコと同じように飛んでしまってもいいものなのだろうか。

 

「ふん。グリフィンドールの腰抜け軍団は誰も追いかけてこないのか。」

 

「ふざけるなマルフォイ!!」

 

 ロンが箒にまたがり飛び上がろうとするのを、ハリーはただ茫然と眺める事しかできなかった。

 ハーマイオニーはそんなロンにつかみかかり、飛ばないように言い含めていたが、ロンはそれを振り切ってドラコを追うように飛び上がってしまった。

 グラグラとロンの箒は安定しない様子でドラコの元まで上がっていき、ロンは必死に箒から手を伸ばしでネビルの思い出し玉を取り戻そうとするが、ドラコは巧妙にそれを避けロンを翻弄する。授業の前も彼はずいぶんと自慢げに自分は飛ぶことが得意だといっていたが、ドラコのその言葉に嘘はなかったようだ。

 

「英雄さまは見ているだけなのかしら。」

 

 ハラハラとそんなロンとドラコのやり取りを見つめていたハリーに、スリザリンの顔立ちが少しパグに似ている女子がからかうように話しかけてくる。それに呼応するかのように、何人かのスリザリン生たちがハリーをからかいあざ笑う。

 ああ、ここにもいるのか。と思いつつハリーは俯いた。こんな扱いには慣れている。孤児のハリー、弱虫ハリー。そういってダドリーたちはよくハリーをからかってきたものだ。傷つかないわけではないけど、慣れてはいる。いや、慣れてはいるけど胸がじくじくと痛む。

 逃げ出したい。

 ハリーはそう思ってずっと持ったままだった箒の柄を握りしめ、それを見咎めたハーマイオニーがそんなハリーの腕をつかむ。

 

「だめよ、ハリー。飛んではだめ。先生にも言われたでしょう。」

 

 いや、飛ぶつもりはなかったけど。とハリーは思いつつ必死の形相で止めに縋りつくハーマイオニーを見やった。先ほどロンを止めることができなかったハーマイオニーは、ここでもう一人飛ばせてしまったら自分が怒られるとでも考えているのだろうか。

 上空の攻防戦は圧倒的にドラコが有利のようだ。

 ハリーがそこにロンを助けに行ったとして何かの役に立てるのだろうか。今日初めて飛ぶために箒を持ったばかりだというのに、自分が満足に飛べるとはハリーには思えなかった。だからと言って、このままでもいられそうにない。

 シェーマスやディーンもハリーと同じようなことを考えているのだろうか、箒とロンたちを交互に見やっている。

 一体どうするのが正解なのだろう。

 ネビルの思い出し玉を取り返さなければいけないような気もするし、そのためにロンに協力してドラコに追いつくには飛ばなければいけないけれど、それをやれば先生に叱られてしまうし、マダム・フーチはホグワーツから出て行ってもらうとまで言っていたので、退学にさせられてしまうかもしれない。

 考えがぐるぐると頭のなかをかき回して、いっこうにまとまりそうにない。

 ハリーがそうやって悩んでいる間に、シェーマスがロンを助けに向かってしまう。

 

「腰抜けポッター。あんたはいかないの?」

 

 スリザリンの女の子がけたけたと笑う。

 ハリーは自分の顔がかっと熱くなるのを感じた。

 ロンは、初めての友だちだ。きっとここは助けに行く場面なのだろうけれど、動くことができない自分が悔しくなった。飛んだこともない自分に、一体何ができるというのだろう。

 

「ねえ、ハリー。ぼくらも行こう。」

 

 ディーンがハリーの顔を覗き込みながら言った。

 ハーマイオニーは悲鳴にも近い声で、何を言っているの!と責め立ててくる。

 すでにハリーの視界は混乱からくる涙で少し滲んでいた。

 ディーンはハリーの決断を待っている。

 ディーン、ハーマイオニー、そして上空のロンとシェーマスに彼らを二対一になりながらもいまだ優位に立っているらしいドラコ。それそれを順番にハリーは見やって、ディーンに向かって頷いた。

 

「なんで誰も言うことを聞いてくれないのよ!!」

 

 ハーマイオニーの絶叫を背に、飛ぼうと思って箒にまたがり地面を蹴り上げれば、ハリーの体は簡単に宙に浮いた。それはディーンも同じだったらしく、二人は見つめ合い頷き合うと、まっすぐドラコに向かっていく。

 ぐらぐらとする箒はやはり安定感のある乗り物とは言えない。

 

「ハリー、ディーン!挟み撃ちにできる?」

 

 ロンが叫ぶ。

 正直、まっすぐ飛ぶことで精いっぱいだ。それでも、やってみると答え、ハリーとディーンはよたよたとドラコとにらみ合いを続けるロンたちとは反対側からドラコに近寄った。

 ドラコはそんなハリーたちを見回すと鼻で笑った。

 

「なんだよ英雄。半泣きじゃないか。」

 

 地上ではスリザリンのドラココールが巻き起こり、グリフィンドール生たちは心配そうに見上げているだけだ。

 見下ろせば結構な高度があり、ハリーは震えた。落ちたら痛いだけでは済まない高さだ。

 

「こんなことやめようよ。」

 

 ハリーの声は震えていた。飛んでしまったことを心の隅で少し後悔する。でも、ここでやらなければロンに失望されてしまうかもしれない。

 

「へえ、泣き虫ポッター。じゃあとって来いよ!!」

 

 ドラコはそう言うと、思い出し玉を思い切り遠くに投げ、そのまま彼はゆるゆると地上に降りて行ってしまう。もし、思い出し玉が地上に落ちてしまったら、ガラスでできたそれは割れて壊れてしまうかもしれない。

 四人は一瞬何が起きたのか理解できなかったので思わず固まってしまったが、すぐにロンとシェーマスが思い出し玉を追いかけるように箒で飛び出した。ハリーもそれに続きたかったが、一瞬の出遅れとなれない箒での飛行は思うように加速してくれない。

 ハリーは顔を歪めながら、先行するロンたちを追いかけるが、自分自身でも追いつけそうにないことは分かった。

 思い出し玉は弧を書いて飛び、校舎すれすれの地面に向かって落ちていく。

 それを見て思わずハリーはその地面に向かって急加速した。不思議と先ほどまでの恐怖感は感じられない。初めて飛んでいるのに、なぜか箒のコントロール方法が分かっていた。

 地面に向かって急降下するハリーに何人かの生徒が悲鳴を上げた。一見彼が落ちていくかのように見えたのだ。

 結局、ネビルの思い出し玉はそのまま背の高い芝の上にぽすっと落ちた。少し遅れてハリーもその近くに、ほとんど墜落に近い形で地面に転がった。

 

「大丈夫かいハリー。」

 

 ロンたちもそんなハリーの近くに着陸する。ロンがネビルの思い出し玉を拾い上げ、太陽に透かして見るが、目立った傷はないようだ。

 

「うん。大丈夫だよ。けがはしてないと思うし。」

 

 笑い合うハリーたち四人に、ぷりぷりと怒りながらハーマイオニーが近づいてくる。

 

「信じられないわ、あなたたち。なんであんな危険なことするのよ。」

 

 そのハーマイオニーの言葉に、ロンは噴き出した。シェーマスも肩を震わせる。

 なんであんなことをしたのか、と言われればハリーは明確には答えられない気がした。なんとなく、やらなきゃいけない気がしたから飛び出しただけだ。

 笑い合うハリーたちに、ハーマイオニーはぐちぐちと彼らの行動がいかに馬鹿げていて、理にかなっていないのかを言ってくるが、だれもそれに耳を貸していなかった。



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CHAPTER4-1

 飛行訓練で勝手に箒に乗って飛んでしまったハリーたちとドラコは、救護室から戻ってきたマダム・フーチにこってりと叱られた。もちろん彼女は現場を見ていたわけではなく、ハリーたちのやり取りをたまたま授業のなかったマクゴナガルが目撃をしており、ハリーが落ちたと思って訓練場まで降りてきてしまったからだ。

 叱られついでに減点までされてまたが、退学にはならなかったのでハリーはとても安心した。減点で済むなら十分だ。

 そして減点されてはしまったが、グリフィンドールの上級生たちはお祭り騒ぎで彼らを迎えた。ネビルのために、宿敵スリザリンに立ち向かった彼らはまさに英雄というわけだ。いつもであればその手の騒ぎを見咎めるパーシーも苦笑いを浮かべて見守っていた。

 

「先生の言いつけを守らなくて減点されたのよ?おかしいわ。」

 

 ハーマイオニーはそれが気に障ったようで、大騒ぎの談話室から踵を返すように女子寮に続く階段を昇って行ってしまった。

 

「一体何が気に入らないんだろうな、彼女。」

 

 シェーマスとロンが肩をすくめてそう言ってはいるが、さほど気にもしていないのはハリーにもわかった。入学からまだそれほど時間がたっていないにも関わらず、彼らはハーマイオニーに対して苦手意識を抱いている。理由までは分からないが、ハリーもなんとなくその気持ちは分からなくもないが、だからと言って自分まで彼らと同じようにハーマイオニーを避けるのも違うような気もするが、彼女のためになにかができるかといえば何も思いつかない。結局、ロンたちについていくしかできないのだ。

 

「そういえばキャッチは出来なかったけどハリーの加速、すごかったよな。」

 

 そういえば、とハリーは思い出す。あの時は夢中でどうやって箒をコントロールしたのかはハリー自身にもわからなかったが、風を切るあの感覚はとても気持ちのいいものだった。

 ロンは目を輝かせながら、落ちていく思い出し玉を追いかけていったハリーの加速が鮮やかなものだったのかを周りの生徒たちに話して聞かせる。その一言一句に上級生たちは歓声を上げた。

 ハリーはいたたまれなくなってきて、最高潮の盛り上がりを見せる談話室から逃げ出したくなった。だが、ロンの兄たち、フレッドとジョージに両脇を抱えられていて動けそうにない。

 フレッドとジョージはロンの話を聞きながらハリーの癖の強い黒髪をもみくちゃにしてくる。

 

「ぜひとも俺たちにも見せてほしいね。」

 

「そんなにすごいならシーカーだってできるさ。」

 

 二人は交互に話しながら、ハリーを談話室の暖炉の前まで引きずっていき、そのままぼすん、と彼をソファーに沈めた。抑え込むようにハリーの両脇に座ると、ジョージとフレッドは現在のグリフィンドールのクィディッチチームについて語り始めた。二人はビーターというポジションでプレイしているが、彼らの兄でシーカーだったチャーリーが卒業してしまってからというもの、なかなかチームは勝利を掴めずにいるらしい。だからこそいい選手を探している、というわけだが、ハリーはまだ一年生でその資格はない。

 

「いや!だが諦めるのは早いぞ。もしハリーに才能があるのであれば来年まで待つ必要はないはずだ!だから俺は、マクゴナガル先生に相談してみようと思う!」

 

 そう言って立ち上がった上級生をハリーはかなり驚いた顔で見つめた。

 

「気にすんな。オリバーはクィディッチのことになるとおかしくなるんだ。」

 

「まあ、勝ちたいって気持ちもわかるけどな。」

 

 オリバーと呼ばれた彼は、寮のクィディッチチームのリーダーだと二人は教えてくれた。そしてあまりの熱血っぷりにチームメンバーが振り回されることが多いことなどを付け加える。

 談話室はそんなハリーたちを中心に、今季のクィディッチの試合についてなどで盛り上がっていく。結果、翌日のグリフィンドール生のほとんどは寝不足を抱えることになった。

 

 昨日のハリーたちとドラコのやり取りはどうやら学校中に広がっていたらしかった。魔法界は娯楽が少ないのか、この手の話題はあっという間に広がってしまう。

 ロンたちは非常に誇らしげにあの件について尋ねてくる生徒たちに答えていたが、ハリーは朝、数人に囲まれただけでかなり懲りてしまった。だから、昼休みは軽くキッシュを詰め込むと早々に図書館へと逃げこんだ。

 図書館にはハーマイオニーがいたが、彼女は昨日の一件以来ハリーと口をきいてくれないので、ハリーも近寄らないようにした。

 それでもディナータイムまで図書館にこもることをロンたちは許してくれなかったので、ハリーは仕方なくロン、シェーマス、ディーンそして一晩で手首の骨折を直してきたネビルとともに、グリフィンドールの席で仲良く食事をとることになった。

 ホグワーツの食事はとても豪華で、ハリーが学校生活で楽しみにしていることの一つだ。ハリーが料理の本でしか見たことがないような手の込んだ料理がいつもテーブルには並んでいる。それも、誰かが運んでくる様子もなく急にテーブルの上に現れるのでハリーは当初驚いていた。魔法は便利なものだけど、毎回驚かされている。流石に、そろそろ慣れてきたけれど。

 ハリーとディーンは、ロンたちの会話にも混ざれるようになってきた。話題が彼らも知っている授業の内容などが増えてきたからというのもあるが、彼ら自身も魔法界のことをだんだんと理解し始めたということもある。ディーンは、最近ではクィディッチチームの雑誌などを借りたりして、リーグの話題についていけるようになったようだ。

 ディナーを楽しみながら、友だちと話すなんていうことは、ハリーにとってとても幸せな時間だ。最初は緊張もしたけれど、毎日ともなれば慣れる。今となっては、一人で階段下の物置で硬くなったパンをかじっていたことも懐かしい。

 

「泣き虫ポッター、今日は泣いていないのか。」

 

 そして、こうやってドラコが両脇にクラッブとゴイルを従えて絡んでくるのも毎日のようなものだ。

 確かにドラコの前ではよく涙目になっている気がするので、ハリーはドラコの言葉を否定もしなかった。しかし、彼の友だちはそういうわけにはいかないらしい。

 

「そういう言い方はないだろマルフォイ。」

 

 すぐにロンが立ち上がり、ドラコに詰め寄った。シェーマスももちろんそれに続く。昨日まではここまで導火線は短くなかった気がするが、ロンたちは少し自信をつけたのだろう、あっという間にハリーをかばうように二人はドラコの前に立ちはだかった。

 ハリーのことを馬鹿にするドラコたちと、それを止めようとするロンとシェーマス。ディーンとネビルもそこに混ざろうとして入るが、ネビルはハリーと同じでそういうのは苦手なようで、びくびくと様子をうかがっているし、ディーンは俯いてしまったハリーの顔を覗き込んでくる。

 ハリーはといえば、自分の頭の上で自分のネタで行われている口論を聞き流していた。ディーンにも小声で大丈夫、と伝える。

 

「じゃあマルフォイ、今夜魔法使いの決闘だ。トロフィー室で。こっちは、ハリーを介添えにする。」

 

 ロンは先生たちに聞こえない程度の声量でドラコにそう言い、ドラコもそれを了承した。もう少しで杖を抜き合っての喧嘩に発展しそうな状況に、マクゴナガルを含めた数人の教員が彼らに近づいてきている。

 昨日の件もあるので、ここで杖に手をかけようものなら、厳格なマクゴナガルのことだ、容赦なく減点してくるに違いない。だからロンはこの場を収めたのだろう。

 ドラコは忘れるなよ、と言い残してクラッブとゴイルを連れてスリザリンのテーブルへと戻っていった。

 彼らが解散するのを見た教員たちも元の場所へと戻っていく。

 

「まさかとは思いますけど、そんな馬鹿げたこと本当にやるつもりじゃないでしょうね。」

 

 しかし、彼らのやり取りを聞いていたハーマイオニーはそうはいかなかったようだ。読んでいたらしい分厚い本をテーブルに叩きつけるようにして、まだ興奮冷めやらぬ様子のロンに詰め寄った。

 

「行くに決まっているだろう?」

 

 ハーマイオニーの言葉はロンの耳には全く届いていなかった。



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CHAPTER4-2

 ハリーがネビルの姿が見えないことに気が付いたのは、就寝時間間近になってからだった。いつもなら彼はハリーたち四人と一緒にいるが、夕食後にどうしても図書館で探したい本があるといって一人で図書館に行ったことまでは覚えている。ハリーもついていこうと思ったが、ドラコとの決闘を決めてしまったロンに捕まってしまったのだ。

 ロンとシェーマスは、寮に戻るなり基本呪文集を隅から隅まで見直しながら、決闘の役に立ちそうな呪文を探しているが、どれも決め手にはならないようだ。それもそうだろう。一年生にそう軽々と人に危害を与えるような呪文を教えるとは思えない。よしんばあったとしても、まだ習っていないものをぶっつけ本番でロンが使いこなせるとはハリーには思えなかった。彼はいつも授業で手間取っているし、毎回成功させるのはハーマイオニーだ。ドラコがどの程度呪文を使えるのかわからないが、なんとなく、本当になんとなくだけどロンよりは得意そうだな、とハリーは思った。口に出したりはしないけど。

 いいところ、火花を飛ばしあう程度かな、などと考えハリーは昼休みに図書館で見つけた魔法薬学の本を読んでいるふりをしていた。

 

「おい、ハリー君も一緒に考えようぜ?」

 

 闇の魔術に対する防衛学の教科書に使える魔法がないか、と探していたディーンがハリーに声をかけてきた。

 確かにドラコは闇の魔法とか使ってきそうではあるが、一年生向けの闇の魔術に対する防衛学の大半は魔術そのものではなく、危険な魔法生物に出会ってしまった時の対処法なので、人間のドラコにはあまり効かないだろう。しかし、彼らが持っている教科書の中で役に立ちそうなのがこの二種類なのも事実だ。

 

「そうだよ、君介添え人なんだからさ。」

 

 シェーマスが言うが、それはロンが勝手に言い出したことだ。ハリーは了承した覚えはない。そもそも、ドラコが実際来るかどうかだって怪しいものだ。あの場できちんと返事をしていたわけではないし、夜としか言っていない時間に関してはあのパグっぽいスリザリン生にメモを押し付けただけなので彼に渡っているのかも謎だ。

 

「でも、夜間は生徒は寮の外に出てはいけないって…。」

 

 ハリーは読み始めたパラパラとページをめくっていた本を膝の上に置いてそう答えた。

 そもそも校則違反だ。夜、寮から出ることもそうだけど、生徒同士で決闘などしていいわけがない。場合によっては死ぬこともあるのなら尚更先生たちが許すわけがない。ハリーとしてはわざわざそんな危険なことをしたいとは思わないので、この話を何とかなかったことにできないか、と実は考えていたりする。

 ロンたちは減点などあまり気にしていないようで、夜間外出なんて見つからなければへっちゃらさなどと言っているがそれは、ハリーはへっちゃらではないので本当に勘弁してほしい。

 

「ねえ、本当にやめようよ。決闘なんてする必要ないって。そんなことよりも、ネビルが戻ってきていないみたいだよ。」

 

 勇気を絞り出してハリーは言ってみた。決闘より、すでに時間を過ぎているのに寮に姿の見えないネビルのほうが問題だ。ひょっとしたら段の消える階段に運悪くはまってしまったのかもしれないし、迷子になっているかもしれない。

 

「そういえば、ネビル見てないな。」

 

 ディーンも思い当ったようだ。ロンたちも顔を見合わせて、図書館からまだ戻っていないのはおかしいと言い出す。なにしろ、昨日の騒ぎで寝不足だった生徒たちはすでにそれぞれの寝室に戻っており、談話室には彼らしかいない。ネビルが一人で先に寝室に戻ってしまった可能性もあるが、それは多分ないといえよう。

 シェーマスが、ちょっと部屋見てくる、と男子寮の階段を駆け上っていき、しばらくして部屋にもいないよ、と青い顔をして帰ってきた。

 どうやらこれでロンたちの頭から決闘という文字は消えたようだ。

 

「どうしよう!探しに行かないと!!」

 

 ロンが慌てて談話室を出て寮の入り口に走っていく。もちろん、シェーマス、ディーンもそれに続いたが、ハリーは一瞬戸惑った。いくらネビルを探すためとはいえ、出ては行けない時間帯に寮から出てしまってもいいのだろうか。しかし、ハリーにもほかの方法は思い浮かばなかった。

 ロンが入り口のドアに手をかけてハリーの方に振り向く。

 

「ハリー、早く来いよ!」

 

「待ちなさい。あなたたち、寮から出ようなんて思ってないわよね?」

 

 ハリーが頷いて走り出そうとした瞬間、ハリーの左腕はどこからともなく現れたハーマイオニーによって掴まれてしまった。

 

「信じられないわ。まさかと思って、降りてきてみてよかった。これ以上減点なんてされたら、今年もスリザリンに負けるのよ。せっかく私が稼いだ得点をあなたたちがなかったことにするんだわ。」

 

 どうやらハーマイオニーは昼間のドラコとロンのやり取りを気にしていたらしい。確かに、あのままならロンたちは決闘のために寮を抜け出していただろう。でも今は事情が違う。

 

「離せよ、ハーマイオニー。ぼくたちはどうしても行かないといけないんだ、ねえ、ハリー。」

 

 シェーマスが随分と焦った様子で言った。

 

「ああ、うん。そうだよ。ごめん、ハーマイオニー。ぼく行かないと。」

 

 ハリーは結構な力で掴んでいるハーマイオニーの腕を振り払うように寮の入口へと向かうが、振り払うことができないまま、シェーマス、ディーンそしてドアを開けたロンたちと縺れるようにしてついに彼らは寮の外へと転がり出た。

 あ、とハーマイオニーが小さく悲鳴を上げ、あなたたちのせいで私まで外に出てしまったじゃない、とロンに掴みかかった。

 

「大体決闘なんて馬鹿げているのよ。」

 

 ハーマイオニーが吐き捨てるように言う。

 

「違うよ、ハーマイオニー。ネビルがいないんだ。」

 

「だったら監督生に言えばいいじゃない。」

 

 ディーンの言葉に、彼女は即答する。そういえばその手があった。上級生の監督生であれば、寮から出ずに何とかする方法を知っているかもしれない。まだ、彼らは寮を出たばかり。振り返って「太った婦人」に合言葉を言えばすぐに寮に戻れるはずだ。

 ハリーはそう思って「太った婦人」のほうに向き直った。しかし、そこにはいるはずの夫人の姿はなく、背景だけが佇んでいた。

 

「大変だ、婦人がいなくなっちゃったよ。」

 

 そういえば、この城の絵画たちは静止していないどころか、一枚の絵の中にすら留まってくれはしない。初めて見たときにハリーが驚いたことの一つだ。魔法界の写真や絵画はともかく動く。それでも日中「太った婦人」が他の場所に行ってしまったことなどなかったので、彼女は本来生徒が出入りをしない夜間にほかの絵を渡り歩いているのだろう。

 彼らはお互いの顔を見合わせた。これでは、中に入れない。

 どうしてくれるのよ、とハーマイオニーは怒り出した。

 どうしてくれるのよと言われても、ハリーにはどうすることもできない。それはロンたちとて同じだ。ぷりぷりとしているハーマイオニーを困った顔で見つめる事しかできない。

 ともかくこの場所に留まっていても仕方がないので、彼らはネビルを探すことにした。本当なら大声を挙げて捜し歩きたいところだが、ネビルを探しているという理由だとしても、無断で夜間外出をしていることには変わりはないので、皆物陰などを覗き込みながら注意深くホグワーツの城の中を進んでいった。無意識に、校則違反をしているという罪悪感はあるのだろう。

 どこから管理人のフィルチが出てこないとも限らない。ジョージとフレッドは彼に目を付けられており、様々な理由をつけては減点をされていると言っていた。それに彼だけではなく、彼の愛猫のミセス・ノリスも侮れない。彼女こそ神出鬼没でどこからともなく現れ、まるでフィルチのいない場所でも生徒たちに目を光らせているようだった。猫が減点をするわけではないのだが、彼女は見たことをフィルチに伝えているともっぱらの評判だ。

 ハーマイオニーは、見つかってしまえば彼らのせいで外に出ることになってしまったことを伝えるので全員そう言うようにとずっと言っている。彼女だけはネビルを探すそぶりを見せず、拗ねた顔をしてハリーたちの後をついてくるだけだ。

 夜の城の中は、生徒たちが大勢いる昼間とはうってかわって静寂に包まれていて、少し不気味ですらあった。昼間うろうろしているせいですでに慣れたゴーストたちですら、こんな雰囲気の中出会ったら結構な恐怖になるかもしれない。

 ハリーたちは、誰からともなく皆身を寄せ合うようになった。



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CHAPTER4-3

 窓から差し込む月明りだけを頼りに、広大なホグワーツの中でネビルを探すなどということは無謀だったとハリーは猛省していた。思わず寮の外に出てしまったことも、そのままその場にとどまるのではなく、ネビルを探しに歩き始めてしまったことも。

 どれもこれも「利口」な方法ではない。

 ただこうやってロンたちとともに夜の校内を歩いているのは、悪いことだとはわかっているが、どこか楽しくてわくわくしてくる。もっともそれ以上に先生方やフィルチ、それと彼の猫のミセス・ノリスに出くわしてしまうのではないかという恐怖のほうが強いが。

 みんな見つかってはいけないということが分かっているからか、大きな音は立てようとしない。囁くような声でネビルの名前を読んでみたり、物陰を覗き込んだりしていた。

 ハーマイオニーもしぶしぶとではあるがそれについてきている。

 最初のうちはそれでもネビルを探さなければという意識が強かったが、あてもなく探すことに集中し続けるのは難しい。次第に、悪いことをしている、見つかってはいけないというスリルを楽しむ方向に意識がシフトしてしまうことも仕方のないことなのかもしれない。

 ロンとシェーマスは悪戯っぽい笑みを浮かべながら、次の角はどっちが先に覗くか話し合っている。ディーンもまたそれに加わって三人は肩を寄せてくすくすと笑い合う。ハリーはその輪に入るべきか迷っていた。「友達」ならばそうやって楽しいことを共有すべきなのかもしれないが、それでも今はネビルを探しているわけだし。一方で、楽しみながら探してはいけないということもないだろうという思いもよぎる。

 しかしそうやって悩んでいる間にも彼らはどんどん先へと進んでしまい、ハリーはタイミングを逃してしまったバツの悪さを感じながら、薄い笑顔を浮かべたままロンたちの後をついていくことになる。

 集団のなかにおける疎外感。

 これが初めてというわけでもないが、ハリーはその孤独感は一人でいるよりも寒くて悲しいと感じていた。

 ハリーを受け入れてくれている人々の中にいるのに、恵まれているはずなのにそれは一人で過ごすよりも寂しいのだ。ホグワーツに来るまではあまり感じたことのない、別の種類の孤独感。しかし、それを表に出してしまってはせっかく友だちになってくれたロンたちに嫌な思いをさせてしまうかもしれない。そう思えば、彼は笑うしかできなくなる。

 そんなときハリーはホグワーツに来る前よりもずっと惨めな気持ちになるのだ。

 今までは、集団に悟られないための透明人間だったのに、今はそこにいるのにいるだけだ。でもそれだってホグワーツに来る前を考えれば贅沢な望みだ。だって、もうハリーは一人ではないのだから。

 

「ねえ、あなたたち本気でネビルを探す気はあるの?」

 

 しびれを切らしたハーマイオニーがイライラとした声を上げた。

 

「おい!あまり大きな声をだすなよ。見つかっちゃうだろ?」

 

 ロンはそう答えたが、彼の声だってたいがい大きかった。

 

「大体君はいつだってそうさ。そうやって僕らのやることに対して文句を言うだけじゃないか。」

 

「だって仕方ないじゃない。あなたたちのやることって間違ったことばかりなんだもの。注意だってしたくなるわ。」

 

 だんだんと大きくなる、いや最初からそれなりの音量だったがそれを上回るほどの声で言い合いを始めた二人の顔を交互に見やりながら、ハリーはどうすればいいのか考え始めた。

 シェーマスはすでにロンの擁護に回っているし、ディーンもそれに追随するだろう。

 しかしハリーにはどうすべきなのかわからなかった。

 ロンは友だちだからシェーマスたちの様に彼の味方をすべきなのかもしれないけれど、ハリーにはそれが正しいことなのかわからない。ただ、自分にわかっているのはこういう、今ロンとハーマイオニーがしているような言い争いは好きではないということだけだ。だから、ここで自分がロンの立場についてしまえば、余計に争いが激しくなるのではないかとも思う。だからといって、ハーマイオニーの味方をするだけの理由もない。できることなら、この場から離れたいし関わりたくないというのが本音だ。

 おろおろとするだけのハリーを置いて、二人いや四人の言い争いは激化する一方だ。

 さっきまでは気配を消すことを楽しんでいただろうロンたちもそのことはすっかり忘れてしまったように、声を張り上げていく。

 ハリーは本格的にこの場から逃げたくなった。

 みんなに悟られないようにため息をつくと、ハリーはなんとなく周りを見回した。どこかに退避したい、逃げたいという思いからの行動ではあるが、ふと彼の視界の端に何かが動いたような気配を感じた。

 声を上げることは簡単だ。

 ――誰かいる気がする。

 そう促すことができれば皆も彼に注目するだろう。しかし、ハリーはそうしようとすればするほど喉が詰まっていくかのような感覚に襲われて声が出せなくなるのを感じた。

 こんなことをしている場合ではないのに、声が出なくてはどうやってみんなにこの状況を知らせればいいのだろう。

 ちらりと見やれば、その影はじわりと彼らに近寄ってきているようだった。大きさ的に先生方ではない。もっとも先生であれば声をあげながらずでにこちらに近づいてきているだろう。きっとあれはフィルチの猫、ミセス・ノリスに違いない。

 彼女は足音もなく彼らに近づいてきている。

 彼女が飼い主であるフィルチに生徒たちのことを告げ口しているのではないか、というのは生徒たちの間でもっぱらの噂だ。彼女は確かに生徒たちの素行をすでに見張っているかのようなそぶりを見せるときがあるので、それはまことしやかに囁かれている。

 その噂が本当であれば、ハリーたちがここにいてはいけないこの時間にいたことは、すぐにフィルチの耳に入るだろう。そうなれば、彼らは一網打尽に掴まって、たっぷりと減点された挙句、厳しいとかつらいとか言われているフィルチの罰則を受けることになるだろう。

 ついそれらを想像してしまったハリーは、頭を左右に振って震える手を抑えるために硬く一度こぶしを握りゆっくりを手を開くと、一番近くにいたディーンのローブを小さく引っ張った。

 

「どうした、ハリー。」

 

 自分のローブを握りしめて俯いているハリーにディーンは振り向いた。

 しかし、ハリーは必死な顔で彼を見てくるだけで、うまく言葉が紡げないでいた。あ、とかう、とか意味をなさない言葉が口から出てくるだけで、伝えたいことが上手く言葉にできない。

 いぶかしげにハリーを見るディーンの顔が少し怖く感じて、ハリーはぎゅっと目を閉じ思わず俯いた。

 なんとか伝えなければいけない。

 

「あ!の!!ミセス・ノリス、が!!!」

 

 なんとかひねり出した声は絶叫に近かったかもしれない。

 ハリーのその言葉に、一瞬皆が静かになった。いまだディーンのローブを握りしめて、俯いて少しだけ震えているハリーを見てから、みな廊下の奥に目を凝らす。

 

「おや、ミセス・ノリス。出歩いている子どもがいるのかい?」

 

 かつかつとした足音と猫に話しかける声。それにこたえるように、ミセス・ノリスがにゃーんと一鳴きした。

 先ほどまで言い争いをしていたロンとハーマイオニーも息をのむ。

 ハリーたちは誰ともなしにその場を離れるために走り出した。幸いまだフィルチの姿は見えていなかった。

 しかし逃げているはずなのに、先回りをしてくるらしいフィルチとミセス・ノリスは彼らの行く先々に現れ、ハリーたちはその都度別の廊下へと進路を変えざるを得なくなった。結果として、自分たちが今校内のどこにいるのかわからなくなってしまったのは仕方のないことだと言えよう。ともかく、皆無我夢中で走った結果その先に扉のあるだけの一本道へと舞い込んでしまったのだ。

 いつフィルチが来るかもしれない恐怖。

 薄暗い廊下の先を見ながら彼らは行き止まりの扉の前で固まった。

 息をのみながら、耳をそばだてて物音に集中する。

 かつん。

 

「だめだ!鍵かかってる!!」

 

 もう逃げる先はその扉の先にしかなさそうだが、ロンがガチャガチャと動かしても扉は開きそうになかった。

 絶体絶命だ。

 もう捕まるしかない。

 そうハリーが目を閉じようとした瞬間、ハーマイオニーがローブの中からすっと杖を抜いたのが見えた。

 

「あなたたち教科書読んでいないの?」

 

 苛立たしげにそう言いながら彼女は、すっと杖を扉に向ける。反射的にロンがそこから引いて彼女のすることを見守った。

 

「アロホモラ!」

 

 かちり、と何かが外れる音がしてハーマイオニーはそのまま扉に手をかけた。

 ハリーはそれみて、そういえば基本呪文集に鍵開けの呪文が載っていたことをおもいだしたが、だからといって授業ではまだ習っていないそれをこの場で使ってみようという発想にはなれなかった。

 早く、と促す彼女の声に従ってハリーたちは扉の奥へと身を隠した。

 フィルチとて、さすがに鍵のかかっている扉の先に生徒たちがいるとは考えないのではないかという甘い考えが脳裏をよぎる。

 それでも安心はできない。きっと近くまで来ていたはずだ。

 扉の奥でハリーたちは物音を立てないように固まりながら、外の気配を窺った。

 ふと、ぽたりと何がか落ちる音がした。

 そして自分たちではない明らかな、異質の荒々しい息遣い。

 思わずハリーたちは顔を見合わせた。

 そしてゆっくりと顔を上げる。

 そこにあったのは、ハリーの見たこともないような大きな犬の顔だった。

 それは獰猛な牙をむき出しにし、その口の端からは涎を垂らしながら彼らを今にも襲おうと言わん雰囲気で見下ろしていた。

 もう逃げているとかそんなことは頭から消え去っていた。

 ハリーたちは大声を上げた。

 ともかくこの場から逃げなければいけない。

 慌てて扉の外に転がり出ると、力の限りにそれを閉じてその向こうでまだあの、ハリーたちの何倍もありそうな大きさの犬が吠えたてているのを聞いて、フィルチから逃げていた時よりも早く彼らは走り出した。

 罰則減点の恐怖よりも今は生命の恐怖が勝っている。

 ともかくハリーたちは無我夢中で走って、どこをどう走ったかは分からないがなんとか誰にも見つかることなくグリフィンドール寮まで戻ってきた。

 

「みんな、どうしたんだい?顔色を変えてそんな走って。」

 

 寮の前のタペストリーの裏からネビルが不安そうな顔をのぞかせた。

 ハリーはそんなネビルを見て、そういえば彼を探していたんだと思い出した。フィルチから逃げたり、犬に出会ったりですっかり忘れてしまっていたのだ。

 なんとなく罪悪感のような気持ちに襲われながらネビルのほうを見やる。どうやって答えようかハリーが悩んでいるとシェーマスが、君を探していたんだとさらっと言ってのけ、ネビルもそうなんだと笑った。

 こうすればよかったのか、とハリーは思いながら彼らのやり取りを見ていた。

 ハーマイオニーはそんな彼らのやり取りを見ながら大きくため息をついた。

 

「早く寮に入りましょう。もう太った婦人だって帰ってきているんだから。」

 

 そう言い、婦人に合言葉を伝えるとハーマイオニーはイライラとした様子で寮へと入っていく。

 また婦人がいなくならないうちに入らなければタイミングを逃してしまうかもしれない、とハリーたちもそれに続く。

 ロンたちはちょっとした冒険に興奮が収まらないようで、自分たちがどんなことをしていたのかをネビルに話し始めた。

 それを聞きながら、ネビルは笑っている。

 確かに普段体験できない「まとも」ではない経験に、ハリーの胸も少し踊っていた。

 

「まったく、校長先生も何を考えているんだろうね。学校の中であんな化け物を飼うなんて。だって、見たか?頭が三つもあったんだぜ?」

 

 そう言っているロンは本当に楽しそうだ。

 

「あら、あなたなーんにも見ていないのね。あの犬の足元に扉があったわ。きっと何かを守っているのよ。まあ、いいわ。お先に失礼するわね。あなたたちに付き合っていたら命がいくらあっても足りないもの。もっと悪くて退学ね。」

 

 そう言い捨ててハーマイオニーは女子寮への階段を上がっていった。

 後姿だけでも彼女が怒っていることは十分伝わってくる。

 

「彼女、変わっているよな。死ぬより退学のほうが怖いか?」

 

 シェーマスがそうつぶやくと、ロンもディーンもそりゃそうだと笑い始める。

 ネビルはそんな怖ろしい犬に遭わなくて本当によかった、とおびえた様子ででも笑いながら言っている。

 怖かったけど、確かに楽しかった。

 ハリーはそう思いながら、シェーマスやロンが自分たちの冒険を話し合っているのを聞いていた。

 

 

 

 

 

 

 



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CHAPTER4-4

翌日になっても、一つの冒険を経験したロンたちの興奮は治まっていないようだった。一応規則を破っての行動なので大声では言えないが、彼らはひそひそと肩を寄せ合いながら自分たちがいかに大冒険をしたのかを話し合い、また思い出しては笑い合っていた。

 面白いことに目がないロンの双子の兄、フレッドとジョージは彼らが一体何を隠していてそんなに楽しそうなのか聞き出そうとしていたが、皆教えられないとやはり悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 ネビルははじめは怖がっていたものの、そんなに楽しい経験をできなかったことを少し悔しがっているようだった。ちなみにネビルがなぜ時刻になっても寮まで戻ってきていなかったのかということだが、彼曰く、図書館に寄り課題に役立ちそうな本を探していたら眠くなってしまい、そのまま本棚に囲まれた図書館の片隅で眠ってしまい、気が付いた時には時刻をとうに過ぎていたらしい。何とか誰にも見咎められることなく寮まで戻ってきたはいいが、今度は太った婦人がいない上に合言葉も忘れてしまっていた。仕方がないので、近くのタペストリの後ろに隠れてみたがやはりここでも眠くなってしまい、そのまま眠ってしまったのだという。

 シェーマスがそれを聞いて、ネビルらしいやと笑い、ディーンが本当に、とつられて笑い始める。

 でもあの薄暗い学校の中を一人で寮まで戻ってきたのだから、ネビルだって十分冒険をしているとハリーは思った。自分はロンたちについて行っただけに過ぎない。ネビルのほうがよほどすごい。

 授業の合間も、昼食の時もそして今のディナータイムに至るまで彼らの会話は昨日の出来事一色だった。

 目の前の料理を、さすがに最近では先を争ってごちそうを取り合うようなこともなくなったが、フォークでつつきながら、ハーマイオニーが指摘した扉の中には何があるのか皆で考えを巡らせる。

 

「あの時はさ、必死で気が付かなかったけどあそこってダンブルドア校長が言っていた「入っちゃいけない」四階の廊下だよな?」

 

「そりゃ入っちゃいけないだろうさ。あーんな化け物がいるんだ。殺されちゃうよ。」

 

「彼女が言っていた通り、あいつが何かを守っているっていうなら一体なんだろう?」

 

 ひょっとして見たこともないお宝があるのかもしれない。変わり者で有名なダンブルドア校長がこっそりホグワーツに隠したかもしれないお宝。ハリーたちはそれが一体何なのかこそこそと話し合う。

 そんなハリーたちをやはりハーマイオニーは睨みつけ、彼らにも聞こえる大きなため息をついて黙々と食事をしていた。

 

「…彼女も言いたいことがあるならはっきり言いに来ればいいんだ。」

 

 ロンが彼らにだけ聞こえるように言い捨てた。

 三人の中できっと一番ハーマイオニーを嫌っているのはロンなんだろう、とハリーは思った。もっとも彼はもともととてもそういった感情の起伏が激しいタイプだ。スリザリンと聞けばそれだけでカッとなれるし、マルフォイが視界の隅に少しでも見切れるだけで嫌悪感を露わにする。もともと、彼はハーマイオニーに対してあまりいい感情は持っていなかったが、昨日の一件で完全に「敵」認定である。こうなればもう、彼女の一挙手一投足が気に入らなくなるのだろう。何かにつけて彼女のやることに文句をつけていた。

 シェーマスとディーンはそれに同意するそぶりを見せているが、ネビルはハリーと同じように聞いているだけのように見えた。

 

「彼女ってさ、がみがみがみがみ。まるでママみたいだよな。」

 

 シェーマスが笑う。

 彼はロンほど嫌悪感があるわけではないようだが、それでも思うところはあるのだろう。

 

「あれはやっちゃダメ!ダメ!ダメ!ってな。本当、あれじゃ母親だよ。」

 

 ディーンも笑う。

 そういえばペチュニアおばさんがダドリーを怒っているところなんて見たことないな、とハリーは思った。彼女は自分の息子をそれはもう壊れ物でも扱うかのように大事にしていたし、彼のやることには何でも賛同していた。たとえそれがハリーをサンドバッグ扱いすることであっても咎めたことなど一度もない。もっともハリーだってそれを止めてほしいとはそこまで思っていなかった。きっと下手に止めようとすればもっとひどい目に遭うのだ。一度プライマリースクールの先生が二人を仲良くさせようと試みたことがあったがあれは完全に間違いだった。だからハリーはいつも「大丈夫です」と言ってきたのだ。実際なんとか耐えることもできていたし。

 そう考えればダドリーはあり得ない甘やかされ方をされてきたのではないか、と驚愕する。少なくとも三人は自分の母親に口うるさく注意をされているらしい。

 ハリーはペチュニアにはかなり厳しく躾けられてきた、と自分自身思っているが、確かに行動の制限は多かったけど言うことさえ聞いて静かにしていればそれ以上の小言を喰らったことはなかったな、少なくとも最近はと思い出していた。

 ロンたち三人はいかに自分の母親が口うるさいかを競うように話し始める。

 母親のいた記憶のないハリーはその会話には入っていけなかった。

 ただ母親っていうのはそういうものなんだな、と思いながら聞いている。

 ネビルはハリーと同じで母親の記憶がない。彼の両親は例のあの人の部下によって攻撃されずっと入院しているからだ。だからネビルは彼の祖母によって育てられたと言っていた。彼にしてみれば、口うるさい存在はその祖母だが、ロンたちのようにこの場ですらそれに文句をつけたらその祖母にさらに叱られるのではないかと思っているのでは、というほどおどおどしながら会話に加わる。

 でもハリーは加われない。

 昨日と同じ、集団のなかの孤独に襲われる。

 諦めてもいたし受け入れてもいたけれど、ハリーがダーズリー家で過ごしてきた日々はそう簡単に他人に話せるようなものではないのは分かっている。

 辛いと思うこともなかったけれど、辛さを感じなかったわけではない。

 ホグワーツに来てからは特に自分がどれだけ虐げられてきたのかを実感することが多い。

 また、この一年が終わったらあの地獄のような家に帰らなければいけないのだろうか。そう思うと、まだ学校が始まったばかりだというのに心は鉛のように重くなる。

 きっとあのときスネイプ教授の手を取ってしまったことを叔母は許しはしないだろう。そして、唯一の居場所だった階段下の物置だってもうハリーの部屋ではなく本来の使い方をされているのかもしれない。もともとあったかどうかわからないハリーの居場所は、きっと存在すらしなくなっているだろう。だからもう帰ることもできないような気もする。そうなればハリーは完全に行き場を失う。

 ダーズリー家に帰りたいとも思えないけれど、帰れないとなれば困る。まだまだ先の事ではあるが、ある程度考えておいたほうがいいのかもしれないとハリーは思った。

 とはいえ、これもやはり今は頭の三つある大きな犬の事やそれが守っているかもしれないダンブルドア校長の秘密の宝物の事で頭がいっぱいらしいロンたちには話せることではない。

 何でも相談してくれと言ってくれた監督生のパーシーにだって話せない。

 この一年が終わる前には寮監のマクゴナガル教授には相談してもいいだろう。さすがに教授だし、大人だ。まあそれは今すぐでなくてもいいとして。

 ハリーもまたそんな先の自分の心配よりも、昨日のあの犬の事が気になっていた。

 あれは今まで見たどんな犬よりも怖かった。

 あまり自分は大声で悲鳴を上げる質ではないけれど、昨日は自分でもこんな声が出せたのかと思うほどの悲鳴が出た。ついでにあんなにも速く走れることも昨日知った。

 このホグワーツがハリーの知っている「まとも」とは遠くかけ離れた存在だったとしても、さすがに校内に生徒の命に係わる危険を何の意味もなく飼うとは思えない。

だから、ハリーは少しだけ積極的に「アレ」が一体何を守っているのかロンたちと一緒になって考えてみることにした。

 

「でもさ、宝物だったら絶対にグリンゴッツ銀行に預けるんじゃないかな?だってあそこは世界で一番安全なんだろう?」

 

 シェーマスが言ったそのグリンゴッツ銀行には覚えがある。夏にスネイプ教授が連れて行ってくれた場所だ。確かにハリーが知っている、とはいってもあまり言ったことはなかったが、銀行とはずいぶん違っていたし安全そうな気もする。

 

「でも、そんなに安全なの?」

 

 確かに働いていたのは見たこともないゴブリンだったし、金庫までトロッコで行く銀行なんて見たこともなかったけれど。第一一緒にいたスネイプ教授は、正直ほとんど会話らしい会話はなかったし。

 

「もちのロンさ!ぼくのいちばん上の兄さんはグリンゴッツで働いているんだけど、あそこの金庫にはドラゴンがいるって言ってたよ?」

 

 ドラゴン!

 思わずハリーは目を丸くした。

 確かにそれなら安全かもしれない。

 

「じゃあ、グリンゴッツに預けられないようなものってことかな?」

 

 夕食を食べ終えた後も彼らは談話室の片隅でやはりそのことばかり話していた。

 時折ハーマイオニーの咳ばらいが聞こえて、ロンはそのたびに嫌な顔をした。

 

「ねえハリー。ひょっとして彼女、話にまざりたいのかな?」

 

 ロンに聞こえないようにネビルが言ってきたが、ハリーはどうなんだろうとしか答えられなかった。

 でもたぶんだけれど、彼女がこっちを気にしているのは事実だろう。

 ハリーは横目でちらりとハーマイオニーを見たが、彼女はそのくるくるとして膨らんだ栗色の髪で顔を隠すように本に没頭しているように見えた。

 彼らのぎくしゃくとした雰囲気は寮全体にも伝わっているのだろう。

 ジョージとフレッドは、うちの小さいロニー坊やは女の子とけんかをしているのかと囃し立ててくるし、監督生パーシーも仲良くやるようにとそれとなく注意してきた。

 ハーマイオニーと同室だという同じ一年生のラベンダー・ブラウンとパーバティ・パチルが彼女がかなり苛々していて怖いと言っていた。彼女たちに言わせれば「男子のせい」らしいのだが、だからと言ってハリーにはどうすることもできない。いや、自分がどうにかしなければいけないと思っていないのだ。

 ハーマイオニーがグリフィンドールの中でも浮いてきているのはハリーにもわかっていた。

 まだ学校生活が始まったばかりだというのにも関わらず、だ。

 でもハリーにはそんな彼女に手を差し伸べることも、声をかけることもできない。いや、どうやって声をかけていいのかわからない。

 たぶん、だけれどハリーが彼女と話をしたりすればロンはいい気分ではないだろう。あの列車の中でドラコの手を握り返した時の様に怒るかもしれない。

 せっかく友だちになれたのに、彼を怒らせたくはない。

 今までひとりだった時には考えもしなかった悩みだ。

 

「どうなんだろうね。」

 

 ネビルにそう答えてハリーはいつもの薄い笑みを浮かべた。

 



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CHAPTER5-1

 あの恐怖の三頭犬事件から数日。すでにロンたちの興味は別のものに移っていた。ハリーももちろん例外ではない。気にならないわけではないが、いくら悩んでもあの恐ろしい犬が何を守っているのか、果たして本当に何かを守るためにあそこにいるのかなどという疑問の答えは出そうにない。

 ロンたちの興味はもちろん、ハロウィンを過ぎてから始まるというホグワーツの寮対抗クィディッチだった。

 一年生はクィディッチの選手にはなれないという決まりがあるので、もちろん彼らは観戦するのみだが、ロンは自分の兄たちが選手だということもあり来年は寮代表選手になるための試験を受けるつもりだ、と言っていた。

 シェーマスやディーンだって特に何も言わないが、その気がないわけではないだろう。グリフィンドールだけでなく、ほかの寮の男子生徒たちもその話題で持ちきりのようだった。

 ハリーとネビルはそこまでクィディッチをしようとは思っていなかった。ハリーは最初の授業以降、箒で飛ぶことに対してあまり恐怖感を抱かなくなったが、だからと言ってスリリングなゲームに参加がしたいわけではない。徒歩や走ることに比べたらよほど早い移動手段ではあると思うが、「姿現し」という魔法とマグル、魔法族以外の人々に自分たちの存在を知らせてはいけないということから考えるに箒でわざわざ移動する必要はないように感じられた。一方ネビルだが、こちらは最初の授業で箒にもてあそばれて以降、さらに恐怖感が増したらしい。それでも涙目になりながら箒にしがみついているのはすごい、とハリーは感心している。

 自分ならばあんな体験をしたならば、極力箒に乗らなくてもいいようにしようと思う。移動だけであればあんな不安定な乗り物に頼らなくても問題はない。授業とはいえ、箒が苦手なことなど大した問題ではないだろう。

 それでもネビルは時間があれば飛ぶのが得意だというロンに箒のコツを聞いたりしている。

 そんなある日。

 いつものように談話室の一角でクィディッチの話題に花を咲かせていたハリーたちに上級生の一人が声をかけてきた。

 

「君たち。そんなにクィディッチが気になるなら練習を見に来るかい?」

 

 ハリーはその彼に見覚えがあったが名前までは覚えていなかった。

 

「特にポッター。君はずいぶんといい乗り手だっていうじゃないか。」

 

 見覚えはあって当然だ。だって同じ寮の上級生だもの。ハリーはそう思いながら頑張って記憶の糸を手繰る。

 彼の申し出にロンたちは歓喜の声を上げた。奇跡でも起きたかというのようなはしゃぎっぷりにハリーは驚いたし、声をかけてきた上級生も少し戸惑っているようだった。

 

「ああ、名乗っていなかったね。僕はオリバー・ウッド。このグリフィンドールの代表チームのキャプテンでキーパーをやっている。」

 

 ああ思い出した。

 ハリーは心の中でポンッと手を打ってその上級生の顔を見た。

 明るくて精悍で、まさにスポーツマンといった顔立ち。瞳もキラキラとしていて自分とは随分と違うな、とハリーは思った。

 ネビルの思い出し玉を追いかけたあの日、フレッドとジョージが言っていた熱血キャプテンオリバーだとハリーは思い出した。

 

「マクゴナガル教授にも相談したけれど、一年生が参加できない規則は曲げられないそうだよ。より上手な選手がほしいのは彼女だって同じだけどね。何しろグリフィンドールは名シーカーだったチャーリーがシーカーになったあの年以降ずーっと優勝からは遠ざかってしまっていてね…」

 

 まだまだ彼の熱弁は続いているが、ハリーにはなんの事やらよくわからなかった。そういえばあの双子が「シーカーにだってなれるさ」とは言っていた気もする。それがクィディッチのポジションの一つであるだろうことは、日々ロンたちの会話を聞いていればなんとなく想像がつくが、どのような役割を果たすのかまでは全く思いつきそうにない。キーパーはまあわかる。サッカーにもあるし。一応は知っている。ゴールを守るポジション。

 それでも、彼が優勝するためにともかく優秀な選手を、規則を曲げてでも集めたいだろうことは伝わってきた。

 

「明日の朝、朝食の前にクィディッチのコートに来るといい。新しい練習法を思いついたんだ。それを試したくて予約してあるんだよ。」

 

 絶対に行こう。そうロンが見たこともないほど目を輝かせて言った。いや、見たことはある。初めて会ったとき、ハリー・ポッターだと指摘されたあの時もこんな感じに輝いていた、ような気がする。正直ホグワーツ特急のなかの出来事はあまり覚えていないけれど。

 オリバーは本当にクィディッチが好きなのだろう。

 そこまで夢中になれるのはなんとなくだけれどうらやましく感じた。

 ハリーは何かに夢中になれたことなどない。無我夢中になって楽しんだ記憶など、全くないに等しい。あるのは楽しそうに笑っているダドリーを遠くから眺めている自分と、自分もやってみたいなどとは思っても言ってもいけないんだと噛み締めた唇の痛さの記憶だ。

 どんな遊びだってハリーはいつものけ者だった。

 スポーツらしいスポーツだってしたことはない。

 オリバーが夢中になれて、ロンたちがこんなにも興奮できるのだからきっとクィディッチは楽しいものなのだろう。

 世界大会も行われるレベルの魔法界最大のスポーツともいえるクィディッチ。

 今までロンたちの話を聞いているだけで、あまり興味を持てなかったハリーだが熱烈に語るオリバーを目にして、ちょっとなら知ってみてもいいのではないかと思い始めていた。

 

「ハリー、もちろん君も行くだろう?」

 

 まるで今すぐにでもコートに走って行ってしまうのではないかというくらい軽やかな声で言いながらロンがハリーの顔を覗き込んできた。

 少し上の空だったハリーは少し驚いた。

 それでもここで不審な動きはできない。まして考え事をしていたなんて答えるわけにもいかない。ハリーはいつもの笑みを浮かべて、行くよと答えた。

 もっとも何か考え事をしていたことは悟られてしまっているかもしれない。

 みんなとなるべく同じにならなければ嫌われてしまうかもしれないという恐怖が、ハリーの心臓をちくちくと刺激していた。

 

 嫌な夢を見るようになったのは昨日今日の話ではない。その朝も後味の悪い夢の余韻を感じながらハリーは目を醒ました。正確にはすでに最高潮に興奮しているロンたちに叩き起こされたのだが。

 秋も深まりを感じるこの時期の早朝は少し寒い。息が白くなるというほどではないが、彼らはローブの下にニットを着込んで朝特有のきんとした空気の中お城のような校舎から随分と離れた場所にあるクィディッチの競技場へと向かった。

 ハリーはここにそれがあることは知っていたが、来たのは今日が初めてだ。

 そびえ立つような急勾配のスタンド席。これは観客のためのものだろう。コートの両サイドには先端に円形の穴が付いたポールが三本ずつ立っている。地面は手入れのされた芝生に覆われていた。この手入れの良さなら、ダーズリーの叔父さんだって少しは唸るかもしれない。そのくらい丁寧に刈り込まれたきれいな芝だ。

 すでにコートの中には数人の先輩たちがいて、昨日のオリバーを中心に何やら話しているようだった。

 コートに来たはいいけれど、何やら話し合っている彼らに声をかけるのははばかられて、ハリーたちはコートの隅のほうで固まって立っていることにした。

 オリバーと話している彼らがグリフィンドールの代表選手たちなのだろう。

 なんとなく危険な競技だと思っていたから選手は男子ばかりかと思っていたが、女子も混ざっていてハリーは驚いた。きっと、聞いているように危険なものならばペチュニアおばさんはダドリーにやらせたりなんてしないんだろうな、とふと思う。ハリーがやるなんてもってのほかだ。もっともけがをするかもしれない、危険だからということではなく余計なことをするなという意味合いでだけれど。

 彼ら代表選手の持っている箒はどれも手入れが行き届いていることが遠目にもわかった。そしてどれも、ハリーたちが使っている学校の備品の箒よりも恰好がいい。すっと揃えられた穂先に、滑らかな柄。競技用の箒だということは、さすがのハリーにもわかった。さすがにあれで掃除をしようとは思えない。いやでも、ちょっとした隙間ならむしろ、などという思いがハリーの中に生まれる。口にしたらきっとロンに何を考えてるんだって怒られてしまうに違いない。

 あまり、いやほとんどクィディッチに関して知らないハリーに対し、ロンとシェーマス、ディーンもかわるがわるポジションやルールを説明してきた。

 ロンの双子の騒がしい兄、フレッドとジョージはビーターというらしく棍棒のようなものを持っている。バットというには荒々しいそれはまさに棍棒で、なんでもシーカーというポジションの選手を妨害してくるブラッジャーという球を跳ね除けるものらしい。

 ロンは得意げに、あの二人はまさに人間ブラッジャーなんだと言っているが、正直そのブラッジャーとやらが良くわからないハリーだった。

 クィディッチはともかく聞きなれない単語が多く、それを覚えるだけでも一苦労だ。

 見ていればわかるよ、なんてロンたちは気楽にいうがハリーは覚えられる気がしなかった。

 

「ほら、選手たちが飛び上がった!」

 

 声を弾ませるロン。

 クアッフルという自分では動かない球を巧みなパスワークで運んでいく三人の女子選手。シェーマスは彼女たちがたぶんチェイサーなんだ、と教えてくれた。チェイサーはその球を相手のゴールに、あの両サイドにある三本のポールのことだ、に入れることで得点するらしい。

 箒を巧みに操りながらクアッフルを投げる彼女たちにハリーは普通に感心していた。

 両手を離していることもさることながら、あの不安定な箒にまたがったまま、結構な高度で身をねじりながらクアッフルを的確に投げている。

 一方で、一人小柄な選手が上下左右自由に飛び回りながら彼の周りをひゅんひゅんと飛び回る何かを、箒を細かく操りながら避けている。選手にぶつからんばかりの勢いで飛び回っているあれが、ブラッジャー。そしてそれを避けているのがシーカーというポジションの選手らしい。その飛び回っているブラッジャーを手に持った棍棒で明後日方向に打ち上げているのがフレッドとジョージ、ビーターだ。二人が遠くに放ったブラッジャーはある程度飛んで行ったところで軌道を変えて戻ってきてしまう。

 

「このところグリフィンドールにはなかなかいいシーカーがいないって兄さんたちがいっていたよ。」

 

 箒にしがみつくようにして必死にブラッジャーを避けているその選手を見ながらロンが苦々しげに吐き出した。

 シーカーはキャッチすれば試合が終了し百五十点という特典が与えられるスニッチをキャッチするのが仕事らしい。普通の人では見えないほどの速さで飛び回るそれをキャッチすることはとても大変で、その上あのようにブラッジャーが妨害をしてくるので大変なポジションだが、それで試合の勝敗がほとんど決まるのでクィディッチの中でも人気のあるポジションのようだ。

 キーパーだというオリバーはそんなほかの選手たちの周りを旋回して飛びながら、声を上げていた。

 気が付けば肌寒さはどこかに行っていた。

 しかし聞けば聞くほど不思議な競技だ、とハリーは思った。

 スニッチをキャッチできるまでは何日でもゲームが進むという時点でまず何かおかしい。サスペンデッドになるにしても程度ってものがあるし、そこまで頑張って点数を稼いだとしても一瞬でひっくり返される可能性の高い百五十点という得点。なぜチェイサーから文句が出ないのか謎なくらいだ。襲い来るブラッジャーを交わしながら、普通の人ではとても肉眼で追いきれないスニッチを捕るという難易度から考えて妥当なのかもしれない。

 このドラマチックさが魔法界で受ける原因なのかもしれない。

 ハリーは確かにスポーツはあまりしたことはないけれど、だからと言って知らないわけではない。もし、ロンたち生粋の魔法界育ちの人たちにバスケットボールやサッカーを紹介したとしても、つまらないと感じるのかもしれない。

 

 練習はどれほど続いただろうか。

 気が付けは皆肌寒さなど感じなくなっていた。

 ハリーもまたびゅんびゅんとすごいスピードで飛び回る選手たちの姿にちょっとだけワクワクしていた。

 やってみたいと思うことはおこがましいかもしれないけれど、こうやってみんなとみているのはとても楽しかった。



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CHAPTER5-2

 もうすぐハロウィンがやってくる。

 学校全体が浮足立ち、特に「悪戯」を愛してやまないらしいフレッドとジョージ、そして彼らの親友のリー・ジョーダンはこのところずっと三人で固まってなにやらよからぬことを考えているらしい。ロンは自分も混ぜてほしいと言っているが、パーシーはそんな弟たちに頭を悩ませているようだった。

 一体ホグワーツのハロウィンはどんなものなのか。

 一年生は誰もが想像を膨らませていた。ハリーだってみんなほどではないが気になっている。もっとも、ダーズリー家ではハリーがこのイベントを楽しめたことなどほとんどない。ヒーローやモンスターに仮装することはなかったし、色とりどりのお菓子だってすべてダドリーのものでハリーにはキャンディーのひとかけらだって回ってこなかったのだ。ハリーにとってのハロウィンは大量のかぼちゃとの格闘だ。プディングにしたり、サラダにしたりパイにしたり。ペチュニアの気に入るようにこれらを用意するのは大変だったが、別に嫌いだったわけではない。普段作れない特別な料理を作るのは楽しかったりするのだ。

 しかし、彼女だけはそんなほかの一年生を冷ややかな目で見ていた。

 そう。ハーマイオニ・グレンジャー。

 学校がはじまってもうすぐ二か月が経過するが、ハリー以上に彼女は有名な存在になりつつある。毎日、すべての空き時間を図書館で過ごし、すべての授業で優秀な成績を残し毎日のようにその勤勉さを讃えられ加点されている。

 ちなみにハリーは、当初こそ他の生徒たちに騒がれもしたが、今では普通の一般生徒としての生活を送っている。目立って成績がいいわけでもないし、落ちこぼれそうな状態でもない。ただ課題はきちんと提出しているし、再提出を求められたこともない。先生に怒られることもない、いうなれば真面目な生徒。だが、目立つことはない。一部の生徒たちはそんなハリーの様子に、本当に彼が英雄なのかと疑うこともあったがそれだって最初だけだった。いまだにそんなことで彼に絡んでくるのはスリザリンの生徒たちぐらいだ。

 ハーマイオニーは先生方からの評価は高いが、一方で生徒たち、とくにハリーたち一年生の中では浮いてしまっていた。

 先日のあの夜の冒険以降彼女は全くと言っていいほどハーマイオニーが彼らに話しかけてくることはなくなった。それどころか、ほかの一年生の女子とだって一緒にいることはほとんどない。もっともそれ以前だって彼女は一人でいることのほうが多かったのだけれど。

 このところのハーマイオニーは、以前に増して機嫌が悪いように見えた。

 ハリーたちが何か、他愛もないことを話し合っているのを横目でちらりと見ては盛大にため息をつく。それはハリーたちにも聞こえてくるので彼らだっていい気持ではない。そして、彼女とペアを組むことの多い魔法薬学はハリーにとって少々辛い時間になっていた。もともと、スネイプ教授のあたりが激しく、スリザリンと合同授業だっていうだけで気持ちが重くなるのだが、ハーマイオニーの態度はそれを加速させてくる。魔法薬学自体は嫌いではないが、まるで空気の薄い世界にでもいるかのように息が苦しくなるのだ。

 そもそもハリーたちと彼女はもとからそれほど仲が良いわけではない。入学当初はおたがい探りあいの部分もあったが、すぐに彼女は口うるさいとロンたちに煙たがられるようになった。今となっては、そこに「勉強ができるのを鼻にかけててうざい」が加わる。実際、授業で彼らがなにか失敗をすれば、声に出してはいないが「勉強をしないからだ」と言わんばかりの冷たい視線を投げかけてくる。

 せめて彼ら男子生徒との軋轢だけであればよかったのだが、寮の同室で同級生のラベンダー・ブラウンたちとも打ち解けられていないようだった。彼女たちに言わせれば、ハーマイオニーは「お高くとまった優等生」だ。

 別に悪いことをしているわけではないので、なんとなく彼女を避けてしまうのは罪悪感があるが、一緒にいて楽しい相手ではないからついつい避けてしまうらしい。

 ともかく、ハーマイオニーは一年生の間では浮きまくっている。

 ハリーはこの状態をいいものだとは思っていない。もちろんロンたちだってそうだとは思う。しかし、頑なな態度を軟化させようとはしない彼女にどう接していいのか、ハリーには分からないのだ。

 

「なんで彼女はああも癪にさわるんだろうな。」

 

 寮の部屋でシェーマスが口を開いた。

 彼のいう「彼女」がハーマイオニーの事だというのはすぐにわかる。そしてそれが最近避けていた話題だったこともあり、すっと部屋のなかの空気が重くなったようにハリーには感じられた。

 なんとなくバツが悪い気がして、みんな顔を見合わせた。もちろん言い出したシェーマスも。

 

「今日の魔法薬学、見ただろ?確かに僕たちは調合に失敗した。失敗したとも。でもさ、なにもあんな目で見なくたっていいじゃないか。」

 

 ハリーはふと魔法薬学の授業で起きたことを思い出した。

 いつものようにスネイプ教授の嫌味から始まった授業は、やはりいつも通りにまずは教科書に載っている調合方法を一つ一つ確認していった。その途中いつものように教授が質問をすれば、ハーマイオニーが腕をぴんとあげて回答権を求めてくる。スネイプ教授は教室内を見渡してほかの生徒、とくにスリザリンの誰もが手を挙げていないことを確認すると、忌々しげに彼女に回答を許可して彼女はそれに対し、少し頬を紅潮させながら得意げに答える。もちろんその答えが間違っていることなどなく、ほかの誰も答えようとしなかったことに彼は再び嫌味を言う。そんないつも通りの授業風景だ。

 そして二人一組で魔法薬を作成する。もちろんこれもいつも通り。がやがやと作業を進める生徒たちの間をぐるぐるとスネイプ教授がその手順を確認しながら見て回るのもいつものことで、最初はびくびくとおびえていたネビルもここ最近ではようやく近寄られても手を滑らせる、などということはなくなってきたようだ。

 そして、たいていスネイプ教授が離れているテーブルで失敗は起きる。

 この日はシェーマスとディーンが混ぜていた大鍋が小爆発を起こし、二人が煤まみれになった。

 ぐちぐちとなぜ手順通りにやらなかったのか、と文句を言いつつもスネイプ教授はさっとその杖の一振りで見るも無残だった鍋周辺をきれいに片づけてしまった。なんだかんだ言いつつも、やはり彼はやさしいのかもしれないとハリーは考える。

 もっとも、二人にはみっちりと居残りが命じられて魔法抜きで授業で使った道具を洗うように命じられたらしい。まあそれだってそんなに理不尽な話ではないだろう。

 しかし、そんな風に居残りを命じられている二人をハーマイオニーはとても冷ややかな目で見ていたというのだ。

 

「確かに彼女みたいに完璧に予習なんてしてないけどさ、だからってまったく準備してないわけじゃない。」

 

 ハリーたち男子集団は別に勉強が嫌いというわけではない。確かに課題を始めるのが提出ぎりぎりになってしまうなんてこともあるし、授業中だって集中しているというわけではない。それはつい、ほかの誘惑に負けてしまうだけで勉強を避けているわけではない。実際、少しではあるが予習だってしていたりする。もっとも彼女に比べればしていないも同然なのかもしれないが。

 ハリーとネビルはそんな中でもまだ真面目に課題に取り組んでいるし、予習だってしているほうだろう。とはいえ、それも彼女と比べればまったく相手になりもしないわけだが。

 

「この前の課題見たか?あれ羊皮紙一巻分だったのに、なんだって彼女はその倍も書いているのか僕にはまーったく理解できないね。」

 

 ロンが言ったのはマクゴナガル教授の変身術の課題の事だろう。

 変身術は今受けている授業の中でも難しいものの一つだ。

 難解な魔法の構造をしっかり理解できなければ期待通りの結果を得ることができない。まして、何かの姿を変えさせるというこの魔法の効果は大きいものだ。何しろ人間が猫になったりするのだから危険を伴うというマクゴナガル教授の言葉も理解できる。だから彼女はその魔法理論に関する課題を出すのだが、これが羊皮紙一巻分をまとめるのが精いっぱいだ。にもかかわらずハーマイオニーはその倍の二巻を提出し、マクゴナガル教授に褒められると得意げな様子で席に戻って行った。

 彼女はいつだって、満点以上を狙っているようだ。

 結果、ハリーたちの一年生の中でも目立った存在になっている。

 ロンたちはハーマイオニーに対する批判だというだろうが、この部屋でされている会話はどちらかというと彼女への悪意でしかないとハリーは思う。ひょっとしたら、少し前のハリーもこうやっていないところで悪口を言われていたのかもしれないと思うと少し悲しくなる。そして、これはひょっとしたらなんてことではなくて、きっと実際言われていただろう。

 どんくさい、暗い、気持ち悪い。

 ダドリー軍団だけではなくて、きっとプライマリースクールのほかの生徒からも言われていたのだろうと思うと胸も苦しくなってくる。

 どれだけ悪しざまに言われることになれたとしても、悲しみまでは完全に拭い去れないものらしい。

 ハリーはそんな心中を察知されないように、また微妙な笑顔を作りながら彼らの話しに相槌を打ち続けた。

 

 そしてこの軋轢が、あんな事件を引き起こしてしまうなどこのときは誰も想像すらしていなかった。



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CHAPTER5-3

 ハロウィン当日の朝。

 いつも賑やかなホグワーツだがいつもに増してにぎやかになっていた。石造りの長い廊下にはいくつものカボチャのランタンがふわふわと浮かび、校内を飛び交うゴーストたちもいつもより数が多いような気がする。フレッドとジョージ、そしてリーは悪戯の本領発揮とばかりに各所で騒ぎを起こしているようだ。彼らにとっては「お菓子か悪戯か」ではなく「悪戯か悪戯」のということなのだろう。きっとこの日一日で彼らの減点数はここまでの二か月分のそれに匹敵するほどになるかもしれない。

 ハリーたちもまたいつもとは違うこの日に胸を躍らせていた。

 ネビルの家ではハロウィンになると毎年おばあさんが特製のパンプキンパイを作ってくれるらしく、その話を皮切りに皆今までのハロウィンの思い出を語りだした。これならガイ・フォークス・デイはもっと派手なのかもしれないなどとディーンが言えば、ロンがそれは何かと聞いてくる。ハロウィンよりもよほどにぎやかな十一月五日の祭りをロンやネビルといった魔法界でのみ育ってきた子どもたちは知らないらしい。

 ディーンはガイ・フォークス・デイがホグワーツでは行われないだろうことを知りショックを受けたようだった。

 とはいえ、たとえそんな浮かれた日であろうと普通に授業は行われる。

 スリザリンとの合同授業がなくてよかった、とハリーたちは笑いあいながら呪文学の行われる教室へと向かった。もしも彼らとの合同授業があったならばこのわくわくした気持ちも消し飛んでしまっていたに違いない。

 呪文学はとても便利なものが多くて、魔法族の日常生活の中にとても溶け込んでいる。今練習しているのは浮遊呪文だが、杖のちょっとした振り方でその効果が現れなくなってしまうなどデリケートな部分も多い。フリットウィック教授はとても丁寧に教えてくれる。今日はついに実践をするといっていたが、あれならばきっとみんな成功できるだろうと思っていた。

 半円形のすり鉢のような教室の中心の教壇の上にすでにフリットウィック教授がいるのが見えたので、ハリーたちはあわてていつもの席に座った。とくに席順が決まっているわけではないのだが、たいていどの授業でも最初に座った席でそれ以降も授業を受けている。だから気まずいままのハーマイオニーと魔法薬学でペアを組み続けているのだ。

 この授業ではハリーの相手はシェーマスだ。ネビルとディーンがペアを組み、ロンの相手はハーマイオニーである。

 授業が始まるこの時点でハリーは嫌な予感がしていた。

 ロンは、ハリーが思う限り直情型の人間だ。不快感を隠すこともしないし、表面上だけ取り繕うなんて言う器用さも持ち合わせていない。だからこそ毎日のように売り言葉に買い言葉でマルフォイと小競り合いを繰り返している。もっともマルフォイだって似たようなものだが、小手先のごまかしというか小狡いところが圧倒的に優れている。

 ハーマイオニーもまたロンと同じで感情の起伏はどちらかと言えば激しい方だろう。

 シェーマスやディーンもそういう部分はあるが、カッとキレてしまうようなことはない。ネビルに至っては怒りの感情そのものを恐れているとしか思えない。

 ハリーはというと、思い当たる限り怒ったことがない。なにしろ怒るというのは非常に体力を使うし、怒ったところで何かが好転するなどということはまずないのだ。ダーズリー家にいたころのように肉体的な不利益を被ることもあるだろうし、そうでなくても気まずい雰囲気はしばらく抜けない。

 ハリーが怒らなくなったのは、感情の起伏で魔力が発動してしまいペチュニアにきつい折檻をうけた体験があるからだ。あの頃はハリーも割と泣いていたし、自身の置かれた状況に怒ることもあった。しかし、彼が怒ったことで花瓶が粉砕されたりという不思議な現象が続き、血相を変えたペチュニアに肉体的にも精神的にもきついお仕置きをされて、それ以降ハリーは怒るということをしなくなった。まあ、これは怒るというよりも幼少期の癇癪、といったほうがいいのだろうが。

 結果としてハリーは自分の感情をコントロールする方法を身に着けた、と思っていた。少なくともホグワーツに来るまでは。

 ホグワーツに来てからというもの、不安定になることが多いことはハリーも感じていた。

 

「さあみなさん。手元に羽根はいきわたりましたかな?」

 

 浮遊の呪文について一通り、おさらいを含めた説明を終えたフリットウィック教授はペアごとに真っ白い大きな羽を配って行った。

 これはペアごとで実践するのだろう、とハリーは思い横目でロンとハーマイオニーの様子をちらりと見やった。やはりというかなんというか、予想に違わず顔を背けながら座っている彼らにハリーは思わず苦笑を浮かべそうになった。

 フリットウィック教授はそんな二人を気にも留めずに、実践にあたり最後の注意を声高に行っている。

 杖は練習したとおりに、ひゅーんひょい、と。呪文の発音はしっかりと。

 呪文学で大事なのは正しい杖の振り方と間違いのない発音なのだ、と教授は何度も何度も繰り返している。

 そういえばフリットウィック教授の授業は誰もが理解できるまで説明してくれる、とフレッドとジョージが言っていた、とハリーは思い出した。つまり試験で誰もが合格できるようにしてくれるのだ。

 

「それではみなさんやってみましょう。ウィンガーディアム・レビオーサ!」

 

 生徒たちはみな恐る恐る杖を振りながら呪文を唱えている。ハリーもやってみたが羽根はピクリとも動かなかった。なにしろ初めてたっだので呪文を唱える声が小さすぎてところどころかすれて聞き取れない感じであったし、杖を持つ手も少々震えていたから軌跡がゆがんでいたような気もする。

 シェーマスもやってみたが結果はハリーと同じだった。箒の時もそうだったが、やはり魔法は気持ちに大きく左右される部分があるのだろう。

 とその時、フリットウィック教授がわっと声を上げ、拍手をした。

 

「みなさん、グレンジャーさんがやりましたよ!グリフィンドールに加点しましょう。皆さんも頑張ってください。」

 

 その言葉に教室中の生徒たちはハーマイオニーに注目した。彼女がついっと伸ばしている杖のわずか先で、白い羽根が空中にふわふわと漂っている。まるで見えない糸で杖と羽根がつながっているかのようだ。

 自分に注目をする他の生徒たちを彼女はちょっとだけ顎を上に向けて見回した。

 あれでは自慢げだと捉えられても仕方ないよな、とハリーは思う。

 彼女と一緒にやっていただろうロンは、机に伏してしまっていて表情をうかがい知ることはできなかった。いずれにせよ、二人の間に何かあったのだろう。

 

 結局ハリーたちは授業で呪文を完全に成功させることはできなかった。でもなんとなくだけど、わかってきたような気がする。

 授業が終わって移動を始めた彼らだが、ロンは今まで見たこともないほどに機嫌が悪いようだった。ハリーは正直巻き込まれたくないなと思ったが、シェーマスたちが何があったのか聞く前にロンは口火を切るように話し出したのだ。

 

「『いい、ウィンガーディアム・レビオーサ。あなたのはレビオサー。それに杖を振り回したら危険よ。』ってさ。僕は教えてほしいなんてひとことも言ってないのにさ。」

 

 そう言ったロンのハーマイオニーの真似が結構似ていたことでシェーマスは思わず笑い始めた。

 

「しかもさ、やってみろって言ったら成功するし…まあ成功するのはいいんだけどさ。あの顔!見ただろ?きっと彼女ぼくの事ばかにしているよ。」

 

「ロンだけじゃないと思うぜ?だって彼女、ぐるっと部屋中見渡しやがったんだ。ほかの全員をバカだとでも思ってるんじゃないのか?」

 

 あの時のハーマイオニーの顔はとても自慢げに見えたのは事実だ。実際ハリーにもそう見えたし。

 ディーンの言葉にシェーマスも頷いてみせる。

 移動時間のホグワーツの中庭はとても賑わう。この後の授業木陰で教科書を広げて議論している上級生や、噂話に立ち止まる女生徒たち。少し肌寒いが、ローブの下にセーターを着てしまえば外だって辛くはない。

 

「あんなだから友だちできないんだ。まったく悪夢みたいな奴だよ。」

 

 ロンがそう吐き捨てた時だった。

 何かが彼の背後からぶつかったのだ。え、とロンがそちらを振り向くまでもなくそれは彼らの前から走り去ってしまった。

 それがハーマイオニーだと気が付いた時には既に彼女の姿は遠くなってしまっていた。

 重い空気が彼らの周りを支配する。

 全員で顔を見合わせ、そして彼女の去って行った方向を見やった。

 ハーマイオニーがどんな表情をしていたのかハリーには見えなかったが、タイミングとしては最悪としか言いようがないことだけは彼にもわかった。

 

「ロ…ロン。まずいよ、きっと彼女に聞かれていたよ。」

 

 ネビルの声は震えていた。それはまるで彼がおばあさんのことを話すときのようだった。これは彼が最上級に恐怖を抱いているということの表れでもある。まるで今も彼女が近くにいるのではないかと身を縮ませて辺りを見回した。

 

「……事実じゃないか。」

 

 ロンはそう答えたが、その声はとても硬かった。

 目は彼女が去っていた方向を見ているようにも見えたが、ただ遠くを見ているだけだったのかもしれない。ハリーには彼の考えていることは分からなかったが、その言葉は本心ではないのでないかと感じていた。

 ディーンもシェーマスを何を言えばいいのかわからず戸惑っているのが伝わってくる。

 スリザリンの生徒たちを批判して聞かれてしまったなら、こうはならなかっただろう。マルフォイであれば彼ら言っていた以上のことをその場で並べ立て、最終的には杖を抜く騒ぎになっていたかもしれない。それはお互いにある意味で理解しているからなのかもしれない。

 しかしハーマイオニーはどうだろう。

 なにかが彼らとは決定的に違う。

 ハリーの胸の中をもやもやとしたよくわからない感情が支配して、喉元を締め付けられたかのように苦しくなる。

 ああ、またか。と思わないわけでもない。

 ホグワーツに来てからというものこの苦しさや、胸の痛みを感じることが増えている。でもこれはいつものとは違う感じがした。



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CHAPTER5-4

 ふわふわと湯気に包まれキラキラしているはずだったハロウィンのディナーは、まるでガラス一枚隔てた世界向こう側みたいな作り物のように感じられた。ハリーもそうだが、ロンたちもこの心待ちにしていたパーティを心から楽しめる心境ではなかった。それでも努めて明るくふるまうのだが、自分でもおかしいほどに空回りしているのを感じる。

 

「ちょっとあなたたち、ハーマイオニーに何かした?彼女、ずっと女子トイレで泣いているの。」

 

 そう言ってきたのはラベンダー・ブラウンだ。その後ろでパーバティ・パチルもまた若干の非難を含んだ視線を彼らに投げつけていた。

 昼間の出来事以降、そういえばハーマイオニーの姿を見ていなかったとハリーは思い出す。あえてそのことには触れないでいたけれど、さすがに四時間以上も泣いているとなれば放っておくわけにもいかないのかもしれない。

 とはいえ、非難がましい彼女たちの態度にも少し釈然としない。

 彼女たちにしてもハーマイオニーの事を煙たがっていた様子だったのに、これではハリーたちグリフィンドール男子が一方的に悪いようではないか。とはいえ、ハリーにしてもハーマイオニーに対し罪悪感のようなものは感じている。さすがに昼間の出来事はロンが言いすぎだったと思う。でも、どこかでそうやって人をイラつかせてしまうハーマイオニーだっていけないんじゃないかと思うのだ。

 じりじりと彼らを見据えてくる二人のプレッシャーに耐えかねて、思わず彼らは目を逸らした。

 近くの席のほかの学年の生徒たちも何事かと彼らに注目し始める。ハロウィンパーティでいつもより賑やかなこともあり、さすがにほかの寮の生徒たちまでこちらを見るなどということはないが、フレッドとジョージなどは弟が何かやらかしたらしいと、あれは明らかによからぬことを企んでいるに違いない顔でこちらを見ている。

 いや、でもなどとロンは歯切れの悪い言葉をごにょごにょと発しながら二人の追及するような眼差しを躱そうとするがうまくいかない。

 

「寮で同じ部屋の私たちにも迷惑だわ。巻き込まれるのよ。」

 

 ああ、なんだ結局のところ彼女たちも保身なのか。

 ハリーは心の中で呟いた。

 

「だけど君らだって嫌がってたじゃないか。」

 

「あら、嫌がってなんていないわ。ちょっと苦手なだけよ。」

 

 似たようなもんだよ。

 またしても心の中で呟く。

 もっともハリーだって自分自身がここでそれを非難できる立場ではないことは分かっている。自分だって彼らと同じだ。正直ハーマイオニーは面倒なタイプだと思っていたし、自分を認めて欲しくて必死な感じが伝わっていて痛々しさすら感じる。注目されたって碌なことがないし、認められれば期待されてより面倒なことになるというのに。期待を裏切られたときの失望はそれまでのすべてを無に帰してしまうほど大きいのだ。

 だからハリーは彼女のように自分のできることをひけらかそうと思ったことはない。普通が一番だ。もっとも、自分にできることなんてたかが知れているのだけれど。

 結局のところ騒ぎが先生方に伝わる前にパーシーたち監督生が出てきてハリーを含むグリフィンドールの男子生徒たちは注意を受けた。婦女子を泣かすのは騎士道精神に悖る行為であり誇り高きグリフィンドールの生徒としてはあるまじきことなのだ。

 理由はどうあれ、泣かせてしまった以上彼らに非があるということになる。

 彼女が戻ってきたら謝ろう。パーシーの提案にロンはしぶしぶ頷くと、ゴブレットに入ったカボチャジュースを少しだけ口に含んだ。

 ディーンたちはなんとか話題を変えて場を盛り上げようとしてみるが、この気まずさだけはすぐには消えてくれそうになかった。

 早くハーマイオニーが戻ってきてくれればいい。もしくはこのパーティが終わってしまえばいい。

 おいしい筈なのに味の感じられないごちそうを少しずつかじりながら、カボチャジュースで流し込む。正直食欲だってほとんどない。できることなら早々に引き揚げてベッドに潜り込みたい気分だ。

 と、そんな時だった。

 大食堂の両開きの大きな木の扉が思い切り開かれる。

 ばん、という大きな音に賑やかだった生徒たちも一斉に静かになり扉のほうを見やった。

 現れたのは、随分と慌てた様子のクィレル教授の姿。いつもどこか怯えているような先生だが、あれほど取り乱した様子を見せたことなどなかった。そんな彼が、上ずった声をあげた。

 

「大変です!地下室にトロールが入り込みました!!」

 

 そのまま彼はその場に崩れ落ちた。

 一瞬の間の後のパニック。

 生徒たちはほかにやるべきことが解らないとばかりに悲鳴を上げ、右往左往し始める。このまま外に出てしまっては危険かもしれないし、ここにいても安全とは限らない。どうしていいか分からないのだ。ハリーたち下級生だけでなく、上級生たちも狼狽えていた。そうなればさらに動揺は広がり、パニックは大きくなる。

 ハリーにしても動揺しているのはほかの生徒たちと変わらない。ただ、床で伸びているクィレル教授を見て首を傾げたくなる。だって彼は「闇の魔術に対する防衛術」の教授のはずだ。にもかかわらず、ここにきて倒れてしまっていては何を防衛しているのか分からない。一方で、その席を狙っていると生徒たちの間で噂されているスネイプ教授をちらりと見やれば顔色をほとんど変えずにその場にたたずんでいる。いや、眉間のしわがいつもよりも深く刻まれているかもしれない。もっともそんな些細な差はハリーには見分けることはできないが、なんとなくそう感じた。ひょっとしたら本当にスネイプ教授のほうが向いているのかもしれない。彼が慌てふためくさまは想像もできない。

 教員席の先生方は、誰もがスネイプと同じく動揺を見せてはいなかった。

 ダンブルドア校長はその大きな一言で全員を静かにさせると、監督生たちに自分の寮の生徒を率いて寮に戻るように指示を出した。その指示に落ち着きを取り戻したのか、パーシーたち各寮の六人の監督生たちがそれぞれの寮の生徒たちを集め始めた。

 ハリーは胸の高鳴りを感じていた。

 きっとこれは恐怖のせいだ。

 怖いのか興奮しているのか、よくわからない感情が自分の体を支配して思考力を奪っていくのを感じる。自分の輪郭がぼやけまるで宙に放り出されたかのような感覚。怖いはずなのにどこか心地いい。口の中は一瞬でからからに乾いていた。指先は冷たくて、細かく震えている。まるで全身が心臓になってしまったかのように自分の心音が大きく感じられた。

 ともかく監督生についていけばいい。グリフィンドールの寮は地下室からは遠い塔の上のほうだし、きっと安全に違いない。

 と、そこまで考えてハリーは自分の周りのぼやけた世界が急にしっかりとした線を持ち、鮮明さを取り戻すのを感じた。

 熱がすっと下がるような感覚。

 自分は今、何を考えた?地下室から遠いから安全?ならば、地下室に寮があるというスリザリンは?確かハッフルパフの寮だって地下に近い場所だったはずだ。彼らは安全と言えるのだろうか。

 そう、それよりも。

 

「ロン!ハーマイオニーはこのことを知らないよ!!」

 

 思わずハリーは叫んでいた。悲鳴に近い絶叫で。

 がやがやと移動していたグリフィンドールの生徒たちが一斉にハリーのほうに向きなおる。

 呼び止められたロンもまたハリーの言葉に立ち止まる。大階段のわずか手前のホールでグリフィンドールの生徒たちは足を止めた。先頭を行く監督生たちは顔を見合わせ、後ろを固めている上級生たちも息をのむ。

 

「だけどハリー、どうしようっていうんだい。」

 

 ロンの泣き出しそうな声にハリーは思わず俯いた。

 確かに彼女は安全だと言われているこの校舎の中にトロールが入り込んだなどということは知りもしなければ、思いつきもしないだろう。あり得ないことだ。しかし、自分たちに何ができるのだろうか。知らせに行くことは可能かもしれない。でも、果たして地下に現れたというトロールは今もそのまま地下にいるのだろうか。もし、クィレル教授の一報が発見から結構時間が経っていたものだとしたら、もう別の場所に移動しているのかもしれない。つまり、どこにいたって鉢合わせする可能性があるということだ。鉢合わせてしまったらトロール相手に一体何ができるだろう。

 ハリーは必死で考えた。

 どうするのが一番最適なのか。

 

「……助けに行く?」

 

 ネビルがオドオドとした口調ではあるが提案した。

 

「いや、君たち一年生が行っても危険が増すだけだ。」

 

 ネビルの言葉に答えたのはパーシーだった。

 そうか、彼は監督生だ。そして監督生は彼を含めて六人もいる。自分たちが行うよりもよほど安全で的確だと思う。一年生の自分たちではトロール相手にどう立ち回っていいかなど分からないが、六年生や最上級生ならきっと手立てを知っているはずだ。とはいえ、ハーマイオニーがこのような危機的状況になってしまったのも自分たちに原因がある。自分たちで処理しなければいけないような気もする。

 

「ロン……」

 

 ハリーと同じように俯いて下唇をかみしめたままのロンにディーンが声をかけた。

 きっとロンも同じように悩んでいる。だが、こうしている間にも彼女に危険が迫っているかもしれないのに、焦りばかりが積み重なって考えをまとめられそうにない。

 

「ハーマイオニーは女子トイレにいるんだったな?」

 

 パーシーが怯えた様子のラベンダーに確認すると、彼女は機械仕掛けの人形のようにこくこくと頷いて見せた。そして、彼はぐるりと上級生たちを見まわし、六人いる監督生のうち二人がハーマイオニーの救出、もう二人はこの事態を先生方に伝えに行く伝令になってはどうかと提案した。残り二人とほかの上級生で警戒しながら寮に戻ればたとえトロールが出てきても何とかなるはずだ、と。そして自分はハーマイオニーの救出に向かうと。そして彼は、自分は彼女がいないことを知っていてなお失念していたと詫びた。

 なんでパーシーが謝っているんだろう、そんなことを考えながら凛とよく通る彼の声にハリーは顔を上げた。ロンは相変わらず俯いたままだが、シェーマスがそんな彼の肩をポンと叩く。

 フレッドとジョージが細かく震え始めた彼らの弟、ロンの肩を両脇からちょっとからかうように腕を抱える。

 

「「完璧監督生(パーフェクトプリフェクト)パーシー様に任せておけば大丈夫だ、弟よ。」」

 

 彼らがロンを励まそうとしているのはハリーにもわかった。ロンだってまさか自分の一言がここまでの騒ぎになってしまうなんて想像もしていなかったに違いない。言いすぎだった、失言だったしハーマイオニーを傷つけたとわかっているけれど、してしまったことは取り返しがつかない。そしてタイミング悪くトロールまで学校に入り込んできてしまい、命の危険すらある状態。しかも自分が招いてしまったことなのに、自分ではどうすることもできずに兄たちに迷惑をかけてしまっている。

 

「……く。」

 

「ロニー坊や、何か言ったか?」

 

 何かを呟いた俯いたままのロンを、フレッドが覗き込む。

 

「僕も行くよ!パーシー。だってこれは僕のせいだ!」

 

 兄を睨みつけるかのように見上げるロンの瞳には薄く涙の膜が張っていた。顔だって真っ赤だし、握りしめた拳もプルプルと震えている。彼の両脇で双子の兄たちはそんな弟を驚いた表情で見つめていた。ハリーだって正直驚いたし、そんなロンから目が離せない。

 パーシーは一瞬固まって、でも危険だからと弟の申し出をやんわりと退けようとした。しかし、ロンは頑なに意思を曲げようとしない。

 こうしている間にもさらに時間は過ぎて行ってしまう。ここで立ち止まっているほかの生徒たちだって危険になってしまうかもしれない。押し問答をしている場合ではないのだ。

 最終的にパーシーが押し負けた感じでロンもついていくことになった。

 



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CHAPTER5-5

 マクゴナガル教授はとても厳格な女性だ。いつも皺一つないピシッとしたローブに身を包み曇一つない四角いメガネをかけ、わずかな後れ毛も許さないかのように一つのシニョンに髪を纏めている。指先まで一瞬の隙も見せない所作は近寄りがたさすら感じさせる。もっともホグワーツにおいて近寄りやすい先生なんていうものはほとんどいないのだけど。

 ともかく、スネイプ教授に次いでなんとなく恐い先生としてグリフィンドールでも恐れられているのが寮監のマクゴナガル教授だ。少なくとも、ハリーはそう思っている。

 そんな彼女が今、いつもは暖かい雰囲気に満ちた寮の談話室で一年生を集めじっと彼らを見つめていた。

 グリフィンドールの談話室に彼女が現れたのはつい先ほどの事。

 ホールで別れた監督生とロンとともにここにやって来たわけだが、当初ハリーたち一年生はロンの無事な姿を見て喜び、そしてそこにハーマイオニーの姿がないことを訝しんだ。マクゴナガルは寮の生徒たちの一人一人を確認するようにぐるりと見回すと、今回の判断の賢明さを誉めまたトロールが排除されたことを教えてくれた。ここでパーティの続きをやるようにと彼女がぱんっと手を叩けば、談話室の各所に先ほどのパーティにも負けない色とりどりのごちそうが一瞬で姿を現した。二年生以上の上級生はわぁっと歓声を上げたが、一年生はハーマイオニーがいないことのほうが重要だった。それにこういう時はきっとちょっと顔を上に逸らして、きらきらした瞳で自分たちに笑いかけてくれるはずのロンが俯いたままパーシーの隣から離れないのだ。

 きっとハリーだけでなくほかのみんなの頭の中にも同じような想像が浮かんでは消えてを繰り返しているに違いない。ハリーがちらりとみたディーンもシェーマスも似たような表情だったし、ネビルに至っては半泣きだった。もっともネビルが泣きそうなのはトロールが出たと言われた時からだけど。

 

「さて、ことの次第はロナルド・ウィーズリーから聞きました。一年生のみなさんには失望しました。たしかに規則を犯したわけではないですが、あなたたちの行いは決してほめられたものではありません。そこで一人五点の減点とします。」

 

 誰かが小さく悲鳴を上げた。

 一年生全員ともなればかなり大きいものとなる。このところ寮杯から離れてしまっているグリフィンドールにとっては手痛い減点で、もちろんそれは寮監であるマクゴナガル教授だって変わらないはずだ。

 

「一方で上級生たちは非常に賢明な判断でした。そこでパーシー・ウィーズリーたち監督生にそれぞれ五点与えましょう。」

 

 それでも十分減点のほうが大きいが、これでまだ始まってから二か月しか経過していないというのに優勝争いから離脱するという憂き目には合わずに済むだろう。生徒たちも一度は飲み込んだ息を大きく吐き出した。

 しかしハリーたち一年生の息は詰まったままだった。

 なぜハーマイオニーはここにいないのだろう。

 俯いたままのロンはこちらを見ようともしていない。何かを耐えているのか、時折そんな弟の肩をパーシーが撫でていた。

 

「ではみなさん。今後はこのようなことのないように。」

 

 マクゴナガル教授は厳しい表情を崩さないままそう言うと寮から去って行った。彼女がドアから出ていくのをしっかりと見送ってから生徒たちはパーティーの仕切り直しだとばかりに騒ぎ始めた。ジョージとフレッドは活躍を誉められた兄をからかい、ほかの上級生たちも口々に監督生たちの話しを聞きたがった。

 

「ねえ、ハーマイオニーはどうしたの?」

 

 そんな騒ぎから少し離れた場所で全員で大量減点をされた一年生がロンを中心に固まったわけだが、誰から口を開こうかと皆視線を泳がせていたなか、シェーマスが口を開いた。

 

「…うん。」

 

 ロンの声には元気がなく、余計に不安になってくる。

 ハリーたちは固唾を飲んで彼が一体何を話してくれるのかとロンを見つめた。何もなければハーマイオニーはこの場に戻ってきてくれているはずだが、なぜここにいないのか。

 

「まさかとは思うんだけど、彼女に何かあったの?」

 

 ディーンが問えば、ロンはどうやって話せばいいのかな、と口を開いた。

 あれから一体何があって今に至るのか。

 ロンとパーシー、そして目的地が女子トイレということもあり七年生の女子監督生の三人がハーマイオニーを迎えに行くことになり、ほかの生徒たちと別れたあの後。ハーマイオニーがいる女子トイレから聞こえてきたのは何かを破壊する大きな音と悲鳴だったのだという。そして流れてきた不快な異臭が彼らにむわりとまとわりついてきた。ロンには一体何が起こっているのかよくわからなかったが、パーシーたち上級生たちはトロールがすでに地下室を離れ、あろうことがピンポイントに女子トイレにいるハーマイオニーと鉢合わせたのではないかと判断したらしい。彼らは急ぎ女子トイレに向かい、その惨状に唖然とした。

 個室を形成していた薄い板は粉々に砕かれ、陶器の洗面台も破壊され水が噴き出していた。そしてそのがれきの山に埋もれるようにしてハーマイオニーが倒れていた。

 一見して分かるような外傷はなかったが、気絶しているのかけがをしているのかはすぐには分からなかった。しかし、すぐに彼女に駆け寄ろうにもその前に大きなトロールが立ちはだかり行く手を阻んでいた。ロンはどうすべきが分からず、ともかく早くハーマイオニーを助けなければという気持ちだけで手当り次第にがれきをトロールに投げつけていた。なぜならトロールの関心はハーマイオニーにあり、なんとか気を逸らさせなければいけないと考えたからだ。

 トロールの動きはとても緩慢なものだったが、その棍棒の一撃で近くの木製の壁が割れたのを見てロンはとても怖くなった。でも、ここで逃げ出してしまっては何のためにここに来たのかわからない。トロールの関心はロンのもくろみ通りに彼に向いたわけだが、問題はそこからどうするのか全く思いついてもいないということだった。

 ぐらぐらとその大きな体躯を左右に揺らしながらロンに迫りくるトロール。ロンも木端などを投げて応戦していたが、そんなものは厚い皮膚で弾き返されてしまい蚊ほどもダメージを与えることはできなかっただろう。そしてトロールがそのごつごつとして太く重そうな棍棒を振りかぶりロンに振り下ろそうとしたとき、パーシーが防御呪文をかけて彼を守ってくれた。

 そこから先は上級生たちの独壇場だったのだと、ちょっとだけ興奮気味にロンは話してくれた。

 トロールは彼らの手によって倒れたわけだが、ハーマイオニーには全く動く気配がなかった。

 ロンはひょっとして彼女が死んでしまったのではないかと不安になり、倒れたトロールの脇を抜けて彼女に駆け寄った。ハーマイオニーは名前を呼んでも答えてはくれなかったが、息はしているようだしがれきをどかせば目に見えるような大きなけがをしていないのは分かった。

 と、このあたりでマクゴナガル教授を含む先生たちと彼らにこの状況を伝えに行ったほかの監督生たちが合流したらしい。

 先生たちが言うにはハーマイオニーには大きなけがはないが、トロールから逃げ惑う際に腕の骨を折ってしまったらしい。だから彼女はこの場に来ていないのだ。マダム・ポンフリーのところで休んでいるのだろう。

 最後まで話し終えて、ロンは再び俯いた。

 自分の不用意な一言が原因で、まさか怪我までさせてしまうとは思ってもいなかったはずだ。怪我をしてほしいとか死んでほしいとか望んでいたわけでもない。ただ、彼ら一年生はちょっとハーマイオニーの事を煙たがっていただけだ。排除なんて望んでいなかった。

 骨折はマダム・ポンフリーが瞬く間に治してしまうだろう。しかし彼女は同級生たちに拒絶されたような気持ちを抱き、とてつもなく傷ついているかもしれない。

 拒絶されることの怖さはハリーは良く知っているつもりだった。どれだけ慣れていようが傷つくものは傷つくし、長時間泣き止むことができなくてもなんの疑問もないことだ。まして、彼女は正しいことをしているつもりなのだ。予習を怠らないことも、授業で積極的に発言することも、規則を破ろうとする同級生をいさめることも何一つ間違った行動じゃない。でも、ただ何となくそんな彼女に皆が反発していただけだ。

 

「で、ハーマイオニーは大丈夫なのよね?」

 

 恐る恐るパーバティーが聞いた。

 

「たぶん…明日には目を覚ますんじゃないかってマダム・ポンフリーが言ってたんだ。だから…明日、謝りに行こうと思ってる。さすがに夜だとマダム怒るだろうしさ。」

 

 ロンはそう言ってちょっと泣き笑いみたいな表情を浮かべた。

 

 

 翌朝、ハリーたち一年生は朝食もそこそこに救護室で休んでいるハーマイオニーを訪ねた。ロンが謝りに行くといったときに、皆も謝りたいと言い出したからだ。あまりにも大勢で押しかけたのでマダム・ポンフリーがちょっと嫌そうな顔をしたが、しぶしぶとハーマイオニーのベッドに案内してくれた。

 さまざまな薬草の匂いがまじりあった独特の空気がそこには満ちていた。

 すでにハーマイオニーは起きていたのか、ベッドで上半身を起こして硬い表情のハリーたち同級生を見つめてきた。表情のない顔。でも、泣き出しそうにも見える。きっと彼女の中で感情が渦巻いているのだとハリーは感じた。

 

「ハーマイオニーごめん!!!」

 

 彼女が何か言おうと口をわずかに動かしたとき、ロンが大声でそう言い放った。マダム・ポンフリーが静かにと注意をしてくるが、ディーンたちもロンに続いて口々に謝り始める。ハリーもぽそりと、ごめんとつぶやくかのように言った。

 

「ぼく君にとてもひどいことを言った。君は間違っていないのに。」

 

 同級生に一度に謝られて固まってしまったハーマイオニーの顔をまっすぐと見据えてロンはゆっくりと、今度は落ち着いた声で話し始めた。

 

「言っちゃいけないことを言った。たぶん、うん。だぶんなんだけど、ぼくは君が羨ましいんだ。あ、これはぼくがそう思ったっていうか、あの、パーシーが言ってたんだけど。」

 

 ロンは魔法族の中に生まれて、ホグワーツでも優秀な成績を残している兄たちを見てきた。まあ、すぐ上の双子は勉強よりも悪戯をしていることのほうが多いけど、そのための努力は惜しんでいない。そんな兄たちみたいになれるか不安だったのかもしれない。そこに、マグル出身でありながらどの授業でも優秀で、なんでもできてしまうハーマイオニーが現れた。だから嫉妬したのだろうとパーシーに言われたらしい。

 ロンの言葉にハーマイオニーが泣き出して、いい話っぽい感じにまとまり始めていたが、ハリーはなんとなく違和感を覚えた。だから、みんながベットでハーマイオニーと話しているその輪からすこしだけ離れて見ていた。

 なぜかわからないけどイライラする。

 もやもやとした重い何かが胸を押さえつけているような不快感と息苦しさ。

 ずきり、と頭が痛くなるのを感じてハリーは少しだけ顔をしかめた。でも、今はそのことに気が付く同級生たちはいないようだ。ここでそんな顔をするのはあまりよくないな、と思いハリーは努めて平静をよそおうことにした。

 



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CHAPTER6-1

 ハロウィン以降、目立って仲良くなったという程でもないが、ハーマイオニーはハリーたちほかの一年生と打ち解けることはできたようだ。特にパーバティーたち女子は彼女を加えて一緒にいる事が増えてきた。親友とまではいかなくても友だちにはなれたのかもしれない。

 あの日以来、ロンは少しだけ勉強に向き合うようになった。もともと課題などはハリーやネビルに付き合って一緒にしぶしぶやっていた感じだったが、ちょっとだけ真面目に取り組んでいるようだ。目の前でパーシーたち上級生が闘っている姿を見たことは、彼にとっていい影響をもたらしているのかもしれない。

 ハロウィンが終わればやってくるのがクィディッチのシーズンだ。

 今までであれはクィディッチの好きなロンやシェーマスなどは課題が手につかなかったかもしれないが、ロンの変化が周りにも影響をもたらしているのか、時折試合の予想とかそんな会話を交えながら寮の談話室の片隅で、みんなで課題をこなしていた。

 グリフィンドールの初戦はスリザリンとの因縁の対決からだ。

 ウッドたち代表選手は連日の練習に打ち込みコンディションを上げているようだが、ほかの上級生たちはだとしてもグリフィンドールが優勝できる確実な何かが足りないと話し合っていた。

 ハリーたちマグルの間で育ってきた一年生はクィディッチの試合を見るのはこれが初めてだ。日に日に試合に向けて選手だけでなくほかの生徒たちのボルテージも上がっていくのをハリーは感じていた。もちろんそれはグリフィンドールだけでなく、学校全体の事だ。みんながクィディッチのことを話さない日はない。

 ただ、ハリーはそこまでほかの生徒たちほど熱狂できていない。なんとなく話は合わせても、そんな一大事ってほどでもないし、夢中にもなれない。見てみたいとは思うけれど、人生を揺るがすほどのものでもない。だからか、本当の自分は体の外にいてロンたちとはちょっと離れた場所で彼らの話を聞いているような感覚に襲われていた。

 へー、そうなんだ。たのしみだね。

 ハリーが口にするのはその程度の言葉でしかない。

 それでも周りが不審に思わないでいてくれるのは人数が多いということもあると思う。ハリーが頑張って会話に参加しなくても、どんどん話は進んでいくのだから。とはいえ、いつそんなハリーの不自然さに周りが気付いてしまうかもしれない。それを思うとハリーは少しだけ怖くなる。

 そんなときハリーは一人で校内を歩くようにした。図書館に行ってもいいが、そこにはハーマイオニーがいることが多かったし、ハロウィン以降彼女も積極的に話しかけてくるようになったのだ。彼女にしてみればハリーは図書館通いの仲間という認識のようで、話の内容も課題向きの参考文献のことだったり、彼女のおすすめの本の事が主だったが基本的に彼女が一方的にハリーに話し、ハリーはそれに相槌をうっているような感じだ。ホグワーツに来る前は誰かに積極的に話しかけられるなんてなかったことだから分からなかったけれど、一人でいたいと思っているときにそれを許されないのはこんなに疲れることだったのか、とハリーは思うようになった。あのころを思えば贅沢なことだけれど。

 そうなれば図書館はハリーが逃げ込めるというのは何か違う気もするが、ともかく一人になれる場所ではなくなってしまったのだ。ホグワーツは広いのだからどこかほかにもゆっくり一人で考え事ができる場所はあると思う。湖の近くだったり、さすがに禁じられた森の中に入ろうとは思わないが近くの木陰で本を読んだりすることもある。ただふらっとどこかに姿を消してしまうハリーの事はロンたちも少し疑問に思っているようで、何をしているのか問われることも多くなっていた。

 この日もハリーはいつものようにふらっと禁じられた森の近くを歩いていた。このあたりはマグルの世界では見ることのないような不思議な植物も生えていたりとおもしろい。教科書で見たことのあるものもあれば、まだ知らないものも多く後で調べてみるのもいいだろう。

 授業で使う道具の入ったままの鞄の中には図書館で借りてきた本も入っている。どれといった好みもないので、今回は薬草関係の入門書のような軽い読み物。ちょっとした豆知識が載っているのが教科書とは違うところだ。実用書、といったほうが適しているかもしれない。

 最近見つけた森の近くの木陰はあまり人目につかないし、程よく日当たりもあり寒さが厳しくなってきたこの時期でもある程度快適に過ごせるポイントだ。もう少し冬が本格的になってきたら何らかの方法を考えたほうがいいだろうが、今のハリーにはこれといった手段が思いつきそうにない。

 冷たい草の上に座り込んで森の木々のざわめきを聞きながらハリーは鞄から件の本を取り出し、パラパラとページをめくった。

 

「おや。誰かと思ったらハリー・ポッターじゃないか。」

 

 急にハリーに降りかかってきた太く大きい声に、ハリーは座ったままの自分の体が数センチ飛び跳ねたのではないかというくらい驚いた。太陽とは逆の位置に立っているその声の主を、ハリーは恐る恐る見上げるが予想以上に大きくてなかなか顔が見えてこない。

 驚きすぎた心臓は痛いほどに鼓動を打ち鳴らし、呼吸もそれに伴って荒くなる。

 

「お前さんこんなところでなにしちょる。」

 

 そんなハリーの様子に気が付かないのかそのとてつもない大男はさらに言葉を続けてきた。

 ようやく見えてきたのはもじゃもじゃの髭とそれに縁どられたやはり大きな顔。

 これほどまでに大きな、何もかもが大きな人間をハリーは見たことがなかった。逆にフリットウィック先生は小さな人だけれど、彼はゴブリンの血を引いているということなのでそれの影響だろう。しかし大きな人といったって限度はある。確かにスポーツ選手などで二メートル近いような人はいる。だが、この大男はそんな数字は軽く超えてしまってるのではないかとハリーには感じられた。

 

「あ…あの…えっと…」

 

 むしろ人間であるかも疑わしい。

 ハリーはどう答えていいか分からず彼を見上げていた。ひょっとしてこのあたりも禁じられた森の一部で生徒は入ってはいけないエリアに含まれるのだろうか。声も大きくまるで怒鳴られているかのようだ。

 大男の顔の大半はそのもじゃもじゃの髭と、同じくもじゃもじゃの髪で隠されてしまっていて表情をうまく読みとることができない。それも余計にハリーに恐怖を与えていた。

 

「おおそうか。直接会うのは初めてだったな。俺はハグリッドっちゅうて、このホグワーツの森の管理人をしちょる。」

 

 ハグリッド。

 ハリーはその名前を聞いて余計に驚いた。その人物はハリーが記憶している限り、生まれて初めての誕生日プレゼントを贈ってくれた人物だ。そうだ、森番をしているとあの時のメッセージに書いてあったではないか。ハリー自身はなんて書いていいものか分からず、「ありがとう」とだけ書いたお礼を送っただけだったが、同じホグワーツにいるなら直接お礼をいう機会だって作れたのに!

 もっとも直接会いに行けばいいのではなんていうことはハリーの頭の中をかすりもしていなかったが、そのことがなにかこうハリーを居心地の悪い気分にさせる。忘れていたわけではなく、どうすればいいのか分からなかっただけなのだが。

 でもとりあえず今やるべきことはただ一つ。

 

「あの!フクロウ…ありがとうございます。えっと、ヘドウィグっていう名前に、しました。」

 

 おおそうか、とハグリッドは鷹揚にうなずくとその大きな体を落とすようにハリーのとなりに座ったので、ハリーは再びびくりと体を震わせた。とくに手紙を送る相手のいないハリーにとってのヘドウィグは常に一緒にいてくれる心優しいペットのような存在だ。ロンはその美しい白いフクロウを羨ましがり、自分の家で飼っている老フクロウのエロールがどれだけボロボロなのかを話してくれたことがある。

 ハリーは拙い言葉ではあるけれど、なんとかハグリッドにヘドウィグを気に入っていることと本当にうれしかったことを伝えた。

 ハグリッドはそれを聞きながら何度も何度もうなずいて、時折ハリーの顔を覗き込んでちょっとだけ悲しそうな目をした。

 

「お前さんはまるで顔はジェームズの生き写しだが、随分と性格は違うんだなぁ。」

 

 何度も何度もお礼を言うハリーにハグリッドは感慨深げにそう言った。

 ハリーは一瞬何のことを言っているか分からなかった。一瞬きょとんとしてしまったことはハグリッドにも悟られたかもしれない。そのくらいハリーにとって自分の親の名前はなじみのないものだったのだ。

 ジェームズ。

 ジェームズ・ポッター。

 ダーズリーの家では語られることのないハリーの父親の名前。ペチュニアおばさん曰く、ろくでなし。定職に就かず挙句ハリーを残して事故で死んだと聞かされていたが、それが違うことはホグワーツで読んだ本で一応は知っている。ただ、定職に就いていなかったということについてはおばさんの言うことも否定できない。どんな本を読んでも仕事に関する記述は見当たらなかったし、書いてあるのは例のあの人に対する対抗組織にいたということだけだ。立派だったような気もするけれど、ちょっとハリーにはよくわからない。ただグリンゴッツの金庫の状態から資産家だったことはたぶんきっと間違いない。

 ハグリッドはジェームズがいかに破天荒で人を惹きつける力があったのか語ってくれたが、ハリーにとってはまるで物語の登場人物の事でも聞かされているかのように現実味がない。なにしろ、本当に自分とはかけ離れすぎているし、それ以前に似ていると言われても顔だって覚えてなどいないのだ。聞いている限りだと、本当に親子なのかと疑いたくなるくらい共通点がない。

 ハグリッドは懐かしそうに目を細めて語っている。そしてハリーはそんな彼を見上げてすこし寂しくなった。

 自分にはハグリッドのように自分の親の事で思い出せることなんて何もない。まして、ホグワーツに来るまで父親はろくでなしで、母親はそんなろくでなしにたぶらかされた愚かな女だと言われてきたし、そんな両親だから自分を残して死んでしまったのだとハリー自身思っていた。そうじゃなかったと知った今でも、なかなか自分の両親を好きになれない。どんなにハグリッドが両親の事を褒めちぎっていても響いてこない。両親の事なのに、完全に他人ごとだ。もっともこんな感覚は初めてではない。たとえば、ハリーと例のあの人との戦いについて書かれた本を読んだ時の感覚に似ている。その類まれなる才能で闇の帝王にまだ赤ん坊でありながら立ち向かったなんて書いてあった日には、もうどこをどうとってみても自分の事だなんて考えられない。仮に実際そうだったとしても記憶にないことなのだから、実感も持てない。そうこれだって完全に他人事で、世の中には同姓同名の「ハリー・ポッター」という英雄がいるのだろうなという感覚だ。

 ハリーは気のない相槌を打ちながら彼の話を聞いてたが、ハグリッドはそんなハリーの様子には気が付いていないようだった。もっとも体格差がありすぎて視界に入っていないのかもしれないが。

 ハリーが少し鼻をすすれば、ハグリッドはあわてたように立ち上がった。

 

「ああいけねえ。ちーとばかし長く話しすぎたな。じゃあハリー風邪ひく前に建物の中に戻れ。また手紙書くからな。」

 

 陽がかなり傾いたこともあってかなり冷え込んできた。確かにこのまま外にいたら風邪をひいてしまうかもしれない。ハリーは頷いて立ち上がった。

 きっとハグリッドは両親と本当に仲が良かったのだろうと思う。だからハリーの事も気にかけてくれるのだろう。でも、なんとなくだけどハグリッドは自分にジェームズの影を見ようとしたのかもしれないとも感じていた。



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CHAPTER6-2

 冷えたせいでちょっと赤くなってしまった鼻をすすりながら寮に帰ったハリーを待っていたのは、イライラと声を荒げるロンとそれに賛同しているシェーマスたちの姿だった。今までだったらハーマイオニーが諌めるところだが、今回に関しては彼女まで一緒に騒いでいるのでハリーは少し驚いた。むしろそんな彼らの中で戸惑いオドオドとしているのはネビルだが、彼にはロンたちを止めることはできないだろう。何しろハーマイオニーですら止めることはできなかったのだから。

 

「ハリー、聞いてくれよ!スネイプったらひどいんだ!!」

 

 ハリーを見つけるなりロンはそう大声で言いながら駆け寄ってきた。正直なところ、面倒事に巻き込まれる予感がしてハリーとしてはあまり嬉しくない。ロンに続くようにシェーマスとディーン、そしてハーマイオニーも近寄ってくる。少し遅れて合流したネビルが申し訳なさそうにハリーに困ったような笑顔を向けた。

 どうやらハリーがハグリッドと話している間に彼らはスネイプ教授との間にいざこざを起こしたらしい。

 ことグリフィンドールではスネイプ教授の評判はあまりよろしくない。それは彼がスリザリンの寮監であるということと、彼自身が自寮を贔屓し、グリフィンドールからは厳しく減点していると思われている節があるからだが、そこまで理不尽なことをしているとはハリーには思えないでいた。

 たしかに魔法薬学の授業においてロンやネビルが減点をされることは多いと思うし、ドラコが褒められていることも多いだろう。しかし、彼らが減点されているときはたいていきちんとした理由がある。明らかに注意をしていたことを怠っていたり、説明を聞いていなかったりといった彼ら自身の落ち度がある。魔法薬学という授業の性質を考えれば、そういう小さな注意欠如が大きな失敗を招くこともありうるだろう。それを理不尽な理由で減点されているというのはちょっと違う気がする。

 だが、ドラコの加点に関しては贔屓目があると言われても仕方ないだろう。なぜなら同じようにハーマイオニーが成功したとしてもスネイプ教授は褒めもしないし加点もしたことはない。むしろ、ハーマイオニーが授業中に求められてもいないのに発言することに対し、出しゃばりだと減点をしたことだってある。これに関しても彼らはスネイプが自分たちに厳しすぎるというだろうが、授業中に勝手に発言するのはやはり褒められた行為ではないのではないか、とハリーは思うのだ。

 つまり彼らが言うほどスネイプ教授は悪い人ではないように思う。理不尽な減点や不可解な加点が頻発しているという感じではないのだ。

 ハリーは困惑しつつも彼らに引きずられるように談話室の一角のいつも彼らがたむろしているソファーに半ば押し込まれるようにして腰を下ろした。

 ああ、これは本格的に面倒なことになる。とハリーは思わず天井を見やった。

 そんな彼にお構いなしに、ロンは一気にまくし立てて来た。

 簡潔に何が起きたのかを纏めるならば、彼らはスネイプ教授に言いがかりをつけられたということになる。

 クィディッチの初戦がもうすぐなので、ハーマイオニーは図書館から「クィディッチ今昔」という本を借りてきたらしい。それをロンたち、つまりここにいるハリーを除いた五人で中庭の一角で読んでいたときに彼が近付いてきたのだ。そしてなぜかその本を没収された、ということになる。

 

「図書館の本を外で読んじゃいけないなんていう規則きいたことないわ!」

 

 本を借りてきた当人であるハーマイオニーはかなり怒っているようだった。

 でもわざわざそんな言いがかりをつけるのかな、とも思う。

 ハリーのスネイプに関する感情はほかのグリフィンドールの生徒たちほど嫌悪感に満ちたものではないし、ネビルほど恐怖で満たされてもいない。確かに彼はハリーに対し厳しく当たる部分もあるが、だからと言って不条理な暴力に訴えることもないし、不可能な言いつけをされることもない。彼の態度を考えれば、ハリー自身に何かしら彼を不愉快にさせる原因があるととれる。もっともその原因に関して全く心当たりがないので、当面はこれ以上不愉快にさせないようにせめて成績だけでもまともにしておこうと思っている。課題に関しては優をつけてくれることもあるので、そこに関しては贔屓があるとは思えない。個人的な感情で成績をつけているなら内容なんて確認せずに、毎回不可と書けばいいのだから。

 

「本当に本を読んでただけなの?」

 

 とりあえず黙ったままというわけにもいかないのでハリーはそう聞いてみた。

 ロンは顔を上げて肯定しようとしたが、何かを思い出したかのように俯いた。

 

「ハーマイオニーが魔法を使ってたんだ。」

 

 ちらりとハーマイオニーを見やりながら代わりにディーンが答えた。

 名前の出されたハーマイオニーはでも、とかだってと口ごもりながら俯いた。

 ホグワーツでは廊下での魔法の使用は禁止されている。これは入学当初に校長から注意された事項にもあった。中庭が廊下部分に該当するのかという疑問はあるが、そうでないと言い切るのも難しいような気がする。おそらくだけれど、この場合の廊下というのはたぶん教室や実習で使ってもいい場所以外ということを指している可能性のほうが高いので中庭にしても注意される可能性は高い。

 

「なんの魔法をつかってたの?」

 

 とはいえハーマイオニーは理由もなく魔法を乱打するような人物ではない。だとしても彼女が率先して規則を無視するのは今までにはない傾向だ。

 

「ブルーの火の魔法よ。ガラス瓶に入れて持ち運ぶことができるから温まることができるでしょう?」

 

 少しだけばつが悪そうに彼女はそう言った。確かにそれは便利そうだし、実際ハリーも知っていれば使うような気がする。事実ハグリッドと外で話していたことでかなり体は冷えてしまったのだ。

 しかしハーマイオニーはその呪文をどこで知ったのだろう。授業では取り扱っていないし、上級生を見てもその炎を持ち歩いている姿なんて見たことがない。もっとも彼女が授業で習っていない呪文を使うのはよくあることだし、きっと図書館で見つけた本にでも載っていたのだろう。

 とはいえ、あまりよくわからない呪文っていうのは怖いような気がする。変身学ではかなり細かい呪文の意味やその編成までをしっかりと理解してからでないと実践に入らないし、フリットウィック先生だってしっかりと発音と杖の軌跡を確認してから実際に行っている。しかし授業で習っていない魔法はそういうことがしっかりと本に書かれているとは限らない。ひょっとしたら大惨事を引き起こす可能性だってあるのではないだろうか。もっともハリーがそう発言したとしても、心配しすぎだと鼻で笑われるだけの気がするが。

 

「それをスネイプに見つかったら怒られると思ったから思わずみんなで隠したんだ。」

 

 なるほど。

 明らかにスネイプ教授の目には彼らがなにか企み隠しているように見えただろう。実際後ろ暗いとことがありガラス瓶のなかの火を隠したわけだからあながち間違ってはいない。しかし彼には明らかな不正というか、怪しい何かを見つけることはできなかったのだろう。そこで確かに言いがかりではあるが「クィディッチ今昔」を没収したということになるのだろう。

 ひどいだろう?とロンが同意を求めてきた。

 確かにこれはひどい気がする。これはさすがに贔屓教師とか不条理とか言われても仕方ないしかばうことだってできない。もっともハリーはいつも心の中で思うだけで口に出していうことはないのだけれど。

 

「ねえ、ハリー。一緒にあいつのところに取り返しに行かないか?」

 

 ロンはさも当然と言わんばかりに提案してきた。

 今の話の流れでなぜそうなるのかハリーには分からないが、彼の口調だと提案という形をとった命令に近い。行かないか?当然行くよな。そんな気持ちが透けて見える。

 

「図書館から借りた本だし取り返さないとまずいわ。」

 

 ハーマイオニーの言い分は理解できる。でもそれはハリーを連れて行かなくてもできるはずだ。ハリーは心底そう思った。だがそこで困っているなら助けるのも友だちなんだとは思う。とりあえずパーシーに相談してみるのはどうだろうなどと考えつつハリーは答えを濁していた。きっとどう言ってもロンは反発するような気がするのだ。

 しかしそんなハリーの曖昧な態度はロンにとっては肯定と捉えられたらしい。ソファーに座らせたばかりのハリーの腕を引っ張って立たせ、そのまま寮の入り口にハリーを引きずるようにして向かってゆく。ぐいぐいと引っ張られる腕が少し痛い。ハリーはちょっとだけ眉を顰めたがおそらくそれはロンには見えていなかっただろう。

 彼らにディーンとシェーマス、そしてネビルとハーマイオニーが続いた。

 また一年生が騒いでいる。

 そんな目で上級生たちは彼らを見ていた。

 元気で行動力のあるロンたちにハリーとネビルがついていくのは入学当初からのよくある光景で、何一つおかしいところはない。ハリーにしてもそうやってみんなで固まって動くことが決まり、というか友だちのルールみたいなものであれば従うしかないなと思っている。今まで友だちなんていなかったハリーにしてみればホグワーツで出会った彼らが初めての友だちだし、大切にしたいと思う。ただ、今までずっと一人で過ごすことの多かったハリーとしては、煩わしさとか騒がしさで胸のなかにうまく言い表せないもやもやが湧いてくるのだ。だからこそたまにふらっと一人になったりするのだけれど、それでそのもやもやが消せるわけではない。

 そういえばマルフォイもよく同じスリザリンの生徒たちと固まって行動している。まあ、いつも一緒にいる大柄のクラッブとゴイルは友だちというより、家臣というか部下というかなにか違う感じはするし、ほかの生徒たちにしてもマルフォイに対して一歩引いているというか対等な友だち関係という感じではない。まるでダドリー軍団を見ているような気分になる。しかしこうやってみんなで動いているのも今のうちだけなんだろうな、と思う。三年生になれば選択授業が始まるし、五年生になればO.W.L試験の準備やらでみんな忙しくなるだろうし、実際上の学年になれば仲のいい友だち同士でもそんなにずっと一緒にはいないように見える。

 

「なんでスネイプはわざわざ本なんて取り上げたんだろう。」

 

 廊下を歩きながら、ハリーの腕を離す気配のないロンは苛立たしげにそう言った。

 図書館の本を建物の外で読んではいけないのであれば、ハリーだって結構な回数規則違反をしていることになるが、今まで一度もそれをとがめられたことはない。運よく先生方の目に留まっていないだけの可能性もあるが、おそらくスネイプ教授はなんらかの意図をもって没収したのだとは思う。とはいえ、ただの嫌がらせの可能性もあるけれど。これに関してはどれだけ考えたって答えは出そうにない。ハリーはスネイプ教授ではないし、彼の考えていることが分からなくて悩んだ時期だってあったのだ。

 

「スネイプ先生に直接聞いてみればいいんじゃないかな?」

 

 ハリーがそういえばネビルがひぃっと悲鳴を上げる。

 スネイプ教授に授業に質問をするなんて、ネビルにとっては恐ろしくて仕方のないことなのだろう。ロンたちもハリーの言葉に目を丸くする。

 

「ねえ、ハリー。前から気になっていたんだけど、君スネイプのこと嫌いじゃないのかい?」

 

 スネイプ教授は厳しい人だとは思う。でも、それは嫌いになる理由にはならない。というよりも、嫌いになるには彼の事を知らなさすぎる気がする。

 なのでハリーはこう答えた。

 

「ふつう、かなぁ。」

 

 ハリーの言葉に、ロンたちがええーっと大きな声を出したので廊下にいたほかの生徒たちの注目を一身に集めることになった。

 

 

 



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CHAPTER6-3

 魔法薬学の教室のある地下はじめじめとしていて薄暗くて少しだけ気味が悪い。ここに教室があるのはなんとなく魔法薬に使う材料の品質を保つためのような気がしている。食べ物にしても冷暗所での保管は鉄則だからだ。とはいえ、ここに寮があるというスリザリンは、この地下というイメージで余計に陰湿な雰囲気に感じられているような気がしなくもない。ハリーは割と地下は快適だし嫌いではないし、階段下の物置で暮らしていた身としてはちょっと落ち着く部分もある。

 ハリー以外のロン、シェーマス、ディーンにネビル、そしてハーマイオニーはびくびくと身を寄せ合いながらその教室に向かっていた。なにも暗闇の中を歩いているわけでもないのに、とハリーは思うが、彼らにしてみたら少し不気味な地下はあまり好きではないし、しかも彼らが嫌っているスネイプ教授の下に没収された本を返してもらうために行く、というあまりにも心理的負担の大きい状況だ。

 ロンたちの気持ちだって分からないわけではない。でも、同調して同じ気持ちになる必要性は感じない。

 ハリーがスネイプを嫌っていないことを知ったロンたちは、彼がいかに嫌われるべき人物であるかを語ってくれた。もっともハーマイオニーは彼らの意見には賛同していない。気難しいし、贔屓をする部分もあるだろうがあくまでも先生に対して好きとか嫌いというのはどうだろう、というのが彼女の意見だ。しかし、もともとスリザリンに対してアレルギーでもあるかのように嫌っているロンにしてみれば、「スリザリンの寮監」というだけで嫌うに足りるということになる。それがまかり通るなら、「グリフィンドールの生徒」というだけで毎日十点くらい減点されたって文句は言えなくなるだろうに。

 ロンのスリザリン嫌いは根が深すぎて手の施しようがない。魔法界のことを知らないディーンは彼やシェーマスからの情報がほとんどになり、二人があからさまにスリザリンを悪く言うのでかなりその影響を思い切り受けている。ネビルは、あまり深くは語らないがスリザリンを好きじゃないことは確かだろう。

 そんなやり取りをしながらたどり着いた魔法薬学の教室の前。

 うっすら扉が開いているのか、薄暗い石造りの廊下に細い光の筋が落ちていた。

 そしてどうやらその中に彼はいるらしく、誰かと話している声がハリーの耳にもとぎれとぎれではあるけれど聞こえてくる。

 取り込み中であるならばきっと出直したほうがいいだろう。

 ハリーはそう思って来た道を戻ろうとしたが、それはハーマイオニーによって阻止された。

 彼女はハリーを引き留めると、その場にとどまれとでも言いたげに首を横に振る。グリフィンドール寮からここまでは結構距離があるので出直すよりはこのままここで待っていたほうがいいということだろうか。しかし、あの神経質なスネイプ教授がうっかり扉をきれいに閉めていないせいで中の会話が聞こえてきてしまい、気まずいのでできればそうしたくはない。こういう時は、そっとその場を離れて出直したほうが相手の機嫌を損ねずに済むというのは、バーノンおじさんで十分に学習している。うっかり立ち聞きでもしようものなら、それが偶然に起きた事故だとしても食事抜きは免れない。

 スネイプ教授と話しているのはフィルチのようだった。

 あの二人が仲がいいなどという話は聞いたことがないが、まあ職員同士全く交流がないというわけもないだろう。二人は毎日のように校内で悪戯をしている双子や、統率のとれない生徒たちのことでひとしきり愚痴を言い合い、いやフィルチの愚痴をスネイプが聞いていた。そして、ふとフィルチが言った言葉にハリーたちは息をのんだ。

 

「そういえば先生。怪我の具合はどうですか?」

 

 スネイプは一体いつ怪我をしたのだろう。前の魔法薬学の授業のときはそんなそぶりは全く見せていなかった。まあほとんど分からないような些細な怪我だったのかもしれないが、だとしたらわざわざここでフィルチがそんなことを聞く必要もない。

 

「そういえば、さっきスネイプは足を引きずっていたわ。」

 

 ハーマイオニーが小声で呟いた。

 授業のときはそんなことはなかったのだから、その怪我はつい最近負ったものなのだろう。

 骨折のような単純な外傷であれば魔法界はあっという間に癒してしまう。しかし、魔法によってつけられたものなどの特別なものはその限りではない。たとえばハリーの額の傷跡だが、これは呪いによってつけられたものらしくどんな手を尽くしても消すことはできないらしい。あくまでも本情報ではあるけれど。

 魔法薬学教授であらゆる薬に精通しているスネイプがその傷を放置することはそうそうないだろう。つまり、彼の怪我は特殊な事情でつけられたものということになる。

 ハリーの考え通りにスネイプは忌々しげに「あの犬」と原因を口にした。

 校内で犬に該当しそうなものはそんなにない。少なくともハリーが知っている「犬」はあの禁じられた廊下の先にいた三つの頭をもつあの犬だけだ。もっともハリーが知らないだけでほかにも犬はいるのかもしれないけれど。でも少なくとも授業でほかの犬を見たことはないし、生徒たちだって校内に犬を持ち込んではいけない。許可されているのはフクロウとカエル、そしてネズミだ。ハリーはハグリッドにもらった白フクロウを連れてきているし、ネビルはよくペットのカエルのトレバーが迷子になっている。ロンは兄からのおさがりだというネズミのスキャバースのことを文句を言いつつも可愛がっている。

 仮に本当にその犬だとして、なぜスネイプは怪我をするようなことになったのだろう。

 ひょっとして実はあの三頭犬は先生方が順番で面倒を見ていて、飼育当番になったスネイプ教授が餌を与えに行ったが、懐いていないため警戒されて襲われたのだろうか。いや、さすがにそんな間抜けな展開はないように思う。まず第一に先生方が当番でというあたりがおかしい。だが、生き物である以上あの犬の世話をしている人物はいるはずだ。そしてそれはたぶん、それが原因でけがをしているスネイプではないだろう。

 ハリーは三頭犬の事を思い出しながら、実際のあれの飼い主は誰になるのか考えていた。

 あのときハーマイオニーはあの犬がなにかを守っていると言っていた。実際のところ真実は分からないけれど、そうでもない限り明らかに凶暴そうなあの風体の犬を室内で、しかも生徒を預かっている学校の中で飼うことなどありえないだろう。

 でも仮に何かを守っているとして、あの犬だけで守れるものなのだろうか。

 なにしろ、あの時の扉はハーマイオニーの開錠呪文でいとも簡単に開いてしまった。一年生のハーマイオニーにできたことなどほとんどの魔法使いにとっては容易いことだ。犬にしても確かに何も知らずに見れば驚いて冷静な対応はできないかもしれない。でも、そこになにがいるのかわかってしまえば対策の取りようなどいくらでもあると思う。本当に何かを守るならあまりにも杜撰すぎると言わざるをえない。いっそ新手のどっきりアトラクションだと言われたほうが納得できる気がする。規則を守らない生徒をビックリさせるための犬だ。だとしたら危険すぎるけれど。

 部屋の中からごとり、と音がして思わずハリーたちは廊下の物陰に隠れた。

 様子をうかがえば出てきたのはやはりフィルチで、ぐちぐちと生徒たちの文句を言いながらイライラとした足取りで足早に去って行った。あの雰囲気だと扉を閉め損ねたのは彼なのかもしれない。

 とりあえずこれで教室の中にはスネイプが一人になったと思われる。本を取り戻すなら今のうちに行ったほうがいいだろう。

 しかしロンたちはその場所から動こうとしなかった。

 確かに聞こえてきた声の調子は、明らかに想像以上に彼が不機嫌なことを告げていた。これはひょっとすると本を没収したのは、虫の居所が悪かった故の純然たる八つ当たりなのかもしれない。さすがにそうなるとあまりにも大人げないなと思わざるをえなくて、ハリーは思わず顔をしかめた。

 まあ、大人だとしても気分でそういうことをしてしまうのはなんとなく分からないわけではない。ペチュニアおばさんだってバーノンおじさんだって気分が悪ければハリーに対して辛く当たったし、理不尽な言いがかりに近いことで食事を抜かれたことだってある。だからハリーはこれに対し別に怒りとかそういった気持ちにはならなかった。だからちょっとハーマイオニーたちとは感情に温度差が生まれてしまう。

 

「犬ってあの犬かな?」

 

 こそり、とディーンが呟く。

 聞こえてしまった以上興味をひかれるのは仕方のないことだ。

 

「でもいつ?」

 

 シェーマスも呟いた。

 でも、ここで話すことじゃないし今はそれよりやるべきことがあるはずだ、とハリーは思う。

 すでにロンやハーマイオニーもスネイプの怪我の原因に興味が移ってしまっているようだ。いや、この場合嫌なことから目をそむけた結果、そこにあったものに飛びついたといったほうがいいのかもしれない。ダドリーもよくそんなことしていたし。ただ、嫌なことは先延ばしにしてもいいことがない、というのがハリーの経験から得た持論だ。さっさと終わらせて、小言が増える前に離脱したほうが気持ちへの負担が少なくてすむ。

 こそこそと小さな声で自分たちの考えを話し合い始めた彼らをちらりと見てハリーはちょっと目を瞑り、そして息を吐くと魔法薬学の教室の扉へと向かい始めた。たぶんこれは自分のやることではないとは思いつつも、ここで話していても埒はあかないし、ましてスネイプが部屋から出てきてしまえば余計に機嫌を損ねかねない。

 そんなハリーの様子に気が付いたネビルが、ハリーの袖をきゅっと掴んだ。

 

「ハリー、大丈夫?」

 

 ネビルは信じられないものを見ているような目でハリーを見ていた。そんなに見開いたら目玉が転がり落ちてしまうんじゃないかというくらい目を見開いて。

 

「大丈夫だよ。」

 

 別に危害を加えられるわけではないし。ただ、ちょっと小言や嫌味は言われるかもしれないけれどそんなのは別に気にならないし、慣れている。

 ロンとハーマイオニーがそんな二人のやり取りに気が付いて、慌ててハリーを押しのけてスネイプのもとへ向かっていった。まあ本人たちが行ってくれるならそれが一番いい。ハリーが行けば、自身で来なかったことに対し減点されていた気がするし。

 ハリーは扉に向かっていく二人の背中を眺め、そして彼らが扉の奥に消えると同じように彼を心配そうに見ていたディーンとシェーマスのほうに向きなおった。ネビルは扉のほうからスネイプの怒声が聞こえてくるのではないかと今もびくびくと扉を見つめている。そんなに怖いなら耳でも塞いで目を背けていたほうがいいと思うけれど、ネビルはどんなに怖くてもそこから目は逸らさない。最近彼を見ていてわかってきたことだ。

 しばらくして、二人はばたばたと彼らのもとに帰ってきた。ハーマイオニーは大事そうに本を抱えているし、ロンは少しだけ頬を紅潮させて興奮しているのが伝わってくる。

 ともかくそこから早く離れたいという気持ちはみんなが一致していたので、来た時よりも足早に彼らは地下から脱出した。

 

「なんでスネイプは怪我をしているのかしら。」

 

 両腕で大切そうに取り返した本を抱えていたハーマイオニーがそう言ったのは彼らが地下を抜け出して、移動する大階段まで来た時だった。

 

「知るもんか。でも、」

 

 ロンがにやりと笑う。

 

「すっごく痛ければいいよな。」

 

 楽しそうに言う彼の声に、ハリーは少し耳を疑った。

 そんなこと言うもんじゃないわ、とハーマイオニーがすかさず窘めるが、ロンは全く悪びれる様子もなくはいはいと笑っている。

 ハリーは少し気分が悪くなるのを感じていた。

 なぜなのかは分からないが、胸の奥がもやもやする。

 息が詰まる。

 でもなんとなく、ハリーはそれをほかのみんなに気づかれてはいけないんじゃないかと思い、苦しくなる息をごまかすように咳をした。

 

「あら、ハリー風邪?」

 

 ハーマイオニーがそう聞いてきたのでハリーはそうかも、と少し笑った。

 

 



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CHAPTER6-4

 クィディッチ初戦。

 朝からまるでお祭りのような騒ぎにホグワーツ全体が包まれていた。結構魔法使いというのはこういうにぎやかな騒ぎが好きなんだな、と最近のハリーは思っている。魔法の存在を知る以前に本で読んだ魔法使いや魔女は、だいたい一人でぐつぐつと煮えたぎる大鍋をかき混ぜていたり、得体のしれない恐ろしい生物を使役していたりと、どちらかというと他者とのふれあいをあまり好んでいないように見えたけれど実際はそうではないらしい。彼らは何かというと大騒ぎをしている。魔法の存在はマグルに知られてはいけないというのに、これではうっかり知られてしまうことも起こりうるのではないか、と思う。もっともそのうっかりの結果が本に出てくる魔法使いなのかもしれないけど。

 今日の試合はグリフィンドール対スリザリン。

 練習の時とは違い、競技場は両チームのカラーである赤と緑に彩られ、せりあがった観客席にはほかの寮の生徒や先生方、さらには選手の親と思われる大人の魔法使いの姿もある。両チームの寮監であるマクゴナガルとスネイプがいるのはともかくとして、いつもおどおどとしてあまりこういう場が好きではなさそうな闇の魔術に対する防衛術のクィレル教授も来ているのには驚きだった。いつもニンニクのにおいがするターバンを巻いている彼は、休暇中に出会った吸血鬼を恐れているというもっぱらの噂だ。わざわざこんな場所に出てくるようなタイプとは思えない。

 クィレル教授はあたりをきょろきょろと見まわし、まるで本当に噂の吸血鬼がこの観客の中に紛れ込んでいるのではないかと探しているかのようだった。

 ハリーの隣ではロンがこの日のためにシェーマスたちと魔法をかけて作った応援旗を振り回している。きらきらと色の変わる魔法のかかった仕上げはハーマイオニーによる作品だ。

 寒さを感じさせないほどの熱気とはいえ、さすがに十一月の屋外は寒い。風邪気味だと思われているハリーはハーマイオニーが渡してくれた例の炎の魔法の瓶詰を抱え、口元までグリフィンドールのマフラーでぐるぐるに覆い隠している。ハーマイオニーはそれでも不足とばかりにブランケットを持ち出したが、さすがにそこまでの体調なら寒い中観戦せずに寮でゆっくり過ごすよと言って断った。

 

「ちいっとすまねぇ、つめてくれねぇか?」

 

 そう言って誰よりも大きな体のハグリッドがロンとは反対側のハリーの横にその巨体をねじ込んだ。あまりにも大きいものだから、ハリーもロンもその向こうにいるシェーマスたちも少し押しつぶされる感じになる。彼がここに座ってしまえばハリーたちの後ろにいる生徒たちは競技場が見えなくなってしまうんじゃないかと思う。

 

「あら、あなたハグリッドね!ホグワーツの森番の!!」

 

 ひょっとして彼のことも本で読んだのだろうか、ハーマイオニーが急に現れたハグリッドをきらきらとした目で見上げていた。でもそのあとに本で読んだわという言葉が続かないので、それは違うようだ。

 ハグリッドもこのホグワーツの教員だし、彼女が知っているのはおかしくないだろう。むしろ、つい最近まで知らなかったハリーのほうが周りに興味を持たなすぎるのかもしれない。事実彼だけじゃなくて、ほかの寮の一年生の顔と名前はいまだに一致していないし、おなじグリフィンドールの先輩たちだってちょっとうろ覚えな部分がある。

 ハーマイオニーはハグリッドに禁じられた森にはどんな生き物がいるのかなど質問攻めにしていた。彼女は本当に知識に対して貪欲だ。だからこそ同世代の魔法族出身の子どもたちよりも多くの事を知っているのだろうし、授業で失敗することだってない。

 そんな事をしているうちに、場内には審判を務めるマダム・フーチと両チームの選手たちが現れ競技場はより一層の歓声に包まれた。あまりの音量で座席が揺れているのではないかと思えるほどだ。

 お互いに自分の寮のコールを叫びあい、試合へのボルテージは否応なしに上がっていく。

 くるくると上空を飛び交う選手たちに向かってクアッフルとブラッジャー、そして金のスニッチが放たれれば試合の開始だ。

 最初はチェイサーがクアッフルでひたすらにゴールを狙う。どちらの選手も譲らないという気迫が伝わってくる。ただ、グリフィンドールの選手に比べてスリザリンの選手はラフプレイが目立つような気がする。いつもあいつらは卑怯な手を使うんだ、と先輩方が憎々しげに言うのが聞こえてくる。なるほど、確かスリザリンの気質は狡猾。でもハリーが見る限りあのラフプレイは狡猾というよりもただの卑怯な行為だ。

 そんなスリザリンからの妨害があるにも関わらず両チームの得点差があまり開かないところをみると、正々堂々とやればスリザリンはあまり強いチームではないのかもしれない。ようは小細工に頼らなければ勝てないのだろう。ハリーはそんなことを考えながら競技場の中を飛び回るチェイサーを目で追いかけていた。

 ふと、その時視界にしかめっ面のスネイプが入り込んだ気がした。

 彼は自分の寮の生徒たちの試合をどんな気持ちで見ているのだろう。彼自身もやはり勝つための手段は選ばなくていいと指導しているのだろうか。でもだとしたら、マクゴナガル教授あたりからこってり注意されそうな気がしなくもない。ダンブルドア校長はあまりそういうことに口を出してこないような気がするけれど、彼女はそういった生活態度とかそういうのに厳しい気がするのだ。

 もちろんこの試合はダンブルドア校長も見に来ている。普通の人ではありえないほどの長いひげと長い髪。あんな姿を街中で見つけた日には人目を引いて仕方がないだろう。とりあえずペチュニアおばさんならひぃっとヒステリックな悲鳴を上げて視界から排除しハリーとダドリーに近寄ってはいけないときつく言いつけるタイプの人だ。

 彼もスリザリンのラフプレイをただにこにこと見ているのでもうそのあたりも織り込み済みなのかもしれない。もっともその隣に座っているマクゴナガル教授はとてつもなく厳しい顔をしている。

 思わず試合そっちのけでハリーは教員席で試合を観戦している先生たちのほうを見てしまった。

 マクゴナガルは得点ごとに一喜一憂しているが、スネイプは表情一つ変えずに試合を見守っている。もうそういうお面なんじゃないかってほどに彼が何を考えているのか伝わってこない仏頂面。明らかにクィディッチを楽しんでいるとは思えないその顔にハリーは思わず苦笑いを浮かべた。楽しくないなら来なければいいのに。それでも見に来ているということは彼も少しは楽しんでいるのだろうか。

 スネイプ近くの近くに座っているクィレル教授はずっときょろきょろと周りを見回している。そんなにおどおどしなくてもここに昼間から吸血鬼が現れることなんてないだろうにまるでそれを警戒しているかのようだ。彼のほうがスネイプよりも試合を楽しんでいないかもしれない。そんなに吸血鬼が怖いなら本当にあのにんにくの臭いの充満している闇の魔術に対する防衛術の教室にこもっていたほうが安全な気もする。もっとも吸血鬼が伝承通りににんにくを苦手としていれば、だけれど。

 ふとハリーの額の傷跡にずきり、と痛みが走った。

 まるで傷跡自体が脈打つように、ついさっきつけられたばかりの生傷のようにずきずきとした痛みに思わずハリーは傷跡を押さえた。その指先に流れる血が付くことはなかったが、今にも傷跡が開いて血を流し始めるのではないかというほどに痛い。

 痛っ、と思わず声に出さずにはいられなかった。

 ハリー自身は痛みに対してどちらかというと耐性があるほうだと思っている。どんなにダドリー軍団に殴られても声を上げたこともなかったし、ちょっと痛んだものを食べておなかを壊したときだっておばさんに悟られないように我慢した。にも関わらず、傷跡がひどく痛むだけで我慢できずに声を上げ、あまつさえ視界が涙でゆがみ始めた。

 ハリーは身を屈め痛みのあまり浅くなる呼吸を何とかコントロールしながら痛みに耐える。

 隣に座っているロンは試合に夢中だったが、さすがにハリーが身じろぎしたことで彼に何か異変が起きていることを察知したらしい。ハリー、と悲鳴に近い声を上げて今にも倒れそうなハリーの体を支えた。

 ハグリッドもまたその声に慌てた様子で立ち上がった。そのせいで数人の生徒が椅子から転落したが、それもあり付近のグリフィンドールの生徒たちにはハリーの具合が悪そうだということは一気に広まった。そうでなくても入学前にホグワーツ特急の中で倒れていることはわりと全員に知られている。

 またハリー・ポッターが倒れた。そんな空気が周りに広がっていくのをハリーは感じていた。

 痛みは徐々に引いてきてはいるが、まだ眼球の奥が脈を打っているような気がする。

 今までにこの傷跡が痛んだことなど、ハリーが覚えている限り一度もなかった。

 ハリーは指でゆっくりとその稲妻の形をなぞった。本当に脈を打っているかもしれないと思った傷は熱を持つこともなくいつも通りに凸凹とした触感を伝えてくる。

 試合はまだ続いているようで、スリザリン側の観客席からは声援が聞こえてくる。ロンたちはずっと今日の試合を心待ちにしていた。ハリーは自分のせいでその楽しみに水を差してしまっているのではないかと申し訳ない気持ちになってきた。いつもバーノンおじさんやペチュニアおばさんが言っていた通り自分は周りに迷惑をかける存在なんだと悲しくなってくる。ホグワーツに来たことで少しは変わったのかもしれないと思ったけれど、そんなことはなかったと突きつけられているようだ。

 それでもロンは、あんなに楽しみにしていた試合よりもハリーのことを心配してくれていた。もう競技場の方なんて見ていなかったし、ハリーを支えてマダム・ポンフリーのところに行くか聞いてきた。

 ハリーが力なく頷けば、ハグリッドが軽々とハリーのことを持ち上げた。

 ハリーよりは大きいとはいえ、さすがにロンが運ぶには競技場と校舎は離れすぎている。ハリーのような小さな子どもなどハグリッドにとっては苦にもならないものだろう。

 ハグリッドは時折大丈夫かとハリーをのぞき込んできたが、そのたびにハリーは彼のもじゃもじゃの髭に埋もれることになった。痛みはほとんど引いていたが、気分の悪さが残ってしまっている。ハグリッドの後ろを小走りでついてくるロンたちの姿にハリーは本当に申し訳なさで消えてしまいたいと思った。彼らは試合を途中で放り出してきてくれたのだ。胸の奥がくすぐられるようにざわざわとしてハリーはハグリッドの腕の中でぎゅっと身を縮みこませた。 



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CHAPTER7-1

 クィディッチの試合から数日。

 結局のところマダム・ポンフリーにもハリーの傷跡が痛んだ理由は分からなかった。呪いで受けた傷というものは結構厄介なものらしい。試合後にマクゴナガル教授も来てくれたが彼女にもなぜ痛くなったのかは分からなかったようだ。

 ハリーの傷跡は両親が死んだあの日、名前を言ってはいけないあの人によってつけられたものだと思われる。思われる、なのはなにしろその現場を見ていただろう両親は死亡しているし、ハリー自身はまだ一歳の赤ん坊だったから覚えているわけもなく、その原因である例のあの人もまたなぜかその赤ん坊によって敗れたとされているからだ。ほかに誰かそこにいたならば詳しいこともわかるだろうが何もかも憶測でしかない。

 赤ん坊にできることなんてたかが知れているけれど、ともかく例のあの人はハリーに負けたらしい。その代償がこの額の傷跡なのだ。

 マクゴナガル教授はそんな話をしながら、もし今後も痛むようなことがあれば聖マンゴ魔法疾患障害病院でしっかりと検査したほうがいいかもしれないと言っていた。さすがに学校の医務室ではやれることは限られるからだ。それをハリーから聞いたネビルはとても悲しそうな顔をして小さな声で彼の両親がやはり闇の魔法使いの呪いを受けてずっと入院していることを教えてくれた。だからずっと彼は闇の魔法使いや例のあの人の話題になるととても怖がっていたのだ。

 そんな日の朝。

 ハリーのもとに珍しくふくろうが手紙を届けていった。

 目の前にぱさり、と落ちたそれに一瞬ハリーは固まった。何が起きたのか理解できなかったのだ。なにしろふくろう便を使ってハリーに手紙を送ってくれるような知り合いは思い当たる節がない。

 ああそういえばそろそろクリスマス休暇だからいいかげんダーズリーの家の件で先生に相談しないといけないな、などと思いながらハリーは自分宛らしいその手紙を拾い上げた。近くにいたロンやネビルたちもハリーの手紙を覗き込む。

 

「誰から?」

 

 聞いてきたのはシェーマス。最近はもう朝から水をラム酒に変える魔法を実践しようとしたりはしていない。さすがに変身術の一種だからそう簡単には使えないことが解ったらしい。あと彼が使っていた呪文は何一つあっていなかったということも分かった。

 ハリーはそのがさがさとした封筒をひっくり返してみると、見覚えのある字で「ハグリッド」と書かれているのを見つけた。

 

「ハグリッドからだ!」

 

 ぺりっと封をはがし、中からはやりがさがさとした便箋を取り出せば相変わらず誤字の多い癖の強い彼の字が並んでいる。あの大きい体で普通のサイズの便箋は使い辛いのかも知れない。とはいえ誤字が多いのはそれが原因ではないだろう。

 

「なんだって?」

 

 先日の試合以降、グリフィンドールの一年生たちはハグリッドに対して好意を持っていた。もっともフレッドとジョージは彼をからかいがいのあるおもちゃだと思っているようだが。

 ちょっとわくわくとした表情で聞いてきたのはディーンだ。

 

「なんか今日の午後、お茶をご馳走するから遊びにおいでって。」

 

 ハリーはこんな誘いを受けたことは初めてで自分の頬が熱くなるのを感じた。フィックさんとは一緒にお茶をすることはあっても誘われたわけではなく、ダーズリーの家のものたちが皆出かけてしまうから預けられていたからだし、第一あのころにはそんな友人もいなかった。よく学校の友だちの家に遊びに行くダドリーを見てはいたけれど、でも何をして遊んでいたのかは分からない。彼の性格から考えてお茶を飲んで話をしていたってわけではないだろう。

 

「あら。私も行ってもいいかしら?」

 

 ハーマイオニーが申し出る。

 どうやらハリーがハグリッドのところに行くのは決定事項らしい。さすがにハリー自身も誘いを特に理由もなく断るのは失礼になるかもしれないし、と思いながらハーマイオニーにうんと答えた。

 ちょっとだけ心臓がどきどきと高鳴る。

 結局ハーマイオニーとネビル、それにロンが一緒に行くことになった。

 

 

 ハグリッドの小屋は禁じられた森の入り口の近くにある。

 周りには鶏小屋や畑があったりと彼がここでずっと生活していることがうかがえた。だからこれは小屋ではなくハグリッドの家なのだろうが、ハリーの知っている家とは全く雰囲気が違っていて少し驚いた。ここに建物があることは知っていたけれど彼がずっと住んでいるとは思わなかったのだ。ただ、小屋っぽいとはいえさすがにあの巨体のハグリッドが住んでいるだけあってある程度の広さはあった。

 建物の中は乱雑にものが積まれ、ハグリッドの生活が垣間見えるような状態だった。ハリーではとても持ち上がりそうにない大きなやかんやシンク放りこまれた木のマグ。毛羽立った古いラグとくたびれたソファ。物という物がともかく部屋の中に詰まってさえいればいいような感じで詰め込まれた、まるでおもちゃ箱のような部屋だった。

 ハーマイオニーもネビルもハリーと同じようにきょろきょろと部屋中を見回していたが、ロンだけはあまり気にならないようだった。まあこの状態が魔法族によくありがちなことでないことだけは、ロンとネビルの態度の差である程度わかったような気がする。

 ハグリッドはハリーと一緒に来た彼らのことも暖かく迎え入れ、その大きなやかんから紅茶をいれてくれた。この寒い季節に温かい紅茶は本当にありがたいが、一緒に出された彼お手製のロックケーキは、本当に岩から作ったんじゃないかというほどにかたくてハリーたちは文字通り歯が立たなかった。そういえば誕生日ケーキも手作りだったと思うので、ハグリッドは見た目に反してとっても家庭的で料理が好きなのかもしれない。

 ハグリッドはみんなとホグワーツに慣れたか、とかネビルの両親やロンの両親の話などをしてあっという間に打ち解けてしまった。ハグリッドは一体いくつなのかわからないけれど、ずっとここで森番をしているらしい。だからネビルたちの両親の学生時代を知っている。もっとも、ハリーの父親たちのほうがエピソードには事欠かないといった感じだったけれど。

 

「聞いてると、本当に君はお父さんとあまり似ていないんだな。」

 

 ちょっと感慨深げにロンがそういい、ハーマイオニーがそんな彼の脇を肘でちょっと強めにつついた。

 

「でもぼくだって似ているかわからないよ?」

 

 ネビルが言う。

 親子だからって似ていなければいけないのかな、と思わないわけでもない。実際ダドリーとバーノンおじさんはいろいろそっくりだったし。でも、例えばロンは兄弟間でもそっくり似ているというわけでもないと思う。パーシーは監督生だけあって面倒見もいいし真面目だ。だが、フレッドとジョージが真面目にしているところなんて見たことがない。ロンだって同じ兄弟だけどパーシーほど真面目ではないし、フレッドやジョージほど突き抜けてもいない。兄弟ですら差が出るのだから、親子が似ている必要なんてないような気もする。

 

「そういえばなんでハリーの傷跡が痛んだりしたのかしら。」

 

 ハーマイオニーはそう言って明らかに話題を変えようとしていた。彼女はネビルやハリーの前で家族の話をするのは不謹慎だと考えているようだ。ハリーはあまり気にしていないけれど、ネビルが傷つくのであればあまり話題にしないほうがいいのかもしれない。ただあまり気をつかわれてもあまりいい気はしない。

 

「ぼくも気になっていたんだ。ねえ、ハリー。あの時なにか変わったことはなかったのかい?」

 

 ロンはそんなハーマイオニーの心の内を察したのかどうかは分からないが、ともかく話題はハリーの傷跡のことに変わった。

 正直家族の話よりも傷の話のほうがハリーにとってはあまり触れてほしくない話題ではある。これがあるせいで誰からも自分がハリー・ポッターだと分かってしまうし、そのせいで注目されることもある。ホグワーツではもうそういうことはなくなったが最初の数週間は陰から見られている気配を感じていた。

 

「特に…ただぼくは試合と周りを見ていただけだったから…」

 

 とはいえここでこの話題は嫌だと申告したとして、もっと微妙な空気になるのは目に見えている。だからハリーはそのままその話題に付き合うことにした。

 

「周りって?」

 

 試合以外を見ていたことをロンは驚いたのかもしれない。でもハリーにとっては何もかもが新鮮な場所だったのだ。

 

「観客席の先生とか。ほら、スネイプ教授とかクィレル教授ってああいう場所にくるのなんか似合わない気がしたから。」

 

「そういえばそうね。」

 

 スネイプはまだ自分の寮の試合だったから見ていてもおかしくないと思うけれど、大勢人のいる場所に出てくるようなタイプには見えないしクィレル教授だっていつもの授業風景を考えればクィディッチに興味を持つような雰囲気ではない。ハーマイオニーは考えをまとめるようにそう口にした。

 

「ひょっとしてさ、スネイプのやつがハリーに何かしたのかも!」

 

 なんでそうなるのかわからないけれど、ロンはそう言った。

 ネビルがひぃっと悲鳴を上げる。彼は呪いとかそういうものを怖がっているから仕方のないことかもしれない。

 ハグリッドがロンをホグワーツの先生がそんなことをするはずがないとたしなめたがロンには自信があるようだった。ロンは彼がいつも授業の時にハリーのことをとても鋭い目で見ていることと、厳しく当たることを挙げてきっとハリーを苦しめようとしていると言った。

 

「でも先生がそんなことするかなぁ?」

 

 ネビルはロンの意見には同意できていないようだ。スネイプ教授の授業だけで言えばハリーよりもよほど彼のほうがきびしく当たられているし減点されることだって多い。だけどそれだけでハリーにどうこうするとは思えないのはハリーも同じだ。第一、何かしたいなら夏の間にできただろう。

 

「ネビルの言うとおりだ。スネイプ教授はダンブルドアが信頼してらっしゃる先生の一人だしそんなことをするはずがねえ。」

 

「でもハグリッド。スネイプはあの犬に近づいたんだ。」

 

 何が隠されているにせよ、スネイプはそれを狙っているに違いないとロンは息を荒くした。

 ハリーがふと思いついていた飼育係説は彼の中では生まれなかったらしい。自分でも流石にないな、とおもっていたけれどだからといって彼が何かを奪おうとしていたとしてその証拠だってない。自分たちと同じようにうっかり犬の機嫌を損ねただけかもしれない。なにもかも可能性にすぎないけれど。

 

「なんでフラッフィーのことを知っちょる。」

 

「フラッフィー?」

 

 あの犬の名前だ、とハグリッドは答えた。自分の飼っている犬でダンブルドア校長に貸しているらしい。ダンブルドアとハグリッドの言うことしか聞かない賢い番犬だと言っていたが、ハリーたちは確かに不用意に近付いたけれど危うく死ぬんじゃないかという目に遭った。犬よりも鍵をどうにかしたほうがいいと思う。

 

 

「ねえハグリッド。いまホグワーツには何かが隠されているの?」

 

 ネビルの疑問はもっともだ。ロンの仮説にしても、あのフラッフィーが何かを守っているという仮定に基づいている。大前提が固まっていない以上疑いようがない。

 

「あれはダンブルドア校長とニコラス・フラメルのっとああいけねぇ。これ以上は何も聞かんでくれ。しゃべっちまう!!」

 

 どうやら秘密事項らしい。

 ハグリッドは聞いたハリーたちがいけないんだと言わんばかりに大きく頭を左右に振って耳を塞いだ。

 先ほどはダンブルドア校長に信頼されていることを誇らしげに話していた彼だが、どうやら秘密を守ることは得意ではないのだろう。これ以上ハリーたちがここにいてはうっかり話してしまいそうだと嘆きながら、ハグリッドは彼らに寮に帰るように促した。



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CHAPTER7-2

 ニコラス・フラメル。

 ハグリッドが不意に口にしたその人物があの犬が隠している何かに関わっているらしい。ロンたちは寮に帰るとすぐさまその話をディーンたちにも伝え、彼らは「ニコラス・フラメルの謎」を明かすことに夢中になった。

 ハリーの傷が痛んだことに関してはスネイプ犯人説がまことしやかに囁かれているが、ハリーはそうではないと思いたかった。ハーマイオニーも、そうだと決めつけているロンたちを先生という立場の人物がそんなことをするはずがないと窘めているが、ロンはスリザリンである以上信頼できないと言い返していた。こちら側の謎に関しては彼らの興味をさほどひかなかったらしく、あっという間に忘れ去られた。それでも時折、ハリーは傷跡がずきりと痛むような気がしていた。それは気のせいなのかもしれないけれど、本当に一瞬刺すように痛いときがあるのだ。クィディッチの時のようにひどく痛いわけでもないので、まあ折を見てマクゴナガル教授にでも相談したほうがいいかなと思っている。

 ニコラス・フラメル探しに特に熱を上げているのはハーマイオニーだ。図書館にある魔法史や偉大な魔法使いの載っている本を制覇してしまうんではないかという勢いで読みふけっている。ただその割に成果はあげられていないようだ。

 ロンたちもそんな彼女に引きずられるように空き時間さえあれば図書館へと足を運んでいた。もっともハーマイオニーは真剣だけれど、ロンたち男子生徒はどこかわくわくとした宝探しをしているかのような雰囲気だった。

 世界で一番すぐれた魔法使いと言われているダンブルドア校長が隠している物はきっととんでもない宝物に違いないというのが彼らの見解だ。そしてなぜだかわからないけれど、その宝物をスネイプが狙っているのであれば自分たちで守らなければいけないという義務感のようなものを感じているらしかった。自分たちはほかの誰も知らない秘密を知ってしまったのだから、秘密裏にそれを守るのは自分たちであり、そのことをほかの誰にも知られてはいけない。特に先生方大人の耳に入れば危険だと止められるだけでなく、秘密を知ってしまったことで怒られるかもしれないし、宝物を狙っているスネイプに自分たちがしようとしていることがばれてしまうかもしれない。そんな思いがあるようだ。

 一方でハリーはそんな彼らをちょっと離れた位置で見ていた。

 何が隠されているのかなんてことには興味はなかったし、本当に誰かがそれを狙っていたとして自分たちが何かしたところで守れるとは思えなかったからだ。第一それがスネイプだとして、自分たち一年生にすらその企みが露見しているのであれば当然ダンブルドア校長にだってばれていることだろう。それを放っておいているのだから何かかんがえがあるだろうし、そんなことは大人に任せておけばいい。関わらないほうが身のためだ。気にならないと言えば嘘になるけれど、入学の時点であの場所に近付けば死が待っているとまで校長は言っていたのだ。調べて知ったとしてどうしようというのだろう。

 とはいえ断る理由もないのでハリーも彼らと一緒になってニコラス・フラメルについて調べていた。まあ、ページをぱらぱらとめくっているロンやシェーマスの本を一緒に覗き込んでいるだけだけれど。

 いろいろ探してはみたけれど、結局ニコラス・フラメルを見つけることができないままクリスマス休暇になり、グリフィンドール寮にはハリーとロンたちウィーズリー家の兄弟だけが残された。なんでもロンの両親と一つ下の妹は、ルーマニアでドラゴンの研究をしている上から二番目の兄のところに遊びに行ってしまうらしい。ロンが言うには彼の家にはあまりお金がなく、その上兄弟が多いので家族全員分の旅費なんてとてもじゃないけれど用意できないというのだ。

 クリスマス休暇に残る希望を出しながらこの広い学校の中で自分だけが残るなんてことになってしまったらどうしようかと考えていたハリーにとっては、ロンたちが残ることはうれしいことだった。もっともロンはルーマニアに行けないことを残念がっていたのでそんなことは言えないけれど。フレッドとジョージは厳しいらしい母親の目がないからあたらしい悪戯グッズの開発をするんだと意気込んでいたし、もうすぐふくろう試験があるというパーシーは勉強が忙しいので学校に残れることを喜んでいるようだった。家族が多い自宅では勉強に集中できないと嘆いていた彼の気持ちもわからないではない。ハリーだって仮にダドリー家に帰ることができたとして、そうなれば自分の勉強なんてしている時間はほとんどなくなってしまうだろう。

 ともかく残されたハリーたちだったが、ハーマイオニーから彼女がホグワーツ特急に乗る前にさらに調べておくように厳しく言われたことは取り合えず隅に追いやって、普段は上級生が使用している談話室の暖炉の前で魔法使いのチェスをすることに夢中になっていた。彼女の言いつけをわすれたというわけではなく、ただ単にもう調べる場所が禁書の棚くらいしか残っていないので、どうやってそこから本を持ち出せばいいのかハリーたちには思い浮かばなかったのだ。禁書の棚の本を読むには先生の誰かのサインの入った許可証が必要になるが、先生方に詳しい事情を説明せずにそれがもらえるとも思えなかったし、ましてや素直にニコラス・フラメルの事を話すのはなんとなくいけないのではないかという気がして、結局のところ後回しにしている状態なのだ。あまりそれを考えていても気がめいるだけなので、ハリーは極力ロンとのチェスに集中することにした。

 もっとも、集中していてもなかなかロンに勝つことはできなかった。これはハリーが今までチェスをやったことがないということを抜いたとしても彼が強過ぎるからだ。これはハリー自身が感じたことというよりは、彼らがチェスをしているときにフレッドとジョージがロンがとても強いことを教えてくれたのだ。魔法使いのチェスは命じれば駒が自分で動いてくれるくらいで、ルール的な部分に普通のものとの違いはないらしい。そんなとても強いロンなら、ハリーが相手ではきっと物足りなさを感じているだろうと思う。

 

 そしてクリスマスの朝がやって来た。

 夜のうちに降った雪は真白くホグワーツ全体を覆い、石造りの壁からはそんな外の寒さが伝わってくるようだった。

 ハリーはカーテンの向こうでまだロンが眠っている気配を感じて、なるべく音をたてないようにベットから抜け出すと既に暖炉が煌々とついている談話室へと階段を駆け下りた。パジャマを着たままではあったけれど、今寮の中にはハリーとロンたち兄弟しかいないのでそれをとがめる人もいない。

 談話室にはいつの間に飾られていたのか立派なクリスマスツリーがあり、その下にはおそらくロンたち兄弟へのものだろうプレゼントがたくさん置かれていた。

 そういえば毎年ダドリーもたくさんのプレゼントをもらってはすぐに壊していたっけ。そんなことを考えながら、ハリーはそんなプレゼントの山をちらりと見やると暖炉の前のソファーに身を沈める。

 しばらくすれば、やはり寝起きのパーシーがパジャマの上からローブだけを羽織って降りてきて、メリークリスマスと挨拶をすると、手慣れた様子でプレゼントの山を選別し始めた。

 

「ハリー、おいで。君の分も届いているようだ」

 

 パーシーはソファーで身を丸くして、ぱちぱちとはぜる暖炉の炎を見ていたハリーを呼び寄せた。

 自分にプレゼントがあるなんて!

 ハリーはとても驚いた。今までプレゼントをもらったことなんてなかった。クリスマスは自分にはあまり縁のない、いやちょっと気合の入った料理を作るだけのイベントだと思っていた。しかし誰からなのだろう。ハリーは転げるようにして手招きしているパーシーのもとに駆け寄った。

 

「これはうちの母さんからだ。君も寮に残るとロンが話していたからね。あとは、うん。こっちに君の分を取り分けておくからゆっくりと見ればいいよ」

 

 パーシーがそう言いながら渡してくれた包みを開ければ、「H」と大きく編み込まれている手編みのセーターが出てきた。彼が言うには毎年彼ら兄弟への彼らの母親からのプレゼントはこういったイニシャルの入っている手編みのものらしい。パーシーは少し照れくさそうにしながら自分の「P」が入っているセーターも見せてくれた。

 ハリーはそれを見て自分がそんな特別なものをもらってしまってもいいのか少し不安になった。だって、このセーターは彼ら兄弟のものなのに全く関係ないハリーが直接会ったこともない彼らのお母さんから貰うなんてなんかおこがましいような気がするのだ。

 そんなハリーの様子に気が付いたのか、パーシーはあまり気にしなくていいよと言ってくれた。

 

「母さんはこういうの作るのが好きなんだ。それに、たぶんロンが君のことを手紙に書いていたんだろうね」

 

 一体何が書かれていたのかは気になるところだが、ハリーはパーシーの言う通りあまり気にしないことにした。

 彼らががさがさとプレゼントを開封し始めるとロンとフレッド、ジョージも談話室へとやってきた。彼らはハリーが自分たちの母親製だとわかる手編みのセーターを持っているのを見て顔を見合わせ、フレッドとジョージはハリーは自分たちの弟になったらしいと楽しそうに騒ぎ出した。

 ハリーのところに届いていたプレゼントはネビルたちグリフィンドールの同級生からがほとんどだった。本に関するものだったり、ちょっとした魔法グッズだったりと様々だ。しかしハリーが目を見開いたのは薄っぺらい封筒に入ったペチュニアおばさんからの手紙だった。

 いったいどうやってここまで届けたのだろう。いやそれよりも何が書かれているのだろう。

 ハリーはびくびくしながらきっちりと閉じられた封を開け、折りたたまれた便箋を取り出した。そこに書かれていたのは次の夏休みにはダーズリー家に帰らなければならないということと、スネイプについて行ってしまったことについてはもう怒っていないということだった。もう、ということは怒っていたんだろうなぁとハリーは思わず視線を遠くに向けた。ペチュニアおばさんはともかく、話を聞いたバーノンおじさんはきっと相当怒っていたに違いないだろう。

 封筒には便箋だけでなく貰いものらしいボールペンが一本同封されていた。ひょっとするとクリスマスプレゼントのつもりかもしれない。とはいえ、ハリーが知る限り初めてのペチュニアおばさんからのプレゼントだ。ハリーは手紙以上に驚いた。

 そのほかに届いていたのはハグリッドからの手作りのオカリナとスネイプからの魔法薬学の参考書だ。まさかこの二人からも届くとは思ってもみなかったが、それでもペチュニアおばさんからのプレゼントのインパクトに比べてしまえばそこまで驚くようなものではない。むしろハリー以上にロンがスネイプからの贈り物に驚いていた。

 呪われているかもしれない、参考書とか陰湿だ。ロンはそういって騒いだが、フレッドもジョージももちろんパーシーも笑い飛ばしただけだった。まあ、参考書が陰湿ということに関しては双子は同意していたようだが。それは送り主がスネイプでなかったとしてもあの二人は陰湿だというだろう。

 そしてもう一つ、送り主の名前の書かれていない包みがハリーの前に残されていた。



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CHAPTER7-3

 最後に残された包みには送り主の名前が書かれていなかった。中になにかあるかもしれないと思い、ハリーは恐る恐る包みを開けてみた。

 出てきた銀ねず色の液体のようなものがするすると床に折り重なり、その上にはらりとメッセージカードが一枚落ちた。

『君のお父さんが亡くなる前に私にこれを預けた。

 君に返すときが来たようだ。

 上手に使いなさい。

 メリークリスマス』

 ハリーにはカードを拾い上げて読んでみた。見覚えのない風変わりな細い字でそう書かれているが、やはり名前は書いてない。ロンたちもハリーと同じようにそのメッセージカードを覗き込み、そして床の上で丸まっているよくわからない布の塊と交互に見やった。古びた、まるで近所のフィッグおばさんの家のソファにかけられたカバーのようにも見えるそれはお世辞にも魅力的なものには感じられなかった。

 送り先の分からないそれは、ハリーにとってはとても気味の悪いもののように思えた。

 せめて誰からのものなのか分かればここまで胸がざわつくこともなかっただろう。

 ハリーは不審に思いながらも、その床の上のそれを恐る恐る拾い上げ、ゆっくりと広げてみることにした。人ひとりすっぽりと包んでしまえそうな大きな布だ。裏表を確認してみても送り主の手掛かりになりそうなものも、持ち主の名前が刺繍されていることもないようだった。これでは本当に父親の持ち物であるかどうかも分からない。

 なんども開いてみてはひっくり返し、隅から隅まで見てみてもそれが何なのかは全く見当もつきそうにない。「上手に使う」ようなものなのだから、ただの布ということもないだろう。まあ、とはいえ布なので用途としては敷いてみるとか包んでみるとかその程度のものなんだろうけれど。

 

「ハリー。たぶんだけれど、僕の考えが正しければそれはとても貴重なものだよ」

 

 そう言ったパーシーの声は少し震えていたかもしれない。

 

「パーシー知っているの?」

 

 ハリーは期待を込めた目でぱっとパーシーを見上げた。

 

「いや知っているわけではないんだ。けど、《それ》が出てくる文献は見たことがあるし噂にも聞いている。もっとも《それ》ならば実物を見るのは初めてなんだ」

「《それ》ってなんなのさ」

 

 はっきりと言わないパーシーにロンが聞いた。

 

「《透明マント》だ。昔話にも出てくるし、そういうものがあるっていうのは聞いたことはあるだろう?まあ、とっても貴重なものだし高価なものだから残念だけどうちが買えるようなものではないけれどね」

 

 ハリーの知っている昔話にはそんなものが出てきたことはなかったので、魔法族のみに伝わっている物語なのだろうか。もっとも、ロンたちは逆にハリーやハーマイオニーが知っているようなおとぎ話をしらなかったりするので、そういう交流は昔からなかったのかもしれない。

 

「昔話に出てくる《透明マント》なんていうのはおとぎ話だろうけど、でもそう呼ばれている物があるのは本当だよ。もっとも大体が数年もすれば効果が落ちて《半透明マント》になってしまうらしい」

 

 パーシーは自分の兄弟たちに向かって説明を続けていた。

《透明マント》と呼ばれるものは複数あるし、その材料も様々だ。ただどれも永続性がないという部分は共通している。だからパーシーが言うには、もし本当にハリーの父親のものであれば少なくとも十一年間はその効果を保っている質の高い物になるという。もちろんそれだけ高価であることは言うまでもない。

 ハリーはふと夏にグリンゴッツで見た両親が残してくれたという遺産の詰め込まれた金庫を思い出した。うず高く積み上げられた金貨の山は今でもはっきりと覚えている。まさか自分にそこまでの財産があるなんて思いもしていなかったし、一方でこれはダーズリー家には知られてはいけないような気がした。まあ、いつもの彼らであれば「魔法使い」なんていう「まとも」ではない者たちの遺した資産なんて嫌がるに違いないが、でもそれが金であれば話は別だと思う。

 ロンたち兄弟はその《透明マント》の効果をハリーが試しているのを心待ちにしているようだった。あのパーシーですらも期待の満ちた視線を送ってくる。ロンなんで身を乗り出してしまっているし。

 でも、ハリーはどうしてもそれを試してみる気持ちにはなれないでいた。

 

「本当に、これは父さんの持ち物だったのかな?」

 

 ハリーは思わずぽつりと呟いた。

 疑いたいわけではないけれど、確証がない以上どうしようもない。なにしろあの真面目を地でいくようなパーシーですら目を輝かせて見つめてしまうほどの魔法の品物である。普通なら喜んで試してみるものなのかもしれない。でももし、メッセージカードに書かれていたことは全くの嘘でハリーをどうにかしたいと思っている何者かによって送り付けられた呪いの品だったら。

 実際のところハリーにはその自覚はないけれど、決して誰からも恨まれていない英雄というわけではないだろう。例のあの人には信奉者が大勢いたようだし、彼らにしてみればハリーは宿敵になるだろう。例のあの人は消滅したともいわれているが、本によってはそれだっていろいろでただ弱体化していて姿をくらませたに過ぎないというものもあった。

 いずれにしても彼ら闇の魔法使い、通称「死喰い人」たちにしてみればハリーが存在しているだけで許せないなんて思っているものもいないとも限らないだろう。

 ハリーの小さなつぶやきにロンたちウィーズリー家の兄弟たちはどこか居心地悪げに顔を見合わせていた。

 

「ハリー、いいかい。確かに君は両親を失ってしまっている。だけど、彼らが残してくれたものだってたくさんある。そうだろう?」

 

 びっくりするほどやさしい声でパーシーがしっかりをハリーの目を見つめながら語りかけてきた。

 なんでこんなにも彼は優しい目でハリーのことを見ているのだろう。こんな表情で見つめられたことなんて本当に記憶にないし、心の奥がくすぐったくなってくる。

 周りを見回せば、ロンは所在なさげに上目遣いに視線をさまよわせているし、双子はハリーを見ながらいつものいたずらを考えているようなにやにや笑いではない、どちらかというと今パーシーが浮かべているものに近い優しい笑みを浮かべている。

 そんな優しい顔で見られるようなことを自分は言ったのだろうか、とハリーはパーシーの言葉に力なく頷きながら思い返した。父親の持ち物かどうか分からないといっただけだったようにおもうけれど、なんでそんな両親との思い出を大切にしようみたいなことを言われているんだろう。

 ひょっとしてパーシーたちは先ほどのハリーの言葉を父親の記憶がないことを寂しがってのものと捉えたのかもしれない。

 

「いや、えっと…もしこれが父さんの持ち物じゃなかったら危ない気がして…うまく言えないんだけど」

 

 ハリーはもごもごと小さい声ではあったが、なんとかそうではないと彼らに伝えようとした。そんな彼の気持ちが通じたのか、ふとパーシーが真剣な表情に変わった。

 

「確かにそうだな。差出人も書いていないし、まして《透明マント》なんていう貴重なものを簡単に人に貸すようなものでもないだろう。それを今になって、まあ今までハリーの居場所が分からなかったっていうのもあるけれど、だとしてももっと早く返すことはできたはずだ」

「クリスマスの贈り物なんていう洒落たものかもしれないぜ?」

 

 パーシーはハリーが考えていることに思い当たったようだ。そんなパーシーの言葉に茶化すような口調でフレッドが一応の反論をしたが、彼が本当にそう思っているわけではないことは容易にわかった。

 

「でもフレッド、借りたものを返すのは贈り物なんかじゃないんじゃないかな」

 

 この差出人不明の《透明マント》だけが「借りていたものを返す」なんていうメッセージが添えられていたのは、そう言ったロンでなくても不自然だと思うだろう。もっともそのロンだってちょっと前までは素敵な贈り物だと思っていたわけだけれど。

 でもそれはロンがハリーほど疑い深くないからだ。彼はとても素直で何に対してもまっすぐなだけなのだ。むしろハリーが同じ年齢の子どもよりもよほど世の中を穿った見かたをしているにすぎない。以前のハリーならそういう周りとの違いはあまり分からなかったが、ロンたち同級生と交流してみた事でそういう部分にも気が付くようになった。

 

「父さんの持ち物だと書くことで油断を誘っているのかもしれない」

 

 ハリーはようやく考えていることを口にすることができた。

 その言葉にパーシーが息を飲み、ロンが短く悲鳴を上げる。

 

「それって誰かがハリーを狙っているってことかい!?」

 

 今にもハリーを狙った何者かが彼を殺しに来るのではないかとでもいうほどの悲鳴交じりのロンの声が情けなく談話室に響いた。フレッドとジョージもまた硬直した顔でハリーを見つめた。

 

「かもしれない、ってだけだけど。なんか素直にうけとれないんだよ」

 

 ハリーはなるべく明るい声を出すようにした。あまり周りに深刻にとらえられてしまっても困るし、大事になるのもあまりうれしいことではない。それにせっかくのクリスマスなのにみんなが楽しめない雰囲気になってしまっているのも申し訳なく思う。まだ朝だから、これから楽しいことでこの気分も塗り替えることができるだろうけど、だったらそれは早いほうがいい。

 

「ハグリッドはぼくの父さんのことよく知っているみたいだったし、知ってるとは思えないけれどおばさんに聞いてみてもいいかもしれないし。だから《これ》のことはおいておいて朝食を食べに行こうよ」

 

 ぼく、もうおなかがすいているんだ。とハリーが言えば、そういえばとフレッドとジョージは競争するように談話室から転がり出て行った。ロンはまだいぶかしげにあのマントを見つめているけれど、朝食の魅力には勝てないようで双子の後をついて行く。

 残ったのはパーシーとハリーだ。

 さすがにパーシーはハリーが本気でそう言っているわけではないということに気が付いているのかもしれない。マントを見やり、思案するように右手で顎をさすりながら眉間に深い皺をよせて何かぶつぶつと呟いている。彼が何を言っているのかまでは聞き取れないけれど、なにか考えを纏めているのだろう。

 

「パーシー、ぼくたちも朝食を食べに行こうよ」

 

 口ではそう言っているが本心としては、自分のことだからあまりパーシーを悩ませたくないと思っている。でもそれはうまく伝えられないし、伝えようとも思わない。

 

「そうだね。おなかがすいていてはあまり頭も働かないようだ…そうだハリー。このマントだけれどマクゴナガルに見てもらったらどうだろう。本当なら闇の魔術に対する防衛術のクィレル先生が適任なんだろうけど、彼はほら、なんかそういうの怯えてしまいそうだろう?」

 

 先生に呪いがかかっているかだけでも見てもらえればきっと気が楽になる。それでも誰からの、とか本当に父親のものなのかという疑問は残るけれどそれでも随分と楽になるのは違いない。

 やっぱりパーシーは頼りになる監督生だと思う。それに、こんな兄がいるロンをとてもうらやましく思うのだ。

 時折ロンもフレッド、ジョージも彼の事をまじめすぎると煙たがるけれど、それでも家族でもないハリーのためにこうやって考えてくれるし、いつも助けてくれる。ハーマイオニーの時もそうだったし、ホグワーツにむかう列車の中でも優しかった。きっとたくさん兄弟がいるから面倒を見るのは癖になってしまっているのかもしれないけれど、それでもハリーはいままでだってあんなに優しく接してくれた人は、覚えている限りいなかったのだ。

 

「そうだねパーシー。そうしてみるよ」

 

 ハリーはぐちゃぐちゃになってしまった《透明マント》をすこしはましに見えるようにたたみ直すと、朝食を食べに行こうといったパーシーに頷いて談話室を後にした。




私事ですが、Twitterを始めました。進捗など呟いて行こうと思いますのでよろしくお願いします。


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CHAPTER7-4

 朝食のあとハリーはパーシーとともにマクゴナガル教授のもとを訪れた。

 彼女はクリスマス休暇の最中にやってきた自分の寮の生徒と監督生の姿に少しいぶかしげな顔をしたが、それでも廊下は冷えますからといつもの変身学に使う教室の近くにある自室へと招き入れてくれた。部屋は彼女の人柄そのものを表すかのように整然と片づけられており、大きな書棚には図書館にもなさそうな古い革張りの本がずらりと並んでいた。

 

「で、どうしました?」

 

 ぱちり、と暖炉で薪のはぜる音がした。

 ハリーは自分たちをじっと見つめてくる彼女の視線にぐっと息をのみ、何をどう話し始めようかと思わず目を泳がせた。抱えている《透明マント》がまるで別物のように重く感じられる。

 

「ご相談というのは、ハリーに届いた《贈り物》のことなんです」

 

 パーシーがそう言ってハリーに透明マントを彼女に手渡すように促したので、ハリーはあわててそれをマクゴナガル教授の前にずいっと差し出した。

 はらり、とたたまれていたそれが崩れて銀ねず色が水のように床に零れ落ちていく。それをみてマクゴナガルが驚いたように目を見開いた。

 

「今朝ハリー宛てのプレゼントの中にそれがありました。でも差出人は書かれていなかったし、メッセージカードにはハリーの父親の物を返すと書かれていたんです」

 

 いつの間に拾っていたのかパーシーは一緒に届いたメッセージカードをマクゴナガルに手渡した。

 彼女は目を細めてそれを見やると、ぴくりと眉毛を動かし四角い特徴的な眼鏡を外して両目を押えたまま深く、とても深くため息をついた。

 ハリーの予想通りだったのかそれとも違うのかわからないけれど、大人の女性のあんな感じのため息には覚えがある。おばさんがこういうため息をついたときはたいていハリーに階段下に行くように命じてくる。早く―階段下に―行きなさい。そんな彼女の声が耳元をかすめた気がした。でも、先生の様子はペチュニアおばさんとはちょっと違う気がする。なんかもっとなにか苦悩しているような、あきれているようなそんな雰囲気だ。

 

「それはびっくりしたでしょうね。そうでしょうとも」

 

 ハリーたちの方を見ようともせずにマクゴナガルは苛々とした雰囲気を隠そうともせずそう言った。

 

「先生は何かご存じなんですか?」

 

 そう言ったパーシーの声は少し興奮しているようだったし、あのマクゴナガル教授の雰囲気からして呪いとかそういうものでもないようだ。それはとてもハリーを安心させたけれど、マクゴナガルはそれ以上の何かをそのメッセージから読み取ったようだった。いつもの先生ではなかなか見せない雰囲気にハリーは別の不安を覚える。

 

「いえ、あなたたちは知らなくていいことです。でもそうですね。この《透明マント》については何も心配することはありませんよ。ただの《透明マント》ですし、ジェームズ・ポッターがそれを持っていたことも事実ですよ」

 

 マクゴナガル教授は目を細めて、《透明マント》を少し懐かしそうに見つめた。でも顔は悲しげにも見えた。これは詳しいことは聞かないほうがいいのかもしれない。ハリーとパーシーはそんなマクゴナガルにお礼を言って寮に戻ることにした。

 

 寮に戻れば彼らを心配そうな顔でロンが迎え入れた。フレッドとジョージはすでに彼らの部屋で悪戯グッズの開発を始めた、とロンが教えてくれたのでパーシーは少し頭を抱えた。なんでも彼らに届いたプレゼントの中にはその材料があったらしい。そうでなくても毎日のように悪戯を繰り返している双子にそんな危険なプレゼントを贈ったのは誰だ、とでも言いたそうな顔だ。

 ともかく《透明マント》には心配がないことを伝えれば、ロンは分かりやすく緊張を解いてじゃあ早速試してみようよ、とハリーを暖炉の前まで連れて行った。

 パーシーはそろそろ勉強に戻らないといけないと言って自室に行ってしまう。

 クリスマスまで勉強なんてつまらない奴だ、とロンが言い捨てていたが噂に聞く限りO.W.L試験はとてもとても難しいものなうえに、ホグワーツ卒業後の進路まで影響するというのだから、彼がそうやって大半の時間を勉強に費やしているのもわからないではない。今はこうやって笑っていられるけれど、パーシーと同じ五年になればロンだってもちろんハリーだって笑っていられなくなるだろう。もっとも将来何になりたいのかなんてまだわからないけれど、だからと言って手を抜いていいものではない。

 

「でも結局誰が送って来たのかはわからなかったんだね」

 

「うん。マクゴナガル先生は知っていそうだったけどね」

 

 安全は約束されたようなものだけど、あまり着けてみようという気分になれない《透明マント》はロンの手元にある。自分の家では買うことができない高級品だと言われているせいか、ロンもおっかなびっくり触っているようだ。その手触りを確認し自分の腕をくるんでみたりしているが、ちょっと包んだくらいでは透明になるわけではないらしく、ただの布を巻き付けた腕になっている。ロンはそんな高級品をハリーがあまり喜んでいないことを不思議がっていたが、ハリーが父親のことを覚えてないことでまだ落ち込んでいるのかもしれないと励ますようにその《透明マント》をソファーの背にかけるとチェスをしようといそいそとハリーがプレゼントした新しい魔法使いのチェスセットを用意し始めた。

 

 たっぷりとソースのかかったクランベリーパイや、表面はカリカリと中はジューシーに焼き上げられたターキーの丸焼き。天井まで届きそうな大きなクリスマスツリーは、ハグリッドが禁じられた森から運んできた樅の木で、飾り付けたのはフリットウィック教授の呪文によるもの。外が見えるように魔法がかけられている大広間の天井からは雪がひらひひらりと舞い落ちるように見えているが、建物の中はとても暖かくて冬だということも忘れてしまいそうになる。魔法の世界のクリスマスはまるで夢のようだ、とハリーは思った。もちろん、プリベット通りのクリスマスだって悪いものではなかった。少なくともダーズリー一家にとっては。それでもクリスマスはほとんど一人であの階段下の物置で過ごしていたハリーにとってはこんな豪勢な料理が自分で作ったわけでもないのに食べることができることも、みんなで食卓を囲むことができることもとても嬉しかった。

 ふわふわとした気分になりながら寮にもどり、暖かい暖炉の前でロンたち兄弟と他愛もない会話をしながらクリスマスを過ごす。おばさんからボールペンとはいえプレゼントをもらったことだって初めてだ。

 ハリーはたぶん今日が今までのなかで一番幸せな日だったんだと思い起こしながら、ロンたちの話に時折相槌を打ちながら思い返していた。

 

「なあハリー、ところであの《マント》はどうするつもりなんだい?」

 

 言い出したのはフレッドだ。

 自分たち以外に誰もいないので例のマントは今もこの談話室のソファーの背にかけっぱなしだ。

 

「どうって……」

 

 どうやら本当に父親の持ち物だったそれだけれど、ハリーにはいまいち使うシチュエーションが思い浮かばない。わざわざ透明にならなければいけないことなんてそうそうない筈だ。まあ、おばさんがヒステリーを起こしているときなんかには役に立つかもしれないけれど。ホグワーツではそんな機会はまずありえない。

 

「おいおいせっかくの楽しい透明になるチャンスだってのにハリーはなーんにもおもいつかないのかい?」

 

 畳み掛けるようにジョージが言った。

 楽しいチャンスだと言われても思いつかないものはどうしようもない。ハリーは思いっきり困った顔で彼ら双子を交互に見た。ロンだってハリーと同じようで透明になって何をすればいいか思いついていないようだ。

 

「ロニー坊や、お前は一体今まで兄たちの何を見てきたんだ?」

「なんで悪戯の一つも思いつかないんだ」

 

 二人は落胆したように彼らの弟とハリーの顔を見ると大げさに嘆くようなジェスチャーをしてみせた。

 しかし「上手に使いなさい」と書かれていたメッセージは悪戯をすることを意図したものなのだろうか。さすがにそうではない気もするけれど、透明になってやれることなんていくら考えてもいいことではないようにハリーには思えた。

 いることを気づかれずにしなければいけないこと。

 どう考えたって《悪い事》でしかない気がする。

 

「だったらハリー僕らに貸してみないか?」

「きっと楽しい使い道を教えてあげられるはずさ」

 

 ホグワーツでも有名な問題児のウィーズリーの双子の手にかかればいくつでもその使い道が思いつくのだろう。いつもだって思いもよらない悪戯をしてくるし、学校中で騒ぎを起こしている。

 こんな彼らを諌めるはずのパーシーはすでに自室で試験勉強をしているため談話室にはいなかった。

 ハリーは少し悩みつつも、正直なところ使い道もよくわからないしとてつもなく高価だと言われている物をそのまま適当に出しておくこともできないし、ベッドの下の鞄の奥底に大事にしまうくらいしかできないと考えていたので、二人の提案に乗ることにした。

 ハリーが置きっぱなしだったその《透明マント》を二人に渡すとロンが驚いて目を見開いた。

 

「いいのかいハリー。それ、とっても大切なものなんだろ?」

 

 ハリーはそう言ったロンに笑って頷いて見せた。

 確かに価値としては大切にしたほうがいい物だろうし、父親が遺してくれたものであるならば貸すべきではないのかもしれない。だけど、ハリーにとっての父親、ジェームズ・ポッターは記憶にない人物で、父親と言われてもピンとこない。

 

「いいんだ。だって、きっと二人なら『上手に』使ってくれる」

 

 そうだろう?と差し出された《透明マント》を前に固まってしまっているフレッドとジョージを見つめた。言い出しては見たもののそんな簡単に貸してくれるとは思わなかったのだろう。少し虚を突かれたような顔をして、二人はそんなハリーを見つめ返した。

 

「あたりまえさ。きっとハリーが驚くような使い道を見つけてやるよ」

「そうだな。さしあたり深夜の散歩にはいい相棒になるだろうね」

 

 二人はさっとそれを受け取ると交互にそう言いながらハリーにぱちりとウィンクをして見せた。

 彼らは絶対によからぬことを考えているだろうけれど、このまま鞄の奥底に押し込んだままになってしまうよりはいいだろう。だって送り主、というか返してくれた人はハリーがそれをうまく使うことを望んでいるのだから。ハリー自身でなくても、うまく使えるだろう人に貸すのであればまあ間違っていないだろう。

 

 そしてその翌朝、二人はこっそりと不思議な鏡の事を教えてくれた。

 早速に透明マントをまとった二人は城のなかの夜の散歩と決め込んだらしい。まさに有言実行。もっとも夜しか入れない場所というのはそうそうないので、ちょっとしたスリルを味わったというところだろうか。冒険譚を交えながら教えてくれた彼らからは本当に楽しかっただろうことが伝わってきた。

 その鏡は今は使われていない教室にひっそりと置かれているらしい。彼らが言うには、少なくとも記憶にある限りそこにはそんなものは置いてなかった。つまり最近になって置かれたものだということだ。

 かなり大きい姿見で、鏡面の周りの縁どりには不思議な言葉が掘り込まれている。いざ姿を映してみればそこには。

 

「まあそこから先は見てのお楽しみだな」

 

 ジョージはにやにやと笑いながらそう言った。

 また借りると思うけど、と言いながら彼らはハリーに《透明マント》を返してくれた。

 ロンがいないときに言ってきたところを見ると、彼らはその鏡の事を弟には教える気はないようだった。

 鏡を見に行くなら別に夜でなくてもいいようだが、まるで隠されているかのように置かれているので堂々と近づけば何か言われることもあるだろう。フレッドがそういうとジョージもそれに頷いてみせた。

 

「その問題を解決するのが《透明マント》というわけさ」

 

 さあどうする?とハリーを覗き込んでくる双子にハリーは考えておくよ、とだけ答えた。

 



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CHAPTER8-1

 ハリーは翌日の昼間、フレッドとジョージの言っていた鏡を探してみることにした。二人は細かく場所まで教えてくれたし、夜でなければ校内をどれだけ歩こうとも基本的には咎められることはない。入ってはいけないあの廊下は別だけれど、少なくとも鏡がある場所はそうではない。休暇中は生徒の数も少ないからほかの生徒に会うこともなくその場所までたどり着くことができた。

 扉はうっすらと開いていた。

 ハリーは廊下にほかの誰もいないことを確認してから、なるべく素早くその部屋に身を滑り込ませた。

 少し埃の臭いがするその部屋は使われていない教室なのだろう。何年もあけられていないだろう窓には日に焼けた古いカーテンがかけられていて、それすらもずっと触られていないようだった。隅のほうに追いやられて積み上げられた重そうな木の机と、以前は白かっただろうが、ずっとそこにあることで薄く茶色いほこりをかぶってしまっているリネンをかけられた布張りらしい椅子。一見すればそこは物置のようにも感じられた。まあ、ともかく生徒が用事のある場所でないことは確かだろう。

 そんな部屋の中央あたりに、わざとらしいくらい目立つようにその《鏡》は置かれていた。

 凝った装飾が施されたその枠には「すつうを みぞの のろここ のたなあ くなはで おか のたなあ はしたわ」と刻まれていた。まったく意味が分からない。教科書に出てくるような呪文の文字列とも明らかに雰囲気が違っているし、だからといって何の意味もない言葉ということはないだろう。

 ハリーはきっとこれが双子の言っていた面白いものなんだろうと思った。とはいえ、見る限りはただのとっても古めかしい姿見でしかない。これだけでは一体何が面白いのか全く分からないが、あの双子が言うのだからきっと何か普通のものとは違うものがあるのだろう。

 ひょっとすると童話にあったあの鏡のように問いかけに答えてくれるのかもしれない。あれだって魔法の鏡だったし。それとも砕けた破片は心を凍りつかせてしまうようなものなのか。以前は童話の世界だけの作り話であり得ないと思えたことも、魔法界が存在することを知っている今となってはそれらも作り話だけではないのではないかと思えてくる。

 少しだけわくわくしながら、でも同じくらいの怖さを感じながらハリーは、恐る恐る鏡の中を覗き込んだ。恐ろしい何かがこちらを覗き込んでいるかもしれないし、鏡の向こうのハリーが勝手に動き出すかもしれない。そんなことを考えながら。

 しかしそこにいたのは顔をこわばらせて、こっちを覗いているハリーそのものだった。つんつんと跳ね回る茶色い毛先と神経質そうにきゅっと結ばれた薄い唇。いまいち大きさのあっていない眼鏡の奥にある緑色の瞳と目が合う。ホグワーツに来る前に比べたらいくらか血色がよくなった頬と、おさがりではない自分のローブを着ている自分自身。一体なにが面白いというのだろう。

 ひょっとして自分は何か見逃してしまったのかもしれない、とハリーは何度も何度も鏡の中を、隅から隅まで覗き込んでみた。

 それでも写っているのはハリーで、結局双子の言っていた面白いことが何なのかまったく分からないままだ。もしかすると自分は双子にかつがれたのかもしれないが、これが彼らの悪戯だというのなら意味がなさすぎるし、そんなことをするような二人ではない。せめて鏡を覗いた瞬間に、後ろでくそ爆弾が破裂するくらいはしてくるはずだ。

 あとはハリー自身が場所を間違えている可能性だ。いくらホグワーツが広いと言っても同じように鏡が置いてある部屋がいくつもあるとは思えないので、その可能性は低いだろう。いや、魔法界の事だからそれもありえるのか。ハリーはあの二人が何を言いたかったのか、そのまま鏡の前で考え込んでしまった。

 だから気が付かなかったのだ。

 誰かがうっすらと開いた扉からゆっくりと中に入り、自分の背後に立ったことなんて。

 

「それに魅入られた魔法使いは大勢おる」

 

 急に背後から聞こえてきたよく通る低い声にハリーはびくりと肩をすくませた。

 ハリーは首がふりきれてしまうのではないかというほど勢いよく振り向いて、声の主を見やった。そこにいたのはあり得ないほど長く白いひげを蓄え半月型の眼鏡をかけている老人、そうホグワーツの校長ダンブルドアだった。

 大広間で食事の時にいるのは見たことがあるが、校内で彼を見かけることは殆どない。クィディッチの試合の時には見た気がするけれど、彼自らが教壇に立つこともないのでまったくと言っていいほどハリーにとっては接点のない人物だ。

 もっとも校長ということもあり彼を尊敬している人たちは多い。特にグリフィンドール出身ということもありグリフィンドールの生徒たちからは大いに支持をうけているし、「ニコラス・フラメル探し」で読んだ偉大な魔法使いをまとめたような本には必ず載っている。例のあの人の関係だと、彼がもっとも恐れていた魔法使いとして書かれていることが多いので実際すごい人物なのだとは思う。

 だからだろうか。ハリーにとってのダンブルドア校長という人物はどこか現実離れした存在のように感じていた。

 その校長が自分に話しかけてきたのだから、ハリーはとても驚いたのだ。

 

「あの。えっと…ぼく…そのすみません。ひょっとしてここは入っちゃいけない場所だったんでしょうか…」

 

 怒られるのかもしれない。

 自分は悪い事をしているのかもしれない。

 ハリーは緊張と恐怖で高鳴る鼓動を抑えるように思わず右手でシャツの胸元をネクタイごと握りしめた。双子だってまるで隠されるようにおいてあるから透明マントの出番だと言っていたような気がする。昼間だから見咎められることもないだろうと、ハリーはマントをベッドの下の大きなトランクの底のほうに大切にしまったのだ。

 

「そういうわけではないよハリー。ところで君にはこれが何かわかったかね?」

 

 ダンブルドアは怯えるハリーにやさしく笑いかけると、ゆっくりとした口調でそう聞いてきた。

 

 「いえ、校長先生。ぼくにはこれが何なのかわかりませんでした」

 

 わからないと答えることが正解なのかは不明だが、本当に分からない以上そう答えるしかないわけだが、ハリーはこれによって彼を失望させるのではないかと考えていた。もっとも今日話したばかりなのでそうとも限らないが、スネイプ教授はおそらく最初の授業でわからないと答えたハリーに失望したのだと考えていたからだ。

 

「ほう。ではハリー。君は鏡の中に何が見えた?」

 

 この学校の先生たちはみんな質問してくるのが好きなのだろうか。

 ハリーはまたも問いかけてきた校長に対し首をひねりながら自分自身が見えた、と答えた。

 ハリーの答えを聞いたダンブルドアは半月型の眼鏡の奥ですっと目を細め、考え事でもするかのようにゆっくりとその長い髭を撫でた。

 やっぱり自分はなにか間違えているのかもしれない。そんな思いがハリーの頭の中を占めていく。きっと双子には『ふつう』ではない何かがこの鏡の中にみえたのだろう。しかしハリーにはいつもと変わらない、普通の鏡にしか見えなかった。『まともではない』なんていう言葉は言われなれてしまったし慣れているけれど、魔法界でも『まともではない』扱いを受けるのかと思うと少し気分が重くなる。きっと魔法界の『まとも』であればこの鏡になにかが写るのだろう。だからダンブルドアは何が見えたのかと聞いてきたに違いない。

 しばらくダンブルドアはハリーを見つめ、ハリーはそれに目を逸らせず見つめ返していた。どのくらいの時間そうしていたのかは分からないが、ハリーにとっては息が詰まるほど長い時間のように感じられた。

 結局ダンブルドアはそこに何が見えるべきなのかは教えてくれなかったが、この鏡をこの場所から動かすこととこれをさがしてはいけないとハリーに優しく言い含めた。

 つまり最後までハリーにはこの鏡が何なのか、校長が何を言いたかったのか全く分からないままになったのだ。まあ、世の中には知らないほうがいいことが多いこともハリーは知っている。うかつに知ってしまえば碌なことが起きないのだ。掃除の際にうっかりバーノンおじさんのへそくりを見つけてしまったときなどは本当にひどい目に遭った。ちょっとあれは思い出したくない記憶だ。

 だからハリーはそれ以上詮索するのはやめておこうと思った。ただ、どうだった?と期待に満ちた目で聞いてきた双子にはどうやって答えればいいのだろう。そんなことを考えながらハリーは自分以外の生徒のいない廊下を寮に向かって歩いていた。

 

 クリスマス休暇が終わってホグワーツはいつもの活気を取り戻した。

 家に帰っていたほかの生徒たちが一気に学校に戻ってきて、急速に日常を取り戻していく。皆が口々に休暇中の出来事を興奮気に交換し合うのをハリーは少し離れたところから見ていたい気分になる。

 家族と過ごしたディーンやシェーマスの話を聞いているロンは少し寂しげに見えた。確かに兄たちは一緒にいたけれど彼の両親はルーマニアに行っていたのだ。寂しくないわけはないだろう。いつも一人だったハリーは彼らのおかげでとても楽しかったわけだけれど、ロンにとっては初めての親がいないクリスマスだったのかもしれない。

 

「そういえばハリーに《透明マント》が届いたんだ」

 

 ロンが賑やかな談話室を気にするように見回してから、ディーンたちを集めるように固めてそう言った。

 

「なんで!?」

 

 大声を出しそうになったシェーマスを慌ててロンが視線だけで諫めた。軽く横に首を振ればシェーマスも慌ててそれ以上大声が出ないように両手で口を押さえた。ディーンはよくわかってないようだったけれど、ネビルも同じように驚いていたようだ。ディーンは自分の母親が魔女だということすら知らずに育ってきたのだから《透明マント》と言われてもピンとこないのは仕方ないと思う。実際のところ、ハリーだってその価値をよくわかっていないわけだし。

 しかしそれを聞いて一番驚いていたのハーマイオニーだ。

 いつも通りに本で読んだことがある、と最初に言ってから《透明マント》の説明をしてくれた。もっともその内容は殆どパーシーがすでにハリーに教えてくれたことだったけれど。それでもディーンにはありがたいことで、それがどういうものなのかしっかりと伝わったようだ。

 

「で、もちろんそれを使って調べてみたのよね?禁書の棚」

 

 その上でニコラス・フラメルは見つからなかったと言って。そんなことを言いたげにハーマイオニーが少し低い声でずいっとハリーに身を乗り出して言った。

 もちろん調べていません。なんてここで答えたらきっとハーマイオニーは怒るだろう。でも透明になって禁書の棚を探そうなんてまったく、これっぽっちもハリーの頭には浮かんでこなかったのだ。それはもちろんロンだって同じことで、二人はどう答えたものかとどちらからともなく顔を見合わせた。

 

 「あきれた。結局なーんにも調べてないんじゃない」

 

 「でも!禁書の棚には危険な本だって多いんだよ。見た瞬間に呪われる本があるって、チャーリー兄さんが言ってた気がするし。やっぱり危険すぎるよ」

 

 「あらあなたたち。校長が何を隠しているのか気にならないの?」

 

 ハリーはもともとそれほど気になっていないし、ロンたちにしてもそこまでして無理やりにでもその中身を突き止めたいと考えているわけではない。禁書の棚が危険だから、なんていうのはロンがこの場を何とか凌ぐために言い出した言い訳なのは彼の表情を見ればなんとなくわかる。正直にロンとハリーがこの休暇何をしていたのかなんて言った日にはきっとハーマイオニーはとてつもなく怒るのではないかと思う。だってほとんど雪合戦とチェスしかしていなかったのだ。

 それでも気にならないわけではないけど、ともごもごと彼らは呟いて今にも爆発してしまうんじゃないかというほど感情を高ぶらせ始めたハーマイオニーを上目づかいにちらりと見やった。

 ついでに言えればだけれど、ハリーは自分たちの探し方が間違っているのではないかと思い始めている。

 何しろ本の項目に「ニコラス・フラメル」がないかぱらっと見ているだけで細かい本文まではほとんど読んでいない。この前ダンブルドア校長に会って思ったのだ。調べるべきは彼のほうなのかもしれない、と。ハグリッドはこの二人の大切な何かだと言っていたように思う。ならば校長の事を調べれば何かわかるのではないだろうか。

 もっともハリーにはそれをハーマイオニーに伝える勇気なんて持ち合わせていない。いや、この場合は勇気というよりそれによって引き起こされるであろう面倒が嫌だからというほうが正しいだろう。

 ハリーがそういえば彼女は早速にでも彼らを図書館まで引きずっていき、手当り次第にダンブルドア校長について調べ始めるだろう。なにも休暇明け早々にそんなことはしたくない。

 だからハリーはぷりぷりと調べ直し計画を組みながら怒っているハーマイオニーを静かに見つめていた。




Twitterやっています。
Twitter 諒介 @enami_ryo

進捗など呟いてみたりみなかったり。


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CHAPTER8-2

 ハーマイオニーのニコラス・フラメル最初から探し直し作戦は苛烈を極めた。まあ、その原因の何割かは間違いなくクリスマス休暇中これといった調査もせず日々チェスと雪合戦に時間を費やしてしまったロンとハリーであると言えよう。ハリーもそれは理解しているのでハーマイオニーの言うままに調査についていたし、それはロンも同じだった。同じように帰省先で親に聞いてみるなどの手段を講じなかったディーンたち三人もハーマイオニーからこれでもかというくらい重い落胆のため息を喰らっていた。もちろん彼女はマグル界でもやるだけのことはやって来たらしい。もっとも親に聞いてみるとか家にある百科事典をひっくり返してみるとかだけれど。まあ当然のことだけれどそこには「ニコラス・フラメル」なんていう言葉はかけらも見つけられなかったのだ。

 ともかく授業が再開し、また山のような課題を毎日こなしながら図書館に通いニコラス・フラメルを探す日々が休暇前と同じように繰り返されている。

 実はハリーはニコラス・フラメルという言葉をどこかで聞いたのか読んだのか、ともかくなにかひっかかるものを感じていた。もっともハリーもハーマイオニーほどではないがわりと本を読んでいるほうの生徒だ。今まで借りた本に載っていなかったとは限らないし、学校が始まる以前にスネイプ教授の家で読んだ本に載っていたのかもしれない。

 

「本当、彼女も熱心だよな」

 

 

 いつものように寮の彼らの部屋で、ディーンはそう言いながらクリスマスに親からもらったという大量の蛙チョコレートの包みをばりっと開けた。ディーンは入学以降このチョコレートのおまけの魔法使いのカードを集めることに熱中している。ちなみにハリーはあまりこのチョコレートが好きではない。自分で買ったことはないが、それでもクリスマスにはプレゼントとして届いていたものもあった。もともとチョコレート自体あまり食べないほうだし、ましてとてもリアルで動きまで忠実な蛙型のチョコレートはとてもじゃないけれどおいしそうだとは思えない。そのせいか、まだそれらチョコレートはハリーのベッドのわきにあるスツールの上に置かれたままになっていた。もっともディーンにしても、ロンたちにしたってチョコレートそのものが目的というよりは、おまけのカードのほうが大事なのだ。もし仮に蛙の形をしたその動くチョコレートが逃げ出してしまったとしても彼らは必死に追いかけることもしないだろう。

 

「あー。またダンブルドアだよ」

 

 もぞもぞと動くチョコレートを押さえながらその下にあるおまけのカードを取り出してちらりと見た後、ディーンは心底残念そうにそう言った。別に校長の事が嫌いというわけではない。ただ聞いている限りダンブルドア校長の書かれたものは頻繁についてくるようで、ロンに至っては五枚くらい持っているという。ただすでに持っている物だったからディーンは少し残念そうなのだ。

 

「交換してあげたいけど、僕もダンブルドアのカードは持ってるから…ごめんね?」

 

 ネビルはそう言いながらディーンが放ったそのカードを拾い上げた。描かれている人物が動く魔法使いのカードのダンブルドアはきょろきょろと周りを見回して、悪戯っぽく笑いそのまま姿を消してしまった。同じ絵の中にずっといるわけがない、というのが魔法使いたちの間では常識らしい。初めて動く絵を見たときは驚いたものだが、さすがに校内にもそんな絵がたくさんあるしハリーも慣れてしまった。

 ネビルの手元のカードからもすでにダンブルドアの姿は消えている。そんなカードを裏返してネビルは驚いたらしい声を上げた。

 

「どうしたんだよ、ネビル」

「ニコラス・フラメル発見したんだ!」

 

 なんだって!と口々に叫ぶようにしてハリーたちはネビルの周りに集まった。

 

「ほら、ここ!」

 

 そう言ってネビルが示したのはチョコレートのおまけについてきたダンブルドアの魔法使いのカードの裏面。ダンブルドアの説明が書かれているそこには彼の業績がびっしりと書かれているが、考えてみればどのカードであれそれをみんながしっかりと読んでいるなんてことはなかった。ダンブルドアのそれにしてもそうで、たくさんカードを集めているロンですら読むのは初めてだ、といった風だった。

 確かに見れば見るほどダンブルドアという人物は傑出した魔法使いだということがわかる。多くの業績に埋もれるようにして、それは書かれていた。

 

「ニコラス・フラメルとともに《賢者の石》を作り出した…?」

 

 シェーマスがその部分を声に出して読んだ。

 

「でも《賢者の石》ってなんなんだ?」

 

「明日にでもハーマイオニーに聞いてみようよ」

 

 ハリーもだけれど、結局自分たちではニコラス・フラメルの手がかりを得ただけで、謎には殆ど迫れていない。それが悔しいのか、ディーンもロンも仕方ないけれどといった感じでハーマイオニーに頼ることにした。

 

 

「なんで忘れてたのかしら。結構前に軽い読み物で読んだんだけど」

 

 そう言ってハーマイオニーが持ってきたのは軽いとはとても思えない分厚くて古めかしい大きな本だった。もちろんロンがそれのどこが軽いんだと小さくつぶやいたけれど、それは彼女の耳には届かなかった。

 翌日ハリーたち男子生徒からニコラス・フラメルと《賢者の石》の話を聞いたハーマイオニーはすぐに図書館に行ってその本を借りてきただのだ。ハリーはなんとなくだけれど、ハーマイオニーは一度読んだことはすべて覚えているような気がしていたが、今回のことでそれは自分の思い込みだったということに気が付いた。彼女も自分と同じで、読んだことを忘れてしまうこともあるのだ。もっともそれでも覚えていることのほうが多いのだろうけれど。なんとなく親近感を覚えて思わずハリーは自分の頬が緩むのを感じていた。

 

「で結局なんなんだよ。その《賢者の石》っていうのはさ」

 

 身を乗り出してロンが言った。

 

「ええっと…ここ!そう、《賢者の石》は錬金術で作り出されるもので、永遠の命を与える《命の水》を作り出す…すごいものだわ!!」

 

 ハーマイオニーはかなり興奮しているようだった。錬金術や《賢者の石》がそれだけの説明ではどういうものかよくわからないけれど、ともかくすごいものらしいということは伝わってくる。でもなんとなく、なので彼女ほど興奮することができなくてハリーたちは少し困惑した表情を浮かべた。

 

「永遠の命ってことは、死なないってこと?」

 

 ネビルが恐る恐る鼻息の荒くなっているハーマイオニーに聞いた。

 

「そうよ。誰だって死にたくないだろうし、これを欲しいと思う人は多いんじゃないかしら」

「だったらきっとあの犬はその《賢者の石》を守ってるに違いないよ!」

 

 ロンの結論は早すぎるんじゃないか、とハリーは思う。でもディーンもシェーマスもそう思わないのかロンの言葉にしきりにうなずいている。ネビルがそういう時にちょっと遅れるのはいつもの事だ。けれど、たぶん一年生の中で一番賢くていろいろ知っているハーマイオニーがロンを肯定してしまっているので、これはハリーがいろいろ言っても水を差すだけになってしまうだろう。

 ハリーとしてはたったそれだけの手掛かりで決めつけてしまうのは危険ではないかと思うのだ。確かにニコラス・フラメルは《賢者の石》を作り出したのかもしれないけれど、それほど貴重で大切なものならばずっと近くの手元に置いておくような気もする。バーノンおじさんなんかは大切なものは寝室の金庫だったり銀行の貸金庫にしまっていたような気がする。まちがっても知り合いに預けるなんてことはしていなかっただろう。

 でもこの疑問をもうそうだと決めてしまってる彼らにぶつけてもどうにもならないんじゃないだろうか。彼らは正解なのかもしれないし、だとすればわざわざ遠回りをする必要はないだろう。

 

「《永遠の命》なら誰だって欲しがるし、ホグワーツは世界で一番安全な場所だってママも言っていた。だったらそういう大切なものを隠すにはうってつけじゃないか」

 

 というのがロンたちの言い分だ。ハリーはこの学校が世界で一番安全な場所だということを知らなかったけれど、魔法界ではそうらしい。だったら彼らのいうことももっともだろうが、安全なのにわざわざその警備を強化するようにあんな大きな危険そうな犬を置くのだから、本当に世界一安全かどうかは分からない。

 

「みんな欲しがるものならスネイプが狙うのだって当然さ」

 

 それはおかしい。とハリーは思う。狙ってるのかどうかはともかく、みんなが欲しがるのならば誰だって当てはまってしまうことになる。

 ともかくロンたちの間ではあの三頭犬にはなにか守っている物があり、それは《賢者の石》でそれを狙っているのはスネイプ教授という図式が出来上がってしまっている。いろいろ思うところはあるけれど、わざわざそれを指摘してもという気持ちがハリーの中にはある。正直なところそれら全部ハリー自身にとってはどうでもいいことだし、関係のないことだと思うからだ。

 もともと四階の廊下は生徒の立ち入りを禁じている。そこになにがあろうと生徒にはかかわりのない話だろうし、スネイプ教授が《賢者の石》を奪って永遠の命を手に入れたとしてもハリーには関係ない。もちろんロンたちにだって関係ない話のはずだ。

 

「で、どうするの?」

 

 きっとスネイプが狙っている、と盛り上がっている彼らに水を差すようで申し訳ないけれどハリーはそう言った。

 

「どうするって…守らないと!」

 

 まあロンならそう言うと思っていたし、疑問もない。

 

「あの犬がいれば大丈夫だと思うけど…」

 

 ネビルの言い分もまあそうかな、とは思う。だって頭が三つもある自分たちよりも大きな犬なんてどう対処すればいいのか分からない。

 

「でもスネイプが《賢者の石》を手に入れてしまったらどうなるんだろう」

 

 シェーマスがそう言った。

 あ、っと全員がお互いの顔を見合わせた。分かっている限り《賢者の石》は永遠の命をもたらすものだ。

 

「私もっと《賢者の石》の事を調べてみるわ。そうすればきっとわかるはずだもの」

 

 ハーマイオニーはそういうが、さすがにどんな本にもそんな理由は書いていないと思う。

 でも本当に彼らの言うとおりならマクゴナガル教授、つまり大人に伝えればいいだけの話だとハリーは思う。もっとも自分たちがたどり着いたこんな答えにはきっと彼らはとっくの昔にたどり着いていて対策だってしているはずだ。わざわざ伝えにいってもそうですか、で終わってしまうだろう。もしくは四階の廊下に立ち入ったことがばれて罰則になるかもしれない。そのほうがありそうだ。

 ハリーは《賢者の石》という謎にさらに目を輝かせ始めたロンたちをちょっと引いたところから見つめるような気分で、そんなことを考えていた。



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CHAPTER8-3

 《賢者の石》

 永遠の命を与える命の水を作り出し、いかなる金属をも金に変える。現存する唯一の石は錬金術師ニコラス・フラメル氏が所有し彼は現在ペレネレ夫人とともにデボン州で暮らしている。昨年六六五歳の誕生日を迎えた。

 その説明を読む限り《賢者の石》はとてつもなく魅力的なもののようにロンたちには思えた。

 まったく魔法界というところは不思議で満ちている。そんな非常識なものがあるなんてマグルに知れたらひょっとすると争奪のための争いが起きかねない。

 永遠の命に金。図書館で読んだ本でも出てくるような、そう、悪い人が追い求めていることが多い魅力的なもの。大体、そんなものを手に入れた末路は碌なことになっていなかった。

 永遠の命は終わりのない苦痛でしかないし、必要以上の財宝は疑心暗鬼を募らせる。

 ロンたちは《賢者の石》を手に入れたら自分ならどうするか想像を巡らせていたが、ハリーはどうもそれについてポジティブな考えを持つことができなかった。ハリーが欲しいと思うものはないし、時間が必要というほどにしたいと思うこともない。

 誰だってほしいと思う夢のような代物である《賢者の石》ではあるけれど、手に入れたところで何ができるとも思えない。だからこそ、本をちょっと調べればどこの誰が所有しているかわかるようなものなのに、いまだに簒奪事件も起きていないしフラメル夫妻にしても健在なのだ。世の中はいい人ばかりではないけれど、悪人がこぞって狙うほど魅力的なもの、というわけでもないのかもしれない。もし仮に、本当に誰もが欲しがるものならばとっくの昔に奪われていてもいいものだろう。ただし、ひょっとするとフラメル氏がものすごく強くて誰にも奪わせないような豪傑だ、という可能性もあるかもしれない。まあ、だとしたらわざわざこんな場所で守ろうともしないだろうけれど。

 ともかく、特になにか進展があるわけでもないまま数日が過ぎ、再びクィディッチのグリフィンドール戦がやってきた。

 試合が近付くにつれてみんなの意識も《賢者の石》からは離れていった。

 

 結果から言えば、グリフィンドールはあっけなく負けた。

 キャプテンのオリバーがどれほど意気込んでいようが、決め手にかけると言われているグリフィンドールチームは、端から寮内での期待も大きくないし結果としてチーム全体の士気も低い。全体的に「来年がんばろう」という空気になってしまっていたのだから、勝てる要素があったとしても逃してしまう。

 勝てないとわかっていて熱くなれるのは正直オリバーぐらいだろう。

 だから一応みんな試合を見には行ったが、寒い屋外からそそくさと寮へと我先に帰ってきてしまったのだ。もちろんハリーとて例外ではない。

 途中ネビルが「ちょっとさがしものあるんだ!」と言って森の方へと行った。

 急に何を言い出したのかとも思ったが、ネビルのことだから課題の材料の植物を採りに来た時に何かをなくしてしまったのかもしれないし、はたまた課題そのものを忘れている可能性もある。

 ネビルならありえることだし、何も不思議はない。

 ハリーたちは寮の自分たちの部屋でそれぞれに過ごしていた。

「た!大変だよ!!!」

 ともかく急いできたのだろう。ネビルは部屋に飛び込むなり大きな声でそう言った。

 ずっと走ってきたのか肩で大きく息をして、大変だばかりを繰り返している。

「一体なにがあったっていうんだい?」

 ネビルが落ち着くのを待ってロンが声をかけた。

「僕見ちゃったんだよ!やっぱりス…スネイプ先生が石を狙ってるんだ!!」

 青ざめた顔は本当に見てはいけないものを見てしまったことを物語っていた。

 ネビルが言うには、みんなと寮に向かう途中スネイプとクィレルがこそこそと森の方に向かうのが見えたらしい。

 普段だったらロンたちに声をかけたかもしれない。でも、その時はなんとなくそうしてはいけない気がしてさがしものがあるなんて言って一人で二人の後をつけたらしい。ネビルは自分にもそんな勇気があるなんて思わなかった、と興奮気味に語った。

 ともかく二人に見つからないようにネビルは後をつけ、そしてスネイプがクィレルを脅している現場を見てしまったらしい。「《賢者の石》のことを生徒に知られてはいけない」「野獣の出し抜きかた」など断片的にしか聞き取ることはできなかったけれどたしかにスネイプはクィレルを脅していた。さらにスネイプはクィレルの『まやかし』についても話していたのだという。

「多分だけど、きっといろんな人を惑わせるような魔法がいっぱいかけてあるんだよ。だってクィレル先生は闇の魔術に対する防衛術の先生なんだから、そういうのを守る呪文とかがあって、きっとス…スネイプはそれをやぶらなきゃいけないんだよ」

 ネビルの話を聞いて全員が息をのんだ。

 ハリーはそれでもその話を聞いてもスネイプが狙っているとはどうしても思えなかった。いや、正確には誰が《賢者の石》を手に入れたとしてもどうでもいいからあまり感情が揺さぶられなかったのかもしれない。

 第一、防衛術の先生だから防護呪文をかけているのはまあありえない話ではないけれど、それほどのものを教師一人に任せるとはとても思えない。いっそ魔法界最強のダンブルドアが肌身離さず持ち歩いていた方が安全な気もする。

 ひょっとしてダンブルドアは《賢者の石》を狙う何者かをおびき寄せようとしているのかもしれない。なんにせよ、学校に入ったばかりの一年生がその存在を知ってしまっているのだから、上の学年の誰も知らないなんて言うことはありえないだろう。

 特にフレッドとジョージなんかは新学期初日に知っていてもおかしくない。

「でもさ、それが本当なら《賢者の石》が安全なのは、クィレルがスネイプに対抗している間だけってことになるんじゃないのか?」

 ディーンが警告した。

「それじゃ三日ともたないな。石はすぐになくなるだろうね」

 とロンが言った。

 ネビルが悲鳴を上げて思わず泣き始めた。

 きっとネビルはその現場を目撃したことも含め限界だったのだ。

「どうしよう。おばあちゃんに知らせなきゃ」

「知らせてどうするんだよ。きっと《賢者の石》が学校にあるなんてだーれも信じちゃくれないぜ?」

 シェーマスの言う通り誰も信じてはくれないだろう。

 《賢者の石》の存在にしても命の水にしてもどこか現実味がない。

 先生たちも普通に授業をしているし、あの廊下だけが封鎖されているだけで他はなにも誰にも不自由のない学校生活が営まれているのだ。

 三日で奪われると言ったロンにしても本当にそうなるとは思っていない。こうやって話し合うことはできてもじゃあ守るとなるとどうしていいかわからない。

 こうやってワイワイ考えているのが案外楽しいのかもしれないが、ハリーはどうしてもそれをすっと受け入れることができないでいた。

 

 

 

 

 




更新止まっており申し訳ありませんでした。
再開しました。


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CHAPTER9-1

 クィレルはロンたちが思っていた以上の粘りを見せた。それから数週間が経ち、ますます青白く、ますますやつれて見えたが、どうやら口を割ってはいないらしかった。

 ロンとハーマイオニーは四階の廊下を通るたびに扉に耳をピッタリつけて、フラッフィーの唸り声がきこえるかどうか確認しているらしいし、スネイプはいつも通りに不機嫌にマントを翻して歩いていた。

 彼らはそれこそが石が無事な証拠だという。

 シェーマスたちはクィレルと会えば励ますような笑顔を向けていたし、クィレルのどもりをからかう連中をたしなめたりしていた。

 そしてハリーはそんな彼らのあとをいつもと同じようについてくだけだ。

 みんなはそれが石を守ることにつながると信じてやっているが、ハリーはあまり意味がないと思っている。

 何しろそれまではみんなクィレルのことを面白可笑しくからかっていたのだ。急に生徒がやさし気な笑みを向けてきてもなにか企んでいるんじゃないかと疑われるだけのような気もする。それもあって余計に彼らを見るとびくびくとしているのかもしれない。

 そんなことをしつつもハーマイオニーはそれにばかり興味持っているわけではなかった。試験まで十週間しかないと学習予定を組み、より熱心に勉強に打ち込み始めたのだ。

 ロンはずっと先の話だと言っているが、十週間なんてあっという間かもしれない。一年のまとめ試験なのだから範囲も一年分である以上、準備を始めた方がいいというハーマイオニーの考えは何となくわかる。今はこうして時間があってもこのあとはどうなるかわからないのだ。

 ネビルはハーマイオニーの「試験をパスしなければ進級できない」という言葉を聞いて彼女に張り付くようにして勉強を始めた。

 ロン、シェーマス、ディーンはそんな彼らの言うことを受け入れられない様子だったが、先生たちはハーマイオニーと同意見だったようで、復活祭の休みは山のような宿題に追われることになった。

 自由時間のほとんどを図書館で過ごすことになったが、一人で勉強するよりはみんなでやったほうが結局は頑張れるということで気がつけばグリフィンドールの一年生は固まって勉強会をするようになった。マクゴナガルに今年の一年生は非常にやる気があると褒めてもらえたこともあり、全員のモチベーションも上がっていた。

 その日は珍しくハリーとネビル、ハーマイオニーだけが図書館に来ていた。

 さすがに連日机に向かっていては気が滅入るし、まして外は気持ちよく晴れている。ちょっと外に行きたいというみんなの気持ちもわからないわけではない。

 ハリーはみんなには言えないけれどたぶんネビル以上に試験を恐れていた。

 ここでミスをして、満足な成績が取れずあのプリベット通りに帰らなければいけないかと思うと心臓が刺されたように痛くなるのだ。きっと叔母達はここぞとばかりに嬉々として役立たず、能無しとこれ以上ないほどの罵ってくるだろう。慣れていることとはいえ、努力で回避できるならやっておいて損はない。

 となれば外で気晴らしをしよう、という気持ちにはなれない。

 ホグワーツの試験がどのように行われるかはわからない。先輩たちにきいてもはぐらかしてくるのが伝統らしく嘘っぽい答えが返ってくるだけだ。ハーマイオニーはその一つ一つを真剣に捉えて対策を練ろうとしているが、先輩たちを見ている限りそこまでの無理難題を吹っかけてくるわけではないだろう、と予測がついた。さすがにフレッドとジョージの言った「ドラゴンの巣から卵をとってくる」というのは無理がありすぎる。

 そんなわけでハリーは教科書の復習とそれに出てくる用語の確認、を試験勉強の重点に置くことにしている。

 

「ねえハリー。ハグリッドは何をしているんだろう?」

 

 「薬草ときのこ千種」で「ハナハッカ」を探しているため下を向いたままだったハリーに、ネビルが小さな声で話しかけてきた。

 いきなりハグリッドとはどういうことだろう、と顔を上げれば何やら本棚の隅でこそこそと、見るからに妖しいことがありますと言わんばかりの動きをしているハグリッドが見えた。あの巨体ではどうあがいても目立たないことなんてできないだろうに、もじもじと何かを隠しているようだ。

 

「ハグリッド、探し物があるなら手伝うわ」

 

 ハーマイオニーが声をかけたことでハグリッドの肩が大きくはねた。

 

「いや、ちーっと見ているだけ」

 

 うわずった声は態度と相まって間違いなく何かを隠していると確証を持たせた。

 

「お前さんたちこそ何しちょる。まさか、ニコラス・フラメルを探しとるんじゃないだろうね」

「あら、そんなのとっくの昔にわかったわ。もちろん、あの犬が何を守っているかもね」

 

 ハーマイオニーが意気揚々と答える。

 

「ねえハグリッド、フラッフィー以外にあの、例のアレを守っているのは何なの?」

 

 探るようにネビルが聞けば、ハグリッドは大げさに周りを見回して彼らにぐいっと顔を近づけた。多分周りから見ればハグリッドに隠れてしまって彼らの姿は見えないだろう。

 

「シーッ!いいか――後で小屋に来てくれや。ただし、教えるなんて約束はできねぇぞ。ただここでしゃべられちゃあ困る。生徒がしっているはずはねーことなんだ。俺がしゃべったとおもわれるだろうが……」

 

 あとで行くよ、とネビルが応えればハグリッドは周りをうかがうようにしながらもぞもぞと、ハリーたちから見えないように背中に何かを隠して出ていった。

 

「ハグリッド何を隠していたのかしら」

 

 ハーマイオニーがハグリッドの姿が見えなくなるなりつぶやいた。

 

「うん。明らかになにか怪しかったよね。コソコソしてたし…ひょっとして石関係かな?」

 

 ネビルはそういうが、だとしたら石を守っているのは城の中にいると考えると恐ろしいものになる。

 そう、ハリーは知っているのだ。ハグリッドがいた棚にはなにが置かれているのか。

 できればそうでないと願いたい。だってあそこには。

 

「ドラゴンの本がある棚だよ……。ハグリッドがいたの。前見たから覚えてる」

 

 ハリーの声は震えていた。

 ドラゴン、と聞いた瞬間にネビルが小さく悲鳴を上げる。

 

「でもまさか、石をドラゴンが守っているってこと?でもドラゴンの飼育は法律違反よ。確か1709年のワーロック法で決まったのよ」

「ドラゴンを手なずけるのは無理だ、っておばあちゃんが言ってたよ。すごい凶暴なんだ」

 

 ハグリッドは変わり者だけれど法律を侵すようなことはしない、と信じたい。でもあんな三つも首のある犬を好んで飼っているような人だから、ひょっとするとこちらの考えの及びつかないことをしでかすかもしれない。

 

「一体ハグリッドは何を考えているのかしら?」

 

 ハーマイオニーのつぶやきに答えが出ることはなかった。 

 

 



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CHAPTER9-2

 一時間後、ハグリッドの小屋を訪ねると、驚いたことにカーテンが全部閉まっており、ハグリッドは三人をせかすように中に入れると素早くドアを閉めた。

 夏も近づく中、暖炉には轟々と炎が上がり息ができないほどに室内は暑かった。明らかにおかしいし、何かが起きている。

 でもハーマイオニーはまず、石についてハグリッドに尋ねた。

 ハグリッドは最初こそかたくなに教えられないと言っていたが、ハーマイオニーのおだてと心を揺さぶる話術に石を守っているのは彼だけではなく、ホグワーツの先生たちが魔法の罠を掛けていることや、その中にスネイプが入っていることなど口を滑らせた。

 ハグリッドは自分だけがフラッフィーを大人しくさせることができる、と言っていたがこんな簡単にハーマイオニーにくすぐられて、いろいろ話してしまうのではそれだって信用できるかわからない。自分たちに教えてくれたということは、誰にでも簡単に教えてしまうということだと思う。

 ハグリッドは自分はダンブルドア校長に信用されている、と自慢げに言うが、ひょっとするとそんなハグリッドの性格も込みで、やはり校長は石を狙う誰かを誘き寄せているのかもしれない。

 みんなには言えないけれど、ハリーはよりその思いを強くしていた。

 

「ところでハグリッド、その暖炉にあるソレはなになのかしら?まさかとは思うけれど……」

 

 ちらりと暖炉の中にある、大きくて黒い丸いなにかを見やりながらハーマイオニーが聞いた。

 本で見たことがある記憶と照らし合わせ、ハリーはゴクリと唾をのみ込んだ。

 

「ねえ、どこで手に入れたの?これって買えるものではないよね?」

 

「賭けに勝ってよ。昨日の晩、村まで行って酒を飲んで知らない奴とトランプをしてな。はっきり言えば、そいつは厄介払いできて喜んでおったな」

 

 うんうん、と嬉しそうにうなずくハグリッドとは対照的にハリーは背筋が一気に寒くなった。汗が滴り落ちるほど温められている室内であるにも関わらず、だ。

 

「ねえ、二人とも。これ、何なの?」

 

 ネビルはどうやらそれが何なのかわかっていないようだった。

 きょろきょろと二人を見回して、不安そうにハグリッドを見上げた。

 

「この『趣味と実益を兼ねたドラゴンの育て方』――図書館から借りてきたんだが、によれば、うん。俺のはノルウェー・リッジバックという種類だな。こいつが珍しくてよ。で、母龍が吹きかけるように卵は炎の中において、なぁ?それからっと……孵ったときにはブランデーと鶏の血を混ぜて30分ごとにバケツ一杯飲ませるんだと」

 

 ハグリッドは満足げに語ったが、ハリーは気が重くなった。

 魔法界に詳しくないハリーでもハグリッドの言っていることのおかしさはわかる。

 厄介払いできて喜んでいる知らない男はドラゴンの卵を持っていて、賭けで負けたからとハグリッドにドラゴンの卵をくれた。

 どう考えてもこれはハグリッドが騙されているとしか思えない。持て余していたのであれば、賭けなんてせずとも欲しがっている人にあげたかっただろう。でもわざわざ賭けまでしているのだから、何らかの目的があったのかもしれない。まあ、ハリーが考えすぎということもあるだろうが。

 しかし、このハグリッド一人でも小さすぎる木造の家でドラゴンの卵を孵そうとしているのだ。

 あまりにも軽率すぎてハリーはめまいすら感じた。

 正直隠し通せるものではない。ドラゴンはとても大きいし、この家の中においておけるわけがない。だからと言って外に犬のようにつないでおけるわけもないし、すぐにここにドラゴンがいることを知ることになるだろう。その時面倒なことになるのはハグリッドだ。ひょっとするとホグワーツそのものが巻き込まれるかもしれない。

 三人はいそいそと卵の面倒を見ているハグリッドに別れを告げると、一様に暗い表情で寮に戻った。

 

「ねえハリー。どうすればいいかな?」

 

 ネビルは明らかにおびえていた。

 間違いなくハリーたちは見てはいけないものを見てしまったし、知ってはいけないことを知ってしまった。石の件にしても面白半分で首を突っ込んでいいものではなかったのだ。

 どう考えてもドラゴンという危険すぎる生物を隠して飼い続けることは不可能だろう。

 となれば方法は一つしかない。

 

「先生に話すしかないんじゃないかな?」

 

 ハリーはそう答えた。

 

 

 

 



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CHAPTER9-3

 なるべく早く先生に伝えるべきだ、とわかっていてもなかなか言い出せないまま数日が過ぎた。ロンたちに話せばみんなドラゴンの卵を見たくて仕方なくなるだろうし、騒ぎが大きくなればハグリッドが法を犯して小屋でドラゴンを隠していることがばれやすくなってしまう。そう考えているからハリーたちはこのことを三人だけの秘密にしていた。

 どの先生に言えばいいのかでも彼らは答えが出せずにいた。

 一年生では魔法生物を取り扱うような授業はない。闇の魔術に対する防衛術のクィレルならひょっとすると対処法を知っているかもしれないが、例の問題があるからこれ以上負担をかけるべきではないとハーマイオニーが反対した。となるとやはり寮監であるマクゴナガルになるだろうが、こんな大問題をどう切り出していいかわからない。

 確かにハグリッドがしていることは褒められることではないし、法律に違反していている以上どちらかと言えば罰せられるべきことだろう。とはいえ、ハリーは彼が厳罰に処されることを望んでいるわけではない。できれば穏便に誰にも知られることなくこの心配事を処理してもらいたい。下手にハリーたちが知らせたことがハグリッドの耳に入れば告げ口したとして悪く思われてしまうかもしれない。ともかく揉め事の火種にならないようにすることがハリーの一番の望みだ。

 

「早く先生に言いに行かないと卵が孵ってしまうわ」

 

 教室への移動中、ハーマイオニーが言った。

 誰が聞いているかもわからないような場所で言い出した彼女に一瞬ぎょっとし、ハリーは思わずあたりを見回した。どうやら誰もこちらを気にしている様子はなかった。自分が悪いことをしているわけではないが、やはり隠している疚しさでどうしても精神が過敏になっている。いつも以上に人目が気になるし、大きな音などでもいつも以上に驚いて鼓動が早くなる。

 

「だったらこの後の授業の時がいいかもしれないよ。ちょうど変身術の授業だからマクゴナガル先生に話しかけやすいよね?」

 

 ネビルも同じ気持ちなのかいつもより声がずっと小さかった。

 

 

「で、質問というのはなんです?」

 

 山のような宿題を課されて終わった変身術の授業の直後、ハーマイオニーは質問があるといってマクゴナガルを引き留めた。普段から授業でわからないことがあれば先生に質問をしているハーマイオニーだからこそ疑われることはないし、誰からもおかしく見えないだろう。ただ、いつもと違いハーマイオニー以外にハリーとネビルがいることで他の生徒の何人かは訝しがっていたようではあるが、そんなことよりも宿題を何とかすることの方に意識を取られているようで、見ているだけで直接聞いてくるものはいなかった。

 

「実は、その、質問ではなくて…あの、相談!相談なんです」

 

 質問ではない、とハーマイオニーが言った瞬間マクゴナガル先生の眉毛がぴくんと跳ねた。

 

「嘘をついたことは謝ります。ごめんなさい」

 

 とっさにハリーはそう口走っていた。

 あれは大人の女の人が不機嫌になるサイン、のようなものだとハリーは知っている。いや、すべてがそうだといえるわけではないけれど、ペチュニアの場合はそうだったし、ハリーが長い時間接してきた大人の女性はペチュニアしかいない。

 なにか気に食わないことがあればああやって眉毛かピクンと跳ねて、さらにそれが重なるとこめかみあたりをひくつかせる。口元だって力が入って歪んでくるし、頬も力が入って固くなる。その後にやってくるのは嵐のようなヒステリーだ。でも、その前にこうやって謝ってしまえばそこまでは至らない。多少機嫌は悪くなるけれど、ハリーに加えられる危害は最小限に抑えることができる――食事抜きを数日分程度に。

 縋りつくように謝りながら見上げてくるハリーにマクゴナガルは虚を突かれたようだった。

 

「ごめんなさい」

 

 ハリーはなおも続けた。

 怒られるのではないか、という恐怖で心臓がきゅうっと痛くなるのを感じていたし、体温が一気に下がったことも分かっていた。でも同時に、きっとマクゴナガルはペチュニアとは違うこともどこかで理解していた。それでも体は震えてくるし、恐怖は内側から沸き起こってくる。

 

「いえ謝ることはありません。落ち着きなさいハリー・ポッター」

 

 マクゴナガルの声はとても優しく響いた。

 ネビルもハリーのおかしな様子を心配して手をぎゅっと握ってくれた。ハーマイオニーだけは、ハリーに何が起きているのかいまいちわかっていない様子だったが、心配はしているようだ。ハリーの方をうかがいながら、マクゴナガルに本題を切り出した。

 ハグリッドがドラゴンの卵を持っている。

 それを聞いた瞬間、マクゴナガルのひっつめられている髪の毛が逆立ったかのように見えた。

 

「なぜそんな大それたものをもっているのです!!?」

 

「ハグリッドは酒場で見知らぬ男から賭けに勝ったからもらった、と言っていました」

 

 なんて軽率な、とマクゴナガルが大きなため息とともに呟いた。一瞬遠くに目をやり、そしてもう一度ため息をつく。

 

「よく教えてくれました。言い出すには勇気のいったことでしょう。その行いに対し、あなた方3人に一人5点ずつ差し上げましょう」

 

 マクゴナガルはいつもと同じしゃべり方でそう言った。

 褒められたことでちょっとくすぐったいような居心地の悪さを感じてハリーは思わず顔をそらした。

 加点されたことは初めてではない。授業で上手にできたときなどされたことはある。でも、自分から動いたことで褒められたことは、あまり記憶にない。

 しかしそんなうれしさと同時にふっと不安が巻き起こってきた。

 もし、ハグリッドはハリーがドラゴンのことを先生に話したと知ったらどう思うだろう。ダドリーたちはそういう告げ口をした子を泣くまで追い詰めていたことを思い出す。彼らにしてみれば悪事だろうが、同じ経験を共有して隠しておけない者は裏切り者で悪なのだ。さすがに大人のハグリッドが同じことを考えるとは思えないが、あれほどドラゴンの卵を甲斐甲斐しく世話していたのが、取り上げられてしまえば落胆するに違いない。

 いや、それだけではなくひょっとするとホグワーツの森番という職だって失ってしまうかもしれない。

 ハグリッドの自業自得ではあるけれど、それを知らせたのがハリーたちだと知れば憎悪の矛先を向けてこないとも限らない。

 ドラゴンの飼育は禁止されている。

 マグル世界であれば犯罪を犯したことで社会的地位も失うことが多いが、魔法界ではどうなのか。正直ロンやほかの生徒たちを見ていればその辺はあまり変わらないように思う。

 せっかく友だちになれたのに、ハリーが告げ口をしたと知ったら彼らは離れていってしまうかもしれない。でもだからと言って黙っているわけにもいかなかったのだ。ドラゴンなんて自分たちの手に負えるわけがない。

 ハリーは先ほどまでのちょっと誇らしい気持ちがまるで嘘のように不安に飲み込まれていた。

 

「ハ…ハ、ハグリッド、は、どうなるんですか?」

 

 それだけを絞り出すことが限界だった。

 マクゴナガルを見上げる目にうっすらと涙の膜がはられるのがわかった。

 

「あらあら。泣く必要はないでしょう。幸いなことに学校にはマグル除けの魔法が掛けられていますから、魔法省に知られたとしてもそれほど大変なことにはならないと思いますよ。では、私は校長先生にこのことをつたえてきますから、皆さんは早く寮に戻りなさい。ほら、課題はたくさんあるんですよ」

 

 そういってマクゴナガルに追い立てられハリーたちは廊下に出た。

 どうやらハグリッドはそれほど酷いことにならずにすみそうで少し安心する。それでも、ハリーたちのせいできっとドラゴンは取り上げられてしまうだろうから、いい感情は持てないかもしれないし嫌われてしまうこともあるだろう。

 それを考えるとやはり気分は晴れやかにはなれない。

 

「ハリー、大丈夫?」

 

 さっきからちょっと変だよ?とネビルが顔を覗き込んできたのでハリーはいつものようにちょっと困ったように笑った。

 

「多分大丈夫」

 

 ドラゴンのことを知っているのは自分とハーマイオニーとネビルしかいない。

 自分がぺらぺらと吹聴しない限りはロンたちが知ることはない、だろう。たとえハグリッドが罰せられたとしても自分がかかわっていたといわなければいい。

 

「きっとマクゴナガル先生が何とかしてくださるわ。だからわたしたちはしなければいけないことをしましょう」

 

 ハーマイオニーは気分を入れ替えるようにグッと大きく伸びた。

 

「やらなきゃいけないことって?」

 

「あら、決まっているじゃない。課題と、試験勉強よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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CHAPTER9-4

「ミス・グレンジャー。ポッターとロングボトムをすぐに連れてきなさい。話があります」

 

 数日後朝食終わりに歩いているところ、ハーマイオニーはマクゴナガル先生に呼び止められたらしい。少し焦っている様子だったことから、ハーマイオニーは自分よりも先に朝食を食べて寮に帰ってしまった二人を慌てて呼びに来たのだった。

 ハリーの朝が早いのはもはや身に沁みついたもので、どうしても他の子ども達より1時間以上早く目が覚めてしまうのだ。そうなるともう一度寝ることもできずにベッドから這い出すことになり、最初はみんなを起こさないように静かにできることが読書だけだったので、ちょっと明るい窓際でそうして過ごしていたのだが、気が付けばネビルがそれに付き合うようになり、そのうち皆を待たずに二人で朝食をとることが増えた。実際そうして過ごしてみれば、授業の準備がゆっくりできたりと利点は多い。

 ともかくこの三人が呼び出された、ということはドラゴンについてなにかあるのだろう。

 他の生徒に聞かれるような状態でなくてよかったとハリーは思った。

 きっと何の話なのかと興味津々で聞かれるだろうし、それに対してはぐらかし続けることはできそうにない。知られてしまえばきっと面倒なことになるだろうことは想像に容易い。

 すぐに、と言われているのだからと三人はマクゴナガルのもとへと向かった。

 

 

 マクゴナガルに迎え入れられた部屋の中には、見覚えのない赤毛の青年がいた。学校内ではあまり見ない、がっしりとした筋肉質の、魔法使いだと知らなければ道路工事の作業者のような雰囲気がある。

 マクゴナガルが、彼はチャールズ・ウィーズリーでロンの兄の一人であり昨年までのグリフィンドールのクィディッチチームのシーカーにしてキャプテン、今はルーマニアでドラゴン研究をしていると教えてくれた。クィディッチ選手として将来を嘱望されていたにもかかわらず、すべてのスカウトを断ってしまったのだと残念そうに付け加えた。

 

「今回、チャールズがドラゴンの卵を引き取ってくれました」

 

 そういえばいつだったかロンがそんな兄がいる、と言っていた気がする。確かにウィーズリー家らしい赤毛。顔立ちもチャールズの方がずっと精悍ではあるけれど、兄弟だと思わせる程度には面影がある。

 

「まさかこんな場所にノルウェー・リッジバッグの卵があるとは思わなかったよ。君たちの判断は正しい。あれは研究している僕たちにも手に余るような凶暴な種類なんだ。あのまま学校で孵化していたらどんなに危険だったかと思うと背筋も凍るよ」

 

 ありがとな、とおちゃめな感じに片目をつぶってみせたチャールズはとても余裕と自信に満ち溢れていて格好よく見えた。

 パーシーと言いチャールズといい、ロンにはこんなにも頼りになる兄弟がいてハリーは少し羨ましくなった。きっと今までだって弟たちが困っていれば助けてくれたのだろうと思うと、無性に苛立ちさえ感じてそんな自分のなかのどろっとした感情に吐き気がこみあげてくる。

 欲しがっても手に入らない悲しさは十分に知っている。だからいつからかハリーはおおよそ子どもの欲しがるものなら何もかも持っているダドリーを羨ましいと思わなくなった。むしろ自分のような存在が羨ましいと思うこと自体おこがましいとさえ感じるようになっていた。ハリーは今のままで十分だといつだって自分に言い聞かせていた。

 そうだ、自分とロンは違う。

 ハリーは気持ちを入れ替えるように鼻で大きく息を吐いて、背筋を正した。

 もやもやした気持ちはミスにつながる。ここにはそのミスを、どんなにそれが小さいものだったとしても延々と責め続けるダーズリー家もダドリー軍団もいないことはわかっているけれど、どんな小さな失敗もしないように平常心を保とうとする癖はなかなか抜けない。まあ、動揺して泣いてしまうことはあるけれど、怒りとか妬みとかそういう人に向かうような感情にはなるべく流されないようにしたい。特に怒りの感情は爆発させてもいいことはおきないのだから。

 チャールズはドラゴンがどれほど危険な生き物で、だけどどれだけ素晴らしいのかわかりやすく話してくれた。

 ハーマイオニーは身を乗り出して一言も聞き漏らさないように、呼吸すら忘れているんじゃないかと思うほどの集中力でチャーリーの話に聞き入っていた。ネビルはドラゴンの凶暴さにびくびくしつつも、やはり興味を惹かれているようだ。

 ハリーは、たしかにとても魔法的な『ドラゴン』に興味がないわけではないけれど彼らほど熱心に聞く気持ちになれずにいた。

 普通に生活している分には多分かかわることはないだろうし、積極的にかかわりたいとも思えない。

 

「そういえばハグリッドは昔っからいつかドラゴンを飼いたいって言っていたよ。まさか実行するとはおもわなかったけどね」

 

 感慨深げにチャールズはそういうと目を細めた。

 でも昔から飼いたいと思っていたなら、きっと今頃はとても落ち込んでいるに違いない。きっとマクゴナガルは皮肉をたっぷりと交えて耳が痛くなるほど切々と説教しただろうし、チャールズだってドラゴンなんて飼えるものではないときっちり言い聞かせたに違いない。

 

「ハグリッドは僕たちのこと怒っているでしょうね」

 

ハリーはそう言ったが、怒られたいわけでも嫌われたいわけでもなかった。もっとも、やりたいことを邪魔されたのだからハグリッドがそうなったとしても仕方がないとは思う。たとえそれが正しくない事だとしてもハグリッドにとってはきっと大事な事だったのだから。

 でも、できれば今までみたいに仲良くできればいいと思う。

 嫌われる事には慣れていても、誰にでも嫌われたいわけではない。

 

「まあまあ。そんなことを気にしていたんですね。皆さん大丈夫ですよ。ハグリッドは怒っていません。当たり前ではないですか。あなた達は正しいことをしたのです。もしも気になるなら後でハグリッドを訪ねてあげなさい。きっと待っていますよ」

 

 マクゴナガルがそう言ったことでネビルが行ってみますと答え、小声でハリーによかったねと呟いた。

 ネビルにはハリーが悩んでいることがわかっているようだった。

 ハリーは驚いて思わず目を大きく開いた。

 ネビルはそんなハリーににこりと笑いかけた。

 ハーマイオニーも先生たちもそんな二人を優しく見守っていた。

 

 

 

 

 

 

 



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CHAPTER10-1

 確かにハグリッドは怒ってはいなかった。ただ、ハリーがドラゴンにあまり興味を持たなかったことに驚いたようだった。ハリーの父親ならドラゴンの卵が孵るところを見たがったに違いない、とハグリッドは言っていたが、だとしたら自分の父親はちょっと無謀なタイプだったのかな、とハリーは思った。

 ハグリッド自身、卵を手に入れたことで浮かれてしまったと反省もしていたし、大事になる前に対処してくれた先生方やハリー達に感謝していた。特に寛大な処置をしてくれたダンブルドアに対してはまるで神を崇めるかのようだった。

 

 

 試験の日も近づいてきて、ハリーたちはハーマイオニーに促されるままに勉強により没頭するようになった。

 ホグワーツも学年末に向けて全体的に浮足立っていた。

 特に今年はどこが寮杯をとってもおかしくない状態なのだ。ここ数年スリザリンが独占していることもあり、他の三つの寮生たちは最後の追い込みで点数を稼ぐことに精を出している人たちもいる。クィディッチで与えられる点数に比べれば小さいものだが、そういう積み重ねは大事らしい。

 ハーマイオニーも授業に積極的に参加し、みんなの注目を集めていた。それだけでなく、ハリーたち男子のみならず他の女子の勉強まで見ているのだから彼女は本当にすごいと思う。

 ハリーたちグリフィンドールの一年生にとってハーマイオニーは小さい先生のような存在だ。確かにいろいろ口うるさくは言うけれど、誰だって悪い成績をとりたいわけではないから、彼女の指摘が間違っていないことを受け入れてさえしまえば、わりと勉強がはかどりやすい。

 もっともハーマイオニー自身はどこまで勉強しても安心できないようで、教科書を隅から隅まで暗記するように、複雑な薬の調合を覚え、妖精の魔法や呪いの魔法の呪文を暗記したり、魔法界の発見や小鬼の反乱の年号を覚えたりと誰よりも熱心に勉強をしていた。この分ならきっと彼女が学年主席になるに違いない。

 そうして勉強に集中することでハリーたちは《賢者の石》のことなんて忘れてしまっているかに思えた。

 

「大変だ!ついにスネイプにクィレルが負けちゃったよ!!」

 

 ロンとシェーマスが図書館で勉強をしているみんなのもとに、慌てた様子で駆け寄ってくるまでは正直忘れていた。というより、ハリーは忘れていたかった。

 ここ数週間はとても平和だったのだ。

 試験が近いこともあってスリザリンの生徒に理不尽な絡まれ方をすることもなかったし、ハグリッドも忙しいのかあまり姿を見ることがなかった。いずれにしてもハリーにとって平穏を崩す要因との接触がなかったのだから、これが永遠に続けばいいと思わず願ってしまったとしても仕方ないだろう。

 しかしそうそう思い通りになんて物事は進まないらしい。ハリーは深刻そうに血相を変えているロンたちの様子を見て気づかれないように深呼吸をした。

 

「負けちゃったってどういうこと!?」

 

 ネビルはきっとよくない想像をしたのだろう。ちょっと涙目になっている。

 なんとなくではあるけれど、呪文同士を打ち合わせたら確かにクィレルよりスネイプの方が強そうに見える。でもこれはあくまでも印象の問題であって、闇の魔術に対する防衛術を教える立場であるクィレルがそう簡単に負けるわけはないだろう。

 ハリーも一瞬だけれどスネイプがクィレルに攻撃的な呪文を使用している姿を思い浮かべてしまったが、そんな事態が発生していれば学校内がもっと騒然としているしその時点で捕まってしまうだろうから《賢者の石》なんて手に入れようもない。

 

「多分スネイプはクィレルから石を手に入れる方法を聞き出しちゃったに違いないよ」

 

 シェーマスはきょろきょろとあたりをうかがいながら声を潜めて、しかし自信ありげにそう言った。

 さすがにこれ以上図書館で話していては誰に聞かれるかわからない。かといって寮の談話室でもそれは変わらないし、部屋となると一人だけ女子のハーマイオニーが仲間外れになってしまう。

 結局みんなで頭をくっつけるようにして小声で話すことにしたが、それだって他の人から見れば目立ってはいるだろう。

 

「さっき誰もいないはずの教室から声がしたんだ。だいぶ怯えている感じのクィレルの声に聞こえたからちょっと立ち聞きしてみたんだけど」

 

 ロンとシェーマスはばれないように近寄ってみたが、部屋の中までは見ることができなかった。

 ぐずぐずと「ダメだ」とか「許してくれ」というクィレルの声がしてまるで誰かに脅されている様子だったが、相手の声までは聞こえてこなかった。そして「わかりました」というと、クィレルが曲がったターバンを直しながら、教室から急ぎ足で出てきたという。

 蒼白な顔をして、今にも泣きだしそうだったが、あまりにも足早に行ってしまったので二人には気が付かなかったようだ。足音が聞こえなくなるのを待って二人は教室を覗いてみたが、中には誰もいなくて反対側のドアが少し開いたままになっていた。きっとそこから出ていったのはスネイプにちがいない、と二人は熱を込めて言った。

 

「でもまだフラッフィーがいるだろ?」

 

 ディーンの言うとおりだろうか。

 フラッフィーがハグリッドの言うことしか聞かないというのであれば安心できるが、ハグリッド以外でもあの3つの頭のある犬を大人しくする方法がある、というのであれば安心はできない。生き物である以上あの種類の犬がフラッフィーだけであるとは言い切れないし、ドラゴンの飼い方の本まであるのだから『三つの頭のある犬の飼い方―入門編―』みたいな本だってあるのかもしれない。

 第一ドラゴンの卵を手に入れたハグリッドはその孵化方法と飼育方法を調べるために図書館に来たのだから、きっとフラッフィーを手に入れたときにも同じようなことをしたと思う。

 

「でもこれだけの本があれば、三頭犬の突破方法がだって書いてあるよ。どうする?ハリー」

 

 ロンはドラゴンのことは知らないが、何千冊という図書館の本を見上げてそう言った。

 でも、もし本当にそうなら誰だってフラッフィーを突破することができてしまうし、何の守りにもならない。それをダンブルドアが知らないわけはないだろう。

 

「どうする、って言われても……」

 

 ハリーは困惑していた。

 ロンたちは結局スネイプが実際聞き出した現場を見たわけではないし、声を聞いたわけでもない。だからこの話のどこにクィレルが負けてしまった要素があるかわからない。

 

「ハリー、先生に言った方がいいのかな?」

 

 ネビルはそういうが、ハリーはそうは思えなかった。

 ハグリッドの件はマクゴナガルに伝えることでうまくいったが、今回はどうだろう。

 まず第一にハリーたち一年生が《賢者の石》のことを知っていることをどう伝えればいいだろう。しかもそれをスネイプが狙っているなんて、ほとんど思い込みのような証拠もない状態で訴えたところで誰も信じてはくれないに違いない。それどころか、近づいてはいけない4階の廊下に行ったことがばれて怒られるだろう。

 表向きはスネイプにいい感情を持っていない生徒たちの嫌がらせだとみなされるだろうし、本気で取り合うものは正直思いつかない。

 

「…僕たちにはどうすることもできない、と思う」

 

 ハリーは自分なりの考えを口にした。

 いやもっと踏み込むならどうすべきでもない、とハリーは考えている。

 ハリーたち一年生ですら、まあハグリッドがうっかり情報を漏らすということがあったにせよ、たどり着ける《賢者の石》の存在をもっといろいろなことを知っているだろう大人が気が付かないわけはないだろうし、フラッフィーにしても万全の守り、というわけではない。第一、フラッフィーのいる場所のあの扉が簡単な解錠呪文で突破できてしまうのだから、やはりこれはダンブルドアが守っているというよりも《賢者の石》で誰かをはめようとしている罠なのではないか、と疑ってしまう。

 

「なんでさ!」

 

 《賢者の石》を守ることが使命だと思い込んでいる節のあるロンはハリーの言葉が納得できないようだ。

 声を荒げてハリーに詰め寄った。

 ああ、失敗したな。とハリーは思う。

 自分の考えなんて口にすべきではなかったかもしれない。自分にはわからないと言葉を濁すこともできたのに、つい口をついて出てしまった。

 

「ハリーはスネイプが石を手に入れてもいいのか?」

 

 シェーマスも攻め立てるように言ってくる。

 きっとディーンもハーマイオニーも、ネビルだって彼らと同じ気持ちに違いない。ハリーがなんらかの防衛案を出すことを願っていたのだろう。そして、自分たちの想いと違うことを言ったハリーにきっと失望しているに違いない。裏切られた、と感じているかもしれない。もしくは意気地なしか。

 意気地なしの泣き虫ハリー。

 いつだってダドリー軍団にはそういわれていたから、自分は意気地がないと思うし、実際危険だと思う行為を率先して行いたいとは思えない。度胸試しのような真似なんてやる意味を感じられないし、自分がやる必要のないことまで手を出したくはない。

 思わず自分の意見を言ってしまったけれど、これ以上自分の考えを言っていいものかハリーは悩んでいた。

 

 ……石を守るのは生徒の役目ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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CHAPTER10-2

 このままでは図書館内で大騒ぎをしてしまう。

 そう判断してハリーたちはそそくさと図書館を離れ、目についた空き教室に忍び込んだ。

 

「ハリーは何を考えてるんだ?」

 

 最初に言ったのはロンだった。

 ハリーに対する苛立ちを隠そうともせず、腕を組み彼よりも幾分小さいハリーを見下ろすようにして威圧してくる。友だちなのに気持ちを共有できないハリーに怒りにも似た感情を抱いているのだろう。声だってとげとげしい。

 そしていつだってハリーがスネイプをかばうことを非難した。

 ハリーはかばっているつもりはなかったが、ロンにはそう映っていたらしい。ディーンやシェーマスも同じように感じていたらしい。ハーマイオニーも、ロンにそのまま同意しているわけではないけれどスネイプに対して不満を抱いていないことが不思議だったらしい。ネビルはハリーを責めるロンたちとハリーの間でおろおろしているだけだ。

 ハリーはスネイプの味方なのか。

 ロンたちが言いたいことをまとめればそれになる。そして彼らにしてみれば、現在「《賢者の石》を手に入れて何か悪いことをしそうなスネイプ」の味方であることは、正義ではないしもしハリーがスネイプを味方するなら、ただではおかない。そういうことらしい。

 とはいえ、じゃあ何かできるかと言えば彼らから具体的な案は出てこない。おそらく学校全体にハリーはスネイプと手を組んだと言いふらす程度と、ハリーを無視するもしくは嫌がらせをするぐらいしかできることはないだろう。

 もっとも、それがされたとしてハリーには困ることはあまりない。

 もともと友だちがいない生活に慣れすぎているし、無視も嫌がらせも今更の話で、ちょっと嫌な気分にはなるけれど畏れるほどのことではない。つまり、死ぬことはないからいや死んだとしてもどうでもいい。

 むしろハリーと手を組んだと噂されるスネイプの方が迷惑かもしれない。

 

「ハリー。あなたはどうしたいの?」

 

 一方的に責め立ててくる彼らに反論もせずただう俯いていただけのハリーにハーマイオニーが声をかけた。さすがに自分まで責めるようなことを言ってはいけないと思ったのか、口調だけならとても優しい。ひょっとすると彼女自身が以前みんなに悪し様に言われたことを思い出したのかもしれない。

 しかし、どうしたいといわれてもすっとやりたいことは思いつかない。

 そう、あえて言うなら。

 

「《石》にはかかわらない方がいいと思う」

 

 やりたいことは思いつかなくても、やりたくないことならわかる。《賢者の石》には関わりたくない。

 仮に本当にスネイプが狙ってたとして、手に入れたところでハリーにはどうでもいい。それで自分が死ぬことになったとしてもなんら気にならない。人はいつか死ぬのだから、それが遅いか早いかだけの差に過ぎない。

 結局ハリーは、この期に及んで生きる意味を見いだせていない。むしろ今意地汚く生きていることに申し訳なさすら感じている。

 でもそんなハリーの気持ちは他の皆にはわかりようもない。

 

「そんなわけないだろ!石は守らないといけないんだ!!」

 

 ロンが声を荒げた。

 

「ロンはなんで石を守りたいの?」

 

 ハリーはもう我慢ができなかった。

 一度言葉にして口をついて出てしまえば、一気に洪水のように思いが溢れ出る。

 

「なんでそんなに必死に守ろうとしているのか理解できないよ。だって《賢者の石》を手に入れたところで一体なにができるの?命とか金とか、そんなの誰が手に入れたっていいじゃないか!」

 

 ぐるぐるといろいろな気持ちが全身を支配したように駆け巡り、ハリーは吐き気を感じた。

 言葉にしたいけれど、それらはどうもうまく形にならずに余計に苛立ちを感じ、ともかく大声で叫びたい衝動に駆られる。涙は自然と溢れてくるし、全身が震える。呼吸が短くなり、胸が締め付けられるように痛くなる。

 

「だって悪い奴が悪いことに使うなら止めないといけないだろ!?」

 

 シェーマスの言い分がわからないわけではない。別にハリーだって悪用されるのを良しとしているわけではない。

 

「でもなんでそれを僕たちが止めなきゃいけないの!?」

 

 ハリーの声はまるで悲鳴のようだった。

 息苦しそうに呼吸は荒くなり、涙で視界が歪む。心臓あたりがひきつるようなきゅうっとした痛みにハリーは無意識に胸元をつかんだ。

 

 

「なんでって……」

 

 ロンたちはお互いの顔を見やって言い淀んだ。

 彼らにも自分たちがそれをしなければいけない理由なんてないことはわかっているに違いない。敢えて言うなら、正義感がそうさせるのだろうが、それよりも自分たちに課せられた使命感のようなものに酔いしれているに過ぎない。そうして石を守ればみんなから羨望を向けられる。英雄として見られ、扱われる。

 ロンはいつだったか優秀な兄弟の翳に隠れてしまっている不満をこぼしていた。だからこそより評価されることを望んでいるのかもしれない。家族の注目を集めたい、みんなからちやほやされたい。そう望むことはおかしなことではない。

 ダドリーたちが無茶をするときは、そう2階の屋根から飛び降りてみたりなど、たいていそんな考えからだった。確かに成功すれば羨望を集めることはできるだろう。勇気をたたえられることもあるかもしれない。ただし、相手が子どもであれば、の話だ。

 ハリーのことを心配してくれる親はいないが、ダドリーがそういったことをしたと知ればペチュニアは褒めるというよりは、まずその危険を想像しては大げさに嘆き、息子が無事であることを大げさに喜ぶことだろう。ダドリーを何よりも愛しているペチュニアが怒る、ということはないが間違っても「よくやった」とは言わないと思う。それはバーノンにしても同じだ。

 ハリーがよく知っている大人が彼らのみなのですべてがそうであるとは言い切れないが、やはりまだ小さい子どもが《賢者の石》を守ったとしても、大人たちが手放しに賞賛するとは思えない。

 

「でも誰かが守らないと石は奪われてしまうのよ?」

 

 まるで諭すようにハーマイオニーが言った。

 彼女は心配そうにハリーを覗き込んだが、ハリーは思わず顔を背けた。

 あまりの息苦しさにハリーはすべてを投げ出したい衝動に襲われた。できるならば、この場から消え去ってしまいたい。そんな気持ちさえ湧いてくる。

 

「でも、それは、ぼくたちじゃ、なくても、いいはずだ…」

 

 うまく言うことができただろうか。

 唇ものどもひどく乾いてひりひりとしている。視界だって黒くぼやけてよく見えない。むしろ目が開いているのかすら怪しくなってきた。

 言いたいことはたくさんある。

 《賢者の石》のことも、スネイプのこともいろいろハリーにだって考えはある。でもどれもうまく言葉にまとまらない。

 ひゅーひゅーとのどが詰まるような息をしながらハリーは思わずその場にしゃがみこんだ。

 

「ハリー!!」

 

 ネビルの悲鳴が聞こえてハリーは失いかけていた意識を何とか取り戻した。

 

「ハリー!ハリー!大丈夫!?ねえ、もうやめようよ!!みんなの気持ちもわかるけど、僕、ハリーの気持ちだってわかるよ!!」

 

ネビルの声ががんがん頭の中に響いた。

まるでみんなからハリーをかばうようにネビルはハリーの前に立っている。

 

「危険すぎるし、ぼくたちじゃあ絶対にかなうわけないよ。先回りするにしても犬をどうしていいかもわかってないし、スネイプを足止めするなんてもっと無理だよ!」

 

「そんなの、勇気じゃないよ」

 

 

 きっとネビルにもいろいろな思いがあるのだろう。とても苦々しく、とても重い言葉だった。

 とはいえハリーの想いとネビルの気持ちは微妙に噛み合っていない。やりかたがわからない、とか無理だとかそういった理由でできないのではなく、ともかく自分がやらなくてもいいことだ、と思っているのが正しい。でもそれを指摘する気も一切なかった。形は違っても、《石》を守るなんてことは自分たちにはできないとロンたちに通じればいいのだ。

 

「でも、石はどうすればいいの?」

 

 恐る恐るハーマイオニーが聞いてきた。

 知ってしまった以上、それを放っておくということが彼女にはできないのだろう。それだって悪いことではないし、その気持ちもわからないわけではない。知っていたのに《賢者の石》が奪われて悪用されればあまりいい気持ちはしないと思う。だとしてもそこも含めてハリーは仕方ない、と思うのだ。きっとそういうものだから。

 

「先生たちに言うこともできないわ。先輩たちだって、とくに上級生は試験が近いもの。きっと取り合ってくれないわ。どうすればいいの?」

 

 確かに《賢者の石》を守る、という点において手段は尽きているようにハリーにも思えた。だからこそ諦めているのだけれど。

 でも周りはハリーほど諦めがいいわけではないらしい。

 

「……まずは、もう一度ちゃんと考えた方がいいと思う。ねえ、ハリー。ハリーは本当にスネイプが《石》を欲しがっていると思う?」

 

 ある程度呼吸が収まってきたハリーをネビルが覗き込んだ。

 ネビルの質問にハリーが本心で答えるなら「そうは思わない」だ。でも、きっとみんなは「そうおもう」という答えを望んでいるだろう。いや、少なくともさっきまでは望んでいたはずだ。

 揉めることを恐れなければ本心を口にすればいいが、それをすることでせっかくできた友だちを失うかもしれないとおもうと、簡単には決められない。

 友だちという存在を知ってしまえば、一人になることがとても怖く感じられた。ホグワーツに来るまではそれが普通だったのに、これでは学期が終わってしまってプリベット通りに戻って耐えられる自信がちょっとない。

 みんなはハリーが答えるのを待ってくれている。

 待たせていることに申し訳なさを感じるが、でも何が正解なのか、この場面はどうすべきなのかすぐにはわからないのだから仕方ない。

 そうやって開き直ることもできるけれど、でもやはり心苦しさが大きくなってきてハリーはできればもうその場から消え去りたい衝動に襲われた。

 でも。

 

「スネイプは《石》を欲しがらない。多分」

 

 

 

 

 

 

 



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CHAPTER10-3

 ハリーがスネイプをかばった、少なくともロンたちにはそう感じれただろう、ことでハリーはもちろんみんなから攻め立てられるだろうことは覚悟していた。かばったつもりはなくても、自分たちと意見が違うのだから仕方がないことだと思う。

 

「ハリーはなんたってそんなにスネイプの味方をするんだい?」

 

 スリザリン贔屓が目に余るスネイプのグリフィンドールでの評判はほぼ地を這っているようなものだ。もっとも双子にとっては悪戯の恰好のターゲットでしかなく、真面目過ぎるがゆえにからかえば面白いくらいの扱いしかされていないが。でも、大半の生徒はスネイプのことをあまり良くは思っていない。監督生として公平であろうとしているパーシーですらスネイプのことを話すときはちょっと言い淀む。

 

「味方、しているつもりは、ないけど……でも、証拠はないんだよ。だから…」

 

 ハリーはうまく言い表せない自分に苛立ちを感じた。

 と同時に、証拠もなく何か起きればすべてハリーのせいにされてきた記憶を思い出して眉を顰めた。今なら着たくなかったダドリーのおさがりのセーターがあっという間に縮んだのは自分の魔法の暴走が原因だとわかるが、当時はハリーには何の覚えもないのに何かしたに違いないとペチュニアにヒステリーを起こされて本当に悲しかった。これは本当にハリーが原因だったパターンなので疑われて当然だったわけだけれど、でも実際ハリーのせいではないことでもお仕置きをされることはしょっちゅうだった。例えば、ダドリーがリビングでボールを蹴ってガラスを割ったときだって、彼は即座にハリーのせいにした。ハリーはそういった不都合を擦り付けるのにちょうどいい立場だったのだ。立場の弱い養ってもらうだけの居候で、他に親戚のあてもない。その上、ハリーは知らなかったけれど得体のしれない魔法使いなんていう存在。

 グリフィンドールにとってのスネイプだって、ハリーと同じで疑うには都合のいい存在なのだと思う。見るからに怪しくて、しかも目に余るスリザリン贔屓があるから、悪し様に言ったとしてもあまり罪悪感は抱かずにすむ。

 

「確かに証拠はないわ。それにそうね…スネイプ先生がダンブルドア校長と敵対してまで《石》を狙う理由は思いつかないわ」

 

 ハリーの言葉を聞いて少し考えたらしいハーマイオニーが口を開いた。ハーマイオニーは何度か確認するようにうなずいて、さらにそうよと呟いた。

 

「理由なんていくらでもあるじゃないか?だって《賢者の石》だぜ?」

 

 ディーンはそう言ったが、ハーマイオニーはそういうことじゃないと横に大きく首を振った。

 

「確かに他の場所にあるなら、ちょっとした好奇心で手に入れようとするかもしれないわ。でも、ここはホグワーツよ。最強の魔法使いともいわれるダンブルドア先生がいる場所だわ。しかも、おそらくここで《賢者の石》を守っているということは、ダンブルドア先生が直接守りを固めたはずよ。わざわざそんな場所から奪うには、ちょっとした好奇心じゃあ理由が足りないのよ」

 

 そうよね、ハリー?とハーマイオニーは確認してきたのでハリーは力なく少し頷いて見せた。

 

「でもスネイプにはもっと理由があるかもしれないじゃないか」

 

 ロンの意見にも一理ある。

 スネイプが何を考えていて何を望んでいるのかはわからない。だから彼にどうしても、ダンブルドアの敵になってまで《賢者の石》を必要とする理由があるとしてもおかしくはないだろう。でも、それを証明できるものは何もないのだ、今のところ。

 

「そう、あるかもしれないわ。でも、証拠がなければだれも相手にしてくれないのよ」

 

 悔しそうではあるがロンはそういうものなのか、と呟いた。

 

「それにね、証拠がない以上、他の誰かが狙っている可能性だってあるのよ。もしそうだとしたら、スネイプだと決めつけてしまってるせいで見逃してしまうことになるかもしれないわ」

 

 ハーマイオニーの言葉に全員が息を呑んだ。

 今まではスネイプだと決めてかかっていたのでその可能性は考えていなかったのだ。ひょっとするとホグワーツに関わりのない誰かかもしれない、そう思うと一気に恐怖感がこみあげてくる。

 誰かが、どうしても《賢者の石》を手に入れなければいけない誰かが学校の中に攻め入ってくるかもしれないのだ。きっとダンブルドアから奪おうというのだから相当の覚悟に違いないし、そこまでの覚悟をできる人物がハリーたち生徒の安全を考えてくれるとは思えない。

 

「つまり、ぼくたちはとても危険なことをしようとしていたってことか」

 

 ロンはにがにがしくそう言った。

 顔には悔しさが浮かび、きつく眉を寄せている。

 

「…そう、だね」

 

 ハリーは答えた。

 実際のところ一年生でどうこうできる、とはハリーには思えない。

 人間なりふり構わなくなったらとんでもない力を発揮したりするものだし、自暴自棄になればなるほど行動はめちゃくちゃになる。きっと《賢者の石》を欲しがるような人物なんて、どうしても命が必要でそのためにはダンブルドアの膝元に侵入することすら厭わないほどのなりふりのかまわなさだろうから、そんな人を相手にするのは危険というよりも無謀だ。

 

「でもスネイプじゃないなら誰なんだろう?」

 

 ネビルの疑問はもっともだ。

 

「そうね。ちょっと状況を整理した方がいいわ」

 

 ハーマイオニーはおもむろに切り出した。

 最初にダンブルドアが今年度は校舎の4階の廊下は立ち入り禁止だと全校生徒の前で告げた。その時に入ればとても危険で痛い目に遭うとまで言うことで生徒たちを遠ざけようとした。しかし、ハリーたちが運悪くというか偶然にも底に入り込み、あまつさえ三つの頭のある犬、フラッフィーと対面してしまった。その時にハーマイオニーが隠し扉があることに気が付き、何かを守っているのかもしれないと言い出したのだ。

 

「でもさ、一年生が開けられちゃう扉の向こうに、いくらフラッフィーがいるとはいえ隠すかな?」

 

 シェーマスが呟いた。

 

「正直入学式の時にその注意を聞いてちょっと行ってみたいって逆に思ったんだ。何かあるのかなってすごく気になった」

 

 ディーンの気持ちもわからないわけではない。近寄るなと言われればよけに近寄りたくなるのが人間だ。そうなると生徒からその親に今年のホグワーツは何かある、と知らせたかったのではないかと疑いたくなる。でもそれだけの情報では全く何を言いたいのかわからない話になるけれど。

 

「…ダンブルドア先生は誰かが《賢者の石》を狙っているってご存じなんだわ!きっと!!」

 

 いきなりハーマイオニーはそう言うと、その答えに至った経緯を説明し始めた。

 今年は、と言っていたことから《賢者の石》はそれまで別の場所にあった。しかし、『何者』かがそれを狙い、そのままでは奪われる可能性があることから、ダンブルドアはホグワーツで守ることにした。おそらく、その『何者」かがなぜそれが必要なのかダンブルドアは知っていて、ホグワーツにあると知れば奪いに来るだろうことも予測してわざわざ新学期の注意事項で立ち入り禁止だと知らせた。

 これがハーマイオニーの推理だ。

 

「ダンブルドア先生は《賢者の石》を守るのではなくて、狙っている誰かを捕まえたいのかもしれないわ!!」

 

 高揚とした声でハーマイオニーは言い切った。

 あの扉はあまりにもわざとらしくて逆に誘っているように見えた。基本呪文で簡単に開けられてしまう扉も、その先のフラッフィーだってまるでそこに何かありますと大声で知らせているようにもとることができる。であれば、あれは罠なのかもしれない。

 ハーマイオニーの説明はとても論理的で説得力があり、すっと理解できた。ハリーだってその可能性を考えなかったわけではないけれど、そこに至る理由は漠然としていて彼女のようにうまく言葉にはできなかった。

 ハリーは素直にハーマイオニーを心の中で賞賛した。むしろ自分の考えていることをしっかりと伝えることができる彼女に憧憬すら感じた。ハリーには絶対にできないことだ。いや、ホグワーツに来るまでハリーが誰かに意見を求められたことなどなかったから、考えを伝えることの大切さを知らなかった。でも、ここではハリーの気持ちを聞く人たちがいる。きっとうまく言葉にできれば、心のなかがぐちゃぐちゃになることもないし、いつも付きまとう不安を減らせるような気がする。

 

「もしスネイプが狙っていることをダンブルドア先生がご存じならわざわざこんなことはしないはずよ。いくらでも聞き出す方法はあるもの。そうなると、やっぱりスネイプは犯人じゃないのよ」

 

 ハーマイオニーが本で読んだらしい、いくらでもあるという『聞き出すための方法』を詳しく聞くことはためらわれたが、魔法役の中には『真実薬』という本当のことしか話せなくなるものがあることくらいならハリーでも知っている。ダンブルドアがそれを近くにいるスネイプに使用できないわけがない。そのチャンスはいくらでもあるのだから。

 彼女の言葉を受けてロンたちもスネイプを疑うことが間違っていたことに確信を抱き始めた。

 本当にスネイプではない証拠はない。でも、確かにスネイプが狙う理由も明確ではない。

 ハリーたちはさらにこれまでの出来事を整理した。

 しかし、どれだけ考えても《賢者の石》を狙う誰かには、まったく思い当たることがない。

 むしろハロウィンの後にフラッフィーに噛まれたらしい話をしていたスネイプのことを思い出して余計に混乱し始めた。

 話は何度も繰り返し、そうしているうちに全員に疲労の色が見えてきた。

 

「…もう、試験のことに集中したほうがいいんじゃないかな」

 

 ネビルがそうつぶやいたことで全員がはっと目を見開いた。

 冷静になって考えれば《賢者の石》を誰が狙っていようが試験は来るのだ。こんなことに気を取られていて落第にでもなったら大変だ。ハーマイオニーは急に顔色を変え、慌て始めた。

 

「ネビルの言うとおりだわ!!こんなことしている場合じゃないのよ!!」

 

 ハーマイオニーにとって試験は世界の滅亡よりも大事に違いない。

 ディーン、シェーマス、ロンはそこまでではないがさすがに落第はまずいとはおもっている。ネビルはおばあちゃんに怒られないだけの成績をとりたいと思っているし、ハリーもダーズリー家に知られても困らないだけの成績が必要だとは思っている。

 今は、《賢者の石》よりも試験だ。

 全員の思いは、とりあえずこの場では一致した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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CHAPTER10-4

 その日、ハリーはなかなか寝付けなかった。

 風が窓に吹き付ける音すら不気味で、窓の外から得体の知れない何かが中の様子をうかがっているかもしれない、そんな考えに囚われていた。得体の知れない漠然とした不安感が次から次へと湧いてきて、ハリーは強い絶望感に襲われ吐きそうになるのをこらえた。

 ホグワーツに来る前にもこんな夜はあった。

 生きていること自体を否定するかのように、自分の無価値さを突き付けられる記憶の波。

 まだ自分の立場を理解していなくてダーズリー家で罵られ続けた幼少期の記憶。ペチュニアにダドリーのように甘えたくて、その度に『化け物』『まともじゃない』と忌々しさの籠った目で見られ、伸ばした手を払いのけられたあの頃。それでも彼女はハリーを育ててくれた。ペチュニアは何よりも魔法使いを嫌っていて、その子どもであるハリーを育てるのはきっと苦痛だったに違いないと、魔法の存在を知った今なら思う。

 でも愛されたかった、と思う。

 自分には与えられない母親からのキスを何度も何度も見せつけられてきた。

 ペチュニアの態度はすべて自分が、自分の両親が魔法使いだったからだとわかったことで少し気が楽になった。でももし両親が本当に交通事故で死んだ魔法とはなんの関わりもない『まとも』な人間、マグルでハリーもまたそうだったらペチュニアはダドリーと同じようにハリーを愛してくれたのかもしれない、と思うと悲しさがこみあげてくる。

 ホグワーツに行くことが決まってからずっと心の中で燻っていた感情が一気にあふれ出す。

 知らなければ、気が付かなければ苦しむこともないのにと思うと余計胸が苦しくなった。

 蘇る記憶はどれも思い出したくないことばかりだ。 

 自分は必要のない人間なのだ、とそのたびに突き付けられるようでハリーは心底消えてなくなりたくなった。

 今日だってそうだ。

 結局自分で何も言えずに、ネビルやハーマイオニーに助けられたただけだ。

 本当に自分には何の価値もない。

 そうやってハリーはぐるぐるとした螺旋状の出口のない思考から逃れられずにいた。

 ごそごそとベッドの中で頻繁に体の向きを変え、枕に顔を押し付けてみたり、布団に頭まで潜ってみたりいろいろしているけれど、眠ろうとすればするほど嫌なことばかり思い出してしまう。

 あまり音を立てては同室のみんなを起こしてしまうかもしれない。

 ハリーは極力音をたてないように注意しながら大きく息を吐いた。

 

「…ハリー、ねむれないの?」

 

 ふとネビルの声がした。

 

「ネビル…」

 

 一瞬ネビルを起こしてしまったのかと思いハリーは身を固くした。しかしどうやらネビルもまた寝付けないでいたらしい。どうせならちょっと話さないかと、二人は他のすでに寝入っている皆に迷惑をかけないように、パジャマの上にローブを羽織って談話室に行くことにした。

 

「ハリー、もしも辛いことがあったら僕、相談に乗るよ?」

 

 頼りないかもしれないけど、とネビルはちょっと悲しそうに笑った。

 深夜の談話室にはハリーたち以外には誰もいない。普段は炎の爆ぜる暖炉も今は静かに燻っているだけだ。

 ネビルの言葉が眠れないほどの不安に占められていた心にじわりと広がった。

 

「ネビル、ごめんね」

 

 ハリーはそう言わずにはいられなかった。

 ネビルがさりげなく助けてくれることがあることには気が付いていた。でも、なかなかお礼もお返しもできないままでいたことが気にかかっていた。

 ネビルはきょとん、とハリーの方を見ていたがハリーはそんなネビルの顔を直視できなかった。

 しん、としたいつもと違う雰囲気の談話室で二人ソファーに身を預け、ローブを書き抱いて身を小さくしていた。

 

「ぼくね、ホグワーツから入学許可がでないかもしれないって言われていた時期があるんだ」

 

 ネビルはおもむろにそう言った。

 ネビルの両親は有能な闇払いだったらしい。今は《例のあの人》の勢力と戦ったことが原因で、ずっと聖マンゴに入院したままなのだという。しかし、そんな有能な両親のもとに生まれたにも関わらず、ネビルには魔法の兆候がなかなか見られなかった。

 

「おばあちゃんはぼくがスクイブ…魔法族の中で魔法の使えない人のことなんだけど…じゃないって証明するために僕を屋根からおとしたり色々したんだ」

 

 魔法の発現は人それぞれだが、たいてい危機的状況に瀕したり、感情が制御できなくなった時などに起きやすいらしい。だからなかなか魔力を見せないネビルは危険な目に遭っていたようだ。

 なぜいきなりネビルがそんな話をし始めたのかハリーにはわからなかった。自分がひどい目に遭ってきた、と言いたいのか、自分の家族は酷いと告げたいのか。その意図はよくわからないけれど、ハリーは時折頷きながらネビルの話を聞いていた。

 

「なんとか魔法使いだってわかったときはおばあちゃん泣いてた。でもね、なんか出来損ないだって思われていたようでとても悲しいとも思ったんだ」

 

 スクイブだったらおばあちゃんは自分のことを嫌いになってしまうのではないか、とネビルは怖くなったのだという。実際魔法族の中に生まれたスクイブはあまりいい扱いではないらしい。なかったものとして家族から放逐されたり、忌むべきものとして一族の恥のように扱われたりと、どちらかというと悪いものとして考えられている。スクイブということが知られればバカにされ蔑まれるのが常だ。

 

「一応ホグワーツには入学できたけど、ぼくってほらあまり魔法がうまくないだろ?」

 

 ネビルはちょっと言いづらそうにそう言った。実際ハーマイオニーの方がよほど魔法の扱いはうまい。というか彼女はおそらく学年で一番上手いだろう。一方ネビルは失敗も多いし、どちらかというと悪い方で目立っている印象はある。

 

「僕はパパやママみたいな魔法使いにはなれそうにないけど、おばあちゃんはそうなることを期待している」

 

「おばあちゃんは厳しくて怖いけど、嫌いじゃないよ。だから、僕はおばあちゃんに嫌われるのが怖いんだ。それに、周りからスクイブだって思われたくない」

 

 だからつい、おどおどしてしまう。

 人に嫌われるのって怖いよね。とネビルは呟いた。

 ネビルが自分の話をしたのはハリーを励ますためなのかもしれない、とハリーは思った。今までこんな風に自分に関わることを話してくれた人はいない。ロンはよく家族のことを話すけれど、それはなにかのついでに思い出したようにするものだったり、もしくは家族の愚痴が多い。シェーマスやディーンも少しは話してくれるがここまで深い話をしたことはない。入学当初は魔法使いの家系の生まれなのかマグル生まれなのかで色々話したが、それだけだ。そのときだってハリーは自分のことは話さなかった。秘密にしたいとかいうわけではなく、ハリーがマグルの伯母夫婦のもとで育てられていることはハリーが話すまでもなく本に書かれていたりするし、それ以前にハリーは自分のつまらない話なんて聞きたがる人はいないと考えている。

 

「ねえ、ハリーはホグワーツに来るまでどんな場所に住んでたの?」

 

 ネビルは物好きだ、と思う。

 そしてとても優しい。

 ネビルになら色々話してもいいかもしれない。自分の話なんてつまらないかもしれないけど、なんとなくネビルに自分のことを知ってほしい。ハリーはそう感じた。

 

「僕はお母さんのお姉さん夫婦の家に住んでいたんだ」

 

 ハリーはすっと話し始めた。

 ホグワーツからの手紙が来るまで魔法使いの存在を知らなかったこと。自分が魔法使いだとも思っていなかったこと。そして、両親は交通事故で死んだと聞かされていたこと。

 

「おばさんたちは魔法使いをとっても嫌っているんだ。でも、僕を放り出さずに育ててくれた。だからとても感謝しているんだよ」

 

 本来なら捨てられてもおかしくない。

 ペチュニアの様子やハリーの親の話をするたびに、彼らがハリーやその両親のことを嫌っていたことは確かで、おそらく交流もほとんどなかっただろうから、ハリーを託されたとして拒否することもできたと思う。まして同じ年の実子がいるのだから、孤児院などに入れられたとしてもおかしくない。

 育ててくれることへの感謝と、住む場所を与えてくれている彼らの負担を少しでも減らすために毎日こなしてきた家事全般。なぜ自分ばかり、と思わなかったわけではないけれど、生きていけるだけで十分だといつからか思うようになった。

 

「マグルの家で育つのも大変そうだね」

 

 不思議と言葉はするすると出てきた。

 こんなつまらない話を聞かせてしまっていることに申し訳なさを感じないわけではないが、ハリーは話を止めることができなかった。

 

「多分、おじさんたちもそうするしかなかったんだと思う」

 

 実の子どものように接することができないのは当然だ。

 ハリーはそう思っているし、それを責めるべきことでもないと思っている。

 

「僕は、役に立たない居候だから」

 

 ハリーはぽそりとそういうと、力なく笑った。

 自分のことばなのにずしりと胸に重くのしかかってくる。

 今まではそう口に出しても何も感じたことがなかったのに、締め付けられるような悲しさにハリーは困惑した。

 

「ハリー、それは違うよ。君は…」

 

 ネビルがそう言ってくれたが、それ以上彼も言葉を繋げることはできなかった。

 元気づけようとしてくれているのかもしれない。せめて嘘でも認めてくれているようでハリーは息苦しさが和らぐのを感じた。

 

「いいよ、ネビル。僕のことは僕が一番わかっているんだ」

 

「ハリー…」

 

「なんかだいぶ落ち着いたし、そろそろ寝ないと大変だよ?」

 

 ネビルは何か言いたげだったが、暖炉の消えた談話室はどんどん気温が下がり二人とも肌寒さを感じ始めていた。

 さすがに眠れなくてもこのままここにいては風邪をひいてしまうかもしれない。

 事実、ネビルに話したことでハリーは自分のなかのぐるぐるとした不安感が薄まっていることに気が付いた。眠れなくても、ベッドに横になっていればいいのだ。

 

「…そうだね。でも、ハリー忘れないで。僕たちはハリーのこと役立たずなんて一度も思ったことないからね」

 

 じっとハリーの目を見てネビルはそう言った。

 

 



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CHAPTER11-1

 あの日以来、ハリーとネビルは前よりも一緒にいることが多くなり、少しロンたち他の一年生といる時間は減少した。

 ハリーはなんとなくこうなるような気はしていたけれど、いざ現実にそうなってみるとやはり自己嫌悪に襲われた。

 自分には友だちなんて過ぎたもので身の丈に合わない、と思い知らされる。ネビルがいてくれるだけでも十分だ。それすらやはり贅沢に感じる。ハリーは自分は基本的に人から好かれない方の人間だと思っているし、ホグワーツでここまでうまくやれてきたことはある意味奇跡のようなものだと思う。ネビルだってそのうち愛想を尽かしてしまうに違いない。自分はやはり孤独でいるべきなのだ、とハリーは誰かに言い聞かせられているような気分になった。

 時折ロンたちがちらちらと自分のことを見ているような気もする。でも、本当に見ていたとしてハリーのことを笑い合っているのかもしれないし、ひょっとすると他の何かを見ているのにハリーが自分を見ているのだと勘違いしているのかもしれない。そうだとしたら恥ずかしいし、自分にはそんな注意してみるほどの価値すらないのに、と余計に生きていることすら申し訳なくなってくる。

 幸いなことに試験が目に見える形に迫ってきて、友だちとかそういうことに時間を割いている余裕がなくなったので、考えずに済んだことだろう。

 スネイプ犯人説には一応の疑問が生じたけれど、だからと言って積極的に石を守ろうとしないハリーのことをロンたちはどこかで受け入れきれないのだろう。

 それは仕方のないことだと思う。

 考えは人それぞれだし、自分と合わないと思うのであれば無理に合わせる必要もない。いや、自分なんかの考えに合わせてもらうのは申し訳ない。自分みたいな存在の考えなんて握りつぶされて当然なのだ。『まともじゃない』『泣き虫』の『役に立たない』『不気味な』そんな自分なのだから。

 せっかく仲良くなれたのに距離が離れてしまったことはとても悲しいし、どうすればよかったのかいつだって後悔しているけれど、こうなってしまったものは仕方ないという諦めもある。

 その日も、ハリーとネビルは二人で試験勉強のために図書館に向かっていた。

 さすがにこの時期の図書館は普段からは想像できないほどに混みあっている。試験が近付くにつれて図書館の利用者も増えていっているようだ。重い本のページをめくる音だけでもこれだけの人数がいればうるさく感じられる。その上羽ペンが紙をひっかく音や、生徒のそれぞれは小さな話し声が重なり合い、かなり全体的に落ち着かない雰囲気になっていた。

 ハリーとネビルはお互いに顔を見合わせて、ちょっとここでは集中できそうにないと感じたので、教科書を抱えて寒いけれど、外で内容の復習をすることにした。外であれば声を出して呪文の発音の確認だってできる。

 そんなことを話しながら湖の方向に向かっていると、禁じられた森の方から大きな人影、ハグリッドが校舎に向かってくるのが見えた。

 ドラゴンの件もあったので、ハリーはすこし気まずさを感じた。

 あの時は怒ってはいなかったけれど、ハリーたちが彼の大切なものを取り上げたようなものだ。どこかで疎ましく思われていても仕方がない。

 きっと前みたいには話しかけてはくれないだろう。そう思ってハリーはどこかに隠れたい衝動に駆られたが、彼らの周りにあるのは背の低い草ばかりでその願いはかなえられそうになかった。

 どうしようかとハリーがあたりをきょろきょろと見まわしているうちにハグリッドが彼らに気づき、声をかけてきた。

 そう、今までと何も変わらず。いつものように大きな体に見合った大きな声で、何事もなかったかのように声をかけてきたのだ。

 ネビルも同じようにハグリッドに挨拶を返し、ハリーは少し遅れて、いつもよりちょっと小さな声で挨拶をした。

 そしてハグリッドは、今は森に近付かない方がいい、と耳打ちをするように身をかがめて彼らに言った。

 

「なんで森に近付いちゃいけないの?」

 

 禁じられた森には危険な生物がいる、ということは知っているしそれもあって生徒は基本的に立ち入り禁止になっている。

 にもかかわらずハグリッドがそう言ったということは何かがあったのだろう。

 ネビルが聞けばハグリッドは「ちょっと困ったことになっている」と答えた。

 

「お前さんたちに話してもいいんかわからねぇけど…ちょーっとな、よくないものがいるようだから校長先生に相談しに行こうと思っていてな」

 

 ハグリッドはゆっくりと、言葉を選ぶようにしてそう言った。

 

「よくないもの?」

 

 ハリーはまだ魔法生物のことをよく知らない。図書館で本を借りてみることはあるけれど、ハーマイオニーのように読んだことを覚えていられるわけではないし、一年生の授業には魔法生物学はないのだ。確か、三年生から選択できると誰か、先輩だったと思う、が言っていたような気がする。

 だからよくないもの、と言われてもハリーにはぴんと来なかった。

 例えば、ドラゴンはわかりやすく危険だし、ほかにも確か、いろいろ危険な生き物はいるのだ。

 

「あー…そうだな、ユニコーンを襲ってるものがいるらしい…ああ、誰にも言うなよ…でもな…」

 

 ハグリッドはぶつぶつと何かを言っているようだがハリーには聞き取れなかった。

 どうやら禁じられた森にはユニコーンがいるらしい。

 というより、マグルの本にも出てくる幻想生物ユニコーンが実在していることにハリーは少し驚いた。久しぶりに魔法ってすごい、と純粋に感動した。ユニコーンは創作の中でも神秘的な生き物として描かれているし、もしも本当に存在しているのなら見てみたいと思っていた。大抵の物語でユニコーンは善良な生き物として描かれているので、それが襲われていると聞いてハリーは少し悲しくなった。

 

「ユニコーン、死んじゃったの…?」

 

 ネビルも同じ気持ちなのがそう聞いた声はだいぶ震えていた。

 

「だいぶ血をうしなっちゃぁいるが、死んじゃあいねえ。ゆっくり休ませてやりゃあ元気になるだろう」

 

 ハグリッドはハリーたちを励ますようにそう言った。

 森にいる他の生き物がユニコーンを襲ったのなら、きっとハグリッドはよくないものがいる、なんてことは言わなかっただろう。きっと、森の外から来た「何か」がユニコーンを襲ったに違いない。

 

「でもハグリッド、僕たちにこんな大事な話をしてもよかったの?」

 

 ハリーはこれは自分たちが知るべきではないことなのではないか、と思った。どうもハグリッドは大切なことをうっかり話してしまう癖があるように思える。

 

「ほんとはな言っちゃあいけねぇと思う。でもな、お前さんたちなら大丈夫だ、と思ったから話したんだ。ユニコーンは神聖な生き物だから他の生き物が襲うことはねぇ。でも、ユニコーンの血があれば死にかけている人間だって生きながらえることができる。だけどその血を口にすれば生きながらに呪われる。まあ、そう言われているんだ。だから、お前さんたちならどんな危険があるかきっとわかると思ってな」

 

 ハグリッドはそう言ったが、ハリーはそこまでユニコーンについて詳しくない。

 でも、ともかくそこまでしなければ生きていけない何かがこの辺りをうろついているらしいことはぼんやりとわかった。

 ハーマイオニーにこのことを話せば、きっともっといろいろなことが分かるのかもしれない。でも、ハリーは何が起きているのか知りたいという好奇心と、厄介ごとには巻き込まれたくないという気持ちとの間で揺れ動いていた。

 

「ユニコーン以外は無事なの?」

 

「そうだ。襲われたのはユニコーンだけだ。」

 

 ネビルの問いにハグリッドが答えた。

 この辺りにいるらしい「よくないもの」は狙ってユニコーンを襲っている。

 つまり、そこまでして「生きたい」何者かがいる、ということだ。もっとも、呪われるとか具体的にどういうことなのかわからないけれど、少なくともハグリッドの話を聞く限り、ユニコーンの血をのむ、というのは禁忌に近いことなのだろうと想像できた。

 どんな事情があるとしても、呪われてまで生きたいと思うのはものすごい執念だろう。そこまで生きたい、死にたくないと思う理由がハリーには理解できなかった。

 

「まあどうすればいいかは校長先生が考えてくださる。お前さんたちはそうだなぁ、今日のところは寮に帰った方がいいだろう」

 

 ハグリッドは自分の言ったことにそうだそれがいい、と大仰にうなずいてハリーたちを校舎のほうに追い立てるように背後に立った。

 確かにこのまま外にいるのは何となく不安だから従おうとは思う。

 ハグリッドに押されるようにハリーとネビルは校舎に戻り、ハグリッドはそのまま校長室に向かった。

 その大きな背中を見送ってハリーとネビルは顔を見合わせた。

 

「これって、きっと、ロンたちにも教えてあげた方がいいよね」

 

 ネビルはそう言ったが、ハリーはそれをしなければいけないのかと思うと一気に気持ちが重くなった。どうやって切り出していいのかもわからないし、声をかけるタイミングもわからない。ネビルに頼ってしまってもいいのかもしれないが、それも気が引ける。

 でも、ことはみんなの安全にかかわることだ。もっとも先生方からもなにか話しはあるかもしれないがそれよりも自分たちが伝えた方が早いのはわかる。それにもし、ハグリッドが心配しすぎているだけでそこまで騒ぐことでもないときには、ロンたちに余計な心配をかけてしまうことになる。

 ハリーは教えてあげた方がいいかもしれないけど、でもと言葉を濁した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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