鬼子 未来吟詠 (なんばノア)
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未来吟詠

寒い。

肌で感じられる熱など最早皆無。寧ろ、僅かな熱を逃がさぬように、我々は厚着を身に纏うのだから。

 

1月。季節は冬。天気は若干の雪。ここでの暮らしは2年程になるが、福山で雪が降るのはとても珍しい。せいぜい年に1、2回といったところだろう。

それ故か、行き交う人々は皆、空を眺め雪を視界に焼き付ける。

 

吐く息は白く薄く弱く。まるで、この空の雲のように消えそうで、曖昧なのにはっきりとしている。

 

「寒い」

 

だが、東北出身の私から言わせてみれば、これはまだ可愛い方なのだ。あそこの冬は人が住む場所じゃない。考えられる?雪で人が死ぬんだから。冗談抜きで笑えない。

 

「・・・・・。」

 

周囲に響く工事音。聞き慣れた音。一日中鳴り響くそれは、違和感という概念を完全に超越した。

 

近年開発が進み現在も尚続いている駅周辺。なんでも、市が福山市のシンボルとして、大開発プロジェクトを進めているようだ。―――うん。こう言っちゃなんだけど、やる意味無いよね。栄えるのは数年。盛者必衰。すぐに廃れるのは、目に見えているのだから。

 

「痛・・・っ」

 

あぁ、いつもの頭痛。慣れてはいるのだが、突拍子もなく訪れるこれは、いわば通り魔のような物。私にとっては、立派な邪魔者に他ならない。事実、これと連結するある症状(、、、、)のせいで、私の人生はめちゃくちゃになったのだから。

思い返すのも億劫だ。とても不快な気分になるから、普段は考える事すらない。

 

新年、真新しい事でも起きるわけじゃなし。まぁ、今年も同人活動に勤しむのが無難であろう。

 

「・・・痛い」

 

頭痛が続く。ダメだ。今日は特別キツい日だ。普段ならすぐに収まるのだが、たまに今のような長い波が来る。その度に思い出す。この痛みに似た凌辱を。あの夜から始まり、あの夜に終わった痛みを。

 

 

「あのー」

 

 

突然の声に驚いた。背後なので確認してみないとわからないが、明らかに私を呼び止める声だった。顔を確認するために後ろを振り向く。

 

「なんですか?」

 

「あ、すみません。急に呼び止めちゃって」

 

見た目、私と同い年くらいだろうか。同年代の女の子が声をかけてきた。学生かな。

髪の毛が長く明るく特徴的、それをポニーテールよろしく後ろで結び込む。

飾りの無い服装と髪型で、愛嬌のある顔つきがより印象的だ。

その手には見知った柄の財布が―――

 

「この財布、落としたの見ちゃったから」

 

私の財布に間違いなかった。先月、自身の貯金で買ったばかりの財布だ。見間違いようがない、私が選んで買ったのだから。あまり風貌がよろしくないので、人には見られたくないような物なのだが・・・。

そんな物を落としてしまった私に、深々たる怒りと、

これを拾ってくれた彼女に、心からの感謝を。

 

「ありがとう、ございます・・・」

 

人に親切にされるのは慣れていない。人の好意という物も、私には無縁だった。

だから、こういう時、どんな反応をすればいいのか・・・―――少し迷ったが、お礼の気持ちを伝えるのが当然だと思った。

 

「うん。次からは落とさないように気を付けてね。大事にしてるみたいだから、やっぱり気を付けた方がいいよ」

 

うーん。大事にしているか、そうでないかと問われれば否定は出来ない。けど、残念ながらそこまで思い入れは無い。ただ、好きな作品のキャラクターをモデルに作られた財布と言うだけ。まぁ、こんな物を好んで買ってるのだから、大事にしていると言われればそこは否定出来ない。

 

「はい・・・、ありがとうございました・・・」

 

お辞儀をした後、頭痛が治まってくるのを理解出来た。よかった。暫くは来ないことを祈っておこう。

そして、彼女もニコリと笑って私を後にする。近くで待たせていた付き添いの女性の下に駆けていく。あれ、派手な髪色だなぁ。コートも橙色で凄く目立つ。煙草も吸っているし、あまりいい印象は持てない。そして付き添いの女性は待たされた事に不満なのか、彼女の頭をわしゃわしゃとする。その後、急ぐようにこの場を去っていった。

 

「変な人達だったなぁ・・・」

 

失礼な発言なのだろうが正直な感想だ。お人好し地味目な少女に、派手目な赤髪の美女。うん。なんか絵になるような、全く場違いな珍人コンビのような。

どちらにせよ、財布を拾ってくれた彼女には本気で感謝している。

だが、正直驚いている自分がいるのも確かだ。過去、私は周囲の人間に助けを求め続けた。だが、決まって彼らは皆、私の乞う助けを無視し続けた。そして、私の人格が形成された。

 

“他人は、他人を助けない”

 

人間と言う生き物は自己に正直な生物だ。自身の理想、自身の可愛さ、自身の欲望の為に、他人を蹴落とし他人を虐げ他人を阻む。

他人の助けなどに耳を貸さない。そんな物にいちいち気を取られていては、自身の理想から遠のくだけなのだから。

 

故に、自身にメリットのない行為は何一つ容認しない。あぁ、ボランティア?そんな物はただの偽善だ。上の存在が下の存在に対して抱く慈悲のような物。上の存在が、上の存在としての愉悦感に浸りたいが故の偽善行為に他ならない。

 

正義感もそうだ、それは自己から生まれた渇望。正義という概念を自己として有りたいがための善行なのだ。そんなものは、正義感という名を借りた快悦に過ぎない。

 

これは、私の屁理屈に過ぎぬのだが、間違っているとは塵ほどにも思っていない。

事実。私の周りの人間はそうだった。助けを求めても耳を貸さず。いくら目の前で甚振られていようと、平気な顔で立ち去る。

 

唯一の不幸があったとすれば、私の周りには正義を快悦する者が居なかったと言う事ぐらいだ。後は、生まれてきた事が、不幸だったのかもしれないな。

 

「―――帰ろう」

 

冬休みだから、暇なので散歩でもしようと思っていたのだが、嫌な過去を思い出したせいか気分が悪くなった。ほら、やはり私には過去を省みるなんて事は似合っていないんだ。異端は異端らしく、先を眺めるのが性にあっている。

 

 

 

『そんなのはダメだ―――!!』

 

 

 

頭の中で響いた閃光の声。何がいけないのかよくわからないが、また、いつもの症状(、、、、、、)だろう。先の事は、先を思えばいつでも判る。だが私は先の事など知りたくもない。こんな風に、無意識でさえ私に訴えかけてくる未来(コイツ)は、私に何が言いたいのだろうか。

色々語ったが、注釈して簡単に説明すると、

 

―――私には、“未来”が判るのだ。

 



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1/

 

悪魔。

その概念は宗教に根ざした超越的存在のこと言う。または、悪しき超自然的現象なども然り。

仏教では仏道を邪とする存在、詰まるところ“煩悩”をそう呼んでいたりもする。

キリスト教では、神を誹謗中傷し、人々を惑わす存在として扱われている。西洋文化で生まれてきた悪霊の類を、日本語で我々は一般としてこれらを悪魔と呼んできた。

 

 

 

 

 

 

 

 

1/ (未来吟詠)

 

 

「悪魔憑き、ねぇ・・・」

 

突然、口を開いたのは担任である蒼崎橙子だ。自室同然のように扱っているここは一応学校の1室。美術準備室だ。自室の如く扱うのもどうかと思うが、それを上回る非常識さがこの人。あろう事か、学校の一室を魔術の工房同然に仕上げているのである。

本棚に並ぶのは、凡そ学校の授業とは無縁の品々。人避けの結界を部屋に張っており、一般生徒や職員の立ち入りを無くしている。

そんな用意周到で完璧な彼女が、ため息混じりにひ弱な声で呟いた。

 

「何なんですか?それ」

 

「いや。ちょっとした知人からの知らせなんだけどねぇ。関東にある“支倉市”って知ってる?」

 

「えぇ。たしかC県の・・・」

 

あまりにも遠い場所なので、それくらいしかわからない。ただ、ニュース等で聞き覚えのあった町だ。そこが一体どうしたのか、少し疑問に思う。

 

「そう。そこでね、ちょっとした殺人事件が起きたみたいなんだけど・・・―――これがどうにも不可解でね。その知人から、私の下に調査の依頼が来たって事よ」

 

出た。この人の顔の広さ。ブラハムが言ってた通り、凄い魔術師なんだろうけど、流石にこの顔の広さには驚きを隠せない。

この間の件もそうだ。

 

「まぁ、遠いし。金にならないから引き受けないけどねー」

 

そう。橙子さんは凄い魔術師なのにお金は無いのだ。だから、何かとそう言った金銭的に苦しい場面も見て取れる。関東までの交通費と、無料(ただ)同然の報酬とでは割に合わないという事くらい、私にもわかる。

 

「それとさっき言ってた悪魔憑きってなんの関係があるんですか?」

 

「ん?あぁ。強盗殺人事件なんだがね、被害者は3人。内1人は死亡、内2人は重症。死亡したのは強盗被害に遭った店の店員。重症として入院中の客2人の口から語られたのが、そいつは悪魔憑き。犯人はA異常症患者(、、、、、、)だったと言うことだ」

 

「―――A異常症?」

 

全く1度も聞いたことの無い単語が読まれた。

A異常症なんて病気あったかな?

橙子さんは眼鏡を外し淡々と喋り出した。

 

「そうか・・・、この辺りのニュースでは報道されていないのか。関東(あっち)ではそれなりに有名な病名として人々に認知されているがね。

正式な名称を“A(アゴニスト)異常症”。精神病の一種だ。人間の精神を狂わせ、肉体を変貌させる。まさに、悪魔の所業としか思えない症状。それ故に、通称として彼らはこうも呼ばれている。“悪魔憑き”、とね。彼らの症状は実に奇怪だよ。考えられる?腕が普通の人より多かったり、目が多かったり。様々な症状があるけど、彼らは皆人間。いや、人間だったが正しいか?人と言う枠組みから外れた人間。それが彼ら、悪魔憑きだよ」

 

「悪魔憑き・・・」

 

そんな病気があって良いのか。そんな現象をもはや病気と言って済ませても良いのか。甚だ疑問だが、病気という以上治せるのは絶対だろう。どんな病気であろうと、治療法さえ見つかれば治せる筈なのだから。

 

「その病気って治らないんですか?なんか、悪魔って呼ばれるのは嫌じゃないですか。人間」

 

「残念だが、原因不明で治療も不可能だ」

 

「な―――」

 

あまりにも残酷な現実に思わず絶句する。

当然だろう。その病気にかかってしまえば治らないと言われたんだ。原因不明とは発病の原因がわからないという事だ。言ってしまえば、予防策も無いのに発病したならば治らないという事だろう。

 

「治療法がまだ見つかってないんですか?」

 

「いや、治療法なんて物は無意味なのさ。悪魔憑きって言うのも一概に、一括りには出来ないのさ。彼らは本質が違うから、患部も新部もバラバラ。患者Aの治療法と患者Bの治療法は違う。症状が同種でもその本質が違うなら、同じ治療法を実践しても治るはずがない。言うなれば、患者1人1人にそれぞれが適した治療法を、新たに開発していかなきゃならないんだよ」

 

「・・・」

 

声すら出なかった。もしも、自身や知人がそのような病気にかかったりしたらと考えると、ゾッとする。

 

「心配しなくても、君は感染しないぞ」

 

「―――え、どうしてですか?」

 

「A異常症の感染者は何故か、関東や近畿、東北以外では発見されていない。関西より西の地方では未だその症状を発病した人間が居ないのさ。だから、君は安心していい。今のところは(、、、、、、)

 

最後の一言が気にかかったが、まぁ、橙子さんが言うなら安心できるのも確かだ。

そうならないように、是非祈っておこう。

 

「失礼しまーす」

 

横開きのドアを開け、1人の男が入ってきた。

人避けの結界が機能している中、いに介さず入ってくる人間とは、そういう事だ。

 

「なんだ、西谷か」

 

西谷 翔。同じクラスの男子生徒。そして、現在は魔術使い並びに八咫の憑依体として、現在、蒼崎橙子が身柄を守ると言うのを名目に、彼の監視を行っている。

 

「いい加減、あの家を私に譲る気になったか?」

 

あの家とは、丘台の1等地に佇む洋館の事だ。

 

「なるわけ無いっすよ。それより、明日から冬休みだけど、俺ずっとあの家に居るんで。何かあったら来てくださいね」

 

「お前、それが人に物を頼む態度か?用事なら電話で済むだろうに」

 

「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ。じゃあ、電話で済まない用事なら使い魔ください。あ、別にご自分で来られるのも構いませんけど」

 

そう言い残し、彼はドアを開け出ていってしまった。橙子さんは、明らかに不機嫌な様子だ。

 

「くそ。アイツには年末世話になった恩もある。これ以上は何も言えんな」

 

これ以上って、色々言いたい放題してたような気もするが、まぁ、黙っておくのが吉だろう。

 

「いい加減あの家は諦めたらどうですか?お金も無いんですし」

 

「こんな狭い工房じゃ何も出来ないよ。アソコなら充分なんだけどね。年末のアレの足止めで、勝手に仕掛けてた術式とかで派手に内装を壊しちゃって、西谷に怒られたんだよ。全く、器が小さいねぇ。アイツは」

 

それは明らかに橙子さんに非があるだろう・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

数時間前。

終業式の長い話の中、瀬尾 珠花(せお たまか)は憂鬱混じりに考え事をしていた。

 

昨日の晩ご飯は何だったか。昨日の番組は面白かったな。果ては、去年の冬休みって何してたかな。とか、過去を省みてはため息をこぼす。

 

退屈な日常。もしも、過去と言うやつに縋ることができるなら、私は過去に戻りたい。戻って、何もかもやり直したい。

でも、はたして過去に、私の居場所はあるだろうか?少なくとも、幼少の私に私の居場所は無かった。なら、私が私である以上、過去に戻っても居場所などは無いのだ。

 

しかし、未来なんてものはもっと嫌いだ。

「未来は不確定。わからないからこそ、人はそれに縋り夢を見る」、などと現国の先生が言っていたが、私の場合、未来こそ最もつまらない物に他ならないのだ。

 

未来なんて少し考えればわかるのに。過去は、どれだけ縋っても追いつけない。結局の所、私は前にも後ろにもうんざりしていた。

退屈に過ぎていく毎日。過去に知った結果(それ)を通り過ぎてく私。

 

「―――ぇ、・・・――ねぇ、瀬尾?聞いてる?」

 

突如私を呼ぶ声に、反応が遅れた。

 

「あ、―――ごめん。聞いてなかった・・・」

 

同じクラスの女の子。チヒロちゃんの声に気付かず、考え事ばかりに身が入っていた。

 

「もおー、何をボーっとしてんだよー。さっきからずっと1人で喋ってて恥ずかしかったじゃんかー!」

 

チヒロちゃんは少しだけふてくされて、私の両頬をつねっては弄くり回す。

 

「痛い痛い、ごめんへば。私が悪かったえふ」

 

すると満足したかのように笑顔になってつねるのをやめる。

 

「うんうん、わかればよろしい。瀬尾の素直さだけは、私も尊敬してるんだから」

 

うーん。素直さなんて、尊敬されても別に嬉しく無いような・・・。

あ、そうだ。確認がてら、現状の進行を聞いておこう。

 

「そういえばチヒロちゃん、活動の方は上手く行ってるの?―――ほら、チヒロちゃんが書いてくれないと私も描けないし・・・」

 

「お、聞くかー?昨日辺りからヤバいよ?アイディア閃きすぎて脳みそパンクしそうなくらいだぜ!あ、勿論期限までに出来上がるぜ?私が時間取って瀬尾が絵を描けなかったらマズイからね」

 

うん。そう言ってくれるのはありがたい。けどね、チヒロちゃんは間に合わない。これはもう決まってる事だから。

基本、この子の自信は意味なく湧き出てくるもので、根拠もなく得意げに宣言してみせるのだ。

気になって一応昨日()てみたけど、やっぱり予想通り。チヒロちゃんの作業は終盤に差し掛かる所で行き詰まってしまうのだ。

このやり取りも実に3日ぶり。あれは寝る間際、私が作業の合間に見た夢。この未来(えいぞう)は、一度見ている。そして、その先の未来も、予めわかっているのだ。

 

「うん。期待せずに待ってるね」

 

「いやいや、そこは期待しろよ!」

 

 

 



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アゴニスト異常症。通称悪魔憑きと呼ばれる病気がある。

その発病原因は不明、治療も不能。精神病の一つとされ、患者の精神を狂わせ肉体を異形へと変貌せしめる奇病。

だが、その仕組みだけは既に解明されていた。

 

受容体、レセプタと呼ばれる蛋白(たんぱく)質。それは、神経の繋がりであるシナプスの間隙に放出される神経伝達物質、リガンドを受け取る事で、脳に新しい情報を作り出させるシステムらしい。

 

人体は脳の命令で動くが、レセプタはその結果を脳に刻み込む機能である。

 

あらゆる行動、事象の結果。

人間とは、常に新しい感情を生み出している生命体。ほら、痛かったり、怖かったり、嬉しかったり。感情という物は、我々に常に付き纏う。

 

レセプタは細胞の分裂や増殖といった人体の運営から、更に高次の生命活動、感情にも作用する。言うなれば、人間を成長(へんか)させる扉を開く鍵穴でもある。

彼らは、この脳の受容体に異常が生じた人間の俗称なのだ。

 

とある本物の(、、、)悪魔がこう言った。

 

“人間は微弱な電気で動いているし、感情は化学変化に過ぎない。となると、強い感情になればなるほど電流は強くなると思わない?

デジタルのようでいてアナログ・・・いや、詩的(ロマンチック)なんだよ、人間は。

深い絶望、切り刻むような慟哭で、本当に体内に稲妻を走らせているんだから”

 

悪魔がウイルス。だとすれば、宿主の感情によって成長する。

極端な感情、負の鬱積が悪魔(ウイルス)を育てる温床となり、成長したウイルスは、人体のシステムを狂わせる悪魔と化す。

本来、受容体と結合する事で脳に情報を伝える情報伝達物質。悪魔憑きにかかった者は、強い化学反応(かんじょう)によってこの神経伝達物質を異常分泌させ、受容体を傷つけてしまう。

その在り方から、この奇病はアゴニスト異常症と呼ばれる。

アゴニストとは受容体を刺激する化学物質で、時に神経毒のように致命的な働きをする作用毒である。本来無害である筈の神経伝達物質が、異常分泌を起こすことにより、アゴニストの如き毒となり受容体に壊滅的な衝撃を与え、人体機能、在り方、それらを根こそぎ歪ませてしまう。

 

その毒の放出元は感情。受容体は自らを苦しめる原因、感情を鎮静させるため原因解決のための新しい機能、“苦しい”という原因を解決するための新しいを機能を、人体に作り上げるのだ。

これが、アゴニスト異常症。脳細胞の機能、神経伝達物質の制御が暴走した事による、精神障害の一例である。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

あぁ。視界が朦朧とする。

なんで、かな。頭は頗る回るのに身体が動くことを許さない。ただただ身体を蝕む痛覚。首を動かす事も儘ならない程の痛み。だから、見渡して確認出来ぬ以上、どんな状況かはよくわからなかった。

ただ、この天井は見覚えがあった。いや、ありすぎた。私の家だ。ここは私の家だ。

 

あぁ、思い出した。出来ることなら、思い出したくは無かった。このまま、ずっと眠り続けていれば、楽に死ねたかな。

 

部屋の隅で震える母親。そこにやって来て、髪を掴み平手で頬を叩く父親。1回、2回、3回、4回、5回と、血が出るまで叩き続ける。掴んでいた髪の毛を離すと、倒れ込んだ母親を3度踏みつける。

 

苦痛に顔を歪ます女性。それは、真実私の母親である人間で、それに暴行を加えるのも、私の父親だ。母親がビクビクと、身体を震わせ声もあげなくなる。それを見て、つまらなそうに唇を釣り上げる。あぁ、次は私だ。そんな、未来を確定させた。

だってわかってる。わかってるんだ。このまま6分間、私はこの男に有りと有らゆる暴行を受ける。

 

そう、この未来は確定事項。

私が、私を守もるために手に入れた未来。

―――それでも、私は何も出来なかった。私は、臆病者だった。私自ら手を汚すことはしなかった。私は、汚れることを嫌った。私は、私が汚れる未来を拒んだ。だって死んでもいい。だって、もう生きてても楽しくない。だけど、自身が汚れたまま死ぬのは嫌だった。だから、殺されるなら殺されるで構わない。

でも、それも今日で終わり。私が見たのは私が死ぬ未来では無い。

汚れることを拒んだ私は、結局、誰かに縋ることしか出来ないのだ。

 

暴行を加える男の背後。手に刃物を携えた、母親の影が――――。



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2/

 

私には未来がわかる。

いや、比喩でも何でもなく、事実。

私には先の世界(、、、、)。つまり、“未来”を予見する力があるのだ。

 

「先なんて物は考えれば誰でもわかる」

 

その通りだ。未来には無限の可能性が秘められている。だから、様々な予測、考えが反映される。故に、考えれば誰にでも未来はわかる。だって、無限の可能性が渦巻く中、的確な未来を予見する生命体など居ないのだから。

これは(コンピューター)の問題。いくら人間の脳が他の生物を凌駕しここまで発展してきた生物だとしても、無限に有り得る可能性全ての演算など不可能なのだ。

故に、こんな所業を可能とする生物は、もはや人間ではない。悪魔―――人間という枠組みから外れた(、、、、、、、、、、、、、)人間。

とある数学者が、この超越的存在に名前をつけたという。

 

Laplace's demon.

 ラプラスの悪魔―――と、

 

 

 

 

 

 

 

 

「寒いねー」

 

「寒いのになんでこんな所へ来てるんですか」

 

「そりゃあ君、年末年始の戦争だよ」

 

そう、現在我々は戦争の帰路。それも敗戦。

 

「いやいや。福山(ここ)での年末年始戦争は初めてだが・・・全く、すっかり舐めきっていたよ。福山市民の人口と、その実力をね」

 

1月4日、年明け。午後1時過ぎ。

各スーパー、雑貨屋等の年末年始バーゲンセールも今日まで。とくれば当然、最終日の最後の最後の恩恵にあずかろうとするのは当然だ。

そう考え、駅前の商業施設を渡り歩くこと2分、あまりにも悲惨な現実を思い知った。

予想していた特売品はその在庫を切らし、もはや家電製品くらいしか割引商品が残っていないではないか。

 

うん、家電製品か。要らないな。

 

即決出来る。古くなっていたオーブンレンジも、先月のテオさんの一件で買い換えたからだ。

結局、買えたのはパスタ2袋とトイレットペーパー、それと冷凍食品を少しだった。

そして、別の店へと移動している最中。見知った人物と出くわしたのだった。

蒼崎橙子。見ると、手には空のエコバッグ。眼鏡を掛けている状態ですら、容易に伺い知れる程の明らかに不機嫌な表情。眉間にシワを寄せ、唇を尖らせてコートのポケットに片方だけ手を突っ込んでいる。

そして私を見るなりその風貌から状況を察し、ヘラヘラと笑い出したではないか。

 

あの、すみません。ご自身の状況をご存知でしょうか。私以上の大惨敗ぶりですよ・・・橙子さん。

 

「去年はもう少しだけマシでしたよ。多分今年だけなんで、安心して下さい」

 

「そうね。この街の人間は、みんな図太いわ。

三吉、奈良津、南陽台の集団失踪事件(、、、、、、)から半月でこれだもの」

 

 

あぁ・・・、アレか。

半月ほど前。この福山市に、とある怪物が通りかかった。

そう、それはただ通りかかっただけ。通りがかりに、人間を数百人■■して行った怪物。

被害地区は三吉、奈良津、南陽台の3つ。特に三吉の被害は甚大で、町の住人の7割は消息不明(、、、、)となり、現在も行方が掴めていない。

 

これは世間に公表されてはいないが、その被害現場はまさに地獄そのもの。一面の血の海に人間の四肢。まるで、獰猛な獣か何かに(、、、、、、、、)襲われたのではと思えるほどに、無造作且つバラバラに死体を放置してあったという。

 

この謎の集団失踪事件は教会によってなんとか隠蔽されたが、橙子さんが仕掛けていた術式の起動により、南陽台の住宅は酷い有様。

特に、彼女の家の内装などはもはや跡形もない。派手に破壊されており、西谷も凄く怒っていた。

 

私はその怪物を見たことすら無いのだが、ブラハムはその正体を知っているようだった。

なんでも、何処かの皇帝のような名前だった。―――まぁ、もう関係の無い事だろう。

 

 

「―――いや、それはこの街の人間だけに言えることでは無いな」

 

「え?」

 

気が付けば、橙子さんの眼鏡が外れていた。

 

「人間の本質だよ。わかりやすく言えば、性根のような物だ。彼らはあの事件を忘れた訳でも乗り越えた訳でもない。彼らはあの事件にね、初めから興味が無いんだ(、、、、、、、、、、、)

 

「―――な、」

 

それは有り得ないだろう。だって、人があんなに消えているんだ。その現象に恐怖するのは当然の原理。人間は、そこまで不感症な生き物では無いだろう。

 

「有り得ない、と言った顔だね。それでは言い方を変えよう。人間というのはね、他と言うものに無頓着な生物だ。

他人の結果などどうでもいい、自身の結果さえ判ればどうでもいい。判るかい?人間はね、同時に違う事柄を思考出来ないのさ。同時に異なる事を考えられない。それは、思考を単一とするに同意義だ。二つの事を同時に考えられない。つまり、思考すべき事柄に優先順位をつけなければならない。そして、その第一優先になるのは間違いなく自己だろうね」

 

「でも、同時にたくさんの事を考えられる人だっています。聖徳太子がそうだったとかなんとか・・・」

 

「聖徳太子ぃ?そもそも存在自体が不確証ではないか。―――でもまぁ、確かに例外はいる。アトラスの錬金術師なんかがそうだ。だがね、彼らの最優先事項は魔術の研究成果のソレなんだ。自身の研究の成果、故に自己のための思考回路」

 

アトラス・・・なんか聞いたことのない単語だなぁ。錬金術って中世の魔術みたいなイメージだ。アレでしょ?石から金を作り出す、みたいな。そんな人達が聖徳太子と同じ事が出来るなんて、正直驚きだ。

 

「他人に気をかける時。それは、必ずどこかで自己が絡んでくる。君は学生だから、こう例えよう。Aさんのテストが気になる。それは何故だ?―――答えはね、自身の点数と比較したいからだ。

Aのテストが赤点だとして、君に哀れみは生まれるか?生まれないだろう。純粋に、勉強が足りなかったAが悪いのだから。そこに哀れみや同情を述べる(やから)がいるなら、ソイツは詭弁だ。自身の比較を悟られないがための、罪を覆い隠すための詭弁。

これは、人間の悪性でもある。

自己の為なら、他を犠牲に出来る。

自己を守るための強さと、他を貶めるが故の弱さ。強弱では矛盾関係だが、善と悪に捉えると、矛盾であり連結なんだよ」

 

「へぇ、つまりそれは人間の本質だから別に悪いことではないと・・・―――あっ」

 

橙子さんは1度話し始めると話が長い。魔術師とか、そっち方面の話がわかる人間ならわかるのだろうが、あいにく私は一般人。何の話かもさっぱりなのだ。

だから、話が長くなるとどうしても別の話題を探してしまうのだ。

そして見つけた。通行人の少女が財布を落とすのを。

 

「あ、おい香桜――」

 

「ちょっと行ってきます!」

 

橙子さんの制止を振り切り、落ちた財布を拾って持ち主の少女へと向かう。

 



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3/

福山市南陽台町。

ここは高台に位置した福山の高級住宅街の一つ。南陽台という名前からもわかるように、高台という事で陽当たりは頗るいい。

だが、一方その反面面倒な点も然りといった感じだ。高台と階段、坂道は必然関係だ。面倒とはそういう事で、私のような来客人に厳しい住宅地なのだ。

高台に続く階段の全てを登りきると、それはやはり私を魅了した。

「うーん。なんて言うか、これはご褒美だな」

それはまさに神秘的で圧倒的だった。本日のような晴天であれば、点在する家々の屋根による逆光で街の全景をより醸し出し、このような壮観を生み出すのだ。

幸い私は高所において恐怖を覚えたりはしない質なので、ここからの絶景を潔く受け止めることが可能だった。

「・・・そうだ。惚けてる場合じゃなかった」

さっさとお使いをすませてしまおう。そう。何故私がこんな辺境の地にまで足を運ぶはめになったのか。それは、我が担任である蒼崎橙子の諸事情によるものだ。

“急な仕事が入ってね。これから少しばかり県外に出ることになる。すまないが、今週の観察は君に任せたい。頼んだぞ”

まったく。別に私でなくとも、弟子のキョウさんなり使い魔なりに遣わせればいいのだ。なんだって私がこんな事を・・・。

「まぁ、今更どうこう言ったって変わらないしね」

不本意だが請け負ってしまった以上、最後までやり通さねばならない。それに、もうここまで来てしまったのだ。さっさと済まして温かい家に帰ろう。

そして、足早に鴉夜邸(、、、)に足を運ぶ事にした。

 

 

鴉夜邸は古い造りながら、整備や構造はしっかりとされており、この高級住宅街の中においてさえその存在感は他を圧倒する。

人避けの結界が消えてから、この団地の異様さは増した。だってそうだろう。文字通りいままで存在しなかった巨大建築物が、突如として現れたのだから(、、、、、、、、、、、、)

人避けとは読んで字の如く、“まるで人がソコを避けて通るような様”から名づけられた、所謂結界というやつだ。魔術師とは神秘を秘匿する生き物だ。その研究所となる工房は勿論、様々な用途でこの結界を用いる。先日も話した通り、うちの先生は学校の一室にそれを設置し自らの工房として扱う不届きものだ。

話を戻そう。人避けが消失し、あるはずのない建築物の出現のそれは、間違いなく未知と言えよう。

橙子さんが言っていた。人間は有り得ない現象や事実または事象を目の当たりにした時、その原因と因果を必死になって理解しようとするのだとか。自身の“脳”と呼ばれるソフトウェアを最大限にまで活用し、記憶に埋め込まれたソレと一致しうる事象を検索して納得づけるのだという。そして理解が出来なかった場合、人間は考える事を突如として放棄する。これは人間個人の脳が限界に至ったことを意味し、同時にそれを超えてしまうと人は隔てなく破綻してしまうから、自ら思考を閉ざすのだと。だから、万が一ミスで結界が消失しても、肝心要の研究成果さへ見られなければ何も問題は無いのだろう。だってわからないのだから、皆途中で考えるのを諦めちゃう。

だが稀に、この未知たる現象を、理解してしまう人間が存在するという。

魔術師は勿論、彼らにとっては未知でもなんでもなく既知なのだから、理解できて当たり前なのだ。問題は、魔術なぞ大凡関係のない一般人がそれを理解してしまえる場合があること、だ。橙子さんは、脳の容量と耐久度の問題だから、そんな人間が居たとしてなんら不思議ではないと語っていたが、私はそうは思わない。だって、通常の人間が理解できないってことは、その人間は“通常”から脱却してるってことだ。だからそんな人間が居たとして、それは一般人とは決して呼べないと思う。

 

 

西谷の定期観察が終了し、時刻は2時を越していた。

「ふぅ、終わった終わったー。お疲れ様」

「おう。みなみーこそお疲れ。相変わらず、あの人に酷使されてるみてぇだな」

「あ、なによその他人事。今日はあんたのせいとも言えるんだから、もっとありがたくしなさい」

「いや、そもそもこの定期観察の行為自体好きじゃないし。頼んでやってもらってるならまだしも、むしろ橙子さんが無理やりやってる事だから。みなみーには悪いけど、俺がありがたく思う謂れはないんだよねぇ」

む、確かにその通りだ。そんな正論を言われては何も言い返せないではないか。元凶は橙子さん以外に有り得ないのだろうけど、ここに居ない人間の話をしても意味ないか。

「まぁ、用事は済んだことだし、そろそろ御暇するかな」

とやつに背を向けたまま別れを告げた。

「うーーーい。おつかれーーー」

なんて気の抜けるようなだらしない返しが来たものだから、さすがにイラッと来たため振り返ってガツンと言ってやろうと思ったのだが、案の定西谷の手には一つの分厚い書物が握られていた。

それは魔導書とかそんなふうに呼ばれる代物であった。なんだ、意外と真面目に勉強してるんだ。

「―――どう?なんか、少しはものになった?人避けはまだみたいだけど、なんかこう…」

「いーや。魔術ってすげぇ難しいよ。魔術師の家の子でもない俺に、才能なんてものは無いからな」

「西谷…。やっぱり、あんたが気にすることはないよ。あの件は二人の問題なんだから…あんたが気に病んでも仕方がないじゃない」

そう。こいつは鴉夜さんの死を未だ自分のせいなのだと戒めている。そんな事あるわけがないのに、そんな事でこいつが悩むことを、鴉夜さんが望んでいるはずないのに。―――なのに、こいつ一向にそれを譲ろうとしない。強情だから、諦めが悪いからとか、そんな事自分では理解していながらも、こいつは決して折れない。それだけはハッキリしてる。だって、私もそうだったから、こういう類の感情は人一倍理解がある。

「うん、わかってるよ。俺がいくら悔やんだって、ヒナノは還って来ない。そんなことはわかりきってる。それに、俺がメソメソしてたらかっこわりぃもんな。そんな姿、あいつに顔向けできねぇもん」

驚いた。よくよく考えれば、今日はまだ以前のような沈んだ顔は見ていなかったのだ。…なんだかんだ言っても、根は変わらないんだな。

「ふふ…。なんだ、ちゃんと大事なことは判ってるみたいね。ちょっと意外。もっと落ち込んでるのだとばかり思ってた」

「おいおい、俺はあの西谷翔様だぜ?いつまでも落ち込んで居られるかよ」

「そうね。無事に立ち直ったようで安心したわ。美香子ちゃんもつまんないって言ってたから、早く復帰した姿を見せてあげてね」

「おう。―――あ、送ろうか?」

いい、と断った。せっかく勉強をしていたのだ、邪魔をしては悪かろう。私は持ってきた荷物を手に、鴉夜邸を後にした。

 

 

―――あぁ。また、見えた。階段は危険。頭上に注意。

「そっちは危ないですよ」



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