進撃のガッツ (碧海かせな)
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プロローグ

 役に立たない立体機動装置を捨てる。立ち止まることもなく、走りながら。

——動け、動き続けろ。

 立ち止まった時が私の死ぬ時だ。

 走りながら、胸ポケットから手帳を取り出す。赤くて可愛らしいお気に入りの手帳。誰に頼まれるでもなく、日記のように壁外調査のことを書き連ねている。まだ半分以上が真っ新の白紙だ。

 その手帳を開き、不安定で乱れた字で文字を書き込む。

 

『私はイルゼ・ラングナー。第34回壁外調査に参加。第二旅団最左翼を担当。帰還時、巨人に遭遇』

 

 仲間を食らった、巨人の顔が頭を過ぎる。

 私は何も出来なかった。目の前の巨人を相手にすることで精一杯で、助けることなどできなかった。

 ただ仲間の断末魔を聞くことしかできなかった。

 

『所属班の仲間と馬も失い、故障した立体機動装置は放棄した』

 

 巨人に投げ飛ばされたときだ。立体機動装置のファンが壊れ、すぐに動かなくなった。戦力外になった私を助けるために、隊長は死んだ。

 涙が零れる。文字が霞む。

 

『北を目指し、走る』

 

——例え、

 

『巨人の支配する壁の外で馬を失ってしまった。人の足では巨人から逃れられない』

 

——それがいかに、

 

『街への帰還、生存は絶望的』

 

——絶望的であっても。

 

 諦めない。目の前に見えてきた森に走り込む。15m級であれば、森での行動が著しく制限されるはず。そう、私は授業で学んだ。

 

——こんな時にそれを思い出すだなんて、バカにしてた授業も、バカにならないのね。

 

 止まりそうになる足を動かし、乱れた呼吸は戻らない。

 

『ただ……巨人に遭遇せず、壁まで辿り着くかもしれない。そう……今私がとるべき行動は恐怖に平伏すことではない。この状況も調査兵団を志願した時から覚悟していたものだ。私は死をも恐れぬ人類の翼。調査兵団の一員。たとえ命を落とすことになっても最後まで戦い抜く。武器はないが私は戦える。この紙に今を記し、今できることを全力でやる。私は屈しない。私は——』

 

 顔を上げると、そこには巨人がいた。

 こっちを見ている。

 彼我の距離は3m。

 

 足は止まっていた。

 

 巨人が襲いかかる。崩れ落ちるように退いた私の背中に、木がぶちあたった。

 もう後ろはない。

 

 巨人がこちらを覗き込んでいる。

 生臭い息が、私の顔に当たる。

 私を食らうであろうその口は、一文字に噛みしめられている。

 

 食われない。

 地獄のような時間。

 殺すなら、一瞬で死にたい。

 スイッチを切るように、死ねたらいいのに。

 

——だが、その前にするべきことがある。

 

「わ…わたし…は屈しない」

 声も、手も震えていた。

 

『巨人遭遇』

 

——書け、私のやるべきことを為せ。

 

『6m級。すぐに私を食べない。奇行種か……』

 

——もう、顔を上げる勇気もない。

 

『いよいよ最期を迎える。これまでだ。勝手なことばかりした……。まだ親に何も返していない』

 

 壁の中に待つ両親の顔が浮かぶ。

——帰りたい。

 

『きも ちわるい おわ る』

 

「う…う〜…ユ…ミル…の…たみ……」

 

 それは私の声ではない。

 私の頭上からの声だ。

 涙は滂沱のごとく流れ続ける。

 だが、私は確認せねばならない。

 

 顔を上げる。

 巨人が、一歩退いた。

 

「今……」

 声が漏れる。

 

「ユミル…さま…」

 巨人が喋った。

「よくぞ……」

 そして頭を下げる。これは敬意の姿勢。

 これは、言葉だ。

 

『巨人がしゃべった』

——書け。

『ありえない……。意味のある言葉を発音した。「ユミルの民」「ユミル様」「よくぞ」間違いない』

——残さなきゃ、このことを残さなきゃ。

『この巨人は表情を変えた。私に敬意を示すような姿勢を取った。信じられない。恐らく人類史上初めて私は巨人と意思を通わせた』

 

「あ、あなた達は何?」

 私は聞かねばならない。

 

『この巨人に存在を問う。うめき声。言葉ではない』

 

「どこから来たの?」

 巨人は両手を顔に当て、俯いている。

『所在を問う。応答は無い』

 

「どうして私達を食べるの?」

 聞きたかったこと。ずっとずっと、疑問に思っていたこと。

 なぜ、私の仲間は、同僚は、食われなければならなかったのか!

 

『目的を問う』

 

「どうして!」

 声が勝手に、意思の赴くまま、勝手に叫んでいた。

「どうして私達を食べる!? 何も食わなくても死なないお前達が!! なぜだ!? お前らは無意味で無価値な肉塊だろ!! この世から——」

 もう、収まらない。

「消え失せろ!!」

 

 顔を上げた巨人は、自分で自分の顔を引きちぎっていた。こちらを見る目。憤怒の表情。さきほどまでの敬意は消え失せ、口の端からは涎が垂れている。

 

——しまった。

 

「え……?」

 私は震える足で立ち上がる。

「何……? 何なの!?」

 走り出す。逃げなければ。

「何で!?」

——ヤバい、殺される。

「何が!?」

——食われる。

 

 森の出口はすぐそこだ。

 開けた草原には巨人がいない。

 逃げなければ。

 

 そう思って、一瞬振り向いた私は、その行動を後悔した。

 

 そこには、巨人がいた。

 

 下半身を掴まれる。

 とてつもない衝撃。

 息が詰まる。

 

——いやだ!

 

 こんなところで、たった一人。

 

——巨人に食われて死ぬだなんて。

 

 右手を掴まれる。視界に広がる巨人の口。

 

——いやだ!!!

 

 

 次の瞬間、私は目を瞑っていた。

 だから、それを見逃した。

 

 もの凄い轟音。

 頬にかかる何かの血。

 巨人の手から投げ出され、地面に叩きつけられた。

 体に染みついた受け身動作で、衝撃を逃す。

 本能的に頭をかばる。

 

 目を閉じた暗闇の中で、何か巨大なものが崩れ落ちる音がした。

 

「ようやく、人間を見つけられたぜ」

 聞いたことのない、男の声。

 さきほどまでの巨人の声とは全く違う。

 意思のある声だ。

「目を覚ましたらうすのろでけぇ巨人どもばかりでびっくりしたが、ようやくだ」

 私は目を開ける。

 もう二度と見ることができないと刹那に思った現実の世界を、見る。

 

 そこには黒づくめの男がいた。

 黒く短い髪、整っているが傷だらけの顔、閉じられた右眼、金属で覆われた左手、黒鉄の装甲、黒いズボン、長いブーツ。

 そして、

 凄まじいほど大きな剣。

 

 それは、剣と言うにはあまりにも大きすぎた。

 大きく、分厚く、重く、そして大雑把すぎた。

 それは正に、鉄塊だった。

 

 それを男は、片手で持っている。

 剣先は、ぴくりとも動かない。

 

「涙拭って立て、娘。話は聞かせてもらうぜ」

 その男は、斬り落とされた巨人の首に足を乗せ、無愛想な顔で私に言う。

 

 その時、私はようやく生き延びたのだということに気がついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




どうも、碧海かせなです。
昨今の進撃の巨人熱で書き始めてしまった本作。
そもそも原作が完結していないのに二次創作を始める危険性は承知しているのだが、書かずにはいられなかった。
書こうと思ったきっかけはどこかで拾ったコラ画像。
鬱展開をどうすれば壊せるか。毒には毒をもって制すの精神でいきます。
頑張って更新するので、よろしくです。
プロローグなので引用が多めですが、以降は少なくなる予定。


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第1話 帰還者と来訪者

 第34回壁外調査兵団の生き残り一名が帰還したというニュースは訓練所に衝撃をもたらした。それはアルミン・アルレルトによって伝えられたものであった。

 耳の早い警備兵たちが話していたのを聞き、情報を手に入れたのである。だが入手できた情報は限られていた。帰還者は第34回壁外調査、つまり二ヶ月前に失敗に終わった調査の生き残りであるということと、馬もなく徒歩で帰還したということだけであった。

 だがこの2つの要素だけで、このニュースは前代未聞のものとなる。

 

「つまりね、エレン」

 朝食の時、食堂に集まった第104期訓練兵団の面々は、自然とアルミンを囲むように集まっていた。情報提供者であるアルミンの話を聞きたいというのもそうだったし、この中で一番の頭脳派であるアルミンの意見を聞きたいというのもあっただろう。

 そしてアルミンもそれを理解していて、いつもより大きな声で話している。いつもであれば騒がしくするとすぐに怒鳴り込んでくるキース・シャーディス訓練教官でさえも、状況が状況であるため、大目に見ている現状だった。

 つまり、それだけの一大ニュースなのだ。

 

「巨人を相手に逃げ回るには、絶対に調査兵団専用の馬がなければ、絶対に無理なんだ。だからそれなしで帰還したっていう今回の帰還者は、今までの人たちとはまったく違うんだよ!」

「それはわかるけどよ」エレンもまた凄いニュースであることはわかっているが、何がどう凄いのかイマイチ理解できていなかった。「立体機動装置があればなんとかなるんじゃないか?」

 

 アルミンが回りを見渡せば、理解度はエレンとあまり変わっていないようである。

 アルミンは小さく溜息をついた。

 

「立体機動装置が2ヶ月も補給無しで持つはずがないでしょ、エレン」

「第34回って言えば、奇行種に兵站部隊がやられたから撤退したはずだろ」

 足を組んだライナー・ブラウンが、記憶から情報を掘り出しながらそう言った。

「そうだったか?」

 コニー・スプリンガーは既に忘れ去っていたようである。

「うん、だから補給はこの2ヶ月、なかったはずなんだ」

「それで生き残るっていうのは、凄いね」

 マルコ・ボットは初めから今回の異常性——もはやそう呼ぶべきものであった——を理解しているようだった。

 

「巨人に出会わないよう用心して帰ってくる可能性はどうなんだ?」

 隣に座っているジャン・キルシュタインもまた、顎に手をやりながら言う。

「第34回壁外調査では、エルヴィン団長が第30回から新たに導入した長距離索敵陣形が上手く機能して、ウォール・マリアにかなり近づいた調査だったんだ。だからこそ、撤退は大変だったみたいだけど……。だから、生存者がいても巨人にまったく会わないで帰ってくるのはとても難しいと思うよ」

「一人ということは集団でいるよりも見つかりにくいかもしれないけれど、2ヶ月間ずっと見つからないってのは難しいだろ」

 普段は話の輪に入らないアニ・レオンハートですら、口を挟んでいる。

 アルミンはアニの言葉に頷いた。

「きっと移動するにしても、夜、巨人の活動が鈍くなる時だけにしてたと思うんだ。あとは徹底的に巨人の目から逃げ回るしかないだろうね」

 

 アルミンは考えられる可能性を考えていたが、どう考えても無事にたどり着けるとは思えなかった。確かに、第34回調査兵団の移動経路上には放棄された市街地があり、そういった場所に潜めば巨人の目を逃れることもできるだろう。だが当然ながら、市街地の外は草原であったり、森だったり、遮蔽物のない平野もあるのだ。

 立体機動装置があっても、平地における巨人との交戦は厳しいとされている。アンカーを巨人の体に射出せざるを得ず、そしてその場合の立体機動戦は高度な技術を必要とする。増して、装置がなければ言うまでもない。

 

「ミカサだったらどうする?」

 お下げの黒髪少女、ミーナ・カロライナがミカサに問う。それは第104期訓練兵団のトップ、そして歴代屈指の逸材と呼ばれるミカサ・アッカーマンであれば、どう対処するか知りたかったからである。当然、皆はミカサに注目した。

「厳しい。一人では生き残ることは不可能」

 ミカサは簡潔に述べる。

——ミカサですら……。

「ただ、エレンと一緒なら可能」

「……どういうこと?」

 たまらずクリスタ・レンズが問いかける。問いとともに小さく首を傾げる可憐な仕草に、多くの男の心がときめいたのは言うまでもない。

「エレンが一緒なら不可能を可能にすることが私にはできる」

「……何言ってんだ、おまえ?」

 エレンは意味がわからないといった顔で、そう言った。

——エレンは本当に鈍感だよなぁ。

 アルミンは心の中で嘆息。

 他の皆も、あまりと言えばあまりな答えに、しばし沈黙する。

 

「アルミン、今手に入る情報はそれだけなのかい?」

 ベルトルト・フーバーが沈黙を破った。

「今のところはね。こんなに早く噂が回るのに、要点をまとめれば情報はたった二つなんだ。きっと上の方でなんらかの情報制限をしてるんだと思う」

「つまり?」

 マルコは何か思いついたようだったが、アルミンに続きを促した。マルコはどんなときでも冷静で、かつ現実的、合理的な思考が出来る人間だった。頭の回転も速い。頭脳特化型と呼ばれるアルミンに隠れて目立たないが、戦場では頼りになるタイプだろう。多くの人間がマルコに一目を置いているのも、一番の人格者と見なされているからに違いない。

 

「考えられる可能性はいくつかあるけど、強いて挙げるならば何か上にとって都合の悪い情報があるか、あるいは広めることによって市民が混乱するような情報があるんだと思う。それがいったい何なのか、っていうのは、今の段階じゃわからないかな」

「漠然としすぎて絞れねぇな」

 ジャンがお手上げと言ったように頭を掻いた。

「案外、巨人を手懐けて還ってきたのかもしれねぇぜ」

「バカを言うな、コニー。そんなことがあってたまるか。あいつらは化け物なんだぜ」

 エレンはまるで自分に言い聞かせるように言った。もし人類に味方する巨人なんてものが出てきた場合、エレンはそれに頼ることができるのか、わからなかった。彼は巨人というものに対して無限に近い憎しみを抱いている。だからこそ、この訓練兵団に所属し、将来は調査兵団に入ろうとしているのだ。

——すべては巨人を、根絶するために。

 

「化け物になって帰ってきた、なんてことはないよな?」

 その人物は、話の輪の外から発言した。ご飯を食べながら、まるでこの話が<どうでもいい>ことのような顔をして。

 その隣にはサシャ・ブラウスが食事を貪り食っていたが、話に興味がないというよりは食事に夢中で話を聞いていないだけだろう。

「化け物ってなんだよ?」

 ライナーが振り返って彼に問い掛ける。

「ドラゴンとか、悪魔とかになって帰ってきたとか」

「そんなお伽噺言ってる場合かよッ!」

 エレンが巫山戯たことを吐くそいつに、椅子を倒して立ち上がりながら怒鳴る。

 

 エレンは今まで、自分がシガンシナ出身で、巨人を直に見たことがあるという経験を、誇ったことはない。その経験をして良かったと思ったこともない。その経験は、自らの母親を、還るべき日常を失ったという苦い記憶を伴っているからだ。

 だが、そう思っていても、そいつが見せるこの態度が、エレンには気に食わなかった。

——巨人なんて恐るるに足らない。

 これはエレンの言葉だ。

 巨人がどれだけ脅威なものかを知った上で、それを乗り越える意志の表れだった。

 

 だがその男は、どんなに巨人が恐ろしいものかを聞かされても、壁の上から外の世界を歩く巨人を見ても、それが当たり前であるかのように冷静に、巨人が大したことのないものだと思っている。

 それが、エレンには恐ろしかった。

 なぜ、アレを見てそこまで冷静でいられるのか。

 なぜ、人を食らう化け物を、心から恐れていないのか。

 

「俺にとっちゃあ人を食らう巨人だって、十分お伽噺みたいなもんだぜ」

 その男、この1年で急激に背を伸ばし、少年から青年に移り変わりつつあるその人間は、まるで何かを誇るような笑みを浮かべた。

「この()()()()さまはもっと凄い化け物だって、倒して来たんだ」

 

 それは、誰も信じないイシドロという男の武勇談だった。

 彼は自分の出身を語らない。だが、彼は自分がかつて一騎当千の強者どもと、化け物退治の旅に出かけていたという武勇談を妙なリアリティをもって自慢した。

 その話には遠国の暗殺者たちや群れをなす亡霊、天使のような悪魔や海——イシドロは海を渡ったことがあるなどと言うのだ!——の神と言われた化け物が出てきた。

 誰もそんな話を信じない。

 だが、イシドロは信じないことに憤りはしなかった。

 いつもその武勇談を結ぶのは、

「だから俺は最強にならなきゃならないんだ」

 という言葉である。

 彼は、だから訓練兵団に入った理由を、<最強剣士になるため>と言って憚らなかった。

 エレンが、気に入らない理由の一つである。エレンは巨人への復讐が彼の行動原理だったが、イシドロは強くなるためとしか言わない。この残酷な世界で、なんて夢見がちなことを言っているんだ、と思わずにはいられない。

 

「またその話かよ」

 気の抜けた声を出したのはジャンだったが、皆もまた同じ気持ちであった。

「人が化け物になんてならないよ、イシドロ。いや、君はそういうこともあるんだと思ってるのかもしれないけどさ」

 アルミンもまた、苦笑をしつつイシドロに言った。

「黙ってろよ、イシドロ」

 エレンが吐き捨てるように言う。

 それに対して、イシドロは肩を竦めるだけだった。

 

 イシドロは優しい。その優しさに気付いているのはマルコやアルミンだけだろうが、彼はエレンの事情を知ってエレンが自分をどう思っているか、そしてそれが仕方のない思いであると割り切っている。

 だからこそ、アルミンにはイシドロという人間が計り知れなかった。

 一見、威勢が良くて勝ち気で目立ちたがり、そんな幼稚な言動なのだが、その奥には人を助けようとする正義心や弱い者を守ろうとする男気が併存している。

 どうすれば、そんな性格になるのだろうか。

 

 食べ終わった食器を片付け、イシドロは立ち上がった。彼のことを忘れて、またアルミンの周りは騒がしく議論を始める。

 だが、イシドロは食堂から出ようとして、何かを思いついたように立ち止まった。そしてまるで凄いことに気付いたというように、

「ならよ、話は簡単じゃねぇか」

 と言った。

 アルミンたちはもう一度、やけに自信ありげなイシドロを見た。

生存者(そいつ)は化け物と一緒に帰ってきたんだ」

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 調査兵団長、エルヴィン・スミスは耳を疑った。動揺を隠すことができず、思わず表情にそれが出たのも、彼にとっては珍しいことである。彼の後ろに立っている調査兵団兵士長、リヴァイもまた身じろぎしたことを彼は気付いている。

 そしてエルヴィンはこの部屋に入った時から、圧倒的な威圧感によって冷や汗を感じていることを自覚せざるを得ない。一緒に部屋に入ってくれたリヴァイの存在をありがたく思うことが、彼には滑稽だった。

 エルヴィンは調査兵団の団長である。今まで幾人もの死を見て、そして幾人もの巨人殺しのプロを見てきたが、目の前に座っている男のような人間は、見たことがなかった。

 目の前の大男は、見たこともない黒い義腕をつけ、まるで自然体のような振る舞いで持ってきた食事を食べている。上品な食べ方ではない。栄養を取らねばならないから食べているような食い方だ。

 だが、食事をとっている今この瞬間でさえ、まったく隙がないように見える。

 次の瞬間、自分が斬りかかったしても、彼の椅子に立てかけられたその鉄塊が、自分を襲うだろう。

 

 それは、剣と言うにはあまりにも大きすぎた。

 大きく、分厚く、重く、そして大雑把すぎた。

 それは正に、鉄塊だった。

 

「イルゼ・ラングナー君。君が非常に困難な状況から帰還したことは私も知っているし、五体無事で帰ってきたことを非常に喜んでいる。それに君が受けたであろう苦難は察するに余りある。だからもう一度、今度は素直に言って欲しい」

 エルヴィンはその大男の隣に座っている、第34回調査兵団の生き残り、奇跡の帰還者、イルゼ・ラングナーに話しかけている。

 黒髪、そばかすのまだ20を超えない女性。こんな若い人間すら自分たちは死地に繰り出さなくてはならないことが、彼には空しかった。

 だから、彼女が()()していることを可哀想に思っていたし、可能な限り優しく接しようとしている。

「君はどうやって帰ってきたんだい?」

 

 

「だから! このガッツさんが巨人を倒して、歩いて帰ってきたんです!」

 

 

 イルゼは、まるで死地からの帰還者とは見えない元気で血色の良い顔で、そう言った。その声には何度言ってもまともに取ってくれないエルヴィンたちに対する苛立ちすら混じっている。差し出された、久しぶりに調理されたご馳走を食べながらの事情聴取は、なかなか彼女の思うようにいかない。

——だけど、まぁ仕方ないかなぁ。

 イルゼは隣で黙々と食事をとる大男(ガッツ)を見て、小さく息を吐いた。

 自分も、この2か月間、一緒に行動をしていなければ、この男の圧倒的な強さを見ていなければ、信じられないだろう。

 

「おい、イルゼ・ラングナー。団長や俺がそんな出任せを信じると思ってるのか?」

「リヴァイ!」

 エルヴィンは斜な言い方をするリヴァイを押し止めた。リヴァイはリヴァイで、さきほどからありえないことを聞かされて、うんざりしているのだ。

 

「おい、大男」

 今度は大男(ガッツ)に話しかけるリヴァイ。

 ガッツは、閉じられていない方の左目でリヴァイを見た。

「そんなデカブツを持てるってのは力自慢だろうがよ、そんなもんで巨人は殺れねぇ。あんたも本当のことを言ってくれねぇか。あんた、いったいどこから来たんだ?」

 リヴァイは言葉を出しながら、だが一切気を抜いてはいなかった。立体機動装置は武装済みであり、柄は刀身に装着済みだった。

 対してガッツは黒い鎧の上に多くの投げナイフを付けている。ズボンこそ普通のものであったが、左手の義手はよくわからないメカがついている。

 だがそんな枝葉はどうでもいい。

 リヴァイの、彼の中の本能が、この(ガッツ)はヤバイと告げているのだ。

 

「それは俺が聞きてぇ。ここはどこだ」

 ガッツようやく口を開いた。

 彼もまた、どうしてこんなところにいるのか、わからなかった。

 二か月前まで彼は仲間たちとの船旅をしていたはずだが、気がつくと見知らぬ森の中にいたのだ。森から出てみれば、そこには気色の悪い巨人どもばかり。降りかかる火の粉を払うように巨人をなぎ払っていたが、そのうち大量の人の残骸を見つけた。

 

 巨人が人を食らっているということに気がついたのはその時だった。

 

 口を血で汚した巨人たちは、手や足や、頭を地面に取りこぼしながら食事を終えたところだったらしい。

 彼はそれが気に入らなかった。

 だから、殲滅した。

 そして、近くの森から人の叫び声を聞いて、そこで巨人に食われかけているイルゼ・ラングナーを見つけたのだ。

 

「ガッツ君」

「ガッツでいい」

 ガッツはエルヴィンに言った。君付けされるのが気に入らない。恐らくガッツの方が年上だろう。

「君は一年前に撤退しなかったウォール・マリア内地の人間ではないのか?」

「わからねぇ。そもそもウォール・マリアとかなんとか、そんな壁なんて知らねぇ。俺は船に乗ってたんだが」

 ガッツはこの2か月の間に、イルゼからこの世界のことを聞いている。だからそれから判断するに、彼はまったく見知らぬところに来たようだった。

 ガッツは今まで何度も非現実的な目に遭遇してきたが、まったくの別世界にやってきたというのは初めてであった。裏の世界、ですらなかった。

 しかも、彼にとってはもっとも衝撃的だったのはそのことではない。

 無意識に手を伸ばし、首の後ろを触る。

 

 

 そこには<生贄の烙印>がなかった。

 

 

「それは川を遡っていたということか?」

「違う、海だ」

 エルヴィンはもう一度、表情を隠すことに失敗した。

 驚きと動揺を隠せなかったのだ。

「……まさか、君は壁の外から来たのか?」

 エルヴィンはその地位にいるからこそ、<海>を知っていた。川ではなく、河でもなく、湖でもない。そこは塩水に満たされた巨大な水たまり。そして陸地は、水たまりの中の小さな面積に過ぎないという伝承を、彼は知っていた。

 だからこそ、彼は信じられない可能性を思いついてしまった。

 彼は、この100年存在しなかった、壁の外からの来訪者である可能性。

 

「俺は壁で仕切られた小さな箱庭生まれじゃねぇよ」

 ガッツは軽く言い切った。

 エルヴィンは絶句し、イルゼは困ったようにガッツを見ている。リヴァイはその額に青筋が浮き上がっていた。

 だが、表面上は皆が黙り込んだ。

 

「最初は私も信じられなかったんです」

 イルゼは少し間を置いて、話し始めた。

「ガッツさんの話だけ聞くと、まるで夢物語みたいだったから。だけど、この2か月間で信じられるようになりました。ガッツさんは、本当に外の人なんです」

「その理由を聞かせてくれるかい、イルゼくん」

 エルヴィンは考え込みながら言う。

「……いえ、団長。私が何を言っても信じてもらえないと思います。だから、彼の強さを見てください。そうすれば、信じられます」

「何をだ?」

 リヴァイは眉を細めながら訊いた。

 

「彼は最強です」

 部屋の中の視線がガッツに向けられる。

 ガッツは小さく嗤った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




こんばんは、碧海かせなです。
ちょっと遅れましたが第1話です。ガッツがトロスト区にやってきました。

次回、特に理由のないガッツがリヴァイを襲う(嘘

がんばります。感想も励みになります。ありがとうございます。


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第2話 化け物の心

 外から扉が叩かれた。

「——ミケ・ザカリアス」

 入れ、とエルヴィンが背にある扉に向かって応える。

 入ってきた男はガッツと同じほどの背丈で、顎に髭を生やした男だったが、ガッツと比べれば体躯の厚さが違った。

 大きめの窓から差し込む光に、その男は眩しそうに目を(すが)めた。

——どうにも、こっちの連中は細いな。

 目の前にいるリヴァイ(チビ)にしても、である。

 

「ハンジは?」

「今、遣いを出した」

 ミケはちらりとガッツを見たが、何も言わない。

「壁の外からの人間だと伝えたか?」

 エルヴィンが尋ねると、ミケは小さく頷いた。あまり饒舌な方でもないようである。

「この手の法螺吹きを見抜くにはハンジの奴が最適だろ」

 リヴァイは壁に寄りかかった姿勢のまま、顎でガッツを指す。

「調査兵団の中でも、知識量は随一だからな」

 

 ミケはガッツからは遠回りにイルゼに近づいた。

「お久しぶりです、ミケ隊長!」

 イルゼは直属ではなかったが、ミケの部下であったこともある。だから、この()()も知っていた。

 ミケはイルゼの首筋に顔を近づけ、匂いを嗅ぐ。

——変な野郎だ。

 ガッツがそう思ったのも仕方がないことであろう。

 嗅いだ後、ミケは小さく鼻で笑った。ここまでが一つのルーチン。

 懐かしいミケの癖に、イルゼも苦笑を浮かべる。

「……第34回壁外調査兵団、イルゼ・ラングナー、よく帰還した」

 ミケは姿勢を正すと、心臓に右手を打ち付ける仕草をした。

 イルゼも慌てて立ち上がり、その所作を返す。ガッツはそれが、この世界の敬礼だと聞いている。

 

 自らの心臓を、人類のために捧げるという決意の表れ、だと。

 それを話してくれた時、イルゼはあまりに真剣な顔をしていたから、ガッツも笑うことができなかった。

 だが、なんと虫のいい話だろうか。

 俺の心臓は俺のものだ。

 人類なんて大層なもんに捧げるなんて、考えたこともない。

 かつて使徒を殺しまくっていた頃であっても、彼は彼の望むままに使徒を殺していた。

 かつて傭兵として人を殺しまくっていた時も、自分の信じるものを信じて殺していた。

 この体も、そして魂も、決して誰に差し出すものではない。

 例え化け物たちに捧げられる生贄の烙印を押されたとしても。

 グリフィスをぶん殴るまでは、絶対に死なない。

 血の一滴だってくれてやるつもりなどなかった。

 無意識にガッツは右手を自分の首の後ろに伸ばしていた。

 ないはずの傷が、疼いたような気がしたのである。

 

 ミケがイルゼに敬礼をしたことで、エルヴィンは少し胸を撫で下ろした。

 イルゼ・ラングナーが帰ってきてから、エルヴィンやリヴァイたちの頭から離れなかった考えがあった。

——本当に、このイルゼ・ラングナーは本人なのか。

 だが誰よりも鋭い嗅覚を持ち、調査兵団の中でも特に勘の鋭いミケが彼女を本人と認めたことで、とりあえずの安心を得られたのである。壁外調査の度に失われ、そして補充される調査兵団員。この中でまともにイルゼ・ラングナーを個人として認識していたのは、彼の上司であったミケくらいのものだろう。

 団長であるエルヴィン・スミスですら、あまりに消耗率の早さに名前と顔程度しか覚えることができていない。

 

 彼は壁外調査で失った全ての部下の名前と顔を覚えている。

 だが、それ以上のことを敢えて覚えないように、心の中で壁を作っている。

 死んでいく仲間の一人一人に情を入れすぎれば、いつか自分も壁の外に行けなくなるだろう。

 それは怯えでも、増してや勇気の欠如でもない。

 かつての調査兵団長、キース・シャーディスが前線を退き、訓練兵団の教官になっていることも、ただ年齢の問題だけではなかった。

 きっと、キースの中で彼を支えていた何かが、折れてしまったのだ。

 無限に続く消耗と忍耐の日々に。

 だから、調査兵団にいた者は、キースの勇退を責めなかった。現場を知らない、駐屯兵団や憲兵団、一般市民は彼を詰ったが、調査兵団には一人としてそのような人間はいなかった。

 キースは良き隊長であり、良きリーダーであり、良き仲間であった。

 ただ、無理なのだ。

 ずっと調査兵団にいれば、いつかは限界が来る。

 いつ自分が死ぬのかという恐怖に怯え、昨日までの戦友を失っていく日々に。

 体ではなく、心が堪えられない。

 

 だからこそ、自分の中で戦死者名簿に加わっていたイルゼ・ラングナーが帰還した時は心底驚き、そして喜んでもいたが、それを素直に信じられなかったのである。

 本人でなければ、目の前にいるイルゼ・ラングナーの皮を被ったそれが何であるかなど、考えてはいなかった。

 ただ、失ったはずの人間が帰ってくるなどということが、信じられなかっただけである。

 たった二ヶ月前の壁外調査、兵站部隊の壊滅、のち撤退時に巨人の群れに遭遇し最左翼の崩壊によって、多くの仲間が失われた。

 最左翼、第二旅団に所属していたイルゼ・ラングナーは、戦闘中行方不明からすぐに戦死認定となっている。巨人との戦いにおける戦死は、ほとんどが戦闘中行方不明と同義だ。巨人に食われてしまえば、死体が残らないからである。

 誰が、イルゼ・ラングナーの生存を信じられたであろうか。

 

 ミケはイルゼに対して小さく頷くと、今度はガッツの隣に歩み寄った。

 座っているガッツに顔を近づけようとするより前に、

「男に匂いを嗅がれて、喜ぶような趣味はねぇ」

 左目がミケを睨み付けた。

 ミケは小さく肩を竦めると、それきり興味を失ったようにエルヴィンたちの背後、扉の隣まで歩いて、壁に寄りかかった。

 ガッツは視線をエルヴィンに戻した。

 

「俺から聞いていいか」

「ああ、もちろんだ」

 エルヴィンは促すように、机に両肘をついてガッツを見た。

「だいたいの話は、イルゼから聞いている。そちらの事情も、な」

 ガッツの隣で、イルゼは久しぶりの果物ジュースを飲みながら、こくこくと頷いた。

 果物のジュースは、調査兵団から生きて帰ってきた時にだけ振る舞われる、贅沢品であった。誰も知らなかったが、今回のそれはエルヴィンの自腹だった。

「俺がお前たちに聞きたいのは、俺以外に俺みたいのがいないか、ってことだ」

「てめぇみたいなデカ物なら、壁の外にうじゃうじゃ歩いてるぜ」

 リヴァイがバカにしたように口を挟む。

「黙ってろ、チビ」

「……なァんだと?」

 リヴァイが一歩踏み出した。

「リヴァイ、抑えろ」

 エルヴィンの一言で、動きを止めた。盛大に舌打ちをして、エルヴィンの斜め後ろ、定位置に戻る。

 

「君みたいな、というと、壁の外からの人間かい?」

 ああ、とガッツは頷きながら、仲間たちの顔を浮かべる。

 騒がしい妖精(エルフ)のパック。

 偉そうなガキのイシドロ。

 かつて敵の女騎士だったファルネーゼ。

 その従者の食えない男、セルピコ。

 騎士道気取ったアザン。

 魔女見習いの少女、シールケ。

 そのお目付の妖精(エルフ)、イバレラ。

 

 そして、旧鷹の団千人長、彼が唯一愛した女、キャスカ。

 

「恐らく、鋭い君のことだ。我々の反応からわかっているだろうが、君のように壁の外から来た人間を、我々は把握していない」

 ガッツも、さきほどの反応からそれくらいはわかっている。

「三年前にシガンシナ区が巨人に奪われ、ウォール・マリアが放棄されたあと、多くのがウォール・ローゼの内側に避難したきた。そもそも我が国は住人一人一人を把握していない。今回の君のように、何かがないと我々としてはそれを知ることもできないのだ」

「つまり、把握してないだけで、可能性はあるということか」

 大いにありうるだろう、とエルヴィンはそれを肯定した。

 ガッツはしかし、心のどこかで必ず会えると、わかっていた。それにはなんの確証もなかったが、ただそう思えたのである。

 彼が着ていたはずの狂戦士の甲冑が、かつて着ていた普通の黒い甲冑になっていても。

 指に結わえたはずのシールケの髪の毛がなくなっていても。

 失いつつあったはずの五覚が戻っていても。

 彼はどこかで感じていた。

 同じ世界に、仲間がいると。

 

「だが、そもそも我々は君が壁の外から来たということに、確信を得ることができない」

 エルヴィンは言葉を続ける。

「だろうな」

「イルゼくんは、君が戦っているところを見ればわかる、と言ったが、そもそも今の人類において戦うというのは巨人との戦いを意味する」

「人と人との戦いがない、ということか」

 

 ガッツは元傭兵である。争わず、一致団結する人間など、信じられるはずもない。

 

「小規模なものならあるだろう。だが、大規模のものとなると、存在しない。……いや、存在しようがない、というべきか。我々は建前として、巨人という共通の敵の前に団結している。かつては巨人を崇める一派があったが、それも壊滅された。だから、君の戦いを見ようと言って、ハイそれと戦うところ見られるわけではないのだ。君がもう一度壁の外に出て、巨人と戦うところ見るというなら別だが」

「俺がそれをやってやる義理はないな」

 外に出たところで扉を閉められれば、ガッツとしては為す術がない。さすがのガッツも、50mの壁を上ることはできないのだ。

「かといって立体機動装置など、恐らく君は知らないだろうし、君のその重武装では立体機動の利点が殺されるだけだ。つまりは、我々には君の強さが計れない」

 

 立体機動、とはエルヴィンやリヴァイ、ミケなどが腰につけている機械で、アンカーとワイヤー、そして高圧ガスを利用した巻き取りによって空中を舞う概念、らしい。

 らしいというのは彼が実物を見ていないからで、人間が空を飛ぶということもイマイチ実感が湧かない。セルピコが魔女からもらったシルフェのフードでもって浮いているところや、使徒のゾッドが羽を生やして飛んでいるところが思い浮かぶ。

 だがイルゼによれば、より早く、巨人の弱点である後頭部より下のうなじにかけて立て1m幅10cmを斬るために発達した技術なのだという。

 これによって、人類は初めて巨人を葬ることができるようになったのだ、とイルゼは語った。

 だからこそ、ガッツの戦い様はイルゼにとてつもない衝撃を与えたらしいが——

 

「なんなら俺が戦ってやろうか」

 リヴァイは口の端に笑みを浮かべて言った。彼の経歴を知っているエルヴィンやミケは、笑うことができない。彼は王都の地下街でも有名な男だった。言わないだけで、影で何人殺したか、スカウトしたエルヴィンでも知らなかった。巨人殺しの腕が人に向けられるなど、想像したくもないことである。

「そんなペラペラの刃で、俺をやれると思ってるのか」

 対するガッツも、嘲笑を返すように言った。

「この部屋じゃお前だけが人殺しの目をしてるがな、ちゃちな人数で凄むなチビ。弱い犬ほどきゃんきゃん吠えるもんだぜ。そういう子犬ちゃんを俺は何人も殺してきたんだ」

 プチ、という音が聞こえたのは隣のミケだけだったろう。

 慌てて伸ばしたミケの手は、リヴァイによって払われた。

「……俺は冷静な男で通ってるがな、そこまでバカにされたのは数年ぶりだ」

 改めてリヴァイは一歩を踏み出した。ブレードが装着済みの柄を握った両手が、白くなるほど力が入っている。

「煽てられて図に乗ってたのか、お笑いだな」

「……俺はキレたくなると巨人を斬ってたんだ。団長に言われてたからな。だからここ数年、人を相手にしちゃいない」

「はっ、おめでたい奴だぜ。雑魚(巨人)を殺してすっきりってか」

「ガッツ!」

 エルヴィンが制するようにガッツを呼んだが、ガッツはわざとやっている。ここで一番の実力者であろう人間を制して、自分の思うように運ぼうとしている。ガッツなりの、腕力に頼った交渉術だった。

 

——それが一番、手っ取り早ぇからな。

 

 対するリヴァイも、久しぶりにぶちキレている。

 もともとのリヴァイは激情家である。

 だがエルヴィンに拾ってもらってからは、人類のため、巨人を殺すためにその感情を利用してきた。怒りを、情熱に燃やしてきた。

 だからこそリヴァイは皆に人類最強と呼ばれ、そして畏れられた。

 それをこの男は嘲笑っている。

 壁の外から来たか、なんてリヴァイにはどうでもいい。

 この人を馬鹿にしたような態度が、リヴァイには許せない。

 

「来いよ、チビ助」

 ガッツは椅子に立てかけられた剣に手を伸ばしてすらいない。

 あと二歩踏み込めば、リヴァイの刃はガッツに届くだろう。

 椅子から立ち上がったエルヴィンを、リヴァイは視線で制した。

 激情で燃え上がった瞳の中に、冷静な光を見たエルヴィンが戸惑う。

 リヴァイもまた、売られた喧嘩の意味を理解しているのだ。

 理解して、それを買おうとしている。

——俺が力を測る、と目が語っていた。

 エルヴィンは身をどけた。

 

 そして、リヴァイが一歩踏み出した時だった。

 

 高圧ガスの吹き出る音。

 この部屋にいるガッツ以外の人間が聞き慣れた音が、遠くから急速に近づいてくる。

 ガッツの頭上の窓。

 

 

 太陽の光が、陰った。

 

 

 次の瞬間、

 窓から人が飛び込んできた。

 飛び散る窓ガラス。

 手にはブレード。

 両腕で顔の前でクロスし、入ってきた人物。

 

 ハンジ・ゾエだった。

 

 皆の思考が停止している中、ハンジがクロスした腕の先に見たのは——

 

 バカでかい剣。

 それは剣と言うにはあまりにも大きすぎた。

 大きく、分厚く、重く、そして大雑把すぎた。

 それはまさに、鉄塊だった。

 

 

 一瞬で剣を振りかぶった、ガッツの剣がハンジの目の前に迫っていた。

 誰も反応できなかった。

 エルヴィンでさえ、ミケでさえ、リヴァイでさえ、その動きに対応できなかった。

 あの巨大な剣をこんなに速く振るうとは、誰が想像できようか。

 ただ一人を除いて。

 

 

「ダメぇ!」

 イルゼがガッツの腰に抱きつくのと、

「うひゃあ!」

 ハンジがブレードで巨剣をさばきつつ、死にそうな思いでそれ避けるのは、

 同時だった。

 

 もの凄い音を立てて、取調室の壁にぶつかるハンジ。

 ガッツは、腰に抱きついたイルゼによって咄嗟に止めた剣を、静かに下ろした。

「危ねぇ嬢ちゃんだぜ」

 はぁはぁと息を乱すイルゼは、ガッツを見て強ばった笑みを浮かべる。

「よかった、間に合って」

 

 エルヴィンはもうどうすれば良いのかわからなかった。

 いきなり突入してきたハンジを、信じられない速度で斬りかかったガッツ。

 それを必死に止めたイルゼと、なんとか避けきったハンジ。

 さしものリヴァイもミケも、呆然としていた。

 

「し、死ぬかと思ったよぉ」

 壁に顔から激突して、なぜかメガネも割れていないハンジが言った。

 エルヴィンは、とりあえず医者を呼んだ。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

「私はハンジ・ゾエ、こう見えてもミケと同じ調査兵団の分隊長なんだ」

 ハンジはよろめきながらも立ち上がり、さきほどまでエルヴィンの座っていた椅子に、ガッツの目の前の椅子に座り込んだ。ハンジの目は、ずっとガッツから離れず、なぜか蒸気した顔で息を乱していた。

「俺はガッツだ」

「きききき君って壁の外から来たってホントッ!?」

 どこにそんな力があるのか、ハンジは机を両手で叩いて、身を乗り出してガッツに問うた。

「ああ、俺は壁のないところから来たん——」

「やったぁぁぁ!!!」

 ハンジは言葉を聞き終えるより先に立ち上がり絶叫した。

「壁の外から人が来るなんて! ああ、なんてことだろう!!! これがどんなに凄いことかわかる!? わかるよねッ!!!」

 顔には満面の笑み。

 

 

「で、どうなってんだよ、オイ」

 リヴァイですら、今まで見たことのないようなテンションのハンジに、引き気味だった。もはや狂乱という他ない。

「私が迂闊だった」

 手で顔を覆って、懊悩してるのはエルヴィンだった。

「あの知識欲の権化、好奇心の塊のハンジくんに<壁の外から人が来た>なんて言ったらどうなるか、考えればわかりそうなものなのに」

 おかげで、と言いかけてエルヴィンたち三人は大穴が空いた窓を見た。

 窓ガラスの修繕費は高くつく。

 ただでさえ調査兵団は慢性的に金銭不足なのに、余計な出費である。

 ミケはエルヴィンの肩に、そっと手を置いた。

「ハンジの自腹だな」

 吐き捨てるように言ったのは、リヴァイである。

 

 

「それにしてもそれ凄いねッ! 超硬質スチールのブレイドがほらッ!」

 ハンジが見せたのは真っ二つに折れたブレイドである。

「こんなに簡単に折れちゃって! それなのにそのおっきな剣にはまともな傷すら付いてないじゃん! 凄いよ! というか何それ、人に持てるの? ねぇ、持ってみていい?」

 ハンジは言葉も聞かず、椅子にかけられた剣に手を伸ばし、持ち上げ——

「あ、無理!」

——すぐに手を離した。

 床に落ちる前に、ガッツの右手が柄を掴む。

 ガッツは、小さく溜息をついた。

「何それ、重すぎるよ! 全然持ち上がらないじゃん! 何それ、巨人の剣なの? ってかガッツさん身長でかくない? ミケよりおっきいんじゃないの? ってか腕太ッ! 私の脚より太くない、ねぇ、何食べたらそんなに——」

 

 ばたん、と突然扉が開く。

「す、すみません! ハンジ分隊長飛び込んでないですか……って隊長! 何してるんですか!?」

 エルヴィンの記憶が正しければ、ハンジの副官の男だった。

「おい、今は取り調べ中だぞ」

 リヴァイは混乱を極めつつあることに頭痛がしそうだった。

 それもこれも、ハンジのせいである。

「り、リヴァイ兵士長! エルヴィン団長にミケ分隊長まで! す、すみません!」

 副官は扉の横にいた調査兵団のトップに気付いたように、直角の綺麗なお辞儀をした。ただでさえ急いで来たのだろう。汗まみれの顔が、色醒めている。

 

「ハンジくん、君も少し落ち着きたまえ」

「団長、ですがガッツさんは壁の外から来たんですよ!」

 ハンジは純粋な少年のような目で、飛びっきりの笑顔でエルヴィンに詰め寄った。その勢いに、エルヴィンは仰け反るほどである。

「どういうことだ」

 リヴァイはハンジが断定口調で言ったことを気にかけていた。

 ハンジは、壁の外から来た、と言ったのだ。

「彼のしているあの義腕、あんなの私見たことないよッ! それにあの弓矢発射装置……? 凄い細かいギミックで、どうやったらあんなに精密にできるか、想像もつかない!」

「立体機動装置だって細かいじゃねぇか」

「だから、まったく違う技術だよ。ぱっと見ただけでわかる。あんなの、壁の中じゃ作れない!」

 リヴァイは眉間に皺が寄っていることに気付いていない。

 ハンジが言ったことは、ガッツが壁の外から来たということを、補足し増強する証言だった。

 そして先ほど見せた、あの剣裁き。

 恐らく、リヴァイですらあの剣をまともに振るうことはできないだろう。

 下手をすれば、リヴァイの体重ほどあるかもしれない鉄の塊。

 それをガッツは片手で振り回した。

 立体機動装置はその性質上、体重や筋力よりを重視しない。

 巨人を立体機動によって狩るには、必要の無いものだからだ。

 だからこそ巨人を倒して来たと言った、イルゼやガッツのことを信用できなかった。

 だが、あの速度で、あの巨大な剣を振るうとすれば——

 

 

()()()

 取調室の扉で突っ立っているハンジの副官の後ろから、女の声が聞こえた。

「すみません、エルヴィン団長に呼ばれてきたんですけど」

 副官の男は、自分が邪魔になっていることに今更気付き、扉から体を避けた。

 後ろに立っていたのは、白く清潔なワンピースと、薄い茶色のスカート、長い髪を結び、片手に鞄、もう一方の手で古びた()をついた若い女性だった。

「ああ、先生、お呼び立てしてすみません」

 エルヴィンは愛想良く、敬語でその女性に接する。そのことに疑問を持つ調査兵団の人間はいない。

 彼女は彼女の家に伝わる医療術で、重症を負った多くの調査兵団員を救ってきた医師だったからである。彼女に救われた調査兵団員は数多い。それが例え、理解できないものであったとしても、一瞬で怪我を治す()()であったとしても、調査兵団の人間は、彼女感謝し、そして尊敬していた。

 まるで、()()のように人を救う彼女を。

 

 

「壁の外から帰還した調査兵団員がいまして、彼女の体を見ていただきたいのと、さきほど大騒ぎしたハンジ分隊長を見ていただきた——」

 話しかけられたエルヴィンから、部屋の中に視線を移した彼女は、とある人物を見て、硬直した。

 左手の鞄が手から零れ落ち、ミケがそれを掬い取った。

 大きく息を吸い込み、目が見開かれる。

 みるみる涙が目に溜まり、頬を一筋流れ落ちた。

 

 

「ガッツさん!」

 

 

 その女性は既に少女ではなかった。

 だからガッツも、それが誰であるかはすぐにはわからなかった。

 だが顔を見て、そしてその目を見て、気付く。

 

 

「シールケ、か」

 

 

 女性——シールケは、涙を流しながら、精一杯の笑顔で頷いた。

 4年振りの、ガッツを見て。

 ずっと会いたかった、その人を見て。

 

 

 

「で、どうなってんだよ、オイ」

 誰に問うでもなく、リヴァイはそう言う。

「感動の再会ってことよ、鈍い男ね」

 シールケとガッツにしか聞こえない声で、ミケが持った鞄の中から顔を出したイバレラが、茶化したようにそう呟いた。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 強さとは何か。

 物理的なもの。

 人間が鍛え、自らを磨く末に手に入れる肉体的な強さ。

 精神的なもの。

 人間が自らと向き合い、現実に立ち向かう強さ。

 そのどちらか一方では、完璧な強さとはならない。

 そのどちらも手に入れなくては、強くはいられない。

 

 愛する人が傷つけ奪われる悲しみ、信頼する仲間たちが死にゆく苦しみ、何よりも信じていていた男から裏切られる怒り。

 そのどれもが彼の強さを形成するには必要なものだったろう。

 だが、その絶望は彼の望んだものではなかった。

 そんな絶望の末に手に入るものなど、彼は決して望んでいなかった。

 

 ガッツは、あの烙印の剣士は、彼でなければ生き残ることすらできないような地獄を生き抜いてきた。

 化け物を殺しながら迎えた朝の数を、彼は既に知らないだろう。

 彼にとって朝とは、戦いの終わりだった。

 彼にとって夜とは、戦いの始まりだった。

 彼は夜寝ることもできず、ただひたすらに殺し続けた。

 化け物を、かつて人であったものを、使徒と成り果てた者を。

 

 それなのに、そんな苦しみを背負ったのに。

 彼は優しい。

 彼女は自分の頭に置かれた、彼の手の感触を未だ覚えている。

 大きく、骨張っていて、普段は剣だけを握っている手で、優しく撫でてくれたその感触。

 その感触は、彼の信頼とともに与えられたそれは忘れることの出来ない、彼女の大切な思い出だった。

 

 最後に彼と会ったあの船の上から、既に4年が経っている。

 あの頃はまだ幼く、ただの少女だった彼女も、この4年ですっかりと成長し、一人の女性へと変貌しつつあった。背が伸び、体つきは既に女性のそれとなりつつある。かつては短かかった髪も、いつからか伸ばすようになって長髪にも慣れた。

 お師匠さまから譲り受けた服も何年着ていないだろうか。身長が変わるにつれ、服を仕立て直してはいたが外に着ていくこともない。かつては大きすぎた帽子も、今ではちょうどよい大きさになってしまった。

 

 だが、杖だけは持ち歩いている。

 

 人には昔の怪我が痛むから、と言って持ち歩いている杖だけれど、これだけは持っていなければなかった。

 これは自分がお師匠さまの弟子であることの証。

 自分が、魔女であるということの誇り。

 

 そして、自分がガッツの仲間であったということを忘れないために。

 

 

「また寂しそうな顔してる。なーに考えてるの?」

 ホットミルクを入れたマグカップの後ろから、妖精(エルフ)のイバレラが顔を出した。この世界にはエルフがおらず、また人間にはエルフが見えないようだったため、むしろ元の世界よりもイバレラは自由に動き回っている。世界は変われど、この世界にも精霊はいるそうで、また長命種らしい楽観主義で私を励ましてくれた。

 この4年、常に一緒にいてくれた相棒。

 彼女がいなければ、私一人ではとても生きていけなかっただろう。 

「もう4年、と思って」

 この世界に来てから、である。

「そうね、あっという間だったわね」

「最初はどうなることかと思ったけど、調査兵団の皆さんのおかげで、どうにかなってるもの」

 シールケは四年前、この世界に来てすぐにウォール・マリア放棄の混乱に巻き込まれた。その時、救ってくれたのが当時は調査兵団の分隊長であったエルヴィンである。シールケは持ち前の魔法を隠しつつ、治療を提供し、彼の保護下に入った。

 この世界には魔法使いがいない。

 仲間を救ってくれたことを恩義に感じたエルヴィンを初めとする調査兵団のみんなは、 下手をすれば異端とされる彼女の施術を隠し、そして保護してくれた。今のシールケの立場は、調査兵団付きの医師である。

 普段は街の市民も診療し、有事には壁外調査にもついて行く。

 そんな立場だった。

 

「シールケはしっかり協力してるんだもの、そのお返しはしてもらって当然よ」

 イバレラはそう言ったが、もし彼らの保護がなければ、10代を超えたばかりの自分がどうなっていたか、想像もつかない。

 彼女一人では、生き抜くこともできなかっただろう。

 ウォール・マリア放棄によって、食料は逼迫している。

 満足に食事も出来たかはわからない。

 

「どうやら、噂をすれば影、みたいね」

 物思いに耽っていたシールケを浮上させたのは、イバレラの言葉。

 次の瞬間、玄関のドアノッカーが叩かれた。

『シールケ先生! 団長がお呼びです! 至急来ていただけませんか!?』

 ふぅ、と息を吐き出す。

「わかりました! すぐ行きます!」

 シールケはテキパキと鞄に薬草や包帯などを詰め込み、そしてイバレラもその中に躍り込んだ。

「私も一応付いていってあげる」

「ありがとう、イバレラ」

 外套を羽織り、鞄を持ち、そして杖を持つ。

 玄関のドア開け外に出る時、彼女は家の奥で厳重に鍵のかかったドアに、目をやった。

「行って来ます、ガッツさん」

 出かける時、いつもかける言葉。

 そのドアの向こうには、ガッツにいつか渡すべきものがある。

 

 

 狂戦士の甲冑。

 

 

 なぜシールケとともにこの世界に来たのかは、彼女も知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




お待たせしました、碧海かせなです。
2週間も経ってしまいすみません。
リアルが忙しかったというのもありますが、今後の展開をどうしようか悩んでというのもあります。
一応筋道がたったので、一気に書き上げることができました。
とうとう彼女が登場です。
結局、特に理由のないハンジがガッツを襲って、死にかかっただけでした。
では、次回も宜しくお願いします。
感想も、よい励みになりますので、お気軽にどうぞ!

次回、特に理由のないガッツがあいつと出会う!(予定)

よろしくです。


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